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1,196 | ディジュリドゥ | ディジュリドゥ / ディジリドゥ / ディジェリドゥ / ディジャリドゥ(Didgeridoo, Didjeridu)とは、オーストラリア大陸の先住民アボリジニの金管楽器である。木製ではあるが発音原理から木管楽器ではなく金管楽器に分類される。
シロアリに食われて筒状になったユーカリの木から作られる。複雑多岐に渡る演奏方法・使用目的がある。その名を出したり、楽器を見ることさえ禁じられており、特殊な儀礼に使われる特殊なディジュリドゥもある。
原材料のユーカリには数百種があり、その中でもシロアリが好んで食べるものは特定の数種に限られる。通常は自然の状態でシロアリに食べられたユーカリから作られる。アリの巣そのものにユーカリの木を刺し込み、少し穴の開いた木にシロアリを入れて口を塞いで強制的に食べさせるといった製法も存在している。その後、1mから2mに切り、表皮を削り口当ての部分に蜜蝋(ビーズ・ワックス)などを塗り、表面には岩を砕いた顔料でアボリジナル・ペインティングを施す。
太さ、管の内径、長さなどは不定で、部族やクラン(言語グループ)によってその形状と音色は異なっている。長さは80センチメートルから2メートルを超えるものまで幅広い。表面はウレタン樹脂などでコーティングしただけの木肌ままのものや、塗装が施されているものもある。吹き口は幹の細い方を蜜蝋で加工して作る。
現在では原材料も多種多様となり、竹、チーク、リュウゼツラン、PVC、FRPといったものも販売されている。また2017年には、静岡県沼津市戸田地区の地域おこし協力隊が、地元の特産品であるタカアシガニの殻を素材とした「タカアシガニリドゥ」という楽器を製作している。
音を出す方法は、管の一端に口を当てて唇の振動などを利用するもので、口当てに口を付け、息を吹き込みながら唇を震わせ、口や筒の中に共鳴させることで、音を発生させる。
金管楽器のトロンボーン、チューバ等にも似るが、その複雑な演奏方法は他に類を見ない。通常、循環呼吸が使われる。
アボリジニは1000年以上前にディジュリドゥを作ったとされ、実際には文献が存在しないので証明が不可能ながら「世界最古の管楽器」の一つではないかと言われる。主に宗教儀式やヒーリングのために演奏していたと考えられている。現在では様々な地域で演奏されるが、伝統的にディジュリドゥが伝わる地域はオーストラリアでも北部に集中しており、クイーンズランド州、西オーストラリア州の北部とノーザンテリトリーのアーネムランドのみである。
元々は、アボリジニが昔から精霊と交信するための祭儀で使用していたもので、神聖な楽器として大事に扱われていた。
ディジュリドゥという名は、オーストラリアに入植した白人がその音を聞いて「ディジュリドゥ」と聞こえたことによって付けられた。20世紀に入ってからのことである。アボリジナル自身はそれぞれの言語グループの言葉で、例えばアーネムランド内でも南西の方では「Mago(マゴ)」、北東では「Yidaki(イダキ)」、クィーンズランド州北部では「Yigi Yigi(イギイギ)」などと呼ぶ。ちなみに、日本に出回っているディジュリドゥの多くはイダキである。
また、アボリジニの間ではディジュリドゥは男性の楽器とされ、女性が演奏することはほとんどない。女性が吹くと妊娠するので吹いてはいけない、部族によっては反対に女性が吹くと不妊になるので吹いてはいけないという伝承がある。女性は触れてもいけないとする部族もある。
イギリスの音楽バンド「ジャミロクワイ」はバンドメンバーにディジュリドゥ奏者ウォリス・ブキャナンが在籍していた事があり、以下のアルバムはディジュリドゥを使用した楽曲を多数含んでいる。このうち「トラベリング・ウィズアウト・ムービング」は全世界で800万枚売上げ、世界一売れたファンクアルバムとしてギネス登録されている。 | [
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] | ディジュリドゥ / ディジリドゥ / ディジェリドゥ / ディジャリドゥとは、オーストラリア大陸の先住民アボリジニの金管楽器である。木製ではあるが発音原理から木管楽器ではなく金管楽器に分類される。 | {{表記ゆれ案内|表記1=ディジュリドゥ|表記2=ディジリドゥ|表記3=ディジェリドゥ|表記4=ディジャリドゥ}}{{出典の明記|date=2016年3月31日 (木) 02:29 (UTC)}}
{{Infobox 楽器
|楽器名 = ディジュリドゥ
|その他の名称 =
|英語名 = Didgeridoo, Didjeridu
|ドイツ語名 = Didgeridoo
|フランス語名 = Didgeridoo
|イタリア語名 = Didgeridoo
|中国語名 =
|画像 = Image:Australiandidgeridoos.jpg
|画像サイズ = 300px
|画像の説明 = 様々な形状
|分類 = * [[管楽器]]
** [[金管楽器]](材質は木製だが分類上は[[金管楽器]])
|音域 =
|関連楽器 =
|演奏者 =* [[GOMA]] * [[KNOB]]
|製作者 =
|関連項目 =
}}
[[File:Didgeridoo sound.ogg|thumb|240px|音]]
[[File:21922 anton drone-key-d.wav|thumb|240px|トロンボーンのように使えるようにしたディジュリボーン]]
[[File:Didgeridoo Embout1.jpg|thumb|口の蜜蝋の部分]]
[[File:Australia Aboriginal Culture 009.jpg|thumb|150px|演奏の姿]]
'''ディジュリドゥ''' / '''ディジリドゥ''' / '''ディジェリドゥ''' / '''ディジャリドゥ'''('''Didgeridoo''', '''Didjeridu''')とは、[[オーストラリア]]大陸の先住民[[アボリジニ]]の[[金管楽器]]である。木製ではあるが発音原理から[[木管楽器]]ではなく金管楽器に分類される。
== 製法・構造 ==
[[シロアリ]]に食われて筒状になった[[ユーカリ]]の木から作られる<ref name=":0">{{Cite web|title=J.A.D.A.|url=http://www.rhythm-com.jp/jada/wd/index.html|website=www.rhythm-com.jp|accessdate=2020-06-16}}</ref>。複雑多岐に渡る演奏方法・使用目的がある。その名を出したり、楽器を見ることさえ禁じられており、特殊な儀礼に使われる特殊なディジュリドゥもある。
原材料のユーカリには数百種があり、その中でも[[シロアリ]]が好んで食べるものは特定の数種に限られる。通常は自然の状態でシロアリに食べられたユーカリから作られる。アリの巣そのものにユーカリの木を刺し込み、少し穴の開いた木にシロアリを入れて口を塞いで強制的に食べさせるといった製法も存在している。その後、1mから2mに切り、表皮を削り口当ての部分に蜜蝋(ビーズ・ワックス)などを塗り、表面には[[岩]]を砕いた[[顔料]]で[[アボリジナル・ペインティング]]を施す<ref name=":0" />。
太さ、管の内径、長さなどは不定で、部族や[[氏族|クラン]](言語グループ)によってその形状と音色は異なっている。長さは80[[センチメートル]]から2[[メートル]]を超えるものまで幅広い。表面は[[ウレタン樹脂]]などでコーティングしただけの木肌ままのものや、塗装が施されているものもある。吹き口は幹の細い方を[[蜜蝋]]で加工して作る。
現在では原材料も多種多様となり、[[竹]]、[[チーク]]、[[リュウゼツラン]]、[[PVC]]、[[FRP]]といったものも販売されている。また[[2017年]]には、[[静岡県]][[沼津市]]戸田地区の地域おこし協力隊が、地元の特産品である[[タカアシガニ]]の殻を素材とした「タカアシガニリドゥ」という楽器を製作している<ref>{{Cite web|和書|url=https://izu.keizai.biz/headline/641/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171107113725/https://izu.keizai.biz/headline/641/|title=沼津・戸田特産タカアシガニ使った楽器、地域おこし協力隊員が考案|website=伊豆経済新聞|date=2017-7-26|accessdate=2017-11-7|archivedate=2017-11-7}}</ref>。
== 演奏方法 ==
音を出す方法は、管の一端に口を当てて唇の振動などを利用するもので、口当てに口を付け、息を吹き込みながら唇を震わせ、口や筒の中に共鳴させることで、音を発生させる<ref name=":0" />。
[[金管楽器]]の[[トロンボーン]]、[[チューバ]]等にも似るが、その複雑な演奏方法は他に類を見ない。通常、[[循環呼吸]]が使われる。
== ディジュリドゥとアボリジニ ==
[[アボリジニ]]は1000年以上前にディジュリドゥを作ったとされ、実際には文献が存在しないので証明が不可能ながら「'''世界最古の管楽器'''」の一つではないかと言われる。主に宗教儀式やヒーリングのために演奏していたと考えられている<ref name=":0" />。現在では様々な地域で演奏されるが、伝統的にディジュリドゥが伝わる地域はオーストラリアでも北部に集中しており、[[クイーンズランド州]]、[[西オーストラリア州]]の北部と[[ノーザンテリトリー]]の[[アーネムランド]]のみである。
元々は、アボリジニが昔から精霊と交信するための祭儀で使用していたもので<ref name=":0" />、神聖な楽器として大事に扱われていた<ref name=":0" />。
ディジュリドゥという名は、オーストラリアに入植した白人がその音を聞いて「ディジュリドゥ」と聞こえたことによって付けられた<ref name=":0" />。20世紀に入ってからのことである。アボリジナル自身はそれぞれの言語グループの言葉で、例えばアーネムランド内でも南西の方では「'''Mago'''(マゴ)」、北東では「'''Yidaki'''(イダキ)」、クィーンズランド州北部では「'''Yigi Yigi'''(イギイギ)」などと呼ぶ。ちなみに、日本に出回っているディジュリドゥの多くはイダキである。
また、アボリジニの間ではディジュリドゥは男性の楽器とされ、女性が演奏することはほとんどない。女性が吹くと[[妊娠]]するので吹いてはいけない、部族によっては反対に女性が吹くと[[不妊]]になるので吹いてはいけないという伝承がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2550173 |title=「二度と子どもは産めない」、タブー犯したキッドマンにアボリジニが怒りの警告 |access-date=2023-02-18 |website=www.afpbb.com |language=ja}}</ref>。女性は触れてもいけないとする部族もある。
== 奏者・バンド ==
イギリスの音楽バンド「[[ジャミロクワイ]]」はバンドメンバーにディジュリドゥ奏者[[ウォリス・ブキャナン]]が在籍していた事があり、以下のアルバムはディジュリドゥを使用した楽曲を多数含んでいる。このうち「[[トラベリング・ウィズアウト・ムービング〜ジャミロクワイと旅に出よう〜|トラベリング・ウィズアウト・ムービング]]」は全世界で800万枚売上げ、世界一売れた[[ファンク]][[アルバム]]として[[ギネス世界記録|ギネス]]登録されている。
:# 1993年 『[[ジャミロクワイ (アルバム)|エマージェンシー・オン・プラネット・アース]]』 - ''Emergency on Planet Earth''
:# 1994年 『[[スペース・カウボーイの逆襲|リターン・オブ・ザ・スペース・カウボーイ]]』 - ''The Return of the Space Cowboy''
:# 1996年 『[[トラベリング・ウィズアウト・ムービング〜ジャミロクワイと旅に出よう〜|トラベリング・ウィズアウト・ムービング ]]』 - ''Travelling Without Moving''
:# 1999年 『[[シンクロナイズド (ジャミロクワイのアルバム)|シンクロナイズド]]』 - ''Synkronized''
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|Didgeridoo|Didgeridoos}}
*[[民族楽器]]
*[[ジャルー・グルウィウィ]]
*[[ヨスー・インディ]]
*[[ジャミロクワイ]]
== 外部リンク ==
*[http://www.phys.unsw.edu.au/jw/didjeridu.html Didgeridoo acoustics]{{en icon}} - [[ニューサウスウェールズ大学]]
*[http://www.ididj.com.au Australian Didgeridoo Cultural Hub]{{en icon}}
*[http://www.rhythm-com.jp/jada/index.html 日本ディジュリドゥ協会]
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[[Category:先住民族の音楽]] | 2003-02-13T05:11:07Z | 2023-10-20T13:59:45Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%89%E3%82%A5 |
1,197 | 第一原理 | 第一原理(だいいちげんり、英語:first principles)とは、最初におかれる原理。他のものから推論することができない命題である。
アリストテレスは第一原因(不動の動者)という概念を用いた。これが後世の哲学にさまざまな影響を及ぼしている。
アリストテレスの第一原因という概念は、18世紀のドイツの哲学者イマヌエル・カントの哲学にも形を変えて継承され、アプリオリという概念として現れ、アポステリオリと対比される。アプリオリのほうは最初に置かれている命題や論理であり、アポステリオリはそれから導かれる命題や論理である。(英語版記事 en:A priori and a posterioriを参照)
形而上学は手を尽くして第一原理を見つけ出そうと試みた。考える人は自分の知識がちゃんと理にかなっているということを知りたがり、そのためには一般に認知される第一原理が必要だったのである。
論理学、幾何学、数学など形式科学における第一原理について解説すると、ユークリッド幾何学では、いくつかの定義、そして公理(自明と思われる命題)がはじめに与えられる。これらが第一原理で、これから何百もの命題が演繹される。アリストテレスはこのような原理が数学のみならず、世界そのものを記述しているということを証明しようとした。それはやがて形而上学と呼ばれるようになった。
バートランド・ラッセルはすべての数学的事実を論理の中に含めようと試みた。しかしクルト・ゲーデルが、無矛盾の論理系は不完全で、完全な系は自己無矛盾ではありえないことを証明した(ゲーデルの不完全性定理)。つまり第一原理は第一原理であることを論理の内部では証明できず、外から与えるしかないのである。ただし実際の不完全性定理が示したものは、数学用語の意味での「特定の形式体系Pにおいて決定不能な命題の存在」であり、一般的な意味での「不完全性」とは無関係である。すなわち不完全性定理以降の時代にも、数学上の意味で「完全」な理論は存在し続けているが、“不完全性定理は数学や理論の「不完全性」を証明した”というような誤解が一般社会・哲学・宗教・神学等によって広まり、誤用されている。
互いに無矛盾な命題からなる形式論理系では、別の文を次々と推論(演繹)してゆくことができる。たとえば三段論法の有名な例として、「すべての人間は死ぬものである。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスも死ぬものである。」というのがあるが、三つ目の文は前の二つから演繹されたものである。
自然科学での第一原理(first principles)は、近似や経験的なパラメータ等を含まない最も根本となる基本法則をさし、そのことを前提にすると自然現象を説明することができるものである。第一原理には運動量の保存や物質の二重性など様々なものがある。理論計算の分野における第一原理の解釈は人により様々で、「既存の実験結果(事実)を含めて経験的パラメーター等を一切用いない」という強いものから、「実験結果に依らない」とする比較的緩い解釈まである。代表的第一原理は、ニュートン力学のような決定論と、確率論の根源をなす等確率の原理や熱力学に大別されその中間的性質として以下のような量子論的方法論が展開される。
バンド計算においても、“第一原理”の意味は、何ら実験結果に依らないことが前提である。つまり計算対象となる系の各構成元素の原子番号と、その構造(対称性)のみを入力パラメータとし、それ以外の一切のパラメーター調整や、実験結果を参照しないで、その系の電子状態を求められることを意味する。実はこれは厳密には正しくない(実情に即していない)。現在の第一原理バンド計算手法では少なくとも、計算対象となる系を構成する各元素の平衡格子定数が正しく求められるかを、実験結果を参照することによって検証している。バンド計算を使った研究による論文では、ほとんど例外なく系(またはその構成元素)の理論計算による平衡格子定数と、実験によって求められた平衡格子定数とを比較する表が載っている。
一方、局所密度近似 (LDA) やGGAのような近似の導入が、果たして第一原理の枠内であるかどうかに対しても異論がある(普通、物理学者の多くは、LDA、GGAは第一原理の範疇の中に収まると思っている)。
現実の第一原理バンド計算では、ゴーストバンドの問題や、基底関数の展開数の収束依存性、擬ポテンシャルにおけるトランスフェラビリティーの問題、局所密度近似の関数形の選択による結果への影響の差など、“恣意的”な調整と取られかねない部分が少なからず存在する。しかし、平衡格子定数のように実験としても既に“データブック”化したようなものでなく、実際に今行われている実験結果に合わせるようなパラメーター調整を、少なくとも第一原理バンド計算では行わない。
しかしながら、バンド計算を行うのも人であり、過去に実験側で非常に興味深い結果が発表された後に、その実験結果を支持する第一原理バンド計算の結果が複数発表される中、その拠って立つべき実験結果が実は誤りであったという例が存在する。 | [
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"text": "自然科学での第一原理(first principles)は、近似や経験的なパラメータ等を含まない最も根本となる基本法則をさし、そのことを前提にすると自然現象を説明することができるものである。第一原理には運動量の保存や物質の二重性など様々なものがある。理論計算の分野における第一原理の解釈は人により様々で、「既存の実験結果(事実)を含めて経験的パラメーター等を一切用いない」という強いものから、「実験結果に依らない」とする比較的緩い解釈まである。代表的第一原理は、ニュートン力学のような決定論と、確率論の根源をなす等確率の原理や熱力学に大別されその中間的性質として以下のような量子論的方法論が展開される。",
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"text": "バンド計算においても、“第一原理”の意味は、何ら実験結果に依らないことが前提である。つまり計算対象となる系の各構成元素の原子番号と、その構造(対称性)のみを入力パラメータとし、それ以外の一切のパラメーター調整や、実験結果を参照しないで、その系の電子状態を求められることを意味する。実はこれは厳密には正しくない(実情に即していない)。現在の第一原理バンド計算手法では少なくとも、計算対象となる系を構成する各元素の平衡格子定数が正しく求められるかを、実験結果を参照することによって検証している。バンド計算を使った研究による論文では、ほとんど例外なく系(またはその構成元素)の理論計算による平衡格子定数と、実験によって求められた平衡格子定数とを比較する表が載っている。",
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"text": "一方、局所密度近似 (LDA) やGGAのような近似の導入が、果たして第一原理の枠内であるかどうかに対しても異論がある(普通、物理学者の多くは、LDA、GGAは第一原理の範疇の中に収まると思っている)。",
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"text": "現実の第一原理バンド計算では、ゴーストバンドの問題や、基底関数の展開数の収束依存性、擬ポテンシャルにおけるトランスフェラビリティーの問題、局所密度近似の関数形の選択による結果への影響の差など、“恣意的”な調整と取られかねない部分が少なからず存在する。しかし、平衡格子定数のように実験としても既に“データブック”化したようなものでなく、実際に今行われている実験結果に合わせるようなパラメーター調整を、少なくとも第一原理バンド計算では行わない。",
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"text": "しかしながら、バンド計算を行うのも人であり、過去に実験側で非常に興味深い結果が発表された後に、その実験結果を支持する第一原理バンド計算の結果が複数発表される中、その拠って立つべき実験結果が実は誤りであったという例が存在する。",
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}
] | 第一原理とは、最初におかれる原理。他のものから推論することができない命題である。 | {{出典の明記|date=2011年10月}}
'''第一原理'''(だいいちげんり、[[英語]]:first principles)とは、最初におかれる原理。他のものから[[推論]]することができない[[命題]]である。
== 哲学における第一原理 ==
[[アリストテレス]]は[[第一原因]]([[不動の動者]])という概念を用いた。これが後世の[[哲学]]にさまざまな影響を及ぼしている。
アリストテレスの第一原因という概念は、18世紀のドイツの哲学者[[イマヌエル・カント]]の哲学にも形を変えて継承され、[[アプリオリ]]という概念として現れ、[[アポステリオリ]]と対比される。アプリオリのほうは最初に置かれている命題や論理であり、アポステリオリはそれから導かれる命題や論理である。(英語版記事 [[:en:A priori and a posteriori]]を参照)
{{要出典範囲|形而上学は手を尽くして第一原理を見つけ出そうと試みた。考える人は自分の知識がちゃんと理にかなっているということを知りたがり、そのためには一般に認知される第一原理が必要だったのである。|date=2023年4月}}
== 形式科学における第一原理 ==
[[論理学]]、[[幾何学]]、[[数学]]など[[形式科学]]における第一原理について解説すると、[[ユークリッド幾何学]]では、いくつかの定義、そして[[公理]](自明と思われる命題)がはじめに与えられる。これらが'''第一原理'''で、これから何百もの命題が演繹される。[[アリストテレス]]はこのような原理が数学のみならず、世界そのものを記述しているということを証明しようとした。それはやがて[[形而上学]]と呼ばれるようになった。
[[バートランド・ラッセル]]はすべての数学的事実を[[論理]]の中に含めようと試みた。しかし[[クルト・ゲーデル]]が、無[[矛盾]]の論理系は不完全で、完全な系は自己無矛盾ではありえないことを証明した{{要出典|date=2020年4月}}([[ゲーデルの不完全性定理]])。つまり第一原理は第一原理であることを論理の内部では証明できず、外から与えるしかないのである{{要出典|date=2020年4月}}。ただし実際の不完全性定理が示したものは、数学用語の意味での「特定の[[形式体系]]Pにおいて決定不能な[[命題]]の存在」であり、一般的な意味での「不完全性」とは無関係である{{sfn|フランセーン|2011|p=230}}。すなわち不完全性定理以降の時代にも、数学上の意味で「完全」な理論は存在し続けているが{{sfn|フランセーン|2011|p=230}}、“不完全性定理は数学や理論の「不完全性」を証明した”というような誤解が一般[[社会]]・[[哲学]]・[[宗教]]・[[神学]]等によって広まり、誤用されている{{sfn|フランセーン|2011|p=4, 7, 126}}。
{{See also|[[ゲーデルの不完全性定理#不完全性定理が成立しない体系|不完全性定理が成立しない体系]]|ゲーデルの完全性定理}}
{{要出典範囲|互いに無矛盾な[[命題]]からなる[[形式論理]]系では、別の文を次々と[[推論]]([[演繹]])してゆくことができる。たとえば[[三段論法]]の有名な例として、「すべての人間は死ぬものである。ソクラテスは人間である。ゆえにソクラテスも死ぬものである。」というのがあるが、三つ目の文は前の二つから演繹されたものである|date=2023年3月}}。
== 自然科学における第一原理 ==
[[自然科学]]での第一原理(first principles)は、{{要出典範囲|近似や経験的なパラメータ等を含まない最も根本となる基本法則をさし|date=2023年4月}}、そのことを前提にすると自然現象を説明することができるものである。第一原理には運動量の保存や物質の二重性など様々なものがある。理論計算の分野における第一原理の解釈は人により様々で、「既存の実験結果(事実)を含めて経験的パラメーター等を一切用いない」という強いものから、「実験結果に依らない」とする比較的緩い解釈まである。代表的第一原理は、ニュートン力学のような決定論と、確率論の根源をなす等確率の原理や熱力学に大別されその中間的性質として以下のような量子論的方法論が展開される。
=== バンド計算における第一原理 ===
[[バンド計算]]においても、“第一原理”の意味は、何ら実験結果に依らないことが前提である。つまり計算対象となる系の各構成[[元素]]の[[原子番号]]と、その構造(対称性)のみを入力パラメータとし、それ以外の一切のパラメーター調整や、実験結果を参照しないで、その系の[[電子状態]]を求められることを意味する。実はこれは厳密には正しくない(実情に即していない)。現在の[[第一原理バンド計算]]手法では少なくとも、計算対象となる系を構成する各元素の平衡格子定数が正しく求められるかを、実験結果を参照することによって検証している。バンド計算を使った研究による論文では、ほとんど例外なく系(またはその構成元素)の理論計算による平衡格子定数と、実験によって求められた平衡格子定数とを比較する表が載っている。
一方、[[局所密度近似]] (LDA) やGGAのような近似の導入が、果たして第一原理の枠内であるかどうかに対しても異論がある(普通、[[物理学者]]の多くは、LDA、GGAは第一原理の範疇の中に収まると思っている)。
現実の第一原理バンド計算では、[[ゴーストバンド]]の問題や、[[基底関数]]の展開数の収束依存性、[[擬ポテンシャル]]における[[トランスフェラビリティー]]の問題、局所密度近似の関数形の選択による結果への影響の差など、“[[恣意的]]”な調整と取られかねない部分が少なからず存在する。しかし、平衡格子定数のように実験としても既に“データブック”化したようなものでなく、実際に今行われている実験結果に合わせるようなパラメーター調整を、少なくとも第一原理バンド計算では行わない。
しかしながら、バンド計算を行うのも人であり、過去に実験側で非常に興味深い結果が発表された後に、その実験結果を支持する第一原理バンド計算の結果が複数発表される中、その拠って立つべき実験結果が実は誤りであったという例が存在する。
==脚注==
{{reflist}}
== 参考文献 ==
{{参照方法|section=1|date=2023年4月}}
* {{Cite book
|和書
|last = フランセーン
|first = トルケル
|translator = [[田中一之]]
|date = 2011-03-25
|title = ゲーデルの定理:利用と誤用の不完全ガイド
|publisher = みすず書房
|isbn=978-4-622-07569-1
|ref = harv}}
== 関連項目 ==
<!-- {{Commonscat|First principle}} -->
* [[ab initio]]
* [[ナマの事実]]
* [[パラメータフリー]]
* [[第一原理計算]]
* [[第一原理バンド計算]]
* [[無矛盾律]]
{{DEFAULTSORT:たいいちけんり}}
[[Category:哲学]]
[[Category:アリストテレス]]
[[Category:原理]]
[[Category:数学に関する記事]]
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[[Category:計算物理学]]
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'''ドメイン''' ({{Lang-en|domain}})
== 学問 ==
* [[ドメイン (分類学)]] - [[界 (分類学)|界]]よりも上位の分類区分。[[生物の分類]]参照。
* [[タンパク質ドメイン]] - ある一つのタンパク質分子は構造上複数の領域に分けることができる場合があり、これらの領域をドメインと呼ぶ。あるいは異なったタンパク質分子間に広く存在し相同性を持つ領域に対する集合的呼称。機能単位である場合も多い。'''モティーフ'''とも。
* ドメイン (数学) - [[関数 (数学)|関数]]の[[定義域]]、[[射 (圏論)|ドメイン (圏論)]]、[[領域 (解析学)]]、[[領域理論|領域 (半順序集合)]]、([[整域|整]])[[非可換整域|域]]、等
* [[領域理論]] (数学) - domain theory
* [[時間地理学#基本的な考え方|ドメイン (地理学)]] - [[時間地理学]]の概念で、何者かによって管理される領域。
* [[ドメイン (経営学)]] - [[企業]]が経営活動を行って存続していくための事業領域を指す。
== ネットワーク ==
* [[ドメイン (ネットワーク)]] - [[イーサネット]]等の[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]の[[コリジョンドメイン]]または[[ブロードキャスト]]ドメイン。
* [[ドメイン (オペレーティングシステム)]] - ひとつ以上の[[ドメインコントローラ]]と[[ユーザー (コンピュータ)|ユーザー]]および[[コンピュータ]]のグループ。
* ドメイン (インターネット) - ドメインネームで括られるグループ。[[ドメイン名]]を参照。
* [[ドメイン (ディレクトリサービス)]] - [[Microsoft Windows]]や、[[サンマイクロシステムズ|SUN]]の開発した[[UNIX]]系[[ネットワーク・インフォメーション・サービス|NIS]]等の、[[ディレクトリ・サービス]]のドメイン。ネットワーク資源の管理、認証、共有を行うシステムの管理単位。なお[[Active Directory]]では[[フォレスト]]が相当。
* ドメイン (コンピュータ) - [[アポロコンピュータ]]社が販売していたコンピュータ([[ワークステーション]])およびそのOSの名前([[Domain/OS]])。
* [[定義域 (データベース)|ドメイン (データベース)]] - [[関係データベース]]の[[関係モデル]]において、特定の[[属性 (データベース)|属性]]に入力される値が満たしているべき定義域。
* [[ドメイン (ソフトウェア工学)]]
== 地名 ==
* [[ザ・ドメイン (シドニー)|ザ・ドメイン]] (The Domain) - [[シドニー]]都心の政府用地。[[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]]の主要都市には同様の用地がある。植民地の建設初期に設置された。現在では公園などの緑地となっている。
== 姓 ==
* [[エリック・ドメイン]] (Demaine) - カナダ出身の数学者、計算機科学者、芸術家。
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1,199 | 大島弓子 | 大島 弓子(おおしま ゆみこ、1947年〈昭和22年〉8月31日 - )は、日本の漫画家。女性。栃木県出身。萩尾望都・山岸凉子・竹宮惠子と並び、少女漫画界において「24年組」と呼ばれる一人である。
1947年(昭和22年)8月31日 、栃木県大田原市にて生まれる。栃木県立大田原女子高等学校卒業。 1968年、短期大学在学中に初めて持ち込みをした作品『ポーラの涙』が『週刊マーガレット』春休み増刊に掲載され、デビューを果たす。以降、『週刊マーガレット』や『週刊少女コミック』『別冊少女コミック』、『週刊セブンティーン』、『LaLa』『ASUKA』などで活動する。
漫画家になろうと思ったことは一度もなく、好きで描いているうちに独立した生活がそれで可能になっただけであるとのこと。学生時代は就職のことも考えており、教育実習にも行っている。実習生としては高校の男子生徒に英語を教えており、年齡の近い男子を相手にするのに苦労したという。たとえば、生徒たちは授業中は真面目であったが、帰りの電車で「先生」を連呼し、恥ずかしい思いをしている。2週間足らずの実習で英語教師の職業の妙味を会得するのは不可能で、知識としての日本語吹き替えのようなことをしたに留まり、自己嫌悪に陥り、観衆を熱狂させないエンターテイナーになりそうだったと当時のことを回想している。
猫好きでも知られる。1982年より一緒に暮らした愛猫サバが1995年10月6日に死去。その後、同じ年の冬に新たに迎えたアメリカンショートヘアにグーグーと名付け、日常を描いたエッセイ漫画『グーグーだって猫である』を発表。1997年7月にはもう1匹が仲間入りし、その後も増え続け、2007年5月時点で猫9匹、犬1匹という生活になり、1年後の2008年5月には更に増え、猫が13匹という多頭飼育となったことが同作品中で公表された。
1997年に癌を患い、同年12月に入院し手術・化学療法を受け、翌1998年7月に退院した。
2001年、24年間暮らした「吉祥寺駅徒歩5分、2DK、築33年(2001年当時)」のマンションから、「一坪ほどのささやかな庭がついた小さな一軒家」へ転居した。
2008年には漫画家デビュー40周年を迎えた。
デビュー以降は主に『週刊マーガレット』で執筆し、1972年より『少女コミック』に活動拠点を移した。1976年当時、その理由について「『少女コミック』はジャンルの規制をせず、自由な編集方針であったこと。また「用いてはならないことば」がなかったことを挙げ、その環境が今までとは異なるテーマと形式で描くことに自らを誘発した」と語った。また、『風車』『ジョカへ...』『雨の音がきこえる』『罪と罰』の執筆には自問自答を重ね、『つぐみの森』は道徳への自戒の念に幾分かられながらの執筆となったことを明かし、結果的には自身の視野の変革がもたらされたと説明した。
1999年当時、タイトルの付け方について、予告カットとタイトルの〆切の時点では作品の内容が出来上がっていないことが多いため、どのような展開になっても対応できるものを考えて提出すると語っている。
ストーリー漫画とエッセイ漫画の両方を執筆する。1974年から1980年頃までのエッセイ漫画では、『ユーミン』『ユーミンの不可思議な世界』『ユーミンおもちゃ箱』など当時の愛称「ユーミン」を表題に用いていた。
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] | 大島 弓子は、日本の漫画家。女性。栃木県出身。萩尾望都・山岸凉子・竹宮惠子と並び、少女漫画界において「24年組」と呼ばれる一人である。 | {{別人|大島由美子|x1=ローカルタレントの}}
{{Infobox 漫画家
|名前 = 大島 弓子
|画像 =
|画像サイズ =
|脚注 =
|本名 =
|生年 = {{生年月日と年齢|1947|8|31}}
|生地 = {{JPN}}・[[栃木県]][[大田原市]]
|没年 =
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|職業 = [[漫画家]]
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|受賞 = 第2回[[日本漫画家協会賞]]優秀賞<br />(1973年・『ミモザ館でつかまえて』)<br />第3回[[講談社漫画賞]]少女部門<br />(1979年・『[[綿の国星]]』)<br />第12回[[手塚治虫文化賞]]短編賞<br />(2008年・『[[グーグーだって猫である]]』)<br />[[文化功労者]](2021年)
|サイン =
|公式サイト =
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'''大島 弓子'''(おおしま ゆみこ、[[1947年]]〈[[昭和]]22年〉[[8月31日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[女性]]。[[栃木県]]出身。[[萩尾望都]]・[[山岸凉子]]・[[竹宮惠子]]と並び、[[少女漫画]]界において「[[24年組]]」と呼ばれる一人である。
== 経歴・人物 ==
[[1947年]]([[昭和]]22年)[[8月31日]] 、[[栃木県]][[大田原市]]にて生まれる。[[栃木県立大田原女子高等学校]]卒業。 [[1968年]]、[[短期大学]]在学中に初めて持ち込みをした作品『ポーラの涙』が『[[マーガレット (雑誌)|週刊マーガレット]]』春休み増刊に掲載され、デビューを果たす<ref>『雨の音がきこえる―珠玉短編集―』奥付プロフィール。</ref>。以降、『週刊マーガレット』や『[[少女コミック|週刊少女コミック]]』『[[少女コミック|別冊少女コミック]]』、『[[Seventeen (日本の雑誌)|週刊セブンティーン]]』、『[[LaLa]]』『[[月刊Asuka|ASUKA]]』などで活動する。
漫画家になろうと思ったことは一度もなく、好きで描いているうちに独立した生活がそれで可能になっただけであるとのこと。学生時代は就職のことも考えており、教育実習にも行っている。実習生としては高校の男子生徒に英語を教えており、年齡の近い男子を相手にするのに苦労したという。たとえば、生徒たちは授業中は真面目であったが、帰りの電車で「先生」を連呼し、恥ずかしい思いをしている。2週間足らずの実習で英語教師の職業の妙味を会得するのは不可能で、知識としての日本語吹き替えのようなことをしたに留まり、自己嫌悪に陥り、観衆を熱狂させないエンターテイナーになりそうだったと当時のことを回想している<ref>『プチコミック』1977年初夏の号「直撃50問・大島弓子のすべて」より</ref>。
[[猫]]好きでも知られる。[[1982年]]より一緒に暮らした愛猫サバが[[1995年]][[10月6日]]に死去。その後、同じ年の冬に新たに迎えた[[アメリカンショートヘア]]にグーグーと名付け、日常を描いたエッセイ漫画『[[グーグーだって猫である]]』を発表。[[1997年]]7月にはもう1匹が仲間入りし<ref>『グーグーだって猫である』1巻 13頁、70頁、102頁。</ref>、その後も増え続け、2007年5月時点で猫9匹、犬1匹という生活になり<ref>『オオシマさんちのもうひとつの猫日記』あとがき、</ref>、1年後の2008年5月には更に増え、猫が13匹という多頭飼育となったことが同作品中で公表された<ref>『グーグーだって猫である』第4巻 126頁、あとがきマンガ。</ref>。
[[1997年]]に[[悪性腫瘍|癌]]を患い、同年12月に入院し手術・[[化学療法]]を受け、翌[[1998年]]7月に退院した<ref>『グーグーだって猫である』1巻、114頁、127頁。</ref>。
[[2001年]]、24年間暮らした「[[吉祥寺駅]]徒歩5分、2DK、築33年(2001年当時)」のマンション<ref>『ロスト ハウス』あとがきマンガ 左頁。</ref>から、「一坪ほどのささやかな庭がついた小さな一軒家」<ref>『ほうせんか・ぱん』あとがきマンガ 左頁。</ref>へ転居した。
[[2008年]]には漫画家デビュー40周年を迎えた。
== 作品 ==
デビュー以降は主に『[[マーガレット (雑誌)|週刊マーガレット]]』で執筆し、[[1972年]]より『[[少女コミック]]』に活動拠点を移した。[[1976年]]当時、その理由について「『少女コミック』は[[ジャンル]]の[[表現の自主規制|規制]]をせず、自由な編集方針であったこと。また「用いてはならないことば」がなかったことを挙げ、その環境が今までとは異なるテーマと形式で描くことに自らを誘発した」と語った。また、『風車』『[[ジョカへ…]]』『[[雨の音がきこえる]]』『罪と罰』の執筆には自問自答を重ね、『[[つぐみの森]]』は道徳への自戒の念に幾分かられながらの執筆となったことを明かし、結果的には自身の視野の変革がもたらされたと説明した<ref>『雨の音がきこえる-珠玉短編集-』250頁。</ref>。
[[1999年]]当時、タイトルの付け方について、予告カットとタイトルの〆切の時点では作品の内容が出来上がっていないことが多いため、どのような展開になっても対応できるものを考えて提出すると語っている<ref>『四月怪談』あとがきマンガ 右頁。</ref>。
[[ストーリー漫画]]と[[エッセイ漫画]]の両方を執筆する。1974年から1980年頃までのエッセイ漫画では、『ユーミン』<ref>1974年と1976年著。1974年著は後に『地球征服』と改題。</ref>『ユーミンの不可思議な世界』<ref>小学館フラワーコミックス『さようなら女達』に収録、書き下ろし、1977年。</ref>『ユーミンおもちゃ箱』<ref>1979年、『プチコミック』5月号収録。</ref>など当時の愛称「ユーミン」を表題に用いていた。
本人が主人公として登場する作品には、長く暮らした[[吉祥寺]]から近い[[井の頭自然文化園]]が頻繁に登場する。[[セーラー服]]に[[三つ編み|おさげ]]姿で描かれる象の[[はな子]]<ref>『サバの秋の夜長』に「はな子さん」として登場。</ref>はここで飼育されていた。
== 受賞歴 ==
* 第2回[[日本漫画家協会賞]]優秀賞受賞(『[[ミモザ館でつかまえて]]』1973年度)<ref>[http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/jushou_1.html 日本漫画家協会・協会賞受賞者]</ref>
* 第3回[[講談社漫画賞]]少女部門受賞(『[[綿の国星]]』1979年度)
* 第12回[[手塚治虫文化賞]]短編賞受賞(『[[グーグーだって猫である]]』2008年)
* 2021年、[[文化功労者]]に選出<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/450923|title=大島弓子が文化功労者に選出、お世話になった人とたくさんの猫たちに感謝のコメント|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-10-26|accessdate=2021-10-26}}</ref>。
== 著作 ==
=== 作品 ===
<!-- 単行本のタイトルになっている作品はいちおう、記事作成後、リンク可能な形式にしておきます-->
==== 漫画 ====
* 1968年
** [[ポーラの涙]](『週刊マーガレット春休み増刊』)
** ペールの涙(『週刊マーガレット夏休み増刊』、原題「真夜中のきせき」)
** デイトははじめて(『週刊マーガレット増刊』)
* 1969年
** フランツとレーニ(『週刊マーガレットお正月増刊』、原題「愛は命あるかぎり」)
** 幸せさんふりむいて!(『[[マーガレット (雑誌)|週刊マーガレット]]』13号 - 15号)
** 初恋よもう一度(『週刊マーガレット』36号)
** 美花よなぜ死んだ(『週刊マーガレット』40号)
** 命はてる日(『週刊マーガレット』47号)
** その日まで生きたい(『週刊マーガレット』50号 - 1970年2・3合併号)
* 1970年
** 人形の家(『週刊マーガレット』7・8合併号)
** こちらFUJIX号全員無事(『週刊マーガレット』12号)
** 詩子とよんでもういちど(『週刊マーガレット』16号 - 22号)
** 男性失格(『週刊マーガレット』27号)
** 戦争は終わった(『週刊マーガレット』33号 - 39号)
** わたしだけの先生に(『週刊マーガレット増刊』)
** [[誕生!]](『週刊マーガレット』52号 - 1971年8号)
* 1971年
** この胸にもういちど(『[[Seventeen (日本の雑誌)|週刊セブンティーン]]』11号)
** せめて許して!(『週刊マーガレット』16号)
** 生きていた過去(『週刊セブンティーン』21号)
** 夏子の一日(『週刊マーガレット』28号)
** [[禁じられた遊び]](『週刊セブンティーン』30号)
** 別れへの招待(『週刊マーガレット』35号)
** あしたのともだち(『[[ベツコミ|別冊少女コミック]]』10月号)
** あひるよ空に(『週刊マーガレット』41号)
** パパは星になった(さよならスーパーマン)(『週刊セブンティーン』44号)
** 遠い日のイブ(『[[別冊フレンド|別冊少女フレンド]]』12月号)
** みち子がきた日(『週刊マーガレット』49号)
* 1972年
** 許されざる恋人(『別冊少女コミックお正月増刊』)
** さよならヘルムート(『週刊マーガレット』6号)
** 3月になれば(『別冊少女コミック』3月号)
** さくらさくら(『週刊マーガレット』13号)
** [[星にいく汽車]](『週刊マーガレット』22号)
** [[鳥のように]](『別冊少女コミック』5月号)
** [[初恋 (ツルゲーネフ)|いちごの庭]](『別冊少女フレンド』6月号)
** わたしはネプチューン(『別冊少女コミック』7月号)
** なごりの夏の(『別冊少女コミック』8月号)
** [[雨の音がきこえる]](ラ・レッセー・イデン)(『別冊少女コミック』10・11月号)
** 風車(『週刊少女コミックお正月増刊フラワーコミック』)
* 1973年
** [[つぐみの森]](『別冊少女コミック』3月号)
** [[ミモザ館でつかまえて]](『週刊マーガレット』12号)
** 春休み(『別冊少女コミック春の増刊フラワーコミック4月10日号』)
** [[ジョカへ…]](『別冊少女コミック』4・7・9月号)
** 花! 花! ピーピー草…花!(『週刊マーガレット』20号)
** [[野イバラ荘園]](『[[月刊ファニー|ファニー]]』9月号)
** 季節風にのって(『[[少女コミック|週刊少女コミック]]』37号)
* 1974年
** ロジオン ロマーヌイチ ラスコーリニコフ -罪と罰より-(『別冊少女コミック』1月 - 3月号、原題『[[罪と罰]]』)
** [[キララ星人応答せよ]](『週刊マーガレット』10号)
** [[なずなよなずな]](『週刊少女コミック』13号 - 18号)
** [[海にいるのは…]](『別冊少女コミック』7月号)
** [[ほうせんか・ぱん]](『別冊少女コミック』8月号)
** [[夏の夜の夢]](『ティーニー』8月号)
** ほたるの泉(『週刊少女コミック夏の増刊フラワーコミック8月28日号』)
** ユーミン(後に「地球征服」と改題)(『週刊少女コミック』37号)
** [[銀の実を食べた]](『別冊少女コミック』11月号)
* 1975年
** わがソドムへどうぞ(『[[Seventeen (日本の雑誌)|月刊セブンティーン]]』1月号)
** [[いちご物語]](『週刊少女コミック』9号 - 33号)
** [[F式蘭丸]](『月刊セブンティーン』8・9月号)
** [[10月はふたつある]](『[[女学生の友|JOTOMO]]』10月号)
** [[リベルテ144時間]](『[[月刊プリンセス]]』12月号)
* 1976年
** [[ヨハネがすき]](『別冊少女コミック』1月号)
** ユーミン(『週刊少女コミック』4・5合併号 - 14号)
** [[全て緑になる日まで]](『別冊少女コミック』2月号)
** [[アポストロフィーS]](『JOTOMO』3月号)
** ローズティーセレモニー(『[[mimi (雑誌)|月刊ミミ]]』4月号)
** タンポポ(『月刊プリンセス』5月号)
** おりしもそのときチャイコフスキーが(『月刊ミミ』7月号)
** まだ宵のくち(『JOTOMO』7月号)
** [[七月七日に]](『別冊少女コミック』7月号)
** [[きゃべつちょうちょ]](『別冊少女コミック』8月号)
** [[さようなら女達]]
*** 第1章 フン あんたは まだ めざめてないわ(『JOTOMO』9月号)
*** 第2章 めざめかけても(『JOTOMO』10月号)
*** 第3章 修羅場(『JOTOMO』11月号)
*** 第4章 めざめることは(『JOTOMO』12月号)
** にじゅういちめんそうとあけちたんてい(『週刊マーガレット』40号)共著:[[木原敏江]]
** ハイネよんで(『別冊少女コミック』11月号)
* 1977年
** いたい棘いたくない棘(『月刊ミミ』2月号)
** 神秘のベールもいまやボロボロ…(『月刊セブンティーン』7月号)
** [[バナナブレッドのプディング]]
*** Part1 インスタントコーヒーになる前(『月刊セブンティーン』11月号)
*** Part2 ライナスの毛布(『月刊セブンティーン』12月号)
*** Part3 ドッペルゲンガー?(『月刊セブンティーン』1978年1月号)
*** Part4 人生にスロービデオがきいたなら(『月刊セブンティーン』1978年2月号)
*** Part5 お酒の力をかりて…(『月刊セブンティーン』1978年3月号)
** [[夏のおわりのト短調]](『[[LaLa]]』10月号)
** [[シンジラレネーション]](『月刊ミミ』11月号)
** ページ1(「週刊少女コミック1月5日号増刊フラワーデラックス」12月号)
* 1978年
** ヒーヒズヒム(『週刊マーガレット』8号)
** [[綿の国星]]
**# 綿の国星(『LaLa』5月号)
**# ペルシャ(『LaLa』9月号)
**# シルク・ムーン プチ・ロード(『LaLa』1979年2月号)
**# ミルクパン・ミルククラウン(『LaLa』1979年6月号、発表時は「番外編」)
**# カーニバル ナイト(『LaLa』1979年9月号)
**# ピップ・パップ・ギー(『LaLa』1980年1月号)
**# 日曜にリンス(『LaLa』1980年2月号)
**# 苺苺苺苺バイバイマイマイ(『LaLa』1980年5月号)
**# 八十八夜(『LaLa』1980年7・8月号)
**# 葡萄夜(『LaLa』1980年9月号)
**# 毛糸弦(『LaLa』1981年2月号)
**# 夜は瞬膜の此方(『LaLa』1981年9月号)
**# 猫草(『LaLa』1982年1月号)
**# かいかい(『LaLa』1982年2月号)
**# ド・シー(『LaLa』1982年5月号)
**# ペーパーサンド(『LaLa』1982年10月号)
**# チャーコールグレー(『LaLa』1983年2月号)
**# 晴れたら金の鈴(『LaLa』1983年10月号)
**# お月様の糞(『LaLa』1984年2月号)
**# ばら科(『LaLa』1984年4月号)
**# ギャザー(『LaLa』1985年2月号)
**# ねのくに(『LaLa』1986年2月号)
**# 椿の木の下で(『LaLa』1987年3月号)
** ユーミンおもちゃ箱(『プチコミック9月号』)
** [[草冠の姫]](『別冊少女コミック』5月号)
** [[パスカルの群れ]](『週刊少女コミック』25号)
* 1979年
** [[たそがれは逢魔の時間]](『週刊少女コミック』4号)
** [[四月怪談]](『ギャルズライフ』6月号)
** [[赤すいか黄すいか]](『月刊セブンティーン』11月号)
** いまごろなぜか真夜中のカレーライスパーティー(『[[プチコミック]]』12月号)合作:[[青池保子]]・[[おおやちき]]
* 1980年
** はえかぶり姫(『プチコミック』4月増刊)合作:[[樹村みのり]]・青池保子・おおやちき
** 雛菊物語(『ギャルズライフ』4月号)
* 1981年
** 雪の日のすごし方(『[[グレープフルーツ]]』第2号)
** ミルク・ラプソディI(『上製本 綿の国星』に書き下ろし)
** ミルク・ラプソディII(『LaLa』4月号)
** [[裏庭の柵をこえて]](『LaLa』10・11月号)
* 1982年
** [[桜時間]](『[[プチフラワー]]』7月号)
** 密造アップルサイダー(『別冊LaLa』SUMMER号)- 単行本未収録
* 1983年
** [[金髪の草原]](『[[ぶ〜け]]』1月号)
** 夢虫・未草(『[[DUO (マンガ雑誌)|デュオ]]』7月号)
* 1984年
** [[水枕羽枕]](『プチフラワー』1月号)
** あまのかぐやま(『LaLa』7月号)
** 快速帆船(『デュオ』7月号)
** サマタイム(『別冊LaLa』9月号)
* 1985年
** ノン・レガート(『デュオ』3月号)
** [[ダリアの帯]](『ぶ〜け』8月号)
** 乱切りにんじん(『LaLa』9月号)
* 1986年
** いちょうの実(『[[コミックトム]]』3月号、原作:[[宮沢賢治]])
** ジギタリス(『ぶ〜け』7月号)
* 1987年
** [[秋日子かく語りき]](『[[月刊Asuka|ASUKA]]』1月号)
** [[ロングロングケーキ]](『ASUKA』6月号)
** 庭はみどり川はブルー(『ぶ〜け』8月号)
** 水の中のティッシュペーパー(『ASUKA』10月号)
* 1988年
** [[山羊の羊の駱駝の]](『ASUKA』1月号)
** [[つるばらつるばら]](『ASUKA』4月号)
** [[夏の夜の獏]](『ASUKA』7月号)
* 1989年
** [[ダイエット (漫画)|ダイエット]](『ASUKA』1月号)
** [[毎日が夏休み]](『ASUKA』7月号)
* 1990年
** [[恋はニュートンのリンゴ]](『ASUKA』5月号)
* 1993年
** ジィジィ(『ASUKA』7月号)
** 青い 固い 渋い(『[[ヤングロゼ]]』12月号)
* 1994年
** ロスト ハウス(『ヤングロゼ』4月号)
** 8月に生まれる子供(『ヤングロゼ』7月号)
** クレージーガーデン
*** クレージーガーデン PARTⅠ(『ヤングロゼ』11月号)
*** クレージーガーデン PARTⅡ(『ヤングロゼ』1995年2月号)
* 1995年
** [[雑草物語]](『ヤングロゼ』5・6月号)
** クリスマスの奇跡(『ヤングロゼ』12月号)
==== コミックエッセイ ====
* ユーミンおもちゃ箱(『[[プチコミック]]』1979年5月号より11回連載)
* エッセイ(『デュオ』1981年9月号 - 12月号)
* わたしの〆切あとさきLIFE(1983年『デュオ別冊大島弓子の世界』)
* サバシリーズ
** サヴァビアン(1985年『別冊LaLa』3月号)
** 月の大通り(1988年『ASUKA』10月号)
** アンブラッセ(1989年『ASUKA』4月号)
** サバの秋の夜長(1989年『ASUKA』11月号)
** わたしの屋根に雪つもりつ(1990年『ASUKA』2月号)
** サバタイム(『ヤングロゼ』1990年2月号 - 1991年1月号)
** サバの夏が来た(1990年『ASUKA』8月号)
** すばらしき昼食(1991年『ASUKA』6月号)
** 大きな耳と長いしっぽ(1992年『ASUKA』5月号)
** サバの天国と地獄(1992年『ASUKA』8月号)
* 春ですこと(1988年『LaLa特別編集 Short Stories '88 SPRING』)
* ダージリング(『ヤングロゼ』1996年6月号 - 10月号)
* [[グーグーだって猫である]](『ヤングロゼ』1996年11月号 - 1997年8月号、『[[本の旅人]]』1997年10月号 - 2011年6月号)
* 人生の大晦日(1999年『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』10月号)
* オオシマさんちのもうひとつの猫日記(2000年『[[コミッカーズ]]』)
* ねこギンザ(2002年『[[BE・LOVE]]』No.6)
* わたしのグータラ日記(『[[SPUR (雑誌)|SPUR]]』2011年6月号 - )
* キャットニップ(『[[きらら (文芸誌)|きらら]]』2012年1月号 - )
==== イラストストーリー ====
* ディーゼルカー(1978年『[[リリカ (雑誌)|リリカ]]』24号)
* ページワン(『週刊少女コミック増刊 フラワーデラックス』1978年1月5日号)『[[大島弓子選集]]』第7巻に収録
* 綿の国星 番外編 ミルク・ラプソディ(1979年?)白泉社『綿の国星』上製本、朝日ソノラマ『デュオ別冊 大島弓子の世界』に収録
* 綿の国星 番外編 ミルク・ラプソディII(1981年『LaLa』7月号) 朝日ソノラマ『デュオ別冊 大島弓子の世界』に収録
* ちびねこ(1994年『[[おひさま (雑誌)|おひさま]]』4月号、1995年4 - 8月号、1996年8月号 - )[[大島弓子 白泉社文庫セレクション]]で文庫化
* 森のなかの1羽と3匹(1994年『[[MOE (雑誌)|MOE]]』10月号、1995年10月号、1996年7・10月号)
* コウモリ(1998年『MOE』1月号)
==== 小説 ====
* うしろの三人組(初出『小説怪物』1979年5月号、[[自伝]][[短編小説]])『[[大島弓子が選んだ大島弓子選集]]』第2巻に収録
* 近未来オリンピック(短編小説)『[[大島弓子が選んだ大島弓子選集]]』第1巻に収録
==== 挿画 ====
* [[新川和江]]編『若き日の詩集』(1976年、表紙イラスト)
* [[赤川次郎]]『[[ふたり]]』(1989年、表紙イラスト)
* [[長嶋有]]『[[ジャージの二人]]』(2003年、表紙イラスト)
=== 書籍 ===
==== 選集 ====
*『'''大島弓子名作集'''』[[朝日ソノラマ]]、1977年
** 収録作品:[[ミモザ館でつかまえて]]/[[ジョカへ…]]/[[海にいるのは…]]/ほたるの泉/夏の夜の夢/[[キララ星人応答せよ]]/花!花!ピーピー草…花!/ほうせんか・ぱん/[[野イバラ荘園]]/ユーミン/[[全て緑になる日まで]]
*『'''大島弓子名作集 part2 パスカルの群'''』朝日ソノラマ、1979年
** 収録作品:[[パスカルの群れ]]/ヒー・ヒズ・ヒム/[[10月はふたつある]]/[[夏のおわりのト短調]]/[[バナナブレッドのプディング]]
*『'''大島弓子傑作選 草冠の姫'''』[[サンリオ]]、1978年
** 収録作品:[[草冠の姫]]/まだ宵のくち/ハイネよんで/いたい棘いたくない棘/わたしはネプチューン/風車/[[リベルテ144時間]]
*『'''[[大島弓子選集]]'''』全16巻 朝日ソノラマ、1985年 - 1995年
*『'''雨の音がきこえる―大島弓子短編集1''' 』[[小学館]]・小学館叢書、1988年
** 収録作品:[[雨の音がきこえる]]/風車/[[つぐみの森]]/春休み/[[ジョカへ…]]/[[海にいるのは…]]/ほうせんか・ぱん/解説:[[高取英]]
*『'''たそがれは逢魔の時間―大島弓子短編集2'''』小学館・小学館叢書、1989年
** 収録作品:ほたるの泉/[[全て緑になる日まで]]/[[アポストロフィーS]]/[[七月七日に]]/[[草冠の姫]]/[[パスカルの群れ]]/[[たそがれは逢魔の時間]]/[[水枕羽枕]]/解説:[[村上知彦]]
* 『'''[[大島弓子 白泉社文庫セレクション]]'''』[[白泉社]]・白泉社文庫、1994年 - 2011年
*『'''大島弓子セレクション セブンストーリーズ'''』[[角川グループパブリッシング]]、2008年8月29日。ISBN 9784048542562
** 収録作品:[[ダイエット (漫画)|ダイエット]]/[[綿の国星]](第1話)/[[四月怪談]]/[[バナナブレッドのプディング]]/[[金髪の草原]]/夢虫・未草/8月に生まれる子供
** 2008年公開の[[実写映画]]版『[[グーグーだって猫である#映画|グーグーだって猫である]]』公開に合わせ、劇中に登場する作品7編を収録して刊行<ref name="kadokawa"/>。[[装丁]]は[[羽良多平吉]]<ref name="kadokawa"/>。[[A5判]]で576ページと厚い本になっている<ref name="kadokawa">[https://www.kadokawa.co.jp/product/200806000357/ 大島弓子セレクション セブンストーリーズ] [[KADOKAWA]]</ref>。
*『'''[[大島弓子が選んだ大島弓子選集]]'''』全7巻 [[メディアファクトリー]]・MFコミックス、2008年 - 2009年
==== コミックス・単行本 ====
*『ジョカへ……』小学館・[[フラワーコミックス]] 1975年
*『誕生!』朝日ソノラマ・サンコミックス 1975年
*『野イバラ荘園』朝日ソノラマ・サンコミックス 1975年
*『ポーラの涙ペールの涙』朝日ソノラマ・サンコミックス 1975年
*『ミモザ館でつかまえて』朝日ソノラマ・サンコミックス 1975年
*『雨の音がきこえる』小学館文庫、1976年
*『鳥のように』小学館文庫、1976年
*『F式蘭丸』朝日ソノラマ・サンコミックス、1976年
*『ロジオン ロマーヌィチ ラスコーリニコフ』(「罪と罰」改題)朝日ソノラマ・サンコミックス、1976年
*『いちご物語』朝日ソノラマ・サンコミックス、1977年
*『銀の実をたべた?』小学館文庫、1977年
*『さようなら女達』小学館・フラワーコミックス、1977年
*『星にいく汽車』集英社漫画文庫、1977年
*『綿の国星』全7巻 白泉社、1978年 - 1986年
*『海にいるのは…』小学館文庫、1978年
*『バナナブレッドのプディング』集英社、1979年(のち小学館文庫)
*『キララ星人応答せよ』1979 小学館文庫
*『四月怪談』主婦の友社・GLコミックス、1981年(のち朝日ソノラマ・サンコミックス・ストロベリーシリーズ)
*『シンジラレネーション』朝日ソノラマ・サンコミックス、1982年
*『リベルテ144時間』朝日ソノラマ・サンコミックス・ストロベリーシリーズ、1982年
*『草冠の姫』朝日ソノラマ・サンコミックス・ストロベリーシリーズ、1982年
*『水枕羽枕』朝日ソノラマ・サンコミックス・ストロベリーシリーズ、1984年
*『秋日子かく語りき』角川書店・[[あすかコミックス]]、1988年
*『つるばらつるばら』角川書店・あすかコミックス、1988年
*『ダイエット』角川書店・あすかコミックス、1989年
*『毎日が夏休み』角川書店・あすかコミックス、1990年
*『サバタイム』角川書店、1991年
*『すばらしき昼食』角川書店・あすかコミックス、1991年
*『大きな耳と長いしっぽ』角川書店・あすかコミックス、1993々
*『ちびねこ』小学館、1995年
*『ロストハウス』角川書店、1995年
*『雑草物語』角川書店、1999年
*『金髪の草原』朝日ソノラマ、2000年(映画化にあたり単行本化)
*『グーグーだって猫である』全6巻、角川書店、2000年 - 2011年(のち[[角川文庫]])
*『秋日子かく語りき』角川書店 2003 - 『[[月刊カドカワ]]』掲載のインタビューなどを収録。
==== 絵本・画集 ====
*『小幻想』[[白泉社]]・[[チェリッシュブック]]、1977年
*『9月の情景』[[小学館]]・メルヘンリーフ、1977年
*『大島弓子 ロマンと叙情イラスト傑作集』小学館、1978年
*『万葉のうた』小学館、1978年
*『ディーゼルカー』白泉社、1979年
**『ディーゼルカー』飛鳥新社、2012年(江藤千恵子監修)
*『大島弓子の世界』[[徳間書店]]『[[テレビランド]]』増刊、1978年
*『大島弓子 自選複製原画集 「綿の国星」を中心にして』白泉社・チェリッシュギャラリー、1979年
*『すいーん星旅行記 Green Trip in Summer』徳間書店、1980年(描き下ろし絵本)
*『大島弓子』[[朝日ソノラマ]]・トップレディカラーシリーズ、1980年
*『綿の国星 昼の夢 夜の夢』白泉社、1980年([[綿の国星]]の絵本)
*『綿の国星ケーキの本』白泉社・ヒロインブック、1981年(共著:[[今田美奈子]])
** 『綿の国星ケーキの本 チビ猫のお菓子ランド』[[復刊ドットコム]]、2014年(共著:今田美奈子)
*『night green 大島弓子詩画集』角川書店・[[角川ルビー文庫]]、1994年
*『[[綿の国星|ちびねこ]]』小学館・[[おひさま (雑誌)|おひさま]]のほん(絵本)1995年
**『ちびねこ絵本』白泉社・白泉社文庫、2010年([[大島弓子 白泉社文庫セレクション]])
**『ちびねこ絵本 くりまん』白泉社・白泉社文庫、2011年([[大島弓子 白泉社文庫セレクション]])
*『森のなかの1羽と3匹』白泉社、1996年
=== 音楽作品 ===
* イメージアルバム『綿の国星』
** 『[[綿の国星]]』のイメージアルバム。大島が[[作詞]]とアルバムジャケットのイラストを担当。[[ムーンライダーズ]]が作曲と演奏、[[松尾清憲]]が[[ボーカル]]を担当。1980年にLPで発売、1999年にCD化。
** なお、1984年の[[アニメ映画]]化にあたり、[[主題歌|テーマ曲]]を作曲・演奏した[[リチャード・クレイダーマン]]による[[サウンドトラック]]アルバム『綿の国星』が発売されたが、こちらはジャケットもクレイダーマンの写真であり、大島は制作には直接関与していない。このサウンドトラック盤ものちにCD化されている。「[[綿の国星#アニメーション映画]]」も参照。
== 作品提供 ==
=== 映画 ===
* [[赤すいか黄すいか]](1982年)
** 監督:[[犬童一心]]/出演:山本裕子、[[富士秀也]]、[[毛利治子]]
* [[綿の国星]](1984年)
** 監督:[[辻伸一]]/出演:[[冨永みーな]]、[[野沢那智]]、[[島田敏]]、[[羽佐間道夫]]、[[上田みゆき (声優)|上田みゆき]]
** [[虫プロダクション]]による[[アニメーション映画]]。大島は脚本に参加した<ref>[https://columbia.jp/prod-info/COBC-90516/ コロムビアミュージックエンタテインメント|綿の国星]。</ref>ほか、挿入歌『鳥は鳥に』の歌詞を[[谷山浩子]]と共作した<ref>[http://www.yamahamusic.co.jp/music.php?pgm_id=448&prd_id=26 ヤマハミュージックコミュニケーションズ 谷山浩子 HIROKO TANIYAMA '80S]。</ref>。
* [[四月怪談]](1988年)
** 監督:[[小中和哉]]/出演:[[中嶋朋子]]、[[柳葉敏郎]]、[[角田英介]]、[[原彩子]]、[[あらい正和|新井昌和]]
* [[毎日が夏休み]](1994年)
** 監督:[[金子修介]]/出演:[[佐伯日菜子]]、[[佐野史郎]]、[[高橋ひとみ]]、[[益岡徹]]、[[黒田福美]]
* [[金髪の草原]](1999年)
** 監督:[[犬童一心]]/出演:[[伊勢谷友介]]、[[池脇千鶴]]、[[松尾政寿]]、[[唯野未歩子]]、[[加藤武]]
* [[グーグーだって猫である]](2008年)
** 監督:[[犬童一心]]/出演:[[小泉今日子]]、[[上野樹里]]、[[加瀬亮]]、[[松原智恵子]]
=== テレビドラマ ===
* [[世にも奇妙な物語]]『バカばっかりだ!』(1991年 [[フジテレビジョン|フジテレビ]]、原作:「[[夏の夜の獏]]」)
** 脚本:[[信本敬子]]/出演:[[佐野史郎]]、[[柳家小さん]]、[[ベンガル (俳優)|ベンガル]]
* [[パスカルの群れ|パスカルの群]](1992年 [[関西テレビ放送|関西テレビ]])
** 監督:[[島田元]]/出演:根津俊介、[[中村通代]]、浅見誠、井上博一、三浦保子
* [[幽霊女子高生]](1994年、[[テレビ朝日]]、原作:「[[秋日子かく語りき]]」)
** 監督:[[今関あきよし]]、脚本:清本由紀/出演: [[小田茜]] 、[[松尾嘉代]]、[[岡田秀樹 (俳優)|岡田秀樹]]、[[天本英世]]、[[斉木しげる]]、[[小倉久寛]]、[[中上雅巳]]
* [[ちょっと待って、神様]](2004年 [[日本放送協会|NHK]]、原作:「[[秋日子かく語りき]]」)
** 脚本:[[浅野妙子]]/出演:[[泉ピン子]]、[[宮崎あおい]]、[[京本政樹]]、[[津嘉山正種]]、[[塚本高史]]、[[安達祐実]]、[[裕木奈江]]、[[勝地涼]]
* [[グーグーだって猫である]](2014年 [[WOWOW]])
** 監督:[[犬童一心]]/出演:[[宮沢りえ]]、[[長塚圭史]]、[[黒木華]]
* [[グーグーだって猫である2 -good good the fortune cat-]](2016年 WOWOW)
** 監督:[[犬童一心]]/出演:[[宮沢りえ]]、[[長塚圭史]]、[[前田敦子]]
=== ラジオドラマ ===
* [[たそがれは逢魔の時間]](1986年、[[FM愛知]])
== ゆかりのある著名人 ==
* [[おおやちき]] - 元漫画家・[[イラストレーター]]。1978年に、大島のイラスト集に友人としてメッセージとイラストを寄せている<ref>テレビランド増刊イラストアルバム7『大島弓子の世界』74頁。</ref>。また、大島の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]をしたこともある<ref>別冊デュオ『大島弓子の世界』収録「ユーミンおもちゃ箱7」。</ref>。
* [[真崎守]] - 漫画家。1978年に大島のイラスト集に大島作品についての評論を寄せている<ref>テレビランド増刊イラストアルバム7『大島弓子の世界』79頁。</ref>。また、1979年の『[[ぱふ]]』の大島特集の企画では大島と[[筆談]]を行った<ref>『ぱふ』1979年6月号「ひめじおん の ある すぺーす」。</ref>。
* [[脇明子]] - 英国[[ファンタジー]]研究者・[[翻訳家]]。1978年に「愛しのユーミン様へ」という企画で大島と手紙を交わした<ref>テレビランド増刊イラストアルバム7『大島弓子の世界』47頁。</ref>。
* [[橋本治]] - 1979年の著書『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』の中の「ハッピィエンドの女王ー大島弓子論」で彼女の作品を詳細に論じている<ref>『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』後編(河出書房)194~341頁</ref>。
* [[穂村弘]] - [[歌人]]。歌集の[[帯 (出版)|帯]]へ載せる推薦コメントを書いてもらうために大島の家を探し歩いたエピソードを自著に記している<ref>穂村弘『短歌という爆弾―今すぐ歌人になりたいあなたのために』81頁。</ref>。実際に大島は穂村の歌集『シンジケート』(1989年)の帯文を書いた。
* [[岡崎京子]] - 漫画家。1994年に、自身の作品で大島の作品の一部を[[オマージュ]]した。<ref>『バナナブレッドのプティング』100頁3コマ目・岡崎京子『私は貴兄のオモチャなの』142頁。</ref>
* [[よしもとばなな]] - [[小説家]]。2001年、自身の公式サイトの日記で、大島を自らの精神の血と肉を作った人々のひとりであると記した<ref>[http://www.yoshimotobanana.com/cgi-bin/diary/diary.cgi?page=4&yy=2001&mm=06 よしもとばなな公式サイト[日記]]2001年6月6日の項。</ref>。
* [[犬童一心]] - [[映画監督]]。2005年、大島の中編作品『つるばらつるばら』が映画『[[メゾン・ド・ヒミコ]]』の出発点であったと語った。<ref>[http://www.theaterpark.jp/feature/003/page3.html シアターパーク|映画「メゾン・ド・ヒミコ」INDEX]。</ref>
== 参考文献 ==
*大島弓子『雨の音がきこえるー珠玉短編集ー』小学館文庫、1976年。
*大島弓子『さようなら女達』小学館フラワーコミックス、1977年。
*大島弓子『バナナブレッドのプティング』集英社セブンティーンコミックス、1978年。
* テレビランド増刊イラストアルバム7『大島弓子の世界』徳間書店、1978年。
*大島弓子『毎日が夏休み』角川書店アスカコミックス、1990年。『サバの秋の夜長』収録。
*大島弓子『四月怪談』白泉社文庫、1999年。
*大島弓子『グーグーだって猫である』1巻、角川書店、2000年。
*大島弓子『ほうせんか・ぱん』白泉社文庫、2001年。
*大島弓子『ロスト ハウス』白泉社文庫、2001年。
*大島弓子『オオシマさんちのもうひとつの猫日記』飛鳥新社、2007年。
*別冊デュオ『大島弓子の世界』朝日ソノラマ、1983年。
*岡崎京子『私は貴兄のオモチャなの』祥伝社、1995年。
*[[福田里香]]・[[藤本由香里]]・[[やまだないと]]『大島弓子にあこがれて -お茶をのんで、散歩をして、修羅場をこえて、猫とくらす』[[ブックマン社]]、2014年
== 脚注 ==
{{reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[24年組]]
== 外部リンク ==
* {{mediaarts-db|C47793}}
* [http://www.gou-gou.jp/index.html 映画「グーグーだって猫である」公式サイト]
* {{Wayback|url=http://www.nhk.or.jp/drama/archives/matte/ |title=ちょっと待って、神様 |date=20040208013335}} - テレビドラマ化作品
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:おおしま ゆみこ}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:20世紀日本の女性著作家]]
[[Category:21世紀日本の女性著作家]]
[[Category:文化功労者]]
[[Category:栃木県立大田原女子高等学校出身の人物]]
[[Category:1947年生]]
[[Category:存命人物]] | 2003-02-13T05:30:35Z | 2023-10-12T22:47:24Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E5%BC%93%E5%AD%90 |
1,200 | 後藤寿庵 | 後藤 寿庵(ごとう じゅあん、天正5年(1577年)? - 寛永15年(1638年)?)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、キリスト教信者(キリシタン)。本名は岩淵又五郎。伊達氏の家臣。一説には葛西氏の旧臣。
陸奥国磐井郡藤沢城主・岩淵秀信の次男として誕生。
天正年間(1573年 - 1591年)、豊臣秀吉によって主家・葛西氏と共に岩淵氏滅びる。
慶長元年(1596年)、長崎に住みキリシタンとなるが、迫害によって五島列島宇久島に逃れ、ここで洗礼を受け、寿庵(洗礼者ヨハネの意)と名乗り、五島氏に改名する。
慶長16年(1611年)、京都の商人田中勝介と知り合い、その推薦によって、支倉常長を通じて陸奥国の戦国大名・伊達政宗に仕えた。慶長17年(1612年)、後藤信康の義弟として、見分村(現在の岩手県奥州市水沢福原)1,200石を給される。寿庵は原野だった見分村を開墾するため、大規模な用水路を造り、これが「寿庵堰」と呼ばれ現在も農業用水として胆沢平野を潤している。大坂冬の陣・夏の陣では、伊達政宗の配下として鉄砲隊の隊長を務めた。
一方で、寿庵は熱心なキリシタン領主であったため、天主堂・マリア堂などを建てた。家臣らのほとんどが信徒となり、全国から宣教師や信徒がその地に訪れたという。また元和7年(1621年)、奥羽信徒17名の筆頭として署名し、前年のローマ教皇パウルス5世の教書への返事を送った。
ところが、江戸幕府3代将軍・徳川家光の治世となると、キリスト教の禁止が厳しくなり、主君・政宗もその取り締まりを命ぜられた。寿庵を惜しんだ政宗は、布教をしない・宣教師を近づけないことを条件に信仰を許そうとしたが、寿庵はこの条件を拒否。堰の完成を待たずして陸奥南部藩に逃亡したとも、出羽秋田藩に渡って死去したとも伝えられる。その後、寿庵から用水土木技術を学んでいた弟子の千田左馬と遠藤大学の指導のもと、およそ17キロメートル分の工事が進められ、寿庵堰は寛永8年(1631年)に完成した。
大正13年(1924年)、治水の功により従五位が贈られた。昭和6年(1931年)には彼の館跡に寿庵廟堂が建てられ、毎年9月11日に寿庵祭が行なわれている。昭和26年(1951年)、宮城県登米市(東和町米川西上沢)で後藤寿庵の墓が発見されている。
元和8年(1620年)頃、陸奥仙台藩領から出羽秋田藩領内稲庭付近に厳中と名乗る男がやってきた。厳中によりこの地域に、日月崇拝を教義とした(と伝わる)宗教が伝わった。信者らは太陽と月を崇拝し、眼の紋の入った羽織を着用した。元々は畿内が発祥であったとされているが、当時仙北地方から内陸南部にかけて、秋田藩領の鉱夫の間に瞬く間に広がったこの宗教は「大眼宗(大岩宗、大願宗とも)」と呼ばれる。
秋田藩は大眼宗を、キリスト教と同義であるとして弾圧した。元和8年(1622年)に横手城の副城代格(搦手城代)であった伊達宣宗は、領内に住んでいた教祖厳中を横手城三の丸の屋敷に招き、捕縛した。教祖捕縛の報を受けた信者百人以上が屋敷に押しかけ、役人らの乱闘の末に教祖を奪い返されてしまい、そのまま教祖は逐電した。妹尾兼忠らが活躍し一揆は鎮圧され、藩主・佐竹義宣は宗徒らを処断しない方針であったが、横手城代の須田盛秀は宗徒を数十人、磔にしている。 また、教祖捕縛の失敗の責任を取り、宣宗は秋田藩を致仕し、江戸に移り住んで逼塞した。藩は数年後に佐竹南家出身の妻を持つ彼を呼びしたが、以降領内にやはり逼塞した。
この大眼宗一揆の主導者(教祖)の厳中が寿庵と同一人物である、とする説がある。
キリスト教と同一視されたこと、また、当時の鉱山とキリスト教(南蛮技術)との関連もあり、興味深い説ではあるが、厳中と寿庵は同一人物である、ないしは寿庵がこの宗派に何らかの関わりを持っていた、とする確実な史料的裏付けはない。 | [
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] | 後藤 寿庵は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、キリスト教信者(キリシタン)。本名は岩淵又五郎。伊達氏の家臣。一説には葛西氏の旧臣。 | {{Otheruses||日本の漫画家|後藤寿庵 (漫画家)}}
[[画像:Juan Gotoh's mausoleum.jpg|thumb|right|200px|後藤寿庵廟堂(岩手県奥州市)]]
'''後藤 寿庵'''(ごとう じゅあん、[[天正]]5年([[1577年]])? - [[寛永]]15年([[1638年]])?)は、[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]初期にかけての[[武将]]、[[キリスト教]]信者([[キリシタン]])。本名は'''岩淵又五郎'''。[[伊達氏]]の家臣。一説には[[葛西氏]]の旧臣。
== 生涯 ==
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[[陸奥国]][[磐井郡]][[藤沢町|藤沢]]城主・[[岩淵秀信]]の次男として誕生。
天正年間([[1573年]] - [[1591年]])、[[豊臣秀吉]]によって主家・葛西氏と共に[[岩淵氏]]滅びる。
[[慶長]]元年([[1596年]])、[[出島|長崎]]に住みキリシタンとなるが、迫害によって[[五島列島]][[宇久島]]に逃れ、ここで洗礼を受け、'''寿庵'''([[洗礼者ヨハネ]]の意)と名乗り、五島氏に改名する。
慶長16年([[1611年]])、[[京都]]の商人[[田中勝介]]と知り合い、その推薦によって、[[支倉常長]]を通じて陸奥国の[[戦国大名]]・[[伊達政宗]]に仕えた。慶長17年([[1612年]])、[[後藤信康]]の義弟として、見分村(現在の[[岩手県]][[奥州市]]水沢福原)1,200石を給される。寿庵は原野だった見分村を開墾するため、大規模な用水路を造り、これが「[[寿庵堰]]」と呼ばれ現在も農業用水として[[胆沢平野]]を潤している。[[大坂の陣|大坂冬の陣・夏の陣]]では、伊達政宗の配下として鉄砲隊の隊長を務めた。
一方で、寿庵は熱心なキリシタン領主であったため、[[天主堂]]・マリア堂などを建てた。家臣らのほとんどが信徒となり、全国から[[宣教師]]や信徒がその地に訪れたという。また[[元和 (日本)|元和]]7年([[1621年]])、[[奥羽]]信徒17名の筆頭として署名し、前年の[[パウルス5世 (ローマ教皇)|ローマ教皇パウルス5世]]の教書への返事を送った{{Sfn|佐藤政基|1980|pp=54-55|ps=「この教書は3年の歳月を経て元和6年にわが国信徒に伝えられ(中略)末記署名者は17名で、その筆頭者となっているのが後藤寿庵で(後略)」}}。
ところが、[[江戸幕府]]3代[[征夷大将軍|将軍]]・[[徳川家光]]の治世となると、キリスト教の禁止が厳しくなり、主君・政宗もその取り締まりを命ぜられた。寿庵を惜しんだ政宗は、布教をしない・宣教師を近づけないことを条件に信仰を許そうとしたが、寿庵はこの条件を拒否。堰の完成を待たずして[[陸奥国|陸奥]][[盛岡藩|南部藩]]に逃亡したとも{{Sfn|佐藤政基|1980|p=55|ps=「現岩手県岩手郡松尾村に、すなわち旧南部領であるが、後藤堰と呼ばれるセキが現存するが、同地には後藤にちなむ地名または姓が一つもないことから、寿庵はこの地において後藤堰の開削に何なりと関与したのではなかったかと、当地の古老にささやかれているが、史料がなく定かではない」}}、[[出羽国|出羽]][[久保田藩|秋田藩]]に渡って死去したとも伝えられる。その後、寿庵から用水土木技術を学んでいた弟子の千田左馬と遠藤大学の指導のもと、およそ17キロメートル分の工事が進められ、寿庵堰は[[寛永]]8年([[1631年]])に完成した。
[[大正]]13年([[1924年]])、治水の功により[[従五位]]が贈られた<ref>田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.54</ref>。[[昭和]]6年([[1931年]])には彼の館跡に寿庵廟堂が建てられ、毎年[[9月11日]]に寿庵祭が行なわれている。昭和26年([[1951年]])、[[宮城県]][[登米市]](東和町米川西上沢)で後藤寿庵の墓が発見されている。
== 異説 ==
{{出典の明記| section = 1| date = 2022-08}}
元和8年([[1620年]])頃、陸奥[[仙台藩]]領から出羽秋田藩領内[[稲庭]]付近に厳中と名乗る男がやってきた。厳中によりこの地域に、日月崇拝を教義とした(と伝わる)宗教が伝わった。信者らは太陽と月を崇拝し、眼の紋の入った羽織を着用した。元々は畿内が発祥であったとされているが、当時仙北地方から内陸南部にかけて、秋田藩領の鉱夫の間に瞬く間に広がったこの宗教は「'''大眼宗'''(大岩宗、大願宗とも)」と呼ばれる。
秋田藩は大眼宗を、キリスト教と同義であるとして弾圧した。元和8年([[1622年]])に[[横手城]]の副城代格(搦手城代)であった[[伊達宣宗]]は、領内に住んでいた教祖厳中を横手城三の丸の屋敷に招き、捕縛した。教祖捕縛の報を受けた信者百人以上が屋敷に押しかけ、役人らの乱闘の末に教祖を奪い返されてしまい、そのまま教祖は逐電した。[[妹尾兼忠]]らが活躍し一揆は鎮圧され、藩主・[[佐竹義宣 (右京大夫)|佐竹義宣]]は宗徒らを処断しない方針であったが、横手城代の[[須田盛秀]]は宗徒を数十人、磔にしている。
また、教祖捕縛の失敗の責任を取り、宣宗は秋田藩を致仕し、江戸に移り住んで逼塞した。藩は数年後に佐竹南家出身の妻を持つ彼を呼びしたが、以降領内にやはり逼塞した。
この大眼宗一揆の主導者(教祖)の厳中が寿庵と同一人物である、とする説がある。
キリスト教と同一視されたこと、また、当時の鉱山とキリスト教(南蛮技術)との関連もあり、興味深い説ではあるが、厳中と寿庵は同一人物である、ないしは寿庵がこの宗派に何らかの関わりを持っていた、とする確実な史料的裏付けはない。
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
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* {{Cite journal|和書|journal=農業農村工学会誌|author=佐藤政基|year=1980|title=胆沢地方における 「カンガイ」 の偉大な先人 後藤寿安|volume=48|pages=53-56|url=http://www.jsidre.or.jp/hito/|issue=8|publisher=[[農業農村工学会]]|accessdate=2021-04-24|ref=harv}}
== 関連項目 ==
* [[日本のキリシタン一覧]]
* [[横澤吉久|横澤将監]]
* [[将監堤]]
* [[大籠キリシタン殉教公園]]
== 外部リンク ==
* [https://drive.google.com/file/d/0B_801gb0eIC1UVd4dlRveEdVT0k/view?pref=2&pli=1 斉藤駿一郎『奥州、和賀の信仰の流れと後藤寿庵終焉の地』]
* {{Cite web|和書|url=https://www.pref.iwate.jp/sangyoukoyou/nouson/kamishibai/1008853.html|title=岩手県 - いわての農業農村紙芝居|accessdate=2021-04-24|publisher=[[岩手県]]|work=寿安さん(奥州市)|quote=今から400年前、荒れ果てた胆沢の大地に水を引くため、西洋の土木技術に精通する後藤寿安さんと領民が奮闘したお話です。|date=令和2年6月15日}}
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[[Category:戦国武将]]
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1,201 | コスタリカ | コスタリカ共和国(コスタリカきょうわこく、スペイン語: República de Costa Rica)、通称コスタリカは、中央アメリカ南部に位置する共和制国家。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋、北はカリブ海に面している。首都はサンホセである。国土面積は51,060 kmで、人口は約500万人である。首都であり最大都市であるサンホセには推定333,980人が住んでおり、周辺の都市圏には約200万人が住んでいる。
中央アメリカにおいては数少ない、長年にわたり安定した民主主義政治を維持している国で、高い教育を受けた労働者が多いことでも知られている。教育予算が国家予算に占める割合は、世界平均が4.4%であるのに対し、同国はおよそ6.9%(2016年)である。かつては農業に大きく依存していたが、現在は金融、外資系企業向けサービス、製薬、エコツーリズムなど多角的な経済活動を行っている。コスタリカの自由貿易地域(FTZ)には、多くの外資系製造業やサービス業が進出しており、投資や税制上の優遇措置の恩恵を受けている。
コスタリカは16世紀にスペインの支配下に入るまで、先住民が住んでいた。その後、第一次メキシコ帝国の一部として独立し、中央アメリカ連邦共和国の一員となり1847年に正式に独立を宣言するまで帝国の周辺植民地として存続した。1948年の短期間のコスタリカ内戦の後、1949年に恒久的な機関としての陸軍を廃止し、常備軍を持たない数少ない主権国家の1つとなった。
人間開発指数(HDI)では常に良好な成績を収めており、2020年時点で世界第62位、ラテンアメリカ第5位。国連開発計画(UNDP)からも、同じ所得水準の他国よりもはるかに高い人間開発を達成しており、人間開発および不平等については地域の中央値よりも良い記録を持っていると引用されている。また民主主義の状態、報道の自由、主観的幸福度の比較でも良い成績を示している。報道自由度ランキングでは7位、世界の自由度指数では37位、世界幸福度報告では12位の幸福な国である。一方、中南米の多くの国と同様にカトリックの影響が強く、人工妊娠中絶は母親の健康や命を守る以外の場合に認められない国である。
正式名称は、República de Costa Rica。通称、Costa Rica。公式の英語表記は、Republic of Costa Rica。通称、Costa Rica。
日本語の表記は、コスタリカ共和国。通称コスタリカ。国名のCosta Ricaが一綴りの単語ではないため、コスタ・リカや、コスタ・リーカと表記されることもある。
コスタリカとはスペイン語で「豊かな(Rica)海岸(Costa)」の意味であり、クリストファー・コロンブスがこの地に上陸した時に、遭遇したインディヘナが金細工の装飾品を身につけていたことからこの名前がついた。
紀元前900年から紀元前300年ごろの遺跡が確認されている。メソ・アメリカの一部であり、チブチャ系民族やナウアトル文化の交錯する地帯であった。13世紀までには神官を中心とする階級制社会が築かれていた。その後アステカ帝国に服属し、緩やかな支配を受ける形で中央アメリカと南アメリカの交易の仲介地点となった。また、カリブ人も定住していた。16世紀初めごろには約40万人の先住民が居住していたと推測されている。
1502年9月18日、クリストファー・コロンブスがリモン湾付近に上陸し、ヨーロッパ人としてはじめてこの地に渡来した。1524年、征服者フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバにより、内陸部もスペインの支配下に入った。1538年にパナマ市のアウディエンシアの管轄下に置かれ、1542年にヌエバ・エスパーニャ副王領の下位行政組織だった、グアテマラ総督領の辺境の地として編入された。1564年に中央盆地にカルタゴが建設され、以降独立までコスタリカの政治と経済の中心となった。
征服の過程での疫病などにより、先住民人口は17世紀初頭には約1万人になり、労働力や金銀などの鉱物資源が足りなかったためにスペイン人入植者の数は少なく、コスタリカはスペイン植民地の最辺境の地として孤立した。カカオ・プランテーションが築かれ、時折海賊の襲撃があったものの、植民地時代に大きな変化はないまま時を過ごすことになる。また、時期は定かではないが、中央アメリカで最も早く19世紀初頭までには確実にコーヒーが持ち込まれていた。
1789年にフランス革命が起こり、ヨーロッパの政情が不安定になるとその影響はインディアス植民地にも及んだ。1808年にナポレオンのフランス軍がスペイン本国に進駐、国王フェルナンド7世を退位させ、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王ホセ1世に即位すると、スペインでは反フランス暴動がやがてスペイン独立戦争へと発展し、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否した。
その後、各地のクリオーリョ達がラテンアメリカ解放のために立ち上がり、メキシコでミゲル・イダルゴとホセ・マリア・モレーロスらによって、南米大陸でシモン・ボリーバルとホセ・デ・サン・マルティンらによって解放戦争が続けられ、多くの共和国が独立を果たすと、中米でも1821年9月15日にグアテマラ総監領は中央アメリカ連合州として独立した。この国家は1821年9月16日に独立したアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国により、1822年に他の中米諸国と共に併合された。
しかし、1823年のメキシコ帝国の崩壊に伴ってチアパス州を除く旧グアテマラ総監領の五州は再び中央アメリカ連邦として独立した。コスタリカ州代表だったフアン・モラ・フェルナンデス(スペイン語版、英語版)は連邦への積極的な加盟を勧めたが、この過程の中で、それまでコスタリカの中心だったカルタゴが内戦の末にサン・ホセ軍に敗れたため、以降サン・ホセがコスタリカの中心となった。連邦においてはエル・サルバドル出身のマヌエル・ホセ・アルセ(スペイン語版、英語版)が中米連邦初代大統領となるが、自由主義者のフランシスコ・モラサンをはじめとするエル・サルバドル派と、保守主義者のラファエル・カレーラをはじめとするグアテマラ派の内戦の末に、1838年に諸州が独立を宣言して中米連邦は崩壊した。
1839年にこの地もコスタリカ共和国として再独立を果たした。その後1842年にホンジュラス出身の元中米連邦大統領、フランシスコ・モラサンが大統領となり中米連邦再興のためにニカラグア侵攻を企てたが、同年にモラサンは暗殺された。
1856年、隣国ニカラグアで アメリカ合衆国南部人の傭兵()隊長、ウィリアム・ウォーカーが大統領となった。中米四国はウォーカー排除を決意し、このウォーカーの率いるニカラグア軍との国民戦争(スペイン語版)において、コスタリカ軍は、反ウォーカー派だったイギリス、アメリカのヴァンダービルト財閥などの支援を得て中米連合軍の中で主要な役割を果たした。同年4月にはリバスの戦い(英語版、スペイン語版)でウォーカー軍を打ち破った。なお、この戦争で壮絶な戦死を遂げたムラートの鼓兵、フアン・サンタマリーア(スペイン語版、英語版)は現在も国民的英雄となっている。
国民戦争後、1870年に自由主義者のトマス・グアルディア(スペイン語版、英語版)将軍がクーデターで政権を握った。グアルディアの主導により、一院制議会と強い大統領権が認められた1871年憲法が制定された。以降1948年までのコスタリカは基本的にこの路線に沿って発展することになり、ラテンアメリカ全体でも特異なコスタリカの民主的な社会が成立する素地となった。
1882年にグアルディアが死去してからは、自由主義派の流れを継いでベルナルド・ソト(スペイン語版、英語版)の支配が続いたが、1889年にカトリック教会と結んだ保守派のホセ・ロドリゲス(スペイン語版、英語版)に選挙とデモによってソトが敗れ、自由主義政権が終焉()を迎えた。
1870年代から始まった自由主義の時代にそれまでと同様に主産業だったコーヒー・プランテーションが拡大され、コーヒーを基盤に経済が発展し、1890年には輸出の80%がコーヒーとなっていた。ただし、コスタリカの土地所有形態は植民地時代からの中小独立自営農民による中規模土地所有が主体であったため、他の中米諸国やブラジルのような大プランテーションは発達しなかった。また、コスタリカは中米で最も早くコーヒー栽培が開始されたため、コスタリカを通してグアテマラ、エルサルバドルにコーヒーの生産技術が伝播することとなった。この時期にブエノスアイレスやカラカスをはじめとする他のラテンアメリカの多くの国の首都がそうなったように、エリートによって首都サン・ホセはパリ風に改造され、カリブ・ヴィクトリア朝を真似た邸宅が建ち並んだ。
また、内陸部からのコーヒー輸送のためにアメリカ人のマイナー・C・キース(英語版)によって鉄道が建設され、積出し港としてカリブ海側のリモンが発展した。鉄道建設の負債を補うために1871年にパナマ地峡からバナナが導入され、キースはその後、熱帯雨林を切り開いた跡地でのバナナのプランテーション栽培に力を入れた。バナナはそれまでの主産業だったコーヒーを抜いて1905年ごろには輸出の60%を占めるに至り、1899年にキースにより設立されたユナイテッド・フルーツ社は中央アメリカの事実上の支配者となった。
20世紀に入ってもコスタリカはバナナとコーヒーのモノカルチャー経済の下で発展が続いたが、第一次世界大戦による輸出収入減により、1916年に所得税が導入されると、1917年にフェデリコ・ティノコ・グラナードス(スペイン語版、英語版)将軍がクーデターを起こすが、アメリカの圧力により1919年に独裁制は崩壊した。
1921年にはアメリカの支持の下、隣国パナマとコト戦争を起こし、パナマから領土を得た。
1929年の世界恐慌はコスタリカのモノカルチャー経済に大打撃を与え、コーヒー価格の低落のために社会が不安定化した。1936年の大統領選挙では国民共和党(PRN)からファシズムに傾倒したレオン・コルテスが大統領になった。
なお、1935年に堀義貴初代駐コスタリカ日本公使が着任し、日本との間で正式に外交関係が成立した。
1940年に行われた大統領選挙では社会民主主義のカルデロン・グアルディア(スペイン語版、英語版)政権が誕生し、グアルディア政権は内政では労働法の制定(1940年)や、社会保障の制度化、コスタリカ国立大学の創設など労働者や中間層よりの政策を進める一方で、外交では1941年の真珠湾攻撃により、太平洋戦争が勃発すると、合衆国に先駆けて枢軸国に宣戦布告し、敵性国民となったドイツ系地主の資産が接収された。
1944年の大統領選挙ではテオドロ・ピカード・ムチャイスキ(スペイン語版、英語版)が大統領に就任した。
1948年の大統領選挙は与党のカルデロンと野党のオティリオ・ウラテ(スペイン語版、英語版)の一騎討ちとなり、開票の結果ウラテの勝利が確定したが、与党はこの選挙結果を無効とした。こうした中で、グアテマラ大統領フアン・ホセ・アレバロの支援を受けた野党のホセ・フィゲーレス・フェレールによる反乱への準備が進んでいった。
1948年の大統領選挙の結果が不正であることが明らかになると、野党のホセ・フィゲーレス・フェレールが反乱を起こし、コスタリカ内戦(英語版)が勃発した。6週間の内戦の後にフィゲーレスは政府軍を破って勝利した。
翌年、1949年憲法(英語版)が施行されるとカルデロン前大統領派が多数を占めていた常備軍は廃止され(第12条 常設的機関としての軍隊は禁止する。)、それまで軍の担っていた役割は警察に移管された。フィゲーレスは民兵や予備役兵を組織し、反攻を防いだ。また、女性や黒人の政治参加も認められた。この常備軍廃止により、コスタリカは以降他のラテンアメリカ諸国で繰り広げられたような軍事クーデターは起こらなくなった。1953年の大統領選挙ではフィゲーレスの国民解放党(PLN)が勝利し、フィゲーレス政権は「兵士の数だけ教師を」を合言葉に、軍事予算を教育予算に回し教育国家に転換した。
1955年1月、元コスタリカ大統領だったテオドロ・ピカード・ムチャイスキ(スペイン語版、英語版)の息子、ピカード2世が再びソモサに支援された傭兵軍(その中には軍服を脱いだニカラグア国家警備隊の隊員もいた)と共にニカラグアからコスタリカに侵攻してきた。陸空およそ1,000人程のピカード2世軍はいくつかの都市を攻略したものの、コスタリカ武装警察の反撃と、OASの仲介により同年2月に停戦し、侵攻軍は武装解除した。
このようにして国難を乗り越えると、1949年憲法による政治の安定が国家の成長を助け、コスタリカ経済はこの時期に伝統的なバナナ、コーヒーの輸出に加えて、外資による工業化をも達成することになった。1960年に中米共同市場が発足すると、コスタリカは中米四国に遅れて1962年にこれに加盟した。1965年4月にドミニカ共和国で内戦が起き、リンドン・ジョンソン大統領が反共を掲げてアメリカ海兵隊を主体とした軍をドミニカに派遣すると、コスタリカもブラジル軍を主体としたドミニカ占領軍に警備隊を派遣した。
国家としては反共でありながらもこのような事情からニカラグアのソモサ王朝を嫌っていたコスタリカ人は、1978年にサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が全面蜂起するとこれを全面的に支援し、ニカラグア革命を支えた。その後サンディニスタ内での路線対立によりFSLNの司令官だったエデン・パストラが亡命すると、パストラを司令官にしてコントラの一派民主革命同盟(ARDE)が組織され、コスタリカはアメリカによる対ニカラグア作戦の基地となり、中立原則も一時揺らいだ。1983年にはルイス・アルベルト・モンへ(英語版)大統領が「コスタリカの永世的、積極的、非武装的中立に関する大統領宣言」を行っている。
ところが、1986年にモンヘ大統領を破り就任したアリアス大統領はアメリカの対ニカラグア強硬政策に追随することを良しとせず、アリアス大統領によって国内のARDEの基地は撤去され、さらに中米紛争そのものの解決のためにも尽力した。この中米和平実現のための努力に対して、アリアスには1987年ノーベル平和賞が与えられた。
1990年の大統領選挙によって、中道右派のキリスト教社会連合党(PUSC)からラファエル・アンヘル・カルデロン・フルニエルが大統領に就任した。
1994年の大統領選挙によって、中道左派の野党国民解放党(PLN)からホセ・フィゲーレス・フェレールの息子ホセ・マリア・フィゲーレス(スペイン語版、英語版)が大統領に就任した。
1998年2月の大統領選挙によって、PUSCのミゲル・アンヘル・ロドリゲスが大統領に就任したが、ロドリゲス大統領はメキシコの実業家カルロス・ハンク・ゴンサレスからの不正献金を受け取っていたことが1999年にスキャンダルとなった。2001年の9.11テロ後は、アメリカのアフガニスタン攻撃を支持した。
2002年の大統領選挙によって、PUSCからアペル・パチェーコが大統領に就任した。パチェーコ大統領は、アフガニスタン攻撃に続いて2003年3月のイラク戦争開始に当たってアメリカのブッシュ政権を支持する声明に署名した。これは常備軍を廃止した同国の平和憲法の精神や国際法に違反していると、当時コスタリカ大学の学生が最高裁憲法法廷に提訴した。翌2004年12月に最高裁が大統領の声明を無効とし、支援国のリストから外れるように命じた。しかし政府は支援を停止することはしなかった。また、同年カルデロンとロドリゲスの二人の元大統領が汚職によって逮捕された。
2006年からは再任した(連続再任ではない)アリアス大統領が大統領職を務めた。
2010年2月7日、大統領選挙が行われ国民解放党(PLN)のラウラ・チンチージャ前副大統領が大差で当選しコスタリカで初の女性大統領となった。なお2位は市民行動党(PAC)のソリス候補、3位は自由主義運動(ML)のゲバラ候補と続いている。
コスタリカは大統領を元首とする共和制国家であり、行政権は大統領に属している。大統領は任期4年で、連続の再選は禁止されている(8年以上の期間が開いていれば可能)。立法権は一院制の立法議会に属し、議員定数は57人、任期は4年である。国会議員も連続再選禁止である。投票権が与えられるのは18歳からである。大統領選挙においては得票率が40%以下の場合は決選投票が行われる。司法権は最高裁判所に属している。現行憲法は1949年憲法である。
主要政党には国民解放党(PLN)、市民行動党(PAC)、自由主義運動(ML)、キリスト教社会連合党(PUSC)などがある。
コスタリカは19世紀以来大規模な軍縮を行っており、中米最大といわれたコスタリカ軍は内戦時にはわずか1個大隊にまで減少していた。1947年の内戦に勝利したホセ・フィゲーレス大統領は、1948年、憲法(英語版)により常設軍を廃止している。これはカルデロン前大統領の勢力復活を抑える効果があり、また政治勢力としての軍部の拡張や、隣国ニカラグアの策動を抑える効果があった。
しかし、この非武装政策は有事の際に国家および国民が外勢力からの侵略に対して無抵抗を甘受することを認めたものではない。コスタリカ共和国憲法第12条では「大陸間協定により、もしくは国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。」とし、集団的自衛権の行使や自衛権の行使などの非常時には軍隊を組織し徴兵制を敷くことを認めている。しかし、有事となってから臨時に民間人を訓練して対応させることは、現代の高度に専門化された軍事においては事実上は不可能に等しく、このような手続きを厳密に守って創設された「正規軍」が国防の手段として機能することはほとんどないと言う意見もある。
2015年5月現在では、対外的な国防をもっぱらの目的とした組織は存在しない。国境紛争を抱えるニカラグアはコスタリカが「『軍』を展開している」としばしば非難している。
コスタリカは1983年に永世非武装中立をモンヘ大統領が宣言している。1980年代を通して繰り広げられた隣国のニカラグアの内戦のときに民兵部隊が組織されるなど非武装原則は一時揺らいだが、アリアス大統領によって立て直された。
一方で米州機構の加盟国であるため、地域内安保・外交的安保(集団的自衛権)両方で他加盟国と協調関係にあり、1965年にドミニカ共和国で起きたドミニカ内戦の時にはOAS平和維持軍の一員として武装警察を派遣している。反共の大義の下にアメリカ軍とブラジル軍の主導する占領軍に参加し(アメリカ軍によるドミニカ共和国占領_(1965年-1966年))、社会改革を求めたフアン・ボッシュ派(立憲派)の政権打倒に協力した。
政治外交の基本方針はアメリカとの協調、および反共主義である。このため1941年の真珠湾攻撃に際してはアメリカに先駆けて枢軸国側に宣戦布告を行っている。レーガン政権によるニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線政権に対する反政府組織コントラ(エデン・パストラの創設したARDE)の基地のコスタリカ内設置、およびパナマの政権打倒をめざす反政府武装組織の訓練基地の設置をコスタリカ内に認めた。モンヘ大統領の非武装中立宣言は、この実態に対する批判をかわす必要性から生じた、政治的なポーズであったとされる。その見返りとしてアメリカは潤沢な援助を与え、1983年から1985年の間、アメリカの対コスタリカ経済援助は、コスタリカ政府予算の1/3に達したとされる。後にモンへ大統領自身も当時コスタリカの実態は中立ではなかったと言明していたとされる。一方ではパレスチナ問題においてはおおむねパレスチナを支持する多数派に属しており、イスラエルを基本的に支持するアメリカとは立場が異なる。
また反共主義の観点から中国やキューバと国交を持っていなかったが、2007年6月に中国と国交樹立すると同時に台湾と断交した。これに関連して、アリアス大統領は地元のラジオで「1990年代以来、台湾の発展途上国に対する資金援助額が少ない状況が続いたので、中国との国交を開いた」と明言している。その後、中国がコスタリカの国債3億米ドル分を購入する覚書が交わされていたことが判明した。
1948年の内戦以降、ラテンアメリカからの多くの政治亡命者や民主主義活動家の避難所となった。代表的な人物としては軍政に追われていたベネズエラのロムロ・ベタンクール(民主行動党の設立者)や、ペルーのアヤ・デ・ラ・トーレ(アメリカ人民革命同盟の創設者)が挙げられ、エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(チェ・ゲバラ)や、フィデル・カストロも一時コスタリカに滞在していた。
一方でコスタリカ外交ではしばしば「中立政策」が国策としてあげられている。ただしコスタリカの中立政策はあくまで「民主主義の側につく」ものであり、非同盟政策とは異なる。2005年の年報では、外交原則を「平和と人権の促進」であると規定している。
現在は中米諸国をはじめとするラテンアメリカ諸国からの外交官や研修生を養成している。また国際連合が平和構築のための専門人材を養成するために設立した研究機関、平和大学の本部もコスタリカに置かれている。
ニカラグアはコスタリカにとって唯一直接的な軍事的脅威となりうる国家であり、コスタリカ内戦時などしばしば侵攻を受けることもあった。現在でもサン・フアン川の河口にあるポルティージョ島(英語版)(ニカラグア名・ハーバーヘッド)の帰属をめぐる領土問題は解決していない。ニカラグアはコスタリカの武装警察を「軍」であると明言しており、しばしば非難を行っている。ただしこの地域の緊張は薄く、両国国民は国境を自由に往来している。
コスタリカは7つの州(Provincias)に分かれ、州はさらに合計81のカントン(cantones)に分かれる。
主要な都市にはサンホセ(首都)、リモンがある。
自然が豊かで、独立当初は国土の95%が密林に覆われていた。現在の森林面積は国土の40%以下となっている。
コスタリカは太平洋から大西洋まで、最も狭いところで119km、最も広いところでも226kmしか距離がなく、細長い国土だが、国土の中央をグアナカステ山脈、ティララン山脈、中央山脈、タラマンカ山脈が貫き、国土中央には標高2000mに達する中央盆地が存在する。国内最高峰はチリポ山(3901m)。
カリブ海岸の低地は熱帯性気候で雨が多い。
太平洋岸にはニコヤ半島や、ニコヤ湾があるグアナカステ低地と、オサ半島やドゥルセ湾のある低地があり、気候は太平洋岸の南北で異なる。
地球上すべての生物種のうち5%が生息すると言われ、「環境保護先進国」として名高い。国立公園・自然保護区の総面積は全国土の1/4を超える。
そして世界で1番昆虫が多い国として知られている。
IMFによると、2013年のコスタリカのGDPは約496億ドルであり、日本の愛媛県とほぼ同じ経済規模である。一人当たりのGDPは10,528ドルで、世界平均とほぼ同じ水準にある。
植民地時代には世界でも最も貧しい地域の一つだったが、第二次世界大戦後からは「中米の優等生」と呼ばれ、19世紀以来のコーヒー・バナナの輸出を背景に、政治の安定とあいまって経済成長が続いた。1960年代以降外資導入による工業化が進み、現在では農業国から工業国となって中米でパナマの次に豊かな国となっている。しかし、1990年代以降は、南米大陸の麻薬が北米や欧州にわたる際の中継地点とされた影響で、麻薬の一大消費地となってしまっており(444万人の国民のうち、20万人以上がコカイン中毒者)、治安の悪化と社会の不安定化が進んでいる。
主な輸出品は、コーヒー、バナナ、サトウキビ、パイナップル、メロン、コンピュータ部品などである。コンピュータ部品は1990年代後半のインテル社の進出によるところが大きい。
2021年、OECDに加盟した。
主な国際空港としてはサンホセのフアン・サンタマリーア国際空港と、リベリアのダニエル・オドゥベール国際空港の二つがある。
19世紀にコーヒーやバナナの積み出しのためにアメリカ資本によって建設された鉄道は、現在観光用として残されているもの以外はほとんど廃線となっている。
1980年代から2008年あたりまではエコツアーの人気の高まりとともに観光客および観光収入が増加している。しかし、首都サンホセと周辺地域では麻薬がらみの犯罪(窃盗や強盗)が多発するなどの課題もある。
コスタリカ国民は自らをティコ Tico(男性)またはティカ Tica(女性)と呼ぶ。
コスタリカ国民は、他の中米諸国とは異なり白人の割合が多いとされ、人種構成は白人94%、黒人3%、インディヘナ1%、中国系(華人1%、その他1%)だとされている。独立後にイタリア人、ドイツ人、ユダヤ人、ポーランド人などの白人移民や、ジャマイカ黒人の移民があった。
しかし、植民地時代のコスタリカは人口希薄地帯である以前に、そもそもヨーロッパ人の入植者の絶対数が少なく、一度としてインディヘナや黒人の総数を上回ったことはなかった。つまりコスタリカの白人人口の多さに関しては、生活様式や言語がスペイン化したメスティーソやムラートが、ある時期に自らを白人であると認識するようになったと考えるのが妥当である。
19世紀半ばに鉄道建設のために、サトウキビから経済の転換を図ったジャマイカの黒人や、中国人が導入され、ジャマイカ黒人はカリブ海側のリモンに定住した。一方中国系(華僑)は台湾人、香港人をはじめとして現在もコスタリカ社会に流入し続け、都市での飲食店などにおける存在感は高い。しかし、コスタリカでの黄色人蔑視は強い。
インディヘナは居留地(保護区)が指定され、事実上の隔離政策が適用されているが、それでもコスタリカ社会に出てきている人も多い。インディヘナには1992年にようやく選挙権が付与された。
コスタリカは多くの難民を受け入れており、多くは隣国ニカラグアと、コロンビアからの難民である。特にニカラグアに関してはコスタリカ人口の10-15%を占めているとされている。近年はペルーやベネズエラからの難民が多い。また、1970年代から1980年代は軍政に苦しむチリやアルゼンチンからの難民も多かった。
独立時に65,000人ほどだった人口は、1892年時点でも240,000人ほどにすぎなかった。その後20世紀を通して順調に人口増が続き、1960年代には100万人を超え、1950年代以降の乳幼児死亡率の改善や、難民の流入などにより急速に人口が増加し、2003年3月時点で415万人。人口密度は80人/平方キロ。都市部への人口集中が進んでおり、約65%が都市に居住している。
言語は、スペイン語が公用語である。コスタリカのスペイン語には標準コスタリカ方言とニコヤ方言の二つの方言があり、ニコヤ方言はニカラグアの方言とアクセントがとても似通っている。
19世紀にジャマイカから黒人が移民してきたカリブ海側には、ジャマイカ英語を話す人々もいる。
宗教は、カトリック教会が85%、プロテスタントが14%、その他が1%である。1949年憲法でカトリックが国教として保障された敬虔なカトリックの国で、未だにカトリック教会の政治力が強く、妊娠中絶の不可や、家族制度の問題、性教育の拒否などコスタリカ社会に大きな影響を与えている。
アジアや中東からの移民によって持ち込まれた仏教(40,000人近い中国系が持ち込んだ)や、イスラーム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教なども信仰されている。
末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)も1960年代から地道な拡大を続けており、中央アメリカに二つしかない教会の内の一つが、エレディア県のサン・アントニオ・デ・ベレンに存在する。
1-2年の就学前教育を終えた後、6年間の初等教育、3年間の前期中等教育があり、この9年間が無償の義務教育となっている。その後、後期中等教育は技術科と学術科に分岐し、技術科は3年、学術科は2年で修了する。学術科を卒業すると大学への進学の道が開ける。コスタリカは現行の1949年憲法で教育予算に国民総生産(GNP)の6%以上を充てることを義務付けており、国公立の教育機関での教育費は初等教育から高等教育に至るまで無料である。
国民の識字率は95.5%であり、アルゼンチンの97%、キューバの99%と並び、中南米を通じて非常に高い。
高等教育に関しては、最初の大学(コスタリカ大学)が設立されたのが1940年と遅かったため歴史は浅いが、それでも現在までにコスタリカ工科大学(1971年)や、ナシオナル大学(1973年)、国立遠隔大学(スペイン語版)(1977年)などの多くの大学が設立されている。
現在のところ目下の問題は教室の不足、教員への給料の遅配、教育とカトリック教会の関係などである。
「コスタリカ市民は命や平和や人権や環境を慈しむことの大切さを教える教育の成果で、人を思いやり尊重する意識、人を傷つけない意識が世界でトップレベルである。コスタリカは福祉や医療や治安のレベルが世界でトップレベルであり、戦争や犯罪や貧富の格差などの人間社会の問題は解決されて、市民の誰もが他人を蹴落として自分だけが勝つことを考える競争社会を無くし平和で幸せに暮らしている。」という考えも存在する。
だが、現実のコスタリカは第二次世界大戦後幾度かの戦争に巻き込まれ、1965年のドミニカ共和国の内戦では主体的に紛争に警備隊を派遣したこともあった。またコスタリカのジニ係数は国際連合の調査で0.499と決して低くはない。黒人や先住民、アジア系市民、ニカラグア人難民に対しての偏見や差別は未だに根強いとされ、保護区への隔離政策が取られたために1990年代まで先住民に公民権は存在しなかった。また、国家とカトリック教会の結びつきの強さや、そこから来る宗教的倫理の強さは間接的に 私生児の増加などの諸問題に影響している。これらはコスタリカにとって解決されるべき諸課題であるとの意見もある。
2018年、コスタリカの憲法裁判所は、同性婚を妨げる国内の法律は違憲であるとの判断を下した。これを受けて2020年5月26日、コスタリカ国内では同性婚が合法化された。中米で同性婚が認められたのは初めて。
司法警察が発表した犯罪統計によれば、コスタリカの主な罪種別は殺人446件、強盗12,009件、強姦471件、侵入盗(住宅)7,149件など依然として犯罪率が高い。
常備軍を廃止した代わりに十分な警察力を有するコスタリカは一般に中南米地域の中では政治・経済とともに治安も安定した国とみられていたが、1990年代以降は不法滞在者の増加、組織犯罪グループの流入、銃所持者の増加、麻薬の蔓延などにより治安が悪化し、首都サン・ホセ市およびカリブ海沿いのリモン市を中心に犯罪が多発している。首都サン・ホセ市では犯罪者集団同士の銃撃戦が勃発しているほか、拳銃を利用した強盗が多発するなど、銃器が氾濫している。
コスタリカはコロンビアなど南米からの麻薬が欧州やアメリカに運ばれる際の中継地点であるだけでなく、麻薬の集積地および消費地にもなっている。特にコカイン押収量は年々増加の傾向を辿っており、一度に数百キログラム単位で押収される事も多い。麻薬組織が直接関与する犯罪のほか、麻薬の購入資金欲しさに起こる強盗や殺人の増加も問題になっている。
コスタリカ人はメソ・アメリカ文化と南アメリカ文化の結節点だったことからなる、自国の多様な文化を誇る。16世紀にスペインのコンキスタドールがやってきた時には、国土の北西のニコヤ半島がナウアトル文化の影響を受けており、国土の中央と南部はチブチャの影響を受けていた。しかし、インディヘナはスペイン人による疫病や酷使によりほとんどが死んでしまったため、近代においてコスタリカ文化に影響を与えたことは少なかった。
大西洋側には17世紀から18世紀を通して黒人奴隷が労働力として移入された。しかしながら、多くのアフリカ系コスタリカ人は19世紀に、カリブ海のリモンから中央盆地に向かう鉄道建設のため移入されたジャマイカ系黒人である。イタリア系と中国系の人々もこの時期に鉄道建設のためにやってきた。このような多様な人種により、コスタリカの文化は育まれた。
また、1930年ごろに国内の密林で巨石球群が発見された。この巨石は、最大のものは直径が2.5m以上、重量が20トン以上あり、数個から40個ぐらいがまとまっていた。
トウモロコシ文化圏の国である。米、豆、トルティーヤなどが主に食べられている。
よく知られている「トリニダード島のカリプソ」とは違う土着の「カリプソ」が存在する。ロック、サルサ、ソカ、メレンゲ、クンビアなども人気である。
コスタリカ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が3件(うち1件はパナマと共有)、文化遺産が1件存在している(2016年の第40回世界遺産委員会終了時点)。
コスタリカ国内でも他のラテンアメリカ諸国同様、サッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっており、1921年にプロリーグのプリメーラ・ディビシオンが創設された。主なクラブとしては、デポルティーボ・サプリサ、LDアラフエレンセ、CSエレディアーノなどが挙げられる。著名な選手としては、名門レアル・マドリードやパリ・サンジェルマンで100試合以上に出場したゴールキーパーのケイロル・ナバスが世界的に知られている。
コスタリカサッカー連盟(英語版)によって構成されるサッカーコスタリカ代表は、これまでFIFAワールドカップには5度の出場歴があり、1990年大会で初出場してグループリーグを突破しベスト16に進出した。2014年大会ではグループリーグで、コスタリカ以外の3カ国が優勝経験を持つ死の組に入ったものの見事突破し、ラウンド16でもギリシャ代表に勝利し過去最高位となるベスト8の成績を収めた。
CONCACAFゴールドカップでは1963年大会、1969年大会、1989年大会とメキシコ代表やアメリカ代表に次ぐ3度の優勝を誇り、コパ・セントロアメリカーナでは大会最多8度の優勝を達成している。さらに南米選手権のコパ・アメリカには5回参加しており、2001年大会と2004年大会ではベスト8に進出するなど、北中米におけるサッカー強豪国として名高い。 | [
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"text": "コスタリカ共和国(コスタリカきょうわこく、スペイン語: República de Costa Rica)、通称コスタリカは、中央アメリカ南部に位置する共和制国家。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋、北はカリブ海に面している。首都はサンホセである。国土面積は51,060 kmで、人口は約500万人である。首都であり最大都市であるサンホセには推定333,980人が住んでおり、周辺の都市圏には約200万人が住んでいる。",
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"text": "中央アメリカにおいては数少ない、長年にわたり安定した民主主義政治を維持している国で、高い教育を受けた労働者が多いことでも知られている。教育予算が国家予算に占める割合は、世界平均が4.4%であるのに対し、同国はおよそ6.9%(2016年)である。かつては農業に大きく依存していたが、現在は金融、外資系企業向けサービス、製薬、エコツーリズムなど多角的な経済活動を行っている。コスタリカの自由貿易地域(FTZ)には、多くの外資系製造業やサービス業が進出しており、投資や税制上の優遇措置の恩恵を受けている。",
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"text": "紀元前900年から紀元前300年ごろの遺跡が確認されている。メソ・アメリカの一部であり、チブチャ系民族やナウアトル文化の交錯する地帯であった。13世紀までには神官を中心とする階級制社会が築かれていた。その後アステカ帝国に服属し、緩やかな支配を受ける形で中央アメリカと南アメリカの交易の仲介地点となった。また、カリブ人も定住していた。16世紀初めごろには約40万人の先住民が居住していたと推測されている。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "1502年9月18日、クリストファー・コロンブスがリモン湾付近に上陸し、ヨーロッパ人としてはじめてこの地に渡来した。1524年、征服者フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバにより、内陸部もスペインの支配下に入った。1538年にパナマ市のアウディエンシアの管轄下に置かれ、1542年にヌエバ・エスパーニャ副王領の下位行政組織だった、グアテマラ総督領の辺境の地として編入された。1564年に中央盆地にカルタゴが建設され、以降独立までコスタリカの政治と経済の中心となった。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "征服の過程での疫病などにより、先住民人口は17世紀初頭には約1万人になり、労働力や金銀などの鉱物資源が足りなかったためにスペイン人入植者の数は少なく、コスタリカはスペイン植民地の最辺境の地として孤立した。カカオ・プランテーションが築かれ、時折海賊の襲撃があったものの、植民地時代に大きな変化はないまま時を過ごすことになる。また、時期は定かではないが、中央アメリカで最も早く19世紀初頭までには確実にコーヒーが持ち込まれていた。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "1789年にフランス革命が起こり、ヨーロッパの政情が不安定になるとその影響はインディアス植民地にも及んだ。1808年にナポレオンのフランス軍がスペイン本国に進駐、国王フェルナンド7世を退位させ、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王ホセ1世に即位すると、スペインでは反フランス暴動がやがてスペイン独立戦争へと発展し、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否した。",
"title": "歴史"
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"tag": "p",
"text": "その後、各地のクリオーリョ達がラテンアメリカ解放のために立ち上がり、メキシコでミゲル・イダルゴとホセ・マリア・モレーロスらによって、南米大陸でシモン・ボリーバルとホセ・デ・サン・マルティンらによって解放戦争が続けられ、多くの共和国が独立を果たすと、中米でも1821年9月15日にグアテマラ総監領は中央アメリカ連合州として独立した。この国家は1821年9月16日に独立したアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国により、1822年に他の中米諸国と共に併合された。",
"title": "歴史"
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{
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"tag": "p",
"text": "しかし、1823年のメキシコ帝国の崩壊に伴ってチアパス州を除く旧グアテマラ総監領の五州は再び中央アメリカ連邦として独立した。コスタリカ州代表だったフアン・モラ・フェルナンデス(スペイン語版、英語版)は連邦への積極的な加盟を勧めたが、この過程の中で、それまでコスタリカの中心だったカルタゴが内戦の末にサン・ホセ軍に敗れたため、以降サン・ホセがコスタリカの中心となった。連邦においてはエル・サルバドル出身のマヌエル・ホセ・アルセ(スペイン語版、英語版)が中米連邦初代大統領となるが、自由主義者のフランシスコ・モラサンをはじめとするエル・サルバドル派と、保守主義者のラファエル・カレーラをはじめとするグアテマラ派の内戦の末に、1838年に諸州が独立を宣言して中米連邦は崩壊した。",
"title": "歴史"
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"text": "1839年にこの地もコスタリカ共和国として再独立を果たした。その後1842年にホンジュラス出身の元中米連邦大統領、フランシスコ・モラサンが大統領となり中米連邦再興のためにニカラグア侵攻を企てたが、同年にモラサンは暗殺された。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "1856年、隣国ニカラグアで アメリカ合衆国南部人の傭兵()隊長、ウィリアム・ウォーカーが大統領となった。中米四国はウォーカー排除を決意し、このウォーカーの率いるニカラグア軍との国民戦争(スペイン語版)において、コスタリカ軍は、反ウォーカー派だったイギリス、アメリカのヴァンダービルト財閥などの支援を得て中米連合軍の中で主要な役割を果たした。同年4月にはリバスの戦い(英語版、スペイン語版)でウォーカー軍を打ち破った。なお、この戦争で壮絶な戦死を遂げたムラートの鼓兵、フアン・サンタマリーア(スペイン語版、英語版)は現在も国民的英雄となっている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "国民戦争後、1870年に自由主義者のトマス・グアルディア(スペイン語版、英語版)将軍がクーデターで政権を握った。グアルディアの主導により、一院制議会と強い大統領権が認められた1871年憲法が制定された。以降1948年までのコスタリカは基本的にこの路線に沿って発展することになり、ラテンアメリカ全体でも特異なコスタリカの民主的な社会が成立する素地となった。",
"title": "歴史"
},
{
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"tag": "p",
"text": "1882年にグアルディアが死去してからは、自由主義派の流れを継いでベルナルド・ソト(スペイン語版、英語版)の支配が続いたが、1889年にカトリック教会と結んだ保守派のホセ・ロドリゲス(スペイン語版、英語版)に選挙とデモによってソトが敗れ、自由主義政権が終焉()を迎えた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "1870年代から始まった自由主義の時代にそれまでと同様に主産業だったコーヒー・プランテーションが拡大され、コーヒーを基盤に経済が発展し、1890年には輸出の80%がコーヒーとなっていた。ただし、コスタリカの土地所有形態は植民地時代からの中小独立自営農民による中規模土地所有が主体であったため、他の中米諸国やブラジルのような大プランテーションは発達しなかった。また、コスタリカは中米で最も早くコーヒー栽培が開始されたため、コスタリカを通してグアテマラ、エルサルバドルにコーヒーの生産技術が伝播することとなった。この時期にブエノスアイレスやカラカスをはじめとする他のラテンアメリカの多くの国の首都がそうなったように、エリートによって首都サン・ホセはパリ風に改造され、カリブ・ヴィクトリア朝を真似た邸宅が建ち並んだ。",
"title": "歴史"
},
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"paragraph_id": 18,
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"text": "また、内陸部からのコーヒー輸送のためにアメリカ人のマイナー・C・キース(英語版)によって鉄道が建設され、積出し港としてカリブ海側のリモンが発展した。鉄道建設の負債を補うために1871年にパナマ地峡からバナナが導入され、キースはその後、熱帯雨林を切り開いた跡地でのバナナのプランテーション栽培に力を入れた。バナナはそれまでの主産業だったコーヒーを抜いて1905年ごろには輸出の60%を占めるに至り、1899年にキースにより設立されたユナイテッド・フルーツ社は中央アメリカの事実上の支配者となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 19,
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"text": "20世紀に入ってもコスタリカはバナナとコーヒーのモノカルチャー経済の下で発展が続いたが、第一次世界大戦による輸出収入減により、1916年に所得税が導入されると、1917年にフェデリコ・ティノコ・グラナードス(スペイン語版、英語版)将軍がクーデターを起こすが、アメリカの圧力により1919年に独裁制は崩壊した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 20,
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"text": "1921年にはアメリカの支持の下、隣国パナマとコト戦争を起こし、パナマから領土を得た。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "1929年の世界恐慌はコスタリカのモノカルチャー経済に大打撃を与え、コーヒー価格の低落のために社会が不安定化した。1936年の大統領選挙では国民共和党(PRN)からファシズムに傾倒したレオン・コルテスが大統領になった。",
"title": "歴史"
},
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"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "なお、1935年に堀義貴初代駐コスタリカ日本公使が着任し、日本との間で正式に外交関係が成立した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "1940年に行われた大統領選挙では社会民主主義のカルデロン・グアルディア(スペイン語版、英語版)政権が誕生し、グアルディア政権は内政では労働法の制定(1940年)や、社会保障の制度化、コスタリカ国立大学の創設など労働者や中間層よりの政策を進める一方で、外交では1941年の真珠湾攻撃により、太平洋戦争が勃発すると、合衆国に先駆けて枢軸国に宣戦布告し、敵性国民となったドイツ系地主の資産が接収された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "1944年の大統領選挙ではテオドロ・ピカード・ムチャイスキ(スペイン語版、英語版)が大統領に就任した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "1948年の大統領選挙は与党のカルデロンと野党のオティリオ・ウラテ(スペイン語版、英語版)の一騎討ちとなり、開票の結果ウラテの勝利が確定したが、与党はこの選挙結果を無効とした。こうした中で、グアテマラ大統領フアン・ホセ・アレバロの支援を受けた野党のホセ・フィゲーレス・フェレールによる反乱への準備が進んでいった。",
"title": "歴史"
},
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"paragraph_id": 26,
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"text": "1948年の大統領選挙の結果が不正であることが明らかになると、野党のホセ・フィゲーレス・フェレールが反乱を起こし、コスタリカ内戦(英語版)が勃発した。6週間の内戦の後にフィゲーレスは政府軍を破って勝利した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 27,
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"text": "翌年、1949年憲法(英語版)が施行されるとカルデロン前大統領派が多数を占めていた常備軍は廃止され(第12条 常設的機関としての軍隊は禁止する。)、それまで軍の担っていた役割は警察に移管された。フィゲーレスは民兵や予備役兵を組織し、反攻を防いだ。また、女性や黒人の政治参加も認められた。この常備軍廃止により、コスタリカは以降他のラテンアメリカ諸国で繰り広げられたような軍事クーデターは起こらなくなった。1953年の大統領選挙ではフィゲーレスの国民解放党(PLN)が勝利し、フィゲーレス政権は「兵士の数だけ教師を」を合言葉に、軍事予算を教育予算に回し教育国家に転換した。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 28,
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"text": "1955年1月、元コスタリカ大統領だったテオドロ・ピカード・ムチャイスキ(スペイン語版、英語版)の息子、ピカード2世が再びソモサに支援された傭兵軍(その中には軍服を脱いだニカラグア国家警備隊の隊員もいた)と共にニカラグアからコスタリカに侵攻してきた。陸空およそ1,000人程のピカード2世軍はいくつかの都市を攻略したものの、コスタリカ武装警察の反撃と、OASの仲介により同年2月に停戦し、侵攻軍は武装解除した。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 29,
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"text": "このようにして国難を乗り越えると、1949年憲法による政治の安定が国家の成長を助け、コスタリカ経済はこの時期に伝統的なバナナ、コーヒーの輸出に加えて、外資による工業化をも達成することになった。1960年に中米共同市場が発足すると、コスタリカは中米四国に遅れて1962年にこれに加盟した。1965年4月にドミニカ共和国で内戦が起き、リンドン・ジョンソン大統領が反共を掲げてアメリカ海兵隊を主体とした軍をドミニカに派遣すると、コスタリカもブラジル軍を主体としたドミニカ占領軍に警備隊を派遣した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 30,
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"text": "国家としては反共でありながらもこのような事情からニカラグアのソモサ王朝を嫌っていたコスタリカ人は、1978年にサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が全面蜂起するとこれを全面的に支援し、ニカラグア革命を支えた。その後サンディニスタ内での路線対立によりFSLNの司令官だったエデン・パストラが亡命すると、パストラを司令官にしてコントラの一派民主革命同盟(ARDE)が組織され、コスタリカはアメリカによる対ニカラグア作戦の基地となり、中立原則も一時揺らいだ。1983年にはルイス・アルベルト・モンへ(英語版)大統領が「コスタリカの永世的、積極的、非武装的中立に関する大統領宣言」を行っている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "ところが、1986年にモンヘ大統領を破り就任したアリアス大統領はアメリカの対ニカラグア強硬政策に追随することを良しとせず、アリアス大統領によって国内のARDEの基地は撤去され、さらに中米紛争そのものの解決のためにも尽力した。この中米和平実現のための努力に対して、アリアスには1987年ノーベル平和賞が与えられた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "1990年の大統領選挙によって、中道右派のキリスト教社会連合党(PUSC)からラファエル・アンヘル・カルデロン・フルニエルが大統領に就任した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "1994年の大統領選挙によって、中道左派の野党国民解放党(PLN)からホセ・フィゲーレス・フェレールの息子ホセ・マリア・フィゲーレス(スペイン語版、英語版)が大統領に就任した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 34,
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"text": "1998年2月の大統領選挙によって、PUSCのミゲル・アンヘル・ロドリゲスが大統領に就任したが、ロドリゲス大統領はメキシコの実業家カルロス・ハンク・ゴンサレスからの不正献金を受け取っていたことが1999年にスキャンダルとなった。2001年の9.11テロ後は、アメリカのアフガニスタン攻撃を支持した。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 35,
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"text": "2002年の大統領選挙によって、PUSCからアペル・パチェーコが大統領に就任した。パチェーコ大統領は、アフガニスタン攻撃に続いて2003年3月のイラク戦争開始に当たってアメリカのブッシュ政権を支持する声明に署名した。これは常備軍を廃止した同国の平和憲法の精神や国際法に違反していると、当時コスタリカ大学の学生が最高裁憲法法廷に提訴した。翌2004年12月に最高裁が大統領の声明を無効とし、支援国のリストから外れるように命じた。しかし政府は支援を停止することはしなかった。また、同年カルデロンとロドリゲスの二人の元大統領が汚職によって逮捕された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "2006年からは再任した(連続再任ではない)アリアス大統領が大統領職を務めた。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "2010年2月7日、大統領選挙が行われ国民解放党(PLN)のラウラ・チンチージャ前副大統領が大差で当選しコスタリカで初の女性大統領となった。なお2位は市民行動党(PAC)のソリス候補、3位は自由主義運動(ML)のゲバラ候補と続いている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "コスタリカは大統領を元首とする共和制国家であり、行政権は大統領に属している。大統領は任期4年で、連続の再選は禁止されている(8年以上の期間が開いていれば可能)。立法権は一院制の立法議会に属し、議員定数は57人、任期は4年である。国会議員も連続再選禁止である。投票権が与えられるのは18歳からである。大統領選挙においては得票率が40%以下の場合は決選投票が行われる。司法権は最高裁判所に属している。現行憲法は1949年憲法である。",
"title": "政治"
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{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "主要政党には国民解放党(PLN)、市民行動党(PAC)、自由主義運動(ML)、キリスト教社会連合党(PUSC)などがある。",
"title": "政治"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "コスタリカは19世紀以来大規模な軍縮を行っており、中米最大といわれたコスタリカ軍は内戦時にはわずか1個大隊にまで減少していた。1947年の内戦に勝利したホセ・フィゲーレス大統領は、1948年、憲法(英語版)により常設軍を廃止している。これはカルデロン前大統領の勢力復活を抑える効果があり、また政治勢力としての軍部の拡張や、隣国ニカラグアの策動を抑える効果があった。",
"title": "軍事"
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{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "しかし、この非武装政策は有事の際に国家および国民が外勢力からの侵略に対して無抵抗を甘受することを認めたものではない。コスタリカ共和国憲法第12条では「大陸間協定により、もしくは国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。」とし、集団的自衛権の行使や自衛権の行使などの非常時には軍隊を組織し徴兵制を敷くことを認めている。しかし、有事となってから臨時に民間人を訓練して対応させることは、現代の高度に専門化された軍事においては事実上は不可能に等しく、このような手続きを厳密に守って創設された「正規軍」が国防の手段として機能することはほとんどないと言う意見もある。",
"title": "軍事"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "2015年5月現在では、対外的な国防をもっぱらの目的とした組織は存在しない。国境紛争を抱えるニカラグアはコスタリカが「『軍』を展開している」としばしば非難している。",
"title": "軍事"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "コスタリカは1983年に永世非武装中立をモンヘ大統領が宣言している。1980年代を通して繰り広げられた隣国のニカラグアの内戦のときに民兵部隊が組織されるなど非武装原則は一時揺らいだが、アリアス大統領によって立て直された。",
"title": "軍事"
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{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "一方で米州機構の加盟国であるため、地域内安保・外交的安保(集団的自衛権)両方で他加盟国と協調関係にあり、1965年にドミニカ共和国で起きたドミニカ内戦の時にはOAS平和維持軍の一員として武装警察を派遣している。反共の大義の下にアメリカ軍とブラジル軍の主導する占領軍に参加し(アメリカ軍によるドミニカ共和国占領_(1965年-1966年))、社会改革を求めたフアン・ボッシュ派(立憲派)の政権打倒に協力した。",
"title": "軍事"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "政治外交の基本方針はアメリカとの協調、および反共主義である。このため1941年の真珠湾攻撃に際してはアメリカに先駆けて枢軸国側に宣戦布告を行っている。レーガン政権によるニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線政権に対する反政府組織コントラ(エデン・パストラの創設したARDE)の基地のコスタリカ内設置、およびパナマの政権打倒をめざす反政府武装組織の訓練基地の設置をコスタリカ内に認めた。モンヘ大統領の非武装中立宣言は、この実態に対する批判をかわす必要性から生じた、政治的なポーズであったとされる。その見返りとしてアメリカは潤沢な援助を与え、1983年から1985年の間、アメリカの対コスタリカ経済援助は、コスタリカ政府予算の1/3に達したとされる。後にモンへ大統領自身も当時コスタリカの実態は中立ではなかったと言明していたとされる。一方ではパレスチナ問題においてはおおむねパレスチナを支持する多数派に属しており、イスラエルを基本的に支持するアメリカとは立場が異なる。",
"title": "国際関係"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "また反共主義の観点から中国やキューバと国交を持っていなかったが、2007年6月に中国と国交樹立すると同時に台湾と断交した。これに関連して、アリアス大統領は地元のラジオで「1990年代以来、台湾の発展途上国に対する資金援助額が少ない状況が続いたので、中国との国交を開いた」と明言している。その後、中国がコスタリカの国債3億米ドル分を購入する覚書が交わされていたことが判明した。",
"title": "国際関係"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "1948年の内戦以降、ラテンアメリカからの多くの政治亡命者や民主主義活動家の避難所となった。代表的な人物としては軍政に追われていたベネズエラのロムロ・ベタンクール(民主行動党の設立者)や、ペルーのアヤ・デ・ラ・トーレ(アメリカ人民革命同盟の創設者)が挙げられ、エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(チェ・ゲバラ)や、フィデル・カストロも一時コスタリカに滞在していた。",
"title": "国際関係"
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{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "一方でコスタリカ外交ではしばしば「中立政策」が国策としてあげられている。ただしコスタリカの中立政策はあくまで「民主主義の側につく」ものであり、非同盟政策とは異なる。2005年の年報では、外交原則を「平和と人権の促進」であると規定している。",
"title": "国際関係"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "現在は中米諸国をはじめとするラテンアメリカ諸国からの外交官や研修生を養成している。また国際連合が平和構築のための専門人材を養成するために設立した研究機関、平和大学の本部もコスタリカに置かれている。",
"title": "国際関係"
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{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "ニカラグアはコスタリカにとって唯一直接的な軍事的脅威となりうる国家であり、コスタリカ内戦時などしばしば侵攻を受けることもあった。現在でもサン・フアン川の河口にあるポルティージョ島(英語版)(ニカラグア名・ハーバーヘッド)の帰属をめぐる領土問題は解決していない。ニカラグアはコスタリカの武装警察を「軍」であると明言しており、しばしば非難を行っている。ただしこの地域の緊張は薄く、両国国民は国境を自由に往来している。",
"title": "国際関係"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "コスタリカは7つの州(Provincias)に分かれ、州はさらに合計81のカントン(cantones)に分かれる。",
"title": "地方行政区分"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "主要な都市にはサンホセ(首都)、リモンがある。",
"title": "地方行政区分"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "自然が豊かで、独立当初は国土の95%が密林に覆われていた。現在の森林面積は国土の40%以下となっている。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "コスタリカは太平洋から大西洋まで、最も狭いところで119km、最も広いところでも226kmしか距離がなく、細長い国土だが、国土の中央をグアナカステ山脈、ティララン山脈、中央山脈、タラマンカ山脈が貫き、国土中央には標高2000mに達する中央盆地が存在する。国内最高峰はチリポ山(3901m)。",
"title": "地理"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "カリブ海岸の低地は熱帯性気候で雨が多い。",
"title": "地理"
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{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "太平洋岸にはニコヤ半島や、ニコヤ湾があるグアナカステ低地と、オサ半島やドゥルセ湾のある低地があり、気候は太平洋岸の南北で異なる。",
"title": "地理"
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{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "地球上すべての生物種のうち5%が生息すると言われ、「環境保護先進国」として名高い。国立公園・自然保護区の総面積は全国土の1/4を超える。",
"title": "地理"
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{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "そして世界で1番昆虫が多い国として知られている。",
"title": "地理"
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{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "IMFによると、2013年のコスタリカのGDPは約496億ドルであり、日本の愛媛県とほぼ同じ経済規模である。一人当たりのGDPは10,528ドルで、世界平均とほぼ同じ水準にある。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "植民地時代には世界でも最も貧しい地域の一つだったが、第二次世界大戦後からは「中米の優等生」と呼ばれ、19世紀以来のコーヒー・バナナの輸出を背景に、政治の安定とあいまって経済成長が続いた。1960年代以降外資導入による工業化が進み、現在では農業国から工業国となって中米でパナマの次に豊かな国となっている。しかし、1990年代以降は、南米大陸の麻薬が北米や欧州にわたる際の中継地点とされた影響で、麻薬の一大消費地となってしまっており(444万人の国民のうち、20万人以上がコカイン中毒者)、治安の悪化と社会の不安定化が進んでいる。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "主な輸出品は、コーヒー、バナナ、サトウキビ、パイナップル、メロン、コンピュータ部品などである。コンピュータ部品は1990年代後半のインテル社の進出によるところが大きい。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "2021年、OECDに加盟した。",
"title": "経済"
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{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "主な国際空港としてはサンホセのフアン・サンタマリーア国際空港と、リベリアのダニエル・オドゥベール国際空港の二つがある。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "19世紀にコーヒーやバナナの積み出しのためにアメリカ資本によって建設された鉄道は、現在観光用として残されているもの以外はほとんど廃線となっている。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "1980年代から2008年あたりまではエコツアーの人気の高まりとともに観光客および観光収入が増加している。しかし、首都サンホセと周辺地域では麻薬がらみの犯罪(窃盗や強盗)が多発するなどの課題もある。",
"title": "経済"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "コスタリカ国民は自らをティコ Tico(男性)またはティカ Tica(女性)と呼ぶ。",
"title": "国民"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "コスタリカ国民は、他の中米諸国とは異なり白人の割合が多いとされ、人種構成は白人94%、黒人3%、インディヘナ1%、中国系(華人1%、その他1%)だとされている。独立後にイタリア人、ドイツ人、ユダヤ人、ポーランド人などの白人移民や、ジャマイカ黒人の移民があった。",
"title": "国民"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "しかし、植民地時代のコスタリカは人口希薄地帯である以前に、そもそもヨーロッパ人の入植者の絶対数が少なく、一度としてインディヘナや黒人の総数を上回ったことはなかった。つまりコスタリカの白人人口の多さに関しては、生活様式や言語がスペイン化したメスティーソやムラートが、ある時期に自らを白人であると認識するようになったと考えるのが妥当である。",
"title": "国民"
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{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "19世紀半ばに鉄道建設のために、サトウキビから経済の転換を図ったジャマイカの黒人や、中国人が導入され、ジャマイカ黒人はカリブ海側のリモンに定住した。一方中国系(華僑)は台湾人、香港人をはじめとして現在もコスタリカ社会に流入し続け、都市での飲食店などにおける存在感は高い。しかし、コスタリカでの黄色人蔑視は強い。",
"title": "国民"
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{
"paragraph_id": 70,
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"text": "インディヘナは居留地(保護区)が指定され、事実上の隔離政策が適用されているが、それでもコスタリカ社会に出てきている人も多い。インディヘナには1992年にようやく選挙権が付与された。",
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{
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"text": "コスタリカは多くの難民を受け入れており、多くは隣国ニカラグアと、コロンビアからの難民である。特にニカラグアに関してはコスタリカ人口の10-15%を占めているとされている。近年はペルーやベネズエラからの難民が多い。また、1970年代から1980年代は軍政に苦しむチリやアルゼンチンからの難民も多かった。",
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"text": "独立時に65,000人ほどだった人口は、1892年時点でも240,000人ほどにすぎなかった。その後20世紀を通して順調に人口増が続き、1960年代には100万人を超え、1950年代以降の乳幼児死亡率の改善や、難民の流入などにより急速に人口が増加し、2003年3月時点で415万人。人口密度は80人/平方キロ。都市部への人口集中が進んでおり、約65%が都市に居住している。",
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"text": "言語は、スペイン語が公用語である。コスタリカのスペイン語には標準コスタリカ方言とニコヤ方言の二つの方言があり、ニコヤ方言はニカラグアの方言とアクセントがとても似通っている。",
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"text": "19世紀にジャマイカから黒人が移民してきたカリブ海側には、ジャマイカ英語を話す人々もいる。",
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"text": "宗教は、カトリック教会が85%、プロテスタントが14%、その他が1%である。1949年憲法でカトリックが国教として保障された敬虔なカトリックの国で、未だにカトリック教会の政治力が強く、妊娠中絶の不可や、家族制度の問題、性教育の拒否などコスタリカ社会に大きな影響を与えている。",
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{
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"text": "アジアや中東からの移民によって持ち込まれた仏教(40,000人近い中国系が持ち込んだ)や、イスラーム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教なども信仰されている。",
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"text": "末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)も1960年代から地道な拡大を続けており、中央アメリカに二つしかない教会の内の一つが、エレディア県のサン・アントニオ・デ・ベレンに存在する。",
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{
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"text": "1-2年の就学前教育を終えた後、6年間の初等教育、3年間の前期中等教育があり、この9年間が無償の義務教育となっている。その後、後期中等教育は技術科と学術科に分岐し、技術科は3年、学術科は2年で修了する。学術科を卒業すると大学への進学の道が開ける。コスタリカは現行の1949年憲法で教育予算に国民総生産(GNP)の6%以上を充てることを義務付けており、国公立の教育機関での教育費は初等教育から高等教育に至るまで無料である。",
"title": "国民"
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{
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"text": "国民の識字率は95.5%であり、アルゼンチンの97%、キューバの99%と並び、中南米を通じて非常に高い。",
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"text": "高等教育に関しては、最初の大学(コスタリカ大学)が設立されたのが1940年と遅かったため歴史は浅いが、それでも現在までにコスタリカ工科大学(1971年)や、ナシオナル大学(1973年)、国立遠隔大学(スペイン語版)(1977年)などの多くの大学が設立されている。",
"title": "国民"
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"text": "現在のところ目下の問題は教室の不足、教員への給料の遅配、教育とカトリック教会の関係などである。",
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"text": "「コスタリカ市民は命や平和や人権や環境を慈しむことの大切さを教える教育の成果で、人を思いやり尊重する意識、人を傷つけない意識が世界でトップレベルである。コスタリカは福祉や医療や治安のレベルが世界でトップレベルであり、戦争や犯罪や貧富の格差などの人間社会の問題は解決されて、市民の誰もが他人を蹴落として自分だけが勝つことを考える競争社会を無くし平和で幸せに暮らしている。」という考えも存在する。",
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"text": "だが、現実のコスタリカは第二次世界大戦後幾度かの戦争に巻き込まれ、1965年のドミニカ共和国の内戦では主体的に紛争に警備隊を派遣したこともあった。またコスタリカのジニ係数は国際連合の調査で0.499と決して低くはない。黒人や先住民、アジア系市民、ニカラグア人難民に対しての偏見や差別は未だに根強いとされ、保護区への隔離政策が取られたために1990年代まで先住民に公民権は存在しなかった。また、国家とカトリック教会の結びつきの強さや、そこから来る宗教的倫理の強さは間接的に 私生児の増加などの諸問題に影響している。これらはコスタリカにとって解決されるべき諸課題であるとの意見もある。",
"title": "国民"
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"text": "2018年、コスタリカの憲法裁判所は、同性婚を妨げる国内の法律は違憲であるとの判断を下した。これを受けて2020年5月26日、コスタリカ国内では同性婚が合法化された。中米で同性婚が認められたのは初めて。",
"title": "国民"
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{
"paragraph_id": 85,
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"text": "司法警察が発表した犯罪統計によれば、コスタリカの主な罪種別は殺人446件、強盗12,009件、強姦471件、侵入盗(住宅)7,149件など依然として犯罪率が高い。",
"title": "国民"
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{
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"text": "常備軍を廃止した代わりに十分な警察力を有するコスタリカは一般に中南米地域の中では政治・経済とともに治安も安定した国とみられていたが、1990年代以降は不法滞在者の増加、組織犯罪グループの流入、銃所持者の増加、麻薬の蔓延などにより治安が悪化し、首都サン・ホセ市およびカリブ海沿いのリモン市を中心に犯罪が多発している。首都サン・ホセ市では犯罪者集団同士の銃撃戦が勃発しているほか、拳銃を利用した強盗が多発するなど、銃器が氾濫している。",
"title": "国民"
},
{
"paragraph_id": 87,
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"text": "コスタリカはコロンビアなど南米からの麻薬が欧州やアメリカに運ばれる際の中継地点であるだけでなく、麻薬の集積地および消費地にもなっている。特にコカイン押収量は年々増加の傾向を辿っており、一度に数百キログラム単位で押収される事も多い。麻薬組織が直接関与する犯罪のほか、麻薬の購入資金欲しさに起こる強盗や殺人の増加も問題になっている。",
"title": "国民"
},
{
"paragraph_id": 88,
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"text": "コスタリカ人はメソ・アメリカ文化と南アメリカ文化の結節点だったことからなる、自国の多様な文化を誇る。16世紀にスペインのコンキスタドールがやってきた時には、国土の北西のニコヤ半島がナウアトル文化の影響を受けており、国土の中央と南部はチブチャの影響を受けていた。しかし、インディヘナはスペイン人による疫病や酷使によりほとんどが死んでしまったため、近代においてコスタリカ文化に影響を与えたことは少なかった。",
"title": "文化"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "大西洋側には17世紀から18世紀を通して黒人奴隷が労働力として移入された。しかしながら、多くのアフリカ系コスタリカ人は19世紀に、カリブ海のリモンから中央盆地に向かう鉄道建設のため移入されたジャマイカ系黒人である。イタリア系と中国系の人々もこの時期に鉄道建設のためにやってきた。このような多様な人種により、コスタリカの文化は育まれた。",
"title": "文化"
},
{
"paragraph_id": 90,
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"text": "また、1930年ごろに国内の密林で巨石球群が発見された。この巨石は、最大のものは直径が2.5m以上、重量が20トン以上あり、数個から40個ぐらいがまとまっていた。",
"title": "文化"
},
{
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"text": "トウモロコシ文化圏の国である。米、豆、トルティーヤなどが主に食べられている。",
"title": "文化"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "よく知られている「トリニダード島のカリプソ」とは違う土着の「カリプソ」が存在する。ロック、サルサ、ソカ、メレンゲ、クンビアなども人気である。",
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"text": "コスタリカ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された自然遺産が3件(うち1件はパナマと共有)、文化遺産が1件存在している(2016年の第40回世界遺産委員会終了時点)。",
"title": "文化"
},
{
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"text": "コスタリカ国内でも他のラテンアメリカ諸国同様、サッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっており、1921年にプロリーグのプリメーラ・ディビシオンが創設された。主なクラブとしては、デポルティーボ・サプリサ、LDアラフエレンセ、CSエレディアーノなどが挙げられる。著名な選手としては、名門レアル・マドリードやパリ・サンジェルマンで100試合以上に出場したゴールキーパーのケイロル・ナバスが世界的に知られている。",
"title": "スポーツ"
},
{
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"text": "コスタリカサッカー連盟(英語版)によって構成されるサッカーコスタリカ代表は、これまでFIFAワールドカップには5度の出場歴があり、1990年大会で初出場してグループリーグを突破しベスト16に進出した。2014年大会ではグループリーグで、コスタリカ以外の3カ国が優勝経験を持つ死の組に入ったものの見事突破し、ラウンド16でもギリシャ代表に勝利し過去最高位となるベスト8の成績を収めた。",
"title": "スポーツ"
},
{
"paragraph_id": 96,
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"text": "CONCACAFゴールドカップでは1963年大会、1969年大会、1989年大会とメキシコ代表やアメリカ代表に次ぐ3度の優勝を誇り、コパ・セントロアメリカーナでは大会最多8度の優勝を達成している。さらに南米選手権のコパ・アメリカには5回参加しており、2001年大会と2004年大会ではベスト8に進出するなど、北中米におけるサッカー強豪国として名高い。",
"title": "スポーツ"
}
] | コスタリカ共和国、通称コスタリカは、中央アメリカ南部に位置する共和制国家。北にニカラグア、南東にパナマと国境を接しており、南は太平洋、北はカリブ海に面している。首都はサンホセである。国土面積は51,060 km2で、人口は約500万人である。首都であり最大都市であるサンホセには推定333,980人が住んでおり、周辺の都市圏には約200万人が住んでいる。 中央アメリカにおいては数少ない、長年にわたり安定した民主主義政治を維持している国で、高い教育を受けた労働者が多いことでも知られている。教育予算が国家予算に占める割合は、世界平均が4.4%であるのに対し、同国はおよそ6.9%(2016年)である。かつては農業に大きく依存していたが、現在は金融、外資系企業向けサービス、製薬、エコツーリズムなど多角的な経済活動を行っている。コスタリカの自由貿易地域(FTZ)には、多くの外資系製造業やサービス業が進出しており、投資や税制上の優遇措置の恩恵を受けている。 コスタリカは16世紀にスペインの支配下に入るまで、先住民が住んでいた。その後、第一次メキシコ帝国の一部として独立し、中央アメリカ連邦共和国の一員となり1847年に正式に独立を宣言するまで帝国の周辺植民地として存続した。1948年の短期間のコスタリカ内戦の後、1949年に恒久的な機関としての陸軍を廃止し、常備軍を持たない数少ない主権国家の1つとなった。 人間開発指数(HDI)では常に良好な成績を収めており、2020年時点で世界第62位、ラテンアメリカ第5位。国連開発計画(UNDP)からも、同じ所得水準の他国よりもはるかに高い人間開発を達成しており、人間開発および不平等については地域の中央値よりも良い記録を持っていると引用されている。また民主主義の状態、報道の自由、主観的幸福度の比較でも良い成績を示している。報道自由度ランキングでは7位、世界の自由度指数では37位、世界幸福度報告では12位の幸福な国である。一方、中南米の多くの国と同様にカトリックの影響が強く、人工妊娠中絶は母親の健康や命を守る以外の場合に認められない国である。 | {{基礎情報 国
| 略名 =コスタリカ
| 日本語国名 =コスタリカ共和国
| 公式国名 ='''{{Lang|es|República de Costa Rica}}'''
| 国旗画像 =Flag of Costa Rica.svg
| 国章画像 =[[ファイル:Coat of arms of Costa Rica.svg|120px|コスタリカの国章]]
| 国章リンク =([[コスタリカの国章|国章]])
| 標語 =なし
| 位置画像 =Costa Rica (orthographic projection).svg
| 公用語 =[[スペイン語]]
| 首都 =[[サンホセ (コスタリカ)|サンホセ]]
| 最大都市 =サンホセ
| 元首等肩書 =[[コスタリカの大統領|大統領]]
| 元首等氏名 =[[ロドリゴ・チャベス・ロブレス]]
| 首相等肩書 ={{仮リンク|コスタリカの副大統領|en|Vice President of Costa Rica|label=第一副大統領}}
| 首相等氏名 ={{仮リンク|ステファン・ブルナー|en|Stephan Brunner}}
| 他元首等肩書1 = {{仮リンク|コスタリカの副大統領|en|Vice President of Costa Rica|label=第二副大統領}}
| 他元首等氏名1 ={{仮リンク|マリー・ムニベ|en|Mary Munive}}
| 面積順位 =125
| 面積大きさ =1 E10
| 面積値 =51,100
| 水面積率 =0.9%
| 人口統計年 =2020
| 人口順位 =118
| 人口大きさ =1 E6
| 人口値 =509万4000<ref name=population>{{Cite web |url=http://data.un.org/en/iso/cr.html |title=UNdata |publisher=国連 |accessdate=2021-11-9}}</ref>
| 人口密度値 =99.8<ref name=population/>
| GDP統計年元 =2020
| GDP値元 =36兆1743億500万<ref name="imf202110">{{Cite web|url=https://www.imf.org/en/Publications/WEO/weo-database/2021/October/weo-report?c=238,&s=NGDP_R,NGDP_RPCH,NGDP,NGDPD,PPPGDP,NGDP_D,NGDPRPC,NGDPRPPPPC,NGDPPC,NGDPDPC,PPPPC,PPPSH,PPPEX,NID_NGDP,NGSD_NGDP,PCPI,PCPIPCH,PCPIE,PCPIEPCH,TM_RPCH,TMG_RPCH,TX_RPCH,TXG_RPCH,LUR,LP,GGR,GGR_NGDP,GGX,GGX_NGDP,GGXCNL,GGXCNL_NGDP,GGSB,GGSB_NPGDP,GGXONLB,GGXONLB_NGDP,GGXWDG,GGXWDG_NGDP,NGDP_FY,BCA,BCA_NGDPD,&sy=2019&ey=2026&ssm=0&scsm=1&scc=0&ssd=1&ssc=0&sic=0&sort=country&ds=.&br=1|title=World Economic Outlook Database, October 2021|publisher=[[国際通貨基金|IMF]]|language=英語|date=2021-10|accessdate=2021-11-9}}</ref>
| GDP統計年MER =2020
| GDP順位MER =77
| GDP値MER =618億3300万<ref name="imf202110" />
| GDP MER/人 =12,056.957<ref name="imf202110" />
| GDP統計年 =2020
| GDP順位 =91
| GDP値 =1039億4600万<ref name="imf202110" />
| GDP/人 =20,268.743<ref name="imf202110" />
| 建国形態 =[[独立]]<br /> - 日付
| 建国年月日 =[[スペイン]]より<br />[[1821年]][[9月15日]]
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| 通貨コード =CRC
| 時間帯 =-6
| 夏時間 =なし
| 国歌 =[[高貴な故国、美しき旗|{{lang|es|Noble patria tu hermosa bandera}}]]{{es icon}}<br>''高貴な故国、美しき旗''<br><center>[[ファイル:Costa Rica National Anthem.ogg]]
| ISO 3166-1 = CR / CRI
| ccTLD =[[.cr]]
| 国際電話番号 =506
| 注記 =
}}
'''コスタリカ共和国'''(コスタリカきょうわこく、{{Lang-es|República de Costa Rica}})、通称'''コスタリカ'''は、[[中央アメリカ]]南部に位置する[[共和制]][[国家]]。北に[[ニカラグア]]、南東に[[パナマ]]と[[国境]]を接しており、南は[[太平洋]]、北は[[カリブ海]]に面している。[[首都]]は[[サンホセ (コスタリカ)|サンホセ]]である。国土面積は51,060 km<sup>2</sup>で、人口は約500万人{{UN Population|ref}}である。首都であり最大都市である[[サンホセ (コスタリカ)|サンホセ]]には推定333,980人が住んでおり、周辺の都市圏には約200万人が住んでいる。
中央アメリカにおいては数少ない、長年にわたり安定した[[民主主義]]政治を維持している国で、高い教育を受けた労働者が多いことでも知られている<ref name="seattletimes.com">{{Cite web |url=http://www.seattletimes.com/business/amazon/amazon-invests-in-costa-rica-as-it-carves-itself-a-profitable-niche-in-the-world-economy/ |title=Amazon invests in Costa Rica as tiny nation carves out profitable niche in world economy |date=11 March 2017 |accessdate=2022-04-09}}</ref>。教育予算が国家予算に占める割合は、世界平均が4.4%であるのに対し、同国はおよそ6.9%(2016年)である<ref name="seattletimes.com2">{{Cite web |url=http://www.seattletimes.com/business/amazon/amazon-invests-in-costa-rica-as-it-carves-itself-a-profitable-niche-in-the-world-economy/ |title=Amazon invests in Costa Rica as tiny nation carves out profitable niche in world economy |date=11 March 2017 |accessdate=2020-04-09}}</ref>。かつては農業に大きく依存していたが、現在は金融、外資系企業向けサービス、製薬、[[エコツーリズム]]など多角的な経済活動を行っている。コスタリカの[[自由貿易地域]](FTZ)には、多くの外資系製造業やサービス業が進出しており、投資や税制上の優遇措置の恩恵を受けている<ref name="worldscapitalcities.com">{{cite web |url=https://www.worldscapitalcities.com/capital-facts-for-san-jose-costa-rica/ |title=Capital Facts for San José, Costa Rica |date=18 October 2017 |access-date=6 August 2017 |archive-url=https://web.archive.org/web/20200413020706/https://www.worldscapitalcities.com/capital-facts-for-san-jose-costa-rica/ |archive-date=13 April 2020 |url-status=dead}}</ref>。
コスタリカは16世紀に[[スペイン帝国|スペイン]]の支配下に入るまで、先住民が住んでいた。その後、[[メキシコ第一帝政|第一次メキシコ帝国]]の一部として独立し、[[中央アメリカ連邦共和国]]の一員となり1847年に正式に独立を宣言するまで帝国の周辺植民地として存続した。1948年の短期間のコスタリカ内戦の後、1949年に[[公安部隊 (コスタリカ)|恒久的な機関としての陸軍を廃止]]し、[[軍隊を保有していない国家の一覧|常備軍を持たない数少ない主権国家]]の1つとなった<ref>{{Cite web |url=http://www.elespiritudel48.org/docu/h013.htm |author=El Espíritu del 48 |title=Abolición del Ejército |accessdate=9 March 2008 |language=es}}</ref><ref>{{Cite web |accessdate=9 June 2009 |url=http://dev.prenhall.com/divisions/hss/worldreference/CR/defense.html |title=Costa Rica |publisher=World Desk Reference |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080211185659/http://dev.prenhall.com/divisions/hss/worldreference/CR/defense.html |archivedate=11 February 2008}}</ref><ref>{{Cite web |accessdate=9 June 2009 |url=http://www.ucdp.uu.se/gpdatabase/gpcountry.php?id=39®ionSelect=4-Central_Americas |title=Costa Rica |publisher=Uppsala University}}</ref>。
[[人間開発指数]](HDI)では常に良好な成績を収めており、2020年時点で世界第62位、ラテンアメリカ第5位。[[国際連合開発計画|国連開発計画]](UNDP)からも、同じ所得水準の他国よりもはるかに高い人間開発を達成しており、人間開発および不平等については地域の中央値よりも良い記録を持っていると引用されている。また民主主義の状態、報道の自由、主観的幸福度の比較でも良い成績を示している。[[世界報道自由度ランキング|報道自由度ランキング]]では7位、世界の自由度指数では37位、[[世界幸福度報告]]では12位の幸福な国である。一方、中南米の多くの国と同様に[[カトリック]]の影響が強く、[[人工妊娠中絶]]は母親の健康や命を守る以外の場合に認められない国である<ref>{{Cite web|和書|title=アルゼンチン上院、人工妊娠中絶合法化の法案可決 |url=https://www.cnn.co.jp/world/35164496.html |website=CNN.co.jp |access-date=2022-12-12 |language=ja |date=2020.12.31}}</ref>。
== 国名 ==
正式名称は、''República de Costa Rica''。通称、''Costa Rica''。公式の英語表記は、''Republic of Costa Rica''。通称、''Costa Rica''。
日本語の表記は、'''コスタリカ共和国'''。通称'''コスタリカ'''。国名のCosta Ricaが一綴りの単語ではないため、'''コスタ・リカ'''や、'''コスタ・リーカ'''と表記されることもある。
コスタリカとは[[スペイン語]]で「豊かな(Rica)海岸(Costa)」の意味であり、[[クリストファー・コロンブス]]がこの地に上陸した時に、遭遇した[[インディヘナ]]が金細工の装飾品を身につけていたことからこの名前がついた。
== 歴史 ==
{{main|コスタリカの歴史}}
=== 先コロンブス期 ===
[[紀元前900年]]から[[紀元前300年]]ごろの遺跡が確認されている。[[メソ・アメリカ]]の一部であり、チブチャ系民族や[[ナウアトル]]文化の交錯する地帯であった。13世紀までには神官を中心とする階級制社会が築かれていた。その後[[アステカ帝国]]に服属し、緩やかな支配を受ける形で中央アメリカと[[南アメリカ]]の交易の仲介地点となった。また、[[カリブ人]]も定住していた。16世紀初めごろには約40万人の先住民が居住していたと推測されている。
=== スペイン植民地時代 ===
[[File:Iglesia Inmaculada Concepcion Ujarras.jpg|thumb|17世紀末の教会跡([[カルタゴ (コスタリカ)|カルタゴ]])]]
{{See also|スペインによるアメリカ大陸の植民地化}}
[[1502年]]9月18日、[[クリストファー・コロンブス]]がリモン湾付近に上陸し、[[ヨーロッパ人]]としてはじめてこの地に渡来した。[[1524年]]、[[コンキスタドール|征服者]][[フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバ (ニカラグアの創設者)|フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバ]]により、内陸部も[[スペイン]]の支配下に入った。1538年に[[パナマ市]]の[[アウディエンシア]]の管轄下に置かれ、1542年に[[ヌエバ・エスパーニャ副王領]]の下位行政組織だった、[[グアテマラ総督領]]の辺境の地として編入された。1564年に中央盆地に[[カルタゴ (コスタリカ)|カルタゴ]]が建設され、以降独立までコスタリカの政治と経済の中心となった。
征服の過程での疫病などにより、先住民人口は17世紀初頭には約1万人になり、労働力や金銀などの鉱物資源が足りなかったためにスペイン人入植者の数は少なく、コスタリカはスペイン植民地の最辺境の地として孤立した。[[カカオ]]・[[プランテーション]]が築かれ、時折[[海賊]]の襲撃があったものの、植民地時代に大きな変化はないまま時を過ごすことになる。また、時期は定かではないが、中央アメリカで最も早く19世紀初頭までには確実に[[コーヒー]]が持ち込まれていた。
=== 独立 ===
[[ファイル:FMorazan.jpg|right|thumb|220px|[[中米連邦]]の擁護者 [[フランシスコ・モラサン]]。1842年にコスタリカ大統領になり、中米連邦再興のための遠征の準備をしていたところを同年暗殺された。]]
{{See also|近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立}}
1789年に[[フランス革命]]が起こり、[[ヨーロッパ]]の政情が不安定になるとその影響はインディアス植民地にも及んだ。1808年にナポレオンのフランス軍がスペイン本国に進駐、国王[[フェルナンド7世]]を退位させ、[[フランス皇帝]][[ナポレオン・ボナパルト]]の兄[[ジョゼフ・ボナパルト]]がスペイン王ホセ1世に即位すると、スペインでは反フランス暴動がやがて[[スペイン独立戦争]]へと発展し、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否した。
その後、各地の[[クリオーリョ]]達がラテンアメリカ解放のために立ち上がり、[[メキシコ]]で[[ミゲル・イダルゴ]]と[[ホセ・マリア・モレーロス]]らによって、[[南アメリカ|南米大陸]]で[[シモン・ボリーバル]]と[[ホセ・デ・サン・マルティン]]らによって解放戦争が続けられ、多くの共和国が独立を果たすと、中米でも1821年9月15日にグアテマラ総監領は[[中央アメリカ連合州]]として独立した。この国家は[[1821年]]9月16日に独立した[[アグスティン・デ・イトゥルビデ]]皇帝の第一次[[メキシコ帝国]]により、1822年に他の中米諸国と共に併合された。
=== 中央アメリカ連邦共和国([[1823年]] - [[1839年]]) ===
しかし、[[1823年]]のメキシコ帝国の崩壊に伴って[[チアパス州]]を除く旧グアテマラ総監領の五州は再び[[中央アメリカ連邦]]として独立した。コスタリカ州代表だった{{仮リンク|フアン・モラ・フェルナンデス|es|Juan Mora Fernández|en|Juan Mora Fernández}}は連邦への積極的な加盟を勧めたが、この過程の中で、それまでコスタリカの中心だったカルタゴが内戦の末にサン・ホセ軍に敗れたため、以降サン・ホセがコスタリカの中心となった。連邦においてはエル・サルバドル出身の{{仮リンク|マヌエル・ホセ・アルセ|es|Manuel José de Arce y Fagoaga|en|Manuel José Arce}}が中米連邦初代大統領となるが、自由主義者の[[フランシスコ・モラサン]]をはじめとするエル・サルバドル派と、保守主義者の[[ラファエル・カレーラ]]をはじめとするグアテマラ派の内戦の末に、[[1838年]]に諸州が独立を宣言して中米連邦は崩壊した。
=== 再独立と国民戦争 ===
[[ファイル:Maximoblanco.gif|right|220px|thumb|{{仮リンク|第二次リバスの戦い|en|Second Battle of Rivas|es|Batalla de Rivas#Segunda Batalla de Rivas|label=リバスの戦い}}で活躍した{{仮リンク|マクシモ・ブランコ|es|Máximo Blanco}}将軍]]
[[1839年]]にこの地もコスタリカ共和国として再独立を果たした。その後1842年に[[ホンジュラス]]出身の元中米連邦大統領、[[フランシスコ・モラサン]]が大統領となり中米連邦再興のためにニカラグア侵攻を企てたが、同年にモラサンは暗殺された。
1856年、隣国ニカラグアで [[アメリカ合衆国南部]]人の{{読み仮名|傭兵|ようへい}}隊長、[[ウィリアム・ウォーカー]]が大統領となった。中米四国はウォーカー排除を決意し、このウォーカーの率いるニカラグア軍との{{仮リンク|ニカラグア国民戦争|es|Guerra Nacional de Nicaragua|label=国民戦争}}において、コスタリカ軍は、反ウォーカー派だった[[イギリス]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[コーネリアス・ヴァンダービルト|ヴァンダービルト]]財閥などの支援を得て中米連合軍の中で主要な役割を果たした。同年4月には{{仮リンク|第二次リバスの戦い|en|Second Battle of Rivas|es|Batalla de Rivas#Segunda Batalla de Rivas|label=リバスの戦い}}でウォーカー軍を打ち破った。なお、この戦争で壮絶な戦死を遂げた[[ムラート]]の鼓兵、{{仮リンク|フアン・サンタマリーア|es|Juan Santamaría|en|Juan Santamaría}}は現在も国民的英雄となっている。
国民戦争後、1870年に自由主義者の{{仮リンク|トマス・グアルディア|es|Tomás Guardia Gutiérrez|en|Tomás Guardia Gutiérrez}}将軍が[[クーデター]]で政権を握った。グアルディアの主導により、[[一院制]]議会と強い大統領権が認められた1871年憲法が制定された。以降1948年までのコスタリカは基本的にこの路線に沿って発展することになり、ラテンアメリカ全体でも特異なコスタリカの民主的な社会が成立する素地となった。
1882年にグアルディアが死去してからは、自由主義派の流れを継いで{{仮リンク|ベルナルド・ソト|es|Bernardo Soto Alfaro|en|Bernardo Soto Alfaro}}の支配が続いたが、1889年に[[カトリック]]教会と結んだ保守派の{{仮リンク|ホセ・ロドリゲス (コスタリカ)|es|José Joaquín Rodríguez Zeledón|en|José Joaquín Rodríguez Zeledón|label=ホセ・ロドリゲス}}に選挙とデモによってソトが敗れ、自由主義政権が{{読み仮名|終焉|しゅうえん}}を迎えた。
=== アメリカ合衆国の進出 ===
{{main|バナナ戦争|3=ユナイテッド・フルーツ}}
1870年代から始まった自由主義の時代にそれまでと同様に主産業だったコーヒー・[[プランテーション]]が拡大され、コーヒーを基盤に経済が発展し、1890年には輸出の80%がコーヒーとなっていた。ただし、コスタリカの土地所有形態は植民地時代からの中小独立自営農民による中規模土地所有が主体であったため、他の中米諸国や[[ブラジル]]のような大プランテーションは発達しなかった。また、コスタリカは中米で最も早くコーヒー栽培が開始されたため、コスタリカを通して[[グアテマラ]]、[[エルサルバドル]]にコーヒーの生産技術が伝播することとなった。この時期に[[ブエノスアイレス]]や[[カラカス]]をはじめとする他の[[ラテンアメリカ]]の多くの国の首都がそうなったように、エリートによって首都[[サンホセ (コスタリカ)|サン・ホセ]]は[[パリ]]風に改造され、カリブ・ヴィクトリア朝を真似た邸宅が建ち並んだ。
また、内陸部からのコーヒー輸送のためにアメリカ人の{{仮リンク|マイナー・C・キース|en|Minor Cooper Keith}}によって[[鉄道]]が建設され、積出し港としてカリブ海側の[[リモン]]が発展した。鉄道建設の負債を補うために1871年に[[パナマ地峡]]から[[バナナ]]が導入され、キースはその後、熱帯雨林を切り開いた跡地でのバナナのプランテーション栽培に力を入れた。バナナはそれまでの主産業だったコーヒーを抜いて1905年ごろには輸出の60%を占めるに至り、1899年にキースにより設立された[[ユナイテッド・フルーツ]]社は中央アメリカの事実上の支配者となった。
[[20世紀]]に入ってもコスタリカはバナナとコーヒーの[[モノカルチャー]]経済の下で発展が続いたが、[[第一次世界大戦]]による輸出収入減により、1916年に[[所得税]]が導入されると、1917年に{{仮リンク|フェデリコ・ティノコ・グラナードス|es|Federico Alberto Tinoco Granados|en|Federico Tinoco Granados}}将軍がクーデターを起こすが、アメリカの圧力により1919年に独裁制は崩壊した。
1921年にはアメリカの支持の下、隣国パナマと[[コト戦争]]を起こし、パナマから領土を得た。
1929年の[[世界恐慌]]はコスタリカのモノカルチャー経済に大打撃を与え、コーヒー価格の低落のために社会が不安定化した。1936年の大統領選挙では国民共和党(PRN)から[[ファシズム]]に傾倒したレオン・コルテスが大統領になった。
なお、[[1935年]]に[[堀義貴 (外交官)|堀義貴]]初代駐コスタリカ日本[[公使]]が着任し、日本との間で正式に外交関係が成立した<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/j_latin_2005/2-6.html 「堀義貴公使の中米5ヶ国着任(1935年)」]外務省</ref>。
1940年に行われた大統領選挙では[[社会民主主義]]の{{仮リンク|カルデロン・グアルディア|es|Rafael Ángel Calderón Guardia|en|Rafael Ángel Calderón Guardia}}政権が誕生し、グアルディア政権は内政では労働法の制定(1940年)や、社会保障の制度化、コスタリカ国立大学の創設など労働者や中間層よりの政策を進める一方で、外交では1941年の[[真珠湾攻撃]]により、[[太平洋戦争]]が勃発すると、合衆国に先駆けて[[枢軸国]]に宣戦布告し、敵性国民となったドイツ系地主の資産が接収された。
1944年の大統領選挙では{{仮リンク|テオドロ・ピカード・ムチャイスキ|es|Teodoro Picado Michalski|en|Teodoro Picado Michalski}}が大統領に就任した。
1948年の大統領選挙は与党のカルデロンと野党の{{仮リンク|オティリオ・ウラテ|es|Otilio Ulate Blanco|en|Otilio Ulate Blanco}}の[[一騎討ち]]となり、開票の結果ウラテの勝利が確定したが、与党はこの選挙結果を無効とした。こうした中で、グアテマラ大統領[[フアン・ホセ・アレバロ]]の支援を受けた野党の[[ホセ・フィゲーレス・フェレール]]による反乱への準備が進んでいった。
=== 1948年内戦と常備軍の廃止以降 ===
[[ファイル:OscarArias.jpg|right|220px|thumb|中米紛争解決に尽力した[[オスカル・アリアス・サンチェス]]大統領]]
1948年の大統領選挙の結果が不正であることが明らかになると、野党の[[ホセ・フィゲーレス・フェレール]]が反乱を起こし、{{仮リンク|コスタリカ内戦|en|Costa Rican Civil War}}が勃発した。6週間の内戦の後にフィゲーレスは政府軍を破って勝利した。
翌年、{{仮リンク|1949年コスタリカ共和国憲法|en|Constitution of Costa Rica|label = 1949年憲法}}が施行されるとカルデロン前大統領派が多数を占めていた常備軍は廃止され(第12条 常設的機関としての軍隊は禁止する。)、それまで軍の担っていた役割は警察に移管された。フィゲーレスは民兵や予備役兵を組織し、反攻を防いだ。また、女性や黒人の政治参加も認められた。この常備軍廃止により、コスタリカは以降他のラテンアメリカ諸国で繰り広げられたような軍事クーデターは起こらなくなった。1953年の大統領選挙ではフィゲーレスの国民解放党(PLN)が勝利し、フィゲーレス政権は「兵士の数だけ教師を」を合言葉に、軍事予算を教育予算に回し教育国家に転換した。
1955年1月、元コスタリカ大統領だった{{仮リンク|テオドロ・ピカード・ムチャイスキ|es|Teodoro Picado Michalski|en|Teodoro Picado Michalski}}の息子、ピカード2世が再びソモサに支援された[[傭兵]]軍(その中には軍服を脱いだ[[ニカラグア国家警備隊]]の隊員もいた)と共にニカラグアからコスタリカに侵攻してきた。陸空およそ1,000人程のピカード2世軍はいくつかの都市を攻略したものの、コスタリカ武装警察の反撃と、[[米州機構|OAS]]の仲介により同年2月に停戦し、侵攻軍は武装解除した。
このようにして国難を乗り越えると、1949年憲法による政治の安定が国家の成長を助け、コスタリカ経済はこの時期に伝統的なバナナ、コーヒーの輸出に加えて、外資による工業化をも達成することになった。1960年に[[中米共同市場]]が発足すると、コスタリカは中米四国に遅れて1962年にこれに加盟した。1965年4月に[[ドミニカ共和国]]で内戦が起き、[[リンドン・ジョンソン]]大統領が[[反共]]を掲げて[[アメリカ海兵隊]]を主体とした軍をドミニカに派遣すると、コスタリカも[[ブラジル軍]]を主体としたドミニカ占領軍に警備隊を派遣した。
国家としては反共でありながらもこのような事情からニカラグアの[[ソモサ王朝]]を嫌っていたコスタリカ人は、1978年に[[サンディニスタ民族解放戦線]](FSLN)が全面蜂起するとこれを全面的に支援し、[[ニカラグア革命]]を支えた。その後サンディニスタ内での路線対立によりFSLNの司令官だった[[エデン・パストラ]]が亡命すると、パストラを司令官にして[[コントラ]]の一派[[民主革命同盟]](ARDE)が組織され、コスタリカはアメリカによる対ニカラグア作戦の基地となり、中立原則も一時揺らいだ。1983年には{{仮リンク|ルイス・アルベルト・モンへ|en|Luis Alberto Monge}}大統領が「コスタリカの永世的、積極的、非武装的中立に関する大統領宣言」を行っている。
ところが、1986年にモンヘ大統領を破り就任した[[オスカル・アリアス・サンチェス|アリアス]]大統領はアメリカの対ニカラグア強硬政策に追随することを良しとせず、アリアス大統領によって国内のARDEの基地は撤去され、さらに[[中米紛争]]そのものの解決のためにも尽力した。この中米和平実現のための努力に対して、アリアスには[[1987年]][[ノーベル平和賞]]が与えられた。
1990年の大統領選挙によって、中道右派の[[キリスト教社会連合党]](PUSC)から[[ラファエル・アンヘル・カルデロン・フルニエル]]が大統領に就任した。
1994年の大統領選挙によって、中道左派の野党[[国民解放党]](PLN)からホセ・フィゲーレス・フェレールの息子{{仮リンク|ホセ・マリア・フィゲーレス|es|José María Figueres Olsen|en|José María Figueres}}が大統領に就任した。
1998年2月の大統領選挙によって、PUSCの[[ミゲル・アンヘル・ロドリゲス]]が大統領に就任したが、ロドリゲス大統領は[[メキシコ]]の実業家[[カルロス・ハンク・ゴンサレス]]からの不正献金を受け取っていたことが1999年にスキャンダルとなった。2001年の[[アメリカ同時多発テロ事件|9.11テロ]]後は、[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|アメリカのアフガニスタン攻撃]]を支持した{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=27}}。
2002年の大統領選挙によって、PUSCから[[アペル・パチェーコ]]が大統領に就任した。パチェーコ大統領は、アフガニスタン攻撃に続いて2003年3月の[[イラク戦争]]開始に当たってアメリカの[[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ]]政権を支持する声明に署名した。これは常備軍を廃止した同国の平和憲法の精神や国際法に違反していると、当時コスタリカ大学の学生が最高裁憲法法廷に提訴した。翌[[2004年]]12月に最高裁が大統領の声明を無効とし、支援国のリストから外れるように命じた。しかし政府は支援を停止することはしなかった{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=27}}。また、同年カルデロンとロドリゲスの二人の元大統領が汚職によって逮捕された。
2006年からは再任した(連続再任ではない)アリアス大統領が大統領職を務めた。
2010年2月7日、大統領選挙が行われ国民解放党(PLN)の[[ラウラ・チンチージャ]]前副大統領が大差で当選しコスタリカで初の女性大統領となった。なお2位は市民行動党(PAC)のソリス候補、3位は自由主義運動(ML)のゲバラ候補と続いている<ref>{{cite news |title=中米コスタリカで初の女性大統領、与党のチンチジャ氏勝利 |newspaper=AFP |date=2010-02-08 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2692193?pid=5291967 |accessdate=2011-02-15}}</ref>。
== 政治 ==
[[File:Luis Guillermo Solís, Costa Rica 03.JPG|thumb|160px|第50代[[ルイス・ギジェルモ・ソリス]]大統領]]
{{main|{{仮リンク|コスタリカの政治|en|Politics of Costa Rica}}}}
コスタリカは[[大統領]]を元首とする[[共和制]][[国家]]であり、[[行政]]権は大統領に属している。大統領は任期4年で、連続の再選は禁止されている(8年以上の期間が開いていれば可能)。[[立法]]権は[[一院制]]の[[立法議会 (コスタリカ)|立法議会]]に属し、議員定数は57人、任期は4年である。国会議員も連続再選禁止である。投票権が与えられるのは18歳からである。大統領選挙においては得票率が40%以下の場合は決選投票が行われる。[[司法|司法権]]は最高裁判所に属している。現行憲法は1949年憲法である。
主要政党には[[国民解放党]](PLN)、[[市民行動党]](PAC)、[[自由主義運動]](ML)、[[キリスト教社会連合党]](PUSC)などがある。
== 軍事 ==
{{main|コスタリカの軍事|公安部隊 (コスタリカ)}}
コスタリカは19世紀以来大規模な軍縮を行っており、中米最大といわれたコスタリカ軍は内戦時にはわずか1個大隊にまで減少していた{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=23}}。1947年の内戦に勝利した[[ホセ・フィゲーレス大統領]]は、[[1948年]]、{{仮リンク|コスタリカの憲法|en|Constitution of Costa Rica|label=憲法}}により[[常備軍|常設軍]]を廃止している{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=22}}。これはカルデロン前大統領の勢力復活を抑える効果があり、また政治勢力としての軍部の拡張や、隣国ニカラグアの策動を抑える効果があった{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=22}}。
しかし、この[[非武装中立|非武装政策]]は有事の際に国家および国民が外勢力からの侵略に対して無抵抗を甘受することを認めたものではない。コスタリカ共和国憲法第12条では「大陸間協定により、もしくは国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。」とし、[[集団的自衛権]]の行使や[[自衛権]]の行使などの非常時には軍隊を組織し[[徴兵制]]を敷くことを認めている。しかし、有事となってから臨時に民間人を訓練して対応させることは、現代の高度に専門化された軍事においては事実上は不可能に等しく、このような手続きを厳密に守って創設された「正規軍」が国防の手段として機能することはほとんどないと言う意見もある{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=22}}。
2015年5月現在では、対外的な国防をもっぱらの目的とした組織は存在しない。国境紛争を抱えるニカラグアはコスタリカが「『軍』を展開している」としばしば非難している{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=32-33}}。
コスタリカは[[1983年]]に永世[[非武装中立]]をモンヘ大統領が宣言している。1980年代を通して繰り広げられた隣国の[[コントラ戦争|ニカラグアの内戦]]のときに[[民兵]]部隊が組織されるなど非武装原則は一時揺らいだが、アリアス大統領によって立て直された。
一方で[[米州機構]]の加盟国であるため、地域内安保・外交的安保([[集団的自衛権]])両方で他加盟国と協調関係にあり、1965年に[[ドミニカ共和国]]で起きた[[ドミニカ内戦]]の時には[[米州機構|OAS]]平和維持軍の一員として武装警察を派遣している。反共の大義の下に[[アメリカ軍]]と[[ブラジル軍]]の主導する占領軍に参加し([[アメリカ軍によるドミニカ共和国占領_(1965年-1966年)]])、社会改革を求めた[[フアン・ボッシュ]]派(立憲派)の政権打倒に協力した<ref>[[#後藤(1993)|後藤(1993)p.77-81]]</ref>。
== 国際関係 ==
{{main|{{仮リンク|コスタリカの国際関係|en|Foreign relations of Costa Rica}}}}
[[File:Diplomatic missions of Costa Rica.png|thumb|520px|コスタリカが外交使節を派遣している諸国の一覧図。]]
政治外交の基本方針はアメリカとの協調、および[[反共主義]]である。このため[[1941年]]の[[真珠湾攻撃]]に際してはアメリカに先駆けて[[枢軸国]]側に宣戦布告を行っている。[[ロナルド・レーガン|レーガン]]政権によるニカラグアの[[サンディニスタ民族解放戦線]]政権に対する反政府組織[[コントラ]]([[エデン・パストラ]]の創設したARDE)の基地のコスタリカ内設置、および[[パナマ]]の政権打倒をめざす反政府武装組織の訓練基地の設置をコスタリカ内に認めた。モンヘ大統領の非武装中立宣言は、この実態に対する批判をかわす必要性から生じた、政治的なポーズであったとされる。その見返りとしてアメリカは潤沢な援助を与え、1983年から1985年の間、アメリカの対コスタリカ経済援助は、コスタリカ政府予算の1/3に達したとされる。後にモンへ大統領自身も当時コスタリカの実態は中立ではなかったと言明していたとされる{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=25}}。一方では[[パレスチナ問題]]においてはおおむねパレスチナを支持する多数派に属しており、[[イスラエル]]を基本的に支持するアメリカとは立場が異なる{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=30-31}}。
また[[反共主義]]の観点から[[中華人民共和国|中国]]や[[キューバ]]と国交を持っていなかったが、2007年6月に中国と国交樹立すると同時に[[中華民国|台湾]]と断交した。これに関連して、アリアス大統領は地元のラジオで「1990年代以来、台湾の発展途上国に対する資金援助額が少ない状況が続いたので、中国との国交を開いた」と明言している<ref group="*">「1996年の[[ルネ・ガルシア・プレヴァル|プレバル]][[ハイチ]]大統領の就任式の際、台湾当局者に『[[米州]]の[[後発開発途上国|最も貧しい国]]([[ハイチ]])に対して、年間たった2000万ドルの支援とはどういうことか。本当に支援を望むなら、年間2億ドルを出すべきだ。台湾にとっては何でもないことだ』『アメリカは国内総生産の0.1%を外国援助に充てているのに、台湾は0.0001%さえも出していない』と告げた」「台湾が30カ国に満たない国と外交関係を持つのなら、もっと寛大になるべきだという意味において、私は台湾に批判的だ」と述べた。コスタリカの大型プロジェクトなどに対する台湾の資金提供については「あまり評価しない」と発言した。--2007年6月8日時事通信</ref>。その後、中国がコスタリカの国債3億米ドル分を購入する覚書が交わされていたことが判明した。
1948年の内戦以降、ラテンアメリカからの多くの政治亡命者や民主主義活動家の避難所となった。代表的な人物としては軍政に追われていた[[ベネズエラ]]の[[ロムロ・ベタンクール]]([[民主行動党 (ベネズエラ)|民主行動党]]の設立者)や、[[ペルー]]の[[アヤ・デ・ラ・トーレ]]([[アメリカ人民革命同盟]]の創設者)が挙げられ、[[チェ・ゲバラ|エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ]](チェ・ゲバラ)や、[[フィデル・カストロ]]も一時コスタリカに滞在していた。
一方でコスタリカ外交ではしばしば「[[中立]]政策」が国策としてあげられている。ただしコスタリカの中立政策はあくまで「民主主義の側につく」ものであり、[[非同盟政策]]とは異なる{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=25-26}}。2005年の年報では、外交原則を「平和と人権の促進」であると規定している{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=30}}。
現在は中米諸国をはじめとするラテンアメリカ諸国からの外交官や研修生を養成している。また[[国際連合]]が平和構築のための専門人材を養成するために設立した研究機関、[[平和大学]]の本部もコスタリカに置かれている。
===対ニカラグア関係===
{{see also|{{仮リンク|サン・ファン川の境界をめぐるコスタリカ・ニカラグア紛争|en|Costa Rica–Nicaragua San Juan River border dispute}}}}
ニカラグアはコスタリカにとって唯一直接的な軍事的脅威となりうる国家であり{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=23}}、コスタリカ内戦時などしばしば侵攻を受けることもあった。現在でも[[サン・フアン川 (ニカラグア)|サン・フアン川]]の河口にある{{仮リンク|カレロ島|en|Isla Calero|label=ポルティージョ島}}<ref group="*">カレロ島と砂州でつながっているため、カレロ島の一部であるともされる</ref>(ニカラグア名・ハーバーヘッド)の帰属をめぐる領土問題は解決していない{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=30-33}}。ニカラグアはコスタリカの武装警察を「軍」であると明言しており、しばしば非難を行っている{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=32-33}}。ただしこの地域の緊張は薄く、両国国民は国境を自由に往来している{{sfn|山岡加奈子|2010|pp=33}}。
== 地方行政区分 ==
{{main|コスタリカの行政区画}}
コスタリカは7つの州(Provincias)に分かれ、州はさらに合計81のカントン(cantones)に分かれる。
{| border="1" style="border-collapse:collapse; border-color:#f2f2f4; margin-top:1px; margin-bottom:15px; font-size:84%;" cellpadding="1" width="100%"
|- bgcolor="#f2f2f4"
! bgcolor="#ffffff" rowspan="9" width="30%"| [[File:Provinces Costa Rica.png|thumb|240px|center|コスタリカの州]]
! bgcolor="#efefef" width="3%"|
! width="14%"| 州
! width="14%"| 州都
! width="8%" | カントン
! width="8%" | 地区
! width="13%"| 面積 (km<sup>2</sup>)
! width="13%"| 人口([[2016年]])<ref>[https://www.citypopulation.de/CostaRica-UA.html|title= City Population]閲覧日:2017年2月11日</ref>
|-
| align="center" | 1
| [[アラフエラ州]]
| [[アラフエラ]]
| 15
| 108
| align="right" | 9,757.53
| align="right" |975,000
|-
| align="center" | 2
| [[カルタゴ州]]
| [[カルタゴ (コスタリカ)|カルタゴ]]
| 8
| 48
| align="right" | 3,124.67
| align="right" |525,700
|-
| align="center" | 3
| [[グアナカステ州]]
| [[リベリア (コスタリカ)|リベリア]]
| 11
| 59
| align="right" | 10,140.71
| align="right" |371,400
|-
| align="center" | 4
| [[エレディア州]]
| [[エレディア]]
| 10
| 46
| align="right" | 2,656.98
| align="right" |497,800
|-
| align="center" | 5
| [[リモン州]]
| [[リモン]]
| 6
| 27
| align="right" | 9,188.52
| align="right" |439,000
|-
| align="center" | 6
| [[プンタレナス州]]
| [[プンタレナス]]
| 11
| 57
| align="right" | 11,265.69
| align="right" |474,300
|-
| align="center" | 7
| [[サン・ホセ州]]
| [[サンホセ (コスタリカ)|サン・ホセ]]
| 20
| 118
| align="right" | 4,965.90
| align="right" |1,607,200
|-
| colspan="8" align="right" style="font-size: smaller;" |
|}
===主要都市===
{{Main|コスタリカの都市の一覧}}
主要な都市には[[サンホセ (コスタリカ)|サンホセ]](首都)、[[リモン]]がある。
== 地理 ==
[[ファイル:Cataract on the Rio Savegre.jpg|thumb|200px|タラマンカ山のサン・ヘルナンド・デ・ドカの真下にある、リオ・サベグレ川]]
{{main|{{仮リンク|コスタリカの地理|en|Geography of Costa Rica}}}}
[[ファイル:Cs-map-EN.png|thumb|left|コスタリカの地理]]
[[Image:Costa Rica Topography.png|thumb|left|地形図]]
自然が豊かで、独立当初は国土の95%が密林に覆われていた。現在の森林面積は国土の40%以下となっている。
コスタリカは[[太平洋]]から[[大西洋]]まで、最も狭いところで119km、最も広いところでも226kmしか距離がなく、細長い国土だが、国土の中央をグアナカステ山脈、ティララン山脈、中央山脈、タラマンカ山脈が貫き、国土中央には標高2000mに達する中央盆地が存在する。国内最高峰は[[チリポ山]](3901m)。
カリブ海岸の低地は[[熱帯]]性気候で雨が多い。
太平洋岸には[[ニコヤ半島]]や、ニコヤ湾があるグアナカステ低地と、オサ半島やドゥルセ湾のある低地があり、気候は太平洋岸の南北で異なる。
=== 生態系と植生 ===
地球上すべての生物種のうち5%が生息すると言われ、「[[環境保護]]先進国」として名高い。国立公園・自然保護区の総面積は全国土の1/4を超える。
そして世界で1番昆虫が多い国として知られている。
{{Clearleft}}
== 経済 ==
[[ファイル:4- Vue San Jose.jpg|thumb|首都[[サンホセ (コスタリカ)|サンホセ]]の街並み]]
{{main|{{仮リンク|コスタリカの経済|en|Economy of Costa Rica}}}}
[[IMF]]によると、[[2013年]]のコスタリカの[[国内総生産|GDP]]は約496億ドルであり、[[日本]]の[[愛媛県]]とほぼ同じ経済規模である<ref>{{PDFlink|[https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/pdf/gaiyou1.pdf 内閣府による県民経済計算]}}</ref>。一人当たりのGDPは10,528ドルで、世界平均とほぼ同じ水準にある。
植民地時代には世界でも最も貧しい地域の一つだったが、第二次世界大戦後からは「中米の優等生」と呼ばれ、19世紀以来の[[コーヒー]]・[[バナナ]]の輸出を背景に、政治の安定とあいまって経済成長が続いた。1960年代以降外資導入による工業化が進み、現在では農業国から工業国となって中米でパナマの次に豊かな国となっている。しかし、1990年代以降は、南米大陸の麻薬が北米や欧州にわたる際の中継地点とされた影響で、麻薬の一大消費地となってしまっており(444万人の国民のうち、20万人以上が[[コカイン]]中毒者)、治安の悪化と社会の不安定化が進んでいる<ref name="gaimusho_anzen">{{Cite web|和書
|url= http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcsafetymeasure.asp?id=247
|title= 海外安全ホームページ コスタリカ 安全対策基礎データ
|accessdate= 2015-11-18
|date= 2015-06-12
|publisher= [[外務省]]
}}</ref>。
主な輸出品は、コーヒー、バナナ、[[サトウキビ]]、[[パイナップル]]、[[メロン]]、コンピュータ部品などである。コンピュータ部品は1990年代後半の[[インテル]]社の進出によるところが大きい。
2021年、OECDに加盟した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN25ED20V20C21A5000000/|title=コスタリカ、OECDに加盟 38カ国目|accessdate=2021年10月11日|publisher=日経新聞}}</ref>。
=== 交通 ===
{{see|{{仮リンク|コスタリカの交通|en|Transport in Costa Rica}}}}
==== 航空 ====
{{see|コスタリカの空港の一覧}}
主な国際[[空港]]としてはサンホセの[[フアン・サンタマリーア国際空港]]と、[[リベリア (コスタリカ)|リベリア]]の[[ダニエル・オドゥベール国際空港]]の二つがある。
==== 鉄道 ====
{{see|コスタリカの鉄道}}
19世紀にコーヒーやバナナの積み出しのためにアメリカ資本によって建設された[[鉄道]]は、現在観光用として残されているもの以外はほとんど廃線となっている。
=== 観光 ===
[[ファイル:Anhinga b.jpg|thumb|200px|羽を乾かす[[アンインガ]]]]
{{see|{{仮リンク|コスタリカの観光地|en|Tourism in Costa Rica}}}}
1980年代から2008年あたりまでは[[エコツーリズム|エコツアー]]の人気の高まりとともに観光客および観光収入が増加している<ref>{{Cite web|和書
|url= http://www.jafit.jp/thesis/pdf/12_11.pdf
|title= コスタリカにおける「エコツーリズム」イメージの創造と近年の変化
|accessdate= 2015-11-18
|author= 武田 淳
|date= 2012-03
|format= PDF
|work= 日本国際観光学会論文集(第19号)
|publisher= [[日本国際観光学会]]
|pages=77-82
}}</ref>。しかし、首都サンホセと周辺地域では麻薬がらみの犯罪(窃盗や強盗)が多発するなどの課題もある<ref name="gaimusho_anzen" />。
==== サンホセ市内 ====
[[ファイル:Costa Rica-Teatro Nacional.JPG|thumb|220px|コスタリカ国立劇場]]
;[[コスタリカ国立劇場|国立劇場]]
: サンホセの中心部に位置する1897年に建設されたルネサンス様式の劇場。
;[[文化広場 (コスタリカ)|文化広場]]
: 国立劇場に隣接した広場で、大道芸人のパフォーマンスや音楽家のコンサートが開かれ、市民憩いの場となっている。
;[[黄金博物館]]
: 文化広場の地下に位置し、2万点にのぼるコスタリカの先住民たちの金細工が納められている<ref name="san">[[#政府観光局|政府観光局p.138-143]]</ref>。
;独立記念塔([[ナシオナル公園]])
: コスタリカの独立記念日、9月15日には盛大なパレードが行われる。
==== カルタゴ市内 ====
; [[カルタゴ大聖堂]]
: 1926年に再建されたビザンチン様式の大聖堂。コスタリカの守護聖徒[[ロスアンヘレス]]を奉る<ref name="kar">[[#政府観光局|政府観光局p.144-147]]</ref>。
; [[カテドラル・カルタゴ]]
: カルタゴ大聖堂前にある1823年の[[イラス火山]]の噴火で破壊されてしまった教会の遺跡。
;[[ランカスターガーデン]]
: コスタリカに自生する800種以上の[[ラン科|ラン]]がコレクションされているラン園<ref>[[#政府観光局|政府観光局p.176]]</ref>。
;[[オロシ教会]]
: 1735年に建設されたコスタリカ最古の教会<ref name="kar" />。
;[[グアヤボ国立考古学公園]](ウハラス教会跡)
: 17世紀にスペイン人によって建てられたコスタリカ最初の教会があった場所で、現在は公園として開放されている<ref name="kar" />。
;[[イラス火山国立公園]]
: イラス火山山頂からは太平洋とカリブ海を同時に望むことができる。
== 国民 ==
{{main|{{仮リンク|コスタリカの人口統計|en|Demographics of Costa Rica}}|}}
[[ファイル:Costa Rica demography.png|240px|thumb|1961年-2003年までのコスタリカの人口グラフ]]
コスタリカ国民は自らをティコ Tico(男性)またはティカ Tica(女性)と呼ぶ。
コスタリカ国民は、他の中米諸国とは異なり[[白人]]の割合が多いとされ、人種構成は白人94%、[[黒人]]3%、[[インディヘナ]]1%、中国系([[華人]]1%、その他1%)だとされている。独立後に[[イタリア人]]、[[ドイツ人]]、[[ユダヤ人]]、[[ポーランド人]]などの白人移民や、[[ジャマイカ]]黒人の移民があった。
しかし、植民地時代のコスタリカは人口希薄地帯である以前に、そもそもヨーロッパ人の入植者の絶対数が少なく、一度としてインディヘナや黒人の総数を上回ったことはなかった<ref name="c55">[[#国本(2004)|国本(2004)p.256-259]]</ref>。つまりコスタリカの白人人口の多さに関しては、生活様式や言語がスペイン化した[[メスティーソ]]や[[ムラート]]が、ある時期に自らを白人であると認識するようになったと考えるのが妥当である<ref name="c55" />。
19世紀半ばに鉄道建設のために、[[サトウキビ]]から経済の転換を図ったジャマイカの黒人や、中国人が導入され、ジャマイカ黒人はカリブ海側のリモンに定住した。一方中国系([[華僑]])は台湾人、香港人をはじめとして現在もコスタリカ社会に流入し続け、都市での飲食店などにおける存在感は高い。しかし、コスタリカでの黄色人蔑視は強い。
インディヘナは居留地(保護区)が指定され、事実上の隔離政策が適用されているが、それでもコスタリカ社会に出てきている人も多い。インディヘナには1992年にようやく選挙権が付与された。
コスタリカは多くの難民を受け入れており、多くは隣国ニカラグアと、[[コロンビア]]からの難民である。特にニカラグアに関してはコスタリカ人口の10-15%を占めているとされている。近年は[[ペルー]]や[[ベネズエラ]]からの難民が多い。また、1970年代から1980年代は軍政に苦しむ[[チリ]]や[[アルゼンチン]]からの難民も多かった。
=== 人口 ===
独立時に65,000人ほどだった人口は、1892年時点でも240,000人ほどにすぎなかった。その後20世紀を通して順調に人口増が続き、1960年代には100万人を超え、1950年代以降の乳幼児死亡率の改善や、難民の流入などにより急速に人口が増加し、2003年3月時点で415万人<ref name="kiso">[[#政府観光局|政府観光局p.126-127]]</ref>。人口密度は80人/平方キロ。都市部への人口集中が進んでおり、約65%が都市に居住している。
=== 言語 ===
言語は、[[スペイン語]]が[[公用語]]である<ref name="kiso" />。コスタリカのスペイン語には標準コスタリカ方言とニコヤ方言の二つの方言があり、ニコヤ方言はニカラグアの方言とアクセントがとても似通っている。
19世紀に[[ジャマイカ]]から黒人が移民してきた[[カリブ海]]側には、[[ジャマイカ英語]]を話す人々もいる。
=== 宗教 ===
[[ファイル:Metalchurchingreciacostarica.jpg|180px|thumb|[[グレシア]]の金属の教会]]
[[ファイル:Oldchurchcartagocostarica.jpg|200px|thumb|カルタゴの古い大聖堂]]
{{main|{{仮リンク|コスタリカの宗教|en|Religion in Costa Rica}}|}}
宗教は、[[カトリック教会]]が85%、[[プロテスタント]]が14%、その他が1%である。1949年憲法でカトリックが国教として保障された敬虔なカトリックの国で<ref name="kiso" />、未だにカトリック教会の政治力が強く、[[妊娠中絶]]の不可や、家族制度の問題、性教育の拒否などコスタリカ社会に大きな影響を与えている。
[[アジア]]や[[中東]]からの移民によって持ち込まれた[[仏教]](40,000人近い中国系が持ち込んだ)や、[[コスタリカのイスラム教|イスラーム教]]、[[ユダヤ教]]、[[ヒンドゥー教]]なども信仰されている。
[[末日聖徒イエス・キリスト教会]](モルモン教)も1960年代から地道な拡大を続けており、中央アメリカに二つしかない教会の内の一つが、エレディア県のサン・アントニオ・デ・ベレンに存在する。
=== 教育 ===
{{main|{{仮リンク|コスタリカの教育|en|Education in Costa Rica}}|}}
1-2年の就学前教育を終えた後、6年間の[[初等教育]]、3年間の[[前期中等教育]]があり、この9年間が無償の義務教育となっている。その後、後期中等教育は技術科と学術科に分岐し、技術科は3年、学術科は2年で修了する。学術科を卒業すると大学への進学の道が開ける。コスタリカは現行の1949年憲法で教育予算に[[国民総生産]](GNP)の6%以上を充てることを義務付けており、国公立の教育機関での教育費は初等教育から高等教育に至るまで無料である。
国民の[[識字率]]は95.5%<ref name="kiso" />であり、[[アルゼンチン]]の97%、[[キューバ]]の99%と並び、中南米を通じて非常に高い。
高等教育に関しては、最初の[[大学]]([[コスタリカ大学]])が設立されたのが1940年と遅かったため歴史は浅いが、それでも現在までにコスタリカ工科大学(1971年)や、[[ナシオナル大学]](1973年)、{{仮リンク|国立遠隔大学|es|Universidad Estatal a Distancia}}(1977年)などの多くの大学が設立されている。
現在のところ目下の問題は教室の不足、教員への給料の遅配、教育とカトリック教会の関係などである。
=== 人権 ===
「コスタリカ市民は命や平和や[[人権]]や環境を慈しむことの大切さを教える教育の成果で、人を思いやり尊重する意識、人を傷つけない意識が世界でトップレベルである。コスタリカは福祉や医療や治安のレベルが世界でトップレベルであり、戦争や犯罪や貧富の格差などの人間社会の問題は解決されて、市民の誰もが他人を蹴落として自分だけが勝つことを考える競争社会を無くし平和で幸せに暮らしている。」という考えも存在する<ref>[[#国本(2004)|国本(2004)p.148-151]]</ref>。
だが、現実のコスタリカは第二次世界大戦後幾度かの戦争に巻き込まれ、1965年のドミニカ共和国の内戦では主体的に紛争に警備隊を派遣したこともあった。またコスタリカの[[ジニ係数]]は[[国際連合]]の調査で0.499と決して低くはない。黒人や先住民、アジア系市民、ニカラグア人難民に対しての偏見や差別は未だに根強いとされ、保護区への隔離政策が取られたために1990年代まで先住民に公民権は存在しなかった。また、国家とカトリック教会の結びつきの強さや、そこから来る宗教的倫理の強さは間接的に [[私生児]]の増加などの諸問題に影響している。これらはコスタリカにとって解決されるべき諸課題であるとの意見もある。
[[2018年]]、コスタリカの[[憲法裁判所]]は、[[同性婚]]を妨げる国内の法律は違憲であるとの判断を下した。これを受けて[[2020年]][[5月26日]]、コスタリカ国内では同性婚が合法化された。中米で同性婚が認められたのは初めて<ref>{{Cite web|和書|date=2020-05-27 |url=https://www.cnn.co.jp/world/35154398.html |title=コスタリカで同性婚が合法化、中米で初 |publisher=CNN |accessdate=2020-05-26}}</ref>。
=== 治安 ===
司法警察が発表した犯罪統計によれば、コスタリカの主な罪種別は殺人446件、強盗12,009件、強姦471件、侵入盗(住宅)7,149件など依然として犯罪率が高い<ref name="gaimusho_anzen" />。
常備軍を廃止した代わりに十分な警察力を有するコスタリカは一般に中南米地域の中では政治・経済とともに治安も安定した国とみられていたが、1990年代以降は不法滞在者の増加、組織犯罪グループの流入、銃所持者の増加、麻薬の蔓延などにより治安が悪化し、首都サン・ホセ市およびカリブ海沿いのリモン市を中心に犯罪が多発している。首都サン・ホセ市では犯罪者集団同士の銃撃戦が勃発しているほか、拳銃を利用した強盗が多発するなど、銃器が氾濫している<ref name="gaimusho_20151023">{{Cite web|和書
|url= http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pchazardspecificinfo.asp?id=247&infocode=2015T123#ad-image-0
|title= 海外安全ホームページ コスタリカについての海外安全情報(危険情報)の発出
|accessdate= 2015-11-18
|date= 2015-10-23
|publisher= [[外務省]]
}}</ref>。
コスタリカはコロンビアなど南米からの麻薬が欧州やアメリカに運ばれる際の中継地点であるだけでなく、麻薬の集積地および消費地にもなっている。特に[[コカイン]]押収量は年々増加の傾向を辿っており、一度に数百キログラム単位で押収される事も多い。麻薬組織が直接関与する犯罪のほか、麻薬の購入資金欲しさに起こる強盗や殺人の増加も問題になっている<ref name="gaimusho_20151023" /><ref>[https://www.osac.gov/pages/ContentReportDetails.aspx?cid=14288 Costa Rica 2013 Crime and Safety Report] OSAC 2014年12月20日</ref>。
== 文化 ==
{{main|{{仮リンク|コスタリカの文化|en|Culture of Costa Rica}}|}}
[[ファイル:Teatro National de Costa Rica - inside.jpg|thumb|220px|コスタリカ国立劇場の内部]]
コスタリカ人は[[メソ・アメリカ]]文化と[[南アメリカ]]文化の結節点だったことからなる、自国の多様な文化を誇る。16世紀にスペインの[[コンキスタドール]]がやってきた時には、国土の北西のニコヤ半島が[[ナウアトル]]文化の影響を受けており、国土の中央と南部はチブチャの影響を受けていた。しかし、インディヘナは[[スペイン人]]による疫病や酷使によりほとんどが死んでしまったため、近代においてコスタリカ文化に影響を与えたことは少なかった。
大西洋側には17世紀から18世紀を通して黒人奴隷が労働力として移入された。しかしながら、多くのアフリカ系コスタリカ人は19世紀に、カリブ海のリモンから中央盆地に向かう鉄道建設のため移入されたジャマイカ系黒人である。イタリア系と中国系の人々もこの時期に鉄道建設のためにやってきた。このような多様な人種により、コスタリカの文化は育まれた。
また、[[1930年]]ごろに国内の密林で[[コスタリカの石球|巨石球群]]が発見された。この巨石は、最大のものは直径が2.5m以上、重量が20トン以上あり、数個から40個ぐらいがまとまっていた。
=== 食文化 ===
{{main|コスタリカ料理}}
[[トウモロコシ]]文化圏の国である。[[コメ|米]]、[[豆]]、[[トルティーヤ]]などが主に食べられている。
=== 音楽 ===
{{main|{{仮リンク|コスタリカの音楽|en|Music of Costa Rica}}|ラテン音楽|}}
よく知られている「[[トリニダード島]]の[[カリプソ (音楽)|カリプソ]]」とは違う土着の「カリプソ」が存在する。[[ロック (音楽)|ロック]]、[[サルサ (音楽)|サルサ]]、[[ソカ]]、[[メレンゲ (音楽)|メレンゲ]]、[[クンビア]]なども人気である。
=== 世界遺産 ===
{{Main|コスタリカの世界遺産}}
コスタリカ国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が3件(うち1件はパナマと共有)、[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が1件存在している(2016年の[[第40回世界遺産委員会]]終了時点)。
<gallery>
ファイル:Cataract_on_the_Rio_Savegre.jpg| [[タラマンカ山脈=ラ・アミスター保護区群とラ・アミスター国立公園]] - (1983年、1990年拡大、自然遺産)
ファイル:Isla del coco.jpg| [[ココ島|ココ島国立公園]] - (1997年、2002年、自然遺産)
ファイル:Guanacaste National Park.jpg| [[グアナカステ保全地域]] - (1999年、自然遺産)
ファイル:Farm_6_archaeological_site,_Costa_Rica.jpg|[[ディキスの石球のある先コロンブス期首長制集落群]] - (2014年、文化遺産)
</gallery>
=== 祝祭日 ===
{| class="wikitable"
|+ 祝祭日
|-
! 日付 !! 日本語表記 !! 現地語表記 !! 備考
|-
| [[1月1日]] || [[元日]] || Año nuevo ||
|-
| 3月から4月 || [[聖木曜日]] || Jueves Santo ||
|-
| 3月から4月 || [[聖金曜日]] || Viernes Santo ||
|-
| 移動祝祭日 || 主の復活の日曜日 || Domingo de Resurrección ||
|-
| [[4月11日]] || [[リバスの戦い|リバス戦勝記念日]]|| Día de Juan Santamaría ||
|-
| [[5月1日]] || メーデー || Día de los trabajadores ||
|-
| 6月 || [[父の日]] || Día del Padre ||
|-
| [[7月25日]] || ニコヤ隊によるコスタリカ併合の日 || Anexión del Partido de Nicoya a Costa Rica ||
|-
| [[8月2日]] ||{{仮リンク|処女天使|es|Virgen de los Ángeles (Costa Rica)}}の日 || Día de la Virgen de los Ángeles ||
|-
| [[8月15日]] || [[母の日]] ||Día de la Madre ||
|-
| [[8月24日]] || 国立公園の日 || Día de los Parques Nacionales ||
|-
| [[9月12日]] || [[子供の日]] || Día del Niño(a) ||
|-
| [[9月15日]] || [[独立記念日]] ||Dia de la Independencia ||
|-
| [[10月12日]] || [[クリストファー・コロンブス]]による[[アメリカ大陸発見]]の日 || Descubrimiento de América por Cristóbal Colón ||
|-
| [[11月8日]] || [[死者の日]] || Día de los difuntos ||
|-
| [[12月25日]] || [[クリスマス]] || Día de la familia ||
|}
== スポーツ ==
{{Main|コスタリカのスポーツ}}
{{See also|オリンピックのコスタリカ選手団}}
=== サッカー ===
{{Main|{{仮リンク|コスタリカのサッカー|en|Football in Costa Rica}}}}
[[ファイル:Uruguay - Costa Rica FIFA World Cup 2014 (17).jpg|thumb|right|250px|コスタリカ対ウルグアイ([[2014 FIFAワールドカップ|2014年ブラジルW杯]])]]
コスタリカ国内でも他の[[ラテンアメリカ]]諸国同様、[[サッカー]]が圧倒的に1番人気の[[スポーツ]]となっており、[[1921年]]にプロリーグの[[プリメーラ・ディビシオン (コスタリカ)|プリメーラ・ディビシオン]]が創設された。主なクラブとしては、[[デポルティーボ・サプリサ]]、[[LDアラフエレンセ]]、[[CSエレディアーノ]]などが挙げられる。著名な選手としては、名門[[レアル・マドリード]]や[[パリ・サンジェルマンFC|パリ・サンジェルマン]]で100試合以上に出場した[[ゴールキーパー (サッカー)|ゴールキーパー]]の[[ケイロル・ナバス]]が世界的に知られている<ref>{{Cite web|和書|url=https://sport-japanese.com/news/id/23113|title=ナバス、レアルで快挙 100試合出場を達成した初の外国人GKに|publisher=SPORT.es|date=2019-04-07 |accessdate=2019-04-17}}</ref>。
{{仮リンク|コスタリカサッカー連盟|en|Costa Rican Football Federation}}によって構成される[[サッカーコスタリカ代表]]は、これまで[[FIFAワールドカップ]]には5度の出場歴があり、[[1990 FIFAワールドカップ|1990年大会]]で初出場してグループリーグを突破しベスト16に進出した。[[2014 FIFAワールドカップ|2014年大会]]では[[2014 FIFAワールドカップ・グループD|グループリーグ]]で、コスタリカ以外の3カ国が優勝経験を持つ[[死の組]]に入ったものの見事突破し、ラウンド16でも[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ代表]]に勝利し過去最高位となるベスト8の成績を収めた。
[[CONCACAFゴールドカップ]]では[[1963年]]大会、[[1969年]]大会、[[1989 CONCACAF選手権|1989年大会]]と[[サッカーメキシコ代表|メキシコ代表]]や[[サッカーアメリカ合衆国代表|アメリカ代表]]に次ぐ3度の優勝を誇り、[[コパ・セントロアメリカーナ]]では大会最多8度の優勝を達成している。さらに南米選手権の[[コパ・アメリカ]]には5回参加しており、[[コパ・アメリカ2001|2001年大会]]と[[コパ・アメリカ2004|2004年大会]]ではベスト8に進出するなど、北中米におけるサッカー強豪国として名高い。
== 著名な出身者 ==
{{Main|Category:コスタリカの人物}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="*"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* 「[https://globalnewsview.org/archives/16259 軍隊を持たない国:コスタリカと平和]」、Maika Ito、Global News View(GNV)、2021年11月18日
*{{Cite book|和書|author=足立力也|authorlink=足立力也|date=2009年2月|title=丸腰国家──軍隊を放棄したコスタリカの平和戦略|series=扶桑社新書047|publisher=[[扶桑社]]|location=[[東京]]|isbn=978-4594058722|ref=足立(2009)}}
* {{Cite book|和書|author=国本伊代編著|authorlink=国本伊代|date=2004年4月|title=コスタリカを知るための55章|series=エリア・スタディーズ|publisher=[[明石書店]]|location=[[東京]]|isbn=4-7503-1880-9|ref=国本(2004)}}
* {{Cite book|和書|author=後藤政子|authorlink=後藤政子|date=1993年4月|title=新現代のラテンアメリカ|series=|publisher=[[時事通信社]]|location=[[東京]]|isbn=4-7887-9308-3|ref=後藤(1993)}}
* {{Cite book|和書|author=滝本道生|authorlink=滝本道生|date=1988年10月|title=中米ゲリラ戦争|publisher=[[毎日新聞社]]|series=|location=[[東京]]|isbn=4-620-30653-3|ref=滝本(1988)}}
* {{Cite book|和書|author1=二村久則|authorlink1=二村久則|author2=野田隆|authorlink2=野田隆|author3=牛田千鶴|authorlink3=牛田千鶴|author4=志柿光浩|authorlink4=志柿光浩|date=2006年4月|title=ラテンアメリカ現代史III|series=世界現代史35|publisher=[[山川出版社]]|location=[[東京]]|isbn=4-634-42350-2|ref=二村、野田、牛田、志柿(2006)}}
* {{Cite book|和書|author=コスタリカ共和国政府観光局編|date=2003-09-18|title=コスタリカを学ぶ|publisher=日本・コスタリカ自然保護協会|ref=政府観光局}}<!-- ISBNなし -->
* {{Cite journal|和書|author=山岡加奈子|date=2010|title=コスタリカ総合研究序説|publisher=日本貿易振興機構アジア経済研究所|url=https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Reports/InterimReport/2011/2011_412.html}}
== 関連項目 ==
* [[コスタリカ方式]]
* [[コスタリカの野鳥一覧]]
* [[コレオス・デ・コスタリカ]]
* [[軍隊を保有していない国家の一覧]]
* [[メタルギアソリッドピースウォーカー]]
* [[コスタリカの憲法の一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commons&cat|Costa Rica|Costa Rica}}
{{Wikivoyage|es:Costa Rica|コスタリカ{{es icon}}}}
; 政府
* [http://www.casapres.go.cr/ コスタリカ共和国大統領府] {{es icon}}
* [http://www.costarica.co.jp/ 在日コスタリカ大使館] {{ja icon}}
; 日本政府
* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/costarica/ 日本外務省 - コスタリカ] {{ja icon}}
* [https://www.cr.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html 在コスタリカ日本国大使館] {{ja icon}}
; 観光その他
* [http://www.costarica.co.jp/ コスタリカ政府観光局] {{ja icon}}
* [https://www.jetro.go.jp/biznewstop/biznews/cs_america/cr/ JETRO - コスタリカ] {{ja icon}}
* [https://www.costaricafan.net/ AICCO-コスタリカ交流協会] {{ja icon}}
* {{ウィキトラベル インライン|コスタリカ|コスタリカ}} {{ja icon}}
* {{Wikiatlas|Costa Rica}} {{en icon}}
* {{Osmrelation}}
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[[Category:コスタリカ|*]]
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[[Category:軍隊非保有国]] | 2003-02-13T05:44:01Z | 2023-11-13T03:33:30Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%AB |
1,203 | 星里もちる | 星里 もちる(ほしさと もちる、1961年1月1日 - )は、日本の漫画家。福岡県北九州市出身。男性。左利き。
アニメーションの撮影助手、みなづき由宇のアシスタントなどを経て、1986年に『危険がウォーキング』でデビュー。1980年代は『プチアップルパイ』『少年キャプテン』など、徳間書店のマニア向け少年漫画誌で活動していた。
初期はロリコン漫画ブームの流れを汲むドタバタラブコメ作品を得意としていたが、青年向けホームドラマコメディ作品の『いきばた主夫ランブル』が小学館の編集者の目にとまる。1989年、『ビッグコミックスピリッツ』連載の『ハーフな分だけ』で本格的に青年誌へ転じ、1990年連載開始の『りびんぐゲーム』で人気を博す。以降は小学館『ビッグコミック』系青年誌を中心に活動し、1970年代の松木ひろし脚本作品を思わせるホームドラマコメディと内向的でリアルなドラマを往復、または両者が入り混じった作風が特徴となる。
代表作は『りびんぐゲーム』『夢かもしんない』『本気のしるし』『ルナハイツ』など。ラジオ番組「コサキン」のリスナーで、『いきばた主夫ランブル』などの初期作品内でコサキンネタを匂わせるようなシーンがある。また、『危険がウォーキング』の頃からアイドル女優とテレビドラマ好きを公言しており、デビュー当時は斉藤由貴や酒井法子のファンだった。
2005年と2006年に『ルナハイツ』が実写映画化され、2019年には『本気のしるし』もテレビドラマ化される。同作を再編集した『本気のしるし〈劇場版〉』は、第73回カンヌ国際映画祭「Official Selection 2020」に選出された。 | [
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"text": "代表作は『りびんぐゲーム』『夢かもしんない』『本気のしるし』『ルナハイツ』など。ラジオ番組「コサキン」のリスナーで、『いきばた主夫ランブル』などの初期作品内でコサキンネタを匂わせるようなシーンがある。また、『危険がウォーキング』の頃からアイドル女優とテレビドラマ好きを公言しており、デビュー当時は斉藤由貴や酒井法子のファンだった。",
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] | 星里 もちるは、日本の漫画家。福岡県北九州市出身。男性。左利き。 | '''星里 もちる'''(ほしさと もちる、[[1961年]][[1月1日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[福岡県]][[北九州市]]出身。男性。
== 略歴 ==
アニメーションの撮影助手<ref>『[https://csbs.shogakukan.co.jp/book?book_group_id=15315 セルと羽根ぼうき]』はこの時代の半自伝的作品。</ref>、[[ものたりぬ|みなづき由宇]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]などを経て、[[1986年]]に『[[危険がウォーキング]]』でデビュー。1980年代は『[[プチアップルパイ]]』『[[月刊少年キャプテン|少年キャプテン]]』など、[[徳間書店]]のマニア向け少年漫画誌で活動していた。
初期はロリコン漫画ブームの流れを汲むドタバタラブコメ作品を得意としていたが、青年向け[[ホームドラマ]]コメディ作品の『[[いきばた主夫ランブル]]』が[[小学館]]の編集者の目にとまる。[[1989年]]、『[[ビッグコミックスピリッツ]]』連載の『[[ハーフな分だけ]]』で本格的に青年誌へ転じ、[[1990年]]連載開始の『[[りびんぐゲーム]]』で人気を博す。以降は[[小学館]]『[[ビッグコミック]]』系青年誌を中心に活動し、1970年代の[[松木ひろし]]脚本作品を思わせるホームドラマコメディと内向的でリアルなドラマを往復、または両者が入り混じった作風が特徴となる。
代表作は『[[りびんぐゲーム]]』『[[夢かもしんない]]』『[[本気のしるし]]』『[[ルナハイツ]]』など。[[ラジオ番組]]「[[コサキン]]」のリスナーで、『いきばた主夫ランブル』などの初期作品内でコサキンネタを匂わせるようなシーンがある。また、『[[危険がウォーキング]]』の頃からアイドル女優と[[テレビドラマ]]好きを公言しており、デビュー当時は[[斉藤由貴]]や[[酒井法子]]のファンだった。
2005年と2006年に『[[ルナハイツ]]』が実写映画化され、2019年には『[[本気のしるし]]』もテレビドラマ化される。同作を再編集した『本気のしるし〈劇場版〉』は、[[第73回カンヌ国際映画祭]]「Official Selection 2020」に選出された。
== 作品リスト ==
=== 漫画作品 ===
* [[危険がウォーキング]](1986年 - 1989年、[[徳間書店]]、全4巻 /2001年、[[エンターブレイン]]より再版、全3巻)
* [[かくてるポニーテール|かくてる♡ポニーテール]](1986-1987年、『[[週刊少年宝島]]』連載、徳間書店、全1巻 /2014年、復刊ドットコムより再版、全1巻)
* [[いきばた主夫ランブル]](1989年、徳間書店、全1巻 /2003年、エンターブレインより再版、全1巻)
* [[わずかいっちょまえ]](1991年、徳間書店、全1巻 /2003年、エンターブレインより再版、全1巻)
* [[ハーフな分だけ]](1989年、[[小学館]]、全2巻 /1999年、小学館より全1巻で再版)
* [[りびんぐゲーム]](1990年 - 1993年、小学館、全10巻)
* テールライト(1992年、小学館、短編集『あっちもこっちも』に収録)
* [[ツインビーンズ]](1992年 - 1993年、小学館、『オムライス』第5巻に併録)
* 朝まで待てない(1993年、小学館、短編集『あっちもこっちも』に収録)
* [[結婚しようよ (星里もちるの漫画)|結婚しようよ]](1994年 - 1995年、小学館、全6巻)
* カントリーロード(1995年、小学館、短編集『あっちもこっちも』に収録)
* [[夢かもしんない]](1996年 - 1997年、小学館、全5巻)
* [[オムライス (漫画)|オムライス]](1998年 - 2000年、小学館、全5巻)
* [[本気のしるし]](2000年 - 2003年、小学館、全6巻)
* [[気になるヨメさん]](2002年、小学館、全2巻)
* 最も危険な人物(2003年、小学館、短編集『あっちもこっちも』に収録)
* [[ルナハイツ]](2003年 - 2004年、小学館、全4巻)
* パパ!あっちもこっちも(2003年 - 2004年、小学館、短編集『あっちもこっちも』に収録)
* [[怪獣の家]](2004年 - 2005年、小学館、全2巻)
* パパと呼ばれたい(2007年、小学館、短編集『あっちもこっちも』に収録)
* 道草探検隊(2007年、小学館、短編集『あっちもこっちも』に収録)
* スイーツメモリーズ(2008年、小学館、短編集『あっちもこっちも』に収録)
* [[光速シスター]](2008年 - 2014年、『[[ビッグコミックスペリオール]]』不定期連載、小学館、全3巻)
* 星里もちる短編集 あっちもこっちも(2013年、小学館、短編集)
* [[夜のスニーカー]](2009年 - 2010年、[[集英社]]、全1巻)
* 晴れた日に遠くが見える(2009年、[[小池書院]]『大阪芸術大学大学漫画 Vol.12』掲載、『夜のスニーカー』に併録)
* ハルコの晴れの日(2010年 - 2012年、『[[まんがタイムオリジナル]]』、[[芳文社]]、全2巻)
* [[ちゃんと描いてますからっ!]](2010年 - 2013年、『[[月刊COMICリュウ]]』、徳間書店、全4巻) - 一時期、同誌公式ウェブサイト上で連載。
*[[週刊マンガ日本史]]第46号『[[野口英世]]』(2010年、[[朝日新聞出版]])
* やさしく!ぐーるぐる真紀(2014年 - 2018年、『月刊COMICリュウ』、徳間書店、全3巻)
*セルと羽根ぼうき(2019年 - 、『[[モバMAN]]』配信連載、小学館、既刊3巻) - 単行本は電子書籍のみ。
=== コミックエッセイ ===
* モチはモチ屋(2000年、[[毎日コミュニケーションズ]]、全1巻)
=== 挿絵 ===
* [[ロマンシア]](1987年、[[宝島社|JICC出版局]]、全1巻)
== 師匠 ==
* [[ものたりぬ]]
== アシスタント ==
* [[ちくやまきよし]](岸山直)
* [[菊池直恵]]
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
* [http://mochiruhoshisato.web.fc2.com/ 「もちる印」星里もちるホームページ(本人によるwebsite)]
* {{twitter|mochiru_h}}
* [http://nagoyan.my.coocan.jp/mochiru/mochiru.htm 喫茶『なごみ』もちるーむ(星里もちる先生応援ページ)]
* {{マンガ図書館Z作家|85}}
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1,205 | 細野不二彦 | 細野 不二彦(ほその ふじひこ、1959年12月2日 - )は、日本の漫画家。男性。東京都大田区出身。慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。
1995年、『ギャラリーフェイク』『太郎』にて第41回(平成7年度)小学館漫画賞青年一般部門を受賞。
大学時代からスタジオぬえで活動。大学在学中の1979年、『マンガ少年』(朝日ソノラマ刊)掲載の「クラッシャージョウ」(高千穂遙原作作品のコミック化)でデビュー。単発だったが好評のため継続した。
1980年に『恋のプリズナー』 で「週刊少年サンデー」に初掲載。1980年代前半は小学館系の新人漫画家として『さすがの猿飛』『どっきりドクター』『Gu-Guガンモ』など、美少女描写に長けたコメディ作品を発表。『さすがの猿飛』と『Gu-Guガンモ』はフジテレビ系列でテレビアニメ化され、日曜日のゴールデンタイムに全国放送された。
1980年代後半から青年漫画雑誌に執筆の場を移し、『愛しのバットマン』『太郎』『ギャラリーフェイク』『ダブル・フェイス』『電波の城』などのヒット作を発表している。作風が大きく変化し、かつての手塚治虫や石ノ森章太郎のようなストーリーテラーとしての性格が強くなったことから、漫画家として取り上げるジャンルは幅広く、同時連載もあって作品数・仕事量は非常に多い。
1991年には『ジャッジ』がOVA化、2005年には『ギャラリーフェイク』がテレビ東京系にてテレビアニメ化されている。また、1991年にはゲームソフト『ラグランジュポイント』(コナミ)、1997年には『グランドレッド』(バンプレスト)のキャラクターデザインも手がけた。
2012年3月14日、漫画家のインタビューネット配信番組「漫画元気発動計画」の第12回から第15回に出演し、漫画製作の裏話を語った。
2017年から2019年まで、初期の代表作である『さすがの猿飛』の33年ぶりの続編『さすがの猿飛G』を連載。
慶応義塾高校時代は河森正治(メカニックデザイナー、アニメ監督)・美樹本晴彦(漫画家・キャラクターデザイナー)・大野木寛(脚本家)らとグループを組んで絵を描いていた。各々にイラストの得意分野があったが、細野は天才的な画力をもつ努力家で、なんでも描いていたという。当時の画風は石川賢に近かったが、プロになる前に絵柄を変えろと言われ徹底的に変えたという。そのため、プロデビューから1990年代前半までは端正な描線で美少女描写に長けた作家として評価されていたが、青年漫画誌のストーリーテラーとして定着した1990年代中盤以降は再び、荒々しい描線を活かした緊張感のある画風へ変化している。
1985年の『ダーティペア』アニメ版で、ユニフォームデザインを担当している。原作小説の設定および安彦良和による表紙や挿絵 をある程度参考にしている。
島本和彦の自伝的漫画『アオイホノオ』では、主人公ホノオが「カッコイイ絵柄でギャグをやる」という作風を思いついて喜ぶが、『週刊少年サンデー』に初登場した細野の『恋のプリズナー』を読んで衝撃を受けるというエピソードが描かれる。岡田斗司夫は「細野不二彦の登場以来、新人マンガ家の条件として『可愛い女の子が描けるかどうか?』はほぼ絶対の条件になった。」と解説している。
2021年には自身のデビュー当時を振り返る自伝的作品『1978年のまんが虫』を執筆した。作中では主人公を「細納(さいの)不二雄」と呼び、大学の仲間やスタジオぬえの先輩たちとの交流、漫画への情熱とプロになるための苦闘、実家の長男としての責任などを描いている。 | [
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] | 細野 不二彦は、日本の漫画家。男性。東京都大田区出身。慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。 1995年、『ギャラリーフェイク』『太郎』にて第41回(平成7年度)小学館漫画賞青年一般部門を受賞。 | {{複数の問題
|存命人物の出典明記 = 2008年9月15日 (月) 08:58 (UTC)
|独自研究 = 2022年5月
}}
{{Infobox 漫画家
| 名前 = 細野 不二彦
| ふりがな = ほその ふじひこ
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| 脚注 =
| 本名 =
| 生年 = {{生年月日と年齢|1959|12|2}}<ref name="mangaseek">『漫画家人名事典』 [[日外アソシエーツ]]、2003年、p.334、ISBN 4-8169-1760-8</ref>
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| 公式サイト =
}}
'''細野 不二彦'''(ほその ふじひこ、[[1959年]][[12月2日]]<ref name="mangaseek" /> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。男性。[[東京都]][[大田区]]出身<ref name="mangaseek" />。[[慶應義塾高等学校]]、[[慶應義塾大学]][[経済学部]]卒業<ref>慶應大卒業についてのみ「まんがカレッジ」([[1986年]]発行)に記載</ref>。
1995年、『[[ギャラリーフェイク]]』『[[太郎 (漫画)|太郎]]』にて第41回(平成7年度)[[小学館漫画賞]]青年一般部門を受賞。
== 来歴 ==
大学時代から[[スタジオぬえ]]で活動<ref name="manga-g">{{Cite web|和書|title=細野不二彦先生インタビュー/2008年7月号|url=http://www.manga-g.co.jp/interview/int2008/int08-07.html|publisher=日本漫画学院|year=2008|accessdate=2008-09-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080801102516/http://www.manga-g.co.jp/interview/int2008/int08-07.html|archivedate=2008-08-01}}</ref>。大学在学中の[[1979年]]、『[[マンガ少年]]』([[朝日ソノラマ]]刊)掲載の「[[クラッシャージョウ]]」([[高千穂遙]]原作作品のコミック化)でデビュー<ref>『現代漫画博物館 : 1945-2005』[[竹内オサム]](監修)、[[小学館]]、2006年、別冊資料編p.62、ISBN 978-4091790033</ref>。単発だったが好評のため継続した。
[[1980年]]に『恋のプリズナー』<ref group=注>この作品は、[[高橋留美子]]ら当時の新人漫画家のデビュー作を集めた『チャレンジ新人賞 サンデーまんがカレッジ』(1982年刊行)に収録されている。</ref> で「[[週刊少年サンデー]]」に初掲載<ref name="salon">{{Cite web|和書|title=細野不二彦インタビュー|url=http://www.bigcomics.shogakukan.co.jp/salon/room_30.html|publisher=小学館|year=2000|accessdate=2008-09-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20010208174148/http://bigcomics.shogakukan.co.jp/salon/room_30.html|archivedate=2001-02-08}}</ref>。[[1980年代]]前半は[[小学館]]系の新人漫画家として『[[さすがの猿飛]]』『[[どっきりドクター]]』『[[Gu-Guガンモ]]』など、美少女描写に長けたコメディ作品を発表。『さすがの猿飛』と『Gu-Guガンモ』は[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列でテレビアニメ化され、日曜日の[[ゴールデンタイム]]に全国放送された<ref group=注>『どっきりドクター』も連載終了後かなり経った[[1998年]]にテレビアニメ化された。</ref>。
[[1980年代]]後半から[[青年漫画雑誌]]に執筆の場を移し、『愛しのバットマン』『[[太郎 (漫画)|太郎]]』『[[ギャラリーフェイク]]』『[[ダブル・フェイス]]』『[[電波の城]]』などのヒット作を発表している。作風が大きく変化し、かつての[[手塚治虫]]や[[石ノ森章太郎]]のようなストーリーテラーとしての性格が強くなったことから、漫画家として取り上げるジャンルは幅広く、同時連載もあって作品数・仕事量は非常に多い。
[[1991年]]には『ジャッジ』が[[OVA]]化、[[2005年]]には『ギャラリーフェイク』が[[テレビ東京]]系にてテレビアニメ化されている。また、1991年にはゲームソフト『[[ラグランジュポイント (ゲーム)|ラグランジュポイント]]』([[コナミ]])、[[1997年]]には『[[グランドレッド]]』([[バンプレスト]])のキャラクターデザインも手がけた。
[[2012年]]3月14日、漫画家のインタビューネット配信番組「[[漫画元気発動計画]]」の第12回から第15回に出演し、漫画製作の裏話を語った。
2017年から2019年まで、初期の代表作である『さすがの猿飛』の33年ぶりの続編『さすがの猿飛G』を連載<ref>"[https://www.oricon.co.jp/news/2091652/full/ 細野不二彦『さすがの猿飛』33年ぶり完全新作で復活 ]". ORICON NEWS.(2017年6月1日)2018年2月4日閲覧。</ref>。
== エピソード ==
慶応義塾高校時代は[[河森正治]](メカニックデザイナー、アニメ監督)・[[美樹本晴彦]](漫画家・キャラクターデザイナー)・[[大野木寛]](脚本家)らとグループを組んで絵を描いていた。各々にイラストの得意分野があったが、細野は天才的な画力をもつ努力家で、なんでも描いていたという<ref name="oboete">『おぼえていますか 映画「超時空要塞マクロス」より』、徳間書店[[アニメージュ文庫]]、1985年、87頁。</ref>。当時の画風は[[石川賢 (漫画家)|石川賢]]に近かったが、プロになる前に絵柄を変えろと言われ徹底的に変えたという<ref name="oboete"/>。そのため、プロデビューから1990年代前半までは端正な描線で美少女描写に長けた作家として評価されていたが、青年漫画誌のストーリーテラーとして定着した1990年代中盤以降は再び、荒々しい描線を活かした緊張感のある画風へ変化している。
[[1985年]]の『[[ダーティペア (アニメ)|ダーティペア]]』アニメ版で、ユニフォームデザインを担当している。原作小説の設定および[[安彦良和]]による表紙や挿絵<ref group=注>原作者の高千穂から「『[[地獄の黙示録]]』に出てくる[[プレイメイト]]の感じ」という指示による。</ref> をある程度参考にしている。
[[島本和彦]]の自伝的漫画『[[アオイホノオ]]』では、主人公ホノオが「カッコイイ絵柄でギャグをやる」という作風を思いついて喜ぶが、『週刊少年サンデー』に初登場した細野の『恋のプリズナー』を読んで衝撃を受けるというエピソードが描かれる<ref group=注>ドラマ版第2話では、大学の[[矢野健太郎 (漫画家)|矢野先輩]]から「細野不二彦が既にやっている」と告げられ、『さすがの猿飛』を読まされる。</ref>。[[岡田斗司夫]]は「細野不二彦の登場以来、新人マンガ家の条件として『可愛い女の子が描けるかどうか?』はほぼ絶対の条件になった。」と解説している<ref>岡田斗司夫 "[https://www.tv-tokyo.co.jp/aoihonoo/special/blog/05.html だまされるな!アオイホノオ11のひみつ 第五話「嗚呼、東京」のひみつ]". ドラマ24 アオイホノオ.</ref>。
2021年には自身のデビュー当時を振り返る自伝的作品『1978年のまんが虫』を執筆した<ref>{{Cite web|和書|title=『1978年のまんが虫』 |url=https://bigcomicbros.net/work/71274/ |website=ビッグコミックBROS.net |date=2021 |accessdate=2022-12-30}}</ref>。作中では主人公を「細納(さいの)不二雄」と呼び、大学の仲間やスタジオぬえの先輩たちとの交流、漫画への情熱とプロになるための苦闘、実家の長男としての責任などを描いている。
== 作品リスト ==
=== 漫画 ===
==== 連載 ====
* やよいマイラブ - 『[[週刊少年サンデー]]』(1980年24号 - 28号)
* [[さすがの猿飛]] - 『[[週刊少年サンデー超|少年サンデー増刊]]』(1980年 - 1984年)
* [[どっきりドクター]] - 『週刊少年サンデー』(1981年 - 1982年)
* [[Gu-Guガンモ]] - 『週刊少年サンデー』(1982年 - 1985年)
* 花のSANSHIRO(さんしろう) - 『少年サンデー増刊』(1985年)(未完)
* [[東京探偵団]] - 『[[少年ビッグコミック]]』(1985年 - 1987年)→『[[週刊ヤングサンデー|ヤングサンデー]]』(1987年創刊号 - 8号)
* [[青空ふろっぴぃ]] - 『週刊少年サンデー』(1985年 - 1986年)
* [[あどりぶシネ倶楽部]] - 『[[ビッグコミックスピリッツ]]』(1986年)(不定期連載)
* I'mナム - 『週刊少年サンデー』(1987年1号 - 31号)
* ママ - 『ヤングサンデー』(1987年 - 1992年)
* [[ジャッジ (漫画)|ジャッジ]] - 『アクションBROTHER』(1987年 - 1989年)→『COMICアクションキャラクター』(1990年 - 1991年)
* うにばーしてぃBOYS - 『ビッグコミックスピリッツ』(1988年)(不定期連載)
* [[BLOW UP!]] - 『[[ビッグコミックスペリオール]]』(1988年21号 - 1989年19号)
* [[バイオ・ハンター]] - 『[[コミックバーズ|月刊コミックバーガー]]』(1989年 - 1990年)
* りざべーしょんプリーズ - 『ビッグコミックスピリッツ』(1989年 - 1991年)
* ごめんあそばせ - 『月刊コミックバーガー』(1991年 - 1993年)
* 愛しのバットマン - 『ビッグコミックスペリオール』(1991年 - 1996年)
* たまご丼 『[[小学三年生|小学館の学年別学習雑誌]]』(1991年)
* 超坊主ホットケくん 『小学三年生』(1992年)
* 熱拳! ムサシ - 『[[月刊少年キャプテン]]』(1992年 - 1993年)
* [[太郎 (漫画)|太郎]] - 『[[週刊ヤングサンデー]]』(1992年12号 - 1999年41号)
* [[ギャラリーフェイク]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/100484/|title=ギャラリーフェイク : 作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-10-14}}</ref> - 『ビッグコミックスピリッツ』(1994年 - 2005年、2012年、2016年)、『[[ビッグコミック増刊号]]』(2017年 - '''連載中''')
* 幸福の丘ニュータウン - 『[[ビッグコミック]]』(1996年 - 1998年)
* [[S.O.S (漫画)|S.O.S]] - 『[[漫画アクション]]』(1999年 - 2000年)
* ビールとメガホン - 『ビッグコミック』(1999年 - 2000年)
* タケルヒメ - 『[[ウルトラジャンプ]]』(2000年、不定期連載)
* キャット・ウォーカー - 『[[週刊漫画ゴラク]]』(2001年 - 2002年、不定期連載)
* プライズハンターGON - 『週刊ヤングサンデー』(2001年52号 - )
* ザ・スリーパー - 『[[月刊サンデージェネックス]]』(2000年 - 2002年)
* [[ダブル・フェイス]] - 『ビッグコミック』(2003年 - 2011年)
* [[ヤミの乱破]] - 『[[イブニング]]』→『モアイ』(2003年8号 - 2006年1号<!--2005年実売-->、2012年8号 - 2014年2月25日配信分)
* [[電波の城]] - 『ビッグコミックスピリッツ』(2006年1号<!--2005年実売--> - 2014年2・3合併号<!--2013年実売-->)
* アサシンichiyo - 原作担当、漫画:[[信濃川日出雄]]、『[[月刊ヒーローズ]]』(2013年1月号 - 2015年2月号、不定期連載)
* [[ヒメタク]] - 『漫画アクション』(2014年15号 - 2016年3月1日号、全2巻)
* 商人道 - 『ビッグコミックスピリッツ』(2014年30号 - 2015年32号)
* いちまつ捕物帳 - 『ビッグコミック』(2014年21号 - 2016年23号)
* バディドッグ - 『ビッグコミック』(2017年4号 - 2020年21号)
* [[さすがの猿飛G]] - 『[[月刊ヒーローズ]]』(2017年7月号 - 2019年10月号)※『さすがの猿飛』続編
* 1978年のまんが虫 - 『[[ビッグコミックオリジナル増刊号]]』(2021年5月号 - 2022年11月号)
* 恋とゲバルト - 『[[ピッコマ]]』→『[[コミックDAYS]]』<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/446729|title=1960年代の学生運動に参加した青年描く「恋とゲバルト」コミックDAYSで移籍連載|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-09-26|accessdate=2021-09-26}}</ref>(2021年4月 - 2022年9月<ref name="kodansha369896">{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000369896|title=『恋とゲバルト(5)』(細野 不二彦)|website=講談社コミックプラス|publisher=講談社|accessdate=2023-04-10}}</ref>)※第一部完{{R|kodansha369896}}
* [[デビルマン|デビルマン外伝 -人間戦記-]] - 原作:[[永井豪]]、漫画担当、『[[月刊ヤングマガジン]]』(2023年2号<ref name="natalie20230123">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/509947|title=永井豪「デビルマン」誕生50周年記念、細野不二彦が新たに描くデビルマンの物語|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-01-23|accessdate=2023-01-23}}</ref> - 7号<ref>{{Cite journal|和書|date=2023-06-20|title=デビルマン外伝 -人間戦記- 最終話 岩|journal=月刊ヤングマガジン|volume=2023年7号|publisher=講談社|pages=367|asin=B0C6R71SFC}}</ref>)※『デビルマン』50周年記念連載{{R|natalie20230123}}
* バブル・ザムライ - 『ビッグコミック』(2023年8号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/520300|title=バブル期の日本、輝きの裏で跋扈する悪を退治!細野不二彦の新連載がBCで開幕|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-04-10|accessdate=2023-04-10}}</ref> - )
==== 読切 ====
* [[クラッシャージョウ]] - 『[[マンガ少年]]』(1979年4,5,9月号、2話掲載) ※デビュー作。
* THE 宇宙パトロール - 『[[S-Fマガジン]]』(1979年10月号)
* 明智くんReport - 『[[少年ビッグコミック]]』(1983年)
* カルビ! 危機一髪! - 『[[少年マガジン]]』(1988年43号)※『カルビ! 危機一髪! -細野不二彦短編集-』に収録
* ロボQ - 『[[月刊コロコロコミック|コロコロコミック]]』(1990年5月号)
* 愛しのバットマンRETURNS - 『ビッグコミックスペリオール』(1998年) ※『愛しのバットマン』続編、『細野不二彦短編集2』に収録
* ギャラリーフェイクANNEX - 『ビッグコミックスピリッツ増刊号ManPuku』(1998年) ※『ギャラリーフェイク』番外編、『細野不二彦短編集』に収録
* ご長寿探偵イシガメ - 『ビッグコミック』(2001年、不定期発表) ※『細野不二彦短編集』に収録
* ギャラリーCATS(2016年)※『細野不二彦短編集2』に描き下ろし収録
* ギャラリーフェイク特別編 国宝Gメンの憂鬱 - 『ビッグコミック増刊号』(2018年10月号)※『ギャラリーフェイク』番外編、『細野不二彦短編集3』に収録
* タトゥーあり - 『[[ビッグコミック増刊号]]』(2016年12月17日号) ※『細野不二彦短編集2』に収録
* マンキツBLUES - 『ヤングキングBULL』(2019年9月号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/342474|title=ヤンキンBULL創刊1周年!記念ゲストに細野不二彦、付録は「ドンケツ」漢グラビア|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2019-08-05|accessdate=2022-08-05}}</ref>、2020年9月号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/390466|title=北海道のゲストハウスを舞台に、問題抱えた男女の出会い描く田川とまたの読切|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2020-08-04|accessdate=2022-08-05}}</ref>)※読み切りシリーズ{{R|natalie20220804}}
** マンキツBLUES〜怒りのデス・ルーム〜 - 『ヤングキングBULL』(2022年9月号<ref name="natalie20220804">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/488223|title=細野不二彦が“マンキツ”を舞台に描くヒューマンドラマ第3弾、YKブル4周年号に|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2019-08-04|accessdate=2022-08-05}}</ref>)※読み切りシリーズ{{R|natalie20220804}}
** マンキツBLUES〜RUN&JUMP〜 - 『ヤングキングBULL』(2023年2月号<ref name="natalie20230104">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/507700|title=作家の死後に本を出す奇特な出版社が舞台、ハートフル新連載「死後出版」開幕|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-01-04|accessdate=2023-01-04}}</ref>)※読み切りシリーズ{{R|natalie20230104}}
* 白×墨 - 『[[ビッグコミック]]』(2020年24号 - 2021年1号)
* ミッドナイト★ドライバー - 『ビッグコミック』(2023年1号<ref>{{Cite web|和書|url=https://bigcomicbros.net/magazines/76924/|title=ビッグコミック第1号|website=ビッグコミックBROS.NET|publisher=小学館|accessdate=2022-12-23}}</ref>、2023年2号<ref>{{Cite web|和書|url=https://bigcomicbros.net/magazines/77114/|title=ビッグコミック第2号|website=ビッグコミックBROS.NET|publisher=小学館|accessdate=2023-01-10}}</ref>) - 前後編
* サキュバスの妻 - 『[[ビッグコミックオリジナル]]』(2023年24号<ref name="bco202324">{{Cite web|和書|url=https://bigcomicbros.net/magazines/81347/|title=ビッグコミック第24号|website=ビッグコミックBROS.NET|publisher=小学館|accessdate=2023-12-05}}</ref>) - 同誌「創刊50周年超BIG読み切り第4弾」作品{{R|bco202324}}。
=== 短編集 ===
* 『細野不二彦短編集』、小学館、2014年7月30日<ref>{{Cite web|和書|publisher=小学館|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09186320|title=細野不二彦短編集|accessdate=2021-05-28}}</ref>
* 『細野不二彦短編集2』、小学館、2016年11月30日<ref>{{Cite web|和書|publisher=小学館|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09189249|title=細野不二彦短編集 2|accessdate=2021-05-28}}</ref>
* 『細野不二彦短編集3』、小学館、2018年9月28日<ref>{{Cite web|和書|publisher=小学館|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09860071|title=細野不二彦短編集 3|accessdate=2021-05-28}}</ref>
* 『細野不二彦初期短編集 A面』、小学館、2021年5月28日<ref>{{Cite web|和書|publisher=小学館|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09861041|title=細野不二彦初期短編集 A面|accessdate=2021-05-28}}</ref>
* 『細野不二彦初期短編集 B面』、小学館、2021年5月28日<ref>{{Cite web|和書|publisher=小学館|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09861042|title=細野不二彦初期短編集 B面|accessdate=2021-05-28}}</ref>
=== その他 ===
* [[クラッシャージョウ#アニメ|クラッシャージョウ]](1983年、[[松竹富士]]系、 劇場アニメ) - スペシャル・デザイン(ナイトウォーカー)
* [[ダーティペア (アニメ)#テレビ版|ダーティペア]](1985年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系) - ユニフォームデザイン
* [[ラグランジュポイント (ゲーム)|ラグランジュポイント]]([[ファミリーコンピュータ]] 1991年、[[コナミ]]) - キャラクターデザイン
* [[グランドレッド]]([[セガサターン]] 1997年、[[バンプレスト]]) - キャラクターデザイン
== アシスタント ==
* [[高田裕三]]<ref>ヤングマガジン編集部『3×3EYES Another World』講談社〈KCデラックス〉、1999年。</ref>
* [[中津賢也]]<ref>少年画報社文庫 中津賢也作『桃色サバス』第01巻 細野不二彦あとがき描き下ろしマンガより 2002年6月01日出版 ISBN:9784785946890 </ref>
* [[旭凛太郎]]<ref>[https://web.archive.org/web/20041103132446/http://www.manga-g.co.jp/interview/int2004/int04-10.htm 旭凛太郎 日本漫画学院インタビュー] - 閉鎖。(2004年11月3日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>
* [[かわくぼ香織]]<ref>[https://web.archive.org/web/20041216233932/http://www.manga-g.co.jp/interview/int2004/int04-11.htm かわくぼ香織 日本漫画学院インタビュー] - 閉鎖。(2004年12月16日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>
* [[並木洋美]]{{要出典|date=2008年9月}}
* [[一色登希彦]]<ref>[http://blog.livedoor.jp/toki5555/archives/51119614.html 一色登希彦公式サイト コラム#37]{{リンク切れ|date=2015年7月}}</ref><!-- リンク切れで修正しようとしましたが、スパム・フィルターによってこの外部リンク [http://toki55.blog10.fc2.com/blog-entry-21.html 一色登希彦/アトリエモーティヴ 公式ブログ #37] が更新できません。-->
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:スタジオぬえの人物]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E9%87%8E%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E5%BD%A6 |
1,206 | 桑田乃梨子 | 桑田 乃梨子(くわた のりこ、3月4日 - )は、日本の漫画家。新潟県長岡市出身。
1988年、『LaLa DX』春の号(白泉社)掲載の『ひみつの犬神くん』でデビュー。『花とゆめ』、『LaLa』などで活躍。代表作に『おそろしくて言えない』、『男の華園-A10大学男子新体操部』、『だめっこどうぶつ』(2005年キッズステーションでアニメ化)、『豪放ライラック』などがある。現在は白泉社を離れ、幻冬舎の漫画雑誌などで執筆をしている。
マンガチックな画風で、作品には学園コメディと動物ものが多いほか、頻繁にオカルトテーマが(明るく)からむ傾向がある。背景の書き文字による楽しい自己ツッコミと、脇役のキャラクターの強さ(相対的に主人公のキャラクターの弱さ)が特徴。また、オタク系キャラクター(制服マニアの先生とか)の登場が多い。
シャチが好きらしい。
好きなミュージシャンは佐野元春、布袋寅泰、稲葉浩志、山本正之。またPop Will Eat ItselfやProdigyやHardfloor、Human League、Depeche Mode、Duran Duran、Radiohead、Oasis、New Order、電気グルーヴ、ケン・イシイなどを愛聴している。女性アーティストで好きなミュージシャンはBlondieやガービッジ、Siouxsie & The Bansheesなどを挙げている。熱狂的というほどではないが好きらしい。
最近気になる有名人は、嵐の相葉雅紀らしい。
阿部川キネコが以前アシスタントをしていた。また、遠藤淑子と親交がある(『日々是敗北』にて本記事の記載に関する言及あり)。
PWEI好きを公言しており、「一にポッピーズ、二にポッピーズ。三、四がなくて、五にグレボ」と発言した。
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] | 桑田 乃梨子は、日本の漫画家。新潟県長岡市出身。 | '''桑田 乃梨子'''(くわた のりこ、[[3月4日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[新潟県]][[長岡市]]出身。
== 人物など ==
[[1988年]]、『[[LaLa DX]]』春の号([[白泉社]])掲載の『[[犬神くんシリーズ|ひみつの犬神くん]]』でデビュー。『[[花とゆめ]]』、『[[LaLa]]』などで活躍。代表作に『おそろしくて言えない』、『男の華園-A10大学男子新体操部』、『[[だめっこどうぶつ]]』(2005年キッズステーションでアニメ化)、『[[豪放ライラック]]』などがある。現在は白泉社を離れ、[[幻冬舎]]の[[漫画雑誌]]などで執筆をしている。
マンガチックな画風で、作品には学園コメディと動物ものが多いほか、頻繁にオカルトテーマが(明るく)からむ傾向がある。背景の書き文字による楽しい自己ツッコミと、脇役のキャラクターの強さ(相対的に主人公のキャラクターの弱さ)が特徴。また、[[おたく|オタク]]系キャラクター(制服マニアの先生とか)の登場が多い。
[[シャチ]]が好きらしい。
好きなミュージシャンは[[佐野元春]]、[[布袋寅泰]]、[[稲葉浩志]]、[[山本正之]]。また[[ポップ・ウィル・イート・イットセルフ|Pop Will Eat Itself]]や[[プロディジー|Prodigy]]や[[Hardfloor]]、[[ヒューマン・リーグ|Human League]]、[[Depeche Mode]]、[[Duran Duran]]、[[Radiohead]]、[[オアシス (バンド)|Oasis]]、[[New Order]]、[[電気グルーヴ]]、[[ケン・イシイ]]などを愛聴している。女性アーティストで好きなミュージシャンは[[ブロンディ (バンド)|Blondie]]や[[ガービッジ]]、[[スージー・アンド・ザ・バンシーズ|Siouxsie & The Banshees]]などを挙げている。熱狂的というほどではないが好きらしい。
最近気になる有名人は、[[嵐 (グループ)|嵐]]の[[相葉雅紀]]らしい。
[[阿部川キネコ]]が以前[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]をしていた。また、[[遠藤淑子]]と親交がある(『日々是敗北』にて本記事の記載に関する言及あり)。
PWEI好きを公言しており、「一にポッピーズ、二にポッピーズ。三、四がなくて、五に[[:en:Grebo (music)|グレボ]]」と発言した。
愛猫の「にょろり」は後書き漫画によく登場するほか、『[[BE・LOVE]]』にて連載されていた『ねこしつじ』の「しつじ」としても登場している。
== 略歴 ==
* 1987年 - 『[[Cindy]]』([[白泉社]])に『君は精霊を見たか』が掲載される。
* 1989年 - 『LaLa DX』春の号に『ひみつの犬神くん』が掲載される。
* 1990年 - 『LaLa』で、『おそろしくて言えない』の連載を開始。
* 1992年 - 『LaLa』で、『卓球戦隊ぴんぽん5』の連載を開始。
* 1997年 - 『[[メロディ]]』([[白泉社]])で、『男の華園-A10大学男子新体操部』の連載を開始。
* 2001年 - 『[[まんがライフ]]』([[竹書房]])で、『[[だめっこどうぶつ]]』の連載を開始。
== 著書・作品 ==
=== コミックス ===
* '''ひみつの犬神くん''' (1989年、花とゆめコミックス(白泉社))
** [[犬神くんシリーズ|ひみつの犬神くん]] (1988年 - 1989年、読み切りシリーズ、[[LaLa]]など(白泉社))
**: 満月時は無敵の狼男ながら弱気で女々しい主人公の犬神鷹介、その犬神の気持ちに全く気づいていないヒロインの泉田はるか、犬神をバイオレンスな世界に引き込もうと企む少女漫画らしからぬ親友(?)の歪谷透の3人をメインとする学園コメディ。
** 月に願いを (1989年、LaLa DX)
**:あぶないティーチャーシリーズとのコラボレーション作品。本編より1年前を舞台に、犬神と歪谷が友人になったきっかけを描く。
* '''青春は薔薇色だ''' (1990年、花とゆめコミックス)
** [[あぶないティーチャーシリーズ]] (1988年 - 1990年、読み切りシリーズ、LaLaなど)
**:学ランやセーラー服を眺める「制服ウォッチング」が趣味という怪しい高校教師・森島恵子と、彼女の教え子・広瀬幸仁とのどたばたラブコメ。
** 君は精霊を見たか (1987年、Cindy(白泉社))
**:家庭の事情で一人暮しの高校生小林史彦は極度の偏食家。風邪を引いても、冷蔵庫の中に嫌いな食べ物しかないと言ってふて寝する有様。しびれを切らした食物たちの精霊は小林の前に現れ、なんとか自分たちを食べさせようと説得するものの……。
** 至福星の下に (1988年、増刊LaLa)
**:主人公の上城走は外面のいい姉の上城歩にいじめられる毎日。ある日その姉が生物部の西崎先輩の事を好きなことを知り、ここぞとばかりに仕返しをするも、その挙句は。
* '''人生は薔薇色だ''' (1991年、花とゆめコミックス)
** あぶないティーチャーシリーズ
** ウは鵜飼のウ (1990年、LaLa)
**:場末の探偵・春日日和と龍の2人はなんとかバイトで生活していた。そんな中久しぶりに浮気調査の依頼が入り、張り切って仕事にかかる2人。ところが調査を進めていったところ……?ほのぼの探偵コメディ。
* '''おそろしくて言えない''' (1992年、花とゆめコミックス、全4巻)
** 再会の方程式 (1988年、LaLa、1巻に収録)
**:彼女の橘麻里を交通事故で亡くした桐島拓哉は、霊能力を持っていると評判の御堂維太郎に相談する。霊感ゼロながら彼女に逢いたい一心で必死の努力をする桐島だが、その結果はいかに。
** 陰鬱な因縁 (1990年、LaLa DX、1巻に収録)
**:彼岸花高校の屋上には自殺した女生徒の霊が出るという。超高校級の霊能力者・御堂維太郎は、オカルト否定論者の新名皐月にその存在を認めさせるべくしつこく霊的いやがらせを行う。しかし霊感が全くない新名は霊障を受けつつも信じない。そして屋上の幽霊の正体は?
** おそろしくて言えない (1990年 - 1992年連載、LaLa)
**:『再会の方程式』『陰鬱な因縁』からのシリーズの連載化。新名に霊的いやがらせを行い続ける御堂と、霊障に悩まされつつも霊を信じない新名の2人を主人公とするオカルト学園コメディ。
** おそろしくて言えない 世紀末だから探偵編 (1991年、LaLa DX、1巻に収録)
**:『おそろしくて言えない』のキャストを19世紀ロンドンに移した外伝。心霊探偵ミドーが同居人のニーナを引き連れてセンタアイランド家の殺人事件をばっさり解決、できるのか?
** 快適労働の条件 (1991年、れんあいずむ(白泉社)、2巻に収録)
** おそろしくて言えない 世紀末だから探偵編2 (1991年、LaLa DX、3巻に収録)
** 蒼紫の森 (1991年、LaLaダッシュ、4巻に収録)
* '''卓球戦隊ぴんぽん5''' (1992年 - 1993年、花とゆめコミックス、全2巻)
** [[卓球戦隊ぴんぽん5]] (1992年 - 1993年連載、LaLa)
** 反目の二連星 (1992年、LaLa DX、1巻に収録)
** 制服の君が好きだよ (1992年、LaLa DX、2巻に収録)
** ほぐれゆく私 (1993年、LaLa DX、2巻に収録)
* '''月刊1年2組''' (1993年 - 1994年、花とゆめコミックス、全2巻)
** 月刊1年2組 (1993年連載、LaLa)
** いつか夢で逢おうね (1993年、LaLa DX、1巻に収録)
** 漂泊の貴公子 (1993年、LaLa DX、1巻に収録)
** 調律の方程式 おそろしくて言えないスペシャル (1993年、増刊LaLa、2巻に収録)
** 苛虐の方程式 おそろしくて言えない・特別編 (1993年、LaLa DX、2巻に収録)
** 眠る前に見てた夢 (1994年、LaLa DX、2巻に収録)
** 増刊1年2組 (1994年、LaLa DX、2巻に収録)
* '''君の瞳に三日月''' (1995年 - 1996年、花とゆめコミックス、全2巻)
** 君の瞳に三日月 (1994年 - 1995年連載、LaLa)
** ケーキやケンちゃん (1994年、LaLa、1巻に収録)
** すしやのケンちゃん (1994年、LaLa、1巻に収録)
** スターライトプリンセスあかり! (1995年 - 1996年、LaLa DX、2巻に収録)
** 泣かないで-Don't cry baby- (1996年、LaLa DX、2巻に収録)
** ガラパゴスへいきました。 (1996年、LaLa、2巻に収録)
* '''ほとんど以上絶対未満''' (1996年連載、花とゆめコミックス)
** ほとんど以上絶対未満 (1996年連載、LaLa DX)
**:高校生・瑠璃門皓市のクラスに転校してきた少女・藪坂くま。なんと彼女は中学のとき理科室で薬品をかぶり、そのまま転校してしまい音信不通の友人・藪坂秀だった。藪坂は普通に瑠璃門に接するものの、瑠璃門は少女の姿をした藪坂にドギマギ。そんな瑠璃門の明日はどっちだ?
** 漏電日記 (1996年、ルナティックLaLa)
** 超卓球戦隊ぴんぽん5R (1995年、LaLa DX)
**:『卓球戦隊ぴんぽん5』の番外編。
** 合宿戦隊ぴんぽん5 (単行本描き下ろし)
**:『卓球戦隊ぴんぽん5』の番外編。
* '''男の華園-A10大学男子新体操部-''' (1998年 - 2000年、花とゆめコミックス、全4巻)
** 男の華園-A10大学男子新体操部- (1997年 - 2000年連載、[[MELODY (雑誌) |メロディ]](白泉社))
* '''一陽来福''' (1999年、花とゆめコミックス)
** 一陽来福 (1998年連載、[[別冊花とゆめ]](白泉社))
* '''1+1=0 (いちたすいちはれい)''' (2000年、花とゆめコミックス)
** 1+1=0 (1999年連載、別冊花とゆめ)
* '''真夜中猫王子''' (2000年 - 2001年、花とゆめコミックス、全2巻)
** 真夜中猫王子 (2000年 - 2001年連載、別冊花とゆめ)
** 俎上の恋 (1996年、LaLa DX、1巻に収録)
** 鬼籍の人 (1997年、LaLa DX、1巻に収録)
** 海が呼んでるかも (1997年、LaLa DX、2巻に収録)
* '''蛇神さまといっしょ''' (2001年 - 2002年、花とゆめコミックス、全2巻)
** 蛇神さまといっしょ (2001年 - 2002年連載、別冊花とゆめ)
** そういうことだから (1997年、別冊花とゆめ、2巻に収録)
* '''だめっこどうぶつ''' (2003年 - 2020年、バンブーコミックス([[竹書房]])、全11巻)
** [[だめっこどうぶつ]] (2001年 - 2020年連載、まんがライフ他(竹書房))
* '''888 スリーエイト''' (2003年 - 2011年、バーズコミックス([[幻冬舎]])、全6巻)
** 888スリーエイト (2001年 - 2011年連載、Bstreet→ミステリービィストリート→スピカ→[[月刊バーズ|コミックバーズ]](幻冬舎))
* '''桑田乃梨子作品集ラッキー!!''' (2004年、ジェッツコミックス(白泉社))
** 34-さんじゅうし- (2001年、メロディ)
** プリンス・ガーデン (2002年、別冊花とゆめ)
**:『真夜中猫王子』の番外編。
** オッケー!! (2002年、別冊花とゆめ)
* '''豪放ライラック''' (2004年 - 2007年、ガムコミックス([[ワニブックス]])、全6巻)
** [[豪放ライラック]] (2003年 - 2007年連載、[[コミックガム]](ワニブックス))
* '''楽園番外地''' (2008年 - 2011年、ウンポココミックス→ウィングス・コミックス([[新書館]])、全2巻)
** 楽園番外地 (2005年 - 2010年連載、[[ウンポコ]]→ウェブウィングス(新書館))
* '''ふたごの妖精りるるとるりり''' (2009年 - 2010年、ワイドKC Kiss([[講談社]])、全2巻)
** ふたごの妖精りるるとるりり (2007年 - 2010年連載、One more Kiss→[[Kiss PLUS]](講談社))
* '''妖精派遣カンパニー''' (2012年、ワイドKC Kiss)
** 妖精派遣カンパニー (2010年 - 2012年連載、[[Kiss (雑誌)|Kiss]]→Kiss PLUS)
* '''放課後よりみち委員会''' (2012年 - 2013年、バーズコミックスデラックス、全4巻)
** 放課後よりみち委員会 (2011年 - 2013年連載、コミックバーズ)
* '''桑田乃梨子短編集やみなべ''' (2012年、バーズコミックスデラックス)
** プリンス・オブ・フールズ (2008年 - 2009年、別冊コーラスSpring→コーラス([[集英社]]))
** サロン・ド・エンド (2009年、別冊YOU(集英社))
** RPG (2009年、りぼんファンタジー増刊(集英社))
** 888スペシャル (2011年、コミックバーズ)
**:『888スリーエイト』の番外編。
** ドキドキ苦悶坂学問所 (2010年、[[まんがタイム]]([[芳文社]]))
** 麻雀ワイドSHOW!! (2008年、近代麻雀(竹書房))
** 夜ふかしシネマ倶楽部 (2004年、YOU)
* '''箱庭コスモス''' (2014年、[[ピュア百合アンソロジー ひらり、#ひらり、コミックス|ひらり、コミックス]](新書館))
** 箱庭コスモス (2010年 - 2013年連載、[[ピュア百合アンソロジー ひらり、]](新書館))
* '''祝福の歌姫''' (2014年、バーズコミックススピカコレクション(幻冬舎))
** 祝福の歌姫 (2013年 - 2014年連載、[[スピカ (雑誌)|comicスピカ]](幻冬舎))
* '''スキップ倶楽部''' (2013年 - 2017年、ウィングス・コミックス(新書館)、全2巻)
** スキップ倶楽部 (2013年 - 2017年連載、ウェブマガジンウィングス(新書館))
* '''明日も未解決''' (2017年、楽園コミックス(白泉社))
** 明日も未解決 (2012年 - 2016年連載、「[[楽園 Le Paradis|楽園]]」Web増刊(白泉社))
* '''くわた屋食堂''' (2019年、幻冬舎コミックス(幻冬舎))
** くわた屋食堂 (2017年 - 2019年連載、[[たそがれ食堂]](幻冬舎))
* '''そこに山があったとしても''' (2020年、楽園コミックス(白泉社))
** そこに山があったとしても (2017年 - 2020年連載、「楽園」Web増刊(白泉社))
* '''ざんねん!ねこ旅館''' (2020年 -、ダイトコミックスPC([[大都社]])、1巻 - 2巻)
** ざんねん!ねこ旅館 (2019年 - 連載中、ねことも(大都社))
=== エッセイコミックス ===
* '''飼うか飼われるか''' (1999年、ジェッツコミックス(白泉社))
** 飼うか飼われるか (1996年 - 1999年連載、PUTAO(白泉社))
**:読者から募集した動物に関するエピソードや、作者自身が世界中(自宅含む)で見た動物たちのレポートをつづったコミックエッセイ。
* '''飼うか飼われるかR''' (2011年、([[ジャイブ]]))
*:『飼うか飼われるか』の加筆・再構成版。
* '''日々是敗北''' (2009年、ガムコミックス(ワニブックス))
** [[日々是敗北]] (2007年 - 2009年連載、コミックガム(ワニブックス))
* '''ねこしつじ''' (2010年 - 2013年、ワイドKC BE・LOVE(講談社)、全4巻)
** ねこしつじ (2007年 - 2013年連載、ねこぞう→[[BE・LOVE]](講談社))
=== アンソロジー ===
* '''[[輪るピングドラム]] ファビュラス・アンソロジー''' (2012年、バーズエクストラ(幻冬舎))
* '''[[Axis powers ヘタリア|ヘタリア Axis Powers]] アンソロジー(1)''' (2017年、バーズコミックスデラックス(幻冬舎))
=== 白泉社文庫 ===
* '''卓球戦隊ぴんぽん5''' (2002年)
** 卓球戦隊ぴんぽん5 / 超卓球戦隊ぴんぽん5R / 合宿戦隊ぴんぽん5 / 戦隊だもの(描き下ろし)
* '''犬神くんと森島さん''' (2002年)
** 犬神くんシリーズ / あぶないティーチャーシリーズ / 人狼だもの&先生だもの(描き下ろし)
* '''おそろしくて言えない''' (2003年、全2巻)
** 陰鬱な因縁 / おそろしくて言えない / 再会の方程式 / 世紀末だから探偵編 / なかよしだもの(描き下ろし・1巻に収録)
** おそろしくて言えない / 世紀末だから探偵編2 / 調律の方程式 / 加虐の方程式 / もっとなかよしだもの(描き下ろし・2巻に収録)
* '''蒼紫の森''' (2004年)
** 快的労働の条件 / 反目の二連星 / 制服の君が好きだよ / ほぐれゆく私 / いつか夢で逢おうね / 漂泊の貴公子 / ケーキやケンちゃん / すしやのケンちゃん / 泣かないで-Don't cry baby- / ガラパゴスへいきました。 / 蒼紫の森 / 飼うか飼われるかSpecial / 制服だもの(描き下ろし)
* '''月刊1年2組''' (2005年)
** 月刊1年2組 / 増刊1年2組 / スターライトプリンセスあかり! / いちねんだもの(描き下ろし)
* '''君の瞳に三日月''' (2005年)
** 君の瞳に三日月 / ほとんど以上絶対未満 / ウは鵜飼のウ / 黒猫だもの(描き下ろし)
* '''一陽来福/1+1=0''' (2006年)
** 一陽来福 / 1+1=0 / 1+1は福だもの(描き下ろし)
* '''男の華園-A10大学男子新体操部-''' (2006年、全2巻)
** 男の華園-A10大学男子新体操部- / 後輩だもの(描き下ろし・1巻に収録) / 団体だもの(描き下ろし・2巻に収録)
* '''真夜中猫王子''' (2009年)
** 真夜中猫王子 / プリンス・ガーデン / 俎上の恋 / 鬼籍の人 / 海が呼んでるかも / ファンタジーだもの(描き下ろし)
=== イラスト ===
* '''B級グルメ大当りガイド'''(2005年、[[筑摩書房]]([[ちくま文庫]]) [[田沢竜次]] 著)
* '''B級グルメこの町が美味い!'''(2007年、筑摩書房(ちくま文庫) 田沢竜次 著)
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1,211 | ナス | ナス(茄子、茄、ナスビ、学名:Solanum melongena)は、ナス科ナス属の植物。また、その果実のこと。別名ナスビともよばれる。インド原産で、淡色野菜として世界中で栽培されている。果実は黒紫色が多いが、色や形は様々で多数の品種がある。
クセのない味わいと火を通したときのなめらかな食感が特徴で、品種によって様々な調理法があり、料理のジャンルを問わず使えるため、定番の野菜として欠かさないものとなっている。栄養的にはさほど見るべきものはないが、東洋医学では体温を下げる効果があるとされている。また皮の色素ナスニンは抗酸化作用があるアントシアニンの一種である。
和名ナスの語源については諸説あり、実の味から「中酸実」(なかすみ)の略であるとする説、夏に実がなるので「夏実」(なつみ)と読んだが、それが訛って「なすび」(奈須比)と呼ばれたとする説がある。室町時代頃に宮廷の女官が女房言葉として「おなす」と呼び、その呼称が定着した。
英名はオーバァジーン(Aubergine)(主に英国)、またはエッグプラント(Eggplant)(主に北米)で、仏名はオーベルジーヌ(aubergine)、伊名はメランザーナ(melanzana)、中国植物名では茄(か)もしくは茄子(かし)の名で広く栽培される。「茄」は植物をさし、「茄子」は果実をさすともいわれている。
インドの原産。原産地など熱帯地域では多年草であるが、温帯地域では一年草として畑で栽培されている。
茎は黒紫色で、高さ60 - 100センチメートル (cm) になる。中には茎にトゲが見られるものがある。葉は互生し、葉身は卵状楕円形で、葉縁は波打ち、葉柄に近いところでは左右非対称になる。葉にはトゲがあり、毛が生えている。
花期は夏から秋で、葉腋と次の葉柄の途中に花柄を出して、紫色の花を下向きに1個から数個咲かせる。ひとつの花柄に複数の花が咲いても、基部の1個以外は結実しない。
果実は品種によって形も色も様々で、色はふつう紫色であるが、中には緑色、白色のものがある。果肉は密度が低くスポンジ状である。ヘタの部分にはトゲが生えているものがあり、鋭いトゲは鮮度を見分ける方法の目安となるが、収穫の作業性向上や実に傷がつくという理由から棘の無い品種も開発されている。
ナスは寒さや乾燥には弱く、日当たりがよくて水を好む性質がある。
原産地はインドの東部が有力とされ、インドでは有史以前から栽培されていたと考えられている。その後、ビルマを経由して中国へ5世紀ごろに渡ったと考えられており、多くの変異が生じていった。ヨーロッパへは13世紀に伝わったが、もともと熱帯植物であったため、あまり普及はしなかった。東南アジアでは古くから栽培されており、日本では見られないような赤、黄、緑、白などカラフルで、形や大きさも様々な物が市場に並ぶようになった。
日本には7世紀から8世紀ごろに中国から伝わり、奈良時代から食されていたといわれ、東大寺正倉院の古文書で、「天平勝宝二年(750年)茄子進上」とあるのが日本最古の記録である。平城京の長屋王邸宅跡から出土した木簡に『進物 加須津毛瓜 加須津韓奈須比』との記述があり、高位の者への進物にナスの粕漬けが使われていたことが判明した。また、正倉院文書には「天平六年(734年)茄子十一斛、直一貫三百五十六文」をはじめとして多数の「茄子」の記述がみられる。平安時代中期に編纂された『延喜式』には、ナスの栽培方法の記載が見られる。1600年ごろ、静岡県三保では地温があたたまる砂地を利用した日本初の促成栽培がナスで始まり、旬の早い「折戸なす」が徳川家康にも献上されたといわれる。元は貴重な野菜であったが、江戸時代頃より広く栽培されるようになり、以降日本人にとってなじみのある庶民的な野菜となった。寛文年間(1661年 - 1673年)には江戸でも旬を先取りするナスの促成栽培が広がり、『農業全書』(1697年)には「紫、白、青の三色あり、又丸きあり長きあり」の記述があり、江戸時代から多くの品種が栽培されていたことがうかがえる。1918年(大正7年)、鹿児島県指宿で温泉ナスの栽培が始められ、1924年(大正13年)に世界で最初の野菜のF1品種がナスで実用化され、埼玉県農業試験場の柿崎洋一が「浦和交配1号」「浦和交配2号」を育成し、農家から「柿崎ナス」とよばれた。戦前の日本では、果菜類のなかで最も生産量が多いのがナスであったが、終戦後は生食できる野菜に抜かれた。1961年(昭和36年)に誕生した「千両」は実の形と食味の良さからヒットし、1964年(昭和39年)にはさらに改良された「千両二号」がロングセラーとなった。
夏に収穫する野菜で、日当たりの良い場所で、春の気温が十分暖かくなってきたら苗を植えて育てる。苗は、一般の種から育てただけのものと、接ぎ木苗があるが、耐病性に優れるのは接ぎ木苗の方である。栽培時期は晩春から秋まで(5 - 10月)で、夏の暑さによく耐える。果菜の中では高温を好む性質で、栽培適温は昼温28 - 30度、夜温15 - 28度とされ、10度以下では成長が悪くなる。早いものは初夏(6月ころ)から収穫が始まり、夏に剪定して切り戻せば秋まで実がなる。よい実を収穫するには、伸び始めのわき芽摘みと、夏場の水やりと追肥が重要になってくる。実の着色は光線に敏感であり、光線不足は発色不良の原因となるので、混みいった葉を除いて実に光線を当てるようにする。大型サイズのプランター(コンテナ)を使っても栽培することができる。
連作障害が出やすいので、接ぎ木苗を使わない場合は3 - 5年はナス科の野菜を作っていない畑で育てる。根は深く張るほうであるため、畑の元肥は深い位置に入れて根張りをよくするとよい。苗をつくる場合は、育苗箱などに種を4 - 5 cm間隔で蒔き、地温28 - 30度になるように保温養生すると発芽するので間引きを行い、葉が1枚になったら育苗ポットに鉢上げする。ただし、ナスが生育期に入ったころ急に萎れて枯れてしまう青枯病、半枯病などの萎縮性障害が出ることが多いため、対策として台木専用種の「赤ナス」などの台木に次ぐのが一般的で、市場にも苗が広く出回っている。
最低気温が15度を下回らなくなってから、地域の気候に適した品種の苗を植え付ける。乾燥を嫌うため、藁やビニールなどでマルチングをするとよい。苗が伸びてきたら、主枝とすぐ下の勢いがある枝を残して、「二本仕立て」あるいは「三本仕立て」で育てるのが基本である。1株に1本支柱を立てて、主枝と支柱を紐で結んで支えても良い。はじめの枝が伸びて枝が充実してくると、開花して実がつき始めるが、栄養分を奪われないように1番果は小さなうちに摘み取って、株を充実させる。気温が上がると、次々と実がなるようになるので、へたの上を切ってまめに収穫する。実を長く株につけておくと、実が固くなってくる。ナスは栄養をたくさん必要とする野菜で、栄養不足にならないようにこまめに追肥することが肝要になる。雨が降らないときには実がかたくなってしまうため、十分な水やりも必要になる。栄養状態がよいと枝先から少し離れて花がつき、雌しべが長い「長花柱花」がつくが、肥料が不足してくると、枝先に花が咲くようになり、雌しべが短い「短花柱花」が多くつくようになる。
真夏になると、枝が混み合い生長が鈍り、さらに枝の老化によって実付きが悪くなってくる。そこで、葉を2 - 3枚残して、地面から高さの約2分の1から3分の1くらいのところで枝を切り詰める切返し剪定(更新剪定)を行う。さらに剪定した株のまわりの根を切って肥料と水を十分与えておくと、新しい枝や葉が伸びて約1か月後に再び実がつき、10月ごろまで「秋なす」を収穫できるようになる。
ナスの代表的な病気に、葉が緑色のうちに急激にしおれてしまう青枯れ病があり、梅雨明けから夏に発生しやすい。害虫はアブラムシ、オオニジュウヤホシテントウ、ダニ類がつきやすい。連作障害が出やすい植物なので、同じナス科のトマトやジャガイモ、ピーマンを植えた場所では、4 - 5年ほど空けないと土壌伝染する病気になりやすい。害虫がつき始めたら、葉の色に注意して、葉の表裏に薬剤を散布して防除する。ネギやニラなどネギ属植物を混植しておくことで、これら病気を防いだり害虫よけの効果が期待できる。同様にコンパニオンプランツとして、マリーゴールドは土中のセンチュウ駆除や他の害虫よけ、バジルやナスタチウムはアブラムシをつきにくくする効果が期待できる。
品種は数が多く、産地によっても様々で、日本では概ね70種類ほどある。世界では1000種類もあると言われている。
賀茂茄子などの一部、例外もあるが、日本においては南方ほど晩生の長実または大長実で、北方ほど早生の小実品種となる。本州の中間地では中間的な中長品種が栽培されてきた。これは寒い地域では栽培期間が短く大きな実を収穫する事が難しい上に、冬季の保存食として小さい実のほうが漬物に加工しやすいからである。日本で一般に流通している品種は中長品種が中長ナスである。日本で栽培される栽培品種のほとんどは果皮が紫色又は黒紫色である。しかしヨーロッパやアメリカ等では白・黄緑色・明るい紫、さらに縞模様の品種も広く栽培される。
栽培の歴史が長いことから、その土地ならではの伝統品種が多く、北部で丸・卵形の小・中型品種、中部が卵形・中長形の品種、南部では長形・大型品種が多い傾向がある。在来品種は東北の仙台長、山形の民田なす、京都の賀茂なす、大阪泉州の水なす、九州の大長茄子などがよく知られる。
日本では全国的に栽培されており、出荷量が最も多い高知県をはじめ、栃木県、福岡県、群馬県などが主産地である。季節により春は大阪府・岡山県・佐賀県・熊本県産、夏から秋は茨城県産も代表的である。夏野菜のため出荷量のピークは6月であるが、通年安定して出回っている。日本への輸入は、韓国産やニュージーランド産が主に輸入されている。
実際の栄養価は、栽培条件、生育環境、収穫時期、品種などで異なるため一覧表に記載されている値は代表値である。
ナス果実の93%以上は水分である。他の野菜と比べると低カロリーで、脂肪燃焼ビタミンといわれるビタミンB2などをバランスよく含んでいる。ビタミン類はほとんど含まれていないとする意見はあるが、ビタミンCや、カリウム、カルシウムなどのミネラル類は比較的少ないながらも、まんべんなく含まれている。食物繊維は淡色野菜としては平均的な量である。
またナスにはコリンという機能性成分が含まれている。このコリンは無色の強アルカリ性物質で、血圧やコレステロールを下げる、動脈硬化を防ぐ、胃液の分泌を促す、肝臓の働きを良くする、気分改善効果などの作用が認められている。
「茄子紺」とよばれるナス果皮の暗紫色の色素成分は、ポリフェノールの一種で、アントシアニン系の色素ナスニンである。ナスニンには抗酸化作用があり、動脈硬化予防や老化予防などに効果があるとされている、またナスニンは水溶性で、加水分解によりデルフィニジンとなり、鉄やニッケルイオンが存在すると安定した塩(えん)をつくるという特徴がある。ナスの漬物を作るときに鮮やかな色を保たせるために、ナスと一緒に鉄くぎなどを入れるのはこのためである。
果実は未熟で果肉や種子が柔らかいうちに収穫し、食用とする。野菜としての旬は初夏から初秋(6 - 9月)で、果皮は変色がなく張りツヤがあり、へたのトゲが鋭いものが良品とされる。ナスは味や香りにクセがないが、皮の下の部分に苦味がある。また、産地や品種により、灰汁の多い・少ないに差がある。料理は、蒸し物、煮物、炒め物や漬物など、幅広く使われている。特に油との相性がよく、炒めたり揚げたりするとやわらかくなり、おいしく食べられる。ナスは身体を冷やす作用があることから、夏に食べるのには向いている野菜といえるが、多く摂取すると身体を冷やしすぎてしまうため、ショウガなどの身体を温める作用がある食材と一緒に食べるとよいとされる。
焼く、煮る、揚げるなどあらゆる方法で調理される。淡白な味で他の食材とも合せやすく、また油を良く吸収し相性が良い。野菜炒めなどで油を吸わせたくない場合は、油を入れる前にナスを少量の水で軽く煮るように炒めて、スポンジ状の実に水分を含ませてやると油を吸い難くなる。皮も薄く柔らかいので剥かずに調理されることが多い。
果実を切ったら切り口から灰汁がまわって酸化が始まり、放置すると次第に変色してくる。ナスはポリフェノール系化合物による褐変を起こしやすい食材であり、この褐変を防ぐために水につけるのが一般的で、食塩水を利用すると酵素作用も抑制できる。しかし、ナスニンは水溶性のため、長時間水につけると流れ出てしまうため、調理する直前に切ってすぐに加熱調理すればナスニンの損失は少なく済む。
また、ナス科植物なのでアルカロイド(灰汁)を多く含み、一部の品種を除き生食はされない。加熱調理しない場合は漬物にするか、塩揉みで灰汁抜きしてから供される。塩で揉んだ後さらにマリネなどに加工されることもある。多くの栽培品種は、品種改良により灰汁が少なくなっている。灰汁は空気に触れると酸化して出てくるため、切ったらすぐに調理してしまえば水につけなくてもよい。大阪の泉州水茄子など水なすと呼ばれる一部の品種は生食が可能で、皮を剥いて味噌だれで食べることができるほか、漬け物(ぬかづけ)などにもする。
日本では、しぎ焼き、揚げ出し、麻婆茄子、浅漬け、ぬか漬けなどにして食べられる。長ナスは肉質がやわらかく素焼きして焼きなすに向く。一口なすともよばれる民田なすは丸ごと辛子漬けに、水なすはぬか漬けにされることが多い。
乾燥と低温に弱いため、紙袋などに入れて風通しのよい10 - 15度ほどの冷暗所に保存する。ただし、気温が高い時期に保存したいときは、ラップなどに包み、冷蔵庫に入れれば2 - 3日ほどは持つ。ただし、冷蔵すると皮も果肉もかたくなってしまい、風味も落ちる。実を薄くスライスして、天日で乾燥させて干しナスにすると、長期保存も可能である。
ナスの果実、茎、へた、根、花などは薬用にできるため、民間療法で、打ち身、捻挫、やけど、しもやけ、腫れ物、イボ、あかぎれ、二日酔いなどに薬効があるといわれている。果実は茄子(かし)、へたは茄蔕(かてい)と称して生薬になる。
打ち身、捻挫、軽いやけどには、十分に冷やした果実を縦切りにして、切り口を患部に当てることを何度も繰り返すと、効果があるといわれている。しもやけには、乾燥した茎10 - 20グラムを水600 ccで煎じた液(水性エキス)で、患部を洗う。腫れ物には、乾燥したヘタ10グラムを600 ccの水で煎じた液で患部を湿布する。イボには、切り口で直接患部をこする。あかぎれでは、乾燥した根10 - 20グラムを同様に煎じた液を患部につける。二日酔いの場合では、乾燥した花とクズの花を各5グラムずつ入れた水400 ccを煎じて、服用すると良いといわれている。
ナスのへたの黒焼きを作って、粉末状にして食塩を混ぜたものは歯磨き粉代わりになり、歯槽膿漏、歯痛、口内炎に効果があるといわれている。痔には、果実を黒焼きにして粉末にしたものを1回量1グラム、1日3回服用する用法が知られる。
ナスには鎮静・消炎の効果がある考えられてきたことから、日本では昔から茄子を食べると体温を下げて、のぼせに有効とされてきた。『和漢三才図会』ではヘタにしゃっくり止めの効果があるとされるが、俗信の域を出ない。 | [
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"text": "ナスは寒さや乾燥には弱く、日当たりがよくて水を好む性質がある。",
"title": "特徴"
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"text": "原産地はインドの東部が有力とされ、インドでは有史以前から栽培されていたと考えられている。その後、ビルマを経由して中国へ5世紀ごろに渡ったと考えられており、多くの変異が生じていった。ヨーロッパへは13世紀に伝わったが、もともと熱帯植物であったため、あまり普及はしなかった。東南アジアでは古くから栽培されており、日本では見られないような赤、黄、緑、白などカラフルで、形や大きさも様々な物が市場に並ぶようになった。",
"title": "歴史"
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"text": "日本には7世紀から8世紀ごろに中国から伝わり、奈良時代から食されていたといわれ、東大寺正倉院の古文書で、「天平勝宝二年(750年)茄子進上」とあるのが日本最古の記録である。平城京の長屋王邸宅跡から出土した木簡に『進物 加須津毛瓜 加須津韓奈須比』との記述があり、高位の者への進物にナスの粕漬けが使われていたことが判明した。また、正倉院文書には「天平六年(734年)茄子十一斛、直一貫三百五十六文」をはじめとして多数の「茄子」の記述がみられる。平安時代中期に編纂された『延喜式』には、ナスの栽培方法の記載が見られる。1600年ごろ、静岡県三保では地温があたたまる砂地を利用した日本初の促成栽培がナスで始まり、旬の早い「折戸なす」が徳川家康にも献上されたといわれる。元は貴重な野菜であったが、江戸時代頃より広く栽培されるようになり、以降日本人にとってなじみのある庶民的な野菜となった。寛文年間(1661年 - 1673年)には江戸でも旬を先取りするナスの促成栽培が広がり、『農業全書』(1697年)には「紫、白、青の三色あり、又丸きあり長きあり」の記述があり、江戸時代から多くの品種が栽培されていたことがうかがえる。1918年(大正7年)、鹿児島県指宿で温泉ナスの栽培が始められ、1924年(大正13年)に世界で最初の野菜のF1品種がナスで実用化され、埼玉県農業試験場の柿崎洋一が「浦和交配1号」「浦和交配2号」を育成し、農家から「柿崎ナス」とよばれた。戦前の日本では、果菜類のなかで最も生産量が多いのがナスであったが、終戦後は生食できる野菜に抜かれた。1961年(昭和36年)に誕生した「千両」は実の形と食味の良さからヒットし、1964年(昭和39年)にはさらに改良された「千両二号」がロングセラーとなった。",
"title": "歴史"
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"text": "夏に収穫する野菜で、日当たりの良い場所で、春の気温が十分暖かくなってきたら苗を植えて育てる。苗は、一般の種から育てただけのものと、接ぎ木苗があるが、耐病性に優れるのは接ぎ木苗の方である。栽培時期は晩春から秋まで(5 - 10月)で、夏の暑さによく耐える。果菜の中では高温を好む性質で、栽培適温は昼温28 - 30度、夜温15 - 28度とされ、10度以下では成長が悪くなる。早いものは初夏(6月ころ)から収穫が始まり、夏に剪定して切り戻せば秋まで実がなる。よい実を収穫するには、伸び始めのわき芽摘みと、夏場の水やりと追肥が重要になってくる。実の着色は光線に敏感であり、光線不足は発色不良の原因となるので、混みいった葉を除いて実に光線を当てるようにする。大型サイズのプランター(コンテナ)を使っても栽培することができる。",
"title": "栽培"
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"text": "連作障害が出やすいので、接ぎ木苗を使わない場合は3 - 5年はナス科の野菜を作っていない畑で育てる。根は深く張るほうであるため、畑の元肥は深い位置に入れて根張りをよくするとよい。苗をつくる場合は、育苗箱などに種を4 - 5 cm間隔で蒔き、地温28 - 30度になるように保温養生すると発芽するので間引きを行い、葉が1枚になったら育苗ポットに鉢上げする。ただし、ナスが生育期に入ったころ急に萎れて枯れてしまう青枯病、半枯病などの萎縮性障害が出ることが多いため、対策として台木専用種の「赤ナス」などの台木に次ぐのが一般的で、市場にも苗が広く出回っている。",
"title": "栽培"
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"text": "最低気温が15度を下回らなくなってから、地域の気候に適した品種の苗を植え付ける。乾燥を嫌うため、藁やビニールなどでマルチングをするとよい。苗が伸びてきたら、主枝とすぐ下の勢いがある枝を残して、「二本仕立て」あるいは「三本仕立て」で育てるのが基本である。1株に1本支柱を立てて、主枝と支柱を紐で結んで支えても良い。はじめの枝が伸びて枝が充実してくると、開花して実がつき始めるが、栄養分を奪われないように1番果は小さなうちに摘み取って、株を充実させる。気温が上がると、次々と実がなるようになるので、へたの上を切ってまめに収穫する。実を長く株につけておくと、実が固くなってくる。ナスは栄養をたくさん必要とする野菜で、栄養不足にならないようにこまめに追肥することが肝要になる。雨が降らないときには実がかたくなってしまうため、十分な水やりも必要になる。栄養状態がよいと枝先から少し離れて花がつき、雌しべが長い「長花柱花」がつくが、肥料が不足してくると、枝先に花が咲くようになり、雌しべが短い「短花柱花」が多くつくようになる。",
"title": "栽培"
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"text": "真夏になると、枝が混み合い生長が鈍り、さらに枝の老化によって実付きが悪くなってくる。そこで、葉を2 - 3枚残して、地面から高さの約2分の1から3分の1くらいのところで枝を切り詰める切返し剪定(更新剪定)を行う。さらに剪定した株のまわりの根を切って肥料と水を十分与えておくと、新しい枝や葉が伸びて約1か月後に再び実がつき、10月ごろまで「秋なす」を収穫できるようになる。",
"title": "栽培"
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"text": "ナスの代表的な病気に、葉が緑色のうちに急激にしおれてしまう青枯れ病があり、梅雨明けから夏に発生しやすい。害虫はアブラムシ、オオニジュウヤホシテントウ、ダニ類がつきやすい。連作障害が出やすい植物なので、同じナス科のトマトやジャガイモ、ピーマンを植えた場所では、4 - 5年ほど空けないと土壌伝染する病気になりやすい。害虫がつき始めたら、葉の色に注意して、葉の表裏に薬剤を散布して防除する。ネギやニラなどネギ属植物を混植しておくことで、これら病気を防いだり害虫よけの効果が期待できる。同様にコンパニオンプランツとして、マリーゴールドは土中のセンチュウ駆除や他の害虫よけ、バジルやナスタチウムはアブラムシをつきにくくする効果が期待できる。",
"title": "栽培"
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"text": "品種は数が多く、産地によっても様々で、日本では概ね70種類ほどある。世界では1000種類もあると言われている。",
"title": "品種"
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"text": "賀茂茄子などの一部、例外もあるが、日本においては南方ほど晩生の長実または大長実で、北方ほど早生の小実品種となる。本州の中間地では中間的な中長品種が栽培されてきた。これは寒い地域では栽培期間が短く大きな実を収穫する事が難しい上に、冬季の保存食として小さい実のほうが漬物に加工しやすいからである。日本で一般に流通している品種は中長品種が中長ナスである。日本で栽培される栽培品種のほとんどは果皮が紫色又は黒紫色である。しかしヨーロッパやアメリカ等では白・黄緑色・明るい紫、さらに縞模様の品種も広く栽培される。",
"title": "品種"
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"text": "栽培の歴史が長いことから、その土地ならではの伝統品種が多く、北部で丸・卵形の小・中型品種、中部が卵形・中長形の品種、南部では長形・大型品種が多い傾向がある。在来品種は東北の仙台長、山形の民田なす、京都の賀茂なす、大阪泉州の水なす、九州の大長茄子などがよく知られる。",
"title": "品種"
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"text": "日本では全国的に栽培されており、出荷量が最も多い高知県をはじめ、栃木県、福岡県、群馬県などが主産地である。季節により春は大阪府・岡山県・佐賀県・熊本県産、夏から秋は茨城県産も代表的である。夏野菜のため出荷量のピークは6月であるが、通年安定して出回っている。日本への輸入は、韓国産やニュージーランド産が主に輸入されている。",
"title": "生産"
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"text": "実際の栄養価は、栽培条件、生育環境、収穫時期、品種などで異なるため一覧表に記載されている値は代表値である。",
"title": "栄養素"
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"text": "ナス果実の93%以上は水分である。他の野菜と比べると低カロリーで、脂肪燃焼ビタミンといわれるビタミンB2などをバランスよく含んでいる。ビタミン類はほとんど含まれていないとする意見はあるが、ビタミンCや、カリウム、カルシウムなどのミネラル類は比較的少ないながらも、まんべんなく含まれている。食物繊維は淡色野菜としては平均的な量である。",
"title": "栄養素"
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"text": "またナスにはコリンという機能性成分が含まれている。このコリンは無色の強アルカリ性物質で、血圧やコレステロールを下げる、動脈硬化を防ぐ、胃液の分泌を促す、肝臓の働きを良くする、気分改善効果などの作用が認められている。",
"title": "栄養素"
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"text": "「茄子紺」とよばれるナス果皮の暗紫色の色素成分は、ポリフェノールの一種で、アントシアニン系の色素ナスニンである。ナスニンには抗酸化作用があり、動脈硬化予防や老化予防などに効果があるとされている、またナスニンは水溶性で、加水分解によりデルフィニジンとなり、鉄やニッケルイオンが存在すると安定した塩(えん)をつくるという特徴がある。ナスの漬物を作るときに鮮やかな色を保たせるために、ナスと一緒に鉄くぎなどを入れるのはこのためである。",
"title": "栄養素"
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"text": "果実は未熟で果肉や種子が柔らかいうちに収穫し、食用とする。野菜としての旬は初夏から初秋(6 - 9月)で、果皮は変色がなく張りツヤがあり、へたのトゲが鋭いものが良品とされる。ナスは味や香りにクセがないが、皮の下の部分に苦味がある。また、産地や品種により、灰汁の多い・少ないに差がある。料理は、蒸し物、煮物、炒め物や漬物など、幅広く使われている。特に油との相性がよく、炒めたり揚げたりするとやわらかくなり、おいしく食べられる。ナスは身体を冷やす作用があることから、夏に食べるのには向いている野菜といえるが、多く摂取すると身体を冷やしすぎてしまうため、ショウガなどの身体を温める作用がある食材と一緒に食べるとよいとされる。",
"title": "食材"
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"text": "焼く、煮る、揚げるなどあらゆる方法で調理される。淡白な味で他の食材とも合せやすく、また油を良く吸収し相性が良い。野菜炒めなどで油を吸わせたくない場合は、油を入れる前にナスを少量の水で軽く煮るように炒めて、スポンジ状の実に水分を含ませてやると油を吸い難くなる。皮も薄く柔らかいので剥かずに調理されることが多い。",
"title": "食材"
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"text": "果実を切ったら切り口から灰汁がまわって酸化が始まり、放置すると次第に変色してくる。ナスはポリフェノール系化合物による褐変を起こしやすい食材であり、この褐変を防ぐために水につけるのが一般的で、食塩水を利用すると酵素作用も抑制できる。しかし、ナスニンは水溶性のため、長時間水につけると流れ出てしまうため、調理する直前に切ってすぐに加熱調理すればナスニンの損失は少なく済む。",
"title": "食材"
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"text": "また、ナス科植物なのでアルカロイド(灰汁)を多く含み、一部の品種を除き生食はされない。加熱調理しない場合は漬物にするか、塩揉みで灰汁抜きしてから供される。塩で揉んだ後さらにマリネなどに加工されることもある。多くの栽培品種は、品種改良により灰汁が少なくなっている。灰汁は空気に触れると酸化して出てくるため、切ったらすぐに調理してしまえば水につけなくてもよい。大阪の泉州水茄子など水なすと呼ばれる一部の品種は生食が可能で、皮を剥いて味噌だれで食べることができるほか、漬け物(ぬかづけ)などにもする。",
"title": "食材"
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"text": "日本では、しぎ焼き、揚げ出し、麻婆茄子、浅漬け、ぬか漬けなどにして食べられる。長ナスは肉質がやわらかく素焼きして焼きなすに向く。一口なすともよばれる民田なすは丸ごと辛子漬けに、水なすはぬか漬けにされることが多い。",
"title": "食材"
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"text": "乾燥と低温に弱いため、紙袋などに入れて風通しのよい10 - 15度ほどの冷暗所に保存する。ただし、気温が高い時期に保存したいときは、ラップなどに包み、冷蔵庫に入れれば2 - 3日ほどは持つ。ただし、冷蔵すると皮も果肉もかたくなってしまい、風味も落ちる。実を薄くスライスして、天日で乾燥させて干しナスにすると、長期保存も可能である。",
"title": "食材"
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{
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"text": "ナスの果実、茎、へた、根、花などは薬用にできるため、民間療法で、打ち身、捻挫、やけど、しもやけ、腫れ物、イボ、あかぎれ、二日酔いなどに薬効があるといわれている。果実は茄子(かし)、へたは茄蔕(かてい)と称して生薬になる。",
"title": "薬用"
},
{
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"tag": "p",
"text": "打ち身、捻挫、軽いやけどには、十分に冷やした果実を縦切りにして、切り口を患部に当てることを何度も繰り返すと、効果があるといわれている。しもやけには、乾燥した茎10 - 20グラムを水600 ccで煎じた液(水性エキス)で、患部を洗う。腫れ物には、乾燥したヘタ10グラムを600 ccの水で煎じた液で患部を湿布する。イボには、切り口で直接患部をこする。あかぎれでは、乾燥した根10 - 20グラムを同様に煎じた液を患部につける。二日酔いの場合では、乾燥した花とクズの花を各5グラムずつ入れた水400 ccを煎じて、服用すると良いといわれている。",
"title": "薬用"
},
{
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"text": "ナスのへたの黒焼きを作って、粉末状にして食塩を混ぜたものは歯磨き粉代わりになり、歯槽膿漏、歯痛、口内炎に効果があるといわれている。痔には、果実を黒焼きにして粉末にしたものを1回量1グラム、1日3回服用する用法が知られる。",
"title": "薬用"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "ナスには鎮静・消炎の効果がある考えられてきたことから、日本では昔から茄子を食べると体温を下げて、のぼせに有効とされてきた。『和漢三才図会』ではヘタにしゃっくり止めの効果があるとされるが、俗信の域を出ない。",
"title": "薬用"
}
] | ナスは、ナス科ナス属の植物。また、その果実のこと。別名ナスビともよばれる。インド原産で、淡色野菜として世界中で栽培されている。果実は黒紫色が多いが、色や形は様々で多数の品種がある。 クセのない味わいと火を通したときのなめらかな食感が特徴で、品種によって様々な調理法があり、料理のジャンルを問わず使えるため、定番の野菜として欠かさないものとなっている。栄養的にはさほど見るべきものはないが、東洋医学では体温を下げる効果があるとされている。また皮の色素ナスニンは抗酸化作用があるアントシアニンの一種である。 | {{redirectlist|なすび'''」、「'''茄子|日本のタレント|なすび (タレント)|'''ナス'''、'''茄子'''のその他の用法|ナス (曖昧さ回避)}}
{{生物分類表
| 色 = lightgreen
| 名称 = ナス
| 画像 = [[ファイル:Aubergine.jpg|250px|center|ナスの果実]]
| 画像キャプション = ナスの果実
| 界 = [[植物界]] [[:w:Plantae|Plantae]]
| 門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||Angiosperms}}
| 綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||Eudicots}}
| 亜綱階級なし = [[キク類]] {{Sname||Asterids}}
| 目 = [[ナス目]] {{Sname||Solanales}}
| 科 = [[ナス科]] {{Sname||Solanaceae}}
| 属 = [[ナス属]] {{Snamei||Solanum}}
| 種 = '''ナス''' {{Snamei|S. melongena}}
| 学名 = {{Snamei|Solanum melongena}} {{AU|L.}} {{small|([[1753年|1753]])}}<ref>{{YList|id=10253|taxon=Solanum melongena L. ナス(標準)|accessdate=2023-08-05}}</ref>
| シノニム =
| 和名 = ナス<br />ナスビ
| 英名 = aubergine(英)<br />eggplant(米、豪)<br />brinjal(南アジア、南アフリカ)
| 下位分類名 =
| 下位分類 =
| 生息図 =
| 生息図幅 =
| 生息図キャプション =
}}
'''ナス'''(茄子{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=86}}、茄、ナスビ、[[学名]]:{{snamei|Solanum melongena}})は、[[ナス科]][[ナス属]]の植物。また、その[[果実]]のこと。別名ナスビともよばれる{{sfn|貝津好孝|1995|p=146}}。インド原産で、[[淡色野菜]]として世界中で栽培されている。果実は黒紫色が多いが、色や形は様々で多数の品種がある。
クセのない味わいと火を通したときのなめらかな食感が特徴で、品種によって様々な[[調理法]]があり、料理のジャンルを問わず使えるため、定番の野菜として欠かさないものとなっている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=24}}<ref name="chunichi2016720">{{Cite news | title = 湖国の食 ナス 多様な料理を楽しむ| newspaper = [[中日新聞]]| date = 2016-07-20 | author = 小川正| publisher = 中日新聞社 | page = 朝刊 びわこ版 17}}</ref>。栄養的にはさほど見るべきものはないが、[[東洋医学]]では体温を下げる効果があるとされている。また皮の色素ナスニンは[[抗酸化物質|抗酸化作用]]がある[[アントシアニン]]の一種である。
[[ファイル:Leiden University Library - Seikei Zusetsu vol. 26, page 027 - 渤海茄, 水茄 - Solanum melongena L. - 茄子 - idem, 1804.jpg|サムネイル|『[[成形図説]]』より]]
== 名称 ==
[[和名]]'''ナス'''の[[語源]]については諸説あり、実の味から「中酸実」(なかすみ)の略であるとする説<ref>{{Cite book|和書|author=加納喜光|year=2007|page=182 |title=動植物の漢字がわかる本|publisher=[[山海堂 (出版社)|山海堂]]|isbn=4-381-02200-9}}</ref><ref name=pocket>{{Cite book|和書|author=石尾員浩|year=1995|page=118|title=野菜と果物 ポケット図鑑|publisher=[[主婦の友社]]|isbn=4-07-216639-1}}</ref>、夏に実がなるので「夏実」(なつみ)と読んだが、それが訛って「なすび」(奈須比)と呼ばれたとする説がある{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。室町時代頃に宮廷の女官が[[女房言葉]]として「おなす」と呼び<ref name=pocket/>、その呼称が定着した。
[[英語|英名]]はオーバァジーン({{lang|en|Aubergine}})(主に英国)、またはエッグプラント({{lang|en|Eggplant}})(主に北米)で、[[フランス語|仏名]]はオーベルジーヌ({{lang|fr|aubergine}})、[[イタリア語|伊名]]はメランザーナ({{lang|it|melanzana}}){{sfn|講談社編|2013|p=64}}、[[中国]]植物名では'''茄'''(か)もしくは'''茄子'''(かし)の名で広く栽培される{{sfn|貝津好孝|1995|p=146}}。「茄」は植物をさし、「茄子」は果実をさすともいわれている{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。
== 特徴 ==
[[インド]]の原産{{sfn|田中孝治|1995|p=198}}。原産地など[[熱帯]]地域では[[多年草]]であるが、[[温帯]]地域では[[一年草]]として畑で栽培されている{{sfn|田中孝治|1995|p=198}}。
[[茎]]は黒紫色で、高さ60 - 100[[センチメートル]] (cm) になる{{sfn|田中孝治|1995|p=198}}。中には茎にトゲが見られるものがある{{sfn|田中孝治|1995|p=198}}。[[葉]]は[[互生]]し、[[葉身]]は卵状楕円形で、[[葉縁]]は波打ち、[[葉柄]]に近いところでは左右非対称になる{{sfn|田中孝治|1995|p=198}}。葉にはトゲがあり、毛が生えている。
花期は夏から秋で、[[葉腋]]と次の葉柄の途中に[[花柄]]を出して、紫色の[[花]]を下向きに1個から数個咲かせる{{sfn|田中孝治|1995|p=198}}。ひとつの花柄に複数の花が咲いても、基部の1個以外は結実しない{{sfn|田中孝治|1995|p=198}}。
[[果実]]は品種によって形も色も様々で、色はふつう紫色であるが、中には緑色、白色のものがある{{sfn|田中孝治|1995|p=199}}。[[果肉]]は密度が低くスポンジ状である。ヘタの部分にはトゲが生えているものがあり、鋭いトゲは鮮度を見分ける方法の目安となるが、収穫の作業性向上や実に傷がつくという理由から棘の無い品種も開発されている。
ナスは寒さや乾燥には弱く、日当たりがよくて水を好む性質がある{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|pp=36–37}}。
<gallery>
Solanum melongena ja01.jpg|ナス全体
Nasu03.JPG|ナスの葉
Nasu00.JPG|ナスの蕾
Nasu01.JPG|ナスの花
Nasu02.JPG|若い果実
Eggplant-sliced.jpg|果実の断面
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== 歴史 ==
原産地は[[インド]]の東部が有力とされ{{sfn|大久保|1995|p=148}}、インドでは有史以前から栽培されていたと考えられている{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。その後、[[ミャンマー|ビルマ]]を経由して[[中国]]へ5世紀ごろに渡ったと考えられており、多くの変異が生じていった{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。[[ヨーロッパ]]へは13世紀に伝わったが、もともと熱帯植物であったため、あまり普及はしなかった{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。[[東南アジア]]では古くから栽培されており、[[日本]]では見られないような赤、黄、緑、白などカラフルで、形や大きさも様々な物が市場に並ぶようになった{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。
日本には7世紀から8世紀ごろに中国から伝わり{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=31}}、[[奈良時代]]から食されていたといわれ{{sfn|主婦の友社編|2011|p=24}}、東大寺正倉院の古文書で、「天平勝宝二年(750年)茄子進上」とあるのが日本最古の記録である{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。[[平城京]]の[[長屋王]]邸宅跡から出土した木簡に『進物 加須津[[冬瓜|毛瓜]] 加須津韓'''奈須比'''』との記述があり、高位の者への進物にナスの[[粕漬け]]が使われていたことが判明した。また、[[正倉院文書]]には「[[天平]]六年([[734年]])'''茄子'''十一斛、直一貫三百五十六文」をはじめとして多数の「茄子」の記述がみられる。[[平安時代]]中期に編纂された『[[延喜式]]』には、ナスの栽培方法の記載が見られる{{sfn|竹下大学|2022|p=80}}。1600年ごろ、静岡県三保では地温があたたまる砂地を利用した日本初の促成栽培がナスで始まり、旬の早い「折戸なす」が[[徳川家康]]にも献上されたといわれる{{sfn|竹下大学|2022|p=80}}。元は貴重な野菜であったが、江戸時代頃より広く栽培されるようになり、以降日本人にとってなじみのある庶民的な[[野菜]]となった<ref>{{Cite book |和書 |author=武光誠|authorlink=武光誠|year=1998|pages=230-231 |title=歴史からうまれた日常語用語辞典 |publisher=[[東京堂出版]] |isbn=4-490-10486-3}}</ref>。[[寛文]]年間(1661年 - 1673年)には江戸でも旬を先取りするナスの促成栽培が広がり{{sfn|竹下大学|2022|p=80}}、『[[農業全書]]』(1697年)には「紫、白、青の三色あり、又丸きあり長きあり」の記述があり、江戸時代から多くの品種が栽培されていたことがうかがえる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}。1918年([[大正]]7年)、鹿児島県指宿で温泉ナスの栽培が始められ{{sfn|竹下大学|2022|p=80}}、1924年(大正13年)に世界で最初の野菜の[[F1品種]]がナスで実用化され、埼玉県農業試験場の柿崎洋一が「浦和交配1号」「浦和交配2号」を育成し、農家から「柿崎ナス」とよばれた{{sfn|竹下大学|2022|p=81}}。戦前の日本では、果菜類のなかで最も生産量が多いのがナスであったが、終戦後は生食できる野菜に抜かれた{{sfn|大竹大学|2022|p=81}}。1961年(昭和36年)に誕生した「千両」は実の形と食味の良さからヒットし、1964年(昭和39年)にはさらに改良された「千両二号」がロングセラーとなった{{sfn|竹下大学|2022|p=81}}。
== 栽培 ==
夏に収穫する野菜で、日当たりの良い場所で、春の気温が十分暖かくなってきたら[[苗]]を植えて育てる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=28}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=241}}。苗は、一般の種から育てただけのものと、[[接ぎ木]]苗があるが、耐病性に優れるのは接ぎ木苗の方である{{sfn|主婦の友社編|2011|p=28}}。栽培時期は晩春から秋まで(5 - 10月)で、夏の暑さによく耐える{{sfn|主婦の友社編|2011|p=28}}{{sfn|板木利隆|2020|p=22}}。果菜の中では高温を好む性質で、栽培適温は昼温28 - 30[[セルシウス度|度]]、夜温15 - 28度とされ、10度以下では成長が悪くなる{{sfn|板木利隆|2020|p=22}}。早いものは初夏(6月ころ)から収穫が始まり、夏に[[剪定]]して切り戻せば秋まで実がなる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=28}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=241}}。よい実を収穫するには、伸び始めのわき芽摘みと、夏場の水やりと[[追肥]]が重要になってくる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=28}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=241}}。実の着色は光線に敏感であり、光線不足は発色不良の原因となるので、混みいった葉を除いて実に光線を当てるようにする{{sfn|板木利隆|2020|p=22}}。大型サイズの[[プランター]](コンテナ)を使っても栽培することができる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=241}}。
[[連作障害]]が出やすいので、[[接ぎ木]]苗を使わない場合は3 - 5年はナス科の野菜を作っていない[[畑]]で育てる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=28}}{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=36}}{{sfn|板木利隆|2020|p=22}}。根は深く張るほうであるため、畑の元肥は深い位置に入れて根張りをよくするとよい{{sfn|板木利隆|2020|p=22}}。苗をつくる場合は、育苗箱などに種を4 - 5 cm間隔で蒔き、地温28 - 30度になるように保温養生すると発芽するので[[間引き]]を行い、葉が1枚になったら育苗ポットに鉢上げする{{sfn|板木利隆|2020|p=23}}。ただし、ナスが生育期に入ったころ急に萎れて枯れてしまう青枯病、半枯病などの萎縮性障害が出ることが多いため、対策として台木専用種の「赤ナス」などの台木に次ぐのが一般的で、市場にも苗が広く出回っている{{sfn|板木利隆|2020|p=26}}。
最低気温が15度を下回らなくなってから、地域の気候に適した品種の苗を植え付ける{{sfn|主婦の友社編|2011|p=28}}。乾燥を嫌うため、[[藁]]やビニールなどで[[マルチング]]をするとよい{{sfn|主婦の友社編|2011|p=28}}。苗が伸びてきたら、主枝とすぐ下の勢いがある枝を残して、「二本仕立て」あるいは「三本仕立て」で育てるのが基本である{{sfn|主婦の友社編|2011|p=29}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=241}}。1株に1本支柱を立てて、主枝と支柱を紐で結んで支えても良い{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=241}}。はじめの枝が伸びて枝が充実してくると、開花して実がつき始めるが、栄養分を奪われないように1番果は小さなうちに摘み取って、株を充実させる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=29}}。気温が上がると、次々と実がなるようになるので、へたの上を切ってまめに収穫する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=29}}。実を長く株につけておくと、実が固くなってくる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=241}}。ナスは栄養をたくさん必要とする野菜で、栄養不足にならないようにこまめに追肥することが肝要になる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=29}}。雨が降らないときには実がかたくなってしまうため、十分な水やりも必要になる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=29}}{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=38}}。栄養状態がよいと枝先から少し離れて花がつき、雌しべが長い「長花柱花」がつくが、[[肥料]]が不足してくると、枝先に花が咲くようになり、雌しべが短い「短花柱花」が多くつくようになる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=29}}。
真夏になると、枝が混み合い生長が鈍り、さらに枝の老化によって実付きが悪くなってくる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=30}}{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=39}}。そこで、葉を2 - 3枚残して、地面から高さの約2分の1から3分の1くらいのところで枝を切り詰める[[切返し剪定]](更新剪定)を行う{{sfn|主婦の友社編|2011|p=30}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=241}}。さらに剪定した株のまわりの根を切って肥料と水を十分与えておくと、新しい枝や葉が伸びて約1か月後に再び実がつき、10月ごろまで「秋なす」を収穫できるようになる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=30}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=241}}{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=39}}。
=== 病虫害 ===
ナスの代表的な病気に、葉が緑色のうちに急激にしおれてしまう[[青枯れ病]]があり、梅雨明けから夏に発生しやすい{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=40}}。害虫は[[アブラムシ]]、[[オオニジュウヤホシテントウ]]、[[ダニ]]類がつきやすい{{sfn|板木利隆|2020|p=24}}。連作障害が出やすい植物なので、同じナス科の[[トマト]]や[[ジャガイモ]]、[[ピーマン]]を植えた場所では、4 - 5年ほど空けないと土壌伝染する病気になりやすい。害虫がつき始めたら、葉の色に注意して、葉の表裏に薬剤を散布して防除する{{sfn|板木利隆|2020|p=24}}。ネギやニラなどネギ属植物を混植しておくことで、これら病気を防いだり害虫よけの効果が期待できる{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=40}}。同様にコンパニオンプランツとして、[[マリーゴールド]]は土中の[[センチュウ]]駆除や他の害虫よけ、[[バジル]]や[[ナスタチウム]]は[[アブラムシ]]をつきにくくする効果が期待できる{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=40}}。
== 品種 ==
品種は数が多く、産地によっても様々で、日本では概ね70種類ほどある{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=30}}。世界では1000種類もあると言われている<ref>[http://www.kanazawa-market.or.jp/Homepage/mame/seika_nasu.html 金沢市中央卸売市場>豆知識>青果雑学>なす]</ref>。
賀茂茄子などの一部、例外もあるが、日本においては南方ほど晩生の長実または大長実で、北方ほど早生の小実品種となる{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=31}}。本州の中間地では中間的な中長品種が栽培されてきた。これは寒い地域では栽培期間が短く大きな実を収穫する事が難しい上に、冬季の保存食として小さい実のほうが[[漬物]]に加工しやすいからである。日本で一般に流通している品種は中長品種が中長ナスである{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}。日本で栽培される[[栽培品種]]のほとんどは[[果皮]]が紫色又は黒紫色である。しかしヨーロッパやアメリカ等では白<ref group="注" name="eggplant">卵型の白い果実が一般的だった地域の英語名が“eggplant”となっている。</ref>・黄緑色・明るい紫、さらに縞模様の品種も広く栽培される。
=== 形状・色 ===
* [[小丸ナス]](小ナス) - 皮がやわらかく、種子が少ないのが特徴{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}。在来品種では、京都の椀ぎ(もぎ)、東北の民田(みんでん)、山形の出羽がある。
* [[丸ナス]] - 扁球形の果実は、皮がかためで果肉が緻密なのが特徴。煮崩れしにくく、田楽などに使われる。信越地方、関西。京野菜の[[賀茂なす]]がよく知られる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}。[[トキタ種苗]]の「グリルでイタリア」{{sfn|板木利隆|2020|p=22}}、家庭菜園向けのサントリー本気野菜シリーズの「とろとろ炒めナス」などもある{{sfn|竹下大学|2022|p=84}}。
[[File:Solanum melongena Maru nasu-1.jpg|thumb|150px|収穫期の丸ナス。ヘタ部分にはトゲが有る。]]
* [[卵形ナス]] - 関東一円で多く出回る品種。代表種は「真黒」(しんくろ)で、現在は流通していない{{sfn|講談社編|2013|p=66}}。
* [[千両ナス]] - 卵形ナスと中長ナスの交雑による改良品種。ヘタの近くまで濃い紫色になる。関東を中心に東日本で出回る{{sfn|講談社編|2013|p=66}}。[[タキイ種苗]]が開発した「千両」とその改良種「千両二号」は、長卵形の好まれる形と黒くやわらかい果皮が好まれて、全国的なロングセラーとなった{{sfn|竹下大学|2022|p=82}}。
* [[中長ナス]] - 流通量が最も多い品種。皮・果肉ともやわらかく調理法を選ばず使える{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}。[[サカタのタネ]]が開発した「黒福」などがある{{sfn|板木利隆|2020|p=22}}。
* [[長ナス]] - 果実の長さが20 - 30 cmあり、果肉がやわらかいのが特徴。やや水分が多く、調理法は蒸したり、焼いたりしたり、塩揉みに向く{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}。代表品種の「黒陽」「PC筑陽」があるほか{{sfn|竹下大学|2022|p=82}}、西日本の「津田長」「博多長」、東北の「仙台長」「南部長」などがある{{sfn|講談社編|2013|p=66}}。洋種では「ブルネット」など{{sfn|講談社編|2013|p=66}}。大長ナスでは、長さ30 - 40 cmになる「庄屋大長」([[タキイ種苗]])などが知られる{{sfn|竹下大学|2022|p=84}}。
* [[米ナス]](べいなす、アメリカなす) - アメリカ品種ブラックビューティーを日本で改良した大型種で、ヘタが緑色なのが特徴。果肉は締まっていて、焼き物・炒め物・煮物などの加熱調理に向く{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}{{sfn|講談社編|2013|p=66}}。「くろわし」などがある{{sfn|竹下大学|2022|p=82}}。
* [[巾着ナス]] - 丸ナスの一種で、小ぶりな丸く潰れた巾着型で、皮がやわらかく、果肉がしっかり詰まって固いのが特徴{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=86}}。加熱しても煮崩れしにくく、煮物、揚げ物、漬物に使われる{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。新潟・魚沼産の「長岡巾着」(中島巾着)がよく知られる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}{{sfn|竹下大学|2022|p=83}}。
* [[白ナス]] - 東南アジアの品種で、果実が真っ白になるナス。皮がややかたい{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。アクが少なく、皮から色素が出ないため煮ると煮汁が黒くならない。「ホワイトベル」{{sfn|竹下大学|2022|p=83}}「越後白ナス」などがある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}。
* [[白長ナス]] - 実が20 - 23 cmほどの大長タイプの白ナス。淡緑色でヘタが小さい。実は皮がかたいが果肉は柔らかく、焼き茄子などに使える{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=34}}。「味しらかわ」(丸種種苗)などがある{{sfn|竹下種苗|2022|p=84}}。
* [[緑ナス]] - 埼玉県などで栽培される緑色のナス。加熱すると身は柔らかくなり、焼き物、炒め物、揚げ物に向く{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=86}}。長さ30 cmになる緑色の大長ナス「緑美」などもある{{sfn|竹下大学|2022|p=85}}。
* [[ヘビナス]] - 長さ25 - 30 cm、太さ2 - 2.5 cmの細身な果実が特徴。果皮は濃い紫色で、果皮や果肉もやわらかくて甘い。油と相性がよく、加熱調理するととろけたような触感になる{{sfn|竹下大学|2022|p=83}}。
=== 日本の栽培種 ===
栽培の歴史が長いことから、その土地ならではの伝統品種が多く、北部で丸・卵形の小・中型品種、中部が卵形・中長形の品種、南部では長形・大型品種が多い傾向がある{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。在来品種は東北の仙台長、山形の民田なす、京都の[[賀茂なす]]、大阪泉州の[[水なす]]、九州の[[大長茄子]]などがよく知られる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。
; 東北・関東地方
* [[民田なす]](民田小なす) - [[山形県]][[鶴岡市]]民田に由来する江戸時代から続く伝統品種{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=31}}。果実は15 - 20グラムと小さく、[[辛子漬け]]などに使われる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=86}}。[[松尾芭蕉]]が『[[おくのほそ道]]』で詠んだ「めずらしや 山をいで羽の 初茄子」は、民田なすだと伝わる{{sfn|竹下大学|2022|p=80}}。
* [[早生真黒茄子]] - [[埼玉県]][[草加市]]で発達した中長なす。やや小ぶりで、現在の中型なす交配品種の原型といわれている{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=31}}。
* 埼玉青なす - 明治期に埼玉県に導入された淡緑色の巾着型のナス。果重200 - 300グラムと大きい{{sfn|竹下大学|2022|p=84}}。
* [[蔓細千成なす]] - [[東京都]]
; 中部地方
* [[やきなす]] - [[新潟県]][[豊栄市]](現・[[新潟市]][[北区 (新潟市)|北区]])
* [[十全なす]] - 泉州水なす系の一種で、昭和初期に新潟県[[中蒲原郡]][[十全村]](現:[[五泉市]])で栽培したのが始まり。
* [[深雪なす]] - 新潟県魚沼巾着系のナス。果実はやや大きめで、肉質が締まっている。煮崩れしにくい{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。
* [[梨なす]] - 新潟県長岡市の在来種。巾着ナスより小ぶりで、漬物にされる{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。
* 小布施丸ナス - [[長野県]]の大型の丸ナスで、実は大きく400グラムほどになるものもある。郷土食「おやき」の具材にするなど、幅広い料理に使われる{{sfn|竹下大学|2022|p=84}}。
* [[ていざなす]] - [[長野県]][[天龍村]]の巨大なナスで、長さ25 cm、果重400グラム以上になる。1887年ごろに東京の種苗店から取り寄せた巾着型のナスが起源とされる{{sfn|竹下大学|2022|p=84}}。
* 折戸なす - [[静岡市]][[清水区]]の伝統野菜で、2000年代に復活。[[初夢]]で縁起が良いとされる「一富士二鷹三茄子」と由来と伝わる<ref>[http://www.ja-shimizu.org/work/list/eggplant/ しみずの農産物・ナス] JAしみずホームページ</ref>。
* [[奥三河天狗茄子]] - [[愛知県]][[北設楽郡]]、奥三河で栽培されてきた伝統野菜。天狗の鼻のような奇形果ができやすく、長さ25 - 30 cmになる大型品種{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=86}}。
* [[くぼ丸なす]] - [[福井県]][[美浜町 (福井県)|美浜町]]久保地区
; 近畿地方
* [[下田なす]] - [[滋賀県]][[湖南市]]下田地区で栽培され、小ぶりで軟らかく、あくがない<ref name="chunichi2016720"/>。
* [[杉谷なすび]] - [[滋賀県]][[甲賀市]][[甲南町]][[甲南町杉谷|杉谷]]地区で栽培され、浅漬け・田楽・煮物などに使われる丸ナス<ref name="chunichi2016720"/>。
* [[高月丸なす]] - [[滋賀県]][[長浜市]]高月地区で栽培され、煮物・田楽・浅漬けなどに使われる丸ナス<ref name="chunichi2016720"/>。
* [[山科なす]] - 京都府(山科周辺)
* [[賀茂なす]](加茂なす) - 京都府の北山周辺で栽培される伝統野菜で、直径20 - 15 cm、重さ300グラムにもなる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=86}}。田楽・煮物などに使われる丸ナス<ref name="chunichi2016720"/>。別名、大芹川(おおせりかわ){{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=86}}。「京の伝統野菜」に認定されている{{sfn|竹下大学|2022|p=84}}。
* [[大和丸なす]] - [[奈良県]]
* [[水なす]](泉州水なす) - [[大阪府]][[和泉国|泉州]]地域で栽培される特産物で、水分の多い丸ナス<ref name="chunichi2016720"/>。現在は各地でも生産されている{{sfn|竹下大学|2022|p=84}}。皮も身も柔らかく、アクも少ないので、浅漬けなどにして生食できる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=86}}。大阪・泉州のぬか漬けが有名{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}。
* [[鳥飼茄子]] - 大阪府[[摂津市]]
; 中国・四国・九州地方
* [[田屋なす]] - [[山口県]](長門市、萩市)外観がよく、1本が500g以上のものが「萩たまげなす」<ref>{{Cite web|和書|title=萩たまげなす | ぶちうま!やまぐち.net~やまぐちの農林水産物~|url=http://www.buchiuma-y.net/brand/nousan/hagitamage.html|website=www.buchiuma-y.net|accessdate=2019-09-01}}</ref>。
* [[十市なす]] - [[高知県]](南国市)で生産されている卵形の小ナス。色形がよく、京都の料亭などでも使われている{{sfn|竹下大学|2022|p=84}}。
* [[黒びかり博多長なす]] - [[福岡県]]・博多野菜のひとつ。実は長くて35 - 38 cmにもなり、曲がりは少なく、皮が薄くてつやがある。生育旺盛で、低温期でも弱ることなく晩秋まで実をつける{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=32}}。
* [[大長茄子]] - 熊本県旧[[鹿本郡]](山鹿市、熊本市)など九州地方で多く栽培されている。長さ40 - 50 cmと長大で、皮がかたいが果肉はやわらかい。焼き物、煮物、炒め物に向くが{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=86}}、皮がかたいため漬物には向かない{{sfn|講談社編|2013|p=66}}。
* [[赤なす]] - 長ナス系の早生種で熊本県の在来種。果皮が赤紫色で、果肉がやわらかく、種が少ない。焼き茄子に向き、漬物には向いていない{{sfn|講談社編|2013|p=66}}。
* [[肥後紫なす]] - 熊本の赤ナスから作られた大型品種。長さや太さがあり、やや赤味がある。アクが少なくてやわらかい{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=86}}。
* [[佐土原なす]] - [[宮崎県]][[宮崎市]]佐土原町原産で江戸時代から栽培されてきた在来種。2000年から保管されていた種から復活する研究が始まり、生産者も生産・販売の取り組みが行われている{{sfn|竹下大学|2022|p=84}}。
* [[薩摩白丸なす]] - 紫色の色素がなく、ヘタも実も淡緑色の大型の白丸ナス。皮はかたいが、加熱すると身は柔らかくなる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=86}}。
* [[鹿児島県白ナス]] - 鹿児島県で栽培されている白ナスで、在来種の薩摩白なすの系統。果実が薄緑色で「青なす」の名で売られている{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。果肉は白色で、とてもやわらかい{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}。
=== 日本国外の品種 ===
* ローザビアンカ(ロッサビアンコ) - [[イタリア]]ナスの品種。紫と白のやや縦縞模様で直径10 cmほどになる。皮・身ともかたく締まり、焼き物、煮込み料理に向く{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}。
* ゼブラ - イタリアやスペインのナスで、紫と白の縦縞模様が特徴。皮はかたく、身は柔らかい{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}。セブラナスは紫色の縞模様があるナスの総称で、「ゼブラ」のほか、「カプリス」「フェアリー・テイル」「リスターダ・デ・ガンディア」などの品種がある{{sfn|竹下大学|2022|p=85}}。
* スティックテイスト - イタリア系のゼブラ模様の長さ7 - 8 cm、50[[グラム]]ほどになる小ナス{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}。
* フィレンツェ - イタリアのトスカーナ地方の伝統品種で、直径15 cmにもなる大型の丸ナス。パスタやラザニア、カポナータなどの料理に適している{{sfn|竹下大学|2022|p=85}}。
* リスターダデガンジア - スペインの伝統品種。赤紫と白の縦縞のまだら模様をしている。肉質はやわらかい{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=35}}
* マクワポ(マクアポ) - {{仮リンク|タイナス|en|Thai eggplant}}の品種。果実が卵形で白いことから「卵なす」ともよばれている。観賞用にされることも多い{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。タイの食卓では一般的な小ナスで、グリーンカレーの具材にも適している{{sfn|竹下大学|2022|p=85}}。
* マクアポー・ピンポン - タイナスの品種。ピンポン玉大と小ぶりの丸ナスで緑色。歯ごたえがあり、タイでは生のまま食べたり、カレーなどに使われる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|pp=87, 98}}。
== 生産 ==
日本では全国的に栽培されており、出荷量が最も多い[[高知県]]をはじめ、[[栃木県]]、[[福岡県]]、[[群馬県]]などが主産地である{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。季節により春は[[大阪府]]・[[岡山県]]・[[佐賀県]]・[[熊本県]]産、夏から秋は[[茨城県]]産も代表的である{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。夏野菜のため出荷量のピークは6月であるが、通年安定して出回っている{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。日本への輸入は、[[韓国]]産や[[ニュージーランド]]産が主に輸入されている{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。
== 栄養素 ==
実際の栄養価は、栽培条件、生育環境、収穫時期、品種などで異なるため一覧表に記載されている値は代表値である。
{{栄養価| name=なす 果実 生<ref name=mext7>[[文部科学省]] 「[https://www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/1365297.htm 日本食品標準成分表2015年版(七訂)]」</ref>
| kJ =92| water=93.2 g| protein=1.1 g| fat=0.1 g| satfat=0.03 g| cholesterol =1 mg
| carbs=5.1 g| starch=2.6 g| opt1n=[[食物繊維|水溶性食物繊維]]| opt1v=0.3 g| opt2n=[[食物繊維|不溶性食物繊維]]| opt2v=1.9 g| fiber=2.2 g| potassium_mg=220| calcium_mg=18| magnesium_mg=17| phosphorus_mg=30| iron_mg=0.3| zinc_mg=0.2| copper_mg=0.06| manganese_mg=0.16| betacarotene_ug=100| vitA_ug =8| vitE_mg =0.3| vitK_ug=10| thiamin_mg=0.05| riboflavin_mg=0.05| niacin_mg=0.5| vitB6_mg=0.05| folate_ug=32| pantothenic_mg=0.33| opt3n=[[ビオチン|ビオチン(B<sub>7</sub>)]]| opt3v=2.3 µg| vitC_mg=4| opt4n=[[有機酸]]| opt4v=0.4 g| note =ビタミンEはα─トコフェロールのみを示した<ref>[[厚生労働省]] 「[https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000114399.pdf 日本人の食事摂取基準(2015年版)]」</ref>。廃棄部位: へた
| right=1
}}
ナス果実の93%以上は水分である{{sfn|主婦の友社編|2011|p=24}}<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2016/11/30/1365343_1-0206r8_1.pdf|title=日本食品標準成分表2015年版(七訂)第2章 日本食品標準成分表 6.野菜類|accessdate=2020-06-24|publisher=[[文部科学省]]|page=9}}</ref>。他の野菜と比べると低[[カロリー]]で、脂肪燃焼ビタミンといわれる[[ビタミンB2]]などをバランスよく含んでいる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=24}}。ビタミン類はほとんど含まれていないとする意見はあるが{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}、[[ビタミンC]]や、[[カリウム]]、[[カルシウム]]などのミネラル類は比較的少ないながらも、まんべんなく含まれている{{sfn|講談社編|2013|p=69}}。[[食物繊維]]は[[淡色野菜]]としては平均的な量である{{sfn|講談社編|2013|p=69}}。
またナスには[[コリン (栄養素)|コリン]]という機能性成分が含まれている。このコリンは無色の強[[アルカリ性]]物質で、[[血圧]]や[[コレステロール]]を下げる<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=世界初!ナス由来の成分による血圧改善、気分改善効果を実証|What's New|url=https://www.adeka.co.jp/news/2019/11/191121nasu.html|website=www.adeka.co.jp|accessdate=2020-06-24|publisher=ADEKA}}</ref>、[[動脈硬化]]を防ぐ、胃液の分泌を促す、[[肝臓]]の働きを良くする、気分改善効果<ref name=":1" />などの作用が認められている。
「茄子紺」とよばれるナス果皮の暗紫色の色素成分は、[[ポリフェノール]]の一種で、[[アントシアニン]]系の色素[[ナスニン]]である{{sfn|主婦の友社編|2011|p=24}}。ナスニンには抗酸化作用があり、動脈硬化予防や老化予防などに効果があるとされている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=24}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}、またナスニンは水溶性で{{sfn|主婦の友社編|2011|p=24}}、加水分解により[[デルフィニジン]]となり、[[鉄]]や[[ニッケル]][[イオン]]が存在すると安定した[[塩 (化学)|塩]](えん)をつくるという特徴がある{{sfn|田中孝治|1995|p=199}}。ナスの漬物を作るときに鮮やかな色を保たせるために、ナスと一緒に鉄くぎなどを入れるのはこのためである{{sfn|田中孝治|1995|p=199}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}。
== 食材 ==
{{Commonscat|Eggplant-based food|ナス料理}}
果実は未熟で果肉や種子が柔らかいうちに収穫し、食用とする。野菜としての旬は初夏から初秋(6 - 9月)で、果皮は変色がなく張りツヤがあり、へたのトゲが鋭いものが良品とされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=24}}。ナスは味や香りにクセがないが、皮の下の部分に苦味がある{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。また、産地や品種により、[[灰汁]]の多い・少ないに差がある{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。料理は、蒸し物、煮物、炒め物や漬物など、幅広く使われている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}。特に油との相性がよく、炒めたり揚げたりするとやわらかくなり、おいしく食べられる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=87}}。ナスは身体を冷やす作用があることから、夏に食べるのには向いている野菜といえるが、多く摂取すると身体を冷やしすぎてしまうため、[[ショウガ]]などの身体を温める作用がある食材と一緒に食べるとよいとされる{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=41}}。
=== 調理上の特性 ===
焼く、煮る、揚げるなどあらゆる方法で調理される<ref name="chunichi2016720"/>。淡白な味で他の食材とも合せやすく、また油を良く吸収し相性が良い{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。野菜炒めなどで油を吸わせたくない場合は、油を入れる前にナスを少量の水で軽く煮るように炒めて、スポンジ状の実に水分を含ませてやると油を吸い難くなる。皮も薄く柔らかいので剥かずに調理されることが多い。
果実を切ったら切り口から灰汁がまわって酸化が始まり、放置すると次第に変色してくる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}。ナスはポリフェノール系化合物による褐変を起こしやすい食材であり、この褐変を防ぐために水につけるのが一般的で、食塩水を利用すると酵素作用も抑制できる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/06/13/1306691_04.pdf |title=第3章 調理室における衛生管理&調理技術マニュアル |publisher=文部科学省 |accessdate=2020-06-05}}</ref>。しかし、ナスニンは水溶性のため、長時間水につけると流れ出てしまうため、調理する直前に切ってすぐに加熱調理すればナスニンの損失は少なく済む{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}。
また、ナス科植物なので[[アルカロイド]]([[灰汁]])を多く含み、一部の品種を除き生食はされない。加熱調理しない場合は[[漬物]]にするか、[[塩揉み]]で灰汁抜きしてから供される。塩で揉んだ後さらに[[マリネ]]などに加工されることもある。多くの栽培品種は、品種改良により灰汁が少なくなっている。灰汁は空気に触れると酸化して出てくるため、切ったらすぐに調理してしまえば水につけなくてもよい{{sfn|主婦の友社編|2011|p=24}}。大阪の泉州水茄子など[[水なす]]と呼ばれる一部の品種は生食が可能で、皮を剥いて[[味噌]]だれで食べることができるほか、漬け物(ぬかづけ)などにもする。
=== 代表的な茄子料理 ===
日本では、[[しぎ焼き]]、[[揚げ出し]]、[[麻婆茄子]]、[[浅漬け]]、[[ぬか漬け]]などにして食べられる{{sfn|講談社編|2013|pp=68–69}}。長ナスは肉質がやわらかく素焼きして[[焼きなす]]に向く{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。一口なすともよばれる民田なすは丸ごと[[辛子漬け]]に、水なすはぬか漬けにされることが多い{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。
{{div col}}
* [[しぎ焼き]]
* [[浅漬け]]<ref name="chunichi2016720"/>
* [[麻婆茄子]]<ref name="chunichi2016720"/>
* [[味噌田楽|なす田楽]]<ref name="chunichi2016720"/>
* [[焼きなす]]
* [[なすの味噌炒め]]
* [[煮びたし]]
* [[カポナータ]]
* [[カレーライス]]
* [[ムサカ]]
* [[ババガヌーシュ]]
* [[アジャプサンダリ]]<ref>{{cite book|和書|editor=地球の歩き方編集室|title=世界のグルメ図鑑|series=[[地球の歩き方]]BOOKS 旅の図鑑シリーズ|date=2021-07-26|publisher=[[学研プラス]]|page=133|isbn=978-4-05801659-6}}</ref>
* [[トゥンベット]]
* [[ナスジャム]]<ref>{{cite journal|和書|author=Çiğdem TEZ(チーダム・テズ)|editor=天野かよ 訳|title=トルコの暮らしと食文化|url=http://kangiken.net/backnumber/5701_bknum.pdf|date=2016|volume=57|issue=1|journal=食品と容器|page=52-58|publisher=缶詰技術研究会}}</ref>
* [[ピスト・マンチェゴ]]<ref>{{cite book|和書|author=服部幸應|authorlink=服部幸應|title=世界の六大料理基本事典|date=2015-02-20|publisher=[[東京堂出版]]|page=208|isbn=978-4-490-10858-3}}</ref>
* [[ベグニ]]<ref>{{cite book |year=1991|title=Uses of Tropical Grain Legumes: Proceedings of a Consultants Meeting, 27-30 Mar 1989, ICRISAT Center, India |url=https://books.google.com/books?id=GNKzAAAAIAAJ |publisher=ICRISAT |pages=108, 335 |isbn=978-92-9066-180-1}}</ref>
{{div col end}}
<gallery>
Ma-bonasu.jpg|<center>麻婆茄子</center>
ナスの煮びたし.jpg|<center>ナスの煮びたし</center>
</gallery>
{{栄養価
| name = なす類、漬物、ぬかみそ漬<ref name=mext7/>
| kJ = 113 | water = 88.7 g | protein = 1.7 g | fat = 0.1 g | carbs = 6.1 g | fiber = 2.7 g | sodium_mg = 990 | potassium_mg = 430 | calcium_mg = 21 | magnesium_mg = 33 | phosphorus_mg = 44 | iron_mg = 0.5 | zinc_mg = 0.2 | manganese_mg = 0.19 | vitA_ug = 2 | thiamin_mg = 0.10 | riboflavin_mg = 0.04 | niacin_mg = 1.0 | pantothenic_mg = 0.67 | vitB6_mg= 0.15 | folate_ug = 43 | vitB12_ug = 0<!-- 微量 --> | vitC_mg = 8 | vitD_ug = (0)<!-- 推定値 --> | vitE_mg = 0.3 | vitK_ug = 12
}}
=== 保存法 ===
乾燥と低温に弱いため、紙袋などに入れて風通しのよい10 - 15度ほどの冷暗所に保存する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=11}}{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=40}}。ただし、気温が高い時期に保存したいときは、ラップなどに包み、冷蔵庫に入れれば2 - 3日ほどは持つ{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}。ただし、冷蔵すると皮も果肉もかたくなってしまい、風味も落ちる{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。実を薄くスライスして、天日で乾燥させて干しナスにすると、長期保存も可能である{{sfn|学研・たまねぎ舎編|2015|p=40}}。
== 薬用 ==
ナスの果実、茎、へた、根、花などは薬用にできるため、[[民間療法]]で、[[打ち身]]、[[捻挫]]、[[やけど]]、[[しもやけ]]、[[腫れ|腫れ物]]、[[イボ]]、[[あかぎれ]]、[[二日酔い]]などに薬効があるといわれている{{sfn|田中孝治|1995|p=199}}。果実は茄子(かし)、へたは茄蔕(かてい)と称して[[生薬]]になる{{sfn|貝津好孝|1995|p=146}}。
打ち身、捻挫、軽いやけどには、十分に冷やした果実を縦切りにして、切り口を患部に当てることを何度も繰り返すと、効果があるといわれている{{sfn|田中孝治|1995|p=199}}。しもやけには、乾燥した茎10 - 20[[グラム]]を水600 [[立方センチメートル|cc]]で煎じた液(水性エキス)で、患部を洗う{{sfn|田中孝治|1995|p=199}}。腫れ物には、乾燥したヘタ10グラムを600 ccの水で煎じた液で患部を湿布する{{sfn|田中孝治|1995|p=199}}。イボには、切り口で直接患部をこする。あかぎれでは、乾燥した根10 - 20グラムを同様に煎じた液を患部につける{{sfn|田中孝治|1995|p=199}}。二日酔いの場合では、乾燥した花と[[クズ]]の花を各5グラムずつ入れた水400 ccを煎じて、服用すると良いといわれている{{sfn|田中孝治|1995|p=199}}。
ナスのへたの黒焼きを作って、粉末状にして食塩を混ぜたものは[[歯磨き粉]]代わりになり、[[歯槽膿漏]]、[[歯痛]]、[[口内炎]]に効果があるといわれている{{sfn|貝津好孝|1995|p=146}}{{sfn|田中孝治|1995|p=199}}。[[痔]]には、果実を黒焼きにして粉末にしたものを1回量1グラム、1日3回服用する用法が知られる{{sfn|貝津好孝|1995|p=146}}。
ナスには鎮静・消炎の効果がある考えられてきたことから、日本では昔から茄子を食べると体温を下げて、のぼせに有効とされてきた{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}。『[[和漢三才図会]]』ではヘタに[[しゃっくり]]止めの効果があるとされるが、俗信の域を出ない。
== 文化 ==
[[ファイル:Syoryou-uma,obon,katori-city,japan.JPG|thumb|right|180px|精霊馬(しょうりょううま)]]
* [[初夢]]の縁起物:「一富士、二鷹、三茄子」
* 『[[盂蘭盆会]]』には、ナスで馬をかたどって祖先の霊に供える風習がある{{sfn|講談社編|2013|p=67}}。[[お盆]]の期間中には、故人の霊魂がこの世とあの世を行き来するための乗り物として、「[[お盆#地方の習俗|精霊馬]]」と呼ばれる[[キュウリ]]やナスで作る動物を用意する。4本の麻幹あるいはマッチ棒、折った[[割り箸]]などを足に見立てて差し込み、[[馬]]、[[牛]]とする。キュウリは足の速い馬に見立てられ、あの世から早く家に戻ってくるように。ナスは歩みの遅い牛に見立てられ、この世からあの世に帰るのが少しでも遅くなるように、また、供物を牛に乗せてあの世へ持ち帰ってもらうとの願いが込められている。
* 七夕の「七夕馬」に[[マコモ|真菰]]や[[藁]]などの材料のかわりに、キュウリやナスを使う地域もある。
* 子供の嫌いな野菜として挙げられることが多い。
* [[二宮尊徳]]は夏前にナスを食べたところ秋茄子の味がしたため[[冷夏]]になることを予測した。
* 「[[キノコ|毒キノコ]]でも、ナスと一緒に調理すれば中毒しない」とする言い伝えがあるが、全くの迷信であり、ナスにそのような効用は存在しない<ref>根田仁、[https://doi.org/10.11519/jjsk.54.0_39 毒きのこ類] 森林科学 Vol.54 (2008) p.39-42, {{doi|10.11519/jjsk.54.0_39}}</ref>。
* 中国では、日本人が写真を撮るときに言う「はい、チーズ」の掛け声のように、「一〜、二〜、三〜、茄〜子」と言う文化がある。茄子の「子」を発音した際に、口が横に広がり笑顔が作りやすいためである。
*茄子紺:茄子の実のような紫みの濃い紺色のこと。江戸時代から使われる色名。
=== 言い習わし ===
;「秋茄子は嫁に食わすな」
:この言葉は「秋茄子わささの糟に漬けまぜて 嫁には呉れじ棚に置くとも」という歌が元になっており、嫁を憎む姑の心境を示しているという説がある。また、「茄子は性寒利、多食すれば必ず[[腹痛]][[下痢]]す。女人はよく[[子宮]]を傷ふ([[養生訓]])」などから、嫁の体を案じた言葉だという説もある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=25}}。さらに、そもそも「嫁には呉れじ」の「嫁」とは「嫁が君([[ネズミ]]のこと)」の略であり、それを嫁・姑の「嫁」と解するのは後世に生じた誤解であるとする説がある(『[[広辞苑]]』第三版、「あきなすび」の項)。しかし「嫁が君」は正月三が日に出てくるネズミを忌んでいう言葉であり、「秋茄子わささの〜」の解としては(季節が合わず)やや疑問ではある。ナスは熱帯の植物であり8月上旬までに開花・結実した実でなければ発芽力のある種子を得ることが難しい。そこから秋ナスは子孫が絶えると連想したという説もある。
;「親の小言と茄子の花は 千に一つの無駄もない」
: ナスの花が結実する割合が高いことに、親の小言を喩えた諺。
;「瓜の蔓に{{ルビ|茄子|なすび}}はならぬ」
: 非凡な子供を茄子に例えて、平凡な親からは非凡な子は生まれない、という意味。似た諺として「蛙の子は蛙」がある。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author =板木利隆|title = 決定版 野菜づくり大百科|date=2020-03-16|publisher = [[家の光協会]]|isbn=978-4-259-56650-0|pages =22 - 27|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author =猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|title = かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典|date=2012-07-10|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30997-2|pages =86 - 88|ref=harv}}
* {{Citation|和書| last = 大久保| first = 増太郎| title = 日本の野菜 : 産地から食卓へ| publisher = [[中央公論社]]| series = [[中公新書]]| date = 1995-08| isbn = 4-12-101257-7 }}
* {{Cite book|和書|author =貝津好孝|title = 日本の薬草|date=1995-07-20|publisher = [[小学館]]|series = 小学館のフィールド・ガイドシリーズ|isbn=4-09-208016-6|page =146|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author =学研・たまねぎ舎編|title = 何つくる? 迷ったらこの1冊! こだわり野菜づくり 品種ガイドブック 夏野菜編133品種|date=2015-03-28|publisher = [[学研パブリッシング]]|isbn=978-4-05-610788-3|series=野菜だより特別編集|pages =29 - 44|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author =講談社編|title = からだにやさしい旬の食材 野菜の本|date=2013-05-13|publisher = [[講談社]]|isbn=978-4-06-218342-0|pages =64 - 69|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author =主婦の友社編|title = 野菜まるごと大図鑑|date=2011-02-20|publisher = [[主婦の友社]]|isbn=978-4-07-273608-1|pages =24 - 31|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author =竹下大学|title = 野菜と果物すごい品種図鑑:知られざるルーツを味わう|date=2022-07-12|publisher = [[エクスナレッジ]]|isbn=978-4-7678-3026-1|pages =80 - 85|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author =田中孝治|title =効きめと使い方がひと目でわかる 薬草健康法|date=1995-02-15|publisher =[[講談社]]|series=ベストライフ|isbn=4-06-195372-9|pages =198 - 199|ref=harv}}
== 関連人物 ==
* [[丹羽康夫]]
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Eggplant}}
{{Wiktionary|なす|なすび|茄子}}
{{Wikiquote|茄子|ナス}}
* [[ジャガイモ]]
* [[トマト]]
* [[トマピーナ]] - ナス・[[トマト]]・[[ピーマン]]の三種を[[接ぎ木]]して作られた[[野菜]]
== 外部リンク ==
* {{Wayback |url=http://vegetable.alic.go.jp/panfu/nas/nas.htm |title=野菜図鑑「なす」独立行政法人農畜産業振興機構 |date=20161114075943 }}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:なす}}
[[Category:ナス属]]
[[Category:ナス|*]]
[[Category:縁起物]]
[[Category:生薬]]
[[Category:薬用植物]]
[[Category:1753年に記載された植物]] | 2003-02-13T06:48:06Z | 2023-10-22T07:10:30Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B9 |
1,212 | セクシーボイスアンドロボ | 『セクシーボイスアンドロボ』は、黒田硫黄による日本の漫画。『スピリッツ増刊IKKI』(小学館)2000年12月号(創刊号)から2003年2月号(第13号)にかけて13話連載され、同誌の月刊化を期に未完のまま中断となっている。11話までは一話完結形式。単行本は2巻まで刊行(収録漏れ無し)。
2002年に第6回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞。2007年に日本テレビにて、原作に大幅な脚色を加え連続テレビドラマ化された。
七色の声を操る少女・ニコは、その観察眼を見込まれて謎の老人からとある誘拐事件への助言を請われる。事件を解決に導いたニコは、以降コードネーム「セクシーボイス」を名乗り、謎の老人の様々な依頼を相棒の青年・ロボとともに解決していく。
本項では原作の登場人物について説明する。テレビドラマ版は後述。
第1巻
第2巻
単行本にはそれぞれ数ページの描き下ろし漫画も掲載されている。
2007年4月10日から6月19日まで毎週火曜日22:00 - 22:54に、日本テレビ系の「火曜ドラマ」枠の第1作目として放送された。同局における火曜22時台の連続ドラマとしては、1981年に「火曜劇場」枠で放送された『三年待った女』以来、約25年半ぶりであり、また、初の漫画を原作とした作品でもある。第1回は放送時間を20分拡大し、22:00 - 23:14に放送。なお、ステレオ放送が実施されているため、単発ドラマ枠で行ってきた副音声の解説放送については実施しない。
松山ケンイチの連続ドラマ初主演作である。脚本は木皿泉によるもので、原作を大胆に脚色している。視聴率は最後まで伸びず苦戦を強いられた。
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] | 『セクシーボイスアンドロボ』は、黒田硫黄による日本の漫画。『スピリッツ増刊IKKI』(小学館)2000年12月号(創刊号)から2003年2月号(第13号)にかけて13話連載され、同誌の月刊化を期に未完のまま中断となっている。11話までは一話完結形式。単行本は2巻まで刊行(収録漏れ無し)。 2002年に第6回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞。2007年に日本テレビにて、原作に大幅な脚色を加え連続テレビドラマ化された。 | 『'''セクシーボイスアンドロボ'''』は、[[黒田硫黄]]による[[日本]]の[[漫画]]。『[[月刊IKKI|スピリッツ増刊IKKI]]』([[小学館]])2000年12月号(創刊号)から2003年2月号(第13号)にかけて13話連載され、同誌の月刊化を期に未完のまま中断となっている。11話までは一話完結形式。単行本は2巻まで刊行(収録漏れ無し)。
2002年に第6回[[文化庁メディア芸術祭]]マンガ部門大賞を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=http://archive.j-mediaarts.jp/festival/2002/manga/ |title=第6回2002年マンガ部門受賞作品 |publisher=[[文化庁メディア芸術祭]] |date= |accessdate=2015-12-18}}</ref>。2007年に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]にて、原作に大幅な脚色を加え連続[[テレビドラマ]]化された。
== あらすじ ==
七色の声を操る少女・ニコは、その観察眼を見込まれて謎の老人からとある誘拐事件への助言を請われる。事件を解決に導いたニコは、以降コードネーム「セクシーボイス」を名乗り、謎の老人の様々な依頼を相棒の青年・ロボとともに解決していく。
== 登場人物 ==
本項では原作の登場人物について説明する。[[#テレビドラマ|テレビドラマ版]]は後述。
; 林二湖(はやし にこ)
: 通称「ニコ」。「スパイか占い師になりたい」という中学3年生の少女。「セクシーボイス」を名乗る七色の声の持ち主で、アルバイトも兼ねて[[テレフォンクラブ|テレクラ]]の[[サクラ (おとり)|サクラ]]をしながら観察眼を磨いている。声質やしゃべり方をもとに電話相手の年齢や性格、容貌まで判断でき、その洞察力を見込まれて謎の老人からさまざまな依頼を受けるようになる。
; 須藤威一郎(すどう いいちろう)
: 通称「ロボ」。ロボットオタクの25歳のフリーター。[[眼鏡]]をかけている。「初美」と名乗るニコのテレクラの客だったが、第1話で車を必要としていたニコにうまく利用されて以来、なにかと彼女に呼び出される。[[マツダ・ロードスター]](NB型)を所有していたが第2話で女性に乗り逃げされ第3話でテロリストに爆破された。胸の大きな女性が好みで、毎回大人の声を操るニコに騙されている。
; 老人
: 喫茶店でテレクラのサクラをしていたニコを見込んで、誘拐事件の助言を頼んできた老人。それ以来ニコにさまざまな依頼を持ち込んでくる。'''名梨(ななし)'''という有能な部下を持ち、ニコへの依頼の資材調達は彼に行わせている。若い頃は「デコ頑」の通り名の任侠者として知られており、さまざまな人物にツテがある。
== サブタイトル一覧 ==
'''第1巻'''
* voice1 セクシーボイスは14歳
* voice2 女は海
* voice3 エースを狙え!
* voice4 タワーの男
* voice5 日本のバカンス
* voice6 指輪とギャングスター
'''第2巻'''
* voice7 さわって青空
* voice8 三日坊主の天国
* voice9 おじいさんの電話
* voice10 一夜で豪遊
* voice11 鍵
* voice12 伝言ゲーム
* voice13 伝言ゲームは続く
単行本にはそれぞれ数ページの描き下ろし漫画も掲載されている。
== テレビドラマ ==
{{基礎情報 テレビ番組
| 番組名 = セクシーボイスアンドロボ
| 画像 =
| 画像説明 =
| ジャンル = [[テレビドラマ]]
| 放送時間 = 火曜22:00 - 22:54
| 放送分 = 54
| 放送枠 = 火曜ドラマ (日本テレビ)
| 放送期間 = [[2007年]][[4月10日]] - [[6月19日]]
| 放送回数 = 11
| 放送国 = {{JPN}}
| 制作局 = [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]
| 企画 =
| 製作総指揮 =
| 監督 =
| 演出 = [[佐藤東弥]]<br />[[池田健司]]<br />[[石尾純]]<br />[[狩山俊輔]]
| 原作 = [[黒田硫黄]]
| 脚本 = [[木皿泉]]<br />[[山岡真介]]<br />[[根本ノンジ]]
| プロデューサー = [[河野英裕]]<br />[[小泉守]]<br />[[下山潤]]
| 出演者 = [[松山ケンイチ]]<br />[[大後寿々花]]
| ナレーター = [[池田秀一]]
| 音声 = [[ステレオ放送]]
| 字幕 =
| データ放送 =
| OPテーマ =
| EDテーマ = [[高畑充希|みつき]]「[[大切なもの (みつきの曲)|ひとつだけ]]」
| 時代設定 =
| 外部リンク = https://www.ntv.co.jp/sexyvoice/
| 外部リンク名 = 公式サイト
| 特記事項 =
}}
2007年4月10日から6月19日まで毎週火曜日22:00 - 22:54に、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系の「[[火曜ドラマ (日本テレビ)|火曜ドラマ]]」枠の第1作目として放送された。同局における火曜22時台の連続ドラマとしては、1981年に「[[火曜劇場]]」枠で放送された『[[三年待った女]]』以来、約25年半ぶりであり、また、初の漫画を原作とした作品でもある。第1回は放送時間を20分拡大し、22:00 - 23:14に放送。なお、[[ステレオ放送]]が実施されているため、単発ドラマ枠で行ってきた副音声の[[解説放送]]については実施しない。
[[松山ケンイチ]]の連続ドラマ初主演作である。脚本は[[木皿泉]]によるもので、原作を大胆に脚色している。視聴率は最後まで伸びず苦戦を強いられた。
キャッチコピーは「'''あなたの隣にスパイがいる'''」。
※以下、原作の話について表記する際は「 - 話」、ドラマの話について表記する際は「Voice - 」と表記する。
=== キャスト ===
==== 2人のスパイ ====
; 須藤 威一郎(通称:ロボ)
: 演 - [[松山ケンイチ]]
: ロボットオタクの24歳青年。秋葉原勤めの会社員。自宅に大量のロボットフィギュアを飾っている。特に「マックスロボ」というアニメが大好きで、事あるごとに必殺技名をオーバーアクションとともに叫ぶため、周囲から呆れられているが、使えると感じたのか、ニコは悪い感じで受け止めていない。また「宇宙」という言葉にときめきを感じ、天体に関する情報にも詳しい。Voice 1で偶然出逢った林一海に一目惚れする(下記参照)。<!--Last Voiceでは子供の人気者となっている。尚、Voice 8ではトイレに落ちたマックスロボをとってもらったことでプッチーニの一員の昭子に恋していたが、Voice 9では彼女が遠くへ旅に行ってしまい、諦めたようである。-->
; 林 二湖(通称:ニコ)
: 演 - [[大後寿々花]] (ニコの出す声:[[千葉繁]]、[[住友優子]]、[[伊倉一恵]]、[[加藤英美里]])
: 中学2年生。老若男女を問わない高度な[[声帯模写]]や、雑踏の中から特定の声だけを聞き分ける能力を持つ。長髪で、制服を着ているときは2つに束ねている。靴は制服のとき以外はいつも[[ドクターマーチン]]を履いている(葬式に参列した時も黒いマーチンを履いている。)
: 将来、子供が生まれたら「幸子」と名付けたいと思っている(Voice 10より)。
<!--ちなみにVoice 7に於いて2人とも誕生日が5月22日だと言う設定がなされていたようだが、話自体が放送延期となった為、この設定には今のところ触れられていない。また、Last Voiceによると、2人とも幽霊を見る能力があることがわかった。が、ニコの方は周りと合わせてるうちに途中から見えなくなった(ただ、その話のテーマというのが「人は日々変化し続けている」ということのため、これもその一例と思われる)。
: 解決後、真境名と名梨が町を去ったことに加え、三日坊主の起こした[[ポルターガイスト]]によって林家がマスコミに取り上げられたことから2人は疎遠となってしまったが、その後ニコが黄昏れているロボを見かけたところで話は終わっている。-->
==== ニコの家族 ====
; 林 一海
: 演 - [[村川絵梨]]
: ニコの姉(ニコからは「カズミちゃん」と呼ばれている)。色々なアルバイトをしているが、その収入はほぼ服飾代に消えている。なぜか自分でも分からないが買った服などの商品タグを箪笥の引き出しに溜めている。日々合コンに勤しんでいる。また、ニコには「洋服のようにとっかえひっかえ相手を変える」と言われている。一人暮らしを夢見ているが、両親が認めないので未だ実現できていない。
: ロボの憧れの人。偶然彼に会うこともあるが、その様子がまるでストーカーのようなので、彼女にとっては(というより誰にとっても)いい迷惑となっている。<!--Voice 7では公然に告白したが玉砕、Last Voiceでもニコの提案によりデートまでこぎ着けたが、やはり玉砕だった。-->
; 林 竹男
: 演 - [[塚本晋也]]
: ニコの父親。バスの運転手。趣味は牛乳キャップ収集。妻の雪江からは呆れられているが、Voice 1で「自分の生きてきた証を残しているんだ」と評している。<!--(そのキャップはVoice 6で捨てられかけたが、後に取り戻した)-->[[広島東洋カープ]]のファン。
; 林 雪江
: 演 - [[片桐はいり]]
: ニコの母親。コーヒー豆売りのパートをしている。趣味はカメラ。
==== 謎の組織 ====
; 真境名 マキ
: 演 - [[浅丘ルリ子]]
: 表向きは骨董屋「地蔵堂」の店主だが、裏社会に精通している謎の多い女性。彼女の周辺では様々な事件が起き、その度にロボとニコによく調査等を依頼している。
: ニコに対し、よく教訓めいた言葉を述べている。
: 昔、恋人と一緒にスパイをしていた(Voice 9)。<!--(その後、仲間を裏切ってしまったようで、そのことが彼女の負い目になったようであるが、その恋人が「友人だから許す」と言ったことで吹っ切ることが出来た)。また、地蔵堂を作ったのは恋人(が入院する病院)の近くにいたかったためと話し、恋人の死を契機に閉店(Last Voice)。-->
; 名梨 秀吉
: 演 - [[岡田義徳]]
: 真境名の部下で、彼女と同じく謎が多い。真境名に仕えている理由は明かされていないが、彼女には頭が上がらない。
: 頭脳明晰、行動力や料理の腕に長け、おまけにフランスパンで[[仏像]]が彫れるほど器用(Voice 2より)でもあるため、邪険にはされていない(むしろ可愛がられている節もある)。その反面、慌てんぼうでおっちょこちょいな面もあり、失敗したり、とんでもない事態を招くこともよくある。
: 真境名からは「ヨっちゃん」と呼ばれており、Voice 6では彼女から「唯一の家族」と称されている(名梨も物心ついた頃には家族がいなかったと言っている)が、Voice 10によると、養子にしたいとは思わない(名梨も養子になりたいとまでは思っていないらしい)。
: 自分より強いものには頭が上がらない反面、弱ければ全力で潰すといった性格の持ち主ではあるが、Voice 9では仲間思いの一面も見られ、真境名が命を狙われた際も、彼女を守ろうとする。
<!--: Last Voiceで真境名から地蔵堂の経営を託されるが、最終的には街を去る彼女と行動を共にした。-->
==== その他 ====
; むーちゃん
: 演 - [[梶原ひかり]]
: ニコの同級生。
; ロボのオタク仲間
: 演 - [[赤星昇一郎]]、[[六角精児]]、[[中村靖日]]、[[マンスール・ジャーニュ]]
==== ゲスト ====
<!--書かれていることが正しいかどうか不明なため、詳しい人は加筆してください-->
; Voice 1
:; 三日坊主(三田 広、35歳)
:: 演 - [[中村獅童 (2代目)|中村獅童]](Last Voiceにも出演)
:: 三日間しか記憶がもたない殺し屋。ニコ達と出会っていた時には新たな任務が既に課せられていた。<!--原作第8話でも登場したが、若干設定は異なる。-->
:; 組織の連絡員
:: 演 - [[北見敏之]](Last Voiceにも出演)
:: 三日坊主に殺害の依頼をした男。<!--三日坊主同様、原作第8話でも登場したが、設定は三日坊主以上に異なる。-->
:
; Voice 2
:; ごぼ蔵(後藤)
:: 演 - [[村上淳]]
:: ある女性に会いに行く道中で強盗事件を起こした男。バイクで突っ込んだ美容院で、偶然ロボとニコに出会う。
:;野口
::演 - [[中根徹]]
:;野口 享子
::演 - [[蜷川みほ]]
:; 駒造
:: 演 - [[今福将雄]]
:: 真境名に伊豆から2億円の仏像を運ぶことを依頼する
:
; Voice 3
:; お歯黒女(山野 月子)
:: 演 - [[香椎由宇]]
:: 自殺志願者達のバスに乗り遅れた所でロボに出会った女性。「お歯黒女」となり、数々の事件を起こしていた。
:
; Voice 4
:; かんにん袋(宇佐美 好子)
:: 演 - [[市川実和子]]
:: ロボの大学時代の先輩。自分の気に入らないことがある度、鬱憤を晴らす為に色々な場所に爆弾を仕掛けていた女性。
:; 田崎
:: 演 - [[伊藤正之]]
:: かんにん袋の大学時代の教授。2人の間にはトラブルが起きていた。
:;半海
::演 - [[半海一晃]]
::ロボを逮捕した刑事。
:
; Voice 5
:; 玲
:: 演 - [[黒川智花]]
:; 美香
:: 演 - [[入山法子]]
:; 絵里
:: 演 - [[仲里依紗]]
:; 知枝
:: 演 - [[高瀬友規奈]]
:; マナミ
:: 演 - [[木南晴夏]]
:: 上記5名は「聖ウラジミール学園」の[[キーパーソン]]。「うしみつ様」と呼ばれる人形を中心に立てた[[オカルト]]でニコ達を惑わす。
:
; Voice 6
:; ZI(夢野 享子)
:: 演 - [[りょう (女優)|りょう]]
:: 花屋の女主人。元殺し屋。
:; ロボの母
:: 演 - [[白石加代子]]
:: ロボの母親。
:; 夢野 学
:: 演 - [[小木茂光]]
:: ZIの夫。元々はZIの標的だった<!--が、殺さずに済んだのは小太郎のおかげである-->。
:; 夢野 小太郎
:: 演 - [[平澤彗洸]]
:: ZIの一人息子。
:; 依頼人
:: 演 - [[鶴田さやか]]
:: ZIの捜索を依頼する。
:
; Voice 7
:; ハンバーグ
:: 演 - [[モロ師岡]]
:: 面識のないメル友の女性と逃避行をはかるために勤務先から1億円を横領し、ファミリーレストランで待ち続けるが、相手の女性はいっこうに現れない。「ハンバーグ」はハンドルネーム。
:; コック
:: 演 - [[高橋一生]]
:: ファミリーレストランで修行中のコック。よっちゃんの指導を受け、先生と仰ぐ。
:
; Voice 8&9
:; 昭子
:: 演 - [[小林聡美]]
:; 恵
:: 演 - [[もたいまさこ]]
:; 絵美理
:: 演 - [[ともさかりえ]]
:: 上記3名は「プッチーニ」の三人組。死を間近に控えた患者の願いを聞き届け、叶える3人組。昼は看護師をしている。
:; 小野 一朗
:: 演 - [[マイク眞木]]
:: 真境名の恋人であり、かつてのスパイ仲間。事故に遭い、病室で眠り続けていた<!--が、Voice 11では死去しており、真境名が町を去る原因となった-->。
:;山田 秀夫
::演 - [[橘家二三蔵]]
::入院患者。
:;林源太郎
::演 - [[庄司永建]]
::ニコのひいおじいちゃん。
; Voice 10
:; 信田 コーン
:: 演 - [[篠井英介]]
:: 漫画家。代表作は「もえもん」。魚が好き。「もえもん」の主人公もえもんもチョウチンアンコウのキャラクターである。作中で、長年の夢だったという水族館を開設した。
:;信田 陽子
::演 - [[澤田育子]]
::コーンの妻。
:
; Last Voice
:; 佐田 里奈
:: 演 - [[岡本杏理]]
:: ニコのクラスに転校してきた女子。周囲に合わせたり、規則に従うことが極端に嫌い。
=== スタッフ ===
* 脚本 - [[木皿泉]]、[[山岡真介]]、[[根本ノンジ]]
* 音楽 - [[中塚武]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/959 |title=中塚武 黒田硫黄原作ドラマで音楽を担当 |publisher=[[音楽ナタリー]] |date=2007-03-26 |accessdate=2015-12-18}}</ref>
* 主題歌 - [[高畑充希|みつき]]「[[大切なもの (みつきの曲)|ひとつだけ]]」<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/1165 |title=コブクロ みつきが話題のドラマ主題歌担当 |publisher=[[音楽ナタリー]] |date=2007-04-05 |accessdate=2015-12-18}}</ref>([[ワーナーミュージック・ジャパン]])
* 演出 - [[佐藤東弥]]、[[池田健司]]、[[石尾純]]、[[狩山俊輔]]
* オープニングナレーション - [[池田秀一]]
* 協力 - [[日テレ・テクニカル・リソーシズ|NiTRo]]、[[東京メディアシティ|砧スタジオ]]、[[日本テレビアート|日テレアート]]、[[映広]]
* プロデューサー - [[河野英裕]]、[[小泉守]]、[[下山潤]]
* 制作協力 - [[トータルメディアコミュニケーション]]
* 製作著作 - 日本テレビ
=== 放送日程 ===
{|class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
!各話!!放送日!!サブタイトル!!ラテ欄!!脚本!!演出!!視聴率
|-
|Voice 1||2007年4月10日||三日坊主||美しき思い出を忘れた殺人者を追え!!||rowspan="3"|木皿泉||rowspan="2"|佐藤東弥||<span style="color:red">12.5%
|-
|Voice 2||2007年4月17日<br />(5月22日再放送)||ごぼ蔵||強盗犯の最後の恋||8.7%<br />(再放送6.0%)
|-
|Voice 3||2007年4月24日||お歯黒女||孤独なお歯黒女!!救出作戦||池田健司||6.9%
|-
|Voice 4||2007年5月1日||かんにん袋||爆弾魔になった彼女を救え||山岡真介||石尾純||7.0%
|-
|Voice 5||2007年5月8日||うしみつ様||高校入学!? 恐怖の三日間!!||根本ノンジ||池田健司||6.9%
|-
|Voice 6||2007年5月15日||ZI||殺し屋の子育て…||木皿泉||佐藤東弥||7.8%
|-
|Voice 7||放送中止<br />(後にDVDに直接収録)||ハンバーグさん||人生やり直せるハンバーグ||山岡真介||狩山俊輔||-
|-
|Voice 8||2007年5月29日||プッチーニ 前編||恋愛と死・前編||rowspan="4"|木皿泉||rowspan="2"|佐藤東弥||6.5%
|-
|Voice 9||2007年6月5日||プッチーニ 後編||みんな死なないで||<span style="color:blue">6.4%
|-
|Voice 10||2007年6月12日||幸子||来世の幸せをお金で買う男||池田健司||6.5%
|-
|Last Voice||2007年6月19日||ロボ||救えるのは宇宙で私だけ||佐藤東弥||<span style="color:blue">6.4%
|-
!colspan="7"|平均視聴率 7.6%<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cyzo.com/2007/09/post_3_entry.html |title=ホリプロの顔は金喰い虫? 松山ケンイチのイマイチ度 |publisher=[[日刊サイゾー]] |date=2007-09-18 |accessdate=2015-12-18}}</ref>(視聴率は[[関東地方|関東地区]]・[[ビデオリサーチ]]社調べ)
|}
* 当初、Voice 7として制作された回は2007年5月22日にオンエア予定だったが、ハンバーグ店に立てこもる場面があったため、「物語の設定に、[[愛知長久手町立てこもり発砲事件|愛知立てこもり事件]]を想起させる場面を含む」<!-- 出典:www.dai2ntv.jp/p/z/083z/index.html-->として直前に放映休止が決まり、この日はVoice 2(再放送)に差し替えた。翌週は通常通りVoice 8を放送。Voice7の放送は放送完全中止とされ放送は行われなかったが、2007年9月20日発売の[[DVD]]に[[ビデオスルー]]扱いで収録された。
=== 用語 ===
; マックスロボ
: ロボお気に入りのロボットアニメ。胴体に大きく「MAX」の文字がデザインされているのが特徴。
: [[マジンガーZ]]や[[超電磁ロボ コン・バトラーV|コン・バトラーV]]などに代表される1970年代から1980年代のロボットアニメの雰囲気を持つ。首元にロボが乗るシトロエン2CVのフロントマスクが見える。
: ドラマ公式サイトで紹介された設定によると、架空の弱小プロダクション「トアルスタジオ」が「限界新時代マックスロボ」として[[1979年]]に制作したテレビアニメ番組。“合体ロボットアクションの究極形態”を目指した。放映時間が毎週火曜日午前10時という平日日中の「超冒険的」(公式サイト)な番組で、平均視聴率は1.4%に低迷。全45話の予定が30話で打ち切られ、トアルスタジオは倒産したが、劇場版「マックスロボ 愛の限界点」も公開された。“知る人ぞ知る”作品として現在も一部マニアの熱狂的な支持を集めている。
: ドラマでは、オープニングや主題歌、内容の一部などが端的に流される。ロボは自宅に劇場版ポスターを貼るなどこの作品に大層入れ込んでおり、ニコから2万円を貰って道端の怪しげな外国人からシリアルナンバー入りのフィギュアを手に入れた(このためニコの言い成りになった)<!---(OPの一部より、男性4人・女性1人の5人のパイロットで操縦するものと思われる)--->。
: Voice 8では手がトイレに落ちたが、プッチーニの一員の昭子に拾い上げてもらったことをきっかけにロボが彼女に一目惚れした<!---(尚、この恋はVoice 9で昭子が遠くへ旅立ったことで終了)--->。
: Last Voiceでは男2人組と立ち向かったときにバラバラになったが、エンディングではロボが修復を行っているシーンが映された。
=== 備考 ===
* 劇中で名梨が口ずさむ「プロフェッショナ〜ルな〜♪」は、[[甲本ヒロト]]が[[木村充揮]]のアルバム『小さな花』に提供した曲「プロフェッショナル」の一節。
* ロケ地は、杉並区[[阿佐ヶ谷]]・杉並区[[高円寺]]周辺。
* 噴水のある並木道や緑の丘のロケ地としては[[府中の森公園]]が多く使われている。
* 主演コンビの松山ケンイチと大後寿々花は<!--、過去に『[[ごくせん>ごくせん(テレビドラマ)]]』で間接的に共演しているが、直接的な物では-->2009年に映画『[[カムイ外伝 #.E5.AE.9F.E5.86.99.E6.98.A0.E7.94.BB|カムイ外伝]]』でも再共演している。
* 林一海役の村川絵梨、ロボのオタク仲間役の六角精児・中村靖日、Voice3にゲスト出演したお歯黒女役・香椎由宇、Voice5にゲスト出演した入山法子・仲里依紗・ホラン千秋・相馬有紀実、Voice8&9にゲスト出演した「プッチーニ」役のもたいまさこ、計9人は2006年の同局の『[[マイ☆ボス マイ☆ヒーロー]]』でも共演している。また、Voice5にゲスト出演した仲と夏目鈴は2008年の同局のドラマ『[[学校じゃ教えられない!]]』、2010年に[[TBSテレビ|TBS]]系列の「[[金曜ドラマ (TBS)|金曜ドラマ]]」枠で放送されたドラマ『[[ヤンキー君とメガネちゃん#テレビドラマ|ヤンキー君とメガネちゃん]]』でも共演している。<!--(当該作品における六角精児は関東鋭牙(えいげ)会傘下の暴力団、七利亜(しちりあ)組の組長役で、他の8人はセント・アグネス学園高校の教師や生徒役を演じている)-->
*Voice5で使用された制服は『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』で使用された物と同じである。
=== DVD ===
* Vol.1「VOICE 1,2」収録
* Vol.2「VOICE 3,4,5」収録
* Vol.3「VOICE 6,7,8」収録
* Vol.4「VOICE 9、10、Last voice、スペシャルディスク」収録
** スペシャルディスク内容「制作発表」「インタビュー」「メイキング(番組PR)」「メイキング(voice1,3,5,6,8)」「初収録・ロボの部屋」「クランクアップ」「おまけ〜マックスロボのテーマ〜その1、その2」<ref name="vapsexyvoice">{{Cite web|和書|url=http://www.vap.co.jp/sexyvoice/dvd/box.html |title=セクシーボイスアンドロボ DVD-BOX |publisher=[[バップ]] |date= |accessdate=2015-12-18}}</ref>
{{前後番組
|放送局=[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]
|放送枠=[[火曜ドラマ (日本テレビ)|火曜ドラマ]]
|番組名=セクシーボイスアンドロボ<br />(2007.04.10 - 2007.06.19)
|前番組=枠設立前につき無し
|次番組=[[探偵学園Q#連続ドラマ|探偵学園Q]]<br />(2007.07.03 - 2007.09.11)
|2放送局=日本テレビ[[日本テレビネットワーク協議会|系列]]
|2放送枠=[[火曜日|火曜]]22時台
|2番組名=セクシーボイスアンドロボ<br />【ここから「火曜ドラマ」枠】
|2前番組=[[火曜ドラマゴールド]]<br />※21:00 - 22:54
|2次番組=探偵学園Q
}}
{{日本テレビ火曜10時枠の連続ドラマ}}
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://www.ntv.co.jp/sexyvoice/ セクシーボイスアンドロボ] - 日本テレビ
* {{Wayback|url=http://vod.ntv.co.jp/program/sexyvoice/ |title=セクシーボイスアンドロボ |date=20120428010735}} - 日テレオンデマンド
{{文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞}}
{{DEFAULTSORT:せくしいほいすあんとろほ}}
[[Category:漫画作品 せ|くしいほいすあんとろほ]]
[[Category:月刊IKKI]]
[[Category:2000年の漫画]]
[[Category:ロボットを題材とした漫画作品]]
[[Category:杉並区を舞台とした漫画作品]]
[[Category:未完の漫画作品]]
[[Category:2007年のテレビドラマ]]
[[Category:日本テレビ火曜10時枠の連続ドラマ]]
[[Category:木皿泉脚本のテレビドラマ]]
[[Category:漫画を原作とするテレビドラマ]]
[[Category:ロボットを題材としたテレビドラマ]]
[[Category:テレビドラマ連動データ放送]]
[[Category:杉並区を舞台としたテレビドラマ]] | 2003-02-13T06:58:42Z | 2023-10-19T03:20:18Z | false | false | false | [
"Template:文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞",
"Template:基礎情報 テレビ番組",
"Template:前後番組",
"Template:日本テレビ火曜10時枠の連続ドラマ",
"Template:Reflist",
"Template:Cite web",
"Template:Wayback"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%9C |
1,213 | 大日本天狗党絵詞 | 『大日本天狗党絵詞』(だいにっぽんてんぐとうえことば)は、黒田硫黄による日本の漫画作品。講談社『月刊アフタヌーン』1994年10月号から1997年1月号まで連載された。全28話で、話数表記は「巻○○」である。単行本は全4巻が発行されている。現代日本を舞台に、幼い頃に天狗にさらわれたシノブと、日本を彼らの国に作り変えようと奔走する天狗たちを描く。作者の初連載作品であり、全編筆による作画が行なわれている。第1話が掲載された『月刊アフタヌーン』1994年10月号には、本編の前に「かみかくし 『大日本天狗党絵詞』の世界」と題する4点のカラー・イラストによる絵物語が掲載された。この作品は、単行本に収録されていない。
作中では、天狗は一般的に知られているような高い鼻を持つ姿ではなく、普通の人間と同じ姿で描かれている。しかし本体はカラスやトビなどの鳥であり、年季の入った天狗は「魂抜け」によって人間の体と本体とを分離させることができる。また「雲踏み」と呼ばれる空中飛行をすることができる。
小学校の入学式をきっかけに人間社会から離れ、天狗の「師匠」とともに生活していたシノブは、ある日、自分の生家で自分の偽者である泥人形が、自分の名を名乗って生活していることを知る。シノブの偽者はもともと師匠が作ったものだったが、その泥人形に違和感を抱いた師匠は泥人形の生活を調べ始める。それは「師匠」が作ったものではなく、シノブの叔父の高間が、別の天狗に作らせた泥人形「しのぶ」であった。自分の泥人形に執着する高間は、自分の身の回りを嗅ぎまわっていた師匠を「邪眼」で追い払う。「邪眼」に怖気づいた師匠は、やがて天狗を引き寄せる力を持つ少女・幸南を利用し、天狗の権威復活のために「大日本天狗党」を作ることを決意する。 | [
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] | 『大日本天狗党絵詞』(だいにっぽんてんぐとうえことば)は、黒田硫黄による日本の漫画作品。講談社『月刊アフタヌーン』1994年10月号から1997年1月号まで連載された。全28話で、話数表記は「巻○○」である。単行本は全4巻が発行されている。現代日本を舞台に、幼い頃に天狗にさらわれたシノブと、日本を彼らの国に作り変えようと奔走する天狗たちを描く。作者の初連載作品であり、全編筆による作画が行なわれている。第1話が掲載された『月刊アフタヌーン』1994年10月号には、本編の前に「かみかくし 『大日本天狗党絵詞』の世界」と題する4点のカラー・イラストによる絵物語が掲載された。この作品は、単行本に収録されていない。 作中では、天狗は一般的に知られているような高い鼻を持つ姿ではなく、普通の人間と同じ姿で描かれている。しかし本体はカラスやトビなどの鳥であり、年季の入った天狗は「魂抜け」によって人間の体と本体とを分離させることができる。また「雲踏み」と呼ばれる空中飛行をすることができる。 | 『'''大日本天狗党絵詞'''』(だいにっぽんてんぐとうえことば)は、[[黒田硫黄]]による[[日本]]の[[漫画]]作品。講談社『[[月刊アフタヌーン]]』[[1994年]]10月号から1997年1月号まで連載された。全28話で、話数表記は「巻○○」である。単行本は全4巻が発行されている。現代日本を舞台に、幼い頃に[[天狗]]にさらわれたシノブと、日本を彼らの国に作り変えようと奔走する天狗たちを描く。作者の初連載作品であり、全編筆による作画が行なわれている。第1話が掲載された『月刊アフタヌーン』1994年10月号には、本編の前に「かみかくし 『大日本天狗党絵詞』の世界」と題する4点のカラー・[[イラストレーション|イラスト]]による絵物語が掲載された。この作品は、単行本に収録されていない。
作中では、天狗は一般的に知られているような高い鼻を持つ姿ではなく、普通の人間と同じ姿で描かれている。しかし本体はカラスやトビなどの鳥であり、年季の入った天狗は「魂抜け」によって人間の体と本体とを分離させることができる。また「雲踏み」と呼ばれる空中飛行をすることができる。
== あらすじ ==
小学校の入学式をきっかけに人間社会から離れ、天狗の「師匠」とともに生活していたシノブは、ある日、自分の生家で自分の偽者である泥人形が、自分の名を名乗って生活していることを知る。シノブの偽者はもともと師匠が作ったものだったが、その泥人形に違和感を抱いた師匠は泥人形の生活を調べ始める。それは「師匠」が作ったものではなく、シノブの叔父の高間が、別の天狗に作らせた泥人形「しのぶ」であった。自分の泥人形に執着する高間は、自分の身の回りを嗅ぎまわっていた師匠を「邪眼」で追い払う。「邪眼」に怖気づいた師匠は、やがて天狗を引き寄せる力を持つ少女・幸南を利用し、天狗の権威復活のために「大日本天狗党」を作ることを決意する。
== 登場人物 ==
; シノブ
: 本作品の主人公。女性。小学校の入学式の時に天狗である師匠に連れ去られ、15年間、彼に従ってホームレスのような生活を送ってきた。ある日ふと生家を訪れ、そこに自分の名を名乗る偽者が生活していることを知り、人間にも天狗にもなれない自分の存在に疑問を抱くようになる。
; 師匠(ししょう)
: シノブをさらった天狗。幸南との出会いをきっかけに、零落した天狗の再興のため、仲間を集めて「大日本天狗党」を打ち立てることを思い付く。
; 高間(たかま)
: シノブの叔父で大学教授。しのぶの偽者(泥人形)に強い執着をもっており、泥人形の様子を探りにきた師匠を邪眼で追い払った。人形の寿命が来たことを知り、寿命を伸ばすために伝説の天狗・Z氏に会おうとする。
; 飯綱の犬太夫(いづなのいぬだゆう)
: 天狗。もともと師匠の弟子であったが、命を助けられた高間に恩に報いるためにしのぶの泥人形を作る。
; 有吾堂(ゆうごどう)
: 師匠の友人である天狗。骨董店「有吾堂」を営んでおり、「天狗党」の活動資金を提供する。
; 比良井(ひらい)
: 齢120の若手の天狗。コンビニのレジ打ちをして生活していた。シノブたちと行動するうちに幸南に惚れ、彼女を連れ去ろうとする。
; 幸南(ゆきな)
: 女子高生。雪の中で寝ているところをシノブに見つけられ、師匠に天狗の才能を見込まれる。天狗をひきつける力があり、「天狗党」の仲間集めのために協力させられる。
; Z氏(ぜっとし)(善界坊)
: 天狗たちから崇められている伝説的な天狗。幸南を寄り代にして現れたのち、師匠の天狗再興に力を貸すために[[沖ノ鳥島]]から巨大な西洋人の姿で本土へ現れる。
; としのり
: シノブの実弟。両親を失ってから叔父の高間の世話で偽者のしのぶと二人暮らしをしている。
; しのぶ・恣(しのぶ・ほしいまま)
: 飯綱の犬太夫が高間のためにつくった泥人形。シノブに成り代わって生活している。
== 書誌情報 ==
* [[黒田硫黄]]『大日本天狗党絵詞』 [[講談社]]〈アフタヌーンKC〉、全4巻
*# 1995年04月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000030027|title=大日本天狗党絵詞(1)(黒田 硫黄)|publisher=講談社コミックプラス|accessdate=2021-11-16}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-314111-5}}
*# 1996年02月21日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000030044|title=大日本天狗党絵詞(2)(黒田 硫黄)|publisher=講談社コミックプラス|accessdate=2021-11-16}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-314129-0}}
*# 1997年04月21日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000030065|title=大日本天狗党絵詞(3)(黒田 硫黄)|publisher=講談社コミックプラス|accessdate=2021-11-16}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-314150-4}}
*# 1997年05月21日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000030067|title=大日本天狗党絵詞(4)(黒田 硫黄)|publisher=講談社コミックプラス|accessdate=2021-11-16}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-314152-8}}
* 黒田硫黄『新装版 大日本天狗党絵詞』 講談社〈アフタヌーンKC〉、全3巻
*# 2008年10月23日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000029354|title=『新装版 大日本天狗党絵詞(1)』(黒田 硫黄)|publisher=講談社コミックプラス|accessdate=2021-11-16}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-314536-6}}
*# 2008年11月21日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000029358|title=『新装版 大日本天狗党絵詞(2)』(黒田 硫黄)|publisher=講談社コミックプラス|accessdate=2021-11-16}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-314540-3}}
*# 2008年12月22日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000029360|title=『新装版 大日本天狗党絵詞(3)』(黒田 硫黄)|publisher=講談社コミックプラス|accessdate=2021-11-16}}</ref>、{{ISBN2|978-4-06-314542-7}}
== 脚注 ==
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[[Category:漫画作品 た|いにつほんてんくとうえことは]]
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[[Category:天狗を題材にした作品]] | 2003-02-13T07:04:30Z | 2023-11-17T17:43:53Z | false | false | false | [
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1,214 | 宇宙論 | 宇宙論(うちゅうろん、英: cosmology)とは、「宇宙」や「世界」などと呼ばれる人間をとりかこむ何らかの広がり全体、広義には、それの中における人間の位置、に関する言及、論、研究などのことである。
宇宙論には神話、宗教、哲学、神学、科学(天文学、天体物理学)などが関係している。
「Cosmology コスモロジー」という言葉が初めて使われたのはクリスティアン・ヴォルフの 『Cosmologia Generalis』(1731)においてであるとされている。
本項では、神話、宗教、哲学、神学などで扱われた宇宙論も幅広く含めて扱う。
古代においても、人間は自身をとりかこむ世界について語っていた。
古代インドではヴェーダにおいて、「無からの発生」や「原人による創造」といった宇宙創生論が見られ、後には「繰り返し生成・消滅している宇宙」という考え方が現れたという。
古代ギリシャにおいては、エウドクソス、カリポス、アリストテレスらが、地球中心説を構築した。アリストテレスは celestial spheres は永遠不変の世界で、エーテルを含んでいる、と考えた。
ヨーロッパ中世のスコラ哲学においても、アリストテレス的な宇宙論が採用された。
ヨーロッパにおいては19世紀ごろまで、宇宙論は形而上学の一分野とされ、自然哲学において扱われていた。
現在の自然科学の宇宙論につながるそれは、天体は地上の物体に働いているのと同じ物理法則に従っていることを示唆するコペルニクスの原理と、それらの天体の運動の数学的理解を初めて可能にしたニュートン力学に端を発している。これらは現在では天体力学と呼ばれている。
現代の宇宙論は20世紀初めのアルベルト・アインシュタインによる一般相対性理論の発展と、非常に遠い距離にある天体の観測技術の進歩によって始まった。
天文学・宇宙物理学における宇宙論は、我々の宇宙自体の構造の研究を行なうもので、宇宙の生成と変化についての根本的な疑問に関連している。
20世紀には宇宙の起源について様々な仮説を立てることが可能になり、定常宇宙論、ビッグバン理論、あるいは振動宇宙論などの説が提唱された。
1970年代ころから、多くの宇宙論研究者がビッグバン理論を支持するようになり、自らの理論や観測の基礎として受け入れるようになった。
それぞれの観点から見た場合の「宇宙」の定義には、以下のようなものがある。
哲学的・宗教的観点から見た場合、宇宙全体の一部でありながら全体と類似したものを「小宇宙」と呼ぶのに対して、宇宙全体のことを「大宇宙」と呼ぶ。
天文学的観点から見た場合、「宇宙」はすべての天体・空間を含む領域をいう。銀河のことを「小宇宙」と呼ぶのに対して「大宇宙」ともいう。
「地球の大気圏外の空間」という意味では、国際航空連盟 (FAI) の規定によると空気抵抗がほぼ無視できる真空である高度 100 km 以上のことを指す。この基準はカーマン・ラインと呼ばれる。
その他の宇宙と地球大気圏を分ける基準として、アメリカ合衆国における宇宙飛行士の認定プログラムの規定がある。1950年ごろ、アメリカ空軍(USAF)では高度 50 測量マイル(50 ✕ 6336/3937 km ≒ 80.47 km[1959年以前当時])以上に到達した飛行士を宇宙飛行士と認定する規定を設けていた。連邦航空局(FAA)は USAF の基準を踏襲し 50 測量マイル以上に到達した飛行士を民間宇宙飛行士と認定している。
「宇宙」という語は一般には、cosmos, universe, (outer) space の訳語として用いられる。 英語の cosmos は古代ギリシア語の κόσμος に由来する。κόσμος は原義では秩序だった状態を指すが、ピタゴラスによって世界そのものを指す言葉としても用いられるようになった。「宇宙」は後者の意味に対してあてられる。一般には universe と同義だが cosmos は原義より秩序と調和のあることを含意する。「時間、空間内に秩序をもって存在する『こと』や『もの』の総体」としての宇宙 (cosmos) に関してはコスモスの項も参照。
英語 universe はラテン語 universum に由来し、すべての物と事象の総体を意味する。接頭辞 uni- は数詞の “1” を表すが、universe から派生して multiverse, omniverse などが造語されている。詳細はそれぞれ多元宇宙およびオムニバースの項を参照。
英語 outer space あるいは単に space は、地球の大気圏外の空間や、地球を含む各天体の大気圏外の空間を指し、日本語では「宇宙空間」ないし「外宇宙」の訳があてられ、また日本語においても単に「宇宙」と呼ぶことが一般的である。地球の大気に関して、宇宙空間と大気圏内の境界として(便宜的に)カーマン・ラインが定義されている。詳細は宇宙空間の項を参照。
ヴェーダ(紀元前1000年頃から紀元前500年頃)の時代から、すでに無からの発生、原初の原人の犠牲による創造、苦行の熱からの創造、といった宇宙生成論がある、という。また、地上界・空界・天界という三界への分類もあったという。
後の時代、繰り返し生成・消滅している宇宙という考え方が成立したという。これには業(ごう、カルマン)の思想が関連しているという。
この無限の反復の原因は、比較的初期の仏教においては、衆生の業の力の集積として理解されていたという。それが、ヒンドゥー教においては、創造神ブラフマーの眠りと覚醒の周期として表象されるようになったという(ブラフマーは後にヴィシュヌに置き換わった)。
世界各地には、神によって世界が作られたとする言及、物語、説が多数存在する。それらは創造神話や創世神話とも呼ばれている。
紀元前700年ころに活動したヘシオドスの『神統記』の116行目には「まず最初にchaos カオスが生じた」とある。古代ギリシャ語の元々の意味では「chaos」は《大きく開いた口》を意味していた。まずそのchaosがあり、そこから万物が生成した、とされたのである。そしてそのカオスは暗闇を生んでいるともされた。
ピタゴラス学派の人々は宇宙をコスモスと呼んだ。この背景を説明すると、古代ギリシャでは「kosmosコスモス」という言葉は、調和がとれていたり秩序がある状態を表現する言葉であり、庭園・社会の法・人の心などが調和がとれている状態を「kata kosmon(コスモスに合致している)」と表現した。同学派の人々は、数を信仰しており、存在者のすべてがハルモニアやシンメトリアといった数的で美的な秩序を根源としていると考え、この世界はコスモスなのだ、と考えた。このように見なすことにより同学派の人々は、一見すると不規則な点も多い天文現象の背後にひそむ数的な秩序を説明することを追及することになった。その延長上にプロラオスやエウドクソスらによる宇宙論がある。
古代ギリシャのエウドクソス(紀元前4世紀ころ)は、地が中心にあり、天体がそのまわりを回っているとした(→地球中心説、天動説)。27の層からなる天球が地を囲んでいると想定した。 古代ギリシャのカリポス(紀元前370-300頃)は、エウドクソスの説を発展させ、天球を34に増やした。
アリストテレス(紀元前384-322年)は『形而上学』において、エウドクソスおよびカリポスの説を継承・発展させた。 やはりこの地が中心にあり、天球が囲んでいる、とした。ただし、エウドクソスやカリポスは天球が互いに独立していると考えていたのに対し、連携があるシステムとし、その数は48ないし56とした。各層は、それぞれ固有の神、自らは動かず他を動かす神(en:unmoved mover)によって動かされている、とした。こちら側の世界は四元素で構成されているとし、他方、天球は四元素以外の第五番目の不変の元素、エーテルも含んでいると考えた。天球の世界は永遠に不変であると考えていた。
『七十人訳聖書』においてはκόσμος(kosmos)という言葉以外にoikumeneという言葉も用いられていた。キリスト教神学においては、kosmosの語は、「この世」の意味でも、つまり「あの世」と対比させられる意味でも用いられていたという。
クラウディオス・プトレマイオス(2世紀ごろ)は『アルマゲスト』において、もっぱら天球における天体の数学的な分析、すなわち太陽、月、惑星などの天体の軌道の計算法を整理してみせた。そして後の『惑星仮説』において自然学的な描写を試み、同心天球的な世界像、すなわち地球が世界の中心にあるとし、その周りを太陽、月、惑星が回っていることを示そうとした。惑星の順は伝統に従い、地球(を中心として)、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星だとした。
イブン・スィーナーはアリストテレスの論、プトレマイオスの論、ネオプラトニズムの混交した説を述べた。彼は、地球を中心とした9の天球が同心円的構造を成しているとし、一番外側に「諸天の天」、その内側に「獣帯天の天球」、土星天、木星天、火星天、太陽天、金星天、水星天、月天、そしてその内側に月下界(地球)がある、とした。「諸天の天」から月天までの9天は全て第五元素であるエーテルから構成されており不変であり、それに対して月下界は四元素の結合・分解によって生成消滅を繰り返しているとした。9天は地球を中心に円運動を行っている。そして、その動力因は各天球の魂である。魂の上に、各天球を司っている知性(ヌース)がある。一者(唯一神、アッラー)から第一知性が流出(放射)し、第一知性から第二知性と第一天球とその魂が流出(放射)する。その流出(放射)は次々に下位の知性でも繰り返されて、最後に月下界が出現したとする。
ヨーロッパ中世において行われていたスコラ哲学においては、アリストテレスの説を採用し、彼の『自然学』および四元素説も継承していた。そして、月下界(人間から見て、月よりもこちら側寄りの世界)は四元素の離散集合によって生成消滅が起きている世界だが、天上界は(月からあちら側の世界は)、地上の世界とは根本的に別の世界だと想定されており、円運動だけが許される世界で、永遠で不生不滅の世界であるとされていた。そして、天上界は固有の第五元素から構成される、とされていた。
西欧では、(19世紀の学者もそうであったが)20世紀初頭の物理学者らも、宇宙は始まりも終わりもない完全に静的なものである、という見解を持っていた。
現代的な宇宙論研究は観測と理論の両輪によって発展した。
1915年、アルベルト・アインシュタインは一般相対性理論を構築した。アインシュタインは物質の存在する宇宙が静的になるように、自分が導いたアインシュタイン方程式に宇宙定数を加えた。しかしこのいわゆる「アインシュタイン宇宙モデル」は不安定なモデルである。この宇宙モデルは最終的には膨張もしくは収縮に至る。一般相対論の宇宙論的な解はアレクサンドル・フリードマンによって発見された。彼の方程式はフリードマン・ロバートソン・ウォーカー計量に基づく膨張(収縮)宇宙を記述している。
1910年代にヴェスト・スライファーとやや遅れてカール・ウィルヘルム・ヴィルツは渦巻星雲の赤方偏移はそれらの天体が地球から遠ざかっていることを示すドップラーシフトであると解釈した。しかし天体までの距離を決定するのは非常に困難だった。すなわち、天体の角直径を測ることができたとしても、その実際の大きさや光度を知ることはできなかった。そのため彼らは、それらの天体が実際には我々の天の川銀河の外にある銀河であることに気づかず、自分達の観測結果の宇宙論的な意味についても考えることはなかった。
1920年4月26日、アメリカ国立科学院においてハーロー・シャプレーとヒーバー・ダウスト・カーチスが、『宇宙の大きさ』と題する公開討論会を行った。一方のシャプレーは、「我々の銀河系の大きさは直径約30万光年程度で、渦巻星雲は球状星団と同じように銀河系内にある」との説を展開し、対するカーチスは、「銀河系の大きさは直径約2万光年程度で、渦巻星雲は、(この銀河系には含まれない)独立した別の銀河である」との説を展開した。この討論は天文学者らにとって影響が大きく、「The Great Debate」あるいは「シャプレー・カーチス論争」と呼ばれるようになった。
1927年にはベルギーのカトリック教会の司祭であるジョルジュ・ルメートルがフリードマン・ルメートル・ロバートソン・ウォーカーの式を独立に導き、渦巻星雲が遠ざかっているという観測に基づいて、宇宙は「原始的原子」の「爆発」から始まった、とする説を提唱した。これは後にビッグバンと呼ばれるようになった。1929年にエドウィン・ハッブルはルメートルの理論に対する観測的裏付けを与えた。ハッブルは渦巻星雲が銀河であることを証明し、星雲に含まれるケフェイド変光星を観測することでこれらの天体までの距離を測定した。彼は銀河の赤方偏移とその光度の間の関係を発見した。彼はこの結果を、銀河が全ての方向に向かってその距離に比例する速度(地球に対する相対速度)で後退していると解釈した。この事実はハッブルの法則として知られている。ただしこの距離と後退速度の関係は正確には比較的近距離の銀河についてのみ確かめられたものだった。観測した銀河の距離が最初の約10倍にまで達したところでハッブルはこの世を去った。
宇宙原理の仮定の下では、ハッブルの法則は宇宙が膨張していることを示すことになる。このアイデアからは二つの異なる可能性が考えられる。一つは前述の通りルメートルが1927年に発案し、さらにジョージ・ガモフが支持し発展させたビッグバン理論である。もう一つの可能性はフレッド・ホイルが1948年に提唱した定常宇宙モデルである。定常宇宙論では銀河が互いに遠ざかるにつれて新しい物質が生み出される。このモデルでは宇宙はどの時刻においてもほぼ同じ姿となる。長年にわたって、この両方のモデルに対する支持者の数はほぼ同数に分けられていた。
しかしその後、宇宙は高温高密度の状態から進化してきたという説を支持する観測的証拠が見つかり始めた。1965年の宇宙マイクロ波背景放射の発見以来、ビッグバン理論が宇宙の起源と進化を説明する最も良い理論と見なされるようになった。1960年代終わりよりも前には、多くの宇宙論研究者は、フリードマンの宇宙モデルの初期状態に現れる密度無限大の特異点は数学的観念化の結果出てくるものであって、実際の宇宙は高温高密度状態の前には収縮しており、その後再び膨張するのだと考えていた。このようなモデルをリチャード・トールマンの振動宇宙論と呼ぶ。1960年代にスティーヴン・ホーキングとロジャー・ペンローズが、振動宇宙論は実際にはうまくいかず、特異点はアインシュタインの重力理論の本質的な性質であることを示した。
これによって宇宙論研究者の大部分は、宇宙が有限時間の過去から始まったとするビッグバン理論を受け入れるようになった。
ただし現在でも一部の研究者は、ビッグバン理論のほころびを指摘し、定常宇宙論やプラズマ宇宙論などの宇宙論を支持している。
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"text": "「宇宙」という語は一般には、cosmos, universe, (outer) space の訳語として用いられる。 英語の cosmos は古代ギリシア語の κόσμος に由来する。κόσμος は原義では秩序だった状態を指すが、ピタゴラスによって世界そのものを指す言葉としても用いられるようになった。「宇宙」は後者の意味に対してあてられる。一般には universe と同義だが cosmos は原義より秩序と調和のあることを含意する。「時間、空間内に秩序をもって存在する『こと』や『もの』の総体」としての宇宙 (cosmos) に関してはコスモスの項も参照。",
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"text": "英語 universe はラテン語 universum に由来し、すべての物と事象の総体を意味する。接頭辞 uni- は数詞の “1” を表すが、universe から派生して multiverse, omniverse などが造語されている。詳細はそれぞれ多元宇宙およびオムニバースの項を参照。",
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"text": "英語 outer space あるいは単に space は、地球の大気圏外の空間や、地球を含む各天体の大気圏外の空間を指し、日本語では「宇宙空間」ないし「外宇宙」の訳があてられ、また日本語においても単に「宇宙」と呼ぶことが一般的である。地球の大気に関して、宇宙空間と大気圏内の境界として(便宜的に)カーマン・ラインが定義されている。詳細は宇宙空間の項を参照。",
"title": "語意"
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"text": "ヴェーダ(紀元前1000年頃から紀元前500年頃)の時代から、すでに無からの発生、原初の原人の犠牲による創造、苦行の熱からの創造、といった宇宙生成論がある、という。また、地上界・空界・天界という三界への分類もあったという。",
"title": "宇宙論の歴史"
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"text": "後の時代、繰り返し生成・消滅している宇宙という考え方が成立したという。これには業(ごう、カルマン)の思想が関連しているという。",
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"text": "この無限の反復の原因は、比較的初期の仏教においては、衆生の業の力の集積として理解されていたという。それが、ヒンドゥー教においては、創造神ブラフマーの眠りと覚醒の周期として表象されるようになったという(ブラフマーは後にヴィシュヌに置き換わった)。",
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"text": "世界各地には、神によって世界が作られたとする言及、物語、説が多数存在する。それらは創造神話や創世神話とも呼ばれている。",
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"text": "紀元前700年ころに活動したヘシオドスの『神統記』の116行目には「まず最初にchaos カオスが生じた」とある。古代ギリシャ語の元々の意味では「chaos」は《大きく開いた口》を意味していた。まずそのchaosがあり、そこから万物が生成した、とされたのである。そしてそのカオスは暗闇を生んでいるともされた。",
"title": "宇宙論の歴史"
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"text": "ピタゴラス学派の人々は宇宙をコスモスと呼んだ。この背景を説明すると、古代ギリシャでは「kosmosコスモス」という言葉は、調和がとれていたり秩序がある状態を表現する言葉であり、庭園・社会の法・人の心などが調和がとれている状態を「kata kosmon(コスモスに合致している)」と表現した。同学派の人々は、数を信仰しており、存在者のすべてがハルモニアやシンメトリアといった数的で美的な秩序を根源としていると考え、この世界はコスモスなのだ、と考えた。このように見なすことにより同学派の人々は、一見すると不規則な点も多い天文現象の背後にひそむ数的な秩序を説明することを追及することになった。その延長上にプロラオスやエウドクソスらによる宇宙論がある。",
"title": "宇宙論の歴史"
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"text": "古代ギリシャのエウドクソス(紀元前4世紀ころ)は、地が中心にあり、天体がそのまわりを回っているとした(→地球中心説、天動説)。27の層からなる天球が地を囲んでいると想定した。 古代ギリシャのカリポス(紀元前370-300頃)は、エウドクソスの説を発展させ、天球を34に増やした。",
"title": "宇宙論の歴史"
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"text": "アリストテレス(紀元前384-322年)は『形而上学』において、エウドクソスおよびカリポスの説を継承・発展させた。 やはりこの地が中心にあり、天球が囲んでいる、とした。ただし、エウドクソスやカリポスは天球が互いに独立していると考えていたのに対し、連携があるシステムとし、その数は48ないし56とした。各層は、それぞれ固有の神、自らは動かず他を動かす神(en:unmoved mover)によって動かされている、とした。こちら側の世界は四元素で構成されているとし、他方、天球は四元素以外の第五番目の不変の元素、エーテルも含んでいると考えた。天球の世界は永遠に不変であると考えていた。",
"title": "宇宙論の歴史"
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"text": "『七十人訳聖書』においてはκόσμος(kosmos)という言葉以外にoikumeneという言葉も用いられていた。キリスト教神学においては、kosmosの語は、「この世」の意味でも、つまり「あの世」と対比させられる意味でも用いられていたという。",
"title": "宇宙論の歴史"
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"text": "クラウディオス・プトレマイオス(2世紀ごろ)は『アルマゲスト』において、もっぱら天球における天体の数学的な分析、すなわち太陽、月、惑星などの天体の軌道の計算法を整理してみせた。そして後の『惑星仮説』において自然学的な描写を試み、同心天球的な世界像、すなわち地球が世界の中心にあるとし、その周りを太陽、月、惑星が回っていることを示そうとした。惑星の順は伝統に従い、地球(を中心として)、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星だとした。",
"title": "宇宙論の歴史"
},
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"text": "イブン・スィーナーはアリストテレスの論、プトレマイオスの論、ネオプラトニズムの混交した説を述べた。彼は、地球を中心とした9の天球が同心円的構造を成しているとし、一番外側に「諸天の天」、その内側に「獣帯天の天球」、土星天、木星天、火星天、太陽天、金星天、水星天、月天、そしてその内側に月下界(地球)がある、とした。「諸天の天」から月天までの9天は全て第五元素であるエーテルから構成されており不変であり、それに対して月下界は四元素の結合・分解によって生成消滅を繰り返しているとした。9天は地球を中心に円運動を行っている。そして、その動力因は各天球の魂である。魂の上に、各天球を司っている知性(ヌース)がある。一者(唯一神、アッラー)から第一知性が流出(放射)し、第一知性から第二知性と第一天球とその魂が流出(放射)する。その流出(放射)は次々に下位の知性でも繰り返されて、最後に月下界が出現したとする。",
"title": "宇宙論の歴史"
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"text": "ヨーロッパ中世において行われていたスコラ哲学においては、アリストテレスの説を採用し、彼の『自然学』および四元素説も継承していた。そして、月下界(人間から見て、月よりもこちら側寄りの世界)は四元素の離散集合によって生成消滅が起きている世界だが、天上界は(月からあちら側の世界は)、地上の世界とは根本的に別の世界だと想定されており、円運動だけが許される世界で、永遠で不生不滅の世界であるとされていた。そして、天上界は固有の第五元素から構成される、とされていた。",
"title": "宇宙論の歴史"
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"text": "西欧では、(19世紀の学者もそうであったが)20世紀初頭の物理学者らも、宇宙は始まりも終わりもない完全に静的なものである、という見解を持っていた。",
"title": "現代"
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"text": "現代的な宇宙論研究は観測と理論の両輪によって発展した。",
"title": "現代"
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{
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"text": "1915年、アルベルト・アインシュタインは一般相対性理論を構築した。アインシュタインは物質の存在する宇宙が静的になるように、自分が導いたアインシュタイン方程式に宇宙定数を加えた。しかしこのいわゆる「アインシュタイン宇宙モデル」は不安定なモデルである。この宇宙モデルは最終的には膨張もしくは収縮に至る。一般相対論の宇宙論的な解はアレクサンドル・フリードマンによって発見された。彼の方程式はフリードマン・ロバートソン・ウォーカー計量に基づく膨張(収縮)宇宙を記述している。",
"title": "現代"
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"text": "1910年代にヴェスト・スライファーとやや遅れてカール・ウィルヘルム・ヴィルツは渦巻星雲の赤方偏移はそれらの天体が地球から遠ざかっていることを示すドップラーシフトであると解釈した。しかし天体までの距離を決定するのは非常に困難だった。すなわち、天体の角直径を測ることができたとしても、その実際の大きさや光度を知ることはできなかった。そのため彼らは、それらの天体が実際には我々の天の川銀河の外にある銀河であることに気づかず、自分達の観測結果の宇宙論的な意味についても考えることはなかった。",
"title": "現代"
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"text": "1920年4月26日、アメリカ国立科学院においてハーロー・シャプレーとヒーバー・ダウスト・カーチスが、『宇宙の大きさ』と題する公開討論会を行った。一方のシャプレーは、「我々の銀河系の大きさは直径約30万光年程度で、渦巻星雲は球状星団と同じように銀河系内にある」との説を展開し、対するカーチスは、「銀河系の大きさは直径約2万光年程度で、渦巻星雲は、(この銀河系には含まれない)独立した別の銀河である」との説を展開した。この討論は天文学者らにとって影響が大きく、「The Great Debate」あるいは「シャプレー・カーチス論争」と呼ばれるようになった。",
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"text": "1927年にはベルギーのカトリック教会の司祭であるジョルジュ・ルメートルがフリードマン・ルメートル・ロバートソン・ウォーカーの式を独立に導き、渦巻星雲が遠ざかっているという観測に基づいて、宇宙は「原始的原子」の「爆発」から始まった、とする説を提唱した。これは後にビッグバンと呼ばれるようになった。1929年にエドウィン・ハッブルはルメートルの理論に対する観測的裏付けを与えた。ハッブルは渦巻星雲が銀河であることを証明し、星雲に含まれるケフェイド変光星を観測することでこれらの天体までの距離を測定した。彼は銀河の赤方偏移とその光度の間の関係を発見した。彼はこの結果を、銀河が全ての方向に向かってその距離に比例する速度(地球に対する相対速度)で後退していると解釈した。この事実はハッブルの法則として知られている。ただしこの距離と後退速度の関係は正確には比較的近距離の銀河についてのみ確かめられたものだった。観測した銀河の距離が最初の約10倍にまで達したところでハッブルはこの世を去った。",
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"text": "宇宙原理の仮定の下では、ハッブルの法則は宇宙が膨張していることを示すことになる。このアイデアからは二つの異なる可能性が考えられる。一つは前述の通りルメートルが1927年に発案し、さらにジョージ・ガモフが支持し発展させたビッグバン理論である。もう一つの可能性はフレッド・ホイルが1948年に提唱した定常宇宙モデルである。定常宇宙論では銀河が互いに遠ざかるにつれて新しい物質が生み出される。このモデルでは宇宙はどの時刻においてもほぼ同じ姿となる。長年にわたって、この両方のモデルに対する支持者の数はほぼ同数に分けられていた。",
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"text": "しかしその後、宇宙は高温高密度の状態から進化してきたという説を支持する観測的証拠が見つかり始めた。1965年の宇宙マイクロ波背景放射の発見以来、ビッグバン理論が宇宙の起源と進化を説明する最も良い理論と見なされるようになった。1960年代終わりよりも前には、多くの宇宙論研究者は、フリードマンの宇宙モデルの初期状態に現れる密度無限大の特異点は数学的観念化の結果出てくるものであって、実際の宇宙は高温高密度状態の前には収縮しており、その後再び膨張するのだと考えていた。このようなモデルをリチャード・トールマンの振動宇宙論と呼ぶ。1960年代にスティーヴン・ホーキングとロジャー・ペンローズが、振動宇宙論は実際にはうまくいかず、特異点はアインシュタインの重力理論の本質的な性質であることを示した。",
"title": "現代"
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"text": "これによって宇宙論研究者の大部分は、宇宙が有限時間の過去から始まったとするビッグバン理論を受け入れるようになった。",
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"text": "ただし現在でも一部の研究者は、ビッグバン理論のほころびを指摘し、定常宇宙論やプラズマ宇宙論などの宇宙論を支持している。",
"title": "現代"
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{
"paragraph_id": 44,
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"text": "",
"title": "現代"
}
] | 宇宙論とは、「宇宙」や「世界」などと呼ばれる人間をとりかこむ何らかの広がり全体、広義には、それの中における人間の位置、に関する言及、論、研究などのことである。 宇宙論には神話、宗教、哲学、神学、科学(天文学、天体物理学)などが関係している。 「Cosmology コスモロジー」という言葉が初めて使われたのはクリスティアン・ヴォルフの 『Cosmologia Generalis』(1731)においてであるとされている。 本項では、神話、宗教、哲学、神学などで扱われた宇宙論も幅広く含めて扱う。 | {{出典の明記|date=2022年4月}}
'''宇宙論'''(うちゅうろん、{{lang-en-short|cosmology}})とは、「[[宇宙]]」や「[[世界]]」などと呼ばれる人間をとりかこむ何らかの広がり全体<ref group="注">「cosmos」は元はギリシャ語のκόσμοςコスモスであり、これは「秩序」という意味で「chaosカオス」(=無秩序)と対比させられていた。また「cosmos」は同時に「全ての存在」を意味していたと解説されることもある。</ref>、広義には、それの中における[[人間]]の位置、に関する言及、論{{efn2|「cosmology」という語は、cosmo - logyという構成になっている。logyの意味については、[[-logy]]の項を参照可}}、研究などのことである。
宇宙論には[[神話]]、[[宗教]]、[[哲学]]、[[神学]]、[[科学]]([[天文学]]、[[天体物理学]])などが関係している。
「Cosmology コスモロジー」という言葉が初めて使われたのは[[クリスティアン・ヴォルフ]]の 『Cosmologia Generalis』(1731)においてであるとされている。
本項では、神話、宗教、哲学、神学などで扱われた宇宙論も幅広く含めて扱う。
== 概論 ==
古代においても、人間は自身をとりかこむ世界について語っていた。
古代インドでは[[ヴェーダ]]において、「無からの発生」や「原人による創造」といった宇宙創生論が見られ、後には「繰り返し生成・消滅している宇宙」という考え方が現れたという。
古代ギリシャにおいては、[[エウドクソス]]、[[カリポス]]、[[アリストテレス]]らが、地球中心説を構築した。アリストテレスは celestial spheres は永遠不変の世界で、[[エーテル (神学)|エーテル]]を含んでいる、と考えた。
ヨーロッパ[[中世]]の[[スコラ哲学]]においても、アリストテレス的な宇宙論が採用された。
ヨーロッパにおいては19世紀ごろまで、宇宙論は[[形而上学]]の一分野とされ、[[自然哲学]]において扱われていた{{efn2|[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]も[[自然哲学者]]を自認していた。}}。
現在の自然科学の宇宙論につながるそれは、天体は地上の物体に働いているのと同じ物理法則に従っていることを示唆する[[コペルニクスの原理]]と、それらの天体の運動の数学的理解を初めて可能にした[[ニュートン力学]]に端を発している。これらは現在では[[天体力学]]と呼ばれている。
現代の宇宙論は20世紀初めの[[アルベルト・アインシュタイン]]による[[一般相対性理論]]の発展と、非常に遠い距離にある天体の観測技術の進歩によって始まった。
天文学・宇宙物理学における宇宙論は、我々の宇宙自体の構造の研究を行なうもので、宇宙の生成と変化についての根本的な疑問に関連している。
20世紀には宇宙の起源について様々な[[仮説]]を立てることが可能になり、[[定常宇宙論]]、[[ビッグバン]]理論、あるいは振動宇宙論などの説が提唱された。
1970年代ころから、多くの宇宙論研究者がビッグバン理論を支持するようになり、自らの理論や観測の基礎として受け入れるようになった。
== 分野ごとの定義 ==
それぞれの観点から見た場合の「宇宙」の定義には、以下のようなものがある。
=== 宗教哲学 ===
{{出典の明記| section = 1| date = 2022-01-22}}
[[哲学]]的・[[宗教]]的観点から見た場合、宇宙全体の一部でありながら全体と類似したものを「小宇宙」と呼ぶのに対して、宇宙全体のことを「大宇宙」と呼ぶ。
=== 天文学および現代宇宙論 ===
{{出典の明記| section = 1| date = 2022-01-22}}
[[天文学]]的観点から見た場合、「宇宙」はすべての[[天体]]・空間を含む領域をいう。[[銀河]]のことを「小宇宙」と呼ぶのに対して「大宇宙」ともいう。
=== 航空宇宙および宇宙工学 ===
「地球の[[大気圏]]外の空間」という意味では、[[国際航空連盟]] (FAI) の規定によると空気抵抗がほぼ無視できる真空である高度 {{val|100|u=km}} 以上のことを指す<ref>{{Cite book|和書|author=フジテレビトリビア普及委員会|year=2004|title=トリビアの泉〜へぇの本〜 5|publisher=講談社}}</ref><ref>{{cite web |last=Sanz Fernández de Córdoba |first=S. |title=100km altitude boundary for astronautics |publisher=FAI |date=2004-06-21 |url=https://www.fai.org/page/icare-boundary |website=www.fai.org |accessdate=2022-01-28 |ref={{sfnref|Sanz Fernández de Córdoba|2004}}}}</ref>。この基準は[[カーマン・ライン]]と呼ばれる{{sfn|Sanz Fernández de Córdoba|2004|loc=The Karman separation line: Scientific significance}}。
その他の宇宙と地球大気圏を分ける基準として、アメリカ合衆国における宇宙飛行士の認定プログラムの規定がある。1950年ごろ、[[アメリカ空軍]](USAF)では高度 50 測量マイル(50 ✕ {{sfrac|6336|3937}} km ≒ 80.47 km[1959年以前当時])以上に到達した飛行士を宇宙飛行士と認定する規定を設けていた<ref>{{cite web |last=de Gouyon Matignon |first=Louis |title=Why does the FAA uses 50 miles for defining outer space? |publisher=Space Legal Issues |date=2019-12-24 |url=https://www.spacelegalissues.com/why-does-the-faa-uses-50-miles-for-defining-outer-space/ |website=www.spacelegalissues.com |accessdate=2022-01-28 |ref={{sfnref|de Gouyon Matignon|2019}}}}</ref>。[[連邦航空局]](FAA)は USAF の基準を踏襲し 50 測量マイル以上に到達した飛行士を民間宇宙飛行士と認定している<ref>{{cite web |title=Commercial Space Transportation Activities |publisher=FAA |date=2020-06-19 |url=https://www.faa.gov/newsroom/commercial-space-transportation-activities?newsId=19074 |website=www.faa.gov |accessdate=2022-01-28 |ref={{sfnref|FAA|2020}}}}</ref>。
== 語意 ==
「宇宙」という語は一般には、{{en|cosmos}}, {{en|universe}}, {{en|(outer) space}} の訳語として用いられる。 [[英語]]の {{en|cosmos}} は[[古代ギリシア語]]の {{lang|grc|κόσμος}} に由来する。{{lang|grc|κόσμος}} は原義では[[秩序]]だった状態を指すが、[[ピタゴラス]]によって[[世界]]そのものを指す言葉としても用いられるようになった<ref name="MerriamWebster_cosmos">[[mwod:cosmos|Merriam-Webster, definition of cosmos.]]</ref>。「宇宙」は後者の意味に対してあてられる。一般には {{en|universe}} と同義だが {{en|cosmos}} は原義より秩序と調和のあることを含意する。「[[時間]]、[[空間]]内に秩序をもって存在する『こと』や『もの』の総体」<ref name="koujien">広辞苑第六版【宇宙】</ref>としての宇宙 ({{en|cosmos}}) に関しては[[コスモス (宇宙観)|コスモス]]の項も参照。
英語 {{en|universe}} は[[ラテン語]] {{lang|lat|universum}} に由来し、すべての物と事象の総体を意味する<ref name="MerriamWebster_universe">[[mwod:universe|Merriam-Webster, definition of universe.]]</ref>。[[接頭辞]] {{en|uni-}} は数詞の “1” を表すが、{{en|universe}} から派生して {{en|multiverse}}, {{en|omniverse}} などが[[造語]]されている。詳細はそれぞれ[[多元宇宙]]および[[オムニバース]]の項を参照。
英語 {{en|outer space}} あるいは単に {{en|space}} は、[[地球]]の[[大気圏]]外の空間や、地球を含む各天体の大気圏外の空間を指し、日本語では「宇宙空間」ないし「外宇宙」の訳があてられ、また日本語においても単に「宇宙」と呼ぶことが一般的である。[[地球の大気]]に関して、宇宙空間と大気圏内の境界として(便宜的に)[[カーマン・ライン]]が定義されている。詳細は[[宇宙空間]]の項を参照。
== 宇宙論の歴史 ==
{{See also|宇宙論の年表}}
=== 古代インド ===
[[ヴェーダ]](紀元前1000年頃から紀元前500年頃)の時代から、すでに無からの発生、原初の原人の犠牲による創造、苦行の熱からの創造、といった宇宙生成論がある、という。また、地上界・空界・天界という[[三界]]への分類もあったという<ref name="siso-p133">{{Cite |和書|author=廣松渉 |title=岩波哲学・思想事典 |date=1998 |publisher=岩波書店 |isbn=4000800892 |page=133 |ref=harv}}</ref>。
後の時代、繰り返し生成・消滅している宇宙という考え方が成立したという<ref name="siso-p133" />。これには[[業]](ごう、カルマン)の思想が関連しているという<ref name="siso-p133" />。
この無限の反復の原因は、比較的初期の仏教においては、衆生の業の力の集積として理解されていた<ref name="siso-p133" />という。それが、[[ヒンドゥー教]]においては、創造神[[ブラフマー]]の眠りと覚醒の周期として[[表象]]されるようになったという(ブラフマーは後に[[ヴィシュヌ]]に置き換わった)<ref name="siso-p133" />。
=== 様々な神話 ===
世界各地には、神によって世界が作られたとする言及、物語、説が多数存在する。それらは[[創造神話]]や[[創世神話]]とも呼ばれている。
==== 関連項目 ====
* [[九つの世界]] (北欧神話の宇宙論)
=== 古代ギリシャ ===
紀元前700年ころに活動した[[ヘシオドス]]の『[[神統記]]』の116行目には「まず最初にchaos [[カオス]]が生じた」とある。古代ギリシャ語の元々の意味では「chaos」は《大きく開いた口》を意味していた。まずそのchaosがあり、そこから万物が生成した、とされたのである。そしてそのカオスは[[闇|暗闇]]を生んでいるともされた。
[[ピタゴラス学派]]の人々は宇宙を[[コスモス (宇宙観)|コスモス]]と呼んだ。この背景を説明すると、古代ギリシャでは「kosmosコスモス」という言葉は、調和がとれていたり秩序がある状態を表現する言葉であり、[[庭園]]・社会の[[法律|法]]・人の[[心]]などが調和がとれている状態を「kata kosmon(コスモスに合致している)」と表現した。同学派の人々は、[[数]]を[[信仰]]しており、存在者のすべてが[[ハーモニー|ハルモニア]]や[[シンメトリー|シンメトリア]]といった数的で美的な秩序を根源としていると考え、この世界はコスモスなのだ、と考えた。このように見なすことにより同学派の人々は、一見すると不規則な点も多い[[天文現象]]の背後にひそむ数的な秩序を説明することを追及することになった。その延長上に[[プロラオス]]や[[エウドクソス]]らによる宇宙論がある。
[[File:Ptolemaicsystem-small.png|thumb|[[ペトルス・アピアヌス]]{{efn2| [[:en:Peter Apian]]}}によって描かれた“Cosmographia”。古代から中世にかけての宇宙論。(アントワープ、[[1539年]])]]
古代ギリシャの[[エウドクソス]](紀元前4世紀ころ)は、地が中心にあり、天体がそのまわりを回っているとした(→[[地球中心説]]、[[天動説]])。27の層からなる[[天球]]が地を囲んでいると想定した。 古代ギリシャの[[カリポス]](紀元前370-300頃)は、エウドクソスの説を発展させ、天球を34に増やした。
[[アリストテレス]](紀元前384-322年)は『[[形而上学]]』において、エウドクソスおよびカリポスの説を継承・発展させた。
やはりこの地が中心にあり、天球が囲んでいる、とした。ただし、エウドクソスやカリポスは天球が互いに独立していると考えていたのに対し、連携があるシステムとし、その数は48ないし56とした。各層は、それぞれ固有の[[神]]、自らは動かず他を動かす神([[:en:unmoved mover]])によって動かされている、とした。こちら側の世界は[[四元素]]で構成されているとし、他方、天球は四元素以外の第五番目の不変の元素、[[エーテル (神学)|エーテル]]も含んでいると考えた。天球の世界は永遠に不変であると考えていた。
==== 関連項目 ====
* [[ソクラテス以前の哲学者]]
* [[自然法論]]
=== 新約聖書 ===
{{Main|聖書の宇宙論}}
『[[七十人訳聖書]]』においてはκόσμος(kosmos)という言葉以外に[[エクメーネ|oikumene]]という言葉も用いられていた。キリスト教神学においては、kosmosの語は、「[[現世|この世]]」の意味でも、つまり「[[来世|あの世]]」と対比させられる意味でも用いられていたという。
=== プトレマイオス ===
[[File:Almagest 1.jpeg|right|thumb|160px|アルマゲスト(George of Trebizond によるラテン語版、1451年頃)]]
[[クラウディオス・プトレマイオス]](2世紀ごろ)は『[[アルマゲスト]]』において、もっぱら天球における天体の数学的な分析、すなわち太陽、月、惑星などの天体の軌道の計算法を整理してみせた。そして後の『惑星仮説』において[[自然学]]的な描写を試み、同心天球的な世界像、すなわち地球が世界の中心にあるとし、その周りを太陽、月、惑星が回っていることを示そうとした。惑星の順は伝統に従い、[[地球]](を中心として)、[[月]]、[[水星]]、[[金星]]、[[太陽]]、[[火星]]、[[木星]]、[[土星]]だとした。
=== イスラーム世界 ===
[[イブン・スィーナー]]はアリストテレスの論、プトレマイオスの論、[[ネオプラトニズム]]の混交した説を述べた。彼は、地球を中心とした9の天球が同心円的構造を成しているとし、一番外側に「諸天の天」、その内側に「獣帯天の天球」、土星天、木星天、火星天、太陽天、金星天、水星天、月天、そしてその内側に月下界(地球)がある、とした。「諸天の天」から月天までの9天は全て第五元素である[[エーテル (神学)|エーテル]]から構成されており不変であり、それに対して月下界は四元素の結合・分解によって生成消滅を繰り返しているとした。9天は地球を中心に円運動を行っている。そして、その動力因は各天球の魂である。魂の上に、各天球を司っている知性([[ヌース]])がある。一者([[唯一神]]、[[アッラー]])から第一知性が流出(放射)し、第一知性から第二知性と第一天球とその魂が流出(放射)する。その流出(放射)は次々に下位の知性でも繰り返されて、最後に月下界が出現したとする<ref name="siso-p133" />。
==== 関連項目 ====
*[[イスラム科学]]、[[イスラーム哲学]]
=== ヨーロッパ中世 ===
ヨーロッパ[[中世]]において行われていた[[スコラ哲学]]においては、アリストテレスの説を採用し、彼の『自然学』および四元素説も継承していた。そして、月下界(人間から見て、月よりもこちら側寄りの世界)は[[四元素]]の離散集合によって生成消滅が起きている世界だが、天上界は(月からあちら側の世界は)、地上の世界とは根本的に別の世界だと想定されており、[[円運動]]{{efn2|完全性を具現している、とされた。}}だけが許される世界で、[[永遠]]で不生不滅の世界であるとされていた<ref name="siso-daigo">岩波書店『哲学・思想 事典』、「第五元素」の項</ref>{{efn2|大枠として、スコラ哲学では「聖なる天界」と「俗なる地上界」とに分けて世界を理解していたのである。}}。そして、天上界は固有の第五元素から構成される、とされていた<ref name="siso-daigo">岩波書店『哲学・思想 事典』、「第五元素」の項</ref>。
==== 関連項目 ====
* [[天国]]、[[エデンの園]]、[[地獄 (キリスト教)|地獄]]
== 現代 ==
{{See also|現代宇宙論}}
西欧では、(19世紀の学者もそうであったが)20世紀初頭の物理学者らも、宇宙は始まりも終わりもない完全に静的なものである、という見解を持っていた。
現代的な宇宙論研究は観測と理論の両輪によって発展した。
[[1915年]]、[[アルベルト・アインシュタイン]]は一般相対性理論を構築した。アインシュタインは物質の存在する宇宙が静的になるように、自分が導いた[[アインシュタイン方程式]]に[[宇宙定数]]を加えた。しかしこのいわゆる「アインシュタイン宇宙モデル」は不安定なモデルである。この宇宙モデルは最終的には膨張もしくは収縮に至る。一般相対論の宇宙論的な解は[[アレクサンドル・フリードマン]]によって発見された。彼の方程式は[[フリードマン・ロバートソン・ウォーカー計量]]に基づく膨張(収縮)宇宙を記述している。
[[1910年代]]に[[ヴェスト・スライファー]]とやや遅れて[[カール・ウィルヘルム・ヴィルツ]]は[[渦巻銀河|渦巻星雲]]の[[赤方偏移]]はそれらの天体が[[地球]]から遠ざかっていることを示す[[ドップラー効果|ドップラーシフト]]であると解釈した。しかし天体までの距離を決定するのは非常に困難だった。すなわち、天体の[[角直径]]を測ることができたとしても、その実際の大きさや[[光度 (天文学)|光度]]を知ることはできなかった。そのため彼らは、それらの天体が実際には我々の[[天の川銀河]]の外にある[[銀河]]であることに気づかず、自分達の観測結果の宇宙論的な意味についても考えることはなかった。
1920年4月26日、[[アメリカ国立科学院]]において[[ハーロー・シャプレー]]と[[ヒーバー・ダウスト・カーチス]]が、『宇宙の大きさ』と題する公開討論会を行った。一方のシャプレーは、「我々の銀河系の大きさは直径約30万光年程度で、渦巻星雲は球状星団と同じように銀河系内にある」との説を展開し、対するカーチスは、「銀河系の大きさは直径約2万光年程度で、渦巻星雲は、(この銀河系には含まれない)独立した別の銀河である」との説を展開した。この討論は天文学者らにとって影響が大きく、「[[:w:The Great Debate|The Great Debate]]」あるいは「[[シャプレー・カーチス論争]]」と呼ばれるようになった。
[[1927年]]にはベルギーのカトリック教会の司祭である[[ジョルジュ・ルメートル]]がフリードマン・ルメートル・ロバートソン・ウォーカーの式を独立に導き、渦巻星雲が遠ざかっているという観測に基づいて、宇宙は「原始的原子」の「爆発」から始まった、とする説を提唱した。これは後にビッグバンと呼ばれるようになった。[[1929年]]に[[エドウィン・ハッブル]]はルメートルの理論に対する観測的裏付けを与えた。ハッブルは渦巻星雲が銀河であることを証明し、星雲に含まれる[[ケフェイド変光星]]を観測することでこれらの天体までの距離を測定した。彼は銀河の赤方偏移とその光度の間の関係を発見した。彼はこの結果を、銀河が全ての方向に向かってその距離に比例する速度(地球に対する相対速度)で後退していると解釈した。この事実は[[ハッブルの法則]]として知られている。ただしこの距離と後退速度の関係は正確には比較的近距離の銀河についてのみ確かめられたものだった。観測した銀河の距離が最初の約10倍にまで達したところでハッブルはこの世を去った。
[[宇宙原理]]の仮定の下では、ハッブルの法則は宇宙が膨張していることを示すことになる。このアイデアからは二つの異なる可能性が考えられる。一つは前述の通りルメートルが1927年に発案し、さらに[[ジョージ・ガモフ]]が支持し発展させた[[ビッグバン|ビッグバン理論]]である。もう一つの可能性は[[フレッド・ホイル]]が1948年に提唱した[[定常宇宙論|定常宇宙モデル]]である。定常宇宙論では銀河が互いに遠ざかるにつれて新しい物質が生み出される。このモデルでは宇宙はどの時刻においてもほぼ同じ姿となる。長年にわたって、この両方のモデルに対する支持者の数はほぼ同数に分けられていた。
しかしその後、宇宙は高温高密度の状態から進化してきたという説を支持する観測的証拠が見つかり始めた。[[1965年]]の[[宇宙マイクロ波背景放射]]の発見以来、ビッグバン理論が宇宙の起源と進化を説明する最も良い理論と見なされるようになった。[[1960年代]]終わりよりも前には、多くの宇宙論研究者は、フリードマンの宇宙モデルの初期状態に現れる密度無限大の[[特異点]]は数学的観念化の結果出てくるものであって、実際の宇宙は高温高密度状態の前には収縮しており、その後再び膨張するのだと考えていた。このようなモデルを[[リチャード・トールマン]]の[[振動宇宙論]]と呼ぶ。1960年代に[[スティーヴン・ホーキング]]と[[ロジャー・ペンローズ]]が、振動宇宙論は実際にはうまくいかず、特異点はアインシュタインの重力理論の本質的な性質であることを示した。
[[ファイル:Universe_expansion-en.svg|thumb|right|160px|ビッグバン理論]]
これによって宇宙論研究者の大部分は、宇宙が有限時間の過去から始まったとするビッグバン理論を受け入れるようになった{{efn2|宇宙論研究者の大多数が現在のところ、観測結果を説明するモデルとしてはビッグバン理論が最も適切であろう、と見なしている。それを支持している人々を中心として、ビッグバン理論を組み入れた理論体系を「標準的宇宙論」という名で呼ぶこともある。}}。
ただし現在でも一部の研究者は、ビッグバン理論のほころびを指摘し、[[定常宇宙論]]や[[プラズマ宇宙論]]などの宇宙論を支持している。
<!--[[File:Observable_Universe_Japanese_Annotations.png|thumb|350px|宇宙論の記事には不適切なイラスト。[[観測可能な宇宙]]を[[対数スケール]]で表した図。[[太陽]]を中心としており、各天体には名称を付けている。太陽からの各天体の距離は、中心から端に向かって指数関数的に増加している。また、天体の形状が分かるように各天体を拡大している。]]-->
=== 関連項目 ===
* [[サイクリック宇宙論]]
*[[多元宇宙論]]
*[[エヴェレットの多世界解釈]]
*[[ブレーンワールド]]、[[エキピロティック宇宙論]]
*[[宇宙ひも]]
*[[創造科学]]
*[[シミュレーション仮説]]
*[[サイエンス・ファンタジー]]
*[[宇宙誌]]
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
{{参照方法|section=1|date=2022年4月}}
*{{Cite book|和書|author=スワンテ・アーレニウス|authorlink=スヴァンテ・アレニウス
|others=[[寺田寅彦]]訳|year=1931|title=史的に見たる科学的宇宙観の変遷|series=岩波文庫774-775|publisher=岩波書店}}
**{{Cite book|和書|author=スワンテ・アーレニウス|authorlink=スヴァンテ・アレニウス|others=[[寺田寅彦]]訳|date=1951-12-15|title=史的に見たる科学的宇宙観の変遷|series=岩波文庫|publisher=岩波書店}}
**{{Cite book|和書|author=スワンテ・アーレニウス|authorlink=スヴァンテ・アレニウス|others=[[寺田寅彦]]訳|date=1992-11-01|title=宇宙の始まり 史的に見たる科学的宇宙観の変遷|publisher=第三書館|isbn=978-4-8074-9226-8|url=http://www.aozora.gr.jp/cards/000226/card1150.html}}
== 関連項目 ==
* [[世界観]]
* [[人間観]]、[[人間]]
* [[神の存在証明]]
* [[三千大千世界]]
* [[グノーシス主義]]
* [[アントロポゾフィー]]
* [[アストラル旅行]]
* [[天の川]]
* [[天文学]]
* [[物理学]] - [[宇宙物理学]] - [[一般相対性理論]] - [[素粒子物理学]]
* [[宇宙の年表]]
* [[宇宙論パラメータ]]
* [[宇宙の大規模構造]]
* [[観測的宇宙論]]
*[[天文学的数字]]
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[[Category:宇宙論|*]]
[[Category:世界観|*うちゆうろん]]
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[[Category:自然と宗教]]
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[[Category:天文学に関する記事]]
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1,216 | ながいけん | ながいけんは、日本の漫画家。静岡県浜松市出身。独特の世界観とギャグセンスを持つギャグ漫画家。
主に葉書による2コマ漫画であったが、直後に原稿で漫画を投稿するようになる。1980年代中頃から『ファンロード』編集部からの依頼による漫画を執筆するようになり、1988年に単行本『チャッピーとゆかいな下僕ども』を出版するも、翌年誌上の漫画作品内において絶筆を宣言する。
1995年に『少年サンデー特別増刊R』にて読切『極道さんといっしょ!』を掲載。翌1996年15号より『週刊少年サンデー』に『神聖モテモテ王国』を連載、独特のギャグセンス、世界観が一部でコアな人気を呼んだ。しかし、2000年9号を最後に突然なんの前触れもなく連載が中断。この連載中断があまりにも唐突だったことから、ながいの死亡説や夜逃げ説などがまことしやかにささやかれたが、この時期の動向については少なくとも公にはなっていない。
2003年末に『週刊ヤングサンデー』で『神聖モテモテ王国』を短期連載(5週間)、2004年2月より『ファンロード』でイラストエッセイ『万物斉同』(長井建名義)を毎月連載するが、2006年3月、漫画家復帰を目指すため連載を終了。
2009年3月18日、5月に創刊する『ゲッサン』にて連載することを公表。創刊号より『第三世界の長井』を連載開始し、2019年1月号まで連載された。
絵柄は大友克洋に影響を受けており、人物は写実的ながら省略を利かせたタッチで描かれることが多い。また、緻密に描き込まれた背景作画も特徴である。『週刊少年サンデー』での執筆開始までに作画アシスタントの経験を積んでいるが、師事した作家は不明。 | [
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] | ながいけんは、日本の漫画家。静岡県浜松市出身。独特の世界観とギャグセンスを持つギャグ漫画家。 | {{存命人物の出典皆無|date=2012年12月}}
'''ながいけん'''は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[静岡県]][[浜松市]]出身。独特の世界観とギャグセンスを持つ[[ギャグ漫画]]家。
== 人物・経歴 ==
主に葉書による2コマ漫画であったが、直後に原稿で漫画を投稿するようになる<ref>投稿作品は『ムウミン谷の攻防』のみ大幅な加筆を経て後の単行本に収録される。</ref>。[[1980年代]]中頃から『ファンロード』編集部からの依頼による漫画を執筆するようになり、[[1988年]]に単行本『チャッピーとゆかいな下僕ども』を出版するも、翌年誌上の漫画作品内において絶筆を宣言する。
[[1995年]]に『[[少年サンデー特別増刊R]]』にて読切『極道さんといっしょ!』を掲載。翌[[1996年]]15号より『[[週刊少年サンデー]]』に『[[神聖モテモテ王国]]』を連載、独特のギャグセンス、世界観が一部でコアな人気を呼んだ。しかし、[[2000年]]9号を最後に突然なんの前触れもなく連載が中断。この連載中断があまりにも唐突だったことから、ながいの死亡説や夜逃げ説などがまことしやかにささやかれたが、この時期の動向については少なくとも公にはなっていない。
[[2003年]]末に『[[週刊ヤングサンデー]]』で『神聖モテモテ王国』を短期連載(5週間)、[[2004年]]2月より『ファンロード』でイラストエッセイ『[[万物斉同]]』('''長井建'''名義)を毎月連載するが、[[2006年]]3月、漫画家復帰を目指すため連載を終了。
[[2009年]][[3月18日]]、5月に創刊する『[[ゲッサン]]』にて連載することを公表。創刊号より『[[第三世界の長井]]』を連載開始し、[[2019年]]1月号まで連載された。
絵柄は[[大友克洋]]に影響を受けており、人物は写実的ながら省略を利かせたタッチで描かれることが多い。また、緻密に描き込まれた背景作画も特徴である。『[[週刊少年サンデー]]』での執筆開始までに作画アシスタントの経験を積んでいるが、師事した作家は不明。
== 作品リスト ==
* チャッピーとゆかいな下僕ども(ラポートコミックス、後に増補完全版が出版)
* 極道さんといっしょ!([[少年サンデー特別増刊R]])
* [[神聖モテモテ王国]]([[週刊少年サンデー]](1996年15号 - 2000年9号)、[[週刊ヤングサンデー]](2003年、5週間の短期連載)、小学館少年サンデーコミックス1 - 6巻、7巻は既刊分とともにコミックパークのオンデマンドで出版)
* [[万物斉同]]([[ファンロード]]、2004年2月 - 2006年3月、イラストエッセイ)※長井健名義
* [[第三世界の長井]]([[ゲッサン]]2009年創刊号 - 2019年1月号)全4巻
== 脚注 ==
<references />
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{{Manga-artist-stub}}
{{デフォルトソート:なかい けん}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:浜松市出身の人物]]
[[Category:存命人物]] | null | 2021-08-01T04:04:08Z | false | false | false | [
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"Template:存命人物の出典皆無",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%91%E3%82%93 |
1,220 | 日本の映画監督一覧 | 日本の映画監督一覧(にほんの えいがかんとくいちらん)は、ウィキペディア日本語版に記事が存在する日本の映画監督の一覧。テレビドラマの監督も含む。
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] | 日本の映画監督一覧は、ウィキペディア日本語版に記事が存在する日本の映画監督の一覧。テレビドラマの監督も含む。 あ行 - か行 - さ行 - た行 - な行 - は行 - ま行 - や行 - ら行 - わ行 - 関連項目 | {{Pathnav|映画|映画の一覧|映画監督一覧|frame=1}}
'''日本の映画監督一覧'''(にほんの えいがかんとくいちらん)は、[[ウィキペディア日本語版]]に記事が存在する[[日本]]の[[映画監督]]の一覧。[[テレビドラマ]]の監督も含む。
__NOTOC__
[[#あ行|あ行]] - [[#か行|か行]] - [[#さ行|さ行]] - [[#た行|た行]] - [[#な行|な行]] - [[#は行|は行]] - [[#ま行|ま行]] - [[#や行|や行]] - [[#ら行|ら行]] - [[#わ行|わ行]] - [[#関連項目|関連項目]]
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== あ行 ==
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* [[愛染恭子]]
* [[合月勇]]
* [[青山真治]]
* [[明石知幸]]
* [[赤坂長義]]
* [[あがた森魚]]
* [[赤羽博]]
* [[秋元康]]
* [[秋原正俊|秋原北胤]](秋原正俊)
* [[阿久根知昭]]
* [[朝原雄三]]
* [[朝間義隆]]
* [[乙一|安達寛高]]
* [[足立正生]]
* [[安濃高志]]
* [[油谷誠至]]
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* [[アベユーイチ]]
* [[阿部豊]]
* [[アミノテツロー]]
* [[雨宮慶太]]
* [[荒戸源次郎]]
* [[安藤尋]]
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* [[飯田譲治]]
* [[飯塚健]]
* [[飯塚敏明]]
* [[家城巳代治]]
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* [[池田剛]]
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* [[石井聰亙|石井岳龍]]
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* [[石井裕也 (映画監督)|石井裕也]]
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* [[石川慶]]
* [[石黒昇]]
* [[石田秀範]]
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* [[石原興]]
* [[石原慎太郎]]
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* [[石山タカ明]]
* [[和泉聖治]]
* [[泉谷しげる]]
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* [[市川徹]]
* [[市川準]]
* [[市野龍一]]
* [[井筒和幸]]
* [[井手洋子]]
* [[伊藤峻太]]
* [[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]]
* [[伊藤誠 (映画監督)|伊藤誠]]
* [[伊藤裕彰]]
* [[伊藤俊也]]
* [[稲垣浩]]
* [[稲葉蛟児]]
* [[今泉力哉]]
* [[犬塚稔]]
* [[犬童一心]]
* [[犬童一利]]
* [[井上梅次]]
* [[井上康平 (映画監督)|井上康平]]
* [[井上春生]]
* [[井上正夫]]
* [[猪俣ユキ]]
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* [[折田至]]
* [[恩地日出夫]]
}}
== か行 ==
{{columns-list|3|
* [[筧昌也]]
* [[柿崎ゆうじ]]
* [[笠木望]]
* [[笠谷圭見]]
* [[柏原寛司]]
* [[梶野竜太郎]]
* [[片岡秀明]]
* [[片渕須直]]
* [[片山一良 (アニメ監督)|片山一良]]
* [[香月秀之]]
* [[勝新太郎]]
* [[加藤彰 (映画監督)|加藤彰]]
* [[加藤泰]]
* [[加藤行宏]]
* [[加藤義一]]
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* [[川島透 (映画監督)|川島透]]
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* [[黒川竹春]]
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* [[ケラリーノ・サンドロヴィッチ]]
*
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* [[小林聖太郎]]
* [[小林大介]]
* [[小林正樹]]
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* [[小林義則]]
* [[小松隆志]]
* [[小松壮一郎]]
* [[小峯隆生]]
* [[是枝裕和]]
* [[頃安祐良]]
* [[今敏]]
* [[近藤明男]]
* [[権野元]]
}}
== さ行 ==
{{columns-list|3|
* [[雑賀俊朗|雑賀俊郎]]
* [[斎藤耕一]]
* [[斎藤工|齊藤工]]
* [[斎藤寅次郎]]
* [[斎藤久志]]
* [[斎藤武市]]
* [[斎藤光正]]
* [[祭文太郎]]
* [[崔洋一]]
* [[三枝健起]]
* [[坂井厚太]]
* [[酒井麻衣]]
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* [[阪本順治]]
* [[坂牧良太]]
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* [[佐々木浩久]]
* [[佐々部清]]
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* [[佐藤嗣麻子]]
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* [[佐野和宏]]
* [[SABU (映画監督)|SABU]]
* [[澤井信一郎]]
* [[澤田幸弘]]
* [[椎名誠]]
* [[塩田明彦]]
* [[静野孔文]](しずのこうぶん)
* [[七里圭]]
* [[実相寺昭雄]]
* [[品川祐|品川ヒロシ]]
* [[篠崎誠]]
* [[篠田正浩]]
* [[篠原哲雄]]
* [[七字幸久]]
* [[柴﨑貴行]]
* [[芝田浩樹]]
* [[柴山健次]]
* [[芝山努]]
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* [[白石和彌]]
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* [[白鳥哲]]
* [[白羽弥仁]]
* [[島津保次郎]]
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* [[清水宏 (映画監督)|清水宏]]
* [[清水浩]]
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* [[生野慈朗]]
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* [[鈴木雅之 (演出家)|鈴木雅之]]
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== た行 ==
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== な行 ==
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== は行 ==
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== ま行 ==
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== や行 ==
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== 関連項目 ==
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E4%B8%80%E8%A6%A7 |
1,221 | 石井克人 | 石井 克人 (いしい かつひと、1966年12月31日 - )は、新潟県出身の映画監督、アニメ監督、CMディレクター。
1991年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。同年東北新社に入社し、CMディレクターとして働く傍ら多数の映像作品を手がける。2000年退社し、現在は株式会社337に所属。クエンティン・タランティーノのファンとして知られ、同監督作品の『キル・ビル Vol.1』ではアニメパートを担当した。
2003年演出家三木俊一郎、伊志嶺一(ANIKI)らと共に有限会社ナイスの森を設立。2006年10月、社名を株式会社ナイスレインボーに変更し、現在活動中。 | [
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] | 石井 克人 は、新潟県出身の映画監督、アニメ監督、CMディレクター。 | {{存命人物の出典明記|date=2014年12月16日 (火) 15:22 (UTC)}}
{{Infobox 人物
|氏名 = 石井 克人
|ふりがな = いしい かつひと
|画像 = <!-- 画像ファイル名 -->
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'''石井 克人''' (いしい かつひと、[[1966年]][[12月31日]] - )は、[[新潟県]]出身の[[映画監督]]、[[アニメ監督]]、[[CMディレクター]]。
== 経歴 ==
1991年[[武蔵野美術大学]]視覚伝達デザイン学科卒。同年[[東北新社]]に入社し、[[CMディレクター]]として働く傍ら多数の映像作品を手がける。2000年退社し、現在は株式会社337に所属。[[クエンティン・タランティーノ]]のファンとして知られ、同監督作品の『[[キル・ビル Vol.1]]』ではアニメパートを担当した。
2003年演出家[[三木俊一郎]]、[[伊志嶺一]]([[ANIKI]])らと共に有限会社[[ナイスの森]]を設立。2006年10月、社名を株式会社[[ナイスレインボー]]に変更し、現在活動中。
== 作品 ==
=== CM ===
*1993「ハウス食品クリッパー」
*「スマップ・ニューアルバム告知」
*1997-2003「旭化成」シリーズ 診断篇 CM歌篇
*1997味の素「クノールカップスープ」シリーズ
*1997湖池屋「湖池屋ポテトチップス(チッチッチッ篇)」
*ゼブラ「ジムノック(ペンは銃より強し)」
*1999年 - 2002年「田辺製薬アスパラドリンク」([[ハニホー・ヘニハー]]/[[我修院達也]]出演)
*2000年 - 2001年「SkyperfecTV」シリーズ([[中居正広]]出演)
*2001「サントリーBOSS」(巨人篇)
*2001サントリー「マグナムドライ」
*2001「日テレ式」
*2002 NTV「別れてもチュキな人」番組宣伝CF
*2005 「キリンビバレッジ」
**「SEVEN SEVENS 登場篇」(キリンレモン77)
**「モンスターブラックス 逆襲篇」(キリンレモンブラック)
*「ハンゲーム」
*[[富士通]]FMV([[岸部一徳]]・[[木村拓哉]]出演)
*「一本満足バー」([[草彅剛]]出演)
*「ストロング・ゼロ」([[天海祐希]]・[[鈴木浩介 (俳優)|鈴木浩介]]出演)
*[[東日本電信電話|NTT東日本]] フレッツ光([[SMAP]]出演)『マンションの絵篇』『結婚篇』保健室(電話)篇』
*2010キャノン「ピクサス(フィンガーレター篇)」(岡田将生出演)
*2011[[森永製菓]]「小さなチョコビスケット」([[大野智]]・[[仲間由紀恵]]出演)
*2011ハウス食品「ジャワカレー(木村作る/木村食べる篇)」(木村拓哉出演)
*2012キリンビバレッジ「午後の紅茶(紅茶とおにぎり/上質になる/おにぎりレポート篇 他)」(亀梨和也・蒼井優出演)
*2012ソーラーフロンティア「太陽光発電(楽しいおとなりさん篇)」(井川遥・寺島進出演)
*2012リクルート「受験サプリ(過去問/センター対策篇)」
*2012日産「NISSAN NEW販促(嵐theセーラーマン篇)」(嵐出演)
*2012久光製薬「アレグラ(登場篇)」(大野智・桜庭和志出演)
*2013[[DeNA]]「大戦乱!!三国志バトル」<ref>{{Cite web|和書|date=2013-05-08 |url=http://www.advertimes.com/20130508/article110578/ |title=俳優からグラビアアイドルまでモバゲーCMに続々登場/DeNA「大戦乱!!三国志バトル」「大連撃!!クリスタルクルセイド」 |work=ブレーン 編集部 |publisher=AdverTimes(アドタイ) |accessdate=2016-03-28}}</ref>(監督・演出・ナレーション)
**『プレイヤー in 桃園の誓い篇』 『プレイヤー in 三顧の礼篇』 『プレイヤー in 十万本の矢篇』『プレイヤー in 赤壁の戦い』
*2013[[DeNA]] 「三国志ロワイヤル(謎の一言 篇)」
*2013アース製薬「バスロマン(銭湯篇)」(生田斗真出演)
*2013久光製薬「アレグラ(ヒーローショー/アレグラの母篇)」(大野智・桜庭和志・あき竹城出演)
*2013日本生命「企業(会いに行くよ篇)」(綾瀬はるか出演)
*2014キリンビバレッジ「メッツコーラ(新のつく人たちへ篇)」
*2014[[カゴメ]]「野菜一日これ一本」([[古田新太]]・[[モーニング娘。|モーニング娘。'14]]出演)
*2014キリンビバレッジ「午後の紅茶(ある夏の日篇)」(亀梨和也・蒼井優出演)
*2014大塚製薬「UL・OS(ウルオスライフ始まる/冷しウル・オス篇)」(岡田准一・石橋貴明出演)
*2014大塚製薬「ソイカラ(夜更かしと、ソイカラ/ベタベタしない篇)」(小池栄子・原田泰造出演)
*2014[[ソフトバンク]]「企業(つながる/人生という旅/指原修行篇」(堺雅人・[[指原莉乃]]出演)
*2015サントリー「-196℃ストロングゼロドライ(ストロングッド篇)」(天海祐希・鈴木浩介出演)
*2015トヨタ「Tコネクト(ジャイ子とT子/スネ夫とT子篇)」(妻夫木聡・山下智久・前田敦子・渡辺麻友・指原莉乃出演)
*2015アサヒグループ食品「1本満足バー(マンゾクトレイン篇)」([[草彅剛]]出演)
*2016ソフトバンク「ギガどーん兵衛(ギガどん篇)」(中川大志出演)
*2016ドラゴンクエスト「モンスターズスーパーライト(夜桜前後篇)」(北大路欣也・柳楽優弥出演)
*2016明治製菓「チョコレート効果(ポリフェノール量/習慣化篇)」(石丸幹二出演)
*2016サントリー「-196℃ストロングゼロビターレモン(ライバル編集長崩壊篇)」(天海祐希・沢村一樹出演)
*2016アサヒグループ食品「1本満足バー(10周年ライブ篇)」([[草彅剛]]出演)
*2017サントリー「-196℃ストロングゼロ(果汁と果実まるGOD篇)」(天海祐希・ウェンツ瑛士出演)
*2017ソフトバンク「デヴィ割り(デヴュー夫人登場篇)」(デヴィ夫人・堺雅人出演)
*2017アサヒグループ食品「1本満足バー(マンゾクな空の下篇)」([[草彅剛]]出演)
*2017[[明治]]「R-1乳酸菌」([[沢村一樹]]、[[西田尚美]]出演)
*2018久光製薬「アレグラFX/ジュニア(こどもアレグラ人参上/競歩なアレグラ人篇)」(大野智・桜庭和志出演)
*2018サントリー「ストロングゼロ(ガツンと料理にガツンとレモン/ギョギョギョギョ餃子にドドドドドライ篇)」(天海祐希・沢村一樹出演)
*花王「ピュオーラ(たすけてピュオーラ/泡で出てくるハミガキ!新発売篇)」(マツコ・デラックス出演)
*明治安田生命「ベストスタイル(働けないとき、はたらく保障篇)」(松岡修造出演)
*明治製菓「チョコレート効果(ポリフェノール/習慣化数値篇)」(石丸幹二出演)
*アサヒグループ食品「1本満足バー(満足フィットネス)」([[草彅剛]]・森脇健児出演)
*花王「ピュオーラ(お口の悩みとムツゴロウ)」(マツコ・デラックス・ムツゴロウ出演)
*サントリー「-196℃ストロングゼロ(結論のその先へ)」(天海祐希・沢村一樹・寺島進出演)
*久光製薬アレグラFX「アレグラ寺の和尚/アレグラ寺の雑巾掛け)」(大野智・桜庭和志・夏木マリ出演)
*日本コカ・コーラFanta「ファンタ坂(変顔ボトル・ぶっちゃけボトル)」(乃木坂46出演)
*花王ピュオーラGRAN「グランな使者」(マツコ・デラックス/大久保佳代子/いとうあさこ出演)
*サントリー ストロングゼロ「ギョーザBBQ」(天海祐希、沢村一樹、寺島進出演)
*アサヒグループ食品 1本満足バー「Wつよしも満足」(草彅剛/北澤豪出演)
*花王ピュオーラGRAN「目からビーム」(マツコ・デラックス/大久保佳代子/いとうあさこ出演)
*サントリー ストロングゼロ「レモンまるごとか、そうじゃないか」(天海祐希/沢村一樹/照英出演)
*サントリー ストロングゼロ「スタイリッシュ花一匁」(沢村一樹/照英出演)
*久光製薬アレグラFX「ちがうよ、チネラー」(大野智/知念侑李出演)
*TIS INTEC Group「魔人登場」(千葉雄大/古田新太出演)
*キッコーマン デルモンテ リコピンリッチ「リッチ革命おこせるモンテ・キレイのごちそうだって」(滝沢カレン出演)
*サントリー ストロングゼロ「ギネス世界記録売上No.1チューハイ」(天海祐希出演)
*花王ピュオーラGRAN「未来マツコからの教示」(マツコ・デラックス出演)
*TIS INTEC Group「IT魔人、ペイメント」(千葉雄大/古田新太出演)
*アサヒグループ食品 1本満足バー プロテイン(アニメ)、シリアル「若者もマンゾク」(草彅剛/CHAI出演)
*久光製薬アレグラFX「アレグラ人遭遇・よゆーなワタシ」(神宮寺勇太/知念侑李/吉高由里子出演)
*TIS INTEC Group「マルっと事務処理」(千葉雄大/古田新太/川口春奈出演)
*花王ピュオーラ「ペーストマツコのお出まし」(マツコ・デラックス出演)
*リクルート タウンワーク「イカダ」「アジト」「吊り橋」「白亜紀」「氷河期」「巣」「惑星」「宇宙船」(木村拓哉/芦田愛菜出演)
*ジャパネットたかた 企業(国分太一出演)
=== 映画 ===
*[[8月の約束]] 初監督作品、[[ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭]]ビデオ部門グランプリ受賞
*[[鮫肌男と桃尻女]]([[望月峯太郎]]原作、[[浅野忠信]]主演)
*[[PARTY7]]([[永瀬正敏]]主演)
*[[ハル&ボンス|HAL&BONS]](監督・出演)
*NEW HAL&BONS
*[[キューティーハニー (映画)|キューティーハニー]](2004年)特報演出
*[[茶の味]](2004年) - [[カンヌ映画祭]]監督週間オープニング作品
*[[ナイスの森〜The First Contact〜]](石井克人×[[三木俊一郎]]×[[ANIKI]]監督、[[寺島進]]・浅野忠信ほか出演)
*[[山のあなた〜徳市の恋〜]](2008年)
*そらそい(2008年) - 石井克人×三木俊一郎×オースミユーカ監督
*[[REDLINE]](2010年) - 原作・脚本・音響監督
*[[スマグラー#映画|スマグラー -おまえの未来を運べ-]](2010年)
*[[SHORT PEACE]]「GAMBO」(2013年) - 原案・脚本・クリエイティブディレクター
*[[ハロー!純一]](2014年) - 監督・脚本・企画プロデュース
*[[LUPIN THE IIIRD 次元大介の墓標]](2014年) - クリエイティブ・アドバイサー
*[[ガメラ]]生誕50周年記念映像『GAMERA』(2015年10月、[[KADOKAWA]])<ref name="gigazine2015109">{{Cite web|和書|date=2015-10-09 |url=http://gigazine.net/news/20151009-gamera50th/ |title=東京が大炎上して大爆発する中でガメラがプラズマ火球を発射する超ド迫力の50周年記念映像「GAMERA」SHORT VER. |work= |publisher=[[GIGAZINE]] |accessdate=2015-10-09}}</ref>
* [[LUPIN THE IIIRD 血煙の石川五ェ門]](2017年) - クリエイティブ・アドバイサー
*[[LUPIN THE IIIRD 血煙の石川五ェ門|LUPIN THE IIIRD]] 峰不二子の嘘(2019年)- クリエイティブ・アドバイザー
*その消失、(2022年)- エグゼクティブプロデューサー
=== TV ===
*[[世にも奇妙な物語 SMAPの特別編]]「BLACK ROOM」
*[[SMAP×SMAP]]特別編「Smap Short Films『MUSIC POWER GO! GO!〜ダモン君の巻』」
*「ピロッポ」・キャラクターデザイン・美術設定・脚本・総監督
*[[東野圭吾ミステリーズ]]「シャレードがいっぱい」
*[[世にも奇妙な物語 2013年 秋の特別編]]「水を預かる」・脚本(岡ひろみ:石井克人、山本健介共同脚本)
=== OVA ===
*「FROG RIVER」(原案)
*「[[TRAVA FIST PLANET]]」
* SMAP「[[LIVE BIRDMAN|BIRD MAN FLY]]」
* [[SMAP×SMAP#特別編|Smap Short Films]]『MUSIC POWER GO! GO!〜ダモン君の巻』(ディレクターズ・カット版)
* ナイスの森 The First Contact ディレクターズ・カット・バージョン
* がんちゃんの冒険(演出・ナレーション)
===ウェブムービー===
*「ウサタクの話」 - 広告宣伝 : 富士通
*「ホクロ兄弟 フルスロットル!!!!」全7話
*「いちごゼミナール」(監督・脚本、[[菊地凛子]]・[[南明奈]]出演)
*filmbum「ノリオカワークショップ」(監督・脚本)
=== 出演作 ===
*2003 [[キューティーハニー (映画)|キューティーハニー]]
*2001-2002 [[ハル&ボンス]](ハル) ※DVDマガジン「Grasshoppa!」シリーズに収録
*2007 [[ニュー ハル&ボンス]](ハル)
*2008 [[映画の達人]]
=== その他 ===
*1999年 - テレビ東京35周年キャンペーンキャラクター「テレトーロボ」デザイン
*2018年10月〜ツイッター小説TRPC5「フフフフーリンデイズ」
==賞==
*鮫肌男と桃尻女
**第14回 [[高崎映画祭]] 若手監督グランプリ
*茶の味
**アントレヴュ国際映画祭 最優秀外国語映画賞・観客賞(2004年)
**第37回 [[シッチェス・カタロニア国際映画祭]] Orient Express Casa Asia部門特別賞(2004年)
**ハワイ国際映画祭 最優秀作品賞(2004年)
* モンスターブラックス 逆襲 篇(キリンレモンブラック)
**第11回 オランダ・アニメーション国際映画祭・ベストCM賞
== 脚注 ==
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==外部リンク==
*{{allcinema name|273413|石井克人}}
*{{Kinejun name|2=石井克人}}
*{{JMDb name|0458780|石井克人}}
*{{IMDb name|0411002|Katsuhito Ishii}}
*[http://www.nicerainbow.com/ NICE RAINBOW]
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1,223 | めぞん一刻 |
『めぞん一刻』(めぞんいっこく、ラテン文字表記: Maison Ikkoku)は、高橋留美子による日本の漫画。『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)にて、創刊号である1980年11月号から1987年19号まで連載された。2007年5月時点で累計発行部数は2500万部を記録している。
「時計坂」という町にある「一刻館」という名の古いアパートの住人・五代裕作と、管理人としてやって来た若い未亡人・音無響子を中心としたラブストーリー。人よりも苦労を背負い込んでしまう世渡り下手な青年・五代裕作と、生来の鈍感さと亡き夫へ操を立てるがゆえの真面目さを合わせ持つ、美貌の管理人・音無響子の織り成す恋愛模様を描く。
1986年にはテレビアニメ化。同年10月には実写版映画が公開された。また、1988年には劇場版アニメが公開されたほか、OVAも製作された。さらに2007年にはテレビドラマ化もされた。
非常に古い木造アパート「一刻館」に新しい管理人、音無響子がやってきた。5号室に住む浪人生の五代裕作は可憐な彼女に恋をする。うら若い未亡人の管理人と年下の下宿人、ふたりの淡い恋愛模様を中心に、個性的な人々が集う一刻館の賑やかな日常を描く。
時代は連載と同じく進行し、1980年代の初期から後期にかけて。連載当初はアメリカ経済の行き詰まりによる輸出の停滞など不況の真最中であり、不景気というセリフが何度か出るなど描かれる世相にも浮ついた雰囲気は全くない。バブル経済下での売り手市場の就職戦線はまだ到来しておらず、「名前を出したとたんに人事担当者に急用ができる」レベルの無名大学出身の五代も就職浪人を経験することになる。
舞台は架空の時計坂という街であるが、描かれる風景は西武池袋線の東久留米駅の北口の一帯がモデルではないかと指摘されている。連載当初、作者は東久留米市に居住していた。例えば「時計坂駅」は東久留米駅の各所がモデルとなっており、同駅の特徴が見て取れる。連載当時の東久留米駅は現在の北口駅舎しかなく、原作中にみられる時計坂の描写の多くは、東久留米駅北口から徒歩数分圏内の町並みをモデルに作画されていることが愛好家らの研究 により発見されている。一刻館のモデルは、高橋が大学生時代の中野のアパートの裏にあった、大学の寮らしいと言われていた「アパート形式の変な建物」で、「割れた窓ガラスに本が差し込んであった」「玄関の上の部屋の窓には剣道の籠手と面が乾してあった」。狭い道がその建物への生活道路に接道していた通路で、高橋の部屋に面していたが「トランシーバで通路と部屋とで話していたが、大声で丸聞こえで怒鳴りあってるだけで、無線機の意味がない」など変なエピソードが続き、たたずまいは一刻館と似ている。キャラクターは全て自分で作ったもので、モデルはない。2009年8月1日の12時から17時までの5時間だけ、駅舎改築での取り壊しを前に地元商店街のイベントと連動して東久留米駅北口駅舎の駅名表示を時計坂駅に変更していた(その後2010年に駅舎は建替え)。しかし、物語が完結してからすでに30年以上経っているため、現在の町並みからその面影はわずかに確認できる程度である。なお、作者は当作品の連載中に、同じ西武線沿線の練馬区に転居しており、それと時を一にして東久留米の町並みが描かれることはほとんどなくなり、物語の初期と後期とで描写の違いが見られるようになる。中期頃の原作に郵便物で「東京都練馬...音無響子様」(61話)と描写されるシーンが登場する。 なお、「めぞん一刻」という名前のアパートは都内に実在するが、近年大手ディベロッパーにより新築物件に命名されたアパート名であり、当作品の連載経緯とは直接関係はない。
1970年代に山本晋也監督の「未亡人下宿」シリーズと呼ばれる日活ロマンポルノの連作がヒットしたが、成人誌への連載であることから、作品の設定に何らかの影響があったのではないかと指摘する声がある。なお、作品中五代が悪友の坂本に「未亡人三本立て」を上映中の成人映画館に「お前の好きなやつ」と誘われ、怒る場面がある。
アニメ化に際して、中央・総武緩行線の列車が登場したこともある。アニメ31話では「立川」、「津田沼」の行き先を出した電車が描かれており、92話では「西船橋」の方向幕を出した電車が描かれているが、その一方で原作の舞台を走る西武線の車両も登場しており、アニメ47話では、特急レッドアローと思しき電車が時計坂駅前の踏切を通過するシーンがある。
アニメでは「都内時計坂市時計坂町1-3-10」と書かれた手紙が54話、61話に登場した。
物語は、超人的な設定や、それまで作者が得意としていたSF色を一切排し、主人公の五代と管理人の二人の視点でアパートを舞台に繰り広げられる人情ドラマであり、転居するまで他の住人の影響を強く受けざるを得ないアパートの日常を描くという内容だった。その後、恋愛物語へと方向性を修正し作者が得意とするシチュエーション・コメディとなり、すれ違いと誤解の繰り返しが各話の基本構造となっている。当時はすでに固定電話(いわゆる黒電話)が普及していたが、五代は経済的余裕がなく電話を引けず、当初は管理人室の電話で取り次ぎを依頼し、すぐに共用(ピンク電話)が備えられた。なお6号室、2号室にも電話が引かれているが、その電話が使用される場面は1回しかなかった。裕作と、そのガールフレンドのこずえと響子の三角関係においてこずえから五代宛てにかかってくる電話をめぐって起こるトラブルを楽しむ悪癖を持つ住人らが取り継ぐなど、携帯電話・スマートフォンが広く普及した現在ではまず考えられないシチュエーションから生ずる数々のすれ違いと誤解、住人たちの干渉などは、物語のための大きな舞台装置となっている。
登場人物はそれぞれが際立った個性を持ち合わせている。「非常識のかたまり」とも言える一刻館の住人をはじめとして、アクの強いキャラクターたちが織り成す奇妙でおかしな行動の数々も、物語の重要な要素である。
住人の苗字には、居住する部屋番号と同じ数字が入っている。また、ヒロインの響子の姓は零を意味する「無」を含んでおり、旧姓は千草である。住人以外の三鷹瞬、七尾こずえ、八神いぶき、九条明日菜にも、苗字に数字が入っている。ただし作者いわく、住人の苗字と部屋番号を一致させる点は意識していたが、それ以外の登場人物に関しては偶然とのこと。ファンレターにて、音「無」を零と捉えると登場人物が数字でつながっていると指摘され、初めて気が付いたという(※2017年18号週刊少年サンデー、サンデー非科学研究所)。
際立った個性をもつ典型的なキャラクターを使い、回話ごとにキャラクターを軸に物語を展開させる手法はコメディの正統にあり、主要登場人物のキャラクターの系譜は他の高橋作品にもしばしば登場している。
高橋が大学の卒業の目途が立って少しゆとりができて、前の『うる星やつら』の担当者が青年誌に転勤して声を掛けられ、アパートものがしたかったので当時住んでいた中野のアパートの裏にあった学生寮らしい建物のたたずまいと雰囲気のみを舞台に引いた。オリジナルキャラクターで、豊かではないが底辺でもない当時の人々の生活の人間模様で喜劇を描いてみた。当初は恋愛作品の予定ではなかったという。初期には浪人の五代を一刻館の住人がからかうストーリーが多かったが次第に恋愛中心のストーリーになっていった。この下宿は1980年の春に取り壊され、連載を決めたときにはすでに建物はなかった。
東京近郊の時計坂という町にある木造2階建ての建物で、本作の主な舞台。この建物には時計塔があり、そこから一刻館という名前がつけられた。建物としては大変古く、床板がよく壊れ白アリが住み着いたりしていた。なお、テレビアニメ版では「大正時代から存在する古いアパート」として築70年となっている。アニメ版では上棟式の写真が音無家に保管されている。何度も倒壊する危機を迎えたが最終話まで壊れることなく持ちこたえた。
一度だけ時計台の鐘が鳴った事がある(原作第4話・テレビアニメ版第3話)。またテレビアニメ版では、屋根裏に昭和15年3月13日に記された壁書きや戦時中の古い写真、当時の物品などが描写されており、戦時中の空襲を免れたことが設定されている建物である。
一刻館での主な行事として、一刻館メンバーによる宴会がある。主な宴会場所は五代の部屋である5号室。入居祝いの場合はその入居者の部屋で、水道修繕祝いの場合は水道前の廊下など様々なお祝い事にかこつけると、そのお祝いに関する場所でやることも多い。毎年のクリスマスでも、スナック茶々丸で一刻館メンバーなどで行われている。
全6室の他、管理人室(八畳)、トイレ(各階1カ所の2カ所)、時計小屋があり、1階は六畳+四畳半、2階は六畳一間である。ただし、アニメ版では1階専有部分は六畳一間のみである。浴室設備はない。屋根の時計台は壊れているため、常に10時25分を指しているが、まれに別の時間を指していることもある。なお、アニメ版では構造がやや異なり、時計台の文字盤がローマ数字だったり、玄関の石段の数や形が異なる、消火器などが設置されている。
原作では建物全体が長方形に描写されているにもかかわらず、1階・2階の間取りが大きく異なることや、管理人室にむかう通路の長さと管理人室の大きさとの不均衡など設定上でのアンバランスさが見られる。アニメでは2階の通路を不自然なほど広くとることや建物全体のリバランスなど(管理人室は母屋からはみ出した構造になっている)で対処している。
入居者についての詳細は#登場人物を参照。各部屋の入居者は以下の通りで、名前に数字が入っている。なお、管理人室は0号室とみなす。
本作のタイトルは、「めぞん」(maison、フランス語で家・住宅・館の意味)+「一刻」の混種語である。
1982年11月20日、NHKラジオで単発ラジオドラマ化。
同じく高橋留美子原作の『うる星やつら』に続いて本作もアニメ化され、テレビアニメ、OVA、劇場用アニメが製作された。
『Apartment Fantasy めぞん一刻』(アパートメント・ファンタジー めぞんいっこく)は、石原真理子が主演の実写映画作品。1986年10月10日に公開された。同時上映は『ア・ホーマンス』(監督・主演:松田優作)。人物構成以外は原作から離れ、独立した一本の作品として制作されたオリジナルストーリーである。原作にあった軽妙さや、高橋留美子独特のコミカルな「間」などはほとんど描かれず、監督である澤井の感性が貫かれた、しっとりとやや暗いイメージの不思議なラブコメディとなっている。
配役は原作のイメージを再現できる俳優を厳選してキャスティングされた。中でも四谷役の伊武雅刀は「はまり役」との呼び声が高く、逆に伊武本人が四谷のモデルなのではとの説も流れたが、原作者の高橋はこれを否定している。ただし、同時期のアニメ雑誌などによれば、高橋は「伊武が四谷のイメージに合致している」旨のコメントを残しているらしい。また、アニメ版で四谷役の声優・千葉繁は、キティフィルムファンクラブのインタビューで「伊武の四谷役の印象が強烈で、彼がやったほうがよいのでは」、と一旦は断ったと語っている。五代を演じた石黒賢は本作が本格的な初主演作である。
配給収入は2.5億円。
伊東美咲の主演で、初のテレビドラマ版が制作された。五代裕作役は、芸能活動をしていない一般男性を条件にオーディション選考され、中林大樹に決定した。
時代設定は原作の雰囲気に合わせ、1983年からはじまる。ドラマのプロローグとエピローグ部分には、現代となる2007年に五代が娘の春香を連れて一刻館が取り壊された跡地の公園で当時の思い出を語る、と言うシーンが描かれている。
各種設定が原作および以前の作品と異なるように変更されている。響子が管理人として一刻館にやってきたのが1983年、五代が1963年5月4日生まれ、一の瀬花枝が1946年11月3日生まれ(保証人:父 - 一の瀬政三・夕張市在住)。六本木朱美が1956年6月6日生まれ(保証人:兄 - 六本木健)。
2007年の放送分では、話は完結しておらず次回に含みを持たせた終わり方であったが、続編となる完結編が2008年7月26日に放送された。なお、七尾こずえ役は榮倉奈々から南明奈に交代した。
※視聴率は「浪人編」12.1%、「完結編」8.0%(関東地区・ビデオリサーチ社調べ)
パチンコは平和、パチスロはオリンピアから発売。他の高橋留美子原作作品のパチンコ・パチスロにもいえる事だが、声優はテレビアニメ版とは別となっている。 | [
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"text": "原作では建物全体が長方形に描写されているにもかかわらず、1階・2階の間取りが大きく異なることや、管理人室にむかう通路の長さと管理人室の大きさとの不均衡など設定上でのアンバランスさが見られる。アニメでは2階の通路を不自然なほど広くとることや建物全体のリバランスなど(管理人室は母屋からはみ出した構造になっている)で対処している。",
"title": "一刻館"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "入居者についての詳細は#登場人物を参照。各部屋の入居者は以下の通りで、名前に数字が入っている。なお、管理人室は0号室とみなす。",
"title": "一刻館"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "本作のタイトルは、「めぞん」(maison、フランス語で家・住宅・館の意味)+「一刻」の混種語である。",
"title": "一刻館"
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{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "1982年11月20日、NHKラジオで単発ラジオドラマ化。",
"title": "ラジオドラマ"
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"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "同じく高橋留美子原作の『うる星やつら』に続いて本作もアニメ化され、テレビアニメ、OVA、劇場用アニメが製作された。",
"title": "アニメ"
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"tag": "p",
"text": "『Apartment Fantasy めぞん一刻』(アパートメント・ファンタジー めぞんいっこく)は、石原真理子が主演の実写映画作品。1986年10月10日に公開された。同時上映は『ア・ホーマンス』(監督・主演:松田優作)。人物構成以外は原作から離れ、独立した一本の作品として制作されたオリジナルストーリーである。原作にあった軽妙さや、高橋留美子独特のコミカルな「間」などはほとんど描かれず、監督である澤井の感性が貫かれた、しっとりとやや暗いイメージの不思議なラブコメディとなっている。",
"title": "実写版"
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"tag": "p",
"text": "配役は原作のイメージを再現できる俳優を厳選してキャスティングされた。中でも四谷役の伊武雅刀は「はまり役」との呼び声が高く、逆に伊武本人が四谷のモデルなのではとの説も流れたが、原作者の高橋はこれを否定している。ただし、同時期のアニメ雑誌などによれば、高橋は「伊武が四谷のイメージに合致している」旨のコメントを残しているらしい。また、アニメ版で四谷役の声優・千葉繁は、キティフィルムファンクラブのインタビューで「伊武の四谷役の印象が強烈で、彼がやったほうがよいのでは」、と一旦は断ったと語っている。五代を演じた石黒賢は本作が本格的な初主演作である。",
"title": "実写版"
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"text": "配給収入は2.5億円。",
"title": "実写版"
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"text": "伊東美咲の主演で、初のテレビドラマ版が制作された。五代裕作役は、芸能活動をしていない一般男性を条件にオーディション選考され、中林大樹に決定した。",
"title": "実写版"
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"text": "時代設定は原作の雰囲気に合わせ、1983年からはじまる。ドラマのプロローグとエピローグ部分には、現代となる2007年に五代が娘の春香を連れて一刻館が取り壊された跡地の公園で当時の思い出を語る、と言うシーンが描かれている。",
"title": "実写版"
},
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"tag": "p",
"text": "各種設定が原作および以前の作品と異なるように変更されている。響子が管理人として一刻館にやってきたのが1983年、五代が1963年5月4日生まれ、一の瀬花枝が1946年11月3日生まれ(保証人:父 - 一の瀬政三・夕張市在住)。六本木朱美が1956年6月6日生まれ(保証人:兄 - 六本木健)。",
"title": "実写版"
},
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"text": "2007年の放送分では、話は完結しておらず次回に含みを持たせた終わり方であったが、続編となる完結編が2008年7月26日に放送された。なお、七尾こずえ役は榮倉奈々から南明奈に交代した。",
"title": "実写版"
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"tag": "p",
"text": "※視聴率は「浪人編」12.1%、「完結編」8.0%(関東地区・ビデオリサーチ社調べ)",
"title": "実写版"
},
{
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"tag": "p",
"text": "パチンコは平和、パチスロはオリンピアから発売。他の高橋留美子原作作品のパチンコ・パチスロにもいえる事だが、声優はテレビアニメ版とは別となっている。",
"title": "ゲーム作品"
}
] | 『めぞん一刻』は、高橋留美子による日本の漫画。『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)にて、創刊号である1980年11月号から1987年19号まで連載された。2007年5月時点で累計発行部数は2500万部を記録している。 「時計坂」という町にある「一刻館」という名の古いアパートの住人・五代裕作と、管理人としてやって来た若い未亡人・音無響子を中心としたラブストーリー。人よりも苦労を背負い込んでしまう世渡り下手な青年・五代裕作と、生来の鈍感さと亡き夫へ操を立てるがゆえの真面目さを合わせ持つ、美貌の管理人・音無響子の織り成す恋愛模様を描く。 1986年にはテレビアニメ化。同年10月には実写版映画が公開された。また、1988年には劇場版アニメが公開されたほか、OVAも製作された。さらに2007年にはテレビドラマ化もされた。 | {{otheruses|高橋留美子の漫画、ならびにそれを原作とする関連作品全般|アニメ化作品|めぞん一刻 (アニメ)}}
{{半保護}}
{{Infobox animanga/Header
| タイトル = めぞん一刻
| ジャンル = [[ラブコメディ|ラブコメ]]・[[青年漫画]]
}}
{{Infobox animanga/Manga
| 作者 = [[高橋留美子]]
| 出版社 = [[小学館]]
| 掲載誌 = [[ビッグコミックスピリッツ]]
| レーベル = [[ビッグコミックス|ビッグスピリッツコミックス]] ほか
| 開始号 = 1980年11月号(創刊号)
| 終了号 = 1987年19号
| 巻数 = 単行本・新装版:全15巻<br />ワイド版:全10巻<br />文庫版:全10巻<br />コンビニ版:全6巻
| 話数 = 全161話
}}
{{Infobox animanga/Movie
| タイトル = Apartment Fantasy めぞん一刻
| 原作 = 高橋留美子
| 監督 = [[澤井信一郎]]
| 脚本 = [[田中陽造]]
| 音楽 = [[久石譲]]
| 制作 = [[東映]]、[[キティ・フィルム]]
| 配給 = 東映
| 封切日 = 1986年10月10日
| 上映時間 = 97分
}}
{{Infobox animanga/TVDrama
| 原作 = 高橋留美子
| 監督 = [[本木克英]](浪人編)<br />[[赤羽博]](完結編)
| 脚本 = [[岡田惠和]]
| 音楽 = [[周防義和]]
| 制作 = [[テレビ朝日]]、[[東北新社クリエイツ]]
| 放送局 = テレビ朝日ほか
| 放送開始 = 2007年5月12日
| 放送終了 = 2008年7月26日
| 話数 = 全2話
}}
{{Infobox animanga/Other
| タイトル = [[めぞん一刻 (アニメ)|アニメ作品一覧]]
| コンテンツ =
* テレビアニメ(1986 - 1988)
* OVA
** 移りゆく季節の中で(1988)
** 一刻島ナンパ始末記(1991)
* 劇場版
** めぞん一刻 完結篇 (1988)
}}
{{Infobox animanga/Footer
| ウィキプロジェクト = [[プロジェクト:漫画|漫画]]・[[プロジェクト:映画|映画]]・[[プロジェクト:テレビドラマ|テレビドラマ]]
| ウィキポータル = [[Portal:漫画|漫画]]・[[Portal:映画|映画]]・[[Portal:テレビ|テレビ]]・[[Portal:ドラマ|ドラマ]]
}}
『'''めぞん一刻'''』(めぞんいっこく、ラテン文字表記: ''Maison Ikkoku''<ref>{{cite web | url=https://www.viz.com/maison-ikkoku| title=MAISON IKKOKU | work=[[VIZ Media]] | accessdate=2020-10-1}}</ref>)は、[[高橋留美子]]による[[日本]]の[[漫画]]。『[[ビッグコミックスピリッツ]]』([[小学館]])にて、創刊号である1980年11月号から1987年19号まで連載された。2007年5月時点で累計発行部数は2500万部を記録している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www3.cinematopics.com/archives/42727 |title=コミック史上に燦然と輝く不屈の名作 初ドラマ化!DVD「めぞん一刻」発売 |publisher=CINEMATOPICS |date=2007-05-17 |accessdate=2020-09-22}}</ref>。
「時計坂」という町にある「[[#一刻館|一刻館]]」という名の古い[[アパート]]の住人・'''五代裕作'''と、管理人としてやって来た若い[[未亡人]]・'''音無響子'''を中心とした[[恋愛|ラブストーリー]]。人よりも苦労を背負い込んでしまう世渡り下手な青年・五代裕作と、生来の鈍感さと亡き夫へ操を立てるがゆえの真面目さを合わせ持つ、美貌の管理人・音無響子の織り成す恋愛模様を描く。
1986年にはテレビアニメ化。同年10月には実写版映画が公開された。また、1988年には劇場版アニメが公開されたほか、OVAも製作された。さらに2007年にはテレビドラマ化もされた。
== 物語 ==
非常に古い木造アパート「一刻館」に新しい管理人、音無響子がやってきた<ref>本作第1巻 (1982) p.6。</ref>。5号室に住む浪人生の五代裕作は可憐な彼女に恋をする<ref>本作第1巻 (1982) pp.29, 63。</ref>。うら若い未亡人の管理人と年下の下宿人、ふたりの淡い恋愛模様を中心に、個性的な人々が集う一刻館の賑やかな日常を描く。
; 序盤
: 響子は夫の惣一郎を1年前に亡くし、未だ気持ちの整理がつかないでいた<ref>本作第1巻 (1982) pp.90, 91, 149, 150, 156, 157。本作第8巻 (1985) pp.84-87。</ref>。一刻館の大家である義父が彼女にこの仕事を薦めたのは、少しでも寂しさが紛れればという心遣いだった<ref>本作第1巻 (1982) p.141。</ref>。一刻館の住み込み管理人として働き始めた響子は、多忙な毎日を過ごす<ref>本作第1巻 (1982) p.141。本作第8巻 (1985) pp.76, 77。</ref>。裕作の想いは知りながらも、いつも素知らぬ態度ではぐらかす<ref>本作第6巻 (1984) pp.81, 194。本作第7巻 (1984) pp.83。</ref>。それでありながら彼がガールフレンドと親しげにしているのを見聞きするとつい、やきもちを焼いてしまう<ref>本作第2巻 (1982) pp.92, 96, 111-120。本作第3巻 (1983) pp.213, 214。</ref>。他の住人たちは冷やかし半分、裕作の部屋に押しかけては彼の恋路の一喜一憂を酒の肴に連日宴会騒ぎをして楽しそうだ<ref>本作第1巻 (1982) pp.17-19。本作第5巻 (1984) pp.179-182。本作第10巻 (1986) pp.83-85, 189, 190, 195, 227。本作第12巻 (1986) p.223。</ref>。そしてもう一人、響子はテニススクールで知り合ったコーチの三鷹瞬からも熱心なアプローチを受けるが、一向に答えは出そうにない<ref>本作第2巻 (1982) pp.21, 22。本作第3巻 (1983) pp.184, 196, 197。本作第6巻 (1984) pp.96, 97。</ref>。
; 中盤
: 歳月を重ねる中で彼らはそれぞれの岐路に立つ。大学を卒業し、就職浪人を経験した裕作は周囲の人達に助けられながら保育士を目指す<ref>本作第10巻 (1986) p.86。本作第13巻 (1987) p.178。</ref>。犬が大の苦手だった三鷹は犬好きの見合い相手にベタ惚れされ、ひょんな勘違いが元で彼女にプロポーズするに至る<ref>本作第10巻 (1986) pp.129-134。本作第13巻 (1987) p. 217。本作第14巻 (1987) pp.13, 27, 28。</ref>。しばらく続いた裕作―響子―三鷹の三角関係だが、徐々に響子は自らの裕作への想いに素直に向き合おうとする。
: ところが、それでもすれ違いの関係は続き、裕作とのもどかしい距離を縮めて楽になりたいと考えた響子は自ら彼に体を委ねる決意まで見せるが、裕作が響子の亡き夫を意識してしまったために不調に終わる。しかしながら、すでに二人ともお互いの気持ちが確かであると自覚する段階へと達していた。一刻館で二人きりとなったその晩、ついに結ばれて共に朝を迎えた裕作に対して、ようやく響子は本当はずっと好きだったことを告白するのであった<ref>本作第14巻 (1987) pp.206, 207, 219。本作第15巻 (1987) pp.37-44。</ref>。
; 終盤
: 裕作との結婚を控え、響子は惣一郎の遺品を義父へ返すことにしたが、それは響子なりのけじめと裕作の気持ちを配慮してのことであった。遺品返却を報告するために響子は惣一郎の墓前へ赴くが、そこには偶然にも裕作がいた。惣一郎の墓前で裕作は、出会った時に既に響子は心に深く惣一郎を刻んでおり、そんな響子を自分が好きになった、だからそれゆえに、響子の惣一郎への想いをも全て含めてずっと響子を愛していくことを誓う。
: その裕作の言葉を気付かれぬ場所で耳にしていた響子は、裕作と出会えたことを亡き惣一郎は喜んでくれると確信する。改めて裕作の前に立った響子には、裕作と新しい人生を歩んでいくことに迷いは無かった。惣一郎の遺品について裕作は無理に返さなくて良いと言ってくれたのだが、響子は「いいの。……これでいいの。」と毅然と言い、惣一郎の墓前で改めて裕作との出会いに感謝するのであった<ref>本作第15巻 (1987) pp.176-190。</ref>。
; エピローグ
: 結婚後も裕作と響子は一刻館で暮らしている。翌年の春には長女、春香も生まれた。しばらくは共働きで、管理人の仕事も続けるつもりでいる。裕作は早々に新居を探すつもりでいたが、引っ越し代も馬鹿にならないというのが響子の言い分である。何よりここは、ふたりが初めて出会った場所なのだ<ref>本作第15巻 (1987) pp.171, 219-222。</ref>。
== 作品解説 ==
=== 時代背景・場所 ===
時代は連載と同じく進行し、[[1980年代]]の初期から後期にかけて。連載当初は[[レーガノミックス|アメリカ経済の行き詰まり]]による輸出の停滞など不況の真最中であり、不景気というセリフが何度か出るなど描かれる世相にも浮ついた雰囲気は全くない。[[バブル経済]]下での売り手市場の就職戦線はまだ到来しておらず、「名前を出したとたんに人事担当者に急用ができる」レベルの無名大学出身の五代も就職浪人を経験することになる。
舞台は架空の時計坂という街であるが、描かれる風景は[[西武池袋線]]の[[東久留米駅]]の北口の一帯がモデルではないかと指摘されている。連載当初、作者は[[東久留米市]]に居住していた。例えば「時計坂駅」は東久留米駅の各所がモデルとなっており、同駅の特徴が見て取れる<ref>「めぞん一刻」の駅舎お別れ 取り壊しに住民「悲しい」 ([[朝日新聞]]、2008年11月14日付)</ref><ref group="注釈">2009年8月1日には、同駅舎の標示板を「時計坂駅」にするイベントが行われた。[[東久留米駅]]も参照。</ref><ref group="注釈">東久留米は[[手塚治虫]]が自宅を構えていたことでも有名である。東久留米近辺は関東ローム層の中央部に位置するなだらかな丘陵地であり、河川による侵食のほかは坂らしい坂がみられない。「坂」については作者の当初の構想である中野・練馬近在のローム層周縁部の地形([[東京都の坂]])についての構想が反映されているものと考えられる。練馬区の「坂」は[[赤塚不二夫|赤塚]]作品や[[藤子不二雄]]作品にしばしば描写された。</ref>。連載当時の東久留米駅は現在の北口駅舎しかなく、原作中にみられる時計坂の描写の多くは、東久留米駅北口から徒歩数分圏内の町並みをモデルに作画されていることが愛好家らの研究<ref>「一刻館の思いで 或る愛の物語」ワニブックスを参照</ref> により発見されている。一刻館のモデルは、高橋が大学生時代の[[中野区|中野]]のアパートの裏にあった、大学の寮らしいと言われていた「アパート形式の変な建物」で、「割れた窓ガラスに本が差し込んであった」「玄関の上の部屋の窓には剣道の籠手と面が乾してあった」。狭い道がその建物への生活道路に接道していた通路で、高橋の部屋に面していたが「トランシーバで通路と部屋とで話していたが、大声で丸聞こえで怒鳴りあってるだけで、無線機の意味がない」など変なエピソードが続き、たたずまいは一刻館と似ている<ref name="一刻館モデル" />。キャラクターは全て自分で作ったもので、モデルはない<ref name="一刻館モデル" />。2009年8月1日の12時から17時までの5時間だけ、駅舎改築での取り壊しを前に地元商店街のイベントと連動して東久留米駅北口駅舎の駅名表示を時計坂駅に変更していた(その後2010年に駅舎は建替え)。しかし、物語が完結してからすでに30年以上経っているため、現在の町並みからその面影はわずかに確認できる程度である。なお、作者は当作品の連載中に、同じ西武線沿線の[[練馬区]]に転居しており、それと時を一にして東久留米の町並みが描かれることはほとんどなくなり、物語の初期と後期とで描写の違いが見られるようになる<ref group="注釈">たとえば西新宿の高層ビルなどが遠景に描かれるようになった。</ref>。中期頃の原作に郵便物で「東京都練馬…音無響子様」(61話)と描写されるシーンが登場する。 なお、「めぞん一刻」という名前のアパートは都内に実在するが、近年大手ディベロッパーにより新築物件に命名されたアパート名であり、当作品の連載経緯とは直接関係はない。
{{要出典範囲|1970年代に山本晋也監督の「未亡人下宿」シリーズと呼ばれる日活ロマンポルノの連作がヒットしたが、成人誌への連載であることから、作品の設定に何らかの影響があったのではないかと指摘する声がある|date=2023年11月}}。なお、作品中五代が悪友の坂本に「未亡人三本立て」を上映中の成人映画館に「お前の好きなやつ」と誘われ、怒る場面がある。
アニメ化に際して、[[中央・総武緩行線]]の列車が登場したこともある<ref group="注釈">制作の[[スタジオディーン]]は同線沿線の[[西荻窪]]にある。</ref>。アニメ31話では「立川」、「津田沼」の行き先を出した電車が描かれており、92話では「西船橋」の方向幕を出した電車が描かれているが、その一方で原作の舞台を走る西武線の車両も登場しており、アニメ47話では、[[西武5000系電車|特急レッドアロー]]と思しき電車が時計坂駅前の踏切を通過するシーンがある。
アニメでは「都内時計坂市時計坂町1-3-10」と書かれた手紙が54話、61話に登場した。
物語は、超人的な設定や、それまで作者が得意としていた[[サイエンス・フィクション|SF]]色を一切排し、主人公の五代と管理人の二人の視点でアパートを舞台に繰り広げられる人情ドラマであり、転居するまで他の住人の影響を強く受けざるを得ないアパートの日常を描くという内容だった。その後、恋愛物語へと方向性を修正し作者が得意とする[[シチュエーション・コメディ]]となり、すれ違いと誤解の繰り返しが各話の基本構造となっている。当時はすでに[[固定電話]](いわゆる黒電話)が普及していたが、五代は経済的余裕がなく電話を引けず、当初は管理人室の電話で取り次ぎを依頼し、すぐに[[公衆電話|共用]]([[特殊簡易公衆電話|ピンク電話]])が備えられた。なお6号室、2号室にも電話が引かれているが、その電話が使用される場面は1回しかなかった。裕作と、そのガールフレンドのこずえと響子の三角関係においてこずえから五代宛てにかかってくる電話をめぐって起こるトラブルを楽しむ悪癖を持つ住人らが取り継ぐなど、携帯電話・[[スマートフォン]]が広く普及した現在ではまず考えられない[[シチュエーション・コメディ|シチュエーション]]から生ずる数々のすれ違いと誤解、住人たちの干渉などは、物語のための大きな舞台装置となっている<ref group="注釈">[[携帯電話]]や[[電子メール]]の技術はすでに存在していたが、まだ一般には普及しておらず、この時代では極めて限定された連絡手段であった。当時は家庭用[[ファクシミリ|FAX]]や[[伝言ダイヤル]]などが最新技術として登場した頃であり、個人を結ぶ連絡手段が多くはなかった。[[携帯電話]]が普及するのは[[1995年]]前後、個人で利用できるコンピューターネットワーク通信が[[パソコン通信]]から[[インターネット]]に転換するのも[[Windows 95]]が発売された1995年前後であり、当時の回線方式の最新技術は[[ISDN]](基本64kbps)で(但し、日本でのサービス提供開始は連載終了後の[[1988年]])[[ADSL]]は[[2000年代]]に入ってからである。なお、物語の終盤近くに五代がアルバイトしていたキャバレーのホステスとその子供が[[無線呼び出し|ポケットベル]]を使う描写があったが、五代がポケットベルを所有することは最後までなかった。</ref>。
=== 登場人物の特徴 ===
登場人物はそれぞれが際立った個性を持ち合わせている。「非常識のかたまり」とも言える一刻館の住人をはじめとして、アクの強いキャラクターたちが織り成す奇妙でおかしな行動の数々も、物語の重要な要素である。
住人の苗字には、居住する部屋番号と同じ数字が入っている。また、ヒロインの響子の姓は零を意味する「無」を含んでおり、旧姓は千草である。住人以外の三鷹瞬、七尾こずえ、八神いぶき、九条明日菜にも、苗字に数字が入っている。ただし作者いわく、住人の苗字と部屋番号を一致させる点は意識していたが、それ以外の登場人物に関しては偶然とのこと。ファンレターにて、音「無」を零と捉えると登場人物が数字でつながっていると指摘され、初めて気が付いたという(※2017年18号週刊少年サンデー、サンデー非科学研究所)。
際立った個性をもつ典型的なキャラクターを使い、回話ごとにキャラクターを軸に物語を展開させる手法は[[コンメディア・デッラルテ|コメディ]]の正統にあり、主要登場人物の[[コンメディア・デッラルテ#ストック・キャラクター|キャラクター]]の系譜は他の高橋作品にもしばしば登場している。
=== 作品のきっかけ ===
高橋が大学の卒業の目途が立って少しゆとりができて、前の『[[うる星やつら]]』の担当者が青年誌に転勤して声を掛けられ、アパートものがしたかったので当時住んでいた[[中野区|中野]]のアパートの裏にあった学生寮らしい建物のたたずまいと雰囲気のみを舞台に引いた。オリジナルキャラクターで、豊かではないが底辺でもない当時の人々の生活の人間模様で喜劇を描いてみた<ref name="一刻館モデル">[https://www.youtube.com/watch?v=Nk35KMHPfws 「漫画家・高橋留美子インタビュー」20-22分、アングレーム国際漫画祭最優秀賞記念2020年4月15日-週刊少年サンデーTV] 2020年11月12日閲覧</ref>。当初は恋愛作品の予定ではなかったという。初期には浪人の五代を一刻館の住人がからかうストーリーが多かったが次第に恋愛中心のストーリーになっていった。この下宿は1980年の春に取り壊され、連載を決めたときにはすでに建物はなかった<ref>ビッグコミックスピリッツ2005年47号</ref>。
== 登場人物 ==
=== 一刻館の住人 ===
; <span id="五代裕作">五代 裕作(ごだい ゆうさく)</span>
: 声 - [[二又一成]]、[[渡辺久美子]](幼少期)、[[櫻井孝宏]](CRめぞん一刻版)
: 本作の主人公<ref>{{Twitter status2|rumicworld1010|1637755866223869952|2023年3月20日19時00分}}「【キャラクター小話】五代裕作 最初は主人公ではなく住人の一人だった。響子と恋仲になるとは想定していなかった。」</ref><ref group="注釈" name="main">アニメ版や実写作品などのメディアミックスでは響子がトップクレジット(主演)であり、五代は2番目となっている。</ref>。一刻館5号室の住人。善良で心優しいが、押しが弱く優柔不断、トラブルに巻き込まれやすい。
:; 概歴
:: 血液型は[[ABO式血液型|A型]]<ref name="原作第97話「深夜の面接」より。">原作第97話「深夜の面接」より。</ref>。両親は健在で故郷で[[定食]]屋を営んでいる。高校卒業後、[[大学浪人|浪人]]生として上京し、一刻館に入居する。当初は一刻館の非常識な他の入居者に馴染めず、頻繁に転居を決意しては断念する日々であったが、管理人として赴任した音無響子に一目惚れして住み続けるようになった。1年間の浪人生活を経て三流私立大学に合格。大学では[[教育学部]]に在籍し、響子の母校である高校で[[国語科]]の[[教育実習]]を行ったが教職に就く意思はなく、就職活動は全て一般企業であった。大学を卒業するが、就職内定していた企業が倒産してしまったために就職浪人することになる。「しいの実保育園」で[[アルバイト]]を始め、その経験から保父(現在で言う[[保育士]])を目指すようになる。なお、アニメでは就職浪人しておらず、原作とは大学4年目から1年ほどタイムラグが生じている。人員削減で保育園のアルバイトを解雇された後は、[[キャバレー (接待飲食店)|キャバレー]]にて宣伝部部員(呼び込み)や福利厚生部長([[ホステス]]達の子供の世話係)として働く。2年近く専門学校に通って保育士免許を取得した後、欠員がでた「しいの実保育園」に保育士として正式に採用され、響子に求婚、結婚し翌春に長女・春香をもうける。
:; 人物・エピソード
:: 善良であるが意思が弱く流されやすい性格のため、要らぬ苦労を背負い込み、トラブルに巻き込まれることが多い。
:: 大学の合格発表<ref>原作第6話「サクラサクカ!?」より</ref> までフルネームで公表されておらず、響子は「五代浪人」が本名だと思っていた<ref group="注釈">テレビアニメ版では第1話の二又によるナレーションで明かされており、作中においても初対面の時にフルネームで自己紹介したことになっている(テレビアニメ版第96話、総集編「移りゆく季節の中で」より)</ref>。金魚すくいが得意で小さいころは「お祭り裕ちゃん」と呼ばれていた。高校時代は[[ラグビーフットボール|ラグビー]]部に所属。五代の住む5号室は部屋の荷物が一番少ないという理由で一刻館の住人たちが集まる宴会場にされることが多く、試験勉強中などは、度々住人に邪魔されたりからかわれたりしていた。朱美と四谷曰く、五代は「一刻館の玩具」。また、響子が高校生時代の制服を着たことから始まったコスプレ宴会では、後述の花枝に促される形ながら高校時代の[[学生服|学ラン]]を着て参加していた(原作第51話・アニメ第37話)<!--なお、五代の通っていた高校とその制服は[[新潟県立新潟高等学校]]のをモデルにしているとされる-->。
:: 手先が器用で、大学1年秋に成り行き上所属した[[人形劇]]サークル(入部当初を除き全くサークルには顔を出さなかった)では人形を、キャバレーではホステスの子供達のために積み木等の玩具を作ったりもした。物語当初は喫煙する描写があるが、途中から無くなる。アニメ版では響子のために禁煙したと発言している。
:: 妄想癖があり、響子のことを考えるたびに妄想してはしばしば壁や電柱などに頭から突っ込んでいく。響子に対しては「管理人さん」と呼んだり「響子さん」と呼んだりしていたが、響子と結ばれてからは「管理人さん」とは呼ばなくなり、最終話で挙式後は「響子」と呼ぶようになった。
:: 作者の[[高橋留美子]]は五代がいつまでも[[童貞]]でいるのは「正しくない」という考えを持っていて、五代が独りで[[北海道]]旅行に行くエピソードで旅先で出会った大口小夏を[[初体験 (性行為)|初体験]]の相手にしようとしていたが、編集部から「五代君は純潔を貫かなければならない」と猛反対され、この構想を断念した<ref>「語り尽せ熱愛時代―ルーミックワールド VS ウルフランド」徳間書店(1984/12)</ref>。その後、五代の初体験は、坂本のおごりで[[ソープランド]]に連れて行かれた話で曖昧に描かれた。響子が五代に対して好きであることをなかなかはっきり言わなかったために五代は響子の愛情を確信できず、終盤(原作第149話から第150話)にて破局寸前のトラブルに見舞うところで、響子に「あなたしか抱きたくないんです」と告白し、[[ラブホテル]]に入って[[性行為|ベッドイン]]しながらも前夫の惣一郎が気になって失敗してしまうが、その後(原作第152話)、管理人室で響子と改めて話をし、結ばれて一夜を共にした。その後も、響子の心奥深くに残っている「惣一郎」に対し素直に「正直言って妬ましい」と惣一郎の墓前で心中を吐露する(原作第160話)が、それすらも「響子の一部」として捉え丸ごと受け止める決意をする。
:: 同姓ということから、[[鹿児島県]][[薩摩川内市]]の酒造メーカー「[[山元酒造]]」が製造する焼酎「さつま五代」(由来は所在地の「五代町」から)の広告に絵が使用されていたことがある<ref>{{Cite web|和書|title=がらっぱの贈り物。GARAPPA 01クラフトジン - 薩摩川内市観光情報 |url=https://satsumasendai.gr.jp/53179/ |website=こころ {{!}} 薩摩川内観光物産ガイド |date=2020-04-27 |access-date=2023-09-03 |language=ja |last=薩摩川内市}}</ref>。
:<!--リストの分断防止行-->
; <span id="音無響子">音無 響子(おとなし きょうこ)</span>
: 声 - [[島本須美]]、 [[ゆきのさつき]](CRめぞん一刻版)
: 本作のヒロイン<ref group="注釈" name="main" />。原作第133話で「秋には27になります」と響子本人が語っている。若くて美人、スタイル抜群。1980年の秋、本作の舞台となる[[アパート]]「[[めぞん一刻#一刻館|一刻館]]」に住み込みの管理人として赴任する。その美貌に五代は一目で虜になり、常に気になるマドンナ的な存在となる。後に未亡人であり、五代より2歳年上であることが分かる。通称「管理人さん」。キャラクターのモデルは[[俳優|女優]]の[[夏目雅子]]<ref>平野文のDJblog [https://blog.excite.co.jp/fumi23blog/page/124/] による。</ref>。また、{{要出典範囲|原作者の高橋留美子は性格が自身に一番近いキャラクターとして音無響子を挙げている|date=2023年11月}}。音が無いのに響く子というのは[[サイモンとガーファンクル]]の「[[サウンド・オブ・サイレンス]]」と同じ構造の[[矛盾語法]]であり、本人の矛盾した行動を象徴している{{独自研究?|date=2023年11月}}。
:; 概歴
:: 女子高である私立桜ヶ丘高校(アニメ53話より)の出身<!--(響子の通っていた高校のモデルは、作者である高橋の母校・[[新潟県立新潟中央高等学校]]とされ、校舎・制服いずれもモデルとしている。)-->で、[[テニス]]部に所属していた。講師として赴任してきた音無惣一郎と出会い、高校卒業後の1979年親の猛反対を押し切って惣一郎と結婚する。しかし、結婚して半年足らずの翌年1980年の春に惣一郎は亡くなってしまう。失意のどん底にあった響子だが、惣一郎の父・音無老人の取り計らいでアパート「一刻館」に住み込みの管理人としてやってくる。拾ってきたペットの犬も当初は「シロ」の名で呼ばれていたが、夫の死後「惣一郎さん」という名前で接している。音無老人や母親は響子に再婚を勧めて(実父は再婚に反対)いたが、響子は気持ちの整理が付けられず、音無の姓を名乗り続けていた。「非常識のかたまり」の一刻館の住民や周囲の人々との触れあいや生活は、少しずつ響子に笑顔を取り戻させ、失意と喪失感に覆われていた心を和らげていった。五代については一刻館に赴任した当初から出来の悪い弟の面倒を見るように世話を焼いていた。そんなある晩、五代が酔った勢いで響子を好きだと叫んだことから五代の自分への想いを初めて知り、異性として意識し始める。[[テニス]]クラブのコーチ・三鷹瞬からもアプローチを受け両者の間で揺れ動きながらも、五代の心根の優しさや厚意に絆され、次第に心惹かれて行く。しかし響子は、五代への恋慕の情は亡き夫への想いを「嘘になってしまいそうで…」と自問自答し、自分の気持ちに戸惑いを感じていた。そのため五代の気持ちを受け入れることにも躊躇していた。ある出来事から三鷹は他の女性と婚約し、五代とも決定的な破局寸前にまで至る騒動が立て続けに起こった。それらの誤解が解けた時、自分の気持ちに素直に向き合い、結ばれて一晩を共にするに至った。五代の就職後、[[プロポーズ]]を受け、再婚を決意し準備を進めるも惣一郎の思い出の品を前に悩む姿もあった。そんな姿を五代も見ており、その心に棲んでいる惣一郎の存在も否定せず受け入れてくれた五代に「あなたに会えて本当に良かった」と感謝していた。結婚後、翌春に長女・春香を出産する。
:; 人物・エピソード
:: 「音無」は結婚後の苗字で、旧姓は「千草(ちぐさ)」。幼少時は父親が転勤族であったため各地を転々としていた。普段は穏やかでいつも微笑みを絶やさない。基本的に明るく快活で優しい性格の反面、非常にヤキモチ焼きで世間知らずであり、思い込みも激しい。また、親譲りの鈍感な面もあり、三鷹の犬恐怖症に最後まで気付かなかったり、五代の「響子さんの作った[[味噌汁|みそ汁]]が飲みたい」という遠回しの求婚を文字通りに解し、味噌汁を用意するなど、[[天然ボケ|天然]]ぶりを発揮することもしばしば。
:: 自分が五代や三鷹に求められている存在であると自覚している。しかし、両者に対してはっきりした態度を取らず「ぬるま湯」の状態の逃避をするも、五代や三鷹が他の女性と仲良くしているのを見聞きしただけで、真意を確認せぬまま自分の中で勝手な解釈をし、独りよがりに不機嫌になり、キツく当たっていた。
:: 特に五代に対しては、女友達から日に何度も電話があるだけで嫉妬し、それに応対している五代の言動を目にするのも耐えられず、それまで管理人室で取り次いでいた[[黒電話]]とは別に「アパートの住人用」との名目で[[ピンク電話]]を設置してしまったほどである。こずえとのデートに出かける際は「ネクタイを直してあげる」と称して首を絞めたり、いぶきと腕を組んで仲よさそうに学校へ向かう姿を見送る際には笑顔のまま掃除用の竹ぼうきをへし折るなどもした。しかし、雰囲気が高まると自ら五代にキスしようとするような思わせぶりな仕草を見せたり(実際にハプニングも含めて数回キスしているが、響子の側からのキスの方が多い)、一刻館の住人の中で五代の帰宅時間だけは曜日ごとに把握して庭先で出迎えるなど、五代に好意を持っていた。ただ、前述のような理由から直接「好き」と言葉ではなかなか言えなかった。ようやく言えたのは終盤近く、一刻館の管理人室で五代と結ばれた(原作第152話)時に初めて「ずっと前から好きだった」ことを告白したが、作中で響子が五代に対して愛情を直接言葉で表現したのはこの一度きりである。前夫の惣一郎を亡くしたことは(特に物語の序盤では)響子の心の奥底で深い傷になっており、五代のプロポーズを受け入れる時(原作第158話)も「1日でいいから自分より長生きして…。一人ではもう生きていけそうにないから」とその胸のうちを吐露し、五代も決して響子を一人にしないことを約束した。
:: [[自動車運転免許]]の所有者である。海水浴に出かけた際、三鷹が体調不良から運転できなくなった際には帰路の運転を買って出たが、[[自動車教習所|教習所]]卒業以来運転をしたことがない[[ペーパードライバー]] であり、ハンドルを握ると性格がいつにも増して強気になる上に、緊張から周囲に気を配る余裕がなくなり、同乗していた三鷹と五代が顔面蒼白で引きつるほど荒々しい運転をした。また、一刻館の雨漏りを直すために屋根に上がって応急処置の[[DIY|大工]]仕事をしたり、停電したときには「簡単な電気工事なら多少の心得がある」と修理をするなど、意外な一面を垣間見せている。
::他にも鏡台を購入して、何か着て鏡に写してみようと衣装ケースを探してみると、自身の母校の制服([[ブレザー]])を見つけ、試着したところで、裕作や後述の花枝や四谷、朱美に見つかってさながらコスプレ宴会に突入してしまったこともあり、帰宅した賢太郎に呆れられたこともある(原作第51話、アニメ37話)。
:: 「[[ひよこ|ヒヨコ]]の[[エプロン]](胸に“PIYO PIYO”の文字と、ヒヨコのイラスト入り。ベースカラーは主に黄色。<ref group="注釈">テレビアニメ版27話からは、ピンクで描かれることが多くなった。</ref>)」<ref group="注釈">主に、一刻館内で管理人の業務を行う際に着用する。テレビアニメ版27話以降では、一刻館から外出しても着用している。</ref> と、「竹ぼうき」が、響子のトレードマークであり、代名詞的存在となっている。五代が一刻館から出入りするときは特に、時間帯ににかかわらず玄関前を掃除していることが多い。竹ぼうきで掃く音で響子の機嫌の善し悪しがうかがい知れることも少なくない(上述のようにいぶきと五代が腕を組みながら学校へ行った際には竹ぼうきをへし折ったことすらある)。五代に[[セクハラ]](例:屋根から落ちそうになって五代に救われた時に胸を触られた、スカートをめくられた)を受けた時などに本気で怒り、[[平手打ち]]を食らわせたことも数多い(原作・アニメ第2話など)。逆に五代からは、こずえ絡みの件で喧嘩後、屋根の修理をしていた際落ちそうになったものの意地を張り、助けを求めなかったことに対し激怒され頬を張られた。数年後、再びこずえ絡みでいざこざがあり、例によって五代の話を聞かずに口汚く罵倒した響子を諌めるために頬を優しく叩かれた。
:: また、劇場版完結編にて一の瀬花枝から結婚祝に手製のエプロンをもらうシーンがあり、こちらは「[[ニワトリ]]のエプロン(胸に“KOKE KOKE”の文字と、ニワトリのイラスト入り)」となっている。
:: 同じ小学館の漫画『[[鉄子の旅]]』で、「[[横見浩彦|横見]]の妄想」シーンにゲストで登場。これは作者の[[菊池直恵]]に高橋が協力して、特別に描き下ろしたものである。
:: アニメ版放送当時に、キャラクターとしての人気も手伝って、音無響子名義で楽曲がリリースされている。{{main|めぞん一刻 (アニメ)#歌手・音無響子}}
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::
:; PIYOPIYOエプロンに関係がある作品・キャラ
*作者の代表作「[[うる星やつら]]」の[[諸星あたる]]の母もPIYOPIYOエプロンを着用している場面がある(うる星やつらのテレビ版アニメ・第78話において、紫色のPIYOPIYOエプロンを確認できる)。
*PIYOPIYOエプロンは[[椎名高志]]などから、オマージュの小道具として広く使われている。「[[銀河英雄伝説]]」の[[フレデリカ・グリーンヒル]]もPIYOPIYOエプロンを愛用している(OVA及び第60話「魔術師捕わる」やエンディングでのカットで確認できる)。
*「[[機動警察パトレイバー#テレビシリーズ(ON TELEVISION)|機動警察パトレイバー]]」の[[機動警察パトレイバーの登場人物|山崎ひろみ]]は炊事シーンでエプロンではなく割烹着にPIYOPIYOひよこをつけているのを確認できる(テレビアニメ第26話など。高橋作品のアニメ版キャラクターデザインも幾たびか手掛けた[[高田明美]]らの遊び心によるもの)。
*作者の代表作「[[境界のRINNE]]」のヒロイン・[[境界のRINNE|真宮桜]]も、想像の中でピンクのPIYOPIYOエプロンを着用するというオマージュが施されている(テレビアニメ第12話より)。
:: その他、(高橋作品に限らず)多くの作品にPIYOPIYOエプロンが登場する。
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:<!--リストの分断防止行-->
; 一の瀬 花枝(いちのせ はなえ)
: 声 - [[青木和代]]
:: 一刻館1号室の住人。詮索好きで世話好きのいわゆる典型的なおばさんだが、騒動好き・酒好き・宴会好きの三拍子も加わるという豪快な婦人。しょっちゅう昼間から酒を飲んでおり、宴会が盛り上がると両手に[[扇子]]を持って踊り、アニメでは「チャカポコ踊り」と称している。[[北海道]]出身(原作第24話「[[リングにかけろ|リンクに賭けろ!]]」・スケートの話での「道産子だもーん」というセリフより)。
::高校生の頃から現在と同じ酒樽体型で、高校時代の[[セーラー服]]を今でも着ることができ、前述の響子の制服着用から始まったコスプレ宴会でもセーラー服を着て興じていた(原作第51話・アニメ第37話)。
::五代と響子の関係を家族のような目で見守りつつも大変面白がり、常に事態を面白くさせようと行動するため、彼女の言動が元凶となった誤解は数知れない。近所の主婦に誘われ響子とともにテニスクラブに入会したが、仲間内でおしゃべりにいそしむほうが多く、肝心のテニスの練習は皆無に等しくルールも全く把握していないなど、普段からちゃらんぽらんさが目立つ人物だが、年長者であるためか、時に響子や裕作に有効なアドバイスをするなど、いざと言うときは頼れる人物でもある。
:<!--リストの分断防止行-->
; 一の瀬氏(いちのせし)
: 声 - [[矢田稔]]
: 一の瀬花枝の夫。気弱で存在感が薄い。普通に朝出勤、夜帰宅の毎日を過ごしており、後ろ姿や片隅ながら早くから度々登場していたものの、住人たちとの生活時間帯が合わず、管理人の響子でさえ就任以来3年近く彼の存在に気づかなかった。勤め先が[[倒産]]して無職になり初めて住人たちにその存在を知られるようになった。無職になったエピソードの後、賢太郎の運動会など主役の話もあったものの、その後は登場することはほとんど無かった。一の瀬家は一刻館では唯一家族で暮らしていて、花枝とは社内結婚である。花枝と肩を並べるほどの酒豪。馴れ初めは、会社の宴会で花枝から飲み比べで勝ったら結婚してやると暗に求婚されたが、失恋の自棄酒で酒が進んだことと花枝が故意に負けたことで、結婚することとなった。原作では「一の瀬氏」「一の瀬のおじさん」と呼ばれ名前の設定は明らかにされなかった。
; 一の瀬 賢太郎(いちのせ けんたろう)
: 声 - [[坂本千夏]]
: 一の瀬夫婦の一人息子で小学生。終盤に中学生に進学。響子を含む一刻館の住人では最も常識人であり、大人びた子供である。響子の義理の姪である郁子に好意を寄せるが、郁子の側は賢太郎の気持ちに気づいておらず、あまり相手にしてもらえなかった。原作では中盤以降は全く登場しなくなり<ref group="注釈">作者は中学生の賢太郎を想像できなかったからと理由を述べている。</ref>、その後は最終話にのみ姿を見せた。最終話では郁子とともに五代と響子の結婚式で受付を担当しており、この時は学生服(設定では高校生になっている)を着ており郁子とも会うが、母譲りの背の低さをからかわれ相変わらず気持ちは伝わっていない。<br>テレビアニメ版では二階堂望が登場しないため、本来なら二階堂の役回りとなる部分(アパートに戻れなくなったと誤解した五代を匿う羽目になる、など)が賢太郎に回るなどして、登場する出番は継続していた。
; 二階堂 望(にかいどう のぞみ)
: 声 - [[堀川りょう|堀川亮]]
: 一刻館2号室の住人。大学生。連載の後半の1984年4月から登場。作者によると「みんなが空気読んで黙っちゃうところで無神経な一言を言う役割」を与えたキャラクター<ref>{{Twitter status2|rumicworld1010|1624350251967741955|2023年2月11日19時10分}}「【キャラクター小話】二階堂望 みんなが空気読んで黙っちゃうところで、無神経な一言を言う役割を与えていました。」</ref>。五代とは別の大学に現役で合格したのを機に高級マンションの「立国館」に入居する予定が、手違いで一刻館にやってきた。最初は一刻館をオンボロアパートと見下していたが、響子を気に入りそのまま大学卒業まで住むこととなる。大工仕事が趣味。実家は裕福らしく、[[過干渉]]気味の母親に甘やかされて育っており他人の気持ちに疎く、場の空気を察するということができない。しかし[[マザーコンプレックス|マザコン]]ではなく、母親の過干渉を内心疎ましく思っており、気楽に一人暮らしができる現状を楽しんでいる。一刻館一のヘビースモーカーであり、くわえたばこで歩く。入居した当時から未成年ながらタバコや酒を嗜んでいた。転入直後に一通りの住人達との騒動(五代を巻き込んだ四谷との対立、こずえや三鷹とのやりとりなど)以降は登場機会が少なく、漫画では入居後に100回近い宴会が確認できるが参加したのは10回に満たないなど一刻館の住人でありながら端役で、物語の本筋にはほとんど絡まなかった。テレビアニメ版では一切登場しておらず、原作者の高橋も本作の連載終了後の少年サンデーグラフィック誌上で「二階堂は(あまり活躍させられなくて)かわいそうだった」という趣旨のことを述懐している。最終的には大学卒業まで一刻館に住み続け、響子と五代の結婚式にも参加している。卒業後は実家のある[[茨城県]]で就職し自宅通勤となったため、相変わらずの母親の過干渉に内心辟易し、一刻館での暮らしを懐かしく感じている。なお、劇場版と英語版では「にかいどう のぞ'''む'''」だが、スピリッツ掲載の原作では「にかいどう のぞ'''み'''」である。
: コンピューターゲーム版では、[[禁煙パイポ]]の臭いが嫌いという設定になっておりアイテムのパイポを使用するとプレイヤー(五代)の前から退散していった。
; 三越 善三郎(みつこし ぜんざぶろう)
: 声 - [[堀勝之祐]]
: テレビアニメ版のオリジナルキャラクター。50・51話で一時的に一刻館3号室の住人となる。一刻館を地上げする目的で来たが、最終的には何もせず、住民に真意を気付かれることなく去っていった。なお、原作では3号室は一度も住人が住み着くことはなく、愛好家らからは「開かずの3号室」と呼ばれたがアニメ版では八神が一刻館に居座った時に五代が一時的に住んだことがあった。四谷に、「新しいものが生まれる時、古いものが消えてゆく。消えてゆくのは仕方のないことかもしれませんが、消えたものを忘れてしまってはいけないんじゃないか。そう思います」と語った。
; <span id="四谷">四谷(よつや)</span>
: 声 - [[千葉繁]]
: 一刻館4号室の住人で、五代の隣人。下の名前は不明<ref group="注釈">ただしアニメ版の中では、2回名刺付きで異なる名を名乗っていたことがある(第36話。「けんのすけと書いてごろべえと読みます。人は私のことを正直ごろちゃんと呼ぶんですよ」)(第50話。「菊千代・きくちよと書いてためぞうと読みます。人は私を親切ためさんと呼ぶんですよ」)など。また四谷・[[フィリップ・マーロウ|フィリップ・マーロー]]、という外国人風の名前も名乗った。</ref>。高橋の漫画作品「[[ダストスパート!!]]」の登場人物である背古井唯安の外見が流用されたキャラクター。他の住人からは「四谷さん」三鷹などからは「四谷氏」と呼ばれている。五代が一刻館に入居したその日に、4号室と5号室の間の壁に穴を開けてしまい、そこから何かと五代の私生活に干渉する。一刻館が全面的な修理が行われた時に、壁はきちんと塞がれた(本人は塞がれることを酷く嫌がっており阻止するために五代のかなりキワドイ秘密まで暴露した。)が、こずえが5号室に来た際にまた開けられた。誰に対しても丁寧な言葉遣いで話すが、その態度は慇懃無礼(いんぎんぶれい)そのもので、五代など自分よりも弱そうな相手をおちょくることを何よりの趣味にしている模様。普段はスーツ姿または在宅用の着物姿だが、[[虚無僧]]の袈裟(原作第51話・アニメ第37話)も所有するほか、温泉旅行や裕作の実家(アニメ版のみ・第95話)にもスーツ姿で出かけている。八神ら女子高生が来るときと、五代の結婚式の披露宴の時は、タキシードを着用していた。冬季は外出時に帽子と[[トレンチコート]]を羽織る。
: 五代、響子、三鷹、二階堂などは職業など何をしているのか疑問を懐き、尾行・調査をしたこともあったが四谷に気付かれており、単にあちこち振り回されただけで結局なにも分からなかった(三鷹や五代、二階堂に関しては本人に見つかりタカられた)。ときどき帰省と称して数日間留守にするが帰省先も全く不明。趣味はのぞき、特技はたかり。年齢・職業・経歴などは一切不明という、変人ぞろいの一刻館の住人の中でも一際目立つ存在であり、結局何者なのか明かされることはないまま、本作の連載は終了した。四谷の部屋の内部が確認できるのは原作、アニメ共に1回(八神が四谷に家庭教師を頼みこみ、心配した五代と響子が五号室の穴から四号室に入り込んだとき)のみであった。他にはアニメ版第31話で1度だけ五代が四谷が不在の間に5号室の穴の内部を覗いたことがある(その時五代が見たのは狭いコンクリートでできた細長い部屋であり、鏡や歯ブラシなどはあったもののとても部屋と呼べるようなものではなかったため戦慄していた)。アニメ版44話では、本人に瓜二つの祖父、叔父がかつて一刻館に居住していたという設定で四谷家のアルバムも登場し「一刻館の歴史は四谷家の歴史」と語った。
; 六本木 朱美(ろっぽんぎ あけみ)
: 声 - [[三田ゆう子]]
: 一刻館6号室の住人。同じ町内にある一刻館の面々の行きつけの[[スナックバー (飲食店)|スナック]]「茶々丸」に勤務している。
: 一刻館の中ではスケスケの[[ベビードール]]と[[パンティー]]という裸同然とも言える、煽情的な格好で徘徊する(ただし、冬場はその上に[[丹前|ドテラ]]を着込んでいることが多い。)が、住人たちは慣れっこになってしまっている。他にもキャバレー仲間から譲ってもらった[[看護師|看護婦]]の制服も所有しており、それを着て前述の響子の制服着用から始まったコスプレ宴会に興じたこともある(原作第51話・アニメ37話)。
: 酒好きで種類も銘柄もこだわりなく飲む。勤務中はもとより勤務外でも客と酒を飲むなどかなりの大酒飲みな性格。原作やアニメでは、しばしば[[煙草]]を吸うシーンがある。
: 言葉遣いは荒いが、時おり響子や五代にずばり本質を突いた一言をかけて、背中を押してやるような姐御肌の世話好きな面もある。物語終盤では五代と響子を破局寸前まで追い込む騒動の原因ともなるが、その関係の修復にも寄与している。作中では「朱美さん」か「朱美ちゃん」としか呼ばれず、原作後期の第104話にて自分で名乗るまで、苗字は明かされていなかった。最終回で、茶々丸のマスターに求婚され、マスターと婚姻後(最終回で、一刻館のメンバーへの差し入れのセリフで、亭主の文字にマスターとルビ振りがされている)茶々丸の店舗2階に移り住むようになった。
: 原作では年齢不明だが、劇場アニメ版「完結篇」で二階堂に「朱美さん今年(1987年)30歳でしたっけ?」と言われて怒るものの否定していない。
=== 響子と五代に関わる人々 ===
; <span id="惣一郎">惣一郎(犬♂)(そういちろう)</span>
: 声 - 千葉繁
: 響子の愛犬であり飼い犬。年齢不明。響子の亡夫・惣一郎が帰宅途中に買った[[焼き鳥]]に釣られてついて来て、そのまま音無家に居ついてしまった元・野良犬で、風采の上がらない雑種の白犬(賢太郎曰く「白くてじじむさい犬」)。惣一郎は「シロ」と名付けたがその名で呼ばれてもほとんど反応せず、響子が「惣一郎さん」と夫を呼ぶたびに反応していたことから、夫の死後はその名を受け継いだ。惣一郎の名前を聴くたびに五代は、最大の恋敵である響子の亡き夫を思い出すこととなる。焼き鳥が好物のようで、後に通行人の持つ焼き鳥のにおいにつられて一週間行方不明になったりした。
; 三鷹 瞬(みたか しゅん)
: 声 - [[神谷明]]
: [[東京都]]出身(原作では否定せず、アニメでは肯定していた)、1955年生まれ。
: 響子や一の瀬ら、近隣の住人が多く通うテニスクラブのコーチ。主婦の参加が多いクラスを主に受け持っており、他に女子大にも出向いてコーチをしている。1986年春の時点で31歳(「あぶない夜」より)。白い歯が爽やかに輝く笑顔が自信と余裕を表している。また両親、妹(写真のみの登場、物語中盤で結婚)、叔父も笑顔と共に歯が輝く。
: 容姿端麗、スポーツ万能(ただし[[アイススケート]]は当初全く滑れなかった)。一流大学卒(一の瀬ら主婦たちの情報)。家賃20万程度の高級マンションに独り暮らし、実家も資産家。料理の腕前は恋敵の五代もうまいと認めざるを得ないほど。性格は明るく快活で闊達。社交的で気遣いも細やか、女性にもてるという典型的なライバルキャラ。
: 自身が資産家の御曹司であること自慢などはしないが、「お金では愛は買えないが、お金があった方が愛は潤う」とお金があることに対して響子に吐露していた。
: 女性に対しては特に紳士的で、自然に手を握ったり肩を抱いたりと手馴れており、キザな所作も様になる。響子へのアプローチも実に堂々としていて自信に溢れている。あからさまに響子を特別扱いする時もあるが、老若男女問わず誰に対しても紳士的な対応ができる。ライバルの五代に対してすら、やや邪険に扱うことはあっても除け者にしたりはせず、五代が風邪をひいた時には[[お粥]]を作るなど面倒見が良い。響子の過去(夫との死別による失意など)も承知しており、全てを包み込む意思を示している。響子に対してはほとんど「音無さん」と姓で呼んでいた。
: {{要出典範囲|原作では愛車が[[日産・シルビア]]だが、アニメでは[[トヨタ自動車]]がスポンサーになったため[[トヨタ・ソアラ]]に変更された|date=2023-07-12}}。
: 非の打ちどころがない強力な五代の恋敵であるが、響子は三鷹の強引なまでのアプローチに対して穏便にかわそうとすることが多い。しかし、それに負けじとさらに押してくる三鷹を響子も断り切れず、二人で出掛けることも度々あった。響子をスマートにエスコートし大切に扱う誠実さ、時に強引にも見える行動力で自分をただの異性の友人ではなく、何れは恋人として認めさせる自信が三鷹にはあった。ただ、(本人曰く)唯一の弱点であり障害とも言えるのが、幼児体験から来る極度の「犬恐怖症」。周囲には隠しているが、犬種問わず鳴き声を聞いただけで鳥肌、近付かれるだけで顔色が悪くなり、ひきつけを起こし卒倒寸前になるほど。しかしなぜか犬に好かれる傾向があり、擦り寄られることが多い。響子の愛犬・惣一郎も三鷹を気に入っており、顔を舐め回すほど懐いている。その姿を見た響子は三鷹の犬恐怖症に気付かずにいた(同様に後述の明日菜の愛犬にも懐かれたことから、明日菜にも“三鷹は犬好き”と誤解される)。物語後半で犬恐怖症のためにひどい誤解を受けた三鷹は、ついに意を決し自ら犬を飼っての特訓をして恐怖症を克服するが、皮肉なことに自分の愛犬の行動から生じた誤解(明日菜の愛犬と結ばれたこと)が元で響子への想いを諦めざるを得ない状況となった。後にその誤解が解けたため、響子に再びアプローチをするのかと五代は警戒していたが、愛犬の騒動から明日菜と交際・その後結婚となったことにより潔く響子を諦め、五代の恋を応援した。
:明日菜との結婚後も五代や響子との交流は続き、二人を祝福し、励ます言葉をかけるなど成熟した紳士の態度を一貫している。
:最終回においては明日菜との間に双子の女児が生まれており、さらに3人目ももうけている。
; 七尾 こずえ(ななお こずえ)
: 声 - [[冨永みーな]]
: 五代のガールフレンド。独特の無邪気さや積極性でエピソードのきっかけを作ることが多い。人の話を最後まできちんと聞かずころころ話題を変える。作者は「大切なことを(相手に)言わせない術は描いてて楽しかった。マイペースで可愛い普通の女の子を意識していました」と言っている<ref>{{Twitter status2|rumicworld1010|1464896852831186947|2021年11月28日19時00分}}「【キャラクター小話】七尾こずえ 響子のライバルとして出したキャラです。ライバルというより、響子の心をざわつかせる存在でしたね。こずえなりの話の持っていき方といいますか、「大切なことを言わせない」術は描いてて楽しかったです。マイペースで可愛い、普通の女の子を意識していました。」</ref>。五代より1歳年下で違う大学に通っており、一軒家の自宅に両親と小学生の弟・葉介の4人家族で住んでいる。ショートカットが似合う小柄な女性。近眼であり、登場前はメガネをかけていた。
: [[酒屋]]でのアルバイトを通じて五代と知り合った。そのアルバイト代で[[コンタクトレンズ]]を購入し着用していたため、メガネをかけていたこずえの印象しかなかった五代は街で声を掛けられても、すぐに彼女と気づかなかった。この再会をきっかけに、五代へ積極的にアプローチを開始する。五代にネクタイを着用させ、自分で買ってきた[[メロン]]を[[手土産]]として持たせ、不意打ちで自宅に連れて行き家族に紹介するなど、ちょっとした策略家でもある。その後、五代は週に何度か七尾家で夕食を食べる時期もあった。なお、父親はこずえの弟曰く「[[射撃競技|射撃]]の名人」で、娘を泣かすような男は撃ち殺すと豪語していた。
: それなりに長い期間五代のガールフレンドとして付き合っていたが、五代にとっては響子が常に本命だったこともあり、キスも肉体関係も求められることはなかった。ときおりこずえの方からキスを求めることがあっても五代は響子の反応を気にして応えず、逆に五代が「キスくらいなら」と考えた時にはこずえがその気なし、とすれ違っていた(原作第143話「戸惑いロマンス」にて、五代に目を閉じさせておいてこずえからキスをしたのが最初で最後のキスである)。
: 独特のペースを持ち、周囲の人間はその雰囲気を容易には崩すことができない。早い段階から五代がこずえに別れ話を切り出そうとする場面があったが、隣の席のカップルが別れ話を始めたため話題が差し替わってしまい、そのため五代も言い出せずにあやふやな関係が続いた。
: 大学を卒業後は父親のコネで[[銀行]]に就職。しばらくして、思いがけず同僚から[[求婚]]される(アニメ版では高校の先輩)。そのことを知って、定職のある相手を選ぶことをこずえに勧める同僚の女子行員に対して、「五代さんには私がいないと」と自分に言い聞かせるように語った。物語終盤、こずえの早合点から複数の大騒動が起きる。五代がついに意を決して「他に好きな人がいる」と別れ話を切り出したが、こずえも既に同僚からの求婚を受け入れたと告白。お互いが別の人に目を向けていたことを「おあいこ」として円満に別れることとなった。その後、同僚と結婚(アニメ版では、広田姓となる)。最終話では、[[名古屋市|名古屋]]に転居し幸せな新婚生活を送っている姿が描かれた。結局、こずえは五代が好きな人は誰だったのかを知らないまま別れた。
; 八神 いぶき(やがみ いぶき)
: 声 - [[渕崎ゆり子|渕崎有里子]]
: 原作87話、アニメ53話より登場。1967年4月生まれ<ref group="注釈">完結篇にて八神の誕生日が五代のひと月前と判明。</ref>。血液型はAB型<ref name="原作第97話「深夜の面接」より。"/>。作者が「響子と惣一郎の思い出をリンクさせるのが主目的」で登場させたキャラクター<ref>{{Twitter status2|rumicworld1010|1561291943367540736|2022年8月21日18時59分}}「【キャラクター小話】八神いぶき 五代を女子校に放り込んだら面白いかなと思ったのと、響子と惣一郎の思い出をリンクさせるのが主目的だった。その中で生まれたキャラ。恋に恋するみたいな感じの子。制服は出身校がモデルで、懐かしい気持ちで描いていた。素直に描けて、動かしやすかったです。」</ref>。五代が響子の母校へ教育実習に行った際、受け持ったクラスの委員長で1984年当時高校2年生。担任教諭は響子の担任でもあった。学校では若い男性教員のワイシャツに手の平に塗った絵の具でハートマークを付ける伝統的悪戯があり、五代のワイシャツの背中にハートマークを付けた(響子は学生時代に惣一郎のワイシャツにハートマークを付けようとしたが、結局付けられなかった)。美少女で成績もよくトップクラスだが決して優等生タイプではない。勝気な性格と行動力は自他共に認めるところである。アニメ版では弓道部に属している。当初は見向きもしなかった五代に、ある誤解から恋をし、一刻館にたびたび押しかけては騒動を巻き起こす怖いもの知らず。五代の教育実習の満了で八神は恋が冷めたと感じたものの、別れ際に自然と涙が出てきてしまったことから、まだ恋心が残っているのだ…と思い、五代に再びアタックを開始する。父親に似て思い込みが激しい性格が随所に見受けられるが、実際に行動に移してしまう積極性は響子にとっては脅威であった。
: 就職活動に苦しむ五代を見かねて、たまたま五代が入社を希望していた大手商社の人事部長を務める父に五代の採用を独断で要望するが、娘を溺愛している父親は五代を「就職に娘を利用しようとする狡賢い男」と誤解してしまい、逆に不利に追い込むこととなった。しかし、結局は八神の一刻館籠城作戦により、五代は八神の父親から孫会社への紹介状をもらい就職を決めることができたが、この会社「霞商会」は、入社直前に倒産してしまう(アニメ版では捷商会、倒産後再度八神の父親から2回目の斡旋を受けるが五代がコネ入社を断り、その場にいた坂本が八神の父に頼み込んで紹介状を譲ってもらっている)。
: 一刻館を訪れた時に、五代が響子を好きなことはもちろん、響子も五代に好意を持っていることをすぐに見抜いた。その後は響子をライバル視して対抗意識を燃やす。八神に猛烈にアタックされる五代に対し、響子が嫉妬しながらも五代を好きだと認めようとしないことに八神は強い苛立ちと不満を抱いていたが、ある時、響子の本音である「嘘になってしまいそう」を聞いた。しかし、その意味が理解できなかったが、担任から「五代への想いを認めることは亡き夫への想いを否定することになってしまうからだ」と聞かされる。響子の複雑な想いを知るとともに、今までの響子に対する言動を少し反省する。響子を元気づけてやろうと一刻館まで出向き、叱咤激励の意を込めて「弱虫!」と、擦れ違いざまに何度も叫び、同時に自分の戒めにもしている。
:最終話の後日談では、女子大生<!--校舎の描写などから、作者の母校である[[日本女子大学]]とされる-->となったものの、まだ五代を忘れられないでいる様子が描かれた。
: また、アニメの劇場版「完結編」では、女子大に進学している設定となり、偶然にも五代と響子の結婚式前夜に、自らの二十歳の誕生日のお祝いと称して一刻舘に押しかける。しかし五代と響子との結婚は知らされておらず驚愕とするも、響子と二人きりで話し合うなどで五代との関係に区切りをつけることになった。
; 五代 春香(ごだい はるか)
: 最終話に登場。五代と響子の間に生まれた愛娘。桜の季節に誕生。
=== 音無響子の縁者 ===
; 音無 惣一郎(おとなし そういちろう)
: 声 - [[田中秀幸 (声優)|田中秀幸]]
: 響子の亡夫。響子より10歳ほど年上(「配達された一枚の葉書」より)。下戸である。響子の通っていた女子高の[[地学]]の非常勤講師(響子とこずえの会話で「講師のバイトしてたんです」とある)をしていた。響子が高校を卒業した後に結婚。しかし結婚して半年も経たない桜の季節に突然亡くなってしまった(死因は明らかにされていない)。
: ストーリー開始時点ですでに故人であり、その姿は常に[[シルエット]]の描写でなされ、人格の表象である顔を意図的に隠すことで物語に強い輪郭を与えている。これは、音無家を訪問した五代が仏前の遺影をのぞき見ようとしたら額が壊れていて表情が分からない、高校の卒業アルバムの写真で確認しようとしたらインクで汚れていて判明できず、などといったコメディにまで昇華されるほど徹底しており、結局、結婚直前に響子の惣一郎との結婚写真を見るまで五代は一度も顔を見る機会がなかった(その際も読者には見えないように描かれていており、彼の本当の顔は最後まで読者に紹介されることはなかった)。最終回前のエピソードで彼の遺品が登場するが、懐中時計や丸縁のメガネを使っていた(常時着用していたかは不明)ことが分かる。一般的にはうだつの上がらない良く食べる人物と述懐されるが、彼の存在は物語において大きな意味を持ち、五代の最大かつ最強の恋敵である。妙法寺にある音無家累代之墓に眠っており、墓前が物語にたびたび登場する。響子が墓前で思っていたのは当初は惣一郎への想いだったが、次第に自分の思いを話すようになり、五代と結婚が決まってからは「五代と会えて良かった」とまで話すようになった。「会えて良かった」は、本作品が人情ドラマからラブストーリーに転進した時点で最終話として構想していたと後日談として作者は述べている。
: 名前の由来は連載誌スピリッツの担当編集者だった鈴木総一郎からと言われているが、鈴木本人は「これは全くの偶然です(笑)」と話している<ref>出典:『クイック・ジャパン』2007年第71号)</ref>。
; 音無惣一郎の父
: 声 - [[槐柳二]]
: 名は不明。アニメでは音無老人と呼ばれている。響子の義父で、惣一郎亡き今でも響子は「お義父さん(おとうさん)」と呼んでいる。穏やかな老人で、響子が未亡人となってしまったことを気にかけており、早く惣一郎を忘れ再婚するように勧めている。一刻館の大家で、入居契約や契約更新もその役目であるようだ。響子の母校である女子高の理事でもあり、それゆえ惣一郎が講師として教鞭をとることにもなり、五代の教育実習先にもなった。腰を痛めているために、出歩くときに孫の郁子を伴うことがある。
; 郁子(いくこ)
: 声 - [[荘真由美]]
: 惣一郎の姪。明るく元気な性格で、響子を「おばさま」と慕い、五代を「おにいちゃん」と慕っている。響子の情報を聞き出すために五代が郁子に強くアプローチをしたことをきっかけとして、郁子の強い要望で中学の3年間五代が家庭教師をした。賢太郎の初恋の相手だが、郁子本人はその好意に気づいていない(原作最終話で賢太郎の背の低さを郁子がからかうシーンがある)。五代が響子を好きなことは察しており、五代との勉強中にちょくちょく響子の話をしては五代の注意をそらしてからかっていた。原作では姓が「音無」かどうか確定できないが、テレビアニメ版ではテキストに「'''音無'''郁子」の記名が確認できるシーンがある。連載開始時は12歳という設定で、1984年度に高校に入学している。五代の貧窮を救うために再び家庭教師をと考えたが、五代の学力では高校生の家庭教師は無理だと断念した。五代と響子の結婚披露宴では、賢太郎とともに受付係をした。
; 郁子の母
: 声 - [[峰あつ子]]
: 惣一郎の実姉あるいは義姉。音無老人や響子への言葉遣いや、惣一郎を呼び捨てにしていることから音無老人の実子、惣一郎の実姉と考えられるが確定していない。
; 千草 律子(ちぐさ りつこ)
: 声 - [[松島みのり]]
: 響子の実母で、夫ともに都内のマンションに在住。家の中では夫より発言力があり、主導権を握っている。なかなかの策略家で、響子の音無家からの離籍や再婚に執念を燃やしていた。度を超したその行動から、物語当初は惣一郎への想いを忘れないでいる響子から絶縁された状態にあった。しかし、響子の幸せを思えばこそであることがその後の展開で分かる。当初は三鷹と(結婚相手として好条件のため)早く再婚させようと画策していたが、後に響子の気持ちが五代にあることを知ると、温かく見守るようになった。五代とは彼の学生時代から面識があったが、興味がないため名前を覚えようとせず、五代がたびたび名前をアピールする描写が繰り返されていた。これも響子の気持ちに気づいて以降は解消されている。
; 響子の父
: 声 - [[富田耕生]]
: 響子の実父で名は不明。一人娘の響子を溺愛しており、サングラスにマスク姿で一刻館前に張り込んだり尾行したりして、変質者と間違われることが何度かあった。響子と音無家との縁を切らせて新たな人生を歩ませたい、という点では妻の律子と同意見だが、再婚には反対。できれば響子をずっと手元に置いておきたいと思っている。年の差があった惣一郎との結婚にも大反対し、駆け落ち同然での結婚となる原因となった。響子の子供時代を思い出しては泣く。響子の再婚に反対するのも、惣一郎を亡くしたことで響子が味わった悲しみや涙をもう経験させたくないという一心からである。五代の響子へのプロポーズは父の前で行われ(酔いつぶれた父を五代が背負っていたが、プロポーズの時には寝たふりをしてしっかり聞いており、プロポーズの言葉が本当かどうか五代に念押ししている)、二度と愛する者を失いたくないとして、五代に自分より長生きすることを約束させて響子はプロポーズを受け入れた。この時の二人のやりとりから父も五代の誠実さを知り、結婚を認める気になった。なお、父は子供の頃の響子を背負いながら「将来は響子のお婿さんにおんぶしてもらおうかな」と発言しており、このプロポーズの場面でそれが実現していた。転勤で引越しすることが多く、響子も度々転校していたと話している。
; 上荻先生(かみおぎ せんせい)
: 声 - [[沢田敏子]]
: 八神の担任で響子の恩師。原作では姓名不詳。五代が教育実習をしたときの指導教官も務めたが、五代が授業中に八神に質問されてペースを乱されたり、八神と腕を組んで登校したりしたため五代には説教ばかりしていた。響子のことを「五代を好きなくせにそれを必死に隠して往生際が悪い」と言う八神に対し、「亡き夫を本当に愛していて『本当のこと』が世の中に一つしかないと思い込むタイプの響子にとっては、新たな恋愛は亡夫への思いが嘘だったのかと苦しめることとなってしまうのでは」と、響子の性格を知る恩師ならではの洞察をみせる。アニメではかなり訛った口調で話す。
=== 五代裕作の縁者 ===
; 五代 ゆかり(ごだい ゆかり)
: 声 - [[京田尚子]]
: 裕作の祖母。働く両親の代わりに裕作を育てた。矍鑠(かくしゃく)としており、上京時には[[ディスコ]]にも繰り出すほど。一刻館の住人たちの酒盛りのペースについていけるほど酒に強く、泳ぎも得意(自称「若いころは浜の女王」だが、裕作曰く「スルメ」)。毎年自分で[[梅酒]]を造っている。三鷹に負けじと歯が光る。[[新潟弁]]を話す。一人称は「オレ」たまに「ワシ」という場合もある。アニメ版では一刻館にたびたび遊びに来ていた。五代との結婚が決まって実家を訪れた響子に、自分が若い頃に夫からもらった指輪を託した。また、劇場版アニメ(完結編)では、響子宛に五代を託す旨の手紙を送った。
; 五代の家族
: 祖母・ゆかりのほか、定食屋(屋号は「定食 五代」)を営んでいる両親がいる。後に姉とその夫・正一が脱サラし、店を手伝っている。姉夫婦の娘の名前は、みっちゃん。
; 五代 晶(ごだい あきら)
: 裕作の従妹。幼少の頃は色黒でボーイッシュで、回想に登場した際は読者視点には男児であるように描かれていた。その頃に裕作とは結婚する約束をしたが、本人は忘れているようである。裕作の骨折による入院したエピソードで登場した時は、成長して美少女になっていた。世話をしに登場したが、それは駆け落ちのカムフラージュだった。最終話で結婚式にも登場している。テレビアニメ版には一切登場しない。
=== その他 ===
; マスター
: 声 - [[若本規夫|若本紀昭]]
: スナック「茶々丸」のマスター。茶々丸の2階が住まい。作中の数少ない常識人だが、草野球の賭け試合ではかなり必死だった。家出中で苦労している五代が一刻館に戻れるよう、響子の誤解を解くなど、大変親切な面を持つ。既婚者だったが、最終話で長年の別居の末離婚したことを朱美に伝え、彼女と結婚する。
; 九条 明日菜(くじょう あすな)
: 声 - [[鶴ひろみ]]
: 原作101話、アニメ57話から登場。白百合女子大(ワイド版以降では「白バラ女子大」となっている)卒業。大の愛犬家であり、大型犬3匹・小型犬3匹、合計6匹の飼い犬を自分の弟や妹と呼び、可愛がっている。愛犬にはサラダ、フォアグラ、テリーヌ、ポトフ、ストロガノフなど食べ物の名前を付けている(ドーベルマン1匹だけ名前不明)。三鷹瞬が三鷹家繁栄の政略結婚として見合いさせられた相手で、旧[[華族]]の令嬢。世間知らずで性格はおとなしく引っ込み思案だが、芯はしっかりして決意を曲げることはない。見合いで一度会っただけの三鷹に、飼い犬が懐いたというだけで本気で思いを寄せ、三鷹が響子にアプローチしていることを知っても身を引くようなことはしなかった。三鷹に振られそうになった時は失意のあまり倒れ、出家して生涯結婚しないと言い出し三鷹を困惑させた。もの凄く声が小さく、これを表すため原作では吹き出しの活字がいつも小さい。三鷹に「赤ちゃんができた」と伝え、三鷹から求婚される。しかし、赤ちゃんというのは三鷹の犬(マッケンロー)と九条の犬(サラダ)の間にできた仔犬のことであった。のちに誤解は解けるものの、自身の写真を見ただけで笑顔の影に隠した本心を看破した明日菜に、彼女への認識を改めた三鷹は改めて生涯を共にする事を決め、明日菜と結婚する。双子の女児(前掛けにはそれぞれMEIとMOEと刺繍が入っていて、三鷹同様に歯が光る)をもうけ、3人目を身ごもる。
; 坂本(さかもと)
: 声 - [[古川登志夫]]
: 五代の悪友で下の名前は不明。同じ[[予備校]]から同じ大学に進学した同期。大学卒業後は(テレビアニメ版では陽炎産業に就職)しょっちゅう無断欠勤するスチャラカ社員となっている。お調子者で不真面目だが、誤解から三鷹と響子が付き合っていると思いこみショックを受けた五代が、坂本の家に転がり込んだとき、理由を聞かずに何日も泊めるなど友情に篤い面もある。バイト先の保育園を人員整理で辞めさせられて無職の五代に[[キャバレー (接待飲食店)|キャバレー]]の仕事を斡旋し(五代は広告関係だと思って受け入れたが、実際はキャバレーの宣伝部=呼び込みだった)、終盤の物語に大きな影響を与えている。また、大学卒業後に五代をトルコ(ソープランド)「くりぃむめろん」に連れて行った。予備校・大学時代は五代・坂本・小林(メガネをかけた友人)の3人でつるんでいることが多かった。[[真野響子]]のファン(アニメでは、音無響子への憧れ)で、飼っている白猫を「響子」と名付けていた。
; 飯岡(いいおか)
: 声 - [[富山敬]]
: 五代のアルバイト先のキャバレーバニーのマネージャー。原作では名前がなかったが、アニメ版で「飯岡」という名前が付いた。坂本の高校時代の先輩であり、その縁で仕事にあぶれていた五代がキャバレーで働くようになる。強面の外見や言葉遣いに似合わず常識的かつ親身な人物で、物事の本質を突く洞察力もあり、五代をどぎまぎさせることが多い。五代の保育士資格の受験にも協力的で、合格したときには手放しで喜んだ。
; 黒木 小夜子(くろき さよこ)
: 声 - [[島津冴子]](テレビアニメ)、[[榊原良子]](劇場版)
: 五代の大学の同級生。人形劇クラブに五代を誘う。卒業後「しいの実保育園」に勤務。就職にあぶれた五代をこの保育園のバイトに誘い、彼が天職に出会うきっかけを作ることになる。最終的に五代が「しいの実保育園」に本就職できたのも、園長先生がぎっくり腰になったのに加えて、黒木のおかげである。一見クールな印象で、かなりさばけた性格である。人形劇クラブの「ブチョー」と結婚する。
; 早乙女(さおとめ)
: 声 - [[大竹宏]]
: 五代が大学時代に所属した人形劇クラブの部長で、通称ブチョー。ひらがなの「ぶちょー」は五代裕作で、書き分けられている。五代や黒木の先輩。いかつい顔の大男だが、心優しく子ども好き。卒業後は保育園勤務となり、学生時代から長く恋人同士だった黒木と結婚する。プロポーズはラーメン屋で行われた。原作では名前は一度も出てこなかった。
; マッケンロー(犬♂)
: 三鷹が犬恐怖症克服のために飼い始めた[[ポメラニアン]]。雄。飼い主に似て歯が光る。明日菜の愛犬・サラダとの出会いが三鷹と明日菜の結婚のきっかけを作る。名前のモデルは漫画連載当時、全盛を誇ったテニスプレイヤーの[[ジョン・マッケンロー]]。
; サラダ(犬♀)
: 明日菜の愛犬のうちの1匹で、ポメラニアン。三鷹の飼い犬のマッケンローと出会って一目惚れしてついて行く。サラダの妊娠報告を明日菜自身の妊娠報告と三鷹は誤解し(響子との関係を気に病んで泥酔した三鷹が、たまたま彼の部屋に来訪していた明日菜と、一晩を共にすごしてしまう事件があった)、三鷹は明日菜との結婚を決意することとなった。
: 劇場版完結編ではマッケンローとサラダの間に生まれた三つ子、シュガー・ジンジャー・ペッパー(由来は[[うる星やつら]]に登場する三人組から)が紹介される。
== 一刻館 ==
[[東京]]近郊の時計坂という町にある木造2階建ての建物で、本作の主な舞台。この建物には時計塔があり、そこから一刻館という名前がつけられた。建物としては大変古く、床板がよく壊れ[[シロアリ|白アリ]]が住み着いたりしていた。なお、テレビアニメ版では「[[大正時代]]から存在する古いアパート」として築70年となっている。アニメ版では[[上棟式]]の写真が音無家に保管されている<ref group="注釈">その上棟の写真や戦前に撮影された写真には「'''壱'''刻館」と表記されている。</ref>。何度も倒壊する危機を迎えたが最終話まで壊れることなく持ちこたえた<ref group="注釈">アニメ版では、一刻館を取り壊すという噂が出回ったことがある。</ref>。
一度だけ時計台の鐘が鳴った事がある(原作第4話・テレビアニメ版第3話)。またテレビアニメ版では、屋根裏に[[1940年|昭和15年]]3月13日に記された壁書きや戦時中の古い写真、当時の物品などが描写されており、[[日本本土空襲|戦時中の空襲]]を免れたことが設定されている建物である。
一刻館での主な行事として、一刻館メンバーによる[[宴会]]がある。主な宴会場所は五代の部屋である5号室。入居祝いの場合はその入居者の部屋で、水道修繕祝いの場合は水道前の廊下など様々なお祝い事にかこつけると、そのお祝いに関する場所でやることも多い。毎年の[[クリスマス]]でも、スナック茶々丸で一刻館メンバーなどで行われている。
全6室の他、管理人室(八畳)、トイレ(各階1カ所の2カ所)、時計小屋があり、1階は六畳+四畳半、2階は六畳一間である。ただし、アニメ版では1階専有部分は六畳一間のみである。浴室設備はない。屋根の時計台は壊れているため、常に10時25分を指しているが、まれに別の時間を指していることもある。なお、アニメ版では構造がやや異なり、時計台の文字盤がローマ数字だったり、玄関の石段の数や形が異なる、消火器などが設置されている<ref group="注釈">チーフディレクターが変わると外観が変わっている。特に裏手が27話からは、1階から2階にかけて瓦屋根があり、管理人室の構造も大きく異なる。</ref>。
原作では建物全体が長方形に描写されているにもかかわらず、1階・2階の[[間取り]]が大きく異なることや、管理人室にむかう通路の長さと管理人室の大きさとの不均衡など設定上でのアンバランスさが見られる<ref>「名作漫画・アニメの「間取り」はこれだ(下)「『デスノート』の間取りは絶対に描けない」(2008.8.31産経ニュース){{Cite web|和書|url=http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/080831/gam0808311602001-n1.htm |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010年3月9日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090205211323/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/game/080831/gam0808311602001-n1.htm |archivedate=2009年2月5日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。アニメでは2階の通路を不自然なほど広くとることや建物全体のリバランスなど(管理人室は母屋からはみ出した構造になっている)で対処している。
入居者についての詳細は[[#登場人物]]を参照。各部屋の入居者は以下の通りで、名前に数字が入っている。なお、管理人室は0号室とみなす。
* 管理人室:音無響子→空室?(引退騒動)→響子→空室?(家出)→響子→五代、響子、春香
* 1号室:一の瀬一家
* 2号室:空室→二階堂望→空室(テレビアニメ版では終始空室)
* 3号室:空室(テレビアニメ版では一時的に三越善三郎が入居)
* 4号室:四谷
* 5号室:五代裕作→空室(家出)→五代→空室(管理人室に移る)
* 6号室:六本木朱美→空室
本作のタイトルは、「めぞん」(maison、[[フランス語]]で家・住宅・'''館'''の意味)+「'''一刻'''」の[[混種語]]である。
== 書誌情報 ==
=== 単行本 ===
* [[高橋留美子]] 『めぞん一刻』 [[小学館]]〈[[ビッグコミックス]]〉、全15巻
*# 1982年5月1日発行、{{ISBN2|4-09-180451-9}}
*# 1982年7月1日発行、{{ISBN2|4-09-180452-7}}
*# 1983年5月1日発行、{{ISBN2|4-09-180453-5}}
*# 1983年6月1日発行、{{ISBN2|4-09-180454-3}}
*# 1984年1月1日発行、{{ISBN2|4-09-180455-1}}
*# 1984年6月1日発行、{{ISBN2|4-09-180456-X}}
*# 1984年9月1日発行、{{ISBN2|4-09-180457-8}}
*# 1985年2月1日発行、{{ISBN2|4-09-180458-6}}
*# 1985年9月1日発行、{{ISBN2|4-09-180459-4}}
*# 1986年5月1日発行、{{ISBN2|4-09-180460-8}}
*# 1986年7月1日発行、{{ISBN2|4-09-180891-3}}
*# 1986年10月1日発行、{{ISBN2|4-09-180892-1}}
*# 1987年2月1日発行、{{ISBN2|4-09-180893-X}}
*# 1987年6月1日発行、{{ISBN2|4-09-180894-8}}
*# 1987年7月1日発行、{{ISBN2|4-09-180895-6}}
=== ワイド版 ===
* 高橋留美子 『めぞん一刻』 小学館〈ビッグコミックスワイド版〉、全10巻
*# 1992年9月1日発行、{{ISBN2|4-09-183801-4}}
*# 1992年10月1日発行、{{ISBN2|4-09-183802-2}}
*# 1992年11月1日発行、{{ISBN2|4-09-183803-0}}
*# 1992年12月1日発行、{{ISBN2|4-09-183804-9}}
*# 1993年1月1日発行、{{ISBN2|4-09-183805-7}}
*# 1993年2月1日発行、{{ISBN2|4-09-183806-5}}
*# 1993年3月1日発行、{{ISBN2|4-09-183807-3}}
*# 1993年4月1日発行、{{ISBN2|4-09-183808-1}}
*# 1993年5月1日発行、{{ISBN2|4-09-183809-X}}
*# 1993年6月1日発行、{{ISBN2|4-09-183810-3}}
* 高橋留美子 『めぞん一刻』 小学館〈My First WIDE〉、全6巻
*# 2002年3月発行、{{ISBN2|4-09-162121-X}}
*# 2002年3月発行、{{ISBN2|4-09-162122-8}}
*# 2002年4月発行、{{ISBN2|4-09-162123-6}}
*# 2002年4月発行、{{ISBN2|4-09-162124-4}}
*# 2002年5月発行、{{ISBN2|4-09-162126-0}}
*# 2002年5月発行、{{ISBN2|4-09-162127-9}}
=== 文庫版 ===
* 高橋留美子 『めぞん一刻』 小学館〈小学館文庫〉、全10巻
*# 1996年12月5日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09192171 |title=めぞん一刻 1(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|4-09-192171-X}}
*# 1996年12月5日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09192172 |title=めぞん一刻 2(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|4-09-192172-8}}
*# 1997年1月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09192173 |title=めぞん一刻 3(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|4-09-192173-6}}
*# 1997年1月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09192174 |title=めぞん一刻 4(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|4-09-192174-4}}
*# 1997年2月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09192175 |title=めぞん一刻 5(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|4-09-192175-2}}
*# 1997年2月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09192177 |title=めぞん一刻 6(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|4-09-192176-0}}
*# 1997年3月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09192176 |title=めぞん一刻 7(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|4-09-192177-9}}
*# 1997年3月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09192178 |title=めぞん一刻 8(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|4-09-192178-7}}
*# 1997年4月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09192179 |title=めぞん一刻 9(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|4-09-192179-5}}
*# 1997年4月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09192180 |title=めぞん一刻 10(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|4-09-192180-9}}
=== 新装版 ===
* 高橋留美子 『めぞん一刻』(新装版) 小学館〈ビッグコミックス〉、全15巻
*# 2007年4月27日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181265 |title=めぞん一刻 1(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181265-0}}
*# 2007年4月27日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181266 |title=めぞん一刻 2(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181266-7}}
*# 2007年4月27日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181267 |title=めぞん一刻 3(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181267-4}}
*# 2007年5月30日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181268 |title=めぞん一刻 4(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181268-1}}
*# 2007年5月30日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181269 |title=めぞん一刻 5(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181269-8}}
*# 2007年6月29日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181270 |title=めぞん一刻 6(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181270-4}}
*# 2007年6月29日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181272 |title=めぞん一刻 7(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181272-8}}
*# 2007年7月30日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181273 |title=めぞん一刻 8(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181273-5}}
*# 2007年7月30日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181274 |title=めぞん一刻 9(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181274-2}}
*# 2007年8月30日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181275 |title=めぞん一刻 10(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181275-9}}
*# 2007年8月30日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181276 |title=めぞん一刻 11(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181276-6}}
*# 2007年9月28日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181277 |title=めぞん一刻 12(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181277-3}}
*# 2007年9月28日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181278 |title=めぞん一刻 13(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181278-0}}
*# 2007年10月30日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181279 |title=めぞん一刻 14(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181279-7}}
*# 2007年10月30日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09181280 |title=めぞん一刻 15(新装版) |publisher= |accessdate=2022-02-23}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-181280-3}}
== ラジオドラマ ==
{{節スタブ}}
1982年11月20日、NHKラジオで単発ラジオドラマ化。
* 音無 響子 - [[岡本茉利]]
* 五代 裕作 - [[井上和彦 (声優)|井上和彦]]
* 一の瀬 花枝 - [[加藤みどり]]
* 四谷 - [[屋良有作]]
* 六本木 朱美 - [[山田栄子]]
* ナレーション - [[滝口順平]]
== アニメ ==
{{Main|めぞん一刻 (アニメ)}}
同じく高橋留美子原作の『[[うる星やつら]]』に続いて本作もアニメ化され、テレビアニメ、OVA、劇場用アニメが製作された。
== 実写版 ==
=== 映画 ===
『'''Apartment Fantasy めぞん一刻'''』(アパートメント・ファンタジー めぞんいっこく)は、石原真理子が主演の実写映画作品。1986年10月10日に公開された。同時上映は『[[ア・ホーマンス]]』(監督・主演:[[松田優作]])。人物構成以外は原作から離れ、独立した一本の作品として制作されたオリジナルストーリーである。原作にあった軽妙さや、高橋留美子独特のコミカルな「間」などはほとんど描かれず、監督である澤井の感性が貫かれた、しっとりとやや暗いイメージの不思議なラブコメディとなっている。
{{要出典範囲|配役は原作のイメージを再現できる俳優を厳選してキャスティングされた|date=2023年3月}}。{{要出典範囲|中でも四谷役の[[伊武雅刀]]は「はまり役」との呼び声が高く、逆に伊武本人が四谷のモデルなのではとの説も流れたが、原作者の高橋はこれを否定している|date=2023年3月}}。{{要出典範囲|ただし、同時期のアニメ雑誌などによれば、高橋は「伊武が四谷のイメージに合致している」旨のコメントを残しているらしい|date=2023年3月}}。{{要出典範囲|また、アニメ版で四谷役の声優・千葉繁は、キティフィルムファンクラブのインタビューで「伊武の四谷役の印象が強烈で、彼がやったほうがよいのでは」、と一旦は断ったと語っている|date=2023年3月}}。五代を演じた石黒賢は本作が本格的な初主演作である。
[[配給収入]]は2.5億円<ref>{{Cite journal|和書|year=1987|title=邦画フリーブッキング配収ベスト作品|journal=[[キネマ旬報]]|issue=1987年([[昭和]]62年)2月下旬号|pages=129|publisher=[[キネマ旬報社]]}}</ref>。
==== キャスト(映画) ====
* 音無響子 - [[石原真理子]]
* 五代裕作 - [[石黒賢]]
* 四谷 - [[伊武雅刀]]
* 六本木朱美 - [[宮崎美子]]
* 一の瀬花枝 - [[藤田弓子]]
* 七尾こずえ - [[河合美智子]]
* 一の瀬賢太郎 - 中垣克麻
* 男 - [[田中邦衛]]
* 女 - [[萬田久子]]
* 刑事 - [[草薙幸二郎]]
* 和尚 - [[大滝秀治]]
* 音無の父 - [[有島一郎]]
* 惣一郎(犬) - アンジェラ (犬)
* 茶々丸マスター - [[深見博]]
==== スタッフ(映画) ====
* 製作 - [[多賀英典]]
* プロデューサー - [[伊地智啓]]、小島吉広
* 監督 - [[澤井信一郎]]
* 脚本 - [[田中陽造]]
* 音楽 - [[久石譲]]
* 撮影 - [[仙元誠三]]
* 照明 - [[渡辺三雄]]
* 美術 - 桑名忠之
* 録音 - 宮本久幸
* 編集 - [[西東清明]]
* 助監督 - 藤沢勇夫、[[鹿島勤]]、大津是
* 製作主任 - [[大塚泰之]]
* 振付 - [[三浦亨]]
* 作画 - [[野口竜]]
* MA - にっかつスタジオセンター
* 現像 - [[東映化学]]
* 製作 - [[東映]]、[[キティ・フィルム]]
* 配給 - 東映
==== 主題歌(映画) ====
; 「[[アローン・アゲイン]]」/「[[ゲット・ダウン (ギルバート・オサリバンの曲)|ゲット・ダウン]]」
: 作詞・作曲・歌 - [[ギルバート・オサリバン]]
: 両楽曲は映画公開と同時期に放送されていたテレビアニメの主題歌としても一度だけ使用された。更に、「アローン・アゲイン」は27話にて挿入歌としても使用された。
=== テレビドラマ ===
[[伊東美咲]]の主演で、初のテレビドラマ版が制作された。五代裕作役は、芸能活動をしていない一般男性を条件にオーディション選考され、[[中林大樹]]に決定した。
時代設定は原作の雰囲気に合わせ、1983年からはじまる。ドラマのプロローグとエピローグ部分には、現代となる2007年に五代が娘の春香を連れて一刻館が取り壊された跡地の公園で当時の思い出を語る、と言うシーンが描かれている。
各種設定が原作および以前の作品と異なるように変更されている。響子が管理人として一刻館にやってきたのが1983年、五代が1963年5月4日生まれ、一の瀬花枝が1946年11月3日生まれ(保証人:父 - 一の瀬政三・[[夕張市]]在住)。六本木朱美が1956年6月6日生まれ(保証人:兄 - 六本木健)。
2007年の放送分では、話は完結しておらず次回に含みを持たせた終わり方であったが、続編となる完結編が2008年7月26日に放送された。なお、七尾こずえ役は[[榮倉奈々]]から[[南明奈]]に交代した。
==== キャスト(テレビドラマ) ====
* 音無 響子 - [[伊東美咲]]
* 五代 裕作 - [[中林大樹]]
* 一の瀬 花枝 - [[岸本加世子]]
* 四谷 - [[岸部一徳]]
* 六本木 朱美 - [[高橋由美子]]
* 五代 ゆかり - [[菅井きん]]
* 三鷹 瞬 - [[沢村一樹]]
* 音無老人 - [[細川俊之]]
* 坂本 - [[橋爪遼]]
* 七尾 こずえ - [[榮倉奈々]](浪人編)、[[南明奈]](完結編)
* 五代 春香 - [[森迫永依]]
* 茶々丸のマスター - [[柳沢慎吾]]
* 黒木 小夜子 - [[前田愛 (女優)|前田愛]]
* 裕作の父 - [[宇崎竜童]]
* 裕作の母 - [[浅野温子]]
* 大学職員 - [[蛭子能収]]
* 担当者 - [[徳井優]]、[[デビット伊東]]
* キャバレー店長 - [[藤原喜明]]
* 裕作の姉 - [[石橋奈美]]
* 裕作の義兄 - [[山本浩司 (俳優)|山本浩司]]
* 一の瀬さんの夫 - [[志賀廣太郎]]
* 一の瀬 賢太郎 - 中曽根康太、新堀蓮、松川真之介
==== スタッフ(テレビドラマ) ====
* 脚本:[[岡田惠和]]
* 監督:[[本木克英]](浪人編)、[[赤羽博]](完結編)
* 音楽:[[周防義和]]
* 選曲:[[石井和之]]
* 企画協力:[[小学館]]・[[ビッグコミックスピリッツ]]
* VFX・CG・技術協力:[[オムニバス・ジャパン]]
* 制作統括:[[早河洋]]
* チーフプロデューサー:[[五十嵐文郎]]
* プロデューサー:内山聖子、[[岡田寧]]
* 制作:[[テレビ朝日]]、[[東北新社クリエイツ]]
==== 主題歌(テレビドラマ) ====
; 「[[守ってあげたい]]」
: 作詞・作曲・歌 - [[松任谷由実]] / 編曲 - [[松任谷正隆]]
==== 放送局 ====
{{出典の明記|section=1|date=2023-04-12}}
* 第一回「浪人編」
** [[All-nippon News Network|テレビ朝日系列]]全24局 - 2007年5月12日放送。『[[土曜ワイド劇場]]』枠内で放送
** [[福井放送]]([[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]・テレビ朝日系列のクロスネット局) - 2007年10月21日放送
** [[山陰放送]]([[Japan News Network|TBS系列]]) - 2007年8月15日放送
* 第二回「完結編」
** テレビ朝日系列全24局 - 2008年7月26日放送。『土曜ワイド劇場』枠内で放送
** [[山梨放送]](日本テレビ系列) - 2008年12月31日放送。
※視聴率は「浪人編」12.1%、「完結編」8.0%(関東地区・[[ビデオリサーチ]]社調べ)
== ゲーム作品 ==
=== コンピューターゲーム ===
; めぞん一刻
: 1986年7月[[マイクロキャビン]]より発売。MSX2:DISK
; めぞん一刻 〜想いでのフォトグラフ〜
: 1986年12月10日、マイクロキャビンより発売。[[PC-9801]]シリーズ、[[PC-8800シリーズ|PC-8801]]シリーズ、[[FM-7|FM77/AV]]、[[X1 (コンピュータ)|X1]]シリーズ、[[PCエンジン]]、[[MSX2]]。アドベンチャーゲーム。
: 原作の序盤を元にしたゲームオリジナルストーリー。プレイヤーは五代を演じて、響子の機嫌を取り、住人たちの妨害をはねのけ、管理人室を何度か訪れながら、このゲームが要求するあるものを探って手に入れるのが目的<ref>{{Cite journal|和書|author=[[山下章]]|title=チャレンジ! アドベンチャー・ゲーム 新春特別企画・新作AVG情報|journal=[[マイコンBASICマガジン]]|volume=1987年2月号(第6巻第2号)|publisher=[[電波新聞社]]|date=1987年2月1日|page=241}}</ref>。響子がひた隠しているというある秘密を探る、というのが最終目的である。しかし、何も知らずに始めると、その目的が全く分からない。しかも四谷の機嫌が悪いと五代が死ぬという展開もある<ref name="kusoban">マイウェイ出版『ファミコンクソゲー番付』2017年1月25日、p109</ref>。原作の五代同様、アパートや街をうろうろしたり、金欠に困ったりといった行動をプレイヤーは繰り返す。セーブはトイレで行なう。トイレでは下着姿の響子を見られるという裏技もあった。
: 響子のハートをつかむことに成功したエンディング後、収支報告が表示される。しかし普通にプレイするとまずマイナス(借金)になる厳しい展開で、この金運のなさは原作どおりである。さらに郁子のケーキや祖母のお小遣いをたかりまくり一切借金しないようにプレイすることも可能だが、報告書に表示される収支は「-1円」である。
: なお『[[うる星やつら]]』のラムに似たスーパーの店員(話しかけると「だっちゃ」の口癖がときおり出る)が登場したり、特定の日時に一刻館に帰ると、アニメ版に登場しない二階堂と会話ができるなど細かい演出がある。
: PCエンジン版、PC版はほぼ同じ作りであるが、ファミコン版はエンディング等が追加されており、ファミコンにしてはかなりグラフィックがよい<ref name="kusoban"/>。
: グッドエンドにつながるキーアイテムは幼女のヌード写真であり、現代では許されない表現であるため任天堂ハードでのリメイクは絶望的である<ref name="kusoban"/>。
; めぞん一刻
: 1988年7月27日、[[ボーステック]]より発売。[[ファミリーコンピュータ]]用ソフト。アドベンチャーゲーム、上記のPC-9801シリーズ版の移植作。内容は上記とほぼ同じ、現在でも珍しい4機種以上のマルチプラットフォームで販売された。
; めぞん一刻完結篇 〜さよなら、そして……〜
: 1988年5月28日、マイクロキャビンより発売。PC-9801シリーズ、[[MSX2]]<ロムカセット><FD>、[[PC-8800シリーズ]]<FD>、[[FM77AV]]<FD>他。アドベンチャーゲーム。
: 原作の終盤と映画版完結編のストーリーに沿ったゲームとなっている。X68000版は、シナリオ・グラフィック・BGMなどに一部差異がある。また、セリフの一部が響子役の島本須美によって演じられ、しゃべるようになっていた。
; めぞん一刻 〜想いでのフォトグラフ〜/めぞん一刻完結篇 〜さよなら、そして……〜
: 1997年、マイクロキャビンより発売。Windows 95。アドベンチャーゲーム、上記2作の移植作、定価30000円で3000個限定販売。
: パソコン版の「想いで〜」と「完結篇」の2作を、Windows用にリメイクしたもの。ディスクは通常のCD-ROM用ケースに入れられ、木製・オルゴール付の特製ケースに収められている、限定生産の為、入手困難であり未開封の物は数万円の値段がつくこともある。
=== ボードゲーム ===
; めぞん一刻~恋のルーレット
; めぞん一刻~一刻館の昼と夜
: いずれも1980年代中頃にツクダホビーより発売。マルチプレイヤーゲーム。
=== パチンコ・パチスロ ===
パチンコは[[平和 (パチンコ)|平和]]、パチスロは[[オリンピア (パチスロ)|オリンピア]]から発売。他の高橋留美子原作作品のパチンコ・パチスロにもいえる事だが、声優はテレビアニメ版とは別となっている。
; パチンコ
* CRめぞん一刻(2010年)
* CRめぞん一刻~桜の下で~(2012年)
* CRめぞん一刻~好きなのに~(2014年)
* CRめぞん一刻~約束~(2017年)
; パチスロ
* [[めぞん一刻 (パチスロ)|めぞん一刻]](2006年)
* [[めぞん一刻〜あなたに会えて、本当によかった〜]](2009年)
* めぞん一刻~夏色の風と~(2012年)
* めぞん一刻〜桜の下で〜(2016年)
=== アーケードゲーム ===
:* [[三国志大戦]]
:* Ver3.59にて、音無響子がモデルであるEX大喬が登場。通り名は「魂の管理人」、計略名も「会えてよかった」など、原作を意識した内容になっている。
== その他 ==
=== 広告 ===
* [[日本たばこ協会]]の喫煙マナー普及啓発活動キャンペーンにキャラクターが起用された<ref>{{Cite web |title=喫煙マナー普及啓発活動-たばこ火災注意喚起活動 {{!}} 協会の活動 |url=https://www.tioj.or.jp/activity/manners.html |website=(一社)日本たばこ協会 |access-date=2023-11-06 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.tioj.or.jp/topics/pdf/231101-activity-campaign.pdf |title=往年の名作「めぞん一刻」による寝たばこ火災防止キャンペーン! ~響子さんが喚起する「たばこはふとんで吸わないで」!~ |access-date=2023年11月6日 |publisher=日本たばこ協会}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 外部リンク ==
* {{Allcinema title|149929|めぞん一刻}}
* {{Kinejun title|17749|めぞん一刻}}
* {{Wayback|url=http://www.tv-asahi.co.jp/ikkokukan/ |title=テレビドラマ公式サイト |date=20060811124923}}
* [https://web.archive.org/web/20061210213954/http://blog.tv-asahi.co.jp/ikkokukan/ テレビドラマ公式サイト「中林大樹ブログ 現在役者浪人中。」]
* {{Allcinema title|327858|スペシャルドラマ めぞん一刻(2007)}}
* {{Allcinema title|331304|スペシャルドラマ めぞん一刻(2008)}}
{{めぞん一刻}}
{{高橋留美子}}
{{澤井信一郎}}
{{DEFAULTSORT:めそんいつこく}}
[[Category:めぞん一刻|*]]
[[Category:漫画作品 め|そんいつこく]]
[[Category:高橋留美子の漫画作品]]
[[Category:1980年の漫画]]
[[Category:ビッグコミックスピリッツの漫画作品]]
[[Category:ロマンティック・コメディ漫画]]
[[Category:集合住宅を舞台とした漫画作品]]
[[Category:練馬区を舞台とした作品]]
[[Category:寡婦の恋愛を扱った作品]]
[[Category:土曜ワイド劇場]]
[[Category:漫画を原作とするテレビドラマ]]
[[Category:岡田惠和脚本のテレビドラマ]]
[[Category:日本の恋愛ドラマ]]
[[Category:1986年の映画]]
[[Category:1986年のパソコンゲーム]]
[[Category:1988年のコンピュータゲーム]]
[[Category:ファミリーコンピュータ用ソフト]]
[[Category:2007年のテレビドラマ]]
[[Category:2008年のテレビドラマ]]
[[Category:澤井信一郎の監督映画]]
[[Category:漫画を原作とする映画作品]]
[[Category:日本の恋愛映画]]
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[[Category:配偶者と死別した人物に関する映画作品]]
[[Category:久石譲の作曲映画]]
[[Category:マイクロキャビン]]
[[Category:アドベンチャーゲーム]]
[[Category:PC-9800シリーズ用ゲームソフト]]
[[Category:PC-8800用ゲームソフト]]
[[Category:FM-7シリーズ用ゲームソフト]]
[[Category:X68000用ゲームソフト]]
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[[Category:PCエンジン用ソフト]]
[[Category:Windows用ゲームソフト]]
[[Category:日本で開発されたコンピュータゲーム]] | 2003-02-13T07:55:10Z | 2023-11-06T02:46:47Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%81%E3%81%9E%E3%82%93%E4%B8%80%E5%88%BB |
1,224 | フレーム | フレーム、フレイム | [
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] | フレーム、フレイム | {{Wiktionary|フレーム}}
'''フレーム'''、'''フレイム'''
== frame ==
{{wikt|frame}}
* [[絵画]]や[[写真]]、[[賞状]]等を入れて飾るための枠。「[[額縁]]」を参照。
* [[眼鏡]]の[[レンズ]]を固定する枠。[[眼鏡#フレーム]]を参照。
* [[建築物]]の骨格・構造。
** [[木構造 (建築)]]
** [[鉄骨構造]]
* [[乗り物]]の骨格・構造。
** [[フレーム (オートバイ)]]
** [[フレーム (自転車)]]
** [[フレーム形式 (自動車)]]
** [[シャシ (自動車)]]
** [[台枠]](鉄道車両)
** [[機体]](航空機のエアフレーム)
* 人体の[[骨格]]・体格。
* [[動画]]を構成する静止画1枚分。[[コマ (映画・漫画)]] を参照。
* [[HyperText Markup Language|HTML]]文書の領域のこと。
* [[High-Level Data Link Control|HDLC]]、[[イーサネット]]などの[[データリンク層]]の[[通信プロトコル]]における基本的な伝送単位。[[フレーム (ネットワーク)]]を参照。
* 人工知能の分野で用いられる用語。「[[フレーム問題]]」を参照。
=== 音楽(frame) ===
* [[Frame (TRFの曲)]] - [[TRF]]のシングル曲。
* [[FRAME (レコードレーベル)]] - [[レベルファイブ]]と[[エイベックス]]による日本のレコードレーベル。
* [[フレイム (曲)]] - [[flumpool]]のシングル曲。
* FRAME - [[アイドルマスター SideM]]に登場するユニット名。
* [[フレーム (SURFACEの曲)]]
== flame ==
{{Wiktionary|flame}}
* 英語で[[炎]]のこと。
* インターネット上の不毛な論争の過熱。[[電子掲示板#炎上]]、[[炎上 (ネット用語)]] を参照。
* インターネット上の悪意ある書き込み。[[フレーミング (ネット用語)]] を参照。
* [[Flame]] - Firefox OSを搭載した携帯端末。
* [[Flame (マルウェア)]] - コンピュータウイルス、マルウェア。
* フレイム - ゲーム『[[ドラゴンクエストシリーズ]]』に登場するモンスター。[[ドラゴンクエストのモンスター一覧 (エレメント系)#フレイム]]を参照。
* [[Pixel 4]]のコードネーム
=== 音楽(flame) ===
* [[FLAME]] - 日本の男性アイドルグループ。
* [[FLAME (BODYのアルバム)]] - [[BODY (バンド)|BODY]]のアルバム。
* FLAME - [[DISH//]]の楽曲。両A面シングル『[[サイショの恋〜モテたくて〜/FLAME]]』に収録。
* Flame - [[茅原実里]]の楽曲。アルバム『[[Sing All Love]]』に収録。
* Flame - [[野水伊織|野水いおり]]の楽曲。アルバム『[[月虹カタン]]』に収録。
* Flame - [[Base Ball Bear]]の楽曲。EP『[[ポラリス (Base Ball Bearのアルバム)|ポラリス]]』に収録。
=== 人物(flame) ===
* FLAME - 女性アイドルグループ・[[クロスノエシス]]のメンバー。旧名「KOYAMA FLAME(小山 振夢)」([[HAMIDASYSTEM]])
== 関連項目 ==
* [[フレーミング]]
* {{前方一致ページ一覧}}
* {{Intitle}}
* {{Intitle|frame}}
* {{Intitle|flame}}
* [[クレート (囲い)]]
{{Aimai}}
{{DEFAULTSORT:ふれえむ}}
[[Category:英語の語句]]
[[Category:同名の作品]] | 2003-02-13T07:56:43Z | 2023-10-21T09:30:54Z | true | false | false | [
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1,225 | L4マイクロカーネルファミリー | L4マイクロカーネルファミリーは第二世代マイクロカーネルのファミリーで、一般的にはUnix系のオペレーティングシステムの実装に使われるが他の様々なシステムにも使われる。前身のL3マイクロカーネルと同じように、ドイツのコンピュータ科学者ヨッヘン・リートケによってそれ以前のマイクロカーネルベースのオペレーティングシステムの性能の低さを解決する答えとしてL4は作られた。リートケは性能を最優先に設計したシステムであれば実用的なマイクロカーネルを作ることができるのではないかと考えた。彼のインテルi386のアセンブリ言語でハードコードした最初の実装はコンピュータ産業界の関心を引いた。これを始めとしてL4はプラットフォーム非依存、セキュリティの改善、分離、堅牢性に向けた開発が行われた。
オリジナルのL4カーネルインターフェース(ABI)やその後継がいくつも再実装されている。L4KA::Pistachio(カールスルーエ工科大学)、 L4/MIPS(ニューサウスウェールズ大学)、 Fasco(ドレスデン工科大),WrmOS(WrmLab)などがある。このためL4はリートケの最初の実装だけを指すのではなくファミリーの名前になっている。 現在ではオリジナルのL4とその改良版のカーネルインターフェースを持つマイクロカーネルファミリーが該当する。L4は広く開発が行われている。一つのバリエーションであるOKL4はOpen Kernel Labs(英語版)(現 ジェネラル・ダイナミクス・ミッション・システムズ)で開発され数十億台のモバイル機器に使われた。
リートケによるマイクロカーネルの一般的な設計指針は以下のようなものである
ある概念をマイクロカーネル内で実現することが許されるのは、それをカーネルの外に移した場合、すなわち競合する実装が可能となることでシステム必須の機能が妨げられる場合だけである
この考え方に基づいてL4マイクロカーネルはわずかな基本的機構を提供する
Machのような第一世代マイクロカーネルのパフォーマンスの低さから、1990年代半ばに多くの開発者がマイクロカーネルについての考え方全体の再検討を行った。Machで使われる非同期のカーネル内バッファリングプロセス間通信が低い性能の原因の一つであることが分かった。このためMachベースのオペレーティングシステム開発者はファイルシステムやデバイスドライバのような時間的な制約が大きい要素をカーネルの中に戻した(XNU参照)。これはいくらかのパフォーマンス改善をもたらすが、真のマイクロカーネルの極小原則(とその利点の大部分)に大きく反する。
Machのボトルネックの詳細な分析によれば、ワーキングセットが大きすぎる事を示している。IPCコードはメモリ空間的な局所性が特に低い。それが非常に多くのカーネル内のキャッシュミスの原因になっている。この分析により、効率のよいマイクロカーネルでは性能最優先のコードの大部分は少なくとも(第一レベル)キャッシュに収まるものでなくてはならず、できればキャッシュのわずかな部分を占める程度であるべき、という原則が導かれた。
ヨッヘン・リートケは、パフォーマンスに充分注意を払い、(プラットフォーム非依存性に反する形で)マシン固有の設計を行い、うまく作られた小さなIPCレイヤーを使う設計ならば実際のパフォーマンスが大幅に向上することを証明した。 Machの複雑なIPCシステムの代わりに、彼のL3マイクロカーネルはオーバーヘッドを最小限にして単純なメッセージを渡すだけにした。 必要なセキュリティポリシーの定義と実装は、ユーザー空間のサーバーの任務とみなされた。 カーネルの役割は、ユーザーレベルのサーバーがポリシーを実施するのに必要なメカニズムを提供することだけとされた。 1988年に開発されたL3は、例えばTÜV SÜD(ドイツの検査技術協会)などで長く使用され安全で堅牢なオペレーティングシステムであることを示した。
L3を使った経験から、リートケはいくつかの他のMachの発想も間違っていると結論づけた。マイクロカーネルの概念をさらに単純化して、高性能化を主眼に設計した最初のL4カーネルを開発した。少しでも性能を出せるように、カーネル全体をアセンブリ言語で記述した結果、IPCはMachの20倍高速になった。このような劇的な性能の向上は、オペレーティングシステムでは稀なことでリートケの業績は新たなL4の実装のきっかけとなり、ドレスデン工科大学やニューサウスウェールズ大学などの大学やリートケが1996年に働き始めるIBMなどのいくつもの研究施設でのL4ベースのシステムの研究が始められた。リートケはIBMのトーマス・J・ワトソン研究所で同僚と共にL4とマイクロカーネルシステム一般の研究と特にSawmill OSの研究を続けた。
1999年、リートケはカールスルーエ大学のシステムアーキテクチャグループを引き継ぐ形でマイクロカーネルシステムの研究を続けた。高級言語による高性能マイクロカーネルの構築が可能であることを証明するためにグループはIA-32およびARMベースのマシンで動作するカーネルのC++版であるL4Ka::Hazelnutを開発した。この試みは成功し、性能は依然許容範囲とみなされた。そのためアセンブリ言語だけの版のカーネルは実質的に開発中止になった。
L4Kaの開発と並行して1998年にTUドレスデン(ドレスデン工科大)のオペレーティングシステムグループがL4/Fiascoと呼ばれるL4カーネルインターフェースの独自のC++実装の開発を始めた。L4Ka::Hazelnutはカーネル内では全く並行動作を認めず、その後継のL4Ka::Pistachioでは特定の割り込みポイントでのみ割り込みが許可されるのに対してL4/Fiascoは割り込みのレイテンシを小さくするために(極めて小さいアトミック処理の部分を除いて)完全プリエンプティブであった。これはTUドレスデンで開発されていたハードリアルタイム処理が可能なオペレーティングシステムDROPSの基礎として使うための必要性からであった。しかし、完全プリエンプティブな設計の複雑さのためFiascoの後継版のカーネルでは限られた割込みポイントを除いてカーネル内では割込みを禁止する従来のL4の方針に戻された。
L4Ka::PistachioとFiascoの後期バージョン(1.1以降)がリリースされるまでは全てのL4マイクロカーネルは本質的に根本的なところでCPUアーキテクチャに密接に結びつけられていた。L4開発の次の大きな変革は、高い移植性を得ながら高性能を維持するプラットフォームに依存しないAPIの開発であった。カーネルの基本的な考え方は同じであるが新しいAPIは、マルチプロセッサへのより良い対応、スレッドとアドレス空間の間の制約の緩和、ユーザーレベルスレッドコントロールブロック(UTCB)と仮想レジスタの導入など、それ以前のL4のバージョンからは多数の大きな違いがある。2001年の初めに新しいL4 API(バージョンX.2 、バージョン4と呼ばれることもある)をリリースした後、カールスルーエ大学のシステムアーキテクチャグループは新しいカーネルL4Ka::Pistachioの実装を行った。これは性能と移植性の両方を重視して完全にゼロから書き直された。二条項BSDライセンスでリリースされている。
L4/Fiascoは何年にも渡って大きく改良が続けられた。
またFiascoはLinuxのシステムコールへのインターフェースが用意され、Linuxのユーザランドで動かすことができる(Fiasco-UX)。2018年現在、マイクロカーネルFiasco.OCと基本的なユーザー環境のL4Reとしてx86、x86_64、ARM、MIPSのアーキテクチャをサポートして開発が続けられている。L4Re上ではLinuxカーネルを動かすことができる(L4Linux(英語版))。
開発はニューサウスウェールズ大学(UNSW)でも続けられいくつかの64ビットプラットフォームでL4実装が行われた。この結果がL4/MIPSとL4/Alphaである。リートケのオリジナルは遡ってL4/x86と呼ばれる。UNSWのカーネル(アセンブリ言語とCで書かれている)はリートケのオリジナル同様ゼロから書き起こされたもので移植性が考慮されていなかった。高い移植性を持つL4Ka::PistachioのリリースによりUNSWのグループは自分たちのカーネルを放棄してL4Ka::Pistachioを高度に最適化する事を選んだ。その成果にはその時点での最高速のメッセージパッシングの報告(Itaniumアーキテクチャで36サイクル)もあった。また、ユーザーレベルデバイスドライバがカーネル内のドライバと同等に動作することを実証した。さらにx86、ARM、MIPSの各プロセッサで動くL4上の移植性の高いLinuxであるWombat(英語版)を開発した。XScaleプロセッサにおいてWombatは本来のLinuxに比較してコンテクストスイッチのコストが1/30となることを実証した。
UNSWグループは後に拠点をNICTA(英語版)(オーストラリアの公的情報通信分野研究機関)に移しL4Ka::Pistachioから分岐した新しいL4、NICTA::L4-embeddedを開発した。これは名前が示すように商用の組み込みシステム向けで、メモリの使用量を少なくすることを優先して実装され、複雑さを抑えることを目指した。プリエンプションポイントなしでも高いリアルタイム応答性を維持するため、ほとんど全てのシステムコールは十分短時間で終了するようにAPIは変更された。
2005年11月、NICTAはクアルコム社の移動局モデムチップセット(Mobile Station Modem:MSM)にNICTA版L4を供給することを発表した。これにより2006年後半以降の携帯電話でL4が使われる事になった。2006年8月、UNSWのジャーノット・ハイザー教授と組み込み用リアルタイムOSリーダーのスピンアウトによりOpen Kernel Labs(英語版)(OK Labs)が設立され、商業目的のL4のサポートを行い、OKL4というブランド名の商業利用向けのL4の開発もNICTAと密接に協力して行った。2008年4月にリリースされたOKL4バージョン2.1は一般利用可能なバージョンのL4でCapability-based securityを特徴に持っていた。2008年10月にリリースされたOKL4 3.0は最後のオープンソース版OKL4である。これ以降のバージョンのOKL4はクローズドソースでネイティブハイパーバイザとして動くように書き換えられOKL4 Microvisorと呼ばれるようになった。OK LabsはまたWombatの後継の準仮想化LinuxをOK:Linuxとして供給し、準仮想化したSymbian OSとAndroidの供給も行った。OK LabはNICTAからseL4の権利も取得した。OKL4の出荷は2012年初めには15億台を超えた。ほとんどはクアルコムのワイヤレスモデムチップである。他のものには車載インフォティメントシステムが含まれる。A7以降のAシリーズやTシリーズ、Mシリーズ、SシリーズといったAppleのSoCに含まれるSecure EnclaveコプロセッサではNICTAが2006年に開発したL4-embeddedカーネルベースのL4オペレーティングシステムが動作している。これは現在、全てのiOSデバイスおよびAppleシリコンを搭載したMacやApple WatchでL4が出荷されていることを意味し、2021年の総出荷量はおよそ22億台とされる。
2006年にNICTAのグループはseL4と呼ばれる第3世代マイクロカーネルの設計を開始した。これはコモンクライテリア(Common Criteria:略称CC ISO/IEC 15408規格)を満たす、あるいはそれ以上のセキュリティ要件を満たすために高い安全性と信頼性が得られるような基本方針で設計された。最初からカーネルの形式的証明を目指して開発を行った。性能と検証の時に相反する要求を満たすために、チームはHaskellで書かれた実行可能な定義からソフトウェアによる処理を行いその結果を用る方法をとった。seL4ではオブジェクトのアクセス権についての形式的推論を可能にするために capability-basedアクセス制御 を用いている。
機能の正しさの形式的証明は2009年に完了した。この証明はカーネルの実装がその定義に対して正しいことを示し、従ってデッドロック、ライブロック(あるプロセスがbusy状態のまま実行権を放さなくなってしまう状態を指す)、バッファオーバーフロー、数値演算の例外、初期化していない変数の使用などの実装バグの無いことを意味する。seL4は汎用のOSカーネルとしては初めて証明されたという主張がなされている。
seL4は、カーネルリソースの管理に新しい方法をとっている。カーネルリソースの管理はユーザーレベルに任され、ユーザーリソースと同じCapability-based securityのアクセス制御を受ける。このモデルはチューリッヒ工科大学による研究OSのBarrelfish(英語版)でも採用されたもので、プロパティ分離についての推論を容易にして、seL4がコアセキュリティプロパティの完全性と秘匿性を強制することを後に証明することを可能にするものとなった。NICTAのチームはCから実行可能な機械語への変換の正確さの確認を行い、seL4のトラステッド・コンピューティング・ベースからコンパイラを取り除いた。これは実行可能なカーネルにおいて高度なセキュリティが証明されているという事である。seL4はまた、ハードリアルタイムシステムに必須な完全性と最悪ケースにおける正確な実行時間の解析を行ったと最初に公表された保護モードのOSカーネルである。
2014年7月29日、NICTA(英語版)とジェネラル・ダイナミクス・ミッション・システムズ(英語版)は隅から隅まで検証されたseL4をオープンソースでリリースした。カーネルコードと検証コードはGPLv2で提供され、ほとんどのライブラリとツールは2条項BSDライセンスで提供されている。研究者のコメントによれば、ソフトウェアの形式的証明のコストはより高い信頼性を提供するにもかかわらず従来の「高度な保証」を有するソフトウェアを設計するコストよりも低いとしている。具体的には、従来の「高度な保証」を有するソフトウェアでは1行あたりのコストは1000米ドルであるのに対し、開発中のseL4の1行あたりのコストは400米ドルと見積もられた。
NICTAはアメリカ国防高等研究計画局(DARPA)の高保証サイバー軍事システム計画(High-Assurance Cyber Military Systems(HACMS)の下でプロジェクトパートナーのロックウェル・コリンズ社、ガロア社、ミネソタ大学、ボーイング社と共同でseL4ベースの高保証ドローンを保証ツールとソフトウェアと共に開発した。これはボーイングで開発中の操縦も可能な自律型無人ヘリコプターボーイング AH-6への技術移転も計画されていた。最終的なHACMS技術のデモンストレーションは2017年4月、バージニア州スターリングで行われた。
DARPAはまたジョン・ランチベリー博士の提唱でseL4に関連した中小企業技術革新研究プログラム(SBIR)による出資を行った。seL4によるSBIRを受けた企業にはDornerWorks、Techshot、Wearable Inc、Real Time Innovations、Critical Technologiesなどがある。
OskerはHaskellで書かれたOSで、L4の仕様で作られていた。このプロジェクトはマイクロカーネルの研究ではなく関数型プログラミング言語によるOS開発を目的とした。
CodeZeroは組み込みの仮想化とネイティブOSサービスのためのL4マイクロカーネル。これはGPLライセンス版と開発者によって2010年に分岐したクローズドソース版があった。
F9マイクロカーネルはARM Cortex-M3/M4プロセッサの消費電力、メモリ保護に徹底的に注力したゼロから開発されたBSDライセンスのL4実装。
Fiasco.OCは前身のL4/Fiascoから進化した第3世代マイクロカーネル。Fiasco.OCはcapability basedでマルチコアシステムをサポートし、ハードウェア支援による仮想化に対応する。完全に再設計されたユーザーランド環境はL4 Runtime Environment (L4Re)と呼ばれる。クライアント/サーバ通信フレームワーク、共通サービス機能、仮想ファイルシステム基盤、libstdc++やpthread等の一般的なCライブラリなど、マルチコンポーネントシステムを構築するための環境を提供する。これはマルチアーキテクチャ仮想化LinuxシステムのL4Linux(英語版)も提供する。L4ReとFiasco.OCは以前のシステムのL4EnvとL4/Fiascoを置き換えたものでx86(IA-32とAMD64)、ARM、MIPSで動作する。
NOVA Microhypervisorは小さなtrusted computing baseを持つセキュアで効率の良い仮想化環境を構築するための研究プロジェクト。 NOVAはマイクロハイパーバイザー、ユーザーレベルの仮想マシンモニタ、NUL(Nova User-Level environment)という非特権でコンポーネント化されたマルチサーバーユーザー環境から構成される。NOVAはx86ベースのマルチコアシステムで動作する。
WrmOSはオープンソースでL4ベースのリアルタイムオペレーティングシステム(RTOS)。カーネルは標準ライブラリとネットワークスタックで実装されている。SPARC、ARM、x86、x86_64のアーキテクチャをサポートする。WrmOSはL4 Kernel Reference Manual Version X.2に基づいている。WrmOS上で準仮想化されたLinuxカーネル(w4linux)が動いている。 | [
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"text": "NICTAはアメリカ国防高等研究計画局(DARPA)の高保証サイバー軍事システム計画(High-Assurance Cyber Military Systems(HACMS)の下でプロジェクトパートナーのロックウェル・コリンズ社、ガロア社、ミネソタ大学、ボーイング社と共同でseL4ベースの高保証ドローンを保証ツールとソフトウェアと共に開発した。これはボーイングで開発中の操縦も可能な自律型無人ヘリコプターボーイング AH-6への技術移転も計画されていた。最終的なHACMS技術のデモンストレーションは2017年4月、バージニア州スターリングで行われた。",
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},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "DARPAはまたジョン・ランチベリー博士の提唱でseL4に関連した中小企業技術革新研究プログラム(SBIR)による出資を行った。seL4によるSBIRを受けた企業にはDornerWorks、Techshot、Wearable Inc、Real Time Innovations、Critical Technologiesなどがある。",
"title": "高度な保証:seL4"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "OskerはHaskellで書かれたOSで、L4の仕様で作られていた。このプロジェクトはマイクロカーネルの研究ではなく関数型プログラミング言語によるOS開発を目的とした。",
"title": "その他の研究開発"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "CodeZeroは組み込みの仮想化とネイティブOSサービスのためのL4マイクロカーネル。これはGPLライセンス版と開発者によって2010年に分岐したクローズドソース版があった。",
"title": "その他の研究開発"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "F9マイクロカーネルはARM Cortex-M3/M4プロセッサの消費電力、メモリ保護に徹底的に注力したゼロから開発されたBSDライセンスのL4実装。",
"title": "その他の研究開発"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "Fiasco.OCは前身のL4/Fiascoから進化した第3世代マイクロカーネル。Fiasco.OCはcapability basedでマルチコアシステムをサポートし、ハードウェア支援による仮想化に対応する。完全に再設計されたユーザーランド環境はL4 Runtime Environment (L4Re)と呼ばれる。クライアント/サーバ通信フレームワーク、共通サービス機能、仮想ファイルシステム基盤、libstdc++やpthread等の一般的なCライブラリなど、マルチコンポーネントシステムを構築するための環境を提供する。これはマルチアーキテクチャ仮想化LinuxシステムのL4Linux(英語版)も提供する。L4ReとFiasco.OCは以前のシステムのL4EnvとL4/Fiascoを置き換えたものでx86(IA-32とAMD64)、ARM、MIPSで動作する。",
"title": "その他の研究開発"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "NOVA Microhypervisorは小さなtrusted computing baseを持つセキュアで効率の良い仮想化環境を構築するための研究プロジェクト。 NOVAはマイクロハイパーバイザー、ユーザーレベルの仮想マシンモニタ、NUL(Nova User-Level environment)という非特権でコンポーネント化されたマルチサーバーユーザー環境から構成される。NOVAはx86ベースのマルチコアシステムで動作する。",
"title": "その他の研究開発"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "WrmOSはオープンソースでL4ベースのリアルタイムオペレーティングシステム(RTOS)。カーネルは標準ライブラリとネットワークスタックで実装されている。SPARC、ARM、x86、x86_64のアーキテクチャをサポートする。WrmOSはL4 Kernel Reference Manual Version X.2に基づいている。WrmOS上で準仮想化されたLinuxカーネル(w4linux)が動いている。",
"title": "その他の研究開発"
}
] | L4マイクロカーネルファミリーは第二世代マイクロカーネルのファミリーで、一般的にはUnix系のオペレーティングシステムの実装に使われるが他の様々なシステムにも使われる。前身のL3マイクロカーネルと同じように、ドイツのコンピュータ科学者ヨッヘン・リートケによってそれ以前のマイクロカーネルベースのオペレーティングシステムの性能の低さを解決する答えとしてL4は作られた。リートケは性能を最優先に設計したシステムであれば実用的なマイクロカーネルを作ることができるのではないかと考えた。彼のインテルi386のアセンブリ言語でハードコードした最初の実装はコンピュータ産業界の関心を引いた。これを始めとしてL4はプラットフォーム非依存、セキュリティの改善、分離、堅牢性に向けた開発が行われた。 オリジナルのL4カーネルインターフェース(ABI)やその後継がいくつも再実装されている。L4KA::Pistachio(カールスルーエ工科大学)、 L4/MIPS(ニューサウスウェールズ大学)、 Fasco(ドレスデン工科大),WrmOS(WrmLab)などがある。このためL4はリートケの最初の実装だけを指すのではなくファミリーの名前になっている。
現在ではオリジナルのL4とその改良版のカーネルインターフェースを持つマイクロカーネルファミリーが該当する。L4は広く開発が行われている。一つのバリエーションであるOKL4はOpen Kernel Labs(現 ジェネラル・ダイナミクス・ミッション・システムズ)で開発され数十億台のモバイル機器に使われた。 | '''L4マイクロカーネルファミリー'''は第二世代[[マイクロカーネル]]のファミリーで、一般的には[[Unix系]]の[[オペレーティングシステム]]の実装に使われるが他の様々な[[システム]]にも使われる。前身のL3マイクロカーネルと同じように、[[ドイツ]]のコンピュータ科学者[[ヨッヘン・リートケ]]によってそれ以前のマイクロカーネルベースのオペレーティングシステムの性能の低さを解決する答えとしてL4は作られた。リートケは性能を最優先に設計したシステムであれば実用的なマイクロカーネルを作ることができるのではないかと考えた。彼の[[インテル]][[80386|i386]]の[[アセンブリ言語]]でハードコードした最初の実装はコンピュータ産業界の関心を引いた。これを始めとしてL4は[[プラットフォーム]]非依存、[[セキュリティ]]の改善、分離、[[ロバストネス|堅牢性]]に向けた開発が行われた。
オリジナルのL4カーネル[[インターフェース]]([[ABI]])やその後継がいくつも再実装されている。L4KA::Pistachio([[カールスルーエ工科大学]])、 L4/MIPS([[ニューサウスウェールズ大学]])、 Fasco([[ドレスデン工科大]]),WrmOS([https://wrmlab.org WrmLab])などがある。このためL4はリートケの最初の実装だけを指すのではなくファミリーの名前になっている。
現在ではオリジナルのL4とその改良版のカーネルインターフェースを持つマイクロカーネルファミリーが該当する。L4は広く開発が行われている。一つのバリエーションであるOKL4は{{仮リンク|Open Kernel Labs|en|Open Kernel Labs}}(現 [[ジェネラル・ダイナミクス]]・ミッション・システムズ)で開発され数十億台のモバイル機器に使われた<ref name="OKL4 Microvisor">https://gdmissionsystems.com/cyber/products/trusted-computing-cross-domain/microvisor-products/</ref><ref name=OKL_PR>{{cite press release
|title=Open Kernel Labs Software Surpasses Milestone of 1.5 Billion Mobile Device Shipments
|url=http://www.ok-labs.com/releases/release/ok-labs-software-surpasses-milestone-of-1.5-billion-mobile-device-shipments
|archive-url=https://web.archive.org/web/20120211210405/http://www.ok-labs.com/releases/release/ok-labs-software-surpasses-milestone-of-1.5-billion-mobile-device-shipments
|archive-date=February 11, 2012
|dead-url=yes
|date=January 19, 2012 |publisher=[[Open Kernel Labs]]}}</ref>。
==設計理念==
リートケによる[[マイクロカーネル]]の一般的な設計指針は以下のようなものである
<blockquote>
ある概念を[[マイクロカーネル]]内で実現することが許されるのは、それを[[カーネル]]の外に移した場合、すなわち競合する実装が可能となることでシステム必須の機能が妨げられる場合だけである
</blockquote>
この考え方に基づいてL4マイクロカーネルはわずかな基本的機構を提供する
* アドレス空間(抽象化されたページテーブルとメモリ保護の提供)
* スレッドとスケジューリング(抽象化された実行と一時的な保護の提供)
* プロセス間通信(分離された領域間の制御された通信)
==歴史==
[[Mach]]のような第一世代マイクロカーネルのパフォーマンスの低さから、1990年代半ばに多くの開発者がマイクロカーネルについての考え方全体の再検討を行った。Machで使われる非同期のカーネル内バッファリング[[プロセス間通信]]が低い性能の原因の一つであることが分かった。このためMachベースのオペレーティングシステム開発者はファイルシステムやデバイスドライバのような時間的な制約が大きい要素をカーネルの中に戻した<ref>{{Cite book|title=Mac OS X internals : a systems approach|url=http://worldcat.org/oclc/919564441|isbn=0-13-442654-1|oclc=919564441|first=Singh,|last=Amit.}}</ref>([[XNU]]参照)。これはいくらかのパフォーマンス改善をもたらすが、真のマイクロカーネルの極小原則(とその利点の大部分)に大きく反する。
Machのボトルネックの詳細な分析によれば、[[ワーキングセット]]が大きすぎる事を示している。IPCコードはメモリ空間的な局所性が特に低い。それが非常に多くのカーネル内のキャッシュミスの原因になっている。この分析により、効率のよいマイクロカーネルでは性能最優先のコードの大部分は少なくとも(第一レベル)キャッシュに収まるものでなくてはならず、できればキャッシュのわずかな部分を占める程度であるべき、という原則が導かれた。
===L3===
ヨッヘン・リートケは、パフォーマンスに充分注意を払い、([[プラットフォーム]]非依存性に反する形で)マシン固有の設計を行い、うまく作られた小さな[[プロセス間通信|IPC]]レイヤーを使う設計ならば実際のパフォーマンスが大幅に向上することを証明した。 Machの複雑なIPCシステムの代わりに、彼のL3マイクロカーネルはオーバーヘッドを最小限にして単純なメッセージを渡すだけにした。 必要なセキュリティポリシーの定義と実装は、[[ユーザー空間]]のサーバーの任務とみなされた。 カーネルの役割は、ユーザーレベルのサーバーがポリシーを実施するのに必要なメカニズムを提供することだけとされた。 1988年に開発されたL3は、例えば[[TÜV SÜD]](ドイツの検査技術協会){{Citation needed|date=September 2010}}などで長く使用され安全で堅牢なオペレーティングシステムであることを示した。
[[File:L4 family tree.png|thumb|400px|L4 family tree]]
===L4===
L3を使った経験から、リートケはいくつかの他のMachの発想も間違っていると結論づけた。マイクロカーネルの概念をさらに単純化して、高性能化を主眼に設計した最初のL4カーネルを開発した。少しでも性能を出せるように、カーネル全体を[[アセンブリ言語]]で記述した結果、IPCはMachの20倍高速になった<ref name="Liedtke_93">{{cite conference
| first = Jochen
| last = Liedtke
| authorlink = Jochen Liedtke
| title = Improving IPC by kernel design
| booktitle = 14th ACM Symposium on Operating System Principles
| pages = 175–88
| publisher =
|date=December 1993
| location = Asheville, NC, USA
| url = http://portal.acm.org/citation.cfm?id=168619.168633&coll=portal&dl=ACM&type=series&idx=168619&part=Proceedings&WantType=Proceedings&title=ACM%20Symposium%20on%20Operating%20Systems%20Principles&CFID=18793560&CFTOKEN=54028606
| accessdate =
| id =
}}</ref>。このような劇的な性能の向上は、オペレーティングシステムでは稀なことでリートケの業績は新たなL4の実装のきっかけとなり、ドレスデン工科大学やニューサウスウェールズ大学などの大学やリートケが1996年に働き始めるIBMなどのいくつもの研究施設でのL4ベースのシステムの研究が始められた。リートケはIBMの[[トーマス・J・ワトソン研究所]]で同僚と共にL4とマイクロカーネルシステム一般の研究と特にSawmill OS<ref name="Gefflaut_JPLEUTDR_00">{{cite conference
| first1 = Alain
| last1 = Gefflaut
| first2 = Trent
| last2 = Jaeger
| first3 = Yoonho
| last3 = Park
| authorlink4 = Jochen Liedtke
| first4 = Jochen
| last4 = Liedtke
| first5 = Kevin
| last5 = Elphinstone
| first6 = Volkmar
| last6 = Uhlig
| first7 = Jonathon
| last7 = Tidswell
| first8 = Luke
| last8 = Deller
| first9 = Lars
| last9 = Reuther|url=http://dl.acm.org/citation.cfm?id=566726.566751
| title = The Sawmill multiserver approach
| booktitle = ACM SIGOPS European Workshop
| pages = 109–114
| date = 2000
| location = Kolding, Denmark
}}</ref>の研究を続けた。
===L4Ka::Hazelnut===
1999年、リートケはカールスルーエ大学のシステムアーキテクチャグループを引き継ぐ形でマイクロカーネルシステムの研究を続けた。高級言語による高性能マイクロカーネルの構築が可能であることを証明するためにグループはIA-32およびARMベースのマシンで動作するカーネルのC++版である'''L4Ka::Hazelnut'''を開発した。この試みは成功し、性能は依然許容範囲とみなされた。そのためアセンブリ言語だけの版のカーネルは実質的に開発中止になった。
===L4/Fiasco===
L4Kaの開発と並行して1998年にTUドレスデン([[ドレスデン工科大]])のオペレーティングシステムグループが'''L4/Fiasco'''と呼ばれるL4カーネルインターフェースの独自のC++実装の開発を始めた。L4Ka::Hazelnutはカーネル内では全く並行動作を認めず、その後継のL4Ka::Pistachioでは特定の割り込みポイントでのみ割り込みが許可されるのに対してL4/Fiascoは割り込みのレイテンシを小さくするために(極めて小さいアトミック処理の部分を除いて)完全プリエンプティブであった。これはTUドレスデンで開発されていたハードリアルタイム処理が可能なオペレーティングシステムDROPSの基礎として使うための必要性からであった。しかし、完全プリエンプティブな設計の複雑さのためFiascoの後継版のカーネルでは限られた割込みポイントを除いてカーネル内では割込みを禁止する従来のL4の方針に戻された。
==プラットフォームの非依存化==
===L4Ka::Pistachio===
L4Ka::PistachioとFiascoの後期バージョン(1.1以降)がリリースされるまでは全てのL4マイクロカーネルは本質的に根本的なところでCPUアーキテクチャに密接に結びつけられていた。L4開発の次の大きな変革は、高い移植性を得ながら高性能を維持するプラットフォームに依存しないAPIの開発であった。カーネルの基本的な考え方は同じであるが新しいAPIは、マルチプロセッサへのより良い対応、スレッドとアドレス空間の間の制約の緩和、ユーザーレベルスレッドコントロールブロック(UTCB)と仮想レジスタの導入など、それ以前のL4のバージョンからは多数の大きな違いがある。2001年の初めに新しいL4 API(バージョンX.2 、バージョン4と呼ばれることもある)をリリースした後、[[カールスルーエ大学]]のシステムアーキテクチャグループは新しいカーネル'''L4Ka::Pistachio'''の実装を行った。これは性能と移植性の両方を重視して完全にゼロから書き直された。二条項[[BSDライセンス]]でリリースされている。
===L4/Fiascoの初期バージョン以降===
L4/Fiascoは何年にも渡って大きく改良が続けられた。<ref name="Fiasco microkernel">https://os.inf.tu-dresden.de/fiasco/prev/</ref><ref name="fiasco 1.2 README">https://os.inf.tu-dresden.de/fiasco/prev/download/README</ref>
* Ver.1.1 x86, ARMのいくつかのアーキテクチャをサポートした
* Ver.1.2 APIの拡張(1.0はv2とX.0 API)
** 例外IPC CPU例外をユーザーアプリケーションに送信可能
** バージョンX.2形式のUTCB
** ローカルIPC
** {{仮リンク|Alienスレッド|en|alien thread}} システムコールの細かい制御が可能
またFiascoはLinuxのシステムコールへのインターフェースが用意され、Linuxのユーザランドで動かすことができる(Fiasco-UX)。2018年現在、マイクロカーネルFiasco.OCと基本的なユーザー環境のL4Reとしてx86、x86_64、ARM、MIPSのアーキテクチャをサポートして開発が続けられている。L4Re上ではLinuxカーネルを動かすことができる({{仮リンク|L4Linux|en|L4Linux}})<ref name="L4Linux">http://l4linux.org/overview.shtml</ref>。
===ニューサウスウェールズ大学とNICTA===
開発は[[ニューサウスウェールズ大学]](UNSW)でも続けられいくつかの64ビットプラットフォームでL4実装が行われた。この結果が'''L4/MIPS'''と'''L4/Alpha'''である。リートケのオリジナルは遡って'''L4/x86'''と呼ばれる。UNSWのカーネル(アセンブリ言語とCで書かれている)はリートケのオリジナル同様ゼロから書き起こされたもので移植性が考慮されていなかった。高い移植性を持つL4Ka::PistachioのリリースによりUNSWのグループは自分たちのカーネルを放棄してL4Ka::Pistachioを高度に最適化する事を選んだ。その成果にはその時点での最高速のメッセージパッシングの報告([[Itanium]]アーキテクチャで36サイクル)もあった。また、ユーザーレベルデバイスドライバがカーネル内のドライバと同等に動作することを実証した。さらにx86、ARM、MIPSの各プロセッサで動くL4上の移植性の高い[[Linux]]である{{仮リンク|Wombat|en|Wombat OS}}を開発した。[[XScale]]プロセッサにおいてWombatは本来のLinuxに比較してコンテクストスイッチのコストが1/30となることを実証した。
UNSWグループは後に拠点を{{仮リンク|NICTA|en|NICTA}}(オーストラリアの公的情報通信分野研究機関)に移しL4Ka::Pistachioから分岐した新しいL4、'''NICTA::L4-embedded'''を開発した。これは名前が示すように商用の組み込みシステム向けで、メモリの使用量を少なくすることを優先して実装され、複雑さを抑えることを目指した。プリエンプションポイントなしでも高いリアルタイム応答性を維持するため、ほとんど全てのシステムコールは十分短時間で終了するようにAPIは変更された。
==商業的展開==
2005年11月、NICTAは[[クアルコム]]社の移動局モデムチップセット(Mobile Station Modem:MSM)にNICTA版L4を供給することを発表した。<ref>{{cite press release
| title = NICTA L4 Microkernel to be Utilised in Select QUALCOMM Chipset Solutions
| url = http://www.nicta.com.au/director/mediacentre/media_releases_2005.cfm?viewArticle=true&item_id=2563&startrow=1
| deadurl = yes
| publisher = NICTA
| date = November 24, 2005
| archiveurl = https://web.archive.org/web/20060825225104/http://www.nicta.com.au/director/mediacentre/media_releases_2005.cfm?viewArticle=true&item_id=2563&startrow=1
| archivedate = August 25, 2006
}}</ref>これにより2006年後半以降の携帯電話でL4が使われる事になった。2006年8月、UNSWのジャーノット・ハイザー教授と組み込み用リアルタイムOSリーダーのスピンアウトにより{{仮リンク|Open Kernel Labs|en|Open Kernel Labs}}(OK Labs)が設立され、商業目的のL4のサポートを行い、OKL4というブランド名の商業利用向けのL4の開発もNICTAと密接に協力して行った。2008年4月にリリースされたOKL4バージョン2.1は[[一般利用可能]]なバージョンのL4で[[Capability-based security]]を特徴に持っていた。2008年10月にリリースされたOKL4 3.0は最後のオープンソース版OKL4である。これ以降のバージョンのOKL4はクローズドソースでネイティブ[[ハイパーバイザ]]として動くように書き換えられOKL4 Microvisorと呼ばれるようになった。OK LabsはまたWombatの後継の準仮想化LinuxをOK:Linuxとして供給し、準仮想化した[[Symbian OS]]と[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]の供給も行った。OK LabはNICTAから'''seL4'''の権利も取得した。OKL4の出荷は2012年初めには15億台を超えた<ref name=OKL_PR />。ほとんどはクアルコムのワイヤレスモデムチップである。他のものには車載インフォティメントシステムが含まれる。[[Apple A7|A7]]以降のAシリーズやTシリーズ、Mシリーズ、Sシリーズといった[[Appleシリコン|AppleのSoC]]に含まれる[[Secure Enclave]]コプロセッサ<ref>{{Cite web|和書|title=Secure Enclave Processorのセキュリティ認証 |url=https://support.apple.com/ja-jp/guide/sccc/sccca7433eb89/web |website=Apple Support |access-date=2022-08-15 |language=ja}}</ref>ではNICTAが2006年に開発したL4-embeddedカーネルベースのL4オペレーティングシステムが動作している。これは現在、全てのiOSデバイスおよびAppleシリコンを搭載した[[Macintosh|Mac]]や[[Apple Watch]]でL4が出荷されていることを意味し、2021年の総出荷量はおよそ22億台とされる<ref>{{Cite web|和書|title=世界のiPhoneユーザー、10億人に到達 (2021年1月31日) |url=https://www.excite.co.jp/news/article/Ubergizmo_japan_17443/ |website=エキサイトニュース |access-date=2022-08-16 |language=ja |quote=販売されたiPhoneの合計台数は、2020年のレポートでは、約22億台に達するようです。}}</ref>。
==高度な保証:seL4==
2006年にNICTAのグループは'''seL4'''と呼ばれる第3世代マイクロカーネルの設計を開始した。これは[[コモンクライテリア]](Common Criteria:略称CC [[ISO]]/[[IEC]] 15408規格)を満たす、あるいはそれ以上のセキュリティ要件を満たすために高い安全性と信頼性が得られるような基本方針で設計された。最初からカーネルの形式的証明を目指して開発を行った。性能と検証の時に相反する要求を満たすために、チームは[[Haskell]]で書かれた実行可能な定義からソフトウェアによる処理を行いその結果を用る方法をとった<ref name=Derrin_EKCC_06>{{cite conference
| first = Philip
| last = Derrin
| author2 = Elphinstone, Kevin |author3=Klein, Gerwin |author4=Cock |author5=David |author6= Chakravarty, Manuel M. T.
| title = Running the manual: an approach to high-assurance microkernel development
| booktitle = ACM SIGPLAN Haskell Workshop
|date=September 2006
| pages = 60–71
| location = [[Portland, Oregon]]
| url = http://portal.acm.org/citation.cfm?id=1159842.1159850&coll=portal&dl=ACM&type=series&idx=1159842&part=Proceedings&WantType=Proceedings&title=Haskell&CFID=18785943&CFTOKEN=93152956
}}</ref>。seL4ではオブジェクトのアクセス権についての形式的推論を可能にするために [[Capability-based security|capability-basedアクセス制御]] を用いている。
機能の正しさの形式的証明は2009年に完了した<ref Name="Klein_EHACDEEKNSTW_09">
{{ cite conference
|first1 = Gerwin
|last1 = Klein
|first2 = Kevin
|last2 = Elphinstone
|first3 = Gernot
|last3 = Heiser
|author3-link = Gernot Heiser
|first4 = June
|last4 = Andronick
|first5 = David
|last5 = Cock
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|last6 = Derrin
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|last7 = Elkaduwe
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|last9 = Kolanski
|first10 = Michael
|last10 = Norrish
|first11 = Thomas
|last11 = Sewell
|first12 = Harvey
|last12 = Tuch
|first13 = Simon
|last13 = Winwood
|title = seL4: Formal verification of an OS kernel
|booktitle = 22nd ACM Symposium on Operating System Principles
|pages =
|date = October 2009
|location = Big Sky, MT, USA
|doi =
|url = http://www.sigops.org/sosp/sosp09/papers/klein-sosp09.pdf
|deadurl = no
|archiveurl = http://archive.wikiwix.com/cache/20110715225243/http://www.sigops.org/sosp/sosp09/papers/klein-sosp09.pdf
|archivedate = 2011-07-15
|df =
}}</ref>。この証明はカーネルの実装がその定義に対して正しいことを示し、従ってデッドロック、ライブロック(あるプロセスがbusy状態のまま実行権を放さなくなってしまう状態を指す)、バッファオーバーフロー、数値演算の例外、初期化していない変数の使用などの実装バグの無いことを意味する。seL4は汎用のOSカーネルとしては初めて証明されたという主張がなされている。<ref Name="Klein_EHACDEEKNSTW_09" />
seL4は、カーネルリソースの管理に新しい方法をとっている<ref Name="Elkaduwe_DE_08">
{{ cite conference
|first = Dhammika
|last = Elkaduwe
|author2 = Derrin, Philip
|author3 = Elphinstone, Kevin
|title = Kernel design for isolation and assurance of physical memory
|booktitle = 1st Workshop on Isolation and Integration in Embedded Systems
|date = April 2008
|location = Glasgow, UK
|doi = 10.1145/1435458
|url = http://ertos.nicta.com.au/publications/papers/Elkaduwe_DE_08.abstract
|deadurl = no
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20100424035229/http://www.ertos.nicta.com.au/publications/papers/Elkaduwe_DE_08.abstract
|archivedate = 2010-04-24
|df =
}}</ref>。カーネルリソースの管理はユーザーレベルに任され、ユーザーリソースと同じ[[Capability-based security]]のアクセス制御を受ける。このモデルは[[チューリッヒ工科大学]]による研究OSの{{仮リンク|Barrelfish|en|Barrelfish}}でも採用されたもので、プロパティ分離についての推論を容易にして、seL4がコアセキュリティプロパティの完全性と秘匿性を強制することを後に証明することを可能にするものとなった<ref name="Klein_AEMSKH_14">{{cite journal
| last1 = Klein
| first1 = Gerwin
| last2 = Andronick
| first2 = June
| last3 = Elphinstone
| first3 = Kevin
| last4 = Murray
| first4 = Toby
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| first6 = Rafal
| last7 = Heiser
| first7 = Gernot
| date = February 2014
| title = Comprehensive Formal Verification of an OS Microkernel
| journal = ACM Transactions on Computer Systems
| volume = 32
| issue = 1
| pages = 2:1–2:70
| doi = 10.1145/2560537
}}</ref>。NICTAのチームはCから実行可能な機械語への変換の正確さの確認を行い、seL4の[[トラステッド・コンピューティング・ベース]]から[[コンパイラ]]を取り除いた。これは実行可能なカーネルにおいて高度なセキュリティが証明されているという事である。seL4はまた、ハード[[リアルタイムシステム]]に必須な完全性と最悪ケースにおける正確な実行時間の解析を行ったと最初に公表された保護モードのOSカーネルである<ref name="Klein_AEMSKH_14" />。
2014年7月29日、{{仮リンク|NICTA|en|NICTA}}と[[ジェネラル・ダイナミクス]]・{{仮リンク|ミッション・システムズ|en|General Dynamics Mission Systems}}は隅から隅まで検証されたseL4をオープンソースでリリースした。カーネルコードと検証コードは[[GPLv2]]で提供され、ほとんどのライブラリとツールは2条項[[BSDライセンス]]で提供されている。研究者のコメントによれば、ソフトウェアの形式的証明のコストはより高い信頼性を提供するにもかかわらず従来の「高度な保証」を有するソフトウェアを設計するコストよりも低いとしている<ref>{{cite journal | last1 = Klein | first1 = Gerwin | last2 = Andronick | first2 = June | last3 = Elphinstone | first3 = Kevin | last4 = Murray | first4 = Toby | last5 = Sewell | first5 = Thomas | last6 = Kolanski | first6 = Rafal | last7 = Heiser | first7 = Gernot | year = 2014 | title = Comprehensive formal verification of an OS microkernel | url = http://www.nicta.com.au/pub?doc=7371&filename=Klein_AEMSKH_14.pdf | format = PDF | journal = ACM Transactions on Computer Systems | volume = 32 | issue = | page = 64 | doi = 10.1145/2560537 | deadurl = no | archiveurl = https://web.archive.org/web/20140803122308/http://www.nicta.com.au/pub?doc=7371&filename=Klein_AEMSKH_14.pdf | archivedate = 2014-08-03 | df = }}</ref>。具体的には、従来の「高度な保証」を有するソフトウェアでは1行あたりのコストは1000米ドルであるのに対し、開発中のseL4の1行あたりのコストは400米ドルと見積もられた<ref>{{YouTube|lRndE7rSXiI|seL4 Is Free – What Does This Mean For You?}}</ref>。
NICTAは[[アメリカ国防高等研究計画局]](DARPA)の高保証サイバー軍事システム計画([https://www.darpa.mil/program/high-assurance-cyber-military-systems High-Assurance Cyber Military Systems](HACMS)の下でプロジェクトパートナーの[[ロックウェル・コリンズ]]社、[http://galois.com ガロア社]、[[ミネソタ大学]]、[[ボーイング社]]と共同でseL4ベースの[http://ts.data61.csiro.au/projects/TS/SMACCM/ 高保証ドローン]を保証ツールとソフトウェアと共に開発した。これはボーイングで開発中の操縦も可能な自律型無人ヘリコプター[[ボーイング AH-6]]への技術移転も計画されていた。最終的なHACMS技術のデモンストレーションは2017年4月、バージニア州スターリングで行われた<ref name=hacms_demo>{{cite press release
|title = DARPA selects Rockwell Collins to apply cybersecurity technology to new platforms
|url = https://www.rockwellcollins.com/Data/News/2017-Cal-Yr/GS/FY17GSNR38-HACMS.aspx
|date = April 24, 2017
|publisher = [[Rockwell_Collins]]
|deadurl = no
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20170511155335/http://rockwellcollins.com/Data/News/2017-Cal-Yr/GS/FY17GSNR38-HACMS.aspx
|archivedate = May 11, 2017
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}}</ref>。
DARPAはまたジョン・ランチベリー博士の提唱でseL4に関連した[[中小企業技術革新研究プログラム]](SBIR)による出資を行った。seL4によるSBIRを受けた企業にはDornerWorks、Techshot、Wearable Inc、Real Time Innovations、Critical Technologiesなどがある<ref name=sbir_sel4>
{{cite web
|url = https://sbirsource.com/sbir/people/81829-dr-john-launchbury
|title = DARPA Agency Sponsor Dr. John Launchbury
|author = <!--Not stated-->
|date = 2017
|website = SBIRSource
|access-date = May 16, 2017
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|archiveurl = https://web.archive.org/web/20170929000603/https://sbirsource.com/sbir/people/81829-dr-john-launchbury
|archivedate = September 29, 2017
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}}</ref>。
==その他の研究開発==
Oskerは[[Haskell]]で書かれたOSで、L4の仕様で作られていた。このプロジェクトはマイクロカーネルの研究ではなく[[関数型言語|関数型プログラミング言語]]によるOS開発を目的とした<ref>{{Cite journal
|title = A principled approach to operating system construction in Haskell
|url = http://web.cecs.pdx.edu/~apt/icfp05.pdf
|year = 2005
|journal = Proceedings of the tenth ACM SIGPLAN international conference on Functional programming
|pages = 116–128
|last1 = Hallgren
|first1 = T.
|last2 = Jones
|first2 = M.P.
|last3 = Leslie
|first3 = R.
|last4 = Tolmach
|first4 = A.
|issn = 0362-1340
|doi = 10.1145/1090189.1086380
|accessdate = 2010-06-24
|volume = 40
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|issue = 9
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|archivedate = 2010-06-15
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}}</ref>。
CodeZeroは組み込みの仮想化とネイティブOSサービスのためのL4マイクロカーネル。これは[[GNU General Public License|GPL]]ライセンス版<ref>{{cite web | url=https://github.com/jserv/codezero | title=jserv/codezero: Codezero Microkernel | accessdate=2016-01-25 | deadurl=no | archiveurl=https://web.archive.org/web/20150815113256/https://github.com/jserv/codezero | archivedate=2015-08-15 | df= }}</ref>と開発者によって2010年に分岐したクローズドソース版があった<ref>{{cite web|url=http://l4dev.org/ |title=Archived copy |accessdate=January 25, 2016 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160111122321/http://l4dev.org/ |archivedate=January 11, 2016 }}</ref>。<!-- clarify OKL4 and Iggy license|date=February 2015 -->
F9マイクロカーネルはARM Cortex-M3/M4プロセッサの消費電力、メモリ保護に徹底的に注力したゼロから開発された[[BSDライセンス]]のL4実装。
Fiasco.OCは前身のL4/Fiascoから進化した第3世代マイクロカーネル。Fiasco.OCはcapability basedでマルチコアシステムをサポートし、ハードウェア支援による仮想化に対応する<ref name=Peter_Schild_VTDS_09>{{cite conference
| first = Michael
| last = Peter
| first2 = Henning
| last2 = Schild |author3=Lackorzynski, Adam |author4=Warg, Alexander
| title = Virtual Machines Jailed - Virtualization in Systems with Small Trusted Computing Bases
| booktitle = VTDS'09: Workshop on Virtualization Technology for Dependable Systems
|date=March 2009
| location = [[Nuremberg, Germany]]
| url = http://portal.acm.org/citation.cfm?id=1518688&dl=ACM
}}</ref>。完全に再設計されたユーザーランド環境はL4 Runtime Environment (L4Re)と呼ばれる。クライアント/サーバ通信フレームワーク、共通サービス機能、仮想ファイルシステム基盤、libstdc++やpthread等の一般的なCライブラリなど、マルチコンポーネントシステムを構築するための環境を提供する。これはマルチアーキテクチャ仮想化Linuxシステムの{{仮リンク|L4Linux|en|L4Linux}}も提供する。L4ReとFiasco.OCは以前のシステムのL4EnvとL4/Fiascoを置き換えたものでx86(IA-32とAMD64)、ARM、MIPSで動作する。
[http://hypervisor.org/ NOVA Microhypervisor]は小さなtrusted computing baseを持つセキュアで効率の良い仮想化環境を構築するための研究プロジェクト。<ref name=Steinberg_Kauer_EuroSys_2010>{{cite conference
| first = Udo
| last = Steinberg
| first2 = Kauer
| last2 = Bernhard
| title = NOVA: A Microhypervisor-Based Secure Virtualization Architecture
| booktitle = EuroSys '10: Proceedings of the 5th European Conference on Computer Systems
|date=April 2010
| location = [[Paris, France]]
}}</ref><ref name=Steinberg_Kauer_IIDS_2010>{{cite conference
| first = Udo
| last = Steinberg
| first2 = Kauer
| last2 = Bernhard
| title = Towards a Scalable Multiprocessor User-level Environment
| booktitle = IIDS'10: Workshop on Isolation and Integration for Dependable Systems
|date=April 2010
| location = [[Paris, France]]
}}</ref> NOVAはマイクロハイパーバイザー、ユーザーレベルの[[ハイパーバイザ|仮想マシンモニタ]]、NUL(Nova User-Level environment)という非特権でコンポーネント化されたマルチサーバーユーザー環境から構成される。NOVAはx86ベースのマルチコアシステムで動作する。
[http://wrmlab.org/projects/wrmos WrmOS]はオープンソースでL4ベースのリアルタイムオペレーティングシステム(RTOS)。カーネルは標準ライブラリとネットワークスタックで実装されている。SPARC、ARM、x86、x86_64のアーキテクチャをサポートする。WrmOSは[http://l4hq.org/docs/manuals/l4-x2-r6.pdf L4 Kernel Reference Manual Version X.2]に基づいている。WrmOS上で準仮想化されたLinuxカーネル([https://wrmlab.org/projects/w4linux w4linux])が動いている。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
==関連項目==
{{Portal box|コンピュータ}}
*[[マイクロカーネル]]
*[[分散オペレーティングシステム]]
== 外部リンク ==
*[http://os.inf.tu-dresden.de/L4/ The L4 µ-Kernel Family] {{en icon}}
*[http://os.inf.tu-dresden.de/L4/LinuxOnL4/ L4Linux : Linux on L4] {{en icon}}
*[https://l4android.org/ L4Android] {{en icon}}
[[Category:OSのカーネル]]
{{Software-stub}} | 2003-02-13T08:00:28Z | 2023-09-27T10:51:28Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/L4%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC |
1,226 | 奈良線 | 奈良線(ならせん)は、京都府木津川市の木津駅から京都府京都市下京区の京都駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。正式な起点は木津駅であるが、京都駅から木津駅へ向かう列車を「下り」としている。以下特記なければ、京都駅から木津駅(および奈良駅)へ向かう方向に記述する。
JR西日本のアーバンネットワークの路線の一つであり、京都駅で東海道新幹線と東海道本線(琵琶湖線・JR京都線)・山陰本線(嵯峨野線)に、木津駅で関西本線(大和路線)と片町線(学研都市線)に接続し、関西本線奈良駅方面との直通運転により、観光都市である京都・奈良間の都市間輸送を担う。京都への通勤・通学路線であると同時に京都と奈良へ向かう観光路線でもある。
線路名称としての奈良線は京都駅 - 木津駅間であり、奈良線と称しながら全区間が京都府内にあり、奈良県内にはまったく路線がない。もともと本路線は京都駅と奈良駅を結ぶ路線として奈良鉄道により開業したものの、鉄道国有化後に木津駅以南が関西本線に編入された経緯がある。なお、関西本線の平城山駅・奈良駅でも旅客案内上は京都駅発着の列車は「奈良線」と案内され、木津駅に乗り入れる列車は全列車が関西本線に乗り入れて奈良駅発着で運転される。
ラインカラーは茶色(■)であり、選定理由は「日本の古都を結ぶクラシックな落ち着いたイメージ」としている。路線記号は D 。
全線にわたって近畿日本鉄道(近鉄)の京都線と競合しているが、全線複線の近鉄の方が運転本数が多く、JRの奈良駅の位置が近鉄奈良駅に比べて奈良市の中心部からやや離れているため、近鉄京都線が優位な状況となっている。JR西日本はかつて全線単線であった当路線の一部区間を複線化し、快速列車の増発やスピードアップを行うことで近鉄に対抗している。ただ、外国人観光客に関しては、ジャパンレールパスが近鉄では利用できないため、JRを使うケースも多い。 また、京都駅 - 宇治駅間は京阪本線・宇治線の東福寺駅 - 中書島駅 - 宇治駅間とも並行している。
全線が大都市近郊区間の「大阪近郊区間」およびIC乗車カード「ICOCA」エリアに含まれている。なお長池駅 - 上狛駅間では無人駅も混在するため簡易型自動改札機が設置されている。電車特定区間とはなっておらず幹線運賃が適用されるが、特定運賃が京都駅 - 城陽駅・奈良駅間などに設定されている。
全区間を近畿統括本部が管轄している。
京都駅では、奈良線の列車は東海道新幹線に隣接した8 - 10番のりばから発車する。東海道本線(琵琶湖線)とわずかに並走し、南進するためにカーブを進みながら東海道新幹線をくぐり、鴨川・琵琶湖疏水に架かるトラス橋梁を渡ると京阪電気鉄道(京阪)との共同使用駅である東福寺駅である。その先の稲荷駅は伏見稲荷大社の最寄り駅で、国鉄最古のランプ小屋(準鉄道記念物)が現存している。
稲荷駅を出て左にカーブすると直線が続き、その先で右にカーブするが、かつてはこの付近からまっすぐ東海道本線旧線が続いていた。名神高速道路をくぐると掘割駅のJR藤森駅を過ぎ、伏見桃山陵への参拝客で賑わいを見せた桃山駅に着く。同駅には、自動信号化1万km達成の記念標識がホームに置かれている。ここからは進路を一度東に変え、桃山丘陵の南縁をたどるように時折眼下に宇治川、旧巨椋池を望みながら、やがて右にカーブし、山科川を渡って京都市から宇治市に入り、京都市営地下鉄東西線との接続駅である六地蔵駅に至る。
木幡駅・黄檗駅と続き、京阪宇治線と並走するが、ほどなくして別れて京滋バイパスを越え、京阪宇治駅が右手に見えると宇治川を渡り、宇治駅に到着する。宇治駅では改良工事により、上下共に緩急接続ができるようになり、一部は京都方面から折り返し運転もしている。
宇治駅からは、奈良線で最も新しい駅であるJR小倉駅、続いて新田駅と続く。その後、城陽市に入ると京都府南部最大の古墳である久津川車塚古墳を縦断し、城陽駅に着く。城陽駅には折り返し運転のための引き上げ線がある。ここからは単線となり、田園地帯が開ける。長池駅周辺は、京都へ五里、奈良へ五里の奈良街道の中間地点で、宿場町として栄えていた地域である。長池駅以南は丘陵部から木津川の河谷にできた低地を横断して木津川に流れ込むため天井川が多く、奈良線でも6つの天井川と交差する。このうち、山城青谷駅 - 山城多賀駅間の青谷川と、玉水駅-棚倉駅間の不動川は短い単線トンネルをくぐって交差しており、形状は通常の山岳トンネルと同様である。山城青谷駅は京都府内でも一番を誇る青谷梅林の最寄り駅で、奈良線では最も利用の少ない山城多賀駅と続き、ここから1駅間だけ再度複線区間となって、快速停車駅である玉水駅に到着する。玉水駅のホームには、1953年8月15日に発生した南山城水害で駅の南東約500m先の玉川から押し流された岩石と記念碑が水難記念としてホームに置かれている。
玉水駅を発車すると、桜の名所で平成の名水百選に選定された玉川の天井川をくぐり、駅周辺がタケノコの産地である棚倉駅を通過し、椿井大塚山古墳の中を抜けて上狛駅と続き、木津川を渡ると片町線(学研都市線)・関西本線(大和路線)との分岐駅である木津駅に到着する。同駅に発着する奈良線の列車はすべて関西本線(大和路線)の奈良駅まで直通運転を行っている。
沿線にある京都市の伏見稲荷大社、宇治市の平等院などへの観光や、城陽市など京都府南部地域からの通勤・通学路線としての性格が強くなっている。しかし桃山駅 - 新田駅間は東側に大きく迂回する線形であり(これは奈良鉄道敷設当時、この一帯にあった巨椋池の周囲を迂回したためである)、また城陽以南は町の中心部から外れた場所を走っており、JR西日本発足後に一部区間の複線化や快速の増発などの輸送改善が図られているものの、並行する近鉄京都線とは京奈間・地域輸送ともにまだ格差がある。
みやこ路快速・快速・区間快速・普通の4種別の列車が運転されている。
朝には大和路線のJR難波駅からの直通列車があり、2022年3月12日改正時点で平日にのみJR難波駅 - 奈良駅間を普通、奈良駅 - 京都駅間を区間快速及び快速で運転する列車が2本設定されている。この列車はJR難波駅の時点で京都行きとして案内される。逆のパターンである京都駅から奈良駅を経由してJR難波駅に直通する列車は年末年始の終夜運転時やダイヤ乱れ時を除きない。
このほかにも運用上の都合で朝や夕方以降に、大和路線王寺方面と直通する列車がある。前述の早朝にJR難波駅から直通する列車のみ、JR難波・王寺方面からの直通列車として時刻表に掲載されている(2004年3月13日改正前の時刻表には掲載されていなかった)。
2001年3月3日から設定された最速達の種別で、京都駅 - 奈良駅間で日中を中心に運転されている。全区間で快速運転を行う。停車駅は京都駅、東福寺駅、六地蔵駅、宇治駅、城陽駅、玉水駅、木津駅、奈良駅である。関西本線への直通区間のうち大和路線の快速が停車する平城山駅には停車しない。
この種別は近鉄京都線の急行のライバル的存在となっている。みやこ路快速の種別名は運転開始前に一般公募により決定した。2,548通の応募があり、このうち「古都」「古都路」などが使われたものは520通で1位、「みやこ」が使われたものも386通で2位であったが、76通であった「みやこ路快速」が採用された。
基本的に1時間に2本(30分間隔)の運転で、宇治駅で普通電車と相互接続を行っている。また、京都行きは、土休日ダイヤの1本をのぞいて、城陽駅でも普通電車と接続している。観光地である京都と奈良を結ぶ列車として、日本人だけでなく国外からの観光客の利用も多い。また、京都市から宇治市・城陽市などへの通勤通学列車・近郊列車としての役割も担う。複線化完了までのダイヤでは、下りと上りが単線区間で行き違うための運転停車があったため下りと上りとで所要時間に若干差があったが、2023年3月18日のダイヤ改正で単線区間での行き違い待ちを解消したため、標準所要時間は上下とも京都駅 - 奈良駅間が約44分と同じになった。
2022年のダイヤ改正で廃止になったが土休日の朝に大和路線・JR難波発の快速で、奈良から「みやこ路快速」となる京都行き列車が2本(2021年時点では1本のみ)運行されていた。
車両は全列車221系で、平日日中と土休日の全列車が6両編成で運転されている。運転開始当初はすべて4両編成であった。なお、ダイヤ乱れ時は205系で運転される場合もある。
正月三が日と1月4日や多客時には伏見稲荷大社への参詣客のため稲荷駅に臨時停車する。奈良歴史キャンペーンに伴い、2003年および2004年の9月 - 11月の土休日ダイヤでは、「みやこ路レジャー号」として京都駅 - 桜井駅間(京都駅 - 奈良駅間は定期のみやこ路快速)で運転されていた。
朝夕ラッシュ時に運転されており、朝ラッシュは上りのみ2本、夕ラッシュは下りが30分に1本・上りが1時間に1本運転される。全区間で快速運転を行うが、みやこ路快速が通過するJR小倉駅・新田駅にも停車し、前述のみやこ路快速と同様に大和路線の快速が停車する平城山駅は通過する。上下ともすべての列車が宇治駅で普通と緩急接続を行う。車両は全列車221系で運転され、4両または6両編成で運転されている。
みやこ路快速が設定される前の2001年3月2日までの途中停車駅は、六地蔵駅・宇治駅・城陽駅・木津駅で、これに加えて正月ダイヤ時は稲荷駅と東福寺駅に停車していた。車両には117系が使用されていたが、みやこ路快速設定以後は奈良線では使用されていない。また設定当初は六地蔵駅と城陽駅を通過していた。
京都駅 - 宇治駅間でのみ快速運転を行い、宇治駅 - 奈良駅間では各駅に停車する。朝夕を中心にすべて221系の4両または6両で運転されているが、かつては103系での運用もあった。当初は平日ダイヤのみだったが、2006年3月18日のダイヤ改正から土休日ダイヤにも運転されるようになった。基本的に途中駅で普通を追い抜くことはないが、京都行きの上りは全列車宇治駅で普通電車と接続する。 平日朝の京都行きの上り2本は大和路線・JR難波発で運転され、大和路線内は各駅に停車する。
奈良線の区間快速は大和路線の区間快速との誤乗防止を図るため、ラインカラーが入った種別幕が使用されている。種別幕の「区間快速」の文字色についても大和路線の緑色とは異なり橙色となっている。2008年3月15日から10月17日までの期間は、221系用に新調された種別幕では奈良線区間快速用の表示が用意されておらず、大和路線同様の緑ラインカラー・緑文字の区間快速表示で運行されていた。
全区間で各駅に停車し、基本的に京都駅 - 城陽駅・奈良駅間で運転されている。日中時間帯は1時間に4本(城陽駅 - 奈良駅間は2本)が運転されている。朝夕ラッシュ時には、京都駅 - 宇治駅間の列車も運転されている。過去には桜井線との直通列車もあり、1992年頃には土曜・休日を中心に桜井線への直通列車が定期快速を延長する形で天理駅まで1時間に1本運転されていたが、1994年9月4日のダイヤ改正で奈良線と桜井線は系統分割された。
車両は基本的に205系の4両編成・221系の4両または6両編成で運転される。2011年3月12日のダイヤ改正で平日の221系による運用が大幅に増えた。103系の廃車進行に伴い行われた2016年10月の運用変更で、平日・土休日とも全体の約3分の1が221系で運用されている。
基本的に京都駅 - 奈良駅間直通列車が宇治駅でみやこ路快速もしくは快速の接続待ちを行い、京都駅 - 城陽駅間の区間列車が全区間先着するダイヤになっているが、朝晩には京都駅 - 奈良駅間直通列車でも全区間先着する列車がある。また城陽始発の上り1本は宇治駅で後発の区間快速の接続待ちを行う。
2018年から奈良線・嵯峨野線の普通・快速列車にてタブレット端末による多言語車内自動放送が行われている。
6両編成の221系には女性専用車の表示があるが、奈良線では終日設定されていない。
臨時列車として特急列車が運転されたことがある。1987年から1988年にかけて「ふれ愛紀州路」、1988年から1989年まで「しらはま」の愛称で381系電車を用いて京都駅 - 白浜駅間に関西本線・阪和貨物線(現在は廃止)・阪和線・紀勢本線経由で運転された。
1998年1月6日には、奈良線の一部区間が複線化される2001年を目処に、定期列車として特急が運転されると報じられたこともあり、485系または381系を短編成に改造した3両編成で、日中に1時間1本設定され、途中の宇治駅のみに停車するか、ノンストップかにするかは検討中としていたが、この計画は中止され、その後特急列車の運転は行われていない。
2013年までは毎年8月中旬(2014年は中止、2015年から2017年は大会自体が不開催となり同年12月に正式廃止)に、宇治駅周辺で宇治川花火大会が行われていたが、この際には通常ダイヤでは輸送力が確保できないため夕方以降最終まで全列車普通の特別ダイヤで運転され、京都駅 - 宇治駅間は上下ともに約10分間隔で運転されている。通常ダイヤでは設定されていない木津駅発着の列車も設定されていたが、現在は設定されていない。2013年夏における輸送では、奈良支所の6両編成の103系を運行に加え、日根野支所・森ノ宮支所からも編成を借り入れて多客輸送に使用した。
沿線には東福寺や伏見稲荷大社といった大きな社寺があるため、大晦日深夜から元日午前3時頃かけて、奈良線では京都駅 - 城陽駅間において、普通のみ約30分間隔で臨時列車が増発されている。
かつては元旦にかけて全線で終夜運転が実施されており、1999年度までは京都駅から先、大阪方面とも直通運転を行い、西明石駅 - 大阪駅 - 京都駅 - 木津駅 - 奈良駅間で普通のみ30分間隔で運転されていたこともあった。その後は城陽駅 - 奈良駅間においては普通のみ約60分間隔の運転となり、中には京都発奈良線・大和路線経由JR難波行き(大和路線内は定期列車)が1本設定されたこともあった(2017年度)が、同区間の終夜運転は2017年度をもって取り止めとなった。京都駅 - 城陽駅間においては2018年度も普通のみ約30〜60分間隔で終夜運転を実施したが、2019年度からは午前3時頃で運行を打ち切っており、終夜運転ではなくなっている。
かつては正月三が日は臨時ダイヤとなり、快速が京都駅 - 宇治駅間各駅に停車するほか、宇治駅までは本数を増やして運転されていた。年によっては桃山駅折り返し列車の設定もあった。2003年正月期頃までは日中を中心に正月特別ダイヤを組んでいた(当時は「みやこ路快速」は稲荷駅のほか東福寺駅にも臨時停車していた)が、現在は通常時の運転本数が増加したこともあり特別な増発は行われず、正月三が日と1月4日に稲荷駅に「みやこ路快速」が臨時停車するのみとなっている。
東福寺駅が紅葉の名所である東福寺の最寄り駅であること、さらに東福寺駅から京阪本線への乗換利用客が増加していることから、2009年以降、11月下旬の土日祝日に、京都駅 - 桃山駅間の臨時普通列車が設定されることがあった(2012年は11月23 - 25日の午後に3往復設定)が、2017年より複線化工事の一環として桃山駅構内の工事が開始されたことにより、2017年以降は設定されなくなった。代わりに伏見稲荷大社への参詣者の増加に伴い、2018年以降は11月下旬の土日祝日の日中のみ「みやこ路快速」が稲荷駅に臨時停車している。
奈良線には、日本各地からの団体臨時列車が乗り入れることがある。
毎年5月上旬から6月下旬にかけて、姫路市の小学校が利用している修学旅行列車が姫路駅などから奈良駅まで運転されており、この列車にはキハ189系気動車が使用されている。2010年度までは、キハ181系気動車が使用されており、同列車の老朽化に伴って、2010年度を最後に運転を終了するとしていた。
また、天理教の行事で特に7月下旬から8月上旬にかけてのこどもおぢばがえりや10月26日の大祭時には「天理臨」と呼ばれる列車が天理駅まで運転されている。関東地方からの列車については183系・189系電車により運転されていたが、新幹線利用への移行が進んだこともあり、2011年1月を最後に運転を終了している。かつてはDD51牽引の客車列車(12系や14系座席車など)で運転されることが多かった。
1997年9月11日にJR京都駅ビルのグランドオープンを記念した臨時列車は、奈良駅から223系1000番台で運行された。
すべて吹田総合車両所に所属し、奈良支所に配置されている3扉の221系電車4両編成と6両編成、および4扉の205系(0番台・1000番台)電車4両編成が使用されている。電化以来、近畿統括本部の電化路線では唯一、207系や223系などのVVVFインバータ制御車は運用されていない。
快速列車は原則として全列車が221系で運転されている。普通列車は2017年までは103系4両編成での運用が大半であったが、次第に221系の普通列車運用も増加し、2018年3月17日のダイヤ改正からは吹田総合車両所日根野支所から転入した205系も普通列車の運用に入った。なお、205系の帯色については、奈良線転入前まで配置されていた阪和線のスカイブルー色(青24号)のまま奈良線で営業運転を開始しており、奈良線の本来の車体色であるウグイス色(黄緑6号)には変更されていない。
2022年3月11日、奈良支所に最後まで所属していた103系2編成が営業運転を終了した。これにより奈良線の車体色であるウグイス色をまとった車両は消滅した。
旅客列車に使用された気動車は以下のとおり。気動車導入前は定期旅客列車にも客車が使用されていた。
すべて電車が使用されている。
並行する京阪宇治線や近鉄京都線は以前から多数の列車が運行されていたのに対し、奈良線は国鉄末期の1984年10月1日に電化されるまで気動車による毎時片道1本程度の運行で、電化後も1988年3月12日までは105系電車の2両編成の運用が多く、運転本数も多くはなかった。しかしJR西日本の発足後、列車の4両編成化(一部は6両編成)、部分複線化、「みやこ路快速」などの快速列車を始めとする列車の増発など、急速に輸送改善が図られた。
1994年12月に、京都府の公共交通網整備研究会鉄道部会は奈良線の活性化策として、高速化・複線化のほか、宇治駅 - 新田駅間に新駅設置や宇治駅の自由通路を設けた橋上化などの改良などが盛り込まれた提言を知事に答申し、これを受けた京都府はJR西日本などの関係機関との協議を開始した。折しも2002 FIFAワールドカップに向けて、城陽市富野地区でサッカースタジアム(京都スタジアム)を中心とする木津川右岸スタジアム公園建設の基本計画も決定しており、奈良線の利便性の向上は大きく望まれていた。
1994年8月に「JR小倉駅(仮称)建設促進協議会」が発足し、また複線化については京都市・宇治市・城陽市・奈良市・井手町・山城町(現在の木津川市の一部)・木津町(現在の木津川市の一部)・宇治田原町でつくるJR奈良線複線化促進協議会も9万人の署名を添えてJR西日本に要望書を提出し、その早期着手を強く要請してきた。
しかし、1995年に発生した阪神・淡路大震災によりJR西日本も大きな被害を受け、また株式上場を控えており奈良線の輸送改善について心配されていたが、JR西日本は京都府の要望通り段階的に整備を行うと回答し、整備計画は全区間の複線化を将来の目標としながらも次の4期に分けて工事を進めることになり、2001年の完成を目指して1998年1月に着工を開始した。工事費は162.6億円で、JR西日本と沿線自治体で折半した。
これに先立って、長年地元から要望があった稲荷駅 - 桃山駅間に新駅設置工事が行われ、1997年3月にJR藤森駅が開業した。一連の輸送改善は当初の計画通りに進み、2001年3月3日のダイヤ改正により221系を投入して快速が増発されることになり、所要時間が大きく短縮されることになった。
また、2004年の近畿交通審議会答申第8号で「輸送力の強化等によるサービス向上に資する事業」として、未だに単線区間が残るJR藤森駅 - 宇治駅間と新田駅 - 木津駅間の複線化が盛り込まれている。JR西日本と京都府は、山陰本線(嵯峨野線)京都駅 - 園部駅間が全線複線化が2010年3月に完成したことから、奈良線複線化の協議開始で合意し、2010年4月以降にJR西日本や沿線市町と費用負担や整備方法をめぐる協議を始める予定と同年1月に報じられた。京都府は2010年6月の京都府議会において、整備計画策定費1000万円を補正予算に計上した。
ただし、自治体の財政状況やJR西日本の経営状態から、全線複線化ではなく限定的になる可能性が高く、2011年に着手したとしても、山陰本線と同様の工期と想定した場合、複線化工事が完了するのは早くても2018年になる見通しと報じられた。
2012年1月25日、京都府はJR藤森駅 - 宇治駅間 (9.9km)、新田駅 - 城陽駅間 (2.1km)、山城多賀駅 - 玉水駅間 (2.0km) の複線化に向け、測量などの調査を新年度から行うことを発表した。この複線化にあわせて、京都駅・棚倉駅の改良工事も予定されている。なお複線化が行われる場合、宇治駅 - 黄檗駅間には新駅が設置される可能性にも言及されている。
2012年6月26日の京都府議会の定例会で知事(当時)の山田啓二は、JR奈良線の複線化について2013年度に着手することを表明した。工期は10年程度とされている。
2013年6月14日、京都府および関係市町とJR西日本は、複線化第二期事業について合意したと発表し、同年8月13日に基本協定書が締結されている。それによると、2012年1月の発表にあった3区間合計14.0kmが複線化され、複線化率は23.6%から64.0%に向上する。あわせて京都駅・六地蔵駅の構内改良や棚倉駅の一線スルー化も実施される。事業費は約369億円の予定で、京都府と関係市町が各138億円を補助する。事業期間は約10年間を想定。2016年7月26日には、複線化工事の起工式典が行われた。
2020年3月時点の事業費は397.1億円。うち京都府が148.5億円、関係市町が148.5億円を補助する。2023年春に複線化開業を予定している。
残る単線区間も、第二期事業に城陽駅以南を含んだことで今後の複線化対象とみなされているが、具体化はしていない。
環境省は、列車走行に伴う住居等保全対象への騒音影響を回避・低減するため、音源対策に加え、沿線住民の意見を踏まえた防音壁の設置を基本とする適切な措置を講ずること、事後調査の結果が指針を達成しない場合は追加的な措置を講ずること、宇治川の橋梁について、眺望景観への介在が小さく、周辺景観との調和が図られる構造を採用すること等を求めている。
近畿地方交通審議会で、将来、東海道本線(JR京都線)と相互直通列車の運転を図る案が検討されている。
2020年12月6日に山城多賀駅 - 玉水駅間、2022年2月27日に新田駅 - 城陽駅間、同年5月22日に六地蔵駅 - 黄檗駅間、同年12月17日に黄檗駅 - 宇治駅間の複線化が完成した。
2023年3月18日のダイヤ改正で京都駅 - 城陽駅間の複線化が完了することとなり、同区間の時間短縮や一部時間帯の増発、奈良線全体ではみやこ路快速の時間短縮などが行われる予定となっている。これにより奈良線の複線化率は24%から64%となる。
日本の国土交通省は、沿線の京都府南部・奈良県北部・大阪府北東部をまたぐ関西文化学術研究都市(通称学研都市)の整備に関する基本方針の一環として、当路線の長池駅と片町線(学研都市線)の京田辺駅を結ぶ短絡線「片奈連絡線(かたなれんらくせん)」の整備の必要性について検討しており、実際1989年5月に出された、運輸政策審議会答申第10号では、「2005年までに整備すべき路線」として挙げられていたが、2004年10月の近畿地方審議会答申第8号には盛り込まれなかった。
片町線の松井山手駅 - 木津駅の早期複線電化を促す、関係自治体(大阪府・京都府の8市1町)で構成する「片町線複線化促進期成同盟会」も2019年8月の会合でJRに対し、この片奈連絡線の早期実現に向けた陳情を行っている。
奈良鉄道によって京都駅 - 木津駅 - 奈良駅間が開通したが、この区間のうち京都駅 - 桃山駅間は当初現在の近鉄京都線のルートを通っていた。東海道本線の馬場駅(現在の膳所駅) - 京都駅間が東山トンネル経由の現在線に切り替えられた1921年のその日に、京都駅 - 稲荷駅間の旧東海道本線と稲荷駅 - 桃山駅間の新線が奈良線となり、京都駅 - 伏見駅間が廃止、伏見駅 - 桃山駅間が貨物線化された。のちに京都駅 - 丹波橋駅間は近鉄京都線の前身である奈良電気鉄道に払い下げられた。
奈良電気鉄道の路線が1928年に開業した後は、運行頻度や所要時間で劣るため直通需要を大きく奪われる。戦後、1950年代にいち早く旅客列車を気動車化し、また駅の増設が行われるなどしたが、それ以降は特に目立った投資はなされず、1984年になってようやく電化が完成するといったように、完全なローカル線と化していた。国鉄時代は天王寺鉄道管理局が奈良線全線を管轄していた。
本格的な活性化策がとられるようになったのは、国鉄分割民営化に伴いJR西日本の所属路線となってからである。
JR西日本の奈良線に対する投資を報じた1991年の朝日新聞記事には、投資の背景として「(前年の)即位の礼の一連の行事で関西を訪問された天皇、皇后両陛下はJR東海の東海道新幹線で京都駅に着くと、そのまま近鉄で奈良方面へ向かわれ、地元JR西日本の列車はまったく利用されなかった。こんな「屈辱感」や、関西文化学術研究都市の開発などで沿線人口が増えていることが、JR西日本の投資意欲を駆り立てているようだ」との記述が見られる。しかし、その後も皇族の奈良方面への移動には主に近鉄が利用されており、当路線の利用は実現していない。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響により電動機に使用している部品を製作しているメーカーが被災して製造の見通しが立たなかったため、使用できない車両が発生する恐れがあることから、2011年4月11日から当分の間、日中のみやこ路快速の運転を取り止める予定であったが、部品調達の目処が立ったのでこの措置は行われず、4月11日以降も通常のダイヤで運転された。
括弧内は京都駅起点の営業キロ
京都駅 (0.00) - 八条仮信号所 (0.80) - 東寺仮停車場 (1.13) - 伏見駅 (5.31) - 桃山駅 (7.08) | [
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"text": "奈良線(ならせん)は、京都府木津川市の木津駅から京都府京都市下京区の京都駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。正式な起点は木津駅であるが、京都駅から木津駅へ向かう列車を「下り」としている。以下特記なければ、京都駅から木津駅(および奈良駅)へ向かう方向に記述する。",
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"text": "JR西日本のアーバンネットワークの路線の一つであり、京都駅で東海道新幹線と東海道本線(琵琶湖線・JR京都線)・山陰本線(嵯峨野線)に、木津駅で関西本線(大和路線)と片町線(学研都市線)に接続し、関西本線奈良駅方面との直通運転により、観光都市である京都・奈良間の都市間輸送を担う。京都への通勤・通学路線であると同時に京都と奈良へ向かう観光路線でもある。",
"title": "概要"
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"text": "線路名称としての奈良線は京都駅 - 木津駅間であり、奈良線と称しながら全区間が京都府内にあり、奈良県内にはまったく路線がない。もともと本路線は京都駅と奈良駅を結ぶ路線として奈良鉄道により開業したものの、鉄道国有化後に木津駅以南が関西本線に編入された経緯がある。なお、関西本線の平城山駅・奈良駅でも旅客案内上は京都駅発着の列車は「奈良線」と案内され、木津駅に乗り入れる列車は全列車が関西本線に乗り入れて奈良駅発着で運転される。",
"title": "概要"
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"text": "ラインカラーは茶色(■)であり、選定理由は「日本の古都を結ぶクラシックな落ち着いたイメージ」としている。路線記号は D 。",
"title": "概要"
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"text": "全線にわたって近畿日本鉄道(近鉄)の京都線と競合しているが、全線複線の近鉄の方が運転本数が多く、JRの奈良駅の位置が近鉄奈良駅に比べて奈良市の中心部からやや離れているため、近鉄京都線が優位な状況となっている。JR西日本はかつて全線単線であった当路線の一部区間を複線化し、快速列車の増発やスピードアップを行うことで近鉄に対抗している。ただ、外国人観光客に関しては、ジャパンレールパスが近鉄では利用できないため、JRを使うケースも多い。 また、京都駅 - 宇治駅間は京阪本線・宇治線の東福寺駅 - 中書島駅 - 宇治駅間とも並行している。",
"title": "概要"
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"text": "全線が大都市近郊区間の「大阪近郊区間」およびIC乗車カード「ICOCA」エリアに含まれている。なお長池駅 - 上狛駅間では無人駅も混在するため簡易型自動改札機が設置されている。電車特定区間とはなっておらず幹線運賃が適用されるが、特定運賃が京都駅 - 城陽駅・奈良駅間などに設定されている。",
"title": "概要"
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"text": "全区間を近畿統括本部が管轄している。",
"title": "概要"
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"text": "京都駅では、奈良線の列車は東海道新幹線に隣接した8 - 10番のりばから発車する。東海道本線(琵琶湖線)とわずかに並走し、南進するためにカーブを進みながら東海道新幹線をくぐり、鴨川・琵琶湖疏水に架かるトラス橋梁を渡ると京阪電気鉄道(京阪)との共同使用駅である東福寺駅である。その先の稲荷駅は伏見稲荷大社の最寄り駅で、国鉄最古のランプ小屋(準鉄道記念物)が現存している。",
"title": "沿線概況"
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"text": "稲荷駅を出て左にカーブすると直線が続き、その先で右にカーブするが、かつてはこの付近からまっすぐ東海道本線旧線が続いていた。名神高速道路をくぐると掘割駅のJR藤森駅を過ぎ、伏見桃山陵への参拝客で賑わいを見せた桃山駅に着く。同駅には、自動信号化1万km達成の記念標識がホームに置かれている。ここからは進路を一度東に変え、桃山丘陵の南縁をたどるように時折眼下に宇治川、旧巨椋池を望みながら、やがて右にカーブし、山科川を渡って京都市から宇治市に入り、京都市営地下鉄東西線との接続駅である六地蔵駅に至る。",
"title": "沿線概況"
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"text": "木幡駅・黄檗駅と続き、京阪宇治線と並走するが、ほどなくして別れて京滋バイパスを越え、京阪宇治駅が右手に見えると宇治川を渡り、宇治駅に到着する。宇治駅では改良工事により、上下共に緩急接続ができるようになり、一部は京都方面から折り返し運転もしている。",
"title": "沿線概況"
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"text": "宇治駅からは、奈良線で最も新しい駅であるJR小倉駅、続いて新田駅と続く。その後、城陽市に入ると京都府南部最大の古墳である久津川車塚古墳を縦断し、城陽駅に着く。城陽駅には折り返し運転のための引き上げ線がある。ここからは単線となり、田園地帯が開ける。長池駅周辺は、京都へ五里、奈良へ五里の奈良街道の中間地点で、宿場町として栄えていた地域である。長池駅以南は丘陵部から木津川の河谷にできた低地を横断して木津川に流れ込むため天井川が多く、奈良線でも6つの天井川と交差する。このうち、山城青谷駅 - 山城多賀駅間の青谷川と、玉水駅-棚倉駅間の不動川は短い単線トンネルをくぐって交差しており、形状は通常の山岳トンネルと同様である。山城青谷駅は京都府内でも一番を誇る青谷梅林の最寄り駅で、奈良線では最も利用の少ない山城多賀駅と続き、ここから1駅間だけ再度複線区間となって、快速停車駅である玉水駅に到着する。玉水駅のホームには、1953年8月15日に発生した南山城水害で駅の南東約500m先の玉川から押し流された岩石と記念碑が水難記念としてホームに置かれている。",
"title": "沿線概況"
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"text": "玉水駅を発車すると、桜の名所で平成の名水百選に選定された玉川の天井川をくぐり、駅周辺がタケノコの産地である棚倉駅を通過し、椿井大塚山古墳の中を抜けて上狛駅と続き、木津川を渡ると片町線(学研都市線)・関西本線(大和路線)との分岐駅である木津駅に到着する。同駅に発着する奈良線の列車はすべて関西本線(大和路線)の奈良駅まで直通運転を行っている。",
"title": "沿線概況"
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"text": "沿線にある京都市の伏見稲荷大社、宇治市の平等院などへの観光や、城陽市など京都府南部地域からの通勤・通学路線としての性格が強くなっている。しかし桃山駅 - 新田駅間は東側に大きく迂回する線形であり(これは奈良鉄道敷設当時、この一帯にあった巨椋池の周囲を迂回したためである)、また城陽以南は町の中心部から外れた場所を走っており、JR西日本発足後に一部区間の複線化や快速の増発などの輸送改善が図られているものの、並行する近鉄京都線とは京奈間・地域輸送ともにまだ格差がある。",
"title": "運行形態"
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"text": "みやこ路快速・快速・区間快速・普通の4種別の列車が運転されている。",
"title": "運行形態"
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"text": "朝には大和路線のJR難波駅からの直通列車があり、2022年3月12日改正時点で平日にのみJR難波駅 - 奈良駅間を普通、奈良駅 - 京都駅間を区間快速及び快速で運転する列車が2本設定されている。この列車はJR難波駅の時点で京都行きとして案内される。逆のパターンである京都駅から奈良駅を経由してJR難波駅に直通する列車は年末年始の終夜運転時やダイヤ乱れ時を除きない。",
"title": "運行形態"
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"text": "このほかにも運用上の都合で朝や夕方以降に、大和路線王寺方面と直通する列車がある。前述の早朝にJR難波駅から直通する列車のみ、JR難波・王寺方面からの直通列車として時刻表に掲載されている(2004年3月13日改正前の時刻表には掲載されていなかった)。",
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"text": "2001年3月3日から設定された最速達の種別で、京都駅 - 奈良駅間で日中を中心に運転されている。全区間で快速運転を行う。停車駅は京都駅、東福寺駅、六地蔵駅、宇治駅、城陽駅、玉水駅、木津駅、奈良駅である。関西本線への直通区間のうち大和路線の快速が停車する平城山駅には停車しない。",
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"text": "この種別は近鉄京都線の急行のライバル的存在となっている。みやこ路快速の種別名は運転開始前に一般公募により決定した。2,548通の応募があり、このうち「古都」「古都路」などが使われたものは520通で1位、「みやこ」が使われたものも386通で2位であったが、76通であった「みやこ路快速」が採用された。",
"title": "運行形態"
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"text": "基本的に1時間に2本(30分間隔)の運転で、宇治駅で普通電車と相互接続を行っている。また、京都行きは、土休日ダイヤの1本をのぞいて、城陽駅でも普通電車と接続している。観光地である京都と奈良を結ぶ列車として、日本人だけでなく国外からの観光客の利用も多い。また、京都市から宇治市・城陽市などへの通勤通学列車・近郊列車としての役割も担う。複線化完了までのダイヤでは、下りと上りが単線区間で行き違うための運転停車があったため下りと上りとで所要時間に若干差があったが、2023年3月18日のダイヤ改正で単線区間での行き違い待ちを解消したため、標準所要時間は上下とも京都駅 - 奈良駅間が約44分と同じになった。",
"title": "運行形態"
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"text": "2022年のダイヤ改正で廃止になったが土休日の朝に大和路線・JR難波発の快速で、奈良から「みやこ路快速」となる京都行き列車が2本(2021年時点では1本のみ)運行されていた。",
"title": "運行形態"
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"text": "車両は全列車221系で、平日日中と土休日の全列車が6両編成で運転されている。運転開始当初はすべて4両編成であった。なお、ダイヤ乱れ時は205系で運転される場合もある。",
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"text": "正月三が日と1月4日や多客時には伏見稲荷大社への参詣客のため稲荷駅に臨時停車する。奈良歴史キャンペーンに伴い、2003年および2004年の9月 - 11月の土休日ダイヤでは、「みやこ路レジャー号」として京都駅 - 桜井駅間(京都駅 - 奈良駅間は定期のみやこ路快速)で運転されていた。",
"title": "運行形態"
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{
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"text": "朝夕ラッシュ時に運転されており、朝ラッシュは上りのみ2本、夕ラッシュは下りが30分に1本・上りが1時間に1本運転される。全区間で快速運転を行うが、みやこ路快速が通過するJR小倉駅・新田駅にも停車し、前述のみやこ路快速と同様に大和路線の快速が停車する平城山駅は通過する。上下ともすべての列車が宇治駅で普通と緩急接続を行う。車両は全列車221系で運転され、4両または6両編成で運転されている。",
"title": "運行形態"
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"text": "みやこ路快速が設定される前の2001年3月2日までの途中停車駅は、六地蔵駅・宇治駅・城陽駅・木津駅で、これに加えて正月ダイヤ時は稲荷駅と東福寺駅に停車していた。車両には117系が使用されていたが、みやこ路快速設定以後は奈良線では使用されていない。また設定当初は六地蔵駅と城陽駅を通過していた。",
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"text": "京都駅 - 宇治駅間でのみ快速運転を行い、宇治駅 - 奈良駅間では各駅に停車する。朝夕を中心にすべて221系の4両または6両で運転されているが、かつては103系での運用もあった。当初は平日ダイヤのみだったが、2006年3月18日のダイヤ改正から土休日ダイヤにも運転されるようになった。基本的に途中駅で普通を追い抜くことはないが、京都行きの上りは全列車宇治駅で普通電車と接続する。 平日朝の京都行きの上り2本は大和路線・JR難波発で運転され、大和路線内は各駅に停車する。",
"title": "運行形態"
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"text": "奈良線の区間快速は大和路線の区間快速との誤乗防止を図るため、ラインカラーが入った種別幕が使用されている。種別幕の「区間快速」の文字色についても大和路線の緑色とは異なり橙色となっている。2008年3月15日から10月17日までの期間は、221系用に新調された種別幕では奈良線区間快速用の表示が用意されておらず、大和路線同様の緑ラインカラー・緑文字の区間快速表示で運行されていた。",
"title": "運行形態"
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"text": "全区間で各駅に停車し、基本的に京都駅 - 城陽駅・奈良駅間で運転されている。日中時間帯は1時間に4本(城陽駅 - 奈良駅間は2本)が運転されている。朝夕ラッシュ時には、京都駅 - 宇治駅間の列車も運転されている。過去には桜井線との直通列車もあり、1992年頃には土曜・休日を中心に桜井線への直通列車が定期快速を延長する形で天理駅まで1時間に1本運転されていたが、1994年9月4日のダイヤ改正で奈良線と桜井線は系統分割された。",
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"text": "車両は基本的に205系の4両編成・221系の4両または6両編成で運転される。2011年3月12日のダイヤ改正で平日の221系による運用が大幅に増えた。103系の廃車進行に伴い行われた2016年10月の運用変更で、平日・土休日とも全体の約3分の1が221系で運用されている。",
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"text": "基本的に京都駅 - 奈良駅間直通列車が宇治駅でみやこ路快速もしくは快速の接続待ちを行い、京都駅 - 城陽駅間の区間列車が全区間先着するダイヤになっているが、朝晩には京都駅 - 奈良駅間直通列車でも全区間先着する列車がある。また城陽始発の上り1本は宇治駅で後発の区間快速の接続待ちを行う。",
"title": "運行形態"
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"text": "2018年から奈良線・嵯峨野線の普通・快速列車にてタブレット端末による多言語車内自動放送が行われている。",
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"text": "6両編成の221系には女性専用車の表示があるが、奈良線では終日設定されていない。",
"title": "運行形態"
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"paragraph_id": 31,
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"text": "臨時列車として特急列車が運転されたことがある。1987年から1988年にかけて「ふれ愛紀州路」、1988年から1989年まで「しらはま」の愛称で381系電車を用いて京都駅 - 白浜駅間に関西本線・阪和貨物線(現在は廃止)・阪和線・紀勢本線経由で運転された。",
"title": "運行形態"
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"text": "1998年1月6日には、奈良線の一部区間が複線化される2001年を目処に、定期列車として特急が運転されると報じられたこともあり、485系または381系を短編成に改造した3両編成で、日中に1時間1本設定され、途中の宇治駅のみに停車するか、ノンストップかにするかは検討中としていたが、この計画は中止され、その後特急列車の運転は行われていない。",
"title": "運行形態"
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"paragraph_id": 33,
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"text": "2013年までは毎年8月中旬(2014年は中止、2015年から2017年は大会自体が不開催となり同年12月に正式廃止)に、宇治駅周辺で宇治川花火大会が行われていたが、この際には通常ダイヤでは輸送力が確保できないため夕方以降最終まで全列車普通の特別ダイヤで運転され、京都駅 - 宇治駅間は上下ともに約10分間隔で運転されている。通常ダイヤでは設定されていない木津駅発着の列車も設定されていたが、現在は設定されていない。2013年夏における輸送では、奈良支所の6両編成の103系を運行に加え、日根野支所・森ノ宮支所からも編成を借り入れて多客輸送に使用した。",
"title": "運行形態"
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"text": "沿線には東福寺や伏見稲荷大社といった大きな社寺があるため、大晦日深夜から元日午前3時頃かけて、奈良線では京都駅 - 城陽駅間において、普通のみ約30分間隔で臨時列車が増発されている。",
"title": "運行形態"
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"paragraph_id": 35,
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"text": "かつては元旦にかけて全線で終夜運転が実施されており、1999年度までは京都駅から先、大阪方面とも直通運転を行い、西明石駅 - 大阪駅 - 京都駅 - 木津駅 - 奈良駅間で普通のみ30分間隔で運転されていたこともあった。その後は城陽駅 - 奈良駅間においては普通のみ約60分間隔の運転となり、中には京都発奈良線・大和路線経由JR難波行き(大和路線内は定期列車)が1本設定されたこともあった(2017年度)が、同区間の終夜運転は2017年度をもって取り止めとなった。京都駅 - 城陽駅間においては2018年度も普通のみ約30〜60分間隔で終夜運転を実施したが、2019年度からは午前3時頃で運行を打ち切っており、終夜運転ではなくなっている。",
"title": "運行形態"
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"paragraph_id": 36,
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"text": "かつては正月三が日は臨時ダイヤとなり、快速が京都駅 - 宇治駅間各駅に停車するほか、宇治駅までは本数を増やして運転されていた。年によっては桃山駅折り返し列車の設定もあった。2003年正月期頃までは日中を中心に正月特別ダイヤを組んでいた(当時は「みやこ路快速」は稲荷駅のほか東福寺駅にも臨時停車していた)が、現在は通常時の運転本数が増加したこともあり特別な増発は行われず、正月三が日と1月4日に稲荷駅に「みやこ路快速」が臨時停車するのみとなっている。",
"title": "運行形態"
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"text": "東福寺駅が紅葉の名所である東福寺の最寄り駅であること、さらに東福寺駅から京阪本線への乗換利用客が増加していることから、2009年以降、11月下旬の土日祝日に、京都駅 - 桃山駅間の臨時普通列車が設定されることがあった(2012年は11月23 - 25日の午後に3往復設定)が、2017年より複線化工事の一環として桃山駅構内の工事が開始されたことにより、2017年以降は設定されなくなった。代わりに伏見稲荷大社への参詣者の増加に伴い、2018年以降は11月下旬の土日祝日の日中のみ「みやこ路快速」が稲荷駅に臨時停車している。",
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"text": "奈良線には、日本各地からの団体臨時列車が乗り入れることがある。",
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"text": "毎年5月上旬から6月下旬にかけて、姫路市の小学校が利用している修学旅行列車が姫路駅などから奈良駅まで運転されており、この列車にはキハ189系気動車が使用されている。2010年度までは、キハ181系気動車が使用されており、同列車の老朽化に伴って、2010年度を最後に運転を終了するとしていた。",
"title": "運行形態"
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"text": "また、天理教の行事で特に7月下旬から8月上旬にかけてのこどもおぢばがえりや10月26日の大祭時には「天理臨」と呼ばれる列車が天理駅まで運転されている。関東地方からの列車については183系・189系電車により運転されていたが、新幹線利用への移行が進んだこともあり、2011年1月を最後に運転を終了している。かつてはDD51牽引の客車列車(12系や14系座席車など)で運転されることが多かった。",
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"text": "1997年9月11日にJR京都駅ビルのグランドオープンを記念した臨時列車は、奈良駅から223系1000番台で運行された。",
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"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "すべて吹田総合車両所に所属し、奈良支所に配置されている3扉の221系電車4両編成と6両編成、および4扉の205系(0番台・1000番台)電車4両編成が使用されている。電化以来、近畿統括本部の電化路線では唯一、207系や223系などのVVVFインバータ制御車は運用されていない。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "快速列車は原則として全列車が221系で運転されている。普通列車は2017年までは103系4両編成での運用が大半であったが、次第に221系の普通列車運用も増加し、2018年3月17日のダイヤ改正からは吹田総合車両所日根野支所から転入した205系も普通列車の運用に入った。なお、205系の帯色については、奈良線転入前まで配置されていた阪和線のスカイブルー色(青24号)のまま奈良線で営業運転を開始しており、奈良線の本来の車体色であるウグイス色(黄緑6号)には変更されていない。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "2022年3月11日、奈良支所に最後まで所属していた103系2編成が営業運転を終了した。これにより奈良線の車体色であるウグイス色をまとった車両は消滅した。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "旅客列車に使用された気動車は以下のとおり。気動車導入前は定期旅客列車にも客車が使用されていた。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "すべて電車が使用されている。",
"title": "使用車両"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "並行する京阪宇治線や近鉄京都線は以前から多数の列車が運行されていたのに対し、奈良線は国鉄末期の1984年10月1日に電化されるまで気動車による毎時片道1本程度の運行で、電化後も1988年3月12日までは105系電車の2両編成の運用が多く、運転本数も多くはなかった。しかしJR西日本の発足後、列車の4両編成化(一部は6両編成)、部分複線化、「みやこ路快速」などの快速列車を始めとする列車の増発など、急速に輸送改善が図られた。",
"title": "輸送改善"
},
{
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"tag": "p",
"text": "1994年12月に、京都府の公共交通網整備研究会鉄道部会は奈良線の活性化策として、高速化・複線化のほか、宇治駅 - 新田駅間に新駅設置や宇治駅の自由通路を設けた橋上化などの改良などが盛り込まれた提言を知事に答申し、これを受けた京都府はJR西日本などの関係機関との協議を開始した。折しも2002 FIFAワールドカップに向けて、城陽市富野地区でサッカースタジアム(京都スタジアム)を中心とする木津川右岸スタジアム公園建設の基本計画も決定しており、奈良線の利便性の向上は大きく望まれていた。",
"title": "輸送改善"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "1994年8月に「JR小倉駅(仮称)建設促進協議会」が発足し、また複線化については京都市・宇治市・城陽市・奈良市・井手町・山城町(現在の木津川市の一部)・木津町(現在の木津川市の一部)・宇治田原町でつくるJR奈良線複線化促進協議会も9万人の署名を添えてJR西日本に要望書を提出し、その早期着手を強く要請してきた。",
"title": "輸送改善"
},
{
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"tag": "p",
"text": "しかし、1995年に発生した阪神・淡路大震災によりJR西日本も大きな被害を受け、また株式上場を控えており奈良線の輸送改善について心配されていたが、JR西日本は京都府の要望通り段階的に整備を行うと回答し、整備計画は全区間の複線化を将来の目標としながらも次の4期に分けて工事を進めることになり、2001年の完成を目指して1998年1月に着工を開始した。工事費は162.6億円で、JR西日本と沿線自治体で折半した。",
"title": "輸送改善"
},
{
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"tag": "p",
"text": "これに先立って、長年地元から要望があった稲荷駅 - 桃山駅間に新駅設置工事が行われ、1997年3月にJR藤森駅が開業した。一連の輸送改善は当初の計画通りに進み、2001年3月3日のダイヤ改正により221系を投入して快速が増発されることになり、所要時間が大きく短縮されることになった。",
"title": "輸送改善"
},
{
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"tag": "p",
"text": "また、2004年の近畿交通審議会答申第8号で「輸送力の強化等によるサービス向上に資する事業」として、未だに単線区間が残るJR藤森駅 - 宇治駅間と新田駅 - 木津駅間の複線化が盛り込まれている。JR西日本と京都府は、山陰本線(嵯峨野線)京都駅 - 園部駅間が全線複線化が2010年3月に完成したことから、奈良線複線化の協議開始で合意し、2010年4月以降にJR西日本や沿線市町と費用負担や整備方法をめぐる協議を始める予定と同年1月に報じられた。京都府は2010年6月の京都府議会において、整備計画策定費1000万円を補正予算に計上した。",
"title": "輸送改善"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "ただし、自治体の財政状況やJR西日本の経営状態から、全線複線化ではなく限定的になる可能性が高く、2011年に着手したとしても、山陰本線と同様の工期と想定した場合、複線化工事が完了するのは早くても2018年になる見通しと報じられた。",
"title": "輸送改善"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "2012年1月25日、京都府はJR藤森駅 - 宇治駅間 (9.9km)、新田駅 - 城陽駅間 (2.1km)、山城多賀駅 - 玉水駅間 (2.0km) の複線化に向け、測量などの調査を新年度から行うことを発表した。この複線化にあわせて、京都駅・棚倉駅の改良工事も予定されている。なお複線化が行われる場合、宇治駅 - 黄檗駅間には新駅が設置される可能性にも言及されている。",
"title": "輸送改善"
},
{
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"tag": "p",
"text": "2012年6月26日の京都府議会の定例会で知事(当時)の山田啓二は、JR奈良線の複線化について2013年度に着手することを表明した。工期は10年程度とされている。",
"title": "輸送改善"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "2013年6月14日、京都府および関係市町とJR西日本は、複線化第二期事業について合意したと発表し、同年8月13日に基本協定書が締結されている。それによると、2012年1月の発表にあった3区間合計14.0kmが複線化され、複線化率は23.6%から64.0%に向上する。あわせて京都駅・六地蔵駅の構内改良や棚倉駅の一線スルー化も実施される。事業費は約369億円の予定で、京都府と関係市町が各138億円を補助する。事業期間は約10年間を想定。2016年7月26日には、複線化工事の起工式典が行われた。",
"title": "輸送改善"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "2020年3月時点の事業費は397.1億円。うち京都府が148.5億円、関係市町が148.5億円を補助する。2023年春に複線化開業を予定している。",
"title": "輸送改善"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "残る単線区間も、第二期事業に城陽駅以南を含んだことで今後の複線化対象とみなされているが、具体化はしていない。",
"title": "輸送改善"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "環境省は、列車走行に伴う住居等保全対象への騒音影響を回避・低減するため、音源対策に加え、沿線住民の意見を踏まえた防音壁の設置を基本とする適切な措置を講ずること、事後調査の結果が指針を達成しない場合は追加的な措置を講ずること、宇治川の橋梁について、眺望景観への介在が小さく、周辺景観との調和が図られる構造を採用すること等を求めている。",
"title": "輸送改善"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "近畿地方交通審議会で、将来、東海道本線(JR京都線)と相互直通列車の運転を図る案が検討されている。",
"title": "輸送改善"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "2020年12月6日に山城多賀駅 - 玉水駅間、2022年2月27日に新田駅 - 城陽駅間、同年5月22日に六地蔵駅 - 黄檗駅間、同年12月17日に黄檗駅 - 宇治駅間の複線化が完成した。",
"title": "輸送改善"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "2023年3月18日のダイヤ改正で京都駅 - 城陽駅間の複線化が完了することとなり、同区間の時間短縮や一部時間帯の増発、奈良線全体ではみやこ路快速の時間短縮などが行われる予定となっている。これにより奈良線の複線化率は24%から64%となる。",
"title": "輸送改善"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "日本の国土交通省は、沿線の京都府南部・奈良県北部・大阪府北東部をまたぐ関西文化学術研究都市(通称学研都市)の整備に関する基本方針の一環として、当路線の長池駅と片町線(学研都市線)の京田辺駅を結ぶ短絡線「片奈連絡線(かたなれんらくせん)」の整備の必要性について検討しており、実際1989年5月に出された、運輸政策審議会答申第10号では、「2005年までに整備すべき路線」として挙げられていたが、2004年10月の近畿地方審議会答申第8号には盛り込まれなかった。",
"title": "片奈連絡線"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "片町線の松井山手駅 - 木津駅の早期複線電化を促す、関係自治体(大阪府・京都府の8市1町)で構成する「片町線複線化促進期成同盟会」も2019年8月の会合でJRに対し、この片奈連絡線の早期実現に向けた陳情を行っている。",
"title": "片奈連絡線"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "奈良鉄道によって京都駅 - 木津駅 - 奈良駅間が開通したが、この区間のうち京都駅 - 桃山駅間は当初現在の近鉄京都線のルートを通っていた。東海道本線の馬場駅(現在の膳所駅) - 京都駅間が東山トンネル経由の現在線に切り替えられた1921年のその日に、京都駅 - 稲荷駅間の旧東海道本線と稲荷駅 - 桃山駅間の新線が奈良線となり、京都駅 - 伏見駅間が廃止、伏見駅 - 桃山駅間が貨物線化された。のちに京都駅 - 丹波橋駅間は近鉄京都線の前身である奈良電気鉄道に払い下げられた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "奈良電気鉄道の路線が1928年に開業した後は、運行頻度や所要時間で劣るため直通需要を大きく奪われる。戦後、1950年代にいち早く旅客列車を気動車化し、また駅の増設が行われるなどしたが、それ以降は特に目立った投資はなされず、1984年になってようやく電化が完成するといったように、完全なローカル線と化していた。国鉄時代は天王寺鉄道管理局が奈良線全線を管轄していた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "本格的な活性化策がとられるようになったのは、国鉄分割民営化に伴いJR西日本の所属路線となってからである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "JR西日本の奈良線に対する投資を報じた1991年の朝日新聞記事には、投資の背景として「(前年の)即位の礼の一連の行事で関西を訪問された天皇、皇后両陛下はJR東海の東海道新幹線で京都駅に着くと、そのまま近鉄で奈良方面へ向かわれ、地元JR西日本の列車はまったく利用されなかった。こんな「屈辱感」や、関西文化学術研究都市の開発などで沿線人口が増えていることが、JR西日本の投資意欲を駆り立てているようだ」との記述が見られる。しかし、その後も皇族の奈良方面への移動には主に近鉄が利用されており、当路線の利用は実現していない。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響により電動機に使用している部品を製作しているメーカーが被災して製造の見通しが立たなかったため、使用できない車両が発生する恐れがあることから、2011年4月11日から当分の間、日中のみやこ路快速の運転を取り止める予定であったが、部品調達の目処が立ったのでこの措置は行われず、4月11日以降も通常のダイヤで運転された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "括弧内は京都駅起点の営業キロ",
"title": "駅一覧"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "京都駅 (0.00) - 八条仮信号所 (0.80) - 東寺仮停車場 (1.13) - 伏見駅 (5.31) - 桃山駅 (7.08)",
"title": "駅一覧"
}
] | 奈良線(ならせん)は、京都府木津川市の木津駅から京都府京都市下京区の京都駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。正式な起点は木津駅であるが、京都駅から木津駅へ向かう列車を「下り」としている。以下特記なければ、京都駅から木津駅(および奈良駅)へ向かう方向に記述する。 | {{Otheruses|西日本旅客鉄道の奈良線|近畿日本鉄道の奈良線|近鉄奈良線}}
{{Infobox 鉄道路線
|路線名 = [[File:JR logo (west).svg|35px|link=西日本旅客鉄道]] 奈良線
|路線色 = #AA731C
|ロゴ = JRW kinki-D.svg
|ロゴサイズ = 40px
|画像 = series221-Nara_line.jpg
|画像サイズ =
|画像説明 = 奈良線を走行する[[JR西日本221系電車|221系]]「みやこ路快速」<br>(2020年4月11日 京都府木津川市山城町付近)
|国 = {{JPN}}
|所在地 = [[京都府]]
|種類 = [[日本の鉄道|普通鉄道]]([[在来線]]・[[幹線]])
|起点 = [[木津駅 (京都府)|木津駅]]
|終点 = [[京都駅]]
|駅数 = 19駅
|電報略号 = ナラセ<ref name="tetsudoudenpouryakugou-p22">{{Cite book |和書 |author=日本国有鉄道電気局 |date=1959-09-17 |title=鉄道電報略号 |url= |format= |publisher= |volume= |page=22}}</ref>
|路線記号 = {{JR西路線記号|K|D}}
|開業 = [[1879年]][[8月18日]]
|全通 = [[1896年]][[3月13日]]
|廃止 =
|所有者 = [[西日本旅客鉄道]]
|運営者 = 西日本旅客鉄道
|車両基地 = [[吹田総合車両所]][[奈良電車区|奈良支所]]
|使用車両 = [[国鉄205系電車|205系]]、[[JR西日本221系電車|221系]]
|路線距離 = 34.7 [[キロメートル|km]]
|軌間 = 1,067 [[ミリメートル|mm]]
|線路数 = [[複線]](玉水駅 - 山城多賀駅間、城陽駅 - 京都駅間)<br />[[単線]](上記以外)
|電化方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]]
|閉塞方式 = 自動閉塞式
|保安装置 = [[自動列車停止装置#拠点P|ATS-P]]および[[自動列車停止装置#ATS-S改良形|ATS-SW]](拠点P方式)
|最高速度 = 110 [[キロメートル毎時|km/h]]
|路線図 =
}}
'''奈良線'''(ならせん)は、[[京都府]][[木津川市]]の[[木津駅 (京都府)|木津駅]]から京都府[[京都市]][[下京区]]の[[京都駅]]に至る[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の[[鉄道路線]]([[幹線]])である。正式な起点は木津駅であるが、京都駅から木津駅へ向かう列車を「[[ダイヤグラム#上りと下り|下り]]」としている。以下特記なければ、京都駅から木津駅(および奈良駅)へ向かう方向に記述する。
== 概要 ==
[[ファイル:Kyoto-Nara Railway Line Map.svg|thumb|170px|right|京都・奈良間鉄道路線図]]
[[ファイル:Kyoto-Fushimi Railway Line Map.svg|thumb|170px|right|京都伏見付近拡大図]]
JR西日本の[[アーバンネットワーク]]の路線の一つであり、京都駅で[[東海道新幹線]]と[[東海道本線]]([[琵琶湖線]]・[[JR京都線]])・[[山陰本線]]([[嵯峨野線]])に、木津駅で[[関西本線]]([[大和路線]])と[[片町線]](学研都市線)に接続し、関西本線[[奈良駅]]方面との直通運転により、観光都市である[[京都市|京都]]・[[奈良市|奈良]]間の都市間輸送を担う。京都への通勤・通学路線であると同時に京都と奈良へ向かう観光路線でもある。
線路名称としての奈良線は京都駅 - 木津駅間であり、奈良線と称しながら全区間が[[京都府]]内にあり、[[奈良県]]内にはまったく路線がない。もともと本路線は京都駅と奈良駅を結ぶ路線として[[奈良鉄道]]により開業したものの、鉄道国有化後に木津駅以南が関西本線に編入された経緯がある。なお、関西本線の[[平城山駅]]・奈良駅でも旅客案内上は京都駅発着の列車は「奈良線」と案内され、木津駅に乗り入れる列車は全列車が関西本線に乗り入れて奈良駅発着で運転される。
ラインカラーは'''茶色'''({{Color|#AA731C|■}})であり、選定理由は「日本の古都を結ぶクラシックな落ち着いたイメージ」としている。路線記号は''' D '''<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/08/page_5993.html 近畿エリア・広島エリアに「路線記号」を導入します] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2014年8月6日</ref>。
全線にわたって[[近畿日本鉄道]](近鉄)の[[近鉄京都線|京都線]]と競合しているが、全線複線の近鉄の方が運転本数が多く、JRの[[奈良駅]]の位置が[[近鉄奈良駅]]に比べて奈良市の中心部からやや離れているため、近鉄京都線が優位な状況となっている。JR西日本はかつて全線単線であった当路線の一部区間を複線化し、快速列車の増発やスピードアップを行うことで近鉄に対抗している。ただ、外国人観光客に関しては、[[ジャパンレールパス]]が近鉄では利用できないため、JRを使うケースも多い<ref group="注釈">同様のケースは[[日光線]]や[[参宮線]]でも見られる。</ref>。 また、京都駅 - [[宇治駅 (JR西日本)|宇治駅]]間は[[京阪本線]]・[[京阪宇治線|宇治線]]の[[東福寺駅]] - [[中書島駅]] - [[宇治駅 (京阪)|宇治駅]]間とも並行している。
全線が[[大都市近郊区間 (JR)|大都市近郊区間]]の「[[大都市近郊区間 (JR)#大阪近郊区間|大阪近郊区間]]」および[[ICカード|IC]][[乗車カード]]「[[ICOCA]]」エリアに含まれている。なお[[長池駅]] - [[上狛駅]]間では[[無人駅]]も混在するため簡易型[[自動改札機]]が設置されている。[[電車特定区間]]とはなっておらず幹線運賃が適用されるが、[[運賃#特定区間運賃|特定運賃]]が京都駅 - 城陽駅・奈良駅間などに設定されている。
=== 路線データ ===
* 管轄(事業種別):西日本旅客鉄道([[鉄道事業者|第一種鉄道事業者]])
* 路線距離([[営業キロ]]):34.7 km
* [[軌間]]:1,067 mm
* 駅数:19(起終点駅含む)
** 奈良線所属駅に限定した場合、関西本線所属の木津駅、東海道本線の所属の京都駅<ref>『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』[[JTB]] 1998年 {{ISBN2|978-4-533-02980-6}}</ref>が除外され、17駅となる。
* 複線区間:玉水駅 - 山城多賀駅間、城陽駅 - 京都駅間
* 電化区間:全線電化(直流1,500 V)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式
* 保安装置:[[自動列車停止装置#拠点P|ATS-P]](拠点P方式)および[[自動列車停止装置#ATS-S改良形|ATS-SW]]
* [[運転指令所]]:[[大阪総合指令所]]
* 最高速度:
** 110 km/h(複線区間)
** 95 km/h(単線区間)
* [[ICカード|IC]][[乗車カード]]対応区間:
** [[ICOCA]]エリア:全線(全線 [[PiTaPa|PiTaPaポストペイサービス]]対象区間)
全区間を[[西日本旅客鉄道近畿統括本部|近畿統括本部]]が管轄している。
== 沿線概況 ==
{{奈良線路線図}}
{{Main2|木津駅 - 奈良駅間|関西本線#加茂駅 - JR難波駅間(大和路線)}}
[[京都駅]]では、奈良線の列車は[[東海道新幹線]]に隣接した8 - 10番のりばから発車する。東海道本線([[琵琶湖線]])とわずかに並走し、南進するためにカーブを進みながら東海道新幹線をくぐり、[[鴨川 (淀川水系)|鴨川]]・[[琵琶湖疏水]]に架かるトラス橋梁を渡ると[[京阪電気鉄道]](京阪)との共同使用駅である[[東福寺駅]]である。その先の[[稲荷駅]]は[[伏見稲荷大社]]の最寄り駅で、国鉄最古の[[ランプ小屋]]([[準鉄道記念物]])が現存している。
稲荷駅を出て左にカーブすると直線が続き、その先で右にカーブするが、かつてはこの付近からまっすぐ東海道本線旧線が続いていた。[[名神高速道路]]をくぐると[[地下駅#掘割駅|掘割駅]]の[[JR藤森駅]]を過ぎ、[[伏見桃山陵]]への参拝客で賑わいを見せた[[桃山駅]]に着く。同駅には、自動信号化1万km達成の記念標識がホームに置かれている<ref name="tennoji-30">『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局 1981年 p.54 - p.55</ref>。ここからは進路を一度東に変え、[[桃山丘陵]]の南縁をたどるように時折眼下に[[淀川|宇治川]]、旧[[巨椋池]]を望みながら、やがて右にカーブし、山科川を渡って京都市から[[宇治市]]に入り、[[京都市営地下鉄]][[京都市営地下鉄東西線|東西線]]との接続駅である[[六地蔵駅]]に至る。
[[木幡駅 (JR西日本)|木幡駅]]・[[黄檗駅]]と続き、[[京阪宇治線]]と並走するが、ほどなくして別れて[[京滋バイパス]]を越え、[[宇治駅 (京阪)|京阪宇治駅]]が右手に見えると[[淀川 (近畿)|宇治川]]を渡り、[[宇治駅 (JR西日本)|宇治駅]]に到着する。宇治駅では改良工事により、上下共に[[停車 (鉄道)#緩急接続|緩急接続]]ができるようになり、一部は京都方面から折り返し運転もしている。
宇治駅からは、奈良線で最も新しい駅である[[JR小倉駅]]、続いて[[新田駅 (京都府)|新田駅]]と続く。その後、[[城陽市]]に入ると京都府南部最大の古墳である[[久津川車塚古墳]]を縦断し、[[城陽駅]]に着く。城陽駅には折り返し運転のための[[引き上げ線]]がある。ここからは単線となり、田園地帯が開ける。[[長池駅]]周辺は、京都へ五里、奈良へ五里の[[奈良街道 (京都府)|奈良街道]]の中間地点で、[[宿場町]]として栄えていた地域である<ref>{{Wayback|url=http://www.joyo-kankou.jp/kankou/rekisi2.html|title=宿場町・旅篭資料<城陽市観光便り>|date=20030511223102}} - 城陽市観光協会</ref>。長池駅以南は丘陵部から木津川の河谷にできた低地を横断して木津川に流れ込むため[[天井川]]が多く、奈良線でも6つの天井川と交差する<ref>[https://www.pref.kyoto.jp/shingikai/kasen-03/documents/1300065347322.pdf#page=8 一級河川淀川水系 木津川圏域河川整備計画(案)] - 京都府 2011年2月 p.6</ref>。このうち、山城青谷駅 - 山城多賀駅間の青谷川と、玉水駅-棚倉駅間の[[不動川 (京都府)|不動川]]は短い単線トンネルをくぐって交差しており、形状は通常の山岳トンネルと同様である。[[山城青谷駅]]は京都府内でも一番を誇る青谷梅林の最寄り駅で<ref>{{Wayback|url=http://www.joyo-kankou.jp/kankou/bairin.html|title=青谷梅林<城陽市観光便り>|date=20030510153622}} - 城陽市観光協会</ref>、奈良線では最も利用の少ない[[山城多賀駅]]と続き<ref>[http://www.pref.kyoto.jp/tokei/yearly/tokeisyo/ts2009/tokeisyo200910.html 平成21年京都府統計書 第10章運輸・情報通信・観光(10-1 鉄道の乗車人員)] - 京都府</ref>、ここから1駅間だけ再度複線区間となって、快速停車駅である[[玉水駅]]に到着する。玉水駅のホームには、1953年8月15日に発生した[[南山城水害]]で駅の南東約500m先の玉川から押し流された岩石と記念碑が水難記念としてホームに置かれている<ref name="tennoji-30" />。
玉水駅を発車すると、桜の名所で[[平成の名水百選]]に選定された玉川の天井川をくぐり、駅周辺が[[タケノコ]]の産地である[[棚倉駅]]を通過し<ref>[http://www.kyoyasai.co.jp/takenoko/yamashiro.html 京野菜かね正/京都の京竹の子] - かね正青果</ref>、[[椿井大塚山古墳]]の中を抜けて[[上狛駅]]と続き、[[木津川 (京都府)|木津川]]を渡ると[[片町線]](学研都市線)・[[関西本線]](大和路線)との分岐駅である[[木津駅 (京都府)|木津駅]]に到着する。同駅に発着する奈良線の列車はすべて関西本線(大和路線)の奈良駅まで直通運転を行っている。
<gallery>
ファイル:奈良県山城町付近を行く奈良線103系.jpg|単線区間を走行する奈良行きの列車
ファイル:JRW Nara Line view-01.JPG|宇治川橋梁を渡る奈良線の列車(単線時代)
</gallery>
== 運行形態 ==
{{Main2|各列車種別の現行の停車駅|#駅一覧}}
沿線にある京都市の[[伏見稲荷大社]]、宇治市の[[平等院]]などへの観光や、城陽市など京都府南部地域からの通勤・通学路線としての性格が強くなっている。しかし桃山駅 - 新田駅間は東側に大きく迂回する線形であり(これは奈良鉄道敷設当時、この一帯にあった[[巨椋池]]の周囲を迂回したためである)、また城陽以南は町の中心部から外れた場所を走っており、JR西日本発足後に一部区間の[[複線]]化や快速の増発などの[[#輸送改善|輸送改善]]が図られているものの、並行する近鉄京都線とは京奈間・地域輸送ともにまだ格差がある。
=== 定期列車 ===
[[#みやこ路快速|みやこ路快速]]・[[快速列車|快速]]・[[列車種別#区間種別|区間快速]]・[[普通列車|普通]]の4種別の列車が運転されている。
朝には[[大和路線]]の[[JR難波駅]]からの直通列車があり、2022年3月12日改正時点で平日にのみJR難波駅 - 奈良駅間を普通、奈良駅 - 京都駅間を区間快速及び快速で運転する列車が2本設定されている<ref name="jtbtt202203">『JTB時刻表』2022年3月号、p.293</ref>。この列車はJR難波駅の時点で京都行きとして案内される。逆のパターンである京都駅から奈良駅を経由してJR難波駅に直通する列車は[[#大晦日臨時列車|年末年始の終夜運転時]]やダイヤ乱れ時を除きない。
このほかにも運用上の都合で朝や夕方以降に、大和路線王寺方面と直通する列車がある。前述の早朝にJR難波駅から直通する列車のみ、JR難波・王寺方面からの直通列車として時刻表に掲載されている(2004年3月13日改正前の時刻表には掲載されていなかった)。
{| class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; float:none; margin:0 0 1em 1em;"
|+日中1時間あたりの運転本数<br />(2021年10月2日現在)<ref>{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/210727_03_keihanshin.pdf 2021年秋ダイヤ見直しについて]}} - 西日本旅客鉄道近畿統括本部プレスリリース 2021年7月28日</ref><ref group="注釈">木津駅 - 奈良駅間は大和路線の列車を含む。</ref>
!種別\駅名
!style="width:1em;"|京都
!…
!colspan="2" style="width:1em;"|城陽
!…
!colspan="2" style="width:1em;"|木津
!…
!style="width:1em;"|奈良
|-
|みやこ路快速 ||colspan="9" style="background-color:#fd9;"|2本
|-
|[[大和路快速]] ||colspan="6"|←加茂 || style="background-color:#ada;" colspan="3" |1本
|-
|rowspan="2"|普通 ||colspan="9" style="background-color:#ccc"|2本
|-
|colspan="3" style="background-color:#ccc"|2本 ||colspan="6"|
|}
==== みやこ路快速 ====
[[ファイル:Miyakoji Rapid Service.jpg|thumb|left|みやこ路快速の種別幕]]
[[ファイル:Series221-36.jpg|thumb|left|[[JR西日本221系電車|221系電車]]による「みやこ路快速」]]
[[2001年]][[3月3日]]から設定された最速達の種別で<ref name="交通2001-03-06">{{Cite news |title=奈良線部分複線化が完成 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2001-03-06 |page=1 }}</ref>、京都駅 - 奈良駅間で日中を中心に運転されている。全区間で快速運転を行う。停車駅は京都駅、[[東福寺駅]]、[[六地蔵駅]]、[[宇治駅 (JR西日本)|宇治駅]]、[[城陽駅]]、[[玉水駅]]、[[木津駅 (京都府)|木津駅]]、奈良駅である。関西本線への直通区間のうち大和路線の快速が停車する[[平城山駅]]には停車しない。
この種別は近鉄京都線の[[近鉄京都線#急行|急行]]のライバル的存在となっている。みやこ路快速の種別名は運転開始前に一般公募により決定した<ref>[https://web.archive.org/web/20010417090302/http://www.westjr.co.jp/kou/press/4press/n001017a.html 奈良線「221系快速電車」の愛称名を募集します]([[インターネットアーカイブ]])- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2000年10月17日</ref>。2,548通の応募があり、このうち「古都」「古都路」などが使われたものは520通で1位、「みやこ」が使われたものも386通で2位であったが、76通であった「みやこ路快速」が採用された<ref>「記者から10日 JR奈良線に登場の『みやこ路快速』愛称に思う」- [[読売新聞]] 2001年1月10日</ref>。
基本的に1時間に2本(30分間隔)の運転で、宇治駅で普通電車と[[停車 (鉄道)#緩急接続|相互接続]]を行っている。また、京都行きは、土休日ダイヤの1本をのぞいて、城陽駅でも普通電車と接続している。観光地である京都と[[奈良市|奈良]]を結ぶ列車として、日本人だけでなく国外からの観光客の利用も多い<ref group="注釈">特に訪日観光客は[[ジャパンレールパス]]が使用できるJRを利用することが多い。</ref>。また、京都市から宇治市・城陽市などへの通勤通学列車・近郊列車としての役割も担う。複線化完了までのダイヤでは、下りと上りが単線区間で行き違うための運転停車があったため下りと上りとで所要時間に若干差があったが、2023年3月18日のダイヤ改正で単線区間での行き違い待ちを解消したため、標準所要時間は上下とも京都駅 - 奈良駅間が約44分と同じになった。
2022年のダイヤ改正で廃止になったが土休日の朝に大和路線・JR難波発の快速で、奈良から「みやこ路快速」となる京都行き列車が2本(2021年時点では1本のみ)運行されていた。
車両は全列車[[JR西日本221系電車|221系]]で、平日日中と土休日の全列車が6両編成で運転されている<ref name="press_20191213">{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/191213_00_keihanshin-kaku%20%28NXPowerLite%20Copy%29.pdf 2020年春ダイヤ改正について]}} - 西日本旅客鉄道近畿統括本部プレスリリース 2019年12月13日</ref>。運転開始当初はすべて4両編成であった。なお、ダイヤ乱れ時は[[国鉄205系電車|205系]]で運転される場合もある。
[[正月三が日]]と1月4日や多客時には伏見稲荷大社への参詣客のため稲荷駅に臨時停車する。奈良歴史キャンペーンに伴い、2003年および2004年の9月 - 11月の土休日ダイヤでは、「'''みやこ路レジャー号'''」として京都駅 - [[桜井駅 (奈良県)|桜井駅]]間(京都駅 - 奈良駅間は定期のみやこ路快速)で運転されていた。
==== 快速 ====
[[File:221 NC617 Nara Line Rapid Service.jpg|left|thumb|221系電車による快速]]
朝夕ラッシュ時に運転されており、朝ラッシュは上りのみ2本、夕ラッシュは下りが30分に1本・上りが1時間に1本運転される。全区間で快速運転を行うが、みやこ路快速が通過する[[JR小倉駅]]・[[新田駅 (京都府)|新田駅]]にも停車し、前述のみやこ路快速と同様に大和路線の快速が停車する平城山駅は通過する。上下ともすべての列車が宇治駅で普通と緩急接続を行う。車両は全列車221系で運転され、4両または6両編成で運転されている。
みやこ路快速が設定される前の2001年3月2日までの途中停車駅は、六地蔵駅・宇治駅・城陽駅・木津駅で、これに加えて正月ダイヤ時は稲荷駅と東福寺駅に停車していた。車両には[[国鉄117系電車|117系]]が使用されていたが、みやこ路快速設定以後は奈良線では使用されていない。また設定当初は六地蔵駅と城陽駅を通過していた。
==== 区間快速 ====
[[File:221 NC603 Nara Line Regional Rapid Service.jpg |left|thumb|221系電車による区間快速]]
京都駅 - 宇治駅間でのみ快速運転を行い、宇治駅 - 奈良駅間では各駅に停車する。朝夕を中心にすべて221系の4両または6両で運転されているが、かつては103系での運用もあった。当初は平日ダイヤのみだったが、[[2006年]][[3月18日]]のダイヤ改正から土休日ダイヤにも運転されるようになった。基本的に途中駅で普通を追い抜くことはないが、京都行きの上りは全列車宇治駅で普通電車と接続する。
平日朝の京都行きの上り2本は大和路線・JR難波発で運転され、大和路線内は各駅に停車する。
奈良線の区間快速は大和路線の区間快速との誤乗防止を図るため、ラインカラーが入った種別幕が使用されている。種別幕の「区間快速」の文字色についても大和路線の緑色とは異なり橙色となっている。2008年3月15日から10月17日までの期間は、221系用に新調された種別幕では奈良線区間快速用の表示が用意されておらず、大和路線同様の緑ラインカラー・緑文字の区間快速表示で運行されていた。
==== 普通 ====
[[File:103 NS409 Nara Line Local.jpg |left|thumb|103系電車による普通]]
全区間で各駅に停車し、基本的に京都駅 - 城陽駅・奈良駅間で運転されている。日中時間帯は1時間に4本(城陽駅 - 奈良駅間は2本)が運転されている。朝夕ラッシュ時には、京都駅 - 宇治駅間の列車も運転されている。過去には桜井線との直通列車もあり、1992年頃には土曜・休日を中心に桜井線への直通列車が定期快速を延長する形で天理駅まで1時間に1本運転されていたが、[[1994年]][[9月4日]]のダイヤ改正で奈良線と桜井線は系統分割された。
車両は基本的に[[国鉄205系電車|205系]]の4両編成・221系の4両または6両編成で運転される。2011年3月12日のダイヤ改正で平日の221系による運用が大幅に増えた。[[国鉄103系電車|103系]]の廃車進行に伴い行われた2016年10月の運用変更で、平日・土休日とも全体の約3分の1が221系で運用されている。
基本的に京都駅 - 奈良駅間直通列車が宇治駅でみやこ路快速もしくは快速の接続待ちを行い、京都駅 - 城陽駅間の区間列車が全区間先着するダイヤになっているが、朝晩には京都駅 - 奈良駅間直通列車でも全区間先着する列車がある。また城陽始発の上り1本は宇治駅で後発の区間快速の接続待ちを行う。
=== 車内自動放送 ===
2018年から奈良線・嵯峨野線の普通・快速列車にてタブレット端末による多言語車内自動放送が行われている<ref>[https://www.westjr.co.jp/fan/blog/article/2018/10/page_13247.html 自動放送アプリ~Train Announce~] - 広報だより『トレナビ』2018年10月18日、西日本旅客鉄道 </ref>。
=== その他 ===
6両編成の221系には[[女性専用車]]の表示があるが、奈良線では終日設定されていない。
=== 臨時列車・ダイヤ ===
==== 特急 ====
[[臨時列車]]として特急列車が運転されたことがある。1987年から1988年にかけて「[[くろしお (列車)#ふれあい紀州路・しらはま|ふれ愛紀州路]]」、1988年から1989年まで「[[くろしお (列車)#ふれあい紀州路・しらはま|しらはま]]」の愛称で[[国鉄381系電車|381系]]電車を用いて京都駅 - [[白浜駅]]間に[[関西本線]]・[[阪和貨物線]](現在は廃止)・[[阪和線]]・[[紀勢本線]]経由で運転された。
1998年1月6日には、奈良線の一部区間が複線化される2001年を目処に、定期列車として特急が運転されると報じられたこともあり、485系または381系を短編成に改造した3両編成で、日中に1時間1本設定され、途中の宇治駅のみに停車するか、ノンストップかにするかは検討中としていたが<ref>「京都 - 奈良にJR特急新設へ 古都つなぐ一部複線化3年後、1時間に1本」- 読売新聞近畿版夕刊 1998年1月6日</ref>、この計画は中止され、その後特急列車の運転は行われていない。
==== 宇治川花火大会 ====
2013年までは毎年8月中旬(2014年は中止、2015年から2017年は大会自体が不開催となり同年12月に正式廃止)に、宇治駅周辺で[[宇治川花火大会]]が行われていたが、この際には通常ダイヤでは輸送力が確保できないため夕方以降最終まで全列車普通の特別ダイヤで運転され、京都駅 - 宇治駅間は上下ともに約10分間隔で運転されている。通常ダイヤでは設定されていない木津駅発着の列車も設定されていたが、現在は設定されていない。2013年夏における輸送では、奈良支所の6両編成の103系を運行に加え、日根野支所・森ノ宮支所からも編成を借り入れて多客輸送に使用した。
==== 大晦日臨時列車 ====
沿線には[[東福寺]]や[[伏見稲荷大社]]といった大きな社寺があるため、[[大晦日]]深夜から元日午前3時頃かけて、奈良線では京都駅 - 城陽駅間において、普通のみ約30分間隔で臨時列車が増発されている<ref name="jr191212">{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2019/12/page_15240.html |title=大みそかの臨時列車運転のお知らせ |publisher=[[西日本旅客鉄道]] |date=2019-12-12 |accessdate=2019-12-16 }}</ref>。
かつては[[元日|元旦]]にかけて全線で[[終夜運転]]が実施されており、1999年度までは京都駅から先、大阪方面とも直通運転を行い、[[西明石駅]] - [[大阪駅]] - 京都駅 - 木津駅 - 奈良駅間で普通のみ30分間隔で運転されていたこともあった<ref name="jr181120">[https://web.archive.org/web/20000519092121/http://www.westjr.co.jp/kou/press/4press/n991015d.html 平成11年度【 冬 】の臨時列車の運転について 在来線(終夜臨時列車&初日の出列車)](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1999年10月15日</ref>。その後は城陽駅 - 奈良駅間においては普通のみ約60分間隔の運転となり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2017/11/page_11531.html |title=大みそかの終夜運転のお知らせ 〜大みそか深夜から元旦にかけて終夜運転を行います〜 |publisher=[[西日本旅客鉄道]] |date=2017-11-27 |accessdate=2018-12-10 }}</ref>、中には京都発奈良線・大和路線経由JR難波行き(大和路線内は定期列車)が1本設定されたこともあった(2017年度)が、同区間の終夜運転は2017年度をもって取り止めとなった<ref name="jr181120" />。京都駅 - 城陽駅間においては2018年度も普通のみ約30〜60分間隔で終夜運転を実施したが<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2018/11/page_13417.html |title=大晦日の終夜運転のお知らせ 大晦日深夜から元旦にかけて終夜運転を行います |publisher=[[西日本旅客鉄道]] |date=2018-11-20 |accessdate=2018-12-10 }}</ref>、2019年度からは午前3時頃で運行を打ち切っており、終夜運転ではなくなっている<ref name="jr191212" />。
==== 正月三が日 ====
かつては正月三が日は臨時ダイヤとなり、快速が京都駅 - 宇治駅間各駅に停車するほか、宇治駅までは本数を増やして運転されていた<ref>[https://web.archive.org/web/19980205215351/http://www.westjr.co.jp/new/1press/n971017h.html 平成9年《冬》の臨時列車の運転について(京阪神近郊の列車)](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1997年10月17日</ref>。年によっては桃山駅折り返し列車の設定もあった。2003年正月期頃までは日中を中心に正月特別ダイヤを組んでいた(当時は「みやこ路快速」は稲荷駅のほか東福寺駅にも臨時停車していた)が、現在は通常時の運転本数が増加したこともあり特別な増発は行われず、正月三が日と1月4日に稲荷駅に「みやこ路快速」が臨時停車するのみとなっている。
==== 秋の紅葉シーズン ====
[[東福寺駅]]が[[紅葉]]の名所である[[東福寺]]の最寄り駅であること、さらに東福寺駅から[[京阪本線]]への乗換利用客が増加していることから、[[2009年]]以降、11月下旬の土日祝日に、京都駅 - 桃山駅間の臨時普通列車が設定されることがあった(2012年は11月23 - 25日の午後に3往復設定)が、2017年より複線化工事の一環として桃山駅構内の工事が開始されたことにより、2017年以降は設定されなくなった。代わりに伏見稲荷大社への参詣者の増加に伴い、2018年以降は11月下旬の土日祝日の日中のみ「みやこ路快速」が稲荷駅に臨時停車している。
==== 団体列車 ====
奈良線には、日本各地からの[[団体専用列車|団体臨時列車]]が乗り入れることがある。
毎年5月上旬から6月下旬にかけて、[[姫路市]]の小学校が利用している[[修学旅行列車]]が[[姫路駅]]などから奈良駅まで運転されており、この列車には[[JR西日本キハ189系気動車|キハ189系]]気動車が使用されている<ref>[http://railf.jp/news/2011/06/14/171900.html 奈良線でキハ189系6両を使用した団臨] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年6月14日</ref>。2010年度までは、[[国鉄キハ181系気動車|キハ181系]]気動車が使用されており<ref>[http://railf.jp/news/2010/05/08/060200.html キハ181系による集約臨の運転が始まる] - 『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』[[交友社]] railf.jp鉄道ニュース 2010年5月8日</ref>、同列車の老朽化に伴って、2010年度を最後に運転を終了するとしていた<ref>[http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/0003093488.shtml さよなら修学旅行列車 姫路の小学校、バス利用に] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100618064457/http://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/0003093488.shtml |date=2010年6月18日 }} - [[神戸新聞]] 2010年6月15日</ref><ref>[http://railf.jp/news/2010/06/30/174700.html キハ181系による修学旅行臨が終了] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2010年6月30日</ref>。
また、[[天理教]]の行事で特に7月下旬から8月上旬にかけての[[天理教#こどもおぢばがえり|こどもおぢばがえり]]や[[10月26日]]の大祭時には「[[団体臨時列車#宗教団体臨時列車|天理臨]]」と呼ばれる列車が天理駅まで運転されている<ref>[http://railf.jp/news/2010/07/29/210600.html キハ65形「シュプール&リゾート」が天理へ]、[http://railf.jp/news/2010/07/29/210800.html 24系使用の天理臨運転] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2010年7月29日</ref>。[[関東地方]]からの列車については[[国鉄183系電車|183系・189系]]電車により運転されていたが、新幹線利用への移行が進んだこともあり、2011年1月を最後に運転を終了している<ref>{{Wayback|url=http://www.tenrikyo.or.jp/jpn/?p=2911|title=東京おぢば号運転中止のお知らせ|date=20110719081400}} - 天理教 2011年1月27日</ref><ref>[http://railf.jp/news/2011/01/27/190000.html 「東京おぢば号」が運転中止へ] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年1月27日</ref>。かつては[[国鉄DD51形ディーゼル機関車|DD51]]牽引の客車列車([[国鉄12系客車|12系]]や[[国鉄14系客車|14系]]座席車など)で運転されることが多かった。
==== その他 ====
1997年9月11日にJR京都駅ビルのグランドオープンを記念した臨時列車は、奈良駅から223系1000番台で運行された。
=== 過去の列車 ===
; [[急行列車|急行]] 「[[くろしお (列車)#大阪対南紀直通優等列車概略|紀ノ川]]」<ref>今尾恵介・原武史監修『日本鉄道旅行歴史地図帳』8号 近畿、新潮社、2010年、pp.47-48</ref>
: 奈良線・[[桜井線]]・[[和歌山線]]経由で京都駅 - [[和歌山駅]]間を結んでいた急行列車。奈良線内の途中停車駅は、宇治駅のみだった。
: 1962年3月1日に京都駅・名古屋駅・天王寺駅 - 白浜口駅(現・[[白浜駅]])間に運転を開始した準急「はまゆう」を前身とする。京都駅発着編成が奈良線を通り、奈良駅で名古屋駅発着編成と併結して和歌山線を経由して、東和歌山駅(現・和歌山駅)でさらに[[阪和線]]経由の天王寺駅発着編成と併結して白浜口駅とを結んでいた。1966年に急行に格上げされ奈良駅 - 高田駅間が桜井線経由となり、1968年に新宮駅 - 名古屋駅間に運転されていた急行 「はやたま」とともに、急行「しらはま」に改称され、名古屋駅・京都駅 - 白浜駅・新宮駅間の運転となった。
: 1980年10月1日に京駅発着編成が急行「紀ノ川」に改称されて京都駅 - 和歌山駅間の運転となった。なお、名古屋駅発着列車は急行「[[かすが (列車)|かすが]]」に編入され名古屋駅 - 奈良駅間の運転となった。急行「紀ノ川」は奈良線・和歌山線が電化された1984年10月1日に廃止された。
== 使用車両 ==
=== 現在の使用車両 ===
すべて[[吹田総合車両所]]に所属し、奈良支所<ref group="注釈">2012年6月1日に車両部門の組織改正が行われ、[[奈良電車区]]から分離発足した。</ref><ref>「車両部門の組織改正 JR西日本、近畿統括本部」『交通新聞』2012年6月5日</ref>に配置されている3扉の[[JR西日本221系電車|221系]]電車4両編成と6両編成、および4扉の[[国鉄205系電車|205系]](0番台・1000番台)電車4両編成が使用されている。電化以来、近畿統括本部の電化路線では唯一、207系や223系などの[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]車は運用されていない。
快速列車は原則として全列車が221系で運転されている<ref group="注釈">但しダイヤ乱れ時は205系が代走することも年数回ペースで発生しており、方向幕も用意されている。</ref>。普通列車は2017年までは[[国鉄103系電車|103系]]4両編成での運用が大半であったが、次第に221系の普通列車運用も増加し、2018年3月17日のダイヤ改正からは[[吹田総合車両所#日根野支所|吹田総合車両所日根野支所]]から転入した205系も普通列車の運用に入った<ref>[https://railf.jp/news/2018/03/18/195500.html 205系1000番台,奈良線で営業運転を開始] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2018年3月18日</ref>。なお、205系の帯色については、奈良線転入前まで配置されていた[[阪和線]]のスカイブルー色([[青24号]])のまま奈良線で営業運転を開始しており、奈良線の本来の車体色であるウグイス色([[黄緑6号]])には変更されていない。
2022年3月11日、奈良支所に最後まで所属していた103系2編成が営業運転を終了した<ref name="tetsudo-ch20220313">{{Cite web|和書|url=https://tetsudo-ch.com/12246922.html |title=奈良線を行く103系が定期運用から離脱、山手線を走った先頭車のゆくえは |accessdate=2022-03-14 |publisher=エキスプレス |date=2022-03-13 |website=[[鉄道チャンネル]]}}</ref>。これにより奈良線の車体色であるウグイス色をまとった車両は消滅した。
<gallery perrow="3" widths="180" style="font-size:90%;">
File:JR West 221 series set NA401 (41440540411).jpg|221系みやこ路快速(2018年4月)
File:Series205-1000-Nara-Line.jpg|205系(1000番台)普通(2019年1月)
</gallery>
=== 過去の使用車両 ===
==== 電化以前 ====
旅客列車に使用された[[気動車]]は以下のとおり。気動車導入前は定期旅客列車にも[[客車]]が使用されていた。
* [[国鉄キハ10系気動車|キハ17系]]
* [[国鉄キハ20系気動車|キハ20系]]
* [[国鉄キハ35系気動車|キハ35系]]
* [[国鉄キハ45系気動車|キハ45系]]
* [[国鉄キハ40系気動車 (2代)|キハ40系]]
* [[国鉄キハ55系気動車|キハ55系]]
* [[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]]
* [[国鉄キハ65形気動車|キハ65形]]
==== 電化以後 ====
[[ファイル:JRW 105 at Kyoto Station 19870806.jpg|thumb|京都駅奈良線ホームに停車中の105系]]
[[File:Series103 NS413.jpg|thumb|103系普通(2017年12月)]]
すべて[[電車]]が使用されている。
* [[国鉄103系電車|103系]]
** 1994年3月23日運用開始<ref>『103系物語』、JTBパブリッシング p.174</ref>。4両編成が主体であるが、2001年3月2日までは6両編成が朝ラッシュ時に運用されていた。主にウグイス色([[黄緑6号]])の車両が運用されており、かつては全ての普通列車の運用に就いていた時期もあったが、前述の205系転入により置き換えが進み、最後に残った2編成も2022年3月11日に定期運用を終了した<ref name="tetsudo-ch20220313" />。
* [[国鉄105系電車|105系]]
** 1984年10月1日に奈良線とともに電化された和歌山線五条駅 - 和歌山駅間と紀勢本線和歌山駅 - 和歌山市駅での運用のために、103系から改造された車両が使用された。1994年9月4日に桜井線・和歌山線に運用を集中させるために奈良線の運用から退いた。朝のラッシュ時間帯には2両編成を2編成繋げた4両編成での運用や、2両編成を3編成繋げた6両編成での運用も見られた。
* [[国鉄113系電車|113系]]
** 主に灰色([[灰色9号]])地に朱色([[朱色3号]])帯の「関西本線色」の車両が使用されていた。奈良線では1994年3月22日に運用を終了している<ref>『JR電車編成表』ジェー・アール・アール '94夏号 {{ISBN2|4-88283-021-3}}</ref>。
* [[国鉄117系電車|117系]]
** 1991年3月16日のダイヤ改正で奈良線に快速が設定されたのに伴い、宮原電車区(現在の[[網干総合車両所]][[宮原総合運転所|宮原支所]])の車両を使用して運用を開始した。2001年3月3日にみやこ路快速が新設され、221系が充当されるようになったため、奈良線の運用から退いた。現在では[[#団体列車|前述]]した団体臨時列車として入線することがある。
== 輸送改善 ==
並行する京阪宇治線や近鉄京都線は以前から多数の列車が運行されていたのに対し、奈良線は[[日本国有鉄道|国鉄]]末期の1984年10月1日に[[鉄道の電化|電化]]されるまで気動車による毎時片道1本程度の運行で、電化後も1988年3月12日までは[[国鉄105系電車|105系]]電車の2両編成の運用が多く、運転本数も多くはなかった。しかしJR西日本の発足後、列車の4両編成化(一部は6両編成)、部分[[複線]]化、「[[#みやこ路快速|みやこ路快速]]」などの[[快速列車]]を始めとする列車の増発など、急速に輸送改善が図られた。
=== 第1期複線化 ===
1994年12月に、[[京都府庁|京都府]]の公共交通網整備研究会鉄道部会は奈良線の活性化策として、高速化・複線化のほか、宇治駅 - 新田駅間に新駅設置や宇治駅の自由通路を設けた橋上化などの改良などが盛り込まれた提言を知事に答申し、これを受けた京都府はJR西日本などの関係機関との協議を開始した。折しも[[2002 FIFAワールドカップ]]に向けて、[[城陽市]]富野地区でサッカースタジアム([[京都スタジアム]])を中心とする木津川右岸スタジアム公園建設の基本計画も決定しており<ref group="注釈">1996年6月に、ワールドカップが[[日本]]と[[大韓民国|韓国]]の共催になったことを受けて行われた日本国内の開催都市を選定する投票では、京都府が落選したため、京都スタジアムの建設は凍結されている。</ref>、奈良線の利便性の向上は大きく望まれていた。
1994年8月に「JR小倉駅(仮称)建設促進協議会」が発足し、また複線化については京都市・[[宇治市]]・城陽市・[[奈良市]]・[[井手町]]・[[山城町 (京都府)|山城町]](現在の木津川市の一部)・[[木津町]](現在の木津川市の一部)・[[宇治田原町]]でつくるJR奈良線複線化促進協議会も9万人の署名を添えてJR西日本に要望書を提出し、その早期着手を強く要請してきた。
しかし、1995年に発生した[[阪神・淡路大震災]]によりJR西日本も大きな被害を受け、また[[株式上場]]を控えており奈良線の輸送改善について心配されていたが、JR西日本は京都府の要望通り段階的に整備を行うと回答し、整備計画は全区間の複線化を将来の目標としながらも次の4期に分けて工事を進めることになり、2001年の完成を目指して1998年1月に着工を開始した<ref name="交通980126">{{Cite news |title=奈良線、高速・複線化 JR西日本が工事着手 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1998-01-26 |page=1 }}</ref>。工事費は162.6億円で、JR西日本と沿線自治体で折半した<ref>[https://web.archive.org/web/19980205233542/http://www.westjr.co.jp/new/1press/n970424a.html 奈良線の部分複線化工事の計画について](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 1997年4月24日</ref>。
* 第1期整備工事:京都駅 - 京都教育大学駅(仮称、現[[JR藤森駅]])間および、宇治駅 - 新田駅間の複線化
* 第2期整備工事:京都駅 - 木津駅間の閉塞方式を、自動閉塞式(特殊)から自動閉塞式への改良
* 第3期整備工事:宇治駅の2面4線化及び、宇治駅 - 新田駅間の新駅設置 (現[[JR小倉駅]])
* 第4期整備工事:行き違い設備の[[一線スルー]]化や山城多賀駅の行き違い設備の新設など、駅整備改良工事
これに先立って、長年地元から要望があった稲荷駅 - 桃山駅間に新駅設置工事が行われ、1997年3月にJR藤森駅が開業した<ref name="交通970311">{{Cite news |title=JR藤森駅開業 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1997-03-11 |page=3 }}</ref>。一連の輸送改善は当初の計画通りに進み、2001年3月3日のダイヤ改正により221系を投入して快速が増発されることになり、所要時間が大きく短縮されることになった<ref>[https://web.archive.org/web/20001211023000/http://www.westjr.co.jp/kou/press/4press/n001017b.html 奈良線部分複線化及び新駅開業について](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2000年10月17日</ref>。
=== 第2期複線化 ===
また、[[2004年]]の近畿交通審議会答申第8号で「輸送力の強化等によるサービス向上に資する事業」として、未だに単線区間が残るJR藤森駅 - 宇治駅間と新田駅 - 木津駅間の複線化が盛り込まれている。JR西日本と京都府は、山陰本線([[嵯峨野線]])京都駅 - [[園部駅]]間が全線複線化が2010年3月に完成したことから、奈良線複線化の協議開始で合意し、2010年4月以降にJR西日本や沿線市町と費用負担や整備方法をめぐる協議を始める予定と同年1月に報じられた<ref name="kn100122">[http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2010012200043&genre=A2&area=K00 JR奈良線、11年にも複線化着手 府、10年度に計画策定]{{リンク切れ|date=2011年9月}} - [[京都新聞]] 2010年1月22日</ref><ref name="kyodo20100122">{{Cite web|和書|url=http://www.47news.jp/localnews/kyoto/2010/01/post_20100122115403.html|title=JR奈良線、11年にも複線化着手 府、10年度に計画策定|date=2010-01-22|work=47News|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130514051441/https://www.47news.jp/localnews/kyoto/2010/01/post_20100122115403.html|archivedate=2013-05-14|deadlinkdate=2022-06-16}}</ref>。京都府は2010年6月の京都府議会において、整備計画策定費1000万円を補正予算に計上した<ref>[http://www.rakutai.jp/doc/2010/06/02/030.html 奈良線複線化へ整備計画策定費 京都府、6月補正で1千万円措置]{{リンク切れ|date=2022年6月}} - 洛南タイムス2010年6月2日</ref>。
ただし、自治体の財政状況やJR西日本の経営状態から、全線複線化ではなく限定的になる可能性が高く<ref name="kn100122"/><ref name="kyodo20100122"/>、2011年に着手したとしても、山陰本線と同様の工期と想定した場合、複線化工事が完了するのは早くても2018年になる見通しと報じられた<ref name="kn100122"/>。
2012年1月25日、京都府はJR藤森駅 - 宇治駅間 (9.9km)、新田駅 - 城陽駅間 (2.1km)、山城多賀駅 - 玉水駅間 (2.0km) の複線化に向け、測量などの調査を新年度から行うことを発表した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20120126-OYT8T00025.htm 府、新年度予算案に調査費]{{リンク切れ|date=2022年6月}} - 読売新聞 2012年1月26日</ref>。この複線化にあわせて、京都駅・棚倉駅の改良工事も予定されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20120125000030|title=奈良線複線化、京都―城陽間完了へ JR西と府が合意|date=2012-01-25|work=京都新聞|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120125051036/https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20120125000030|archivedate=2012-01-25|deadlinkdate=2022-06-16}}</ref>。なお複線化が行われる場合、宇治駅 - 黄檗駅間には新駅が設置される可能性にも言及されている<ref name="kn120126">{{Cite news| url= http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20120126000028 |title= JR奈良線、新たに14キロ複線化へ 沿線首長の反応複雑 |newspaper= 京都新聞 |date= 2012-01-26 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20120126153337/http://kyoto-np.co.jp/yamashiro/article/20120126000028 |archivedate= 2012-01-26}}</ref>。
2012年6月26日の京都府議会の定例会で知事(当時)の[[山田啓二]]は、JR奈良線の複線化について2013年度に着手することを表明した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20120626000145|title=JR奈良線複線化、来年度着手へ 山田知事が表明|date=2012-06-26|work=京都新聞|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120626172225/https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20120626000145|archivedate=2012-06-26|deadlinkdate=2022-06-16}}</ref>。工期は10年程度とされている。
2013年6月14日、京都府および関係市町とJR西日本は、複線化第二期事業について合意したと発表し<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.kyoto.jp/koho/kaiken/documents/25061401.pdf JR奈良線の高速化・複線化第二期事業について]}} - 京都府建設交通部交通政策課(2013年6月14日)</ref>、同年8月13日に基本協定書が締結されている。それによると、2012年1月の発表にあった3区間合計14.0kmが複線化され、複線化率は23.6%から64.0%に向上する。あわせて京都駅・六地蔵駅の構内改良や棚倉駅の[[一線スルー]]化も実施される。事業費は約369億円の予定で、京都府と関係市町が各138億円を補助する。事業期間は約10年間を想定。2016年7月26日には、複線化工事の起工式典が行われた<ref name="asahi20160727">{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASJ7V42FQJ7VPLZB00G.html|title=京都)JR奈良線複線化起工式典 2022年度完成予定|date=2016-07-27|work=朝日新聞|accessdate=2020-02-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200222031432/https://www.asahi.com/articles/ASJ7V42FQJ7VPLZB00G.html|archivedate=2020-02-22|deadlinkdate=2022-06-16}}</ref>。
2020年3月時点の事業費は397.1億円。うち京都府が148.5億円、関係市町が148.5億円を補助する<ref>[https://www.city.uji.kyoto.jp/soshiki/35/7314.html JR奈良線の高速化・複線化 第二期事業について] - 宇治市交通政策課 2020年3月17日</ref>。2023年春に複線化開業を予定している<ref>[https://www.westjr.co.jp/railroad/project/project3/ 奈良線第2期複線化事業 奈良線の更なる安全・安定輸送をめざし14.0kmの複線化と駅改良工事を進行中] - JR西日本</ref>。
残る単線区間も、第二期事業に城陽駅以南を含んだことで今後の複線化対象とみなされているが、具体化はしていない<ref name="kn120126" /><ref>{{Cite conference|和書|url=https://www.pref.kyoto.dbsr.jp/index.php/3969365?Template=document&VoiceType=all&DocumentID=1227#one|date=2013-09-19|title=京都府議会本会議|conference=平成25年9月定例会(第2号)|quote=全線複線化を目指すということで行っていることは合意をしているところであります。}}</ref>。
環境省は、列車走行に伴う住居等保全対象への騒音影響を回避・低減するため、音源対策に加え、沿線住民の意見を踏まえた防音壁の設置を基本とする適切な措置を講ずること、事後調査の結果が指針を達成しない場合は追加的な措置を講ずること、宇治川の橋梁について、眺望景観への介在が小さく、周辺景観との調和が図られる構造を採用すること等を求めている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.env.go.jp/press/101807.html|title=奈良線第2期複線化事業(JR藤森~宇治・新田~城陽・山城多賀~玉水間複線化)に係る環境影響評価書に対する環境大臣意見の提出について(お知らせ)|accessdate=2021年4月8日|publisher=環境省|date=2015年12月18日}}</ref>。
近畿地方交通審議会で、将来、東海道本線(JR京都線)<!-- 『近畿地方交通審議会答申第8号に基づく高速鉄道網整備の状況』では「東海道本線」と記述-->と相互直通列車の運転を図る案が検討されている<ref>{{Cite web|和書|date=2007-01-01 |url=http://wwwtb.mlit.go.jp/kinki/chousa/keikaku/toshin8_1.html |title=近畿地方交通審議会答申第8号に基づく高速鉄道網整備の状況 1.京阪神圏において、既存施設の改良に関し検討すべき主な事業 |publisher=国土交通省近畿運輸局 |accessdate=2020-03-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130120200511/http://wwwtb.mlit.go.jp/kinki/chousa/keikaku/toshin8_1.html |archivedate=2013-01-20 |quote=京都〜梅小路間の貨物線を活用し、JR奈良線と東海道本線の大阪方面間で相互直通列車の運転を図る。(JR奈良線)〜(東海道本線)}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://wwwtb.mlit.go.jp/kinki/content/000008515.pdf |format=PDF |title=京阪神圏において既存施設の改良に関し検討すべき主な事業(付図1) |publisher=国土交通省近畿運輸局 |accessdate=2020-03-07}}</ref>。
2020年12月6日に山城多賀駅 - 玉水駅間<ref name="jtbtt202103sp6" />、2022年2月27日に新田駅 - 城陽駅間<ref name="jtbtt202203sp6" />、同年5月22日に六地蔵駅 - 黄檗駅間<ref name="jrwest_kinki_a20220520">{{Cite tweet|author=JR西日本|user=jrwest_kinki_a|number=1527451202015076352|title=JR西日本列車運行情報(京都・神戸線)【公式】|date=2022-05-20|accessdate=2022-05-31}}"5月21日(土)21時頃~22日(日)10時頃まで奈良線六地蔵~黄檗駅間で線路切替工事を行います。…【引用者中略】…奈良線複線化開業に向けご理解ご協力をお願いします。"</ref><ref name="jtbtt202401sp2" />、同年12月18日に黄檗駅 - 宇治駅間<ref name="jtbtt202401sp2" />、2023年2月26日にJR藤森駅 - 六地蔵駅間<ref name="jtbtt202401sp2" />の複線化が完成した。
2023年3月18日のダイヤ改正で京都駅 - 城陽駅間の複線化が完了することとなり、同区間の時間短縮や一部時間帯の増発、奈良線全体ではみやこ路快速の時間短縮などが行われる予定となっている。これにより奈良線の複線化率は24%から64%となる<ref>{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/221216_00_press_daiyakintou.pdf 2023年春のダイヤ改正について] - 西日本旅客鉄道 2022年12月16日}}</ref><ref>[https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/941192 JR奈良線、複線化で京都ー新田間の普通が6分短縮 朝の列車増発も 23年3月] - 京都新聞 2022年12月16日</ref>。
== 片奈連絡線 ==
日本の[[国土交通省]]は、沿線の京都府南部・奈良県北部・大阪府北東部をまたぐ[[関西文化学術研究都市]](通称学研都市)の整備に関する基本方針の一環として、当路線の長池駅と[[片町線]](学研都市線)の[[京田辺駅]]を結ぶ短絡線「[[片奈連絡線]](かたなれんらくせん)」の整備の必要性について検討しており<ref>[https://www.mlit.go.jp/crd/daisei/daikan/houshin8.html 関西文化学術研究都市の建設に関する基本方針 第8章 公共施設、公益的施設、住宅施設 その他の施設の整備に関する基本的事項](イ・鉄道の項参照)</ref>、実際[[1989年]][[5月]]に出された、[[大阪圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備に関する基本計画について|運輸政策審議会答申第10号]]では、「[[2005年]]までに整備すべき路線」として挙げられていたが、[[2004年]]10月の近畿地方審議会答申第8号には盛り込まれなかった<ref>[https://frdb.railway-pressnet.com/kansai/kk1005 片奈連絡線](未来鉄道データーベース)</ref>。
片町線の[[松井山手駅]] - 木津駅の早期複線電化を促す、関係自治体(大阪府・京都府の8市1町)で構成する「片町線複線化促進期成同盟会」も2019年8月の会合でJRに対し、この片奈連絡線の早期実現に向けた陳情を行っている<ref>[https://web.archive.org/web/20191103133515/https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/13915 JR片町線「複線化や増便難しい」 期成同盟会にJR西回答]『京都新聞』2019年8月29日</ref>。
== 歴史 ==
[[ファイル:Kintetsu Kyoto Line Sosui Bridge.JPG|サムネイル|近鉄京都線の橋梁下に奈良線旧線の橋台が残る([[伏見駅 (京都府)|伏見駅]] - [[近鉄丹波橋駅]]間)]]
[[奈良鉄道]]によって京都駅 - 木津駅 - 奈良駅間が開通したが、この区間のうち京都駅 - 桃山駅間は当初現在の近鉄京都線のルートを通っていた。[[東海道本線]]の馬場駅(現在の[[膳所駅]]) - 京都駅間が東山トンネル経由の現在線に切り替えられた1921年のその日に、京都駅 - 稲荷駅間の旧東海道本線と稲荷駅 - 桃山駅間の新線が奈良線となり、京都駅 - [[伏見駅 (京都府)|伏見駅]]間が廃止、伏見駅 - 桃山駅間が貨物線化された。のちに京都駅 - 丹波橋駅間は近鉄京都線の前身である[[奈良電気鉄道]]に払い下げられた。
奈良電気鉄道の路線が1928年に開業した後は、運行頻度や所要時間で劣るため直通需要を大きく奪われる。戦後、1950年代にいち早く旅客列車を[[気動車]]化し、また駅の増設が行われるなどしたが、それ以降は特に目立った投資はなされず、1984年になってようやく電化が完成するといったように、完全な[[ローカル線]]と化していた。国鉄時代は天王寺鉄道管理局が奈良線全線を管轄していた。
本格的な活性化策がとられるようになったのは、[[国鉄分割民営化]]に伴いJR西日本の所属路線となってからである。
JR西日本の奈良線に対する投資を報じた1991年の朝日新聞記事には、投資の背景として「(前年の)[[即位の礼]]の一連の行事で関西を訪問された天皇、皇后両陛下は[[東海旅客鉄道|JR東海]]の東海道新幹線で京都駅に着くと、そのまま近鉄で奈良方面へ向かわれ、地元JR西日本の列車はまったく利用されなかった。こんな「屈辱感」や、[[関西文化学術研究都市]]の開発などで沿線人口が増えていることが、JR西日本の投資意欲を駆り立てているようだ」との記述が見られる<ref>「JR奈良線、次々とテコ入れ策 初の快速や増便計画」『朝日新聞』1991年1月7日夕刊。</ref><ref group="注釈">また「即位の礼」に先立つ1988年の[[なら・シルクロード博覧会]]開催に際しては、JR東海が新幹線と近鉄京都線をセットにした割引乗車券を発売したこともあった。</ref>。しかし、その後も皇族の奈良方面への移動には主に近鉄が利用されており、当路線の利用は実現していない。
2011年3月11日に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]の影響により[[直巻整流子電動機|電動機]]に使用している部品を製作しているメーカーが被災して製造の見通しが立たなかったため、使用できない車両が発生する恐れがあることから、2011年4月11日から当分の間、日中のみやこ路快速の運転を取り止める予定であったが<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/pdf/20110325_keihanshin.pdf 東北地方太平洋沖地震に伴う車両保守部品の不足による運転計画の見直しについて<京阪神地区>]}} - 西日本旅客鉄道近畿統括本部プレスリリース 2011年3月23日</ref>、部品調達の目処が立ったのでこの措置は行われず、4月11日以降も通常のダイヤで運転された<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175270_799.html 車両保守部品の不足に伴う列車運転計画の見直しについて] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20111216182135/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175270_799.html |date=2011年12月16日 }} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年4月6日</ref>。
=== 年表 ===
[[File:Nara Railway Linemap 1905.svg|thumb|right|200px|奈良鉄道(1905年)]]
* [[1879年]]([[明治]]12年)[[8月18日]] '''官営鉄道'''(後の東海道本線)として京都駅 - 稲荷駅 - [[大谷駅 (滋賀県)|大谷駅]]間が開業<ref name="sone08-24">[[#sone08|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 8号]]、24頁</ref>。稲荷駅開業。
* [[1895年]](明治28年)
** [[9月5日]]:'''[[奈良鉄道]]'''により京都駅 - 伏見駅間(3[[マイル|M]]23[[チェーン (単位)|C]]≒5.29km)が開業{{R|sone08-24}}。伏見駅開業。京都駅は官設鉄道と共用。
** [[11月3日]]:伏見駅 - 桃山駅間(1M9C≒2.19km)が延伸開業{{R|sone08-24}}。桃山駅が開業。
* [[1896年]](明治29年)
** [[1月25日]]:桃山駅 - 玉水駅間(12M46C≒20.24km)が延伸開業{{R|sone08-24}}。木幡駅・宇治駅・新田駅・長池駅・玉水駅が開業{{R|sone08-24}}。
** [[3月13日]]:玉水駅 - 木津駅間(4M50C≒7.44km)が延伸開業{{R|sone08-24}}。棚倉駅・木津駅が開業{{R|sone08-24}}。
** [[4月18日]]:木津駅 - 奈良駅間が延伸開業し、京都駅 - 奈良駅間が全通{{R|sone08-24}}。
** [[4月21日]]:東寺[[臨時駅|仮停車場]]が開業{{R|sone08-24}}。
* [[1897年]](明治30年)[[4月1日]]:奈良鉄道京都駅を七条駅に改称{{R|sone08-24}}。
* [[1902年]](明治35年)
** [[5月3日]]:上狛駅が開業。
** [[11月12日]] 営業距離の単位をマイル・チェーンからマイルのみに簡略化(21M48C→21.6M)。
* [[1905年]](明治38年)[[2月7日]]:奈良鉄道が路線を[[関西鉄道]]に譲渡{{R|sone08-24}}。
* [[1907年]](明治40年)[[10月1日]]:関西鉄道が[[鉄道国有法|国有化]]{{R|sone08-24}}。
* [[1908年]](明治41年)[[8月1日]]:七条駅を京都駅に統合{{R|sone08-24}}。
* [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:[[国鉄・JR線路名称一覧|国有鉄道線路名称]]制定{{R|sone08-24}}。木津駅 - 京都駅間が'''奈良線'''に、木津駅 - 奈良駅間が'''関西本線'''になる{{R|sone08-24}}。
* [[1910年]](明治43年)[[12月19日]]:宇治駅 - 木幡駅間に宇治川信号所が開設。
* [[1913年]]([[大正]]2年)
** [[6月20日]]:東寺仮停車場 - 京都駅間に八条信号所が開設。
** [[11月5日]] 宇治川信号所が廃止。
* [[1914年]](大正3年)
** [[3月20日]]:木津駅 - 奈良駅間が複線化。
** [[7月23日]]:伏見駅 - 京都駅間の東寺仮停車場が廃止。
** [[8月15日]]:八条信号所が廃止。
* [[1915年]](大正4年)
** [[2月13日]]:木津駅 - 奈良駅間に佐紀仮信号所が開設。
** [[6月7日]]:佐紀仮信号所が廃止。
* [[1921年]](大正10年)
** [[3月20日]]:宇治駅 - 木幡駅間に宇治川信号所が開設。
** 8月1日:奈良線の京都駅 - 伏見駅間(3.3M≒5.31km)廃止<ref name="sone08-25">[[#sone08|歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 8号]]、25頁</ref>。伏見駅 - 桃山駅間(1.1M≒1.77km)の旅客営業を廃止{{R|sone08-25}}。東海道本線の京都駅 - 稲荷駅間(1.8M≒2.90km)を奈良線に編入すると共に単線化{{R|sone08-25}}。稲荷駅 - 桃山駅間(2.6M≒4.18km)の新線開業{{R|sone08-25}}。
* [[1922年]](大正11年)4月1日:宇治川信号所を宇治川信号場に変更。
* [[1924年]](大正13年)[[8月10日]]:木津駅 - 奈良駅間に都跡仮信号場(初代)が開設(廃止日不詳)。
* [[1926年]](大正15年)
** [[1月10日]]:都跡仮信号場(2代目)が開設(廃止日不詳)。
** [[2月13日]]:青谷梅林仮停車場が開業{{R|sone08-25}}。
** 4月1日:宇治川信号場が廃止。
* [[1928年]]([[昭和]]3年)
** [[9月3日]]:貨物支線 桃山駅 - 伏見駅間が廃止{{R|sone08-25}}。伏見駅が廃止{{R|sone08-25}}。
** [[11月15日]]:伏見廻りの旧線の廃線跡を転用して[[奈良電気鉄道]]京都駅 - 桃山御陵前駅間が開業。
* [[1930年]](昭和5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(21.6M→34.7km)。
* [[1933年]](昭和8年)[[12月1日]]:青谷梅林仮停車場を山城青谷駅に変更。
* [[1935年]](昭和10年)[[6月29日]]:京都市内一帯で発生した[[鴨川水害]]で、賀茂川鉄橋が流失<ref>京都二条、五条の大橋流失『大阪毎日新聞』昭和10年6月29日号外(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p206-207 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。しばらくの間、運休となった。
* [[1947年]](昭和22年)3月15日:木津駅 - 奈良駅間に佐保信号場(初代)が開設。
* [[1953年]](昭和28年)8月15日:[[南山城水害]]により、玉水駅駅舎が流失するなどの被害を受ける{{R|sone08-25}}。
* [[1955年]](昭和30年)
** [[2月15日]]:全列車気動車に統一<ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会 2004年 p.361</ref><ref>{{Cite news |和書|title=奈良櫻井両線を全面気動車化 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1955-02-10 |page=1 }}</ref>。
** [[7月15日]]:山城多賀駅が開業{{R|sone08-25}}。
* [[1956年]](昭和31年)11月20日:佐保信号場(初代)が廃止。
* [[1957年]](昭和32年)[[12月27日]]:東福寺駅が開業{{R|sone08-25}}。
* [[1958年]](昭和33年)[[7月11日]]:城陽駅が開業{{R|sone08-25}}。
* [[1961年]](昭和36年)4月21日:黄檗駅が開業{{R|sone08-25}}。
* [[1971年]](昭和46年)10月1日:定期列車無煙化([[蒸気機関車]]使用廃止)。
* [[1972年]](昭和47年)7月1日:木津川橋梁が架け替えられる<ref>『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局 1981年 p.116, p.231</ref>。
* [[1975年]](昭和50年)12月19日:自動信号化が完成<ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会 2004年 p.323</ref>。
* [[1982年]](昭和57年)
** 3月2日:列車集中制御装置 (CTC) が導入<ref>{{Cite news |title=奈良線のCTC使用開始 |newspaper=交通新聞 |publisher=交通協力会 |date=1982-03-05 |page=1 }}</ref><ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会 2004年(同書では3月2日と3月5日が混在)</ref>。
** 11月15日:奈良線の[[荷物列車]]が廃止<ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会 2004年 p.380</ref>。
* [[1984年]](昭和59年)
** [[9月1日]]:木津駅 - 奈良駅間に佐保信号場(2代目)が開設<ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会 2004年 p.381</ref>。
** 10月1日 京都駅 - 奈良駅間が電化<ref>{{Cite news |和書|title=通報 ●奈良線、和歌山線五条・和歌山間ほか2線区の電気運転について(運転局) |newspaper=[[鉄道公報]] |publisher=[[日本国有鉄道]]総裁室文書課 |date=1984-09-22 |page=2 }}</ref>。105系・113系電車による運転開始。京都駅 - 桜井線・桜井駅間に直通列車を設定。急行「紀ノ川」(京都駅 - 和歌山駅、奈良線・桜井線・和歌山線経由)廃止。
* [[1985年]](昭和60年)12月1日:平城山駅が開業。
* [[1987年]](昭和62年)4月1日:[[国鉄分割民営化]]により西日本旅客鉄道に承継{{R|sone08-25}}。[[日本貨物鉄道]]が全線で[[鉄道事業者#第二種鉄道事業者|第二種鉄道事業者]]になる。
* [[1991年]]([[平成]]3年)
** [[3月14日]]:京都駅 - 奈良駅間で[[自動進路制御装置|小規模自動進路制御装置]] (SRC) が使用開始<ref name="jrr_91">{{Cite book|和書 |date=1991-08-01 |title=JR気動車客車編成表 '91年版 |chapter=JR年表 |page=195 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-112-0}}</ref>。
** [[3月16日]]:黄檗駅・城陽駅に[[列車交換|行き違い施設]]が新設<ref name="jrr_91" />。117系電車による快速が京都駅 - 奈良駅間で運転開始<ref name="jrr_91" />。新設当初の途中停車駅は宇治駅・木津駅のみで、これに加え正月には稲荷駅に臨時停車していた。
* [[1992年]](平成4年)[[10月22日]]:六地蔵駅が開業<ref name="kotsu19921024">{{Cite news |title=「六地蔵駅」が開業 |newspaper=交通新聞 |publisher=交通新聞社 |date=1992-10-24 |page=2 }}</ref>。城陽駅が快速の停車駅になる<ref name="kotsu19921024"/>。
* [[1994年]](平成6年)
** [[3月]]:113系の運用が終了。
** [[9月4日]]:105系の運用が終了。桜井線との直通列車を廃止。
* [[1997年]](平成9年)[[3月8日]]:JR藤森駅が開業{{R|交通970311}}。
* [[1998年]](平成10年)[[1月22日]]:第1期複線化工事に着手{{R|交通980126}}。
* [[1999年]](平成11年)[[5月10日]]:六地蔵駅が快速の停車駅になる。
* [[2001年]](平成13年)
**[[3月3日]]:京都駅 - JR藤森駅間、宇治駅 - 新田駅間が複線化<ref name="交通2001-03-06"/><ref group="注釈">なお、京都駅から稲荷駅南方までの間は1921年以前の東海道本線時代は複線だったので、2001年の奈良線としての複線化で80年ぶりに複線に戻ったことになる。この区間は非電化単線・同複線・電化単線・同複線の全てを経験してもいる。</ref>。JR小倉駅が開業<ref name="交通2001-03-06"/>。区間快速と221系によるみやこ路快速の運転を開始<ref name="交通2001-03-06"/>。117系の運用が終了。
** 10月1日 東福寺駅が快速・区間快速の停車駅になる<ref name="jrr_03">『JR気動車客車編成表』'03年版 ジェー・アール・アール 2003年 {{ISBN2|4-88283-124-4}}</ref>。
* [[2003年]](平成15年)
**[[3月15日]]:東福寺駅と玉水駅がみやこ路快速の停車駅、玉水駅が快速の停車駅になる<ref name="jrr_03" />。
** 4月1日:日本貨物鉄道の第二種鉄道事業が廃止<ref>『JR気動車客車編成表』'04年版 ジェー・アール・アール 2004年 {{ISBN2|4-88283-125-2}}</ref>。
* [[2006年]](平成18年)[[12月16日]]:木津駅 - 奈良駅間で ATS-P 使用開始<ref>[https://web.archive.org/web/20071105210257/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/061206e.html 大和路線ATS-Pの使用開始について](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2006年12月6日</ref>。
* [[2008年]](平成20年)
** [[4月23日]]:山城青谷駅 - 木津駅間でATS-P(拠点P方式)導入<ref name="press_20080429">[https://web.archive.org/web/20080617235202/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173654_799.html 奈良線ATS-Pの使用開始について](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2008年4月29日</ref>。
** [[4月27日]]:黄檗駅 - 山城青谷駅間でATS-P(拠点P方式)導入<ref name="press_20080429"/>。
** [[4月30日]]:京都駅 - 黄檗駅間でATS-P(拠点P方式)導入<ref name="press_20080429"/>。
** [[6月29日]]:奈良駅関西本線ホーム高架化<ref>[https://web.archive.org/web/20080617233743/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173564_799.html 大和路線(関西線)の高架切替について](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2008年2月27日</ref>。
* [[2009年]](平成21年)[[7月1日]]:全駅でホーム上の喫煙コーナーを廃止して全面禁煙化<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174167_799.html 在来線特急列車などの全席禁煙化ならびに在来線ホームの禁煙化の拡大について] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090329182002/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174167_799.html |date=2009年3月29日 }} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年3月26日</ref>。
* [[2010年]](平成22年)[[12月1日]]:組織改正により、[[西日本旅客鉄道大阪支社|大阪支社]]および[[西日本旅客鉄道京都支社|京都支社]]の管轄から近畿統括本部の管轄に変更<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175068_799.html 組織改正などについて] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20101204082729/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175068_799.html |date=2010年12月4日 }} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年11月16日</ref>。
* [[2015年]](平成27年)3月14日:路線記号が本格導入開始<ref>[http://railf.jp/news/2015/03/16/153000.html JR西日本で路線記号の本格使用が始まる] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース、2014年3月15日。</ref>。
* [[2016年]](平成28年)7月26日:第2期複線化工事に着手<ref name="asahi20160727" />。
* [[2018年]](平成30年)[[3月17日]]:各駅に[[駅ナンバリング]]が導入され、使用を開始する。205系が営業運転を開始する。
* [[2020年]]([[令和]] 2年)
** 3月14日:ダイヤ改正により、土休日のみやこ路快速全列車を6両編成に統一<ref name="press_20191213" />。
** [[12月6日]]:山城多賀駅 - 玉水駅間が複線化<ref name="jtbtt202103sp6">{{Cite journal|和書|journal=JTB時刻表|title=ひと目でわかる! JR線 電化区間と複線区間|publisher=JTBパブリッシング |page=特集6頁|issue=2021年3月号}}</ref>。
* [[2022年]](令和4年)
** [[2月27日]]:新田駅 - 城陽駅間が複線化<ref name="jtbtt202203sp6">{{Cite journal|和書|journal=JTB時刻表|title=ひと目でわかる! JR線 電化区間と複線区間|publisher=JTBパブリッシング |page=特集6頁|issue=2022年3月号}}</ref>。
** [[3月11日]]:103系の定期運用が終了<ref name="tetsudo-ch20220313" />。
** [[5月22日]]:六地蔵駅 - 黄檗駅間が複線化<ref name="jrwest_kinki_a20220520" /><ref name="jtbtt202401sp2">{{Cite journal|和書|journal=JTB時刻表|title=ひと目でわかる! JR線 電化区間と複線区間|publisher=JTBパブリッシング |page=特集2頁|issue=2024年1月号}}</ref>。
** [[12月18日]]:黄檗駅 - 宇治駅間が複線化<ref name="jtbtt202401sp2" />。
* [[2023年]](令和5年)[[2月26日]]:JR藤森駅 - 六地蔵駅間が複線化<ref name="jtbtt202401sp2" />。これにより第2期複線化工事(JR藤森駅 - 宇治駅間、新田駅 - 城陽駅間 、山城多賀駅 - 玉水駅間)が完了。
== 駅一覧 ==
* {{JR特定都区市内|京}}:[[特定都区市内]]制度における「京都市内」エリアの駅
* 停車駅
** 普通 … すべての駅に停車(表中省略)
** 普通以外の種別 … ●印の駅は停車、|印の駅は通過、稲荷駅(○印)は、正月三が日と1月4日と多客期に臨時停車
*** 快速 … 平城山駅(※印)は奈良線の快速は通過、関西本線(大和路線)の快速・[[大和路快速]]および片町線(学研都市線)の快速のみ停車
* 線路 … ∥:複線区間、◇:単線区間([[列車交換]]可能)、∨:ここより下は単線、∧:ここより下は複線
* [[駅ナンバリング|駅ナンバー]]は2018年3月より導入<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/07/page_8973.html 近畿エリアの12路線 のべ300駅に「駅ナンバー」を導入します!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2016年7月20日</ref>
{| class="wikitable" rules="all" style="font-size:90%;"
|-style="border-bottom:solid 3px #AA731C"
!style="width:1em; line-height:1.1em;"|{{縦書き|正式路線名|height=6em}}
!style="width:6em;"|駅ナンバー<br /><ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/160720_01_ekinumber.pdf 「駅ナンバー」一覧表]}} - 西日本旅客鉄道、2016年7月20日</ref>
!style="width:6em;"|駅名
!style="width:2.5em;"|駅間<br />営業キロ
!style="width:2.5em;"|累計<br />営業キロ
!style="width:1em; background-color:#cfc;"|{{縦書き|区間快速|height=7em}}
!style="width:1em; background-color:#feb;"|{{縦書き|快速|height=7em}}
!style="width:1em; background-color:#feb; line-height:1.1em;"|{{縦書き|みやこ路快速|height=7em}}
!接続路線・備考
!style="width:1em;"|{{縦書き|線路}}
!colspan="3"|所在地
|-
|rowspan="19" style="width:1em; text-align:center; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|'''奈良線'''|height=6em}}
!JR-D01
|[[京都駅]] {{JR特定都区市内|京}}
|style="text-align:center;"|-
|style="text-align:right;"|0.0
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|[[西日本旅客鉄道]]:{{rint|ja|wkay|size=17}} [[東海道本線]]([[琵琶湖線]]・[[JR京都線]]:JR-A31)・{{rint|ja|wkb|size=17}} [[湖西線]]<ref group="*">湖西線の正式な起点は東海道本線(琵琶湖線)[[山科駅]]だが、全列車が京都駅に乗り入れている</ref> (JR-B31)・{{rint|ja|wkes|size=17}} [[山陰本線]]([[嵯峨野線]]:JR-E01)<br />[[東海旅客鉄道]]:[[ファイル:Shinkansen_jrc.svg|17px|■]] [[東海道新幹線]]<br />[[近畿日本鉄道]]:{{近鉄駅番号|B}} [[近鉄京都線|京都線]] (B01)<br />[[京都市営地下鉄]]:[[File:Subway KyotoKarasuma.svg|15px|K]] [[京都市営地下鉄烏丸線|烏丸線]] (K11)
|∥
|rowspan="20" style="width:1em; text-align:center; line-height:2em; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|[[京都府]]|height=6em}}
|rowspan="5" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[京都市]]}}
|style="white-space:nowrap;"|[[下京区]]
|-
!JR-D02
|[[東福寺駅]] {{JR特定都区市内|京}}
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|1.1
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|[[京阪電気鉄道]]:[[File:Number prefix Keihan lines.png|20px|KH]] [[京阪本線]] (KH36)
|∥
|[[東山区]]
|-
!JR-D03
|[[稲荷駅]] {{JR特定都区市内|京}}
|style="text-align:right;"|1.6
|style="text-align:right;"|2.7
|style="background-color:#cfc;"|○
|style="background-color:#feb;"|○
|style="background-color:#feb;"|○
|
|∥
|rowspan="3"|[[伏見区]]
|-
!JR-D04
|[[JR藤森駅]] {{JR特定都区市内|京}}
|style="text-align:right;"|2.3
|style="text-align:right;"|5.0
|style="background-color:#cfc;"||
|style="background-color:#feb;"||
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|-
!JR-D05
|[[桃山駅]] {{JR特定都区市内|京}}
|style="text-align:right;"|2.2
|style="text-align:right;"|7.2
|style="background-color:#cfc;"||
|style="background-color:#feb;"||
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|-
!JR-D06
|[[六地蔵駅]]
|style="text-align:right;"|2.3
|style="text-align:right;"|9.5
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|京都市営地下鉄:[[File:Subway KyotoTozai.svg|15px|T]] [[京都市営地下鉄東西線|東西線]] (T01)<br />京阪電気鉄道:[[File:Number prefix Keihan lines.png|20px|KH]] [[京阪宇治線|宇治線]] (KH73)
|∥
|rowspan="6" colspan="2"|[[宇治市]]
|-
!JR-D07
|[[木幡駅 (JR西日本)|木幡駅]]
|style="text-align:right;"|1.1
|style="text-align:right;"|10.6
|style="background-color:#cfc;"||
|style="background-color:#feb;"||
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|-
!JR-D08
|[[黄檗駅]]
|style="text-align:right;"|1.4
|style="text-align:right;"|12.0
|style="background-color:#cfc;"||
|style="background-color:#feb;"||
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|-
!JR-D09
|[[宇治駅 (JR西日本)|宇治駅]]
|style="text-align:right;"|2.9
|style="text-align:right;"|14.9
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∥
|-
!JR-D10
|[[JR小倉駅]]
|style="text-align:right;"|1.4
|style="text-align:right;"|16.3
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|-
!JR-D11
|[[新田駅 (京都府)|新田駅]]
|style="text-align:right;"|1.8
|style="text-align:right;"|18.1
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|-
!JR-D12
|[[城陽駅]]
|style="text-align:right;"|2.1
|style="text-align:right;"|20.2
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∨
|rowspan="3" colspan="2"|[[城陽市]]
|-
!JR-D13
|[[長池駅]]
|style="text-align:right;"|1.8
|style="text-align:right;"|22.0
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"||
|style="background-color:#feb;"||
|
|◇
|-
!JR-D14
|[[山城青谷駅]]
|style="text-align:right;"|2.0
|style="text-align:right;"|24.0
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"||
|style="background-color:#feb;"||
|
|◇
|-
!JR-D15
|[[山城多賀駅]]
|style="text-align:right;"|1.3
|style="text-align:right;"|25.3
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"||
|style="background-color:#feb;"||
|
|∧
|rowspan="2" colspan="2"|[[綴喜郡]]<br />[[井手町]]
|-
!JR-D16
|[[玉水駅]]
|style="text-align:right;"|2.0
|style="text-align:right;"|27.3
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|
|∨
|-
!JR-D17
|[[棚倉駅]]
|style="text-align:right;"|3.0
|style="text-align:right;"|30.3
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"||
|style="background-color:#feb;"||
|
|◇
|rowspan="4" colspan="2"|[[木津川市]]
|-
!JR-D18
|[[上狛駅]]
|style="text-align:right;"|2.8
|style="text-align:right;"|33.1
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"||
|style="background-color:#feb;"||
|
|◇
|-style="height:1em;"
!rowspan="2"|JR-D19
|rowspan="2"|[[木津駅 (京都府)|木津駅]]
|rowspan="2" style="text-align:right;"|1.6
|rowspan="2" style="text-align:right;"|34.7
|rowspan="2" style="background-color:#cfc;"|●
|rowspan="2" style="background-color:#feb;"|●
|rowspan="2" style="background-color:#feb;"|●
|rowspan="2"|西日本旅客鉄道:{{rint|ja|wkq|size=17}} [[関西本線]]([[大和路線]]:JR-Q38)[[加茂駅 (京都府)|加茂]]方面・<br>{{rint|ja|wkhg|size=17}} [[片町線]](学研都市線:JR-H18)
|rowspan="2"|∧
|-
|rowspan="4" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|関西本線|height=4.5em}}
|-
!JR-D20
|[[平城山駅]]
|style="text-align:right;"|3.2
|style="text-align:right;"|37.9
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"|※
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|rowspan="3" colspan="3"|[[奈良県]]<br />[[奈良市]]
|-
!
|[[佐保信号場]]
|style="text-align:center;"| -
|style="text-align:right;"|40.8
|style="background-color:#cfc;"||
|style="background-color:#feb;"||
|style="background-color:#feb;"||
|
|∥
|-
!JR-D21
|[[奈良駅]]
|style="text-align:right;"|3.8
|style="text-align:right;"|41.7
|style="background-color:#cfc;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|style="background-color:#feb;"|●
|西日本旅客鉄道:{{rint|ja|wkq|size=17}} 関西本線(大和路線:JR-Q36)[[JR難波駅|JR難波]]方面・<br>{{rint|ja|wku|size=17}} [[桜井線]](万葉まほろば線)
|∥
|}
{{Reflist|group="*"}}
* 宇治市は黄檗駅 - 宇治駅間に新駅設置を構想している。
* 駅業務については、以下の駅以外はすべて[[JR西日本交通サービス]]による[[業務委託駅]]となっている。
** JR西日本[[直営駅]]
*** 京都駅・宇治駅・木津駅・奈良駅
** [[簡易委託駅]]
*** 棚倉駅
** [[無人駅]]
*** 山城多賀駅・上狛駅
=== 廃止区間 ===
括弧内は京都駅起点の営業キロ
京都駅 (0.00) - 八条仮信号所 (0.80) - 東寺仮停車場 (1.13) - [[伏見駅 (京都府)|伏見駅]] (5.31) - 桃山駅 (7.08)
=== 廃止信号場 ===
* 宇治川仮信号場:1926年廃止、黄檗駅 - 宇治駅間(京都駅起点約13.8km)
* 都跡仮信号場:平城山駅 - 佐保信号場間(京都駅起点約37.8km)
* 佐紀仮信号所:佐保信号場 - 奈良駅間(京都駅起点約39.3km)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* 京都府議会会議録
* {{Cite book | 和書 | author = 今尾恵介(監修) | title = [[日本鉄道旅行地図帳]] - 全線・全駅・全廃線 | publisher = [[新潮社]] | volume = 8 関西1 | year = 2008 | id = ISBN 978-4-10-790026-5 | ref = imao }}
* 『鉄道ジャーナル』2005年2月号 鉄道ジャーナル社 p.39 - p.41
* 今尾恵介『新・鉄道廃線跡を歩く 4 近畿・中国編』JTBパブリッシング 2010年 {{ISBN2|978-4-533-07861-3}}
* {{Cite journal |和書|author=[[曽根悟]](監修) |journal=週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR |editor=朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) |publisher=[[朝日新聞出版]] |issue=8 |title=関西本線・草津線・奈良線・おおさか東線 |date=2009-08-30 |ref=sone08 }}
== 関連項目 ==
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* [[日本の鉄道路線一覧]]
* [[椿井大塚山古墳]]
* [[京奈和自動車道]]
== 外部リンク ==
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1,228 | NeXT | NeXT(ネクスト、英: NeXT Software, Inc.)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州レッドウッドシティを本拠地としたコンピュータ企業で、高等教育やビジネス市場向けのワークステーションを開発製造していた。Appleの創業者の1人スティーブ・ジョブズがAppleを辞め、1985年に創業。最初の製品NeXTcubeを1988年に発売し、小型化したNeXTstationは1990年に発売。売り上げはそれほど大きくはなく、全部で5万台ほどを販売したと見積もられている。とはいうものの、その革新的なオブジェクト指向型オペレーティングシステム (OS) であるNeXTSTEPと開発環境はApple 社に多大な影響を及ぼした。
NEXTSTEPの主要なAPIは、後にOPENSTEPとして標準化された。NeXTは1993年にハードウェア事業から撤退し、いくつかのOEMへのOPENSTEP仕様販売と自社製の実装の販売に注力するようになった。NeXTはまた、世界初の企業向けWebアプリケーションフレームワークWebObjectsの開発でも知られている。WebObjectsは5万ドルと高価だったために広く普及することはなかったが、Webページの動的生成に基づいた初期のWebサーバとして特筆すべき例であった。Appleは1996年12月20日、4億2900万ドルでNeXTを買収すると発表し、現行のmacOSの大部分はNeXTSTEPを基盤として開発された。WebObjectsは、かつてOS X ServerおよびXcodeの付属ソフトであった。
1984年、Apple創業者の1人スティーブ・ジョブズはAppleのスーパーマイクロ部門(MacintoshとLisaの開発部門)の責任者を務めていた。MacintoshはApple University Consortiumによって学生や教育機関には割引価格で販売していたため、大学などで大いに成功を収めていた。Apple University Consortium は1984年2月までに5000万ドルのコンピュータを販売した。
会長として、ジョブズはMacintoshを売り込むために各地の大学や研究者をしばしば訪問していた。当時のフランス共和国大統領フランソワ・ミッテランを迎えた午餐会で、ジョブズはノーベル化学賞を受賞したポール・バーグと出会った。バーグは実験室で実際に実験しないで、教科書だけで遺伝子組み換えを学生に教えるにはどうしたらよいかで悩んでいた。遺伝子組み合えの実験にはかなり費用がかかり、当時のパーソナルコンピュータ (PC) でシミュレートするには複雑すぎた。バーグはジョブズに、彼のAppleへの影響力を行使して、高等教育用の "3M" ワークステーションを作ってくれないかと持ちかけた。"3M" とは、1メガバイト以上のRAM、メガピクセルレベルのディスプレイ、メガFLOPSレベルの性能を意味する(3つの「メガ」で "3M"。Altoなどを指した用語)。
ジョブズはバーグの描いたワークステーションに好奇心をそそられ、高等教育向けコンピュータ企業を1985年秋に立ち上げることを考えたが、当時Apple社内では内紛が大きくなっていた。ジョブズの部門はMacintoshの新製品をリリースできず、Macintosh Office の大部分もリリースが遅れていた。結果として売り上げが急落し、Appleは売れ残り在庫の償却に数百万ドルを費やした。Appleの最高経営責任者 (CEO) ジョン・スカリーはジョブズのAppleにおける権限を奪い取り、1985年にはジャン=ルイ・ガセーを後釜に据えた。その後ジョブズはAppleの経営権を取り戻すべく闘争を開始した。ジョブズが社用で西ヨーロッパとソビエト連邦に出張している間に、スカリーは取締役会の協力をとりつけた。
数カ月間Apple社内で邪魔者扱いされた末、ジョブズは1985年9月13日に辞任した。彼は取締役会に、退職後に新たなコンピュータ会社を立ち上げることと、スーパーマイクロ部門から数人の従業員を連れて行くことを明らかにした。また、その会社はAppleとは直接競合することはないし、新会社で設計したものをMacintoshブランドでマーケティングするべくライセンス提供することもありうると表明していた。
ジョブズはAppleの株式売却で得た700万ドルを出資し、Apple元従業員のバッド・トリブル、George Crow、Rich Page、Susan Barnes、スーザン・ケア、Dan'l Lewin と共に新会社NeXT, Inc.を創業。基調講演で彼はNeXTを「ネッキスト」(ネキスト)と発音している話は有名である。各地の教育関係の業者と相談し(ポール・バーグとも再び会合を行った)、ワークステーションの仮の仕様が出来上がった。それは、遺伝子実験シミュレーションを実行できるほど強力で、大学生が自分の部屋で使える程度に安価になるよう設計された。しかし仕様が確定する以前に、AppleはNeXTが創業者のインサイダー情報を利用しているとして訴えた。ジョブズはこれについて、「4300名以上を抱える20億ドル企業がブルージーンズをはいた6人に太刀打ちできないとは想像しにくい」と述べた。この訴えは裁判になる前に取り下げられた。
1986年、ジョブズは有名なグラフィックデザイナーであるポール・ランドに10万ドルでブランド・アイデンティティ制作を依頼した。ランドは、ロゴの正確な角度(28°)や社名の正確な綴り (NeXT) などを含む100ページのブランドの詳細を示す冊子を作った。最初の外部からの出資はテキサス州の実業家ロス・ペローからの資金提供だった。ペローはテレビ番組The Entrepreneursで、ジョブズとNeXTの従業員を初めて見た。1987年、ペローは2000万ドルを出資し、NeXTの株式の16%を得た(つまり、この時点で会社の時価総額は1億2500万ドル)。1988年には、取締役会に参加することになった。
当初は、アドビシステムズと後にDisplay PostScriptとなる技術の開発を行っていたが、これを実装できそうなオペレーティングシステムがその時点では存在しなかったことから、1986年中ごろ会社の方針を転換。単なるローエンドのワークステーションだけでなく、これを搭載できるオペレーティングシステムならびにコンピュータを総合的に開発することとなった。これを受けて社名はNeXT Computer, Inc.に変更された。カーネギーメロン大学でMachカーネルを開発していたアビー・テバニアンが同社に参加してチームを率い、NeXTSTEPオペレーティングシステムを開発した。ハードウェア部門を率いたのは創業当時からのメンバーであるRich Pageで(かつてLisa開発チームの責任者だった)、ハードウェアの設計開発を行った。NeXTの最初の工場は1987年、カリフォルニア州フリーモントに設けられた。この工場は年間15万台のマシンを製造する能力があった。NeXTの最初のワークステーションは公式にはNeXT Computerと名付けられたが、マグネシウム合金製のマットブラックの一辺が約1フィートの正立方体という特異な形状から、一般に "the cube" と呼ばれた。このデザインは、Apple IIcをデザインしたハルトムット・エスリンガー率いる フロッグデザイン に依頼したものである。
このワークステーションのプロトタイプは1988年10月12日に披露され、喝采を持って迎えられた。1号機は1989年に評価され、その後ベータ版のNeXTSTEPオペレーティングシステムをインストールしたごく少数のマシンが大学などに販売された。当初NeXT Computerはアメリカ国内の高等教育機関向けに限定販売され、基本価格は6500ドルとされていた。このマシンは主にそのハードウェアを中心に各種雑誌で広くレビューされた。デビューが数カ月遅れたことについて聞かれたジョブズは「遅れた? このコンピュータは5年先を行っているよ!」と答えた。非常に斬新なソフトウェア構成に加えて、光磁気ディスク、本体とデザインを統一したモニタ、400dpiのレーザープリンター、プリンター・本体・ディスプレイ・キーボードへそれぞれへの配線が最小になる接続方式などを採用した。
NeXT Computerは25MHzのMC68030CPUをベースとしている。当初、RISC方式のMC88000も検討したが、十分な量が確保できないということで取りやめた。RAMは8から64MB、256MBの光磁気ディスク (MO) を備え、40MB(スワップ専用)、330MB、660MBのハードディスクドライブ、10Base-2イーサネット、NuBus、1120×832ピクセルのグレースケール・ディスプレイ MegaPixel を備えている。1989年当時の一般的なPCでは、RAMは640KBから4MB、CPUは8086/8088/286/386、ディスプレイは16色640×350かモノクロ720×348、ハードディスクは10MBから20MB、ネットワーク機能はほとんどなかった。
光磁気ディスク装置はキヤノンが製造したもので、主な記憶媒体としてコンピュータに採用したのは日本以外ではNeXTが初めてだった。ハードディスクよりも安価だが(特に未使用媒体は安価で、元々キヤノンが1枚当たり150ドルを得ることになっていたが、ジョブズは交渉でそれを50ドルに値引きした)、低速である(平均シーク時間は96ms)。設計上、MO装置はNeXT Computerには1つしかなく、システムをシャットダウンせずに媒体を取り出すことができないため、コンピュータ間でファイルをやり取りするにはネットワークを介するしかなかった。ストレージは初代のNeXT Computerにとっては弱点だった。光磁気ディスク媒体は比較的高価であり、フロッピーディスクドライブよりも高速だが性能と信頼性に問題を抱えていた。それは一次媒体としてNeXTSTEPを動作させるには容量的にも性能的にも不十分だった。
1989年、NeXTは以前からコンパックの再販業者をしていたBusinessLandと契約し、NeXTのコンピュータを全国の販売店で販売する契約と結んだ。それまで学生や教育機関に直販だけしていたビジネスモデルからの大きな転換である。BusinessLand の創業者 David Norman は、12ヵ月後には NeXT Computer の売り上げはコンパック製品をしのぐことになるだろうと予言した。同じく1989年には、キヤノンが自社製ワークステーションにNeXTSTEP環境を使う権利と引き換えに1億ドルを出資し、16.67%の株式を得た(時価総額は6億ドル)。これはソフトウェア製品にとっての大きな市場拡大を意味していた。キヤノンはその後、インテルのGXプロセッサを使ったNeXTstationを日本市場向けにリリースした。キヤノンはまた、日本でのNeXT製品の販売代理店としても働いた。
初代のNeXT製コンピュータは1990年、一般市場で9999ドルで発売された。なお、最初の出資者だったロス・ペローはテキサス州プレイノに創業したシステムインテグレータPerot Systemsに専念するため、1991年6月にNeXTの取締役を辞任した。
1990年、NeXTは第2世代のワークステーションをリリースした。NeXT Computerを改良し改名したNeXTcubeと、"the slab"(厚板)と称されたNeXTstationで、後者はピザボックス型の形状である。なお、「ピザボックス」という呼び方はサン・マイクロシステムズのSPARCstation 1に由来するため、ジョブズは比較されることを避けるため、この呼び方をしないよう従業員に命じている。光磁気ディスク装置の代わりに2.88MBのフロッピードライブを装備した。ただし、2.88MBのフロッピーディスクは高価だったため、1.44MBフロッピーに取って代わることはなかった。そこでNeXTはCD-ROMドライブを採用し、これがその後のストレージの業界標準となった。カラーグラフィックス対応のNeXTstation Colorもあり、NeXTcubeに NeXTdimension というビデオカードを装備するとカラー対応になった。これら新世代のマシンはMC68040をベースとし、以前のマシンよりも安価で高性能になっている。
1992年、NeXTはプロセッサのクロック周波数を33MHzに上げ、RAM容量を最大128MBとした "Turbo" 版のNeXTcubeとNeXTstationを発売した。NeXTはいずれRISCアーキテクチャに移行する予定で、それによって更なる高性能を実現する計画だった。このプロジェクトはNeXT RISC Workstation (NRW) と呼ばれていた。当初はMotorola 88110を使う予定だったが、モトローラが88kアーキテクチャの今後を保証しなかったため、PowerPC 601のデュアル構成に変更となった。そのマザーボードやケースが試作されていたが、完全な製造に入る前にハードウェア事業からの撤退が決まった。
何人かの開発者がNeXTのプラットフォーム上で先駆的なプログラムを書いている。1991年、ティム・バーナーズ=リーはNeXT Computerを使って世界初のWebブラウザとWebサーバを生み出した。1990年代初めにはジョン・D・カーマックがNeXTcubeを使ってWolfenstein 3DとDoomというゲームを作った。NeXT製コンピュータ向けに発売された商用ソフトウェアとしては、表計算ソフトのLotus ImprovやMathematicaがある。また、システムに同梱された小型アプリケーションとしてはMerriam-Webster Collegiate Dictionary、オックスフォード引用句辞典、ウィリアム・シェイクスピア作品集、そしてこれらにアクセスするための検索エンジンDigital Librarianがあった。
1992年、NeXTは2万台のコンピュータを売り上げたが(これにはマザーボードをアップグレードした数も含んでいる)、同業他社に比べるとその台数は少ない。1992年の売上高は1億4000万ドルとなり、それを受けてキヤノンはさらに3000万ドルを出資することになった。最終的にNeXTが販売したコンピュータは累計で5万台となった。
1992年、NeXTはIntel 486ベースのPC/AT互換機へのNeXTSTEPの移植を開始した。この移植はNeXTの事業戦略の変化に対応したものだった。1993年末までにこの移植が完了し、NeXTSTEP 486とも呼ばれるバージョン3.1がリリースされた。実はそのリリース前の1992年にクライスラーが3000本を購入する計画を持ちかけていた。NeXTSTEP 3.x は後にPA-RISC やSPARCベースのプラットフォームにも移植されており、結局4種類のバージョン(NeXTSTEP/NeXT、NeXTSTEP/Intel、NeXTSTEP/PA-RISC、NeXTSTEP/SPARC)が登場した。これら移植版はあまり広く使われることはなかったが、First Chicago NBD、スイス銀行コーポレイション、O'Connor and Companyなどといった組織がそのプログラミング環境に惹かれて採用した。アメリカ連邦政府機関でも広く使われており、Naval Research Laboratory、アメリカ国家安全保障局、国防高等研究計画局、中央情報局、アメリカ国家偵察局などが採用した。
NeXTは1993年にハードウェア事業から手を引き、社名をNeXT Software Incに変えた。そして540名いた従業員のうち300名を解雇した。NeXTはフリーモントの工場も含めてハードウェア事業をキヤノンに売却する交渉を行った。ハード関連事業を買い取ったキヤノンはFirepower Systems社を設立したが、最終的にはモトローラに売却した。短期間出荷されたPowerPCマシンの開発も含め、全てのハードウェアの製造がストップした。サン・マイクロシステムズのCEOスコット・マクネリは1993年、NeXT Softwareに1000万ドルを出資し、NeXTのソフトウェアをサンのシステムに将来採用する計画を発表した。NeXTはサンと共同でNeXTSTEPのカーネル部分を除いたOPENSTEPを開発した。また、NeXTは当初の事業計画に戻り、各種オペレーティングシステム向けに開発ツールキットを販売するようになった。新製品としては、Windows NT上で動作するOPENSTEPであるOpenStep Enterpriseなどがあった。また、大規模な動的Webアプリケーション構築用プラットフォームであるWebObjectsも開発した。WebObjectsにはデル、ディズニー、ワールドコム、BBCといった大手企業の顧客がついた。後にNeXTを買収したApple自身も iTunes Store , App Storeなど同社のサイトの多くでWebObjectsを使っている。
1996年11月、スティーブ・ジョブズはNeXTを売却する目論見の元、IPOを計画していた。その頃、Appleが次期OSを外部に求めているという話を知ったNeXTのプロダクトマネージャであったジョン・ランドアーはセールス担当副社長のミッチ・マンディッチから支持を取付け、彼から指示されたチャンネルマーケティングマネージャのギャレット・ライス は、最初はジョブズに何も言わずAppleに電話してCTOのエレン・ハンコック上級副社長に打診。折り返しの電話連絡を受け、その数日後の11月26日、NeXTにAppleのエンジニアが派遣されて会議を行っていたその日、ジョブズはApple役員とハンコックに対して電話会議でOPENSTEPとNEXTSTEPを売り込んだ。そして12月10日、スティーブ・ジョブズがApple本社でプレゼンテーションを行った。結果、Appleは1996年12月20日、NeXT買収の意思があることを発表した。4億2900万ドルが各出資者に支払われ、スティーブ・ジョブズにはAppleの株式150万株が支払われた(ジョブズは買収交渉に直接対応した関係で、現金の受け取りを意図的に避けた)。この買収は第一に、Coplandの開発に失敗し、時代遅れになってしまったMacのOSの代わりとしてNeXTSTEPを採用するためだった。他に、BeOSの買収という案もあったが、BeOS側はNeXTを見くびって買収選考でプレゼンの手を抜いたため不採用となり、最終的にNeXTが買収された。
この際にキヤノンは出資を引揚げて清算した。
1997年、ジョブズはコンサルタントとしてAppleに復帰し、同年7月4日には暫定CEOに就任。2000年には正式なCEOとなった。1997年7月、ジョブズがAppleの取締役会を改編した際に、NeXTで重役を務めていたミッチ・マンディッチやナンシー・ハイネン、アビー・テバニアンらがAppleで同等の役職に迎えられた。
NeXT買収によりAppleの業績は回復し、NeXTの技術を基盤としたOSを開発し、搭載したiMacやMacBookやiPhone等のヒット商品を連発するようになった。
OPENSTEPの技術はMac OS Xに引き継がれ、Appleのソフトウェア技術の中核になった。人材面でも、NeXT出身のエンジニアがAppleの主要メンバーとして活躍している。現在のAppleのOS担当上級副社長クレイグ・フェデリギ(前任者スコット・フォーストール、バートランド・サーレイやアビー・テバニアンも)らはNeXTの経歴を持つ。
NeXT買収後、NeXTSTEPのPowerPCへの移植が行われ、それと同期するようにインテル版とWindows版のOpenStep Enterpriseツールキットにも改良が加えられていった。このオペレーティングシステムはRhapsodyというコード名で呼ばれ、全プラットフォーム共通の開発ツールキットはYellow Boxと呼ばれた。従来との互換性を保つため、Classic Mac OS用アプリケーションが動作するBlue Boxという環境が追加された。
1999年、この新オペレーティングシステムのサーバ版であるMac OS X Server 1.0がリリースされ、2001年には通常版のMac OS X v10.0がリリースされた。OPENSTEPを元にしたAPIはCocoaと改称された。RhapsodyのBlue BoxはClassic環境と改称された。また、既存のアプリケーションを移植しやすくするため、Mac OSのToolboxに相当する環境をCarbonとして搭載した。macOSにはNeXTSTEPから受け継いだインタフェースがいくつかある。例えばDock、サービスメニュー、Finderのブラウザビュー、NSText、フォントや色のシステムワイドなセレクタなどである。
NeXTSTEPのプロセッサに依存しない機能はmacOSにも残った。各バージョンはPowerPCとx86アーキテクチャの両方でコンパイルできるよう保持されていたが、2005年まではPowerPC版だけが公にリリースされていた。2005年6月6日、AppleはMacintoshのプロセッサをインテルに移行する計画を発表し、2020年6月にはインテルからARMへの移行する計画を発表した。さらにiPhoneやiPad向けにはiOS, iPadOSとして、ARM向けのmacOSのサブセットといえるものが使われている。
NeXTワークステーションは、米国では大学とともに金融機関が主な販売先であり、日本では大阪大学や広島大学、神奈川大学に数百台規模で導入された。しかし、独自のハードウェアだったため、オープン標準で作られるPC/AT互換機の高性能化と低価格化に追随できなかった。
NeXTワークステーション向けに作られたOS「NeXTSTEP」はDisplay Postscriptを採用し、独自の洗練されたグラフィカルユーザインタフェースを備え、ソフトウェア開発環境にはC言語にオブジェクト指向的な拡張を施し、本格的なオブジェクト指向開発を可能にした「Objective-C」を採用。後にカーネル依存部分を切り離したOPENSTEPを経てmacOSの礎となった。
後期には画面表示のためのDisplay PostScriptと共に、現在のOpenGLあるいはDirectXに相当する3Dkitと呼ばれる3D表示フレームワークにQuickRenderManを搭載し、PIXARの「PhotoRealistic RenderMan」(1バージョン古いものがデモとして)がバンドルされ、RenderManを標準で使用することができた。RenderManのシーン記述ファイルRIBは、「3次元表示のための PostScript」とも呼ばれる。
AppleのQuickTimeが有名になってくると、NeXTimeと呼ばれる互換モジュールも発表し、QuickTimeムービーをNeXT上で見られるようになった。
先進的で洗練された仕様には熱狂的なヘビーユーザを生み出した。
また、AppleのmacOSのAPIであるCocoaのクラス名には、NEXTSTEPからの名残でNS-とプレフィックスが付けられる。
ジョブズはAppleの会社組織が自分が辞めることになった原因だと感じていたため、官僚的内部抗争のない企業にしようと考えていた。ジョブズはNeXTの企業文化をAppleとは異なったものにするべく、設備や給料や福利厚生など様々な面で違ったやり方を採用した。ジョブズはAppleでも企業構造の改革を何度か行っているが、NeXTでは一般的な企業の組織構造は採用せず、従業員ではなく「メンバー」による「コミュニティ」を作るようにした。
NeXTは商業的に成功したとは言えないが、コンピュータ業界に与えた影響は大きい。NeXTcubeとNEXTSTEPがリリースされた1988年以降、他社はNeXTのオブジェクト指向システムをエミュレートし始め、オブジェクト指向プログラミングとグラフィカルユーザインタフェースがより一般化していった。Appleは1989年、次世代パソコン向けにNEXTSTEP同様オブジェクト指向の開発・実効環境のOSを構築するプロジェクトTaligentをIBMやHPと共同で開始した。
シャープの矢板事業部はX68000シリーズに続く次のプラットフォームとして試作機を製作しており、その仕様においてはNeXTを強く意識したものであったとされる。一部の層に対して一定のヒヤリングも秘密裏に行われたが、結局日の目を見ることは無かった。
マイクロソフトは1991年にCairoプロジェクトを発表。Cairoの仕様にも同様のオブジェクト指向ユーザインタフェースが含まれていた。プロジェクト自体は最終的に中止されたが、一部の要素はその後のプロジェクトに受け継がれた。1994年、マイクロソフトとNeXTは共同でOPENSTEPをWindows NT上に移植する作業を開始し、1996年9月、OPENSTEP Enterpriseとしてリリースされた。
WebObjectsは当初5万ドルという高価格で発売されたためもあり、広く使われることはなかったが、動的ページ生成が可能な初期のWebサーバとして歴史的に重要であると言えよう。WebObjectsは2010年以降Appleの製品リストから外れており、かつてのようにmacOSに付属されなくなりバージョンアップも停止しているが、Apple StoreやiTunes Store、App Store等のAppleの各種サービスを支えるベースシステムとして利用されている。 | [
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"text": "当初は、アドビシステムズと後にDisplay PostScriptとなる技術の開発を行っていたが、これを実装できそうなオペレーティングシステムがその時点では存在しなかったことから、1986年中ごろ会社の方針を転換。単なるローエンドのワークステーションだけでなく、これを搭載できるオペレーティングシステムならびにコンピュータを総合的に開発することとなった。これを受けて社名はNeXT Computer, Inc.に変更された。カーネギーメロン大学でMachカーネルを開発していたアビー・テバニアンが同社に参加してチームを率い、NeXTSTEPオペレーティングシステムを開発した。ハードウェア部門を率いたのは創業当時からのメンバーであるRich Pageで(かつてLisa開発チームの責任者だった)、ハードウェアの設計開発を行った。NeXTの最初の工場は1987年、カリフォルニア州フリーモントに設けられた。この工場は年間15万台のマシンを製造する能力があった。NeXTの最初のワークステーションは公式にはNeXT Computerと名付けられたが、マグネシウム合金製のマットブラックの一辺が約1フィートの正立方体という特異な形状から、一般に \"the cube\" と呼ばれた。このデザインは、Apple IIcをデザインしたハルトムット・エスリンガー率いる フロッグデザイン に依頼したものである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "このワークステーションのプロトタイプは1988年10月12日に披露され、喝采を持って迎えられた。1号機は1989年に評価され、その後ベータ版のNeXTSTEPオペレーティングシステムをインストールしたごく少数のマシンが大学などに販売された。当初NeXT Computerはアメリカ国内の高等教育機関向けに限定販売され、基本価格は6500ドルとされていた。このマシンは主にそのハードウェアを中心に各種雑誌で広くレビューされた。デビューが数カ月遅れたことについて聞かれたジョブズは「遅れた? このコンピュータは5年先を行っているよ!」と答えた。非常に斬新なソフトウェア構成に加えて、光磁気ディスク、本体とデザインを統一したモニタ、400dpiのレーザープリンター、プリンター・本体・ディスプレイ・キーボードへそれぞれへの配線が最小になる接続方式などを採用した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "NeXT Computerは25MHzのMC68030CPUをベースとしている。当初、RISC方式のMC88000も検討したが、十分な量が確保できないということで取りやめた。RAMは8から64MB、256MBの光磁気ディスク (MO) を備え、40MB(スワップ専用)、330MB、660MBのハードディスクドライブ、10Base-2イーサネット、NuBus、1120×832ピクセルのグレースケール・ディスプレイ MegaPixel を備えている。1989年当時の一般的なPCでは、RAMは640KBから4MB、CPUは8086/8088/286/386、ディスプレイは16色640×350かモノクロ720×348、ハードディスクは10MBから20MB、ネットワーク機能はほとんどなかった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "光磁気ディスク装置はキヤノンが製造したもので、主な記憶媒体としてコンピュータに採用したのは日本以外ではNeXTが初めてだった。ハードディスクよりも安価だが(特に未使用媒体は安価で、元々キヤノンが1枚当たり150ドルを得ることになっていたが、ジョブズは交渉でそれを50ドルに値引きした)、低速である(平均シーク時間は96ms)。設計上、MO装置はNeXT Computerには1つしかなく、システムをシャットダウンせずに媒体を取り出すことができないため、コンピュータ間でファイルをやり取りするにはネットワークを介するしかなかった。ストレージは初代のNeXT Computerにとっては弱点だった。光磁気ディスク媒体は比較的高価であり、フロッピーディスクドライブよりも高速だが性能と信頼性に問題を抱えていた。それは一次媒体としてNeXTSTEPを動作させるには容量的にも性能的にも不十分だった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "1989年、NeXTは以前からコンパックの再販業者をしていたBusinessLandと契約し、NeXTのコンピュータを全国の販売店で販売する契約と結んだ。それまで学生や教育機関に直販だけしていたビジネスモデルからの大きな転換である。BusinessLand の創業者 David Norman は、12ヵ月後には NeXT Computer の売り上げはコンパック製品をしのぐことになるだろうと予言した。同じく1989年には、キヤノンが自社製ワークステーションにNeXTSTEP環境を使う権利と引き換えに1億ドルを出資し、16.67%の株式を得た(時価総額は6億ドル)。これはソフトウェア製品にとっての大きな市場拡大を意味していた。キヤノンはその後、インテルのGXプロセッサを使ったNeXTstationを日本市場向けにリリースした。キヤノンはまた、日本でのNeXT製品の販売代理店としても働いた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 13,
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"text": "初代のNeXT製コンピュータは1990年、一般市場で9999ドルで発売された。なお、最初の出資者だったロス・ペローはテキサス州プレイノに創業したシステムインテグレータPerot Systemsに専念するため、1991年6月にNeXTの取締役を辞任した。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "1990年、NeXTは第2世代のワークステーションをリリースした。NeXT Computerを改良し改名したNeXTcubeと、\"the slab\"(厚板)と称されたNeXTstationで、後者はピザボックス型の形状である。なお、「ピザボックス」という呼び方はサン・マイクロシステムズのSPARCstation 1に由来するため、ジョブズは比較されることを避けるため、この呼び方をしないよう従業員に命じている。光磁気ディスク装置の代わりに2.88MBのフロッピードライブを装備した。ただし、2.88MBのフロッピーディスクは高価だったため、1.44MBフロッピーに取って代わることはなかった。そこでNeXTはCD-ROMドライブを採用し、これがその後のストレージの業界標準となった。カラーグラフィックス対応のNeXTstation Colorもあり、NeXTcubeに NeXTdimension というビデオカードを装備するとカラー対応になった。これら新世代のマシンはMC68040をベースとし、以前のマシンよりも安価で高性能になっている。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "1992年、NeXTはプロセッサのクロック周波数を33MHzに上げ、RAM容量を最大128MBとした \"Turbo\" 版のNeXTcubeとNeXTstationを発売した。NeXTはいずれRISCアーキテクチャに移行する予定で、それによって更なる高性能を実現する計画だった。このプロジェクトはNeXT RISC Workstation (NRW) と呼ばれていた。当初はMotorola 88110を使う予定だったが、モトローラが88kアーキテクチャの今後を保証しなかったため、PowerPC 601のデュアル構成に変更となった。そのマザーボードやケースが試作されていたが、完全な製造に入る前にハードウェア事業からの撤退が決まった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "何人かの開発者がNeXTのプラットフォーム上で先駆的なプログラムを書いている。1991年、ティム・バーナーズ=リーはNeXT Computerを使って世界初のWebブラウザとWebサーバを生み出した。1990年代初めにはジョン・D・カーマックがNeXTcubeを使ってWolfenstein 3DとDoomというゲームを作った。NeXT製コンピュータ向けに発売された商用ソフトウェアとしては、表計算ソフトのLotus ImprovやMathematicaがある。また、システムに同梱された小型アプリケーションとしてはMerriam-Webster Collegiate Dictionary、オックスフォード引用句辞典、ウィリアム・シェイクスピア作品集、そしてこれらにアクセスするための検索エンジンDigital Librarianがあった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 17,
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"text": "1992年、NeXTは2万台のコンピュータを売り上げたが(これにはマザーボードをアップグレードした数も含んでいる)、同業他社に比べるとその台数は少ない。1992年の売上高は1億4000万ドルとなり、それを受けてキヤノンはさらに3000万ドルを出資することになった。最終的にNeXTが販売したコンピュータは累計で5万台となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "1992年、NeXTはIntel 486ベースのPC/AT互換機へのNeXTSTEPの移植を開始した。この移植はNeXTの事業戦略の変化に対応したものだった。1993年末までにこの移植が完了し、NeXTSTEP 486とも呼ばれるバージョン3.1がリリースされた。実はそのリリース前の1992年にクライスラーが3000本を購入する計画を持ちかけていた。NeXTSTEP 3.x は後にPA-RISC やSPARCベースのプラットフォームにも移植されており、結局4種類のバージョン(NeXTSTEP/NeXT、NeXTSTEP/Intel、NeXTSTEP/PA-RISC、NeXTSTEP/SPARC)が登場した。これら移植版はあまり広く使われることはなかったが、First Chicago NBD、スイス銀行コーポレイション、O'Connor and Companyなどといった組織がそのプログラミング環境に惹かれて採用した。アメリカ連邦政府機関でも広く使われており、Naval Research Laboratory、アメリカ国家安全保障局、国防高等研究計画局、中央情報局、アメリカ国家偵察局などが採用した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "NeXTは1993年にハードウェア事業から手を引き、社名をNeXT Software Incに変えた。そして540名いた従業員のうち300名を解雇した。NeXTはフリーモントの工場も含めてハードウェア事業をキヤノンに売却する交渉を行った。ハード関連事業を買い取ったキヤノンはFirepower Systems社を設立したが、最終的にはモトローラに売却した。短期間出荷されたPowerPCマシンの開発も含め、全てのハードウェアの製造がストップした。サン・マイクロシステムズのCEOスコット・マクネリは1993年、NeXT Softwareに1000万ドルを出資し、NeXTのソフトウェアをサンのシステムに将来採用する計画を発表した。NeXTはサンと共同でNeXTSTEPのカーネル部分を除いたOPENSTEPを開発した。また、NeXTは当初の事業計画に戻り、各種オペレーティングシステム向けに開発ツールキットを販売するようになった。新製品としては、Windows NT上で動作するOPENSTEPであるOpenStep Enterpriseなどがあった。また、大規模な動的Webアプリケーション構築用プラットフォームであるWebObjectsも開発した。WebObjectsにはデル、ディズニー、ワールドコム、BBCといった大手企業の顧客がついた。後にNeXTを買収したApple自身も iTunes Store , App Storeなど同社のサイトの多くでWebObjectsを使っている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "1996年11月、スティーブ・ジョブズはNeXTを売却する目論見の元、IPOを計画していた。その頃、Appleが次期OSを外部に求めているという話を知ったNeXTのプロダクトマネージャであったジョン・ランドアーはセールス担当副社長のミッチ・マンディッチから支持を取付け、彼から指示されたチャンネルマーケティングマネージャのギャレット・ライス は、最初はジョブズに何も言わずAppleに電話してCTOのエレン・ハンコック上級副社長に打診。折り返しの電話連絡を受け、その数日後の11月26日、NeXTにAppleのエンジニアが派遣されて会議を行っていたその日、ジョブズはApple役員とハンコックに対して電話会議でOPENSTEPとNEXTSTEPを売り込んだ。そして12月10日、スティーブ・ジョブズがApple本社でプレゼンテーションを行った。結果、Appleは1996年12月20日、NeXT買収の意思があることを発表した。4億2900万ドルが各出資者に支払われ、スティーブ・ジョブズにはAppleの株式150万株が支払われた(ジョブズは買収交渉に直接対応した関係で、現金の受け取りを意図的に避けた)。この買収は第一に、Coplandの開発に失敗し、時代遅れになってしまったMacのOSの代わりとしてNeXTSTEPを採用するためだった。他に、BeOSの買収という案もあったが、BeOS側はNeXTを見くびって買収選考でプレゼンの手を抜いたため不採用となり、最終的にNeXTが買収された。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "この際にキヤノンは出資を引揚げて清算した。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "1997年、ジョブズはコンサルタントとしてAppleに復帰し、同年7月4日には暫定CEOに就任。2000年には正式なCEOとなった。1997年7月、ジョブズがAppleの取締役会を改編した際に、NeXTで重役を務めていたミッチ・マンディッチやナンシー・ハイネン、アビー・テバニアンらがAppleで同等の役職に迎えられた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "NeXT買収によりAppleの業績は回復し、NeXTの技術を基盤としたOSを開発し、搭載したiMacやMacBookやiPhone等のヒット商品を連発するようになった。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "OPENSTEPの技術はMac OS Xに引き継がれ、Appleのソフトウェア技術の中核になった。人材面でも、NeXT出身のエンジニアがAppleの主要メンバーとして活躍している。現在のAppleのOS担当上級副社長クレイグ・フェデリギ(前任者スコット・フォーストール、バートランド・サーレイやアビー・テバニアンも)らはNeXTの経歴を持つ。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "NeXT買収後、NeXTSTEPのPowerPCへの移植が行われ、それと同期するようにインテル版とWindows版のOpenStep Enterpriseツールキットにも改良が加えられていった。このオペレーティングシステムはRhapsodyというコード名で呼ばれ、全プラットフォーム共通の開発ツールキットはYellow Boxと呼ばれた。従来との互換性を保つため、Classic Mac OS用アプリケーションが動作するBlue Boxという環境が追加された。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "1999年、この新オペレーティングシステムのサーバ版であるMac OS X Server 1.0がリリースされ、2001年には通常版のMac OS X v10.0がリリースされた。OPENSTEPを元にしたAPIはCocoaと改称された。RhapsodyのBlue BoxはClassic環境と改称された。また、既存のアプリケーションを移植しやすくするため、Mac OSのToolboxに相当する環境をCarbonとして搭載した。macOSにはNeXTSTEPから受け継いだインタフェースがいくつかある。例えばDock、サービスメニュー、Finderのブラウザビュー、NSText、フォントや色のシステムワイドなセレクタなどである。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "NeXTSTEPのプロセッサに依存しない機能はmacOSにも残った。各バージョンはPowerPCとx86アーキテクチャの両方でコンパイルできるよう保持されていたが、2005年まではPowerPC版だけが公にリリースされていた。2005年6月6日、AppleはMacintoshのプロセッサをインテルに移行する計画を発表し、2020年6月にはインテルからARMへの移行する計画を発表した。さらにiPhoneやiPad向けにはiOS, iPadOSとして、ARM向けのmacOSのサブセットといえるものが使われている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "NeXTワークステーションは、米国では大学とともに金融機関が主な販売先であり、日本では大阪大学や広島大学、神奈川大学に数百台規模で導入された。しかし、独自のハードウェアだったため、オープン標準で作られるPC/AT互換機の高性能化と低価格化に追随できなかった。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "NeXTワークステーション向けに作られたOS「NeXTSTEP」はDisplay Postscriptを採用し、独自の洗練されたグラフィカルユーザインタフェースを備え、ソフトウェア開発環境にはC言語にオブジェクト指向的な拡張を施し、本格的なオブジェクト指向開発を可能にした「Objective-C」を採用。後にカーネル依存部分を切り離したOPENSTEPを経てmacOSの礎となった。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "後期には画面表示のためのDisplay PostScriptと共に、現在のOpenGLあるいはDirectXに相当する3Dkitと呼ばれる3D表示フレームワークにQuickRenderManを搭載し、PIXARの「PhotoRealistic RenderMan」(1バージョン古いものがデモとして)がバンドルされ、RenderManを標準で使用することができた。RenderManのシーン記述ファイルRIBは、「3次元表示のための PostScript」とも呼ばれる。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "AppleのQuickTimeが有名になってくると、NeXTimeと呼ばれる互換モジュールも発表し、QuickTimeムービーをNeXT上で見られるようになった。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "先進的で洗練された仕様には熱狂的なヘビーユーザを生み出した。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "また、AppleのmacOSのAPIであるCocoaのクラス名には、NEXTSTEPからの名残でNS-とプレフィックスが付けられる。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "ジョブズはAppleの会社組織が自分が辞めることになった原因だと感じていたため、官僚的内部抗争のない企業にしようと考えていた。ジョブズはNeXTの企業文化をAppleとは異なったものにするべく、設備や給料や福利厚生など様々な面で違ったやり方を採用した。ジョブズはAppleでも企業構造の改革を何度か行っているが、NeXTでは一般的な企業の組織構造は採用せず、従業員ではなく「メンバー」による「コミュニティ」を作るようにした。",
"title": "企業文化とコミュニティ"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "NeXTは商業的に成功したとは言えないが、コンピュータ業界に与えた影響は大きい。NeXTcubeとNEXTSTEPがリリースされた1988年以降、他社はNeXTのオブジェクト指向システムをエミュレートし始め、オブジェクト指向プログラミングとグラフィカルユーザインタフェースがより一般化していった。Appleは1989年、次世代パソコン向けにNEXTSTEP同様オブジェクト指向の開発・実効環境のOSを構築するプロジェクトTaligentをIBMやHPと共同で開始した。",
"title": "コンピュータ業界に与えた影響"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "シャープの矢板事業部はX68000シリーズに続く次のプラットフォームとして試作機を製作しており、その仕様においてはNeXTを強く意識したものであったとされる。一部の層に対して一定のヒヤリングも秘密裏に行われたが、結局日の目を見ることは無かった。",
"title": "コンピュータ業界に与えた影響"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "マイクロソフトは1991年にCairoプロジェクトを発表。Cairoの仕様にも同様のオブジェクト指向ユーザインタフェースが含まれていた。プロジェクト自体は最終的に中止されたが、一部の要素はその後のプロジェクトに受け継がれた。1994年、マイクロソフトとNeXTは共同でOPENSTEPをWindows NT上に移植する作業を開始し、1996年9月、OPENSTEP Enterpriseとしてリリースされた。",
"title": "コンピュータ業界に与えた影響"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "WebObjectsは当初5万ドルという高価格で発売されたためもあり、広く使われることはなかったが、動的ページ生成が可能な初期のWebサーバとして歴史的に重要であると言えよう。WebObjectsは2010年以降Appleの製品リストから外れており、かつてのようにmacOSに付属されなくなりバージョンアップも停止しているが、Apple StoreやiTunes Store、App Store等のAppleの各種サービスを支えるベースシステムとして利用されている。",
"title": "コンピュータ業界に与えた影響"
}
] | NeXTは、アメリカ合衆国カリフォルニア州レッドウッドシティを本拠地としたコンピュータ企業で、高等教育やビジネス市場向けのワークステーションを開発製造していた。Appleの創業者の1人スティーブ・ジョブズがAppleを辞め、1985年に創業。最初の製品NeXTcubeを1988年に発売し、小型化したNeXTstationは1990年に発売。売り上げはそれほど大きくはなく、全部で5万台ほどを販売したと見積もられている。とはいうものの、その革新的なオブジェクト指向型オペレーティングシステム (OS) であるNeXTSTEPと開発環境はApple 社に多大な影響を及ぼした。 NEXTSTEPの主要なAPIは、後にOPENSTEPとして標準化された。NeXTは1993年にハードウェア事業から撤退し、いくつかのOEMへのOPENSTEP仕様販売と自社製の実装の販売に注力するようになった。NeXTはまた、世界初の企業向けWebアプリケーションフレームワークWebObjectsの開発でも知られている。WebObjectsは5万ドルと高価だったために広く普及することはなかったが、Webページの動的生成に基づいた初期のWebサーバとして特筆すべき例であった。Appleは1996年12月20日、4億2900万ドルでNeXTを買収すると発表し、現行のmacOSの大部分はNeXTSTEPを基盤として開発された。WebObjectsは、かつてOS X ServerおよびXcodeの付属ソフトであった。 | {{混同|NexT|x1=[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の番組}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = ネクスト・ソフトウェア
| 英文社名 = NeXT Software, Inc.
|ロゴ = NeXT logo.svg
| 画像 = [[ファイル:Entrance view of NeXT Computer Inc..jpg|250px|NeXT社エントランス]]
| 種類 = 未公開会社
| 本社所在地 = [[カリフォルニア州]][[レッドウッドシティ (カリフォルニア州)|レッドウッドシティ]]
| 国籍 = {{USA}}
| 設立 = 1985年
| 業種 = 情報・通信業(元は電気機器)
| 事業内容 = コンピュータの製造販売([[NeXTcube]]、[[NeXTstation]])、ソフトウェアの開発販売([[OPENSTEP]]、[[WebObjects]])
| 従業員数 = 540 (1992)<ref name=employees>{{cite news | title=NeXT Inc. to Drop Hardware 300 losing jobs in strategy shift | date=February 9, 1993 | work=[[サンフランシスコ・クロニクル|The San Francisco Chronicle]]}}</ref>
| 関係する人物 = [[スティーブ・ジョブズ]](会長、CEO)<br />[[ロス・ペロー]](取締役)<br />John Patrick Crecine(取締役)<br />[[ジョン・ルビンスタイン]](ハードウェア技術系[[ヴァイスプレジデント|VP]])<br />[[バド・トリブル|バッド・トリブル]](ソフトウェア技術系[[ヴァイスプレジデント|VP]])<br />[[アビー・テバニアン]](ソフトウェア技術系[[ヴァイスプレジデント|VP]])<br />[[バートランド・サーレイ]](ソフトウェア技術者)<br />[[スコット・フォーストール]](ソフトウェア技術者)<br />[[クレイグ・フェデリギ]](ソフトウェア技術者)<br />[[ジョアンナ・ホフマン]](マーケティング責任者)<br />ミッチ・マンディッチ(セールス担当[[ヴァイスプレジデント|VP]])
| 特記事項 = 1996年、[[Apple]]が買収
}}
'''NeXT'''(ネクスト、{{lang-en-short|'''NeXT Software, Inc.'''}}<ref group="注">正式名称である社名は、'''NeXT, Inc.'''、'''NeXT Computer, Inc.'''、'''NeXT Software, Inc.'''へと変遷している。</ref>)は、[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[レッドウッドシティ (カリフォルニア州)|レッドウッドシティ]]を本拠地とした[[コンピュータ]]企業で、[[高等教育]]やビジネス市場向けの[[ワークステーション]]を開発製造していた。[[Apple]]の創業者の1人[[スティーブ・ジョブズ]]がAppleを辞め、[[1985年]]に創業。最初の製品[[NeXTcube]]を1988年に発売し、小型化した[[NeXTstation]]は[[1990年]]に発売。売り上げはそれほど大きくはなく、全部で5万台ほどを販売したと見積もられている。とはいうものの、その革新的な[[オブジェクト指向]]型[[オペレーティングシステム]] (OS) である[[NEXTSTEP|NeXTSTEP]]と開発環境はApple 社に多大な影響を及ぼした。
NEXTSTEPの主要な[[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]は、後に[[OPENSTEP]]として標準化された。NeXTは1993年に[[ハードウェア]]事業から撤退し、いくつかの[[OEM]]へのOPENSTEP仕様販売と自社製の実装の販売に注力するようになった。NeXTはまた、世界初の企業向け[[Webアプリケーションフレームワーク]][[WebObjects]]の開発でも知られている。WebObjectsは5万ドルと高価だったために広く普及することはなかったが、[[ウェブページ|Webページ]]の動的生成に基づいた初期の[[Webサーバ]]として特筆すべき例であった。Appleは1996年12月20日、4億2900万ドルでNeXTを買収すると発表し<ref name="apple-acquisition">{{cite press release|title=Apple Computer, Inc. Agrees to Acquire NeXT Software Inc.|url= http://product.info.apple.com/pr/press.releases/1997/q1/961220.pr.rel.next.html| archiveurl= https://web.archive.org/web/20020208190346/http://product.info.apple.com/pr/press.releases/1997/q1/961220.pr.rel.next.html|archivedate=2002-02-08|publisher=Apple Computer|date=1996-12-20|accessdate=2008-06-13}}</ref>、現行の[[macOS]]の大部分はNeXTSTEPを基盤として開発された<ref>{{cite press release|title=Apple Computer, Inc. Finalizes Acquisition of NeXT Software Inc.|url= http://product.info.apple.com/pr/press.releases/1997/q2/970207.pr.rel.next.html| archiveurl= https://web.archive.org/web/19990117075346/http://product.info.apple.com/pr/press.releases/1997/q2/970207.pr.rel.next.html|archivedate=1999-01-17|publisher=Apple Computer|date=1997-02-07|accessdate=2008-06-13 }}</ref>。WebObjectsは、かつて[[macOS Server|OS X Server]]および[[Xcode]]の付属ソフトであった。
== 歴史 ==
=== 1985年 - 1986年 : NeXT創業 ===
1984年、Apple創業者の1人[[スティーブ・ジョブズ]]はAppleのスーパーマイクロ部門([[Macintosh]]と[[Lisa (コンピュータ)|Lisa]]の開発部門)の責任者を務めていた。MacintoshはApple University Consortiumによって学生や教育機関には割引価格で販売していたため、大学などで大いに成功を収めていた<ref>{{cite book|first=Randall|last=Stross|title=Steve Jobs and the NeXT Big Thing|publisher=Athenium|year=1993|page=56| isbn=0-689-12135-0}}</ref><ref>Stross 1993, p. 67</ref>。Apple University Consortium は1984年2月までに5000万ドルのコンピュータを販売した<ref>{{cite news|last=Morrison|first=Ann|title=NeXT, Microsoft tackle objects: NT to gain OpenStep port|work=Fortune|date= 1984-02-20}}</ref>。
会長として、ジョブズはMacintoshを売り込むために各地の大学や研究者をしばしば訪問していた。当時の[[フランス共和国大統領]][[フランソワ・ミッテラン]]を迎えた午餐会で、ジョブズは[[ノーベル化学賞]]を受賞した[[ポール・バーグ]]と出会った<ref name="nextbigthing72">{{cite book | first=Randall | last=Stross | title=Steve Jobs and the NeXT Big Thing | publisher=Athenium | year=1993 | page=72 | isbn=0-689-12135-0}}</ref><ref>{{Cite news|last=Shannon|first=Victoria|title=Apple losing its polish in Franc| work=International Herald Tribune|page=11|date=2006-05-22|url= http://www.iht.com/articles/2006/05/21/business/lobbyside.php }}</ref>。バーグは実験室で実際に実験しないで、[[教科書]]だけで[[遺伝子工学|遺伝子組み換え]]を学生に教えるにはどうしたらよいかで悩んでいた。遺伝子組み合えの実験にはかなり費用がかかり、当時の[[パーソナルコンピュータ]] (PC) でシミュレートするには複雑すぎた。バーグはジョブズに、彼のAppleへの影響力を行使して、高等教育用の "3M" ワークステーションを作ってくれないかと持ちかけた。"3M" とは、1[[メガバイト]]以上の[[Random Access Memory|RAM]]、[[ピクセル|メガピクセル]]レベルのディスプレイ、[[FLOPS|メガFLOPS]]レベルの性能を意味する(3つの「メガ」で "3M"。[[Alto]]などを指した用語)。
ジョブズはバーグの描いたワークステーションに好奇心をそそられ、高等教育向けコンピュータ企業を1985年秋に立ち上げることを考えたが、当時Apple社内では内紛が大きくなっていた。ジョブズの部門はMacintoshの新製品をリリースできず、[[:en:Macintosh Office|Macintosh Office]] の大部分もリリースが遅れていた<ref>{{Cite news| last = Fuerst| first = Irene| title = Apple's new Mac push; can Apple Computer succeed in wooing big companies with its Macintosh Office?| work = Datamation Magazine| page = 42| date = March 15, 1985}}</ref>。結果として売り上げが急落し<ref>{{cite book | first=Frank | last=Rose | title=West of Eden | publisher=Viking | year=1990 | page=193 | isbn=0-670-81278-1}}</ref>、Appleは売れ残り在庫の償却に数百万ドルを費やした<ref>Rose 1990, p. 227</ref>。Appleの[[最高経営責任者]] (CEO) [[ジョン・スカリー]]はジョブズのAppleにおける権限を奪い取り、1985年には[[ジャン=ルイ・ガセー]]を後釜に据えた<ref>Rose 1990, p. 291</ref>。その後ジョブズはAppleの経営権を取り戻すべく闘争を開始した。ジョブズが社用で[[西ヨーロッパ]]と[[ソビエト連邦]]に出張している間に、スカリーは取締役会の協力をとりつけた<ref>{{cite book | first=Jeffrey S. | last=Young | coauthors=Simon, William L. | title=iCon: Steve Jobs | publisher=John Wiley & Sons | year=2005 | page=118 | isbn=0-471-72083-6}}</ref>。
数カ月間Apple社内で邪魔者扱いされた末、ジョブズは1985年9月13日に辞任した。彼は取締役会に、退職後に新たなコンピュータ会社を立ち上げることと、スーパーマイクロ部門から数人の従業員を連れて行くことを明らかにした。また、その会社はAppleとは直接競合することはないし、新会社で設計したものをMacintoshブランドでマーケティングするべくライセンス提供することもありうると表明していた<ref>{{cite news| last = Spector| first = G| title = Apple's Jobs Starts New Firm, Targets Education Market| work = PC Week| page = 109| date = September 24, 1985}}</ref>。
ジョブズはAppleの株式売却で得た700万ドルを出資し、Apple元従業員の[[バド・トリブル|バッド・トリブル]]、George Crow、Rich Page、Susan Barnes、[[スーザン・ケア]]、Dan'l Lewin と共に新会社NeXT, Inc.を創業。基調講演で彼はNeXTを「ネッキスト」(ネキスト)と発音している話は有名である{{要出典|date=2022年4月}}。各地の教育関係の業者と相談し(ポール・バーグとも再び会合を行った)、ワークステーションの仮の仕様が出来上がった。それは、遺伝子実験シミュレーションを実行できるほど強力で、大学生が自分の部屋で使える程度に安価になるよう設計された<ref name="secondcoming">{{cite book | first=Alan | last=Deutschman | title=Second Coming of Steve Jobs | publisher=Broadway Books | year=2000 | page=64|isbn=0-7679-0432-X}}</ref>。しかし仕様が確定する以前に、AppleはNeXTが創業者のインサイダー情報を利用しているとして訴えた<ref name="nextbigthing75">{{cite book | first=Randall | last=Stross | title=Steve Jobs and the NeXT Big Thing | publisher=Athenium | year=1993 | page=75 | isbn=0-689-12135-0}}</ref><ref>Deutschman, p. 44</ref>。ジョブズはこれについて、「4300名以上を抱える20億ドル企業がブルージーンズをはいた6人に太刀打ちできないとは想像しにくい」と述べた<ref name="nextbigthing75"/>。この訴えは裁判になる前に取り下げられた。
1986年、ジョブズは有名なグラフィックデザイナーである[[ポール・ランド]]に10万ドルでブランド・アイデンティティ制作を依頼した<ref name="rand">{{cite book | first=Steven | last=Heller | coauthors=Helfand, Jessica; Lois, George | title=Paul Rand | publisher=Phaidon Press | year=2000 | page= 256|isbn=0-7148-3994-9}}</ref>。ランドは、ロゴの正確な角度(28°)や社名の正確な綴り (NeXT) などを含む100ページのブランドの詳細を示す冊子を作った<ref name="rand"/>。最初の外部からの出資は[[テキサス州]]の実業家[[ロス・ペロー]]からの資金提供だった。ペローは[[テレビ番組]]''The Entrepreneurs''で、ジョブズとNeXTの従業員を初めて見た。1987年、ペローは2000万ドルを出資し、NeXTの株式の16%を得た(つまり、この時点で会社の時価総額は1億2500万ドル)。1988年には、取締役会に参加することになった<ref>{{cite book | first=Jeffrey S. | last=Young | coauthors=Simon, William L. | title=iCon: Steve Jobs | publisher=John Wiley & Sons | year=2005 | page=134 | isbn=0-471-72083-6}}</ref>。
=== 1987年 - 1993年 : NeXT Computer ===
==== 第1世代 ====
当初は、[[アドビ|アドビシステムズ]]と後に[[Display PostScript]]となる技術の開発を行っていたが、これを実装できそうな[[オペレーティングシステム]]がその時点では存在しなかったことから、[[1986年]]中ごろ会社の方針を転換。単なるローエンドのワークステーションだけでなく、これを搭載できるオペレーティングシステムならびにコンピュータを総合的に開発することとなった。これを受けて社名はNeXT Computer, Inc.に変更された。[[カーネギーメロン大学]]で[[Mach]][[カーネル]]を開発していた[[アビー・テバニアン]]が同社に参加してチームを率い、NeXTSTEPオペレーティングシステムを開発した。ハードウェア部門を率いたのは創業当時からのメンバーであるRich Pageで(かつて[[Lisa (コンピュータ)|Lisa]]開発チームの責任者だった)、ハードウェアの設計開発を行った。NeXTの最初の工場は1987年、[[カリフォルニア州]][[フリーモント (カリフォルニア州)|フリーモント]]に設けられた<ref name="nextbigthing75"/>。この工場は年間15万台のマシンを製造する能力があった<ref name="nextbigthing75"/>。NeXTの最初のワークステーションは公式には[[NeXTcube|NeXT Computer]]と名付けられたが、[[マグネシウム合金]]製のマットブラックの一辺が約1[[フィート]]の正立方体という特異な形状から、一般に "the cube" と呼ばれた<ref name="byte"/>。このデザインは、Apple IIcをデザインした[[ハルトムット・エスリンガー]]率いる [[フロッグデザイン]] に依頼したものである<ref>{{cite news| last = Bonnera| first = Paul| title = The heart of a new machine (frogdesign for NeXT computer)| work = PC/Computing Magazine| page = 144|date=February 1989}}</ref>。
このワークステーションのプロトタイプは1988年10月12日に披露され、喝采を持って迎えられた。1号機は1989年に評価され、その後[[ベータ版]]の[[NeXTSTEP]]オペレーティングシステムをインストールしたごく少数のマシンが大学などに販売された。当初NeXT Computerはアメリカ国内の[[高等教育]]機関向けに限定販売され、基本価格は6500ドルとされていた<ref name="byte">{{cite magazine|title=The NeXT Computer|author=Thompson, Tom|coauthors=Baran, Nick|journal=Byte|volume=13|issue=12|pages= 158–175|year=1988|month=November|url= http://www.simson.net/ref/NeXT/byte_article.htm}}</ref>。このマシンは主にそのハードウェアを中心に各種雑誌で広くレビューされた。デビューが数カ月遅れたことについて聞かれたジョブズは「遅れた? このコンピュータは5年先を行っているよ!」と答えた<ref>{{cite book | first=Robert | last=Standefer | title=Macintosh Switcher's Guide | publisher=Wordware Publishing | year=2004 | chapter=Evolution of Mac OS X | page =33| isbn=1-55622-045-6}}</ref>。非常に斬新な[[ソフトウェア]]構成に加えて、[[光磁気ディスク]]、本体とデザインを統一したモニタ、400[[dpi]]の[[レーザープリンター]]、[[プリンター]]・本体・[[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]・[[キーボード (コンピュータ)|キーボード]]へそれぞれへの配線が最小になる接続方式などを採用した。
NeXT Computerは25MHzの[[MC68030]][[CPU]]をベースとしている。当初、[[RISC]]方式の[[MC88000]]も検討したが、十分な量が確保できないということで取りやめた<ref>{{cite news | last = Takahashi |first = Ken | title = Motorola making chips in Japan | work = Newsbytes | date = August 29, 1989}}</ref>。[[Random Access Memory|RAM]]は8から64[[メガバイト|MB]]、256MBの[[光磁気ディスク]] (MO) を備え、40MB(スワップ専用)、330MB、660MBの[[ハードディスクドライブ]]、10Base-2[[イーサネット]]、[[NuBus]]、1120×832[[ピクセル]]のグレースケール・ディスプレイ ''MegaPixel'' を備えている。1989年当時の一般的なPCでは、RAMは640[[キロバイト|KB]]から4[[メガバイト|MB]]、CPUは[[Intel 8086|8086]]/[[Intel 8088|8088]]/[[Intel 80286|286]]/[[Intel 80386|386]]、ディスプレイは16色640×350かモノクロ720×348、ハードディスクは10MBから20MB、[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]機能はほとんどなかった<ref>{{cite news| last = White| first = David W.| title = Dell System 325 (Hardware Review)| work = The Local Area Network Magazine| page = 132|date=December 1989}}</ref><ref>{{cite news| last = Krasnoff| first = Barbara| title = Buyer's guide: benchmarks| work = Personal Computing| page = 170|date=December 1989}}</ref>。
光磁気ディスク装置は[[キヤノン]]が製造したもので、主な記憶媒体としてコンピュータに採用したのは日本以外ではNeXTが初めてだった<ref name="magneto-optical">{{cite news| last = Rawles| first = Richard| title = Developers split over optical drive (NeXT Inc's 256Mbyte erasable magneto-optical drive)| work = MacWEEK| page =3.n33| date = September 19, 1989}}</ref>。ハードディスクよりも安価だが(特に未使用媒体は安価で、元々キヤノンが1枚当たり150ドルを得ることになっていたが、ジョブズは交渉でそれを50ドルに値引きした)、低速である(平均[[シーク (コンピュータ)|シーク時間]]は96ms)。設計上、MO装置はNeXT Computerには1つしかなく、システムをシャットダウンせずに媒体を取り出すことができないため、コンピュータ間でファイルをやり取りするにはネットワークを介するしかなかった<ref name="magneto-optical" />。ストレージは初代のNeXT Computerにとっては弱点だった。光磁気ディスク媒体は比較的高価であり、[[フロッピーディスク]]ドライブよりも高速だが性能と信頼性に問題を抱えていた<ref name="magneto-optical" />。それは一次媒体として[[NEXTSTEP|NeXTSTEP]]を動作させるには容量的にも性能的にも不十分だった<ref name="magneto-optical" />。
1989年、NeXTは以前から[[コンパック]]の再販業者をしていたBusinessLandと契約し、NeXTのコンピュータを全国の販売店で販売する契約と結んだ。それまで学生や教育機関に直販だけしていたビジネスモデルからの大きな転換である<ref>{{cite news | title=''[http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=950DE1DB123EF936A15750C0A96F948260 Businessland Deal Seen for Next Inc.]'' | date=March 25, 1989 | work= Reuters}}</ref>。BusinessLand の創業者 David Norman は、12ヵ月後には NeXT Computer の売り上げはコンパック製品をしのぐことになるだろうと予言した<ref>{{cite news | author=Shaffer, Richard | title=NeXT means business now. | work=Personal Computing | date=July 1989 | publisher=General Reference Center Gold}}</ref>。同じく1989年には、[[キヤノン]]が自社製ワークステーションにNeXTSTEP環境を使う権利と引き換えに1億ドルを出資し、16.67%の株式を得た(時価総額は6億ドル)<ref name="canon">{{cite news | author1=Alan Farnham | title=Steve Jobs just says no. | author2=McCarthy, Vance | work=Fortune | date=July 17, 1993 | publisher=General Reference Center Gold}}</ref>。これはソフトウェア製品にとっての大きな市場拡大を意味していた。キヤノンはその後、インテルのGXプロセッサを使ったNeXTstationを日本市場向けにリリースした。キヤノンはまた、日本でのNeXT製品の販売代理店としても働いた<ref>{{cite news | last =Garfinkel | first =Simon L | title =Open Door Policy | publisher =NeXTWORLD | date = April 1994 | url= http://www.simson.net/ref/NeXT/nextworld/94.4/94.4.Apr.Japan1.html}}</ref>。
初代のNeXT製コンピュータは1990年、一般市場で9999ドルで発売された。なお、最初の出資者だった[[ロス・ペロー]]は[[テキサス州]][[プレイノ]]に創業したシステムインテグレータPerot Systemsに専念するため、1991年6月にNeXTの取締役を辞任した<ref>{{cite news | title = NeXT may expand two-man board | work = PC Week | page = 125 | date = December 9, 1991}}</ref>。
==== 第2世代 ====
[[File:NeXTstation.jpg|thumb|right|220px|[[NeXTstation]](キーボードもマウスもディスプレイもオリジナルのまま)]]
1990年、NeXTは第2世代のワークステーションをリリースした。NeXT Computerを改良し改名した[[NeXTcube]]と、"the slab"(厚板)と称された[[NeXTstation]]で、後者はピザボックス型の形状である。なお、「ピザボックス」という呼び方は[[サン・マイクロシステムズ]]の[[SPARCstation 1]]に由来するため、ジョブズは比較されることを避けるため、この呼び方をしないよう従業員に命じている。光磁気ディスク装置の代わりに2.88MBのフロッピードライブを装備した。ただし、2.88MBのフロッピーディスクは高価だったため、1.44MBフロッピーに取って代わることはなかった。そこでNeXTは[[CD-ROM]]ドライブを採用し、これがその後のストレージの業界標準となった。カラーグラフィックス対応のNeXTstation Colorもあり、NeXTcubeに NeXTdimension という[[ビデオカード]]を装備するとカラー対応になった。これら新世代のマシンは[[MC68040]]をベースとし、以前のマシンよりも安価で高性能になっている。
1992年、NeXTはプロセッサのクロック周波数を33MHzに上げ、RAM容量を最大128MBとした "Turbo" 版のNeXTcubeとNeXTstationを発売した。NeXTはいずれRISCアーキテクチャに移行する予定で、それによって更なる高性能を実現する計画だった。このプロジェクトは[[:en:NeXT RISC Workstation|NeXT RISC Workstation]] (NRW) と呼ばれていた。当初は[[MC88000|Motorola 88110]]を使う予定だったが、[[モトローラ]]が88kアーキテクチャの今後を保証しなかったため、[[PowerPC 601]]のデュアル構成に変更となった<ref>{{cite web |title=Hardware was great while it lasted | work=NeXTWORLD| author=Garfinkel, Simson L. | month=March | year=1993| url= http://www.simson.net/ref/NeXT/nextworld/NextWorld_Extra/93.03.Mar.NWE/93.03.Mar.NWExtra21.html| accessdate=2008-06-13}}</ref><ref>{{cite web |title=Canon to buy NeXT factory, design center| work=NeXTWORLD | author=Lavin, Dan | month=March | year=1993|url= http://www.simson.net/ref/NeXT/nextworld/NextWorld_Extra/93.03.Mar.NWE/93.03.Mar.NWExtra07.html | accessdate=2008-06-13}}</ref>。その[[マザーボード]]やケースが試作されていたが、完全な製造に入る前にハードウェア事業からの撤退が決まった。
何人かの開発者がNeXTの[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]上で先駆的なプログラムを書いている。1991年、[[ティム・バーナーズ=リー]]はNeXT Computerを使って世界初の[[ウェブブラウザ|Webブラウザ]]とWebサーバを生み出した<ref>{{cite web | author=Berners-Lee, Tim| title=The WorldWideWeb browser |url= http://www.w3.org/People/Berners-Lee/WorldWideWeb.html | work= [[World Wide Web Consortium]] | accessdate=2008-06-13 }}</ref>。1990年代初めには[[ジョン・D・カーマック]]がNeXTcubeを使って''[[Wolfenstein]] 3D''と''[[DOOM|Doom]]''というゲームを作った。NeXT製コンピュータ向けに発売された商用ソフトウェアとしては、[[表計算ソフト]]の[[Lotus Improv]]や[[Mathematica]]がある。また、システムに同梱された小型アプリケーションとしては[[:en:Merriam-Webster|Merriam-Webster]] Collegiate Dictionary、[[オックスフォード大学出版局|オックスフォード]]引用句辞典、[[ウィリアム・シェイクスピア]]作品集、そしてこれらにアクセスするための検索エンジン''Digital Librarian''があった。
1992年、NeXTは2万台のコンピュータを売り上げたが(これにはマザーボードをアップグレードした数も含んでいる)、同業他社に比べるとその台数は少ない。1992年の売上高は1億4000万ドルとなり、それを受けてキヤノンはさらに3000万ドルを出資することになった<ref>{{cite book | first=Jeffrey S. | last=Young | coauthors=Simon, William L. | title=iCon: Steve Jobs | publisher=John Wiley & Sons | year=2005 | page= 200 | isbn=0-471-72083-6}}</ref>。最終的にNeXTが販売したコンピュータは累計で5万台となった<ref>{{cite web | title=NeXT Fans Give Up the Ghost| work=Wired News | url= http://www.wired.com/gadgets/mac/commentary/cultofmac/2005/12/69888 | year=2005 | accessdate=2008-06-13 }}</ref>。
=== 1993年 - 1996年 : NeXT Software ===
1992年、NeXTは[[Intel486|Intel 486]]ベースの[[PC/AT互換機]]へのNeXTSTEPの[[移植 (ソフトウェア)|移植]]を開始した。この移植はNeXTの事業戦略の変化に対応したものだった。1993年末までにこの移植が完了し、NeXTSTEP 486とも呼ばれるバージョン3.1がリリースされた。実はそのリリース前の1992年に[[クライスラー]]が3000本を購入する計画を持ちかけていた<ref>{{cite news | title=Next Computer Close To a Deal With Chrysler | date=September 8, 1992 | work=The San Francisco Chronicle}}</ref>。NeXTSTEP 3.x は後に[[PA-RISC]]<ref name="RISC">{{cite news | last =Sherman | first =Lee | title =First NeXT RISC Workstation | work =NeXTWORLD | year =2004 | url = http://www.simson.net/ref/NeXT/nextworld/94.4/94.4.Apr.PA-RISC1.html | accessdate=2008-04-14}}</ref> や[[SPARC]]ベースのプラットフォームにも移植されており、結局4種類のバージョン(NeXTSTEP/NeXT、NeXTSTEP/Intel、NeXTSTEP/PA-RISC、NeXTSTEP/SPARC)が登場した。これら移植版はあまり広く使われることはなかったが、[[:en:Bank One Corporation|First Chicago NBD]]、[[スイス銀行コーポレイション]]、O'Connor and Companyなどといった組織がそのプログラミング環境に惹かれて採用した<ref>{{cite news| title = NeXTSTEP: NeXT announces new release of NeXTSTEP & NeXTSTEP Developer. (NeXTSTEP 3.2 and NeXTSTEP Developer 3.2)| work = EDGE: Work-Group Computing Report| page = 40| date = October 25, 1993}}</ref>。アメリカ連邦政府機関でも広く使われており、[[:en:United States Naval Research Laboratory|Naval Research Laboratory]]、[[アメリカ国家安全保障局]]、[[国防高等研究計画局]]、[[中央情報局]]、[[アメリカ国家偵察局]]などが採用した<ref>{{cite news| last = McCarthy| first =Shawn P.| title = Next's OS finally is maturing. (NextStep Unix operating system)| work = Government Computer News| page = 46| date = March 6, 1995}}</ref>。
NeXTは1993年にハードウェア事業から手を引き、社名をNeXT Software Incに変えた。そして540名いた従業員のうち300名を解雇した<ref name="employees"/>。NeXTはフリーモントの工場も含めてハードウェア事業をキヤノンに売却する交渉を行った<ref name="employees"/>。ハード関連事業を買い取った[[キヤノン]]はFirepower Systems社を設立したが、最終的には[[モトローラ]]に売却した<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960802/canon.htm キヤノン、PowerPC事業から撤退]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/19970125215012/http://www.mot.com/GSS/MCG/new/press_rel/PR960731_18601.html Motorola Computer Group To Acquire FirePower(tm) Systems]</ref>。短期間出荷された[[PowerPC]]マシンの開発も含め、全てのハードウェアの製造がストップした。[[サン・マイクロシステムズ]]のCEO[[スコット・マクネリ]]は1993年、NeXT Softwareに1000万ドルを出資し、NeXTのソフトウェアをサンのシステムに将来採用する計画を発表した<ref>{{cite news | title=Sun invests in Next, which will license NextStep OS for Sparc. | work=InfoWorld | date=November 29, 1993 | publisher=General Reference Center Gold}}</ref>。NeXTはサンと共同でNeXTSTEPのカーネル部分を除いた[[OPENSTEP]]を開発した。また、NeXTは当初の事業計画に戻り、各種オペレーティングシステム向けに開発ツールキットを販売するようになった。新製品としては、[[Microsoft Windows NT|Windows NT]]上で動作するOPENSTEPであるOpenStep Enterpriseなどがあった。また、大規模な動的Webアプリケーション構築用プラットフォームである[[WebObjects]]も開発した。WebObjectsには[[デル]]、[[ウォルト・ディズニー・カンパニー|ディズニー]]、[[ワールドコム]]、[[英国放送協会|BBC]]といった大手企業の顧客がついた<ref name="webobjects">{{cite web | date= June 16, 2005 | first=Johnny | last=Evans | title=Apple releases WebObjects as a free application | work=MacCentral | url= http://www.macworld.co.uk/news/index.cfm?NewsID=11860 | accessdate=2008-04-14}}</ref>。後にNeXTを買収したApple自身も [[iTunes Store]] , [[App Store]]など同社のサイトの多くでWebObjectsを使っている<ref>{{cite web |date= June 2, 2003 | last=Dalrymple | first=Jim | title=Xserves power iTunes Music Store, 'America 24/7' | url= http://www.macworld.com/article/24637/2003/06/xserve.html | work= Macworld | accessdate=2008-06-13 }}</ref>。
=== 1996年 : IPO計画撤回とAppleによる買収 ===
1996年11月、スティーブ・ジョブズはNeXTを売却する目論見の元、[[株式公開#新規株式公開(IPO)|IPO]]を計画していた<ref>{{Cite web|title=NeXT: Steve Jobs’ dot com IPO that Never Happened|url=https://computerhistory.org/blog/next-steve-jobs-dot-com-ipo-that-never-happened/|website=CHM|date=2017-02-07|accessdate=2021-04-05|language=en}}</ref>。その頃、Appleが次期OSを外部に求めているという話を知ったNeXTのプロダクトマネージャであったジョン・ランドアーはセールス担当副社長のミッチ・マンディッチから支持を取付け、彼から指示されたチャンネルマーケティングマネージャのギャレット・ライス は、最初はジョブズに何も言わずAppleに電話してCTOの[[エレン・ハンコック]]上級副社長に打診<ref name=":0">{{Cite web|title=Why Apple Sees Next as a Match Made in Heaven|url=https://web.archive.org/web/20050304180011/partners.nytimes.com/library/cyber/week/1223apple.html|website=web.archive.org|accessdate=2021-04-05}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|title=Behind the scenes story|url=https://web.archive.org/web/19970111165507/http://www.sjmercury.com/business/jobs/main1221.htm|website=web.archive.org|date=1997-01-11|accessdate=2021-04-05}}</ref>。折り返しの電話連絡を受け、その数日後の11月26日、NeXTにAppleのエンジニアが派遣されて会議を行っていたその日、ジョブズはApple役員とハンコックに対して電話会議で[[OPENSTEP]]と[[NEXTSTEP]]を売り込んだ<ref name=":0" /><ref name=":1" />。そして12月10日、スティーブ・ジョブズがApple本社でプレゼンテーションを行った。結果、Appleは1996年12月20日、NeXT買収の意思があることを発表した<ref name="apple-acquisition" />。4億2900万ドルが各出資者に支払われ、[[スティーブ・ジョブズ]]にはAppleの株式150万株が支払われた(ジョブズは買収交渉に直接対応した関係で、現金の受け取りを意図的に避けた)<ref name="apple-acquisition" /><ref>{{cite news| title = Apple files with SEC for Jobs to sell 1.5 million shares| work = [[シアトル・タイムズ|The Seattle Times]]| date = June 19, 1997}}</ref>。この買収は第一に、[[Copland]]の開発に失敗し、時代遅れになってしまった[[Classic Mac OS|MacのOS]]の代わりとしてNeXTSTEPを採用するためだった。他に、[[BeOS]]の買収という案もあったが、BeOS側はNeXTを見くびって買収選考でプレゼンの手を抜いたため不採用となり、最終的にNeXTが買収された<ref name="kernelthread">{{cite web |url= http://www.kernelthread.com/publications/appleoshistory/6.html|title=Quest for ''the'' Operating System |last=Singh |first=Amit |date=2004-02 |work=kernelthread.com |accessdate=2009-07-23}}</ref>。
この際にキヤノンは出資を引揚げて清算した<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970107/canon.htm キヤノンが米NeXT社への出資を引き揚げ、電算機事業から撤退] (1997年1月7日)</ref>。
1997年、ジョブズはコンサルタントとしてAppleに復帰し、同年7月4日には暫定[[最高経営責任者|CEO]]に就任<ref>{{cite news| title = Apple May Press Jobs To Be Or Not To Be CEO| work = Newsbytes| date = March 24, 1998}}</ref>。2000年には正式なCEOとなった<ref>{{cite web | date=January 5, 2000 | title=Jobs takes Apple CEO job full time |work=[[CNET]] | first=Jim | last=Davis | coauthors=Kanellos, Michael | url= http://www.news.com/Jobs-takes-Apple-CEO-job-full-time/2100-1001_3-235252.html | accessdate=2007-01-04 }}</ref>。1997年7月、ジョブズがAppleの取締役会を改編した際に、NeXTで重役を務めていたミッチ・マンディッチ<ref>{{Cite web|title=Apple - Bios - Mitch Mandich|url=https://web.archive.org/web/19980509055446/http://www.apple.com/pr/bios/mandich.html|website=web.archive.org|date=1998-05-09|accessdate=2021-04-05}}</ref>やナンシー・ハイネン<ref>{{Cite web|title=Apple - Bios - Nancy Heinen|url=https://web.archive.org/web/19980509055439/http://www.apple.com/pr/bios/heinen.html|website=web.archive.org|date=1998-05-09|accessdate=2021-04-05}}</ref>、アビー・テバニアン<ref>{{Cite web|title=Apple - Bios - Avie Tevanian|url=https://web.archive.org/web/19980509055458/http://www.apple.com/pr/bios/tevanian.html|website=web.archive.org|date=1998-05-09|accessdate=2021-04-05}}</ref>らがAppleで同等の役職に迎えられた。
=== NeXTの遺産 ===
NeXT買収によりAppleの業績は回復し、NeXTの技術を基盤としたOSを開発し、搭載した[[iMac]]や[[MacBook]]や[[iPhone]]等のヒット商品を連発するようになった。
OPENSTEPの技術はMac OS Xに引き継がれ、Appleのソフトウェア技術の中核になった。人材面でも、NeXT出身のエンジニアがAppleの主要メンバーとして活躍している。現在のAppleのOS担当上級副社長[[クレイグ・フェデリギ]](前任者[[スコット・フォーストール]]、[[バートランド・サーレイ]]や[[アビー・テバニアン]]も)らはNeXTの経歴を持つ。
NeXT買収後、NeXTSTEPのPowerPCへの移植が行われ、それと同期するように[[インテル]]版とWindows版のOpenStep Enterpriseツールキットにも改良が加えられていった。このオペレーティングシステムはRhapsodyというコード名で呼ばれ<ref>{{cite web | date=August 6, 1997 | title=What's NeXT? | work=MacObserver | first=Arlen | last=Britton | url= http://www.macobserver.com/columns/whatsnext/articles/080697.shtml | accessdate=2008-06-13 }}</ref>、全プラットフォーム共通の開発ツールキットはYellow Boxと呼ばれた。従来との互換性を保つため、[[Classic Mac OS]]用アプリケーションが動作する''Blue Box''という環境が追加された<ref>{{cite news| last = Thompson| first =Tom| title = Rhapsody with blue (Apple's next-generation operating system code-named Rhapsody)| work = Byte| page = 26|date=April 1997}}</ref>。
1999年、この新オペレーティングシステムのサーバ版である[[Mac OS X Server 1.0]]がリリースされ、2001年には通常版の[[Mac OS X v10.0]]がリリースされた。OPENSTEPを元にしたAPIは[[Cocoa (API)|Cocoa]]と改称された。RhapsodyのBlue Boxは[[Classic (ソフトウェア)|Classic]]環境と改称された。また、既存のアプリケーションを移植しやすくするため、Mac OSのToolboxに相当する環境を[[Carbon (API)|Carbon]]として搭載した<ref>{{cite news| last = Sellers| first = Dennis| title = OS X III: finally, a first-class OS| work = Computer User| page = 66|date=November 2000}}</ref><ref>{{cite news| title = Mac OS X Takes Macintosh to New Level| work = eWeek| date = July 15, 2002}}</ref>。macOSにはNeXTSTEPから受け継いだインタフェースがいくつかある。例えば[[Dock]]、[[サービスメニュー]]、[[Finder]]のブラウザビュー、NSText、フォントや色のシステムワイドなセレクタなどである。
NeXTSTEPのプロセッサに依存しない機能はmacOSにも残った。各バージョンはPowerPCとx86アーキテクチャの両方でコンパイルできるよう保持されていたが、2005年まではPowerPC版だけが公にリリースされていた。2005年6月6日、AppleはMacintoshのプロセッサをインテルに移行する計画を発表し<ref>{{Cite web|和書|title=アップル、2006年よりインテル製マイクロプロセッサを採用|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2005/06/06Apple-to-Use-Intel-Microprocessors-Beginning-in-2006/|website=Apple Newsroom (日本)|accessdate=2021-04-05|language=ja-JP}}</ref>、2020年6月にはインテルからARMへの移行する計画を発表した<ref>{{Cite web|和書|title=Apple、MacにAppleシリコンを搭載することを発表|url=https://www.apple.com/jp/newsroom/2020/06/apple-announces-mac-transition-to-apple-silicon/|website=Apple Newsroom (日本)|accessdate=2021-04-05|language=ja-JP}}</ref>。さらに[[iPhone]]や[[iPad]]向けには[[iOS]], [[iPadOS]]として、[[ARMアーキテクチャ|ARM]]向けのmacOSのサブセットといえるものが使われている。
== 特徴 ==
{{出典の明記|date=2021年5月|section=1}}
NeXTワークステーションは、米国では大学とともに金融機関が主な販売先であり、日本では[[大阪大学]]<ref>{{Cite web |title=CMC 大阪大学サイバーメディアセンター » 沿革 |url=https://www.cmc.osaka-u.ac.jp/?page_id=89 |access-date=2023-11-28 |quote=旧情報処理教育センターの沿革
1992年3月 NeXTワークステーション388台を中心とした分散システムに更新}}</ref>や[[広島大学]]、[[神奈川大学]]に数百台規模で導入された。しかし、独自のハードウェアだったため、[[オープン標準]]で作られる[[PC/AT互換機]]の高性能化と低価格化に追随できなかった。
NeXTワークステーション向けに作られたOS「[[NEXTSTEP|NeXTSTEP]]」はDisplay Postscriptを採用し、独自の洗練された[[グラフィカルユーザインタフェース]]を備え、ソフトウェア開発環境には[[C言語]]に[[オブジェクト指向]]的な拡張を施し、本格的なオブジェクト指向開発を可能にした「[[Objective-C]]」を採用。後にカーネル依存部分を切り離した[[OPENSTEP]]を経てmacOSの礎となった。
後期には画面表示のための[[Display PostScript]]と共に、現在の[[OpenGL]]あるいは[[DirectX]]に相当する3Dkitと呼ばれる3D表示フレームワークにQuickRenderManを搭載し、[[PIXAR]]の「[[RenderMan|PhotoRealistic RenderMan]]」(1バージョン古いものがデモとして)がバンドルされ、RenderManを標準で使用することができた。[[RenderMan]]のシーン記述ファイルRIBは、「3次元表示のための PostScript」とも呼ばれる。
Appleの[[QuickTime]]が有名になってくると、[[NeXTime]]と呼ばれる互換モジュールも発表し、QuickTimeムービーをNeXT上で見られるようになった。
先進的で洗練された仕様には熱狂的なヘビーユーザを生み出した。
また、AppleのmacOSの[[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]である[[Cocoa (API)|Cocoa]]のクラス名には、NEXTSTEPからの名残でNS-とプレフィックスが付けられる。
== 系譜 ==
*NeXTcube (モトローラ[[MC68030]] 25 MHz ) 一辺が1フィートのキューブ型(アメリカでの正式名は NeXT Computer)
*NeXTcube (モトローラ[[MC68040]] 25 MHz ) CPUがアップグレードされたモデル。
*NeXTstation (モトローラMC68040 25 MHz ) ピザボックス型。
*NeXTstation Color (モトローラMC68040 25 MHz ) カラー表示モデル。
*NeXTcube Turbo (モトローラMC68040 33 MHz )(第三世代:動作周波数が引き上げられたモデル。)
*NeXTstation Color Turbo (モトローラMC68040 33 MHz )
*NeXTdimension キューブ型モデルにdimensionボードというカラーグラフィックプロセッシングボードを付加したモデル。
== 企業文化とコミュニティ ==
ジョブズはAppleの会社組織が自分が辞めることになった原因だと感じていたため、官僚的内部抗争のない企業にしようと考えていた{{要出典|date=2009年11月}}。ジョブズはNeXTの企業文化をAppleとは異なったものにするべく、設備や給料や福利厚生など様々な面で違ったやり方を採用した。ジョブズはAppleでも企業構造の改革を何度か行っているが、NeXTでは一般的な企業の組織構造は採用せず、従業員ではなく「メンバー」による「コミュニティ」を作るようにした<ref name="NeXTBigThing80">{{cite book | first=Randall | last=Stross | title=Steve Jobs and the NeXT Big Thing | publisher=Athenium | year=1993 | page=80 | isbn=0-689-12135-0}}</ref>。
; 給料
: NeXTでは1990年代初めまで2段階の給料しかなかった<ref name="NeXTBigThing80"/>。1986年以前から参加していたメンバーには7万5000ドル、それ以後に参加したメンバーには5万ドルが支払われていた。このため、管理職が部下より給料が低いこともあるという、やりにくい状況が生まれた。その後、6カ月ごとに従業員のパフォーマンスレビューを行って昇給を行うようになった。オープン性を確保するため、全ての従業員が給与支払い名簿に無制限にアクセスできるようになっていた(実際にはほとんどこの権利を行使した例はない)<ref name="NeXTBigThing80"/>。NeXTの[[医療保険]]は、結婚している夫婦だけでなく、未婚のカップルや同性愛のカップルにも権利を与えていた(後に廃止された)<ref name="NeXTBigThing80"/>。給料日も当時のシリコンバレーの他の企業とは異なっていた。一般に月に2回、その期間の最終日に給料日が設定されていたが、NeXTでは月に1回、期間の最初に給料日が設定されていた<ref>{{cite book| last = Stross| first = Randall E| title = Steve Jobs and the NeXT Big Thing| publisher = Maxwell Macmillan International| year = 1993| pages = 289–374| url = https://books.google.co.jp/books?id=j5JQAAAAMAAJ&pgis=1&redir_esc=y&hl=ja| isbn = 9780689121357}}</ref>。
; オフィス
: ジョブズは[[パロアルト (カリフォルニア州)|パロアルト]]のDeer Creek Road沿いにオフィス用の建物を見つけた<ref name="AppleConfidential">{{cite book | first=Owen W. | last=Linzmayer | title=Apple Confidential 2.0 | publisher=No Starch Press | year=2004 | page=323|isbn=1-59327-010-0}}</ref>。これは建築家[[イオ・ミン・ペイ]]が設計した階段が印象的な建物である<ref name="AppleConfidential"/>。堅木床の1階には大きな作業台を置き、ワークステーションの組み立て作業場として使った。在庫管理の誤りを避けるため、NeXTでは[[ジャストインタイム生産システム]]を採用した<ref name="AppleConfidential"/>。メイン基板やケースなど主要な[[コンポーネント]]は全て外注し、1階でそれらを使って出荷品を組み立てていた。2階はオフィスで、壁のないオープンフロア方式になっていた。壁で仕切られていたのは、ジョブズの部屋と一部の会議室だけだった<ref name="AppleConfidential"/>。
: NeXTの成長と共にオフィス空間がさらに必要になった。そこでレッドウッドシティに新たなオフィスを借りた<ref name="NeXTBigThing80"/><ref>[http://cba.epropertydata.com/photos/pdf/fs/433636_1.pdf NeXTが使っていた建物の広告パンフレット]</ref>。こちらもペイの設計である。建築上の中心は、一見して何も支えがないように見える階段である。やはりオープンフロア式だが、備品も豪華で、5000ドルの椅子や1万ドルのソファ、[[アンセル・アダムズ]]の写真パネルなどがあった<ref name="NeXTBigThing80"/>。
; その他
: ''NeXTWORLD''誌は1991年に創刊された。[[サンフランシスコ]]のIntegrated Mediaによる出版で、Michael Miley、後にはDan Rubyが編集者として関わった。NeXTのコンピュータ、OS、ソフトウェアを扱う唯一の定期刊行物だった。ただし、1994年に廃刊となった<ref>{{cite web | publisher=[[University of Pennsylvania#Libraries|University of Pennsylvania Library]] | title=Serial Archive Listings for NeXTWORLD | work=The Online Books Page | url= http://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/serial?id=nextworld| accessdate=2008-06-13 }}</ref>。開発者向けカンファレンスとして ''NeXTWORLD Expo'' を1991年と1992年にはサンフランシスコのCivic Centerで、1993年には同じくサンフランシスコのMoscone Centerで開催した。いずれも基調講演はジョブズが行った<ref>{{cite news | title=NeXT makes play for corporate market | work=PC Week | author=NextStep users seek safety in big numbers | date=January 27, 1992}}</ref>。
== コンピュータ業界に与えた影響 ==
NeXTは商業的に成功したとは言えないが、コンピュータ業界に与えた影響は大きい。NeXTcubeとNEXTSTEPがリリースされた1988年以降、他社はNeXTのオブジェクト指向システムをエミュレートし始め<ref>{{cite news | author=Smith, Carrie | title=NeXT means business now. | work=Wall Street & Technology | date=May 1994 | publisher=General Reference Center Gold}}</ref>、[[オブジェクト指向プログラミング]]とグラフィカルユーザインタフェースがより一般化していった。Appleは1989年、次世代パソコン向けにNEXTSTEP同様オブジェクト指向の開発・実効環境のOSを構築するプロジェクト[[Taligent]]を[[IBM]]や[[ヒューレット・パッカード|HP]]と共同で開始した<ref>{{cite news| last = Semich| first =J. William| title = Taligent (Apple, IBM and HP's joint object-oriented operating system)| work = Datamation Magazine| page = 34| date = March 15, 1994}}</ref>。
シャープの矢板事業部は[[X68000]]シリーズに続く次のプラットフォームとして試作機を製作しており、その仕様においてはNeXTを強く意識したものであったとされる。一部の層に対して一定のヒヤリングも秘密裏に行われたが、結局日の目を見ることは無かった。
マイクロソフトは1991年に[[:en:Cairo (operating system)|Cairoプロジェクト]]を発表。Cairoの仕様にも同様のオブジェクト指向ユーザインタフェースが含まれていた。プロジェクト自体は最終的に中止されたが、一部の要素はその後のプロジェクトに受け継がれた。1994年、マイクロソフトとNeXTは共同でOPENSTEPを[[Microsoft Windows NT|Windows NT]]上に移植する作業を開始し、1996年9月、OPENSTEP Enterpriseとしてリリースされた<ref>{{cite news | author=Smith, Carrie | title=NeXT, Microsoft tackle objects: NT to gain OpenStep port. | work=PC Week | date=November 7, 1994 | publisher=General Reference Center Gold}}</ref><ref>[https://archive.is/20120708152944/findarticles.com/p/articles/mi_m0EIN/is_1996_August_27/ai_18615631/ NeXT Software Introduces OPENSTEP Enterprise to Develop Distributed Enterprise and Intranet Applications; Most Proven Enterprise Object-Oriented Solution Now Available on Windows NT]</ref>。
WebObjectsは当初5万ドルという高価格で発売されたためもあり<ref name=birthdaywo>{{cite web |work=MacObserver|url= http://www.macobserver.com/article/2006/03/28.14.shtml |title=Happy Birthday: WebObjects at 10 |accessdate=2008-06-13 |last=Stewart |first=Graham |year=2006}}</ref>、広く使われることはなかったが、動的ページ生成が可能な初期のWebサーバとして歴史的に重要であると言えよう。WebObjectsは2010年以降Appleの製品リストから外れており、かつてのようにmacOSに付属されなくなりバージョンアップも停止しているが、[[Apple Store]]や[[iTunes Store]]、[[App Store]]等のAppleの各種サービスを支えるベースシステムとして利用されている。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references group="注"/>
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連項目 ==
{{Commons|NeXT}}
* [[NEXTSTEP]]
* [[NeXTcube]]
* [[NeXTstation]]
== 参考文献 ==
* {{cite book | first=Alan | last= Deutschman | title=The Second Coming of Steve Jobs | publisher=Broadway | year=2001 | isbn=0-7679-0433-8}}
* {{cite book | first=Owen W. | last=Linzmayer | title=Apple Confidential 2.0 | publisher=No Starch Press | year=2004 | isbn=1-59327-010-0}}
* {{cite book | first=Michael | last=Malone | title=Infinite Loop | publisher=Currency | year=1999 | isbn=0-385-48684-7}}
* {{cite book | first=Randall E. | last=Stross | title=Steve Jobs & the NeXT Big Thing | publisher=Scribner | year=1993 | isbn=0-689-12135-0}}
* {{cite book | first=Jeffrey S. | last=Young | coauthors=Simon, William L. | title=iCon: Steve Jobs | publisher=John Wiley & Sons | year=2005 | isbn=0-471-72083-6}}
*{{Cite book|和書
|author=吉田 広行 (著), 高原 利之 (著)
|coauthors=
|others=
|year=1992
|title=NeXTのすべて (光栄モノリスブック)
|publisher=光栄
|id=ISBN 978-4906300808
}}
*{{Cite book|和書
|author=ブレント・シュレンダー (著), リック・テッツェリ (著)
|coauthors=
|others=井口 耕二(訳)
|year=2016
|title=[[スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで]](上)
|publisher=[[日本経済新聞出版社]]
|id=ISBN 978-4532321000
}}
*{{Cite book|和書
|author=ブレント・シュレンダー (著), リック・テッツェリ (著)
|coauthors=
|others=井口 耕二(訳)
|year=2016
|title=スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで(下)
|publisher=日本経済新聞出版社
|id=ISBN 978-4532321017
}}
== 外部リンク ==
* {{cite web |url= http://www.next.com/ |title=www.next.com (web archive) |archiveurl= https://web.archive.org/web/19970412194822/http://www.next.com/ |archivedate=1997-04-12 |accessdate=2009-11-10}}
* [http://www.islandnet.com/~kpolsson/workstat/ The Chronology of Workstation Computers]
* {{cite web |url= http://www.next.com/Merger/MergerRelease.html |title=Archived announcement of NeXT's acquisition by Apple |archiveurl= https://web.archive.org/web/19970412201122/http://www.next.com/Merger/MergerRelease.html |archivedate=1997-04-12 |accessdate=2009-11-10}}
* [http://contracts.onecle.com/apple/next.mer.1996.12.20.shtml Full acquisition/merger contract between Apple and NeXT]
* [http://simson.net/ref/NeXT/ NeXT Computer Historical Site]
* [http://www.simson.net/ref/NeXT/nextworld/ NeXTWORLD Magazine Archives]
* [http://www.nextcomputers.org NeXTcomputers.org - Welcome to the NeXT world!]
* [http://www.pixar.com/jp/renderman/index.html レンダーマン(ピクサー・アニメーション・スタジオ)]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/NeXT |
1,229 | Objective-C | ■カテゴリ / ■テンプレート
Objective-C(オブジェクティブ シー)は、プログラミング言語の一種。CをベースにSmalltalk型のオブジェクト指向機能を持たせた上位互換言語である。
Objective-CはNeXT、macOSのオペレーティングシステム (OS) に標準付属する公式開発言語である。macOSのパッケージ版に開発環境がDVDで付属するほか、ユーザ登録をすれば無償でダウンロードできる(Xcodeの項目参照)。現在では主にAppleのmacOSやiOS上で動作するアプリケーションの開発で利用される。
Objective-CはCを拡張してオブジェクト指向を可能にしたというよりは、Cで書かれたオブジェクト指向システムを制御しやすいようにマクロ的な拡張を施した言語である。したがって、「better C」に進んだC++とは異なり、「C & Object System」という考え方であり、ある意味2つの言語が混在した状態にある。
関数(メソッド)の定義と呼び出し方が独特であるため、Objective-Cのコードは一見C++以上にCとはかけ離れた独特の記述となる。しかし、言語仕様はCの完全上位互換であり、if/for/whileなどの制御文や、intなどのスカラー型、関数記法、宣言・代入といった基本的な文法はCに準拠する。一方オブジェクトシステムはSmalltalkの概念をほぼそのまま借用したもので、動的型のクラス型オブジェクト指向ランタイムを持ち、メッセージパッシングにより動作する。このことからしばしば「インラインでCの書けるSmalltalk」または「インラインでSmalltalkの書けるC」などと呼ばれる。Cとは異なるObjective-Cに特有の部分は、@で始まるコンパイラディレクティブで明示され、オブジェクトのメソッド呼び出しは[]で囲まれたメッセージ式で行われる。
最大の特徴はオブジェクトシステムが完全に動的という点で、実行時のクラス拡張、オブジェクト汎用型idの導入により型によらない動的配列・辞書など、インタプリタに近い記述力をもつことである。実際にコードそのものはネイティブコンパイルされるものの、動作原理はほぼインタプリタに近く、コンパイラ型言語としてはまれな柔軟性を発揮する。
したがって、C側から見れば一種のスクリプトインタプリタが乗っているような状態であり、逆にオブジェクトシステムからはOS機能や膨大なC言語資源を直接利用可能なインターフェースが備わっているといえる。また仮想マシンを持たずに済むため、取り回しも良い。パフォーマンスはJavaのような中間コード型言語よりも良好で、CやC++のようなネイティブコンパイル言語には劣るとされる。Objective-C特有のこの形態は双方のメリット・デメリットが明確で、実際的な使い勝手が非常に優れている。この特性に着目したのがNEXTSTEPで、UNIXとの互換性と先進的なオブジェクト指向環境の両立に成功し、その後のOS設計に大きな影響を与えることとなった。
後続言語への影響としては、特にJavaの基礎設計にその姿を見ることができる(サン・マイクロシステムズがOPENSTEPに関わっていたことと関係がある)。
Objective-Cは、1983年にBrad CoxとTom Loveによって開発され、そのコンパイラやライブラリを支援するためにStepstone社を創立した。Stepstone社は、Objective-Cに力を注いだが、それはマイナーな存在であった。Objective-Cが認知され始めるきっかけは、1985年、Apple Computerを去ったスティーブ・ジョブズが、m68k機であるNeXTコンピュータとNeXTSTEPオペレーティングシステムの開発を行うNeXT Computer社を創立したことに始まる。
そのマシンのユーザインタフェースは、Display PostScriptとObjective-Cで書かれたApplication Kitにより提供され、Objective-CはNeXTコンピュータの主力言語となった。その後の歴史は、主にNeXT社とともにあり、GCCをベースにしたObjective-Cサポートが行われ、プロトコルの導入など文法の拡張なども行われている。NeXT社による多くの成果は、GCCに還元されている。
1995年には、NeXT社がStepstone社からObjective-C言語と、その商標に関する全ての権利を買い取っている。1997年初頭、AppleがNeXT社を買収し、2001年に登場したMac OS XのCocoaフレームワークのコア言語として採用されている。Mac OS X v10.5からは一部言語仕様の変更が行われObjective-C 2.0と呼ばれる(詳細は#Objective-C 2.0を参照)。
コンパイラおよび言語仕様は完全に公開されているものの、長らくNeXTおよびその後継であるmacOSとiOSの専用言語に近い状態にある。2008年にiPhone OS(現iOS)のAPIが公開されて以降、習得者の人口が増える傾向にあるが、Appleの開発環境は、徐々にLLVMベースにシフトし、GCC版は事実上のGNUstep専用と化している。
C++とは異なり、オブジェクトのメソッド呼びだしにはSmalltalkのメッセージ式を模した新たな構文が導入されている。Objecitve-Cではこれをメッセージ式と呼び、メソッド呼びだしはメッセージ送信と呼ぶ。メッセージ送信は実行時のメッセージパッシングであり、その時渡されるメッセージ値をセレクタという。特徴的なのはSmalltalk同様キーワード引数形式をとることで、セレクタ名と引数値が交互に並んだ形態になる。なおSmalltalkにはあるカスケード式(一つのオブジェクトに続けてメッセージを送る)はない。
Objective-Cのクラスは定義部と実装部に分かれており、通常定義部を.hファイル、実装部を.mファイルに記述する。後述のカテゴリによりクラス定義を複数のパートに分割できる。
メソッドにはクラスメソッドとインスタンスメソッドがあり、それぞれ接頭辞+及び-により区別される。クラスメソッドはクラスオブジェクトの操作に、インスタンスメソッドはインスタンスオブジェクトの操作に使用される。クラスメソッドは特にインスタンスオブジェクトの生成にも使用される事が多い。インスタンスメソッドは、インスタンスオブジェクトにメッセージを送信した際に起動され、クラスメソッドはクラスオブジェクトにメッセージを送信した際に起動する。なお、インスタンスメソッドとクラスメソッドは全く同じ名前のセレクタを指定して定義できる。
いわゆるコンストラクタは存在しない。慣習として新規オブジェクトの生成は+allocで、初期化は-initで行われるが、プログラマが自由に別の特殊化したメソッドを定義することが可能であり、初期化中に別の初期化メソッドを呼びだす場合もある。一方デストラクタ(ファイナライザ)に相当するものは-dealloc、またはガベージコレクション使用時の-finalizeで、これらのメソッドはオブジェクトの破壊時に必ず呼び出される。
selfは特殊な変数で、メソッドの実行時に自動的にレシーバが代入される。再代入も可能であり、-init等でスーパークラスの実装で自分自身を初期化し、正しい値が返った時のみ継続して初期化を行なうなどに利用される。
オブジェクトの型はオブジェクトを特定のクラスに制限したい時に用いられる。ただしこれはソースコードでのみ意味を持ち、実行レベルでは全てidとして扱われる。また型付きのオブジェクトはインスタンス変数を構造体互換でアクセスできる。保護レベルはpublic(フリー)、protected(継承クラスのみ)、private(同一クラスのみ)があり、デフォルトはprotectedである。ただメモリ管理の一貫性などの理由から、ほとんどの場合アクセサを用いる。
32bit時代のLinux版GCCではNSObjectクラスではなく、Objectクラスが使用されていた。64bit時代になってからは、かろうじてObjectクラスの定義が残っているものの殆どのメソッドは削除され、かつてのようにNSObjectクラスの代わりに使用することは出来ない。ソースコードレベルでは完全に互換性が失われている。代わりにGNUStepを導入し、ヘッダーとして#import<Foundation/NSObject.h>を記述し、ObjectクラスをNSObjectクラスに変更する必要がある。また、ライブラリの指定も従来の-lobjcだけでは足りず、-lgnustep-baseの指定が必要となる。
Objective-Cのオブジェクトは全て自分自身に関する定義情報を保持しており、実行時に利用することができる。
実装系によるが、存在しないメソッドを呼びだした際、例外を発生する前にそれを他のオブジェクトに転送するチャンスが与えられる。Message Forwardingと呼ばれる。
Appleのランタイムでは、セレクタに対応する引数情報と転送処理の二つの過程を経て行われる。
プロトコルはクラスのメソッドインターフェースを規定する機構である。元々はNeXTワークステーション上で分散オブジェクトシステムを構成する際、リモートオブジェクトの通信効率を上げるために導入された。
プロトコルに準拠するクラスは定義されたメソッドを全て実装しなければならない。また、プロトコルは多重継承を許す。
類似した機構に実装をオプションにできるinformalプロトコルがある。これは後述のカテゴリのうち、インターフェース定義のみを利用する方法で、利用側は実装状態をリフレクションで調査して正当な場合のみ呼びだす。
カテゴリは、クラス定義をグループに分割したり、既存のクラスにメソッドを追加したりするための言語機能。Smalltalkが統合開発環境上でクラスとメソッドの表示を整理するために使っているクラスカテゴリーとメソッドカテゴリー(プロトコルとも言う)をそのまま取り込んだ。
クラスの実装を関連するメソッド群毎に別々の場所に分割して記述することを可能とする目的で作られた。
このほか、カテゴリに宣言したメソッドが実行時にカテゴリがロードされたタイミングでクラスへ追加される、という性質を応用して、ソースコードを直接修正できないクラスに対してサブクラスを定義せずにメソッドを追加する、といった用途や、Informalプロトコルの定義等にも用いられる。
カテゴリメソッドで既存のメソッドをオーバーライドすることも可能であるが、推奨されていない。
初期のObjective-CプログラムはC同様単純な割当と解放を行なっていたが、現在は標準APIライブラリに実装された参照カウント方式のAutorelease poolを利用するのが標準的である。参照カウント方式ではあるがガベージコレクションとは異なり、半自動で行なわれる。
方法としてはNSAutoreleasePoolクラスをインスタンス化し、ここに解放されるべきオブジェクトを、autoreleaseメッセージを用いて登録する。登録した全てのオブジェクトが不要になったらreleaseメッセージでNSAutoreleasePoolのインスタンスを解放する。すると登録されていたオブジェクトもすべて一斉に解放されるというものである。
ほかにもオブジェクト(仮にobjAとする)のイニシャライザ(初期化メソッド)を呼び出すと、その時点で自分をautoreleaseするオブジェクトを定義できる。そのようなオブジェクトをインスタンス化したユーザは、objAに対して明示的にautoreleaseせずとも、NSAutoreleasePoolのインスタンスをreleaseするだけでobjAを解放できることになる。例としてNSStringクラスがある。stringWithCString:で初期化するとautoreleaseされた状態になる。
オーナー(所有者)とは、あるオブジェクトのインスタンスをretainまたはautoreleaseしたオブジェクトないしは変数のことで、上の例で、poolをreleaseする直前ではobjで始まる変数とquxが該当する。
OPENSTEPライブラリは、イベントサイクル単位でAutorelease poolと呼ばれる暗黙の参照元を持っており、オブジェクトをここに登録することでイベント終了時には自動で解放されるオブジェクトを実現している。Macに移植後もNSApplicationクラスに実装されているが、オブジェクトの登録も不要となっている。前述のNSAutoreleasePoolは、NSApplicationクラスが不要なときでも自動解放ができるように用意されたものといえる。
GNU版ランタイム及び、Mac向けのApple版ランタイム(Objective-C 2.0以降)ではガベージコレクションも利用可能だが、iOSに於てはリソースの効率上使用できない。Appleはさらに第三の方式としてARC (Automatic Reference Counting) 方式を開発した。またガベージコレクションはOS X 10.11を最後に廃止されており、それ以降Apple系ではARCが主流となっている。
自動参照カウントは内部的にはretain/release/autoreleaseと同様のメカニズムで動作するが、コンパイル時にメソッドの命名ルール等を見て自動的にretain/release相当のコードを挿入する方式である。これにより、自動参照カウントでは明示的なretain/releaseがそもそも不可能になる。管理周りのコードの削減に加え、autorelease管理の実行効率が向上するため、旧方式のプログラムを自動参照カウントに切り替えるだけでもパフォーマンスがいくぶん向上する。
オブジェクトシステムは動的ディスパッチ(英語版)を行い、オブジェクトシステム自体がCで書かれていることに加え、C哲学である「プログラマにできることを制限しない」を良くも悪くも受け継いでいるため、Objective-Cにはさまざまな超言語的技法が存在している。これらの機能は非常に強力であるため乱用を避けるべきだが、この柔軟性こそがObjective-Cの魅力と評する向きもある。
Objective-CとC++が混在したもの。両者はCからの拡張部分がほぼ干渉しないため、お互いをただのポインタ値と見なすことで表記が混在できる。したがってクラスシステムの互換性はなく、単純なObjective-C & C++になる。拡張子は.mm。
関数やObjective-Cメソッドの内部では、Objective-CとC++両方の機能を任意に組み合わせて利用することができる。例えば、Objective-Cオブジェクトの寿命を管理するスマートポインタを、C++の機能を用いて作成するようなことが可能である。他方、クラスの階層はObjective-CとC++で完全に分かれており、一方が他方を継承することは全く不可能である。また、伝統的なObjective-Cの例外処理とC++のそれは互換性がなく、プログラマが両者を逐一捕捉・変換しなければ、メモリリークやクラッシュにつながる。
主な用途はC++のライブラリをObjective-Cからアクセスするためのラッパー記述で、実例としてAppleのWebKit(KHTMLベース)などがある。コンパイル速度が非常に遅くなることもあって積極的に用いられることは少ない。
上述のように、Objective-Cランタイムシステムの実体はC言語関数群そのものである。このライブラリの内部でリフレクションやメッセージ送信の機構が全て閉じているため、これらに対するラッパーを用意することで、外部言語からシステムの完全制御が可能になる。
現在言語ブリッジが確立している言語には、Smalltalk、Haskell、Java、Perl、Python(PyObjC)、Ruby(RubyCocoa(英語版))などがある。
AppleはMac OS X v10.5においてObjective-C 2.0という名称で言語仕様の変更を行った。 | [
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"text": "■カテゴリ / ■テンプレート",
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"text": "Objective-C(オブジェクティブ シー)は、プログラミング言語の一種。CをベースにSmalltalk型のオブジェクト指向機能を持たせた上位互換言語である。",
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"text": "Objective-CはNeXT、macOSのオペレーティングシステム (OS) に標準付属する公式開発言語である。macOSのパッケージ版に開発環境がDVDで付属するほか、ユーザ登録をすれば無償でダウンロードできる(Xcodeの項目参照)。現在では主にAppleのmacOSやiOS上で動作するアプリケーションの開発で利用される。",
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"text": "Objective-CはCを拡張してオブジェクト指向を可能にしたというよりは、Cで書かれたオブジェクト指向システムを制御しやすいようにマクロ的な拡張を施した言語である。したがって、「better C」に進んだC++とは異なり、「C & Object System」という考え方であり、ある意味2つの言語が混在した状態にある。",
"title": "概要"
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"text": "関数(メソッド)の定義と呼び出し方が独特であるため、Objective-Cのコードは一見C++以上にCとはかけ離れた独特の記述となる。しかし、言語仕様はCの完全上位互換であり、if/for/whileなどの制御文や、intなどのスカラー型、関数記法、宣言・代入といった基本的な文法はCに準拠する。一方オブジェクトシステムはSmalltalkの概念をほぼそのまま借用したもので、動的型のクラス型オブジェクト指向ランタイムを持ち、メッセージパッシングにより動作する。このことからしばしば「インラインでCの書けるSmalltalk」または「インラインでSmalltalkの書けるC」などと呼ばれる。Cとは異なるObjective-Cに特有の部分は、@で始まるコンパイラディレクティブで明示され、オブジェクトのメソッド呼び出しは[]で囲まれたメッセージ式で行われる。",
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"text": "最大の特徴はオブジェクトシステムが完全に動的という点で、実行時のクラス拡張、オブジェクト汎用型idの導入により型によらない動的配列・辞書など、インタプリタに近い記述力をもつことである。実際にコードそのものはネイティブコンパイルされるものの、動作原理はほぼインタプリタに近く、コンパイラ型言語としてはまれな柔軟性を発揮する。",
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"text": "したがって、C側から見れば一種のスクリプトインタプリタが乗っているような状態であり、逆にオブジェクトシステムからはOS機能や膨大なC言語資源を直接利用可能なインターフェースが備わっているといえる。また仮想マシンを持たずに済むため、取り回しも良い。パフォーマンスはJavaのような中間コード型言語よりも良好で、CやC++のようなネイティブコンパイル言語には劣るとされる。Objective-C特有のこの形態は双方のメリット・デメリットが明確で、実際的な使い勝手が非常に優れている。この特性に着目したのがNEXTSTEPで、UNIXとの互換性と先進的なオブジェクト指向環境の両立に成功し、その後のOS設計に大きな影響を与えることとなった。",
"title": "概要"
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"text": "後続言語への影響としては、特にJavaの基礎設計にその姿を見ることができる(サン・マイクロシステムズがOPENSTEPに関わっていたことと関係がある)。",
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"text": "Objective-Cは、1983年にBrad CoxとTom Loveによって開発され、そのコンパイラやライブラリを支援するためにStepstone社を創立した。Stepstone社は、Objective-Cに力を注いだが、それはマイナーな存在であった。Objective-Cが認知され始めるきっかけは、1985年、Apple Computerを去ったスティーブ・ジョブズが、m68k機であるNeXTコンピュータとNeXTSTEPオペレーティングシステムの開発を行うNeXT Computer社を創立したことに始まる。",
"title": "歴史"
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"text": "そのマシンのユーザインタフェースは、Display PostScriptとObjective-Cで書かれたApplication Kitにより提供され、Objective-CはNeXTコンピュータの主力言語となった。その後の歴史は、主にNeXT社とともにあり、GCCをベースにしたObjective-Cサポートが行われ、プロトコルの導入など文法の拡張なども行われている。NeXT社による多くの成果は、GCCに還元されている。",
"title": "歴史"
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"text": "1995年には、NeXT社がStepstone社からObjective-C言語と、その商標に関する全ての権利を買い取っている。1997年初頭、AppleがNeXT社を買収し、2001年に登場したMac OS XのCocoaフレームワークのコア言語として採用されている。Mac OS X v10.5からは一部言語仕様の変更が行われObjective-C 2.0と呼ばれる(詳細は#Objective-C 2.0を参照)。",
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"text": "コンパイラおよび言語仕様は完全に公開されているものの、長らくNeXTおよびその後継であるmacOSとiOSの専用言語に近い状態にある。2008年にiPhone OS(現iOS)のAPIが公開されて以降、習得者の人口が増える傾向にあるが、Appleの開発環境は、徐々にLLVMベースにシフトし、GCC版は事実上のGNUstep専用と化している。",
"title": "歴史"
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"text": "C++とは異なり、オブジェクトのメソッド呼びだしにはSmalltalkのメッセージ式を模した新たな構文が導入されている。Objecitve-Cではこれをメッセージ式と呼び、メソッド呼びだしはメッセージ送信と呼ぶ。メッセージ送信は実行時のメッセージパッシングであり、その時渡されるメッセージ値をセレクタという。特徴的なのはSmalltalk同様キーワード引数形式をとることで、セレクタ名と引数値が交互に並んだ形態になる。なおSmalltalkにはあるカスケード式(一つのオブジェクトに続けてメッセージを送る)はない。",
"title": "基本的な構文"
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"text": "Objective-Cのクラスは定義部と実装部に分かれており、通常定義部を.hファイル、実装部を.mファイルに記述する。後述のカテゴリによりクラス定義を複数のパートに分割できる。",
"title": "基本的な構文"
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"text": "メソッドにはクラスメソッドとインスタンスメソッドがあり、それぞれ接頭辞+及び-により区別される。クラスメソッドはクラスオブジェクトの操作に、インスタンスメソッドはインスタンスオブジェクトの操作に使用される。クラスメソッドは特にインスタンスオブジェクトの生成にも使用される事が多い。インスタンスメソッドは、インスタンスオブジェクトにメッセージを送信した際に起動され、クラスメソッドはクラスオブジェクトにメッセージを送信した際に起動する。なお、インスタンスメソッドとクラスメソッドは全く同じ名前のセレクタを指定して定義できる。",
"title": "基本的な構文"
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"text": "いわゆるコンストラクタは存在しない。慣習として新規オブジェクトの生成は+allocで、初期化は-initで行われるが、プログラマが自由に別の特殊化したメソッドを定義することが可能であり、初期化中に別の初期化メソッドを呼びだす場合もある。一方デストラクタ(ファイナライザ)に相当するものは-dealloc、またはガベージコレクション使用時の-finalizeで、これらのメソッドはオブジェクトの破壊時に必ず呼び出される。",
"title": "基本的な構文"
},
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"text": "selfは特殊な変数で、メソッドの実行時に自動的にレシーバが代入される。再代入も可能であり、-init等でスーパークラスの実装で自分自身を初期化し、正しい値が返った時のみ継続して初期化を行なうなどに利用される。",
"title": "基本的な構文"
},
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"text": "オブジェクトの型はオブジェクトを特定のクラスに制限したい時に用いられる。ただしこれはソースコードでのみ意味を持ち、実行レベルでは全てidとして扱われる。また型付きのオブジェクトはインスタンス変数を構造体互換でアクセスできる。保護レベルはpublic(フリー)、protected(継承クラスのみ)、private(同一クラスのみ)があり、デフォルトはprotectedである。ただメモリ管理の一貫性などの理由から、ほとんどの場合アクセサを用いる。",
"title": "基本的な構文"
},
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"text": "32bit時代のLinux版GCCではNSObjectクラスではなく、Objectクラスが使用されていた。64bit時代になってからは、かろうじてObjectクラスの定義が残っているものの殆どのメソッドは削除され、かつてのようにNSObjectクラスの代わりに使用することは出来ない。ソースコードレベルでは完全に互換性が失われている。代わりにGNUStepを導入し、ヘッダーとして#import<Foundation/NSObject.h>を記述し、ObjectクラスをNSObjectクラスに変更する必要がある。また、ライブラリの指定も従来の-lobjcだけでは足りず、-lgnustep-baseの指定が必要となる。",
"title": "基本的な構文"
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"text": "Objective-Cのオブジェクトは全て自分自身に関する定義情報を保持しており、実行時に利用することができる。",
"title": "特徴"
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"text": "実装系によるが、存在しないメソッドを呼びだした際、例外を発生する前にそれを他のオブジェクトに転送するチャンスが与えられる。Message Forwardingと呼ばれる。",
"title": "特徴"
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{
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"text": "Appleのランタイムでは、セレクタに対応する引数情報と転送処理の二つの過程を経て行われる。",
"title": "特徴"
},
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"text": "プロトコルはクラスのメソッドインターフェースを規定する機構である。元々はNeXTワークステーション上で分散オブジェクトシステムを構成する際、リモートオブジェクトの通信効率を上げるために導入された。",
"title": "特徴"
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"text": "プロトコルに準拠するクラスは定義されたメソッドを全て実装しなければならない。また、プロトコルは多重継承を許す。",
"title": "特徴"
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"text": "類似した機構に実装をオプションにできるinformalプロトコルがある。これは後述のカテゴリのうち、インターフェース定義のみを利用する方法で、利用側は実装状態をリフレクションで調査して正当な場合のみ呼びだす。",
"title": "特徴"
},
{
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"text": "カテゴリは、クラス定義をグループに分割したり、既存のクラスにメソッドを追加したりするための言語機能。Smalltalkが統合開発環境上でクラスとメソッドの表示を整理するために使っているクラスカテゴリーとメソッドカテゴリー(プロトコルとも言う)をそのまま取り込んだ。",
"title": "特徴"
},
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"text": "クラスの実装を関連するメソッド群毎に別々の場所に分割して記述することを可能とする目的で作られた。",
"title": "特徴"
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"text": "このほか、カテゴリに宣言したメソッドが実行時にカテゴリがロードされたタイミングでクラスへ追加される、という性質を応用して、ソースコードを直接修正できないクラスに対してサブクラスを定義せずにメソッドを追加する、といった用途や、Informalプロトコルの定義等にも用いられる。",
"title": "特徴"
},
{
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"text": "カテゴリメソッドで既存のメソッドをオーバーライドすることも可能であるが、推奨されていない。",
"title": "特徴"
},
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"text": "初期のObjective-CプログラムはC同様単純な割当と解放を行なっていたが、現在は標準APIライブラリに実装された参照カウント方式のAutorelease poolを利用するのが標準的である。参照カウント方式ではあるがガベージコレクションとは異なり、半自動で行なわれる。",
"title": "特徴"
},
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"text": "方法としてはNSAutoreleasePoolクラスをインスタンス化し、ここに解放されるべきオブジェクトを、autoreleaseメッセージを用いて登録する。登録した全てのオブジェクトが不要になったらreleaseメッセージでNSAutoreleasePoolのインスタンスを解放する。すると登録されていたオブジェクトもすべて一斉に解放されるというものである。",
"title": "特徴"
},
{
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"text": "ほかにもオブジェクト(仮にobjAとする)のイニシャライザ(初期化メソッド)を呼び出すと、その時点で自分をautoreleaseするオブジェクトを定義できる。そのようなオブジェクトをインスタンス化したユーザは、objAに対して明示的にautoreleaseせずとも、NSAutoreleasePoolのインスタンスをreleaseするだけでobjAを解放できることになる。例としてNSStringクラスがある。stringWithCString:で初期化するとautoreleaseされた状態になる。",
"title": "特徴"
},
{
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"text": "オーナー(所有者)とは、あるオブジェクトのインスタンスをretainまたはautoreleaseしたオブジェクトないしは変数のことで、上の例で、poolをreleaseする直前ではobjで始まる変数とquxが該当する。",
"title": "特徴"
},
{
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"text": "OPENSTEPライブラリは、イベントサイクル単位でAutorelease poolと呼ばれる暗黙の参照元を持っており、オブジェクトをここに登録することでイベント終了時には自動で解放されるオブジェクトを実現している。Macに移植後もNSApplicationクラスに実装されているが、オブジェクトの登録も不要となっている。前述のNSAutoreleasePoolは、NSApplicationクラスが不要なときでも自動解放ができるように用意されたものといえる。",
"title": "特徴"
},
{
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"text": "GNU版ランタイム及び、Mac向けのApple版ランタイム(Objective-C 2.0以降)ではガベージコレクションも利用可能だが、iOSに於てはリソースの効率上使用できない。Appleはさらに第三の方式としてARC (Automatic Reference Counting) 方式を開発した。またガベージコレクションはOS X 10.11を最後に廃止されており、それ以降Apple系ではARCが主流となっている。",
"title": "特徴"
},
{
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"text": "自動参照カウントは内部的にはretain/release/autoreleaseと同様のメカニズムで動作するが、コンパイル時にメソッドの命名ルール等を見て自動的にretain/release相当のコードを挿入する方式である。これにより、自動参照カウントでは明示的なretain/releaseがそもそも不可能になる。管理周りのコードの削減に加え、autorelease管理の実行効率が向上するため、旧方式のプログラムを自動参照カウントに切り替えるだけでもパフォーマンスがいくぶん向上する。",
"title": "特徴"
},
{
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"text": "オブジェクトシステムは動的ディスパッチ(英語版)を行い、オブジェクトシステム自体がCで書かれていることに加え、C哲学である「プログラマにできることを制限しない」を良くも悪くも受け継いでいるため、Objective-Cにはさまざまな超言語的技法が存在している。これらの機能は非常に強力であるため乱用を避けるべきだが、この柔軟性こそがObjective-Cの魅力と評する向きもある。",
"title": "特徴"
},
{
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"text": "Objective-CとC++が混在したもの。両者はCからの拡張部分がほぼ干渉しないため、お互いをただのポインタ値と見なすことで表記が混在できる。したがってクラスシステムの互換性はなく、単純なObjective-C & C++になる。拡張子は.mm。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 38,
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"text": "関数やObjective-Cメソッドの内部では、Objective-CとC++両方の機能を任意に組み合わせて利用することができる。例えば、Objective-Cオブジェクトの寿命を管理するスマートポインタを、C++の機能を用いて作成するようなことが可能である。他方、クラスの階層はObjective-CとC++で完全に分かれており、一方が他方を継承することは全く不可能である。また、伝統的なObjective-Cの例外処理とC++のそれは互換性がなく、プログラマが両者を逐一捕捉・変換しなければ、メモリリークやクラッシュにつながる。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "主な用途はC++のライブラリをObjective-Cからアクセスするためのラッパー記述で、実例としてAppleのWebKit(KHTMLベース)などがある。コンパイル速度が非常に遅くなることもあって積極的に用いられることは少ない。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "上述のように、Objective-Cランタイムシステムの実体はC言語関数群そのものである。このライブラリの内部でリフレクションやメッセージ送信の機構が全て閉じているため、これらに対するラッパーを用意することで、外部言語からシステムの完全制御が可能になる。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "現在言語ブリッジが確立している言語には、Smalltalk、Haskell、Java、Perl、Python(PyObjC)、Ruby(RubyCocoa(英語版))などがある。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "AppleはMac OS X v10.5においてObjective-C 2.0という名称で言語仕様の変更を行った。",
"title": "Objective-C 2.0"
}
] | Objective-Cは、プログラミング言語の一種。CをベースにSmalltalk型のオブジェクト指向機能を持たせた上位互換言語である。 Objective-CはNeXT、macOSのオペレーティングシステム (OS) に標準付属する公式開発言語である。macOSのパッケージ版に開発環境がDVDで付属するほか、ユーザ登録をすれば無償でダウンロードできる(Xcodeの項目参照)。現在では主にAppleのmacOSやiOS上で動作するアプリケーションの開発で利用される。 | {{出典の明記|date=2021年5月}}
{{Infobox プログラミング言語
| fetchwikidata = ALL
| onlysourced = false
| name = Objective-C
| released = {{start date and age|1984}}
| designer = [[ブラッド・コックス]]
| typing = [[静的型付け]]、[[動的型付け]]
| implementations = Apple版、GNU版
| influenced = [[Java]]、[[Swift (プログラミング言語)|Swift]]、{{仮リンク|Objective-J|en|Objective-J}}、[[Groovy]]、{{仮リンク|Nu (プログラミング言語)|label=Nu|en|Nu (programming language)}}
| operating system = [[macOS]]、[[GNUstep]]他
| website = {{ConditionalURL}}
}}
{{プログラミング言語}}
'''Objective-C'''(オブジェクティブ シー)は、[[プログラミング言語]]の一種。[[C言語|C]]をベースに[[Smalltalk]]型の[[オブジェクト指向]]機能を持たせた上位互換言語である。
Objective-Cは[[NeXT]]、[[macOS]]の[[オペレーティングシステム]] (OS) に標準付属する公式開発言語である。macOSのパッケージ版に開発環境がDVDで付属するほか、ユーザ登録をすれば無償でダウンロードできる([[Xcode]]の項目参照)。現在では主に[[Apple]]のmacOSや[[iOS]]上で動作するアプリケーションの開発で利用される。
== 概要 ==
Objective-CはCを拡張してオブジェクト指向を可能にしたというよりは、Cで書かれたオブジェクト指向システムを制御しやすいように[[マクロ (コンピュータ用語)|マクロ]]的な拡張を施した言語である。したがって、「better C」に進んだ[[C++]]とは異なり、「C & Object System」という考え方であり、ある意味2つの言語が混在した状態にある。
関数(メソッド)の定義と呼び出し方が独特であるため、Objective-Cのコードは一見C++以上にCとはかけ離れた独特の記述となる。しかし、言語仕様はCの完全上位互換であり、[[if文|if]]/[[for文|for]]/[[while文|while]]などの制御文や、intなどのスカラー型、[[サブルーチン#関数|関数]]記法、宣言・[[変数 (プログラミング)|代入]]といった基本的な文法はCに準拠する。一方オブジェクトシステムはSmalltalkの概念をほぼそのまま借用したもので、動的型のクラス型オブジェクト指向ランタイムを持ち、メッセージパッシングにより動作する。このことからしばしば「インラインでCの書けるSmalltalk」または「インラインでSmalltalkの書けるC」などと呼ばれる。Cとは異なるObjective-Cに特有の部分は、<code>@</code>で始まる'''コンパイラディレクティブ'''で明示され、オブジェクトのメソッド呼び出しは<code>[</code><code>]</code>で囲まれた'''メッセージ式'''で行われる。
最大の特徴はオブジェクトシステムが完全に動的という点で、実行時のクラス拡張、オブジェクト汎用型idの導入により型によらない動的配列・辞書など、[[インタプリタ]]に近い記述力をもつことである。実際にコードそのものはネイティブコンパイルされるものの、動作原理はほぼインタプリタに近く、コンパイラ型言語としてはまれな柔軟性を発揮する。
したがって、C側から見れば一種のスクリプトインタプリタが乗っているような状態であり、逆にオブジェクトシステムからはOS機能や膨大なC言語資源を直接利用可能なインターフェースが備わっているといえる。また仮想マシンを持たずに済むため、取り回しも良い。パフォーマンスはJavaのような中間コード型言語よりも良好で、CやC++のようなネイティブコンパイル言語には劣るとされる。Objective-C特有のこの形態は双方のメリット・デメリットが明確で、実際的な使い勝手が非常に優れている。この特性に着目したのが[[NEXTSTEP]]で、[[UNIX]]との互換性と先進的なオブジェクト指向環境の両立に成功し、その後のOS設計に大きな影響を与えることとなった。
後続言語への影響としては、特に[[Java]]の基礎設計にその姿を見ることができる([[サン・マイクロシステムズ]]が[[OPENSTEP]]開発を共同で行なっていたことと関係がある<ref>{{Cite web |title=世界のOSたち - 1990年代にコンピューターの未来を生み出した「NeXTSTEP」 |url=https://news.mynavi.jp/article/20120628-nextstep/2 |website=マイナビニュース |date=2012-06-28 |access-date=2023-11-13 |language=ja}}</ref>)。
{| class="wikitable" style="margin:auto"
|+ オブジェクトシステムの概要
|-
!style="white-space:nowrap;min-width:10em"|クラス
|単一継承+インタフェース多重継承(プロトコル) 通常はルートクラスから継承
|-
!オブジェクトシステム
|[[名前束縛|動的束縛]]、[[メタクラス]]を持つ
|-
!型
|[[動的型付け|動的型]]+見た目の[[静的型付け|静的型]]のハイブリッド
|-
!実行速度
|コードはCと同等のネイティブコンパイル、メソッド呼び出しは動的ディスパッチを行なうのでやや遅延する。平均してC/C++より多少遅く、中間コード型言語(Javaなど)より数倍程度高速といわれる。ただし、クリティカルな部分はいつでもCで書き直せるため、実行速度が問題になることはまずない。
|-
!その他
|オブジェクトはポインタ互換、Cのスカラー型はオブジェクトではない
|}
== 歴史 ==
Objective-Cは、[[1983年]]に[[:en:Brad Cox|Brad Cox]]とTom Loveによって開発され<ref>{{Cite web|url=https://developer.apple.com/library/content/documentation/Cocoa/Conceptual/OOP_ObjC/Articles/ooWhy.html|title=Why Objective-C?|accessdate=2018-04-06|website=developer.apple.com|language=en}}</ref>、そのコンパイラやライブラリを支援するためにStepstone社を創立した。Stepstone社は、Objective-Cに力を注いだが、それはマイナーな存在であった。Objective-Cが認知され始めるきっかけは、[[1985年]]、[[Apple|Apple Computer]]を去った[[スティーブ・ジョブズ]]が、m68k機であるNeXTコンピュータと[[NeXTSTEP]]オペレーティングシステムの開発を行うNeXT Computer社を創立したことに始まる。
そのマシンのユーザインタフェースは、[[Display PostScript]]とObjective-Cで書かれたApplication Kitにより提供され、Objective-CはNeXTコンピュータの主力言語となった。その後の歴史は、主にNeXT社とともにあり、[[GNUコンパイラコレクション|GCC]]をベースにしたObjective-Cサポートが行われ、プロトコルの導入など文法の拡張なども行われている。NeXT社による多くの成果は、GCCに還元されている。
1995年には、NeXT社がStepstone社からObjective-C言語と、その商標に関する全ての権利を買い取っている。1997年初頭、AppleがNeXT社を買収し、2001年に登場したMac OS Xの[[Cocoa (API)|Cocoa]][[アプリケーションフレームワーク|フレームワーク]]のコア言語として採用されている。[[Mac OS X v10.5]]からは一部言語仕様の変更が行われ'''Objective-C 2.0'''と呼ばれる(詳細は[[#Objective-C 2.0]]を参照)。
コンパイラおよび言語仕様は完全に公開されているものの、長らくNeXTおよびその後継であるmacOSと[[iOS]]の専用言語に近い状態にある。2008年にiPhone OS(現iOS)のAPIが公開されて以降、習得者の人口が増える傾向にあるが、Appleの開発環境は、徐々に[[LLVM]]/[[Clang]]にシフトし、GCC版は事実上の[[GNUstep]]専用と化している。
== 基本的な構文 ==
=== メッセージ送信 ===
C++とは異なり、オブジェクトのメソッド呼びだしには[[Smalltalk#メッセージ式|Smalltalkのメッセージ式]]を模した新たな構文が導入されている。Objecitve-Cではこれをメッセージ式と呼び、メソッド呼びだしはメッセージ送信と呼ぶ。メッセージ送信は実行時のメッセージパッシングであり、その時渡されるメッセージ値をセレクタという。特徴的なのはSmalltalk同様キーワード引数形式をとることで、セレクタ名と引数値が交互に並んだ形態になる。なおSmalltalkにはある[[Smalltalk#メッセージ式|カスケード式]](一つのオブジェクトに続けてメッセージを送る)はない。
<syntaxhighlight lang="objc">
// メッセージの送信
// 単項メッセージ
[receiver msg];
// 引数付きメッセージ。この場合「msg:with:」でセレクタ一つ
val = [receiver msg: arg1 with: arg2];
// メッセージの入れ子
val = [obj1 msg: [obj2 msg]];
</syntaxhighlight>
=== クラス定義 ===
Objective-Cのクラスは定義部と実装部に分かれており、通常定義部を.hファイル、実装部を.mファイルに記述する。後述のカテゴリによりクラス定義を複数のパートに分割できる。
<syntaxhighlight lang="objc" style="margin-bottom: 1em;">
// クラスの定義 (MyObject.h)
@interface MyObject : NSObject
{
int val;
id obj;
}
+ (void)classMethod:(id)arg; // クラスメソッド
- (id)method:(NSObject*)arg1 with:(int)arg2; // インスタンスメソッド。arg1は型付き
@end
</syntaxhighlight>
<syntaxhighlight lang="objc">
// 実装 (MyObject.m)
@implementation MyObject
+ (void)classMethod:(id)arg
{
// some operation
}
- (id)method:(NSObject*)arg1 with:(int)args2
{
return obj;
}
// 典型的なinit
- (id)init
{
self = [super init]; // スーパークラスの呼びだし
if(self != nil)
{
val = 1;
obj = [[SomeClass alloc] init];
}
return self;
}
// deallocは自身のリソースを解放してからスーパークラスに回す
- (void)dealloc
{
[obj release];
[super dealloc];
}
@end
</syntaxhighlight>
メソッドにはクラスメソッドとインスタンスメソッドがあり、それぞれ接頭辞<code>+</code>及び<code>-</code>により区別される。クラスメソッドはクラスオブジェクトの操作に、インスタンスメソッドはインスタンスオブジェクトの操作に使用される。クラスメソッドは特にインスタンスオブジェクトの生成にも使用される事が多い。インスタンスメソッドは、インスタンスオブジェクトにメッセージを送信した際に起動され、クラスメソッドはクラスオブジェクトにメッセージを送信した際に起動する。なお、インスタンスメソッドとクラスメソッドは全く同じ名前のセレクタを指定して定義できる。
いわゆるコンストラクタは存在しない。慣習として新規オブジェクトの生成は<code>+alloc</code>で、初期化は<code>-init</code>で行われるが、プログラマが自由に別の特殊化したメソッドを定義することが可能であり、初期化中に別の初期化メソッドを呼びだす場合もある。一方デストラクタ(ファイナライザ)に相当するものは<code>-dealloc</code>、またはガベージコレクション使用時の<code>-finalize</code>で、これらのメソッドはオブジェクトの破壊時に必ず呼び出される。
[[this (プログラミング)|self]]は特殊な変数で、メソッドの実行時に自動的にレシーバが代入される。再代入も可能であり、<code>-init</code>等でスーパークラスの実装で自分自身を初期化し、正しい値が返った時のみ継続して初期化を行なうなどに利用される。
オブジェクトの型はオブジェクトを特定のクラスに制限したい時に用いられる。ただしこれはソースコードでのみ意味を持ち、実行レベルでは全て<code>id</code>として扱われる。また型付きのオブジェクトはインスタンス変数を構造体互換でアクセスできる。保護レベルは<code>public</code>(フリー)、<code>protected</code>(継承クラスのみ)、<code>private</code>(同一クラスのみ)があり、デフォルトは<code>protected</code>である。ただメモリ管理の一貫性などの理由から、ほとんどの場合[[アクセサ]]を用いる。
=== 互換性 ===
32bit時代のLinux版GCCではNSObjectクラスではなく、Objectクラスが使用されていた。64bit時代になってからは、かろうじてObjectクラスの定義が残っているものの殆どのメソッドは削除され、かつてのようにNSObjectクラスの代わりに使用することは出来ない。ソースコードレベルでは完全に互換性が失われている。代わりにGNUStepを導入し、ヘッダーとして<code>#import<Foundation/NSObject.h></code>を記述し、ObjectクラスをNSObjectクラスに変更する必要がある。また、ライブラリの指定も従来の<code>-lobjc</code>だけでは足りず、<code>-lgnustep-base</code>の指定が必要となる。
== 特徴 ==
=== リフレクション ===
Objective-Cのオブジェクトは全て自分自身に関する定義情報を保持しており、実行時に利用することができる。
==== リフレクションの一部 ====
<syntaxhighlight lang="objc">
- (BOOL)respondsToSelector:(SEL)aSel;
- (BOOL)isKindOfClass:(Class)cls;
</syntaxhighlight>
=== 転送 ===
実装系によるが、存在しないメソッドを呼びだした際、例外を発生する前にそれを他のオブジェクトに転送するチャンスが与えられる。[[メッセージ転送|Message Forwarding]]と呼ばれる。
==== 転送の例 ====
Appleの[[ランタイムライブラリ|ランタイム]]では、セレクタに対応する引数情報と転送処理の二つの過程を経て行われる。
<syntaxhighlight lang="objc">
// NSMethodSignatureはメソッドの引数の数や型情報を表すオブジェクト
// Objective-Cのメソッドはスカラー型をとるC関数互換なので正確なスタック情報が必要となる
- (NSMethodSignature*)methodSignatureForSelector:(SEL)sel
{
id signature = [otherObj methodSignatureForSelector: sel];
return signature;
}
// NSInvocationはターゲットと引数を持ち、返値を受け取るオブジェクト
// 元のターゲットの代わりに別のターゲットで実行を行なうとあたかもそのオブジェクトにメッセージが送られたかのように動作する
- (void)forwardInvocation:(NSInvocation*)invocation
{
SEL aSel = [invocation selector];
if([otherObj respondsToSelector: aSel])
{
[invocation invokeWithTarget: otherObj];
}
else
{
[self doesNotRecognizeSelector: aSel];
}
}
</syntaxhighlight>
=== プロトコル ===
プロトコルはクラスのメソッドインターフェースを規定する機構である。元々はNeXTワークステーション上で分散オブジェクトシステムを構成する際、リモートオブジェクトの通信効率を上げるために導入された。
プロトコルに準拠するクラスは定義されたメソッドを全て実装しなければならない。また、プロトコルは多重継承を許す。
==== プロトコルの例 ====
<syntaxhighlight lang="objc">
// プロトコルを定義する
@protocol MyProtocol <NSObject, NSCopying>
- (void)methodForRespond;
@end
// プロトコルを導入する
@interface MyObject <MyProtocol>
...
@end
</syntaxhighlight>
類似した機構に実装をオプションにできるinformalプロトコルがある。これは後述のカテゴリのうち、インターフェース定義のみを利用する方法で、利用側は実装状態をリフレクションで調査して正当な場合のみ呼びだす。
<syntaxhighlight lang="objc">
// ここでは「NSObjectにはtransferAcceptable:が定義されている」と宣言している
// 実際には対応する実装を用意する義務がないため、NSObjectを継承したオブジェクトがそれを行なった場合のみ利用できる
@interface NSObject (OptionalMethods)
- (BOOL)transferAcceptable:(id)obj;
@end
- (void)method
{
id val,obj;
...
if([obj respondsToSelector: @selector(transferAcceptable:)])
{
[obj transferAcceptable: val];
...
}
}
</syntaxhighlight>
=== カテゴリ ===
カテゴリは、クラス定義をグループに分割したり、既存のクラスにメソッドを追加したりするための言語機能。Smalltalkが統合開発環境上でクラスとメソッドの表示を整理するために使っている[[Smalltalk#ファイル用構文|クラスカテゴリーとメソッドカテゴリー]](プロトコルとも言う)をそのまま取り込んだ。
クラスの実装を関連するメソッド群毎に別々の場所に分割して記述することを可能とする目的で作られた。
このほか、カテゴリに宣言したメソッドが実行時にカテゴリがロードされたタイミングでクラスへ追加される、という性質を応用して、ソースコードを直接修正できないクラスに対してサブクラスを定義せずにメソッドを追加する、といった用途や、Informalプロトコルの定義等にも用いられる。
カテゴリメソッドで既存のメソッドをオーバーライドすることも可能であるが、推奨されていない。
==== カテゴリの例 ====
<syntaxhighlight lang="objc">
@interface NSObject (BetterHash)
- (unsigned)hash;
@end
@implementation NSObject (BetterHash)
// 子孫クラスのうち、独自のオーバーライドのない-hashは全てこの実装に置き換わる
- (unsigned)hash
{
return better_hash_function(self);
}
@end
</syntaxhighlight>
=== メモリ管理 ===
初期のObjective-CプログラムはC同様単純な割当と解放を行なっていたが、現在は標準APIライブラリに実装された[[参照カウント]]方式のAutorelease poolを利用するのが標準的である。参照カウント方式ではあるが[[ガベージコレクション]]とは異なり、半自動で行なわれる。
方法としてはNSAutoreleasePoolクラスをインスタンス化し、ここに解放されるべきオブジェクトを、<code>autorelease</code>メッセージを用いて登録する。登録した全てのオブジェクトが不要になったら<code>release</code>メッセージでNSAutoreleasePoolのインスタンスを解放する。すると登録されていたオブジェクトもすべて一斉に解放されるというものである<ref>macやiOSの標準APIでは基底クラスNSObjectに参照カウントを実装してあり、他のクラスがNSObjectを継承している。
* [http://developer.apple.com/library/IOs/documentation/Cocoa/Reference/Foundation/Protocols/NSObject_Protocol/Reference/NSObject.html Apple IOs API Reference #NSObject](2012年1月20日閲覧)
* [http://developer.apple.com/library/mac/documentation/Cocoa/Reference/Foundation/Protocols/NSObject_Protocol/Reference/NSObject.html Apple mac API Reference #NSObject](2012年1月20日閲覧)
* [http://developer.apple.com/jp/devcenter/ios/library/documentation/MemoryMgmt.pdf 高度なメモリ管理プログラミングガイド]
* 荻原 剛志『Mac OS X プログラミング入門 Objective-C』広文社,2001年,ISBN 4-87778-068-8</ref>。
ほかにもオブジェクト(仮に<code>objA</code>とする)のイニシャライザ(初期化メソッド)を呼び出すと、その時点で自分を<code>autorelease</code>するオブジェクトを定義できる。そのようなオブジェクトをインスタンス化したユーザは、<code>objA</code>に対して明示的に<code>autorelease</code>せずとも、NSAutoreleasePoolのインスタンスを<code>release</code>するだけで<code>objA</code>を解放できることになる。例としてNSStringクラスがある。<code>stringWithCString:</code>で初期化すると<code>autorelease</code>された状態になる。
==== 手動管理の場合 ====
<syntaxhighlight lang="objc">
int count = 0;
// オブジェクトのインスタンス化
// これら2つは自動的に参照カウントが1になる
id objFoo = [[Foo alloc] init];
id objBar = [[Bar alloc] init];
id baz = objFoo; // Fooを間接参照
id qux = objBar; // Barを間接参照
[baz retain]; // Fooの参照カウントは2になる
// オブジェクトの解放
[objFoo release]; // objFooは解放されるがFooの参照カウントは1で維持される
[objBar release]; // 変数quxはretainしていないのでBarは破棄される
[baz release]; // Fooが解放される
count = [qux retainCount]; // Barの参照カウントを参照する。Barは解放されているのでエラー
</syntaxhighlight>
==== NSAutoreleasePoolの例 ====
<syntaxhighlight lang="objc">
int count = 0;
// NSAutoreleasePoolのインスタンス化
NSAutoreleasePool *pool = [[NSAutoreleasePool alloc] init];
id objFoo = [[Foo alloc] init];
id objBar = [[Bar alloc] init];
id objBaz = [[Baz alloc] init];
// Autorelease poolに登録
[objFoo autorelease];
[objBar autorelease];
[objBaz autorelease];
// オブジェクトを参照する変数
id qux = objFoo;
id fooBar = objBar;
[qux retain]; // FooのretainCountは2
// Autorelease poolの解放
[pool release];
count = [qux retainCount]; // Fooをretain後オーナーだったobjFooが解放されたので1
count = [fooBar retainCount]; // Barをretainしていないのでエラー
count = [objBaz retainCount]; // ほかの参照がなかったので解放済み。エラー
count = [objBar retainCount]; // fooBarがretainしていなかったのでエラー
</syntaxhighlight>
オーナー(所有者)とは、あるオブジェクトのインスタンスを<code>retain</code>または<code>autorelease</code>したオブジェクトないしは変数のことで、上の例で、<code>pool</code>を<code>release</code>する直前では<code>obj</code>で始まる変数と<code>qux</code>が該当する。
OPENSTEPライブラリは、イベントサイクル単位でAutorelease poolと呼ばれる暗黙の参照元を持っており、オブジェクトをここに登録することでイベント終了時には自動で解放されるオブジェクトを実現している。Macに移植後もNSApplicationクラスに実装されているが、オブジェクトの登録も不要となっている。前述のNSAutoreleasePoolは、NSApplicationクラスが不要なときでも自動解放ができるように用意されたものといえる。
GNU版ランタイム及び、Mac向けのApple版ランタイム(Objective-C 2.0以降)ではガベージコレクションも利用可能だが、iOSに於てはリソースの効率上使用できない。Appleはさらに第三の方式としてARC (Automatic Reference Counting) 方式を開発した。またガベージコレクションは[[OS X El Capitan|OS X 10.11]]を最後に廃止<ref name="gc_deprecated">{{Cite web|url=https://developer.apple.com/library/archive/releasenotes/DeveloperTools/RN-Xcode/Chapters/Introduction.html#//apple_ref/doc/uid/TP40001051-CH1-SW160 |title=Xcode Release Notes {{!}} Xcode 8.3 |language=en |accessdate=2021-07-07}}</ref>されており、それ以降Apple系ではARCが主流となっている。
==== 自動参照カウント (ARC) ====
自動参照カウントは内部的には<code>retain</code>/<code>release</code>/<code>autorelease</code>と同様のメカニズムで動作するが、コンパイル時にメソッドの命名ルール等を見て自動的に<code>retain</code>/<code>release</code>相当のコードを挿入する方式である。これにより、自動参照カウントでは明示的な<code>retain</code>/<code>release</code>がそもそも不可能になる。管理周りのコードの削減に加え、<code>autorelease</code>管理の実行効率が向上するため、旧方式のプログラムを自動参照カウントに切り替えるだけでもパフォーマンスがいくぶん向上する。
=== その他 ===
==== メタ言語的メカニズム ====
オブジェクトシステムは{{仮リンク|動的ディスパッチ|en|Dynamic dispatch}}を行い、オブジェクトシステム自体がCで書かれていることに加え、C哲学である「'''プログラマにできることを制限しない'''」を良くも悪くも受け継いでいるため、Objective-Cにはさまざまな超言語的技法が存在している。これらの機能は非常に強力であるため乱用を避けるべきだが、この柔軟性こそがObjective-Cの魅力と評する向きもある。
;posing
:クラステーブルを書き換えることでクラスの実体を置き換える技法。
;method swizzling
:クラスのメソッドテーブルを書き換えることでセレクタ名のリネーミングを行なう技法。
;IMP呼びだし
:毎回メッセージパッシングを行なう代わりに、一度だけメソッドを解決して関数ポインタを取り出し、メソッドの呼び出しを高速化する技法。呼びだしコストが通常のC関数と等しくなる。俗にインライン化とも呼ばれる。
==== Objective-C++ ====
Objective-CとC++が混在したもの。両者はCからの拡張部分がほぼ干渉しないため、お互いをただのポインタ値と見なすことで表記が混在できる。したがってクラスシステムの互換性はなく、単純なObjective-C & C++になる。拡張子は.mm。
[[サブルーチン|関数]]やObjective-C[[メソッド (計算機科学)|メソッド]]の内部では、Objective-CとC++両方の機能を任意に組み合わせて利用することができる。例えば、Objective-Cオブジェクトの寿命を管理する[[スマートポインタ]]を、C++の機能を用いて作成するようなことが可能である。他方、[[クラス (コンピュータ)|クラス]]の階層はObjective-CとC++で完全に分かれており、一方が他方を[[継承 (プログラミング)|継承]]することは全く不可能である。また、伝統的なObjective-Cの[[例外処理]]とC++のそれは互換性がなく、プログラマが両者を逐一捕捉・変換しなければ、[[メモリリーク]]や[[クラッシュ (コンピュータ)|クラッシュ]]につながる。
主な用途はC++のライブラリをObjective-Cからアクセスするためのラッパー記述で、実例としてAppleの[[WebKit]]([[KHTML]]ベース)などがある。コンパイル速度が非常に遅くなることもあって積極的に用いられることは少ない。
==== 言語ブリッジ ====
上述のように、Objective-Cランタイムシステムの実体はC言語関数群そのものである。このライブラリの内部でリフレクションやメッセージ送信の機構が全て閉じているため、これらに対するラッパーを用意することで、外部言語からシステムの完全制御が可能になる。
現在言語ブリッジが確立している言語には、{{要出典範囲|Smalltalk、[[Haskell]]、[[Java]]、[[Perl]]|date=2020年2月}}、[[Python]]([[PyObjC]])、[[Ruby]]({{仮リンク|RubyCocoa|en|RubyCocoa}})などがある。
==== 処理系の特性 ====
* Apple/NeXT版
* GNU版
* Portable Objective-C版
{{節スタブ}}
== Objective-C 2.0 ==
Appleは[[Mac OS X v10.5]]において'''Objective-C 2.0'''という名称で言語仕様の変更を行った。
;ガベージコレクションの導入
:世代別の保守的GCを導入し、GC管理下にあるオブジェクトは全てメモリ管理を自動化できる。なお、これに伴い[[Core Foundation]]のオブジェクトもGC管理下に置けるようになった。GCモードでは[[マルチスレッド]]周りの性能が向上するとみられる。
:なお、先述の通りガベージコレクションはOS X 10.11を最後に廃止されている<ref name="gc_deprecated"></ref>。
;プロパティの導入
:[[C Sharp|C#]]などに採用されているプロパティが追加された。setter/getterの扱いが大幅に簡略化される。またKey-Value-Codingに関してドット記法が導入され、'''obj.propName'''のようなアクセスができるようになった。メッセージ送信メタファからは逸脱した感もあるが、元々構造体が同じ記法を用いている上、メッセージ式を正確に書くよりもはるかに記述量が減るため、実利主義のObjective-Cらしい拡張と言える。
;Fast Enumeration
:いわゆる[[foreach文]]の導入。
;プロトコルの強化
:実装オプションのプロトコル定義が増えた。
;Class Extensions
:実装をオプションにできない無名カテゴリ。実装必須のプライベートメソッドを(インターフェース的に)公開したくない時に用いる。Objective-Cでは動的ディスパッチを行うので、非公開メソッドでも呼び出しに制限がない点に注意。
;ランタイム構造の変更
:クラスのposingは廃止された。その代わりにメソッドの交換(セレクタのマッピングを入れ替える)が公式に用意され、カテゴリと組み合わせることでほぼ同じ機能を実現できる。その他にも、ランタイム周りはほとんど原形を留めないほどに手が入っている。
== 脚注 ==
{{reflist}}
== 参考文献 ==
Objective-Cに関する最初の本であり、Objective-Cを利用したオブジェクト指向システム開発に関する本。
* ''Object Oriented Programming: An Evolutionary Approach; Brad J. Cox, Andrew J. Novobilski; Addison-Wesley Publishing Company, Reading, Massachusetts, 1991; ISBN 0-201-54834-8''<br />(邦題:「オブジェクト指向のプログラミング」 ISBN 4-8101-8046-8)
この本はObjective-CのNeXTSTEPでの実装について記述している。NeXTSTEPが明確なターゲットだが、Objective-Cを学習するためのよい入門書となる。
* ''NeXTSTEP Object Oriented Programming and the Objective C Language; Addison-Wesley Publishing Company, Reading, Massachusetts, 1993; ISBN 0-201-63251-9''<br />(邦題:「OBJECT-ORIENTED PROGRAMMING AND THE OBJECTIVE-C LANGUAGE(日本語版)」 ISBN 4-7952-9636-7)
多くの実例とともに、Stepstone版とNeXT版のObjective-Cについて、両者の違いを含めて論じている。
* ''Objective-C: Object Oriented Programming Techniques; Lewis J. Pinson, Richard S. Wiener; Addison-Wesley Publishing Company, Reading, Massachusetts, 1991; ISBN 0-201-50828-1''<br />(邦題:「OBJECTIVE-C オブジェクト指向のプログラミング」 ISBN 4-8101-8054-9)
Objective-C、C++、Smalltalk、[[Object Pascal]]、Javaを比較しながら、オブジェクト指向プログラミングの話題を紹介している。
* ''An Introduction to Object-Oriented Programming; Timothy Budd; Addison-Wesley Publishing Company, Reading, Massachusetts; ISBN 0-201-54709-0''<br />(邦題:「オブジェクト指向プログラミング入門」 ISBN 4-8101-8048-4)
== 外部リンク ==
{{wikibookslang|en|Objective-C Programming}}
* [http://developer.apple.com/documentation/cocoa/Conceptual/ObjectiveC/ The Objective-C Programming Language]([http://developer.apple.com/jp/documentation/cocoa/Conceptual/ObjectiveC/ 日本語訳])Apple Inc. - Objective-C言語とはどういうものかを知ることができる文書。
* [http://news.mynavi.jp/column/objc/ ダイナミックObjective-C] - [[マイナビニュース]]のコラム。
{{CProLang}}
{{C++}}
{{プログラミング言語一覧}}
{{authority control}}
[[Category:オブジェクト指向言語]]
[[Category:プログラミング言語]]
[[Category:MacOS]]
[[Category:iOS]] | 2003-02-13T08:07:07Z | 2023-11-13T02:50:47Z | false | false | false | [
"Template:要出典範囲",
"Template:Reflist",
"Template:CProLang",
"Template:C ",
"Template:Authority control",
"Template:出典の明記",
"Template:仮リンク",
"Template:節スタブ",
"Template:Cite web",
"Template:Wikibookslang",
"Template:プログラミング言語一覧",
"Template:Infobox プログラミング言語",
"Template:プログラミング言語"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/Objective-C |
1,230 | OKAMA | OKAMA(オカマ、1974年5月25日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。
男性。okamaと表記されることもある。
漫画の他に、アニメのキャラクターおよび衣装のデザイン、雑誌の表紙イラストなども手掛ける。
高校卒業後、東京藝大と多摩美術大学を受験するが不合格となり、その後、予備校で油絵を学ぶ。ゲーム制作会社タムタムでCGを学び、同人活動を経て1998年『快楽天』よりデビュー。小説の挿絵や雑誌の表紙など多方面で活動。2000年発表の『TT』はaloha名義。児童書の挿絵では「OKAMA」をアナグラムにした別名義で担当している。
「OKAMA」(オカマ)のペンネームは、ゲームで女性キャラクターばかり使用する事に由来する。
G=ヒコロウや道満晴明などの漫画家と親交があり、二人の描く日記やエッセイ漫画の中にはOKAMAが頻繁に登場する。過去には共同で同人誌の制作なども行っていた。
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] | OKAMAは、日本の漫画家、イラストレーター。 男性。okamaと表記されることもある。 漫画の他に、アニメのキャラクターおよび衣装のデザイン、雑誌の表紙イラストなども手掛ける。 | {{Infobox 漫画家
| 名前 = OKAMA
| 画像 = <!-- 画像ファイル名 -->
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| 脚注 = <!-- 画像の説明文 -->
| 本名 = <!-- 必ず出典を付ける -->
| 生年 = {{生年月日と年齢|1974|05|25}}
| 生地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 -->
| 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} -->
| 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 -->
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| 公式サイト = [http://okama.nicomi.com okama_site]
}}
'''OKAMA'''(オカマ、[[1974年]][[5月25日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]。
男性。'''okama'''と表記されることもある。
漫画の他に、[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]のキャラクターおよび衣装のデザイン、雑誌の表紙イラストなども手掛ける。
== 来歴 ==
高校卒業後、東京藝大と多摩美術大学を受験するが不合格となり、その後、予備校で油絵を学ぶ。ゲーム制作会社タムタムでCGを学び、[[同人誌|同人]]活動を経て[[1998年]]『[[快楽天]]』よりデビュー。小説の挿絵や雑誌の表紙など多方面で活動。[[2000年]]発表の『TT』はaloha名義。児童書の挿絵では「OKAMA」を[[アナグラム]]にした別名義で担当している。
「OKAMA」(オカマ)の[[ペンネーム]]は、ゲームで女性キャラクターばかり使用する事に由来する<ref>{{Cite web|和書|url=http://okama.nicomi.com/profile.html|title=okama_site|プロフィール|publisher=okama |accessdate=2010-07-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20100418093154/http://okama.nicomi.com/profile.html |archive-date=201004-18}}</ref>。
[[G=ヒコロウ]]や[[道満晴明]]などの漫画家と親交があり、二人の描く日記やエッセイ漫画の中にはOKAMAが頻繁に登場する。過去には共同で同人誌の制作なども行っていた。
<!--作品におけるキャラクターの衣装・ブランドにこだわりがあるらしく、『CLOTH ROAD』は顕著である。-->
== 作品リスト ==
=== 一般向け漫画 ===
* [[CLOTH ROAD]](脚本:[[倉田英之]]、『[[ウルトラジャンプ]]』連載、全11巻)
* [[CAT'S WORLD]](『[[月刊コミックドラゴン]]』連載、[[角川書店]]刊、全2巻)
* Food Girls(『[[マジカルキュート]]』連載、全1巻)
* [[TAIL STAR]](『ウルトラジャンプ』連載、2012年 - 2014年、全4巻)
* Do race?(『[[ヤングアニマル嵐]]』連載、2016年8号 - 2018年3号、全3巻)
* [[キミと僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦]](原作:[[細音啓]]、『[[ヤングアニマル]]』、2018年No.10 - 2021年No.6、全7巻)
* Bまで恋はAiまかせ…(『どこでもヤングチャンピオン』連載、2021年6月号<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.akitashoten.co.jp/dyc/2021/6|title=どこでもヤングチャンピオン 2021年6月号|publisher=秋田書店|accessdate=2022-01-20}}</ref> - 、既刊2巻)
=== 成人向け漫画 ===
* めぐりくるはる([[ワニマガジン]]刊)
* めぐりくるはる2([[ワニマガジン]]刊)
* スクール([[ワニマガジン]]刊)
* スクール2([[ワニマガジン]]刊)
* 華札([[ワニマガジン]]刊)
=== 画集 ===
* OKAMAX
* okamable
* 月面兎兵器ミーナokama ARTWORKS
=== 挿絵、イラスト ===
* パトローネ 護民官ルフィ&ワイリー(著:[[伊豆平成]]、[[角川スニーカー文庫]])イラスト。
* パトローネ 仮面の少女(著:伊豆平成、角川スニーカー文庫)イラスト。
* [[魔魚戦記]](著:[[吉村夜]]、[[富士見ファンタジア文庫]])イラスト。
* BIOME 深緑の魔女(著:[[伊東京一]]、[[ファミ通文庫]])イラスト。
* サンプル家族 乙女ゴコロとエイリアン(著:[[名取佐和子|名取なずな]]、[[集英社スーパーダッシュ文庫]])イラスト。
* テルミナス なよ竹荘に月が降る(著:名取なずな、集英社スーパーダッシュ文庫)イラスト。
* 葉緑宇宙艦テラリウム(著:[[夏緑]]、[[MF文庫J]])イラスト。
* [[イコノクラスト!]](著:[[榊一郎]]、MF文庫J)2巻までのイラスト。
* [[武装神姫 always together]](著:[[ひびき遊]]、[[コナミデジタルエンタテインメント]])イラスト。
* [[神曲奏界ポリフォニカ]] ぱれっと([[GA文庫]])イラスト。
* ほんたにちゃん(著:[[本谷有希子]]、[[太田出版]])イラスト。
* [[ハヤテのごとく!#カードゲーム|ハヤテのごとく!トレーディングカードゲーム]](コナミデジタルエンタテインメント)イラスト。
* [[アクエリアンエイジ]] ([[ブロッコリー]])イラスト。
* [[不思議の国のアリス|新訳 ふしぎの国のアリス]](著:[[ルイス・キャロル]]、[[角川つばさ文庫]])イラスト。
* [[鏡の国のアリス|新訳 かがみの国のアリス]](著:ルイス・キャロル、角川つばさ文庫)イラスト。
* [[マジック・ツリーハウス]](著:[[メアリー・ポープ・オズボーン]]、訳:[[食野雅子]]、日本語版出版:[[メディアファクトリー]])イラスト。
* 異世界最強は大家さんでした(著:[[ゆうたろう (小説家)|ゆうたろう]]、[[アース・スターノベル]])イラスト。
* 新訳 星を知らないアイリーン おひめさまとゴブリンの物語(著:[[ジョージ・マクドナルド]]、角川つばさ文庫)イラスト。
* 笑い猫の5分間怪談(著:複数作家によるアンソロジー、電撃単行本)イラスト。
=== アニメ関係 ===
* [[かみちゅ!]](プロダクションデザイン)
* [[かんなぎ (漫画)|かんなぎ]](第3話エンディングイラスト)
* [[ガラスの艦隊]](キャラクターデザイン原案<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.gonzo.co.jp/works/garakan/| title = ガラスの艦隊| publisher = GONZO公式サイト| accessdate = 2016-05-16}}</ref>)
* [[ガン×ソード]](ゲストヨロイデザイン、デザイン協力)
* [[リーンの翼]](ビジュアルコンセプター)
* [[コゼットの肖像]](プロダクションデザイン)
* [[マクロス ゼロ]](#5鳥人デザイン)
* [[創聖のアクエリオン]](コンセプトデザイン)
* [[トップをねらえ2!]](フューチャービジュアル)
* [[ひまわりっ!]](キャラクター原案、プロダクションデザイン)
* [[月面兎兵器ミーナ]](キャラクターデザイン)
* [[ケロロ軍曹]](キャラクター([[アンゴル=モア]])衣装デザイン)
* [[創星のアクエリオン]](コンセプトデザイン)
* [[Saint October]](キャラクターデザイン原案)
* [[ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序]](デザインワークス)
* [[ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破]](デザインワークス)
* [[宇宙ショーへようこそ]](プロダクションデザイン)
* [[荒川アンダー ザ ブリッジ#テレビアニメ|荒川アンダー ザ ブリッジ×ブリッジ]](第6話エンドカード)
* [[ロッテのおもちゃ!|アスタロッテのおもちゃ!]](ワールドビジュアルデザイナー)
* [[ギルティクラウン]](第7話エンドカード)
* [[戦姫絶唱シンフォギア]](クリーチャーデザイン)
* [[伏 鉄砲娘の捕物帳]](ビジュアルイメージ)
* [[僕は友達が少ない|僕は友達が少ないNEXT]](第1話エンドカード)
* [[プリティーリズム・レインボーライブ]](キャラクターデザイン原案)
* [[〈物語〉シリーズ セカンドシーズン|傾物語]](第3話エンドカード)
* [[キャプテン・アース]](コンセプトデザイン)
* [[龍の歯医者]](コンセプトデザイン)
* [[ひそねとまそたん]](コンセプトデザイン)
* [[Fate/EXTRA|Fate/EXTRA Last Encore]](辺獄の薔薇園デザイン、第六階層デザイン)
* [[RWBY 氷雪帝国]](第2話エンドカードイラスト)
== その他 ==
* [[武装神姫]]第四弾・ジルダリア/ジュビジー(キャラクターデザイン)
* [[NO MORE HEROES]](ゲストデザイン、ゲーム内に出てくるアニメのキャラクターデザインを担当)
* [[NO MORE HEROES 2 DESPERATE STRUGGLE]](ゲストデザイン、ゲーム内に出てくるアニメのキャラクターデザイン及びミミーのデザインを担当)
* [[デジ絵の文法]](出演)
* [[新世紀エヴァンゲリオン]]EXフィギュア まつりのよるに feat.okama(モデルデザイン)
* 新世紀エヴァンゲリオンEXフィギュア スウィートウィッチーズ feat.okama(モデルデザイン)
* [[ハローキティといっしょ!]]([[猫村いろは]]キャラクターデザイン・イラスト)
* [[ザ☆ネットスター!]]([[NHK衛星第2テレビジョン|NHK BS2]]、「セレクたん」キャラクターデザイン)
* [[Zwei Worter]](『イリアス』デザイン&衣装原案)
* [[己の信ずる道を征け]] (ゲーム([[フロム・ソフトウェア]]))(キャラクターデザイン)
* [[歩数計物語 モモルーニャ]] (iPhoneアプリ)(キャラクターデザイン)
* [[Fate/Grand Order]](第2部 第3章 コンセプトアート)
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[日本の漫画家一覧]]
* [[日本の成人向け漫画家の一覧]]
== 外部リンク ==
* [http://okama.nicomi.com/index.html okama](公式サイト)
* {{twitter|okamarble}}
* [http://www.b-ch.com/contents/feat_okama/index.html バンダイチャンネル内特集ページ]{{リンク切れ|date=2022年2月}}
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1,233 | 忍者戦隊カクレンジャー |
『忍者戦隊カクレンジャー』(にんじゃせんたいカクレンジャー)は、1994年2月18日から1995年2月24日まで、テレビ朝日系列で毎週金曜17:30 - 17:55(JST)に全53話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。
本作品では戦隊側のモチーフの「忍者」や日本古来の妖怪たちをモデルとした敵怪人など、シリーズとしては初めて本格的な和テイストが取り入れられている。しかし敵怪人に相当する妖怪のデザインは既存のイメージに囚われず、メイン監督の小林のストリートアートという発想からストリートファッションを感じさせるカジュアルなものとなっている。また戦闘シーンにおいては、アメリカンコミックスのような英字擬音吹き出しを取り入れるなど独自の演出が取り入れられた。東映プロデューサーの鈴木武幸は、和風だけど和風じゃないというコンセプトを売りにし、従来にない忍者ヒーローの創作を目指したことを述べている。
またスーパー戦隊シリーズとしては初めて女性メンバー、かつレッド以外の戦士がリーダーとして設定されるなど、本作品では意欲的な新機軸も複数盛り込まれている。第24話までを第一部、第25話以降を第二部「青春激闘編」として位置付けた二部構成による作劇もその一環であり、第一部ではリーダーである鶴姫と使命感に欠ける男性陣という構図を主軸にコミカルな作品世界が構築されていたが、物語が進行するにつれてバトルアクション的な側面も強化され、第二部以降はその側面を前面に押し出しつつ、カクレンジャーの成長に合わせてよりシリアスな展開へとシフトしていった。この他、視聴者に作品世界を身近なものとする役割として、第一部では講釈師による妖怪などの解説が随所に盛り込まれており、同時に従来の作品におけるナレーションとしての役割も担う形となった。テレビ朝日プロデューサーの梶淳は、スーパー戦隊の海外展開『マイティ・モーフィン・パワーレンジャー』で流用できるカットを増やすため、後半は素面のレギュラーを減らし、作品全体もオーソドックスな内容となったと証言している。
商品展開では、前々作『恐竜戦隊ジュウレンジャー』のパターンを踏襲した前作『五星戦隊ダイレンジャー』との差別化が意図された。前2作で導入され人気を博した「レギュラーキャラとしての6人目の戦士」であるが、本作品でもこの要素を引き続き踏襲すべきではないかという意見は出たものの、結果的には見送られる形となり従来通りの5人体制へと回帰した。その代替として、モーフィングをモチーフとした変身ロボ的な存在である「ニンジャマン」が新たに投入されており、同じ姿のまま等身大から巨大戦までこなすというその特性から、一部の資料ではこのニンジャマンを「6人目の戦士」として扱っているものも存在する。物語も折り返しを過ぎてからの登場ではあったが、その明朗活発なキャラクターが人気を博し発売された玩具も大ヒット商品となった。
戦国時代、時の忍者たちは人間界を征服せんとする妖怪たちと長きに渡る激しい戦いを繰り広げていた。戦いの末、鶴姫を筆頭とする5人の隠流忍者が伝説の三神将より与えられた封印の扉内部へ総大将ヌラリヒョンと膨大な妖怪エネルギーを閉じ込めることに成功。妖怪たちは指導者と力を失い、衰退する。
それから400年。忍者が人の世から廃れた現代で今は一般人として暮らしている隠流の末裔たち...猿飛佐助の子孫サスケと霧隠才蔵の子孫サイゾウの二人はふとしたことがきっかけで人間社会に溶け込み隠れ暮らしていた妖怪カッパに騙されて封印の扉を開けてしまい、妖怪たちを復活させてしまう。
先祖代々封印の扉を見守ってきた鶴姫家の24代目総領鶴姫は妖怪の復活を察知し、封印の5忍者の末裔、サスケとサイゾウそして三好清海入道の子孫セイカイと児雷也の子孫ジライヤを集め、ともにカクレンジャーとして妖怪の再封印を決意する。
クレープ屋を営みながら妖怪封印の旅を続ける5人。しかし、てんでばらばらで動いていたはずの妖怪たちの裏から邪悪なる存在が現れ、彼らは苦しい戦いを強いられるようになっていく......。
戦国時代に誕生した、退魔を専門とする忍者集団隠流忍者の使い手と末裔たち。鶴姫とジライヤのみ忍者としての正規訓練を受けていたが、サスケ・サイゾウ・セイカイは子孫であるというだけで、元は一般人だった。また、苗字は設定されていない。
名乗りの口上は「人に隠れて悪を斬る、忍者戦隊カクレンジャー見参!」。また、サムズダウンのジェスチャーと共に「成敗!」の決めゼリフを発した後に戦闘開始することも多い。
各自が使う手裏剣はそれぞれ形状が異なっている。個人のマークに鶴姫以外はそれぞれのイニシャル(ジライヤは名前、他は苗字の頭文字)を組み合わせた形をしており、ベルトのバックルにもこの手裏剣と同じマークが意匠されている。
第2・3話から登場。巻物と隠流巨大獣将之術で召喚される5体の獣人型巨大守護神であると同時に無敵将軍が昇華した分身体。胸にはカクレンジャー個人のマークが施されている。巨大獣将之術は獣将ファイターと合身した状態での使用も可能。
カクレンジャーが操縦する際には、胸のマークを通じて、カクレンジャーが一体化することでコントロールする。コクピットは存在しない。
必殺技は、五獣将がやぐらを組んで竜巻を発生させて回転体当たりする忍法真空ハリケーン。印を結んで精神を集中してエネルギーをスパークさせて爆発を起こす隠流奥義ビッグバン。
レッドサルダー以外は第3話から登場。第2部ではレッドサルダー以外は登場しなかった。
第12話から登場。変身用メダルを隠流獣将ファイター之術で変化させた五獣将の分身体。獣将よりも身軽なスタイルをしており、機動性や敏捷性に優れているが、防御力では劣る。獣将同様にカクレンジャーと融合することでパワーアップする。獣将と獣将ファイターを同時に操ることも可能で、初登場時は総勢10体で巨大戦を行った。劇中では武器は持たないが、玩具では各獣将用の武器のほかに共通武器としてカクレマルが付属されている。
必殺技は、2体の獣将ファイターの肩の上に立った1体が別の2体が組んだ腕を踏み台にして、ジャンプし、炎で身を包み火の玉のような姿になって敵を貫くファイタークラッシュ。巨大カクレンジャーボールを使用したスーパーカクレシュート。
第2部ではバトルサルダー以外は登場していない。
忍之巻と隠流超忍獣之術によって召喚される忍法を極めた者のみ操ることが可能な5体の獣型の守護神で、隠大将軍の分身体。人語をしゃべることも可能。
獣将や獣将ファイター同様にカクレンジャーが操縦するが、融合ではなく、コクピットで操縦され、コクピットには6本の水晶型コントローラーが配置されている。
無敵将軍、ツバサマル、隠大将軍からなる(心・技・体)を司る忍者の神。2千年前に妖怪と戦った三賢人の魂から昇華した存在で、隠流忍術極意・心技体をそれぞれ司る。妖怪に勝利し、地底界に妖怪大魔王を追放した後は地上を去っていた。
物語後半の司令官のポジションであり、ニンジャマンの師匠。機械ではない意志を持った存在となっている。また愛、勇気、希望の化身ともなっており、怒りや悲しみ、絶望の象徴となっている妖怪大魔王とは正反対。
風雲幻城内の三神将像から発した「心技体」の文字から具現化して出現する場合もある。
人の心に潜む怒りや憎しみのマイナス情念が生み出した存在。恐怖と恐れと共に人の影にいた彼らが人間との戦争を始め、今に至る。
2,000年前の戦いで起きた三賢人と妖怪大魔王の闘争がもっとも知られた太古の戦で、これは三賢人をリーダーとする人間側の勝利に終わり、大魔王と彼に協力した妖怪たちは地底界に追放された。だが他の残存妖怪は滅ぶことなく世界各国で活動を続けており、戦国時代においてもヌラリヒョンを頭領とする妖怪忍者が大魔王復活のため暗躍していたが、先代カクレンジャーがヌラリヒョンを地底界に続く封印の扉に閉じ込めたことで、ヌラリヒョン陣営妖怪のエネルギーは封印された。妖力を失った彼らは人間社会に隠れて長き隠遁生活に追いやられていたが、400年経って前述の理由により力を取り戻し、彼らが現代の戦争における主力となった。
当初は指揮統制は無く欲望の赴くがままに悪行を働いていたが、ある程度の社会体制が築かれており、妖怪銀行や妖怪レストラン、雑誌「週刊妖怪」や妖怪刑務所といったものも存在していた。その後貴公子ジュニアの登場や大魔王の復活を経て彼らの傘下に統合され、徐々に組織だった動きを見せ、人類を滅亡させて地上に妖怪王国の建国を第一の野望とするようになった。貴公子ジュニアは浮上の大地にある妖怪大宮殿()をアジトにしており大魔王も当初はそこに潜んでいたが、44話で大魔王の巨大化の際に屋敷が崩壊したことを機に、大魔王の顔を模して作られた空中要塞・ガイコツ城に居を移した。
各キャラクターの身長・体重などの設定はない。
作品がスーパー戦隊らしくないシリーズにしようという方向性であったことから、サスケ / ニンジャレッド役の小川輝晃はレッドらしくないという理由で起用された。
鶴姫役には、前年に『有言実行三姉妹シュシュトリアン』に出演していた広瀬仁美が起用された。テレビ朝日プロデューサーの梶淳は、フジテレビで放送されていた東映不思議コメディーシリーズをライバル視しそのスタッフの力量を評価しており、鶴姫役の選考が難航した際に広瀬の起用を提案したという。第35話では、『シュシュトリアン』の田中規子と石橋けいが出演し、同作品のパロディを演じた。
講釈師役を演じた三遊亭圓丈は、ナレーターが設定されていない本作品において第一部のナレーターに相当する役割も兼ねていたが、第二部以降はレギュラーから外れ、第39話の「特別編だよっ!!」での再登場のみに留まっている。これに関しては、圓丈自らが後日スポンサーであるバンダイから「あんなに進行役が目立っても、うちの玩具は売れない」とクレームがついたことにより外された旨を述懐しており最後までやれなかったのが残念だと語っていた。また、幼少期に本作品を視聴していた柳家平和は圓丈から直接聞いた話として「台本は自分で考えてやってください」と全てアドリブ任せであったにもかかわらずバンダイからクレームが来て降板せざる得なかった旨を明かしている。これに伴い、第2部以降は講釈師の登場する第39話を除いてナレーターが存在せず、次回予告はすべて登場する役者陣によってなされているほか、講釈師が当初行っていた妖怪たちの解説も自己紹介という形で妖怪本人が行っている。
後半の敵幹部である白面郎は、『太陽戦隊サンバルカン』で2代目バルイーグル/飛羽高之を演じた五代高之が演じた。五代は『サンバルカン』で世話になった東映プロデューサーの鈴木武幸からの依頼であったため快諾したと述べている。
第28話・第29話では、ジライヤ役のケイン・コスギの父であるショー・コスギが出演し、親子共演を果たした。
ニンジャレッド役には、後楽園ゆうえんちのショーで活動していた高岩成二が抜擢された。高岩によれば、アクション監督の竹田道弘から直接誘いを受けたという。高岩を起用した理由について竹田は、ショー時代から高岩の一生懸命さを気に入っており、かねてから何かあったらやらせようと考えていたと述べている。高岩は、『秘密戦隊ゴレンジャー』から『鳥人戦隊ジェットマン』までほぼすべてのレッドを演じた新堀和男から直接酒の席で「レッド談義(レッドのあり方)」を聞き撮影に臨んだが、途中から新堀の作り上げてきたレッド像は逆三角形のフォルムと高い身長を持つ新堀にしか演じられないと感じるようになり、ニンジャレッドのキャラクター自体が従来のレッド像とは異なることもあり、自分なりのレッドを演じるよう開き直ったという。
ニンジャブルー役の宮崎剛も本作品で初めてヒーロー役をレギュラーで担当した。宮崎は、高岩とともに変身前後のキャラクター性のリンクを意識しており、そのことが後に自身がアクション監督を担当した平成仮面ライダーシリーズでの方向性につながっていったと述べている。
『電子戦隊デンジマン』以来戦隊ロボのスーツアクターを務めている日下秀昭は、本作品のニンジャマンで初めてヒーロー側のキャラクターを演じた。
東映側のプロデューサーには、シリーズ初期の作品に携わった吉川進が復帰。また第15話より髙寺成紀が本シリーズに初めて参加した。
脚本、監督、音楽担当のメインスタッフは前作とほぼ変わらない顔ぶれであるが、サブライターにはスーパー戦隊シリーズにおいて9年連続でメインライターを務めた実績を持つ曽田博久が復帰し、途中参加ではあるものの12本のエピソードを執筆している。また『バイオマン』以来、『ジュウレンジャー』を除き戦隊シリーズにサブライターとして携わってきた藤井邦夫は本作品の第32話の脚本を最後にスーパー戦隊シリーズから離れることとなった。第17話の脚本は当初荒川稔久が執筆していたが、吉川のOKが出ず没になり、曽田が改めて執筆し、荒川は一旦外れることとなった。荒川はその後第35話のみ執筆したが、次作『超力戦隊オーレンジャー』ではテレビシリーズは担当せず、講談社ビデオや電話サービスのみの参加となった。
演出面では当時まだ20代だった渡辺勝也が、本作品では最多となる14作品の演出を担当。また、これまで特撮監督として手腕を振るってきた佛田洋が本編監督としてもデビューを果たした。
キャラクターデザインは前作より引き続き参加の篠原保・マイケル原腸の二人に加え、過去に東映特撮にも係わっていた経験を持つ岡本英郎、そして篠原の後輩で前作『ダイレンジャー』でもヘルプ的な形でデザイン作業に参加していた阿部統の2人が新たに参加。阿部は、本作品以降『未来戦隊タイムレンジャー』までスーパー戦隊シリーズのキャラクターデザインに携わって行くこととなる。一方、本作品を最後に阿部と入れ替わる形でスーパー戦隊シリーズからは離れることとなった篠原であるが、本作品のデザイン作業については「あまり後先のことは考えず、遠慮せず好きなようにやって終ろう」というスタンスで臨んでいたようで、後年「一区切りついたというか、やり残した感というのはホントになかった」といった趣旨のコメントを残している。また、当初からやりたいことができないようであれば降りるつもりであったとも述べている。鈴木は、篠原のデザインを高く評価しており、後年に本作品でのデザイン画をパワーレンジャーのスタッフに見せたところ好評を得たという。
本作品より主人公側の衣裳をスタイリストが担当するようになった。
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いずれも発売元は東映ビデオ。 | [
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"tag": "p",
"text": "ニンジャレッド役には、後楽園ゆうえんちのショーで活動していた高岩成二が抜擢された。高岩によれば、アクション監督の竹田道弘から直接誘いを受けたという。高岩を起用した理由について竹田は、ショー時代から高岩の一生懸命さを気に入っており、かねてから何かあったらやらせようと考えていたと述べている。高岩は、『秘密戦隊ゴレンジャー』から『鳥人戦隊ジェットマン』までほぼすべてのレッドを演じた新堀和男から直接酒の席で「レッド談義(レッドのあり方)」を聞き撮影に臨んだが、途中から新堀の作り上げてきたレッド像は逆三角形のフォルムと高い身長を持つ新堀にしか演じられないと感じるようになり、ニンジャレッドのキャラクター自体が従来のレッド像とは異なることもあり、自分なりのレッドを演じるよう開き直ったという。",
"title": "キャスト"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "ニンジャブルー役の宮崎剛も本作品で初めてヒーロー役をレギュラーで担当した。宮崎は、高岩とともに変身前後のキャラクター性のリンクを意識しており、そのことが後に自身がアクション監督を担当した平成仮面ライダーシリーズでの方向性につながっていったと述べている。",
"title": "キャスト"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "『電子戦隊デンジマン』以来戦隊ロボのスーツアクターを務めている日下秀昭は、本作品のニンジャマンで初めてヒーロー側のキャラクターを演じた。",
"title": "キャスト"
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{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "東映側のプロデューサーには、シリーズ初期の作品に携わった吉川進が復帰。また第15話より髙寺成紀が本シリーズに初めて参加した。",
"title": "スタッフ"
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{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "脚本、監督、音楽担当のメインスタッフは前作とほぼ変わらない顔ぶれであるが、サブライターにはスーパー戦隊シリーズにおいて9年連続でメインライターを務めた実績を持つ曽田博久が復帰し、途中参加ではあるものの12本のエピソードを執筆している。また『バイオマン』以来、『ジュウレンジャー』を除き戦隊シリーズにサブライターとして携わってきた藤井邦夫は本作品の第32話の脚本を最後にスーパー戦隊シリーズから離れることとなった。第17話の脚本は当初荒川稔久が執筆していたが、吉川のOKが出ず没になり、曽田が改めて執筆し、荒川は一旦外れることとなった。荒川はその後第35話のみ執筆したが、次作『超力戦隊オーレンジャー』ではテレビシリーズは担当せず、講談社ビデオや電話サービスのみの参加となった。",
"title": "スタッフ"
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{
"paragraph_id": 38,
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"text": "演出面では当時まだ20代だった渡辺勝也が、本作品では最多となる14作品の演出を担当。また、これまで特撮監督として手腕を振るってきた佛田洋が本編監督としてもデビューを果たした。",
"title": "スタッフ"
},
{
"paragraph_id": 39,
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"text": "キャラクターデザインは前作より引き続き参加の篠原保・マイケル原腸の二人に加え、過去に東映特撮にも係わっていた経験を持つ岡本英郎、そして篠原の後輩で前作『ダイレンジャー』でもヘルプ的な形でデザイン作業に参加していた阿部統の2人が新たに参加。阿部は、本作品以降『未来戦隊タイムレンジャー』までスーパー戦隊シリーズのキャラクターデザインに携わって行くこととなる。一方、本作品を最後に阿部と入れ替わる形でスーパー戦隊シリーズからは離れることとなった篠原であるが、本作品のデザイン作業については「あまり後先のことは考えず、遠慮せず好きなようにやって終ろう」というスタンスで臨んでいたようで、後年「一区切りついたというか、やり残した感というのはホントになかった」といった趣旨のコメントを残している。また、当初からやりたいことができないようであれば降りるつもりであったとも述べている。鈴木は、篠原のデザインを高く評価しており、後年に本作品でのデザイン画をパワーレンジャーのスタッフに見せたところ好評を得たという。",
"title": "スタッフ"
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"text": "本作品より主人公側の衣裳をスタイリストが担当するようになった。",
"title": "スタッフ"
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"text": "総売上は137億円、うち玩具売上は78億円を記録した。",
"title": "評価"
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"text": "いずれも発売元は東映ビデオ。",
"title": "他媒体展開"
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] | 『忍者戦隊カクレンジャー』(にんじゃせんたいカクレンジャー)は、1994年2月18日から1995年2月24日まで、テレビ朝日系列で毎週金曜17:30 - 17:55(JST)に全53話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。 | {{拡張半保護}}
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{{告知|議論|スーパー隠大将軍について。|ノート:忍者戦隊カクレンジャー|date=2021年2月}}
{{注意|クレジットなどで確認できない[[スーツアクター]]の役柄を記載する場合には、'''必ず[[Wikipedia:信頼できる情報源|信頼可能な情報源]]からの[[Wikipedia:出典を明記する|出典を示してください]]。'''出典の無い情報については、[[Wikipedia:独自研究は載せない]]に基づき一定期間ののち除去されるおそれがあります([[プロジェクト:特撮/スーツアクターの役名記載について]]での議論に基づく)}}
{{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}}
{| style="float: right; text-align:center; border-collapse:collapse; border:2px solid black; white-space:nowrap"
|-
|colspan="3" style="background-color:#ffccff; border:1px solid black; white-space:nowrap"|'''[[スーパー戦隊シリーズ]]'''
|-
|style="border:1px solid black; background-color:#ffccff; white-space:nowrap"|'''第17作'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|[[五星戦隊ダイレンジャー|五星戦隊<br />ダイレンジャー]]
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|1993年2月<br />- 1994年2月
|-
|style="border:1px solid black; background-color:#ffccff; white-space:nowrap"|'''第18作'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|'''忍者戦隊<br />カクレンジャー'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|1994年2月<br />- 1995年2月
|-
|style="border:1px solid black; background-color:#ffccff; white-space:nowrap"|'''第19作'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|[[超力戦隊オーレンジャー|超力戦隊<br />オーレンジャー]]
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|1995年3月<br />- 1996年2月
|}
{{基礎情報 テレビ番組
|番組名 = 忍者戦隊カクレンジャー
|ジャンル = [[特撮]][[テレビドラマ]]
|放送時間 = 金曜 17:30 - 17:55
|放送枠 = スーパー戦隊シリーズ
|放送分 = 25
|放送期間 = [[1994年]][[2月18日]] -<br />[[1995年]][[2月24日]]
|放送回数 = 全53
|放送国 = {{JPN}}
|制作局 = [[テレビ朝日]]
|放送局 = [[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]
|企画 =
|製作総指揮 =
|監督 = [[小林義明]] 他
|演出 =
|原作 = [[八手三郎]]
|脚本 = [[杉村升]] 他
|プロデューサー = {{Plainlist|
* [[梶淳]](テレビ朝日)
* [[吉川進]]
* [[鈴木武幸]]
* [[髙寺成紀]](東映)
* 矢田晃一(東映AG)
}}
|出演者 = {{Plainlist|
* [[小川輝晃]]
* [[広瀬仁美]]
* [[土田大]]
* [[河合秀]]
* [[ケイン・コスギ]]
* [[坂本あきら (俳優)|坂本あきら]]
* [[遠藤憲一]]
* [[五代高之]]
* [[三遊亭圓丈]] 他
}}
|声の出演 = {{Plainlist|
* [[矢尾一樹]]
* [[堀田智之]]
* [[松本大 (声優)|松本大]]
* [[柴田秀勝]]
}}
|音声 = [[モノラル放送]]
|字幕 =
|データ放送 =
|音楽 = [[川村栄二]]
|OPテーマ = 「シークレット カクレンジャー」<br />歌:[[都志見隆|トゥー・チー・チェン]]
|EDテーマ = 「ニンジャ!! 摩天楼キッズ」<br />歌:トゥー・チー・チェン
|言語 = [[日本語]]
|外部リンク =
|外部リンク名 =
|特記事項 =「[[スーパー戦隊シリーズ]]」 第18作
}}
『'''忍者戦隊カクレンジャー'''』(にんじゃせんたいカクレンジャー)は、[[1994年]][[2月18日]]から[[1995年]][[2月24日]]まで、[[テレビ朝日]][[オールニッポン・ニュースネットワーク|系列]]で毎週金曜17:30 - 17:55([[日本標準時|JST]])に全53話が放送された、[[東映]]制作の[[特撮テレビ番組一覧|特撮テレビドラマ]]、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。
== 概要 ==
本作品では戦隊側のモチーフの「[[忍者]]」や日本古来の[[妖怪]]たちをモデルとした敵怪人など、シリーズとしては初めて本格的な和テイストが取り入れられている{{R|HYAKKA336|20th5}}。しかし敵怪人に相当する妖怪のデザインは既存のイメージに囚われず{{Refnest|group="出典"|{{R|超人画報|20th5}}{{Sfn|スーパー戦隊画報|2006|p=164|loc=「忍者戦隊カクレンジャー」}}}}、メイン監督の小林の[[ストリートアート]]という発想から[[ストリートファッション]]を感じさせる[[カジュアル]]なものとなっている{{R|gahou|特撮全史}}。また戦闘シーンにおいては、[[アメリカンコミックス]]のような{{R|超人画報|gahou}}英字擬音吹き出しを取り入れるなど独自の演出が取り入れられた{{R|21st2|特撮全史}}。東映プロデューサーの[[鈴木武幸]]は、和風だけど和風じゃないというコンセプトを売りにし、従来にない忍者ヒーローの創作を目指したことを述べている{{R|20th5}}。
またスーパー戦隊シリーズとしては初めて女性メンバー、かつレッド以外の戦士がリーダーとして設定される{{R|material25}}など、本作品では意欲的な新機軸も複数盛り込まれている{{R|HYAKKA336}}。第24話までを第一部、第25話以降を第二部「青春激闘編」として位置付けた二部構成による作劇もその一環であり、第一部ではリーダーである鶴姫と使命感に欠ける男性陣という構図を主軸にコミカルな作品世界が構築されていた{{R|MUSIC03|超人画報}}が、物語が進行するにつれてバトルアクション的な側面も強化され、第二部以降はその側面を前面に押し出しつつ、カクレンジャーの成長に合わせてよりシリアスな展開へとシフトしていった。この他、視聴者に作品世界を身近なものとする役割として、第一部では講釈師による妖怪などの解説が随所に盛り込まれており、同時に従来の作品におけるナレーションとしての役割も担う形となった{{R|MUSIC03}}。テレビ朝日プロデューサーの[[梶淳]]は、スーパー戦隊の海外展開『[[マイティ・モーフィン・パワーレンジャー]]』で流用できるカットを増やすため、後半は素面のレギュラーを減らし、作品全体もオーソドックスな内容となったと証言している{{R|20th96}}。
商品展開では、前々作『[[恐竜戦隊ジュウレンジャー]]』のパターンを踏襲した前作『[[五星戦隊ダイレンジャー]]』との差別化が意図された{{R|20th34}}。前2作で導入され人気を博した「レギュラーキャラとしての6人目の戦士」であるが、本作品でもこの要素を引き続き踏襲すべきではないかという意見は出たものの、結果的には見送られる形となり従来通りの5人体制へと回帰した{{R|material25}}。その代替として、モーフィングをモチーフとした変身ロボ的な存在である「ニンジャマン」が新たに投入されており、同じ姿のまま等身大から巨大戦までこなすというその特性から、一部の資料ではこのニンジャマンを「6人目の戦士」として扱っているものも存在する{{R|ART78}}。物語も折り返しを過ぎてからの登場ではあったが、その明朗活発なキャラクターが人気を博し発売された玩具も大ヒット商品となった{{R|ART78|20th34}}。
== あらすじ ==
戦国時代、時の忍者たちは人間界を征服せんとする妖怪たちと長きに渡る激しい戦いを繰り広げていた。戦いの末、鶴姫を筆頭とする5人の隠流忍者が伝説の'''三神将'''より与えられた'''封印の扉'''内部へ'''総大将ヌラリヒョン'''と膨大な妖怪エネルギーを閉じ込めることに成功。妖怪たちは指導者と力を失い、衰退する。
それから400年。忍者が人の世から廃れた現代で今は一般人として暮らしている隠流の末裔たち…猿飛佐助の子孫'''サスケ'''と霧隠才蔵の子孫'''サイゾウ'''の二人はふとしたことがきっかけで人間社会に溶け込み隠れ暮らしていた妖怪カッパに騙されて封印の扉を開けてしまい、妖怪たちを復活させてしまう。
先祖代々封印の扉を見守ってきた鶴姫家の24代目総領'''鶴姫'''は妖怪の復活を察知し、封印の5忍者の末裔、サスケとサイゾウそして三好清海入道の子孫'''セイカイ'''と児雷也の子孫'''ジライヤ'''を集め、ともに'''カクレンジャー'''として妖怪の再封印を決意する。
クレープ屋を営みながら妖怪封印の旅を続ける5人。しかし、てんでばらばらで動いていたはずの妖怪たちの裏から邪悪なる存在が現れ、彼らは苦しい戦いを強いられるようになっていく……。
== 登場人物 ==
=== 忍者戦隊カクレンジャー ===
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に誕生した、退魔を専門とする忍者集団'''隠流忍者'''の使い手と末裔たち。鶴姫とジライヤのみ忍者としての正規訓練を受けていたが、サスケ・サイゾウ・セイカイは子孫であるというだけで、元は一般人だった。また、苗字は設定されていない。
名乗りの口上は「'''人に隠れて悪を斬る、忍者戦隊カクレンジャー見参!'''」{{R|20th6}}。また、サムズダウンのジェスチャーと共に「'''成敗!'''」の決めゼリフを発した後に戦闘開始することも多い。
; {{Visible anchor|サスケ}}
: [[猿飛佐助]]の子孫{{R|超全集14|20th8}}。サブリーダーでメンバー最年長{{R|20th8}}。
: カッパに騙され、妖怪のエネルギーを閉じ込めていた'''封印の扉'''を開けてしまった責任からカクレンジャーの一員となる{{R|group="ep"|1話}}。サイゾウとはカクレンジャー結成前からの付き合い。
: 普段は[[スケベ]]で猪突猛進気味だが、戦いの際には冷静沈着さを見せ、敵の罠を見抜く鋭い勘も持つ{{R|超全集14|20th8}}。江戸っ子口調で、よく妖怪相手に「やい○○!」と啖呵を切る。好きなものは花火{{R|group="ep"|47話}}。サッカーや射撃を得意とする{{R|20th8|学研の図鑑102}}。第二部「青春激闘編」からは自分を見失った鶴姫を殴りつけるなど、鶴姫の良き理解者的存在になっていった。
: メンバーの中でも特に潜在能力が高く、寝る間も惜しんで厳しい修行を行っている。
: シリーズ初の「リーダーではないレッド」であるが{{R|gahou}}、その性格から仲間を引っ張っていく役割を果たすことが多かった。
: コスケという従弟がいる{{R|group="ep"|33話}}。
: 『[[手裏剣戦隊ニンニンジャー]]』忍びの7に『[[忍風戦隊ハリケンジャー]]』の椎名鷹介/ハリケンレッドと共にゲスト出演。ニンニンジャーに渡した成績表の署名では「猿飛佐助」と記述している。
:* 演じた[[小川輝晃]]によれば、企画書では[[孫悟空]]のイメージと記されており、動物園のサルを観察したり『[[西遊記 (1978年のテレビドラマ)|西遊記]]』の[[堺正章]]をイメージしたりしていたが、脚本では異なるキャラクター像になっていて戸惑ったという{{R|超全集76}}。
:; {{Visible anchor|ニンジャレッド}}
:: サスケが変化する戦士{{R|超全集14|20th8}}。
:: 猿の身軽な動きを持ち、剣と分身系の術を得意とする{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集14|20th8|学研の図鑑102}}}}。また、炎の忍法も用いる{{R|20th8}}。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|鶴姫|つるひめ}}|鶴姫}}
: 隠流の宗家の血筋である鶴姫家の24代目総領にして5人のリーダー{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集16|20th10|特撮全史|学研の図鑑102}}}}。封印の扉を開けて窮地に陥ったサスケとサイゾウを救い、カクレンジャー招集を決意する{{R|group="ep"|1話}}。
: 彼女のみ名前が漢字表記となっている{{efn|最終回のエンドロールでは「ツルヒメ」とカタカナ表記でクレジットされた。}}。他のメンバー同様にその名は先祖から受け継いだ名前である。
: [[1978年]][[7月22日]]生まれで、メンバー最年少の15歳{{R|20th10}}。後に16歳になる{{R|group="ep"|23話}}{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集16|gahou166|学研の図鑑102}}}}{{efn|年齢は35話のエンドロールで判明した{{R|group="ep"|35話}}{{R|gahou166}}。}}。気が強く荒っぽい男勝りで勝気な紅一点{{Refnest|group="出典"|name="tsuruhime"|{{R|超全集16|20th10|学研の図鑑102}}}}。心根は仲間への慈愛に満ちており{{R|学研の図鑑102}}、傷ついた仲間を見捨てることは、たとえ人形であっても出来ない。物語後半からは7歳のときに亡くなったと聞かされていた父を慕うあまり、自身を見失うこともあった。
: 幼馴染の雪代・月代とともに'''おしおきセーラー三姉妹'''を結成してカマイタチと対決したこともある{{R|group="ep"|35話}}{{efn|同じく東映制作で、本作品の前年に放送された特撮テレビドラマ『[[有言実行三姉妹シュシュトリアン]]』(フジテレビ系列)に広瀬が主演していたことによるセルフパロディ。シュシュトリアンの雪子役の[[田中規子]]と月子役の[[石橋桂]]がゲスト出演しており、決め台詞(テレビ朝日の番組に掛け、「[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]曰く、「じゃ、そういうことで」」)や決めポーズもシュシュトリアンのものである。同話の脚本を担当した[[荒川稔久]]は、『シュシュトリアン』のパロディとすることは最初から決まっていたと述べている{{R|20th93}}。}}。第26話で実は「超」がつくお嬢様だったことが判明{{R|group="ep"|26話}}。第6話でモクモクレンから求婚されたり、Vシネマでオンブオバケに襲われたりとたびたび妖怪に付け狙われた。
:* 演じる[[広瀬仁美]]によれば、企画書では年齢設定は18歳だったという{{R|超全集76}}。
:; {{Visible anchor|ニンジャホワイト}}
:: 鶴姫が変化する戦士{{R|超全集16|20th10}}。
:: 鶴のように華麗な術を用い{{R|group="出典"|tsuruhime}}、折り紙を使った忍法や折り鶴攻撃を得意とする{{R|20th10|学研の図鑑102}}。
:
; {{Visible anchor|セイカイ}}
: [[真田十勇士#三好清海入道|三好清海入道]]の子孫{{R|超全集18|20th12}}。鶴姫に招集された4人目のカクレンジャー{{efn|オープニングクレジットではサイゾウが3番目だが、資料での紹介や玩具展開などにおいてはセイカイ(イエロー)が3番目に紹介されている{{R|超全集18}}。}}。
: [[ゲームセンター|ゲーセン]]通いをしている「現代っ子」で、軟弱で軽い性格のため争いごとを好んでいなかったが{{Refnest|group="出典"|name="seikai"|{{R|超全集18|20th12|学研の図鑑102}}}}、一緒に遊んでいた子供と共に妖怪ロクロクビに襲われたことから戦いに身を投じる{{R|group="ep"|2話}}。争いごとを好まないのは、やや気が弱くお人好しな面もあるからだが、自ら認めるようにここ一番には強く、女性のためには命を懸ける{{R|学研の図鑑102}}。「どすこい!」が口癖。
: 食べることと寝ること、そして女性には目がなく{{R|超全集18}}、かつて鶴姫に告白をしたこともあるが特に進展はない。先祖からも「くの一には用心」と釘を刺されている。忍之巻を手に入れるための試練の旅を始めて以降、サイゾウと行動をともにすることが多いが2人でピンチになってしまうことも多い。初登場時にはナレーション(講師役)に「一見おっちょこちょいで、実は超おっちょこちょいのおっちょこちょい男」と紹介されていた。
:* 演じる[[河合秀]]は、従来の戦隊イエローや三好青海入道のイメージが自身とは異なるため演技に悩み、序盤は空回っていたと述懐している{{R|超全集76}}。
:; {{Visible anchor|ニンジャイエロー}}
:: セイカイが変化する戦士{{R|超全集18|20th12}}。
:: 野生の熊の怪力を持ち{{R|group="出典"|seikai}}、パワフルに森の樹木を活かしながら戦い、幻術系の忍法も得意とする{{R|20th12|学研の図鑑102}}。
:
; {{Visible anchor|サイゾウ}}
: [[真田十勇士#霧隠才蔵|霧隠才蔵]]の子孫{{R|超全集20|20th14}}。古くからの親友であるサスケと同様の理由で、カクレンジャーの一員となる。
: 女と金に目がない軽薄な印象だが、情に厚くて困った人に対しては損得勘定抜きで助けずにはいられない倹約家{{Refnest|group="出典"|name="saizo"|{{R|超全集20|20th14|学研の図鑑102}}}}。しかしその情に厚い性格が災いし、妖怪の策略によくハマってしまう{{R|20th14}}。目を隠したまま裁縫を行うことも出来る{{R|超全集20}}。子供たちからも慕われている{{R|超全集20}}。影が薄い{{R|特撮全史}}。
: 「財布が無くなる{{R|group="ep"|5話}}」「アミキリに買ったばかりの車を叩き切られる{{R|group="ep"|17話}}」「ヌッペフホフに顔を奪われる{{R|group="ep"|32話}}」「新年のおみくじで大凶を引く{{R|group="ep"|46話}}」など、メンバー中でも特に不遇さが目立つ{{R|20th14}}。また、「○○なのよ」、「許さないわよ」など、[[オネエ言葉]]のような言葉遣いをしたり、「俺のモテモテの顔が」、「天下の二枚目が」など、ナルシストじみた発言も時折している。
: 第2部からは、セイカイと行動を共にすることが多く、忍之巻の試練も2人で受けた。
:; {{Visible anchor|ニンジャブルー}}
:: サイゾウが変化する戦士{{R|超全集20|20th14}}。
:: 狼の素早い動きを持ち{{R|group="出典"|saizo}}、水の力を使った忍法と剣を得意としている{{R|20th14|学研の図鑑102}}。剣の持ち方は逆手。
:
; {{Visible anchor|ジライヤ}}
: [[自来也|児雷也]]の子孫{{R|超全集22}}。5人目のカクレンジャー。
: 彼の一族は家伝の巻物を奪ったアズキアライを追ってアメリカに渡っていたが、アズキアライが日本に向かったことを知って帰国し、鶴姫たちに合流する{{R|group="ep"|3話}}。
: 格闘能力にも優れ、世界各国の格闘技をマスターしているため{{R|超全集22|学研の図鑑102}}、生身のままでドロタボウを圧倒し、師のガリにも勝利した。ローラースケートと射撃も得意で{{R|20th16|学研の図鑑102}}、初登場時など何度かウエスタンスタイルを披露した。
: アメリカ出身のため、日本語が得意でない{{R|超全集22|20th16}}。一見クールで寡黙な性格に見えるが、テレビ番組のヒーローにのめり込んだり、[[サントリー]]・ダイナミックのCMから生まれた流行語を口走ったりするなど素は陽気でのせられやすい性格{{R|20th16|学研の図鑑102}}。一人称は「僕」だが、第18話では「俺」を使っていた。
: 10歳のとき何者かに父親が目の前で惨殺され、その真犯人である育ての親・ガリを自らが倒すなど{{R|group="ep"|29話}}、誰よりも苦難多き人生を歩んでいる。
:* 演じる[[ケイン・コスギ]]は、当初日本語を苦手としており、東映プロデューサーの[[鈴木武幸]]との対面時に日本語学校で学ぶことを宣言したが、鈴木はたどたどしさがいいとしてそのまま起用した{{R|20th5}}。そのため、アメリカ帰りの忍者というキャラクター設定に変更された{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=99}}。
:; {{Visible anchor|ニンジャブラック}}
:: ジライヤが変化する戦士{{R|超全集22|20th16}}。
:: 蛙のジャンプ力を持ち{{R|超全集22|20th16}}、それを活かしたキック攻撃を得意とする{{R|20th16}}。岩や大地を利用した忍法を用いる{{R|学研の図鑑102}}。
=== カクレンジャーの関係者 ===
; {{Visible anchor|ニンジャマン / サムライマン}}
: 三神将の弟子{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集28|20th18|学研の図鑑102}}}}。師匠たちと同様の理由で外見は人でないが、寒いところではクシャミをする、雪だるまに化けた際に花のくノ一組から耳のあたりに息を吹きかけられて赤面するなど、人間的な描写が多い。伸縮自在で親指大から巨大ロボサイズまで変化できる。武器は背中に差した忍者刀'''ニンジャソード'''{{R|超全集28|20th18}}。
: 1000年前に老婆に化けた妖怪大魔王に騙されて大勢の人たちを傷つけてしまい、その罰として壺に閉じ込められ宇宙に追放されていた{{R|学研の図鑑102}}{{efn|壺を壊せる金槌は一緒についているが、それをはずせるのは初代鶴姫の子孫のみ。}}。かなり純真で熱くなりやすく{{R|学研の図鑑102}}、クリスマスプレゼント欲しさにオオムカデが化けた偽サンタに騙されるなど{{R|group="ep"|45話}}おっちょこちょいな面が目立つが、大の妖怪嫌いであると同時に強い正義感をもち{{R|学研の図鑑102}}、一度も悪に寝返ったことはない。子どもと触れ合うことが大好きで{{R|学研の図鑑102}}、気は優しくて力持ち。ただし「青二才」と言われることを極度に嫌っており、主に敵がその言葉を発した際は怒りが爆発してサムライマンに変身する。
: 妖怪大魔王封印後、三神将と共に地上を去った{{R|group="ep"|53話}}。
: 使う忍術や能力については[[#三神将|三神将の節]]を参照。
: シリーズ初となる人間体を持たない追加戦士である。『轟轟戦隊ボウケンジャー』の「30戦隊大全集」では番外ヒーローとして紹介されている。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|[[百地三太夫|百地 三太夫]]|ももち さんだゆう}}|百地三太夫}}
: 鶴姫家に仕える忍者でカクレンジャーを影で支えている。
: 神出鬼没でお調子者を装っているが相当の実力者であり、妖怪たちからは要注意人物と目されている。語尾に「○○やけ」や「○○なんよ」を付けてしゃべり、キャンディを舐めていることが多い。義輝に忠実な家来(使用人)でもあり密かに内通していた。
: 第31話でガシャドクロと対決するが、一歩およばず殺されてしまう{{R|group="ep"|31話}}。それでも義輝の本心を隠し通し、自身の死の間際まで5人に対してはあえて真実を語らなかった。だが、それゆえに父と三太夫の両方に縁の深い鶴姫は事情を悟った。
; カクレンジャーの先祖たち
: サスケたちの先祖で、400年前の妖怪と戦っていた。ヌラリヒョン共々封印の扉に閉じ込められたがその際、刀(秘剣カクレマル)を残した。妖怪の復活に伴い、子孫であるサスケたちにドロンチェンジャーを託すために姿を表すが、それぞれの子孫の情けない身なりや生活を愚痴るだけ愚痴ってドロンチェンジャーを託して去っていった。
:
; {{読み仮名|太郎|たろう}}・{{読み仮名|次郎|じろう}}
: 鶴姫家の家来の忘れ形見である双子の兄弟。
: 両親の死後鶴姫と兄弟同然に育てられたが、10年前の大魔王討伐の際に義輝と共に捕らえられてしまう。義輝が妖怪側につくことを条件に解放されるが、妖術で犬の姿に変えられてしまい、2人とも一時的なら人間の姿に戻ることが出来るが、2度人間に戻れば呪いによって死んでしまう。
: 最期は死ぬ直前に義輝の魔力を解いた{{R|group="ep"|52話}}。
; ブン
: 三太夫の弟子の少年。
: 太郎・次郎とともにカクレンジャーを陰ながらサポートしていたが、その正体は義輝に救われた善良な妖怪だった。妖怪だが、能力は普通の人間と同じである。
; {{読み仮名|麗花|れいか}}
: 第25話に登場。忍之巻の力で蝶が変身した姿で、出会ったサスケと親しくなる。短剣を武器にする。
: 最期は動物たちを庇ってイッタンモメンに殺されてしまったが、彼女の最後の言葉はサスケに大きく影響を与えた。死に際にサスケに忍之巻の場所を教える。
; 三神将
: 無敵将軍、ツバサマル、そして隠大将軍からなる'''心・技・体'''を司る巨大神。詳細は[[#三神将|三神将の節]]を参照。
:
; 講釈師
: 本作品において語り部を担う存在。忍者のごとくドロンと現れては、ジュリアナセンスを片手にあらすじや妖怪の解説、次回予告を行い、毎回のラストでは「それでは来週まで、カクレンジャー!」もしくは「本日はここまで!」と決めゼリフで消えていく。自らを「おじさん」と呼ぶ。第一部の完結と同時に姿を消すが、第39話ではリポーターとして再登場している。
== カクレンジャーの装備・戦力 ==
=== 共通装備・技 ===
; ドロンチェンジャー{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集12|gahou164|20th6}}{{Sfn|30大戦隊超全集|2007|p=128|loc=「変身アイテム」}}}}
: カクレンジャーの5人が装備している印籠型の変身兼通信アイテム。ドロンチェンジャーを胸の前にセットして、「{{読み仮名|'''スーパー変化'''|スーパーへんげ}}」の発声の後、「'''ドロンチェンジャー'''」と言って印を結び、ドロンチェンジャーのスイッチを入れることにより、「忍」と書かれたエンブレムがシャッターのように開き、内部のメダルが露出。そこから発せられたエネルギーで変身する{{R|超全集12}}{{efn|資料によっては、スーツが圧縮して収納されていると記述している{{R|超全集70}}。}}。「スーパー変化」の発声のみで衣服を脱ぎ、そのまま変身することも可能。妖怪探知機としての機能も持つ{{R|超全集12}}。
: 最終話では妖怪大魔王を封印の扉に封印する鍵として使われ失われたが{{R|group="ep"|53話}}、『[[超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー]]』や『[[手裏剣戦隊ニンニンジャー]]』では所持している。
; 忍メダル{{R|超全集70}}
: ドロンチェンジャーの内部に収められている変身用のメダル。各人毎のパーソナルマークが描かれている。
: 獣将ファイターもこれに封印されている{{R|超全集70}}。
; カクレスーツ
: カクレンジャーの忍者装束型の強化スーツ。ヘルメットはステルスポリマー、スーツはステルスポリマー繊維で作られている{{R|超全集70}}。ステルスポリマーとは、遥か昔忍者たちが、地球に落下した隕石に含まれていた特殊成分を抽出し作り上げた超硬特殊重合体である{{R|超全集70}}。絹のようなしなやかさを持つと同時に、弾丸や刀をもはじき返す強度も持つ{{R|学研の図鑑102}}。第34話ではブルーのヘルメット内部のモニター画面が映った。
:* デザインでは、従来の作品では白が主流であった手足周りに初めて黒を用いている{{R|21st1}}。共通デザインとして黒を用いるのは『[[超新星フラッシュマン]]』以来だが、本作品以降の作品では黒を取り入れることが多くなった{{R|21st1}}。
; 秘剣カクレマル{{Refnest|group="出典"|name="hiken"|{{R|超全集24|30大129|20th6}}}}
: 背中に背負っている特殊忍剣{{R|超全集24}}。元はカクレンジャーの先祖の武器で、妖怪を封印するために地面に突き刺した後、忍者の気合いを持つ者{{Sfn|完全超百科|2006|p=59}}{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=38}}のみが抜くことができた。そのため忍装束の際の武器であり、通常は普通の忍者刀の形状だが、変化すると同時に刀も変化する。なお、変化前の忍者刀の状態では柄紐が各自のパーソナルカラーとなっている。刀身には「忍者戦隊」の文字が刻まれており、第3話以降からは鞘から引き抜く際に独特の効果音が鳴るようになった。その切れ味は名刀・正宗や村正を遥かに凌ぎ、西洋の鎧を真っ二つにする切れ味を誇る{{R|超全集24|超全集70}}。切れ味が強力ゆえに鞘で厳重封印されており、常人を越えた気合いの持ち主だけが引き抜いて使用出来る。刀身にエネルギーをスパークさせれば戦車も切り裂くことも可能{{R|超全集24}}。5人のカクレマルをクロスさせてエネルギーをスパークさせて雷光を放つ'''カクレマル雷光波'''{{Refnest|group="出典"|{{R|gahou164|30大129}}{{Sfn|完全超百科|2006|p=59}}{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=58}}{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=39}}}}{{efn|資料によっては、名称を'''雷光破'''と記述している{{R|material14}}。}}という技がある。
: 『オーレVSカクレンジャー』では、その強化版カクレマル・スーパー雷光波を使用した{{R|オーレ超全集}}。
; カクレイザー{{Refnest|group="出典"|name="kakure"|{{R|超全集24|gahou164|30大129|20th6}}}}
: 左腰のホルダーに装備している光線銃{{R|超全集24}}。通常は厚さ5メートルの石垣を貫通できるイオンビームを発射する{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集24|20th6}}{{Sfn|完全超百科|2006|p=59}}{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=38}}}}が、銃身部を引き抜くと、コンクリートの壁もくりぬく接近戦用の短剣{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=38}}・レイザーナイフ{{R|group="出典"|hiken}}になる。
; シノビナックル{{R|group="出典"|kakure}}
: 右手に装備{{Sfn|赤の伝説|2012|p=81}}するパンチ力を強化する特殊超合金製の手甲{{R|超全集24}}。厚さ2メートルのレンガ塀を砕く{{R|超全集24}}。個人武器を合体させることもできる。2つずつ持っているので、両手に1つずつ装備することもある。5人でシノビナックルを放つ'''シノビナックル五段拳'''という技がある。
; 忍装束
: 変身前に、索敵・諜報行動時に着用する忍者装束。マフラー、帯の色はカクレスーツと同じ色。ただし兜などは各人で形状が異なり、装束の色も男性陣は黒なのに対して鶴姫は白(鶴姫は白ずくめでジライヤは黒ずくめ)。普段着を脱ぎ捨てると同時にこの姿になるが、半袖やタンクトップ姿などの薄着の状態からも一瞬で姿が変わるため、普段着の下に着込んでいるというわけではないようである。
; 巻物
: 隠流巨大獣将之術使用の際に用いられた道具。カクレンジャーのボディーカラー5色分があり、サスケ用の赤色は風雲幻城内部に隠され、残り4つはアズキアライに奪われていたのを鶴姫たちが取り戻した。
; {{読み仮名|忍之巻|しのびのまき}}{{R|超全集34|gahou169}}
: 隠流超忍獣之術を使用する際に用いる巻物。隠流忍術の極意が記されており、5人はそれぞれの試練を乗り越えて手に入れた。
:* 玩具版は、個人の技名やロボの合体構成図が描かれている{{R|material25}}。
; 隠流マキビシ{{R|gahou164|20th6}}
: 鋭い棘のついたマキビシをばら撒く。変身前にも使用する。
; 投げなわ{{R|gahou164|20th6}}
: 壁などを登るために使用する忍具。シノビナックルと併用することもある。
; {{読み仮名|抜身之術|ぬけみのじゅつ}}{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集27|gahou164|20th6}}}}
: 敵にやられたように見せかけ、一瞬のうちにカクレスーツだけ残して脱出する技。そこから奇襲攻撃を仕掛けることが多い。普段着や忍装束を残すことも可能で、第50話ではサスケが4人の偽者に追い詰められた際に忍装束だけを残した。
; {{読み仮名|消身之術|きえみのじゅつ}}{{R|超全集27|gahou164}}
: 煙とともに敵の目の前から姿を消し、攻撃を回避する。
=== 個人武器 ===
; レッドスライサー{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集14|gahou166|30大129|20th8}}}}
: ニンジャレッド専用武器で十字手裏剣を模した大型万能手裏剣。1秒間に300回転しながら飛んで行き、直径5センチメートルの鉄の杭30本を斬ることができる{{R|20th8}}。槍のように用いることもできる{{R|超全集14}}。また、回転させれば盾にもなる。
; {{読み仮名|雷鳴剣ヒカリマル|らいめいけんヒカリマル}}{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集24|gahou166|30大129|20th8}}}}
: 第31話から登場。ニンジャレッド専用の特殊剣{{Sfn|完全超百科|2006|p=59}}。カクレマルとは柄を通じて合体させることができ、その場合は二本の刀のエネルギーがスパークして、稲妻を呼び起こす{{R|超全集24|20th8}}。
: ガシャドクロと戦いの最中、ツバサマルから与えられた。
; {{読み仮名|火炎将軍剣|かえんしょうぐんけん}}{{R|20th8}}{{efn|資料によっては、名称を'''レッド火炎将軍剣'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=58}}。}}
: 無敵将軍の剣。第20話で花のくノ一組の作戦によって孤立させられ、苦戦していたサスケに無敵将軍が貸し与えた{{efn|『[[百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊]]』での「剣の戦士」の紹介でそのシーンが使用された。}}。攻撃の度に刀身に炎を纏う。火炎将軍波でくノ一組の5人全員を一撃で圧倒した。使用自体は第20話のみ。
; ホワイトビーク{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集16|gahou166|30大129|20th10}}}}
: ニンジャホワイト専用武器で二又の爪を持つ[[錐 (工具)|つぼきり]]型の武器{{R|超全集16|20th10}}。これを回転させて分厚いコンクリートの壁に穴を開けたり{{R|20th10}}、敵を突き飛ばす。投げることも、敵の刃物を受け止めることも可能。
; イエロークロー{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集18|gahou166|30大129|20th12}}}}
: ニンジャイエロー専用武器で頑丈な特殊スチール製のワイヤーが付いた鉤爪{{R|超全集18}}。敵めがけて発射して、鋭い爪で捕らえる{{R|超全集18|20th12}}。また、爪をビルの壁などに引っ掛けて登ることや、振り回して鎖鎌のように攻撃することもできる。
; ブルーショット{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集20|gahou166|30大129|20th14}}}}
: ニンジャブルー専用武器の水流銃{{R|超全集20}}。タンクには100リットルの水が加圧されて蓄積されており、敵を30メートルも跳ね飛ばす威力を持つ{{R|20th14}}。
; 忍爆弾
: ニンジャブルーの忍具。一度に3発ほど投げる、小さな青い爆弾。
; ブラックボウ{{R|gahou166|30大129}}{{efn|資料によっては、名称を'''ブラックボゥ'''と記述している{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集22}}{{Sfn|完全超百科|2006|p=58}}{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=59}}}}。}}
: ニンジャブラック専用武器のボウガン。鋼鉄の扉を貫き、その向こうにいる敵をも打ち倒す{{R|超全集22}}。
=== 手裏剣 ===
各自が使う手裏剣はそれぞれ形状が異なっている。個人のマークに鶴姫以外はそれぞれのイニシャル(ジライヤは名前、他は苗字の頭文字)を組み合わせた形をしており、ベルトのバックルにもこの手裏剣と同じマークが意匠されている。
; {{読み仮名|猿手裏剣|さるしゅりけん}}{{R|超全集14|20th8}}
: サスケ専用の手裏剣。「S」を模った円型をしている。{{要出典範囲|1度に10枚投げられる。|date=2020年4月}}
: 『手裏剣戦隊ニンニンジャー』忍びの7では、終わりの手裏剣の偽物として使用されるが、牙鬼軍団の十六夜九衛門から「ヘボ手裏剣」とバカにされる。
; {{読み仮名|鶴手裏剣|つるしゅりけん}}{{R|超全集16|20th10}}
: 鶴姫専用の手裏剣。つぼきり型をしている。{{要出典範囲|物を貫くのに向いている|date=2020年4月}}。
: 41話では大食いゴーストに食べられてしまったことがあった。まずいらしい。
; {{読み仮名|熊手裏剣|くましゅりけん}}{{R|超全集18|20th12}}
: セイカイ専用の手裏剣。三角形で「M」のマークがついている。{{要出典範囲|岩でも深く突き刺さり、真っ2つに割ってしまう。|date=2020年4月}}
; {{読み仮名|狼手裏剣|おおかみしゅりけん}}{{R|超全集20|20th14}}
: サイゾウ専用の手裏剣。正方形に似た「K」字型をしている。{{要出典範囲|切り裂くのに向き、1度に5 - 6枚投げる。|date=2020年4月}}
; {{読み仮名|ガマ手裏剣|ガマしゅりけん}}{{R|超全集22|20th16}}
: ジライヤ専用の手裏剣。「G」に似た星型をしている。{{要出典範囲|物体を砕くのに向いている。|date=2020年4月}}
=== 必殺剣技 ===
; 隠流満月斬り{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集24|gahou166|20th8}}}}
: カクレマルで円を描き、そこから一気に斬るニンジャレッドの必殺剣技。
; 隠流・満月十文字斬り
: 満月斬りの直後に、さらに十字に敵集団を斬り裂く。
; 分身一体剣{{R|gahou166}}
: 分身之術で最大8人になった状態から敵の周囲を回って撹乱後、一斉にジャンプし、本体だけが敵に隠流満月斬りを浴びせる。
; {{読み仮名|隠流雷鳴斬|かくれりゅうらいめいざん}}{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集24|gahou166|30大129}}}}{{efn|資料によっては、名称を'''カクレ流雷鳴斬'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=59}}。}}
: カクレマルとヒカリマルを柄の部分で接続してエネルギーをスパークさせ稲妻を呼び、そのエネルギーを加えた2本の剣で敵を斬る必殺剣技。
; 隠流く之字斬り{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集24|gahou166|20th10}}}}
: カクレマルで「く」の字を描くように斬るニンジャホワイトの必殺剣技。
; 隠流三段斬り{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集24|gahou166|20th12}}}}
: カクレマルで正三角形を描くように斬るニンジャイエローの必殺剣技。
; 隠流正方之陣{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集24|gahou166|20th14}}}}
: カクレマルで正方形を描くように斬るニンジャブルーの必殺剣技。
; 隠流流れ星{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集24|gahou166|20th16}}}}
: カクレマルで星型を描くように斬るニンジャブラックの必殺剣技。初使用は第21話で、その際は生身で披露。他の必殺剣技が第1部までの間に決め手に使われたのに対し、この技は第2部のユキオンナ戦でようやく決め手になった。
=== 忍術 ===
; ニンジャレッド
:; オン・サル・ニン 火炎つむじ之術{{Refnest|group="出典"|name="red"|{{R|超全集14|gahou166|30大130|20th8}}}}{{efn|資料によっては、名称を'''オン・サル・ニン 火炎旋風之術'''と記述している{{Sfn|赤の伝説|2012|p=81}}。}}
:: 火炎を伴った旋風を発生させて敵を炎の渦に巻き込み焼き尽くす忍法。
:; 忍法ハヤテ斬り{{R|gahou166}}{{efn|資料によっては、'''忍法疾風斬り'''と表記している{{R|30大130}}。}}
:: 高速移動で敵に切りかかる。
:; {{読み仮名|分身之術|わけみのじゅつ}}{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集14|オーレ超全集|gahou166|30大130|20th8}}}}
:: 最大8人にまで自分の幻を作って{{Sfn|赤の伝説|2012|p=81}}分身できる術。敵の攻撃から回避する際にも用いられる。
:; {{読み仮名|影身之術|かげみのじゅつ}}{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集14|20th8}}{{Sfn|赤の伝説|2012|p=81}}}}{{efn|資料によっては、名称を{{読み仮名|'''化身之術'''|ばけみのじゅつ}}と記述している{{R|30大130}}。}}
:: 虫、妖怪、小型戦闘機、大型トラックなどに化ける。変身前でも使える。消火器に化けて炎を消す忍法消火器{{Refnest|group="出典"|name="red2"|{{R|超全集14|gahou166|30大130}}}}(息で火を消すため、負担がかかる)という応用技もあり、劇場版で使用。
:; 忍法代わり身之術{{R|超全集14|30大130}}
:: 敵の攻撃をかわしながら、人形を身代わりにして敵を惑わせる{{R|超全集14}}。
:; [[觔斗雲|きんと雲]]{{R|group="出典"|red}}
:: 忍法で雲を練成し、その雲に乗って空を飛ぶ{{R|超全集14}}。
:; 忍法空蝉之術{{R|group="出典"|red2}}
:: 声だけで敵を惑わせる{{R|超全集14}}。四方八方から声を反響させるため、自分の居場所を悟られないようにする。
:; カクレマル忍び返し{{R|gahou166}}
:: カクレマルによる技。敵の攻撃をカクレマルによって弾き返す。
:; 体内発電
:: 体内で電気を発生させ、鼻孔にコンセントを差し込んで電気を起こす。
:; 猿飛家秘伝・縄抜け之術{{R|group="出典"|red2}}
:: 関節を外して、縛られた縄を解く忍術{{R|超全集14}}。
:; 忍法スケスケ望遠鏡{{R|group="出典"|red2}}
:: サスケの忍具。厚い壁も見通すことができる望遠鏡{{R|超全集14}}。体をも透視することが出来るため、第7話では鶴姫を透視しようとした{{Sfn|赤の伝説|2012|p=81}}。
:
; ニンジャホワイト
:; オン・ツル・ニン {{読み仮名|白鶴の舞|はくつるのまい}}{{R|超全集16|30大130}}{{efn|資料によっては、名称を'''白鶴之舞'''と表記している{{R|gahou166|20th10}}。}}
:: 空中を自由に飛び回りながら敵を攻撃する{{R|超全集16}}。
:; 隠流忍法花吹雪{{Refnest|group="出典"|name="white"|{{R|超全集16|gahou166|30大130|20th10}}}}{{efn|資料によっては、'''花ふぶき'''と表記している{{Sfn|完全超百科|2006|p=58}}。}}
:: 無数の花びらをまき散らす{{R|超全集16}}。花びらに触れると爆発する。
:; {{読み仮名|折鶴之舞|おりづるのまい}}{{R|group="出典"|white}}
:: 7つの白い折り鶴を操って爆発攻撃をする。
:: 『超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー』では、無数の折り鶴からビームを放つ技として描写された{{R|オーレ超全集}}。
:: 2011年放送の『[[海賊戦隊ゴーカイジャー]]』でもニンジャホワイトに豪快チェンジしたゴーカイピンクが使用したが、鶴姫の技とは異なり、無数の折り鶴を飛ばして攻撃するというものになっている(46話のみ、折り鶴の色がカラフルになっている)。
:; {{読み仮名|折り鶴変化|おりづるへんげ}}{{Refnest|group="出典"|name="white2"|{{R|超全集16|gahou166|30大130}}}}
:: 自分自身が巨大な折り鶴に変身して飛行する。そのまま敵に突進したり、花びら状に変形して敵を攻撃することもある。
:; 折鶴忍法飛行凧{{R|group="出典"|white2}}
:: 巨大な凧で空に舞い上がり、空中から忍び寄る鶴姫の忍法。ガキツキに体内に侵入されて巨大化したセイカイに使用、巨大コショウをばら撒いてくしゃみでガキツキを追い出そうとしたが失敗。
:; 忍法巨大ローストチキン{{R|group="出典"|white2}}
:: 食べ物を巨大化させる忍法{{R|超全集16}}。巨大セイカイを巨大な鎖で拘束してから使用、ガキツキをおびき出そうとするも、セイカイが鎖をちぎってチキンを食べてしまって失敗。
:; 忍法鶴姫バーガー{{R|group="出典"|white}}
:: 化け身之術の一種{{R|20th10}}。大きな[[ハンバーガー]]に変身する{{R|超全集16|20th10}}。巨大セイカイの体内からガキツキをおびき出すのに成功。
:; 忍法おあずけ{{R|group="出典"|white2}}
:: 目の前の食べ物を消してしまう忍法{{R|超全集16}}。修行をサボっているセイカイに使用。
:; 忍法紙鉄砲{{R|group="出典"|white}}
:: 折り紙を使った忍法で、大きな紙鉄砲を作り、大きな音を出して相手を驚かせる{{R|超全集16}}。こちらも修行をサボっているセイカイに使用。
:
; ニンジャイエロー
:; オン・クマ・ニン 木の葉隠れ之術
:: 木の葉を自由自在に操って、身を隠したり、敵を吹き飛ばしたりする。突進してくる妖怪の勢いを止めることも可能。
:; 隠流巨大あやかし之術{{Refnest|group="出典"|name="yellow"|{{R|超全集18|gahou166|30大130|20th12}}}}
:: 巨大な自分の幻を作り出して敵を攻撃する{{R|超全集18}}。劇場版では「あやかしの術」{{R|gahou166}}と呼称し、巨大な幻で敵を惑わせてから、敵の後ろから本物が現れて敵を攻撃した。
:; セイカイパワー
:: 妖怪に飛びかかられても、持ち前の怪力で軽々と振り回す。
:; 隠流ホームラン{{R|20th12}}
:: 忍法でバットを出し、妖怪が化けたボールを遠くへ飛ばす。
:; 木霊之術{{R|20th12}}
:: 自分の声を森の木に反射させ、超音波を作り出して敵を苦しめる。
:; ターザン走法
:: ロープやジャンプで、道の無い場所も突き進む。
:; 忍法ボロ破り{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集18|gahou166|30大130}}}}
:: シロウネリのボロ布に巻きつかれた時に使用した忍法。指で印を結び、その後ただ怪力で破るだけ。
:; 忍法ノコギリ{{R|group="出典"|yellow}}
:: 化け身之術の一種{{R|20th12}}。[[ノコギリ]]に化ける{{R|超全集18}}。
:; 隠流つむじ風{{R|オーレ超全集}}
:: カクレマルで強力な突風を起こす{{R|オーレ超全集}}。『超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー』で使用。
:
; ニンジャブルー
:; オン・オオカミ・ニン 水竜巻の術{{R|超全集20|30大130}}{{efn|資料によっては、名称を'''水竜巻之術'''と表記している{{R|gahou166|20th14}}。}}
:: 水竜巻を呼び起こして敵を攻撃する。
:; 忍法水走り{{Refnest|group="出典"|name="blue"|{{R|超全集20|gahou166|30大130|20th14}}}}
:: 水の上を走り抜ける{{R|超全集20}}。別名「水渡りの術{{R|超全集20}}(水渡り之術{{R|20th14}})」。
::* 撮影は池の中に沈めた道板の上を走って表現しているが、冬の時期であったため撮影前には氷が張っており、さらにマスクの覗き穴の位置の都合により足元しか見えず、スーツアクターの宮崎剛は恐る恐る走ることしかできず、バンクで繰り返し使用されるのが嫌であったと述べている{{R|仮面俳優199}}。
:; 水柱之術
:: 凄まじい勢いで地面から水を噴き上げさせ、水の壁を作る。敵の攻撃を防ぐ。
:; 水落し之術
:: 追ってきた敵を水の上に走らせ、一番深いところで落とす。
:; 水鉄砲
:: 指先から水を噴き出し、相手を驚かせる。
:; 狼突進
:: 狼のように突進し、壁もぶち破る。
:; 乱れ蹴り{{R|group="出典"|blue}}
:: 一度のジャンプで、素早く何人もの敵を蹴り倒す{{R|超全集20}}。
:; 隠流顔写し之術{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集20|gahou166|30大130}}}}
:: 他人に化ける{{R|超全集20}}。
:; 影身之術{{R|超全集20|20th14}}
:: 大型トラックなどに変化する{{R|超全集20}}。
:: 忍法電気ドリル{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集20|30大130|20th14}}}}
:: [[ドリル (工具)|電気ドリル]]に化ける{{R|超全集20}}。
:; 隠流ビッグウェイブ{{R|オーレ超全集}}
:: 巨大な津波を発生させて敵を攻撃する{{R|オーレ超全集}}。『超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー』で使用。
:
; ニンジャブラック
:; オン・ガマ・ニン 岩地獄の術{{R|超全集22|30大130}}{{efn|資料によっては、名称を'''岩地獄之術'''と表記している{{R|gahou166|20th16}}。}}
:: 精神を統一し、巨大な岩を次々と敵めがけて飛ばす{{R|20th16}}。
:; 大地隠れ之術{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集22|gahou166|30大130}}}}
:: 地中を掘り進み、敵の隙を突いて足元から飛び出す忍法{{R|超全集22}}。
:; 大地捕え之術
:: 敵の足元の土を固め、動きを封じる。
:; スリーキック{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集22|gahou166|30大130|20th16}}}}
:: 3回連続して決めるキック技{{R|超全集22}}。1度目で1回、2度目で2回、3度目で3回、キックを打ち込む。ガリ、花のくノ一組のラン、上海のスパイ(ムジナのマンガの中の刺客の一人)との戦いで使用。
:; ガマジャンプ{{R|20th16}}
:: 敵を引き寄せて集まったところで一気にジャンプし、数体のドロドロを吹き飛ばすジャンプ攻撃{{R|20th16}}。
:; 隠流シュート
:: ボールに化けた妖怪を捕まえ、バットを構えるイエローに投げる。
:; 忍法ロッククラッシャー{{Refnest|group="出典"|{{R|gahou166|30大130|20th16}}}}{{efn|書籍『忍者戦隊カクレンジャー超全集』では、名称を'''忍法ブラッククラッシャー'''と記述している{{R|超全集22}}。}}
:: 化け身之術の一種。削岩機に変化する。劇場版で使用。
:; 枯葉小判之術{{R|gahou166}}
:: 枯葉を小判に変化させてばら撒く。お金が好きなビンボーガミは偽小判に目が眩んで、力をなくした。
:; 隠流雷光落とし{{R|オーレ超全集}}
:: カクレマルからの落雷で攻撃する{{R|オーレ超全集}}。『超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー』で使用。
=== 合体技・必殺技 ===
; カクレタワー{{Refnest|group="出典"|name="kakure2"|{{R|超全集27|gahou164|30大130|20th6}}}}
: 5人がやぐらを組み、ここから次々に敵に個人技を決める{{R|超全集27}}。
; カクレシャワー{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集27|gahou164|30大130}}}}
: クモの糸を投げつけて敵を捕らえ、スパークさせる。
; 忍法乱れ飛び{{R|group="出典"|kakure2}}{{efn|資料によっては、名称を'''カクレタワー乱れとび'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=59}}。}}
: 5人で次々に敵の上を飛び越えながら攻撃する{{R|超全集27}}。
; 忍法檻抜{{R|gahou164}}{{efn|資料によっては、名称を'''忍法檻抜け之術'''と記述している{{R|超全集27|30大130}}。}}
: 檻から脱出する。
; 遠心力脱出{{R|超全集27|30大130}}
: 檻の中の鶴姫と子供たちを助けるために使用した技。4人で檻の周りを高速疾走し、檻を持ち上げた。
; カクレンジャーボール{{R|group="出典"|kakure}}
: 第10話から登場。ラグビーボール型爆弾。「カクレンジャーボール! レディ、ゴー!!」の合図で散開。パスしながらパワーを溜めていき、それに伴いボールの色も各人毎に変化。最後に「カクレシュート!」の発声とともに敵に向かってキックする。基本的にはニンジャホワイトから始まり、締めはニンジャレッドが担当する。変身前でも使用可能で、その状態でも灯篭を粉砕する威力がある。ニンジャマンを加えて6人で行うこともあった。
: 初使用である第10話では、止め役のニンジャレッドが「キックオフ」の掛け声の後に、カクレシュートを行った。
=== メカニック ===
; ネコマル{{R|超全集38b|20th19}}{{efn|資料によっては、名称を'''猫丸'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=60}}。}}
: カクレンジャーの移動基地に相当する猫型のキッチンカー{{R|学研の図鑑104}}。ネコ族の妖怪の一種である{{Sfn|完全超百科|2006|p=60}}妖怪自動車なので自己意思を持ち、猫の鳴き声を上げ、排気ガスは出さない{{R|20th19}}。前面の口で噛みついたり{{R|超全集38b|20th19}}、飛行能力やテレポート能力、透明化能力や自走能力も持つ。リモコン操作により、クレープ店舗としての開閉や、車体上部から大砲を出す{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集38b|20th19|学研の図鑑104}}}}。普段はクレープ屋として機能している{{R|material14}}。ナンバーは「品川56・ご・56-56」。
:* ベース車両は、[[ダイムラー・クライスラー]]のケータリングバス{{R|material25}}。撮影に使用されたものは、日本では台数が少なかったため、北海道のゴルフ場の休憩場においてあったものをスタッフが探し、購入したものにデコレーションを施している{{R|material25}}。
:* テレビ朝日プロデューサーの[[梶淳]]によれば、物語を『西遊記』のような構造とするため基地を廃し、その代わりとして導入されたものである{{R|20th96}}。
:* 当初、玩具化する予定はなかったが、好評を受けて商品化された{{R|material25}}。
; シャーク号{{R|超全集26|gahou169}}{{efn|資料によっては、名称を'''シャークマシン'''と記述している{{R|material14}}。}}
: 各バイクにはサメの意匠がカウルに出ており、いずれも鶴姫が忍法で出している{{Sfn|完全超百科|2006|p=60}}{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=39}}。
:; シャークブリッダー
:: レッド専用のバイク。最高速度は時速320キロメートル{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集26|gahou169|20th19}}{{Sfn|30大戦隊超全集|2007|p=130|loc=「カクレンジャーのマシン」}}}}。3台共通して走行中に車体を透明化させることが可能。分厚い壁とコンクリートで出来た城壁も体当たりでぶち抜く{{R|超全集26}}。[[ホオジロザメ]]がモチーフ。
:; シャークスライダー
:: ブルーとホワイト専用の重攻撃型サイドカー。運転は主にブルーが行う{{R|20th19}}。最高速度は時速280キロメートル{{Refnest|group="出典"|name="shark"|{{R|超全集26|gahou169|20th19}}}}。サイドカー部に装備された2門のキャノン砲で敵を蹴散らす{{R|超全集26|20th19}}。モチーフは[[シュモクザメ]]。
:; シャークランチャー
:: イエローとブラック専用のサイドカー。運転は主にイエローが行う{{R|20th19}}。最高速度は時速300キロメートル{{R|group="出典"|shark}}。フロント部分のノコギリ型の角と、2門の速射破壊銃が武器{{R|超全集26|20th19}}。カウルデザインのモチーフは[[ノコギリザメ]]。
:; シャークドライバー
:: シャークランチャーとシャークスライダーを合体させ、それをカタパルトにしてシャークブリッダーをマッハ2の速度で射出する必殺技{{R|超全集26|20th19}}。テレビ本編での使用は第6・7・39話のみで決め手になったのは第6話でのヌリカベの一度だけだった{{efn|第7話でのガキツキ戦では放つ前に撤退される。第39話でのノッペラボウ戦では再生されてしまう。劇場版ではヒトツメコゾウ・兄を倒した。}}。
::* バンダイ担当者の野中剛は、レッドのマシンに玩具人気が集中することへの対策として合体機能を取り入れたといい、必殺バズーカの新機軸も兼ねたものであった{{R|20th34b}}。
=== 獣将 ===
第2・3話から登場。巻物と'''隠流巨大獣将之術'''{{Refnest|group="出典"|name="jusho"|{{R|超全集30|gahou169|30大134a|20th22a}}}}{{efn|資料によっては、名称を'''カクレ流巨大獣将之術'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=60}}。}}で召喚される5体の獣人型巨大守護神であると同時に無敵将軍が昇華した分身体{{R|学研の図鑑104}}。胸にはカクレンジャー個人のマークが施されている。巨大獣将之術は獣将ファイターと合身した状態での使用も可能。
カクレンジャーが操縦する際には、胸のマークを通じて、カクレンジャーが一体化することでコントロールする{{R|学研の図鑑104}}。コクピットは存在しない。
必殺技は、五獣将がやぐらを組んで竜巻を発生させて回転体当たりする'''忍法真空ハリケーン'''{{R|group="出典"|jusho}}。印を結んで精神を集中してエネルギーをスパークさせて爆発を起こす'''隠流奥義ビッグバン'''{{R|group="出典"|jusho}}。
レッドサルダー以外は第3話から登場。第2部ではレッドサルダー以外は登場しなかった。
* 造形物はミニチュアではなくスーツで表現された{{R|20th34}}。各獣将のデザインは、玩具でも身長が揃ったものになることが意識された{{R|20th34}}{{efn|バンダイの[[野中剛]]はロボットアニメ『[[宇宙大帝ゴッドシグマ]]』や『[[六神合体ゴッドマーズ]]』を参考にしたと述べている{{R|20th34}}。}}。
* 獣将ファイターと10体並ぶシーンではセットでは無理ということから、ロケで撮影されている{{R|THM64148}}。
; レッドサルダー
: ニンジャレッドが合身する猿型の顔を持つ獣将{{R|超全集30}}。身軽な動きで敵と戦う{{R|超全集30|20th22a}}。
: 武器は大型手裏剣'''サルダースライサー'''{{R|group="出典"|jusho}}。地面を転がして投げる攻撃でカッパとロクロクビの本体である頭部を倒したこともある。
: 無敵将軍の胴体を構成。玩具では胴体内に無敵将軍の兜を格納{{R|20th35}}。
; ホワイトカーク
: ニンジャホワイトが合身する鶴型の顔を持つ獣将{{R|超全集30}}。連続攻撃が得意{{R|超全集30|20th22a}}。
: 武器は二又のクナイを持った'''カークビーク'''{{R|group="出典"|jusho}}。
: 無敵将軍の左腕を構成。
; イエロークマード
: ニンジャイエローが合身する熊型の顔を持つ獣将{{R|超全集30}}。怪力を活かしたパワー戦が得意{{R|超全集30|20th22a}}。
: 武器は鎖付きの鉤爪'''クマードクロー'''{{R|group="出典"|jusho}}。火の輪を放つ'''隠流忍法火炎輪'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集30|gahou169|20th22a}}}}という技も使える。
: 無敵将軍の右脚を構成。
; ブルーロウガン
: ニンジャブルーが合身する狼型の顔を持つ獣将{{R|超全集30}}。素早い動きで敵を攻める{{R|超全集30|20th22a}}。
: 武器はビル群を貫通するほどの水を槍先から放射する水流槍'''ロウガンシャフト'''{{R|group="出典"|jusho}}。
: 無敵将軍の右腕を構成。
; ブラックガンマー
: ニンジャブラックが合身するガマ型の顔を持つ獣将{{R|超全集30}}。ジャンプ攻撃を得意とする{{R|超全集30|20th22a}}。
: 武器は鋼鉄の壁を射抜く巨大な弓矢'''ガンマーボゥ'''{{R|group="出典"|jusho}}。砂嵐を起こす'''隠流忍法砂嵐'''{{R|超全集30|gahou169}}という技も使える。
: 無敵将軍の左脚を構成。
=== 獣将ファイター ===
第12話から登場。変身用メダルを'''隠流獣将ファイター之術'''{{R|超全集32|20th22b}}{{efn|資料によっては、名称を'''カクレ流獣将ファイター之術'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=60}}。}}で変化させた五獣将の分身体{{R|学研の図鑑104}}。獣将よりも身軽なスタイルをしており、機動性や敏捷性に優れているが{{R|TH4551}}、防御力では劣る{{R|超全集32}}。獣将同様にカクレンジャーと融合することでパワーアップする。獣将と獣将ファイターを同時に操ることも可能で、初登場時は総勢10体で巨大戦を行った。劇中では武器は持たないが、玩具では各獣将用の武器のほかに共通武器としてカクレマルが付属されている{{R|TH4551}}。
必殺技は、2体の獣将ファイターの肩の上に立った1体が別の2体が組んだ腕を踏み台にして、ジャンプし、炎で身を包み火の玉のような姿になって敵を貫く'''ファイタークラッシュ'''{{Refnest|group="出典"|name="fighter"|{{R|超全集32|gahou169|30大134b|20th22b}}}}。巨大カクレンジャーボールを使用した'''スーパーカクレシュート'''{{R|超全集32|gahou169|30大134a|20th22b}}。
第2部ではバトルサルダー以外は登場していない。
* 玩具ではカクレンジャーの人形を背面にアタッチメントで乗せることが可能{{R|TH4551}}。
; バトルサルダー
: ニンジャレッドの獣将ファイター{{R|超全集32}}。身軽で素早く、奇襲戦法を得意とする{{R|超全集32|20th22b}}。
: 得意技は指先で敵の頭を引っかく'''サルダークロー'''{{R|group="出典"|fighter}}。
; バトルカーク
: ニンジャホワイトの獣将ファイター{{R|超全集32}}。光となっての高速飛行が可能{{R|超全集32|20th22b}}。空中殺法を得意とする{{R|超全集32|20th22b}}。
: 得意技はクロスチョップの'''カークカット'''{{R|group="出典"|fighter}}。
; バトルクマード
: ニンジャイエローの獣将ファイター{{R|超全集32}}。力に優れ、プロレス技を用いる{{R|超全集32|20th22b}}。
: 得意技は空中から頭突きを決める'''クマードヘッド'''{{R|group="出典"|fighter}}。
; バトルロウガン
: ニンジャブルーの獣将ファイター{{R|超全集32}}。東京 - 大阪間を約3分で走る{{R|超全集32|20th22b}}。キック技を得意とする{{R|超全集32}}。
: 得意技は急降下蹴りの'''ロウガンキッカー'''{{R|group="出典"|fighter}}。
; バトルガンマー
: ニンジャブラックの獣将ファイター{{R|超全集32}}。脚のバネで跳躍し、280メートルのジャンプ力を誇る{{R|超全集32|20th22b}}。
: 得意技は空中回転しながら連続して体当たりを決める'''ガンマースリーアタック'''{{R|group="出典"|fighter}}。
=== 超忍獣 ===
忍之巻と'''隠流超忍獣之術'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集34|gahou169|20th23a}}}}{{efn|資料によっては、名称を'''カクレ流超忍獣之術'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=60}}。}}によって召喚される忍法を極めた者のみ操ることが可能{{R|material14}}な5体の獣型の守護神で、隠大将軍の分身体{{R|学研の図鑑104}}。人語をしゃべることも可能。
獣将や獣将ファイター同様にカクレンジャーが操縦するが、融合ではなく、コクピットで操縦され、コクピットには6本の水晶型コントローラーが配置されている。
; ゴッドサルダー
: 第25話から登場。ニンジャレッドが操る[[サル|猿]]型の超忍獣{{R|超全集34}}。素早い動作と強靱な筋力を持つ{{R|超全集34|20th23a}}。
: 武器は背中に装備している二本の剣'''サルダーダブルソード'''{{Refnest|group="出典"|name="chonin"|{{R|超全集34|gahou169|30大134c|20th23a}}}}。必殺技は空中から2連続斬りを決める'''ゴッドサルダー二刀斬り'''{{R|group="出典"|chonin}}。
: 第39話では、レッドサルダーとバトルサルダーを分身・召喚する'''サルダー分身之術'''{{R|gahou169}}{{Sfn|赤の伝説|2012|p=81}}を使用。バトルサルダーのサルダークロー→レッドサルダーの投げ技→ゴッドサルダーのゴッドサルダー二刀斬りの連続攻撃を行った。
: 隠大将軍の右腕を構成。
:* 当初はフォルムは本物の猿に近い生物的なものだったが、全体のバランスからロボットのようなデザインに変更された{{R|material25}}。
; ゴッドカーク
: 第26話から登場。ニンジャホワイトが操る[[鶴]]型の超忍獣{{R|超全集34}}。超忍獣の中では唯一飛行能力を持つ。
: 武器は目から放つ'''フライングビーム'''{{R|group="出典"|chonin}}。
: 隠大将軍の頭部・顔を構成。
; ゴッドクマード
: 第27話から登場。ニンジャイエローが操る[[クマ|熊]]型の超忍獣{{R|超全集34}}。豪快なパワーと持久力が特徴{{R|超全集34|20th23a}}。
: 武器・技は両目から連続発射する破壊ビーム{{R|超全集34|30大134c}}。前足を大地に叩きつけて、地割れ攻撃を行う{{R|超全集34|20th23a}}。
: 隠大将軍の胴体を構成。玩具では、隠大将軍の右手用拳と左手用手刀を収納でき、右手用拳は腹部に装着し、左手用手刀は尻尾とする。
; ゴッドロウガン
: 第27話から登場。ニンジャブルーが操る[[オオカミ|狼]]型の超忍獣{{R|超全集34}}。超スピードで大地を駆ける俊足の持ち主{{R|超全集34|20th23a}}。
: 武器・技は両目から連続発射する破壊ビーム{{R|超全集34|30大134c}}。体を回転させながら、カッターのような尻尾で敵を切る'''ロウガンアタック'''{{Refnest|group="出典"|name="chonin2"|{{R|超全集34|30大134c|20th23a}}}}。
: 隠大将軍の左腕を構成。
; ゴッドガンマー
: 第29話から登場。ニンジャブラックが操るガマガエル型の超忍獣{{R|超全集34}}。長大な後ろ足により強靱なジャンプ力を誇る。
: 武器・技は、口から放つ火炎放射の'''ガンマーファイヤー'''{{R|group="出典"|chonin}}。頭上に乗っているニンジャブラックの印結びを合図に、舌をスローブとし、口から出した無数の小型ゴッドガンマーをスローブから地面に下ろしていき、小型ゴッドガンマーが相手に密着しながら電撃を放つ'''ガンマーダイナマイト'''{{R|group="出典"|chonin2}}。
: 隠大将軍の下半身を構成。
:* 特撮監督の[[佛田洋]]は、ゴッドガンマーを最大の見せ場にしようと考えていたが、思うようには行かなかったと述懐している{{R|20th99}}。
=== 三神将 ===
無敵将軍、ツバサマル、隠大将軍からなる(心・技・体)を司る忍者の神{{Sfn|完全超百科|2006|p=61}}。2千年前に妖怪と戦った三賢人{{Sfn|完全超百科|2006|p=61}}{{Sfn|赤の伝説|2012|p=81}}の魂から昇華した存在で{{R|TH4551}}、隠流忍術極意・心技体をそれぞれ司る。妖怪に勝利し、地底界に妖怪大魔王を追放した後は地上を去っていた{{R|学研の図鑑125}}。
物語後半の司令官のポジションであり、ニンジャマンの師匠。機械ではない意志を持った存在となっている。また愛、勇気、希望の化身ともなっており{{R|学研の図鑑104}}、怒りや悲しみ、絶望の象徴となっている妖怪大魔王とは正反対。
風雲幻城内の三神将像から発した「心技体」の文字から具現化して出現する場合もある。
; {{読み仮名|無敵将軍|むてきしょうぐん}}
: 五獣将が'''忍者合体'''した巨大神将。隠流忍術極意・心技体の'''体'''を司る力の神将{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集37|学研の図鑑104}}{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=39}}}}。
: 獣将が走行しながら、レッドサルダー、ホワイトカークとブルーロウガン、イエロークマードとブラックガンマーの順で無敵将軍の各部に変形して組み上がり、最後に兜を装着。合体完了後、カクレンジャーが「無敵将軍、参上!」と発声。デザインには「忍者」というテーマに合わせて、日本の城郭の要素が取り入れられており{{R|material25}}、兜は鶴を模しており、胸の'''忍'''の文字がシンボルマークとして描かれている。亜空間に存在する要塞城郭{{読み仮名|'''風雲幻城'''|ふううんまぼろしじょう}}から変形することもある。初登場時は自らの意志で動き、第4話で初合体を行ってからは、カクレンジャーによる操縦をメインとする。また、尺の都合上バンクシーンのほとんどが省略版(五獣将が融合するような形で合体する)になっている。
: 武器は肩の鯱が柄の状態で実体化し、そこから放出した炎で形成される刃を持つ'''火炎将軍剣'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集37|gahou169|30大132|20th23b|学研の図鑑104}}}}で、決め技として用いる際は円を描いてから放ち、手応えを感じた直後、「南無三」の掛け声と共に左手で拝む。火炎将軍剣は等身大サイズに変化させることも可能で、第20話で危機に陥ったニンジャレッドに貸し与えている。ニンジャレッドはこの剣で火炎将軍破を用い、危機を脱した。
: 通常技は、胸の忍文字から大量の花びらを一斉に噴出する'''将軍花吹雪'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集37|gahou169|20th23b|学研の図鑑104}}}}、火炎将軍剣から炎の波動を放つ'''火炎将軍波'''{{R|超全集37|gahou169}}、目から放つ光線、妖術反射能力を使用。
: ツバサマル参戦後は、無敵将軍自身の意志で動くようになる。第27話でのヌエ戦で敗れて一時消滅するが、第37話のカラカサ戦で再登場する。以降は言葉も発するようにもなり、自ら名乗りを上げながら現れ、カクレンジャーの危機に助太刀するようになった。
:* テーマが忍者のため、デザイン要素に城が取り入れられた{{R|material25}}。ディテールは[[大坂城]]のプラモデルを参考に描いている{{R|TH45191}}。
:* スーパー戦隊シリーズとしては初めて5体の人型ロボが合体するという試みが取り入れられた巨大ロボ{{Refnest|group="出典"|<ref name="gangu">{{Cite journal|和書|date = 2000-08-04|journal = 玩具人生|issue = 1|page = 53|publisher = [[音楽専科社]]}}</ref>{{R|material25|20th34|TH4551}}}}。「DX超合金ゴッドマーズ」が背中に余った小型ロボの腕が出ていたり、手足となる小型ロボの身長差、合体時の拳を取り外さないなどの不満をクリアするという裏テーマが込められている{{R|TH45191}}。玩具では獣将の身長は一律となっているほか、獣将の武器を合体させることも可能{{R|TH4551}}。
:* 火炎将軍剣のシーンは、本物の火を用いて一発撮りで描写された{{R|20th99|THM64148}}。
:
; {{読み仮名|聖忍獣ツバサマル|せいにんじゅうツバサマル}}{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集36}}{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=60}}{{Sfn|赤の伝説|2012|p=81}}}}
: ハヤブサに似た白い巨鳥の巨大神将。隠流忍術極意・心技体の'''心'''を司る{{R|学研の図鑑104}}{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=39}}。第23話から登場。普段は天界で眠り、カクレンジャーの危機を察知すると飛来する。他の2体と違い、カクレンジャーは内部に乗り込まないが、第45話でカクレンジャーを背に載せたことはある。
: 武器は両翼の先に備わった8連装のキャノン砲{{Refnest|group="出典"|name="tsubasa"|{{R|超全集36|gahou169|30大132|20th23b}}}}でエネルギー弾を発射。
:* 事実上2号ロボではあるが、人型には変形せず、鳥のままの姿となっている{{R|TH4551}}。
:
; {{読み仮名|隠大将軍|かくれだいしょうぐん}}
: 超忍獣が{{読み仮名|'''五神合体'''|ごしんがったい}}した巨大神将。隠流忍術極意・心技体の'''技'''を司る{{R|学研の図鑑104}}{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=39}}。
: 先に上半身だけ合体した後、下半身と合体を行う。合体完了後、カクレンジャーが「隠大将軍、推参!」と発声。劇中でホワイトがリーダーであるヒエラルキーが反映され、頭部がホワイトのメカで構成された初の合体ロボ{{R|material25}}で、レッドのメカは右腕を構成している{{R|TH4551}}。ゴッドサルダーがいないまま、右腕無しで登場したこともある{{R|group="ep"|33話}}。第31話から登場。普段は天界で眠っている。
: 武器は持たず、徒手空拳による肉弾戦を展開{{R|超全集38a|学研の図鑑104}}。右腕は握り拳、左腕は手刀状となっている。右手から猿の顔を浮かび上がらせながら放つ'''ゴッドハンマーパンチ'''、左手から狼の顔を浮かび上がらせながら放つ'''ゴッドバーストチョップ'''、ゴッドロウガンを分離させて敵にぶつける'''ロウガンアタック'''{{R|gahou169}}を使用。
: 必殺技はゴッドハンマーパンチとゴッドバーストチョップを同時に放つ'''鉄拳ゴッドフィニッシュ'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集38a|gahou169|30大132|20th23b|学研の図鑑104}}}}。
:* シリーズ初の2台目の5体合体ロボットである{{R|20th34}}{{efn|野中はこれを「5体合体ロボ二毛作」と評している{{R|20th34}}。}}。
:
; スーパー無敵将軍
: 第23話から登場した、無敵将軍とツバサマルが'''超忍者合体'''した巨大神将で、無敵将軍のエネルギーが、ツバサマルのキャノン砲に加わったことで1.5倍出力がアップした{{Sfn|完全超百科|2006|p=61}}{{R|TH4551}}。無敵将軍は両腕を一度分離させ、キャノン砲を前面に展開したツバサマルを腋に挟み込む形で合体し、キャノンの外側に両腕を再合体させることで完成。
: 必殺技はキャノン砲を連続発射する'''無敵キャノン一斉射撃'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集37|gahou169|30大132|20th23b|学研の図鑑104}}}}。初陣では、火炎将軍剣が通用しないウミボウズを一撃で葬った。
: 劇中でカクレンジャーが乗り込んだことは一度もなく、専ら無敵将軍の意思で合体している。
:
; スーパー隠大将軍
: 隠大将軍とツバサマルが'''翼合体'''した巨大神将。隠大将軍のままでも飛行は可能だが、ツバサマルを背面に装備したことで、高速飛行能力が備わり{{R|超全集38a|TH4551}}、{{疑問点範囲|2倍の速さになり{{Sfn|完全超百科|2006|p=61}}|title=何が|date=2020年4月}}、空中戦も可能になった。自然界のあらゆるエネルギーを翼で吸収し、全放出して敵を攻撃する{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集38a|20th23b|material14|学研の図鑑104}}}}。第31話から登場。
: 基本技は目から放つ破壊光線{{R|超全集38a|30大132}}、空中で繰り出す連続回し蹴りの'''フライングキック'''{{R|超全集38a|gahou169}}。
: 必殺技は、真っ逆さまで急降下しながら鉄拳ゴッドフィニッシュを放つ'''鉄拳フライングフィニッシュ'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集38a|gahou169|30大132|20th23b|学研の図鑑104}}}}。この技には、右拳のゴッドサルダーだけで3回殴る'''鉄拳フライングフィニッシュ・サルダースペシャル'''というバリエーションもある。
:* スーパー戦隊シリーズの戦隊ロボで初めて、翼のシルエットを強調したものとなっている{{R|TH4551}}。
:
; ニンジャマン / サムライマン
: キャラクターの詳細については登場人物の項を参照。先に記したように本作品の追加戦士に相当する存在であり、同時に巨大ロボにも該当する初のキャラクターである。
: 手の平から炎を放射する'''火とんの術'''{{R|超全集28}}{{efn|資料によっては、名称を'''火遁の術'''と記述している{{R|学研の図鑑102}}。}}、冷たくない雪だるまに化ける忍法雪だるま変化、きんと雲{{R|超全集28}}に乗って飛行する術が使える。
: 怒りが爆発することで、顔や手足を変形させ真の姿である'''サムライマン'''に超変化{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=39}}する。その怒りの理由は、ほとんどの場合敵から嫌いな言葉である「青二才」と言われることにより怒りが爆発するのがお約束となっており、その際「'''青二才だとぉ〜!? 怒り爆発!!!'''」{{efn|「青二才だとぉ〜!?」の後は「それを言っちゃ〜おしめぇよ」や、「怒ったぞぉ〜!」など回によって違う。}}とセリフが入るが、「青二才」と言われていないにもかかわらず変身したこともある。また、それ以外では妖怪の策にはめられた際、騙されたことに怒って変身しようとしたが、ニンジャホワイトから「騙されるあなたが悪いの!」と怒られてしまい、不発に終わったことがある{{R|group="ep"|45話}}。
: サムライマン時の武器はニンジャソードの柄に鞘を合体させた[[薙刀]]の'''サムライジャベリン'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集28|gahou168|30大132|20th18|学研の図鑑104}}}}。必殺技はエネルギーを両手の先に集中させ、高熱火球を放つ'''サムライ激怒ボンバー'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集28|gahou168|30大132|20th18|学研の図鑑104}}}}と'''サムライ激怒斬り'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集28|gahou168|30大132|20th18}}}}。どちらも三神将が止めを刺す前の繋ぎ技として使用されたが、ダラダラとの決戦では、サムライ激怒ボンバーが決め手になった。
:* スプリングによるサムライマンへの瞬間変形ギミックは、『[[マイティ・モーフィン・パワーレンジャー]]』の玩具「オートモーフィンフィギュア」を踏襲したものである{{R|20th34|TH4551}}。バンダイの[[野中剛]]は、モーフィングを玩具に活用できないかという発想が原点であり、『パワーレンジャー』人形のシステムを発展する目的があったと述べている{{R|gangu}}。
=== スペック ===
{| class="wikitable sortable" style="font-size:small" border="1"
|-
! 名称 !! colspan=2|全高 !! colspan=2|重量
|-
! 無敵将軍
|colspan=2|58{{nbsp}}[[メートル|m]]{{Refnest|group="出典"|name="SPEC"|{{R|超全集37|gahou169|30大132|20th23b}}}}
|colspan=2|7,300{{nbsp}}[[トン|t]]{{R|group="出典"|SPEC}}
|-
! 隠大将軍
|colspan=2|58.5{{nbsp}}m{{Refnest|group="出典"|name="SPEC2"|{{R|超全集38a|gahou169|30大132|20th23b}}}}
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|-
! レッドサルダー
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! ホワイトカーク
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! イエロークマード
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|-
! ブルーロウガン
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|-
! ブラックガンマー
|colspan=2|32{{nbsp}}m{{R|超全集30|20th22a}}
|colspan=2|1,800{{nbsp}}t{{R|超全集30|20th22a}}
|-
! バトルサルダー
|colspan=2|31{{nbsp}}m{{R|超全集32|20th22b}}
|colspan=2|880{{nbsp}}t{{R|超全集32|20th22b}}
|-
! バトルカーク
|colspan=2|25{{nbsp}}m{{R|超全集32|20th22b}}
|colspan=2|650{{nbsp}}t{{R|超全集32|20th22b}}
|-
! バトルクマード
|colspan=2|28{{nbsp}}m{{R|超全集32|20th22b}}
|colspan=2|1,000{{nbsp}}t{{R|超全集32|20th22b}}
|-
! バトルロウガン
|colspan=2|27{{nbsp}}m{{R|超全集32|20th22b}}
|colspan=2|780{{nbsp}}t{{R|超全集32|20th22b}}
|-
! バトルガンマー
|colspan=2|28{{nbsp}}m{{R|超全集32|20th22b}}
|colspan=2|880{{nbsp}}t{{R|超全集32|20th22b}}
|-
! ゴッドサルダー
|colspan=2|31.5{{nbsp}}m{{R|超全集34|20th23a}}{{efn|ただし、25話では、妖怪を倒しロボがポーズを取る際、全高が20メートル以上離れているスーパー無敵将軍と同スケールで並んでいる。}}
|colspan=2|1300{{nbsp}}t{{R|超全集34|20th23a}}
|-
! ニンジャマン/サムライマン
|colspan=2|57.5{{nbsp}}m(巨大時){{Refnest|group="出典"|{{R|超全集28|gahou168|30大132}}}}
|colspan=2|6,000{{nbsp}}t(巨大時){{Refnest|group="出典"|{{R|超全集28|gahou168|30大132|20th18}}}}
|-
! 名称 !! 全長 !! 全幅 !! 重量 !! スピード
|-
! ツバサマル
|43{{nbsp}}m{{R|group="出典"|tsubasa}}
|全翼長:85.6{{nbsp}}m{{R|group="出典"|tsubasa}}
|
|
|-
! ゴッドカーク
|15.6{{nbsp}}m{{R|超全集34|20th23a}}
|翼長:21{{nbsp}}m{{R|超全集34|20th23a}}
|600{{nbsp}}t{{R|超全集34|20th23a}}
|[[マッハ数|マッハ]]2{{R|group="出典"|chonin}}
|-
! ゴッドクマード
|30{{nbsp}}m{{R|超全集34|20th23a}}
|rowspan=3|
|2,000{{nbsp}}t{{R|超全集34|20th23a}}
|rowspan=3|
|-
! ゴッドロウガン
|39{{nbsp}}m{{R|超全集34|20th23a}}
|1,300{{nbsp}}t{{R|超全集34|20th23a}}
|-
! ゴッドガンマー
|31{{nbsp}}m{{R|超全集34|20th23a}}
|2,000{{nbsp}}t{{R|超全集34|20th23a}}
|}
== 妖怪軍団 ==
人の心に潜む怒りや憎しみのマイナス情念が生み出した存在。恐怖と恐れと共に人の影にいた彼らが人間との戦争を始め、今に至る。
2,000年前の戦いで起きた三賢人と妖怪大魔王の闘争がもっとも知られた太古の戦で、これは三賢人をリーダーとする人間側の勝利に終わり、大魔王と彼に協力した妖怪たちは地底界に追放された。だが他の残存妖怪は滅ぶことなく世界各国で活動を続けており、戦国時代においてもヌラリヒョンを頭領とする妖怪忍者が大魔王復活のため暗躍していたが、先代カクレンジャーがヌラリヒョンを地底界に続く封印の扉に閉じ込めたことで、ヌラリヒョン陣営妖怪のエネルギーは封印された。妖力を失った彼らは人間社会に隠れて長き隠遁生活に追いやられていたが、400年経って前述の理由により力を取り戻し、彼らが現代の戦争における主力となった。
当初は指揮統制は無く欲望の赴くがままに悪行を働いていたが、ある程度の社会体制が築かれており、妖怪銀行や妖怪レストラン、雑誌「週刊妖怪」や妖怪刑務所といったものも存在していた。その後貴公子ジュニアの登場や大魔王の復活を経て彼らの傘下に統合され、徐々に組織だった動きを見せ、人類を滅亡させて地上に妖怪王国の建国を第一の野望とするようになった。貴公子ジュニアは浮上の大地にある{{読み仮名|'''妖怪大宮殿'''|ようかいだいきゅうでん}}{{R|超全集40}}をアジトにしており大魔王も当初はそこに潜んでいたが、44話で大魔王の巨大化の際に屋敷が崩壊したことを機に、大魔王の顔を模して作られた空中要塞・'''ガイコツ城'''{{R|超全集40}}に居を移した{{R|group="ep"|44話}}。
各キャラクターの身長・体重などの設定はない{{R|20th24}}。
; {{Visible anchor|{{読み仮名|妖怪大魔王|ようかいだいまおう}}|妖怪大魔王}}
: 第31話から登場した妖怪軍団の首領。破壊光線を放つ杖が武器。誕生日は10月28日。
: 太郎・次郎を犬に変えたり、分身であるダラダラを生み出すなど強大な特殊能力を持つ他、妖力で身体の大きさを自在に変えることもできる。
: ヤマンバ・ダイダラボッチとは兄弟であるが、冷遇とも言える扱いをとっていた。しかし、これらの態度は妖怪王国樹立のためあえて非情に徹していたらしく、妹のヤマンバが倒された時には激しく動揺していた。また、図々しく恋慕してきて押しの強いアプローチをするスナカケババァにタジタジになったり、跳ね返されたビンボーガミのビームを不運にも食らってボロボロになってしまったりとコミカルな面も描かれている。
: 二度に渡る巨大戦で、スーパー無敵将軍やスーパー隠大将軍の必殺技を受けても、ダメージは負うものの倒れないタフさを誇る。最後の戦いにおいて、その正体と力の源が人間の持つ憎しみの心の化身だったことが明らかにされた。三神将曰く、大魔王以外の妖怪が倒された状態で斬りつけるとマイナスエネルギーが放出され、倒された妖怪たちが復活してしまうため、封印の扉(誰にでもある心の扉)に封印する以外に方法はない。「私を斬れ」とカクレンジャーに挑発をかけたり、分身して惑わすも、最終的には封印の扉に封印された{{R|group="ep"|53話}}。
:* 妖怪としてのモチーフは特に設定されていない{{R|百化337}}。デザインを担当した[[篠原保]]は現代風のぬらりひょんというコンセプトで描いている{{R|百化337}}。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|貴公子ジュニア|きこうしジュニア}}|貴公子ジュニア}} / [[がしゃどくろ|ガシャドクロ]]
: 第14話から第31話まで登場。大魔王の実子であり妖怪世界にその人ありと謳われる人物{{efn|講釈師の所持する妖怪の資料には記載されていなかった。}}。バラバラだった妖怪たちをまとめ上げ、カクレンジャーを抹殺するための強力妖怪を次々と繰り出す。
: 感情の起伏が激しく、オーバーアクションで時々ヘヴィメタル風の奇声を発するが、なぜか女言葉で話す。人間だけでなく同族に対しても冷酷で、カクレンジャーに敗れたものには容赦なく制裁を行う。怒り出すと何をしでかすか分からないと言わしめるほど部下たちからは畏怖されている。
: 普段は人間の姿をしているがこれは仮の姿であり、本来の姿は妖怪のガシャドクロの状態である。人間の姿であっても、第19話ではツチグモが作ろうとした「人間ソーセージ」について「[[カニバリズム|今から食べるのが楽しみだわ]]」と発言するなど、妖怪としての本性を見せる場面がある。
: ピアノやエレキギター、歌が得意。真の姿であるガシャドクロの状態では、ギターから変化した骨形の剣から放つ破壊光線やチェーンソーを使った攻撃、両目からの赤色電撃光線と念力、両手からの破壊光線での攻撃が可能。
: 第18話、第31話ではそれぞれザシキワラシ、三太夫を殺害し、第19話ではサスケとの[[一騎討ち]]でサスケを圧倒し、第24話では大魔王の力を得てカクレンジャーを打ち破るなどかなりの強さを持つ。勘も鋭く、嫉妬心を持っていたとはいえ白面郎を最後まで信用せず「本当は裏切り者だ」と何度も警告していた{{efn|もっとも、大魔王自身も口には出さなかったが白面郎の裏切りを知っていた。}}。
: 本来は父である大魔王の後継者となるはずだったが、功名を焦りすぎる面があり、度重なる失敗や白面郎の登場で立場が危うくなっていく。三太夫を仕留めるも、ニンジャレッドの隠流・雷鳴斬でダメージを受ける。直後に自ら巨大化し、左腕に装備する火炎放射器(クラッシュビーム)で超忍獣と戦うが、隠大将軍の登場で形勢が逆転、最後はスーパー隠大将軍の鉄拳フライングフィニッシュを受けて敗北。薔薇を銜えたドクロ状の黒の[[残留思念]]となりながら消滅するというキザな彼らしい最期を迎えた{{R|group="ep"|31話}}。
:* ガシャドクロのデザインは『[[恐竜戦隊ジュウレンジャー]]』で篠原が描いたドーラモンスターのデザイン案を流用している{{R|百化339}}。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|白面郎|はくめんろう}}|白面郎}}
: 妖怪界の参謀にして大魔王の軍師。先端からビーム鞭を発生させる剣と弓矢が武器。
: 第30話では大魔王の力を得て貴公子ジュニアでさえ歯が立たなかった超忍獣を軽く退け、カクレンジャーを圧倒した他、第36話ではバクキを弓矢で追い詰めるなど実力は相当に高い。
: その正体は死んだと思われていた鶴姫の父親・'''{{読み仮名|義輝|よしてる}}'''であり、10年前に太郎・次郎とともに大魔王の本拠地に乗り込んだ際、犬にされた2人の命を助ける見返りとして妖怪の仲間に加わった。しかしそれは表向きで、裏では大魔王の弱点を探るために暗躍しており、要所要所でカクレンジャーを助けていた。遅くとも第42話の時点では、自分の裏切りが大魔王側に発覚していることを薄々ながら実感していたようで、同時期、太郎・次郎を使ってダラダラの弱点をサスケに伝えた。その後、大魔王によって裏切りを見抜かれていることを明言され{{R|group="ep"|43話}}それと同時に完全にカクレンジャー側に寝返った。しかし、大魔王の妖術によって戦闘用の仮面を装着して石像にされ{{R|group="ep"|44話}}、最終作戦で人間たちや鶴姫を苦しめる道具として利用されてしまう。しかし、命を代償にした太郎と次郎によって元に戻り、鶴姫と再会を果たす{{R|group="ep"|52話}}。大魔王封印後、新たな旅に出たカクレンジャーをブンと共に見送った{{R|group="ep"|53話}}。
:* 鎧のデザインは[[岡本英郎]]が担当し、岡本が過去に手がけたアニメ作品の鎧を実写に落としこむことをコンセプトとしている{{R|百化339}}。
:
; {{Visible anchor|ユガミ博士}}
: 第12話から登場。妖怪界の発明王で、様々な発明品を開発しカクレンジャーに対抗する。
: 当初は妖怪と機械の融合を研究しつつテングにつき従っていたが{{R|group="ep"|12話}}、テングの敗北後は貴公子ジュニアに仕えていた。武器は1度だけバズーカ砲を使ったのみである{{R|group="ep"|13話}}。
: 愛車は[[三菱・パジェロ]](2代目)のロングボディ(5ドア)で、ドロンチェンジャーの通信機能を妨害する装置を普通の自転車に取り付けて走り回るなどの一面も見せている。
: 第31話にて、巨大化したガシャドクロに自身の最高傑作として火炎放射器(クラッシュビーム)を届けるも、戦いの途中で破壊された上にガシャドクロも敗北。直後、スーパー隠大将軍に破壊された封印の扉の瓦礫に押し潰されて死亡した{{R|group="ep"|31話}}。
:
; {{Visible anchor|花のくノ一組}}
: 第15話より登場した[[アヤメ]]・[[サクラ]]・[[スイレン]]・[[ユリ]]・[[ラン科|ラン]]の5人で構成される妖怪の花忍者の集団。隠密行動時は忍装束だが、「バトル変化」の掛け声とともに戦闘スーツを装着する。スパイ活動から戦闘までこなし、忍法花夢幻{{R|超全集42}}や忍法花爆弾{{R|超全集42}}、専用剣や巨大ミサイルを呼び寄せるくノ一ミサイル{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集42|20th24|material14}}}}などの忍術を使う。各人毎に色は異なり、アヤメは青、サクラは桃色、スイレンは緑、ユリは橙色、ランは紫となっている。カクレンジャーの中では、特にサスケと対峙することが多い。普段はプールで戯れている{{R|material14}}。
: その正体はジュニアが飼っていた5匹の猫で、ジュニアの下にいた際は戦闘時以外猫の姿だった。大魔王復活以降は常に人間の姿でいるようになったが、最終決戦において隠大将軍の発した光線を浴びて元の猫に戻され、どこへともなく姿を消した{{R|group="ep"|53話}}。
: 登場当初はアヤメがリーダーであったが、物語後半ではサクラに変わっていた{{R|20th24}}。
: 『[[轟轟戦隊ボウケンジャー]]』の「全戦隊大全集」でも、悪の戦隊として紹介された。
:* 企画段階ではレギュラーの敵組織に替わる敵戦隊として設定されており、デザインや造形も最初期に行われていた{{R|百化339}}。テレビ朝日プロデューサーの[[梶淳]]によれば、当初は三つ巴の争奪戦とすることも検討されていたという{{R|20th96}}。
:* 当初はメンバーの1人が「スミレ」であったが、同年放送の『[[ブルースワット]]』に同名の登場人物がいるため変更された{{R|百化339}}。
:
; [[ぬらりひょん|ヌラリヒョン]]
: 戦国時代に暗躍していた妖怪忍者の総大将{{R|学研の図鑑125}}。大魔王復活を企むが、忍者集団・隠流(先代カクレンジャー)に阻止され、封印の扉の内側に妖怪エネルギーとともに閉じ込められた{{R|学研の図鑑125}}。部下たちは妖力エネルギーのみを封じられて人間並みの身体能力に落とされたのに対し、彼は本人そのものが封印された。
: 後に封印の扉から脱出したらしいが、その後の去就は描かれていない。
:* デザイン段階で回想にしか登場しないという指定であったため、他の妖怪と異なりアメコミ要素は取り入れられていない{{Sfn|百化繚乱 上之巻|2011|p=341}}。
:
; {{Visible anchor|妖怪}}
: その名の通り、[[河童]]・[[ろくろ首]]・[[化け猫]]など日本の伝説に伝わる妖怪たち。妖力のみを封じられ人間の姿で何百年も生き続けていくうちに現代環境に馴染んだせいか、その本来の姿も現代風にアレンジされており、名前もすべてカタカナ表記である。各妖怪の名前のテロップには劇場版のヒトツメコゾウ兄弟を除き、その妖怪の方に向けられた矢印が付けられている。アマノジャクやカシャのように本人そのものが封印された者もいる。ケウケゲンなどのように武器で強化される者や、ウシオニなどのように状況に応じて身体の一部が変化する者もいる。
: ザシキワラシのような善良な妖怪、エンラエンラのような現代に誕生した妖怪、ダイダラボッチ・ヤマンバのように大魔王一族の妖怪も存在する。オープニングの出演者紹介では、人間体での役名で紹介されることも多かった。
: 追い詰められた際には、黒雲から絶望と憎悪{{R|material14}}の妖怪エネルギーを受けることによって巨大化する。巨大化に永続性はなく、ヌリカベやヌエは巨大化を解除している。また、倒されると爆発とともに特徴的な捨てゼリフを残し、妖怪エネルギーが[[種子 (密教)|種字]]の形となって空中に浮かび上がり、大気に還る(爆発だけの場合もある)。厳密に言えば、倒されて爆発しても死ぬわけではなく封印される形に近く、最終回では封印の扉の中で倒された妖怪たちが出してくれと嘆いていた。
:* 本作品の妖怪はアメコミテイストへのアレンジが特徴となっているが、そのコンセプトは監督の小林義明が発した「ブロンクスの妖怪」という言葉から発想を膨らませたものであり{{R|HYAKKA336|20th96}}、またデザインを手掛けた篠原保は作業に当たって『[[セサミストリート]]』に登場するキャラクターたちのイメージがあって描き始めた旨を述懐している{{R|HYAKKA360|20th32}}。デザイナーの1人であるマイケル原腸は、篠原は『[[パワーレンジャー]]』への登場も想定して欧米風の要素を取り入れていたと証言している{{Sfn|百化繚乱 上之巻|2011|p=363|loc=「DESIGNER'S INTERVIEW16 マイケル・原腸」}}。
:
; {{Visible anchor|ヌエ}}
: ジュニアを見かねた大魔王が派遣した使者。第27話から第29話まで登場。原典とは異なり[[鷲]]・[[ヘビ|蛇]]・[[ライオン]]・[[トラ|虎]]をモチーフとしており、[[鵺|古いモチーフ]]([[ニホンザル|サル]]、[[タヌキ]]、虎、蛇)を「名誉に関わる」と嫌悪している。
: 妖怪の中の妖怪と称される妖怪戦士で、[[ロサンゼルス]]で暗殺組織を率いている。念力、電磁縄、金縛り、刀を使った攻撃、両目から放つ破壊光線、頭部からの羽手裏剣、巨大な蛇状の触手を使った攻撃を行う。戦闘能力もさることながら心の隙間をつくのが非常にうまく、揺さぶりや罠で精神的にダメージを与えることで無上の喜びを感じる狡猾かつ卑劣な性格。
: 第27話ではサイゾウとセイカイに「妖怪の刑」を執行して、へのカッパに変えてしまい、カクレンジャーへの変身も封じてしまう。「どちらかを殺せば、元に戻れる」と告げて同士討ちさせようとするが、結束を取り戻した2人の反撃に遭い、同時のキックを受けたことで一時的に力が弱まったために2人は元に戻ってしまう。巨大化後の無敵将軍との戦いでは互角の戦いの末、不意打ちとはいえ無敵将軍にダメージを与えて消滅させることに成功。直後のゴッドロウガンとゴッドクマードとの戦闘で地割れに落とされて姿を消した。しかししぶとく生きており、今度は標的をジライヤへと変更する。
: 数年前([[1986年]])にジライヤの師匠であったガリの前に現れ、事故で重傷を負った娘を助ける条件として、ジライヤの父親を殺させていた。その後も幾度となくガリを利用し、ついにジライヤを殺すよう依頼。二人を共倒れさせようと画策した。死闘の末、最後に立っていたのはジライヤだったため、自ら止めを刺さんと巨大化して戦う。直後、試練を乗り越えたジライヤの手元に巻物が現れ、ゴッドガンマーを召喚される。一方的に攻撃を受けた後、超忍獣とツバサマルの一斉攻撃の前に敗北した。
:* デザインイメージは[[フライトジャケット]]を着た駐屯地の外国人士官{{R|百化348}}。
:
; {{Visible anchor|ガリ}}
: 第28・29話に登場したヌエの客分。ジライヤに格闘技を教えた恩師で、ジライヤの父とは親友だった。
: 数年前、交通事故で大怪我をした娘を助けてもらう見返りとして、ヌエの策略に乗りジライヤの父を殺した。しかし、ジライヤにも大切な父がいたのだということに気付き後悔し、彼を引き取り武道を教え込んだ。ジライヤが日本に旅立つことになった時は「お前が持っているこの石と、私が持っているこの石がある限り、2人の心は結ばれている」と言い、師弟関係を象徴する石を渡した。
: その後も脅迫されてヌエに人殺しを何度も頼まれており、とうとうジライヤを殺すため姿を現す。ヌエに力を与えられていたとはいえ彼自身が武道家であるため戦闘能力は高く、空手の技や[[釵]]・鉄の爪といった武器を使いこなし、ジライヤや変身後のサスケを圧倒した。が、本心では過去の贖罪のため、強くなった弟子の手で死ぬことを望んでいた。最後は渾身のスリーキックを受けて鉄の爪を落としジライヤに奪われ、そのまま武器と蹴りによるコンビネーションを喰らって倒れる。死に際になぜこのようなことになってしまったかをジライヤに告げ、息絶えた。
:* デザイン段階ではヌエの正体という想定であった{{R|百化348}}。
:
; {{Visible anchor|ダラダラ}}
: 第42話から第44話まで登場。大魔王が自身の口から卵を産むことによって作り出した自らの分身妖怪で、ゲル状の物質で構成されている。
: 浴びた相手を死に至らしめるゲル状の物質(猛毒のヘドロ)を打ち出したり、両腕を長大に変化させて攻撃する。大魔王の動作で動くこともある。最大の特徴は敵の戦闘力を吸い取って強奪できることにあり{{efn|吸収した能力で使用したのは、ニンジャソード、サムライ激怒ボンバー、ブラックボウ、カクレンジャーボールの4つ。カクレンジャーボールは黄色と青の2種類を使用し、黄色は隠大将軍、青は無敵将軍に向けて放った。}}、吸収後は吸収した相手の特徴が身体に浮かび上がる。その上、能力を吸収された者は満足に動けなくなる上、ダラダラのダメージを替わりに受けてしまうようになる。最初はニンジャマン、次にニンジャレッド以外のカクレンジャーの能力を吸収した。実は産みの親である大魔王の腹部を攻撃されると吸収した能力が戻ってしまうという弱点がある。
: 三神将を追い詰めながらも、サスケの活躍で吸収した力を失い、元の姿に戻ってしまう。大魔王と共に戦うが、無敵将軍の火炎将軍剣とサムライマンのサムライ激怒ボンバーを受けて倒された。
:* デザインは妖怪大魔王と同じ意匠が取り入れられている{{Sfn|百化繚乱 上之巻|2011|p=352}}。
:
; {{Visible anchor|ドロドロ}}
: 最下級の妖怪で、妖怪の戦闘員的な存在。大刀や手裏剣、槍が武器で、一応人間らしい感情も持っている。人語を話し、第12話では[[新井一典]]が声をあてている。人間に変身する能力も持つ{{R|超全集40}}。頭にリボンを付けた女性のドロドロも存在する。
: ヌラリヒョン配下の忍者装束の部隊やアズキアライ配下の警察官の格好をした部隊、オオニュウドウ配下のTシャツを着て自転車に乗った部隊やテング配下のピエロ姿の部隊などが登場した。
: 『[[手裏剣戦隊ニンニンジャー#雑誌付録|手裏剣戦隊ニンニンジャー アカニンジャーVSスターニンジャー百忍バトル!]]』に他の忍者戦隊の戦闘員とともに登場。
:* デザインイメージは水子の霊{{R|百化337}}。篠原は当初意識していなかったが、結果的に[[エドヴァルド・ムンク|ムンク]]の絵画『[[叫び (エドヴァルド・ムンク)|叫び]]』に似てしまい、名称案が「ムンク兵」となっていた時期もある{{R|百化337}}。
:
; {{Visible anchor|へのカッパ}}
: ドロドロにも劣ると言われる最下級妖怪で、サイゾウとセイカイがヌエにこの姿にされた{{R|group="ep"|27話}}。倒れても頭の皿に水をかければ復活する。
:* デザインは岡本英郎が担当した{{R|百化348}}。アメリカ要素としてアメリカ原産の[[アカミミガメ|ミドリガメ]]がモチーフとなっている{{R|百化348}}。
== キャスト ==
作品がスーパー戦隊らしくないシリーズにしようという方向性であったことから、サスケ / ニンジャレッド役の[[小川輝晃]]はレッドらしくないという理由で起用された{{R|20th20}}。
鶴姫役には、前年に『[[有言実行三姉妹シュシュトリアン]]』に出演していた[[広瀬仁美]]が起用された{{R|20th96}}。テレビ朝日プロデューサーの[[梶淳]]は、フジテレビで放送されていた[[東映不思議コメディーシリーズ]]をライバル視しそのスタッフの力量を評価しており、鶴姫役の選考が難航した際に広瀬の起用を提案したという{{R|20th96}}。第35話では、『シュシュトリアン』の[[田中規子]]と[[石橋けい]]が出演し、同作品のパロディを演じた{{R|超全集76}}。
講釈師役を演じた[[三遊亭圓丈]]は、ナレーターが設定されていない本作品において第一部のナレーターに相当する役割も兼ねていたが、第二部以降はレギュラーから外れ、第39話の「特別編だよっ!!」での再登場のみに留まっている。これに関しては、圓丈自らが後日スポンサーであるバンダイから「あんなに進行役が目立っても、うちの玩具は売れない」とクレームがついたことにより外された旨を述懐しており最後までやれなかったのが残念だと語っていた<ref>{{Cite web|和書|date=2002-04-16 |url=http://enjoo.com/rakugo/old/fan/en_leamono1.htm |title=円丈グッズ完全コレクション |author=[[三遊亭圓丈]] |accessdate=2013-08-16}}</ref>。また、幼少期に本作品を視聴していた[[柳家平和 (2代目)|柳家平和]]は圓丈から直接聞いた話として「台本は自分で考えてやってください」と全てアドリブ任せであったにもかかわらずバンダイからクレームが来て降板せざる得なかった旨を明かしている<ref>[https://twitter.com/yanagiya_kaeru/status/1611915273560547331 Twitter @yanagiya_kaeru 2023年1月8日のツイートより]</ref>。これに伴い、第2部以降は講釈師の登場する第39話を除いてナレーターが存在せず、次回予告はすべて登場する役者陣によってなされているほか、講釈師が当初行っていた妖怪たちの解説も自己紹介という形{{efn|基本的に対峙したカクレンジャーに対してだが、25話のイッタンモメンのみ視聴者に対して自己紹介を行っていた。}}で妖怪本人{{efn|回によっては鶴姫(40話でキュウビノキツネを見た子供に教える形)やサスケ(33話で自身のモノローグという形)、貴公子ジュニア(27話で対峙していたセイカイとサイゾウに説明する形)や花のくノ一組(35話で洗脳している子供たちに授業で教える形)などレギュラーメンバーが担当していることもある。また、第1部でも第22話においてエンラエンラの笑いガスを講釈師が吸ってしまい解説ができない状況だったためエンラエンラが講釈師のいるエリアに赴き自ら自身の解説を行っている。}}が行っている。
後半の敵幹部である白面郎は、『[[太陽戦隊サンバルカン]]』で2代目バルイーグル/飛羽高之を演じた[[五代高之]]が演じた{{R|20th81}}。五代は『サンバルカン』で世話になった東映プロデューサーの[[鈴木武幸]]からの依頼であったため快諾したと述べている{{R|20th81}}。
第28話・第29話では、ジライヤ役の[[ケイン・コスギ]]の父である[[ショー・コスギ]]が出演し、親子共演を果たした{{R|超全集76}}。
=== レギュラー・準レギュラー ===
* サスケ / ニンジャレッド:[[小川輝晃]]{{efn|ニンジャレッドに斬られるドロドロのスーツアクターも務めた{{R|20th20}}。}}
* 鶴姫 / ニンジャホワイト:[[広瀬仁美]]
* サイゾウ / ニンジャブルー:[[土田大]]
* セイカイ / ニンジャイエロー:[[河合秀]]
* ジライヤ / ニンジャブラック :[[ケイン・コスギ]]
* 軍師・白面郎:[[五代高之]](30,31,36,37,39,42 - 44,51 - 53)
* 百地三太夫:[[坂本あきら (俳優)|坂本あきら]](1 - 3,5,9,23 - 26,28,30,31)
* 貴公子ジュニア:[[遠藤憲一]](14 - 21,23 - 25,27,30,31)
* ユガミ博士:[[秋間登]](12 - 14,16,20,30,31)
* アヤメ{{efn|name="kunoichi"|クレジットでは花のくノ一組と表記。}}:鈴木真帆(15,16,19,20)、[[生間美紀]](35,39,42 - 44,48,51 - 53)
* サクラ{{efn|name="kunoichi"}}:[[成嶋涼|咲田めぐみ]](15,16,19,20,35,39,42 - 44,48,51 - 53)
* スイレン{{efn|name="kunoichi"}}:[[本田順子 (女優)|本田順子]](15,16,19,20,24,35,39,42 - 44,48,51 - 53)
* ユリ{{efn|name="kunoichi"}}:[[野口律子]](15,16,19,20,24,35,39,42 - 44,48,51 - 53)
* ラン{{efn|name="kunoichi"}}:[[田邊智恵|田辺智恵]](15,16,19,20,24,35,39,42 - 44,48,51 - 53)
* 講釈師:[[三遊亭圓丈]](1 - 24,39)
=== 声の出演 ===
* ニンジャマン:[[矢尾一樹]](36 - 50,53)
* 無敵将軍:[[堀田智之]](27)
* 隠大将軍、ツバサマル{{efn|オープニングクレジットでは「三神将の声」。}}:[[松本大 (声優)|松本大]](53)
* 大魔王:[[柴田秀勝]](23,30 - 53)
=== ゲスト ===
{{Div col}}
* 猿飛佐助{{efn|name="senzo"|クレジットではカクレンジャーの先祖たちと表記。}}:[[益田てつ|益田哲夫]](1 - 3)
* 霧隠才蔵{{efn|name="senzo"}}:[[岡本美登]](1 - 3)
* 三好清海入道{{efn|name="senzo"}}:[[関根大学]](1 - 3)
* 児雷也{{efn|name="senzo"}}:[[井上清和]](1 - 3)
* 女の子:[[高橋千代美]](1)
* 船頭:[[高月忠]](1)
* 正一:[[石川秀樹]]{{要曖昧さ回避|date=2017年10月}}(2)
* 母親:[[養田礼子]](3)
* 子供:[[木村隼人 (俳優)|木村隼人]](3)
* 酔っぱらい:[[熊谷淳二]](3)
* 男の客:[[小久保洋明]](3)
* 茂:[[斉藤亮太]](4)
* 茂の父親:[[小竹林早雲]](4)
* 洋一:[[藤田大助 (声優)|藤田大助]](5)
* ブティック店員:[[松本かおり]](5)
* 王子:[[小林和香]](6)
* 店員:[[石橋有紀]](6)
* 美女:[[平島りえ子]](6)
* 母親:[[二階堂美由紀]](7)
* 子供たち:[[折本樹里]]、[[細谷麻衣]]、[[渡邉まゆみ|渡辺まゆみ]]、[[村田俊]]、[[俵一馬]]、[[井側裕介]](8)
* 利夫:[[富田樹央]](9)
* 利夫の父:[[島田真次]](9)
* 隣のおばさん:[[渡部るみ]](9)
* リポーター:[[岸田里佳]](9)
* お天気お姉さん:[[石原道恵]](9)
* 司会者:[[西尾徳]](9)
* お助け侍:[[和泉史郎]](9)
* 悪代官:[[野村和也]](9)
* 町娘:[[永野百合香]](9)
* ラーメン屋:[[菊地康二]](9)
* カオリ:[[米田里美]](10)
* カオリの母:[[千葉由美]](10)
* 医師:[[竹内靖司]](10)
* 看護婦:[[山田明子]](10)
* 警官:[[栗田聖佐晃]](10)
* ツバキ:[[中山由香理]](11)
* 少女たち:[[寺田典子]]、[[吉川あき子]]、[[桜井彩加]]、[[片柳悠佳]]、[[折本沙里]](11)
* 正夫:[[手島佑弥]](12)
* 浩の母ちゃん:[[鶴間エリ]](13)
* 浩の父ちゃん:[[青柳文太郎]](13)
* 浩:[[渡辺しんすけ]](13)
* 青年:[[久野明孝]](13)
* 青年の婚約者:[[金井見雅子]](13)
* 主婦:[[内田三知代]](13)
* 徹:[[野上亜佑多]](17)
* 子供たち:折本樹里、渡辺まゆみ、村田俊、俵一馬、[[原久久嘉]](18)
* アベック:[[才藤勇輔]]、[[飯沼希歩]](19)
* 男の子:[[永田貴嗣]](19)
* 真一:[[菊地大介]](20)
* 真一の母:[[松本じゅん]](20)
* 女店員:[[和田真理子]](20)
* 花子:[[岡本麻美 (女優)|岡本麻美]](21)
* 花子の母:[[山口るい子]](21)
* いじめっ子たち:[[大地泰仁]]、[[田中光]]{{要曖昧さ回避|date=2022年11月}}、[[川添大介]](21)
* 麻衣子:[[鳥居忍]](22)
* 子供たち:[[藤井樹里]]、[[高田端紀]]、[[岸本海人]](22)
* 医師:[[角間進]](22)
* 恵子:[[東さと|東里]](23、30、31)
* 良太:[[矢尾武]](23、30、31)
* 麗花:[[千葉麗子]](25)
* ブン:[[貴峰康之|福場康之]](26、30、42 - 44)
* メイド:[[小嶋嘉子]]、[[松野朋子]](26)
* 執事:[[矢部忠政]]、[[小倉昌明]](26)
* ガリ:[[ショー・コスギ|ショウ・コスギ]](28、29)
* 少年時代のジライヤ:[[大泉翼]](28、29)
* シンシア:[[アンドレア・モンタギュウ]](28、29)
* ガリの妻:[[シェリー・スゥエニー|シェリー・スウェニー]](28)
* ジライヤの父:[[小田島隆]](28、29)
* 少年たち:[[植田慎介]]、[[深澤光明]](28)
* 太郎:[[土屋圭輔]](30、31、44、52)
* 次郎:[[土屋大輔]](30、31、44、52)
* 幼い鶴姫:[[井上真央]](30、31)
* ハルカ:[[中島真希]](32)
* コスケ:[[柴田綾太]](33)
* 駐在さん:[[木村修]](33)
* おかみさん:渡部るみ(33)
* 直樹:[[長沼哲郎]](34)
* 直樹の友達:[[遊馬健]]、[[須藤悠]]、[[桑原朋宏]](34)
* 山咲雪代:[[田中規子]](35)
* 山咲月代:[[石橋けい]](35)
* 山咲花代:[[鹿島かんな]](35)
* めぐみ:阿部麻美(35)
* 純一:[[青木海]](36)
* 光子:[[八代華奈]](36)
* 子供たち:[[田宮賢太朗]]、[[若松大介]]、[[大城戸洋平]](37)
* お母さん:[[木村小百合]](38)
* 渉:[[久保山知洋]](38)
* 愛:[[村嶋亜矢香]](38)
* 桜子:[[麻生真友子|百地千寿]](40)
* 信一:[[川内史也]](40)
* 花田亜紀:[[橋本愛 (1978年生)|川崎愛]](41)
* 花田進也:[[大畑俊]](41)
* 洋子:[[植松佳菜美]](42)
* チビサンタ:[[中村充志]](45)
* 長老サンタクロース:[[大月ウルフ]](45)
* サンタクロース:[[荒川正和]](45)
* 俊夫:[[照井暁]](45)
* パパ:[[山浦栄]](45)
* ママ:[[松尾晶代]](45)
* 明:[[日吉孝明]](46)
* 明のママ:[[上村依子]](46)
* のぞみ:[[河東真実]](47)
* 唐津銀次郎:[[今西正男]](47)
* 正太:[[島田正直]](47)
* 女の子:[[染谷有希]](47)
* 村田:[[児玉頼信]](48)
* お母さん:[[寺内よりえ]](48)
* 若い娘:[[斉藤真紀]](48)
* 若者:[[廻谷和則]](48)
* 子供たち:[[佐野泰臣]]、[[長尾陽香]](48)
* 二宮:[[網野あきら]](49)
* 君子:[[今村明美]](49)
* 健一:[[井側裕介]](49)
* 尚美:[[時東ぁみ|小松幸江]](49)
* 男:[[吉成幸一]](49)
* 主婦:[[武田留美子]](49)
* トウモロコシ売りのおじさん:[[泉福之助]](50)
* 男の子:[[原久嘉]](50)
* 茂:[[杉山丈二]](51)
* 男の子:[[提隼瀬]](51)
{{Div col end}}
=== スーツアクター ===
ニンジャレッド役には、[[東京ドームシティアトラクションズ|後楽園ゆうえんち]]のショーで活動していた[[高岩成二]]が抜擢された{{R|仮面俳優5|21st533}}。高岩によれば、アクション監督の[[竹田道弘]]から直接誘いを受けたという{{R|21st533}}。高岩を起用した理由について竹田は、ショー時代から高岩の一生懸命さを気に入っており、かねてから何かあったらやらせようと考えていたと述べている{{R|仮面俳優181}}。高岩は、『[[秘密戦隊ゴレンジャー]]』から『[[鳥人戦隊ジェットマン]]』までほぼすべてのレッドを演じた[[新堀和男]]から直接酒の席で「レッド談義(レッドのあり方)」を聞き撮影に臨んだが、途中から新堀の作り上げてきたレッド像は逆三角形のフォルムと高い身長を持つ新堀にしか演じられないと感じるようになり、ニンジャレッドのキャラクター自体が従来のレッド像とは異なることもあり、自分なりのレッドを演じるよう開き直ったという{{R|仮面俳優5}}{{Sfn|ACTion|2021|p=42}}。
ニンジャブルー役の[[宮崎剛 (俳優)|宮崎剛]]も本作品で初めてヒーロー役をレギュラーで担当した{{R|仮面俳優199}}。宮崎は、高岩とともに変身前後のキャラクター性のリンクを意識しており、そのことが後に自身がアクション監督を担当した平成仮面ライダーシリーズでの方向性につながっていったと述べている{{R|仮面俳優199}}。
『[[電子戦隊デンジマン]]』以来[[戦隊ロボ]]のスーツアクターを務めている[[日下秀昭]]は、本作品のニンジャマンで初めてヒーロー側のキャラクターを演じた{{R|21st5}}。
* ニンジャレッド{{R|JNH|仮面俳優5}}、レッドサルダー{{R|仮面俳優5|21st533}}、バトルサルダー{{R|21st533}}、ゴッドサルダー{{Sfn|ACTion|2021|p=219}}、隠大将軍{{R|仮面俳優5}}、ニンジャマン{{Sfn|ACTion|2021|p=219}}:[[高岩成二]]
* ニンジャホワイト{{R|THM34}}:[[村上利恵]]
* ニンジャブルー{{R|NTL|仮面俳優199}}:[[宮崎剛 (俳優)|宮崎剛]]
* ニンジャイエロー{{R|仮面俳優195}}:[[石垣広文]]
* ニンジャブラック{{R|THM34|仮面俳優153}}:[[喜多川2tom|喜多川務]]
* ニンジャマン{{Refnest|group="出典"|{{R|GOKAI45|仮面俳優133|21st5}}}}、妖怪大魔王{{R|GOSEI}}:[[日下秀昭]]
* ホワイトカーク{{R|moto130829}}、花のくノ一組{{R|moto130829}}:[[中川素州]]
* ブラックガンマー{{R|moto130829}}:坂本隆
* ドロドロ{{R|THM51}}、妖怪{{R|THM51}}:[[今井靖彦]]
== スタッフ ==
東映側のプロデューサーには、シリーズ初期の作品に携わった[[吉川進]]が復帰。また第15話より[[髙寺成紀]]が本シリーズに初めて参加した。
脚本、監督、音楽担当のメインスタッフは前作とほぼ変わらない顔ぶれであるが、サブライターにはスーパー戦隊シリーズにおいて9年連続でメインライターを務めた実績を持つ[[曽田博久]]が復帰し、途中参加ではあるものの12本のエピソードを執筆している。また『バイオマン』以来、『ジュウレンジャー』を除き戦隊シリーズにサブライターとして携わってきた[[藤井邦夫]]は本作品の第32話の脚本を最後にスーパー戦隊シリーズから離れることとなった。第17話の脚本は当初[[荒川稔久]]が執筆していたが、吉川のOKが出ず没になり、曽田が改めて執筆し、荒川は一旦外れることとなった{{R|20th93}}。荒川はその後第35話のみ執筆したが、次作『[[超力戦隊オーレンジャー]]』ではテレビシリーズは担当せず、講談社ビデオや電話サービスのみの参加となった{{R|20th93}}。
演出面では当時まだ20代だった[[渡辺勝也]]が、本作品では最多となる14作品の演出を担当。また、これまで特撮監督として手腕を振るってきた[[佛田洋]]が本編監督としてもデビューを果たした。
キャラクターデザインは前作より引き続き参加の篠原保・マイケル原腸の二人に加え、過去に東映特撮にも係わっていた経験を持つ[[岡本英郎]]、そして篠原の後輩で前作『ダイレンジャー』でもヘルプ的な形でデザイン作業に参加していた[[阿部統]]の2人が新たに参加。阿部は、本作品以降『[[未来戦隊タイムレンジャー]]』までスーパー戦隊シリーズのキャラクターデザインに携わって行くこととなる{{R|20th98}}。一方、本作品を最後に阿部と入れ替わる形でスーパー戦隊シリーズからは離れることとなった篠原であるが、本作品のデザイン作業については「あまり後先のことは考えず、遠慮せず好きなようにやって終ろう」というスタンスで臨んでいたようで、後年「一区切りついたというか、やり残した感というのはホントになかった」といった趣旨のコメントを残している{{R|HYAKKA360}}。また、当初からやりたいことができないようであれば降りるつもりであったとも述べている{{R|20th32}}。鈴木は、篠原のデザインを高く評価しており、後年に本作品でのデザイン画を[[パワーレンジャー]]のスタッフに見せたところ好評を得たという{{R|20th5}}。
本作品より主人公側の衣裳を[[スタイリスト]]が担当するようになった{{R|21st2}}。
* プロデューサー:[[梶淳]](テレビ朝日)・[[吉川進]]、[[鈴木武幸]]、[[髙寺成紀]](東映)・矢田晃一(東映エージエンシー)
* 原作:[[八手三郎]]
* 連載:[[テレビマガジン]]、[[てれびくん]]、[[テレビランド]]
* 脚本:[[杉村升]]、[[荒川稔久]]、[[高久進]]、[[曽田博久]]、[[藤井邦夫]]
* 音楽:[[川村栄二]]
* アクション監督:[[竹田道弘]]([[ジャパンアクションクラブ|ジャパン・アクション・クラブ]])、[[新堀和男]]([[レッドアクションクラブ]])
* 監督:[[小林義明]]、[[坂本太郎 (テレビドラマ監督)|坂本太郎]]、[[小笠原猛]]、[[東條昭平]]、[[渡辺勝也]]、[[佛田洋]]
* 撮影:[[いのくままさお]]、[[瀬尾脩|浄空]]
* 照明:竹田勝三
* 美術:山下宏、安井丸男
* キャラクターデザイン:[[篠原保]]、マイケル原腸、[[岡本英郎]]、[[阿部統]]
* イラスト:[[野口竜]]
* 造型:[[前澤範|前沢範]]([[レインボー造型企画]])
* 録音:石川孝
* 編集:成島一城、山口一喜、伊吹勝雄
* 記録:安倍伸子、高山秀子、吉田由香
* 選曲:宮葉勝行
* 音響効果:阿部作二([[大泉音映]])
* スタイリスト:菅井紀子
* ダンス指導:相良まゆ、大石三恵子(第21話)、西原千雪(第37話)
* 操演:船越幹雄
* 美粧:三浦ゆかり(サン・メイク)
* 衣裳:佐藤みどり(東京衣裳新社)
* 装飾:高谷昌毅([[装美社]])
* 装置:東映美術センター、福居勉(紀和美建)
* 計測:黒須健雄、田中正博
* 助監督:[[田﨑竜太]]、宮坂清彦、[[竹本昇]]、[[中澤祥次郎|中沢祥次郎]]、[[丸山真哉]]
* 進行主任:小迫進、後藤田伸幸、畑山佳津子
* 制作デスク:岩永恭一郎
* 制作担当:藤田佳紀
* 企画協力:[[企画者104]]
* 資料担当:葛西おと、河野成浩
* 視覚効果:沖満、長部恭平([[映画工房]])
* 技術協力:[[東通]]
* 現像:[[東映化学工業|東映化学]]
* カースタント:[[タケシレーシング]]
* 車輌協力:[[クライスラー]]
* オートバイ協力:[[スズキ (企業)|スズキ株式会社]]
* 撮影協力:[[パシフィコ横浜]]、[[アサヒコーポレーション]]、[[那須高原]]・りんどう湖ファミリー牧場
* (株)[[特撮研究所]]
** 操演:[[鈴木昶]]、[[尾上克郎]]
** 撮影:高橋政千
** 照明:林方谷
** 美術:木植健次
* 特撮監督:[[佛田洋]]
* 制作:[[テレビ朝日]]、[[東映]]、[[東映エージエンシー]]
== 音楽 ==
; 主題歌
: 「忍者」という和の要素を持つ戦隊ということで、オープニング、エンディングともに[[和楽器]]が取り入れられている一方、EDには[[ラップ]]が取り入れられたり、歌詞には英語が多く使用されたりしている。また、川村栄二が担当した劇中音楽には和楽器が一切使用されていない。また、前作『ダイレンジャー』の音楽も一部流用されている。
: 日本コロムビアから発売された『[[コロちゃんパック]] 忍者戦隊カクレンジャー』は[[オリコンチャート|オリコン週間アルバムチャート]]の[[コンパクトカセット|カセット]]チャートで1位を獲得し<ref>『オリコン年鑑 1995年版 別冊 オリコン・チャート・データ'94』オリコン、1995年、19頁。</ref>(スーパー戦隊シリーズ関連の作品では初)、1995年度の年間チャートで5位を記録した<ref>『オリコン年鑑 1996年版 別冊 オリコン・チャート・データ'95』オリコン、1996年、19頁。</ref>。
:; オープニングテーマ「シークレット カクレンジャー」
:: 作詞:[[冬杜花代子]] / 作曲:[[都志見隆]] / 編曲:[[山本健司]] / 歌:トゥー・チー・チェン{{efn|放送当初、番組テロップでは「テゥ・チー・チェン」と表記。}}
:: トゥー・チー・チェンは、作曲者の都志見の変名であり{{R|21stvol4}}、「都志見」を中国語読みにしたものとなっている。全編を通してオープニングテーマとして使用されたほか、最終回のエンディングテーマとしても使用された。
:: 曲調は鼓や拍子木などの和風の音色を取り入れた1980年代[[ユーロビート]]風となっている。カクレンジャーたちでも妖怪たちでもなく、第三者を主体に歌詞が書かれているのも大きな特徴。
:: オープニングの冒頭には、戦隊メンバーを演じる役者によるタイトルコールの代わりにコーラスで「カクレンジャー・ニンジャ、ニンジャ」のセリフが入り、前奏前のコーラスとともにタイトルロゴが表示される。
:: 映像では第15話からその回に登場する妖怪のシーンが挿入され、「?(妖怪の名前)→」のテロップが入っていたが{{efn|オープニングクレジットでは「妖怪の声」と表記。}}、後にその回のメインのキャラクターのシーンも挿入されるようになり、妖怪に対しても「?(妖怪の名前)→」のテロップは表示されなくなった。
:; エンディングテーマ「ニンジャ! 摩天楼キッズ」
:: 作詞:冬杜花代子 / 作曲:都志見隆 / 編曲:山本健司 / 歌:トゥー・チー・チェン
:: 最終回を除き、全編を通してエンディングテーマとして使用。ドロドロがダンスをするエンディング映像が最初に用意され{{efn|書籍『スーパー戦隊 Official Mook 21世紀 vol.4 特捜戦隊デカレンジャー』では、これをシリーズで初めてレギュラー主題歌にダンスが取り入れられたものと位置づけている{{R|21stvol4}}。}}、それに合わせて都志見が作曲したという風変わりな経緯で作られた<ref>『忍者戦隊カクレンジャー 音楽集』(1994年、[[日本コロムビア]])の楽曲解説より。</ref>。
:: カクレンジャーは終盤にしか登場せず、最後に番組ロゴが表示される。
:: 番組前半の一時期には、その回の本編のラストで講釈師が出題したクイズの答えがエンディング映像の後半にテロップで表示されていた。
:
; 挿入歌
: {{節スタブ}}
: 本作品では主題歌・挿入歌を収録した『ヒット曲集』が発売されたが、「無敵将軍、只今参上!」はその時点で制作されていたにもかかわらず収録されず、その後追加で制作された「出たぞ! 隠大将軍!!」のシングルにカップリング曲として収録された。
: 下記のほか、第8話では「[[細川ふみえ|にこにこにゃんにゃん]]」、第15話では「[[1999 SECRET OBJECT]]」、第17話では「[[RISKY (アルバム)|GIMME YOUR LOVE -不屈のLOVE DRIVER-]]」、第33話では「[[赤とんぼ (童謡)|赤とんぼ]]」が挿入歌として使用された。
:; 「気合百発! カクレンジャー!!」(第16・39・50話)
:: 作詞:横山武 / 作曲・編曲・歌:[[樫原伸彦]]
:: 劇中ではサビ前のセリフをカットしたものが使用された。
:; 「イントゥ デンジャー カクレンジャー」(第20・33・48・51話)
:: 作詞:[[八手三郎]] / 作曲・編曲:[[川村栄二]] / 歌:[[宮内タカユキ]]
:: 第17・25・29話ではインストゥルメンタル版が使用された。
:: 最終話ではイントロ部分のみ使用された。
:: 最終話の予告編でも使用された。
:; 「鶴姫! 強さは目にも美しい」(第26・35・51話)
:: 作詞:冬杜花代子 / 作曲・編曲:樫原伸彦 / 歌:[[佐々木真理|佐々木真里]]
:; 「必殺ファイタークラッシュ!!」(第21話)
:: 作詞:横山武 / 作曲・編曲:川村栄二 / 歌:樫原伸彦
:; 「走れ! 猫丸」(第49話)
:: 作詞:[[渡辺なつみ (作詞家)|渡辺なつみ]] / 作曲・編曲:[[つのごうじ]] / 歌:つのごうじ、ピタゴラス
:: 劇中ではカクレンジャーが歌っているシーンが存在する。
:; 「星よ、にじむな!」(第24・44話)
:: 作詞:[[里乃塚玲央]] / 作曲:[[瑞木薫]] / 編曲:川村栄二 / 歌:[[宮内タカユキ]]
:: 第44話の予告編でも使用された。
:: 宮内自身がコーラスを重ねた別バージョンも存在する。
:; 「黒の貴公子」(第23話)
:: 作詞:冬杜花代子 / 作曲:[[松澤浩明]] / 編曲:松澤浩明、つのごうじ / 歌:[[梅田凡乃|×10]]
:: 貴公子ジュニアが歌うという設定で使用された。
:: 第39話ではインストゥルメンタル版が使用された。
:; 「忍者でいこう! デデンのデン」(第32話)
:: 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:川村栄二 / 歌:宮内タカユキ
:; 「無敵将軍、只今参上!」(第19話)
:: 作詞:八手三郎 / 作曲:瑞木薫 / 編曲:[[石田勝範]] / 歌:宮内タカユキ
:: 第44話ではインストゥルメンタル版が使用された。
:; 「出たぞ! 隠大将軍!!」(第32・34・52話)
:: 作詞:八手三郎 / 作曲:[[小杉保夫]] / 編曲:石田勝範 / 歌:[[影山ヒロノブ]]
== 放送日程 ==
* Bパート終わりの「つづく」のテロップは一部の回で例外的に違うテロップが使われていた。第1部が終わる第24話はタイトルロゴの下部に「第一部 完」、第35話は鶴姫の直筆による「波にはじけた笑い声が 私の心をキラキラつつむ この瞬間をいつまでも 忘れずにいたい つるひめ16才」という文の末尾に同じく手書きで「つづく」と表記、第53話は例年の「おわり」ではなく「完」と表記された。
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size: smaller;"
|-
!放送日!!放送回!!サブタイトル!!登場怪人!!脚本!!アクション監督!!監督
|-style="text-align: center;"
|align="right"|1994年{{0}}2月18日
|1||忍者でござる
|style="text-align: left;"|
* [[ぬらりひょん|ヌラリヒョン]](声:[[千田義正]])
* [[河童|カッパ]](人間態(眼鏡の男)、声:[[赤星昇一郎]])
* [[ろくろ首|ロクロクビ]](人間態(サングラスの女)、声:[[鈴鹿景子]])
|style="text-align: left;" rowspan="6"|杉村升
|rowspan="48"|竹田道弘
|style="text-align: left;" rowspan="2"|小林義明
|-style="text-align: center;"
|align="right"|2月25日
|2||危ないオバサン
|style="text-align: left;"|
* カッパ
* ロクロクビ
|-style="text-align: center;"
|align="right"|3月{{0}}4日
|3||アメリカン忍者
|style="text-align: left;"|
* [[朧車|オボログルマ]](人間態(運転手)、声:[[ドン貫太郎]])
* [[小豆洗い|アズキアライ]](人間態(警官)、声:[[粟津號]])
* 妖怪のゴロツキたち
|style="text-align: left;" rowspan="2"|坂本太郎
|-style="text-align: center;"
|align="right"|3月11日
|4||妖怪ポリスマン
|style="text-align: left;"|
* アズキアライ
* 妖怪のゴロツキたち
|-style="text-align: center;"
|align="right"|3月18日
|5||凸凹珍ゲーマー
|style="text-align: left;" rowspan="2"|
* [[塗壁|ヌリカベ]](人間態(スタジャン男)、声:[[阿部渡]])
* [[目目連|モクモクレン]](人間態(コート男)、声:[[舘正貴|舘大介]])
* 妖怪のゴロツキたち
|style="text-align: left;" rowspan="2"|小笠原猛
|-style="text-align: center;"
|align="right"|3月25日
|6||目玉の王子様!
|-style="text-align: center;"
|align="right"|4月{{0}}1日
|7||こいつぁデカい
|style="text-align: left;"|
* [[餓鬼憑き|ガキツキ]](人間態(エプロンの男)、声:[[今井耐介]])
|style="text-align: left;"|荒川稔久
|style="text-align: left;" rowspan="2"|渡辺勝也
|-style="text-align: center;"
|align="right"|4月{{0}}8日
|8||化猫ショップ!!
|style="text-align: left;"|
* [[化け猫|バケネコ]](人間態(ペットショップの女)、声:[[北山亜紀子]])
* 妖怪のゴロツキたち
|style="text-align: left;"|高久進
|-style="text-align: center;"
|align="right"|4月15日
|9||ドッキリ生中継
|style="text-align: left;"|
* [[泥田坊|ドロタボウ]](人間態(ダサい男)、声:[[松村明 (俳優)|松村明]])
|style="text-align: left;"|杉村升
|style="text-align: left;" rowspan="2"|坂本太郎
|-style="text-align: center;"
|align="right"|4月22日
|10||子泣き爺いぢゃ
|style="text-align: left;"|
* [[子泣き爺|コナキジジイ]](人間態(紳士)、声:[[ムッシュ田村]])
* 人形(声:[[高坂真琴]]、[[本多育子]]、[[森田樹優|森田チアキ]])
|style="text-align: left;" rowspan="2"|高久進
|-style="text-align: center;"
|align="right"|4月29日
|11||ボロこそ最高!!
|style="text-align: left;"|
* [[白溶裔|シロウネリ]](人間態(オンボロ帽の男)、声:[[市川勇]])
* 鏡(声:[[むたあきこ]])
|style="text-align: left;" rowspan="2"|小笠原猛
|-style="text-align: center;"
|align="right"|5月{{0}}6日
|12||出たァ!! 新獣将
|style="text-align: left;"|
* [[天狗|テング]](声:[[岸野一彦]])
* 妖怪レプリカ軍団{{efn|カッパ、オボログルマ、アズキアライ、モクモクレン、ヌリカベ。}}(声:[[新井一典]])
|style="text-align: left;"|杉村升
|-style="text-align: center;"
|align="right"|5月13日
|13||ブッとばせ不幸
|style="text-align: left;"|
* [[金霊|カネダマ]](人間態(福王大吉):[[斉藤清六]] / 声:[[篠田薫]])
|style="text-align: left;"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="2"|東條昭平
|-style="text-align: center;"
|align="right"|5月20日
|14||俺は貴公子だ!!
|style="text-align: left;"|
* [[毛羽毛現|ケウケゲン]](人間態(毛羽毛院長)、声:[[大河内浩]])
* 妖怪のゴロツキたち
|style="text-align: left;" rowspan="3"|杉村升
|-style="text-align: center;"
|align="right"|5月27日
|15||げえッ!! 凄い奴
|style="text-align: left;" rowspan="2"|
* 花のくノ一組
* [[酒呑童子|シュテンドウジ]]兄(声:[[渡部猛]])
* シュテンドウジ弟(声:[[山中一徳]])
* 妖怪看守(演:[[佐々木正明]])
|style="text-align: left;" rowspan="2"|坂本太郎
|-style="text-align: center;"
|align="right"|6月{{0}}3日
|16||赤猿の鬼退治
|-style="text-align: center;"
|align="right"|6月10日
|17||魔剣とパンツ!!
|style="text-align: left;"|
* [[網切|アミキリ]](人間態(美女)、声:[[河合亞美|河合亜美]])
|style="text-align: left;"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="2"|渡辺勝也
|-style="text-align: center;"
|align="right"|6月17日
|18||ハローきのこ君
|style="text-align: left;"|
* [[座敷童子|ザシキワラシ]](人間態、声:[[牧野一進]])
** ザシキワラシ(悪){{R|超全集43|20th26}}{{efn|名称は、書籍『スーパー戦隊画報 第2巻』では'''凶暴態'''{{R|gahou177}}、書籍『30大スーパー戦隊超全集』では'''ザシキワラシ(強化)'''{{R|30大137}}と記述している。}}(声:[[沢田澄代]])
|style="text-align: left;" rowspan="3"|杉村升
|-style="text-align: center;"
|align="right"|6月24日
|19||暗闇の地獄罠!!
|style="text-align: left;"|
* [[土蜘蛛|ツチグモ]](人間態(チョビヒゲ)、声:[[森富士夫]])
|style="text-align: left;" rowspan="2"|小笠原猛
|-style="text-align: center;"
|align="right"|7月{{0}}1日
|20||花のくノ一組!!
|style="text-align: left;"|
* 花のくノ一組
|-style="text-align: center;"
|align="right"|7月{{0}}8日
|21||サルマネ必殺技
|style="text-align: left;"|
* [[猿神|サルガミ]](人間態(霞大五郎)、声:[[大杉漣]])
|style="text-align: left;" rowspan="2"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="2"|東條昭平
|-style="text-align: center;"
|align="right"|7月15日
|22||笑って頂きます
|style="text-align: left;"|
* [[煙々羅|エンラエンラ]](声:[[神山卓三]])
|-style="text-align: center;"
|align="right"|7月22日
|23||電撃!! 白い怪鳥
|style="text-align: left;"|
* [[海坊主|ウミボウズ]](声:[[河合義雄]])
|style="text-align: left;" rowspan="4"|杉村升
|style="text-align: left;" rowspan="2"|渡辺勝也
|-style="text-align: center;"
|align="right"|7月29日
|24||あァ 一巻の終り
|style="text-align: left;"|
* [[がしゃどくろ|ガシャドクロ]]
* 花のくノ一組
|-style="text-align: center;"
|align="right"|8月{{0}}5日
|25||新たなる{{Ruby|出発|たびだち}}!!
|style="text-align: left;"|
* [[一反木綿|イッタンモメン]](声:[[檜山修之]]{{efn|オープニングでは「'''桧山修之'''」と誤って表記されている。}})
|style="text-align: left;" rowspan="2"|坂本太郎
|-style="text-align: center;"
|align="right"|8月12日
|26||鶴姫家の超秘密
|style="text-align: left;"|
* [[からかさ小僧|カサバケ]](声:[[青柳文太郎]])
|-style="text-align: center;"
|align="right"|8月19日
|27||無敵将軍の最期
|style="text-align: left;" rowspan="3"|
* [[鵺|ヌエ]](声:[[玄田哲章]])
|style="text-align: left;"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="3"|東條昭平
|-style="text-align: center;"
|align="right"|8月26日
|28||超大物・来日!!
|style="text-align: left;" rowspan="4"|杉村升
|-style="text-align: center;"
|align="right"|9月{{0}}2日
|29||史上初の{{Ruby|超対決|スーパーバトル}}
|-style="text-align: center;"
|align="right"|9月{{0}}9日
|30||再会 裏切りの父
|style="text-align: left;" rowspan="2"|
* ガシャドクロ
* 白面郎
|style="text-align: left;" rowspan="2"|小笠原猛
|-style="text-align: center;"
|align="right"|9月16日
|31||見たか!! 新将軍
|-style="text-align: center;"
|align="right"|9月23日
|32||ナメんな顔泥棒{{efn|『[[月刊ニュータイプ]]1994年8月号』では第23話として放送されることが予告され、あらすじも掲載されていた(あらすじ内では「ヌッペッホフ」と表記)<ref>{{Cite journal|和書 |date=1994-08-01 |editor=田中宏樹 |title=ANIME LAND 7/10→8/9 |journal=[[月刊ニュータイプ]]|issue=1994年8月号 |page=79 |publisher=[[角川書店]]}}</ref>。ヌッペフホフと無敵将軍が戦っているスチルも存在する{{R|30大137}}。}}
|style="text-align: left;"|
* [[ぬっぺふほふ|ヌッペフホフ]](人間態(アイスキャンデー屋)、声:[[高月忠]])
|style="text-align: left;"|藤井邦夫
|style="text-align: left;"|渡辺勝也
|-style="text-align: center;"
|align="right"|9月30日
|33||あまのじゃく村
|style="text-align: left;"|
* [[天邪鬼|アマノジャク]](人間態(和尚):[[岩城力也]] / 声:[[梁田清之]])
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="2"|佛田洋
|-style="text-align: center;"
|align="right"|10月{{0}}7日
|34||花嫁砂地獄!!
|style="text-align: left;"|
* [[砂かけ婆|スナカケババァ]](人間態(厚化粧のおばさん)、声:[[日向明子]])
|style="text-align: left;"|曽田博久
|-style="text-align: center;"
|align="right"|10月14日
|35||おしおき{{Ruby|三姉妹|シスターズ}}
|style="text-align: left;"|
* [[鎌鼬|カマイタチ]](人間態(校長)、声:[[十貫寺梅軒]])
|style="text-align: left;"|荒川稔久
|style="text-align: left;" rowspan="2"|渡辺勝也
|-style="text-align: center;"
|align="right"|10月21日
|36||暴れん坊忍者!!
|style="text-align: left;"|
* [[獏|バクキ]](声:神山卓三)
* 偽カクレンジャー
|style="text-align: left;" rowspan="2"|杉村升
|-style="text-align: center;"
|align="right"|10月28日
|37||唐傘ダンス{{Ruby|女王|クイーン}}
|style="text-align: left;"|
* [[からかさ小僧|カラカサ]](演:[[草薙かおり]])
|style="text-align: left;" rowspan="2"|坂本太郎
|-style="text-align: center;"
|align="right"|11月{{0}}4日
|38||モオ〜ッ嫌な牛
|style="text-align: left;"|
* [[牛鬼|ウシオニ]](声:[[今西正男]])
|style="text-align: left;"|曽田博久
|-style="text-align: center;"
|align="right"|11月11日
|39||特別編だよっ!!
|style="text-align: left;"|
* [[のっぺらぼう|ノッペラボウ]](声:[[大友龍三郎]])
|style="text-align: left;"|杉村升
|style="text-align: left;" rowspan="2"|東條昭平
|-style="text-align: center;"
|align="right"|11月18日
|40||平成キツネ合戦
|style="text-align: left;"|
* [[九尾の狐|キュウビノキツネ]](人間態(老婆):[[神田時枝]] / 声:[[京田尚子]])
|style="text-align: left;"|高久進
|-style="text-align: center;"
|align="right"|11月25日
|41||はぐれゴースト
|style="text-align: left;"|
* [[提灯小僧|チョウチンコゾウ]](声:[[千葉繁]]{{efn|オープニングでは「'''千葉茂'''」と誤って表記されている。}})
* 爺様ゴースト(演:[[杉義一]])
* 大食いゴースト(演:[[岡田正典]])
* 強盗ゴースト(演:[[荒井ゆか]])
* 破壊ゴースト(演:[[石垣広文]])
* 暴走ゴースト(演:[[高橋輝夫]])
|style="text-align: left;"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="2"|小笠原猛
|-style="text-align: center;"
|align="right"|12月{{0}}2日
|42||強奪忍者パワー
|style="text-align: left;" rowspan="3"|
* ダラダラ(声:千田義正)
* 花のくノ一組
|style="text-align: left;" rowspan="3"|杉村升
|-style="text-align: center;"
|align="right"|12月{{0}}9日
|43||三神将最期の日
|style="text-align: left;" rowspan="2"|渡辺勝也
|-style="text-align: center;"
|align="right"|12月16日
|44||傷だらけ大逆転
|-style="text-align: center;"
|align="right"|12月23日
|45||慌てん坊サンタ
|style="text-align: left;"|
* [[大百足|オオムカデ]](人間態(妖怪サンタクロース)、声:[[平久保雅史]])
|style="text-align: left;" rowspan="2"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="2"|小林義明
|-style="text-align: center;"
|align="right"|1995年{{0}}1月{{0}}6日<br />{{efn|1994年12月30日は「欽ちゃんのどこまでやるの!スペシャル」放送のため休止。}}
|46||新春まんが地獄
|style="text-align: left;"|
* [[狢|ムジナ]](人間態(狸親父)、声:[[佐藤正宏]])
* マンガの中の刺客たち(演:[[岡本美登]]、[[甲斐道夫]]、[[井上清和]]、[[関誉枝恵]]、[[西村陽一]])
|-style="text-align: center;"
|align="right"|1月13日
|47||人間花火百連発
|style="text-align: left;"|
* [[火車 (妖怪)|カシャ]](人間態(黒マントの男{{efn|オープニングクレジットでは「男マントの男」と誤表記されていた。}}):[[関根大学]] / 声:[[辻村真人]])
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="2"|小笠原猛
|-style="text-align: center;"
|align="right"|1月20日
|48||大雪女の雪合戦
|style="text-align: left;"|
* [[雪女|ユキオンナ]](人間態、声:[[橋本由香]])
* 雪ダルマ軍団
|style="text-align: left;" rowspan="2"|曽田博久
|-style="text-align: center;"
|align="right"|1月27日
|49||突然!! ビンボー
|style="text-align: left;"|
* [[貧乏神|ビンボーガミ]](人間態(金貸し妖怪)、声:[[石黒正男]])
|rowspan="5"|新堀和男
|style="text-align: left;" rowspan="3"|渡辺勝也
|-style="text-align: center;"
|align="right"|2月{{0}}3日
|50||特選!! 妖怪の宿
|style="text-align: left;"|
* [[ダイダラボッチ]](人間態(支配人):[[清水照夫]] / 声:[[江川央生]])
* [[山姥|ヤマンバ]](人間態(老婆):[[小甲登枝恵]] / 声:[[北浜晴子]])
|style="text-align: left;" rowspan="4"|杉村升
|-style="text-align: center;"
|align="right"|2月10日
|51||{{Ruby|英・雄|ヒーロー}}・失・格
|style="text-align: left;" rowspan="2"|
* ヤマンバ
* 白面郎
|-style="text-align: center;"
|align="right"|2月17日
|52||大団円!! 父と娘
|style="text-align: left;" rowspan="2"|坂本太郎
|-style="text-align: center;"
|align="right"|2月24日
|53||封印!!
|style="text-align: left;"|
* 妖怪大魔王
* 花のくノ一組
|}
== 評価 ==
総売上は137億円{{R|NIKKEI}}、うち玩具売上は78億円{{R|TOYJ}}を記録した。
== 放映ネット局 ==
{|class="wikitable" style="font-size:small;"
!対象地域!!放送局!!備考
|-
|[[広域放送|関東広域圏]]||[[テレビ朝日]]||'''キーステーション'''
|-
|[[北海道]]||[[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]||
|-
|[[青森県]]||[[青森朝日放送]]||
|-
|[[岩手県]]||[[IBC岩手放送]]||他系列局
|-
|[[宮城県]]||[[東日本放送]]||
|-
|[[秋田県]]||[[秋田朝日放送]]||
|-
|[[山形県]]||[[山形テレビ]]||
|-
|[[福島県]]||[[福島放送]]||
|-
|[[新潟県]]||[[新潟テレビ21]]||
|-
|[[富山県]]||[[北日本放送]]||他系列局
|-
|[[石川県]]||[[北陸朝日放送]]||
|-
|[[福井県]]||[[福井テレビジョン放送|福井テレビ]]||他系列局
|-
|[[山梨県]]||[[山梨放送]]||他系列局
|-
|[[長野県]]||[[長野朝日放送]]||
|-
|[[静岡県]]||[[静岡朝日テレビ]]||
|-
|[[広域放送|中京広域圏]]||[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]]||
|-
|[[広域放送|近畿広域圏]]||[[朝日放送テレビ|朝日放送]]||現 朝日放送テレビ
|-
|[[鳥取県|鳥取]]・[[島根県]]||[[山陰中央テレビジョン放送|山陰中央テレビ]]||他系列局
|-
|[[広島県]]||[[広島ホームテレビ]]||
|-
|[[山口県]]||[[山口朝日放送]]||
|-
|[[徳島県]]||[[四国放送]]||他系列局
|-
|[[香川県|香川]]・[[岡山県]]||[[瀬戸内海放送]]||
|-
|[[愛媛県]]||[[テレビ愛媛|愛媛放送]]||他系列局・現 テレビ愛媛
|-
|[[高知県]]||[[テレビ高知]]||他系列局
|-
|[[福岡県]]||[[九州朝日放送]]||
|-
|[[長崎県]]||[[長崎文化放送]]||
|-
|[[熊本県]]||[[熊本朝日放送]]||
|-
|[[大分県]]||[[大分朝日放送]]||
|-
|[[宮崎県]]||[[宮崎放送]]||他系列局
|-
|[[鹿児島県]]||[[鹿児島放送]]||
|-
|[[沖縄県]]||[[琉球放送]]||他系列局
|-
|colspan="3"|未放送地域:[[佐賀県]]
|}
* {{独自研究範囲|遅れネット局の中には、[[阪神・淡路大震災]]や[[地下鉄サリン事件]]の[[報道特別番組]]による休止が発生したところもある(後者は遅れ幅が1カ月以上である局のみ)。|date=2020年4月}}
== 他媒体展開 ==
=== 映像ソフト化 ===
いずれも発売元は[[東映ビデオ]]。
* ビデオ([[VHS]]、セル・レンタル共通)は、1995年4月から1996年3月にかけて全12巻(各巻4話収録。Vol.8以降は5話収録)がリリースされている。
* テレビシリーズを再編集したHEROクラブのビデオが3巻リリースされている。
* [[DVD]]は、[[2009年]][[1月21日]]から[[5月21日]]にかけて全5巻(各2枚組・各巻11話(Vol.4・Vol.5は10話)収録)がリリースされた。
* 劇場版はビデオ(VHS、セル・レンタル共通)としてリリースされた他、[[2003年]][[7月21日]]発売のDVD-BOX「スーパー戦隊 THE MOVIE BOX」<ref>{{Cite journal |和書|date=2003-05-01 |title=DVD & VIDEO Selection |journal=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]] |volume=Vol.106 |issue=(2003年5月号) |page=88 |publisher=[[朝日ソノラマ]] |id=雑誌コード:01843-05}}</ref>および、[[2004年]]7月21日発売の「スーパー戦隊 THE MOVIE VOl.4」、「スーパー戦隊 THE MOVIE Blu-ray BOX 1976-1995」(2011年6月21日発売)に収録されている。
=== 他テレビシリーズ ===
; 『[[未来戦隊タイムレンジャー]]』
: 第51話として放送された特別総集編『スーパー戦隊大集合』に登場。タイムレンジャー5人がタイムジェットで本作品の時代を見に来たという設定で、本作品の映像が流用されている。
; 『[[海賊戦隊ゴーカイジャー]]』
: 第45話に鶴姫、第45・46話にニンジャマンが登場。
; 『[[手裏剣戦隊ニンニンジャー]]』
: 忍びの7にサスケが登場{{R|shinobi_07}}。
; 『[[4週連続スペシャル スーパー戦隊最強バトル!!]]』
: スーパー戦隊シリーズ初のオリジナルストーリーテレビスペシャル。ニンジャホワイトが出演。
=== 劇場版 ===
; 『劇場版 忍者戦隊カクレンジャー<!--副題なし-->』(1994年4月16日公開)
:* 監督:東條昭平 / アクション監督:竹田道弘・新堀和男 / 脚本:杉村升
: [[東映スーパーヒーローフェア]]の一編として上映された。上映時間30分。撮影は第7・8話と同時進行で行われた。
:; ゲスト
::* 由美子:[[藤田美紀]]
::* 茂:[[佐藤侑輝]]
::* ノッポ:[[日下秀昭]]
::* スキンヘッド:石垣広文
::* お母さん:[[堀江真理子]]
::* ヒトツメコゾウ(兄)の声:[[篠田薫]]{{R|20th24}}{{efn|name="no"|ノンクレジット。}}
::* オオニュウドウの声:[[河合義雄]]{{R|20th24}}、[[安西正弘]]{{R|20th24}}{{efn|name="no"}}
:; スーツアクター
::* ニンジャレッド{{Sfn|ACTion|2021|p=219}}、バトルサルダー{{Sfn|ACTion|2021|p=219}} - 高岩成二
; 『[[スーパー戦隊ワールド (映画)|スーパー戦隊ワールド]]』
: 本作品放送当時に公開された3D映画で、カクレンジャーの5人および無敵将軍が登場。
; 『[[ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦]]』
: 『海賊戦隊ゴーカイジャー』と『[[天装戦隊ゴセイジャー]]』を中心としたクロスオーバー作品。無敵将軍が登場。
; 『[[海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE 空飛ぶ幽霊船]]』
: 『海賊戦隊ゴーカイジャー』の映画作品。ドロドロが登場。
; 『[[仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦]]』
: ニンジャレッドが登場。
; 『[[機界戦隊ゼンカイジャー THE MOVIE 赤い戦い! オール戦隊大集会!!]]』
: 『[[機界戦隊ゼンカイジャー]]』の劇場作品。ニンジャレッドが登場。
=== オリジナルビデオ/オリジナルDVD ===
; 『テレビマガジン特製 忍者戦隊カクレンジャースーパービデオ 秘伝之巻』
: [[テレビマガジン]]応募者全員サービスVHS。
: 構成 - 荒川稔久、演出 - 田﨑竜太
; 『[[超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー]]』
: 本作品と『超力戦隊オーレンジャー』のクロスオーバー作品([[スーパー戦隊Vシネマ]]作品)。
; 『[[百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊]]』
: 『[[百獣戦隊ガオレンジャー]]』をメインとしたクロスオーバー作品(スーパー戦隊Vシネマ作品)。ニンジャレッドおよびゴッドサルダーが登場。
; 『[[手裏剣戦隊ニンニンジャー#雑誌付録|手裏剣戦隊ニンニンジャー アカニンジャーVSスターニンジャー百忍バトル!]]』
: 『手裏剣戦隊ニンニンジャー』のテレビマガジン付録DVD。ドロドロが登場したほか、アカニンジャーがカクレマルを使い隠流満月斬りを披露するシーンがある。
; 『[[帰ってきた手裏剣戦隊ニンニンジャー ニンニンガールズVSボーイズ FINAL WARS]]』
: 『手裏剣戦隊ニンニンジャー』のVシネマ。シロニンジャーの変化としてニンジャホワイトが登場。
=== Webムービー ===
; 『機界戦隊ゼンカイジャー スピンオフ ゼンカイレッド大紹介!』
: 『機界戦隊ゼンカイジャー』のスピンオフ作品。鶴姫 / ニンジャホワイトが登場<ref>{{Cite web|和書|work=映画ナタリー|url=https://natalie.mu/eiga/news/422099|title=「ゼンカイジャー」外伝後編にカクレンジャー鶴姫登場、ゼンカイレッドはセンター奪取|date=2021-03-28|accessdate=2022-06-13}}</ref>。
== CS放送・ネット配信 ==
; CS放送
* [[ファミリー劇場]]
**[[2002年]][[3月]] - [[2003年]]3月
**2003年[[10月]] - [[2004年]]10月
* [[東映チャンネル]]
**[[2009年]][[5月]] - [[11月]](「スーパー戦隊ワールド」枠、ニューマスター版)
**[[2011年]]10月 - [[2012年]]3月(「アンコールアワー」枠)
; ネット配信
* 東映特撮 [[YouTube]] Official
**[[2011年]][[8月1日]] - [[2012年]][[1月29日]]
**[[2014年]][[3月24日]] - [[9月23日]]
**[[2016年]][[5月22日]] - [[11月27日]]
**[[2023年]][[2月23日]] - [[8月31日]]
* 東映特撮[[ニコニコ動画|ニコニコおふぃしゃる]]
**2012年3月26日 - 2013年3月15日
* [[Amazon Prime Video]]…有料配信中
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 参照話数 ===
{{Reflist|group="ep"|3
|refs=
<ref name="1話">第1話。</ref>
<ref name="2話">第2話。</ref>
<ref name="3話">第3話。</ref>
<ref name="5話">第5話。</ref>
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<ref name="27話">第27話。</ref>
<ref name="29話">第29話。</ref>
<ref name="31話">第31話。</ref>
<ref name="32話">第32話。</ref>
<ref name="33話">第33話。</ref>
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<ref name="44話">第44話。</ref>
<ref name="45話">第45話。</ref>
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<ref name="47話">第47話。</ref>
<ref name="52話">第52話。</ref>
<ref name="53話">第53話。</ref>
}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2
|refs=
<ref name="MUSIC03">COCC-14283→84『忍者戦隊カクレンジャー ミュージックコレクション』ブックレットp3。</ref>
<ref name="超全集12">{{Harvnb|超全集|1995|pp=12-13|loc=「ドロンチェンジャー、カクレンジャー誕生!!」}}</ref>
<ref name="超全集14">{{Harvnb|超全集|1995|pp=14-15|loc=「ニンジャレッド・サスケ」}}</ref>
<ref name="超全集16">{{Harvnb|超全集|1995|pp=16-17|loc=「ニンジャホワイト・鶴姫」}}</ref>
<ref name="超全集18">{{Harvnb|超全集|1995|pp=18-19|loc=「ニンジャイエロー・セイカイ」}}</ref>
<ref name="超全集20">{{Harvnb|超全集|1995|pp=20-21|loc=「ニンジャブルー・サイゾウ」}}</ref>
<ref name="超全集22">{{Harvnb|超全集|1995|pp=22-23|loc=「ニンジャブラック・ジライヤ」}}</ref>
<ref name="超全集24">{{Harvnb|超全集|1995|pp=24-25|loc=「カクレンジャーの武器」}}</ref>
<ref name="超全集26">{{Harvnb|超全集|1995|pp=26-27|loc=「カクレンジャーのマシン」}}</ref>
<ref name="超全集27">{{Harvnb|超全集|1995|p=27|loc=「カクレンジャーの術」}}</ref>
<ref name="超全集28">{{Harvnb|超全集|1995|pp=28-29|loc=「カクレンジャーと共に戦う戦士たち ニンジャマン・サムライマン」}}</ref>
<ref name="超全集30">{{Harvnb|超全集|1995|pp=30-31|loc=「獣将」}}</ref>
<ref name="超全集32">{{Harvnb|超全集|1995|pp=32-33|loc=「獣将ファイター」}}</ref>
<ref name="超全集34">{{Harvnb|超全集|1995|pp=34-35|loc=「超忍獣」}}</ref>
<ref name="超全集36">{{Harvnb|超全集|1995|p=36|loc=「聖忍獣ツバサマル」}}</ref>
<ref name="超全集37">{{Harvnb|超全集|1995|p=37|loc=「無敵将軍・スーパー無敵将軍」}}</ref>
<ref name="超全集38a">{{Harvnb|超全集|1995|pp=38-39|loc=「隠大将軍・スーパー隠大将軍」}}</ref>
<ref name="超全集38b">{{Harvnb|超全集|1995|pp=38-39|loc=「カクレンジャーの仲間たち」}}</ref>
<ref name="超全集40">{{Harvnb|超全集|1995|pp=40-41|loc=「カクレンジャーの敵 妖怪軍団」}}</ref>
<ref name="超全集42">{{Harvnb|超全集|1995|p=42|loc=「花のくノ一組」}}</ref>
<ref name="超全集43">{{Harvnb|超全集|1995|pp=43-45|loc=「妖怪紳士録」}}</ref>
<ref name="超全集70">{{Harvnb|超全集|1995|pp=70-71|loc=「カクレンジャー基礎知識」}}</ref>
<ref name="超全集76">{{Harvnb|超全集|1995|pp=76-79|loc=「カクレンジャー思い出アルバムメモリアル座談会」}}</ref>
<ref name="オーレ超全集">{{Cite book|和書|date=1996-03-01|title=[[超力戦隊オーレンジャー]][[超全集]]|series=てれびくんデラックス 愛蔵版|publisher=小学館|page=64|chapter=カクレンジャー術図鑑|isbn=4-09-101451-8}}</ref>
<ref name="超人画報">{{Cite book |和書 |editor=竹書房/イオン |date=1995-11-30 |title=超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み |publisher=[[竹書房]] |page=215 |id=C0076 |isbn=4-88475-874-9}}</ref>
<ref name="NIKKEI">日経BP社技術研究部編「第三章 ビジネスの仕組みが変わる ●バンダイのキャラクター別売り上げランキング」『アニメ・ビジネスが変わる―アニメとキャラクター・ビジネスの真実』[[日経BP社]]、1999年6月17日、{{ISBN2|4-8222-2550-X}}、107頁。</ref>
<ref name="TOYJ">{{Cite journal|和書 |editor= |title=-たまごっち・ポケモンだけじゃない 21世紀も日本製玩具が世界を元気にする- 日本発・世界を賑わしたヒット商品 第1回「パワーレンジャー」|journal=[[トイジャーナル]]|issue=2001年1月号 |pages=73 |publisher=東京玩具人形問屋協同組合 |date=2001-01-01}}</ref>
<ref name="material14">{{Harvnb|完全マテリアルブック 下巻|2002|pp=14-19}}</ref>
<ref name="material25">{{Harvnb|完全マテリアルブック 下巻|2002|pp=25-27}}</ref>
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== 外部リンク ==
* [http://www.super-sentai.net/sentai/kakuranger.html 忍者戦隊カクレンジャー](スーパー戦隊ネット内の紹介記事)
* [https://www.toei-video.co.jp/special/kakurenger/ DVD 忍者戦隊カクレンジャー特集](東映ビデオ内にあるサイト)
{{前後番組|
|放送局= [[テレビ朝日]]系列|
|放送枠= 金曜17:30 - 17:55|
|番組名= 忍者戦隊カクレンジャー<br />(1994年2月18日 - 1995年2月24日)|
|前番組= [[五星戦隊ダイレンジャー]]<br />(1993年2月19日 - 1994年2月11日)|
|次番組= [[超力戦隊オーレンジャー]]<br />(1995年3月3日 - 1996年2月23日)|
}}
{{スーパー戦隊シリーズ}}
{{デフォルトソート:にんしやせんたいかくれんしやあ}}
[[Category:スーパー戦隊シリーズの特撮テレビドラマ]]
[[Category:1990年代の特撮作品]]
[[Category:1994年のテレビドラマ]]
[[Category:杉村升脚本のテレビドラマ]]
[[Category:荒川稔久脚本のテレビドラマ]]
[[Category:高久進脚本のテレビドラマ]]
[[Category:曽田博久脚本のテレビドラマ]]
[[Category:藤井邦夫脚本のテレビドラマ]]
[[Category:都志見隆が制作した楽曲]]<!--変名でも歌唱-->
[[Category:忍者を題材としたテレビドラマ]]
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[[Category:巨大ロボットを題材としたテレビドラマ]]<!--巨大化する架空の忍術-->
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1,234 | フルーツバスケット (漫画) |
『フルーツバスケット』は、高屋奈月による日本の漫画。『花とゆめ』(白泉社)において、1998年16号から2006年24号まで連載された(ただし、2000年18号から2001年19号まで作者の体調不良により休載)。全23巻。略称は「フルバ」・「フルバス」など。作者の高屋は「フルバ」と呼称している。
テレビアニメ作品としても制作され、2001年にテレビ東京系列にて放送された。2019年に再びアニメ化され、同年から2021年にかけて3シリーズにわたって放送された。2009年には舞台化され、劇団スタジオライフによって上演。2022年に再び舞台化予定。
次世代編『フルーツバスケットanother』が『花とゆめONLINE』、のち『マンガPark』で2015年9月4日から不定期連載され、2018年12月3日で最終話を一度迎えたあと、完結話の第13話が2020年4月6日から2020年5月4日まで不定期連載された。
草摩家の分家宅に居候することになった主人公・本田透と、動物憑きの奇妙な体質を持つ草摩家の面々との交流を中心に描く。連載当初は「ホームコメディ」と掲載雑誌で紹介されていたが、作者自身は「コメディ」を意識してはいない、と単行本内で述べていた。
2001年、第25回講談社漫画賞・少女部門受賞。2018年11月時点で単行本の全世界累計発行部数は3000万部を突破している。北米では、2004年にTOKYOPOPより初刊が刊行され、2006年12月の時点において15巻まで刊行。同社最大のヒット作であり、2006年12月6日のTOKYOPOPの公式サイトで、15巻までの累計売上部数が200万部を超えたことが発表された。また、2007年に「もっとも売れている少女マンガ」として、ギネスブックに認定されている。
本田透は都立海原高校に通う女子高生。唯一の家族だった母親を事故で亡くし、小山で一人テント暮らしをしていた。ところがそのテントを張った場所は、同級生の草摩由希の一族が所有する土地だった。何とか交渉し敷地内でのテント暮らしを許可してもらおうとしていた時、土砂崩れでテントも失ってしまい、それがきっかけで由希が暮らす同じ一族の草摩紫呉の家に居候することに。
居候初日、透は草摩一族の秘密を知ってしまう。彼らは代々十二支の物の怪憑きで、異性に抱きつかれると憑かれた獣に変身してしまうという体質だった。
2001年7月5日から同年12月27日までテレビ東京系列にて放送された。全26話。サブタイトルが「第○話...」となっている(話数は漢数字が入る)。最終回の時は「最終回...」。放送前の5月3日には『フルーツバスケットにもうすぐ会える!』という特別番組が放送された。
放送されたのは単行本の1巻から5巻までの全話、5巻までに登場しなかった各十二支(紅野・依鈴は除く)が初登場する話である7・8巻の一部(7巻:37、38、42話 / 8巻:43話の一部・44、45話)、綾女の店の話(6巻:36話)、夾の「本当の姿」の話(6巻:31 - 34話)である。また、キャラクターの性格や設定の変更、物語の重要な伏線部分の消去などが行われている。
紅葉がドイツ人とのハーフである設定は存置されたものの、ドイツ語を話さないキャラクターに設定されたり、依鈴に関わる言動の全カット、透たちの担任教師である繭子が別キャラクターに置き換えられるなどの処置がなされた。また、コメディ要素が強調された形となっており、動物に変身する回数も多くなっている。
ストーリー構成や各種設定に関して原作者である高屋奈月はアニメ版のシナリオに関わろうとしていたが、製作側の「自由に作らせて欲しい」との断りが尊重されたと監督の大地丙太郎の著書には記されている。最終回は放送当時、原作が完結していなかったため、アニメ版第1作独自の結末となっている。
監督の大地は、本作の続編を求めるファンの声に対して「フルバのアニメの続きは作れないのです。それは岡崎律子さんはじめ、あの時にスタッフ全員、全力を出し切ってしまったから。でも、今、思った。こういう風に言われ続けるのは、我々の落ち度でした。半端な作り方をしてしまったのでしょう。ごめんなさい。それでも、続きは作れません」と答えている。
放送の15年後の2016年にBlu-ray Boxが発売された。
特に記載のないものの作詞・作曲・唄は岡崎律子。「For フルーツバスケット」と「小さな祈り」は、後に堀江由衣が「フルーツバスケット―風色― Song for Yui Horie」にてカバー。オープニングにクレジットされるスタッフは僅かで、大半はエンディングにクレジットされる。
テレビ東京ほかにて2019年4月6日より9月21日まで1st seasonが放送された。2nd seasonは2020年4月7日より9月22日まで放送された。最終章に当たるThe Finalは2021年4月6日より6月29日まで放送された。2001年版からスタッフ・キャストは一新され、内容も本編の最後までアニメ化された。
2022年2月18日には、『フルーツバスケット -prelude-』(フルーツバスケット プレリュード)がエイベックス・ピクチャーズの配給により劇場上映された。テレビシリーズを再構成した総集編に加えて、透の両親である今日子と勝也視点の前日譚と、高屋描き下ろしによる透と夾の後日譚が新作映像として描かれる。
原作者である高屋奈月が総監修として関わり、新たなアニメ化というオファーに対して、高屋の意向で新たなスタッフ・キャストで作られることになった。また絵も自分の絵に寄せないようにしてほしいという要望から、原作の絵柄とは異なったキャラクターデザインになっている。
これまでに3度ドラマCD化されている。2012年に『花とゆめ』誌上で応募者全員サービスとして頒布された音声入りまんがDVDも本稿で述べる。
『花とゆめ』誌上での全員応募サービスで企画されたCD。アニメ化される以前に発表されたものであり、担当声優が一部アニメ版と異なる。内容はオリジナルストーリーの『草摩家の長い一日』と花島咲によるおまけコーナー。
『花とゆめ』の付録CD。オリジナルストーリー『学園防衛隊』を収録。アニメ化以降(2005年)に発表されたため、担当声優はほぼアニメ版のまま。生徒会メンバーが初登場する。
2005年5月25日にマリン・エンタテインメントより発売されたCDドラマ。原作の劇中劇『シンデレラっぽいもの』と『学園防衛隊』(上記のものと同一)が収録されている。
タイトルは『「フルーツバスケット」音声入りまんがDVD〜旅立ちの日、再び〜』 。『花とゆめ』2012年24号は、高屋の画業20周年記念号として企画されており、応募者全員サービスとして実費頒布されたDVDである。『花とゆめ』2013年1号、『ザ花とゆめ』2012年2月1日号でも同様に頒布された。
原作最終話を音声付きとしたカラースライドショー、キャストコメントで構成される。
2009年2月26日から3月8日にかけて、フジテレビ・スタジオライフ・天王洲 銀河劇場の主催で舞台化作品が上演された。出演者は全員男性で、女性の登場人物も男性俳優が演じる。また、キャスト陣は「ストロベリー・チーム」と「チェリー・チーム」で分かれ、ダブルキャストに該当する登場人物もあるが、ダブルキャスト該当出演者も別配役でもう一方のチームに参加している。
フジテレビジョン・スタジオライフ・銀河劇場プロデュース公演
メ~テレ・スタジオライフ共催公演
2022年3月4日から13日まで、日本橋三井ホールにて上演された。
2023年10月6日から15日まで、大手町三井ホールにて上演予定。 | [
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"text": "『フルーツバスケット』は、高屋奈月による日本の漫画。『花とゆめ』(白泉社)において、1998年16号から2006年24号まで連載された(ただし、2000年18号から2001年19号まで作者の体調不良により休載)。全23巻。略称は「フルバ」・「フルバス」など。作者の高屋は「フルバ」と呼称している。",
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"text": "テレビアニメ作品としても制作され、2001年にテレビ東京系列にて放送された。2019年に再びアニメ化され、同年から2021年にかけて3シリーズにわたって放送された。2009年には舞台化され、劇団スタジオライフによって上演。2022年に再び舞台化予定。",
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"text": "次世代編『フルーツバスケットanother』が『花とゆめONLINE』、のち『マンガPark』で2015年9月4日から不定期連載され、2018年12月3日で最終話を一度迎えたあと、完結話の第13話が2020年4月6日から2020年5月4日まで不定期連載された。",
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"text": "草摩家の分家宅に居候することになった主人公・本田透と、動物憑きの奇妙な体質を持つ草摩家の面々との交流を中心に描く。連載当初は「ホームコメディ」と掲載雑誌で紹介されていたが、作者自身は「コメディ」を意識してはいない、と単行本内で述べていた。",
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"text": "2001年、第25回講談社漫画賞・少女部門受賞。2018年11月時点で単行本の全世界累計発行部数は3000万部を突破している。北米では、2004年にTOKYOPOPより初刊が刊行され、2006年12月の時点において15巻まで刊行。同社最大のヒット作であり、2006年12月6日のTOKYOPOPの公式サイトで、15巻までの累計売上部数が200万部を超えたことが発表された。また、2007年に「もっとも売れている少女マンガ」として、ギネスブックに認定されている。",
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"text": "本田透は都立海原高校に通う女子高生。唯一の家族だった母親を事故で亡くし、小山で一人テント暮らしをしていた。ところがそのテントを張った場所は、同級生の草摩由希の一族が所有する土地だった。何とか交渉し敷地内でのテント暮らしを許可してもらおうとしていた時、土砂崩れでテントも失ってしまい、それがきっかけで由希が暮らす同じ一族の草摩紫呉の家に居候することに。",
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"text": "居候初日、透は草摩一族の秘密を知ってしまう。彼らは代々十二支の物の怪憑きで、異性に抱きつかれると憑かれた獣に変身してしまうという体質だった。",
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"text": "2001年7月5日から同年12月27日までテレビ東京系列にて放送された。全26話。サブタイトルが「第○話...」となっている(話数は漢数字が入る)。最終回の時は「最終回...」。放送前の5月3日には『フルーツバスケットにもうすぐ会える!』という特別番組が放送された。",
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"text": "放送されたのは単行本の1巻から5巻までの全話、5巻までに登場しなかった各十二支(紅野・依鈴は除く)が初登場する話である7・8巻の一部(7巻:37、38、42話 / 8巻:43話の一部・44、45話)、綾女の店の話(6巻:36話)、夾の「本当の姿」の話(6巻:31 - 34話)である。また、キャラクターの性格や設定の変更、物語の重要な伏線部分の消去などが行われている。",
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"text": "紅葉がドイツ人とのハーフである設定は存置されたものの、ドイツ語を話さないキャラクターに設定されたり、依鈴に関わる言動の全カット、透たちの担任教師である繭子が別キャラクターに置き換えられるなどの処置がなされた。また、コメディ要素が強調された形となっており、動物に変身する回数も多くなっている。",
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] | 『フルーツバスケット』は、高屋奈月による日本の漫画。『花とゆめ』(白泉社)において、1998年16号から2006年24号まで連載された(ただし、2000年18号から2001年19号まで作者の体調不良により休載)。全23巻。略称は「フルバ」・「フルバス」など。作者の高屋は「フルバ」と呼称している。 テレビアニメ作品としても制作され、2001年にテレビ東京系列にて放送された。2019年に再びアニメ化され、同年から2021年にかけて3シリーズにわたって放送された。2009年には舞台化され、劇団スタジオライフによって上演。2022年に再び舞台化予定。 次世代編『フルーツバスケットanother』が『花とゆめONLINE』、のち『マンガPark』で2015年9月4日から不定期連載され、2018年12月3日で最終話を一度迎えたあと、完結話の第13話が2020年4月6日から2020年5月4日まで不定期連載された。 | {{pp-vandalism|small=yes}}
{{Infobox animanga/Header
| タイトル = フルーツバスケット
| ジャンル = [[ロー・ファンタジー]]<br />[[ラブコメディ]]<br />[[喜劇#ハートフルコメディ|ハートフルコメディ]]<br />[[ヒューマンドラマ]]
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{{Infobox animanga/Manga
| 作者 = [[高屋奈月]]
| 出版社 = [[白泉社]]
| 掲載誌 = [[花とゆめ]]
| レーベル = [[花とゆめコミックス]]
| 開始号 = 1998年16号
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| 巻数 = 全23巻<br />愛蔵版:全12巻
| 話数 =
}}
{{Infobox animanga/Manga
| タイトル = フルーツバスケットanother
| 作者 = 高屋奈月
| 出版社 = 白泉社
| 掲載誌= 花とゆめONLINE<br />[[マンガPark]]
| レーベル = 花とゆめコミックス
| 開始日 = 2015年9月4日
| 終了日 = 2020年5月4日
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| 話数 =
| インターネット = 1
}}
{{Infobox animanga/TVAnime
| タイトル = フルーツバスケット(2001年)
| 原作 = 高屋奈月
| 監督 = [[大地丙太郎]]
| シリーズ構成 = [[中瀬理香]]
| キャラクターデザイン = [[林明美]]
| 音楽 = [[安部純]]、[[武藤星児]]
| アニメーション制作 = [[スタジオディーン]]
| 製作 = [[テレビ東京]]、[[日本アドシステムズ|NAS]]
| 放送局 = [[TXNネットワーク|テレビ東京系列]]
| 放送開始 = 2001年7月5日
| 放送終了 = 12月27日
| 話数 = 全26話
}}
{{Infobox animanga/TVAnime
| タイトル = フルーツバスケット(2019年)
| 原作 = 高屋奈月
| 監督 = 井端義秀
| シリーズ構成 = [[岸本卓]]
| キャラクターデザイン = 進藤優
| 音楽 = [[横山克]]
| アニメーション制作 = [[トムス・エンタテインメント|TMS/8PAN]]
| 製作 = フルーツバスケット<br />製作委員会
| 放送局 = テレビ東京ほか
| 放送開始 = 1st season:<br />2019年4月6日
| 放送終了 = 9月21日<br />2nd season:<br />2020年4月7日 - 9月22日<br />The Final:<br />2021年4月6日 - 6月29日
| 話数 = 1st season:全25話<ref name="animate20190704">{{Cite news|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1562220370|title=『フルーツバスケット』2クール目、追加声優に上田麗奈さん・大地葉さん・河西健吾さん! 新OP主題歌は大塚愛さん、新ED主題歌は「INTERSECTION」が担当|newspaper=[[アニメイトタイムズ]]|publisher=[[アニメイト]]|date=2019-07-04|accessdate=2019-07-04}}</ref><br />2nd season:全25話<br />The Final:全13話
}}
{{Infobox animanga/OVA
| タイトル = フルーツバスケット -prelude-
| 原作 = 高屋奈月
| 監督 = 井端義秀
| 脚本 = 岸本卓
| キャラクターデザイン = 進藤優
| 音楽 = 横山克
| アニメーション制作 = トムス・エンタテインメント
| 製作 = フルーツバスケット<br />製作委員会
| 発売日 =
| 開始 = 2022年2月18日
| 終了 = (劇場上映)
| 収録時間 =
| 話数 = 全1話
}}
{{Infobox animanga/Footer
| ウィキプロジェクト = [[プロジェクト:漫画|漫画]]・[[プロジェクト:アニメ|アニメ]]
| ウィキポータル = [[Portal:漫画|漫画]]・[[Portal:アニメ|アニメ]]
}}
『'''フルーツバスケット'''』は、[[高屋奈月]]による[[日本]]の[[漫画]]。『[[花とゆめ]]』([[白泉社]])において、1998年16号から2006年24号まで連載された(ただし、2000年18号から2001年19号まで作者の体調不良により休載)。全23巻。略称は「フルバ」・「フルバス」など。作者の高屋は「フルバ」と呼称している。
[[テレビアニメ]]作品としても制作され、2001年に[[TXNネットワーク|テレビ東京系列]]にて放送された。2019年に再びアニメ化され、同年から2021年にかけて3シリーズにわたって放送された。2009年には舞台化され、劇団[[スタジオライフ]]によって上演。2022年に再び舞台化予定。
次世代編『'''フルーツバスケットanother'''』が『花とゆめONLINE』、のち『[[マンガPark]]』で2015年9月4日から不定期連載され、2018年12月3日で最終話を一度迎えたあと<ref>{{Twitter status2|n_takaya77|1069393104036257792|2018年12月3日|accessdate=2023-06-25}}</ref>、完結話の第13話が2020年4月6日<ref>{{Twitter status2|HanaYume|1245296530594004992|2020年4月1日|accessdate=2023-06-25}}</ref>から2020年5月4日<ref>{{Twitter status2|n_takaya77|1257087645500366848|2020年5月4日|accessdate=2023-06-25}}</ref>まで不定期連載された。
== 概要 ==
草摩家の分家宅に居候することになった主人公・本田透と、動物憑きの奇妙な体質を持つ草摩家の面々との交流を中心に描く。連載当初は「ホームコメディ」と掲載雑誌で紹介されていたが、作者自身は「コメディ」を意識してはいない、と単行本内で述べていた。
2001年、第25回[[講談社漫画賞]]・少女部門受賞。2018年11月時点で単行本の全世界累計発行部数は3000万部を突破している<ref name="natalie20181120">{{Cite news|title=「フルーツバスケット」全編アニメ化!石見舞菜香、島崎信長、内田雄馬、中村悠一出演 |newspaper=[[コミックナタリー]]|publisher=ナターシャ|date=2018-11-20|url=https://natalie.mu/comic/news/308544|accessdate=2018-11-20}}</ref>。北米では、2004年に[[TOKYOPOP]]より初刊が刊行され、2006年12月の時点において15巻まで刊行。同社最大のヒット作であり、2006年12月6日のTOKYOPOPの公式サイトで、15巻までの累計売上部数が200万部を超えたことが発表された<ref>{{Cite news|url=https://animeanime.jp/article/2006/12/08/1319.html|title=英語版フルーツバスケット 累計200万部突破(12/8)|newspaper=アニメ!アニメ!|publisher=イード|date=2006-12-08|accessdate=2019-07-04}}</ref>。また、2007年に「もっとも売れている少女マンガ」として、[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]に認定されている<ref>[[クレイグ・グレンディ]]編『ギネス世界記録2008』([[ポプラ社]]、2007年)</ref>。
== あらすじ ==
{{不十分なあらすじ|date=2013年3月}}
'''本田透'''は都立海原高校に通う女子高生。唯一の家族だった母親を事故で亡くし、小山で一人テント暮らしをしていた。ところがそのテントを張った場所は、同級生の'''草摩由希'''の一族が所有する土地だった。何とか交渉し敷地内でのテント暮らしを許可してもらおうとしていた時、土砂崩れでテントも失ってしまい、それがきっかけで由希が暮らす同じ一族の'''草摩紫呉'''の家に居候することに。
居候初日、透は草摩一族の秘密を知ってしまう。彼らは代々十二支の物の怪憑きで、異性に抱きつかれると憑かれた獣に変身してしまうという体質だった。
== 設定 ==
; [[十二支]]
: 草摩家で生まれつき[[物の怪]]が憑いている者は、異性に抱きつかれたり(また自分が抱きついたり、抱きとめたり)身体が弱ったりすると憑かれた動物に変身する。それは数百年前の「神」と「十二支」との契約の証であり、彼らにとっては「呪い」とも「絆」とも呼べるものである。
: 親や兄弟同士であっても異性である限りは変身してしまうが、物の怪憑き同士や「神」である人間に抱きついたり抱きつかれても変身はしない。
: 物の怪憑きの者の特徴としては、「通常の出産予定日より数か月早く生まれる」「生まれつき毛髪や目の色が憑かれた動物の色である」「優秀な人物である(ことが多い)」など。連載初期には「憑かれた動物と同じ種類の動物の遠吠えによる言葉がわかったり(紫呉)、数を集めて泥を掘り返す作業をさせる(由希)」描写もある。
: 変身する動物は「十二支」+「猫」の13種。なお、物の怪憑きは1匹の獣につき1人であり、同時に同じ物の怪に憑かれている人間は存在しない為、最高で13人となり一族の中でも特別な存在。
; 猫
: 草摩家の物の怪憑きの一種で「十二支」の仲間外れの存在。
: 通常の猫の姿の他に醜く腐敗臭を放つ異形の姿である「本来の姿」が存在し、猫憑きの人間にのみ受け継がれる数珠をつけて封印しなければ人間の姿を保つことは出来ない。そのため数珠が外れた瞬間「本来の姿」と変わってしまうが、逆に数珠さえつけていれば、他の物の怪憑きたちのように異性に抱き付かれると普通の猫に変身するだけに留まる。
: これは数百年前の「神」と「十二支」の契約を、猫だけが唯一拒否したことに由来している。
; 神
: 13人の物の怪憑き達と共に草摩家に生まれる、「十二支」の魂を統べる特別な存在。草摩の歴史を遡っても「神」は生まれにくいとされている。
: 物の怪憑きたちのように動物に変身することはなく、いたって普通の人間の姿で生まれるが、この世に生まれた瞬間から十二支たちの魂を支配しており、十二支たちは本能的に「神」を思い慕い、逆らうことが出来なくなる。
: その存在は、数百年前に人間との関わりを絶ち「十二支」と契約を結んだ神様に由来している。
; 草摩家
: 代々十二支の秘密を背負う、古くから続く名家。家格は極めて高く、同様に経済力も並大抵ではない。旧来よりのしきたりや派閥争いも多く、それに由来する重圧が、各登場人物達に多くの心の傷を負わせてしまっている。
: 十二支や十二支の家族、当主は本家と本家の敷地内にある「中」と呼ばれる住宅に、遠い親戚筋などの分家は敷地外である「外」に住むことが通例になっており、草摩家の人物であっても「外」の者は十二支の秘密を知らない者も多い。十二支(+猫)が全員揃っていない限りはいつ物の怪憑きの者が生まれるか分からないため、「中」「外」に限らず婚姻や住居、十二支達の進学や就職先など一切のことは当主の許可が必要である。
: 十二支の仲間外れであり、異形の姿となる猫憑きの人間は、高校卒業後に死ぬまで幽閉されることがしきたりで決まっている(当主の許可さえあれば、結婚や子供を作ること自体は可能であり、本編中では草摩籍真の祖父が世話役の女性と結婚している)。
: 草摩家には美形の人間が多く、「美形の家系」とよく言われるが、本人たちには自覚がない様子。
== 登場人物 ==
{{Main|フルーツバスケットの登場人物}}
; 本田 透(ほんだ とおる)
: 本作の主人公。海原高校に通う。幼くして父を亡くし、高校生になってから、とある年の5月に<ref>原作1巻1話</ref>母も事故で失った少女。以降父方の実家に引き取られるが、同居している叔母一家との折り合いが悪く、ビル清掃のアルバイトで生活を賄う。草摩一族の「十二支の呪い」のことを知ってもそのまま受け入れる優しさを持ち、ひたむきな性格だが、天然でどこかズレている一面ももつ。幼い頃に十二支の話を母親から聞いて以来、「猫がかわいそうだから猫年になりたい」と思っている。
: ひょんなことから、同級生・草摩由希の保護者である草摩紫呉の家に居候することになり、草摩一族とかかわりを持ち始める。
; 草摩 由希(そうま ゆき)
: [[子 (十二支)|子(鼠)]]の物の怪憑き。透の同級生。眉目秀麗で文武両道なため校内では学年を越えたファンクラブ「プリンス・ユキ」が存在するほどの人気者だが、中性的な顔へのコンプレックスも抱えており、人気者という自覚はない。気管支炎が持病で、幼い頃はたびたび発作を起こすなど、身体が弱かった。
: 夾とは犬猿の仲だが、彼の人を惹き付ける人格を羨ましいとも思っている。
; 草摩 夾(そうま きょう)
: 十二支に入れなかった[[猫]]の物の怪憑き。透や由希とは同学年。ぶっきらぼうで短気な性格だが、その本質は優しさに溢れる。透が紫呉の元に居候することになった初日に由希に喧嘩を売りに来て、そのまま居候、さらに海原高校へ編入することになった。
: 呪いのことがコンプレックスとなっており、由希とは犬猿の仲だが、周りから信頼され器用に物事をこなせる由希の才能を羨ましく思っている。
; 草摩 紫呉(そうま しぐれ)
: [[戌|戌(犬)]]の物の怪憑き。小説家。純文学は本名で執筆するが、「きりたにのあ」などのペンネームを使い分け、様々なジャンルで書いている。
: 由希と夾の親戚にあたり、高校進学を機に本家を出た彼らの保護者的役割を担う。年長者として真面目な持論で彼らを諭すこともあるが、普段はふざけた言動ばかりで、本心をはぐらかし考えを明らかにしない。時には冷酷な二面性を見せることもある。
: 綾女、はとりとは幼馴染にしてマブダチトリオ。
; 草摩 慊人(そうま あきと)
: 草摩家当代の当主。物の怪憑きたちにとって[[神|十二支の(神)]]にあたる存在。黒髪にショートカットの華奢な体型で、中性的な美形。
: 母親の命令により、生まれた時より男性として育てられ振舞っているが、実は女性である。この事実は十二支の呪いに並び、草摩家におけるトップシークレットとされている。
: 草摩一族において絶対的な存在として君臨し、十二支憑きの者は彼女に逆らうことが出来ない。父親が望んだ「神」としての人生に縛られており、十二支との絆を何よりも重んじている。
; 草摩 潑春(そうま はつはる)
: [[丑|丑(牛)]]の物の怪憑き。透たちの1学年下の少年。根元が黒い白髪が特徴。普段は物静かでマイペースだが、幼少期から周囲の大人達に、鼠に一番乗りを奪われた間抜けな牛と言われ続けてきたため、卑屈でキレやすい一面も持つようになった。今でもキレると性格が豹変し、普段の温厚な性格と対比して「ブラック」と呼ばれるほど手が付けられない状態に変貌してしまう。ブラック化を防ぐため大人たちの勧めで武術を習っていたこともあるが、それが災いし、ブラック化した際は興奮状態の楽羅ほどではないが物理的被害が出ることも。同じ物の怪憑きの依鈴とは恋仲。
; 草摩 杞紗(そうま きさ)
: [[寅|寅(虎)]]の物の怪憑き。透たちの4学年下の少女。物の怪憑き特有の髪と目の色が原因で学校で苛めにあう。元々の引っ込み思案で大人しい性格も災いし、ショックで失語症を患うが、透や由希の支えをきっかけに少しずつ前へ進む勇気を得て次第に改善。以降は学校にも通い始め、透と顔を合わせる度にハートを飛ばしながら「きゅうっ」と抱き合うのがお約束となる。同じ物の怪憑きの燈路とは友達以上恋人未満な関係。
; 草摩 紅葉(そうま もみじ)
: [[卯|卯(兎)]]の物の怪憑き。ドイツ人とのハーフで金髪が特徴の少年。少女のような幼い外見のため年齢が分かりにくいが、透たちの1学年下。外見の幼さに反して、内面は非常に大人びている。透が清掃のアルバイトをしているビルの所有者は実父で、モモという妹がいる。物の怪憑きの中では珍しく人前で変身することを厭わず、透に抱き着いては由希や夾を慌てさせる。
: 当初は女子生徒のセーラー服に私物の短パンという服装で登校していたが物語後半には背が伸びて少年らしくなり、男子生徒の制服を着ている。
; 草摩 はとり(そうま はとり)
: [[辰|辰(龍)]]の物の怪憑き。しかし変身するのは[[タツノオトシゴ]]なのでコンプレックスとなっている。草摩家専属の主治医で、家に代々伝わる「記憶の隠蔽術」を持っており、草摩家の秘密を知った人間の記憶隠蔽も担当する。過去に、慊人の激高が原因で左目の視力を失っている。
: マブダチトリオの一人(自身はそう呼ばない)で自由奔放な紫呉と綾女をうまく扱える、数少ない人物のうちの一人。
; 草摩 綾女(そうま あやめ)
: 由希の兄で[[巳|巳(蛇)]]の物の怪憑き。女性向け服飾店「あやめ」を経営している。王様気質で、高校時代は生徒会長としてそのカリスマ性を発揮していた。由希に対して結構な兄バカっぷりを見せる。由希が生徒会入りした後、「あやめ」の従業員とともに生徒会室を訪れ、その振る舞いに憧れた真鍋翔に「司令」と呼ばれるようになる。
: はとりのことを尊敬しており、はとりの言うことだけは聞くため、学生時代ははとりが世話役に任命されていた。マブダチトリオの一人。
; 草摩 依鈴(そうま いすず)
: [[午|午(馬)]]の物の怪憑き。透たちの1学年上で長い黒髪が特徴の孤独な美女。両親に虐待された過去があり、現在は楽羅の家に引き取られ一緒に暮らしているが、精神的に不安定で入退院を繰り返している。
: 恋人である潑春を呪いから解放したい一心でその方法を探っている。
; 草摩 燈路(そうま ひろ)
: [[未|未(羊)]]の物の怪憑き。透たちの5学年下の少年。やや天然な母の元で育ったためか、ボキャブラリーが豊富かつ詰問調でしゃべる癖がある。そのため生意気な印象を周囲に与え、年長者に対しても素直になれない。十二支最年少であり、年の近い杞紗に淡い感情を持っているが、慊人に杞紗への好意を打ち明けたことが原因で彼女が入院することになってしまったことを深く後悔しており、それからは杞紗を一生守ると誓っている。作中で妹の日向(ひなた)が生まれて兄になった。
; 草摩 利津(そうま りつ)
: [[申|申(猿)]]の物の怪憑き。私立大学に通う、女性的美貌を持った青年。劣等感の塊のような性格で、何かあるとすぐに自分が悪いと思い込んでしまう。誰に対しても低姿勢で、些細な不満や皮肉に敏感に反応し、泣き叫びながら謝りまくる。気の弱さゆえに男の格好をすると萎縮するため、普段から振袖で女装をしている。楽羅とは幼い頃に服を借りたりしていた関係で仲がよい。
; 草摩 紅野(そうま くれの)
: [[酉|酉(鶏)]]の物の怪憑き。当主である慊人の仕事の補佐役に就任している。行動の基準が慊人を優先することに終始するため自我を抑えている節がある。最も早く呪いが解けており、そのため作中で変身した姿は描かれていない。呪いが解けているため「神様」への本能的な思慕の念は消えている。
; 草摩 楽羅(そうま かぐら)
: [[亥|亥(猪)]]の物の怪憑き。猫が好きなあまり、リュックなどを手作りしている少女。透たちより2学年年上で、幼い頃から夾に片思いしている。夾の義父の元で武道を学んでいたこともあるため、興奮すると夾に技をかけたりもする。また、興奮した際は手が付けられなくなり、猪のごとく猛ダッシュしてきたり怪力を発揮したり限度というものを忘れてしまうため物理的被害もかなり大きい。
; 魚谷 ありさ(うおたに ありさ)
: 透の中学からの友人。元[[ヤンキー (不良少年)|ヤンキー]]で、暴走族にいた過去もあるが、憧れであった、伝説の「赤い蝶」(実は透の母親)に救われ、足を洗った。
: ヤンキー時代の名残で制服のスカート丈が非常に長い。編入してきた夾とはよく[[漫才|ドツキ漫才]]のようなやり取りを繰り広げる。
; 花島 咲(はなじま さき)
: 透の中学からの友人。他人の思念を電波のように受け取ったり、悪意を込めた思念を相手に送り込む謎の能力を持ち、常に黒い服をまとう(両手の爪には黒のマニキュアをしている)ため、クラスメイトの大半や透が関わった十二支の関係者に恐れられている。
: 本人曰く「電波で人の心は読めない」が、そうと疑わせる描写も多い。成績はあまりよくない(追試・補習の常連)。恵(めぐみ)という中学生の弟がいる。
== 書誌情報 ==
=== 漫画 ===
* 高屋奈月 『フルーツバスケット』 白泉社〈花とゆめコミックス〉、全23巻
*# 1999年1月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/40977/ |title=フルーツバスケット 1 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17161-6}}
*# 1999年6月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/40979/ |title=フルーツバスケット 2 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17162-4}}
*# 1999年9月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/40981/ |title=フルーツバスケット 3 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17163-2}}
*# 2000年1月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/40983/ |title=フルーツバスケット 4 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17164-0}}
*# 2000年4月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/40985/ |title=フルーツバスケット 5 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17165-9}}
*# 2000年8月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/40987/ |title=フルーツバスケット 6 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17166-7}}
*# 2001年8月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/40989/ |title=フルーツバスケット 7 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17167-5}}
*# 2002年1月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/40991/ |title=フルーツバスケット 8 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17168-3}}
*# 2002年6月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/40993/ |title=フルーツバスケット 9 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17169-1}}
*# 2002年10月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/40995/ |title=フルーツバスケット 10 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17170-5}}
*# 2003年2月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41197/ |title=フルーツバスケット 11 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17881-5}}
*# 2003年6月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41199/ |title=フルーツバスケット 12 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17882-3}}
*# 2003年11月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41201/ |title=フルーツバスケット 13 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17883-1}}
*# 2004年4月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41203/ |title=フルーツバスケット 14 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17884-X}}
*# 2004年9月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41205/ |title=フルーツバスケット 15 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17885-8}}
*# 2005年1月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41207/ |title=フルーツバスケット 16 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17886-6}}
*# 2005年5月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41209/ |title=フルーツバスケット 17 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17887-4}}
*# 2005年9月16日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41211/ |title=フルーツバスケット 18 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17888-2}}
*# 2006年1月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41213/ |title=フルーツバスケット 19 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-17889-0}}
*# 2006年5月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41422/ |title=フルーツバスケット 20 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-18400-9}}
*# 2006年9月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41424/ |title=フルーツバスケット 21 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|4-592-18401-7}}
*# 2007年1月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/44189/ |title=フルーツバスケット 22 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-18402-7}}
*# 2007年3月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/44191/ |title=フルーツバスケット 23 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-18403-4}}
* 高屋奈月 『フルーツバスケットanother』 白泉社〈花とゆめコミックス〉、全4巻
*# 2016年8月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46910/ |title=フルーツバスケットanother 1 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21851-7}}
*# 2017年9月20日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/50122/ |title=フルーツバスケットanother 2 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21852-4}}
*# 2019年3月20日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/53920/ |title=フルーツバスケットanother 3 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21853-1}}
*# 2022年2月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/62384/ |title=フルーツバスケットanother 4 |publisher=白泉社 |accessdate=2022-02-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21854-8}}
* 高屋奈月 『愛蔵版 フルーツバスケット』 白泉社〈花とゆめコミックス〉、全12巻
*# 2015年9月4日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46857/ |title=愛蔵版 フルーツバスケット 1 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21811-1}}
*# 2015年9月4日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46859/ |title=愛蔵版 フルーツバスケット 2 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21812-8}}
*# 2015年10月20日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46861/ |title=愛蔵版 フルーツバスケット 3 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21813-5}}
*# 2015年11月20日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46863/ |title=愛蔵版 フルーツバスケット 4 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21814-2}}
*# 2015年12月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46865/ |title=愛蔵版 フルーツバスケット 5 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21815-9}}
*# 2016年1月20日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46867/ |title=愛蔵版 フルーツバスケット 6 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21816-6}}
*# 2016年2月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46869/ |title=愛蔵版 フルーツバスケット 7 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21817-3}}
*# 2016年3月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46871/ |title=愛蔵版 フルーツバスケット 8 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21818-0}}
*# 2016年4月20日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46873/ |title=愛蔵版 フルーツバスケット 9 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21819-7}}
*# 2016年5月20日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46875/ |title=愛蔵版 フルーツバスケット 10 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21820-3}}
*# 2016年6月20日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46877/ |title=愛蔵版 フルーツバスケット 11 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21821-0}}
*# 2016年7月20日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/46879/ |title=愛蔵版 フルーツバスケット 12 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-21822-7}}
=== 関連書籍 ===
* 『フルーツバスケットキャラクターブック』2001年7月18日発行、{{ISBN2|4-592-73185-9}}
* 『高屋奈月画集「フルーツバスケット」』2004年4月16日発行、{{ISBN2|4-592-73220-0}}
* 『フルーツバスケット ファンブック〔猫〕』2005年5月19日発行(同日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/41496/ |title=フルーツバスケット ファンブック〔猫〕 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>)、{{ISBN2|4-592-18888-8}}
* 『フルーツバスケット ファンブック〔宴〕』2007年3月19日発行(同日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/44843/ |title=フルーツバスケット ファンブック〔宴〕 |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>)、{{ISBN2|978-4-592-18898-8}}
* 『フルーツバスケット アニメ1st season 高屋奈月 Illustrations』2020年7月20日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/57649/ |title=フルーツバスケット アニメ1st season 高屋奈月 Illustrations |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-22771-7}}
* 『フルーツバスケット アニメ2nd season 高屋奈月 Illustrations』2021年3月19日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/59643/ |title=フルーツバスケット アニメ2nd season 高屋夏樹 Illustrations |publisher=白泉社 |accessdate=2021-10-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-22772-4}}
* 『フルーツバスケット アニメThe Final 高屋奈月 Illustrations』2022年2月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hakusensha.co.jp/comicslist/62385/ |title=フルーツバスケット アニメThe Final 高屋奈月 Illustrations |publisher=白泉社 |accessdate=2022-02-18}}</ref>、{{ISBN2|978-4-592-22773-1}}
== アニメ ==
=== 2001年版 ===
2001年7月5日から同年12月27日まで[[TXNネットワーク|テレビ東京系列]]にて放送された。全26話。サブタイトルが「第○話…」となっている(話数は漢数字が入る)。最終回の時は「最終回…」。放送前の5月3日には『フルーツバスケットにもうすぐ会える!』という特別番組が放送された。
放送されたのは単行本の1巻から5巻までの全話、5巻までに登場しなかった各十二支(紅野・依鈴は除く)が初登場する話である7・8巻の一部(7巻:37、38、42話 / 8巻:43話の一部・44、45話)、綾女の店の話(6巻:36話)、夾の「本当の姿」の話(6巻:31 - 34話)である。また、キャラクターの性格や設定の変更、物語の重要な伏線部分の消去などが行われている。
紅葉がドイツ人とのハーフである設定は存置されたものの、ドイツ語を話さないキャラクターに設定されたり、依鈴に関わる言動の全カット、透たちの担任教師である繭子が別キャラクターに置き換えられるなどの処置がなされた。また、コメディ要素が強調された形となっており、動物に変身する回数も多くなっている。
ストーリー構成や各種設定に関して原作者である高屋奈月はアニメ版のシナリオに関わろうとしていたが、製作側の「自由に作らせて欲しい」との断りが尊重されたと監督の[[大地丙太郎]]の著書には記されている。最終回は放送当時、原作が完結していなかったため、アニメ版第1作独自の結末となっている。
監督の大地は、本作の続編を求めるファンの声に対して「フルバのアニメの続きは作れないのです。それは[[岡崎律子]]さんはじめ、あの時にスタッフ全員、全力を出し切ってしまったから。でも、今、思った。こういう風に言われ続けるのは、我々の落ち度でした。半端な作り方をしてしまったのでしょう。ごめんなさい。それでも、続きは作れません」と答えている<ref>{{Cite web|title=大地丙太郎 twitter|work=Twitter|date=2013-09-16|url=https://twitter.com/akitaroh/status/379588494349185024|accessdate=2014-08-16|deadlinkdate=2019-03-08}}</ref>。
放送の15年後の2016年にBlu-ray Boxが発売された。
==== スタッフ ====
* 原作 - [[高屋奈月]]
* 監督 - [[大地丙太郎]]
* 助監督 - [[宮崎なぎさ|宮﨑なぎさ]]
* シリーズ構成 - [[中瀬理香]]
* キャラクターデザイン・総作画監督 - [[林明美]]
* 小物デザイン - 山﨑健志
* 美術監督 - 柴田千佳子
* 色彩設計 - 松本真司
* 撮影監督 - 川口正幸
* 編集 - 松村正宏
* 音楽 - [[安部純]]、[[武藤星児]]
* 音響監督 - 大地丙太郎、[[えびなやすのり]]
* 録音 - 蝦名恭範
* プロデューサー - 小林教子、[[山崎立士|山﨑立士]]
* アニメーションプロデューサー - 野口和紀
* アニメーション制作 - [[スタジオディーン]]
* 製作 - [[テレビ東京]]、[[日本アドシステムズ|NAS]]
==== 主題歌・挿入歌 ====
特に記載のないものの作詞・作曲・唄は[[岡崎律子]]。「For フルーツバスケット」と「小さな祈り」は、後に[[堀江由衣]]が「フルーツバスケット―風色― Song for Yui Horie」にてカバー。オープニングにクレジットされるスタッフは僅かで、大半はエンディングにクレジットされる。
; 「[[For フルーツバスケット]]」
: オープニングテーマ。第7回[[アニメーション神戸]]AM神戸賞(主題歌賞)受賞。
: 監督の大地丙太郎は岡崎に対して「アニメのオープニングっぽくない曲を作って欲しい」と依頼した。「For フルーツバスケット」はもともと仮タイトルで、岡崎はアニメソングを作る時は必ず楽譜に「For 〇〇(歌が使われるアニメのタイトル)」と書いている。大地はそれを見て正式なタイトルだと思って「良いタイトルですね」と言ったと言う。最終的には大地が「これにしましょうよ」と言ったことから「For フルーツバスケット」が正式タイトルになった<ref>『萌える!泣ける!燃える ゼロ年代 珠玉のアニメソングスペシャル』([[日本放送協会|NHK]] [[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]] 2010年12月26日14時30分 - 17時59分)</ref>。
; 「小さな祈り」
: 第25話を除く全話で使用されたエンディングテーマ。
; 「セレナーデ」Pf Solo Ver.
: 第25話で使用された特殊エンディングテーマ。イメージアルバム「四季」収録の同名曲のピアノソロ。
; 「モゲ太の歌」
: この曲のみ作詞は高屋奈月。原作にあった歌詞に曲をつけたもの。サントラCDにはInstrumental ver.しか収録されていなかったが、2016年発売のBlu-ray Boxの音楽CDに初収録された。
==== 各話リスト ====
{| class="wikitable" style="font-size:small"
!話数!!サブタイトル!!脚本!!コンテ!!演出!!作画監督!!初放送日
|-
|1||第一話…||[[中瀬理香]]||[[大地丙太郎]]||[[宮崎なぎさ|宮﨑なぎさ]]||[[林明美]]||'''2001年'''<br />7月5日
|-
|2||第二話…||[[池田眞美子]]||[[そえたかずひろ]]||鈴木芳成||波風立流||7月12日
|-
|3||第三話…||[[伊丹あき]]||鈴木輪流郎||秦義人||佐々木敏子||7月19日
|-
|4||第四話…||中瀬理香||大地丙太郎||六反田等||[[山本佐和子]]||7月26日
|-
|5||第五話…||池田眞美子||colspan="2" style="text-align:center"|[[後藤圭二]]||[[外崎春雄]]||8月2日
|-
|6||第六話…||伊丹あき||ボブ白旗||鈴木芳成||波風立流||8月9日
|-
|7||第七話…||中瀬理香||そえたかずひろ||秦義人||佐々木敏子||8月16日
|-
|8||第八話…||池田眞美子||colspan="2" style="text-align:center"|[[平松禎史]]||林明美||8月23日
|-
|9||第九話…||伊丹あき||そえたかずひろ||宮下新平||門上洋子||8月30日
|-
|10||第十話…||中瀬理香||[[西村純二]]||鈴木芳成||外崎春雄||9月6日
|-
|11||第十一話…||池田眞美子||colspan="2" style="text-align:center"|[[大塚雅彦]]||関口雅浩||9月13日
|-
|12||第十二話…||中瀬理香||[[玉野陽美]]||秦義人||佐々木敏子||9月20日
|-
|13||第十三話…||池田眞美子||ボブ白旗||宮下新平||林明美||9月27日
|-
|14||第十四話…||伊丹あき||colspan="2" style="text-align:center"|鈴木輪流郎||奈良崎早苗||10月4日
|-
|15||第十五話…||中瀬理香||ボブ白旗||鈴木芳成||外崎春雄||10月11日
|-
|16||第十六話…||池田眞美子||colspan="2" style="text-align:center"|宮下新平||関口雅浩||10月18日
|-
|17||第十七話…||伊丹あき||玉野陽美||秦義人||佐々木敏子||10月25日
|-
|18||第十八話…||池田眞美子||colspan="2" style="text-align:center"|[[長濱博史]]||林明美||11月1日
|-
|19||第十九話…||中瀬理香||そえたかずひろ||秦義人||佐々木敏子||11月8日
|-
|20||第二十話…||伊丹あき||大地丙太郎||colspan="2" style="text-align:center"|外崎春雄||11月15日
|-
|21||第二十一話…||中瀬理香||colspan="2" style="text-align:center"|鈴木芳成||奈良崎早苗||11月22日
|-
|22||第二十二話…||伊丹あき||colspan="2" style="text-align:center"|後藤圭二||佐々木敏子||11月29日
|-
|23||第二十三話…||池田眞美子||玉野陽美||rowspan="2" colspan="2" style="text-align:center"|外崎春雄||12月6日
|-
|24||第二十四話…||伊丹あき||大地丙太郎||12月13日
|-
|25||第二十五話…||池田眞美子||colspan="2" style="text-align:center"|長濱博史||関口雅浩||12月20日
|-
|26||最終回…||中瀬理香||平松禎史||宮﨑なぎさ||林明美||12月27日
|}
{{前後番組
| 放送局 = [[TXNネットワーク|テレビ東京系列]]
| 放送枠 = [[テレビ東京平日夕方6時枠のアニメ|木曜 18:00 - 18:30 枠]]
| 番組名 = フルーツバスケット<br />(2001年7月5日 - 12月27日)
| 前番組 = [[ウッディー・ウッドペッカー (1999年のテレビアニメ)|ウッディー・ウッドペッカー]]<br />(2001年4月5日 - 6月28日)<br />※日曜18:30枠へ移動
| 次番組 = [[七人のナナ]]<br />(2002年1月10日 - 6月27日)
}}
=== 2019年版 ===
[[テレビ東京]]ほかにて2019年4月6日より9月21日まで1st seasonが放送された<ref>{{Cite news|title=アニメ「フルバ」楽羅役は釘宮理恵、紅葉役は潘めぐみ、はつ春役は古川慎|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2019-01-19|url=https://natalie.mu/comic/news/316605|accessdate=2019-01-19}}</ref>。2nd seasonは2020年4月7日より9月22日まで放送された<ref name="natalie20200117">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/363531|title=「フルバ」2nd season今春より放送開始!ダイジェスト&先行映像を盛り込んだPVも|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2020-01-17|accessdate=2020-01-17}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://fruba.jp/news/detail.php?id=1081775|title=TVアニメ「フルーツバスケット」2nd seasonキービジュアル&放送情報ついに解禁!!|work=TVアニメ「フルーツバスケット」公式サイト|accessdate=2020-03-04}}</ref>。最終章に当たるThe Finalは2021年4月6日より6月29日まで放送された<ref name="natalie414261">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/414261|title=「フルーツバスケット」最終章は4月から!ティザービジュ、高屋奈月コメントも|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-01-29|accessdate=2021-01-29}}</ref>。2001年版からスタッフ・キャストは一新され、内容も本編の最後までアニメ化された。
2022年2月18日には、『'''フルーツバスケット -prelude-'''』(フルーツバスケット プレリュード)が[[エイベックス・ピクチャーズ]]の配給により劇場上映された<ref name="animate20211029">{{Cite news|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1635481744|title=アニメ『フルーツバスケット -prelude-』2022年2月18日上映決定!「原作者・高屋奈月描き下ろしビジュアル」初公開、前売券の先行発売情報も到着|newspaper=アニメイトタイムズ|publisher=アニメイト|date=2021-10-29|accessdate=2021-11-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/movie/96023/|title=フルーツバスケット prelude : 作品情報|website=[[映画.com]]|publisher=エイガ・ドット・コム|accessdate=2021-12-02}}</ref>。テレビシリーズを再構成した総集編に加えて、透の両親である今日子と勝也視点の前日譚と、高屋描き下ろしによる透と夾の後日譚が新作映像として描かれる{{R|animate20211029}}。
原作者である高屋奈月が総監修として関わり、新たなアニメ化というオファーに対して、高屋の意向で新たなスタッフ・キャストで作られることになった。また絵も自分の絵に寄せないようにしてほしいという要望から、原作の絵柄とは異なったキャラクターデザインになっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://fruba.jp/special/comment.php|title=原作・総監修|高屋奈月先生コメント|work=TVアニメ「フルーツバスケット」公式サイト|accessdate=2019-03-05}}</ref>。
==== スタッフ(2019) ====
* 原作・総監修 - [[高屋奈月]]{{R|natalie20181120|natalie20200117|natalie414261|animate20211029}}
* 監督 - 井端義秀{{R|natalie20181120|natalie20200117|natalie414261|animate20211029}}
* シリーズ構成(TV) - [[岸本卓]]{{R|natalie20181120|natalie20200117|natalie414261|animate20211029}}
* キャラクターデザイン - 進藤優{{R|natalie20181120|natalie20200117|natalie414261|animate20211029}}
* プロップデザイン - 川崎愛香
* 美術設定 - 藤井祐太
* 美術監督 - 神山瑤子<ref name="youtube20190316">{{Cite video|url=https://www.youtube.com/watch?v=4jgVaA4bxDI|title=TVアニメ「フルーツバスケット」本PV|work=[[YouTube]]|publisher=[[エイベックス・ピクチャーズ|avex pictures]]|time=1:23|date=2019-03-16|accessdate=2019-03-16}}</ref>{{R|natalie20200117|natalie414261|animate20211029}}
* 色彩設計 - 菅原美佳{{R|youtube20190316|natalie20200117|natalie414261|animate20211029}}
* 撮影監督 - 設楽希(2nd第13話まで){{R|youtube20190316|natalie20200117|natalie414261}}→蔡伯崙(2nd第14話以降){{R|natalie414261|animate20211029}}
* 編集 - 肥田文{{R|youtube20190316|natalie20200117|natalie414261}}
* 音響監督 - [[明田川仁]]{{R|youtube20190316|natalie20200117|natalie414261|animate20211029}}
* 音楽 - [[横山克]]{{R|youtube20190316|natalie20200117|natalie414261|animate20211029}}
* 音楽プロデューサー - 橋本彩子
* 音楽制作 - [[トムス・ミュージック]]{{R|youtube20190316|natalie20200117|natalie414261|animate20211029}}
* プロデューサー - 山内未來、吉田雄哉、竹村逸平、矢﨑史、石原史朗(1st第13話まで)→島田明(1st第14話 - 2nd第13話)→髙田英之(2nd第14話 - 第25話)→首藤啓太(Final)、島田靖子、Adam Zehner(2nd第14話以降)
* アニメーションプロデューサー - 伊藤元気
* アニメーション制作 - [[トムス・エンタテインメント|TMS/8PAN]](TV){{R|natalie20181120|natalie20200117|natalie414261}}、トムス・エンタテインメント(prelude){{R|animate20211029}}
* 製作 - フルーツバスケット製作委員会{{R|youtube20190316|natalie20200117|natalie414261|animate20211029}}
==== 主題歌(2019) ====
===== 1st season =====
; 「Again」<ref name="natalie20190316">{{Cite news|title=アニメ「フルーツバスケット」キービジュアル&草摩家一族との出会いを描くPV解禁|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2019-03-16|url=https://natalie.mu/comic/news/324207|accessdate=2019-03-16}}</ref>
: [[Beverly]]による1st season第1クールオープニングテーマ。作詞は坂田麻美、作曲はXYZ、編曲はXYZとSally Cinnamon。
; 「Lucky Ending」{{R|natalie20190316}}
: [[ビッケブランカ]]の作詞・作曲・編曲・歌による1st season第1クールエンディングテーマ。
; 「Chime」{{R|animate20190704}}
: [[大塚愛]]による1st season第2クールオープニングテーマ。作詞・作曲はaio、編曲はaioとhiroo。
; 「One Step Closer」{{R|animate20190704}}
: [[INTERSECTION]]による1st season第2クールエンディングテーマ。作詞は青山ウィリアム、作曲は青山とニコール・モーリア、ドリュー・エリクソン、編曲は瀧田敏広。
===== 2nd season =====
; 「プリズム」<ref name="2ndmusic">{{Cite web|和書|url=https://fruba.jp/blu-ray_dvd_cd/?tag=938|title=主題歌 2nd season|work=TVアニメ「フルーツバスケット」公式サイト|accessdate=2020-07-03}}</ref>
: [[AmPm (音楽ユニット)|AmPm]] feat. [[みゆな]]による2nd season第1クールオープニングテーマ。作詞はみゆな、作曲はAmPmとKris RocheとYoshinori ito、編曲はAmPm。
; 「ad meliora」{{R|2ndmusic}}
: [[THE CHARM PARK]]作詞・作曲・編曲・歌による2nd season第1クールエンディングテーマ。作詞にfifi légerが加わる。
; 「HOME」{{R|2ndmusic}}
: [[土岐麻子]]による2nd season第2クールオープニングテーマ。作詞は土岐、作曲・編曲は[[Tomi Yo|トオミヨウ]]。
; 「Eden」{{R|2ndmusic}}
: [[MONKEY MAJIK]]による2nd season第2クールエンディングテーマ。作詞・作曲はメンバーのMaynardとBlaise。作詞にTAXが加わる。
===== The Final =====
; 「Pleasure」<ref name="finalmusic">{{Cite web|和書|url=https://fruba.jp/blu-ray_dvd_cd/?tag=938|title=主題歌 The Final|work=TVアニメ「フルーツバスケット」公式サイト|accessdate=2021-03-05}}</ref>
: [[WARPs UP]]によるThe finalオープニングテーマ。作詞はkenko-p、作曲・編曲はDaniel JamesとLeah Haywood。
; 「春うらら」{{R|finalmusic}}
: [[GENIC]]によるThe finalエンディングテーマ。作詞は[[五戸力]]と[[GENIC#メンバー|小池竜暉]]と[[GENIC#メンバー|西澤呈]]、作曲は五戸力、編曲は小池竜暉。
===== prelude =====
; 「虹とカイト」<ref>{{Cite web|url=https://fruba-movie.jp/?scroll=music|title=MUSIC|website=「フルーツバスケット-prelude-」|accessdate=2021-12-02}}</ref>
: [[大橋トリオ]]による『prelude』主題歌。作詞はmicca、作曲・編曲は[[大橋トリオ|大橋好規]]。
===== 劇中歌・挿入歌 =====
; 「モゲ太のうた」
: 1st season第3話で使用。作詞は[[高屋奈月]]、作曲・編曲は[[横山克]]、歌はモゲ太([[小桜エツコ]])。
; 「生まれる願い」
: 1st season第5・8・25話およびThe final第13話で使用。作詞はENA☆、作曲・編曲は横山、歌はウタ・アリィ。
; 「馳せる未来」
: 2nd season第18話で使用。作詞はENA☆、作曲・編曲は横山、歌はウタ・アリィ。
==== 各話リスト(2019) ====
{{エピソードリスト/base/header
| LineColor = #2BC463
| Number= 話数
| Title = サブタイトル
| Aux1 = 脚本
| Aux2 = 絵コンテ
| Aux3 = 演出
| Aux4 = {{nobr|作画監督}}
| Aux5 = {{nobr|総作画監督}}
| Aux6 = {{nobr|初放送日}}
| TableStyle = font-size:small
}}
{{エピソードリスト/base
| Chapter = 1st season<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/fruba/episodes/|title=エピソード|website=フルーツバスケット テレビ東京アニメ公式|publisher=テレビ東京|accessdate=2021-11-09}}</ref>
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第1話
| Title = 行ってきます
| Aux1 = [[岸本卓]] | Aux1RowSpan = 3
| Aux2 = 井端義秀 | Aux2ColSpan = 2
| Aux4 = {{hlist-comma|岩岡優子|重松佐和子|関口亮輔|米本奈苗}}
| Aux5 = 進藤優
| Aux6 = '''2019年'''<br />4月6日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第2話
| Title = みなさんが動物なんです!
| Aux2 = 井端義秀 | Aux2RowSpan = 4
| Aux3 = 鈴木孝聡
| Aux4 = {{hlist-comma|岩田芳美|小沢久美子|[[亀谷響子]]|出野喜則|中島裕里}}
| Aux5 = {{hlist-comma|進藤優|[[番由紀子]]}}
| Aux6 = 4月13日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第3話
| Title = 大貧民をやりましょう
| Aux3 = {{hlist-comma|西尾良寛|井端義秀}}
| Aux4 = {{hlist-comma|岩田芳美|杉本幸子}}
| Aux5 = 金子美咲
| Aux6 = 4月20日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第4話
| Title = なにどしの方なのですか?
| Aux1 = {{nobr|木戸雄一郎}}
| Aux3 = 工藤寛顕
| Aux4 = {{hlist-comma|國井実可子|野口夫一}}
| Aux5 = 竹本佳子
| Aux6 = 4月27日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第5話
| Title = 勘違いをしていました
| Aux1 = 岸本卓 | Aux1RowSpan = 2
| Aux3 = いがりたかし
| Aux4 = 大沢美奈
| Aux5 = 番由紀子
| Aux6 = 5月4日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第6話
| Title = お邪魔させてもらおうかしら
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|西尾良寛}}
| Aux3 = 備前克彦
| Aux4 = {{hlist-comma|をがわいちろを|林弘子|吉森直子}}
| Aux5 = {{hlist-comma|金子美咲|竹本佳子}}
| Aux6 = 5月11日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第7話
| Title = 春になりますね
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = 西澤晋
| Aux3 = 高島大輔
| Aux4 = {{hlist-comma|岩田芳美|桑原麻衣|出野喜則|堀江由美|米本奈苗}}
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|徳永さやか}}
| Aux6 = 5月18日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第8話
| Title = 行ってらっしゃい
| Aux1 = 岸本卓
| Aux2 = 井端義秀
| Aux3 = 鈴木孝聡
| Aux4 = {{hlist-comma|小沢久美子|亀谷響子|中島裕里}}
| Aux5 = {{hlist-comma|金子美咲|竹本佳子}}
| Aux6 = 5月25日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第9話
| Title = 由希は俺の初恋だから
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|柴田裕介}}
| Aux3 = {{hlist-comma|西尾良寛|井端義秀}}
| Aux4 = {{hlist-comma|岩岡優子|杉本幸子|米本奈苗}}
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|亀谷響子}}
| Aux6 = 6月1日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = {{nobr|第10話}}
| Title = だって、バレンタインだもん
| Aux1 = 岸本卓
| Aux2 = 榎本明広
| Aux3 = 工藤寛顕
| Aux4 = {{hlist-comma|國井実可子|菅野智之|飯飼一幸}}
| Aux5 = {{hlist-comma|金子美咲|竹本佳子}}
| Aux6 = 6月8日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第11話
| Title = とってもステキなお宿です
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = 羽原久美子
| Aux3 = 平向智子
| Aux4 = 大沢美奈
| Aux5 = 番由紀子
| Aux6 = 6月15日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第12話
| Title = 楽しそうだね
| Aux1 = 岸本卓 | Aux1RowSpan = 2
| Aux2 = [[林直孝 (アニメ演出家)|林直孝]]
| Aux3 = 備前克彦
| Aux4 = {{hlist-comma|菅野智之|重松佐和子|阿部島瑠珠|大森理恵|吉森直子}}
| Aux5 = {{hlist-comma|金子美咲|竹本佳子}}
| Aux6 = 6月22日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第13話
| Title = 元気でいたかな? 我が弟よっ
| Aux2 = 釘宮洋
| Aux3 = 徳野雄士
| Aux4 = {{hlist-comma|小松香苗|久松沙希|米本奈苗}}
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|亀谷響子}}
| Aux6 = 6月29日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第14話
| Title = ヒミツだよ
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = 西澤晋
| Aux3 = いがりたかし
| Aux4 = {{hlist-comma|岩田芳美|杉本幸子|鈴木理沙}}
| Aux5 = {{hlist-comma|金子美咲|竹本佳子}}
| Aux6 = 7月6日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第15話
| Title = そうでもないさ
| Aux1 = 岸本卓 | Aux1RowSpan = 2
| Aux2 = いがりたかし
| Aux3 = 鈴木理人
| Aux4 = {{hlist-comma|橋本航平|中澤あこ}}
| Aux5 = 番由紀子
| Aux6 = 7月13日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第16話
| Title = 踏むなっつってんだろが!
| Aux2 = 羽原久美子
| Aux3 = 鈴木孝聡
| Aux4 = {{hlist-comma|岩岡優子|小沢久美子|桑原麻衣}}
| Aux5 = {{hlist-comma|金子美咲|竹本佳子|徳永さやか|番由紀子}}
| Aux6 = 7月20日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第17話
| Title = うおちゃんの分ですっ!
| Aux1 = 木戸雄一郎 | Aux1RowSpan = 3
| Aux2 = 西澤晋
| Aux3 = {{hlist-comma|西尾良寛|井端義秀}}
| Aux4 = {{hlist-comma|大沢美奈|岩岡優子}}
| Aux5 = 番由紀子
| Aux6 = 7月27日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第18話
| Title = 大切なのは……
| Aux2 = 林直孝
| Aux3 = 土屋康郎
| Aux4 = {{hlist-comma|小松香苗|久松沙希|堀江由美|出野喜則}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|金子美咲|秋山由樹子}}
| Aux6 = 8月3日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第19話
| Title = ごめんなさいーっ
| Aux2 = いがりたかし
| Aux3 = {{hlist-comma|池田智美|鈴木孝聡|平向智子|井端義秀}}
| Aux4 = {{hlist-comma|菅野智之|鈴木理沙|杉本幸子|西尾良寛|二宮奈那子|次橋有紀|[[寿門堂]]}}
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|秋山由樹子|金子美咲|亀谷響子|徳永さやか}}
| Aux6 = 8月10日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第20話
| Title = 何マジで拾ってんのさ
| Aux1 = 岸本卓 | Aux1RowSpan = 3
| Aux2 = 小川優樹
| Aux3 = 山田晃
| Aux4 = 大谷道子
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|金子美咲|秋山由樹子}}
| Aux6 = 8月17日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第21話
| Title = 売られた電波は買わなくちゃ
| Aux2 = 大嶋博之
| Aux3 = 野木森達也
| Aux4 = {{hlist-comma|岩田芳美|桑原麻衣|杉本幸子|鈴木奈都子}}
| Aux5 = {{hlist-comma|秋山由樹子|番由紀子}}
| Aux6 = 8月24日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第22話
| Title = だって嬉しかったのよ
| Aux2 = 林直孝
| Aux3 = 鈴木孝聡
| Aux4 = {{hlist-comma|岩岡優子|小沢久美子|中島裕里|堀江由美}}
| Aux5 = {{hlist-comma|金子美咲|竹本佳子}}
| Aux6 = 8月31日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第23話
| Title = 元気そうだな……
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = [[後藤圭二]]
| Aux3 = 殿勝秀樹
| Aux4 = {{hlist-comma|中村純子|杉本幸子|鈴木奈都子|門智昭|江森真理子|二宮奈那子}}
| Aux5 = {{hlist-comma|秋山由樹子|番由紀子|金子美咲|竹本佳子}}
| Aux6 = 9月7日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第24話
| Title = 帰りましょう
| Aux1 = 岸本卓 | Aux1RowSpan = 2
| Aux2 = 井端義秀
| Aux3 = 川越崇弘
| Aux4 = {{hlist-comma|岩田芳美|小松香苗|杉本幸子|鈴木理沙|出野喜則}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|金子美咲}}
| Aux6 = 9月14日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第25話
| Title = もうすぐ夏がやってきます
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|林直孝}}
| Aux3 = {{hlist-comma|井端義秀|鈴木孝聡}}
| Aux4 = {{hlist-comma|大沢美奈|岩岡優子|小沢久美子|菅野智之|小松香苗|鈴木奈都子|竹本佳子|中島裕里|堀江由美}}
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|秋山由樹子|徳永さやか|亀谷響子}}
| Aux6 = 9月21日
}}
{{エピソードリスト/base
| Chapter = 2nd season<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/fruba2/episodes/|title=エピソード|website=フルーツバスケット 2nd season テレビ東京アニメ公式|publisher=テレビ東京|accessdate=2021-11-09}}</ref>
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第1話
| Title = お久しぶりです
| Aux1 = 岸本卓 | Aux1RowSpan = 5
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|羽原久美子}}
| Aux3 = 土屋康郎
| Aux4 = 杉本幸子
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|竹本佳子}}
| Aux6 = '''2020年'''<br />4月7日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第2話
| Title = みんなで素麺食べたりしてね
| Aux2 = 小松達彦
| Aux3 = 鈴木孝聡
| Aux4 = {{hlist-comma|小沢久美子|小松香苗|出野喜則|堀江由美}}
| Aux5 = {{hlist-comma|秋山由樹子|竹本佳子}}
| Aux6 = 4月14日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第3話
| Title = {{nobr|お着替えしましょうか・・・・・♥}}
| Aux2 = 大嶋博之
| Aux3 = 関谷真実子
| Aux4 = {{hlist-comma|秋月彩|岩田芳美|本田創一}}
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|徳永さやか|亀谷響子}}
| Aux6 = 4月21日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第4話
| Title = ふられたんだぁ・・・・・
| Aux2 = [[渡辺正樹]]
| Aux3 = {{nobr|まつもとよしひさ}}
| Aux4 = {{hlist-comma|中村純子|鈴木奈都子|李智悟}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|亀谷響子}}
| Aux6 = 4月28日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第5話
| Title = 待ってろとろろソバー!
| Aux2 = 大嶋博之
| Aux3 = 川越崇弘
| Aux4 = {{hlist-comma|杉本幸子|中村純子|鈴木奈都子}}
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|徳永さやか}}
| Aux6 = 5月5日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第6話
| Title = 馬鹿かい?君は
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|林直孝}}
| Aux3 = {{hlist-comma|井端義秀|土屋康郎|鈴木孝聡|西尾良寛}}
| Aux4 = {{hlist-comma|飯飼一幸|小田真弓|河口千恵|菅野智之|重國浩子|能條理行}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|亀谷響子}}
| Aux6 = 5月12日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第7話
| Title = スイカ割り大会を始めるのよーっ
| Aux1 = 岸本卓
| Aux2 = {{hlist-comma|カネショウオニョン|井端義秀}}
| Aux3 = 土屋康郎
| Aux4 = {{hlist-comma|小沢久美子|加藤万由子|熊田亜輝|出野喜則|藤田晋也|堀江由美|本田創一}}
| Aux5 = {{hlist-comma|徳永さやか|番由紀子}}
| Aux6 = 5月19日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第8話
| Title = だってホントのことだろ
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|鵜飼ゆうき|鈴木理人|藤田晋也}}
| Aux3 = {{hlist-comma|平向智子|池田智美|青柳宏宜}}
| Aux4 = {{hlist-comma|飯飼一幸|井元一彰|岩岡優子|岩田芳美|門智昭|加藤万由子|菅野智之|宍戸久美子|塚本歩|次橋有紀|中村純子|西尾良寛|前田義弘|松下純子|宮西多麻子|森七奈|針生愛里|本田創一|山田香央里|山本里織|小美戸幸代|重松佐和子|能條理行|三浦厚也|南伸一郎|出野喜則}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|亀谷響子}}
| Aux6 = 5月26日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第9話
| Title = 大切な俺の・・・・・
| Aux1 = 岸本卓
| Aux2 = 後藤圭二
| Aux3 = 鈴木孝聡
| Aux4 = {{hlist-comma|秋月彩|鈴木奈都子|中村純子|二宮奈那子}}
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|竹本佳子}}
| Aux6 = 6月2日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第10話
| Title = あなたは・・・・・『誰』ですか?
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|林直孝}}
| Aux3 = 関谷真実子
| Aux4 = {{hlist-comma|小田真弓|熊田亜輝|針生愛里}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|亀谷響子|重國浩子}}
| Aux6 = 6月9日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第11話
| Title = 私だけのものだよ
| Aux1 = 岸本卓
| Aux2 = 渡辺正樹
| Aux3 = まつもとよしひさ
| Aux4 = {{hlist-comma|大庭幸子|小沢久美子|菅野智之|佐藤智子|鈴木奈都子|鈴木裕絵|次橋有紀|中村純子|西尾良寛|二宮奈那子|山中純子|寿門堂}}
| Aux5 = {{hlist-comma|亀谷響子|徳永さやか|番由紀子}}
| Aux6 = 6月16日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第12話
| Title = 俺の代わりに君が泣いた
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = [[名村英敏]]
| Aux3 = 川越崇弘
| Aux4 = {{hlist-comma|佐藤智子|出野喜則|堀江由美|能條理行|秋月彩}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|亀谷響子}}
| Aux6 = 6月23日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第13話
| Title = いいっスよー
| Aux1 = 岸本卓 | Aux1RowSpan = 3
| Aux2 = 大嶋博之
| Aux3 = 土屋康郎
| Aux4 = {{hlist-comma|小沢久美子|河口千恵|菅野智之|鈴木奈都子|中村純子|西尾良寛}}
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|徳永さやか}}
| Aux6 = 6月30日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第14話
| Title = 俺もう死んだっていいや・・・・・
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|鈴木理人|林直孝}}
| Aux3 = 鈴木孝聡
| Aux4 = {{hlist-comma|小田真弓|熊田亜輝|菅野智之|中村純子|森七奈|出野喜則}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|重國浩子|亀谷響子|番由紀子}}
| Aux6 = 7月7日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第15話
| Title = ・・・・・行ってきます
| Aux2 = 鈴木理人
| Aux3 = 馬川奈央
| Aux4 = {{hlist-comma|飯飼一幸|佐藤智子|二宮奈那子|堀江由美}}
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|徳永さやか}}
| Aux6 = 7月14日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第16話
| Title = だからつたえて
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|鈴木理人}} | Aux2RowSpan = 2
| Aux3 = 加瀬渡
| Aux4 = {{hlist-comma|秋月彩|岩田芳美|加藤万由子|角谷知美|出野喜則|山本里織}}
| Aux5 = {{hlist-comma|秋山由樹子|亀谷響子|竹本佳子}}
| Aux6 = 7月21日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第17話
| Title = あります、きっと・・・・・
| Aux1 = 岸本卓
| Aux3 = まつもとよしひさ
| Aux4 = {{hlist-comma|小美戸幸代|鈴木奈都子|中村純子|能條理行|森七奈}}
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|徳永さやか}}
| Aux6 = 7月28日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第18話
| Title = キスしよっか
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = {{nobr|カネショウオニョン}}
| Aux3 = 青柳宏宜
| Aux4 = {{hlist-comma|小沢久美子|宍戸久美子|堀江由美|山中純子}}
| Aux5 = {{hlist-comma|秋山由樹子|重國浩子|竹本佳子|番由紀子}} | Aux5RowSpan = 2
| Aux6 = 8月4日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第19話
| Title = 無いんだ、どこにもっ!
| Aux1 = 岸本卓
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|小沼ゆりか}}
| Aux3 = 鈴木孝聡
| Aux4 = {{hlist-comma|小田真弓|角谷知美|河口千恵|山本里織}}
| Aux6 = 8月11日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第20話
| Title = 大丈夫ですか
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = 渡辺正樹
| Aux3 = 土屋康郎
| Aux4 = {{hlist-comma|岩岡優子|佐藤智子|熊田亜輝}}
| Aux5 = {{hlist-comma|番由紀子|竹本佳子|秋山由樹子|亀谷響子}}
| Aux6 = 8月18日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第21話
| Title = あったんだ。確かに
| Aux1 = 岸本卓
| Aux2 = 鈴木理人
| Aux3 = {{hlist-comma|平向智子|土屋康郎|池田智美}}
| Aux4 = {{hlist-comma|秋月彩|小美戸幸代|能條理行|本田創一|森七奈|山田香央里}}
| Aux5 = {{hlist-comma|秋山由樹子|重國浩子|竹本佳子|徳永さやか|番由紀子}}
| Aux6 = 8月25日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第22話
| Title = 俺は、嫌なんだ!
| Aux1 = 木戸雄一郎 | Aux1RowSpan = 2
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|渡辺正樹|藤田晋也|名村英敏}}
| Aux3 = 青柳宏宜
| Aux4 = {{hlist-comma|岩岡優子|加藤万由子|熊田亜輝|佐藤智子|山本里織}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|秋山由樹子|金子美咲|重國浩子}}
| Aux6 = 9月1日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第23話
| Title = シンデレラっぽいもの!
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|鈴木理人|森あおい}}
| Aux3 = {{hlist-comma|まつもとよしひさ|川越崇弘}}
| Aux4 = {{hlist-comma|堀江由美|河口千恵|宍戸久美子}}
| Aux5 = {{hlist-comma|秋山由樹子|亀谷響子|竹本佳子|徳永さやか|番由紀子}}
| Aux6 = 9月8日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第24話
| Title = 真知がいた
| Aux1 = 岸本卓 | Aux1RowSpan = 2
| Aux2 = 渡辺正樹
| Aux3 = 鈴木孝聡
| Aux4 = {{hlist-comma|岩田芳美|小田真弓|熊田亜輝|鈴木奈都子|能條理行|飯飼一幸}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|金子美咲|重國浩子|秋山由樹子|亀谷響子|徳永さやか}}
| Aux6 = 9月15日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第25話
| Title = ・・・・・俺はもう、違うんだ
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|馬川奈央|重松佐和子}}
| Aux3 = {{hlist-comma|馬川奈央|土屋康郎}}
| Aux4 = {{hlist-comma|堀江由美|河口千恵|中村純子|角谷知美}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|秋山由樹子|金子美咲|重國浩子}}
| Aux6 = 9月22日
}}
{{エピソードリスト/base
| Chapter = The Final<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/fruba3/episodes/|title=エピソード|website=フルーツバスケット The Final テレビ東京アニメ公式|publisher=テレビ東京|accessdate=2021-11-09}}</ref>
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第1話
| Title = また宴を開こう
| Aux1 = 岸本卓
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|小沼ゆりか|重松佐和子}}
| Aux3 = 鈴木孝聡
| Aux4 = {{hlist-comma|岩岡優子|小沢久美子|山本里織}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|金子美咲|秋山由樹子}}
| Aux6 = '''2021年'''<br />4月6日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第2話
| Title = それこそが、揺るぎない事実
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|本吉晃子|本田創一}}
| Aux3 = まつもとよしひさ
| Aux4 = {{hlist-comma|加藤万由子|河口千恵|宍戸久美子|堀江由美}}
| Aux5 = {{hlist-comma|金子美咲|重國浩子|竹本佳子|徳永さやか}}
| Aux6 = 4月13日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第3話
| Title = 降ればいいのに
| Aux1 = 岸本卓
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|本吉晃子}}
| Aux3 = {{hlist-comma|平向智子|川越崇弘}}
| Aux4 = {{hlist-comma|秋月彩|岩田芳美|角谷知美|中村純子|能條理行|針生愛里}}
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| Aux6 = 4月20日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第4話
| Title = ……ただい…ま
| Aux1 = 木戸雄一郎 | Aux1RowSpan = 2
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|上原結花子}}
| Aux3 = 青柳宏宜
| Aux4 = {{hlist-comma|小田真弓|角谷知美|久保茉莉子|熊田亜輝|佐藤智子|鈴木奈都子|徳永さやか|中村純子|西尾良寛|山本里織}}
| Aux5 = {{hlist-comma|秋山由樹子|金子美咲|亀谷響子|重國浩子|竹本佳子}}
| Aux6 = 4月27日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第5話
| Title = だって…わかるでしょう?
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|本田創一}}
| Aux3 = 鈴木孝聡
| Aux4 = {{hlist-comma|堀江由美|河口千恵|加藤万由子|飯飼一幸|佐藤智子|久松沙紀|本田創一}}
| Aux5 = {{hlist-comma|秋山由樹子|重國浩子|竹本佳子}}
| Aux6 = 5月4日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第6話
| Title = なんて、愚かなんだろう
| Aux1 = 岸本卓 | Aux1RowSpan = 2
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|本吉晃子|森あおい}}
| Aux3 = まつもとよしひさ
| Aux4 = {{hlist-comma|岩岡優子|加藤万由子|河口千恵|中本尚|山田香央里|渡部ゆかり}}
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| Aux6 = 5月11日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第7話
| Title = そうだよ、空っぽだ
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|本吉晃子|馬川奈央}}
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| Aux4 = {{hlist-comma|久保茉莉子|佐々木幸恵|宍戸久美子|能條理行|山本里織}}
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| Aux6 = 5月18日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第8話
| Title = そんなん…幻滅だ…
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|本吉晃子|本田創一}}
| Aux3 = 青柳宏宜
| Aux4 = {{hlist-comma|岩田芳美|小田真弓|角谷知美|しまだひであき|本田創一}}
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| Aux6 = 5月25日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第9話
| Title = 貴方の…お名前は?
| Aux1 = 岸本卓
| Aux2 = 鈴木理人
| Aux3 = 鈴木孝聡
| Aux4 = {{hlist-comma|堀江由美|小沢久美子|熊田亜輝|加藤万由子|中村純子|本吉晃子|鈴木奈都子}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|亀谷響子|金子美咲}}
| Aux6 = 6月1日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第10話
| Title = 好きなんだ、ただ…
| Aux1 = 木戸雄一郎
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|本吉晃子|上原結花子}}
| Aux3 = まつもとよしひさ
| Aux4 = {{hlist-comma|河口千恵|久保茉莉子|山本里織|渡部ゆかり|飯飼一幸}}
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| Aux6 = 6月8日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第11話
| Title = さようなら
| Aux1 = 岸本卓 | Aux1RowSpan = 3
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|上原結花子|本吉晃子|小沼ゆりか}}
| Aux3 = {{hlist-comma|鈴木孝聡|川越崇弘}}
| Aux4 = {{hlist-comma|河口千恵|秋月彩|岩岡優子|佐々木幸恵|能條理行|本田創一}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|亀谷響子|番由紀子}}
| Aux6 = 6月15日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第12話
| Title = がんばったね
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|馬川奈央}} | Aux2ColSpan = 2
| Aux4 = {{hlist-comma|宍戸久美子|山本里織|久保茉莉子|岩田芳美|尾形健一郎|小田真弓|河口千恵|佐々木幸恵|西尾良寛|山田香央里}}
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| Aux6 = 6月22日
}}
{{エピソードリスト/base
| Number = 第13話
| Title = いってきます
| Aux2 = {{hlist-comma|井端義秀|本吉晃子|小沼ゆりか}}
| Aux3 = 井端義秀
| Aux4 = {{hlist-comma|河口千恵|久保茉莉子|しまだひであき|鈴木奈都子|中村純子|二宮奈那子|堀江由美|本吉晃子|山本里織}}
| Aux5 = {{hlist-comma|竹本佳子|亀谷響子|重國浩子|番由紀子|金子美咲|進藤優}}
| Aux6 = 6月29日
}}
{{エピソードリスト/base/footer}}
==== 放送局 ====
{{放送期間
| season=1st season
| 放送期間 | 放送時間 | 放送局 | 対象地域 | 備考
| 2019年4月6日 - 9月21日 | 土曜 1:23 - 1:53(金曜深夜) | [[テレビ東京]] | [[広域放送|関東広域圏]] | '''製作参加'''
| | 土曜 2:05 - 2:35(金曜深夜) | [[テレビ愛知]] | [[愛知県]] |
| | 土曜 2:10 - 2:40(金曜深夜) | [[テレビ大阪]] | [[大阪府]] | '''製作参加'''
| | 土曜 21:00 - 21:30 | [[アニメシアターX|AT-X]] | [[全国放送|日本全域]] | [[日本における衛星放送#CSデジタル放送|CS放送]] / リピート放送あり
| 2019年4月19日 - 10月18日 | 金曜 1:55 - 2:21(木曜深夜) | [[長崎文化放送]] | [[長崎県]] | 『[[あに。]]』枠
| 2019年7月8日 - 12月30日 | 月曜 2:30 - 3:00(日曜深夜) | [[びわ湖放送]] | [[滋賀県]] |
| 2019年7月16日 - 12月31日 | 火曜 0:30 - 1:00(月曜深夜) | [[BSテレビ東京|BSテレ東]] | 日本全域 | [[日本における衛星放送#BSデジタル放送|BS/BS4K放送]]
| ref={{Cite web|url=https://fruba.jp/onair/|title=ONAIR|work=TVアニメ「フルーツバスケット」公式サイト|accessdate=2020-01-17|archivedate=2019-06-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190621051340/https://fruba.jp/onair/}}
| refname=onair1
}}
{{放送期間
| media=インターネット
| season=1st season
| 配信開始日 | 配信時間 | 配信サイト | |
| {{nobr|2019年4月6日}} | {{nobr|土曜 12:00 更新}} | {{flatlist|class=hlist-pipe|
* [[あにてれ]]
* [[dTV (NTTドコモ)|dTV]]
* [[ひかりTV]]
* [[DMM.com]]
* [[ビデオマーケット]]
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* [[バンダイチャンネル]]
* [[Amazon Prime Video]]
* [[Google Play]]
* [[ニコニコチャンネル]]
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* [[Rakuten TV]]
}} | |
| | 土曜 19:00 更新 | [[TSUTAYA TV]] | |
| 2019年4月7日 | 日曜 0:00 更新 | [[J:COMオンデマンド]] | |
| 2019年4月9日 | 火曜 12:00 更新 | {{flatlist|class=hlist-pipe|
* [[dアニメストア]]
* [[U-NEXT]]
* [[アニメ放題]]
* [[Paravi]]
* [[Hulu]]
}} | |
| refname=onair1
}}
{{放送期間
| season=2nd season
| 放送期間 | 放送時間 | 放送局 | 対象地域 | 備考
| 2020年4月7日 - 9月22日 | 火曜 1:30 - 2:00(月曜深夜) | テレビ東京 | 関東広域圏 | '''製作参加'''
| | | テレビ愛知 | 愛知県 |
| | 火曜 2:05 - 2:35(月曜深夜) | テレビ大阪 | 大阪府 | '''製作参加'''
| 2020年4月9日 - 9月24日 | 木曜 21:30 - 22:00 | AT-X | 日本全域 | CS放送 / リピート放送あり
| 2020年5月8日 - 10月30日 | 金曜 0:35 - 1:05(木曜深夜) | [[テレビ和歌山]] | [[和歌山県]] | <ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tv-wakayama.co.jp/bangumi/|title=番組一覧|work=テレビ和歌山|publisher=テレビ和歌山|accessdate=2020-05-04}}</ref>
| ref={{Cite web|url=https://fruba.jp/onair/|title=ONAIR|work=TVアニメ「フルーツバスケット」公式サイト|accessdate=2020-03-27|archivedate=2020-10-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201007103301/https://fruba.jp/onair/}}
| refname=onair2
}}
{{放送期間
| media=インターネット
| season=2nd season
| 配信開始日 | 配信時間 | 配信サイト | |
| 2020年4月7日 | {{nobr|火曜 12:00 更新}} | {{flatlist|class=hlist-pipe|
* あにてれ
* dTV
* dアニメストア
* TSUTAYA TV
* ビデオマーケット
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* DMM.com
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* [[ブロードメディア|クランクイン!ビデオ]]
}} | |
| {{nobr|2020年4月10日}} | 金曜 12:00 更新 | {{flatlist|class=hlist-pipe|
* J:COMオンデマンド
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* milplus
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}} | |
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}}
{{放送期間
| season=The Final
| 放送期間 | 放送時間 | 放送局 | 対象地域 | 備考
| 2021年4月6日 - 6月29日 | 火曜 1:30 - 2:00(月曜深夜) | テレビ東京 | 関東広域圏 | '''製作参加'''
| | | テレビ愛知 | 愛知県 |
| | | テレビ大阪 | 大阪府 | '''製作参加'''
| 2021年4月9日 - 7月2日 | 金曜 21:00 - 21:30 | AT-X | 日本全域 | CS放送 / リピート放送あり
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}}
{{放送期間
| media=インターネット
| season=The Final
| 配信開始日 | 配信時間 | 配信サイト | |
| {{nobr|2021年4月6日}} | 火曜 12:00 更新 | {{flatlist|class=hlist-pipe|
* あにてれ
* dTV
* dアニメストア
* Amazon Prime Video
* Google Play
* クランクイン!ビデオ
* ニコニコチャンネル
* HAPPY!動画
* ビデオマーケット
* GYAO!ストア
* DMM.com
* [[music.jp]]
* ムービーフル
* ミレール
* Rakuten TV
}} | |
| | 火曜 19:00 更新 | TSUTAYA TV | |
| | {{nobr|火曜 21:30 - 22:00}} | [[ニコニコ生放送]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.nicovideo.jp/period/now.html?from=nanime_header|title=今期アニメ一覧(2021春アニメ)|work=Nアニメ|publisher=ドワンゴ|accessdate=2021-04-06}}</ref> | |
| 2021年4月9日 | 金曜 12:00 更新 | {{flatlist|class=hlist-pipe|
* Paravi
* バンダイチャンネル
* ひかりTV
* Hulu
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* [[ABEMAビデオ]]<ref>{{Cite news|url=https://times.abema.tv/articles/-/8653050|title=2021春アニメはABEMAで!『ひげを剃る』『美少年探偵団』『キングダム』『モリアーティ』など約38作品が配信決定|newspaper=ABEMA TIMES|publisher=AbemaTV|date=2021-04-06|accessdate=2021-04-06}}</ref>
* [[GYAO!]]
}} | |
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==== BD / DVD ====
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! BD !! DVD
|-
! colspan="5"|1st season<ref>{{Cite web|url=https://fruba.jp/blu-ray_dvd_cd/?season=1|title=Blu-ray&DVD&CD (1st season)|work=TVアニメ「フルーツバスケット」公式サイト|accessdate=2020-07-31}}</ref>
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| 1 || 2019年6月21日 || 第1話 - 第4話 || EYXA-12560 || EYBA-12554
|-
| 2 || 2019年7月19日 || 第5話 - 第8話 || EYXA-12561 || EYBA-12555
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| 3 || 2019年8月23日 || 第9話 - 第13話 || EYXA-12562 || EYBA-12556
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| 4 || 2019年9月20日 || 第14話 - 第17話 || EYXA-12563 || EYBA-12557
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| 5 || 2019年10月18日 || 第18話 - 第21話 || EYXA-12564 || EYBA-12558
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| 6 || 2019年11月22日 || 第22話 - 第25話 || EYXA-12565 || EYBA-12559
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! colspan="5"|2nd season<ref>{{Cite web|url=https://fruba.jp/blu-ray_dvd_cd/?season=2|title=Blu-ray&DVD&CD (2nd season)|work=TVアニメ「フルーツバスケット」公式サイト|accessdate=2020-10-24}}</ref>
|-
| 1 || 2020年6月26日 || 第1話 - 第4話 || EYXA-13030 || EYBA-13024
|-
| 2 || 2020年8月28日 || 第5話 - 第8話 || EYXA-13031 || EYBA-13025
|-
| 3 || 2020年9月25日 || 第9話 - 第13話 || EYXA-13032 || EYBA-13026
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| 4 || 2020年10月30日 || 第14話 - 第17話 || EYXA-13033 || EYBA-13027
|-
| 5 || 2020年11月27日 || 第18話 - 第21話 || EYXA-13034 || EYBA-13028
|-
| 6 || 2020年12月25日 || 第22話 - 第25話 || EYXA-13035 || EYBA-13029
|-
! colspan="5"|The Final<ref>{{Cite web|url=https://fruba.jp/blu-ray_dvd_cd/|title=Blu-ray&DVD&CD|work=TVアニメ「フルーツバスケット」公式サイト|accessdate=2021-12-02}}</ref>
|-
| 1 || 2021年6月25日 || 第1話 - 第4話 || EYXA-13432 || EYBA-13429
|-
| 2 || 2021年7月30日 || 第5話 - 第8話 || EYXA-13433 || EYBA-13430
|-
| 3 || 2021年8月27日 || 第9話 - 第13話 || EYXA-13434 || EYBA-13431
|}
{{前後番組
| 放送局 = [[テレビ東京]]
| 放送枠 = [[テレビ東京の深夜アニメ枠|土曜 1:23 - 1:53(金曜深夜)]]
| 番組名 = フルーツバスケット 1st season
| 前番組 = [[宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち]]
| 次番組 = [[ワンパンマン]](第2期、再放送)
| 2放送局 = テレビ東京
| 2放送枠 = [[テレビ東京の深夜アニメ枠|火曜 1:30 - 2:00(月曜深夜)]]
| 2番組名 = フルーツバスケット 2nd season
| 2前番組 = アンジャッシュ渡部建の教えてグルメ<br />※1:30 - 1:35<hr />フルーツバスケット 1st season(再放送)<br />※1:35 - 2:05
| 2次番組 = [[おそ松さん]](第3期)
| 3番組名 = フルーツバスケット The Final
| 3前番組 = おそ松さん(第3期)
| 3次番組 = [[うらみちお兄さん]]
}}
== ドラマCD・まんがDVD ==
これまでに3度[[ドラマCD]]化されている。2012年に『花とゆめ』誌上で応募者全員サービスとして頒布された音声入りまんがDVDも本稿で述べる。
=== 1999 花とゆめオリジナルドラマCD フルーツバスケット ===
『花とゆめ』誌上での全員応募サービスで企画されたCD。アニメ化される以前に発表されたものであり、担当声優が一部アニメ版と異なる。内容はオリジナルストーリーの『草摩家の長い一日』と花島咲によるおまけコーナー。
* キャスト
** 本田透:[[小西寛子]]
** 草摩由希:[[久川綾]]
** 草摩夾:[[関智一]]
** 草摩紫呉:[[置鮎龍太郎]]
** 草摩楽羅:[[白鳥由里]]
** 草摩紅葉:[[長沢美樹]]
** 草摩潑春:[[陶山章央]]
** 草摩綾女:[[子安武人]]
** 花島咲:[[冬馬由美]]
=== 花とゆめ付録のCD ===
『花とゆめ』の付録CD。オリジナルストーリー『学園防衛隊』を収録。アニメ化以降([[2005年]])に発表されたため、担当声優はほぼアニメ版のまま。生徒会メンバーが初登場する。
* キャスト
** 本田透:[[堀江由衣]]
** 草摩由希:久川綾
** 真鍋翔:[[鈴村健一]]
** 倉伎真知:[[甲斐田ゆき]]
** 藤堂公:[[田村ゆかり]]
** 桜木直人:[[福山潤]]
** 魚谷ありさ:[[今井由香]]
** 花島咲:[[安原麗子]]
** 木之下南:[[浅井晴美]]
** 皆川素子:[[豊口めぐみ]]
=== HCD フルーツバスケット ===
2005年5月25日にマリン・エンタテインメントより発売されたCDドラマ。原作の[[劇中劇]]『[[シンデレラ]]っぽいもの』と『学園防衛隊』(上記のものと同一)が収録されている。
* キャスト
** 本田透:堀江由衣
** 草摩夾:関智一
** 草摩由希:久川綾
** 草摩紫呉:置鮎龍太郎
** 花島咲:安原麗子
** 魚谷ありさ:今井由香
** 真鍋翔:鈴村健一
** 桜木直人:福山潤
** 藤堂公:田村ゆかり
** 倉伎真知:甲斐田ゆき
** 木之下南:浅井晴美
** 皆川素子:豊口めぐみ
** ナレーター:[[河本邦弘]]
** 女子生徒:[[遠藤綾]]・[[七緒はるひ|寺田はるひ]]・[[谷井あすか]]・[[松来未祐]]
* CDデータ
** 型番:MMCC-7037
** 価格:2,800
** 発売日:2005年5月25日
** 発売元:[[白泉社]]
** 販売元:[[マリン・エンタテインメント]]
** 販売協力:[[ジェネオンエンタテインメント]]
=== まんがDVD ===
タイトルは『「フルーツバスケット」音声入りまんがDVD〜旅立ちの日、再び〜』 。『花とゆめ』2012年24号は、高屋の画業20周年記念号として企画されており、応募者全員サービスとして実費頒布されたDVDである。『花とゆめ』2013年1号、『[[ザ花とゆめ]]』2012年2月1日号でも同様に頒布された<ref>{{Cite news|title=高屋奈月、画業20周年!フルバ最終話の音声入りDVDを全サ|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2012-11-20|url=https://natalie.mu/comic/news/80249|accessdate=2019-07-04}}</ref>。
原作最終話を音声付きとしたカラースライドショー、キャストコメントで構成される。
*キャスト
** 本田透:堀江由衣
** 草摩由希:久川綾
** 草摩夾:関智一
** 草摩紫呉:置鮎龍太郎
** 草摩楽羅:[[三石琴乃]]
** 草摩紅葉:[[宮田幸季]]
** 草摩はとり:[[井上和彦 (声優)|井上和彦]]
** 草摩潑春:[[陶山章央]]
** 草摩綾女:[[宮本充]]
** 草摩杞紗:[[名塚佳織]]
** 草摩燈路:[[渕崎ゆり子]]
** 草摩利律:[[冨永みーな]]
** 草摩依鈴:[[桑島法子]]
** 草摩紅野:[[千葉進歩]]
** 草摩慊人:[[皆川純子]]
** 草摩籍真:[[井上倫宏]]
** 魚谷ありさ:[[今井由香]]
** 花島咲:[[冬馬由美]]
** 倉前美音:[[高橋美紀]]
** 白木繭子:[[進藤尚美]]
** 倉伎真知:[[甲斐田ゆき]]
** 友田邦光:[[長谷川俊介]]
** 満:[[岡村明美]]
** 母親:[[持月玲依]]
** 少女:名塚佳織
** 父親:長谷川俊介
== 舞台劇 ==
=== 2009年版 ===
2009年2月26日から3月8日にかけて、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・[[スタジオライフ]]・[[天王洲 銀河劇場]]の主催で舞台化作品が上演された。出演者は全員男性で、女性の登場人物も男性俳優が演じる。また、キャスト陣は「ストロベリー・チーム」と「チェリー・チーム」で分かれ、ダブルキャストに該当する登場人物もあるが、ダブルキャスト該当出演者も別配役でもう一方のチームに参加している。
; 2009年2月
フジテレビジョン・スタジオライフ・銀河劇場プロデュース公演
*会場:天王洲 銀河劇場
* スタッフ
**原作 - [[高屋奈月]]
**脚本・演出 - [[倉田淳]]
* キャスト
**本田透 - [[三上俊]]
**草摩夾 - [[上山竜司]]([[RUN&GUN]]) / [[岩﨑大]](ダブルキャスト)
**草摩由希 - [[松本慎也]] / [[真山明大]](ダブルキャスト)
**草摩紫呉 - 内山翔人(オフィス斬)
**草摩楽羅 - [[米原幸佑]](RUN&GUN)
**草摩紅葉 - [[荒木健太朗]]
**草摩はとり - [[曽世海司]]
**草摩潑春 - [[加藤義宗]]
**草摩綾女 / 草摩佳菜 - [[吉田隆太]]
**草摩慊人 - [[青木隆敏]] / [[舟見和利]](ダブルキャスト)
**草摩籍真 - 鈴木聡(M&Sカンパニー)
**花島咲 - [[SHOWTA.]] / [[古川洋介]](ダブルキャスト)
**魚谷ありさ - 榎本悠輝
**本田今日子 - 亀山浩史
; 2009年8月
メ~テレ・スタジオライフ共催公演
*会場:[[名鉄ホール]]
*スタッフ
**原作 - 高屋奈月
**脚本・演出 - 倉田淳
* キャスト
**本田透 - 三上俊
**草摩夾 - 岩﨑大
**草摩由希 - 松本慎也
**草摩紫呉 - 内山翔人
**草摩楽羅 - 関戸博一
**草摩紅葉 - 神野明人
**草摩はとり - [[山本芳樹]]
**草摩潑春 - [[堀川剛史]]
**草摩佳菜 - [[吉田隆太]]
**草摩慊人 - 舟見和利(22日) / 青木隆敏(23日)(ダブルキャスト)
**草摩籍真 - 倉本徹
**花島咲 - SHOWTA.([[蒼井翔太]])
**魚谷ありさ - [[牧島進一]]
**女子高生ほか - 篠田仁志
**掃除婦1ほか - 藤原啓児
**掃除婦2ほか - 河内喜一朗
=== 2022年版 ===
; 舞台「フルーツバスケット」
2022年3月4日から13日まで、[[室町東三井ビルディング|日本橋三井ホール]]にて上演された<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/stage/news/452942|title=舞台フルバ、主演は吉田綾乃クリスティー!共演に北川尚弥・橋本祥平・安里勇哉ら|newspaper=ステージナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-11-10|accessdate=2021-12-5}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/457077|title=舞台「フルーツバスケット」キャラクタービジュアル公開、杞紗&燈路のキャストも|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-12-10|accessdate=2023-06-25}}</ref>。
*スタッフ
**原作 - 高屋奈月
**脚本・総合演出 - [[毛利亘宏]]
**演出 - 長谷川太郎
*キャスト
**本田透 - [[吉田綾乃クリスティー]]
**草摩由希 - [[北川尚弥]]
**草摩夾 - [[橋本祥平]]
**草摩綾女 - [[仲田博喜]]
**草摩潑春 - [[田村升吾]]
**草摩紅葉 - [[古賀瑠]]
**草摩楽羅 - [[関根優那]]
**草摩利津 - [[安達勇人]]
**草摩杞紗 - [[鎌田英怜奈]]
**草摩燈路 - 陣慶昭
**魚谷ありさ - [[南千紗登]]
**花島咲 - [[中村裕香里]]
**本田今日子 - [[芳賀優里亜]]
**草摩藉真 - [[稲垣成弥]]
**草摩はとり - [[伊万里有]]
**草摩紫呉 - [[安里勇哉]]
; 舞台「フルーツバスケット 2nd season」
2023年10月6日から15日まで、[[Otemachi One|大手町三井ホール]]にて上演予定<ref>{{Cite news|author=ステージナタリー編集部|url=https://natalie.mu/stage/news/526108|title=舞台「フルーツバスケット」続編で吉田綾乃クリスティーら続投、草摩慊人役は彩凪翔|newspaper=ステージナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-05-26|accessdate=2023-05-27}}</ref>。
* スタッフ
** 原作 - 高屋奈月
** 脚本・演出 - 毛利亘宏
* キャスト
** 本田透 - 吉田綾乃クリスティー
** 草摩由希 - 北川尚弥
** 草摩夾 - 橋本祥平
** 草摩紫呉 - 安里勇哉
** 草摩潑春 - 田村升吾
** 草摩依鈴 - [[野口衣織]]
** 草摩綾女 - 仲田博喜
** 草摩はとり - 伊万里有
** 草摩紅葉 - 古賀瑠
** 草摩楽羅 - 関根優那
** 草摩杞紗 - 鎌田英怜奈
** 草摩燈路 - 陣慶昭
** 魚谷ありさ - 南千紗登
** 花島咲 - 中村裕香里
** 真鍋翔 - [[新正俊]]
** 倉伎真知 - [[堀内まり菜]]
** 草摩紅野 - [[三好大貴]]
** 草摩藉真 - 稲垣成弥
** 草摩慊人 - [[彩凪翔]]
== リアル謎解きゲーム ==
;『フルーツバスケット×本屋巡り謎解きゲーム』
:2019年8月1日から9月16日にかけて、全国16エリアにて[[リアル謎解きゲーム]]が[[トーハン]]の主催、NAZO×NAZO劇団による企画制作、CSレポーターズによる協力で催された。
:初級編『大切な思い出が行方不明ですっ!』、上級編スマホモード『謎の挑戦状が届きましたっ!』の2タイプが同じ期間内で開催。
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Wayback |url=http://www.hakusensha.co.jp/furuba/top.html |title=フルーツバスケット公式HP |date=20130121111042}}
* [https://www.hakusensha.co.jp/tokusetsu/fruba/ フルーツバスケット | 白泉社]
* [http://www.studio-life.com/stage/furuba/ フジテレビジョン・スタジオライフ・銀河劇場主催〜フルーツバスケットのご案内]
* [https://manga-park.com/title/109 フルーツバスケット another]
* 2001年版テレビアニメ
** [http://king-cr.jp/special/fruba/ フルーツバスケット] - KING AMUSEMENT CREATIVE
** [https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/fruits_basket/ フルーツバスケット] - テレビ東京公式サイト。
** {{Wayback |url=http://www.ne.jp/asahi/okazaki/book/ |title=岡崎律子Book |date=20011205194710}} - 岡崎律子公式サイト。アニメ版の主題歌とCDに関する記述あり。
* 2019年版テレビアニメ
** [https://fruba.jp/ TVアニメ「フルーツバスケット」公式サイト]
** [https://fruba-movie.jp/ 「フルーツバスケット-prelude-」] - OVA公式サイト
** [https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/fruba/ フルーツバスケット テレビ東京アニメ公式]
** [https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/fruba2/ フルーツバスケット 2nd season テレビ東京アニメ公式]
** [https://www.tv-tokyo.co.jp/anime/fruba3/ フルーツバスケット The Final テレビ東京アニメ公式]
** {{Twitter|fruba_PR|アニメ「フルーツバスケット」公式}}
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1,235 | 忍風戦隊ハリケンジャー |
『忍風戦隊ハリケンジャー』(にんぷうせんたいハリケンジャー)は、2002年2月17日から2003年2月9日まで、テレビ朝日系列で毎週日曜7時30分から8時(JST)に全51話が放送された東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。
キャッチコピーは「人も知らず 世も知らず 影となりて悪を討つ!」。
忍者をモチーフとする本作品では、前作までとは異なりメンバー構成が3人となっている。プロデューサーの日笠淳や脚本家の宮下隼一によれば、従来のような5人戦隊ではなく3人戦隊にすることで、キャラクター1人1人の描写に重点を置くことが狙いと語っている。
本作品の大きな特徴として、装備も組織も互いに独立した複数の戦隊チームが並立し、途中から共闘するという設定が挙げられる。共闘する者たちはあくまでも別チームであり、ハリケンジャー自体は最後まで3人である。これは、過去作と同じモチーフを用いていても発明を加えることで新しいヒーロー像を描けるようになるだろうという発想から、過去に同じ忍者をモチーフとした戦隊である『忍者戦隊カクレンジャー』にはなかった「流派」という要素を取り入れたものである。流派の対立のほかにも、科学と忍術、宇宙と地球、親と子、敵組織内の対立など、物語全体に様々な対立要素を盛り込んでいるが、主人公たちの成長物語を中心とすることで殺伐とした雰囲気にはせず、物語に緩急や活気を与える要素としている。
また、1話限りの悪役キャラにも愛着を持てるようにというサブプロデューサー塚田英明の意向により、テレビ朝日公式サイトに「怪人プロフィール」が設けられたほか、EDの前にも毎回「宇宙忍者ファイル」という、その回の怪人をナレーターが紹介するミニコーナーが設置されており、同様のミニコーナーは形を変えつつも『炎神戦隊ゴーオンジャー』まで踏襲された。
演出面ではマスクが開いて顔が見えるという設定から、普段から主役の3人は高頻度でスーツを着用していたことも特徴として挙げられる。この他、スーパー戦隊シリーズとしては初めて巻之三十五よりアバンタイトルが挿入され、また同様に最終巻では通常のフォーマットによるオープニングが流れない形となった。さらに番組終了時の提供バックでは次回エピソードの映像を流すようになり、以降の作品においてもこのフォーマットは踏襲されている。
作中に登場するロボットはガシャポンをコンセプトとしており、メダルを入れてレバーをひねると武器の入ったカプセル「カラクリボール」が出てくるという発想を基本とされている。バンダイの玩具開発担当は同社内のベンダー事業部との連動も意識しており、武器の中には「ピタットヒトデ」のようにベンダー供給専用として考案されたものもある。カラクリボールは前年の『ガオレンジャー』のパワーアニマルや『仮面ライダー龍騎』のアドベントカードのような成功を収められなかったが、その原因のひとつはカードほど取り回しのよくない成型品であるため、雑誌への付録などが困難であったことが挙げられる。
メカニック描写は前作『ガオレンジャー』で培われたコンピュータグラフィクスを多用する一方で、ミニチュア特撮にも注力している。
2013年には、番組終了から10周年を記念して、Vシネマによる続編『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』が制作された。
従来のシリーズ作品のコピーライト表記は、制作会社である東映と、制作局のテレビ朝日のみ表記されていたが、本作品より広告代理店である東映エージエンシーもそれに加わる形となった。
長年スポンサーの一社としてソーセージなどを生産、販売していた雪印食品が牛肉偽装事件で解散したことにより、本作品以降はプリマハムが受け継いでいた。
2002年度の日本オタク大賞で『『忍風戦隊ハリケンジャー』のウェンディーヌ』が鶴岡法斎賞を受賞している。
約500年前の戦国時代からの伝統を持ち、各界にOB・OGを大量に送り込んでいる忍者の一流派である疾風流()。ライバルである迅雷流()との対抗戦を控えたある朝、流派の拠点である養成学校忍風館は宇宙忍群ジャカンジャを名乗る集団の襲撃を受け、学生も校舎も謎の忍法で消されてしまう。館長の日向無限斎は強敵に善戦するが、形勢不利となりハムスターに変身して脱出。娘で各種アイテム開発のプロであるからくり博士の日向おぼろの下に逃れた。
全滅してしまったかと思われた学生たちだったが、朝礼をサボっていた椎名鷹介・野乃七海・尾藤吼太の落ちこぼれ3人組が無事だった。忍風館での3人の大先輩であるおぼろは、ハムスターから戻る呪文を失念し行動に制約が生じてしまった無限斎の意を受けて、彼ら3人に強化スーツを与え、200年間後継者が途絶えている疾風流の奥義を極めた伝説の称号忍風戦隊ハリケンジャーとして、ジャカンジャと戦うことを命じた。
だが、生き残ったのは疾風流の3人だけではなかった。迅雷流忍者でありながら、アウトサイダー的立場に置かれていた霞一甲・一鍬の兄弟もまた、ジャカンジャの襲撃から逃れていたのだ。共闘を呼びかける鷹介たちだが、霞兄弟はそれを拒む。亡き父・一鬼が探求し、ジャカンジャも狙っているという「アレ」を追うために。
それぞれの流派の思惑が絡み合う中、地球の忍者と宇宙の忍者たちによる壮絶な戦いの火蓋は切られた。
忍風戦隊ハリケンジャー、電光石火ゴウライジャー、天空忍者シュリケンジャーの総称。
本作品の主人公たち。忍風館第507期生である疾風流の忍者。
登場名乗りは、「人も知らず、」「世も知らず、」「影となりて悪を討つ」「忍風戦隊ハリケンジャー!」「あ、参〜上〜!」。敵を倒した際の決めゼリフは、「せい、バイバイ!」である。
3人の苗字の頭文字を並べると「しのび」となる。
巻之七から登場。
当初は強大すぎるその力を恐れた迅雷流によって約500年前に封印されていたが、迅雷義塾始まって以来の天才忍者にして跳ね返り者と言われた霞兄弟がその力に魅入られて封印を解いたことで変身し、ゴウライジャー自体も「闇に生まれ、闇に生きる、迅雷流伝説の覇者にして、暗黒の忍」と伝承される存在である。その戦闘力はハリケンジャーを遥かに上回り、初登場時にはハリケンジャーを完膚なきまでに叩きのめして圧勝している。当初は迅雷流を宇宙一の流派にするという野望のためのアレを手にするためにジャカンジャと手を組み、疾風流を襲うが、利用されていたこととアレを手に入れるためには兄弟が争わなければならないことに気づき離反して改心。ハリケンジャーと手を組む。サンダールとの戦いで消息不明になるが、最終巻で復活した。
名乗りの際の決め口上は「影に向かいて影を斬り、光に向かいて光を斬る。電光石火ゴウライジャー、見参!」。
巻之二十一から登場。スーツカラーはグリーン。「御前様」直属の疾風流・迅雷流両流派の奥義を極めた流派宇宙統一忍者流の天空忍者で、その変身前の素顔は不明である。英語交じりの変な口調でしゃべる。その実力はハリケンジャー、ゴウライジャーを凌ぐ。また、ここ一番ではシュリケンズアーマーを取り去ってマスクの上部を回転(大逆転・フェイスチェンジ)し、全能力の制限を解放させることでファイヤーモードというパワーアップモードとなり、野球をベースにした攻撃スタイルで戦う。その際、口調も江戸っ子風に変化する。名乗り口上は「アイ・アム・ニンジャ・オブ・ニンジャ。緑の光弾 天空忍者シュリケンジャー」。
特技は変装で、その辺にいた人間に早変わりするなど朝飯前。別名千の顔を持つ男。後述の様々な変装態のほか、鷹介・吼太・一甲にも化けたこともある。劇中最後まで素顔は見せることはなかったが、ハリケンレッド同様に空忍科特有の技も使うことから、無限斎はその正体を、10年前に突如失踪した忍風館・空忍科のハリケンジャーに一番近かった男ではないかと推測しており、おぼろと顔見知りの可能性が示唆されている。
巻之四十九で自分の命を代償にしながら天空神に乗り巨大サタラクラと共に自爆する。巻之五十では遺影が飾られている。最終巻のエピローグではシュリケンジャーの正体らしき人物が登場している。
『アバレンジャーVSハリケンジャー』をはじめ、テレビシリーズ終了後に制作された作品にも複数回登場しているが、いずれの作品でもテレビシリーズ終了後の生死については触れられていない。
風神エネルギーエンジン付きの忍者グライダー。無音で空中を飛行できる。最高速度は時速500キロメートル。データ転送装置により、ベルトのバックル部分から現れる。武器として小型ミサイルを搭載。劇場版冒頭では、忍馬()で現場に駆けつけている。
ゴウライジャーが変身用のシノビメダルから呼び出す戦闘バイク。摩擦で地面に火をおこすほどの高速で走行し、車体前部からサンダービームを放って攻撃することも可能。巻之十から登場。
あまりに高性能なため、最初はハリケンジャーでも乗りこなせなかったが、マンマルバ暴走体の体内に囚われたゴウライジャーを救出すべく、ブルーとイエローが乗りこなすことに成功した。
地球忍者たちが使用する巨大カラクリメカ。
ハリケンジャーのシノビマシンは、おぼろが新世代のハリケンジャーのために開発していた動物型カラクリメカ。巻之二から登場。内部の駆動機構にカラクリ技術が応用されており、現代のアクチュエーターよりも効率よく駆動する。構造材には超軽量・超硬質の特殊セラミックを使用。装甲はハリケンファイバー・特殊セラミック・チタン合金の積層型。コクピットには、おぼろ研究所から転送されたシノビメダルを受け取ったり、シノビメダルを装填してカラクリボールを実体化させる装置が備わっている。
ゴウライジャーのシノビマシンは迅雷の谷に封印されていた昆虫型カラクリメカで、具体的な設計・製作者は作中では言及されていない。巻之十から登場。雷神エネルギー誘導装置を得て復活した。能力を特化させているため、地上戦では疾風流シノビマシンを凌ぐ戦闘力を発揮する。コクピットにはターゲットスコープを備え、疾風流シノビマシンと同様に、シノビメダルを受け取ったりシノビメダルを装填してカラクリボールを実体化させる装置が備わっている。
天空神は、製作者についてはこちらも作中にて明確な言及はなされていないが、カラクリボールを出現させるための元素固定装置の差異から、旋風神・轟雷神以上のカラクリ技術で製造されたものと推測されている。
いずれのシノビマシンも操縦自体はシノビチェンジしていない生身の状態でも行えるが、合体・変形の衝撃には生身では耐えられないことが言明されている。また、いずれも同様の駆動機構であったため、流派を超える合体が可能。
宇宙統一忍者流専用カラクリマシン。銀色のマンモスの姿をしている。ニンジャミセンで遠隔操作され、主にシュリケンジャーが操縦を行う。ハリケンジャー、ゴウライジャー、シュリケンジャーの変身用シノビメダルの力で完成した。巻之三十三から登場。
その名の通り、巨大なリボルバーが備わっており、リボルバーに多数のカラクリボールを収納し、弾丸のように連続発射させることができる。
カラクリボール以外の武器は、両側に装備された2門のビーム砲のマンモスビーム、前足膝のビーム砲、風速100キロメートル以上の突風を噴射する鼻の大型ノズル。
巻之五十にて、サンダールに破壊され、撃沈した。
『爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー』では、生きていたシュリケンジャーと共に現れ、窮地に陥っていたアバレンオーを救い、姿を消した。
シノビマシンが合体や変形した巨人。様々なカラクリボールを駆使する。
玩具では、前作『百獣戦隊ガオレンジャー』のパワーアニマルと共通の合体用のジョイントを用いており、両作品が共演する『忍風戦隊ハリケンジャーVSガオレンジャー』ではこのギミックを用いた合体が再現されている。
ハリケンジャーが武器データが入力されたシノビメダルをスロットにセットすることで、旋風神の胸部ハッチから射出される元素固定装置で形成されたカプセル。ゴウライジャーの場合は轟雷神の胸部ハッチから射出される。天空神のみは両手の間からカラクリボールを発生させる。カプセルの中から必殺武器やカラクリ武者「風雷丸」(小型ロボ)のパーツなどが出現する。
宇宙をさすらう邪悪な宇宙忍者の集団。忍者の究極奥義とされる「アレ」を探し求め多くの星を荒らし、500年前に宇宙中にばら撒いた発信機の一つが作動したため、発信源の地球にやって来る。「アレ」を見つけるために謎の流星群のメッセージに従い、地球を腐らせようとされている。宇宙船として乗ってきた寄生要塞センティピードを基地にしている。
組織内部で使う書面はジャカンジャ文字と呼ばれ、主だった忍術に使われている。この文字に関しては『忍風戦隊ハリケンジャー超全集』に一覧が載っている。
デザインは、和をイメージしたハリケンジャー側に対し、中国風のデザインが用いられている。
タウ・ザントの命令を直接聞く立場にいる、組織内No.2の集団。「○の槍〜」と番号が割り振られているが、明確なリーダーはいない(七本槍最強はサンダール)。また、六・七の槍はタウ・ザント以外面識一切無し。全員が異なる分野のエキスパートであり、作戦内容から来る組み合わせによって多彩な連携を見せる。全員の名の由来は曜日の英語名+モチーフ。
最終決戦で邪悪なる意志によって、復活した際、初めて全員が結集。チュウズーボの棍棒を媒体としたエネルギー弾・ジャカンジャ七重連・暗黒ボンバーを鷹介たちに放つも復活した霞兄弟に阻まれた。
敵怪人として各話に登場されている忍者。ありとあらゆる銀河系出身者で構成され、以下の四つの組織に分かれている。
サーガインが建造したジャカンジャ版カラクリ巨人で、巨大クグツとも呼ばれる。地球忍者のカラクリ巨人の機構を参考に建造されており、基本的に自立思考型として造られているクグツ忍者とは異なり操縦式となっている。
ジャカンジャが本拠地としている移動要塞。外周に巻き付く巨大な百足はタウ・ザントの身体の一部であり、寺院のような建造物も複数散見される。ジャカンジャはこの要塞を宇宙船として使用し、アレを求めて数多くの星々を渡り歩いていた。地球の海底に根を下ろしてから、重力結界を張ったため、長い間その所在は発見されなかった。内部には、タウ・ザントと部下たちの謁見の間の他、サーガインのカラクリ巨人製造工場、道具の保管庫などが劇中で確認できる。また、ジャカンジャと手を組んでいたころのゴウライジャーは、タウ・ザントから与えられた飛行球体に乗り込んでここに出入りしていたが、巻之十九においてこの球体はチュウズーボの攻撃で破壊される。終盤でサンダールが持ち帰ったジャキュームガンのタンクに取り付けられた発信機によって場所を特定され、ハリケンジャーとゴウライジャーに乗り込まれるが、タウ・ザントが究極体へ変貌を遂げると同時に崩壊する。
ジャカンジャが探し求めてきた、本作品の重要な存在である忍者の最終究極奥義。
ジャカンジャ内部では既に周知の事実であったため、「アレ」の一言で事が通じたので終盤まで「アレ」とは巨大な力であるという以外説明が無く、名称もない。アレに関する情報は流星群の中に含まれている。
その正体は「邪悪なる意志」が潜む空間、厳密には惑星の死滅により発生するブラックホールだった。その規模は全宇宙を飲み込み、無に変えてしまう。
発生させる星の水のエネルギーと地球を腐らせることが必要不可欠で、その上で特定の条件を揃えることで発生する。
星を腐らせる以外の方法で発生させることも可能であり、一鬼は「我が子たちを殺し合わせ、片方が死ぬことで発生する」方法を選択するも一甲と一鍬が和解したことで失敗。タウ・ザントは怒りと嘆きの弓矢を水中に撃ち込むことで発生させることに成功。地球各地に甚大な被害をもたらすが、ブラックホール内に突入した旋風神ハリアーに怒りと嘆きの弓矢を撃ち込まれたことでアレは消滅した。
ハリケンジャー、ゴウライジャーの5人の変身後はジャカンジャ文字で英字表記されている。
括弧内は過去の出演作品。
従来ヒーロー側を担当していた蜂須賀祐一は、ハリケンブルーのアクションと並行して本作品で初めてレギュラー悪役を担当した。
メイン監督は戦隊シリーズでは初パイロットとなる渡辺勝也が担当。パイロットのみならず、劇場版や最終巻などの主要回の演出を全て務め上げた。渡辺は自身が起用された理由について、自身が『仮面の忍者 赤影』を愛好していることを東映に知られていたためであったと述べている。雑誌インタビューによると渡辺は本来、次作『爆竜戦隊アバレンジャー』のパイロットも依頼されていたものの、本作品の最終回を演出したいと強く希望したため、前述の依頼を蹴ってまで最後まで本作品に携わったという。また小中肇が1シリーズぶりに参加したり、戦隊で初参加となる橋本一、大井利夫がメガホンを執るなどバラエティに富んだ演出陣となっている。
メタルヒーローシリーズでメイン実績のある宮下隼一が、戦隊シリーズでは初めてメインライターで起用された。その他、前作より引き続き参加の酒井直行、シリーズには久々の参加となる荒川稔久、本作品より新たに参加した前川淳、吉田伸らが脇を固めた。
デザインワーク面では、前作よりサブデザイナーとして参加し、アニメ作品で実績のあったさとうけいいちがメインデザイナーに起用された。ジャカンジャ側のデザインのみならずプロップ類やセットデザイン、ジャカンジャが用いる「宇虫文字」にいたるまでマーチャン関連を除いたデザイン全般を一手に手がけていた。
前作まで日本コロムビアの音楽ディレクターとして戦隊シリーズと同時期の仮面ライダーシリーズを担当していた本地大輔が引き続きライダーシリーズの楽曲を担当するのに伴いエイベックスに移籍。新たに八木仁が戦隊担当音楽ディレクターに就任した。音楽担当の三宅一徳の起用は、本地の推薦による。
本作品の主題歌は、八木の就任前に前山寛邦によりコンペ形式を初めて導入した。
八木はかつてコロムビアが子供向けサントラとして発売していた「アクションサウンド」を意識し、戦隊メンバーや悪役を演じる役者陣によるミニドラマをサントラの曲間に挿入したり、歌詞カードもライナーノーツを極力廃しビジュアルを重視するなど、子供に親しみやすいサントラ作りを心がけた。
またソングコレクションの作家陣も大幅に刷新、歌手では高取ヒデアキ、遠藤正明らが新たに参加、作曲家では池毅が復帰するなど新旧取り混ぜた布陣となった。サントラは前年比の約3倍、主題歌シングルは約2倍のセールス増となった。
また前作と同様「てれびくん」誌上のふろくCDによるオリジナルドラマが制作され、さらにコロちゃんパックでその続編がリリースされるという形式がとられた。
全編通して、放送回のカウントは「巻之(漢数字の話数)」で統一。サブタイトルも最終話を除き、いずれも「○○と××」というフォーマットが採られている。
いずれも発売元は東映ビデオ。
いずれも著者は宮下隼一。 | [
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"text": "『忍風戦隊ハリケンジャー』(にんぷうせんたいハリケンジャー)は、2002年2月17日から2003年2月9日まで、テレビ朝日系列で毎週日曜7時30分から8時(JST)に全51話が放送された東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。",
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"text": "キャッチコピーは「人も知らず 世も知らず 影となりて悪を討つ!」。",
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"text": "忍者をモチーフとする本作品では、前作までとは異なりメンバー構成が3人となっている。プロデューサーの日笠淳や脚本家の宮下隼一によれば、従来のような5人戦隊ではなく3人戦隊にすることで、キャラクター1人1人の描写に重点を置くことが狙いと語っている。",
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"text": "本作品の大きな特徴として、装備も組織も互いに独立した複数の戦隊チームが並立し、途中から共闘するという設定が挙げられる。共闘する者たちはあくまでも別チームであり、ハリケンジャー自体は最後まで3人である。これは、過去作と同じモチーフを用いていても発明を加えることで新しいヒーロー像を描けるようになるだろうという発想から、過去に同じ忍者をモチーフとした戦隊である『忍者戦隊カクレンジャー』にはなかった「流派」という要素を取り入れたものである。流派の対立のほかにも、科学と忍術、宇宙と地球、親と子、敵組織内の対立など、物語全体に様々な対立要素を盛り込んでいるが、主人公たちの成長物語を中心とすることで殺伐とした雰囲気にはせず、物語に緩急や活気を与える要素としている。",
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"text": "また、1話限りの悪役キャラにも愛着を持てるようにというサブプロデューサー塚田英明の意向により、テレビ朝日公式サイトに「怪人プロフィール」が設けられたほか、EDの前にも毎回「宇宙忍者ファイル」という、その回の怪人をナレーターが紹介するミニコーナーが設置されており、同様のミニコーナーは形を変えつつも『炎神戦隊ゴーオンジャー』まで踏襲された。",
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"text": "演出面ではマスクが開いて顔が見えるという設定から、普段から主役の3人は高頻度でスーツを着用していたことも特徴として挙げられる。この他、スーパー戦隊シリーズとしては初めて巻之三十五よりアバンタイトルが挿入され、また同様に最終巻では通常のフォーマットによるオープニングが流れない形となった。さらに番組終了時の提供バックでは次回エピソードの映像を流すようになり、以降の作品においてもこのフォーマットは踏襲されている。",
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"text": "作中に登場するロボットはガシャポンをコンセプトとしており、メダルを入れてレバーをひねると武器の入ったカプセル「カラクリボール」が出てくるという発想を基本とされている。バンダイの玩具開発担当は同社内のベンダー事業部との連動も意識しており、武器の中には「ピタットヒトデ」のようにベンダー供給専用として考案されたものもある。カラクリボールは前年の『ガオレンジャー』のパワーアニマルや『仮面ライダー龍騎』のアドベントカードのような成功を収められなかったが、その原因のひとつはカードほど取り回しのよくない成型品であるため、雑誌への付録などが困難であったことが挙げられる。",
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"text": "メカニック描写は前作『ガオレンジャー』で培われたコンピュータグラフィクスを多用する一方で、ミニチュア特撮にも注力している。",
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"text": "2013年には、番組終了から10周年を記念して、Vシネマによる続編『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』が制作された。",
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"text": "従来のシリーズ作品のコピーライト表記は、制作会社である東映と、制作局のテレビ朝日のみ表記されていたが、本作品より広告代理店である東映エージエンシーもそれに加わる形となった。",
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"text": "長年スポンサーの一社としてソーセージなどを生産、販売していた雪印食品が牛肉偽装事件で解散したことにより、本作品以降はプリマハムが受け継いでいた。",
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"text": "2002年度の日本オタク大賞で『『忍風戦隊ハリケンジャー』のウェンディーヌ』が鶴岡法斎賞を受賞している。",
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"text": "約500年前の戦国時代からの伝統を持ち、各界にOB・OGを大量に送り込んでいる忍者の一流派である疾風流()。ライバルである迅雷流()との対抗戦を控えたある朝、流派の拠点である養成学校忍風館は宇宙忍群ジャカンジャを名乗る集団の襲撃を受け、学生も校舎も謎の忍法で消されてしまう。館長の日向無限斎は強敵に善戦するが、形勢不利となりハムスターに変身して脱出。娘で各種アイテム開発のプロであるからくり博士の日向おぼろの下に逃れた。",
"title": "あらすじ"
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"text": "全滅してしまったかと思われた学生たちだったが、朝礼をサボっていた椎名鷹介・野乃七海・尾藤吼太の落ちこぼれ3人組が無事だった。忍風館での3人の大先輩であるおぼろは、ハムスターから戻る呪文を失念し行動に制約が生じてしまった無限斎の意を受けて、彼ら3人に強化スーツを与え、200年間後継者が途絶えている疾風流の奥義を極めた伝説の称号忍風戦隊ハリケンジャーとして、ジャカンジャと戦うことを命じた。",
"title": "あらすじ"
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"text": "だが、生き残ったのは疾風流の3人だけではなかった。迅雷流忍者でありながら、アウトサイダー的立場に置かれていた霞一甲・一鍬の兄弟もまた、ジャカンジャの襲撃から逃れていたのだ。共闘を呼びかける鷹介たちだが、霞兄弟はそれを拒む。亡き父・一鬼が探求し、ジャカンジャも狙っているという「アレ」を追うために。",
"title": "あらすじ"
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"text": "それぞれの流派の思惑が絡み合う中、地球の忍者と宇宙の忍者たちによる壮絶な戦いの火蓋は切られた。",
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"text": "忍風戦隊ハリケンジャー、電光石火ゴウライジャー、天空忍者シュリケンジャーの総称。",
"title": "登場人物"
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"text": "本作品の主人公たち。忍風館第507期生である疾風流の忍者。",
"title": "登場人物"
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"text": "登場名乗りは、「人も知らず、」「世も知らず、」「影となりて悪を討つ」「忍風戦隊ハリケンジャー!」「あ、参〜上〜!」。敵を倒した際の決めゼリフは、「せい、バイバイ!」である。",
"title": "登場人物"
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"text": "3人の苗字の頭文字を並べると「しのび」となる。",
"title": "登場人物"
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"text": "巻之七から登場。",
"title": "登場人物"
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"text": "当初は強大すぎるその力を恐れた迅雷流によって約500年前に封印されていたが、迅雷義塾始まって以来の天才忍者にして跳ね返り者と言われた霞兄弟がその力に魅入られて封印を解いたことで変身し、ゴウライジャー自体も「闇に生まれ、闇に生きる、迅雷流伝説の覇者にして、暗黒の忍」と伝承される存在である。その戦闘力はハリケンジャーを遥かに上回り、初登場時にはハリケンジャーを完膚なきまでに叩きのめして圧勝している。当初は迅雷流を宇宙一の流派にするという野望のためのアレを手にするためにジャカンジャと手を組み、疾風流を襲うが、利用されていたこととアレを手に入れるためには兄弟が争わなければならないことに気づき離反して改心。ハリケンジャーと手を組む。サンダールとの戦いで消息不明になるが、最終巻で復活した。",
"title": "登場人物"
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"text": "名乗りの際の決め口上は「影に向かいて影を斬り、光に向かいて光を斬る。電光石火ゴウライジャー、見参!」。",
"title": "登場人物"
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"text": "巻之二十一から登場。スーツカラーはグリーン。「御前様」直属の疾風流・迅雷流両流派の奥義を極めた流派宇宙統一忍者流の天空忍者で、その変身前の素顔は不明である。英語交じりの変な口調でしゃべる。その実力はハリケンジャー、ゴウライジャーを凌ぐ。また、ここ一番ではシュリケンズアーマーを取り去ってマスクの上部を回転(大逆転・フェイスチェンジ)し、全能力の制限を解放させることでファイヤーモードというパワーアップモードとなり、野球をベースにした攻撃スタイルで戦う。その際、口調も江戸っ子風に変化する。名乗り口上は「アイ・アム・ニンジャ・オブ・ニンジャ。緑の光弾 天空忍者シュリケンジャー」。",
"title": "登場人物"
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"text": "特技は変装で、その辺にいた人間に早変わりするなど朝飯前。別名千の顔を持つ男。後述の様々な変装態のほか、鷹介・吼太・一甲にも化けたこともある。劇中最後まで素顔は見せることはなかったが、ハリケンレッド同様に空忍科特有の技も使うことから、無限斎はその正体を、10年前に突如失踪した忍風館・空忍科のハリケンジャーに一番近かった男ではないかと推測しており、おぼろと顔見知りの可能性が示唆されている。",
"title": "登場人物"
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"text": "巻之四十九で自分の命を代償にしながら天空神に乗り巨大サタラクラと共に自爆する。巻之五十では遺影が飾られている。最終巻のエピローグではシュリケンジャーの正体らしき人物が登場している。",
"title": "登場人物"
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"text": "『アバレンジャーVSハリケンジャー』をはじめ、テレビシリーズ終了後に制作された作品にも複数回登場しているが、いずれの作品でもテレビシリーズ終了後の生死については触れられていない。",
"title": "登場人物"
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"text": "風神エネルギーエンジン付きの忍者グライダー。無音で空中を飛行できる。最高速度は時速500キロメートル。データ転送装置により、ベルトのバックル部分から現れる。武器として小型ミサイルを搭載。劇場版冒頭では、忍馬()で現場に駆けつけている。",
"title": "地球忍者の装備・戦力"
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{
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"text": "ゴウライジャーが変身用のシノビメダルから呼び出す戦闘バイク。摩擦で地面に火をおこすほどの高速で走行し、車体前部からサンダービームを放って攻撃することも可能。巻之十から登場。",
"title": "地球忍者の装備・戦力"
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"text": "あまりに高性能なため、最初はハリケンジャーでも乗りこなせなかったが、マンマルバ暴走体の体内に囚われたゴウライジャーを救出すべく、ブルーとイエローが乗りこなすことに成功した。",
"title": "地球忍者の装備・戦力"
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"text": "地球忍者たちが使用する巨大カラクリメカ。",
"title": "地球忍者の装備・戦力"
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"text": "ハリケンジャーのシノビマシンは、おぼろが新世代のハリケンジャーのために開発していた動物型カラクリメカ。巻之二から登場。内部の駆動機構にカラクリ技術が応用されており、現代のアクチュエーターよりも効率よく駆動する。構造材には超軽量・超硬質の特殊セラミックを使用。装甲はハリケンファイバー・特殊セラミック・チタン合金の積層型。コクピットには、おぼろ研究所から転送されたシノビメダルを受け取ったり、シノビメダルを装填してカラクリボールを実体化させる装置が備わっている。",
"title": "地球忍者の装備・戦力"
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"text": "ゴウライジャーのシノビマシンは迅雷の谷に封印されていた昆虫型カラクリメカで、具体的な設計・製作者は作中では言及されていない。巻之十から登場。雷神エネルギー誘導装置を得て復活した。能力を特化させているため、地上戦では疾風流シノビマシンを凌ぐ戦闘力を発揮する。コクピットにはターゲットスコープを備え、疾風流シノビマシンと同様に、シノビメダルを受け取ったりシノビメダルを装填してカラクリボールを実体化させる装置が備わっている。",
"title": "地球忍者の装備・戦力"
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"text": "天空神は、製作者についてはこちらも作中にて明確な言及はなされていないが、カラクリボールを出現させるための元素固定装置の差異から、旋風神・轟雷神以上のカラクリ技術で製造されたものと推測されている。",
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"text": "その名の通り、巨大なリボルバーが備わっており、リボルバーに多数のカラクリボールを収納し、弾丸のように連続発射させることができる。",
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"text": "カラクリボール以外の武器は、両側に装備された2門のビーム砲のマンモスビーム、前足膝のビーム砲、風速100キロメートル以上の突風を噴射する鼻の大型ノズル。",
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"text": "巻之五十にて、サンダールに破壊され、撃沈した。",
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"text": "シノビマシンが合体や変形した巨人。様々なカラクリボールを駆使する。",
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"text": "玩具では、前作『百獣戦隊ガオレンジャー』のパワーアニマルと共通の合体用のジョイントを用いており、両作品が共演する『忍風戦隊ハリケンジャーVSガオレンジャー』ではこのギミックを用いた合体が再現されている。",
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"text": "ハリケンジャーが武器データが入力されたシノビメダルをスロットにセットすることで、旋風神の胸部ハッチから射出される元素固定装置で形成されたカプセル。ゴウライジャーの場合は轟雷神の胸部ハッチから射出される。天空神のみは両手の間からカラクリボールを発生させる。カプセルの中から必殺武器やカラクリ武者「風雷丸」(小型ロボ)のパーツなどが出現する。",
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{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "その正体は「邪悪なる意志」が潜む空間、厳密には惑星の死滅により発生するブラックホールだった。その規模は全宇宙を飲み込み、無に変えてしまう。",
"title": "設定"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "発生させる星の水のエネルギーと地球を腐らせることが必要不可欠で、その上で特定の条件を揃えることで発生する。",
"title": "設定"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "星を腐らせる以外の方法で発生させることも可能であり、一鬼は「我が子たちを殺し合わせ、片方が死ぬことで発生する」方法を選択するも一甲と一鍬が和解したことで失敗。タウ・ザントは怒りと嘆きの弓矢を水中に撃ち込むことで発生させることに成功。地球各地に甚大な被害をもたらすが、ブラックホール内に突入した旋風神ハリアーに怒りと嘆きの弓矢を撃ち込まれたことでアレは消滅した。",
"title": "設定"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "ハリケンジャー、ゴウライジャーの5人の変身後はジャカンジャ文字で英字表記されている。",
"title": "キャスト"
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{
"paragraph_id": 58,
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"text": "括弧内は過去の出演作品。",
"title": "キャスト"
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{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "従来ヒーロー側を担当していた蜂須賀祐一は、ハリケンブルーのアクションと並行して本作品で初めてレギュラー悪役を担当した。",
"title": "キャスト"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "メイン監督は戦隊シリーズでは初パイロットとなる渡辺勝也が担当。パイロットのみならず、劇場版や最終巻などの主要回の演出を全て務め上げた。渡辺は自身が起用された理由について、自身が『仮面の忍者 赤影』を愛好していることを東映に知られていたためであったと述べている。雑誌インタビューによると渡辺は本来、次作『爆竜戦隊アバレンジャー』のパイロットも依頼されていたものの、本作品の最終回を演出したいと強く希望したため、前述の依頼を蹴ってまで最後まで本作品に携わったという。また小中肇が1シリーズぶりに参加したり、戦隊で初参加となる橋本一、大井利夫がメガホンを執るなどバラエティに富んだ演出陣となっている。",
"title": "スタッフ"
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{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "メタルヒーローシリーズでメイン実績のある宮下隼一が、戦隊シリーズでは初めてメインライターで起用された。その他、前作より引き続き参加の酒井直行、シリーズには久々の参加となる荒川稔久、本作品より新たに参加した前川淳、吉田伸らが脇を固めた。",
"title": "スタッフ"
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{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "デザインワーク面では、前作よりサブデザイナーとして参加し、アニメ作品で実績のあったさとうけいいちがメインデザイナーに起用された。ジャカンジャ側のデザインのみならずプロップ類やセットデザイン、ジャカンジャが用いる「宇虫文字」にいたるまでマーチャン関連を除いたデザイン全般を一手に手がけていた。",
"title": "スタッフ"
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{
"paragraph_id": 63,
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"text": "前作まで日本コロムビアの音楽ディレクターとして戦隊シリーズと同時期の仮面ライダーシリーズを担当していた本地大輔が引き続きライダーシリーズの楽曲を担当するのに伴いエイベックスに移籍。新たに八木仁が戦隊担当音楽ディレクターに就任した。音楽担当の三宅一徳の起用は、本地の推薦による。",
"title": "音楽"
},
{
"paragraph_id": 64,
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"text": "本作品の主題歌は、八木の就任前に前山寛邦によりコンペ形式を初めて導入した。",
"title": "音楽"
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{
"paragraph_id": 65,
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"text": "八木はかつてコロムビアが子供向けサントラとして発売していた「アクションサウンド」を意識し、戦隊メンバーや悪役を演じる役者陣によるミニドラマをサントラの曲間に挿入したり、歌詞カードもライナーノーツを極力廃しビジュアルを重視するなど、子供に親しみやすいサントラ作りを心がけた。",
"title": "音楽"
},
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"text": "またソングコレクションの作家陣も大幅に刷新、歌手では高取ヒデアキ、遠藤正明らが新たに参加、作曲家では池毅が復帰するなど新旧取り混ぜた布陣となった。サントラは前年比の約3倍、主題歌シングルは約2倍のセールス増となった。",
"title": "音楽"
},
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"text": "また前作と同様「てれびくん」誌上のふろくCDによるオリジナルドラマが制作され、さらにコロちゃんパックでその続編がリリースされるという形式がとられた。",
"title": "音楽"
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"text": "全編通して、放送回のカウントは「巻之(漢数字の話数)」で統一。サブタイトルも最終話を除き、いずれも「○○と××」というフォーマットが採られている。",
"title": "放送日程"
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"text": "いずれも発売元は東映ビデオ。",
"title": "他媒体展開"
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"text": "いずれも著者は宮下隼一。",
"title": "他媒体展開"
}
] | 『忍風戦隊ハリケンジャー』(にんぷうせんたいハリケンジャー)は、2002年2月17日から2003年2月9日まで、テレビ朝日系列で毎週日曜7時30分から8時(JST)に全51話が放送された東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。 キャッチコピーは「人も知らず 世も知らず 影となりて悪を討つ!」。 | {{半保護}}
{{Pathnav|スーパー戦隊シリーズ|frame=1}}
{{注意|クレジットなどで確認できない[[スーツアクター]]の役柄を記載する場合には、'''必ず[[Wikipedia:信頼できる情報源|信頼可能な情報源]]からの[[Wikipedia:出典を明記する|出典を示してください]]。'''出典の無い情報については、[[Wikipedia:独自研究は載せない]]に基づき一定期間ののち除去されるおそれがあります([[プロジェクト:特撮/スーツアクターの役名記載について]]での議論に基づく)}}
{| style="float: right; text-align:center; border-collapse:collapse; border:2px solid black; white-space:nowrap;"
|-
| colspan="3" style="background:#fcf; border:1px solid black; white-space:nowrap;"|'''[[スーパー戦隊シリーズ]]'''
|-
| style="border:1px solid black; background:#fcf; white-space:nowrap;"|'''第25作'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|[[百獣戦隊ガオレンジャー|百獣戦隊<br />ガオレンジャー]]
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|2001年2月<br />- 2002年2月
|-
| style="border:1px solid black; background:#fcf; white-space:nowrap;"|'''第26作'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|'''忍風戦隊<br />ハリケンジャー'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|2002年2月<br />- 2003年2月
|-
| style="border:1px solid black; background:#fcf; white-space:nowrap;"|'''第27作'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|[[爆竜戦隊アバレンジャー|爆竜戦隊<br />アバレンジャー]]
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap;"|2003年2月<br />- 2004年2月
|}
{{基礎情報 テレビ番組
| 番組名 = 忍風戦隊ハリケンジャー
| ジャンル = [[特撮]][[テレビドラマ]]
| 放送時間 = 日曜 7時30分 - 8時
| 放送枠 = スーパー戦隊シリーズ
| 放送分 = 30
| 放送期間 = [[2002年]][[2月17日]] -<br />[[2003年]][[2月9日]]
| 放送回数 = 全51
| 放送国 = {{JPN}}
| 制作局 = [[テレビ朝日]]
| 放送局 = [[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]
| 企画 =
| 製作総指揮 =
| 監督 = [[渡辺勝也]] 他
| 演出 =
| 原作 = [[八手三郎]]
| 脚本 = [[宮下隼一]] 他
| プロデューサー = {{Plainlist|
* 松田佐栄子(テレビ朝日)
* [[日笠淳]]
* [[塚田英明]](東映)
* 矢田晃一(東映AG)
}}
| 出演者 = {{Plainlist|
* [[塩谷瞬]]
* [[長澤奈央]]
* [[山本康平]]
* [[白川裕二郎]]
* [[姜暢雄]]
* [[山本梓]]
* [[福澄美緒]]
* [[西田健]]
* [[高田聖子]] 他
}}
| 声の出演 = {{Plainlist|
* [[松野太紀]]
* [[梁田清之]]
* [[郷里大輔]]
* [[今村卓博]]
* [[岡本美登]]
* [[島田敏]]
* [[池田秀一]] 他
}}
| ナレーター = [[宮田浩徳]]
| 音声 = [[ステレオ放送]]
| 字幕 =
| データ放送 =
| 音楽 = [[三宅一徳]]
| OPテーマ = 「ハリケンジャー参上!」<br />歌:[[高取ヒデアキ]]
| EDテーマ = 「いま 風の中で」<br />歌:[[影山ヒロノブ]]
| 言語 = [[日本語]]
| 外部リンク = http://www.toei.co.jp/tv/hariken/
| 外部リンク名 = 公式サイト(東映)
| 特記事項 = 「[[スーパー戦隊シリーズ]]」 第26作
}}
『'''忍風戦隊ハリケンジャー'''』(にんぷうせんたいハリケンジャー)は、[[2002年]][[2月17日]]から[[2003年]][[2月9日]]まで、[[テレビ朝日]][[オールニッポン・ニュースネットワーク|系列]]で毎週日曜7時30分から8時([[日本標準時|JST]])に全51話が放送された[[東映]]制作の[[特撮テレビ番組一覧|特撮テレビドラマ]]、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。
キャッチコピーは「'''人も知らず 世も知らず 影となりて悪を討つ!'''」<ref>東映公式サイトより{{Full|date=2018年4月}}。</ref>。
== 概要 ==
[[忍者]]をモチーフとする{{R|21st3}}本作品では、前作までとは異なりメンバー構成が3人となっている。プロデューサーの[[日笠淳]]や脚本家の[[宮下隼一]]によれば、従来のような5人戦隊ではなく3人戦隊にすることで、キャラクター1人1人の描写に重点を置くことが狙いと語っている<ref>{{Cite book|和書|author=|editor=中村孝司編|title=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]|year=2002|publisher=[[朝日ソノラマ]]|volume=Vol.99(通巻101号)|id=[[雑誌コード|雑誌]] 01843-03|pages=21頁}}</ref>。
本作品の大きな特徴として、装備も組織も互いに独立した複数の戦隊チームが並立し、途中から共闘するという設定が挙げられる{{R|21st4}}。共闘する者たちはあくまでも別チームであり、ハリケンジャー自体は最後まで3人である{{R|21st4}}。これは、過去作と同じモチーフを用いていても発明を加えることで新しいヒーロー像を描けるようになるだろうという発想から、過去に同じ忍者をモチーフとした戦隊である『[[忍者戦隊カクレンジャー]]』にはなかった「[[流派]]」という要素を取り入れたものである{{R|uchusen104}}{{efn|日笠はイメージソースとして漫画『[[伊賀の影丸]]』を挙げている{{R|21st5}}。またライバルヒーローの登場は、前作『[[百獣戦隊ガオレンジャー]]』のライバルキャラクター狼鬼が成功した影響であることも証言している{{R|21st5}}。}}。流派の対立のほかにも、科学と忍術、宇宙と地球、親と子、敵組織内の対立など、物語全体に様々な対立要素を盛り込んでいるが、主人公たちの成長物語を中心とすることで殺伐とした雰囲気にはせず、物語に緩急や活気を与える要素としている{{Sfn|21st 2|2017|pp=3、5}}。
また、1話限りの悪役キャラにも愛着を持てるようにというサブプロデューサー[[塚田英明]]の意向により、テレビ朝日公式サイトに「怪人プロフィール」が設けられたほか、EDの前にも毎回「宇宙忍者ファイル」という、その回の怪人{{efn|ゲスト怪人のいない回は、レギュラー幹部のうち一人。}}をナレーターが紹介するミニコーナーが設置されており、同様のミニコーナーは形を変えつつも『[[炎神戦隊ゴーオンジャー]]』まで踏襲された。
演出面ではマスクが開いて顔が見えるという設定から、普段から主役の3人は高頻度でスーツを着用していたことも特徴として挙げられる。この他、スーパー戦隊シリーズとしては初めて巻之三十五より[[アバンタイトル]]が挿入され<ref>{{Cite journal |和書|date=2004-05-01 |title=徹底解剖!特捜戦隊デカレンジャー |journal=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]] |volume=Vol.112 |issue=(2004年5月号) |page=27 |publisher=[[朝日ソノラマ]] |id=雑誌コード:01843-05}}</ref>、また同様に最終巻では通常のフォーマットによるオープニングが流れない形となった。さらに番組終了時の提供バックでは次回エピソードの映像を流すようになり、以降の作品においてもこのフォーマットは踏襲されている。
作中に登場するロボットは[[ガシャポン]]をコンセプトとしており、メダルを入れてレバーをひねると武器の入ったカプセル「カラクリボール」が出てくるという発想を基本とされている。バンダイの玩具開発担当は同社内のベンダー事業部との連動も意識しており{{efn|元バンダイデザイナーの[[野中剛]]は、同時期に企画が進行していた『[[仮面ライダー龍騎]]』がカード事業部と連携していたため、その差別化を意図したものであると証言している{{R|21st34a}}。}}、武器の中には「ピタットヒトデ」のようにベンダー供給専用として考案されたものもある。カラクリボールは前年の『ガオレンジャー』のパワーアニマルや『[[仮面ライダー龍騎]]』のアドベントカードのような成功を収められなかったが、その原因のひとつはカードほど取り回しのよくない成型品であるため、雑誌への付録などが困難であったことが挙げられる{{R|uchusen104}}。
メカニック描写は前作『ガオレンジャー』で培われたコンピュータグラフィクスを多用する一方で、ミニチュア特撮にも注力している<ref>{{Cite journal |和書|author = 池田憲章 |authorlink = 池田憲章 |date=2002-05-01 |title=驚異を探して 日本特撮映画・TVレポート |journal=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]] |volume=Vol.100 |issue=(2002年5月号) |page=105 |publisher=[[朝日ソノラマ]] |id=雑誌コード:01843-05}}</ref>。
[[2013年]]には、番組終了から10周年を記念して、Vシネマによる続編『[[忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER]]』が制作された。
=== 備考 ===
従来のシリーズ作品のコピーライト表記は、制作会社である東映と、制作局のテレビ朝日のみ表記されていたが、本作品より広告代理店である[[東映エージエンシー]]もそれに加わる形となった。
長年スポンサーの一社としてソーセージなどを生産、販売していた[[雪印食品]]が[[雪印牛肉偽装事件|牛肉偽装事件]]で解散したことにより、本作品以降は[[プリマハム]]が受け継いでいた。
2002年度の[[日本オタク大賞]]で『『忍風戦隊ハリケンジャー』のウェンディーヌ』が[[鶴岡法斎]]賞を受賞している<ref>[http://www.granaten.co.jp/o_award/oa_archives2002.html 日本オタク大賞2002]</ref>。
== あらすじ ==
約500年前の[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]からの伝統を持ち、各界にOB・OGを大量に送り込んでいる[[忍者]]の一流派である{{読み仮名|'''疾風流'''|はやてりゅう}}。ライバルである{{読み仮名|'''迅雷流'''|いかづちりゅう}}との対抗戦を控えたある朝、流派の拠点である養成学校忍風館は'''宇宙忍群ジャカンジャ'''を名乗る集団の襲撃を受け、学生も校舎も謎の忍法で消されてしまう。館長の日向無限斎は強敵に善戦するが、形勢不利となりハムスターに変身して脱出。娘で各種アイテム開発のプロであるからくり博士の日向おぼろの下に逃れた。
全滅してしまったかと思われた学生たちだったが、朝礼をサボっていた椎名鷹介・野乃七海・尾藤吼太の落ちこぼれ3人組が無事だった。忍風館での3人の大先輩であるおぼろは、ハムスターから戻る呪文を失念し行動に制約が生じてしまった無限斎の意を受けて、彼ら3人に強化スーツを与え、200年間後継者が途絶えている疾風流の奥義を極めた伝説の称号'''忍風戦隊ハリケンジャー'''として、ジャカンジャと戦うことを命じた。
だが、生き残ったのは疾風流の3人だけではなかった。迅雷流忍者でありながら、アウトサイダー的立場に置かれていた霞一甲・一鍬の兄弟もまた、ジャカンジャの襲撃から逃れていたのだ。共闘を呼びかける鷹介たちだが、霞兄弟はそれを拒む。亡き父・一鬼が探求し、ジャカンジャも狙っているという「アレ」を追うために。
それぞれの流派の思惑が絡み合う中、地球の忍者と宇宙の忍者たちによる壮絶な戦いの火蓋は切られた。
== 登場人物 ==
=== 地球忍者 ===
忍風戦隊ハリケンジャー、電光石火ゴウライジャー、天空忍者シュリケンジャーの総称。
==== 忍風戦隊ハリケンジャー ====
本作品の主人公たち。忍風館第507期生である疾風流の忍者{{R|21st6}}。
登場名乗りは、「'''人も知らず、」「世も知らず、」「影となりて悪を討つ」「忍風戦隊ハリケンジャー!」「あ、参〜上〜!'''」{{R|21st6}}。敵を倒した際の決めゼリフは、「'''せい、バイバイ!'''」である。
3人の苗字の頭文字を並べると「'''しのび'''」となる。
; {{Visible anchor|{{読み仮名|椎名 鷹介|しいな ようすけ}}|椎名鷹介}}
: 忍風館空忍科の第507期生{{R|超全集12}}で、19歳{{R|21st8|学研の図鑑106}}。[[双児宮|ふたご座]]のB型。日向無限斎によって直々に忍風館へスカウトされる。ハリケンジャーとしての自覚は三人の中で最も強く、伝説の後継者として世を忍ぶ仮の姿の時でもハリケンジャイロを常に装着している。色々なところで「伝説の後継者」という言葉を使っている。運動神経とスタミナに優れており、潜在能力は抜群なのだが、本人はその能力を自覚しておらず、一応リーダーのわりには、恐れを知らない直情型{{R|学研の図鑑106}}。吼太と張り合ったこともあった。好物は[[ラーメン]]。
: ジャカンジャによる忍風館消滅後は、人材派遣会社99スタッフサービスに登録して各所で働きながら戦う{{R|21st8|学研の図鑑106}}{{R|group="ep"|巻2}}。
: 『[[忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER]]』では、「椎名鷹介なんでも屋本舗」を設立し、世界中の紛争地域のボランティア活動を行い世界中を旅していた。
:* 演じる[[塩谷瞬]]によると、オーディション台本では大人びたキャラクターとして描かれていたが、その後に起用されたメンバーの人物像を反映して1年間を通して成長する落ちこぼれキャラへと改められていた{{R|21st18}}。メインライターの宮下隼一は、映画『[[忍風戦隊ハリケンジャー シュシュッと THE MOVIE]]』のころより鷹介を塩谷の当て書きするようになり、リーダーとして成長する姿が描かれていた{{R|21st8}}。
:; {{Visible anchor|ハリケンレッド}}
:: 椎名鷹介が変身する戦士。[[タカ目|タカ]]の能力を有する{{R|21st8|学研の図鑑106}}。名乗り口上は「'''風が鳴き、空が怒る。空忍ハリケンレッド'''」{{R|超全集12}}{{efn|書籍『スーパー戦隊 Official Mook 21世紀 vol.2 忍風戦隊ハリケンジャー』では、「風が哭き、空が怒る」と表記している{{R|21st8}}。}}
:: 空忍の超忍法で空中を飛び、剣も得意としている{{R|超全集12|21st8}}。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|野乃 七海|のの ななみ}}|野乃七海}}
: 忍風館水忍科の第507期生{{R|超全集14}}で、18歳{{R|21st9}}。勝気でプライドが高い紅一点{{R|21st9}}。明るくほがらかな性格のムードメーカーで{{R|学研の図鑑106}}、対照的な性格である鷹介と吼太の間を取り持つことが多い{{R|超全集14|21st9}}。やる気はあり何事にも全力で頑張るが{{R|学研の図鑑106}}、鷹介同様に考えなしで行動しがちなのでヘマを連発している。料理の腕前もそれなりにある{{R|group="ep"|巻46}}。
: 忍風館消滅後、ひょんなことから芸能界にスカウトされ、[[演歌]]アイドル歌手'''野乃ナナ'''として営業しながらジャカンジャと戦うこととなる{{R|21st9|学研の図鑑106}}{{R|group="ep"|巻2}}。戦いが終わった後は演歌歌手からアイドル歌手に転向している。
: 『[[轟轟戦隊ボウケンジャーVSスーパー戦隊]]』では著名なスターとして活躍している。また同作品と『海賊戦隊ゴーカイジャー』客演時は髪型をロングヘアに変えている。
: 『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』では、『海賊戦隊ゴーカイジャー』と同じく[[俳優#性別での分類|女優]]として活躍し、ハリウッドデビューを目指している。また同作品では本作品同様のショートヘアに戻している。
: 『[[ヒーローママ☆リーグ]]』では、女優の傍ら、結婚して一児の母親になっている。子供の保育園がいっしょだったことが縁で礼紋茉莉花(旧姓)/デカイエロー、小津芳香(旧姓)/マジピンクとママ友になっている。
:; {{Visible anchor|ハリケンブルー}}
:: 野乃七海が変身する戦士。[[イルカ]]の能力を有する{{R|21st9|学研の図鑑106}}。名乗り口上は「'''水が舞い、波が踊る。水忍ハリケンブルー'''」{{R|超全集14|21st9}}。
:: 海辺や川での戦いを得意とする水忍で{{R|超全集14|21st9}}、超忍法では水柱を操って空中高く舞い上がる、地面を一瞬にして水に変える、腕の先から激しい水流を噴射する技など水を操る超忍法を用いる{{R|超全集14|学研の図鑑106}}。反射神経に優れており、身動きも素早い{{Sfn|完全超百科|2006|p=94}}{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=55}}。抜群の射撃の腕を持ちハヤテ丸ガン(射)モードを多用、水上を自由に駆けながら、射撃に繋げるのが得意の攻撃パターン{{R|超全集14}}。
:: くノ一ということもあり彼女の水忍用スーツは空忍や陸忍用スーツと違い、下半身がズボンではなくミニスカートとなっていて、脚も帷子状となっている。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|尾藤 吼太|びとう こうた}}|尾藤 吼太}}
: 忍風館{{読み仮名|陸忍|おかにん}}科の第507期生{{R|超全集16}}で、20歳{{R|21st10}}の元訪問[[介護士]]。両親を事故で亡くして妹の鳴子と共に養護施設で育つ{{R|21st10}}。
: 肉体派である半面、一番年上ということもあり、冷静沈着に他の2人の猪突猛進振りを慎重にことを進める抑え役で、温和で心優しい理論派{{R|学研の図鑑106}}。また、仲間と他者への気遣いを大切にする{{R|学研の図鑑106}}。無限斎から一時的にリーダーに任命されたことがある{{R|group="ep"|巻29}}。巻之六と巻之二十九では鷹介と対立するが{{efn|巻之六ではシラーンスの能力により、巻之二十九ではリーダーの件で揉めたため。}}、互いを刺激したことで良いコンビぶりを見せた。無限斎の物まねが得意。忍風館消滅後、訪問介護士の仕事を再開しながらジャカンジャと戦う{{R|group="ep"|巻2}}{{R|学研の図鑑106}}。3人の中では家族に関するエピソードが最も多い{{R|超全集16}}{{efn|宮下は、ゴウライジャー側が家族絡みの物語になることから、ハリケンジャー側はあえて個人的な背景を掘り下げなかったとしている{{R|21st32}}。}}。
: 『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』では、結婚して、二児の父になっている。引き続き訪問介護士を務めている。
:; {{Visible anchor|ハリケンイエロー}}
:: 尾藤吼太が変身する戦士。[[ライオン|獅子]]の能力を有する{{R|21st10|学研の図鑑106}}。名乗り口上は「'''大地が震え、花が詠う。陸忍ハリケンイエロー'''」{{R|超全集16|21st10}}。
:: 陸忍の超忍法で分身をしたり、大地を使った超忍法とパワー攻撃も得意としている{{R|学研の図鑑106}}{{efn|ハリケンイエローのスーツアクターを務めた[[竹内康博]]は、当初は設定に基づいた大地を滑る動きなどを行っており、次第に自身が得意とするアクロバティックな動きも求められるようになったものの陸忍らしい重量感を入れるよう心がけていたという{{R|21stvol14}}。}}。
==== 電光石火ゴウライジャー ====
巻之七から登場{{efn|変身後の姿は謎の戦士2人として巻之一と巻之五にも登場しており、後者では台詞もある。}}。
当初は強大すぎるその力を恐れた迅雷流によって約500年前に封印されていたが、迅雷義塾始まって以来の天才忍者にして跳ね返り者と言われた霞兄弟がその力に魅入られて封印を解いたことで変身し、ゴウライジャー自体も「'''闇に生まれ、闇に生きる、迅雷流伝説の覇者にして、暗黒の忍'''」と伝承される存在である{{R|学研の図鑑108}}。その戦闘力はハリケンジャーを遥かに上回り、初登場時にはハリケンジャーを完膚なきまでに叩きのめして圧勝している{{R|group="ep"|巻7}}。当初は迅雷流を宇宙一の流派にするという野望のためのアレを手にするためにジャカンジャと手を組み、疾風流を襲うが{{R|group="ep"|巻8}}、利用されていたこととアレを手に入れるためには兄弟が争わなければならないことに気づき離反して改心{{R|group="ep"|巻18}}。ハリケンジャーと手を組む{{R|group="ep"|巻19}}{{R|学研の図鑑108}}。サンダールとの戦いで消息不明になるが{{R|group="ep"|巻50}}、最終巻で復活した{{R|group="ep"|最終}}。
名乗りの際の決め口上は「'''影に向かいて影を斬り、光に向かいて光を斬る。電光石火ゴウライジャー、見参!'''」{{R|超全集18|21st11}}。
* 一時は暗黒七本槍のメンバーであると思われていた時期もあったため、他の七本槍と同格の悪の幹部扱いでオープニング映像に登場していたこともある。宮下は自身の趣向から、仲間になる予定であっても対立させるならば徹底的に行うことを意図したという{{R|21st32}}。
; {{Visible anchor|{{読み仮名|霞 一甲|かすみ いっこう}}|霞一甲}}
: 霞兄弟の兄。24歳{{R|21st12|学研の図鑑108}}。迅雷義塾角忍科の503期生{{R|21st12|学研の図鑑108}}。臙脂色の忍者に変身する。弟の一鍬からは「兄者」と呼ばれている。「アレ」を手に入れる為にジャカンジャと結託し、ハリケンジャーと対立する。鍛え抜かれた精神と体を持ち、自分に厳しい自信家{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=84}}で、天才ゆえに寡黙で傲岸不遜ではあるが弟に対する思いやりは強く、「アレ」の出現の為に弟と対決しなければならなかった時には転移させられた対決の島から吹き出すガスを自ら吸って正気を失い一鍬に斬られようとした。しかし、転移に巻き込まれた茜と正平たちの言葉に正気を取り戻し、父親の愚かさや今までの行いを恥じて一鍬と和解した。その後は鷹介たちとも和解して共闘する事になる。次第に一鍬だけでなく鷹介たちにも本来の優しさも見せるようになる{{R|21st12|学研の図鑑108}}。普段は土木作業場や造園業でアルバイトをしており{{R|学研の図鑑108}}、たまたま派遣でやってきた鷹介と一緒に働いたこともある{{R|group="ep"|巻20}}。ジャカンジャ加入の際の経緯から、マンマルバとの間には浅からぬ因縁があり、中盤ではその対立が物語の軸の一つとなる。
: 『爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー』では、それまでの黒髪を茶髪に変えて登場。また、奪われたカラクリ巨人が爆竜たちに怪我を負わせてしまったことをアスカに詫びると、アスカからは謝ったりしない人物と思われていたために驚かれる。
: 『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』では、JUN烈のメンバーとして活動している。
:; {{Visible anchor|カブトライジャー}}
:: 霞一甲が変身する戦士。[[カブトムシ]]の能力を有する角忍である{{R|21st12}}。名乗り口上は「'''深紅の稲妻 角忍カブトライジャー'''」{{R|21st12}}。
:: 雷を使用する超忍法で戦い、角忍の超忍法で巨大化したり、パワーにも秀でる{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集20|21st12|学研の図鑑108}}}}。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|霞 一鍬|かすみ いっしゅう}}|霞一鍬}}
: 霞兄弟の弟。21歳{{R|21st13|学研の図鑑108}}。迅雷義塾牙忍科の505期生{{R|学研の図鑑108}}。紺色の忍者に変身する。クールな技巧派で、迅雷流に誇りを持つが、ストイックで気性が激しいところもある{{R|21st13|学研の図鑑108}}。忍者としての能力は一甲に匹敵するが、精神的には未熟である{{R|超全集22}}。一甲と共に「アレ」を手に入れる為にハリケンジャーと対立する。しかし、「アレ」を手に入れる為に兄弟で殺し合う事になった際には戦う事が出来ずに正気を失った一甲に重症を負わされるが、鷹介たちに救われ、一甲の持っていた記録装置から「アレ」を手に入れる手段が兄弟が殺し合ってどちらかが死ぬ事だと知る。激しく動揺したものの、鷹介たちからの協力の申し出を受けて一甲を救い出して和解。ハリケンジャーとも共闘するようになった。普段は兄と一緒に土木作業場で働いたり{{R|group="ep"|巻20}}、子供たちに[[剣道]]を教えたりもしている{{R|学研の図鑑108}}。チューピッドの矢に当たったことがきっかけで七海に片想いするというエピソードで恋愛に疎いところを見せる{{R|21st13}}<ref group="ep" name="巻26">巻之二十六。</ref>。バナナが大好物{{R|学研の図鑑108}}。
: 『爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー』では、すっかり性格が軽くなり、交際中であり同じ任務についている七海を任務中にデートに誘う一幕も見られる。
: 『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』では、ホストとして活動。やさぐれており、一甲に嫌味も言っていたが、バット・ゼ・ルンバとの戦いにおいて、かつての情熱を取り戻す。
:; {{Visible anchor|クワガライジャー}}
:: 霞一鍬が変身する戦士。[[クワガタムシ]]の能力を有する牙忍である{{R|21st13|学研の図鑑108}}。名乗り口上は「'''蒼天の霹靂 牙忍クワガライジャー'''」{{R|21st13}}。
:: 雷を使用する超忍法で戦い、牙忍の超忍法で空を飛んだり、スピードにも秀でる{{R|超全集22|21st13}}。
==== 天空忍者シュリケンジャー ====
巻之二十一から登場。スーツカラーはグリーン。「御前様」直属の疾風流・迅雷流両流派の奥義を極めた流派'''宇宙統一忍者流'''の天空忍者で、その変身前の素顔は不明である{{R|21st14|学研の図鑑106}}。英語交じりの変な口調でしゃべる{{R|21st14}}。その実力はハリケンジャー、ゴウライジャーを凌ぐ。また、ここ一番ではシュリケンズアーマーを取り去ってマスクの上部を回転(大逆転・フェイスチェンジ)し、全能力の制限を解放{{Sfn|完全超百科|2006|p=97}}させることで'''ファイヤーモード'''というパワーアップモードとなり{{R|学研の図鑑106}}、野球をベースにした攻撃スタイルで戦う。その際、口調も江戸っ子風に変化する{{R|21st14}}。名乗り口上は「'''アイ・アム・ニンジャ・オブ・ニンジャ。緑の光弾 天空忍者シュリケンジャー'''」{{R|21st14}}。
特技は変装で、その辺にいた人間に早変わりするなど朝飯前。別名'''千の顔を持つ男'''{{R|21st14|学研の図鑑106}}。後述の様々な変装態のほか、鷹介・吼太・一甲にも化けたこともある。劇中最後まで素顔は見せることはなかったが、ハリケンレッド同様に空忍科特有の技も使うことから、無限斎はその正体を、10年前に突如失踪した忍風館・空忍科の'''ハリケンジャーに一番近かった男'''ではないかと推測しており{{R|学研の図鑑106}}、おぼろと顔見知りの可能性が示唆されている{{R|group="ep"|巻49}}。
巻之四十九で自分の命を代償にしながら天空神に乗り巨大サタラクラと共に自爆する{{R|group="ep"|巻49}}。巻之五十では遺影が飾られている{{R|group="ep"|巻50}}。最終巻のエピローグではシュリケンジャーの正体らしき人物が登場している{{R|group="ep"|最終}}。
『アバレンジャーVSハリケンジャー』をはじめ、テレビシリーズ終了後に制作された作品にも複数回登場しているが、いずれの作品でもテレビシリーズ終了後の生死については触れられていない。
* 東映プロデューサーの日笠淳は、既に追加戦士としてゴウライジャーが存在しており、限られた話数の中でさらなる追加キャラクターの掘り下げを行うことは難しいと考え、素顔を見せず格好良さを見せることを第一としたキャラクターと位置づけたことを述べている{{R|21st5}}{{efn|また日笠は、自身が最初に担当したスーパー戦隊シリーズが追加戦士の存在しない『[[救急戦隊ゴーゴーファイブ]]』であったことから、追加戦士が必須の要素ではないと考えていたことも影響しているものとしている{{R|21st5}}。}}。
* 英語交じりのセリフの多くは演じる[[松野太紀]]のアドリブである{{Sfn|宇宙船152|2016|p=129|loc=「[[沖佳苗]]の特撮ラブっス 第23回 ゲスト:松野太紀さん」}}。
; 『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』
: 同作品のオリジナルキャラクターである天界が変身した二代目が登場する。名乗りも「'''我こそは忍者の中の忍者'''」と和訳に変化している。
; 『[[手裏剣戦隊ニンニンジャー]]』
: 第43話(忍びの43)に「忍者の名誉を守る会」の会員として登場。声は『10 YEARS AFTER』の天界を演じた[[橋本仰未]]ではなく、テレビシリーズと同じく松野太紀が、原典同様の英語交じりの口調で演じている。
: 作中では、松尾凪/キニンジャーから「'''ミドニンジャー'''{{efn|同話数の後に制作された『ニンニンジャー』の[[Vシネマ]]『[[帰ってきた手裏剣戦隊ニンニンジャー ニンニンガールズVSボーイズ FINAL WARS]]』にて、実際にミドニンジャーを名乗る戦士が登場している。}}っぽいね」と言われたのを受ける形で、「ニンニンジャー」の変身バンクにシュリケンジャーが登場するギャグ描写も見られた。
:* 松野の出演は、松野が出演していた『[[デジモンセイバーズ]]』のプロデューサーであった[[東映アニメーション]]の[[柴田宏明]]が『ニンニンジャー』の担当になったことから松野が懇願し実現した{{Sfn|宇宙船151|2015|p=127|loc=「[[沖佳苗]]の特撮ラブっス 第22回 ゲスト:松野太紀さん」}}。
:* また、同話数を監督した[[加藤弘之 (テレビドラマ監督)|加藤弘之]]は、二代目の存在は承知の上でファンが観たいのは初代だろうとの考えであったことを述べており{{R|手裏剣読本74}}、脚本を手がけた[[毛利亘宏]]は天界との関係については「グレーな感じ」と述べている{{R|手裏剣読本78}}。
=== 関係者 ===
==== 忍風館 ====
; {{Visible anchor|{{読み仮名|日向 無限斎|ひなた むげんさい}} / {{読み仮名|ハムスター館長|ハムスターかんちょう}}|日向無限斎|ハムスター館長}}
: 疾風流の忍者学校である忍風館の館長。ジャカンジャによる忍風館襲撃の際、[[ゴールデンハムスター]]に変身して難を逃れたが、呪文を一字間違えてしまい、外見はハムスターのままとなる{{R|group="ep"|巻1}}。この状態でも人語を話せる。
: 厳格だが心配性のところもある。おぼろからは「お父ちゃん」と呼ばれている。娘おぼろの[[ウェディングドレス]]姿を見るのが夢、と劇中で語られている。
: 劇場版で一時的に人間の姿に戻る。最終決戦の混乱の最中に正しい呪文を思い出したため、元の姿に戻る{{R|group="ep"|最終}}。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|日向 おぼろ|ひなた おぼろ}}|日向 おぼろ}}
: 忍風館特忍科・第487期卒業生。30歳。無限斎の一人娘で、鷹介たちの20代前の先輩。忍風館始まって以来の天才と言われ、疾風流に伝承されてきた風神エネルギーを用いた各種メカ・アイテムを開発した忍術研究者{{Sfn|完全超百科|2006|p=96}}であり、ハリケンジャーの軍師的存在。標準語でしゃべる父と違い、[[近畿方言|関西弁]]を話す{{efn|これは、演じた高田自身が奈良県出身であることを生かしたもの。高田はおぼろが関西弁を使う理由を語る「外伝」を勝手に考えたと述べ、東映側公式サイトでは一部が披露されている{{Full|date=2018年4月}}。}}。ハリケンジャーが登場するVシネマ2作品でのロボのオリジナル武装について、いずれも想像していたという旨を述べている。使用するパソコンのコンソール画面はハリケンジャーのエンブレムが分解するCG(レッド→ブルー→イエローの順に変化)になっている{{efn|のちに実際の[[スクリーンセーバー]]としてダウンロードが可能となった。}}。キャストクレジットは原則最後である。
; {{Visible anchor|{{読み仮名|黒子ロボット|くろこロボット}}|黒子ロボット}}
: ハリケンジャーたちや日向親子の活動を影からサポートする黒装束と黒頭巾を身に纏った人型ロボットで、金と銀の2体がいる。目から放つ光線によってハリケンジャーたちとジャカンジャの存在を知ってしまった人々の記憶消去や{{R|学研の図鑑109}}、おぼろの補助といった雑務などをこなす。歌舞伎などに登場する黒子と同様に会話をすることはなかったが、人間らしいリアクションを多々見せている。巻之四十六では量産型天空神の操縦も行っている{{R|group="ep"|巻46}}。
==== ハリケンジャーの関係者 ====
; {{読み仮名|尾藤 鳴子|びとう めいこ}}
: 巻之四、巻之四十一に登場。吼太の妹。吼太と共に生まれ育った養護施設で[[保育士]]をしている。巻之四十一にて兄がハリケンジャーであることを知っていた{{efn|例に漏れず黒子ロボが記憶を消そうとしたが、鷹介と七海に止められ、そのまま海外に向かった。}}。
; {{読み仮名|尾藤 あやめ|びとう あやめ}}
: 巻之二十五に登場。今は亡き吼太の祖母。サタラクラが過去の中忍を蘇らせる作戦を行った際、その影響で復活。しかも女子高生の姿になって、天国から吼太に会いに来た。自称「[[松浦亜弥|あやや]]」。蚊が刺したくなる体質の持ち主。
; {{読み仮名|馳 太|はせ ふとし}}
: 巻之二から登場。七海の[[マネージャー]]。
; {{読み仮名|九十九 かなえ|つくも かなえ}}
: 巻之二から登場。鷹介の働く人材派遣会社の女社長。鷹介を「新人」と呼び、厳しい態度で接する。
; {{読み仮名|田井 章一郎|たい しょういちろう}}
: 巻之二十七に登場。鷹介の忍風館時代の同級生で、鷹介とは下位争いをしていた。鷹介たちからは第一印象のイメージと名前からとった'''タイショー'''というあだ名で呼ばれている。幼馴染みのメグと結婚したのを機に忍風館を中退した後は焼き鳥屋を経営しており、身重の彼女の尻にかなり敷かれている様子。鷹介がハリケンジャーになったことを知り、危険に巻き込ませないためにハリケンジャーを辞めさせようとした。抜け忍は黒子ロボットによって記憶を消されるはずであるが、彼はそれを殴り飛ばして追っ払ったらしい。そのため忍風館時代の記憶を持ち、迅雷流やゴウライジャーのことも知っている。
==== 迅雷義塾 ====
; {{読み仮名|霞 一鬼|かすみ いっき}}
: 霞兄弟の実父。迅雷流の規律に従わずに無益な殺戮や破壊や、目的のためなら味方殺しすらも行い続けていた好戦的な危険人物であり、そのために、迅雷流からも疎まれて、あえて過酷な任務ばかりを与えられた末に死亡している。「アレ」の出現を目的として流派に無断で独自に調査を続けて、その方法の一つが「息子たちに殺し合いをさせること」だと知ったために、彼らに対し怒りと憎しみばかり教えて、いずれは殺し合わせようと考えていた他、迅雷忍者が使用する情報ナビゲーションツールにその情報を残していた。武器の製作も行っていたのだが、その制作思想はあのサタラクラにさえも狂気だと言わしめたほどである。
==== 御前様 ====
; {{読み仮名|覚羅|かぐら}}
: 疾風流、迅雷流を統べる'''宇宙統一忍者流'''の統領{{Sfn|完全超百科|2006|p=96}}。自らの存在を固く秘し、その存在は無限斎ら両流派の高位の忍者と、彼女に従うシュリケンジャーにしか知られていなかったが{{efn|無限斎は「御前様」が若い女性の姿であることを知らず、シュリケンジャーの正体も当初は「御前様」と推測していた。}}、無限斎が口を滑らせたので鷹介たちにもその存在が知れ渡り、「アレ」を出現させる手がかりとされる'''怒りの矢'''を封じたメダルがジャカンジャの手に落ちたことから、ハリケンジャー・ゴウライジャーの前に姿を現す{{R|group="ep"|巻44}}。悲しみに触れると解けてしまう封印で'''嘆きの弓'''のメダルを自らの体内に封じたため、500年もの長きに渡って孤独に生きている。メダルの力があるため、食料による栄養補給を必要としない{{R|group="ep"|巻46}}。終盤にてサンダールにメダルを奪われ、息を引き取る。亡骸は光の粒子となって消滅していった{{R|group="ep"|巻48}}。
== 地球忍者の装備・戦力 ==
=== 共通装備 ===
; シノビメダル
: 忍術や奥義など、さまざまな忍者に関する情報を記録したメダル。'''闇石'''と呼ばれる、嘆きの弓のメダルを基に作られていた。
; シノビスーツ{{Sfn|超全集|2003|pp=10、20、81}}{{R|21st6}}{{efn|書籍『スーパー戦隊 Official Mook 21世紀 vol.2 忍風戦隊ハリケンジャー』では、ゴウライジャーのものを'''ゴウライスーツ'''と記述している{{R|21st11}}。}}
: ハリケンジャーやゴウライジャーが変身ブレスを起動させて装着する忍び装束型強化スーツ。ハリケンジャーのものはハリケンファイバー製、ゴウライジャーのものはゴウライファイバー製で、マシンガンの連射にもビクともしない強度と布のようなしなやかさを持ち、装着した者の身体能力を10〜20倍に引き上げる{{R|21st6}}。ハリケンジャーのものはヘルメットのフェイス部分を展開することも出来る。
: ゴウライジャーのスーツは肩当てと手甲、膝当てが付いているため、ハリケンジャーのものより防御力が高い{{R|超全集20}}。装着した者の身体能力が15〜30倍までアップする。
: シュリケンジャーのスーツは、どんなに強力な攻撃を受けても変身解除しないほど強靭で、スーツの上にはプロテクターのシュリケンズアーマーを装着している。シュリケンズアーマーは重量があり、シュリケンジャーの背丈くらいの高さから落とすだけで地面がめり込むほどである。
; {{読み仮名|天下統一武奏ニンジャミセン|てんかとういつぶそうニンジャミセン}}{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|完全超百科|2006|p=97}}{{R|超全集26|30大61}}{{Sfn|21st 2|2017|pp=6、11、14}}}}
: 宇宙統一忍者流の楽器で、衝撃波{{efn|ハリケンレッドの場合は'''レッドソニック'''と呼ばれる{{Sfn|赤の伝説|2012|p=133}}。}}を放つほか、リボルバーマンモスを機動させる{{Sfn|赤の伝説|2012|p=133}}のに使う。当初はシュリケンジャー専用というような形で出てきたが、ハリケンジャーらも使用することができる。劇中都合1棹だけが確認されている。それぞれの武器(シュリケンズバット、ハヤテ丸、イカヅチ丸)と合体させて使い、ハヤテ丸 ガンモードの10倍の威力を誇るガンモード{{Sfn|完全超百科|2006|p=97}}としても使える他、音色でリボルバーマンモスをコントロールすることができる。シュリケンジャーはシノビメダルをピック代わりに使い[[エレキギター]]のような音を発生させるが、ハリケンジャーらが使う時には専用のバチを用い、[[三味線]]のような音を出す。1度だけだが6人一斉に弾くことで衝撃波を発する'''衝撃波六重奏'''や'''流派超越シャミ流れバチ'''{{Sfn|完全超百科|2006|p=97}}、ビクトリーガジェットと同時に銃モード{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=55}}で撃つ'''最強奥義 {{読み仮名|天風雷撃波|てんぷうらいげきは}}'''{{R|超全集26|30大61}}といった必殺技にも使える。
; [[忍者刀]]
: 変身前に使用する刀。使用回数は少なかったが、主にマゲラッパとの戦いで使用した。シュリケンジャーは使用していない。
=== ハリケンジャーの装備 ===
; ハリケンジャイロ{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集10|30大60|21st6}}}}
: ハリケンジャーの3人が左腕に装着している変身ブレス。本来は疾風流忍者の中でも伝説の後継者と認められるほどの実力を持つ特に優れた忍者にのみ与えられるものだが、地球に襲来したジャカンジャに対抗するためおぼろから鷹介たち3人に託された。
: 「忍風・シノビチェンジ!」の掛け声と共に、各人に対応したシノビメダルがセットされたローラーを回転させ風神エネルギーを吸収{{R|超全集10}}。「揺らぎ」の働きにより、おぼろ研究室からシノビスーツが転送・装着され、最後に「ハァッ!」という音声が鳴る{{efn|『[[爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー]]』および『海賊戦隊ゴーカイジャー』では鳴らない。}}と同時にヘルメットのフェイス部分が閉まり、変身が完了する{{Sfn|超全集|2003|p=81}}。ジャイロ同士やおぼろ研究室との通信機能も備え、'''ジャイロ手裏剣'''{{Refnest|group="出典"|name="hurricane"|{{R|超全集10|30大61|21st6}}}}を飛ばすことも可能。変身後も左腕に残っている。
; {{読み仮名|携帯忍刀ハヤテ丸|けいたいにんとうハヤテまる}}{{R|group="出典"|hurricane}}
: ハリケンジャーが背中に背負った忍者刀。10センチメートルの鉄板を簡単に切り裂く{{Sfn|徳間絵本|2002|p=10}}ほどの鋭い刀剣('''斬モード'''{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=55}})としてだけではなく、鞘に収めた状態で1メートルのコンクリート製の壁も貫く{{Sfn|徳間絵本|2002|p=11}}風神エネルギー弾を発射するライフル状の銃としても使える('''射モード'''{{R|group="出典"|hurricane}})上に、柄には携帯電話のような通信機が内蔵されている。これでお互いに連絡をとることも出来る。さらに携帯と同じEメール機能{{Sfn|完全超百科|2006|p=94}}を備え、新しい技が開発されると、そのデータが剣自体に転送される。技自体はダウンロードすれば持つ者が誰でも基本的には使用可能(後述)。
; {{読み仮名|忍ロープ|しのびロープ}}{{R|group="出典"|hurricane}}
: 各人に対応した配色の鉤縄。敵を捉える際や高所へ登る際に使用する。繊維化[[チタン]]製{{R|超全集10}}。
; シノビジャケット{{R|21st8}}
: 変身前の3人が着用している[[ジャケット]]。
; シノビカブト{{R|21st8}}
: 変身前の3人が隠密行動時に着用している兜。
=== ゴウライジャーの装備 ===
; ゴウライチェンジャー{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集18|30大60|21st11}}}}
: ゴウライジャーの変身ブレス。左腕に装着されている。本来は迅雷流忍者の中でも特に優れた忍者にのみ与えられる迅雷流伝説の覇者の証である。500年前にゴウライジャーの名と共に封印されていたが、密かに改良が重ねられ、迅雷義塾が壊滅した直後に難を逃れた霞兄弟が迅雷の谷の洞窟で発見して手に入れた。「{{読み仮名|迅雷|じんらい}}・シノビチェンジ」の掛け声と共に変身する。それぞれカブトムシ、クワガタ型をしており、変身時にはスイッチを押して翼が開き現れた中のシノビメダルがイオンを吸収し、霞兄弟の身体にシノビスーツを生成・装着させ最後に「ハァッ!」という音声が鳴る{{efn|『爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー』では鳴らない。}}と同時にヘルメットのフェィス部分が閉まり変身が完了する。チェンジャー同士や、おぼろ研究室との通信機能も備え、さらに結界をこじ開ける能力も持ち、巻之四十五で使用された。作中において「ゴウライチェンジャー」という名は一度も出ておらず、一甲が一度だけ「チェンジャー」と呼んだのみである。
; {{読み仮名|変幻自在棍イカヅチ丸|へんげんじざいこんイカヅチまる}}{{Refnest|group="出典"|name="gorai"|{{R|超全集18|30大61|21st11}}}}
: ゴウライジャーが武器として使用している変幻自在棍。背中に差して携行する。両端と中央部に分厚い鉄板も切り裂くほどの鋭い切れ味を持つ小型の刃が備わっており、ジョイントの組み換えによって自在に形を変える。通常形態の他、本体を長く伸張させた手槍の'''手槍モード'''{{R|超全集18|21st11}}、十字の雷神エネルギー光弾を放つ十字[[手裏剣]]の'''十字の型'''{{R|group="出典"|gorai}}、中心部に電磁バリアを張って敵の攻撃を反射する[[盾]]の'''円月の型'''{{R|group="出典"|gorai}}として使える。
; イカヅチ手裏剣{{R|超全集18|30大61}}
: 巻之九のみに使用した、迅雷流の紋章がプリントされた手裏剣。
; 鎖
: 巻之三十六の冒頭の特訓シーンのみで使用した、攻撃用のチェーン。
; 迅雷乱れ打ち{{efn|資料によっては、'''迅雷流雷だいこ'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=96}}。}}
: 一甲と一鍬が迅雷太鼓を打ち鳴らし、迅雷印の旗を通じて太鼓の響きで雷神エネルギーを蓄積させて稲妻を作り出し、放つ。
=== シュリケンジャーの装備 ===
; シュリケンボール{{Refnest|group="出典"|name="shuriken"|{{R|超全集24|30大63b|21st14}}}}
: 片手でつかめる程度のボール状をしたシュリケンジャーの変身アイテムにして武器。劇中ではさまざまな変装態から「天空!シノビチェンジ!」{{R|超全集24}}の掛け声と共に'''揺らぎエネルギー'''を用いて変身するが{{R|学研の図鑑106}}、その際は変身前の役者がかつて演じていた各戦隊での変身ポーズをアレンジしたポーズをとる{{efn|ただし、バトルケニアとデンジブルーを演じた[[大葉健二]]のみそれらではなく、『[[宇宙刑事ギャバン]]』の「蒸着!」のポーズをとっている。[[藤敏也]]と[[和泉宗兵]]は変身ポーズがなかった。}}。
: 劇中で描写されていないが、シュリケンジャーの千本ノックや分身魔球で放たれる黄色い爆弾ボール{{Sfn|完全超百科|2006|p=97}}はシュリケンボールから生み出されている{{efn|書籍『忍風戦隊ハリケンジャー超全集』では、エネルギー光弾と解説している{{R|超全集24}}。}}。この黄色いボールは、最終決戦時にセンティピードの重力結界を消滅させることにも成功しており、この機能は鷹介がシュリケンジャーから受け取ったシュリケンボールのスイッチを押して発動させた。
; シュリケンズバット{{R|group="出典"|shuriken}}
: シュリケンジャーの武器。普段はバット部の鞘から引き抜いた厚さ10センチメートルの鉄板も簡単に切り裂いてしまうほどの切れ味を持ち、柄の部分のマイクに音声入力して声で機能を操り{{Sfn|完全超百科|2006|p=97}}、様々な剣技を放つ忍者刀の剣モード{{R|超全集24}}として使用する。また必殺技を放つ際には鞘に収めバットモード{{R|超全集24}}とし、無数の爆弾ボール{{Sfn|完全超百科|2006|p=97}}を打つ。柄の石突部分にはマイクが付けられており、通信機としても使える。
:; 冷凍剣{{R|超全集24|21st14}}
:: 鞘の部分のマイクに音声入力して、刀身から冷凍エネルギーを放つ。'''解凍剣'''との併用で、ハリケンジャーとゴウライジャーの体内の毒サソリを摘出した。
:; プラズマ剣{{R|group="出典"|shuriken}}
:: 鞘の部分のマイクに音声入力して、刀身からプラズマエネルギーを発生させる。
:; ファイヤー剣{{R|21st14}}/火炎剣{{R|超全集24}}
:: 鞘の部分のマイクに音声入力して、刀身から火炎を放射する。ノーマルのシュリケンジャー時には'''ファイヤー剣'''、ファイヤーモード時には'''火炎剣'''と呼称する。
=== 忍法・技 ===
; 超忍法・{{読み仮名|消え身の術|きえみのじゅつ}}{{R|超全集12|30大62}}
: 煙玉を投げて身を隠す。ハリケン、ゴウライ、シュリケン全員共通の技。
; 変わり身の術{{Refnest|group="出典"|name="hurricane2"|{{R|超全集26|30大63|21st6}}}}{{efn|資料によっては、'''超忍法・変わり身の術'''と記述している{{Sfn|赤の伝説|2012|p=133}}。}}
: やられたと思わせてスーツを着せた藁人形だけ残す。ハリケン、ゴウライ、シュリケン全員共通の技。
; 抜け身の術
: やられたと思わせてスーツだけ残す。そこから奇襲攻撃を仕掛けることが多い。変わり身の術と基本的に同じだが、こちらの方が使用回数は多い。ハリケン、ゴウライ、シュリケン全員共通の技。
; 超忍法・{{読み仮名|影の舞|かげのまい}}{{R|超全集26|30大63}}
: 手前に障子が出現し、その裏で影となってそれぞれが様々な攻撃を繰り出す合体技。当初はハリケンジャー3人で使っていたが、後にゴウライジャーやシュリケンジャーが加わるようになり、人数が増えると、その都度「4人影の舞」や「5人影の舞」と呼称することもある{{R|超全集26}}。
: 『手裏剣戦隊ニンニンジャー』第7話(忍びの7)中ではレッドが『[[忍者戦隊カクレンジャー]]』の[[忍者戦隊カクレンジャー#サスケ|サスケ/ニンジャレッド]]と共に「流派超越・影の舞」を繰り広げている。
; 超忍法・{{読み仮名|乱舞三重衝|らんぶさんじゅうしょう}}{{R|超全集10|21st6}}
: ハヤテ丸に「乱」モードをダウンロードして刀身にエネルギーを込め、超高速で連続斬りを繰り出す。作中ではレッドとブルーが使用している。
:
; ハリケンジャーの合同技
:; トリプルハリケン斬り{{Sfn|完全超百科|2006|p=96}}{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=83}}{{efn|作中においては技名の発声はなし。}}
:: 「ハー・リー・ケーン」の発声とともに、空中で前方回転しながら斬りつける。1人でも使用可能な基本的な技であるが、作中ではもっぱら3人同時に使用された。
:; 三位一体トリプルハリケーン{{R|group="出典"|hurricane2}}
:: 3人が手を組み合った状態で回転し、猛烈な勢いで竜巻を巻き起こす。
:; 超忍法・地獄耳
:: 『海賊戦隊ゴーカイジャー』で3人が使用。大きくした耳を傾けて遠くの相手の話を盗聴し、秘密などを探る。
:
; ハリケンレッドの忍法・技
:; 超忍法・{{読み仮名|空駆け|そらがけ}}{{Refnest|group="出典"|name="red"|{{R|超全集12|30大62|21st8}}}}{{efn|資料によっては、'''超忍法空がけ'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=94}}{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=54}}。}}
:: 空中を最高速度時速200キロメートルで駆けながら攻撃する{{R|21st8}}。レッドの超忍法ではもっとも多用された。
:: レッドがイエローに投げられることで速度を増し'''高速空駆け'''となる{{R|group="出典"|hurricane2}}。
:: シュリケンジャーも使用可能である{{R|超全集24}}。
:; 超忍法・{{読み仮名|幻変化|まぼろしへんげ}}{{R|超全集12|30大62}}{{efn|資料によっては、'''まぼろし変化'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=94}}。}}
:: 兵器に変身したレッドに攻撃される幻を見せる精神攻撃技{{R|超全集12}}。劇中ではハリケン戦闘機、ハリケン戦車に変身した{{R|超全集12}}。
:; 疾風流剣技・{{読み仮名|疾風斬|しっぷうざん}}{{R|group="出典"|red}}
:: 「斬」モードのハヤテ丸に風神エネルギーを込め、振りかざして敵を袈裟斬りにする。
::* 『手裏剣戦隊ニンニンジャー』では、「宇宙統一忍者流剣技」となっていた{{R|手裏剣読本}}。同話数を監督した[[竹本昇]]はこの技名について、本作品の最終回の流れを汲んで改名したことを述べている{{R|手裏剣読本}}。
:; 疾風流奥義 {{読み仮名|大空斬り|おおぞらぎり}}{{R|group="出典"|red}}
:: シュリケンジャーがレッドに授けた巻物に記されていた奥義。空駆けにより空中より敵に近づき、ハヤテ丸で相手を縦に斬る。
:; {{読み仮名|雷撃斬|らいげきざん}}{{R|超全集10|21st6}}{{efn|資料によっては、'''超忍法・雷撃斬'''と記述している{{Sfn|赤の伝説|2012|p=133}}。}}
:: 迅雷流伝承の剣技を応用した技。ハヤテ丸に「雷」モードをダウンロードして、刀身に雷神エネルギーを込めて敵を何度も斬る。
:; {{読み仮名|空忍法・飛雲雀|そらにんぽう・ひうんじゃく}}{{R|超全集12|30大62}}
:: 爆発的な跳躍により底なし沼や地中にめり込んだ状況から脱出する、疾風流空忍固有の忍法{{R|超全集12}}。
:; 自在縄
:: 『手裏剣戦隊ニンニンジャー』で使用。指から縄を伸ばす。
:
; ハリケンブルーの忍法・技
:; 超忍法・{{読み仮名|水面走り|みなもばしり}}{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集14|30大62|21st9}}}}{{efn|資料によっては、'''超忍法水面ばしり'''と記述している{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=55}}。}}
:: 時速150キロメートルで水上を地上の如く走り抜ける{{R|21st9}}。さらに、水面走りからハヤテ丸で射撃を行う。
:; 超忍法・{{読み仮名|水流破|すいりゅうは}}{{R|超全集14|30大62}}
:: 腕の先より、激しい水流を噴射して、敵を一度にまとめて吹き飛ばす{{R|超全集14}}。
:; 超忍法・{{読み仮名|水変化|みずへんげ}}{{R|超全集14|30大62}}
:: 地面を一瞬で水に変えて、その中に敵を引きずり込む{{R|超全集14}}。
:; 疾風流剣技・激流斬
:: 水忍最強の剣技{{R|超全集14}}。
:: 「斬」モードのハヤテ丸に風神エネルギーを込め、振りかざして敵を縦に斬る。
:; 忍法・水柱{{R|超全集14|30大62}}
:: 七海が使用する忍術。地面から巨大な水柱を発生させ、それに乗って高いところへ移動する{{R|超全集14}}、水忍の基本忍法。変身前でも使える。
:; 忍法・木の葉がえし{{R|超全集14|30大62}}
:: 七海が使用する忍術。木の葉を巻き上げて、敵の目を晦ませ、姿を隠す{{R|超全集14}}。
:
; ハリケンイエローの忍法・技
:; 超忍法・{{読み仮名|舞獅子|まいじし}}{{Refnest|group="出典"|name="yellow"|{{R|超全集16|30大62|21st10}}}}
:: 8人に分身して、立て続けに攻撃を仕掛ける{{R|超全集16}}。イエローを代表する超忍法でもある。
:; 超忍法・イエロー発砲崩し
:: 舞獅子使用時に敵の周囲を動きながら次々と攻撃する。
:; 超忍法・{{読み仮名|地雷撃|じらいげき}}{{R|group="出典"|yellow}}
:: 地面にハヤテ丸を突き立て、電撃を放つ{{R|超全集16|21st10}}。
:; 超忍法・{{読み仮名|土驀進|つちばくしん}}{{R|超全集16|30大62}}
:: 地中を潜り、奇襲攻撃をかける。
:; 超忍法・{{読み仮名|獅子滑り|ししすべり}}{{R|group="出典"|yellow}}{{efn|資料によっては、'''超忍法・獅子すべり'''と記述している{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=55}}。}}
:: 地面に腹這いになった状態で敵に突っ込んでいく{{R|21st10}}。
:; 超忍法・乱れ斬り
:: 垂直な壁を横に走りながら何度もハヤテ丸で斬りつける。
:; 疾風流剣技・大地斬
:: 「斬」モードのハヤテ丸に風神エネルギーを込め、振りかざして左上から右下に振り下ろす。
:; 疾風流奥義 {{読み仮名|大地斬り|だいちぎり}}{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集16|30大62|21st6}}}}
:: シュリケンジャーがイエローに授けた巻物に記されていた奥義。獅子滑りの強化技で{{R|超全集16}}、腹這いで敵に近づき、ハヤテ丸で相手を横に斬る。この技と上記の大空斬りは実は1つの技であり、2つの技を合わせると'''疾風流合わせ奥義・{{読み仮名|大空大地斬り|おおぞらだいちぎり}}'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集26|30大63|21st6}}{{Sfn|完全超百科|2006|p=96}}{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=83}}}}になる。
:; 陸忍法・カメレオンの術{{R|超全集16}}
:: 吼太が使用する忍術。保護色の布を利用して、壁などに隠れる。変身前でも使える。
:; 疾風流忍法・犬の鼻{{efn|書籍『忍風戦隊ハリケンジャー超全集』では、陸忍法と記載している{{R|超全集16}}。}}
:: 吼太が使用する忍術。黒い犬の鼻をつけ、犬並みに嗅覚を強化する。
:
; ゴウライジャーの合体忍法
:; ゴウライシュート{{Sfn|完全超百科|2006|p=96}}
:: 2人でイカヅチ丸で敵を投げ飛ばし、粉砕する。
:
; カブトライジャーの忍法・技
:; 超忍法・{{読み仮名|幻カブト|まぼろしカブト}}{{R|超全集20|30大62}}
:: 巨大化した自分の幻影を作り出し、それで敵を踏み潰して精神的なダメージを与える。変身前でも使える。当時敵対していたイエローに2回、無限斎から卒業証書を奪うために1回(変身せずに)、『アバレンジャーVSハリケンジャー』でアバレキラーに、合計4回使用。
:; 迅雷流剣技・雷撃斬{{R|30大62|21st12}}
:: カブトの得意技で使用回数が最も多い。イカヅチ丸の先端の刃に雷神エネルギーを充填して、敵を何度も斬り裂く。巻之二十で、レッドに授けた。
:; 迅雷流忍法・カブトうつし{{R|30大62|超全集20}}
:: 一甲の忍術。念を込めたカブトムシの幼虫を飲み込み、自分の体内をレントゲンのように調べる。
:; 迅雷流忍法・{{読み仮名|カブト雷撃破|カブトらいげきは}}{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集20|30大62|21st12}}}}{{efn|資料によっては、'''迅雷流剣技・カブト雷撃破'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=95}}。}}
:: 空中前転から両足キックを放ち、さらにイカヅチ丸で敵を縦に斬る連続攻撃技で、後にハリケンレッドにも伝授した。マンマルバを一度は倒した他、ウェンディーヌに使用したこともある。
:
; クワガライジャーの忍法・技
:; 超忍法・{{読み仮名|牙走り|きばばしり}}{{Refnest|group="出典"|name="kuwaga"|{{R|超全集22|30大62|21st13}}}}
:: スタッグブレイカーで敵を挟んだまま、空中を自在に走る{{R|超全集22}}。
:; 超忍法・{{読み仮名|牙稲妻|きばいなずま}}{{R|超全集22|30大62}}
:: 頭の牙から雷神エネルギーを発する技で{{R|超全集22}}、直接浴びせて攻撃したり、敵を捕縛する。
:; 超忍法・移り身
:: 敵の攻撃でやられたかのように見せかけて、思わぬところから奇襲攻撃をかける。
:; 迅雷流剣技・{{読み仮名|雷牙一閃|らいがいっせん}}{{R|30大62}}
:: イカヅチ丸とスタッグブレイカーに雷神エネルギーを充填して、左右両方向から敵を横に斬る。
:; 迅雷流剣技・雷牙一撃{{R|21st13}}
:: イカヅチブレイカーに雷神エネルギーを充填して斜め袈裟に振り下ろす。
:; 迅雷流奥義 {{読み仮名|鬼雷爆撃破|きらいばくげきは}}{{R|group="出典"|kuwaga}}
:: 鬼雷丸に電撃を溜めて斬りつける。しかしこの技は電撃を放出して、その場にいる者全てを敵味方関係なく攻撃してしまう。
:
; シュリケンジャーの忍法・技
:; 超忍法・{{読み仮名|秘打千本ノック|ひだせんぼんノック}}{{R|group="出典"|shuriken}}
:: シュリケンズバットで爆弾ボールを無数に打ちまくる。
:; 超忍法・ミラクル千本ノック{{R|超全集24}}
:: 秘打千本ノックの強化版。
:; 超忍法・{{読み仮名|分身魔球|ぶんしんまきゅう}}{{R|超全集24|30大63b}}
:: ボールを分裂させて投げつける。
:; 翼忍剣技・{{読み仮名|天空斬|てんくうざん}}{{R|超全集24|30大63b}}
:: 空中前転で勢いをつけて、シュリケンズバットで相手を縦一文字に斬る。
=== ガジェット ===
==== ハリケンガジェット ====
; ドライガン{{Refnest|group="出典"|name="red2"|{{R|超全集12|30大61|21st8}}}}
: ハリケンレッド専用のハリケンガジェット。500度の熱風弾を発射し、半径20メートル以内を焼き尽くす{{R|group="出典"|red2}}。火炎を噴射することも可能である。巻之十二でチューンナップされた{{Sfn|赤の伝説|2012|p=133}}。鷹の頭部のイメージをあしらったハンドガンで、モチーフはドライヤー。
; ソニックメガホン{{Refnest|group="出典"|name="blue"|{{R|超全集14|30大61|21st9}}}}
: ハリケンブルー専用のハリケンガジェット。[[言霊]]を風神エネルギーで増幅し、「回れ」「地面に潜れ」など、マイクでしゃべったとおりに相手(複数でも可)を操ることができる{{R|group="出典"|blue}}。衝撃波の発射も可能。イルカの尾のイメージをあしらっており、モチーフは(電動)メガホン。
:* 2008年10月にCDデビューした長澤奈央ボーカル担当のガールズロックバンド「SONIC MEGAPHONE<ref>[https://web.archive.org/web/20110208080440/http://sonicmegaphone.com/ SONIC MEGAPHONE](2011年2月8日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>」は、この武器が名称の由来となっている{{efn|長澤は由来について[[サブラ]]のインタビューで上記のように「最強だから」と述べている{{Full|date=2018年4月}}。}}。
; クエイクハンマー{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集16|30大61|21st10}}}}
: ハリケンイエロー専用のハリケンガジェット。風神エネルギーを集中させて叩くことで、地割れを起こすほどの一撃を生み出す{{R|21st10}}。目にも止まらぬ速さで叩きつける'''クエイクハンマー百連打'''や、野球の一本足打法の要領で敵を殴りつける'''超忍法869号'''{{R|超全集16|30大62}}といった技がある。ライオンの頭部をあしらっており、モチーフは(両手持ちの)ハンマー。
; 三重連トリプルガジェット{{Refnest|group="出典"|name="gadget"|{{R|超全集26|30大61|21st6}}}}
: ハリケンガジェットを連結させた必殺砲。合体の順番によって発射するエネルギーが変化する。合体した各形態の名称は以下の通りだが、劇中での呼称は「三重連トリプルガジェット」で統一される。
:; ドライガジェット{{R|group="出典"|gadget}}
:: ドライガン、クエイクハンマー、ソニックメガホンの順に連結させた形態。「'''ファイヤー'''」の掛け声でドライガンの銃口から高熱弾{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=83}}を発射する{{R|超全集26}}。
:; ソニックガジェット{{R|group="出典"|gadget}}
:: ソニックメガホン、ドライガン、クエイクハンマーの順に連結させた形態。「'''ロールアップ'''」の掛け声で強力な超音波弾{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=83}}で敵をバラバラにする{{R|超全集26}}。
:; クエイクガジェット{{R|group="出典"|gadget}}
:: クエイクハンマー、ソニックメガホン、ドライガンの順に連結させた形態。「'''ブレイクダウン'''」の掛け声で重さ100トンの重力弾で敵を押しつぶす{{R|超全集26}}。ビクトリーガジェットの時にはこの形態でダブルガジェットと連結させる。
==== ゴウライガジェット ====
; ホーンブレイカー{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集20|30大61|21st12}}}}
: カブトムシを模した、カブトライジャー専用の銃型ゴウライガジェット。カブトムシの角の形をしたポインターで敵に狙いを定め、直径1メートルの鉄骨コンクリートの柱を切り裂くディスク状の光弾を発射する{{R|超全集20}}。角の二股に分かれた先端に装備された銃口からパルスビームを連射することも可能。
; スタッグブレイカー{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集22|30大61|21st13}}}}
: クワガタムシの顎を模した、クワガライジャー専用のハサミ型ゴウライガジェット。挟んだ相手に10万ボルトの高圧電流を流す{{R|超全集22|21st13}}。主に手に持って使うが、イカヅチ丸の先端に装着して槍の穂先のように使うこともでき、この形態を'''イカヅチブレイカー'''{{R|超全集22|21st13}}と呼ぶ。
; 二重連ダブルガジェット{{Refnest|group="出典"|name="gadget2"|{{R|超全集26|30大61|21st11}}}}
: 2つのゴウライガジェットを合体させたゴウライジャーの必殺武器。雷神エネルギージェネレーターをフル回転させ、「'''サンダー'''」の掛け声で10万ボルトの高電圧エネルギー弾を発射する。
==== 合同必殺武器 ====
; 五重連ビクトリーガジェット{{R|group="出典"|gadget2}}
: ハリケンジャーのトリプルガジェット(クエイクガジェット)とゴウライジャーのダブルガジェットを連結させた形態。「'''ビクトリー'''」の掛け声で風神・雷神エネルギーを同時に発射して敵を粉砕する。トリプルガジェットとダブルガジェットの同時撃ちも防ぐフラビージョのエレガントバリヤーを破り、なおかつサーガイン配下の傀儡忍者を倒し、フラビージョとウェンディーヌに攻撃した際は次元が歪んでしまうほど<ref group="ep">『[[爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー]]』。</ref>の威力である。
; 九重連スーパーダイノビクトリー(9重連ビクトリーダイノボンバー)
: 『[[爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー]]』を参照。
; 六重連ファイナルガジェット
: 『[[忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER]]』を参照。
=== その他の武器・アイテム ===
; 迅雷流情報ナビゲーションツール{{efn|『忍風戦隊ハリケンジャー超全集』では、名称を'''予言装置'''と記載している{{Sfn|超全集|2003|p=56}}。}}
: 霞兄弟の父・霞一鬼がゴウライジャーに関する情報と、流星群から解読したアレの発生方法を記録して残したグリップ型情報端末。青い透明の鉱物・「シノビニウム」がエネルギー源。高密度のシノビニウムを取り込むことで、記録された情報を告げる一鬼のホログラフを次々に投影できる。
: 最後は一鍬に投げつけられて壊れた。
; {{読み仮名|鬼雷丸|きらいまる}}{{R|超全集22}}
: 一鬼の使用していた武器。作中では「刀」と言われていたが、形状としては両刃の薙刀に近いものである。この武器は前述の奥義を放つと敵味方関係なく攻撃してしまうため、「味方斬りの魔剣」と呼ばれて封印されていたが、迅雷流の再興にこだわった一鍬の心によって封印が解かれた。
; 防腐剤
: 巻之四十で御前から支給されたスプレーから散布する薬剤。フショクルーガの鱗粉の腐食対策として町中に散布し、ハリケンジャーとゴウライジャーも自身のシノビスーツに塗布したが、これにはシノビスーツを固着し、動きを封じるコーティング剤が含まれていた。
=== ハリケンウインガー ===
風神エネルギーエンジン付きの忍者[[ハンググライダー|グライダー]]{{Sfn|完全超百科|2006|p=96}}{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=55}}。無音で空中を飛行できる{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=55}}。最高速度は時速500キロメートル{{R|21st8}}。データ転送装置により、ベルトのバックル部分から現れる。武器として小型ミサイルを搭載。劇場版冒頭では、{{読み仮名|'''忍馬'''|しのびうま}}{{Sfn|完全超百科|2006|p=96}}{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=83}}で現場に駆けつけている。
; レッドウインガー{{R|超全集12|21st8}}
: ハリケンレッド専用の赤いハリケンウインガー。
; ブルーウインガー{{R|超全集14|21st9}}
: ハリケンブルー専用の青いハリケンウインガー。
; イエローウインガー{{R|超全集16|21st10}}
: ハリケンイエロー専用の黄色のハリケンウインガー。
=== バリサンダー ===
{{機動兵器
|名称=バリサンダー
|全長=2.3{{nbsp}}m
|全高=1.255{{nbsp}}[[メートル|m]]
|重量=140{{nbsp}}[[キログラム|kg]]
|最高速度=750{{nbsp}}[[キロメートル毎時|km/h]]{{R|超全集20|21st12}}
}}
ゴウライジャーが変身用のシノビメダルから呼び出す戦闘バイク{{Sfn|完全超百科|2006|p=96}}{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=84}}。摩擦で地面に火をおこすほどの高速で走行し、車体前部からサンダービーム{{Sfn|完全超百科|2006|p=96}}を放って攻撃することも可能。巻之十から登場。
あまりに高性能なため、最初はハリケンジャーでも乗りこなせなかったが、マンマルバ暴走体の体内に囚われたゴウライジャーを救出すべく、ブルーとイエローが乗りこなすことに成功した{{efn|巻之三十六でゴウライジャーのバイクに興味を示したのは鷹介と七海だったが、巻之三十七クランクイン直前、鷹介役の塩谷がランニング中にバイクと接触する事故で腕を骨折したため、巻之三十七のバイクシーンは鷹介が実際の塩谷同様負傷。鷹介の代わりに吼太がバイクを運転する展開に変更されている。また、これに伴い巻之三十八およびVシネマの『ハリケンジャーVSガオレンジャー』でも腕を吊った状態で撮影が行われた。}}。
; カブトタイプ
: カブトライジャー専用のバリサンダー。カブトライジャーの色である臙脂が施されている。巻之三十七では、ハリケンイエローが運転した。
; クワガタイプ
: クワガライジャー専用のバリサンダー。クワガライジャーの色である紺色が施されている。巻之三十七では、ハリケンブルーが運転した。
=== シノビマシン ===
地球忍者たちが使用する巨大カラクリメカ。
ハリケンジャーのシノビマシンは、おぼろが新世代のハリケンジャーのために開発していた動物型カラクリメカ。巻之二から登場。内部の駆動機構にカラクリ技術が応用されており、現代のアクチュエーターよりも効率よく駆動する。構造材には超軽量・超硬質の特殊セラミックを使用。装甲はハリケンファイバー・特殊セラミック・チタン合金の積層型。コクピットには、おぼろ研究所から転送されたシノビメダルを受け取ったり{{efn|シノビマシンのコクピット同士でも転送可能。またシノビメダルと同サイズならどんな物でも転送出来るらしく、巻之十五では鷹介がハリケンドルフィンのコクピットにメダルサイズのチョコを転送している。}}、シノビメダルを装填してカラクリボールを実体化させる装置が備わっている。
ゴウライジャーのシノビマシンは迅雷の谷に封印されていた昆虫型カラクリメカで、具体的な設計・製作者は作中では言及されていない。巻之十から登場。雷神エネルギー誘導装置を得て復活した。能力を特化させているため、地上戦では疾風流シノビマシンを凌ぐ戦闘力を発揮する。コクピットにはターゲットスコープを備え、疾風流シノビマシンと同様に、シノビメダルを受け取ったりシノビメダルを装填してカラクリボールを実体化させる装置が備わっている{{efn|さらに他のシノビマシンのコクピットからシノビメダルを奪取する機能も有しており、巻之十で一甲がハリケンホークのコクピットに転送されたプラントアックスのシノビメダルを奪っている。}}。
天空神は、製作者についてはこちらも作中にて明確な言及はなされていないが、カラクリボールを出現させるための元素固定装置の差異から、旋風神・轟雷神以上のカラクリ技術で製造されたものと推測されている<ref>{{Wayback |url=https://web.archive.org/web/20110623083238/http://tvarc.toei.co.jp/tv/hariken/toranomaki/ |title=ハリケン虎の巻 |date=2011-06-23}}</ref>。
いずれのシノビマシンも操縦自体はシノビチェンジしていない生身の状態でも行えるが、合体・変形の衝撃には生身では耐えられないことが言明されている。また、いずれも同様の駆動機構であったため、流派を超える合体が可能{{R|学研の図鑑109}}。
* ハリケンジャーのシノビマシンはCGで、ゴウライジャーのシノビマシンはミニチュア特撮でそれぞれ表現された{{Sfn|21st 2|2017|p=3|loc=[[鈴木武幸]]「「スーパー戦隊」その戦い」}}。前作『[[百獣戦隊ガオレンジャー]]』のパワーアニマルが生物的な表現であったため、本作品ではメカ要素を強調している{{R|21st34a}}。
; ハリケンホーク
: ハリケンレッド専用シノビマシン。赤い[[タカ目|タカ]]の姿をしており、出撃時は忍者館から飛行場のジェット[[旅客機]]に転送される{{R|30大64a}}{{Sfn|赤の伝説|2012|p=133}}。
: 翼から放つ'''烈火弾'''{{R|超全集30|21st15a}}や特殊可燃ガスを噴射して敵を炎の渦で締め上げる'''カラクリ忍法・{{読み仮名|火炎鷹|かえんだか}}'''{{R|超全集30|21st15a}}を使用。
: 旋風神の頭部を構成。
; ハリケンドルフィン
: ハリケンブルー専用シノビマシン。青い[[イルカ]]の姿をしており、出撃時は[[豪華客船]]に転送される{{R|30大64a}}。
: 水中だけでなく、地上を走行することもでき、飛行能力も持つ。首の部分には、リボルバーを備える。
: 津波のホログラムと共に敵を攻撃する'''カラクリ忍法・大津波'''{{R|超全集30|21st15a}}をはじめ、体当たりの'''ドルフィンアタック'''{{R|超全集30|21st15a}}も使用。
: 旋風神の右腕を構成。
; ハリケンレオン
: ハリケンイエロー専用シノビマシン。黄色い[[ライオン]]の姿をしており、出撃時は建設中の遊園地の[[ジェットコースター]]のレールと[[観覧車]]に転送される{{R|30大64a}}。
: タテガミを回転させて竜巻を起こし、敵に体当たりする'''カラクリ忍法・連獅子'''{{R|超全集30|21st15a}}を使用。
: 旋風神の頭部と右腕以外の部分とテイルロッドを構成。
:* 玩具「忍風合体 DX超合金 旋風神」付属のハリケンレオンにはタテガミの回転ギミックが仕込まれており、デザインを担当した菊池和浩によれば、「当時はやっていたコマのオモチャを意識したものであり、あまりに回りすぎて危ないので、(テイルロッドを)あまり差し込めないようにしました」とのこと{{R|戦隊ロボ|TH45193}}。
; ゴウライビートル
: カブトライジャー専用シノビマシン。紅の[[カブトムシ]]と戦車の姿をしている。
: 角の主砲・'''轟雷砲'''{{R|超全集30|21st15a}}、胴体に装備された二門のガトリングガン・'''ゴウライキャノン'''{{R|超全集30|21st15a}}、機体上部の二門の'''パルスビーム砲'''{{R|21st15a}}を装備。轟雷砲とゴウライキャノンによる一斉射撃は小さな山を7、8秒で消滅させる威力を持つ。溶岩弾の中に身を隠して敵に突撃する'''カラクリ忍法・角変化'''{{R|超全集30|21st15a}}も使用。
: 轟雷神の上半身を構成。
:* 玩具ではゴムキャタピラが用いられている{{R|TH4579}}。
; ゴウライスタッグ
: クワガライジャー専用シノビマシン。蒼の[[クワガタムシ]]と大型六輪車の姿をしている。
: 先端の牙・'''ダブルホーンカッター'''{{R|21st15a}}で自分の3倍近い重量の物を持ち上げ、ワイヤーによる射出も可能。角からは、'''イカヅチサンダー'''{{R|超全集30|21st15a}}という電撃を発射。砂埃にまぎれて敵を攻撃する'''カラクリ忍法・牙がくれ'''{{R|超全集30|21st15a}}も使用。
: 轟雷神の下半身と胸部装甲を構成。
:* 玩具ではゴムタイヤが用いられていたが、後に材質を変更している{{R|TH4579}}。
; 天空神(飛行モード){{Refnest|group="出典"|{{R|超全集30|30大64b|21st15a}}}}{{efn|資料によっては、'''天空神シノビマシンモード'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=97}}。}}
: シュリケンジャー専用シノビマシン。緑の[[鳥類|鳥]]と[[ヘリコプター]]の姿をしている。操縦はコクピットにシュリケンズバットを差し込んで行う。巻之二十二から登場。
: 機体前部側面に装備された九連装・計十八連装のミサイル砲の'''天空ランチャー'''{{R|超全集30|21st15a}}、手裏剣型プロペラで地面を切り裂いて、地割れを起こす攻撃の'''カラクリ忍法・{{読み仮名|天空裂破|てんくうれっぱ}}'''{{R|超全集30|21st15a}}を駆使し、分身の術も使える。
: 単体でカラクリ巨人に変形。
=== リボルバーマンモス ===
宇宙統一忍者流専用カラクリマシン{{Refnest|group="出典"|name="mammoth"|{{R|超全集39|30大64b|21st15b}}}}。銀色の[[マンモス]]の姿をしている。ニンジャミセンで遠隔操作され、主にシュリケンジャーが操縦を行う。ハリケンジャー、ゴウライジャー、シュリケンジャーの変身用シノビメダルの力で完成した。巻之三十三から登場。
その名の通り、巨大なリボルバーが備わっており、リボルバーに多数のカラクリボールを収納し、弾丸のように連続発射させることができる。
カラクリボール以外の武器は、両側に装備された2門のビーム砲の'''マンモスビーム'''{{R|超全集39}}{{Sfn|赤の伝説|2012|p=133}}、前足膝のビーム砲、風速100キロメートル以上の突風を噴射する鼻の大型ノズル。
巻之五十にて、サンダールに破壊され、撃沈した。
『爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー』では、生きていたシュリケンジャーと共に現れ、窮地に陥っていたアバレンオーを救い、姿を消した。
=== カラクリ巨人 ===
シノビマシンが合体や変形した巨人。様々なカラクリボールを駆使する。
玩具では、前作『百獣戦隊ガオレンジャー』のパワーアニマルと共通の合体用のジョイントを用いており{{R|TH4579}}、両作品が共演する『忍風戦隊ハリケンジャーVSガオレンジャー』ではこのギミックを用いた合体が再現されている{{R|21st34a}}。
; {{読み仮名|旋風神|せんぷうじん}}
: 巻之二から登場。ハリケンホーク、ハリケンドルフィン、ハリケンレオンが'''忍風合体'''した疾風流カラクリ巨人{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集32|21st15b|学研の図鑑109}}}}。カラクリボールは胸部の元素固定装置から射出させる{{R|学研の図鑑109}}。
: ハリケンレオンの尻尾が変形した鞭型の'''テイルロッド'''を差し込んで引き抜くことで、左肩のハリケンレオンの鬣からは突風の'''タテガミハリケーン'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集32|30大64b|21st15b}}}}{{efn|資料によっては、'''たてがみハリケーン'''と記述している{{Sfn|赤の伝説|2012|p=133}}。}}、右腕のハリケンドルフィンのリボルバー部分からは竜巻攻撃の'''ドルフィントルネード'''{{R|超全集32|30大64b}}を放つ。また、ハリケンレオンの口からは煙幕を吐く。
: 基本必殺技は、ソードスラッシャーを手にした状態で3体に分身し、左の旋風神が左斜め上から右斜め下、右の旋風神が右斜め下から左斜め上、中央の旋風神が縦一閃に順に放ちながら切り裂く、'''究極奥義 分身幻斬り'''{{Refnest|group="出典"|name="robo"|{{R|超全集32b|30大64c|21st15b}}}}。手応えを感じた後、分身を解いて、元の一体に戻る。
: 最終巻で、タウ・ザント究極体の体に乗り移った邪悪なる意思と共に爆散。その後、修復され『アバレンジャーVSハリケンジャー』にも登場。
:; 旋風神ハリアー
:: 巻之三から登場。旋風神が「'''旋風神・ハリーアップ'''」の合図で装甲を軽量化{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=57}}した体術戦向きの軽量形態{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|超戦力超百科|2013|p=53}}{{R|超全集33|21st15b|学研の図鑑109}}}}。
:: 軽装のボディゆえに機動性と素早さに長け、旋風神の10倍の速さで動くことができる{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集33|30大64b|21st15b}}{{Sfn|小学館絵本|2002|pp=4-5}}}}。この形態を維持できるのは60秒のみで{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集33|30大64b|21st15b}}{{Sfn|小学館絵本|2002|p=5}}}}、制限時間を過ぎるとハリーダウンにより元の旋風神に戻る{{R|21st15b}}。
:: 武器は両手に装備した刃の'''ハリアーソード'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集33|30大64b|21st15b}}}}(ダブルハリアーソード{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|赤の伝説|2012|p=133}}{{Sfn|小学館絵本|2002|pp=6-7}}{{Sfn|超戦力超百科|2013|p=53}}}})と胸から放つビーム{{R|超全集33}}。
:: 技はハリアーソードを円状の刃に変形させ、空中に出現したカタパルトを車輪のように転がって敵に突っ込む'''ホイールクラッシュ'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集33|30大64b|21st15b}}{{Sfn|小学館絵本|2002|p=10}}}}。ハリアーソードによる連続斬り'''疾風円月剣'''。
:: 必殺技は空中から猛スピードで敵に突っ込み、すれ違いざまに2本のハリアーソードで斬りつける'''ハリアー弾丸斬り'''{{R|超全集33|21st15b}}。
:: 最終巻では、「アレ」の中に飛び込み、嘆きの弓と怒りの矢で「アレ」を消滅させた。
; {{読み仮名|轟雷神|ごうらいじん}}
: ゴウライビートルとゴウライスタッグが'''迅雷合体'''した迅雷流カラクリ巨人{{Refnest|group="出典"|name="goraijin"|{{R|超全集34|21st15b|学研の図鑑109}}}}。旋風神同様にカラクリボールは胸部の元素固定装置から出現させる。
: 旋風神よりパワーは劣るが、強固な装甲と高い機動力を誇る{{R|group="出典"|goraijin}}。
: 両腰にはゴウライキャノン{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集34|30大64b|21st15b}}}}、胸部にはダブルホーンカッター{{R|超全集34|30大64b}}を装備している。
: 基本必殺技はプラントアックスで右から左斜めに4回連続で切り裂く、'''究極奥義 {{読み仮名|大回転轟斬り|だいかいてんとどろきぎり}}'''{{R|group="出典"|robo}}。
: ジャカンジャとの決戦時に、巨大化したサンダールと共に後ろからソードスラッシャーでボディを貫通して大破。その後、修復され『アバレンジャーVSハリケンジャー』にも登場。
:* スーパー戦隊シリーズの戦隊ロボで初めて、昆虫をモチーフとしている{{R|TH4579}}。
; {{読み仮名|轟雷旋風神|ごうらいせんぷうじん}}
: 巻之二十から登場。風雷丸の「各々方、合体でござる」の合図で旋風神・轟雷神・風雷丸が'''流派統一・風雷合体'''したカラクリ巨人{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集35|21st15b|学研の図鑑109}}}}。
: 大きな山を真っ二つにするほどの腕力を持ち、パンチ力は合体前の10倍になっている{{R|超全集35|21st15b}}。合体の際、ハリケンドルフィン本体は右肩のバルカン砲になるが、コクピットのあるはずの頭部分は分離している。左肩にはホーンキャノン、右肩にガトリングビーム砲を装備{{R|学研の図鑑109}}。リボルバーマンモスに転送されたソードスラッシャーとゴートハンマーを使用したこともある。
: 必殺技はハリケンレオンの口と両肩の火器からビームを一斉発射する'''必殺奥義ローリングサンダーハリケーン'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集35|30大64b|21st15b}}}}。5秒の連射で500メートル以内の物を全て蒸発させる威力を持つ{{R|超全集35}}。
: 『爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー』では応急修理の状態でキラーオーと対戦するも、爆竜必殺デススティンガーで大破してしまった。
:* スーパー戦隊シリーズのDX超合金では初めて、2体による合体のもので、その総重量は相当なものとなっている{{R|TH4579}}。本編での登場後に旋風神、轟雷神、風雷丸の玩具のパッケージには販売促進用のステッカーが貼り付けされた{{R|TH4579}}。
; リボルバー轟雷旋風神
: リボルバーマンモスの背に轟雷旋風神を合体させたカラクリ巨人の強化形態{{R|学研の図鑑109}}。
: 必殺技はカラクリボールをボール形態で敵に打ち出した後、4倍に強化されたローリングサンダーハリケーンとリボルバーマンモスのマンモスビームを同時に放つ'''必殺究極奥義サンダーハリケーンストライク'''{{R|group="出典"|mammoth}}。
; 轟雷旋風神ソード&シールド
: 『[[忍風戦隊ハリケンジャーVSガオレンジャー]]』を参照。
; {{読み仮名|天空神|てんくうじん}}
: 巻之二十二から登場。飛行モードの天空神が'''飛翔変形'''したカラクリ巨人{{R|超全集36|21st15b}}。カラクリボールは両手に搭載された元素固定装置により出現する。
: スマートなボディが特徴で足のホバーにより空中を自由自在に高速移動可能{{R|学研の図鑑109}}。旋風神ハリアー以上に身軽{{R|超全集36}}。
: 武器はプロペラが変形した胸の'''クロスブレード'''{{R|超全集36|30大64b}}{{efn|資料によっては、名称を'''天空手裏剣'''と記述している{{R|21st15b}}{{Sfn|完全超百科|2006|p=99}}。}}、両腕の'''天空カッター'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集36|30大64b|21st15b}}}}{{efn|資料によっては、名称を'''天空クロー'''と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=99}}。}}、天空神用'''テイルロッド'''。
: 基本必殺技はスピンビーをテイルロッドで差し込んで引き抜いてからぶつける、'''究極奥義 {{読み仮名|暴れ独楽|あばれごま}}'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集32b|30大64c|21st17}}}}。
: 巻之四十六では、シュリケンジャーとおぼろによって同型で量産型の天空神が2機造られ、2体の黒子ロボットが操縦し、ハリケンジャーたちを援護したが、黒子ロボの操縦が下手だったのか、2機とも故障し、ハリケンジャーとゴウライジャーをパニックに巻き込んでしまった。
: 巻之四十九で、巨大化したサタラクラに対し、重傷を負ったシュリケンジャーが操縦して捨て身で組み合い、自爆してしまった。
; {{読み仮名|天空旋風神|てんくうせんぷうじん}}
: 巻之二十五から登場。旋風神が天空神を'''天空武装'''したカラクリ巨人{{R|超全集37|21st15b}}。ハリケンドルフィンが分離し、代わりに天空神を右腕に装着している{{R|超全集37}}。
: 武器は天空神が変形した右腕の'''バスタービーム砲'''{{R|21st15b}}。
: 必殺技は右肩のプロペラと、左肩のハリケンレオンの鬣を高速回転させて風神エネルギーを吸収し、バスタービーム砲から放つ'''必殺奥義ダイナマイトトルネード'''{{Refnest|group="出典"|name="tenku"|{{R|超全集37|30大64b|21st15b}}}}。
; {{読み仮名|天空轟雷神|てんくうごうらいじん}}
: 巻之二十六から登場。轟雷神が天空神を'''天空武装'''したカラクリ巨人{{R|超全集37|21st15b}}。武器形態に変形した天空神が轟雷神の両肩にバックパックとして合体している{{R|超全集37|21st15b}}。
: 背中のプロペラで飛行し、両肩には'''ブラストキャノン砲'''{{R|21st15b}}}{{efn|資料によっては、名称を'''ブラストキャノン'''と記述している{{R|学研の図鑑109}}。}}を装備。
: 必殺技は天空神のローターと轟雷神の両腕のホイールを回転させて雷神エネルギーを吸収、それをブラストキャノン砲とゴウライキャノンから1,500万ボルトの高電圧ビームとして一斉発射する'''必殺奥義 {{読み仮名|天翔雷撃砲|てんしょうらいげきほう}}'''{{R|group="出典"|tenku}}。
; {{読み仮名|天雷旋風神|てんらいせんぷうじん}}
: 巻之三十七から登場。トライコンドルをジョイントとする形で旋風神、轟雷神、天空神が'''銀河超越三神合体'''したカラクリ最強の巨人{{R|超全集38|21st15b|学研の図鑑109}}。全員が同じコクピットで操縦を行う。
: 胸に大型十字手裏剣の'''クロスブレード'''{{Refnest|group="出典"|name="tenku2"|{{R|超全集38|30大64b|21st15b}}}}を装備。急降下しながらクロスブレードで敵を切り裂く'''カラクリ剣技・天雷疾風斬'''{{R|21st15b}}、胸のクロスブレードを45度回転させて、バリアを発生させる'''ダブルクロスフォーメーション'''{{R|超全集38}}を使用。
: 必殺技は体内の全ての回転盤を高速駆動させて全エネルギーを胸部のローターに集中、ローターを高速回転させることで強烈な真空波を放つ'''絶対究極奥義アルティマストーム'''{{R|超全集38|30大64b}}、地球忍者の6人が宇宙統一忍者流を極めることで発動する、最強技の'''宇宙統一忍者流奥義アルティマストームマキシマム'''{{R|group="出典"|tenku2}}。
: 最初に合体した際、旋風神と轟雷神の回路が天雷旋風神のパワーに耐えきれず、トライコンドルも壊れてしまったが、修理の際、表面に絶縁シールドを張ることで解消した。ハリケンドルフィン、ハリケンレオンの頭部分、ゴウライキャノンは合体に使用されない{{R|TH4579}}。
; {{読み仮名|天空轟雷旋風神|てんくうごうらいせんぷうじん}}
: 『[[忍風戦隊ハリケンジャーVSガオレンジャー]]』を参照。
; リボルバー天雷旋風神
: リボルバーマンモスの背に天雷旋風神を合体させたカラクリ巨人の最強形態{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=57}}{{R|学研の図鑑109}}。
: 合体と同時にほとんどのカラクリボールのウエポン(後述)がリボルバーマンモスに武装される{{R|学研の図鑑109}}{{efn|天雷旋風神の合体を導き、その一部となっているトライコンドル、カラクリマントとカラクリスタンプは除く。}}。
: 必殺技はカラクリボールのウエポンが強力なビームを放った後に敵に波状突撃を敢行する'''絶対究極奥義アルティマレインボー'''{{R|group="出典"|mammoth}}。
=== カラクリボール ===
ハリケンジャーが武器データが入力されたシノビメダルをスロットにセットすることで、旋風神の胸部ハッチから射出される元素固定装置で形成されたカプセル{{R|TH4579}}。ゴウライジャーの場合は轟雷神の胸部ハッチから射出される。天空神のみは両手の間からカラクリボールを発生させる。カプセルの中から必殺武器やカラクリ武者「風雷丸」(小型ロボ)のパーツなどが出現する。
; ソードスラッシャー(01)
: ハリケンファイバー製の[[タカ目|タカ]]の形をした必殺[[剣]]{{R|30大64c|TH4579}}。旋風神のメイン武器。一撃でタンカーも切り裂く{{R|超全集32b|21st17}}。巻之十四において、ゴウライジャーも轟雷神用のレプリカの開発に成功している。
: 旋風神用は他のカラクリボールと違い、ハリケンジャー全員のハリケンジャイロのメダルで発動させる。また、轟雷神用は他のカラクリボール同様に単一メダルで発動させており、カブトがメダルを所有していたが、後にクワガに譲り渡されている{{efn|これは、クワガに専用メダルが1枚も存在していなかったための措置である。}}。3体に分身、一斉に敵を切り裂く'''究極奥義 分身幻斬り'''が使える。
; ゴートクラッシャー(02)
: [[山羊]]の形をした[[槌|金槌]]状の武器{{Refnest|group="出典"|name="ball"|{{R|超全集32b|30大64c|21st17}}}}。エネルギーを溜め、取っ手を伸ばして振り下ろす'''究極奥義 {{読み仮名|疾風豪快落とし|しっぷうごうかいおとし}}'''{{R|group="出典"|ball}}が使える。
; トータスハンマー(03)
: [[カメ|亀]]の形をした鎖[[鉄球]]{{R|group="出典"|ball}}。エネルギーを溜めて敵に放ち、敵を貫く'''究極奥義 ロックドバスター'''{{R|group="出典"|ball}}が使える。
; ゴートハンマー
: ゴートクラッシャーとトータスハンマーを合体させた[[けん玉]]状の武器{{R|21st17}}。鉄球を撃ち飛ばして敵にぶつける'''フィニッシュトリック ゴートハンマーハリケン彗星'''{{R|超全集32b}}が使える。
:
; プラントアックス(04)
: 回転する四枚の刃を持つ[[花]](植物{{R|TH4579}})の形をした[[斧]]{{R|group="出典"|ball}}。その威力は山も砕く{{R|超全集32b|21st17}}。ダブルホーンカッターを合体させると'''アックスカッター'''{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集32b|30大64b|21st17}}}}になる。刃を回転させながら放つ究極奥義'''大回転轟斬り'''は、分身幻斬りと同等の威力を持ち、一度は旋風神を大破に、ハリケンジャーを瀕死の重傷にそれぞれ追い込んだ。本来は旋風神用に開発されたが、敵対していたころのカブトライジャーによって転送の瞬間にメダルを奪われて以後、轟雷神のメイン武器となる。
; ガトリングレオ(05)
: おぼろが無限斎の[[回し車]]を見て思いついた[[ホワイトライオン]]の形をした[[ガトリング砲]]{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集32b|30大64c|21st17|TH4579}}}}。左手に装備する。2メートル四方の鉄の塊を一瞬で蒸発させる威力。ガトリング砲を高速回転させてエネルギー弾を毎秒20発発射する'''究極奥義 {{読み仮名|大回転獅子爆裂弾|だいかいてんししばくれつだん}}'''{{R|group="出典"|ball}}が使える。
; スキッドアタッカー(06)
: [[イカ]]の形をした[[ドリル (工具)|ドリル]]{{R|30大64c|21st17}}{{efn|書籍『忍風戦隊ハリケンジャー超全集』では、'''巻貝型のヤリ'''と記述している{{R|超全集32b}}。}}。右膝に装着する。大きな山も一瞬で貫通する威力。ドリルを高速回転させながら敵に高速で突っ込んでいく'''究極奥義 スピンドドリル'''{{R|group="出典"|ball}}が使える。
; ガトリングアタッカー
: ガトリングレオとスキッドアタッカーを合体させた回転ドリル型武器{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集32b|21st17|TH4579}}}}。ドリルとガトリング砲を連動させて高速回転させ、竜巻と無数のエネルギー弾を放つ'''フィニッシュトリック ハリケンスパイラル'''{{R|超全集32b}}が使える。
:
; カラクリ武者・{{読み仮名|風雷丸|ふうらいまる}}(07+08)
: 風雷ヘッドと風雷ナックルが合体してできる、自意識を持つカラクリ武者。轟雷旋風神への合体機能を発動させる。
:「各々方、合体でござる!」との合図の後、合体時の掛け声は、「'''風吹き荒れて嵐飛び、雲引き裂いて雷走る!風と雷一つとなりて、天下御免の三日月頭!'''」。合体後もハリケンジャーたちにアドバイスする。
:
; カラクリマント(09)
: 敵の攻撃から身を守ったり、自らの姿を消すことが可能な赤い[[マント]]{{R|group="出典"|ball}}。ただし、気配を悟られた場合は効果が無効になる{{R|超全集32b}}。
; スピンビー(10)
: [[ハチ|蜂]]の形をした[[独楽]]{{R|group="出典"|ball}}。天空神のメイン武器。ロッドによって高速回転させて投げつける'''究極奥義 暴れ独楽'''が使える。
; カブトスピアー(11)
: [[カブトガニ]]の形をした[[槍]]{{R|30大64c|21st17}}。シュリケンジャーが授けたもの。先端から1,000万ボルトの光の槍を伸ばして敵を貫き、そのまま空に投げ飛ばして爆破する'''究極奥義 {{読み仮名|突貫香車突き|とっかんきょうしゃづき}}'''{{R|group="出典"|robo}}が使える。
; キャッチスパイダー(12)
: [[クモ|蜘蛛]]の形をした鎖付きの[[クレーン]]{{R|超全集32b|30大64c}}{{efn|書籍によっては、鈎爪{{R|21st17}}、大型アーム{{R|TH4579}}と記述している。}}。カラクリボールをキャッチすることが可能で、さらにそのままハンマーのように振り回して敵を攻撃することもできる。
; カラクリスタンプ(13)
: カラクリボールに[[印章|ローラースタンプ]]が付いた物。敵にスタンプを投げ、それが敵に「消印無効」の印を押して力を封じる'''究極奥義 {{読み仮名|スタンプ百烈押し|スタンプひゃくれつおし}}'''{{R|group="出典"|ball}}が使える。
; ピタットヒトデ(14)
: [[ヒトデ]]の形をした[[磁石|マグネット]]型武器{{Refnest|group="出典"|{{R|30大64c|21st17|TH4579}}}}。左膝に装着して[[膝蹴り]]を放ち、尖らせた頂点のトゲを相手に突き立てる'''究極奥義 スターライトニードロップ'''{{R|超全集32b}}と、投げつけて途中で分裂させ、敵に張り付かせて電流を流す'''究極奥義 スターダストクラッカー'''{{R|超全集32b}}が使える。
; トライコンドル(15+16+17)
: 宇宙伝来のカラクリジェット。2門のレーザー砲と、カッターにもなる尾翼が武器。天雷旋風神への合体を発動させる。カラクリ巨人を瞬間移動させる'''カラクリ忍法・消身の術'''{{R|超全集30}}も使用可能。オリジナルは劇場版に登場したアストラム第四惑星で開発されたもので、テレビシリーズのものはおぼろとシュリケンジャーが共同開発したレプリカである。ライーナ姫の持つペンダントから出現する3つの番号なしカラクリボールから出現する。
:* 玩具では顔部分の造形などが異なるカプセルトイのものと、シノビメダルの代わりにライーナ姫のペンダントが付いた映画限定のものの3種類が発売された{{R|TH4579}}。
{| class="wikitable sortable" style="font-size:small;"
|-
! ナンバー !! 名称 !! 文字 !! メダル所有者 !! 使用カラクリ巨人
|-
! 1
|ソードスラッシャー
|鉾
|ハリケンジャー全員<br/>カブト→クワガ
|旋風神<br/>轟雷神
|-
! 2
|ゴートクラッシャー
|鎚
|イエロー
|rowspan="2"|旋風神
|-
! 3
|トータスハンマー
|甲
|ブルー
|-
! 4
|プラントアックス
|車
|カブト
|轟雷神
|-
! 5
|ガトリングレオ
|銃
|イエロー
|rowspan="3"|旋風神
|-
! 6
|スキッドアタッカー
|錐
|ブルー
|-
! 7
|風雷ヘッド
|兜
|レッド
|-
! 8
|風雷ナックル
|拳
|カブト
|轟雷神
|-
! 9
|カラクリマント
|服
|レッド
|旋風神
|-
! 10
|スピンビー
|廻
|シュリケンジャー
|天空神
|-
! 11
|カブトスピアー
|突
|カブト
|轟雷神
|-
! 12
|キャッチスパイダー
|糸
|シュリケンジャー
|天空神
|-
! 13
|カラクリスタンプ
|印
|レッド
|rowspan="2"|旋風神
|-
! 14
|ピタットヒトデ
|着
|ブルー
|-
! 15
|トライコンドル(角)
|角
|シュリケンジャー
|天空神
|-
! 16
|トライコンドル(胴)
|冠
|レッド
|旋風神
|-
! 17
|トライコンドル(翼)
|爪
|カブト
|轟雷神
|}
=== スペック ===
{| class="wikitable sortable" style="font-size:small;"
|-
! 名称 !! 全長 !! 全高 !! 全幅 !! 重量 !! スピード
|-
! ハリケンホーク
|15{{nbsp}}m{{Refnest|group="出典"|name="SPEC"|{{R|超全集30|21st15a}}{{Sfn|旋風神|2002}}}}
|rowspan=1 colspan=1|
|22{{nbsp}}m(翼長){{Sfn|旋風神|2002}}
|120{{nbsp}}[[トン|t]]{{R|group="出典"|SPEC}}
|[[マッハ数|マッハ]]8{{R|超全集30|21st15a}}
|-
! ハリケンドルフィン
|32{{nbsp}}m{{R|group="出典"|SPEC}}
|rowspan=2 colspan=2|
|550{{nbsp}}t{{R|group="出典"|SPEC}}
|200{{nbsp}}km/h(水中){{R|超全集30|21st15a}}
|-
! ハリケンレオン
|45{{nbsp}}m{{R|group="出典"|SPEC}}
|1,250{{nbsp}}t{{R|group="出典"|SPEC}}
|300{{nbsp}}km/h{{R|超全集30|21st15a}}
|-
! ゴウライビートル
|38{{nbsp}}m{{Refnest|group="出典"|name="SPEC2"|{{R|超全集30|21st15a}}{{Sfn|轟雷神|2002}}}}
|15{{nbsp}}m{{Sfn|轟雷神|2002}}
|rowspan=2 colspan=1|
|1,010{{nbsp}}t{{R|group="出典"|SPEC2}}
|270{{nbsp}}km/h{{R|超全集30|21st15a}}
|-
! ゴウライスタッグ
|38.6{{nbsp}}m{{R|group="出典"|SPEC2}}
|11.5{{nbsp}}m{{Sfn|轟雷神|2002}}
|940{{nbsp}}t{{R|group="出典"|SPEC2}}
|285{{nbsp}}km/h{{R|超全集30|21st15a}}
|-
! 天空神(ヘリモード){{Sfn|天空神|2002}}
|55.5{{nbsp}}m{{Refnest|group="出典"|name="SPEC3"|{{R|超全集30|21st15a}}{{Sfn|天空神|2002}}}}
|rowspan=2 colspan=2|
|970{{nbsp}}t{{R|group="出典"|SPEC3}}
|680{{nbsp}}km/h{{R|group="出典"|SPEC3}}
|-
! トライコンドル
|24{{nbsp}}m
|550{{nbsp}}t
|マッハ12{{efn|資料によっては、マッハ10と記述している{{Sfn|完全超百科|2006|p=99}}。}}
|-
! 名称 !! 全高 !! 重量 !! スピード !! 出力
|-
! 旋風神
|55{{nbsp}}m{{Refnest|group="出典"|name="SPEC4"|{{R|超全集32|30大64b}}{{Sfn|旋風神|2002}}}}
|1,920{{nbsp}}t{{R|group="出典"|SPEC4}}
|rowspan=1 colspan=1|
|1,000万馬力{{R|超全集32}}
|-
! 旋風神ハリアー
|50{{nbsp}}m{{Refnest|group="出典"|name="SPEC5"|{{R|超全集33|30大64b}}{{Sfn|小学館絵本|2002|p=4}}}}
|1,000{{nbsp}}t{{R|group="出典"|SPEC5}}
|マッハ2{{Sfn|小学館絵本|2002|p=4}}
|750万馬力{{R|超全集33}}{{Sfn|小学館絵本|2002|p=4}}
|-
! 轟雷神
|56.5{{nbsp}}m{{Refnest|group="出典"|name="SPEC6"|{{R|超全集34|30大64b}}{{Sfn|轟雷神|2002}}}}
|1,950{{nbsp}}t{{R|group="出典"|SPEC6}}
|rowspan=10 colspan=1|
|800万馬力{{R|超全集34}}
|-
! 天空神
|52{{nbsp}}m{{Refnest|group="出典"|name="SPEC7"|{{R|超全集36|30大64b}}{{Sfn|天空神|2002}}}}
|970{{nbsp}}t{{R|group="出典"|SPEC7}}
|680万馬力{{R|超全集36}}{{Sfn|天空神|2002}}
|-
! 風雷丸
|24.0{{nbsp}}m{{R|学研の図鑑109}}
|250{{nbsp}}t{{R|学研の図鑑109}}
|300万馬力
|-
! 轟雷旋風神
|73{{nbsp}}m{{R|超全集35|30大64b}}
|3,970{{nbsp}}t{{R|超全集35|30大64b}}
|1,500万馬力{{R|超全集35}}
|-
! 轟雷旋風神ソード&シールド
|73{{nbsp}}m
|6,940{{nbsp}}t
|1,800万馬力
|-
! 天空旋風神
|55.4{{nbsp}}m{{R|超全集37}}
|2,340{{nbsp}}t{{R|超全集37}}
|1,200万馬力{{R|超全集37}}
|-
! 天空轟雷神
|56.5{{nbsp}}m{{R|超全集37}}
|2,920{{nbsp}}t{{R|超全集37}}
|1,000万馬力{{R|超全集37}}
|-
! 天雷旋風神
|74{{nbsp}}m{{R|超全集38|30大64b}}
|4,790{{nbsp}}t{{R|超全集38|30大64b}}
|4,000万馬力{{R|超全集38}}
|-
! 天空轟雷旋風神
|73{{nbsp}}m
|4,420{{nbsp}}t
|2,000万馬力
|-
! リボルバーマンモス
|85{{nbsp}}m{{R|超全集39|30大64b}}
|10,000{{nbsp}}t{{R|超全集39|30大64b}}
|5,600万馬力{{R|超全集39}}
|}
== 宇宙忍群ジャカンジャ ==
宇宙をさすらう邪悪な宇宙忍者の集団。忍者の究極奥義とされる「アレ」を探し求め多くの星を荒らし、500年前に宇宙中にばら撒いた発信機の一つが作動したため、発信源の地球にやって来る。「アレ」を見つけるために謎の流星群のメッセージに従い、地球を腐らせようとされている。宇宙船として乗ってきた寄生要塞センティピードを基地にしている。
組織内部で使う書面は'''ジャカンジャ文字'''と呼ばれ、主だった忍術に使われている{{efn|{{要出典範囲|古代ジャカンジャ語という表現もある。|date=2018年4月}}}}。この文字に関しては『忍風戦隊ハリケンジャー超全集』{{R|超全集87}}に一覧が載っている。
デザインは、和をイメージしたハリケンジャー側に対し、中国風のデザインが用いられている{{R|百化145}}{{efn|アメリカンテイストであった『忍者戦隊カクレンジャー』の妖怪との差別化も意図されている{{R|百化145}}。}}。
; 首領タウ・ザント
: 千の顔と千の手を持つ大ムカデのような姿をしたジャカンジャの首領。センティピードの謁見の間(司令室)の中央に座り、上忍たちに指示を出す。見えている部分は本体の一部に過ぎず、謁見の間に収まりきれずにセンティピードに幾重にも巻きつくほど巨大である。優秀な人材に対してはどこの宇宙の生まれでも気にしない豪快さを持つ一方、「アレ」を手に入れるためには部下をも捨て駒にする非情さを持つ。
: 人間を封印した無数の札を、気合で一気に消滅させたり、遠方へ雷撃を発するなどの凄まじい能力を持つ。
:* デザインモチーフは節足動物の[[ムカデ]]で{{R|宇宙船YB03|百化145}}、{{要出典範囲|「センティピード」も日本語に訳せばムカデ(漢字で書くと「百足」)。キャラクターの名前自体も「脚がたくさんある」ことからの連想でドイツ語で1000を表す"Tausend"から来ている。|date=2022年4月}}デザインを担当した[[さとうけいいち]]は、4人で1つの体を構成しているという想定で胴体に3つの異なる顔と組んだ腕のある形状で描いたが、劇中描写には活かされていない{{R|百化145}}。
:; タウ・ザント究極体
:: 巻之五十、最終巻に登場。タウ・ザントがジャキュームガンのタンクに蓄積された人々の生体エネルギーから怒りや嘆きを抽出・吸収し、巨人化した姿。両腕に備わった鉤爪や、顔面から放つ電撃などを武器とする。怒りと嘆きの弓矢を地球の海に撃ち込み、アレを発生させることに成功したが、直後にサンダールに弱点の眉間を不意打ちされて致命傷を負い、本格的に活発化したアレに吸い込まれた。
:: 邪悪なる意志に憑依されて復活した際、旋風神を追い詰めるが、カラクリボール射出とソードスラッシャーによる攻撃で再び眉間を刺され、旋風神を巻き込んで爆死。邪悪なる意思による再生七本槍が倒された後、邪悪なる意思の力で等身大の状態で復活するもハリケンジャーとゴウライジャーの超忍法・五人影の舞とビクトリーガジェットで邪悪なる意思共々、倒された。
::* 当初さとうは元のデザインを[[コンピュータグラフィックス|CG]]で動かすものと想定していたが、急遽造形物を作成することになり、ラフデザイン段階で造型作業が開始され、決定稿は後から描かれていた{{R|百化163}}。
=== 上忍(暗黒七本槍) ===
タウ・ザントの命令を直接聞く立場にいる、組織内No.2の集団。「○の槍〜」と番号が割り振られているが、明確なリーダーはいない(七本槍最強はサンダール)。また、六・七の槍はタウ・ザント以外面識一切無し。全員が異なる分野のエキスパートであり、作戦内容から来る組み合わせによって多彩な連携を見せる。全員の名の由来は曜日の英語名+モチーフ。
最終決戦で邪悪なる意志によって、復活した際、初めて全員が結集。チュウズーボの棍棒を媒体としたエネルギー弾・'''ジャカンジャ七重連・暗黒ボンバー'''を鷹介たちに放つも復活した霞兄弟に阻まれた。
* 東映プロデューサーの日笠淳は、暗黒七本槍の設定はサブプロデューサーの塚田英明が忍者ものに多い「◯人衆」から発想したものであり、人数が多いのは敵幹部が少なかった前作『百獣戦隊ガオレンジャー』からの反動もあったと述べている{{R|21st5}}。一方、前作で狂言回し的な立ち位置であったツエツエとヤバイバが好評であったことから、本作品でもフラビージョとウェンディーヌが同様の位置づけとなった{{R|21st5}}。また、メインライターの宮下隼一は、7人の設定はゴウライジャーの立ち位置の変化を考慮していると述べている{{R|21st32}}。
; 一の槍フラビージョ
: キャピキャピした元「宇宙[[コギャル]]」。宇宙忍者学校の落ちこぼれだったが、宇宙センター街でタウ・ザントにスカウトされた。当初はウェンディーヌとは仲が悪く、宇宙一のくノ一を決めるために張り合ったこともあったが、チュウズーボの死後は次第に仲良くなっていき、「ウェンディ」・「フラビー」と呼び合うようになっている。
: 上忍・中忍の任務達成状況などの報告・査定担当がメインだが、ハリケンジャーによって毎回作戦が失敗するため、「落第!」または「バツ!」と言いながら0点をつけるのがお約束。しかし、敗れたとはいえ見事な最期を遂げたチュウズーボに花丸をつけたこともある。一度は自分が査定され、マイナス300点をつけられてしまったことも。
: 飛行能力を持ち、単体で戦ってもそこそこ強いが、他の七本槍と異なり巨大化しての戦闘描写は無かった。かわいい外見とは裏腹に、やることは非常に残忍である。また、幹部で唯一ハリケンジャーの基地に立ち入ったことがある。
: 槍状の2本の針を武器とし、顔前で掌を開いて放つ衝撃波'''ドカン'''や、相手の周囲を数字の8を描きながら飛び回り連続で刺す'''8の字殺法'''という宇宙忍法を駆使する。また、ドライガジェットとダブルガジェットの同時撃ちを跳ね返す力がある'''エレガントバリヤー'''という防御技も使用する。
: 同じくノ一である七海をライバル視しており、ハリケンジャーと戦う際は彼女を狙うことが多い。巻之六「ハサミとくノ一」では、ウェンディーヌと共に七海を徹底的に苦しめた。
: ハリケンジャーとゴウライジャーがセンティピードを襲撃した際の戦闘で五重連ビクトリーガジェットにより、ウェンディーヌと共に倒される{{R|group="ep"|巻50}}。
: 邪悪なる意思の力で復活した際の戦闘では、ハリケンブルーと交戦し、水面走りからのガンモードでダメージを受けた後、激流斬で倒された。
:* デザインモチーフは昆虫の[[ハチ|蜂]]で{{R|宇宙船YB03|百化146}}、{{要出典範囲|名前の由来は金曜日 = Fridayとハチ = bee。|date=2022年4月}}さとうはハチ女というリクエストを基に、当時ブレイクしていた[[ミニモニ。]]のイメージから少女風のキャラクターとしてデザインしている{{R|百化146}}。衣装のトゲは蜂の針を[[パンク・ファッション]]風にアレンジしたものである{{R|百化146}}。
:; 『爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー』
:: ビクトリーガジェットにより引き起こされた次元の歪みによりダイノアースに飛ばされたことが判明し、ウェンディーヌと共にエヴォリアンの傘下に入る。
:; 『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』
:: ウェンディーヌと共に存命であり、零の槍バッド・ゼ・ルンバと手を組む。バッド・ゼ・ルンバが敗れ去ると、2人揃ってどこかへと去っていった。
:; 『[[特捜戦隊デカレンジャー THE MOVIE フルブラスト・アクション]]』
:: ウェンディーヌと共に「女子大生エイリアン」としてワンカットのみ出演。本作品と同一人物であるかはまでは言及されていない。
:; 『[[轟轟戦隊ボウケンジャーVSスーパー戦隊]]』
:: 単独で登場。同作品では既に死亡したとされ、時の魔神クロノスの手で復活するが、クロノスが敗れると彼女も昇天する顛末を迎えている。
:
; 二の槍チュウズーボ
: 大入道のような姿をした宇宙忍者。生物忍者(宇宙忍)たちを配下に持つ。[[古文書]]解読などを行い、自身は知的な力押しの作戦を好む。
: 棍棒を武器とし、巨大な棍棒に攻撃される幻を敵に見せる精神攻撃技'''巨大二の槍'''や背中のつづらに敵を閉じ込める'''箱次元'''、両手の指から放つ糸状の光で対象を操る'''人操り'''などの多彩な宇宙忍法を駆使する。
: ゴウライジャーを利用して「アレ」を手に入れようと目論んだが失敗。その後ハリケンジャーとゴウライジャーに最後の決戦を挑み、命を削る禁断の呪文'''闇魔人魂召喚の術'''で巨大化を遂げ、ハリケンジャーたちを追い詰めたが、初合体を遂げた轟雷旋風神に敗れ去り、七本槍最初の戦死者となる{{R|group="ep"|巻19}}。
: 邪悪なる意思の力で復活した際の戦闘では、クワガライジャーと交戦し、スタッグブレイカーでダメージを受けた後、雷牙一撃で倒された。
:* デザインモチーフは人間の[[入道]]とムカデ{{R|百化146}}{{efn|書籍『宇宙船 YEAR BOOK 2003』では、モチーフを[[大入道]]と記載している{{R|宇宙船YB03}}。}}。{{要出典範囲|名前の由来は火曜日 = Tuesday。|date=2022年4月}}
:* スーツアクターを担当した[[蜂須賀祐一]]は、大きくて動きづらかったことを証言している{{R|仮面俳優37}}。
:
; 三の槍マンマルバ
: 予言・占いなど、不確かな未来へ対する事柄を視る[[予言者]]。
:* デザインモチーフは節足動物の[[サソリ|蠍]]{{R|宇宙船YB03}}。{{要出典範囲|名前の由来は月曜日 = Monday。|date=2022年4月}}
:; マンマルバ幼体
:: マンマルバの当初の姿。サッカーボールほどの大きさしかなくセンティピード内に浮かんでいる。不確定な未来を覗く力で様々な予言を行うが、内容は曖昧であるため他の七本槍からの信頼は薄い。語尾に「ら」をつけて話すことが多い。
::* 幼体は操演を前提にエイリアンの幼虫というリクエストを基にデザインされた{{R|百化146}}。当初は上から人型の上半身が生えているデザインで提案されていたが、操演の手間やサーガインとの差別化から下部のみが採用された{{R|百化146}}。
:; マンマルバ成体
:: 巻之二十の終盤から登場。後に成体として前線へ出ると同時期に流星群から「アレ」のメッセージを読み取るようになる。成体では筋肉質的な体格で肉弾戦を好み、バイクの運転技術も高い。さらに炎で包んだかつての幼体の姿となって体当たりを仕掛ける'''火炎球'''という宇宙忍法を放つ。普段は茶色のローブを着用。幼体期の人懐っこいセリフからクールかつ物騒な物言いに変化したが、時折幼さを垣間見せる。
:: 自らの誤った予知により、自身がセンティピードへ招き入れ、そしてジャカンジャを裏切ったゴウライジャーに固執するようになる。一度はハイテンプル星を滅ぼした宇宙サソリを使い、カブトライジャーを死の寸前まで追い詰めたが、結局は失敗に終わり{{R|group="ep"|巻32}}、自身もカブトライジャーに倒される{{R|group="ep"|巻33}}。だが、予知により自分のクローンを作っておき、後に逆襲を仕掛ける{{R|group="ep"|巻36}}。しかし、再び飛来した流星群のメッセージの情報量に耐え切れず、巨大化し醜悪な暴走体となってしまった{{R|group="ep"|巻36}}。
:: 邪悪なる意思の力で復活した際の戦闘では、カブトライジャーと交戦し、ホーンブレイカーでダメージを受けた後、クワガライジャーの雷牙一撃で倒された。
::* 目のデザインは『[[モスラ対ゴジラ]]』の[[ゴジラ (2代目)|ゴジラ]]を意識したどの角度からでも睨んでいるように見える形状となっている{{R|百化146}}。腰回りが動きやすいような形状となっている一方で、太腿の左右のパーツを骨盤よりも上に配置することで脚を長く見せている{{R|百化146}}。
:; マンマルバ暴走体
:: 巻之三十六、巻之三十七に登場。マンマルバのクローンが流星群の情報量に耐え切れず暴走し、巨大化した姿。知性はなく、攻撃手段は両腕の触手と怪力のみ。ゴウライジャーの2人を飲み込んで消化しようとし、天空旋風神やリボルバーマンモスを退けるが、体内に突入したハリケンジャーによってゴウライジャーは救出され、天雷旋風神に倒される{{R|group="ep"|巻37}}。
::* デザインはプロデューサーの塚田英明からの提案によりアメコミ作品『[[スポーン]]』のバイオレーターが参考にされている{{R|百化146}}。
:
; 四の槍ウェンディーヌ
: フラビージョとコンビである、グラマーで大人の雰囲気を持つ美女。[[錬金術]]師であり、四軍団中・三軍団の宇宙忍者の巨大化を受け持つ。
: 戦闘では、細身の剣を武器とし、敵に指鉄砲を向けながら放つ衝撃波'''ドキュン'''や、念力で剣を浮かばせて敵にぶつける'''自在剣'''という宇宙忍法を駆使する。ストレスが頂点に達すると巨大化してしまう体質(星一つ滅ぼしたことがある)の持ち主{{efn|巻之三十四「キノコと100点」にてタウ・ザントが明言している。}}で、その際には口から火を吐いたり、地球を揺さぶるほどの足踏みをするなどの凄まじい力を見せる{{R|group="ep"|巻34}}。
: サーガインの死後、彼が創り残していたカラクリ巨人で敵を討とうとするなど{{R|group="ep"|巻46}}、サーガインとは友人としてもかなり親しかったようである。
: ハリケンジャーとゴウライジャーがセンティピードを襲撃した際の戦闘で五重連ビクトリーガジェットにより、ウェンディーヌと共に倒される{{R|group="ep"|巻50}}。
: 邪悪なる意思の力で復活した際の戦闘では、ハリケンブルーと交戦し、水面走りからのガンモードでダメージを受けた後、激流斬で倒された。
: テレビシリーズ終了後の作品においては、フラビージョと共に何度か登場している(『[[轟轟戦隊ボウケンジャーVSスーパー戦隊]]』を除く)
:* デザインモチーフは[[ヘビ|蛇]]{{R|宇宙船YB03}}。{{要出典範囲|名前の由来は水曜日 = Wednesday。|date=2022年4月}}
:* さとうは当初[[ボンデージ]]風の衣装を想定していたが、着替えに時間がかかることから変更された{{R|百化146}}。また初期稿では脚周りは[[ニーハイ]]ブーツを履いているなど露出の多いものであったが、子供番組にはふさわしくないとして決定稿は対象年齢を下げたものとなった{{R|百化146}}{{efn|後にさとうが担当した『[[非公認戦隊アキバレンジャー]]』のマルシーナはニーハイブーツを履いたデザインとなっている{{R|百化146}}。}}。
:
; 五の槍サーガイン
: 全身黒[[甲冑]]の武人にして[[科学者]]。
: 本来の姿は地球の蟻に類似した極小の生命体であり、普段はメカニックで構成された傀儡の頭部の中にある操縦席で体にチューブをつないだ状態で操縦している。操縦型の傀儡であるムササビスタルに自ら乗り込んで戦ったこともある{{efn|等身大戦のみ、巨大戦時は通常のボディへ乗り換えた後、巨大化したムササビスタルを操縦している。}}{{R|group="ep"|巻35}}。
: 武人としての戦闘能力が非常に高く、両肩の二本の刀'''暗黒二刀流・巌流剣'''で敵を切り裂く傍ら、様々なカラクリ巨人を作り出すと共に宇宙各地の自立型ロボット(クグツ忍)を部下とし、また自身でも配下となる傀儡を造り出す。
: 生真面目な性格で、犬猿の仲だったにもかかわらず、最後の決戦に敗れたチュウズーボには敬意を表し{{efn|実際、闇魔神魂召喚の術を封じた巻物を探し出したチュウズーボの姿を見てしまい、さらに悲壮な覚悟を聞かされ、彼から巻物を託された。}}{{R|group="ep"|巻19}}、また、暴走体と化したマンマルバを不憫に思うなど{{R|group="ep"|巻37}}、仲間内では情に厚い。それゆえ、サンダールの本性を組織内でもいち早く見抜いている。
: 終盤でカラクリメダルの技術を解析し、「アレ」の力を一部解放することに成功し、開発したカラクリ巨人ガインガインで怒りの矢の実体化に成功するなどの快挙を成し遂げハリケンジャーたちをギリギリまで追い込んだが、決死の反撃に出たハリケンジャーのアルティマレインボーに敗れ、ガインガインは破壊され怒りの矢のメダルも奪われることとなった。それでもこのままではセンティピードに帰れないと悟り、ハリケンジャーと戦おうと叫ぶが、最後はサンダールによって「(サーガインの存在が)邪魔だ」と暗殺されてしまう{{R|group="ep"|巻43}}。真っ二つにされた遺体は回収され、ウェンディーヌたちによって弔われている。
: 邪悪なる意思の力で復活した際の戦闘では、ハリケンイエローと交戦し、舞獅子でダメージを受けた後、大地斬で倒された。
:* 本体のデザインモチーフは昆虫の[[アリ|蟻]]{{R|宇宙船YB03|百化148}}。ただし、匂いも含め甘いものは大嫌い。{{要出典範囲|名前の由来は木曜日 = Thursday。|date=2022年4月}}手足の鎖帷子風の模様は魚の鱗がモチーフとなっている{{R|百化148}}。
:
; 六の槍サタラクラ
: 巻之二十一から登場。センティピードに常住しない中忍(仮面忍・忍狼獣)との[[パイプ]]役でもあり、単独で複数の星を腐らせている。
: 実力としては申し分ないが、ダジャレやいたずらが大好きで、首領を「タザやん」呼ばわりしたり、ふざけているとしか思えない態度や作戦などが多いお調子者であるため、タウ・ザントも最初から前線に加えることをなんとなく躊躇っていたが、チュウズーボが倒されたことを受けて、戦力強化のために呼び寄せられる{{R|group="ep"|巻21}}。シュリケンジャーと戦うことが多く、彼のことを嫌っている。
: お調子者の側面は陰気かつ冷酷な本質を隠すためのものである。自分の顔を忌み嫌っており常に仮面をつけているが、サンダールに仮面を斬られ素顔が明らかになる{{R|group="ep"|巻49}}。
: 刺又を武器とし、巨大な自らの頭部に攻撃される幻を敵に見せる精神攻撃技'''デビろんぱ'''、分身の術'''サタやん影分身'''などの宇宙忍法で、ハリケンジャーたちを何度も苦しめる。
: タウ・ザントを究極体にするための作戦行動に立候補し、多くの人々から生体エネルギーを吸収したが、タウ・ザントに捨て駒扱いされた挙句、サンダールに仮面ごと斬られ負傷してしまう。怒って巨大化し、ハリケンジャーたちに襲い掛かるも、シュリケンジャーが操縦する天空神と組み合い、爆死する{{R|group="ep"|巻49}}。
: 邪悪なる意思の力で復活した際の戦闘では、ハリケンレッドと交戦し、ジャイロ手裏剣でダメージを受けた後、カブトライジャーの雷撃斬で倒された。
:* デザインモチーフは[[クジャク]]と[[京劇]]役者{{R|宇宙船YB03|百化148}}。{{要出典範囲|名前の由来は土曜日 = Saturday。|date=2022年4月}}
:
; 七の槍サンダール
: 巻之三十九から登場した、左目に眼帯をかける[[策士]]風の幹部。「アレ」についての何らかの情報を元に単独での探索任務に当たっていた。
: 物事を幾手先まで見通し、情況に適応した甘言で人を操ることに長ける。本作品における敵組織内紛の中心人物で表向きにはタウ・ザントに忠誠を誓いつつ、密かに「アレ」を手に入れる機会を伺っていた面従腹背の幹部。口では協力を謳いながら内心では他人を一切信用せず利用することしか考えない冷酷にして冷徹な性格の持ち主で、配下として従えている{{読み仮名|扇忍獣|せんにんじゅう}}以外は部下を一人も持っていない。作戦は緻密で成功率が高く、怒りの矢と嘆きの弓のメダルを手に入れ{{R|group="ep"|巻48}}、「アレ」の発生にこぎづける。タウ・ザントの「アレ」を手に入れるためなら自分をも見捨てようとする本意を聞き、土壇場で反旗を翻す{{R|group="ep"|巻50}}。
: 武器は身長の半分以上もある大刀{{読み仮名|'''赫悪彗星刀'''|シャークすいせいとう}}と手から放つ'''鮫手裏剣'''。また、普段は閉じた扇を手にしているが、それ自体が武器であり内部には配下の扇忍獣が棲み着いている一種の携帯亜空間となっている。さらに左拳から高い破壊力の光線も発射する。
: 単独の戦闘能力は七本槍随一。光のロープで相手をまとめて拘束する'''自在縄'''、隠れた敵を探す'''凶ザ目'''、巨大鮫の形をしたエネルギー体を利用する{{読み仮名|'''縄頭蓋'''|ジョーズガイ}}と'''地中鮫'''{{efn|前者は巨大鮫のエネルギー体に乗って突進する攻撃技、後者は巨大鮫のエネルギー体に身を隠しながら地を爆進し、敵の懐に踏み込む技。}}、巨大化する'''巨大身の術'''など、数々の強力な宇宙忍法を使いこなす。
: タウ・ザント究極体に不意打ちした後、フラビージョとウェンディーヌと共闘し、ハリケンジャーとゴウライジャーを倒そうとするが返り討ちに遭い、巨大身の術で巨大化。旋風神と轟雷神を圧倒するが、刺し違えることを決意したゴウライジャーによって轟雷神と共にソードスラッシャーで胴体を貫かれて爆死する{{R|group="ep"|巻50}}。
: 邪悪なる意思の力で復活した際の戦闘では、ハリケンレッドと交戦し、ジャイロ手裏剣でダメージを受けた後、疾風斬で倒された。
:* デザインモチーフは魚類の[[サメ|鮫]]と[[武士]]{{R|宇宙船YB03|百化148}}。{{要出典範囲|名前の由来は日曜日 = Sunday。|date=2022年4月}}
=== 中忍 ===
敵怪人として各話に登場されている忍者。ありとあらゆる銀河系出身者で構成され、以下の四つの組織に分かれている。
; 宇宙人忍者群団{{efn|東映公式サイトでは'''チュウズーボ軍団'''とも記載している<ref>{{Cite web|和書|url=http://tvarc.toei.co.jp/tv/hariken/uchuninjya/kekkaibo.html |title=宇宙忍者ファイル--結界忍者ケッカイ坊 |accessdate=2013-12-22}}{{リンク切れ|date=October 2017}}</ref>。}}
: チュウズーボが率いる、様々な星のエリート宇宙人忍者たち。生物モチーフが主で和風の出で立ちに身を包んでおり、名前の最後に漢字が入る。再生・巨大化の術を書いた巻物の力で巨大化する。
: デザインはモチーフとなる生物やそれに関する事物を鎧にアレンジしている{{Sfn|百化繚乱 下之巻|2012|pp=150-155}}。
; クグツ忍者群団{{efn|東映公式サイトでは'''サーガイン軍団'''とも記載している<ref>{{Cite web|和書|url=http://tvarc.toei.co.jp/tv/hariken/uchuninjya/jisyakkumo.html |title=宇宙忍者ファイル--磁石忍者ジシャックモ|accessdate=2013-12-22}}{{リンク切れ|date=October 2017}}</ref>。}}
: サーガインが設計・製作したロボット忍者と各宇宙の自立型ロボットまたはロボット生命体で構成。容姿は生物・無機質からそれの混成など多々で、名前は生物の名前とモチーフを合わせている。ロケットから変形する巨大ロボット'''コピージャイアント'''によって巨大化する。
; 仮面忍者群団{{efn|東映公式サイトでは'''サタラクラ仮面忍者軍団'''とも記載している<ref>{{Cite web|和書|url=http://tvarc.toei.co.jp/tv/hariken/uchuninjya/jingiron.html |title=宇宙忍者ファイル--蜃気楼忍者ジン・ギローン|accessdate=2013-12-22}}{{リンク切れ|date=October 2017}}</ref>。}}
: サタラクラが率いる、仮面をつけた宇宙人忍者。普段はセンティピードの外で暮らし、必要に応じてサタラクラが電話・「サタラクフォン」で呼びつけるアルバイトまたはパート感覚なので普段は別の仕事をしている(香水師や配達員など)。デザインには人体の一部が配されている{{Sfn|百化繚乱 下之巻|2012|p=157}}。名前は「○○・××」で統一されている。体の再生・巨大化をする'''デッ仮面'''で巨大化する。
; 扇忍獣群団{{efn|東映公式サイトでは'''サンダール忍獣'''とも記載している<ref>{{Cite web|和書|url=http://tvarc.toei.co.jp/tv/hariken/uchuninjya/badogi.html |title=宇宙忍者ファイル--凶扇獣バドーギ|accessdate=2013-12-22}}{{リンク切れ|date=October 2017}}</ref>。}}
: サンダールが自ら忍術を教え込んだ宇宙生物による軍団。厳密には忍者ではなく忍獣という扱いである。東洋の空想獣がモチーフで{{R|百化163}}、名前はいずれも「○○ーギ」で統一されている。普段はサンダールが持つ扇の亜空間に住んでおり、彼の呼びかけで現れる。元から巨大な体格の獣もあれば、人間と大差ない体格の獣もいる。
=== 下忍 ===
; マゲラッパ
: ジャカンジャの戦闘員。武器はカマのような忍者刀。「ゲラッパゲラッパ、マゲマゲ」と言いながら、ラップのステップを踏んで登場する。本体はマゲであり、服の中には[[ムカデ|ある虫]]がたくさん詰まっている。
:* デザインモチーフは『[[忍者キャプター]]』{{R|百化148}}。
=== 巨大化用アイテム ===
; 再生巨大化の術の巻物
: チュウズーボがサーガインのコピージャイアントに対抗して作り出されていた巻物。石版に書かれた古代ジャカンジャ呪文を宇宙忍法・呪文写しによって書き写す。ウェンディーヌがそれを忍者[[バズーカ]]で発射し、倒された中忍に到達すると同時に巻物が展開。 巻物に書かれた呪文が発動することにより対象の生物忍者を再生巨大化させ、さらに最大のパワーを発揮することができる。
: チュウズーボ自身も携帯しており、その場で放り投げて使用する場合もある。
: 呪文はジャカンジャの忍文字で「REBORN AGAIN EVOLVE HUGE」と書いてある。
:; 宇宙忍法・闇魔人魂召喚の術の巻物
:: 度重なる任務の失敗で後がなくなったチュウズーボが、自身の名誉と命をかけ、最後の決戦を挑む際に使用した術であり、それを封じ込めた黒い巻物。
:: 使用者を巨大化させた上に強大な闇の力を与えるが、その代償として寿命を削り減らすため、「禁断の術」と恐れられている。そのため、安易に使用出来ないよう鎖による封印がされていた。
:: 本来チュウズーボは、自分でこの巻物を使うつもりだったが、この巻物を手にしたのを犬猿の仲であるサーガインに目撃されてしまう。そのため、見つけたこの巻物自体はサーガインに託された。
:: ハリケンジャーとゴウライジャーに敗れても立ち上がったチュウズーボを見たことで、サーガインはウェンディーヌに忍者バズーカで撃ち出すように差し出した。
:: 呪文はジャカンジャの忍文字で「FORBIDDEN GROWING GIGANTIC」{{efn|意味は「禁断の巨大化」である{{R|東映ヒーローMAX2-56}}。}}と書かれている。
:: 『忍風戦隊ハリケンジャーVSガオレンジャー』でチュウボウズが巨大化する際に放った巻物も外見が似ている。
; コピージャイアント
: サーガイン配下のクグツ忍者を再生巨大化させる巨大ロボット。ウェンディーヌが所有者で、コンパクト型携帯端末によってセンティピードからロケット型の飛行形態で発射され、現地に到着すると同時にロボット形態に変形する。クグツ忍者のデータを読み取り、吸収した破片を反映することで再生巨大化させる。
: 1回使うたびに、サーガインはウェンディーヌにお金を払っているらしい。
; デッ仮面
: サタラクラ配下の仮面忍者を巨大化させるその名の通りの巨大な仮面。これをウェンディーヌがハンマー投げの要領で投げ、倒された仮面忍者の細胞を吸収し、仮面に合う大きさに再生巨大化させる。ウェンディーヌ曰く「肩がこる」らしい{{efn|説明もおざなりだったが、これはウェンディーヌがサタラクラとの面識が全く無かったことが原因。使用法もサタラクラから最低限しか聞かなかった模様。}}。最小の中忍バンパ・イヤーンは二回に渡り、巨大化した。
=== カラクリ巨人 ===
サーガインが建造したジャカンジャ版カラクリ巨人で、巨大クグツとも呼ばれる。地球忍者のカラクリ巨人の機構を参考に建造されており、基本的に自立思考型として造られているクグツ忍者とは異なり操縦式となっている。
; メガタガメ
: タガメをモチーフにしたカラクリ巨人で、サーガインが自ら操縦する。ハリアー形態への変形機能を備えたマークII、防御・分析能力に特化したマークIII、そして遺作でありウェンディーヌが操縦したメガタガメセクシー(マークIV)と、改良を重ねる形で複数回にわたって同型機が登場している。
; ガインガイン
: 巻之四十二、巻之四十三に登場。サーガインのクグツを模して造られたカラクリ巨人で、両腕を射出する弾丸パンチのほか、メガタガメ・マークIIIでの解析で得られたデータを元にしたカラクリボールシステムを搭載。これによって実体化した怒りの矢を武器に「暗黒究極奥義・厳流斬り」でハリケンジャーたちを苦しめるが、最終的にリボルバー天雷旋風神によって倒される。
=== その他 ===
; 炎の騎馬
: 劇場版から登場。成体となったマンマルバが乗りこなす専用バイク。バリサンダーを駆使するカブトライジャーと3度ぶつかり合った{{efn|3度目はクワガライジャーも相手にした。}}。
:* 劇場版でのゴウライジャーとのバイクチェイスシーンのために用意された{{R|百化218}}。デザインはマンマルバと同じくサソリをモチーフとしている{{R|百化218}}。
; ジャキュームガン
: 巻之四十九に登場。タウ・ザントが究極体に変貌するのに必要な人間の生体エネルギーを得るため、立候補したサタラクラに持たせたエネルギー吸引装置。魚をモチーフにした本体とチューブで繋がるエネルギータンクで構成される。
: サタラクラはこれを使い、多くの人々から生体エネルギーを吸収したが、ハリケンジャーたちと交戦中にタウ・ザントによって本体を左腕に移植されてしまう。さらに止むを得なかったとはいえ、吸収したエネルギーで反撃に使ったためにタウ・ザントの怒りを買い、命を受けたサンダールによって、本体とタンクを切り離されてしまう。
:* デザインは[[掃除機]]という要望に対し魚の骨をモチーフにアメリカントイ風のテイストを取り入れられている{{Sfn|百化繚乱 下之巻|2012|p=219}}。
=== 寄生要塞センティピード ===
ジャカンジャが本拠地としている移動要塞。外周に巻き付く巨大な百足はタウ・ザントの身体の一部であり、寺院のような建造物も複数散見される。ジャカンジャはこの要塞を宇宙船として使用し、アレを求めて数多くの星々を渡り歩いていた。地球の海底に根を下ろしてから、重力結界を張ったため、長い間その所在は発見されなかった。内部には、タウ・ザントと部下たちの謁見の間の他、サーガインのカラクリ巨人製造工場、道具の保管庫などが劇中で確認できる。また、ジャカンジャと手を組んでいたころのゴウライジャーは、タウ・ザントから与えられた飛行球体に乗り込んでここに出入りしていたが、巻之十九においてこの球体はチュウズーボの攻撃で破壊される{{R|group="ep"|巻19}}。終盤でサンダールが持ち帰ったジャキュームガンのタンクに取り付けられた発信機によって場所を特定され、ハリケンジャーとゴウライジャーに乗り込まれるが、タウ・ザントが究極体へ変貌を遂げると同時に崩壊する{{R|group="ep"|巻50}}。
* さとうはCGで制作する前提で下部が繋がっておらずそれぞれに回転するというデザインで描いていたが、特撮監督の[[佛田洋]]の要望によりミニチュアでの制作となり回転ギミックは廃されている{{R|百化145}}。
== 設定 ==
=== 地球忍者関連 ===
; 疾風流
: 人知れず、忍風館で伝説の後継者・ハリケンジャーを目指して厳しい修業を続ける忍者集団。風のゆらぎの風神エネルギーを応用した忍術を得意とする。ライバル関係にある忍者集団・迅雷流とは、507年前から毎年御前試合の対抗戦を行っている。その最初の御前試合で勝利を納めたため、疾風流忍者は歴史の表舞台を歩んだと言われている。
: 507回目の迅雷流との御前試合の日だった巻之一で、朝礼の最中に襲来した宇宙忍群ジャカンジャの中忍・ケッカイ坊とタウ・ザントによって多くの疾風流忍者が封印され、消されていた。
:; 忍風館
:: 疾風流忍者の養成学校。和風の城型の校舎で、忍びの谷の奥地に存在し、疾風流忍者を育成していた。館長は日向無限斎。鷹介所属の空忍科、七海所属の水忍科、吼太所属の陸忍科の他にも、黒い忍びジャケットの火忍科、灰色の忍びジャケットの草忍科、おぼろがかつて所属していた特忍科などの学科が存在する。
:: 谷全体は結界で覆われていたが、巻之一でジャカンジャの攻撃を受けて結界を破られた後、多くの疾風流忍者とともに消滅してしまった。
:: 忍風館校歌も存在し、巻之二十七のラストで鷹介たちハリケンジャーの3人と、忍風館を中退した田井章一郎らが歌っていた。
::* 忍者学校という設定はメインライターの宮下隼一が参加した段階で決定していたが、宮下は落ちこぼれという設定のハリケンジャーを生き生きと描くため第1話で壊滅するという展開にしたと述べている{{R|21st32}}。
:; 疾風流忍術研究室
:: おぼろが室長を務める研究所で、通称'''おぼろ研究所'''。忍びの谷の洞窟内にあるといわれている。おぼろはこの研究所でハリケンジャーに関する武器や忍術、シノビマシンなどを開発する。ジャカンジャが襲来し、忍風館が消滅した後にハリケンジャーたちの活動拠点となった。おぼろがここで使用しているパソコンには、具体的な原理は不明だが疾風流忍者をこの研究所へ緊急避難させるテレポート機能も備わっている(巻之一)。後に仲間となった霞兄弟やシュリケンジャー、覚羅も出入りするようになる。最終巻ではここで鷹介たち5人の合同卒業式も行われた。
::* 内装は[[木構造 (建築)|木造]]と[[漆喰]]を用いた日本家屋をイメージしており、一方でパソコンなどを配置することにより科学的な要素も加味している{{Sfn|21st 3|2017|p=28|loc=「特集企画 スーパー戦隊その極意 Volume3 ドラマに必須、パーマネントセット」}}。
; 迅雷流
: 人知れず、迅雷義塾で厳しい修業を続ける忍者集団。空気中のイオンによる雷神エネルギーと、雷を応用した忍術を得意とする。疾風流忍者とは実力が互角で、507年前からの恒例行事である御前試合の対抗戦では、253勝253敗という成績を残しているが、1495年の最初の御前試合に負けたため、彼らは歴史の裏舞台を歩むこととなった。
: 疾風流とは時に対立しながら、時には協力しながら互いの流派を発展させていったが、伝説の覇者・ゴウライジャーの強大な力に恐れをなし、500年もの間封印してきた。
: また巻之九での一鍬の話によると、自分たち霞兄弟が現れてから迅雷流忍者は、霞兄弟の天才的な力に心を奪われ、すさんでいったという。
: 疾風流と同様に、霞兄弟以外の迅雷流忍者がジャカンジャのケッカイ坊たちによって封印され、消滅してしまった。
:; 迅雷義塾
:: 迅雷流忍者の養成学校。忍風館同様に和風の城型の校舎で、迅雷の谷の奥深くに存在していた。劇中で確認できた学科は一甲所属の角忍科、一鍬所属の牙忍科のみである。
:: 忍風館と同様にジャカンジャの襲撃によって消滅してしまった。
=== アレ ===
ジャカンジャが探し求めてきた、本作品の重要な存在である忍者の最終究極奥義。
ジャカンジャ内部では既に周知の事実であったため、「アレ」の一言で事が通じたので終盤まで「アレ」とは巨大な力であるという以外説明が無く、名称もない。アレに関する情報は流星群の中に含まれている。
その正体は「邪悪なる意志」が潜む空間、厳密には惑星の死滅により発生するブラックホールだった。その規模は全宇宙を飲み込み、無に変えてしまう。
発生させる星の水のエネルギー{{efn|ジャカンジャは当初「地球から水が無くなるとアレが生まれない」ことを知らなかったため、地球から水を無くすために送り込んだガマジャグシをゴウライジャーに倒されている。}}と地球を腐らせることが必要不可欠で、その上で特定の条件を揃えることで発生する。
星を腐らせる以外の方法で発生させることも可能であり、一鬼は「我が子たちを殺し合わせ、片方が死ぬことで発生する」方法を選択するも一甲と一鍬が和解したことで失敗。タウ・ザントは怒りと嘆きの弓矢を水中に撃ち込むことで発生させることに成功。地球各地に甚大な被害をもたらすが、ブラックホール内に突入した旋風神ハリアーに怒りと嘆きの弓矢を撃ち込まれたことでアレは消滅した。
; 怒りの矢
: アレを出現させる手がかりとされる、矢の形をした物体。惑星アストラムにてサンダールが入手していた。当初は封印の石に封じられていたが、サンダールはハリケンジャーたちの怒りの生体エネルギーを利用して解放する。通常はメダルに封じられており、カラクリボールと同様のプロセスで出現する。劇中では矢として以外にも、剣のような使い方をされており、ガインガインと旋風神が使用したが、そのパワーは使用する機体にも跳ね返ってくるため、暴走する危険もある。
; 嘆きの弓
: 怒りの矢と対をなす、弓の形をした物体。これを封じたメダルは闇石と呼ばれる。1000年ほど前に地球に飛来し、その研究によって地球の忍術、ひいては忍者が誕生したという。それから500年にもわたって闇石を巡る忍者同士の争いが起こり、覚羅が自らの体内に封印していた。これを用いて怒りの矢を水中(海)に放つことで、アレを発生させることが可能となる。劇中ではタウ・ザント究極体、旋風神ハリアーが使用。
; 邪悪なる意志
: アレに潜み、ジャカンジャを陰で操っていた存在で、世界を創り変えるほどの力を持つ異次元のエネルギー体。全てを無にした後に自身が支配する世界を創造することを目的とし、そのために流星群によるメッセージを数回に渡って地球に送っていた。アレ発生後、アレ内部に突入したハリケンジャーの旋風神ハリアーを攻撃する。しかし、怒りと嘆きの弓矢を撃ち込まれて、アレが消滅した直後、タウ・ザントや暗黒七本槍を甦らせ、それに憑依して、ハリケンジャーとゴウライジャーと交戦。最終的には、タウ・ザントの姿になった際、ハリケンジャーとゴウライジャーの超忍法・五人影の舞、それに続いての五重連ビクトリーガジェットの一撃を喰らい、完全に消滅した。
== キャスト ==
=== レギュラー・準レギュラー ===
ハリケンジャー、ゴウライジャーの5人の変身後はジャカンジャ文字で英字表記されている。
* 椎名鷹介 / ハリケンレッド - [[塩谷瞬]]{{efn|name = "座談会"|巻之二十三では、マゲラッパのスーツアクターも担当している{{Sfn|超全集|2003|pp=88 - 93|loc=メモリアル座談会}}。}}
* 野乃七海 / ハリケンブルー - [[長澤奈央]]{{efn|name = "座談会"}}
* 尾藤吼太 / ハリケンイエロー - [[山本康平]]{{efn|name = "座談会"}}
* 霞一甲 / カブトライジャー - [[白川裕二郎]]{{efn|name = "座談会"}} (巻之五、巻之七 - 最終巻){{efn|name = "ゴウライジャー"|巻之五では、声のみの出演。}}
* 霞一鍬 / クワガライジャー - [[姜暢雄]]{{efn|name = "座談会"}} (巻之五、巻之七 − 最終巻){{efn|name = "ゴウライジャー"}}
* フラビージョ - [[山本梓]](巻之一 - 巻之四十四、巻之四十六 - 最終巻)
* ウェンディーヌ - [[福澄美緒]](巻之一 - 巻之四十四、巻之四十六 - 最終巻)
* サーガイン - [[岡本美登]](巻之一 - 巻之四十四、最終巻)
* 馳太 - [[てるやひろし]](巻之二 - 巻之四、巻之七、巻之十三、巻之二十六、巻之三十、巻之四十九 - 最終巻)
* 覚羅 - [[三輪ひとみ]](巻之四十四 - 巻之五十)
* 日向無限斎 / ハムスター館長の声 - [[西田健]]
* 日向おぼろ - [[高田聖子]]
==== 声の出演 ====
* シュリケンジャー{{efn|巻之二十一では「謎の声」表記。}} - [[松野太紀]](巻之二十一 - 巻之五十)
* 首領タウ・ザント - [[梁田清之]](巻之一 - 巻之四十四、巻之四十六 - 最終巻)
* チュウズーボ - [[郷里大輔]](巻之一 - 巻之十九、最終巻)
* マンマルバ - [[今村卓博]](巻之一 - 巻之十八、巻之二十 - 巻之三十七、最終巻)
* サタラクラ - [[島田敏]](巻之二十一 - 巻之四十四、巻之四十六 - 巻之四十九、最終巻)
* サンダール - [[池田秀一]](巻之三十九 - 最終巻)
* マゲラッパ - [[塩野勝美]]、[[大村亨]]、[[穴井勇輝]]
* ナレーター / 風雷丸 - [[宮田浩徳]]
=== ゲスト出演者 ===
* 九十九かなえ - [[川俣しのぶ]](巻之二、巻之十三、巻之三十三、巻之四十九 - 最終巻)
* 八木 - [[杉作J太郎]](巻之三)
* 尾藤鳴子 - [[桂亜沙美]](巻之四、巻之四十一、最終巻){{efn|name = "特別出演"}}
* 梨花 - [[鉢嶺七奈]](巻之十一)
* 梨花の母親 - [[中上ちか]](巻之十一)
* 医師 - [[三田寛之]](巻之十一)
* 岡ユリコ - [[秋田きよ美]](巻之十二)
* 中田店長 - [[小林すすむ]](巻之十三)
* 麗子 - [[堤あきこ]](巻之十三)
* チビ鷹介 - [[高尾奏之介]](巻之十四)
* 霞一鬼{{efn|巻之十五 - 巻之十七では「ホログラムの男」表記。}} - [[団時朗]](巻之十五 - 巻之十八、巻之三十八)
* 教授 - [[児玉頼信]](巻之十五)
* 助手 - [[太刀川健介]](巻之十五)
* 茜 - [[小林万桜|小林朝美]](巻之十六 - 巻之十八)
* 正平 - [[須賀健太]](巻之十六 - 巻之十八)
* 霞一鍬(幼少期)- [[土屋シオン]](巻之十八、巻之三十八){{efn|オープニングクレジットでは役名未表記。}}
* 尾藤あやめ - [[戸田比呂子]](巻之二十五)
* AD - [[少路勇介]](巻之二十六)
* 田井章一郎 - [[脇知弘]](巻之二十七)
* 田井メグ - [[松坂紗良]](巻之二十七)
* ニュースキャスター - [[三野友華子]](巻之三十一 - 巻之三十三)
* 高梨医師 - [[井上高志]](巻之三十二)
* 覚羅の父 - 岡本美登(巻之四十七)
* 家臣 - 甲斐道夫(巻之四十七)
* 幼少の覚羅 - [[高田彩香]](巻之四十七)
* キャスター - [[隈部洋平]](巻之四十八)、島田敏(巻之五十)
==== シュリケンジャーゲスト ====
括弧内は過去の出演作品。
* 柿生太郎 - [[大柴隼人|大柴邦彦]](『[[電磁戦隊メガレンジャー]]』)(巻之二十三)
* 鼓六平 - [[西岡竜一朗]](『[[救急戦隊ゴーゴーファイブ]]』)(巻之二十四、最終巻){{efn|name = "特別出演"|最終巻は「特別出演」併記。}}
* 三崎和也 - [[松風雅也]](『[[電磁戦隊メガレンジャー]]』)(巻之二十六、最終巻){{efn|name = "特別出演"}}
* 羅門勇作 - [[藤敏也]](『[[地球戦隊ファイブマン]]』)(巻之二十八)
* 橋本善成 - [[増島愛浩]](『[[激走戦隊カーレンジャー]]』)(巻之三十四、最終巻){{efn|name = "特別出演"}}
* 滑川数馬 - [[岸祐二]](『[[激走戦隊カーレンジャー]]』)(巻之三十五、最終巻){{efn|name = "特別出演"}}
* 坂木鉄平 - [[和泉宗兵]](『[[未来戦隊タイムレンジャー]]』)(巻之三十九)
* 浜田三平(釣り人){{efn|シュリケンジャーの変身の際はシシレンジャーの名乗りポーズを披露した。}} - [[能見達也]](『[[五星戦隊ダイレンジャー]]』)(巻之四十二、最終巻){{efn|name = "特別出演"}}
* 菊池丈{{efn|服の背中にはオーレッドのマスクのゴーグルの形である赤色の星が刺繍されている。}} - [[宍戸マサル|宍戸勝]](『[[超力戦隊オーレンジャー]]』)(巻之四十四、最終巻){{efn|name = "特別出演"}}
* 烈堂 - [[大葉健二]]{{efn|シュリケンジャーの変身シーンでは『[[宇宙刑事ギャバン]]』の蒸着ポーズを披露した。}}(『[[バトルフィーバーJ]]』、『[[電子戦隊デンジマン]]』)(巻之四十五)
=== スーツアクター ===
従来ヒーロー側を担当していた[[蜂須賀祐一]]は、ハリケンブルーのアクションと並行して本作品で初めてレギュラー悪役を担当した{{R|仮面俳優37}}。
* ハリケンレッド{{Refnest|group="出典"|{{R|Fukuzawa|Toei32|21st8}}}}、轟雷神{{R|Fukuzawa}} - [[福沢博文]]
* ハリケンブルー{{Refnest|group="出典"|{{R|21st9|仮面俳優37|東映HN19}}}}、偽ハリケンブルー{{R|JAE0301}} - [[小野友紀]]
* ハリケンイエロー{{Refnest|group="出典"|{{R|21st10|21stvol14|東映HN18|仮面俳優71}}}}、サタラクラ{{R|JAE0209}}、偽ハリケンイエロー{{R|JAE0301}} - [[竹内康博]]
* カブトライジャー{{Refnest|group="出典"|{{R|Toei27|仮面俳優133|21st12}}{{Sfn|21st 5|2017|p=32|loc=「スーパー戦隊制作の裏舞台 [[日下秀昭]]」}}}}、旋風神{{R|JAE0207}} - [[日下秀昭]]
* クワガライジャー{{R|仮面俳優81|21st13}}、メガタガメハリヤー{{R|JAE0209}}、メガタガメMk-III{{R|JAE0212}}、バドーギ{{R|JAE0212}}、メガタガメセクシー{{R|JAE0301}} - [[今井靖彦]]
* シュリケンジャー{{R|21st14|東映HNTP}}、天空神{{R|JAE0207}}、モグドラゴ{{R|JAE0203}}、シラーンス{{R|JAE0203}}、ガマジャクシ{{R|JAE0204}}、オクト入道{{R|JAE0205}}、キリキリマイ師{{R|JAE0206}}、キリキリガイ師{{R|JAE0206}}、黒子ロボ{{R|JAE0204}}、ファングール{{R|JAE0209}}、下忍マゲラッパ{{R|JAE0302}} - [[三村幸司]]
* 二の槍チュウズーボ{{R|Toei21|仮面俳優37}}、三の槍マンマルバ成体{{R|Toei21|仮面俳優37}}、七の槍サンダール{{R|仮面俳優37}}、ハリケンブルー(アクション){{R|仮面俳優37}} - [[蜂須賀祐一]]
* 六の槍サタラクラ{{R|ラストアフレコ}} - [[甲斐将馬|魁将馬]]
* 黒子ロボ{{R|JAE0203}}、下忍マゲラッパ{{R|JAE0209}} - [[石垣広文]]
* 黒子ロボ{{R|JAE0203}}、ジシャックモ{{Sfn|宇宙船171|2020|p=57|loc=「[インタビュー][[田口清隆]]」}}、ハナサッカ導士{{R|JAE0203}}、クッツク法師{{R|JAE0204}}、カンガルーレット{{R|JAE0207}}、ジンギローン{{R|JAE0207}}、バンパ・イヤーン{{R|JAE0208}}、チューピッド{{R|JAE0208}}、ファングール{{R|JAE0209}}、ファンゲロス{{R|JAE0210}}、ジュクキノコ{{R|JAE0210}}、ムササビスタル{{R|JAE0210}}、ゴムビローン{{R|JAE0211}}、フショクルーガ{{R|JAE0211}}、ツッコ・ミーナ{{R|JAE0212}}、デザーギ{{R|JAE0212}}、マドーギ{{R|JAE0212}}、ジャイアントムササビスタル{{R|JAE0301}}、メガタガメセクシー{{R|JAE0301}}、再生タウ・ザント究極体{{R|JAE0302}}、再生チュウズーボ{{R|JAE0302}}、下忍マゲラッパ{{R|JAE0302}} - [[村岡弘之]]
* フラビジェンヌ{{R|Toei32}}、フラビジェンヌロボ{{R|JAE0301}}、偽ハリケンブルー{{R|JAE0301}}、下忍マゲラッパ{{R|東映HNPG}} - [[神尾直子]]
* ウナダイゴ{{R|JAE0208}}、偽ハリケンレッド{{R|JAE0301}} - [[佐藤賢一 (俳優)|佐藤賢一]]
* クリソッツ坊{{R|JAE0203}}、ヒゲナマ頭巾{{R|JAE0205}}、ジュクキノコ{{R|JAE0210}}、バドーギ{{R|JAE0211}}、偽ハリケンイエロー{{R|JAE0301}}、下忍マゲラッパ{{R|JAE0209}} - [[藤榮史哉]]
* 再生マンマルバ{{R|JAE0302}}、黒子ロボ{{R|JAE0301}}、下忍マゲラッパ{{R|JAE0302}} - [[大林勝]]
* 偽ハリケンレッド{{R|JAE0301}} - [[岡元次郎]]
* 偽シュリケンジャー{{R|JAE0301}} - [[葉都英樹]]
* 下忍マゲラッパ - [[平井雅高]]{{R|JAE0209}}、[[渡辺淳 (俳優)|渡辺淳]]{{R|JAE0209}}、[[水谷健]]{{R|JAE0212}}、[[樫原貴博]]{{R|JAE0212}}、[[大西修]]{{R|JAE0302}}
* 下忍マゲラッパ(最終巻・宇宙忍者ファイル) - [[宇都宮孝明]]{{Sfn|宇宙船106|2003|p=76|loc=「戦隊助監しおの今日もいっぱいいっぱい」}}
== スタッフ ==
メイン監督は戦隊シリーズでは初パイロットとなる[[渡辺勝也]]が担当。パイロットのみならず、劇場版や最終巻などの主要回の演出を全て務め上げた。渡辺は自身が起用された理由について、自身が『[[仮面の忍者 赤影]]』を愛好していることを東映に知られていたためであったと述べている{{Sfn|21st 8|2017|p=32|loc=「スーパー戦隊制作の裏舞台 [[渡辺勝也]]」}}。雑誌インタビュー{{Full|date=2018年10月}}によると渡辺は本来、次作『[[爆竜戦隊アバレンジャー]]』のパイロットも依頼されていたものの、本作品の最終回を演出したいと強く希望したため、前述の依頼を蹴ってまで最後まで本作品に携わったという。また[[小中肇]]が1シリーズぶりに参加したり、戦隊で初参加となる[[橋本一]]、[[大井利夫]]がメガホンを執るなどバラエティに富んだ演出陣となっている。
[[メタルヒーローシリーズ]]でメイン実績のある[[宮下隼一]]が、戦隊シリーズでは初めてメインライターで起用された。その他、前作より引き続き参加の[[酒井直行]]、シリーズには久々の参加となる[[荒川稔久]]、本作品より新たに参加した[[前川淳 (脚本家)|前川淳]]、[[吉田伸]]らが脇を固めた。
デザインワーク面では、前作よりサブデザイナーとして参加し、アニメ作品で実績のあった[[さとうけいいち]]がメインデザイナーに起用された。ジャカンジャ側のデザインのみならずプロップ類やセットデザイン、ジャカンジャが用いる「宇虫文字」にいたるまでマーチャン関連を除いたデザイン全般を一手に手がけていた{{R|東映ヒーローMAX2-56}}{{Sfn|百化繚乱 下之巻|2012|p=144}}。
* プロデューサー - 松田佐栄子(テレビ朝日)、[[日笠淳]]・[[塚田英明]](東映)、矢田晃一(東映エージエンシー)
* 原作 - [[八手三郎]]
* 連載 - [[テレビマガジン]]、[[てれびくん]]
* 脚本 - [[宮下隼一]]、[[酒井直行]]、[[前川淳 (脚本家)|前川淳]]、[[荒川稔久]]、[[吉田伸]]
* 音楽 - [[三宅一徳]]
* アクション監督 - [[竹田道弘]]([[ジャパンアクションクラブ]])、[[新堀和男]]([[レッドアクションクラブ]])
* 撮影 - [[菊池亘]]、上赤寿一、[[大沢信吾]]
** 撮影助手 - 大場弘司、佐藤真之、関根浩、澤井貴善、小森美佳、星山裕紀
* 照明 - 竹田勝三、高橋道夫、中川勇雄、高橋弘、小野幹雄
** 照明助手 - 森野茂樹、柴田守、本田純一、東海林毅、山本辰雄、稲嶺司、吉田政次郎、佐藤俊介、建部孝一、真崎良人、杉山栄、小林卓実、大野浩伸
* 美術 - 山下宏
** 美術助手 - 長谷川真弘
* 編集 - [[須永弘志]]、阿部嘉之、洲崎千恵子
** 編集助手 - 今村章男、佐藤連、岡部由紀子、水野晴美、村木恵里、倉林若菜
* 記録 - たなかなつき、坂本希代子、森みどり、國米美子、渋谷康子、斎藤能子
* 計測 - 相葉実、佐々木伸敏
* 助監督 - 中沢祥次郎、竹本昇、[[加藤弘之 (テレビドラマ監督)|加藤弘之]]、近藤孔明、福島宏介、塩川純平、冨田卓、荒川史絵、中田博之、佐古純一郎、池田元気
* 進行主任 - 谷口正洋、納田長武、富田幸弘
* 進行助手 - 式守修、武中康裕、姜東睦
* 録音 - 谷山謙二、渡辺典夫
* 音響効果 - 阿部作二([[大泉音映]])
* 選曲 - 宮葉勝行
* MAオペレーター - 錦織真里
* 装飾 - 山口康孝、澤史江、山中忍、菱沼廣士([[装美社]])、[[高津装飾美術]]
* 装置 - 紀和美建
* 操演 - 船越幹雄、寺門勇
* カースタント - [[タケシレーシング]]
* 美粧 - 小林裕恵、結城明(サン・メイク)
* 衣裳 - 星野裕美、宮本友紀子(東京衣裳)
* キャラクターデザイン - [[さとうけいいち]]
* 企画協力 - [[企画者104]]
* デザイン協力 - [[プレックス]]
* 資料担当 - 葛西おと
* 造型 - [[前澤範]]、蟻川昌宏、山本誠一、浅野桂([[レインボー造型企画]])
* デジタル合成 - 柳原嘉宣、豊直康、上田茂([[日本映像クリエイティブ]])、道木伸隆(マリンポスト)、越智裕司、吉岡直生、照井一宏
* モニターグラフィックス - 小林真吾
* [[特撮研究所]]
** 特撮スーパーバイザー - 高橋政千
** 撮影 - 中根伸治、鈴木啓造、藤波良平
** 照明 - 安藤和也、池尾利夫、植田力哉、泉谷しげる
** 操演 - [[鈴木昶]]、横井豊、花谷充泰
** モーションコントルロール - 中山亨
** 美術 - 松浦芳、梶政幸、山崎功嗣
** デジタルエフェクト - [[尾上克郎]]
** シノビマシンCG - 捻橋尚文、瀬川信康(Motor/lleZ)
** デジタル合成 - 足立亨
** デジタルマット - 江場左知子
* 装飾協力(小道具提供) - [[アキレス (化学工業)|アキレス]]
* 技術協力 - [[東映ラボ・テック|東映化学TOVIC→東映ラボ・テック]]
* デジタル画像処理コーディネーター - 大元克巳(東映化学デジタルテック)
* EED - 田中泰晴
* プロデューサー補 - [[宇都宮孝明]]
* 番組デスク - 西口なおみ
* 広報 - 飯田爽、小出わかな(テレビ朝日)
* 制作デスク - 荒井成介
* 制作担当 - 岩永恭一郎
* 制作協力 - 東映テレビ・プロダクション
* 特撮監督 - [[佛田洋]]
* 監督 - [[渡辺勝也]]、[[諸田敏]]、[[小中肇]]、[[橋本一]]、[[竹本昇]]、[[大井利夫]]、[[舞原賢三]]、[[中澤祥次郎]]
* 制作 - [[テレビ朝日]]、[[東映]]、[[東映エージエンシー]]
== 音楽 ==
前作まで[[日本コロムビア]]の音楽ディレクターとして戦隊シリーズと同時期の[[仮面ライダーシリーズ]]を担当していた本地大輔が引き続きライダーシリーズの楽曲を担当するのに伴い[[エイベックス]]に移籍。新たに八木仁が戦隊担当音楽ディレクターに就任した{{R|21st34b}}。音楽担当の[[三宅一徳]]の起用は、本地の推薦による{{R|21st34b}}。
本作品の主題歌は、八木の就任前に前山寛邦によりコンペ形式を初めて導入した{{R|21st34b}}。
八木はかつてコロムビアが子供向けサントラとして発売していた「アクションサウンド」を意識し、戦隊メンバーや悪役を演じる役者陣によるミニドラマをサントラの曲間に挿入したり、歌詞カードもライナーノーツを極力廃しビジュアルを重視するなど、子供に親しみやすいサントラ作りを心がけた。
またソングコレクションの作家陣も大幅に刷新、歌手では[[高取ヒデアキ]]、[[遠藤正明]]らが新たに参加、作曲家では[[池毅]]が復帰するなど新旧取り混ぜた布陣となった。サントラは前年比の約3倍、主題歌シングルは約2倍のセールス増となった。
また前作と同様「[[てれびくん]]」誌上のふろくCDによるオリジナルドラマが制作され、さらに[[コロちゃんパック]]でその続編がリリースされるという形式がとられた。
; 主題歌
:; オープニングテーマ「ハリケンジャー参上!」
:: 作詞:[[及川眠子]] / 作曲・編曲:[[池毅]] / 歌:[[高取ヒデアキ]]
:: 巻之二十四よりゴウライジャーのキャスト紹介が追加された他、暗黒七本槍の推移に合わせた映像変更が繰り返されている。
:: 作詞には[[Wink]]の楽曲や『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』の主題歌を担当した及川が初めて特撮主題歌を手掛けた。3段階構成のサビは池が当時嵌っていた歌舞伎の「様式美」にヒントを得たという。
:: ボーカルの高取が「高取ヒデアキ」名義で歌うのは『[[しあわせソウのオコジョさん]]』に続き2作目。また、歌詞にある「忍者じゃん」は当初は「忍者じゃ」であったが、池のアイデアで「忍者じゃん」になったことを高取が後年語っている<ref>[[2010年]][[5月]]放送のNHK『[[熱中スタジアム]]』より{{出典無効|date=2018年4月}}。</ref>。
::* サビの「シュシュッと参上」というフレーズは、サブプロデューサーの[[塚田英明]]が考案したものである{{R|21st34b}}。
:; エンディングテーマ「いま 風のなかで」
:: 作詞・作曲:高取ヒデアキ / 編曲:[[籠島裕昌]] / 歌:[[影山ヒロノブ]]
:: 曲間にはその回における鷹介、七海、吼太の活躍シーンが挿入されていたが、巻之十五からその回のハイライトシーンに変更された。
:: 最終巻はスーパー戦隊シリーズとしては初めてオープニングなしで本編に突入し、EDには「ハリケンジャー参上!」{{efn|通常のテレビサイズではなく、前奏→冒頭のサビ→2番以降となっている。}}が使用された。また、本作品放送中の8月、関東地区での再放送の際にOPは通常のもので、エンディングはBGMを使用して締めくくっている{{efn|このEDの映像は[[東映ビデオ]]から発売されたDVD『[[スーパー戦隊シリーズの他媒体展開#関連のメディアソフト|東映TV特撮主題歌大全集4]]』で「夏休み版ED」として収録されている。}}。
::* 元々は塚田によるコンペ用の仮詞に高取が曲をつけたもので{{R|21st34b}}、高取は当初自分が歌う予定で本曲を制作していた。『[[アニぱら音楽館]]』では高取と影山のデュオで同曲を歌っている。
:
; 挿入歌
:; 「忍風館校歌」(巻之二十七)
:: 作詞:[[八手三郎]] / 作曲・編曲:池毅 / 歌:忍風館歌忍隊
:; 「風よ、水よ、大地よ、」(巻之十三、十九、最終巻)
:: 作詞・作曲:高取ヒデアキ / 編曲:加藤稔二 / 歌:高取ヒデアキ
:: 巻之十九ではインストゥルメンタル版と併用され、巻之十六、十八ではインストゥルメンタル版のみが使用された。
:; 「旋風神、推参!」(巻之三、六、十一、四十六)
:: 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:三宅一徳 / 歌:TOMONARI
:: 巻之六ではインストゥルメンタル版と併用され、巻之八、十六ではインストゥルメンタル版のみが使用された。
:; 「忍び恋」(巻之三十)
:: 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:池毅 / 歌:野乃七海(長澤奈央)
:: 劇中歌として複数回使用された。
::* 八木は、撮影に必要なため主題歌よりも制作が先行していたことを証言している{{R|21st34b}}。
:; 「くのいちイチイチ宇宙一」
:: 作詞:斎藤謙策 / 作曲・編曲:ジャック・伝ヨール / 歌:ウェンディーヌ(福澄美緒)・フラビージョ(山本梓)
:: 巻之三十四の次回予告BGMとして使用された。
:; 「ゴウライジャー 〜今、ふりかえるとき〜」(巻之二十四、二十六)
:: 作詞:[[宮下隼一]] / 作曲・編曲:三宅一徳 / 歌:[[遠藤正明]]
:; 「WIND & THUNDER」(巻之十九、二十八)
:: 作詞:桑原永江 / 作曲・編曲:三宅一徳 / 歌:[[串田アキラ]]
:: 巻之三十三、三十八ではインストゥルメンタル版が使用された。
:; 「ハリケン音頭」
:: 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:池毅 / 歌:[[朝川ひろこ]]
:; 「Hi-Dee-Hoo! シュリケンジャー」(巻之二十三、三十三)
:: 作詞:[[藤林聖子]] / 作曲・編曲:三宅一徳 / 歌:高取ヒデアキ
:: 巻之二十二、二十七、四十二、四十五ではインストゥルメンタル版が使用された。
:; 「幸せSHAKING HANDS」(巻之三十)
:: 作詞:[[荒川稔久]] / 作曲・編曲:池毅 / 歌:ビジョッ娘7(長澤奈央・山本梓)
:: 最終巻のEDでは、七海がライブ会場でアカペラで歌っていた。
:; 「[[Over Drive (JUDY AND MARYの曲)|Over Drive]]」(巻之三)
:: 作詞:[[YUKI (歌手)|YUKI]] / 作曲 [[TAKUYA]] / 歌:野乃七海(長澤奈央)
:: 劇中のオーディションのシーンで七海がカバーしていた。
== 放送日程 ==
全編通して、放送回のカウントは「巻之(漢数字の話数)」で統一。サブタイトルも最終話を除き、いずれも「○○と××」というフォーマットが採られている。
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size: smaller;"
|-
!放送日!!放送回!!サブタイトル!!登場怪人!!宇宙忍者ファイル!!脚本!!アクション監督!!監督
|-
|align="right"|2002年{{0}}2月17日
|巻之一
|風とニンジャ
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 宇宙忍:結界忍者ケッカイ坊(声 - [[田中完]])
| style="text-align:left;" rowspan="4"|宮下隼一
|rowspan="24"|竹田道弘
| style="text-align:left;" rowspan="2"|渡辺勝也
|-
|align="right"|2月24日
|巻之二
|巨人とカラクリ
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* クグツ忍:磁石忍者ジシャックモ(声 - [[細井治]])
|-
|align="right"|3月{{0}}3日
|巻之三
|ニセモノと60秒
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 宇宙忍:コピー忍者クリソッツ坊(声 - [[山岸功]])
| style="text-align:left;" rowspan="2"|諸田敏
|-
|align="right"|3月10日
|巻之四
|トンネルと兄妹
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* クグツ忍:穴掘り忍者モグドラゴ(声 - [[伊藤健太郎 (声優)|伊藤健太郎]])
|-
|align="right"|3月17日
|巻之五
|館長とお風呂
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 宇宙忍:毒花忍者ハナサッカ導士{{efn|オープニングクレジットでは「ハナサッカ道士」表記。}}(声 - [[坪井智浩]])
| style="text-align:left;" rowspan="2"|酒井直行
| style="text-align:left;" rowspan="2"|小中肇
|-
|align="right"|3月24日
|巻之六
|ハサミとくノ一
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* クグツ忍:縁切り忍者シラーンス(声 - [[川津泰彦]])
|-
|align="right"|3月31日
|巻之七
|雷とニンジャ
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 宇宙忍:次元忍者フタブタ坊(声 - [[桜井敏治]])
| style="text-align:left;" rowspan="2"|宮下隼一
| style="text-align:left;" rowspan="2"|渡辺勝也
|-
|align="right"|4月{{0}}7日
|巻之八
|{{Ruby|疾風|はやて}}と{{Ruby|迅雷|いかづち}}
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* クグツ忍:水喰い忍者ガマジャクシ(声 - [[青空球児]])
|-
|align="right"|4月14日
|巻之九
|雷兄弟と砂時計
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 宇宙忍:繁殖忍者クッツク法師(声 - [[多田野曜平]])
|align="left"|前川淳
| style="text-align:left;" rowspan="2"|諸田敏
|-
|align="right"|4月21日
|巻之十
|雷神と滅びの谷
||-
|align="left"|五の槍サーガイン
|align="left"|酒井直行
|-
|align="right"|4月28日
|巻之十一
|夢喰いと再出発
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 宇宙忍:悪夢忍者ユメバクー師(声 - [[田中亮一]])
|align="left"|宮下隼一
| style="text-align:left;" rowspan="2"|橋本一
|-
|align="right"|5月{{0}}5日
|巻之十二
|テッコツと{{Ruby|父娘|おやこ}}
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* クグツ忍:メタル忍者テッコツメーバ(声 - [[今村直樹]])
|align="left"|荒川稔久
|-
|align="right"|5月12日
|巻之十三
|ヒゲと婚約指輪
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 宇宙忍:ダンシング忍者ヒゲナマ頭巾(声 - [[堀本等]])
|align="left"|前川淳
| style="text-align:left;" rowspan="2"|小中肇
|-
|align="right"|5月19日
|巻之十四
|泣き虫とあめ玉
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 宇宙忍:バックトゥ忍者オクト入道(声 - [[園部啓一]])
|align="left"|酒井直行
|-
|align="right"|5月26日
|巻之十五
|タガメと争奪戦
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* カラクリ巨人メガタガメ(スーツアクター - [[今井靖彦]])
|align="left"|荒川稔久
| style="text-align:left;" rowspan="2"|渡辺勝也
|-
|align="right"|6月{{0}}2日
|巻之十六
|霧と予言装置
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 宇宙忍:霧吐き忍者キリキリマイ師(声 - [[柴本浩行]])
| style="text-align:left;" rowspan="3"|宮下隼一
|-
|align="right"|6月{{0}}9日
|巻之十七
|暗闇と死闘の島
| style="text-align:left;" rowspan="2"|
* 宇宙忍:島忍者ギリギリガイ師(声 - [[河合義雄]])
|align="left"|
* 宇宙忍:島忍者ギリギリガイ師
| style="text-align:left;" rowspan="2"|諸田敏
|-
|align="right"|{{efn|6月16日は「[[全米オープン (ゴルフ)|第102回全米オープンゴルフ選手権大会]]」最終日放送のため休止。}}6月23日
|巻之十八
|父と兄弟の絆
|align="left"|
* 三の槍マンマルバ
|-
|align="right"|6月30日
|巻之十九
|大箱と風雷巨人
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 二の槍チュウズーボ
|align="left"|前川淳
| style="text-align:left;" rowspan="2"|竹本昇
|-
|align="right"|7月{{0}}7日
|巻之二十
|パンチと{{Ruby|好敵手|ライバル}}
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* クグツ忍:災厄忍者カンガルーレット(声 - [[坂東尚樹]])
|align="left"|酒井直行
|-
|align="right"|7月14日
|巻之二十一
|仮面とナゾナゾ
| style="text-align:left;" rowspan="2"|
* 仮面忍:蜃気楼忍者ジン・ギローン(声 - [[鈴木清信]])
|align="left"|
* 仮面忍:蜃気楼忍者ジン・ギローン
| style="text-align:left;" rowspan="2"|荒川稔久
| style="text-align:left;" rowspan="2"|諸田敏
|-
|align="right"|7月21日
|巻之二十二
|翼とニンジャ
|align="left"|
* 六の槍サタラクラ
|-
|align="right"|7月28日
|巻之二十三
|コロンと名探偵
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 仮面忍:香水忍者キラ・コローネ(声 - [[西川宏美]])
| style="text-align:left;" rowspan="2"|宮下隼一
| style="text-align:left;" rowspan="2"|大井利夫
|-
|align="right"|8月{{0}}4日
|巻之二十四
|タイコと稲妻
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* クグツ忍:雷忍者ウナダイゴ(声 - [[遠近孝一]])
|-
|align="right"|8月11日
|巻之二十五
|オバケと女学生
| style="text-align:left; text-align:left;"|
* 仮面忍:復活忍者バンパ・イヤーン(声 - [[真殿光昭]])
* 再生中忍{{Sfn|超全集|2003|p=48}}
|align="left"|
* 仮面忍:復活忍者バンパ・イヤーン
|align="left"|荒川稔久
|rowspan="2"|新堀和男
| style="text-align:left;" rowspan="2"|竹本昇
|-
|align="right"|8月18日
|巻之二十六
|弓矢と海水浴
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* クグツ忍:恋煩い忍者チューピッド(声 - [[緒方文興]])
|align="left"|前川淳
|-
|align="right"|8月25日
|巻之二十七
|串焼きと無重力
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 仮面忍:重力忍者オモ・カル(声 - [[宇垣秀成]])
|align="left"|酒井直行
|rowspan="43"|竹田道弘
| style="text-align:left;" rowspan="2"|諸田敏
|-
|align="right"|9月{{0}}1日
|巻之二十八
|ハリアーと逆襲
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* カラクリ巨人メガタガメMk-II
|align="left"|宮下隼一
|-
|align="right"|9月{{0}}8日
|巻之二十九
|残暑とスタンプ
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 仮面忍:残暑忍者ベロ・タン(声 - [[平野正人]])
|align="left"|吉田伸
| style="text-align:left;" rowspan="2"|渡辺勝也
|-
|align="right"|9月15日
|巻之三十
|アイドルと友情
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* クグツ忍:美少女忍者フラビジェンヌ(声 - [[篠原恵美]])
|align="left"|荒川稔久
|-
|align="right"|9月22日
|巻之三十一
|流星と三匹の狼
| style="text-align:left; text-align:left;"|
* 忍狼獣ファングール
** 序(声 - [[穴井勇輝]])
** 破(声 - [[大村亨]])
** 急(声 - [[塩野勝美]])
|align="left"|
* 忍狼獣ファングール
| style="text-align:left;" rowspan="2"|宮下隼一
| style="text-align:left;" rowspan="2"|大井利夫
|-
|align="right"|9月29日
|巻之三十二
|死神と最終奥義
|align="left"|
* 忍狼獣ファングール
** 合身巨獣ファンゲロス(声 - 穴井勇輝、大村亨、塩野勝美)
|align="left"|
* 合身巨獣ファンゲロス
|-
|align="right"|10月{{0}}6日
|巻之三十三
|マンモスと6人
|align="left"|
* 合身巨獣ファンゲロス
* 三の槍マンマルバ(成体)
|align="left"|
* 三の槍マンマルバ(成体)
| style="text-align:left;" rowspan="2"|前川淳
| style="text-align:left;" rowspan="2"|諸田敏
|-
|align="right"|10月13日
|巻之三十四
|キノコと100点
|align="left"|
* クグツ忍:洗脳忍者ジュクキノコ(声 - [[志賀克也]])
* 巨大ウェンディーヌ
|align="left"|
* クグツ忍:洗脳忍者ジュクキノコ
|-
|align="right"|10月20日
|巻之三十五
|キラリと三味線
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* クグツ忍:滑空忍者ムササビスタル(声 - 岡本美登{{efn|name="SA"|スーツアクターも兼任。}})
|align="left"|宮下隼一
| style="text-align:left;" rowspan="2"|渡辺勝也
|-
|align="right"|10月27日
|巻之三十六
|リングと復讐
| style="text-align:left;" rowspan="2"|
* マンマルバ(クローン)
** マンマルバ暴走体
|align="left"|
* 四の槍ウェンディーヌ
| style="text-align:left;" rowspan="2"|荒川稔久
|-
|align="right"|11月{{0}}3日
|巻之三十七
|三の槍と大脱出
|align="left"|
* マンマルバ暴走体
| style="text-align:left;" rowspan="2"|小中肇
|-
|align="right"|11月10日
|巻之三十八
|魔剣とふうせん
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 仮面忍:風船忍者ゴムビ・ローン(声 - [[長嶝高士]])
|align="left"|吉田伸
|-
|align="right"|11月17日
|巻之三十九
|七の槍と謎の石
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* クグツ忍:腐食忍者フショクルーガ(声 - [[鈴木正和 (声優)|鈴木正和]])
| style="text-align:left;" rowspan="2"|宮下隼一
| style="text-align:left;" rowspan="2"|舞原賢三
|-
|align="right"|11月24日
|巻之四十
|オトリと忍の掟
|align="left"|
* 腐食忍者フショクルーガ
* 扇忍獣:凶扇獣バドーギ
|align="left"|
* 扇忍獣:凶扇獣バドーギ
|-
|align="right"|12月{{0}}1日
|align="right"|巻之四十一
|メダルと漫才
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 仮面忍:漫才忍者ツッコ・ミーナ(声 - [[村岡弘之]]{{efn|name="SA"}})
|align="left"|酒井直行
| style="text-align:left;" rowspan="2"|渡辺勝也
|-
|align="right"|12月{{0}}8日
|巻之四十二
|鎧と怒りの矢
|align="left"|
* カラクリ巨人メガタガメMk-III
* カラクリ巨人ガインガイン
|align="left"|
* カラクリ巨人メガタガメMk-III
|align="left"|前川淳
|-
|align="right"|12月15日
|巻之四十三
|超合体と大激突
|align="left"|
* カラクリ巨人ガインガイン
* 五の槍サーガイン
|align="left"|
* カラクリ巨人ガインガイン
| style="text-align:left;" rowspan="2"|宮下隼一
| style="text-align:left;" rowspan="2"|竹本昇
|-
|align="right"|12月22日
|巻之四十四
|御前様と凶扇獣
|align="left"|
* 扇忍獣
** 凶扇獣バドーギ
** 災扇獣デザーギ
|align="left"|
* 凶扇獣バドーギ
* 災扇獣デザーギ
|-
|align="right"|12月29日
|巻之四十五
|隠れ家と大掃除
| style="text-align:left;" colspan="2"|
* 扇忍獣:呪扇獣マドーギ(声 - [[疋田由香里]])
| style="text-align:left;" rowspan="2"|前川淳
| style="text-align:left;" rowspan="2"|中澤祥次郎
|-
|align="right"|2003年{{0}}1月{{0}}5日
|巻之四十六
|おせちと三巨人
|align="left"|
* カラクリ巨人メガタガメセクシー
* カラクリ巨人フラビジェンヌロボ
* カラクリ巨人ジャイアントムササビスタル
|align="left"|
* カラクリ巨人メガタガメセクシー
|-
|align="right"|1月12日
|巻之四十七
|封印と宇宙統一
|align="left"|
* 災扇獣デザーギ
|align="left"|
* 一の槍フラビージョ
| style="text-align:left;" rowspan="2"|吉田伸
| style="text-align:left;" rowspan="2"|諸田敏
|-
|align="right"|1月19日
|巻之四十八
|罠と永遠の命
|align="left"|
* 呪扇獣マドーギ
* 偽ハリケンジャー
* 偽ゴウライジャー
* 偽シュリケンジャー
|align="left"|
* 七の槍サンダール
|-
|align="right"|1月26日
|巻之四十九
|使命と天空忍者
|align="left"|
* 巨大サタラクラ
|align="left"|
* 首領タウ・ザント
| style="text-align:left;" rowspan="3"|宮下隼一
| style="text-align:left;" rowspan="3"|渡辺勝也
|-
|align="right"|2月{{0}}2日
|巻之五十
|暗黒と新世界
|align="left"|
* タウ・ザント究極体
* 巨大サンダール
|align="left"|
* タウ・ザント究極体
|-
|align="right"|2月{{0}}9日
|最終巻
|風と水と大地
|align="left"|
* 邪悪なる意志(声 - [[加藤精三 (声優)|加藤精三]])
** 再生タウ・ザント究極体{{efn|資料によっては、'''復活タウ・ザント'''と記述している{{Sfn|感動|2014|p=213}}。}}
** 再生暗黒七本槍{{efn|資料によっては、'''復活暗黒七本槍'''と記述している{{Sfn|感動|2014|p=213}}。}}
|align="left"|
* 下忍マゲラッパ
|}
== 放映ネット局 ==
{|class="wikitable" style="font-size:small;"
|-
!対象地域!!放送局!!備考
|-
|[[広域放送|関東広域圏]]||[[テレビ朝日]]||'''キーステーション'''
|-
|[[北海道]]||[[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]||
|-
|[[青森県]]||[[青森朝日放送]]||
|-
|[[岩手県]]||[[岩手朝日テレビ]]||
|-
|[[宮城県]]||[[東日本放送]]||
|-
|[[秋田県]]||[[秋田朝日放送]]||
|-
|[[山形県]]||[[山形テレビ]]||
|-
|[[福島県]]||[[福島放送]]||
|-
|[[新潟県]]||[[新潟テレビ21]]||
|-
|[[富山県]]||[[北日本放送]]||日本テレビ系列局
|-
|[[石川県]]||[[北陸朝日放送]]||
|-
|[[福井県]]||[[福井テレビジョン放送|福井テレビ]]||フジテレビ系列局
|-
|[[山梨県]]||[[山梨放送]]||日本テレビ系列局
|-
|[[長野県]]||[[長野朝日放送]]||
|-
|[[静岡県]]||[[静岡朝日テレビ]]||
|-
|[[広域放送|中京広域圏]]||[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]]||
|-
|[[広域放送|近畿広域圏]]||[[朝日放送テレビ|朝日放送]]||現 朝日放送テレビ
|-
|[[鳥取県]]・[[島根県]]||[[山陰中央テレビジョン放送|山陰中央テレビ]]||[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列局
|-
|[[広島県]]||[[広島ホームテレビ]]||
|-
|[[山口県]]||[[山口朝日放送]]||
|-
|[[徳島県]]||[[四国放送]]||[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列局
|-
|[[香川県]]・[[岡山県]]||[[瀬戸内海放送]]||
|-
|[[愛媛県]]||[[愛媛朝日テレビ]]||
|-
|[[高知県]]||[[テレビ高知]]||TBS系列局
|-
|[[福岡県]]||[[九州朝日放送]]||
|-
|[[長崎県]]||[[長崎文化放送]]||
|-
|[[熊本県]]||[[熊本朝日放送]]||
|-
|[[大分県]]||[[大分朝日放送]]||
|-
|[[宮崎県]]||[[宮崎放送]]||[[TBSテレビ|TBS]]系列局
|-
|[[鹿児島県]]||[[鹿児島放送]]||
|-
|[[沖縄県]]||[[琉球朝日放送]]||
|}
== 他媒体展開 ==
=== 映像ソフト化 ===
いずれも発売元は[[東映ビデオ]]。
* ビデオ(VHS、セル、レンタル共通)は2003年1月から12月にかけて全12巻(各巻4話(10 - 12巻のみ5話)収録)がリリースされた他、テレビシリーズの再編集版が「ヒーロークラブ」より全3巻リリースされている。
* DVDはセルが2002年12月7日から2003年11月21日にかけてリリース、レンタルは2002年10月11日より開始。いずれも全12巻(各巻4話(10 - 12巻のみ5話)収録。この他にも後述の『10 YEARS AFTER』と連動した企画として、テレビシリーズ全51話の名場面ダイジェスト集や、レギュラー・ゲストキャラクターの映像を70分に再構成した「忍風戦隊ハリケンジャー メモリアル」が、2013年7月12日にリリースされた。
=== 他テレビシリーズ ===
; 『[[海賊戦隊ゴーカイジャー]]』
: テレビシリーズ第25・26話にハリケンジャー(変身前も含む)の3人、サンダールとサタラクラを基にしたサンダールJr.とサタラクラJr.に下忍マゲラッパが、それ以降にハリケンジャーの大いなる力として風雷丸が登場。
; 『[[非公認戦隊アキバレンジャー|非公認戦隊アキバレンジャー シーズン痛]]』
: テレビシリーズ第7話にゲストとして登場。
; 『[[獣電戦隊キョウリュウジャー]]』
: テレビシリーズ第24話にて、EDダンスの視聴者投稿企画にハリケンジャーを演じた3人が登場(「シュシュっと忍者」さん名義)。
; 『[[手裏剣戦隊ニンニンジャー]]』
: テレビシリーズ第7話に鷹介<ref name="shinobi_07">[http://www.toei.co.jp/tv/ninnin/story/1205590_2393.html 手裏剣戦隊ニンニンジャー 忍びの7 春のニンジャ祭り! | 東映[テレビ]] 2015年4月9日閲覧。</ref>、第43話にシュリケンジャーがそれぞれ登場<ref>「[[TVステーション]]」([[ダイヤモンド社]])関東版2016年1号 116頁</ref>。
=== 映画作品 ===
; 『[[忍風戦隊ハリケンジャー シュシュッと THE MOVIE]]』
: 本作品の単独作品。
; 『[[特捜戦隊デカレンジャー THE MOVIE フルブラスト・アクション]]』
: 『[[特捜戦隊デカレンジャー]]』の単独作品。1シーンのみフラビージョとウェンディーヌが登場。
; 『[[ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦]]』
: 『海賊戦隊ゴーカイジャー』と『[[天装戦隊ゴセイジャー]]』をメインとしたクロスオーバー作品。旋風神が登場。
; 『[[海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE 空飛ぶ幽霊船]]』
: 『海賊戦隊ゴーカイジャー』の単独作品。下忍マゲラッパが登場。
; 『[[機界戦隊ゼンカイジャー THE MOVIE 赤い戦い! オール戦隊大集会!!]]』
: 『[[機界戦隊ゼンカイジャー]]』の劇場作品。ハリケンレッドが登場。
; 『[[セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記]]』
: 下忍マゲラッパが登場。
=== オリジナルビデオ ===
; 『講談社スーパービデオ 忍風戦隊ハリケンジャー スーパー忍者とスーパー黒子』
: [[テレビマガジン]]・[[たのしい幼稚園 (雑誌)|たのしい幼稚園]]・[[おともだち]]三誌共同応募者全員サービスVHS。
: 構成・演出 - 中澤祥次郎
: プロデュース - 日笠淳、塚田英明、[[宇都宮孝明]]、石井大輔
; 『[[忍風戦隊ハリケンジャーVSガオレンジャー]]』
: 本作品と『[[百獣戦隊ガオレンジャー]]』のクロスオーバー作品([[スーパー戦隊Vシネマ]]作品)。
; 『[[爆竜戦隊アバレンジャーVSハリケンジャー]]』
: 本作品と『[[爆竜戦隊アバレンジャー]]』のクロスオーバー作品(スーパー戦隊Vシネマ作品)。
; 『[[轟轟戦隊ボウケンジャーVSスーパー戦隊]]』
: 『[[轟轟戦隊ボウケンジャー]]』をメインとしたクロスオーバー作品(スーパー戦隊Vシネマ作品)。七海 / ハリケンブルーとフラビージョが登場。
; 『[[忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER]]』
: 本作品の単独Vシネマ作品。
; 『[[手裏剣戦隊ニンニンジャー#雑誌付録|手裏剣戦隊ニンニンジャー アカニンジャーVSスターニンジャー百忍バトル!]]』
: 『手裏剣戦隊ニンニンジャー』のテレビマガジン付録DVD。下忍マゲラッパが登場したほか、スターニンジャーがシュリケンズバットを使用するシーンがある。
; 『[[帰ってきた手裏剣戦隊ニンニンジャー ニンニンガールズVSボーイズ FINAL WARS]]』
: 『手裏剣戦隊ニンニンジャー』のVシネマ作品。ハリケンブルーが登場。
; 『[[忍風戦隊ハリケンジャーでござる! シュシュッと20th Anniversary]]』
: 本作品の20周年記念作品。[[Vシネクスト]]。2023年初夏期間限定上映、同年10月25日発売予定。
=== ゲーム ===
; 『忍風戦隊ハリケンジャー』
: 前作『[[百獣戦隊ガオレンジャー]]』に引き続き、本作品でも[[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]専用ソフトがバンダイより2002年11月28日に発売されている。
: 戦闘員や怪人との戦い、ロボ戦があることは前作と同様だが、本作品では新たに戦いの前に指定されたキャラクターの中から好きな戦士を選び、操作することができるようになった。またある条件を満たすと特別編が追加され、ガオレンジャーのガオレッドやガオイカロスといったロボとハリケンジャーが協力して敵と戦うことが可能である。
=== 小説版 ===
いずれも著者は宮下隼一。
; 『天空忍者シュリケンジャー外伝「秘すれば、花…」』
: 『[[ファンタスティックコレクション]] 忍風戦隊ハリケンジャー・免許皆伝』(ISBN 978-4-257-03677-7)に掲載。
: シュリケンジャーの過去を描く。
; 『小説 忍風戦隊ハリケンジャー』
: [[講談社キャラクター文庫]]から2014年6月28日発売。ISBN 978-4-06-314870-1
: 『忍風戦隊ハリケンジャー 10 YEARS AFTER』からの直接的な続編となっている。
=== ネット配信作品 ===
; 『[[ヒーローママ☆リーグ]]』
: 2018年5月13日配信。野乃七海/ハリケンブルーが出演<ref>[https://news.mynavi.jp/article/20180413-616225/ 歴代スーパー戦隊ヒロインが夢の共演! 『ヒーローママ★リーグ』母の日配信]</ref>。
; 『[[暴太郎戦隊ドンブラザーズ#Webドラマ|忍風戦隊ハリケンジャーwithドンブラザーズ]]』
: 2022年12月25日に東映特撮ファンクラブで配信。ハリケンジャーの3人と黒子ロボが出演。
=== コラボMV ===
* 2022年8月にYouTuberグループ・[[フィッシャーズ (YouTuber)|フィッシャーズ]]が本作品放送20周年を記念したコラボレーション動画として「大漁戦団サカナンジャー」のMVが公開された<ref>{{Cite web|和書|url=https://realsound.jp/tech/2022/08/post-1109068.html |title=フィッシャーズ、東映&日本コロムビアとタッグを組んだ熱いヒーローソング「大漁戦団サカナンジャー」 MV公開 |accessdate=2023-08-08 |date=2022-08-22 |publisher=リアルサウンド}}</ref>。{{main|東映#その他}}
=== CS放送・ネット配信 ===
; CS放送
* 東映チャンネル
**[[2013年]][[5月]] - 同年[[11月]]
**[[2015年]][[9月]] - [[2016年]][[3月]](いずれも「スーパー戦隊ワールド」枠)
; ネット配信
* 東映特撮 [[YouTube]] Official
**[[2012年]][[12月31日]] - [[2013年]][[6月23日]]
**[[2015年]][[10月23日]] - [[2016年]][[4月22日]]
**[[2020年]][[4月12日]] - [[10月11日]]
== 関連項目 ==
* [[パワーレンジャー・ニンジャストーム]]
* [[クイズ!バーチャQ]] - 放送当時、テレビ朝日系列で毎週土曜19時30分から20時(JST)に放送されていた子供向けクイズ番組。8月31日放送分に塩谷瞬(椎名鷹介/ハリケンレッド役)、長澤奈央(野乃七海/ハリケンブルー役)、山本康平(尾藤吼太/ハリケンイエロー役)、山本梓(フラビージョ役)、福澄美緒(ウェンディーヌ役)の5人がゲストとして出演。
* [[ヤマハ発動機|ヤマハ除雪機]] - 2018年に販売40周年を迎えるにあたり、ハリケンブルーが[[秘密戦隊ゴレンジャー|アオレンジャー]]、[[電撃戦隊チェンジマン|チェンジペガサス]]、[[星獣戦隊ギンガマン|ギンガブルー]]、[[侍戦隊シンケンジャーの登場人物|シンケンブルー]]と共にイメージキャラクターに採用されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/294005|title=アオレンジャー、チェンジペガサス、シンケンブルーら戦士5人が「除雪は青の時代!」|publisher=映画ナタリー|date=2018-08-03|accessdate=2019-04-01}}</ref>。2019年には[[獣拳戦隊ゲキレンジャーの登場人物|ゲキブルー]]と[[天装戦隊ゴセイジャー|ゴセイブルー]]を加えて引き続き起用された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yamaha-motor.co.jp/snowblower/2019sp/|title=除雪は青の時代|publisher=ヤマハ発動機|accessdate=2023-04-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190905144740/https://www.yamaha-motor.co.jp/snowblower/2019sp/|archivedate=2019-09-05}}</ref>。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 参照話数 ===
{{Reflist|group="ep"|3
|refs=
<ref name="巻1">巻之一。</ref>
<ref name="巻2">巻之二。</ref>
<ref name="巻7">巻之七。</ref>
<ref name="巻8">巻之八。</ref>
<ref name="巻18">巻之十八。</ref>
<ref name="巻19">巻之十九。</ref>
<ref name="巻20">巻之二十。</ref>
<ref name="巻21">巻之二十一。</ref>
<ref name="巻29">巻之二十九。</ref>
<ref name="巻32">巻之三十二。</ref>
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<ref name="巻35">巻之三十五。</ref>
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<ref name="巻43">巻之四十三。</ref>
<ref name="巻44">巻之四十四。</ref>
<ref name="巻46">巻之四十六。</ref>
<ref name="巻48">巻之四十八。</ref>
<ref name="巻49">巻之四十九。</ref>
<ref name="巻50">巻之五十。</ref>
<ref name="最終">最終巻。</ref>
}}
=== 出典 ===
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** {{Cite book|和書|date=2011-05-25|title=決定版 全スーパー戦隊 パーフェクト超百科|publisher=講談社|isbn=978-4-06-304815-5|ref={{SfnRef|パーフェクト超百科|2011}}}}
** {{Cite book|和書|date=2013-06-21|title=決定版 全スーパー戦隊 超戦力超百科|publisher=講談社|isbn=978-4-06-304838-4|ref={{SfnRef|超戦力超百科|2013}}}}
** {{Cite book|和書|date=2018-02-26|title=決定版 全スーパー戦隊 コンプリート超百科|publisher=講談社|isbn=978-4-06-304848-3|ref={{SfnRef|コンプリート超百科|2018}}}}
* {{Cite book|和書|date=2002-03-15|title=小学館のテレビ絵本 忍風戦隊ハリケンジャー(3) パワーアップ!せんぷうじんハリアー|publisher=小学館|isbn=978-4-09-115473-6|ref={{SfnRef|小学館絵本|2002}}}}
* {{Cite book|和書|date=2002-04-10|title=徳間テレビ絵本(33) 忍風戦隊ハリケンジャー(1) にんじゃせんしがちきゅうをまもる!!|publisher=徳間書店|isbn=4-19-910054-7|ref={{SfnRef|徳間絵本|2002}}}}
* {{Cite journal|和書|date = 2002-09-10 |id = 雑誌66039-88 |isbn = 4-88641-760-4 |journal = 東映ヒーローMAX |publisher = [[辰巳出版]] |ref={{SfnRef|東映ヒーローMAX|2002}} |series=タツミムック |volume = 2002 Vol.2}}
* {{Cite book|和書|date=2012-07-28|title=スーパー戦隊戦士列伝 赤の伝説|publisher=角川書店|isbn=978-4-04-110216-9|ref={{SfnRef|赤の伝説|2012}}}}
* {{Cite book|和書|date=2012-10-16|title=東映スーパー戦隊シリーズ35作品記念公式図録 百化繚乱 [下之巻] 戦隊怪人デザイン大鑑 1995-2012|publisher=グライドメディア|isbn=978-4-8130-2180-3|ref={{SfnRef|百化繚乱 下之巻|2012}}}}
* {{Cite book|和書|date=2014-06-30|title=スーパー戦隊感動のエピソード 1975-2014|publisher=メディアックス|isbn=978-4-86201-474-0|ref={{SfnRef|感動|2014}}}}
* {{Cite book|和書|date=2014-12-20|others=鴬谷五郎[編著]|title=東映ヒーロー仮面俳優列伝|publisher=[[辰巳出版]]|isbn=978-4-7778-1425-1|ref={{SfnRef|仮面俳優列伝|2014}}}}
*{{Cite book|和書|title=[[手裏剣戦隊ニンニンジャー]]公式完全読本 天下無敵|date=2016-06-25|publisher=[[ホビージャパン]]|isbn=978-4-7986-1248-5|ref={{SfnRef|ニンニンジャー公式完全読本|2016}}}}
* {{Cite book|和書|date = 2021-04-20<!--奥付表記-->|title =スーパー戦隊|series=学研の図鑑|publisher = 学研プラス|isbn = 978-4-0540-6788-2|ref = {{SfnRef|学研の図鑑|2021}}}}
* {{Cite book |和書 |date=2022-04-01 |title=スーパー戦隊 TOY HISTORY 45 1975-2021 |series = ホビージャパンMOOK |publisher=[[ホビージャパン]] |isbn=978-4-7986-2745-8 |ref={{SfnRef|TH45|2022}} }}
*『スーパー戦隊 Official Mook 21世紀』講談社〈講談社シリーズMOOK〉
** {{Cite book|和書|editor=講談社|date=2017-06-09|volume=vol.2|volume-title=忍風戦隊ハリケンジャー|isbn=978-4-06-509513-3|ref={{SfnRef|21st 2|2017}}}}
** {{Cite book|和書|editor=講談社|date=2017-03-25|volume=vol.3|volume-title=[[爆竜戦隊アバレンジャー]]|isbn=978-4-06-509514-0|ref={{SfnRef|21st 3|2017}}}}
** {{Cite book|和書|editor=講談社|date=2017-07-10|volume=vol.5|volume-title=[[魔法戦隊マジレンジャー]]|isbn=978-4-06-509516-4|ref={{SfnRef|21st 5|2017}}}}
** {{Cite book|和書|editor=講談社|date=2017-05-25|volume=vol.8|volume-title=[[炎神戦隊ゴーオンジャー]]|isbn=978-4-06-509519-5|ref={{SfnRef|21st 8|2017}}}}
* 雑誌
** [[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]([[朝日ソノラマ]]/[[ホビージャパン]])
*** {{Cite journal|和書|date=2003-05-01|journal=宇宙船|volume=Vol.106|issue=(2003年5月号)|publisher=朝日ソノラマ|id=雑誌コード:01843-05|ref={{SfnRef|宇宙船106|2003}}}}
*** {{Cite journal |和書 |date=2015-12-29 |journal=宇宙船|volume=vol.151 |issue=(WINTER 2016.冬)|publisher=ホビージャパン |isbn=978-4-7986-1147-1 |ref={{SfnRef|宇宙船151|2015}} }}
*** {{Cite journal |和書 |date=2016-04-01 |journal=宇宙船 |volume=vol.152 |issue=(SPRING 2016.春)|publisher=ホビージャパン |isbn=978-4-7986-1218-8|ref={{SfnRef|宇宙船152|2016}}}}
*** {{Cite journal|和書|date = 2020-12-28|journal=宇宙船|volume=vol.171|issue=(WINTER 2020.冬)|publisher=ホビージャパン |isbn=978-4-7986-2390-0|ref={{SfnRef|宇宙船171|2020}}}}
* DX玩具付属パッケージ
** {{Cite journal|和書|date=2002年3月| journal=GD-42 DX超合金 忍風合体 旋風神|publisher=バンダイ|ref={{SfnRef|忍風合体 旋風神|2002}}}}
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== 外部リンク ==
* [https://web.archive.org/web/20140102124757/http://tvarc.toei.co.jp/tv/hariken/ 忍風戦隊ハリケンジャー(東映公式サイト)](2014年1月2日時点でのアーカイブ)
* [https://web.archive.org/web/20031002142624/http://www.tv-asahi.co.jp/hariken/index.html 忍風戦隊ハリケンジャー]-テレビ朝日公式サイト(2003年10月2日時点でのアーカイブ)
* [https://www.toei-video.co.jp/special/hariken/ DVD 忍風戦隊ハリケンジャー特集](東映ビデオ内にあるサイト)
{{前後番組
|放送局=[[テレビ朝日]][[オールニッポン・ニュースネットワーク|系列]]
|放送枠=日曜7:30 - 8:00
|番組名=忍風戦隊ハリケンジャー<br />(2002年2月17日 - 2003年2月9日)
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{{スーパー戦隊シリーズ}}
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1,237 | 分子生物学 | 分子生物学(ぶんしせいぶつがく、英: molecular biology)は、生命現象を分子を使って説明(理解)することを目的とする学問である。
分子生物学という名称は1938年ウォーレン・ウィーバーにより提唱された。これは当時、量子力学の確立やX線回折の利用等により物質の分子構造が明らかになりつつあったことから、まだ謎に満ちていた生命現象(中でも遺伝現象)をも物質の言葉で記述したいという希望の表明であった。当時、遺伝の染色体説はすでに確立し、遺伝学はショウジョウバエなどを用いて目覚ましく進歩していたが、生体高分子として知られていたタンパク質と核酸のいずれが遺伝を担っているのかも、遺伝子が具体的に何を決めるのかも不明だった。ドイツを中心とする当時の物理学者たち(アメリカに亡命した人も多い)もこの問題に深い関心をもち、特にマックス・デルブリュックは物理学から遺伝学に転向した。また物理学者から見た生命観を述べたシュレーディンガーの名著『生命とは何か』(1944年)も大きな影響を与えた。
デルブリュックは研究対象をショウジョウバエからバクテリオファージ(細菌に寄生するウイルス)に転換して「ファージグループ」と呼ばれる学派を主宰し、これが分子生物学の創成に大きく寄与した。1940年、ジョージ・ビードルとエドワード・テータム(やはりショウジョウバエからの転向組である)はアカパンカビを用いて、遺伝子とタンパク質の間に一対一の関係があることを示した(一遺伝子一酵素説)。このように単純なモデル生物から始める方法は分子生物学で標準的な研究法となる。1928年、フレデリック・グリフィスは肺炎球菌のR型菌にS型の死菌を与えるだけでS型菌に形質転換できることを示し(グリフィスの実験)、1943年、オズワルド・アベリーらはこの「形質転換の原理」がデオキシリボ核酸(DNA)によることを発見した。また戦後にかけて、ファージに関しても同様にDNAが遺伝物質であることが示された。
そして戦後、イギリスとアメリカのグループがこのDNA分子の構造を明らかにしようと競争した末、1953年にジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが二重らせん構造を発見した。これは相補性により(後にメセルソン-スタールの実験で証明された半保存的複製を通じて)遺伝をも説明する画期的発見であり、これにより分子生物学が本格的に始まった。
1960年代になるとDNAとタンパク質の情報を仲介する伝令RNA(mRNA)が発見され、さらにDNA情報とタンパク質構造との関係すなわち遺伝暗号が明らかにされた。一方ジャック・モノーとフランソワ・ジャコブは細菌による研究から、調節タンパク質がDNA上の遺伝子に結合しmRNAの転写を調節することを明らかにした(オペロン説)。後に高等生物でもこれに似た転写因子が遺伝子発現調節で主要な働きをしていることが明らかになった。このように遺伝情報はDNA→mRNA→タンパク質というふうに一方向に伝達されることが確定し、この図式はセントラルドグマ(分子生物学の中心教義)と呼ばれるようになった。ただし1970年には逆にRNA→DNAの流れ(逆転写)、つまりセントラルドグマの例外もあることが発見された。こうして遺伝現象の基本的な部分は分子の言葉で記述されるようになった。
1970年代には高等生物も分子生物学の対象となる。この背景には目覚しい技術的進歩があった。
1970年代半ばまでに各種のDNA修飾酵素が単離され、人工的な遺伝子組換えが可能となった。しかしこれによるバイオハザードの恐れが指摘され、アシロマ会議での議論の結果、科学者は厳格な自主規制のもとで研究を進めることとなった。遺伝子組換え技術は分子生物学をさらに発展させ、またバイオテクノロジーの重要な柱ともなった。この分野での他の画期的な技術には、70年代後半から発展したDNAシークエンシング(サンガー法により、遺伝子配列が容易に「決定できる」ようになった)と、80年代に開発されたポリメラーゼ連鎖反応(PCR)がある。
1970年代から80年代にかけて、がんの研究を直接の目的として動物の遺伝子研究が推進され、多数のがん遺伝子が発見されるとともに、細胞内シグナル伝達経路が明らかにされていった。
全ゲノム解読を目指したゲノム計画では、1990年には既にゲノムプロジェクトが始まり、2000年にはヒトのほぼ全ゲノムが解読された。
富澤純一(1989年-1997年国立遺伝学研究所第6代所長)がアメリカから帰国後、アメリカで起こった分子生物学を理解できる研究者を育てるために第一回ファージ講習会を1961年8月金沢大学医学部の実習室を使って10日間開催したことが日本の分子生物学が発展する重要な契機となった。第三回から第七回までのファージ講習会は四国の大阪大学微生物病研究会観音寺研究所で開かれた。このファージ講習会で分子生物学を学んだ研究者が中心となり日本の分子生物学研究の基盤を造った。(朝日選書 渡辺政隆著 DNAの謎に挑む 遺伝子探求の一世紀より)
1978年には渡邊格らを中心として日本分子生物学会が結成された。当初の会員数は600人程度で年会の演題数も160程度であったが、1998年には会員数が1万人を超え、年会の演題数も2千を超えるまでになった。 | [
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] | 分子生物学は、生命現象を分子を使って説明(理解)することを目的とする学問である。 | '''分子生物学'''(ぶんしせいぶつがく、{{lang-en-short|molecular biology}})は、[[生命]]現象を[[分子]]を使って説明(理解)することを目的とする学問である<ref>サダヴァ・デイヴィッドほか著(2010)『カラー図解 アメリカ版 大学生物学の教科書 第3巻 分子生物学』石崎泰樹・[[丸山敬]]監修、吉河歩・浅井将翻訳、[[講談社]]〈[[ブルーバックス]]〉</ref>。
== 歴史 ==
=== 創成期 ===
分子生物学という名称は1938年[[ウォーレン・ウィーバー]]により提唱された<ref>{{Cite journal
| last = Weaver
| first = Warren
| authorlink = :en:Warren Weaver
| title = Molecular biology: origin of the term
| journal = Science
| volume = 170
| issue = 3958
| pages = 581-582
| date = 1970
| url = https://science.sciencemag.org/content/170/3958/581.2
| doi = 10.1126/science.170.3958.581-a }}</ref>。これは当時、[[量子力学]]の確立や[[X線回折]]の利用等により物質の[[分子構造]]が明らかになりつつあったことから、まだ謎に満ちていた生命現象(中でも[[遺伝]]現象)をも物質の言葉で記述したいという希望の表明であった。当時、遺伝の[[染色体説]]はすでに確立し、[[遺伝学]]は[[ショウジョウバエ]]などを用いて目覚ましく進歩していたが、生体[[高分子]]として知られていた[[タンパク質]]と[[核酸]]のいずれが遺伝を担っているのかも、[[遺伝子]]が具体的に何を決めるのかも不明だった。[[ドイツ]]を中心とする当時の[[物理学]]者たち([[アメリカ合衆国|アメリカ]]に亡命した人も多い)もこの問題に深い関心をもち、特に[[マックス・デルブリュック]]は物理学から遺伝学に転向した。また物理学者から見た生命観を述べた[[エルヴィン・シュレーディンガー|シュレーディンガー]]の名著『生命とは何か』(1944年)も大きな影響を与えた<ref>エルヴィン・シュレーディンガー著(1944年)『生命とは何か 物理的にみた生細胞』 岡小天・[[鎮目恭夫]]共訳、[[岩波書店]]〈[[岩波文庫]]〉、2008年5月</ref>。
デルブリュックは研究対象をショウジョウバエから[[バクテリオファージ]]([[細菌]]に寄生する[[ウイルス]])に転換して「ファージグループ」と呼ばれる学派を主宰し、これが分子生物学の創成に大きく寄与した。1940年、[[ジョージ・ビードル]]と[[エドワード・テータム]](やはりショウジョウバエからの転向組である)は[[アカパンカビ]]を用いて、遺伝子とタンパク質の間に一対一の関係があることを示した([[一遺伝子一酵素説]])。このように単純な[[モデル生物]]から始める方法は分子生物学で標準的な研究法となる。1928年、フレデリック・グリフィスは[[肺炎球菌]]のR型菌にS型の死菌を与えるだけでS型菌に[[形質転換]]できることを示し([[グリフィスの実験]])<ref>Griffith, F., J. Hyg., Cambridge, Eng., 1928, 27, 113.</ref>、1943年、[[オズワルド・アベリー]]らはこの「形質転換の原理」が[[デオキシリボ核酸]](DNA)によることを発見した<ref>Avery, Oswald T., Colin M. MacLeod, and Maclyn McCarty. Studies on the Chemical Nature of the Substance Inducing Transformation of Pneumococcal Types. Journal of Experimental Medicine 79, 2 (1 February 1944): 137-158.</ref>。また戦後にかけて、ファージに関しても同様にDNAが遺伝物質であることが示された。
そして戦後、[[イギリス]]とアメリカのグループがこのDNA分子の構造を明らかにしようと競争した末、[[1953年]]に[[ジェームズ・ワトソン]]と[[フランシス・クリック]]が'''[[二重らせん構造]]'''を発見した<ref>Watson JD, Crick FH. Molecular structure of nucleic acids: a structure for deoxyribose nucleic acid. J.D. Watson and F.H.C. Crick. Published in Nature, number 4356 April 25, 1953. Nature. 1974 Apr 26;248(5451):765.</ref>。これは相補性により(後に[[メセルソン-スタールの実験]]で証明された[[半保存的複製]]を通じて)遺伝をも説明する画期的発見であり、これにより分子生物学が本格的に始まった。
=== 分子遺伝学の発展===
{{See also|分子遺伝学}}
1960年代になるとDNAとタンパク質の情報を仲介する[[伝令RNA]](mRNA)が発見され、さらにDNA情報とタンパク質構造との関係すなわち[[遺伝暗号]]が明らかにされた。一方[[ジャック・モノー]]と[[フランソワ・ジャコブ]]は細菌による研究から、調節タンパク質がDNA上の遺伝子に結合しmRNAの転写を調節することを明らかにした([[オペロン説]])<ref>Jacob, F., Monod, J. 1961. Genetic regulatory mechanisms in the synthesis of proteins. J. Mol. Biol. 3, 318-356.</ref>。後に[[高等生物]]でもこれに似た[[転写因子]]が遺伝子発現調節で主要な働きをしていることが明らかになった。このように遺伝情報はDNA→mRNA→タンパク質というふうに一方向に伝達されることが確定し、この図式は'''[[セントラルドグマ]]'''(分子生物学の中心教義)と呼ばれるようになった<ref> Crick, F.H.C. (1958): On Protein Synthesis. Symp. Soc. Exp. Biol. XII, 139-163.</ref>。ただし1970年には逆にRNA→DNAの流れ([[逆転写]])、つまりセントラルドグマの例外もあることが発見された。こうして遺伝現象の基本的な部分は分子の言葉で記述されるようになった。
=== 新技術と新分野の開花 ===
1970年代には高等生物も分子生物学の対象となる。この背景には目覚しい技術的進歩があった。
1970年代半ばまでに各種のDNA修飾[[酵素]]が単離され、人工的な'''[[遺伝子組換え]]'''が可能となった。しかしこれによる[[バイオハザード]]の恐れが指摘され、[[アシロマ会議]]での議論の結果、科学者は厳格な自主規制のもとで研究を進めることとなった。遺伝子組換え技術は分子生物学をさらに発展させ、また[[バイオテクノロジー]]の重要な柱ともなった。この分野での他の画期的な技術には、70年代後半から発展した[[DNAシークエンシング]](サンガー法により、遺伝子配列が容易に「決定できる」ようになった)と、80年代に開発された[[ポリメラーゼ連鎖反応]](PCR)がある。
1970年代から80年代にかけて、[[がん]]の研究を直接の目的として動物の遺伝子研究が推進され、多数の[[がん遺伝子]]が発見されるとともに、細胞内[[シグナル伝達]]経路が明らかにされていった。
全[[ゲノム]]解読を目指したゲノム計画では、1990年には既に[[ヒトゲノム計画|ゲノムプロジェクト]]が始まり、2000年にはヒトのほぼ全ゲノムが解読された。
== 日本の分子生物学 ==
[[富澤純一]](1989年-1997年[[国立遺伝学研究所]]第6代所長)がアメリカから帰国後、アメリカで起こった分子生物学を理解できる研究者を育てるために第一回ファージ講習会を1961年8月金沢大学医学部の実習室を使って10日間開催したことが日本の分子生物学が発展する重要な契機となった。第三回から第七回までのファージ講習会は四国の大阪大学微生物病研究会観音寺研究所で開かれた。このファージ講習会で分子生物学を学んだ研究者が中心となり日本の分子生物学研究の基盤を造った。(朝日選書 渡辺政隆著 DNAの謎に挑む 遺伝子探求の一世紀より)
1978年には[[渡邊格]]らを中心として[[日本分子生物学会]]が結成された。当初の会員数は600人程度で年会の演題数も160程度であったが、1998年には会員数が1万人を超え、年会の演題数も2千を超えるまでになった。
== 実験手法 ==
{{columns-list|2|
*[[デオキシリボ核酸|DNA]]の抽出
*[[ライブラリー (曖昧さ回避)|ライブラリー]]の作成
*[[クローニング]]
*[[電気泳動]]
*[[サザンブロッティング]]
*[[ノーザンブロッティング]]
*[[ウェスタンブロッティング]]
*[[シークエンシング]]
*[[ポリメラーゼ連鎖反応|PCR]] (Polymerase Chain Reaction)
*[[マイクロアレイ]]
*[[ChIP]]
*[[ChIP on chip]]
*[[定量PCR]]
*[[ファーウエスタン]]
*[[免疫沈降]](免沈、IP)
*[[RNAi]]
*[[トランスジェニックマウス]]
*[[コンディショナルノックアウトマウス]]
}}
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* H.F.ジャドソン著、[[野田春彦]]翻訳『分子生物学の夜明け(上下)―生命の秘密に挑んだ人たち』、[[東京化学同人]]、[[1982年]]
* 西方敬人・真壁和裕『超実践バイオ実験イラストレイテッド レッスン1 キットも活用遺伝子実験 (細胞工学別冊)』[[学研メディカル秀潤社]]、[[2005年]]
* 西方敬人・真壁和裕『超実践バイオ実験イラストレイテッド レッスン2 遺伝子実験ステップアップ (細胞工学別冊)』学研メディカル秀潤社、[[2006年]]
== 関連項目 ==
{{Wikibooks|分子生物学}}
{{Wiktionary|分子生物学}}
*[[生化学]]
*[[分子生物学者の一覧]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%AD%90%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6 |
1,238 | 脳科学 | 脳科学(のうかがく、英: brain science)とは、ヒトを含む動物の脳と、それが生み出す機能について研究する学問分野である。対象とする脳機能としては視覚認知、聴覚認知など感覚入力の処理に関するもの、記憶、学習、予測、思考、言語、問題解決など高次認知機能と呼ばれるもの、情動に関するものなどである。
以下のように様々な方法あるいは分野が存在し、それぞれ長所・短所を有している。2つ以上の分野を同時に行うこともある。
例:サルに報酬課題をさせているときのドパミン神経細胞の発火を細胞外電極で測定する(=計算論的神経科学+電気生理学)。これは有名なSchultzら(1993年)の実験。
次のように「脳科学」という語は学術分野において汎用されている。例えば、日本の公的な研究組織の名称として、次の組織に「脳科学」の語が使われている。
また、専門書と見なせる書籍で「脳科学」の用語が含まれているものとしては、「脳科学からみた機能の発達」、「分子脳科学」、「シリーズ脳科学」、「脳科学への招待」などがある。
理化学研究所 脳科学総合研究センター センター長の利根川進は、当センターの研究対象として「脳内の分子構造から神経回路、認知・記憶・学習の仕組み、健康と疾患等までを研究対象とし、工学や計算理論、心理学までも含めた多彩な学問分野を背景にして、学際的かつ融合的な研究を目指しています。近年では、分子や細胞といった微視的レベルを扱う神経生物学と、認知や計算論のような巨視的レベルとをつなぐものとして神経回路研究に焦点を当てています。」としている。
一方、「日本神経科学学会」の記述によると「日本神経科学学会は、脳・神経系に関する基礎、臨床及び応用研究を推進し、その成果を社会に還元、ひいては人類の福祉や文化の向上に貢献すべく、神経科学研究者が結集した学術団体です。」とある。神経科学の対象には脳も含まれるし、脳科学を研究するには神経の研究も必要である。あえて分類すれば、神経には脳神経以外も含まれるため、神経科学の方がより概念範囲が広い点が違いと言える。
「脳科学者」は日本のマスメディアに重宝され、テレビ番組に多数出演し、数多くの本を執筆している。
「脳科学者」の出版物には『脳内革命』や『脳を鍛える大人の計算ドリル』のようにベストセラーになったものも存在する。特に『脳を鍛える大人の計算ドリル』は『脳を鍛える大人のDSトレーニング』としてNintendo DSでゲーム化されDS初期の人気ソフトとなった。
五十音順。脳科学に関するメディア出演や執筆活動などを通じて知られた人物も含む。
東京大学・大学院薬学系研究科・教授
著書「進化しすぎた脳」「脳はなにかと言い訳する」など
東京大学名誉教授
著書「脳の設計図」など
早稲田大学理工学術院教授
著書「記憶のスイッチ、はいってますか-気ままな脳の生存戦略」「「脳が若い人」と「脳が老ける人」の習慣」 など
京都大学名誉教授
著書「性は生なり」「脳と性欲」など
東北大学加齢医学研究所教授
著書「現代人のための脳鍛錬」「さらば脳ブー-ム」など
慶應義塾大学名誉教授
著書「頭のよくなる本 大脳生理学的管理法」など
京都大学名誉教授
著書「手と脳」「ランニングと脳」など
東京大学総合文化研究科教授
著書「言語の脳科学」など
武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部教授
著書「知性の脳構造と進化 精神の生物学序説」「わがままな脳」など
日本医科大学教授
著書「脳とコンピューター」「意識と脳」
公立諏訪東京理科大学共通教育センター教授
著書「「すぐにやる脳」に変わる37の習慣」など
浜松医科大学名誉教授
著書「ストレスがもたらす病気のメカニズム」など
東京大学名誉教授
著書「記憶のメカニズム」「脳を育てる」など
法政大学名誉教授
著書「記憶の大脳生理学」など
日本精神医療センター脳研究所長
著書「ある脳研究者の履歴」「条件反射とはなにか」
東京大学名誉教授
著作「脳の話」「脳と人間」など
マサチューセッツ工科大学教授
著書「私の脳科学講義」など
カーネギーメロン大学サイラブフェロー
著書「洗脳原論」など
福井大学子どものこころの発達研究センター教授
著書「子どもの脳を傷つける親たち」など
東日本国際大学特任教授
著書「世界で通用する人がいつもやっていること」「脳科学からみた「祈り」」など
東京工業大学大学院非常講師、武蔵野学院大学客員研究員
著書「あなたの世界をガラリと変える 認知バイアスの教科書」「80歳でも脳が老化しない人がやっていること」など
京都大学霊長類研究所教授
著作「音楽を愛でるサル」「ケータイを持ったサル」など
ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員
著書「脳と仮想」「今、ここからすべての場所へ」など
日本大学教授
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] | 脳科学とは、ヒトを含む動物の脳と、それが生み出す機能について研究する学問分野である。対象とする脳機能としては視覚認知、聴覚認知など感覚入力の処理に関するもの、記憶、学習、予測、思考、言語、問題解決など高次認知機能と呼ばれるもの、情動に関するものなどである。 | {{出典の明記|date=2022-11}}
'''脳科学'''(のうかがく、{{Lang-en-short|brain science}})とは、[[ヒト]]を含む[[動物]]の[[脳]]と、それが生み出す[[機能]]について[[研究]]する[[学問]]分野である。対象とする脳機能としては視覚認知、聴覚認知など感覚入力の処理に関するもの、記憶、学習、予測、思考、言語、問題解決など高次認知機能と呼ばれるもの、情動に関するものなどである。
== 主な方法・下位分野 ==
以下のように様々な方法あるいは分野が存在し、それぞれ長所・短所を有している。2つ以上の分野を同時に行うこともある。
例:サルに報酬課題をさせているときのドパミン神経細胞の発火を細胞外電極で測定する(=計算論的神経科学+電気生理学)。これは有名なSchultzら(1993年)の実験。
* 電気生理学:動物においてパッチクランプ法、ヒト・動物において細胞内電極、皮質電極、脳波、脳磁図、経頭蓋磁気刺激(TMS)などを用いて神経細胞の興奮に関係する電気活動を、ミクロ・マクロのレベルで調べる。
* 神経解剖学:神経細胞の内部構造、神経細胞間のつながり、細胞構造の動的変化などを光学顕微鏡、電子顕微鏡、凍結割断法、免疫染色その他を用いて調べる。
* 分子生物学:遺伝子レベル、蛋白レベルで神経細胞の特性などを調べる。
* 脳機能イメージング:脳活動をさまざまな装置を用いて可視化する方法。
* 脳機能マッピング:脳機能イメージングや損傷脳研究で脳の各部位がどういう働きをしているかを、まるで脳を地図に見立てたように「マッピング」していく方法。
* 動物の行動実験:サル、マウスなどの動物に、薬剤を投与したり遺伝子を操作するなどし、その行動を観察する。
* 心理学研究、精神物理学的研究:被験者となるヒトに様々な課題を行わせ行動を観察することで脳機能を類推する(例:視覚の干渉刺激実験)。
* 理論的神経科学:神経の機能をコンピュータで再現したり、認知・学習などの理論的なモデルを作成することで研究を行うもの。[[計算論的神経科学]]など。
== 用語の使われ方 ==
次のように「脳科学」という語は学術分野において汎用されている。例えば、日本の公的な研究組織の名称として、次の組織に「脳科学」の語が使われている。
* [[文部科学省]] 脳科学委員会<ref>http://www.lifescience.mext.go.jp/council/board.html</ref>
* 文部科学省 脳科学研究戦略推進プログラム<ref>http://www.nips.ac.jp/srpbs/</ref>
* [[産業技術総合研究所]] システム脳科学研究グループ<ref>https://unit.aist.go.jp/hiri/hi-sys-neuro/</ref>
* [[理化学研究所]] 脳科学総合研究センター<ref>http://www.brain.riken.jp/jp/about/</ref>
* [[北海道大学]] 脳科学研究教育センター<ref>http://www.hokudai.ac.jp/recbs/</ref>
* [[東北大学]] 脳科学センター<ref>http://www.bsc.tohoku.ac.jp/</ref>
* [[筑波大学]]大学院 感性認知脳科学専攻<ref>http://www.kansei.tsukuba.ac.jp/</ref>
* [[電気通信大学]] 脳科学ライフサポート研究センター<ref>http://www.uec.ac.jp/facilities/research/blsc/</ref>
* [[玉川大学]] 脳科学研究所<ref>http://www.tamagawa.jp/research/brain/</ref>
* [[同志社大学]]大学院 脳科学研究科<ref>http://brainscience.doshisha.ac.jp/</ref>
* 日本脳科学会<ref>http://jsfbs.com/</ref>
* 日本脳科学関連学会連合<ref>http://www.brainscience-union.jp/</ref>
* 応用脳科学コンソーシアム<ref>http://www.keieiken.co.jp/can/</ref>
* 脳科学若手の会<ref>http://brainsci.jp/</ref>
また、専門書と見なせる書籍で「脳科学」の用語が含まれているものとしては、「脳科学からみた機能の発達」<ref>平山諭, 保野孝弘(編著). 脳科学からみた機能の発達. ミネルヴァ書房, 2003. ISBN 4-623-03799-1.</ref>、「分子脳科学」<ref>三品昌美(編). 分子脳科学. 化学同人, 2015. ISBN 978-4-7598-1519-1.</ref>、「シリーズ脳科学」<ref>[http://www.utp.or.jp/series/brain.html シリーズ脳科学[全6巻]]. 東京大学出版会ウェブサイト.</ref>、「脳科学への招待」<ref>松村道一. 脳科学への招待. サイエンス社, 2002. ISBN 4-7819-1018-1.</ref>などがある。
=== 「脳科学」と「神経科学」の違い ===
理化学研究所 脳科学総合研究センター センター長の[[利根川進]]は、当センターの研究対象として「脳内の分子構造から神経回路、認知・記憶・学習の仕組み、健康と疾患等までを研究対象とし、工学や計算理論、心理学までも含めた多彩な学問分野を背景にして、学際的かつ融合的な研究を目指しています。近年では、分子や細胞といった微視的レベルを扱う神経生物学と、認知や計算論のような巨視的レベルとをつなぐものとして神経回路研究に焦点を当てています。」としている<ref>http://www.riken.jp/research/labs/bsi/</ref>。
一方、「日本神経科学学会」の記述によると「日本神経科学学会は、脳・神経系に関する基礎、臨床及び応用研究を推進し、その成果を社会に還元、ひいては人類の福祉や文化の向上に貢献すべく、神経科学研究者が結集した学術団体です。」とある<ref>http://www.jnss.org/whats/</ref>。神経科学の対象には脳も含まれるし、脳科学を研究するには神経の研究も必要である。あえて分類すれば、神経には脳神経以外も含まれるため、神経科学の方がより概念範囲が広い点が違いと言える。
=== 「脳科学」をテーマにした作品・ゲーム ===
「脳科学者」は日本のマスメディアに重宝され、テレビ番組に多数出演し、数多くの本を執筆している。
「脳科学者」の出版物には『[[脳内革命]]』や『脳を鍛える大人の計算ドリル』のようにベストセラーになったものも存在する。特に『脳を鍛える大人の計算ドリル』は『[[脳を鍛える大人のDSトレーニング]]』としてNintendo DSでゲーム化されDS初期の人気ソフトとなった。
== 日本の脳科学者 ==
五十音順。脳科学に関するメディア出演や執筆活動などを通じて知られた人物も含む。
{{Columns-list|3|
* [[池谷裕二]]
東京大学・大学院薬学系研究科・教授
著書「進化しすぎた脳」「脳はなにかと言い訳する」など
* [[伊藤正男 (生理学者)|伊藤正男]]
東京大学名誉教授
著書「脳の設計図」など
* [[枝川義邦]]
早稲田大学理工学術院教授
著書「記憶のスイッチ、はいってますか-気ままな脳の生存戦略」「「脳が若い人」と「脳が老ける人」の習慣」 など
* [[大島清 (性科学者)|大島清]]
京都大学名誉教授
著書「性は生なり」「脳と性欲」など
* [[川島隆太]]
東北大学加齢医学研究所教授
著書「現代人のための脳鍛錬」「さらば脳ブー-ム」など
* [[木々高太郎]]
慶應義塾大学名誉教授
著書「頭のよくなる本 大脳生理学的管理法」など
* [[久保田競]]
京都大学名誉教授
著書「手と脳」「ランニングと脳」など
* [[酒井邦嘉]]
東京大学総合文化研究科教授
著書「言語の脳科学」など
* [[澤口俊之]]
武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部教授
著書「知性の脳構造と進化 精神の生物学序説」「わがままな脳」など
* [[品川嘉也]]
日本医科大学教授
著書「脳とコンピューター」「意識と脳」
* [[篠原菊紀]]
公立諏訪東京理科大学共通教育センター教授
著書「「すぐにやる脳」に変わる37の習慣」など
* [[高田明和]]
浜松医科大学名誉教授
著書「ストレスがもたらす病気のメカニズム」など
* [[高木貞敬]]
東京大学名誉教授
著書「記憶のメカニズム」「脳を育てる」など
* [[千葉康則]]
法政大学名誉教授
著書「記憶の大脳生理学」など
* [[柘植秀臣]]
日本精神医療センター脳研究所長
著書「ある脳研究者の履歴」「条件反射とはなにか」
* [[時実利彦]]
東京大学名誉教授
著作「脳の話」「脳と人間」など
* [[利根川進]]
マサチューセッツ工科大学教授
著書「私の脳科学講義」など
* [[苫米地英人]]
カーネギーメロン大学サイラブフェロー
著書「洗脳原論」など
* [[友田明美]]
福井大学子どものこころの発達研究センター教授
著書「子どもの脳を傷つける親たち」など
* [[中野信子]]
東日本国際大学特任教授
著書「世界で通用する人がいつもやっていること」「脳科学からみた「祈り」」など
* [[西剛志]]
東京工業大学大学院非常講師、武蔵野学院大学客員研究員
著書「あなたの世界をガラリと変える 認知バイアスの教科書」「80歳でも脳が老化しない人がやっていること」など
* [[正高信男]]
京都大学霊長類研究所教授
著作「音楽を愛でるサル」「ケータイを持ったサル」など
* [[茂木健一郎]]
ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員
著書「脳と仮想」「今、ここからすべての場所へ」など
* [[森昭雄]]
日本大学教授
著作「ゲーム脳の恐怖」など
}}
== 脚注 ==
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<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
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* [[神経細胞]](ニューロン)
* [[シナプス]]
* [[神経伝達物質]]
* [[生物学]]
* [[神経解剖学]]
* [[神経心理学]]
* [[認知科学]]
* [[心の理論]]
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*[[バズワード]]
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==外部リンク==
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1,239 | コンピュータ・アーキテクチャ | コンピュータ・アーキテクチャ(英: computer architecture)は、コンピュータ(特にハードウェア)における基本設計や設計思想などを意味する。アーキテクチャ(建築)には、単に「建築物」以外に、設計や様式という意味があるが、それから転じて、コンピュータ分野においても使われるようになった。「設計思想」などと意訳されることもある。技術者や研究者の用語としては(企業ごとの用語の違いにもよるが)「方式」という語が使われることもある。
1964年のSystem/360で最初に使われた用語で、その際の意味としては、入出力インタフェースを含むコンピュータシステムのハードウェア全体(周辺機器自体は含まない)の、ユーザー(プログラマ、オペレーティングシステム (OS) を設計するプログラマも含む)から見たインタフェースの定義であり、具体的には使用できるレジスタの構成、命令セット、入出力(チャネルコントロールワード)などであり、実装は含まない。このアーキテクチャが同一のコンピュータ間や、上位互換のアーキテクチャを持つコンピュータへの移行や、上位互換の周辺機器への移行などは、ソフトウェアの互換性が原則として保証される。またハードウェアの内部設計や実装は、定義されたアーキテクチャを守る限り、技術の進歩に応じて自由に更新できる。この結果、コンピュータ・ファミリー(シリーズ)が形成可能となる。現在で言えばレイヤー定義であり仮想化の一種でもある。
また、システムアーキテクチャ、エンタープライズアーキテクチャ、ソフトウェアアーキテクチャ、ARMアーキテクチャなどの用語も増えている。
コンピュータ・アーキテクチャは少なくとも次の3つに分類される。
前者2つはプロセッサのアーキテクチャである。システム設計は、コンピュータにおけるプロセッサ以外についても含む。もともとのSystem/360の「厳密に定義された」アーキテクチャには、だいたい、ISAが含まれマイクロアーキテクチャが含まれず、システム設計のいくらかに相当するものが含まれるが、これは当時の大型コンピュータと現在のマイクロプロセッサベースのコンピュータとの、実装技術の変化やビジネスモデルの変化などのためによる、コンピュータ(周辺機器を含む)全体のレイヤの分けかたなどの構成法の変化などによる。
プロセッサ(CPU)設計(CPU設計)における、アーキテクチャの観点からの工程を説明する。
ISAとマイクロアーキテクチャが決定されると、実際のハードウェアが設計される。この設計工程を一般に「実装」と呼ぶ。実装はアーキテクチャ定義には通常含まれず、ハードウェア設計に含まれる。
実装はさらに以下の3段階に分けられる。
プロセッサだけではなく、コンピュータシステム全体の設計とアーキテクチャについて述べる。
コンピュータの設計においては、制約条件と目標を考慮して、どの部分を最適化するかを決定する。コンピュータ・アーキテクチャは一般に、標準規格、コスト、メモリ容量、レイテンシ、スループットなどのトレードオフで決まる。場合によっては、機能、大きさ、重さ、信頼性、拡張性、電力消費量といった要素も考慮される。
典型的な手法としては、どのボトルネックが最も性能を悪化させるかを注意深く見極める。理想的には、コンピュータの各部の性能向上とそれにかかるコストが比例すると考えられ、コストのかかる部品が全体の性能を決定すると考えられる。
一般に、システム要件や市場の状況によって設計前に製造コストが決定される。
コンピュータの性能は、クロック周波数(MHz や GHz)でよく表される。これはCPUのクロックが一秒間に何サイクルであるかを示したものである。しかし、クロック周波数の高いマシンが必ずしも性能が高いとは言えない。近年ではクロックの高速化は頭打ちになりつつあり、製造業者は別の指標で性能を示すようになりつつある。プロセッサが搭載するキャッシュ容量で性能を示すという手法もある。クロック周波数が自動車の最高速度だとすれば、キャッシュ容量は車線の数に対応する。自動車がどんなに速くても、渋滞になれば速く走ることはできない。CPUが高速動作でき、キャッシュが多ければ、プロセッサは実際に高速に動作できる。
最近のCPUはスーパースケーラ方式で1クロックサイクルで複数の命令を実行できる。これにより、プログラム実行性能は大幅に改善された。他にも性能に影響する要素として、実行ユニットとしてどういうものを何個持つか、バスの速度、利用可能なメモリ容量、プログラムとして実行しようとする命令の種類と順序などがある。
速度を考える際に、レイテンシとスループットが重要である。レイテンシとは、ある処理が開始してから完了するまでの時間である。スループットは単位時間当たりに処理できる仕事の量である。割り込みレイテンシとは、ハードウェアのイベント(例えば、ディスクドライブの読み書きの完了)通知(割り込み)に対して、システムが応答するのにかかる時間である。性能は設計上の様々な選択によって影響される。例えば、キャッシュメモリを追加するとレイテンシは悪化するが、スループットは向上する。制御用のコンピュータでは、割り込みレイテンシの短縮が求められる。そのようなコンピュータはリアルタイム環境で運用され、所定の時間以内に処理が行われないと問題が発生する。例えばコンピュータ制御のアンチロックブレーキは、ブレーキが踏まれたら即座に制動をかけ始めなければならない。
コンピュータの性能は他の測定法によっても測定でき、用途によって様々な測定法がある。システムは用途によってボトルネックとなる部分が異なり、CPUバウンド(例えば数値計算など)、I/Oバウンド(Webサーバなど)、メモリバウンド(ビデオ編集など)に分けられる。サーバや携帯機器では電力消費量も重要な観点である。
ベンチマークは、一連の評価プログラムを実行し、それにかかる時間を計ることで、上述のあらゆる観点を考慮した性能を測定するものである。しかし、ベンチマークが役に立たない場合もある。ベンチマークが異なれば、示される性能も異なる。例えば、あるアプリケーションは高速に実行できても、別のアプリケーションでは遅いかもしれない。さらに、システム設計段階で、特定のベンチマークの結果向上のためにハードウェアやソフトウェアにそのベンチマークだけを高速化できる機能を加えることもある。この機能はそのベンチマークと類似のアプリケーションでは役に立たないことが多い。
電力消費は、最近のコンピュータ設計では重要性を増してきている。電力消費を抑えると、性能が低下したり、コストが増大したりすることが多い。チップの単位面積当たりのトランジスタ数が増大するにしたがって、電力効率が重要な観点となってきた。Intel Core 2 などの最近のプロセッサでは、電力効率の向上が重要な設計上の観点とされた。また、組み込み用プロセッサでは電力効率が性能と共に最重要観点となっている。
コンピュータ関連での「アーキテクチャ」という用語の使用は、1959年、IBMの研究所に所属していたライル・R・ジョンソンとフレデリック・ブルックスまで遡る。ジョンソンはStretchことIBM 7030について、研究報告を書いた。彼は、コンピュータについて詳細を省いてある水準の記述をしたものを、それまで使われていた「マシン構成」ではなく「システムアーキテクチャ」と称した。その後、Stretchの設計者の1人である ブルックスが、ある本で、「コンピュータ・アーキテクチャは他のアーキテクチャと同様、構造の利用者のニーズを決定する技法であり、それらニーズに合った経済的にも技術的にも可能な限り最適な設計を行うことである」と書いている。ブルックスは System/360 の開発でも大きな役割を果たし、そこで「アーキテクチャ」という用語は「ユーザーが知る必要のある詳細」という定義になっていった。その後、コンピュータ業界で「アーキテクチャ」という用語が様々に使われるようになった。
論文で初めて「アーキテクチャ」という用語が使われたのは、1964年の IBM System/360 に関するものであった。この論文ではアーキテクチャを「プログラマから見えるシステムの属性群。すなわち、概念的構造と機能的挙動であり、データフローや制御の構成、論理設計や物理的実装とは異なる」と定義した。この定義において、「プログラマ」から見たコンピュータの機能的挙動が鍵となっている。アーキテクチャに含まれる概念的構造は機能的挙動を理解するための補助的なものであり、ユースケースの範囲を拡大可能にする。
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] | コンピュータ・アーキテクチャは、コンピュータ(特にハードウェア)における基本設計や設計思想などを意味する。アーキテクチャ(建築)には、単に「建築物」以外に、設計や様式という意味があるが、それから転じて、コンピュータ分野においても使われるようになった。「設計思想」などと意訳されることもある。技術者や研究者の用語としては(企業ごとの用語の違いにもよるが)「方式」という語が使われることもある。 1964年のSystem/360で最初に使われた用語で、その際の意味としては、入出力インタフェースを含むコンピュータシステムのハードウェア全体(周辺機器自体は含まない)の、ユーザーから見たインタフェースの定義であり、具体的には使用できるレジスタの構成、命令セット、入出力(チャネルコントロールワード)などであり、実装は含まない。このアーキテクチャが同一のコンピュータ間や、上位互換のアーキテクチャを持つコンピュータへの移行や、上位互換の周辺機器への移行などは、ソフトウェアの互換性が原則として保証される。またハードウェアの内部設計や実装は、定義されたアーキテクチャを守る限り、技術の進歩に応じて自由に更新できる。この結果、コンピュータ・ファミリー(シリーズ)が形成可能となる。現在で言えばレイヤー定義であり仮想化の一種でもある。 また、システムアーキテクチャ、エンタープライズアーキテクチャ、ソフトウェアアーキテクチャ、ARMアーキテクチャなどの用語も増えている。 | {{参照方法|date=2021年9月}}
[[File:ABasicComputer.gif|リンク=https://en.wikipedia.org/wiki/File:ABasicComputer.gif|代替文=|サムネイル|481x481ピクセル|1プロセッサのCPUのコンピュータの基本的なアーキテクチャを表すブロックダイアグラム。黒い線はデータフローを表し、赤い線は制御フローを表す。矢印はフローの流れを示している。]]
'''コンピュータ・アーキテクチャ'''({{lang-en-short|computer architecture}})は、[[コンピュータ]](特に[[ハードウェア]])における基本設計や設計思想などを意味する。[[アーキテクチャ]]([[建築]])には、単に「建築物」以外に、[[設計]]や様式という意味があるが、それから転じて、コンピュータ分野においても使われるようになった。「設計思想」などと意訳されることもある<ref>{{Cite book |和書 |author=橋本昌嗣 |title=コンピュータは私たちをどう進化させるのか: 必要な情報技術がわかる8つの授業 |url=https://books.google.co.jp/books?id=ATPMDQAAQBAJ&pg=PP7 |date=2016-12-08 |publisher=株式会社ポプラ社 |language=ja |isbn=978-4-591-15285-0 |page=7}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=玉田俊平太 |title=日本のイノベーションのジレンマ 第2版 破壊的イノベーターになるための7つのステップ |url={{Google books|qCj4DwAAQBAJ|日本のイノベーションのジレンマ 第2版 破壊的イノベーターになるための7つのステップ|page=67|plainurl=yes}} |date=2020-08-25 |publisher=翔泳社 |language=ja |isbn=978-4-7981-6638-4 |page=67}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=最上千佳子 |title=ITIL 4の教本 ベストプラクティスで学ぶサービスマネジメントの教科書 |url={{Google books|oiNlEAAAQBAJ|ITIL 4の教本 ベストプラクティスで学ぶサービスマネジメントの教科書|page=PT266|plainurl=yes}} |date=2022-03-16 |publisher=翔泳社 |language=ja |isbn=978-4-7981-7421-1 |page=226}}</ref>。技術者や研究者の用語としては(企業ごとの用語の違いにもよるが)「方式」という語が使われることもある。
1964年の[[System/360]]で最初に使われた用語で、その際の意味としては、入出力[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]を含むコンピュータシステムのハードウェア全体([[周辺機器]]自体は含まない)の、ユーザー([[プログラマ]]、[[オペレーティングシステム]] (OS) を設計するプログラマも含む)から見た[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]の定義であり、具体的には使用できる[[レジスタ (コンピュータ)|レジスタ]]の構成、[[命令セット]]、[[入出力]](チャネルコントロールワード)などであり、実装は含まない。このアーキテクチャが同一のコンピュータ間や、[[上位互換]]のアーキテクチャを持つコンピュータへの移行や、[[上位互換]]の周辺機器への移行などは、[[ソフトウェア]]の互換性が原則として保証される。またハードウェアの内部設計や実装は、定義されたアーキテクチャを守る限り、技術の進歩に応じて自由に更新できる。この結果、コンピュータ・ファミリー(シリーズ)が形成可能となる。現在で言えば[[階層構造|レイヤー]]定義であり[[仮想化]]の一種でもある。
また、[[システムアーキテクチャ]]、[[エンタープライズアーキテクチャ]]、[[ソフトウェアアーキテクチャ]]、[[ARMアーキテクチャ]]などの用語も増えている。
== 分類 ==
コンピュータ・アーキテクチャは少なくとも次の3つに分類される<ref>{{cite book|author=John L. Hennessy and David A. Patterson|title=Computer Architecture: A Quantitative Approach|edition=Third Edition|publisher=Morgan Kaufmann Publishers, Inc|date=2003年|id=ISBN 1558605967}}</ref>。
; [[命令セット|命令セットアーキテクチャ]](ISA)
: [[機械語]](または[[アセンブリ言語]]プログラマ、ただしOSのそれも含む)から見た[[プロセッサ]]の抽象化されたイメージであり、[[命令セット]]、[[アドレッシングモード]]、[[レジスタ (コンピュータ)|レジスタ]]、アドレスとデータの形式などが含まれる。すなわち、プロセッサをソフトウェア側から見たときのインタフェース定義である。
; [[マイクロアーキテクチャ]]
: さらに下位でのより具体的なシステムに関する記述であり、ISAを実装するためにシステムの構成部品をどのように接続し、それらがどのように相互にやりとりするかを示す<ref>{{cite book|title=Dictionary of Computer Science, Engineering, and Technology|author=Phillip A. Laplante|date=2001年|publisher=CRC Press|id=ISBN 0849326915|pages=94–95}}</ref>。例えば、(内蔵の1次)[[キャッシュ (コンピュータシステム)|キャッシュ]]の大きさは、ISAには通常何の関係もないが、その下位レベルの実装においては重要な問題である。
; システム設計(システムアーキテクチャ)
: 他のコンピュータシステムのハードウェア全般に関するもの。以下のようなものが含まれる。
# [[バス (コンピュータ)|バス]]や[[クロスバースイッチ]]などのシステムのインターコネクト
# [[メモリコントローラ]]やメモリ階層
# [[Direct Memory Access|ダイレクト・メモリー・アクセス]] などのCPUオフロード機構
# [[マルチプロセッシング]]に関わる部分
# 複数のコンピュータによるシステム構成に関するもの([[コンピュータ・クラスター]]や[[NUMA]]アーキテクチャなど)
前者2つは[[プロセッサ]]のアーキテクチャである。システム設計は、コンピュータにおけるプロセッサ以外についても含む。もともとのSystem/360の「厳密に定義された」アーキテクチャには、だいたい、ISAが含まれマイクロアーキテクチャが含まれず、システム設計のいくらかに相当するものが含まれるが、これは当時の大型コンピュータと現在の[[マイクロプロセッサ]]ベースのコンピュータとの、実装技術の変化やビジネスモデルの変化などのためによる、コンピュータ(周辺機器を含む)全体のレイヤの分けかたなどの構成法の変化などによる。
== プロセッサのアーキテクチャと実装 ==
[[プロセッサ]]([[CPU]])設計([[CPU設計]])における、アーキテクチャの観点からの工程を説明する。
ISAとマイクロアーキテクチャが決定されると、実際の[[ハードウェア]]が設計される。この設計工程を一般に「実装」と呼ぶ。実装はアーキテクチャ定義には通常含まれず、ハードウェア設計に含まれる。
実装はさらに以下の3段階に分けられる。
* 論理実装/設計 - マイクロアーキテクチャで定義されたブロックを論理式あるいは[[論理回路|論理ゲートレベルの回路]]で表す。
* 回路実装/設計 - マイクロアーキテクチャ上のブロック(あるいはそれと等価な論理式)やその論理回路を[[トランジスタ]]レベルの[[デジタル回路]]で表す。
* 物理実装/設計 - 回路図に従い、チップ上の部品配置や基板上の部品配置、基板間の接続ルートなどを設計する。
== コンピュータ設計上の観点 ==
[[プロセッサ]]だけではなく、[[コンピュータ]]システム全体の設計とアーキテクチャについて述べる。
コンピュータの設計においては、制約条件と目標を考慮して、どの部分を最適化するかを決定する。コンピュータ・アーキテクチャは一般に、標準規格、コスト、メモリ容量、[[レイテンシ]]、[[スループット]]などのトレードオフで決まる。場合によっては、機能、大きさ、重さ、信頼性、拡張性、電力消費量といった要素も考慮される。
典型的な手法としては、どの[[ボトルネック]]が最も性能を悪化させるかを注意深く見極める。理想的には、コンピュータの各部の性能向上とそれにかかるコストが比例すると考えられ、コストのかかる部品が全体の性能を決定すると考えられる。
=== コスト ===
一般に、システム要件や市場の状況によって設計前に製造コストが決定される。
=== 性能 ===
コンピュータの性能は、クロック周波数(MHz や GHz)でよく表される。これはCPUのクロックが一秒間に何サイクルであるかを示したものである。しかし、クロック周波数の高いマシンが必ずしも性能が高いとは言えない。近年ではクロックの高速化は頭打ちになりつつあり、製造業者は別の指標で性能を示すようになりつつある。プロセッサが搭載するキャッシュ容量で性能を示すという手法もある。クロック周波数が自動車の最高速度だとすれば、キャッシュ容量は車線の数に対応する。自動車がどんなに速くても、渋滞になれば速く走ることはできない。CPUが高速動作でき、キャッシュが多ければ、プロセッサは実際に高速に動作できる。
最近のCPUは[[スーパースケーラ]]方式で1クロックサイクルで複数の命令を実行できる。これにより、プログラム実行性能は大幅に改善された。他にも性能に影響する要素として、[[実行ユニット]]としてどういうものを何個持つか、[[バス (コンピュータ)|バス]]の速度、利用可能なメモリ容量、プログラムとして実行しようとする命令の種類と順序などがある。
速度を考える際に、[[レイテンシ]]と[[スループット]]が重要である。レイテンシとは、ある処理が開始してから完了するまでの時間である。スループットは単位時間当たりに処理できる仕事の量である。割り込みレイテンシとは、ハードウェアのイベント(例えば、ディスクドライブの読み書きの完了)通知([[割り込み (コンピュータ)|割り込み]])に対して、システムが応答するのにかかる時間である。性能は設計上の様々な選択によって影響される。例えば、[[キャッシュメモリ]]を追加するとレイテンシは悪化するが、スループットは向上する。制御用のコンピュータでは、割り込みレイテンシの短縮が求められる。そのようなコンピュータは[[リアルタイムシステム|リアルタイム]]環境で運用され、所定の時間以内に処理が行われないと問題が発生する。例えばコンピュータ制御のアンチロックブレーキは、ブレーキが踏まれたら即座に制動をかけ始めなければならない。
コンピュータの性能は他の測定法によっても測定でき、用途によって様々な測定法がある。システムは用途によってボトルネックとなる部分が異なり、CPUバウンド(例えば数値計算など)、I/Oバウンド(Webサーバなど)、メモリバウンド(ビデオ編集など)に分けられる。サーバや携帯機器では電力消費量も重要な観点である。
[[ベンチマーク]]は、一連の評価プログラムを実行し、それにかかる時間を計ることで、上述のあらゆる観点を考慮した性能を測定するものである。しかし、ベンチマークが役に立たない場合もある。ベンチマークが異なれば、示される性能も異なる。例えば、あるアプリケーションは高速に実行できても、別のアプリケーションでは遅いかもしれない。さらに、システム設計段階で、特定のベンチマークの結果向上のためにハードウェアやソフトウェアにそのベンチマークだけを高速化できる機能を加えることもある。この機能はそのベンチマークと類似のアプリケーションでは役に立たないことが多い。
=== 電力消費 ===
電力消費は、最近のコンピュータ設計では重要性を増してきている。電力消費を抑えると、性能が低下したり、コストが増大したりすることが多い。チップの単位面積当たりのトランジスタ数が増大するにしたがって、電力効率が重要な観点となってきた。[[Intel Core 2]] などの最近のプロセッサでは、電力効率の向上が重要な設計上の観点とされた。また、組み込み用プロセッサでは電力効率が性能と共に最重要観点となっている。
== 歴史的観点 ==
コンピュータ関連での「アーキテクチャ」という用語の使用は、1959年、[[IBM]]の研究所に所属していたライル・R・ジョンソン<ref group="注釈">{{lang-en-short|Lyle R. Johnson}}</ref>と[[フレデリック・ブルックス]]まで遡る。ジョンソンはStretchこと[[IBM 7030]]について、研究報告を書いた。彼は、コンピュータについて詳細を省いてある水準の記述をしたものを、それまで使われていた「マシン構成」<ref group="注釈">{{lang-en-short|machine organization}}</ref>ではなく「システムアーキテクチャ」<ref group="注釈">{{lang-en-short|system architecture}}</ref>と称した。その後、Stretchの設計者の1人である ブルックスが、ある本<ref>{{lang|en|Planning a Computer System: Project Stretch}}、1962年</ref>で、「コンピュータ・アーキテクチャは他のアーキテクチャと同様、構造の利用者のニーズを決定する技法であり、それらニーズに合った経済的にも技術的にも可能な限り最適な設計を行うことである」と書いている。ブルックスは [[System/360]] の開発でも大きな役割を果たし、そこで「アーキテクチャ」という用語は「ユーザーが知る必要のある詳細」という定義になっていった。その後、コンピュータ業界で「アーキテクチャ」という用語が様々に使われるようになった。
論文で初めて「アーキテクチャ」という用語が使われたのは、1964年の IBM System/360 に関するものであった<ref>G. M. Amdahl, G. A. Blaauw and F. P. Brooks Jr., [https://doi.org/10.1147/rd.441.0021 Architecture of the IBM System/360], IBM Journal of Research and Development, April 1964</ref>。この論文ではアーキテクチャを「プログラマから見えるシステムの属性群。すなわち、概念的構造と機能的挙動であり、データフローや制御の構成、論理設計や物理的実装とは異なる」と定義した。この定義において、「プログラマ」から見たコンピュータの機能的挙動が鍵となっている。アーキテクチャに含まれる概念的構造は機能的挙動を理解するための補助的なものであり、[[ユースケース]]の範囲を拡大可能にする。
プロセッサ内部の処理方法やメモリアクセス方法(マイクロアーキテクチャ)がコンピュータ・アーキテクチャとされるようになったのは、もっと後のことである。
== 各部分要素のアーキテクチャ ==
*[[命令セット]]アーキテクチャ<br/>[[RISC]]、[[CISC]]、[[VLIW]]、[[EPICアーキテクチャ]]
**(実装例)x86(IA-32)、PowerPC、SPARCなど。
*[[マイクロアーキテクチャ]]
**演算アーキテクチャ<br/>[[浮動小数点]]、[[演算装置]]、[[SIMD]]/[[MIMD]]、[[ベクトル演算]]ユニット([[ベクトル計算機]])
**CPU制御アーキテクチャ<br/>[[ワイヤードロジック]]、[[マイクロプログラム方式|マイクロプログラム]](マイクロアーキテクチャ)、[[実行ユニット]]、[[制御装置]]
**CPU高速化アーキテクチャ<br/>[[命令パイプライン|パイプライン]]、[[スーパースケーラ]]、[[アウト・オブ・オーダー実行]]、[[分岐予測]]、[[レジスタ・ウィンドウ]]、[[レジスタ・リネーミング]]、[[投機的実行]]
**CPUバスアーキテクチャ<br/>CPUバス(CPU内部バス、CPU外部バス《ピン》アーキテクチャ)、[[バス (コンピュータ)]]の項を参照。<スタブ>
**[[マルチプロセッサ]]アーキテクチャ<br/>[[対称型マルチプロセッサ]](SMP)、[[NUMA]](ASMP)、[[クロスバースイッチ]] <スタブ>
**[[ハードウェアマルチスレッディング|マルチスレッド]]アーキテクチャ<br/>[[ハードウェアマルチスレッディング#用語|ブロック型マルチスレッディング]]、[[バレルプロセッサ|インターリーブ型マルチスレッディング]]、[[同時マルチスレッディング]]
* システムアーキテクチャ
**制御アーキテクチャ<br/>[[割り込み (コンピュータ)|割り込み]]制御、[[入出力]]制御
**バスアーキテクチャ<br/>[[ハーバードアーキテクチャ]]、プログラム内蔵方式([[ノイマン型]]を含む)<br/>[[クロスバースイッチ]]<br/>システムバス、メモリバス、入出力バス。<br/>[[バス (コンピュータ)]]の項を参照。<スタブ>
***(実装例)ISA、PCI等の[[拡張バス]]アーキテクチャ。
**メモリアーキテクチャ<br/>[[キャッシュメモリ]]、[[仮想記憶]]、[[トランスレーション・ルックアサイド・バッファ|TLB]] <スタブ> -- [[メモリ]]
**ネットワークアーキテクチャ<br/><スタブ> -- [[コンピュータネットワーク]]
**[[オペレーティングシステム]]アーキテクチャ<br/>[[ページング方式]]アーキテクチャ。<スタブ>
**[[分散処理アーキテクチャー]]
== 注釈 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Notelist}}
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* [http://portal.acm.org/toc.cfm?id=SERIES416&type=series&coll=GUIDE&dl=GUIDE&CFID=41492512&CFTOKEN=82922478 ISCA: Proceedings of the International Symposium on Computer Architecture]
* [http://www.microarch.org/ Micro: IEEE/ACM International Symposium on Microarchitecture]
* [http://www.hpcaconf.org/ HPCA: International Symposium on High Performance Computer Architecture]
* [http://portal.acm.org/toc.cfm?id=SERIES311&type=series&coll=GUIDE&dl=GUIDE&CFID=41492415&CFTOKEN=3676847 ASPLOS: International Conference on Architectural Support for Programming Languages and Operating Systems]
* [http://www.acm.org/tocs/ ACM Transactions on Computer Systems]
* [http://www.computer.org/ IEEE Computer Society]
* [http://www.mdronline.com/mpr/ Microprocessor Report]
* {{cite book |last= ヘネシー |first=ジョン |authorlink=ジョン・ヘネシー |coauthors=[[デイビッド・パターソン (計算機科学者)|デイビッド・パターソン]] |others= 富田眞治(他訳)|title=コンピュータ・アーキテクチャ ― 設計・実現・評価の定量的アプローチ |date=1994年 |publisher=日経BP社 |id=ISBN 4-8222-7152-8}}
* {{cite book |last= タネンバウム |first=アンドリュー |authorlink=アンドリュー・タネンバウム |others = 長尾高弘(他訳)|title=構造化コンピュータ構成 第4版 デジタルロジックからアセンブリ言語まで |date=2000年 |publisher=ピアソンエデュケーション |language=日本語 |id=ISBN 4894712245}}
=== 学習用の参考図書や文献 ===
* 高橋茂:「ハードウェア工学概論:計算機アーキテクチャと構成方式」、ISBN 978-4-320-08476-6([[1988年]]5月)。
* 高橋茂、工藤知宏:「計算機工学概論:計算機アーキテクチャと構成方式」、共立出版、ISBN 978-4320085275([[1993年]][[4月1日]])。
* 中沢喜三郎:「計算機アーキテクチャと構成方式」朝倉書店、ISBN 978-4254121001([[1995年]]11月)。
== 関連項目 ==
* [[ハードウェア]]
* [[ソフトウェアアーキテクチャ]]
* [[マイクロアーキテクチャ]]
== 外部リンク ==
* [http://www.cs.wisc.edu/~arch/www WWW Computer Architecture Page]
** [http://www.cs.wisc.edu/arch/www/people.html People in Computer Architecture]
* [http://trappist.elis.ugent.be/~hvdieren/escape/ ESCAPE] - コンピュータアーキテクチャ教育に利用可能なPC用シミュレーション環境
* [http://www.codeproject.com/useritems/System_Design.asp A Practical Approach to Computer Systems Design and Architecture]
* [http://www.csupomona.edu/~hnriley/www/VonN.html The von Neumann Architecture of Computer Systems]
* [http://weblearningplaza.jst.go.jp/cgi-bin/user/top.pl?next=lesson_list&type=simple&field_code=40&course_code=620 コンピュータアーキテクチャ](技術者Web学習システム)
* [https://news.mynavi.jp/techplus/article/computer_architecture-1/ コンピュータアーキテクチャの話 第1回(マイナビ連載記事)]
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1,240 | 世界の放送方式 | 世界の放送方式(せかいのほうそうほうしき) 高精細度テレビジョン放送(HDTV:High Definition Television)に対して従来のテレビ放送の画質は標準テレビジョン放送(SDTV:Standard Definition Television)とも言われ、ここでは主に標準テレビに分類される方式について記述している。
アナログのカラーテレビ放送方式には大別してNTSC、PAL、SECAMの3方式がある。
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高精細度テレビジョン放送に対して従来のテレビ放送の画質は標準テレビジョン放送とも言われ、ここでは主に標準テレビに分類される方式について記述している。 | '''世界の放送方式'''(せかいのほうそうほうしき)
[[高精細度テレビジョン放送]](HDTV:''High Definition Television'')に対して従来の[[テレビ]]放送の画質は[[標準テレビジョン放送]]([[SDTV]]:''Standard Definition Television'')とも言われ、ここでは主に標準テレビに分類される方式について記述している。
==アナログのカラーテレビ放送方式==
{{Dablink|「'''地上アナログテレビジョン放送'''」「'''地上アナログテレビ放送'''」などはこの項目に[[Wikipedia:リダイレクト|転送]]されています。この項目では、世界的観点の説明を行っています。
* かつて日本の地上波で採用された[[アナログ放送|アナログテレビ]]方式については「[[NTSC]]」をご覧ください。
* 地上波放送一般の説明については「[[地上波#放送]]」をご覧ください。}}
[[Image:NTSC-PAL-SECAM.png|thumb|200px|緑{{color|green|■}}:[[NTSC]]<br>黄{{Color|yellow|■}}:[[PAL]]<br>橙{{Color|orange|■}}:[[SECAM]]]]
[[アナログ]]の[[カラーテレビ]]放送方式には大別して[[NTSC]]、[[PAL]]、[[SECAM]]の3方式がある。
* [[NTSC]]では、1秒あたり約30枚(≒秒間29.97[[コマ (映画・漫画)|フレーム]]<ref group="注">正確には<math>30/1.001=29.\dot{9}7002\dot{9}</math>フレームであり[[分数]]や[[循環小数]]を用いないと正確に表現出来ないのだが、慣例的に29.97フレームや29.970フレーム等と表記されている。</ref>)の映像を525本の[[走査線]]に分割して放送する。[[白黒テレビ]]との互換性が高い。開発した[[アメリカ合衆国|アメリカ]]を中心に、[[日本]]・[[大韓民国|韓国]]・[[中華民国|台湾]]。[[フィリピン]]・[[ラテンアメリカ|中南米]](主にブラジルを除く)などで採用されている。
* [[PAL]]では、1秒あたり25枚の映像を625本の[[走査線]]に分割して放送する。NTSCと同様に、白黒テレビとの互換性が高いが、機構は複雑である。開発した[[西ドイツ]](当時、現・[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]])を中心に、[[イギリス]]等の[[西ヨーロッパ]]、[[東南アジア諸国連合|ASEAN]]諸国の大部分、[[中東]]の大部分、[[アフリカ]]の一部、[[ブラジル]]、[[オーストラリア]]などで採用されている。日本でも、世界向けテレビ[[国際放送]]の[[NHKワールドTV]]で、NTSC方式と共にPAL方式も併用採用している。
* [[SECAM]]は、1秒あたり25枚の映像を625本の[[走査線]]に分割して放送する。白黒テレビとの互換性は低いが、機構は単純である。開発した[[フランス]]を中心に、[[ロシア]]・[[東ヨーロッパ]]の大部分、旧[[フランス植民地帝国|フランス植民地]]を中心としたアフリカ諸国、[[中東]]の一部などで採用されている。
1秒当たりの[[画面]]{{要曖昧さ回避|date=2023年6月}}の更新回数である前述のコマ数は、開発した国家の[[交流]]の[[電源周波数]]が深く関わっている。
==デジタルの地上波テレビ放送方式==
{{See|地上デジタルテレビ放送}}
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
==関連項目==
*[[標準テレビジョン放送]](SDTV)
*[[高精細度テレビジョン放送]](HDTV)
*[[ハイビジョン]](HDTV)
*[[クリアビジョン]](EDTV)
*[[ワイドクリアビジョン]](EDTV-II)
*[[衛星放送]]
*[[リージョンコード]]
*[[デジタルテレビ放送]]
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[[Category:テレビ]] | 2003-02-13T08:32:45Z | 2023-08-25T00:31:50Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%94%BE%E9%80%81%E6%96%B9%E5%BC%8F |
1,241 | 脳機能イメージング | 脳機能イメージング(のうきのうイメージング)とは、生きている脳内の各部の生理学的な活性(機能)を様々な方法で測定し、それを画像化すること、あるいはそれに用いられる技術。脳で行われる様々な精神活動において、脳内の各部位がどのような機能を担っているのかを結びづける研究資料になる。また、正常の状態と比べることで、脳の病気の診断にも用いることができる。
脳の構造を画像化することは、診断や研究のために比較的古くから行われていたが、機能的な状態を画像化する試みは1980年代になって行われるようになった。
脳血流動態を観察する方法として、機能的磁気共鳴画像法 (fMRI)や、ポジトロン断層法 (PET) 、近赤外線分光法 (NIRS) 、内因性光計測法 (ISOI)などがある。また神経細胞の電気活動を可視化する方法として脳電図 (脳波)、脳磁図 (MEG)、膜電位感受性色素イメージング法 (VSDI)などがある。 | [
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{{出典の明記|date=2018年11月25日 (日) 10:55 (UTC)}}
'''脳機能イメージング'''(のうきのうイメージング)とは、生きている[[脳]]内の各部の[[生理学]]的な活性([[機能]])を様々な方法で測定し、それを[[画像]]化すること、あるいはそれに用いられる技術。脳で行われる様々な精神活動において、脳内の各部位がどのような機能を担っているのかを結びづける[[研究]]資料になる。また、正常の状態と比べることで、脳の[[病気]]の診断にも用いることができる。
脳の構造を画像化することは、[[診断]]や[[研究]]のために比較的古くから行われていたが、機能的な状態を画像化する試みは[[1980年代]]になって行われるようになった。
脳血流動態を観察する方法として、機能的磁気共鳴画像法 ([[fMRI]])や、[[ポジトロン断層法]] (PET) 、[[近赤外線分光法]] (NIRS) 、[[内因性光計測法]] (ISOI)などがある。また神経細胞の電気活動を[[可視化]]する方法として脳電図 ([[脳波]])、[[脳磁図]] (MEG)、膜電位感受性色素イメージング法 (VSDI)などがある。
== 関連項目 ==
* [[脳]] - [[大脳皮質]] - [[神経細胞]]
* [[脳科学]] - [[脳神経外科学]] - [[解剖学]]
* [[脳機能局在論]] - [[脳機能マッピング]] - '''脳機能イメージング'''
* [[脳の大規模ネットワーク]]
* [[膜電位感受性色素]] (voltage-sensitive dye)
== 外部リンク ==
{{Spedia|Functional_Imaging|Functional Imaging}}
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[[Category:脳]]
[[Category:画像処理]]
[[Category:認知神経科学]] | 2003-02-13T08:33:36Z | 2023-08-25T13:32:40Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B3%E6%A9%9F%E8%83%BD%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%82%B0 |
1,242 | 2月14日 | 2月14日(にがつじゅうよっか、にがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から45日目にあたり、年末まであと320日(閏年では321日)ある。 | [
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'''2月14日'''(にがつじゅうよっか、にがつじゅうよんにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から45日目にあたり、年末まであと320日([[閏年]]では321日)ある。
== できごと ==
* [[269年]]、[[270年]] - [[ウァレンティヌス]]が[[ローマ皇帝一覧|ローマ皇帝]][[クラウディウス・ゴティクス]]によって処刑されたと主張される日。初期の記録では270年2月14日。270年1月にクラウディウス2世は死亡している。
* [[842年]] - [[ストラスブールの誓い]]。[[西フランク王国|西フランク]]王[[シャルル2世 (西フランク王)|シャルル2世]]と[[東フランク王国|東フランク]]王[[ルートヴィヒ2世 (東フランク王)|ルートヴィヒ2世]]が長兄[[ロタール1世 (フランク王)|ロタール1世]]に対抗するために協力することを誓約。
* [[1076年]] - [[叙任権闘争]]: [[教皇]][[グレゴリウス7世 (ローマ教皇)|グレゴリウス7世]]が[[神聖ローマ皇帝]][[ハインリヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ハインリヒ4世]]を[[破門]]。
* [[1576年]]([[天正]]4年[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]) - [[丹波国]][[黒井城]]を包囲していた[[明智光秀]]軍が、[[波多野秀治]]兄弟の裏切りに遭い敗退。([[黒井城の戦い#第一次黒井城の戦い|第一次黒井城の戦い]])
* [[1715年]]([[正徳 (日本)|正徳]]5年[[1月11日 (旧暦)|1月11日]]) - [[江戸幕府]]が[[海舶互市新例]]を制定。
* [[1779年]] - [[ジェームズ・クック|キャプテン・クック]]が太平洋探検の第3回航海中に[[ハワイ]]で先住民とのいさかいによって落命。
* [[1797年]] - [[フランス革命戦争]]:[[サン・ビセンテ岬の海戦]]。
* [[1859年]] - [[オレゴン準州]]の一部が州に昇格し、アメリカ合衆国33番目の州・[[オレゴン州]]となる。
* [[1876年]] - [[アレクサンダー・グラハム・ベル|グラハム・ベル]]が[[電話]]の特許を出願。
* [[1879年]] - [[ペルー]]・[[ボリビア]]と[[チリ]]の間で[[太平洋戦争 (1879年-1884年)|太平洋戦争]]が勃発。
* [[1880年]] - 太政官布達に基づき[[奈良公園]]が開設<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.pref.nara.jp/park/1001.htm |title=奈良公園の歴史|History |access-date=24 Aug 2023 |publisher=奈良公園}}</ref>。開園後は拡張を続け、500ha超の面積を有する日本最大の都市公園に発展。
* [[1900年]] - [[ボーア戦争|第2次ボーア戦争]]: 2万のイギリス軍が駐屯軍救出のため[[オレンジ自由国]]に侵攻。
* [[1903年]] - [[アメリカ合衆国商務労働省]]([[アメリカ合衆国商務省|商務省]]の前身)設置。
* [[1908年]] - [[長野県]]の[[諏訪湖]]で日本初のスケート競技大会「諏訪湖一周氷滑競争大会」が開催される<ref>{{Cite web|和書|url=https://shinshu-style.com/suwako-region/town-shimosuwa/shimosuwa-skate/ |title=【知られざる信州】下諏訪は、下駄スケート発祥の地&カーリング発祥の地 |access-date=24 Aug 2023 |publisher=信州STYLE}}</ref>。
* [[1912年]] - [[アリゾナ準州]]が州に昇格し、アメリカ合衆国48番目の州・[[アリゾナ州]]となる。
* [[1914年]] - [[東京海上日動火災保険|東京海上保険]]が日本初の[[自動車保険]]の営業認可を取得。
* [[1917年]] - 『[[主婦の友社|主婦の友]]』創刊<ref>{{Cite web|和書|url=https://books.shufunotomo.co.jp/news/n18328.html |title=「主婦の友」1100冊のアーカイブからひもとくニッポンの主婦と暮らしの100年 |access-date=5 Apr 2023 |publisher=[[主婦の友社]] |date=2 Mar 2017}}</ref>。
* [[1918年]] - [[ソビエト連邦]]で[[グレゴリオ暦]]を導入。[[ユリウス暦]]1月31日の翌日が2月14日になる。
* [[1919年]] - [[ポーランド・ソビエト戦争]]が開戦。
* [[1920年]] - [[第1回東京箱根間往復大学駅伝競走|第1回箱根駅伝]]開催<ref>{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/850662 |title=「抜け道、近道もある」。〈第1回箱根駅伝〉はどんな大会だったのか。【スタートは2月14日、午後1時】 |access-date=24 Aug 2023 |publisher=[[文藝春秋]] |date=25 Nov 2021 |website=Number Web}}</ref>。
* [[1924年]] - The Computing-Tabulating-Recording Company (C-T-R) がInternational Business Machines Corporation ([[IBM]]) に社名変更。
* [[1926年]] - [[東京横浜電鉄]](現・[[東急電鉄]])が今の[[東急東横線]]に当たる多摩川園〜横浜を開業。
* [[1927年]] - [[滋賀県]][[米原市]]の[[伊吹山]]測候所で11m82cmの積雪。公的な観測地点で最も深く雪が積もった世界記録<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/488383 |title=雪の深さ11メートル超の世界記録、実は滋賀県に 「清水の舞台」匹敵の高さ、日本海の気流が影響 |access-date=24 Aug 2023 |publisher=[[京都新聞]] |date=15 Feb 2021}}</ref>。
* [[1929年]] - [[シカゴ]]で[[聖バレンタインデーの虐殺]]がおこる。
* [[1930年]] - 1927年に起きた霧島丸の遭難事故を契機に建造された大型練習帆船、[[海王丸 (初代)|海王丸]]が進水<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/29dfa553939c09bfc968b453fd37714e4e0e9dda |title=90年前の海難から生まれた帆船「日本丸」と帆船「海王丸」 |access-date=24 Aug 2023 |publisher=[[Yahoo! JAPAN]] |date=9 Mar 2017}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kaiwomaru.jp/park/ |title=学ぶ ①帆船 海王丸 |access-date=24 Aug 2023 |publisher=公益財団法人 伏木富山港・海王丸財団 |website=海王丸パーク}}</ref>。
* [[1937年]] - [[青森県]]の太平洋沿岸に暴風雪。航行中の貨物船が次々と救難信号を伝える中で「小樽丸(1,464トン)」が沈没、36人が行方不明<ref>吹雪の津軽海峡で小樽丸が遭難『小樽新聞』(昭和12年2月15日)『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p686 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。
* [[1939年]] - [[ドイツ海軍 (国防軍)|ドイツ海軍]]の[[戦艦]]「[[ビスマルク (戦艦)|ビスマルク]]」が進水。
* [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[蘭印作戦]]: [[大日本帝国陸軍]][[挺進連隊|挺進第2連隊]]([[落下傘部隊]])が[[スマトラ島]][[パレンバン]]に奇襲攻撃を敢行。([[蘭印作戦#パレンバン空挺作戦|パレンバン空挺作戦]])
* [[1944年]] - [[丹後海陸交通]]設立。
* [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]、[[ブーゲンビル島]]における航空戦にて[[F4U (航空機)|F4Uコルセア]]を主力機とした連合軍航空部隊が大損害を受ける(米紙により[[1929年]]に起きたマフィアの抗争を引用し、「[[聖バレンタインデーの虐殺]]」と報じられる)
* [[1945年]] - [[近衛上奏文]]: [[近衛文麿]]が[[昭和天皇]]に早期の戦争終結を訴える[[上奏]]を行う<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20210811/k00/00m/040/094000c |title=常夏通信 その106 戦没者遺骨の戦後史(52)天皇が却下した即時講和論 |access-date=5 Apr 2023 |publisher=[[毎日新聞]] |date=12 Aug 2012}}</ref>。
* [[1946年]] - 世界最初のデジタル電子計算機[[ENIAC]]が公開。
* [[1950年]] - [[中ソ友好同盟相互援助条約]]調印。
* [[1951年]] - [[大宮競輪場]]で、降雪中止に伴い入場者らが騒乱状態になる。椅子の破壊や[[放火]]、警察官への暴行などで28名が逮捕<ref>「降雪中止で乱闘」『日本経済新聞』昭和26年2月15日</ref>。
* [[1952年]] - 第6回[[冬季オリンピック]]、[[オスロオリンピック|オスロ大会]]開催。[[2月25日]]まで。
* [[1953年]] - [[小勝多摩火工爆発事故]]。
* [[1956年]] - [[ソ連共産党第20回大会]]開会。最終日に[[ニキータ・フルシチョフ|フルシチョフ]]が[[スターリン批判]]を行う。
* 1956年 - [[財団法人]]日本文化放送協会から、[[文化放送|株式会社文化放送]]に放送局(現[[特定地上基幹放送局]])の免許が承継される。
* [[1958年]] - [[イラク]]と[[ヨルダン]]が合邦し[[アラブ連邦]]を結成。
* [[1961年]] - 103番目の元素、[[ローレンシウム]]が合成される。
* [[1963年]] - アメリカで静止通信衛星「[[シンコム]]1号」を打上げ。
* [[1967年]] - [[ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約]](トラテロルコ条約)に調印。
* [[1973年]] - [[為替レート]]・1[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]=308[[円 (通貨)|円]]の[[固定相場制]]から、[[変動相場制]]に移行。スタートは、1ドル=277円。
* 1973年 - 最後の[[移民|移民船]]・[[にっぽん丸]]が[[横浜港]]から出航。
* [[1984年]] - 松本智津夫([[麻原彰晃]])がオウム神仙の会(後の[[オウム真理教]])を設立。
* [[1989年]] - [[イラン]]の最高指導者[[アーヤトッラー・ホメイニー]]が『[[悪魔の詩]]』の著者[[サルマン・ラシュディ]]と発行に関わった者などに死刑を宣告。
* 1989年 - [[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]の最初の24機の衛星が軌道に投入される。
* [[1990年]] - [[ローリング・ストーンズ]]の初来日公演が[[東京都]][[文京区]]の[[東京ドーム]]からスタート。
* 1990年 - 無人宇宙探査機[[ボイジャー1号]]が、[[太陽系]]の全ての惑星を写した連続写真(通称「[[太陽系家族写真]](ファミリーポートレート)」)を撮影。
* [[1992年]] - [[東村山警察署旭が丘派出所警察官殺害事件]]が発生。[[警視庁]][[東村山警察署]]の旭が丘[[派出所]](現:旭が丘[[交番]])で[[巡査長]]が刺殺された(2007年に[[公訴時効]]が成立し[[未解決事件]]に)。
* [[1996年]] - [[羽生善治]]が史上初の[[将棋]]の[[タイトル (将棋)|タイトル]]七冠独占を達成。
* 1996年 - {{仮リンク|インテルサット708衛星|en|Intelsat 708}}を搭載した中華人民共和国のロケット「[[長征3号B]]」が打ち上げに失敗。打ち上げ直後に村に墜落し、多数の村人が死亡。(現地時間15日)
* [[1998年]] - 第18回[[冬季オリンピック]][[長野オリンピック|長野大会]][[エムウェーブ]]会場にて行われた[[スピードスケート]]女子500m競技で、[[岡崎朋美]]が銅メダルを獲得。
* [[2000年]] - NASAの小惑星探査機「[[NEARシューメーカー]]」が小惑星[[エロス (小惑星)|エロス]]の軌道に到着。[[小惑星]]とのランデブー飛行は史上初。
* [[2002年]] - [[アフガニスタン]]の[[アブドゥール・ラフマン (アフガニスタンの政治家)|アブドゥール・ラフマン]]航空観光相が[[カブール国際空港]]で群衆に取り囲まれ撲殺される。
* [[2005年]] - {{仮リンク|ラフィーク・ハリーリー暗殺事件|en|Assassination of Rafic Hariri}}。
* [[2009年]] - [[財務大臣 (日本)|財務大臣]]兼[[金融担当大臣]]の[[中川昭一]]が、[[G7]]の[[財務大臣・中央銀行総裁会議]]終了後の酩酊状態で記者会見を行い、猛批判を浴びる。
* [[2011年]] - 東京地方裁判所で男女5人、違憲を争い選択的[[夫婦別姓]]を求める国家賠償を提訴する<ref>{{Cite web|和書|date=2011-02-14 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2785333 |title=「夫婦別姓認めないのは憲法違反」、男女5人が東京地裁に提訴 |work=AFPBB News |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=2023-02-11}}</ref>。
* [[2018年]] - [[マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校銃乱射事件]]が発生し、17人が死亡<ref>{{Cite web|和書|date=2018-02-16 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26983660W8A210C1CC1000/ |title=米乱射、計画殺人で訴追 発煙弾やガスマスク携行 |publisher=[[日本経済新聞社]] |accessdate=2023-02-11}}</ref>。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
[[File:Leon Battista Alberti.jpg|thumb|120px|[[レオン・バッティスタ・アルベルティ]](1404-1472)]]
[[File:Babur.jpg|thumb|120px|[[バーブル]](1483-1530)]]
[[File:Frederick Douglass.jpg|thumb|120px|[[フレデリック・ダグラス]](1818-1895)]]
[[File:Ueki Emori.jpg|thumb|120px|[[植木枝盛]](1857-1892)]]
[[File:Okakura Kakuzo Portrait c1905.png|thumb|120px|[[岡倉天心]](1863-1913)]]
[[File:Charles Thomson Rees Wilson at 1927 Solvay conference.jpg|thumb|120px|[[チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン|チャールズ・ウィルソン]](1869-1959)]]
[[File:AdornoHorkheimerHabermasbyJeremyJShapiro2.png|thumb|180px|[[マックス・ホルクハイマー]](1895-1973、左の人物)]]
[[File:Michael Bloomberg 2008 crop-alt.jpg|thumb|120px|[[マイケル・ブルームバーグ]](1942-)]]
* [[1404年]] - [[レオン・バッティスタ・アルベルティ]]、[[芸術家]]、[[詩人]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1472年]])
* [[1468年]] - [[ヨハネス・ヴェルナー]]、[[数学者]]、[[地理学者]](+ [[1522年]])
* [[1483年]] - [[バーブル]]、[[ムガル帝国]]初代皇帝(+ [[1530年]])
* [[1515年]] - [[フリードリヒ3世 (プファルツ選帝侯)|フリードリヒ3世]]、[[プファルツ選帝侯]](+ [[1576年]])
* [[1557年]] - [[マティアス (神聖ローマ皇帝)|マティアス]]、[[神聖ローマ皇帝]](+ [[1619年]])
* [[1602年]] - [[ピエトロ・フランチェスコ・カヴァッリ]]、[[作曲家]](+ [[1676年]])
* [[1723年]]([[享保]]8年[[1月10日 (旧暦)|1月10日]]) - [[片山北海]]、[[儒教|儒学者]]、[[漢詩|漢詩人]](+ [[1790年]])
* [[1763年]] - [[ジャン・ヴィクトル・マリー・モロー]]、[[軍人]](+ [[1813年]])
* [[1766年]] - [[トマス・ロバート・マルサス]]、[[経済学者]](+ [[1834年]])
* [[1813年]] - [[アレクサンドル・ダルゴムイシスキー]]、作曲家(+ [[1869年]])
* [[1818年]] - [[フレデリック・ダグラス]]、[[奴隷制度廃止運動|奴隷制度廃止運動家]](+ [[1895年]])
* [[1820年]]([[文政]]3年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[清水次郎長]]、[[幕末]]・[[明治時代|明治]]期の[[侠客]](+ [[1893年]])
* [[1823年]](文政6年[[1月4日 (旧暦)|1月4日]]) - [[板倉勝静]]、[[江戸幕府]][[老中]]、第7代[[備中国|備中]][[備中松山藩|松山藩]]主(+ [[1889年]])
* [[1824年]] - [[ウィンフィールド・スコット・ハンコック]]、軍人(+ [[1886年]])
* [[1832年]] - [[ウィリアム・スティンプソン]]、[[動物学者]](+ [[1872年]])
* [[1838年]]([[天保]]9年[[1月20日 (旧暦)|1月20日]]) - [[岡田以蔵]]、[[幕末|江戸時代末期]]の[[土佐藩]][[郷士]](+ [[1865年]])
* [[1839年]] - [[ヘルマン・ハンケル]]、[[数学者]](+ [[1873年]])
* [[1844年]]([[天保]]14年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]]) - [[片岡健吉]]、[[政治家]](+ [[1903年]])
* [[1848年]] - [[バンジャマン・バイヨー]]、[[天文学者]](+ [[1934年]])
* [[1855年]] - [[フセーヴォロド・ガルシン]]、[[小説家]](+ [[1888年]])
* [[1856年]]([[安政]]3年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]) - [[松村任三]]、[[植物学|植物学者]](+ [[1928年]])
* [[1857年]](安政4年[[1月20日 (旧暦)|1月20日]]) - [[植木枝盛]]、[[自由民権運動]]指導者、[[衆議院議員]](+ [[1892年]])
* [[1859年]] - [[ジョージ・ワシントン・ゲイル・フェリス・ジュニア]]、[[技師]]、[[観覧車]]の発明者(+ [[1896年]])
* [[1862年]] - [[アグネス・ポッケルス]]、[[化学者]](+ [[1935年]])
* [[1863年]]([[文久]]2年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]]) - [[岡倉天心]]、[[美術家]](+ [[1913年]])
* [[1864年]] - [[ロバート・E・パーク]]、[[社会学者]](+ [[1944年]])
* [[1866年]]([[慶応]]元年[[12月29日 (旧暦)|12月29日]]) - [[中村歌右衛門 (5代目)]]、[[歌舞伎俳優]](+ [[1940年]])
* [[1868年]](慶応4年[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]) - [[岡田啓介]]、第31代[[内閣総理大臣]](+ [[1952年]])
* [[1869年]] - [[チャールズ・トムソン・リーズ・ウィルソン|チャールズ・ウィルソン]]、[[物理学者]](+ [[1959年]])
* [[1875年]] - [[ジャンヌ・カルマン]]、[[長寿]]世界一の女性(+ [[1997年]])
* [[1877年]] - [[エトムント・ランダウ]]、[[数学者]](+ [[1938年]])
* [[1878年]] - [[広田弘毅]]、政治家、第32代[[内閣総理大臣]](+ [[1948年]])
* [[1880年]] - [[近藤朔風]]、[[翻訳家]](+ [[1915年]])
* [[1885年]] - [[吉田善吾]]、[[海軍軍人]](+ [[1966年]])
* [[1887年]] - [[青木正児]]、[[中国文学者]](+ [[1964年]])
* [[1888年]] - [[ロベルト・レーマク (数学者)|ロベルト・レーマク]]、数学者(+ [[1942年]])
* [[1893年]] - [[草川信]]、作曲家(+ [[1948年]])
* 1893年 - [[中川一政]]、[[洋画家]](+ [[1991年]])
* [[1894年]] - [[安倍源基]]、[[内務大臣 (日本)|内務大臣]](+ [[1989年]])
* 1894年 - [[ジャック・ベニー]]、[[コメディアン]]、[[ヴォードヴィリアン]]、[[俳優]](+ [[1974年]])
* [[1895年]] - [[マックス・ホルクハイマー]]、哲学者(+ [[1973年]])
* [[1896年]] - [[徳岡神泉]]、[[日本画家]](+ [[1972年]])
* 1896年 - [[エドワード・アーサー・ミルン]]、[[数学者]]、[[物理学者]] (+ [[1950年]])
* [[1898年]] - [[青木均一]]、[[実業家]](+ [[1976年]])
* 1898年 - [[フリッツ・ツビッキー]]、天文学者(+ [[1974年]])
* [[1899年]] - [[ロヴロ・フォン・マタチッチ]]、[[指揮者]](+ [[1985年]])
* [[1900年]] - [[中井正一]]、[[美学|美学者]]・評論家(+ [[1952年]])
* [[1905年]] - [[セルマ・リッター]]、女優(+ [[1969年]])
* 1905年 - [[岡良一]]、政治家、[[医学博士]](+ [[1994年]])
* [[1907年]] - [[陣出達朗]]、[[時代小説|時代小説家]](+ [[1986年]])
* 1907年 - [[ジョニー・ロングデン]]、[[騎手]](+ [[2003年]])
* [[1909年]] - [[斎藤史]]、[[歌人]](+ [[2002年]])
* 1909年 - [[関野克]]、[[建築史家]](+ [[2001年]])
* [[1912年]] - [[森川信]]、[[俳優]]、[[コメディアン]](+ [[1972年]])
* 1912年 - [[聶耳]]、作曲家(+ [[1935年]])
* 1912年 - [[チボル・セケリ]]、[[探検家]]、[[著作家]](+ [[1988年]])
* [[1913年]] - [[ジミー・ホッファ]]、[[労働組合]]指導者(+ [[1975年]]?)
* [[1914年]] - [[吉井良三]]、[[昆虫学|昆虫学者]](+ [[1999年]])
* [[1915年]] - [[小松崎茂]]、[[画家]]、[[イラストレーター]] (+ [[2001年]])
* [[1916年]] - [[小林正樹]]、[[映画監督]](+ [[1996年]])
* 1916年 - [[マルセル・ビジャール]]、[[軍人]] (+ [[2010年]])
* [[1917年]] - [[ハーバート・ハウプトマン]]、[[結晶]]学者(+ [[2011年]])
* [[1918年]] - [[有馬頼義]]、[[小説家]](+ [[1980年]])
* [[1919年]] - [[鮎川哲也]]、[[推理作家]](+ [[2002年]])
* [[1920年]] - [[大坂志郎]]、[[俳優]](+ [[1989年]])
* [[1922年]] - [[邦光史郎]]、[[作家]](+ [[1996年]])
* [[1923年]] - [[流政之]]、[[彫刻家]]、[[庭師|作庭家]](+ [[2018年]])
* [[1926年]] - [[粕谷茂]]、[[政治家]](+ [[2011年]])
* 1926年 - [[吉村光夫]]、[[アナウンサー]]、[[鉄道ファン|鉄道趣味者]](+ [[2011年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/01/05/kiji/K20110105Z00002860.html |title=「夕やけロンちゃん」の吉村光夫さん死去 |access-date=2023-02-11 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=2011-01-05 |website=Sponichi Annex}}</ref>)
* [[1927年]] - [[加藤精三 (声優)|加藤精三]]、[[声優]](+ [[2014年]])
* 1927年 - [[ニュウトン・メンドンサ]]、[[ボサノヴァ]][[ピアニスト]]、作曲家(+ [[1960年]])
* 1927年 - [[ロイス・マクスウェル]]、女優(+ [[2007年]])
* [[1928年]] - [[稲垣昭三]]、[[俳優]](+ [[2016年]])
* [[1929年]] - [[八城政基]]、[[経営者]]
* 1929年 - [[ヴィック・モロー]]、[[俳優]](+ [[1982年]])
* [[1931年]] - [[バーニー・ジョフリオン]]、[[アイスホッケー]]選手、指導者(+ [[2006年]])
* [[1932年]] - [[吉永祐介]]、元[[検事総長]](+ [[2013年]])
* 1932年 - [[アレクサンダー・クルーゲ]]、[[映画監督]]
* 1932年 - [[キャロル・ケネディ]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[2004年]])
* [[1933年]] - [[西岡京治]]、[[農業]]専門家、[[植物学|植物学者]](+ [[1992年]])
* 1933年 - [[岡野雅行 (会社社長)|岡野雅行]]、[[技術者]]、[[岡野工業]]社長
* 1933年 - [[アンドレイ・ヴォルコンスキー]]、作曲家、[[チェンバロ]]奏者(+ [[2008年]])
* [[1934年]] - [[岸野一彦]]、声優(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2156732/full/ |title=岸野一彦さん、急性心不全で死去 86歳 『キン肉マン』キン肉大王役など |access-date=2023-02-11 |publisher=[[オリコン|ORICON NEWS]] |date=2020-03-04}}</ref>)
* 1934年 - [[ミシェル・コルボ]]、[[指揮者]](+ [[2021年]])
* [[1935年]] - [[野村秋介]]、[[政治活動家]](+ [[1993年]])
* [[1936年]] - [[海野義雄]]、[[ヴァイオリニスト]]
* 1936年 - [[戸部松実]]、[[フランス文学者]]
* [[1937年]] - [[マジック・サム]]、[[ブルース]][[ギタリスト]]、[[歌手|シンガー]](+ [[1969年]])
* 1937年 - [[吉田勝彦]]、競馬実況アナウンサー
* [[1939年]] - [[ユージン・ファーマ]]、[[経済学者]]
* [[1940年]] - [[磯村みどり]]、女優
* [[1941年]] - [[田中光二]]、[[SF作家]]
* [[1942年]] - [[林与一]]、[[俳優]]
* 1942年 - [[マイケル・ブルームバーグ]]、実業家、[[ニューヨーク市長]]
* 1942年 - [[リカルド・ロドリゲス (レーサー)|リカルド・ロドリゲス]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(+ [[1962年]])
* 1942年 - [[阪本善尚]]、[[撮影監督]]
* 1942年 - [[佐伯泰英]]、[[小説家]]
* [[1943年]] - [[秋野太作]]、俳優
* 1943年 - [[五味陸仁]]、[[アナウンサー]]
* 1943年 - [[メイシオ・パーカー]]、[[ファンク]][[サクソフォーン|サックス]]奏者
* 1943年 - [[アーロン・ルッソ]]、[[映画プロデューサー]]、映画監督、[[政治活動家]](+ [[2007年]])
* [[1944年]] - [[ロニー・ピーターソン]]、[[レーシングドライバー]](+ [[1978年]])
* 1944年 - [[アラン・パーカー]]、[[映画監督]]
* 1944年 - [[カール・バーンスタイン]]、ジャーナリスト
* 1944年 - [[原田祐臣]]、[[ドラマー]]
* [[1945年]] - [[ハンス・アダム2世]]、[[リヒテンシュタイン]]の[[侯爵]]
* 1945年 - [[扇ひろこ]]、[[演歌歌手]]
* 1945年 - [[伊藤眞]]、[[法学者]]
* [[1946年]] - [[グレゴリー・ハインズ]]、俳優、[[ミュージシャン]](+ [[2003年]])
* 1946年 - [[鶴田忍 (俳優)|鶴田忍]]、俳優
* 1946年 - [[渡辺直子]]、[[歌手]]、[[タレント]]、アナウンサー
* 1946年 - [[安藤正俊]]、元サッカー選手(+ [[2008年]])
* [[1947年]] - [[ティム・バックリィ]]、[[シンガーソングライター]](+ [[1975年]])
* [[1948年]] - [[木原敏江]]、[[漫画家]]
* 1948年 - [[目野哲也]]、[[調教師]]、元騎手
* 1948年 - [[薩めぐみ]]、[[シャンソン]]歌手(+ [[2010年]])
* 1948年 - [[津田京子]]、女優(+ 2010年)
* [[1949年]] - [[原田糸子]]、女優、歌手
* 1949年 - [[郷力也]]、漫画家
* 1949年 - [[横田久]]、アナウンサー(+ [[2007年]])
* [[1951年]] - [[上村春樹]]、[[柔道]]選手
* 1951年 - [[ケビン・キーガン]]、元[[サッカー選手]]、指導者
* 1951年 - [[坂井千明]]、[[競馬評論家]]
* 1951年 - [[赤松愛]]、[[ミュージシャン]](元[[オックス]])
* [[1953年]] - [[鈴木キサブロー]]、[[作曲家]]
* 1953年 - [[海老名みどり]]、女優、[[エッセイスト]]
* 1953年 - [[ハンス・クランクル]]、サッカー選手、指導者
* [[1954年]] - [[田中公平]]、作曲家
* 1954年 - [[ウラジーミル・ドリンフェルト]]、数学者
* 1954年 - [[中川ひろたか]]、[[絵本作家]]、[[シンガーソングライター]]
* 1954年 - [[荒木田裕子]]、[[バレーボール選手一覧|バレーボール選手]]
* [[1955年]] - [[田口光久]]、元サッカー選手、指導者(+ [[2019年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/201911120001069.html |title=元代表GK田口光久さんが死去 「生ダラ」でも人気 |access-date=2023-02-11 |date=2019-11-12 |publisher=[[日刊スポーツ]]}}</ref>)
* 1955年 - [[細川周平]]、[[音楽学者]]
* 1955年 - [[重光昭夫]]、実業家
* 1955年 - [[一倉宏]]、[[コピーライター]]
* [[1957年]] - [[隆大介]]、俳優(+ [[2021年]])
* [[1958年]] - [[住友一哉]]、元[[プロ野球選手]]
* [[1959年]] - [[山田直毅]]、[[ミュージシャン]]
* 1959年 - [[姫井由美子]]、[[政治家]]
* 1959年 - [[ルネ・フレミング]]、[[ソプラノ歌手]]
* [[1960年]] - [[メグ・ティリー]]、女優
* 1960年 - [[ジム・ケリー]]、[[アメリカンフットボール]]選手
* [[1961年]] - [[佐伯順子]]、[[比較文学]]者
* [[1962年]] - [[大川豊]]、お笑いタレント、[[大川興業]][[総裁]]
* 1962年 - [[冷牟田竜之]]、ミュージシャン(元[[東京スカパラダイスオーケストラ]])
* [[1963年]] - [[松本晃彦]]、[[作曲家]]
* 1963年 - [[河内家菊水丸]]、弁舌家
* [[1964年]] - [[ジャンニ・ブーニョ]]、[[自転車競技]]選手
* 1964年 - [[ユーリー・ステパノフ (外交官)|ユーリー・ステパノフ]]、外交官
* [[1965年]] - [[ムーン・リー]]、女優
* [[1967年]] - [[鈴木卓爾]]、映画監督
* 1967年 - [[マルク・ルッテ]]、政治家、[[オランダの首相|オランダ首相]]
* 1967年 - [[マニュエラ・マレーバ]]、[[テニス選手一覧|テニス選手]]
* [[1968年]] - [[小和田貢平]]、[[声優]]
* [[1969年]] - [[マルシア]]、歌手、女優
* 1969年 - [[宮田かずこ]]、元女優
* 1969年 - [[二橋進一]]、俳優
* 1969年 - [[かわいさとみ]]、元[[グラビアアイドル]]、元[[AV女優]]
* 1969年 - [[一宮章一]]、[[プロレスラー]]
* [[1970年]] - [[斎藤隆 (野球)|斎藤隆]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[サイモン・ペッグ]]、[[コメディアン]]、俳優
* 1970年 - [[三原わかほ]]、女優
* [[1971年]] - [[井上将行]]、化学者、東京大学教授
* 1971年 - [[酒井法子]]、元歌手、女優
* 1971年 - [[平子理沙]]、[[ファッションモデル]]
* 1971年 - [[沢知恵]]、[[シンガーソングライター]]
* 1971年 - [[イズミカワソラ]]、歌手
* 1971年 - [[権藤俊輔]]、俳優
* 1971年 - [[安斎かなえ]]、漫画家
* 1971年 - [[胡兵]]、タレント
* 1971年 - [[トミー・ドリーマー]]、[[プロレスラー]]
* [[1972年]] - [[武双山正士]]、元[[大相撲]][[力士]]、年寄18代[[藤島 (相撲)|藤島]]
* 1972年 - [[ロブ・トーマス]]、ミュージシャン([[マッチボックス・トゥエンティ]])
* 1972年 - [[ナイワ・ニムリ]]、女優
* 1972年 - [[深浦康市]]、将棋棋士
* [[1973年]] - [[内田順子 (歌手)|内田順子]]、タレント、歌手
* 1973年 - [[松嶋あすか]]、アナウンサー
* 1973年 - [[佐藤有香]]、元[[フィギュアスケート]]選手、コーチ
* 1973年 - [[片桐澪]]、漫画家
* 1973年 - [[柳沼行]]、漫画家
* 1973年 - [[山口馬木也]]、俳優
* 1973年 - [[山田純大]]、俳優
* 1973年 - [[OZA]]、[[ミュージシャン]]、[[ギタリスト]]
* 1973年 - [[スティーブ・マクネア]]、アメリカンフットボール選手(+ [[2009年]])
* [[1974年]] - [[二階堂和美]]、シンガーソングライター
* 1974年 - [[フィリッパ・ジョルダーノ]]、歌手
* 1974年 - [[バレンチナ・ベッツァーリ]]、[[フェンシング]]選手
* [[1975年]] - [[鈴木浩子]]、元アナウンサー、元[[WWE]][[ディーヴァ (プロレス)|ディーヴァ]]
* 1975年 - [[加藤晃]]、アナウンサー
* 1975年 - [[高智政光]]、プロレスラー
* 1975年 - [[ダマソ・マルテ]]、元プロ野球選手
* [[1976年]] - [[リー・ラスムッセン]]、女優
* 1976年 - [[JUJU]]、[[シンガーソングライター]]
* [[1977年]] - [[冲方丁]]、[[小説家]]
* 1977年 - [[カデル・エヴァンス]]、[[自転車競技]]選手
* [[1978年]] - [[リチャード・ハミルトン]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]]
* 1978年 - [[和田拓也 (格闘家)|和田拓也]]、[[総合格闘家]]
* 1978年 - [[小川沙織]]、女優
* 1978年 - [[田上由希子]]、元声優
* [[1979年]] - [[永井雄一郎]]、サッカー選手
* 1979年 - [[山田久美子]]、元バスケットボール選手
* 1979年 - [[七草 (イラストレーター)|七草]]、[[イラストレーター]]
* 1979年 - [[こがけん]]、お笑いタレント
* [[1980年]] - [[山口紗弥加]]、女優
* 1980年 - UKI、歌手([[SHAKALABBITS]])
* 1980年 - [[信人]]、[[ミュージシャン]]([[UVERworld]])
* 1980年 - [[藤野可織]]、小説家
* [[1981年]] - [[浜田文子]]、元プロレスラー
* 1981年 - [[林真輝]]、元野球選手
* 1981年 - [[マッテオ・ブリーギ]]、元サッカー選手
* 1981年 - [[ランディ・ド・プニエ]]、[[オートバイ]]レーサー
* 1981年 - [[美奈斗]]、タレント、歌手
* 1981年 - [[山崎隆之]]、[[将棋棋士]]
* [[1983年]] - [[もう中学生]]、お笑いタレント
* 1983年 - [[中澤まさとも]]、声優
* 1983年 - [[脇崎智史]]、俳優
* 1983年 - [[芹川大毅]]、デザイナー
* 1983年 - [[バカリ・サニャ]]、サッカー選手
* [[1984年]] - [[石井智美]]、歌手
* 1984年 - [[木村雅]]、俳優
* 1984年 - [[後藤ユウミ]]、女優
* 1984年 - [[鈴木規郎]]、サッカー選手
* [[1985年]] - [[NATSUME]]、元タレント
* 1985年 - [[新保はる奈]]、女優
* 1985年 - [[大谷智久]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[フィリップ・センデロス]]、サッカー選手
* 1985年 - [[タイラー・クリッパード]]、プロ野球選手
* [[1986年]] - [[佐藤未歩]]、タレント
* 1986年 - [[蜂須賀ゆきこ]]、元タレント
* 1986年 - [[佳村はるか]]、声優
* 1986年 - [[トラビス・バンワート]]、プロ野球選手
* [[1987年]] - [[市川紗耶]]、[[ファッションモデル]]、タレント
* 1987年 - [[高森奈津美]]、声優
* 1987年 - [[廣瀬智紀]]、俳優
* 1987年 - [[福永あや]]、元AV女優
* 1987年 - [[ユーリヤ・サーヴィチェヴァ]]、歌手
* 1987年 - [[フェリックス・カラスコ]]、プロ野球選手
* 1987年 - [[エディンソン・カバーニ]]、サッカー選手
* [[1988年]] - [[綾瀬美音]]、AV女優
* 1988年 - [[ICHIKA]]、AV女優
* 1988年 - [[紫雷美央]]、元プロレスラー
* 1988年 - [[柴小聖]]、女優、タレント
* 1988年 - [[アンヘル・ディ・マリア]]、サッカー選手
* 1988年 - [[ヤホール・マイストロウ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* [[1989年]] - [[辻あずき]]、元AV女優
* 1989年 - [[西内ひろ]]、タレント
* 1989年 - [[ヤン・ハブレ]]、サッカー選手
* 1989年 - [[フアン・グラテロル]]、プロ野球選手
* [[1990年]] - [[三村紗枝]]、元AV女優、元グラビアアイドル
* 1990年 - [[佐藤永典]]、俳優
* 1990年 - [[大嶋匠]]、元プロ野球選手
* 1990年 - [[アンドレア・カルダレッリ]]、レーサー
* 1990年 - 淡路幸誠、お笑い芸人([[きつね (お笑いコンビ)|きつね]])
* [[1991年]] - [[神田あずみ]]、グラビアアイドル
* [[1992年]] - [[フレディ・ハイモア]]、俳優
* 1992年 - [[クリスティアン・エリクセン]]、サッカー選手
* 1992年 - [[菅原小春]]、[[ダンサー]]、[[振付師]]
* [[1993年]] - [[島本浩也]]、プロ野球選手
* 1993年 - [[はじめしゃちょー]]、[[YouTuber]]
* 1993年 - [[ジャデベオン・クラウニー]]、[[アメリカンフットボール]]選手
* 1993年 - [[新垣優香]]、グラビアアイドル
* [[1994年]] - [[茂木栄五郎]]、プロ野球選手
* 1994年 - [[土屋巴瑞季]]、ファッションモデル
* 1994年 - [[田原可南子]]、タレント
* 1994年 - [[武田伊央]]、[[RKB毎日放送]]アナウンサー
* [[1995年]] - [[高咲里音]]、女優
* 1995年 - [[加藤一華]]、女優、歌手、YouTuber
* [[1996年]] - [[丸尾玲寿里]]、アメリカンフットボール選手
* [[1997年]] - [[沖田愛加]]、キャスター、タレント
* 1997年 - [[汐野杏奈]]、声優
* 1997年 - [[ジェヒョン]]、アイドル([[NCT (音楽グループ)|NCT]])
* 1997年 - [[水瀬琴音]]、レースクイーン、グラビアモデル
* [[2000年]] - [[折下光輝]]、プロ野球選手
* [[2001年]] - [[太田椋]]、プロ野球選手
* 2001年 - [[坂原愛海]]、野球選手
* 2001年 - [[中﨑花音]]、歌手、女優、グラビアアイドル
* 2001年 - 御手洗菜々、[[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー
* [[2002年]] - [[吉居大和]]、陸上選手
* 2002年 - [[小野六花]]、AV女優
* [[2004年]] - 星乃まりな、アイドル(元[[STU48]])
* [[2007年]] - 正源司陽子、アイドル([[日向坂46]])
* 生年不詳 - [[くまがい杏子]]、漫画家
* 生年不明 - [[嵜本正和]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.wingwave.jp/talent/2010man/masakazu.html |title=嵜本正和(さきもとまさかず)(MASAKAZU SAKIMOTO) |publisher=[[ウィングウェーヴ|株式会社 ウィングウェーヴ]] |accessdate=2023-02-11}}</ref>、声優
* 生年不明 - [[天野七瑠]]、声優
* 生年不明 - [[青山美帆]]、声優
* 生年不明 - 有栖川レイカ、アイドル([[GEMS COMPANY]])、Vtuber
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1985年]] - [[ウイニングカラーズ]]、[[競走馬]](+ [[2008年]])
* [[1999年]] - [[オフィサー]]、競走馬
* [[2004年]] - [[アルナスライン]]、競走馬
* 2004年 - [[オーソライズド]]、競走馬
* 2004年 - [[クーヴェルチュール]]、競走馬
* [[2005年]] - [[アドマイヤコマンド]]、競走馬
* 2005年 - [[エフティマイア]]、競走馬
* [[2007年]] - [[アルカノ]]、競走馬
* [[2009年]] ‐ [[ハクサンムーン]]、競走馬
== 忌日 ==
* [[786年]]([[延暦]]5年[[1月7日 (旧暦)|1月7日]]) - [[坂上苅田麻呂]]、[[奈良時代]]の武人(* [[727年]])
* [[869年]] - [[キュリロス (スラヴの(亜)使徒)|キュリロス]]、[[修道士]]、[[神学者]](* [[827年]])
* [[1010年]]([[寛弘]]7年[[1月28日 (旧暦)|1月28日]]) - [[藤原伊周]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[974年]])
* [[1318年]] - [[マーガレット・オブ・フランス|マーガレット]]、[[エドワード1世 (イングランド王)|イングランド王エドワード1世]]の妃(* [[1282年]])
* [[1400年]] - [[リチャード2世 (イングランド王)|リチャード2世]]、[[イングランド王国|イングランド]]国王(* [[1367年]])
* [[1631年]]([[寛永]]8年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]]) - [[津軽信枚]]、第2代[[陸奥国|陸奥]][[弘前藩]]主(* [[1586年]])
* [[1638年]](寛永15年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[板倉重昌]]、[[島原の乱]]鎮圧の上使、[[三河国|三河]][[深溝藩]]主(* [[1588年]])
* [[1714年]] - [[マリア・ルイーザ・ディ・サヴォイア|マリア・ルイーザ]]、[[フェリペ5世 (スペイン王)|スペイン王フェリペ5世]]の妃(* [[1688年]])
* [[1741年]] - [[ヨハン・ヨーゼフ・フックス]]、演奏家、[[作曲家]](* [[1660年]])
* [[1744年]] - [[ジョン・ハドリー]]、天文学者(* [[1682年]])
* [[1779年]] - [[ジェームズ・クック]]、探検家(* [[1728年]])
* [[1780年]] - [[ウィリアム・ブラックストン]]、[[法学者]](* [[1723年]])
* [[1808年]] - [[ジョン・ディキンソン (政治家)|ジョン・ディキンソン]]、[[デラウェア州|デラウェア]]・[[ペンシルベニア州|ペンシルベニア邦知事]](* [[1734年]])
* [[1816年]] - [[ジャン・ポール・マルティーニ]]、作曲家(* [[1741年]])
* [[1891年]] - [[ウィリアム・シャーマン]]、[[南北戦争]]期の[[アメリカ陸軍]][[少将]](* [[1820年]])
* [[1929年]] - [[トーマス・バーク]]、[[陸上競技]]選手(* [[1875年]])
* [[1933年]] - [[カール・エーリヒ・コレンス]]、[[植物学|植物学者]]、[[遺伝学|遺伝学者]](* [[1864年]])
* [[1936年]] - [[アレクサンドル・グチコフ]]、[[ロシア帝国|ロシア]][[ドゥーマ]]議長、陸相、海相(* [[1862年]])
* [[1937年]] - [[エルッキ・メラルティン]]、作曲家(* 1875年)
* [[1943年]] - [[ダフィット・ヒルベルト]]、[[数学者]](* [[1862年]])
* [[1945年]] - [[甲賀三郎 (作家)|甲賀三郎]]、[[推理作家]](* [[1893年]])
* 1945年 - [[内田正練]]、[[水泳選手一覧|水泳選手]](* [[1898年]])
* [[1948年]] - [[モーデカイ・ブラウン]]、プロ野球選手(* [[1876年]])
* [[1950年]] - [[カール・ジャンスキー]]、[[電波天文学|電波天文学者]](* [[1905年]])
* [[1952年]] - [[モリス・デワール]]、[[自転車競技]]選手(* [[1896年]])
* [[1954年]] - [[相馬愛蔵]]、[[実業家]](* [[1870年]])
* [[1956年]] - [[三好英之]]、[[政治家]](* [[1885年]])
* [[1960年]] - [[木村昌福]]、海軍軍人(* [[1891年]])
* [[1962年]] - [[胡宗南]]、[[軍人]](* [[1896年]])
* [[1967年]] - [[山本周五郎]]、[[小説家]](* [[1903年]])
* 1967年 - [[三宅周太郎]]、演劇評論家(* [[1892年]])
* [[1969年]] - [[ヴィト・ジェノヴェーゼ]]、[[コーサ・ノストラ]]幹部(* [[1897年]])
* [[1975年]] - [[P・G・ウッドハウス]]、小説家(* [[1881年]])
* 1975年 - [[ジュリアン・ハクスリー]]、[[生物学者]](* [[1887年]])
* [[1978年]] - [[中村寅太]]、[[運輸大臣]](* [[1902年]])
* [[1983年]] - [[リナ・ラトケ]]、陸上競技選手(* [[1903年]])
* [[1986年]] - [[エドマンド・ラッブラ]]、作曲家(* [[1901年]])
* [[1987年]] - [[ドミトリー・カバレフスキー]]、作曲家(* [[1904年]])
* [[1994年]] - [[アンドレイ・チカチーロ]]、[[連続殺人|連続殺人犯]](* [[1936年]])
* 1989年 - [[ジェームズ・ボンド (鳥類学者)|ジェームズ・ボンド]]、[[鳥類学者]](+ 1900年)
* [[1995年]] - [[ウー・ヌ]]、初代[[ミャンマーの首相|ビルマ首相]](* [[1907年]])
* [[1997年]] - [[屋良朝苗]]、[[沖縄県知事一覧|沖縄県知事]](* [[1902年]])
* [[1999年]] - [[ジョン・アーリックマン]]、米大統領[[リチャード・ニクソン]]の顧問(* [[1925年]])
* [[2001年]] - [[坂原愛海]]、野球選手
* [[2002年]] - [[ギュンター・ヴァント]]、[[指揮者]](* [[1912年]])
* 2002年 - [[ヒデクチ・ナーンドル]]、元[[サッカー]]選手、指導者(* [[1922年]])
* [[2003年]] - [[ジョニー・ロングデン]]、[[競馬]][[騎手]](* [[1907年]])
* [[2004年]] - [[ホアキン・ニン=クルメル]]、[[作曲家]](* [[1908年]])
* 2004年 - [[マルコ・パンターニ]]、[[自転車競技]]選手(* [[1970年]])
* [[2005年]] - [[淀井敏夫]]、[[彫刻家]](* [[1911年]])
* 2005年 - [[高木文雄]]、[[日本国有鉄道|国鉄]][[総裁]](* [[1919年]])
* 2005年 - [[ラフィーク・ハリーリー]]、[[レバノンの首相]](* [[1944年]])
* [[2008年]] - [[川田侃]]、[[経済学者]](* [[1925年]])
* [[2010年]] - [[ディック・フランシス]]、推理作家、元[[競馬]][[騎手]](* [[1920年]])
* 2010年 - [[ザ・ナック#メンバー|ダグ・ファイガー]]、[[ロック (音楽)|ロック]]ミュージシャン(* [[1952年]])
* 2010年 - [[浅倉久志]]、[[翻訳家]](* [[1930年]])
* [[2012年]] - [[マイク・ベルナルド]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/m/battle/news/p-bt-tp0-20120216-904408_m.html |title=K1ベルナルドさん急死、薬物大量摂取か |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=2012-02-16 |accessdate=2023-02-11}}</ref>、キックボクサー、プロボクサー(* [[1969年]])
* 2012年 - [[金奉哲]]、政治家(* [[1941年]])
* [[2015年]] - [[ルイ・ジュールダン]]、[[俳優]](* [[1921年]])
* 2015年 - [[ウィリエム・ルスカ]]、[[柔道家]](* [[1940年]])
* 2015年 - [[シーナ (歌手)|シーナ]]<ref name="daily2015214">{{Cite web|和書|date=2015-02-14 |url=https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/02/14/0007740118.shtml |title=シーナ&ロケッツのシーナさん死去 |publisher=[[デイリースポーツ]] |accessdate=2023-02-11}}</ref>、歌手(* [[1953年]])
* [[2016年]] - [[神江里見]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1606114.html |title=「弐十手物語」漫画家の神江里見さんが死去 64歳 |access-date=2023-02-11 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=2016-02-18}}</ref>、[[漫画家]](* [[1950年]])
* [[2018年]] - [[尾岸孝雄]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/3602nakazawa.html |title=後世に語り継ぐ事業シリーズ 名誉町民 故 尾岸孝雄の生涯 |accessdate=2023-02-11 |publisher=上富良野町郷土をさぐる会 会長 中村有秀}}</ref>、政治家(* [[1939年]])
* [[2019年]] - [[時津洋宏典]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.topics.or.jp/articles/-/163854 |title=元幕内 時津洋が死去 美馬市出身 49歳 |access-date=2023-02-11 |publisher=[[徳島新聞]] |date=2019-02-18}}</ref>、元[[大相撲]][[力士]](* [[1969年]])
* [[2023年]] - [[豊田章一郎]]<ref>{{Cite web|和書|title=トヨタ自動車株式会社 名誉会長 豊田 章一郎 逝去について {{!}} コーポレート {{!}} グローバルニュースルーム |url=https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/38849047.html |website=トヨタ自動車株式会社 公式企業サイト |access-date=2023-02-14 |language=ja |first=TOYOTA MOTOR |last=CORPORATION}}</ref>、実業家、[[トヨタ自動車]]名誉会長(* [[1925年]])
* 2023年 - 恒岡章、ミュージシャン([[Hi-STANDARD]])(* [[1971年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2003年]] - [[ドリー (羊)|ドリー]]、[[クローン]]羊(* [[1996年]])
== 記念日・年中行事 ==
* [[バレンタインデー]]({{World}})
*: [[キリスト教]]の元[[聖名祝日]]。現在の[[カトリック教会]]では「聖人」から除外されている。
*以下はバレンタインデーに便乗して制定されたもの
** [[義理チョコ]]({{JPN}})
** [[チョコレート]]の日({{JPN}})<ref name="kato1998">{{cite book|和書|title=366日の話題事典|author=加藤迪男|publisher=東京堂出版|year=1998|page=53}}</ref><ref name="kondo1999">{{cite book|和書|title=今日はどんな日? 雑学366日|author=近藤道郎|publisher=展望社|year=1999|page=33}}</ref><ref name="kase2009">{{cite book|和書|title=すぐに役立つ 366日記念日事典|author=日本記念日協会 編、加瀬清志 著|publisher=創元社|year=2009|page=30}}</ref><ref name="kato2006">{{cite book|和書|title=記念日・祝日の事典|author=加藤迪男|publisher=東京堂出版|year=2006|page=24}}</ref><ref name="kato2010">{{cite book|和書|title=衣・食・住の記念日事典|author=加藤迪男|publisher=日本地域社会研究所|year=2010|page=84}}</ref>
** [[ネクタイ]]の日({{JPN}})<ref name="kato2006"/><ref>{{cite book|和書|title=衣・食・住の記念日事典|author=加藤迪男|publisher=日本地域社会研究所|year=2010|page=21}}</ref>
* 平将門忌({{JPN}})
*: [[平将門]]は関東を制圧し、京の[[朱雀天皇]]に対抗して新皇を自称。弟や同盟者を国司に任じ、関東独立の姿勢を示す。しかし天慶3年2月14日([[940年]][[3月25日]])、下野の豪族[[藤原秀郷]]と[[平国香]]の子[[平貞盛|貞盛]]らの軍勢によって、猿島の北山(現在の[[茨城県]][[坂東市]])で討ち取られた。死後、その霊は[[神田明神]]の将門社に祀られる。そのほか茨城県坂東市の[[国王神社]]をはじめ、将門公を祀る社寺は関東に多く、[[浅草]]の神田山[[日輪寺 (台東区)|日輪寺]]では、毎年旧暦の命日である2月14日に供養の法要が営まれている。
*自動車保険の日({{JPN}})
*: 1914年(大正3年)2月14日に、東京海上保険株式会社(現在の[[東京海上日動火災保険|東京海上日動火災保険株式会社]])が日本初の自動車保険の営業認可を取得したことを記念し、東京海上日動火災保険が制定。
* [[煮干し]]の日({{JPN}})
*: 全国煮干協会が1994年に「制定」。2(に)1(ぼ = 棒)4(し)の語呂合わせ<ref name="kato2006"/><ref name="kato2010"/><ref>{{Cite web|和書|title=バレンタインデー、実は「煮干しの日」でもある |url=https://web.archive.org/web/20200213233118/https://life.oricon.co.jp/news/51939/ |date=2008-02-14 |access-date=2023-02-11 |publisher=[[オリコン]]ライフニュース}}</ref>。
* [[ふんどし]]の日({{JPN}})
*: 日本ふんどし協会が2011年に「制定」。2(ふん)14(どし)の語呂合わせ<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.japan-fundoshi.com/214fundoshiday |title=2.14ふんどしの日 |publisher=一般社団法人 日本ふんどし協会(JAPAN FUNDOSHI ASSOCIATION) |accessdate=2023-02-11}}</ref>。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0214|date=Apr 2023}}
* 1920年 - スコット総督公邸にてダンスパーティが開催。(映画『[[RRR_(映画)]]』)
* 2001年 - バレンタイン休戦条約締結。(アニメ『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』)
* 2016年 - レプリカントのプリスが製造される。(映画『[[ブレードランナー]]』)
* [[コズミック・イラ|C.E.]]70年 - [[コズミック・イラ#血のバレンタイン|血のバレンタイン]]発生。核攻撃により[[プラント (ガンダムシリーズ)|ユニウスセブン]]が壊滅。(アニメ『[[機動戦士ガンダムSEED]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* [[1499年]] - エルネスト・ロペス、ゲーム『[[大航海時代II]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=フクザワ・エイジ|title=大航海時代IIハンドブック|publisher=光栄|date=1993年6月|page=165|isbn=4-87719-011-2}}</ref>
* [[1965年]] - [[ケン・マスターズ]]、ゲーム『[[ストリートファイター (ゲーム)|ストリートファイター]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|streetfighterja|1493027210474795010}}</ref>
* [[1990年]] - 小木曽雪菜、PCゲーム『[[WHITE ALBUM2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1550069669 |title=バレンタイン誕生日キャラクターコスプレ特集 {{!}} アニメイトタイムズ |date=2019-02-14 |accessdate=2022-12-07}}</ref>
* [[1991年]] - [[藤原はづき]]、アニメ『[[おジャ魔女どれみ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.doremi-anniv.com/news/news_list/2021021201/ |title=「おジャ魔女どれみをさがして~プチ感謝祭~」 キャストより感謝のコメント到着 藤原はづき役:秋谷智子 |access-date=2022-12-08 |publisher=[[東映アニメーション]] |date=2021-02-12 |work=『おジャ魔女どれみ』}}</ref>
* [[1997年]] - 鹿路庭珠代、小説・漫画・アニメ『[[りゅうおうのおしごと!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[りゅうおうのおしごと!]]|volume=4|author=白鳥士郎|authorlink=白鳥士郎|publisher=[[SBクリエイティブ]]|page=113|isbn=978-4-7973-8818-3}}</ref>
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* 生年不明 - [[ハイスクールD×Dの登場人物#ゼノヴィア・クァルタ|ゼノヴィア・クァルタ]]、小説・アニメ『[[ハイスクールD×D]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|hdd_social_marv|963589839110090752}}</ref><ref>{{Twitter status|ishibumi_ddd|566441589057150976}}</ref>
* 生年不明 - 家頭清貴、小説・漫画・アニメ『[[京都寺町三条のホームズ]]』に登場するキャラクター<ref>アニメ第11話「バレンタインの夜会」</ref>
* 生年不明 - 十束多々良、アニメ『[[K (アニメ)|K]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_k11|1090556032600858626}}</ref>
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* 生年不明 - 氷浦貴利名、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=2022-12-08}}</ref>
* 生年不明 - ひめスペっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|others=[[ウィズ (玩具)|ウィズ]]、[[バンダイ]](監修)|title=テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|publisher=[[小学館]]|year=2011|page=23|isbn=978-4-09-751048-2}}</ref>
* 生年不明 - [[水越眞子]]、ゲーム 『[[D.C. 〜ダ・カーポ〜]]』 に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://circus-co.jp/product/dc12-p/dc_heroine_details.html#mko |title=水越眞子 |access-date=2022-12-08 |publisher=[[CIRCUS (ブランド)|CIRCUS]] |work=『D.C.I&II P.S.P. ~ダ・カーポI&II~プラスシチュエーション』}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |date = 2003-11 |publisher = 角川書店 |journal = [[コンプティーク]] |page = 26 }}</ref>
* 生年不明 - ジン・キサラギ、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.blazblue.jp/cf/ac/character/jin.html |title=ジン=キサラギ |publisher=[[アークシステムワークス|ARC SYSTEM WORKS]] |accessdate=2022-12-08 |work=『BLAZBLUE CENTRALFICTION AC版』}}</ref>
* 生年不明 - 中多紗江、ゲーム・アニメ『[[アマガミ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.amagami.info/chara04.html |title=中多紗江 |access-date=2022-12-08 |publisher=[[エンターブレイン]] |work=『アマガミ』}}</ref>
* 生年不明 - 神宮寺レン、ゲーム・アニメ『[[うたの☆プリンスさまっ♪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|utapri_official|1492000447690731521}}</ref>
* 生年不明 - [[THE IDOLM@STERの登場人物#伊集院 北斗(いじゅういん ほくと)|伊集院北斗]]、ゲーム『[[THE IDOLM@STER 2|アイドルマスター2]]』『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/40009 |title=伊集院 北斗(いじゅういん ほくと) |access-date=2022-12-08 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#宮本フレデリカ|宮本フレデリカ]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20162 |title=宮本 フレデリカ(みやもと ふれでりか) |access-date=2022-12-08 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 相原雪乃、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20004 |title=相原 雪乃(あいはら ゆきの) |access-date=2022-12-08 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref>
* 生年不明 - 天王寺飛鳥、ゲーム『[[Z/X]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|zxtcg|1227970770116149249}}</ref>
* 生年不明 - 天羽まどか、ゲーム・アニメ『[[アイカツ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aikatsu.net/03/character/09.html |title=天羽まどか |access-date=2022-12-08 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP]]/[[バンダイ|BANDAI]], [[電通|DENTSU]], [[テレビ東京|TV TOKYO]] |work=『アイカツ!』}}</ref>
* 生年不明 - 弓削楓、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130814_208088/ |title=【ガールフレンド(仮)通信92】モテモテ小悪魔系ガール 弓削楓ちゃん |access-date=2022-12-07 |publisher=ファミ通App |date=2013-08-14}}</ref>
* 生年不明 - 有栖川小枝子、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|girlfriend_kari|1492876220895223808}}</ref>
* 生年不明 - 美野里、ゲーム『[[閃乱カグラ SHINOVI VERSUS -少女達の証明-|閃乱カグラ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://senrankagura.marv.jp/shinovishoujyo/chara/?minori&mode=1 |title=美野里 |access-date=4 Jun 2023 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]] |work=『閃乱カグラ』シノビ少女図鑑}}</ref>
* 生年不明 - 晴海カジカ、ゲーム『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|t7s_staff|1493057415259951108}}</ref>
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* 生年不明 - 大谷羽鳥、ゲーム・アニメ『[[スタンドマイヒーローズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.standmyheroes.tv/character/detail_revel.html |title=Revel - 大谷羽鳥 |accessdate=2022-12-08 |publisher=coly/SMHP |work=『スタンドマイヒーローズ PIECE OF TRUTH』}}</ref>
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=== 忌日(フィクション) ===
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== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 関連項目 ==
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8814%E6%97%A5 |
1,243 | FMRI | fMRI (functional magnetic resonance imaging) はMRI(核磁気共鳴も参照)を利用して、ヒトおよび動物の脳や脊髄の活動に関連した血流動態反応を視覚化する方法の一つである。最近のニューロイメージングの中でも最も発達した手法の一つである。
100年以上前から、脳の血流や酸素化の程度と神経活動には密接な関係があることが知られていた。神経細胞が活動するとき、局所の毛細血管の赤血球のヘモグロビンによって運ばれた酸素が消費される。酸素利用の局所の反応に伴い血流増加(血液量と血流量)が起きることが知られている。 毛細血管内で酸素交換が起こり、酸化ヘモグロビンが酸素を組織に渡すことで、一時的に脱酸化ヘモグロビンが増加する。さらに時間的に遅延して(1〜5秒程度)脳血流が増加することで、酸化ヘモグロビンが増加し脱酸化ヘモグロビンが減少する。この反応は6〜10秒程度で最大となる。
T2*強調画像法で主に脳血流動態を測定する場合、計測原理は形態画像によるMRIに、血流変化による信号変化を統計処理したマップを重ねる事で脳活動を画像化している。T2*強調画像法では、MRIのシーケンスを使用して、T2*信号の差違を検出する。安静時と比較して、賦活課題中の静脈からの信号の上昇が見込まれる。
毛細血管と静脈では、脳血流変化に対するT2*信号変化の機序が異なることが分っている。 ヘモグロビンは酸化されていると反磁性体であるが、脱酸化状態だと常磁性体となる。それ故、血液の核磁気共鳴信号は静脈では、反磁性体の酸化ヘモグロビンの変化には影響されにくく、常磁生体の脱酸化ヘモグロビンの変化に依存して変化しやすい。一方、毛細血管では、総ヘモグロビンあるいは血液量の変化にも依存し、必ずしも、常磁生体の脱酸化ヘモグロビンの変化と線形に比例して、信号変化が起こらない。
これら静脈に起こる信号増加のソースは、inflow効果(血液流入)、BOLD効果(脱酸化ヘモグロビンの減少)など様々な要因が関与すると説明されている。信号減少が起こった場合には、生理的説明が複雑化し、諸説分かれている。 一般には、高磁場の装置を用いても酸素交換の現場である毛細血管からの信号変化はT2*強調画像法で検出しにくいと考えられている。
T2*強調画像法によって計測することで、毛細血管と静脈のように血管径の大きさによって、信号が異なった変化をすることが、シミュレーションによっても、実計測によっても明らかになっている。毛細血管からの信号が静脈信号よりも小さいことは、1993年小川誠二らベル研究所とミネソタ大学の共同研究で報告されている。
また、時系列情報を持ったT2*強調画像法(A)では一般的にdistortionが生じやすく、他の画像法を用いた形態画像(B)との位置合わせのずれが指摘されているが、(A)自体に形態情報が存在している。しかし、(A)の画像が荒いため、他の画像法と位置合わせをして研究発表などに用いることが多い。
一般に、高磁場のもの程、高い空間分解能を持っている。例えばミネソタ大学(米国)の7テスラの装置を使ったデータでは、脳組織の信号よりも、表在静脈の信号が強く検出されることが示されている。理化学研究所の脳科学総合研究センターから、4テスラの装置を使った1mm未満の空間分解能の可能性を指摘する活脳図の報告もある。 また、神経活動が開始した後、明瞭な信号の時間変化が始まるまでに1〜3秒程度かかることが報告されている。すなわち、血液が毛細血管通過時間をすぎ、静脈相の時間帯でより信号変化が起こるので、神経活動とほぼ同時におこる酸素交換反応を高い時間分解能で得るのは難しいとされている。
行動経済学では合理的経済人と実際の人間の乖離を様々な実験的手法により取り扱うが、神経科学的に人間の意思決定プロセスを定量的に扱う神経経済学的手法に fMRI がしばしば用いられている。
例として、FKF Applied Researchは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のAhmanson Lovelace Brain Mapping Centerの協力により、2006年と2007年のスーパーボウルにおける、広告効果を測定するために、fMRIを使用し視聴者の脳の活動を測定した。2007年のスーパーボウルにおいて、人々の脳に前向きな感情を引き出した最高のコマーシャルはコカ・コーラで、最低のコマーシャルはGM「Robot」だと結論付けた。 | [
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] | fMRI はMRI(核磁気共鳴も参照)を利用して、ヒトおよび動物の脳や脊髄の活動に関連した血流動態反応を視覚化する方法の一つである。最近のニューロイメージングの中でも最も発達した手法の一つである。 | {{小文字|title=fMRI}}
[[ファイル:Functional magnetic resonance imaging.jpg|thumb|250px|right|fMRI 計測によって得られる画像。移動する視覚刺激を見ている際の脳活動を、安静時の脳活動と複数の実験参加者で比較したもの。fMRI 計測によって得られた活動量 (統計値) は黄色とオレンジで示されており、灰色で示した実験参加者平均の脳画像と重ね合わされている。この画像では[[一次視覚野]]や[[外線条皮質]]、[[外側膝状体]]が活動していることが分かる。]]
[[ファイル:Varian4T.jpg|thumb|250px|right|[[カリフォルニア大学バークレー校]][[ヘレン・ウィルズ神経科学研究所]]{{enlink|Helen Wills Neuroscience Institute}}の[[:en:Helen Wills Neuroscience Institute#Brain Imaging Center|脳画像センター]]にある4T fMRIスキャナー(画像作成日:2005年)]]
[[ファイル:User-FastFission-brain.gif|thumb|250px|right|MRIの画像から作られたアニメーション画像。頭の上からまっすぐ下に移動している、左上の頭部の外に現れる点は、画像の右と左を間違えないよう、[[ビタミンE]]の錠剤を頭の横にテープで貼っておいたもの]]
'''fMRI''' (functional magnetic resonance imaging) は[[核磁気共鳴画像法|MRI]]([[核磁気共鳴]]も参照)を利用して、ヒトおよび動物の[[脳]]や[[脊髄]]の活動に関連した血流動態反応を視覚化する方法の一つである。最近の[[ニューロイメージング]]の中でも最も発達した手法の一つである。
== 脳血流動態 ==
100年以上前から、脳の血流や酸素化の程度と神経活動には密接な関係があることが知られていた<ref>{{Cite journal
| author = Roy CS, Sherrington CS
| title = On the Regulation of the Blood-supply of the Brain
| journal = [[Journal of Physiology]]
| year = 1890
| month = January
| volume = 11
| issue = 1-2
| pages = 85–158.17
}}</ref>。[[神経細胞]]が活動するとき、局所の[[毛細血管]]の赤血球の[[ヘモグロビン]]によって運ばれた酸素が消費される。酸素利用の局所の反応に伴い血流増加(血液量と血流量)が起きることが知られている。
毛細血管内で酸素交換が起こり、酸化ヘモグロビンが酸素を組織に渡すことで、一時的に脱酸化ヘモグロビンが増加する。さらに時間的に遅延して(1〜5秒程度)脳血流が増加することで、酸化ヘモグロビンが増加し脱酸化ヘモグロビンが減少する。この反応は6〜10秒程度で最大となる。
== 原理 ==
T2*強調画像法で主に脳血流動態を測定する場合、計測原理は形態画像による[[MRI]]に、血流変化による信号変化を統計処理したマップを重ねる事で脳活動を画像化している。T2*強調画像法では、MRIのシーケンスを使用して、T2*信号の差違を検出する。安静時と比較して、賦活課題中の静脈からの信号の上昇が見込まれる。
[[毛細血管]]と[[静脈]]では、脳血流変化に対するT2*信号変化の機序が異なることが分っている。
ヘモグロビンは酸化されていると反磁性体であるが、脱酸化状態だと[[常磁性体]]となる。それ故、血液の核磁気共鳴信号は静脈では、[[反磁性体]]の酸化ヘモグロビンの変化には影響されにくく、常磁生体の脱酸化ヘモグロビンの変化に依存して変化しやすい。一方、毛細血管では、総ヘモグロビンあるいは血液量の変化にも依存し、必ずしも、常磁生体の脱酸化ヘモグロビンの変化と線形に比例して、信号変化が起こらない。
これら静脈に起こる信号増加のソースは、inflow効果(血液流入)、BOLD効果(脱酸化ヘモグロビンの減少)など様々な要因が関与すると説明されている。信号減少が起こった場合には、生理的説明が複雑化し、諸説分かれている。
一般には、高磁場の装置を用いても酸素交換の現場である毛細血管からの信号変化はT2*強調画像法で検出しにくいと考えられている。
== 問題点 ==
T2*強調画像法によって計測することで、毛細血管と静脈のように血管径の大きさによって、信号が異なった変化をすることが、シミュレーションによっても、実計測によっても明らかになっている。毛細血管からの信号が静脈信号よりも小さいことは、1993年[[小川誠二]]ら[[ベル研究所]]と[[ミネソタ大学]]の共同研究で報告されている。
また、時系列情報を持ったT2*強調画像法(A)では一般的にdistortionが生じやすく、他の画像法を用いた形態画像(B)との位置合わせのずれが指摘されているが、(A)自体に形態情報が存在している。しかし、(A)の画像が荒いため、他の画像法と位置合わせをして研究発表などに用いることが多い。
== 分解能 ==
一般に、高磁場のもの程、高い空間分解能を持っている。例えばミネソタ大学(米国)の7テスラの装置を使ったデータでは、脳組織の信号よりも、表在静脈の信号が強く検出されることが示されている。[[理化学研究所]]の[[脳科学総合研究センター]]から、4テスラの装置を使った1mm未満の空間分解能の可能性を指摘する活脳図の報告もある。
また、神経活動が開始した後、明瞭な信号の時間変化が始まるまでに1〜3秒程度かかることが報告されている。すなわち、血液が毛細血管通過時間をすぎ、静脈相の時間帯でより信号変化が起こるので、神経活動とほぼ同時におこる酸素交換反応を高い時間分解能で得るのは難しいとされている。
== 医療分野以外での利用 ==
=== 神経経済学 ===
[[行動経済学]]では合理的経済人と実際の人間の乖離を様々な実験的手法により取り扱うが、[[神経科学]]的に人間の[[意思決定]]プロセスを定量的に扱う神経経済学的手法に fMRI がしばしば用いられている<ref>{{cite journal|和書|author=小田宗兵衛|year=|date=Apr 2009|title=神経経済学は経済学に貢献するか? : 時間選好のfMRI実験を例に(<特集>脳機能イメージングの拡がり)|journal=システム/制御/情報 : システム制御情報学会誌|volume=53|issue=4|page=|pages=131–136|ref=harv|naid=110007162149|issn=09161600|ndlid=10203414}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/snapshots/special_issue/yomitoku/201209_special_issue4|title=すぐにもらえる小さい報酬か 将来にもらえる大きい報酬か—神経経済学で「人間の行動」を読み解く|accessdate=2016-9-23|date=|publisher=[[大阪大学]]}}</ref>。
例として、FKF Applied Researchは、[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校]](UCLA)のAhmanson Lovelace Brain Mapping Centerの協力により、2006年と2007年の[[スーパーボウル]]における、[[広告]]効果を測定するために、fMRIを使用し視聴者の脳の活動を測定した<ref name="cnet070206">[https://japan.cnet.com/article/20342463/ スーパーボウルの真の勝者は?--米研究者ら、fMRIで分析] Stefanie Olsen(CNET News.com)翻訳校正:尾本香里(編集部) 2007年2月6日 2009-10-22閲覧</ref><ref>[https://japan.cnet.com/article/20096070/ スーパーボウルで視聴者の印象に残った広告は?--米研究者ら、fMRIで解き明かす] Stefanie Olsen(CNET News.com)2006年2月8日 2009-10-22閲覧</ref>。2007年のスーパーボウルにおいて、人々の脳に前向きな感情を引き出した最高のコマーシャルは[[コカ・コーラ]]で、最低のコマーシャルは[[ゼネラル・モータース|GM]]「Robot」だと結論付けた<ref name="cnet070206" />。
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[OsiriX]]
* [[行動経済学]]
* [[脳の大規模ネットワーク]]
== 外部リンク ==
{{Commons|Category:Functional Magnetic Resonance Imaging}}
* {{Spedia|Functional_magnetic_resonance_imaging|Functional magnetic resonance imaging|fMRI}}fMRIの基礎原理を確立した研究者の1人である小川誠二が執筆に参加している。
* {{脳科学辞典|機能的磁気共鳴画像法}}
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{{DEFAULTSORT:fMRI}}
[[Category:画像診断]]
[[Category:核磁気共鳴画像法]]
[[Category:認知神経科学]] | 2003-02-13T08:38:10Z | 2023-09-26T07:37:02Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/FMRI |
1,244 | バイオインフォマティクス | バイオインフォマティクス(英語:bioinformatics)とは、生命科学と情報科学の融合分野のひとつであり、DNAやRNA、タンパク質をはじめとする、生命が持つ様々な「情報」を対象に、情報科学や統計学などのアルゴリズムを用いた方法論やソフトウェアを開発し、またそれらを用いた分析から生命現象を解き明かしていく(in silico 解析)ことを目的とした学問分野である。そのためバイオインフォマティクスは広義には、生物学、コンピュータサイエンス、情報工学、数学、統計学といった様々な学問分野が組み合わさった学際分野自体を指す。日本語では生命情報科学や生物情報学、情報生命科学などと表記される。
ゲノミクス研究の初期においては、遺伝子予測等のゲノミクスに関する分野がバイオインフォマティクスの主要な対象であった。近年ではゲノムを超えて、ゲノムからの転写物の総体であるトランスクリプトームや、トランスクリプトーム(の一部)が翻訳されたタンパク質の総体であるプロテオーム、タンパク質の二次産物として合成される糖鎖の総体であるグライコーム、更にはゲノムからの直接的に転写・翻訳された実体だけではなく、代謝ネットワーク(代謝マップ)によって生じた代謝産物をも含めた総体を考えるメタボローム、生物個体の表現形の総体であるフェノームなど、バイオインフォマティクスが対象とする研究分野は生物学全体に拡大・発展しつつある。
ゲノムシーケンシング技術の登場と発展により、多くの生物を対象にゲノム解析プロジェクトが進められ、それに伴い大量のゲノム配列情報が得られるようになった。ところが、得られる大量の配列情報から人力で生物学的な意味を抽出することは極めて困難であり、情報処理による解析の必要性が高まっている。遺伝子情報は(A,T,C,Gという塩基で記述できる)核酸配列というデジタル情報に近い性格を持っているために、コンピュータとの親和性が高い。さらにマイクロアレイなどの網羅的な解析技術の発展に伴って、遺伝子発現のプロファイリングやクラスタリング、アノテーション、大量のデータを視覚的に表現する手法などが重要になってきている。これらの理由により、バイオインフォマティクスはその重要性が注目されるようになり、特に1990年代半ばのヒトゲノムプロジェクトやDNAシーケンステクノロジーの急速な進歩によって爆発的に成長し、発展してきた。
バイオインフォマティクスの主な研究対象としては、遺伝子予測、遺伝子機能予測、遺伝子分類、配列アラインメント、ゲノムアセンブリ、タンパク質構造アラインメント、タンパク質構造予測、遺伝子発現解析、タンパク質間相互作用の予測、進化モデリング、ドラッグデザイン、創薬、等の、様々なコンピュータープログラミングを使用した各種の生物学研究分野が挙げられる。また、特にゲノミクスの分野で繰り返し使用されるような特定の解析パイプラインを開発するといった、方法論の開発に関する研究も含まれる。バイオインフォマティクスを活用した研究の一例として、疾患の遺伝的根拠や生物の環境適応、(特に農業分野における)植物や動物の特性解析、個体群間の差異などをよりよく理解するための候補遺伝子や一塩基多型(SNP)の探索、などがある。 さらに、プロテオミクスと呼ばれるタンパク質を対象としたデータをゲノム配列と組み合わせたバイオインフォマティクス研究も進められている。
データ解析を中心としたバイオインフォマティクスでは、ハイスループットな実験手法によって蓄積された大量のデータを目的に応じて加工・標準化し、データマイニングや可視化、その他統計的手法による分析などを通じて解析する、という流れをとることが多い。いずれの段階でもコンピュータは使用され、その形態はパーソナルコンピュータ (PC) を利用したスクリプトによる小規模なシーケンスデータ加工から、産業技術総合研究所生命情報工学研究センターなどによるIBM Blue Geneのような20TFlopsのスーパーコンピュータや大規模なコンピュータ・クラスター、グリッド・コンピューティング等を用いたタンパク質の立体構造解析(タンパク質構造予測)まで様々である。
今日、バイオインフォマティクスは、生物学の多くの分野で重要な役割を果たしている。例えば分子生物学研究では、画像処理や信号処理などのバイオインフォマティクス技術を利用して、大量の生データから有用な結果を抽出することが行われている。遺伝学の分野では、ゲノム配列や突然変異した配列の決定と注釈付け(アノテーション)に活用される。 生物学的文献のテキストマイニングや、生物学的な遺伝子オントロジーの開発を通じて、膨大に蓄積された生物学的データを利用しやすい形で整理する役割も果たしている。また、遺伝子やタンパク質の発現調節の解析にも、深く関与している。バイオインフォマティクスツールは、遺伝子やゲノムのデータ比較と分析、解釈を支援し、分子生物学の進化的な理解にも貢献している。より統合的なレベルでは、個々の遺伝子やタンパク質の解析から一歩進み、生命を遺伝子やタンパク質のネットワークとして捉え、その総体をシステムとして理解しようとする、システム生物学という分野も生まれている。バイオインフォマティクスは生物学的代謝経路とネットワークの分析やカタログ化に役立ち、システム生物学を支えている。構造生物学の分野においては、生体分子の相互作用だけでなく、DNA、RNA、タンパク質 等のシミュレーションとモデリングにも役立っている。また、機械学習による遺伝子領域予測や、タンパク質構造予測、次世代シーケンサーを利用したゲノム解析など、大きな計算能力を要求される課題が多く存在するため、スーパーコンピュータの重要な応用領域の一つとしても認識されている。
バイオインフォマティクスという用語は、Paulien HogewegとBen Hesperによって、1970年に生物システムの情報処理の研究に言及するために作られた用語である。この定義では、生化学(生物学的システムにおける化学プロセスの研究)と平行した研究分野の概念としてバイオインフォマティクスを位置づけており、今日使われているものとは意味が異なっている。
1950年代初頭にフレデリック・サンガーがインスリンの配列を最初に決定して以来、タンパク質のアミノ酸配列を研究で利用することが可能になった。しかしながら、複数のシーケンスを手動で比較することは(過去は実際に行われていたが)実用的ではなく、コンピューターを用いた解析が分子生物学にも必要不可欠になった。この分野の先駆者はマーガレット・オークリーデイホフ(Margaret Belle Oakley Dayhoff)である。彼女は最初に、書籍の出版物 としてとして公開された最初のタンパク質配列データベースの1つを編集し、配列整列と分子進化の先駆的な方法を開発した。バイオインフォマティクスへのもう一つの初期の貢献は、1970年にエルウィン・A・カバット(Elvin A. Kabat) が抗体配列を包括的なボリュームで解析し、生物学的な配列解析の分野を開拓したことである。この一連の研究はTai Te Wuと共に1980年から1991年にかけて発表された。
生物学におけるバイオインフォマティクスの主な目的は、他の生物学派生分野と同様に、生物学的プロセスの理解をより深めることにある。ただし、他のアプローチとの違いは、より計算集約的な手法の開発と適用に重点を置いている点である。用いられる技術の例としては、パターン認識、データマイニング、機械学習アルゴリズム、などが挙げられる。また、例えば疾患研究の分野において、正常な細胞活動がさまざまな病状でどのように変化するかを明らかにするためには、生物学的データを組み合わせて、これらの活動の包括的な構造を理解する必要がある。そのため、さまざまなタイプのデータを組み合わせた分析と解釈を行えるように、バイオインフォマティクスの分野は進化してきた。これには、塩基およびアミノ酸配列の他、タンパク質ドメインやタンパク質構造が含まれる。
データを分析および解釈する実際のプロセスは、計算生物学と呼ばれる。バイオインフォマティクスおよび計算生物学の重要な研究目標の一つに、大規模なデータセットにおいてメンバー間の関係を評価する新しいアルゴリズムと統計的尺度の開発がある。例えば、ゲノム配列内から遺伝子領域を予測したり、タンパク質の構造や機能を予測したり、タンパク質配列を関連配列のファミリーにクラスター化する方法など、に関する研究が進められている。また、さまざまな種類の生物学的情報リソースを整理し、管理し、効率的なアクセスと利用を可能にするコンピュータプログラムやシステムの開発と実装も、また重要な課題である。すなわちバイオインフォマティクスでは、データベースの作成と進歩、アルゴリズム、計算技術と統計技術、そして生物学的データの管理と分析から生じる形式的で実用的な問題を解決するための理論、が必要とされている。
過去数十年にわたり、ゲノムおよびその他の分子研究技術の急速な発展と情報技術の発展が相まって、分子生物学に関連する膨大な量の情報が生み出されている。バイオインフォマティクスは、生物学的プロセスの理解を深めるために使用されるこれらの数学的および計算機科学的なアプローチを表す言葉でもある。
バイオインフォマティクスは生物計算機学(biological computation)と一見似ているが、これは異なる科学分野である。生物計算機学は生物工学と生物学を使用して生物学的なコンピュータを設計することが主眼であるが、バイオインフォマティクスは逆にコンピュータを用いた計算を使用して生物学をよりよく理解することが主眼である。バイオインフォマティクスと生物計算機学の分野には共に、生物学的データ、特にDNA、RNA、タンパク質配列の分析が含まれる。
生物学的データを分析して意味のある情報を生成するには、グラフ理論、人工知能、ソフトコンピューティング、データマイニング、画像処理、コンピューターシミュレーション、等のアルゴリズムを使用するソフトウェアプログラム実行し、また必要に応じて作成する必要がある。またこのようなアルゴリズムは、離散数学、制御理論、システム理論、情報理論、統計などの理論的基盤に依存する。
ファージの一種であるPhage Φ-X174が1977年に配列決定されて以来、数千の生物のDNA配列が解読され、データベースに保存されている。この配列情報は、タンパク質、RNA遺伝子、調節配列、構造モチーフ、反復配列をコードする遺伝子を決定するために分析されている。例えば、種内や種間で遺伝子配列を比較することで、タンパク質機能間の類似性を評価したり、あるいは系統樹を構築することで種間の分子系統学的関係を示すことができる。 データ量の増加に伴い、DNA配列を手作業で分析することはすでに非現実的である。今日ではBLASTなどの相同性検索を行うコンピュータプログラムを用いて、例えばGenBankに登録された1600億以上のヌクレオチドを含む260,000を超える生物から配列を検索することが日常的に行われている(数字は2008年のもの)。これらのプログラムは、DNAシーケンスの変異(塩基の置換、欠失、挿入など)を補正して、類似するが同一ではない配列を検索できる。検索結果は、クローニングした遺伝子の部分情報から遺伝子全体の配列を予測したり、構造が未知のタンパク質の二次構造を予測したり、解読されたゲノムの中から遺伝子を検出してその機能を予測するなどの研究の基盤となる。また配列情報から由来する生物種の系統学的分類を推定するという問題を解くために、Krakenのような最新の k-merベースのソフトウェアも作成されており、アライメント手法では到達できない実行高速性を実現している。
DNAシーケンサーから出力される生データには多量のノイズや弱信号が含まれており、下流の解析に悪影響を与える可能性がある。さまざまな実験プロトコルや環境におけるDNAシーケンシングデータからの塩基決定(ベースコール)を行うアルゴリズムが開発されている。
多くのDNAシーケンス技術は、短い配列フラグメントを生成する。そのため、完全な遺伝子や全ゲノム配列を取得するためには、この配列フラグメントをアセンブルして再構築する必要がある。ヒトゲノム計画では、ある配列断片から順番に配列を解読する手法が考えられていたが、クレイグ・ベンターらによるショットガン法により遥かに高効率で解読が進められるようになった。いわゆるショットガンシーケンステクニック(たとえば、Institute for Genomic Research (TIGR)による最初の細菌ゲノムHaemophilus influenzaeのゲノム決定でも使用された)は、ゲノム配列をバラバラな短い断片に分断してそれぞれを解読し(シーケンシング技術に応じて、35〜900ヌクレオチド長)、その後同一の配列を重複する領域として並べ替えることによってゲノム配列を再現する。これらのフラグメントの両端は重なり合っており、ゲノムアセンブリプログラムによって適切に整列されることで、完全なゲノムを再構築することができる(配列アセンブリング)。しかしながら、多くの断片がある中で正しい並び方を決定することはコンピュータの計算能力がなければ不可能である。そして、このフラグメントをアセンブルするタスクは、特に大きなゲノムにおいては非常に複雑になる可能性がある。例えばヒトゲノムは約3Gbのサイズがあるが、この程度のゲノムの場合、大容量メモリのマルチプロセッサコンピューターであってもショットガン配列をアセンブリするのには何日ものCPU時間を要する場合があり、また結果として生じるアセンブリには通常、多数のギャップが残っている。しかしながら、ショットガンシーケンスは事実上、あらゆる生物種の全ゲノムを決定する上で現実的に最適な方法となっている。そのため、高速・高性能なゲノムアセンブリアルゴリズムを開発することは、バイオインフォマティクスの重要な研究領域の一つとなっている。
ゲノミクスの文脈においてアノテーションとは、DNA配列内の遺伝子領域やその機能、そしてその他の生物学的特徴をマークするプロセスである。ほとんどのゲノムは大きすぎるため、手動で注釈を付けることができない。そのため、このプロセスは自動化する必要がある。さらに次世代シーケンシング技術の登場によって大量のデータが高速に得られるようになっており、大量のゲノムに対して高速にアノテーションを付けたいという研究上の要望は高まっている。
包括的なゲノムアノテーションシステムは、自由生活生物である細菌Haemophilus influenzaeのゲノムの最初の完全な配列決定と分析を行ったThe Institute for Genomic Researchのチームによって、1995年に初めて報告された。Owen Whiteは、タンパク質をコードするすべての遺伝子とtRNA、rRNA、およびその他のサイトを特定し、またその生物学的機能を推定する初期のソフトウェアシステムを構築した。 現在でも、ほとんどのゲノムアノテーションシステムは当時と同様な機能を持っているが、例えばHaemophilus influenzaeでタンパク質をコードする遺伝子を見つけるために使用されたGeneMarkプログラムなどのように、ゲノムDNAの分析に利用される個々のプログラムの多くは常に更新されており、機能改善の模索が続けられている。
ヒトゲノムプロジェクトが2003年に完了したが、残された様々な課題や新たな目標の達成のために、アメリカ国立衛生研究所内の国立ヒトゲノム研究所によって新たにENCODEプロジェクトが発足した。このプロジェクトでは、次世代DNAシーケンス技術とゲノムタイリングアレイを使用して、ヒトゲノムの機能的な要素に関するデータを共同でコレクションすることが行われた。次世代シーケンシング技術は、塩基あたりのコストを大幅に削減して大量のデータを生成できる技術であり、しかも従来と同じ誤差精度(ベースコールエラー)と信頼性度(アセンブリエラー)を持っていることが特徴である。
進化生物学とは、種の起源と分化、そして系統の経時的な変化を明らかにする学問分野である。バイオインフォマティクスは進化生物学分野においても重要な役割を果たしている。
より複雑な課題としては、生命の木を再構築する研究も進められている。
なお、遺伝的アルゴリズムを使用するコンピューターサイエンスの研究領域は、計算進化生物学と混同されることがあるが、この2つの領域は必ずしも関連しているわけではない。
比較ゲノム解析の目的の一つは、異なる生物における遺伝子(オルソログ遺伝子)や他のゲノム上の特徴の対応関係を明らかにすることである。また例えば、2つのゲノムが系統上で分岐した際の進化過程は、両ゲノム間の対応関係を取ることで、例えばどのゲノム領域が欠失したり重複したのかを明らかにし、進化過程を追跡することができる。 現実的には、様々な組織レベルで作用する多数の進化イベントが組み合わさって、ゲノム進化が形作られる。最も最小レベルでの変化は、個々のヌクレオチドが影響してくる点変異である。一方でより高いレベルでは、大きな染色体セグメントが複製、移動、逆位、転位、欠失、および挿入を受けることがある。最も大きなレベルでは、ゲノム全体のハイブリダイゼーションや倍数化、そして細胞内共生過程といったイベントに関与し、しばしば急速な種分化を引き起こす。このようなゲノム進化の複雑さは、数学モデルやアルゴリズム開発を行う上でもチャレンジングな課題となっている。そのため、正確なヒューリスティックやパラメーター固定、節約モデルに基づく問題の近似アルゴリズムや、確率モデルに基づくベイズ分析のためのマルコフチェーンモンテカルロアルゴリズムの利用に至るまで、アルゴリズム、統計、および数学的な様々な手法の利用が研究されている。これらの研究の多くにおいては、事前に遺伝子配列を配列相同性に基づいてタンパク質ファミリーに割り当てている。
環境中には多様で大量の原核微生物系統が生息しており、その生理生態を理解することは、地球上の物質循環やその環境における生態系を理解する上で重要である。そのためには、どのような生理学的機能を持つ微生物が、どのような割合でそこに存在するのか、を理解することが必要である。メタゲノム解析は、環境中に存在する細菌叢サンプルからゲノムDNAを直接回収し、主にショットガンシーケンスを行ってバイオインフォマティクス解析を行うことで、それらに関して解析する、微生物学・ウイルス学の研究分野である。
パンゲノム解析(Pac Genomics)は2005年にTettelinとMediniによって導入された概念であり、特定の分類群において保持されている遺伝子の網羅的な遺伝子レパートリーを表す。最初は種レベルの近縁系統に適用されましたが、属や門といったより大きな分類群にも適用できる。パンゲノムはコアゲノムとフレキシブルゲノムの2つの群から構成されている。コアゲノムは全ゲノムに共通した遺伝子セットを指し、多くの場合、これらの遺伝子は生存に不可欠なハウスキーピング遺伝子である。一方でフレキシブルゲノム(Dispensable / Flexible Genome)は、1つ以上のゲノムにおいて存在しない一連の遺伝子を指す。例えばバイオインフォマティクスツールであるBPGAを使用して、細菌種のパンゲノムを特徴付けることができる。
次世代シーケンシングの登場により、不妊症 や乳がん、アルツハイマー病といった複雑な遺伝性疾患の関連遺伝子をマッピングする研究が進められている。ゲノムワイド関連研究(GWAS)は、このような複雑な疾患の原因となる変異を特定するための有用なアプローチである。これらの研究により、類似の疾患や形質に関連する何千ものDNA変異体が特定されている。さらに、遺伝子情報を予後の推定や診断、治療方針の決定に利用するための研究も進められている。そのために、使用する遺伝子を選択する手法や、疾患の存在または予後を予測するために遺伝子を使用することの問題点の両方について、多くの研究において議論がすすめられている。
悪性腫瘍(癌)においては、癌細胞のゲノムは非常に複雑(予測不可能)な形で組み換えが起きることが知られている。大規模なシーケンシング研究により、癌細胞に見られるさまざまな遺伝子上の点突然変異の特定が進められてきた。このような研究においては、膨大な量の配列データを管理するための専用の自動化システムや新しいアルゴリズムとソフトウェアの作成を通じて、シーケンシングの結果をヒトゲノム配列や生殖系列多型のコレクションと比較するバイオインフォマティクス解析が進められている。また、染色体の増減を比較するオリゴヌクレオチドマイクロアレイ( 比較ゲノムハイブリダイゼーション)や、既知の点変異を検出する一塩基多型アレイなど、新しい物理的検出技術が採用されています。 これらの検出方法は、ゲノム全体で数十万のサイトを同時に測定することができ、ハイスループットで数千のサンプルを測定する場合、実験ごとに数テラバイトものデータを生成する。そのため、この膨大なデータ量を処理するための新しい手法に関する研究も進められている。また、データにはかなりの変動性またはノイズが含まれているため、実際のコピー数の変化を推測するために、隠れマルコフモデルに基づく変化点分析法が開発されている。また、エクソソームの突然変異の同定では、癌は遺伝子に蓄積された体細胞変異の疾患であり、がんには疾患発症に関係する(ドライバー)変異と無関係な(パッセンジャー)変異の区別される2種類が含まれている、という2つの重要な原則があり、生物情報学的解析を行う上でも重要になっている。
シーケンシング技術のさらなる進歩により、癌のゲノミクスは劇的に変化する可能性がある。新しい方法とソフトウェアにより、より多くの癌ゲノムをより迅速かつ手頃な価格でシーケンスできるようになれば、がんによるゲノム内変異の分析とがんの種類の分類がさらに発展する可能性がある。さらに、癌サンプルのシーケンスからがんの進行状況を追跡できるようになる可能性も指摘されている。
多くの場合、遺伝子の発現はマイクロアレイ、発現cDNAシーケンスタグ(expressed cDNA sequence tag; EST)シーケンス、遺伝子発現連続分析(serial analysis of gene expression; SAGE)タグシーケンス、超並列シグネチャシーケンス (massively parallel signature sequencing; MPSS)、RNA-Seq(またはWhole Transcriptome Shotgun Sequencing; WTSS)、マルチプレックスin-situハイブリダイゼーション、などの手法でmRNAレベルを測定することで決定する。これらの手法はすべて、ノイズが非常に発生しやすく、生物学的な測定バイアスがかかってくるため、ハイスループットの遺伝子発現研究においてこのようなノイズを除去して信頼できる信号を分離する統計ツールの開発が計算生物学の研究分野で重要になっている。このような遺伝子発現研究は、疾患に関与する遺伝子を特定するためによく使用される。例えば癌性上皮細胞のマイクロアレイデータを非癌性細胞のデータと比較して、特定の癌細胞集団で発現上昇あるいは発現抑制される転写産物を決定することができる。
タンパク質マイクロアレイとハイスループット(HT)質量分析(mass spectrometry; MS)は、生体サンプルに存在するタンパク質のスナップショットを提供する。得られるタンパク質マイクロアレイとHTMSデータの解析には、バイオインフォマティクスは重要である。前者のアプローチはmRNAをターゲットとするマイクロアレイと同様の問題に直面し、後者は大量の質量データをタンパク質配列データベースからの予測質量と照合し、不完全なペプチドを除くための複雑な統計分析が必要になる。組織における細胞タンパク質の空間局在は、免疫染色や組織マイクロアレイに基づいたアフィニティプロテオミクスによって解析することができる。
遺伝子転写調節は、ホルモンなどを含む細胞内外のシグナルによって、1つ以上のタンパク質の活性の増加・減少が駆動される、複雑な調節システムである。 このプロセスの各ステップを検証する、様々なバイオインフォマティクス技術が適用されている。たとえば、遺伝子発現は プロモーターのような、ゲノム内で遺伝子に近接した要素によって調節される。プロモーター分析ではまず、遺伝子コード領域に近接しているDNA配列中から、特定の配列モチーフを検出する。 これらのモチーフは、その領域がmRNAに転写される際に影響を与える。一方で、プロモーターから離れたエンハンサー要素は、3次元的な相互作用を通じて遺伝子発現を調節することもある。このような相互作用は、染色体コンフォメーションキャプチャ(Hi-C)法による実験と得られたデータのバイオインフォマティクス解析から決定される。
また、遺伝子発現データから、遺伝子転写調節の要因を推測する研究もある。さまざまな状態の組織から得られたマイクロアレイデータを比較して、各状態に関与する遺伝子の挙動を推測することができる。例えば単細胞生物では、細胞周期の段階におけるストレス条件(熱ショック、飢餓など)を比較できる。 あるいはクラスタリングアルゴリズムを発現データに適用することで、遺伝子の共発現を解析できる。たとえば、共発現する遺伝子の上流領域(プロモーター)を探索することで、過剰発現を引き起こす調節要素を調べることができる。遺伝子クラスタリングに適用されるクラスタリングアルゴリズムの例には、k平均クラスタリング、自己組織化マップ (SOM)、階層的クラスタリング、コンセンサスクラスタリング、などの手法がある。
細胞内のオルガネラや遺伝子、タンパク質、およびその他のコンポーネントの位置を分析するために、様々なアプローチが開発されている。これらのコンポーネントの位置は細胞内のイベントに影響を与えるため、その分布や局在を調べることは生物系の挙動を予測するのに役立つ。遺伝子オントロジーのカテゴリーである「細胞コンパートメント(cellular compartment)」は、細胞内局在を捉えるために考案され、多くの生物学的データベースで採用されている。
顕微鏡写真から、オルガネラや分子を検出することができる。また、がんなどの異常な細胞と正常細胞を区別することにも利用される。
タンパク質の局在化は、そのタンパク質の役割を評価するのに役立つ。たとえば、タンパク質が核で見つかった場合、それは遺伝子調節やスプライシングに関与している可能性がある。対照的に、タンパク質がミトコンドリアで見つかった場合、それは呼吸や他の代謝プロセスに関与している可能性がある。したがって、タンパク質の局在化は、タンパク質機能を予測する上で重要な情報源となる。タンパク質の細胞内位置に関するデータベースや予測ツールといったリソースが構築されている。
Hi-CやChIA-PETなどのハイスループット染色体コンフォメーションキャプチャー実験からのデータは、DNA遺伝子座の空間的近接性、すなわち核内で安定的に構造化されている立体的な折りたたみ構造によって、ゲノム配列上のどことどこの領域が近接して存在しているのか、に関する情報を提供する。そのためこれらの実験の分析から、クロマチンの三次元構造を決定することができると考えられる。ゲノムを3次元空間でまとめて構成されたトポロジカル関連ドメイン (TAD)といったドメイン分割に関する研究が、この分野のバイオインフォマティクスの課題となっている。
タンパク質のアミノ酸配列からその高次(2次、3次、及び4次)構造を予測することは、バイオインフォマティクスの大きな課題の一つである。タンパク質のアミノ酸配列(一次構造)は、それをコードする遺伝子の配列情報から、比較的簡単に決定できる。そして多くの場合、この1次構造は実際の細胞内における高次構造を一意に決定する。つまり、同じアミノ酸配列を持つタンパク質はずべて同じように細胞内でコンフォメーションをとて折りたたまれ、同じ2次構造や3次構造を立体構造を作り出す、ということである(ただし例外としては、牛海綿状脳症 (狂牛病)を引き起こすプリオンなどがある)。高次構造の知識は、タンパク質の機能を理解する上で不可欠である。しかしながら、一次配列からそのような高次構造を予測する一般的な手法は無く、未解決の問題となっている。現在までの多くのこれに関する研究は、ほとんどの場合、ヒューリスティックに焦点が向けられてきた。
バイオインフォマティクスの重要なアイデアの1つは、「配列類似性」の概念である。バイオインフォマティクスのゲノム解析では、配列の類似性を利用して、その遺伝子の機能を予測する。具体的には、例えば機能がわかっている遺伝子Aの配列が、機能が不明な遺伝子Bの配列とある程度類似している場合、BがAの機能を共有することが予想される。バイオインフォマティクスの構造分野では、この配列類似性を使用して、タンパク質のどの部分が構造を作り、どの部分が他のタンパク質との相互作用に重要であるか、等を推測する。ホモロジーモデリングと呼ばれる手法では、配列的に類似なタンパク質の構造がわかっていれば、その情報を使用して任意のタンパク質の高次構造を予測する。この手法は、タンパク質構造を予測する有用な手法の一つである。この手法が効果的な例の一つは、ヒトのヘモグロビンと豆類のヘモグロビン(レグヘモグロビン)である。これらは同じタンパク質スーパーファミリーではあるが、遠い親戚関係のタンパク質である。どちらも生体内で酸素を輸送するという同じ目的を果たし、両者で完全に異なるアミノ酸配列を持っているが、構造的には実質的に同一であるため、ほぼ同一の目的を持り、かつ同一の祖先を共有していると考えられている。
タンパク質構造を予測するための他の手法としては、タンパク質のスレッディングや、物理学ベースでゼロからモデリングを行うde novoの手法が提案されている。
構造バイオインフォマティクスの別の側面としては、定量的な構造と活性の相関に関するモデルや、タンパク化学モデル(proteochemometric models; PCM)といった、仮想スクリーニングモデルへ利用することが挙げられる。さらに、タンパク質の結晶構造は、例えばリガンド結合研究のシミュレーションやインシリコ変異誘発研究に利用されている。
ネットワーク分析は、代謝ネットワークやタンパク質間相互作用ネットワークなどの生物学的ネットワークの関係を理解することを目的としている。生物学的ネットワークは単一のタイプの分子またはエンティティ(遺伝子など)から構築される。また、ネットワーク生物学においてはしばしば、タンパク質や小分子、遺伝子発現データなど、物理的・機能的に関連する様々な異なるデータタイプを統合的に解析することがある。
システム生物学では、細胞内における複雑なプロセスの関係性を分析し視覚化するために、代謝プロセスを担う代謝産物や酵素のネットワークやシグナル伝達経路、遺伝子調節ネットワークといった細胞システムをコンピューターシミュレーションを用いて解析する研究が進められている。人工生命や仮想進化といった単純な(人工)生命体のコンピューターシミュレーションを介して、進化の過程を理解する試みもなされている。
2020年現在、数万を超えるタンパク質について、X線結晶学およびタンパク質核磁気共鳴分光法(タンパク質NMR)によって3次元構造が決定されている。構造バイオインフォマティクスの分野において、タンパク質間相互作用実験を行わずにこの3次元立体構造の情報からタンパク質間相互作用を予測することは、大きな課題となっている。タンパク質ドッキングを推測するさまざまな手法が開発され提唱されている。
また、タンパク質同士の相互作用を超えて、例えばタンパク質-リガンド(薬物を含む)やタンパク質-ペプチドの相互作用を予測することも重要な課題である。原子結合の回転を考慮した分子動力学シミュレーション(Molecular dynamic simulation)も広く行われており、これは分子相互作用を研究するためのドッキングアルゴリズムと呼ばれる計算アルゴリズムが基本原理となっている。
今日までに、膨大な数の学術論文が発表されてきており、その数はますます増加している。そのため、すべての論文を読むことは事実上不可能であり、研究の領域は細分化されていく傾向がある。計算言語学による文献分析では、計算と統計に基づく言語学的解析を通じて、増大するテキストリソースからマイニングすることを目的としている。例えば、略語認識(生物学用語の正式名称とその略語を特定する)、名前付きエンティティの認識(遺伝子名などの生物学的用語を認識して特定する)、タンパク質間相互作用(どのタンパク質がどのタンパク質と相互作用するかをテキストから特定する)、などに関して研究が進められている。
大量の情報量の多い生物医学画像の処理や定量化、分析を加速または完全に自動化するために計算技術を利用する研究も進められている。画像解析システムにおいては、大規模で複雑な画像セットから測定を行うための精度や客観性、そして処理速度の向上が重要になってくる。理想的には、分析システムの発達により、様々なケースにおいて人が画像や動画の判断をする必要がなくなる。このような画像処理システム自体は生物医学分野に固有のものではないが、例えば疾患の診断や研究においてはそれらの分野に特化した画像解析技術が重要になる。具体的な応用分野としては、以下のものが挙げられる。
バイオインフォマティクス研究には、それぞれの目的に応じたプログラムの作成が欠かせない。プログラミング言語としては一般的な科学分野と同じように、いわゆる「重い」計算(タンパク質の二次構造、三次構造の予測——タンパク質構造予測などはその一例)を行なうときにはC等の比較的低レベルな処理を書ける高級言語も用いられるが、塩基配列と言う巨大な「文字列」を扱う局面が多いため、テキスト処理を得意とする言語であるPerlの利用が盛んである。
Perlは、正規表現等の強力な文字列処理機能を持っているため配列解析に有効なだけでなく、プログラミングのトレーニングを積んでいないことが多い生物学出身の研究者にも比較的容易に習得できるという長所を有する。更に、早い時期から生物学的データの加工に用いることのできるbioperlなどのライブラリが整備されたため、いっそう有用となった。ある配列の公開配列データベース(NCBI GenBank など)からの取得、GenBankフォーマットやEMBLフォーマットで記述されたファイルからの情報抽出、BLASTの自動化等はきわめて容易に行える環境が整っている。
研究用プログラムの開発に使われる言語としては他に以下のようなものがあげられる。これらの殆どにそれぞれバイオインフォマティクス用のライブラリが開発されている。
データベースは、バイオインフォマティクスの研究と応用に不可欠である。DNAやタンパク質の配列、分子構造、表現型、生物多様性など、さまざまな情報タイプをカバーする多くのデータベースが構築されている。データベースには、実験的に取得される実験データと、分析から取得される予測データの片方または両方が含まれる。データベースはしばしば、特定の生物や代謝経路、目的分子に特化して構築される。また一方で、他の複数のデータベースからコンパイルされたデータを組み込むこともある。バイオインフォマティクスで扱うデータは、一次元の文字列(シーケンス全般)から、三次元構造のマトリクス (PDB)、計算機科学におけるグラフ(ネットワークデータ全般)、遺伝子オントロジーのような有向非巡回グラフ (DAG; directed acyclic graph) といった非常に多岐にわたるデータ構造を持つ。各種のデータベースは、ファイル形式やアクセスメカニズム、パブリックかどうか、などの様々な点で差異がある。生物学研究に用いられる主なデータベースは、以下のようなものが挙げられる(カッコ内は具体例):
データはフラットファイル(一般的なテキストファイル)に比較的単純な形で保存されているケースも多いが、研究が本格化してデータ量が増大してくると、より効率的な利用を図るために関係データベース管理システム (RDBMS) やXMLなどを利用したより高度な管理が図られることが多い。生物学の研究においては、複数の公共データベースからのデータを使ったデータマイニングが非常に重要度を増しているため、データの相互利用と言う観点からも、XML、Webサービスなどの標準的技術の利用は今後も進んで行くと思われる。この考えを更に進め、セマンティック・ウェブ関連の技術(RDFやOWLなど)を利用した、コンピュータによるデータの相互利用を模索する動きもあり、BioPax プロジェクトなどはその一例である。
バイオインフォマティクス用のソフトウェアツール(英語版:Software tools for bioinformatics)は、単純なコマンドラインツールから、さまざまなバイオインフォマティクス企業や公的機関が提供するより複雑なグラフィカルプログラム、スタンドアロンのWebサービスなど、多岐に渡り、非常に多くのバイオインフォマティクスソフトウェアが開発され公開されている。多くのソフトウェアがオープンソースとされており、研究者は自由に利用することができる場合が多いが、有償のものもある。データベースを基盤とするソフトウェアは、開発元がWebブラウザから利用できるウェブアプリケーションとして公開している場合も多い。
1980年代にバイオインフォマティクスが盛り上がって以来、多くのフリーでオープンソースのソフトウェアツールが開発され公開されている。新しいタイプの生物学的な成果を生み出すためには、新しいアルゴリズムを開発することが必要になることも多い。一方で、革新的なin silico実験から新たな知見を得られる可能性もある。そのため、ソフトウェアを自由に利用できるオープンコードで無料で公開することで、あらゆる研究グループがバイオインフォマティクスに貢献する文化が育まれている。オープンソースツールは、アイデアを生み出し育む器として機能し、商業的アプリケーションに組み込まれることもある。また、生体情報統合の課題を支援するための、事実上の標準化や共有オブジェクトモデルを提供することもある。
オープンソース・ソフトウェア・パッケージには、Bioconductor、BioPerl、Biopython、BioJava、BioJS、BioRuby、Bioclipse、EMBOSS、.NET Bio、Orange、Apache Taverna、UGENE、GenoCAD、などのソフトウェア類が挙げられる。また、この伝統を維持し、さらなる機会を創出するために、非営利のOpen Bioinformatics Foundation は、2000年以来毎年開催されるBioinformatics Open Source Conference(BOSC)を支援してきている。
パブリックなバイオインフォマティクスデータベースを構築する方法としては、WikiOpener拡張機能を備えたMediaWikiエンジンを使用する方法もある。このシステムでは、その分野の研究者が各自でデータベースにアクセスして更新することができる。
SOAPおよびRESTベースのインターフェースが、さまざまなバイオインフォマティクスアプリケーション向けに開発されている。このようなシステムの元では、サーバー上に保管されているアルゴリズムやデータ、コンピューティングリソースに対して、世界中のコンピューター上からアクセスしてアプリケーションを実行することができる。エンドユーザーがソフトウェアやデータベースのメンテナンスのオーバーヘッドに対処する必要がないという利点がある。
基本的なバイオインフォマティクスサービスは、EBIによる3つのカテゴリに分類できる。シーケンス検索サービス(SSS)、シーケンスアライメント(MSA)、生物学的シーケンス分析(BSA)である。 これらのバイオインフォマティクスリソースの可用性は、Webベースのバイオインフォマティクスソリューションの適用性の広さを示している、このようなWebサービスは、スタンドアロンの各種ツール類から、統合型の分散型で拡張可能なバイオインフォマティクスのワークフロー管理システム(bioinformatics workflow management systems)まで、幅広く存在する。
バイオインフォマティクスワークフロー管理システムは、バイオインフォマティクスアプリケーションにおける一連の計算やデータ操作のステップ、つまりワークフローを構成し実行するために設計された、ワークフロー管理システムの特殊な形式である。下記の様な特徴があり、例としてはGalaxy、Kepler、Taverna、UGENE、Anduril、HIVEなどが挙げられる。
2014年に米国食品医薬品局は、バイオインフォマティクスの再現性について議論する会議を主催し、国立衛生研究所のベセスダキャンパスで開催された。それから3年間に渡り、政府、業界、および学術団体の代表によるコンソーシアムが定期的に開かれ、BioComputeパラダイムについて話し合いが行われた。セッションリーダーは、FDAとNIHの研究所とセンターの多数の支部、Human Variome ProjectやEuropean Medical Federation for Medical Informaticsなどの非営利団体、Stanford、New York Genome Center、George Washington Universityなどの研究機関の代表であった。
この会議によりBioComputeは、バイオインフォマティクスプロトコルの再現性、複製、レビュー、再利用を可能にするデジタル「ラボノートブック」形式のパラダイムを決定した。これは、グループ間のアイデアの交換を促進しながら、通常の人員流動の過程で研究グループ内のより大きな継続性を可能にするために提案されて。
2016年、グループはベセスダのNIHで再招集し、BioComputeパラダイムの例であるBioComputeオブジェクトの可能性について議論をすすめた。 この成果は、'standard trial use'ドキュメントとbioRxivにアップロードされたプレプリント論文として発表された。BioComputeオブジェクトを使用すると、JSON化されたレコードを従業員、共同編集者、規制当局間で共有することができる。
バイオインフォマティクスの概念と方法を教育するために、様々なプラットフォームが設計されている。たとえば、スイスのバイオインフォマティクス研究所トレーニングポータルを通じて提供される ROSALIND のオンラインコースが挙げられる。カナダのバイオインフォマティクスワークショップは、クリエイティブ・コモンズライセンスに基づいて、ウェブサイトのトレーニングワークショップのビデオとスライドを提供している。 4273πプロジェクト または4273piプロジェクト も、オープンソースの教育資料を無料で提供している。 このコースは低コストのRaspberry Piコンピュータを利用し、大人や学校の生徒を教えるために使用されている。4273πは、Raspberry Piコンピューターと4273πオペレーティングシステムを使用して、研究レベルのバイオインフォマティクスを利用している研究者や研究スタッフによるコンソーシアムによって積極的に開発されている。
バイオインフォマティクス分野の国内学会および国際学会として、日本バイオインフォマティクス学会およびInternational Society for Computational Biologyがある。
また国際会議として、Intelligent Systems for Molecular Biology (ISMB)、European Conference on Computational Biology (ECCB)、Research in Computational Molecular Biology (RECOMB)、International Conference on Genome Informatics (GIW)などがある。 | [
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"text": "バイオインフォマティクス(英語:bioinformatics)とは、生命科学と情報科学の融合分野のひとつであり、DNAやRNA、タンパク質をはじめとする、生命が持つ様々な「情報」を対象に、情報科学や統計学などのアルゴリズムを用いた方法論やソフトウェアを開発し、またそれらを用いた分析から生命現象を解き明かしていく(in silico 解析)ことを目的とした学問分野である。そのためバイオインフォマティクスは広義には、生物学、コンピュータサイエンス、情報工学、数学、統計学といった様々な学問分野が組み合わさった学際分野自体を指す。日本語では生命情報科学や生物情報学、情報生命科学などと表記される。",
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"text": "ゲノミクス研究の初期においては、遺伝子予測等のゲノミクスに関する分野がバイオインフォマティクスの主要な対象であった。近年ではゲノムを超えて、ゲノムからの転写物の総体であるトランスクリプトームや、トランスクリプトーム(の一部)が翻訳されたタンパク質の総体であるプロテオーム、タンパク質の二次産物として合成される糖鎖の総体であるグライコーム、更にはゲノムからの直接的に転写・翻訳された実体だけではなく、代謝ネットワーク(代謝マップ)によって生じた代謝産物をも含めた総体を考えるメタボローム、生物個体の表現形の総体であるフェノームなど、バイオインフォマティクスが対象とする研究分野は生物学全体に拡大・発展しつつある。",
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"text": "ゲノムシーケンシング技術の登場と発展により、多くの生物を対象にゲノム解析プロジェクトが進められ、それに伴い大量のゲノム配列情報が得られるようになった。ところが、得られる大量の配列情報から人力で生物学的な意味を抽出することは極めて困難であり、情報処理による解析の必要性が高まっている。遺伝子情報は(A,T,C,Gという塩基で記述できる)核酸配列というデジタル情報に近い性格を持っているために、コンピュータとの親和性が高い。さらにマイクロアレイなどの網羅的な解析技術の発展に伴って、遺伝子発現のプロファイリングやクラスタリング、アノテーション、大量のデータを視覚的に表現する手法などが重要になってきている。これらの理由により、バイオインフォマティクスはその重要性が注目されるようになり、特に1990年代半ばのヒトゲノムプロジェクトやDNAシーケンステクノロジーの急速な進歩によって爆発的に成長し、発展してきた。",
"title": "概要"
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"text": "バイオインフォマティクスの主な研究対象としては、遺伝子予測、遺伝子機能予測、遺伝子分類、配列アラインメント、ゲノムアセンブリ、タンパク質構造アラインメント、タンパク質構造予測、遺伝子発現解析、タンパク質間相互作用の予測、進化モデリング、ドラッグデザイン、創薬、等の、様々なコンピュータープログラミングを使用した各種の生物学研究分野が挙げられる。また、特にゲノミクスの分野で繰り返し使用されるような特定の解析パイプラインを開発するといった、方法論の開発に関する研究も含まれる。バイオインフォマティクスを活用した研究の一例として、疾患の遺伝的根拠や生物の環境適応、(特に農業分野における)植物や動物の特性解析、個体群間の差異などをよりよく理解するための候補遺伝子や一塩基多型(SNP)の探索、などがある。 さらに、プロテオミクスと呼ばれるタンパク質を対象としたデータをゲノム配列と組み合わせたバイオインフォマティクス研究も進められている。",
"title": "概要"
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"text": "データ解析を中心としたバイオインフォマティクスでは、ハイスループットな実験手法によって蓄積された大量のデータを目的に応じて加工・標準化し、データマイニングや可視化、その他統計的手法による分析などを通じて解析する、という流れをとることが多い。いずれの段階でもコンピュータは使用され、その形態はパーソナルコンピュータ (PC) を利用したスクリプトによる小規模なシーケンスデータ加工から、産業技術総合研究所生命情報工学研究センターなどによるIBM Blue Geneのような20TFlopsのスーパーコンピュータや大規模なコンピュータ・クラスター、グリッド・コンピューティング等を用いたタンパク質の立体構造解析(タンパク質構造予測)まで様々である。",
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"text": "今日、バイオインフォマティクスは、生物学の多くの分野で重要な役割を果たしている。例えば分子生物学研究では、画像処理や信号処理などのバイオインフォマティクス技術を利用して、大量の生データから有用な結果を抽出することが行われている。遺伝学の分野では、ゲノム配列や突然変異した配列の決定と注釈付け(アノテーション)に活用される。 生物学的文献のテキストマイニングや、生物学的な遺伝子オントロジーの開発を通じて、膨大に蓄積された生物学的データを利用しやすい形で整理する役割も果たしている。また、遺伝子やタンパク質の発現調節の解析にも、深く関与している。バイオインフォマティクスツールは、遺伝子やゲノムのデータ比較と分析、解釈を支援し、分子生物学の進化的な理解にも貢献している。より統合的なレベルでは、個々の遺伝子やタンパク質の解析から一歩進み、生命を遺伝子やタンパク質のネットワークとして捉え、その総体をシステムとして理解しようとする、システム生物学という分野も生まれている。バイオインフォマティクスは生物学的代謝経路とネットワークの分析やカタログ化に役立ち、システム生物学を支えている。構造生物学の分野においては、生体分子の相互作用だけでなく、DNA、RNA、タンパク質 等のシミュレーションとモデリングにも役立っている。また、機械学習による遺伝子領域予測や、タンパク質構造予測、次世代シーケンサーを利用したゲノム解析など、大きな計算能力を要求される課題が多く存在するため、スーパーコンピュータの重要な応用領域の一つとしても認識されている。",
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"text": "バイオインフォマティクスという用語は、Paulien HogewegとBen Hesperによって、1970年に生物システムの情報処理の研究に言及するために作られた用語である。この定義では、生化学(生物学的システムにおける化学プロセスの研究)と平行した研究分野の概念としてバイオインフォマティクスを位置づけており、今日使われているものとは意味が異なっている。",
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"text": "1950年代初頭にフレデリック・サンガーがインスリンの配列を最初に決定して以来、タンパク質のアミノ酸配列を研究で利用することが可能になった。しかしながら、複数のシーケンスを手動で比較することは(過去は実際に行われていたが)実用的ではなく、コンピューターを用いた解析が分子生物学にも必要不可欠になった。この分野の先駆者はマーガレット・オークリーデイホフ(Margaret Belle Oakley Dayhoff)である。彼女は最初に、書籍の出版物 としてとして公開された最初のタンパク質配列データベースの1つを編集し、配列整列と分子進化の先駆的な方法を開発した。バイオインフォマティクスへのもう一つの初期の貢献は、1970年にエルウィン・A・カバット(Elvin A. Kabat) が抗体配列を包括的なボリュームで解析し、生物学的な配列解析の分野を開拓したことである。この一連の研究はTai Te Wuと共に1980年から1991年にかけて発表された。",
"title": "概要"
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"text": "生物学におけるバイオインフォマティクスの主な目的は、他の生物学派生分野と同様に、生物学的プロセスの理解をより深めることにある。ただし、他のアプローチとの違いは、より計算集約的な手法の開発と適用に重点を置いている点である。用いられる技術の例としては、パターン認識、データマイニング、機械学習アルゴリズム、などが挙げられる。また、例えば疾患研究の分野において、正常な細胞活動がさまざまな病状でどのように変化するかを明らかにするためには、生物学的データを組み合わせて、これらの活動の包括的な構造を理解する必要がある。そのため、さまざまなタイプのデータを組み合わせた分析と解釈を行えるように、バイオインフォマティクスの分野は進化してきた。これには、塩基およびアミノ酸配列の他、タンパク質ドメインやタンパク質構造が含まれる。",
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"text": "データを分析および解釈する実際のプロセスは、計算生物学と呼ばれる。バイオインフォマティクスおよび計算生物学の重要な研究目標の一つに、大規模なデータセットにおいてメンバー間の関係を評価する新しいアルゴリズムと統計的尺度の開発がある。例えば、ゲノム配列内から遺伝子領域を予測したり、タンパク質の構造や機能を予測したり、タンパク質配列を関連配列のファミリーにクラスター化する方法など、に関する研究が進められている。また、さまざまな種類の生物学的情報リソースを整理し、管理し、効率的なアクセスと利用を可能にするコンピュータプログラムやシステムの開発と実装も、また重要な課題である。すなわちバイオインフォマティクスでは、データベースの作成と進歩、アルゴリズム、計算技術と統計技術、そして生物学的データの管理と分析から生じる形式的で実用的な問題を解決するための理論、が必要とされている。",
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"text": "過去数十年にわたり、ゲノムおよびその他の分子研究技術の急速な発展と情報技術の発展が相まって、分子生物学に関連する膨大な量の情報が生み出されている。バイオインフォマティクスは、生物学的プロセスの理解を深めるために使用されるこれらの数学的および計算機科学的なアプローチを表す言葉でもある。",
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"text": "バイオインフォマティクスは生物計算機学(biological computation)と一見似ているが、これは異なる科学分野である。生物計算機学は生物工学と生物学を使用して生物学的なコンピュータを設計することが主眼であるが、バイオインフォマティクスは逆にコンピュータを用いた計算を使用して生物学をよりよく理解することが主眼である。バイオインフォマティクスと生物計算機学の分野には共に、生物学的データ、特にDNA、RNA、タンパク質配列の分析が含まれる。",
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"text": "生物学的データを分析して意味のある情報を生成するには、グラフ理論、人工知能、ソフトコンピューティング、データマイニング、画像処理、コンピューターシミュレーション、等のアルゴリズムを使用するソフトウェアプログラム実行し、また必要に応じて作成する必要がある。またこのようなアルゴリズムは、離散数学、制御理論、システム理論、情報理論、統計などの理論的基盤に依存する。",
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"text": "ファージの一種であるPhage Φ-X174が1977年に配列決定されて以来、数千の生物のDNA配列が解読され、データベースに保存されている。この配列情報は、タンパク質、RNA遺伝子、調節配列、構造モチーフ、反復配列をコードする遺伝子を決定するために分析されている。例えば、種内や種間で遺伝子配列を比較することで、タンパク質機能間の類似性を評価したり、あるいは系統樹を構築することで種間の分子系統学的関係を示すことができる。 データ量の増加に伴い、DNA配列を手作業で分析することはすでに非現実的である。今日ではBLASTなどの相同性検索を行うコンピュータプログラムを用いて、例えばGenBankに登録された1600億以上のヌクレオチドを含む260,000を超える生物から配列を検索することが日常的に行われている(数字は2008年のもの)。これらのプログラムは、DNAシーケンスの変異(塩基の置換、欠失、挿入など)を補正して、類似するが同一ではない配列を検索できる。検索結果は、クローニングした遺伝子の部分情報から遺伝子全体の配列を予測したり、構造が未知のタンパク質の二次構造を予測したり、解読されたゲノムの中から遺伝子を検出してその機能を予測するなどの研究の基盤となる。また配列情報から由来する生物種の系統学的分類を推定するという問題を解くために、Krakenのような最新の k-merベースのソフトウェアも作成されており、アライメント手法では到達できない実行高速性を実現している。",
"title": "配列解析"
},
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"text": "DNAシーケンサーから出力される生データには多量のノイズや弱信号が含まれており、下流の解析に悪影響を与える可能性がある。さまざまな実験プロトコルや環境におけるDNAシーケンシングデータからの塩基決定(ベースコール)を行うアルゴリズムが開発されている。",
"title": "配列解析"
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"text": "多くのDNAシーケンス技術は、短い配列フラグメントを生成する。そのため、完全な遺伝子や全ゲノム配列を取得するためには、この配列フラグメントをアセンブルして再構築する必要がある。ヒトゲノム計画では、ある配列断片から順番に配列を解読する手法が考えられていたが、クレイグ・ベンターらによるショットガン法により遥かに高効率で解読が進められるようになった。いわゆるショットガンシーケンステクニック(たとえば、Institute for Genomic Research (TIGR)による最初の細菌ゲノムHaemophilus influenzaeのゲノム決定でも使用された)は、ゲノム配列をバラバラな短い断片に分断してそれぞれを解読し(シーケンシング技術に応じて、35〜900ヌクレオチド長)、その後同一の配列を重複する領域として並べ替えることによってゲノム配列を再現する。これらのフラグメントの両端は重なり合っており、ゲノムアセンブリプログラムによって適切に整列されることで、完全なゲノムを再構築することができる(配列アセンブリング)。しかしながら、多くの断片がある中で正しい並び方を決定することはコンピュータの計算能力がなければ不可能である。そして、このフラグメントをアセンブルするタスクは、特に大きなゲノムにおいては非常に複雑になる可能性がある。例えばヒトゲノムは約3Gbのサイズがあるが、この程度のゲノムの場合、大容量メモリのマルチプロセッサコンピューターであってもショットガン配列をアセンブリするのには何日ものCPU時間を要する場合があり、また結果として生じるアセンブリには通常、多数のギャップが残っている。しかしながら、ショットガンシーケンスは事実上、あらゆる生物種の全ゲノムを決定する上で現実的に最適な方法となっている。そのため、高速・高性能なゲノムアセンブリアルゴリズムを開発することは、バイオインフォマティクスの重要な研究領域の一つとなっている。",
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"text": "ゲノミクスの文脈においてアノテーションとは、DNA配列内の遺伝子領域やその機能、そしてその他の生物学的特徴をマークするプロセスである。ほとんどのゲノムは大きすぎるため、手動で注釈を付けることができない。そのため、このプロセスは自動化する必要がある。さらに次世代シーケンシング技術の登場によって大量のデータが高速に得られるようになっており、大量のゲノムに対して高速にアノテーションを付けたいという研究上の要望は高まっている。",
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"text": "包括的なゲノムアノテーションシステムは、自由生活生物である細菌Haemophilus influenzaeのゲノムの最初の完全な配列決定と分析を行ったThe Institute for Genomic Researchのチームによって、1995年に初めて報告された。Owen Whiteは、タンパク質をコードするすべての遺伝子とtRNA、rRNA、およびその他のサイトを特定し、またその生物学的機能を推定する初期のソフトウェアシステムを構築した。 現在でも、ほとんどのゲノムアノテーションシステムは当時と同様な機能を持っているが、例えばHaemophilus influenzaeでタンパク質をコードする遺伝子を見つけるために使用されたGeneMarkプログラムなどのように、ゲノムDNAの分析に利用される個々のプログラムの多くは常に更新されており、機能改善の模索が続けられている。",
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"text": "ヒトゲノムプロジェクトが2003年に完了したが、残された様々な課題や新たな目標の達成のために、アメリカ国立衛生研究所内の国立ヒトゲノム研究所によって新たにENCODEプロジェクトが発足した。このプロジェクトでは、次世代DNAシーケンス技術とゲノムタイリングアレイを使用して、ヒトゲノムの機能的な要素に関するデータを共同でコレクションすることが行われた。次世代シーケンシング技術は、塩基あたりのコストを大幅に削減して大量のデータを生成できる技術であり、しかも従来と同じ誤差精度(ベースコールエラー)と信頼性度(アセンブリエラー)を持っていることが特徴である。",
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"text": "進化生物学とは、種の起源と分化、そして系統の経時的な変化を明らかにする学問分野である。バイオインフォマティクスは進化生物学分野においても重要な役割を果たしている。",
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"text": "より複雑な課題としては、生命の木を再構築する研究も進められている。",
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"text": "なお、遺伝的アルゴリズムを使用するコンピューターサイエンスの研究領域は、計算進化生物学と混同されることがあるが、この2つの領域は必ずしも関連しているわけではない。",
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"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "比較ゲノム解析の目的の一つは、異なる生物における遺伝子(オルソログ遺伝子)や他のゲノム上の特徴の対応関係を明らかにすることである。また例えば、2つのゲノムが系統上で分岐した際の進化過程は、両ゲノム間の対応関係を取ることで、例えばどのゲノム領域が欠失したり重複したのかを明らかにし、進化過程を追跡することができる。 現実的には、様々な組織レベルで作用する多数の進化イベントが組み合わさって、ゲノム進化が形作られる。最も最小レベルでの変化は、個々のヌクレオチドが影響してくる点変異である。一方でより高いレベルでは、大きな染色体セグメントが複製、移動、逆位、転位、欠失、および挿入を受けることがある。最も大きなレベルでは、ゲノム全体のハイブリダイゼーションや倍数化、そして細胞内共生過程といったイベントに関与し、しばしば急速な種分化を引き起こす。このようなゲノム進化の複雑さは、数学モデルやアルゴリズム開発を行う上でもチャレンジングな課題となっている。そのため、正確なヒューリスティックやパラメーター固定、節約モデルに基づく問題の近似アルゴリズムや、確率モデルに基づくベイズ分析のためのマルコフチェーンモンテカルロアルゴリズムの利用に至るまで、アルゴリズム、統計、および数学的な様々な手法の利用が研究されている。これらの研究の多くにおいては、事前に遺伝子配列を配列相同性に基づいてタンパク質ファミリーに割り当てている。",
"title": "配列解析"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "環境中には多様で大量の原核微生物系統が生息しており、その生理生態を理解することは、地球上の物質循環やその環境における生態系を理解する上で重要である。そのためには、どのような生理学的機能を持つ微生物が、どのような割合でそこに存在するのか、を理解することが必要である。メタゲノム解析は、環境中に存在する細菌叢サンプルからゲノムDNAを直接回収し、主にショットガンシーケンスを行ってバイオインフォマティクス解析を行うことで、それらに関して解析する、微生物学・ウイルス学の研究分野である。",
"title": "配列解析"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "パンゲノム解析(Pac Genomics)は2005年にTettelinとMediniによって導入された概念であり、特定の分類群において保持されている遺伝子の網羅的な遺伝子レパートリーを表す。最初は種レベルの近縁系統に適用されましたが、属や門といったより大きな分類群にも適用できる。パンゲノムはコアゲノムとフレキシブルゲノムの2つの群から構成されている。コアゲノムは全ゲノムに共通した遺伝子セットを指し、多くの場合、これらの遺伝子は生存に不可欠なハウスキーピング遺伝子である。一方でフレキシブルゲノム(Dispensable / Flexible Genome)は、1つ以上のゲノムにおいて存在しない一連の遺伝子を指す。例えばバイオインフォマティクスツールであるBPGAを使用して、細菌種のパンゲノムを特徴付けることができる。",
"title": "配列解析"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "次世代シーケンシングの登場により、不妊症 や乳がん、アルツハイマー病といった複雑な遺伝性疾患の関連遺伝子をマッピングする研究が進められている。ゲノムワイド関連研究(GWAS)は、このような複雑な疾患の原因となる変異を特定するための有用なアプローチである。これらの研究により、類似の疾患や形質に関連する何千ものDNA変異体が特定されている。さらに、遺伝子情報を予後の推定や診断、治療方針の決定に利用するための研究も進められている。そのために、使用する遺伝子を選択する手法や、疾患の存在または予後を予測するために遺伝子を使用することの問題点の両方について、多くの研究において議論がすすめられている。",
"title": "配列解析"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "悪性腫瘍(癌)においては、癌細胞のゲノムは非常に複雑(予測不可能)な形で組み換えが起きることが知られている。大規模なシーケンシング研究により、癌細胞に見られるさまざまな遺伝子上の点突然変異の特定が進められてきた。このような研究においては、膨大な量の配列データを管理するための専用の自動化システムや新しいアルゴリズムとソフトウェアの作成を通じて、シーケンシングの結果をヒトゲノム配列や生殖系列多型のコレクションと比較するバイオインフォマティクス解析が進められている。また、染色体の増減を比較するオリゴヌクレオチドマイクロアレイ( 比較ゲノムハイブリダイゼーション)や、既知の点変異を検出する一塩基多型アレイなど、新しい物理的検出技術が採用されています。 これらの検出方法は、ゲノム全体で数十万のサイトを同時に測定することができ、ハイスループットで数千のサンプルを測定する場合、実験ごとに数テラバイトものデータを生成する。そのため、この膨大なデータ量を処理するための新しい手法に関する研究も進められている。また、データにはかなりの変動性またはノイズが含まれているため、実際のコピー数の変化を推測するために、隠れマルコフモデルに基づく変化点分析法が開発されている。また、エクソソームの突然変異の同定では、癌は遺伝子に蓄積された体細胞変異の疾患であり、がんには疾患発症に関係する(ドライバー)変異と無関係な(パッセンジャー)変異の区別される2種類が含まれている、という2つの重要な原則があり、生物情報学的解析を行う上でも重要になっている。",
"title": "配列解析"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "シーケンシング技術のさらなる進歩により、癌のゲノミクスは劇的に変化する可能性がある。新しい方法とソフトウェアにより、より多くの癌ゲノムをより迅速かつ手頃な価格でシーケンスできるようになれば、がんによるゲノム内変異の分析とがんの種類の分類がさらに発展する可能性がある。さらに、癌サンプルのシーケンスからがんの進行状況を追跡できるようになる可能性も指摘されている。",
"title": "配列解析"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "多くの場合、遺伝子の発現はマイクロアレイ、発現cDNAシーケンスタグ(expressed cDNA sequence tag; EST)シーケンス、遺伝子発現連続分析(serial analysis of gene expression; SAGE)タグシーケンス、超並列シグネチャシーケンス (massively parallel signature sequencing; MPSS)、RNA-Seq(またはWhole Transcriptome Shotgun Sequencing; WTSS)、マルチプレックスin-situハイブリダイゼーション、などの手法でmRNAレベルを測定することで決定する。これらの手法はすべて、ノイズが非常に発生しやすく、生物学的な測定バイアスがかかってくるため、ハイスループットの遺伝子発現研究においてこのようなノイズを除去して信頼できる信号を分離する統計ツールの開発が計算生物学の研究分野で重要になっている。このような遺伝子発現研究は、疾患に関与する遺伝子を特定するためによく使用される。例えば癌性上皮細胞のマイクロアレイデータを非癌性細胞のデータと比較して、特定の癌細胞集団で発現上昇あるいは発現抑制される転写産物を決定することができる。",
"title": "遺伝子とタンパク質の発現"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "タンパク質マイクロアレイとハイスループット(HT)質量分析(mass spectrometry; MS)は、生体サンプルに存在するタンパク質のスナップショットを提供する。得られるタンパク質マイクロアレイとHTMSデータの解析には、バイオインフォマティクスは重要である。前者のアプローチはmRNAをターゲットとするマイクロアレイと同様の問題に直面し、後者は大量の質量データをタンパク質配列データベースからの予測質量と照合し、不完全なペプチドを除くための複雑な統計分析が必要になる。組織における細胞タンパク質の空間局在は、免疫染色や組織マイクロアレイに基づいたアフィニティプロテオミクスによって解析することができる。",
"title": "遺伝子とタンパク質の発現"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "遺伝子転写調節は、ホルモンなどを含む細胞内外のシグナルによって、1つ以上のタンパク質の活性の増加・減少が駆動される、複雑な調節システムである。 このプロセスの各ステップを検証する、様々なバイオインフォマティクス技術が適用されている。たとえば、遺伝子発現は プロモーターのような、ゲノム内で遺伝子に近接した要素によって調節される。プロモーター分析ではまず、遺伝子コード領域に近接しているDNA配列中から、特定の配列モチーフを検出する。 これらのモチーフは、その領域がmRNAに転写される際に影響を与える。一方で、プロモーターから離れたエンハンサー要素は、3次元的な相互作用を通じて遺伝子発現を調節することもある。このような相互作用は、染色体コンフォメーションキャプチャ(Hi-C)法による実験と得られたデータのバイオインフォマティクス解析から決定される。",
"title": "遺伝子とタンパク質の発現"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "また、遺伝子発現データから、遺伝子転写調節の要因を推測する研究もある。さまざまな状態の組織から得られたマイクロアレイデータを比較して、各状態に関与する遺伝子の挙動を推測することができる。例えば単細胞生物では、細胞周期の段階におけるストレス条件(熱ショック、飢餓など)を比較できる。 あるいはクラスタリングアルゴリズムを発現データに適用することで、遺伝子の共発現を解析できる。たとえば、共発現する遺伝子の上流領域(プロモーター)を探索することで、過剰発現を引き起こす調節要素を調べることができる。遺伝子クラスタリングに適用されるクラスタリングアルゴリズムの例には、k平均クラスタリング、自己組織化マップ (SOM)、階層的クラスタリング、コンセンサスクラスタリング、などの手法がある。",
"title": "遺伝子とタンパク質の発現"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "細胞内のオルガネラや遺伝子、タンパク質、およびその他のコンポーネントの位置を分析するために、様々なアプローチが開発されている。これらのコンポーネントの位置は細胞内のイベントに影響を与えるため、その分布や局在を調べることは生物系の挙動を予測するのに役立つ。遺伝子オントロジーのカテゴリーである「細胞コンパートメント(cellular compartment)」は、細胞内局在を捉えるために考案され、多くの生物学的データベースで採用されている。",
"title": "細胞組織の解析"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "顕微鏡写真から、オルガネラや分子を検出することができる。また、がんなどの異常な細胞と正常細胞を区別することにも利用される。",
"title": "細胞組織の解析"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "タンパク質の局在化は、そのタンパク質の役割を評価するのに役立つ。たとえば、タンパク質が核で見つかった場合、それは遺伝子調節やスプライシングに関与している可能性がある。対照的に、タンパク質がミトコンドリアで見つかった場合、それは呼吸や他の代謝プロセスに関与している可能性がある。したがって、タンパク質の局在化は、タンパク質機能を予測する上で重要な情報源となる。タンパク質の細胞内位置に関するデータベースや予測ツールといったリソースが構築されている。",
"title": "細胞組織の解析"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "Hi-CやChIA-PETなどのハイスループット染色体コンフォメーションキャプチャー実験からのデータは、DNA遺伝子座の空間的近接性、すなわち核内で安定的に構造化されている立体的な折りたたみ構造によって、ゲノム配列上のどことどこの領域が近接して存在しているのか、に関する情報を提供する。そのためこれらの実験の分析から、クロマチンの三次元構造を決定することができると考えられる。ゲノムを3次元空間でまとめて構成されたトポロジカル関連ドメイン (TAD)といったドメイン分割に関する研究が、この分野のバイオインフォマティクスの課題となっている。",
"title": "細胞組織の解析"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "タンパク質のアミノ酸配列からその高次(2次、3次、及び4次)構造を予測することは、バイオインフォマティクスの大きな課題の一つである。タンパク質のアミノ酸配列(一次構造)は、それをコードする遺伝子の配列情報から、比較的簡単に決定できる。そして多くの場合、この1次構造は実際の細胞内における高次構造を一意に決定する。つまり、同じアミノ酸配列を持つタンパク質はずべて同じように細胞内でコンフォメーションをとて折りたたまれ、同じ2次構造や3次構造を立体構造を作り出す、ということである(ただし例外としては、牛海綿状脳症 (狂牛病)を引き起こすプリオンなどがある)。高次構造の知識は、タンパク質の機能を理解する上で不可欠である。しかしながら、一次配列からそのような高次構造を予測する一般的な手法は無く、未解決の問題となっている。現在までの多くのこれに関する研究は、ほとんどの場合、ヒューリスティックに焦点が向けられてきた。",
"title": "構造生物学"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "バイオインフォマティクスの重要なアイデアの1つは、「配列類似性」の概念である。バイオインフォマティクスのゲノム解析では、配列の類似性を利用して、その遺伝子の機能を予測する。具体的には、例えば機能がわかっている遺伝子Aの配列が、機能が不明な遺伝子Bの配列とある程度類似している場合、BがAの機能を共有することが予想される。バイオインフォマティクスの構造分野では、この配列類似性を使用して、タンパク質のどの部分が構造を作り、どの部分が他のタンパク質との相互作用に重要であるか、等を推測する。ホモロジーモデリングと呼ばれる手法では、配列的に類似なタンパク質の構造がわかっていれば、その情報を使用して任意のタンパク質の高次構造を予測する。この手法は、タンパク質構造を予測する有用な手法の一つである。この手法が効果的な例の一つは、ヒトのヘモグロビンと豆類のヘモグロビン(レグヘモグロビン)である。これらは同じタンパク質スーパーファミリーではあるが、遠い親戚関係のタンパク質である。どちらも生体内で酸素を輸送するという同じ目的を果たし、両者で完全に異なるアミノ酸配列を持っているが、構造的には実質的に同一であるため、ほぼ同一の目的を持り、かつ同一の祖先を共有していると考えられている。",
"title": "構造生物学"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "タンパク質構造を予測するための他の手法としては、タンパク質のスレッディングや、物理学ベースでゼロからモデリングを行うde novoの手法が提案されている。",
"title": "構造生物学"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "構造バイオインフォマティクスの別の側面としては、定量的な構造と活性の相関に関するモデルや、タンパク化学モデル(proteochemometric models; PCM)といった、仮想スクリーニングモデルへ利用することが挙げられる。さらに、タンパク質の結晶構造は、例えばリガンド結合研究のシミュレーションやインシリコ変異誘発研究に利用されている。",
"title": "構造生物学"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "ネットワーク分析は、代謝ネットワークやタンパク質間相互作用ネットワークなどの生物学的ネットワークの関係を理解することを目的としている。生物学的ネットワークは単一のタイプの分子またはエンティティ(遺伝子など)から構築される。また、ネットワーク生物学においてはしばしば、タンパク質や小分子、遺伝子発現データなど、物理的・機能的に関連する様々な異なるデータタイプを統合的に解析することがある。",
"title": "ネットワークとシステムバイオロジー"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "システム生物学では、細胞内における複雑なプロセスの関係性を分析し視覚化するために、代謝プロセスを担う代謝産物や酵素のネットワークやシグナル伝達経路、遺伝子調節ネットワークといった細胞システムをコンピューターシミュレーションを用いて解析する研究が進められている。人工生命や仮想進化といった単純な(人工)生命体のコンピューターシミュレーションを介して、進化の過程を理解する試みもなされている。",
"title": "ネットワークとシステムバイオロジー"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "2020年現在、数万を超えるタンパク質について、X線結晶学およびタンパク質核磁気共鳴分光法(タンパク質NMR)によって3次元構造が決定されている。構造バイオインフォマティクスの分野において、タンパク質間相互作用実験を行わずにこの3次元立体構造の情報からタンパク質間相互作用を予測することは、大きな課題となっている。タンパク質ドッキングを推測するさまざまな手法が開発され提唱されている。",
"title": "ネットワークとシステムバイオロジー"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "また、タンパク質同士の相互作用を超えて、例えばタンパク質-リガンド(薬物を含む)やタンパク質-ペプチドの相互作用を予測することも重要な課題である。原子結合の回転を考慮した分子動力学シミュレーション(Molecular dynamic simulation)も広く行われており、これは分子相互作用を研究するためのドッキングアルゴリズムと呼ばれる計算アルゴリズムが基本原理となっている。",
"title": "ネットワークとシステムバイオロジー"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "今日までに、膨大な数の学術論文が発表されてきており、その数はますます増加している。そのため、すべての論文を読むことは事実上不可能であり、研究の領域は細分化されていく傾向がある。計算言語学による文献分析では、計算と統計に基づく言語学的解析を通じて、増大するテキストリソースからマイニングすることを目的としている。例えば、略語認識(生物学用語の正式名称とその略語を特定する)、名前付きエンティティの認識(遺伝子名などの生物学的用語を認識して特定する)、タンパク質間相互作用(どのタンパク質がどのタンパク質と相互作用するかをテキストから特定する)、などに関して研究が進められている。",
"title": "テキスト解析"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "大量の情報量の多い生物医学画像の処理や定量化、分析を加速または完全に自動化するために計算技術を利用する研究も進められている。画像解析システムにおいては、大規模で複雑な画像セットから測定を行うための精度や客観性、そして処理速度の向上が重要になってくる。理想的には、分析システムの発達により、様々なケースにおいて人が画像や動画の判断をする必要がなくなる。このような画像処理システム自体は生物医学分野に固有のものではないが、例えば疾患の診断や研究においてはそれらの分野に特化した画像解析技術が重要になる。具体的な応用分野としては、以下のものが挙げられる。",
"title": "画像・動画解析"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "バイオインフォマティクス研究には、それぞれの目的に応じたプログラムの作成が欠かせない。プログラミング言語としては一般的な科学分野と同じように、いわゆる「重い」計算(タンパク質の二次構造、三次構造の予測——タンパク質構造予測などはその一例)を行なうときにはC等の比較的低レベルな処理を書ける高級言語も用いられるが、塩基配列と言う巨大な「文字列」を扱う局面が多いため、テキスト処理を得意とする言語であるPerlの利用が盛んである。",
"title": "バイオインフォマティクスとコンピュータ"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "Perlは、正規表現等の強力な文字列処理機能を持っているため配列解析に有効なだけでなく、プログラミングのトレーニングを積んでいないことが多い生物学出身の研究者にも比較的容易に習得できるという長所を有する。更に、早い時期から生物学的データの加工に用いることのできるbioperlなどのライブラリが整備されたため、いっそう有用となった。ある配列の公開配列データベース(NCBI GenBank など)からの取得、GenBankフォーマットやEMBLフォーマットで記述されたファイルからの情報抽出、BLASTの自動化等はきわめて容易に行える環境が整っている。",
"title": "バイオインフォマティクスとコンピュータ"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "研究用プログラムの開発に使われる言語としては他に以下のようなものがあげられる。これらの殆どにそれぞれバイオインフォマティクス用のライブラリが開発されている。",
"title": "バイオインフォマティクスとコンピュータ"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "データベースは、バイオインフォマティクスの研究と応用に不可欠である。DNAやタンパク質の配列、分子構造、表現型、生物多様性など、さまざまな情報タイプをカバーする多くのデータベースが構築されている。データベースには、実験的に取得される実験データと、分析から取得される予測データの片方または両方が含まれる。データベースはしばしば、特定の生物や代謝経路、目的分子に特化して構築される。また一方で、他の複数のデータベースからコンパイルされたデータを組み込むこともある。バイオインフォマティクスで扱うデータは、一次元の文字列(シーケンス全般)から、三次元構造のマトリクス (PDB)、計算機科学におけるグラフ(ネットワークデータ全般)、遺伝子オントロジーのような有向非巡回グラフ (DAG; directed acyclic graph) といった非常に多岐にわたるデータ構造を持つ。各種のデータベースは、ファイル形式やアクセスメカニズム、パブリックかどうか、などの様々な点で差異がある。生物学研究に用いられる主なデータベースは、以下のようなものが挙げられる(カッコ内は具体例):",
"title": "データベース"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "データはフラットファイル(一般的なテキストファイル)に比較的単純な形で保存されているケースも多いが、研究が本格化してデータ量が増大してくると、より効率的な利用を図るために関係データベース管理システム (RDBMS) やXMLなどを利用したより高度な管理が図られることが多い。生物学の研究においては、複数の公共データベースからのデータを使ったデータマイニングが非常に重要度を増しているため、データの相互利用と言う観点からも、XML、Webサービスなどの標準的技術の利用は今後も進んで行くと思われる。この考えを更に進め、セマンティック・ウェブ関連の技術(RDFやOWLなど)を利用した、コンピュータによるデータの相互利用を模索する動きもあり、BioPax プロジェクトなどはその一例である。",
"title": "データベース"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "バイオインフォマティクス用のソフトウェアツール(英語版:Software tools for bioinformatics)は、単純なコマンドラインツールから、さまざまなバイオインフォマティクス企業や公的機関が提供するより複雑なグラフィカルプログラム、スタンドアロンのWebサービスなど、多岐に渡り、非常に多くのバイオインフォマティクスソフトウェアが開発され公開されている。多くのソフトウェアがオープンソースとされており、研究者は自由に利用することができる場合が多いが、有償のものもある。データベースを基盤とするソフトウェアは、開発元がWebブラウザから利用できるウェブアプリケーションとして公開している場合も多い。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "1980年代にバイオインフォマティクスが盛り上がって以来、多くのフリーでオープンソースのソフトウェアツールが開発され公開されている。新しいタイプの生物学的な成果を生み出すためには、新しいアルゴリズムを開発することが必要になることも多い。一方で、革新的なin silico実験から新たな知見を得られる可能性もある。そのため、ソフトウェアを自由に利用できるオープンコードで無料で公開することで、あらゆる研究グループがバイオインフォマティクスに貢献する文化が育まれている。オープンソースツールは、アイデアを生み出し育む器として機能し、商業的アプリケーションに組み込まれることもある。また、生体情報統合の課題を支援するための、事実上の標準化や共有オブジェクトモデルを提供することもある。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "オープンソース・ソフトウェア・パッケージには、Bioconductor、BioPerl、Biopython、BioJava、BioJS、BioRuby、Bioclipse、EMBOSS、.NET Bio、Orange、Apache Taverna、UGENE、GenoCAD、などのソフトウェア類が挙げられる。また、この伝統を維持し、さらなる機会を創出するために、非営利のOpen Bioinformatics Foundation は、2000年以来毎年開催されるBioinformatics Open Source Conference(BOSC)を支援してきている。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "パブリックなバイオインフォマティクスデータベースを構築する方法としては、WikiOpener拡張機能を備えたMediaWikiエンジンを使用する方法もある。このシステムでは、その分野の研究者が各自でデータベースにアクセスして更新することができる。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "SOAPおよびRESTベースのインターフェースが、さまざまなバイオインフォマティクスアプリケーション向けに開発されている。このようなシステムの元では、サーバー上に保管されているアルゴリズムやデータ、コンピューティングリソースに対して、世界中のコンピューター上からアクセスしてアプリケーションを実行することができる。エンドユーザーがソフトウェアやデータベースのメンテナンスのオーバーヘッドに対処する必要がないという利点がある。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "基本的なバイオインフォマティクスサービスは、EBIによる3つのカテゴリに分類できる。シーケンス検索サービス(SSS)、シーケンスアライメント(MSA)、生物学的シーケンス分析(BSA)である。 これらのバイオインフォマティクスリソースの可用性は、Webベースのバイオインフォマティクスソリューションの適用性の広さを示している、このようなWebサービスは、スタンドアロンの各種ツール類から、統合型の分散型で拡張可能なバイオインフォマティクスのワークフロー管理システム(bioinformatics workflow management systems)まで、幅広く存在する。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "バイオインフォマティクスワークフロー管理システムは、バイオインフォマティクスアプリケーションにおける一連の計算やデータ操作のステップ、つまりワークフローを構成し実行するために設計された、ワークフロー管理システムの特殊な形式である。下記の様な特徴があり、例としてはGalaxy、Kepler、Taverna、UGENE、Anduril、HIVEなどが挙げられる。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "2014年に米国食品医薬品局は、バイオインフォマティクスの再現性について議論する会議を主催し、国立衛生研究所のベセスダキャンパスで開催された。それから3年間に渡り、政府、業界、および学術団体の代表によるコンソーシアムが定期的に開かれ、BioComputeパラダイムについて話し合いが行われた。セッションリーダーは、FDAとNIHの研究所とセンターの多数の支部、Human Variome ProjectやEuropean Medical Federation for Medical Informaticsなどの非営利団体、Stanford、New York Genome Center、George Washington Universityなどの研究機関の代表であった。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "この会議によりBioComputeは、バイオインフォマティクスプロトコルの再現性、複製、レビュー、再利用を可能にするデジタル「ラボノートブック」形式のパラダイムを決定した。これは、グループ間のアイデアの交換を促進しながら、通常の人員流動の過程で研究グループ内のより大きな継続性を可能にするために提案されて。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "2016年、グループはベセスダのNIHで再招集し、BioComputeパラダイムの例であるBioComputeオブジェクトの可能性について議論をすすめた。 この成果は、'standard trial use'ドキュメントとbioRxivにアップロードされたプレプリント論文として発表された。BioComputeオブジェクトを使用すると、JSON化されたレコードを従業員、共同編集者、規制当局間で共有することができる。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "バイオインフォマティクスの概念と方法を教育するために、様々なプラットフォームが設計されている。たとえば、スイスのバイオインフォマティクス研究所トレーニングポータルを通じて提供される ROSALIND のオンラインコースが挙げられる。カナダのバイオインフォマティクスワークショップは、クリエイティブ・コモンズライセンスに基づいて、ウェブサイトのトレーニングワークショップのビデオとスライドを提供している。 4273πプロジェクト または4273piプロジェクト も、オープンソースの教育資料を無料で提供している。 このコースは低コストのRaspberry Piコンピュータを利用し、大人や学校の生徒を教えるために使用されている。4273πは、Raspberry Piコンピューターと4273πオペレーティングシステムを使用して、研究レベルのバイオインフォマティクスを利用している研究者や研究スタッフによるコンソーシアムによって積極的に開発されている。",
"title": "教育プラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "バイオインフォマティクス分野の国内学会および国際学会として、日本バイオインフォマティクス学会およびInternational Society for Computational Biologyがある。",
"title": "学会・国際会議"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "また国際会議として、Intelligent Systems for Molecular Biology (ISMB)、European Conference on Computational Biology (ECCB)、Research in Computational Molecular Biology (RECOMB)、International Conference on Genome Informatics (GIW)などがある。",
"title": "学会・国際会議"
}
] | バイオインフォマティクスとは、生命科学と情報科学の融合分野のひとつであり、DNAやRNA、タンパク質をはじめとする、生命が持つ様々な「情報」を対象に、情報科学や統計学などのアルゴリズムを用いた方法論やソフトウェアを開発し、またそれらを用いた分析から生命現象を解き明かしていく(in silico 解析)ことを目的とした学問分野である。そのためバイオインフォマティクスは広義には、生物学、コンピュータサイエンス、情報工学、数学、統計学といった様々な学問分野が組み合わさった学際分野自体を指す。日本語では生命情報科学や生物情報学、情報生命科学などと表記される。 ゲノミクス研究の初期においては、遺伝子予測等のゲノミクスに関する分野がバイオインフォマティクスの主要な対象であった。近年ではゲノムを超えて、ゲノムからの転写物の総体であるトランスクリプトームや、トランスクリプトーム(の一部)が翻訳されたタンパク質の総体であるプロテオーム、タンパク質の二次産物として合成される糖鎖の総体であるグライコーム、更にはゲノムからの直接的に転写・翻訳された実体だけではなく、代謝ネットワーク(代謝マップ)によって生じた代謝産物をも含めた総体を考えるメタボローム、生物個体の表現形の総体であるフェノームなど、バイオインフォマティクスが対象とする研究分野は生物学全体に拡大・発展しつつある。 | [[ファイル:WPP_domain_alignment.PNG|右|サムネイル|500x500ピクセル|バイオインフォマティクスの一例。実験的に決定されたタンパク質のアミノ酸配列をアラインメントしたもの。]]
[[File:Genome viewer screenshot small.png|thumbnail|right|220px|'''ヒトX染色体の地図'''。[[ヒトゲノム]]解析はバイオインフォマティクスの最大の成果の一つである。]]
'''''バイオインフォマティクス'''''([[英語]]:bioinformatics)とは、[[生命科学]]と[[情報科学]]の融合分野のひとつであり、DNAやRNA、タンパク質をはじめとする、生命が持つ様々な「[[情報]]」を対象に、[[情報科学]]や[[統計学]]などのアルゴリズムを用いた方法論やソフトウェアを開発し、またそれらを用いた分析から生命現象を解き明かしていく([[in silico]] 解析)ことを目的とした学問分野である。そのためバイオインフォマティクスは広義には、[[生物学]]、[[計算機科学|コンピュータサイエンス]]、[[データ中心アプローチ|情報工学]]、[[数学]]、[[統計学]]といった様々な学問分野が組み合わさった[[学際]]分野自体を指す。日本語では'''生命情報科学'''や'''生物情報学'''、'''情報生命科学'''などと表記される。
[[ゲノミクス]]研究の初期においては、遺伝子予測等のゲノミクスに関する分野がバイオインフォマティクスの主要な対象であった。近年ではゲノムを超えて、ゲノムからの[[転写 (生物学)|転写]]物の総体である[[トランスクリプトーム]]や、トランスクリプトーム(の一部)が[[翻訳 (生物学)|翻訳]]された[[蛋白質|タンパク質]]の総体である[[プロテオーム]]、タンパク質の二次産物として合成される[[糖鎖]]の総体である[[グライコーム]]、更にはゲノムからの直接的に転写・翻訳された実体だけではなく、代謝ネットワーク([[代謝マップ]])によって生じた代謝産物をも含めた総体を考える[[メタボローム]]、生物個体の表現形の総体である[[フェノーム]]など、バイオインフォマティクスが対象とする研究分野は[[生物学]]全体に拡大・発展しつつある。
== 概要 ==
[[ファイル:Example_DNA_sequence.png|右|サムネイル|遺伝子やゲノム配列はバイオインフォマティクス分野で頻繁に利用される。コンピューターを使用することで、手動よりも簡単確実に管理できる。]]
ゲノムシーケンシング技術の登場と発展により、多くの生物を対象に[[ゲノム]]解析プロジェクトが進められ、それに伴い大量のゲノム配列情報が得られるようになった。ところが、得られる大量の配列情報から人力で生物学的な意味を抽出することは極めて困難であり、情報処理による解析の必要性が高まっている。遺伝子情報は(A,T,C,Gという塩基で記述できる)核酸配列という[[デジタル]]情報に近い性格を持っているために、コンピュータとの親和性が高い。さらに[[DNAマイクロアレイ|マイクロアレイ]]などの網羅的な解析技術の発展に伴って、[[遺伝子発現]]のプロファイリングや[[クラスタリング]]、アノテーション、大量のデータを視覚的に表現する手法などが重要になってきている。これらの理由により、バイオインフォマティクスはその重要性が注目されるようになり、特に1990年代半ばの[[ヒトゲノム計画|ヒトゲノムプロジェクト]]やDNAシーケンステクノロジーの急速な進歩によって爆発的に成長し、発展してきた{{要出典|date=2020年5月}}。
バイオインフォマティクスの主な研究対象としては、[[遺伝子]]予測、遺伝子機能予測、遺伝子分類、配列アラインメント、ゲノムアセンブリ、タンパク質構造アラインメント、タンパク質構造予測、遺伝子発現解析、タンパク質間相互作用の予測、進化モデリング、[[医薬品設計|ドラッグデザイン]]、[[創薬]]、等の、様々な[[プログラミング|コンピュータープログラミング]]を使用した各種の生物学研究分野が挙げられる。また、特に[[ゲノミクス]]の分野で繰り返し使用されるような特定の解析パイプラインを開発するといった、方法論の開発に関する研究も含まれる。バイオインフォマティクスを活用した研究の一例として、疾患の遺伝的根拠や生物の環境適応、(特に農業分野における)植物や動物の特性解析、個体群間の差異などをよりよく理解するための候補[[遺伝子]]や一[[ヌクレオチド|塩基]]多型([[一塩基多型|SNP]])の探索、などがある。 さらに、[[プロテオーム解析|プロテオミクス]]と呼ばれる[[タンパク質]]を対象としたデータをゲノム配列と組み合わせたバイオインフォマティクス研究も進められている<ref>{{Cite web|author=Lesk|first=A. M.|date=26 July 2013|title=Bioinformatics|url=https://www.britannica.com/science/bioinformatics|website=Encyclopaedia Britannica|accessdate=17 April 2017}}</ref>。
データ解析を中心としたバイオインフォマティクスでは、ハイスループットな実験手法によって蓄積された大量のデータを目的に応じて加工・標準化し、[[データマイニング]]や可視化、その他統計的手法による分析などを通じて解析する、という流れをとることが多い。いずれの段階でも[[コンピュータ]]は使用され、その形態は[[パーソナルコンピュータ]] (PC) を利用したスクリプトによる小規模な[[シーケンス]]データ加工から、[[産業技術総合研究所生命情報工学研究センター]]などによる[[IBM]] [[Blue Gene]]のような20T[[FLOPS|Flops]]のスーパーコンピュータや大規模な[[コンピュータ・クラスター]]、[[グリッド・コンピューティング]]等を用いた[[蛋白質|タンパク質]]の[[立体配座|立体構造]]解析([[タンパク質構造予測]])まで様々である{{要出典|date=2020年5月}}。
今日、バイオインフォマティクスは、生物学の多くの分野で重要な役割を果たしている。例えば[[分子生物学]]研究では、[[デジタル画像処理|画像処理]]や[[信号処理]]などのバイオインフォマティクス技術を利用して、大量の生データから有用な結果を抽出することが行われている。遺伝学の分野では、ゲノム配列や[[突然変異]]した配列の決定と注釈付け(アノテーション)に活用される。 生物学的文献の[[テキストマイニング]]や、生物学的な遺伝子[[オントロジー (情報科学)|オントロジー]]の開発を通じて、膨大に蓄積された生物学的データを利用しやすい形で整理する役割も果たしている。また、遺伝子やタンパク質の発現調節の解析にも、深く関与している。バイオインフォマティクスツールは、遺伝子やゲノムのデータ比較と分析、解釈を支援し、分子生物学の進化的な理解にも貢献している。より統合的なレベルでは、個々の遺伝子や[[蛋白質|タンパク質]]の解析から一歩進み、生命を遺伝子やタンパク質のネットワークとして捉え、その総体を[[システム]]として理解しようとする、[[システム生物学]]という分野も生まれている。バイオインフォマティクスは生物学的代謝経路とネットワークの分析やカタログ化に役立ち、[[システム生物学]]を支えている。[[構造生物学]]の分野においては、生体分子の相互作用だけでなく、DNA<ref name=":0">{{Cite journal|last=Sim|first=A. Y. L.|last2=Minary|first2=P.|last3=Levitt|first3=M.|year=2012|title=Modeling nucleic acids|journal=[[Current Opinion in Structural Biology]]|volume=22|issue=3|pages=273-78|DOI=10.1016/j.sbi.2012.03.012|PMID=22538125|PMC=4028509}}</ref>、RNA<ref name=":0" /><ref>{{Cite journal|last=Dawson|first=W. K.|last2=Maciejczyk|first2=M.|last3=Jankowska|first3=E. J.|last4=Bujnicki|first4=J. M.|year=2016|title=Coarse-grained modeling of RNA 3D structure|url=|journal=[[Methods (journal)|Methods]]|volume=103|pages=138-56|DOI=10.1016/j.ymeth.2016.04.026|PMID=27125734}}</ref>、タンパク質<ref>{{Cite journal|last=Kmiecik|first=S.|last2=Gront|first2=D.|last3=Kolinski|first3=M.|last4=Wieteska|first4=L.|last5=Dawid|first5=A. E.|last6=Kolinski|first6=A.|year=2016|title=Coarse-Grained Protein Models and Their Applications|journal=[[Chemical Reviews]]|volume=116|issue=14|pages=7898-936|DOI=10.1021/acs.chemrev.6b00163|PMID=27333362}}</ref> 等のシミュレーションとモデリングにも役立っている<ref>{{Cite book|last=Wong|first=K. C.|year=2016|title=Computational Biology and Bioinformatics: Gene Regulation|publisher=CRC Press/Taylor & Francis Group|isbn=9781498724975}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Joyce|first=A. P.|last2=Zhang|first2=C.|last3=Bradley|first3=P.|last4=Havranek|first4=J. J.|year=2015|title=Structure-based modeling of protein: DNA specificity|journal=[[Briefings in Functional Genomics]]|volume=14|issue=1|pages=39-49|DOI=10.1093/bfgp/elu044|PMID=25414269|PMC=4366589}}</ref><ref>{{Cite book|last=Spiga|title=Biomolecular Modelling and Simulations|pmid=25443955|doi=10.1016/bs.apcsb.2014.06.008|publisher=Academic Press|pages=77-111|volume=96|series=Advances in Protein Chemistry and Structural Biology|editor-first=T.|first=E.|editor-last=Karabencheva-Christova|chapter=New Strategies for Integrative Dynamic Modeling of Macromolecular Assembly|date=2014|first3=M.|last3=Dal Peraro|first2=M. T.|last2=Degiacomi|isbn=9780128000137}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Ciemny|first=Maciej|last2=Kurcinski|first2=Mateusz|last3=Kamel|first3=Karol|last4=Kolinski|first4=Andrzej|last5=Alam|first5=Nawsad|last6=Schueler-Furman|first6=Ora|last7=Kmiecik|first7=Sebastian|date=2018-05-04|title=Protein-peptide docking: opportunities and challenges|journal=Drug Discovery Today|volume=23|issue=8|pages=1530-37|language=en|DOI=10.1016/j.drudis.2018.05.006|ISSN=1359-6446|PMID=29733895}}</ref>。また、[[機械学習]]による遺伝子領域予測や、タンパク質構造予測、次世代シーケンサーを利用したゲノム解析など、大きな計算能力を要求される課題が多く存在するため、[[スーパーコンピュータ]]の重要な応用領域の一つとしても認識されている{{要出典|date=2020年5月}}。
=== 歴史 ===
''バイオインフォマティクス''という用語は、Paulien HogewegとBen Hesperによって、1970年に生物システムの情報処理の研究に言及するために作られた用語である<ref name="Hogeweg2011">{{Cite journal|last=Hogeweg P|year=2011|title=The Roots of Bioinformatics in Theoretical Biology|journal=PLOS Computational Biology|volume=7|issue=3|pages=e1002021|bibcode=2011PLSCB...7E2021H|DOI=10.1371/journal.pcbi.1002021|PMID=21483479|PMC=3068925}}</ref><ref>{{Cite journal|year=1970|title=Bioinformatica: een werkconcept|volume=1|issue=6|pages=28-29|publisher=Kameleon}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Hogeweg P|year=1978|title=Simulating the growth of cellular forms|journal=Simulation|volume=31|issue=3|pages=90-96|DOI=10.1177/003754977803100305|PMID=|PMC=}}</ref>。この定義では、[[生化学]](生物学的システムにおける化学プロセスの研究)と平行した研究分野の概念としてバイオインフォマティクスを位置づけており<ref name="Hogeweg2011" />、今日使われているものとは意味が異なっている。
1950年代初頭に[[フレデリック・サンガー]]が[[インスリン]]の配列を最初に決定して以来、タンパク質のアミノ酸配列を研究で利用することが可能になった。しかしながら、複数のシーケンスを手動で比較することは(過去は実際に行われていたが)実用的ではなく、コンピューターを用いた解析が分子生物学にも必要不可欠になった。この分野の先駆者は[[マーガレット・デイホフ|マーガレット・オークリーデイホフ]](Margaret Belle Oakley Dayhoff)である<ref>{{Cite book|first=Glyn|last=Moody|year=2004|title=Digital Code of Life: How Bioinformatics is Revolutionizing Science, Medicine, and Business|isbn=978-0-471-32788-2|url=https://archive.org/details/digitalcodeoflif0000mood}}</ref>。彼女は最初に、書籍の出版物<ref>Dayhoff, M.O. (1966) Atlas of protein sequence and structure. National Biomedical Research Foundation, 215 pp.</ref> としてとして公開された最初のタンパク質配列データベースの1つを編集し、配列整列と分子進化の先駆的な方法を開発した<ref name="pmid17775169">{{Cite journal|year=1966|title=Evolution of the structure of ferredoxin based on living relics of primitive amino Acid sequences|url=|journal=Science|volume=152|issue=3720|pages=363-366|bibcode=1966Sci...152..363E|DOI=10.1126/science.152.3720.363|PMID=17775169}}</ref>。バイオインフォマティクスへのもう一つの初期の貢献は、1970年にエルウィン・A・カバット([[:en:Elvin A. Kabat|Elvin A. Kabat]]) が抗体配列を包括的なボリュームで解析し、生物学的な配列解析の分野を開拓したことである。この一連の研究はTai Te Wuと共に1980年から1991年にかけて発表された<ref>{{Cite journal|date=January 2000|title=Kabat Database and its applications: 30 years after the first variability plot|journal=Nucleic Acids Res|volume=28|issue=1|pages=214-218|DOI=10.1093/nar/28.1.214|PMID=10592229|PMC=102431}}</ref>。
=== バイオインフォマティクスの目標 ===
生物学におけるバイオインフォマティクスの主な目的は、他の生物学派生分野と同様に、生物学的プロセスの理解をより深めることにある。ただし、他のアプローチとの違いは、より計算集約的な手法の開発と適用に重点を置いている点である。用いられる技術の例としては、[[パターン認識]]、[[データマイニング]]、[[機械学習]]アルゴリズム、などが挙げられる。また、例えば疾患研究の分野において、正常な細胞活動がさまざまな病状でどのように変化するかを明らかにするためには、生物学的データを組み合わせて、これらの活動の包括的な構造を理解する必要がある。そのため、さまざまなタイプのデータを組み合わせた分析と解釈を行えるように、バイオインフォマティクスの分野は進化してきた。これには、塩基および[[一次構造|アミノ酸配列]]の他、[[タンパク質ドメイン]]や[[タンパク質構造]]が含まれる<ref>{{Cite book|title=Essential Bioinformatics|last=Xiong|first=Jin|publisher=Cambridge University Press|year=2006|isbn=978-0-511-16815-4|location=Cambridge, United Kingdom|pages=4}}</ref>。
データを分析および解釈する実際のプロセスは、[[計算生物学]]と呼ばれる。バイオインフォマティクスおよび計算生物学の重要な研究目標の一つに、大規模なデータセットにおいてメンバー間の関係を評価する新しいアルゴリズムと統計的尺度の開発がある。例えば、ゲノム配列内から[[遺伝子]]領域を予測したり、タンパク質の構造や機能を予測したり、タンパク質配列を関連配列のファミリーに[[データ・クラスタリング|クラスター]]化する方法など、に関する研究が進められている。また、さまざまな種類の生物学的情報リソースを整理し、管理し、効率的なアクセスと利用を可能にするコンピュータプログラムやシステムの開発と実装も、また重要な課題である。すなわちバイオインフォマティクスでは、データベースの作成と進歩、アルゴリズム、計算技術と統計技術、そして生物学的データの管理と分析から生じる形式的で実用的な問題を解決するための理論、が必要とされている{{要出典|date=2020年5月}}。
過去数十年にわたり、ゲノムおよびその他の分子研究技術の急速な発展と[[情報技術]]の発展が相まって、分子生物学に関連する膨大な量の情報が生み出されている。バイオインフォマティクスは、生物学的プロセスの理解を深めるために使用されるこれらの数学的および計算機科学的なアプローチを表す言葉でもある{{要出典|date=2020年5月}}。
=== 関連分野との関係性 ===
バイオインフォマティクスは生物計算機学([[:en:Biological computation|biological computation]])と一見似ているが、これは異なる科学分野である。生物計算機学は[[バイオエンジニアリング|生物工学]]と[[生物学]]を使用して生物学的な[[コンピュータ]]を設計することが主眼であるが、バイオインフォマティクスは逆にコンピュータを用いた計算を使用して生物学をよりよく理解することが主眼である。バイオインフォマティクスと生物計算機学の分野には共に、生物学的データ、特にDNA、RNA、タンパク質配列の分析が含まれる。
生物学的データを分析して意味のある情報を生成するには、[[グラフ理論]]、[[人工知能]]、[[ソフトコンピューティング]]、[[データマイニング]]、[[デジタル画像処理|画像処理]]、[[コンピュータシミュレーション|コンピューターシミュレーション]]、等の[[アルゴリズム]]を使用するソフトウェアプログラム実行し、また必要に応じて作成する必要がある。またこのようなアルゴリズムは、[[離散数学]]、[[制御理論]]、[[システム理論]]、[[情報理論]]、[[統計学|統計]]などの理論的基盤に依存する{{要出典|date=2020年5月}}。
== 配列解析 ==
ファージの一種である[[:en:Phi X 174|Phage Φ-X174]]が1977年に[[シークエンス|配列決定さ]]れて以来<ref name="pmid870828">{{Cite journal|date=February 1977|title=Nucleotide sequence of bacteriophage phi X174 DNA|journal=Nature|volume=265|issue=5596|pages=687-695|bibcode=1977Natur.265..687S|DOI=10.1038/265687a0|PMID=870828}}</ref>、数千の生物の[[DNAシークエンシング|DNA配列]]が解読され、データベースに保存されている{{要出典|date=March 2020}}。この配列情報は、[[タンパク質]]、RNA遺伝子、調節配列、構造モチーフ、反復配列をコードする遺伝子を決定するために分析されている{{要出典|date=March 2020}}。例えば、[[種 (分類学)|種]]内や[[種 (分類学)|種]]間で遺伝子配列を比較することで、タンパク質機能間の類似性を評価したり、あるいは[[系統樹]]を構築することで種間の分子系統学的関係を示すことができる。 データ量の増加に伴い、DNA配列を手作業で分析することはすでに非現実的である。今日では[[BLAST]]などの[[相同|相同性]]検索を行う[[プログラム (コンピュータ)|コンピュータプログラム]]を用いて、例えばGenBankに登録された1600億以上の[[ヌクレオチド]]を含む260,000を超える生物から配列を検索することが日常的に行われている(数字は2008年のもの)<ref name="pmid18073190">{{Cite journal|date=January 2008|title=GenBank|journal=Nucleic Acids Res.|volume=36|issue=Database issue|pages=D25-30|DOI=10.1093/nar/gkm929|PMID=18073190|PMC=2238942}}</ref>。これらのプログラムは、DNAシーケンスの変異(塩基の置換、欠失、挿入など)を補正して、類似するが同一ではない配列を検索できる。検索結果は、[[クローニング]]した[[遺伝子]]の部分情報から遺伝子全体の配列を予測したり、構造が未知のタンパク質の[[二次構造]]を予測したり、解読されたゲノムの中から遺伝子を検出してその機能を予測するなどの研究の基盤となる。また配列情報から由来する生物種の系統学的分類を推定するという問題を解くために、Krakenのような最新の [[k-mer]]ベースのソフトウェアも作成されており、アライメント手法では到達できない実行高速性を実現している{{要出典|date=March 2020}}。
=== DNAシーケンサーからの出力データの解析 ===
DNAシーケンサーから出力される生データには多量のノイズや弱信号が含まれており、下流の解析に悪影響を与える可能性がある。さまざまな実験プロトコルや環境におけるDNAシーケンシングデータからの塩基決定(ベースコール)を行う[[アルゴリズム]]が開発されている。
=== アセンブリ ===
多くのDNAシーケンス技術は、短い配列フラグメントを生成する。そのため、完全な遺伝子や全ゲノム配列を取得するためには、この配列フラグメントをアセンブルして再構築する必要がある。[[ヒトゲノム計画]]では、ある配列断片から順番に配列を解読する手法が考えられていたが、[[クレイグ・ベンター]]らによる[[ショットガン法]]により遥かに高効率で解読が進められるようになった。いわゆる[[ショットガン・シークエンシング法|ショットガンシーケンス]]テクニック(たとえば、Institute for Genomic Research (TIGR)による最初の細菌ゲノム''[[インフルエンザ菌|Haemophilus influenzae]]のゲノム決定でも''使用された<ref name="pmid75428002">{{Cite journal|date=July 1995|title=Whole-genome random sequencing and assembly of Haemophilus influenzae Rd|journal=Science|volume=269|issue=5223|pages=496-512|bibcode=1995Sci...269..496F|DOI=10.1126/science.7542800|PMID=7542800}}</ref>)は、[[ゲノム]]配列をバラバラな短い断片に分断してそれぞれを解読し(シーケンシング技術に応じて、35〜900ヌクレオチド長)、その後同一の配列を重複する領域として並べ替えることによってゲノム配列を再現する。これらのフラグメントの両端は重なり合っており、ゲノムアセンブリプログラムによって適切に整列されることで、完全なゲノムを再構築することができる([[配列アセンブリング]])。しかしながら、多くの断片がある中で正しい並び方を決定することは[[コンピュータ]]の計算能力がなければ不可能である。そして、このフラグメントをアセンブルするタスクは、特に大きなゲノムにおいては非常に複雑になる可能性がある。例えばヒトゲノムは約3Gbのサイズがあるが、この程度の[[ヒトゲノム|ゲノム]]の場合、大容量メモリのマルチプロセッサコンピューターであってもショットガン配列をアセンブリするのには何日ものCPU時間を要する場合があり、また結果として生じるアセンブリには通常、多数のギャップが残っている。しかしながら、ショットガンシーケンスは事実上、あらゆる生物種の全ゲノムを決定する上で現実的に最適な方法となっている。そのため、高速・高性能なゲノムアセンブリアルゴリズムを開発することは、バイオインフォマティクスの重要な研究領域の一つとなっている。
=== アノテーション ===
[[ゲノミクス]]の文脈において[[ゲノムプロジェクト|アノテーション]]とは、DNA配列内の遺伝子領域やその機能、そしてその他の生物学的特徴をマークするプロセスである。ほとんどのゲノムは大きすぎるため、手動で注釈を付けることができない。そのため、このプロセスは自動化する必要がある。さらに次世代シーケンシング技術の登場によって大量のデータが高速に得られるようになっており、大量のゲノムに対して高速にアノテーションを付けたいという研究上の要望は高まっている。
包括的なゲノムアノテーションシステムは、自由生活生物である細菌''[[インフルエンザ菌|Haemophilus influenzae]]''のゲノムの最初の完全な配列決定と分析を行ったThe Institute for Genomic Researchのチームによって、1995年に初めて報告された<ref name="pmid75428002"/>。Owen Whiteは、タンパク質をコードするすべての遺伝子とtRNA、rRNA、およびその他のサイトを特定し、またその生物学的機能を推定する初期のソフトウェアシステムを構築した<ref name="pmid75428002" />。 現在でも、ほとんどのゲノムアノテーションシステムは当時と同様な機能を持っているが、例えば''[[インフルエンザ菌|Haemophilus influenzae]]''でタンパク質をコードする遺伝子を見つけるために使用されたGeneMarkプログラムなどのように、ゲノムDNAの分析に利用される個々のプログラムの多くは常に更新されており、機能改善の模索が続けられている。
ヒトゲノムプロジェクトが2003年に完了したが、残された様々な課題や新たな目標の達成のために、[[アメリカ国立衛生研究所|アメリカ国立衛生研究所内]]の国立ヒトゲノム研究所によって新たにENCODEプロジェクトが発足した。このプロジェクトでは、次世代DNAシーケンス技術とゲノムタイリングアレイを使用して、ヒトゲノムの機能的な要素に関するデータを共同でコレクションすることが行われた。次世代シーケンシング技術は、塩基あたりのコストを大幅に削減して大量のデータを生成できる技術であり、しかも従来と同じ誤差精度(ベースコールエラー)と信頼性度(アセンブリエラー)を持っていることが特徴である{{要出典|date=2020年5月}}。
=== 計算進化生物学 ===
[[進化生物学]]とは、[[種 (分類学)|種]]の起源と分化、そして系統の経時的な変化を明らかにする学問分野である。バイオインフォマティクスは進化生物学分野においても重要な役割を果たしている。
* 形態に基づく物理的な分類法や生理学的・生態学的観察のみではなく、ゲノム配列の変化を測定することにより、遺伝学的なアプローチから生物の進化を追跡することができる。
* [[ゲノム]]全体を比較解析が可能となる。これにより例えば、[[遺伝子重複|遺伝子の重複]]や[[遺伝子の水平伝播|遺伝子の水平伝達]]、細菌の[[種分化]]に重要な因子の予測など、より複雑な進化的事象の研究が可能になる。
* 複雑な計算[[集団遺伝学]]モデルを構築して、経時的なシステムの結果をシミュレーション予測する研究も進められている<ref>{{Cite journal|last=Carvajal-Rodriguez A|year=2012|title=Simulation of Genes and Genomes Forward in Time|journal=Current Genomics|volume=11|issue=1|pages=58-61|DOI=10.2174/138920210790218007|PMID=20808525|PMC=2851118}}</ref>。
* 従来よりもより多数の生物種や系統において、進化学に関する情報を得ることができ、その結果を研究者間で広く共有することができる。
より複雑な課題としては、[[系統樹|生命の木]]を再構築する研究も進められている。
なお、[[遺伝的アルゴリズム]]を使用する[[計算機科学|コンピューターサイエンス]]の研究領域は、計算進化生物学と混同されることがあるが、この2つの領域は必ずしも関連しているわけではない{{要出典|date=2020年5月}}。
=== 比較ゲノム解析 ===
比較ゲノム解析の目的の一つは、異なる生物における[[遺伝子]](オルソログ遺伝子)や他のゲノム上の特徴の対応関係を明らかにすることである。また例えば、2つのゲノムが系統上で分岐した際の進化過程は、両ゲノム間の対応関係を取ることで、例えばどのゲノム領域が欠失したり重複したのかを明らかにし、進化過程を追跡することができる。 現実的には、様々な組織レベルで作用する多数の進化イベントが組み合わさって、ゲノム進化が形作られる。最も最小レベルでの変化は、個々のヌクレオチドが影響してくる点変異である。一方でより高いレベルでは、大きな染色体セグメントが複製、移動、逆位、転位、欠失、および挿入を受けることがある<ref>{{Cite book|last=Brown|first=TA|title=Genomes|date=2002|publisher=Oxford|location=Manchester (UK)|edition=2nd|chapter=Mutation, Repair and Recombination}}</ref>。最も大きなレベルでは、ゲノム全体のハイブリダイゼーションや倍数化、そして[[内生生物|細胞内共生]]過程といったイベントに関与し、しばしば急速な種分化を引き起こす。このようなゲノム進化の複雑さは、数学モデルやアルゴリズム開発を行う上でもチャレンジングな課題となっている。そのため、正確な[[ヒューリスティック]]やパラメーター固定、節約モデルに基づく問題の[[近似アルゴリズム]]や、確率モデルに基づく[[ベイズ推定|ベイズ分析]]のための[[マルコフ連鎖モンテカルロ法|マルコフチェーンモンテカルロ]]アルゴリズムの利用に至るまで、アルゴリズム、統計、および数学的な様々な手法の利用が研究されている。これらの研究の多くにおいては、事前に遺伝子配列を配列相同性に基づいて[[タンパク質ファミリー]]に割り当てている<ref>{{Cite journal|last=Carter|first=N. P.|last2=Fiegler|first2=H.|last3=Piper|first3=J.|date=2002|title=Comparative analysis of comparative genomic hybridization microarray technologies: Report of a workshop sponsored by the Wellcome trust|journal=Cytometry Part A|volume=49|issue=2|pages=43-48|DOI=10.1002/cyto.10153|PMID=12357458}}</ref>。
=== メタゲノム解析 ===
環境中には多様で大量の原核微生物系統が生息しており、その生理生態を理解することは、地球上の物質循環やその環境における生態系を理解する上で重要である。そのためには、どのような生理学的機能を持つ微生物が、どのような割合でそこに存在するのか、を理解することが必要である。[[メタゲノミクス|メタゲノム]]解析は、環境中に存在する細菌叢サンプルから[[ゲノム]][[デオキシリボ核酸|DNA]]を直接回収し、主にショットガンシーケンスを行ってバイオインフォマティクス解析を行うことで、それらに関して解析する、[[微生物学]]・[[ウイルス学]]の研究分野である<ref>{{Cite journal|last=Hiraoka|first=Satoshi|last2=Yang|first2=Ching-chia|last3=Iwasaki|first3=Wataru|date=2016|title=Metagenomics and Bioinformatics in Microbial Ecology: Current Status and Beyond|url=https://doi.org/10.1264/jsme2.ME16024|journal=Microbes and environments|volume=31|issue=3|pages=204-212|language=en|doi=10.1264/jsme2.ME16024|issn=1342-6311|pmid=27383682|pmc=5017796}}</ref>。
=== パンゲノム解析 ===
パンゲノム解析(Pac Genomics)は2005年にTettelinとMediniによって導入された概念であり、特定の分類群において保持されている遺伝子の網羅的な遺伝子レパートリーを表す。最初は種レベルの近縁系統に適用されましたが、属や門といったより大きな分類群にも適用できる。パンゲノムはコアゲノムとフレキシブルゲノムの2つの群から構成されている。コアゲノムは全ゲノムに共通した遺伝子セットを指し、多くの場合、これらの遺伝子は生存に不可欠なハウスキーピング遺伝子である。一方でフレキシブルゲノム(Dispensable / Flexible Genome)は、1つ以上のゲノムにおいて存在しない一連の遺伝子を指す。例えばバイオインフォマティクスツールであるBPGAを使用して、細菌種のパンゲノムを特徴付けることができる<ref>{{Cite journal|last=Chaudhari Narendrakumar M., Kumar Gupta Vinod, Dutta Chitra|year=2016|title=BPGA-an ultra-fast pan-genome analysis pipeline|journal=Scientific Reports|volume=6|issue=|pages=24373|bibcode=2016NatSR...624373C|DOI=10.1038/srep24373|PMID=27071527|PMC=4829868}}</ref>。
=== 遺伝的疾患 ===
次世代シーケンシングの登場により、[[不妊|不妊症]]<ref name="Demerec1945">{{Cite journal|last=Aston KI|year=2014|title=Genetic susceptibility to male infertility: News from genome-wide association studies|journal=Andrology|volume=2|issue=3|pages=315-21|DOI=10.1111/j.2047-2927.2014.00188.x|PMID=24574159}}</ref> や[[乳癌|乳がん]]<ref name="Véron2013">{{Cite journal|year=2014|title=Genome-wide association studies and the clinic: A focus on breast cancer|journal=[[Biomarkers in Medicine]]|volume=8|issue=2|pages=287-96|DOI=10.2217/bmm.13.121|PMID=24521025}}</ref>、[[アルツハイマー病]]といった複雑な遺伝性疾患の関連遺伝子をマッピングする研究が進められている<ref name="Tosto2013">{{Cite journal|year=2013|title=Genome-wide association studies in Alzheimer's disease: A review|journal=Current Neurology and Neuroscience Reports|volume=13|issue=10|pages=381|DOI=10.1007/s11910-013-0381-0|PMID=23954969|PMC=3809844}}</ref>。[[ゲノムワイド関連研究]](GWAS)は、このような複雑な疾患の原因となる変異を特定するための有用なアプローチである<ref name="Londin2013">{{Cite book|journal=Pharmacogenomics|volume=1015|pages=127-46|year=2013|pmid=23824853|doi=10.1007/978-1-62703-435-7_8|title=Use of Linkage Analysis, Genome-Wide Association Studies, and Next-Generation Sequencing in the Identification of Disease-Causing Mutations|isbn=978-1-62703-434-0|series=Methods in Molecular Biology}}</ref>。これらの研究により、類似の疾患や形質に関連する何千ものDNA変異体が特定されている<ref>{{Cite journal|last=Hindorff|first=L.A.|date=2009|title=Potential etiologic and functional implications of genome-wide association loci for human diseases and traits|journal=Proc. Natl. Acad. Sci. USA|volume=106|issue=23|pages=9362-9367|bibcode=2009PNAS..106.9362H|DOI=10.1073/pnas.0903103106|PMID=19474294|PMC=2687147}}</ref>。さらに、遺伝子情報を予後の推定や診断、治療方針の決定に利用するための研究も進められている。そのために、使用する遺伝子を選択する手法や、疾患の存在または予後を予測するために遺伝子を使用することの問題点の両方について、多くの研究において議論がすすめられている<ref>{{Cite book|last=Hall|first=L.O.|title=Finding the right genes for disease and prognosis prediction|journal=System Science and Engineering (ICSSE),2010 International Conference|date=2010|pages=1-2|doi=10.1109/ICSSE.2010.5551766|isbn=978-1-4244-6472-2}}</ref>。
=== 癌細胞の変異解析 ===
[[悪性腫瘍]](癌)においては、癌細胞のゲノムは非常に複雑(予測不可能)な形で組み換えが起きることが知られている。大規模なシーケンシング研究により、癌細胞に見られるさまざまな[[遺伝子]]上の[[点突然変異]]の特定が進められてきた。このような研究においては、膨大な量の配列データを管理するための専用の自動化システムや新しいアルゴリズムとソフトウェアの作成を通じて、シーケンシングの結果を[[ヒトゲノム]]配列や[[生殖細胞系列|生殖系列]]多型のコレクションと比較するバイオインフォマティクス解析が進められている。また、染色体の増減を[[比較ゲノムハイブリダイゼーション|比較]]する[[オリゴヌクレオチド]]マイクロアレイ( [[比較ゲノムハイブリダイゼーション]])や、既知の''点変異''を検出する[[一塩基多型]]アレイなど、新しい物理的検出技術が採用されています。 これらの検出方法は、ゲノム全体で数十万のサイトを同時に測定することができ、ハイスループットで数千のサンプルを測定する場合、実験ごとに数[[テラバイト]]ものデータを生成する。そのため、この膨大なデータ量を処理するための新しい手法に関する研究も進められている。また、データにはかなりの変動性または[[ノイズ]]が含まれているため、実際の[[コピー数多型|コピー数の]]変化を推測するために、[[隠れマルコフモデル]]に基づく変化点分析法が開発されている。また、[[エクソーム|エクソソーム]]の突然変異の同定では、癌は遺伝子に蓄積された体細胞変異の疾患であり、がんには疾患発症に関係する(ドライバー)変異と無関係な(パッセンジャー)変異の区別される2種類が含まれている、という2つの重要な原則があり、生物情報学的解析を行う上でも重要になっている<ref>{{Cite journal|last=Vazquez|first=Miguel|last2=Torre|first2=Victor de la|last3=Valencia|first3=Alfonso|date=2012-12-27|title=Chapter 14: Cancer Genome Analysis|journal=PLOS Computational Biology|volume=8|issue=12|pages=e1002824|language=en|bibcode=2012PLSCB...8E2824V|DOI=10.1371/journal.pcbi.1002824|ISSN=1553-7358|PMID=23300415|PMC=3531315}}</ref>。
シーケンシング技術のさらなる進歩により、癌のゲノミクスは劇的に変化する可能性がある。新しい方法とソフトウェアにより、より多くの癌ゲノムをより迅速かつ手頃な価格でシーケンスできるようになれば、がんによるゲノム内変異の分析とがんの種類の分類がさらに発展する可能性がある。さらに、癌サンプルのシーケンスからがんの進行状況を追跡できるようになる可能性も指摘されている<ref>{{Cite book|last=Hye-Jung|editor2-first=Jason N.|chapter=Second-Generation Sequencing for Cancer Genome Analysis|pages=13-30|isbn=9780123969675|location=Boston (US)|publisher=Academic Press|date=2014|title=Cancer Genomics|editor3-first=Robert J.|editor3-last=Arceci|editor2-last=Berman|first=E.C.|editor-first=Graham|editor-last=Dellaire|first5=A.M|last5=Marco|first4=A.A|last4=Samuel|first3=K.|last3=Martin|first2=K.|last2=Jaswinder|doi=10.1016/B978-0-12-396967-5.00002-5}}</ref>。
== 遺伝子とタンパク質の発現 ==
=== 遺伝子発現解析 ===
多くの場合、遺伝子の[[遺伝子発現|発現]]は[[DNAマイクロアレイ|マイクロアレイ]]、[[発現配列タグ|発現cDNAシーケンスタグ]]([[:en:Expressed sequence tag|expressed cDNA sequence tag]]; EST)シーケンス、[[SAGE法|遺伝子発現連続分析]]([[:en:Serial analysis of gene expression|serial analysis of gene expression]]; SAGE)タグシーケンス、[[超並列署名シーケンス|超並列シグネチャシーケンス]] ([[:en:Massively parallel signature sequencing|massively parallel signature sequencing]]; MPSS)、RNA-Seq(またはWhole Transcriptome Shotgun Sequencing; WTSS)、マルチプレックスin-situハイブリダイゼーション、などの手法で[[伝令RNA|mRNA]]レベルを測定することで決定する。これらの手法はすべて、ノイズが非常に発生しやすく、生物学的な測定バイアスがかかってくるため、ハイスループットの遺伝子発現研究においてこのような[[ノイズ]]を除去して信頼できる信号を分離する統計ツールの開発が計算生物学の研究分野で重要になっている<ref>{{Cite journal|last=Grau|first=J.|last2=Ben-Gal|first2=I.|last3=Posch|first3=S.|last4=Grosse|first4=I.|date=1 July 2006|title=VOMBAT: prediction of transcription factor binding sites using variable order Bayesian trees|url=http://www.eng.tau.ac.il/~bengal/VOMBAT.pdf|journal=Nucleic Acids Research|volume=34|issue=Web Server|pages=W529-W533|DOI=10.1093/nar/gkl212|PMID=16845064|PMC=1538886}}</ref>。このような遺伝子発現研究は、疾患に関与する遺伝子を特定するためによく使用される。例えば癌性[[上皮細胞]]のマイクロアレイデータを非癌性細胞のデータと比較して、特定の癌細胞集団で発現上昇あるいは発現抑制される転写産物を決定することができる。
=== タンパク質発現解析 ===
タンパク質マイクロアレイとハイスループット(HT)[[質量分析法|質量分析]]([[:en:Mass spectrometry|mass spectrometry]]; MS)は、生体サンプルに存在するタンパク質のスナップショットを提供する。得られるタンパク質マイクロアレイとHTMSデータの解析には、バイオインフォマティクスは重要である。前者のアプローチはmRNAをターゲットとするマイクロアレイと同様の問題に直面し、後者は大量の質量データをタンパク質配列データベースからの予測質量と照合し、不完全なペプチドを除くための複雑な統計分析が必要になる。組織における細胞タンパク質の空間局在は、[[免疫染色]]や組織マイクロアレイに基づいたアフィニティ[[プロテオーム解析|プロテオミクス]]によって解析することができる<ref>{{Cite web|url=https://www.proteinatlas.org|title=The Human Protein Atlas|website=www.proteinatlas.org|accessdate=2017-10-02}}</ref>。
=== 転写調節解析 ===
[[遺伝子発現の調節|遺伝子転写調節]]は、[[ホルモン]]などを含む細胞内外のシグナルによって、1つ以上の[[タンパク質]]の活性の増加・減少が駆動される、複雑な調節システムである。 このプロセスの各ステップを検証する、様々なバイオインフォマティクス技術が適用されている。たとえば、遺伝子発現は プロモーターのような、ゲノム内で遺伝子に近接した要素によって調節される。プロモーター分析ではまず、遺伝子コード領域に近接しているDNA配列中から、特定の配列モチーフを検出する。 これらのモチーフは、その領域がmRNAに転写される際に影響を与える。一方で、プロモーターから離れた[[エンハンサー]]要素は、3次元的な相互作用を通じて遺伝子発現を調節することもある。このような相互作用は、[[染色体コンフォメーションキャプチャー|染色体コンフォメーションキャプチャ]](Hi-C)法による実験と得られたデータのバイオインフォマティクス解析から決定される。
また、遺伝子発現データから、遺伝子転写調節の要因を推測する研究もある。さまざまな状態の組織から得られた[[マイクロアレイ]]データを比較して、各状態に関与する遺伝子の挙動を推測することができる。例えば単細胞生物では、[[細胞周期]]の段階におけるストレス条件(熱ショック、飢餓など)を比較できる。 あるいは[[データ・クラスタリング|クラスタリングアルゴリズム]]を発現データに適用することで、遺伝子の共発現を解析できる。たとえば、共発現する遺伝子の上流領域(プロモーター)を探索することで、過剰発現を引き起こす調節要素を調べることができる。遺伝子クラスタリングに適用されるクラスタリングアルゴリズムの例には、[[K平均法|k平均クラスタリング]]、[[自己組織化写像|自己組織化マップ]] (SOM)、階層的クラスタリング、コンセンサスクラスタリング、などの手法がある。
== 細胞組織の解析 ==
細胞内のオルガネラや遺伝子、タンパク質、およびその他のコンポーネントの位置を分析するために、様々なアプローチが開発されている。これらのコンポーネントの位置は細胞内のイベントに影響を与えるため、その分布や局在を調べることは生物系の挙動を予測するのに役立つ。[[遺伝子オントロジー]]のカテゴリーである「''細胞コンパートメント''(cellular compartment)''」は''、細胞内局在を捉えるために考案され、多くの生物学的データベースで採用されている{{要出典|date=2020年5月}}。
=== 顕微鏡イメージング解析 ===
顕微鏡写真から、[[細胞小器官|オルガネラ]]や分子を検出することができる。また、[[悪性腫瘍|がん]]などの異常な細胞と正常細胞を区別することにも利用される{{要出典|date=2020年5月}}。
=== タンパク質の局在 ===
タンパク質の局在化は、そのタンパク質の役割を評価するのに役立つ。たとえば、タンパク質が[[細胞核|核]]で見つかった場合、それは[[遺伝子発現の調節|遺伝子調節]]や[[RNAスプライシング|スプライシングに]]関与している可能性がある。対照的に、タンパク質が[[ミトコンドリア]]で見つかった場合、それは[[細胞呼吸|呼吸]]や他の[[代謝|代謝プロセスに]]関与している可能性がある。したがって、タンパク質の局在化は、タンパク質機能を予測する上で重要な情報源となる。タンパク質の細胞内位置に関するデータベースや予測ツールといったリソースが構築されている<ref>{{Cite web|url=https://www.proteinatlas.org/humancell|title=The human cell|website=www.proteinatlas.org|accessdate=2017-10-02}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Thul|first=Peter J.|last2=Åkesson|first2=Lovisa|last3=Wiking|first3=Mikaela|last4=Mahdessian|first4=Diana|last5=Geladaki|first5=Aikaterini|last6=Blal|first6=Hammou Ait|last7=Alm|first7=Tove|last8=Asplund|first8=Anna|last9=Björk|first9=Lars|date=2017-05-26|title=A subcellular map of the human proteome|journal=Science|volume=356|issue=6340|pages=eaal3321|DOI=10.1126/science.aal3321|PMID=28495876}}</ref>。
=== 染色体における核酸立体構造 ===
Hi-Cや[[ChIA-PET]]などのハイスループット[[染色体コンフォメーションキャプチャー]]実験からのデータは、DNA遺伝子座の空間的近接性、すなわち核内で安定的に構造化されている立体的な折りたたみ構造によって、ゲノム配列上のどことどこの領域が近接して存在しているのか、に関する情報を提供する。そのためこれらの実験の分析から、クロマチンの三次元構造を決定することができると考えられる。ゲノムを3次元空間でまとめて構成されたトポロジカル関連ドメイン (TAD)といったドメイン分割に関する研究が、この分野のバイオインフォマティクスの課題となっている<ref>{{Cite journal|last=Ay|first=Ferhat|last2=Noble|first2=William S.|date=2 September 2015|title=Analysis methods for studying the 3D architecture of the genome|journal=Genome Biology|volume=16|issue=1|pages=183|DOI=10.1186/s13059-015-0745-7|PMID=26328929|PMC=4556012}}</ref>。
== 構造生物学 ==
[[ファイル:1kqf_opm.png|左|サムネイル|3次元タンパク質構造の例。タンパク質立体構造の解析は、バイオインフォマティクス分析の一般的なテーマの一つである。]]タンパク質のアミノ酸配列からその高次(2次、3次、及び4次)構造を予測することは、バイオインフォマティクスの大きな課題の一つである。タンパク質の[[アミノ酸]]配列(一次構造)は、それをコードする遺伝子の配列情報から、比較的簡単に決定できる。そして多くの場合、この1次構造は実際の細胞内における高次構造を一意に決定する。つまり、同じアミノ酸配列を持つタンパク質はずべて同じように細胞内でコンフォメーションをとて折りたたまれ、同じ2次構造や3次構造を立体構造を作り出す、ということである(ただし例外としては、[[牛海綿状脳症]] (狂牛病)を引き起こす[[プリオン]]などがある)。高次構造の知識は、タンパク質の機能を理解する上で不可欠である。しかしながら、一次配列からそのような高次構造を予測する一般的な手法は無く、未解決の問題となっている。現在までの多くのこれに関する研究は、ほとんどの場合、ヒューリスティックに焦点が向けられてきた{{要出典|date=July 2015}}。
バイオインフォマティクスの重要なアイデアの1つは、「配列類似性」の概念である。バイオインフォマティクスのゲノム解析では、配列の類似性を利用して、その遺伝子の機能を予測する。具体的には、例えば機能がわかっている遺伝子''A''の配列が、機能が不明な遺伝子''B''の配列とある程度類似している場合、BがAの機能を共有することが予想される。バイオインフォマティクスの構造分野では、この配列類似性を使用して、タンパク質のどの部分が構造を作り、どの部分が他のタンパク質との相互作用に重要であるか、等を推測する。ホモロジーモデリングと呼ばれる手法では、配列的に類似なタンパク質の構造がわかっていれば、その情報を使用して任意のタンパク質の高次構造を予測する。この手法は、タンパク質構造を予測する有用な手法の一つである。この手法が効果的な例の一つは、ヒトの[[ヘモグロビン]]と豆類のヘモグロビン([[レグヘモグロビン]])である。これらは同じタンパク質スーパーファミリーではあるが、遠い親戚関係のタンパク質である。どちらも生体内で酸素を輸送するという同じ目的を果たし、両者で完全に異なるアミノ酸配列を持っているが、構造的には実質的に同一であるため、ほぼ同一の目的を持り、かつ同一の祖先を共有していると考えられている<ref>{{Cite journal|last=Hoy|first=JA|last2=Robinson|first2=H|last3=Trent JT|first3=3rd|last4=Kakar|first4=S|last5=Smagghe|first5=BJ|last6=Hargrove|first6=MS|date=3 August 2007|title=Plant hemoglobins: a molecular fossil record for the evolution of oxygen transport|journal=Journal of Molecular Biology|volume=371|issue=1|pages=168-79|DOI=10.1016/j.jmb.2007.05.029|PMID=17560601}}</ref>。
タンパク質構造を予測するための他の手法としては、タンパク質のスレッディングや、物理学ベースでゼロからモデリングを行う''de novo''の手法''が提案されている''{{要出典|date=2020年5月}}。
構造バイオインフォマティクスの別の側面としては、定量的な構造と活性の相関に関するモデルや、タンパク化学モデル(proteochemometric models; PCM)といった、[[バーチャルスクリーニング|仮想スクリーニング]]モデルへ利用することが挙げられる。さらに、タンパク質の結晶構造は、例えばリガンド結合研究のシミュレーションや''インシリコ''変異誘発研究に利用されている{{要出典|date=2020年5月}}。
== ネットワークとシステムバイオロジー ==
[[ファイル:The_protein_interaction_network_of_Treponema_pallidum.png|右|サムネイル|200x200ピクセル|タンパク質間の相互作用は、ネットワークによる解析と視覚化が行われる場合が多い。 このネットワークは、[[梅毒]]やその他の疾患の原因物質である''[[梅毒トレポネーマ|トレポネーマパリダム]]''からのタンパク質間相互作用で構成されている。]]''ネットワーク分析''は、代謝ネットワークやタンパク質間相互作用ネットワークなどの生物学的ネットワークの関係を理解することを目的としている。生物学的ネットワークは単一のタイプの分子またはエンティティ(遺伝子など)から構築される。また、ネットワーク生物学においてはしばしば、タンパク質や小分子、遺伝子発現データなど、物理的・機能的に関連する様々な異なるデータタイプを統合的に解析することがある{{要出典|date=2020年5月}}。
''システム生物学で''は、細胞内における複雑なプロセスの関係性を分析し視覚化するために、代謝プロセスを担う代謝産物や酵素のネットワークや[[シグナル伝達]]経路、[[遺伝子調節ネットワーク]]といった[[細胞]]システムを[[コンピュータシミュレーション|コンピューターシミュレーション]]を用いて解析する研究が進められている。[[人工生命]]や仮想進化といった単純な(人工)生命体のコンピューターシミュレーションを介して、進化の過程を理解する試みもなされている{{要出典|date=2020年5月}}。
=== 分子相互作用ネットワーク ===
2020年現在、数万を超えるタンパク質について、[[X線結晶構造解析|X線結晶学]]および[[タンパク質の核磁気共鳴分光法|タンパク質核磁気共鳴分光法]](タンパク質NMR)によって3次元構造が決定されている。構造バイオインフォマティクスの分野において、[[タンパク質間相互作用]]実験を行わずにこの3次元立体構造の情報からタンパク質間相互作用を予測することは、大きな課題となっている。タンパク質ドッキングを推測するさまざまな手法が開発され提唱されている{{要出典|date=2020年5月}}。
また、タンパク質同士の相互作用を超えて、例えばタンパク質-[[リガンド]](薬物を含む)やタンパク質-[[ペプチド]]の相互作用を予測することも重要な課題である。原子結合の回転を考慮した分子動力学シミュレーション(Molecular dynamic simulation)も広く行われており、これは分子相互作用を研究するためのドッキングアルゴリズムと呼ばれる計算[[アルゴリズム]]が基本原理となっている{{要出典|date=2020年5月}}。
== テキスト解析 ==
今日までに、膨大な数の学術論文が発表されてきており、その数はますます増加している。そのため、すべての論文を読むことは事実上不可能であり、研究の領域は細分化されていく傾向がある。[[計算言語学]]による文献分析では、計算と統計に基づく言語学的解析を通じて、増大するテキストリソースからマイニングすることを目的としている。例えば、略語認識(生物学用語の正式名称とその略語を特定する)、名前付きエンティティの認識(遺伝子名などの生物学的用語を認識して特定する)、タンパク質間相互作用(どの[[タンパク質]]がどの[[タンパク質]]と相互作用するかをテキストから特定する)、などに関して研究が進められている{{要出典|date=2020年5月}}。
== 画像・動画解析 ==
大量の情報量の多い生物医学画像の処理や定量化、分析を加速または完全に自動化するために計算技術を利用する研究も進められている。画像解析システムにおいては、大規模で複雑な画像セットから測定を行うための[[正確度と精度|精度]]や客観性、そして処理速度の向上が重要になってくる。理想的には、分析システムの発達により、様々なケースにおいて人が画像や動画の判断をする必要がなくなる。このような画像処理システム自体は生物医学分野に固有のものではないが、例えば疾患の[[診断]]や研究においてはそれらの分野に特化した画像解析技術が重要になる。具体的な応用分野としては、以下のものが挙げられる。
* ハイスループットで高精度な細胞内局在の定量化(ハイコンテンツスクリーニング、細胞組織病理学、バイオイメージ情報学)
* 形態計測学
* 臨床画像の分析と視覚化
* 生きている動物が呼吸する際、肺のリアルタイムの気流パターンを決定する
* 実験動物の拡張ビデオ録画から行動観察を行う
* 代謝活性測定のための赤外線測定
* DNAマッピングにおけるクローンの重複の推測(たとえばSulstonスコア)
==バイオインフォマティクスとコンピュータ==
===プログラミング言語===
{{出典の明記| date = 2020年5月}}
{{独自研究|date=2020年5月2日 (土) 17:11 (UTC)}}{{観点|date=2020年5月}}
バイオインフォマティクス研究には、それぞれの目的に応じたプログラムの作成が欠かせない。[[プログラミング言語]]としては一般的な科学分野と同じように、いわゆる「重い」計算(タンパク質の[[二次構造]]、[[三次構造]]の予測——[[タンパク質構造予測]]などはその一例)を行なうときには[[C言語|C]]等の比較的低レベルな処理を書ける[[高級言語]]<!--低級言語はCではなくアセンブリ-->も用いられるが、[[塩基配列]]と言う巨大な「文字列」を扱う局面が多いため、テキスト処理を得意とする言語である[[Perl]]の利用が盛んである{{要出典|date=2020年5月}}。
Perlは、[[正規表現]]等の強力な文字列処理機能を持っているため[[シークエンス|配列]]解析に有効なだけでなく、[[プログラミング]]のトレーニングを積んでいないことが多い[[生物学]]出身の研究者にも比較的容易に習得できるという長所を有する{{要出典|date=2020年5月}}。更に、早い時期から生物学的データの加工に用いることのできるbioperlなどの[[ライブラリ]]が整備されたため、いっそう有用となった{{要出典|date=2020年5月}}。ある配列の公開[[配列データベース]]([[NCBI]] [[GenBank]] など)からの取得、GenBankフォーマットや[[EMBL]]フォーマットで記述されたファイルからの情報抽出、[[BLAST]]の自動化等はきわめて容易に行える環境が整っている{{要出典|date=2020年5月}}。
研究用プログラムの開発に使われる言語としては他に以下のようなものがあげられる。これらの殆どにそれぞれバイオインフォマティクス用のライブラリが開発されている。
*[[C++]] - [[C言語]]を元に新しいプログラミングパラダイムを取り入れて開発された言語。
*[[Java]] - オブジェクト指向および仮想マシンという概念を取り入れた言語である。[http://www.biojava.org/ BioJava] というパッケージが存在する。
*[[Perl]] - 汎用インタプリタ言語である。[http://www.bioperl.org/ BioPerl] というパッケージが存在する。
*[[Python]] - 汎用インタプリタ言語である。[http://www.biopython.org/ BioPython] というパッケージが存在する。
*[[Ruby]] - Javaと同じくオブジェクト指向プログラミング言語である。[http://www.bioruby.org BioRuby] というパッケージが存在する。
*[[R言語]] - オブジェクト指向の数値解析言語。行列処理・文字列処理・グラフ機能に優れた[[フリーソフトウェア]]。[[アメリカ食品医薬品局|FDA]]公認。CRANシステムで日々機能強化され、[http://www.bioconductor.org/ Bioconductor] ネットワークにパッケージが集約されている。
== データベース ==
データベースは、バイオインフォマティクスの研究と応用に不可欠である。DNAやタンパク質の配列、分子構造、表現型、生物多様性など、さまざまな情報タイプをカバーする多くのデータベースが構築されている。データベースには、実験的に取得される実験データと、分析から取得される予測データの片方または両方が含まれる。データベースはしばしば、特定の生物や代謝経路、目的分子に特化して構築される。また一方で、他の複数のデータベースからコンパイルされたデータを組み込むこともある。バイオインフォマティクスで扱うデータは、一次元の文字列([[シーケンス]]全般)から、[[立体配座|三次元構造]]のマトリクス ([[蛋白質構造データバンク|PDB]])、[[グラフ理論|計算機科学におけるグラフ]](ネットワークデータ全般)、[[遺伝子オントロジー]]のような[[有向非巡回グラフ]] (DAG; directed acyclic graph) といった非常に多岐にわたる[[データ構造]]を持つ。各種のデータベースは、ファイル形式やアクセスメカニズム、パブリックかどうか、などの様々な点で差異がある。[[生物学]]研究に用いられる主な[[データベース]]は、以下のようなものが挙げられる(カッコ内は具体例):
*[[配列データベース]]([[DDBJ]], [[EMBL]], [[GenBank]][http://www.ncbi.nlm.nih.gov/Genbank/index.html], [[Swiss-Prot]][http://www.ebi.ac.uk/swissprot/])
*[[立体配座|立体構造]]データベース([[蛋白質構造データバンク|PDB]][http://www.rcsb.org/pdb/])
*パスウェイ・ネットワークデータベース([[KEGG]][http://www.genome.jp/kegg/], [http://www.bind.ca/Action BIND])
*[[DNAマイクロアレイ|マイクロアレイ]]データベース ([http://www.ebi.ac.uk/arrayexpress/ ArrayExpress], [http://www.ncbi.nlm.nih.gov/geo/ GEO])
*文献データベース([[MEDLINE]]/[[PubMed]][http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?db=PubMed])
*[[オントロジー]]データベース([[遺伝子オントロジー]])
データはフラットファイル(一般的な[[テキストファイル]])に比較的単純な形で保存されているケースも多いが、研究が本格化してデータ量が増大してくると、より効率的な利用を図るために[[関係データベース管理システム]] (RDBMS) や[[Extensible Markup Language|XML]]などを利用したより高度な管理が図られることが多い{{要出典|date=2020年5月}}。生物学の研究においては、複数の公共データベースからのデータを使った[[データマイニング]]が非常に重要度を増しているため、データの相互利用と言う観点からも、[[Extensible Markup Language|XML]]、[[Webサービス]]などの標準的技術の利用は今後も進んで行くと思われる{{要出典|date=2020年5月}}。この考えを更に進め、[[セマンティック・ウェブ]]関連の技術([[Resource Description Framework|RDF]]や[[OWL]]など)を利用した、[[コンピュータ]]によるデータの相互利用を模索する動きもあり、[http://www.biopax.org/ BioPax] プロジェクトなどはその一例である{{要出典|date=2020年5月}}。
== ソフトウェア ==
バイオインフォマティクス用のソフトウェアツール(英語版:[[:en:List of bioinformatics software|Software tools for bioinformatics]])は、単純なコマンドラインツールから、さまざまなバイオインフォマティクス企業や公的機関が提供するより複雑なグラフィカルプログラム、スタンドアロンのWebサービスなど、多岐に渡り、非常に多くのバイオインフォマティクス[[ソフトウェア]]が開発され公開されている。多くのソフトウェアが[[オープンソース]]とされており、研究者は自由に利用することができる場合が多いが、有償のものもある。[[データベース]]を基盤とするソフトウェアは、開発元が[[ウェブブラウザ|Webブラウザ]]から利用できる[[ウェブアプリケーション]]として公開している場合も多い。
=== オープンソースのバイオインフォマティクスソフトウェア ===
1980年代にバイオインフォマティクスが盛り上がって以来、多くの[[FLOSS|フリーでオープンソースのソフトウェア]]ツールが開発され公開されている<ref name="obf-main2">{{Cite web|title=Open Bioinformatics Foundation: About us|url=http://www.open-bio.org/wiki/Main_Page|website=Official website|publisher=[[Open Bioinformatics Foundation]]|accessdate=10 May 2011}}</ref>。新しいタイプの生物学的な成果を生み出すためには、新しい[[アルゴリズム]]を開発することが必要になることも多い。一方で、革新的な''[[in silico]]''実験から新たな知見を得られる可能性もある。そのため、ソフトウェアを自由に利用できる[[オープンソースソフトウェア|オープンコード]]で無料で公開することで、あらゆる研究グループがバイオインフォマティクスに貢献する文化が育まれている。オープンソースツールは、アイデアを生み出し育む器として機能し、商業的アプリケーションに組み込まれることもある。また、生体情報統合の課題を支援するための、''[[デ・ファクト|事実上]]の''標準化や共有オブジェクトモデルを提供することもある。
オープンソース・ソフトウェア・パッケージには、Bioconductor、BioPerl、Biopython、BioJava、BioJS、BioRuby、Bioclipse、[[エンボス|EMBOSS]]、.NET Bio、[[:en:Orange (software)|Orange]]、Apache Taverna、UGENE、GenoCAD、などのソフトウェア類が挙げられる。また、この伝統を維持し、さらなる機会を創出するために、非営利のOpen Bioinformatics Foundation<ref name="obf-main2"/> は、2000年以来毎年開催されるBioinformatics Open Source Conference(BOSC)を支援してきている<ref name="obf-bosc">{{Cite web|title=Open Bioinformatics Foundation: BOSC|url=http://www.open-bio.org/wiki/BOSC|website=Official website|publisher=[[Open Bioinformatics Foundation]]|accessdate=10 May 2011}}</ref>。
パブリックなバイオインフォマティクスデータベースを構築する方法としては、[[mw:Extension:WikiOpener|''WikiOpener'']]拡張機能を備えたMediaWikiエンジンを使用する方法もある。このシステムでは、その分野の研究者が各自でデータベースにアクセスして更新することができる<ref>{{Cite journal|last=Brohée|first=Sylvain|last2=Barriot|first2=Roland|last3=Moreau|first3=Yves|year=2010|title=Biological knowledge bases using Wikis: combining the flexibility of Wikis with the structure of databases|url=http://bioinformatics.oxfordjournals.org/content/26/17/2210.full|journal=Bioinformatics|volume=26|issue=17|pages=2210-2211|accessdate=5 May 2015|DOI=10.1093/bioinformatics/btq348|PMID=20591906}}</ref>。
=== バイオインフォマティクスのWebサービス ===
[[SOAP (プロトコル)|SOAP]]および[[Representational State Transfer|REST]]ベースのインターフェースが、さまざまなバイオインフォマティクスアプリケーション向けに開発されている。このようなシステムの元では、サーバー上に保管されているアルゴリズムやデータ、コンピューティングリソースに対して、世界中のコンピューター上からアクセスしてアプリケーションを実行することができる。エンドユーザーがソフトウェアやデータベースのメンテナンスのオーバーヘッドに対処する必要がないという利点がある。
基本的なバイオインフォマティクスサービスは、[[欧州バイオインフォマティクス研究所|EBI]]による3つのカテゴリに分類できる。シーケンス検索サービス(SSS)、シーケンスアライメント([[多重整列|MSA]])、生物学的シーケンス分析(BSA)である<ref>{{Cite book|last=Nisbet|first=Robert|others=John Elder IV, Gary Miner|title=Handbook of Statistical Analysis and Data Mining Applications|chapterurl=https://books.google.com/?id=U5np34a5fmQC&pg=PA328&q=bioinformatics%20service%20categories%20EBI|accessdate=9 May 2014|publisher=Academic Press|year=2009|page=328|chapter=Bioinformatics|isbn=978-0080912035}}</ref>。 これらのバイオインフォマティクスリソースの可用性は、Webベースのバイオインフォマティクスソリューションの適用性の広さを示している、このようなWebサービスは、スタンドアロンの各種ツール類から、統合型の分散型で拡張可能なバイオインフォマティクスのワークフロー管理システム([[:en:Bioinformatics workflow management systems|bioinformatics workflow management systems]])まで、幅広く存在する。
=== バイオインフォマティクスワークフロー管理システム ===
バイオインフォマティクスワークフロー管理システムは、バイオインフォマティクスアプリケーションにおける一連の計算やデータ操作のステップ、つまりワークフローを構成し実行するために設計された、ワークフロー管理システムの特殊な形式である。下記の様な特徴があり、例としては[[Galaxy (計算生物学)|Galaxy]]、Kepler、Taverna、UGENE、Anduril、HIVEなどが挙げられる。
* 個々のアプリケーションサイエンティスト自身が独自のワークフローを作成するための、使いやすい環境を提供する。
* 科学者がワークフローを実行して結果をリアルタイムで表示できるようにする、インタラクティブなツールを科学者に提供する
* 科学者間のワークフローの共有と再利用のプロセスを簡素化する
* 科学者がワークフロー実行結果の出所とワークフロー作成ステップを追跡できるようにする。
=== BioCompute ===
2014年に[[アメリカ食品医薬品局|米国食品医薬品局]]は、バイオインフォマティクスの再現性について議論する会議を主催し、[[アメリカ国立衛生研究所|国立衛生研究所]]のベセスダキャンパス[[アメリカ国立衛生研究所|で]]開催された<ref>{{Cite web|url=https://www.fda.gov/ScienceResearch/SpecialTopics/RegulatoryScience/ucm389561.htm|title=Advancing Regulatory Science - Sept. 24-25, 2014 Public Workshop: Next Generation Sequencing Standards|author=Commissioner|first=Office of the|website=www.fda.gov|language=en|accessdate=2017-11-30}}</ref>。それから3年間に渡り、政府、業界、および学術団体の代表によるコンソーシアムが定期的に開かれ、BioComputeパラダイムについて話し合いが行われた<ref>{{Cite journal|last=Simonyan|first=Vahan|last2=Goecks|first2=Jeremy|last3=Mazumder|first3=Raja|date=2017|title=Biocompute Objects ? A Step towards Evaluation and Validation of Biomedical Scientific Computations|journal=PDA Journal of Pharmaceutical Science and Technology|volume=71|issue=2|pages=136-46|DOI=10.5731/pdajpst.2016.006734|ISSN=1079-7440|PMID=27974626|PMC=5510742}}</ref>。セッションリーダーは、FDAとNIHの研究所とセンターの多数の支部、[[ヒトバリオームプロジェクト|Human Variome Project]]や[[欧州医療情報連盟|European Medical Federation for Medical Informatics]]などの非営利団体、[[スタンフォード大学|Stanford]]、[[ニューヨークゲノムセンター|New York Genome Center]]、[[ジョージ・ワシントン大学|George Washington University]]などの研究機関の代表であった。
この会議によりBioComputeは、バイオインフォマティクスプロトコルの再現性、複製、レビュー、再利用を可能にするデジタル「ラボノートブック」形式のパラダイムを決定した。これは、グループ間のアイデアの交換を促進しながら、通常の人員流動の過程で研究グループ内のより大きな継続性を可能にするために提案されて。
2016年、グループはベセスダのNIHで再招集し、BioComputeパラダイムの例であるBioComputeオブジェクトの可能性について議論をすすめた。 この成果は、'standard trial use'ドキュメントとbioRxivにアップロードされたプレプリント論文として発表された。BioComputeオブジェクトを使用すると、JSON化されたレコードを従業員、共同編集者、規制当局間で共有することができる<ref>{{Cite journal|last=Alterovitz|first=Gil|last2=Dean|first2=Dennis|last3=Goble|first3=Carole|last4=Crusoe|first4=Michael R.|last5=Soiland-Reyes|first5=Stian|last6=Bell|first6=Amanda|last7=Hayes|first7=Anais|last8=Suresh|first8=Anita|last9=Purkayastha|first9=Anjan|date=2017-09-21|title=Enabling Precision Medicine via standard communication of HTS provenance, analysis, and results|url=http://biorxiv.org/lookup/doi/10.1101/191783|language=en|doi=10.1101/191783}}</ref><ref>{{Citation|title=BioCompute Object (BCO) project is a collaborative and community-driven framework to standardize HTS computational data. 1. BCO Specification Document: user manual for understanding and creating B.|date=2017-09-03|url=https://github.com/biocompute-objects/HTS-CSRS|publisher=biocompute-objects|access-date=2017-11-30}}</ref>。
== 教育プラットフォーム ==
バイオインフォマティクスの概念と方法を教育するために、様々なプラットフォームが設計されている。たとえば、スイスのバイオインフォマティクス研究所トレーニングポータルを通じて提供される [http://rosalind.info/problems/locations/ ROSALIND] のオンラインコースが挙げられる。カナダのバイオインフォマティクスワークショップは、[[クリエイティブ・コモンズ]]ライセンスに基づいて、ウェブサイトのトレーニングワークショップのビデオとスライドを提供している。 [https://4273pi.org/ 4273πプロジェクト] または4273piプロジェクト<ref>{{Cite journal|last=Barker|first=D|last2=Ferrier|first2=D.E.K.|last3=Holland|first3=P.W|last4=Mitchell|first4=J.B.O|last5=Plaisier|first5=H|last6=Ritchie|first6=M.G|last7=Smart|first7=S.D.|date=2013|title=4273π : bioinformatics education on low cost ARM hardware|journal=BMC Bioinformatics|volume=14|page=243|DOI=10.1186/1471-2105-14-243|PMID=23937194|PMC=3751261}}</ref> も、オープンソースの教育資料を無料で提供している。 このコースは低コストの[[Raspberry Pi]]コンピュータを利用し、大人や学校の生徒を教えるために使用されている<ref>{{Cite journal|last=Barker|first=D|last2=Alderson|first2=R.G|last3=McDonagh|first3=J.L|last4=Plaisier|first4=H|last5=Comrie|first5=M.M|last6=Duncan|first6=L|last7=Muirhead|first7=G.T.P|last8=Sweeny|first8=S.D.|date=2015|title=University-level practical activities in bioinformatics benefit voluntary groups of pupils in the last 2 years of school|journal=International Journal of STEM Education|volume=2|issue=17|DOI=10.1186/s40594-015-0030-z}}</ref><ref>{{Cite journal|last=McDonagh|first=J.L|last2=Barker|first2=D|last3=Alderson|first3=R.G.|date=2016|title=Bringing computational science to the public|journal=SpringerPlus|volume=5|issue=259|pages=259|DOI=10.1186/s40064-016-1856-7|PMID=27006868|PMC=4775721}}</ref>。4273πは、Raspberry Piコンピューターと4273πオペレーティングシステムを使用して、研究レベルのバイオインフォマティクスを利用している研究者や研究スタッフによるコンソーシアムによって積極的に開発されている<ref>{{Cite journal|last=Robson|first=J.F.|last2=Barker|first2=D|date=2015|title=Comparison of the protein-coding gene content of Chlamydia trachomatis and Protochlamydia amoebophila using a Raspberry Pi computer|journal=BMC Research Notes|volume=8|issue=561|pages=561|DOI=10.1186/s13104-015-1476-2|PMID=26462790|PMC=4604092}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Wregglesworth|first=K.M|last2=Barker|first2=D|date=2015|title=A comparison of the protein-coding genomes of two green sulphur bacteria, Chlorobium tepidum TLS and Pelodictyon phaeoclathratiforme BU-1|journal=BMC Research Notes|volume=8|issue=565|pages=565|DOI=10.1186/s13104-015-1535-8|PMID=26467441|PMC=4606965}}</ref>。
== 学会・国際会議 ==
バイオインフォマティクス分野の国内学会および国際学会として、[[日本バイオインフォマティクス学会]]および[[:en:International Society for Computational Biology|International Society for Computational Biology]]がある。
また国際会議として、[[:en:Intelligent Systems for Molecular Biology|Intelligent Systems for Molecular Biology]] (ISMB)、[[:en:European Conference on Computational Biology|European Conference on Computational Biology]] (ECCB)、[[:en:Research in Computational Molecular Biology|Research in Computational Molecular Biology]] (RECOMB)、International Conference on Genome Informatics (GIW)などがある。
== 学習参考書 ==
* A.ポランスキ, 後藤 修 (訳):「バイオインフォマティクス」、丸善出版、ISBN 978-4621062517、(2012年7月17日)。
== 引用文献 ==
{{Reflist|30em}}
== 関連項目 ==
* [[生物学]]
* [[システム生物学]]
* [[生物物理学]]
* [[ゲノミクス]]
* [[メタゲノミクス]]
* [[ケモインフォマティクス]]
* [[シーケンスアラインメント]]
* [[日本バイオインフォマティクス学会]]
* [[バイオインフォマティクス分野の科学論文雑誌のリスト]]
* [[バイオインフォマティクスに関連する機関の一覧]]
* [[オープンソースのバイオインフォマティックスソフトウェアの一覧]]
* [[:en:FM-index]]
== 外部リンク ==
=== 日本の関連学会 ===
*[http://www.jsbi.org/ 日本バイオインフォマティクス学会(JSBi)]
*[http://www.cbi.or.jp/ 情報計算化学生物学会(CBI学会)]
*[http://www.ipsj.or.jp/katsudou/sig/sighp/bio/ 情報処理学会 バイオ情報学研究会 (SIG BIO)]
*[http://www.sigmbi.jp/ 人工知能学会第二種研究会 分子生物情報研究会(SIG-MBI)]
=== 外部リンク ===
* [http://www.genome.jp/ja/ ゲノムネット]
* [[DDBJ]] [http://www.ddbj.nig.ac.jp/index-j.html 日本DNAデータバンク]
* [[蛋白質構造データバンク|PDBj]] [http://pdbj.org/?lang=ja 日本蛋白質構造データバンク]
* [http://biosciencedbc.jp/?lng=ja バイオサイエンスデータベースセンター(NBDC;National Bioscience Database Center)]
* [http://lifesciencedb.jp/ 文部科学省開発研究事業「統合データベースプロジェクト」のポータルサイト]
* [http://togotv.dbcls.jp/ja/ 統合TV]
* [https://bi.biopapyrus.jp/rnaseq/mapping/bwt.html bioinformatics]
* Workshop Data Structures in Bioinformatics
** [https://dsb-meeting.github.io/DSB2020/ DSB 2020]
** [https://dsb-meeting.github.io/DSB2021/ DSB 2021]
** [https://dsb-meeting.github.io/DSB2022/ DSB 2022]
** [https://dsb-meeting.github.io/DSB2023/ DSB 2023]
{{生物学}}
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[[Category:バイオインフォマティクス|*]]
[[Category:計算生物学]]
[[Category:生物学の研究技術]]
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[[Category:生物学の分野]] | 2003-02-13T08:40:39Z | 2023-09-19T01:22:09Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9 |
1,245 | ゆうきまさみ | ゆうき まさみ(本名:佐藤 修治、本名読み:さとう しゅうじ、1957年12月19日 - )は、日本の男性漫画家。北海道虻田郡倶知安町出身(札幌市生まれ)。北海道倶知安高等学校卒業。
1980年(昭和55年)『月刊OUT』(みのり書房)に掲載された「ざ・ライバル」でデビュー。当初はプロの漫画家になるつもりはなく、サラリーマン稼業の傍らでみのり書房やラポートの雑誌で活動する。退職後に「きまぐれサイキック」で『週刊少年サンデー』(小学館)での活動を開始し、以降主に同誌において活躍した。
代表作に『究極超人あ〜る』・『機動警察パトレイバー』・『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』など。
1957年(昭和32年)に北海道札幌市で生まれる。幼少期を東京都中野区や千葉県で過ごす。小学生の時に7歳年上の従兄がノートに漫画を描くのに影響を受け、石森章太郎の『マンガ家入門』で描き方を憶えて漫画を描きはじめる。
中学生の時に母親の故郷の北海道虻田郡倶知安町に移り、高校卒業まで過ごす。ちなみに、『究極超人あ〜る』の「生き霊少女」のエピソードは、高校時代の体験に基づいているという。
1975年(昭和50年)に高校を卒業し、上京して就職する。
1977年(昭和52年)の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』公開前後より、アニメや漫画の愛好者達の集い場となっていた江古田のまんが画廊に通うようになる。ここで『パロディ宇宙戦艦ヤマト』(水谷潤)という有名な同人誌を見て触発されて自身もパロディ要素を含んだ漫画を執筆し、これが仲間達から好評を得て執筆を続けるようになる。
また、川村万梨阿やとまとあきらとともに、架空のアニメの設定などをでっち上げる「企画ごっこ」という遊びを始め、これが後の『機動警察パトレイバー』へと繋がって行く。
まんが画廊でみのり書房がパロディ漫画を描ける人物を捜しているとの情報を得たゆうきは、同社を訪れてアイデアを見せ、OKが出たため漫画を執筆して持ち込む。『機動戦士ガンダム』のパロディ作品「ざ・ライバル」が『月刊OUT』1980年(昭和55年)4月号に掲載されて漫画家としてデビューする。ただし4ページの原稿のうち掲載されたのは1ページ目と4ページ目だけであった。
その後も、同誌でコンスタントにアニパロ(アニメのパロディ)読切の発表を続け、1980年12月号から開始した「ど貴族物語」が初の連載作品となる。当初はプロの漫画家になるつもりはなく、サラリーマンを本業として続けながらの活動であった。
活動の場をラポートの『アニメック』やOUTの増刊として始まった『アニパロコミックス』と増やし、新谷かおるの元でのアシスタントを行うと漫画活動の幅を広げるが、漫画によって本業が疎かになっていく。そして勤務年数が退職金が出る年数に届き退職しても当面の生活には困らなくなったこともあり、勤務態度を注意されたことを機として6年勤めた会社を1982年(昭和57年)に退職。
同年には『アニメック』でアニパロではないオリジナル作品「マジカル ルシィ」を、翌年には『アニパロコミックス』と『月刊OUT』を跨ぐ形で古事記のヤマトタケルノミコト説話を漫画化した「ヤマトタケルの冒険」の連載をそれぞれ始める。
1982年ごろに出渕裕と知り合ったゆうきは意気投合して「企画ごっこ」のノートを見せ、これを気に入った出渕は構成として火浦功を加え『機動警察パトレイバー』として実際にアニメ化することを目指す。制作プロダクションへと企画を持ち込むが受け入れられず頓挫し、多忙となった火浦は企画から撤退する。
1983年(昭和58年)の『時をかける少女』の公開により、ゆうきの周りでは原田知世ブームが起こる。出渕裕・火浦功・美樹本晴彦・かがみあきら・とり・みき・河森正治・米田裕といった面々が原田について熱く語る日々を過ごし、エッセイ漫画などの形で仕事としても昇華していた。ゆうきも『OUT』で連載したパロディ作品「時をかける学園(ねらわれたしょうじょ)」などいくつかの漫画で原田を取り上げた他、原田に近づく機会が得られるかもしれないとの理由から角川書店のアニメ雑誌『月刊ニュータイプ』での連載を受諾している。
1985年(昭和60年)の同誌創刊号から連載を開始したエッセイ漫画「ゆうきまさみのはてしない物語」は四半世紀以上を経た2016年現在においても続いており、同誌最長の長寿連載となっている。
「KUNIE」の打ち切りによって仕事の無くなっていたゆうきに、『週刊ヤングサンデー』へと異動していた「じゃじゃ馬」時の担当が、『バーディー』を名指しで連載を持ちかけ、同誌で2003年(平成15年)より『鉄腕バーディー』のリメイク版の連載を開始する。
2008年(平成20年)には『鉄腕バーディー DECODE』としてアニメ化もされるが、アニメ放映中に『ヤングサンデー』が休刊し『週刊ビッグコミックスピリッツ』へと移籍。その後、1カ月程度の休載を挟んで「鉄腕バーディーEVOLUTION」と改題の上で連載を再開した。改題によって個別タイトルとしては「じゃじゃ馬」などより短くなっているが『EVOLUTION』は完全に話の繋がった続編であり、無印と『EVOLUTION』を合わせたリメイク版『鉄腕バーディー』全体では連載期間で10年以上、単行本では30巻を越えるゆうき最長の作品となっている。
2013年から2017年にかけては、現代に生きる吸血鬼をテーマにしたサスペンスミステリー作品『白暮のクロニクル』をビッグコミックスピリッツで連載。同時期に、ボーイズラブ作家をテーマにした『でぃす×こみ』を、月刊!スピリッツで不定期連載した。
2018年からは、伊勢新九郎(北条早雲)をモデルとした『新九郎、奔る!』を月刊!スピリッツにて連載開始(2020年よりビッグコミックスピリッツに移籍)。
2020年9月14日、画業40周年を記念した企画が、週刊ビッグコミックスピリッツ42・43合併号で告知された。同年12月に初の大規模となる展示イベント「ゆうきまさみ展」を東京・東京ドームシティ Gallery AaMoで開催。また、初の画集が発売されることも併せて発表した。イベントの詳細は随時特設サイト及び公式Twitterで告知される。
特記のない連載作品は『週刊少年サンデー』での連載。
漫画作品については連載作品のみを抜粋して記載する。詳細な漫画作品および単行本のリストはゆうきまさみの漫画作品一覧を参照。
アニメ『機動警察パトレイバー』の原作者集団。
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"text": "2013年から2017年にかけては、現代に生きる吸血鬼をテーマにしたサスペンスミステリー作品『白暮のクロニクル』をビッグコミックスピリッツで連載。同時期に、ボーイズラブ作家をテーマにした『でぃす×こみ』を、月刊!スピリッツで不定期連載した。",
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] | ゆうき まさみは、日本の男性漫画家。北海道虻田郡倶知安町出身(札幌市生まれ)。北海道倶知安高等学校卒業。 1980年(昭和55年)『月刊OUT』(みのり書房)に掲載された「ざ・ライバル」でデビュー。当初はプロの漫画家になるつもりはなく、サラリーマン稼業の傍らでみのり書房やラポートの雑誌で活動する。退職後に「きまぐれサイキック」で『週刊少年サンデー』(小学館)での活動を開始し、以降主に同誌において活躍した。 代表作に『究極超人あ〜る』・『機動警察パトレイバー』・『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』など。 | {{存命人物の出典明記|date=2012年1月}}
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{{Infobox 漫画家
|名前 = ゆうき まさみ
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|脚注 =
|本名 = 佐藤 修治
|生年 = {{生年月日と年齢|1957|12|19}}
|生地 = {{JPN}}・[[北海道]]
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|国籍 = {{JPN}}
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|活動期間 = [[1980年]](昭和55年) -
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|公式サイト = [http://www.yuukimasami.com/index.php ゆうきまさみのにげちゃだめかな?]
}}
'''ゆうき まさみ'''(本名:佐藤 修治<ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』[[日外アソシエーツ]]、[[2003年]][[2月25日]][[初版]]発行、{{ISBN2|4-8169-1760-8}}、409頁</ref>、本名読み:さとう しゅうじ、[[1957年]][[12月19日]]<ref name="archive">ゆうきまさみ「BIRDY THE INTERVIEW」『鉄腕バーディー ARCHIVE』、85頁</ref> - )は、[[日本]]の[[男性]][[漫画家]]。[[北海道]][[虻田郡]][[倶知安町]]出身<ref name="nendaiki">『ゆうきまさみ年代記』[[小学館]]、2010年11月30日発行、170-176頁。[[小松左京]]との対談にて本人発言</ref><ref name="yomiuri20160901">「[ふるさと]北海道倶知安町 漫画家 ゆうきまさみさん 58=東京」[[読売新聞]]、2016年9月1日、東京朝刊、28頁</ref>([[札幌市]]生まれ<ref name="AI">『アッセンブル・インサート』、表紙そで</ref>)。[[北海道倶知安高等学校]]卒業<ref name="kyogoku">「奇跡の同窓対談」『[[月刊ニュータイプ]]』2010年12月号(第26巻第24号)角川書店、2010年11月10日発行・発売、88-89頁</ref>。
[[1980年]](昭和55年)『[[月刊OUT]]』(みのり書房)に掲載された「ざ・ライバル」でデビュー。当初はプロの漫画家になるつもりはなく<ref name="名前なし-1">『ヤマトタケルの冒険』、表紙そで</ref>、[[サラリーマン]]稼業の傍らでみのり書房や[[ラポート]]の雑誌で活動する。退職後<ref name="nige20050311">{{Cite web|和書|author=ゆうきまさみ|date=2005-03-11|url=http://www.yuukimasami.com/sketchbook/index.php?id=49077555b9040ae072a5983c158b1122|title=ゆうきまさみのスケッチブック ホントはいつから「オタク」なの?|work=[http://www.yuukimasami.com/index.php ゆうきまさみのにげちゃだめかな?]
|accessdate=2009-07-05}}</ref>に「きまぐれサイキック」で『[[週刊少年サンデー]]』([[小学館]])での活動を開始し、以降主に同誌において活躍した。
代表作に『[[究極超人あ〜る]]』・『[[機動警察パトレイバー]]』・『[[じゃじゃ馬グルーミン★UP!]]』<ref name="archive" />など。
== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
[[1957年]](昭和32年)に北海道札幌市で生まれる。幼少期を[[東京都]][[中野区]]や[[千葉県]]で過ごす。小学生の時に7歳年上の従兄がノートに漫画を描くのに影響を受け、[[石ノ森章太郎|石森章太郎]]の『[[マンガ家入門]]』で描き方を憶えて漫画を描きはじめる<ref>{{Cite web|和書|author=ゆうきまさみ|coauthors=[[手塚眞]]他|date=開催日:2009-04-18|url=http://www.bh-project.jp/festival/static/jpn/image/event/arts_film/report04.pdf|title=1、日本のアニメの未来 開催レポート|format=PDF|work=[http://www.bh-project.jp/festival/jpn/event/data/tezuka_osamu2009 手塚治虫アカデミー2009|フェスティバル|東京文化発信プロジェクト]|publisher=[[東京都江戸東京博物館]]|accessdate=2009-07-05}}</ref><ref name="continue-13">「ゆうきまさみ1万字ロングインタビュー」『CONTINUE』13頁</ref>。
中学生の時に母親の故郷の北海道虻田郡倶知安町に移り、高校卒業まで過ごす<ref>『安彦良和対談集 アニメ・マンガ・戦争』[[角川書店]]、2005年、42頁</ref>。ちなみに、『[[究極超人あ〜る]]』の「生き霊少女」のエピソードは、高校時代の体験に基づいているという<ref name="nendaiki" />。
=== デビュー前 ===
[[1975年]](昭和50年)に高校を卒業し、上京して就職する<ref name="continue-13" />。
[[1977年]](昭和52年)の劇場版『[[宇宙戦艦ヤマト]]』公開前後より、アニメや漫画の愛好者達の集い場となっていた[[江古田]]のまんが画廊に通うようになる<ref name="continue-13" />。ここで『パロディ宇宙戦艦ヤマト』([[宮川総一郎|水谷潤]])という有名な[[同人誌]]を見て触発されて自身も[[パロディ]]要素を含んだ漫画を執筆し、これが仲間達から好評を得て執筆を続けるようになる<ref name="continue-13" />。
また、[[川村万梨阿]]や[[とまとあき]]らとともに、架空のアニメの設定などをでっち上げる「企画ごっこ」という遊びを始め、これが後の『[[機動警察パトレイバー]]』へと繋がって行く<ref name="sgs45">「パトレイバー今昔物語」『機動警察パトレイバー』〈少年サンデーグラフィック・スペシャル〉45頁</ref>。
=== アニメ誌でのデビュー ===
まんが画廊で[[みのり書房]]が[[パロディ]]漫画を描ける人物を捜しているとの情報を得たゆうきは、同社を訪れてアイデアを見せ、OKが出たため漫画を執筆して持ち込む<ref name="continue-14">「ゆうきまさみ1万字ロングインタビュー」『CONTINUE』14頁</ref>。『機動戦士ガンダム』のパロディ作品「[[ざ・ライバル]]」が『[[月刊OUT]]』[[1980年]](昭和55年)4月号に掲載されて漫画家としてデビューする<ref name="continue-14" />。ただし4ページの原稿のうち掲載されたのは1ページ目と4ページ目<ref group="注">[[シャア・アズナブル]]の乗るモビルスーツが1ページ目と2ページ目で異なるが、話の流れはつながらなくもない。</ref>だけであった<ref>「ゆうきまさみ1万字ロングインタビュー」『CONTINUE』17頁脚注</ref>。
その後も、同誌でコンスタントにアニパロ([[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]のパロディ)読切の発表を続け、1980年12月号から開始した「ど貴族物語」<ref group="注">『[[超電磁マシーン ボルテスV]]』と『[[ベルサイユのばら]]』を混合させたパロディ作品。</ref>が初の連載作品となる。当初はプロの漫画家になるつもりはなく<ref name="名前なし-1"/>、サラリーマンを本業として続けながらの活動であった<ref name="continue-14" />。
活動の場を[[ラポート]]の『[[アニメック]]』やOUTの増刊として始まった『[[アニパロコミックス]]<ref group="注">創刊号の誌名は『アニメ・パロディ・コミックス』。</ref>』と増やし、[[新谷かおる]]の元での[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を行うと漫画活動の幅を広げるが、漫画によって本業が疎かになっていく<ref name="continue-14" />。そして勤務年数が退職金が出る年数に届き退職しても当面の生活には困らなくなったこともあり、勤務態度を注意されたことを機として6年勤めた会社を[[1982年]](昭和57年)に退職<ref name="nige20050311" /><ref name="continue-14" />。
同年には『アニメック』でアニパロではないオリジナル作品「マジカル ルシィ」を、翌年には『アニパロコミックス』と『月刊OUT』を跨ぐ形で[[古事記]]の[[ヤマトタケル|ヤマトタケルノミコト]]説話を漫画化した<ref>「ゆうきまさみ WORKS ヤマトタケルの冒険」『CONTINUE』27頁</ref>「ヤマトタケルの冒険」の連載をそれぞれ始める。
===パトレイバーの企画が頓挫===
1982年ごろに[[出渕裕]]と知り合ったゆうきは意気投合して「企画ごっこ」のノートを見せ、これを気に入った出渕は[[放送作家|構成]]として[[火浦功]]を加え『[[機動警察パトレイバー]]』として実際にアニメ化することを目指す<ref name="sgs48-49">「パトレイバー今昔物語」『機動警察パトレイバー』〈少年サンデーグラフィック・スペシャル〉48-49頁</ref>。制作プロダクションへと企画を持ち込むが受け入れられず頓挫し、多忙となった火浦は企画から撤退する<ref name="sgs48-49" />。
[[1983年]](昭和58年)の『[[時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女]]』の公開により、ゆうきの周りでは[[原田知世]]ブームが起こる<ref name="tomoyo">「そこに知世がいれば」『early days』2巻、165 - 188頁</ref>。[[出渕裕]]・[[火浦功]]・[[美樹本晴彦]]・[[かがみあきら]]・[[とり・みき]]・[[河森正治]]・[[米田裕]]といった面々が原田について熱く語る日々を過ごし<ref name="tomoyo" />、エッセイ漫画などの形で仕事としても昇華していた。ゆうきも『OUT』で連載したパロディ作品「時をかける学園(ねらわれたしょうじょ)<ref group="注">原田主演の『[[時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女]]』と[[薬師丸ひろ子]]主演の『[[ねらわれた学園 (1981年の映画)|ねらわれた学園]]』とを混ぜ合わせたパロディ作品。</ref>」などいくつかの漫画で原田を取り上げた<ref>「ゆうきまさみ WORKS 時をかける学園」『CONTINUE』24頁</ref>他、原田に近づく機会が得られるかもしれないとの理由から[[角川書店]]のアニメ雑誌『[[月刊ニュータイプ]]』での連載を受諾している<ref name="hatesinai">「わたしがここにいる理由」『ゆうきまさみのはてしない物語』144頁</ref><ref group="注">当時の原田は角川春樹事務所に所属しており、[[薬師丸ひろ子]]・[[渡辺典子]]と共に角川3人娘と称されていたが、[[1986年]](昭和61年)に独立している。</ref>。
[[1985年]](昭和60年)の同誌創刊号から連載を開始した[[エッセイ漫画]]「ゆうきまさみのはてしない物語」は四半世紀以上を経た2016年現在においても続いており、同誌最長の長寿連載となっている。
=== 少年サンデー時代 ===
; 究極超人あ〜る
: 「[[星雲児]]<ref group="注">『週刊少年サンデー』で1983年から連載された[[池上遼一]]の漫画。出淵はメカデザインで関わっている。</ref>」で『[[週刊少年サンデー]]』に出入りするようになった[[出渕裕]]の紹介でサンデー編集部とのコネクションを持ち、[[1984年]](昭和59年)の同誌25周年増刊号に「きまぐれサイキック」が掲載されサンデーでの活動が始まる<ref name="continue-15-16">「ゆうきまさみ1万字ロングインタビュー」『CONTINUE』15-16頁</ref>。同年に、本誌で「♡LY BLOOD」の短期集中連載を行う。
: さらに月刊で発行されていた『[[週刊少年サンデーS|週刊少年サンデー増刊号]]』で「[[鉄腕バーディー]]」(オリジナル版)の連載を開始する<ref name="continue-15-16" />。しかし、当時の担当が週刊でやることを推したため、増刊での「バーディー」の連載を中断し、[[1985年]](昭和60年)より本誌で「[[究極超人あ〜る]]」の連載を開始<ref name="continue-15-16" />。以降、同誌はゆうきの主戦場となり、[[2002年]](平成14年)までの17年間に渡って作品を掲載することとなる。
; 機動警察パトレイバー
: [[1986年]](昭和61年)には新たに脚本家の[[伊藤和典]]と当時伊藤の妻であった[[キャラクターデザイナー]]の[[高田明美]]を加えて『[[機動警察パトレイバー]]』の計画を練り直し、[[バンダイ]]で[[OVA]]化を取り付ける<ref name="sgs49-50">「パトレイバー今昔物語」『機動警察パトレイバー』〈少年サンデーグラフィック・スペシャル〉49-50頁</ref>。[[1988年]](昭和63年)には『少年サンデー』での漫画版の連載とOVAの発売が始まり<ref name="sgs49-50" />、翌[[1989年]](平成元年)には映画化・テレビアニメ化も達成し、デビュー前の構想が元となった企画が実現された。「パトレイバー」連載開始の同年には前年連載が終了した「あ〜る」で第19回[[星雲賞]]マンガ部門を、翌年には連載中の「パトレイバー」で第36回[[小学館漫画賞]]少年部門を受賞する。
; じゃじゃ馬グルーミン★UP!
: [[1994年]](平成6年)には6年続いた「パトレイバー」を完結させ、担当から提示された題材を元に「[[じゃじゃ馬グルーミン★UP!]]」の連載を『少年サンデー』で開始<ref>「ゆうきまさみ1万字ロングインタビュー」『CONTINUE』18頁</ref>。同作も連載期間が6年に渡る長期連載となり、単行本では全26巻のタイトルとなっている<ref group="注">1つの物語としては、途中で『鉄腕バーディー EVOLUTION』に改題して継続されているリメイク版の『鉄腕バーディー』が最長となる。また連載期間では6年+6週続いた「パトレイバー」が8週程長く続いている。</ref>。また「じゃじゃ馬」と並行して、[[1995年]](平成7年)からは『[[月刊少年キャプテン]]』([[徳間書店]])で「[[土曜ワイド殺人事件]]」([[とり・みき]]との共作)、[[2000年]](平成12年)からは『AICコミックLOVE』([[アニメインターナショナルカンパニー|AIC]])で「[[マリアナ伝説]]」([[田丸浩史]]との共作)の連載を開始している。両作は掲載誌を移りながらも連載が継続され、[[2004年]](平成16年)と[[2005年]](平成17年)にそれぞれ完結している。
; パンゲアの娘 KUNIE
: [[2001年]](平成13年) より連載を開始した「[[パンゲアの娘 KUNIE]]」が翌[[2002年]](平成14年)に打ち切りとなり<ref name="continue-19">「ゆうきまさみ1万字ロングインタビュー」『CONTINUE』19頁</ref>、「あ〜る」以来17年連載を続けてきたサンデーを離れる。
=== 青年誌への移動 ===
; 鉄腕バーディー
: 「KUNIE」の打ち切りによって仕事の無くなっていたゆうきに、『[[週刊ヤングサンデー]]』へと異動していた「じゃじゃ馬」時の担当が、『バーディー』を名指しで連載を持ちかけ、同誌で[[2003年]](平成15年)より『[[鉄腕バーディー]]』のリメイク版の連載を開始する<ref name="continue-19" />。
: [[2008年]](平成20年)には『[[鉄腕バーディー DECODE]]』としてアニメ化もされるが、アニメ放映中に『ヤングサンデー』が休刊し『[[ビッグコミックスピリッツ|週刊ビッグコミックスピリッツ]]』へと移籍。その後、1カ月程度の休載を挟んで「鉄腕バーディーEVOLUTION」と改題の上で連載を再開した。改題によって個別タイトルとしては「じゃじゃ馬」などより短くなっているが『EVOLUTION』は完全に話の繋がった続編であり、無印と『EVOLUTION』を合わせたリメイク版『鉄腕バーディー』全体では連載期間で10年以上、単行本では30巻を越えるゆうき最長の作品となっている。
; 白暮のクロニクル / でぃす×こみ
: [[2013年]]から[[2017年]]にかけては、現代に生きる吸血鬼をテーマにしたサスペンスミステリー作品『[[白暮のクロニクル]]』をビッグコミックスピリッツで連載。同時期に、[[ボーイズラブ]]作家をテーマにした『[[でぃす×こみ]]』を、[[月刊!スピリッツ]]で不定期連載した。
; 新九郎、奔る!
: 2018年からは、[[北条早雲|伊勢新九郎(北条早雲)]]をモデルとした『[[新九郎、奔る!]]』を月刊!スピリッツにて連載開始(2020年よりビッグコミックスピリッツに移籍)。
: [[2020年]]9月14日、画業40周年を記念した企画が、週刊ビッグコミックスピリッツ42・43合併号で告知された。同年12月に初の大規模となる展示イベント「ゆうきまさみ展」を東京・東京ドームシティ Gallery AaMoで開催。また、初の画集が発売されることも併せて発表した<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20200912dog00m200032000c.html|title=ゆうきまさみ:画業40周年企画続々 展覧会、初の画集 「究極超人あ~る」等身大R・田中一郎、光画部部室を再現|publisher=MANTANWEB|date=2020-09-14|accessdate=2020-09-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/396280|title=ゆうきまさみ初の大規模展示イベントや画集発売、画業40周年を記念し|publisher=コミックナタリー|date=2020-09-14|accessdate=2020-09-14}}</ref>。イベントの詳細は随時特設サイト及び公式Twitterで告知される<ref>[https://yuukimasami-ten.com/ ゆうきまさみ展]</ref><ref>[https://twitter.com/yuukimasami_ten/with_replies 【公式】画業40周年記念企画 ゆうきまさみ展 Twitter]</ref>。
== 年表 ==
特記のない連載作品は『週刊少年サンデー』での連載。
* [[1957年]](昭和32年) - 北海道札幌市で生まれる<ref name="AI" />。
* [[1975年]](昭和50年) - [[北海道倶知安高等学校]]を卒業し、上京して就職する<ref name="kyogoku" />。
* [[1980年]](昭和55年) - [[サラリーマン]]稼業のかたわら、『[[月刊OUT]]』([[みのり書房]])掲載の『ざ・ライバル』でデビュー。以後サラリーマンを続けながらみのり書房や[[ラポート]]でアニパロ漫画を中心とした執筆活動を続ける。
* [[1982年]](昭和57年) - 6年勤めた会社を退職<ref name="nige20050311" />。
* [[1984年]](昭和59年) - 「きまぐれサイキック」が増刊号に掲載され『[[週刊少年サンデー]]』([[小学館]])に進出し、「♡LY BLOOD」の短期連載で同誌初の連載を開始する。初の単行本となる『ヤマトタケルの冒険』が発売。『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊号]]』で「[[鉄腕バーディー]]」を連載開始。
* [[1985年]](昭和60年) - 『[[月刊ニュータイプ]]』([[角川書店]])で漫画エッセイ『はてしない物語』の連載を開始( - 連載中<ref group="注" name="date">2012年8月現在</ref>)。『バーディー』を中断しサンデー本誌で「[[究極超人あ〜る]]」の連載を開始( - [[1987年]])。
* [[1987年]](昭和62年) - 『バーディー』の連載を一時再開( - [[1988年]])。
* [[1988年]](昭和63年) - [[出渕裕]]らと共に[[機動警察パトレイバー#ヘッドギア|ヘッドギア]]として計画を進めていた『[[機動警察パトレイバー]]』の漫画版を連載開始( - [[1994年]])し、[[OVA]]も発売。『あ〜る』で第19回[[星雲賞]]マンガ部門受賞。
* [[1990年]](平成2年) - 『パトレイバー』で第36回[[小学館漫画賞]]受賞。
* [[1994年]](平成6年) - 『[[じゃじゃ馬グルーミン★UP!]]』を連載開始( - [[2000年]])。
* [[1995年]](平成7年) - [[とり・みき]]との共作で『[[土曜ワイド殺人事件]]』を『[[月刊少年キャプテン]]』([[徳間書店]])で連載開始。以降同作は掲載誌を変えながら断続的に[[2004年]]まで連載が続けられる。
* [[2000年]](平成12年) - [[田丸浩史]]との共作で『[[マリアナ伝説]]』を『AICコミックLOVE』([[アニメインターナショナルカンパニー|AIC]])で連載開始。以降同作は掲載誌を変えながら[[2005年]]まで連載が続けられる。
* [[2001年]](平成13年) - 『[[パンゲアの娘 KUNIE]]』を連載開始( - [[2002年]])。
* [[2003年]](平成15年) - 『[[週刊ヤングサンデー]]』(小学館)でセルフ[[リメイク]]の上で『[[鉄腕バーディー]]』を連載開始。[[2008年]](平成20年)の同誌休刊に伴い『[[ビッグコミックスピリッツ|週刊ビッグコミックスピリッツ]]』に移籍し、その後「鉄腕バーディーEVOLUTION」に改題。
* [[2009年]](平成21年) - 株式会社インターネットより発売([[6月26日]])の[[VOCALOID]]2「[[Megpoid]]」のキャラクターデザインを担当。
* [[2013年]](平成25年) - 『週刊ビッグコミックスピリッツ』にて『[[白暮のクロニクル|白暮(はくぼ)のクロニクル]]』を。『月刊!スピリッツ』にて『でぃす×こみ』連載開始(どちらも [[2017年]]まで)。
* [[2018年]](平成30年) - 『月刊!スピリッツ』にて『[[新九郎、奔る!]]』を連載開始。[[2020年]](令和2年)より『週刊ビッグコミックスピリッツ』に移籍。
* 2020年(令和2年) - 画業40周年。
== 作品リスト ==
漫画作品については連載作品のみを抜粋して記載する。詳細な漫画作品および単行本のリストは[[ゆうきまさみの漫画作品一覧]]を参照。
=== 漫画作品 ===
* ど貴族物語(みのり書房『[[月刊OUT]]』1980年12月号 - 1981年03月号)
* マジカル ルシイ([[ラポート]]『アニメック』27号 - 1983年12月号)
* ヤマトタケルの冒険(『[[月刊OUT]]』1983年02月号 - 08月号および増刊『[[アニパロコミックス|アニパロ・コミックス]]』)
* パラレル・ミュージアム([[徳間書店]]『[[SFアドベンチャー]]』1983年07月号 - 12月号)
* 時をかける学園(ねらわれたしょうじょ)(『月刊OUT』1983年10月号 - 1984年10月号)
* ♡LY BLOOD([[小学館]]『[[週刊少年サンデー]]』1984年37号 - 41号)
* [[鉄腕バーディー]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/101245/|title=鉄腕バーディー :作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-06-27}}</ref>:未完となったオリジナル版を後にリメイクし、さらに後に『EVOLUTION』に改題。
** オリジナル版:『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊]]』1985年1月号 - 7月号、1987年12月号 - 1988年2月号
** リメイク版:[[小学館]]『[[週刊ヤングサンデー]]』2003年4・5号 - 2008年35号、『[[ビッグコミックスピリッツ|週刊ビッグコミックスピリッツ]]』2008年41号 - 43号
*** [[鉄腕バーディー|鉄腕バーディー EVOLUTION]]([[小学館]]『[[ビッグコミックスピリッツ|週刊ビッグコミックスピリッツ]]』2008年46号 - 2012年34号)
* [[アッセンブル・インサート]](みのり書房『[[アニパロコミックス]]』8 - 10)
* ゆうきまさみのはてしない物語([[角川書店]]『[[月刊ニュータイプ]]』1985年04月創刊号 - 連載中):漫画エッセイ
* [[究極超人あ〜る]](『週刊少年サンデー』1985年34号 - 1987年32号)
* [[機動警察パトレイバー]](『週刊少年サンデー』1988年17号 - 1994年23号)
* [[じゃじゃ馬グルーミン★UP!]](『週刊少年サンデー』1994年44号 - 2000年42号)
* [[土曜ワイド殺人事件]]([[徳間書店]]『[[月刊少年キャプテン]]』1995年2月号 - 1997年2月号):[[とり・みき]]との共作
** [[土曜ワイド殺人事件|新・土曜ワイド殺人事件]]([[富士見書房|富士見]]『ドラゴンHG』vol.1 - 6、『[[月刊ドラゴンエイジ]]』2003年10月号・2004年01月号)
* [[マリアナ伝説]]:[[田丸浩史]]との共作。3つの雑誌を渡り歩いた。
** [[アニメインターナショナルカンパニー|AIC]]『AICコミックLOVE』vol.7 - 8
** 『ドラゴンHG』vol.1 - 6
** 『[[月刊ドラゴンエイジ]]』2003年07月号 - 2005年06月号
* [[パンゲアの娘 KUNIE]](『週刊少年サンデー』2001年21・22合併号 - 2002年30号)
* [[でぃす×こみ]](『[[月刊!スピリッツ]]』不定期連載:2013年6号 - 2016年11月号、通常連載:2017年8月号 - 12月号)
* [[白暮のクロニクル]](『ビッグコミックスピリッツ』2013年39号 - 2017年26号)
* [[新九郎、奔る!]](『月刊!スピリッツ』:2018年3月号 - 2019年12月号、『ビッグコミックスピリッツ』2020年7号 - )
=== アニメ ===
<!--「ゆうきまさみの原作をアニメ化したもの」は非掲載。『パトレイバー』はアニメのスタッフとして参加している。-->
* [[機動警察パトレイバー]] - [[機動警察パトレイバー#ヘッドギア|ヘッドギア]]の一員として原案を担当。なお、同名の漫画とは基本設定等は共有しているものの、漫画のアニメ化やアニメの[[漫画化]]という関係にはない(詳細は該当項目を参照)。
=== キャラクターデザイン ===
* 熱血ロボ ガンバル5 - 『[[ジ・アニメ]]』([[近代映画社]])架空のアニメ作品を企画制作したら…をネタにしたパロディクイズ企画から派生した架空の作品。ゆうきはキャラクターデザイン及び掲載漫画を担当<ref group="注">1982年8月号p.105掲載の企画「アニメクイズグランプリ」から派生。同企画は好評を得て準レギュラー企画となり11月号p.57では「ガンバル5映画化決定?」のタイトルで2色刷り特集が組まれるほどであった。徐々に読者からのネタやアイディアを盛り込んだページとなり、ついには読者参加型連載漫画として掲載されるようになった。ゆうきのパロディ漫画を掲載していた他誌「月刊OUT」1982年10月号に描きおろし折込ポスターがついたことがある(その件については1982年11月号p.188の編集後記欄に詳細が記されている)。</ref><ref name="g5">「COLUMN もっとアーリーデイズ」『CONTINUE』24頁</ref>。
* [[未来放浪ガルディーン]] - [[火浦功]]による[[SF小説]]。
* GUMI - [[Megpoid]]のイメージキャラクター
** [[Megpoid#その他|Crosslight]]
=== イラスト ===
* スターライトシリーズ(1985年~2006年、[[コバルト文庫|集英社文庫コバルトシリーズ]]/[[スーパーファンタジー文庫]]/[[ソノラマノベルス]]) - [[火浦功]]による[[SF小説]]シリーズ。
* ギャラクシー・トリッパー美葉(1992年~1995年、[[角川スニーカー文庫]]) - [[山本弘 (作家)|山本弘]]による[[小説]]シリーズ。
* Memories(1991年、[[キングレコード]]) - [[辛島美登里]]のアルバム。
* イカロスの誕生日(2015年、[[μNOVEL]]) - [[小川一水]]による小説。[[μNOVEL]]でのカラーカバーを担当。<ref>{{Cite web|和書|url = https://ddnavi.com/news/257156/a/ |title = 大人向けライトノベルの新レーベル『μNOVEL(ミューノベル)』10月創刊! |publisher = ダ・ヴィンチニュース |date = 2015-09-03 |accessdate = 2021-06-23}}</ref>
* 書籍「普通のサラリーマン、ラジオパーソナリティになる〜佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)2019-2021〜」(2021年、[[扶桑社]]) - [[佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)]]の番組本。表紙イラストを担当。<ref>{{Cite web|和書|url = https://natalie.mu/comic/news/431824 |title = ゆうきまさみが佐久間宣行ANN0本の表紙執筆、ゆうきを敬愛する佐久間「夢の様」 |publisher = コミックナタリー |date = 2021-06-10 |accessdate = 2021-06-23}}</ref>
=== その他 ===
* 特撮雑誌『[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]』1983年秋号(Vol.16)にて東宝特撮についてのイラストコラムを描く。楽屋落ち的な内容で出渕裕も登場。
* [[アトム ザ・ビギニング]] - コンセプトワークスを担当(『[[月刊ヒーローズ]]』2015年1月号 - 。原案:[[手塚治虫]]、漫画:[[カサハラテツロー]]、監修:[[手塚眞]]、協力:[[手塚プロダクション]])
* テレビドラマ『[[重版出来!#テレビドラマ|重版出来!]]』 - 2016年のTBS系テレビドラマ。漫画編集部が舞台のストーリーである。劇中で使用される漫画の原稿(『ドラゴン急流』三蔵山龍)を執筆<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/181580|title=出版業界描く「重版出来!」劇中にゆうきまさみら描き下ろしマンガ、藤子不二雄(A)も|publisher=コミックナタリー|date=2016-03-30|accessdate=2016-04-13}}</ref>。
* [[朝日新聞]] 2022年7月1日朝刊 文化面にて大河ドラマ『[[鎌倉殿の13人]]』についてコメントする。
=== メディア出演 ===
* [[X年後の関係者たち|X年後の関係者たち〜あのムーブメントの舞台裏〜]] #35「機動警察パトレイバー」(2023年3月7日、[[BS-TBS]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/515521|title=ゆうきまさみ、出渕裕ら集結!「パトレイバー」の誕生に迫る番組、BS-TBSで明日放送|work=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-03-06|accessdate=2023-03-08}}</ref>
* [[漫道コバヤシ]] 機動警察パトレイバー 誕生35周年記念SP(2023年3月16日、[[フジテレビONE]])<ref>[https://twitter.com/mando_kobayashi/status/1630872589999685633 【公式】漫道コバヤシ Twitter 2023年3月1日付]</ref>
== 関連人物 ==
=== まんが画廊の常連 ===
; [[とまとあき]]
: 小説家・音楽ディレクター。まんが画廊の常連の一人でデビュー前からの知人で、『パトレイバー』の大元となった企画ごっこにも参加している<ref name="sgs45" />。またゆうきも参加した架空のアニメ企画『熱血ロボ ガンバル5』では構成を担当している<ref name="g5" />。『[[究極超人あ〜る]]』に登場するたわば先輩はとまとをモデルとしており<ref name="OUT33-39">「究極超人あ〜るの世界」『[[月刊OUT]]』1987年10月号(第11巻第15号)みのり書房、昭和62年10月1日発行、33-39頁</ref>、ドラマCDではとまと自身が声を当てている。
; [[川村万梨阿]]
: 女性[[声優]]。まんが画廊の常連の一人でデビュー前からの知人で、『パトレイバー』の大元となった企画ごっこにも参加している<ref name="sgs45" />。『[[究極超人あ〜る]]』に登場する西園寺まりいは川村をモデルとしており<ref name="OUT35">「究極超人あ〜るの世界」『[[月刊OUT]]』1987年10月号、35頁</ref>、ドラマCDやOVAでは川村自身が声を当てている。
=== 漫画家 ===
; [[出渕裕]]
: 漫画家の他[[メカニックデザイン]]などと幅広く活動する[[作者|クリエイター]]。[[1983年]](昭和58年)ごろに『[[アニメック]]』の編集部で知り合い意気投合<ref name="sgs48-49" />。素人の「企画ごっこ」でしかなかったものを『[[機動警察パトレイバー]]』として実際にアニメとするために尽力する<ref name="sgs48-49" /><ref name="sgs49-50" />。またリメイク版『[[鉄腕バーディー]]』には漫画ではアイデア協力として、このアニメ版となる『[[鉄腕バーディー DECODE]]』にはクリエイティブプロデューサーとして関わっている。
; [[とり・みき]]
: 漫画家。ゆうきがアニパロ漫画を描いていた時代に知り合い、[[原田知世]]ブームを機に交友を深める<ref>[[とり・みき]]「INTERVEW とり・みき」『CONTINUE』29頁</ref>。一時期ゆうきはとりの元で[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]も務めていた<ref>『アッセンブル・インサート』60頁</ref>。また1995年からは『[[土曜ワイド殺人事件]]』を合作している。
; [[新谷かおる]]
: サラリーマンを辞める直前の時期にゆうきは新谷の元でアシスタントを務め、この経験がサラリーマンを辞めるきっかけの一つともなっている<ref name="continue-14" /><ref>『現代漫画博物館 : 1945-2005』[[竹内オサム]](監修)、[[小学館]]、2006年、別冊資料編p.73、{{ISBN2|978-4-09-179003-3}}</ref>。
=== ヘッドギア ===
アニメ『[[機動警察パトレイバー]]』の原作者集団。
; [[出渕裕]]
: [[#漫画家|上述]]。ヘッドギアでは[[メカニックデザイン]]を担当。
; [[伊藤和典]]
: ヘッドギアでは[[脚本家|脚本]]を担当。『[[究極超人あ〜る]]』に登場する伊東のモデル<ref name="OUT33-39" />。
; [[高田明美]]
: ヘッドギアでは[[キャラクターデザイン]]を担当。『究極超人あ〜る』に登場する伊東の彼女のモデル{{要出典|date=2012年1月}}。また同作のドラマCDでは西園寺えりかの声を担当している。
; [[押井守]]
: ヘッドギアでは[[映画監督|監督]]を担当。
=== アシスタント出身者 ===
ゆうきの元で[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]経験のある人物。
* [[しげの秀一]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://spi-net.jp/monthly_taidan/index2.html|title=「月刊!スピリッツ」誕生記念対談|accessdate=2009年9月3日}}</ref>
* [[末次徹朗]]<ref>「リレー四コマ ゆうきまさみの華麗な日々」『機動警察パトレイバー』小学館〈少年サンデーグラフィック・スペシャル〉1989年2月1日初版第刷発行、{{ISBN2|4-09-101177-2}}</ref>
* [[法田恵]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.web-myoung.com/tokushu/h_i_int2.html|title=特集「イナカナかれっじ」完結記念 法田恵先生インタビュー 第2部|publisher=webメンズヤング |author=編集部(庭)|date=2005-09-12|accessdate=2008年11月19日}}</ref>
* [[ゆうろ]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.p-tina.net/interview/157|title=背景の背景を訪ねて―美しい背景画を描くために大切なこと《前編》絵師ゆうろインタビュー|publisher=ぷらちな|accessdate=2008年11月19日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081021095737/http://www.p-tina.net/interview/157|archivedate=2008年10月21日|deadlinkdate=2018年3月}}</ref>
* [[こしたてつひろ]]
=== その他の人物 ===
; [[井上伸一郎]]
: 『[[アニメック]]』時代から交流のある編集者<ref name="tomoyo" />で、『[[月刊ニュータイプ]]』における「はてしない物語」の連載を依頼した人物<ref name="hatesinai" />。
; [[火浦功]]
: 小説家。出渕の呼びかけに応じ『[[機動警察パトレイバー]]』のプロトタイプ企画に構成として参加<ref name="sgs48-49" />。火浦の参加時期にアニメ化は達成できなかったが、この時に『パトレイバー』を通りやすくするために作られたダミー案を元に『[[未来放浪ガルディーン]]』を執筆している<ref name="sgs48-49" />。
== 参考文献 ==
主要参考文献のみを記載。この他の参考文献については個別脚注方式で[[#出典]]に記載している。
* 「ゆうきまさみクロニクル」『[[CONTINUE (雑誌)|CONTINUE]]』Vol.43、[[太田出版]]、2009年1月1日第一刷発行、{{ISBN2|978-4-7783-1157-5}}、8-37頁
* 「パトレイバー今昔物語」『機動警察パトレイバー』小学館〈少年サンデーグラフィック・スペシャル〉1989年2月1日初版第刷発行、{{ISBN2|4-09-101177-2}}、45-50頁
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|colwidth=40em|group=注}}
=== 出典 ===
{{Reflist|colwidth=30em|2}}
== 外部リンク ==
* [http://www.yuukimasami.com/ ゆうきまさみのにげちゃだめかな?] - 公式サイト
* {{Twitter|masyuuki|ゆうきまさみ}}
* {{Twitter|yuuki_spirits|ゆうきまさみスピリッツ公式}}
* [https://yuukimasami-ten.com/ ゆうきまさみ展]
* [https://web.archive.org/web/19990210061059/http://www.mars.dti.ne.jp/~ka2da/yuukimasami/yuukimasami.htm Ka2DA工房]
* {{Twitter|yuukimasami_ten|【公式】画業40周年記念企画 ゆうきまさみ展}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ゆうき まさみ}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:SF漫画家]]
[[Category:北海道出身の人物]]<!--札幌生まれではありますが、札幌出身については本人がTwitterで否定。-->
[[Category:1957年生]]
[[Category:存命人物]] | 2003-02-13T08:42:52Z | 2023-12-08T00:27:43Z | false | false | false | [
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1,247 | バトルフィーバーJ | 『バトルフィーバーJ』(バトルフィーバージェイ)は、1979年2月3日から1980年1月26日まで、テレビ朝日系列で毎週土曜18:00 - 18:30(JST)に全52話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称である。「スーパー戦隊シリーズ」第3作目に当たる。
現在の「スーパー戦隊シリーズ」へと到る転機となった作品でもあり、昭和から平成初頭にかけてシリーズ第1作目として扱われていた。
前述の通り「スーパー戦隊シリーズ」第1作目として扱われていたこともある本作品であるが、これは本作品以前の『秘密戦隊ゴレンジャー』と『ジャッカー電撃隊』が石ノ森章太郎原作の「戦隊シリーズ」、本作品以降は原作者の名義が八手三郎の「スーパー戦隊シリーズ」、と区別されて認識されていたためでもある。現行のスーパー戦隊シリーズのベースは次作『電子戦隊デンジマン』からの要素が強く、その点においても本作品は少し異彩を放った作品となっている。
5人組のグループヒーローという骨子に加え、『ゴレンジャー』や『ジャッカー』では登場しなかった巨大ロボット(戦隊ロボ)バトルフィーバーロボやロボを輸送する巨大母艦バトルシャークの登場など、後のメカによるスーパー戦隊シリーズにおける基本的なフォーマットは本作品において確立された。当時、この巨大ロボと巨大母艦の組み合わせはコンビネーション・システムと呼ばれ、トミーから発売されて好調だった特撮アニメ作品『恐竜探険隊ボーンフリー』の「ボーンフリー合体セット」に対抗して発案されたものである。
作品タイトルのネーミングは、前年の1978年に公開されたアメリカ映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が大ヒットし、1979年日本で「フィーバー」が流行語となっていたことの反映である。「フィーバー」をタイトルに入れるアイデアは、当時東映テレビ部部長だった渡邊亮徳による。
後述する企画立ち上げの経緯から、本作品もマーベルのマルチバース(多元宇宙)(英語版)の一つとして位置付けられており、本作品の舞台は「アース-79203」と設定されている。
本作品はマーベル・コミック社と東映の業務提携によって、前年に制作した日本版『スパイダーマン』における視聴率や商品化収入の成功を引き継ぐ意味でも、マーベル社所有のキャラクター使用契約も視野に入れて企画された作品である。本作品の放映前の仮題は『キャプテンジャパン』で、その題名での新番組企画書が現存する。「アメリカ」「ジャパン」のように国名を背負ったキャラクターから発想を広げ、世界各国から集結した集団ヒーローという構想が生まれた。
やがて諸事情により吉川進が平山亨から本作品を引き継ぎ、企画の骨子「ダンスのリズムで細胞変化を起こし、変身する超人」も平山案からそのまま受け継がれた。ただし、高久進が第1話の脚本を執筆した段階で「踊りを武器に戦う」という骨子の部分はそれほど意識されず、初期企画はオープニング映像や作中描写の一部に残されるのみとなった。その理由として実際に映像を撮影してみると、アクションと踊りがうまく融合しなかったことと言われる。また、アメコミ色の強かったタイトルや名称に異論が出て、『バトルフィーバーJ』やバトルジャパンなどのように修正された。
正式に番組制作が決定したのは1978年10月のことであるが、翌年2月に放映開始するならば6月には作業を開始しているのが普通であり、スケジュールは逼迫した。そのうえ、『ゴレンジャー』や『ジャッカー』の撮影が行われた東映生田スタジオは既に閉鎖されており、特撮は東映東京撮影所で東映映像が制作していたところを、一般向けドラマが中心だった東映テレビプロダクションに移行したばかりで、スタッフにもヒーロー番組のノウハウがなく、苦労が多かった。このスケジュールの逼迫は番組開始以降も尾を引いており、従来の東映制作の特撮テレビドラマで行われてきた遠方ロケも、本作品では第21話・第22話での北陸・能登半島ロケのみに留まっている。
本作品に登場するキャラクターは、ミスアメリカ(Miss America)を除き、全て東映のオリジナルキャラクターである点が日本版『スパイダーマン』とは異なる。当初は「キャプテンジャパン」を中心としたチームだった。
だが、最初期段階でキャプテンジャパンのモチーフであるキャプテン・アメリカがマーベル側の事情で使用できなくなった。同じくマーベルのキャラクターであるミスアメリカが代案として提示され、これを元にデザイン作業が行われた。ミスアメリカ自身も大幅なアレンジが施され、引用されたのは胸の星条旗をアレンジしたマークデザインのみで、マスクやタイツという要素は別のキャラクター「ミズ・マーベル」からの影響が見られる。玩具においては、一部ミスアメリカだけ版権の問題で発売できないものがあり、乗用マシーンも制作が間に合わず劇中では市販の乗用車やバイクが使用されたため、商品化されなかった。
キャプテンアメリカという名称は、東映の公式設定においては名称・デザインともに一切使われていない。『マーチャンダイジングライツレポート』1978年12月号では、ミスアメリカはキャプテンアメリカという名前で掲載されている。また、当時の販売商品には「地球を守る5人のバトルマン」という表記もあり、商標としてのネーミングが1つに徹底されていない状況だったようである。バトルフィーバーロボや巨大ロボットバトルフィーバーといったロボの名称についても、同様である。
『ジャッカー』までのマントに代わり、全員が白いマフラーをなびかせている。また、胸にはそれぞれの国を象徴したワッペンが付いているが、これは前述のミスアメリカの要素を継承したものである。放映時は「五色の戦士」というパターンも前面に出てはいなかったが、後年になって他のスーパー戦隊と設定を揃える意味で各員の「色」が設定されている。ただし、後付けの分類であるため、バトルコサックとバトルケニアの色の扱いには資料ごとに違いがある(後述)。ヒーローのスーツデザインにおいても、後のシリーズのようなデザイン上の統一された要素が少なく独自性が顕著だが、これはスーツのデザインがマーベルとの提携作品であるという面も含めて東映側の主導で決定している一方、ヒーローキャラクター自体の商品化を大きく意識していないためである。マスクはその後のスーパー戦隊シリーズで一般的なゴーグル調のデザインとは異なり、アメコミヒーローのような「目」を持つデザインである。ゴーグル型マスクの使用も検討されたが、髪の毛のあるミスアメリカのデザインと馴染まなかったため、本作品では不採用になった。
『スパイダーマン』で好評だった日本独自設定の巨大ロボットが、本作品でも引き続き採用されている。巨大ロボの導入はスポンサー側からの要請であったともされるが、村上克司は「成功した要素だから継承した」という安易な思想を否定し、新作を手がける際には他作品との差別化を追及する旨を語っている。バトルフィーバーロボを格納するバトルシャークに力が入っているのも、アニメ風の変形合体ロボからコンセプトを変えるためである。
バトルフィーバーロボが本格的に登場したのは、第5話からである。当初の予定では第1話からロボが活躍するはずだったが、村上克司によるデザイン決定が遅れたことで着ぐるみ製作にもさらなる時間を要していた。特撮監督の矢島信男が松竹映画『夜叉ヶ池』の仕事に関わっていたこともあり、特撮場面の撮影スケジュールは第1話の放送に間に合わないことが早期に判明していたため、第1話から第4話までの脚本はロボが建造中という設定で制作された。第1話から第4話までにおける建造中の場面や、第5話・第6話におけるミニチュアや着ぐるみを駆使した戦闘場面の数々は円谷プロダクション出身の特撮監督である佐川和夫が矢島の描いた絵コンテを参考に演出しており、劇中では未使用に終わった場面もエンディング用の映像素材や後のエピソードなどにおいて流用された。
第7話から参加のアクション監督である金田治は、巨大ロボ戦の演出も同時に担当していた。ロボットだけを画面に収めても巨大さを実感しにくいため、画面下に小さなキャラクターを配置することで大きさを対比させる手法も、金田の発案による。森や岩と空の境など画面の切り合わせに使える線がある場所で等身大アクションの撮影を行い、そこに後から巨大ロボ戦を合成することで、奥行きのある画面を造った。第3クールからはジャパンが単独で巨大ロボ戦を挑みながら、残り4人が等身大のエゴス怪人と戦うという演出が披露された。
世界各地に様々な怪奇現象が起こる中、謎のコウモリ傘の美女の手により国防省幹部が次々と殺されていった。それを知った倉間鉄山将軍は、世界各国に派遣されていた4人の精鋭から成る対エゴスの秘密部隊バトルフィーバー隊にその調査を命じた。4人は、捜査途中に謎のコウモリ傘の美女そっくりの女性捜査官ダイアンと出会う。コウモリ傘の美女を影で操る秘密結社エゴスに父を殺されたダイアン・マーチンを加えた5人に、鉄山将軍はバトルスーツを与え、世界の混乱を目論むエゴスの討伐に向かわせていた。
巨大ロボット・バトルフィーバーロボの設計図の争奪戦が繰り広げられる中、エゴスも悪魔ロボットを完成させる。その第1号・バッファローロボをバトルフィーバー隊は完成したばかりのバトルフィーバーロボで迎え撃ち、勝利した。戦士たちの激しくも苦しい戦いは、始まったばかりである。
国防省とFBIからの精鋭を集めて結成されており、メンバー全員それぞれ世界各地のダンスを取り入れた戦闘スタイルを習得している秘密戦闘部隊。劇中では「バトルフィーバー」もしくは「バトルフィーバー隊」と呼ばれ、名乗りシーンにおいても全体としては「バトルフィーバー」と名乗ることが多いが、初期の回では「バトルフィーバーJ」と名乗っている。
「フィーバー!」の掛け声とともに、ダンスのようにくるっとターンすることで変身するが、本作品では変身の描写がさほど重視されておらず、「一瞬物陰に身を隠し、次に姿を現した時には変身している」など、場合によっては掛け声やターンも省略されることがある。決め技は、5人の武器を組み合わせて放つペンタフォース。メンバーの年齢は劇中ではマリアのみが19歳として明らかになっている。
当初はエゴスや一般人には正体を隠していたが、中盤でエゴスの作戦によって正体を知られることになる。
サタンエゴスを神と崇めるエゴス教を信仰する秘密結社。首領であるサタンエゴスの言葉は、神官を務めるヘッダー指揮官を通して一般構成員に伝えられる。現代科学の枠組みを超えた原始科学を崇拝し、様々な怪人を生み出す。主に親子の信頼関係を破壊したり、子供たちを怠け者にしたりするなど人間社会を混乱させる作戦を行い、人間の欲望を煽り、エゴス教の信者を増やして「呪われた科学の産物」である現代文明の破壊を目的とする。サタンエゴスを信じるようになった人間は額に赤いXの文字が浮かび、エゴスの忠実な下僕になる。
バトルフィーバーたちの正体に最初は気づいておらず、物語初期は一般市民を勧誘して悪用したり、毒入りの食べ物を撒いたりするなどの無差別的な攻撃や、新兵器や宝を所持する者(主に科学者)を誘拐・殺害して横取りするなどの作戦が多かった。物語中盤で全員の正体を知ってから(後述)は、毎回メンバーの誰か1人をつけ狙う作戦をよくとるようになった。
各キャラクターの身長・体重などの設定はない。
初代バトルコサックには『ゴレンジャー』のミドレンジャー / 明日香健二を演じた伊藤武史、2代目バトルコサックには『人造人間キカイダー』のキカイダー / ジローなどを演じ、既に中堅俳優としてのキャリアも持っていた伴直弥が起用された。バトルコサックの交代は、伊藤武史が「結婚するので降板したい」と申し出たからだと吉川進は回想している。
その他の主演俳優も谷岡弘規は当時29歳、倉地雄平は当時27歳、伴直弥は当時32歳といった具合に、中堅層を揃えている。倉地は、オーディションではなく直接オファーであったと証言しており、吉川が『スパイダーマン』の出演者から選んだのだろうと推測している。
バトルケニア・曙四郎役にはスタントマンとして活躍してきたJACの大葉健二が起用され、変身前と変身後のスーツアクターを両方演じた。大葉は後楽園ゆうえんちで行われていたショーにも出演しており、「バトルケニアが敵に捕まってマスクを外される」という演出でテレビと同じ俳優であることを印象付けた。大葉は翌年の『デンジマン』でもスーツアクターを兼ねたレギュラー役、そして1982年には単独主人公役の『宇宙刑事ギャバン』へと抜擢された。
初代ミスアメリカ役は当時のアグネス・ラム人気にあやかって、モデルのダイアン・マーチン(役名同じ。オープニングでは「D.マーチン」と表記)が起用されたが、スケジュールの都合が次第につかなくなり、交代を余儀なくされた。マーチンは英語しか話せなかったので、変身後のスーツアクトレスである小牧リサがアフレコを担当した。
倉間鉄山将軍役としては東映時代劇の名優・東千代之介が招聘され、当時話題となった。吉川進と「東京放映」社長・香山新二郎は懇意であり、その東京放映に所属していた東千代之介とも交流があったため、声をかけやすかったという。
後に声優業へと転身しアニメ番組『タッチ』にて一躍脚光を浴びることになる、日髙のり子こと伊東範子がレギュラー出演している。またビューティ・ペアとして活躍し、引退間もないころの元女子プロレスラー・マキ上田が悪役として途中からレギュラー入りしている。
開始当初は潮建志が敵幹部のヘッダー指揮官役を演じていたが、覚醒剤所持容疑で逮捕されたことにより降板となり、第4話でゲスト出演をしたばかりの石橋雅史が急遽その後を継ぐことになった。潮の逮捕は放送が開始されて間もない3月第1週だったことから、未放送・ネット開始前の地域も含まれた地方局への悪印象を防ぐ意味でも、過去に潮が演じた映像を可能な限り石橋の映像に差替え、保存用ネガを改変していた。初回放送時のフィルムは経年劣化が著しい上に所在が不明となっている。
例外的に潮による映像をそのまま用いているものとしては、第1話のラストシーンや第3話のエンディング、第5話の坂口(国防省高官)移送シーンなどの細かいカット、第4話と第6話の全編などが挙げられる。第4話の差し替えが行われなかったのは、石橋がゲストとして潮演じるヘッダーと同一の画面にいるため、第6話は、ヘッダーの出番がエゴス基地内に留まらず屋外ロケにまで及んでいることで、全カットの撮り直しが困難だったためである。
なお、初回放送時は以下の通りである。
※エゴス関係は放送リスト参照。
番組開始当初の技斗はビッグアクションが担当しており、ジャパン・アクション・クラブ (JAC)は『スパイダーマン』に携わっていた。バトルケニア役の大葉健二はJAC所属だが、あくまで一人の俳優としての参加であって、クラブ全体が『バトルフィーバーJ』に参与する予定はなかった。
しかし、JACの金田治が『スパイダーマン』終了とともに『バトルフィーバーJ』に移行し、第7話から技斗の担当となった。このときバトルコサックのスーツアクターもスパイダーマン役だった古賀弘文に交代した。ただ闇雲に人員を変更して視聴者に違和感を抱かせるのは金田の本意ではなかったので、他のスーツアクターは続演している。また、金田は高橋一俊によるキャラクター付けを高く評価しておりこれを引き継いでいる。
後にミスアメリカ役の小牧リサも交代しているが、これは負傷が理由である。なお、バトルフィーバーロボを鈴木弘道が演じたとする資料があるが、鈴木自身はこれを否定している。ミスアメリカのオートバイスタントは、タケシレーシングチーム所属の男性スタントマンが演じた。
第1話の初変身シーンは、変身前俳優の5人がスーツアクターを務めた。
本作品の劇伴曲は、シリーズでは初めてレコード化を前提としてステレオで録音された。楽曲は複数の曲を繋いで1トラックとする組曲形式で録音され、『組曲バトルフィーバーJ』のタイトルで発売された。曲がクロスフェードしている箇所もあり、単純に曲ごとに切り離しただけでは映像に合わせるのに不都合が生じてしまうため、映像では各トラックを曲ごとにトラックダウンし直し、モノラルに変換したものを使用している。ただし、組曲に含まれない曲は従来通りモノラルで録音されている。
組曲形式で録音する都合上、楽曲がトラックごとに一つの流れを作る形にしなければならないという作曲上の制約があり、そのため楽曲の絶対数が不足してしまうという事態が発生した。組曲に含まれない曲を加えても曲数の不足を補いきれず、また不足分を補うための追加録音も行われなかった。
そのため、渡辺宙明が過去に作曲した楽曲を流用することで不足分を補っている。このようなケース自体は当時は珍しくなかったが、本作品ではペンタフォース(人造人間キカイダー M-51)やクロスフィーバー(五番目の刑事 M-25)、電光剣・唐竹割り(イナズマン M-12T2、同作品の予告編用楽曲)といった必殺技のテーマ曲がことごとく過去作品からの流用である点が特徴になっている。巨大ロボット戦の描写として『大鉄人17』からも多くが流用されている。
本作品の歌曲は、一部の曲に存在する別バージョンを除く全5曲とシリーズ中最少であり、また放送当時は作品単体でのアルバムには収録されなかったが、「明日の戦士たち」を除く挿入歌2曲は主題歌を含めたシングル盤として発売された。
また本作品より、大泉音映の前身である東映大泉撮影所録音部の阿部作二が効果技師として参加、以降20年以上にわたってスーパー戦隊シリーズの効果音を手掛けた。
いずれも東映ビデオより発売。
放送当時の雑誌展開は徳間書店の『テレビランド』が中心で、小学館の『てれびくん』では一切掲載されなかったが、次々作『太陽戦隊サンバルカン』が放送された1981年以降からは『てれびくん』でもブロマイド商品他などの写真が掲載されるようになった。 | [
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"text": "現在の「スーパー戦隊シリーズ」へと到る転機となった作品でもあり、昭和から平成初頭にかけてシリーズ第1作目として扱われていた。",
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"text": "前述の通り「スーパー戦隊シリーズ」第1作目として扱われていたこともある本作品であるが、これは本作品以前の『秘密戦隊ゴレンジャー』と『ジャッカー電撃隊』が石ノ森章太郎原作の「戦隊シリーズ」、本作品以降は原作者の名義が八手三郎の「スーパー戦隊シリーズ」、と区別されて認識されていたためでもある。現行のスーパー戦隊シリーズのベースは次作『電子戦隊デンジマン』からの要素が強く、その点においても本作品は少し異彩を放った作品となっている。",
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"text": "5人組のグループヒーローという骨子に加え、『ゴレンジャー』や『ジャッカー』では登場しなかった巨大ロボット(戦隊ロボ)バトルフィーバーロボやロボを輸送する巨大母艦バトルシャークの登場など、後のメカによるスーパー戦隊シリーズにおける基本的なフォーマットは本作品において確立された。当時、この巨大ロボと巨大母艦の組み合わせはコンビネーション・システムと呼ばれ、トミーから発売されて好調だった特撮アニメ作品『恐竜探険隊ボーンフリー』の「ボーンフリー合体セット」に対抗して発案されたものである。",
"title": "概要"
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"text": "作品タイトルのネーミングは、前年の1978年に公開されたアメリカ映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が大ヒットし、1979年日本で「フィーバー」が流行語となっていたことの反映である。「フィーバー」をタイトルに入れるアイデアは、当時東映テレビ部部長だった渡邊亮徳による。",
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"text": "後述する企画立ち上げの経緯から、本作品もマーベルのマルチバース(多元宇宙)(英語版)の一つとして位置付けられており、本作品の舞台は「アース-79203」と設定されている。",
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"text": "本作品はマーベル・コミック社と東映の業務提携によって、前年に制作した日本版『スパイダーマン』における視聴率や商品化収入の成功を引き継ぐ意味でも、マーベル社所有のキャラクター使用契約も視野に入れて企画された作品である。本作品の放映前の仮題は『キャプテンジャパン』で、その題名での新番組企画書が現存する。「アメリカ」「ジャパン」のように国名を背負ったキャラクターから発想を広げ、世界各国から集結した集団ヒーローという構想が生まれた。",
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"text": "やがて諸事情により吉川進が平山亨から本作品を引き継ぎ、企画の骨子「ダンスのリズムで細胞変化を起こし、変身する超人」も平山案からそのまま受け継がれた。ただし、高久進が第1話の脚本を執筆した段階で「踊りを武器に戦う」という骨子の部分はそれほど意識されず、初期企画はオープニング映像や作中描写の一部に残されるのみとなった。その理由として実際に映像を撮影してみると、アクションと踊りがうまく融合しなかったことと言われる。また、アメコミ色の強かったタイトルや名称に異論が出て、『バトルフィーバーJ』やバトルジャパンなどのように修正された。",
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"text": "正式に番組制作が決定したのは1978年10月のことであるが、翌年2月に放映開始するならば6月には作業を開始しているのが普通であり、スケジュールは逼迫した。そのうえ、『ゴレンジャー』や『ジャッカー』の撮影が行われた東映生田スタジオは既に閉鎖されており、特撮は東映東京撮影所で東映映像が制作していたところを、一般向けドラマが中心だった東映テレビプロダクションに移行したばかりで、スタッフにもヒーロー番組のノウハウがなく、苦労が多かった。このスケジュールの逼迫は番組開始以降も尾を引いており、従来の東映制作の特撮テレビドラマで行われてきた遠方ロケも、本作品では第21話・第22話での北陸・能登半島ロケのみに留まっている。",
"title": "概要"
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"text": "本作品に登場するキャラクターは、ミスアメリカ(Miss America)を除き、全て東映のオリジナルキャラクターである点が日本版『スパイダーマン』とは異なる。当初は「キャプテンジャパン」を中心としたチームだった。",
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"text": "だが、最初期段階でキャプテンジャパンのモチーフであるキャプテン・アメリカがマーベル側の事情で使用できなくなった。同じくマーベルのキャラクターであるミスアメリカが代案として提示され、これを元にデザイン作業が行われた。ミスアメリカ自身も大幅なアレンジが施され、引用されたのは胸の星条旗をアレンジしたマークデザインのみで、マスクやタイツという要素は別のキャラクター「ミズ・マーベル」からの影響が見られる。玩具においては、一部ミスアメリカだけ版権の問題で発売できないものがあり、乗用マシーンも制作が間に合わず劇中では市販の乗用車やバイクが使用されたため、商品化されなかった。",
"title": "概要"
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"text": "キャプテンアメリカという名称は、東映の公式設定においては名称・デザインともに一切使われていない。『マーチャンダイジングライツレポート』1978年12月号では、ミスアメリカはキャプテンアメリカという名前で掲載されている。また、当時の販売商品には「地球を守る5人のバトルマン」という表記もあり、商標としてのネーミングが1つに徹底されていない状況だったようである。バトルフィーバーロボや巨大ロボットバトルフィーバーといったロボの名称についても、同様である。",
"title": "概要"
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"text": "『ジャッカー』までのマントに代わり、全員が白いマフラーをなびかせている。また、胸にはそれぞれの国を象徴したワッペンが付いているが、これは前述のミスアメリカの要素を継承したものである。放映時は「五色の戦士」というパターンも前面に出てはいなかったが、後年になって他のスーパー戦隊と設定を揃える意味で各員の「色」が設定されている。ただし、後付けの分類であるため、バトルコサックとバトルケニアの色の扱いには資料ごとに違いがある(後述)。ヒーローのスーツデザインにおいても、後のシリーズのようなデザイン上の統一された要素が少なく独自性が顕著だが、これはスーツのデザインがマーベルとの提携作品であるという面も含めて東映側の主導で決定している一方、ヒーローキャラクター自体の商品化を大きく意識していないためである。マスクはその後のスーパー戦隊シリーズで一般的なゴーグル調のデザインとは異なり、アメコミヒーローのような「目」を持つデザインである。ゴーグル型マスクの使用も検討されたが、髪の毛のあるミスアメリカのデザインと馴染まなかったため、本作品では不採用になった。",
"title": "概要"
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"text": "『スパイダーマン』で好評だった日本独自設定の巨大ロボットが、本作品でも引き続き採用されている。巨大ロボの導入はスポンサー側からの要請であったともされるが、村上克司は「成功した要素だから継承した」という安易な思想を否定し、新作を手がける際には他作品との差別化を追及する旨を語っている。バトルフィーバーロボを格納するバトルシャークに力が入っているのも、アニメ風の変形合体ロボからコンセプトを変えるためである。",
"title": "概要"
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"text": "バトルフィーバーロボが本格的に登場したのは、第5話からである。当初の予定では第1話からロボが活躍するはずだったが、村上克司によるデザイン決定が遅れたことで着ぐるみ製作にもさらなる時間を要していた。特撮監督の矢島信男が松竹映画『夜叉ヶ池』の仕事に関わっていたこともあり、特撮場面の撮影スケジュールは第1話の放送に間に合わないことが早期に判明していたため、第1話から第4話までの脚本はロボが建造中という設定で制作された。第1話から第4話までにおける建造中の場面や、第5話・第6話におけるミニチュアや着ぐるみを駆使した戦闘場面の数々は円谷プロダクション出身の特撮監督である佐川和夫が矢島の描いた絵コンテを参考に演出しており、劇中では未使用に終わった場面もエンディング用の映像素材や後のエピソードなどにおいて流用された。",
"title": "概要"
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"text": "第7話から参加のアクション監督である金田治は、巨大ロボ戦の演出も同時に担当していた。ロボットだけを画面に収めても巨大さを実感しにくいため、画面下に小さなキャラクターを配置することで大きさを対比させる手法も、金田の発案による。森や岩と空の境など画面の切り合わせに使える線がある場所で等身大アクションの撮影を行い、そこに後から巨大ロボ戦を合成することで、奥行きのある画面を造った。第3クールからはジャパンが単独で巨大ロボ戦を挑みながら、残り4人が等身大のエゴス怪人と戦うという演出が披露された。",
"title": "概要"
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"text": "世界各地に様々な怪奇現象が起こる中、謎のコウモリ傘の美女の手により国防省幹部が次々と殺されていった。それを知った倉間鉄山将軍は、世界各国に派遣されていた4人の精鋭から成る対エゴスの秘密部隊バトルフィーバー隊にその調査を命じた。4人は、捜査途中に謎のコウモリ傘の美女そっくりの女性捜査官ダイアンと出会う。コウモリ傘の美女を影で操る秘密結社エゴスに父を殺されたダイアン・マーチンを加えた5人に、鉄山将軍はバトルスーツを与え、世界の混乱を目論むエゴスの討伐に向かわせていた。",
"title": "あらすじ"
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"text": "巨大ロボット・バトルフィーバーロボの設計図の争奪戦が繰り広げられる中、エゴスも悪魔ロボットを完成させる。その第1号・バッファローロボをバトルフィーバー隊は完成したばかりのバトルフィーバーロボで迎え撃ち、勝利した。戦士たちの激しくも苦しい戦いは、始まったばかりである。",
"title": "あらすじ"
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"text": "国防省とFBIからの精鋭を集めて結成されており、メンバー全員それぞれ世界各地のダンスを取り入れた戦闘スタイルを習得している秘密戦闘部隊。劇中では「バトルフィーバー」もしくは「バトルフィーバー隊」と呼ばれ、名乗りシーンにおいても全体としては「バトルフィーバー」と名乗ることが多いが、初期の回では「バトルフィーバーJ」と名乗っている。",
"title": "登場人物"
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"text": "「フィーバー!」の掛け声とともに、ダンスのようにくるっとターンすることで変身するが、本作品では変身の描写がさほど重視されておらず、「一瞬物陰に身を隠し、次に姿を現した時には変身している」など、場合によっては掛け声やターンも省略されることがある。決め技は、5人の武器を組み合わせて放つペンタフォース。メンバーの年齢は劇中ではマリアのみが19歳として明らかになっている。",
"title": "登場人物"
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"text": "当初はエゴスや一般人には正体を隠していたが、中盤でエゴスの作戦によって正体を知られることになる。",
"title": "登場人物"
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"text": "サタンエゴスを神と崇めるエゴス教を信仰する秘密結社。首領であるサタンエゴスの言葉は、神官を務めるヘッダー指揮官を通して一般構成員に伝えられる。現代科学の枠組みを超えた原始科学を崇拝し、様々な怪人を生み出す。主に親子の信頼関係を破壊したり、子供たちを怠け者にしたりするなど人間社会を混乱させる作戦を行い、人間の欲望を煽り、エゴス教の信者を増やして「呪われた科学の産物」である現代文明の破壊を目的とする。サタンエゴスを信じるようになった人間は額に赤いXの文字が浮かび、エゴスの忠実な下僕になる。",
"title": "秘密結社エゴス"
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"text": "バトルフィーバーたちの正体に最初は気づいておらず、物語初期は一般市民を勧誘して悪用したり、毒入りの食べ物を撒いたりするなどの無差別的な攻撃や、新兵器や宝を所持する者(主に科学者)を誘拐・殺害して横取りするなどの作戦が多かった。物語中盤で全員の正体を知ってから(後述)は、毎回メンバーの誰か1人をつけ狙う作戦をよくとるようになった。",
"title": "秘密結社エゴス"
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"text": "各キャラクターの身長・体重などの設定はない。",
"title": "秘密結社エゴス"
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"text": "初代バトルコサックには『ゴレンジャー』のミドレンジャー / 明日香健二を演じた伊藤武史、2代目バトルコサックには『人造人間キカイダー』のキカイダー / ジローなどを演じ、既に中堅俳優としてのキャリアも持っていた伴直弥が起用された。バトルコサックの交代は、伊藤武史が「結婚するので降板したい」と申し出たからだと吉川進は回想している。",
"title": "キャスト"
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"text": "その他の主演俳優も谷岡弘規は当時29歳、倉地雄平は当時27歳、伴直弥は当時32歳といった具合に、中堅層を揃えている。倉地は、オーディションではなく直接オファーであったと証言しており、吉川が『スパイダーマン』の出演者から選んだのだろうと推測している。",
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"text": "バトルケニア・曙四郎役にはスタントマンとして活躍してきたJACの大葉健二が起用され、変身前と変身後のスーツアクターを両方演じた。大葉は後楽園ゆうえんちで行われていたショーにも出演しており、「バトルケニアが敵に捕まってマスクを外される」という演出でテレビと同じ俳優であることを印象付けた。大葉は翌年の『デンジマン』でもスーツアクターを兼ねたレギュラー役、そして1982年には単独主人公役の『宇宙刑事ギャバン』へと抜擢された。",
"title": "キャスト"
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"text": "初代ミスアメリカ役は当時のアグネス・ラム人気にあやかって、モデルのダイアン・マーチン(役名同じ。オープニングでは「D.マーチン」と表記)が起用されたが、スケジュールの都合が次第につかなくなり、交代を余儀なくされた。マーチンは英語しか話せなかったので、変身後のスーツアクトレスである小牧リサがアフレコを担当した。",
"title": "キャスト"
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"text": "倉間鉄山将軍役としては東映時代劇の名優・東千代之介が招聘され、当時話題となった。吉川進と「東京放映」社長・香山新二郎は懇意であり、その東京放映に所属していた東千代之介とも交流があったため、声をかけやすかったという。",
"title": "キャスト"
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"text": "後に声優業へと転身しアニメ番組『タッチ』にて一躍脚光を浴びることになる、日髙のり子こと伊東範子がレギュラー出演している。またビューティ・ペアとして活躍し、引退間もないころの元女子プロレスラー・マキ上田が悪役として途中からレギュラー入りしている。",
"title": "キャスト"
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"text": "開始当初は潮建志が敵幹部のヘッダー指揮官役を演じていたが、覚醒剤所持容疑で逮捕されたことにより降板となり、第4話でゲスト出演をしたばかりの石橋雅史が急遽その後を継ぐことになった。潮の逮捕は放送が開始されて間もない3月第1週だったことから、未放送・ネット開始前の地域も含まれた地方局への悪印象を防ぐ意味でも、過去に潮が演じた映像を可能な限り石橋の映像に差替え、保存用ネガを改変していた。初回放送時のフィルムは経年劣化が著しい上に所在が不明となっている。",
"title": "キャスト"
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"text": "例外的に潮による映像をそのまま用いているものとしては、第1話のラストシーンや第3話のエンディング、第5話の坂口(国防省高官)移送シーンなどの細かいカット、第4話と第6話の全編などが挙げられる。第4話の差し替えが行われなかったのは、石橋がゲストとして潮演じるヘッダーと同一の画面にいるため、第6話は、ヘッダーの出番がエゴス基地内に留まらず屋外ロケにまで及んでいることで、全カットの撮り直しが困難だったためである。",
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"text": "なお、初回放送時は以下の通りである。",
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"text": "※エゴス関係は放送リスト参照。",
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"text": "番組開始当初の技斗はビッグアクションが担当しており、ジャパン・アクション・クラブ (JAC)は『スパイダーマン』に携わっていた。バトルケニア役の大葉健二はJAC所属だが、あくまで一人の俳優としての参加であって、クラブ全体が『バトルフィーバーJ』に参与する予定はなかった。",
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{
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"text": "しかし、JACの金田治が『スパイダーマン』終了とともに『バトルフィーバーJ』に移行し、第7話から技斗の担当となった。このときバトルコサックのスーツアクターもスパイダーマン役だった古賀弘文に交代した。ただ闇雲に人員を変更して視聴者に違和感を抱かせるのは金田の本意ではなかったので、他のスーツアクターは続演している。また、金田は高橋一俊によるキャラクター付けを高く評価しておりこれを引き継いでいる。",
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{
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"text": "後にミスアメリカ役の小牧リサも交代しているが、これは負傷が理由である。なお、バトルフィーバーロボを鈴木弘道が演じたとする資料があるが、鈴木自身はこれを否定している。ミスアメリカのオートバイスタントは、タケシレーシングチーム所属の男性スタントマンが演じた。",
"title": "キャスト"
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{
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"text": "第1話の初変身シーンは、変身前俳優の5人がスーツアクターを務めた。",
"title": "キャスト"
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{
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"text": "本作品の劇伴曲は、シリーズでは初めてレコード化を前提としてステレオで録音された。楽曲は複数の曲を繋いで1トラックとする組曲形式で録音され、『組曲バトルフィーバーJ』のタイトルで発売された。曲がクロスフェードしている箇所もあり、単純に曲ごとに切り離しただけでは映像に合わせるのに不都合が生じてしまうため、映像では各トラックを曲ごとにトラックダウンし直し、モノラルに変換したものを使用している。ただし、組曲に含まれない曲は従来通りモノラルで録音されている。",
"title": "音楽"
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{
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"text": "組曲形式で録音する都合上、楽曲がトラックごとに一つの流れを作る形にしなければならないという作曲上の制約があり、そのため楽曲の絶対数が不足してしまうという事態が発生した。組曲に含まれない曲を加えても曲数の不足を補いきれず、また不足分を補うための追加録音も行われなかった。",
"title": "音楽"
},
{
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"text": "そのため、渡辺宙明が過去に作曲した楽曲を流用することで不足分を補っている。このようなケース自体は当時は珍しくなかったが、本作品ではペンタフォース(人造人間キカイダー M-51)やクロスフィーバー(五番目の刑事 M-25)、電光剣・唐竹割り(イナズマン M-12T2、同作品の予告編用楽曲)といった必殺技のテーマ曲がことごとく過去作品からの流用である点が特徴になっている。巨大ロボット戦の描写として『大鉄人17』からも多くが流用されている。",
"title": "音楽"
},
{
"paragraph_id": 41,
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"text": "本作品の歌曲は、一部の曲に存在する別バージョンを除く全5曲とシリーズ中最少であり、また放送当時は作品単体でのアルバムには収録されなかったが、「明日の戦士たち」を除く挿入歌2曲は主題歌を含めたシングル盤として発売された。",
"title": "音楽"
},
{
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"text": "また本作品より、大泉音映の前身である東映大泉撮影所録音部の阿部作二が効果技師として参加、以降20年以上にわたってスーパー戦隊シリーズの効果音を手掛けた。",
"title": "音楽"
},
{
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"text": "",
"title": "放送日程"
},
{
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"text": "いずれも東映ビデオより発売。",
"title": "他媒体展開"
},
{
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"text": "放送当時の雑誌展開は徳間書店の『テレビランド』が中心で、小学館の『てれびくん』では一切掲載されなかったが、次々作『太陽戦隊サンバルカン』が放送された1981年以降からは『てれびくん』でもブロマイド商品他などの写真が掲載されるようになった。",
"title": "他媒体展開"
}
] | 『バトルフィーバーJ』(バトルフィーバージェイ)は、1979年2月3日から1980年1月26日まで、テレビ朝日系列で毎週土曜18:00 - 18:30(JST)に全52話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称である。「スーパー戦隊シリーズ」第3作目に当たる。 現在の「スーパー戦隊シリーズ」へと到る転機となった作品でもあり、昭和から平成初頭にかけてシリーズ第1作目として扱われていた。 | {{Pathnav|スーパー戦隊シリーズ|frame=1}}
{{注意|クレジットなどで確認できない[[スーツアクター]]の役柄を記載する場合には、'''必ず[[Wikipedia:信頼できる情報源|信頼可能な情報源]]からの[[Wikipedia:出典を明記する|出典を示してください]]。'''出典の無い情報については、[[Wikipedia:独自研究は載せない]]に基づき一定期間ののち除去されるおそれがあります([[プロジェクト:特撮/スーツアクターの役名記載について]]での議論に基づく)}}
{{出典の明記|date=2012年4月}}
{| style="float: right; text-align:center; border-collapse:collapse; border:2px solid black; white-space:nowrap"
|-
|colspan="3" style="background-color:#ffccff; border:1px solid black; white-space:nowrap"|'''[[スーパー戦隊シリーズ]]'''
|-
|style="border:1px solid black; background-color:#ffccff; white-space:nowrap"|'''第2作'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|[[ジャッカー電撃隊|ジャッカー<br />電撃隊]]
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|1977年4月<br />- 1977年12月
|-
|style="border:1px solid black; background-color:#ffccff; white-space:nowrap"|'''第3作'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|'''バトル<br />フィーバーJ'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|1979年2月<br />- 1980年1月
|-
|style="border:1px solid black; background-color:#ffccff; white-space:nowrap"|'''第4作'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|[[電子戦隊デンジマン|電子戦隊<br />デンジマン]]
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|1980年2月<br />- 1981年1月
|}
{{基礎情報 テレビ番組
|番組名=バトルフィーバーJ
|ジャンル=[[特撮]][[テレビドラマ]]
|放送時間=土曜 18:00 - 18:30
|放送枠=スーパー戦隊シリーズ
|放送分=30
|放送期間=[[1979年]][[2月3日]] -<br />[[1980年]][[1月26日]]
|放送回数=全52話
|放送国={{JPN}}
|制作局=[[テレビ朝日]]
|放送局=[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]
|企画=
|製作総指揮=
|監督=[[竹本弘一]] 他
|演出=
|原作=[[八手三郎]]
|脚本=[[高久進]] 他
|プロデューサー={{Plainlist|
* 落合兼武
* 菅野哲夫(第41話 - )(テレビ朝日)
* [[吉川進]]
* [[折田至]]([[東映]])
}}
|出演者={{Plainlist|
* [[谷岡弘規]]
* [[伊藤幸雄|伊藤武史]]
* [[伴大介|伴直弥]]
* [[倉知成満|倉地雄平]]
* [[大葉健二]]
* [[ダイアン・マーチン|D.マーチン]]
* [[萩奈穂美]]
* [[東千代之介]] 他
}}
|声の出演={{Plainlist|
* [[小牧リサ]]
* [[京田尚子]]
* [[飯塚昭三]]
* [[依田英助]]
}}
|ナレーター=[[大平透]]
|音声={{Plainlist|
* [[モノラル放送]]
* [[シネテープ]]
}}
|字幕=
|データ放送=
|音楽=[[渡辺宙明]]
|OPテーマ=「バトルフィーバーJ」<br />歌:[[MoJo]]、[[音羽ゆりかご会|コロムビアゆりかご会]]、[[フィーリング・フリー]]
|EDテーマ=「勇者が行く」<br />歌:MoJo
|言語=[[日本語]]
|外部リンク=
|外部リンク名=
|特記事項=「[[スーパー戦隊シリーズ]]」第3作
}}
{{色}}
{{external media|align=right|image1=[[:en:File:Battle Fever J Title Card.jpg|タイトルロゴ
|英語版Wikipedia]]}}
『'''バトルフィーバーJ'''』(バトルフィーバージェイ)は、[[1979年]][[2月3日]]から[[1980年]][[1月26日]]まで、[[テレビ朝日]]系列で毎週土曜18:00 - 18:30([[日本標準時|JST]])に全52話が放送された、[[東映]]制作の[[特撮テレビ番組一覧|特撮テレビドラマ]]、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称である。「[[スーパー戦隊シリーズ]]」第3作目に当たる。
現在の「スーパー戦隊シリーズ」へと到る転機となった作品でもあり、[[昭和]]から[[平成]]初頭にかけてシリーズ第1作目として扱われていた{{Sfn|大全集|1988|p=1}}{{R|超人画報}}。{{Main|スーパー戦隊シリーズ#『ゴレンジャー』および『ジャッカー』の扱い}}
== 概要 ==
前述の通り「[[スーパー戦隊シリーズ]]」第1作目として扱われていたこともある本作品であるが、これは本作品以前の『[[秘密戦隊ゴレンジャー]]』と『[[ジャッカー電撃隊]]』が[[石ノ森章太郎]]原作の「戦隊シリーズ」、本作品以降は原作者の名義が[[八手三郎]]の「スーパー戦隊シリーズ」、と区別されて認識されていたためでもある。現行のスーパー戦隊シリーズのベースは次作『[[電子戦隊デンジマン]]』からの要素が強く、その点においても本作品は少し異彩を放った作品となっている{{efn|東映プロデューサーの[[吉川進]]は、作品として優れた部分は踏襲しつつも『ゴレンジャー』を引き継いだ企画ではなかったと述べている{{R|20th05}}。}}。
5人組のグループヒーローという骨子に加え、『ゴレンジャー』や『ジャッカー』では登場しなかった[[巨大ロボット]]([[戦隊ロボ]])'''バトルフィーバーロボ'''やロボを輸送する巨大母艦'''バトルシャーク'''の登場など、後のメカによるスーパー戦隊シリーズにおける基本的なフォーマットは本作品において確立された{{R|全怪獣370|21st15}}。当時、この巨大ロボと巨大母艦の組み合わせはコンビネーション・システムと呼ばれ、[[トミー (企業)|トミー]]から発売されて好調だった特撮アニメ作品『[[恐竜探険隊ボーンフリー]]』の「ボーンフリー合体セット」に対抗して発案されたものである{{R|超合金の男}}。
作品タイトルのネーミングは、前年の[[1978年]]に公開された[[アメリカ映画]]『[[サタデー・ナイト・フィーバー]]』が大ヒットし、1979年日本で「フィーバー」が流行語となっていたことの反映である{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|東映HM10|2004|p=73}}{{R|全怪獣370|超世紀154}}}}。「フィーバー」をタイトルに入れるアイデアは、当時東映テレビ部部長だった渡邊亮徳による{{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen10|20th05|20th86}}}}。
{{要出典範囲|後述する企画立ち上げの経緯から、本作品もマーベルの{{仮リンク|マルチバース (マーベル・コミック)|label=マルチバース(多元宇宙)|en|Multiverse_(Marvel_Comics)}}の一つとして位置付けられており、本作品の舞台は「アース-79203」と設定されている。|date=2019年11月}}
=== 企画の経緯 ===
本作品は[[マーベル・コミック]]社と東映の業務提携によって、前年に制作した日本版『[[スパイダーマン (東映)|スパイダーマン]]』における視聴率や商品化収入の成功を引き継ぐ意味でも、マーベル社所有のキャラクター使用契約も視野に入れて企画された作品である{{R|大全集162}}。本作品の放映前の仮題は『キャプテンジャパン』{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|東映HM10|2004|p=73}}{{R|マーチャンダイジングライツレポート|大全集162|超世紀154}}}}で、その題名での新番組企画書が現存する。「アメリカ」「ジャパン」のように国名を背負ったキャラクターから発想を広げ、世界各国から集結した集団ヒーローという構想が生まれた{{R|sentaitaizen81}}。
やがて諸事情により吉川進が平山亨から本作品を引き継ぎ、企画の骨子「[[ダンス]]のリズムで細胞変化を起こし、変身する超人」も平山案からそのまま受け継がれた{{R|大全集162}}。ただし、高久進が第1話の脚本を執筆した段階で「踊りを武器に戦う」という骨子の部分はそれほど意識されず、初期企画はオープニング映像や作中描写の一部に残されるのみとなった。その理由として実際に映像を撮影してみると、アクションと踊りがうまく融合しなかったことと言われる{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=238}}{{efn|吉川は、映像でダンスを活かすことは難しかったと述べている{{R|20th05}}。}}。また、[[アメリカン・コミックス|アメコミ]]色の強かったタイトルや名称に異論が出て、『バトルフィーバーJ』やバトルジャパンなどのように修正された{{R|大全集162}}。
正式に番組制作が決定したのは[[1978年]]10月のことであるが、翌年2月に放映開始するならば6月には作業を開始しているのが普通であり、スケジュールは逼迫した。そのうえ、『ゴレンジャー』や『ジャッカー』の撮影が行われた[[東映生田スタジオ]]は既に閉鎖されており、特撮は[[東映東京撮影所]]で東映映像が制作していたところを、一般向けドラマが中心だった東映テレビプロダクションに移行したばかりで、スタッフにもヒーロー番組のノウハウがなく、苦労が多かった{{R|sentaitaizen81}}。このスケジュールの逼迫は番組開始以降も尾を引いており、従来の東映制作の特撮テレビドラマで行われてきた遠方ロケも、本作品では第21話・第22話での[[北陸地方|北陸]]・[[能登半島]][[ロケーション撮影|ロケ]]のみに留まっている{{Sfn|大全集|1988|p=148|loc=「遠征ロケーション集」}}。
=== キャラクター ===
本作品に登場するキャラクターは、[[ミスアメリカ (マーベル・コミック)|ミスアメリカ]](Miss America)を除き、全て東映のオリジナルキャラクターである点が日本版『スパイダーマン』とは異なる。当初は「キャプテンジャパン」を中心としたチームだった{{R|大全集162|全怪獣370}}。
だが、最初期段階でキャプテンジャパンのモチーフである[[キャプテン・アメリカ]]がマーベル側の事情で使用できなくなった{{R|sentaitaizen73}}。同じくマーベルのキャラクターであるミスアメリカが代案として提示され、これを元にデザイン作業が行われた<ref>『バトルフィーバーJ』DVD Vol.3解説書の久保宗雄インタビューより。</ref>{{R|sentaitaizen73}}。ミスアメリカ自身も大幅なアレンジが施され、引用されたのは胸の[[アメリカ合衆国の国旗|星条旗]]をアレンジしたマークデザインのみで、マスクやタイツという要素は別のキャラクター「[[ミズ・マーベル]]」からの影響が見られる{{R|sentaitaizen73}}。玩具においては、一部ミスアメリカだけ版権の問題で発売できないものがあり、乗用マシーンも制作が間に合わず劇中では市販の乗用車やバイクが使用されたため、商品化されなかった。
キャプテンアメリカという名称は、東映の公式設定においては名称・デザインともに一切使われていない。『マーチャンダイジングライツレポート』1978年12月号では、ミスアメリカはキャプテンアメリカという名前で掲載されている{{R|マーチャンダイジングライツレポート}}。また、当時の販売商品には「地球を守る5人のバトルマン」という表記もあり、商標としてのネーミングが1つに徹底されていない状況だったようである。バトルフィーバーロボや巨大ロボットバトルフィーバーといったロボの名称についても、同様である。
『ジャッカー』までのマントに代わり、全員が白いマフラーをなびかせている。また、胸にはそれぞれの国を象徴したワッペンが付いているが、これは前述のミスアメリカの要素を継承したものである{{R|sentaitaizen81}}。放映時は「五色の戦士」というパターンも前面に出てはいなかったが、後年になって他のスーパー戦隊と設定を揃える意味で各員の「色」が設定されている。ただし、後付けの分類であるため、バトルコサックとバトルケニアの色の扱いには資料ごとに違いがある(後述)。ヒーローのスーツデザインにおいても、後のシリーズのようなデザイン上の統一された要素が少なく独自性が顕著だが、これはスーツのデザインがマーベルとの提携作品であるという面も含めて東映側の主導で決定している一方、ヒーローキャラクター自体の商品化を大きく意識していないためである{{efn|『スパイダーマン』の商業的成功を踏まえ、本作品での商品展開の主軸はバトルフィーバーロボやバトルシャークに置かれていた。ヒーローキャラクターの商品化を前提として、スポンサーであるポピーがデザインするのは次作『デンジマン』からである。}}。マスクはその後のスーパー戦隊シリーズで一般的なゴーグル調のデザインとは異なり、アメコミヒーローのような「目」を持つデザインである{{efn|例外として『[[光戦隊マスクマン]]』は企画当初、本作品を踏襲したマスクが検討され、試作マスクも制作されていたが、最終的には採用されなかった。X1マスクの造形はこの試作マスクを流用し、新造されたマフラーを装着していることもあり、本作品の戦士と近似したものとなっている。}}。[[ゴーグル]]型マスクの使用も検討されたが、髪の毛のあるミスアメリカのデザインと馴染まなかったため、本作品では不採用になった{{R|sentaitaizen81}}。
=== 巨大ロボット ===
『スパイダーマン』で好評だった日本独自設定の巨大ロボットが、本作品でも引き続き採用されている{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|東映HM10|2004|p=73}}{{R|大全集162|超世紀154}}}}。巨大ロボの導入はスポンサー側からの要請であったともされるが{{R|大全集162|全怪獣370}}、村上克司は「成功した要素だから継承した」という安易な思想を否定し、新作を手がける際には他作品との差別化を追及する旨を語っている{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=88}}{{efn|村上は、ロボットの登場は渡邊からの提案であったとも証言している{{R|20th86}}。}}。バトルフィーバーロボを格納するバトルシャークに力が入っているのも、アニメ風の変形合体ロボからコンセプトを変えるためである{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=88}}{{efn|初期企画『キャプテンジャパン』では、『スパイダーマン』のレオパルドンと同様に戦艦からロボットへ変形するという設定であった{{R|大全集162|超世紀154}}。}}。
バトルフィーバーロボが本格的に登場したのは、第5話からである。当初の予定では第1話からロボが活躍するはずだったが、[[村上克司]]によるデザイン決定が遅れたことで[[着ぐるみ]]製作にもさらなる時間を要していた{{Sfn|東映HM10|2004|p=73}}{{R|sentaitaizen10}}。[[特撮監督]]の[[矢島信男]]が松竹映画『[[夜叉ヶ池 (映画)|夜叉ヶ池]]』の仕事に関わっていたこともあり、特撮場面の撮影スケジュールは第1話の放送に間に合わないことが早期に判明していたため、第1話から第4話までの脚本はロボが建造中という設定で制作された{{R|大全集162|超世紀154}}。第1話から第4話までにおける建造中の場面や、第5話・第6話における[[ミニチュア撮影|ミニチュア]]や着ぐるみを駆使した戦闘場面の数々は[[円谷プロダクション]]出身の特撮監督である[[佐川和夫]]が矢島の描いた絵コンテを参考に演出しており、劇中では未使用に終わった場面もエンディング用の映像素材や後のエピソードなどにおいて流用された。
第7話から参加の[[アクション監督]]{{efn|当時は'''技斗'''と表記。}}である[[金田治]]は、巨大ロボ戦の演出も同時に担当していた。ロボットだけを画面に収めても巨大さを実感しにくいため、画面下に小さなキャラクターを配置することで大きさを対比させる手法も、金田の発案による。森や岩と空の境など画面の切り合わせに使える線がある場所で等身大アクションの撮影を行い、そこに後から巨大ロボ戦を合成することで、奥行きのある画面を造った{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|pp=86-87}}。第3クールからはジャパンが単独で巨大ロボ戦を挑みながら、残り4人が等身大のエゴス怪人と戦うという演出が披露された{{efn|この手法は、2012年の『[[特命戦隊ゴーバスターズ]]』でも使用されている。}}。
== あらすじ ==
世界各地に様々な怪奇現象が起こる中、謎のコウモリ傘の美女の手により[[国防省]]幹部が次々と殺されていった。それを知った倉間鉄山将軍は、世界各国に派遣されていた4人の精鋭から成る対エゴスの秘密部隊'''バトルフィーバー隊'''にその調査を命じた。4人は、捜査途中に謎のコウモリ傘の美女そっくりの女性捜査官ダイアンと出会う。コウモリ傘の美女を影で操る'''秘密結社エゴス'''に父を殺されたダイアン・マーチンを加えた5人に、鉄山将軍はバトルスーツを与え、世界の混乱を目論むエゴスの討伐に向かわせていた。
巨大ロボット・バトルフィーバーロボの設計図の争奪戦が繰り広げられる中、エゴスも悪魔ロボットを完成させる。その第1号・バッファローロボをバトルフィーバー隊は完成したばかりのバトルフィーバーロボで迎え撃ち、勝利した。戦士たちの激しくも苦しい戦いは、始まったばかりである。
== 登場人物 ==
=== バトルフィーバー隊 ===
国防省と[[連邦捜査局|FBI]]からの精鋭を集めて結成されており、メンバー全員それぞれ世界各地のダンスを取り入れた戦闘スタイルを習得している秘密戦闘部隊{{Sfn|完全超百科|2006|p=12}}{{R|学研の図鑑16}}。劇中では「バトルフィーバー」もしくは「バトルフィーバー隊」と呼ばれ、名乗りシーンにおいても全体としては「バトルフィーバー」と名乗ることが多いが、初期の回では「バトルフィーバーJ」と名乗っている。
「'''フィーバー!'''」の掛け声とともに、ダンスのようにくるっとターンすることで変身するが、本作品では変身の描写がさほど重視されておらず、「一瞬物陰に身を隠し、次に姿を現した時には変身している」{{R|group="ep"|8話}}など、場合によっては掛け声やターンも省略されることがある{{efn|映画『[[海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン THE MOVIE]]』で四郎が変身した際には、バトルスーツが装着される瞬間に全身が光に包まれるという演出が加えられた。}}。決め技は、5人の武器を組み合わせて放つ'''ペンタフォース'''。メンバーの年齢は劇中ではマリアのみが19歳として明らかになっている{{R|group="ep"|36話}}。
当初はエゴスや一般人には正体を隠していたが、中盤でエゴスの作戦によって正体を知られることになる。
* 初期企画『キャプテンジャパン』では、各国の音楽のリズムで細胞を変化させて超人になるという設定であったが、アメコミ的な[[スーパーヒーロー|超人]]の概念が日本では馴染みが薄いため、強化服で戦うという設定に改められた{{R|大全集162|超世紀154}}。ダイアン以外の初期メンバー4人の名前は同企画書の時点で決定していた{{R|大全集162}}。
* マスクもゴーグルではなく2つの目を持ったものとなっている{{R|material15}}。
; {{Visible anchor|{{読み仮名|伝 正夫|でん まさお}}|伝正夫}}
: バトルフィーバー隊のリーダー{{R|学研の図鑑16}}。27歳{{R|20th08|学研の図鑑16}}。
: 国防省の元[[将校]]であり、真面目で一直線かつ文武両道で質実剛健な天才的頭脳の持ち主{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|東映HM10|2004|p=70}}{{R|20th08|学研の図鑑16}}}}。仲間たちや上司の鉄山からの信頼も厚く、エゴス側からも「最強の男」{{efn|第22話におけるゼロワンの台詞{{R|group="ep"|22話}}。}}と言われる。その一方で、勝利に慢心して気を緩め、仲間たちと共に[[インベーダーゲーム]]に興じたこともあった{{Sfn|東映HM10|2004|p=78}}。乗馬も得意{{Sfn|赤の伝説|2012|p=23}}。
: 吹雪村出身{{R|group="ep"|32話}}。高校時代は、城南高校[[野球]]部で[[捕手]]として[[全国高等学校野球選手権大会|甲子園]]を目指していた{{R|group="ep"|8話}}。
: フィーバー隊の任務以外でメンバーと行動を共にすることはあまりない。
:* 後期では演じた[[谷岡弘規]]が大河ドラマ『[[獅子の時代]]』に出演することになった関係で素面での出番が激減している。
:; {{Visible anchor|バトルジャパン}}
:: 伝正夫が変身する[[アジア]]代表の戦士{{R|20th08}}。[[空手道|空手]]や[[功夫]](中国拳法{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=8}})などの格闘技を身に付けており、戦闘時にはそれらを駆使した'''カンフーダンス'''を取り入れている{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|東映HM10|2004|p=70}}{{R|大全集4|sentaitaizen21|20th08}}}}。優れた運転技術を体得しており{{R|学研の図鑑16}}、第32話以降、単身でバトルフィーバーロボを操縦するようになる。
::* スーツは白地に赤いラインが入っており{{R|21st1}}、後年では'''レッド戦士'''扱いとなっている。手袋とブーツは赤。ベルトは赤。変身後の頭部のマスクは「火の玉」をイメージしており{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=57}}、左右非対称のマスクになっている{{R|material15}}。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|白石 謙作|しらいし けんさく}}|白石謙作}}
: バトルフィーバー隊の中ではサブリーダー的存在である{{R|20th10}}。26歳{{R|20th10|学研の図鑑16}}。
: 元国防省の兵器担当{{R|20th10|学研の図鑑16}}。[[中央アジア]]で生まれた孤児{{R|20th10}}。[[教会]]の[[神父]]に引き取られたが、ほどなくして彼が[[地上げ屋]]に殺されたため鉄山に拾われ育てられた{{R|group="ep"|33話}}{{Sfn|東映HM10|2004|p=74}}{{R|学研の図鑑16}}。ロシア語が堪能{{R|学研の図鑑16}}。気は優しく、メンバーの中でも落ち着いている一方、短気で怒りっぽいところがあり{{R|学研の図鑑16}}、無茶をしすぎるのが欠点。[[パチンコ]]が大好きで、「確率の研究」と称してよくパチンコ店に出入りしていたほど{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|東映HM10|2004|p=74}}{{R|20th10|学研の図鑑16}}}}。また、スマートな見た目からは想像できないが怪力の持ち主でもある{{R|group="ep"|4話}}{{R|学研の図鑑16}}。
: 第33話で、エゴスに父を殺されたまゆみから「血の臭いがする」と言われたため、強化服を持たずにまゆみに会いに行き、彼女の心の傷を癒していくが、エゴスに遭遇し、カットマンの凶弾に倒れ、仲間たちに看取られながら、息を引き取った{{R|group="ep"|33話}}。
; {{Visible anchor|{{読み仮名|神 誠|じん まこと}}|神誠}}
: 第33話より登場。謙作の国防省時代の先輩で、射撃の名手{{R|学研の図鑑16}}。国防省のドリルミサイル研究に従事していた{{R|material8}}。助手を装い三村博士の護衛をしていたが、博士がエゴスに殺害されたためにスパイの疑いをかけられ、さらに謙作が[[殉職]]したため、復讐の意から、2代目バトルコサックとなり{{R|group="ep"|33話}}、サブリーダーのポジションも受けついだ。
: 短気で怒りっぽいところがあった謙作とは対照的に、正夫の上を行く冷静さを持っており、口数が少ない不言実行の孤高な雰囲気を持つ一匹狼タイプで単独行動を好んでいたため、他のメンバーと距離を置く場面も多かったが、仲間と戦いを通じて打ち解けていった<ref group="ep">第34話ほか。</ref>{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|東映HM10|2004|p=74}}{{R|20th19|学研の図鑑16}}}}。レギュラー戦士では最年長の32歳{{R|20th19|学研の図鑑16}}。釣り(トローリング)が得意{{R|学研の図鑑16}}。かつて警察官である弟を闇将軍に殺されており、その復讐の機会を伺っていた。射撃の名手であるためか、常に[[銃]]を数丁ほど携帯している{{Sfn|東映HM10|2004|p=74}}。変身後に使用する武器は初代コサックと同じだが、初代コサックがパワー系の戦士だったのに対し、2代目コサックはスピーディな技を得意とする。
: 第45話では、『[[キカイダー01]]』の主人公であるイチローの[[トランペット]]での登場場面を再現してみせた{{efn|神役の伴大介が『キカイダー01』に出演していたことによる。ただし、伴が演じていたのはイチローではなく、『[[人造人間キカイダー]]』の主人公・ジローであり、ジローの所持楽器はギターである。}}。
:* [[テンガロンハット]]を被ったカウボーイスタイルの服装が特徴的だが、オープニングとエンディングでは謙作の映像を誠の映像に差し替えているため、映像の前後を合わせるために誠が謙作と同じスーツを着ている場面がある。
:* 演じた[[伴大介|伴直弥]]は、自身が愛好する[[スティーブ・マックイーン]]のイメージを取り入れ、また他のメンバーよりも年長であることから4人とは離れた場所にいるイメージにしたと述べている{{Sfn|大全集|1993|p=184|loc=「戦隊シリーズ キャストインタビュー [[伴大介|伴直弥]]」}}。
:; {{Visible anchor|バトルコサック}}
:: 白石謙作および神誠が変身する[[ユーラシア大陸|ユーラシア]]代表の戦士{{R|20th10}}。
:: 戦闘時には、中国武術{{Sfn|完全超百科|2006|p=10}}や[[コサック]]の流れを汲むパワフルな戦法'''[[コサックダンス]]'''で戦い{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集4|sentaitaizen23|gahou66|20th10}}}}、周囲の敵に連続で足払いを決める'''コサック回転キック'''、ジャンプしながらの両手パンチ'''ダブルパンチ'''、空中で両足を開いて左右の敵を同時に蹴るタイプと、両脚飛び蹴りを決めるタイプがある'''ダブルキック'''といった応用技で敵を蹴散らす。
::* 橙色を基調としたシリーズ初の'''オレンジ戦士'''であり{{R|21st1}}、変身後の頭部は[[ロシア帽]]をイメージしたものである。戦闘服の胸部には、当時の[[ソビエト連邦|ソ連]]の国章だった[[鎌と槌|赤地に金色のハンマーと鎌]]のエンブレムが裏返しの状態で描かれていた。手袋とブーツは橙色。ベルトは黒。なお、初期案での配色は黄色だったが、『[[秘密戦隊ゴレンジャー]]』との差別化のため、橙色に黒いラインを引いた形に変更された{{R|sentaitaizen81}}。[[竹書房]]刊の『スーパー戦隊画報 第1巻』では「ソ連はイエロー系ではない」と書かれていたが、バトルコサックを'''イエロー戦士'''に分類する例もある<ref>トレーディングカードゲーム「[[レンジャーズストライク]]」第7弾RS-441</ref>。その後、2014年の『[[烈車戦隊トッキュウジャー]]』東映公式サイトにて、橙(オレンジ)色の戦隊ヒーローはバトルコサックを1人目として、『トッキュウジャー』のトッキュウ6号が2人目であることが明言された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.toei.co.jp/tv/toqger/story/1203822_2183.html|title=烈車戦隊トッキュウジャー 第18駅『君の名を呼べば』|publisher=東映|accessdate=2014-06-22}}</ref>。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|志田 京介|しだ きょうすけ}}|志田京介}}
: フランス帰り{{Sfn|完全超百科|2006|p=10}}のバトルフィーバー隊の切り込み隊長役的なチームのムードメーカー{{R|学研の図鑑16}}。26歳{{R|20th12|学研の図鑑16}}。[[美容師]]でもあり、ヘアデザイナーとしての腕前は超一流でキザな性格の伊達男{{Sfn|東映HM10|2004|p=74}}{{R|学研の図鑑16}}。
: 人一倍オシャレにも気を遣っており{{R|group="ep"|4話}}{{R|20th12|学研の図鑑16}}、{{要出典範囲|親からキザな性格を直すために国防省に入れられたという裏設定がある|date=2019年11月}}。名乗りの際はコサックを抜いて2番目となることも多い。冷静な性格でコサックと並んでサブリーダー的立場を務める場面もあるが、意地っ張りでムードメーカー的なお調子者でもある。四郎とは性格が違うが馬があう模様{{Sfn|東映HM10|2004|p=74}}。女性にはめっぽう弱く、ダイアンがメンバーのころは特に彼女とプライベートでも行動を共にすることが多かったが、振り回されてもいた。ヨーロッパ代表ゆえに[[フランス語]]も得意{{R|group="ep"|15話}}{{R|学研の図鑑16}}。魚の生臭さが嫌い{{R|group="ep"|6話}}。謙作の[[殉職]]後は彼の性格を引き継いだ部分も見られるようになる。また、[[フェンシング]]を得意としており、大会で優勝したほどの実力を持つ{{R|20th12|学研の図鑑16}}{{efn|優勝したのは物語の2年前。}}。
:* 鼻を指で弾く仕草は、バトルフランスのスーツアクターを務めた[[橋本春彦]]のアイデアによるもので、志田役の倉地も橋本の演技を見て取り入れた{{R|20th20}}。
:; {{Visible anchor|バトルフランス}}
:: 志田京介が変身する[[ヨーロッパ]]代表の戦士{{R|20th12}}。
:: 戦闘時には'''[[スペイン|スパニッシュ]]ダンス'''{{efn|これは渡辺宙明にテーマ曲の発注が来た時点でスペインがモチーフだった名残である。その後、フランスに変更となったが、同国の音楽は戦闘にそぐわないため、スペイン風テーマのままでいくと割り切られた{{Sfn|東映スーパー戦隊大全2003|p=239}}。}}を駆使する{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集4|sentaitaizen25|gahou66|20th12}}}}。スピード戦法を得意とする{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=8}}。名乗りの際は、[[カスタネット]]の音のような手拍子がけたたましく鳴る。
::* スーツは白地に青い線が入っており{{R|21st1}}、後年では'''ブルー戦士'''扱いとなっている。マスクにはVの字のようなマークが刻まれている。手袋とブーツは青。ベルトは青。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|曙 四郎|あけぼの しろう}}|曙四郎}}
: バトルフィーバー隊一の力持ちで、スピード戦にも対応。年齢不詳{{R|20th14}}。野生動物の保護活動家{{R|学研の図鑑16}}。
: 逞しい野生児で、非常に明るい性格かつ図太い神経の持ち主で、涙もろく友だち思いの一面も持つ{{R|学研の図鑑16}}。バトルフィーバー隊の訓練をケニアで受けた{{Sfn|完全超百科|2006|p=11}}。何でも食べる大食漢{{R|20th14|学研の図鑑16}}。動物の気持ちがわかる特殊技能を持つ{{R|学研の図鑑16}}。京介と気が合う{{Sfn|東映HM10|2004|p=74}}。第26話では、ホウタイ怪人に「若くして禿げる」と宣告されてしまった。他のメンバーと比べて主役を演じるエピソードが多い<ref group="ep">第10・30・43話など。</ref>。
:* スーツアクター兼任の[[大葉健二]]が演じたため、変身前のアクションシーンも他のメンバーより激しいものが多くなっている。
:; {{Visible anchor|バトルケニア}}
:: 曙四郎が変身する[[アフリカ]](アフリカ大陸{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=14}})代表の戦士{{R|20th14}}。
:: 戦闘時には、俊敏な動きを得意とした'''トロピカルダンス'''で敵を翻弄し、蹴散らす{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集4|sentaitaizen27|gahou66|20th14}}}}。崖を駆け上り、身軽に回転しながら敵を倒す'''アニマルアクション'''も得意。悪魔ロボットが登場する度に「また出やがった!」という決まり文句を叫ぶことが多い<ref group="ep">第15話など。</ref>。
::* スーツは黒地に緑のラインが引いてあり{{R|21st1}}、後年ではシリーズ初の'''ブラック戦士'''扱いとなっているが{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=112}}、バトルケニアを'''グリーン戦士'''とし{{Sfn|スーパー戦隊 36LEGENDS|2012|p=24}}、シリーズ初のブラック戦士は『[[大戦隊ゴーグルファイブ]]』のゴーグルブラックにあてる場合もある{{Sfn|スーパー戦隊 36LEGENDS|2012|p=27}}。また、シリーズ初の動物をモチーフとしたヒーローでもあり、マスクには動物の耳や牙が反映されているが、具体的な動物は想定されていない{{R|20th81}}。手袋とブーツは緑。ベルトは黄色。
:
; {{Visible anchor|ダイアン・マーチン}}
: バトルフィーバー隊の[[紅一点]]。
: FBI秘密捜査官の[[アメリカ人]]で、父のボスナーと共に来日するが、その際に父をコウモリ傘の女に殺されている{{R|group="ep"|1話}}{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|東映HM10|2004|p=75}}{{R|20th16|学研の図鑑16}}}}。日本語も達者で、[[ネズミ|鼠]]と[[日焼け]]に強い抵抗があり、四郎の動物好きに対して嫌悪感を抱くところから相当な[[潔癖|潔癖症]]でもある{{R|学研の図鑑16}}。冷静沈着だが、気が強い性格{{R|学研の図鑑16}}。[[水泳]]が得意で[[ビキニ (水着)|ビキニ]]姿でプールを泳ぐことも多く、何度かスレンダーなプロポーションのビキニ姿を披露した。男性メンバーが変身後の名で呼び合っているのに対し、彼女は本名のほうで呼ばれている。
: 第24話で、来日していた妹のキャサリンがエゴスに誘拐され、彼女をエゴスの手から救い出すも、ドラキュラ怪人の吸血牙攻撃により倒れ、妹の護衛役だった汀マリアにスーツを託した。その後、体調は回復したが、妹が誘拐された際に妹の[[ペンダント]]にあったダイアンの写真によりエゴスに正体が露見したこともあり、妹と安全に暮らすため、FBIからもバトルフィーバー隊からも脱退し、アメリカへ帰国した{{R|group="ep"|24話}}{{Sfn|東映HM10|2004|p=75}}。
:* 初期企画『キャプテンジャパン』では、ペリー・マクブライドという名称であった{{R|大全集162}}。
; {{Visible anchor|{{読み仮名|汀 マリア|なぎさ マリア}}|汀マリア}}
: 第24話より登場。ダイアンに請われ彼女の代わりに2代目ミスアメリカとなった、元FBI捜査官{{R|学研の図鑑16}}。バトルフィーバー隊の最年少の19歳{{R|20th18|学研の図鑑16}}。ダイアンの妹・キャサリンの護衛役として来日した縁でバトルフィーバー隊と知り合い、目を離した隙にキャサリンをエゴスに誘拐され、戦闘中に負傷したダイアンからスーツを託された{{R|group="ep"|24話}}{{Sfn|東映HM10|2004|p=75}}。
: アクティブな性格でバトルフィーバー隊のムードメーカーとなり、ダイアン以上の優れた行動力でチームの戦力を引き上げた{{R|学研の図鑑16}}。ダイアン同様に水泳も得意で、ビキニ姿で水泳をしていることもある{{R|20th18}}。水泳ばかりでなく[[新体操]]を中心としたスポーツ全般が得意である。仲間内での金銭の貸し借りなどはあまり好まない性格だった{{R|group="ep"|48話}}。過去に、弟のようにかわいがっていた少年が溺れたのを見殺しにしてしまったことがある。爆弾犯の[[指名手配]]にかけられた際に年齢が19歳であることが分かった{{R|group="ep"|36話}}。FBI時代はダイアンの父でFBI捜査官であるボスナー・マーチンから指導を受けており、キャサリンの護衛を任されたのもその縁からだった。
:* 作中ではホットパンツスタイルであるが、オープニングとエンディングではダイアンの映像をマリアの映像に差し替えているため、映像の前後を合わせるためにマリアがダイアンと同じスーツを着ている場面がある。
:; {{Visible anchor|ミスアメリカ}}
:: ダイアンおよびマリアが変身する[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[オセアニア]]代表の戦士{{R|20th16}}。
:: 戦闘時には'''ディスコダンス'''で敵を蹴散らす{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集4|sentaitaizen29|gahou66|20th16}}}}。キックや合気道も得意とする{{R|20th16}}。
:: 2代目は柔軟な体を生かした身体能力を武器にしており、また、水泳を応用した水中戦と柔軟性と身体能力を応用した新体操技も得意。第47話では[[剣道]]を応用したバッティング技'''唐竹割り打ち'''を身につけ、ヒダリテ怪人に操られた野球選手の時速200キロの剛速球をコマンドバットで打ち返して特大ホームランにした{{R|group="ep"|47話}}{{R|学研の図鑑16}}。
:: 2代目はダイアンとは違い変身後は「アメリカ」と呼ばれる。
::* スーツは薄めの桃色ベース{{R|21st1}}に濃い水色が配されており、後年では'''ピンク戦士'''扱いとなっている{{efn|『海賊戦隊ゴーカイジャー』以降に登場するミスアメリカのスーツは桃色が濃いものとなっている。}}。マスクは[[金髪|ブロンド]]が特徴。手袋とブーツは青。ベルトは白。
=== 支援者 ===
; {{Visible anchor|{{読み仮名|倉間 鉄山|くらま てつざん}}将軍|倉間鉄山}}
: バトルフィーバー隊の最高司令官。国防省の最高幹部{{R|学研の図鑑16}}であり、バトルフィーバー隊の創設者。国防省のどの部門に在籍していたかは不明だが、[[武道]]・[[戦略]]・技術のいずれの分野でも高い能力を持ち、正に秘密特殊部隊であるBF隊の司令官に相応しい存在である。藤波白雲斎の許で総合武術の一光流を極め、自身では鉄山流を名乗っており、畳をアリが這う音も聴けるほどである{{R|学研の図鑑16}}。バトルフィーバーロボにも通じる鉄山流電光剣{{R|material8}}を奥義とし、バトルフィーバー隊の必殺技ペンタフォースが効かないエゴスの四面怪人を一刀両断し{{R|group="ep"|37話}}、さらには一時的に[[失明]]しながらも読心術でヘッダー指揮官を[[一騎討ち]]で倒すなど{{R|group="ep"|50話}}優れた剣技の持ち主でもある。
: 厳格かつ冷静な思考回路の持ち主で、その優れた思考力と行動力については、敵であるサタンエゴスでさえ高く評価したほどである。初期ではバトルフィーバー隊がマイペースで緊張感に欠けていたため、彼らを厳しく叱責する場面もしばしば見られた{{Sfn|東映HM10|2004|p=75}}。劇中フルネーム以外は苗字ではなく名前で呼ばれていた。
:* 将軍の出演場面はほとんどが[[アフレコ]]ではなく、同時録音で撮影されている。
:* 名前や設定は初期企画『キャプテンジャパン』の時点で決定していた{{R|大全集162}}。東映プロデューサーの吉川進は、アメリカンヒーローの要素は当時の子供にはピンとこないだろうとの考えから、[[時代劇]]の要素を取り入れてバタ臭さを希薄化させることを意図していたと述べている{{R|20th05}}。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|中原 ケイコ|なかはら ケイコ}}|中原 ケイコ}}
: バトルフィーバー隊の連絡員。18歳。主な任務は、基地内での通信業務や、バトルシャークの発進準備。ロボ開発中は、鉄山将軍のアシスタント的な業務もこなした。素性を隠して街で[[諜報活動]]を行う場合もあり、その際にレンタカー会社や[[スナックバー|スナック]]「ケニヤ」に勤務して、隠れみのにしている。隊員たちやマサルと共に遊びに出かけることも多く、マスコット的な存在でもある。
:
; {{読み仮名|青葉 ミドリ|あおば ミドリ}}
: バトルフィーバー隊の連絡員。普段は[[レコード]]店に勤めている。得意の変装を生かして諜報活動を行う。
:
; {{読み仮名|上野 トモコ|うえの トモコ}}
: ミドリに代わり、バトルフィーバー隊に配属された連絡員。ケイコのマンションの隣に住む。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|九太郎|きゅうたろう}}|九太郎}}
: 第7話から登場した鉄山将軍が作ったロボット[[九官鳥]]。仕事とは無関係の方向に暴走することが多いバトルフィーバー隊に対して叱責を繰り返している。口が悪く、頻繁に生意気な言動でメンバーの神経を逆撫でするためメンバーとの折り合いは悪く、謙作には一度、真っ二つに壊されたことがある{{R|group="ep"|23話}}{{R|学研の図鑑16}}。動力源は[[電池]]{{R|学研の図鑑16}}。ピンチの際には、口からガス状の「凍結光線」を吐く{{R|20th06}}。
=== バトルフィーバー隊の関係者 ===
; {{読み仮名|中原 マサル|なかはら マサル}}
: ケイコの弟。小学2年生{{R|20th06}}。カラクリ怪人こと金太郎との友情が描かれたこともあった。
; {{読み仮名|上野 ユキ|うえの ユキ}}
: トモコの妹。
; {{読み仮名|浜村 昭夫|はまむら あきお}}
: ケイコが「表向きの職業」として勤めている[[レンタカー]]会社の主任。彼女の正体には気付いていない。自分の店の車(実はバトルフィーバーカー)をツケで乗り回す正夫を[[暴走族]]だと思っているらしい。
; {{読み仮名|青木 茂雄|あおき しげお}}
: スナック「ケニヤ」のマスター。自分の店のトイレにバトルフィーバー隊の秘密の連絡通路があることを知らず、四郎がトイレから出てこないことを不思議に思うことがあった。
: [[逗子マリーナ]]の会員券を所有しているが、四郎に無断使用されてしまった{{R|group="ep"|28話}}。
== バトルフィーバー隊の戦力 ==
=== 装備・能力 ===
; バトルスーツ{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集204|sentaitaizen34|20th06|学研の図鑑16}}}}
: 国防省が総力を挙げ開発した装着者の体組織の機能を強化して戦闘力を向上させるスーツ。「強化服」とも呼称される{{R|gahou64|20th06}}。機関銃の連射なら傷ひとつ付かない強度を持つ。バトルフィーバー隊が、人間を遥かに超えた力を持つ怪人と戦えるのは、スーツの力によるところが大きい。
: 通信機である'''バトルシーバー'''{{R|sentaitaizen34}}{{efn|書籍『スーパー戦隊大全集』では名称を'''ブレスレット'''と記述している{{R|大全集204}}。}}の内部より強化服バトルスーツが射出されるという設定だが{{R|大全集204}}、それが劇中で描かれているのは第24話でダイアン・マーチンから汀マリアにバトルスーツが引き継がれる場面のみである{{R|group="ep"|24話}}。第2話の時点で京介がバトルシーバーを身につけていない状態で変身するなど、初期から設定が徹底されていない。
: 基地には予備の強化服も置いてある。
; コマンドバット{{R|大全集204|20th06}}
: 5人の標準武器で5つの個人武器に変形するバトン型の武器{{efn|書籍によっては戦棍と紹介している{{Sfn|完全超百科|2006|p=11}}{{R|特撮全史}}。}}である。単体で投擲し'''バトルファイヤー'''として爆発させることが可能であり、また合体させて'''ペンタフォース'''としても威力を発揮する。敵の光線を反射する'''アークミラー'''(ドグウ怪人の光線を跳ね返した){{R|20th06}}、ロープ、[[ヌンチャク]](36話と45話で使用)にも変形可能。
:; バトルファイヤー{{R|20th06}}
:: コマンドバットをクロスさせて高エネルギーを発生させる。バトルファイヤーの掛け声で振ることで、火花を散らせ障害物を破壊する{{Sfn|赤の伝説|2012|p=21}}。「コマンドバット」と呼称されることもある。
:; ペンタフォース{{R|大全集204}}
:: コマンドバットを合体させた必殺武器。砲身と架台を形成させて特殊砲弾2発を発射する2連装[[バズーカ]]タイプと、放射状に連結させて敵に向かって飛ばす[[ブーメラン]]タイプがある{{efn|それぞれの名称は、書籍『スーパー戦隊大全集』では'''バズーカ砲タイプ'''・'''五角形タイプ'''{{R|大全集204}}、書籍『東映スーパー戦隊大全』では'''タイプA'''・'''タイプB'''{{R|sentaitaizen34}}、書籍『スーパー戦隊画報』『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀 1979 バトルフィーバーJ』では'''ペンタフォース(ロケット砲)'''・'''ペンタフォース(ブーメラン)'''{{R|gahou64|20th06}}、書籍『30大スーパー戦隊超全集』では'''ペンタフォース(バスーカタイプ)'''・'''ペンタフォース(ブーメランタイプ)'''{{R|30dai248}}と記述している。}}。いずれの場合も、ジャパンの「スクラムだ!」の号令の後、5人が正面を向いたまま、頭上に放り投げられたコマンドバットが空中で自動的に合体する{{efn|ジャパンがバトルフィーバーロボに搭乗している場合を除く。}}。
:: バズーカタイプは主に初期で使用された。4話までは、5人がジャンプして空中で「BF」の人文字を作ってからコマンドバットを合体させていた。ジャパンとアメリカがメインとは限らず、4話と7話と13話ではコサック、11話ではケニア、12話と14話ではフランスと各話の主軸の戦士が真ん中にくることが多い。
:: ブーメランタイプは15話から使用された。空中で合体したコマンドバットがそのまま回転しながら怪人に向かって飛んでいく。なお、5人が一定の範囲内にいれば必ずしも集合する必要は無いらしく、ジャパンがバトルフィーバーロボの操縦席から、他の4人が地上からコマンドバットを投げるという描写も見られる{{efn|ただし射程に限界もありダイアン=アメリカが不在の時にバトルシャークに搭乗させ呼び寄せた例もある。}}。基本的にジャパンを先頭に陣形が組まれる。最終話では、3回使用されたが決まったのは1回だけだった。
:: バズーカタイプ・ブーメランタイプ共に『[[海賊戦隊ゴーカイジャー]]』でも使用された。
:
; バトルショット5{{Refnest|group="出典"|name="BF"|{{R|sentaitaizen34|gahou64|20th06}}}}(バトルショット{{Sfn|赤の伝説|2012|p=21}})
: 5人が持つ、ナイフ付きの特殊銃。通常の銃の銃口に当たる部分から[[ナイフ]]の刃を発射し、その下部にある円筒が銃口となり、弾丸を撃つことができる。変身前に使用することもある。
; ジェットオン(ジェット・オン{{Sfn|赤の伝説|2012|p=21}})
: ジェットシューズ(ブーツ)の足裏からのジェット噴射で大きくジャンプする。主にロボ搭乗時に使用する。
; バトルシーバー{{R|group="出典"|BF}}
: 5人が左手に装着している通信機。前述のように、普段は内部に強化服が収納されているという設定である。
; 熱線銃{{R|20th19}}
: 51話でコサックがヘッダー怪人を焼き尽くすために使用した、熱線を発射する銃。
; 精神統一{{R|20th06}}
: ゴースト怪人の分身攻撃を見破った。
=== 個人武器・技 ===
; バトルジャパン
:; [[槍|ヤリ]]{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集5204|sentaitaizen21|gahou66|30dai247|20th08}}}}
:: バトルジャパン専用の[[槍]]。刃が両端にある、双刃タイプである{{R|20th08}}。
:; カンフーダンス
:: カンフーと空手を組み合わせたアクション。敵の体に強烈なパンチやチョップを炸裂させる{{R|20th08}}。
:
; バトルコサック
:; [[釵|サイ]]{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集5204|gahou66|30dai247|20th10}}{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|pp=23、33}}}}
:: バトルコサック専用の十手に似た{{R|material8}}[[釵]]タイプの[[二刀流]]剣。
:; コサックダンス
:: コサックダンスを基調としたアクション。足払いをかけた相手にパンチを打ち込む{{R|20th10}}。
:
; バトルフランス
:; [[フェンシング]]{{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen25|gahou66|30dai247|20th12}}}}(フェンシング剣{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=14}}、サーベル{{R|material8}})
:: バトルフランス専用の[[フェンシング#エペ|エペ]]{{R|sentaitaizen25|gahou66}}。グリップガードで防御も可能{{R|20th12}}。
:; スパニッシュダンス
:: [[フラメンコ]]を基調としたアクション。手拍子で相手を翻弄し、キックを放つ{{R|20th12}}。
:
; バトルケニア
:; ムチ{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集5204|sentaitaizen27|gahou66|30dai247|20th14}}}}
:: バトルケニア専用のムチ。[[ロープ]]になる。
:; トロピカルダンス
:: 南国の踊りを基調としたアクション。俊敏な動きで飛びかかり、爪で切り裂く{{R|20th14}}。
:
; ミスアメリカ
:; [[手裏剣]]{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集5204|gahou66|30dai247|20th16}}}}{{efn|資料によっては「ナイフ」{{Sfn|大全集|1993|p=25|loc=「CHARACTER & MECHANIC」}}{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|pp=29、31}}、「手投げナイフ」{{R|material8}}と記述している。}}
:: ミスアメリカ専用の小型ナイフ。マリアは変身前にも使った。
:; ディスコダンス
:: ノリの良いステップで、敵にキックや投げ技を炸裂させる{{R|20th16}}。
=== メカニック ===
; ビッグベイザー{{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen36|gahou69|20th22}}{{Sfn|30大スーパー戦隊超全集|2007|p=248|loc=「バトルフィーバーJのメカ」}}}}{{efn|資料によっては、名称を'''ビッグベーザー'''{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集8|material8}}{{Sfn|全怪獣怪人 上巻|1990|p=371}}}}や'''ビッグベイサー'''{{R|超世紀170}}と表記している。}}
: 国防省が建造したバトルフィーバー隊の海底移動基地。バトルシャークを収容して海底に潜む巨大[[要塞]]である。内部には船の[[舵輪]]が架かっているメインルームなどの居住スペースや各マシンの格納庫・巨大兵器工場まで備え、防衛設備も完備されている。この基地に通じる秘密通路はスナックケニヤのトイレや下水道など数多く存在しており、この通路を自らの足で渡り基地へ出入りする{{R|学研の図鑑40}}。
; バトルフィーバーカー{{efn|name="jidou"|放送開始時は名称はなく、児童誌用につけられた名称である{{R|特撮全史}}。}}
: 主にバトルジャパン、ミスアメリカが使用するスーパーカー{{R|20th22}}。最高時速400キロメートル{{Refnest|group="出典"|name="MACHINE"|{{R|超世紀170|sentaitaizen36|gahou69|20th22}}}}。スポーツカーを改造している{{Sfn|完全超百科|2006|p=12}}。武器は無く、探査能力が高く{{R|超世紀170|20th22}}、多数の探査メカを搭載している{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=15}}。スーパーチャージャーエンジンを搭載{{R|20th22}}。ナンバーは「品川57の・466」。普段は浜村のレンタカー会社に置かれている。
:* ベースは[[マツダ・RX-7#初代 SA22C(FB3S)型(1978年 - 1985年)|マツダ・RX-7]]{{R|大全集8|gahou69}}。
; スリーマシーン{{efn|name="jidou"}}
: バトルコサック、バトルフランス、バトルケニア専用のバイク。武装は無いが、[[ミサイル]]にも耐えられる[[装甲]]を誇る{{R|超世紀170|20th22}}。最高時速350キロメートル{{R|group="出典"|MACHINE}}。呼称は話によって様々。[[前照灯|ヘッドライト]]の脇に各々がモチーフとする国の[[国旗]]が付いている{{R|20th22}}。バトルフィーバーカー同様に、外見は市販車と変わらない。
:
; バトルシャーク
: 飛行速度[[マッハ数|マッハ]]5の万能戦闘母艦{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集8|sentaitaizen36|gahou69|学研の図鑑40}}}}。バトルフィーバーロボを船体中央に格納し戦地まで輸送するほか、単機での空中戦も行う。ロボの各種武器を艦橋下部の武器庫に収納しており、必要に応じて射出している。ジャパンが指揮と主に操縦、フランスとアメリカが索敵や機体のモニタ、コサックとケニアが兵装を担当している。ナバロン砲{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集8|sentaitaizen36|gahou69|20th22|学研の図鑑40}}}}、爆雷{{Refnest|group="出典"|name="BS"|{{R|大全集8|sentaitaizen36|gahou69|20th22}}}}、船尾ミサイル{{R|group="出典"|BS}}{{efn|書籍『スーパー戦隊大全集』では、名称を'''後部ミサイル'''とも記述している{{R|大全集204}}。}}、ウイングミサイル{{Refnest|group="出典"|name="MACHINE2"|{{R|大全集8|超世紀170|sentaitaizen36|gahou69|20th22}}}}{{efn|書籍『スーパー戦隊大全集』では、名称を'''側面ミサイル'''とも記述している{{R|大全集204}}。}}、悪魔ロボットの脚を引っかけて転倒させられる<ref group="ep">第15・16話など。</ref>マジックハンド{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集204|sentaitaizen36|gahou69|20th22}}}}(マジックアーム{{R|material8}})などを装備。メンバーが搭乗していない場合でも、[[オートパイロット]]航行機能がある{{R|学研の図鑑40}}。
:* ミニチュアは3[[尺]]と6尺の2種類が存在し、場面によって使い分けている{{R|20th82}}。巨大感を出すため細かいウェザリングが施されている{{R|20th82}}。
:
; バトルフィーバーロボ
: 倉間鉄山将軍の指揮の下、バトルフィーバー隊のために建造・実戦投入された水素エネルギーによって稼働する世界で最も強度があり、軽いISO[[合金]]製の地球で最初の巨大ロボット{{R|material8|学研の図鑑40}}。「巨大ロボット・バトルフィーバー」とも呼ばれる{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=15}}。1話からストーリー中で語られ登場していたものの、ビッグベイザー内の製造工場で製造中であり、バトルフィーバー隊結成時には完成が間に合っていなかったため{{R|material8}}、実戦投入は5話からとなった。
: 頭部や胴、肩当ては日本の戦国時代の[[鎧]][[武士|武者]]の甲冑{{R|material8|material15}}、下半身は西洋の鎧[[騎士]]をモチーフとし、赤と黒をベースに、黄色をアクセントとした配色が施された、重厚な意匠が特徴。飛行も可能{{R|学研の図鑑40}}。
: バトルフィーバー隊各員は「ジェットオン!」の掛け声とともにジャンプして下腹部の円形窓{{R|material8}}から乗り込み、頭部の中にある操縦席へと移動する。基本は5人全員で操縦するが、緊急時(敵ロボットとの二面作戦対策)はメイン操縦者のジャパンのみでも操縦可能。また当初は操縦席に[[シートベルト]]が存在しなかったため、バトルフィーバーロボが大きな衝撃を受けて転倒したような場合には、搭乗中のメンバーが操縦席から投げ出される描写があった。第11話から4点式[[シートベルト]]が装備されるようになったが、第13話のように2点式シートベルトとして利用する描写も存在している。武器など装備のほとんどは待機中のバトルシャークに搭載されており、バトルフィーバーロボの戦闘状況に応じて射出転送が行われる。
: 『[[轟轟戦隊ボウケンジャー]]』Task.35ではミニコーナー「スーパー戦隊スペシャルファイル」にてボウケンジャーの1号ロボ・ダイボウケンと共に互いの必殺技を放つシーンが描かれた{{efn|映画『[[ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦]]』に登場した際にもこのシーンが活用されている。}}。
:* スーパー戦隊シリーズにおいて最初に登場した巨大ロボットである{{R|21st15}}。このバトルフィーバーロボの玩具が商業的成功を収めたことが、以降のシリーズ後継作でも様々な巨大ロボットが登場するきっかけの1つとなった。
:* 当時はメイン商品として「DXバトルシャーク」が位置づけられ、ロボはその付属アイテムとして考えられていた<ref>{{Cite book|和書|year=2002|title=スーパー戦隊アートコレクション 戦隊ロボ編|publisher=[[メディアワークス]]|page=137|isbn=4-8402-2139-1}}</ref>{{R|20th86}}。そのためシリーズでは唯一変形や合体などの機構は内蔵されておらず{{R|material15}}、デザイン面においてはシリーズ中でも特にシンプルかつスマートなものに仕上げられている。
:* スーツは全身が[[繊維強化プラスチック|FRP]]で造形されており、重量が大きく動きが制限されるものの、ロボットらしさを表現している{{R|21st15}}。本作品と同じく[[エキスプロダクション]]が造型を担当した『[[大鉄人17]]』(1977年)ではFRPは部分的な使用にとどまっており、2年で大幅な技術向上があったとされる{{R|21st15}}。
:* [[超合金 (玩具)|超合金]]での商品名は「バトルフィーバー」{{R|TH4522}}。放送終了後も度々再発売されたほか、[[2006年]]には[[超合金 (玩具)|超合金魂]]として発売された。
:* 『[[太陽戦隊サンバルカン]]』44話で嵐山長官が考案した新ロボットはバトルフィーバーロボの設計図が流用されている。
:* 初期企画『キャプテンジャパン』では、万能潜艦キャプテンベイザーから変形する救助用巨大ロボット「ネルソン」が設定されており、救助用装備を応用して戦うと想定されていた{{R|大全集162}}。
:; 装備
::; ソードフィーバー{{Refnest|group="出典"|name="BFR"|{{R|sentaitaizen38|gahou69|30dai249|20th23}}}}
::: バトルフィーバーロボ登場時からの必殺武器で、両足脇のホルスターに各1本ずつ装備されている起爆装置付きの[[短剣]]{{R|大全集204|20th23}}([[短刀]]{{R|gahou69}})。必殺技は交差する形でソードフィーバーを敵に投げつける'''クロスフィーバー'''{{Refnest|group="出典"|name="BFR2"|{{R|大全集204|sentaitaizen38|gahou69|20th23}}}}。
::; 電光剣
::: 第15話から登場した必殺剣{{Sfn|赤の伝説|2012|p=21}}。巨大な[[日本刀]]で、使わないときは[[鞘]]に収められ、刀身に「電光剣」と銘が刻まれている他、柄には'''ジャパンのJ'''、'''コサックのC'''、'''フランスのF'''、'''ケニアのK'''、'''アメリカのA'''の文字が入れられている。刀身に電気を吸収して力を増幅するため、敵の電気攻撃に対する防御にも応用可能。必殺技は、電光剣の刀身に宇宙エネルギーを集束し、円を描いて円月殺法で敵を斬る{{Sfn|赤の伝説|2012|p=21}}'''電光剣・唐竹割り'''{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集204|sentaitaizen38|gahou69|30dai249|20th23|学研の図鑑40}}}}、ロボの全エネルギーを電光剣に集めて敵の胴体を斬る'''バトルフィーバーパワー'''{{R|sentaitaizen38|20th23}}、最終回でのみ使われた大気中の宇宙エネルギーを電光剣に集めてロケット噴射で加速し敵めがけて投げつける最強最後の技'''電光剣ロケッター'''{{Refnest|group="出典"|name="BFR3"|{{R|大全集204|sentaitaizen38|gahou69|30dai249|20th23}}}}。
::; フィーバーアックス{{R|group="出典"|BFR3}}
::: 巨大な鉞{{Sfn|赤の伝説|2012|p=21}}。メイン必殺武器以外で唯一特殊効果映像がある。
::; スティックアタッカー{{Refnest|group="出典"|name="BFR4"|{{R|sentaitaizen38|gahou69|20th23}}}}{{efn|資料によっては、名称を'''スティックランサー'''{{R|大全集204|30dai249}}、'''スティックランス'''{{Sfn|完全マテリアルブック 下巻|2002|p=82}}と記述している。}}
::: 石突き部分や槍頭とは逆側の端も尖った必殺武器以外では最も多用されたオーソドックスな一本[[槍]]{{Sfn|赤の伝説|2012|p=21}}。
::; チェーンクラッシャー{{R|group="出典"|BFR3}}
::: 両手首から出す、ISO合金製の[[鎖]]{{R|大全集204}}。
::; アタックランサー{{R|group="出典"|BFR}}
::: 厚さ12メートルの鉄板を貫く三つ又の投げ槍{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|赤の伝説|2012|p=21}}{{R|大全集204|20th23}}}}。チェーンクラッシャーにつないで振り回すこともできる。
::; ケーンノッカー{{R|group="出典"|BFR4}}
::: 先端にリングの付いた[[錫杖]]。劇中使用は第24話のみ<ref>{{Cite book|和書|year=2003|title=東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマン・サンバルカンの世界|publisher=[[双葉社]]|page=38|isbn=4-575-29520-5}}</ref>。
::; バトルシールド{{R|group="出典"|BFR2}}
::: 2万8千度の耐熱性能を誇るISO合金製の[[盾]]{{R|大全集204}}。バトルフィーバー隊のロゴと赤い円が描かれている。
::; ナックルパンチャー{{R|sentaitaizen38}}
::: 両手に装備する、突起のついた[[ナックルダスター|メリケンサック]]。作中未使用。
::; クロスターン{{R|sentaitaizen38}}
::: 額部の角をブーメランのように飛ばす。作中未使用。
::; ミサイル{{R|TH4522}}
::: 両脚に内蔵されたミサイル。作中未使用。
; スペック
:{| class="wikitable sortable" style="font-size:small" border="1"
|-
! 名称 !! 全長 !! 全高 !! 重量 !! スピード !! 出力
|-
! バトルシャーク
|150{{nbsp}}[[メートル|m]]{{R|group="出典"|MACHINE2}}
|
|5,000{{nbsp}}[[トン|t]]{{R|sentaitaizen36|gahou69}}{{efn|資料によっては「8,000トン」{{R|20th22}}(書籍『超世紀全戦隊大全集』では、「ロボを含む」と注記{{R|超世紀170}})と記述している。}}
|マッハ5{{R|group="出典"|MACHINE2}}
|
|-
! バトルフィーバーロボ
|
|58{{nbsp}}m{{Refnest|group="出典"|name="SPEC"|{{R|大全集8|超世紀170|gahou69|20th23}}}}
|3,000{{nbsp}}t{{R|group="出典"|SPEC}}
|マッハ10{{Refnest|group="出典"|name="SPEC2"|{{R|超世紀170|gahou69|20th23}}}}
|500万馬力{{R|group="出典"|SPEC2}}
|}
== 秘密結社エゴス ==
サタンエゴスを神と崇めるエゴス教を信仰する[[秘密結社]]。首領であるサタンエゴスの言葉は、[[神官]]を務めるヘッダー指揮官を通して一般構成員に伝えられる。現代科学の枠組みを超えた原始科学を崇拝し{{Sfn|赤の伝説|2012|p=23}}、様々な[[怪人]]を生み出す。主に親子の信頼関係を破壊したり、子供たちを怠け者にしたりするなど人間社会を混乱させる作戦を行い、人間の欲望を煽り、エゴス教の信者を増やして「呪われた科学の産物」である現代文明の破壊を目的とする{{R|material8}}。サタンエゴスを信じるようになった人間は額に赤いXの文字が浮かび、エゴスの忠実な下僕になる。
バトルフィーバーたちの正体に最初は気づいておらず、物語初期は一般市民を勧誘して悪用したり、毒入りの食べ物を撒いたりするなどの無差別的な攻撃や、新兵器や宝を所持する者(主に科学者)を誘拐・殺害して横取りするなどの作戦が多かった。物語中盤で全員の正体を知ってから(後述)は、毎回メンバーの誰か1人をつけ狙う作戦をよくとるようになった。
各キャラクターの身長・体重などの設定はない{{R|20th24}}{{efn|マグネット怪人とハイド怪人のみ、各自誕生時にコンピューターの音声とテロップで「身長190センチメートル」(マグネット){{R|group="ep"|18話}}、「身長2メートル・体重200キログラム」(ハイド){{R|group="ep"|39話}}と明記されている。}}。
; {{Visible anchor|サタンエゴス}}
: 神として崇められる正体不明の像で、エゴスの首領。黒い[[頭巾]]と[[ローブ]]で包まれている。怪人製造カプセルに[[遺伝子]]伝達光線を発することで怪人を誕生させる。
: 基本的には部下たちに命令や叱咤するのがもっぱらの役回りであるが、作中で敵司令官の鉄山将軍について分析した際、判断力と行動力について敵ながら高い評価を与え警戒する、またバトルフィーバーたちの殺気と怪人の慢心を見抜くなど、首領としてただ闇雲に攻撃命令を出すだけではない冷静な分析力も持つ。第15話では、食べ物を利用した作戦の失敗(第13話)を繰り返すことを懸念するヘッダーに「失敗を恐れてはならん」と諭している。
: 最終話では自ら巨大化してバトルフィーバーロボと戦う。クロスフィーバーをあっけなくはじき返し、強大な[[超能力]]で猛烈な風を発生させて大いに苦しめたが、電光剣をロケット噴射で投げつける技・電光剣ロケッターに敗れ、同時に世界各地に残る全てのエゴス信者たちも絶命{{R|group="ep"|52話}}。緑色の血液を持つその正体は謎のまま明かされることはなかった。
:* デザインを担当した久保宗雄は、手前の水晶体が本体で黒い人型の方は崇拝のための偶像と想定していた{{R|百化17}}。
:
; {{Visible anchor|ヘッダー指揮官}}
: 第1 - 51話に登場。サタンエゴスに絶対の忠誠を誓う神官にして剣術'''邪神流'''{{Sfn|東映HM10|2004|p=76}}{{R|20th24}}{{efn|書籍『全怪獣怪人大事典 上巻』では、'''邪心流'''と記載している{{Sfn|全怪獣怪人・上|2003|p=334}}。}}の達人。邪神流は、倉間鉄山将軍の一光流と対立関係にある流派。怪人より格下であるため、彼らの無理難題に振り回されることも多かった{{Sfn|東映HM10|2004|p=76}}。普段はサタンエゴスの立案した作戦を実行に移す役割を担い、本部内でカットマンやエゴス怪人に行動指示を与えるが、たまに前線に出てバトルフィーバー隊と直接戦うこともあり、19話では、サイを両手に持って戦い、BF隊を苦しめた。常備した短剣は、16話で正夫を牽制する際に使用した。武器は[[目]]から出す怪光と[[剣]]。
: 師匠である鬼一角を殺害し、「二代目鬼一角」を襲名。その後、夜にパトロール中のフランスとケニアを襲い負傷させ、暗殺団を率いて鉄山の恩師である藤波白雲と兄弟弟子である尾上竜山を殺害。駆けつけたバトルフィーバーは「雑魚に用はない」と切り捨て、味方のオニヒゲ怪人ですら邪魔者呼ばわりし、鉄山と一騎討ちに挑み一時的に失明させるも最終的には敗れる{{R|group="ep"|50話}}。その後ヘッダー怪人として復活するもペンタフォースによって敗北{{R|group="ep"|51話}}。しかし、目玉だけがフィーバー基地に潜入し、再び蘇る。[[時限爆弾]]で基地を爆破しようとした寸前、九太郎の冷凍ガスで凍結させられ、バトルコサックの熱線銃で消滅した{{R|group="ep"|51話}}。弟のヘッダーロボットはクロスフィーバーや唐竹割りに敗れても即座に蘇りロボを苦しめるも、唐突に編み出したバトルフィーバーパワーで倒される{{R|group="ep"|51話}}。エゴス内ではかなり慕われていた人格者のようで、彼が死亡した際にはサロメや多くのエゴス隊員が号泣した。
:* [[潮健児|潮建志]]版と[[石橋雅史]]版では頭部の装飾の形状の他、雰囲気や言葉遣いが異なっている。スキンヘッドにしていた潮と異なり石橋は[[かつら (装身具)|かつら]]を着用するため、継ぎ目を隠すために装飾が追加された{{R|百化17}}。
:* 衣装は潮が演じることを想定してデザインされた{{R|百化17}}。数珠を持たせ、アジア的な要素が取り入られており{{R|material15}}、デザインを担当した久保はコンセプトを「メカニック[[袈裟]]」と称している{{R|百化17}}。
:* ヘッダー怪人のデザインはエゴス怪人の一体として描かれていたラフデザインを基にしており、完成デザイン時に顔をヘッダー風に描き変えている{{Sfn|百化繚乱 上之巻|2011|p=30}}。
:
; {{Visible anchor|サロメ}}
: 第19 - 52話に登場。ヘッダー指揮官の弟子である女幹部。アメリカ支部にその人ありと言われていながら、日本支部着任までその存在はサタンエゴスに知られていなかった。[[レスリング]]を主体とした格闘術で戦う。変装の名手で、ペンタフォースに耐える強靭な身体の持ち主{{Sfn|東映HM10|2004|p=76}}。「世界最強の美女」の異名を持ち、時に「御子」である怪人を見下すような言動も見せる<ref>20話・47話など</ref>。彼女の持つ手鏡は光線を発射可能な上、打撃武器としても使用可能で、発信機も内蔵されている。
: 最終話で一乗寺綾子という探偵に変装し、エゴスを裏切ったと見せかけてバトルフィーバーを罠にかけるも、サタンエゴスの脱出によって発生した瓦礫の下敷きになり、その死による基地爆発により死亡した{{R|group="ep"|52話}}。
:* デザインはアメリカンコミックの『[[ヴァンピレラ]]』を意識している{{R|百化17}}。デザインを担当した久保は、[[マキ上田]]が演じるとは知らされていなかったため、イメージとは異なるものになったと述べている{{R|百化17}}。
:
; {{Visible anchor|エゴス怪人}}
: サタンエゴスによって生み出される怪人たち。彼らはサタンエゴスの息子(娘)として扱われ、サタンエゴスを「父上」と呼ぶ。名称は「○○怪人」。組織内ではヘッダーやサロメより上位で、ヘッダーたちからは「{{読み仮名|御子|みこ}}{{efn|女性怪人の場合は「王女様」と呼ばれる場合もある。}}」として崇められているが、青すじ怪人などはヘッダーに敬語を使っていた。また、ネンリキ怪人、ハイド怪人、ゲンソウ怪人など人間を改造した怪人や、人間体とは別に怪人バラリンカ、格闘技怪人のように怪人形態でも人間とほぼ同じ姿をした怪人もいる。また、ツララ怪人は出撃まで百万年間眠り続けていたと自称している。
:* 初期は古代の仮面や民芸品をモチーフとしていたが、何の怪人かわかりにくいというスタッフの指摘や脚本での[[話題|モチーフ]]の指定があったことなどから、徐々にモチーフのわかりやすいデザインへと変更された{{Sfn|百化繚乱 上之巻|2011|pp=19、86-87}}。
:
; {{Visible anchor|怪人製造カプセル}}
: サタンエゴスが怪人を誕生させる際に使う大型装置。実は装置自体が生物であり、会話したり飛行したり、体から[[機関砲]]を出したりすることも可能。誕生したエゴス怪人の能力を解説することもあるが最終話で会話をするようになった。あらゆる熱エネルギーを吸収する性質があり、外部からの攻撃は一切通用しない。最終話でバトルフィーバーを体内に取り込んで、バトルフィーバー怪人を作ろうと企むが、バトルフランスに弱点である[[心臓]]を発見され、そこをペンタフォースで破壊されて消滅した{{R|group="ep"|52話}}。
:* デザインは心臓をモチーフとし、人工[[子宮]]のイメージも加えられている{{R|百化86}}。デザイン画での名称は「人工カプセル」{{R|百化86}}。
:* 怪人製造機のコンセプトは、映画『[[デモン・シード]]』が参考にされている{{Sfn|百化繚乱 上之巻|2011|p=232|loc=「DESIGNER'S INTERVIEW09 渡部昌彦」}}。
:
; {{Visible anchor|カットマン}}
: 一般戦闘員。黒とグレーに彩られた覆面と服を着ている。日本語を話す場合もある。分子細胞を振動させ壁などを通り抜ける特殊能力を持つ。主な武器は剣{{efn|書籍『全怪獣怪人大事典 上巻』では「大型ナイフ」{{Sfn|全怪獣怪人・上|2003|p=334}}、書籍『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀 1979 バトルフィーバーJ』では「短剣」{{R|20th24}}と記述している。}}と[[マシンガン]]{{R|20th24}}。第27話では軍服とヘルメットを装備したエリート部隊・特務軍団員が登場{{R|group="ep"|27話}}。劇中で「[[ミミズ]]の化身」と説明され、事実、彼らの怨念が合体して生まれたミミズ怪人はその親玉的存在であり、カットマンの頭部と酷似した頭部となっている。第33話ではバトルコサックこと謙作を射殺することに成功している{{R|group="ep"|33話}}。
:* マスクは東映版『[[スパイダーマン (東映)|スパイダーマン]]』のスパイダーマンと同じ素材を使用しており、形状もスパイダーマンと同じものになっている{{R|百化17}}。デザイン画ではマスクに目がなく、[[スチル写真|スチール撮影]]会ではフェイスペイントで表現されたが手間がかかったため変更された{{R|百化17}}。
; {{Visible anchor|特殊部隊}}
: 第21話に登場したサロメ直属の特殊部隊で、頭に[[ストッキング]]を被っている。
=== エゴスの戦力 ===
; {{Visible anchor|悪魔ロボ(悪魔ロボット)}}
: エゴス怪人の弟や妹(それぞれの性別と同一)と称される同型の巨大ロボットで、頭部(あるいは胸部)にエゴスのシンボルが付加されている。ロボットなので、しゃべることはできない。初登場の第5話では地下工場で建造された。怪人が死ぬ間際や窮地に陥ると「弟(妹)よー!」という絶叫に呼び寄せられて出現するのが基本パターン。他の戦隊の巨大戦のように怪人がやられる間際に悪魔ロボットを呼んだり、健在なうちに呼んだが悪魔ロボが来る前に怪人が倒されてしまったりという展開も多いが、バトルジャパンが単独もしくは数人を伴いバトルフィーバーロボに搭乗して残りのメンバーが怪人と戦っている最中に悪魔ロボットとの戦闘を開始することもあった。第5話以降の怪人でも魔術怪人、黒仮面怪人、カラクリ怪人はロボットが存在しない。第51話でヘッダー怪人の力でドグウロボ、ギンガロボ、スポーツロボの3体が幽霊のような形で蘇ったことがある。
; {{Visible anchor|エゴス戦闘機}}
: 一人乗りの小型戦闘機。機体色は黒。武器は機体側面の2門の機銃{{R|20th24}}。三機編成で攻撃を行う。
== キャスト ==
初代バトルコサックには『ゴレンジャー』のミドレンジャー / 明日香健二を演じた伊藤武史{{efn|『ゴレンジャー』当時は[[伊藤幸雄]]。}}、2代目バトルコサックには『[[人造人間キカイダー]]』の[[キカイダー#キカイダー|キカイダー / ジロー]]などを演じ、既に中堅俳優としてのキャリアも持っていた[[伴大介|伴直弥]]が起用された。バトルコサックの交代は、伊藤武史が「結婚するので降板したい」と申し出たからだと吉川進は回想している{{R|sentaitaizen11}}。
その他の主演俳優も[[谷岡弘規]]は当時29歳、[[倉知成満|倉地雄平]]は当時27歳、伴直弥は当時32歳といった具合に、中堅層を揃えている。倉地は、オーディションではなく直接オファーであったと証言しており、吉川が『スパイダーマン』の出演者から選んだのだろうと推測している{{R|20th20}}。
バトルケニア・曙四郎役には[[スタントマン]]として活躍してきた[[ジャパンアクションエンタープライズ|JAC]]の[[大葉健二]]が起用され、変身前と変身後の[[スーツアクター]]を両方演じた{{R|仮面俳優209}}。大葉は[[東京ドームシティアトラクションズ|後楽園ゆうえんち]]で行われていたショーにも出演しており、「バトルケニアが敵に捕まってマスクを外される」という演出でテレビと同じ俳優であることを印象付けた{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=80|loc=大葉健二スペシャルインタビュー}}{{R|仮面俳優209}}。大葉は翌年の『デンジマン』でもスーツアクターを兼ねたレギュラー役、そして[[1982年]]には単独主人公役の『[[宇宙刑事ギャバン]]』へと抜擢された。
初代ミスアメリカ役は当時の[[アグネス・ラム]]人気にあやかって、モデルのダイアン・マーチン(役名同じ。オープニングでは「D.マーチン」と表記)が起用されたが、スケジュールの都合が次第につかなくなり、交代を余儀なくされた。マーチンは英語しか話せなかったので、変身後のスーツアクトレスである[[小牧リサ]]がアフレコを担当した{{R|sentaitaizen11}}。
倉間鉄山将軍役としては東映時代劇の名優・[[東千代之介]]が招聘され、当時話題となった{{Sfn|東映HM10|2004|p=73}}。吉川進と「東京放映」社長・香山新二郎は懇意であり、その東京放映に所属していた東千代之介とも交流があったため、声をかけやすかったという<ref>DVD第2巻の吉川進プロデューサーインタビューより。</ref>。
後に[[声優]]業へと転身しアニメ番組『[[タッチ (漫画)|タッチ]]』にて一躍脚光を浴びることになる、[[日髙のり子]]こと伊東範子がレギュラー出演している。また[[ビューティ・ペア]]として活躍し、引退間もないころの元女子プロレスラー・[[マキ上田]]が悪役として途中からレギュラー入りしている。
=== ヘッダー指揮官の映像の差し替えについて ===
開始当初は[[潮健児|潮建志]]が敵幹部のヘッダー指揮官役を演じていたが、[[覚醒剤]]所持容疑で逮捕されたことにより降板となり、第4話でゲスト出演をしたばかりの[[石橋雅史]]が急遽その後を継ぐことになった。潮の逮捕は放送が開始されて間もない3月第1週だったことから、未放送・ネット開始前の地域も含まれた地方局への悪印象を防ぐ意味でも、過去に潮が演じた映像を可能な限り石橋の映像に差替え、保存用[[ネガ]]を改変していた。初回放送時のフィルムは経年劣化が著しい上に所在が不明となっている。
例外的に潮による映像をそのまま用いているものとしては、第1話のラストシーンや第3話のエンディング、第5話の坂口(国防省高官)移送シーンなどの細かいカット、第4話と第6話の全編などが挙げられる。第4話の差し替えが行われなかったのは、石橋がゲストとして潮演じるヘッダーと同一の画面にいるため、第6話は、ヘッダーの出番がエゴス基地内に留まらず屋外ロケにまで及んでいることで、全カットの撮り直しが困難だったためである。
なお、初回放送時は以下の通りである{{Sfn|東映スーパー戦隊大全2003|p=76}}。
* 第1話 - 第6話
** 演・声 - 潮建志(クレジットは「ヘッダー指揮官」、第6話はクレジットなし)
* 第7話
** 演 - 潮建志、声 - 石橋雅史(クレジットは「ヘッダー指揮官の声」)
* 第8話
** 演 - なし(姿は画面に映らず)、声 - 石橋雅史(クレジットは「ヘッダー指揮官の声」)
* 第9話以降
** 演・声 - 石橋雅史(クレジットは「ヘッダー指揮官」)
=== レギュラー・準レギュラー ===
* 伝正夫 / バトルジャパン - [[谷岡弘規]]
* 白石謙作 / バトルコサック - [[伊藤幸雄|伊藤武史]](第1 - 33話)
* 神誠 / バトルコサック - [[伴大介|伴直弥]](第33 - 52話)
* 志田京介 / バトルフランス - [[倉知成満|倉地雄平]]
* 曙四郎 / バトルケニア - [[大葉健二]]
* ダイアン・マーチン / ミスアメリカ - [[ダイアン・マーチン|D.マーチン]](第1 - 24話)
* 汀マリア / ミスアメリカ - [[萩奈穂美]](第24 - 52話)
* 倉間鉄山 - [[東千代之介]]
* 中原ケイコ - [[日髙のり子|伊東範子]]
* 上野トモコ - [[藤枝亜弥|菅野啓子]]
* 中原マサル - [[佐藤たくみ]]
* 青葉ミドリ - 司ゆり
* 上野ユキ - 佐藤三千代
* 浜村昭夫 - 吉宮慎一
* 青木茂雄 - 鈴木誠司
* ヘッダー指揮官
** 第7話まで - [[潮健児|潮建志]]
** 第8話以降、および第7話までの差し替え分 - [[石橋雅史]]{{efn|第31話と第43話はクレジットされているが、実際は登場していない。第36話と第37話はクレジットも登場もなかった。なおこれら4本のうち、第36・37話は36話で「戦略の生ぬるさにより謹慎処分」とされ、代わりにサロメが指揮を執るという描写があった{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=69}}。}}
* 女幹部サロメ - [[マキ上田]]
=== 声の出演 ===
* ダイアン・マーチン([[吹き替え]])/ ミスアメリカ - [[小牧リサ]](第1 - 14・17 - 24話)、[[よこざわけい子|横沢啓子]](第15・16話)
* 九太郎 - [[京田尚子]]
* サタンエゴス - [[飯塚昭三]]
* 翻訳機、怪人製造カプセル - [[依田英助]]
* ナレーター - [[大平透]]
=== ゲスト ===
※エゴス関係は放送リスト参照。
* コウモリ傘の女{{efn|name="koumori"|コウモリ怪人の人間体と記載する資料があるが{{Sfn|全怪獣怪人 上|1990|p=373}}{{R|20th25}}、真相は映像でも脚本でも明確になっていない{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003}}。彼女の暗殺活動の後にコウモリ怪人誕生の描写があるので、少なくとも「コウモリ怪人が彼女に化けて活動していた」わけではない。『東映スーパー戦隊大全』の第1話のガイド(P56)では「おそらく決戦前にコウモリ怪人に改造されたと解釈するのが妥当」としている。}}:[[鹿沼絵里|鹿沼エリ]](第1話)
* ペットショップの店主 - [[相馬剛三]](第1話)
* 国防省幹部 - [[河合絃司]]、[[加地健太郎]](第1話)
* ボスナー・マーチン(ダイアンの父) - デビッド・フリードマン(第1・24話{{efn|回想シーンのみ。}})
* 天野ひかる - [[橘麻紀]](第2話)
* 秋山美代子 - [[柿崎澄子]](第2話)
* ヒデミ - [[神亜子]](第2話)
* 東英社編集長 - [[曽我町子]](第3話)
* 科学雑誌の編集員 - [[新井量大|新井和夫]](第3話)
* ベンガルの虎 - 石橋雅史(第4話)
* 瀬川参謀 - [[橋本春彦]](第4話)
* リポーター - [[大宮悌二]](第4話)
* 坂口家(第5話)
** 坂口情報局長 - [[勝部演之]]
** 坂口陽子 - [[蝦名由紀子]]
** 坂口健一 - 広瀬容一
* ケン - 安藤聖一(第6話)
* 警官 - [[佐藤晟也]](第6話)
* 豊田英夫 - 竹内実(第7話)
* 看護婦 - [[藤山律子]](第7話)
* 消防士 - [[栗原敏]](第7話)
* 警察官 - [[高橋利道]](第7話)
* 松井幸司 - [[安藤一人]](第8話)
* ドクター米山 - [[杉義一]](第8話)
* 片山家(第9話)
** 片山真一郎 - [[土門峻]]
** 片山光子 - [[三原じゅん子|三原順子]]
* 銃砲店の主人 - [[関山耕司]](第9話)
* 白い和服の美女{{R|20th25}} - [[森愛]](第9話)
* 大原理事{{R|20th25}} - 弘松三郎(第10話)
* 森山先生 - [[須永慶]](第10話)
* 女教師 - [[麻志那恂子|麻志奈純子]](第11話)
* 怒りん坊 - [[福田信義]](第11話)
* 抜け作 - 木村英幸(第11話)
* 弱虫 - 原田徹也(第11話)
* 野方純子 - 潤真理子(第12話)
* 鈴本家(第13話)
** 鈴本雄三 - [[滝雅也]]
** 鈴本八重子 - [[大井小町]]
** 鈴本雄一 - 財前正己
** 雄一の姉 - 木内恒子
* ルミ - 渡辺明美(第13話)
* トキオ - 藤井謙尚(第13話)
* 大山洋平 - [[林健樹|草鹿宏]](第14話)
* 水沢家(第14話)
** 水沢久美子 - [[三浦リカ]]
** 水沢美代子 - 佐藤美千代
* {{要出典範囲|カットマン|date=2019年11月}} - [[河原崎洋央|河原崎洋夫]](第14話)
* 殺し屋カトリーヌ{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=116}} - [[梅田智子|梅田智美]](第15話)
* 雷太 - 堰口未来雄(第15話)
* シェフ{{R|20th25}} - [[久地明]](第15話)
* ブラック・タイガーマリー - [[ミッチー・ラブ]](第16話)
* 沖山満 - [[内田直哉]](第16話)
* ブラック・スネーク - [[ジャガー横田|横田利美]](第16話)
* 鳥島家(第17話)
** 鳥島太一博士 - [[大泉滉]]
** 鳥島大助 - 大泉滉(二役)
* 黒田 - [[柄沢英二]](第17話)
* レーシングドライバー(特別出演) - [[寺田陽次郎|寺田陽次朗]](第17話)
* 岩本家(第18話)
** 岩本所長 - [[田畑孝]]
** 岩本一樹 - 中村肇
** お婆ちゃん - [[武智豊子|武知杜代子]]
* 寮長 - [[谷本小代子|谷本小夜子]](第20話)
* 掃除婦 - [[団巌]](第20話)
* 有島家(第21、22話)
** 有島千造 - [[河合絃司]]
** 有島しのぶ - [[浅川薫]]
* キャサリン・マーチン(ダイアンの妹) - ルイズ・フィリップ(第24話)
* 老婆 - [[折原啓子]](第24話)
* 栗原小百合 - 小牧リサ(第25話)
* 監督 - [[相馬剛三]](第25話)
* 夢野会長 - 山本武(第25話)
* 山田 - [[菊地太]](第25話)
* 明 - 安藤勝明(第26話)
* 少女時代のマリア - [[浜村砂里]](第26話)
* 看護婦 - [[村松美枝子]](第26話)
* マリアが弟のようにかわいがっていた少年 - 富士圭一(第26話)
* タケシ - 浦崎真之夫(第27話)
* 中井家(第28話)
** 中井信也 - [[当銀長太郎]]
** 中井秋子 - 杉本真知子
** 中井哲也 - 大熊昌明
* 香坂静香 - 中田彩子(第29話)
* 秋田良夫 - [[森烈|森祐介]](第29話)
* ユキの友達 - 柳瀬弘美、桑野聡子、海老原里美、臼田檀(第29話)
* タクシー運転手 - 菊地太(第29話)
* 女学生 - 本庄典子、高橋美千夜、野口美智子(第29話)
* 岩田家(第31話)
** 岩田鉄男 - [[佐藤蛾次郎]]
** 岩田幸子 - 滝口千浪
* 村長 - [[寄山弘]](第32話)
* 山中美代 - [[野川愛]](第32話)
* 村野義雄 - [[遠藤憲一]](第32話)
* 三村家(第33話)
** 三村教授 - [[大木史朗|大木史郎]]
** 三村まゆみ - 松下実加
* 神父 - [[エンベル・アルテンバイ|E・アルテンバイ]](第33話)
* 作業員 - [[山浦栄]](第33話)
* 看護婦 - [[八百原寿子]](第33話)
* 神明 - 鴨原敏明(第34話)
* 新車の持ち主 - [[杉欣也]](第34話)
* 大富豪 - 飯塚昭三(第35話)
* 大田黒慎造 - 依田英助(第35話)
* 支配人 - 佐藤晟也(第35話)
* 大富豪夫人 - [[伊藤慶子]](第35話)
* 使用人 - [[小甲登枝恵]](第35話)
* 八百屋 - [[佐川二郎]](第35話)
* 八百屋の妻 - 岩岡洋子(第35話)
* 秋山家(第36話)
** 秋山五郎 - [[春田純一]]
** 秋山美子 - [[里見和香]]
* 鬼塚刑事 - [[きくち英一]](第36話)
* 太田久美 - 田中さつき(第36話)
* 支配人 - 高崎良三(第36話)
* 久美の母 - 伊藤慶子(第36話)
* 前田武 - 黒田務(第37話)
* 武の母 - 重盛てる江(第37話)
* ミス・フジコ - 高橋みどり(第38話)
* 仮装パーティーの客 - [[香野麻里|平野真理]]、土橋博行、佐藤勉(第38話)
* 関根直人 - [[藤堂新二|香山浩介]](第39話)
* 安原教授 - [[時本和也|時本武]](第39話)
* 高松教授 - [[宮沢元]](第39話)
* 典子 - 岡本美佐子(第39話)
* 北条達也 - 七五三木猛明(第40話)
* 達也の母 - [[西川ひかる]](第40話)
* 松野 - 平井一幸(第41話)
* 矢吹 - 森祐介(第41話)
* 関根家(第42話)
** 関根功 - [[柴本浩行|阿部健多]]
** 関根洋子 - 史織ゆき
** 関根弘 - [[原田潤]]
* 暗殺者ジャッカル{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=116}}(竹内剛) - 友田僚(第43話)
* 医者 - 高野隆志(第43話)
* 看護婦 - 小野寺えい子(第43話)
* めぐみ - 鈴木雅美(第43話)
* 看護婦 - 高田早苗(第43話)
* 医師 - 松下昌司(第43話)
* 片目 - 田辺進三(第44話)
* 月影一郎太 - [[宍戸久一郎]](第44話)
* 月影一族 - 劇団幻想劇場(第44話)
* 健太 - 矢葺義晴(第45話)
* 大沢博士 - 林孝一(第45話)
* 医師 - 山田光一(第45話)
* 健太の両親 - 中山照雄、増田くみ子(第45話)
* 井川卓郎 - 佐伯貴宏(第46話)
* 卓郎の担任 - 秋山欣也(第46話)
* 卓郎の母 - 三上瓔子(第46話)
* 少年 - 細木直浩(第46話)
* 少女 - 橋本昌枝(第46話)
* 堀内家(第47話)
** 堀内豊 - [[日吉としやす]]
** 堀内実 - 庄野聡
** 堀内君子 - [[中嶋朋子]]
* 相手チームの監督 - [[岩城力也]](第47話)
* 茂太 - 藤森政義(第48話)
* 加代 - 中村和泉(第48話)
* 茂太と加代の父 - 稲川善一(第48話)
* 灯油屋 - [[平松慎吾]](第48話)
* 村井良子 - 伊東しず子(第49話)
* 怪しい男{{R|sentaitaizen74}} - [[花巻五郎]](第49話)
* 鬼一角 - [[高杉哲平]](第50話)
* 藤波白雲 - [[真弓田一夫]](第50話)
* 尾上竜山参謀 - 柳沢紀男(第50話)
* 一乗寺綾子 - 鹿沼エリ(第52話)
* マサルの友人 - 河松義浩、谷田川知恵(第52話)
=== スーツアクター ===
番組開始当初の技斗は[[オフィス・ビッグ|ビッグアクション]]が担当しており、[[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパン・アクション・クラブ (JAC)]]は『スパイダーマン』に携わっていた。バトルケニア役の大葉健二はJAC所属だが、あくまで一人の俳優としての参加であって、クラブ全体が『バトルフィーバーJ』に参与する予定はなかった{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=86}}。
しかし、JACの[[金田治]]が『スパイダーマン』終了とともに『バトルフィーバーJ』に移行し、第7話から技斗の担当となった{{R|20th81}}。このときバトルコサックの[[スーツアクター]]もスパイダーマン役だった古賀弘文に交代した{{R|20th81}}。ただ闇雲に人員を変更して視聴者に違和感を抱かせるのは金田の本意ではなかったので、他のスーツアクターは続演している{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=86}}。また、金田は[[高橋一俊]]によるキャラクター付けを高く評価しておりこれを引き継いでいる{{R|20th81}}。
後にミスアメリカ役の小牧リサも交代しているが、これは負傷が理由である{{R|sentaitaizen11}}。なお、バトルフィーバーロボを鈴木弘道が演じたとする資料があるが{{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen250|仮面俳優133}}{{Sfn|東映HM10|2004|p=83}}}}、鈴木自身はこれを否定している<ref>『東映ヒーローMAX』VOLUME 51(辰巳出版)P95</ref>。ミスアメリカの[[オートバイ]]スタントは、タケシレーシングチーム所属の男性スタントマンが演じた{{Sfn|東映HM10|2004|p=81}}。
第1話の初変身シーンは、変身前俳優の5人がスーツアクターを務めた{{R|20th20}}。
* バトルジャパン{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集4|sentaitaizen250}}{{Sfn|東映HM10|2004|p=83}}}} - [[新堀和男]]
* バトルコサック(第1 - 6話){{R|sentaitaizen250}}{{Sfn|東映HM10|2004|p=83}} - [[渥美博]]
* バトルコサック(第7話以降){{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=86}}{{Sfn|東映HM10|2004|p=83}} - [[古賀弘文]]
* バトルコサック{{R|特撮全史}} - [[釼持誠|剣持誠]]
* バトルフランス{{R|sentaitaizen250}}{{Sfn|東映HM10|2004|p=83}} - [[橋本春彦]]
* バトルフランス{{R|sentaitaizen250}}{{Sfn|東映HM10|2004|p=83}} - [[益田てつ|益田哲夫]]
* バトルケニア{{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen250|仮面俳優209}}{{Sfn|東映HM10|2004|p=83}}}} - 大葉健二
* バトルケニア(代役){{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen250|仮面俳優153|21st7}}}}、ミスアメリカ([[スタント]]){{Refnest|group="出典"|{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=86}}{{Sfn|東映HM10|2004|p=81}}{{R|仮面俳優153|21st7}}}} - [[喜多川2tom|喜多川務]]
* ミスアメリカ(第1話 - 12話){{Sfn|東映HM10|2004|p=83}}{{efn|『冊映画秘宝 特撮秘宝vol.8』(2018年10月18日発行、[[洋泉社]])での小牧・喜多川・小野寺の座談会(P278 - 283)によると、第14話の撮影が第13話より先に行われており、第14話のアクションシーンは小牧が演じたとのこと。}} - [[小牧リサ]]
* ミスアメリカ(第13話以降){{Sfn|東映HM10|2004|p=83}}{{R|21st7}}{{efn|資料によっては第17話よりとされているが{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=62}}、小野寺えい子自身は、書籍「東映ヒーローMAX」のインタビューで第13話より演じたと明言しており{{Sfn|東映HM10|2004|p=80}}、同書の作品リストでも小野寺の発言に合わせて第13話以降が小野寺と明記している。}} - [[小野寺えい子]]
* バトルコサック(代役){{R|20th83}}、エゴス怪人{{R|Shibahara2}}、カットマン{{R|Shibahara|20th83}}、バトルフィーバーロボ(一部){{R|Shibahara2|20th83}} - [[柴原孝典]]
* タマゴ怪人{{Sfn|東映HM10|2004|p=80}} - 沢田祥二
* エゴス怪人(ゼニゲバ怪人ほか){{R|仮面俳優181}} - [[竹田道弘]]
* バトルフィーバーロボ{{R|20th83}} - 藤川聡
* その他 - [[城谷光俊]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20190330051747/http://sports.geocities.jp/kenbukai_004/p_shiroya.htm |title=SAP剣武会 城谷光俊 プロフィール |access-date=2023/10/14}}</ref>
== スタッフ ==
* 原作 - [[八手三郎]]
* 連載 - [[テレビマガジン]]、[[おともだち]]、[[たのしい幼稚園 (雑誌)|たのしい幼稚園]]、[[テレビランド]]、[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]
* 脚本 - [[高久進]]、[[上原正三]]、[[江連卓]]、[[曽田博久]]
* プロデューサー - 落合兼武・菅野哲夫(41話-)(テレビ朝日)、[[吉川進]]・[[折田至]](東映)
* 音楽 - [[渡辺宙明]]
* 演奏 - コロムビア・[[オーケストラ]]([[日本コロムビア|コロムビアレコード]] SCS-468)、マジカルスペース・オーケストラ(コロムビアレコード CQ-7019)
* 撮影 - 加藤弘章、相原義晴、[[いのくままさお]]、石橋英敏
* 照明 - 中川勇雄、吉岡伝吉、富樫広哉、石垣敏雄、富樫政雄
* 美術 - 井上明、森田ふみよし
* 録音 - 上出栄二郎、佐藤修一、広上益弘
* 効果 - [[大泉音映#阿部作二|阿部作二]]
* 選曲 - 石川孝
* 編集 - 松谷正雄、成島一城
* 助監督 - 稲垣信明、[[坂本太郎 (テレビドラマ監督)|坂本太郎]]、服部和史、[[青木弘司]]、[[小中肇]]
* 計測 - 黒須健雄、小林啓二、内田正司、石山信雄、小泉貴一
* 記録 - 石川和枝、南口倫子、栗原節子、福島勇子
* 進行 - 沼尾和典、桐山勝、長橋勇、奈良場稔
* 装置 - 紀和美建
* 操演 - 佐藤幹雄
* 美粧 - 太陽かつら
* 衣裳 - 鷹志衣裳
* 技斗 - [[高橋一俊]]([[オフィス・ビッグ|ビッグアクション]])、[[金田治]]([[ジャパンアクションエンタープライズ|ジャパン・アクションクラブ]])
* 視覚効果 - デン・フィルム・エフェクト
* 合成 - [[日本映像クリエイティブ|チャンネル16]]
* 現像 - [[東映ラボ・テック|東映化学]]
* キャラクターデザイン - [[企画者104]]
** ヒーローデザイン原案 - [[開田裕治]](ジャパン、ケニア、アメリカ)、久保宗雄(フランス、コサック)
** 怪人デザイン - 久保宗雄、[[野口竜]]、[[SYUFO|板橋しゅうほう]]、増尾隆之
* キャラクター制作 - [[エキスプロダクション]]
* メカニック制作 - [[ヒルマモデルクラフト]]
* オートバイ協力 - [[スズキ (企業)|鈴木自動車]]
* 車輌協力 - [[マツダ|MAZDA]]
* 振付 - 清水秀男
* 舞踊 - 国際アートダンサーズ
* 特撮 - [[特撮研究所]]
** 操演 - [[鈴木昶]]
** 美術 - [[大澤哲三]]
** 撮影 - 高橋政千
** 照明 - 日出明義
** 特撮監督 - [[矢島信男]]、[[佐川和夫]]
* 監督 - [[竹本弘一]]、広田茂穂、[[山田稔 (テレビドラマ監督)|山田稔]]、平山公夫
* 制作 - [[テレビ朝日]]、[[東映]]、[[東映エージエンシー]]
== 音楽 ==
本作品の劇伴曲は、シリーズでは初めて[[レコード]]化を前提として[[ステレオ]]で録音された。楽曲は複数の曲を繋いで1トラックとする[[組曲]]形式で録音され、『組曲バトルフィーバーJ』のタイトルで発売された。曲がクロスフェードしている箇所もあり、単純に曲ごとに切り離しただけでは映像に合わせるのに不都合が生じてしまうため、映像では各トラックを曲ごとに[[ミキシング|トラックダウン]]し直し、モノラルに変換したものを使用している<ref>『バトルフィーバーJ MUCIC COLLECTION』(1996年、[[日本コロムビア]])の[[ライナーノーツ]]より。</ref>。ただし、組曲に含まれない曲は従来通りモノラルで録音されている。
組曲形式で録音する都合上、楽曲がトラックごとに一つの流れを作る形にしなければならないという作曲上の制約があり、そのため楽曲の絶対数が不足してしまうという事態が発生した。組曲に含まれない曲を加えても曲数の不足を補いきれず、また不足分を補うための追加録音も行われなかった。
そのため、渡辺宙明が過去に作曲した楽曲を流用することで不足分を補っている。このようなケース自体は当時は珍しくなかったが、本作品ではペンタフォース([[人造人間キカイダー]] M-51)やクロスフィーバー([[五番目の刑事]] M-25)、電光剣・唐竹割り([[イナズマン]] M-12T2、同作品の予告編用楽曲)といった必殺技のテーマ曲がことごとく過去作品からの流用である点が特徴になっている。巨大ロボット戦の描写として『[[大鉄人17]]』からも多くが流用されている。
本作品の歌曲は、一部の曲に存在する別バージョンを除く全5曲とシリーズ中最少であり、また放送当時は作品単体でのアルバムには収録されなかったが、「明日の戦士たち」を除く挿入歌2曲は主題歌を含めた[[シングル]]盤として発売された。
また本作品より、[[大泉音映]]の前身である[[東映東京撮影所|東映大泉撮影所録音部]]の阿部作二が効果技師として参加、以降20年以上にわたってスーパー戦隊シリーズの[[効果音]]を手掛けた。
; [[主題歌]]
: 第2話まではオープニングとエンディングの両方にクレジットされたが、第3話以降はエンディングにのみクレジットされる。
:; オープニングテーマ「バトルフィーバーJ」
:: 作詞:[[山川啓介]] / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:[[MoJo]]、[[音羽ゆりかご会|コロムビアゆりかご会]]、[[フィーリング・フリー]]
::* 当初録音されたものが「やや軽い感じになってしまうから」という理由で[[NG (放送用語)|NG]]となり、フィーリング・フリーによる[[スキャット]]を減らす形で再録音された{{Sfn|東映スーパー戦隊大全2003|p=239}}{{efn|『バトルフィーバーJ MUSIC COLLECTION』(日本コロムビア、1996年)のライナーノーツには「スキャット以外は同じ」という記述があるが、実際はMoJoのボーカルも異なり、『東映戦隊ヒーロー バトルミュージックコレクション』(日本コロムビア、1997年)の楽曲解説で言及されている。}}。ただし、NGバージョンは一部のエピソードで挿入歌として使用されたほか、初期の予告編音楽としても使用されている。NGバージョンは音源が行方不明になっていた時期があったが、[[1997年]]に[[音源]]が発見され、『バトルフィーバーJ〜オルターネートヴァージョン〜』のタイトルで、『東映戦隊ヒーロー [[バトルミュージックコレクション]]』(COCC-14061 [[日本コロムビア]])に収録された。この他[[キングレコード]]からは、[[たいらいさお]]が歌うカバー版が存在する。
:; エンディングテーマ「勇者が行く」
:: 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:MoJo
::* 当初は「明日の戦士たち」がエンディングテーマとなる予定だったが、同曲がNGになったため急遽製作された。テレビサイズはイントロが短く、終わり方がフルサイズと異なる。
:
; 挿入歌
:; 「バトルフィーバー大出撃」(第23話、24話、26話、31話、35話)
:: 作詞:[[保富康午]] / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:[[水木一郎]]、[[こおろぎ'73]]、コロムビアゆりかご会
:: 当時発売された音源ではテンポが変わる部分に水木一郎のセリフが被せられているが、このセリフがないバージョンも音源として残されており、劇中で使われている。
:; 「バトルフィーバー讃歌」(第23話)
:: 作詞:保富康午 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:水木一郎、こおろぎ'73、コロムビアゆりかご会
:; 「明日の戦士たち」(第22話、40話、46話、47話、49話、52話)
:: 作詞:山川啓介 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:MoJo、こおろぎ'73
::* 前述のように本来はエンディングテーマとして作られた歌のため、テレビサイズも録音されている。劇中では中盤以降物語のクロージングとして多用されたが、放送当時は発売されず、[[1996年]]に発売された『バトルフィーバーJ MUSIC COLLECTION』で初商品化となった。
== 放送日程 ==
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size: smaller;"
|-
!放送日!!放送回!!サブタイトル!!登場怪人・エゴスの構成員!!登場悪魔ロボット!!脚本!!監督
!備考
|-
|style="text-align: right;"|1979年{{0}}2月{{0}}3日
|1
|突撃!! 球場へ走れ
|style="text-align: left;"|
* コウモリ怪人(声 - [[大宮悌二]])
* キバジシ怪人
||-
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="2"|竹本弘一
|初回放送時のヘッダー指揮官役は潮健志だったが地方局、再放送では石橋雅史に差し替えられた(2、3、5、7回も同様)
|-
|style="text-align: right;"|2月10日
|2
|エゴス怪人製造法
|style="text-align: left;"|
* キバジシ怪人(声 - 大宮悌二)
||-
|style="text-align: left;"|上原正三
|
|-
|style="text-align: right;"|2月17日
|3
|スパイを探せ!
|style="text-align: left;"|
* デスマスク怪人(声 - [[曽我町子]])
||-
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|
|-
|style="text-align: right;"|2月24日
|4
|超魔力の罠だ!
|style="text-align: left;"|
* ネンリキ怪人(声 - 石橋雅史)
||-
|style="text-align: left;"|上原正三
|差し替えはなかったが地方局、再放送では潮健志のクレジットは削除された
|-
|style="text-align: right;"|3月{{0}}3日
|5
|ロボット大空中戦
|style="text-align: left;"|
* バッファロー怪人(声 - [[渡部猛]])
|style="text-align: left;"|
* バッファローロボット
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="2"|竹本弘一
|佐藤たくみ、吉宮慎一未出演。悪魔ロボット初登場
|-
|style="text-align: right;"|3月10日
|6
|万能戦艦発進せよ
|style="text-align: left;"|
* ドグウ怪人(声 - 渡部猛)
|style="text-align: left;"|
* ドグウロボット
|style="text-align: left;"|上原正三
|吉宮慎一降板。差し替えはなかったが地方局、再放送では潮健志のクレジットは削除された
|-
|style="text-align: right;"|3月17日
|7
|お家が燃える!
|style="text-align: left;"|
* 火の玉怪人(声 - [[清川元夢]])
|style="text-align: left;"|
* 火の玉ロボット
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|東千代之介、司ゆり、佐藤たくみ未出演。京田尚子が九太郎の声でレギュラー入り。この回まで初回放送時のヘッダー指揮官役は潮健志
|-
|style="text-align: right;"|3月24日
|8
|鉄腕エースの謎
|style="text-align: left;"|
* スポーツ怪人(声 - [[杉義一]])
|style="text-align: left;"|
* スポーツロボット
|style="text-align: left;"|上原正三
|efn|東千代之介、石橋雅史未出演
|-
|style="text-align: right;"|3月31日
|9
|氷の国の女
|style="text-align: left;"|
* ツララ怪人(声 - [[坂井寿美江|坂井すみ江]])
|style="text-align: left;"|
* ツララロボット
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="2"|竹本弘一
|佐藤たくみ未出演。初回放送時から石橋雅史がヘッダー指揮官役に
|-
|style="text-align: right;"|4月{{0}}7日
|10
|ナウマン象を見た
|style="text-align: left;"|
* ナウマン怪人(声 - [[依田英助]])
|style="text-align: left;"|
* ナウマンロボット
|style="text-align: left;"|上原正三
|
|-
|style="text-align: right;"|4月14日
|11
|ペット誘拐大事件
|style="text-align: left;"|
* コブラ怪人(声 - [[青森伸]])
|style="text-align: left;"|
* コブラロボット
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|佐藤たくみ未出演。
|-
|style="text-align: right;"|4月21日
|12
|呪い殺法バラ吹雪
|style="text-align: left;"|
* 怪人バラリンカ(演 - [[潤真理子]])
|style="text-align: left;"|
* バラリンカロボット{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=116}}{{R|gahou75|30dai305|20th25}}}}{{efn|資料によっては「バラロボ」{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|pp=48・60}}」と記述している。}}(演:潤真理子)
|style="text-align: left;"|江連卓
|
|-
|style="text-align: right;"|4月28日
|13
|金の卵と目玉焼き
|style="text-align: left;"|
* タマゴ怪人(声 - 大宮悌二)
|style="text-align: left;"|
* タマゴロボット
|style="text-align: left;" rowspan="2"|上原正三
|style="text-align: left;" rowspan="2"|山田稔
|
|-
|style="text-align: right;"|5月{{0}}5日
|14
|美女と野獣の結婚
|style="text-align: left;"|
* ギンガ怪人(声 - 大宮悌二)
|style="text-align: left;"|
* ギンガロボット
|
|-
|style="text-align: right;"|5月12日
|15
|エゴスの地獄料理
|style="text-align: left;"|
* カタツムリ怪人(声 - 渡部猛)
|style="text-align: left;"|
* カタツムリロボット
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="2"|竹本弘一
|東千代之介、佐藤たくみ未出演。司ゆり降板
|-
|style="text-align: right;"|5月19日
|16
|格闘技!闇の女王
|style="text-align: left;"|
* 格闘技怪人(演 - [[大前均|大前鈞]])
|style="text-align: left;"|
* 格闘技ロボット(演 - 大前鈞)
|style="text-align: left;"|江連卓
|東千代之介、佐藤たくみ未出演。菅野啓子レギュラー入り
|-
|style="text-align: right;"|5月26日
|17
|{{Ruby|怪物|モンスター}}マシンを奪え
|style="text-align: left;"|
* 青スジ怪人(声 - 大宮悌二)
|style="text-align: left;"|
* 青スジロボット
|style="text-align: left;" rowspan="2"|上原正三
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|東千代之介、伊東範子、佐藤たくみ未出演
|-
|style="text-align: right;"|6月{{0}}2日
|18
|鳩よ悪の巣へ急げ
|style="text-align: left;"|
* マグネット怪人(声 - 大宮悌二)
|style="text-align: left;"|
* マグネットロボット
|東千代之介、伊東範子、佐藤たくみ未出演
|-
|style="text-align: right;"|6月{{0}}9日
|19
|世界最強の美女!!
||-
||-
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="2"|竹本弘一
|マキ上田レギュラー入り
|-
|style="text-align: right;"|6月16日
|20
|危険な幽霊狩り
|style="text-align: left;"|
* ギザ歯怪人(声 - 青森伸)
|style="text-align: left;"|
* ギザ歯ロボット
|style="text-align: left;"|曽田博久
|佐藤たくみ24話まで未出演。
|-
|style="text-align: right;"|6月23日
|21
|恐竜半島へ突撃!!
|style="text-align: left;" rowspan="2"|
* 恐竜怪人(声 - 渡部猛)
* ゼロワン{{R|全怪獣372|30dai250305}}{{efn|name="ゼロ"|資料によっては、名称を''''ゼロ1・ゼロ2'''と表記している{{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen44|gahou72|20th24}}}}。}}(演 - [[賀川ゆき絵|賀川雪絵]])
* ゼロツー{{R|全怪獣372|30dai250305}}{{efn|name="ゼロ"}}(演 - [[美川利恵]])
||-
|style="text-align: left;" rowspan="2"|上原正三
|style="text-align: left;" rowspan="2"|山田稔
|
|-
|style="text-align: right;"|6月30日
|22
|女スパイ団の逆襲
|style="text-align: left;"|
* 恐竜ロボット
|
|-
|style="text-align: right;"|7月{{0}}7日
|23
|決戦!! 怪人総登場
|style="text-align: left;"|
* ゴースト怪人(声 - [[政宗一成]])
|style="text-align: left;"|
* ゴーストロボット
|style="text-align: left;" rowspan="2"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="3"|竹本弘一
|
|-
|style="text-align: right;"|7月14日
|24
|涙!ダイアン倒る
|style="text-align: left;"|
* ドラキュラ怪人(声 - 依田英助)
|style="text-align: left;"|
* ドラキュラロボット
|ダイアン・マーチン降板。萩奈穂美レギュラー入り
|-
|style="text-align: right;"|7月21日
|25
|撮影所は怪奇魔境
|style="text-align: left;"|
* 魔術怪人(声 - [[丸山詠二]])
||-
|style="text-align: left;"|上原正三
|
|-
|style="text-align: right;"|7月28日
|26
|包帯男の仮面報告
|style="text-align: left;"|
* ホウタイ怪人(声 - [[岩城和男]])
|style="text-align: left;"|
* ホウタイロボット
|style="text-align: left;"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|佐藤たくみ未出演。
|-
|style="text-align: right;"|8月{{0}}4日
|27
|初恋泥棒にご用心
|style="text-align: left;"|
* 黒仮面怪人(声 - [[加藤精三 (声優)|加藤精三]])
||-
|style="text-align: left;" rowspan="2"|上原正三
|佐藤三千代が準レギュラーに(29話、46話にも出演)
|-
|style="text-align: right;"|8月11日
|28
|謎のボートを追え
|style="text-align: left;"|
* クラゲウニ怪人(声 - 政宗一成)
|style="text-align: left;"|
* クラゲウニロボット
|style="text-align: left;" rowspan="2"|竹本弘一
|
|-
|style="text-align: right;"|8月18日
|29
|見たか!? 口裂け女
|style="text-align: left;"|
* 口裂け怪人(声 - 坂井すみ江)
|style="text-align: left;"|
* 口裂けロボット
|style="text-align: left;"|江連卓
|佐藤たくみ未出演。
|-
|style="text-align: right;"|8月25日
|30
|悪食雑食の料理長
|style="text-align: left;"|
* ヘンショク怪人(声 - [[和田周]])
|style="text-align: left;"|
* ヘンショクロボット
|style="text-align: left;" rowspan="2"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="2"|山田稔
|
|-
|style="text-align: right;"|9月{{0}}1日
|31
|激走トラック兄妹
|style="text-align: left;"|
* ゼニゲバ怪人(声 - 丸山詠二)
|style="text-align: left;"|
* ゼニゲバロボット
|石橋雅史未出演(クレジットあり)、佐藤たくみ未出演。
|-
|style="text-align: right;"|9月{{0}}8日
|32
|ふるさと殺人村
|style="text-align: left;"|
* ミミズ怪人(声 - 大宮悌二)
|style="text-align: left;"|
* ミミズロボット
|style="text-align: left;" rowspan="5"|上原正三
|style="text-align: left;" rowspan="2"|竹本弘一
|
|-
|style="text-align: right;"|9月15日
|33
|コサック愛に死す
|style="text-align: left;"|
* イーグル怪人(声 - 大宮悌二)
|style="text-align: left;"|
* イーグルロボット
|伊藤武史降板。伴直弥レギュラー入り
|-
|style="text-align: right;"|9月22日
|34
|地獄で笑う闇将軍
|style="text-align: left;"|
* セミキラー怪人(声 - 依田英助)
|style="text-align: left;"|
* セミキラーロボット
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|
|-
|style="text-align: right;"|9月29日
|35
|腹ペコ大パニック
|style="text-align: left;"|
* コダイギョ怪人(声 - 渡部猛)
|style="text-align: left;"|
* コダイギョロボット
|
|-
|style="text-align: right;"|10月{{0}}6日
|36
|爆破された結婚式
|style="text-align: left;"|
* バクダン怪人(声 - 大宮悌二)
|style="text-align: left;"|
* バクダンロボット
|style="text-align: left;" rowspan="2"|平山公夫
|石橋雅史未出演
|-
|style="text-align: right;"|10月13日
|37
|電光剣対風車剣
|style="text-align: left;"|
* 四面怪人(声 - 大宮悌二)
|style="text-align: left;"|
* 四面ロボット
|style="text-align: left;"|江連卓
|石橋雅史、佐藤たくみ未出演
|-
|style="text-align: right;"|10月20日
|38
|怪奇!仮装行列
|style="text-align: left;"|
* ドクロキノコ怪人(声 - 政宗一成、人間態 - [[高木修平 (俳優)|高木修平]])
|style="text-align: left;"|
* ドクロキノコロボット
|style="text-align: left;"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="3"|竹本弘一
|伊東範子、菅野啓子、佐藤たくみ未出演
|-
|style="text-align: right;"|10月27日
|39
|悪魔になった友
|style="text-align: left;"|
* ハイド怪人(声 - 渡部猛)
|style="text-align: left;"|
* ハイドロボット
|style="text-align: left;"|上原正三
|
|-
|style="text-align: right;"|11月{{0}}3日
|40
|美人先生危機一髪
|style="text-align: left;"|
* ベンキョウ怪人(声 - 滝雅也)
|style="text-align: left;"|
* ベンキョウロボット
|style="text-align: left;" rowspan="2"|江連卓
|
|-
|style="text-align: right;"|11月10日
|41
|爆破寸前の大逆転
|style="text-align: left;"|
* カラクリ怪人(声 - [[細井雅男]])
||-
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|
|-
|style="text-align: right;"|11月17日
|42
|電気人間愛の火花
|style="text-align: left;"|
* デンキ怪人(声 - [[島田彰]])
|style="text-align: left;"|
* デンキロボット
|style="text-align: left;"|曽田博久
|佐藤たくみ44話まで未出演。
|-
|style="text-align: right;"|11月24日
|43
|暗殺者ジャッカル
|style="text-align: left;"|
* ゴロンゴ怪人(声 - 政宗一成)
|style="text-align: left;"|
* ゴロンゴロボット
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="3"|竹本弘一
|石橋雅史未出演(クレジットあり)
|-
|style="text-align: right;"|12月{{0}}1日
|44
|地獄谷の月影一族
|style="text-align: left;"|
* ゲンソウ怪人(声 - 坂井すみ江)、人間態(モンシロお蝶 / 演:[[春日イズミ]])
|style="text-align: left;"|
* ゲンソウロボット
|style="text-align: left;" rowspan="2"|江連卓
|
|-
|style="text-align: right;"|12月{{0}}8日
|45
|心臓停止五分前!
|style="text-align: left;"|
* シンゾウ怪人(声 - [[今西正男]])
|style="text-align: left;"|
* シンゾウロボット
|
|-
|style="text-align: right;"|12月15日
|46
|呪いのワラ人形
|style="text-align: left;"|
* ノロイ怪人(声 - 青森伸)
|style="text-align: left;"|
* ノロイロボット
|style="text-align: left;" rowspan="2"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|
|-
|style="text-align: right;"|12月22日
|47
|怪!謀略の草野球
|style="text-align: left;"|
* ヒダリテ怪人(声 - [[増岡弘]])
|style="text-align: left;"|
* ヒダリテロボット
|
|-
|style="text-align: right;"|12月29日
|48
|大盗賊と泥棒少年
|style="text-align: left;"|
* 大盗賊怪人(声 - 政宗一成)
|style="text-align: left;"|
* 大盗賊ロボット
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="3"|平山公夫
|佐藤たくみ未出演。
|-
|style="text-align: right;"|1980年{{0}}1月{{0}}5日
|49
|2年5組の反乱軍
|style="text-align: left;"|
* ハエジゴク怪人(声 - 滝雅也)
|style="text-align: left;"|
* ハエジゴクロボット
|style="text-align: left;" rowspan="4"|上原正三
|
|-
|style="text-align: right;"|1月12日
|50
|将軍を狙う覆面鬼
|style="text-align: left;"|
* ヘッダー指揮官
* オニヒゲ怪人(声 - 依田英助)
|style="text-align: left;"|
* オニヒゲロボット
|
|-
|style="text-align: right;"|1月19日
|51
|エゴス復活の儀式
|style="text-align: left;"|
* ヘッダー怪人 / ヘッダー指揮官
|style="text-align: left;"|
* ヘッダーロボット
* 幽霊ロボット{{R|gahou81|20th25}}{{efn|ドグウロボット・ギンガロボット・スポーツロボットの3体。資料によっては'''再生悪魔ロボ'''{{R|sentaitaizen46}}、'''再生ロボット'''{{R|30dai305}}と記述している。}}
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|石橋雅史、マキ上田降板
|-
|style="text-align: right;"|1月26日
|52
|英雄たちの{{Ruby|交響曲|シンフォニー}}
|style="text-align: left;"|
* サタンエゴス
** 巨大サタンエゴス{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=116}}
* サロメ
* 怪人製造カプセル
||-
|
|}
== 放送局 ==
{{出典の明記|date=2019年6月|section=1}}
* [[テレビ朝日]](制作局):土曜 18:00 - 18:30
* [[北海道テレビ放送]]:土曜 18:00 - 18:30
* [[青森放送]]:木曜 17:30 - 18:00<ref>『[[デーリー東北]]』1979年10月11日付テレビ欄</ref>
* [[岩手放送]]
* [[秋田放送]]
* [[山形放送]]
* [[東日本放送]]:土曜 18:00 - 18:30<ref>『[[河北新報]]』朝刊1979年2月3日付テレビ欄</ref>
* [[福島中央テレビ]]:火曜 17:00 - 17:30<ref>『[[福島民報]]』朝刊1979年2月20日付テレビ欄</ref>
* [[新潟放送]]:金曜 17:30 - 18:00<ref>『福島民報』朝刊1979年10月26日付テレビ欄</ref>
* [[山梨放送]]
* [[北陸放送]]:金曜 17:00 - 17:30(1979年3月30日ネット開始)<ref>『[[北國新聞]]』朝刊1979年3月30日付テレビ欄</ref>
* [[福井テレビジョン放送|福井テレビ]]:木曜 17:25 - 17:55<ref>『北國新聞』朝刊1979年5月3日付テレビ欄</ref>
* [[静岡朝日テレビ|静岡けんみんテレビ]](現:静岡朝日テレビ):金曜 17:00 - 17:30(1979年2月16日ネット開始)<ref>『[[静岡新聞]]』朝刊1979年2月16日付テレビ欄</ref>後に土曜 18:00 - 18:30<ref>『静岡新聞』朝刊1979年7月7日付テレビ欄</ref>
* [[名古屋テレビ放送|名古屋放送]](現:名古屋テレビ):土曜 18:00 - 18:30<ref>『[[中日新聞]]』朝刊1979年2月3日付テレビ欄</ref>
* [[朝日放送テレビ|朝日放送]](現:朝日放送テレビ):金曜 17:30 - 18:00
* [[日本海テレビジョン放送]]
* [[岡山放送]](1979年3月まで)
** [[瀬戸内海放送]](1979年4月 - 1980年1月)
* [[広島ホームテレビ]]:土曜 18:00 - 18:30
* [[テレビ山口]]
* [[四国放送]]
* [[テレビ愛媛|愛媛放送]](現:テレビ愛媛)
* [[テレビ高知]]
* [[九州朝日放送]]:土曜 18:00 - 18:30
* [[長崎放送]]
* [[テレビ熊本]]
* [[大分放送]]
* [[宮崎放送]]:木曜 17:30 - 18:00
* [[鹿児島テレビ放送]]
* [[琉球放送]]
== 他媒体展開 ==
<!--[[プロジェクト‐ノート:特撮]]での議論に基づく形式にしています。反対意見があれば[[プロジェクト‐ノート:特撮]]に意見をください。-->
=== 映像ソフト化 ===
いずれも[[東映ビデオ]]より発売。
; [[VHS]](セル・レンタル共通)
: 第8話のみがリリースされた。
; [[レーザーディスク]]
: [[1999年]][[6月21日]]から[[2000年]]6月21日にかけて、初の全話収録形式のソフト化として発売された<ref>{{Cite book|和書|date = 2000-04-20|title = 宇宙船YEAR BOOK 2000|series = [[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]別冊|publisher = [[朝日ソノラマ]] |page = 62 |chapter = '99TV・映画 特撮DVD・LD・ビデオ&CD |id = 雑誌コード:01844-04}}</ref><ref>{{Cite book|和書|date = 2001-04-30|title = 宇宙船YEAR BOOK 2001|series = 宇宙船別冊|publisher = 朝日ソノラマ |page = 66 |chapter = 2000TV・映画 特撮DVD・LD・ビデオ&CD |id = 雑誌コード:01844-04}}</ref>。全7巻の各2枚組で各巻8話(Vol.7のみ1枚・4話)収録。
; [[DVD]]
: [[2007年]][[2月21日]]から同年6月21日にかけて発売された。一時期絶版状態となっていたが、[[2012年]][[9月21日]]に全戦隊DVDコンプリート化に伴い生産が再開された。全5巻の各2枚組で各巻11話(Vol.4は10話、Vol.5は9話)収録。
: 前後の作品のDVD化が[[2003年]]から[[2004年]]にかけてなされたのに対し、本作品はそれより間を置いてのリリースとなっており、2003年時点では発売未定と発表されていた<ref>{{Cite journal |和書|date=2003-05-01 |title=DVD & VIDEO Selection |journal=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]] |volume=Vol.106 |issue=(2003年5月号) |page=88 |publisher=朝日ソノラマ |id=雑誌コード:01843-05}}</ref>。
: また劇場公開版はDVD第5巻の映像特典となったほか、同年12月発売の『東映特撮ヒーロー THE MOVIE BOX』および[[2009年]][[11月21日]]の『東映特撮ヒーロー THE MOVIE Vol.5』にも収録された。
; [[Blu-ray Disc|Blu-ray]]
: [[2021年]][[4月14日]]発売の『スーパー戦隊一挙見Blu-ray 1975 - 1981』に計6話{{efn|第1・5・24・33・50・52話。}}が収録されている<ref>[https://www.toei-video.co.jp/special/supersentai-ikkyo/ 東映ビデオ:「スーパー戦隊一挙見Blu-ray」特集]</ref>。
<!--以下の各作品ともリンク先を見ればわかるため、詳細は書かないでください。-->
=== 他テレビシリーズ ===
; 『[[太陽戦隊サンバルカン]]』
: 第44話「大脱走・ヘリ爆破」の作中で新兵器の設計図として、バトルフィーバーロボが描かれた設計図が登場。
; 『[[高速戦隊ターボレンジャー]]』
: 第1話(特別編)「10大戦隊集合 頼むぞ!ターボレンジャー」で、バトルフィーバーJの5人が登場。前述の事情により、ピンクターボから「初代スーパー戦隊」として紹介されている。
; 『[[未来戦隊タイムレンジャー]]』
: 第51話(特別総集編)「スーパー戦隊大集合」で、タイムレンジャー5人がタイムジェットで本作品の世界を見に来たという設定で、本作品の映像が流用されている。
; 『[[海賊戦隊ゴーカイジャー]]』
: 第44話にて曙四郎が登場。
=== 映画作品 ===
; 『バトルフィーバーJ<!--副題なし-->』
: [[1979年]][[7月21日]]、「[[東映まんがまつり]]」内で公開(ただし一部地域のみ)。
: テレビシリーズ第5話「ロボット大空中戦」のブローアップ版。劇場用新作は作られなかった。スーパー戦隊シリーズにおいて、1話分をブローアップして劇場公開したケースは本作品が最後となる{{efn|テレビシリーズのブローアップ版自体は、本作品以降も『[[超新星フラッシュマン#劇場版|超新星フラッシュマン 大逆転!タイタンボーイ]]』([[1987年]][[3月14日]]公開)が存在するが、同作品は複数のエピソードを再編集したものである。}}。
; 『[[ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦]]』および『[[仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦]]』
: バトルフィーバーの5人(『199ヒーロー大決戦』はバトルフィーバーロボも含む)が登場。
; 『[[海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE 空飛ぶ幽霊船]]』
: カットマンが登場。
; 『[[海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン THE MOVIE]]』
: 曙四郎 / バトルケニアが登場。
; 『[[仮面ライダー×スーパー戦隊 超スーパーヒーロー大戦]]』
: バトルジャパンが登場。
; 『[[機界戦隊ゼンカイジャー THE MOVIE 赤い戦い! オール戦隊大集会!!]]』
: 『[[機界戦隊ゼンカイジャー]]』の劇場作品。バトルジャパンが登場。
=== 漫画作品 ===
放送当時の雑誌展開は[[徳間書店]]の『[[テレビランド]]』が中心で、[[小学館]]の『[[てれびくん]]』では一切掲載されなかったが、次々作『太陽戦隊サンバルカン』が放送された1981年以降からは『てれびくん』でもブロマイド商品他などの写真が掲載されるようになった。
; 『テレビランド』1979年3月号 - 1980年3月号
: 画 - [[細井雄二]]
: おおむねテレビシリーズに沿った展開だが、コサックが殉職する回はオリジナル怪人・セミダラーが登場する{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=242}}。
: 単行本は[[大都社]]Stコミックス電子戦隊デンジマンに併録。
; 『テレビマガジン』1979年3月号 - 1980年2月号
: 画 - [[津原義明]]
: テレビシリーズのエゴス怪人は登場せず、正夫がアマチュアからのスカウトだったりなど初期設定も大きく異なる。最後はヘッダーとの決戦で締めくくられた{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=242}}。
; 『[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]』1979年3月号 - 1980年2月号
: 画 - [[古城武司]]
: 唯一バトルフィーバーロボが登場する漫画作品。またテレビシリーズとは異なり、初代ミスアメリカが作中にて本当に命を落としている{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=242}}。
=== オリジナルビデオ・オリジナルDVD ===
; 『[[百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊]]』
: バトルジャパン、バトルシャークが登場。
; 『[[轟轟戦隊ボウケンジャーVSスーパー戦隊]]』
: バトルジャパンが写真のみ登場。
; 『[[機界戦隊ゼンカイジャーVSキラメイジャーVSセンパイジャー]]』
: バトルケニアが登場。
== CS放送・ネット配信 ==
; CS放送
* [[東映チャンネル]]
**[[2006年]][[6月]] - [[12月]]
**[[2008年]][[11月]] - [[2009年]][[4月]]
**[[2021年]][[5月]] - [[11月]]
**[[2022年]][[3月]] -
** 上記のうち、2回目は「アンコールアワー」枠、それ以外は「スーパー戦隊ワールド」枠にてそれぞれ放送。また3回目以降はHD画質での放送となる<ref>{{Cite web|和書|title=東映チャンネル {{!}} バトルフィーバーJ 3月3日 放送スタート!毎週(火)7:00~8:00 |url=https://www.toeich.jp/program/1TT000003106/202204 |website=東映チャンネル |accessdate=2022-03-04 |language=ja}}</ref>。
; ネット配信
* 東映特撮 [[YouTube]] Official
**[[2013年]][[10月28日]] - [[2014年]][[4月27日]]
**[[2015年]][[12月19日]] - [[2016年]][[6月18日]]
**[[2023年]][[12月5日]] -
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 参照話数 ===
{{Reflist|group="ep"|3
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<ref name="1話">第1話。</ref>
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=== 出典 ===
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<ref name="マーチャンダイジングライツレポート">{{Cite journal|和書 |date=1978-12-01 |editor=河野 詮 |title=キャラクター情報 |journal=マーチャンダイジングライツレポート |issue=1978年12月号 |pages=4-5 |publisher=商品化権資料センター}}</ref>
<ref name="大全集4">{{Harvnb|大全集|1988|pp=4-5|loc=「バトルフィーバーJ」}}</ref>
<ref name="大全集5204">{{Harvnb|大全集|1988|pp=5、204}}</ref>
<ref name="大全集8">{{Harvnb|大全集|1988|pp=8-9|loc=「始動するスーパーメカニック」}}</ref>
<ref name="大全集162">{{Harvnb|大全集|1988|pp=162-163|loc=「新シリーズの開発 バトルフィーバーJ」}}</ref>
<ref name="大全集204">{{Harvnb|大全集|1988|p=204|loc=「スーパー戦隊全戦力データ バトルフィーバーJ」}}</ref>
<ref name="全怪獣370">{{Harvnb|全怪獣怪人 上|1990|p=370|loc=「バトルフィーバーJ」}}</ref>
<ref name="全怪獣372">{{Harvnb|全怪獣怪人 上|1990|p=372|loc=「エゴスとは」}}</ref>
<ref name="超世紀154">{{Harvnb|大全集|1993|p=154|loc=「戦隊20年の戦い シリーズの変遷 設定の変化 バトルフィーバーJ」}}</ref>
<ref name="超世紀170">{{Harvnb|大全集|1993|p=170|loc=「超世紀全戦隊メカニックファイル」}}</ref>
<ref name="超人画報">{{Cite book|和書|editor=竹書房/イオン編|date=1995-11-30|title=超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み|publisher=[[竹書房]]|pages=22、152|id=C0076|isbn=4-88475-874-9}}</ref>
<ref name="material8">{{Harvnb|完全マテリアルブック 上巻|2002|pp=8-11|loc=「バトルフィーバーJ」}}</ref>
<ref name="material15">{{Harvnb|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=15}}</ref>
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<ref name="sentaitaizen38">{{Harvnb|東映スーパー戦隊大全|2003|pp=38-39|loc=「バトルフィーバーロボ」}}</ref>
<ref name="sentaitaizen44">{{Harvnb|東映スーパー戦隊大全|2003|p=44|loc=「女幹部サロメ / 女スパイ団ゼロ1 ゼロ2」}}</ref>
<ref name="sentaitaizen46">{{Harvnb|東映スーパー戦隊大全|2003|pp=46-55|loc=「エゴス怪人SECRET FILE」}}</ref>
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<ref name="sentaitaizen74">{{Harvnb|東映スーパー戦隊大全|2003|p=74}}</ref>
<ref name="sentaitaizen81">{{Harvnb|東映スーパー戦隊大全|2003|p=81}}</ref>
<ref name="sentaitaizen250">{{Harvnb|東映スーパー戦隊大全|2003|p=250}}</ref>
<ref name="gahou64">{{Harvnb|スーパー戦隊画報|2005|pp=64-65|loc=「バトルフィーバー隊」}}</ref>
<ref name="gahou66">{{Harvnb|スーパー戦隊画報|2005|pp=66-67|loc=「リズムに乗って闘う戦士たち」}}</ref>
<ref name="gahou69">{{Harvnb|スーパー戦隊画報|2005|pp=69-71|loc=「Mechanics」}}</ref>
<ref name="gahou72">{{Harvnb|スーパー戦隊画報|2005|pp=72-73|loc=「秘密結社エゴス」}}</ref>
<ref name="gahou75">{{Harvnb|スーパー戦隊画報|2005|p=75}}</ref>
<ref name="gahou81">{{Harvnb|スーパー戦隊画報|2005|p=81}}</ref>
<ref name="30dai247">{{Harvnb|30大スーパー戦隊超全集|2007|p=247|loc=「バトルフィーバーJの個人武器」}}</ref>
<ref name="30dai248">{{Harvnb|30大スーパー戦隊超全集|2007|p=248|loc=「バトルフィーバーJの合同武器」}}</ref>
<ref name="30dai249">{{Harvnb|30大スーパー戦隊超全集|2007|p=249|loc=「バトルフィーバーJのロボ」}}</ref>
<ref name="30dai250305">{{Harvnb|30大スーパー戦隊超全集|2007|pp=250、305}}</ref>
<ref name="30dai305">{{Harvnb|30大スーパー戦隊超全集|2007|p=305|loc=「30大スーパー戦隊全エピソードガイド バトルフィーバーJ」}}</ref>
<ref name="超合金の男">{{Cite book |和書 |author=小野塚謙太 |chapter= 6 スーパー戦隊の誕生I 実写ロボは「あおり」だ!|date=2009-04-10 |isbn = 978-4-04-867798-1 |pages=92-94 |publisher= [[アスキー・メディアワークス]] |series=アスキー新書 105 |title=カラー版 超合金の男-村上克司伝-}}</ref>
<ref name="百化17">{{Harvnb|百化繚乱 上之巻|2011|p=17}}</ref>
<ref name="百化86">{{Harvnb|百化繚乱 上之巻|2011|p=86}}</ref>
<ref name="仮面俳優133">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=133-142|loc=「第4章 東映ヒーロー史に刻み込まれた匠の技と業 12 [[日下秀昭]]」}}</ref>
<ref name="仮面俳優153">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=153-162|loc=「第4章 東映ヒーロー史に刻み込まれた匠の技と業 14 [[喜多川2tom|喜多川務(2tom)]]」(東映ヒーローMAX vol.39掲載)}}</ref>
<ref name="仮面俳優181">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=181-190|loc=「第5章 プレイヤーからアクション監督への転身 17 [[竹田道弘]]」}}</ref>
<ref name="仮面俳優209">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=209-221|loc=「第6章 現場に帰還した伝説のリアルヒーロー 20 [[大葉健二]]」(東映ヒーローMAX vol.37掲載)}}</ref>
<ref name="特撮全史">{{Harvnb|特撮全史|2016|pp=104-105|loc=「バトルフィーバーJ」}}</ref>
<ref name="21st1">{{Harvnb|21st 1|2017|pp=28-30|loc=「特集企画 スーパー戦隊その極意 Volume1 極彩色ヒーローのデザイン術」}}</ref>
<ref name="21st7">{{Harvnb|21st 7|2017|p=32|loc=「スーパー戦隊制作の裏舞台 [[喜多川2tom]]」}}</ref>
<ref name="21st15">{{Harvnb|21st 15|2017|p=30|loc=「特集企画 スーパー戦隊その極意 Volume15 ロボとその表現」}}</ref>
<ref name="20th05">{{Harvnb|20th1979|2019|p=5|loc=「INTERVIEW バトルフィーバーJの真実 吉川進」}}</ref>
<ref name="20th06">{{Harvnb|20th1979|2019|pp=6-7|loc=「バトルフィーバーJ」}}</ref>
<ref name="20th08">{{Harvnb|20th1979|2019|pp=8-9|loc=「伝正夫/バトルジャパン」}}</ref>
<ref name="20th10">{{Harvnb|20th1979|2019|pp=10-11|loc=「白石謙作/バトルコサック」}}</ref>
<ref name="20th12">{{Harvnb|20th1979|2019|pp=12-13|loc=「志田京介/バトルフランス」}}</ref>
<ref name="20th14">{{Harvnb|20th1979|2019|pp=14-15|loc=「曙四郎/バトルケニア」}}</ref>
<ref name="20th16">{{Harvnb|20th1979|2019|pp=16-17|loc=「ダイアン・マーチン/ミスアメリカ」}}</ref>
<ref name="20th18">{{Harvnb|20th1979|2019|p=18|loc=「汀マリア」}}</ref>
<ref name="20th19">{{Harvnb|20th1979|2019|p=19|loc=「神誠」}}</ref>
<ref name="20th20">{{Harvnb|20th1979|2019|pp=20-21|loc=「SPECIAL INTERVIEW '79 倉知成満」}}</ref>
<ref name="20th22">{{Harvnb|20th1979|2019|p=22|loc=「バトルフィーバー隊マシーン、メカニック」}}</ref>
<ref name="20th23">{{Harvnb|20th1979|2019|p=23|loc=「バトルフィーバーロボ」}}</ref>
<ref name="20th24">{{Harvnb|20th1979|2019|pp=24-25|loc=「秘密結社エゴス」}}</ref>
<ref name="20th25">{{Harvnb|20th1979|2019|pp=25-27|loc=「エゴス怪人、悪魔ロボット」}}</ref>
<ref name="20th81">{{Cite book|和書|editor=講談社|date=2018-08-25|title=スーパー戦隊 Official Mook 20世紀|volume-title=1981 [[太陽戦隊サンバルカン]]|publisher=[[講談社]]|series=講談社シリーズMOOK|pages=30-31|chapter=特集企画 スーパー戦隊の神業 JACの初期スーパー戦隊アクション|isbn=978-4-06-509606-2}}</ref>
<ref name="20th82">{{Cite book|和書|editor=講談社|date=2019-09-25|title=スーパー戦隊 Official Mook 20世紀|volume-title=1982 大戦隊ゴーグルV|publisher=講談社|series=講談社シリーズMOOK|page=31|chapter=特集企画 スーパー戦隊の神業 初期「スーパー戦隊」だけ!?巨大メカVS巨大敵!! 特撮一発芸|isbn=978-4-06-513707-9}}</ref>
<ref name="20th83">{{Cite book|和書|editor=講談社|date=2018-09-10|title=スーパー戦隊 Official Mook 20世紀|volume-title=1983 [[科学戦隊ダイナマン]]|publisher=[[講談社]]|series=講談社シリーズMOOK|page=32|chapter=スーパー戦隊制作の裏舞台 [[柴原孝典]]|isbn=978-4-06-509605-5}}</ref>
<ref name="20th86">{{Cite book|和書|editor=講談社|date=2019-05-24|title=スーパー戦隊 Official Mook 20世紀|volume-title=1986 [[超新星フラッシュマン]]|publisher=[[講談社]]|series=講談社シリーズMOOK|pages=32-33|chapter=スーパー戦隊制作の裏舞台のウラ 特別対談 [[村上克司]]×本郷武一|isbn=978-4-06-513714-7}}</ref>
<ref name="学研の図鑑16">{{Harvnb|学研の図鑑|2021|pp=16-17|loc=「バトルフィーバーJ」}}</ref>
<ref name="学研の図鑑40">{{Harvnb|学研の図鑑|2021|pp=40-41|loc=「バトルフィーバー隊のメカニック」}}</ref>
<ref name="TH4522">{{Harvnb|TH45|2022|p=22|loc=「バトルフィーバーJ」}}</ref>
<ref name="Shibahara">{{Cite web|和書|date=2006-02-09|url=https://web.archive.org/web/20140718041947/http://moon.ap.teacup.com/wild/39.html|title=「スタントマン7」|publisher=柴原孝典ブログ「危険請負人」|accessdate=2011-05-19}}</ref>
<ref name="Shibahara2">{{Cite web|和書|date=2006-02-11|url=https://web.archive.org/web/20140718033603/http://moon.ap.teacup.com/wild/44.html|title=「スタントマン10」|publisher=柴原孝典ブログ「危険請負人」|accessdate=2011-05-19}}</ref>
}}
=== 出典(リンク) ===
{{Reflist|group="出典"|2}}
== 参考文献 ==
* 大全集シリーズ([[講談社]])
**{{Cite book|和書|date=1988-04-25|title=スーパー戦隊大全集|publisher=講談社|isbn=4-06-178408-0|ref={{SfnRef|大全集|1988}}}}
**{{Cite book|和書|date=1993-11-14|title=[[テレビマガジン]]特別編集 戦隊シリーズ20周年記念 超世紀全戦隊大全集|publisher=講談社|isbn=4-06-178416-1|ref={{SfnRef|大全集|1993}}}}
* {{Cite book|和書|date = 1990-03-24|title = [[全怪獣怪人]]|publisher = [[勁文社]]|volume = 上巻|id=C0676|isbn = 4-7669-0962-3|ref={{SfnRef|全怪獣怪人 上|1990}}}}
* {{Cite book |和書|year = 2002|title = 25大スーパー戦隊シリーズ 完全マテリアルブック 上巻|publisher = [[勁文社]]|isbn = 4-7669-3975-1|ref = {{SfnRef|完全マテリアルブック 上巻|2002}}}}
* {{Cite book |和書|year = 2002|title = 25大スーパー戦隊シリーズ 完全マテリアルブック 下巻|publisher = 勁文社|isbn = 4-7669-4108-X|ref = {{SfnRef|完全マテリアルブック 下巻|2002}}}}
* {{Cite book |和書|year=2003|title=東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマン・サンバルカンの世界|publisher=[[双葉社]]|isbn=4-575-29520-5|ref = {{SfnRef|東映スーパー戦隊大全|2003}}}}
*{{Cite book|和書|others = 編集:[[井上嘉大]]|date = 2003-03-20|title = 全怪獣怪人大事典(上巻)東映篇|publisher = [[英知出版]]|isbn = 4-7542-2016-1|ref = {{SfnRef|全怪獣怪人・上|2003}}}}
* {{Cite journal |和書 |date=2004-09-10 |journal=東映ヒーローMAX |volume=VOL.10 |publisher=[[辰巳出版]]| isbn=4-7778-0061-X|ref={{SfnRef|東映HM10|2004}} }}
* {{Cite book|和書|date=2005-09-07|title=スーパー戦隊画報|volume=第1巻|publisher=[[竹書房]]|ISBN=4-8124-2219-1|ref={{SfnRef|スーパー戦隊画報1|2005}}}}
* {{Cite book|和書|date = 2006-04-25|title =決定版 全スーパー戦隊 完全超百科|publisher = 講談社|isbn = 4-06-304567-6|ref = {{SfnRef|完全超百科|2006}}}}
* {{Cite book|和書|others=構成 間宮“TAKI”尚彦|date=2007-03-08|title=30大スーパー戦隊[[超全集]]|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-105112-7|ref = {{SfnRef|30大スーパー戦隊超全集|2007}}}}
* {{Cite book|和書|date = 2011-05-25|title =決定版 全スーパー戦隊 パーフェクト超百科|publisher = 講談社|isbn = 978-4-06-304815-5|ref = {{SfnRef|パーフェクト超百科|2011}}}}
*{{Cite book|和書|date=2011-12-15|title=東映スーパー戦隊シリーズ35作品記念公式図録 百化繚乱 [上之巻] 戦隊怪人デザイン大鑑 1975-1995|publisher=グライドメディア|isbn=978-4-8130-2163-6|ref={{SfnRef|百化繚乱 上之巻|2011}} }}
* {{Cite book|和書|date = 2012-07-28|title =スーパー戦隊戦士列伝 赤の伝説|publisher = 角川書店|isbn = 978-4-04-110216-9|ref = {{SfnRef|赤の伝説|2012}}}}
* {{Cite book |和書|year=2012|title=スーパー戦隊 36LEGENDS|publisher=[[日之出出版]]|isbn=978-4-89198-862-3|ref = {{SfnRef|スーパー戦隊 36LEGENDS|2012}}}}
* {{Cite book|和書|date=2014-12-20|others=鴬谷五郎[編著]|title=東映ヒーロー仮面俳優列伝|publisher=[[辰巳出版]]|isbn=978-4-7778-1425-1|ref={{SfnRef|仮面俳優列伝|2014}}}}
* {{Cite book|和書|date = 2016-01-29|title =キャラクター大全 特撮全史 1970年代 ヒーロー大全|publisher = 講談社|isbn = 978-4-06-219821-9|ref = {{SfnRef|特撮全史|2016}}}}
* {{Cite book|和書|date = 2021-04-20<!--奥付表記-->|title =スーパー戦隊|series=学研の図鑑|publisher = 学研プラス|isbn = 978-4-0540-6788-2|ref = {{SfnRef|学研の図鑑|2021}}}}
* {{Cite book |和書 |date=2022-04-01 |title=スーパー戦隊 TOY HISTORY 45 1975-2021 |series = ホビージャパンMOOK |publisher=[[ホビージャパン]] |isbn=978-4-7986-2745-8 |ref={{SfnRef|TH45|2022}} }}
*『スーパー戦隊 Official Mook 21世紀』講談社〈講談社シリーズMOOK〉
** {{Cite book|和書|date=2017-02-25|volume=vol.1|volume-title=[[百獣戦隊ガオレンジャー]]|isbn=978-4-06-509512-6|ref={{SfnRef|21st 1|2017}}}}
** {{Cite book|和書|date=2017-10-10|volume=vol.7|volume-title=[[獣拳戦隊ゲキレンジャー]]|isbn=978-4-06-509518-8|ref={{SfnRef|21st 7|2017}}}}
** {{Cite book|和書|date=2017-09-07|volume=vol.15|volume-title=[[手裏剣戦隊ニンニンジャー]]|isbn=978-4-06-509526-3|ref={{SfnRef|21st 15|2017}}}}
*『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀』講談社〈講談社シリーズMOOK〉
**{{Cite book|和書|date=2019-01-10|volume-title=1979 バトルフィーバーJ|isbn=978-4-06-513705-5|ref={{SfnRef|20th1979|2019}}}}
*『[http://supersentaichronicle.web.fc2.com/1979_03_character.html スーパー戦隊クロニクル / バトルフィーバーJ]』
== 外部リンク ==
* [http://www.super-sentai.net/sentai/bfj.html バトルフィーバーJ](スーパー戦隊ネット内の紹介記事)
* [http://www.toei-video.co.jp/DVD/bfj.html DVD バトルフィーバーJ特集](東映ビデオ内にあるサイト)
{{前後番組
|放送局=[[テレビ朝日]][[オールニッポン・ニュースネットワーク|系列]]
|放送枠=土曜18:00 - 18:30
|番組名=バトルフィーバーJ<br />(1979年2月3日 - 1980年1月26日)
|番組名備考=※本番組より[[スーパー戦隊シリーズ]]
|前番組=[[闘将ダイモス]]<br />(1978年4月1日 - 1979年1月27日)
|前番組備考=※同番組まで[[長浜ロマンロボシリーズ]]
|次番組=[[電子戦隊デンジマン]]<br />(1980年2月2日 - 1981年1月31日)
}}
{{スーパー戦隊シリーズ}}
{{デフォルトソート:はとるふいいはあしえい}}
[[Category:スーパー戦隊シリーズの特撮テレビドラマ]]
[[Category:マーベル・コミックと東映の作品]]
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[[Category:高久進脚本のテレビドラマ]]
[[Category:上原正三脚本のテレビドラマ]]
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[[Category:曽田博久脚本のテレビドラマ]]
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[[Category:テレビマガジン]] | 2003-02-13T08:50:33Z | 2023-12-29T02:50:05Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BCJ |
1,248 | みず谷なおき | みず谷 なおき(みずたに なおき、1960年7月4日 - 1999年2月8日)は、日本の漫画家。愛知県出身、本名:水谷直樹。
望月三起也のアシスタントを経て、1983年、「ズーム・イン!」でデビュー。1980年代、『週刊少年サンデー増刊号』にて「人類ネコ科」、「ブラッディエンジェルズ」等のラブコメディを発表し人気を博す。1990年代には『月刊少年キャプテン』を舞台に移し、質の高いコメディを世に送り出すものの、病弱のため寡作だった。
作品にはほとんどで「腕っぷしの強いキャラ」が登場しており、そういったキャラを含めたアクションシーンも多い。初期の短編作品などからも本人の志向はアクション作品向きだったが、当時の一般少年誌の傾向や収録作品の都合もあってか連載作品はコメディが中心となったことが「人類ネコ科(少年サンデーコミックス版第1巻あとがき)」にて描かれている。1993年頃からはスランプに陥り、ほとんど活動していなかったが、1998年頃よりファンタジーアクション作品「バーバリアンズ」を執筆し、徐々に復帰を始める。しかし、中断していた「Hello! あんくる」最終回の執筆を開始するものの、1999年2月8日、就寝中に突然死(直接の死因は不明)。享年38。
アシスタントを使わず、あくまで自分一人で原稿を描くことにこだわったため、『週刊少年サンデー』での連載を断っていた(アシスタントの募集自体は雑誌上で実施したことはある)。 | [
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] | みず谷 なおきは、日本の漫画家。愛知県出身、本名:水谷直樹。 | {{出典の明記|date=2023年8月18日 (金) 08:30 (UTC)}}
'''みず谷 なおき'''(みずたに なおき、[[1960年]][[7月4日]] - [[1999年]][[2月8日]])は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[愛知県]]出身、本名:水谷直樹。
== 来歴 ==
[[望月三起也]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を経て、[[1983年]]、「ズーム・イン!」でデビュー。[[1980年代]]、『[[週刊少年サンデー増刊号]]』にて「[[人類ネコ科]]」、「[[ブラッディエンジェルズ]]」等の[[ラブコメディ]]を発表し人気を博す。[[1990年代]]には『[[月刊少年キャプテン]]』を舞台に移し、質の高いコメディを世に送り出すものの、病弱のため寡作だった。
作品にはほとんどで「腕っぷしの強いキャラ」が登場しており、そういったキャラを含めたアクションシーンも多い。初期の短編作品などからも本人の志向はアクション作品向きだったが、当時の一般少年誌の傾向や収録作品の都合もあってか連載作品はコメディが中心となったことが「人類ネコ科(少年サンデーコミックス版第1巻あとがき)」にて描かれている。[[1993年]]頃からはスランプに陥り、ほとんど活動していなかったが、[[1998年]]頃よりファンタジーアクション作品「バーバリアンズ」を執筆し、徐々に復帰を始める。しかし、中断していた「Hello! あんくる」最終回の執筆を開始するものの、1999年2月8日、就寝中に突然死<ref>[https://web.archive.org/web/20010124143600/http://www.anime.ne.jp/~honmono/event/2000/0210.html みず谷なおき追悼原画展 イベントレポート]</ref>(直接の死因は不明)。享年38。
アシスタントを使わず、あくまで自分一人で原稿を描くことにこだわったため、『[[週刊少年サンデー]]』での連載を断っていた(アシスタントの募集自体は雑誌上で実施したことはある)。
== 作品リスト ==
* [[人類ネコ科]]([[1985年]] - [[1986年]]連載、[[小学館]]週刊少年サンデー増刊号。1985年 - [[1987年]]、少年サンデーコミックス全3巻。[[1992年]]、小学館スーパービジュアルコミックス全2巻。[[1999年]]、少年サンデーコミックスワイドエディション全2巻)
*: ※スーパービジュアルコミックス及びワイド版2巻に、下記シナモン・シリーズも収録
** シナモントライアングル(1984年、週刊少年サンデー増刊号)
** シナモン大混線(1984年、週刊少年サンデー増刊号)
** シナモンクラッシュ(1986年、週刊少年サンデー増刊号)
* [[ブラッディエンジェルズ]](1986年 - [[1987年]]連載、週刊少年サンデー増刊号。1987年、少年サンデーコミックス全2巻。[[1994年]]、スーパービジュアル・コミックス・スペシャル全2巻)
* みず谷なおき傑作集 ぱわふる宅配便(1989年、少年サンデーコミックス全2巻) - 「ブラッディエンジェルズ」スーパービジュアル・コミックス・スペシャル版に再録
*: ※収録作品
** ズーム・イン!([[1984年]]、週刊少年サンデー9月増刊号)
** ぱわふる宅配便(1984年短期集中連載、週刊少年サンデー・24-26号)
** 男です!(1984年、週刊少年サンデー11月増刊号)
** [[サンデー19Show]] 言い訳コールは悪びれず…([[1988年]]、週刊少年サンデー・1号)
** ライトニングDIO(1988年、週刊少年サンデースペシャル4月増刊号)
** NO MERCY(1988年、週刊少年サンデースペシャル8月増刊号)
* Hello!あんくる('''未完'''、1992年 - [[1994年]]連載、[[徳間書店]]月刊少年キャプテン。1992年、少年キャプテンコミックススペシャル、既刊1巻)
** Hello!あんくる総集編([[1999年]]、少年キャプテンコミックススペシャル、全1巻) - 上記にコミックス未収録の原稿も収録したもの。絶筆作品。
* バーバリアンズ('''未完''')
** バーバリアンズ([[1994年]] - [[1995年]]連載、月刊少年キャプテン・11-12月号。1997年3-4話を単行本にて描き下ろし、少年キャプテンコミックススペシャル)
**: ※同時収録
*** 「光阪くんの憂鬱」([[1991年]]、月刊少年キャプテン・1月号)
*** 「友だちでいようね♥」([[1990年]]、週刊少年サンデー)
** バーバリアンズ2(1998年単行本描き下ろし、少年キャプテンコミックススペシャル)
* みず谷なおき遺稿集 MIZUTANI WORLD(1999年、オフィスヘリア)
*: ※未完成の遺稿やスケッチなどを収録
=== 単行本未収録作品 ===
* ジェミニストリート(1988年 - 1989年連載、週刊少年サンデー増刊号1988年2月号~1989年3月号)
*: 高校入学にて出会った瓜二つの容姿をもつ「山羽美雪(やまは よしゆき・男子)」と「目黒新(めぐろ あらた・女子)」の二人とその友人含めた周囲の人々を絡めたコメディ作品。※作者の意向により、単行本化予定なし
== 関連人物 ==
=== 師匠 ===
* [[望月三起也]]
=== その他 ===
* [[島本和彦]] - デビューが同時期で、島本和彦が新人だった頃にアシスタントとしてみず谷なおきが参加したことがある。『Hello! あんくる』愛蔵版に寄せられた追悼漫画の中でその時のエピソードを語っており、手伝ってもらった所だけ新人離れしていた、描いてもらった雪煙にプロの線を感じた、などと書いている。
* [[新谷かおる]] - 少年サンデーで連載していた当時、担当編集者が被っていた為「'''一回も会った事がないのに情報だけは入っていた'''」。
* [[三鷹公一]] - 望月三起也のアシスタント時代の同僚であり、親友。
* [[岡崎つぐお]] - 友人として付き合いがあったほか、時節の挨拶をfaxのイラストでやり取りをしていたとの事。
== 脚注 ==
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{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://web.archive.org/web/20041203042726/http://www.design-cats.co.jp/ キャッツハウス]
* [http://gos.in.coocan.jp/mizutani/ MIZUTANI WORLD]
* [http://www.246.ne.jp/~yyocchan/ よっちゃんの庭]
* [https://web.archive.org/web/20000414122456/http://www.people.or.jp/~fire/mizutani/tuitou_menu.htm 追悼のページ]
{{Normdaten}}
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{{DEFAULTSORT:みすたに なおき}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:愛知県出身の人物]]
[[Category:1960年生]]
[[Category:1999年没]] | 2003-02-13T08:52:24Z | 2023-09-06T10:20:25Z | false | false | false | [
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"Template:Manga-artist-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%9A%E8%B0%B7%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%8D |
1,250 | まことちゃん | 『まことちゃん』は、楳図かずおによる日本のギャグ漫画で代表作のひとつである。
まことの祖父の沢田元太郎が主人公の『アゲイン』(『週刊少年サンデー』1971年38号から1972年5号まで連載)のスピンオフ読切作品が原型である。
その後連載が決定し、『週刊少年サンデー』1976年16号から1981年30号まで連載された。1980年にはアニメ映画化されている。
連載終了後しばらく経って、『週刊少年サンデー』1988年37号から1989年32号まで新たに連載された。こちらは単行本のカウントもリセットされているために「平成版」と呼ばれ、区別して扱われている。
聖秀幼稚園に通う幼稚園児の主人公・沢田まこと(まことちゃん)と沢田一家が巻き起こす「ビチグソ」等下ネタ・エロネタ満載のギャグ漫画。石器時代、江戸時代、未来のSFテイストの作品や、作者の得意とするホラーテイストのエピソードや、沢田家を恐竜(ティラノザウルス)に置き換えたストーリーもある。
作者の楳図かずおも、KAZZとして作中に登場する。後述する「グワシ」「サバラ」などのギャグと、「...なのら」「マッチョメ マッチョメ」「ゲゲッ」「ギョエー」「まこと虫」等のまことちゃん語は、連載当時流行した。
作品の中には、桑田佳祐や研ナオコ、山口百恵、イルカ、ベイシティローラーズのメンバーたちといった有名人も登場することが多く、連載中の1977年に死去したエルヴィス・プレスリーが主役として登場する回もある。
本作は、『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に連載されていた山上たつひこの『がきデカ』や、『週刊少年ジャンプ』(集英社)に連載されていた小林よしのりの『東大一直線』と共に、1970年代後半の少年雑誌に掲載されたギャグ漫画の金字塔的作品であった。
単行本は小学館少年サンデーコミックスから刊行されており、全24巻。「平成版」の単行本は全4巻。いずれも絶版になっている。
その後、小学館文庫より全12巻が刊行された。その際、小学館の学年別学習雑誌や『幼稚園』に連載されていた作品が『まことちゃん小劇場』というタイトルで巻末に収録された。また、1995年から1996年にかけて「少年サンデーコミックス・セレクト」レーベルから全24巻が刊行された。文庫版及びセレクト版には「平成版」連載分も一部収録されている。
「平成版」は最終巻刊行後すぐに絶版になったため、IKKIコミックス(小学館)で『超!まことちゃん』全3巻として刊行されるまで日の目を見なかった。
1980年7月26日に東宝系で全国劇場公開された。上映時間は85分。同時上映は、相米慎二の監督デビュー作『翔んだカップル』。
併映作の『翔んだカップル』は山口百恵の引退記念映画『古都』と同時上映される予定だったが、『古都』が単独上映されることになったため、本作の同時上映として急遽製作された。当時の漫画・アニメとしてはリアルな背景は、漫画の背景をモノクロコピーしたものを、アニメ撮影用の背景の素材の一部として流用している。
原作者・楳図かずおが自ら主題歌を造って歌唱、そして声優として参加、また当時の人気漫才師・ツービートも出演した。
上映当時ポスターにて「製作費4億5千万円」「日本一のハリキリボーイがやってくる!!」と謳われた。
2007年3月にDVDソフト化。10年後の2017年には宝島社からDVD-BOOKとして発売された。
2019年11月20日より、YouTubeの「TMSアニメ55周年公式チャンネル」から、オープニングとエンディング、そして本編の一部が無料配信されている。
特別出演
※映画クレジット順
登場人物が披露する指サイン。手で物を掴む時の擬態語が語源とされている。指サインを形作り相手に向け「グワシッ!!」「グワ〜シ!!」等と叫ぶ。作者である楳図かずおもテレビ番組などの出演時に二代目グワシを披露するが、自分の指でこのサインを形作るのが難しいため、「グワシハンド」と呼ばれる紙製のグワシを使用して披露している。「グワシ」には、以下のように様々なバリエーションが存在する。
作者本人にはできないらしく、『マンガノゲンバ』出演時に実証している。
グワシと同様に登場人物が披露する指サインで、中指と薬指を曲げるサイン。グワシ同様「サバラハンド」と呼ばれる紙製のサバラも存在する。作者の仕事場を訪ねてきた子供が、帰りがけに「さらば(さよなら)」と言おうとして「サバラ」と言ってしまったのが語源とされている。作者の楳図と同様にホラー漫画家の日野日出志のキャラクターはよくこれをやっている。
いずれも日本コロムビア(コロムビアミュージックエンタテインメント)からの発売。
1979年にエポック社からボードゲームシリーズ「まんがゲーム」第14弾として、「楳図かずおのまことちゃんゲーム」が発売された。同シリーズはそれまで漫画家オリジナルだったが、本ゲームからキャラクター路線を並行発売となった。
2007年に京楽産業.よりパチンコ機『CRぱちんこまことちゃん』が発売された。
初当たり確率が1/45.2と高く、いわゆる「ハネデジ」に分類される。スルーチャッカーを通過させると役物上のチューリップが開放(スルーチャッカーの入賞は4発まで貯留ができる)。チューリップに入賞でデジタル回転となる。デジタルはまことの目に表示される2ケタのLEDで、両方とも1 - 7の数字とまこと虫の計8種の図柄で、3, 5, 7かまこと虫が揃えば大当たりとなる。
ラウンドが3ラウンドしかなく出玉がかなり少なめな、ローリスクローリターンが特徴。すべての大当たり後、4回転の確変に入り、この時に当たりを引くと以後70回転の時短に入り、その間に当たりを引くとそこからまた70回転というチャンスタイム。また、まこと虫で当たると突確の2ラウンド大当たりとなり、出玉はないが4回転確変+70回のチャンスタイムに突入する。 | [
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"text": "『まことちゃん』は、楳図かずおによる日本のギャグ漫画で代表作のひとつである。",
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"text": "まことの祖父の沢田元太郎が主人公の『アゲイン』(『週刊少年サンデー』1971年38号から1972年5号まで連載)のスピンオフ読切作品が原型である。",
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"text": "その後連載が決定し、『週刊少年サンデー』1976年16号から1981年30号まで連載された。1980年にはアニメ映画化されている。",
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"text": "連載終了後しばらく経って、『週刊少年サンデー』1988年37号から1989年32号まで新たに連載された。こちらは単行本のカウントもリセットされているために「平成版」と呼ばれ、区別して扱われている。",
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"text": "聖秀幼稚園に通う幼稚園児の主人公・沢田まこと(まことちゃん)と沢田一家が巻き起こす「ビチグソ」等下ネタ・エロネタ満載のギャグ漫画。石器時代、江戸時代、未来のSFテイストの作品や、作者の得意とするホラーテイストのエピソードや、沢田家を恐竜(ティラノザウルス)に置き換えたストーリーもある。",
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"text": "作者の楳図かずおも、KAZZとして作中に登場する。後述する「グワシ」「サバラ」などのギャグと、「...なのら」「マッチョメ マッチョメ」「ゲゲッ」「ギョエー」「まこと虫」等のまことちゃん語は、連載当時流行した。",
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"text": "作品の中には、桑田佳祐や研ナオコ、山口百恵、イルカ、ベイシティローラーズのメンバーたちといった有名人も登場することが多く、連載中の1977年に死去したエルヴィス・プレスリーが主役として登場する回もある。",
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"text": "本作は、『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に連載されていた山上たつひこの『がきデカ』や、『週刊少年ジャンプ』(集英社)に連載されていた小林よしのりの『東大一直線』と共に、1970年代後半の少年雑誌に掲載されたギャグ漫画の金字塔的作品であった。",
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"text": "単行本は小学館少年サンデーコミックスから刊行されており、全24巻。「平成版」の単行本は全4巻。いずれも絶版になっている。",
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"text": "その後、小学館文庫より全12巻が刊行された。その際、小学館の学年別学習雑誌や『幼稚園』に連載されていた作品が『まことちゃん小劇場』というタイトルで巻末に収録された。また、1995年から1996年にかけて「少年サンデーコミックス・セレクト」レーベルから全24巻が刊行された。文庫版及びセレクト版には「平成版」連載分も一部収録されている。",
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"text": "「平成版」は最終巻刊行後すぐに絶版になったため、IKKIコミックス(小学館)で『超!まことちゃん』全3巻として刊行されるまで日の目を見なかった。",
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"text": "1980年7月26日に東宝系で全国劇場公開された。上映時間は85分。同時上映は、相米慎二の監督デビュー作『翔んだカップル』。",
"title": "アニメ映画"
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"text": "併映作の『翔んだカップル』は山口百恵の引退記念映画『古都』と同時上映される予定だったが、『古都』が単独上映されることになったため、本作の同時上映として急遽製作された。当時の漫画・アニメとしてはリアルな背景は、漫画の背景をモノクロコピーしたものを、アニメ撮影用の背景の素材の一部として流用している。",
"title": "アニメ映画"
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"text": "原作者・楳図かずおが自ら主題歌を造って歌唱、そして声優として参加、また当時の人気漫才師・ツービートも出演した。",
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"text": "上映当時ポスターにて「製作費4億5千万円」「日本一のハリキリボーイがやってくる!!」と謳われた。",
"title": "アニメ映画"
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"text": "2007年3月にDVDソフト化。10年後の2017年には宝島社からDVD-BOOKとして発売された。",
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"text": "2019年11月20日より、YouTubeの「TMSアニメ55周年公式チャンネル」から、オープニングとエンディング、そして本編の一部が無料配信されている。",
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"text": "特別出演",
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"text": "※映画クレジット順",
"title": "アニメ映画"
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"text": "登場人物が披露する指サイン。手で物を掴む時の擬態語が語源とされている。指サインを形作り相手に向け「グワシッ!!」「グワ〜シ!!」等と叫ぶ。作者である楳図かずおもテレビ番組などの出演時に二代目グワシを披露するが、自分の指でこのサインを形作るのが難しいため、「グワシハンド」と呼ばれる紙製のグワシを使用して披露している。「グワシ」には、以下のように様々なバリエーションが存在する。",
"title": "ギャグ"
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"text": "作者本人にはできないらしく、『マンガノゲンバ』出演時に実証している。",
"title": "ギャグ"
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"text": "グワシと同様に登場人物が披露する指サインで、中指と薬指を曲げるサイン。グワシ同様「サバラハンド」と呼ばれる紙製のサバラも存在する。作者の仕事場を訪ねてきた子供が、帰りがけに「さらば(さよなら)」と言おうとして「サバラ」と言ってしまったのが語源とされている。作者の楳図と同様にホラー漫画家の日野日出志のキャラクターはよくこれをやっている。",
"title": "ギャグ"
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"text": "いずれも日本コロムビア(コロムビアミュージックエンタテインメント)からの発売。",
"title": "音楽"
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"text": "1979年にエポック社からボードゲームシリーズ「まんがゲーム」第14弾として、「楳図かずおのまことちゃんゲーム」が発売された。同シリーズはそれまで漫画家オリジナルだったが、本ゲームからキャラクター路線を並行発売となった。",
"title": "ボードゲーム"
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"text": "2007年に京楽産業.よりパチンコ機『CRぱちんこまことちゃん』が発売された。",
"title": "パチンコ"
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"text": "初当たり確率が1/45.2と高く、いわゆる「ハネデジ」に分類される。スルーチャッカーを通過させると役物上のチューリップが開放(スルーチャッカーの入賞は4発まで貯留ができる)。チューリップに入賞でデジタル回転となる。デジタルはまことの目に表示される2ケタのLEDで、両方とも1 - 7の数字とまこと虫の計8種の図柄で、3, 5, 7かまこと虫が揃えば大当たりとなる。",
"title": "パチンコ"
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{
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"text": "ラウンドが3ラウンドしかなく出玉がかなり少なめな、ローリスクローリターンが特徴。すべての大当たり後、4回転の確変に入り、この時に当たりを引くと以後70回転の時短に入り、その間に当たりを引くとそこからまた70回転というチャンスタイム。また、まこと虫で当たると突確の2ラウンド大当たりとなり、出玉はないが4回転確変+70回のチャンスタイムに突入する。",
"title": "パチンコ"
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] | 『まことちゃん』は、楳図かずおによる日本のギャグ漫画で代表作のひとつである。 まことの祖父の沢田元太郎が主人公の『アゲイン』(『週刊少年サンデー』1971年38号から1972年5号まで連載)のスピンオフ読切作品が原型である。 その後連載が決定し、『週刊少年サンデー』1976年16号から1981年30号まで連載された。1980年にはアニメ映画化されている。 連載終了後しばらく経って、『週刊少年サンデー』1988年37号から1989年32号まで新たに連載された。こちらは単行本のカウントもリセットされているために「平成版」と呼ばれ、区別して扱われている。 | {{Infobox animanga/Header
| タイトル = まことちゃん
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| ジャンル = [[ギャグ漫画]]
}}
{{Infobox animanga/Manga
| タイトル = まことちゃん
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}}
{{Infobox animanga/Manga
| タイトル = まことちゃん<br />(第2シリーズ)
| 作者 = 楳図かずお
| 作画 =
| 出版社 = 小学館
| 他出版社 =
| 掲載誌 = 週刊少年サンデー
| レーベル = 少年サンデーコミックス
| 発行日 =
| 発売日 =
| 開始号 = [[1988年]]37号
| 終了号 = [[1989年]]32号
| 開始日 =
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| 発表期間 =
| 巻数 = 全4巻
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{{Infobox animanga/Footer
| ウィキプロジェクト = [[プロジェクト:漫画|漫画]]
| ウィキポータル = [[Portal:漫画|漫画]]
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[[ファイル:まことちゃん像.jpg|thumb|right|[[橋本駅 (和歌山県)|橋本駅]]前にある、主人公まことちゃんの像。2002年建立、2007年撮影。]]
『'''まことちゃん'''』は、[[楳図かずお]]による[[日本]]の[[ギャグ漫画]]で代表作のひとつである。
まことの祖父の沢田元太郎が主人公の『[[アゲイン (漫画)|アゲイン]]』(『週刊少年サンデー』1971年38号から1972年5号まで連載)の[[スピンオフ]]読切作品が原型である。
その後連載が決定し、『[[週刊少年サンデー]]』[[1976年]]16号から[[1981年]]30号まで連載された。[[1980年]]には[[アニメ映画]]化されている。
連載終了後しばらく経って、『週刊少年サンデー』[[1988年]]37号から[[1989年]]32号まで新たに連載された。こちらは単行本のカウントもリセットされているために「平成版」と呼ばれ<ref>[[平成]]への改元は[[1989年]][[1月8日]]であり、連載の前半は[[昭和]]63年に行われている。</ref>、区別して扱われている。
== 概要 ==
聖秀幼稚園に通う[[幼稚園]]児の主人公・沢田まこと(まことちゃん)と沢田一家が巻き起こす「ビチグソ」等[[下ネタ]]・エロネタ満載のギャグ漫画。石器時代、江戸時代、未来のSFテイストの作品や、作者の得意とするホラーテイストのエピソードや、沢田家を恐竜([[ティラノサウルス|ティラノザウルス]])に置き換えたストーリーもある。
作者の楳図かずおも、KAZZとして作中に登場する。後述する「グワシ」「サバラ」などの[[ギャグ]]と、「…なのら」「マッチョメ マッチョメ」「ゲゲッ」「ギョエー」「まこと虫」等のまことちゃん語は、連載当時流行した。
作品の中には、[[桑田佳祐]]や[[研ナオコ]]、[[山口百恵]]、[[新沼謙治]]、[[イルカ (歌手)|イルカ]]、[[ベイシティローラーズ]]のメンバーたちといった有名人も登場することが多く、連載中の1977年に死去した[[エルヴィス・プレスリー]]が主役として登場する回もある<ref>『サウンドレコパル』1980年7月号掲載の「いとしのエルビス」(監修・南聖二、下村誠)。『週間少年サンデー』昭和52年8号「'77年、今年のウン勢の巻」</ref>。
本作は、『[[週刊少年チャンピオン]]』([[秋田書店]])に連載されていた[[山上たつひこ]]の『[[がきデカ]]』や、『[[週刊少年ジャンプ]]』([[集英社]])に連載されていた[[小林よしのり]]の『[[東大一直線]]』と共に、[[1970年代]]後半の[[少年雑誌]]に掲載された[[ギャグ漫画]]の金字塔的作品であった。
== 登場キャラクター ==
=== 沢田家 ===
*連載当時に作者の仕事場があった[[高田馬場]]在住。家は庭付き一戸建て。
*作者いわく「家の[[間取り]]はその時の気分によってでたらめ」。時にハリボテで、外から丸見えなこともある。
*庭には、まことの命を救った狂い咲きの桜の木が植えてある。
*祖先は、沢田30万石の大殿様と自称。後に発見された家系図によると遠い親戚に[[松下幸之助]]、[[福田赳夫]]がいる。ご近所からは、「アホの沢田屋敷」と呼ばれている。
*ご近所の沢田家人気投票1位は、ネコのメチャ。
*家庭内で定期的に「家族会議」が開かれる。
*すもう大会、ピクニック、[[バカラ (トランプゲーム)|バカラ]]、節分、夏の総決算などの行事が催される。家族総出で、盆踊りやゲームセンターに出かけるなど、祭り好きの大騒ぎファミリー。
;沢田まこと(さわだ まこと)
:作品の主人公。愛称「まことちゃん」もしくは「マコリン」。一人称は「ぼくちゃん」「ぼくしゃん」「わし」「マコリン」などと回ごとに一定していない。
:聖秀幼稚園うめ組の幼稚園児<ref>『週刊少年サンデー』[[1971年]]夏休み増刊号に読み切り作品として発表された第1作では「夕日ヶ丘幼稚園うめぐみ」となっている</ref>。
:いたずら、下ネタ、落書きや替え歌、踊りが得意。常に垂らしている鼻水で、虫を捕ることができる。
:解体現場の鳥の巣にあった[[スズメ]]の卵を保護したり、親を亡くした子猫を助けようとしたりするなど優しい一面もある。
:舌足らずではあるが、シビアな人間観察眼を持つ。
:デバガメとして捕まるなどの前科があるが、人命救助を行い新聞に載った過去もある。
:寝る時以外は幼稚園の制服でいることが多い。初期は夏場でも長袖である。連載が進むにつれ、夏休みや年末年始には私服で描かれるようになる。
:時折、姉や母を真似て化粧や女装をすることがある。
:稀に[[京言葉|京都弁]]を話すこともある。
:グワシ、サバラ、[[糞|とぐろ虫]]などの口癖、手癖があり、語尾に「なのら」とつく。
:好物は[[カレー]]、[[ハンバーグ]]、[[ソフトクリーム]]、[[大福|ダイフク]]、松長製菓のお菓子。
:従兄弟のさだゆきとは同い年ということで比べられることが多く、さだゆきの話が出ると真顔になり、ライバル心をむき出しにする。
:まことのおかっぱ型のざんぎり頭から「まことちゃんカット」の名が生まれた。
:おねしょのかたちは、まことがあっかんべーをした形になる。
:恋多き男。
:モデルは楳図の甥だったり、楳図の代表作である「[[赤んぼ少女]]」のタマミだったりと本作で楳図自ら公言しているが真相は全く不明。
;沢田美香(さわだ みか)(姉)
:まことの姉。小学3年生。愛称「ミカリン」。美人でモデル並みにスタイルが良く足が長い。まこととはしょっちゅう喧嘩する。怒ると怖く「またぼえ」をすることもある。
:耳年増で主に恋愛方面の大人の世界に憧れており、時折まことと共に間違った方向に暴走する。内弁慶で外面は良いが実際は男以上にワイルド。好物は[[竹輪|ちくわ]]。
:尊敬する有名人は[[山城新伍]]。一方で[[西城秀樹]]や[[郷ひろみ]]は子供っぽいという理由で嫌っている。
:「ミカリン」という呼び名は美香が友人と交わしていた愛称から。
:一人称は普段は「わし」だが、学校や異性の前では「私」に変わる。
:髪型は[[ポニーテール]]でおしゃれ好き。
:この物語のヒロインであり、自分でもタイトルを「美香ねえちゃん」にすべきだと主張している。
:のぞき趣味があり、異性に対して積極的。美形好み。
:将来の夢は「金貸し」。
:発作を起こすと、包丁を振り回すなど危険な行動を取る。
:女性でありながら[[立ち小便]]ができる。
;沢田英一(さわだ えいいち)(父)
:まこと・美香の父。愛称「パパリン」。職業はサラリーマン。眼鏡を掛けている。沢田家では比較的まともだが、一般世間に比べたら変である。
:一見真面目で神経質そうだが花見の席で酔っ払うとストリッパー「ローズマリー」に変貌する。
:なぜか女物のパンツを履いていることがある。
:父としての威厳を保とうとするも、なかなか保てずにいる。
:チンチンが小さいことを気にしており、まことが30円で買ってきた[[ガマの油]]を股間に塗ってひどい目にあったこともある。
:会社員としては仕事が全然できないようで、会社で注意されるシーンが多い。
:一方、なぜかアメリカ人ラーラのホームステイ先に、沢田一家が選ばれている。
;沢田貴世子(さわだ きよこ)(母)
:まこと・美香の母。美人で美香と同じくモデル並みのスタイルを持つ。愛称「ママリン」。若作りでミーハーだが、性格は子供たちと負けず劣らず変である。
:舅・姑とはうまくいっているが、妹の加根子とは折り合いが悪く、まことと同い年のいとこのさだゆきともどもライバル視している。
:[[大阪府]][[河内長野市]]出身で、「ミス・ユニバース河内代表」に選ばれたこともあると主張。
:普段から[[河内弁]]でしゃべり、怒った時や実家では、必ず河内弁になる。
:若い美青年に目がないらしいが、「なんでこんなブス男(英一)と結婚したんだ」とまこと・美香からつっこまれている。
:まこととは言葉にできない絆で結ばれているらしく、時に危険を察知する。
;沢田元太郎(さわだ げんたろう)(祖父)
:まこと・美香の祖父。愛称「ジジリン」。元[[大工]]。年の割にはミーハーな面があると思われる。
:濃いキャラの多い沢田一家にしてはあまり目立たないが、俊足で走ったり、変な祈祷をしたりと、沢田家の一員らしい一面も持っている。
:先行作品『アゲイン』では主人公。学生時代はまことに勝るとも劣らない豪快な性格であった。
;沢田タツ(さわだ たつ)(祖母)
:まこと・美香の祖母。愛称「ババリン」。元太郎と同様に年の割にはミーハーな性格。
:温泉に行ったときはトイレにいって、わざとお尻をふかずに、そのまま温泉に入る。
:二宮さんの甥・金次郎(沢田家全員が勉学だと勘違いしていたが、救急車で運ばれるまで誰も気付かなかった)が家にやってきた際には自分の唾入りのお茶を飲ませようとするも、元太郎により阻止された。
:飼いネコであるメチャを、パンツといっしょに穿くこともある。
:沢田家で一番身体が大きく、トイレの清掃会社からは一家を代表してハガキが届く。
:相撲大会では最強であり、貴世子との嫁姑対決はまさに結びの一番。
;メチャ(飼ネコ)
:沢田家が飼っているネコである。沢田家の一員ながら一番まともで、変人ばかりの沢田家に苦労している。
:まことがした悪事を擦り付けられたり、電線音頭を強制的に仕込まれたり、タツにパンツと一緒に穿かれたりと、被害に遭うことが多い。
:そんな沢田家に嫌気がさしたのか、他の家のネコになってしまう回もあり、まことはそのことから反省し、メチャを大切にすると誓う。
:しかし、その後もあまり大事にしない。美香には大切にされているようである。
:ごくまれにしゃべったり、「フフフ」と笑うことがある。
:沢田家の人気投票で1位になり、その名誉として「沢田メチャ」と書かれた表札が玄関先に掲げられた。
=== 沢田家の親戚 ===
;沢田弾正(さわだ だんじょう)
:[[秋田県]]在住。元太郎の弟。まこと・美香の大叔父。旅館「沢田城」を経営している。旅館で宿泊客に古風な着物を貸すサービス(いわゆる[[コスプレ]])を売り物にしている。
;沢田ミキ(さわだ みき)
:弾正の妻。
;沢田保(さわだ たもつ)
:弾正の息子。
;沢田オードリー
:保の妻で、[[オードリー・ヘプバーン]]にそっくりの美人。
:子供が生まれないことが悩みである。
;南出加根子
:貴世子の妹で九州に嫁いでいる。貴世子よりも頭の回転が早く、いやみを言うのがうまい。
:幼少期から大人になり結婚した現在に至るまで、貴世子とは会う度にしょっちゅう喧嘩している。
;南出さだゆき
:加根子の息子でまことの[[いとこ]]。性格はまことと正反対で秀才。挨拶や礼儀なども心得ている。ピアノが得意。
:まこととは同い年ということで比べられることが多く、まことも負けじと対抗心を燃やす。
;沢田勉学
:まことの父方のいとこ。大学受験の勉強のために沢田家の下宿人としてやってきた。まこととそっくりの話し方をするブ男。
:勉強もせずに、マンガを読んで笑っている。
:合否については作中で語られていない。
=== 聖秀幼稚園 ===
:まことの通う[[幼稚園]]。聖秀大学の系列で実習生が大学から送られてくる。
:建物の屋根上に[[十字架]]があることから宗教系の幼稚園と思われる。しかし内情は職員、園児共にハチャメチャである。
:老人ホーム『白百合園』との水泳大会や相撲大会も行われる。
;園長先生
:聖秀幼稚園の女性園長。かなり年がいっているようだが独身。まこと曰く「ゴリラ園長」。縁談の話が持ちこまれるが破談になる。
:特技は「百叩き(お尻ペンペン)」、「チョメチョメグニュグニュ(顔つねり)」、「三分間息吸い窒息生殺し(園児の顔を口で覆うという園児の妄想)」。
:百歳になる母親がいる。
;百倉花子(花子先生)
:まこと達の担任。明るい性格。園児曰く、「キバ出しハムスター」。イメージは[[浜美枝]]らしい。
:ただし、[[金子デメリン]]『[[ウメゾロジー]]』での楳図へのインタビューでは「モデルは『[[ウルトラマン]]』の頃の[[桜井浩子]]」と語られている。
:ターザンルックをしたり、まことちゃんのサバラにつきあったり、ノリのいい先生であるが、時に園児にも辛辣な皮肉を吐く。
:園児から尊敬されていない態度を取られることも多い。
:だが、花子先生が結婚するという誤情報が流れた際は、まことたちは悲しがり、結婚を阻止せんと立ち上がるなど人望はある。
:酒にめっぽう弱く、酒乱。髪型は豪快なツインテール。
;あんず先生
:かわいい顔をした先生だが、やはりどこか変な先生。花子先生をめぐり、ピョン子ちゃんに因縁をつけられる。
;ピョン子
:まことのクラスメイトの女の子。兄がいる。
:自分を男だと思い込んでいて、花子先生と結婚したいと思っている。
:一人称は「オレ」もしくは「わし」。大きくなったら[[立ち小便]]をしたいらしい。
:言葉遣いが荒く、結構な頻度でまことを殴っているが、モン太と3人で遊ぶことが多く仲良しである。
;モン太
:まことのクラスメイトの男の子。頭はスキンヘッド。
;大森あん子
:まことのクラスメイトの女の子。前髪パッツン[[ボブカット]]の美少女、当初は優等生だったが、まことたちと付き合ってから、一緒に野グソをするようになるまで感化される。
;カメ子
:まことのクラスメイトの女の子。兄弟に兄の徳一郎と赤ん坊のメダカがいる。カメ子の母親に変装したまことによって、「ママが二人いる!」と家族が大混乱に陥った。
;田代トシキ
:まことのクラスメイトの男の子。1丁目に住んでいる。家が大金持ちのため誘拐されそうになったが、包丁を持った美香から追いかけられ逃げていたまことが車に乗せられていた所を見つけ、入れ替わることで難を逃れた。
;ひろし
:まことのクラスメイトの男の子。メガネをかけている。同様にメガネをかけている兄がいる。
;星ひがみ
:まことのクラスメイトの女の子として、物語終盤に登場する美少女で、上流階級のお嬢様である。
:「そねみ」「ねたみ」という年の離れた姉がいる。そねみは「わきが症」である。
:家は内装は立派だが、外見はぼろぼろな一軒家である。
:最初はまことの異様なキャラクターにショックを隠せなかったが、徐々にまことの奥さんにならなければという強迫めいた思想あるいは妄想が生まれる。
:英才教育を叩きこまれているので、小学校6年生程度の学力がある。
:が、入園試験ではその学力が災いして、最下位で合格、おかげでまことは下から2番目ですんだ。
:まことにはお医者さんごっこの患者役にされている。
:顔に対する執着が強い。
;掃除のおばさん
:顔が[[淀川長治]]に似ている。若い頃の園長の写真にヒゲを書き込んだ。
;田中
:給食のおばさん。ある日の給食で自身の指輪と金歯を仕込む。
;ろくちゃん
:幼稚園で飼われている[[ニワトリ]]。幼稚園の主。かなり危険な生物で、園内を我が物顔で闊歩し、園児の弁当に手(クチバシ)を出す。しかし、ミミズは捕まえられない。
:園長先生の頭の上に乗るので園長には嫌われているが、まこと達には可愛がられている。
:鼻水がグジュっと出たり、ヒゲを生やしているなど特徴がある。
:まことが、「グリバタケッケちゃん」と名付けたひよこのおもちゃを蹴飛ばして遊んでいたら、ろくちゃんに取られてしまった。その後、ろくちゃんの唯一のおともだちになる。
=== その他 ===
;まこと虫
:まことの体内に巣食う謎の生物。元々はまことの落書きの変な生き物の絵。「まこと虫」の名は読者投稿によるもの。
:まことのことを「おやべん(親分)」と呼び<ref>「楽ちいおつかい」の回では「おやぶん」、「おやびん」と呼んでいた。</ref>、まことの行動をコントロールするらしい。
:まことの体の汚れを餌にしている。それ故、綺麗なものを「汚いもの」と認識して忌み嫌う。
:リボンまこと虫やノストラダムスまこと虫、うそ泣きまこと虫など多数存在する。
:最終巻においては、まことの恋心の化身である「初恋まこと虫」が登場。
;お菓子屋のオババ
:近所の商店街で菓子店「どら屋」<ref>初期は看板に「雑貨・駄菓子」と書いてあるだけで店名は明かされていなかった。</ref>を営む女主人。
:店の商品をビチグソ呼ばわりするまこと達を嫌っている。まことにわざと足をかけて転ばせたこともある。
:しかし買い物に来たときはまこと達を「ぼっちゃん」と呼ぶ現金な人物。
;おしっこのお姉さん(飛奈道子)
:沢田家の近所のアパートに住む女性。上品な性格。初登場の回では、下品な遊びをしていたまこと達に「もっと子供らしい遊びをしなさい」と怒りをあらわにした。その後はまことたちにトイレをのぞかれたり、放尿シーンを激写されたりと散々な目に合う。
:アパートが共同トイレのうえ汲み取り式のせいか、道端で用を足すこともある。
;エディ福島
:ハワイに住む大富豪の日系人女性。まことに瓜二つの孫娘がおり、未だに消息がつかめていない孫娘の身代わりにまことがハワイの自身の邸宅に招かれる。
;総理大臣
:沢田家の近所に夫人、娘の「みどり」、息子の「かずお」一家で住んでいる。
:まことがおつかいに行った時、かずおが買おうとしていたエビフライを巡って沢田家と一家で抗争になる。結果、自身と娘の髪の毛がむしり取られた。
;林久美子(どど彦)
:[[田中角栄]]の隣の屋敷に住む金持ちの娘。自分を男だと言い張り、「どど彦」と名乗る。自宅で戦争ごっこや人間もぐら叩きをやらかすなど凶暴。
:ある日のこと、幼稚園の運動会を見たことから、まことに好意を寄せ、ストーカー行為を働くようになり、椅子の姿になりまことの家に侵入したり、拉致したりする。
:口癖は「どどめ〜ん」(どど面とは不細工のこと)。
:[[内山田洋とクールファイブ]]の[[宮本悦朗|宮本さん]]のファン。
;可愛カッパ
:沢田家の近所に住む家族の長男。名前の通りカッパに似た風貌をしている。
;らん丸
:人気男性ロックンローラー。まことだけでなく、沢田家は全員彼のファンである。特に美香の熱狂振りはすごく、自宅に押しかけるほどである。
:歌やエレキギターといった音楽の才能はあるが実際の姿は老人。よって入れ歯、メイク、かつら、シークレットブーツ、コルセットなどで必死に隠して装っている。
:特に男性のシンボルが非常に小さく、それを自ら「つけMr.ブラウン」と呼ぶ小道具を装着して大きく見せており、それが彼の主なネタである。
:大人なのに、おたふくかぜにかかる。
:代表曲は「タイヘンロック」「ダンスがすんだ」。
;二宮金次郎
:勉学と同じ大学を志望する受験生。
;斎藤
:英一の友人のタクシー運転手。ある夜幽霊を見たショックで入院。
;ラーラ・リーン
:まことの家にホームステイに来たアメリカ人少女で英一の勤務先の取引先の社長令嬢。
:当然のようにまことや美香に振り回される。
:日本語の先生はまことであるが、間違った日本語を教えられたり、理不尽に叩かれたりする。
:天然キャラだが負けず嫌いでたくましい。
;アンソニー
:ファンシーショップ「ウハウハハウス」の店主。長髪にヒゲが特徴。
:まことが同店の近くで「まことショップ」と書かれた看板とおもちゃを広げるとそちらの方に客足を取られ、焦ったことがある。
;おむつ軍団
:まことの親衛隊、幼稚園に上がる前の[[オムツ]]がまだ外れない子供たちで構成されている、中にはまだ授乳中の赤ん坊もいる。
:年齢的にろくな言葉が話せないが、まことは何を言っているのか理解できている。
;作者
:作者が[[内輪ネタ]]的に登場する漫画(家)はほかにも多数存在するが、本作では当時のテレビ番組等の告知を交えた[[ディスクジョッキー]]的なトークを展開するのが特徴。
:中期からは「KAZZ」と書かれた帽子を着用。トークのネタとして登場したビチグソカップ(BGC)は商品化された。
;マッチョメマン
:菓子メーカー松長製菓のキャラクター、ザンギリカットのマッチョなヒーロー、のほほマンと言うライバルがいる。
== 単行本 ==
単行本は小学館少年サンデーコミックスから刊行されており、全24巻。「平成版」の単行本は全4巻。いずれも絶版になっている。
その後、小学館文庫より全12巻が刊行された。その際、[[小学館の学年別学習雑誌]]や『[[幼稚園 (雑誌)|幼稚園]]』に連載されていた作品が『まことちゃん小劇場』というタイトルで巻末に収録された。また、1995年から1996年にかけて「少年サンデーコミックス・セレクト」レーベルから全24巻が刊行された。文庫版及びセレクト版には「平成版」連載分も一部収録されている。
<!--オリジナル版に現在では問題のある表現があるため差し替えられたとされる。-->
「平成版」は最終巻刊行後すぐに絶版になったため、IKKIコミックス(小学館)で『超!まことちゃん』全3巻として刊行されるまで日の目を見なかった。
== アニメ映画 ==
{{Infobox Film
| 作品名 = まことちゃん
| 原題 =
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像解説 =
| 原作 = [[楳図かずお]]
| 監督 = [[芝山努]]
| 製作総指揮 =
| 製作 = [[藤岡豊]]<br />[[片山哲生]]<small>(プロデューサー)</small>
| 脚本 = [[城山昇]]<br />[[辻真先]]<br />[[伊東恒久]]<br />[[金春智子]]
| 出演者 = [[杉山佳寿子]]<br />[[吉田理保子]]<br />[[小原乃梨子]]<br />[[柳沢真一]]<br />[[肝付兼太]]<br />楳図かずお<br />[[ツービート]]
| 音楽 = [[川上了]]
| 主題歌 = OP 『パパ&ママROCK』<br />ED 『サンバ・デ・まことちゃん』
| 撮影 = [[高橋宏固]]
| 編集 =
|製作会社= [[東京ムービー新社]]
| 配給 = [[東宝]]
|公開 = {{flagicon|Japan}} [[1980年]][[7月26日]]
| 上映時間 = 85分
| 製作国 = {{JPN}}
| 言語 = 日本語
| 制作費 =
| 興行収入 =
| 前作 =
| 次作 =
}}
[[1980年]][[7月26日]]に[[東宝]]系で全国劇場公開された。上映時間は85分。同時上映は、[[相米慎二]]の監督デビュー作『[[翔んだカップル#映画版|翔んだカップル]]』。
併映作の『翔んだカップル』は[[山口百恵]]の引退記念映画『[[古都 (1980年の映画)|古都]]』と同時上映される予定だったが、『古都』が単独上映されることになったため<ref>{{Cite journal|和書 |author=野村正昭|year=1983|title=ドキュメント アイドル誕生 -薬師丸ひろ子の場合 -|journal=[[キネマ旬報]]|issue=[[1983年]]([[昭和]]58年)[[8月]]下旬号|pages=45|publisher=[[キネマ旬報社]]}}</ref>、{{要出典範囲|本作の同時上映として急遽製作された|date=2017年6月}}。当時の漫画・アニメとしてはリアルな背景は、漫画の背景をモノクロコピーしたものを、アニメ撮影用の背景の素材の一部として流用している。
原作者・楳図かずおが自ら主題歌を造って歌唱、そして声優として参加、また当時の人気漫才師・[[ツービート]]も出演した。
上映当時ポスターにて「製作費4億5千万円」「日本一のハリキリボーイがやってくる!!」と謳われた。
[[2007年]][[3月]]にDVDソフト化。10年後の[[2017年]]には[[宝島社]]からDVD-BOOKとして発売された。
[[2019年]][[11月20日]]より、[[YouTube]]の「TMSアニメ55周年公式チャンネル」から、オープニングとエンディング、そして本編の一部が無料配信されている。
=== スタッフ ===
*監督:[[芝山努]]
*製作:[[藤岡豊]]
*プロデューサー:[[片山哲生]]
*原作・主題曲(作詞・作曲・歌):楳図かずお
*脚本:[[城山昇]]、[[辻真先]]他
*作画監督:[[小林治 (1945年生のアニメ演出家)|小林治]]
*撮影:[[高橋宏固]]
*美術:[[門野真理子]]
*編集:[[鶴渕允寿]]
*録音:[[伊達康将|伊達渉]]
*音楽:[[川上了]]
*選曲:[[鈴木清司]]
*効果:[[倉橋静男]]([[東洋音響効果グループ|東洋音響]])
*制作:[[東京ムービー新社]]
*配給:[[東宝]]
=== 声の出演 ===
*[[杉山佳寿子]](まこと)
*[[吉田理保子]](美香)
*[[柳沢真一]](パパ)
*[[小原乃梨子]](ママ)
*[[千葉順二]](おじいさん)
*[[中島喜美栄]](おばあさん)
*[[水沢有美]](花子先生)
*[[肝付兼太]](まこと虫)
*[[岡本茉利|岡本茉莉]](友子)
*[[堀絢子]](モン太)
*[[村越伊知郎]]
*[[たてかべ和也]]
*[[野島昭生]]
*[[鳳芳野|加川三起]]
*[[青木和代]]
*[[山田栄子]]
*[[滝沢久美子]]
*[[あきやまるな|秋山るな]]
特別出演
*[[ツービート]]
**[[ビートたけし]](本人役)
**[[ビートきよし]](本人役)
*楳図かずお(本人役)
※映画クレジット順
{{芝山努監督作品}}
{{ビートたけし}}
== ギャグ ==
=== グワシ ===
登場人物が披露する指サイン。手で物を掴む時の擬態語が語源とされている。指サインを形作り相手に向け「グワシッ!!」「グワ〜シ!!」等と叫ぶ。作者である楳図かずおも[[テレビ番組]]などの出演時に二代目グワシを披露するが、自分の指でこのサインを形作るのが難しいため<ref>楳図特有のことではなく、中指と小指を曲げた状態を維持したまま薬指を立てることは手の構造上難解である。</ref>、「グワシハンド」と呼ばれる紙製のグワシを使用して披露している。「グワシ」には、以下のように様々なバリエーションが存在する<ref>詳細は [http://umezz.com/gwashi/ 楳図かずお公式HP内「グワシの歴史」] を参照。</ref>。
;初代グワシ(二級グワシ)
:初代グワシは、拳を握り掌を相手に向けた状態で[[中指]]のみを立てるというものだったが、[[アメリカ合衆国]]などでは "Fuck You" を意味する[[ファックサイン]]であるとの指摘を受け、二代目グワシへ変更した。作者は読者の投稿で指摘されるまで、この事実を知らなかった。
;二代目グワシ(免許皆伝グワシ)
:初代グワシが上記理由により変更を余儀なくされた際に、石川県在住の読者から寄せられた[[はがき]]の提案を元に作中に登場するようになった[[中指]]と[[小指]]を曲げるサイン。今日グワシといえば、一般的に二代目グワシを指す。上記グワシハンドも二代目グワシである。二代目グワシは、当時の日本中で爆発的に流行し、[[福島県]]在住の読者から寄せられた「グワシ免許書」の提案を元に七階級の級と段が設けられ、以下に挙げる様々な派生グワシが誕生した。
*四級グワシ - 拳を握った状態で、[[じゃんけん]]のグーと同じ。
*三級グワシ - 四級グワシの状態から[[親指]]と小指を立て、相手に向ける。
*二級グワシ - 上記初代グワシである。
*一級グワシ - 掌を相手に向けた状態で[[人差し指]]と[[薬指]]を曲げる。形状を[[戦闘機]]に見立て、グワシ戦闘機とも呼ばれる。
*初段グワシ - 拳を握った状態から薬指のみを立てる。一番難しいとされる。
*二段グワシ - 拳を握った状態から親指と薬指を立てる。
*免許皆伝グワシ - 上記二代目グワシである。
作者本人にはできないらしく、『[[マンガノゲンバ]]』出演時に実証している。
=== サバラ ===
グワシと同様に登場人物が披露する指サインで、中指と薬指を曲げるサイン。グワシ同様「サバラハンド」と呼ばれる紙製のサバラも存在する。作者の仕事場を訪ねてきた子供が、帰りがけに「さらば([[さよなら]])」と言おうとして「サバラ」と言ってしまったのが語源とされている。作者の楳図と同様にホラー漫画家の[[日野日出志]]のキャラクターはよくこれをやっている。
== 音楽 ==
いずれも[[日本コロムビア]](コロムビアミュージックエンタテインメント)からの発売。
*『まことちゃん/ビチグソロック』シングルレコード、1977年3月発売。漫画イメージソング
**A面:「まことちゃん」作詞:楳図かずお、作曲:[[イルカ (歌手)|イルカ]]、編曲:[[石川鷹彦]]、歌:[[野下まこと]]、台詞:[[山口奈々]]
**B面:「ビチグソロック」作詞・作曲:楳図かずお、編曲:[[内山修]]([[猫 (フォークグループ)|猫]])、歌:楳図かずお&[[ザ・チャープス]]、台詞:山口奈々
*『グワシ!!まことちゃん/ギャングの母』シングルレコード。漫画イメージソング
**A面「グワシ!!まことちゃん」作詞・作曲:楳図かずお、編曲:森一美、歌:KAZZ、[[フィーリング・フリー]]、演奏:ターゲット’54
**B面「ギャングの母」作詞・作曲:楳図かずお、編曲:森一美、歌:KAZZ、フィーリング・フリー、演奏:ターゲット’54
*『サンバ・デ・まことちゃん/パパ&ママROCK』シングルレコード、1980年発売。アニメ映画主題歌
**A面:「サンバ・デ・まことちゃん」作詞・作曲:楳図かずお、編曲:[[川上了]]、歌:楳図かずお&スーパー・ポリス
**B面:「パパ&ママROCK」作詞・作曲:楳図かずお、編曲:川上了、歌:楳図かずお&スーパー・ポリス
*『グワシ!!まことちゃん楳図かずおワールド』ベスト・アルバム[[コンパクトディスク|CD]]、2004年11月25日発売。
*『まことちゃん音頭』シングルCD、2010年12月22日発売。作詞・作曲・歌:楳図かずお、編曲:[[鈴木智文]]
== ボードゲーム ==
1979年に[[エポック社]]からボードゲームシリーズ「まんがゲーム」第14弾として、「楳図かずおのまことちゃんゲーム」が発売された。同シリーズはそれまで漫画家オリジナルだったが、本ゲームからキャラクター路線を並行発売となった。
== パチンコ ==
2007年に[[京楽産業.]]より[[パチンコ]]機『[[CRぱちんこまことちゃん]]』が発売された。
初当たり確率が1/45.2と高く、いわゆる「ハネデジ」に分類される。スルーチャッカーを通過させると役物上のチューリップが開放(スルーチャッカーの入賞は4発まで貯留ができる)。チューリップに入賞でデジタル回転となる。デジタルはまことの目に表示される2ケタのLEDで、両方とも1 - 7の数字とまこと虫の計8種の図柄で、3, 5, 7かまこと虫が揃えば大当たりとなる。
ラウンドが3ラウンドしかなく出玉がかなり少なめな、ローリスクローリターンが特徴。すべての大当たり後、4回転の確変に入り、この時に当たりを引くと以後70回転の時短に入り、その間に当たりを引くとそこからまた70回転というチャンスタイム。また、まこと虫で当たると突確の2ラウンド大当たりとなり、出玉はないが4回転確変+70回のチャンスタイムに突入する。
== 備考 ==
*連載当時大ブームとなっていた[[なんちゃっておじさん]]を題材にした「さがそう!なんちゃっておじさんの巻」(単行本12巻収録)に同じ少年サンデーで掲載されていた[[古谷三敏]]の『[[ダメおやじ]]』の雨野ダメ助とオニババ冬子が登場している。またその見返りかは不明だが、『ダメおやじ』(マイウェイ編)の「物置小屋のオタマちゃんの巻」で沢田まことを登場させている。
*[[和歌山県]][[橋本市]]の[[西日本旅客鉄道|JR]]・[[南海電気鉄道|南海]][[橋本駅 (和歌山県)|橋本駅]]前には「まことちゃん像」がある。
*作品が『まことちゃん』でありながら、ある回でいきなり『[[猫目小僧]]』が始まったことがある。ページをめくると、それはまことが見ていたテレビ番組であった。これは当時『[[妖怪伝 猫目小僧]]』が放映されていたことによるセルフパロディ。またこの劇中劇に登場した火山の妖怪うすは、当時噴火が社会問題になった[[有珠山]]が元ネタ。
*[[2011年]]、[[パラダイステレビ]]の[[特別番組]]『[[24時間テレビ エロは地球を救う]]』のTシャツに本作の主人公が起用された。
*『[[ケロロ軍曹]]』で[[クルル曹長]]が発明する「あらゆる機械を兵器化するナノマシン入り燃料」“兵器化飲料ナノラ”は、まことちゃんのトレードマークであるオカッパ頭・鼻水・グワシが容器に描かれている。
*[[2009年]]に[[ニンテンドーDS]]で発売された『[[サンデー&マガジン WHITE COMIC]]』にまことが登場する。原作と違い聖秀幼稚園ではなく、『[[1・2の三四郎]]』で東三四郎達が勤めているひまわり保育園の園児という設定。
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [http://umezz.com/jp/ UMEZZ.com: 楳図かずお情報サイト | 楳図かずお情報サイト]
* [https://websunday.net/museum/no27/ WEBサンデー > サンデー名作ミュージアム]
* [https://www.kyoraku.co.jp/product_site/2007/makotochan/ ぱちんこ まことちゃん]
* {{JMDb title|1980|dd002290|まことちゃん}}
* {{Allcinema title|147270|まことちゃん}}
* {{Kinejun title|19129|まことちゃん}}
* {{IMDb title|0204460|まことちゃん}}
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[[Category:楳図かずおの漫画作品]]
[[Category:漫画作品 ま|ことちやん]]
[[Category:1976年の漫画]]
[[Category:週刊少年サンデーの漫画作品]]
[[Category:ギャグ漫画]]
[[Category:漫画のスピンオフ作品]]
[[Category:幼稚園を舞台とした漫画作品]]
[[Category:新宿区を舞台とした漫画作品]]
[[Category:アニメ作品 ま|ことちやん]]
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[[Category:THE STREET SLIDERS]] | 2003-02-13T08:56:46Z | 2023-08-30T23:33:38Z | false | false | false | [
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1,251 | 電子戦隊デンジマン |
『電子戦隊デンジマン』(でんしせんたいデンジマン)は、1980年2月2日から1981年1月31日まで、テレビ朝日系列で毎週土曜18:00 - 18:30(JST)に全51話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。「スーパー戦隊シリーズ」第4作にあたる。
「○○戦隊」という呼称や、変身時のアイテムの使用、ヘルメットのデザインへのゴーグルの導入、色によるメンバーの区別、そして敵の怪人を必殺技で倒した直後に敵が巨大化して、メンバーが巨大ロボットに乗り込みロボットの繰り出す必殺技で再び倒すなど、以降のシリーズ作品で採り入れられている多くのスタイルは、本作品で確立された。高い人気を得た前作『バトルフィーバーJ』から、「5人のヒーローと巨大ロボットを中心としたメカニック」という基本要素を引継ぎつつも差別化のため、ヒーローが戦いのプロではなく元一般人であること、その出自が宇宙に由来すること、などの要素が導入されている。アクション面では、5人共同での連携攻撃が強調されている。
当時のSF映画ブームを受けて超科学で戦うというストーリーはSF色が強く打ち出されており、後の宇宙刑事シリーズに影響を与えたとされる。また、当時のファンタジー・SF映画ブームの翻訳処理は『南総里見八犬伝』を参考としており、8つの玉の代わりにデンジ星人の宿命が5人を集結させるほか、デンジ犬アイシーは同作品の八房をモデルとしており、『宇宙からのメッセージ』などの構築に見られた、東映の時代劇のノウハウに加えて、脚本家の上原正三の人格を重視した脚本姿勢によって、単なるSFではない日本的な宇宙伝奇ともいえる世界観となり、その独創性は善悪の攻防以外の要素が炙り出されるものとなった。初期企画書では冒頭に世界の怪奇現象を列挙するなど敵側の怪奇性が強調されていた。序盤では一般人が残酷に殺されたりなど怪奇色も強く、中盤以降でも一般人が利用されて(あるいは怪物になって)死ぬといった内容もある。そして終盤では、脚本の上原が後の作品でも用いた敵組織の内部抗争が描かれた。また、コメディタッチの描写(青梅の「あんパン好き」など)も随所にちりばめられている。
次作『太陽戦隊サンバルカン』は世界観のつながった続編にあたり、ヘドリアン女王が新組織ブラックマグマに参加する形でレギュラー出演するほか、ストーリーの中でデンジ星人の設定を引き継いだエピソードの回も存在する。また黄山純役の津山栄一によれば、「デンジマン役の5人がヘドリアン女王とすれ違い、彼女がいぶかしむ」という形でのゲスト出演が検討されたこともあったが、結局は実現しなかったとのことである。
企画段階での仮称は『電子マン・トリッガー』。実際の作品ではデンジ姫が担った「ベーダーに滅ぼされた異星の生き残り」という役が、ヒロインのクリスタル/トリッガー5にあてられていた。決定名称の『電子戦隊デンジマン』はプロデューサーの吉川進の提案によるもので、東映の渡邊亮徳常務から「電子もデンジも同じようなもんじゃないか」と反対されたが、村上克司が「電子と言った次に、より強いデンジという言葉を重ねるのです」と、似た言葉を連呼する意義を説明し、許可を得た。
キャラクターデザインは前作後半から参加した野口竜が担当。しかしデンジマンのデザインはポピーにより大幅に変更され、これが同社による初のヒーローデザインとなった。本作品からゴーグル型シールドが採用された理由は、レインボー造型企画創始者・前澤範がかねてより抱いていた「アクリル樹脂による1枚もののシールド造型」という構想が、素材やデザインなどの条件とちょうど合致した時期だったからである。この手法は覗き穴をなくし視界を広げるという利点があったが、デンジマンのマスクには本体とゴーグル部分との段差がないため、シールド接着面を2ミリメートルだけ削るという困難な作業が要求された。そのうえ、額のデンジメカ収納部もシールドになっているため、土台となるマスクの耐久性はとても低かった。ノウハウが蓄積された後年ではシールドと土台の接着面を可能な限り大きくするよう心がけており、2011年の『海賊戦隊ゴーカイジャー』制作の際にデンジマンのマスクを見たレインボー造型企画のスタッフは、「今これを作れといったら難儀だ」と述懐している。なお、アクション用マスクのゴーグルには従来どおり空気穴を兼ねたのぞき穴が空けられているが、これも本作品までとなった。
東映とマーベル・コミック・グループの提携作品であるが、マーベル色は曽我町子が演じたヘドリアン女王の衣裳デザインに「死の女神ヘラ」の名残を残す程度に抑えられた。マーベル・ヒーローのシルバーサーファーやハルクを用いた企画も存在したが、『バトルフィーバーJ』の後番組もチームヒーロー作品とすることは早くから決まっており、これら単体ヒーローの作品が実現することはなかった。
本作品では内容向上のため時間をかけて制作されており、スケジュールは遅れ気味であったとされる。そのため次作『サンバルカン』は早期に準備が行われ、初期数話は本作品とは別編成で撮影が行われた。
3000年前にデンジ星を滅ぼした異次元人で悪の一族ベーダー一族が地球に襲来、地球総ヘドロ化を企む。
しかし、デンジ星人の生き残りはベーダーに立ち向かうべく、科学力を結集して作った巨大宇宙船デンジランドをすでに地球に送り込んでいた。ベーダーの侵攻をキャッチしたデンジランドはシステムが起動し、覚醒したデンジ星の生き残りロボット犬アイシーは記憶装置に従って地球に移住したデンジ星人の末裔である5人の若者を選び出し、電子戦隊デンジマンを結成した。
デンジマンは地球を守るためにベーダー一族との戦いに挑む。
デンジマンの5人は、普段は同じアスレチッククラブでインストラクターとして働いており、また名字にそれぞれのパーソナルカラーを含んでいるという共通項を持つ。デンジマンであることは世間一般には秘密にしている一方、インターポールから依頼を受けることもあるなど、社会的には一定の信頼を得ている描写も散見される。またデンジ星にも先代の「電子戦隊」が存在していたことが、ベーダー側の台詞にて示唆されている。
デンジマンへの変身にはデンジリングと呼ばれる変身用の指輪を使用する。リングをかざして「デンジスパーク!」と発声し、合わせてリングから放出されるデンジ強化服を装着、変身プロセスを完了する。このリングも含め、各種アイテムに入っているロゴマークはアルファベットの「D」を、真ん中で二つに分割したものが用いられている。集合時の名乗りは「見よ、電子戦隊デンジマン!!」。
デンジマンが5人で放つ必殺技には、以下のものがある。発動は、リーダーであるレッドの号令により行われる。
異次元宇宙に潜む好戦的な別世界の人類の種族。幹部全員が顔出し俳優による人間である。爆発によって故郷のベーダー星を失っている。一般の宇宙とは全く異なる美醜の感覚を持ち、人間が美しいと思うものを醜いと感じて嫌悪し、ヘドロなどの汚いものを美しく感じる。デンジ星を始めとする多くの星々を滅ぼしており、地球もガスやヘドロで渦巻く腐った世界に改造しようとする。異次元空間に浮かぶ巨大なベーダー魔城を本拠地にしている。怪人までがヘドリアン女王のカリスマ性に忠誠を誓い、歴代でも屈指の結束の固さを誇る敵組織だが、客将バンリキ魔王の参入以降大きく引っ掻き回されることとなる。名前はヘドリアン女王と元々ベーダーではないバンリキ魔王一派を除き、全て「○○ラー」で統一されている。
各キャラクターの身長・体重などの設定はない。
本作品では、シリーズで初めて第三勢力が登場した。
青梅大五郎/デンジブルー役には、前作『バトルフィーバーJ』で曙四郎/バトルケニアを演じた大葉健二がスピンオフとして出演している。
緑川達也/デンジグリーン役の内田直哉は、『バトルフィーバーJ』第16話にゲスト出演しており、同話数を演出した監督の竹本弘一からの推薦で、本作品に起用された。第26話ゲストの中尾隆聖は、当時内田とユニットフォーインワンとして活動していた縁から起用された。
※漢字表記は、ファンタスティックコレクションNo.39『電子戦隊デンジマン』朝日ソノラマ(1984年)、テレビマガジン特別編集『スーパー戦隊大全集』講談社(1988年)ISBN 4061784099に拠る。
ダイデンジン役として日下秀昭が初参加し、以後のシリーズでも戦隊ロボ役のスーツアクターとして定着した。デンジピンク役の竹田道弘も本作品で初めて女性キャラクターを担当した。
デンジグリーン役の村上潤は撮影中に膝を負傷し、代役を務めていた柴原孝典が後半を担当した。
上記の他、第34話において「母の背で覚えた子守唄」(歌:みなみらんぼう)が使用された。
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"text": "キャラクターデザインは前作後半から参加した野口竜が担当。しかしデンジマンのデザインはポピーにより大幅に変更され、これが同社による初のヒーローデザインとなった。本作品からゴーグル型シールドが採用された理由は、レインボー造型企画創始者・前澤範がかねてより抱いていた「アクリル樹脂による1枚もののシールド造型」という構想が、素材やデザインなどの条件とちょうど合致した時期だったからである。この手法は覗き穴をなくし視界を広げるという利点があったが、デンジマンのマスクには本体とゴーグル部分との段差がないため、シールド接着面を2ミリメートルだけ削るという困難な作業が要求された。そのうえ、額のデンジメカ収納部もシールドになっているため、土台となるマスクの耐久性はとても低かった。ノウハウが蓄積された後年ではシールドと土台の接着面を可能な限り大きくするよう心がけており、2011年の『海賊戦隊ゴーカイジャー』制作の際にデンジマンのマスクを見たレインボー造型企画のスタッフは、「今これを作れといったら難儀だ」と述懐している。なお、アクション用マスクのゴーグルには従来どおり空気穴を兼ねたのぞき穴が空けられているが、これも本作品までとなった。",
"title": "概要"
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"text": "東映とマーベル・コミック・グループの提携作品であるが、マーベル色は曽我町子が演じたヘドリアン女王の衣裳デザインに「死の女神ヘラ」の名残を残す程度に抑えられた。マーベル・ヒーローのシルバーサーファーやハルクを用いた企画も存在したが、『バトルフィーバーJ』の後番組もチームヒーロー作品とすることは早くから決まっており、これら単体ヒーローの作品が実現することはなかった。",
"title": "概要"
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"text": "本作品では内容向上のため時間をかけて制作されており、スケジュールは遅れ気味であったとされる。そのため次作『サンバルカン』は早期に準備が行われ、初期数話は本作品とは別編成で撮影が行われた。",
"title": "概要"
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"text": "3000年前にデンジ星を滅ぼした異次元人で悪の一族ベーダー一族が地球に襲来、地球総ヘドロ化を企む。",
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"text": "しかし、デンジ星人の生き残りはベーダーに立ち向かうべく、科学力を結集して作った巨大宇宙船デンジランドをすでに地球に送り込んでいた。ベーダーの侵攻をキャッチしたデンジランドはシステムが起動し、覚醒したデンジ星の生き残りロボット犬アイシーは記憶装置に従って地球に移住したデンジ星人の末裔である5人の若者を選び出し、電子戦隊デンジマンを結成した。",
"title": "あらすじ"
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"text": "デンジマンは地球を守るためにベーダー一族との戦いに挑む。",
"title": "あらすじ"
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"text": "デンジマンの5人は、普段は同じアスレチッククラブでインストラクターとして働いており、また名字にそれぞれのパーソナルカラーを含んでいるという共通項を持つ。デンジマンであることは世間一般には秘密にしている一方、インターポールから依頼を受けることもあるなど、社会的には一定の信頼を得ている描写も散見される。またデンジ星にも先代の「電子戦隊」が存在していたことが、ベーダー側の台詞にて示唆されている。",
"title": "登場人物"
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"text": "デンジマンへの変身にはデンジリングと呼ばれる変身用の指輪を使用する。リングをかざして「デンジスパーク!」と発声し、合わせてリングから放出されるデンジ強化服を装着、変身プロセスを完了する。このリングも含め、各種アイテムに入っているロゴマークはアルファベットの「D」を、真ん中で二つに分割したものが用いられている。集合時の名乗りは「見よ、電子戦隊デンジマン!!」。",
"title": "登場人物"
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"text": "デンジマンが5人で放つ必殺技には、以下のものがある。発動は、リーダーであるレッドの号令により行われる。",
"title": "デンジマンの装備・戦力"
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"text": "異次元宇宙に潜む好戦的な別世界の人類の種族。幹部全員が顔出し俳優による人間である。爆発によって故郷のベーダー星を失っている。一般の宇宙とは全く異なる美醜の感覚を持ち、人間が美しいと思うものを醜いと感じて嫌悪し、ヘドロなどの汚いものを美しく感じる。デンジ星を始めとする多くの星々を滅ぼしており、地球もガスやヘドロで渦巻く腐った世界に改造しようとする。異次元空間に浮かぶ巨大なベーダー魔城を本拠地にしている。怪人までがヘドリアン女王のカリスマ性に忠誠を誓い、歴代でも屈指の結束の固さを誇る敵組織だが、客将バンリキ魔王の参入以降大きく引っ掻き回されることとなる。名前はヘドリアン女王と元々ベーダーではないバンリキ魔王一派を除き、全て「○○ラー」で統一されている。",
"title": "ベーダー一族"
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"text": "各キャラクターの身長・体重などの設定はない。",
"title": "ベーダー一族"
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"text": "本作品では、シリーズで初めて第三勢力が登場した。",
"title": "第三勢力"
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"text": "青梅大五郎/デンジブルー役には、前作『バトルフィーバーJ』で曙四郎/バトルケニアを演じた大葉健二がスピンオフとして出演している。",
"title": "キャスト"
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"text": "緑川達也/デンジグリーン役の内田直哉は、『バトルフィーバーJ』第16話にゲスト出演しており、同話数を演出した監督の竹本弘一からの推薦で、本作品に起用された。第26話ゲストの中尾隆聖は、当時内田とユニットフォーインワンとして活動していた縁から起用された。",
"title": "キャスト"
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"text": "※漢字表記は、ファンタスティックコレクションNo.39『電子戦隊デンジマン』朝日ソノラマ(1984年)、テレビマガジン特別編集『スーパー戦隊大全集』講談社(1988年)ISBN 4061784099に拠る。",
"title": "キャスト"
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"text": "ダイデンジン役として日下秀昭が初参加し、以後のシリーズでも戦隊ロボ役のスーツアクターとして定着した。デンジピンク役の竹田道弘も本作品で初めて女性キャラクターを担当した。",
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"text": "デンジグリーン役の村上潤は撮影中に膝を負傷し、代役を務めていた柴原孝典が後半を担当した。",
"title": "キャスト"
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"text": "上記の他、第34話において「母の背で覚えた子守唄」(歌:みなみらんぼう)が使用された。",
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"text": "いずれも発売元は東映ビデオ。",
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] | 『電子戦隊デンジマン』(でんしせんたいデンジマン)は、1980年2月2日から1981年1月31日まで、テレビ朝日系列で毎週土曜18:00 - 18:30(JST)に全51話が放送された、東映制作の特撮テレビドラマ、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。「スーパー戦隊シリーズ」第4作にあたる。 | {{拡張半保護}}
{{Pathnav|スーパー戦隊シリーズ|frame=1}}
{{注意|クレジットなどで確認できない[[スーツアクター]]の役柄を記載する場合には、'''必ず[[Wikipedia:信頼できる情報源|信頼可能な情報源]]からの[[Wikipedia:出典を明記する|出典を示してください]]。'''出典の無い情報については、[[Wikipedia:独自研究は載せない]]に基づき一定期間ののち除去されるおそれがあります([[プロジェクト:特撮/スーツアクターの役名記載について]]での議論に基づく)}}
{| style="float: right; text-align:center; border-collapse:collapse; border:2px solid black; white-space:nowrap"
|-
|colspan="3" style="background-color:#ffccff; border:1px solid black; white-space:nowrap"|'''[[スーパー戦隊シリーズ]]'''
|-
|style="border:1px solid black; background-color:#ffccff; white-space:nowrap"|'''第3作'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|[[バトルフィーバーJ|バトル<br />フィーバーJ]]
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|1979年2月<br />- 1980年1月
|-
|style="border:1px solid black; background-color:#ffccff; white-space:nowrap"|'''第4作'''
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|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|1980年2月<br />- 1981年1月
|-
|style="border:1px solid black; background-color:#ffccff; white-space:nowrap"|'''第5作'''
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|[[太陽戦隊サンバルカン|太陽戦隊<br />サンバルカン]]
|style="border:1px solid black; white-space:nowrap"|1981年2月<br />- 1982年1月
|}
{{基礎情報 テレビ番組
|番組名=電子戦隊デンジマン
|ジャンル=[[特撮]][[テレビドラマ]]
|放送時間=土曜 18:00 - 18:30
|放送枠=スーパー戦隊シリーズ
|放送分=30
|放送期間=[[1980年]][[2月2日]] -<br />[[1981年]][[1月31日]]
|放送回数=全51
|放送国={{JPN}}
|制作局=[[テレビ朝日]]
|放送局=[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]
|企画=
|製作総指揮=
|監督=[[竹本弘一]] 他
|演出=
|原作=[[八手三郎]]
|脚本=[[上原正三]] 他
|プロデューサー={{Plainlist|
* 落合兼武
* [[碓氷夕焼]](テレビ朝日)
* [[吉川進]](東映)
}}
|出演者={{Plainlist|
* [[結城真一]]
* [[大葉健二]]
* [[津山栄一]]
* [[内田直哉]]
* [[弓あきら|小泉あきら]]
* [[酒井ゆきえ]]
* [[藤堂新二|香山浩介]]
* 美川利恵
* [[湖条千秋]]
* [[曽我町子]]
* [[大前均]] 他
}}
|声の出演={{Plainlist|
* [[京田尚子]]
* [[飯塚昭三]]
* [[渡部猛]]
}}
|ナレーター=[[大平透]]
|音声={{Plainlist|
* [[モノラル放送]]
* [[シネテープ]]
}}
|字幕=
|データ放送=
|音楽=[[渡辺宙明]]
|OPテーマ=「[[ああ電子戦隊デンジマン/デンジマンにまかせろ!|ああ電子戦隊デンジマン]]」<br />歌:[[成田賢]]
|EDテーマ=「[[ああ電子戦隊デンジマン/デンジマンにまかせろ!|デンジマンにまかせろ!]]」<br />歌:成田賢
|言語=[[日本語]]
|外部リンク=
|外部リンク名=
|特記事項=「[[スーパー戦隊シリーズ]]」 第4作
}}
『'''電子戦隊デンジマン'''』(でんしせんたいデンジマン)は、[[1980年]][[2月2日]]から[[1981年]][[1月31日]]まで、[[テレビ朝日]][[オールニッポン・ニュースネットワーク|系列]]で毎週土曜18:00 - 18:30([[日本標準時|JST]])に全51話が放送された、[[東映]]制作の[[特撮テレビ番組一覧|特撮テレビドラマ]]、および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称。「[[スーパー戦隊シリーズ]]」第4作にあたる。
== 概要 ==
=== 特徴 ===
「○○戦隊」という呼称や、変身時のアイテムの使用、ヘルメットのデザインへのゴーグルの導入、色によるメンバーの区別、そして敵の怪人を必殺技で倒した直後に敵が巨大化して、メンバーが巨大ロボットに乗り込みロボットの繰り出す必殺技で再び倒すなど、以降のシリーズ作品で採り入れられている多くのスタイルは、本作品で確立された{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集164|全怪獣378|超世紀155|読本|20th04}}}}。高い人気を得た前作『[[バトルフィーバーJ]]』から、「5人のヒーローと巨大ロボットを中心としたメカニック」という基本要素を引継ぎつつも差別化のため、ヒーローが戦いのプロではなく元一般人であること、その出自が宇宙に由来すること、などの要素が導入されている{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集164|全怪獣378|超世紀155}}{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|pp=154-155}}}}。アクション面では、5人共同での連携攻撃が強調されている{{R|20th81}}。
当時の[[SF映画]]ブームを受けて超科学で戦う{{R|読本}}というストーリーは[[サイエンス・フィクション|SF]]色が強く打ち出されており{{R|超世紀155|20th04}}{{efn|宇宙ファンタジー要素について[[スター・ウォーズシリーズ]]の影響と言われることもあるが、企画協力として設定制作を担当する[[企画者104]]の横田誠はこれを否定しており、[[吉川進]]と[[上原正三]]のやり取りから生まれたものであったと述べている{{R|20th90}}。}}、後の[[宇宙刑事シリーズ]]に影響を与えたとされる{{R|画報}}。また、当時のファンタジー・SF映画ブームの翻訳処理は『[[南総里見八犬伝]]』を参考としており、8つの玉の代わりにデンジ星人の宿命が5人を集結させるほか、デンジ犬アイシーは同作品の八房をモデルとしており{{R|sentaitaizen11|20th04}}、『[[宇宙からのメッセージ]]』などの構築に見られた、東映の時代劇のノウハウに加えて、脚本家の[[上原正三]]の人格を重視した脚本姿勢によって、単なるSFではない日本的な宇宙伝奇ともいえる世界観となり、その独創性は善悪の攻防以外の要素が炙り出されるものとなった{{R|特撮全史}}。初期企画書では冒頭に世界の怪奇現象を列挙するなど敵側の怪奇性が強調されていた{{R|超世紀155}}。序盤では一般人が残酷に殺されたりなど怪奇色も強く、中盤以降でも一般人が利用されて(あるいは怪物になって)死ぬといった内容もある。そして終盤では、脚本の上原が後の作品{{efn|『太陽戦隊サンバルカン』や『[[宇宙刑事シャリバン]]』など。}}でも用いた敵組織の内部抗争が描かれた{{Refnest|group="出典"|{{R|画報|大全集164|超世紀155}}}}。また、コメディタッチの描写(青梅の「あんパン好き」など)も随所にちりばめられている。
次作『太陽戦隊サンバルカン』は世界観のつながった続編にあたり、ヘドリアン女王が新組織ブラックマグマに参加する形でレギュラー出演するほか、ストーリーの中でデンジ星人の設定を引き継いだエピソードの回も存在する。また黄山純役の[[津山栄一]]によれば、「デンジマン役の5人がヘドリアン女王とすれ違い、彼女がいぶかしむ」という形でのゲスト出演が検討されたこともあったが、結局は実現しなかったとのことである{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=159}}。
=== 制作 ===
企画段階での仮称は『電子マン・トリッガー』{{R|大全集164|超世紀155}}。実際の作品ではデンジ姫が担った「ベーダーに滅ぼされた異星の生き残り」という役が、ヒロインのクリスタル/トリッガー5にあてられていた{{R|超世紀155}}{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|pp=92 - 93}}。決定名称の『電子戦隊デンジマン』はプロデューサーの[[吉川進]]の提案によるもので{{R|超世紀155}}、東映の渡邊亮徳常務から「電子もデンジも同じようなもんじゃないか」と反対されたが、村上克司が「電子と言った次に、より強いデンジという言葉を重ねるのです」と、似た言葉を連呼する意義を説明し、許可を得た{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=89}}{{R|20th05}}。
キャラクターデザインは前作後半から参加した[[野口竜]]が担当{{R|大全集164}}。しかしデンジマンのデザインはポピーにより大幅に変更され、これが同社による初のヒーローデザインとなった{{R|大全集164|超世紀155}}。本作品からゴーグル型シールドが採用された理由は、[[レインボー造型企画]]創始者・[[前澤範]]がかねてより抱いていた「[[アクリル樹脂]]による1枚もののシールド造型」という構想が、素材やデザインなどの条件とちょうど合致した時期だったからである{{R|大全集184}}{{Sfn|豪快演義|2012|p=154}}。この手法は覗き穴をなくし視界を広げるという利点があったが{{R|大全集184}}、デンジマンのマスクには本体とゴーグル部分との段差がないため、シールド接着面を2ミリメートルだけ削るという困難な作業が要求された{{R|大全集184}}{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=151}}。そのうえ、額のデンジメカ収納部もシールドになっているため、土台となるマスクの耐久性はとても低かった。ノウハウが蓄積された後年ではシールドと土台の接着面を可能な限り大きくするよう心がけており、2011年の『[[海賊戦隊ゴーカイジャー]]』制作の際にデンジマンのマスクを見たレインボー造型企画のスタッフは、「今これを作れといったら難儀だ」と述懐している{{Sfn|豪快演義|2012|p=154}}。なお、アクション用マスクのゴーグルには従来どおり空気穴を兼ねたのぞき穴が空けられているが、これも本作品までとなった{{Sfn|大全集|1993|p=199}}。
東映と[[マーベル・コミック|マーベル・コミック・グループ]]の提携作品であるが、マーベル色は[[曽我町子]]が演じたヘドリアン女王の衣裳デザインに「死の女神ヘラ」の名残を残す程度に抑えられた{{R|sentaitaizen11}}<ref>{{Cite journal|和書|date=2005-12-10|journal=東映ヒーローMAX|volume=Vol.15|page=61|publisher=[[辰巳出版]]|isbn=978-4777802111}}</ref>。マーベル・ヒーローの[[シルバーサーファー]]や[[ハルク (マーベル・コミック)|ハルク]]を用いた企画も存在したが、『バトルフィーバーJ』の後番組もチームヒーロー作品とすることは早くから決まっており、これら単体ヒーローの作品が実現することはなかった{{R|sentaitaizen11}}。
本作品では内容向上のため時間をかけて制作されており、スケジュールは遅れ気味であったとされる{{R|大全集166}}。そのため次作『サンバルカン』は早期に準備が行われ、初期数話は本作品とは別編成で撮影が行われた{{R|大全集166}}。
== あらすじ ==
3000年前にデンジ星を滅ぼした異次元人で悪の一族'''ベーダー一族'''が地球に襲来、地球総ヘドロ化を企む。
しかし、デンジ星人の生き残りはベーダーに立ち向かうべく、科学力を結集して作った巨大宇宙船デンジランドをすでに地球に送り込んでいた。ベーダーの侵攻をキャッチしたデンジランドはシステムが起動し、覚醒したデンジ星の生き残りロボット犬アイシーは記憶装置に従って地球に移住したデンジ星人の末裔である5人の若者を選び出し、'''電子戦隊デンジマン'''を結成した。
デンジマンは地球を守るためにベーダー一族との戦いに挑む。
== 登場人物 ==
=== 電子戦隊デンジマン ===
デンジマンの5人は、普段は同じアスレチッククラブでインストラクターとして働いており、また名字にそれぞれのパーソナルカラーを含んでいるという共通項を持つ。デンジマンであることは世間一般には秘密にしている一方、[[国際刑事警察機構|インターポール]]から依頼を受けることもあるなど{{R|group="ep"|28話}}、社会的には一定の信頼を得ている描写も散見される。またデンジ星にも先代の「電子戦隊」が存在していたことが、ベーダー側の台詞にて示唆されている{{R|group="ep"|2話}}。
デンジマンへの変身には'''デンジリング'''と呼ばれる変身用の[[指輪]]を使用する。リングをかざして「'''デンジスパーク!'''」と発声し、合わせてリングから放出されるデンジ強化服を装着、変身プロセスを完了する。このリングも含め、各種アイテムに入っているロゴマークはアルファベットの「D」を、真ん中で二つに分割したものが用いられている{{R|学研の図鑑246}}{{efn|この他にアイシーの「IC」がデザイン化された説もある{{R|学研の図鑑246}}。}}。集合時の名乗りは「'''見よ、電子戦隊デンジマン!!'''」{{R|20th06}}。
; {{Visible anchor|{{読み仮名|赤城 一平|あかぎ いっぺい}}|赤城一平}}
: デンジマンのリーダー{{R|20th08|学研の図鑑216}}。熱血漢の武道家{{R|学研の図鑑216}}。特に[[ボクシング]]が得意。また、優れた判断力を持ち、メンバーからの信頼も厚い{{R|学研の図鑑216}}。ストイックで厳しい性格だが、ユーモアも解す。空手の有段者で、アスレチッククラブでは子供たちに[[空手]]を教えている{{R|20th06|学研の図鑑216}}。空手の師匠やボクシングのコーチなど格闘技に精通した知人友人も多い。よくあっち向いてホイで遊んでいる{{R|学研の図鑑216}}。
:; {{Visible anchor|デンジレッド}}
:: 赤城一平が変身する戦士{{R|20th08}}。デンジストーンの形は丸。
:: 格闘技全般に長け、空手を応用したキック技やボクシングを応用したパンチ技などを得意としている{{R|20th06|学研の図鑑216}}。'''デンジ真空げり'''が得意技。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|青梅 大五郎|おうめ だいごろう}}|青梅大五郎}}
: デンジマンのサブリーダー格{{R|学研の図鑑216}}。空中ブランコなどのアクロバットを得意にしていた元矢下[[サーカス]]団団員{{R|20th10}}の花形スター{{R|学研の図鑑216}}。常に明るい性格のひょうきん者{{R|20th10|学研の図鑑216}}。食いしん坊で、食べ物を使ったベーダーの作戦に引っ掛かってしまうことも。特に「中毒」と揶揄されるほど[[あんパン]]が大好物で{{R|学研の図鑑216}}、常に複数個持ち歩いているほか、ロッカー内にも大量のあんパンが積まれている{{R|group="ep"|16話}}。作戦会議中でも食べていてアイシーにたしなめられたこともある。アスレチッククラブで子どもたちに[[ヨガ]]や[[体操]]を教えている{{R|20th10|学研の図鑑216}}。孤児だったため子どもに優しく、子どもからも人気がある{{R|学研の図鑑216}}。嗅覚に優れ、鼻がよく利く{{R|20th10|学研の図鑑216}}。[[なぞなぞ]]は苦手。将来の息子には「大十郎」という名前をつける{{R|学研の図鑑216}}。
: 劇場作品『[[ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦]]』『[[海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン THE MOVIE]]』にも登場。
:* 演じた[[大葉健二]]によれば、あんパン好きという設定は監督の[[竹本弘一]]が「カレーを食うようなやつ」を求め、三枚目役を引き受けた大葉が志願したところ出てきたものであったという{{R|仮面俳優209}}。
:; {{Visible anchor|デンジブルー}}
:: 青梅大五郎が変身する戦士{{R|20th10}}。デンジストーンの形は六角形。
:: サーカス時代のテクニックを応用したアクロバット戦法や動物の特徴を取り入れた技を用いる{{R|20th10|学研の図鑑216}}。'''ブルースクリューキック'''が得意技。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|黄山 純|きやま じゅん}}|黄山純}}
: [[知能指数]]200超えの天才大学生で{{R|20th12}}、東明大学の研究室員{{R|学研の図鑑216}}。数字に強いこだわりを持つ{{R|学研の図鑑216}}。大らかで穏やかな性格だが恋愛には疎く、意外とおっちょこちょい{{R|学研の図鑑216}}。大学では[[天体物理学|宇宙物理学]]を専攻し{{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen100|gahou86|学研の図鑑216}}{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=10}}}}{{efn|資料によっては[[宇宙生物学]]と記述している{{R|material16|20th12}}。}}、[[隕石]]と宇宙生物の研究を行っていた。その天才的頭脳を活かし、科学的にベーダー怪物の弱点を分析し、有効な攻撃法を発見することもある{{R|学研の図鑑216}}。趣味は乗馬と料理{{R|20th12|学研の図鑑216}}。アスレチッククラブではクラブに通う主婦向けの料理教室{{R|20th12|学研の図鑑216}}と美容体操の講師をしている。さらにデンジマンや子供たちが出入りする喫茶コーナーでも食事や軽食を振る舞っている。得意料理は[[ナポリタン|スパゲティ・ナポリタン]]とカレーライス{{R|20th12}}。
:* 知的なキャラクターとしては意外にも5人の中で一番の怪力の持ち主だが{{R|大全集18}}、これはデザイン段階で巨漢として描かれていたことの名残と思われる{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=159}}。児童誌の漫画にも大柄な黄山が描かれているものがあり、それを見た演者の津山栄一は「こんなものは俺と違う」と思っていたという{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|pp=101、159}}。青梅役の大葉によれば、当初は黄山が三枚目キャラクターとなる予定であったが、津山がこれを嫌がり大葉が三枚目役を引き受けたという{{R|仮面俳優209}}。
:; {{Visible anchor|デンジイエロー}}
:: 黄山純が変身する戦士{{R|20th12}}。デンジストーンの形は上に丸みを帯びた台形。
:: 多彩なプロレス技を用いるパワーファイターである{{R|20th12|学研の図鑑216}}。'''ハンマーパンチ'''が得意技。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|緑川 達也|みどりかわ たつや}}|緑川達也}}
: 元[[警視庁]]城南警察署の刑事{{R|20th14|学研の図鑑216}}。同じく刑事だった父をベーダー(ムササビラー)に殺されているが{{R|group="ep"|1話}}、その憎しみを表情に出さない、クールで寡黙な不言実行タイプ{{R|学研の図鑑216}}。しかし一度熱くなると手がつけられず{{R|20th14}}、悪を憎む秘めた思いは熱い{{R|学研の図鑑216}}。趣味はギターの弾き語り{{R|20th14|学研の図鑑216}}。アスレチッククラブではボクシングを教えており{{R|20th14|学研の図鑑216}}、警察時代に磨いた[[射撃]]能力はデンジマンの中ではNo.1である{{R|20th14}}。元刑事ならではの情報収集能力も優れている{{R|20th14}}。飲み物はコーヒー派{{R|学研の図鑑216}}。
:; {{Visible anchor|デンジグリーン}}
:: 緑川達也が変身する戦士{{R|20th14}}。デンジストーンの形は上に丸みを帯びた逆三角形。
:: スピーディな動きと蹴り技を得意とし、ボクシングや射撃技術の応用も用いた正確な攻撃で敵にダメージを与える{{R|20th14|学研の図鑑216}}}。デンジバギーでは射撃手を担当する{{R|学研の図鑑216}}。'''グリーンスピンキック'''が得意技。
::* 名乗りシーンでの回し蹴りは、デンジグリーンのスーツアクターである[[村上潤]]が『[[メガロマン]]』で行っていた旋風脚をアクション監督の[[山岡淳二]]が気に入り取り入れたものである{{R|仮面俳優173|20th95}}。村上自身はきれいに着地するのが難しいので嫌だったと述べており、当初は1回転していたものを半回転に抑えるなどバランスを取る工夫をしている{{R|仮面俳優173}}。初期の撮影で山岡が遅刻していた際に村上が脚の振りを省略したところ、到着した山岡に脚を戻すよう言われたといい、村上はアクション監督としてのこだわりがあったのだろうと述懐している{{R|20th95}}。
:
; {{Visible anchor|{{読み仮名|桃井 あきら|ももい あきら}}|桃井あきら}}
: デンジマンの紅一点。元[[テニス]]選手{{R|学研の図鑑216}}。テニスの高山コーチをベーダーに惨殺され{{R|group="ep"|1話}}、一度は戦うものの、テニスの世界チャンピオンの夢があきらめきれず、デンジマンになることを拒んだこともあった{{R|group="ep"|2話}}。普段はアスレチッククラブで[[水泳]]や[[合気道]]、テニスを教えている{{R|20th16|学研の図鑑216}}。また[[ピアノ]]の腕もプロ並みで、子供たちに教えることもあった{{R|20th16|学研の図鑑216}}。性格は活発で明朗な才色兼備で、気遣いができるなど優れた才能を持つ{{R|学研の図鑑216}}。変装が得意{{R|学研の図鑑216}}。古代織の素質がある{{R|学研の図鑑216}}。マンションでは一人暮らし{{R|学研の図鑑216}}。中盤で彼女がデンジ星の末裔だったことが明らかにされた。
:; {{Visible anchor|デンジピンク}}
:: 桃井あきらが変身する戦士{{R|20th16}}。デンジストーンの形はスペースストーン{{Sfn|完全超百科|2006|p=14}}。
:: 他の4人に比べてパワーがない反面、テニスプレーヤーらしい反射神経の鋭さと、しなやかな動きと合気道を応用した敵の力を利用する技を生かして戦う{{R|20th16|学研の図鑑216}}。また剣技も用いる{{R|20th16|学研の図鑑216}}。'''デンジサンダー'''が得意技。
=== デンジマンの関係者 ===
; {{Visible anchor|デンジ犬アイシー}}
: 一見普通の[[チャウチャウ]]犬だが、実はデンジ星の科学者と王家によって技術の粋を結集して作られた電子頭脳と意志を持ち人語を話すロボット犬{{R|material16|学研の図鑑97}}で、デンジマンの司令官。ロボットだが普通の食べ物をエネルギー源にしており、黄山の料理に文句をつけるなど味にもうるさい。腹が減った時の動物の勘は鋭く、朝食がないとご機嫌斜め{{R|学研の図鑑216}}。目を光らせることで、目の前の人物がデンジ星人の子孫かその能力を持っているかどうかを見分けることができる。テレパシーやバリアが使えるほか、デンジタイガーやダイデンジンの操縦も可能。最後はバンリキモンスの猛攻に回路が故障して動けないダイデンジンを動かすためにその身を犠牲にしてダイデンジンの破壊された電子頭脳の代わりにメカの一部となった{{R|group="ep"|51話}}。最終決戦後、デンジマンはアイシーを称えて、アイシーの名を冠したサッカー大会「アイシー賞記念サッカー」を開き、優勝トロフィーにもアイシーの顔を刻んだものを用意した{{R|group="ep"|51話}}。
:* アイシー役のチャウチャウ犬は36話の撮影中に病死しており、以降は別に用意した犬やぬいぐるみの他、以前の映像を流用するなど対応している{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=158}}。
; {{Visible anchor|デンジ姫}}
: デンジ星の王家の王女。約3000年前、ベーダー一族によりデンジ星を滅ぼされ、巨大宇宙帆船「グレートクイーン号」{{efn|資料によっては'''グレートクィーン'''と記述している{{R|material16}}。}}で脱出し、宇宙を彷徨っていたが地球に到着し、入植する。デンジ星の末裔を導いている。
: 劇場版で初登場し、テレビでは第26話よりその存在が語られる。
; {{読み仮名|松尾 千恵子|まつお ちえこ}}
: 城南署所属の婦人警官で、愛称は'''チーコ'''。階級は巡査。緑川とは顔なじみにあたり、彼のことを「ミドちゃん」と呼んでいる。早い段階で緑川たち5人に秘密の匂いを感じ、彼らがデンジマンではないかと考えるが、核心に迫ろうとするたびにはぐらかされてしまう。しかし、その後デンジグリーンに「チーコ」と呼ばれたことで自分の考えが正しいと確信し{{R|group="ep"|15話}}、しばしば怪事件の情報を提供している。1979年度のミス警視庁。
; {{読み仮名|中井 友子|なかい ともこ}}
: 千恵子と行動をともにする同僚の婦人警官。階級は巡査。
; {{読み仮名|大石 源一|おおいし げんいち}}
: 赤城の道場に通う門下生の少年。小学生5人組のリーダー的存在。蕎麦屋の息子。勉強は全くできないが、皆から慕われている。第19話で祖父の牧場を継ぐため北海道に引っ越した{{R|group="ep"|19話}}。
; {{読み仮名|野田 三太|のだ さんた}}
: 赤城の道場に通う門下生の少年。小学生5人組の一人。団地住まいの父子家庭。タクシー運転手をしている父親の野田三郎は、赤城の空手の師匠である。危険なことに何かと首を突っ込む。源一に次ぐサブリーダー的存在。
; {{読み仮名|平井 浩|ひらい ひろし}}
: 赤城の道場に通う門下生の少年。小学生5人組の一人。坊主頭の腕白坊主。夢は野球選手らしい。
; {{読み仮名|佐野 勝男|さの かつお}}
: 赤城の道場に通う門下生の少年。小学生5人組の一人。食いしん坊。
; {{読み仮名|中川 ゆみ子|なかがわ ゆみこ}}
: 赤城の道場に通う門下生の少女。小学生5人組の一人。通称ゆみちゃん。赤城に空手を、あきらにピアノを習う。子供たちの中では一番しっかり者で、危ないことはしないが、三太たちとよく一緒にいるために何かと事件に巻き込まれる。
== デンジマンの装備・戦力 ==
=== 共通のアイテム・武器・能力 ===
; デンジリング{{Refnest|group="出典"|name="DENJI"|{{R|sentaitaizen106|gahou84|20th06}}}}
: デンジマンのメンバー5人が右手薬指に装着している変身アイテムの指輪。全体は金色で、「D」をかたどった意匠が刻まれている。通信機能やデンジランドの司令室に入るための鍵としての機能がある他、緊急時には'''非常通信ロケット'''として、紙片を詰めた小ロケットを発射することが可能。{{仮リンク|耐タンパー性|en|Tamper resistance}}は非常に高く、ベーダー一族の力をもってしても破壊できなかった。
: 「'''デンジスパーク'''」の発声と共に リングを突き出すことで変身する。
; デンジ強化服{{R|group="出典"|DENJI}}
: デンジ星人が開発したデンジ星の超繊維デンジロンで作られた強化スーツとヘルメットで{{R|20th06}}、耐熱、耐寒、耐酸性などに優れている。普段は亜空間フィールドにより極度に収縮されてデンジリング内に収納されている。ヘルメットの額には電子頭脳とデンジ星から持ち込まれたパワーの源'''デンジストーン'''{{R|sentaitaizen106|gahou86}}{{efn|書籍によっては、名称を'''スペースストーン'''と記述している{{R|大全集205|material16}}。}}が埋め込まれており、デンジレッドの頭部のデンジストーンが最も力が強い。ストーン強奪を目的にデンジイエローが拉致されたこともある。
:* 前作『バトルフィーバーJ』が不統一感のあるマスクとスーツの形状の違いで個々の個性を表現していたが、本作品では形状ではなく色で違いを表現するものとなり、「統一された卵型のシルエットのマスクに異なる色」という方向性は、以降の作品でも同様の統一のコンセプトで纏められていった{{R|material28}}。デンジレッドのマスクのみ、黄色がこめかみに配色されている{{R|material28}}。
:* 撮影用マスクは、電飾を仕込んだアップ用が各2個ずつ用意されたが、当時[[エキスプロダクション]]で造形を担当した[[前澤範]]は撮影の進行とともに壊れていったことを証言している{{R|21st11}}。
; デンジスティック{{Refnest|group="出典"|name="DENJI2"|{{R|大全集22|sentaitaizen106|gahou84|30大242|20th06}}}}
: デンジマンの携帯する大型ナイフ{{Sfn|完全超百科|2006|p=14}}。普段は折りたたまれて右腰のホルスターに収められている。主に接近戦用{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=16}}の打撃武器として使用。日本刀やバットに変形させたり、火事を消し止める'''デンジウォーター'''を放つことも可能{{R|gahou84|20th06}}。5人合わせて地面に突き立てると火柱{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}が流れる。
; デンジパンチ{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集18|gahou84|30大241|20th06}}{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|pp=97、99、101、103、105}}}}
: デンジマンの拳に装着される、特殊金属デンジα鋼製のグローブ{{Sfn|完全超百科|2006|p=14}}{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=11}}。デンジマンのパンチ力を強化する銀色の鉄拳。拳を突き合わせ擦り合わせると装着される。厚さ50ミリメートルの鉄板を貫く威力があり{{Sfn|大全集|1988|pp=18、205}}、主に空手家であるレッドが使う。ピンクのみ平手打ちである。また、敵を分断する'''マグナムパンチ'''{{R|20th08}}と呼ばれる強化版も存在する。
; デンジジャンプ{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|大全集|1988|pp=18、205}}{{R|sentaitaizen106|gahou84|20th06}}}}
: その場で足踏みしてから、最大150メートルもジャンプする{{R|大全集205}}。
; デンジダッシュ{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集205|sentaitaizen106|gahou84|20th08}}}}
: 100メートルを3秒で走る{{R|大全集205|20th08}}。時速120キロ。時速250キロ以上で走ることも可能。
; デンジイヤー{{R|gahou84}}
: 意識を集中させ、10キロ先の音声を聴き取る。
; デンジスコープ{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|大全集|1988|pp=18、205}}{{R|sentaitaizen106|gahou84|20th06}}}}
: デンジ赤外線で物体や、異次元空間、ベーダー怪物が変身した人物の正体{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}をも透視できる能力{{R|大全集205}}。胸のマークを右手で押さえて使用する{{R|大全集205}}。デンジスコープズーム{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}、超高速分析、音声をとらえることやフィルムの粒子をも放出させることも可能で、フィルムに入ったベーダー怪物を追い出す{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}。
; デンジパワー{{R|gahou84}}
: デンジストーンのエネルギーで、拘束を断ち切る。ダイデンジンも発動可能{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}。
; SOS信号
: デンジストーンのエネルギーで、デンジランドにSOS信号を送る。
; デンジキック{{R|gahou86|20th08}}
: コンクリートの壁も砕くキック。
; トゥキック
: つま先で岩石などを蹴って砕く。
=== 個人技 ===
; デンジレッド
:; デンジ真空げり{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|大全集|1988|pp=18、205}}{{R|30大241|20th08}}}}{{efn|資料によっては'''デンジ真空蹴り'''{{R|学研の図鑑216}}、'''真空蹴り'''{{R|sentaitaizen97|gahou86}}と記述している。}}
:: 空手を応用した、強力な飛び蹴り。ダストラー数人をまとめて蹴り飛ばす威力。
:; ダブルパンチ{{R|sentaitaizen97|20th08}}
:: 両手で突進するデンジパンチの両手パンチバージョン{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}。
:
; デンジブルー
:; ブルースクリューキック{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集205|sentaitaizen99|30大241|20th10}}}}{{efn|書籍『スーパー戦隊画報 第1巻』では、名称を'''スクリューキック'''と記述している{{R|gahou86}}。}}
:: 空中から放つきりもみ回転キック。
:; ブルースネーク{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|大全集|1988|pp=18、205}}{{R|sentaitaizen99|30大241|20th10}}}}
:: 中国の蛇拳を応用した技。腕を蛇のように動かして敵を攻撃する{{R|大全集205}}。
:; デンジドリル{{Refnest|group="出典"|name="blue"|{{R|sentaitaizen99|gahou86|20th10}}}}
:: 体を高速回転させて地中に潜る。潜った後には穴は残らない。17話では全員が使用した。
:; ブルードリル
:: 空中ブランコを応用した技。体を高速回転させて敵に突進し、一気に蹴散らす。
:; ブルーキャット{{R|group="出典"|blue}}
:: 猫のように敵を引っかいて攻撃する。ノラネコラー戦では全員で使用してダメージを与えた。
:; ハヤブサアタック{{R|sentaitaizen99|20th10}}
:: 隼のように舞って敵にクロスチョップを浴びせる。
:; カンガルーキック{{R|sentaitaizen99|20th10}}
:: 取っ手や敵などにつかまってから後ろ蹴りを放つ。
:; フライングアタック{{R|30大241}}
:: ジャンプして空中から超スピードで敵に体当たりする。
:; ブルーインパルス・フルパワー{{R|20th10}}
:: デンジストーンのエネルギーを解放させて、体の拘束を断ち切る。
:; 猿まわり{{R|20th10}}
:: 敵の間でバック転し、そのまま敵を投げ飛ばす。敵に抱きついて顔を引っかくパターンもある。
:; ハヤブサウォール{{R|20th10}}
:: 並んだ敵の肩に乗り、肩の上を歩くようにして頭部に連続してキックを食らわす。
:; 六段蹴り{{R|20th10}}
:: 空中から6体のダストラーに対し連続でキックを放つ{{R|20th10}}。
:
; デンジイエロー
:; ハンマーパンチ{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集205|sentaitaizen101|gahou86|30大241|20th12}}}}
:: デンジパンチを装着し、両手首を合わせ、上空から両手を振り回して敵を殴り飛ばす。厚さ20ミリの鉄板も貫く。
:; フライングアタック{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|大全集|1988|pp=18、205}}{{R|sentaitaizen101|20th12}}}}
:: ジャンプして空中から超スピードで敵に体当たりする{{R|大全集205}}。
:; デンジスープレックス{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集18|sentaitaizen101|gahou86|20th12}}}}
:: 敵を怪力で締め上げてから投げる。
:; イエローヘッドバット{{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen101|gahou86|20th12}}}}
:: デンジストーンのパワーで頭を硬化させ、敵に頭突きを食らわす。
:; イエローパイルドライバー{{R|sentaitaizen101|20th12}}
:: 敵を羽交い絞めにして上昇し、上空で敵をさかさまにして脳天から地面に叩きつける。
:; イエロープレーン{{R|sentaitaizen101|20th12}}
:: 敵を頭上に抱え上げ、高速回転しながら放り投げる。
:; 十三文キック{{R|20th12}}
:: 両足で敵を蹴りつけるドロップキック。
:; 尾てい骨割り{{R|20th12}}
:: 背後から敵を抱き抱え、曲げた膝の上に敵を落として敵の尾てい骨を砕く。
:; デンジショックガン{{R|sentaitaizen101|20th12}}
:: 黄山が発明した銃。銃の発射時の閃光と衝撃音で、相手の意識を約20秒間失わせる。32話で使用。
:
; デンジグリーン
:; グリーンスピンキック{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集205|sentaitaizen103|gahou86|30大241|20th14}}}}{{efn|書籍『スーパー戦隊大全集』では名称を'''デンジスピンキック'''と記述している{{R|大全集18}}。}}
:: 複数の敵をもなぎ倒す連続回し蹴り{{R|大全集205}}。中国拳法の「旋風脚」をモチーフにしている。
:; デンジクロスカウンター{{R|sentaitaizen103|20th14}}{{efn|書籍『スーパー戦隊画報 第1巻』では、名称を'''クロスカウンター'''と記述している{{R|gahou86}}。}}
:: 敵の懐に潜ってパンチを食らわせる。
:; 回転撃ち{{R|20th14}}
:: 敵から奪ったライフルを構え、空中で一回転しながら敵に撃ち込む。
:
; デンジピンク
:; デンジサンダー{{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen105|gahou86|20th16}}}}{{efn|資料によっては名称を'''デンジサンダー投げ'''と記述している{{Sfn|大全集|1988|pp=18、205}}{{R|30大241}}。}}
:: 合気道を応用した投げ技。
:; 記憶ビデオ{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集205|30大241|20th16}}}}
:: デンジストーンのデンジコンピュータが記憶した映像を、空中に映し出す。
:; コンピューター処理能力
:: デンジストーンの力により、コンピュータのプログラムを解読する{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=17}}。
:; ウインク{{R|gahou86}}
:: ダストラーを惑わせる技。ゴーグルのため実際にウインクをしているかどうかは定かではない{{R|gahou86}}。
=== 合体技・必殺技 ===
デンジマンが5人で放つ[[必殺技]]には、以下のものがある。発動は、リーダーであるレッドの号令により行われる。
; デンジブーメラン{{R|group="出典"|DENJI2}}
: 最も多用された決め技。レッドの「デンジブーメランだ!」の号令で全員が一斉にデンジスティックを構えた後、円陣を組んだデンジマンがそれぞれの持つデンジスティックを花弁が開くように頭上で合わせると、デンジブーメランとなり、超エネルギーの火花を噴出しながら{{Sfn|完全超百科|2006|p=15}}{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=16}}ベーダー怪物へ向かって自動的に飛んでいく。命中の直前に「スパーク!」と叫びながらポーズを決めることで、とどめとなる。最終回でもこの技でバンリキ魔王を倒した。
; 電子稲妻落とし{{R|group="出典"|DENJI}}{{efn|資料によっては、名称を'''電子イナズマ落とし'''{{Sfn|大全集|1988|pp=22、205}}{{R|30大242}}、'''デンジイナヅマ落とし'''{{R|material16}}、'''デンシイナズマおとし'''{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=11}}、'''デンジイナズマ落とし'''{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}、'''電子イナズマおとし'''{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=11}}と表記している。}}
: デンジマン5人が同時にジャンプし、急降下しながら「フィニッシュ!」と叫んで、デンジスティックで怪人の脳天を叩きつける。デンジブーメランに次いで使用回数の多い決め技。
; デンジシャワー{{Refnest|group="出典"|name="DENJI3"|{{R|大全集205|sentaitaizen106|gahou84|30大242|20th06}}}}
: 頭部に装備されたデンジストーンからエネルギーを放出し、敵にダメージを与えたり、人間に憑依したベーダーを追い出す。人間に対しては解毒効果がある。23話ではデンジタイガーから照射し、コケラーの細菌に侵されていた人間たちを一度に元に戻した。ダイデンジンも使用可能{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}。
; ドラゴンフライ{{R|group="出典"|DENJI3}}
: 大きくジャンプして敵に蹴りを食らわせる{{R|大全集205}}。
; デンジタワー{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|大全集|1988|p=18}}{{R|sentaitaizen106|gahou84|30大242|20th06}}}}
: デンジマンの5人が[[やぐら]]を組んで、デンジストーンのエネルギーをスパーク{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=17}}させる。ドラゴンフライなどの技に繋げる{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}。
; ショットガン{{R|group="出典"|DENJI3}}
: デンジマン5人で円を組み、「アタック!」の叫びとともに突進して、敵に1人ずつ連続で体当たりをする。敵の包囲網を破る際などに使用される{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}。
; 電撃アタック{{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen106|gahou84|30大242|20th06}}}}{{efn|書籍『スーパー戦隊大全集』では'''デンゲキアタック'''と表記している{{R|大全集205}}。}}
: デンジマンそれぞれの必殺技を連続して敵に浴びせる。
; デンジサークル{{R|group="出典"|DENJI3}}
: デンジマン5人がとんぼ返りをしながら敵に蹴りを食らわせる{{R|大全集205|20th06}}。
; スクランブルチェーン{{R|group="出典"|DENJI3}}{{efn|資料によっては、名称を'''デンジスクランブルチェーン'''{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}と表記している。}}
: デンジマン5人が腕を組んで、レッドを軸にして回転しながら敵を吹き飛ばす。
; ブルーロケット{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集18|sentaitaizen99|gahou84|20th10}}}}{{efn|資料によってはブルーの個人技として紹介している{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集18|sentaitaizen99|20th10}}}}。}}
: ブルー以外のデンジマン4人が卍型に腕を組み、ブルーがそれを踏み台にしてジャンプ、頭から敵に突進する。
; デンジスーパーサイエンス{{R|gahou84|20th06}}
: デンジストーンからショック光線を放つ{{R|20th06}}。タイムラーの時間を操る能力を破った。
; デンジトリック{{R|gahou84}}
: デンジマン5人が高速でバラバラに走り、敵を撹乱させる。
; デンジ影分身{{R|group="出典"|DENJI}}
: デンジマン5人それぞれが3人ずつに分身し、計15人で一斉に動いて敵を撹乱する。ニンポーラーに使用。
; デンジ風返し{{R|group="出典"|DENJI}}
: 5人が輪になって腕を組み、回転して強風を発生させる。
; デンジスプレー{{R|gahou84|20th06}}
: 怪物の体内に入った人間を外に出すための技。怪物を取り囲んで怪物を回し、逆さにして高所まで持ち上げた直後、一気に降ろして頭を地面に打ち付けてショックを与える。サキソホンラーからデンジイエローを出すために使った。
=== 基地・メカニック ===
; デンジランド
: デンジマンたちの秘密基地。3000年前、滅亡寸前のデンジ星から地球に飛来した恒星間航行が可能な巨大宇宙船兼超要塞で、南海の無人島として岩山状にカモフラージュされている{{efn|書籍『超世紀全戦隊大全集』では、小惑星がベースと記述している{{R|超世紀170}}。}}。内部はデンジ星人の意思が内蔵された高性能コンピューター・'''デンジコンピューター'''{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=17}}でセキュリティ管理され、デンジマンたちが待機する指揮所や各メカニックの格納・発進設備がある。デンジマンたちが働いているアスレチッククラブとデンジランドはマッハ3の速度を誇る高速移動メカ'''デンジシューター'''{{R|超世紀170|20th22}}で繋がっており、わずか10秒で往来できる。
; デンジマシーン
: デンジレッド専用バイク。デンジα鋼製{{Sfn|完全超百科|2006|p=15}}。サイドカーが装備されており、デンジピンクがよく乗り込む。額のデンジストーンによるオートコントロールも可能{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}。
: デンジマシンガン2門{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}{{R|sentaitaizen108|20th22}}}}、デンジミサイル{{R|20th22}}、レーダー、自動操縦機能{{R|超世紀170|20th22}}、水中用エアボンベ{{R|20th22}}、対空砲{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=11}}を装備。
:* 玩具「[[ポピニカ]] デンジマシーン」では、初期版ではサイドカー用のフィギュアはデンジブルーであったが、後期版では劇中にあわせデンジピンクに改められた{{R|20th35}}。
; デンジバギー
: デンジレッド以外のメンバーが使用する専用バギー。デンジα鋼製{{Sfn|完全超百科|2006|p=15}}。ナンバーは、「足立11せ50-55」。パトロール用デンジエネルギーを使用するため、故障が無い。
: 座席後部には対ベーダー無反動砲を装備{{R|sentaitaizen108|20th22}}{{efn|書籍『超世紀全戦隊大全集』では「機銃」{{R|超世紀170}}、書籍『決定版 全スーパー戦隊 パーフェクト超百科』では「対ベーダーバズーカ」{{Sfn|パーフェクト超百科|2011|p=18}}、書籍『決定版 全スーパー戦隊 コンプリート超百科』では重機関銃{{Sfn|コンプリート超百科|2018|p=11}}と記述している。}}。
; デンジクラフト
: デンジマン専用ホバークラフト。デンジα鋼製{{Sfn|完全超百科|2006|p=15}}。5人分各色のクラフトがある{{R|sentaitaizen108|20th22}}。水上速度は時速100キロメートル、陸上速度は時速120キロメートル。
: 船体の両脇に2基のミサイルを装備{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集22|超世紀170|sentaitaizen108|20th22}}}}。
:* ベースは波のないプールで使用するための遊覧用ホバークラフトで、劇場版の海上撮影のために用意されたものの、高波のせいで航行不能となり、本編には登場しなかった。実際の撮影ではモーターボートが用いられている{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=151|loc=「MINICOLUMN スーパー戦隊造形研究」}}。
:
; デンジタイガー
: 陸・海・空を自在に運行する万能戦闘母艦{{efn|テーマソングによれば要塞戦艦。書籍『超世紀全戦隊大全集』では「万能戦車」と記述している{{R|超世紀170}}。}}。宇宙空間では光の速度を越えることも可能。内部にデンジファイターを格納。戦地まで輸送し、前部甲板を展開させることで発進させる。
: 機体後部艦橋司令塔左右にある2門のミサイル砲'''デンジミサイル'''が武器{{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen108|gahou90|20th22|学研の図鑑246}}}}{{efn|エンディングで見ることが出来る。}}で、艦尾には大型のクレーンを装備している{{R|20th22}}。自動操縦でダイデンジンを援護射撃することもある。
:* ラフ案ではキャタピラがむき出しとなっていた{{R|material28}}。
:* ミニチュアは3尺サイズが存在する{{R|20th82}}。ウェザリングは前作のバトルシャークよりも抑えられている{{R|20th82}}。その造形はイギリスの[[ジェリー・アンダーソン]]のプロダクションで高く評価されており、村上克司が同社を訪問した際、プロダクション側は制作者当人が来たとは知らずに「これは素晴らしい。こういうのを作りたいんだ」とDXデンジタイガーを見せたという{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=90}}{{R|20th86}}。
:* デンジファイターを発進させる際のカタパルトの変形ギミックは2パターン存在し、状況に応じて使い分ける。市販されているデンジタイガーの玩具は全て2パターン中1種類の変形ギミックのみ採用されている{{R|TH4523}}。
:
; デンジファイター
: ダイデンジンに変形する巨大戦闘機。自動操縦も可能{{R|学研の図鑑246}}。戦闘機と名がついているが、無人でデンジタイガーから発進後すぐに変形するため、ファイター状態での戦闘シーンは本編では描かれなかった。
: 後年の『[[百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊]]』でデンジレッドと共に登場した際に初めて戦闘シーンが描かれ、機銃攻撃を行う。
; ダイデンジン
: デンジファイターが'''ファイターチェンジ・ダイデンジン'''により変形した巨大ロボ{{efn|劇中で変形コードを発声する描写があるのは、劇場版など一部のエピソードのみで、ほとんどの場合は発声なしで変形している。後期は変形シークエンスが丸ごと省略されることも多い。ベーダーに奪取された44話では内部からボタン操作により変形。}}。装甲はデンジα鋼製。変形完了後、デンジレッドの「アクション」の発声と共に起動スイッチを押し{{efn|初期はレッドの発声前に他メンバーによるシステムチェックの描写が入る。}}、腹部のパネルと目の電飾が輝いた後に戦闘に入る。無人で変形した際には、デンジマンは足部から乗り込み、エレベーターで口の部分にあるコクピットに入り、3点式のベルトを締めるというプロセスがある。
: 『[[ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦]]』にも登場。
:* 本作品のモチーフが電子のため、当時のコンピューターを彷彿とさせる格子状の目となっている{{R|material28}}。
:* 空母から発進するという設定は、他のロボットアニメの玩具類が変型合体が主流となっていたため、その区別の措置として「基地遊び」が出来ることを強調するものとなった{{R|material28}}。
:* スーツは前作のバトルフィーバーロボと同様の[[繊維強化プラスチック|FRP]]製のスーツのほか、ビニール系素材で表面処理を施したウレタン製のアクション用スーツも用いられた{{R|21st15}}。以後『[[未来戦隊タイムレンジャー]]』までのスーパー戦隊シリーズの主要ロボットでは、アップ用とアクション用の2つのスーツが用いられるようになった{{R|21st15}}。
:; 武装・技
:: これらの武装はデンジマン以外使用できないようになっている。
::; デンジ剣{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集22|超世紀170|sentaitaizen110|20th22}}}}
::: ダイデンジンの主装備。地面に突き刺して地に火柱{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}を走らせる攻撃も可能。
::: 必殺技はデンジ剣を右手で満月を描くように一回転させた後に両手で持ち、振り下ろして一刀両断する'''デンジ剣・電子満月斬り'''{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|大全集|1988|pp=22、205}}{{R|sentaitaizen110|gahou90|20th22}}}}{{efn|資料によっては、名称を'''デンジ剣電子満月切り'''{{Sfn|赤の伝説|2012|p=25}}と表記している。}}。
::; デンジボール{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集22|sentaitaizen110|gahou90|30大243|20th22}}}}
::: トゲが付いた鉄球。
::; ダイデンジンブーメラン{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|大全集|1988|pp=22、205}}{{R|sentaitaizen110|gahou90|30大243|20th22}}}}
::: 周囲が刃になっているブーメラン。全長25メートル{{Refnest|group="出典"|name="MACHINE"|{{R|sentaitaizen110|gahou90|20th22}}}}{{efn|書籍『スーパー戦隊大全集』では「15メートル」と記述している{{R|大全集205}}。}}・重量10トン{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集205|sentaitaizen110|gahou90|20th22}}}}。
::; ダイデンジンパンチ
::: 連続パンチ。
::; ナックルパンチ{{R|sentaitaizen110}}
::: 拳を飛ばす。
::; デンジ○○返し{{R|sentaitaizen110}}
::: 番組後半、デンジ剣を構えて発光させ敵の攻撃を弾く技。○○には「錆」「音波」「毒蛾」「魔力」などの言葉が入る。また、「返し」の代わりに「落とし」と呼ばれることもある。岩石シャワー返しなど「デンジ」が付かない場合もある。
::; デンジダーツ{{R|20th22}}
::: 第32話で使用。ダートラーに対抗して用いた[[ダーツ]]の矢{{R|20th22}}。
; スペック
:{| class="wikitable sortable" style="font-size:small" border="1"
|-
! 名称 !! 全長 !! 重量 !! colspan=2|スピード
|-
! デンジタイガー
|200{{nbsp}}[[メートル|m]]{{Refnest|group="出典"|name="SPEC"|{{R|超世紀170|sentaitaizen108|gahou90|20th22}}}}
|120,000{{nbsp}}[[トン|t]]{{R|group="出典"|SPEC}}
|colspan=2|{{Plainlist|
* 650{{nbsp}}[[キロメートル毎時|km/h]](地上){{Refnest|group="出典"|{{R|sentaitaizen108|gahou90|20th22}}}}
* [[マッハ数|マッハ]]8(空中){{R|group="出典"|SPEC}}
* 100{{nbsp}}km/h(水中){{R|20th22}}
}}
|-
! デンジファイター
|50{{nbsp}}m{{R|group="出典"|SPEC}}
|50,000{{nbsp}}t{{R|group="出典"|SPEC}}
|colspan=2|マッハ15{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集205|超世紀170|sentaitaizen108|gahou90|20th22}}}}
|-
! デンジマシーン
|2.3{{nbsp}}m{{R|group="出典"|SPEC}}
|450{{nbsp}}[[キログラム|kg]]{{R|超世紀170|20th22}}
|colspan=2|450{{nbsp}}km/h{{R|group="出典"|SPEC}}{{efn|「マッハ2」と記載している資料もある{{Sfn|全怪獣怪人 上|1990|p=379}}{{Sfn|全怪獣怪人・上|2003|p=341}}。}}
|-
! デンジバギー
|3.6{{nbsp}}m{{R|group="出典"|SPEC}}
|800{{nbsp}}kg{{R|超世紀170|20th22}}
|colspan=2|350{{nbsp}}km/h{{Refnest|group="出典"|{{R|超世紀170|sentaitaizen108|gahou90|30大243|20th22}}{{Sfn|全怪獣怪人・上|2003|p=341}}}}
|-
! デンジクラフト
|3{{nbsp}}m{{R|sentaitaizen108|20th22}}
|140{{nbsp}}kg{{R|sentaitaizen108|20th22}}
|colspan=2|{{Plainlist|
* 100{{nbsp}}km/h(水上){{R|sentaitaizen108|20th22}}
* 120{{nbsp}}km/h(陸上){{R|sentaitaizen108|20th22}}
}}
|-
! ダイデンジン
|65{{nbsp}}m{{Refnest|group="出典"|name="SPEC2"|{{R|超世紀170|sentaitaizen110|gahou90|30大243|20th22}}}}
|50,000{{nbsp}}t{{R|group="出典"|SPEC2}}
|飛行速度:マッハ10{{Refnest|group="出典"|{{R|超世紀170|sentaitaizen110|gahou90|20th22}}}}
|500万馬力{{R|group="出典"|MACHINE}}
|}
== ベーダー一族 ==
異次元宇宙に潜む好戦的な別世界の人類の種族。幹部全員が顔出し俳優による人間である。爆発によって故郷のベーダー星を失っている{{R|material16}}。一般の宇宙とは全く異なる美醜の感覚を持ち、人間が美しいと思うものを醜いと感じて嫌悪し、ヘドロなどの汚いものを美しく感じる。デンジ星を始めとする多くの星々を滅ぼしており、地球もガスや[[ヘドロ]]で渦巻く腐った世界{{Sfn|赤の伝説|2012|p=27}}に改造しようとする。異次元空間に浮かぶ巨大なベーダー魔城{{Sfn|完全超百科|2006|p=15}}を本拠地にしている。怪人までがヘドリアン女王の[[カリスマ]]性に忠誠を誓い、歴代でも屈指の結束の固さを誇る敵組織だが、客将バンリキ魔王の参入以降大きく引っ掻き回されることとなる。名前はヘドリアン女王と元々ベーダーではないバンリキ魔王一派を除き、全て「○○ラー」で統一されている{{efn|次作『サンバルカン』に登場するアマゾンキラーも含む。}}。
各キャラクターの身長・体重などの設定はない{{R|20th24}}。
; {{Visible anchor|ヘドリアン女王}}
: ベーダー一族の最高権力を持つ女王。ベーダー一族に対する慈悲深さと、侵略目標となった惑星への果てしない憎悪が同居する。第35話では一度だけコミカルな描写があった。全宇宙で自分が最も美しい存在だと鏡に向かって豪語する。強力な超能力を持っており、呪いや妖魔術を得意とする。スリーサイズはB:98、W:98、H:98{{efn|ヘドラーの忠告を受けた女王がミラー、ケラーに命じて計測{{R|group="ep"|35話}}。}}。年齢は7,600歳{{R|group="ep"|40話}}。バンリキ魔王の反乱によってベーダー城を乗っ取られ、最終話までに全ての部下を失い、ついに魔王によって死に追いやられた部下たちの仇を討つため宿敵デンジマンにミラーが変身した水晶玉を介して妖魔術でバンリキモンスの弱点を教え、デンジマン逆転勝利の鍵を与えた{{R|group="ep"|51話}}。ベーダー城へ攻め入ってきたデンジマンにホログラフィーで別れの言葉を告げ、いずこともなく消え去る{{R|group="ep"|51話}}。その直後、ベーダー城は自爆した{{R|group="ep"|51話}}。
:* デザイン段階で配役を[[曽我町子]]にすることが決定しており、初めから彼女を想定してのデザインがなされている{{R|百化33}}。プロデューサーの[[吉川進]]からの要望により胸元が強調されている{{R|百化33}}。衣装の白い部分は骨をイメージしている{{R|百化33}}。
:* 頭部の角はセットに引っかかることが多く、曽我本人からの苦情も出ていたため{{R|百化33}}、次作での登場時には角のないデザインに変更された{{Sfn|百化繚乱 上之巻|2011|p=51}}。
:; 『[[太陽戦隊サンバルカン]]』
:: 第4話から50話まで登場。北極の氷の中で眠っていたが、第5話でメカ心臓を移植され機械人間として蘇生し、人類征服のため共通の敵となるサンバルカンを倒すべくブラックマグマと手を組んだ。ブラックマグマではヘルサターンに次ぐナンバー2という高い地位を与えられている。ベーダー一族のころと同様に、強力な妖魔術を使いこなす反面戦闘力はほとんどなく、人間を精神面から破壊する頭脳的な作戦を好む。「道楽」で作戦行動を立案するといったように、ベーダー一族のころよりも軟派・コメディな一面が強調された{{efn|15話では様々なコスプレを披露。31話では雷さまに扮して踊りまくる。}}。終盤、[[太陽戦隊サンバルカン#アマゾンキラー|アマゾンキラー]]と共謀し機械帝国の乗っ取りを画策するもメカ心臓の腐食が原因で病死する<ref group="ep">『[[太陽戦隊サンバルカン]]』第49話。</ref>。最終話にはヘルサターン総統とともに「全能の神」の使いとして登場した<ref group="ep">『太陽戦隊サンバルカン』第50話。</ref>。
:
; {{Visible anchor|ヘドラー将軍}}
: ベーダー一族の戦闘司令官。女王に絶対の忠誠を誓う、部下からの信頼も厚い武人である。バンリキ魔王参戦までは、唯一の男性幹部。バンリキ魔王の反乱時にバンリキ魔王と互角に渡りあうほど実力の持ち主であり、女装を含めた変装も巧みで、自ら作戦指揮を執ることもある。特に剣術を得意としており、サーベルを武器に戦う。バンリキ魔王との確執の末、遠回しに戦死を命じられ、「バンリキ魔王に手柄を奪われるくらいなら」と悲壮の覚悟を持ってデンジマンとの決着をつけるべく女王から授かったベーダーの剣を用い自ら巨大化してダイデンジンと戦うが、電子満月斬りで剣ごと両断されて敗れ去る{{R|group="ep"|50話}}。ヘドラーの武人気質は敵であるデンジマン、特にデンジレッドからも敬意を抱かれ、ヘドラー戦死直後、彼を破ったデンジマンから敬礼された{{R|group="ep"|50話}}。
: 第34話ではヘドラーの前任者として、誤ってビーダマラーの卵を地上に落としたヒダラー前将軍の名が語られている。
:* ヘドリアン女王同様、鎧の白い部分は骨をイメージしている{{R|百化33}}。
:* 関連書籍では初期の髭の無いスチール写真が掲載されることも多いが{{Sfn|全怪獣怪人 上|1990|p=380}}、本編では貫禄を出すために立派な髭を蓄えている{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=118}}。「香山浩介さんは、最初は設定になかった口髭を自分で工夫して付けたりして頑張ってくれました」と吉川進は語っている{{R|sentaitaizen11}}。
; ミラー
: 女[[スパイ]]。女王の姿鏡や女王の妖魔術をサポートする[[水晶]]玉などに変身。
: 最後は女王を守り、バンリキモンスの弱点を探り出すためにバンリキ魔王に寝返ったふりをして、その弱点が尻尾であることを探り出した。そして女王の下に参じて弱点が尻尾であることを伝え、自らも水晶玉に変じて、女王がアイシーに弱点を伝えることに成功する。バンリキモンスが倒されたことに怒り狂った魔王に急襲されるも、隙を見て魔王に光線を浴びせて失明を伴う致命的なダメージを負わせる。しかし失明で狂乱した魔王の槍をその身に受けてしまい、女王の腕の中で息絶えた{{R|group="ep"|51話}}。
:* ヘドリアン女王と同様にデザイン段階で配役が決定しており、吉川の要望により色っぽくデザインされた{{R|百化33}}。
:* 黄金の衣装は『宇宙刑事シャリバン』第42話など、東映特撮作品にたびたび流用されている。
; ケラー
: 女スパイ。変装を伴う諜報活動に関しては、ミラーより上手である。女王を守る[[盾]]に変身。頭にある緑色の石から催眠光線を発射する。最後は女王を庇いバンリキ魔王に倒される{{R|group="ep"|51話}}。
:* セクシーなミラーに対し、小悪魔的なかわいらしいデザインで描き分けられた{{R|百化33}}。
:
; {{Visible anchor|ベーダー怪物}}
: ヘドラー将軍が作戦の度にベーダーの卵を選択し、孵卵器で育てられ、怪物製造レンジで孵化・誕生するベーダー一族の怪人。怪物製造レンジを経ずに誕生した場合人間の姿で孵化するが、成長期に入ると怪物としての本能が現われ始め、最終的に怪物と化する。ビーダマラーがこれに該当する。自らの細胞体の配列を組み換えることで、作戦に応じて自由自在に巨大化したり元の大きさに戻ったりできる上、逆にミクロ化することも可能。またダートラーなど人間体での活動が多い者も存在する。怪人は左右非対称のデザインのものが多い。
: ベルトのバックル部には製造番号があしらわれている。第1話のムササビラーが「00番」であるため、番号は「話数-1」で設定されているが、第18話 - 第20話および第24話 - 第26話ではそれぞれナンバーが前後し、バンリキ魔王初登場となった第37話ではベーダー怪物は登場せず、前回(第36話)のノラネコラーは「35番」なのに対し、次回(第38話)登場のカマキラーは「36番」、その次回(第39話)のアクマラーは「38番」となっているため、「37番」の怪物は未登場となった。また劇場版登場のアンゴラーは、製造番号の代わりにベーダーの紋様が配されている。
: ジシンラー以下7名はデンジマンやその関係者、デンジランドなどを狙う目的で使役され、サッカラーはテロ作戦を実行したが、勲章を餌に、バンリキ魔王について、ヘドリアン女王を裏切り、ケンダマラーに処刑された。
: 第4話までは、巨大化後ダイデンジンに首を切断されて倒されており{{efn|電子満月切りで首を切断される、もしくは首を切断された後に胴体が電子満月切りで一刀両断される。}}、遺された首はベーダー側に回収されベーダー城に陳列されていた。
:* デザインを担当した[[野口竜]]は、不安な存在であることを表現するために左右非対称のデザインとし、片側が「生」、反対側が「死」をイメージしている{{R|百化野口}}。初期は特にモチーフを設けず後付で名称が決められていたが、プロデューサーの[[吉川進]]の意向により子供たちにわかりやすいモチーフが取り入れられていった{{R|百化野口}}。
; {{Visible anchor|ダストラー}}
: 単純細胞によって作られる即席の下級兵士{{R|material16}}。1つの卵から複数体が[[孵化]]する。武器は大鎌。その死を女王に哀惜されるなど、大切に扱われるベーダー怪物以上の構成員と違い、女王の機嫌を損ねて(野球が下手など)処刑されることもあり、終盤ではバンリキ魔王の反乱に加担した者もいた。
=== ベーダー一族の戦力 ===
; ベーダー魔城
: ベーダー一族の居城。
; ベーダー戦闘機
: 前部に2門のバルカン砲を持つ小型戦闘機。大群で敵に襲い掛かる。
== 第三勢力 ==
本作品では、シリーズで初めて第三勢力が登場した{{R|超世紀155}}。
; {{Visible anchor|バンリキ魔王}}
: 第37話から第51話に登場。ベーダー一族を乗っ取ろうと企む[[へび座]]暗黒星雲から来た宇宙を放浪する無法者。地獄の使者で宇宙の用心棒と自称している。好物はベーダー怪物の卵。またバンリキモンスによって小さくされたダストラーを踊り食いのごとく食い殺し、「珍味じゃ」と言いきっている{{R|group="ep"|49話}}。自らの意志で巨大化もでき、ダイデンジンの必殺技、電子満月斬りを真剣白刃取りで受け止めるなどの実力を見せ互角以上に渡り合ったこともある。自身の戦闘力も相当なもので、自らも槍と両腕の手甲に仕込んだ剣を用いて戦っている。また、火球へと姿を変え、攻撃を仕掛ける。身体もこれまで無敵を誇ったデンジパンチにもビクともしない硬さ{{R|group="ep"|37話}}。なお美醜の感覚はベーダー一族同様なのか、醜いデスマスクラーを「これは綺麗な女だ」と喜んだ{{R|group="ep"|43話}}。大酒飲みで、普段はベーダー城で食っては寝るの生活を送り、ヘドリアン女王に「一緒に一杯やらんか」と誘って「無礼者」と罵られたり{{R|group="ep"|38話}}、その後も女王に「食って飲んで寝る、まるで豚じゃ」と軽蔑されるなど{{R|group="ep"|39話}}、登場後しばらくは野心を隠していたが、物語終盤ついにベーダー一族に反乱を起こす。サッカラーを懐柔しての一度目の反乱は失敗し、マネキンのような状態にされた{{R|group="ep"|48話}}。しかし、密かにバンリキモンスの卵を放っておいたことでバンリキモンスが誕生して解放され、その勢いに乗って再び反乱を起こし一時的にベーダー城を乗っ取ることに成功する{{R|group="ep"|49話}}。しかしヘドラー将軍を死地に追いやるなど傍若無人に振舞ったため、ヘドリアン女王たちの逆襲に遭って虎の子のバンリキモンスを失う。その原因となったヘドリアン女王を殺そうとするもミラーの光線で重傷を負わされ失明し、ほうほうの体で地上に逃亡したところでデンジマンと遭遇してしまい、デンジブーメランであっけなく倒された{{R|group="ep"|51話}}。
: 次作『[[太陽戦隊サンバルカン]]』ではアマゾンキラー登場時のヘドリアン女王の会話で名前のみ登場<ref group="ep">『太陽戦隊サンバルカン』第23話。</ref>。
:* デザイン段階で配役が[[大前均]]に決定していたため、大前の肉体を活かした露出の多い衣装となった{{R|百化45|20th8133}}。当初、右肩を露出させて左側に鎧があるデザインだったが、演者である大前が左利きである関係で左右逆に変更された{{R|百化45}}。
; バンリキモンス
: 第49話から第51話に登場。バンリキ魔王の部下。ベーダー怪物同様卵から誕生した。口から吐く白煙はマネキンにされた魔王を解放したり、ダストラーを小さくしたりする。魔王以外の命令には一切従わず、彼の命令で自在に巨大化できる。最大の武器は尻尾からの強大な念動波で、これを発してダイデンジンを起動不能にした。両手からはミサイルを発射する。しかし、尻尾は最大の武器であると同時に弱点であり、魔王がエネルギーを尻尾に充填しているところを偶然にもミラーに見られたことから、へドリアン女王の妖術によってアイシーの知るところとなる。最期はアイシーがその身を犠牲にして復活させたダイデンジンに弱点の尻尾を攻撃され、電子満月斬りで倒される{{R|group="ep"|51話}}。
== 設定 ==
; デンジ星
: 銀河系のはるか彼方に存在していた惑星。かつてその文明力と科学力は栄華を極め、平和な星だった。発達した科学と豊かな自然が調和し、人々の顔には常に笑顔がほころんでいた。
: しかし、3,000年前、ベーダー一族が送り出したウミツラーによって、デンジ星は滅んだ。ある日、水道から軟体物が発生。海が腐り、霧雨が降り続き、花や木もすべて枯れ果てた。霧雨には酸が混じっていたため、ビルや高速道路の鉄骨は腐り落ちて崩れてしまった。ウミツラーは腐った海に津波を起こし、人も街も、すべてが腐った海の底に溶けてしまった。デンジ星の科学者たちはベーダー一族の侵略に気づいてダイデンジンを組み立てたが、時すでに遅かった。
: デンジ星の科学者と生き残ったわずかなデンジ星人たちは、完成したダイデンジンと共に太陽系の地球に向けて脱出。地球への移住を夢見てデンジランドで旅立った。デンジランドはデンジ星人のノアの箱舟だったのだ。しかしウミツラーは自ら作り出した軟体物をデンジランドにも潜り込ませていたために乗員が滅び、地球に降り立った後、デンジランドを司るコンピューターはアイシーの記憶装置に電子戦隊の結成を残し、時を待ち続けた。電子戦隊の戦いはデンジ星の弔い合戦でもある。劇中では7話で明かされた。45話ではデンジ姫の子孫が登場したが、デンジ星人としての能力は失われていた。
: マヤ族の金星の暦、古代エジプトのピラミッド、ナスカ高原の図形・[[ピーリー・レイースの地図|ピリレイスの地図]]などの超古代文明は、地球に伝播したデンジ星の知識であると言われている。
== キャスト ==
青梅大五郎/デンジブルー役には、前作『バトルフィーバーJ』で曙四郎/バトルケニアを演じた[[大葉健二]]が[[スピンオフ]]として出演している{{R|20th05}}。
緑川達也/デンジグリーン役の[[内田直哉]]は、『バトルフィーバーJ』第16話にゲスト出演しており、同話数を演出した監督の[[竹本弘一]]からの推薦で、本作品に起用された{{R|20th18}}。第26話ゲストの[[中尾隆聖]]は、当時内田とユニット'''フォーインワン'''として活動していた縁から起用された{{R|20th18}}。
=== レギュラー・準レギュラー ===
* 赤城一平 / デンジレッド - [[結城真一]]
* 青梅大五郎 / デンジブルー - [[大葉健二]]{{efn|デンジブルーのスーツアクターも兼任。}}
* 黄山純 / デンジイエロー - [[津山栄一]]
* 緑川達也 / デンジグリーン - [[内田直哉]]
* 桃井あきら / デンジピンク - [[弓あきら|小泉あきら]]
* デンジ姫 - [[舟倉由佑子|舟倉たまき]](第26,45話)
* 松尾千恵子巡査 - [[酒井ゆきえ]](第12 - 16,18 - 20,22,23,26,27,32,34,38,42,43,47,49,51話)
* 中井友子巡査 - [[阿竹真理]](第15,16,18,20,23,26話){{efn|第14話はクレジットされているが、本編未登場。}}、[[日高久美子]](第34,38,42,47,49話)
<!--以上は、ファンタスティックコレクションNo.39『電子戦隊デンジマン』とDVDで確認しました。-->
* 松尾千恵子巡査の同僚(婦人警官) - [[城山いづみ]](第51話){{efn|中井友子巡査と同一人物かどうか、明言されていない。第27話にも、別キャストで登場。<!--おそらく、両名とも中井友子巡査と思われますので、ゲストではなく、こちらに記載しています。-->}}
* 大石源一 - [[安藤聖一]]
* 野田三太 - [[安保幸宏]]
* 平井浩 - [[後藤忠勝]]
* 佐野勝男 - [[柿原栄一]]
* 中川ゆみ子 - [[杉本華恵]]
* ヘドラー将軍 - [[藤堂新二|香山浩介]]
* ミラー - [[美川利恵]]
* ケラー - [[湖条千秋]]
* ヘドリアン女王 - [[曽我町子]]
* バンリキ魔王 - [[大前均]](第37話 - )
=== 声の出演 ===
* デンジ犬アイシー - [[京田尚子]]
* ベーダー怪物 - [[飯塚昭三]](過半数のエピソード)
* デンジランドのコンピューター - [[渡部猛]]
* ナレーター - [[大平透]]
=== ゲスト ===
* 緑川達造 - [[長島隆一]](第1話、第22話)
* 大学教授 - [[外山高士]](第1話)
* 高山コーチ - [[山口茂樹]](第1話)
* カップル - [[大山幸英]]、[[松本絵里]](第1話)
* 佐藤いずみ - [[日比奈男美]](第2話)
* 西岡アナウンサー - [[木村修]](第3話)
* 少年 - [[田中康隆]](第3話)
* サチ子 - [[三原じゅん子|三原順子]](第4話、第21話)
* 高木ありさ - [[相川敬子]](第4話)
* 牧おとえ - [[島田弘美]](第4話)
* 美女 - [[林真由美]]、[[小熊麻由美]]、[[松下やよい]]、[[林美枝子]](第4話)
* 野田三郎 - [[河合絃司]](第5話)
* 黒部 - [[杉義一]](第5話)
* まさよ - [[高萩澄恵]](第5話)
* 主婦 - [[八百原寿子]](第5話)
* 美坂香織 - [[石島美樹]](第6話)
* 継母 - [[木村有里]](第6話)
* 釣り人 - 木村修(第7話)
* 撮影所のスタッフ - [[五野上力]](第8話)
* 映画館の館長 - [[松下昌司]](第8話)
* 風間雄一 - [[仲恭司]](第9話)
* 風間みやこ - [[山本直子]](第9話)
* 藤堂八郎 - [[大木史朗]](第9話)
* 香山画伯 - [[伊藤亨治]](第9話)
* 小林天山 - [[山浦栄]](第9話)
* 小学校教師・純子(三太達の担任) - [[香野麻里|平野真理]](第10話、第14話)
* 大石松子 - [[船場牡丹]](第10話、第14話、第19話)
* 浩の母 - [[沢柳迪子]](第10話、第14話)
* 花屋 - [[門谷美佐]](第10話)
* 夏子 - [[古川ゆみ子]](第11話)
* 紀夫 - [[菅原紀彦]](第11話)
* 医師 - [[大矢兼臣|大矢謙臣]](第11話)
* 中川清子 - [[霧静香]](第12話、第14話)、[[中真千子]](第36話)
* 藤村美香 - [[長谷川真弓 (女優)|長谷川真弓]](第13話)
* 藤村博士 - [[新井量大|新井和夫]](第13話)
* 藤村博士の助手 - [[井上清和]]、[[益田てつ|益田哲夫]](第13話)
* 上松剛 - [[植松健]](第15話)
* 剛の母 - [[松風はる美]](第15話)
* 浅野雄一 - [[伊藤たくみ]](第16話)
* 浅野教授 - [[長沢大]](第16話)
* 浅野夫人 - [[赤司まり子]](第16話)
* 小川教授 - [[高野隆志]](第16話)
* タクシー運転手 - [[泉福之助]](第16話)
* 草間投手 - [[日吉としやす]](第17話)
* 草間球太 - [[根岸智夫]](第17話)
* 玉木選手 - [[佐藤淳一 (俳優)|佐藤淳一]](第17話)
* 海原洋太郎 - [[野内俊司]](第18話)
* 小学校教師・海野(海彦一族の末裔) - [[高橋利道]](第18話)
* 松本なるみ - [[谷田川知恵]](第19話)
* 松本直也 - [[武見龍磨|武見潤]](第19話)
* 白井チーフ - [[佐々木敏]](第19話)
* なつき - [[萩原純]](第19話)
* 茂 - [[劔弘紀]](第20話)
* 医師 - [[山田光一]](第20話)
* 時夫 - [[友金敏雄]](第21話)
* 死神党リーダー - [[速水隆]](第21話)
* 死神党員 - [[岡本美登]](第21話)
* カモちゃん - [[鴨下正直]](第21話)
* 黒鬼健造 - [[栗原敏]](第22話)
* 中谷 - [[団巌]](第22話)
* 郷原 - [[美原亮三]](第22話)
* ライフル魔 - [[関根大学|関根直秀]](第22話)
* 山倉アナウンサー - 木村修(第22話、第27話)
* 若松鉄夫 - [[林家源平]](第23話)
* コケラーに操られる男 - 岡本美登(第23話)
* 山下ユリ - [[塩月徳子]](第24話)
* ユリの母 - [[八百原寿子]](第24話)
* 怪力男 - [[スーパー・力]](第24話)
* 歯医者 - [[佐藤晟也]](第24話)
* 歯科衛生士 - [[伊藤京子 (女優)|伊藤京子]](第24話)
* 礼子 - [[大山いづみ]](第25話)
* 礼子の父 - [[相馬剛三]](第25話)
* 映画館の観客 - [[麻生茂]](第25話)
* 吹雪豪 - [[中尾隆聖]](第26話)
* ラジオのパーソナリティ - [[田川勝雄]](第26話)
* マスター - [[横山稔]](第26話)
* ライダー - [[益田てつ|益田哲夫]](第26話)
* ラジオ番組のスタッフ - [[内田修司]](第26話)
* 三平 - [[藤森政義]](第27話)
* 三平の相棒 - [[池田進 (俳優)|池田進]](第27話)
* 主婦 - [[八百原寿子]]、[[村松美枝子]]、[[原あけみ]](第27話)
* デリンジャー - [[中田博久]](第28話)
* 西刑事 - [[斉藤真]](第28話)
* 塗装業者 - [[三重街恒二]](第28話)
* ポール伊崎{{efn|書籍によっては'''ボール伊藤'''と表記している{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=117}}。}} - [[倉知成満|倉地雄平]](第29話)
* ベーダーの取引相手 - 高橋利道(第29話)
* サブ - [[山田隆夫]](第30話)
* マツ - [[星純夫]](第30話)
* シロー - [[鈴木弘道]](第30話)
* ゆかり - [[成瀬静江]](第30話)
* 金杉 - 松下昌司(第30話)
* 朝風まり - [[引田天功 (2代目)|朝風まり]](第31話)
* 朝風天山 - [[高原駿雄]](第31話)
* 真理 - [[近藤真理]](第32話)
* 真理の母 - [[一柳みる]](第32話)
* 三郎 - [[杉欣也]](第33話)
* ヨーコ - [[田中由美子]](第33話)
* 迎賓館の係員 - [[佐川二郎]](第33話)
* 修理工 - [[鈴木志郎]](第33話)
* 古川町子 - [[町田祥子]](第34話)
* 幼少期の俊介 - [[亀村祐輔]](第34話)
* 戸川六助 - [[吉田義夫]](第35話)※古代織家元156代目
* 老婆 - [[小甲登枝恵]](第35話)
* 竹の子族 - [[青柳鉄也]]、[[中原晴子]](第35話)
* 雷太 - [[田中和則]](第38話)
* 雷太の父 - 佐藤晟也(第38話)
* 雷太の母 - [[中村万里]](第38話)
* ジョギングの男 - [[東山茂幸]](第38話)
* 雷太の担任 - [[東真理子]](第38話)
* 秋本 - [[菅田俊|渋谷昌道]](第39話)
* 林典子 - [[里見和香]](第39話)
* 香山久美子 - [[浦谷ひづる]](第39話)
* トシオ - [[三浦憲]](第39話)
* レイコ - [[石川洋子 (女優)|石川洋子]](第39話)
* 妖魔術の会会員 - [[前島良行]](第39話)
* 岬達也 - [[春田純一]](第40話)
* 高山竜 - 栗原敏(第40話)
* 天田 - [[竹下佳男]](第40話)
* 天田の妹 - [[中川みどり]](第40話)
* 岬達次 - [[上平幸忠]](第40話)
* 早川秀一 - [[佐藤たくみ]](第42話)
* 誘拐された美女の父 - [[山田光一]](第43話)
* 空腹の老人 - [[岩城力也]](第44話)
* 母親 - [[福島歳恵]]、石田裕子(第44話)
* 有明夕子 - 舟倉たまき(第45話)
* 園長 - [[岸井あや子]](第45話)
* 道郎 - [[圓山淳也]](第45話)
* 伸 - [[永井秀男]](第45話)
* あっこ - [[石井亜希子]](第45話)
* ミユキ - [[三好里美]](第46話)
* タケシ - [[村田博]](第46話)
* ミユキとタケシの友達 - [[伊達直敏]]、[[下川洋一]](第46話)
* ダストラーが化けた中年男性 - [[大東梁佶]](第46話)
* 司会者 - [[幡野芳美]](第46話)
* 人魚姫 - [[立花愛子|増田めぐみ]](第47話)
* 洋服屋 - 木村修(第47話)
* 靴屋 - [[田代潤]](第47話)
<!--以上は、ファンタスティックコレクションNo.39『電子戦隊デンジマン』とDVDで確認しました。-->
※漢字表記は、ファンタスティックコレクションNo.39『電子戦隊デンジマン』[[朝日ソノラマ]](1984年)、テレビマガジン特別編集『スーパー戦隊大全集』[[講談社]](1988年)ISBN 4061784099<nowiki/>に拠る。
=== スーツアクター ===
ダイデンジン役として[[日下秀昭]]が初参加し、以後のシリーズでも[[戦隊ロボ]]役のスーツアクターとして定着した{{R|仮面俳優133|21st5}}。デンジピンク役の[[竹田道弘]]も本作品で初めて女性キャラクターを担当した{{R|仮面俳優181|20th93}}。
デンジグリーン役の村上潤は撮影中に膝を負傷し、代役を務めていた柴原孝典が後半を担当した{{R|20th83}}。
* デンジレッド{{R|大全集18}}{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=252}} - [[新堀和男]]
* デンジブルー{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集18|仮面俳優209}}{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=252}}}} - [[大葉健二]]
* デンジイエロー{{R|大全集18}}{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=252}} - [[伊藤久二康]]
* デンジグリーン{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集18|仮面俳優173|20th95}}{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=252}}}}{{efn|オープニングでの緑川が自動車の上を宙返りするシーンのスタントも担当{{R|仮面俳優173}}。}} - [[村上潤]]
* デンジグリーン(代役)<ref>{{Cite web|和書|date=2006-02-04|url=https://web.archive.org/web/20120308003350/http://moon.ap.teacup.com/wild/4.html|title=「SHIBAHARA」プロフィール|publisher=柴原孝典ブログ「危険請負人」|accessdate=2011-05-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2006-02-18|url=http://moon.ap.teacup.com/wild/64.html|title=「スタントマン17」|publisher=柴原孝典ブログ「危険請負人」|accessdate=2011-05-19}}</ref>{{R|20th83}} - [[柴原孝典]]
* デンジピンク{{Refnest|group="出典"|{{R|大全集18|仮面俳優181|20th93}}{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=252}}}} - [[竹田道弘]]
* デンジピンク(第25話、第26話)<ref>{{Cite journal|和書|date=2004-09-10 |journal=東映ヒーローMAX|volume=VOL.10|page=82|publisher=[[辰巳出版]]|isbn=4-7778-0061-X}}</ref> - [[小野寺えい子]]
* ダイデンジン{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=252}}{{R|仮面俳優133|21st5}}}} - [[日下秀昭]]
* ダストラー<ref>辰巳出版『東映ヒーローMAX』VOL.31、2010年、77頁、</ref> - [[卯木浩二]]
* ダストラー<ref>{{Cite web|和書|title=プロフィール|url=http://shocker.sakura.ne.jp/p.html|website=shocker.sakura.ne.jp|accessdate=2019-11-02}}</ref> - [[ショッカーO野]]
* その他 - [[城谷光俊]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20190330051747/http://sports.geocities.jp/kenbukai_004/p_shiroya.htm |title=SAP剣武会 城谷光俊 プロフィール |access-date=2023/10/14}}</ref>
== スタッフ ==
* 原作 - [[八手三郎]]
* 連載 - [[テレビマガジン]]、[[てれびくん]]、[[テレビランド]]、[[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]
* プロデューサー - 落合兼武(-第18話)・[[碓氷夕焼]](第10話-)(テレビ朝日)、[[吉川進]](東映)
* 脚本 - [[上原正三]]、[[江連卓]]、[[曽田博久]]、[[高久進]]
* 技斗 - [[山岡淳二]](第1-49話)、[[古賀弘文]](第50、51話)([[ジャパンアクションクラブ]])
* 監督 - [[竹本弘一]]、広田茂穂、平山公夫、[[小林義明]]、[[吉川一義 (テレビドラマ監督)|よしかわいちぎ]]、服部和史
* 音楽 - [[渡辺宙明]]
* 撮影 - 石橋英敏、相原義晴、[[いのくままさお]]、加藤弘章、西山誠
* 照明 - 富樫政雄、高橋道夫、石垣敏雄
* 美術 - 森田ふみよし、宮国登
* キャラクターデザイン - [[野口竜]]、久保宗雄、増尾隆之、渡部昌彦
* 録音 - 佐藤修一、上出栄二郎
* 効果 - [[大泉音映#阿部作二|阿部作二]]
* 選曲 - 石川孝
* 編集 - 山口一喜、松谷正雄
* 助監督 - 稲垣信明、服部和史、[[鹿島勤]]、[[小中肇]]、[[三ツ村鐵治]]、市川敏美
* 計測 - 石山信雄、小泉貴一
* 記録 - 石川和枝、栗原節子、河辺美津子、堀良子、福島勇子、藤本洋子
* 進行主任 - 桐山勝、奈良場稔、小林親正、小原武羅夫、後藤香、吉野晴亮
* 装置 - 紀和美建
* 操演 - [[佐藤幹雄]]
* 美粧 - 太陽かつら
* 衣裳 - 鷹志衣裳
* 企画協力 - [[企画者104]]
* キャラクター制作 - [[エキスプロダクション]]
* 視覚効果 - デン・フィルム・エフェクト
* 合成 - [[チャンネル16]]
* 音楽制作 - あんだんて
* 現像 - [[東映化学工業|東映化学]]
* 車輌制作 - 十和モーター
* オートバイ協力 - [[スズキ (企業)|鈴木自動車]]
* 車輌協力 - [[マツダ|MAZDA]]
* 撮影協力 - 後楽園ヘルスクラブ、矢野大サーカス
* 特撮 - [[特撮研究所]]
** 操演 - [[鈴木昶]]
** 美術 - [[大澤哲三]]
** 撮影 - 高橋政千
** 照明 - 日出明義
* 特撮監督 - [[矢島信男]]、[[佐川和夫]]
* 制作 - [[テレビ朝日]]、[[東映]]、[[東映エージエンシー]]
== 音楽 ==
; 主題歌
:; オープニングテーマ「[[ああ電子戦隊デンジマン/デンジマンにまかせろ!|ああ電子戦隊デンジマン]]」
:: 作詞:[[小池一夫]] / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:[[成田賢]]
:: ノンクレジットだが、コーラスを担当しているのは、アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』のテレビ版主題歌でもコーラスを担当したミュージッククリエイションというグループ。イントロの印象的なシンセパートは当時[[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]]のシンセサイザーオペレーターとして活躍していた[[松武秀樹]]によるもの。
:: テレビサイズは、コーダがフルサイズより1小節短い形で録音された。しかし、実際のオープニングでは、コーダをフルサイズのものに差し替え、他の部分を編集して1小節短くした形で使われた。第2話までと第3話以降では異なる形に編集されている。
::* 第2話まで:イントロを2小節カットし、中間部のコーラスを1小節多く繰り返す
::* 第3話以降:イントロを1小節カット
:: なお、テレビサイズは予告編音楽としても使われており、そちらではコーダが未編集のままになっている。
:: フルサイズ、テレビサイズともに、サビにもコーラスが入っているが、商品化している音源には入っていない。カラオケにはコーラスが入っている。
:: オープニングの映像は都合3つのバージョンが存在しており、[[東映ビデオ]]の『東映TV特撮主題歌大全集』(ビデオ、LD、DVDのいずれも)には後期のバージョンが収録されている。
:: 劇場版のオープニングでは2番まで使用されている。
:: [[たいらいさお]]によるカバー版も存在する。
:; エンディングテーマ「デンジマンにまかせろ!」
:: 作詞:小池一夫 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:成田賢
:: [[ヴォコーダー]]の音は渡辺宙明の声を加工したもの。
:
; 挿入歌
:; 「戦う電子戦隊デンジマン」(第27・29・30・32話・劇場版)
:: 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:成田賢、[[こおろぎ'73]]
:: 第20・32・51話ではインストゥルメンタル版が使用された。
:; 「星からきた超兵器」
:: 作詞:八手三郎 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:成田賢、こおろぎ'73、[[音羽ゆりかご会|コロムビアゆりかご会]]
:: 第33話ではインストゥルメンタル版が使用された。
:; 「ひとりぼっちの青春」
:: 作詞:[[江連卓]] / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:内田直哉、[[ザ・チャープス]]
:: 下記「輝け!デンジマン」とともに、スーパー戦隊シリーズ初の出演者による歌唱曲である{{R|20th18}}。第19話では前後奏部のみ、第30話・劇場版ではインストゥルメンタル版が使用され、第22話では緑川が弾き語りをする形で使用された。
:; 「輝け! デンジマン」(第19・30・34・37話)
:: 作詞:[[上原正三]] / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:内田直哉、こおろぎ'73、コロムビアゆりかご会
:: 第34話ではインストゥルメンタル版と併用された。
:; 「ゴーゴーデンジタイガー」(第19・20・23・38話)
:: 作詞:上原正三 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:成田賢、こおろぎ'73、ザ・チャープス
:: 第20話ではインストゥルメンタル版と併用された。
:; 「銀河ハニー」(第26話)
:: 作詞:上原正三 / 作曲・編曲:渡辺宙明 / 歌:[[中尾隆聖]]
:: 歌手・吹雪豪のヒット曲という設定で使用。放送当時は商品化されず、2001年発売のコンピレーション・アルバム『合体魂』にボーナストラックとして収録されたのが初商品化。同アルバムのライナーノーツによると、「行方不明になっていた音源が偶然発見されたため収録できた」という。2コーラスあるが、歌詞は1番しかなく、それを繰り返し歌っている。
:: 2013年放送の『[[非公認戦隊アキバレンジャー|非公認戦隊アキバレンジャーシーズン痛]]』の第2話では、登場人物のツー将軍(演:[[堀川りょう]])がカラオケ内でこの曲を歌っている。
上記の他、第34話において「母の背で覚えた子守唄」(歌:[[みなみらんぼう]])が使用された。
=== 音盤ソフト ===
* 前作『バトルフィーバー』同様、番組放映中に[[日本コロムビア|コロムビアレコード]]の[[レコード|LP]]『電子戦隊デンジマン ヒット曲集』と『電子戦隊デンジマン テーマ音楽集〈オリジナルサウンドトラック〉』が発売。『ヒット曲集』の曲間にはデンジマンたちとデンジ犬アイシーによる豆百科スタイルのミニ・ドラマが入っていた。『テーマ音楽集』は2004年に再発売されている([[1996年]]に発売の『電子戦隊デンジマン ミュージックコレクション』にて初[[コンパクトディスク|CD]]化。テレビシリーズ用の劇中音楽自体は『電子戦隊デンジマン ミュージックコレクション』にて初収録)。
* 「銀河ハニー」のみ、LP『電子戦隊デンジマン ヒット曲集』には収録されていなかった。
* 本作品の主題歌であるシングル盤は、放送中にライナーノーツのみのマイナーチェンジ版が発売された(中身はシングルと同じ)。初期のシングル盤は[[2006年]]に再発売された。
== 放送日程 ==
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size: smaller;"
|-
!放送日!!放送回!!サブタイトル!!登場怪人!!脚本!!監督
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|1980年{{0}}2月{{0}}2日
|1||超要塞へ急行せよ
|style="text-align: left;"|
* 00 ムササビラー(声 - [[飯塚昭三]])
|style="text-align: left;" rowspan="7"|上原正三
|style="text-align: left;" rowspan="4"|竹本弘一
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|2月{{0}}9日
|2||人喰いシャボン玉
|style="text-align: left;"|
* 01 シャボンラー(声 - 飯塚昭三)
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|2月16日
|3||油地獄大パニック
|style="text-align: left;"|
* 02 チカゲリラー(声 - 飯塚昭三)
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|2月23日
|4||ベーダー魔城追撃
|style="text-align: left;"|
* 03 ルパンカメラー(声 - [[依田英助]]、人間態(無藤礼) - [[時本和也|時本武]])
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|3月{{0}}1日
|5||壁に蠢く赤い毒花
|style="text-align: left;"|
* 04 ツタカズラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|3月{{0}}8日
|6||悪魔分身の少女
|style="text-align: left;"|
* 05 ヒゲキタコラー(声 - 飯塚昭三)
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|3月15日
|7||デンジ星の大悲劇
|style="text-align: left;"|
* 06 ウミツラー(声 - 飯塚昭三)
** ウミツラー初代{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=117}}
|style="text-align: left;" rowspan="3"|竹本弘一
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|3月22日
|8||白骨都市の大魔王
|style="text-align: left;"|
* 07 フィルムラー(声 - 飯塚昭三、人間態 - [[安藤三男]])
|style="text-align: left;"|江連卓
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|3月29日
|9||死を呼ぶ怪奇電話
|style="text-align: left;"|
* 08 デンワラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;" rowspan="4"|上原正三
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|4月{{0}}5日
|10||魔法料理大好き!?
|style="text-align: left;"|
* 09 ハンバラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|4月12日
|11||いのち泥棒を追え
|style="text-align: left;"|
* 10 タイヤジコラー(声 - 飯塚昭三)
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|4月19日
|12||危険な子供スパイ
|style="text-align: left;"|
* 11 バーラー(声 - 飯塚昭三)
* コピー人間{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=117}}
|style="text-align: left;" rowspan="2"|竹本弘一
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|4月26日
|13||割れた虹色の風船
|style="text-align: left;"|
* 12 アドバルラー(声 - 飯塚昭三、人間態 - [[三谷昇]])
|style="text-align: left;"|江連卓
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|5月{{0}}3日
|14||100点塾へおいで
|style="text-align: left;"|
* 13 ジュクラー(声 - [[大宮悌二]])
|style="text-align: left;" rowspan="3"|上原正三
|style="text-align: left;" rowspan="2"|平山公夫
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|5月10日
|15||悪の園への招待状
|style="text-align: left;"|
* 14 パンチローラー(声 - 大宮悌二)
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|5月17日
|16||熱海の陰謀を砕け
|style="text-align: left;"|
* 15 サメラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;" rowspan="3"|竹本弘一
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|5月24日
|17||泣くな! 野球小僧
|style="text-align: left;"|
* 16 デッドボーラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;"|江連卓
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|5月31日
|18||南海に咲くロマン
|style="text-align: left;"|
* 19 カイガラー(声 - 飯塚昭三)
* 海彦一族{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=117}}
|style="text-align: left;"|曽田博久
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|6月{{0}}7日
|19||私の星の王子さま
|style="text-align: left;"|
* 17 ガマラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;"|上原正三
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|6月14日
|20||ゴリラ少年大暴れ
|style="text-align: left;"|
* 18 ハチドクラー(声 - 飯塚昭三)
* 赤い花{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=117}}
|style="text-align: left;"|高久進
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|6月21日
|21||死神党を攻撃せよ!
|style="text-align: left;"|
* 20 ローソクラー(声 - 大宮悌二)
|style="text-align: left;" rowspan="2"|上原正三
|style="text-align: left;" rowspan="2"|小林義明
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|6月28日
|22||超時間ふしぎ体験
|style="text-align: left;"|
* 21 タイムラー(声 - 飯塚昭三)
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|7月{{0}}5日
|23||天井裏を歩く悪魔
|style="text-align: left;"|
* 22 コケラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="2"|よしかわいちぎ
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|7月12日
|24||罠をはる怪力男
|style="text-align: left;"|
* 25 ハミガキラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;"|江連卓
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|7月19日
|25||虎の穴は逃走迷路
|style="text-align: left;"|
* 23 メダマラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="2"|平山公夫
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|7月26日
|26||デンジ姫の宇宙曲
|style="text-align: left;"|
* 24 レコーラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;"|上原正三
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|8月{{0}}2日
|27||赤いカブト虫爆弾
|style="text-align: left;"|
* 26 キーラー(声 - 飯塚昭三)
* 爆弾カブト虫{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=117}}
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="2"|小林義明
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|8月{{0}}9日
|28||呪いの館の密殺者
|style="text-align: left;"|
* 27 ナゾラー(声 - 飯塚昭三)
* 祈とう師デリンジャー{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=117}}(演 - [[中田博久]])
|style="text-align: left;" rowspan="2"|上原正三
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|8月16日
|29||超能力刑事の急襲
|style="text-align: left;"|
* 28 サビムシラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;" rowspan="3"|竹本弘一
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|8月23日
|30||消えた盗んだ出た
|style="text-align: left;"|
* 29 チョウチンラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;"|曽田博久
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|8月30日
|31||魔法使い秘術合戦
|style="text-align: left;"|
* 30 ミミラー(声 - 大宮悌二)
|style="text-align: left;"|上原正三
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|9月{{0}}6日
|32||地獄の大銃撃戦
|style="text-align: left;"|
* 31 ダートラー(声 - 依田英助)
|style="text-align: left;"|高久進
|style="text-align: left;" rowspan="2"|服部和史
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|9月13日
|33||吸血楽器レッスン
|style="text-align: left;"|
* 32 サキソホンラー(声 - 依田英助)
|style="text-align: left;"|上原正三
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|9月27日
|34||哀しい捨子の物語
|style="text-align: left;"|
* 33 ビーダマラー(声 - 大宮悌二、人間態(古川俊介) - 大栗正史)
|style="text-align: left;" rowspan="4"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="3"|竹本弘一
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|10月{{0}}4日
|35||謎のはたおり姫
|style="text-align: left;"|
* 34 ドクガラー(人間態(岡道子) - 青木純、声 - [[坂井寿美江|坂井すみ江]])
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|10月11日
|36||勇気ある仔犬の詩
|style="text-align: left;"|
* 35 ノラネコラー(声 - 飯塚昭三)
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|10月18日
|37||蛮力バンリキ魔王
|style="text-align: left;"|
* バンリキ魔王
|style="text-align: left;" rowspan="2"|小林義明
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|10月25日
|38||無限魔空の大冒険
|style="text-align: left;"|
* 36 カマキラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;" rowspan="4"|上原正三
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|11月{{0}}1日
|39||女王怒りの妖魔術
|style="text-align: left;"|
* 38 アクマラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;" rowspan="2"|竹本弘一
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|11月{{0}}8日
|40||チャンピオンの敵
|style="text-align: left;"|
* 39 ピカリラー(声 - 飯塚昭三、人間態(KOジョー) - [[ウイリー・ドーシー]]{{efn|ドーシーはオープニングでもボクサー役で登場。}})
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|11月15日
|41||史上最大の総力戦
|style="text-align: left;"|
* 40 ジシンラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;" rowspan="2"|服部和史
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|11月22日
|42||少年を喰う悪い夢
|style="text-align: left;"|
* 41 ニンポーラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;"|高久進
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|11月29日
|43||謎なぞ七色レディ
|style="text-align: left;"|
* 42 デスマスクラー(声 - 坂井すみ江、人間態(香月美那子) - 彩瀬晶子)
|style="text-align: left;"|江連卓
|style="text-align: left;" rowspan="2"|竹本弘一
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|12月{{0}}6日
|44||不思議ランプ物語
|style="text-align: left;"|
* 43 アラジンラー(声 - 坂井すみ江、人間態(アラジン) - 武田美智子)
|style="text-align: left;"|上原正三
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|12月13日
|45||二人いたデンジ姫
|style="text-align: left;"|
* 44 オニラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;" rowspan="3"|曽田博久
|style="text-align: left;" rowspan="3"|服部和史
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|12月20日
|46||腹ペコ地獄X計画
|style="text-align: left;"|
* 45 トリカゴラー(声、人間態(五代万作) - 飯塚昭三)
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|12月27日
|47||朝日に消えた人魚
|style="text-align: left;"|
* 46 ボートラー(声、人間態 - 飯塚昭三)
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|1981年{{0}}1月10日<br />{{efn|1月3日は休止。}}
|48||バンリキ魔王反乱
|style="text-align: left;"|
* 47 サッカラー(声 - 飯塚昭三)
* 49 ケンダマラー(声 - 大宮悌二)
* 48 カラクリラー(声 - 飯塚昭三)
|style="text-align: left;" rowspan="4"|上原正三
|style="text-align: left;" rowspan="2"|小林義明
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|1月17日
|49||ベーダー城大異変
|style="text-align: left;"|
* バンリキモンス(声 - 飯塚昭三)
* 48 カラクリラー(声 - 飯塚昭三)
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|1月24日
|50||将軍は二度死す
|style="text-align: left;" |
* バンリキモンス
* ヘドラー将軍
** 巨大ヘドラー将軍{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=117}}
|style="text-align: left;" rowspan="2"|広田茂穂
|-style="text-align: center;"
|style="text-align: right;"|1月31日
|51||ひびけ希望の鐘よ
|style="text-align: left;"|
* バンリキモンス
* バンリキ魔王
|}
== 放送局 ==
{{出典の明記|date=2019年6月|section=1}}
* [[テレビ朝日]]:土曜 18:00 - 18:30
* [[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]
* [[青森放送]]
* [[秋田放送]]
* [[山形放送]]
* [[東日本放送]]:土曜 18:00 - 18:30<ref>『[[福島民報]]』1980年2月2日 - 1981年1月31日付朝刊、テレビ欄。</ref>
* [[福島中央テレビ]]:火曜 17:00 - 17:30<ref>『福島民報』1980年3月4日 - 1981年2月24日付朝刊、テレビ欄。</ref>
* [[新潟放送]]:金曜 17:30 - 18:00<ref>『福島民報』1980年4月18日 - 1981年2月13日付朝刊、テレビ欄。</ref>
* [[山梨放送]]
* [[北日本放送]]
* [[北陸放送]]:金曜 17:00 - 17:30<ref>『[[北國新聞]]』1980年11月14日付朝刊、テレビ欄。</ref>
* [[福井テレビジョン放送|福井テレビ]]:木曜 17:25 - 17:55<ref>『北國新聞』1980年11月13日付朝刊、テレビ欄。</ref>
* [[長野放送]]:火曜 17:30 - 18:00(1980年4月 - 9月)<ref>『[[日刊スポーツ]]』1980年4月22日、9月9日付テレビ欄。</ref>
** [[テレビ信州]]:土曜 18:00 - 18:30(1980年9月27日{{efn|9月27日は開局前の試験放送期間。正式には10月4日から。}}から放送終了まで)<ref>『信濃毎日新聞』1980年9月27日、10月4日、1981年1月31日 テレビ欄。</ref>
* [[静岡朝日テレビ|静岡けんみんテレビ]]
* [[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]]
* [[朝日放送テレビ|朝日放送]]:金曜 17:30 - 18:00
* [[日本海テレビジョン放送|日本海テレビ]]
* [[瀬戸内海放送]]
* [[広島ホームテレビ]]
* [[テレビ山口]]:月曜 17:30 - 18:00<ref>テレビ山口 1980年4月付タイムテーブル。</ref>
* [[四国放送]]
* [[テレビ愛媛|愛媛放送]]
* [[テレビ高知]]
* [[九州朝日放送]]
* [[長崎放送]]
* [[テレビ熊本]]
* [[宮崎放送]]:木曜 17:30 - 18:00<ref>『宮崎日日新聞』1980年5月15日 テレビ欄。</ref>
* [[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]]:水曜 17:45 - 18:15
* [[琉球放送]]
== 他媒体展開 ==
<!--[[プロジェクト‐ノート:特撮]]での議論に基づく形式にしています。反対意見があれば[[プロジェクト‐ノート:特撮]]に意見をください。-->
=== 映像ソフト化 ===
いずれも発売元は[[東映ビデオ]]。
* ビデオ([[VHS]]、セル・レンタル共通)は全18巻がリリースされている。当初の予定であった傑作選から全話収録へと変更となった都合上、収録順は放送順と一致していない。また第1巻の巻末には、DVDに収録されていない第1話の予告が収録されている。
* [[DVD]]は[[2004年]][[7月21日]]から[[12月10日]]にかけて、全6巻リリースされた。各巻2枚組(Vol.6のみ1枚)・9話(Vol.5は10話、Vol.6は5話)収録。Vol.1には初回生産分限定で全巻収納BOXが付属した。
* [[2021年]][[4月14日]]発売の『スーパー戦隊一挙見Blu-ray 1975 - 1981』に計6話{{efn|第1・7・43・48・50・51話。}}が収録されている<ref name="ikkyomi">[https://www.toei-video.co.jp/special/supersentai-ikkyo/ 東映ビデオ:「スーパー戦隊一挙見Blu-ray」特集]</ref>。
* 劇場版はビデオ第1巻{{Sfn|完全マテリアルブック 上巻|2002|p=105}}と[[2003年]][[7月21日]]発売のDVD-BOX『スーパー戦隊 THE MOVIE BOX』<ref>{{Cite journal |和書|date=2003-05-01 |title=DVD & VIDEO Selection |journal=[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]] |volume=Vol.106 |issue=(2003年5月号) |page=88 |publisher=[[朝日ソノラマ]] |id=雑誌コード:01843-05}}</ref>と、[[2004年]]7月21日発売の『スーパー戦隊 THE MOVIE VOl.2』、2011年6月21日発売の『スーパー戦隊 THE MOVIE Blu-ray BOX 1976-1995』、前述の『スーパー戦隊一挙見Blu-ray 1975 - 1981』{{efn|映像特典扱い<ref name="ikkyomi"/>。}}に収録。
=== CS放送・ネット配信 ===
; CS放送
* [[東映チャンネル]]
**2001年1月 - 7月(「GO!GO!ヒーローズ」枠)
**2002年10月 - 2003年1月(「アンコールアワー」枠)
**2022年4月 - (「スーパー戦隊ワールド」枠)<ref>{{Cite web|和書|title=東映チャンネル {{!}} 電子戦隊デンジマン 4月19日 放送スタート!毎週(火)18:00~19:00 |url=https://www.toeich.jp/program/1T0000015342/202204 |website=東映チャンネル |accessdate=2022-03-11 |language=ja}}</ref>
* [[テレ朝チャンネル#テレ朝チャンネル1|テレ朝チャンネル1]]
**2008年
; ネット配信
* 東映特撮 [[YouTube]] Official
**2014年4月28日 - 10月19日
**2016年6月18日 - 12月17日
=== 他テレビシリーズ ===
; 『[[太陽戦隊サンバルカン]]』
: 第4話以降、ヘドリアン女王がレギュラーとして登場。
; 「10大戦隊集合 頼むぞ! ターボレンジャー」
: 『[[高速戦隊ターボレンジャー]]』第1話として放送された特別編で、デンジマンの5人が登場。
; 「スーパー戦隊大集合」
: 『[[未来戦隊タイムレンジャー]]』第51話として放送された特別編で、タイムレンジャーの5人がタイムジェットで本作品の世界を見に来たという設定で本作品の映像が流用されている。
; 『[[海賊戦隊ゴーカイジャー]]』
: 第1話などのレジェンド大戦のシーンにデンジマン5人が登場するほか、ゴーカイジャーの二段変身としても登場。
=== 映画作品 ===
; 電子戦隊デンジマン
: 1980年7月12日公開。[[東映まんがまつり]]用の新作として制作・上映された。上映時間は46分。
:* 監督:竹本弘一
:* 脚本:上原正三
:* 特撮監督:矢島信男
:* 登場怪人:アンゴラー(声:飯塚昭三)
:* キャスト
::* 杉本恵子 - [[吉野佳子]]
::* 杉本はるみ - [[片岡みえ]]
::* デンジ姫 - 舟倉たまき
:
; 『[[ゴーカイジャー ゴセイジャー スーパー戦隊199ヒーロー大決戦]]』
: 冒頭のレジェンド大戦のシーンにデンジマン5人が登場するほか、黒十字王が悪用した力としても登場する。また、デンジブルーこと青梅大五郎も登場。
; 『[[海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE 空飛ぶ幽霊船]]』
: 合体戦闘員を構成する存在としてダストラーが登場。
; 『[[海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバン THE MOVIE]]』
: デンジブルーこと青梅大五郎が登場。
; 『[[仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦]]』
: スーパー戦隊シリーズと仮面ライダーシリーズをメインとしたクロスオーバー作品。デンジマンの5人が登場。
; 『[[仮面ライダー×スーパー戦隊×宇宙刑事 スーパーヒーロー大戦Z]]』
: 上記2シリーズに、メタルヒーローを加えたクロスオーバー作品。デンジレッドが登場。
; 『[[機界戦隊ゼンカイジャー THE MOVIE 赤い戦い! オール戦隊大集会!!]]』
: 『[[機界戦隊ゼンカイジャー]]』の劇場作品。デンジレッドが登場。
=== 漫画作品 ===
; [[テレビランド]]([[徳間書店]])
: 作画:[[細井雄二]]
: テレビシリーズと比べて、児童誌特有のアレンジが多く見受けられる。キャラクター描写は『ゴレンジャー』を髣髴とさせるものとなっており、青梅がクールな二枚目、黄山が肥満体型の大食漢、緑川が子供っぽさを残した性格とされている。また、デンジマンのマスクは口が露出している。5人のデンジマンを集めサポートする役割はデンジランドのコンピュータに集約されており、アイシーは登場しない{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=243}}。またダイデンジンは本誌ではなく、連載中に本誌別冊付録として付いた塗り絵コミック(こちらも作画は細井が担当)には登場した。
<!--: 最終回は、戦いに決着を付けるため一人デンジランドへ乗り込んできたヘドラー将軍に5人で立ち向かうも苦戦を強いられるが、漫画オリジナルの必殺技「デンジノヴァ」を放って将軍を倒すという形で終わる。←テレビランド版のラスボスはへドリアン女王では?-->
:最終回ではへドリアン女王が怪物化して電子戦隊と戦い倒される結末になっている。この関係で「テレビランド」では翌年の『太陽戦隊サンバルカン』の漫画版にへドリアン女王が出てこない{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=243}}。
: 単行本は放送当時のテレビランドコミックスと[[大都社]]Stコミックスとして刊行。
; [[テレビマガジン]]([[講談社]])
: 作画:[[津原義明]]
: ストーリーはオリジナル。ベーダー怪物は登場せず、オリジナルのゲスト敵キャラクターと戦う(例:ヘドラー将軍と同格の戦士バッカス(7月号)、赤木の先輩レスラーのアントニー・ウエキを改造したサイボーグ(9月号)、山小屋に変身した一つ目の怪物(1月号)など)。例外として、8月増刊号には劇場版とのタイアップ企画のためアンゴラーが登場している{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=243}}。
; [[てれびくん]]([[小学館]])
: 作画:[[シュガー佐藤 (漫画家)|シュガー佐藤]]
: 連載開始は1980年5月号と遅めだが、その差を活かして、テレビシリーズ第7話で語られたデンジ星の悲劇と電子戦隊結成の経緯を、漫画版第1話に取り入れている{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=243}}。
: 内容はテレビシリーズとかけ離れたギャグ路線で、何かと理由をつけてはあきらが裸にされている{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=243}}。
: 毎回ゲストで登場するオリジナルベーダー怪物は、テレビシリーズのそれのデザインラインに忠実な姿をしている(左右非対称、バックルの製造番号、名前の最後に「ラー」が付く、など)。
:* ドラキラー - 6月号に登場、製造番号666。[[コウモリ]]と[[洋傘|コウモリ傘]]の怪物。
:* ピラニラー - 8月号に登場、製造番号888。[[ピラニア]]の怪物。
:* コブラー - 11月号に登場、製造番号1111。瘤のついた[[コブラ科|コブラ]]の怪物。
; [[たのしい幼稚園 (雑誌)|たのしい幼稚園]](講談社)
: 作画:[[山田ゴロ]]
; [[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]]([[秋田書店]])
: 作画:[[浅井まさのぶ]]
: デリンジャーやダートラーの回など、テレビシリーズのエピソードを順当に漫画へと置換している{{Sfn|東映スーパー戦隊大全|2003|p=243}}。
=== オリジナルビデオ・オリジナルDVD ===
; 『[[百獣戦隊ガオレンジャーVSスーパー戦隊]]』
: 終盤、歴代レッドが集まるシーンにデンジレッドが登場。
; 『[[轟轟戦隊ボウケンジャーVSスーパー戦隊]]』
: アカレッドの力の源として歴代レッドが映るシーンにデンジレッドが登場。
; 『[[機界戦隊ゼンカイジャーVSキラメイジャーVSセンパイジャー]]』
: デンジブルーが登場。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 参照話数 ===
{{Reflist|group="ep"|3
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<ref name="1話">第1話。</ref>
<ref name="2話">第2話。</ref>
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<ref name="48話">第48話。</ref>
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<ref name="51話">第51話。</ref>
}}
=== 出典 ===
{{Reflist
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<ref name="大全集18">{{Harvnb|大全集|1988|pp=18-19|loc=「電子戦隊デンジマン」}}</ref>
<ref name="大全集22">{{Harvnb|大全集|1988|pp=22-23|loc=「アクション!」}}</ref>
<ref name="大全集164">{{Harvnb|大全集|1988|pp=164-165|loc=「宇宙ヒーローの誕生 電子戦隊デンジマン」}}</ref>
<ref name="大全集166">{{Harvnb|大全集|1988|p=166|loc=「シリーズのジャンプ [[太陽戦隊サンバルカン]]」}}</ref>
<ref name="大全集184">{{Harvnb|大全集|1988|p=184|loc=「スーパー戦隊シリーズインタビュー STAFF編」}}</ref>
<ref name="大全集205">{{Harvnb|大全集|1988|p=205|loc=「スーパー戦隊全戦力データ 電子戦隊デンジマン」}}</ref>
<ref name="全怪獣378">{{Harvnb|全怪獣怪人 上|1990|p=378}}</ref>
<ref name="超世紀155">{{Harvnb|大全集|1993|p=155|loc=「戦隊20年の戦い シリーズの変遷 基本型の完成」}}</ref>
<ref name="超世紀170">{{Harvnb|大全集|1993|p=170|loc=「超世紀全戦隊メカニックファイル」}}</ref>
<ref name="画報">{{Cite book|和書|editor=竹書房/イオン編|date=1995-11-30|title=超人画報 国産架空ヒーロー40年の歩み|publisher=[[竹書房]]|page=157|id=C0076|isbn=4-88475-874-9}}</ref>
<ref name="material16">{{Harvnb|完全マテリアルブック 上巻|2002|pp=16-19}}</ref>
<ref name="material28">{{Harvnb|完全マテリアルブック 上巻|2002|pp=28-29}}</ref>
<ref name="sentaitaizen11">{{Harvnb|東映スーパー戦隊大全|2003|p=11}}</ref>
<ref name="sentaitaizen97">{{Harvnb|東映スーパー戦隊大全|2003|p=97|loc=「メインキャラクター紹介 デンジレッド」}}</ref>
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<ref name="sentaitaizen108">{{Harvnb|東映スーパー戦隊大全|2003|pp=108-109|loc=「電子戦隊デンジマンの超戦力」}}</ref>
<ref name="sentaitaizen110">{{Harvnb|東映スーパー戦隊大全|2003|pp=110-111|loc=「ダイデンジン」}}</ref>
<ref name="gahou84">{{Harvnb|スーパー戦隊画報1|2005|pp=84-85|loc=「デンジマン」}}</ref>
<ref name="gahou86">{{Harvnb|スーパー戦隊画報1|2005|pp=86-87|loc=「集結、電子戦隊!!」}}</ref>
<ref name="gahou90">{{Harvnb|スーパー戦隊画報1|2005|pp=90-91|loc=「Mechanics」}}</ref>
<ref name="30大241">{{Harvnb|30大スーパー戦隊超全集|2007|p=241|loc=「デンジマンの個人武器・技」}}</ref>
<ref name="30大242">{{Harvnb|30大スーパー戦隊超全集|2007|p=242|loc=「デンジマンの武器」「デンジマンの合同技」}}</ref>
<ref name="30大243">{{Harvnb|30大スーパー戦隊超全集|2007|p=243|loc=「デンジマンのメカ」「デンジマンの巨大ロボ」}}</ref>
<ref name="百化33">{{Harvnb|百化繚乱 上之巻|2011|p=33}}</ref>
<ref name="百化45">{{Harvnb|百化繚乱 上之巻|2011|p=45}}</ref>
<ref name="百化野口">{{Harvnb|百化繚乱 上之巻|2011|pp=88-90|loc=「DESIGNER'S INTERVIEW 02 [[野口竜]]」}}</ref>
<ref name="読本">『特撮ザテレビジョン「仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦」公式読本』70頁{{Full|date=2019年4月}}。</ref>
<ref name="仮面俳優133">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=133-142|loc=「第4章 東映ヒーロー史に刻み込まれた匠の技と業 12 [[日下秀昭]]」}}</ref>
<ref name="仮面俳優173">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=173-180|loc=「第5章 プレイヤーからアクション監督への転身 16 [[村上潤]]」}}</ref>
<ref name="仮面俳優181">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=181-190|loc=「第5章 プレイヤーからアクション監督への転身 17 [[竹田道弘]]」}}</ref>
<ref name="仮面俳優209">{{Harvnb|仮面俳優列伝|2014|pp=209-221|loc=「第6章 現場に帰還した伝説のリアルヒーロー 20 [[大葉健二]]」(東映ヒーローMAX vol.37掲載)}}</ref>
<ref name="21st5">{{Harvnb|21st 5|2017|p=32|loc=「スーパー戦隊制作の裏舞台 [[日下秀昭]]」}}</ref>
<ref name="21st11">{{Harvnb|21st 11|2017|p=33|loc=「スーパー戦隊制作の裏舞台 [[前澤範]]」}}</ref>
<ref name="21st15">{{Harvnb|21st 15|2017|p=30|loc=「特集企画 スーパー戦隊その極意 Volume15 ロボとその表現」}}</ref>
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<ref name="20th05">{{Harvnb|20th 1980|2018|p=5|loc=「INTERVIEW デンジマンの真実 吉川進」}}</ref>
<ref name="20th06">{{Harvnb|20th 1980|2018|pp=6-7|loc=「電子戦隊デンジマン」}}</ref>
<ref name="20th08">{{Harvnb|20th 1980|2018|pp=8-9|loc=「赤城一平/デンジレッド」}}</ref>
<ref name="20th10">{{Harvnb|20th 1980|2018|pp=10-11|loc=「青梅大五郎/デンジブルー」}}</ref>
<ref name="20th12">{{Harvnb|20th 1980|2018|pp=12-13|loc=「黄山純/デンジイエロー」}}</ref>
<ref name="20th14">{{Harvnb|20th 1980|2018|pp=14-15|loc=「緑川達也/デンジグリーン」}}</ref>
<ref name="20th16">{{Harvnb|20th 1980|2018|pp=16-17|loc=「桃井あきら/デンジピンク」}}</ref>
<ref name="20th18">{{Harvnb|20th 1980|2018|pp=18-19|loc=「SPECIAL INTERVIEW'80 [[内田直哉]]」}}</ref>
<ref name="20th22">{{Harvnb|20th 1980|2018|pp=22-23|loc=「デンジ星メカニック」}}</ref>
<ref name="20th24">{{Harvnb|20th 1980|2018|pp=24-25|loc=「ベーダー一族」}}</ref>
<ref name="20th35">{{Harvnb|20th 1980|2018|p=35|loc=「スーパー戦隊玩具史 ポピーはまたやりました ポピニカ 超合金 ジャンボマシンダーの時代」}}</ref>
<ref name="20th81">{{Harvnb|20th 1981|2018|pp=30-31|loc=「特集企画 スーパー戦隊の神業 JACの初期スーパー戦隊アクション」}}</ref>
<ref name="20th8133">{{Harvnb|20th 1981|2018|p=33|loc=「スーパー戦隊制作の裏舞台 [[小林義明]]」}}</ref>
<ref name="20th82">{{Cite book|和書|editor=講談社|date=2019-09-25|title=スーパー戦隊 Official Mook 20世紀|volume-title=1982 大戦隊ゴーグルV|publisher=講談社|series=講談社シリーズMOOK|page=31|chapter=特集企画 スーパー戦隊の神業 初期「スーパー戦隊」だけ!?巨大メカVS巨大敵!! 特撮一発芸|isbn=978-4-06-513707-9}}</ref>
<ref name="20th83">{{Cite book|和書|editor=講談社|date=2018-09-10|title=スーパー戦隊 Official Mook 20世紀|volume-title=1983 [[科学戦隊ダイナマン]]|publisher=[[講談社]]|series=講談社シリーズMOOK|page=32|chapter=スーパー戦隊制作の裏舞台 [[柴原孝典]]|isbn=978-4-06-509605-5}}</ref>
<ref name="20th86">{{Cite book|和書|editor=講談社|date=2019-05-24|title=スーパー戦隊 Official Mook 20世紀|volume-title=1986 [[超新星フラッシュマン]]|publisher=[[講談社]]|series=講談社シリーズMOOK|pages=32-33|chapter=スーパー戦隊制作の裏舞台のウラ 特別対談 [[村上克司]]×本郷武一|isbn=978-4-06-513714-7}}</ref>
<ref name="20th90">{{Cite book|和書|editor=講談社|date=2019-04-25|title=スーパー戦隊 Official Mook 20世紀|volume-title=1990 [[地球戦隊ファイブマン]]|publisher=[[講談社]]|series=講談社シリーズMOOK|page=33|chapter=スーパー戦隊制作の裏舞台 [[企画者104|横田誠]]|isbn=978-4-06-513711-6}}</ref>
<ref name="20th93">{{Cite book|和書|editor=講談社|date=2018-12-19|title=スーパー戦隊 Official Mook 20世紀|volume-title=1993 [[五星戦隊ダイレンジャー]]|publisher=講談社|series=講談社シリーズMOOK|page=33|chapter=スーパー戦隊制作の裏舞台 [[竹田道弘]]|isbn=978-4-06-513704-8}}</ref>
<ref name="20th95">{{Cite book|和書|editor=講談社|date=2019-04-10|title=スーパー戦隊 Official Mook 20世紀|volume-title=1995 [[超力戦隊オーレンジャー]]|publisher=[[講談社]]|series=講談社シリーズMOOK|page=33|chapter=スーパー戦隊制作の裏舞台 [[村上潤]]|isbn=978-4-06-513710-9}}</ref>
<ref name="特撮全史">{{Harvnb|特撮全史|2020|p=4|loc=「電子戦隊デンジマン」}}</ref>
<ref name="学研の図鑑97">{{Harvnb|学研の図鑑|2021|p=97|loc=「頼れるサポーターたち(1)」}}</ref>
<ref name="学研の図鑑216">{{Harvnb|学研の図鑑|2021|pp=216-217|loc=「電子戦隊デンジマン」}}</ref>
<ref name="学研の図鑑246">{{Harvnb|学研の図鑑|2021|pp=246-247|loc=「デンジマン:デンジ星のメカニック」}}</ref>
<ref name="TH4523">{{Harvnb|TH45|2022|p=23|loc=「電子戦隊デンジマン」}}</ref>
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=== 出典(リンク) ===
{{Reflist|group="出典"|2}}
== 参考文献 ==
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**{{Cite book|和書|date=1988-04-25|title=スーパー戦隊大全集|publisher=講談社|isbn=4-06-178408-0|ref={{SfnRef|大全集|1988}}}}
**{{Cite book|和書|date=1993-11-14|title=超世紀全戦隊大全集|publisher=講談社|isbn=4-06-178416-1|ref={{SfnRef|大全集|1993}}}}
*{{Cite book|和書|date=1990-03-24|title=[[全怪獣怪人]]|publisher=[[勁文社]]|volume=上巻|id=C0676|isbn=4-7669-0962-3|ref={{SfnRef|全怪獣怪人 上|1990}}}}
* {{Cite book |和書|year = 2002|title = 25大スーパー戦隊シリーズ 完全マテリアルブック 上巻|publisher = [[勁文社]]|isbn = 4-7669-3975-1|ref = {{SfnRef|完全マテリアルブック 上巻|2002}}}}
*{{Cite book|和書|editor=安藤幹夫 編|date=2003-02-28|title=東映スーパー戦隊大全 バトルフィーバーJ・デンジマン・サンバルカンの世界|publisher=[[双葉社]]|isbn=4-575-29520-5|ref={{SfnRef|東映スーパー戦隊大全|2003}}}}
*{{Cite book|和書|others = 編集:[[井上嘉大]]|date = 2003-03-20|title = 全怪獣怪人大事典(上巻)東映篇|publisher = [[英知出版]]|isbn = 4-7542-2016-1|ref = {{SfnRef|全怪獣怪人・上|2003}}}}
* {{Cite book|和書|date=2005-09-07|title=スーパー戦隊画報|volume=第1巻|publisher=[[竹書房]]|ISBN=4-8124-2219-1|ref={{SfnRef|スーパー戦隊画報1|2005}}}}
* {{Cite book|和書|date = 2006-04-25|title =決定版 全スーパー戦隊 完全超百科|publisher = 講談社|isbn = 4-06-304567-6|ref = {{SfnRef|完全超百科|2006}}}}
* {{Cite book|和書|others=構成 間宮“TAKI”尚彦|date=2007-03-08|title=30大スーパー戦隊[[超全集]]|publisher=[[小学館]]|isbn=978-4-09-105112-7|ref = {{SfnRef|30大スーパー戦隊超全集|2007}}}}
* {{Cite book|和書|date = 2011-05-25|title =決定版 全スーパー戦隊 パーフェクト超百科|publisher = 講談社|isbn = 978-4-06-304815-5|ref = {{SfnRef|パーフェクト超百科|2011}}}}
*{{Cite book|和書|date=2011-12-15|title=東映スーパー戦隊35作品記念公式図録 百化繚乱 [上之巻] 戦隊怪人デザイン大鑑 1975-1995|publisher=グライドメディア|isbn=978-4-8130-2163-6|ref={{SfnRef|百化繚乱 上之巻|2011}} }}
* {{Cite book|和書|date = 2012-07-28|title =スーパー戦隊戦士列伝 赤の伝説|publisher = 角川書店|isbn = 978-4-04-110216-9|ref = {{SfnRef|赤の伝説|2012}}}}
*{{Cite book|和書|date=2012-06-01|title=海賊戦隊ゴーカイジャー公式読本 豪快演義 SUPER SENTAI 35th UNIVERSE|publisher=グライドメディア|series=グライドメディアムック|isbn=978-4-8130-8173-9|ref={{SfnRef|豪快演義|2012}}}}
* {{Cite book|和書|date=2014-12-20|others=鴬谷五郎[編著]|title=東映ヒーロー仮面俳優列伝|publisher=[[辰巳出版]]|isbn=978-4-7778-1425-1|ref={{SfnRef|仮面俳優列伝|2014}}}}
* {{Cite book|和書|date = 2018-02-26|title =決定版 全スーパー戦隊 コンプリート超百科|publisher = 講談社|isbn = 978-4-06-304848-3|ref = {{SfnRef|コンプリート超百科|2018}}}}
*『スーパー戦隊 Official Mook 21世紀』講談社〈講談社シリーズMOOK〉
** {{Cite book|和書|editor=講談社|date=2017-07-10|volume=vol.5|volume-title=[[魔法戦隊マジレンジャー]]|isbn=978-4-06-509516-4|ref={{SfnRef|21st 5|2017}}}}
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** {{Cite book|和書|editor=講談社|date=2017-09-07|volume=vol.15|volume-title=[[手裏剣戦隊ニンニンジャー]]|isbn=978-4-06-509526-3|ref={{SfnRef|21st 15|2017}}}}
* 『スーパー戦隊 Official Mook 20世紀』講談社〈講談社シリーズMOOK〉
** {{Cite book|和書|date=2018-07-25|volume-title=1980 電子戦隊デンジマン|isbn=978-4-06-509608-6|ref={{SfnRef|20th 1980|2018}}}}
** {{Cite book|和書|date=2018-08-25|volume-title=1981 [[太陽戦隊サンバルカン]]|isbn=978-4-06-509606-2|ref={{SfnRef|20th 1981|2018}}}}
* {{Cite book|和書|date = 2020-01-07|title =キャラクター大全 特撮全史 1980〜90年代 ヒーロー大全|publisher = 講談社|isbn = 978-4-06-512925-8|ref = {{SfnRef|特撮全史|2020}}}}
* {{Cite book|和書|date = 2021-04-20<!--奥付表記-->|title =スーパー戦隊|series=学研の図鑑|publisher = 学研プラス|isbn = 978-4-0540-6788-2|ref = {{SfnRef|学研の図鑑|2021}}}}
* {{Cite book |和書 |date=2022-04-01 |title=スーパー戦隊 TOY HISTORY 45 1975-2021 |series = ホビージャパンMOOK |publisher=[[ホビージャパン]] |isbn=978-4-7986-2745-8 |ref={{SfnRef|TH45|2022}} }}
== 外部リンク ==
* [http://www.super-sentai.net/sentai/denji.html 電子戦隊デンジマン](スーパー戦隊ネット内の紹介記事)
* [https://www.toei-video.co.jp/special/denziman/ DVD 電子戦隊デンジマン特集](東映ビデオ内にあるサイト)
{{前後番組
|放送局= [[テレビ朝日]][[オールニッポン・ニュースネットワーク|系列]]
|放送枠= 土曜18:00 - 18:30
|番組名= 電子戦隊デンジマン<br />(1980年2月2日 - 1981年1月31日)
|前番組= [[バトルフィーバーJ]]<br />(1979年2月3日 - 1980年1月26日)
|次番組= [[太陽戦隊サンバルカン]]<br />(1981年2月7日 - 1982年1月30日)
}}
{{スーパー戦隊シリーズ}}
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[[Category:スーパー戦隊シリーズの特撮テレビドラマ]]
[[Category:マーベル・コミックと東映の作品]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E6%88%A6%E9%9A%8A%E3%83%87%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%9E%E3%83%B3 |
1,252 | 坂口尚 | 坂口 尚(さかぐち ひさし、男性、1946年5月5日 - 1995年12月22日)は、日本の漫画家、アニメーター。東京都出身。
1963年、うさぎのカットを3枚描いて入社試験に合格し、定時制高校在学中に虫プロに入社。学業との両立が困難となり、高校は自主退学。『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』で原画を担当。『リボンの騎士』で演出デビュー。最終話「シルバーランド幸せに」を含む8話分を担当した。
虫プロ時代より下駄履き。あえて下駄を履くことで服装や外見で判断する人物を見分けていた。自画像も下駄だった。
1969年「COM」9月号SERIES霧の中『おさらばしろ!』で漫画家デビュー し、「COM」の連載と並行して、1970年から1971年にかけて「ぼくらマガジン」に『ウルフガイ』を連載。『ウルフガイ』連載終了後は、アニメーションの仕事のほうが多くなり、漫画は年に数本のみとなった。
1978年、24時間テレビ 「愛は地球を救う」のスペシャルアニメ『100万年地球の旅 バンダーブック』で中心的役割を担う。スケジュールが切迫した制作現場では手塚治虫と対立することもあった。仲裁役は現手塚プロダクション社長の松谷孝征だった。
1979年、ニューウェーブの波の渦中で『たつまきを売る老人』をはじめとするシリーズ「午后の風」を発表、1980年より『12色物語』を連載。その詩的な作風から「短編の名手」「詩人」 と呼ばれた。
1983年、長編『石の花』連載開始。以後、長編を中心とした執筆活動に入り『石の花』『VERSION』『あっかんべェ一休』の長編3部作を発表。ユーゴスラビアの複雑な環境に世界の縮図をみいだした『石の花』は5度出版されるほどの代表作となった。
一部からは手塚治虫の後継者と目されるも『あっかんべェ一休』の最終話脱稿後、第4巻のカバー校了に立ち合った直後 の1995年12月22日に、自宅の浴室にて急性心不全のため死去した。49歳没。
没後の1996年、遺作となった『あっかんべェ一休』に日本漫画家協会賞優秀賞が贈られた。
アニメの遺作は『安達が原』(1991年)。
2023年には作品『石の花』に対してフランス・アングレーム国際漫画祭の「遺産賞」を贈られた 。
アシスタントを使わずひとりで執筆していた。「どちらかというと風景が好きで、人物を描きたくない」という発言もある。坂口が描く風景は「現実以上に美しい山であり、川であり、道」「木々の木漏れ陽、地面に落ちた影」「めまいを覚えるような光と影の世界、空、海、雨、木々のざわめき」と高く評価された。『ウルフガイ』では土山よしき、細井雄二がアシスタントを担当し週刊連載を支えた。 | [
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] | 坂口 尚は、日本の漫画家、アニメーター。東京都出身。 | {{Infobox 漫画家
| 名前 = 坂口 尚
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 脚注 =
| 本名 = 坂口 尚三
| 生地 = {{JPN}}・[[埼玉県]]
| 国籍 = {{JPN}}
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| 公式サイト = [http://www.hisashi-s.jp/ 坂口尚オフィシャルサイト 午后の風]
}}
'''坂口 尚'''(さかぐち ひさし、男性、[[1946年]][[5月5日]] - [[1995年]][[12月22日]])は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[アニメーター]]。[[東京都]]出身。
== 人物 ==
1963年、うさぎのカットを3枚描いて入社試験に合格し<ref name="「電飾の夜23:59発」p186 坂口尚全調書">「電飾の夜23:59発」p186 坂口尚全調書</ref><ref>17歳の時虫プロの入社試験を受け二度目で合格。</ref>、定時制高校在学中に[[虫プロダクション|虫プロ]]に入社。学業との両立が困難となり、高校は自主退学<ref>「ぱふ」1980年11月号 p102</ref><ref>「マンガ応用テクニック講座」p112 MY WORKS 坂口尚 場景至上派</ref>。『[[鉄腕アトム]]』『[[ジャングル大帝]]』で原画を担当<ref name="「電飾の夜23:59発」p186 坂口尚全調書" /><ref>「坂口尚短編集1」坂口尚Profile</ref>。『[[リボンの騎士]]』で演出デビュー<ref name="「電飾の夜23:59発」p186 坂口尚全調書" /><ref name="ReferenceA">リボンの騎士 DVD-BOX1 シルバーランド・ファイル 第5話 怪物の谷 解説</ref>。最終話「シルバーランド幸せに」を含む8話分を担当した<ref>リボンの騎士 DVD-BOX1 シルバーランド・ファイル</ref><ref>リボンの騎士 DVD-BOX2 シルバーランド・ファイル</ref><ref name="リボンの騎士手塚治虫公式サイト">{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/35.html| title = リボンの騎士| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-06-09}}</ref>。
虫プロ時代より[[下駄]]履き。あえて下駄を履くことで服装や外見で判断する人物を見分けていた。自画像も下駄だった<ref>講談社漫画文庫「12色物語」坂口尚さんとの思い出 浮田信行 p404-405</ref><ref>「ぱふ」1980年11月号 p45</ref><ref>講談社漫画文庫「石の花」3 p280 坂口尚さんのこと 石坂啓</ref><ref>「WHAT」1986年2月号 p151-152 スーパーエッセイ1 下駄 坂口尚</ref><ref>「WHAT」1987年2月号 p180 坂口尚の素語録 月とドラマの関係</ref>。
1969年「[[COM (雑誌)|COM]]」9月号SERIES霧の中『おさらばしろ!』で漫画家デビュー<ref>「ぱふ」1980年11月号 p47 光の匂い、風の色 - 坂口尚論・未遂 村上知彦</ref> し、「COM」の連載と並行して、1970年から1971年にかけて「[[ぼくらマガジン]]」に『ウルフガイ』を連載。『ウルフガイ』連載終了後は、アニメーションの仕事のほうが多くなり、漫画は年に数本のみとなった<ref>「ぱふ」1980年11月号 p49 光の匂い、風の色 - 坂口尚論・未遂 村上知彦</ref><ref>「3月の風は3ノット」(1981年)潮出版社 p176 坂口尚の普遍性について 村上知彦</ref><ref>「石の花」上 光文社 p500 ユーゴ・栄光と愚行と 安彦良和</ref>。
1978年、[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」#アニメスペシャル|24時間テレビ 「愛は地球を救う」のスペシャルアニメ]]『[[100万年地球の旅 バンダーブック]]』で中心的役割を担う。スケジュールが切迫した制作現場では[[手塚治虫]]と対立することもあった。仲裁役は現[[手塚プロダクション]]社長の[[松谷孝征]]だった<ref>講談社漫画文庫「石の花」2 p280 坂口尚さんのこと 松谷孝征</ref><ref>愛蔵版「石の花」3 p332 一本筋を通す人 松谷孝征</ref><ref>「月刊peke」1978年11月号 p147 バンダーブック見たかい?</ref><ref>「ぱふ」1980年11月号 p100-101</ref><ref>「ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜」1 第4話・アニメ地獄</ref>。
1979年、[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]の波の渦中で<ref>週刊ポスト2001年2/9号 p167 坂口尚短編集第1巻「午后の風」南信長</ref><ref name="ReferenceB">サンデー毎日2001年1月7-14日新年合併号 p67 村上知彦の大人のまんが 忘れかけたまんがの可能性</ref>『たつまきを売る老人』をはじめとするシリーズ「午后の風」を発表、1980年より『12色物語』を連載。その詩的な作風から「短編の名手」<ref name="ReferenceB"/><ref>レコレコVol.8 p91「坂口尚短編集5 ドレみ空!」</ref><ref name="ReferenceC">「Peke」1978年11月号 p14 ファンタジー特集Part1 坂口尚「恋人」</ref>「詩人」<ref name="「たつまきを売る老人」奇想天外社 手塚治虫 カバー見返し 帯">「たつまきを売る老人」奇想天外社 手塚治虫 カバー見返し 帯</ref><ref>「ぱふ」1980年11月号 p86 寡黙な風にゆれるコスモス-あるいは坂口尚論 石原はるひこ</ref><ref name="「COMIC BOX」1983年1月号 p47 12色物語 高取英">「COMIC BOX」1983年1月号 p47 12色物語 高取英</ref> と呼ばれた。
1983年、長編『[[石の花 (坂口尚の漫画)|石の花]]』連載開始。以後、長編を中心とした執筆活動に入り『石の花』『[[VERSION]]』『[[あっかんべェ一休]]』の長編3部作を発表<ref>講談社漫画文庫「石の花」1 p294</ref>。ユーゴスラビアの複雑な環境に世界の縮図をみいだした<ref>講談社漫画文庫「石の花」5 p278 なぜ漫画でユーゴを描いたのか 坂口尚</ref>『石の花』は5度出版されるほどの代表作となった。
一部からは手塚治虫の後継者と目されるも『あっかんべェ一休』の最終話脱稿後、第4巻のカバー校了に立ち合った直後<ref name="名前なし-1">「坂口尚追悼文集 …未来へ」p111 坂口尚さんの三部作のこと 講談社「アフタヌーン編集部」由利耕一</ref> の[[1995年]][[12月22日]]に、自宅の浴室にて急性心不全のため死去した<ref>「日本一のマンガを探せ! 別冊宝島316」宝島社 1997年 p231</ref><ref name="ライオンブックス「安達が原」「悪右衛門」 DVD">ライオンブックス「安達が原」「悪右衛門」 DVD</ref><ref>「石の花」上 光文社 p502 ユーゴ・栄光と愚行と 安彦良和</ref>。{{没年齢|1946|5|5|1995|12|22}}。
没後の1996年、遺作となった『あっかんべェ一休』に[[日本漫画家協会賞]]優秀賞が贈られた<ref name="nmk">{{Cite web|和書|url=http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/award.php?startIndex=15|title=歴代受賞者(日本漫画家協会賞および文部科学大臣賞) 第25回(1996年度)|publisher=日本漫画家協会|accessdate=2013-5}}</ref>。
アニメの遺作は『[[安達が原]]』(1991年)<ref>「安達が原」ライオンブックス.1 VHS</ref><ref name="ライオンブックス「安達が原」「悪右衛門」 DVD"/>。
2023年には作品『石の花』に対してフランス・[[アングレーム国際漫画祭]]の「遺産賞」を贈られた
<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASR4L3QVYR3XUCVL03S.html 「80年代の漫画が仏で受賞 大戦時のユーゴ描いた「石の花」に再び光」(朝日新聞2023年4月22日)※記事のタイトル中に作家名が作品名の前に出ていないのはあまりに酷い扱いだ]</ref>
<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASR4L64BDR3WUCVL05D.html 「うっそだろ」浦沢直樹が驚く「石の花」 一人で描いた孤高の漫画家(朝日新聞2023年4月22日)※記事タイトルだけだとまるで浦沢直樹が「石の花を」1人で描いた孤高の漫画家のように読めてしまう]</ref>。
== 略歴 ==
*1946年 [[埼玉県]]に生まれ、すぐに東京に移る。
*1963年 [[虫プロダクション|虫プロ]]入社、『[[鉄腕アトム]]』、『[[ジャングル大帝]]』、『[[リボンの騎士]]』で原画・演出等を担当<ref name="「電飾の夜23:59発」p186 坂口尚全調書" />。
*1968年 フリーとなりコマーシャルフィルムのアニメーションなどの制作に携わる。
*1969年 「[[COM (雑誌)|COM]]」9月号『おさらばしろ!』で漫画家デビュー。
*1970-1971年 「[[ぼくらマガジン]]」に『[[ウルフガイ]]』を連載。
*1973年 「COM」が休刊となると、フリーの立場で[[タツノコプロ]]、[[日本サンライズ]]、[[東映]]などでアニメーションの仕事をする<ref name="「ぱふ」1980年11月号 p103">「ぱふ」1980年11月号 p103</ref>。
*1977年 自主制作アニメのグループ「我楽苦他」を結成<ref name="「12色物語」上 p203 坂口尚の歩み">「12色物語」上 p203 坂口尚の歩み</ref>。
*1978年から「[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]」のスペシャルアニメ『[[100万年地球の旅 バンダーブック]]』『[[海底超特急マリンエクスプレス]]』『[[フウムーン]]』などに参加。
*1978-1979年「Peke」「コミックアゲイン」「別冊奇想天外」に短編を発表し漫画家復帰<ref name="「ぱふ」1980年4月号 p39">「ぱふ」1980年4月号 p39</ref><ref name="「ウルフガイ」1 奇想天外社 p210 ウルフガイ再び 平井和正">「ウルフガイ」1 奇想天外社 p210 ウルフガイ再び 平井和正</ref>。
*1980-1982年 『12色物語』を連載。
*1983-1986年 『[[石の花 (坂口尚の漫画)|石の花]]』を連載。
*1989-1991年 『[[VERSION]]』を連載。
*1993-1995年 『[[あっかんべェ一休]]』を連載。
*1995年 逝去。
*1996年 『あっかんべェ一休』で[[日本漫画家協会賞]]優秀賞を受賞<ref name="nmk" />。
== 作品リスト ==
=== 漫画 ===
==== 初出誌一覧 ====
*1969
**SERIES「霧の中」
***1 おさらばしろ!(COM 9月号)
***2 反転(COM 10月号)
***3 しわ(COM 11月号)
***4 神との賭(COM12月号)
**探偵ブラカン<ref>ハンマー坂口名義</ref>
***1 裂かれた美女の腹(プレイコミック 9月10日号)
***2 東京番外地(プレイコミック 9月25日号)
***3 女王をマークしろ!(プレイコミック 10月10日号)
***4 ブラカン対007(プレイコミック 10月25日号)
***5 ああ!芸術の秋(プレイコミック 11月10日号)
***6 最終回 一難去ってまた一難(プレイコミック 11月22日号)
**地獄草(巨人の星 13 少年マガジンコミックス 10月号)<ref name="B5 雑誌形態単行本">B5 雑誌形態単行本</ref>
**左腕(漫画ゴラク増刊 11月号)
**ラーメン大将(別冊少年キング 12月号)
*1970
**SERIES「霧の中」
***5 …110よ(COM 1月号)<ref>初出時タイトル「・・・・110よ」</ref>
***最終回 「ミル」って名の娘についての事(COM 2月号)
**POETICAL ROMAN 振子 IL PÈNDOLO(プレイコミック 1月24日号)<ref>手書き文字で大きく「振子」</ref>
**雪が降る(COM 3月号)
**メリーゴーランドに飛び乗って(ビッグマガジン №1S-F)<ref>まんが王 1月号付録</ref>
**生き人形(週刊ぼくらマガジン 20号)
**青びょうたん(タイガーマスク 5 ぼくらマガジンコミックス 春季号)<ref name="B5 雑誌形態単行本"/>
**スモッガー(まんが王 4月号)
**トム=ソーヤーの冒険<ref>描きおろし単行本 原作 マーク=トウェン 絵本ではなくコマ割りされた漫画。</ref>
**母子像(月刊別冊少年マガジン 10月号)<ref>原作 筒井康隆</ref>
**KRVAVA BAJKA 抵抗の詩(まんが王 8月号-9月号)<ref>ユーゴ映画 KRVAVA BAJKA 抵抗の詩を漫画化</ref>
**クレオパトラ(COM増刊号)<ref name="B5 雑誌形態単行本"/><ref>原案・監修 手塚治虫</ref><ref name="描きおろし">描きおろし</ref>
**ウルフガイ(週刊ぼくらマガジン 43号-1971年23号)<ref>原作 平井和正</ref>
*1971
**魚の少年(希望の友 3月号)<ref>「イラストポエム」と記載されている</ref>
**フーセンばあさん(COM 4月号)
**帰ってきたウルトラマン(小学五年生 4月号-6月号)
**いちご都市(COM 8月号)
**独立祭の夜(希望の友 8月号)<ref>アルバート・W・トールマン原作「綱わたり」より</ref>
*1972
**武端左門(COMコミック 12月8日号)
*1973
**カペラ(COMコミック 2月)<ref>半月刊誌2月?日号</ref><ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000000115-00 Comコミック : こむコミック(虫プロ商事): 1972|書誌詳細|国立国会図書館サーチ]</ref>
**無題(ガロ7月号)<ref>原画扉に「蝶」の文字</ref>
**無題(ガロ8月号)<ref>原画扉に「心臓」の文字</ref>
**イラストファンタジー(高2コース 1973年9月号-1974年3月号 1975年4月号-1976年3月号)<ref>「3月の風は3ノット」チクマ秀版社 p323 初出誌一覧</ref><ref>「イラストファンタジー」「イラストファンタジィ」「絡繰眼鏡」のタイトルで単行本に数編ずつ収録されていた。「3月の風は3ノット」チクマ秀版社に全19作収録。</ref>
*1974
**呪われた美人姉妹('74縄張り ベンチャーコミック1月増刊号)
*1975
**手(漫画バンバン 12月号)
*1976
**顔(漫画バンバン 1月号)
**ひょうたんやのライスカレー(漫画バンバン 2月号)
**風車(漫画バンバン 3月号)
**白魔(漫画バンバン 4月号)
*1977
**高田くんの時計(希望の友 4月号)
**わたぐも(漫画大快楽 5月号)<ref>従来、「ぱふ」1980年11月号所載のリストなどにおいて、1976年と誤って記載されてきたもの(国会図書館 請求記号Z31-519)。</ref>
**銀河飛行(希望の友 8月号)
*1978
**よわむしコロ(希望の友 5月号)
**恋人(月刊Peke 11月号)
**化石(月刊Peke 12月号)
*1979年
**3月の風は3ノット(少年ワールド 3月号)
**シリーズ/午后の風
***1 コラージュ(月刊コミックアゲイン 5月号)<ref>1979年5月号-9月号「COMIC AGAIN」10月号-11月号「コミックアゲイン」</ref>
***2 はばたき(月刊コミックアゲイン 6月号)<ref>扉の手書きタイトルは「はゞたき」</ref>
***3 影ふみ(月刊コミックアゲイン 7月号)
***4 野の花(月刊コミックアゲイン 8月号)
***5 穏かな日(月刊コミックアゲイン 9月号)
***6 国境の店(月刊コミックアゲイン 10月号)
***最終回 たつまきを売る老人(月刊コミックアゲイン 11月号)<ref>老人の読み「おとこ」</ref>
**故郷(奇想天外 NO.41 8月号)
**流れ星(SFマンガ大全集 PART.3 別冊奇想天外 NO.8 AUGUST)
**しおり(単行本「魚の少年」)
**闇の箱
***迷路(劇画アリス 19号)<ref>「劇画アリス」には○月号表記が無く号数のみ</ref>
***9月の通路(劇画アリス 20号)
***星夜(劇画アリス 21号)
***光の街(劇画アリス 22号)
***四季(劇画アリス 23号)
***邂逅(劇画アリス 24号)
*1980
**闇の箱
***兆(劇画アリス 25号)
***新しい訪問者(劇画アリス 26号)
***日月火水木金土(劇画アリス 27号)
***夢見る機械(劇画アリス 28号)
***昒 (劇画アリス 29号)
**…67エイッと!!(週刊少年キング NO.1 1月1日号)<ref>「67」部分に「シックスセブン」とルビ p44 本編 「67エイッと!!」 表紙 「6、7エイッと!!」 もくじ「6・7エイッと!!」</ref>
**絡繰眼鏡(奇想天外 NO.47 2月号)<ref>イラストファンタジーを再構成</ref><ref>「ぱふ」1980年11月号 p50-51 光の匂い、風の色 - 坂口尚論・未遂 村上知彦</ref>
**絆(SFマンガ大全集 PART.4 別冊奇想天外 NO.9 JANUARY)
**シリーズ12色物語
***雪の道(月刊コミックトム 5月号)
***蜃気楼(月刊コミックトム 9月号)
***ブルックリン日曜日(月刊コミックトム 11月号)<ref>新装版「12色物語」では「曜」の異体字(ひへんに玉)。</ref>
**祭の日(マンガ奇想天外SFマンガ大全集 NO.1)
**星降る夜(マンガ奇想天外SFマンガ大全集 NO.2)
**新世界(マンガ奇想天外SFマンガ大全集 NO.3)
**おるごおおる(ぱふ 11月号)
**宝石狩(SFコミックス リュウ VOL.9 12月号)<ref>別冊アニメージュ 奥付「昭和56年1月1日発行」</ref><ref>奇想天外社「星の動く音」および双葉社「戦士の休息」初出一覧のリュウNO.12 12月号は誤記。</ref>
*1981
**シリーズ12色物語
***紫の炎(月刊コミックトム 1月号)
***ひまわり畑(月刊コミックトム 3月号)
***朝凪(月刊コミックトム 5月号)
***マーロのオレンジ(月刊コミックトム 7月号)
***窓辺のふたり(月刊コミックトム 9月号)
***遁走曲(月刊コミックトム 11月号)<ref>ルビ「フーガ」</ref>
**遠いささやき(ポップコーン NO.6 2月号)
**小春日和(漫画族オリジナル 3月号)
**夢花火(奇想天外 NO.62 5月号)
**秘密(マンガ奇想天外SFマンガ大全集 NO.4)
**カノン(マンガ奇想天外SFマンガ大全集 NO.5)
**夏休み(マンガ奇想天外SFマンガ大全集 NO.6)
**めぐりあい(マンガ奇想天外SFマンガ大全集 NO.7)
**冬の月(漫金超 第3号)
*1982
**シリーズ12色物語
***万年筆(月刊コミックトム 1月号)
***錆びた鍵(月刊コミックトム 3月号)<ref>講談社漫画文庫「12色物語」および新装版「12色物語」では「[http://kanji.jitenon.jp/kanjif/2577.html 錆]」の異体字(かねへんに青)。本編ネームの「錆」は初出時のまま。</ref>
***夜の結晶(月刊コミックトム 5月号)
**谺(週刊少年マガジン NO.32 7月28日号)<ref>読み「こだま」</ref>
**ぶううめらぁん(月刊コミックトム 8月号-1983年2月号)
**コッケル氏の財産覚書(マンガ奇想天外SFマンガ大全集 NO.9)
**6月の雨(マンガ奇想天外SFマンガ大全集 NO.10)
**進化(少年少女SFマンガ競作大全集 PART.16)
**無限風船<ref>描きおろし単行本</ref>
*1983
**灯(メビウス NO.2 1月号)<ref>奥付「1982年11月15日発行」</ref>
**微睡(メビウス NO.3 4月号)<ref>奥付「1983年3月15日発行」</ref>
**電飾の夜23:59発(単行本「電飾の夜23:59発」)<ref name="描きおろし"/>
**シンフォニィィィ(単行本「電飾の夜23:59発」)<ref name="描きおろし"/>
**戦士の休息(SFマガジン 6月号)
**月光シャワー(SFマンガ競作大全集 PART.18-20)<ref>連載中断。月刊WHAT(1987年2月号)に完結した形で掲載される。</ref>
**流転(SFマンガ競作大全集 PART.21)
**石の花(月刊コミックトム 3月号-1986年9月号)<ref>講談社漫画文庫「石の花」5、連載終了8月号は誤記。</ref>
*1984
**奇蹟(SFマガジン 1月号)
**黄いろのトマト(月刊コミックトム 1月号)<ref name="原作 宮澤賢治">原作 宮澤賢治</ref>
**陽だまり(月刊ギャグダ VOL.30 2月号)<ref>双葉社「星降る夜」初出一覧では1984年12月</ref>
**金盞花 時知らず(季刊コミックアゲイン 第1号 8月夏号)
**花火(季刊コミックアゲイン 第2号 11月秋季号)
*1985
**色えんぴつ(季刊コミックアゲイン 第4号 5月春季号)
**travel 旅 -インフォメーション(月刊WHAT 6月号)
**G.W後遺症(月刊WHAT 7月号)
*1986
**虹の絵具皿 十力の金剛石(月刊コミックトム 1月号)<ref name="原作 宮澤賢治"/><ref>単行本収録時のタイトルは「十力の金剛石」</ref>
**キャットワンG…+(がくゆう<ref>麦の芽出版</ref> 4月号-1987年3月号)<ref>「…未来へ」p3 キャットワンG…+(1)</ref>
**春雷(月刊WHAT 6月号)
**夏時空(月刊スーパーアクション 8月号)
*1987
**エストレリータ 小さな星(月刊スーパーアクション 1月号)
**月光シャワー(月刊WHAT 2月号)<ref>SFマンガ競作大全集(18-20 1983年)部分をふくむ全話一挙掲載</ref>
**紀元ギルシア(月刊スーパーアクション 3月号-9月号)
**レート・ドッグ(冒険隊 Bowkentai 創刊号 ホビージャパン12月号別冊)<ref>1号のみで廃刊</ref>
*1988
**キャットワンG…+(がくゆう 4月号-1989年3月号)<ref>「…未来へ」p29 キャットワンG…+(2)</ref>
**8月の草原(月刊コミックトム 1988年8月号)
**而来夜(月刊コミックトム 1988年9月号)<ref>読み「じらいや」</ref>
*1989
**VERSION(月刊コミックトム 2月号-1991年12月号)<ref>VERSION.1 1989年2月号,VERSION.2 1989年5月号-10月号,VERSION.3 1990年1月号-6月号,VERSION.4 1991年5月号-8月号,VERSION.5 1991年9月号-12月号</ref>
**星の界(月刊コミックトム 4月号)<ref>読み「ほしのよ」</ref>
**キャットワンG…+(がくゆう 4月号-1990年3月号)<ref>「…未来へ」p3 キャットワンG…+(3)</ref>
*1992
**初雷(月刊コミックトム 3月号)
*1993
**あっかんべェ一休(月刊アフタヌーン 7月号-1996年1月号)
**ゼファ/ZEPHYR 微風(月刊ガンガンファンタジー 4月号)<ref>微風読み「そよかぜ」</ref>
**ドレみ空!(月刊コミックトム 5月号)
**天の河(月刊コミックトム 7月号)
*1994
**カデンツ kadenz=終止形(コミック'94 真夏号 文藝春秋8月臨時増刊号)
*1995
**線香花火(ビッグコミック増刊 8月8日号)
*未発表作品
**坂口尚未発表作品集(2001年)
***旅行
***化石の城
***……?
**坂口尚作品集 すろををぷッ(2004年)
***空の下の空
***かかと
***不条理
*初出不明
**虹の日の出発<ref>坂口尚短編集3 p3-5に収録 出発の読み「たびだち」脱稿日は著者サインで1976年</ref>
==== 単行本 ====
*[[クレオパトラ (1970年の映画)|クレオパトラ]](1970年) COM増刊号<ref name="B5 雑誌形態単行本"/><ref name="描きおろし"/> 原案・監修 手塚治虫
**クレオパトラ <完全版>(2019年) [[復刊ドットコム]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68326897|title=『クレオパトラ <完全版>(手塚治虫 原案・監修 / 坂口尚 漫画)』復刊ドットコム|accessdate=2019-01-24|website=www.fukkan.com|publisher=}}</ref>
*[[トム・ソーヤーの冒険|トム=ソーヤーの冒険]](1970年)<ref name="描きおろし" /> 講談社 原作:[[マーク・トウェイン|マーク=トウェン]]
**トム=ソーヤーの冒険(2019年) 復刊ドットコム<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68326981|title=『坂口尚 トム=ソーヤーの冒険(マーク=トウェイン 原作 / 坂口尚 漫画)』復刊ドットコム|accessdate=2019-01-24|website=www.fukkan.com|publisher=}}</ref>
*ウルフガイ (1)~(2)(1979年) [[奇想天外社]]
**ウルフガイ‐THE ORIGIN‐(上)(下) <ref>コミック版「狼の怨歌」単行本初収録(下巻カバー)</ref>(2011年) マンガショップ
*魚の少年(1979年) 奇想天外社
*たつまきを売る老人(1980年) 奇想天外社
*[[星の動く音]](1981年) 奇想天外社
*3月の風は3ノット(1981年) [[潮出版社]]
*12色物語 (上)(下)(1982年) 潮出版社
**12色物語(2002年) [[講談社漫画文庫]]
**新装版 12色物語(2017年)<ref>[https://readyfor.jp/projects/hisashi-h クラウドファンディングによる出版]</ref> <ref>p415 本編カラー6頁分、カラーイラスト2点の原画が散逸していたため既存印刷物、スキャンデータを元に復元。</ref>MOM<ref>2017年7月18日発行(限定300部) 発行所 特定非営利法人マンガ作品保存会MOM</ref>
*無限風船(1982年)<ref name="描きおろし"/> ブロンズ社
*電飾の夜23:59発(1983年) [[東京三世社]](マイコミックス)
**電飾の夜23:59発(1984年) 東京三世社(シティコミックス)軽装丁版
*石の花 (1)~(6)(1984年~1986年) 潮出版社
**新版 石の花 (1)~(5)(1988年)<ref>他の刊行物では、1巻p115からp125の場面へとつながっており、新潮社の版のみページの並び方が異なる。</ref> [[新潮社]]
**石の花 (1)~(5)(1996年) 講談社漫画文庫
**石の花(愛蔵版)(1)~(4)(2002年~2003年) [[講談社]]
**石の花 (上)(中)(下)(2008年) [[光文社]]
**石の花 (1)~(5)(2022年) [[KADOKAWA]]
*紀元ギルシア(1987年) [[双葉社]]
*戦士の休息(1987年) 双葉社
*ともしび(1987年) 双葉社
*星降る夜(1987年) 双葉社
*月光シャワー(1987年) 東京三世社
*レート・ドッグ(1989年) [[大都社]]
*VERSION (1)~(3)(1991年~1992年) 潮出版社
**VERSION (上)(下)(2000年~2001年) 講談社漫画文庫
*あっかんべェ一休 (1)~(4)(1993年~1996年) 講談社KCデラックス
**あっかんべェ一休 (上)(下)(1998年) 講談社漫画文庫
*坂口尚短編集 チクマ秀版社
**(1)午后の風(2000年)
**(2)紀元ギルシア(2001年)
**(3)闇の箱(2001年)
**(4)きずな(2002年)
**(5)ドレみ空!(2003年)
*坂口尚作品集 すろををぷッ(2004年) チクマ秀版社
*月光シャワー-SF作品集-(2005年) チクマ秀版社
*3月の風は3ノット(2007年) チクマ秀版社
=====海外版=====
*VERSION
** VERSION(Dark Horse Comics, カナダ)
**VERSION([[グレナ|Glénat]], フランス)
**VERSION(Verlag Thomas Tilsner, ドイツ)
*あっかんべェ一休
**一休和尚(東立出版社有限公司, 台湾)
**一休(天下出版有限公司, 香港)
**Ikkyu(Glénat, フランス)
**Ikkyu(Vents d'Ouest, フランス)
**Ikkyu(Desnivel Ediciones, スペイン)
**Ikkyu(Glénat, スペイン)
**Ikkyu(Carlsen Verlag Gmbh, ドイツ)
*石の花
**Fleur de Pierre(Vents d'Ouest, フランス)
**石之花(玉皇朝出版集團, 香港)
**石之花(東立出版社有限公司, 台湾)
**石之花(台灣東販股份有限公司, 台湾)
==== 小冊子 ====
* 坂口尚未発表作品集(2001) チクマ秀版社
* イラストファンタジィ(2003) チクマ秀版社
* …未来へ(2003) チクマ秀版社
* メリーゴーランドに飛び乗って(2005)チクマ秀版社
* はじめての坂口尚展 展覧会パンフレット(2016) MOM
* 12色物語 創作ノート(2017) MOM
=== イラスト提供 ===
*月と太陽の魔道師([[タニス・リー]]、ハヤカワFT文庫43番) 表紙(1982年)
*アイソトープ・マン(チャールズ・エリック・メイン、ハヤカワSF文庫472番) 表紙および挿絵12点(1982年)
*バブル・ゲーム調書(森哲司) 挿画(1992年)
*ワニの豆本「冒険スポーツ入門」(戸井十月) イラスト数点(1977年)
*ワニの豆本「アッ!?心理試験 神秘の能力に挑戦するゲーム」([[浅野八郎]]) イラスト数点(1978年)
*ワニの豆本「タモリのケンカに強くなる本」([[タモリ]]) イラスト数点(1978年)
=== アニメーション ===
* [[鉄腕アトム]](原画)
* [[ジャングル大帝]](原画<ref name=ジャングル大帝手塚治虫公式サイト>{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/33.html| title = ジャングル大帝| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-06-09}}</ref>)
* [[リボンの騎士]](演出<ref name="リボンの騎士手塚治虫公式サイト"/>)
* わんぱく探偵団(原画)<ref name=":1" /><ref name=":2">「ぱふ」1980年11月号 p79 インタヴュー 坂口尚</ref>
* [[バンパイヤ]](動画監督)
* [[ダメおやじ]](演出)<ref name="「12色物語」上 p203 坂口尚の歩み" /><ref name=":2" /><ref name=":2" />
* [[チャージマン研!]](絵コンテ)
* [[ラ・セーヌの星]](作画監督)<ref name="「12色物語」上 p203 坂口尚の歩み" />
* [[グレートマジンガー]](作画監督<ref>「オレはグレートマジンガー」p130-131 森下圭介と10人の作画監督たち</ref>)
* [[ヤッターマン]]<ref name="「ぱふ」1980年11月号 p103"/><ref name="「12色物語」上 p203 坂口尚の歩み" />
* [[一休さん (テレビアニメ)|一休さん]]<ref name="「ぱふ」1980年11月号 p103"/>
* [[UFO戦士ダイアポロン]](原画)
* [[魔女っ子メグちゃん]](作画監督・演出)<ref name="「ぱふ」1980年11月号 p103" /><ref name="「12色物語」上 p203 坂口尚の歩み" />
* [[まんが偉人物語]]<ref name="「ぱふ」1980年11月号 p103"/><ref name="「12色物語」上 p203 坂口尚の歩み"/>
* [[ろぼっ子ビートン]](作画監督・絵コンテ)<ref name=":3" />
* [[ゴワッパー5 ゴーダム]](原画)
* [[超電磁ロボ コン・バトラーV]](絵コンテ)
* [[無敵超人ザンボット3]](作画<ref name="「20年目のザンボット3」">「20年目のザンボット3」p92 アニメーター坂口尚</ref>)
* [[無敵鋼人ダイターン3]](作画監督・原画)
* [[ジェッターマルス]](作画監督)
* [[100万年地球の旅 バンダーブック]](チーフディレクター・キャラクターデザイン・美術構成・原画<ref name="100万年地球の旅 バンダーブック手塚治虫公式サイト">{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/55.html| title = 100万年地球の旅 バンダーブック| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-06-09}}</ref><ref>「ぱふ」1980年11月号p92 および「12色物語 創作ノート」p43に「サブ・ディレクター」とあるが坂口のクレジットは「チーフディレクター」である。</ref>)
* [[海底超特急マリンエクスプレス]](設定デザイン<ref name="海底超特急 マリン・エクスプレス手塚治虫公式サイト">{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/56.html| title = 海底超特急 マリン・エクスプレス| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-06-09}}</ref>)
* [[来るべき世界 (漫画)|フウムーン]](構成・演出・メカデザイン<ref name="フウムーン手塚治虫公式サイト">{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/57.html| title = フウムーン| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-05-20}}</ref>)
* [[ブレーメン4 地獄の中の天使たち]](メカデザイン<ref name="ブレーメン4―地獄の中の天使たち―手塚治虫公式サイト">{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/58.html| title = ブレーメン4―地獄の中の天使たち―| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-06-09}}</ref>)
* [[火の鳥2772 愛のコスモゾーン]](原画<ref name="火の鳥2772手塚治虫公式サイト">{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/13.html| title = 火の鳥2772 愛のコスモゾーン| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-06-09}}</ref>)
* [[安達が原]](監督・絵コンテ・キャラクターデザイン・原画<ref name="安達が原手塚治虫公式サイト">{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/18.html| title = 安達が原| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-06-09}}</ref>)
== 作品解説 ==
;実験的作品
:「COM」のSERIES「霧の中」を始め、初期作品には実験的作品が多く「[[コミックトム|希望の友]]」1971年3月号掲載作品『魚の少年』の原稿を見て、当時の担当者が「これは少年マンガとして描かれたのですか?」と言った程だった<ref>講談社漫画文庫「12色物語」坂口尚さんとの思い出 浮田信行 p403</ref><ref>「COM傑作選 上 1967~1969」p390 解説 中条省平 坂口尚「おさらばしろ!」</ref>。
;ニューウェーブ
:「COM」休刊、『ウルフガイ』連載終了後、ほとんど漫画を発表していなかった期間もあったが、1978年より「Peke」「コミックアゲイン」「別冊奇想天外」など[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]<ref>「コミックアゲイン」1979年10月号 p72-73 「ぼくらの時代」のはじまりに向けて 村上知彦</ref>系の雑誌<ref>「コミックアゲイン」1979年10月号 p123-124 寄せる新しい波によせて 阿島俊(米沢嘉博のペンネーム)</ref><ref>「はじめての坂口尚展 展覧会パンフレット」p14 ニューウェーブのダ・ビンチ 南信長</ref>に短編を発表し漫画家として復帰<ref name="「ぱふ」1980年4月号 p39"/><ref name="「ウルフガイ」1 奇想天外社 p210 ウルフガイ再び 平井和正"/>。
:『坂口尚短編集 (1)』への書評(「[[サンデー毎日]]」2001年1月7-14日新年合併号)で[[村上知彦]]が[[大友克洋]]、[[高野文子]]らが登場したニューウェーブの波の渦中で描かれた短編である事を紹介<ref name="ReferenceB"/>。日常の中にある[[ファンタジー]]<ref name="ReferenceB"/><ref name="ReferenceC"/><ref>「ぱふ」1980年11月号 p87 寡黙な風にゆれるコスモス-あるいは坂口尚論 石原はるひこ</ref><ref>「SPA!」2001年8月15・22合併号 p104 坂口尚短編集第3巻「闇の箱」斎藤宣彦</ref>、宇宙を舞台にした[[サイエンス・フィクション|SF]]作品も数多く発表された。
;12色物語
:1980年から「[[コミックトム]]」で連載された。1話ごとにイメージカラーを設定<ref>講談社漫画文庫「12色物語」坂口尚さんとの思い出 浮田信行 p405</ref><ref>「月刊コミックトム」1982年5月号 p161 坂口尚さんに聞く根性マンガを描いてます!!</ref><ref>「12色物語 創作ノート」p2</ref>し、人と人との関わりや人生観を描いた全12編からなる短編シリーズ。孤高の魂をもった人たちの生と死が、それを理解できない俗物たちによって揶揄される<ref name="「COMIC BOX」1983年1月号 p47 12色物語 高取英"/> 内容となっており、坂口が好きな作家としてあげている[[テネシー・ウィリアムズ]]<ref>「電飾の夜23:59発」 p183リーズナブルQ&A</ref> の作品との共通点が見いだせる。
:第2話「蜃気楼」が『12色物語』後半の絵柄なのは、単行本化する際に加筆しほとんど描きかえてしまった<ref name=":0">講談社漫画文庫「12色物語」坂口尚さんとの思い出 浮田信行 p406</ref>から。
;ウルフガイ
:原作[[平井和正]]、後の小説シリーズの原型<ref>「ウルフガイ」1 奇想天外社 p211 ウルフガイ再び 平井和正</ref>。
;VERSION
:近未来で自己増殖するバイオチップを巡る物語。[[瀬名秀明]]が『[[パラサイト・イヴ]]』を執筆する上で大きく影響を受けたと語っている <ref name="名前なし-2">角川ホラー文庫「パラサイト・イブ」p466 謝辞及び文庫版における変更点について</ref>。
;長編3部作
:『石の花』『VERSION』『あっかんべェ一休』が長編3部作と呼ばれているのは坂口自らの発言から<ref>講談社漫画文庫「VERSION」上 帯</ref><ref name="名前なし-1"/><ref>「月刊アフタヌーン」2001年1月号 p46 講談社漫画文庫「VERSION」広告</ref><ref>「月刊アフタヌーン」2001年3月号 p178 講談社漫画文庫「VERSION」広告</ref>。
==他の作家との関係==
;[[手塚治虫]]
:坂口は虫プロダクション、手塚プロダクションのアニメーターとして手塚作品を数多く手がけた<ref>「ぱふ」1980年11月号 p79-80</ref><ref name="ジャングル大帝手塚治虫公式サイト"/><ref name="リボンの騎士手塚治虫公式サイト"/><ref name="100万年地球の旅 バンダーブック手塚治虫公式サイト"/><ref name="海底超特急 マリン・エクスプレス手塚治虫公式サイト"/><ref name="フウムーン手塚治虫公式サイト"/><ref name="ブレーメン4―地獄の中の天使たち―手塚治虫公式サイト"/><ref name="火の鳥2772手塚治虫公式サイト"/><ref name="安達が原手塚治虫公式サイト"/>『石の花』(潮出版社)第1巻<ref>「石の花」1 潮出版社 坂口さんの事 手塚治虫</ref> や『たつまきを売る老人』(奇想天外社)<ref name="「たつまきを売る老人」奇想天外社 手塚治虫 カバー見返し 帯"/> のカバー見返しに手塚による推薦文あり。原案手塚治虫のアニメラマ『クレオパトラ』をまんが化した<ref>COM増刊号「クレオパトラ」原案監修 手塚治虫 まんが 坂口尚</ref>。
;[[永島慎二]]
:同じ虫プロのアニメーターとして親密な関係にあった。永島が「COM」編集に携わっていた鈴木清澄を紹介したことが、「COM」に執筆するきっかけとなった<ref>「ぱふ」1980年11月号 p78</ref><ref name=":1">「12色物語」上 p202 坂口尚の歩み</ref>。
;[[安彦良和]]
:「[[ガンダムエース]]」2002年11月号の[[貞本義行]]との対談で、「坂口尚?えっあの天才が?もったいないあなたのような人が!」とサンライズの面接に来た坂口に驚いたエピソードを紹介。『[[ろぼっ子ビートン]]』では坂口が絵コンテを担当したが、もっと別な作品でやって欲しかったと安彦は述べている<ref name=":3">「ガンダムエース」2002年11月号p160 ガンダムA SPECIAL対談 安彦良和 VS 貞本義行</ref>。
:『石の花』上(光文社)に上記エピソードを含む解説を寄稿<ref>「石の花」上 光文社 p500-503 ユーゴ・栄光と愚行と 安彦良和</ref>。この解説は『原点 THE ORIGIN』にも収録された。
:在籍期間が異なるため虫プロでの交流は無かった<ref name=":3" />。
;[[貞本義行]]
:自身のデビュー前から、坂口の作品を追いかけていたが、経歴を読んだ時に「漫画家でキャリアをスタートして、アニメーターで名をはせ、漫画家に戻る」という所に親近感を覚えていた<ref>[[白夜書房]]刊「漫画魂 おしぐちたかしインタビュー集」[[おしぐちたかし]]編著p.79より。</ref>。
;[[金山明博]]
:「まんだらけZENBU」に連載した自伝的作品『まんが・アニメ奮戦記あめんぼうの詩』で虫プロでの坂口との交友を描いた<ref>「まんだらけZENNBU」36号 p273-275</ref>。
;[[樋口雅一]]
:高校時代からの友人。坂口の誘いで1966年タツノコプロから虫プロに移籍。原画坂口班に所属し『ジャングル大帝』で動画を担当<ref>[http://www1.s-cat.ne.jp/manga-do-honpo/all-anime.html アニメいろいろ… 萬雅堂総本舗]</ref>。樋口が監督した『まんが偉人物語』で1977年に坂口が結成した自主制作アニメ・グループ我楽苦他が作画・演出を担当した<ref name="「12色物語」上 p203 坂口尚の歩み"/>。
;石原はるひこ
:親友<ref name="「電飾の夜23:59発」p186 坂口尚全調書"/>。石原の単行本『海猫の城』の解説は坂口によるもの<ref>「海猫の城」p220-221 石原はるひこ二つの世界「悲劇と「喜劇」 坂口尚</ref>。
;[[さべあのま]]
:『ライトブルーペイジ』(奇想天外社)のカバー見返しに坂口が推薦文を寄せた<ref>「ライトブルーペイジ」奇想天外社</ref><ref>[http://twitter.com/Sabear3/status/29920791189528576 さべあのま 2011年1月26日 - 0:17 Twitter]</ref>。
;[[すがやみつる]]
:編集者として坂口の『トム=ソーヤーの冒険』を担当。単行本に取りかかってもらうために、「[[プレイコミック]]」連載のハンマー坂口名義の『探偵ブラカン』の作画を手伝った。講談社の別館に坂口とともにカンヅメになり原稿を執筆した事もある<ref name="『仮面ライダー青春譜』第4章 アシスタントから編集者へ(14)">[https://web.archive.org/web/20170816193647/http://www.m-sugaya.jp/blog/archives/000265.html 『仮面ライダー青春譜』第4章 アシスタントから編集者へ(14)]</ref><ref>「仮面ライダー青春譜: もうひとつの昭和マンガ史」p175-177 天才マンガ家出現!その名は坂口尚</ref><ref name="坂口尚作品集「すろををぷッ」p129 真の天才マンガ家 すがやみつる">坂口尚作品集「すろををぷッ」p129 真の天才マンガ家 すがやみつる</ref>。『次の本へ』<ref>「次の本へ」(苦楽堂)p174-176 『レジスタンスの歴史』から『石の花』へ すがやみつる</ref>で坂口の『石の花』を紹介。
;[[瀬名秀明]]
:「[[パラサイト・イヴ]]は直接的にではないにしろ[[VERSION]]にインスパイアされて書かれた小説なのである」と角川ホラー文庫『[[パラサイト・イヴ]]』のあとがきに記述<ref name="名前なし-2"/>。坂口尚短編集第5巻『ドレみ空!』に解説を寄稿<ref>「坂口尚短編集」5 p260-263 かけがえのない“まなざし”の力 瀬名秀明</ref>。また、「仙台市 読書活動推進フォーラム 基調講演」でも『石の花』や『たつまきを売る老人』についてふれるなど、講演やインタビューで坂口について言及<ref>[https://archive.ph/62PCz 杜の都のわくわく読書サイト:資料室 仙台市公式ウェブサイト]</ref>。坂口の『紀元ギルシア』を小説化<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.usio.co.jp/read/kigen_greecia/|title=紀元ギルシア|accessdate=2019-01-24|website=www.usio.co.jp}}</ref>。
;[[村上知彦]]
:「ぱふ」1980年11月号特集坂口尚に「光の匂い、風の色 - 坂口尚論・未遂」を執筆<ref>「ぱふ」1980年11月号p46-52</ref>。1981年の潮出版社刊『3月の風は3ノット』の解説、2007年に出版されたチクマ秀版社刊『3月の風は3ノット』の解説も村上によるもの。自著『まんが解体新書』に朝日新聞掲載コラム「入魂の遺作『あっかんべェ一休』-追悼・坂口尚さん」<ref>「まんが解体新書」p152-153</ref> を収録。
:
;[[浦沢直樹]]
:愛蔵版『石の花』1に「手塚治虫さんから、大友克洋さんのようなものまで幅広く…」「じゃあ、それを融合してみるっていうのは、どう?」「すでに融合させちゃってるんだよなぁ…。坂口尚さんが…」<ref>愛蔵版「石の花」1 p390 僕のヒーロー 浦沢直樹</ref>と寄稿。2016年10月6日に放送された「[[浦沢直樹の漫勉]]」の浦沢直樹の回で「手塚治虫と大友克洋をつなぐミッシングリンク」と坂口を紹介。
:
;[[幸村誠]]
:[[GROWING REED]]で「どういうものが質のいいものだっていう風に思われて作品を作られてるんですか?」の問に「漫画には全く別の切り口があるんだということを初めて思い知らせてくれたのが坂口尚先生ですね」と答えた<ref>GROWING REED 2012年1月22日「僕が幸村誠さんを好きな理由」J-WAVE</ref>。
== アシスタント ==
[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を使わずひとりで執筆していた<ref>「ぱふ」1980年11月号p103</ref><ref name=":0" />。「どちらかというと風景が好きで、人物を描きたくない」<ref>「マンガ応用テクニック講座」p113 MY WORKS 坂口尚 場景至上派</ref>という発言もある。坂口が描く風景は「現実以上に美しい山であり、川であり、道」<ref>「坂口尚短編集」1 p270-271「坂口尚短編集」によせて 坂口いずみ</ref>「木々の木漏れ陽、地面に落ちた影」<ref>講談社漫画文庫「あっかんべェ一休」上 帯 大友克洋</ref>「めまいを覚えるような光と影の世界、空、海、雨、木々のざわめき」<ref>愛蔵版「石の花」1 p391 僕のヒーロー 浦沢直樹</ref>と高く評価された。『[[ウルフガイ]]』では[[土山よしき]]、[[細井雄二]]がアシスタントを担当し週刊連載を支えた<ref>「仮面ライダー青春譜: もうひとつの昭和マンガ史」p179 天才マンガ家出現!その名は坂口尚</ref>。
==別ペンネーム==
;坂口尚三
:虫プロ時代のクレジット、本名<ref name="ReferenceA"/><ref>Story boards_01 リボンの騎士 DVDボックス 特典冊子 コロムビア</ref>。
;ハンマー坂口
:プレイコミック連載の『探偵ブラカン』1969年9月10日号-11月22日号で使用<ref name="『仮面ライダー青春譜』第4章 アシスタントから編集者へ(14)"/><ref>「仮面ライダー青春譜: もうひとつの昭和マンガ史」p175 天才マンガ家出現!その名は坂口尚</ref><ref name="坂口尚作品集「すろををぷッ」p129 真の天才マンガ家 すがやみつる"/>。
;砂川尚志
:[[無敵超人ザンボット3]]、21話「決戦! 神ファミリー」でのクレジット<ref name="「20年目のザンボット3」"/>。
;砂河尚志
:[[無敵鋼人ダイターン3]]、29話「舞えよ白鳥!わが胸に」でのクレジット。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|25em}}
==参考文献==
*『[[ぱふ]]』1980年11月号(「特集 坂口尚」)
== 公式サイト ==
* [http://www.hisashi-s.jp/ 坂口尚オフィシャルサイト 午后の風]
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:さかくち ひさし}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:日本の男性アニメーター]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:埼玉県出身の人物]]
[[Category:1946年生]]
[[Category:1995年没]] | 2003-02-13T09:04:18Z | 2023-12-09T12:57:38Z | false | false | false | [
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1,253 | 仮面ライダークウガ |
『仮面ライダークウガ』(かめんライダークウガ)は、2000年1月30日から2001年1月21日まで、テレビ朝日系列で毎週日曜8時から8時30分(JST)に全49話が放映された、東映制作の特撮テレビドラマ作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称。
キャッチコピーは「A New Hero. A New Legend.」(新しい英雄、新しい伝説)で、オープニング最後のタイトルで左上と右下に表示される。
テレビシリーズでは『仮面ライダーBLACK RX』終了から10年4ヶ月ぶり、テレビシリーズを除けば『仮面ライダーJ』から6年ぶりとなる『仮面ライダー』作品であり、同時に「平成仮面ライダーシリーズ」第1作目に当たる。「クウガ」(漢字表記では「空我」)の名は「漢字で書ける名前」という提案を受けて、石森プロ社長の小野寺章によりクワガタの語感から命名された。
昭和仮面ライダーシリーズ(以下、昭和ライダー)から世界観が一新されているが、一方で昭和ライダーへのオマージュも台詞や設定の随所に盛り込まれている。昭和ライダーとの大きな違いには「仮面ライダー、および敵対する怪人は改造人間」、「世界征服を企む悪の秘密結社」、「戦闘員」などの設定がなくなったこと、劇中で「仮面ライダー」という単語が用いられないことがある。特に「改造人間」に関しては、医療技術の進歩によって臓器移植手術などが多く行われるようになったことが考慮され、以前のように「改造人間」という表現を用いるのには抵抗があり、東映も「改造人間による影を持った主人公にしたくない」ということで撤廃され、以降の平成ライダーシリーズにも引き継がれることとなった。
また、本作品には従来の特撮ヒーロー番組にはなかった新たな試みが随所に見られる。身近な恐怖を演出するための現実感と、特撮ヒーロー番組にありがちだった矛盾点を解消させるための整合性を重視し、「グロンギ族は独自の言語と文化を持つ」、「クウガと警察が協力する」、「技名を叫ばない」などの設定が生まれた。作劇においては、従来ではスポットの当たりにくかった「回を追うごとの周囲の人々の変化」や「社会におけるヒーローと悪の存在の認知の過程」が描かれるなど、ヒーロードラマの視点だけではなく、一般ドラマの視点も重視している。このため、1話30分以内では1エピソードを満足に描き切れないということで、基本的に前後編の「2話で1エピソード」というスタイルを取っている。このスタイルは以降の作品にも引き継がれた。
商業面では変身ベルトなどの人気で好成績を記録したが、ドラマ重視の作劇によって戦闘シーンが極めて短い回が多く、10月に発売されていたクウガの最終形態アルティメットフォームが、雄介の見た幻影を除き翌年1月の最終回直前まで作中に登場しない(出番もわずかだった)という展開となったほか、逆にスポンサーの玩具会社の担当者も知らなかった新形態(アメイジングマイティ)が登場し、急遽その商品が開発・発売されるなど、販促番組としても異例尽くめとなった。また、最終回(第49話)ではAパートとBパートの間にCMを挟まずにEDまで放送し、変身後の主役ヒーローの登場や戦闘シーンが存在せず、主人公・五代雄介の出番もわずかであった。
本作品以降、クロスプログラム(放送開始直前に挿入される映像)が頻繁に変更されるようになった。また、提供テロップのナレーションは出演者が交代で担当している。従来のシリーズとは異なり、ナレーションは次回予告と総集編のみに留まった。
西暦1999年7月18日。地中深くに埋没されていたものの、地殻変動によって地表に出現した長野県中央アルプスの九郎ヶ岳遺跡で発掘された石棺を開けたことで目覚めた謎の存在は、城南大学と信濃大学が共同で発掘調査に当たっていた夏目幸吉博士らの調査隊を全滅させ、さらに200体余りの仲間を蘇らせる。この事件の捜査を担当する長野県警刑事の一条薫は、現場にて五代雄介と名乗る冒険家の青年と出会う。雄介が遺跡で発掘されたベルトを目撃した際、超古代の戦士のイメージが脳裏に浮かび上がる。
その後、長野県警を襲撃するズ・グムン・バに遭遇した雄介は、咄嗟の判断でベルトを装着して戦士クウガに変身しこれを退ける。そして、人々の笑顔を守るために蘇った怪人たちと戦うことを決意する。
以後、クウガと怪人たち=グロンギは「未確認生命体」と呼ばれ、人々に認知されていく。
本作品における敵。人間とは生物学上、同一の存在であり、極めて近い身体・血液成分を持つ、人類に極めて近い超古代の好戦的な先住人類(のちにその1体は人間と自分たちは等しいと述べている)。残忍かつ闘争心旺盛であり、超古代に戦士クウガによって封印されていた。九郎ヶ岳遺跡発掘に伴い、遺跡の東南にある滝付近の森にあった集団の墓のような場所から推定でも最低200体が現代に復活。警察や世間からは「未確認生命体」と呼ばれている。
普段の外見は人間と変わりないが、その肉体に動植物や昆虫の能力を宿しており、体のどこかに怪人体のもととなる動植物や昆虫のタトゥーがある。腹部にアマダムと同質の物体魔石・ゲブロンが埋め込まれており、人間を遥かに上回る運動能力と、拳銃の弾丸をも受け付けず強い衝撃にも耐える強靭な体を持ち、全員が動植物や昆虫の力を持った怪人体に変身する。クウガとグロンギは基本的に同じ力を有している。ゴ集団やズ・ゴオマ・グのように、より強力になるほど体が黒く変化していく。クウガの技で死亡する場合、ほとんどは体に打ち込まれた封印エネルギーが腹部の核に伝達することで「封印」のリント文字が体に浮かび上がり爆発する。
ン・ダグバ・ゼバを頂点とし、ゴ集団・メ集団・ズ集団の階級が存在し、階級ごとに怪人体時に装着しているベルト・ゲドルードのバックルやプロテクターなど、装飾品の色や種類が異なる。リント(現代人をリントの末裔と見なしている)を標的とする殺人ゲーム・ゲゲルを、進行役のラ集団のもとで行う。登場時期が後になるほど強さが増していき、ゴ集団の終盤の3体はクウガのフォームチェンジに当たる超変化が可能。強さはゲブロンの強さに比例し、爆発した際の被害も甚大になる。特にライジングマイティキックで倒すと、その衝撃は半径3キロメートルに及ぶ(ゴ・ガメゴ・レやゴ・バダー・バなど)。
他に、ダグバのゲドルードの修復など裏方仕事を担当していたヌ・ザジオ・レ(登場したのは人間体のみ)や、ゴ・ジャーザ・ギの台詞で存在が示唆されただけのベ集団もいた。
独自の言語「グロンギ語」を話し、位取り記数法として九進法を用いる。個体差はあるが日本語や自動車・バイクの運転、インターネットなどを短期間でマスターするほど知能は高い。ゴ集団の中には人類の文化・芸術に興味を示して熟達する者もいた。人類はあくまでもゲゲルの標的=リントであり、クウガすらゲゲルの難度を上げる障害物かやや強い標的としか見ていない。人間社会との文化の違いのためか、服装のセンスも一部の者を除いて通常の人類とは大きくかけ離れたものとなっている場合が多い。
倉庫・廃墟・植物園・水族館・飲食店など営業していない複数の施設をアジトとして使い、彼らの文化に合わせたかのようにマネキンや鎖などで個性的な装飾を施すか、最初から神秘的な内装をされている店内などを好んで使っている。
九郎ヶ岳遺跡のある長野県を皮切りに山形県から岐阜県まで広い範囲で行われたが、主に人口の多い東京都を中心とする関東地方周辺に集中していた。グロンギが関係すると思われる殺人・窃盗などの事件は「未確認生命体関連事件」として広域指定事件とされ、警視庁に置かれた合同捜査本部によって捜査される。
グロンギは毎回1体ずつ登場するということがなく、ストーリーの節目となる回ごとに数名がバルバのもとに人間体で現れ、自分がゲゲルを行う順番を待っていた。初登場から怪人体になるまで数週かかった者も多い。怪人体が出現した順に「未確認生命体第○号」と呼称されるが、前述した事情に加えて設定のみでテレビシリーズ未登場のグロンギも多いため、必ずしもテレビシリーズでの登場順とは一致しない。なお、人間体しか目撃されていていなくても未確認生命体と判断される場合は、「未確認生命体B群」として分類される。
名称の冒頭1文字は階級、末尾の語は、もとの生物の種別を表している。
最強のグロンギに与えられるグロンギの最高位の階級で、「究極の闇をもたらす者」と呼ばれている。グロンギの中でも桁違いの戦闘力を持つ存在であり、身体能力は無論、特殊能力も他のグロンギと大きく差がある。頂点ゆえに、テレビシリーズに登場したのはダグバのみ。バックルの色は黄金であるほか、他の階級のグロンギよりも派手な形状となっている。
ゲゲルに参加資格を有する階級集団。すべてのグロンギが参加資格があるわけではなく、各集団の実力者が参加資格を有する。
ゲゲルに参加できないが裏方として、ゲゲルの運営を担当。ラ・ドルド・グはゴ・ガドル・バと互角に戦った。
定められた期間内に定められた人数の人間を殺すゲーム。ズ集団のゲゲルではバルバが制限時間と人数を定め、メ集団では自己申告で目標を決め、一定の殺害数カウント後の中間報告が義務付けられている。一度にゲゲルを行うムセギジャジャ(プレイヤー)は1名のみで、ムセギジャジャ(プレイヤー)以外のグロンギはゲゲル中は殺人を禁じられており、開始前に殺人を行った者や他のプレイヤーのゲゲル中に殺人を行った者は参加資格を永遠に剥奪されてしまう。ゲゲルの進行によっては下位集団のゲゲルが停止させられる場合もあり、それに不満を覚えた者が暴走・反抗に出たこともある。
殺害人数のカウントは、ドドゾ(ボード)とグセパ(腕輪)でそれぞれ行う。ドドゾが警察に押収されてからは、バグンダダが代用されている。
ゲゲルに成功した者は上位ランクに昇格する。劇中ではガルメがズ集団からメ集団に昇格。
ゴ集団が行うゲゲルで、意味は「セミファイナル・ゲーム(超古代語対訳版では黒き闇のゲーム)」。メ集団壊滅から1ヵ月後に開始された。通常のゲゲルと異なり、殺害方法に武器の使用が義務付けられ、各々が定めた条件を満たす相手だけを殺す。殺害人数のカウントも本人ではなくドルドが行う。
ゲリザギバス・ゲゲルに成功すれば、ダグバと1対1で戦うザギバス・ゲゲルに臨み、ダグバを倒せば彼の変身ベルトを受け継いで強大な力を手に入れ、「究極の闇」とよばれるリントの大量虐殺を実行する。
グロンギの人間体は、予算の都合からスーツでのアクションを減らすために考案された。その一方で、怪人のスーツはアップ用とアクション用の2種類が用意されている。
ハイビジョン撮影ではスーツの材質や造りがそのまま映ってしまうため、従来とは異なる工夫がなされた。スーツにはゴム素材を用いており、スーツをスーツアクターに密着させることでしわをなくすため造型時には毎回スーツアクターのフィッティングを行っていた。腰布などの衣装は股関節などのシワになりやすい部分を隠すためにデザインされ、次作『仮面ライダーアギト』のアンノウンでも引き継がれている。
日中や屋内の撮影でも筋肉の隆起などのコントラストを強調するため、着色したラテックスを重ね塗りして陰影を表現している。
世間ではヒーロー像の固定観念ができあがっており、オーディション出場者の多くが、何かにつけて「ゴルゴムの仕業だ!」と力んでいた『仮面ライダーBLACK』の南光太郎のように大仰な芝居をしたため、主人公の五代雄介役の選出は難航した。その中で、最後のオーディションに出たオダギリジョーはまさにハマリ役だった。オダギリはイメージや価値観が凝り固まった特撮ヒーロー作品に強い抵抗感を抱いていたが、それを隠そうとしない裏表のなさがむしろ五代役に最適と判断された。オーディション終了後もオダギリは出演を断るつもりでいたが、プロデューサーの髙寺に「あの仮面ライダーではなく、むしろ違うものにしたいと思っているから、力を貸してほしい」と説得されて、引き受けることにしたという。
元々は、葛山が五代役をやる予定であったが、一条のキャラクター設定を読んだ葛山が一条に惚れ込んだことで、一条役に変更となった。
オダギリと一条を演じる葛山の人気は男性アイドル雑誌にも露出するなど異例の注目を集め、「イケメンヒーロー」と呼ばれる、従来特撮に関心がなかった層を新たに取り込んだムーブメントを生み出した。
スーパー戦隊シリーズでアクション監督を務めていた竹田道弘は、第1話・第2話で福沢博文が担当したズ・グムン・バの演技を高く評価しており、そのことが翌年『百獣戦隊ガオレンジャー』での福沢のガオレッド起用につながった。
プロデューサーの髙寺と付き合いが長いということで荒川稔久が前番組から続投、メインライターになり、前述のとおり井上敏樹がサブとして参加した。また髙寺の知己で、特撮雑誌『宇宙船』の編集者であり、また『TVチャンピオン』「TVヒーロー王選手権」の連続王者でもあった大石真司が文芸担当として迎えられ、緻密なヒーロー像やストーリーラインを構築した。
他にも、当時はまだ武蔵野美術大学の学生だった阿部卓也が企画検討段階からデザイナーとして抜擢されるなど、斬新なスタッフワークが採られた。阿部は完璧な意味を持つ古代文字を構築した他、グロンギ怪人のベースデザインを作った。阿部は学業との両立が困難になって途中から作品を離れるが、後をプレックスや石森プロに属する青木哲也や飯田浩司などの職人デザイナーたちが引き継ぎ、劇中最後の敵、ン・ダグバ・ゼバのデザイナーとして復帰した。
大石、阿部、そして特撮ヒーローを大胆に解釈した作風で、演劇ファンから人気があった劇作家・演出家のきだつよしら、本作品で実質、髙寺に「一本釣り」されたことで本格的に商業特撮作品に携わったスタッフたちは、後に同じ髙寺が手がけた『仮面ライダー響鬼』時にも招聘され、髙寺が同作品を去るまでの間深く関わっていくことになる。
演出陣では、石田秀範が初のメイン監督を担当した。また、戦隊サイドにいた渡辺勝也、長石多可男といった髙寺縁の演出家も集結している。ちなみに当初は石田がメインを務める予定ではなく、別の監督がパイロットを撮り石田は第3・4話を撮る予定であった。しかし髙寺とその監督の意見が衝突し監督が降板、急遽石田にパイロットのお鉢が回ってきたとのことである。その皺寄せがありハードスケジュールが祟ったせいか石田は撮影中に倒れてしまい、パイロット作品ではチーフ助監督の鈴村展弘が演出を代行した箇所もあるという。
劇中の音楽は佐橋俊彦が担当した。佐橋は髙寺からオーケストラ編成が基本のスーパー戦隊シリーズとは変えてほしいとの要望を受け、佐橋サウンドの持ち味だったオーケストラの使用を避け、アクションテーマはバンド編成による激しいロック、 怪人襲撃・暗躍を表現する音楽はシンセサイザーによる音色で、洋画ホラー物のような雰囲気を演出しており、それまでに佐橋が手掛けた作品とは全く異なる音楽世界を確立している。本人もインタビューなどで、普段の自分のスタイルとは違ったことを試みた、という主旨の発言をしている。
当初、最終回の音楽を完成したVTRマスターに合わせて録る話があったが、間に合わず結局不可能となった。これを実現していたならば、佐橋はスケジュールに追われて楽曲制作の質が落ちることを防ぐため、次作『仮面ライダーアギト』の音楽担当を辞退するつもりだったという。
「究極の闇」、「Love is my life」の2曲以外は全て放送時8cmシングルでそれぞれリリースされ、後に『仮面ライダークウガ ソングコレクション』『仮面ライダークウガ ソングコレクション2』に収録された(「究極の闇」、「Love is my life」は『仮面ライダークウガ ソングコレクション2』が初出)。「“t”」は、JOE ODAGIRI名義のアルバム「WHITE」には収録されたが、クウガ関連のアルバムには収録されていない。全曲とも作中未使用。
東映の鈴木武幸は、2 - 3クールで終わるような中途半端なライダーを作るべきではない、機が熟した時に再開すべきとして、復活の声はあったものの長いあいだ仮面ライダーテレビシリーズの再開を中断していた。仮面ライダーのテレビシリーズ再開は1996年ごろから企画が進められており、当初はウルトラシリーズを放映していた毎日放送制作、TBS系の土曜6時台での放送を目指していた時期もあった。初期タイトルは『仮面ライダーXV(クロスブイ)』と『仮面ライダーカワカミ』であり、ここで提示された複数の仮面ライダーを登場させる案が、人数を1人に集約することでフォームチェンジという発想につながっている。また別の企画タイトルの一つに『仮面ライダーガイア』があり、『ウルトラマンガイア』と競合したと言われている。
毎日放送での放送は決まりかけていたが、その後毎日放送がゾイドやウルトラマンのほうを選び断ったためTBS系での放送は実現に至らず、東映の特撮番組『燃えろ!!ロボコン』を放映中という縁で制作局をテレビ朝日に変更することとなった。しかしテレビシリーズが中断して久しい『仮面ライダー』は、当時の感覚からするとすでに過去のブランドであり、テレビ朝日も「ネタがないから」と渋々引き受けた風だった。
追い風となったのは『せがた三四郎』である。『仮面ライダー』で本郷猛(仮面ライダー1号)を演じた藤岡弘、が演じる同キャラクターは仮面ライダーの人気再燃を盛り上げた。鈴木武幸によると、こうした盛り上がりが本作品の誕生につながったとのことである。またプロデューサーの髙寺成紀は、プライズゲームで仮面ライダーシリーズの景品が売上を伸ばしていたこともきっかけになったと証言している。当時は漠然と「好反応」とだけ認識されていたが、これはゲームセンターに来る年齢層がライダーに興味を示すようになった表れであり、旧作の視聴者が父親になって「親子2世代」ファンを形成する端緒であった。
髙寺成紀の企画案『仮面ライダーガーディアン』はヒーロー色の強い明快な作風で、雄介のキャラクター設定にその名残がある。この時点での髙寺は、関係各社の期待を裏切らないように従来のヒーロー番組の路線に沿ったものを構想していた。その後、石森プロが提出した企画案『仮面ライダーオーティス』がホラー色や悲劇性の強いものだったために方向性の再検討を求められ、髙寺は抜本的な見直しを決意した。なお他の仮題には、漢字での表記が提案された後の「王者」という案も存在した。
まったく新しい仮面ライダーを作ろうとする髙寺の意気込みは強かったが、初期案のファンタジックで型破りな主人公像を実現するには『インディ・ジョーンズ』並の予算が必要だとか、「地球人と宇宙人とのハーフ」という設定はライダーのイメージから離れすぎているという指摘を受けて、従来のライダーに新味を加えていく方法を模索することになった。
髙寺が考えた「仮面ライダーらしさ」とは、ライダーという異形のヒーローの隣に滝和也や立花藤兵衛のような生身の人物が並び立つ「男と男」の構図だった。これは雄介と一条薫のバディという形で実際の作品に活かされている。一方、旧作の基本設定だった「改造人間」という要素は、必須のものではないと見なされて排除された。
この時期の仮面ライダーというブランドには「2世代ヒーロー」以外に売り込む要素がなかったため、新世代を意識した旧作との差別化が図られている。
制作には昭和ライダー以上に期間を設け、極力ご都合主義や設定破綻を避けるため、主に脚本づくりに時間をかけていた。特に本作品ではシリーズ構成や文芸部といった、東映作品としては珍しいポジションが設置されており、ストーリーや設定の統一がなされている。こうした手法に関し、髙寺はドキュメンタリー風のドラマ『ER緊急救命室』から受けた衝撃の大きさについて語っている。
全編がHDTV (HD1080/60i) 方式によるハイビジョンで撮影されており、当時としては異例の16:9の画面比率(ハイビジョン制作・レターボックスサイズ)で放映された。ただし、当時は撮影のみがハイビジョンで行われ、ポストプロダクション・完パケ・本放送はSDTVで行われた。そして、従来のアフレコ形式より同録形式に改められ、ビデオ撮影に対応した技術会社やクルーが参加することになった。しかし、長年に渡ってフィルムとアフレコ撮影で制作を続けてきた現場スタッフは、ビデオと同録での撮影方法に慣れていないことから現場の進行が滞り、撮影開始1週間でカメラクルーからスケジュール通りに予定カット数を撮影できないと苦情が発生。東映上層部で元のアフレコ撮影に戻そうという会議が行われたが、それを耳にした録音部のスタッフが撮影技師・いのくままさおに頭を下げて尽力することを訴え出たことで、スタッフ一丸となって同録が継続されるに至った。
劇中のシーンが変わるごとに、劇中の時刻と場所を画面下に表示する形式になっている。登場する地名も実在するものに限られ、劇中の描写と時間の経過は整合性を重視するために綿密に計算されているが、交通機関でのシーンでは劇中の時間を現実の時刻表に合わせるための調整が必要になるなど、苦労も多かったという。
第2話の教会炎上シーンには莫大な予算がかかり、本作品の予算を逼迫させたとも伝えられているが、これについて髙寺は「こっちで勝手に盛り上がった。絶対に予算の許可は下りないと思ったんですね。でも制作担当は簡単に許可してくれた。多分『初めてパイロットを撮る石田秀範監督を男にしよう!』と思ってくれたんだと思う」と語っている。ただし、教会炎上については過剰に言われている部分もあり、髙寺は「教会よりも遺跡のシーンのほうが予算がかかっている」と述べている。2021年2月13日に行われたトークイベント「後夜祭『裏方』」で髙寺は、ビデオ撮影に変更したことで現像代やフィルム代などの諸経費が削減され、ミニチュア撮影にかかる費用も発生しなかったため、その分を教会や遺跡のセットなどの本編の美術費に回したことから贅沢な見心地になったと語っている。九郎ヶ岳遺跡のオープンセットは映画並みのスケールで、スタッフが洞窟に入るための橋を架ける必要があったほか、映像にまったく映らない玄室への通路までわざわざ作られていた。
リアリティ重視の路線を進んだ結果、設定や描写に生々しかったり過激な表現が盛り込まれているという意見もあり、純粋な子供向けのヒーロー番組を望む親を中心にクレームが多く寄せられるなど、物議を醸した。スポンサーからも、仮面ライダーの呼称が登場しないことや人間に近いグロンギのデザインなどにクレームがあり、東映内部からも2クール目から作風を変える指示も出されたが、髙寺成紀は決して譲らなかった。テレビ朝日プロデューサーの清水祐美や、急遽協力することとなった脚本の井上敏樹の尽力もあり、一貫した制作体制が維持された。
結末の一つとして、雄介がグロンギの親玉であるン・ダグバ・ゼバとの激闘で命を落とす結末も考えられていたという。これは「人々を守るためとはいえ、彼も暴力を振るった責任を取らせるべき」という考えからだった。しかし、髙寺をはじめとするスタッフは「これからの厳しい時代を生きる子供たちに夢を与える番組で、その結末は残酷すぎる」という結論に至り、雄介が海外に旅立つ結末になったという。
オートバイスタントにトライアル元全日本チャンピオン・成田匠が参加。旧作では室町レーシングやスリーチェイスなどのカースタントチームが参加していたが、「本物のオートバイ競技のアクションを取り入れたらどうか」とのスタッフの意向で成田に打診された。トライアルのアクションを取り入れる動きは『仮面ライダーストロンガー』の時代にも試みられたが、事故で断念されており、25年ぶりの試みとなった。
車種の選定も成田によって行われ、初のスペイン車によるライダーマシンが完成した。成田の初登場となる第4話では様々な段差や障害物を越えて縦横無尽に駆け回る姿が描かれ、従来のアクションとは違うことが強調された。その後もウィリーによる「前輪パンチ」やジャックナイフによる「後輪キック」など、トライアル技の応用によるダイナミックなアクションが展開された。また、第31 - 33話で、成田匠の弟の成田亮がバイクを操る怪人ゴ・バダー・バを演じた。バダーのマシンであるバギブソンは、トライチェイサーと同じパンペーラを使用した。2人のプロ選手による湘南海岸での戦いは多くのトライアル技術が披露され、従来描かれていた土煙を上げて交錯するうちに敵が倒れていくオートバイ戦とはまったく違った画面が完成した。
本作品もヒーローと怪人の戦いを描いているが、同時に「怪人出現という事件の起きた時代を捉えたドキュメンタリー」の様相も帯びている。怪人への恐怖が社会に蔓延する中で「こんな時代に子供を産んでいいのか」という不安を抱く保育士、仕事に追われて息子の授業参観に行けず涙する研究者、TV批判を口にする教師など、ヒーロードラマという枠の内では解決しきれない問題を視聴者に投げかけている。30分番組の中で実社会を描くことには限界があるため、こうした個人の描写に社会の反応を集約させている。
刑事ドラマとしての側面が強いが、これは『機動警察パトレイバー』から平成ガメラ、平成ウルトラマンシリーズ、さらに『踊る大捜査線』を経て発展してきた官僚機構としての警察を描く手法を取り入れたものである。
特撮作品にありがちな、超技術を保有しているのにやられ役を演じる防衛組織とは異なり、本作品での警察は連携する医師や研究者なども含めて超能力を持たない普通の人間であり、勇気と責任感で超常現象に立ち向かう。警察組織の描写のリアリティを追求するため、脚本の荒川稔久は「もし本当に怪人が出たら、どの部署が対応するのか」と埼玉県警察に問い合わせた。回答によれば「殺人課は人間の起こした犯罪事件を取り締まるものなので違う。出動するのはおそらく警備部の野生動物を管轄するところだろう」とのことであり、一条薫は長野県警警備部所属と設定された。ほかにも通信の場面で当初使われていた「本部より」を「本部から」に改めたり、パトカーの出入りに使う扉の方向を決めるなど、細かな事象でも現実の警察を意識している。ただし、すべてを現実に合わせているわけではない。たとえば「本部長」という呼称は実在しないが、対策本部の統率者と理解しやすいため劇中で使われている。
自衛隊の出動にまで至ると、パニック物という別ジャンルの作品になってしまうため、劇中での事件対処はあくまで警察の域に留まっている。
後の平成仮面ライダーシリーズ(以下、平成ライダー)に比べると、勧善懲悪的と言われる。劇中の悪はグロンギだけで、人間は善として描かれている。悪と言ってもグロンギは、ショッカーのようなピラミッド型の敵組織ではない。これは当時まだ1995年までにオウム真理教が引き起こした一連の事件の記憶が鮮明であり、それを連想させかねないようなモチーフを使えなかったことが一因である。また、元々は怪獣好きとして知られる髙寺が怪獣映画の人間サイズ版を志向したのだろうと、切通理作は推測している。普段の外見は人間と変わらない存在でありながら、まったく理解できない理由で殺人を繰り返すグロンギは「怪物ではなく人間、もしかしたら隣人こそが恐ろしい」という現実の社会の恐怖を、子供向けに翻訳したものであると虚淵玄は解釈している。
放送当時に凶悪化していた未成年者の犯罪への対策が叫ばれ、加害少年を保護する少年法の改正案が国会に提出されたその時期に、第34・35話が制作された。ゴ・ジャラジ・ダ(人間体も少年)は快楽的に高校生を次々と惨殺、ジャラジに狙われて怯える生田和也少年に、雄介と一条はジャラジから守ることを誓う。そして、怒りに震えるクウガはジャラジに凄まじい暴力を振るってとどめを刺した。白倉伸一郎は「殺人者は未成年者であっても厳罰に処する」というメッセージを読み取っている。殺害事件と対比する形で、わかば保育園での社広之と寺島周斗の喧嘩が描かれている。広之から傲慢な態度を非難された周斗は素直にそれを認め、2人は和解した。雄介は「人間だからわかり合える」と信じていた。これを観た國分功一郎は、「懲悪の側に強く同一化した大人の作為というものを感じざるを得ませんでした」と語り、白倉に賛同している。
それに対し切通は、グロンギを同じ人間の中の異分子と捉える見方に異論を唱えている。切通は『クトゥルフ神話』が世代を超えて書き継がれるように、闇の恐怖や未知の怪物への畏敬を失うまいとする流れがあり、その怪人版がグロンギだったと解釈している。しかし、後の平成ライダーでは人間同士の争いにテーマが変遷したため、未知なる存在と人間の戦いを描いた本作品の感覚がわかりづらくなったのだろうとも述べている。
ヒーローが担う正義について、管理秩序社会を志向していると白倉は指摘する。第25・26話ではゴ・ブウロ・グ出現と同時に、雄介の小学校時代の恩師・神崎昭二の現在の教え子である霧島拓が、栃木から1人で東京にやってきた。拓は未来に悩んだ末、昔よく遊んだ思い出の場所を訪れる。神崎から連絡を受けて拓を捜索した雄介は、拓に「もっと悩め」と激励する。白倉はこれを、「子供が規定された生活圏から逸脱するのは、ヒーローに出動が要請されるほどの大事なのだ」という感覚の発露としている。また、宇野常寛は「正義が虚構となった時代だからこそ、あえて正義を語るのだ」という物語回帰性を指摘、暴力の持つ欺瞞を「あえて」引き受け、さらに少年少女を教導する役も負う、市民道徳の体現者として主人公を見ている。この件についても切通は別解釈を提示しており、教師から相談された主人公が、ヒーローではなく1人の人間として少年に接し、問題を解決しようとする姿を描いたのだと捉えている。
海老原豊は、後半になって敵が強力になっていくほど、逆に戦闘描写が減少する傾向に注目し、暴力制止のために暴力を振るうという正義の矛盾に解を示さないまま、その矛盾を引き受けた主人公を画面からフェイドアウトさせることで、むしろ正義の困難性というメタメッセージを発信しているとする。
いずれにせよ、子供たちに正しい大人の生き方を示そうとする髙寺と、価値観の一元化こそが諸悪の根源とする白倉では、正義の考え方がまったく相容れないのは明白である。しかし、この2大プロデューサーの相克が、のちに続く平成ライダーを進化させていく原動力となったと、井上伸一郎は述べている。
仮面ライダー玩具の定番である変身ベルトは「ソニックウェーブDX変身ベルト」の商品名で発売された。バンダイの森安信一は本作の商品展開については、前年度の『燃えろ!!ロボコン』の成績が伸び悩んだことと、久々の仮面ライダーということで、今までになかったやり方をしようという意図があったと述べている。ひとつの商品で長く遊んでもらうためと、劇中のアークルが唯一無二の存在だったことから『仮面ライダーBLACK RX』のようにフォーム毎でベルトを変えるのは止め、多色発光によってフォームチェンジを表現している。しかし当時まだ多色LEDが普及していなかったため、赤色以外はムギ球で光らせている。ステレオ音声が一般的になったテレビ事情に合わせて、ベルトにも左右バックルに大型スピーカーを搭載し、左右で異なる音声が鳴ることで立体的な音響空間を創出している。開発陣はアクション監督の金田治、スーツアクターの富永研司とともにスイッチの操作方法がわざとらしくならないような変身ポーズを考案し、以後のシリーズでポーズと玩具ギミックが連動する流れを作る。
ドラゴンロッドなどの武器玩具もそれなりに売れたが、キックが決め技の仮面ライダーらしさを意識して合体武器路線を避け、『RX』の経験を生かして変身ベルトに被せる新たな効果音と発光を仕込んだ強化パーツ「ライジングパワーセット」を発売。以後の年末商戦における仕掛けの基本となった。
パーツを換装することでフォームチェンジを再現できるフィギュア「装着変身」シリーズも好評だったが、劇中での出番が多くないグロンギ怪人のソフビ人形まで売れたことはバンダイの想定外であり、商品化においては露出時間の長さではなくキャラクター性の強さが重要だという認識を促した。
最終回のバンダイ玩具CMでは、ファンに向けて「五代雄介と一条刑事をいつまでも忘れないでね」という特別メッセージが表示された。
全編通してサブタイトルは漢字2文字で統一、放送回数は「EPISODE」と表記。アバンタイトル前と各話終了時にはリント文字が表示され、終了時の背景には一部を除き、その回で活躍したフォームの色が使われるといった演出がなされている。
放送開始当初は視聴率が前作『燃えろ!!ロボコン』から低下しており、「やはり仮面ライダーは過去のものか」と思われていたが、2クールから脚本に参加した井上敏樹は、視聴率は悪くなくファンも付いていたと述べている。
支持者の年齢層は、前半は30代の男女が圧倒的に多く、次第に高校生前後の少年が増えていった。本作品は元々大人の視点を意識して作られているが、これは「父と子の2世代が一緒に視聴する」という意味である。しかし、実際にはオダギリをはじめとするイケメン俳優目当ての母親層や、雄介と一条の関係に着目する腐女子ファンまで流入した(オダギリ効果)。
インターネットが普及中だった時代に開設された公式ホームページに対する反響は大きく、最終回放映日のヒット数は27万に達した。
2002年に第33回『星雲賞』映画演劇部門・メディア部門を受賞した。特撮作品が同賞を受賞するのは『ウルトラマンティガ』に次いで2作目であり、仮面ライダーシリーズでは初の快挙となった。
平成仮面ライダーシリーズにおいて、劇場版が連年制作されるようになったのは『仮面ライダーアギト』以降のこととなるが、それ以前となる本作品でもテレビシリーズ放映当時から署名サイトが開設されるなど、映画化に向けた活発な署名・要望活動が行われていた。これに対し、番組終了後に発売された『超全集』最終巻でオダギリ・髙寺から映画化の約束のコメントが載るなど、当初はスタッフ・キャストも映画化に前向きな姿勢を見せていた。
2001年、髙寺は大泉の東映撮影所に足を運び、坂上所長の元で『クウガ』の映画化に向けて準備をしていた。しかし成果は上がらないままで、企画が通らず出資者が集まらないらしいという噂が流れた。髙寺は、白倉伸一郎が主導する劇場版『アギト』の制作体制を懸念しており、「予算・スケジュール共に『クウガ』はしっかりした体制で作りたい」と高い要望を抱いていたが、結果を見れば慎重さよりもチャンスを逃さないことを選んだ白倉のほうが商業的成功を遂げた。資金集めは行き詰まり、2002年に髙寺が角川書店事業部長・井上伸一郎を訪ねたときも、出資依頼を切り出せずに帰ったという。そして2006年6月1日付で、髙寺により映画化に至らなかったことへの謝罪メッセージが公式サイトに掲載された。
劇場版『クウガ』こそ実現しなかったが、「仮面ライダークウガ」というキャラクター自体は2009年公開の『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』において、初めて映画作品へ登場している。
いずれの作品にも仮面ライダークウガが登場。前述の事情から、本作品単独での映画作品は存在しない。 | [
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"text": "『仮面ライダークウガ』(かめんライダークウガ)は、2000年1月30日から2001年1月21日まで、テレビ朝日系列で毎週日曜8時から8時30分(JST)に全49話が放映された、東映制作の特撮テレビドラマ作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称。",
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"text": "キャッチコピーは「A New Hero. A New Legend.」(新しい英雄、新しい伝説)で、オープニング最後のタイトルで左上と右下に表示される。",
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"text": "テレビシリーズでは『仮面ライダーBLACK RX』終了から10年4ヶ月ぶり、テレビシリーズを除けば『仮面ライダーJ』から6年ぶりとなる『仮面ライダー』作品であり、同時に「平成仮面ライダーシリーズ」第1作目に当たる。「クウガ」(漢字表記では「空我」)の名は「漢字で書ける名前」という提案を受けて、石森プロ社長の小野寺章によりクワガタの語感から命名された。",
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"text": "昭和仮面ライダーシリーズ(以下、昭和ライダー)から世界観が一新されているが、一方で昭和ライダーへのオマージュも台詞や設定の随所に盛り込まれている。昭和ライダーとの大きな違いには「仮面ライダー、および敵対する怪人は改造人間」、「世界征服を企む悪の秘密結社」、「戦闘員」などの設定がなくなったこと、劇中で「仮面ライダー」という単語が用いられないことがある。特に「改造人間」に関しては、医療技術の進歩によって臓器移植手術などが多く行われるようになったことが考慮され、以前のように「改造人間」という表現を用いるのには抵抗があり、東映も「改造人間による影を持った主人公にしたくない」ということで撤廃され、以降の平成ライダーシリーズにも引き継がれることとなった。",
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"text": "また、本作品には従来の特撮ヒーロー番組にはなかった新たな試みが随所に見られる。身近な恐怖を演出するための現実感と、特撮ヒーロー番組にありがちだった矛盾点を解消させるための整合性を重視し、「グロンギ族は独自の言語と文化を持つ」、「クウガと警察が協力する」、「技名を叫ばない」などの設定が生まれた。作劇においては、従来ではスポットの当たりにくかった「回を追うごとの周囲の人々の変化」や「社会におけるヒーローと悪の存在の認知の過程」が描かれるなど、ヒーロードラマの視点だけではなく、一般ドラマの視点も重視している。このため、1話30分以内では1エピソードを満足に描き切れないということで、基本的に前後編の「2話で1エピソード」というスタイルを取っている。このスタイルは以降の作品にも引き継がれた。",
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"text": "商業面では変身ベルトなどの人気で好成績を記録したが、ドラマ重視の作劇によって戦闘シーンが極めて短い回が多く、10月に発売されていたクウガの最終形態アルティメットフォームが、雄介の見た幻影を除き翌年1月の最終回直前まで作中に登場しない(出番もわずかだった)という展開となったほか、逆にスポンサーの玩具会社の担当者も知らなかった新形態(アメイジングマイティ)が登場し、急遽その商品が開発・発売されるなど、販促番組としても異例尽くめとなった。また、最終回(第49話)ではAパートとBパートの間にCMを挟まずにEDまで放送し、変身後の主役ヒーローの登場や戦闘シーンが存在せず、主人公・五代雄介の出番もわずかであった。",
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"text": "本作品以降、クロスプログラム(放送開始直前に挿入される映像)が頻繁に変更されるようになった。また、提供テロップのナレーションは出演者が交代で担当している。従来のシリーズとは異なり、ナレーションは次回予告と総集編のみに留まった。",
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"text": "西暦1999年7月18日。地中深くに埋没されていたものの、地殻変動によって地表に出現した長野県中央アルプスの九郎ヶ岳遺跡で発掘された石棺を開けたことで目覚めた謎の存在は、城南大学と信濃大学が共同で発掘調査に当たっていた夏目幸吉博士らの調査隊を全滅させ、さらに200体余りの仲間を蘇らせる。この事件の捜査を担当する長野県警刑事の一条薫は、現場にて五代雄介と名乗る冒険家の青年と出会う。雄介が遺跡で発掘されたベルトを目撃した際、超古代の戦士のイメージが脳裏に浮かび上がる。",
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"text": "その後、長野県警を襲撃するズ・グムン・バに遭遇した雄介は、咄嗟の判断でベルトを装着して戦士クウガに変身しこれを退ける。そして、人々の笑顔を守るために蘇った怪人たちと戦うことを決意する。",
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"text": "以後、クウガと怪人たち=グロンギは「未確認生命体」と呼ばれ、人々に認知されていく。",
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"text": "本作品における敵。人間とは生物学上、同一の存在であり、極めて近い身体・血液成分を持つ、人類に極めて近い超古代の好戦的な先住人類(のちにその1体は人間と自分たちは等しいと述べている)。残忍かつ闘争心旺盛であり、超古代に戦士クウガによって封印されていた。九郎ヶ岳遺跡発掘に伴い、遺跡の東南にある滝付近の森にあった集団の墓のような場所から推定でも最低200体が現代に復活。警察や世間からは「未確認生命体」と呼ばれている。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
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"text": "普段の外見は人間と変わりないが、その肉体に動植物や昆虫の能力を宿しており、体のどこかに怪人体のもととなる動植物や昆虫のタトゥーがある。腹部にアマダムと同質の物体魔石・ゲブロンが埋め込まれており、人間を遥かに上回る運動能力と、拳銃の弾丸をも受け付けず強い衝撃にも耐える強靭な体を持ち、全員が動植物や昆虫の力を持った怪人体に変身する。クウガとグロンギは基本的に同じ力を有している。ゴ集団やズ・ゴオマ・グのように、より強力になるほど体が黒く変化していく。クウガの技で死亡する場合、ほとんどは体に打ち込まれた封印エネルギーが腹部の核に伝達することで「封印」のリント文字が体に浮かび上がり爆発する。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
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"text": "ン・ダグバ・ゼバを頂点とし、ゴ集団・メ集団・ズ集団の階級が存在し、階級ごとに怪人体時に装着しているベルト・ゲドルードのバックルやプロテクターなど、装飾品の色や種類が異なる。リント(現代人をリントの末裔と見なしている)を標的とする殺人ゲーム・ゲゲルを、進行役のラ集団のもとで行う。登場時期が後になるほど強さが増していき、ゴ集団の終盤の3体はクウガのフォームチェンジに当たる超変化が可能。強さはゲブロンの強さに比例し、爆発した際の被害も甚大になる。特にライジングマイティキックで倒すと、その衝撃は半径3キロメートルに及ぶ(ゴ・ガメゴ・レやゴ・バダー・バなど)。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
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"text": "他に、ダグバのゲドルードの修復など裏方仕事を担当していたヌ・ザジオ・レ(登場したのは人間体のみ)や、ゴ・ジャーザ・ギの台詞で存在が示唆されただけのベ集団もいた。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
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"text": "独自の言語「グロンギ語」を話し、位取り記数法として九進法を用いる。個体差はあるが日本語や自動車・バイクの運転、インターネットなどを短期間でマスターするほど知能は高い。ゴ集団の中には人類の文化・芸術に興味を示して熟達する者もいた。人類はあくまでもゲゲルの標的=リントであり、クウガすらゲゲルの難度を上げる障害物かやや強い標的としか見ていない。人間社会との文化の違いのためか、服装のセンスも一部の者を除いて通常の人類とは大きくかけ離れたものとなっている場合が多い。",
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"text": "倉庫・廃墟・植物園・水族館・飲食店など営業していない複数の施設をアジトとして使い、彼らの文化に合わせたかのようにマネキンや鎖などで個性的な装飾を施すか、最初から神秘的な内装をされている店内などを好んで使っている。",
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"text": "九郎ヶ岳遺跡のある長野県を皮切りに山形県から岐阜県まで広い範囲で行われたが、主に人口の多い東京都を中心とする関東地方周辺に集中していた。グロンギが関係すると思われる殺人・窃盗などの事件は「未確認生命体関連事件」として広域指定事件とされ、警視庁に置かれた合同捜査本部によって捜査される。",
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"paragraph_id": 18,
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"text": "グロンギは毎回1体ずつ登場するということがなく、ストーリーの節目となる回ごとに数名がバルバのもとに人間体で現れ、自分がゲゲルを行う順番を待っていた。初登場から怪人体になるまで数週かかった者も多い。怪人体が出現した順に「未確認生命体第○号」と呼称されるが、前述した事情に加えて設定のみでテレビシリーズ未登場のグロンギも多いため、必ずしもテレビシリーズでの登場順とは一致しない。なお、人間体しか目撃されていていなくても未確認生命体と判断される場合は、「未確認生命体B群」として分類される。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "名称の冒頭1文字は階級、末尾の語は、もとの生物の種別を表している。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "最強のグロンギに与えられるグロンギの最高位の階級で、「究極の闇をもたらす者」と呼ばれている。グロンギの中でも桁違いの戦闘力を持つ存在であり、身体能力は無論、特殊能力も他のグロンギと大きく差がある。頂点ゆえに、テレビシリーズに登場したのはダグバのみ。バックルの色は黄金であるほか、他の階級のグロンギよりも派手な形状となっている。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "ゲゲルに参加資格を有する階級集団。すべてのグロンギが参加資格があるわけではなく、各集団の実力者が参加資格を有する。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "ゲゲルに参加できないが裏方として、ゲゲルの運営を担当。ラ・ドルド・グはゴ・ガドル・バと互角に戦った。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "定められた期間内に定められた人数の人間を殺すゲーム。ズ集団のゲゲルではバルバが制限時間と人数を定め、メ集団では自己申告で目標を決め、一定の殺害数カウント後の中間報告が義務付けられている。一度にゲゲルを行うムセギジャジャ(プレイヤー)は1名のみで、ムセギジャジャ(プレイヤー)以外のグロンギはゲゲル中は殺人を禁じられており、開始前に殺人を行った者や他のプレイヤーのゲゲル中に殺人を行った者は参加資格を永遠に剥奪されてしまう。ゲゲルの進行によっては下位集団のゲゲルが停止させられる場合もあり、それに不満を覚えた者が暴走・反抗に出たこともある。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "殺害人数のカウントは、ドドゾ(ボード)とグセパ(腕輪)でそれぞれ行う。ドドゾが警察に押収されてからは、バグンダダが代用されている。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "ゲゲルに成功した者は上位ランクに昇格する。劇中ではガルメがズ集団からメ集団に昇格。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "ゴ集団が行うゲゲルで、意味は「セミファイナル・ゲーム(超古代語対訳版では黒き闇のゲーム)」。メ集団壊滅から1ヵ月後に開始された。通常のゲゲルと異なり、殺害方法に武器の使用が義務付けられ、各々が定めた条件を満たす相手だけを殺す。殺害人数のカウントも本人ではなくドルドが行う。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "ゲリザギバス・ゲゲルに成功すれば、ダグバと1対1で戦うザギバス・ゲゲルに臨み、ダグバを倒せば彼の変身ベルトを受け継いで強大な力を手に入れ、「究極の闇」とよばれるリントの大量虐殺を実行する。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "グロンギの人間体は、予算の都合からスーツでのアクションを減らすために考案された。その一方で、怪人のスーツはアップ用とアクション用の2種類が用意されている。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "ハイビジョン撮影ではスーツの材質や造りがそのまま映ってしまうため、従来とは異なる工夫がなされた。スーツにはゴム素材を用いており、スーツをスーツアクターに密着させることでしわをなくすため造型時には毎回スーツアクターのフィッティングを行っていた。腰布などの衣装は股関節などのシワになりやすい部分を隠すためにデザインされ、次作『仮面ライダーアギト』のアンノウンでも引き継がれている。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "日中や屋内の撮影でも筋肉の隆起などのコントラストを強調するため、着色したラテックスを重ね塗りして陰影を表現している。",
"title": "グロンギ(未確認生命体)"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "世間ではヒーロー像の固定観念ができあがっており、オーディション出場者の多くが、何かにつけて「ゴルゴムの仕業だ!」と力んでいた『仮面ライダーBLACK』の南光太郎のように大仰な芝居をしたため、主人公の五代雄介役の選出は難航した。その中で、最後のオーディションに出たオダギリジョーはまさにハマリ役だった。オダギリはイメージや価値観が凝り固まった特撮ヒーロー作品に強い抵抗感を抱いていたが、それを隠そうとしない裏表のなさがむしろ五代役に最適と判断された。オーディション終了後もオダギリは出演を断るつもりでいたが、プロデューサーの髙寺に「あの仮面ライダーではなく、むしろ違うものにしたいと思っているから、力を貸してほしい」と説得されて、引き受けることにしたという。",
"title": "キャスト"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "元々は、葛山が五代役をやる予定であったが、一条のキャラクター設定を読んだ葛山が一条に惚れ込んだことで、一条役に変更となった。",
"title": "キャスト"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "オダギリと一条を演じる葛山の人気は男性アイドル雑誌にも露出するなど異例の注目を集め、「イケメンヒーロー」と呼ばれる、従来特撮に関心がなかった層を新たに取り込んだムーブメントを生み出した。",
"title": "キャスト"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "スーパー戦隊シリーズでアクション監督を務めていた竹田道弘は、第1話・第2話で福沢博文が担当したズ・グムン・バの演技を高く評価しており、そのことが翌年『百獣戦隊ガオレンジャー』での福沢のガオレッド起用につながった。",
"title": "キャスト"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "プロデューサーの髙寺と付き合いが長いということで荒川稔久が前番組から続投、メインライターになり、前述のとおり井上敏樹がサブとして参加した。また髙寺の知己で、特撮雑誌『宇宙船』の編集者であり、また『TVチャンピオン』「TVヒーロー王選手権」の連続王者でもあった大石真司が文芸担当として迎えられ、緻密なヒーロー像やストーリーラインを構築した。",
"title": "スタッフ"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "他にも、当時はまだ武蔵野美術大学の学生だった阿部卓也が企画検討段階からデザイナーとして抜擢されるなど、斬新なスタッフワークが採られた。阿部は完璧な意味を持つ古代文字を構築した他、グロンギ怪人のベースデザインを作った。阿部は学業との両立が困難になって途中から作品を離れるが、後をプレックスや石森プロに属する青木哲也や飯田浩司などの職人デザイナーたちが引き継ぎ、劇中最後の敵、ン・ダグバ・ゼバのデザイナーとして復帰した。",
"title": "スタッフ"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "大石、阿部、そして特撮ヒーローを大胆に解釈した作風で、演劇ファンから人気があった劇作家・演出家のきだつよしら、本作品で実質、髙寺に「一本釣り」されたことで本格的に商業特撮作品に携わったスタッフたちは、後に同じ髙寺が手がけた『仮面ライダー響鬼』時にも招聘され、髙寺が同作品を去るまでの間深く関わっていくことになる。",
"title": "スタッフ"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "演出陣では、石田秀範が初のメイン監督を担当した。また、戦隊サイドにいた渡辺勝也、長石多可男といった髙寺縁の演出家も集結している。ちなみに当初は石田がメインを務める予定ではなく、別の監督がパイロットを撮り石田は第3・4話を撮る予定であった。しかし髙寺とその監督の意見が衝突し監督が降板、急遽石田にパイロットのお鉢が回ってきたとのことである。その皺寄せがありハードスケジュールが祟ったせいか石田は撮影中に倒れてしまい、パイロット作品ではチーフ助監督の鈴村展弘が演出を代行した箇所もあるという。",
"title": "スタッフ"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "劇中の音楽は佐橋俊彦が担当した。佐橋は髙寺からオーケストラ編成が基本のスーパー戦隊シリーズとは変えてほしいとの要望を受け、佐橋サウンドの持ち味だったオーケストラの使用を避け、アクションテーマはバンド編成による激しいロック、 怪人襲撃・暗躍を表現する音楽はシンセサイザーによる音色で、洋画ホラー物のような雰囲気を演出しており、それまでに佐橋が手掛けた作品とは全く異なる音楽世界を確立している。本人もインタビューなどで、普段の自分のスタイルとは違ったことを試みた、という主旨の発言をしている。",
"title": "音楽"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "当初、最終回の音楽を完成したVTRマスターに合わせて録る話があったが、間に合わず結局不可能となった。これを実現していたならば、佐橋はスケジュールに追われて楽曲制作の質が落ちることを防ぐため、次作『仮面ライダーアギト』の音楽担当を辞退するつもりだったという。",
"title": "音楽"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "「究極の闇」、「Love is my life」の2曲以外は全て放送時8cmシングルでそれぞれリリースされ、後に『仮面ライダークウガ ソングコレクション』『仮面ライダークウガ ソングコレクション2』に収録された(「究極の闇」、「Love is my life」は『仮面ライダークウガ ソングコレクション2』が初出)。「“t”」は、JOE ODAGIRI名義のアルバム「WHITE」には収録されたが、クウガ関連のアルバムには収録されていない。全曲とも作中未使用。",
"title": "音楽"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "東映の鈴木武幸は、2 - 3クールで終わるような中途半端なライダーを作るべきではない、機が熟した時に再開すべきとして、復活の声はあったものの長いあいだ仮面ライダーテレビシリーズの再開を中断していた。仮面ライダーのテレビシリーズ再開は1996年ごろから企画が進められており、当初はウルトラシリーズを放映していた毎日放送制作、TBS系の土曜6時台での放送を目指していた時期もあった。初期タイトルは『仮面ライダーXV(クロスブイ)』と『仮面ライダーカワカミ』であり、ここで提示された複数の仮面ライダーを登場させる案が、人数を1人に集約することでフォームチェンジという発想につながっている。また別の企画タイトルの一つに『仮面ライダーガイア』があり、『ウルトラマンガイア』と競合したと言われている。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "毎日放送での放送は決まりかけていたが、その後毎日放送がゾイドやウルトラマンのほうを選び断ったためTBS系での放送は実現に至らず、東映の特撮番組『燃えろ!!ロボコン』を放映中という縁で制作局をテレビ朝日に変更することとなった。しかしテレビシリーズが中断して久しい『仮面ライダー』は、当時の感覚からするとすでに過去のブランドであり、テレビ朝日も「ネタがないから」と渋々引き受けた風だった。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "追い風となったのは『せがた三四郎』である。『仮面ライダー』で本郷猛(仮面ライダー1号)を演じた藤岡弘、が演じる同キャラクターは仮面ライダーの人気再燃を盛り上げた。鈴木武幸によると、こうした盛り上がりが本作品の誕生につながったとのことである。またプロデューサーの髙寺成紀は、プライズゲームで仮面ライダーシリーズの景品が売上を伸ばしていたこともきっかけになったと証言している。当時は漠然と「好反応」とだけ認識されていたが、これはゲームセンターに来る年齢層がライダーに興味を示すようになった表れであり、旧作の視聴者が父親になって「親子2世代」ファンを形成する端緒であった。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "髙寺成紀の企画案『仮面ライダーガーディアン』はヒーロー色の強い明快な作風で、雄介のキャラクター設定にその名残がある。この時点での髙寺は、関係各社の期待を裏切らないように従来のヒーロー番組の路線に沿ったものを構想していた。その後、石森プロが提出した企画案『仮面ライダーオーティス』がホラー色や悲劇性の強いものだったために方向性の再検討を求められ、髙寺は抜本的な見直しを決意した。なお他の仮題には、漢字での表記が提案された後の「王者」という案も存在した。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "まったく新しい仮面ライダーを作ろうとする髙寺の意気込みは強かったが、初期案のファンタジックで型破りな主人公像を実現するには『インディ・ジョーンズ』並の予算が必要だとか、「地球人と宇宙人とのハーフ」という設定はライダーのイメージから離れすぎているという指摘を受けて、従来のライダーに新味を加えていく方法を模索することになった。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "髙寺が考えた「仮面ライダーらしさ」とは、ライダーという異形のヒーローの隣に滝和也や立花藤兵衛のような生身の人物が並び立つ「男と男」の構図だった。これは雄介と一条薫のバディという形で実際の作品に活かされている。一方、旧作の基本設定だった「改造人間」という要素は、必須のものではないと見なされて排除された。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "この時期の仮面ライダーというブランドには「2世代ヒーロー」以外に売り込む要素がなかったため、新世代を意識した旧作との差別化が図られている。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "制作には昭和ライダー以上に期間を設け、極力ご都合主義や設定破綻を避けるため、主に脚本づくりに時間をかけていた。特に本作品ではシリーズ構成や文芸部といった、東映作品としては珍しいポジションが設置されており、ストーリーや設定の統一がなされている。こうした手法に関し、髙寺はドキュメンタリー風のドラマ『ER緊急救命室』から受けた衝撃の大きさについて語っている。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "全編がHDTV (HD1080/60i) 方式によるハイビジョンで撮影されており、当時としては異例の16:9の画面比率(ハイビジョン制作・レターボックスサイズ)で放映された。ただし、当時は撮影のみがハイビジョンで行われ、ポストプロダクション・完パケ・本放送はSDTVで行われた。そして、従来のアフレコ形式より同録形式に改められ、ビデオ撮影に対応した技術会社やクルーが参加することになった。しかし、長年に渡ってフィルムとアフレコ撮影で制作を続けてきた現場スタッフは、ビデオと同録での撮影方法に慣れていないことから現場の進行が滞り、撮影開始1週間でカメラクルーからスケジュール通りに予定カット数を撮影できないと苦情が発生。東映上層部で元のアフレコ撮影に戻そうという会議が行われたが、それを耳にした録音部のスタッフが撮影技師・いのくままさおに頭を下げて尽力することを訴え出たことで、スタッフ一丸となって同録が継続されるに至った。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "劇中のシーンが変わるごとに、劇中の時刻と場所を画面下に表示する形式になっている。登場する地名も実在するものに限られ、劇中の描写と時間の経過は整合性を重視するために綿密に計算されているが、交通機関でのシーンでは劇中の時間を現実の時刻表に合わせるための調整が必要になるなど、苦労も多かったという。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "第2話の教会炎上シーンには莫大な予算がかかり、本作品の予算を逼迫させたとも伝えられているが、これについて髙寺は「こっちで勝手に盛り上がった。絶対に予算の許可は下りないと思ったんですね。でも制作担当は簡単に許可してくれた。多分『初めてパイロットを撮る石田秀範監督を男にしよう!』と思ってくれたんだと思う」と語っている。ただし、教会炎上については過剰に言われている部分もあり、髙寺は「教会よりも遺跡のシーンのほうが予算がかかっている」と述べている。2021年2月13日に行われたトークイベント「後夜祭『裏方』」で髙寺は、ビデオ撮影に変更したことで現像代やフィルム代などの諸経費が削減され、ミニチュア撮影にかかる費用も発生しなかったため、その分を教会や遺跡のセットなどの本編の美術費に回したことから贅沢な見心地になったと語っている。九郎ヶ岳遺跡のオープンセットは映画並みのスケールで、スタッフが洞窟に入るための橋を架ける必要があったほか、映像にまったく映らない玄室への通路までわざわざ作られていた。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "リアリティ重視の路線を進んだ結果、設定や描写に生々しかったり過激な表現が盛り込まれているという意見もあり、純粋な子供向けのヒーロー番組を望む親を中心にクレームが多く寄せられるなど、物議を醸した。スポンサーからも、仮面ライダーの呼称が登場しないことや人間に近いグロンギのデザインなどにクレームがあり、東映内部からも2クール目から作風を変える指示も出されたが、髙寺成紀は決して譲らなかった。テレビ朝日プロデューサーの清水祐美や、急遽協力することとなった脚本の井上敏樹の尽力もあり、一貫した制作体制が維持された。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "結末の一つとして、雄介がグロンギの親玉であるン・ダグバ・ゼバとの激闘で命を落とす結末も考えられていたという。これは「人々を守るためとはいえ、彼も暴力を振るった責任を取らせるべき」という考えからだった。しかし、髙寺をはじめとするスタッフは「これからの厳しい時代を生きる子供たちに夢を与える番組で、その結末は残酷すぎる」という結論に至り、雄介が海外に旅立つ結末になったという。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "オートバイスタントにトライアル元全日本チャンピオン・成田匠が参加。旧作では室町レーシングやスリーチェイスなどのカースタントチームが参加していたが、「本物のオートバイ競技のアクションを取り入れたらどうか」とのスタッフの意向で成田に打診された。トライアルのアクションを取り入れる動きは『仮面ライダーストロンガー』の時代にも試みられたが、事故で断念されており、25年ぶりの試みとなった。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "車種の選定も成田によって行われ、初のスペイン車によるライダーマシンが完成した。成田の初登場となる第4話では様々な段差や障害物を越えて縦横無尽に駆け回る姿が描かれ、従来のアクションとは違うことが強調された。その後もウィリーによる「前輪パンチ」やジャックナイフによる「後輪キック」など、トライアル技の応用によるダイナミックなアクションが展開された。また、第31 - 33話で、成田匠の弟の成田亮がバイクを操る怪人ゴ・バダー・バを演じた。バダーのマシンであるバギブソンは、トライチェイサーと同じパンペーラを使用した。2人のプロ選手による湘南海岸での戦いは多くのトライアル技術が披露され、従来描かれていた土煙を上げて交錯するうちに敵が倒れていくオートバイ戦とはまったく違った画面が完成した。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "本作品もヒーローと怪人の戦いを描いているが、同時に「怪人出現という事件の起きた時代を捉えたドキュメンタリー」の様相も帯びている。怪人への恐怖が社会に蔓延する中で「こんな時代に子供を産んでいいのか」という不安を抱く保育士、仕事に追われて息子の授業参観に行けず涙する研究者、TV批判を口にする教師など、ヒーロードラマという枠の内では解決しきれない問題を視聴者に投げかけている。30分番組の中で実社会を描くことには限界があるため、こうした個人の描写に社会の反応を集約させている。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "刑事ドラマとしての側面が強いが、これは『機動警察パトレイバー』から平成ガメラ、平成ウルトラマンシリーズ、さらに『踊る大捜査線』を経て発展してきた官僚機構としての警察を描く手法を取り入れたものである。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "特撮作品にありがちな、超技術を保有しているのにやられ役を演じる防衛組織とは異なり、本作品での警察は連携する医師や研究者なども含めて超能力を持たない普通の人間であり、勇気と責任感で超常現象に立ち向かう。警察組織の描写のリアリティを追求するため、脚本の荒川稔久は「もし本当に怪人が出たら、どの部署が対応するのか」と埼玉県警察に問い合わせた。回答によれば「殺人課は人間の起こした犯罪事件を取り締まるものなので違う。出動するのはおそらく警備部の野生動物を管轄するところだろう」とのことであり、一条薫は長野県警警備部所属と設定された。ほかにも通信の場面で当初使われていた「本部より」を「本部から」に改めたり、パトカーの出入りに使う扉の方向を決めるなど、細かな事象でも現実の警察を意識している。ただし、すべてを現実に合わせているわけではない。たとえば「本部長」という呼称は実在しないが、対策本部の統率者と理解しやすいため劇中で使われている。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "自衛隊の出動にまで至ると、パニック物という別ジャンルの作品になってしまうため、劇中での事件対処はあくまで警察の域に留まっている。",
"title": "制作"
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"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "後の平成仮面ライダーシリーズ(以下、平成ライダー)に比べると、勧善懲悪的と言われる。劇中の悪はグロンギだけで、人間は善として描かれている。悪と言ってもグロンギは、ショッカーのようなピラミッド型の敵組織ではない。これは当時まだ1995年までにオウム真理教が引き起こした一連の事件の記憶が鮮明であり、それを連想させかねないようなモチーフを使えなかったことが一因である。また、元々は怪獣好きとして知られる髙寺が怪獣映画の人間サイズ版を志向したのだろうと、切通理作は推測している。普段の外見は人間と変わらない存在でありながら、まったく理解できない理由で殺人を繰り返すグロンギは「怪物ではなく人間、もしかしたら隣人こそが恐ろしい」という現実の社会の恐怖を、子供向けに翻訳したものであると虚淵玄は解釈している。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "放送当時に凶悪化していた未成年者の犯罪への対策が叫ばれ、加害少年を保護する少年法の改正案が国会に提出されたその時期に、第34・35話が制作された。ゴ・ジャラジ・ダ(人間体も少年)は快楽的に高校生を次々と惨殺、ジャラジに狙われて怯える生田和也少年に、雄介と一条はジャラジから守ることを誓う。そして、怒りに震えるクウガはジャラジに凄まじい暴力を振るってとどめを刺した。白倉伸一郎は「殺人者は未成年者であっても厳罰に処する」というメッセージを読み取っている。殺害事件と対比する形で、わかば保育園での社広之と寺島周斗の喧嘩が描かれている。広之から傲慢な態度を非難された周斗は素直にそれを認め、2人は和解した。雄介は「人間だからわかり合える」と信じていた。これを観た國分功一郎は、「懲悪の側に強く同一化した大人の作為というものを感じざるを得ませんでした」と語り、白倉に賛同している。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "それに対し切通は、グロンギを同じ人間の中の異分子と捉える見方に異論を唱えている。切通は『クトゥルフ神話』が世代を超えて書き継がれるように、闇の恐怖や未知の怪物への畏敬を失うまいとする流れがあり、その怪人版がグロンギだったと解釈している。しかし、後の平成ライダーでは人間同士の争いにテーマが変遷したため、未知なる存在と人間の戦いを描いた本作品の感覚がわかりづらくなったのだろうとも述べている。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "ヒーローが担う正義について、管理秩序社会を志向していると白倉は指摘する。第25・26話ではゴ・ブウロ・グ出現と同時に、雄介の小学校時代の恩師・神崎昭二の現在の教え子である霧島拓が、栃木から1人で東京にやってきた。拓は未来に悩んだ末、昔よく遊んだ思い出の場所を訪れる。神崎から連絡を受けて拓を捜索した雄介は、拓に「もっと悩め」と激励する。白倉はこれを、「子供が規定された生活圏から逸脱するのは、ヒーローに出動が要請されるほどの大事なのだ」という感覚の発露としている。また、宇野常寛は「正義が虚構となった時代だからこそ、あえて正義を語るのだ」という物語回帰性を指摘、暴力の持つ欺瞞を「あえて」引き受け、さらに少年少女を教導する役も負う、市民道徳の体現者として主人公を見ている。この件についても切通は別解釈を提示しており、教師から相談された主人公が、ヒーローではなく1人の人間として少年に接し、問題を解決しようとする姿を描いたのだと捉えている。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "海老原豊は、後半になって敵が強力になっていくほど、逆に戦闘描写が減少する傾向に注目し、暴力制止のために暴力を振るうという正義の矛盾に解を示さないまま、その矛盾を引き受けた主人公を画面からフェイドアウトさせることで、むしろ正義の困難性というメタメッセージを発信しているとする。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "いずれにせよ、子供たちに正しい大人の生き方を示そうとする髙寺と、価値観の一元化こそが諸悪の根源とする白倉では、正義の考え方がまったく相容れないのは明白である。しかし、この2大プロデューサーの相克が、のちに続く平成ライダーを進化させていく原動力となったと、井上伸一郎は述べている。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "仮面ライダー玩具の定番である変身ベルトは「ソニックウェーブDX変身ベルト」の商品名で発売された。バンダイの森安信一は本作の商品展開については、前年度の『燃えろ!!ロボコン』の成績が伸び悩んだことと、久々の仮面ライダーということで、今までになかったやり方をしようという意図があったと述べている。ひとつの商品で長く遊んでもらうためと、劇中のアークルが唯一無二の存在だったことから『仮面ライダーBLACK RX』のようにフォーム毎でベルトを変えるのは止め、多色発光によってフォームチェンジを表現している。しかし当時まだ多色LEDが普及していなかったため、赤色以外はムギ球で光らせている。ステレオ音声が一般的になったテレビ事情に合わせて、ベルトにも左右バックルに大型スピーカーを搭載し、左右で異なる音声が鳴ることで立体的な音響空間を創出している。開発陣はアクション監督の金田治、スーツアクターの富永研司とともにスイッチの操作方法がわざとらしくならないような変身ポーズを考案し、以後のシリーズでポーズと玩具ギミックが連動する流れを作る。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "ドラゴンロッドなどの武器玩具もそれなりに売れたが、キックが決め技の仮面ライダーらしさを意識して合体武器路線を避け、『RX』の経験を生かして変身ベルトに被せる新たな効果音と発光を仕込んだ強化パーツ「ライジングパワーセット」を発売。以後の年末商戦における仕掛けの基本となった。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "パーツを換装することでフォームチェンジを再現できるフィギュア「装着変身」シリーズも好評だったが、劇中での出番が多くないグロンギ怪人のソフビ人形まで売れたことはバンダイの想定外であり、商品化においては露出時間の長さではなくキャラクター性の強さが重要だという認識を促した。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "最終回のバンダイ玩具CMでは、ファンに向けて「五代雄介と一条刑事をいつまでも忘れないでね」という特別メッセージが表示された。",
"title": "制作"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "全編通してサブタイトルは漢字2文字で統一、放送回数は「EPISODE」と表記。アバンタイトル前と各話終了時にはリント文字が表示され、終了時の背景には一部を除き、その回で活躍したフォームの色が使われるといった演出がなされている。",
"title": "放送日程"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "放送開始当初は視聴率が前作『燃えろ!!ロボコン』から低下しており、「やはり仮面ライダーは過去のものか」と思われていたが、2クールから脚本に参加した井上敏樹は、視聴率は悪くなくファンも付いていたと述べている。",
"title": "評価"
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"text": "支持者の年齢層は、前半は30代の男女が圧倒的に多く、次第に高校生前後の少年が増えていった。本作品は元々大人の視点を意識して作られているが、これは「父と子の2世代が一緒に視聴する」という意味である。しかし、実際にはオダギリをはじめとするイケメン俳優目当ての母親層や、雄介と一条の関係に着目する腐女子ファンまで流入した(オダギリ効果)。",
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"text": "インターネットが普及中だった時代に開設された公式ホームページに対する反響は大きく、最終回放映日のヒット数は27万に達した。",
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"text": "2002年に第33回『星雲賞』映画演劇部門・メディア部門を受賞した。特撮作品が同賞を受賞するのは『ウルトラマンティガ』に次いで2作目であり、仮面ライダーシリーズでは初の快挙となった。",
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"text": "平成仮面ライダーシリーズにおいて、劇場版が連年制作されるようになったのは『仮面ライダーアギト』以降のこととなるが、それ以前となる本作品でもテレビシリーズ放映当時から署名サイトが開設されるなど、映画化に向けた活発な署名・要望活動が行われていた。これに対し、番組終了後に発売された『超全集』最終巻でオダギリ・髙寺から映画化の約束のコメントが載るなど、当初はスタッフ・キャストも映画化に前向きな姿勢を見せていた。",
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"text": "2001年、髙寺は大泉の東映撮影所に足を運び、坂上所長の元で『クウガ』の映画化に向けて準備をしていた。しかし成果は上がらないままで、企画が通らず出資者が集まらないらしいという噂が流れた。髙寺は、白倉伸一郎が主導する劇場版『アギト』の制作体制を懸念しており、「予算・スケジュール共に『クウガ』はしっかりした体制で作りたい」と高い要望を抱いていたが、結果を見れば慎重さよりもチャンスを逃さないことを選んだ白倉のほうが商業的成功を遂げた。資金集めは行き詰まり、2002年に髙寺が角川書店事業部長・井上伸一郎を訪ねたときも、出資依頼を切り出せずに帰ったという。そして2006年6月1日付で、髙寺により映画化に至らなかったことへの謝罪メッセージが公式サイトに掲載された。",
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"text": "劇場版『クウガ』こそ実現しなかったが、「仮面ライダークウガ」というキャラクター自体は2009年公開の『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』において、初めて映画作品へ登場している。",
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"text": "いずれの作品にも仮面ライダークウガが登場。前述の事情から、本作品単独での映画作品は存在しない。",
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] | 『仮面ライダークウガ』(かめんライダークウガ)は、2000年1月30日から2001年1月21日まで、テレビ朝日系列で毎週日曜8時から8時30分(JST)に全49話が放映された、東映制作の特撮テレビドラマ作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称。 キャッチコピーは「A New Hero. A New Legend.」(新しい英雄、新しい伝説)で、オープニング最後のタイトルで左上と右下に表示される。 | {{pp|small=yes}}
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{{otheruseslist|テレビシリーズ|作中登場するヒーロー|仮面ライダークウガ (キャラクター)|横島一の作画による漫画版|仮面ライダークウガ (漫画)}}
{{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}}
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|colspan="3" style="background-color:#90ff90; border:1px solid black; white-space:nowrap;"|'''[[仮面ライダーシリーズ|平成仮面ライダーシリーズ]]'''
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{{基礎情報 テレビ番組
| 番組名 = 仮面ライダークウガ
| ジャンル = [[特撮]][[テレビドラマ]]
| 原作 = [[石ノ森章太郎]]
| 脚本 = [[荒川稔久]] 他
| 監督 = [[石田秀範]] 他
| 出演者 = {{Plainlist|
* [[オダギリジョー]]
* [[葛山信吾]]
* [[村田和美]]
* [[千崎若菜|葵若菜]]
* [[きたろう]]
* [[七森美江]]
* [[浦井健治]]
}}
| 声の出演 = [[諏訪部順一]]
| ナレーター = [[立木文彦]]
| 音楽 = [[佐橋俊彦]]
| OPテーマ = 「仮面ライダークウガ!」<br />歌:[[田中昌之]]
| EDテーマ = 「青空になる」<br />歌:[[橋本仁 (歌手)|橋本仁]]
| 言語 = [[日本語]]
| 時代設定 = [[2000年]][[1月29日]]<br />- [[2001年]][[4月27日]]{{Sfn|空我|2001|pp=82 - 150}}
| プロデュース = {{Plainlist|
* 清水祐美([[テレビ朝日]])
* [[髙寺成紀]]
* [[鈴木武幸]](13-48)([[東映]])
}}
| 製作 = {{Plainlist|
* テレビ朝日
* 東映
* [[ADKホールディングス|ASATSU-DK]]
}}
| 放送局 = [[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]
| 音声形式 = [[ステレオ放送]]
| 放送国 = {{JPN}}
| 放送期間 = 2000年[[1月30日]]<br />- 2001年[[1月21日]]
| 放送時間 = 日曜 8:00 - 8:30
| 放送枠 = [[テレビ朝日日曜朝8時枠の連続ドラマ]]
| 放送分 = 30
| 放送回数 = 49
| 特記事項 = 「[[仮面ライダーシリーズ|平成仮面ライダーシリーズ]]」第1作
}}
『'''仮面ライダークウガ'''』(かめんライダークウガ<!--欧文表記は、日本作品の日本語記事には不要という判断により削除。ロゴに欧文表記が含まれる作品については脚注で説明。[[ノート:仮面ライダーシリーズ#欧文表記]]を参照-->)は、[[2000年]][[1月30日]]から[[2001年]][[1月21日]]まで、[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]で毎週日曜8時から8時30分([[日本標準時|JST]])に全49話が放映された、[[東映]]制作の[[特撮テレビ番組一覧|特撮テレビドラマ]]作品、および作中で主人公が変身するヒーローの名称。
[[キャッチコピー]]は「'''A New Hero. A New Legend.'''」(新しい英雄、新しい伝説)で、オープニング最後のタイトルで左上と右下に表示される。
== 概要 ==
テレビシリーズでは『[[仮面ライダーBLACK RX]]』終了から10年4ヶ月ぶり、テレビシリーズを除けば『[[仮面ライダーJ]]』から6年ぶりとなる『仮面ライダー』作品であり、同時に「平成仮面ライダーシリーズ」第1作目に当たる。「クウガ」(漢字表記では「'''空我'''」)の名は「漢字で書ける名前」という提案を受けて、[[石ノ森章太郎|石森プロ]]社長の小野寺章により[[クワガタムシ|クワガタ]]の語感から命名された{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}。
昭和仮面ライダーシリーズ(以下、昭和ライダー)から世界観が一新されているが、一方で昭和ライダーへの[[オマージュ]]も台詞や設定の随所に盛り込まれている{{efn|例えば、城南大学の本郷教授という人物のことが作中で語られるが、特徴が本郷猛([[仮面ライダー1号]])に似ているなど。}}。昭和ライダーとの大きな違いには「仮面ライダー、および敵対する怪人は改造人間」、「世界征服を企む悪の秘密結社」、「戦闘員」などの設定がなくなったこと、劇中で「仮面ライダー」という単語が用いられないことがある。特に「改造人間」に関しては、[[医療|医療技術]]の進歩によって[[移植 (医療)|臓器移植]]手術などが多く行われるようになったことが考慮され、以前のように「改造人間」という表現を用いるのには抵抗があり、東映も「改造人間による影を持った主人公にしたくない」ということで撤廃され、以降の平成ライダーシリーズにも引き継がれることとなった。
また、本作品には従来の特撮ヒーロー番組にはなかった新たな試みが随所に見られる。身近な恐怖を演出するための現実感と、特撮ヒーロー番組にありがちだった矛盾点を解消させるための整合性を重視し、「グロンギ族は独自の[[言語]]と[[文化_(代表的なトピック)|文化]]を持つ」、「クウガと[[日本の警察|警察]]が協力する」、「技名を叫ばない」などの設定が生まれた。作劇においては、従来ではスポットの当たりにくかった「回を追うごとの周囲の人々の変化」や「社会におけるヒーローと悪の存在の認知の過程」が描かれるなど、ヒーロードラマの視点だけではなく、一般ドラマの視点も重視している。このため、1話30分以内では1エピソードを満足に描き切れないということで、基本的に前後編の「2話で1エピソード」というスタイルを取っている。このスタイルは以降の作品にも引き継がれた。
商業面では変身ベルトなどの人気で好成績を記録したが、ドラマ重視の作劇によって戦闘シーンが極めて短い回が多く、10月に発売されていたクウガの最終形態アルティメットフォームが、雄介の見た幻影を除き翌年1月の最終回直前まで作中に登場しない{{efn|それ以前にもオープニング映像や放送開始前の[[クロスプログラム|ジャンクション]]には登場している。}}(出番もわずかだった)という展開となったほか、逆にスポンサーの玩具会社の担当者も知らなかった新形態(アメイジングマイティ)が登場し、急遽その商品が開発・発売されるなど、販促番組としても異例尽くめとなった。また、最終回(第49話)ではAパートとBパートの間に[[コマーシャルメッセージ|CM]]を挟まずにEDまで放送し、変身後の主役ヒーローの登場や戦闘シーンが存在せず、主人公・五代雄介の出番もわずかであった{{efn|雄介の登場シーンは、[[キューバ]]でロケが敢行された。}}。
本作品以降、[[クロスプログラム]](放送開始直前に挿入される映像)が頻繁に変更されるようになった。また、提供テロップのナレーションは出演者が交代で担当している。従来のシリーズとは異なり、ナレーションは次回予告と総集編のみに留まった。
== あらすじ ==
西暦1999年7月18日。地中深くに埋没されていたものの、地殻変動によって地表に出現した[[長野県]]中央アルプスの九郎ヶ岳遺跡で発掘された石棺を開けたことで目覚めた謎の存在は、城南大学と信濃大学が共同で発掘調査に当たっていた夏目幸吉博士らの調査隊を全滅させ、さらに200体余りの仲間を蘇らせる。この事件の捜査を担当する長野県警刑事の一条薫は、現場にて五代雄介と名乗る冒険家の青年と出会う。雄介が遺跡で発掘されたベルトを目撃した際、超古代の戦士のイメージが脳裏に浮かび上がる。
その後、長野県警を襲撃するズ・グムン・バに遭遇した雄介は、咄嗟の判断でベルトを装着して戦士クウガに変身しこれを退ける。そして、人々の笑顔を守るために蘇った怪人たちと戦うことを決意する。
以後、クウガと怪人たち=グロンギは「[[未確認生命体]]」と呼ばれ、人々に認知されていく。
== 登場人物 ==
=== 主人公と彼に関わる一般人 ===
; [[仮面ライダークウガ (キャラクター)|{{読み仮名|五代 雄介|ごだい ゆうすけ}} / 仮面ライダークウガ]]
: 本作品の主人公。[[1975年]][[3月18日]]生まれの24歳→25歳。[[ABO式血液型|血液型]]はO型。[[北海道]]生まれ。小学6年生の時に[[戦場カメラマン]]だった父親が[[アフガニスタン]]で死亡し(その際に恩師・神崎の言葉に感銘を受けて「2000年までに2,000の技を身につける」と約束)、18歳の時に女手一つで自分と妹を育てた母親も病死している。
: 世界各国を旅する[[冒険家]]で、笑顔と[[サムズアップ]]がトレードマーク。「大丈夫!」が口癖。「みんなを笑顔に」がモットー。一見すると飄々とした能天気な性格で、変わり者のところもあるが、実際は相手に心配をかけないよう、弱さを見せない強い意志と深い優しさをうちに秘めており、周りの人の笑顔を守るためにどんなときも明るく振る舞っている。子供好きであり、わかば保育園の園児たちから好かれており、子供たちの悩み事にもさりげなくアドバイスをしたりもする。
: 九郎ヶ岳遺跡の調査隊が行方不明になった事件の現場で一条と出会い、そこで回収されたアークルを目撃したことで超古代戦士のイメージを垣間見る。その後、桜子と共に訪れた長野県警にて、襲撃してきたズ・グムン・バから人々を守るため、咄嗟にアークルを装着したことでクウガとなった。当初は暴力を嫌う元来の平和主義的な性格から、相手がグロンギでも殴るという行為に躊躇いがあり、戦うことに踏ん切りが付かずにいたが、その後一条からの「中途半端に関わるな」との叱責や、父を喪い涙する実加の姿を目撃したのを経て、人々の笑顔を守るために戦うことを決意する。
: 初対面の人間には「夢を追う男 ○○○○{{efn|その時点で持っている技の数。}}の技を持つ男」と書かれた自作の名刺を手渡す。1番目の技は笑顔で、クウガへの変身が2,000番目の技になった。クウガを示すリント文字が気に入ったのか、自分のTシャツやバイクなどに戦士マークをプリントしたり、戦士マークを入れたベルトのバックルを自作した。
:
; {{Anchors|沢渡 桜子}}{{読み仮名|沢渡 桜子|さわたり さくらこ}}
: [[1976年]][[10月30日]]生まれの23歳→24歳。血液型はB型。[[群馬県]]出身。徹夜が趣味。[[コーヒー]]はブラック派。
: 城南大学の[[大学院]]生([[修士]]課程)。考古学研究室で古代文字の解読をしており、第0号に襲われた夏目博士の合同研究のメンバーだったことから古代[[リント文字]]の解読に当たるが、このために自身の修士論文である『[[古代アッシリア]]文字に関する発生論的考察』が進まず、悩みの種となっている。雄介とは大学時代からの性別を超えた親友で、クウガとして戦う彼をバックアップするが、内心ではかなり心配している。長野県警でアークルが雄介の体内に入る瞬間を目の前で目撃した唯一の人物。自身も未確認生命体絡みの事件では危険な目に遭ったことが何度かあり、ズ・グムン・バやメ・ガリマ・バに危うく襲われかけたこともある。
: ポレポレにもよく出入りしており、未確認生命体事件で出掛ける雄介の代わりや、研究の息抜きに店を手伝うこともある。
:
; {{Anchors|五代 みのり}}{{読み仮名|五代 みのり|ごだい みのり}}
: [[1977年]][[9月4日]]生まれの22歳→23歳。雄介の妹であり、血液型は雄介と同じO型。
: 自分を裏切らなかった雄介に絶対の信頼を寄せており{{efn|雄介がメ・ギノガ・デとの戦いで心肺停止に陥った時も動揺していなかった。}}、おっとりとした雰囲気ではあるが、芯は強い。桜子が徹夜続きの際「私には出来ないな」と言った折、「お前は起きてても眠そう」と雄介に茶化される。
: 多くの園児たちから慕われるわかば保育園の[[保育士|保母]]だが、時間が空いた時や休日にはポレポレを手伝うこともある。桜子とも仲が良い。保育園近くの都内のアパートで一人暮らし。
:
; おやっさん
: [[1955年]][[6月9日]]生まれの44歳→45歳。A型。喫茶店ポレポレのマスター。本名は'''{{読み仮名|飾 玉三郎|かざり たまさぶろう}}'''であることが最終話で明かされた。
: 雄介の父とは古くからの友人にして彼の後輩であり、彼の死後に五代兄妹を引き取り育てた。若いころは雄介と同様に冒険家だったらしく、数々の冒険を客に語ることも多く[[チョモランマ|'''チョモラマン'''<!-- 記述ミスじゃないです。 -->]]も制覇した経験があるらしい。みのりのことを「みのりっち」、一条のことを「コート着たハンサムさん」、実加のことを「実加ロン」と呼ぶ。毎度くだらない駄洒落を言って奈々に呆れられている。また、自分の世代の昭和の有名人の名前をたびたび呟いていたが、[[ジェネレーションギャップ]]からみのりらには通じていない。
: 当初は未確認生命体にかなり興味を持っており、テレビにかじりついてニュースに見いるほどで店を疎かにすることも。特にクウガ(第4号)に関する記事を日課で熱心に[[スクラップブック|スクラップ]]しており、本人によるとスクラップを楽しみにしている客もいる模様。雄介自身は特に正体を隠しておらず、自らクウガだと名乗ったりもしたが、クウガ=第4号ときちんと雄介も説明しなかったため、最後の最後まで気付いていなかった。
:
; {{読み仮名|朝日奈 奈々|あさひな なな}}{{efn|name="asahina"|オープニングクレジットやDVDパッケージ、その他の資料{{Refnest|group="出典"|{{R|TVMAGA68|空我159|宇宙船YB47}}{{Sfn|OPF 7|2014}}}}では朝'''日'''奈と表記しているが、テレビ朝日公式サイトや書籍{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集上42|超全集下62|超全集最終50b|空我61|宇宙船YB4|超辞典あ|C大全15|平成14}}{{Sfn|OPF 183|2018}}}}では朝'''比'''奈 奈々と表記されている。}}
: 17歳。[[京都府]]出身で[[近畿方言|関西弁]]で喋る。玉三郎の姪(母親が玉三郎の姉)。
: 女優を目指して上京し、芝居の勉強の傍らポレポレを雄介と交代してアルバイトの形で手伝っている。ポレポレに到着した際、入口で出会った雄介に「めっちゃ格好いいやん!」と一目惚れし、以降「五代雄介ファンクラブ会員第1号」を自称する。雄介と仲の良い桜子にはじめはかなり嫉妬していたようだが、店を一人で手伝っていた彼女を見てからは少し見る目が変わり、同じ努力家として尊敬もするようになったが、あくまでも「五代雄介ファングラブ会員No.2番で」と念押しして若干ライバル視している。
: 芝居の先生をメ・ガルメ・レに殺されてしまったことでしばらく店を休んだりもしたが、EPISODE40、41にてオーディションを受験する。しかし、一緒に受けたオーディションメンバーの前述の先生の死に関する心無い言葉に傷付き、そのオーディションを最後まで受けることが出来なかった上、その子に対して殺意まで覚えてしまい、奈々には言えないが、暴力での解決を嫌いながらも、戦っている雄介の「暴力では物事は解決しない」という助言にも「奇麗事でしかない」と怒りを抑えきれず、否定的だったが、「本当は奇麗事が良いからこそ、現実にしたい」という言葉を受け、そのオーディションメンバーと再び対峙するが、暴力を用いず話を付けた模様。
: 最終回にて、作中のドラマ『おにぎりの味2』のオーディションに合格した。
: 玉三郎同様、終盤まで雄介がクウガであることを知らなかった。
:
; ジャン・ミッシェル・ソレル
: 27歳。[[ルーマニア]]出身。城南大学に留学している大学院生。桜子と同じく考古学研究室に籍を置き、発掘調査を専門に行う考古学者。日本語が堪能であり、読み書きも不自由なくできる。また、日本通にして大の和食党でもあり、中でも日本に来て出会った福梅の[[梅干し]]が大好物{{efn|演じるセルジュ・ヴァシロフも梅干しは好物だが、福梅のものは知らなかったという。}}で、本人曰く「それがないとご飯が食べられない」という必需品。長野に調査に向かった際には研究室の冷蔵庫に忘れてしまって、わざわざ送ってもらったこともある。
: 責任感が非常に強く、状況を知らなかったとは言え、好奇心から場の空気を読まずにいろいろと口走ってしまい、実加を傷付けてしまったことがあり、知らなかったこととは言え責任を感じていた。
: その後、ゴウラムの共同研究に携わっているうちに榎田に好意を抱くようになるが、子供のころは両親が共働きでほとんど家にいない俗に言う[[カギっ子]]だったため、仕事を理由に不本意ながら家庭を放りっぱなしにせざるを得ない榎田に対して、当初は複雑な感情を抱いていたが、後にEPISODE46で悩む彼女の心情を知り、真摯に応援するようになる。
:
; {{読み仮名|夏目 実加|なつめ みか}}
: 14歳。長野県九郎ヶ岳遺跡でダグバに殺された夏目幸吉博士の娘。[[フルート]]が得意で、劇中では千葉のフルート演奏コンクールにも参加している。
: 当初は誰にも父の死の原因を調べてもらえないことに絶望し、自殺を仄めかすまでに追い詰められていたが、雄介の励ましで立ち直った。バチス戦で雄介が変身する瞬間を目撃。父の死を明らかにするため、ジャンの発掘チームに自ら志願して参加し、多数のゴウラムの破片を発掘した。グロンギ撲滅後、志望校に進学する。
:
; {{読み仮名|神崎 昭二|かんざき あきじ}}
: 52歳。雄介やみのりの小学校{{efn|[[神奈川県]][[山北町]]にあった山北町立立花小学校、2000年の時点では既に廃校。}}時代の恩師。現在は[[栃木県]][[宇都宮市]]の風早小学校に勤務。雄介の人生観に大きな影響を与えた人物で、父親の訃報に接した雄介にサムズアップと誰かの笑顔のために頑張れることの素晴らしさを教えたのも彼である。
: しかし、2000年現在の教育事情に困惑しており、上からは子供たちにゆとりを与えろ、親からは成績を上げろと言われ、当の子供たちは未来に期待はないと言われ、自分は子供たちに何を与えればいいのか、何のために教師になったのかを見失っていた。辞職も考えたが、家の片付けをしていた時に偶然見つけた卒業生からのサイン帳から雄介との約束の日(2000年3月25日)を思い出し、閉校した立花小学校の跡地で雄介と再会し、自身が雄介に教えたサムズアップを雄介がしたことで自信を取り戻す。
: その後、EPISODE25、26で風早小学校にて自身が受け持つクラスの生徒である'''{{読み仮名|霧島 拓|きりしま ひらく|}}'''が東京へ家出した際には、教え子であった雄介に連絡をして霧島のことを頼み込み、雄介が連れてくるまでポレポレで待機し、そこで桜子やみのりと共に悩むことの大切さについて語り合った。そして駅にて雄介に連れられて来た霧島のサムズアップに同じサムズアップで応えた。
:* 名前は『[[仮面ライダー]]』から『[[仮面ライダーストロンガー]]』まで[[立花藤兵衛]]を演じた[[小林昭二]]に由来し{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=83}}、立花小学校の名も立花藤兵衛から取られている{{Sfn|超全集 上巻|2000|pp=62-63|loc=高寺成紀東映プロデューサーに聞く!!}}。
:
; {{読み仮名|蝶野 潤一|ちょうの じゅんいち}}
: 22歳。フリーターで様々な職場を転々としている。当初はそんな自分の人生と病気で自暴自棄になり、その経緯もあってグロンギを敬愛し、自身も彼らを真似てタトゥーをしていた。しかし、メ・ビラン・ギに惨殺された遺体を椿に見せられ、さらにビランに襲われたことで考えを改める。ビランに襲われた際にクウガの正体を知ることとなった。
: その後、EPISODE29、30にて新しい自分の道を切り開こうと、緑茶飲料CMの公募用イラストに応募するために1枚の絵を描いて広告会社に届けようとしたが、ゴ・ガメゴ・レのゲゲルの影響で交通渋滞が発生し、会社まで回り道をさせられ、さらに急いでいたこともあって道端でガメゴとぶつかり気絶。病院に担ぎ込まれて締切になってしまった。それが原因で再び自暴自棄となり、クウガとして活躍する雄介に対する嫉妬と上手くいかない自分の人生および社会に対する不満を椿に吐露し、怒った彼に一喝される。
: 最終話ではついに過去の自分と決別し、その決意の表れとして椿の元に、手紙とともにそれまで所持し続けていたナイフを送る。
:* EPISODE31以降に再登場する予定だったが、演じる内田のスケジュールの都合から実現しなかった{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=92}}。
:
; 先代のクウガ
: 地表に出現した九郎ヶ岳遺跡の棺の中に横たえられていた、鉢金のような[[鉢巻|鉢巻き]]がトレードマークの超古代の地球に存在した超古代民族リントの戦士。雄介以前にクウガに変身し、グロンギと戦った人物とされる。リントのとある科学者たちの結集した英知によって、霊石アマダムを体内に宿し、その肉体をグロンギに限りなく近づけるように開発されたアークルを身に付けた。
: 超古代でダグバを含む全てのグロンギを打ち負かし、その支配者を封印した後、その封印の力を永遠のものとするために自ら人柱となって生きたまま棺の中に横たえて長い眠りについた。だが、眠っていた石棺{{efn|石棺の表面には「棺には触ってはいけない!」「死の警告」というリント文字による警告文が刻まれていた{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=28}}{{Sfn|ひみつ超百科|2000|p=8}}。}}を開けられるまで(正確には復活したダグバにアークルを引き剥がされるまで)生きていたことが明らかとなる{{efn|EPISODE1で石棺を開けられた際、わずかに指を痙攣させているのが確認できる。桜子は「万が一グロンギが復活してしまった時にもう一度自分が戦うため」だと推測している。}}。
: 戦士としての実力は卓越したものがあり、基本4フォームにてすべてのグロンギを封印していたと推察される。
:* 現代では石化した状態でしか登場していないが、雄介がEPISODE1で見た超古代のイメージではクウガのスーツアクターである[[富永研司]]が生前の姿を演じている。
:* 書籍によっては、名称を戦士クウガ{{Sfn|超辞典|2011|p=452}}、超古代戦士クウガ{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=10}}と記載している。
:* 小説『[[S.I.C.]] HERO SAGA』「MASKED RIDER KUUGA EDITION -オデッセイ-」「MASKED RIDER KUUGA EDITION -DARK SIDE-」では'''リク'''という青年が古代のクウガとして登場する。
=== 警視庁・未確認生命体関連事件合同捜査本部とその他の協力者 ===
; {{Anchors|一条 薫}}{{読み仮名|一条 薫|いちじょう かおる}}
: [[1974年]][[4月18日]]生まれの25歳→26歳。血液型はAB型。[[名古屋市]]出身。[[長野県警察|長野県警]][[警備部|警備課]]に所属する刑事で、階級は[[警部補]]。10歳の時に自分の誕生日に増水した川から市民を救出中に殉職した警察官だった尊敬する父親の跡を継いで刑事になった。そのため、誕生日プレゼントは誰からも受け取らないことにしている。母親の民子は名古屋西市民病院で看護婦長を務めており、母とは[[名古屋弁]]で会話する。
: 雄介同様に責任感が非常に強く、グロンギとの戦いで何度も大怪我をしながらもそれを押して現場へと赴く。
: 滅多に笑うことはなく、たまに笑みをこぼすと周りから驚かれる。
: [[長野県]]九郎ヶ岳の遺跡発掘現場で起きた事件を追ううちにグロンギと遭遇し、[[警察庁広域重要指定事件|広域指定]]された同種の事件を集中的に扱う未確認生命体関連事件合同捜査本部([[警視庁]]に設置)に派遣される。警視庁本庁に異動後、以前と表情が変わったらしく周囲からは彼女ができたと勘違いされており、特に杉田からはよくからかわれるネタにされているが、職業柄、彼女を作らないことを信条にしている{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=42}}。
: 射撃の名手でもあり、特殊強化ライフルや[[コルト・パイソン]]357マグナム6インチモデルなどを使いこなす。
: 雄介のことは「五代雄介」とフルネーム、もしくは名字で呼ぶ。
: 性格は雄介とは対照的で堅く真面目だが、雄介と同様人前で弱音を吐かず、自分が辛い思いをしていることを周囲に悟られないように振る舞っている。父親が良く家族に言っていた「中途半端なことはするな」という言葉から、民間人である雄介を戦いに巻き込むまいと必死に辞めさせようとしていたが、雄介もまた自分と同様に責任感が強い男とわかり、止められないことに気付くと、共に戦うことを決意{{efn|それでも雄介を戦いに巻き込んだことに対しては快く思っておらず、椿に対して「あいつが俺と別れられる日が早くくれば良いと思っている」と漏らした他、0号との最終決戦の前に「こんな寄り道はさせたくなかった。君には冒険をしていてほしかった」と言っている。}}。独断でトライチェイサー2000を譲渡した。以降、現場検証で出た証拠品や情報を雄介に伝えるなどクウガのサポートを行い、ゴウラムの出現の際は松倉本部長を説得するなど警察内でのクウガに関する全責任を委ねられている{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=42}}。
: グロンギ殲滅後は長野県警に戻った。
:
; {{Anchors|松倉 貞雄}}{{読み仮名|松倉 貞雄|まつくら さだお}}
: 57歳。[[警視庁]][[警視庁警備部|警備部]]長で、未確認生命体関連事件合同捜査本部の設置に伴い本部長を兼ねる。当初は未確認生命体第4号(クウガ)との共闘に慎重だったが、クウガのその後の行動を見極め、また一条の説得もありクウガの存在に深い理解を示し、彼にクウガに関する全てを委ねるようになり、雄介に危険が出来るだけ降りかからないように尽力するように一条に要請した。一条や杉田のために高性能ライフルや6インチのコルト・パイソンを支給し、EPISODE33ではクウガとの協力姿勢を取る合同捜査本部に圧力を掛けてきた上層部の説得に当たった。
: 合同捜査本部解散の際には、一条たちに労いの言葉と共にサムズアップを送った。
:
; {{Anchors|杉田 守道}}{{読み仮名|杉田 守道|すぎた もりみち}}
: 37歳。警視庁[[刑事部|捜査一課]]の刑事。強面だが、一児(娘:葉月)の父。当初は本部からの命令のままにクウガを射殺しようとしたが、ズ・メビオ・ダに殺されそうになったところを助けられ{{efn|この時、クウガに「大丈夫ですか?刑事さん」と思いもよらない安否を聞かれ、開いた口が塞がらなかった。}}、以後仲間と認める。その後、未確認生命体関連事件合同捜査本部に転属。一条と行動する場面が多い。中盤にて一条からクウガの正体が雄介であると知らされ、これを機に彼と接触。EPISODE33で雄介の思いも何も判っていなかったと謝罪したが、雄介に「思いは皆さんと一緒」と返答される。また、同話で初めて雄介の変身を目の当たりにし、感嘆の声をあげる。
:* 激しい戦いを象徴するため、彼が物語途中で殉職するという案もあったが、番組のテーマにそぐわないということで没になった。結局、人間側の主要人物は誰も死ななかった。
:
; {{読み仮名|桜井 剛|さくらい つよし}}
: 26歳。警視庁捜査一課の刑事。未確認生命体関連事件合同捜査本部の一員。数回[[特殊急襲部隊|SAT]]狙撃班の指揮をしていた。真面目で几帳面な性格で、クウガが何色(フォーム)で未確認生命体を倒しているかを色付きシールで手帳に記録している。最初は杉田と同じくクウガを敵だと思っており、EPISODE4ではクウガを撃って一条と揉み合いになるが、杉田から止められた。その後はクウガの戦いぶりを見て味方だと認める。一度、クウガの正体を一条に尋ねるも流されているが、バダー戦を切っ掛けにクウガの正体を知り、以降は雄介に信頼を寄せ、より全面的に協力する。
: パンが大好物で朝から大皿山盛りの[[ロールパン]]を平気で食べるほど{{efn|演じた米山曰く、巷では'''ロールパン刑事(デカ)'''と呼ばれていたらしい{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=54}}。}}。
:* 笹山と恋人関係になる展開も考えられていた{{Sfn|超全集 最終巻|2001|p=54}}。小説版では結婚している。
:* 杉田と桜井は元々レギュラーとしては設定されておらず、EPISODE3・4のゲストの予定であった{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}{{Sfn|超全集 最終巻|2001|p=54}}。
:
; {{Anchors|笹山 望見}}{{読み仮名|笹山 望見|ささやま のぞみ}}
: 21歳。未確認生命体関連事件合同捜査本部の婦人警官。本部{{efn|セットは『[[はみだし刑事情熱系]]』のものを借りていたという{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=55}}。}}から通信(未確認生命体の行動や爆破ポイントの指示など)などのオペレーターを担当する。父は警察官だったが、病死している。
: 初期は一条に熱を上げていたミーハーな感じが否めず、一条に好意を持つあまり、訪ねてきたみのりのことを一条の恋人だと勘違いしてへそを曲げたことがある。
: しかし、一条への誕生日プレゼントを拒否されて一条の過去を知り、激化するグロンギとの戦いやクウガの正体も知ったことで次第にまじめな性格になっていく。クウガの正体を知らされたころから未確認生命体の爆発による被害を抑えるために追い込みポイントの選定を任されている。
:
; {{Anchors|椿 秀一}}{{読み仮名|椿 秀一|つばき しゅういち}}
: 26歳。元監察医務院の嘱託で、関東医大病院に勤める死体解剖専門の法医学士で、一条の高校時代の同級生。
: 雄介の身体検査やクウガの能力開発にも協力し、「世界でたった一人の[[かかりつけ医|かかりつけ]]」を自認する。当初は雄介の身体を「解剖してじっくり調べてみたい」と言うなど[[マッドサイエンティスト]]のような発言もあるが、雄介がグロンギと同じ存在になってしまう可能性について当初から懸念を抱き、警告を繰り返している。また、グロンギに殺害された被害者の死体解剖も行ううちに、医師としての立場から理不尽な形で人間の命を奪う彼らに激しい憎悪と嫌悪感を示す。
: '''{{読み仮名|稲森 麗子|いなもり れいこ}}'''という女性と交際していたが、約束がある時に限って一条からの依頼が来るために疎遠になってしまい、遂にはフラれてしまった。以降は桜子にも想いを寄せ、香りが濁るため紅茶には砂糖を入れないストレート派などと言って話を合わせたりしている。
:
; {{Anchors|榎田 ひかり}}{{読み仮名|榎田 ひかり|えのきだ ひかり}}
: 34歳。千葉・[[科学警察研究所]]法医第一研究室の主任。城南大学理工学部出身。ゴウラムの研究を行う際、旧知の仲である一条から雄介がクウガであることを知らされた。
: 未確認生命体の研究および対未確認生命体用装備の開発を行う。未確認生命体に対抗するため特殊ガス弾やマーキング弾などさまざまな装備を開発し、終盤では未確認生命体をも殺害する威力を持った神経断裂弾を完成させた。
: 元々仕事には熱心だったため、旦那に逃げられた過去があり、現在は母の{{読み仮名|篤子|あつこ}}(65歳)と息子の{{読み仮名|冴|さゆる}}(6歳)との3人暮らし。未確認生命体事件により息子との約束を破ることになってしまったり、授業参観に行けないなど、母親と仕事の責任との板挟みになっている。
== グロンギ(未確認生命体) ==
{{Anchors|グロンギ}}本作品における敵。人間とは生物学上、同一の存在であり、極めて近い身体・血液成分を持つ、'''人類に極めて近い超古代の好戦的な先住人類'''(のちにその1体は人間と自分たちは等しいと述べている)。残忍かつ闘争心旺盛であり、超古代に戦士クウガによって封印されていた。九郎ヶ岳遺跡発掘に伴い、遺跡の東南にある滝付近の森にあった集団の墓のような場所から推定でも最低200体が現代に復活{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=44}}。警察や世間からは「未確認生命体」と呼ばれている。
普段の外見は人間と変わりないが、その肉体に動植物や昆虫の能力を宿しており、体のどこかに怪人体のもととなる動植物や昆虫の[[入れ墨|タトゥー]]がある。腹部にアマダムと同質の物体'''魔石・ゲブロン'''{{R|BOX}}が埋め込まれており、人間を遥かに上回る運動能力と、拳銃の弾丸をも受け付けず強い衝撃にも耐える強靭な体を持ち{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=45}}、全員が動植物や昆虫の力を持った怪人体に変身する。'''クウガとグロンギは基本的に同じ力を有している'''。ゴ集団やズ・ゴオマ・グのように、より強力になるほど体が黒く変化していく。クウガの技で死亡する場合、ほとんどは体に打ち込まれた封印エネルギーが腹部の核に伝達することで「封印」のリント文字が体に浮かび上がり爆発する{{efn|そのため、クウガの必殺技を受けた身体の箇所を強引に引き千切って逃走した怪人もいる。}}。
ン・ダグバ・ゼバを頂点とし、ゴ集団・メ集団・ズ集団の階級が存在し、階級ごとに怪人体時に装着しているベルト・'''ゲドルード'''{{R|BOX}}のバックルやプロテクターなど、装飾品の色や種類が異なる。リント(現代人をリントの末裔と見なしている)を標的とする殺人ゲーム・'''ゲゲル'''を、進行役のラ集団のもとで行う。登場時期が後になるほど強さが増していき、ゴ集団の終盤の3体はクウガのフォームチェンジに当たる超変化が可能。強さはゲブロンの強さに比例し、爆発した際の被害も甚大になる。特にライジングマイティキックで倒すと、その衝撃は半径3キロメートルに及ぶ(ゴ・ガメゴ・レやゴ・バダー・バなど)。
他に、ダグバのゲドルードの修復など裏方仕事を担当していたヌ・ザジオ・レ(登場したのは人間体のみ)や、ゴ・ジャーザ・ギの台詞で存在が示唆されただけのベ集団もいた。
独自の言語「グロンギ語」{{efn|日本語を[[換字式暗号]]によって置き換えたもので表現されている。}}を話し、[[位取り記数法]]として九進法を用いる。個体差はあるが[[日本語]]や自動車・バイクの運転、インターネットなどを短期間でマスターするほど知能は高い。ゴ集団の中には人類の[[文化_(代表的なトピック)|文化]]・[[芸術]]に興味を示して熟達する者もいた。人類はあくまでもゲゲルの標的=リントであり、クウガすらゲゲルの難度を上げる障害物かやや強い標的としか見ていない。人間社会との文化の違いのためか、服装のセンスも一部の者を除いて通常の人類とは大きくかけ離れたものとなっている場合が多い。
[[倉庫]]・[[廃墟]]・[[植物園]]・[[水族館]]・[[飲食店]]など営業していない複数の施設をアジトとして使い、彼らの文化に合わせたかのようにマネキンや鎖などで個性的な装飾を施すか、最初から神秘的な内装をされている店内などを好んで使っている。
九郎ヶ岳遺跡のある長野県を皮切りに[[山形県]]から[[岐阜県]]まで広い範囲で行われたが、主に人口の多い[[東京都]]を中心とする[[関東地方]]周辺に集中していた。グロンギが関係すると思われる殺人・窃盗などの事件は「未確認生命体関連事件」として[[警察庁広域重要指定事件|広域指定事件]]とされ、警視庁に置かれた合同捜査本部によって捜査される。
グロンギは毎回1体ずつ登場するということがなく、ストーリーの節目となる回ごとに数名がバルバのもとに人間体で現れ、自分がゲゲルを行う順番を待っていた。初登場から怪人体になるまで数週かかった者も多い。怪人体が出現した順に「未確認生命体第○号」と呼称されるが、前述した事情に加えて設定のみでテレビシリーズ未登場のグロンギも多いため、必ずしもテレビシリーズでの登場順とは一致しない。なお、人間体しか目撃されていていなくても未確認生命体と判断される場合は、「未確認生命体B群」として分類される。
* 詳しい出自などはテレビシリーズでは最後まで描かれていないが、小説『S.I.C. HERO SAGA MASKED RIDER KUUGA EDITION』では地球に落下した隕石により、[[DNA]]の[[塩基配列]]が変化した狩猟民族として位置付けられている。書籍『平成仮面ライダー怪人伝』では始祖的なグロンギが突然変異によって発生し、その始祖の攻撃対象がグロンギ化して行くことによって、同族を増やしていったと目されている{{Sfn|怪人伝|2011|p=12}}。
* 野蛮のため対話不可能だが、自分たちの文化を持っているものを表現するアイテムとして褌を付けている{{R|完全超悪130}}{{efn|グムンやゴオマには同様の理由で体毛が付けられていたが、後のグロンギ怪人には継承されておらず、阿部は造形技術的にバランスよく毛の表現が落とし込めなかったことが理由の一つと推測している{{R|完全超悪130}}。}}{{efn|褌のほかに手足の布は、スーツのシワが寄りやすい部分を隠す意味もあったという{{R|完全超悪130}}。}}。ベルトのバックルのテイストに寄せていく感じで古代文明テイストの装飾品のディテールを展開している{{R|完全超悪4}}。タトゥーはギャングのおどろおどろしい刺青やサモアのトライバル模様を参考にしている{{R|完全超悪130}}。
名称の冒頭1文字は階級、末尾の語は、もとの生物の種別を表している{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=103}}{{R|完全超悪4}}。
* バ:[[昆虫]]やクモ類などの[[節足動物]]
** ゼバ:特別な“バ”(「特別な」または「神聖な」虫)
* ダ:陸生の[[哺乳類]]
* ギ:[[魚類]]などの水棲生物
* レ:[[爬虫類]]、[[両生類]]
* グ:[[鳥類]]などの有翼生物(飛行生物)
* デ:[[植物]]、[[菌類]]
=== ン ===
最強のグロンギに与えられるグロンギの最高位の階級で、「究極の闇をもたらす者」と呼ばれている。グロンギの中でも桁違いの戦闘力を持つ存在であり、身体能力は無論、特殊能力も他のグロンギと大きく差がある。頂点ゆえに、テレビシリーズに登場したのはダグバのみ。バックルの色は黄金であるほか、他の階級のグロンギよりも派手な形状となっている。
:{{キャラスペック
|名称=ン・ダグバ・ゼバ
|別名=究極の闇をもたらす者<br />未確認生命体第0号(B群13号)
|身長=不明
|体重=不明
}}
; {{Anchors|ン・ダグバ・ゼバ}}ン・ダグバ・ゼバ
: 未確認生命体第0号(B群13号){{efn|ダグバの種別について、書籍『平成仮面ライダー怪人伝』では「クワガタムシ種怪人」と記載しているが{{Sfn|怪人伝|2011|p=30|loc=「「グロンギ」全リスト」}}、放送当時の資料を中心にダグバのみ「○○種怪人」の記載がない、または「究極の闇をもたらす者」を名前に併記しているものが多く{{Refnest|group="出典"|{{Sfn|宇宙船YB|2001|p=45}}{{Sfn|超全集 最終巻|2001|pp=38-39、78-79}}{{Sfn|空我|2001|pp=80、149}}{{Sfn|超辞典|2011|p=815}}{{Sfn|キャラクター大全|2012|p=17}}}}、『週刊 仮面ライダー オフィシャルデータファイル』でも形態は「不明」とされている<ref>『週刊 仮面ライダー オフィシャルデータファイル』125号、2010年8月24日、SERIES 10 FILE 28 SHEET 01.</ref>。「ダグバ」という名称はクワガタムシの英語名 (stag beetle) に由来する<ref>[https://web.archive.org/web/20090204111510/http://tvarc.toei.co.jp/tv/user/program/browse3.asp?Command=Old&StrNum=48&SID=127 仮面ライダークウガ 第48話](2009年2月4日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。}}。「白き闇」、「究極の闇(キュグキョブンジャリ)をもたらす者」と称される、グロンギの頂点にして王。人間体は額に白いタトゥーを持ち、笑みを常に浮かべる{{efn|しかし、バルバが一条の銃撃で海に没した時には、ゲブロンを介して彼女の状態を感知したのか、一瞬ではあるが唯一笑顔が消え、真顔になっている。}}上下白い服の青年。能力を発動させる際には常に天変地異が起こる。
: 九郎ヶ岳遺跡にある石棺の蓋を開けられたことで封印が解けて復活を果たし、調査団のメンバーを全員殺害する。そして、手から放つ稲妻状の波動で地中深くに封印されていた全てのグロンギを復活させると、一時的に姿を消す。
: 当初は黒い毛髪に頭部が隠れた生物的な異形の姿をしたクウガのグローイングフォームに相当する不完全体(中間体){{efn|作中ではシルエットだけで全体像を見せなかった。}}であるが、手から放つ波動で封印されていた全てのグロンギを復活させる、彼の気配を察知したクウガにその気配による殺気のみで圧倒し、体力を消耗させて変身を解除させる、クウガの攻撃を寄せ付けなかったゴオマ究極体すら不完全体のままで殺害するなどの強大な力を示している。
: ジャラジのゲゲルの時に活動を再開し、ゲゲルの参加資格を失ったズ集団とベ集団のグロンギに「整理」という名の殺戮を始める。そのペースはEPISODE40時点にて3週間で茨城県、山形県、新潟県、愛知県、福島県、長野県に潜伏していた162体を虐殺したと述べられ、9ヵ月で43体倒したクウガと桁違いの力を見せつける。
: そして、ガドルの死後にザジオによって修復されたゲドルード(ベルト)を身につけ、クウガのアルティメットフォームと酷似した姿と同等の力を持つ完全な姿=最終形態として復活を果たすと、「究極の闇」の開始として不規則に全国各地へ出現し、無差別に人々を体内から発火させ、3万人以上を焼殺する<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tv-asahi.co.jp/kuuga/story/story47.html|title=【EPISODE 47】 「決意」|publisher=仮面ライダークウガ 東映公式サイト|accessdate=2016-02-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20010414032121/http://www.tv-asahi.co.jp/kuuga/story/story47.html|archivedate=2001年4月14日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。その姿は不完全体と異なり、アルティメットフォームのクウガと対を為すように白と金が基調になっている{{efn|書籍『テレビマガジン特別編集 仮面ライダークウガ』では、「アルティメットフォーム・ホワイトヴァージョン」と形容している{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=71}}。}}。クウガと同じ4本の角と、超自然発火能力<ref name="超自然発火能力2">{{Cite web|和書|url=http://www.tv-asahi.co.jp/kuuga/dimension/gurongi/gurongi.html|title=ン・ダグバ・ゼバ|publisher=仮面ライダークウガ 東映公式サイト|accessdate=2016-02-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20040204015639/http://www.tv-asahi.co.jp/kuuga/dimension/gurongi/gurongi.html|archivedate=2004年2月4日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>などの様々な超能力を持つ{{efn|当初は超自然発火能力ではなく、歩くだけで人間が死んでいくという描写の案もあったが、画として見た時に地味という判断から変更となった{{R|超全集最終荒川}}。}}。その力でアメイジングマイティのクウガを圧倒し、アークルに大きな傷を加える。最後は九郎ヶ岳名入曽沢でアルティメットフォームとなったクウガとの決戦に臨むも、超自然発火能力の超能力戦では決着がつかないと判断し、互いに特殊能力を封じ合ったままでのパンチを主とした肉弾戦となる{{efn|書籍『テレビマガジン特別編集 仮面ライダークウガ』では、中間体を経ずに人間体に戻っていることから、グローイングフォームにならなかった雄介ともども一気に力を使い果たしたと推測している{{R|TVMAGA102}}。}}。互いにカウンターパンチによってベルトが破壊され変身が解けてもなお、自身は笑顔を浮かべながら戦うも、互いの顔に打ち込まれた拳打で雄介共々倒れ、アルティメットパンチによってゲドルードを破壊されたことによる腹部神経断裂を起こしていたため、死亡する。
:* ダグバは五代雄介と同じく笑顔を見せているが、EPISODE48の対決でも最後まで笑っているなど、雄介の笑顔とは意味合いの異なるものであることが表現されている{{R|超全集浦井}}。ダグバを演じた[[浦井健治]]はダグバのキャラクター性を「無邪気」と解釈し、演じる際は何も考えず、最後には自身がダグバに乗っ取られたような感覚であったという{{R|超全集浦井}}。
:* 人間体の衣裳は、監督の[[石田秀範]]からの提案により「無」のイメージとして白い衣裳が選ばれた{{R|超全集浦井}}。第48話では雪山用のウエットスーツを着用し、その下に[[懐炉|カイロ]]を30枚ほど貼り付けていた{{R|超全集浦井}}。
:* 究極体のデザインは[[阿部卓也]]、中間体は青木哲也が担当した{{R|超全集阿部|完全超悪4}}。モチーフはクワガタ{{Sfn|語れ!平成|2013|p=19}}。デザインコンセプトは「アルティメットフォームとは真逆の高潔な感じのする白いグロンギの王様」{{R|完全超悪130}}。これ以上ない高いランクの存在のため、多くの装飾品を身に付けている{{R|完全超悪130}}。中間体で髪の毛が生えていたため、関節から人間と昆虫の体毛を合わせたようなものが生えている{{R|完全超悪130}}。当初は仮面ライダーのような目だったが、髙寺の調節によってグロンギらしい顔つきとなった{{R|完全超悪130}}。中間体は青木は『[[マグマ大使]]』のゴアのようなイメージであったとしている{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 小説『S.I.C. HERO SAGA』「MASKED RIDER KUUGA EDITION -オデッセイ-」「MASKED RIDER KUUGA EDITION -DARK SIDE-」
::: 不完全体として登場。不完全体の姿はテレビシリーズでは完全に描かれておらず、同作品にてその全容が明らかになった。また古代の戦いでは最後まで真の姿である究極体に変身しなかったという。
=== ラ集団 ===
; {{Anchors|ラ・バルバ・デ}}ラ・バルバ・デ / バラのタトゥの女
: 未確認生命体B群1号亜種A、[[バラ]]種怪人。ゲゲルの管理者としての役割を担う女性{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=18}}。ゴ集団さえ従わせるなど、他のグロンギとは一線を画する。ヌ・ザジオ・レと同様、全編通して怪人体へ変身することはなかった。
: 右手中指に嵌めた鉤爪型の指輪「ゲゲルリング」{{R|BOX}}の鉤を怪人のベルトのバックルに押し当て、ゲゲル開始の許可を与えるとともに、ゲゲルの期限を過ぎると爆発する時限式の起爆エネルギーを注入する。ゲリザギバス・ゲゲルの際には角状の突起が2本となった形状の異なるゲゲルリングを使用していた。劇中では腕だけを伸縮する植物状に変えていた。また、腕から人間の身体を麻痺させるバラの花びらを放出することができる。
: グロンギの中でもとりわけ学習能力と環境適応力は高く、劇中でダグバを含むグロンギがクウガを侮りリントを獲物としか認識していない中で、事あるごとに今と昔は違うと他のグロンギに忠告していた。中盤では銃を向ける一条に「今度のクウガはやがてダグバと等しくなる」と伝えたが、終盤では「リントも我々と等しくなったな」「お前はリントを狩るためのリントの戦士のはずだ」など、現代社会に一定の理解を示すと同時にグロンギの立場から現代人である一条に対して痛烈な皮肉を述べた。
: グロンギたちの中で、唯一バルバのみがダグバとコンタクトが可能なようで、ダグバの行動や意思は彼女を介して伝えられる。
: そして逃走中、一条に強化型神経断裂弾を数発撃ち込まれたが、人間体のままであったために弾丸は貫通し、吐血しながらグロンギの言葉で「気に入った。お前とはまた会いたいものだな」と言いながら笑顔を見せて海面に落ちた。捜索されたが、遺体は発見されていない{{efn|関連書籍では生存をほのめかす記載がなされている{{Sfn|超全集 最終巻|2001|pp=40、79}}{{R|TVMAGA102}}。また、弾丸が体内にあることで効果を発揮する神経断裂弾が貫通しているなどの描写も見られる。}}。
: ゲゲルのレベルによって服装を変えており、最初は赤いショールと黒いパーティードレス、次に純白のドレス、終盤のゴの最強3怪人のゲゲル時は赤いケープに黒のロングスカートと赤いハイヒールに変わり、最後のゲリザギバス・ゲゲルでは白装束とだんだん街中にいても違和感のない姿になっていた。
:* 設定が二転三転しており、当初は連絡役程度のキャラクターとして考えられていたという{{R|超全集村山}}。しかし、演じる七森美江の演技から生まれる神秘的な空気から、徐々に設定が改変されて一種の「女神」とも言うべき存在に変化した{{R|超全集村山}}。また、怪人体は初期にいくつかデザインが検討されていたが、いずれも雰囲気にそぐわないとして採用されず、最終的には人間体のイメージが優先された{{R|超全集最終73}}。劇中での衣替えは[[ショッカー]]の幹部が[[ゾル大佐]]→[[死神博士]]→[[地獄大使]]に交代していったものを置き換えて表現したものであるという{{R|F27860}}。
:* 一条と恋愛関係になる設定も存在していた{{Sfn|語れ!平成|2013|pp=20-23|loc=仮面ライダークウガ 誕生の秘密}}。
:* 演じる七森は当初、第1・2話に名前のみ登場した桜子の電話相手である新聞記者の真役で想定されていた{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=78}}。
:; その他の登場作品
::; 『小説 仮面ライダークウガ』
::: 生きていることが判明し、生き残りのグロンギを復活させる。
::; 漫画版『[[仮面ライダークウガ (漫画)|仮面ライダークウガ]]』
::: 人間体は銀髪の女性として描かれている。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#ラ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=ラ・ドルド・グ
|別名={{Plainlist|
* コンドル種怪人
* 未確認生命体第47号(B群9号)
}}
|身長=213{{nbsp}}cm
|体重=188{{nbsp}}kg
|飛行速度=400{{nbsp}}km/h
}}
; {{Anchors|ラ・ドルド・グ}}ラ・ドルド・グ
: 未確認生命体第47号(B群9号)、[[コンドル]]種怪人。専用武器は胸元の装飾品を変化させる[[トンファー]]。初登場はEPISODE23。人間体はニット帽や白いマントで顔を隠した、白と黒の衣装を纏った鋭い眼光を放つ男性。怪人体はEPISODE45と46に登場。怪人体はモヒカンの頭髪に額にはコンドルの白いタトゥーがあり、黒い体を[[インディアン]]を彷彿とさせる白装束に身を包んでおり、背面には時速約400キロメートルで飛行可能な大きな翼を持つ{{efn|この翼は欠損した状態でも飛行自体は可能。}}。
: ゲリザギバス・ゲゲルの際にはバグンダダというカウンターボードを常に持ち歩き、ゴ集団の複雑なゲゲルがルール通りに行われたかどうかを確認し、ゲゲルで死亡したリント(人間)を数える役目を担っている。劇中「リントも無能ではない」という台詞から、バルバ同様リントの変化を感じ取っていた節がある。ゴ・ガドル・バのゲゲルの際、一条にライフルでバグンダダを撃ち壊されたことでガドルのゲゲルはやり直しとなり、台無しにした責任を取るために一戦を交える。ゴ最強のガドルを一度地に伏せるなど「さすがはラだな」と言わしめる戦闘力を示したが、右翼をもぎ取られかなわないと踏み逃走。川に逃げ込んだ後、バグンダダ破壊の際、一条によって同時に撃ち込まれたマーキング弾の信号を元に追跡して来た杉田と桜井に神経断裂弾を撃たれ、人間体になり死亡した。
: 劇中で人間によって倒された数少ないグロンギの一人である。
:* 怪人体のデザインは飯田浩司が担当した{{R|完全超悪4}}。胴体パーツはブウロのものを流用している{{R|完全超悪130}}。石森デザインでは馴染みとなっていた垂れた半月眼を意識して描いている{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 『[[仮面ライダーディケイド]]』
::: テレビシリーズの「クウガの世界」編に登場。声は塩野勝美。同作品では、未確認生命体8号として扱われている。また『ディケイド』オリジナルのグロンギ、ン・ガミオ・ゼダの出した黒い霧で死んだ人間がラ・ドルド・グの姿となって登場。
::; 『[[オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー]]』
::: ショッカーと同盟を組み、その会議にも参加している。
=== ズ集団 ===
:{{キャラスペック
|名称=ズ・グムン・バ
|別名={{Plainlist|
* クモ種怪人
* 未確認生命体第1号
}}
|身長=198{{nbsp}}cm
|体重=196{{nbsp}}kg
}}
; {{Anchors|ズ・グムン・バ}}ズ・グムン・バ
: 未確認生命体第1号、[[クモ]]種怪人。現代におけるゲゲル開始前に活動を始めた最初のグロンギ。人間体は未登場。EPISODE1、2に登場。怪人体は大きく飛び出した計6つの黒い複眼、[[モヒカン刈り|モヒカン]]頭が目立ち、側頭部にはクモの脚、肩部から胸部にかけてはクモの巣のような装飾品を身に付けており、腰元には褌、手首にはバンテージを着用している。左右に開く口から吐く絹よりしなやかで鋼よりも強い糸と手の甲から延びた伸縮自在の2本の爪を武器とし{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=20}}、糸は自身と大人2人を抱えてぶら下がっても切れないほどの強度を誇る。また、爪は片側2本、計4本生えており、鉄パイプを容易に切断出来る。
: 九郎ヶ岳遺跡より復活後、単独で活動を始め、[[南長野]]に出現。Kビル付近に巨大なクモの巣を張り、そこに駆け付けた警官隊と交戦し、複数の警察官を殺害。圧倒的な力で蹂躙し、その場からパトカーで逃げようとした警官に対してもその首に糸を巻き付けて追従し、そのまま長野県警のビルに突入。そこでも殺戮の限りを尽くすが、その場に居合わせ、咄嗟の判断でクウガに変身した雄介と交戦。まだ不完全形態であるグローイングフォームのクウガを圧倒するが、一条が搭乗するヘリコプターからの狙撃で気が逸れ、糸を使ってヘリに乗り移って一条を襲おうとするも、後を追って来たクウガに阻まれる。お互い決め手に欠く空中での戦いが続く中、クウガの渾身の蹴りで地上に落下。一時撤退する。
: その後、サン・マルコ教会付近の工場にてゴオマと戦うクウガに奇襲を仕掛け、再び交戦。戦闘経験が浅かったとはいえ、マイティフォーム相手に善戦し、胴体に糸を巻き付けて絞め上げ、トドメを刺す直前まで追い詰めるが、渾身の腕力で糸を引きちぎられた挙げ句、胸部にマイティキックを受け、クウガに対して呪うような言葉を残し、爆散する。
:* 怪人体のデザインは阿部卓也が担当した{{R|完全超悪4}}。放送当時の関連書籍でのデザイン画では黄色だったが、渋くする方向性の色に変更された{{R|完全超悪130}}。装飾の詳細が指定された画稿と全身のデザインを組み合わせている{{R|完全超悪130}}。クモ特有の8本足やクモの巣は腕などの生身の部分ではなく、頭や首の装飾品として取り入れられている{{R|超解析44|完全超悪130}}。線をクモの単眼の下に引くことで、切れ長の目にしている{{R|完全超悪130}}。大きなモミアゲは[[尾崎紀世彦]]を意識している{{R|完全超悪130}}。足輪は[[チョウ|チョウチョ]]を捕まえる蜘蛛の足の絵をアレンジした模様となっている{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=64}}。
:; その他の登場作品
::; 『仮面ライダーディケイド』
::: テレビシリーズの「クウガの世界」「アギトの世界」編に登場。
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、復活した太古のクウガに倒されている。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#ズ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=ズ・ゴオマ・グ
|別名={{Plainlist|
* コウモリ種怪人
* 未確認生命体第3号(B群2号)
}}
|身長=206{{nbsp}}cm
|体重=167{{nbsp}}kg
|飛行速度=120{{nbsp}}km/h
|2名称=ズ・ゴオマ・グ強化体
|2身長=208{{nbsp}}cm
|2体重=198{{nbsp}}kg
|3名称=ズ・ゴオマ・グ究極体
|3身長=211{{nbsp}}cm
|3体重=227{{nbsp}}kg
}}
; {{Anchors|ズ・ゴオマ・グ}}ズ・ゴオマ・グ
: 未確認生命体第3号(B群2号)、[[コウモリ]]種怪人。動物の血が栄養源で、特に人間の血は成人5人分を一晩で平らげるほど大好物で、人間を襲って[[ドラキュラ伯爵]]のように首筋に口腔の牙を突き立て血を吸う。人間体は黒のキャップ、もしくはつば広の帽子を被り、サングラスをかけ、黒いコートを纏った色白の男性。左の二の腕にコウモリのタトゥーを入れており、左耳のイヤリングに触れる癖がある。初登場はEPISODE2。怪人体は人間体と同様に左にイヤリングを付けた大きな耳やアイマスクのような目、両手に時速120キロメートルで飛行可能な薄い膜状の翼と刺殺用の強力な爪を持つ。また、腰元には褌を着用し、足首にはバンテージ、バングルを巻いている。
: 最初は長野・中御所にあるサン・マルコ[[教会]]のホセ[[神父]]を殺害して化けて教会に潜み、一晩で5人もの人間を吸血して殺害していたが、自身のゲゲル開始前にリントを狩るその行為がルール違反と見なされてしまう。結果、バルバによってゲゲルの順番を先送りにされ、後にゲゲルの権利がメ集団に移行すると参加資格を完全に失うことになる。多くの怪人から見下されており、しばしば暴行を受けている。
: 夜行性のため、太陽光や強い光が苦手なことから{{efn|人間体の時に一条からの銃撃で帽子が飛び、直射日光が顔面に当たった際には右半分を火傷している。}}、黒い[[外套|コート]]とこうもり傘を愛用している。参加資格を剥奪されてからはバルバの召使いとして活動しているが、それでもなおゲゲルに参加したがっている。ゲリザギバス・ゲゲルの開始直前には、ザジオが製作する道具のパーツを取りに長野まで走らされるなどと雑用に徹する姿も見られた。
: それと同時に、九郎ヶ岳遺跡にあるゴ集団の装飾品発掘を命じられていたが、その際に密かにダグバのゲドルードの破片の一部を着服。のちにEPISODE36でそれを自身の体内に埋め込み利用することで肉体を強化し、強化体を経てついには究極体へと変貌する。ダグバの「整理」から逃れるべく、彼の命を狙い反逆を始め、まず千葉県にて一般人を虐殺、さらに応戦した千葉県警や移動した茨城県で茨城県警の警察官を殺害し、止めに入ったクウガをも圧倒する。しかし、止めを刺そうとしたところでダグバの気配を感じ、クウガを放置して付近の森に潜んでいたダグバに戦いを挑むも、呆気なく瞬殺されてしまう。
: 遺体が爆散・消滅しなかったため、死体は科警研に回収されて椿の手で解剖が行われ、そのデータが神経断裂弾を完成させる大きな手掛かりとなった。
:* 怪人体および究極体のデザインは[[阿部卓也]]が担当した{{R|超全集阿部}}。放送当時の関連書籍でのデザイン画では紫だったが、渋くする方向性の色に変更された{{R|完全超悪130}}。目は拡大したコウモリの鼻となっている{{R|超解析44|完全超悪130}}。当初、怪人体のスーツは一般的な怪人の造形と同様に歯と唇が繋がった形状で制作されたが、髙寺らの意見によりハイビジョン撮影でも違和感が出ないよう別パーツでの造形に変更された{{R|超全集R}}。胸毛もデザインの完成後に追加されたものである{{R|完全超悪130}}。
:; ズ・ゴオマ・グ強化体
:: EPISODE36に登場。この時点で剛毛が全身に生え、大幅に全身の筋肉が強化され、陽の光を浴びても平気な体質を備え持つようになり、ザザルとほぼ互角に戦えるなどゴ集団の中堅位の実力を持つ。頭部にはダグバ中間体に酷似した剛毛が生えている。
:: ダグバの居場所を知るバルバの居場所を聞き出すためザザルと交戦するが、クウガの邪魔が入り逃げられてしまう。自力でバルバを見つけると攻撃をしようとするが、ガドルに邪魔され交戦するも、軽くあしらわれてしまい、さらに戦闘中に破片を埋め込んだ腹部に激痛が走ったため、撤退を余儀なくされた。
::* スーツは怪人体の改造で、デザイン画も怪人体の絵を転用して、髪の毛などを描き足している{{R|完全超悪130}}。翼の縞模様などは生物的であったり、イラスト的なリアルではない抽象的な模様となっている{{R|完全超悪130}}。
:; ズ・ゴオマ・グ究極体
:: EPISODE38に登場。強化体の時に発した痛みや苦しみを乗り越えた姿。全身の皮膚が黒く大きく筋肉が隆起しているが、無理なパワーアップを重ねたために、毛髪は白くなっている。この時点では外見も角のように尖った大きな耳や全身に現れた血管状の組織、肩部、肘部、脚部の鋭角的なトゲなど、ダグバに近い強靭なものになっている。ザザル戦の直後だったためライジングパワーが使えなかったとはいえ、クウガに対しても終始優位に渡り合っており、マイティキックやカラミティタイタンも余裕で耐え切ってみせた。
::* 東映プロデューサーの[[髙寺成紀]]は、EPISODE39の時点では第0号を登場させるのは早いと判断し、それに代わる存在としてゴオマ究極体が創作された{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=97|loc=「仮面ライダークウガ 全エピソード EPISODE39 強魔」}}。
::* デザインコンセプトは「長持ちしないドーピング」{{R|完全超悪130}}。シルエットは既にデザインが完成していたアルティメットフォームに似せている{{R|完全超悪130}}。血管のような体に走る線や、尖らせた手足などアルティメットフォームと大まかに同じ印象にしている{{R|完全超悪130}}。シンメトリーに一旦描いてから、非対称に一部を描き直すことで、力を使いこなせていない暴走した感じを表現している{{R|完全超悪130}}。力の暴走を表現するため、盛る方向となり、肉襦袢のようにモコモコの造形物となった{{R|完全超悪130}}。怪人体や強化体にあった羽のシンボリックな横縞模様を廃止し、浮き出た血管の表現となっている{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 『仮面ライダーディケイド』
::: [[劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー|劇場版]]と『[[仮面ライダーW]]』とのクロスオーバー作品に登場。
::; 『[[仮面ライダーフォーゼ]]』
::: テレビシリーズ第2話において、ライダー伝説のネット映像でクウガと戦う怪人として登場する。
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、ゲゲル内容が判明している。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#ズ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=ズ・メビオ・ダ
|別名={{Plainlist|
* ヒョウ種怪人
* 未確認生命体第5号
}}
|身長=203{{nbsp}}cm
|体重=172{{nbsp}}kg
|走行速度=270{{nbsp}}km/h
}}
; {{Anchors|ズ・メビオ・ダ}}ズ・メビオ・ダ
: 未確認生命体第5号、[[ヒョウ]]種怪人。人間体は右目下に黒い牙のようなタトゥー、左太腿にヒョウのタトゥーを入れた女性で、黒のミニのワンピースと短パンを着用し、民族風のネックレスを身に付けている。登場話数はEPISODE3とEPISODE4。怪人体は[[クロヒョウ]]を思わせる黒い体に、兜、胸当てを身に付け、廻し、バンテージを巻いている。
: 非常にプライドが高く、血気盛んな性格である。
: 強力な腕力、鋭い爪、脚力による肉弾戦を得意としている。特に脚力は高く、人間体の状態でも人間を蹴り殺すほどの威力があり、怪人体の状態では白バイでも追い付けない時速270キロメートルもの速度で走り、東京から長野まで1時間で移動することも出来る。
: バルバからの招集で他のグロンギたちと共に東京の某所に集まるが、偶然その場に居合わせた2人の暴走族の若者に喧嘩をふっかけられ、そのうちの1人が自身の左太腿のタトゥーに触れたことで激昂してその男を蹴り殺し、逃げたもう1人も殺そうと、ゲゲルを後回しにして追跡する。しかし、追跡する途中で雄介と出くわし、クウガと交戦する。しかし、杉田や桜井ら警官隊の一斉射撃によって右目を撃ち抜かれ、一時撤退する。弾丸自体は自ら抉り出したが、このことでさらにプライドは傷付き、バルバたちと合流するも、ゲゲルを完全放棄して警官隊相手に右目の復讐に走る。しかし、杉田の両目を抉ろうとしたところ、クウガに阻まれ、再戦。自慢の脚力で振り切ろうとするが、一条よりトライチェイサーを与えられていたクウガに[[青梅]]の廃墟に追い込まれ、肉弾戦に持ち込まれる。最後は肘打ちで体勢に崩したところに低空キックを腹部、それに続くマイティキックを胸部に受け、爆死する。
:* 怪人体のデザインは青木哲也が担当した{{R|完全超悪4}}。走るのが速い女の怪人のため、フォルムは[[フローレンス・グリフィス=ジョイナー]]など女性の陸上競技選手を真似ている{{R|完全超悪130}}。基本的に女性の怪人は大きなお尻を描くが、スピーディな感じを出すため、あえて小さくしている{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 『仮面ライダーディケイド』
::: テレビシリーズの「クウガの世界」「アギトの世界」編に登場。
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、ゲゲル内容が判明している。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#ズ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=ズ・バヅー・バ
|別名={{Plainlist|
* バッタ種怪人
* 未確認生命体第6号(B群5号)
}}
|身長=204{{nbsp}}cm
|体重=185{{nbsp}}kg
|ジャンプ力=一跳び25{{nbsp}}m
}}
; {{Anchors|ズ・バヅー・バ}}ズ・バヅー・バ
: 未確認生命体第6号(B群5号)、[[バッタ]]種怪人。人間体は左目下に細く黒いタトゥーを、左の二の腕に飛蝗のタトゥーを入れ、裸の上半身に茶色のベストを着用、首に茶色の長いマフラーを巻いたアフロヘアの若者。道中、道端に落ちていた[[一円玉]]に興味を示し、不思議そうに拾い上げると通行人に対して人間の真似をして使おうとしていた。EPISODE5、EPISODE6に登場。怪人体は褐色の体に、頭部にはバッタの複眼のような器官、触角を持ち、首には長い薄茶色の幅広のマフラー、腰元、足首にはマフラーと同色の褌、バンテージを巻いている。
: スプリング状になっている螺旋構造の筋肉を全身に持ち、車を持ち上げ、トライチェイサーの体当たりを受け止めるほどの剛腕と100メートルを3秒もの瞬発力と一跳び最大25メートルの跳躍力を持ち合わせた飛蝗の特性による強力な剛脚を武器とする自称「'''キョグギン・ジャンママ(脅威のジャンパー)'''」。
: 現代におけるゲゲルの最初のムセギジャジャ(プレイヤー)で、課せられた内容は2日で81人殺害することであった。その脚力で人間を掴み跳躍。高所より突き飛ばす、もしくは跳躍中に離し、地面に叩きつけて墜落死させる方法で殺人を行った。杉並区のビルにてクウガと交戦し、クウガを凌駕するその脚力と地の利を活かしたヒット&アウェイの戦法で優勢に立ち、クウガが脚力に長けたドラゴンフォームになっても代わりに低下した打撃力から優勢を崩さず、遂に一度追い詰めるものの、近くにあった清掃工場からの[[硝酸カリウム]]の排煙に拒否反応を示し、撤退。井荻7丁目での二度目の戦闘でも、まだドラゴンフォームの特性を理解出来ていないクウガ相手に再び優勢に立つも、桜子の助言を元にクウガがドラゴンロッドを装備したことで形勢が逆転。最後はスプラッシュドラゴンを右胸元に受け、爆発四散した。劇中、ズ集団のグロンギでゲゲルを行う描写があったのはバヅーだけだった。
:* 怪人体のデザインは阿部卓也が担当した{{R|完全超悪4}}。当初は目のようにバッタの模様を解釈したデザインが元となり粘土の縮小模型を作る段階まで進んだが、仮面ライダーのようにしか見えなかったため、バッタの口を顔にアレンジしたものが決定デザインとなった{{R|完全超悪130}}。色も当初は緑だったが、青いドラゴンフォームと共に出ることになったため、グリーンバックや[[ブルーバック]]では一緒に撮影できないことから、「飛蝗現象」という理屈付けで、狭い場所で増殖して枯れ草のように身体の色が変化したという解釈で茶色に変更された{{R|完全超悪130}}。マフラーはバッタの羽をモチーフにした長くて白いものとなっている{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、ゴ・バター・バのような人間体で登場。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#ズ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=ズ・ザイン・ダ
|別名={{Plainlist|
* サイ種怪人
* 未確認生命体第22号(B群3号)
}}
|身長=211{{nbsp}}cm
|体重=246{{nbsp}}kg
}}
; {{Anchors|ズ・ザイン・ダ}}ズ・ザイン・ダ
: 未確認生命体第22号(B群3号)、[[サイ]]種怪人。ズ集団のリーダー。人間体は体格がいい上半身半裸で左頬に黒いタトゥー、左前腕部に正面から見たサイの顔のタトゥーを入れたいつも怒りの表情のレスラー体型の男性。初登場はEPISODE3。ゲゲル実行はEPISODE11・12。怪人体は鎧のような固い皮膚と鋼鉄のような筋肉を兼ね備えた屈強な体格に[[インドサイ]]を思わせる顔立ちをしている。また、腰元の褌に加え、両肩部、手首、両脛部に鎧を装着している。顔面には最大の武器である大小2本の鋭い角を持ち、大型トラックを一突きでバラバラに粉砕するほどの威力を誇る。
: 性格は短気かつ好戦的。メ・ビラン・ギとは仲が悪く、戦闘にまで発展している。
: ズ集団の数々の敗北により、EPISODE7でズ集団からメ集団にゲゲルの権利が移行してしまい、ゲゲルへの参加資格を失ってしまう。また、自身の体臭を嗅ぎつけたミカド号の追跡をきっかけに潜伏していたアジトが警察に露見してしまい、突入を許してしまう。これを機にグロンギたちから完全に孤立。いつまで経ってもゲゲルが出来ないでいた鬱憤を晴らすように、遂に勝手にゲゲルを始めてしまう。
: ゲゲルでは、アイドリング中の大型トラックの運転手をターゲットに殺人を繰り返した。これは聴力に優れるサイの特性を持つためか、自身がアイドリング音を嫌っているという理由も含まれている。殺し方は力で相手を押さえつけて自慢の角による刺殺。茨城県警の包囲を返り討ちにして34人もの人命を奪う。
: クウガとの初戦では変身ポーズを待たずに攻撃を仕掛け、お互い変身前の状態で交戦し、圧倒。変身後も圧倒的なパワーで優勢に立ち、クウガを上回る豪腕で投げ飛ばし角で刺し殺そうとし、マイティキックすら跳ね返す防御力を見せるが、勝手にゲゲルを始めたために自分のゲゲルを行えずにいると思い、怒り狂ったビランが乱入。ビランとの戦闘に変わりお互い組み合ったまま川へ転落した。クウガとの二戦目は、アイドリングに敏感な性質を知った一条によるトラックを使った囮作戦で誘き出され、援護に入ったクウガと再戦。トライチェイサーの攻撃も退けるが、クウガの回転を加えることで威力を上げた強化マイティキックを顔面に受けて角を折られ、爆死した。
:* 演じる[[AKIRA (プロレスラー)|野上彰]]がプロレスラーであることから、殺陣にはプロレス技が取り入れられている{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=83|loc=「仮面ライダークウガ 全エピソード EPISODE11 約束」}}。
:* 怪人体のデザインは[[阿部卓也]]が担当した{{R|超全集阿部}}。全身の線画のデザインで造形の発注が掛けられ、装飾の詳細デザインが別途で起こされている{{R|完全超悪130}}。人間体を演じたAKIRAとは異なり、怪人体の最終的な仕上がりは結構スリムな感じになってしまったという{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 『仮面ライダーディケイド』
::: ン・ガミオ・ゼダの黒煙で人間が変化した個体が登場。
::; 『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』
::: ショッカーの一員として登場。
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、バルバに粛清される。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#ズ集団]]を参照。
:
; 劇中未登場のズ集団
:; {{Anchors|ズ・グジル・ギ}}ズ・グジル・ギ
:: 未確認生命体第7号、[[クジラ]]種怪人。EPISODE6からEPISODE7の間の期間に出現したグロンギの1体。2000年2月6日にマイティフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=56}}。
:
:; {{Anchors|ズ・ガルガ・ダ}}ズ・ガルガ・ダ
:: 未確認生命体第8号、[[カンガルー]]種怪人。EPISODE6からEPISODE7の間の期間に出現したグロンギの1体。2000年2月8日にマイティフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=56}}。
:
:; {{Anchors|ズ・ミウジ・ギ}}ズ・ミウジ・ギ
:: 未確認生命体第9号、[[ウミウシ]]種怪人。EPISODE6からEPISODE7の間の期間に出現したグロンギの1体。2000年2月9日にマイティフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=56}}。
:
:; {{Anchors|ズ・ガズボ・デ}}ズ・ガズボ・デ
:: 未確認生命体第10号、[[ウツボカズラ]]種怪人。EPISODE6からEPISODE7の間の期間に出現したグロンギの1体。2000年2月11日にマイティフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=56}}。
:
:; {{Anchors|ズ・ダーゴ・ギ}}ズ・ダーゴ・ギ
:: 未確認生命体第11号、[[タコ]]種怪人。EPISODE6からEPISODE7の間の期間に出現したグロンギの1体。2000年2月16日にマイティフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=57}}。
:
:; {{Anchors|ズ・ネズマ・ダ}}ズ・ネズマ・ダ
:: 未確認生命体第12号A、[[ネズミ]]種怪人。EPISODE6からEPISODE7の間の期間に出現したグロンギの1体。2000年2月18日に警官隊の前で突如として爆死する{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=57}}。
:
:; {{Anchors|ズ・ネズモ・ダ}}ズ・ネズモ・ダ
:: 未確認生命体第12号B、ネズミ種怪人。EPISODE6からEPISODE7の間の期間に出現したグロンギの1体。前述のネズマの兄弟とされ、別個体なのだが、ネズマの死後の翌々日(2000年2月20日)に出現し、姿形が酷似していたため、警察側にはネズマと同種と認識されていた。ドラゴンフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=54}}。
:
:; {{Anchors|ズ・ジャモル・レ}}ズ・ジャモル・レ
:: 未確認生命体第13号、[[ヤモリ科|ヤモリ]]種怪人。EPISODE6からEPISODE7の間の期間に出現したグロンギの1体。新聞記事にその姿が掲載されている。2000年2月23日にマイティフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=57}}。
::* スーツの頭部はアトラクション用に作られたミジンコ種怪人の改造{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=81}}{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=73}}。ボディはガルメのNGスーツを使用している{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=73}}。
=== メ集団 ===
:{{キャラスペック
|名称=メ・バヂス・バ
|別名={{Plainlist|
* ハチ種怪人
* 未確認生命体第14号
}}
|身長=207{{nbsp}}cm
|体重=145{{nbsp}}kg
|飛行速度=200{{nbsp}}km/h
}}
; {{Anchors|メ・バヂス・バ}}メ・バヂス・バ
: 未確認生命体第14号、[[ハチ]]種怪人。メ集団のゲゲルの最初のムセギジャジャ。人間体は両目下に白いタトゥー、右手の甲にハチのタトゥーを入れた男で、黒い帽子を被り、金色のジャケットをはだけさせ、肩から二の腕にかけて巻き付けた3本の革ベルトで拘束したようなファッションをしている。EPISODE7、EPISODE8に登場。怪人体は[[スズメバチ]]を思わせる顔立ちで、後頭部は毛髪が伸びている。胸部にはハチの巣のような六角形のメッシュ状の胸当て、そして右腕に1つ、左腕に4つ、両脚に5つとバングルを身に付けている。
: 性格はズ集団に対し、常に見下した傲慢な態度を見せる。
: 背面に生えた4枚の羽によって時速200キロメートルで飛行出来る高い飛行能力を有し、右腕に備わった長さ数十センチの毒針を殺害に用いる。上空でホバリングした状態で発達した複眼{{Efn|普通の人間は青色、クウガである雄介はオレンジ色でその姿を認識していた。}}によって、高度数千メートル下の人間を見分け、対象の頭頂部に向けて毒針を高速射出、頭頂部から心臓を貫通させて刺殺する{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=46}}。ただし、毒針は一度射出すると再生までに約15分の時間を要するため、連続攻撃が利かず、最初の場所から螺旋状に移動しながら約15分おきに殺人を繰り返す。ゲゲルの制限時間は不明だが{{Efn|ただし、毒針の完全再生に15分の時間を要する関係上、ノルマである121人の殺害には単純計算で30時間以上は必要であることが分かる。}}、殺害人数は121人とした。
: ゲゲルの途中、地上に降りたところでクウガと交戦。この時、一条の援護射撃によってグゼパを撃ち落とされるが、クウガがドラゴンフォームになるも、ドラゴンロッドの媒介が無く、使用出来ない、突然発現したペガサスフォームの力を制御しきれないなど、相手側の不運が重なり、さらに戦闘中に毒針が完全再生したことでゲゲル続行が可能になったため、立ち去る。しかし、グゼパを紛失したことでそれまでの殺害は無効、リセットとなる。そこで、クウガを27人分の命として換算し、標的に加える追加ルールをバルバに提示する。バルバもこれを承認し、ゲゲルを再開する。途中、音波探知装置によって自分の位置を特定した一条に2人の親子の殺害を邪魔される場面もありながら、変身前の雄介を発見し、毒針が完全再生するまで待機。しかし、引き続き追跡していた一条に存在が伝えられ、それを聞き、その特性を理解した上でペガサスフォームへと変身したクウガと再戦となる。先制を取って毒針を射出することに成功するが、クウガに受け止められ、反撃のブラストペガサスを胴体に受ける。そして上空から海中に落下し、爆死する。
:* 怪人体のデザインは青木哲也が担当した{{R|完全超悪4}}。胸飾りのイメージは蜂の巣{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 『仮面ライダーディケイド』
::: テレビシリーズの「クウガの世界」「アギトの世界」編、劇場版に登場。
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、ゲゲル内容が異なる。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#メ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=メ・ギイガ・ギ
|別名={{Plainlist|
* イカ種怪人
* 未確認生命体第21号
}}
|身長=202{{nbsp}}cm
|体重=199{{nbsp}}kg
}}
; {{Anchors|メ・ギイガ・ギ}}メ・ギイガ・ギ
: 未確認生命体第21号、[[イカ]]種怪人。自称「'''ザブギン・ンガヅ・シブシャ(白銀の殺戮者)'''」。人間体は常に薄気味悪い笑みを浮かべており、白いとんがり帽を被り、派手なフリンジが付いた白銀のシャツ、黒いズボンに白いスニーカーを着用している。また、左手の甲にイカのタトゥー、顔にはイカの触手のようなタトゥーを入れており、ピエロのような出で立ちをしている。登場はEPISODE9、EPISODE10。怪人体は白銀の体色をしており、後頭部からは触手が生えている。また、肩部から胸部、両腕部、両脛部にかけて鎧、腰元に前掛けを身に付けている。また、人間体、怪人体共に歩く際には湿ったような足音が出る。
: ゲゲルの制限時間は不明。殺害人数は162人とした。握った右手を開いて口元に翳し、離す動作の後、口から吐き出す墨状の体液を武器とし、ゲゲルの殺人の際もこれを用いる。この体液は他の物質に触れるだけで爆発的な反応を起こす強力な可燃性物質である。しかし、生成の際は280℃もの高熱が発生するため体温が急激に上昇し、河川などへの一定間隔での入水で体を冷却をしなければ、[[ホメオスタシス]]が保てず、冷却が求められる際は腹部の4つの冷却口より蒸気が噴出される{{Efn|この冷却口は内臓と直結しているため、これが存在する腹部は急所であり、最大の弱点でもある。}}。そのため、殺戮は水際でのみ行われる。また、全身が攻撃の衝撃を吸収するゴムのように非常に柔らかい身体の組織で、拳打や蹴りなどの単純な打撃技で与えられるダメージは薄い。
: 冷却のために[[隅田川]]流域を水中移動経路、活動範囲にゲゲルを開始し、工場にて作業員を襲撃しようとする中、駆け付けたクウガと交戦。墨での攻撃で先制を取り、それを避けるため背後に回って繰り出すクウガの打撃も意に介さず、腕力や墨による攻撃で圧倒する。しかし、トドメを刺そうとしたところで腹部の蒸気弁より蒸気が噴出したため、冷却のために立ち去る。その後も殺人を繰り返していたが、[[江東区]][[有明 (江東区)|有明]]の港でタイタンフォームとなったクウガと再戦となる。堅牢な生体装甲の前に、半狂乱の状態で体液による連続攻撃は全く効かずに間合いを詰められ、体液が切れて蒸気が噴き出した弱点である腹部にカラミティタイタンを受け、爆散する。
:* 怪人体のデザインは青木哲也が担当した{{R|完全超悪4}}。イカの足の要素は、アーマーに落とし込んでいる{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、大道芸人として活躍する。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#メ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=メ・ビラン・ギ
|別名={{Plainlist|
* ピラニア種怪人
* 未確認生命体第23号(B群7号)
}}
|身長=196{{nbsp}}cm
|体重=188{{nbsp}}kg
}}
; {{Anchors|メ・ビラン・ギ}}メ・ビラン・ギ
: 未確認生命体第23号(B群7号)、[[ピラニア]]種怪人。人間体は頭髪に七色のメッシュを入れ、ピアスや首輪を身に付けており、網目状のシャツに派手なズボンを着用している。また、右の二の腕にピラニアのタトゥーがある。初登場はEPISODE7、ゲゲル実行はEPISODE13、EPISODE14。怪人体は頭部、肩部の鰭が目立ち、襟元、腰元、両脛部の鎧の他、両手首には鰭状のカッターが付いたブレスレットを装着している。
: ゲゲルの制限時間は2日、殺害人数は180人とした。剃刀のような鋭い牙を備えた顎は1分間に200回もの開閉が可能で、逃げ場の無い水上バス上に現れ、乗客たちを対象に体を100箇所以上噛み殺した。また、遠方の河川に落ちた少量の血液の匂いを嗅ぎ付けるなど、嗅覚も敏感である。さらに水中戦はもちろんのこと、地上戦においても滑空するような高速移動による攻撃も出来る。
: 作業員と警官を襲撃中に駆け付けたクウガと戦闘となるが、高速移動やカッターによる攻撃で翻弄。タイタンフォーム相手にもやや苦戦するが、隙を見て装甲の無い二の腕に噛み付くなど、善戦。しかし、援護に入った一条の特殊ガス弾の発砲を胸部に受け、一時撤退する。その後、血液の匂いに惹かれる習性に気付いた一条のボートから川に科警研製[[人工血液]]を散布する囮作戦で誘き出され、一条のボートに追従していたドラゴンフォームのクウガと再び交戦。ボートから落水した直後、川岸にいた蝶野を襲おうとするも阻まれ、浅瀬にて攻防は続くが、攻撃は機動力で回避され、その際自身のカッターによる攻撃で誤って鉄パイプを切り落としてしまったことで、敵に武器を与えることとなってしまい、ドラゴンロッドを得たクウガに苦戦。最後はスプラッシュドラゴンを胸部に受けて爆死する。
:* デザインは当初は[[阿部卓也]]が担当していたが、それを引き継ぐ形で飯田浩司が担当した{{R|完全超悪130}}。ピラニアをモチーフとしているが、噛み付き攻撃ではなく、ヒレ攻撃となったため、デザインを考え直している{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、ガドラと対決している。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#メ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=メ・ギャリド・ギ
|別名={{Plainlist|
* ヤドカリ種怪人
* 未確認生命体第24号
}}
|身長=202{{nbsp}}cm
|体重=196{{nbsp}}kg
}}
; {{Anchors|メ・ギャリド・ギ}}メ・ギャリド・ギ
: 未確認生命体第24号、[[ヤドカリ]]種怪人。人間体は派手なカラーテープが貼られ、ゴムチューブを巻いたヘルメットを被り、半裸の胴体には安全ロープを巻いている。また、両目下に黒い爪のようなタトゥーを入れ、右上腕二頭筋に逆さまにヤドカリのタトゥーを入れ、左の二の腕に逆にした『安全第一』の腕章を安全ピンで地肌に刺しており、[[ニッカボッカ]]を履いている。初登場はEPISODE14。ゲゲル開始はEPISODE15、EPISODE16。怪人体は額から2本の触角が生え、頭部には[[ターバン]]、両腕部にはバンテージ、胴体にはチェーンを巻いており、両手首に装着したハサミを思わせるカッターが付いたブレスレットを武器としている。
: 貝殻に閉じ籠もるヤドカリの性質上、何かで常に身体を隠してなければ気が休まらない性格である。EPISODE14において廃車置き場で見つけた人間のトラックに気に入って盗み、運転も独学で覚える。超古代の時代では石のローラーでリントたちを轢き殺していたが、現代のゲゲルにおいてはこのトラックを用い、逃げ場の無い路地に追い込んでバックで轢き殺す方法を取った。ゲゲルの制限時間、殺害人数は不明。
: ゲゲル中、トライゴウラムで追跡して来たクウガを轢き殺そうとし、一度は回避されるも、復活して間もないゴウラムがエネルギー不足になって動かなくなったこともあり、クウガ自身には回避されるが、トライゴウラムを押し潰す(ただし、損傷自体は皆無だった)。そして、自ら下車して怪人体となり、ドラゴンフォームのクウガと交戦。しかし、ドラゴンロッドで吹き飛ばされた際、[[一斗缶]]の燃料が爆発したことを利用してマンホールに逃げ込む。その後も別のトラックを強奪してゲゲルを続行するが、中間報告を怠ったことで、バルバは次のムセギジャジャを呼び出したため、その時点で本人は無自覚ながらゲゲルの権利は失効となっていた。夜になっても犯行を続けたが、復活したトライゴウラムで追跡して来たクウガを轢き殺そうとするも、回避され、無防備になった車体にトライゴウラムアタックの突撃を受けてトラックごと吹き飛ばされる。そして下車するも、車体に刻まれた巨大な封印エネルギーが伝達したことでトラックを巻き込んで爆散する。
:* 怪人体のデザインは青木哲也が担当した{{R|完全超悪4}}。ヤドカリの要素として巻き貝のようにチェーンやバンダナを巻いている{{R|完全超悪130}}。ヤドカリの特徴として腕にハサミのような装飾をつけている{{R|完全超悪130}}。
:* 逆さまに彫られたタトゥーや逆さまの腕章などは、読めない奴、逆転の発想の奴、ということを暗に示している{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=85}}。
:; その他の登場作品
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、一条によって倒されている。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#メ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=メ・ガドラ・ダ
|別名={{Plainlist|
* トラ種怪人
* 未確認生命体第25号
}}
|身長=196{{nbsp}}cm
|体重=188{{nbsp}}kg
}}
; {{Anchors|メ・ガドラ・ダ}}メ・ガドラ・ダ
: 未確認生命体第25号、[[トラ]]種怪人。人間体は右手の甲にトラのタトゥーを入れ、黒いタンクトップ、短パンに身を包み、腹巻き、頭部にバンダナ、両手と両腕にバンテージを巻いており、右目に切り傷が見られる顎髭を蓄えた男性。右手にメリケンサックを装着し、左腕にはチェーンを巻いている。EPISODE17に登場。怪人体は茶色い長髪に、人間体と同様に右目に切り傷、腹部に傷があり、口には鋭い牙、両手十指に鋭利な爪を持ち、人間体と同様に両拳に爪付きのメリケンサックを装着し、左上腕部には長くて太いチェーンが巻き付いている。
: 「傷の数だけ強くなる」を矜持としており、グロンギとしての驚異的な回復力を自ら抑制しているのか、激戦の中で身に受けた傷を勲章と戒めを込めて残しており、ゲゲルの成功よりもクウガとの決闘を優先して日が落ちるまでひたすら戦うなど、非常に武人然とした性格である。
: ゲゲルの制限時間は6時間、殺害人数は72人とした。トラの腕力と瞬発力、反応性を活かした打撃を得意とし、池袋で警官隊を全員殺害した後、駆け付けたクウガと戦闘となる。タイタンフォームに超変身させる隙すら与えず、善戦。激戦は日が落ちても続き、遂にクウガの首にチェーンを巻き付けて絞め殺そうとするが、古代に負った古傷のある腹部に渾身の肘打ち、そしてストレートを受けて弱体化。強化マイティキックに対しても避けずに受けきる体勢を取るが、耐えきれず、爆死する。
:* 怪人体のデザインは飯田浩司が担当した{{R|完全超悪4}}。当初の脚本会議上ではEPISODE17はダイジェストのみで新怪人は出ない予定だったが、出ることになったため、急遽デザインされたものとなった{{R|完全超悪130}}。より怖さを強調するため、色味を反転させ、ベースカラーを黒にしている{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、メ・ビラン・ギやアギトと対決している。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#メ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=メ・ギノガ・デ
|別名={{Plainlist|
* キノコ種怪人
* 未確認生命体第26号A
}}
|身長=209{{nbsp}}cm
|体重=138{{nbsp}}kg
|2名称=ギノガ変異体
|2別名={{Plainlist|
* キノコ種怪人
* 未確認生命体第26号B
}}
|2身長=207{{nbsp}}cm
|2体重=174{{nbsp}}kg
}}
; {{Anchors|メ・ギノガ・デ}}メ・ギノガ・デ
: 未確認生命体第26号A(変異体はB)、[[キノコ]]種怪人。作中唯一クウガを瀕死に追いやり、古代にはないライジングフォームを生む切っ掛けとなったグロンギ。人間体は右手の甲にキノコのタトゥーを入れており、長い白髪に白いハットを被り、ノースリーブスの服に白いズボン、首と腰に紫のスカーフを身に付け、ヒールを履いた[[ドラァグクイーン]]のような出で立ちの色白の男性。登場はEPISODE18・EPISODE19。怪人体はキノコの傘のような頭部が目立ち、胸部、背部、肩部にかけて独特の紋様が彫られた鎧を装着し、腰元には前掛け、額や頬、手首、および足首の関節部にはキノコのヒダを思わせる装飾品を身に付けている。
: 口から霧状の毒胞子をスプレー噴射する能力を持つ。人間の体内に入り込んで内臓を腐食させてボロボロにし、病院に搬送中に肉体が崩れ落ちるほどの強力な毒性を持っており、最初は35℃〜40℃が活動範囲内であったが、強化体になってからは口移しによる流入を必要とせず、広範囲かつ温度に関係無くなり毒胞子の散布力が強くなる。また、ガスマスクも効果を成さなくなるほどに毒性も増している。
: メ集団の中でも虚弱体質で、当初クウガのパンチや警察のガス弾を受けただけでも弱ってしまうほど格闘能力が低かった。しかし打たれれば打たれるほど強化していく特異な体質を持つ。またキノコの性質上その体組織はグロンギ随一の驚異的な生命力を持ち、条件次第では身体の一部からクローン体を再生することも出来る。
: ゲゲルのクリア人数は144人。殺し方はターゲットを弱々しく見せて意外な力で押さえ込み、死の接吻による口移しで毒胞子を体内に注入する。当初は毒胞子の性質上エアコンの室外機近くを犯行現場にし、新宿区でゲゲルを行っていた。
: 19人目を殺害した際にクウガと出会い交戦。クウガのパンチやキックに大きなダメージを負うものの、一瞬の隙を突いて、毒胞子を送り込み戦闘不能にさせる。その後、追跡して来た警察の特殊ガス弾を喰らうが、毒胞子を煙幕代わりに退却する。ダメージを回復後、ゲゲルを再開。身体も頭部が赤く変色し、毒性を増した胞子へと強化すると、4月21日板橋で警察と応戦。警察を強化した毒胞子などで殺していき、一条たちにもとどめを刺そうとするところに復活を果たしたクウガグローイングフォームと交戦。グローイングフォームの3度のマイティキックを喰らい爆死する。
:* 文芸担当の村山桂のクウガを殺害するのは力強いタイプではなく、一見ひ弱で虫も殺さないような顔をしたタイプという意向からギノガのキャラクターが創作された{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=87|loc=「仮面ライダークウガ 全エピソード EPISODE19 霊石」}}。髙寺はギノガが登場したEPISODE18を[[ショッカー怪人 (テレビシリーズ2号編)#アリガバリ|アリガバリ]]の回のようにライダー大ピンチのエピソードのフォーマットに則ったものであるという{{R|F27860}}。
:* 怪人体のデザインは鈴木和也が担当した{{R|完全超悪4}}。デザインモチーフは[[ショッカー怪人 (テレビシリーズ2号編)#キノコモルグ|キノコモルグ]]<ref>[https://twitter.com/taka_69s/status/1327599241380855808?s=19 髙寺成紀2020年11月14日22時08分のツイート]</ref>。
:; {{Anchors|ギノガ変異体}}ギノガ変異体
:: ギノガの身体の一部から再生したクローン体でゆえに人間体は存在しない。EPISODE20に登場。
:: 爆死した際、川に飛散して流されたギノガの右手首の一部が川の水で養分を得たことにより肉塊が増殖し、生み出された。体色はオリジナルと違い深緑色で、着用していた鎧やゲドルード、前掛けなどが無い。
:: 毒胞子を散布する能力や知性はなくなり、ただ殺人本能のままに見境無く暴れる生物となり、怪物のように吠えるのみで言葉も発しない。ただし、クウガを片腕で投げ飛ばすなど、単純なパワーだけならオリジナルのギノガを凌駕している。
:: 工場で暴れていたところクウガと交戦。クウガの強化マイティキックを喰らうと、爆発することなく溶けて消えた。
::* デザインは青木哲也が担当した{{R|完全超悪4}}。変異体は知能がない力だけの存在のため、分かりやすくマッチョにしている{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 『仮面ライダーディケイド』
::: 「アギトの世界」に登場した。劇場版にも登場。
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、人間体のときの名前としてノアと名乗る。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#メ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=メ・ガルメ・レ
|別名={{Plainlist|
* カメレオン種怪人
* 未確認生命体第31号(B群4号)
}}
|身長=200{{nbsp}}cm
|体重=200{{nbsp}}kg
}}
; {{Anchors|メ・ガルメ・レ}}メ・ガルメ・レ
: 未確認生命体第31号(B群4号)、[[カメレオン科|カメレオン]]種怪人。作中唯一ゲゲルを成功させ格上げしたグロンギ。人間体は左の二の腕にカメレオンのタトゥーを入れており、ゴーグルをかけ、三角のチェックが入ったノースリーブのジャケットを着ている銀髪の男性。初登場はEPISODE3。ゲゲル実行はズ集団の時はEPISODE6とEPISODE7の間の期間、ガズボとダーゴの間に現れたとされる{{Efn|ただし、この時は警察側には未確認生命体事件と認識されておらず、クウガマイティフォームとは交戦しているものの、後述の能力で捕捉から逃れた模様。}}。メ集団の時はEPISODE21・EPISODE22。怪人体は額に黄色い一本角を持ち、襟元、両脛部には鎧を着用している。
: 元々はズ集団に所属していたが、ゲゲルに成功しメ集団入りする{{efn|昇格した際、黄緑色だった体色は深緑色となり、赤銅色だったゲドルードや胸の装甲、両脛部の鎧は黒ずんだ銀色となった。}}。性格は自信家で他者を見下していて、特にリント(人間)を馬鹿にしている。
: 口の中に先端が吸盤状になった長さ10数メートルの舌を隠し持っている。ゲゲル時はその舌を伸ばして獲物を吸い付け、瞬時に引き寄せることで獲物の口を塞いで窒息死させる。さらに全身の特殊な皮膚細胞が色彩を感知し、色素を変化させて周囲に同化させ自らの姿を消すことができる光学迷彩機能を持つ。しかし強い光を浴びてしまうと、約5分間、体色を変えられなくなってしまう弱点を持つ。
: 「舌から生まれた」と豪語するほど舌が滑らかなようで、ラジオ番組を聴くなどしただけで日本語での犯行予告やゲゲルの説明を出来るほど日本語を習得している。
: 2度目のゲゲルではゲゲルを楽しむためとゴ集団への昇格も視野に入れているためか、次の犯行現場を予告するという行動を取っている。
: ゲゲルの犯行予告により中央プラザに駆け付けた一条刑事らにグロンギが殺人を犯す理由について、「ルールに従って如何にリントを殺すか」「最高のゲーム」「獲物を追い、狩りをする・・・それ以外に意味は無い」と滑らかな日本語で説明し警察を嘲りながら殺人をしていくも、科捜研が開発した特殊閃光弾スタングレネードを受け姿を消せなくなってしまい逃走。その最中にクウガと出会い交戦、自慢の舌で攻撃するが全て避けられてしまい肉弾戦で圧倒される。とどめを刺されそうになるが直前に姿を消す能力を回復し、再び姿を隠して逃走する。しかしペガサスフォームの発達した五感からは逃れられず、ゴウラムに掴まったクウガの上空からのブラストペガサスを受け爆死した。
:* 怪人体のデザインは[[阿部卓也]]が担当した{{efn|超全集阿部}}。装飾の詳細が指定された画稿と全身のデザインを組み合わせている{{R|完全超悪130}}。初期のデザインでは褌を締めていなかった{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 『仮面ライダーディケイド』
::: ン・ガミオ・ゼダの黒煙で人間が変化した個体が登場。
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、ゲゲル内容が異なる。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#メ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=メ・ガリマ・バ
|別名={{Plainlist|
* カマキリ種怪人
* 未確認生命体第36号(B群6号)
}}
|身長=197{{nbsp}}cm
|体重=178{{nbsp}}kg
}}
; {{Anchors|メ・ガリマ・バ}}メ・ガリマ・バ
: 未確認生命体第36号(B群6号)、[[カマキリ]]種怪人。メ集団のリーダー。人間体はノースリーブの白シャツに民族風のロングスカートを着用し、前髪に緑のメッシュが入った女性。専用武器はS字型の薙刀を思わせる双刃の大鎌{{efn|{{要出典範囲|この大鎌を持つ前は両手五指の爪を武器としていたという。|date=2020年12月}}}}。初登場はEPISODE7。ゲゲル実行はEPISODE23・EPISODE24。怪人体は緑色の体色に腰元には廻し、胸部、両肩部、両前腕部、足首には生体プロテクターを装着している。
: 「クウガと対等に戦えるのは私だけだ」と豪語するほど、プライド高く自信たっぷりな性格。ゴ集団に昇格することを望んでおり「メからゴになれるのは私だけ」と語り、ザジオに前述の大鎌を予め作らせ、受け取った際に「このゴ・ガリマ・バにふさわしい」と語る。以後まだゲゲルが成功していないうちから「ゴ・ガリマ・バ」を名乗る。
: ゲゲルはゴ集団のゲリザギバス・ゲゲルの内容に則り、「[[中央・総武緩行線|総武線]]10時57分[[御茶ノ水駅]]発千葉行き電車4両目に乗って腰にぶら下げた特殊な香炉の匂いで4両目の乗客にマーキングを施し、18時間以内に乗車していた288人全員殺す」という条件付きのもの。殺し方はマーキングを施した対象を強力な嗅覚で追跡し、大鎌で首を切断{{efn|すれ違いざまに一瞬怪人体に変身し、首を切断した後で「振り向くな」と発し、対象が振り向くと首の切断面がずれ切断される。}}。このターゲットに桜子も含まれていた。
: ゲゲル実行時大鎌を帯刀していたため雄介に見つかり交戦。クウガとの初戦時にマイティフォームによって大鎌の半分を折られ、タイタンフォームによって鎌のもう半分がタイタンソードに変えられる。その後、トライゴウラムアタックを受けるが強靭な体で封印エネルギーをかき消して逃亡。どうにか傷が癒えた後、ラの2人に促され再び行動を開始する。ターゲットの一人であった桜子を見つけ追い詰めるが、クウガに阻まれて再戦。タイタンフォームと剣闘を行うも、新たに会得したライジングタイタンのライジングカラミティタイタンを食らい爆死した。
:* 怪人体のデザインは飯田浩司が担当した{{R|完全超悪4}}。男の場合も考えられていた{{R|完全超悪130}}。髪の毛もあったが、メビオと重複するため、排除された{{R|完全超悪130}}。褌を付けていないデザインもある{{R|完全超悪130}}。
:; その他の登場作品
::; 『てれびくん』
::: 漫画版にも登場。この個体はタイタンフォームの生体装甲を切断している。
::; 『仮面ライダーディケイド』
::: ン・ガミオ・ゼダの黒煙で人間が変化した個体が登場。
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、人間体のときの名前としてサチと名乗る。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#メ集団]]を参照。
:; 関連キャラクター
::; [[ショッカー怪人 (テレビシリーズ2号編)#サボテグロン|サボテグロン]]
::: デザインとの共通点が指摘されている<ref>[https://twitter.com/taka_69s/status/1332672801484853250?s=19 髙寺成紀2020年11月28日22時08分のツイート]</ref>。
:
; 劇中未登場のメ集団
:; {{Anchors|メ・アゴン・ギ}}メ・アゴン・ギ
:: 未確認生命体第15号、[[アンコウ]]種怪人。EPISODE8からEPISODE9の間の期間に出現したグロンギの1体。2000年2月28日にマイティフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=57}}。
:
:; {{Anchors|メ・アグリ・ダ}}メ・アグリ・ダ
:: 未確認生命体第16号、[[アリクイ]]種怪人。EPISODE8からEPISODE9の間の期間に出現したグロンギの1体。2000年3月3日にマイティフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=57}}。
:
:; {{Anchors|メ・イバエ・バ}}メ・イバエ・バ
:: 未確認生命体第17号、[[ハエ]]種怪人。EPISODE8からEPISODE9の間の期間に出現したグロンギの1体。2000年3月6日にペガサスフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=57}}。
:
:; {{Anchors|メ・ガーゲ・レ}}メ・ガーゲ・レ
:: 未確認生命体第18号、[[トカゲ]]種怪人。EPISODE8からEPISODE9の間の期間に出現したグロンギの1体。2000年3月10日にマイティフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=57}}。
:
:; {{Anchors|メ・ムガド・バ}}メ・ムガド・バ
:: 未確認生命体第19号、[[ムカデ]]種怪人。EPISODE8からEPISODE9の間の期間に出現したグロンギの1体。2000年3月13日にドラゴンフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=57}}。
:
:; {{Anchors|メ・ゴリギ・バ}}メ・ゴリギ・バ
:: 未確認生命体第20号、[[ゴキブリ]]種怪人。EPISODE8からEPISODE9の間の期間に出現したグロンギの1体。2000年3月16日にマイティフォームによって撃破される{{Sfn|超全集 上巻|2019|p=57}}。
:
:; {{Anchors|メ・ガエラ・レ}}メ・ガエラ・レ
:: 未確認生命体第27号、[[カエル]]種怪人。EPISODE20からEPISODE21までの間の期間に現れたグロンギの一体。2000年4月27日にドラゴンフォームによって撃破される{{R|超全集下60}}。
:
:; {{Anchors|メ・ゾエビ・ギ}}メ・ゾエビ・ギ
:: 未確認生命体第28号、[[エビ]]種怪人。EPISODE20からEPISODE21までの間の期間に現れたグロンギの一体。2000年5月2日にタイタンフォームによって撃破される{{R|超全集下60}}。
:
:; {{Anchors|メ・ウザー・ダ}}メ・ウザー・ダ
:: 未確認生命体第29号、[[ウサギ]]種怪人。EPISODE20からEPISODE21までの間の期間に現れたグロンギの一体。2000年5月9日にドラゴンフォームによって撃破される{{R|超全集下60}}。
:
:; {{Anchors|メ・デムド・バ}}メ・デムド・バ
:: 未確認生命体第30号、[[テントウムシ]]種怪人。EPISODE20からEPISODE21までの間の期間に現れたグロンギの一体。2000年5月15日にマイティフォームによって撃破される{{R|超全集下60}}。
:
:; {{Anchors|メ・ギネー・ダ}}メ・ギネー・ダ
:: 未確認生命体第32号、[[キツネ]]種怪人。EPISODE22からEPISODE23の間の期間に現れたグロンギの一体。2000年5月29日にマイティフォームによって撃破される{{R|超全集下60}}。
:
:; {{Anchors|メ・ゲグラ・ギ}}メ・ゲグラ・ギ
:: 未確認生命体第33号、[[クラゲ]]種怪人。EPISODE22からEPISODE23の間の期間に現れたグロンギの一体。2000年6月3日にタイタンフォームによって撃破される{{R|超全集下60}}。
:
:; {{Anchors|メ・ガベリ・グ}}メ・ガベリ・グ
:: 未確認生命体第34号、[[ペリカン属|ペリカン]]種怪人。EPISODE22からEPISODE23の間の期間に現れたグロンギの一体。漫画版にのみ登場。2000年6月9日にマイティフォームによって撃破される{{R|超全集下60}}。
:
:; {{Anchors|メ・ジュウマ・ダ}}メ・ジュウマ・ダ
:: 未確認生命体第35号、[[シマウマ]]種怪人。EPISODE22からEPISODE23の間の期間に現れたグロンギの一体。2000年6月15日にマイティフォームによって撃破される{{R|超全集下60}}。
=== ゴ集団 ===
:{{キャラスペック
|名称=ゴ・ブウロ・グ
|別名={{Plainlist|
* フクロウ種怪人
* 未確認生命体第37号
}}
|身長=207{{nbsp}}cm
|体重=168{{nbsp}}kg
|飛行速度=300{{nbsp}}km/h
}}
; {{Anchors|ゴ・ブウロ・グ}}ゴ・ブウロ・グ
: 未確認生命体第37号、[[フクロウ]]種怪人。人間体は翼のような飾りのついた革ジャケットに丸サングラス姿の読書を好むインテリ風の青年。専用武器は羽状の装飾品を変化させる[[吹き矢]]。初登場はEPISODE23。ゲゲル実行はEPISODE25・EPISODE26。怪人体は茶色の体色に胸元、両腕部、両肩部に網模様の装具を身に付け、手足の指先には鋭利な爪、背面には一際大きな翼を持つ。
: ゲリザギバス・ゲゲルの自身に課した追加条件は「東京23区を五十音順に移動し、各区ごとに9人ずつ計207人殺す」。殺し方は推定高度400メートル上空から吹き矢の筒で体内で生成した[[ペリット]]を固めた矢を対象の肩口目掛けて打ち出し、打ち込まれたペリットはその後対象の心臓の表面に数ミリの狂いもなくとどまり急性[[心筋梗塞]]を引き起こさせる。
: 飛行の際に特殊な超音波を発しない、ヘリコプターを超える時速約300キロメートルもの飛行スピードなど、ゴオマやバヂスより飛行能力に優れている。また上空から1ミリメートルのズレもなく肩口に射抜く高い命中精度を持つ。
: クウガとの初戦では痛覚も過敏になるライジングペガサスの特性を利用して吹き矢を連射して痛め付けるが、ライジングペガサスが放ったライジングブラストペガサスの一発が左翼に命中し、そのまま落下。しかし、封印エネルギーがゲドルードのゲブロンに届く前に翼を自ら引きちぎって逃走する。その約2時間後、愛読書の[[アルベール・カミュ]]の全集や『[[戦争と平和]]』の原書を読みながら傷を癒す。
: 5時間で126人を殺害した後、すぐにクウガと再戦。ライジングペガサスのライジングブラストペガサスを何発も放たれ、回避しきれずに3発胴体に命中。空中で大爆散する。
:* 怪人体のデザインは飯田浩司が担当した{{R|完全超悪4}}。当初は羽を頭につけた女怪人とされていたが、プロデューサーの指示でデザインし直された{{R|完全超悪130}}。
:
:{{キャラスペック
|名称=ゴ・ベミウ・ギ
|別名={{Plainlist|
* ウミヘビ種怪人
* 未確認生命体第38号
}}
|身長=198{{nbsp}}cm
|体重=172{{nbsp}}kg
}}
; ゴ・ベミウ・ギ
: 未確認生命体第38号、[[ウミヘビ科|ウミヘビ]]種怪人。人間体は鳳凰の刺繍が入った黒い[[チャイナドレス]]{{efn|自身のゲゲル中にはプールに紛れるため、黒い水着を着用。}}を着た長い黒髪の美女。自らを「ギン・ボン・ザブダダ(死のコンダクター)」と名乗る。専用武器は足首のアンクレットを変化させる零下150度の極低温を発生させる鞭。初登場はEPISODE25。ゲゲル実行はEPISODE27・EPISODE28。怪人体は腹部が蛇腹状で、海賊を思わせる青銅色の鎖付きの鉄兜を被り、そこから幾本ものドレッド・ヘアーが出ている。
: ゲリザギバス・ゲゲルの自身に課した追加条件は「『[[練習曲作品10-12 (ショパン)|革命のエチュード]]』の譜面に記された[[音階]]と同じ頭文字の水に関係した場所にて音符の長さに合わせた人数{{efn|二分音符は2人、八分音符は8人、付点八分音符は大人8人と子供16人。}}を、記された音符に合わせた人数だけ殺す」。殺し方は水中から極低温状態にした鞭の先端を標的の心臓付近に一瞬だけ叩き付け、極低温による急激な温度変化で急性心臓麻痺を引き起こさせる。
: 芸術家肌で実際ゲゲルの場所で完璧なピアノの演奏を行っている。
: ダンスグループが使用していたラジカセから流れていた[[フレデリック・ショパン]]の「革命のエチュード」に興味を持ち、前述のその音階にちなんだゲゲルを行うことを決意する。ゲゲルの場所の一つである、みずさわウォーターパークでは、おやっさんやみのりとすれ違っている。「革命」の演奏を一条に聞かれたことで、ゲゲルの法則性に気付かれる。警察の対応策のプール閉鎖により、ソの音階に基づいて向かった祖師谷センタープールでゲゲルを行えなくなると、次は[[外浦]]海岸に向かいそこにいた若者たちを襲う。しかし五代と一条に割って入られ、クウガと交戦する。
: 鞭によってドラゴンロッドを凍結させて粉砕してクウガを追い詰めていくが、ライジングドラゴンとなったクウガのライジングスプラッシュドラゴンを受け、海に投げ飛ばされ海中にて大爆発する。
:* デザインはPLEXが担当し、仕上げは竹内一恵が手掛けた{{R|超全集PLEX}}。竹内がデザイン段階で受けた体色の指定は薄緑色であったため、当時の関連書籍ではこの色が決定稿とされており、現場処理で色の変更が行われていたとされているが、デザインでは実際のカラーリングが施されたものもある{{R|超全集PLEX|完全超悪130}}。ただし、手持ち武器も描かれているため、造形発注時の決定稿で、色変更は別途で色指定の画稿が起こされたものと思われる{{R|完全超悪130}}。人間体と怪人体の統一性をとるため、人間体を演じた伊藤の髪型に合わせて怪人体の頭部デザインが決定されている{{Sfn|超辞典|2011|p=324}}。
:; その他の登場作品
::; 『仮面ライダーディケイド』
::: 聖なるゲゲルで、ロッドを武器として実行しようとする。
:
:{{キャラスペック
|名称=ゴ・ガメゴ・レ
|別名={{Plainlist|
* カメ種怪人
* 未確認生命体第39号
}}
|身長=214{{nbsp}}cm
|体重=268{{nbsp}}kg
}}
; ゴ・ガメゴ・レ
: 未確認生命体第39号、[[カメ]]種怪人。人間体は赤いネクタイを締め、[[ストライプ]]の入ったダブルのスーツに[[ボルサリーノ]]、白と黒のトゥトーン・シューズを着こなすギャンブラー風のやや細身の男性で、常に腕を組み、余裕の態度を崩すことが無い。専用武器は両手五指に装着された指輪状の装飾品を変化させる鎖鉄球。初登場はEPISODE25。ゲゲル実行はEPISODE29・EPISODE30。怪人体は元の細身の人間体とはかけ離れた屈強な体格をしている。腰元の褌に加え、胸元には背面の四隅から伸びる4本の鎖でつながれた六角形のレリーフを装着し、襟元には布、手首、および足首にはバンテージ、および同じく六角形のリングを巻き、背面には甲羅のような装飾品が存在。
: ゲリザギバス・ゲゲルの自身に課した追加条件は「高層ビルの屋上からルーレットで出た色と数字で特定した犯行区画にアトランダムに54個の鉄球を連続発射し、72時間以内に路上にいる567人を殺す」{{efn|本来ゲリザギバス・ゲゲルの期間、殺害人数の条件はプレイヤーによる自己申告制だが、ゴ集団であるブウロとベミウの2体が立て続けにゲゲルを失敗したためか、ガメゴは例外的に条件をバルバが決定することとなった。}}。殺し方は隕石のように飛ばした鉄球による圧死。
: ビルの屋上から腹這いで落下しても平然と動き回れるほどの防御力を持ち、ライジングカラミティタイタンにも耐えている。
: ザザルとジャラジに手伝って貰いながらゲゲルを進める。警察により犯行区画が特定されクウガと交戦。ドラゴンフォーム・タイタンフォームとなったクウガに対し終始優勢であったが、ライジングカラミティタイタンによるダメージを癒すため退却する。その際に蝶野と接触し、無意識に気絶させている。そして回復を待つ間、ザザルとジャラジと共に[[ポーカー]]に興じ、バルバに対しても「[[ケ・セラ・セラ]](なるようになる)」と余裕を崩さなかった。
: 場所を変えてゲゲルを再開すると、クウガと再戦。自慢の鉄球でクウガを追い詰めるも一条の援護射撃により、指に付けていた全ての鉄球が撃ち落とされ肉弾戦になる。屋上から落とされると、トライゴウラムによって東京郊外の工場まで運ばれる。その場所でライジングマイティのライジングマイティキックを受けると、半径3キロメートルに及ぶ大爆発を起こす。
:* 怪人体のデザインは青木哲也が担当した{{R|完全超悪4}}。襟巻きはカメの伸びる首をイメージしている{{R|完全超悪130}}。
:
:{{キャラスペック
|名称=ゴ・ジイノ・ダ
|別名={{Plainlist|
* イノシシ種怪人
* 未確認生命体第40号
}}
|身長=202{{nbsp}}cm
|体重=224{{nbsp}}kg
}}
; {{Anchors|ゴ・ジイノ・ダ}}ゴ・ジイノ・ダ
: 未確認生命体第40号、[[イノシシ]]種怪人。人間体は姿は不明。テレビ本編には未登場で、EPISODE30からEPISODE31の間の期間が描かれた小学館応募者全員サービスの『仮面ライダークウガ超ひみつビデオ「仮面ライダークウガVS剛力怪人ゴ・ジイノ・ダ」』に登場。怪人体は口元の牙と顎髭が目立ち、両肩部、両腕部、両脛部に鎧、腰元に褌を身に付けている。特に特殊能力は見られないが、武器としては[[刺股]]状の先端部が二股に分かれた槍を用いて強靭な腕力で投げ飛ばした敵を強靭な突進力で体当たりして圧死させる{{Sfn|超全集 下巻|2019|p=48}}。
: ゲゲルの制限時間、殺害人数も不明だが、練馬区内の某撮影所の人たちが標的と思われ、獲物を槍で突き殺したと思われる{{Sfn|超全集 下巻|2019|p=57}}。撮影所内の照明を落としたスタジオに急行した雄介を闇討ちし、クウガマイティフォームに変身すると照明を点けて奇襲。槍を活かした攻撃で最初は優勢だったが、間合いを詰めた肉弾戦で徐々に劣勢になり、最後は胸部にマイティキックを受けて爆死する。
:* 怪人体のデザインは飯田浩司が担当した{{R|完全超悪4}}。装飾部の細かな凹凸の指示出しがあったという{{R|完全超悪130}}。
:
:{{キャラスペック
|名称=ゴ・バダー・バ
|別名={{Plainlist|
* バッタ種怪人
* 未確認生命体第41号(B群8号)
}}
|身長=206{{nbsp}}cm
|体重=176{{nbsp}}kg
}}
; ゴ・バダー・バ
: 未確認生命体第41号(B群8号)、バッタ種怪人。自らを「キョクギン・サキザザ(脅威のライダー)」と豪語するバイク乗り。自他共に認めるゴ集団屈指の実力者。人間体は深紅のマフラー{{efn|このマフラーは怪人体になっても着用している。}}に緑のジャケット、レザーパンツに[[エンジニアブーツ]]でアフロヘアの男性で、片手でコイントスをする癖がある。劇中では語られないが、バヅーの双児の兄で、怪人体も姿自体は酷似しているが、体色は、バヅーが褐色だったのに対し、バダーは深緑色で、さらに両肩部と両手首にプロテクターを装着している。また、弟のバヅー同様に硝酸カリウムのガスを苦手とする。専用武器は愛用のオートバイ・'''バギブソン'''{{efn|グロンギ語で'''[[サイクロン号|サイクロン]]'''を意味する。}}で、人間体の際に使用しているオートバイの始動キー差し込み口に肘の棘状の装飾品を差し込むことで形状変化が起きる。最高時速約400キロメートルものスピードを誇り、全ての点でトライチェイサー2000を凌駕する性能を持つ。第27話ではクウガのように左腕を斜め前にかかげるようなポーズを取り、変身していた。初登場はEPISODE21。ゲゲル実行はEPISODE31からEPISODE33。
: ゲリザギバス・ゲゲルの自身に課した追加条件は「4時間以内に鋼の馬(オートバイ)に乗った99人を引きずり下ろし轢き殺す」。殺し方はオートバイ乗りを矢継ぎ早に襲い、オートバイから引きずり下ろしてオートバイで轢く。
: ゴ集団の中でいち早く登場し、最初はクウガがゴオマにトドメをさそうとするときにオートバイで登場し阻止する。2回目はベミウのゲゲル時に五代とバイクチェイスする形で現れ、そこで正体を明かして小競り合いをする{{efn|第28話の予告では、クウガとベミウとの戦いの際にも乱入しクウガに飛び蹴りを食らわせるシーンがあったが放送時にはカットされた。}}。
: ゲゲルのプレイヤーの順番が回ると、順調に殺人を繰り返す。ゲゲルの最中クウガに出会うと、クウガを嘲りながらバイクチェイスをする。神奈川県の海岸でのバトルでは互いのバイクテクニックで互角の戦いを繰り広げ、両者ともに投げ出されると、自分の近くにあったトライチェイサー2000を強奪する。しかし、トライチェイサー2000が破損すると、「お前を殺すのは一番最後だ」の言葉を残し、バギブソンで立ち去る。
: 98人目を殺してすぐクウガとの3度目の交戦。ゴウラムに掴まったライジングペガサスの上空からのライジングブラストペガサスの連射を全て避け、猛スピードで振り切った。
: 警察の強化ガス弾を使用した誘導により厚木市内方面に向かわされた先に、ビートチェイサー2000を駆るクウガが現れ、4度目の交戦。壮絶なバイクチェイスで、クウガを引きずり降ろそうとするが、ビートチェイサー2000のスピードに敵わず引き離されてしまう。少し離れた先でキックの体制で待ち構えていたクウガを轢き殺そうとするが、ライジングマイティキックのカウンターを受けて、大爆発する。
:* 怪人体のデザインは阿部卓也、バギブソンは鈴木和也が担当した{{R|完全超悪4}}。バヅーの再塗装が基本だが、マフラーや肩パーツをデザインし直しており、バヅーのときに実現できなかった仮面ライダーのオマージュをしている{{R|完全超悪130}}。マフラーはバヅーとは異なり、短くて赤いものとなっている{{R|完全超悪130}}。
:* 髙寺は途中から登場して途中で倒される[[仮面ライダーBLACK#剣聖ビルゲニア|ビルゲニア]]のような強敵を意識したものであると語っている{{R|F27860}}。
:* 常用しているバイクはトライチェイサー2000のベース車と同じガスガス社のバンペーラであり{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=91|loc=「仮面ライダークウガ 全エピソード EPISODE27 波紋」}}、変形後のバギブソンのベース車も同じである{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=93|loc=「仮面ライダークウガ 全エピソード EPISODE32 障害」}}。
:; その他の登場作品
::; 漫画版『仮面ライダークウガ』
::: 漫画版では、ズ・バツー・バのような服で登場。詳しくは[[仮面ライダークウガ (漫画)#ゴ集団]]を参照。
:
:{{キャラスペック
|名称=ゴ・ジャラジ・ダ
|別名={{Plainlist|
* ヤマアラシ種怪人
* 未確認生命体第42号
}}
|身長=177{{nbsp}}cm
|体重=134{{nbsp}}kg
}}
; ゴ・ジャラジ・ダ
: 未確認生命体第42号、[[ヤマアラシ]]種怪人。人間体はノースリーブの黒いシャツ、白いパンツにスニーカーを身に付けたストリートファッション風の若者。爪を噛む、および[[フィンガースナップ]]をする癖がある。専用武器は首のネックレスの装飾品として付けた幾本の鉤針とダーツで、マシンガンのように投げつける。戦闘時とゲゲル時では針の形状が異なる{{Sfn|超全集 下巻|2019|p=57}}。また、特殊能力として短い距離を瞬間移動出来る能力を持つ。初登場はEPISODE25。ゲゲル実行はEPISODE34・EPISODE35。怪人体は黒い体に頭部の白い針毛が目立ち、動物の骨などを装飾品として身に付けている。
: ザザル曰く、用心深いジャラジはゲリザギバス・ゲゲルの追加条件を「緑川学園2年の男子生徒を12日で90人殺す」とし、脳内に微細な物質を仕込んで{{efn|この鉤針は[[レントゲン]]にも[[MRI]]にも映らず、外科手術での摘出も困難な場所に埋め込まれているため、被害者を助けることは実質不可能である。}}4日かけて死の宣告などで徹底的に精神的に追いこんで苦しむ様を楽しみ、金属片を巨大化・鉤状に変化させて脳を内部から傷つけて致命傷を与え、脳内出血による虚血性脳梗塞を引き起こさせることによって生徒たちを死に至らしめる方法で行った。
: 生徒たちに精神的な苦痛を徹底的に与えるために、葬儀に参列した生徒の前に姿を現したり、対象の別荘への無言電話、自身の影をちらつかせて恐怖を煽るなど、その手口は今までに見ないほど残忍かつ卑劣。追い詰められた後述の生田の母親に理由を問われた際には「君たち(リント)が苦しむほど楽しいから」と薄ら笑いを浮かべて答えている。その残虐で陰湿極まりない行為で多くの男子生徒たちを追い詰めていたため、雄介の怒りに触れることとなる。
: 自身のゲゲルが終盤に差し掛かる中で、鉤針を刺した生徒の一人がゲゲルの数にカウントされない自殺をしてしまったため、唯一接触していない転校生の'''{{読み仮名|生田 和也|イクタ カズヤ}}'''を狙う。箱根の別荘に現れるが、そこでクウガと交戦。しかし瞬間移動とフィンガースナップの音を駆使してドラゴンフォームを翻弄し、死角より鉤針を投げ飛ばしてクウガの動きを封じると退散する。その後、生田を保護した警察病院で警備する一条たち多数の警官を同じく瞬間移動とフィンガースナップの音を駆使して翻弄。その隙に保護され、眠っている生田の部屋に現れ、近づくが鉤針を仕込む寸前で雄介が駆け付けて阻止される。
: その卑劣な手口に、変身した雄介は遂に怒りが爆発。憎悪を滲ませるマイティフォームに血反吐を吐くほど何発も殴打される。そしてビートゴウラムで芦ノ湖畔まで運ばれると、ライジングタイタンに連続斬りを受けたあげく、倒れたところをライジングカラミティタイタンを突き立てられるという凄惨な最期を迎える。
:* 怪人体のデザインは青木哲也が担当した{{R|完全超悪4}}。オーダーは「[[ジャニーズ事務所|ジャニーズ]]のような怪人」{{R|完全超悪130}}。小さな頭に、狭い肩幅、細い手足など少年の怪人ということとなっている{{R|完全超悪130}}。『[[ブレードランナー]]』のロイ・バティーや『[[謎の円盤UFO]]』のストレイカー長官をイメージした白髪となっており、派手にするため、ヤマアラシのようにツンツンした頭となっている{{R|完全超悪130}}。ヤマアラシのため、白黒のようにしている{{R|完全超悪130}}。
:* ジャラジのスーツアクターを務める小倉はクウガに殴られたシーンでは実際に血まみれになったという{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=95}}。
:; その他の登場作品
::; 『仮面ライダーディケイド』
::: 「アマゾンの世界」に大ショッカーの一員として登場。
:
:{{キャラスペック
|名称=ゴ・ザザル・バ
|別名={{Plainlist|
* サソリ種怪人
* 未確認生命体第43号
}}
|身長=187{{nbsp}}cm
|体重=168{{nbsp}}kg
}}
; ゴ・ザザル・バ
: 未確認生命体第43号、[[サソリ]]種怪人。人間体は黒い革のミニスカートに大きく胸元を開けたインナーの上から紫の蛇柄ジャケットを羽織り、そして扇子{{efn|元々は、ジャラジが所有していたものだったが、EPISODE32で取り上げて以降、自分のものとした。}}を持ち、気怠そうな雰囲気をかもしだすロッカー風の若い女。専用武器はイヤリングを変形させた3本の爪。初登場はEPISODE25。ゲゲル実行はEPISODE36・EPISODE37・EPISODE38・EPISODE39。怪人体は黒いレオタード風の衣装、そして青銅製のような装飾品を着用し、サソリの尻尾を思わせる[[弁髪]]を垂らしている。
: ゲリザギバス・ゲゲルの条件は「爪に塗ったマニキュアの色の順番{{efn|左の親指の「白」・「緑」・「黄色」・「オレンジ」・「黒」といき、右の親指の「赤」・「水色」・「青」・「銀」・「黄緑」の順番。}}で、同じ定めの色の動く箱(タクシーやエレベーターなど)にいる人間を殺す」。殺し方は実際に乗り込みその場にいる人を強酸性の溶解液で溶かす。
: 体中に人間の体組織の80パーセント以上を溶解するほどの[[王水]]以上の強酸性の体液がまわっており、それを3本の爪に流出させて戦うのが戦闘の主体。また、その体液自体は爪を突き立てるだけでなく、そのままでも垂れ続けるため、振り回すだけで飛び散るなど、危険な物である。さらにはライジングフォームでの必殺技に伴う強力な封印エネルギーでザザルが爆発四散した場合、それによって体液が広範囲に飛散し、周辺に危害が加わる恐れがあった。
: 最初はタクシー運転手ばかりを狙って、タクシーに乗車してゲゲルを進めていく。しかしゲゲルの途中でゴオマに邪魔され、怒り狂いゴオマと交戦。クウガが割って入ると即退散する。
: 警察の対応策により全面的にタクシー会社が営業を停止したため、タクシーに乗れなくなると、乗る箱を銀色のエレベーターや緑色の都バス・電車{{efn|電車も色の順番のオレンジ色のJR[[中央線快速|中央線]]を狙おうとしたが対応されてしまい、さらに一条の助言で[[武蔵野線]]、[[八高線]]も対応された。}}に切り替えるも、桜井のメモがキッカケで五代に法則性を気付かれそれらも対応される。ゲゲルを上手く進めないことにイライラしているところに雄介と相対し交戦。
: クウガに溶解液をばらまきながら戦うも、ドラゴンフォームの動きに翻弄され、ドラゴンロッドにより鈎爪を外される。さらに警察の中和弾による援護射撃を受け、中和反応を起こして蒸気を体から出して苦しんでいるところに追撃のマイティキックを受ける。それでも気合いで封印エネルギーを霧散させるが、クウガのビートゴウラムによって警視庁が定めた爆破予定ポイントとなる都営地下鉄大江戸線の地下資材基地に連れていかれる。そこでライジングブラストペガサスを受け、爆発から逃れるために背を向けて撤退するクウガにその行動に対して悔しさを滲ませるように「死ぬもんか」「ナメんじゃねぇ!」「死ぬもんか!」と言葉を発するが、遂に耐えきれず爆死する。
:* 怪人体のデザインは飯田浩司が担当した{{R|完全超悪4}}。衣装はジイノの女版という感じでデザインしている{{R|完全超悪130}}。
:
:{{キャラスペック
|名称=ゴ・ジャーザ・ギ俊敏体
|別名={{Plainlist|
* サメ種怪人
* 未確認生命体第44号(B群10号)
}}
|身長=201{{nbsp}}cm
|体重=182{{nbsp}}kg
|2名称=ゴ・ジャーザ・ギ剛力体
|2身長=201{{nbsp}}cm
|2体重=213{{nbsp}}kg
}}
; ゴ・ジャーザ・ギ
: 未確認生命体第44号(B群10号)、[[サメ]]種怪人。ゴ集団の中の最強3怪人の一人。人間体は黄色いネクタイを締め、ダークグリーンのパンツスーツに眼鏡をかけ、常に携帯につないだモバイル・パソコンを持ち歩いている落ち着いた口調のOL風の女性。初登場はEPISODE37。ゲゲル実行はEPISODE40・EPISODE41。
: ゲリザギバス・ゲゲルの自身に課した追加条件は「5時間以内にネットの裏の噂の[[電子掲示板|BBS]]上に予告した『空([[旅客機]])』と『海([[遊覧船]])』の2回で567人殺す」。殺し方は該当する名を持つ大型の乗り物に乗り込み、その場で怪人体となり逃げようとして一ヶ所に集まったリントを長くて鋭い銛状の武器で一気に貫いて虐殺する。
: ゲリザギバス・ゲゲルのことはあくまで単なる通過点としか考えておらず、その先のザギバス・ゲゲルに備えて力の温存のため、抵抗力の弱いシルバーエイジツアーの老人客や子供の団体客を中心に狙うといった合理的かつ冷酷な考え方を持つ。
: ネットにヒント{{efn|内容は「10月8日11時、空を渡る虹の中で243が消える。そして、16時、海に浮かぶ太陽の上で324が消える」}}を書き込んだ後乗客になりすましレインボー航空706便に乗り込み、乗客乗員のうち243名を殺す。その後海に飛び込み逃げていたところ、クウガに場所を特定される。しかしダグバに気をとられていた一瞬の隙を突き、銛を左肩に投げ込んで動きを封じ、変身解除まで追い込んだ挙げ句、上陸する。
: 次の標的である客船[[さんふらわあ]](海に浮かぶ太陽){{efn|映画『[[仮面ライダーV3対デストロン怪人]]』にもロケ地として使われていたため、スタッフの意向で登場することとなった{{Sfn|超辞典|2011|p=356}}。}}に向かうと、そこでクウガと交戦。最初は銛を投げ込みクウガに襲い掛かるも、ライジングドラゴンのライジングスプラッシュドラゴンを受けるも、全く意に介さず封印エネルギーを霧散させると、剛力体へと変化し大剣でクウガに襲い掛かり、タイタンフォームをパワーで圧倒する。しかし、咄嗟の判断でその場の鉄パイプでもう一振りのライジングタイタンソードを装備したライジングタイタンの二刀流により攻撃を防ぐことが出来ず、ダブルライジングカラミティタイタンを受けると、クウガと共に太平洋上の海中に落ちそこで爆発する。
:* 怪人体のデザインはいずれも青木哲也が担当した{{R|完全超悪4}}。当初は[[エイ]]をモチーフとした女ではない怪人のため、エイの名残りが少し見られる{{R|完全超悪130}}。サメの特徴的なエラや大きな背ビレ、ギザギザの歯は装飾品で表現している{{R|完全超悪130}}。髪の毛のように後ろに垂らすことで、女性らしさを強調している{{R|完全超悪130}}。
:; ゴ・ジャーザ・ギ俊敏体
:: ジャーザの基本形態。専用武器は腰元の装飾品を変化させる[[銛]]状の武器で、防弾性に優れるライジングペガサスのショルダーブロッカーを刺し貫くほどの威力を誇る。目の色はオレンジで、体色は茶色。
:: 海中を海上保安庁の巡視艦より素早く動くことが出来る。銛を投げ込むのが、戦闘の主体。
::; その他の登場作品
:::; 『仮面ライダーディケイド』
:::: ン・ガミオ・ゼダの黒煙で人間が変化した個体が登場。「アギトの世界」にも写真のみ登場。
:; ゴ・ジャーザ・ギ剛力体
:: ジャーザが力に優れる形態に超変化した姿。専用武器は同じ腰の装飾品を変化させる鋭い大剣。
:: 俊敏体よりさらに筋骨隆々となった姿。目と体の色は灰色。肩部には背鰭のように鋭く張り出し、鰭状のトゲが脚に生えている。タイタンフォームを凌駕するほどのパワーを誇る。
:
:{{キャラスペック
|名称=ゴ・バベル・ダ格闘体
|別名={{Plainlist|
* バッファロー種怪人
* 未確認生命体第45号(B群12号)
}}
|身長=213{{nbsp}}cm
|体重=223{{nbsp}}kg
|2名称=ゴ・バベル・ダ剛力体
|2身長=213{{nbsp}}cm
|2体重=248{{nbsp}}kg
}}
; ゴ・バベル・ダ
: 未確認生命体第45号(B群12号)、[[アメリカバイソン|バッファロー]]種怪人。ゴ集団の中の'''最強3怪人'''の一人。人間体は頭にバンダナ、首にネックレスを巻き、黒のジャケットに水牛を象ったバックルが付いたベルトを巻いたパンツを着用したロッカー風の長身の男性。初登場はEPISODE37。ゲゲル実行はEPISODE42。怪人体は茶色の体色に頭部、胸部、腰元、両脛部に青銅色の鉄兜と鎧を装着している。
: ゲリザギバス・ゲゲルの自身に課した追加条件は「2日で4か所を襲い、閉鎖した空間内にいる682人を殺す」。殺し方は大型トラックなどで池袋駅地下街のショッピングモールの出入口を防いで逃げ道を無くし、地下街にいる人間を格闘体のメリケンサックで殴り倒す。
: 4回のゲゲルで計682人を殺害し地上に現れたところに、クウガと警察に遭遇しクウガと交戦。頬にクウガのパンチを受け「確かに今度のクウガは、骨があるな」「これだけ強い拳があれば、たくさんの獲物を殺せるだろう」と挑発めいてはいるものの、グロンギなりの誉め言葉を送っている。圧倒的な耐久力でクウガのマイティキックを耐えて、剛力体となりさらにクウガを痛め付けた。とどめを刺そうとする瞬間に一条の筋肉弛緩弾による援護射撃を受け、動きが鈍ったところをクウガのビートゴウラムによって、埼玉県内の造成地に連れていかれる。そこでライジングビートゴウラムアタックを受け爆死する。
:* 怪人体のデザインはいずれも飯田浩司が担当した{{R|完全超悪4}}。
:; ゴ・バベル・ダ格闘体
:: バベルの基本形態。専用武器は爪付きの[[メリケンサック]]。目、およびリストバングルの色はオレンジで、体色は茶色。
:: この状態でも、ビートチェイサー2000の突撃を真っ正面から受け、マイティキックの封印エネルギーを余裕で霧散させる力を持つ。
::; その他の登場作品
:::; 『仮面ライダーディケイド』
:::: 聖なるゲゲルを実行するが、ディケイドのディメンションキックを受け、爆死する。また、ン・ガミオ・ゼダの黒煙で人間が変化した個体が登場。
:; ゴ・バベル・ダ剛力体
:: バベルが力に優れる形態に超変化した姿。目、およびリストバングルの色は紫。専用武器は胸部の装飾品を変化させる両端にスパイクを備えた[[スレッジハンマー]]。
:: 肌の色が濃いブロンズになり、両肩部の筋肉はより発達して鋭いカギ角が生え、さらにパワーが上がった姿。そのパワーで振り回されるハンマーは、タイタンフォームの生体鎧にめり込むほどの威力を発揮する。
:
:{{キャラスペック
|名称=ゴ・ガドル・バ格闘体
|別名={{Plainlist|
* カブトムシ種怪人
* 未確認生命体第46号(B群11号)
}}
|身長=209{{nbsp}}cm
|体重=238{{nbsp}}kg
|2名称=ゴ・ガドル・バ俊敏体
|2身長=209{{nbsp}}cm
|2体重=229{{nbsp}}kg
|3名称=ゴ・ガドル・バ射撃体
|3身長=209{{nbsp}}cm
|3体重=238{{nbsp}}kg
|4名称=ゴ・ガドル・バ剛力体
|4身長=209{{nbsp}}cm
|4体重=247{{nbsp}}kg
|5名称=ゴ・ガドル・バ電撃体
|5身長=209{{nbsp}}cm
|5体重=252{{nbsp}}kg
}}
; {{Anchors|ゴ・ガドル・バ}}ゴ・ガドル・バ
: 未確認生命体第46号(B群11号)、[[カブトムシ]]種怪人。ゴ集団の中の'''最強3怪人'''の一人で、ゴ集団のリーダー。人間体は終始無表情を貫く黒い軍服姿の威圧感漂う寡黙な男。自ら「破壊のカリスマ(ザバギン・バシグラ)」と豪語する、グロンギの最上位階級に当たるゴ集団の頂点に相応しい実力者。初登場はEPISODE25。ゲゲル実行はEPISODE43・44・45・46。怪人体は全身の各所が鎧のような外骨格に覆われ、その隙間からは体毛が伸びており、ゲドルードと胸元のものを除き、衣服や装飾品は身に付けていない。額には角があり、複眼と両手甲の宝玉の色は、後述の形態変化毎に変色する。
: 派生形態と胸元の小さな装飾品を超変化する形態に合わせた武器を使いこなし、発電所で一か月にわたって莫大な電力を自らの魔石に吸収することで新形態を1つ増やした。カブトムシの特性による強固な外骨格は耐久力に優れ、神経断裂弾やクウガのライジングマイティキックさえも耐えることが出来る。
: ゲリザギバス・ゲゲルの自身に課した追加条件は「リントの戦士(男性警察官)のみを警察署内で殺害する」。これは強者との戦いを望み、自らに課したものである。西多摩警察署を襲撃し、男性警察官108人を10分足らずで殺害したが、このゲゲルはドルドがバグンダダを破壊されて無効となる。
: クウガとの1度目の対決はその圧倒的な力を見せつけてクウガを追い詰め、新しい力である電撃体に変身して瀕死に追いやる。
: 神経断裂弾を撃たれても、動きを一時的に止められただけで、一条を追い詰めるが、新たな力を得たクウガとの2度目の対決でアメイジングマイティキックと自身のゼンゲビ・ビブブを打ち合う。クウガよりも先に立ち上がるが、腹部に打ち込まれた強力な封印エネルギーに耐えられず、大きな火柱をあげて爆死した。
:* 怪人体のデザインはいずれも青木哲也が担当した{{R|完全超悪4}}。モチーフは日本のカブトムシ{{R|完全超悪130}}。バダーが[[仮面ライダー1号]]のオマージュとしているため、こちらは[[仮面ライダーストロンガー]]のオマージュとしている{{R|完全超悪130}}。粘土原型はレインボー造形ではなく、髙寺自身が手を入れているため、デザイン画と最終的なスーツの仕上がりには少し差がある{{R|完全超悪130}}。
:; {{Anchors|ゴ・ガドル・バ格闘体}}ゴ・ガドル・バ格闘体
:: ガドルの基本形態。複眼と手甲の宝玉の色がオレンジ色で、素手による格闘戦を得意としゴオマ強化体を退けた。
:; {{Anchors|ゴ・ガドル・バ俊敏体}}ゴ・ガドル・バ俊敏体
:: ガドルが速さに優れる形態に超変化した姿。専用武器は両端にカブトムシの角状の爪を備えたロッド状の武器。複眼と手甲の宝玉の色が青色で、瞬発力と跳躍力に優れる。俊敏さに優れるドルドと互角以上の激闘を展開した。
:; {{Anchors|ゴ・ガドル・バ射撃体}}ゴ・ガドル・バ射撃体
:: ガドルが射撃を得意とする形態に超変化した姿。専用武器は空気弾を撃つ弓・'''ガドルボウガン'''{{R|完全超悪130}}。クウガのペガサスボウガンと同等の威力を持つが、着弾後、爆発や衝撃を起こすほどの高威力を誇る。複眼と手甲の宝玉の色が緑色で、視覚・嗅覚・聴覚が強化され、遠距離戦に優れる。
:; {{Anchors|ゴ・ガドル・バ剛力体}}ゴ・ガドル・バ剛力体
:: ガドルが怪力を誇る形態に超変化した姿。専用武器は[[剣|大剣]]。複眼と手甲の宝玉の色が紫色で、筋力が強化される。カラミティタイタンを受けても微動だにすることなく、腹部に刺さった状態のままタイタンソードを自分の大剣に変化させた。そのままタイタンフォームの生体鎧を切り裂き、追い詰めるほど攻め立てた。また、ライジングマイティキックに対しても半歩下がる程度で、全く意に介さなかった。
:; {{Anchors|ゴ・ガドル・バ電撃体}}ゴ・ガドル・バ電撃体
:: 発電所から吸収した電気エネルギーによって全能力が強化されたガドルの派生形態。胴体と複眼、手甲の宝玉の色が金色。左右の側頭部から角が2本鋭く伸び、首周りの体毛が長くなる。自らの武器も金の力で強化変形させることが可能。ライジングフォームと異なり、各種武器を形成するのに各種形態に応じた形態への変化を必要とはしない模様。[[ドリル (工具)|ドリル]]のような高速回転を加えた両脚蹴り、'''ゼンゲビ・ビブブ(電撃キック)'''でクウガに瀕死の重傷を負わせる。
:; その他の登場作品
::; 『[[劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー]]』
::: 大ショッカーの一員として電撃体が登場。
=== ヌ集団 ===
; {{Anchors|ヌ・ザジオ・レ}}ヌ・ザジオ・レ
: 未確認生命体B群14号、[[サンショウウオ]]種怪人。「いいよう(ギギジョグ)」が口癖。劇中ではその確かな怪人体は確認されておらず、人間体は右掌にサンショウウオのタトゥがあり、サングラスをかけ、バルバのゲゲルリングを一回り小さくしたイヤリングを付けており、暗いところに佇む黒服の初老の男。
: 主にグゼパ(ゲゲルの被害者の数を数える腕輪)やバグンダダ、各怪人が使う武器の作成、あるいはバギブソン(ゴ・バダー・バのバイク)のメンテナンスまで、裏方の仕事を担当する武器係。
: ダクバが動き出すと、ダグバのゲドルード修復に着手。ザジオもベ、ズ集団同様にゲゲルの参加資格はなく、ジャーザのゲゲル中に、ゲドルード修復が終了した後、ダグバによって「整理」された。
:* 元々、グロンギのボス的な立場という設定だったが、後に職人的立場として重要な存在に改変されたバルバのように再設定された。また、怪人体デザイン案もあったようだが、劇中で登場することはなかった{{R|超全集最終73}}。
=== 階級 ===
==== プレイヤー階級 ====
ゲゲルに参加資格を有する階級集団。すべてのグロンギが参加資格があるわけではなく、各集団の実力者が参加資格を有する。
; ズの集団
: リーダーはズ・ザイン・ダ。最下層の集団で血の気が多くかなり好戦的。バックルの色は赤銅色。服装はやや派手なものもあるがさほど目立たない程度。ただし、日本語はあまり上手くないため話さないか片言程度。武器は使用せずに己の肉体のみで闘う。勝手をする者も多く、グムンやゴオマのようにゲゲル以外の殺人を行う者もいる。
:
; メの集団
: リーダーはメ・ガリマ・バ。中級集団でバックルの色は黒ずんだ銀。日本語をある程度話せるが第一言語を話すことが多い。ズ集団に比べて多少は落ち着いた性格だが、服装は少々派手な装飾が目立つ者もいる。装飾などの武器は使用しないが、毒や起爆性体液、透明化など自身の能力を武器として使用する。
:
; ゴの集団
: リーダーはゴ・ガドル・バ。上級集団でバックルの色は黒鉄色。構成メンバーは10人と非常に少ない。ゲゲルを勝ち抜いた実力者で言うなれば上位ランカーの集団である。「ゲリザギバス・ゲゲル」への参加資格を持ち、身につけている装飾品から武器を生成する能力や、クウガ同様形態変化をする個体もいる。使用言語は仲間内でさえグロンギ語より日本語のほうが多く、インターネットなど人間のメディアも利用している。服装も人間界でまったく目立たないと言っていいほど溶け込む服装である。ズやメと比べて非常に落ち着いた性格で余裕すら感じるが、その殺意はズやメ以上に研ぎ澄まされており、殺害数や殺害方法は前二つの集団比べても桁違いである。ゲゲル開始時に殺害条件などを掲示する際にグロンギ文字を記した金色のカードを利用する。
:* 初期設定案では、ゴ集団より上位のジャ集団も存在していた。だが、統合されて形態変化能力を持つガドル、ジャーザ、バベルの3体がゴ集団の中の最強3怪人と位置付けられた{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=96}}。
==== 非プレイヤー階級 ====
ゲゲルに参加できないが裏方として、ゲゲルの運営を担当。ラ・ドルド・グはゴ・ガドル・バと互角に戦った。
; ラの集団
: ゲゲルの進行や監視などを行う審判的な立場の集団。ゴの集団と同等かそれ以上の立場にある特殊な存在で、彼らと対等の戦闘能力を持つ作中では2体のみ。
:
; ヌの集団
: ゲゲルの必要な道具や武器を修復・製作する集団。作中ではザジオ1体のみ。
:
; ベの集団
: 最下級の集団。ゲゲルの参加資格は有していたが、ズの勝手な行動でゲゲル参加権を剥奪され、物語終盤まで作中での動向が描かれないままズ集団とともにダグバに殺された。キャラクターショーなどではベ・ジミン・バが登場。
=== ゲゲル ===
定められた期間内に定められた人数の人間を殺すゲーム。ズ集団のゲゲルではバルバが制限時間と人数を定め、メ集団では自己申告で目標を決め、一定の殺害数カウント後の中間報告が義務付けられている。一度にゲゲルを行うムセギジャジャ(プレイヤー)は1名のみで、ムセギジャジャ(プレイヤー)以外のグロンギはゲゲル中は殺人を禁じられており、開始前に殺人を行った者や他のプレイヤーのゲゲル中に殺人を行った者は参加資格を永遠に剥奪されてしまう。ゲゲルの進行によっては下位集団のゲゲルが停止させられる場合もあり、それに不満を覚えた者が暴走・反抗に出たこともある。
殺害人数のカウントは、'''ドドゾ'''(ボード)と'''グセパ'''(腕輪)でそれぞれ行う。ドドゾが警察に押収されてからは、'''バグンダダ'''が代用されている。
ゲゲルに成功した者は上位ランクに昇格する。劇中ではガルメがズ集団からメ集団に昇格。
=== ゲリザギバス・ゲゲル ===
ゴ集団が行うゲゲルで、意味は「セミファイナル・ゲーム(超古代語対訳版では黒き闇のゲーム)」。メ集団壊滅から1ヵ月後に開始された。通常のゲゲルと異なり、殺害方法に武器の使用が義務付けられ、各々が定めた条件を満たす相手だけを殺す。殺害人数のカウントも本人ではなくドルドが行う。
ゲリザギバス・ゲゲルに成功すれば、ダグバと1対1で戦うザギバス・ゲゲル{{efn|ファイナル・ゲーム、超古代語対訳版で「白き闇のゲーム」。}}に臨み、ダグバを倒せば彼の変身ベルトを受け継いで強大な力を手に入れ、「究極の闇」とよばれるリントの大量虐殺を実行する。
=== アイテム ===
; 皮紙
: グロンギがグロンギ文字や紋章を記入し、記録やコミュニケーションなどに使用する道具。劇中では、巻物状のズおよびメの怪人の紋章一覧表や、ガドルが殺害方法を表示した掌大のもの、ダグバやバルバの紋章と狼のような紋章が記入されたものなどが登場。
:
; グゼパ
: ゲゲルのプレイヤー自身が、ゲゲル進行中に殺害した人数をカウントするために使用する蛇を模した腕輪。別名「カウンターブレス」。桁の上昇に対応するため、複数個存在する。手首に装着し、9個付いている勾玉をスライドさせてカウントする。これを元に、中間報告として記録した数をドドゾに記入する。
: EPISODE5からEPISODE24のズおよびメのゲゲルで使用された。基本的に人間体・怪人体双方の手首に装着されている。これを紛失すると、ゲゲルはやり直しとなる。ゲリザギバス・ゲゲルでは、ルールにより使用されなくなった。
:
; ドドゾ
: ゲゲルの際に数を表示するための[[ホワイトボード]]。ゲゲル開始前に目標数を、ゲゲル途中には中間報告として殺害した人数を記入する。EPISODE5からEPISODE10までのズおよびメのゲゲルで使用されたが、警察にアジトを攻撃・突入された際に押収されてしまった。
:
; バグンダダ
: ゲゲルの際に数を表示・カウントする[[算盤]]。グロンギの紋章に赤珠と黄珠を備える2つ分の算盤を合わせた形状で、赤珠がゲゲルで殺害した人数、黄珠が目標数を示す。使用の際は、使用者側から見て赤珠側が左に来るように保持する。ゲリザギバスゲゲルでは、ゲゲル開始前にプレイヤーの目標数と制限時間を決め、目標数を黄珠で表してから行う。ゲゲル進行中はドルドがゲゲルの現場にバグンダダを携帯して立会い、赤珠で殺害した人数をカウントする。EPISODE12でザジオが完成させ、押収されたドドゾの代用品として開始時の目標数を表示するのに使われた。EPISODE25以降のゲリザギバスゲゲルでは、ドルドが使用するようになったが、EPISODE45でのガドルのゲゲルの最中に一条の銃撃で破壊され、ゲゲルは仕切り直しとなった。
=== デザイン・造型 ===
グロンギの人間体は、予算の都合からスーツでのアクションを減らすために考案された{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}。その一方で、怪人のスーツはアップ用とアクション用の2種類が用意されている{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}。
ハイビジョン撮影ではスーツの材質や造りがそのまま映ってしまうため、従来とは異なる工夫がなされた{{R|宇宙船100}}。スーツにはゴム素材を用いており、スーツをスーツアクターに密着させることでしわをなくすため造型時には毎回スーツアクターのフィッティングを行っていた{{R|宇宙船100}}。腰布などの衣装は股関節などのシワになりやすい部分を隠すためにデザインされ、次作『[[仮面ライダーアギト]]』のアンノウンでも引き継がれている{{R|宇宙船100}}。
日中や屋内の撮影でも筋肉の隆起などのコントラストを強調するため、着色したラテックスを重ね塗りして陰影を表現している{{R|宇宙船100}}。
== 設定 ==
; ポレポレ{{efn|スワヒリ語で『ゆっくり行こう』という意味である。}}
: [[文京区]]小日向5丁目15番地5号{{efn|雄介の名刺の裏側に記載。ただし、実際の文京区小日向は4丁目までしか存在しない。}}に店舗を構える、「オリエンタルな味と香りの店」を謳い文句とする住居一体の洋食屋兼喫茶店。玉三郎の自宅でもあり、2階には雄介が居候している。
: '''ポレポレカレー'''やその日の玉三郎の気分によって味が変わる'''ファジーメニュー'''などをはじめ、玉三郎や雄介の個性的な創作料理がメニューとなっている。玉三郎の他にも、雄介や上京した奈々がアルバイトとして勤務し、繁忙時には桜子やみのりも無償で手伝うことが多い。
: EPISODE3・4では雄介も玉三郎も留守で休業していたが、EPISODE5から営業を再開。しかし、EPISODE27での雄介の言によると、交通機関を用いてまで来店する遠方からの常連客もグロンギの影響で減っている。
:
; わかば保育園
: みのりと恵子が保育士を務める、豊島区内にある保育所。ここの人気者である雄介もしばしば訪ね、園児たちと触れ合い、特技を披露している。
:
; 未確認生命体関連事件特別合同捜査本部
: 広域指定されたグロンギによる事件を解決に導くため、EPISODE5から警視庁本庁内に設立された捜査本部。本部長の松倉を筆頭に、警視庁捜査一課の叩き上げの刑事たちや、長野県警から合流した一条が主要捜査員として所属し、彼らの現場を望見や多数の警官たちがサポートする。
: 科警研・SAT・県警・関東医大病院・海上保安庁・城南大学など様々な組織・団体と連携し、数多くの銃火器や特殊機器などの通常の警察装備を上回る特別装備も新開発され使用された。
: 前述の通り、クウガに対して当初は「未確認生命体第2号」や「未確認生命体第4号」と呼称し、グロンギ同様に危険視していた。だが、一条の報告と幾多の戦いの中で「味方」として徐々に信頼し、EPISODE33でクウガの正体を知ってからは本格的な協力体制を取り始め、雄介も協力者として事件現場に直接参加。
: ダグバの死亡を確認してから3ヵ月後の4月27日付で解散、メンバーも以前の部署に戻っていった。
:; 銃器類・特殊装備、警察犬
::; [[コルト・パイソン]]357マグナム6インチ
::: EPISODE7からグロンギ捜査員に未確認生命体鎮圧用として支給された主武装である.357口径の[[コルト・ファイヤーアームズ|コルト]]社製大型[[回転式拳銃]]。劇中では主に一条と杉田が使用{{efn|桜井もEPISODE20で使用していたが、EPISODE22以降は[[ニューナンブM60]]を使用。また、一条はEPISODE6までM1911コルト ガバメント (US M1911)を使用していた。}}。この銃が初めて支給された際、[[日本警察]]には普通支給されないような[[.357マグナム弾]]を使用出来る本銃に一条は「えらいもんが支給されたもんだなぁ」と驚いた。
::: 一条たちがペガサスフォームの力と武器を使うクウガに、貸与する拳銃も主にこの銃である。
::; [[レミントンM700]]
::: EPISODE2で一条が使用したライフル。
::; 高性能ライフル
::: EPISODE14以降、多くの戦いで一条に使用された[[ボルトアクション]]のライフル。
::; 未確認生命体鎮圧用特殊ガス弾
::: かつてバヅーが清掃工場からの排煙に拒否反応を示したことを受けてグロンギが排煙に弱いと科警研の付属鑑定所にて推定・開発された、上下の安全装置を捻り、解除して投げつけることで爆発し、排煙の主成分である硝酸カリウムを含有するガスを噴射する手投げ弾。EPISODE10でグロンギが潜伏していた倉庫への攻撃に使用された。使用の際には専用の防護服を着用する。
::; 特殊ガスプラスチック弾
::: 特殊ガス弾の弾丸仕様版。ガスの成分を200倍に濃縮して充填されている。敵の体内で炸裂すると、毒性成分が皮下組織に急速に浸透、細胞を破壊する。致命的なダメージは与えられないが、これによって一時的に敵の活動を停止させる効果はある。EPISODE13以降、数回使用された。
::; 音波探知機
::: 長野気象台がゴオマが発していた超音波を偶然受信していたのをきっかけに科警研が製作した。バチス戦で導入され、バチスを発見した。
::; ミカド号
::: 一か月半に亘る対未確認生命体用の特殊な追跡訓練で、その特殊な[[フェロモン]]に対しての嫌悪からかなりの抵抗を示していた31頭の[[警察犬]]の中で唯一そのフェロモンを嗅ぎ分け、追跡が可能となった対未確認生命体用警察犬である[[ジャーマン・シェパード・ドッグ|シェパード]]犬。ザインの体臭を嗅ぎつけ、それを元に品川区八潮市のグロンギたちが潜伏するアジトである倉庫の発見に貢献する。その後、再びザインの体臭を嗅ぎつけ、追いつくものの、そのザインに襲われ殉職。
::; 特殊閃光弾[[手榴弾|スタングレネード]]
::: EPISODE22でガルメの光学迷彩機能を無効化させるべくSATが使用した手榴弾状の武器。爆発によって放たれる閃光が、約5分間ガルメの皮膚の変化を封じる。
::; 超高圧ライフル
::: EPISODE33以降、桜井やSAT狙撃隊員たち、一条が使用した強化型超高圧弾対応の特注大型ライフル。威力の大きさに比例して反動も凄まじく、剛性は相当高い。
:::* デザインは[[プレックス]]が担当{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=110}}。
::; 強化型ガス弾
::: 弟のバヅーと同じく、硝酸カリウムを主成分とするガスを苦手とするバダーに対しての誘導に使用された特殊ガスプラスチック弾の改良型。
::; 中和弾
::: EPISODE39で使用したザザルの強酸性体液用の中和剤を弾丸状にしたもの。
::; 超音波発生装置
::: EPISODE39でゴオマを攪乱させた試作段階の装置。デスクトップと接続して使用。
::; 筋肉弛緩弾
::: EPISODE42でバベルを弱体化させた全身の筋肉を弛緩させ、動きを封じる特殊な薬剤が弾頭内に充填された弾丸。
::; マーキング弾
::: [[ナノテクノロジー]]で開発され、血管の内径よりも小さな超微細発信器が20個分も搭載された弾丸。EPISODE45で一条がドルドの体内に撃ち込んだ。
::; 神経断裂弾
::: 撃ち込んだ弾丸が体内で連鎖的に爆破することで、グロンギの驚異的な回復力の源である体組織の神経を破壊し、ダメージを与える弾丸。炸裂の間隔は0.3秒以内が理想だが、火薬の配分比が難しく、開発にはかなり難航していた。EPISODE46で杉田と桜井がドルドに、一条がガドルに撃ち込んだ。ガドルには致命傷を与えられなかったが、ガドルに匹敵するドルドを倒してしまうほど強力な武器で、クウガと異なりそのまま死亡させる。
::: のちに対ダグバ用に強化型神経断裂弾が量産配備され、EPISODE48で一条がバルバに撃ち込んで倒した(ただし、弾丸は貫通している)。
:: この他にも、パトカーや護送車、TRCS2000Aといった警察車両は勿論、人工血液を搭載したボート、ヘリコプターなど様々な乗物も戦力として行使する。
:
; 城南大学考古学研究室
: 桜子とジャンが籍を置く研究室。長野県の信濃大学考古学研究室と合同で九郎ヶ岳遺跡を調査し、未確認生命体事件発生以降は、桜子がリント文字解読に、ジャンがゴウラムの調査研究で警察に協力した。
: 雄介や榎田も城南大学の卒業生で雄介は桜子と同窓生、榎田は理工学部出身である。彼らの話によると「熱い」人と言われている本郷教授が共通の恩師らしい。
:
; リント
: 超古代の先住民族で、争いを好まない友好的な民族だが、霊石・アマダムを宿したアークルやゴウラムといった戦士・クウガのための装備を生み出した。
: グロンギからはゲゲルの殺人対象とされ命を狙われていたが、当時のクウガによってグロンギが封印されたため、絶滅を免れた。闘争を知らず、グロンギを殲滅せず封印にとどめた。
: 現代人はリントの末裔であり、グロンギは現代人をも「リント」と呼称し、日本語も「リントの言葉」と認識している。
: リントの使用していた超古代文字「リント文字」は九郎ヶ岳遺跡やクウガの身体や装備などに刻まれている。表音文字と表意文字の2種類がある。
== キャスト ==
世間ではヒーロー像の固定観念ができあがっており、オーディション出場者の多くが、何かにつけて「ゴルゴムの仕業だ!」と力んでいた『[[仮面ライダーBLACK]]』の南光太郎のように大仰な芝居をしたため、主人公の五代雄介役の選出は難航した{{Sfn|語ろう|2013|p=223|loc=INTERVIEW:6 髙寺成紀}}。その中で、最後のオーディションに出た[[オダギリジョー]]はまさにハマリ役だった{{Sfn|超全集 上巻|2000|pp=62-63|loc=高寺成紀東映プロデューサーに聞く!!}}。オダギリはイメージや価値観が凝り固まった特撮ヒーロー作品に強い抵抗感を抱いていたが、それを隠そうとしない裏表のなさがむしろ五代役に最適と判断された。オーディション終了後もオダギリは出演を断るつもりでいたが、プロデューサーの髙寺に「あの仮面ライダーではなく、むしろ違うものにしたいと思っているから、力を貸してほしい」と説得されて、引き受けることにしたという{{Sfn|語ろう|2013|pp=224-225|loc=INTERVIEW:6 髙寺成紀}}。
元々は、葛山が五代役をやる予定であったが、一条のキャラクター設定を読んだ葛山が一条に惚れ込んだことで、一条役に変更となった{{Sfn|英雄伝|2010|p=13}}。
オダギリと一条を演じる葛山の人気は男性アイドル雑誌にも露出するなど異例の注目を集め、「イケメンヒーロー」と呼ばれる、従来特撮に関心がなかった層を新たに取り込んだムーブメントを生み出した。
=== レギュラー・準レギュラー ===
* 五代雄介 - [[オダギリジョー]]
* 一条薫 - [[葛山信吾]]
* 沢渡桜子 - [[村田和美]]
* おやっさん{{efn|最終話エンディングクレジットのみ「飾玉三郎」と表記。}} - [[きたろう]] (5 - 16,18 - 30,32 - 49)
* 榎田ひかり - [[水島かおり]] (7 - 9,15,16,18 - 22,24,26,27,29,32 - 34,37,39 - 44,47,49)
* 五代みのり - [[千崎若菜|葵若菜]] (3,6,9 - 11,16,18 - 20,22,24,26 - 28,31 - 39,43,45,47 - 49)
* 椿秀一 - [[大塚よしたか]] (5,6,8,13,14,18 - 20,23,24,27 - 30,34,35,37,42,44 - 47,49)
* ジャン - セルジュ・ヴァシロフ (5,7 - 9,11,13 - 16,20 - 24,28 - 30,34,35,37,42,44 - 47,49)
* 朝日奈奈々{{efn|name="asahina"}} - [[水原詩生]] (9 - 14,18 - 30,32 - 49)
* 夏目実加 - [[竹島由夏]] (2,7,8,11,13,14,29,30,42,43)
* 松倉本部長 - [[石山雄大]] (5,6,9,13,15,16,21 - 25,29,32,33,38,40,41,44,47 - 49)
* 杉田守道 - [[松山鷹志]] (3 - 7,9 - 13,15,16,18,19,21,23 - 28,30,32 - 41,43 - 49)
* 桜井剛 - [[米山信之]] (3,4,9,10,13 - 16,18,19,21 - 28,30 - 41,44 - 49)
* 笹山望見 - [[たなかえり|田中恵理]] (7,15,16,19,21,22,24,26,27,29,32 - 34,37,39 - 44,47 - 49)
* 神崎昭二 - [[井上高志]] (11,12,25,26,39,47,49)
* 元城恵子 - [[岡田理江]] (9,18 - 20,27,28,34,35,45,47,49)
* 榎田篤子 - [[中真千子]] (9,21,22,40,44.46)
* 榎田冴 - 新穂健太郎 (9,22,44,46,49)
* 社広之 - [[鎌田雄太郎]] (9,10,19,34,35,48)
* 寺島周斗 - 高木智晃 (9,10,34,35,48)
* バラのタトゥの女{{efn|最終話エンディングクレジットのみ「ラ・バルバ・デ」と表記。}} - [[七森美江]](3 - 48)
* ズ・ゴオマ・グ{{efn|name="noname"}} - [[藤王みつる]](2 - 16.18 - 21,23,25,27,29 - 32,34,36 - 39)
* ズ・バヅー・バ(3 - 6)、ゴ・バダー・バ(22,23,25,27 - 29,31 - 33) - [[小川信行]]
* ズ・ザイン・ダ - [[AKIRA (プロレスラー)|野上彰]] (3,4,6,7,9 - 12)
* メ・ガルメ・レ - [[3ガガヘッズ|森雅晴]] (3,4,6,7,9,10,13,14,17,18,20 - 22)
* メ・ビラン・ギ - 大橋寛展 (7 - 14)
* メ・ガリマ・バ - [[木戸美歩|山口涼子]] (7 - 11,13,14,18 - 24)
* ゴ・ガドル・バ - [[軍司眞人]](25,27,29,31 - 35,37 - 46)
* ゴ・ザザル・バ - [[佐藤千秋|朝倉ちあき]](25,29,30 - 39)
* ゴ・ジャラジ・ダ - [[大川征義]](25,29,30 - 35)
* ゴ・ジャーザ・ギ - [[あらいすみれ]] (37 - 41)
* ゴ・バベル・ダ - 桜井顕生 (37 - 42)
* ヌ・ザジオ・レ - [[高月忠]] (12,21,22,31,37,39 - 41)
* ラ・ドルド・グ - [[婆裟羅天明]](23 - 29,31 - 33,35.37 - 39,41 - 46)
* ン・ダグバ・ゼバ - [[浦井健治]](40 - 48)
=== 主なゲスト出演者 ===
{{col|
* 看護婦 - 真坂吏子
* 園児 - [[藤松祥子]]、[[永井杏]]、阿部涼夏
* 亀山鶴丸{{efn|name="noname"|クレジットでは役名未表記。}} - 西手勝秋 (1 - 4,11,14,21,34,38)
* 夏目幸吉教授{{efn|name="noname"}} - [[久保酎吉]](1,8)
* 県警捜索隊員{{efn|name="noname"}} - [[松田重治]](1)
* 古代の戦士{{efn|name="noname"}} - [[富永研司]](1)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kamen-rider-official.com/zukan/character/1350|title=古代の戦士|work=仮面ライダーWEB|publisher=東映|accessdate=2020-12-24}}</ref>
* 警官{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=93}}{{efn|name="noname"}} - 富永研司(1)
* 海老沢{{efn|name="noname"}} - [[森富士夫]] (2 - 4,21)
* 夏目倫子 - 坂本万里子(2,7,8)
* 母親{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=78}}{{efn|name="noname"}} - [[船田めぐみ]](2)
* 娘{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=78}}{{efn|name="noname"}} - [[新穂えりか]]{{efn|榎田冴役の新穂健太郎の妹{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=78}}。}}(2)
* 鯨井県警本部長 - 菅野達也(3,4)
* 多湖 - [[山本東]]
* ライターの男{{efn|役者は別人だが、後のザジオにあたる人物{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=80}}。}} - 高岡良平(5)
* ホームレス - [[千田義正]](5)
* 柏原仁、警察官(5) - [[菊池隆志]] (16,18,23,30,32,33,36,37,44,45)
* 西園寺公任 - [[山本圭壱]]([[極楽とんぼ]])(7)
* 夏目実加(幼少時) - 佐久間李奈(8)
* ポレポレの客{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=81}}{{efn|name="noname"}} - 大島康嗣(8)
* 柴崎要 - 石川貴博(9,10)
* ポレポレの客{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=73}}{{efn|name="noname"}} - 村山桂、青柳夕子(9)
* 釈節男 - [[東地宏樹]](11, 25)
* 稲森麗子 - 佐野和美 (13)
* 蝶野潤一 - 内田大介 (13,14,29,30)
* 3人組の釣り人 - 神谷秀澄、田中輝彦、[[浜田大介]](13,20,35)
* トラックで襲われる女性 - 谷村鹿子、荒井瞳、茂木かをり(15)
* 一条民子 - [[東山明美]](15,16)
* ポレポレの客{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=73}}{{efn|name="noname"}} - 清水祐美(16)
* 老人 - [[依田英助]]
* 椎名純一 - 畠山真 (21 - 23,29,30,32,33,43 - 45)
* 霧島拓 - 木村貴登(25,26)
* ポレポレの客{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=91}}{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=73}}{{efn|name="noname"}} - [[鈴村展弘]]、大寶学(27)
* 元城俊一{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=91}}{{efn|name="noname"}} - 西平敦郎(27)
* アナウンサー - [[寺崎貴司]](31)
* ライダーの男{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=93}}{{efn|name="noname"}} - 富永研司(31)
* ライダーの女 - [[橋本恵子]](32)
* 須山可奈子 - [[三野友華子]] (34,35,38,39)
* 司会者 - [[佐々木正洋 (1954年生)|佐々木正洋]](35)
* アナウンサー - [[大下容子]](35)
* 間宮正彦 - [[小山裕達]](42,43)
* 桂木刑事 - [[磯部勉]](43)
* 蟻川誠一 - [[山本勝]](43)
* 幕張署刑事 - 浅倉つとむ、[[武智健二]]、舟田走、[[石垣広文]]、[[横山一敏]](43)
* ポレポレの客 - 藤王みつる、森雅晴、野上彰、大橋寛展、[[木戸美歩|飯島美穂]]、森安信一{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=73}}(46.5)
* ポレポレの客{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=73}}{{efn|name="noname"}} - 荒川稔久(49)
|
* ズ・メビオ・ダ - [[白鳥智香子]](3){{efn|怪人体の声は別キャスト}}
* メ・バヂス・バ - [[河合秀]](7,8)
* メ・ガドラ・ダ - 西川義郎(17)
* メ・ギイガ・ギ - [[白井雅士]](9,10)
* メ・ギャリド・ギ - 石橋直(14 - 16)
* メ・ギノガ・デ - [[青山雄]](18,19)
* ゴ・ブウロ・グ - [[高尾晃市]](23,25,26)
* ゴ・ベミウ・ギ - [[伊藤聖子]](25,27,28)
* ゴ・ガメゴ・レ - [[酒井一圭]](25,28 - 30)
}}
=== 声の出演 ===
* ナレーション - [[立木文彦]](49をのぞく){{efn|17、31、46.5話をのぞいてノンクレジット}}
* ラジオDJ - [[諏訪部順一]](6,15,16,23,24)
* トライチェイサー2000取扱説明VTRナレーション - [[緒方文興]](3)
* ン・ダグバ・ゼバ - [[夏井貴浩]](1){{efn|39話以降は別キャスト}}
* ズ・グムン・バ - [[坂口哲夫]](1,2)
* ズ・メビオ・ダ - 西條久美子(3,4)
=== スーツアクター ===
[[スーパー戦隊シリーズ]]でアクション監督を務めていた[[竹田道弘]]は、第1話・第2話で福沢博文が担当したズ・グムン・バの演技を高く評価しており、そのことが翌年『[[百獣戦隊ガオレンジャー]]』での福沢のガオレッド起用につながった{{R|仮面俳優181}}。
* 仮面ライダークウガ<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.toei.co.jp/tv/w/story/1190733_1613.html|title=仮面ライダーW(ダブル) 第22話「還ってきたT/死なない男」|publisher=仮面ライダーW 東映公式サイト|accessdate=2011-05-05}}</ref> - 富永研司
* 仮面ライダークウガ(トライアルアクション){{Sfn|超全集 最終巻|2001|p=67}} - [[成田匠]]
* グロンギ怪人{{R|仮面俳優23}}{{efn|ズ・グムン・バ(EPISODE1){{Refnest|group="出典"|{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=78}}{{Sfn|ディケイド公式読本|2009|p=171}}{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=67}}{{R|仮面俳優23|仮面俳優181}}}}、ズ・ゴオマ・グ(EPISODE2){{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=78}}、ズ・メビオ・ダ(EPISODE3){{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=79}}{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=67}}、ズ・バヅー・バ{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=67}}、メ・ガドラ・ダ{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=67}}、メ・ガリマ・バ{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=67}}、ゴ・ベミウ・ギ{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=67}}、ズ・ゴオマ・グ強化体 / 究極体(EPISODE36 - 39){{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|pp=95-97}}、ン・ダグバ・ゼバ{{Sfn|超全集 最終巻|2019|p=67}}ほか}} - [[福沢博文]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.redactionclub.com/member/HirofumiFukuzawa.html|title=福沢博文|publisher=株式会社レッド・エンタテインメント・デリヴァー|accessdate=2011-04-27}}</ref>
* グロンギ怪人{{efn|ズ・グムン・バ(EPISODE2){{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=78}}、ゴ・ガドル・バ格闘体(EPISODE38){{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=96}}ほか}} - [[伊藤慎]]<ref>{{Cite book|和書|author=鶯谷五郎他|editor=CAST-PRIX PREMIUM編集部・和田谷洋子・橋本学|title=仮面ライダー THE NEXT公式ブック 21st CENTURY MASKER WORLD|year=2007|publisher=[[ジャイブ]]|isbn=978-4-86176-450-9|page=73}}</ref>
* ゴ・ザザル・バ{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|pp=95,97}} - [[蜂須賀昭二]]
* ゴ・ジャラジ・ダ{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=95}}<ref>{{Cite book|和書|date=2010-03-08|title=JAE NAKED HERO|publisher=[[太田出版]]|isbn=978-4-7783-1210-7|page=69|chapter=おぐらとしひろ}}</ref> - [[おぐらとしひろ|小倉敏博]]
* ゴ・バダー・バ(トライアルアクション){{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=93}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://tvarc.toei.co.jp/tv/user/program/browse3.asp?Command=Old&StrNum=33&SID=127|title=仮面ライダークウガ 第33話|publisher=仮面ライダークウガ 東映公式サイト|accessdate=2011-05-05|deadlinkdate=2017年9月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090211122520/http://tvarc.toei.co.jp/tv/user/program/browse3.asp?Command=Old&StrNum=33&SID=127|archivedate=2009年2月11日}}</ref> - [[成田亮 (トライアル)|成田亮]]
* その他 - [[中川素州]]<ref>{{Cite web |title=『ライダー!』 |url=https://ameblo.jp/motokuni55v/entry-10303226217.html |website=motoブログ |access-date=2023-12-31 |language=ja}}</ref>
== スタッフ ==
プロデューサーの髙寺と付き合いが長いということで荒川稔久{{efn|荒川は、平成ライダーでは、唯一のメインライターでの参加。}}が前番組から続投、メインライターになり、前述のとおり井上敏樹がサブとして参加した。また髙寺の知己で、特撮雑誌『[[宇宙船 (雑誌)|宇宙船]]』の編集者であり、また『[[TVチャンピオン]]』「TVヒーロー王選手権」の連続王者でもあった大石真司が文芸担当として迎えられ、緻密なヒーロー像やストーリーラインを構築した。
他にも、当時はまだ[[武蔵野美術大学]]の学生だった[[阿部卓也]]が企画検討段階からデザイナーとして抜擢されるなど、斬新なスタッフワークが採られた。阿部は完璧な意味を持つ古代文字を構築した他、グロンギ怪人のベースデザインを作った。阿部は学業との両立が困難になって途中から作品を離れるが、後を[[プレックス]]や[[石森プロ]]に属する青木哲也や飯田浩司などの職人デザイナーたちが引き継ぎ{{R|完全超悪4}}、劇中最後の敵、ン・ダグバ・ゼバのデザイナーとして復帰した。
大石、阿部、そして特撮ヒーローを大胆に解釈した作風で、演劇ファンから人気があった劇作家・演出家の[[きだつよし]]ら、本作品で実質、髙寺に「一本釣り」されたことで本格的に商業特撮作品に携わったスタッフたちは、後に同じ髙寺が手がけた『[[仮面ライダー響鬼]]』時にも招聘され、髙寺が同作品を去るまでの間深く関わっていくことになる。
演出陣では、石田秀範が初のメイン監督を担当した。また、戦隊サイドにいた渡辺勝也、長石多可男といった髙寺縁の演出家も集結している。ちなみに当初は石田がメインを務める予定ではなく、別の監督がパイロットを撮り石田は第3・4話を撮る予定であった。しかし髙寺とその監督の意見が衝突し監督が降板、急遽石田にパイロットのお鉢が回ってきたとのことである。その皺寄せがありハードスケジュールが祟ったせいか石田は撮影中に倒れてしまい、パイロット作品ではチーフ助監督の鈴村展弘が演出を代行した箇所もあるという。
* 原作 - [[石ノ森章太郎]]
* 連載 - [[テレビマガジン]]、[[てれびくん]]、[[幼稚園 (雑誌)|幼稚園]]、[[めばえ (雑誌)|めばえ]]、[[たのしい幼稚園 (雑誌)|たのしい幼稚園]]、[[おともだち]]
* スーパーバイザー - 小野寺章([[石森プロ]])
* 制作統括 - [[鈴木武幸]](49)
* プロデュース{{efn|第13話より「プロデューサー」と表記。}} - 清水祐美(テレビ朝日)、[[髙寺成紀]]・[[鈴木武幸]](13-48)(東映)
* シリーズ構成 - [[荒川稔久]](13-49)
* 文芸 - 大石真司、村山桂
* 脚本 - 荒川稔久、[[井上敏樹]]、[[きだつよし]]、村山桂、竹中清
* アクション監督 - [[金田治]]・[[山田一善]]([[ジャパンアクションクラブ]]{{efn|第11話から第48話までクレジットなし。}})
* 監督 - [[石田秀範]]、[[渡辺勝也]]、[[長石多可男]]、[[鈴村展弘]]、金田治
* 音楽 - [[佐橋俊彦]]
* 撮影 - [[いのくままさお]]、尾方賢一
* HDカムサポート - 尾方賢一
* 照明 - 大寳学、斗沢秀
* 美術 - 木村光之、[[大嶋修一]]
* 音響 - 後平淳一、綾高興、田岡響
* 編集 - 長田直樹(シネ・アルファ)
* MA - 渡辺典夫
* 選曲 - 谷山謙二([[映広]])
* 音効 - 大野義彦([[大泉音映]])
* 記録 - 深澤いづみ、森みどり、高山秀子、栗原節子
* 助監督 - 鈴村展弘、田村孝蔵、斉藤博士、福島耕二、木村繁仁、田澤裕一、斉藤滋嗣、[[柴﨑貴行]]、狩山俊輔
* 操演 - 高木友善(ライズ)
* 広報 - [[保坂正紀]]、織田笑里(テレビ朝日)
* プロデュース補 - 横塚孝弘(1-8,49) 、[[白倉伸一郎]](24-49)
* キャラクターデザイン - 飯田浩司、[[阿部卓也]]、野中剛、青木哲也、鈴木和也、竹内一恵
* 制作主任 - 東正信、小迫進、富田幸弘
* 制作担当 - 沼尾和典
* 制作デスク - 青柳夕子
* 技術プロデュース - 藤村尚道、隆杉良司
* OP&ED監督 - 小藤浩一
* VFX - [[日本映像クリエイティブ]]、[[マリンポスト]]、キューテック
* 技術協力 - CRAZY TV、ソニーマーケティング、[[東映化学]]TOVIC
* CG協力 - [[ダイキン工業]]電子システム事業部
* 照明協力 - [[共立 (照明)|共立]]
* 制作 - [[テレビ朝日]]、[[東映|東映株式会社]]、[[アサツー ディ・ケイ|ASATSU-DK]]
== 音楽 ==
劇中の音楽は佐橋俊彦が担当した{{R|21st13}}。佐橋は髙寺からオーケストラ編成が基本のスーパー戦隊シリーズとは変えてほしいとの要望を受け{{R|21st13}}、佐橋サウンドの持ち味だったオーケストラの使用を避け、アクションテーマはバンド編成による激しいロック、 怪人襲撃・暗躍を表現する音楽は[[シンセサイザー]]による音色で、洋画ホラー物のような雰囲気を演出しており、それまでに佐橋が手掛けた作品とは全く異なる音楽世界を確立している。本人もインタビューなどで、普段の自分のスタイルとは違ったことを試みた、という主旨の発言をしている{{Full|date=2019年2月}}。
当初、最終回の音楽を完成したVTRマスターに合わせて録る話があったが、間に合わず結局不可能となった。これを実現していたならば、佐橋はスケジュールに追われて楽曲制作の質が落ちることを防ぐため、次作『仮面ライダーアギト』の音楽担当を辞退するつもりだったという<ref>『仮面ライダーアギト オリジナル・サウンドトラック』(日本コロムビア、2001年)のライナーノーツにおける本人コメントより</ref>。
=== 主題歌 ===
==== オープニングテーマ ====
; 「仮面ライダークウガ!」
: 作詞 - [[藤林聖子]] / 作曲・編曲 - 佐橋俊彦 / 歌 - [[田中昌之]]
: 第1 - 33・47 - 最終話は1番、第34 - 46.5話は2番の歌詞を使用。映像は作中の展開に合わせて随時変更された。
: 英語版の「'''THE MASKED RIDER KUUGA! 〜仮面ライダークウガ!英語ヴァージョン〜'''」(訳詞:T-CRANE、コーラス:MICKEY T.)がある。
: なお、本曲のイントロは3種類存在する。
:* Aタイプ:ノイズ風シンセの音が入るもの(シングルバージョン、映像では未使用だがコンピレーション・アルバムにはこちらが収録されることが多い)
:* Bタイプ:ノイズ風シンセの音が入らないもの(アルバムバージョン、映像では基本形として使われたもの)
:* Cタイプ:短縮版(一部のエピソードで使用、未CD化)
==== エンディングテーマ ====
; 「青空になる」
: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲・編曲 - 佐橋俊彦 / 歌 - [[橋本仁 (歌手)|橋本仁]]
: 第1 - 33・47・48話は1番、第34 - 46.5話は2番の歌詞を使用。最終話はフルサイズに近い形で使われた。映像は原則として全話共通だが、第46.5話と最終話はそれぞれ独自のものが使われた。こちらは別バージョンは制作されていないが、TVサイズに準じてイントロをカットしたものが[[コロちゃんパック]]に収録されたことがある。
: こちらもオープニングと同様、英語版「'''Into the blue sky 〜青空になる 英語ヴァージョン〜'''」(訳詞:T-CRANE、コーラス:MICKEY T.)が存在する。
=== 劇中歌 ===
; 「たんぽぽのおはな」
: 作詞 - 藤林聖子 / 作曲・編曲 - 佐橋俊彦 / 歌 - 葵若菜 / コーラス - わかば児童合唱団
: 劇中では、みのりとわかば保育園の子供たちが(回によっては雄介も加えて)歌っている。本作品では全20曲のボーカル曲が制作されたが、主題歌以外で実際に使われたのは本曲のみ。しかもCD用の音源ではなく、シーンに合わせて出演者がその都度歌ったものが使われた。
=== イメージソング・キャラクターソング ===
「究極の闇」、「Love is my life」の2曲以外は全て放送時8cmシングルでそれぞれリリースされ、後に『仮面ライダークウガ ソングコレクション』『仮面ライダークウガ ソングコレクション2』に収録された(「究極の闇」、「Love is my life」は『仮面ライダークウガ ソングコレクション2』が初出)。「“t”」は、JOE ODAGIRI名義のアルバム「WHITE」には収録されたが、クウガ関連のアルバムには収録されていない。全曲とも作中未使用。
; 「power of soul」
: 歌 - 橋本仁
; 「Red Desire」
: 歌 - 田中昌之
: クウガ マイティフォームのイメージソング。
; 「Believe in Miracle」
: 歌 - 村田和美
: 桜子のキャラクターソング。
; 「Blue Higher」
: 歌 - 橋本仁
: クウガ ドラゴンフォームのイメージソング。
; 「TRY&CHASE」
: 歌 - 田中昌之
; 「薔薇の掟」
: 歌 - 七森美江
: 薔薇のタトゥの女のキャラクターソング。『ソングコレクション』には、曲に合わせて歌詞を朗読する「デスデデス・ヴァージョン」が収録された。
; 「Say Alright!」
: 歌 - 橋本仁
; 「Edge of Green」
: 歌 - 橋本仁
: クウガ ペガサスフォームのイメージソング。
; 「PURPLE PRIDE」
: 歌 - [[坂井紀雄]]
: クウガ タイタンフォームのイメージソング。
; 「究極の闇」
: 歌 - 坂井紀雄
: クウガ アルティメットフォームのイメージソング。歌詞はグロンギ語で書かれている。
; 「Love is my life」
: 歌 - 大塚よしたか
: 椿のキャラクターソング。
; 「装甲機GOURAM」
: 歌 - MICKEY-T.
: ゴウラムのイメージソング。
; 「BEATCHASER 2000」
: 歌 - 橋本仁
: ビートチェイサー2000のイメージソング。
; 「It comes rain」
: 歌 - 葛山信吾
: 一条のキャラクターソング。
; 「Rising your power is Gold」
: 歌 - 坂井紀雄
: ライジングフォームのイメージソング。
; 「“t”」
: 作詞・作曲 - 小田切譲 / 歌 - オダギリジョー
: オダギリジョーによる小田切譲名義で製作された五代のイメージソング。他の出演者によるキャラクターソングとは異なり、あくまで「オダギリ本人による五代のイメージソング」である。
== 制作 ==
=== 企画の経緯 ===
[[東映]]の[[鈴木武幸]]は、2 - 3クールで終わるような中途半端なライダーを作るべきではない、機が熟した時に再開すべきとして、復活の声はあったものの長いあいだ仮面ライダーテレビシリーズの再開を中断していた{{Sfn|鈴木孝幸|2018|p=57}}。仮面ライダーのテレビシリーズ再開は[[1996年]]ごろから企画が進められており、当初は[[ウルトラシリーズ]]を放映していた[[毎日放送]]制作、[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系]]の[[毎日放送制作土曜夕方6時枠のアニメ|土曜6時台]]での放送を目指していた時期もあった{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}。初期タイトルは『仮面ライダーXV(クロスブイ)』{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}と『仮面ライダーカワカミ』<ref>[https://twitter.com/kaiju_cfm/status/639827268525658112 高寺成紀の怪獣ラジオ @kaiju_cfm 2015年9月5日のツイートより]</ref>であり、ここで提示された複数の仮面ライダーを登場させる案が、人数を1人に集約することでフォームチェンジという発想につながっている{{Sfn|超全集 最終巻|2001|p=68}}。また別の企画タイトルの一つに『仮面ライダーガイア』があり、『[[ウルトラマンガイア]]』と競合したと言われている{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}{{efn|後に発表された『[[仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-]]』の元となった石ノ森の遺稿とは異なる{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}。}}。
毎日放送での放送は決まりかけていたが、その後毎日放送が[[ゾイド -ZOIDS-|ゾイド]]{{Sfn|鈴木武幸|2018|p=206}}やウルトラマン{{R|houchi}}のほうを選び断ったためTBS系での放送は実現に至らず、東映の特撮番組『[[燃えろ!!ロボコン]]』を放映中という縁で制作局を[[テレビ朝日]]に変更することとなった{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}{{efn|全国的レベルでは、『[[仮面ライダーアマゾン]]』以来の[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系]]への復帰(特に当時[[フルネット]]局だった[[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]・[[名古屋テレビ放送|メ〜テレ]]・[[瀬戸内海放送]]・[[広島ホームテレビ]]・[[九州朝日放送]]の場合)となった一方、近畿広域圏では、競合局である[[朝日放送テレビ|朝日放送]](現:[[朝日放送テレビ]]。『アマゾン』までの時期はTBS系)への放映権移動となった。}}。しかしテレビシリーズが中断して久しい『仮面ライダー』は、当時の感覚からするとすでに過去のブランドであり、テレビ朝日も「ネタがないから」と渋々引き受けた風だった{{R|houchi}}。
追い風となったのは『[[せがた三四郎]]』である。『[[仮面ライダー]]』で本郷猛([[仮面ライダー1号]])を演じた[[藤岡弘、]]が演じる同キャラクターは仮面ライダーの人気再燃を盛り上げた<ref>「日本経済新聞」1999年4月28日</ref>。[[鈴木武幸]]によると、こうした盛り上がりが本作品の誕生につながったとのことである<ref>「朝日新聞」2000年1月28日夕刊</ref>。またプロデューサーの髙寺成紀は、[[プライズゲーム]]で仮面ライダーシリーズの景品が売上を伸ばしていたこともきっかけになったと証言している。当時は漠然と「好反応」とだけ認識されていたが、これはゲームセンターに来る年齢層がライダーに興味を示すようになった表れであり、旧作の視聴者が父親になって「親子2世代」ファンを形成する端緒であった{{Sfn|語ろう|2013|pp=207-208|loc=INTERVIEW:6 髙寺成紀}}。
髙寺成紀の企画案『仮面ライダーガーディアン』はヒーロー色の強い明快な作風で、雄介のキャラクター設定にその名残がある{{Sfn|超全集 上巻|2000|pp=62-63|loc=高寺成紀東映プロデューサーに聞く!!}}。この時点での髙寺は、関係各社の期待を裏切らないように従来のヒーロー番組の路線に沿ったものを構想していた{{Sfn|語ろう|2013|pp=210|loc=INTERVIEW:6 髙寺成紀}}。その後、石森プロが提出した企画案『仮面ライダーオーティス』が{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}ホラー色や悲劇性の強いものだったために方向性の再検討を求められ、髙寺は抜本的な見直しを決意した{{Sfn|語ろう|2013|pp=210|loc=INTERVIEW:6 髙寺成紀}}。なお他の仮題には、漢字での表記が提案された後の「王者」という案も存在した{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}。
まったく新しい仮面ライダーを作ろうとする髙寺の意気込みは強かったが、初期案のファンタジックで型破りな主人公像を実現するには『[[インディ・ジョーンズ]]』並の予算が必要だとか{{Sfn|語れ!平成|2013|pp=20-23|loc=仮面ライダークウガ 誕生の秘密}}、「地球人と宇宙人とのハーフ」という設定はライダーのイメージから離れすぎているという指摘を受けて、従来のライダーに新味を加えていく方法を模索することになった{{Sfn|井上伸一郎|2012|p=72}}。
髙寺が考えた「仮面ライダーらしさ」とは、ライダーという異形のヒーローの隣に滝和也や立花藤兵衛のような生身の人物が並び立つ「男と男」の構図だった。これは雄介と一条薫のバディという形で実際の作品に活かされている。一方、旧作の基本設定だった「改造人間」という要素は、必須のものではないと見なされて排除された{{Sfn|語ろう|2013|pp=213-214|loc=INTERVIEW:6 髙寺成紀}}。
=== 特徴 ===
この時期の仮面ライダーというブランドには「2世代ヒーロー」以外に売り込む要素がなかったため、新世代を意識した旧作との差別化が図られている{{Sfn|語れ!平成|2013|p=13|loc=白倉伸一郎が語る「平成仮面ライダーのこれまでとこれから」}}。
制作には昭和ライダー以上に期間を設け、極力ご都合主義や設定破綻を避けるため、主に脚本づくりに時間をかけていた。特に本作品ではシリーズ構成や文芸部といった、東映作品としては珍しいポジションが設置されており、ストーリーや設定の統一がなされている{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}。こうした手法に関し、髙寺はドキュメンタリー風のドラマ『[[ER緊急救命室]]』から受けた衝撃の大きさについて語っている{{Sfn|語ろう|2013|pp=215|loc=INTERVIEW:6 髙寺成紀}}。
全編が[[ハイビジョン|HDTV]] (HD1080/60i) 方式によるハイビジョンで撮影されており、当時としては異例の16:9の画面比率([[ハイビジョン制作]]・レターボックスサイズ)で放映された。ただし、当時は撮影のみがハイビジョンで行われ、[[ポストプロダクション]]・[[完全パッケージメディア|完パケ]]・本放送は[[標準画質映像|SDTV]]で行われた。そして、従来のアフレコ形式より同録形式に改められ、ビデオ撮影に対応した技術会社やクルーが参加することになった。しかし、長年に渡ってフィルムとアフレコ撮影で制作を続けてきた現場スタッフは、ビデオと同録での撮影方法に慣れていないことから現場の進行が滞り、撮影開始1週間でカメラクルーからスケジュール通りに予定カット数を撮影できないと苦情が発生<ref>[https://web.archive.org/web/20140222023652/http://career.nexsol.jp/useful/interview33_1.html BIGLOBEポータル内旧コンテンツ「お仕事DB」第33回・鈴村展弘インタビュー記事より。2014年2月8日確認](2014年2月22日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。東映上層部で元のアフレコ撮影に戻そうという会議が行われたが、それを耳にした録音部のスタッフが撮影技師・いのくままさおに頭を下げて尽力することを訴え出たことで、スタッフ一丸となって同録が継続されるに至った{{Sfn|語ろう|2013|pp=233-234|loc=INTERVIEW:6 髙寺成紀}}。
劇中のシーンが変わるごとに、劇中の時刻と場所を画面下に表示する形式になっている。登場する地名も実在するものに限られ、劇中の描写と時間の経過は整合性を重視するために綿密に計算されているが{{Sfn|ディケイド公式読本|2009|p=53}}、交通機関でのシーンでは劇中の時間を現実の時刻表に合わせるための調整が必要になるなど、苦労も多かったという{{Sfn|超全集 下巻|2000|pp=64-65|loc=荒川稔久に聞く!!}}。
第2話の教会炎上シーンには莫大な予算がかかり、本作品の予算を逼迫させたとも伝えられているが、これについて髙寺は「こっちで勝手に盛り上がった。絶対に予算の許可は下りないと思ったんですね。でも制作担当は簡単に許可してくれた。多分『初めてパイロットを撮る[[石田秀範]]監督を男にしよう!』と思ってくれたんだと思う」と語っている<ref>2010年9月『高寺解体新書』{{Full|date=2019年6月}}</ref>。ただし、教会炎上については過剰に言われている部分もあり、髙寺は「教会よりも遺跡のシーンのほうが予算がかかっている」と述べている{{Sfn|語ろう|2013|pp=226-227|loc=INTERVIEW:6 髙寺成紀}}。2021年2月13日に行われたトークイベント「後夜祭『裏方』」で髙寺は、ビデオ撮影に変更したことで現像代やフィルム代などの諸経費が削減され、ミニチュア撮影にかかる費用も発生しなかったため、その分を教会や遺跡のセットなどの本編の美術費に回したことから贅沢な見心地になったと語っている{{R|F27860}}。九郎ヶ岳遺跡のオープンセットは映画並みのスケールで{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=78}}、スタッフが洞窟に入るための橋を架ける必要があったほか、映像にまったく映らない玄室への通路までわざわざ作られていた{{Sfn|語れ!平成|2013|pp=20-23|loc=仮面ライダークウガ 誕生の秘密}}。
リアリティ重視の路線を進んだ結果、設定や描写に生々しかったり過激な表現が盛り込まれているという意見もあり、純粋な子供向けのヒーロー番組を望む親を中心にクレームが多く寄せられるなど、物議を醸した{{Sfn|超全集 最終巻|2001|p=70}}。スポンサーからも、仮面ライダーの呼称が登場しないことや人間に近いグロンギのデザインなどにクレームがあり、東映内部からも2クール目から作風を変える指示も出されたが、[[髙寺成紀]]は決して譲らなかった。テレビ朝日プロデューサーの清水祐美や、急遽協力することとなった脚本の[[井上敏樹]]の尽力もあり、一貫した制作体制が維持された{{Sfn|語ろう|2013|pp=229-232|loc=INTERVIEW:6 髙寺成紀}}。
結末の一つとして、雄介がグロンギの親玉であるン・ダグバ・ゼバとの激闘で命を落とす結末も考えられていたという。これは「人々を守るためとはいえ、彼も暴力を振るった責任を取らせるべき」という考えからだった。しかし、髙寺をはじめとするスタッフは「これからの厳しい時代を生きる子供たちに夢を与える番組で、その結末は残酷すぎる」という結論に至り、雄介が海外に旅立つ結末になったという{{Refnest|group="出典"|{{R|超全集最終荒川|HERO VISION}}{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=102}}}}。
=== オートバイスタント ===
オートバイスタントに[[トライアル (オートバイ)|トライアル]]元全日本チャンピオン・[[成田匠]]が参加。旧作では室町レーシングやスリーチェイスなどのカースタントチームが参加していたが、「本物のオートバイ競技のアクションを取り入れたらどうか」とのスタッフの意向で成田に打診された。トライアルのアクションを取り入れる動きは『[[仮面ライダーストロンガー]]』の時代にも試みられたが、事故で断念されており、25年ぶりの試みとなった。
車種の選定も成田によって行われ、初のスペイン車によるライダーマシンが完成した{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=76}}。成田の初登場となる第4話では様々な段差や障害物を越えて縦横無尽に駆け回る姿が描かれ、従来のアクションとは違うことが強調された。その後も[[ウィリー走行|ウィリー]]による「前輪パンチ」やジャックナイフによる「後輪キック」など、トライアル技の応用によるダイナミックなアクションが展開された。また、第31 - 33話で、成田匠の弟の[[成田亮 (トライアル)|成田亮]]がバイクを操る怪人ゴ・バダー・バを演じた。バダーのマシンであるバギブソンは、トライチェイサーと同じパンペーラを使用した{{Sfn|テレビマガジン特別編集|2001|p=91}}。2人のプロ選手による[[湘南海岸]]での戦いは多くのトライアル技術が披露され、従来描かれていた土煙を上げて交錯するうちに敵が倒れていくオートバイ戦とはまったく違った画面が完成した。
=== 作風 ===
本作品もヒーローと怪人の戦いを描いているが、同時に「怪人出現という事件の起きた時代を捉えた[[ドキュメンタリー]]」の様相も帯びている。怪人への恐怖が社会に蔓延する中で「こんな時代に子供を産んでいいのか」という不安を抱く保育士、仕事に追われて息子の授業参観に行けず涙する研究者、TV批判を口にする教師など、ヒーロードラマという枠の内では解決しきれない問題を視聴者に投げかけている{{Sfn|語ろう|2013|pp=171-174|loc=INTERVIEW:5 切通理作}}。30分番組の中で実社会を描くことには限界があるため、こうした個人の描写に社会の反応を集約させている{{Sfn|語ろう|2013|pp=258-259|loc=INTERVIEW:7 井上敏樹}}。
==== 警察の描写 ====
刑事ドラマとしての側面が強いが、これは『[[機動警察パトレイバー]]』から[[ガメラ|平成ガメラ]]、[[ウルトラシリーズ|平成ウルトラマンシリーズ]]、さらに『[[踊る大捜査線]]』を経て発展してきた官僚機構としての警察を描く手法を取り入れたものである{{Sfn|宇野常寛|2011|p=248}}。
特撮作品にありがちな、超技術を保有しているのにやられ役を演じる防衛組織とは異なり、本作品での警察は連携する医師や研究者なども含めて超能力を持たない普通の人間であり、勇気と責任感で超常現象に立ち向かう{{Sfn|語ろう|2013|pp=62-63|loc=INTERVIEW:2 虚淵玄}}。警察組織の描写のリアリティを追求するため、脚本の荒川稔久は「もし本当に怪人が出たら、どの部署が対応するのか」と[[埼玉県警察]]に問い合わせた。回答によれば「殺人課は人間の起こした犯罪事件を取り締まるものなので違う。出動するのはおそらく警備部の野生動物を管轄するところだろう」とのことであり、一条薫は長野県警警備部所属と設定された{{Sfn|語れ!平成|2013|pp=20-23|loc=仮面ライダークウガ 誕生の秘密}}。ほかにも通信の場面で当初使われていた「本部より」を「本部から」に改めたり{{Sfn|超全集 下巻|2000|pp=64-65|loc=荒川稔久に聞く!!}}、パトカーの出入りに使う扉の方向を決めるなど{{Sfn|語れ!平成|2013|pp=20-23|loc=仮面ライダークウガ 誕生の秘密}}、細かな事象でも現実の警察を意識している。ただし、すべてを現実に合わせているわけではない。たとえば「本部長」という呼称は実在しないが、対策本部の統率者と理解しやすいため劇中で使われている{{Sfn|超全集 下巻|2000|pp=64-65|loc=荒川稔久に聞く!!}}。
[[自衛隊]]の出動にまで至ると、パニック物という別ジャンルの作品になってしまうため、劇中での事件対処はあくまで警察の域に留まっている{{R|超全集最終荒川}}。
==== 悪と正義 ====
後の平成仮面ライダーシリーズ(以下、平成ライダー)に比べると、勧善懲悪的と言われる{{Sfn|語ろう|2013|p=160|loc=INTERVIEW:5 切通理作}}。劇中の悪はグロンギだけで、人間は善として描かれている{{Sfn|語ろう|2013|p=185|loc=INTERVIEW:5 切通理作}}{{Sfn|語れ!平成|2013|p=31|loc=井上敏樹が語る「俺の書いた『平成ライダー』はキャラが立ってて面白い」}}。悪と言ってもグロンギは、[[ショッカー]]のようなピラミッド型の敵組織ではない。これは当時まだ[[1995年]]までに[[オウム真理教]]が引き起こした[[オウム真理教事件|一連の事件]]の記憶が鮮明であり、それを連想させかねないようなモチーフを使えなかったことが一因である<ref>{{Cite book|和書|chaoter=白倉伸一郎が語る『平成仮面ライダーの真実』|title=語れ!仮面ライダー|publisher=ベストセラーズ|series=ベストムックシリーズ|date=2013-04-23|pages=84-85|isbn=978-4-584-20497-9}}</ref>。また、元々は怪獣好きとして知られる髙寺が怪獣映画の人間サイズ版を志向したのだろうと、[[切通理作]]は推測している{{Sfn|語ろう|2013|p=183|loc=INTERVIEW:5 切通理作}}。普段の外見は人間と変わらない存在でありながら、まったく理解できない理由で殺人を繰り返すグロンギは「怪物ではなく人間、もしかしたら隣人こそが恐ろしい」という現実の社会の恐怖を、子供向けに翻訳したものであると[[虚淵玄]]は解釈している{{Sfn|語ろう|2013|pp=65-67|loc=INTERVIEW:2 虚淵玄}}。
放送当時に凶悪化していた未成年者の犯罪への対策が叫ばれ、加害少年を保護する[[少年法]]の改正案が国会に提出されたその時期に、第34・35話が制作された。ゴ・ジャラジ・ダ(人間体も少年)は快楽的に高校生を次々と惨殺、ジャラジに狙われて怯える生田和也少年に、雄介と一条はジャラジから守ることを誓う。そして、怒りに震えるクウガはジャラジに凄まじい暴力を振るってとどめを刺した。[[白倉伸一郎]]は「殺人者は未成年者であっても厳罰に処する」というメッセージを読み取っている{{Sfn|白倉伸一郎|2004|pp=148-149}}。殺害事件と対比する形で、わかば保育園での社広之と寺島周斗の喧嘩が描かれている。広之から傲慢な態度を非難された周斗は素直にそれを認め、2人は和解した。雄介は「人間だからわかり合える」と信じていた。これを観た[[國分功一郎]]は、「懲悪の側に強く同一化した大人の作為というものを感じざるを得ませんでした」と語り、白倉に賛同している{{Sfn|國分功一郎|白倉伸一郎|2012|p=15}}。
それに対し切通は、グロンギを同じ人間の中の異分子と捉える見方に異論を唱えている。切通は『[[クトゥルフ神話]]』が世代を超えて書き継がれるように、闇の恐怖や未知の怪物への畏敬を失うまいとする流れがあり、その怪人版がグロンギだったと解釈している。しかし、後の平成ライダーでは人間同士の争いにテーマが変遷したため、未知なる存在と人間の戦いを描いた本作品の感覚がわかりづらくなったのだろうとも述べている{{Sfn|語ろう|2013|pp=169-170|loc=INTERVIEW:5 切通理作}}。
ヒーローが担う正義について、管理秩序社会を志向していると白倉は指摘する。第25・26話ではゴ・ブウロ・グ出現と同時に、雄介の小学校時代の恩師・神崎昭二の現在の教え子である霧島拓が、[[栃木県|栃木]]から1人で東京にやってきた。拓は未来に悩んだ末、昔よく遊んだ思い出の場所を訪れる。神崎から連絡を受けて拓を捜索した雄介は、拓に「もっと悩め」と激励する。白倉はこれを、「子供が規定された生活圏から逸脱するのは、ヒーローに出動が要請されるほどの大事なのだ」という感覚の発露としている{{Sfn|白倉伸一郎|2004|pp=144-145}}。また、[[宇野常寛]]は「正義が虚構となった時代だからこそ、あえて正義を語るのだ」という物語回帰性を指摘、暴力の持つ欺瞞を「あえて」引き受け、さらに少年少女を教導する役も負う、市民道徳の体現者として主人公を見ている{{Sfn|宇野常寛|2011|p=249}}。この件についても切通は別解釈を提示しており、教師から相談された主人公が、ヒーローではなく1人の人間として少年に接し、問題を解決しようとする姿を描いたのだと捉えている{{Sfn|語ろう|2013|p=184|loc=INTERVIEW:5 切通理作}}。
[[海老原豊]]は、後半になって敵が強力になっていくほど、逆に戦闘描写が減少する傾向に注目し、暴力制止のために暴力を振るうという正義の矛盾に解を示さないまま、その矛盾を引き受けた主人公を画面からフェイドアウトさせることで、むしろ正義の困難性というメタメッセージを発信しているとする{{Sfn|海老原豊|2012|p=156}}。
いずれにせよ、子供たちに正しい大人の生き方を示そうとする髙寺と、価値観の一元化こそが諸悪の根源とする白倉では、正義の考え方がまったく相容れないのは明白である{{Sfn|井上伸一郎|2012|p=73}}。しかし、この2大プロデューサーの相克が、のちに続く平成ライダーを進化させていく原動力となったと、[[井上伸一郎]]は述べている{{Sfn|井上伸一郎|2012|p=78}}。
=== 玩具 ===
仮面ライダー玩具の定番である[[変身ベルト]]は「ソニックウェーブDX変身ベルト」の商品名で発売された。バンダイの森安信一は本作の商品展開については、前年度の『[[燃えろ!!ロボコン]]』の成績が伸び悩んだことと、久々の仮面ライダーということで、今までになかったやり方をしようという意図があったと述べている。ひとつの商品で長く遊んでもらうためと、劇中のアークルが唯一無二の存在だったことから『仮面ライダーBLACK RX』のようにフォーム毎でベルトを変えるのは止め、多色発光によってフォームチェンジを表現している。しかし当時まだ多色[[発光ダイオード|LED]]が普及していなかったため、赤色以外は[[電球|ムギ球]]で光らせている{{Sfn|変身ベルト大全|2009|p=122|loc=Interview 森安信一}}。ステレオ音声が一般的になったテレビ事情に合わせて、ベルトにも左右バックルに大型スピーカーを搭載し、左右で異なる音声が鳴ることで立体的な音響空間を創出している{{R|マガジン202076}}。開発陣はアクション監督の[[金田治]]、スーツアクターの[[富永研司]]とともにスイッチの操作方法がわざとらしくならないような変身ポーズ{{R|マガジン202076}}を考案し、以後のシリーズでポーズと玩具ギミックが連動する流れを作る{{Sfn|変身ベルト大全|2009|p=121|loc=野中剛インタビュー}}。
ドラゴンロッドなどの武器玩具もそれなりに売れたが、キックが決め技の仮面ライダーらしさを意識して合体武器路線を避け、『RX』の経験を生かして変身ベルトに被せる新たな効果音と発光を仕込んだ強化パーツ{{R|マガジン202076}}「ライジングパワーセット」を発売{{Sfn|変身ベルト大全|2009|p=121|loc=野中剛インタビュー}}{{R|F27860}}。以後の年末商戦における仕掛けの基本となった{{Sfn|変身ベルト大全|2009|p=122|loc=森安信二インタビュー}}。
パーツを換装することでフォームチェンジを再現できるフィギュア「[[装着変身]]」シリーズも好評だったが、劇中での出番が多くないグロンギ怪人の[[ソフトビニール|ソフビ]]人形まで売れたことはバンダイの想定外であり、商品化においては露出時間の長さではなくキャラクター性の強さが重要だという認識を促した{{Sfn|超全集 最終巻|2001|p=68}}。
最終回のバンダイ玩具CMでは、ファンに向けて「五代雄介と一条刑事をいつまでも忘れないでね」という特別メッセージが表示された{{Sfn|超全集 最終巻|2001|p=68}}。
== 放送日程 ==
全編通してサブタイトルは漢字2文字で統一、放送回数は「EPISODE」と表記。アバンタイトル前と各話終了時には[[リント文字]]が表示され、終了時の背景には一部を除き、その回で活躍したフォームの色が使われる{{efn|ライジングフォーム時はリント文字の周辺が光る。この他にもライジングフォーム登場前に雄介の体を電撃が流れるようになった時はアイキャッチにも電流が流れ、雄介の心にアルティメットフォーム(黒目)に通じる憎しみが芽生えた際は、背景が黒になっている。}}といった演出がなされている。
{| class="wikitable" style="text-align: center; font-size:smaller;"
|-
!放送日!!放送回!!サブタイトル!!登場グロンギ(太字は登場した怪人体)!!脚本!!アクション監督!!監督!!作中日付
|-
|align="right"|2000年{{0}}1月30日
|EPISODE1
|復活
|align="left"|
* '''ズ・グムン・バ'''
* '''ズ・ゴオマ・グ'''
* '''ズ・バヅー・バ'''
* '''ズ・ザイン・ダ'''
* '''ン・ダグバ・ゼバ'''
|align="left" rowspan="12"|荒川稔久
|rowspan="2"|金田治<br />山田一善
|align="left" rowspan="2"|石田秀範
|2000年1月29日 - 1月30日
|-
|align="right"|2月{{0}}6日
|EPISODE2
|変身
|align="left"|
* '''ズ・ゴオマ・グ'''
* '''ズ・グムン・バ'''
|1月31日 - 2月1日
|-
|align="right"|2月13日
|EPISODE3
|東京
|align="left" rowspan="2"|
* '''ズ・メビオ・ダ'''
* ズ・ゴオマ・グ
* ズ・ザイン・ダ
* ズ・バヅー・バ
* ズ・ガルメ・レ
|rowspan="8"|山田一善
|align="left" rowspan="2"|渡辺勝也
|2月1日
|-
|align="right"|2月20日
|EPISODE4
|疾走
|2月1日 - 2月2日
|-
|align="right"|2月27日
|EPISODE5
|距離
|align="left" rowspan="2"|
* '''ズ・バヅー・バ'''
* ズ・ゴオマ・グ
* ズ・ザイン・ダ (EPISODE6)
* ズ・ガルメ・レ (EPISODE6)
|align="left" rowspan="2"|長石多可男
|2月3日
|-
|align="right"|3月{{0}}5日
|EPISODE6
|青龍
|2月3日 - 2月4日
|-
|align="right"|3月12日
|EPISODE7
|傷心
|align="left" rowspan="2"|
* '''メ・バヂス・バ'''
* '''ズ・ザイン・ダ''' (EPISODE7)
* '''メ・ビラン・ギ''' (怪人体はEPISODE7のみ)
* '''ズ・ゴオマ・グ''' (怪人体はEPISODE7のみ)
* メ・ガルメ・レ (EPISODE7)
* メ・ガリマ・バ
|align="left" rowspan="2"|石田秀範
|rowspan="2"|2月24日
|-
|align="right"|3月19日
|EPISODE8
|射手
|-
|align="right"|3月26日
|EPISODE9
|兄妹
|align="left" rowspan="2"|
* '''メ・ギイガ・ギ'''
* ズ・ゴオマ・グ
* ズ・ザイン・ダ
* メ・ガルメ・レ
* メ・ガリマ・バ
* メ・ビラン・ギ
|align="left" rowspan="2"|渡辺勝也
|rowspan="2"|3月18日
|-
|align="right"|4月{{0}}2日
|EPISODE10
|熾烈
|-
|align="right"|4月{{0}}9日
|EPISODE11
|約束
|align="left" rowspan="2"|
* '''ズ・ザイン・ダ'''
* ズ・ゴオマ・グ
* メ・ガリマ・バ (EPISODE11)
* '''メ・ビラン・ギ''' (怪人体はEPISODE12のみ)
* ヌ・ザジオ・レ (EPISODE12)
|rowspan="38"|金田治<br />山田一善
|align="left" rowspan="2"|長石多可男
|3月24日 - 3月25日
|-
|align="right"|4月16日
|EPISODE12
|恩師
|3月25日
|-
|align="right"|4月23日
|EPISODE13
|不審
|align="left" rowspan="2"|
* '''メ・ビラン・ギ'''
* ズ・ゴオマ・グ
* '''メ・ガルメ・レ''' (怪人体はEPISODE13のみ)
* '''メ・ガリマ・バ''' (怪人体はEPISODE13のみ)
* メ・ギャリド・ギ (EPISODE14)
|align="left" rowspan="2"|井上敏樹
|align="left" rowspan="2"|石田秀範
|rowspan="2"|4月17日
|-
|align="right"|4月30日
|EPISODE14
|前兆
|-
|align="right"|5月{{0}}7日
|EPISODE15
|装甲
|align="left" rowspan="2"|
* '''メ・ギャリド・ギ'''
* ズ・ゴオマ・グ
|align="left" rowspan="2"|荒川稔久
|align="left" rowspan="2"|渡辺勝也
|4月17日 - 4月18日
|-
|align="right"|5月14日
|EPISODE16
|信条
|4月18日
|-
|align="right"|5月21日
|EPISODE17
|臨戦
|align="left"|
* '''メ・ガドラ・ダ'''
|align="left"|きだつよし<br />村山桂
|align="left"|鈴村展弘
|4月19日
|-
|align="right"|5月28日
|EPISODE18
|喪失
|align="left" rowspan="2"|
* '''メ・ギノガ・デ'''
* ズ・ゴオマ・グ
* メ・ガルメ・レ (EPISODE18)
* メ・ガリマ・バ
|align="left"|井上敏樹
|align="left"|長石多可男
|4月20日
|-
|align="right"|6月{{0}}4日
|EPISODE19
|霊石
|align="left" rowspan="4"|荒川稔久
|align="left" rowspan="2"|石田秀範
|4月20日 - 4月21日
|-
|align="right"|6月11日
|EPISODE20
|笑顔
|align="left"|
* '''ギノガ変異体'''
* ズ・ゴオマ・グ
* メ・ガルメ・レ
* メ・ガリマ・バ
|4月21日
|-
|align="right"|{{efn|6月18日は『[[全米オープン (ゴルフ)|第100回全米オープンゴルフ大会]]』最終日放送のため休止。}}6月25日
|EPISODE21
|暗躍
|align="left" rowspan="2"|
* '''メ・ガルメ・レ'''
* '''ズ・ゴオマ・グ''' (EPISODE21)
* メ・ガリマ・バ
* ゴ・バダー・バ
* ヌ・ザジオ・レ
|align="left" rowspan="2"|渡辺勝也
|5月23日
|-
|align="right"|7月{{0}}2日
|EPISODE22
|遊戯
|5月23日 - 5月24日
|-
|align="right"|7月{{0}}9日
|EPISODE23
|不安
|align="left" rowspan="2"|
* '''メ・ガリマ・バ'''
* ズ・ゴオマ・グ (EPISODE23)
* ゴ・バダー・バ (EPISODE23)
* ゴ・ブウロ・グ (EPISODE23)
* ラ・ドルド・グ
|align="left" rowspan="2"|井上敏樹
|align="left" rowspan="2"|長石多可男
|rowspan="2"|6月22日
|-
|align="right"|7月16日
|EPISODE24
|強化
|-
|align="right"|7月23日
|EPISODE25
|彷徨
|align="left" rowspan="2"|
* '''ゴ・ブウロ・グ'''
* ズ・ゴオマ・グ (EPISODE25)
* ゴ・バダー・バ (EPISODE25)
* ゴ・ベミウ・ギ (EPISODE25)
* ゴ・ガメゴ・レ (EPISODE25)
* ゴ・ザザル・バ (EPISODE25)
* ゴ・ジャラジ・ダ (EPISODE25)
* ゴ・ガドル・バ (EPISODE25)
* ラ・ドルド・グ
|align="left" rowspan="2"|荒川稔久
|align="left" rowspan="2"|石田秀範
|rowspan="2"|7月19日
|-
|align="right"|7月30日
|EPISODE26
|自分
|-
|align="right"|8月{{0}}6日{{efn|広島ホームテレビは[[広島平和記念式典]]の中継に差し替えられたため、直前の『[[未来戦隊タイムレンジャー]]』と併せて後日振替放送。}}
|EPISODE27
|波紋
|align="left" rowspan="2"|
* '''ゴ・ベミウ・ギ'''
* '''ゴ・バダー・バ'''
* ズ・ゴオマ・グ (EPISODE27)
* ゴ・ガドル・バ (EPISODE27)
* ゴ・ガメゴ・レ (EPISODE28)
* ラ・ドルド・グ
|align="left" rowspan="2"|井上敏樹
|align="left" rowspan="2"|渡辺勝也
|rowspan="2"|7月27日
|-
|align="right"|8月13日
|EPISODE28
|解明
|-
|align="right"|8月20日
|EPISODE29
|岐路
|align="left" rowspan="2"|
* '''ゴ・ガメゴ・レ'''
* ズ・ゴオマ・グ (EPISODE29)
* ゴ・バダー・バ (EPISODE29)
* ゴ・ザザル・バ
* ゴ・ジャラジ・ダ
* ゴ・ガドル・バ (EPISODE29)
* ラ・ドルド・グ
|align="left" rowspan="2"|荒川稔久
|align="left" rowspan="2"|長石多可男
|rowspan="2"|8月21日
|-
|align="right"|8月27日
|EPISODE30
|運命
|-
|align="right"|9月{{0}}3日
|EPISODE31
|応戦
|align="left" rowspan="3"|
* '''ゴ・バダー・バ'''
* ズ・ゴオマ・グ (EPISODE31-32)
* ゴ・ガドル・バ
* ゴ・ザザル・バ (EPISODE32-33)
* ゴ・ジャラジ・ダ (EPISODE32-33)
* ラ・ドルド・グ
* ヌ・ザジオ・レ (EPISODE31)
|align="left"|荒川稔久<br />竹中清
|align="left"|鈴村展弘
|rowspan="3"|9月1日
|-
|align="right"|9月10日
|EPISODE32
|障害
|align="left"|井上敏樹
|align="left" rowspan="2"|金田治
|-
|align="right"|9月17日
|EPISODE33
|連携
|align="left"|井上敏樹<br />荒川稔久
|-
|align="right"|{{efn|9月24日は「[[シドニーオリンピック]]女子マラソン」中継のため休止。}}10月{{0}}1日
|EPISODE34
|戦慄
|align="left" rowspan="2"|
* '''ゴ・ジャラジ・ダ'''
* ズ・ゴオマ・グ (EPISODE34)
* ゴ・ザザル・バ
* '''ゴ・ガドル・バ''' (怪人体はEPISODE34のみ)
* ラ・ドルド・グ (EPISODE35)
|align="left" rowspan="16"|荒川稔久
|align="left" rowspan="2"|石田秀範
|9月15日・9月19日
|-
|align="right"|10月{{0}}8日
|EPISODE35
|愛憎
|9月19日
|-
|align="right"|10月15日
|EPISODE36
|錯綜
|align="left"|
* '''ズ・ゴオマ・グ強化体'''
* '''ゴ・ザザル・バ'''
* ラ・ドルド・グ
|align="left" rowspan="2"|渡辺勝也
|rowspan="4"|9月27日
|-
|align="right"|10月22日
|EPISODE37
|接近
|align="left"|
* '''ズ・ゴオマ・グ強化体'''
* '''ゴ・ザザル・バ'''
* '''ゴ・ガドル・バ'''
* ゴ・ジャーザ・ギ
* ゴ・バベル・ダ
* ラ・ドルド・グ
* ヌ・ザジオ・レ
|-
|align="right"|10月29日
|EPISODE38
|変転
|align="left"|
* '''ズ・ゴオマ・グ強化体'''
** '''ズ・ゴオマ・グ究極体'''
* '''ゴ・ガドル・バ'''
* ゴ・ザザル・バ
* ゴ・ジャーザ・ギ
* ゴ・バベル・ダ
* ラ・ドルド・グ
|align="left" rowspan="2"|長石多可男
|-
|align="right"|{{efn|11月5日は『[[全日本大学駅伝対校選手権大会|第32回全日本大学駅伝]]』の放送のため休止。}}11月12日
|EPISODE39
|強魔
|align="left"|
* '''ズ・ゴオマ・グ究極体'''
* '''ゴ・ザザル・バ'''
* ゴ・ジャーザ・ギ
* ゴ・バベル・ダ
* ゴ・ガドル・バ
* ラ・ドルド・グ
* ヌ・ザジオ・レ
|-
|align="right"|11月19日
|EPISODE40
|衝動
|align="left" rowspan="2"|
* '''ゴ・ジャーザ・ギ'''
* ゴ・バベル・ダ
* ゴ・ガドル・バ
* ラ・ドルド・グ (EPISODE41)
* ヌ・ザジオ・レ
* ン・ダグバ・ゼバ
|align="left" rowspan="2"|石田秀範
|rowspan="2"|10月8日
|-
|align="right"|11月26日
|EPISODE41
|抑制
|-
|align="right"|12月{{0}}3日
|EPISODE42
|戦場
|align="left"|
* '''ゴ・バベル・ダ'''
* ゴ・ガドル・バ
* ラ・ドルド・グ
* ン・ダグバ・ゼバ
|align="left" rowspan="2"|金田治
|rowspan="2"|11月4日
|-
|align="right"|12月10日
|EPISODE43
|現実
|align="left" rowspan="2"|
* '''ゴ・ガドル・バ'''
* ラ・ドルド・グ
* ン・ダグバ・ゼバ
|-
|align="right"|12月17日
|EPISODE44
|危機
|align="left" rowspan="3"|渡辺勝也
|rowspan="3"|12月16日
|-
|align="right"|12月24日
|EPISODE45
|強敵
|align="left" rowspan="2"|
* '''ゴ・ガドル・バ'''
* '''ラ・ドルド・グ'''
* ン・ダグバ・ゼバ
|-
|align="right"|12月31日
|EPISODE46
|不屈
|-
|align="right"|2001年{{0}}1月{{0}}7日
|EPISODE47
|決意
|align="left" rowspan="2"|
* '''ン・ダグバ・ゼバ'''
|align="left" rowspan="3"|石田秀範
|2001年1月20日・1月29日
|-
|align="right"|1月14日
|EPISODE48
|空我
|1月29日・1月30日
|-
|align="right"|1月21日
|EPISODE49
|雄介
||-
|aligb=left" rowspan="1"| -
|4月27日
|}
== 番外編 ==
; 『仮面ライダークウガ 超ひみつビデオ 仮面ライダークウガVS剛力怪人ゴ・ジイノ・ダ』
: 『[[てれびくん]]』の応募者全員サービスで配布された[[VHS]]ソフト。五代雄介がスクラップブックを見ながら戦いを思い出す初期エピソードの総集編と、新撮映像によるゴ・ジイノ・ダとの戦いで構成される{{R|超バトルDVD超全集27}}。後に発売されたDVD第12巻(最終巻)にも、映像特典として収録された。ジイノは「超ひみつビデオ」としては初となるオリジナル怪人である。ライジングマイティの登場を宣伝文句にしていたが、実際はラストにイメージカットとして現れるのみに留まっている{{R|超バトルDVD超全集27}}。
; キャスト
:* 五代雄介 - オダギリジョー
:* ゴ・ジイノ・ダ - [[稲田徹]]
:* ナレーター - 立木文彦
:* アクション - 富永研司、伊藤慎
:* カースタント - 高橋輝男
; スタッフ
:* 構成 - 竹中清
:* 監督 - 鈴村展弘
:* アクション監督 - 金田治、山田一善
:* 撮影 - 尾方賢一、いのくままさお
:* 照明 - 斗沢秀
:* 録音 - 後平淳一
:* 編集 - 長田直樹
:* 音楽 - [[三宅一徳]]
:* 助監督 - 田澤裕一
:* プロデュース - 髙寺成紀
:* 制作協力 - 東映
:* ビデオ制作 - 東映ビデオ
; 『仮面ライダークウガ 新春スペシャル』
: [[2001年]][[1月2日]]放送。前半は新撮の導入部から始まり、EPISODE17とEPISODE31の再放送、新撮のエンディングを経て後半への繋ぎとなる新撮カット。後半はスペシャル用に新たに制作された総集編「EPISODE46.5 初夢」という構成となっている。DVDにも同様の構成で収録されている。また「初夢」はグロンギ怪人の人間体を演じた俳優・女優が、「ポレポレ」の客として登場する番外編ともなっている。
:* 脚本・構成:竹中清
:* 監督:小藤浩一
; EPISODE50 乙彼
: [[2001年]][[1月20日]]、本作品の打ち上げパーティにて上映されたスタッフやキャストの有志によって製作された約10分の短編。テレビシリーズを担当した監督たちの演出上の特徴を次々と再現したり、「ズ・ザイン・ダの人間体にライジングマイティキックを放つ桜子」というシーン(格闘技ファンである村田和美が野上彰との共演を望んでいたことから実現した楽屋オチ)が飛び出すなど、[[メタフィクション]]な要素が盛り込まれた番外編である。出演者は全員[[カメオ出演|友情出演]]で、すべての役名に「友情」の文字が加えられ、さらにスタッフまで友情参加扱いになっている。監督の鈴村によるハンディ[[デジタルカメラ]]によって撮影が行われ、「デジカメ撮影」のテロップ(テレビシリーズ放送時に挿入されていた「ハイビジョン撮影」のテロップのパロディ)が挿入されている。
: 2001年5月12日、特別篇の発売記念イベントにて再上映された。その際に配布されたパンフレットには「『EPISODE50 乙彼』完全攻略ガイド」が掲載されていた<ref>{{Cite web|和書|author=|date=|url=http://www.toei-video.co.jp/data/hs/vcatalog_dvd/item/200110/ep.html|title=<5.12イベントパンフレット>とは|publisher=東映ビデオ|accessdate=2013-01-13|deadlinkdate=2017年9月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130803043607/http://www.toei-video.co.jp/data/hs/vcatalog_dvd/item/200110/ep.html|archivedate=2013年8月3日}}</ref>。その後、特別篇のDVDに映像特典として収録された<ref name="DSTD02036">{{Cite web|和書|author=|date=|url=http://www.toei-video.co.jp/data/hs/vcatalog_dvd/item/200110/dstd02036.html|title=仮面ライダークウガ 特別篇|publisher=東映ビデオ|accessdate=2013-01-13|deadlinkdate=2017年9月|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130801193947/http://www.toei-video.co.jp/data/hs/vcatalog_dvd/item/200110/dstd02036.html|archivedate=2013年8月1日}}</ref>。
:* 友情脚本:荒川稔久
:* 友情監督:鈴村展弘
:
; 特別篇
: 第1・2話に未放映シーンを追加したディレクターズカット版。ただの再編集版ではなく、ポスプロを[[HDTV]]で行いCGなどを作り直したものである{{R|DSTD02036}}。
: 第1話では[[夏井貴浩]]が演じていたダグバの声を浦井健治が担当し、グムンの声も坂口哲夫から[[坂口候一]]に変更されている他、テレビシリーズでは第3話から登場していたバルバも登場。ソフト販売のみでレンタルはされておらず、封入されていた応募券を送ると、応募者特典(期間限定)として発売記念イベントで配布されたパンフレットの修正版が入手可能だった。
:
; 超古代語対訳版
: グロンギ語とリント語の2種類の「超古代語」の対訳字幕(意訳)が表示されるバージョン。[[2002年]][[5月30日]]から[[東映チャンネル]]で放送が開始され<ref>{{Cite journal|和書|date = 2002|title = 東映チャンネル INFORMATION|journal = 東映ヒーローMAX|volume = Vol.1|page = 106|publisher = [[辰巳出版]]|isbn = 978-4-8864-1731-2}}</ref>{{Sfn|宇宙船100|2002|p=104|loc=「CS Information」}}、2004年、2009年、2011年にも放送された。同局では『特別篇』と『新春スペシャル』も超古代語対訳版で放送されている。
: これまでソフトには収録されていなかったが、[[2016年]]発売のBlu-ray BOXに収録される。
:
; 超解像版
: 仮面ライダー45周年の年となる[[2016年]]2月から7月まで[[東映チャンネル]]で放送。放送時間は毎週火曜日の18時-19時ほか。また、Blu-ray BOXの発売と本放送に先行し、[[2015年]]12月に第1-8話が特別放送された。
: 超古代語対訳版に新たにデジタル処理を施した[[デジタルリマスター|HDリマスター]]版で、画面比率も16:9での放送となる。
== 放映ネット局 ==
{| class="wikitable" style="text-align:center;font-size:smaller;"
|-
!放送対象地域
!放送局
!系列
!備考
|-
|[[広域放送|関東広域圏]]
|[[テレビ朝日]]
|rowspan="10"|[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]
|'''制作局'''
|-
|[[北海道]]
|[[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]
|
|-
|[[青森県]]
|[[青森朝日放送]]
|
|-
|[[岩手県]]
|[[岩手朝日テレビ]]
|
|-
|[[宮城県]]
|[[東日本放送]]
|
|-
|[[秋田県]]
|[[秋田朝日放送]]
|
|-
|[[山形県]]
|[[山形テレビ]]
|
|-
|[[福島県]]
|[[福島放送]]
|
|-
|[[新潟県]]
|[[新潟テレビ21]]
|
|-
|[[長野県]]
|[[長野朝日放送]]
|
|-
|[[山梨県]]
|[[テレビ山梨]]
|[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]
|
|-
|[[静岡県]]
|[[静岡朝日テレビ]]
|rowspan="2"|テレビ朝日系列
|
|-
|[[石川県]]
|[[北陸朝日放送]]
|
|-
|[[福井県]]
|[[福井放送]]
|[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]<br />テレビ朝日系列
|
|-
|[[広域放送|中京広域圏]]
|[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]]
|rowspan="2"|テレビ朝日系列
|
|-
|[[広域放送|近畿広域圏]]
|[[朝日放送テレビ|朝日放送]]
|
|-
|[[島根県]]<br />[[鳥取県]]
|[[山陰放送]]
|TBS系列
|
|-
|[[広島県]]
|[[広島ホームテレビ]]
|rowspan="4"|テレビ朝日系列
|
|-
|[[山口県]]
|[[山口朝日放送]]
|
|-
|[[香川県]]<br />[[岡山県]]
|[[瀬戸内海放送]]
|
|-
|[[愛媛県]]
|[[愛媛朝日テレビ]]
|
|-
|[[高知県]]
|[[テレビ高知]]
|TBS系列
|
|-
|[[徳島県]]
|[[四国放送]]
|日本テレビ系列
|
|-
|[[福岡県]]
|[[九州朝日放送]]
|rowspan="4"|テレビ朝日系列
|
|-
|[[長崎県]]
|[[長崎文化放送]]
|
|-
|[[熊本県]]
|[[熊本朝日放送]]
|
|-
|[[大分県]]
|[[大分朝日放送]]
|
|-
|[[宮崎県]]
|[[宮崎放送]]
|TBS系列
|
|-
|[[鹿児島県]]
|[[鹿児島放送]]
|rowspan="2"|テレビ朝日系列
|
|-
|[[沖縄県]]
|[[琉球朝日放送]]
|
|}
<!--※テレビ朝日系列の放送局がない[[富山県]]では基本的には未放送だったが、地域によっては[[北陸朝日放送]]や[[新潟テレビ21]]を通じて視聴可能であった。-->
== 評価 ==
放送開始当初は視聴率が前作『[[燃えろ!!ロボコン]]』から低下しており、「やはり仮面ライダーは過去のものか」と思われていたが{{Sfn|語れ!平成|2013|p=13|loc=白倉伸一郎が語る「平成仮面ライダーのこれまでのとこれから」}}、2クールから脚本に参加した井上敏樹は、視聴率は悪くなくファンも付いていたと述べている{{Sfn|語ろう|2013|p=257|loc=INTERVIEW:7 井上敏樹}}。
支持者の年齢層は、前半は30代の男女が圧倒的に多く、次第に高校生前後の少年が増えていった。本作品は元々大人の視点を意識して作られているが、これは「父と子の2世代が一緒に視聴する」という意味である。しかし、実際にはオダギリをはじめとする[[イケメン]]俳優目当ての母親層や、雄介と一条の関係に着目する[[腐女子]]ファンまで流入した{{Sfn|井上伸一郎|2012|p=73}}([[オダギリ効果]])。
インターネットが普及中だった時代に開設された公式ホームページに対する反響は大きく、最終回放映日のヒット数は27万に達した{{Sfn|超全集 最終巻|2001|p=70|loc=「メモリー オブ 仮面ライダークウガ スタッフインタビュー 製作 清水祐美」}}。
[[2002年]]に第33回『[[星雲賞]]』映画演劇部門・メディア部門を受賞した。特撮作品が同賞を受賞するのは『[[ウルトラマンティガ]]』に次いで2作目であり、仮面ライダーシリーズでは初の快挙となった。
=== 映画化の企画 ===
平成仮面ライダーシリーズにおいて、劇場版が連年制作されるようになったのは『[[仮面ライダーアギト]]』以降のこととなるが、それ以前となる本作品でもテレビシリーズ放映当時から署名サイトが開設されるなど、映画化に向けた活発な署名・要望活動が行われていた。これに対し、番組終了後に発売された『超全集』最終巻でオダギリ・髙寺から映画化の約束のコメントが載るなど{{Sfn|超全集 最終巻|2001|pp=71、80}}、当初はスタッフ・キャストも映画化に前向きな姿勢を見せていた。
2001年、髙寺は大泉の東映撮影所に足を運び、坂上所長の元で『クウガ』の映画化に向けて準備をしていた。しかし成果は上がらないままで、企画が通らず出資者が集まらないらしいという噂が流れた。髙寺は、白倉伸一郎が主導する劇場版『アギト』の制作体制を懸念しており、「予算・スケジュール共に『クウガ』はしっかりした体制で作りたい」と高い要望を抱いていたが、結果を見れば慎重さよりもチャンスを逃さないことを選んだ白倉のほうが商業的成功を遂げた。資金集めは行き詰まり、2002年に髙寺が角川書店事業部長・[[井上伸一郎]]を訪ねたときも、出資依頼を切り出せずに帰ったという{{Sfn|井上伸一郎|2012|pp=74-75}}。そして[[2006年]]6月1日付で、髙寺により映画化に至らなかったことへの謝罪メッセージが公式サイトに掲載された。
劇場版『クウガ』こそ実現しなかったが、「仮面ライダークウガ」というキャラクター自体は[[2009年]]公開の『[[劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー]]』において、初めて映画作品へ登場している。
== 他媒体展開 ==
=== 映像ソフト化 ===
* [[2000年]][[12月8日]]から[[2001年]][[11月21日]]にかけてビデオ(VHS、セル・レンタル共通)と[[DVD]]が東映ビデオより発売された{{R|宇宙船YB}}。全12巻で各巻4話(Vol. 8のみ5話)収録。
** レンタルは2000年10月13日より開始され、セル用とレンタル用でジャケットのデザインが異なっている{{R|宇宙船YB}}。
** DVDはレンタル開始時が後年の作品より早かったため、特典は各巻ごとではなくインタビューはセル版のみで{{R|宇宙船YB}}、その他の怪人紹介や予告編などは新春スペシャルや最終巻などに収録された。
* [[2008年]][[7月21日]]発売の「石ノ森章太郎 生誕70周年 DVD-BOX」や『[[仮面ライダーディケイド]]』のDVD第1巻初回盤に第1話を特典映像として収録。
* [[2016年]][[1月6日]]から[[5月11日]]にかけてBlu-ray BOXが全3巻で発売。テレビシリーズの超古代語対訳版の他、BOX1には第1.2話のDC版、BOX2には『仮面ライダークウガ超ひみつビデオ「仮面ライダークウガVS剛力怪人ゴ・ジイノ・ダ」』、BOX3には新春スペシャルが収録される。
=== 他テレビシリーズ ===
; 『[[仮面ライダーアギト]]』
: 未確認生命体という用語が登場。詳しくは[[仮面ライダーアギト#前作『仮面ライダークウガ』との関係]]の節を参照。
; 『[[仮面ライダーディケイド]]』
: '''小野寺ユウスケ'''が変身する仮面ライダークウガと、オオカミ種怪人'''ン・ガミオ・ゼダ'''に率いられたグロンギが登場。
; 『[[仮面ライダーフォーゼ]]』
: 仮面ライダークウガとグロンギが登場。
; 『[[仮面ライダーウィザード]]』
: 第52・53話に仮面ライダークウガが登場。「アマダム」という用語も登場。
; 『[[仮面ライダージオウ]]』
: 仮面ライダークウガが2068年の世界に歴代平成仮面ライダーの銅像のひとつとして登場。
: EP41に仮面ライダークウガが登場。LAST(最終回)にン・ダグバ・ゼバが登場。
=== テレビスペシャル ===
; 『[[仮面ライダーG]]』
: 『[[SMAP☆がんばりますっ!!#第1回『SmaSTATION!! Presents』|SmaSTATION!!Presents SMAPがんばりますっ!!]]』内で放送された作品。仮面ライダークウガが登場。
=== 映画 ===
いずれの作品にも仮面ライダークウガが登場。前述の事情から、本作品単独での映画作品は存在しない。
; 『[[劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー]]』(2009年8月8日公開)
: 『仮面ライダーディケイド』の単独作品。
; 『[[仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010]]』(2009年12月12日公開)
: 『[[仮面ライダーW]]』と『仮面ライダーディケイド』のクロスオーバー作品。
; 『[[オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー]]』(2011年4月1日公開)
: 『[[仮面ライダーオーズ/OOO]]』と『[[仮面ライダー電王]]』のクロスオーバー作品。仮面ライダークウガに加えてグロンギも登場。
; スーパーヒーロー大戦シリーズ
: いずれも[[仮面ライダーシリーズ]]と[[スーパー戦隊シリーズ]]のクロスオーバー作品。
:; 『[[仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦]]』(2012年4月21日公開)
:; 『[[仮面ライダー×スーパー戦隊×宇宙刑事 スーパーヒーロー大戦Z]]』(2013年4月27日公開)
:: 先の2シリーズと[[メタルヒーローシリーズ]]のクロスオーバー作品。仮面ライダークウガに加えてグロンギも登場。
:; 『[[平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦 feat.スーパー戦隊]]』(2014年3月29日公開)
:; 『[[スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号]]』(2015年3月21日公開)
; 『[[仮面ライダー×仮面ライダー 鎧武&ウィザード 天下分け目の戦国MOVIE大合戦]]』(2013年12月14日公開)
: 『[[仮面ライダー鎧武/ガイム]]』と『仮面ライダーウィザード』のクロスオーバー作品。武神クウガが登場。
; 『[[劇場版 仮面ライダービルド Be The One]]』(2018年8月4日公開)
: 『[[仮面ライダービルド]]』の単独作品。
; 『[[平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER]]』(2018年12月22日公開)
: 『仮面ライダージオウ』と『仮面ライダービルド』をメインとしたクロスオーバー作品。仮面ライダークウガに加えて九郎ヶ岳の遺跡が登場。
; 『[[劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer]]』(2019年7月26日公開)
: 『仮面ライダージオウ』の単独作品。
; 『[[仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション]]』(2019年12月21日公開)
: 『仮面ライダージオウ』と『[[仮面ライダーゼロワン]]』をメインとしたクロスオーバー作品。
=== ゲーム ===
; 『仮面ライダークウガ』
: [[バンダイ]]より2000年12月21日に[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]用の格闘アクションゲームとして発売された。開発は[[カゼ・ネット|KAZe]]。
: システム的には同じくPlayStation用格闘ゲームである『[[仮面ライダー (プレイステーション版)|仮面ライダー]]』『[[仮面ライダー (プレイステーション版)|仮面ライダーV3]]』に準じているが、操作方法は簡略化されている。
: クウガは基本4フォーム(敵に致命打を与えた際のみにライジングに変化できるがフォームチェンジ機能はない)とグローイングとアルティメットの各フォームが、それぞれ別キャラクター扱いで登場。アルティメットフォームには戦闘中のかけ声が一切なく、能力もマイティフォームと差がない。グロンギはギノガ・ギャリド・ガドラを除く、テレビシリーズに登場したズ・メ怪人全員が登場しているが、それ以外の集団の怪人は一切登場しない。
: 前述の2作同様、ゲーム内でライダーカードを集めることができ、全81種類が収録されている。全て集めるとさらに9枚のカードとアルティメットフォームが使用可能になる。
=== ネット配信 ===
* [[2015年]][[7月1日]]から[[2016年]][[1月15日]]まで、[[YouTube]]の「東映特撮 YouTube Official」にて全49話が配信された。第1話は漫画版「仮面ライダークウガ 第1巻」の発売を記念しての先行配信も兼ねており、第2話は[[7月24日]]から翌週の[[7月31日]]まで、第3話以降は毎週金曜日に2話ずつの配信となった。また、それとは別に「コンプリートセレクションモディフィケーション 変身ベルト アークル」の予約開始を記念してクウガの各フォームが登場するエピソードをピックアップしたものが期間限定配信されたほか、『[[仮面ライダージオウ]]』放送開始を記念して第1話と第2話が配信されている。
* [[2020年]][[9月12日]]より、「東映特撮 YouTube Official」にて2度目の配信を実施。この配信時にはテレビシリーズ全話の他、前述の「新春スペシャル」(2021年1月2日 - 9日、第33話と同時配信)や特別篇(2021年3月6日 - 13日)も初めて配信された。
* 東映特撮[[ニコニコ動画|ニコニコ]]おふぃしゃる…[[2020年]][[11月29日]] - [[2021年]][[10月31日]]
=== 漫画 ===
* 『[[てれびくん]]』 2000年3月号 - 2001年2月号連載([[たなかてつお]])
* 『てれコロコミック』 2001年夏休み増刊号掲載([[上山道郎]])
** 放送終了後の作品。サブタイトルは'''エクストラエピソード「信頼」'''。時期はEPISODE22とEPISODE23の間<ref>『てれコロコミック』2001年9月号増刊、p. 228.</ref>{{R|超全集下60}}。
** テレビシリーズには未登場であった未確認生命体第34号「メ・ガベリ・グ」との戦いが描かれた。
** ガベリのおおまかなデザインや設定、ゲゲルの内容を含むストーリーの原案は東映から公式に提供された<ref>{{Cite web|和書| publisher=Twitter |url=https://twitter.com/ueyamamichiro/status/590100046315552768 | title=上山道郎のツイート | accessdate=2015-1-4}}</ref><ref>{{Cite web|和書| publisher=上山道郎 | url=http://mueyama.blog15.fc2.com/blog-entry-2553.html | title=別冊兄弟拳blog クウガまんが | accessdate=2015-1-4}}</ref>。
* 『[[月刊ヒーローズ]]』 2014年12月号 - '''連載中'''([[横島一]]、脚本:[[井上敏樹]]、企画:[[白倉伸一郎]])
{{Main|仮面ライダークウガ (漫画)}}
=== 舞台 ===
; 『[[MASKED RIDER LIVE&SHOW 〜十年祭〜]]』
: 仮面ライダークウガが登場。
=== 小説 ===
; 『小説 仮面ライダークウガ』
* [[講談社]]([[講談社キャラクター文庫]])刊、[[2013年]][[6月29日]]発売。著:荒川稔久。{{ISBN2|978-4-06-314851-0}}
: 講談社キャラクター文庫の平成ライダーシリーズの一つ。当初は[[2012年]][[11月30日]]の発売を予定していた。一条を主役に据えたテレビシリーズの正当な続編で、テレビシリーズの13年後の現代を舞台とし、一条が刑事となった実加とともに、新たに登場した未確認生命体の謎を追う。
: 荒川は、同作品の執筆後『[[非公認戦隊アキバレンジャー]] シーズン痛』に参加する予定であったが、同作品の執筆が長引いたため『アキバレンジャー』の脚本と並行作業となり、同作品の脱稿は『アキバレンジャー』最終話の執筆とほぼ同時であったという{{R|痛これ}}。
: 同作品について荒川は、放送当時の空気感を踏襲して現代の物語を描こうとしたため、当時は髙寺らと4人で行っていた作業を1人でやらなければならなかったため、当時の4倍苦労したと述べている{{R|痛これ}}。
; 『[[仮面ライダーディケイド#小説|小説 仮面ライダーディケイド 門矢士の世界 〜レンズの中の箱庭〜]]』
: 『[[仮面ライダーディケイド]]』の小説作品。雄介(クウガ)をはじめとする本作品のキャラクターが登場。<!--リンク先を見ればわかるため、詳細は書かないでください。-->
; 『[[S.I.C.]] HERO SAGA』
: ジオラマ小説。いずれも古代の時代によるクウガとグロンギの戦いの記録となっている。前述は月刊ホビージャパンで連載、後述は『S.I.C. HERO SAGA vol.2』の書下ろしとなっている。
:; 「MASKED RIDER KUUGA EDITION -オデッセイ-」
:; 「MASKED RIDER KUUGA EDITION -DARK SIDE-」{{Sfn|井上敏樹|宇野常寛|川上弘美|2012}}
:; 「MASKED RIDER DECADE EDITION -ストロンガーの世界-」 - 小野寺ユウスケ/クウガ(『ディケイド』でのクウガ)が登場。
:; 「MASKED RIDER DECADE EDITION -オーズの世界-」 - 同様に小野寺ユウスケ/クウガ(『ディケイド』でのクウガ)が登場。また、五代雄介も名称のみ登場{{efn|「MASKED RIDER DECADE EDITION -オーズの世界-」によると、『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』での仮面ライダークウガは五代雄介だとされている。}}。
== 関連作品 ==
* [[爆竜戦隊アバレンジャー]]:本作品でメインライターを務めた荒川稔久も参加した特撮テレビドラマ。荒川を始めとするスタッフが、公式の範疇ではないものの同作品を「クウガ2」と位置づけて制作していたことが『[[仮面ライダー555]]』公式サイトで紹介された<ref>[https://web.archive.org/web/20090129165328/http://tvarc.toei.co.jp/tv/555/eps/eps.asp?num=13 仮面ライダー555 公式サイト](2009年1月29日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。
* [[月刊少年マガジン+|マガジンGREAT]]:[[講談社]]の漫画誌。プロデューサーの髙寺を主人公に据え、本作品の制作エピソードを漫画化した『日本特撮映画師列伝・10 SFXのサムライ5・仮面ライダークウガ』(作:[[西川伸司]])が2001年3月号、5月号に前後編で掲載された。単行本化はされておらず、西川によれば発禁になっているという<ref>[http://3daysboy.blog35.fc2.com/blog-entry-251.html 大魔神カノン・オールナイトイベント] MASHのBLOG 2010年6月27日</ref>。
* [[極楽とんぼのとび蹴りヴィーナス]]:同項目の「ライダーメン」を参照。
== その他 ==
* 『[[決定!これが日本のベスト100全国一斉○○テスト|決定!これが日本のベスト100]]』 - 本作品と同じく[[テレビ朝日]]系列にて放送されていたバラエティ番組。同番組の[[2002年]][[9月8日]]放送分「特撮&アニメ ヒーロー&ヒロインベスト100」でクウガが第1位にランクインし<ref>[https://web.archive.org/web/20040311193246/http://www.tv-asahi.co.jp/best100/contents/100/0017/ranking/index.html 特撮&アニメ ヒーロー&ヒロインベスト100]、テレビ朝日。([[インターネットアーカイブ]])</ref>、番組内にはオダギリの新規インタビュー映像や、スタジオでクウガが複数のグロンギと戦う一幕も盛り込まれた。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2
|refs=
<ref name="超全集上42">{{Harvnb|超全集 上巻|2000|pp=42-43|loc=「クウガを応援する仲間たち」}}</ref>
<ref name="超全集下60">{{Harvnb|超全集 下巻|2000|pp=60-61|loc=「警視庁未発表事件も完全網羅!!未確認生命体関連事件カレンダー」}}</ref>
<ref name="超全集下62">{{Harvnb|超全集 下巻|2000|p=62|loc=「突撃!グルメ日記 オリエンタルな味と香りの喫茶店ポレポレ」}}</ref>
<ref name="超全集最終50b">{{Harvnb|超全集 最終巻|2001|p=50|loc=「メモリー オブ 仮面ライダークウガ キャストインタビュー 水原詩生[朝比奈奈々]」}}</ref>
<ref name="超全集浦井">{{Harvnb|超全集 最終巻|2001|p=53|loc=「メモリー オブ 仮面ライダークウガ キャストインタビュー 浦井健治[ン・ダグバ・ゼバ]」}}</ref>
<ref name="超全集最終荒川">{{Harvnb|超全集 最終巻|2001|p=61|loc=「メモリー オブ 仮面ライダークウガ スタッフインタビュー 脚本 荒川稔久」}}</ref>
<ref name="超全集阿部">{{Harvnb|超全集 最終巻|2001|p=64|loc=「メモリー オブ 仮面ライダークウガ スタッフインタビュー デザイン 阿部卓也」}}</ref>
<ref name="超全集PLEX">{{Harvnb|超全集 最終巻|2001|p=65|loc=「メモリー オブ 仮面ライダークウガ スタッフインタビュー デザイン PLEX」}}</ref>
<ref name="超全集R">{{Harvnb|超全集 最終巻|2001|p=66|loc=「メモリー オブ 仮面ライダークウガ スタッフインタビュー 造型 レインボー造型」}}</ref>
<ref name="超全集村山">{{Harvnb|超全集 最終巻|2001|p=69|loc=「メモリー オブ 仮面ライダークウガ スタッフインタビュー 文芸 村山桂」}}</ref>
<ref name="超全集最終73">{{Harvnb|超全集 最終巻|2001|p=73|loc=「ちょっと気になる「クウガ」ウワサの真相!? ゲームの権利を与えられなかった怪人たち!?」}}</ref>
<ref name="TVMAGA68">{{Harvnb|テレビマガジン特別編集|2001|p=68|loc=「ポレポレ」}}</ref>
<ref name="TVMAGA102">{{Harvnb|テレビマガジン特別編集|2001|p=102|loc=「仮面ライダークウガ 全エピソード EPISODE48 空我」}}</ref>
<ref name="空我61">{{Harvnb|空我|2001|p=61|loc=「キャラクター紹介」}}</ref>
<ref name="空我159">{{Harvnb|空我|2001|p=159|loc=「STAFF LIST」}}</ref>
<ref name="HERO VISION">{{Cite journal|和書 |date=2001-05-20 |editor=杉崎睦雄 |isbn=4-257-13034-2 |issue=Vol.2 |journal=HERO VISION |page= 14 |publisher=朝日ソノラマ |title=「仮面ライダークウガ」名場面集〈奇跡〉 プロデューサー・髙寺成紀インタビュー}}</ref>
<ref name="BOX">『仮面ライダークウガ コレクションBOX』{{要ページ番号|date=2019年6月}}</ref>
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<ref name="C大全15">{{Harvnb|キャラクター大全|2012|p=15|loc=「主要登場人物」}}</ref>
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== 関連項目 ==
* [[さんふらわあ]] - [[ブルーハイウェイライン]]のフェリー。「EPISODE 41 抑制」の撮影が[[茨城県|茨城]]・[[大洗港|大洗]] - [[北海道]]・[[苫小牧港|苫小牧]]航路(さんふらわあえりも)で行われている。
* [[ザ・グレート・サスケ]] - リント文字の「クウガ」のマークをマスクの側面に一時期流用していた。
* [[オダギリ効果]] - テレビ番組が魅力的な男優を起用したことでターゲットにない女性視聴者を得る現象。
== 外部リンク ==
* {{Wayback |url=http://www.tv-asahi.co.jp/kuuga/ |title=仮面ライダークウガ - テレビ朝日 |date=20040202091314}}
* [https://web.archive.org/web/20090207150702/http://tvarc.toei.co.jp/tv/user/program/read_story3.asp?Command=Old&SID=127#List 仮面ライダークウガ](東映内公式サイトのアーカイブ)
* [https://web.archive.org/web/20050208024457/http://www.toei-video.co.jp/DVD/sp21/kuuga.html 「仮面ライダークウガ」特集](DVD販売時のサイト)
* [http://www.toei-video.co.jp/DVD/kuuga.html 仮面ライダークウガ](Blu-ray BOX販売時のサイト)
{{前後番組
| 放送局 = テレビ朝日系列
| 放送枠 = [[テレビ朝日日曜朝8時枠の連続ドラマ|日曜8:00 - 8:30]]
| 番組名 = 仮面ライダークウガ<br />(2000年1月30日 - 2001年1月21日)
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| 前番組 = [[燃えろ!!ロボコン]]<br />(1999年1月31日 - 2000年1月23日)
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1,255 | 遺伝学 | 遺伝学(いでんがく、英: genetics)は、生物の遺伝現象を研究する生物学の一分野である。遺伝とは世代を超えて形質が伝わっていくことであるが、遺伝子が生物の設計図的役割を果たすものであることが判明し、現在では生物学のあらゆる分野に深く関わるものとなっている。力学系などの数学諸分野との関わりについての研究も推進されている。
遺伝現象は、元来は世代を超えて生物の形質が伝えられることを指す。これは生物に見られる重要な特徴であり、例えば分類学や系統学もこれを基礎とするものである。この現象を扱う生物学の分野が遺伝学である。ただし、生物学の分野で実験が取り入れられた、という点ではこれは古いものである。これは品種改良などの形で現実世界でこれに近いことが行われてきたからでもあるだろう。その意味では、この分野はその初期から実用的側面が強く、それは育種学へと引き継がれる。
メンデルの得た法則はこの分野の進歩の基礎となったが、遺伝学の実質的な進歩はその法則の再発見からである。これによって遺伝子という概念が確立し、具体的に追求すべき対象が明らかにされた。しかも、それがその後すぐに染色体を介して細胞核に結びつけられることで、遺伝現象は単に世代を超えて何かを伝えるしくみではなく、生命の日常的活動をその基礎で支えるものと判明したことで、生物学の中心的な位置に出てくることになった。
ワトソンとクリックらによるDNAの二重らせん構造の発見後は、DNA上にある遺伝子の物質的な側面からの研究が発展し分子生物学とよばれる研究分野が開拓された。遺伝子の機能の解析は生物学のほとんどの分野と関係がある。特にグリフィスが発見した形質転換は生物の遺伝子を人為的に操作する方法へと道を開き、遺伝子工学へと発展した。
一方、個体群における遺伝子頻度の変化を、特に自然選択の視点から実験、観察、および数学的手法にもとづいて研究する分野は集団遺伝学と呼ばれる。
さらに、遺伝基盤のもとに成立する生物進化について実験的、理論的研究が今後期待される。
このように、遺伝学は遺伝子という生物の基本的な要素につながっているため、現在ではあらゆる分野に結びついている。
遺伝現象は古くから知られていたが、その理論付けは困難であった。古くはヒポクラテスがこれについて言及し、生物体の各部分が何らかの物質を作り、これが子孫に伝わって子を親の形に似せる、という、遺伝物質を想定したような表現をしている。アリストテレスはこの点についてははっきりとした表現をしていない。彼は優性を現象的には知っていたが、説明を持ち合わせなかった。彼は多くの生物が異種間の雑種として生まれたと考えていた。
他方、農業部門では雌雄異株の植物(イチジクなど)を通じて人工授粉の手法が古くから成立し、17世紀頃にはこれが交配に当たるとの認識が成り立った。植物で交雑実験を行ったのはドイツのヨーゼフ・ケールロイターとされる。彼は18世紀半ばに様々な交配実験を行い、雑種は中間の形質を示すこと、ただし片方に似ることもあること、両者の縁が遠い場合には不稔の雑種ができること、また時に両者より強い雑種を生じること(雑種強勢)などを認めた。それ以降19世紀までこれに追随する交配実験が行われた。1830年にはオランダの科学アカデミーが交雑によって新変種を作る研究の懸賞論文を出している。
このような中で、遺伝する形質(表現型)は交雑とともに混じりあっていくと考えられていた。これは、雑種がその両親の中間的な性質を示すことが多いことに基づく。しかし、たとえばトーマス・ナイトは純系の株同士の交配では片親の形質だけが子に現れることを報告している。ちなみに、彼が行ったエンドウの実験が、後のメンデルの実験の基礎となっている。他に、1824年にジョン・ゴスはやはりエンドウについて、一代目で見られなかった形質が二代目に出現することも見ている。カール・ゲルトナーは上記懸賞論文に応募して賞を得た。彼は想定された遺伝物質をエレメントと名付け、これはメンデルも採用したところである。チャールズ・ダーウィンも交配実験に取り組み、一代目が片親の形質を示すこと、二代目には両方の形質が現れることなどを見ている。ただし二代目の分離比が一定になる、というような観点を持たず、やはり体で作られる物質が子の体の各部に配分される、というような説にまとまっている。
メンデルはエンドウマメの形態に注目して1856年から交配実験を行い、その結果を分析し、それが三つの法則にまとめられると考えた。彼は1865年にブルノ自然研究会で口頭発表し、翌年には会誌に論文を発表した。彼によると、形態の遺伝は一対の遺伝粒子を仮定することで説明できる。それは親の体内では変化を被ることなく子に受け継がれる。また各個体は両親からこれを1個ずつ受け取り、子をなす際には自分の作る配偶子にこれを1個ずつ分配する。詳しくはメンデルの法則を参照。
彼の発表、および論文がある程度の範囲の専門家の耳に入っていたのは間違いないが、大きな評価を得ることはできず、1900年に再発見されるまで反響はなかった。他方でそれまでと同様に様々な交配実験が行われ、時にはその報告にメンデルの論文が引用された例もある。むしろ、この間に細胞や染色体に関する知見が正確化した点が大きいかもしれない。たとえば植物において花粉と卵子が受精することが判明し、また減数分裂の存在が予想されるようになっている。
この時期、上記の流れとは別に、生物の多様性に注目した研究としてフランシス・ゴルトンによる生物統計学も創始されている。これは現代では非科学的な優生学を含んだものであったが、「継承されるもの」としての遺伝の性質を説明したメンデルの研究では捉えきれなかった、「集団内の連続的な多様性」を説明する遺伝の性質を捉えたものであった。これらの研究は、対象の過程を研究する中で統計学の発展と生物現象への統計解析の導入を促し、集団遺伝学が誕生する土壌となったと言える。
1900年に3人の研究者(ユーゴー・ド・フリース、カール・エーリヒ・コレンス、エーリヒ・フォン・チェルマク)がそれぞれ独自にメンデルの法則を再発見した。ちなみに、同年、ウィリアム・ベイトソンはたまたまメンデルの論文を入手して、その重要性に驚いて広く説いて回った。とりわけ、ベイトソンとカール・ピアソンの間では激しい論争が繰り広げられた。
このようにして遺伝子の論が広く知られると、1902年にはウォルター・S・サットンが染色体の観察から遺伝の染色体説を提唱した。染色体上に遺伝子があるとすると独立の法則が危うくなる(実際、ベイトソンや後述のモーガンがそれぞれスイートピーやショウジョウバエでこの法則が成立しないケースがあることを発見している)が、これを埋めたのが連鎖と組み換えの発見である。モーガンらは、ショウジョウバエを材料として突然変異を調べ、目が白いものを筆頭にいくつもの突然変異を見つけ、そのうちのいくつかは伴性遺伝をすることから、雌雄によって本数が違うX染色体上にこれがあるはずだが、突然変異の数だけX染色体があるわけではない(雌2本、雄1本)のでこれらの突然変異が何か一定の関係をもってX染色体に乗っていることが推察され、そこで染色体上の遺伝子が「乗り換える」という仮説を立て、2本の相同染色体が互いにその一部を交換すると仮定して分析をしたところ、各々の遺伝子は染色体上の一定の位置に規則正しく配列されているという結論に達した(これ以外に突然変異の起こる率が染色体の長さに比例することや、染色体の不分離現象からもこうしたことが確認された)。こうしたことを基に染色体説が証明され、ショウジョウバエなどでどこに何の遺伝子が乗っているかを調べる染色体地図(リンゲージ地図)という物が作成された。
さらに1933年のペインターによる双翅類の唾腺染色体(普通の染色体に比べて長さも幅も100倍以上ある)の遺伝子のあると思われる部分にアセトカーミンで染めた場合濃い帯の縞模様が出てくるが、これが熟練するとどこの部位かも分かるほど太さや間隔に規則性が見られ、染色体異常の個体の場合も異常が明瞭に観察できると報告し、モーガンの弟子のブリッジェスはこの研究を進めショウジョウバエの「唾腺染色体地図」という物を作成し、ショウジョウバエの研究に前述のリンゲージ地図と共に重要な役割をしたが、この「遺伝子は染色体上に一定の順序で並んでいる」というのはその後人間を含む高等生物からカビ・バクテリア・ファージといった微生物まで成立すると分かった。
また、この時代と平行して、集団遺伝学の成立、ハーマン・J・マラーのX線によるショウジョウバエの人工突然変異の誘発、テロメアの発見、自然選択説と遺伝学の統合を図るネオダーウィニズムの誕生、バーバラ・マクリントックによるトウモロコシにおけるトランスポゾンの発見も起こっている。
これ以降、セントラルドグマの時代までの研究は大きく2つの流れがある。一つは遺伝子の物質的な基礎の研究であり、もうひとつは遺伝子の形質発現のしくみの解明である。
染色体は DNA やタンパク質から構成されており、当時、遺伝子の正体はタンパク質であると考えられていた。しかしまず、1944年の肺炎双球菌の形質転換の研究や、1952年のハーシーらの実験により DNA が遺伝子の本体であることが明らかにされた。その立体構造については、1953年にワトソンとクリックが二重螺旋構造を提唱し、認められた。
フェニルケトン尿症などの研究から、遺伝子の発現が酵素の合成に関わるものであるとの予測はあった。ビードルとタータムはアカパンカビを用いて栄養要求株の研究を行い、遺伝子は特定の酵素の合成に与るもので、形質は酵素の働きの結果であるとする一遺伝子一酵素説を1941年に発表した。
DNAの立体構造決定以後、DNAが細胞にどのように作用するかという点が研究されていった。mRNA、tRNA、コドンの発見、機能解明から遺伝子発現の基礎的な仕組みが現在では分かっている。
技術的な発展としては、1977年に発表されたサンガー法が改良されたDNAシークエンシングや、80年代に発展したPCR法が標準的な手法となっている。
そして、2003年にはヒトゲノムが解読完了しており、今後はゲノムレベル、細胞レベルでの遺伝子の役割や、多様性が注目されていくだろうと言われている。
発生学は『蛙の子がカエルになる』のはなぜかを解き明かすという点で、遺伝学と裏表の関係にある。ただし対象が組織であったためにその発達は早かった。実験発生学は胚発生の仕組みとして誘導を発見したが、その原因要素の解明の段階で深い混迷に沈んだ。これに手が着くようになったのは1990年代以降で、胚発生の段階で部域特異的に発現する遺伝子やそれによって合成されるタンパク質群の機能を研究するような方法で進み始めた。そこでは遺伝子工学の方法が積極的に活用され、発生遺伝学といわれる分野を形成している。 | [
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"text": "メンデルの得た法則はこの分野の進歩の基礎となったが、遺伝学の実質的な進歩はその法則の再発見からである。これによって遺伝子という概念が確立し、具体的に追求すべき対象が明らかにされた。しかも、それがその後すぐに染色体を介して細胞核に結びつけられることで、遺伝現象は単に世代を超えて何かを伝えるしくみではなく、生命の日常的活動をその基礎で支えるものと判明したことで、生物学の中心的な位置に出てくることになった。",
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"text": "ワトソンとクリックらによるDNAの二重らせん構造の発見後は、DNA上にある遺伝子の物質的な側面からの研究が発展し分子生物学とよばれる研究分野が開拓された。遺伝子の機能の解析は生物学のほとんどの分野と関係がある。特にグリフィスが発見した形質転換は生物の遺伝子を人為的に操作する方法へと道を開き、遺伝子工学へと発展した。",
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"text": "一方、個体群における遺伝子頻度の変化を、特に自然選択の視点から実験、観察、および数学的手法にもとづいて研究する分野は集団遺伝学と呼ばれる。",
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"text": "このように、遺伝学は遺伝子という生物の基本的な要素につながっているため、現在ではあらゆる分野に結びついている。",
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"text": "遺伝現象は古くから知られていたが、その理論付けは困難であった。古くはヒポクラテスがこれについて言及し、生物体の各部分が何らかの物質を作り、これが子孫に伝わって子を親の形に似せる、という、遺伝物質を想定したような表現をしている。アリストテレスはこの点についてははっきりとした表現をしていない。彼は優性を現象的には知っていたが、説明を持ち合わせなかった。彼は多くの生物が異種間の雑種として生まれたと考えていた。",
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"text": "他方、農業部門では雌雄異株の植物(イチジクなど)を通じて人工授粉の手法が古くから成立し、17世紀頃にはこれが交配に当たるとの認識が成り立った。植物で交雑実験を行ったのはドイツのヨーゼフ・ケールロイターとされる。彼は18世紀半ばに様々な交配実験を行い、雑種は中間の形質を示すこと、ただし片方に似ることもあること、両者の縁が遠い場合には不稔の雑種ができること、また時に両者より強い雑種を生じること(雑種強勢)などを認めた。それ以降19世紀までこれに追随する交配実験が行われた。1830年にはオランダの科学アカデミーが交雑によって新変種を作る研究の懸賞論文を出している。",
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"text": "このような中で、遺伝する形質(表現型)は交雑とともに混じりあっていくと考えられていた。これは、雑種がその両親の中間的な性質を示すことが多いことに基づく。しかし、たとえばトーマス・ナイトは純系の株同士の交配では片親の形質だけが子に現れることを報告している。ちなみに、彼が行ったエンドウの実験が、後のメンデルの実験の基礎となっている。他に、1824年にジョン・ゴスはやはりエンドウについて、一代目で見られなかった形質が二代目に出現することも見ている。カール・ゲルトナーは上記懸賞論文に応募して賞を得た。彼は想定された遺伝物質をエレメントと名付け、これはメンデルも採用したところである。チャールズ・ダーウィンも交配実験に取り組み、一代目が片親の形質を示すこと、二代目には両方の形質が現れることなどを見ている。ただし二代目の分離比が一定になる、というような観点を持たず、やはり体で作られる物質が子の体の各部に配分される、というような説にまとまっている。",
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"text": "メンデルはエンドウマメの形態に注目して1856年から交配実験を行い、その結果を分析し、それが三つの法則にまとめられると考えた。彼は1865年にブルノ自然研究会で口頭発表し、翌年には会誌に論文を発表した。彼によると、形態の遺伝は一対の遺伝粒子を仮定することで説明できる。それは親の体内では変化を被ることなく子に受け継がれる。また各個体は両親からこれを1個ずつ受け取り、子をなす際には自分の作る配偶子にこれを1個ずつ分配する。詳しくはメンデルの法則を参照。",
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"text": "彼の発表、および論文がある程度の範囲の専門家の耳に入っていたのは間違いないが、大きな評価を得ることはできず、1900年に再発見されるまで反響はなかった。他方でそれまでと同様に様々な交配実験が行われ、時にはその報告にメンデルの論文が引用された例もある。むしろ、この間に細胞や染色体に関する知見が正確化した点が大きいかもしれない。たとえば植物において花粉と卵子が受精することが判明し、また減数分裂の存在が予想されるようになっている。",
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"text": "この時期、上記の流れとは別に、生物の多様性に注目した研究としてフランシス・ゴルトンによる生物統計学も創始されている。これは現代では非科学的な優生学を含んだものであったが、「継承されるもの」としての遺伝の性質を説明したメンデルの研究では捉えきれなかった、「集団内の連続的な多様性」を説明する遺伝の性質を捉えたものであった。これらの研究は、対象の過程を研究する中で統計学の発展と生物現象への統計解析の導入を促し、集団遺伝学が誕生する土壌となったと言える。",
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"text": "このようにして遺伝子の論が広く知られると、1902年にはウォルター・S・サットンが染色体の観察から遺伝の染色体説を提唱した。染色体上に遺伝子があるとすると独立の法則が危うくなる(実際、ベイトソンや後述のモーガンがそれぞれスイートピーやショウジョウバエでこの法則が成立しないケースがあることを発見している)が、これを埋めたのが連鎖と組み換えの発見である。モーガンらは、ショウジョウバエを材料として突然変異を調べ、目が白いものを筆頭にいくつもの突然変異を見つけ、そのうちのいくつかは伴性遺伝をすることから、雌雄によって本数が違うX染色体上にこれがあるはずだが、突然変異の数だけX染色体があるわけではない(雌2本、雄1本)のでこれらの突然変異が何か一定の関係をもってX染色体に乗っていることが推察され、そこで染色体上の遺伝子が「乗り換える」という仮説を立て、2本の相同染色体が互いにその一部を交換すると仮定して分析をしたところ、各々の遺伝子は染色体上の一定の位置に規則正しく配列されているという結論に達した(これ以外に突然変異の起こる率が染色体の長さに比例することや、染色体の不分離現象からもこうしたことが確認された)。こうしたことを基に染色体説が証明され、ショウジョウバエなどでどこに何の遺伝子が乗っているかを調べる染色体地図(リンゲージ地図)という物が作成された。",
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"text": "さらに1933年のペインターによる双翅類の唾腺染色体(普通の染色体に比べて長さも幅も100倍以上ある)の遺伝子のあると思われる部分にアセトカーミンで染めた場合濃い帯の縞模様が出てくるが、これが熟練するとどこの部位かも分かるほど太さや間隔に規則性が見られ、染色体異常の個体の場合も異常が明瞭に観察できると報告し、モーガンの弟子のブリッジェスはこの研究を進めショウジョウバエの「唾腺染色体地図」という物を作成し、ショウジョウバエの研究に前述のリンゲージ地図と共に重要な役割をしたが、この「遺伝子は染色体上に一定の順序で並んでいる」というのはその後人間を含む高等生物からカビ・バクテリア・ファージといった微生物まで成立すると分かった。",
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"text": "また、この時代と平行して、集団遺伝学の成立、ハーマン・J・マラーのX線によるショウジョウバエの人工突然変異の誘発、テロメアの発見、自然選択説と遺伝学の統合を図るネオダーウィニズムの誕生、バーバラ・マクリントックによるトウモロコシにおけるトランスポゾンの発見も起こっている。",
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"text": "これ以降、セントラルドグマの時代までの研究は大きく2つの流れがある。一つは遺伝子の物質的な基礎の研究であり、もうひとつは遺伝子の形質発現のしくみの解明である。",
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"text": "染色体は DNA やタンパク質から構成されており、当時、遺伝子の正体はタンパク質であると考えられていた。しかしまず、1944年の肺炎双球菌の形質転換の研究や、1952年のハーシーらの実験により DNA が遺伝子の本体であることが明らかにされた。その立体構造については、1953年にワトソンとクリックが二重螺旋構造を提唱し、認められた。",
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"text": "フェニルケトン尿症などの研究から、遺伝子の発現が酵素の合成に関わるものであるとの予測はあった。ビードルとタータムはアカパンカビを用いて栄養要求株の研究を行い、遺伝子は特定の酵素の合成に与るもので、形質は酵素の働きの結果であるとする一遺伝子一酵素説を1941年に発表した。",
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"text": "DNAの立体構造決定以後、DNAが細胞にどのように作用するかという点が研究されていった。mRNA、tRNA、コドンの発見、機能解明から遺伝子発現の基礎的な仕組みが現在では分かっている。",
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"text": "技術的な発展としては、1977年に発表されたサンガー法が改良されたDNAシークエンシングや、80年代に発展したPCR法が標準的な手法となっている。",
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"text": "そして、2003年にはヒトゲノムが解読完了しており、今後はゲノムレベル、細胞レベルでの遺伝子の役割や、多様性が注目されていくだろうと言われている。",
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"text": "発生学は『蛙の子がカエルになる』のはなぜかを解き明かすという点で、遺伝学と裏表の関係にある。ただし対象が組織であったためにその発達は早かった。実験発生学は胚発生の仕組みとして誘導を発見したが、その原因要素の解明の段階で深い混迷に沈んだ。これに手が着くようになったのは1990年代以降で、胚発生の段階で部域特異的に発現する遺伝子やそれによって合成されるタンパク質群の機能を研究するような方法で進み始めた。そこでは遺伝子工学の方法が積極的に活用され、発生遺伝学といわれる分野を形成している。",
"title": "他分野との関連"
}
] | 遺伝学は、生物の遺伝現象を研究する生物学の一分野である。遺伝とは世代を超えて形質が伝わっていくことであるが、遺伝子が生物の設計図的役割を果たすものであることが判明し、現在では生物学のあらゆる分野に深く関わるものとなっている。力学系などの数学諸分野との関わりについての研究も推進されている。 | '''遺伝学'''(いでんがく、{{Lang-en-short|genetics}})は、[[生物]]の[[遺伝]]現象を研究する[[生物学]]の一分野である。遺伝とは[[世代]]を超えて[[形質]]が伝わっていくことであるが、[[遺伝子]]が生物の設計図的役割を果たすものであることが判明し、現在では生物学のあらゆる分野に深く関わるものとなっている。力学系などの数学諸分野との関わりについての研究も推進されている。
== 概要 ==
遺伝現象は、元来は世代を超えて生物の形質が伝えられることを指す。これは生物に見られる重要な特徴であり、例えば[[分類学]]や[[系統学]]もこれを基礎とするものである。この現象を扱う生物学の分野が遺伝学である。ただし、生物学の分野で[[実験]]が取り入れられた、という点ではこれは古いものである。これは[[品種改良]]などの形で現実世界でこれに近いことが行われてきたからでもあるだろう。その意味では、この分野はその初期から実用的側面が強く、それは[[育種学]]へと引き継がれる。
[[メンデル]]の得た法則はこの分野の進歩の基礎となったが、遺伝学の実質的な進歩はその法則の再発見からである。これによって[[遺伝子]]という概念が確立し、具体的に追求すべき対象が明らかにされた。しかも、それがその後すぐに[[染色体]]を介して[[細胞核]]に結びつけられることで、遺伝現象は単に世代を超えて何かを伝えるしくみではなく、生命の日常的活動をその基礎で支えるものと判明したことで、生物学の中心的な位置に出てくることになった。
[[ジェームズ・ワトソン|ワトソン]]と[[フランシス・クリック|クリック]]らによる[[DNA]]の[[二重らせん]]構造の発見後は、DNA上にある遺伝子の物質的な側面からの研究が発展し[[分子生物学]]とよばれる研究分野が開拓された。遺伝子の機能の解析は[[生物学]]のほとんどの分野と関係がある。特に[[フレデリック・グリフィス|グリフィス]]が発見した[[形質転換]]は生物の遺伝子を人為的に操作する方法へと道を開き、[[遺伝子工学]]へと発展した。
一方、個体群における遺伝子頻度の変化を、特に[[自然選択]]の視点から実験、観察、および数学的手法にもとづいて研究する分野は[[集団遺伝学]]と呼ばれる。
さらに、遺伝基盤のもとに成立する生物進化について実験的、理論的研究が今後期待される。
このように、遺伝学は遺伝子という生物の基本的な要素につながっているため、現在ではあらゆる分野に結びついている。
== 遺伝学の歴史 ==
=== 前史 ===
遺伝現象は古くから知られていたが、その理論付けは困難であった。古くは[[ヒポクラテス]]がこれについて言及し、生物体の各部分が何らかの物質を作り、これが子孫に伝わって子を親の形に似せる、という、遺伝物質を想定したような表現をしている。[[アリストテレス]]はこの点についてははっきりとした表現をしていない。彼は[[優性]]を現象的には知っていたが、説明を持ち合わせなかった。彼は多くの生物が異種間の[[雑種]]として生まれたと考えていた<ref>中沢(1985)、p.15-17</ref>。
他方、[[農業]]部門では[[雌雄異株]]の植物([[イチジク]]など)を通じて[[人工授粉]]の手法が古くから成立し、17世紀頃にはこれが交配に当たるとの認識が成り立った。植物で交雑実験を行ったのはドイツの[[ヨーゼフ・ゴットリープ・ケールロイター|ヨーゼフ・ケールロイター]]とされる。彼は18世紀半ばに様々な交配実験を行い、雑種は中間の形質を示すこと、ただし片方に似ることもあること、両者の縁が遠い場合には不稔の雑種ができること、また時に両者より強い雑種を生じること([[雑種強勢]])などを認めた。それ以降19世紀までこれに追随する交配実験が行われた。1830年には[[オランダ王立芸術科学アカデミー|オランダの科学アカデミー]]が交雑によって新変種を作る研究の懸賞論文を出している<ref>中沢(1985)、p.22-25</ref>。
このような中で、遺伝する形質([[表現型]])は交雑とともに混じりあっていくと考えられていた。これは、雑種がその両親の中間的な性質を示すことが多いことに基づく。しかし、たとえば[[トーマス・アンドルー・ナイト|トーマス・ナイト]]は純系の株同士の交配では片親の形質だけが子に現れることを報告している。ちなみに、彼が行ったエンドウの実験が、後のメンデルの実験の基礎となっている。他に、1824年にジョン・ゴスはやはりエンドウについて、一代目で見られなかった形質が二代目に出現することも見ている。[[カール・ゲルトナー]]は上記懸賞論文に応募して賞を得た。彼は想定された遺伝物質をエレメントと名付け、これはメンデルも採用したところである。[[チャールズ・ダーウィン]]も交配実験に取り組み、一代目が片親の形質を示すこと、二代目には両方の形質が現れることなどを見ている。ただし二代目の分離比が一定になる、というような観点を持たず、やはり体で作られる物質が子の体の各部に配分される、というような説にまとまっている<ref>中沢(1985)、p.27</ref>。
=== メンデルとその再発見以前 ===
[[グレゴール・ヨハン・メンデル|メンデル]]は[[エンドウマメ]]の形態に注目して1856年から交配実験を行い、その結果を分析し、それが三つの法則にまとめられると考えた。彼は1865年にブルノ自然研究会で口頭発表し、翌年には会誌に論文を発表した。彼によると、形態の遺伝は一対の遺伝[[粒子]]を仮定することで説明できる。それは親の体内では変化を被ることなく子に受け継がれる。また各個体は両親からこれを1個ずつ受け取り、子をなす際には自分の作る配偶子にこれを1個ずつ分配する。詳しくは[[メンデルの法則]]を参照。
彼の発表、および論文がある程度の範囲の専門家の耳に入っていたのは間違いないが、大きな評価を得ることはできず、1900年に再発見されるまで反響はなかった。他方でそれまでと同様に様々な交配実験が行われ、時にはその報告にメンデルの論文が引用された例もある。むしろ、この間に細胞や[[染色体]]に関する知見が正確化した点が大きいかもしれない。たとえば植物において花粉と卵子が受精することが判明し、また[[減数分裂]]の存在が予想されるようになっている。
この時期、上記の流れとは別に、生物の多様性に注目した研究として[[フランシス・ゴルトン]]による[[生物統計学]]も創始されている。これは現代では非科学的な[[優生学]]を含んだものであったが、「継承されるもの」としての遺伝の性質を説明したメンデルの研究では捉えきれなかった、「集団内の連続的な多様性」を説明する遺伝の性質を捉えたものであった。<ref>http://www.iwanami.co.jp/.PDFS/00/9/0050550.pdf 鎌谷直之(2007) 遺伝統計学入門</ref>これらの研究は、対象の過程を研究する中で統計学の発展と生物現象への統計解析の導入を促し、集団遺伝学が誕生する土壌となったと言える。
=== 再発見以降 ===
1900年に3人の研究者([[ユーゴー・ド・フリース]]、[[カール・エーリヒ・コレンス]]、[[エーリヒ・フォン・チェルマク]])がそれぞれ独自にメンデルの法則を再発見した。ちなみに、同年、[[ウィリアム・ベイトソン]]はたまたまメンデルの論文を入手して、その重要性に驚いて広く説いて回った。とりわけ、ベイトソンと[[カール・ピアソン]]の間では激しい論争が繰り広げられた。
このようにして遺伝子の論が広く知られると、1902年には[[ウォルター・S・サットン]]が[[染色体]]の観察から遺伝の[[染色体説]]を提唱した。染色体上に遺伝子があるとすると[[独立の法則]]が危うくなる(実際、ベイトソンや後述のモーガンがそれぞれスイートピーやショウジョウバエでこの法則が成立しないケースがあることを発見している<ref>後にこれは同じ染色体上にそれらの遺伝子が一緒に乗っていたためと判明。<br>([[#吉川・西沢1969|吉川・西沢(1969)p.134「独立の法則」]])</ref>)が、これを埋めたのが[[遺伝的連鎖|連鎖]]と[[組み換え]]の発見である。[[トーマス・ハント・モーガン|モーガン]]らは、[[ショウジョウバエ]]を材料として突然変異を調べ、目が白いものを筆頭にいくつもの突然変異を見つけ、そのうちのいくつかは[[伴性遺伝]]をすることから、雌雄によって本数が違うX染色体上にこれがあるはずだが、突然変異の数だけX染色体があるわけではない(雌2本、雄1本)のでこれらの突然変異が何か一定の関係をもってX染色体に乗っていることが推察され、そこで染色体上の遺伝子が「乗り換える」という仮説を立て、'''2本の相同染色体が互いにその一部を交換する'''と仮定して分析をしたところ、'''各々の遺伝子は染色体上の一定の位置に規則正しく配列されている'''という結論に達した(これ以外に突然変異の起こる率が染色体の長さに比例することや、染色体の[[染色体不分離|不分離]]現象からもこうしたことが確認された)。こうしたことを基に染色体説が証明され、ショウジョウバエなどでどこに何の遺伝子が乗っているかを調べる染色体地図(リンゲージ地図)という物が作成された<ref>[[#吉川・西沢1969|吉川・西沢(1969)p.134「独立の法則」]]</ref>。
さらに1933年のペインターによる双翅類の唾腺染色体(普通の染色体に比べて長さも幅も100倍以上ある)の遺伝子のあると思われる部分にアセトカーミンで染めた場合濃い帯の縞模様が出てくるが、これが熟練するとどこの部位かも分かるほど太さや間隔に規則性が見られ、染色体異常の個体の場合も異常が明瞭に観察できると報告し、モーガンの弟子のブリッジェスはこの研究を進めショウジョウバエの「唾腺染色体地図」という物を作成し、ショウジョウバエの研究に前述のリンゲージ地図と共に重要な役割をしたが、この「遺伝子は染色体上に一定の順序で並んでいる」というのはその後人間を含む高等生物からカビ・バクテリア・ファージといった微生物まで成立すると分かった<ref>[[#吉川・西沢1969|吉川・西沢(1969)p.134「独立の法則」・p.149「唾腺染色体」]]</ref>。
また、この時代と平行して、集団遺伝学の成立、[[ハーマン・J・マラー]]のX線によるショウジョウバエの人工突然変異の誘発、[[テロメア]]の発見、[[自然選択説]]と遺伝学の統合を図る[[ネオダーウィニズム]]の誕生、[[バーバラ・マクリントック]]によるトウモロコシにおける[[トランスポゾン]]の発見も起こっている。
==== 分子生物学の黎明期〜DNAの立体構造決定====
これ以降、[[セントラルドグマ]]の時代までの研究は大きく2つの流れがある。一つは遺伝子の物質的な基礎の研究であり、もうひとつは遺伝子の形質発現のしくみの解明である。
===== 遺伝子の本体の追求 =====
染色体は [[デオキシリボ核酸|DNA]] や[[タンパク質]]から構成されており、当時、遺伝子の正体はタンパク質であると考えられていた。しかしまず、1944年の[[肺炎双球菌]]の[[形質転換]]の研究や、1952年の[[ハーシーとチェイスの実験|ハーシーらの実験]]により DNA が遺伝子の本体であることが明らかにされた。その立体構造については、1953年に[[ジェームズ・ワトソン|ワトソン]]と[[フランシス・クリック|クリック]]が[[二重螺旋構造]]を提唱し、認められた。
===== 形質発現の過程 =====
[[フェニルケトン尿症]]などの研究から、遺伝子の発現が[[酵素]]の合成に関わるものであるとの予測はあった。[[ジョージ・ウェルズ・ビードル|ビードル]]と[[エドワード・ローリー・タータム|タータム]]は[[アカパンカビ]]を用いて[[栄養要求株]]の研究を行い、遺伝子は特定の酵素の合成に与るもので、形質は酵素の働きの結果であるとする[[一遺伝子一酵素説]]を1941年に発表した。
==== 遺伝子発現 〜 ゲノムへ ====
DNAの立体構造決定以後、DNAが細胞にどのように作用するかという点が研究されていった。[[mRNA]]、[[tRNA]]、[[コドン]]の発見、機能解明から[[遺伝子発現]]の基礎的な仕組みが現在では分かっている。
技術的な発展としては、1977年に発表された[[サンガー法]]が改良された[[DNAシークエンシング]]や、80年代に発展した[[PCR法]]が標準的な手法となっている。
そして、2003年には[[ヒトゲノム]]が解読完了しており、今後はゲノムレベル、細胞レベルでの遺伝子の役割や、多様性が注目されていくだろうと言われている。
==他分野との関連==
===発生学===
[[発生学]]は『蛙の子がカエルになる』のはなぜかを解き明かすという点で、遺伝学と裏表の関係にある。ただし対象が組織であったためにその発達は早かった。[[実験発生学]]は[[胚発生]]の仕組みとして[[誘導]]を発見したが、その原因要素の解明の段階で深い混迷に沈んだ。これに手が着くようになったのは1990年代以降で、胚発生の段階で部域特異的に発現する遺伝子やそれによって合成される[[タンパク質]]群の機能を研究するような方法で進み始めた。そこでは[[遺伝子工学]]の方法が積極的に活用され、[[発生遺伝学]]といわれる分野を形成している。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書
|author = [[中沢信午]]
|title = 遺伝学の誕生 : メンデルを生んだ知的風土
|year = 1985
|publisher = [[中央公論社]]
|series = [[中公新書]]
|isbn = 4-12-100761-1
|pages =
}}
* {{Cite book|和書
| author = 吉川秀男・西沢一俊(編集責任者・代表)
| year =1969
| title = 原色現代科学大事典 7-生命
| publisher = 株式会社学習研究社
| ref =吉川・西沢1969
}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Genetics}}
{{Wiktionary}}
{{Wikiversity}}
*[[数理生物学]]
*[[発生遺伝学]]
*[[モデル生物]]
*[[日本遺伝学会]]
== 外部リンク ==
*{{Cite web|和書
|author =
|date =
|url = http://wwwsoc.nii.ac.jp/gsj3/
|title = 日本遺伝学会
|publisher =
|accessdate = 2010-12-18
}}
*{{Cite web|和書
|author =
|date =
|url = http://www.nig.ac.jp/
|title = 国立遺伝学研究所 - National Institute of Genetics
|publisher =
|accessdate = 2012-12-13
}}
*{{Cite web|和書
|author =
|date =
|url = http://www.nig.ac.jp/museum/history/history.html
|title = 遺伝学電子博物館 - 国立遺伝学研究所
|publisher =
|accessdate = 2012-12-13
}}
*{{Cite web|和書
|author =
|date =
|url = http://genetics.ibio.jp/terms/bin/view/
|title = 日本遺伝学会 遺伝学用語集編纂プロジェクト
|publisher = 日本遺伝学会 遺伝学用語編集委員会
|accessdate = 2012-12-13
}}
*{{Cite web|和書
|author =
|date =
|url = http://sciterm.nii.ac.jp/cgi-bin/reference.cgi
|title = オンライン学術用語集
|publisher = 国立情報学研究所
|accessdate = 2012-12-13
}}
{{Genetics |expanded}}
{{Chromosome genetics}}
{{生物学}}
{{Biosci-stub}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:いてんかく}}
[[Category:遺伝学|*]]
[[Category:生物学の分野]]
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[[Category:品種]] | 2003-02-13T09:19:07Z | 2023-12-03T08:35:19Z | false | false | false | [
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"Template:Wikiversity",
"Template:Chromosome genetics",
"Template:生物学",
"Template:Genetics",
"Template:Biosci-stub",
"Template:Lang-en-short",
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Cite book",
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"Template:Wiktionary",
"Template:Cite web",
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%A6 |
1,256 | 分子遺伝学 | 分子遺伝学(ぶんしいでんがく、英語:molecular genetics)は生物学の研究分野であるが、二つの異なる分野を指す。塩基配列の比較から生物の進化を議論する分野と、遺伝現象の仕組みを分子のレベルで理解しようとする分野である。
遺伝情報として生物が有するDNAやRNAは、種の進化とともに変化する。この変化を観察することである生物種(やウイルス等の非生物も)がどのように分化したかを調べる。形態的な分類による古典的な分類学に対し、塩基配列や酵素多型と行った遺伝情報から分類する。
理論的な体系は、木村資生の中立進化説により確立された。現在でも中立説は遺伝子進化を解析する際に非常に重要な理論的基盤を提供している。
この分野は、分子進化学、あるいは分子系統学(系統学の一分野として)、分子分類学(分類学の一分野として)などとも呼ばれる。
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"text": "遺伝情報を記述する遺伝子の化学的本体がDNAであり、その塩基配列によって蛋白質の構造が記述されていることが明らかとなっている今日では、遺伝学や分子生物学、あるいは遺伝子工学において用いられる基本的かつ重要な手法となっている。",
"title": "遺伝現象を分子レベルで扱う分子遺伝学"
}
] | 分子遺伝学は生物学の研究分野であるが、二つの異なる分野を指す。塩基配列の比較から生物の進化を議論する分野と、遺伝現象の仕組みを分子のレベルで理解しようとする分野である。 | '''分子遺伝学'''(ぶんしいでんがく、[[英語]]:molecular genetics<ref>Carroll, S. B., Grenier, J. K., & Weatherbee, S. D. (2013). From DNA to diversity: molecular genetics and the evolution of animal design. John Wiley & Sons.</ref>)は[[生物学]]の研究分野であるが、二つの異なる分野を指す。[[塩基配列]]の比較から[[進化|生物の進化]]を議論する分野と、遺伝現象の仕組みを分子のレベルで理解しようとする分野である。
== 進化を扱う分子遺伝学 ==
遺伝情報として生物が有する[[デオキシリボ核酸|DNA]]や[[リボ核酸|RNA]]は、[[種 (分類学)|種]]の進化とともに変化する。この変化を観察することである生物種(や[[ウイルス]]等の非生物も)がどのように分化したかを調べる。形態的な分類による古典的な分類学に対し、[[塩基配列]]や酵素多型と行った遺伝情報から分類する。
理論的な体系は、[[木村資生]]の[[中立進化説]]により確立された。<ref>太田朋子. (2009). 分子進化のほぼ中立説 偶然と淘汰の進化モデル. [[講談社]].</ref><ref>木村資生 (1986). 分子進化の中立説. [[紀伊国屋]].</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=高畑尚之, 前野みゆき |title=分子進化の中立説と集団遺伝学 (数学者のための分子生物学入門) |journal=物性研究 |ISSN=05252997 |publisher=物性研究刊行会 |year=2003 |month=oct |volume=81 |issue=1 |pages=60-68 |naid=110006409146 |url=https://hdl.handle.net/2433/97614}}</ref>現在でも中立説は遺伝子進化を解析する際に非常に重要な理論的基盤を提供している。
この分野は、[[分子進化学]]、<ref>木村資生. (1984). 分子進化学入門. [[培風館]].</ref>あるいは[[分子系統学]]([[系統学]]の一分野として)、<ref>Yang, Z., & Rannala, B. (2012). Molecular phylogenetics: principles and practice. Nature reviews genetics, 13(5), 303-314.</ref><ref>Whelan, S., Liò, P., & Goldman, N. (2001). Molecular phylogenetics: state-of-the-art methods for looking into the past. TRENDS in Genetics, 17(5), 262-272.</ref>分子分類学([[分類学]]の一分野として)<ref>尾本惠市. (1996). 分子人類学と日本人の起源. [[裳華房]].</ref><ref>長谷川政美. (1984). DNA からみた人類の起原と進化: 分子人類学序説. 海鳴社.</ref><ref>Stoneking, M. (2016). An introduction to molecular anthropology. John Wiley & Sons.</ref>などとも呼ばれる。
== 遺伝現象を分子レベルで扱う分子遺伝学 ==
遺伝情報を記述する[[遺伝子]]の化学的本体が[[デオキシリボ核酸|DNA]]であり、その[[塩基配列]]によって[[タンパク質|蛋白質]]の構造が記述されていることが明らかとなっている今日では、[[遺伝学]]や[[分子生物学]]、あるいは[[遺伝子工学]]において用いられる基本的かつ重要な手法となっている。<ref>鈴木健一朗, 平石明, & 横田明 (Eds.). (2001). 微生物の分類・同定実験法: 分子遺伝学・分子生物学的手法を中心に. Springer Science & Business Media.</ref>
==脚注==
{{Reflist|30em}}
==関連項目==
* [[分子系統学]]
* [[分子人類学]]
{{Biosci-stub}}
{{Molecular biology}}
{{遺伝学}}
{{生物学}}
{{authority control}}
{{DEFAULTSORT:ふんしいてんかく}}
[[Category:分子遺伝学|*]]
[[Category:分子生物学]]
[[Category:生物学の分野]]
[[Category:系統学]]
[[Category:遺伝学]] | null | 2022-02-23T07:46:27Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%AD%90%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%A6 |
1,257 | 小林じんこ | 小林 じんこ(こばやし じんこ、2月6日 - )は、漫画家。茨城県土浦市出身。
1984年、『メジャーな巻尺』(「ヤングマガジン増刊号」)でデビュー。同年、『風呂上がりの夜空に』を発表しリリカルな感性とハイテンションなギャグで注目を集める。青年誌に少女マンガ的感性を持ち込んだ最初の作品とされる。1987年には同作品はテレビドラマ化もされた。2009年、月刊IKKI8月号より『JUNKIN' GAP CLASH』の連載を開始。単行本は第1巻まで発売されたが、休載中に掲載誌であるIKKIの休刊が決定。2014年発行の月刊IKKI10月号への掲載を最後に現在まで未完の状態となっている。 | [
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] | 小林 じんこは、漫画家。茨城県土浦市出身。 | '''小林 じんこ'''(こばやし じんこ、[[2月6日]] - )は、[[漫画家]]。[[茨城県]][[土浦市]]出身。
== 略歴 ==
[[1984年]]、『メジャーな巻尺』(「[[週刊ヤングマガジン|ヤングマガジン]]増刊号」)でデビュー。同年、『[[風呂上がりの夜空に]]』を発表しリリカルな感性とハイテンションなギャグで注目を集める。青年誌に少女マンガ的感性を持ち込んだ最初の作品とされる。1987年には同作品はテレビドラマ化もされた。2009年、[[月刊IKKI]]8月号より『JUNKIN' GAP CLASH』の連載を開始。単行本は第1巻まで発売されたが、休載中に掲載誌であるIKKIの休刊が決定。2014年発行の月刊IKKI10月号への掲載を最後に現在まで未完の状態となっている<ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/kalikalicarrot/status/523856015339433984 |url=https://twitter.com/kalikalicarrot/status/523856015339433984 |website=Twitter |access-date=2022-10-10 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=IKKIラスト前号、ニッケルオデオンなど完結 |url=https://natalie.mu/comic/news/124473 |website=コミックナタリー |access-date=2022-10-10 |language=ja |first=Natasha |last=Inc}}</ref>。
== 作品 ==
*『風呂上がりの夜空に』全5巻 KCデラックス 講談社 1984年~
*『歌謡漫画大全集』全1巻 KCデラックス 講談社 1985年 小林じんこ「素敵にシンデレラ・コンプレックス」
* ヤングマガジン・オールスターズ『歌謡マンガ大全集』第2巻 ヤンマガKCスペシャル 講談社 1988年 小林じんこ「素敵にシンデレラ・コンプレックス」(『歌謡漫画大全集』のヤンマガKC・B6判)
* ヤングマガジン・オールスターズ『映画マンガ大全集』全2巻 ヤンマガKCスペシャル講談社 1988年(第1巻収録)小林じんこ「[[ピクニックatハンギングロック]]」
*『[[親指姫の冒険]]』 小林じんこ傑作集 宝島社 1993年12月
*『りなことお兄ちゃん』第1巻 講談社 1992年11月
** 復活読み切りカラー付き42P~初めての上京編~ヤングマガジン(2001 08/13発行)
* 講談社「ヤングマガジン アッパーズ」(1998.4/1創刊)に作品掲載
** 『おサルでワン!』第1巻 ぶんか社 1998年4月
** 『おサルでワン!』第2巻 ぶんか社 2000年5月
* 「イブニング」
** 『ごちそうメレンゲ』(2002年01月号より)不定期?連載
* 銀杏社「漫画街(Webサイト)」
** 「ドット.ファーザー」 2006年公開 読み切り<ref>{{Cite web |title=::::::::::無料WEB漫画:::::::::: |url=http://manga-gai.net/manga/dot/new/0001.htm |website=manga-gai.net |access-date=2022-10-10}}</ref>
* 「月刊IKKI」
** 『JUNKIN' GAP CLASH』第1巻 2011年2月 ([[小学館]] ISBN 978-4091885456)
* 河出書房新社「文藝別冊 総特集 望月ミネタロウ」2023年刊
** 「無題」 - 2ページのエッセイ漫画を寄稿<ref>{{Cite book |title=総特集 望月ミネタロウ :望月 ミネタロウ|河出書房新社 |url=https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309980638/ |language=ja}}</ref>
== 活動 ==
* 『小林じんこ&Tinquo』小林じんこ率いるバンド。(年代不明)(クアトロにて)
* 映画『よそもの』脚本・監督--- 宮本勝行 22分 カラー作品(一部白黒)
** [内容]トイレを探して走り出すサラリーマンの物語は、四コマ漫画やサイレント映画の手法を効果的に用いて、めくるめく色彩の中で展開されていく、歯切れのいい短編。「おむすびを食べさせる女----小林じんこ」で出演。(1997.7月1~6日、渋谷区千駄ヶ谷のフジタヴァンテシアターにて上映)
== 脚注 ==
{{reflist}}
== 外部リンク ==
* {{Twitter|kalikalicarrot}}
* {{マンガ図書館Z作家|2607}}
* {{Mediaarts-db|name=小林じんこ}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:こはやし しんこ}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:茨城県出身の人物]]
[[Category:生年未記載]]
[[Category:存命人物]] | 2003-02-13T09:24:08Z | 2023-12-12T04:38:38Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%93 |
1,258 | 1830年代 | 1830年代(せんはっぴゃくさんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1830年から1839年までの10年間を指す十年紀。 | [
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] | 1830年代(せんはっぴゃくさんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1830年から1839年までの10年間を指す十年紀。 | {{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 19 | 年代 = 1830 | 年 = 1830 }}
'''1830年代'''(せんはっぴゃくさんじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1830年から1839年までの10年間を指す[[十年紀]]。
== できごと ==
=== 1830年 ===
{{main|1830年}}
* [[大コロンビア]]が解体され、[[エクアドル]]と[[ベネズエラ]]が独立。
* [[7月27日]] - [[フランス7月革命]]が勃発。
=== 1831年 ===
{{main|1831年}}
* [[第一次エジプト・トルコ戦争]]( - 1833年)。
=== 1832年 ===
{{main|1832年}}
* [[天保の大飢饉]]発生。[[ギリシャ王国]]が成立。
=== 1834年 ===
{{main|1834年}}
* [[ドイツ関税同盟]]発足。[[ポルトガル内戦]]が終結。
=== 1836年 ===
{{main|1836年}}
* [[パリ]]の[[エトワール凱旋門]]完成(1806年 - )。
* [[アラモの戦い]]。
=== 1837年 ===
{{main|1837年}}
* [[3月25日]] - ([[天保]]8年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]]) [[大塩平八郎の乱]]。
* [[6月20日]] - [[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]即位。
* [[サミュエル・モールス]]、有線電信機を発明。
=== 1838年 ===
{{main|1838年}}
* [[中米連邦]]が解体される。
=== 1839年 ===
{{main|1839年}}
* [[蛮社の獄]]。
== 脚注 ==
'''注釈'''
{{Reflist|group="注"}}
'''出典'''
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
<!-- == 参考文献 == -->
== 関連項目 ==
* [[十年紀の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
== 外部リンク ==
* {{Commonscat-inline}}
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/1830%E5%B9%B4%E4%BB%A3 |
1,260 | 2月1日 | 2月1日(にがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から32日目にあたり、年末まであと333日(閏年では334日)ある。
翌年の春分の日および秋分の日をはじめとする日本の国民の祝日は、この日発行される官報によって発表される(発行されない日の場合は、この日以降最初に発行される日)。 | [
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'''2月1日'''(にがつついたち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から32日目にあたり、年末まであと333日([[閏年]]では334日)ある。
翌年の[[春分の日]]および[[秋分の日]]をはじめとする日本の[[国民の祝日]]は、この日発行される[[官報]]によって発表される(発行されない日の場合は、この日以降最初に発行される日)。
== できごと ==
[[File:LetterFromKhubilaiToJapan1266.jpg|thumb|upright|[[モンゴル帝国]]の使者来日(1268)。画像は宗性筆『蒙古國牒状』]]
[[File:Fort Zeelandia03.jpg|thumb|upright|[[安平古堡]]陥落(1662)]]
[[File:13th Amendment Pg1of1 AC.jpg|thumb|upright|[[エイブラハム・リンカーン]]が[[アメリカ合衆国憲法修正第13条]]に署名(1865){{Squote|奴隷制もしくは自発的でない隷属は、アメリカ合衆国内およびその法が及ぶ如何なる場所でも、存在してはならない}}]]
[[File:Tokutomi Roka.jpg|thumb|upright|[[徳富蘆花]]の『謀叛論』演説(1911){{Squote|曰う、諸君、我々は生きねばならぬ、生きるために常に謀叛しなければならぬ、自己に対して、また周囲に対して}}]]
[[File:Columbia Memorial.JPG|thumb|upright|[[コロンビア号空中分解事故]](2003)]]
* [[1268年]]([[文永]]5年[[1月17日 (旧暦)|1月17日]]) - [[モンゴル帝国]]の使者が通交を求めて来日{{要出典|date=2021-03}}。[[元寇]]のきっかけとなる。
* [[1411年]] - [[ポーランド・リトアニア連合]]と[[ドイツ騎士団]]が[[第一次トルンの和約]]に調印。
* [[1662年]]([[永暦 (南明)|永暦]]15年[[12月13日 (旧暦)|12月13日]]) - [[鄭成功]]が[[台湾]]の[[安平古堡]]を陥落([[:zh:鄭成功攻臺之役]])。[[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏による台湾統治]]が始まる。
* [[1793年]] - [[フランス革命戦争]]: [[フランス]][[国民公会]]が[[イギリス]]・[[オランダ]]に宣戦布告。
* [[1814年]] - [[フィリピン]]の[[マヨン山]]が噴火。死者1,200人。
* [[1861年]] - [[南北戦争]]: [[テキサス州]]が[[アメリカ合衆国]]から離脱。
* [[1865年]] - [[アメリカ合衆国大統領]][[エイブラハム・リンカーン]]が[[奴隷制]]全廃を定める[[アメリカ合衆国憲法修正第13条]]に署名。
* [[1874年]] - [[佐賀の乱]]が勃発。
* [[1884年]] - 『[[オックスフォード英語辞典]]』(OED) 第1巻が刊行。
* [[1889年]] - 官設鉄道[[東海道本線|東海道線]]・[[国府津駅|国府津]] - [[静岡駅|静岡]](国府津 - [[沼津駅|沼津]]は現在の[[御殿場線]])が開業。
* [[1890年]] - [[徳富蘇峰]]が「[[國民新聞]]」を創刊。
* [[1895年]] - [[京都電気鉄道]](後の[[京都市電]])・塩小路東洞院通 - 伏見町下油掛6.4kmが開業。(日本初の電気鉄道)
* [[1896年]] - [[ジャコモ・プッチーニ]]のオペラ『[[ラ・ボエーム (プッチーニ)|ラ・ボエーム]]』が[[トリノ]]で初演。
* [[1899年]] - [[東京]] - [[大阪]]で初の長距離電話が開通。1通話1円60銭。
* [[1903年]] - [[中央本線]][[笹子トンネル (中央本線)|笹子トンネル]]開通。
* [[1906年]] - 前年12月に設置された[[統監府|韓国統監府]]が開庁。
* [[1908年]] - [[ポルトガル王国|ポルトガル]]王[[カルロス1世 (ポルトガル王)|カルロス1世]]が暗殺。襲撃に巻き込まれた王太子[[ルイス・フィリペ (ブラガンサ公)|ルイス・フィリペ]]が王位に就くも20分後に死亡したため、実弟の[[マヌエル2世 (ポルトガル王)|マヌエル]]が王位を継承した。
* [[1911年]] - [[徳富蘆花]]が[[第一高等学校・東京大学弁論部|一高弁論部]]大会で「謀反論」を講演。
* [[1913年]] - [[マニラ]]で第1回[[極東選手権競技大会|東洋オリンピック]]が開会。
* [[1924年]] - [[イギリス]]が[[ソビエト連邦]]を[[国家の承認|承認]]。
* [[1927年]] - [[大蔵省]]が[[資本金]]不足を理由に[[貯蓄銀行]] 6行に対して業務停止命令を発出<ref>貯蓄銀行の営業差し止め、資本金不足で『東京日日新聞』昭和2年2月11日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p27 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。
* [[1928年]] - [[日本共産党]]の機関紙『赤旗』(現 『[[しんぶん赤旗]]』)が創刊。
* [[1938年]] - [[山川均]]・[[大内兵衛]]・[[美濃部亮吉]]ら[[労農派]]教授グループ約30人が検挙。(第二次[[人民戦線事件]])
* [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: 日本で、[[味噌]]・[[醤油]]の[[配給 (物資)|配給]]制、衣料の切符配給制を開始。
* 1942年 - [[毛沢東]]が「文化人の問題、我々の立場の問題、それらの学習の問題を解決しなければならない」と談話、[[中国共産党]]で[[整風運動]]がはじまる。
* [[1943年]] - 第二次世界大戦・[[ガダルカナル島の戦い]]: 日本軍が[[ガダルカナル島]]からの撤退([[ケ号作戦]])を開始。7日に撤退完了。
* [[1944年]] - 第二次世界大戦・[[クェゼリンの戦い]]: 米軍が[[クェゼリン環礁|クェゼリン・ルオット両島]]に上陸開始。6日に日本守備軍・軍属6,500人が玉砕。
* [[1946年]] - [[ハンガリー]]で新憲法が制定され、[[ハンガリー第二共和国]]が成立。
* 1946年 - [[NHKラジオ]]で[[平川唯一]]の『英会話教室』が放送開始。
* [[1948年]] - [[沢田美喜]]が[[大磯町|大磯]]に混血児救済施設「[[エリザベス・サンダースホーム]]」を開設。
* [[1952年]] - [[経済協力開発機構原子力機関]]の前身である欧州原子力機関が創設される。
* [[1953年]] - [[日本放送協会|NHK]]が東京地区で日本で初めての[[テレビ]]本放送を開始。
* [[1954年]] - [[マリリン・モンロー]]が来日。
* [[1956年]] - 「[[自動車損害賠償保障法]]」(自賠責法)施行。[[自賠責保険]]の強制加入を実施。
* [[1958年]] - [[エジプト]]と[[シリア]]が[[アラブ連合共和国]]を結成。
* 1958年 - [[東京宝塚劇場]]の舞台で火災が発生。劇団員3人が死亡、16人が重軽傷<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=126,127 |isbn=9784816922749}}</ref>。
* [[1959年]] - 日本教育テレビ(NETテレビ、現・[[テレビ朝日]])が開局。
* [[1960年]] - [[興和]]が[[胃腸薬]]「キャベジンコーワ」を発売。
* [[1961年]] - [[深沢七郎]]の小説『風流夢譚』の雑誌『[[中央公論]]』への掲載をめぐって、[[中央公論新社|中央公論社]]社長の自宅を[[大日本愛国党]]の右翼少年が襲撃。家事手伝いの女性を刺殺。([[嶋中事件]])
* [[1962年]] - [[立法院 (琉球)|琉球立法院]]が、[[アメリカ合衆国による沖縄統治|アメリカの沖縄統治]]は[[国際連合憲章|国連憲章]]違反とする決議(2・1決議)を全会一致で採択。
* 1962年 - 東京都統計部の発表によれば[[東京都]]の[[人口]](常住人口)が1,000万人を突破。世界初の1,000万都市に。
* [[1965年]] - [[原水爆禁止日本協議会]](原水協)から[[日本社会党|社会党]]・[[日本労働組合総評議会|総評]]系が分裂し、[[原水爆禁止日本国民会議]](原水禁)を結成。
* [[1967年]] - [[大阪府]]の[[布施市]]・[[河内市]]・[[枚岡市]]の3市が対等合併、[[東大阪市]]が発足。
* [[1968年]] - [[カナダ]]で陸軍・海軍・空軍を統合して[[カナダ軍]]が発足。
* [[1970年]] - [[アース製薬]]が[[大塚製薬]]を核とする大塚グループに参加。
* [[1974年]] - [[クアラルンプール]]が[[連邦直轄領 (マレーシア)|連邦直轄領]]になる。
* 1974年 - ブラジル・サンパウロで[[ジョエルマビル火災]]が発生。
* [[1977年]] - 新宿を中心に30件以上の[[放火]]を行った[[火曜日の放火魔事件]]の犯人逮捕<ref>さらに三件を自供『朝日新聞』1977年(昭和52年)2月8日夕刊、3版、9面</ref>。
* [[1979年]] - [[イラン]]の[[アヤトラ・ホメイニ]]がパリでの15年間の亡命から帰国。
* [[1979年]] - [[空白の一日]]事件以後去就が注目されていた[[江川卓 (野球)]]投手のコミッショナー裁定によるトレードでの巨人入り決定後の記者会見が行われる。会場は記者の詰問や怒号で大混乱し、この時江川が発した「興奮しないで。」が流行語になった。
* [[1982年]] - [[セネガル]]と[[ガンビア]]による[[セネガンビア|セネガンビア国家連合]]が発足。
* 1982年 - [[四国]]地方初の[[民間放送|民放]][[超短波放送|FM]]放送局・[[エフエム愛媛]]が開局。
* [[1983年]] - [[老人福祉法]]改正。70歳以上の医療無料制を廃止。
* [[1984年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]]で[[貨物列車]]の大整理を伴う[[1984年2月1日国鉄ダイヤ改正|大規模ダイヤ改正]]を実施。
* [[1987年]] - [[北海道]]の国鉄[[広尾線]]([[帯広駅|帯広]] - [[広尾駅 (北海道)|広尾]] 84.0km)がこの日限りで廃止。ブームになった[[愛国駅]]と[[幸福駅]]が廃止に。<!-- 最終営業日記載。廃止はこの翌日 -->
* [[1998年]] - [[日本電信電話|NTT]]が[[ナンバーディスプレイ]]のサービスを全国で開始。
* [[1999年]] - [[アメリカン航空]]、[[カナディアン航空]]<ref group="注">[[エア・カナダ]]に吸収合併され現存せず</ref>、[[ブリティッシュ・エアウェイズ]]、[[キャセイパシフィック航空]]、[[カンタス航空]]により[[ワンワールド]]が設立される。
* [[2002年]] - [[小泉純一郎]]首相が[[田中眞紀子]]外相を更迭。
* [[2003年]] - STS-107[[スペースシャトル]]・[[スペースシャトル・コロンビア|コロンビア号]]が[[テキサス州]]上空で空中分解事故。乗員7名が全員死亡。([[コロンビア号空中分解事故]])
* 2003年 - [[欧州連合]]の基本条約の一つ・[[ニース条約]]が発効。
* [[2004年]] - [[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]([[横浜駅|横浜]] - [[元町・中華街駅|元町・中華街]]間)開業。
* 2004年 - [[テレビアニメ]]『[[ふたりはプリキュア]]』放送開始。「[[プリキュアシリーズ]]」の第1作。
* 2004年 - [[ヒューストン]]の[[リライアント・スタジアム]]で[[第38回スーパーボウル]]開催。[[ジャネット・ジャクソン]]の乳房が全米にテレビ放映され、後日[[連邦通信委員会]]が[[CBS]]に罰金を科す騒動に。
* 2004年 - [[ブルネイ]]の[[中央銀行]]の役割を果たす[[ブルネイ通貨金融委員会]]が発足。
* [[2005年]] - [[サッカー]][[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]の「ジェフユナイテッド市原」が「[[ジェフユナイテッド市原・千葉]](通称・ジェフ千葉)」に改称。
* [[2008年]] - [[日本たばこ産業]]が[[成人識別自動販売機]]でたばこを購入する際に利用する[[ICカード]][[taspo]]の発行受付がスタート。
* [[2009年]] - [[ヨハンナ・シグルザルドッティル]]が[[アイスランドの首相]]に就任<ref>{{Cite web|和書|date=2009年2月2日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2566679 |title=世界初、同性愛者の女性首相が誕生 アイスランド |work=AFPBB News |publisher=AFP |accessdate=2020-04-17}}</ref>。
* [[2012年]] - [[エジプト・サッカー暴動]]が発生し、74名が死亡<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/2854832 サッカー試合で暴動、74人死亡 1000人負傷か エジプト] AFPBB News (2012年2月2日) 2021年1月4日閲覧。</ref>。
<!-- 「2月1日」で特記すべき情報ですか? * [[2013年]] - JT([[日本たばこ産業]])の[[タバコ]]である[[マイルドセブン]]が[[メビウス (タバコ)|メビウス]]に銘柄を変更。1977年から続いたマイルドセブンの銘柄に終止符が打たれる。 -->
* [[2015年]] - [[ISILによる日本人拘束事件]]: [[後藤健二 (ジャーナリスト)|後藤健二]]の殺害が報道される<ref>{{Cite web|和書|date=2015-02-02 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG01H4Z_R00C15A2CR8000/ |title=日本記者クラブ「強く非難する」 「殺害」映像公開 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2020-04-17}}</ref>。
* [[2019年]] - [[日本・EU経済連携協定]]が発効<ref name="mof20181221">{{cite news|title =日・EU経済連携協定の効力発生のための外交上の公文の交換|url =https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press1_000310.html|publisher = 外務省|date = 2018-12-21 | accessdate =2020-04-17}}</ref>。
* 2019年 - アメリカが[[中距離核戦力全廃条約]]破棄を発表。[[2月2日|翌日]]からの義務履行停止をロシアに通告<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40813560R00C19A2MM8000/|title=米、核軍縮INF条約の破棄通告 「ロシアが違反」|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2019-02-01|accessdate=2020-04-17}}</ref>。
* [[2021年]] - [[2021年ミャンマークーデター]]が発生。事実上の最高指導者だった[[アウンサンスーチー]]らが失脚。
=== 日本の自治体改編 ===
* [[1898年]] - 奈良県[[奈良市]]が市制施行。
* [[1924年]] - 静岡県[[清水市]](現 [[静岡市]][[清水区]])が市制施行。
* [[1933年]] - 三重県[[松阪市]]が市制施行。
* [[1953年]] - 岡山県[[西大寺市]](現 [[岡山市]][[東区 (岡山市)|東区]]の一部)が市制施行。
* [[1955年]] - 青森県三本木市(1956年に[[十和田市]]に改称)、神奈川県[[厚木市]]、岐阜県[[土岐市]]、大阪府[[松原市]]、鹿児島県[[国分市]]が市制施行。
* [[1958年]] - 東京都[[町田市]]が市制施行。
* [[1959年]] - 神奈川県[[大和市]]が市制施行。
* [[1967年]] - 岡山県倉敷市(初代)・児島市・玉島市が新設合併し、現行の[[倉敷市]](二代目)が発足。
* 1967年 - [[大阪府]]東部の[[布施市]]、[[河内市]]、[[枚岡市]]の3市が合併して[[東大阪市]]が発足。
* [[1975年]] - 愛知県[[名古屋市]]の[[行政区]]再編。[[千種区]]の一部が[[名東区]]、[[昭和区]]の一部が[[天白区]]にそれぞれ分区。
* [[2004年]] - 岐阜県[[飛騨市]]・[[本巣市]]が市制施行。
* [[2005年]] - 石川県[[松任市]]ほか7町村が合併して[[白山市]]となる。
* [[2006年]] - 北海道[[北斗市]]が市制施行。
== 誕生日 ==
=== 人物 ===
* [[1394年]]([[応永]]元年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[一休宗純]]、[[僧|禅僧]](+ [[1481年]])
* [[1432年]] - [[アメデーオ9世・ディ・サヴォイア]]、[[サヴォイア公国|サヴォイア公]]、[[ピエモンテ公]]、[[アオスタ]]伯、モーリエンヌ伯、[[ニース]]伯(+ [[1472年]])
* [[1447年]] - [[エーバーハルト2世 (ヴュルテンベルク公)]]、[[1480年]]から1496年までは[[ヴュルテンベルク|ヴュルテンベルク=シュトゥットガルト]][[ヴュルテンベルク君主一覧|伯]] (+ [[1504年]])
* [[1462年]] - [[ヨハンネス・トリテミウス]]、[[隠秘学]]者(+ [[1516年]])
* [[1546年]]([[天文 (元号)|天文]]15年1月1日) - [[最上義光]]、[[出羽国]]の[[戦国大名]]、[[山形藩|山形藩主]](+ [[1614年]])
* [[1552年]] - [[エドワード・コーク]]、[[法律家]](+ [[1634年]])
* [[1647年]]([[正保]]3年[[12月27日 (旧暦)|12月27日]]) - [[保科正経]]、2代[[会津藩|会津藩主]](+ [[1681年]])
* [[1659年]] - [[ヤーコプ・ロッヘフェーン]]、[[オランダ]]([[ネーデルラント連邦共和国]])の航海者・[[探検家]](+ [[1729年]])
* [[1666年]] - [[マリー=テレーズ・ド・ブルボン (1666-1732)|マリー=テレーズ・ド・ブルボン]]、[[ブルボン朝]][[フランス王国|フランス]]王家の一員(+ [[1732年]])
* [[1669年]]([[寛文]]9年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[板倉重寛]]、初代[[福島藩|福島藩主]](+ [[1720年]])
* [[1690年]] - [[フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ]]、[[作曲家]](+ [[1768年]])
* [[1706年]]([[宝永]]2年[[12月18日 (旧暦)|12月18日]]) - [[山脇東洋]]、[[医学|医学者]](+ [[1762年]])
* [[1736年]]([[享保]]20年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]]) - [[板倉勝武]]、2代[[備中松山藩|松山藩主]](+ [[1769年]])
* [[1737年]]([[元文]]2年[[1月2日 (旧暦)|1月2日]]) - [[松平光徳]]、3代[[松本藩|松本藩主]](+ [[1759年]])
* [[1761年]] - [[クリスティアーン・ヘンドリク・ペルズーン]]、[[菌類学]]者(+ [[1836年]])
* [[1763年]] - [[トマス・キャンベル]]、[[牧師]]、[[伝道師]]、農場経営者(+ [[1854年]])
* [[1805年]] - [[ルイ・オーギュスト・ブランキ]]、[[革命家]](+ [[1881年]])
* 1824年 - [[ヘンリー・サマセット (第8代ボーフォート公)|ヘンリー・サマセット(第8代ボーフォート公)]]、[[貴族]]、[[軍人]]、[[政治家]]、[[バドミントン]]の創始者(+ [[1899年]])
* [[1825年]] - [[フランシス・ジェームズ・チャイルド]]、[[文献学|文献学者]](+ [[1896年]])
* [[1836年]] - [[エミール・ハートマン]]、[[作曲家]](+ [[1898年]])
* [[1844年]] - [[スタンレー・ホール]]、[[心理学者]](+ [[1924年]])
* 1844年 - [[エードゥアルト・シュトラースブルガー]]、[[植物学|植物学者]]、[[細胞生物学|細胞学者]]、[[解剖学|解剖学者]](+ [[1912年]])
* [[1856年]]([[安政]]2年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]) - [[井上哲次郎]]、[[哲学者]](+ [[1944年]])
* [[1859年]] - [[ヴィクター・ハーバート]]、作曲家(+ [[1924年]])
* [[1872年]]([[明治]]4年[[12月23日 (旧暦)|12月23日]]) - [[徳田秋声]]、[[小説家]](+ [[1943年]])
* [[1874年]] - [[フーゴ・フォン・ホーフマンスタール]]、[[劇作家]](+ [[1929年]])
* 1874年 - [[湯浅倉平]]、[[官僚]]、[[政治家]](+ [[1940年]])
* [[1879年]] - [[臼田亞浪]]、[[俳人]](+ [[1951年]])
* [[1884年]] - [[エヴゲーニイ・ザミャーチン]]、[[作家]](+ [[1937年]])
* [[1889年]] - [[石橋正二郎]]、[[ブリヂストン]]創業者(+ [[1976年]])
* [[1891年]] - [[福留繁]]、[[大日本帝国海軍|海軍]][[軍人]](+ [[1971年]])
* [[1892年]] - [[子母沢寛]]、[[小説家]](+ [[1968年]])
* [[1894年]] - [[ジョン・フォード]]、[[映画監督]](+ [[1973年]])
* [[1901年]] - [[クラーク・ゲーブル]]、[[俳優]](+ [[1960年]])
* [[1902年]] - [[ラングストン・ヒューズ]]、作家(+ [[1967年]])
* [[1905年]] - [[岩倉具実]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1978年]])
* 1905年 - [[エミリオ・セグレ]]、[[物理学者]](+ [[1989年]])
* 1905年 - [[中地シゲヨ]]、教育者、[[スーパーセンテナリアン]](+ [[2021年]])
* [[1907年]] - [[林弘高]]、[[吉本興業ホールディングス|吉本興業]]社長、芸能プロモーター(+ 1971年)
* [[1915年]] - [[スタンリー・マシューズ]]、サッカー選手(+ [[2000年]])
* [[1917年]] - [[澤村榮治]]、[[プロ野球選手]](+ [[1944年]])
* [[1918年]] - [[ミュリエル・スパーク]]、小説家(+ [[2006年]])
* [[1920年]] - [[林義一]]、プロ野球選手、[[プロ野球監督]](+ [[2008年]])
* 1920年 - [[奥崎謙三]]、[[大日本帝国陸軍]][[上等兵]]、[[アナキズム|アナキスト]](+ [[2005年]])
* [[1922年]] - [[レナータ・テバルディ]]、[[ソプラノ]]歌手(+ [[2004年]])
* [[1923年]] - [[北の洋昇]]、[[大相撲]][[力士]](+ [[2002年]])
* [[1925年]] - [[大友工]]、プロ野球選手(+ [[2013年]])
* 1925年 - [[ロナルド・ドーア]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[2018年]])
* [[1926年]] - [[榊莫山]]、[[書道家]](+ [[2010年]])
* [[1928年]] - [[大野乾]]、[[遺伝学|遺伝学者]](+ [[2000年]])
* 1928年 - [[佐藤孝行]]、[[政治家]](+ [[2011年]])
* [[1929年]] - [[鳥海尽三]]、[[脚本家]]、小説家(+ [[2008年]])
* 1929年 - [[須賀敦子]]、[[随筆家]]・[[イタリア]][[文学者]](+ [[1998年]])
* [[1930年]] - [[シャハブッディン・アーメド]]、[[バングラデシュの大統領]]、最高裁長官(+ [[2022年]])
* 1930年 - [[マリア・エレナ・ワルシュ]]、[[歌手]]、[[詩人]]、[[童謡]]・[[童話]]作家(+ [[2011年]])
* [[1931年]] - [[ボリス・エリツィン]]、初代[[ロシア連邦大統領]](+ [[2007年]])
* [[1932年]] - [[海老一染太郎]]、[[太神楽]]師(+ [[2002年]])
* 1932年 - [[広田良吾]]、[[工学者]]、[[物理学者]]、[[数学者]](+ [[2015年]])
* 1932年 - [[箱田淳]]、元プロ野球選手(+ [[2021年]])
* [[1933年]] - [[渡辺貞夫]]、[[ジャズ]][[ミュージシャン]]
* [[1937年]] - [[谷本稔]]、元プロ野球選手(+ [[2010年]])
* 1937年 - [[知久馬二三子]]、政治家
* 1937年 - [[西尾裕]]、プロ野球選手(+ [[2009年]])
* [[1938年]] - [[木村庄之助 (30代)|30代木村庄之助]]、大相撲[[行司]]
* [[1939年]] - [[ジョー・サンプル]]、ジャズ[[ピアノ|ピアニスト]](+ [[2014年]]<ref>[https://www.facebook.com/joesampleofficial/posts/10152682607074706 Joe_Sample] - 公式[[Facebook]]ページ</ref>)
* 1939年 - [[フリッチョフ・カプラ]]、物理学者
* [[1940年]] - [[藤井栄治]]、元プロ野球選手
* [[1942年]] - [[今井通子]]、[[登山家]]
* 1942年 - [[テリー・ジョーンズ]]、[[コメディアン]]、[[映画監督]]([[モンティ・パイソン]])(+ [[2020年]])
* [[1943年]] - [[吉村作治]]、[[考古学者]]
* 1943年 - [[ロナルド・ウッズ]]、元プロ野球選手
* [[1944年]] - [[猫田勝敏]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E7%8C%AB%E7%94%B0%20%E5%8B%9D%E6%95%8F-1652031 猫田勝敏] 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」コトバンク 2021年2月13日閲覧</ref>、バレーボール選手(+ [[1983年]])
* [[1945年]] - [[高井保弘]]、プロ野球選手(+ [[2019年]])
* [[1946年]] - [[当銀秀崇]]、元プロ野球選手
* [[1947年]] - [[小川邦和]]、元プロ野球選手
* 1947年 - [[遠藤乙彦]]、政治家
* 1947年 - [[梅田邦三]]、元プロ野球選手
* [[1948年]] - [[賀川ゆき絵]]、[[俳優|女優]]、[[歌手]]
* 1948年 - [[リック・ジェームス]]、[[ミュージシャン]](+ [[2004年]])
* [[1950年]] - [[山本譲二]]、[[歌手]]
* 1950年 - [[徳川慶朝]]、[[写真家]](+ [[2017年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASK9V5KL5K9VUJHB00F.html|title=徳川慶喜のひ孫、写真家の徳川慶朝さん死去 67歳|publisher=朝日新聞デジタル|date=2017-09-26|accessdate=2020-12-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/o/361715/|title=写真家・徳川慶朝さん死去 15代将軍慶喜のひ孫|publisher=西日本新聞ニュース|date=2017-09-27|accessdate=2020-12-15}}</ref>)
* 1950年 - [[吉田治美]]、フリーアナウンサー、ローカルタレント(+ [[2003年]])
* 1950年 - [[藤村雅美]]、高校野球指導者(+ [[2007年]])
* [[1951年]] - [[中村雅俊]]、歌手、[[俳優]]
* 1951年 - [[安藤豊邨]]、書家
* [[1952年]] - [[姫野達也]]、ミュージシャン([[チューリップ (バンド)|チューリップ]])
* 1952年 - [[ロジャー・Y・チエン|銭永健]]、細胞生化学者(+ [[2016年]])
* [[1953年]] - [[徐奉洙]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]]
* [[1954年]] - [[井沢元彦]]、[[小説家]]
* [[1955年]] - [[唯川恵]]、小説家
* 1955年 - [[新屋晃]]、元プロ野球選手
* [[1957年]] - [[ジャッキー・シュロフ]]、俳優
* [[1958年]] - [[堀川りょう]]、[[声優]]
* 1958年 - [[みうらじゅん]]、[[漫画家]]、[[エッセイスト]]
* 1958年 - [[レオン・カーフェイ]]、俳優
* [[1959年]] - [[荘勝雄]]、元プロ野球選手
* 1959年 - [[荒川亨]]、[[ACCESS (企業)|ACCESS]]創業者(+ [[2009年]])
* [[1960年]] - [[山本直樹]]、漫画家
* 1960年 - [[渡辺英樹]]、[[ミュージシャン]]、[[ベーシスト]]([[C-C-B]])(+ [[2015年]])
* [[1961年]] - [[木戸克彦]]、元プロ野球選手
* 1961年 - [[黒田アーサー]]、俳優
* [[1962年]] - [[布袋寅泰]]、[[ギタリスト]]、[[ミュージシャン]]
* 1962年 - [[村上隆]]、[[ポップアート]]作家
* [[1963年]] - [[浮島とも子]]、政治家
* [[1964年]] - [[磯野貴理子]]、[[タレント]]
* 1964年 - [[金哲彦]]、元[[陸上競技]]選手、解説者
* [[1965年]] - [[樹崎聖]]、漫画家
* 1965年 - [[シェリリン・フェン]]、女優
* 1965年 - [[ブランドン・リー]]、俳優(+ [[1993年]])
* [[1966年]] - [[ミシェル・エイカーズ]]、元サッカー選手
* 1966年 - [[宮田和弥]]、[[ミュージシャン]]([[JUN SKY WALKER(S)]])
* [[1967年]] - [[大久保博元]]、元プロ野球選手、監督
* 1967年 - [[土田尚史]]、元[[サッカー選手]]、[[コーチ]]
* [[1968年]] - [[押尾コータロー]]、ギタリスト
* 1968年 - [[リサ・マリー・プレスリー]]、歌手(+ [[2023年]])
* 1968年 - [[佐藤祐樹]]、元[[騎手]]
* 1968年 - [[木村孝蔵]]、俳優
* 1968年 - [[中谷まゆみ]]、脚本家、劇作家
* [[1969年]] - [[ガブリエル・バティストゥータ]]、サッカー選手
* 1969年 - [[宮上元克]]、[[ミュージシャン]]、[[ドラマー]]([[THE MAD CAPSULE MARKETS]])
* 1969年 - [[小澤俊治]]、実業家
* [[1970年]] - [[吉本文弘]]、元プロ野球選手
* 1970年 - [[エドウィン・ハタド]]、元プロ野球選手
* [[1971年]] - [[皆川猿時]]、俳優
* 1971年 - [[マイケル・C・ホール]]、俳優
* 1971年 - [[アニエス・ルテステュ]]、[[バレエ]]ダンサー
* 1971年 - [[ズラトコ・ザホヴィッチ]]、サッカー選手
* 1971年 - [[島田奈央子]]、タレント
* [[1972年]] - [[Kami (ミュージシャン)|Kami]]、ドラマー([[MALICE MIZER]])(+ [[1999年]])
* [[1973年]] - [[大本眞基子]]<ref>{{Cite web|和書|title=大本眞基子(おおもとまきこ)の解説 - goo人名事典 |url=https://web.archive.org/web/20210131120951/https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E7%9C%9E%E5%9F%BA%E5%AD%90/ |website=goo辞書 |accessdate=2021-01-27 |language=ja}}</ref>、声優
* 1973年 - [[川田広樹]]、お笑い芸人([[ガレッジセール]])
* 1973年 - [[オスカル・ペレス・ロハス]]、サッカー選手
* [[1974年]] - [[ロベルト・エラス]]、自転車競技選手
* [[1975年]] - [[エカテリーニ・タヌー]]、陸上競技選手
* 1975年 - [[渡辺雅史]]、放送作家、フリーライター
* 1975年 - [[ビッグ・ボーイ]]、[[MC (ヒップホップ)|MC]]([[アウトキャスト]])
* [[1976年]] - [[岩本和子]]、モデル、タレント
* 1976年 - 恋さん、お笑い芸人([[シャンプーハット (お笑いコンビ)|シャンプーハット]])
* [[1977年]] - [[佐藤征史]]、ミュージシャン([[くるり]])
* 1977年 - [[ケヴィン・キルバーン]]、サッカー選手
* [[1978年]] - [[平下晃司]]、元プロ野球選手
* 1978年 - [[エリック・アルモンテ]]、元プロ野球選手
* [[1979年]] - [[スタニスラフ・モロゾフ]]、[[フィギュアスケート]]選手
* 1979年 - [[フアン・シルヴェイラ・ドス・サントス]]、サッカー選手
* 1979年 - [[レイチェル・レフィブレ]]、女優
* [[1980年]] - [[蝦名清一]]、俳優
* 1980年 - [[エクトル・ルナ]]、元プロ野球選手
* [[1981年]] - [[フェデリカ・ファイエラ]]、フィギュアスケート選手
* 1981年 - [[恵広史]]、漫画家
* [[1982年]] - [[ルキ]]、ミュージシャン([[the GazettE]])
* 1982年 - [[ジーン・マチー]]、プロ野球選手
* 1982年 - [[高橋実桜]]、[[フードファイター]]、タレント
* 1982年 - [[ライアン・ウィング]]、プロ野球選手
* [[1983年]] - [[屋良朝幸]]、俳優
* 1983年 - [[綾瀬しおり]]、AV女優
* 1983年 - [[ケビン・マーティン (バスケットボール)|ケビン・マーティン]]、[[バスケットボール]]選手
* 1983年 - [[住谷杏奈]]、タレント
* 1983年 - [[佟文]]、柔道家
* 1983年 - [[ユルヘン・ファン・デン・ブルック]]、自転車選手
* [[1984年]] - [[綿矢りさ]]、小説家
* 1984年 - 須江篤史、ミュージシャン([[AJISAI]])
* 1984年 - [[PATRICIO]]、[[ファッションモデル]]
* 1984年 - [[ダレン・フレッチャー]]、サッカー選手
* 1984年 - [[浜村凡平]]、お笑い芸人
* 1984年 - [[マティアス・メルツ]]、[[オリエンテーリング]]選手
* 1984年 - [[オスカー・アングロ]]、プロ野球選手
* [[1985年]] - KENTARO、ギタリスト(元[[少年カミカゼ]]、HELLOs)
* 1985年 - [[上原深雪]]、元AV女優
* 1985年 - [[エリアン・エレラ]]、元プロ野球選手
* 1985年 - [[ニキタ・バゼノフ]]、サッカー選手
* 1985年 - [[桑野東萌]]、バレエダンサー
* [[1986年]] - [[西田美歩]]、[[グラビアアイドル]]
* 1986年 - [[田中幸長]]、元野球選手
* 1986年 - [[石原あつ美]]、女優
* 1986年 - [[田原加奈子]]、タレント
* 1986年 - [[古川美有]]、ファッションモデル
* 1986年 - [[ジャスティン・セラーズ]]、プロ野球選手
* [[1987年]] - [[井澤詩織]]、声優
* 1987年 - [[鵜久森淳志]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[庄司龍二]]、元プロ野球選手
* 1987年 - [[ロバート・ザラテ]]、プロ野球選手
* 1987年 - [[ジュゼッペ・ロッシ]]、サッカー選手
* [[1988年]] - [[東出昌大]]、俳優、ファッションモデル
* 1988年 - [[希志あいの]]、元タレント、元AV女優
* 1988年 - [[もえのあずき]]、タレント
* 1988年 - [[アラン・デサンミゲル]]、プロ野球選手
* 1988年 - [[ブレット・アンダーソン (野球)|ブレット・アンダーソン]]、プロ野球選手
* [[1989年]] - [[楠田亜衣奈]]、声優
* [[1990年]] - [[平間壮一]]、俳優
* 1990年 - [[ストルミー・ピメンテル]]、プロ野球選手
* 1990年 - [[フェリペ・ラモス・イグネス・バストス]]、サッカー選手
* [[1991年]] - [[藤間ほのか]]、元タレント
* 1991年 - [[ルカ・カルディローラ]]、サッカー選手
* [[1992年]] - [[市道真央]]、女優、声優
* 1992年 - たきび、[[ミュージシャン]]、[[ボーカリスト]]、[[YouTuber]]([[datto]])
* [[1993年]] - [[穴田真規]]、元プロ野球選手
* 1993年 - [[ハリー・スタイルズ]]、歌手([[ワン・ダイレクション]])
* [[1994年]] - [[藤江れいな]]、タレント(元[[NMB48]])
* 1994年 - [[トミタ栞]]、タレント、歌手
* 1994年 - [[吉沢亮]]、俳優
* 1994年 - [[成田緑夢]]、[[フリースタイルスキー]]選手、[[スノーボード]]選手
* 1994年 - [[中田みのり]]、[[ファッションモデル]]
* 1994年 - ショーゴ、お笑いタレント([[東京ホテイソン]])
* [[1995年]] - [[木村遼希]]、元俳優
* [[1996年]] - [[ドヨン]]、歌手([[NCT (音楽グループ)|NCT]])
* [[1997年]] - [[ジヒョ (歌手)|ジヒョ]]、歌手([[TWICE (韓国の音楽グループ)|TWICE]])
* 1997年 - [[髙橋優貴]]、プロ野球選手
* [[1998年]] - [[望月大希]]、元プロ野球選手
* [[2001年]] - [[富永啓生]]、バスケットボール選手
* 2001年 - 南後杏子、[[TBSテレビ|TBS]]アナウンサー
* [[2002年]] - 澤口葵、アイドル(元[[fishbowl]])
* [[2003年]] - 野村実代、アイドル([[SKE48]])
* [[2005年]] - [[上ノ堀結愛]]、モデル、[[YouTuber]]、[[TikToker]]
* 生年不明 - [[村井聖夜]]、作曲家
* 生年不明 - [[佐藤有世]]、声優
* 生年不明 - [[こうち楓]]、漫画家
* 生年不明 - [[菅俊哉]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://gadgetlink.jp/talent/m_suga.html|title=菅俊哉|publisher=株式会社ガジェットリンク|accessdate=2021-01-05}}</ref>、声優
=== 人物以外(動物など) ===
* [[2015年]] - [[タイムフライヤー]]、[[競走馬]]
== 忌日 ==
=== 人物 ===
* [[853年]]([[仁寿]]2年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]]) - [[源明]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[814年]])
* [[1328年]] - [[シャルル4世 (フランス王)|シャルル4世]]、[[フランス王国|フランス王]](* [[1294年]])
* [[1417年]]([[応永]]24年[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]) - [[冷泉為尹]]、[[歌人]](* [[1361年]])
* [[1691年]] - [[アレクサンデル8世 (ローマ教皇)|アレクサンデル8世]]、第241代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1610年]])
* [[1733年]] - [[アウグスト2世 (ポーランド王)|アウグスト2世]]、[[ポーランド王国|ポーランド王]](* [[1670年]])
* [[1749年]] - [[フランソワーズ・マリー・ド・ブルボン|フランソワーズ・マリー]]、[[オルレアン公]][[フィリップ2世 (オルレアン公)|フィリップ2世]]の妻(* [[1677年]])
* [[1781年]]([[安永 (元号)|安永]]10年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]) - [[湯浅常山]]、[[儒学者]](* [[1708年]])
* [[1850年]] - [[エディ・リンカーン]]、[[エイブラハム・リンカーン]]の次男(* [[1846年]])
* [[1851年]] - [[メアリー・シェリー]]、[[小説家]](* [[1797年]])
* [[1853年]] - [[ニルス・ブロメール]]、[[画家]](* [[1816年]])
* [[1873年]] - [[大谷友右衛門 (5代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1833年]])
* 1873年 - [[マシュー・フォンテーン・モーリー]]、[[海軍士官]]、[[海洋学|海洋学者]](* [[1806年]])
* [[1882年]] - [[アントワーヌ・ビュシー]]、[[化学者]](* [[1794年]])
* [[1903年]] - [[ジョージ・ガブリエル・ストークス]]、[[数学者]]、[[物理学者]](* [[1819年]])
* [[1908年]] - [[カルロス1世 (ポルトガル王)|カルロス1世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](* [[1863年]])
* 1908年 - [[ルイス・フィリペ (ブラガンサ公)|ルイス・フィリペ]]、ポルトガル王太子(または王)(* [[1887年]])
* [[1909年]] - [[田中不二麿]]、[[文部省|文部大輔]]、[[法務大臣|司法相]](* [[1845年]])
* [[1920年]] - [[パーヴェル・シュテルンベルク]]、[[天文学者]](* [[1865年]])
* [[1922年]] - [[山縣有朋]]、政治家、第3・9代[[内閣総理大臣]](* [[1838年]])
* [[1926年]] - [[石橋忍月]]、[[文芸評論家]](* [[1865年]])
* [[1927年]] - [[ハインリッヒ・エドムント・ナウマン]]、[[地質学|地質学者]](* [[1854年]])
* [[1928年]] - [[ヒューイー・ジェニングス]]、プロ野球選手、監督(* [[1869年]])
* [[1932年]] - [[アグスティン・ファラブンド・マルティ]]、[[エルサルバドル]]の[[革命家]](* [[1893年]])
* [[1935年]] - [[中村鴈治郎 (初代)]]、[[歌舞伎|歌舞伎役者]](* [[1860年]])
* [[1936年]] - [[松田源治]]、[[拓務省|拓務大臣]]、[[文部大臣]](* [[1875年]])
* [[1937年]] - [[浅野長勲]]、第12代[[広島藩|広島藩主]](* [[1842年]])
* 1937年 - [[河東碧梧桐]]、[[俳人]](* [[1873年]])
* [[1940年]] - [[フィリップ・フランシス・ノーラン]]、[[SF作家]](* [[1888年]])
* [[1944年]] - [[ピエト・モンドリアン]]、画家(* [[1872年]])
* [[1945年]] - [[ヨハン・ホイジンガ]]、[[歴史家]](* 1872年)
* 1945年 - [[ドブリ・ボジロフ]]、[[ブルガリアの首相|ブルガリア首相]](* [[1884年]])
* 1945年 - [[イヴァン・イヴァノフ・バグリアノフ]]、ブルガリア首相(* [[1891年]])
* [[1946年]] - [[谷本富]]、[[教育学|教育学者]](* [[1867年]])
* [[1954年]] - [[三島弥彦]]、[[陸上競技]]選手(* [[1886年]])
* [[1957年]] - [[フリードリヒ・パウルス]]、[[ナチス・ドイツ]]の軍人、[[元帥]](* [[1890年]])
* [[1958年]] - [[クリントン・デイヴィソン]]、物理学者(* [[1881年]])
* [[1966年]] - [[バスター・キートン]]、喜劇俳優(* [[1895年]])
* [[1971年]] - [[ラウル・ハウスマン]]、[[画家]]、[[詩人]]、[[写真家]](* [[1886年]])
* [[1976年]] - [[ジョージ・H・ウィップル]]、[[医学|医学者]](* [[1878年]])
* 1976年 - [[ヴェルナー・ハイゼンベルク]]、物理学者(* [[1901年]])
* 1976年 - [[ハンス・リヒター (画家)|ハンス・リヒター]]、画家(* [[1888年]])
* [[1977年]] - [[エドモンド・ハミルトン]]、[[SF作家]](* [[1904年]])
* [[1981年]] - [[ゲイル・トヴェイト]]、作曲家(* [[1908年]])
* [[1986年]] - [[アルバ・ライマル・ミュルダール]]、[[外交官]]、作家(* [[1902年]])
* [[1987年]] - [[浅原直人]]<ref>プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、11ページ</ref>、[[プロ野球選手]](* [[1916年]])
* [[1988年]] - [[ヘザー・オルーク]]、[[子役]]女優(* [[1975年]])
* [[1990年]] - [[ヤドヴィガ・ワイス]]、[[陸上競技]]選手(* [[1912年]])
* [[1993年]] - {{仮リンク|トゥーリョ・カンパニョーロ|en|Tullio Campagnolo|Tullio Campagnolo}}、[[カンパニョーロ]]社創業者(* [[1901年]])
* [[1994年]] - [[藤島桓夫]]、[[歌手]](* [[1927年]])
* [[1995年]] - [[山崎武昭]]、プロ野球選手(* [[1941年]])
* [[1997年]] - [[篠田康雄]]、[[神職]](* [[1908年]])
* [[1998年]] - [[塚本純子]]、[[実業家]](* [[1922年]])
* [[2002年]] - [[近藤啓太郎]]、小説家(* [[1920年]])
* 2002年 - [[ヒルデガルト・クネフ]]、女優、歌手、作家(* [[1925年]])
* [[2003年]] - [[モンゴ・サンタマリア]]、[[ラテンジャズ]]の[[コンガ]]奏者(* [[1922年]])
* 2003年 - [[イラン・ラモーン]]、宇宙飛行士(* [[1954年]])
* [[2008年]] - {{仮リンク|シェル・ケプラー|en|Shell Kepler|Shell Kepler}}、(* [[1958年]])
* [[2014年]] - [[マクシミリアン・シェル]]、[[俳優]](* [[1930年]])
* 2014年 - [[ルイス・アラゴネス]]、[[サッカー選手]]、指導者(* [[1938年]])
* 2014年 - [[渡辺麿史]]、プロ野球選手(* [[1956年]])
* [[2015年]] - [[モンティ・オウム]]、Webアニメーター、作家(* [[1981年]])
* [[2016年]] - [[篠原大作]]、俳優、[[声優]]、[[ナレーター]](* [[1933年]])
* [[2019年]] - [[有本欽隆]]<ref>{{Cite news|title=声優・有本欽隆さん 食道がんで死去「ワンピース」白ひげ役など|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2019/02/08/0012049713.shtml|newspaper=デイリースポーツ|date=2019-02-08|accessdate=2020-10-27}}</ref>、声優(* [[1940年]])
* [[2022年]] - [[石原慎太郎]]、小説家、政治家(* [[1932年]])
* 2022年 - [[水谷千加古]]、[[実業家]](* [[1939年]])
* 2022年 - [[マウリツィオ・ザンパリーニ]]、実業家(* [[1941年]])
=== 人物以外(動物など) ===
* [[1965年]] - [[セントライト]]、[[競走馬]](* [[1938年]])
== 記念日・年中行事 ==
* [[インボルク]]
*: [[ケルト民族]]の祭り
* {{仮リンク|自由の日 (アメリカ合衆国)|en|National Freedom Day|label=自由の日}}({{USA}})
*: [[1865年]]のこの日、[[アメリカ合衆国大統領]][[エイブラハム・リンカーン]]が[[奴隷制]]全廃を定める[[アメリカ合衆国憲法修正第13条]]に署名した。
* 首都制定記念日({{MYS}})
*: [[1974年]]のこの日、マレーシアの首都・[[クアラルンプール]]が[[連邦直轄領 (マレーシア)|連邦直轄領]]と定められた。
* テレビ放送記念日({{JPN}})<ref name="saito1997">{{cite book|和書|title=366日誕生石の本|author=斉藤貴子|publisher=日本ヴォーグ社|year=1997|page=70}}</ref><ref name="kato1998">{{cite book|和書|title=366日の話題事典|author=加藤迪男|publisher=東京堂出版|year=1998|page=40}}</ref><ref name="kondo1999">{{cite book|和書|title=今日はどんな日? 雑学366日|author=近藤道郎|publisher=展望社|year=1999|page=24}}</ref><ref name="kato2006">{{cite book|和書|title=記念日・祝日の事典|author=加藤迪男|publisher=東京堂出版|year=2006|page=19}}</ref><ref name="kase2009">{{cite book|和書|title=すぐに役立つ 366日記念日事典|author=日本記念日協会 編、加瀬清志 著|publisher=創元社|year=2009|page=20}}</ref>
*: [[1953年]]のこの日、[[日本放送協会|NHK]]が東京地区で日本初のテレビの本放送を開始したことに由来。
* [[琉球王国]]建国記念の日({{JPN}})<ref name="kase2009"/>
*: [[沖縄県]]観光事業協同組合が制定。[[1425年]]2月1日<!-- 暦法不明。恐らく旧暦 -->の琉球の交易記録に明の[[宣徳帝]]が琉球の[[尚巴志王|尚巴志]]を王と記載したものがあり、これが琉球王国が対外的に認められたことがわかる最古の文書であることから。
* ニオイの日({{JPN}})<ref name="kato2006"/><ref name="kase2009"/>
*: [[ピー・アンド・ジー|P&G]]が[[2000年]]に制定。「に(2)お(0)い(1)」の語呂合せ。
* プリキュアの日({{JPN}})
*: 2004年のこの日に[[東映アニメーション]]制作のテレビアニメシリーズ『[[プリキュアシリーズ]]』第1作『[[ふたりはプリキュア]]』の放送が開始されたのを記念し、日本記念日協会の公認で2018年に制定された<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20180201dog00m200000000c.html|title=プリキュア:2月1日を「プリキュアの日」に制定|publisher=MANTANWEB|date=2018-02-01||accessdate=2020-04-17}}</ref>。
* 二月礼者({{JPN}})
*: 正月に年始回りをできなかった人が、その代わりにこの日に回礼にまわる風習。
* 重ね正月/一夜正月({{JPN}})<ref name="kato1998"/><ref name="kato2006"/>
*: 正月後最初の[[朔|朔日]]であることから、2度目の正月として[[厄年]]の人に仮にひとつ歳をとらせ、早く厄年をやり過ごそうとする風習。
*2分の1成人式の日
*: スタジオアリスが2017年に制定。成人の半分にあたる10歳の2月に「2分の1成人式」を開催する小学校が多い。こどもの成長を振返る大切な新しい記念日。
* [[日本プロ野球|プロ野球]][[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプイン]]({{JPN}})
* 毎年この日は、男子[[御三家#教育機関|御三家]]([[開成中学校・高等学校|開成]]・[[麻布中学校・高等学校|麻布]]・[[武蔵中学校・高等学校|武蔵]])と、女子御三家([[桜蔭中学校|桜蔭]]・[[女子学院]]・[[雙葉学園|雙葉]])をはじめとする[[東京都]]、[[神奈川県]]の難関中学の入試が実施される。そのため複数の御三家の併願受験はできない。ただし、女子学院については2月1日が日曜日の年は試験日が2日になるため、女子御三家は年によって女子学院と他の併願ができる([[サンデーショック]])。
== フィクションのできごと ==
{{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0201|date=2011年6月}}
* 1999年 - スネールイマジン(♂)が現れる。ゼロノスゼロフォームに倒される。(特撮『[[仮面ライダー電王]]』)
* [[2000年]] - サン=マルコ教会で五代雄介が初めて仮面ライダークウガに「変身」を遂げる。ズ・グムン・バ、ズ・ゴオマ・グと戦い、ズ・ゴオマ・グは逃亡、ズ・グムン・バは仮面ライダークウガ マイティフォームに倒される。同日にラ・バルバ・デ、ズ・ゴオマ・グ、ズ・メビオ・ダ、ズ・バヅー・バ、ズ・ザイン・ダ、ズ・ガルメ・レが東京に集結。ズ・メビオ・ダはクウガと戦闘を行うも、警察の乱入があり逃亡。(特撮『[[仮面ライダークウガ]]』)
* 2005年 - ウォンカが5枚だけしか発行しなかった「ゴールデン・チケット」の当選者5人の工場招待が行われる。(映画『[[チャーリーとチョコレート工場]]』)
* 2019年 - SCP-3519の影響による自殺率が世界人口の2%に達する。<ref>{{Cite web|url=http://scp-jp.wikidot.com/scp-3519 |title=SCP-3519 |accessdate=2021-01-27 |website=[[SCP財団]]}}</ref>
* [[2024年]] - 笑い男事件が発生。(『[[攻殻機動隊]]』)
* [[2026年]] - GGO ガンゲイルオンラインで第一回スクワットジャムが開催される(『[[ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン]]』)
* [[宇宙世紀|U.C.]]0079年 - ジオン公国軍、地球方面軍設立を公表。(アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』)
=== 誕生日(フィクション) ===
* 1990年 - マット、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ|coauthors = [[小畑健]] |year = 2006 |title = DEATH NOTE |volume = 第13巻 |page = 27 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn=978-4-08-874095-9}}</ref>
* 生年不明 - ジョーロ/如月雨露、小説・アニメ『[[俺を好きなのはお前だけかよ]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://ore.ski/character/johro.html |title=CHARACTER ジョーロ|如月雨露 |access-date=2022-09-02 |publisher=駱駝/KADOKAWA/「俺好き」製作委員会}}</ref>
* 生年不明 - ネフライト、アニメ『[[ジュエルペット]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jewelpet.jp/character/ |title=キャラクター紹介|ジュエルペット ネフライト |access-date=2022-09-02 |publisher=[[サンリオ]]}}</ref>
* 生年不明 - 地伏星ワームのライミ 、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=87 |title=地伏星ワームのライミ |access-date=2022-09-02 |publisher=聖闘士星矢公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - [[ステファン・レヴィン]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|year =2003|title=キャプテン翼 3109日全記録|publisher=[[集英社]]|isbn=4-08-782789-5|page=170}}</ref>
* 生年不明 - コメリ、漫画・アニメ『[[シャーマンキング]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ブロギー、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Broggy.html |title=ブロギー |work=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |accessdate=2022-09-02 |publisher=ONE PIECE.com}}</ref>
* 生年不明 - ドーマ、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Doma.html |title=ドーマ |work=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |accessdate=2022-09-02 |publisher=ONE PIECE.com}}</ref>
* 生年不明 - デューク渡邊 、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tnpr117|1488186481177133056}}</ref>
* 生年不明 - マブイ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1355893613431988224}}</ref>
* 生年不明 - [[To LOVEる -とらぶる-の登場人物#天条院沙姫|天条院沙姫]]、漫画・アニメ『[[To LOVEる -とらぶる-]]』『To LOVEる -とらぶる- ダークネス』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author1=矢吹健太朗|authorlink1=矢吹健太朗|author2=長谷見沙貴|authorlink2=長谷見沙貴|year=2011|title=To LOVEる -とらぶる-&To LOVEる -とらぶる- ダークネス公式データブック「ぱ〜ふぇくとらぶる! 」|page=38|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=978-4-08-874852-8}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=矢吹健太朗、長谷見沙貴|year=2014|title=To LOVEる-とらぶる-ダークネス 楽園計画ガイドブック「とらぶまにあ」|page=116|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=978-4-08-880260-2}}</ref>
* 生年不明 - ピエトロ、漫画『[[賢い犬リリエンタール]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 三村航輝、漫画・アニメ『[[暗殺教室]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 口田甲司、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group01/01-20/ |title=口田甲司 |accessdate=2022-09-02 |publisher=僕のヒーローアカデミア製作委員会}}</ref>
* 生年不明 - 志磨珠子、漫画『[[大正処女御伽話]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ソニア・シャフルナーズ、漫画・アニメ『[[ハヤテのごとく!]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 月島仁兵衛 、漫画・アニメ『[[ムシブギョー]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 沖久美子 、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 蛍 、漫画・アニメ『[[新白雪姫伝説プリーティア]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 蒼波水乃、少女漫画『[[時空異邦人KYOKO]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ローウェン、漫画・アニメ『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ(監修)|authorlink=東まゆみ|date=2005-05-28|title=EREMENTAR GERAD オフィシャルガイド|page=28|publisher=[[マッグガーデン]]|series=ブレイドコミックス|isbn=978-4861271526}}</ref>
* 生年不明 - 九条和音 、漫画・アニメ『[[かみちゃまかりん]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 依藤澄子、漫画・アニメ『[[咲-Saki-|咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|author=[[小林立]] |url=http://sciasta.com/characters.html |title=咲-Saki- Characters |accessdate=2022-09-02}}</ref>
* 生年不明 - 槙嶋武、漫画『[[まなびや]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 鶴岡太郎、漫画・アニメ『[[恋愛暴君]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 雪見小梅 、漫画・アニメ『[[うらら迷路帖]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/anime/urara/chara/koume.html |title=小梅(こうめ) |publisher=[[TBSテレビ]] |work=うらら迷路帖製作委員会 |accessdate=2022-09-02}}</ref>
* 生年不明 - 梅宮一、漫画・アニメ『[[WIND BREAKER (漫画)|WIND BREAKER]]』のキャラクター<ref>{{Twitter status|winbre_sakura|1620436892612272132}}</ref>
* 生年不明 - アイリスフィール・フォン・アインツベルン、小説・アニメ『[[Fate/Zero]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status2|ufotable|958872926660395008|date=2018-02-01|accessdate=}}</ref>
* 生年不明 - 上杉和典、小説・アニメ『[[探偵チームKZ事件ノート]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 星之宮知恵、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/hoshinomiya.html |title=星之宮 知恵|キャラクター |accessdate=2022-09-02 |publisher=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 紅かすみ、読者参加企画・アニメ『[[セラフィムコール]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 山川美千子、メディアミックス『[[ストライクウィッチーズ]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 井藤ノノハ 、アニメ・漫画『[[ファイ・ブレイン 神のパズル]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 美坂栞、ゲーム・アニメ『[[Kanon (ゲーム)|Kanon]]』に登場するするキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://key.visualarts.gr.jp/product/kanon/character/ |title=Character 美坂 栞<みさか しおり> |access-date=2022-09-02 |publisher=Key Official HomePage |work=Kanon}}</ref>
* 生年不明 - ナーサティヤ、ゲーム・アニメ『[[遙かなる時空の中で]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - みしらぬネコ、ゲーム『[[どうぶつの森シリーズ|どうぶつの森]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - ピータン、ゲーム『どうぶつの森』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 久遠寺森羅、ゲーム・アニメ『[[君が主で執事が俺で]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 風丸一郎太、ゲーム・アニメ『[[イナズマイレブン]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=2022-09-02}}</ref>
* 生年不明 - 椎名まゆり 、ゲーム・アニメ『[[STEINS;GATE|シュタインズ・ゲート]]』に登場するキャラクター
* 生年不明 - 千歳 、ゲーム・アニメ『[[閃乱カグラ NewWave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/chitose.php |title=千歳 |access-date=2022-09-02 |publisher=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - ういうい、ゲーム・アニメ『[[SHOW BY ROCK!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://showbyrock-anime-s.com/character/19.php |title=ういうい |access-date=2022-09-02 |publisher=[[サンリオ]]・SHOWBYROCK!!製作委員会M}}</ref>
* 生年不明 - 知花モニカ、ゲーム・漫画・アニメ『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://idoljihen.jp/character/chibana-monika/ |title=沖縄県 知花 モニカ |access-date=2022-09-02 |publisher=アイドル事変}}</ref>
* 生年不明 - アピス、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=8&cate=name&cont=Apis |title=アピス |access-date=2022-09-02 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref>
* 生年不明 - 椎名じゅり、ゲーム『シンデレラナイン』『[[八月のシンデレラナイン]]』及び、漫画『[[八月のシンデレラナインS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/juri_s |title=椎名 じゅり|キャラクター |publisher=八月のシンデレラナイン公式サイト |accessdate=2022-09-02}}</ref>
* 生年不明 - 一休宗純 、ゲーム『茜さすセカイでキミと詠う』に登場キャラクター<ref>{{Twitter status|aka_seka|1356074802969268225}}</ref>
* 生年不明 - ダンダン、[[エフエム雪国]]のマスコットキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://joshi-ryoku.jp/blog/?p=46502|title=FMゆきぐにのイメージキャラクター、ダンダンがホワイトウルフの訳とは?(南魚沼市女子力観光プロモーションチーム 2018年2月6日)|date=20221216003337}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{commons|Category:1 February}}
{{新暦365日|1|31|2|2|[[1月1日]]|[[3月1日]]|[[2月1日 (旧暦)|2月1日]]|0201|2|01}}
{{1年の月と日}} | 2003-02-13T09:31:44Z | 2023-12-03T04:12:38Z | false | false | false | [
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1,261 | 吾妻ひでお | 吾妻 ひでお(あづま ひでお、本名:吾妻 日出夫(読み同じ)、1950年〈昭和25年〉2月6日 - 2019年〈令和元年〉10月13日)は、日本の漫画家。
北海道・十勝郡浦幌町宝町出身。血液型はO型。
1969年、『月刊まんが王』(秋田書店)12月号掲載の『リングサイド・クレイジー』(吾妻日出夫名義)でデビュー。『週刊少年チャンピオン』で連載した『ふたりと5人』(1972年 - 1976年)のヒットで地位を確立する。以後、『不条理日記』、『ななこSOS』などSF・ナンセンス色の強い作風で人気をえる。1979年、日本初のロリコン同人誌『シベール』に同人作家として作品を発表する。
1985年ごろから低迷期に入り、自殺未遂事件や失踪事件を起こし、アルコール依存症治療のため精神病院に入院する。2005年に同時期の体験を描いた『失踪日記』を出版し、日本漫画家協会賞大賞や文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、イタリア・グラン・グイニージ賞を受賞し、日本の漫画家の作品として初めてイグナッツ賞にノミネートした。
幼少期は野山を元気に駆け回っていたが、5歳の頃に両親が離婚。父は後に再婚し、父と義母に育てられる。実母と引き離されたトラウマで後年まで閉所恐怖症に苦しむ。十二指腸潰瘍で入退院を繰り返していた。中学時代まで浦幌町で過ごした。本人曰く「あまり学校行ってないんでちょっと馬鹿です」とのこと。
石ノ森章太郎の『マンガ家入門』に触発され漫画家を志す。北海道浦幌高等学校在学中、『COM』主宰のマンガ愛好団体であるぐらこん北海道支部に参加。当時のぐらこん北海道支部には大和和紀や忠津陽子がいた。
1968年に高校を卒業し、漫画家志望の仲間たちと共に上京して凸版印刷に就職するが、1か月で退職。板井れんたろうのアシスタントに採用され、仕事のかたわら『週刊少年サンデー』(小学館)や『まんが王』(秋田書店)の読者欄などに無記名のカットやコママンガを描く。
1969年、『まんが王』12月号付録「プロレスなんでも百科」に「リングサイド・クレイジー」を発表。これが漫画家としてのデビュー作である。
1970年、『まんが王』で連載を獲得し独立(『二日酔いダンディー』)。当時の作品は、軽いタッチのギャグ漫画にもかかわらず全体のノリは不条理で、ところどころにSFのエッセンスをちりばめ、アメリカン・ニューシネマの影響も感じさせるという作風であった。このころ、ページ内の1コマを1コママンガとして完結させるという試みを多く行っている。同年、『週刊少年サンデー』で、初の週刊誌連載となる『ざ・色っぷる』を連載するが、6回で連載終了。
1972年、『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で、ハレンチコメディ路線で売ろうとした編集者の阿久津邦彦の熱心な介入のもとで『ふたりと5人』を連載し、大きな人気を得る。巨根が「ピカー」と光る東大生の先輩は読者に強烈な印象を残した。しかしこれは吾妻にとって不本意な作品であり、後年のインタビュー等で「あれは編集部主導のもので、あまり乗り気でなかった。出力20%程度で執筆していた。」「あーホント、描きなおしたいね、今からでも(笑)。」等の発言をしている。吾妻曰く。編集者は「ハダカ」(エロ)ばかり要求し、ギャグとSFには無関心だった。吾妻は自分本来の資質とのギャップに悩む。吾妻は連載終了を編集部に再三申し入れたが、人気がなくなるまで受け入れられなかった。
1973年に『プレイコミック』(秋田書店)、1974年には『月刊プリンセス』(同)で連載を開始、青年漫画誌や少女漫画誌へ活動の場を広げる。この時期には週刊連載・月刊連載含め月産130ページの原稿を執筆していた。
私生活では1973年に結婚し、1980年に長女、1983年に長男をもうけている。妻は『ふたりと5人』連載初期までと、失踪後の執筆再開後に吾妻のアシスタントをつとめており、『うつうつひでお日記』などでは「アシスタントA」として登場、「アシスタントB」は長女、「アシスタントC」は長男である。妻は漫画家夫人による4コマ漫画を掲載する「奥様漫画」という企画に4コマ漫画2本を寄稿、商業誌デビュー。吾妻作品に先駆けて長男を漫画デビューさせた。
1976年に『ふたりと5人』が連載終了。『プレイコミック』連載の『やけくそ天使』、『チャンピオン』連載の『みだれモコ』『チョッキン』などに不条理・SFテイストを復活させはじめる。
1978年には『月刊OUT』(みのり書房)で初の特集記事「吾妻ひでおのメロウな世界」が組まれ、同年に創刊した『Peke』(同)などの漫画マニア向け新興誌に執筆する機会が増える。同年12月『別冊奇想天外No.6 SFマンガ大全集Part2』(奇想天外社)に執筆した『不条理日記』はSF小説のパロディをふんだんに用い、翌1979年の第18回日本SF大会の星雲賞コミック部門を受賞した。同年には自販機本『劇画アリス』(アリス出版)に『不条理日記』の続編を連載して、「不条理漫画」というジャンルの開拓者とみなされている。1979年から不条理・SF系の作品を収録した単行本が続々と刊行され、1980年には『ぱふ』『リュウ』で特集が組まれる。1981年には『奇想天外』臨時増刊として『吾妻ひでお大全集』が発売されるなどブームは最高潮に達した。その半面、1979年末までに一般少年・少女誌での連載がすべて終了、執筆の場は青年誌とマニア誌へ完全に移行した。この時期、大友克洋、いしかわじゅんとともに、SFマンガのニューウェーブ御三家と呼ばれた。
また1979年から沖由佳雄、蛭児神建らとともに日本初のロリコン同人誌『シベール』(無気力プロ)をコミックマーケットで販売。1980年からは川本耕次の依頼で自販機本『少女アリス』(アリス出版)に「純文学シリーズ」と題してロリコン漫画を発表する。これを嚆矢として、コミックマーケットではロリコン同人誌が大人気となる。当時、メジャー誌出身の漫画家が同人誌やエロ本に描くことはきわめて異例であった。メジャー誌出身の漫画家がポルノ誌に進出したことは周囲に衝撃を与え、吾妻は商業誌・同人誌ともに1980年代のロリコンブームの立役者とみなされている。
1977年から1979年にかけて『月刊プリンセス』(秋田書店)に連載された『オリンポスのポロン』は1982年に『おちゃ女神物語 コロコロポロン』としてアニメ化され、テレビアニメ放映と並行してコミカライズ版が『100てんコミック』に連載された。また1980年から1985年にかけて『ポップコーン』及び『ジャストコミック』に連載された『ななこSOS』も1983年にフジテレビ系列でアニメ化され、これが商業的には最も成功した作品となった。
1983年4月、『SF大会本』(虎馬書房刊)に発表した「冷たい汗」は、それまでのアニメ絵とは違った劇画的な絵で、その年のSF大会の様子を描いている。自分のホームグランドにすら違和感を覚え、声をかけられただけでギクリとしてしまう疲れ果てた作者の姿が描かれている。
1984年、連作『夜の魚』『笑わない魚』を『少年少女SFマンガ競作大全集』(東京三世社)に発表。「冷たい汗」の絵とも異なる暗い絵で、自分の生活をシュールリアリスティックに描いている。
この時期の吾妻の生活は、脚色を加えた上で『失踪日記』として作品化されている。
1980年代半ばから約8年にわたる沈黙期に入る。その間に2度長い失踪をしている。吾妻は従来より鬱病または躁鬱の傾向があったが、1990年代後半にはアルコール依存症となり入院している。
1990年代後半に再び漫画作品を発表し始める。ある出版社に持ち込みをしたとき、若い編集者は吾妻ひでおフォロワーの無名のマンガ家と思い、失礼な対応をしたという。
1989年11月 - 1990年2月。一日中酒を飲んでは寝るという生活を繰り返しているうちにうつが重くなり、山で首つり自殺をしようとしたが失敗。そのまま埼玉県入間市の雑木林でホームレス生活を始める。初めは食糧にも困っていたが、やがて毎日大量の廃棄の食物が捨てられるスーパーのゴミ捨て場を知り、失踪前より太るほどの食事にありつけることとなった。深夜に駅前でシケモクを拾っていたとき、警官に発見・保護された。
1992年4月 - 1992年8月ごろ、大塚英志に『夜の魚』(太田出版)のあとがき『夜を歩く』(『失踪日記』の最初のエピソード)を宅配便で送ったその足で再び失踪する(西東京市東伏見または小金井公園近辺において)。同年8月ごろ、アル中の上森さん(仮称)にスカウトされて東京ガスの孫受け会社で配管工として働きはじめる。肉体労働をしていると芸術活動がしたくなり、社内報に四コマ漫画を投稿し採用された。しかし仮名の「東」がメジャー誌で連載していたことがある漫画家だとは誰にも気付かれなかったという。当時の東京ガスの広報誌では、「東英夫」という仮名で、本人のイラストと共に「雑誌や広告のさし絵など20年近くも描いてきたという」と紹介されている。
翌年春、「上森さん」に譲られ乗っていた自転車が盗難車(譲られた時に上森さんに防犯登録のシールを削るように唆されたが、吾妻はその時酒に酔っていたため判断が付かず従ってしまった)だったため、警察の職務質問を受けた際に逮捕され、家族に連絡される。その後も半年間配管工の仕事を続けている。
1980年代半ばから盛んに飲酒し、「アル中」と自称していたが、吾妻の場合は2回の失踪を挟んだこともあって、一般的なアルコール依存症患者よりも症状の進行が遅かった。しかし1997年の暮れには手に震えが来るようになっており、1998年春までには重症のアルコール依存症、すなわち眠っている時以外は酒が手離せなくなるという「連続飲酒」状態になっていた。その状態が半年続き、しだいに奇行が多くなりまた自殺未遂なども行う様になり、同年12月25日、家族によって三鷹市の某病院に強制入院させられる。入院中は患者による自治会の役員に選出され、女性入院患者1人と共にレクレーション係を担当した。退院間際に自作の鉛筆デッサン画を中野ブロードウェイのまんだらけに買取に出した際はその買取金額の安さに「俺も落ちる所まで落ちたって感じ?」と逆にすがすがしい気分になったという。1999年春、3か月の治療プログラムを終了して退院。以後、断酒を続けた。
2005年3月、『失踪日記』を出版。1度目の失踪を描いた「夜を歩く」、2度目の失踪を描いた「街を歩く」、アルコール依存と治療の時期を描いた「アル中病棟」を収録している。出版とともに各メディアで話題となり、第34回日本漫画家協会賞大賞、第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞、第37回日本SF大会で星雲賞ノンフィクション部門を受賞した。なお、「漫画三賞」といわれる、日本漫画家協会賞大賞、文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞を3賞とも受賞したのは、2007年時点で吾妻だけであった。
テーマの暗さにもかかわらずあっけらかんと描かれているが、吾妻は「自分を第三者の視点で見るのは、お笑いの基本ですからね」と片づけている。
『失踪日記』出版当時のインタビュー(『芸術新潮』2005年5月号)などで「仕事は来ないし、限界だし、自分を苦しめるだけなので、ギャグ漫画をやめる」と宣言、公式サイトには「今後は暗い漫画を描くつもり」と書いた。しかしその後も、雑誌連載、単行本のあとがき、公式サイトなどでギャグ要素の強い作品を発表し続けており、結局のところ、やめようとしてもやめられないとのことであるが、植田まさしのようなホームドラマを描いていきたいともしている。
2011年には明治大学博物館で展覧会が、2013年には西武百貨店池袋本店の西武ギャラリーで原画展が開かれた。
2012年、KAWADE夢ムック(編集:穴沢優子)で刊行された『吾妻ひでお〈総特集〉―美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』(河出書房新社)が、第43回日本SF大会で星雲賞ノンフィクション部門を受賞した。
2013年10月、アルコール依存症の入院経験を作品化した『失踪日記2 アル中病棟』を刊行。
2017年3月、食道癌が判明し、入院闘病中であることを、自らのツイッターで明かす。同年5月、手術を終え退院し、自宅療養中であると公表。食道を切除し胃を吊り上げる手術だった。
2019年10月13日、都内の病院で死去。69歳だった。
2019年11月30日、築地本願寺の第二伝道会館において「ファン葬」が行われ、長年にわたり吾妻と交友のあった人々が献花に訪れた。弔辞は萩尾望都などが務めた。
2020年、第40回日本SF大賞で功績賞を受賞。
吾妻ひでおが漫画界におけるロリコンブームの火付け役だったと主張する論客は、大塚英志をはじめ複数存在しており、吾妻が無視できない存在であることは間違いない。
エロ劇画誌の『劇画アリス』や自販機本の『少女アリス』(いずれもアリス出版刊)に作品を発表したことは、漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであり、また『少女アリス』に発表した「純文学シリーズ」は、後のロリコン漫画に直結する作品である。大塚英志は純文学シリーズを「最初の確信犯的な“ロリコンまんが”」と呼び、のちのロリコンまんがはこの再生産物にすぎないとまで述べている。
1983年『ななこSOS』がアニメ化放映される一方、このような成人向け雑誌出版社との交流を前後して、1970年代末から始まった写真家清岡純子、近藤昌良などの少女ヌード写真集と専門誌の流行が重なり、吾妻はそこにイラスト作品などを寄稿している。ロリコンブームの出版物大半は成人向け図書規制または自主規制を課していたが、尖鋭化する写真集や雑誌グラビアに対して1985年から1987年にかけて捜査当局からわいせつ判断が下され摘発と書類送検(ヘイ!バディーや清岡純子の項目参照)されるまで根本しのぶといった商業CMで活躍する子役モデルが起用されるほど社会的な禁忌意識は薄く、またロリコンと児童ポルノに対する風当たりが強くなる以前で世論は寛容もしくは無関心だったこと、吾妻の投稿した成人出版物は発行部数が少なく、裏の活動が広く知れわたることなく表裏ある執筆活動に一般から批判を寄せられることはなかった。
ちなみに、ロリコンブームの一躍を担った美少女コミック誌『レモンピープル』や『漫画ブリッコ』においては、吾妻とアシスタントたちが作った同人誌『シベール』の同人たちが多数起用されている(ただし『漫画ブリッコ』の編集者であった大塚英志は、単行本『夜の魚』に吾妻と『ブリッコ』では仕事依頼はしていないと記述している)。
1979年冬には業界最大手の自販機本専門出版社・アリス出版の看板雑誌『少女アリス』の川本耕次編集長(三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人)から吾妻のもとに「ロリコン(美少女)ものを描いてください。純文学みたいなやつ」という依頼があり、商業誌初のロリコン漫画「純文学シリーズ」を1980年1月頃から1980年9月まで連載する(1981年7月に奇想天外社から『陽射し』として単行本化された)。
この連作は吾妻が得意とするギャグやSFを離れ、叙情的に描かれた美少女のエロティシズムを明確なテーマとしており、後のロリコン漫画〜美少女コミックに直結する最重要作品群とみなされている。大塚英志は著書において、
と評価している。
また大塚はメジャー少年誌で活動していた吾妻が突如としてアリス出版の自販機本にロリコン漫画を発表したことを「漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであった」と評価している。そのため大塚は吾妻のことを
と日本の漫画史におけるエポックメイキングな存在として位置づけている。
なお大塚が言うように、メジャー少年誌・少女誌で活動するプロの漫画家が、同人誌のみならず「最底辺のエロメディア」と呼ばれた自販機本に成人向け漫画を発表することは前代未聞のことであった(吾妻によれば、古巣の秋田書店から警告を受けていたが無視したという。このような経緯から吾妻ひでおは商業誌・同人誌ともにロリコン漫画の開拓者とみなされている。
『純文学シリーズ』は、吾妻ひでおが1980年1月頃から1980年9月まで自販機本『少女アリス』(アリス出版)に連載した一連の成人向け漫画作品の通称。いわゆるロリコン漫画のルーツとされる記念碑的作品群であり、おおこしたかのぶは「ロリコン漫画を文学的表現にまで高めた作品」「それはペダンチックなロリコンファンの趣向に合致し、ロリコンであることの後ろめたさへの免罪符の役割を果たした」と評している。
発表の場が自販機本になったのは、吾妻が海外SF小説を元ネタにしたマニアックなパロディ漫画『どーでもいんなーすぺーす』を連載していたニューウェーブ漫画雑誌『Peke』(みのり書房)の担当編集者であった川本耕次が自販機本出版専門のアリス出版に移籍したからで、自販機本に発表することに何らかの意図や目的があった訳ではないが、当時はメジャー少年誌出身の漫画家が成人向けの自販機本に、それも写真・文芸中心の非漫画誌『少女アリス』に執筆することは、それだけで「事件」であった。連載はアリス出版の分裂にともなう川本の退職(同社から派生した群雄社に移籍)とともに打ち切りとなるが、翌年7月の『少女アリス』廃刊にともない、吾妻は全8頁からなる短編『海から来た機械』を終刊号に寄稿している。
単行本はアリス出版から発行されず、1981年7月に奇想天外社から『陽射し』のタイトルで表題作含む「純文学シリーズ」8作品のほか『マンガ奇想天外 SFマンガ大全集』No.4(1981年1月)に掲載された「帰り道」と描き下ろしのイラスト集「妄想画廊」を加えて、漫画単行本としては大変珍しいB5判ハードカバーの装幀で単行本化された。
その後、同年7月26日に紀伊國屋書店新宿本店で行われた『陽差し』の刊行記念サイン会には多数のファンが集まり、時間内でサインが終わらず、会場を倉庫に変えて夜まで続行する事態となった。
吾妻ひでおは手塚治虫的なスター・システムを使ったことでも知られている。ただし、彼の使うスター的キャラクターは変態的、あるいは病的であり、それが特徴でもある。以下に代表的なものを挙げる。
なお、三蔵、不気味、ナハハは吾妻ひでおの三大変態キャラとも言われる。これが総出演したのが「ひでお童話集」の「3人の王子」で、そこではこの順に「上の王子は変態性欲、次の王子は変態の上に変な顔、下の王子はなんだかわからないもの」と称されている。
ほかにも、吾妻ファンであることを公言したことのある人物は、安彦良和、亀和田武、川又千秋、柴門ふみ、高橋留美子、山本直樹、諸星大二郎、まつもと泉、和田慎二などと、枚挙にいとまがない。 | [
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"text": "1992年4月 - 1992年8月ごろ、大塚英志に『夜の魚』(太田出版)のあとがき『夜を歩く』(『失踪日記』の最初のエピソード)を宅配便で送ったその足で再び失踪する(西東京市東伏見または小金井公園近辺において)。同年8月ごろ、アル中の上森さん(仮称)にスカウトされて東京ガスの孫受け会社で配管工として働きはじめる。肉体労働をしていると芸術活動がしたくなり、社内報に四コマ漫画を投稿し採用された。しかし仮名の「東」がメジャー誌で連載していたことがある漫画家だとは誰にも気付かれなかったという。当時の東京ガスの広報誌では、「東英夫」という仮名で、本人のイラストと共に「雑誌や広告のさし絵など20年近くも描いてきたという」と紹介されている。",
"title": "経歴"
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"text": "翌年春、「上森さん」に譲られ乗っていた自転車が盗難車(譲られた時に上森さんに防犯登録のシールを削るように唆されたが、吾妻はその時酒に酔っていたため判断が付かず従ってしまった)だったため、警察の職務質問を受けた際に逮捕され、家族に連絡される。その後も半年間配管工の仕事を続けている。",
"title": "経歴"
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"text": "1980年代半ばから盛んに飲酒し、「アル中」と自称していたが、吾妻の場合は2回の失踪を挟んだこともあって、一般的なアルコール依存症患者よりも症状の進行が遅かった。しかし1997年の暮れには手に震えが来るようになっており、1998年春までには重症のアルコール依存症、すなわち眠っている時以外は酒が手離せなくなるという「連続飲酒」状態になっていた。その状態が半年続き、しだいに奇行が多くなりまた自殺未遂なども行う様になり、同年12月25日、家族によって三鷹市の某病院に強制入院させられる。入院中は患者による自治会の役員に選出され、女性入院患者1人と共にレクレーション係を担当した。退院間際に自作の鉛筆デッサン画を中野ブロードウェイのまんだらけに買取に出した際はその買取金額の安さに「俺も落ちる所まで落ちたって感じ?」と逆にすがすがしい気分になったという。1999年春、3か月の治療プログラムを終了して退院。以後、断酒を続けた。",
"title": "経歴"
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"text": "2005年3月、『失踪日記』を出版。1度目の失踪を描いた「夜を歩く」、2度目の失踪を描いた「街を歩く」、アルコール依存と治療の時期を描いた「アル中病棟」を収録している。出版とともに各メディアで話題となり、第34回日本漫画家協会賞大賞、第9回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞、第37回日本SF大会で星雲賞ノンフィクション部門を受賞した。なお、「漫画三賞」といわれる、日本漫画家協会賞大賞、文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞を3賞とも受賞したのは、2007年時点で吾妻だけであった。",
"title": "経歴"
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"text": "テーマの暗さにもかかわらずあっけらかんと描かれているが、吾妻は「自分を第三者の視点で見るのは、お笑いの基本ですからね」と片づけている。",
"title": "経歴"
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"text": "『失踪日記』出版当時のインタビュー(『芸術新潮』2005年5月号)などで「仕事は来ないし、限界だし、自分を苦しめるだけなので、ギャグ漫画をやめる」と宣言、公式サイトには「今後は暗い漫画を描くつもり」と書いた。しかしその後も、雑誌連載、単行本のあとがき、公式サイトなどでギャグ要素の強い作品を発表し続けており、結局のところ、やめようとしてもやめられないとのことであるが、植田まさしのようなホームドラマを描いていきたいともしている。",
"title": "経歴"
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"text": "2011年には明治大学博物館で展覧会が、2013年には西武百貨店池袋本店の西武ギャラリーで原画展が開かれた。",
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"tag": "p",
"text": "2012年、KAWADE夢ムック(編集:穴沢優子)で刊行された『吾妻ひでお〈総特集〉―美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』(河出書房新社)が、第43回日本SF大会で星雲賞ノンフィクション部門を受賞した。",
"title": "経歴"
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"text": "2013年10月、アルコール依存症の入院経験を作品化した『失踪日記2 アル中病棟』を刊行。",
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"text": "2017年3月、食道癌が判明し、入院闘病中であることを、自らのツイッターで明かす。同年5月、手術を終え退院し、自宅療養中であると公表。食道を切除し胃を吊り上げる手術だった。",
"title": "経歴"
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"text": "2019年10月13日、都内の病院で死去。69歳だった。",
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"text": "2019年11月30日、築地本願寺の第二伝道会館において「ファン葬」が行われ、長年にわたり吾妻と交友のあった人々が献花に訪れた。弔辞は萩尾望都などが務めた。",
"title": "経歴"
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"text": "2020年、第40回日本SF大賞で功績賞を受賞。",
"title": "経歴"
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"text": "吾妻ひでおが漫画界におけるロリコンブームの火付け役だったと主張する論客は、大塚英志をはじめ複数存在しており、吾妻が無視できない存在であることは間違いない。",
"title": "ロリコンブームとの関連"
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"text": "エロ劇画誌の『劇画アリス』や自販機本の『少女アリス』(いずれもアリス出版刊)に作品を発表したことは、漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであり、また『少女アリス』に発表した「純文学シリーズ」は、後のロリコン漫画に直結する作品である。大塚英志は純文学シリーズを「最初の確信犯的な“ロリコンまんが”」と呼び、のちのロリコンまんがはこの再生産物にすぎないとまで述べている。",
"title": "ロリコンブームとの関連"
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"paragraph_id": 37,
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"text": "1983年『ななこSOS』がアニメ化放映される一方、このような成人向け雑誌出版社との交流を前後して、1970年代末から始まった写真家清岡純子、近藤昌良などの少女ヌード写真集と専門誌の流行が重なり、吾妻はそこにイラスト作品などを寄稿している。ロリコンブームの出版物大半は成人向け図書規制または自主規制を課していたが、尖鋭化する写真集や雑誌グラビアに対して1985年から1987年にかけて捜査当局からわいせつ判断が下され摘発と書類送検(ヘイ!バディーや清岡純子の項目参照)されるまで根本しのぶといった商業CMで活躍する子役モデルが起用されるほど社会的な禁忌意識は薄く、またロリコンと児童ポルノに対する風当たりが強くなる以前で世論は寛容もしくは無関心だったこと、吾妻の投稿した成人出版物は発行部数が少なく、裏の活動が広く知れわたることなく表裏ある執筆活動に一般から批判を寄せられることはなかった。",
"title": "ロリコンブームとの関連"
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"text": "ちなみに、ロリコンブームの一躍を担った美少女コミック誌『レモンピープル』や『漫画ブリッコ』においては、吾妻とアシスタントたちが作った同人誌『シベール』の同人たちが多数起用されている(ただし『漫画ブリッコ』の編集者であった大塚英志は、単行本『夜の魚』に吾妻と『ブリッコ』では仕事依頼はしていないと記述している)。",
"title": "ロリコンブームとの関連"
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"text": "1979年冬には業界最大手の自販機本専門出版社・アリス出版の看板雑誌『少女アリス』の川本耕次編集長(三流劇画ブーム・ロリコンブームの仕掛け人)から吾妻のもとに「ロリコン(美少女)ものを描いてください。純文学みたいなやつ」という依頼があり、商業誌初のロリコン漫画「純文学シリーズ」を1980年1月頃から1980年9月まで連載する(1981年7月に奇想天外社から『陽射し』として単行本化された)。",
"title": "ロリコンブームとの関連"
},
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"paragraph_id": 40,
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"text": "この連作は吾妻が得意とするギャグやSFを離れ、叙情的に描かれた美少女のエロティシズムを明確なテーマとしており、後のロリコン漫画〜美少女コミックに直結する最重要作品群とみなされている。大塚英志は著書において、",
"title": "ロリコンブームとの関連"
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{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "と評価している。",
"title": "ロリコンブームとの関連"
},
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"text": "また大塚はメジャー少年誌で活動していた吾妻が突如としてアリス出版の自販機本にロリコン漫画を発表したことを「漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであった」と評価している。そのため大塚は吾妻のことを",
"title": "ロリコンブームとの関連"
},
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"text": "と日本の漫画史におけるエポックメイキングな存在として位置づけている。",
"title": "ロリコンブームとの関連"
},
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"text": "なお大塚が言うように、メジャー少年誌・少女誌で活動するプロの漫画家が、同人誌のみならず「最底辺のエロメディア」と呼ばれた自販機本に成人向け漫画を発表することは前代未聞のことであった(吾妻によれば、古巣の秋田書店から警告を受けていたが無視したという。このような経緯から吾妻ひでおは商業誌・同人誌ともにロリコン漫画の開拓者とみなされている。",
"title": "ロリコンブームとの関連"
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"text": "『純文学シリーズ』は、吾妻ひでおが1980年1月頃から1980年9月まで自販機本『少女アリス』(アリス出版)に連載した一連の成人向け漫画作品の通称。いわゆるロリコン漫画のルーツとされる記念碑的作品群であり、おおこしたかのぶは「ロリコン漫画を文学的表現にまで高めた作品」「それはペダンチックなロリコンファンの趣向に合致し、ロリコンであることの後ろめたさへの免罪符の役割を果たした」と評している。",
"title": "ロリコンブームとの関連"
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"text": "発表の場が自販機本になったのは、吾妻が海外SF小説を元ネタにしたマニアックなパロディ漫画『どーでもいんなーすぺーす』を連載していたニューウェーブ漫画雑誌『Peke』(みのり書房)の担当編集者であった川本耕次が自販機本出版専門のアリス出版に移籍したからで、自販機本に発表することに何らかの意図や目的があった訳ではないが、当時はメジャー少年誌出身の漫画家が成人向けの自販機本に、それも写真・文芸中心の非漫画誌『少女アリス』に執筆することは、それだけで「事件」であった。連載はアリス出版の分裂にともなう川本の退職(同社から派生した群雄社に移籍)とともに打ち切りとなるが、翌年7月の『少女アリス』廃刊にともない、吾妻は全8頁からなる短編『海から来た機械』を終刊号に寄稿している。",
"title": "ロリコンブームとの関連"
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"text": "単行本はアリス出版から発行されず、1981年7月に奇想天外社から『陽射し』のタイトルで表題作含む「純文学シリーズ」8作品のほか『マンガ奇想天外 SFマンガ大全集』No.4(1981年1月)に掲載された「帰り道」と描き下ろしのイラスト集「妄想画廊」を加えて、漫画単行本としては大変珍しいB5判ハードカバーの装幀で単行本化された。",
"title": "ロリコンブームとの関連"
},
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"text": "その後、同年7月26日に紀伊國屋書店新宿本店で行われた『陽差し』の刊行記念サイン会には多数のファンが集まり、時間内でサインが終わらず、会場を倉庫に変えて夜まで続行する事態となった。",
"title": "ロリコンブームとの関連"
},
{
"paragraph_id": 49,
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"text": "吾妻ひでおは手塚治虫的なスター・システムを使ったことでも知られている。ただし、彼の使うスター的キャラクターは変態的、あるいは病的であり、それが特徴でもある。以下に代表的なものを挙げる。",
"title": "スター・システム"
},
{
"paragraph_id": 50,
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"text": "なお、三蔵、不気味、ナハハは吾妻ひでおの三大変態キャラとも言われる。これが総出演したのが「ひでお童話集」の「3人の王子」で、そこではこの順に「上の王子は変態性欲、次の王子は変態の上に変な顔、下の王子はなんだかわからないもの」と称されている。",
"title": "スター・システム"
},
{
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"tag": "p",
"text": "ほかにも、吾妻ファンであることを公言したことのある人物は、安彦良和、亀和田武、川又千秋、柴門ふみ、高橋留美子、山本直樹、諸星大二郎、まつもと泉、和田慎二などと、枚挙にいとまがない。",
"title": "交友・影響関係"
}
] | 吾妻 ひでおは、日本の漫画家。 北海道・十勝郡浦幌町宝町出身。血液型はO型。 1969年、『月刊まんが王』(秋田書店)12月号掲載の『リングサイド・クレイジー』(吾妻日出夫名義)でデビュー。『週刊少年チャンピオン』で連載した『ふたりと5人』のヒットで地位を確立する。以後、『不条理日記』、『ななこSOS』などSF・ナンセンス色の強い作風で人気をえる。1979年、日本初のロリコン同人誌『シベール』に同人作家として作品を発表する。 1985年ごろから低迷期に入り、自殺未遂事件や失踪事件を起こし、アルコール依存症治療のため精神病院に入院する。2005年に同時期の体験を描いた『失踪日記』を出版し、日本漫画家協会賞大賞や文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、イタリア・グラン・グイニージ賞を受賞し、日本の漫画家の作品として初めてイグナッツ賞にノミネートした。 | {{Infobox 漫画家
| 名前 = 吾妻 ひでお
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 脚注 =
| 本名 = 吾妻 日出夫(あづま ひでお)
| 生地 = {{JPN}}・[[北海道]][[十勝郡]][[浦幌町]]宝町
| 国籍 = {{JPN}}
| 生年 = {{生年月日と年齢|1950|2|6|no}}
| 没年 = {{死亡年月日と没年齢|1950|2|6|2019|10|13}}
| 没地 = {{JPN}}・[[東京都]]
| ジャンル = [[ギャグ漫画]]<br />[[SF漫画]]<br />不条理漫画
| 活動期間 = [[1969年]] - [[2019年]]
| 代表作 = 『[[ふたりと5人]]』<br />『[[やけくそ天使]]』<br />『[[オリンポスのポロン]]』<br />『[[不条理日記]]』<br />『スクラップ学園』<br />『[[純文学シリーズ]]』<br />『[[ななこSOS]]』<br />『[[夜の魚]]』<br />『[[失踪日記]]』
| 受賞 = 第10回[[星雲賞]]コミック部門<br />(『不条理日記』)<br />第34回[[日本漫画家協会賞]]大賞{{Sfn|失踪日記|2005|p=196}}<br />平成17年度(第9回)[[文化庁メディア芸術祭マンガ部門]]大賞{{Sfn|失踪日記|2005|p=196}}<br />第10回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞<br />第37回星雲賞ノンフィクション部門<br />[[アングレーム国際漫画祭]]公式セレクション(2008年)<ref>{{Cite web|和書|date=2008-01-19 |url=https://animeanime.jp/article/2008/01/19/2676.html |title=仏アングレーム公式作品に日本の6作品「デスノート」「失踪日記」等 |publisher=[[イード (企業)|アニメ!アニメ!]] |accessdate=2019-10-21}}</ref><br />[[グラン・グイニージ|グラン・グイニージ賞]](2019年)<br />(以上『失踪日記』)
| サイン =
| 公式サイト = [http://azumahideo.sitemix.jp/ 吾妻ひでお official homepage]
}}
'''吾妻 ひでお'''(あづま ひでお、本名:'''吾妻 日出夫'''(読み同じ){{Sfn|失踪日記|2005|p=223}}、[[1950年]]〈[[昭和]]25年〉{{Sfn|逃亡日記|2007|loc=プロフィール}}[[2月6日]] - [[2019年]]〈[[令和]]元年〉[[10月13日]])は、[[日本]]の[[漫画家]]。
[[北海道]]・[[十勝郡]][[浦幌町]]{{Sfn|逃亡日記|2007|loc=プロフィール}}{{Sfn|失踪日記|2005|p=223}}宝町出身。[[ABO式血液型|血液型]]はO型。
1969年、『月刊まんが王』([[秋田書店]])12月号掲載の『リングサイド・クレイジー』(吾妻日出夫名義)でデビュー。『[[週刊少年チャンピオン]]』で連載した『[[ふたりと5人]]』(1972年 - 1976年)のヒットで地位を確立する。以後、『[[不条理日記]]』、『[[ななこSOS]]』など[[サイエンス・フィクション|SF]]・[[ナンセンス]]色の強い作風で人気をえる。1979年、日本初のロリコン同人誌『[[シベール (同人誌)|シベール]]』に同人作家として作品を発表する。
[[1985年]]ごろから低迷期に入り、自殺未遂事件や失踪事件を起こし、[[アルコール依存症]]治療のため精神病院に入院する。[[2005年]]に同時期の体験を描いた『[[失踪日記]]』を出版し、[[日本漫画家協会賞]]大賞や[[文化庁メディア芸術祭マンガ部門]]大賞、イタリア・[[グラン・グイニージ|グラン・グイニージ賞]]を受賞し、日本の漫画家の作品として初めて[[イグナッツ賞]]にノミネートした<ref name=animenewsnetwork>{{Cite web |date=2019-10-21 |url=https://www.animenewsnetwork.com/news/2019-10-21/prolific-manga-creator-hideo-azuma-passes-away-at-69/.152442 |title= Prolific Manga Creator Hideo Azuma Passes Away at 69 |publisher=[[Anime News Network]] |accessdate=2019-10-22}}</ref>。
== 経歴 ==
=== 生い立ち ===
幼少期は野山を元気に駆け回っていたが、5歳の頃に両親が離婚。父は後に再婚し、父と義母に育てられる。実母と引き離されたトラウマで後年まで閉所恐怖症に苦しむ{{Sfn|失踪日記2 アル中病棟|2013|p=280}}。十二指腸潰瘍で入退院を繰り返していた。中学時代まで浦幌町で過ごした{{Sfn|失踪日記2 アル中病棟|2013|p=280}}。本人曰く「あまり学校行ってないんでちょっと馬鹿です」とのこと{{Sfn|失踪日記2 アル中病棟|2013|p=67-68}}。
=== 初期 ===
[[石ノ森章太郎]]の『マンガ家入門』に触発され漫画家を志す{{Sfn|逃亡日記|2007|p=105}}。[[北海道浦幌高等学校]]在学中、『[[COM (雑誌)|COM]]』主宰のマンガ愛好団体であるぐらこん北海道支部に参加。当時のぐらこん北海道支部には[[大和和紀]]や[[忠津陽子]]がいた<ref name="大全集"/>。
[[1968年]]に高校を卒業し、漫画家志望の仲間たちと共に上京して[[凸版印刷]]に就職するが、1か月で退職<ref name="大全集"/>{{Efn|{{Harvnb|逃亡日記|2007|p=118}} によれば、3か月。親を騙すための就職だったとのこと。}}。[[板井れんたろう]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]に採用され{{Sfn|逃亡日記|2007|p=120}}{{Sfn|逃亡日記|2007|p=127}}、仕事のかたわら『[[週刊少年サンデー]]』([[小学館]]){{Sfn|逃亡日記|2007|p=130}}や『まんが王』([[秋田書店]])の読者欄などに無記名のカットやコママンガを描く。
[[1969年]]、『まんが王』12月号付録「プロレスなんでも百科」に「リングサイド・クレイジー」を発表<ref>{{Cite book|和書|editors=[[阿島俊]]、[[米澤嘉博]]、大日本吾妻漫画振興会 |title=吾妻ひでおに花束を |edition=第2版 |date=1980-03-10 |publisher=虎馬書房 |location=東京都中野区 |page=114 }}</ref>。これが漫画家としてのデビュー作である{{Sfn|逃亡日記|2007|p=130}}。
[[1970年]]、『まんが王』で連載を獲得し独立(『二日酔いダンディー』){{Sfn|逃亡日記|2007|p=131}}。当時の作品は、軽いタッチのギャグ漫画にもかかわらず全体のノリは不条理で、ところどころに[[サイエンス・フィクション|SF]]のエッセンスをちりばめ、[[アメリカン・ニューシネマ]]の影響も感じさせるという作風であった。このころ、ページ内の1コマを1コママンガとして完結させるという試みを多く行っている。同年、『[[週刊少年サンデー]]』で、初の週刊誌連載となる『ざ・色っぷる』を連載するが、6回で連載終了<ref>『ざ・色っぷる』(秋田書店)P.196</ref>。
[[1972年]]、『[[週刊少年チャンピオン]]』(秋田書店)で、ハレンチコメディ路線で売ろうとした編集者の[[阿久津邦彦]]の熱心な介入のもとで『[[ふたりと5人]]』を連載し、大きな人気を得る。巨根が「ピカー」と光る[[東京大学|東大]]生の先輩は読者に強烈な印象を残した。しかしこれは吾妻にとって不本意な作品であり、後年のインタビュー等で「あれは編集部主導のもので、あまり乗り気でなかった。出力20%程度で執筆していた。」「あーホント、描きなおしたいね、今からでも(笑)。」等の発言をしている。吾妻曰く{{Sfn|逃亡日記|2007|p=144}}。編集者は「ハダカ」(エロ)ばかり要求し、ギャグとSFには無関心だった{{Sfn|逃亡日記|2007|pp=144-148}}。吾妻は自分本来の資質とのギャップに悩む{{Sfn|逃亡日記|2007|pp=156-157}}。吾妻は連載終了を編集部に再三申し入れたが、人気がなくなるまで受け入れられなかった{{Sfn|逃亡日記|2007|p=155}}{{Sfn|逃亡日記|2007|p=159}}。
[[1973年]]に『[[プレイコミック]]』(秋田書店)、[[1974年]]には『[[月刊プリンセス]]』(同)で連載を開始、青年漫画誌や少女漫画誌へ活動の場を広げる{{Sfn|逃亡日記|2007|p=154}}。この時期には週刊連載・月刊連載含め月産130ページの原稿を執筆していた{{Sfn|逃亡日記|2007|pp=163-164}}{{Sfn|失踪日記|2005|p=132}}。
私生活では[[1973年]]に結婚し<ref name="大全集"/>{{Sfn|逃亡日記|2007|pp=148-153}}、[[1980年]]に長女、[[1983年]]に長男をもうけている{{Sfn|逃亡日記|2007|loc=あづま史略年表}}。妻は『ふたりと5人』連載初期までと、失踪後の執筆再開後に吾妻のアシスタントをつとめており、『うつうつひでお日記』などでは「アシスタントA」として登場、「アシスタントB」は長女、「アシスタントC」は長男である。妻は漫画家夫人による4コマ漫画を掲載する「奥様漫画」という企画に4コマ漫画2本を寄稿、商業誌デビュー。吾妻作品に先駆けて長男を漫画デビューさせた。
=== ブーム期 ===
[[1976年]]に『[[ふたりと5人]]』が連載終了。『[[プレイコミック]]』連載の『[[やけくそ天使]]』、『チャンピオン』連載の『みだれモコ』『チョッキン』などに不条理・SFテイストを復活させはじめる。
[[1978年]]には『[[月刊OUT]]』(みのり書房)で初の特集記事「吾妻ひでおのメロウな世界」が組まれ、同年に創刊した『[[Peke]]』(同)などの漫画マニア向け新興誌に執筆する機会が増える。同年12月『別冊[[奇想天外 (SF雑誌)|奇想天外]]No.6 SFマンガ大全集Part2』([[奇想天外 (SF雑誌)|奇想天外社]])に執筆した『[[不条理日記]]』はSF小説のパロディをふんだんに用い、翌[[1979年]]の第18回[[日本SF大会]]の[[星雲賞]]コミック部門を受賞した。同年には[[自販機本]]『[[劇画アリス]]』([[アリス出版]])に『不条理日記』の続編を連載して、「不条理漫画」というジャンルの開拓者とみなされている{{Efn|『[[夜の魚]]―太田COMICS芸術漫画叢書』の[[大塚英志]]による解説『吾妻ひでおを再び「流通」させる理由』で大塚は、当時一世を風靡していた[[吉田戦車]]を「不条理漫画」の祖と持ち上げる風潮に異をとなえ、吾妻こそがそれだと主張した。ただし「不条理漫画」的な作品は吾妻以前にも、[[つげ義春]]の「[[ねじ式]]」や秋竜山の諸作品などがあり、[[手塚治虫]]は『マンガの描き方』(光文社カッパ・ホームス 1977年刊)でそれらを「不条理ギャグ」として取り上げている}}。1979年から不条理・SF系の作品を収録した単行本が続々と刊行され、[[1980年]]には『[[ぱふ]]』『[[リュウ (雑誌)|リュウ]]』で特集が組まれる。[[1981年]]には『奇想天外』臨時増刊として『吾妻ひでお大全集』が発売されるなどブームは最高潮に達した。その半面、1979年末までに一般少年・少女誌での連載がすべて終了、執筆の場は青年誌とマニア誌へ完全に移行した。この時期、[[大友克洋]]、[[いしかわじゅん]]とともに、SFマンガの[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]御三家と呼ばれた。
また1979年から[[沖由佳雄]]、[[蛭児神建]]らとともに日本初のロリコン[[同人誌]]『[[シベール (同人誌)|シベール]]』(無気力プロ)を[[コミックマーケット]]で販売。[[1980年]]からは[[川本耕次]]の依頼で[[自販機本]]『[[少女アリス (自販機本)|少女アリス]]』([[アリス出版]])に「[[純文学]]シリーズ」と題して[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]漫画を発表する。これを嚆矢として、コミックマーケットではロリコン同人誌が大人気となる{{Sfn|逃亡日記|2007|p=184}}。当時、メジャー誌出身の漫画家が[[同人誌]]やエロ本に描くことはきわめて異例であった。メジャー誌出身の漫画家がポルノ誌に進出したことは周囲に衝撃を与え、吾妻は[[商業誌]]・[[同人誌]]ともに[[1980年代]]のロリコンブームの立役者とみなされている。
1977年から1979年にかけて『[[月刊プリンセス]]』([[秋田書店]])に連載された『[[オリンポスのポロン]]』は[[1982年]]に『[[オリンポスのポロン#アニメ|おちゃ女神物語 コロコロポロン]]』としてアニメ化され、[[テレビアニメ]]放映と並行してコミカライズ版が『[[100てんコミック]]』に連載された{{Sfn|河出書房|2011|p=208}}。また1980年から1985年にかけて『[[ポップコーン (漫画雑誌)|ポップコーン]]』及び『[[ポップコーン (漫画雑誌)#月刊ジャストコミック|ジャストコミック]]』に連載された『[[ななこSOS]]』も[[1983年]]に[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列でアニメ化され、これが商業的には最も成功した作品となった{{Sfn|河出書房|2011|p=220}}。
<!--
以下は作品個別的な記述で不適と思われるのでコメントアウトしておきます。
-->
<!--
その後、作品はどんどん実験の度合いを深めてゆき、「でたらめ」などと自己批判をしたり<ref>『ローリング・アンビバレンツ・ホールド』</ref>、「もうネタがありません、ゆるして下さい」とだけ書いてオチをつけなかったり<ref>『どろろん忍者』</ref>、「感情のない」顔を並べて「あまり長いことみつめないでください」と書いたり<ref>『メチル・メタフィジーク』</ref>した。
-->
[[1983年]]4月、『SF大会本』(虎馬書房刊)に発表した「冷たい汗」は、それまでのアニメ絵とは違った劇画的な絵で、その年の[[SF大会]]の様子を描いている。自分のホームグランドにすら違和感を覚え、声をかけられただけでギクリとしてしまう疲れ果てた作者の姿が描かれている。
[[1984年]]、連作『[[夜の魚]]』『[[笑わない魚]]』を『少年少女SFマンガ競作大全集』([[東京三世社]])に発表。「冷たい汗」の絵とも異なる暗い絵で、自分の生活をシュールリアリスティックに描いている。
=== 低迷期 ===
この時期の吾妻の生活は、脚色を加えた上で『[[失踪日記]]』として作品化されている。
[[1980年代]]半ばから約8年にわたる沈黙期に入る。その間に2度長い[[失踪]]をしている。吾妻は従来より[[鬱病]]または[[躁鬱]]の傾向があったが{{Sfn|逃亡日記|2007|p=15}}、1990年代後半にはアルコール依存症となり入院している。
[[1990年代]]後半に再び漫画作品を発表し始める。ある出版社に持ち込みをしたとき、若い編集者は吾妻ひでおフォロワーの無名のマンガ家と思い、失礼な対応をしたという。
==== 1度目の失踪 ====
[[1989年]][[11月]] - [[1990年]][[2月]]{{Sfn|逃亡日記|2007|p=14}}{{Efn|ただしこの出典では1989年から1990年にかけて3,4ヵ月、「一番キツイ時期」とある{{Sfn|逃亡日記|2007|p=14}}。}}。一日中酒を飲んでは寝るという生活を繰り返しているうちに[[うつ病|うつ]]が重くなり、山で首つり自殺をしようとしたが失敗{{Sfn|逃亡日記|2007|p=17}}{{Sfn|失踪日記|2005|pp=5-7}}。そのまま[[埼玉県]][[入間市]]{{Sfn|逃亡日記|2007|p=17}}の[[雑木林]]で[[ホームレス]]生活を始める。初めは食糧にも困っていたが、やがて毎日大量の廃棄の食物が捨てられるスーパーのゴミ捨て場を知り、失踪前より太るほどの食事にありつけることとなった。深夜に駅前でシケモクを拾っていたとき、警官に発見・保護された。
==== 2度目の失踪 ====
[[1992年]][[4月]] - [[1992年]][[8月]]{{Sfn|逃亡日記|2007|p=14}}ごろ、[[大塚英志]]に『[[夜の魚]]』([[太田出版]])のあとがき『夜を歩く』(『失踪日記』の最初のエピソード)を宅配便で送ったその足で再び失踪する([[西東京市]][[東伏見]]または[[小金井公園]]近辺{{Sfn|逃亡日記|2007|pp=33-41}}において){{Sfn|大塚ほか|2001|ps=第1部「まんが論」4.吾妻ひでお―「おたく」なるものの起源}}。同年8月ごろ、アル中の上森さん(仮称)にスカウトされて[[東京ガス]]の孫受け会社で配管工として働きはじめる。肉体労働をしていると芸術活動がしたくなり、社内報に四コマ漫画を投稿し採用された。しかし仮名の「東」がメジャー誌で連載していたことがある漫画家だとは誰にも気付かれなかったという{{Sfn|失踪日記|2005|p=105}}{{Sfn|逃亡日記|2007|pp=47-49}}。当時の東京ガスの広報誌では、「東英夫」という仮名で、本人のイラストと共に「雑誌や広告のさし絵など20年近くも描いてきたという」と紹介されている<ref>東京ガス広報誌「gas」1993年2月号</ref>。
翌年春、「上森さん」に譲られ乗っていた自転車が盗難車(譲られた時に上森さんに防犯登録のシールを削るように唆されたが、吾妻はその時酒に酔っていたため判断が付かず従ってしまった)だったため、警察の[[職務質問]]を受けた際に逮捕され、家族に連絡される。その後も半年間配管工の仕事を続けている。
==== アルコール依存と治療 ====
[[1980年代]]半ばから盛んに飲酒し、「アル中」と自称していたが、吾妻の場合は2回の失踪を挟んだこともあって、一般的なアルコール依存症患者よりも症状の進行が遅かった。しかし1997年の暮れには手に震えが来るようになっており{{Sfn|失踪日記|2005|p=147}}、1998年春までには重症のアルコール依存症、すなわち眠っている時以外は酒が手離せなくなるという「連続飲酒」状態になっていた{{Sfn|失踪日記|2005|p=148}}。その状態が半年続き、しだいに奇行が多くなりまた自殺未遂なども行う様になり{{Sfn|失踪日記|2005|pp=152-162}}{{Sfn|逃亡日記|2007|p=19}}{{Sfn|逃亡日記|2007|p=64}}、同年12月25日、家族によって[[三鷹市]]の某病院{{Efn|[http://www.hasegawa-hp.or.jp 長谷川病院]のこと。{{Harvnb|あるこーる白書|2013|pp=45-46}}では実名。}}に[[医療保護入院|強制入院]]させられる{{Sfn|失踪日記|2005|p=164}}。入院中は患者による自治会の役員に選出され{{Sfn|失踪日記2 アル中病棟|2013|p=73}}、女性入院患者1人と共にレクレーション係を担当した{{Sfn|失踪日記2 アル中病棟|2013|p=78-79}}。退院間際に自作の鉛筆デッサン画を[[中野ブロードウェイ]]の[[まんだらけ]]に買取に出した際はその買取金額の安さに「俺も落ちる所まで落ちたって感じ?」と逆にすがすがしい気分になったという{{Sfn|失踪日記2 アル中病棟|2013|p=318}}。1999年春、3か月の治療プログラム{{Sfn|逃亡日記|2007|p=73}}を終了して退院。以後、断酒を続けた。
=== 『失踪日記』出版後 ===
[[2005年]][[3月]]、『失踪日記』を出版。1度目の失踪を描いた「夜を歩く」、2度目の失踪を描いた「街を歩く」、アルコール依存と治療の時期を描いた「アル中病棟」を収録している。出版とともに各メディアで話題となり、第34回[[日本漫画家協会賞]]大賞、第9回[[文化庁メディア芸術祭マンガ部門]]大賞、第10回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞、第37回[[日本SF大会]]で[[星雲賞]]ノンフィクション部門を受賞した。なお、「漫画三賞」といわれる、[[日本漫画家協会賞]]大賞、[[文化庁メディア芸術祭マンガ部門]]大賞、[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞を3賞とも受賞したのは、2007年時点で吾妻だけであった<REF>『逃亡日記』(日本文芸社)P.196</REF>。
テーマの暗さにもかかわらずあっけらかんと描かれているが、吾妻は「自分を第三者の視点で見るのは、お笑いの基本ですからね」と片づけている{{Sfn|失踪日記|2005|loc=巻末対談}}。
==== ギャグ漫画家引退宣言 ====
『失踪日記』出版当時のインタビュー(『芸術新潮』[[2005年]]5月号)などで「仕事は来ないし、限界だし、自分を苦しめるだけなので、ギャグ漫画をやめる」と宣言、公式サイトには「今後は暗い漫画を描くつもり」と書いた。しかしその後も、雑誌連載、単行本のあとがき、公式サイトなどでギャグ要素の強い作品を発表し続けており、結局のところ、やめようとしてもやめられないとのことであるが{{Sfn|逃亡日記|2007|p=91}}、[[植田まさし]]のようなホームドラマを描いていきたいともしている{{Sfn|逃亡日記|2007|p=209}}。
[[2011年]]には[[明治大学博物館]]で展覧会が<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/exh-azuma.html |publisher=[[明治大学]] |work=東京国際マンガ図書館 |title=米沢嘉博記念図書館TOP > 吾妻ひでお展 開催! |accessdate=2016-07-17}}</ref>、[[2013年]]には[[西武百貨店]]池袋本店の西武ギャラリーで原画展が開かれた<ref>{{Cite web|和書|url=http://azumahideo.gengaten.com/ |title=吾妻ひでお原画展 |accessdate=2016-07-17 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190613133947/http://azumahideo.gengaten.com/ |archive-date=2019-06-13}}</ref>。
2012年、KAWADE夢ムック(編集:穴沢優子)で刊行された『吾妻ひでお〈総特集〉―美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』(河出書房新社)が、第43回[[日本SF大会]]で[[星雲賞]]ノンフィクション部門を受賞した。
2013年10月、アルコール依存症の入院経験を作品化した『[[失踪日記2 アル中病棟]]』を刊行。
=== 晩年 ===
2017年3月、[[食道癌]]が判明し、入院闘病中であることを、自らの[[ツイッター]]で明かす<ref>{{Cite tweet|author=吾妻ひでお |user=azuma_hideo |number=847673845972520960 |title=食道癌治療のため現在入院です。 |date=2017-03-31 |accessdate=2017-05-13 }}</ref>。同年5月、手術を終え退院し、自宅療養中であると公表。食道を切除し胃を吊り上げる手術だった。
2019年10月13日、都内の病院で死去。69歳だった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/entertainments/news/191021/ent1910210002-n1.html |title=「失踪日記」の漫画家、吾妻ひでおさん死去 |publisher=産経ニュース |date=2019-10-21 |accessdate=2020-10-31 |archive-date=2019-10-21 |archive-url=https://web.archive.org/web/20191021043340/https://www.sankei.com/entertainments/news/191021/ent1910210002-n1.html}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=漫画家の吾妻ひでおさん死去 |url=https://this.kiji.is/558855203363112033 |date=2019-10-21 |accessdate=2019-10-21 |website=[[共同通信]] |archive-date=2019-10-21 |archive-url=https://archive.is/20191021160249/https://this.kiji.is/558855203363112033}}</ref>。
2019年11月30日、[[築地本願寺]]の第二伝道会館において「ファン葬」が行われ、長年にわたり吾妻と交友のあった人々が献花に訪れた<ref>{{Cite tweet|author=吾妻ひでお |user=azuma_hideo |number=1196986885005963265 |title=【吾妻ひでおファン葬のお知らせ1】 家族葬は既に済ませましたが、読者・ファン・ご友人の皆様とのお別れの場を設けるべく「吾妻ひでおファン葬」を開催することになりましたのでご案内申し上げます 日時:11月30日(土) 関係者献花:14時〜 ファン献花:15時〜17時 会場:築地本願寺 第二伝道会館 |date=2019-11-20 |accessdate=2019-12-03 }}</ref>。弔辞は[[萩尾望都]]などが務めた。
2020年、第40回[[日本SF大賞]]で功績賞を受賞<ref>{{Cite web|和書|title=第40回日本SF大賞・受賞作決定!|url=http://sfwj.jp/awards/Nihon-SF-Taisho-Award/40/decision40.html|work=日本SF作家クラブ|date=2020-02-23|accessdate=2020-03-26}}</ref>。
== ロリコンブームとの関連 ==
{{Main|シベール (同人誌)}}
吾妻ひでおが漫画界における[[ロリータ・コンプレックス#ロリコン・ブーム|ロリコンブーム]]の火付け役だったと主張する論客は、[[大塚英志]]をはじめ複数存在しており、吾妻が無視できない存在であることは間違いない。
[[エロ劇画誌]]の『[[劇画アリス]]』や[[自販機本]]の『[[少女アリス (自販機本)|少女アリス]]』(いずれも[[アリス出版]]刊)に作品を発表したことは、漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであり、また『少女アリス』に発表した「[[純文学シリーズ]]」は、後の[[ロリコン漫画]]に直結する作品である。大塚英志は純文学シリーズを「最初の確信犯的な“ロリコンまんが”」と呼び、のちのロリコンまんがはこの再生産物にすぎないとまで述べている{{Sfn|大塚ほか|2001|ps=第1部「まんが論」4.吾妻ひでお―「おたく」なるものの起源}}。
[[1983年]]『[[ななこSOS]]』がアニメ化放映される一方、このような成人向け雑誌出版社との交流を前後して、[[1970年代]]末から始まった写真家[[清岡純子]]、近藤昌良などの[[少女ヌード写真集]]と専門誌の流行が重なり、吾妻はそこにイラスト作品などを寄稿している<ref>[[笠倉出版社]]のロリータ写真文庫シリーズなど。</ref>。[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]ブームの出版物大半は成人向け図書規制または自主規制を課していたが、尖鋭化する写真集や雑誌[[グラビア雑誌|グラビア]]に対して[[1985年]]から[[1987年]]にかけて捜査当局から[[わいせつ]]判断が下され摘発と書類送検([[ヘイ!バディー]]や[[清岡純子]]の項目参照)されるまで[[根本しのぶ]]<ref>『子供じゃないモン 根本しのぶフォトファイル』など。セミヌードを掲載。</ref>といった商業CMで活躍する子役モデルが起用されるほど社会的な禁忌意識は薄く{{Efn|[[ヌード]]写真集を発表したモデル[[倉橋のぞみ]]には公式ファンクラブが存在し、交流会が開催されるほどだった。}}、またロリコンと[[児童ポルノ]]に対する風当たりが強くなる以前で世論は寛容もしくは無関心だったこと、吾妻の投稿した成人出版物は発行部数が少なく、裏の活動が広く知れわたることなく表裏ある執筆活動に一般から批判を寄せられることはなかった。
ちなみに、ロリコンブームの一躍を担った美少女コミック誌『[[レモンピープル]]』や『[[漫画ブリッコ]]』においては、吾妻とアシスタントたちが作った同人誌『[[シベール (同人誌)|シベール]]』の同人たちが多数起用されている(ただし『漫画ブリッコ』の編集者であった大塚英志は、単行本『夜の魚』に吾妻と『ブリッコ』では仕事依頼はしていないと記述している)。
=== 純文学シリーズ ===
1979年冬には業界最大手の[[自販機本]]専門出版社・[[アリス出版]]の看板雑誌『少女アリス』の[[川本耕次]]編集長([[三流劇画ブーム]]・[[ロリコンブーム]]の仕掛け人){{Efn|批評集団「[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]」[[同人]]。[[みのり書房]]『[[Peke]]』『[[官能劇画]]』元編集長。[[アリス出版]]『少女アリス』編集長。[[群雄社出版]]『[[ロリコン大全集]]』編集人。吾妻ひでおの漫画『美美』『ぶらっとバニー』『スクラップ学園』『不思議ななんきん豆』『仁義なき黒い太陽 ロリコン編』などに登場する「[[編集者]]」のモデルとなった。}}<ref name="netgerila20181125">{{Cite web|和書|author=[[川本耕次]]|date=2018-11-25|url=http://my.shadowcity.jp/2018/11/post-14348.html|title=怪しい編集者|publisher=ネットゲリラ|accessdate=2020-01-27}}</ref><ref name="fus zadankai">吾妻ひでお+[[谷口敬]]+[[内山亜紀|野口正之]]+[[蛭児神建]]+[[早坂未紀]]+[[川本耕次]]「ロリコン座談会 ロリコンの道は深くて険しいのだ」『[[ふゅーじょんぷろだくと (雑誌)|ふゅーじょんぷろだくと]]』1981年10月号「特集 ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」[[ラポート]] pp.86-91</ref><ref name="kawamoto112">川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 112-113頁</ref>から吾妻のもとに「ロリコン(美少女)ものを描いてください。純文学みたいなやつ」という依頼があり<ref name="netgerila20191021">{{Cite web|和書|author=川本耕次|date=2019-10-21|url=http://my.shadowcity.jp/2019/10/post-16506.html|title=代表作はガス屋のガス公|publisher=ネットゲリラ|accessdate=2020-01-27}}</ref><ref>「なんかあれもアリスの山田さんがね、ロリコンものを一つ…(笑)」『はあど・しゅ〜る新聞』1980年3月15日付(大日本吾妻漫画振興会・虎馬書房, p.3)</ref>、商業誌初のロリコン漫画「'''純文学シリーズ'''」を1980年1月頃から1980年9月<ref>[http://link3.jp/manga/yonezawa_lib/pdf/t_event12.pdf SFと美少女の季節(吾妻ひでおと川本耕次の関連年表)] [[明治大学]][[米澤嘉博|米沢嘉博記念図書館]]</ref>まで連載する(1981年7月に[[奇想天外社]]から『[[陽射し]]』として単行本化された)。
この連作は吾妻が得意とする[[ギャグ]]や[[サイエンス・フィクション|SF]]を離れ、[[叙情]]的に描かれた[[美少女]]の[[エロティシズム]]を明確なテーマとしており、後のロリコン漫画〜美少女コミックに直結する最重要作品群とみなされている。[[大塚英志]]は著書において、
{{Quotation|これは戦後まんが史における恐らくは最初の確信犯的な「ロリコンまんが」です。もちろんそれ以前にいくつか手塚的記号絵に近い作風でエロを描いた作品はなかったわけではありません。けれどもこの連作は手塚的記号絵の正当な後継者による、しかも作品としても高い水準のものでした。吾妻ひでおはいきなりこの連作で「ロリコンまんが」の到達点ともいえる水準を示しているのであり、それ以降の今日に至るまでの二十年間に描かれたこの種のまんがは吾妻ひでおの縮小再生産でしかありません。|[[大塚英志]]+[[ササキバラ・ゴウ]]『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈[[講談社現代新書]]〉2001年、93頁}}と評価している。
また大塚はメジャー少年誌で活動していた吾妻が突如として[[アリス出版]]の[[自販機本]]にロリコン漫画を発表したことを「漫画の世界で表と裏の境界を低くする動きの始まりであった」と評価している<ref>大塚英志「吾妻ひでおのいる場所」『Comic新現実』第3巻、角川書店、2005年2月、96-97頁。96頁より引用</ref>。そのため大塚は吾妻のことを
*「まんが界の中にあった[[少年雑誌|少年週刊誌]]を頂点とする[[ヒエラルキー]]を最初に崩した一人」<ref>大塚英志「ぼくと宮崎勤の'80年代 第10回 マッチョなものの行方」『諸君!』1998年7月号、文藝春秋、234-239頁。237頁より引用</ref>
*「ぼくが師事した[[みなもと太郎]]の時代には、少年誌出身のまんが家がエロ雑誌に書くことは凋落を意味したが、わずか数年の後の吾妻ひでおの時代にはむしろそれは快挙となる」<ref>大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』星海社文庫 2016年 123-124頁</ref>
*「メジャー少年まんが誌のまんが家が自販機本という[[エロ本]]の中でも最底辺であるメディアに現役のまま登場するというのはあり得ないことでした。もちろんこういった壁はばかげたものでしかありません。そして吾妻ひでおはこの壁を最初に乗り越え無化していったまんが家だったのです」<ref name="otsuka92">大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年、92頁</ref>
と[[日本の漫画の歴史|日本の漫画史]]におけるエポックメイキングな存在として位置づけている。
なお大塚が言うように、メジャー少年誌・少女誌で活動する[[プロフェッショナル|プロ]]の漫画家が、[[同人誌]]のみならず「最底辺のエロメディア」<ref name="GekigaAlice22">[[亀和田武]]「総括」『[[劇画アリス]]』通巻22号([[アリス出版]]/[[迷宮 (同人サークル)|迷宮'79]])</ref>と呼ばれた[[自販機本]]に[[成人向け漫画]]を発表することは前代未聞のことであった(吾妻によれば、古巣の[[秋田書店]]から警告を受けていたが無視したという<ref>吾妻ひでお「吾妻ひでお 2万5千字 ロングインタビュー 現代日本的美意識「かわいいエロ」の創造者」、KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年4月30日、32頁</ref>。このような経緯から吾妻ひでおは[[商業誌]]・[[同人誌]]ともにロリコン漫画の開拓者とみなされている。
『'''純文学シリーズ'''』は、吾妻ひでおが1980年1月頃から1980年9月まで[[自販機本]]『少女アリス』([[アリス出版]])に連載した一連の[[成人向け漫画]]作品の通称{{Efn|ただし連載当時の掲載誌『少女アリス』には「純文学シリーズ」の記載はない(連載時は「LOLITA COMIX」とだけ表紙に書かれていた)。「純文学シリーズ」の名称は[[米澤嘉博|米沢嘉博]]が「阿島俊」名義で編纂し、1979年12月31日に発行した[[同人誌]]『吾妻ひでおに花束を』([[虎馬書房]]/大日本吾妻漫画振興会)中の「『AZUMA HIDEO の純文学シリーズ』が少女アリスに連載される」(p.101)という囲み記事が初出である。また[[明治大学]][[米澤嘉博|米沢嘉博記念図書館]]が作成した「SFと美少女の季節(吾妻ひでおと川本耕次の関連年表)」<ref>http://link3.jp/manga/yonezawa_lib/pdf/t_event12.pdf</ref>によれば1981年5月発行『[[奇想天外 (SF雑誌)|奇想天外]]臨時増刊号 吾妻ひでお大全集』([[奇想天外社]])の年譜と単行本『[[陽射し]]』広告に「純文学シリーズ」と記載されたものが[[商業誌]]における初出とされているが、それ以前の『[[月刊OUT]]』([[みのり書房]])1980年12月号に掲載された「病気の人のためのマンガ考現学・第1回/ロリータ・コンプレックス」(米沢嘉博)において既に「純文学シリーズ」の記載が確認できる。}}。いわゆるロリコン漫画のルーツとされる記念碑的作品群であり<ref>[[大塚英志]]+[[ササキバラ・ゴウ]]『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年、93頁</ref><ref>ヨコタ村上孝之『マンガは欲望する』筑摩書房、東京、2006年7月15日。ISBN 978-4480873514。121-122頁</ref><ref>高月靖『ロリコン―日本の少女嗜好者たちとその世界』バジリコ、東京、2009年10月7日。ISBN 978-4-86238-151-4、154頁</ref>、[[おおこしたかのぶ]]は「ロリコン漫画を文学的表現にまで高めた作品」「それは[[衒学者|ペダンチック]]なロリコンファンの趣向に合致し、ロリコンであることの後ろめたさへの[[贖宥状|免罪符]]の役割を果たした」と評している<ref>おおこしたかのぶ『美少女マンガ創世記 ぼくたちの80年代』徳間書店、2014年9月、117頁</ref>。
発表の場が自販機本になったのは、吾妻が海外[[サイエンス・フィクション|SF小説]]を元ネタにした[[マニア|マニアック]]な[[パロディ漫画]]『どーでもいんなーすぺーす』<ref name="netgerila20181125"/><ref name="kawade 211">KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年 211頁「吾妻ひでお作品解説/どーでもいんなーすぺーす」</ref>を連載していた[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]漫画雑誌『[[Peke]]』([[みのり書房]])<ref name="kawamoto36">川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 36-37頁</ref>の担当編集者であった[[川本耕次]]が自販機本出版専門の[[アリス出版]]に移籍したからで、自販機本に発表することに何らかの意図や目的があった訳ではないが、当時はメジャー[[少年雑誌|少年誌]]出身の[[漫画家]]が成人向けの自販機本に、それも[[写真]]・[[文芸]]中心の非漫画誌『少女アリス』に執筆することは、それだけで「事件」であった<ref name="otsuka92"/><ref name="KAWADE 222">KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年 222頁「吾妻ひでお作品解説/陽射し 少女アリス掲載の作品群」</ref>。連載は[[アリス出版]]の分裂にともなう川本の退職(同社から派生した[[群雄社]]に移籍)とともに[[打ち切り]]となるが<ref name="KAWADE 222"/>、翌年7月の『少女アリス』廃刊にともない、吾妻は全8頁からなる短編『海から来た機械』を終刊号に寄稿している。
単行本は[[アリス出版]]から発行されず、1981年7月に[[奇想天外社]]から『'''陽射し'''』のタイトルで表題作含む「純文学シリーズ」8作品のほか『[[マンガ奇想天外]] SFマンガ大全集』No.4(1981年1月)に掲載された「帰り道」と[[書き下ろし|描き下ろし]]のイラスト集「妄想画廊」を加えて、漫画単行本としては大変珍しい[[紙の寸法#B列|B5判]][[ハードカバー]]の[[装幀]]で単行本化された{{Efn|ちなみに[[自販機本]]『少女アリス』掲載作品のうち「海から来た機械」は翌1982年3月に[[奇想天外社]]から刊行された単行本『海から来た機械』に収録されている。}}。
その後、同年7月26日に[[紀伊國屋書店]]新宿本店で行われた『陽差し』の刊行記念[[サイン (有名人の署名)|サイン会]]<ref name="mandarake 98">はぁどしゅ〜る編集部「吾妻ひでおサイン会のお知らせ」([[まんだらけ|まんだらけ出版部]]『まんだらけZENBU98号』2020年4月15日発行,578頁)</ref>には多数の[[ファン]]が集まり、時間内でサインが終わらず、会場を倉庫に変えて夜まで続行する事態となった<ref name="aduma2007 179">吾妻ひでお『逃亡日記』日本文芸社 2007年 179頁</ref><ref>KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお』 河出書房新社、2011年4月30日、18頁</ref>。
;自販機本『少女アリス』掲載作品
{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
!作品名 !! 作品を収録している単行本 !! 初出<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 111-119頁</ref> !! 発表年月<ref name="ShojoAlice">{{Wayback |url=http://www2.alice-novell.cc/pict/b5/syojoalc.html|title=昭和レトロ・懐かしポルノ館 - B5判64ページの夢/初期ビニ本・自販機本プライベート・コレクション - 少女アリスの伝説/全25冊紹介|date=20110824214928}}</ref> !! 担当編集者 !! 発行所
|-
| ゴタゴタブラザース「我ら、少女を愛す」<ref name="kawamoto112"/> || 人間失格(1980年 [[奇想天外社]])<br />ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド2<br />(2016年 [[復刊ドットコム]]) || [[プレイコミック]]<br />1974年<br />少女アリス Vol.7<br />1980年1月号(再録) || 1974年 || rowspan="9"|[[川本耕次]]<ref name="80s_erogekiga">{{Wayback |url=http://hoippuchan.tripod.com/80s_erogekiga.htm|title=80年代美少女症候群/三流劇画|date=20010305080908}}</ref> || rowspan="10"|[[アリス出版]]
|-
| 午後の淫荒{{Efn|担当編集者が「午後の淫荒」を「[[午後の曳航]]」になぞらえて「純文学シリーズ」と名付けたともいわれる(KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年 222頁)。92年刊行の『[[夜の魚]]』([[太田出版]])収録以降「午後の淫行」に改題。}} || 陽射し(1981年 奇想天外社)<br />十月の空(1984年 [[双葉社]])<br />[[夜の魚]](1992年 [[太田出版]])<br />[[新現実|COMIC新現実]] Vol.3(2005年 [[角川書店]])<br />夜の帳の中で(2006年 [[チクマ秀版社]])<br />陽射し -reissue-(2018年 復刊ドットコム) || 増刊少女アリス || 1980年1月?
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| 水仙 || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.8<br />1980年3月号 || 1980年2月
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| さまよえる魂{{Efn|[[手塚治虫]]の伝統に忠実な記号的な絵で少女キャラクターの身体の上に残された精液さえもが描写された作品(大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年 94頁)。}} || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />夜の帳の中で(2006年) || 少女アリス Vol.9<br />1980年4月号 || 1980年3月
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| 不思議ななんきん豆 || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.11<br />1980年6月号 || 1980年5月6日<ref>[[アリス出版]]『The Buther』創刊号の巻末広告より</ref>
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| 夜のざわめき || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />さまよえる成年のための吾妻ひでお<br />(2013年 [[河出書房新社]])<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.12<br />1980年7月号 || 1980年6月
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| 陽射し{{Efn|「この原稿いただいた時は感動しました。傑作です」(川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 118頁)「筆を使ったと思われるやわらかい描線で描かれた佳作は『シベール』読者も、ギャグやSFから入ったファンも魅了した」(KAWADE夢ムック『文藝別冊[総特集]吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』河出書房新社 2011年 222頁)}} || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />さまよえる成年のための吾妻ひでお(2013年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.13<br />1980年8月号 || 1980年7月
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| 水底{{Efn|「ますます鋭く文学的になって、[[編集者]]としても背筋が寒くなるような思いだった」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 119頁}} || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.14<br />1980年9月号 || 1980年8月
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| 夕顔{{Efn|「この号で私は[[アリス出版]]を退職するのだが、ドタバタのせいで[[写植]]が間に合わなかったのか、この回だけ手書き文字です」川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 119頁}} || 陽射し(1981年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.15<br />1980年10月号 || 1980年9月
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| 海から来た機械{{Efn|この作品は[[古屋兎丸]]によって[[カバー]]されている(1999年10月/[[イースト・プレス]]刊『[[COMIC CUE]]』Vol.7掲載。同社刊『Garden』所収)。「[[ファンタジー|ファンタジック]]なのに残酷でリアルなこの話が大好きでカバーさせていただきました」(古屋兎丸『禁じられた遊び』イースト・プレス 2015年 81頁)。}} || 海から来た機械(1982年 奇想天外社)<br />十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />コミックスクライマックス エッチ編<br />(1995年 [[竹書房]])<br />夜の帳の中で(2006年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 少女アリス Vol.25<br />1981年8月号 || 1981年7月 || 草間緑<ref name="ShojoAlice"/>
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| 妄想画廊 || 陽射し(1981年)<br />夜の帳の中で(2006年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 単行本『陽射し』用<br />[[書き下ろし|描き下ろし]] || 1981年7月 || 千頭俊吉<ref>吾妻ひでお『[[陽射し]]』(1981年 [[奇想天外社]])[[奥付]]</ref>|| [[奇想天外社]]
|}
;[[ボーイズラブ#耽美とボーイズラブ|耽美雑誌]]『[[JUNE (雑誌)|JUNE]]』掲載作品
{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
!作品名 !! 作品を収録している単行本 !! 初出
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| 九月怪談 || 海から来た機械(1982年)<br />十月の空(1984年)<br />夜の帳の中で(2006年) || 1981年10月号
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| 愛玩儀式 || 海から来た機械(1982年)<br />十月の空(1984年)<br />吾妻ひでお童話集(1996年 [[筑摩書房]])<br />さまよえる成年のための吾妻ひでお(2013年) || 1982年1月号
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| ラブ・ミー・テンダー || 十月の空(1984年)<br />吾妻ひでお童話集(1996年) || 1982年5月号
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| ストレンジ・フルーツ || 十月の空(1984年)<br />吾妻ひでお童話集(1996年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 1982年9月号
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| ジャアクダブラー || 十月の空(1984年)<br />贋作ひでお八犬伝(1985年) || 1983年1月号
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| MAIDO ONAJIMI || rowspan="2"|ミニティー夜夢(1984年 双葉社) || 1983年5月号
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| 野獣の檻 || 1983年9月号
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| ガデム || 十月の空(1984年)<br />吾妻ひでお童話集(1996年)<br />陽射し -reissue-(2018年) || 1984年1月号
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| 横穴式 || 十月の空(1984年)<br />夜の魚(1992年)<br />吾妻ひでお童話集(1996年) || 1984年5月号
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| ひでお童話集 || ひでお童話集(1984年 双葉社)<br />吾妻ひでお童話集(1996年) || 1984年9月号
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| KOTATU || 贋作ひでお八犬伝(1985年) || 1985年3月号
|}
== スター・システム ==
{{出典の明記|date=2014年3月|section=1}}
吾妻ひでおは[[手塚治虫]]的な[[スター・システム (小説・アニメ・漫画)|スター・システム]]を使ったことでも知られている。ただし、彼の使うスター的キャラクターは変態的、あるいは病的であり、それが特徴でもある。以下に代表的なものを挙げる。
; 吾妻ひでお
: 作者の戯画化である。「あじましでお」「あるまじろお」などさまざまな呼称が使われる。北海道出身の知人からもらったリンゴ箱を机代わりとして執筆。右目の方が大きく(これは「二重瞼」の表現である。)、ぼさぼさ髪。とてもいじましく、すぐに落ち込む。ロリコン。唐突に顔を出す例が多いが、『ドクターアジマフ』シリーズなどで主役を張っている。登場する際、髪型が違ったりヒゲがあったりなかったりする。
:現実→キャラへのベクトルが高いと髪の毛がベタ黒で無精ひげなど表れる。
; 三蔵
: 肥満体ではげ頭に[[サングラス]]をかけている。名前の由来は、そもそもは『きまぐれ悟空』で[[三蔵法師]]として登場したため。とにかく素直にスケベ。後に『エスパー三蔵』で主役を張り、『[[チョコレート・デリンジャー]]』ではあらゆる変態技を駆使する一方で家庭持ちの中年男の悲哀をも表現した。
; 不気味
: やや長髪の下に三白眼、それにマスクをしているやせぎすの男。常に落ち込んでおり、口数少ない。マゾヒスティック。初登場の「ゴタゴタマンション」では“無気味”と表記されていた。「不気味が走る」「とつぜんDr.」で主役を張った。なお、「ドクターアジマフ」シリーズなどに登場するR.ブキミは本キャラクターをリデザインしロボット化したものだが、設定上は別個のキャラクターである。
; ナハハ
: 禿頭、肥満体、大きく見開いた眼、[[カタレプシー]]のために開いたままの口。あらゆる表情を示さない。吾妻ひでおキャラでもっとも非人間的とも言える。名前は笑い方から。初登場は「おしゃべりラブ」の大家。大家は彼の定番。「シッコモーロー博士」では天才的科学者として主役を張る。ちなみにカタレプシーで口を開いたままのキャラクターは吾妻作品に頻出する。彼には家族が存在しており、妻は大蛇、長男はトラウマ、次男は忍者である。
;伊藤
:モブキャラクター。通行人。彼以外にも多数の名も無きモブキャラが、スターシステムとして数多くの作品に登場する(それらのモデルは吾妻と共に北海道から上京してきた友人たち)。
なお、三蔵、不気味、ナハハは吾妻ひでおの三大変態キャラとも言われる。これが総出演したのが「ひでお童話集」の「3人の王子」で、そこではこの順に「上の王子は変態性欲、次の王子は変態の上に変な顔、下の王子はなんだかわからないもの」と称されている。
== 交友・影響関係 ==
=== 影響を受けた人物 ===
; [[松久由宇]]
: [[北海道浦幌高等学校]]時代の同級生。天才的に漫画が上手く、吾妻がプロの漫画家を目指す動機を作った。
; [[板井れんたろう]]
: アシスタントとして師事し、「笑い目で泣く」「笑い目で汗をかく」という表現法の影響を受けた(これは[[高橋留美子]]らにも遺伝している)。板井の漫画『ドタマジン太』には吾妻をモデルにした「ヒデ公」が登場する。
; [[手塚治虫]]
: 手塚流のスター・システムの影響を受け、作品中に作者の分身(あじましでお)などを頻繁に登場させた。吾妻は、強弱の無い線と丸っこい絵柄は手塚の影響であると語っている<ref>『月刊スパイ』1991年6月号 特集:手塚治虫の研究 神の眼と虫の眼</ref>。手塚も生前、吾妻の作品を高く評価しており、吾妻の漫画について「全体の雰囲気が非常に今風の、シンセサイザーのような作品」と評している<ref>{{Cite book |和書 |author=小池一夫|authorlink=小池一夫|year=2013 |title=小池一夫対談集 キャラクター60年 |publisher=[[小池書院]] |page=14|isbn=9784862258656 }}</ref>。
; [[石ノ森章太郎]]
: アマチュア時代に石ノ森の『少年のためのマンガ家入門』を愛読。高校時代の絵柄は石ノ森のマネだったと「私はこうしてマンガ家した」で述懐した。女の子をかわいく描くことに注力したのも石ノ森の影響だという。「手塚さん以上の影響を受けたかもしれない」とインタビューで発言している{{Sfn|逃亡日記|2007|loc=あづま史略年表}}。「プランコ君」では「ファンタジーワールド・ジュン」のパロディを試みている。
; [[筒井康隆]]
: 熱心なファンで、形式破壊・不条理・スラップスティック(ドタバタ)というスタイルを受け継ぐ。インタビューでそれを指摘された際、「筒井さんに近づけた」と喜んだというエピソードがある。
; [[永井豪]]
: 影響を受けた漫画家の一人。『不条理日記』で、永井の作品『[[真夜中の戦士]]』のパロディシーンがある。また、吾妻は自身の漫画制作チームを「無気力プロダクション」と称していたが、これは永井が設立した漫画制作プロダクション「ダイナミックプロ」をもじったものである。
=== 影響を与えた人物 ===
; [[悟東あすか]]
: 小学生時代から吾妻家に出入りし、吾妻ひでおから直接漫画の描き方を教わった。
; [[庵野秀明]]
: アマチュア時代に制作した『[[DAICON FILM|DAICON]] III オープニングアニメ』(1981年)に、科特隊姿の不気味やナハハ、ゴモラの格好をした三蔵を登場させた。
; [[竹本泉]]
: 仕事中は影響されないように吾妻作品を読まないようにしている{{Sfn|河出書房|2011|p=61}}。「エロとグロのない吾妻ひでお」と呼ばれたことがある。
; [[坂本龍一]]
: 1981年[[小学館]]から刊行された「[[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]]写真集 OMIYAGE」で好きなもの・興味のあるものを列挙した写真の中に吾妻の作品「海馬」の1コマがあり、「今一番自分に近いものを感じる人」とコメントしている。同年、[[東京三世社]]「少年少女SFマンガ競作大全集」誌上で吾妻ファンとしてインタビューに応じている。なお、吾妻の長男は坂本にちなんで名付けられた。
; [[水田恐竜]]
: 作者の単行本「[[オトナのお菓子]]」の質問コーナーで吾妻ひでおが好きな漫画家に入っている他、単行本「[[天空の乙姫たち]]」ではあとがきに「私の尊敬する吾妻ひでお先生にオビを書いていただいて、これだけでもマンガ家やっていてよかった」とコメントしている。
; [[リアド・サトゥフ]]
: [[フランス]]の漫画家リアド・サトゥフは吾妻ひでおから影響を受けたことを公言しており、『失踪日記』が『[[未来のアラブ人]]』の創作意欲を刺激したと述べている<ref>{{Cite web|和書|author=朴順梨 |date=2019-12-01 |url=https://www.huffingtonpost.jp/entry/riad_jp_5ddf845de4b00149f729ba96 |title=『未来のアラブ人』として育てられた少年は、フランスで漫画家になった。 |publisher=[[ハフポスト]] |accessdate=2019-12-14}}</ref>。
; [[吉田秋生]]
: 早くから吾妻ファンを公言していた。その縁で、「奇想天外臨時増刊号 吾妻ひでお大全集」で吾妻と対談している
ほかにも、吾妻ファンであることを公言したことのある人物は、[[安彦良和]]、[[亀和田武]]、[[川又千秋]]、[[柴門ふみ]]、[[高橋留美子]]、[[山本直樹]]、[[諸星大二郎]]、[[まつもと泉]]、[[和田慎二]]などと、枚挙にいとまがない。
=== 友人など ===
; [[いしかわじゅん]]
: ギャグマンガ家同士の「抗争」相手として、吾妻作品にさかんに登場。[[高信太郎]]はふたりを「リトル・メジャー」(いしかわ)、「ビッグ・マイナー」(吾妻)と評した。いしかわは吾妻への評をひそかにうらやんだ<ref>『夜の魚』 太田出版、1992年。[[いしかわじゅん]]による解説「アミダクジの果て」</ref>。手塚治虫はふたりの仲の良さをからかって、当時連載していた漫画「[[七色いんこ]]」(秋田文庫版4巻に収録)に高校の校長役(吾妻)と番長の彼女の母親役(いしかわ)として登場させ、[[接吻|キス]]をさせたのち[[結婚]]させた。
; [[大友克洋]]
: いしかわ・吾妻とともに、SFマンガ・[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]の御三家と呼ばれた。
; [[橋本治]]
: 早い時期から吾妻を高く評価しており、著書『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』で作品論を執筆している。
; [[谷山浩子]]
: 古くから交流があり、1984年に谷山が書いた詩を思わせるような文章に吾妻がコマ画をつける形式で合作漫画『輪舞 -ロンド-』を発表している。
; [[とり・みき]]
: 熱心な吾妻ファン。1995年に吾妻と対談した際、「失踪の話はキャラクターを猫にして…」と言った吾妻に対し、「吾妻さんが(ゴミ箱を)あさったほうが面白いですよ(笑)」と進言した<ref>『マンガ家のひみつ』 徳間書店、1997年。</ref>。吾妻はとりの意見も参考にして『失踪日記』を執筆したことをのちの対談で明らかにしている{{Sfn|失踪日記|2005|loc=巻末対談}}。
; [[沖由佳雄]]
: 吾妻の元アシスタントで、同人誌『[[シベール (同人誌)|シベール]]』では[[編集長]]を務めた。『オリンポスのポロン』のエロースや、『[[ななこSOS]]』のDr.チャバネのモデル。
; [[蛭児神建]]
: 『シベール』の同人。『ななこSOS』『スクラップ学園』などに登場した“変質者”のモデル。蛭児神の著書『出家日記―ある「おたく」の生涯』出版の際は吾妻が出版社との間をとりもった。
; [[米澤嘉博]]
: 『[[月刊OUT]]』『[[ぱふ]]』の吾妻特集、[[奇想天外 (SF雑誌)|奇想天外]]臨時増刊『吾妻ひでお大全集』での吾妻へのロングインタビューなどの記事・評論を執筆した。米澤が持つペンネームの一つ「阿島俊」はもともと吾妻作品の評論を執筆する際のペンネームであった。自らが所属する「[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]」が『[[劇画アリス]]』の編集を請け負ったこともある(吾妻は『るなてっく』を執筆)。私的な交友もあり、『ぶらっとバニー』に登場した食えないアニメーターは米澤の似顔絵を基にしたキャラクターである。
; [[中山星香]]
: 吾妻とは『[[月刊プリンセス]]』連載時からの顔なじみである。吾妻は『シベール』の創刊準備号に、中山星香が矢吹れいこ名義で発表した『[[日ペンの美子ちゃん]]』のパロディ漫画を描いたが、吾妻は矢吹れいこが中山星香の別名義であるということを近年まで知らなかったというエピソードがある{{Sfn|河出書房|2011|p=30}}。
; [[萩尾望都]]
: 吾妻は妻の影響で1972 - 1973年頃から萩尾の少女漫画を読み始め、次第に熱中するようになり、[[竹宮惠子]]、[[木原敏江]]といった他の少女漫画家作品にも手を出すようになった{{Sfn|河出書房|2011|p=27}}。その後、吾妻と萩尾は二度合作漫画を描き、また、対談も行うなど<ref>『10月の少女たち』p.336</ref>、吾妻と関係の深い人物となっている。
== 受賞歴 ==
=== 国内 ===
* 第10回[[星雲賞]]コミック部門受賞(『不条理日記』)
* 第34回[[日本漫画家協会賞]]大賞受賞(『失踪日記』){{Sfn|失踪日記|2005|p=196}}
* 平成17年度(第9回)[[文化庁メディア芸術祭マンガ部門]]大賞受賞(『失踪日記』){{Sfn|失踪日記|2005|p=196}}
* 第10回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞受賞(『失踪日記』)
* 第37回星雲賞ノンフィクション部門受賞(『失踪日記』)
* 第40回[[日本SF大賞]]功績賞<ref>{{Cite web|和書|date=2020-02-23|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55991040T20C20A2CR8000/ |title=SF大賞に小川一水さんら |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=2020-03-01}}</ref>
=== 海外 ===
* [[アングレーム国際漫画祭]]公式セレクション(2008年、『失踪日記』)<ref>{{Cite web|和書|date=2008-01-19 |url=https://animeanime.jp/article/2008/01/19/2676.html |title=仏アングレーム公式作品に日本の6作品「デスノート」「失踪日記」等 |publisher=[[イード (企業)|アニメ!アニメ!]] |accessdate=2019-10-21}}</ref>
* [[ニューヨーク・マガジン]]2008年文化賞 グラフィックノベル部門1位(『失踪日記』)<ref>{{Cite web |date=2008-12-05 |url=http://nymag.com/arts/cultureawards/2008/52771/ |title=The Top Ten Graphic Novels - The 2008 Culture Awards|website=[[ニューヨーク・マガジン]] |accessdate=2020-01-04}}</ref>
* [[グラン・グイニージ|グラン・グイニージ賞]]受賞(2019年、『失踪日記』)
* [[フメットロジカ]] - 2019年の外国のグラフィックノベル ベスト10(『失踪日記』)<ref>{{Cite web |date=2019-12-06 |url=https://www.fumettologica.it/2019/12/migliori-graphic-novel-stranieri-2019/ |title=I 10 migliori graphic novel stranieri del 2019 |website=[[フメットロジカ]] |accessdate=2020-01-04}}</ref>
* [[イグナッツ賞]]ノミネート(『失踪日記』)<ref name=animenewsnetwork/>
== 単行本リスト ==
* [[ふたりと5人]]([[秋田書店]]、少年チャンピオンコミックス全12巻 1974年5月 - 1976年12月)
* おしゃべりラブ(秋田書店、プリンセスコミックス全2巻 1976年4月 - 1977年11月)
* シッコモーロー博士([[朝日ソノラマ]]、サンコミックス全1巻 1976年9月)
* きまぐれ悟空(朝日ソノラマ、サンコミックス全2巻 1977年3月)
* ちびママちゃん(秋田書店、少年チャンピオンコミックス 1977年5月 - 1978年3月)
* エイト・ビート(朝日ソノラマ、エイト・ビートサンコミックス全2巻 1977年6月)
* みだれモコ([[双葉社]]、パワァコミックス全1巻 1977年9月)
* チョッキン(秋田書店、 少年チャンピオンコミックス全4巻 1977年10月 - 1978年7月)
* [[やけくそ天使]](秋田書店、秋田漫画文庫全5巻 1977年10月 - 1980年5月)
* セクシー亜衣(朝日ソノラマ、 サンコミックス全1巻 1978年3月)
* ネムタくん([[講談社]]、KCコミックス全2巻 1978年4月 - 1978年7月)
* [[オリンポスのポロン]](おちゃめ神物語コロコロポロンのタイトルでアニメ化)(秋田書店 プリンセスコミックス全2巻 1979年6月 - 7月)
* パラレル狂室([[奇想天外社]]、奇想天外コミックス全1巻 1979年6月)
* 吸血鬼ちゃん(奇想天外社、奇想天外コミックス全1巻 1979年8月)
* [[不条理日記]](奇想天外社、奇想天外コミックス全1巻 1979年12月)
* 吾妻ひでおに花束を([[米澤嘉博|虎馬書房、阿島俊編・大日本吾妻漫画振興会]]、1979年12月)
* やどりぎくん(秋田書店、少年チャンピオンコミックス全1巻 1980年1月)
* 人間失格([[東京三世社]]、マイコミックス全1巻 1980年3月)
* 美美(朝日ソノラマ、サンコミックス全1巻 1980年3月)
* メチル・メタフィジーク(奇想天外社、奇想天外コミックス 吾妻ひでお作品集1(SFギャグ傑作集) 1980年7月)
* 贋作ひでお八犬伝 (奇想天外社、奇想天外コミックス 吾妻ひでお作品集2(マジカル・ミステリー伝奇ギャグ) 1980年8月)
* アニマル・カンパニー(東京三世社、マイコミックス全1巻 1980年9月)
* ぶらっとバニー([[徳間書店]]、アニメージュコミックス全2巻 1980年10月 - 1982年6月)
* 格闘ファミリー(奇想天外社、奇想天外コミックス 吾妻ひでお作品集3(少年漫画傑作集) 1980年10月)
* [[翔べ翔べドンキー]](秋田書店、プリンセスコミックス全1巻 1980年11月)
* ざ・色っぷる(奇想天外社、奇想天外コミックス 吾妻ひでお作品集4(初期傑作集) 1980年12月)
* スクラップ学園(秋田書店、秋田漫画文庫全3巻 1981年1月 - 1983年6月)
* 吾妻ひでお大全集([[阿島俊]]編、[[奇想天外]]・臨時増刊号 - 1981年5月)
* PAPER NIGHT(東京三世社、少年少女SFマンガ競作大全集増刊号 1981年3月)
* [[好き! すき!! 魔女先生]] (徳間書店、アニメージュコミックス全1巻 1981年4月)
* 陽射し(奇想天外社、全1巻 1981年7月)
* 妖精の森(虎馬書房、全1巻 1981年7月)※同人誌。
* ミャアちゃん官能写真集(自費出版、全1巻 1981年8月)
* [[魔法使いチャッピー]](徳間書店、アニメージュコミックス全1巻 1981年9月)
* [[やけくそ黙示録]](朝日ソノラマ、サンコミックス全1巻 1982年1月)
* 海から来た機械(奇想天外社、全1巻 1982年3月)
* 仁義なき黒い太陽 ロリコン編 「ロリコン大全集」([[群雄社出版]] 1982年5月31日(「ミニティー夜夢」秋田書店 PLAY COMICS SERIES 1984年12月30日発売に再録)
* ハイパードール(秋田書店、プレイコミックシリーズ全1巻 1982年6月)
* ぶつぶつ冒険記(東京三世社、 マイコミックス全1巻 1982年8月)
* [[チョコレート・デリンジャー]](秋田書店、プレイコミックシリーズ全1巻 1982年8月)
* マジカルランドの王女たち([[サンリオ]]、全1巻 1982年12月)
* ぱるぷちゃんの大冒険 THE ADVENTURE OF AMAZING BEAUTY PULP ぱるぷ 1983/2/25
* [[ななこSOS]](アニメ化)([[光文社]]、ジャストコミック増刊全5巻 1983年6月 - 1986年7月)
* [[オリンポスのポロン|おちゃめ神物語コロコロポロン]](アニメ化にあわせて連載されたもの) 100てんランドコミックス全1巻(双葉社、1983年7月)
* ミャアちゃんラブワールド(秋田書店、BEST HIT SERIES全1巻 1983年7月)
* ななこMY LOVE 吾妻ひでお(光文社、イラスト・ブック ジャストコミック増刊 1983年11月)
* ひでおコレクション 1 ひでお童話集 双葉社(アクションコミックス) 1984/11/1
* ひでおコレクション 2 十月の空 双葉社(アクション コミックス) 1984/11/1
* 魔ジョニア❤いぶ(秋田書店、プレイコミックシリーズ全1巻 1984年10月)
* ひでおコレクション 3 すみれ光年 双葉社(アクションコミックス) 1984/12/1
* ミニティー夜夢(秋田書店、プレイコミックシリーズ全1巻 1984年12月)
* ひでおコレクション 4 天界の宴 双葉社(アクションコミックス) 1985/1/1
* ひでおコレクション 5 大冒険児 双葉社(アクションコミックス) 1985/2/1
* コミコミ特別編集 吾妻ひでおスペシャル 白泉社 1985/2/10
* 大冒険児(双葉社、アクションコミックスHideo Collection 5 1985年3月)
* ひでおコレクション 6 陽はまた昇る 双葉社(アクション コミックス) 1985/3/1
* あめいじんぐマリー(秋田書店、プレイコミック ひでおランド1 1985年4月)
* ひでおコレクション 7 ときめきアリス 双葉社(アクションコミックス) 1985/4/1
* 贋作ひでお八犬伝 秋田書店(プレイコミックス ひでおランド2) 1985/5/1
* ぱるぷちゃんの大冒険(ぱるぷ、ぱるぷコミックス全1巻 1985年6月)
* 幕の内デスマッチ!!([[白泉社]]、ジェッツコミックス全1巻 1985年9月)ISBN 4592130650
* Oh!アヅマ([[ぶんか社]]、ぶんかコミックス全1巻 1995年8月)ISBN 4821194406
* [[夜の魚]]([[太田出版]]、太田COMICS―芸術漫画叢書 1992年9月)ISBN 4872330749
* 銀河放浪([[マガジンハウス]]、マグコミックス全2巻 1995年9月 - 1997年9月)ISBN 4838707142<nowiki/>ほか
* ななこSOS([[マガジンハウス]]、マグコミックス全5巻 1996年)
* ぶらっとバニー([[マガジンハウス]]、マグコミックス全2巻 1997年)
* 幕の内デスマッチ!!([[マガジンハウス]]、マグコミックス全1巻 1997年)
* メチル・メタフィジーク([[マガジンハウス]]、マグコミックス全1巻 1997年)
* 贋作ひでお八犬伝([[マガジンハウス]]、マグコミックス全1巻 1998年)
* 格闘ファミリー([[マガジンハウス]]、マグコミックス全1巻 1998年)
* 二日酔いダンディー([[マガジンハウス]]、マグコミックス全1巻 1999年)
* アズマニア([[早川書房]]・ハヤカワ文庫JA、全3巻 1996年3月 - 7月)ISBN 4150305439<nowiki/>ほか
**『ぶつぶつ冒険記他』『不条理日記他』『やけくそ黙示録他』
* ネオ・アズマニア(早川書房・ハヤカワコミック文庫、全3巻 2006年11月 - 2007年1月)ISBN 4150308675<nowiki/>ほか
**『メチル・メタフィジーク』『ハイパードール』『ぱるぷちゃんの大冒険』
* クラッシュ奥さん(ぶんか社、ぶんか社コミックス全2巻 1998年8月 - 2002年3月)ISBN 4821196913<nowiki/>ほか
* 二日酔いダンディー(マガジンハウス、マグコミックス全1巻 1999年3月)ISBN 4838711387
* 吾妻ひでお童話集 筑摩書房・ちくま文庫 1996年12月
* 吾妻ひでおの不自由帖([[まんだらけ]]、全1巻 1999年12月)
* エイリアン永理(ぶんか社、ぶんか社コミックス全1巻 2000年4月)ISBN 4821198193
* 産直あづまマガジン - (自費出版、2001年7月 - )
* 輪舞 -ロンド- 完全復刻版 (作詞・[[谷山浩子]]、SFアラモード、2005年2月) ※通信販売
* [[失踪日記]]([[イースト・プレス]]、2005年3月)ISBN 4872575334
* うつうつひでお日記 ([[角川書店]]、2006年7月)ISBN 4048539779
** うつうつひでお日記 DX (角川グループパブリッシング・角川文庫、2008年8月) ISBN 4041600561<nowiki/>ほか
* うつうつひでお日記 その後 (角川グループパブリッシング、2008年9月)ISBN 9784048542463
* 逃亡日記 ([[日本文芸社]]、2007年1月)ISBN 4537254653
* [[地を這う魚]] ひでおの青春日記 (角川書店、2009年3月)ISBN 9784048541442 のち角川文庫
* [[オリンポスのポロン]] (1) - (2) (早川書房・ハヤカワコミック文庫、2005年2月 - 2007年1月)ISBN 4150307822<nowiki/>ほか
* [[ななこSOS]] (1) - (3) (早川書房・ハヤカワ文庫JA、2005年3月 - 5月)ISBN 4150307865<nowiki/>ほか
* ときめきアリス 定本(チクマ秀版社、2006年6月)ISBN 480500455X
* 夜の帳の中で 吾妻ひでお作品集成 (チクマ秀版社、2006年8月)ISBN 4805004568
* 便利屋みみちゃん (ぶんか社、2006年10月)ISBN 482118351X
* チョコレート・デリンジャー ([[青林工藝舎]]、2008年1月)ISBN 978-4883792573
* ぶらっとバニー完全版(徳間書店、全2巻、2008年)
* 21世紀のための吾妻ひでお Azuma Hideo Best Selection [[山本直樹]]監修 河出書房新社– 2012/1/26
* ぶらぶらひでお絵日記 (角川書店、2012年2月)ISBN 9784041201152
* ポスト非リア充時代のための吾妻ひでお Azuma Hideo Best Selection [[菊地成孔]]監修 河出書房新社 2012/4/21
* よいこのための吾妻ひでお Azuma Hideo Best Selection [[とり・みき]]監修 河出書房新社 2012/7/25
* さまよえる成年のための吾妻ひでお Azuma Hideo Best Selection [[町田ひらく]]監修 2013/4/25
* あるいは吾妻ひでおでいっぱいの吾妻ひでお (Azuma Hideo Best Selection) [[中川いさみ]]監修 河出書房新書 2013/9/24
* [[失踪日記2 アル中病棟]] (イースト・プレス、2013年10月)ISBN 9784781610726
* カオスノート (イースト・プレス、2014年9月)ISBN 9784781612423
* ひみつのひでお日記 (角川書店、2014年9月)ISBN 9784041022634
* ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド([[復刊ドットコム]]、2015年2月)ISBN 9784835451817
* ワンダー・AZUMA HIDEO・ランド 2 ([[復刊ドットコム]]、2016年3月)ISBN 9784835453217
* 吾妻ひでお ベストワークス 悶々亭奇譚 復刊ドットコム 2016/9/17
* 吾妻ひでお ベストワークス2 ゆうれい日和 復刊ドットコム 2017/3/22
* 吾妻ひでおベストワークス3 スクラップ学園 上下 復刊ドットコム 2018/2-2018/33
* 不条理日記 完全版 復刊ドットコム 2019/9/20
* ななこSOS 完全版 コミック 全3巻セット 復刊ドットコム 2020/2/16
=== 共著 ===
* まるまる新井素子 シャピオ(別冊SFイズム 1) 1983/5/20
* ひでおと素子の愛の交換日記<正・続・新>([[新井素子]]との共著)
* 実録!あるこーる白書([[西原理恵子]]との対談。協力、[[月乃光司]])
=== イラスト提供作品 ===
* バイバイ スクール -学校の七不思議事件-([[はやみねかおる]]作、わくわくライブラリー、青い鳥文庫)
* オタカラ ウォーズ -迷路の町のUFO事件-(はやみねかおる作、わくわくライブラリー)(ハードカバー版のみ)
* [[BH85]] ([[森青花]]作、[[新潮社]])
* ……絶句 上・下 (新井素子著、ハヤカワ文庫)
* ふたりのかつみ (新井素子著、角川書店)
* [[草上仁]]の [[ハヤカワ文庫|ハヤカワSF文庫]]作品
* マッドサイエンス入門([[堀晃]]著、新潮文庫)
* [[いさましいちびのトースター]] ([[トマス・M・ディッシュ]]著/[[浅倉久志]]訳)(ハードカバー版のみ)
* いさましいちびのトースター火星にいく ([[トマス・M・ディッシュ]]著/[[浅倉久志]]訳)(ハードカバー版のみ)
* 恋愛詐欺師 ([[岩井志麻子]]著、文藝春秋)
* へろ (クルムヘトロジャン作、知佳舎ウロン文学選集11、自費出版)
* ふるむまかをめら (ベーホ作、知佳舎ウロン文学選集19、自費出版)
* 時空の支配者 ([[ルーディ・ラッカー]]著/[[黒丸尚]]訳/新潮文庫)ラッカーの初長編翻訳作品
* わたしは可愛い三月兎([[仙波龍英]]著、歌集)
=== その他の仕事 ===
* 特撮ドラマ『[[好き! すき!! 魔女先生]]』 アンドロ仮面コスチュームデザイン(1971 - 1972年)
* 早稲田外語の英語教則本 ヘイスティデザイン(1972 - 1973年)
* 特撮番組『[[ぐるぐるメダマン]]』 キャラクターデザイン、アイキャッチのイラスト(1976年)
* 劇場版『[[クラッシャージョウ#アニメ|クラッシャージョウ]]』(1983年、[[松竹富士]]系)※アニメ映画。スペシャル・デザイン(クルップアウチ)
* ガス屋のガス公(1993年2月号 [[東京ガス]]社内報)
* [[リプレイ (ゲーム)|ゲームリプレイ]]『[[空軍大戦略 (ゲーム)|空軍大戦略]]』([[上崎洋一|猿1号]]著、1994年4月号 - 10月号、[[角川書店]]月刊[[コンプティーク]])※キャラクターデザイン、挿絵、[[一コマ漫画]]
* アル中くん(刈谷病院の情報誌 「ハーモネット」<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kariya-hp.or.jp/harmonet|title=情報誌「ハーモネット」 - 医療法人 成精会 刈谷病院 【神経科・精神科】|accessdate=2019-10-25|publisher=}}</ref> 第17号2014年7月 - 第21号2016年7月)
* 『[[諸星大二郎]] デビュー50周年記念 トリビュート』 特別参加<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/444103|title=浦沢直樹、萩尾望都、星野之宣、山岸凉子らが描き下ろし「諸星大二郎トリビュート」|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-09-07|accessdate=2021-09-07}}</ref>(河出書房新社、2021年)
=== 他の漫画家によるリメイク ===
* 海から来た機械([[古屋兎丸]]著『Garden』に収録、イースト・プレス)
=== 単行本未収録作品 ===
*{{要校閲範囲|date=2023年4月|未発表作品}}
**最期の男(1966年?)
**殺し屋マック(1968年?)
**すぷりんぐ(1969年?(「文藝別冊 吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪」にて初掲載))
**我れらのアイドル ポップタン(1969年?)
**由紀子の肖像(1971年(「奇想天外臨時増刊号 吾妻ひでお大全集」にて初掲載))
**カラス(1972年(「吾妻ひでおに花束を」にて初掲載))
**つばさ(1979年(「奇想天外臨時増刊号 吾妻ひでお大全集」にて初掲載))
**チーねずみ(1980年5月?(「文藝別冊 吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪」にて初掲載))
*リングサイドクレイジー(1969年 まんが王)※デビュー作
*ミニミニマンガ(1969年 [[週刊少年サンデー]])
*エスパー六大超能力!(1970年 まんが王)
**宇宙ラッシュ!(1970年 まんが王)
**人類抹殺作戦(秘)指令「Z」(1970年 まんが王)
*葉がくれマック(1970年 週刊少年サンデー)
*高校生無頼帳 求めよさらば…(1972年 トップコミック)
*フータロウ(1972年 [[冒険王 (漫画雑誌)|冒険王]])
*ネズミのデイト(1972年 [[週刊少年マガジン]])
*どっこいドジ太(1973年〜1974年(全6回) 小学館Book)
*色情狂室(1974年(全7回) マンガストーリー)
*らりるれラリ子(1975年 週刊少年サンデー)
*天災は駆け足でやってくる(1975年 [[ビッグコミックオリジナル]])
*恋人がいっぱい(1976年 [[週刊明星]])
*野生の王国(1976年 週刊明星)
*雪の日の物語(1976年 週刊少年サンデー)
*いちヌケ君(1978年(全3回) 高2コース)
*多目的せーせーかつ入門(1979年、1980年 BOMB!、ぱふ)
*ぬいぐるみ殺人事件(1984年(第3話)漫画の手帖)
*でんじゃらすももちゃん(1993年〜1995年 モノ・マガジン)
*あづま童話(2002年、[[みこすり半劇場]]別館)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist|2|refs=
<ref name="大全集">奇想天外臨時増刊号「吾妻ひでお大全集」</ref>
}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=吾妻ひでお |year=2005 |title=失踪日記 |publisher=[[イースト・プレス]] |isbn=978-4872575330 |ref={{Sfnref|失踪日記|2005}} }}
* {{Cite book|和書|author=吾妻ひでお |year=2007 |title=逃亡日記 |publisher=[[日本文芸社]] |isbn=978-4537254655 |ref={{Sfnref|逃亡日記|2007}} }}
* {{Cite book|和書|author1=大塚英志|authorlink1=大塚英志|author2=ササキバラ・ゴウ|authorlink2=ササキバラ・ゴウ |title=教養としての〈まんが・アニメ〉 |year=2001 |series=講談社現代新書 |publisher=[[講談社]] |isbn=978-4061495531 |ref={{Sfnref|大塚ほか|2001}} }}
* 大塚英志「吾妻ひでおの「現在」」『[[Comic新現実]]』Vol.3、[[角川書店]]、[[2005年]]
* {{Cite book|和書|title=文藝別冊 吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪 |publisher=河出書房新社 |series=KAWADEムック |year=2011 |isbn=978-4309977492 |url= http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309977492/ |ref={{Sfnref|河出書房|2011}} }}
* {{Cite book|和書|title=実録!あるこーる白書 |author1=吾妻ひでお|author2=西原理恵子|authorlink2=西原理恵子 |year=2013 |publisher=[[徳間書店]] |isbn=978-4198635862 |ref={{Sfnref|あるこーる白書|2013}} }}
* {{Cite book|和書|author=吾妻ひでお |year=2013 |title=失踪日記2 アル中病棟 |publisher=[[イースト・プレス]] |isbn=978-4781610726 |ref={{Sfnref|失踪日記2 アル中病棟|2013}} }}
== 外部リンク ==
* [http://azumahideo.sitemix.jp/ 吾妻ひでお official homepage]
* {{Twitter|azuma_hideo}}
* [https://www.sankei.com/entertainments/news/191021/ent1910210002-n1.html 「失踪日記」の漫画家、吾妻ひでおさん死去(産経新聞記事,2019年10月21日)]
* [https://www.tokyo-danshu.or.jp/know/taiken/0705ah.html 「断酒を続けてえられた評価」、発表者A・H 所属 練馬断酒会、酒害体験談(2008年7月5日、NPO法人東京断酒新生会)]
;対談・インタビュー
* {{Cite web|和書|url= http://matogrosso.jp/aruchu/aruchu-01.html |title=失踪日記2 アル中病棟を語る 吾妻ひでお×とり・みき |date=2013-10-03 |work=MATOGROSSO |publisher=[[イースト・プレス]] |accessdate=2016-07-23 |ref={{Sfnref|吾妻ひでお、とり・みき|2013}} }}
* {{Cite web|和書|url= http://matogrosso.jp/chaosnote/chaos-01.html |title=吾妻ひでおインタビュー 失踪日記、アル中病棟、そしてカオスノートへ |date=2014-08-28 |work=MATOGROSSO |publisher=イースト・プレス |accessdate=2016-07-23 |ref={{Sfnref|インタビュー|2014}} }}
{{吾妻ひでお}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:あつま ひてお}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:SF漫画家]]
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[[Category:日本のサブカルチャーに関する人物]]
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[[Category:1950年生]]
[[Category:2019年没]] | 2003-02-13T09:42:21Z | 2023-11-21T14:34:45Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%BE%E5%A6%BB%E3%81%B2%E3%81%A7%E3%81%8A |
1,262 | 銃士戦隊フランスファイブ | 『銃士戦隊フランスファイブ』(じゅうしせんたいフランスファイブ)は、日本の1980年代の同人作品『愛國戰隊大日本』に影響を受けてフランスで制作された自主制作映画および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称である。エピソード4以降、作品名は『新剣銃士フランスファイブ』(しんけんじゅうしフランスファイブ)に改題された。
『愛國戰隊大日本』だけでなく、東映のスーパー戦隊シリーズへの様々なオマージュが見られる。
フランスのBuki X-4 Productions製作で、オリジナル音声はフランス語である。公式サイトなどで作品が公開されている。また、製作スタッフと友好関係にある日本の同人サークルの手により、少数ながらビデオ化されている。ビデオの入手先は、同サークルがコミックマーケット等のイベントに出展する場合などに限られていたが、現在はYouTubeのフランスファイブ公式チャンネルで全エピソードとメイキング映像が無料公開されている。
自主制作としては完成度が高く、フランスを舞台にした独自のストーリーが巨大ロボットまで含めたスーパー戦隊シリーズのフォーマットで展開される。主題歌は、エピソード3までは第15作『鳥人戦隊ジェットマン』と第8作『超電子バイオマン』のリミックス曲に替え歌を乗せた物を付けていたが、エピソード4からは串田アキラが作詞・作曲・歌唱したオリジナル曲を使っている。これは、作品を見た串田の申し出によるそうである。作品中の音楽に関しても、エピソード2まではスーパー戦隊シリーズからの流用であったが、エピソード3からオリジナル曲を使用しており、以前のエピソードも差し替える予定だとしている。
エピソード1の公開は2000年。当初は1話限りの企画であったため、「戦隊ものドラマの中盤のエピソード」を感じさせる作りになっている。更に1年1話ペースで2004年のエピソード4まで制作・公開が続行され、2005年には完結編となるエピソードファイナルの撮影開始が告知された。その後、公式サイトの更新は2005年6月27日を最後に停止していたが、2012年5月12日、約7年ぶりの更新でエピソード5の完成が告知され、同年6月6日に公開となった。ただし、完結は当初の予定から変更されて先送りとなり、2013年4月29日公開のエピソード6にて改めて完結を迎えている。
2019年のJapan Expoで行われたトークショーにて、ピロー監督からコレクターボックスの制作を希望する旨の発言があり、2022年6月2日にBlu-rayボックスの発売予定が発表された。1300セット限定生産で、内容は全エピソードのHDリマスター映像と新規エピソード・メイキング等の特典映像を収録したBlu-rayディスク4枚組(リージョンフリー仕様)に、3枚組のサウンドトラックCD、特典設定資料集・写真集・架空のTVシリーズ脚本集(全51話分)の3冊子、DVDジャケット写真7枚、シリアルナンバー入りの証明書がセットとなっている。発売日は「Japan Expo 2022」の初日となる2022年7月14日で、予約者は宅配の他に同イベント会場での受け取りも可能とされた。
フランスファイブは、フランスのパリを本拠地として戦っている戦隊である。フランス人の中でもフランス人らしい彼らは、美しい故郷の星を守るため、侵略者と戦っている。悪の帝王グルー・マン・シュー率いるレクソス帝国は、既に地球以外の全ての星を支配下に置いており、最後に残った地球を征服しようと狙っている。だが、悪の帝国レクソス帝国の攻撃に対し、エッフェル塔から放出される力で地球は護られ、侵略者達は地球に長くいられず、地球を直接攻撃できない。このため、敵はあの手この手を使ってエッフェル塔の破壊を仕掛けてくるのであった。
自主製作映画でありスポンサー・玩具展開が存在しないため、フランスファイブの強化服は強化されたという設定でほぼ毎エピソード変わっている。
帝王グルー・マン・シュー率いる悪の組織。既に銀河系の地球以外の全ての星を支配下に置いており、最後に残った地球を征服しようと狙っている。小惑星に要塞基地を置いている。
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"text": "自主製作映画でありスポンサー・玩具展開が存在しないため、フランスファイブの強化服は強化されたという設定でほぼ毎エピソード変わっている。",
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"text": "帝王グルー・マン・シュー率いる悪の組織。既に銀河系の地球以外の全ての星を支配下に置いており、最後に残った地球を征服しようと狙っている。小惑星に要塞基地を置いている。",
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] | 『銃士戦隊フランスファイブ』(じゅうしせんたいフランスファイブ)は、日本の1980年代の同人作品『愛國戰隊大日本』に影響を受けてフランスで制作された自主制作映画および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称である。エピソード4以降、作品名は『新剣銃士フランスファイブ』(しんけんじゅうしフランスファイブ)に改題された。 『愛國戰隊大日本』だけでなく、東映のスーパー戦隊シリーズへの様々なオマージュが見られる。 | {{redirect|フランスファイブ|テレビ局「France 5」|フランス5}}
『'''銃士戦隊フランスファイブ'''』(じゅうしせんたいフランスファイブ)は、日本の1980年代の同人作品『[[愛國戰隊大日本]]』に影響を受けて[[フランス]]で制作された[[自主映画|自主制作映画]]および作中で主人公たちが変身するヒーローの名称である{{sfn|平侑子|張慶在|2014|p=62}}。エピソード4以降、作品名は『'''新剣銃士フランスファイブ'''』(しんけんじゅうしフランスファイブ)に改題された。
『愛國戰隊大日本』だけでなく、[[東映]]の[[スーパー戦隊シリーズ]]への様々な[[オマージュ]]が見られる。
== 概要 ==
フランスの[[Buki X-4 Productions]]製作で、オリジナル音声は[[フランス語]]である。公式[[ウェブサイト|サイト]]などで作品が公開されている。また、製作スタッフと友好関係にある日本の同人サークルの手により、少数ながらビデオ化されている。ビデオの入手先は、同サークルが[[コミックマーケット]]等のイベントに出展する場合などに限られていたが、現在は[[YouTube]]のフランスファイブ公式チャンネルで全エピソードとメイキング映像が無料公開されている。
自主制作としては完成度が高く、フランスを舞台にした独自のストーリーが巨大ロボットまで含めたスーパー戦隊シリーズのフォーマットで展開される。主題歌は、エピソード3までは第15作『[[鳥人戦隊ジェットマン]]』と第8作『[[超電子バイオマン]]』のリミックス曲に替え歌を乗せた物を付けていたが、エピソード4からは[[串田アキラ]]が作詞・作曲・歌唱したオリジナル曲を使っている。これは、作品を見た串田の申し出によるそうである。作品中の音楽に関しても、エピソード2まではスーパー戦隊シリーズからの流用であったが、エピソード3からオリジナル曲を使用しており、以前のエピソードも差し替える予定だとしている。
エピソード1の公開は[[2000年]]{{sfn|平侑子|張慶在|2014|p=62}}。当初は1話限りの企画であったため、「戦隊ものドラマの中盤のエピソード」を感じさせる作りになっている。更に1年1話ペースで[[2004]]年のエピソード4まで制作・公開が続行され、[[2005年]]には完結編となるエピソードファイナルの撮影開始が告知された。その後、公式[[ウェブサイト|サイト]]の更新は[[2005年]][[6月27日]]を最後に停止していたが、[[2012年]][[5月12日]]、約7年ぶりの更新でエピソード5の完成が告知され、同年[[6月6日]]に公開となった。ただし、完結は当初の予定から変更されて先送りとなり、[[2013年]][[4月29日]]公開のエピソード6にて改めて完結を迎えている。
[[2019年]]の[[Japan Expo]]で行われたトークショーにて、ピロー監督からコレクターボックスの制作を希望する旨の発言があり、[[2022年]][[6月2日]]に[[Blu-ray]]ボックスの発売予定が発表された。1300セット限定生産で、内容は全エピソードのHDリマスター映像と新規エピソード・メイキング等の特典映像を収録したBlu-rayディスク4枚組(リージョンフリー仕様)に、3枚組のサウンドトラックCD、特典設定資料集・写真集・架空のTVシリーズ脚本集(全51話分)の3冊子、DVDジャケット写真7枚、シリアルナンバー入りの証明書がセットとなっている。発売日は「Japan Expo 2022」の初日となる[[2022年]][[7月14日]]で、予約者は宅配の他に同イベント会場での受け取りも可能とされた。
== あらすじ ==
フランスファイブは、フランスのパリを本拠地として戦っている戦隊である。フランス人の中でもフランス人らしい彼らは、美しい故郷の星を守るため、侵略者と戦っている。悪の帝王グルー・マン・シュー率いるレクソス帝国は、既に地球以外の全ての星を支配下に置いており、最後に残った地球を征服しようと狙っている。だが、悪の帝国レクソス帝国の攻撃に対し、[[エッフェル塔]]から放出される力で地球は護られ、侵略者達は地球に長くいられず、地球を直接攻撃できない。このため、敵はあの手この手を使ってエッフェル塔の破壊を仕掛けてくるのであった。
== 特徴 ==
自主製作映画でありスポンサー・玩具展開が存在しないため、フランスファイブの強化服は強化されたという設定でほぼ毎エピソード変わっている。
== エピソード ==
#ヒプノストロムの出撃!迷子のガイド! (2000年)
#恐怖の怪獣DJ、ディスコストロム舞いおりる (2001年)
#イカサマを食い止めろ!毒獣はルールを狂わす(2002年)
#パリは燃えているか?迫る危機その名は「ザッカラル」! (2004年)
#さらば、フランスファイブ!栄光の日は来たれり!(2012年)
#「今回こそ・・・最期だ」アントワーヌよ、運命に立ち向かえ!(2013年)
== キャスト ==
[[ファイル:Gregory Goldberg 20061105 GAME in Paris 3 01.jpg|thumb|180px|グレゴリー・ゴールドバーグ]]
=== フランスファイブ ===
;アントワーヌ・デショーム/レッド・フロマージュ(セバスチャン・ルシェ)
:生真面目なフランスファイブのリーダー。武器はエピソード1では「レッド・ビーム」を放つピストル。エピソード2からは長剣「カマンブレード」。
;ティエリー・デュラン/ブラック・ボジョレー (グレゴリー・ゴールドバーグ)
:ボジョレー・ワイン城主の御曹司で誇り高き武道家。武器は二刀流の短剣「ダブル・ボジョレー・ブレード」。エピソード2以降は前後に刃を持つ双剣「ダブル・アルコール・中毒スラッシャー」。
;アルベール・デュマ/ブルー・アコーデオン (ダニエル・アンドレィエフ)
:音楽家の息子で音楽に造詣が深い。武器はエピソード1では弓の「ブルー・アーチェリー」。エピソード2以降は前後に刃を持つ双剣「アコーディオン・ブレード」。
;ジャン・ペトリ/イエロー・バゲット (トマ・ブルンベルグ)
:パン職人で、メンバーの中では最年少。ナンパ好きでやや無鉄砲。武器はエピソード1ではフランスパン型の大剣「ブレッド・カリバー」。エピソード2以降は棒の「ブレッド・オ・バゲット」。
;カトリーヌ・フォンテーン/ピンク・ア・ラ・モード (ウェンディ・ロウェルトゲン/ノルウェン・ダスト)
:ファッションモデルで、チームの紅一点。シルバー・ムスカテールに夢中だが、アラミスのことは大嫌い(同一人物であることを知らない)。武器はエピソード1では「ピンク・リボン」。エピソード2以降は三角定規型の「エケロ・ピンク」。エピソード4で配役が変更された。「新プレタコニェ・春夏コレクション」
=== フランスファイブの協力者 ===
;アリスティド・ブルゴンド[[教授]](ティボール・クレールデュエ)
:地球防衛軍からの極秘任務を受けてフランスファイブを含む「プロジェクト・ルージュ」を創設した天才科学者。
;マーガリン(エミリー・トール/クレマンス・ペロ)
:教授の助手の女性型アンドロイド。外見は何度もモデルチェンジされている。
;アラミス・レクレール/シルバー・ムスカテール(グレゴアール・ヘロー)
:正体不明の6人目の戦士。アントワーヌとは過去の経緯から微妙な関係である。
=== 帝国レクソス ===
帝王グルー・マン・シュー率いる悪の組織。既に銀河系の地球以外の全ての星を支配下に置いており、最後に残った地球を征服しようと狙っている。小惑星に要塞基地を置いている。
==== 首領・幹部 ====
;グルー・マン・シュー (ダビッド・ゲルー)
:レクソスの首領。絶対的な力で幹部たちを統率する。
;ワーデュック (ジャン-マルク・アンベール)
:曲刀を武器とするレクソスの幹部。闘うことが生き甲斐の肉体派戦士。
;エクスタジー (ナデジュ・ベサゲ/オレリー・モーリス)
:鞭を武器とする女幹部。なぜかアントワーヌに執着し仲間に引き入れようと画策する。エピソード2から配役が変更。
;カンクラレクス (オリビエ・ファレー)
:怪人達を作り出す科学者でグルー・マン・シューの侍従。長い爪が特徴。帝王にこびへつらい幹部たちをバカにしているが、臆病者で喋る際にはどもる。口癖は「にぇ〜」。
;ザッカラル (パトリック・ジオルダノ)
:グルー・マン・シューが新たに呼び寄せた幹部にして皇子。18人の兄弟の首を斬ったこともある残忍な性格で知謀・戦闘力にも優れ、味方からも恐れられる存在。
==== 戦闘員 ====
;パヌ
:甲高い声で「パヌー」としか喋らない戦闘員。
==== 怪人 ====
エピソード3までの怪人はカンクラレクスによって作られており、倒されるとカンクラレクスの儀式によって巨大化して復活する。
;ヒプノストロム(竹田順一)
:人間に憑依して操る能力を持つ。
;ディスコストロム(竹田順一)
:音波系の技を駆使し、フランスファイブの変身を妨害することもできる。人間体の時にはDJとして潜入している。
;トクシコストロム(竹田順一)
:化学物質によって人間を凶暴化させたり、注射器型の腕で相手のエネルギーを吸い取ることができる。改造後は毒ガスを噴射する能力も得た。
;ピロストロム(竹田順一/ニコラス・ロビン/その他)
:ザッカラルが連れてきた怪人。火炎を操る。カンクラレクス製でないせいか、巨大化することはない。
== メカ ==
;ジェット・シャルルマーニュ
:フランスファイブの母艦。
;フランス=ロボ
:フランスファイブの戦闘ロボット。ホーク・ダルタニャンとタンク・ジャンヌ・ダルクが変形合体した形態。剣「シラノ・ブレード」と盾「ヴォーバン・シールド」を装備する。
;シャンテクレール・マシーン
:シルバー・ムスカテールの鳥型マシーン。フランスの国鳥であるニワトリ型。なぜか日本風に「コケコッコー」と鳴く。
== 必殺技 ==
;三銃士アタック
:メンバーにかかわらず3人で連続攻撃する。エピソード1では素手、エピソード4ではレイピアも用いた。
;フランスキャノン
:5人で構える大砲を召喚し、「フランスビーム」を放つ。
;銃士ファイナル・ヘキサゴン・アタック
:フランス・ロボのシラノ・ブレードによって敵を六角形に切り裂く。
;オリンピック・クラッシャー
:光る球を召喚し、5種類の球技の動作で受け渡して攻撃する。
;ダブル・クー・モルテル・ドェ・ヌベール
:フランス・ロボのシラノ・ブレードによって敵の急所を一気に突く。
== 制作スタッフ ==
*アレクサンドル・ピロー(撮影監督、編集、作詞)
*ジョゼ・ベルネズ(録音)
*ピエール・モガール(CG、SFX)
*シリル・ランバン(撮影アシスタント他)
*グレゴワール・ヘロー(シナリオ、作詞、アラミス役)
*イヴ・ショヴィレ(デザイン)
*ジャン・ケール(ダイアログ)
*フレデリック・ホステイング(演技指導)
*ヤニック・ボピュイ(モンスター制作、ピンク、ブルーのスタント役)
*ダビッド・クバキ(モンスター制作、ヒーローマスク・アクセサリー制作、第2話ロボ制作、レッド役スーツアクター)
*竹田順一(第1話〜第3話プロデューサー、ヒーローマスク・アクセサリー制作、第1話〜第3話の怪獣役)
*グレゴリー・ゴールドバーグ(ヒーロー用武器・アクセサリー製作、ティエリー役、ブラック役スーツアクター)
*オレリー・モーリス(衣装制作、第2話以降エクスタジー役)
*レティシア・ジラール(衣装制作)
*オレリアン・フランソワ(レッド、ブラック、イエローのスタント役)
*ヤニック・ロウ(主題歌・ED主題歌・BGM作曲)
*オリビエ・ファレー(=ゴトゥーン)(歌唱、カンクラレクス役)
*[[串田アキラ]](エピソード4主題歌提供)
*[[レ・ロマネスク]](エピソード4挿入歌「愛の定理」提供、[[レ・ロマネスクTOBI]]敵の一味カマキリ男アゴニー役{{sfn|レ・ロマネスク|2015|p=13}})
== 参考資料 ==
*『よしだくんデラックス愛蔵版 新剣銃士フランスファイブ超大全集』(黒漫画党、2005年第三版、{{全国書誌番号|21317978}}、[[同人誌]]だが、[[国立国会図書館]]に所蔵されている)
* {{Cite journal|和書|author1=平侑子 |author2=張慶在 |title=児童用テレビ番組から見るテレビ番組「越境」のメカニズム : 韓国における「スーパー戦隊シリーズ」の受容を中心に |journal=国際広報メディア・観光学ジャーナル |NCID=AA1224631X |publisher=[[北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院]] |url=https://hdl.handle.net/2115/55173 |year=2014|issue=18 |pages=49-68 |id={{NDLBibID|025570154}} |naid=120005418083 |oclc=5607220182 |accessdate=2023-2-18 | ref = harv }}
* {{Cite book|和書|author1=レ・ロマネスク |authorlink1=レ・ロマネスク |year=2015 |title=ジュテームのコリーダ : レ・ロマネスクOfficial Guide Book |page=13 |publisher=[[扶桑社]] |url=https://books.google.co.jp/books?id=LY0lDwAAQBAJ&pg=PA13#v=onepage&q&f=false |isbn=9784594072636 |id={{NDLBibID|026399868}} |oclc=1041864051 |accessdate=2023-2-18 | ref = harv }}
== 脚注 ==
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<references />
== 関連項目 ==
*[[特撮]]
*[[スーパー戦隊シリーズ]]
*[[ゼネラルプロダクツ]]
*[[ガイナックス]]
== 外部リンク ==
*[http://www.francefive.com/newsite/index_jp.html 公式サイト](日本語版)
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[[Category:フランスのSF映画作品]]
[[Category:フランスのアクション・コメディ映画]]
[[Category:フランスのパロディ映画]]
[[Category:特撮映画]]
[[Category:変身ヒロイン]]
[[Category:パリを舞台とした映画作品]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%83%E5%A3%AB%E6%88%A6%E9%9A%8A%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%96 |
1,263 | 秋本治 | 秋本 治(あきもと おさむ、1952年〈昭和27年〉12月11日 - )は、東京都葛飾区亀有出身の日本の漫画家。デビュー時のペンネームは山止 たつひこ(やまどめ たつひこ)。
代表作は1976年から2016年まで40年間に亘って一度も休載せず続いた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(通称こち亀)。
本郷高校デザイン科卒業。自身を中心とする漫画制作集団「有限会社アトリエびーだま」の代表取締役。2019年に紫綬褒章を受章している。
9歳の時に父親と死別して以降、母親の手だけで育てられた。小学校3年生頃より漫画らしきものを描き始め、5年生の時に漫画家に憧れるようになり、ペンを買い久松文雄の『スーパージェッター』に似たものを描く。中学校に入り、母親に買ってもらった石森章太郎の『マンガ家入門』を擦り切れるまで読み、ペンの種類や描き方などを知る。この頃書きためた作品をまとめた個人誌「星」を製作する。高校のデザイン科に入学し、学友とともに「マンガ劇画同好会」を立ち上げるとともに同人サークル「CCマニア」に参加し、同人誌『でんでんむし』に作品を投稿していた。この頃の秋本の画風は周囲からの影響で劇画タッチだった。
高校卒業後、アニメーターを志し旧虫プロダクションのアニメーター採用試験を受けるも不合格であった。しかし旧虫プロダクションの紹介でタツノコプロに入社する。同社作品『カバトット』『かいけつタマゴン』『科学忍者隊ガッチャマン』などで2年間動画などを務めた。当時は同社の演出家だった布川ゆうじと共に仕事をしている。しかし仕事が多忙となり、病気で入院していた母の看病が週1度の頻度しか出来なくなったため退社。その後は「CCマニア」解散後に残った仲間と「漫画創作倶楽部」を結成。母の看病をしつつ、しばらく投稿漫画家生活を送る。
母の死をきっかけに1976年(昭和51年)、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を新人賞に応募する(以下こち亀)。月例ヤングジャンプ賞入選作品(4月期)に選ばれ、山上たつひこの名前をもじった「山止たつひこ」の名義で、『週刊少年ジャンプ』29号(6月22日発売)に読切として掲載される。賞へ応募した際のペンネームは、さらに石ノ森章太郎のもじりも加えた「岩森章太郎改め山止たつひこ」であった(岩森章太郎名義での執筆歴はない)。長いタイトルとペンネームは自分の投稿が編集者の目に止まるようにという理由からであった。
『週刊少年ジャンプ』1976年42号(9月21日発売)より『こち亀』の連載を開始。編集部からは「この漫画ではこの名前で、終わったら本名にしてもいいよ」と言われており、本人も短期で連載終了するとばかり思っていたものの、予想以上に人気が出て連載が続き、さらには「本家」の山上たつひこからクレームが出たこともあり、100話目を機に現在のペンネーム(本名)に改めることになった。それまで山止名義で刊行されていた単行本第1巻 - 第6巻は増刷の際に秋本治に改められた。秋本は後年に「山上たつひこ先生に本当に申し訳ないことをした」「若気の至りとはこのためにあるような言葉です」「なんて大それたことをしたんだ!と思う」など反省の弁を述べている。
『こち亀』は1977年(昭和52年)12月24日にせんだみつおの主演で映画化され、1985年(昭和60年)のジャンプフェスティバル向け短編アニメを経て1996年から2004年までフジテレビ系列でテレビアニメ化された(前者と後者とではスタッフ・キャスト共に異なる。)。また、過去5回(1999年、2001年、2003年、2006年、2016年)で舞台化もされている。
連載4年目に結婚する。
2000年(平成12年)の誕生日以降、『こち亀』の連載期間が秋本の人生の半分以上を占めるようになった。
『こち亀』で2001年に第30回日本漫画家協会賞大賞を、2005年には第50回小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞している。
2005年(平成17年)8月6日、『こち亀』の発行部数が1億3000万部を突破し、東京・浅草神社に石碑が建立された。
2006年(平成18年)、『こち亀』が連載30周年・150巻発売・1450話記念となる。2月11日、主人公の両津勘吉の銅像が2体完成し、亀有駅の北口と南口に1体ずつ設置され秋本とラサール石井が出席して除幕式が行われた。また『あっぱれ!!さんま大教授』(フジテレビ)、『マンガノゲンバ』(NHK)など多数のテレビ番組に出演。『あっぱれ』ではアニメで両津を演じた石井との共演を果たした。
2008年(平成20年)11月8日、亀有銀座商店会ゆうろーど、中央ポケットパーク内に「少年両さん像」が設置され、秋本、ラサール石井の他、時の内閣総理大臣麻生太郎も参席し除幕式が行われた。
2009年(平成21年)2月22日、ドキュメンタリー番組『情熱大陸』(毎日放送)で人物像などが紹介された。
同年7月28日、『バラエティーニュース キミハ・ブレイク』(TBSテレビ)に出演し、テレビドラマ版『こち亀』の両津役・SMAPの香取慎吾ら出演者達と対談している。9月26日にはドラマ最終回の冒頭に生出演した。
2010年(平成22年)11月26日には、東京都青少年の健全な育成に関する条例に反対する記者会見に出席している。
2011年(平成23年)8月1日放送の『SMAP×SMAP』(関西テレビ放送製作・フジテレビ系)のコーナー『BISTRO SMAP』に、同年8月6日から公開される香取主演の映画『こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE〜勝どき橋を封鎖せよ!〜』の宣伝を兼ねてサプライズゲストとして出演している。ゲストチーム(香里奈・深田恭子他)とSMAPチームによる似顔絵対決の審査員を務めた。
2012年(平成24年)10月1日に葛飾区制施行80周年を記念し初の名誉区民に顕彰された。 山田洋次監督らとの同時受賞であり、「連載が始まった際、同じ葛飾区の『寅さん』に追いつくよう頑張ろうと担当者と誓ったので同時受賞はうれしいです。」と秋本はコメントしている。
『こち亀』の長期連載の間にも、多くの短編・読み切り作品を発表している。
2016年(平成28年)9月3日に神田明神で行われた『こち亀』連載40周年記念の巨大絵巻物展示会で、秋本の代表作である『こち亀』の連載を2016年9月17日発売の『週刊少年ジャンプ』2016年42号をもって完結、同日発売のコミック200巻で最終巻とすることを発表した。『こち亀』連載終了について体調面や執筆についての問題は特になく、区切りの良い時点で『こち亀』を終了させ、新たな作品に取り組みたいと言う秋本の意向によるものと報じられた。
同年9月14日、『こち亀』の連載40周年並びに200巻到達を記念して「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定された。この日の授与式にて、ギネス・ワールド・レコーズの公式認定員から秋本に公式認定証が授与されると、秋本は「漫画にとってもうれしいこと。私も今後の漫画家人生で凄く元気が出ること」と喜びを露わにした。また10月13日にはその功績が称えられ、第64回菊池寛賞を受賞した。12月31日には『第67回NHK紅白歌合戦』にゲスト審査員として出演した。2017年3月8日には『こち亀』の成果などが評価され第67回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞、同年4月25日には『こち亀』40年の連載完結に対して第21回手塚治虫文化賞特別賞を受賞した。同年7月22日には第48回星雲賞コミック部門を受賞している。
2018年(平成30年)4月11日、京都府亀岡市を舞台にした『ファインダー -京都女学院物語-』の執筆がきっかけで、亀岡市から「京都・かめおか観光PR大使」に任命される。
2019年(平成31年)4月2日 - 4月16日、布川ゆうじの企画により、天野喜孝、高田明美、大河原邦男らタツノコプロ出身のアーティストと競演した展示会「ラフ∞絵」を、3331 Arts Chiyodaで開催。
同年(令和元年)11月3日付けで発令された秋の褒章で、紫綬褒章を受章。
尊敬する漫画家は星野之宣、大島やすいち、望月三起也と、アクション物を得意とする作家が多い。秋本自身、『フレンチ・コネクション』や『ブリット』などのアクション映画が好きでアメリカを舞台にしたポリスアクション漫画を真剣に描く為に試行錯誤を繰り返したところ、『こち亀』が生まれた。
『ゴルゴ13』のファンでもあり、『こち亀』で様々なパロディをしていた。作者のさいとう・たかをと対談を行い、2006年には『超こち亀』にて『ゴルゴ13』とのコラボ漫画も実現した。本人は、さいとう・たかをに憧れて漫画家になったとも述べている。
上記に加えて影響を受けた作家として園田光慶、ながやす巧を、好きな作家や人物としてちばてつや、石ノ森章太郎、士郎正宗、松森正、矢代まさこ、宮崎駿の名を挙げている。
アニメ制作会社では京都アニメーション(以下「京アニ」と表記)のファンであり、同社が制作したアニメ作品では『けいおん!』や『響け!ユーフォニアム』を絶賛している。また、自身の連載漫画『ファインダー -京都女学院物語-』は、京アニ作品の影響を受けて執筆したものである。
小林よしのりとは、『週刊少年ジャンプ』で同年にデビューし、担当も同じだったことから旧知の仲である。
『こち亀』第1巻の巻末文には小林がコメントを寄せていたり、『こち亀』30巻収録の『建前パーティの巻』では一部のコマのモブを小林に描いて貰ったりと、何度か合作をしたりしている(小林との合作による作品は現在、書籍では『こち亀』のみに収録されている)。また、小林の主宰する雑誌『わしズム』創刊号では対談をした。
デビュー当初の画風は劇画調の癖が抜けなかったが、『こち亀』でギャグを描くようになってから徐々に力が抜け、自然体で描けるようになった。
原稿を締切前に必ず仕上げ、編集者からすれば大変ありがたい存在である。しかも万が一に備えて常時原稿のストックを5本用意し、旅行に出かけるなど漫画家では珍しいタイプ。特技は「締め切りに遅れないこと」と自信を持って言うほどである。
アシスタントは全員、背景や人物、仕上げまでこなせるプロ集団で、駆け出しはいない。1990年代より漫画製作のために「有限会社アトリエびーだま」を設立し、アシスタントを社員として雇い、彼らに対して安定した生活を保障している。勤務時間は9 - 20時(途中12 - 13時、17 - 18時に食事のための休憩時間を挟む)で、タイムカードによる勤務管理を行っている。基本的に日曜日は休みにする上、昼休みもキチンと取り、徹夜はさせないというスタンスを取っている。アシスタントは2班で6人おり月曜から水曜日は全員出勤で、月末の最終週は月火水と水木金土に分かれて出勤するシフト制。秋本自身も始業5分前に出勤し、定時に帰るなど、自己管理をしっかりとしている。
ただ、こち亀連載30周年や最終年となる2016年においては、40周年の企画や神田明神こち亀絵巻等の製作、「こち亀ジャンプ」の読み切りとなる日暮熟睡男登場回の執筆作業が入り、コミックス200巻の締切も予想以上に早く、原稿のストックが底をついた上に夏休みも無くなってしまい、毎日仕事状態になってしまったという。
流行ものなどへの反応も敏感であり、しばしばその物やモデルにした物も『こち亀』に登場させることが多い。気になる新聞記事を切り抜いては、それをまとめており、秋本によれば「テレビでやっているものは一気に全国的に広がるが、新聞の小さな記事は見ている人が少ないので、結構そこから発展するものもある」とのこと。かつて、仕事中も複数台のテレビを付けっぱなしにして最新情報の収集にも余念がなかったが、1998年頃改築して以降の仕事場には、テレビや玩具などは無くなっており、純粋にアシスタントと共に原作・作画に専念している。
漫画のネタのための取材も欠かさず、漫画の舞台になる場所があれば、現地に赴いてビデオカメラで資料収集を行う。動いているものは音なども含めムービーで収め、動いていてわからない細かい部分はデジカメで撮ったりと、状況に応じて区別する。絶叫マシンは苦手だが、取材の為に乗っている。取材場所に変化があれば、いつ起きたのかを、取材元へ詳細に尋ねている。
『こち亀』のネームは、ファミリーレストランで週1回の頻度で作成している。最初はページ数を気にせずどんどん描いていき、その後、雑誌掲載数の19ページにまとめるために、ページの削除やコマを小さくしたりして調整する。この一連の作業に半日近くを費やす。話作りについて秋本は「最初の4ページが勝負。4、5ページでつまんないと読者は飽きちゃうんですよ。7ページまで読んでくれれば、一気にいく感じになる」と語っている。
『こち亀』の両津勘吉を描く際には、必ず眉毛から先に描いている。理由は、眉毛が顔の丁度中心にあり、目や鼻の位置が収まりやすく、バランスが取りやすいからである。
気分転換に読み切りを描く。週に1日余裕が出来れば、月に4日、年間で40日貯まりそれで読み切りを描いている。作業は週単位ではなく月単位で進めており、1カ月が4週なら月に5本完成させるのが目標で、1本は休みやこち亀以外の貯金にしている。
素顔でメディアに登場することは比較的少なく、長らく『ジャンプ』巻末目次に掲載されていた自画像がイメージとして定着していた事もあり、テレビ番組での大友克洋との対談時は、秋本が部屋に入ってきても大友が秋本本人だと最初は気付かなかった様子が放送されている(これについては、大友が『こち亀』の単行本95巻に寄せた巻末コメントでも触れられている)。また、『こち亀』初期の単行本では作者コメント欄に自身の写真を掲載していたが、現在発売されている重版では落書き状態の簡単な顔に差し替えられている。2009年2月22日にはドキュメンタリー番組『情熱大陸』にて特集された。妻と娘2人と義父の5人暮らし。
『こち亀』単行本133巻『おしえて両津先生 派出所七ふしぎの巻』での両津の発言によると、身長は167cm。
大の軍事(兵器)ファンであり、その中でも特に戦車が好きなようである。昔は軍事をテーマにした読み切り漫画を描いていた他、『こち亀』連載終了後には激しいガンアクションを描く西部劇『BLACK TIGER』を青年漫画誌にて連載している。『こち亀』では軍事兵器をよく登場させており、それらをテーマにした話をよく描いている。定期的に軍事関係の描写が登場するが、秋本本人は初期の読み切り作品や『こち亀』の作中などで反戦を訴える台詞を入れるなど、基本的には反戦のスタンスである。
鉄道ファンとしても知られ、漫画作品中にも現在は存在しない過去の人気鉄道車両や、欧州などの人気車両が登場することも多々ある。『こち亀』単行本22巻『線路はつづく!の巻』は、鉄道ファンをメインとしたエピソードであり、秋本の地元の玩具メーカーであるTOMYの鉄道模型「TOMIX」を登場させ、劇中で両津が絶賛している。また、『こち亀』単行本192巻『馬券が発車しました!』ではタカラトミー(旧:TOMY)が発売している「プラレール」が題材になっており、車両の解説やギミックの説明が記載されている。尚これに関して両津は先述のTOMIXが発売しているNゲージのようにリアルにして欲しい、とやや批判していた。
また、スポーツカー・バイクにも興味があってフェラーリの歴代スポーツカーなどを何回も登場させている。本人は過去にマツダ・コスモスポーツに乗っていた時期があり、今はダイハツ・コペンやスズキ・カタナを愛用している。カタナシリーズはGSX1100S・GSX750S・GSX400S・GSX250Sとほぼコンプリートしている。
『こち亀』で大の巨人ファンの登場人物、飛鷹二徹などを登場させたり、大毎オリオンズを作中で書いてはいるが、秋本自身は阪神タイガースひいきである。一方で、単行本の巻頭コメントにおいて「野球中継のせいで通常の番組がつぶれることは、野球嫌いにとってはたまらないのです」とも語っている。
大の嫌煙家であり煙草は一切吸わない。『こち亀』では1983年発表の単行本第34巻に収録されている『煙はEなもの!?の巻』において「今後この漫画に煙草を一切ださない」と宣言している。かつての版の『煙はEなもの!?の巻』には妊婦の喫煙に関するアイロニカルな台詞があった。一方で酒と甘い物はかなり好きとのことである。
ラジオ番組のヘビーリスナーとして知られる。1981年には『オールナイトニッポン』生放送中の所ジョージをモデルガンで襲撃した。
かつては『ビートたけしのオールナイトニッポン』を録音し、スタジオで流しながら仕事をしていたと言う。また、漫画のあちこちに中島みゆき関連や『ビートたけしのオールナイトニッポン』の関連人物が出てくる時期もあった。伊集院光の名もかなり初期(AGOHAZUSHIの表記あり)の段階で作中のモブに登場している。なお、伊集院光、所ジョージ、中島みゆき、ビートたけし(たけしは「ツービート」名義)をはじめ、『こち亀』の巻末文を依頼されたラジオ出演者は少なくない。2006年9月および10月には『コサキンDEワァオ!』にゲスト出演。番組25周年を記念したポスターを、同じくコサキンのヘビーリスナーである臼井儀人、さくらももこと共同制作・監修している。
両津と違ってギャンブルの類には興味がなく、取材のためにしただけとのこと。
一時期弓道にのめりこんでいたことがあり、弓道をテーマとした読み切り漫画を描くという企画があったが、スケジュールの調整がつかなかったため『こち亀』内で磯鷲早矢や飛鷹右京・左京姉妹をメインキャラとした弓道エピソードを描いた。
京都好きであり、「ファインダー-京都女学院物語-」執筆理由のひとつとなっている。また、来歴にあるように同作がきっかけで、2018年4月11日より京都府亀岡市の「京都・かめおか観光PR大使」に就任している。
大原麗子のファンでこち亀の大原部長や麗子の名は大原に因んでいる。また太田裕美やアグネス・ラムのファンとしても 知られており、作品にもたびたび太田やラムが登場している。太田は単行本の巻末にコメントを書いている他やこち亀の連載が終了した際にもコメントしている。
締切に遅れないことを「特技」とする秋本は、長期連載漫画家にしては珍しく時間を作って遊びに出かけることが多い。自身の幅広い交友関係とその体験は、作品のアイディアにもつながっている。 | [
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"text": "秋本 治(あきもと おさむ、1952年〈昭和27年〉12月11日 - )は、東京都葛飾区亀有出身の日本の漫画家。デビュー時のペンネームは山止 たつひこ(やまどめ たつひこ)。",
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"text": "代表作は1976年から2016年まで40年間に亘って一度も休載せず続いた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(通称こち亀)。",
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"text": "本郷高校デザイン科卒業。自身を中心とする漫画制作集団「有限会社アトリエびーだま」の代表取締役。2019年に紫綬褒章を受章している。",
"title": "概要"
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"text": "9歳の時に父親と死別して以降、母親の手だけで育てられた。小学校3年生頃より漫画らしきものを描き始め、5年生の時に漫画家に憧れるようになり、ペンを買い久松文雄の『スーパージェッター』に似たものを描く。中学校に入り、母親に買ってもらった石森章太郎の『マンガ家入門』を擦り切れるまで読み、ペンの種類や描き方などを知る。この頃書きためた作品をまとめた個人誌「星」を製作する。高校のデザイン科に入学し、学友とともに「マンガ劇画同好会」を立ち上げるとともに同人サークル「CCマニア」に参加し、同人誌『でんでんむし』に作品を投稿していた。この頃の秋本の画風は周囲からの影響で劇画タッチだった。",
"title": "来歴"
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"text": "高校卒業後、アニメーターを志し旧虫プロダクションのアニメーター採用試験を受けるも不合格であった。しかし旧虫プロダクションの紹介でタツノコプロに入社する。同社作品『カバトット』『かいけつタマゴン』『科学忍者隊ガッチャマン』などで2年間動画などを務めた。当時は同社の演出家だった布川ゆうじと共に仕事をしている。しかし仕事が多忙となり、病気で入院していた母の看病が週1度の頻度しか出来なくなったため退社。その後は「CCマニア」解散後に残った仲間と「漫画創作倶楽部」を結成。母の看病をしつつ、しばらく投稿漫画家生活を送る。",
"title": "来歴"
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"text": "母の死をきっかけに1976年(昭和51年)、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を新人賞に応募する(以下こち亀)。月例ヤングジャンプ賞入選作品(4月期)に選ばれ、山上たつひこの名前をもじった「山止たつひこ」の名義で、『週刊少年ジャンプ』29号(6月22日発売)に読切として掲載される。賞へ応募した際のペンネームは、さらに石ノ森章太郎のもじりも加えた「岩森章太郎改め山止たつひこ」であった(岩森章太郎名義での執筆歴はない)。長いタイトルとペンネームは自分の投稿が編集者の目に止まるようにという理由からであった。",
"title": "来歴"
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"text": "『週刊少年ジャンプ』1976年42号(9月21日発売)より『こち亀』の連載を開始。編集部からは「この漫画ではこの名前で、終わったら本名にしてもいいよ」と言われており、本人も短期で連載終了するとばかり思っていたものの、予想以上に人気が出て連載が続き、さらには「本家」の山上たつひこからクレームが出たこともあり、100話目を機に現在のペンネーム(本名)に改めることになった。それまで山止名義で刊行されていた単行本第1巻 - 第6巻は増刷の際に秋本治に改められた。秋本は後年に「山上たつひこ先生に本当に申し訳ないことをした」「若気の至りとはこのためにあるような言葉です」「なんて大それたことをしたんだ!と思う」など反省の弁を述べている。",
"title": "来歴"
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"text": "『こち亀』は1977年(昭和52年)12月24日にせんだみつおの主演で映画化され、1985年(昭和60年)のジャンプフェスティバル向け短編アニメを経て1996年から2004年までフジテレビ系列でテレビアニメ化された(前者と後者とではスタッフ・キャスト共に異なる。)。また、過去5回(1999年、2001年、2003年、2006年、2016年)で舞台化もされている。",
"title": "来歴"
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"text": "連載4年目に結婚する。",
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"text": "2000年(平成12年)の誕生日以降、『こち亀』の連載期間が秋本の人生の半分以上を占めるようになった。",
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"text": "『こち亀』で2001年に第30回日本漫画家協会賞大賞を、2005年には第50回小学館漫画賞審査委員特別賞を受賞している。",
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"text": "2005年(平成17年)8月6日、『こち亀』の発行部数が1億3000万部を突破し、東京・浅草神社に石碑が建立された。",
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"text": "2006年(平成18年)、『こち亀』が連載30周年・150巻発売・1450話記念となる。2月11日、主人公の両津勘吉の銅像が2体完成し、亀有駅の北口と南口に1体ずつ設置され秋本とラサール石井が出席して除幕式が行われた。また『あっぱれ!!さんま大教授』(フジテレビ)、『マンガノゲンバ』(NHK)など多数のテレビ番組に出演。『あっぱれ』ではアニメで両津を演じた石井との共演を果たした。",
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"text": "2008年(平成20年)11月8日、亀有銀座商店会ゆうろーど、中央ポケットパーク内に「少年両さん像」が設置され、秋本、ラサール石井の他、時の内閣総理大臣麻生太郎も参席し除幕式が行われた。",
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"text": "2009年(平成21年)2月22日、ドキュメンタリー番組『情熱大陸』(毎日放送)で人物像などが紹介された。",
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"text": "同年7月28日、『バラエティーニュース キミハ・ブレイク』(TBSテレビ)に出演し、テレビドラマ版『こち亀』の両津役・SMAPの香取慎吾ら出演者達と対談している。9月26日にはドラマ最終回の冒頭に生出演した。",
"title": "来歴"
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"text": "2010年(平成22年)11月26日には、東京都青少年の健全な育成に関する条例に反対する記者会見に出席している。",
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"text": "2011年(平成23年)8月1日放送の『SMAP×SMAP』(関西テレビ放送製作・フジテレビ系)のコーナー『BISTRO SMAP』に、同年8月6日から公開される香取主演の映画『こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE〜勝どき橋を封鎖せよ!〜』の宣伝を兼ねてサプライズゲストとして出演している。ゲストチーム(香里奈・深田恭子他)とSMAPチームによる似顔絵対決の審査員を務めた。",
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"text": "2012年(平成24年)10月1日に葛飾区制施行80周年を記念し初の名誉区民に顕彰された。 山田洋次監督らとの同時受賞であり、「連載が始まった際、同じ葛飾区の『寅さん』に追いつくよう頑張ろうと担当者と誓ったので同時受賞はうれしいです。」と秋本はコメントしている。",
"title": "来歴"
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"text": "『こち亀』の長期連載の間にも、多くの短編・読み切り作品を発表している。",
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"text": "2016年(平成28年)9月3日に神田明神で行われた『こち亀』連載40周年記念の巨大絵巻物展示会で、秋本の代表作である『こち亀』の連載を2016年9月17日発売の『週刊少年ジャンプ』2016年42号をもって完結、同日発売のコミック200巻で最終巻とすることを発表した。『こち亀』連載終了について体調面や執筆についての問題は特になく、区切りの良い時点で『こち亀』を終了させ、新たな作品に取り組みたいと言う秋本の意向によるものと報じられた。",
"title": "来歴"
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"text": "同年9月14日、『こち亀』の連載40周年並びに200巻到達を記念して「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定された。この日の授与式にて、ギネス・ワールド・レコーズの公式認定員から秋本に公式認定証が授与されると、秋本は「漫画にとってもうれしいこと。私も今後の漫画家人生で凄く元気が出ること」と喜びを露わにした。また10月13日にはその功績が称えられ、第64回菊池寛賞を受賞した。12月31日には『第67回NHK紅白歌合戦』にゲスト審査員として出演した。2017年3月8日には『こち亀』の成果などが評価され第67回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞、同年4月25日には『こち亀』40年の連載完結に対して第21回手塚治虫文化賞特別賞を受賞した。同年7月22日には第48回星雲賞コミック部門を受賞している。",
"title": "来歴"
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"text": "2018年(平成30年)4月11日、京都府亀岡市を舞台にした『ファインダー -京都女学院物語-』の執筆がきっかけで、亀岡市から「京都・かめおか観光PR大使」に任命される。",
"title": "来歴"
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"text": "2019年(平成31年)4月2日 - 4月16日、布川ゆうじの企画により、天野喜孝、高田明美、大河原邦男らタツノコプロ出身のアーティストと競演した展示会「ラフ∞絵」を、3331 Arts Chiyodaで開催。",
"title": "来歴"
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"text": "同年(令和元年)11月3日付けで発令された秋の褒章で、紫綬褒章を受章。",
"title": "来歴"
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"text": "尊敬する漫画家は星野之宣、大島やすいち、望月三起也と、アクション物を得意とする作家が多い。秋本自身、『フレンチ・コネクション』や『ブリット』などのアクション映画が好きでアメリカを舞台にしたポリスアクション漫画を真剣に描く為に試行錯誤を繰り返したところ、『こち亀』が生まれた。",
"title": "人物"
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"text": "『ゴルゴ13』のファンでもあり、『こち亀』で様々なパロディをしていた。作者のさいとう・たかをと対談を行い、2006年には『超こち亀』にて『ゴルゴ13』とのコラボ漫画も実現した。本人は、さいとう・たかをに憧れて漫画家になったとも述べている。",
"title": "人物"
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"text": "上記に加えて影響を受けた作家として園田光慶、ながやす巧を、好きな作家や人物としてちばてつや、石ノ森章太郎、士郎正宗、松森正、矢代まさこ、宮崎駿の名を挙げている。",
"title": "人物"
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"text": "アニメ制作会社では京都アニメーション(以下「京アニ」と表記)のファンであり、同社が制作したアニメ作品では『けいおん!』や『響け!ユーフォニアム』を絶賛している。また、自身の連載漫画『ファインダー -京都女学院物語-』は、京アニ作品の影響を受けて執筆したものである。",
"title": "人物"
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"text": "小林よしのりとは、『週刊少年ジャンプ』で同年にデビューし、担当も同じだったことから旧知の仲である。",
"title": "人物"
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"text": "『こち亀』第1巻の巻末文には小林がコメントを寄せていたり、『こち亀』30巻収録の『建前パーティの巻』では一部のコマのモブを小林に描いて貰ったりと、何度か合作をしたりしている(小林との合作による作品は現在、書籍では『こち亀』のみに収録されている)。また、小林の主宰する雑誌『わしズム』創刊号では対談をした。",
"title": "人物"
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"text": "デビュー当初の画風は劇画調の癖が抜けなかったが、『こち亀』でギャグを描くようになってから徐々に力が抜け、自然体で描けるようになった。",
"title": "人物"
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"paragraph_id": 32,
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"text": "原稿を締切前に必ず仕上げ、編集者からすれば大変ありがたい存在である。しかも万が一に備えて常時原稿のストックを5本用意し、旅行に出かけるなど漫画家では珍しいタイプ。特技は「締め切りに遅れないこと」と自信を持って言うほどである。",
"title": "人物"
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"paragraph_id": 33,
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"text": "アシスタントは全員、背景や人物、仕上げまでこなせるプロ集団で、駆け出しはいない。1990年代より漫画製作のために「有限会社アトリエびーだま」を設立し、アシスタントを社員として雇い、彼らに対して安定した生活を保障している。勤務時間は9 - 20時(途中12 - 13時、17 - 18時に食事のための休憩時間を挟む)で、タイムカードによる勤務管理を行っている。基本的に日曜日は休みにする上、昼休みもキチンと取り、徹夜はさせないというスタンスを取っている。アシスタントは2班で6人おり月曜から水曜日は全員出勤で、月末の最終週は月火水と水木金土に分かれて出勤するシフト制。秋本自身も始業5分前に出勤し、定時に帰るなど、自己管理をしっかりとしている。",
"title": "人物"
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"text": "ただ、こち亀連載30周年や最終年となる2016年においては、40周年の企画や神田明神こち亀絵巻等の製作、「こち亀ジャンプ」の読み切りとなる日暮熟睡男登場回の執筆作業が入り、コミックス200巻の締切も予想以上に早く、原稿のストックが底をついた上に夏休みも無くなってしまい、毎日仕事状態になってしまったという。",
"title": "人物"
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"text": "流行ものなどへの反応も敏感であり、しばしばその物やモデルにした物も『こち亀』に登場させることが多い。気になる新聞記事を切り抜いては、それをまとめており、秋本によれば「テレビでやっているものは一気に全国的に広がるが、新聞の小さな記事は見ている人が少ないので、結構そこから発展するものもある」とのこと。かつて、仕事中も複数台のテレビを付けっぱなしにして最新情報の収集にも余念がなかったが、1998年頃改築して以降の仕事場には、テレビや玩具などは無くなっており、純粋にアシスタントと共に原作・作画に専念している。",
"title": "人物"
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"paragraph_id": 36,
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"text": "漫画のネタのための取材も欠かさず、漫画の舞台になる場所があれば、現地に赴いてビデオカメラで資料収集を行う。動いているものは音なども含めムービーで収め、動いていてわからない細かい部分はデジカメで撮ったりと、状況に応じて区別する。絶叫マシンは苦手だが、取材の為に乗っている。取材場所に変化があれば、いつ起きたのかを、取材元へ詳細に尋ねている。",
"title": "人物"
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"paragraph_id": 37,
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"text": "『こち亀』のネームは、ファミリーレストランで週1回の頻度で作成している。最初はページ数を気にせずどんどん描いていき、その後、雑誌掲載数の19ページにまとめるために、ページの削除やコマを小さくしたりして調整する。この一連の作業に半日近くを費やす。話作りについて秋本は「最初の4ページが勝負。4、5ページでつまんないと読者は飽きちゃうんですよ。7ページまで読んでくれれば、一気にいく感じになる」と語っている。",
"title": "人物"
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"text": "『こち亀』の両津勘吉を描く際には、必ず眉毛から先に描いている。理由は、眉毛が顔の丁度中心にあり、目や鼻の位置が収まりやすく、バランスが取りやすいからである。",
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"paragraph_id": 39,
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"text": "気分転換に読み切りを描く。週に1日余裕が出来れば、月に4日、年間で40日貯まりそれで読み切りを描いている。作業は週単位ではなく月単位で進めており、1カ月が4週なら月に5本完成させるのが目標で、1本は休みやこち亀以外の貯金にしている。",
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"text": "素顔でメディアに登場することは比較的少なく、長らく『ジャンプ』巻末目次に掲載されていた自画像がイメージとして定着していた事もあり、テレビ番組での大友克洋との対談時は、秋本が部屋に入ってきても大友が秋本本人だと最初は気付かなかった様子が放送されている(これについては、大友が『こち亀』の単行本95巻に寄せた巻末コメントでも触れられている)。また、『こち亀』初期の単行本では作者コメント欄に自身の写真を掲載していたが、現在発売されている重版では落書き状態の簡単な顔に差し替えられている。2009年2月22日にはドキュメンタリー番組『情熱大陸』にて特集された。妻と娘2人と義父の5人暮らし。",
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"text": "『こち亀』単行本133巻『おしえて両津先生 派出所七ふしぎの巻』での両津の発言によると、身長は167cm。",
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"text": "大の軍事(兵器)ファンであり、その中でも特に戦車が好きなようである。昔は軍事をテーマにした読み切り漫画を描いていた他、『こち亀』連載終了後には激しいガンアクションを描く西部劇『BLACK TIGER』を青年漫画誌にて連載している。『こち亀』では軍事兵器をよく登場させており、それらをテーマにした話をよく描いている。定期的に軍事関係の描写が登場するが、秋本本人は初期の読み切り作品や『こち亀』の作中などで反戦を訴える台詞を入れるなど、基本的には反戦のスタンスである。",
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"text": "鉄道ファンとしても知られ、漫画作品中にも現在は存在しない過去の人気鉄道車両や、欧州などの人気車両が登場することも多々ある。『こち亀』単行本22巻『線路はつづく!の巻』は、鉄道ファンをメインとしたエピソードであり、秋本の地元の玩具メーカーであるTOMYの鉄道模型「TOMIX」を登場させ、劇中で両津が絶賛している。また、『こち亀』単行本192巻『馬券が発車しました!』ではタカラトミー(旧:TOMY)が発売している「プラレール」が題材になっており、車両の解説やギミックの説明が記載されている。尚これに関して両津は先述のTOMIXが発売しているNゲージのようにリアルにして欲しい、とやや批判していた。",
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"text": "また、スポーツカー・バイクにも興味があってフェラーリの歴代スポーツカーなどを何回も登場させている。本人は過去にマツダ・コスモスポーツに乗っていた時期があり、今はダイハツ・コペンやスズキ・カタナを愛用している。カタナシリーズはGSX1100S・GSX750S・GSX400S・GSX250Sとほぼコンプリートしている。",
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"text": "『こち亀』で大の巨人ファンの登場人物、飛鷹二徹などを登場させたり、大毎オリオンズを作中で書いてはいるが、秋本自身は阪神タイガースひいきである。一方で、単行本の巻頭コメントにおいて「野球中継のせいで通常の番組がつぶれることは、野球嫌いにとってはたまらないのです」とも語っている。",
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"text": "大の嫌煙家であり煙草は一切吸わない。『こち亀』では1983年発表の単行本第34巻に収録されている『煙はEなもの!?の巻』において「今後この漫画に煙草を一切ださない」と宣言している。かつての版の『煙はEなもの!?の巻』には妊婦の喫煙に関するアイロニカルな台詞があった。一方で酒と甘い物はかなり好きとのことである。",
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"text": "ラジオ番組のヘビーリスナーとして知られる。1981年には『オールナイトニッポン』生放送中の所ジョージをモデルガンで襲撃した。",
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"text": "かつては『ビートたけしのオールナイトニッポン』を録音し、スタジオで流しながら仕事をしていたと言う。また、漫画のあちこちに中島みゆき関連や『ビートたけしのオールナイトニッポン』の関連人物が出てくる時期もあった。伊集院光の名もかなり初期(AGOHAZUSHIの表記あり)の段階で作中のモブに登場している。なお、伊集院光、所ジョージ、中島みゆき、ビートたけし(たけしは「ツービート」名義)をはじめ、『こち亀』の巻末文を依頼されたラジオ出演者は少なくない。2006年9月および10月には『コサキンDEワァオ!』にゲスト出演。番組25周年を記念したポスターを、同じくコサキンのヘビーリスナーである臼井儀人、さくらももこと共同制作・監修している。",
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"text": "両津と違ってギャンブルの類には興味がなく、取材のためにしただけとのこと。",
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"text": "京都好きであり、「ファインダー-京都女学院物語-」執筆理由のひとつとなっている。また、来歴にあるように同作がきっかけで、2018年4月11日より京都府亀岡市の「京都・かめおか観光PR大使」に就任している。",
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"text": "大原麗子のファンでこち亀の大原部長や麗子の名は大原に因んでいる。また太田裕美やアグネス・ラムのファンとしても 知られており、作品にもたびたび太田やラムが登場している。太田は単行本の巻末にコメントを書いている他やこち亀の連載が終了した際にもコメントしている。",
"title": "人物"
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"text": "締切に遅れないことを「特技」とする秋本は、長期連載漫画家にしては珍しく時間を作って遊びに出かけることが多い。自身の幅広い交友関係とその体験は、作品のアイディアにもつながっている。",
"title": "交友関係"
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] | 秋本 治は、東京都葛飾区亀有出身の日本の漫画家。デビュー時のペンネームは山止 たつひこ。 代表作は1976年から2016年まで40年間に亘って一度も休載せず続いた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(通称こち亀)。 | {{内容過剰|date=2020年1月10日 (金) 20:42 (UTC)}}
{{Infobox 漫画家
| 名前 = 秋本 治
| ふりがな = あきもと おさむ
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 脚注 =
| 本名 = 秋本 治
| 生地 = {{JPN}}・[[東京都]][[葛飾区]][[亀有]]
| 国籍 = {{JPN}}
| 生年 = {{生年月日と年齢|1952|12|11}}
| 没年 =
| 職業 = [[漫画家]]
| 称号 = [[紫綬褒章]]
| 活動期間 = [[1976年]] -
| ジャンル = [[少年漫画]]
| 代表作 = 『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』
| 受賞 = 第30回[[日本漫画家協会賞]]大賞<br />第50回[[小学館漫画賞]]審査委員特別賞<br />第21回[[手塚治虫文化賞]]特別賞<br />(以上『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)<br />第48回[[星雲賞]]コミック部門<br />第64回[[菊池寛賞]]<br />第67回[[芸術選奨]][[文部科学大臣賞]]<ref name="geijyutsu">{{Cite web|和書|url=https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2017030801_besshi.pdf |title=平成28年度(第67回)芸術選奨受賞者一覧 |publisher=文化庁 |format=PDF |accessdate=2017-03-09}}<br />[[2016年]]・[[ギネス世界記録]](TM)認定(こち亀の第200巻達成記録)</ref>
}}
'''秋本 治'''(あきもと おさむ、[[1952年]]〈[[昭和]]27年〉[[12月11日]]<ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、{{ISBN2|4-8169-1760-8}}、12頁</ref> - )は、[[東京都]][[葛飾区]][[亀有]]出身の[[日本]]の[[漫画家]]<ref name="mangaseek" />。デビュー時のペンネームは'''山止 たつひこ'''(やまどめ たつひこ)<ref name="mangaseek" />。
代表作は[[1976年]]から[[2016年]]まで40年間に亘って一度も休載せず続いた『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』(通称こち亀)。
== 概要 ==
[[本郷中学校・高等学校|本郷高校]][[デザイン科]]卒業<ref name="mangaseek" />。自身を中心とする漫画制作集団「有限会社アトリエびーだま」<ref>葛飾区[[堀切 (葛飾区)|堀切]]6丁目30番2号(表札のある場所)、葛飾区[[お花茶屋]]3丁目1番5号(登記上の本店) 法人番号 4011802000356</ref>の代表取締役。2019年に[[紫綬褒章]]を受章している。
== 来歴 ==
=== 漫画家を志すまで ===
9歳の時に父親と死別して以降、母親の手だけで育てられた<ref name="情熱大陸">『情熱大陸』2009年2月22日放送{{信頼性要検証|date=2015年10月|title=TV番組そのものは出典に成りません。}}</ref>。小学校3年生頃より漫画らしきものを描き始め、5年生の時に漫画家に憧れるようになり、ペンを買い[[久松文雄]]の『[[スーパージェッター]]』に似たものを描く<ref name="カメダス584">『カメダス』584p</ref>。中学校に入り、母親に買ってもらった[[石ノ森章太郎|石森章太郎]]の『マンガ家入門』を擦り切れるまで読み、ペンの種類や描き方などを知る<ref>『週刊少年ジャンプ特別編集 こちら葛飾区亀有公園前派出所 2002年夏の増刊』秋本治先生突撃スペシャルインタビュー!</ref>。この頃書きためた作品をまとめた個人誌「星」を製作する<ref name="カメダス585">『カメダス』585p</ref>。高校のデザイン科に入学し、学友とともに「マンガ劇画同好会」を立ち上げるとともに[[同人サークル]]「CCマニア」に参加し、同人誌『でんでんむし』に作品を投稿していた。この頃の秋本の画風は周囲からの影響で[[劇画]]タッチだった<ref name="カメダス586">『カメダス』586p</ref>。
高校卒業後、[[アニメーター]]を志し[[虫プロダクション#株式会社虫プロダクション(旧虫プロ)|旧虫プロダクション]]のアニメーター採用試験を受けるも不合格であった。しかし旧虫プロダクションの紹介で[[タツノコプロ]]に入社する。同社作品『[[カバトット]]』『[[かいけつタマゴン]]』『[[科学忍者隊ガッチャマン]]<ref>『[[D.Gray-man]] illustrations [[星野桂]]』 星野桂X秋本治対談より</ref>』などで2年間動画などを務めた<ref>『このマンガがすごい! 2006・オトコ版』 秋本治インタビューより</ref>。当時は同社の演出家だった[[布川ゆうじ]]と共に仕事をしている<ref name="ハフポスト">{{Cite web|和書|url=https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5cb04a0de4b0ffefe3ae685f|title=こち亀作者、秋本治さんが語るマンガの神髄。生みの苦しみと楽しさは“ネーム”にある|publisher=ハフポスト|date=2019-04-14|accessdate=2020-01-21}}</ref>。しかし仕事が多忙となり、病気で入院していた母の看病が週1度の頻度しか出来なくなったため退社<ref name="情熱大陸"/>。その後は「CCマニア」解散後に残った仲間と「漫画創作倶楽部」を結成<ref name="カメダス586"/>。母の看病をしつつ、しばらく投稿漫画家生活を送る。
=== こち亀でデビュー ===
母の死をきっかけに[[1976年]]([[昭和]]51年)、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』を新人賞に応募する<ref name="情熱大陸"/>(以下こち亀)。月例[[週刊少年ジャンプの新人漫画賞#ヤングジャンプ賞|ヤングジャンプ賞]]入選作品(4月期)に選ばれ、[[山上たつひこ]]の名前をもじった「山止たつひこ」の名義で、『[[週刊少年ジャンプ]]』29号(6月22日発売)に読切として掲載される。賞へ応募した際のペンネームは、さらに[[石ノ森章太郎]]のもじりも加えた「岩森章太郎改め山止たつひこ」であった(岩森章太郎名義での執筆歴はない)。長いタイトルとペンネームは自分の投稿が編集者の目に止まるようにという理由からであった。
『週刊少年ジャンプ』1976年42号(9月21日発売)より『こち亀』の連載を開始。編集部からは「この漫画ではこの名前で、終わったら本名にしてもいいよ」と言われており、本人も短期で連載終了するとばかり思っていたものの、予想以上に人気が出て連載が続き、さらには「本家」の山上たつひこからクレームが出た<ref>「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」([[飛鳥新社]])p.272</ref>こともあり、100話目を機に現在のペンネーム(本名)に改めることになった。それまで山止名義で刊行されていた単行本第1巻 - 第6巻は増刷の際に秋本治に改められた<ref group="注">ただし、初期の単行本に収録されたオマケ漫画や自身をモデルとしたキャラを登場させた話では、現在も「山止たつひこ」と書かれている。</ref>。秋本は後年に「山上たつひこ先生に本当に申し訳ないことをした」「若気の至りとはこのためにあるような言葉です」「なんて大それたことをしたんだ!と思う」など反省の弁を述べている<ref name="超こち亀">『超こち亀』306-317p</ref>。
『こち亀』は[[1977年]](昭和52年)[[12月24日]]に[[せんだみつお]]の主演で映画化され、[[1985年]](昭和60年)のジャンプフェスティバル向け短編アニメを経て[[1996年]]から[[2004年]]まで[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列で[[こちら葛飾区亀有公園前派出所 (アニメ)|テレビアニメ化]]された(前者と後者とではスタッフ・キャスト共に異なる。)。また、過去5回([[1999年]]、[[2001年]]、[[2003年]]、[[2006年]]、[[2016年]])で舞台化もされている。
連載4年目に結婚する<ref name="超">超こち亀</ref>。
[[2000年]]([[平成]]12年)の誕生日以降、『こち亀』の連載期間が秋本の人生の半分以上を占めるようになった。
=== 長寿作家へ ===
『こち亀』で[[2001年]]に第30回[[日本漫画家協会賞]]大賞を、[[2005年]]には第50回[[小学館漫画賞]]審査委員特別賞を受賞している。
[[2005年]](平成17年)[[8月6日]]、『こち亀』の発行部数が1億3000万部を突破し、東京・[[浅草神社]]に石碑が建立された。
[[2006年]](平成18年)、『こち亀』が連載30周年・150巻発売・1450話記念となる。2月11日、主人公の[[両津勘吉]]の銅像が2体完成し、[[亀有駅]]の北口と南口に1体ずつ設置され秋本と[[ラサール石井]]が出席して除幕式が行われた。また『[[あっぱれ!!さんま大教授]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])、『[[マンガノゲンバ]]』([[日本放送協会|NHK]])など多数のテレビ番組に出演。『あっぱれ』ではアニメで両津を演じた石井との共演を果たした。
[[2008年]](平成20年)[[11月8日]]、亀有銀座商店会ゆうろーど、中央ポケットパーク内に「少年両さん像」が設置され、秋本、[[ラサール石井]]の他、時の[[内閣総理大臣]][[麻生太郎]]も参席し除幕式が行われた。
[[2009年]](平成21年)[[2月22日]]、[[ドキュメンタリー]]番組『[[情熱大陸]]』([[毎日放送]])で人物像などが紹介された<ref name="情熱大陸2">{{Cite web|和書|url=https://www.mbs.jp/jounetsu-old/2009/02_22.shtml|title=秋本治(漫画家)|work=情熱大陸|date=2009-2-22|publisher=MBS|accessdate=2015-10-3}}</ref>。
同年[[7月28日]]、『[[バラエティーニュース キミハ・ブレイク]]』([[TBSテレビ]])に出演し、[[こちら葛飾区亀有公園前派出所#テレビドラマ|テレビドラマ版『こち亀』]]の両津役・[[SMAP]]の[[香取慎吾]]ら出演者達と対談している。[[9月26日]]にはドラマ最終回の冒頭に生出演した。
[[2010年]](平成22年)[[11月26日]]には、[[東京都青少年の健全な育成に関する条例]]に反対する記者会見に出席している。
[[2011年]](平成23年)[[8月1日]]放送の『[[SMAP×SMAP]]』([[関西テレビ放送]]製作・[[フジテレビ系]])のコーナー『[[BISTRO SMAP]]』に、同年[[8月6日]]から公開される香取主演の映画『こちら葛飾区亀有公園前派出所 THE MOVIE〜勝どき橋を封鎖せよ!〜』の宣伝を兼ねてサプライズゲストとして出演している。ゲストチーム([[香里奈]]・[[深田恭子]]他)と[[SMAP]]チームによる[[似顔絵]]対決の審査員を務めた。
[[2012年]](平成24年)[[10月1日]]に葛飾区制施行80周年を記念し初の名誉区民に顕彰された<ref>{{Cite web|和書|title=葛飾区名誉区民の紹介|website=葛飾区|url=https://www.city.katsushika.lg.jp/information/1000074/1005528.html|accessdate=2022-08-08}}</ref>。<br>
[[山田洋次]]監督らとの同時受賞であり、「連載が始まった際、同じ葛飾区の『寅さん』に追いつくよう頑張ろうと担当者と誓ったので同時受賞はうれしいです。」と秋本はコメントしている<ref>『こちら葛飾区亀有公園前派出所』183巻表紙の作者コメント</ref>。
『こち亀』の長期連載の間にも、多くの[[#短編・読み切り作品|短編・読み切り作品]]を発表している。
[[2016年]](平成28年)[[9月3日]]に[[神田明神]]で行われた『こち亀』連載40周年記念の巨大絵巻物展示会で、秋本の代表作である『こち亀』の連載を2016年9月17日発売の『[[週刊少年ジャンプ]]』2016年42号をもって完結、同日発売のコミック200巻で最終巻とすることを発表した<ref>[https://natalie.mu/comic/news/200546 「こちら葛飾区亀有公園前派出所」9月17日発売のジャンプで完結] - コミックナタリー 2016年9月3日</ref>。『こち亀』連載終了について体調面や執筆についての問題は特になく、区切りの良い時点で『こち亀』を終了させ、新たな作品に取り組みたいと言う秋本の意向によるものと報じられた<ref>[https://natalie.mu/comic/news/200529 「こち亀」連載終了に秋本治「40周年を両さんの引き際としていい」] - コミックナタリー 2016年9月3日</ref>。
同年[[9月14日]]、『こち亀』の連載40周年並びに200巻到達を記念して「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」として[[ギネス世界記録]]に認定された。この日の授与式にて、[[ギネス世界記録|ギネス・ワールド・レコーズ]]の公式認定員から秋本に公式認定証が授与されると、秋本は「漫画にとってもうれしいこと。私も今後の漫画家人生で凄く元気が出ること」と喜びを露わにした<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20160915/spn/00m/200/017000c|title=こち亀:ギネス認定証 秋本治氏喜び「凄く元気が出ること」|newspaper=毎日新聞|date=2016-09-15}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/09/14/kiji/K20160914013354480.html|title=「こち亀」40年で初ギネス認定 秋本氏「今後の漫画家人生ですごく元気が出る」|newspaper=スポーツニッポン|date=2016-09-15}}</ref>。また[[10月13日]]にはその功績が称えられ、第64回[[菊池寛賞]]を受賞した<ref>{{cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2079894/full/|title=『こち亀』原作者・秋本治氏に菊池寛賞 「上質な笑いに満ちた作品を堂々と完結させた」|newspaper=ORICON STYLE|date=2016-10-13|accessdate=2016-10-13}}</ref>。[[12月31日]]には『[[第67回NHK紅白歌合戦]]』にゲスト審査員として出演した。2017年3月8日には『こち亀』の成果などが評価され第67回[[芸術選奨]][[文部科学大臣賞]]を受賞<ref name="geijyutsu"/>、同年4月25日には『こち亀』40年の連載完結に対して第21回[[手塚治虫文化賞]]特別賞を受賞した<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASK4B4S2GK4BUCVL010.html 手塚治虫文化賞、大賞はくらもちふさこさん「花に染む」].朝日新聞,2017年4月25日</ref>。同年7月22日には第48回星雲賞コミック部門を受賞している<ref>[https://animeanime.jp/article/2017/07/22/34719.html 第48回星雲賞に「ウルトラマンF」「シン・ゴジラ」「こち亀」など話題作多数],アニメ!アニメ!,2017年7月22日</ref>。
[[2018年]](平成30年)[[4月11日]]、[[京都府]][[亀岡市]]を舞台にした『[[ファインダー -京都女学院物語-]]』の執筆がきっかけで、亀岡市から「京都・かめおか観光PR大使」に任命される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.kameoka.kyoto.jp/hisho/koumu/koumu3004.html|title=亀岡市/4月の公務|publisher=[[亀岡市]]|accessdate=2020-7-20|date=2018-5-8|format=}}</ref>。
[[2019年]](平成31年)4月2日 - 4月16日、布川ゆうじの企画により、[[天野喜孝]]、[[高田明美]]、[[大河原邦男]]らタツノコプロ出身のアーティストと競演した展示会「ラフ∞絵」を、[[3331 Arts Chiyoda]]で開催<ref name="ハフポスト"/>。
同年([[令和]]元年)11月3日付けで発令された秋の褒章で、[[紫綬褒章]]を受章<ref>{{Cite web|和書|url=https://www8.cao.go.jp/shokun/hatsurei/r01aki/meibo_hosho/hosho-13tokyo.pdf|title=令和元年秋の褒章受章者名簿 東京都|publisher=[[内閣府]]|accessdate=2020-1-22|date=|format=PDF}}</ref><ref>『官報』号外第151号、2019年11月3日</ref>。
== 人物 ==
[[ファイル:Statue of Kankichi Ryotsu8.jpg|thumb|200px|right|亀有の生家跡地付近に建立された「ワハハ両さん像」(2010年)]]
===影響===
尊敬する漫画家は[[星野之宣]]、[[大島やすいち]]、[[望月三起也]]<ref group="注">秋本が所属していたタツノコプロの設立には望月が関与している。</ref>と、アクション物を得意とする作家が多い。秋本自身、『[[フレンチ・コネクション]]』や『[[ブリット]]』などのアクション映画が好きでアメリカを舞台にしたポリスアクション漫画を真剣に描く為に[[試行錯誤]]を繰り返したところ、『こち亀』が生まれた<ref name="カメダス583">『カメダス』583p</ref>。
『[[ゴルゴ13]]』のファンでもあり、『こち亀』で様々な[[パロディ]]をしていた<ref group="注">主人公の自称である『デューク・東郷』をもじって「[[こちら葛飾区亀有公園前派出所の登場人物#亀有署・葛飾署・新葛飾署|ボルボ西郷]]」、あるいはそのままもじって「後流悟十三」といった登場人物を出すなどしている。</ref>。作者の[[さいとう・たかを]]と対談を行い、2006年には『超こち亀』にて『ゴルゴ13』とのコラボ漫画も実現した。本人は、さいとう・たかをに憧れて漫画家になったとも述べている。
上記に加えて影響を受けた作家として[[園田光慶]]、[[ながやす巧]]を、好きな作家や人物として[[ちばてつや]]、[[石ノ森章太郎]]、[[士郎正宗]]、[[松森正]]、[[矢代まさこ]]、[[宮崎駿]]の名を挙げている<ref name="カメダス583"/>。
[[アニメ制作会社]]では[[京都アニメーション]](以下「京アニ」と表記)のファンであり、同社が制作したアニメ作品では『[[けいおん!]]』や『[[響け!ユーフォニアム (アニメ)|響け!ユーフォニアム]]』を絶賛している。また、自身の連載漫画『[[ファインダー -京都女学院物語-]]』は、京アニ作品の影響を受けて執筆したものである<ref name="京アニ">{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/amp/articles/ASN7H3T0GN7BUCVL00Z.html|title=京アニの輝き、「こち亀」前の自分に重ねて 秋本治さん:朝日新聞デジタル|publisher=[[朝日新聞社]]|accessdate=2020-7-20|date=2020-7-17|format=}}</ref>。
[[小林よしのり]]とは、『週刊少年ジャンプ』で同年にデビューし、担当も同じだった{{efn2|デビュー時点の担当は[[堀内丸恵]]}}ことから旧知の仲である。
『こち亀』第1巻の巻末文には小林がコメントを寄せていたり、『こち亀』30巻収録の『建前パーティの巻』では一部のコマの[[モブキャラクター|モブ]]を小林に描いて貰ったりと、何度か合作をしたりしている(小林との合作による作品は現在、書籍では『こち亀』のみに収録されている)。また、小林の主宰する雑誌『[[わしズム]]』創刊号では対談をした。{{main|東大一直線#こちら葛飾区亀有公園前派出所&東大一直線}}
=== 創作スタイル===
デビュー当初の画風は[[劇画]]調の癖が抜けなかったが、『こち亀』でギャグを描くようになってから徐々に力が抜け、自然体で描けるようになった{{refnest|group="注"|初めは「劇画でギャグを描く」と言われたことについて「ギャグではなく、劇画なのでコメディだ」と主張していたが、徐々に「どっちでもよくなった」という<ref name="カメダス583"/>。}}<ref name="カメダス575">『カメダス』575p</ref>。
原稿を締切前に必ず仕上げ、編集者からすれば大変ありがたい存在である。しかも万が一に備えて常時原稿のストックを5本用意し、旅行に出かけるなど漫画家では珍しいタイプ。特技は「締め切りに遅れないこと」と自信を持って言うほどである<ref name="情熱大陸"/><ref name="情熱大陸2"/>。
[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]は全員、背景や人物、仕上げまでこなせるプロ集団で、駆け出しはいない。1990年代より漫画製作のために「有限会社アトリエびーだま」を設立し、アシスタントを社員として雇い、彼らに対して安定した生活を保障している。勤務時間は9 - 20時(途中12 - 13時、17 - 18時に食事のための休憩時間を挟む)<ref name="情熱大陸"/>で、[[タイムレコーダー|タイムカード]]による勤務管理を行っている<ref name="超こち亀3">『超こち亀』302 - 305頁</ref>。基本的に日曜日は休みにする<ref name="超こち亀3"/>上、昼休みもキチンと取り<ref name="超こち亀3"/>、徹夜はさせないというスタンスを取っている<ref group="注">[[荒木飛呂彦]]など、このスタンスを尊敬する漫画家も多い。</ref>。アシスタントは2班で6人おり月曜から水曜日は全員出勤で、月末の最終週は月火水と水木金土に分かれて出勤するシフト制<ref name="名前なし-1">{{Cite book|title=Chōkochikame|url=https://www.worldcat.org/oclc/676079997|publisher=Shūeisha|date=2006|location=Tōkyō|isbn=4-08-874096-3|oclc=676079997|others=Akimoto, Osamu, 1952-, 秋本, 治, 1952-}}</ref>。秋本自身も始業5分前に出勤し、定時に帰るなど、[[セルフコントロール|自己管理]]をしっかりとしている<ref name="情熱大陸"/><ref name="情熱大陸2"/>。
ただ、こち亀連載30周年や最終年となる2016年においては、40周年の企画や[[神田明神]]こち亀絵巻等の製作、「こち亀ジャンプ」の読み切りとなる日暮熟睡男登場回の執筆作業が入り、コミックス200巻の締切も予想以上に早く、原稿のストックが底をついた上に夏休みも無くなってしまい、毎日仕事状態になってしまったという。
流行ものなどへの反応も敏感であり、しばしばその物やモデルにした物も『こち亀』に登場させることが多い。気になる新聞記事を切り抜いては、それをまとめており、秋本によれば「テレビでやっているものは一気に全国的に広がるが、新聞の小さな記事は見ている人が少ないので、結構そこから発展するものもある」とのこと<ref name="情熱大陸"/><ref name="情熱大陸2"/>。かつて、仕事中も複数台のテレビを付けっぱなしにして最新情報の収集にも余念がなかったが、1998年頃改築して以降の仕事場には、テレビや玩具などは無くなっており、純粋にアシスタントと共に原作・作画に専念している<ref name="超"/><ref name="情熱大陸"/>。
漫画のネタのための取材も欠かさず、漫画の舞台になる場所があれば、現地に赴いてビデオカメラで資料収集を行う。動いているものは音なども含めムービーで収め、動いていてわからない細かい部分はデジカメで撮ったりと、状況に応じて区別する。絶叫マシンは苦手だが、取材の為に乗っている。取材場所に変化があれば、いつ起きたのかを、取材元へ詳細に尋ねている<ref name="情熱大陸"/>。
『こち亀』の[[ネーム (漫画)|ネーム]]は、ファミリーレストランで週1回の頻度で作成している。最初はページ数を気にせずどんどん描いていき、その後、雑誌掲載数の19ページにまとめるために、ページの削除やコマを小さくしたりして調整する。この一連の作業に半日近くを費やす。話作りについて秋本は「最初の4ページが勝負。4、5ページでつまんないと読者は飽きちゃうんですよ。7ページまで読んでくれれば、一気にいく感じになる」と語っている<ref name="情熱大陸"/>。
『こち亀』の[[両津勘吉]]を描く際には、必ず眉毛から先に描いている。理由は、眉毛が顔の丁度中心にあり、目や鼻の位置が収まりやすく、バランスが取りやすいからである<ref name="情熱大陸"/>。
気分転換に読み切りを描く。週に1日余裕が出来れば、月に4日、年間で40日貯まりそれで読み切りを描いている。作業は週単位ではなく月単位で進めており、1カ月が4週なら月に5本完成させるのが目標で、1本は休みやこち亀以外の貯金にしている<ref name="名前なし-1"/>。
===控えめな露出===
素顔でメディアに登場することは比較的少なく、長らく『ジャンプ』巻末目次に掲載されていた自画像がイメージとして定着していた事もあり、テレビ番組での[[大友克洋]]との対談時は、秋本が部屋に入ってきても大友が秋本本人だと最初は気付かなかった様子が放送されている(これについては、大友が『こち亀』の単行本95巻に寄せた巻末コメントでも触れられている)。また、『こち亀』初期の単行本では作者コメント欄に自身の写真を掲載していたが、現在発売されている重版では落書き状態の簡単な顔<ref group="注">各巻分をつなげると両津や中川などの顔に変化するパラパラ漫画になる。</ref>に差し替えられている。2009年2月22日にはドキュメンタリー番組『[[情熱大陸]]』にて特集された。妻と娘2人と義父の5人暮らし<ref name="情熱大陸"/>。
『こち亀』単行本133巻『おしえて両津先生 派出所七ふしぎの巻』での両津の発言によると、身長は167cm<ref group="注">この数値は両津の身長と同じだったが、データ通りに両津を描くと身体バランスがおかしくなるため、実際は152cmで描かれていた。キャラデータを聞かれた際に、めんどくさかったので、秋本本人の身長の数値を両津へ流用してしまったことも、同エピソードで両津が明かしている。</ref>。
=== 趣味・嗜好 ===
大の[[軍事]]([[兵器]])ファンであり、その中でも特に[[戦車]]が好きなようである。昔は軍事をテーマにした読み切り漫画を描いていた他、『こち亀』連載終了後には激しいガンアクションを描く西部劇『[[BLACK TIGER]]』を青年漫画誌にて連載している。『こち亀』では軍事兵器をよく登場させており、それらをテーマにした話をよく描いている。定期的に軍事関係の描写が登場するが、秋本本人は初期の読み切り作品や『こち亀』の作中などで反戦を訴える台詞を入れるなど、基本的には反戦のスタンスである。
[[鉄道ファン]]としても知られ、漫画作品中にも現在は存在しない過去の人気鉄道車両や、[[ヨーロッパ|欧州]]などの人気車両が登場することも多々ある。『こち亀』単行本22巻『線路はつづく!の巻』は、鉄道ファンをメインとしたエピソードであり、秋本の地元の玩具メーカーである[[トミー (企業)|TOMY]]の[[鉄道模型]]「[[TOMIX]]」を登場させ、劇中で両津が絶賛している。また、『こち亀』単行本192巻『馬券が発車しました!』では[[タカラトミー]](旧:TOMY)が発売している「[[プラレール]]」が題材になっており、車両の解説やギミックの説明が記載されている。尚これに関して両津は先述のTOMIXが発売している[[Nゲージ]]のようにリアルにして欲しい、とやや批判していた。
また、[[スポーツカー]]・[[オートバイ|バイク]]にも興味があって[[フェラーリ]]の歴代スポーツカーなどを何回も登場させている。本人は過去に[[マツダ・コスモ#初代・コスモスポーツ(1967年 - 1972年)|マツダ・コスモスポーツ]]に乗っていた時期があり、今は[[ダイハツ・コペン]]や[[スズキ・カタナ]]を愛用している<ref name="超こち亀2">『超こち亀』299頁</ref>。カタナシリーズはGSX1100S・GSX750S・GSX400S・GSX250Sとほぼコンプリートしている<ref name="超こち亀2"/>。
『こち亀』で大の[[読売ジャイアンツ|巨人]]ファンの登場人物、飛鷹二徹などを登場させたり、[[千葉ロッテマリーンズ|大毎オリオンズ]]を作中で書いてはいるが、秋本自身は[[阪神タイガース]][[阪神ファン|ひいき]]である<ref name="超こち亀"/>。一方で、単行本の巻頭コメントにおいて「野球中継のせいで通常の番組がつぶれることは、野球嫌いにとってはたまらないのです」とも語っている。
大の嫌煙家であり[[煙草]]は一切吸わない<ref name="超こち亀"/>。『こち亀』では1983年発表の単行本第34巻に収録されている『煙はEなもの!?の巻』において「今後この漫画に煙草を一切ださない」と宣言している<ref group="注">その後に出てくる喫煙シーンはエチケットタバコ、または禁煙パイポという設定になった。さらに、両津や大原も初期の頃は喫煙者だったが作品途中からは吸っていない。また、秋本が描いた作品『[[Mr.Clice]]』でも煙草は出てくる事があるが喫煙する姿は見られない。</ref>。かつての版の『煙はEなもの!?の巻』には妊婦の喫煙に関するアイロニカルな台詞があった。一方で酒と甘い物はかなり好きとのことである<ref name="超こち亀"/>。
ラジオ番組のヘビーリスナーとして知られる。[[1981年]]には『[[オールナイトニッポン]]』生放送中の[[所ジョージ]]を[[モデルガン]]で襲撃した<ref group="注">交友関係があった上でのお遊びであり、番組スタッフも知った上でのドッキリ的企画であった。この模様の詳細は『こち亀』単行本26巻の『クレージーホースの巻』に新聞記事として記述されている。</ref>。{{main|所ジョージ#他の人物との関係}}
かつては『[[ビートたけしのオールナイトニッポン]]』を録音し、スタジオで流しながら仕事をしていたと言う。また、漫画のあちこちに[[中島みゆき]]関連や『ビートたけしのオールナイトニッポン』の関連人物が出てくる時期もあった。[[伊集院光]]の名もかなり初期([[激突!あごはずしショー|AGOHAZUSHI]]の表記あり)の段階で作中のモブに登場している。なお、伊集院光、所ジョージ、中島みゆき、ビートたけし(たけしは「[[ツービート]]」名義)をはじめ、『こち亀』の巻末文を依頼されたラジオ出演者は少なくない。2006年9月および10月には『[[コサキンDEワァオ!]]』にゲスト出演。番組25周年を記念したポスターを、同じく[[コサキン]]のヘビーリスナーである[[臼井儀人]]、[[さくらももこ]]と共同制作・監修している。
両津と違ってギャンブルの類には興味がなく、取材のためにしただけとのこと<ref name="情熱大陸"/>。
一時期[[弓道]]にのめりこんでいたことがあり、弓道をテーマとした読み切り漫画を描くという企画があったが、スケジュールの調整がつかなかったため『こち亀』内で磯鷲早矢や飛鷹右京・左京姉妹をメインキャラとした弓道エピソードを描いた。
[[京都]]好きであり、「ファインダー-京都女学院物語-」執筆理由のひとつとなっている<ref name="京アニ"/>。また、[[#来歴|来歴]]にあるように同作がきっかけで、2018年4月11日より[[京都府]][[亀岡市]]の「京都・かめおか観光PR大使」に就任している。
[[大原麗子]]のファンでこち亀の大原部長や麗子の名は大原に因んでいる。また[[太田裕美]]や[[アグネス・ラム]]のファンとしても
知られており、作品にもたびたび太田やラムが登場している。太田は単行本の巻末にコメントを書いている他やこち亀の連載が終了した際にもコメントしている。
== 作品リスト ==
=== 連載作品 ===
* [[こちら葛飾区亀有公園前派出所]](1976年42号 - 2016年42号(以下不定期)、『[[週刊少年ジャンプ]]』)
* [[Mr.Clice]](1985年12月号 - 、『[[月刊少年ジャンプ]]』→『[[ジャンプスクエア]]』→『ジャンプSQ.RISE』)<ref name="asahi">[https://www.asahi.com/articles/ASJCX63JTJCXUCVL02Z.html 「こち亀」終え新連載4本 「有給中」両さんも登場?]</ref>
=== 完結作品 ===
* [[BLACK TIGER]](2017年2号 - 2023年5号、『[[グランドジャンプ]]』)<ref>『週刊少年ジャンプ』2016年45号</ref><ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/214163|title=秋本治の新連載がグラジャンで始動!女ガンマンを主人公にした西部劇|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2016-12-21|accessdate=2023-02-01}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|date = 2023-02-01|title =BLACK TIGER 最終話 闘いの果て|journal =グランドジャンプ|volume=2023年5号|publisher = 集英社|page=417|asin = B0BSG1LMBF}}</ref>
* [[ファインダー -京都女学院物語-]](2017年10号 - 2018年17号、『[[週刊ヤングジャンプ]]』)<ref name="asahi"></ref>
* [[いいゆだね!]]<ref>連載以前、1994年に『スーパージャンプ』で掲載されている</ref>(2017年4月号 - 2019年7月号、『[[ウルトラジャンプ]]』)<ref name="asahi"></ref>
=== 短編・読み切り作品 ===
* 交通安全'76(1976年、『週刊少年ジャンプ』)
* 最後の狙撃兵(1977年、『週刊少年ジャンプ』) - [[週刊少年ジャンプ#愛読者賞|愛読者賞]]候補作品
* [[平和への弾痕]](1977年、『週刊少年ジャンプ増刊』)
* ひまつぶし探偵団(1978年、『月刊少年ジャンプ』)
* たびだち(1978年、『週刊少年ジャンプ』)
* となりの金ちゃん(1978年、『週刊少年ジャンプ』) - 愛読者賞チャレンジ作品
* 酷道4000キロ(1978年、『月刊少年ジャンプ』)
* [[5人の軍隊]](1979年、『週刊少年ジャンプ増刊』)
* 柴又戒厳令(1979年、『週刊少年ジャンプ』) - 愛読者賞チャレンジ作品
* クリスマス・キャンドル(1980年、『週刊少年ジャンプ増刊』)
* 新元禄太平記(1980年、『月刊少年ジャンプ』)
* ライブ(1980年、『週刊少年ジャンプ』) - 愛読者賞チャレンジ作品
* パニック最前線(1981年、『月刊少年ジャンプ』)
* 110秒の戦士たち(1981年、『週刊少年ジャンプ』) - 愛読者賞チャレンジ作品
* こちら交機の本田 赤のZ追跡中! よろしく!(1982年、『月刊少年ジャンプ』)
* 白バイファイター夢之丞変化(1982年 - 1983年、『月刊少年ジャンプ』)
* デスマッチ(1982年、『週刊少年ジャンプ』) - 愛読者賞チャレンジ作品
* 魔海伝説(1983年、『週刊少年ジャンプ』) - 愛読者賞チャレンジ作品
* 日本一の世直し男(1984年、『月刊少年ジャンプ』)
* 武装化時代(1984年、『フレッシュジャンプ』3月号)
* こちら人情民生課(1984年、『月刊少年ジャンプ』)
* プラモ道入門(1985年、『[[ホビーズジャンプ]]』)
* 爆笑!! ギャグスター4コマ漫画大会/ある漫画家のバカンス(1985年、『週刊少年ジャンプ増刊』)
* ロボット三太平(1986年、『[[スーパージャンプ]]』)
* 東京深川三代目(1987年 - 1990年、『スーパージャンプ』)
* 鷹が飛ぶ(1991年、『スーパージャンプ』)
* 花田留吉七転八倒(1992年 - 1994年、『スーパージャンプ』)
* R・P・G(1997年、『週刊少年ジャンプ』)
* N少女いずみ(1999年、『[[りぼん]]』付録)
* 時は…(2008年、『[[ジャンプスクエア]]』)
* KAKIMARU -かきまる-(2009年、『[[週刊少年ジャンプの増刊号|赤マルジャンプ]]』)
* SUCCEED(2010年、『週刊少年ジャンプ』)
* 希望の煙突 -端島-(2013年、『少年ジャンプNEXT!2013WINTER』)
* アリィよ銃を撃て!(2015年、『グランドジャンプ』新年4号)
* 七人も刑事(2021年、『グランドジャンプ』11号)
* デフォルマシオン-DÉFORMATION-(2022年、『グランドジャンプ』11号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/476222|title=秋本治が田舎の村を舞台に描く“ベンチャー創生物語”、読切でグラジャンに|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-05-02|accessdate=2022-05-02}}</ref>)
* TimeTuber ゆかり(2023年、『グランドジャンプ』17号<ref>{{Cite web|和書|url=http://grandjump.shueisha.co.jp/news/230802gj.html|title=グランドジャンプNo.17 大好評発売中!!「カモのネギには毒がある」表紙&巻頭カラー!秋本治新作読切「TimeTuberゆかり」巻中カラー!|website=グランドジャンプ公式|publisher=集英社|date=2023-08-02|accessdate=2023-08-02}}</ref>、2024年1号<ref>{{Cite web|和書|url=http://grandjump.shueisha.co.jp/news/231206gj.html|title=グランドジャンプ新年1号 大好評発売中!!本宮ひろ志新連載「みらい話」表紙&巻頭カラー!秋本治読切「TimeTuberゆかり」巻中カラー!|website=グランドジャンプ公式|publisher=集英社|date=2023-12-06|accessdate=2023-12-06}}</ref>)
=== エッセイ ===
* 両さんと歩く下町-『こち亀』の扉絵で綴る東京情景(2004年、集英社新書)({{ISBN2|978-4-08-720265-6}})
* 両さんの時代 『こち亀』で読むエンタメ史(2009年、集英社)({{ISBN2|978-4-8342-5153-1}})
=== その他 ===
* 「[[ジョジョの奇妙な冒険|ジョジョ]]」連載25周年紀念 特別寄稿(2012年)
* 秋本治の仕事術 〜『こち亀』作者が40年間休まず週刊連載を続けられた理由〜(2019年、集英社){{ISBN2|978-4-08-788010-6}}
== テレビ出演 ==
* [[トキワ荘|わが青春のトキワ荘〜現代マンガ家立志伝〜]](1981年5月25日、[[日本放送協会|NHK]])
* [[情熱大陸]](2009年2月22日、[[TBS]])
* [[ワイドナショー]](2016年9月4日、[[フジテレビ]])
* [[第67回NHK紅白歌合戦]](2016年12月31日、NHK)※ゲスト審査員として
* [[ごごナマ]](2019年3月14日、NHK)
* Style2030 賢者が映す未来(2022年10月16日、[[BS-TBS]])
== アシスタント ==
* [[とみさわ千夏]]<ref>『漫画家人名事典』260頁</ref>
* [[あろひろし]]<ref>『漫画家人名事典』27頁</ref>
* [[うすね正俊]]<ref>『こちら葛飾区亀有公園前派出所』30巻44頁 「秋本プロ アシスタント白書」</ref>
* 内田耕次
* [[坂本昭悟]]
* 実崎孝永
* 嶋橋広志
* 原康
* 木村隆宏
* [[藤井みほな]]<ref>『こちら葛飾区亀有公園前派出所』102巻の巻末おまけページより。</ref>
==交友関係==
締切に遅れないことを「特技」とする秋本は、長期連載漫画家にしては珍しく時間を作って遊びに出かけることが多い。自身の幅広い交友関係とその体験は、作品のアイディアにもつながっている。
*[[さいとうたかを]]
*[[ちばてつや]]
*[[永井豪]]
*[[望月三起也]]
*[[曽山一寿]]
*[[小林よしのり]]
*[[神谷明]]
*[[所ジョージ]]
*[[甲斐よしひろ]]
*[[デーモン小暮閣下]]
*[[一本木蛮]]
*[[木梨憲武]]
*[[ラサール石井]]
*[[なぎら健壱]]
*[[尾崎亜美]]
*[[車田正美]]
*[[ゆでたまご]]
*[[小室哲哉]]
*[[坂崎幸之助]]
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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[[Category:日本の漫画家]]
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1,264 | みやすのんき | みやす のんき(1962年11月1日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。中央大学卒業。代表作『やるっきゃ騎士』『冒険してもいい頃』『桃香クリニックへようこそ』『AVない奴ら』など。
中央大学在学中は、漫画研究会に所属。この時の仲間に山田貴敏、山本貴嗣、河合単らがいた。在学中より、ロリコンメーカー、洋森しのぶ(または、ひろもりしのぶ)名義で『劇画ジッパー』や『漫画ブリッコ』などに執筆していた。
1984年、『月刊少年ジャンプ』にて『やるっきゃ騎士』、『月刊少年チャンピオン』にて『LOVE LOVE アミィ』を発表し、みやすのんき名義で同時デビュー。当時『月刊少年マガジン』に連載されていた『Oh!透明人間』『ハートキャッチいずみちゃん』などと並び少年漫画誌としては過激なお色気シーンで話題となる。1985年には『週刊少年ジャンプ』にて『うわさのBOY』を連載。『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』にも連載や読み切りを発表する。
1987年には『ビッグコミックスピリッツ』にて『冒険してもいい頃』を連載し、青年漫画誌に進出した。以降は『週刊モーニング』『ミスターマガジン』『週刊ヤングジャンプ』『ビジネスジャンプ』等で執筆。
お色気漫画だけでなくSFやホラー、伝奇やそれらをお色気と融合させた作品も多く描いている。この分野での作品集『リフレッシュ』(1985年、白泉社、後に電子書籍化)もある。
現在は自作映像作品の脚本、演出のほかに講談社『MiChao!』にて『ヴァイブ』、『ケータイ★まんが王国』にて配信中の七波のろ『AVない若奥さま』の原作など多岐にわたり活躍中。
50歳を迎えた2014年から不摂生な生活と太り過ぎを反省。マラソンに取り組むようになり、1年半でサブスリー(3時間以内でのフルマラソン完走)を達成し、その間に体重も85kgから55kgまで減少した。これらの経験を基にした著書を複数刊行している。 | [
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] | みやす のんきは、日本の漫画家。東京都出身。中央大学卒業。代表作『やるっきゃ騎士』『冒険してもいい頃』『桃香クリニックへようこそ』『AVない奴ら』など。 | {{Infobox 漫画家
| 名前 = みやす のんき
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'''みやす のんき'''([[1962年]][[11月1日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]]出身。[[中央大学]]卒業。代表作『[[やるっきゃ騎士]]』『[[冒険してもいい頃]]』『[[桃香クリニックへようこそ]]』『[[AVない奴ら]]』など。
== 略歴 ==
中央大学在学中は、漫画研究会に所属。この時の仲間に[[山田貴敏]]、[[山本貴嗣]]、[[河合単]]らがいた。在学中より、'''ロリコンメーカー'''、'''洋森しのぶ'''(または、ひろもりしのぶ)名義で『[[劇画ジッパー]]』や『[[漫画ブリッコ]]』などに執筆していた。
1984年、『[[月刊少年ジャンプ]]』にて『[[やるっきゃ騎士]]』、『[[月刊少年チャンピオン]]』にて『LOVE LOVE アミィ』を発表し、'''みやすのんき'''名義で同時デビュー。当時『[[月刊少年マガジン]]』に連載されていた『[[Oh!透明人間]]』『[[ハートキャッチいずみちゃん]]』などと並び[[少年漫画]]誌としては過激なお色気シーンで話題となる。1985年には『[[週刊少年ジャンプ]]』にて『うわさのBOY』を連載。『[[週刊少年マガジン]]』『[[週刊少年サンデー]]』にも連載や読み切りを発表する。
1987年には『[[ビッグコミックスピリッツ]]』にて『冒険してもいい頃』を連載し、[[青年漫画]]誌に進出した。以降は『[[週刊モーニング]]』『[[ミスターマガジン]]』『[[週刊ヤングジャンプ]]』『[[ビジネスジャンプ]]』等で執筆。
お色気漫画だけでなく[[サイエンス・フィクション|SF]]や[[ホラー]]、伝奇やそれらをお色気と融合させた作品も多く描いている。この分野での作品集『リフレッシュ』(1985年、[[白泉社]]、後に[[電子書籍]]化)もある。
現在は自作映像作品の脚本、演出のほかに[[講談社]]『[[MiChao!]]』にて『ヴァイブ』、『[[ケータイ★まんが王国]]』にて配信中の七波のろ『AVない若奥さま』の原作など多岐にわたり活躍中。
== マラソン ==
50歳を迎えた[[2014年]]から不摂生な生活と太り過ぎを反省。[[マラソン]]に取り組むようになり、1年半でサブスリー(3時間以内でのフルマラソン完走)を達成し、その間に体重も85kgから55kgまで減少した。これらの経験を基にした著書を複数刊行している。
== その他 ==
* 連載作品の主人公の出身地が[[仙台市|仙台]]や[[北海道]]などの東日本出身者が多く、自身も東京都出身。
* 過去に『メタルキッズ』という雑誌で編集をしていた。
* [[サンドウィッチマン (お笑いコンビ)|サンドウィッチマン]]の、単独ライブなどで行われるコントの中で、[[富澤たけし]]の[[ボケ (漫才)|ボケ]]に対して[[伊達みきお]]が「呑気か!」と突っ込んだ後、「みやすのんきか!」と続ける場面が度々見受けられている。
* 趣味は散歩、食べ歩き<ref>みやすのんき『サブスリー漫画家 激走 山へ!』実業之日本社、264ページ、2018年、ISBN 978-4-408-33800-2</ref>。
* エロティックな描写の基準(怒られないレベル)は「[[永井豪]]」としていた。
* 『やるっきゃ騎士』の頃は、他の作品と合わせて月に150ページを描いていた。
== 著書 ==
* [[特機獣サツキ]]
* [[新AVない奴ら]]
* [[やるっきゃ騎士]]
* [[うわさのBOY(あいつ)]]
* [[冒険してもいい頃]]
* [[ヘビメタ甲子園]]
* [[リフレッシュ (漫画)|リフレッシュ]]
* [[僕はミニに恋してる]]
* [[厄災仔寵]]
* [[桃香クリニックへようこそ]]
* [[AVない奴ら|AV(あぶ)ない奴ら]]
* [[AVない若奥様]](原作)
* [[快感トリップ凛]](原作)
* [[ヴァイブ (漫画)|ヴァイブ]]
* [[Oh・パンタクBOY]]
* [[REFRESH]]
* [[東京ナンパすとりーと]]
* [[ゴルフ19]]
* [[嗚呼!!ポルシェへの道]](自動車雑誌「[[NAVI]]」にて連載していたエッセイの単行本)
* [[ドリームラバーズ]]
*『走れ! マンガ家ひぃこらサブスリー 運動オンチで85kg 52歳フルマラソン挑戦記!」』(2015年、[[実業之日本社]])ISBN 978-4408111711
*『あなたの歩き方が劇的に変わる! 驚異の大転子ウォーキング』(2016年、[[彩図社]] )ISBN 978-4801301887
*『「大転子ランニング」で走れ! マンガ家 53歳でもサブスリー』(2017年、実業之日本社)ISBN 978-4408112077
*『誰も教えてくれなかったマラソンフォームの基本 遅く走り始めた人ほど大切な60のコツ』(2017年、カンゼン)ISBN 978-4862554406
*『サブスリー漫画家 激走 山へ!』(2018年、実業之日本社)ISBN 978-4408338002
=== ひろもりしのぶ名義 ===
* オトナなんかだいっきらい!! ひろもりしのぶ第1作品集 白夜書房 1983
* バナナシスターズ 白夜書房(白夜コミックス) 1985/3
* Oh!ポテトboy―ちょっとカゲキなオフィスLove 白夜書房 1987/2
* 眠っちゃいやよ フランス書院コミック文庫 1987/9
* いたずらしないで! フランス書院コミック文庫 1988/4
* わくわくさせて フランス書院コミック文庫 1992/7
* オトナとバナナ 英知出版(EC COMICS DELUX) 2002/12
* ひろもりしのぶ選集 復刊ドットコム 2015/3/18
== 映像作品 ==
=== OVA ===
* 冒険してもいい頃1 初挑戦!AV業界!!(1989年)
* 冒険してもいい頃2 青春!燃えてクランクイン!(1990年)
* 冒険してもいい頃3 アポロ軍団ゲリラ撮影隊参上!(1990年)
* 厄災仔寵(1997年5月21日)
=== オリジナルビデオ ===
* 冒険してもいい頃(1992年12月19日)
* 冒険してもいい頃2(1993年5月28日)
* 厄災仔寵 死神たちの罠(1997年4月25日)
* 厄災仔寵2 悪霊たちの学園篇(1997年10月2日)
* 桃香クリニックへようこそ(2008年9月19日) - 原作/監修を担当
* AVない奴ら(2008年10月17日) - 原作/監修/音楽を担当
=== アダルトビデオ ===
* みやすのんき妄想エロ漫画AV メイド探偵亜美(2008年9月13日) - 原案/脚本/演出/音楽を担当
== ゲーム ==
* [[みやすのんきのクイズ18禁]] - アーケードゲーム
* [[バイトヘル2000]] - ゲーム内のミニゲーム「悦びのハンドベル」の作画
== アシスタント ==
* [[紅林直]]<ref>{{Cite web|url=https://mangapedia.com/紅林直-v6qd0t7e4|title=紅林 直(漫画家)|work=マンガペディア|accessdate=2021-08-15}}</ref>
* [[熊谷カズヒロ]]
* [[鈴木がんま]]
== その他 ==
* 週刊誌 [[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]] 2015年12月22日号の「お色気マンガベスト10」に『やるっきゃ騎士』がランクインし、コメントした。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [http://www.m-nonki.com/ みやすのんき -STUDIOのんき生中継-][https://web.archive.org/web/20010515210523/http://kocho.room.ne.jp/~koran/]
* {{Twitter|MiyasuNonki|みやすのんき}}
{{Normdaten}}
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[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:中央大学出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1962年生]]
[[Category:存命人物]] | null | 2023-07-16T22:03:56Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%AE%E3%82%93%E3%81%8D |
1,265 | 吉野朔実 | 吉野 朔実(よしの さくみ、1959年2月19日 - 2016年4月20日)は、日本の女性漫画家。大阪府出身。血液型はO型。
1959年(昭和34年)年2月19日に大阪府で生まれ、熊本県、千葉県で育つ。千葉県立柏高等学校を経て(江口寿史との対談や、江口寿史が自らのTwitterアカウントで、江口と吉野と塩森恵子が同校出身と述べている)、短期大学を卒業。
1980年、集英社の少女漫画雑誌『ぶ〜け』から「ウツよりソウがよろしいの!」でデビュー。1983年から『ぶ〜け』で大学生の青春群像を描いた『月下の一群』を連載開始した。
1980年代から1990年代までは『ぶ〜け』で連載を続け、1985年からは「少年は荒野をめざす」。1988年からは「ジュリエットの卵」を連載。これらの作品ではその後も吉野の作品のモチーフとなっていく心理学的な題材や人物の鏡像関係などが見られる。1991年からは、毎月50頁のオムニバス的連載「いたいけな瞳」、1993年には心理カウンセラーの女性と双子の男性を軸にした「エキセントリックス」を連載。その後、集英社との専属契約が切れたため、2000年代以降は小学館の雑誌に活動の場を移す。
2001年に『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載開始した「瞳子」では青年誌に進出し、大学卒業後に就職しない男女の関係を描いた。
文学にも造詣が深くエッセイの執筆も手がけ、『本の雑誌』で連載していた書評エッセイは『お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き』(本の雑誌社、1996年)などとして出版されている。映画に関するエッセイは『こんな映画が、吉野朔実のシネマガイド』(パルコ出版、2001年)として出版された。またNHKの書評番組『週刊ブックレビュー』にも書評者として何回か出演した。
2002年10月に小学館から刊行された漫画作品『記憶の技法』は、同名実写映画の原作となり、2020年に映画『記憶の技法』として公開(制作・配給:KAZUMO)、同年11月27日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかで全国ロードショーが開始された。
2003年より『月刊IKKI』で連載開始した「period」は現代の家族をテーマに、2014年完結までの長期連載となった。死の直前となる2016年には『月刊フラワーズ』6月号に読み切り「いつか緑の花束に」とインタビューを掲載、『本の雑誌』には「吉野朔実劇場」の連載を続けていた。
2016年4月20日、東京都内で死去。57歳没。小学館側の発表では「病気のため逝去」としか語られておらず、詳細な死因は明らかにされていない。
緻密で華麗な絵柄とクールで分析的な視点の作風を特徴とする。しばしば心理学を題材とし、青年期のアイデンティティ・クライシスを描くため、直接的また間接的に双子を扱った作品が多く見られる。作風は松苗あけみや山本直樹の影響を受けたと語っている。また歌人の穂村弘や精神科医の春日武彦との交友関係が知られ、春日の著書の挿絵も手がけている。 | [
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] | 吉野 朔実は、日本の女性漫画家。大阪府出身。血液型はO型。 | {{Infobox 漫画家
| 名前 = 吉野 朔実
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| 脚注 = <!-- 画像の説明文 -->
| 本名 = <!-- 必ず出典を付ける -->
| 生年 = {{生年月日と年齢|1959|2|19|no}}<ref name="東文研"/>
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| 没年 = {{死亡年月日と没年齢|1959|2|19|2016|4|20}}
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'''吉野 朔実'''(よしの さくみ、[[1959年]][[2月19日]]<ref name="東文研"/> - [[2016年]][[4月20日]]<ref name="asahi201652" />)は、[[日本]]の女性[[漫画家]]。[[大阪府]]出身<ref name="東文研">[https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/818716.html 吉野朔実] 東文研アーカイブデータベース、[[東京文化財研究所]]、出典:『日本美術年鑑』平成29年版、541頁。2019年10月17日、2021年11月4日閲覧。</ref>。[[ABO式血液型|血液型]]はO型<ref>「ラブリー・インタビュー 吉野朔実」『グレープフルーツ』第21号(新書館、1985年)、170頁。</ref>。
== 人物・経歴 ==
1959年([[昭和]]34年)年2月19日に[[大阪府]]で生まれ、[[熊本県]]、[[千葉県]]で育つ<ref name="東文研"/>。<!--{{要出典範囲|父の転勤で[[熊本県|熊本]]、[[東京都|東京]]などを転々とする。|date=2021-11-04}}-->[[千葉県立柏高等学校]]を経て([[江口寿史]]との対談<ref>「ふたりでワイワイ!ミニ同窓会 江口寿史vs吉野朔実」『ぶ~けせれくしょん』No.2(集英社、1984年)137頁。</ref>や、[[江口寿史]]が自らの[[Twitter]]アカウントで、江口と吉野と[[塩森恵子]]が同校出身と述べている<ref>{{Cite web|和書|title=おれと吉野朔実さんと塩森恵子さんが同じ高校。千葉県立柏高校の後輩ども、母校から三人も漫画家が出てるの知らないだろ。|url=https://twitter.com/eguchinn/status/727066228682969088|author=[[江口寿史]] |website=[[Twitter]]|date=2016=05-02 |accessdate=2020-11-13 |language=ja}}</ref>)、[[短期大学]]を卒業<ref name="東文研"/><ref>[https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479670353 著者紹介] [[紀伊国屋書店]]</ref>。
[[1980年]]、[[集英社]]の[[少女漫画]][[漫画雑誌|雑誌]]『[[ぶ〜け]]』から「ウツよりソウがよろしいの!」でデビュー<ref name="東文研"/>。[[1983年]]から『ぶ〜け』で大学生の青春群像を描いた『[[月下の一群 (漫画)|月下の一群]]』を[[連載]]開始した<ref name="東文研"/>。
1980年代から1990年代までは『ぶ〜け』で連載を続け、[[1985年]]からは「[[少年は荒野をめざす]]」<ref name="東文研"/>。[[1988年]]からは「[[ジュリエットの卵]]」を連載<ref name="東文研"/>。これらの作品ではその後も吉野の作品のモチーフとなっていく[[心理学]]的な題材や人物の[[鏡像]]関係などが見られる<ref name="東文研"/>。[[1991年]]からは、毎月50頁の[[オムニバス]]的連載「いたいけな瞳」、[[1993年]]には[[心理カウンセラー]]の女性と双子の男性を軸にした「エキセントリックス」を連載<ref name="東文研"/>。その後、[[集英社]]との専属契約が切れたため、2000年代以降は[[小学館]]の雑誌に活動の場を移す。
[[2001年]]に『[[週刊ビッグコミックスピリッツ]]』で連載開始した「瞳子」では[[青年誌]]に進出し、大学卒業後に就職しない男女の関係を描いた<ref name="東文研"/>。
[[文学]]にも造詣が深く[[エッセイ]]の執筆も手がけ、『[[本の雑誌]]』で連載していた[[書評]]エッセイは『お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き』(本の雑誌社、1996年)などとして出版されている<ref name="東文研"/>。[[映画]]に関するエッセイは『こんな映画が、吉野朔実のシネマガイド』([[パルコ出版]]、2001年)として出版された<ref name="東文研"/>。また[[日本放送協会|NHK]]の書評番組『[[週刊ブックレビュー]]』にも書評者として何回か出演した。
[[2002年]]10月に小学館から刊行された漫画作品『[[記憶の技法]]』は、同名実写[[映画]]の[[原作]]となり、[[2020年]]に映画『記憶の技法』として公開(制作・[[映画配給|配給]]:KAZUMO)、同年[[11月27日]]より[[ヒューマントラストシネマ渋谷]]ほかで全国[[ロードショー (映画用語)|ロードショー]]が開始された<ref>[https://www.kiokunogihou.com/ 映画『記憶の技法』公式サイト] 2021年11月4日閲覧。</ref>。
[[2003年]]より『[[月刊IKKI]]』で連載開始した「period」は現代の家族をテーマに、[[2014年]]完結までの長期連載となった<ref name="東文研"/><ref name="ナタリー160502">[https://natalie.mu/comic/news/185845 吉野朔実が病気のため逝去] [[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]] 2016年5月2日、2016年5月2日閲覧。</ref>。死の直前となる[[2016年]]には『[[月刊フラワーズ]]』6月号に読み切り「いつか緑の花束に」とインタビューを掲載<ref name="東文研"/><ref name="ナタリー160502"/>、『本の雑誌』には「吉野朔実劇場」の連載を続けていた<ref name="ナタリー160502"/>。
[[2016年]][[4月20日]]、[[東京都]]内で死去<ref name="東文研"/><ref name="ナタリー160502"/><ref name="asahi201652"/>。{{没年齢|1959|2|19|2016|4|20}}<ref name="東文研"/><ref name="asahi201652">{{Cite news |title=漫画家の吉野朔実さん死去 「少年は荒野をめざす」 |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2016-05-02 |url=http://www.asahi.com/articles/ASJ525JV5J52UCVL01S.html?iref=comtop_rnavi_arank_nr01 |accessdate=2016-05-02}}</ref>。[[小学館]]側の発表では「病気のため逝去」としか語られておらず、詳細な死因は明らかにされていない<ref>[https://flowers.shogakukan.co.jp/ 小学館コミック「月刊flowers」] 小学館</ref><ref>[http://www.webdoku.jp/newshz/zasshi/2016/05/02/130000.html 【訃報】吉野朔実さん - 本の雑誌特派員] WEB[[本の雑誌]]、2016年5月2日</ref>。
緻密で華麗な絵柄とクールで分析的な視点の作風を特徴とする。しばしば[[心理学]]を題材とし、[[青年期]]の[[自己同一性|アイデンティティ・クライシス]]を描くため、直接的また間接的に[[双子]]を扱った作品が多く見られる。{{要出典範囲|作風は[[松苗あけみ]]や[[山本直樹]]の影響を受けたと語っている。|date=2021-11-04}}また[[歌人]]の[[穂村弘]]や[[精神科医]]の[[春日武彦]]との交友関係が知られ、春日の著書の[[挿絵]]も手がけている。
== 作品リスト ==
=== 漫画単行本 ===
* 『グルービィナイト』集英社 (1982/4/15) ISBN 978-4088600277 全1巻
* 『[[月下の一群 (漫画)|月下の一群]]』(1983年)全3巻(文庫版全2巻)
* 『[[月下の一群 (漫画)|月下の一群 PART2]]』(1984年)全2巻
* 『王様のDINNER』集英社 (1985/04) ISBN 978-4088600833 全1巻
* 『HAPPY AGE』(1985年)全2巻
* 『[[少年は荒野をめざす]]』全6巻(文庫版全4巻)
* 『[[ジュリエットの卵]]』全5巻 (文庫版全3巻)
* 『天使の声』(1989年)全1巻
* 『La Maschera(ラ・マスケーラ)』集英社 (1990/06) ISBN 978-4088602080 全1巻
* 『[[いたいけな瞳]]』(1991年 - 1993年)全8巻(文庫版全5巻)
* 『Eccentrics(エキセントリクス)』(1993年 - 1994年)全4巻(文庫版全2巻)
* 『[[恋愛的瞬間]]』(1996年 - 1997年)全5巻(文庫版全3巻)
* 『[[ぼくだけが知っている]]』(1996年 - 1998年)全5巻(文庫版全3巻)
* 『瞳子』小学館 (2001/06) ISBN 978-4091793713 全1巻
* 『グールドを聴きながら』小学館 (2000/08) ISBN 978-4091722911 全1巻
* 『栗林かなえの犯罪』小学館 (2001/05) ISBN 978-4091722928 全1巻
* 『[[記憶の技法]]』 小学館 (2002/10) ISBN 978-4091670014 全1巻 - 映画原作。2020年公開
* 『透明人間の失踪』小学館 (2003/8/23) ISBN 978-4091670021 全1巻
* 『period(ピリオド)』小学館([[月刊IKKI]]連載 2004年 - 2014年)全5巻
* 『いつか緑の花束に』小学館(2016/12)ISBN 978-4091670748 全1巻
=== エッセイ ===
* 『お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き』[[本の雑誌社]]、1996年([[角川文庫]]、2002年)
* 『眠れない夜には星を数えて』[[大和書房]]、1996年
* 『お母さんは「赤毛のアン」が大好き』本の雑誌社、2000年(角川文庫、2004年)
* 『こんな映画が、吉野朔実のシネマガイド』[[パルコ出版]]、2001年
* 『弟の家には本棚がない』本の雑誌社、 2002年
* 『犬は本よりも電信柱が好き』本の雑誌社、2004年
* 『本を読む兄、読まぬ兄』本の雑誌社、2007年
* 『シネコン111 吉野朔実のシネマガイド』[[エクスナレッジ]]、2007年
* 『狂気な作家のつくり方』本の雑誌社、2009年([[平山夢明]]と共著)
* 『神様は本を読まない』本の雑誌社、 2010年
* 『悪魔が本とやってくる』本の雑誌社、2013年
=== 絵本 ===
* 『もっと幸福な一日』大和書房、1994年
* 『プレゼントをあげる』大和書房、1999年
* 『ましまる おかえりなさいをきくまでは』大和書房、2001年
=== 画集 ===
* 『FLOWER PIECES (Bouquet Excellent)』集英社、1988年
=== 挿絵・挿入漫画など ===
* [[春日武彦]]『「治らない」時代の医療者心得帳 カスガ先生の答えのない悩み相談室』[[医学書院]]、2007年
* 春日武彦『精神のけもの道 つい、おかしなことをやってしまう人たちの話』[[アスペクト (企業)|アスペクト]]、2008年
* 春日武彦『つまらない人生入門(鬱屈大全)』アスペクト、2011年
* 柴田元幸『つまみぐい文学食堂』[[角川書店]]、2006年([[角川文庫]]、2010年)
=== カバーイラスト ===
* [[角川文庫]]
** [[赤毛のアン]]、[[アンの青春]]、[[アンの愛情]]([[L・M・モンゴメリ]]作、[[中村佐喜子]]訳、[[角川書店]]、平成20年4月25日発行版)
** [[ポリアンナ|少女パレアナ]]([[エレナ・ホグマン・ポーター|エレナ・ポーター]]作、[[村岡花子]]訳、角川書店)
* [[集英社文庫]]
** [[こゝろ|こころ]]、[[三四郎]]、[[坊ちゃん]]([[夏目漱石]]、[[集英社]])
* [[プランニングハウス]]
** ドラゴンファームはいつもにぎやか、ドラゴンファームのゆかいな仲間、ドラゴンファームのこどもたち([[久美沙織]]作)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[ぶ〜け]]
== 外部リンク ==
* [https://web.archive.org/web/19990204033728/http://www.dtinet.or.jp/~wall/hekibundou/yosinosakumi.html 吉野朔実のページ]
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:よしの さくみ}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:大阪府出身の人物]]
[[Category:1959年生]]
[[Category:2016年没]] | 2003-02-13T09:58:21Z | 2023-11-16T04:00:51Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E6%9C%94%E5%AE%9F |
1,266 | 岩館真理子 | 岩館 真理子(いわだて まりこ、1957年2月8日 - )は、日本の漫画家。北海道札幌市出身。
1973年(昭和48年)、『週刊マーガレット』(集英社)秋の増刊号に掲載された「落第します」でデビュー。以後、同誌を中心に執筆。70年代は陸奥A子・田渕由美子などに代表される、いわゆる乙女チックラブコメ風の作品を発表していたが、80年代に入ってからシリアスものに路線を変更している。90年代からは主にヤングユーなどの女性誌で執筆している。
作風は、大人の女性の等身大の恋愛を描いたものから、少女を主人公にした幻想的なものまで幅広く、繊細な感受性から生み出される独特の作品世界は、淡麗な絵柄とも相まって、多くの読者の支持を集めている。
1992年、『うちのママが言うことには』で、第16回講談社漫画賞を受賞。このほかの代表作に『1月にはChristmas』、『アリスにお願い』などがある。長い漫画家生活の中で、漫画の描き方が分からなくなるようなスランプにも、度々見舞われたことがあるという。
大塚英志は、岩館を「大人の少女まんが(レディースコミックではない)という新しい形を作った漫画家」と評価し、『ヤングユー』などの女性誌の発展に彼女が果たした役割は小さくないと指摘している。 ZARDの坂井泉水は好きな人の1人に名前を挙げており自身の作品タイトルに「遠い星を数えて」がある。また、作家のよしもとばななは大きな影響を受けた人物に岩館の名前を挙げている。
近年はあまり作品を発表していないが(最近作は「Cocohana」2012年7月号掲載の『菫子』)、2014年9月から10月まで東京・港区で開催された「わたしのマーガレット展~マーガレット・別冊マーガレット 少女まんがの半世紀~」展では「週刊マーガレット」時代の自作の原画を出品した。
※単行本のみ。年数表記は単行本の刊行年、巻数表記のないものは全1巻。 | [
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] | 岩館 真理子は、日本の漫画家。北海道札幌市出身。 | '''岩館 真理子'''(いわだて まりこ、[[1957年]][[2月8日]] - )は、日本の[[漫画家]]。[[北海道]][[札幌市]]出身<ref>『春がこっそり』集英社漫画文庫、1980年、「著者紹介」より</ref>。
== 来歴 ==
[[1973年]](昭和48年)、『[[マーガレット (雑誌)|週刊マーガレット]]』([[集英社]])秋の増刊号に掲載された「落第します」でデビュー。以後、同誌を中心に執筆。70年代は[[陸奥A子]]・[[田渕由美子]]などに代表される、いわゆる[[乙女チックラブコメ]]風の作品を発表していたが、80年代に入ってからシリアスものに路線を変更している。90年代からは主に[[ヤングユー]]などの女性誌で執筆している。
作風は、大人の女性の等身大の恋愛を描いたものから、少女を主人公にした幻想的なものまで幅広く、繊細な感受性から生み出される独特の作品世界は、淡麗な絵柄とも相まって、多くの読者の支持を集めている。
[[1992年]]、『[[うちのママが言うことには]]』で、第16回[[講談社漫画賞]]を受賞。このほかの代表作に『1月にはChristmas』、『アリスにお願い』などがある。長い漫画家生活の中で、漫画の描き方が分からなくなるようなスランプにも、度々見舞われたことがあるという<ref>[[産経新聞]](1992年5月30日)</ref>。
[[大塚英志]]は、岩館を「大人の少女まんが([[レディースコミック]]ではない)という新しい形を作った漫画家」と評価し、『ヤングユー』などの女性誌の発展に彼女が果たした役割は小さくないと指摘している<ref>大塚英志「まんがランダム 再び変革に挑む?岩館真理子」 [[読売新聞]] 1995年12月12日朝刊読書欄</ref>。
[[ZARD]]の[[坂井泉水]]は好きな人の1人に名前を挙げており自身の作品タイトルに「遠い星を数えて」がある。また、作家の[[よしもとばなな]]は大きな影響を受けた人物に岩館の名前を挙げている。
近年はあまり作品を発表していないが(最近作は「[[Cocohana]]」2012年7月号掲載の『菫子』)、2014年9月から10月まで東京・港区で開催された「わたしのマーガレット展~マーガレット・別冊マーガレット 少女まんがの半世紀~」展では「週刊マーガレット」時代の自作の原画を出品した<ref>[[東京新聞]]、2014年9月18日付</ref>。
== 人物 ==
* [[猫]]を飼っており、猫に関するエッセイ漫画も数多く執筆している
* 好きな作家は[[オー・ヘンリー]]、好きな映画は『[[ベニスに死す (映画)|ベニスに死す]]』<ref>岩館真理子・大島弓子・小椋冬美『わたしたちができるまで』角川書店</ref>
== 作品リスト ==
※単行本のみ。年数表記は単行本の刊行年、巻数表記のないものは全1巻。
=== 週刊マーガレット連載 ===
* おしおきしちゃうから!(1976年)
* 初恋時代 前編・後編(1977年、全2巻)
* ふたりの童話(1977-1978年、全3巻)
* 春がこっそり(1977年)
* グリーンハウスはどこですか?(1978年)
* 17年目(1979年)
* となりの住人(1980年)
* チャイ夢(1981年)
* 4月の庭の子供たち(1981年)
* 乙女坂戦争(1982年)
* ふくれっつらのプリンセス(1982年)
* ガラスの花束にして(1983年、全2巻)
* えんじぇる(1983年)
* [[1月にはChristmas]](1984年)
* 森子物語(1984年、全2巻)
* わたしが人魚になった日(1985年)
* おいしい関係(1986年、全2巻) - [[槇村さとる]]の同名作品とは無関係
* 週末のメニュー(1986年)
* 遠い星をかぞえて(1987年)
* まるでシャボン(1987年、全2巻)
* きみは3丁目の月(1988年)
* 五番街を歩こう(1989年)
=== YOU・(別冊)ヤングユー連載 ===
* うちのママが言うことには(1988-1995年、全5巻、文庫版全3巻)
* 冷蔵庫にパイナップル・パイ(1990-1995年、全3巻、文庫版全2巻)
* アリスにお願い(1991年)
* 白いサテンのリボン(1994年)
* キララのキ(1997-1998年、全4巻)
* 薔薇のほお(1999年)
* アマリリス(2001-2004年、全4巻)
* まだ八月の美術館(2001年)
* 見上げてごらん(2007年)
=== その他 ===
* 子供はなんでも知っている([[ぶ〜け]]〔集英社〕連載、1990-1996年、全4巻、文庫版全2巻)
* 雲の名前([[ヤングロゼ]]〔[[角川書店]]〕連載、1993年)
* 月と雲の間([[モーニング (漫画雑誌)|モーニングマグナム増刊]]連載)
* もういちど逢いたい猫([[月刊フラワーズ|flowers]]〔[[小学館]]〕掲載、2009年。『ドラララらん』(2004 - 2007年発表)収録。単行本は[[逢坂みえこ]]・[[波津彬子]]らとのオムニバス)
* どこかにある猫の国(flowers掲載、2013年。『夕暮れバス』(2007・2008年発表)収録。単行本は[[萩尾望都]]・波津彬子らとのオムニバス)
* 表紙絵、黒木瞳「夫の浮気」等。
=== イラスト集 ===
* 岩館真理子イラストレーションズ (集英社文庫―コミック版、1996年)
=== 著書 ===
* わたしたちができるまで(角川書店、[[大島弓子]]・[[小椋冬美]]との共著)
== 関連項目 ==
* [[岡崎京子]] - 『[[くちびるから散弾銃]]』に岩館ファンのキャラクターが登場する
== 脚注 ==
<references />
== 外部リンク ==
* [http://park18.wakwak.com/~yako/iwadate.html 冷蔵庫にパイがひとつ] - ファンサイト。作品リスト・作品紹介など
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[[Category:札幌市出身の人物]]
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1,267 | H2 (漫画) |
『H2』(エイチツー)は、あだち充による日本の漫画作品。『週刊少年サンデー』(小学館)にて、1992年32号から1999年50号まで連載された。
高校野球をテーマとした長編野球漫画。2人の野球少年であるヒーローと2人のヒロインの、野球にかける青春と恋を描く。
単行本は小学館:少年サンデーコミックスより全34巻、同ワイド版より全17巻、小学館文庫より全20巻。2018年8月時点でシリーズ累計発行部数は5500万部を突破している。同年には「サンデーうぇぶり」にて電子版が連載を開始。
映像では、1995年にアニメ版が、2005年1月から3月まで実写ドラマ版が放送された。
タイトル『H2』とは、「ヒーローふたり、ヒロインふたり」を意味する(詳細は登場人物の項を参照)。
本作は、あだちにとって『タッチ』の連載終了以来6年ぶりの野球漫画の連載となった。あだちは『タッチ』の終了後は女子ソフトボールを題材とした『スローステップ』、水泳を題材とした『ラフ』、時代劇ものの『虹色とうがらし』を手掛けるなど野球を避けてきたが、その理由については「掲載誌のことを考えず、自分が柱になろうという気持ちも持たず、本人が描きたい絵をただ描きました」「野球マンガを2本続けて描いたら、しんどいし、すり減っちゃうでしょう」と語っている。
ふたたび野球漫画に取り組んだ理由について、あだちはJリーグ開幕を翌年に控えた日本国内のサッカー人気の高まりへの反発や対抗心があったと語っている。また、野球の魅力を読者に伝えようと、『タッチ』以上に野球の描写へのこだわりもみせた。
なお、あだちは野球が「間のあるスポーツ」で、サッカーは選手が絶え間なく動く「間のないスポーツ」だとしている。自身の作風を「僕のマンガは”間”ばっかりだから(笑)」とし、野球との相性の良さについても言及している。
本作はあだち充の長編漫画では最もほろ苦い最終回を迎えるとされる。あだちは野球を真面目に描くつもりで、比呂と春華とひかりと英雄の四角関係の組み合わせを決めずに連載を開始。最後の最後まで比呂とひかりがどちらにいくかはわからない展開が繰り広げられる。主人公である比呂の初恋が敗れるという結末については、他にも収拾の仕方はあったのだろうが流れに任せていたらこうなったとコメントしている。そのほろ苦さについて問いかけられた際、「普通だったら、幼なじみの比呂と雨宮ひかりがくっつくところを、読者的には古賀春華の人気が出ちゃったので、まぁ、許してくれるかなと(笑)」と答えた。少年の思春期の出遅れとそれによる同級生の少女とのすれ違いは当初からあだちが本作のテーマとしていた要素であり、比呂とひかりの関係のターニングポイントとなる第213話「夢じゃないみたいだな」の会話において象徴的に表現されている。
結末は担当編集者とも相談して決定。通常版コミックの20巻近くまで連載が進んだ時点、比呂がまだ春華とひかりのどちらを選ぶか明確でないタイミングで配属された担当は、いち読者としては比呂がひかりへの純愛を貫くことを希望していた。しかし打ち合わせで、読者人気のある春華でなくひかりとくっつくと比呂が悪者に映ってしまうので、ひかりと英雄の幸せのために比呂が一歩退く方向で行けばまとまるのではないかという意見がどちらともなく出る。担当はその打ち合わせ以後『H2』のセリフが切れ味を増していくのを感じ、あだちが物語の結末をイメージできたのだろうと考えた。それが顕著となる第213話「夢じゃないみたいだな」の原稿を読み、担当は完成度の高さに震えたという。
春華のスチュワーデスの夢など、多くの要素を長期にわたって結実させたラストである。甲子園の準決勝までは描いたが決勝は描かなかった点も、高校野球漫画としては特徴的である。比呂・英雄の直接対決と4人の恋の決着を描くことを重視していたため、決勝について描くつもりはなかったと発言している。
あだちは読者を信用し、自作では言葉で全ては与えずに少しずつ匂わせて深読みしてもらう手法を取る。思いをあからさまに言葉にして野暮になることを避け、ちゃんと読者が受け取ってくれて伝わったと感じる時を喜びとした。その感覚は落語に教わったとし、“考えオチ”で考えてやっと意味がわかるのはすごく快感だと語っている。
親友でありそしてライバルでもあるエース国見比呂とスラッガー橘英雄、比呂の幼なじみであり英雄のガールフレンドでもある雨宮ひかり、比呂が進学先の千川高校で出逢った古賀春華。名前の頭文字に「H」を持つ「2」人の野球少年であるヒーローと「2」人のヒロインを軸に話が展開する。
比呂と英雄はチームメイトで捕手の野田敦と共に中学野球で地区大会二連覇を果たすが、その後医師から比呂は肘、野田は腰にそれぞれ爆弾を持っていると診断されてしまい、野球を断念。英雄がひかりとともに野球の名門・明和第一高校へ進学したのに対し、比呂と野田は野球部の無い千川高校に進み、それぞれサッカー、水泳に取り組むことにした。
千川高校に野球部はなかったが、実は「野球愛好会」が細々と活動していた。比呂は、ひょんなことから行われることになったサッカー部と野球愛好会との野球の試合に参加するも、試合中のサッカー部員たちの野球を馬鹿にした態度を嫌い、その場でサッカー部を退部し野球愛好会へ入会する。また、たまたまこの試合を観ていた野田も一緒に入会。2人は1試合だけの参加のつもりだったが、故障の診断を行った医師が実は無免許だったのが発覚して逮捕されたことを知り、別の病院にて何の異常もないことを知ると正式に愛好会へ入会した。
そして、千川高校にて甲子園出場を果たすことを決意。「野球部」への昇格を目指すことになるが、校長が高校野球嫌いのために断られ続けていることを知る。比呂と野田は校長の息子にして名二塁手でもある柳守道の協力を得ながら、明和一との試合に勝つという校長の提示した無理難題に挑む。英雄に対抗意識を燃やす野球経験者の木根竜太郎も加わり、惜しくも試合には敗れるものの、この試合が校長の心を開くきっかけとなり野球部創設が認められる。
こうして出来上がった千川高校野球部は、マネージャー・古賀春華の兄の古賀富士夫を監督に迎えて本格稼働する。千川高校と明和第一高校はそれぞれ北東京、南東京に属しており、比呂と英雄の直接対決は、両校が甲子園出場を果たさない限り実現しない。千川高校野球部は比呂と野田のバッテリーを中心にまずは甲子園出場を目標に奮闘。
比呂たちは2年生に進級し、英雄の幼なじみである佐川周二ら新入生を加えた千川高校野球部は地区大会を勝ち進む。準決勝の相手の栄京学園高校は黒い噂が囁かれるだけでなく、監督の城山義明は古賀監督と、2年生エースのは佐川と、それぞれ因縁を持つ相手でもあった。試合の直前に、1年生部員の島オサムと大竹文雄が、家庭の事情から広田のスパイとして潜入させられていたと発覚。だが部での交流を深めていた島と大竹は広田への反抗の覚悟を固めており、比呂も2人を受け入る。広田の肘の故障もあって千川は栄京を撃破。千川は決勝でも勝利し、比呂と英雄はともに甲子園出場(第79回全国高等学校野球選手権大会)を果たす。だが千川は明和一と対決する3回戦を前に、エース月形耕平と4番志水仁を擁する伊羽商業高校との2回戦において、比呂が足を負傷して敗退してしまう。海辺で落ち込む比呂は慰めるひかりに対し、隠していたが初恋はひかりであり、初恋では戦えなかったためせめて野球では英雄と戦いたかったと告白する。ひかりは比呂を抱き留めながらその気持ちに対して謝るが、2人の様子は比呂に想いを寄せる春華に目撃されていた。全国大会では明和一が優勝。この夏で英雄はもちろん比呂も注目選手となる。
秋季東京都野球大会、準決勝にて千川は指導者を交代し体制を一新した栄京と対戦する。一塁手に転向しラフプレーを改めた広田と熱戦を繰り広げ、比呂は勝利を掴む。明和一はこれからの全国大会に向け、新エースである1年生石元豊をあえて起用し続けて敗退しており、千川は秋季大会で優勝。春の選抜高校野球大会出場を確実なものとする。練習を積み重ねる中で比呂と春華が急接近する一方、英雄とひかりは気持ちのすれ違いが続いていた。春の選抜で千川は優勝し、甲子園にて前年の夏の優勝チームとその年の春の優勝チームで最後の夏を戦うという英雄の希望がいよいよ現実味を帯びる。その後ほどなくしてひかりの母が急死。ひかりと息子同然に可愛がられていた比呂は激しく落ち込み、同じ痛みを共有できる絆を再確認する。2人は幼なじみと現在同じ学校で隣りにいる相手との関係を問い直すために悩み、ひかりをうまく慰められずにもどかしく思う英雄は、比呂への嫉妬とそれを感じてしまう自分に苦しむ。春華は3人の中学生からの因縁を傍から見ることしかできず悲しむが、比呂から今自分が高校で野球を頑張れているのは春華のおかげだと伝えられる。
そして最後の夏、千川は北東京大会で、明和一は南東京大会でそれぞれ優勝し甲子園出場(第80回全国高等学校野球選手権大会)。甲子園でも準々決勝に進出し、突破すれば準決勝で明和一との対決となる組み合わせが決まる。準々決勝は比呂の温存のため木根が先発で登板。チーム一丸でのバックアップも手伝い完投を果たして勝利する。準決勝前夜となるその夜、比呂は英雄とひかりの重大な秘密を野田の失言から不意に知ってしまう。この対戦を最後まで見届けて、自分か比呂かをもう一度選ぶように英雄がひかりに持ちかけていたのだ。試合開始時に比呂は英雄へ自分はひかりが大好きだと宣戦布告。両者ともに絶対に負けられない勝負が始まる。9回裏二死、2対0での英雄との対峙において、比呂は葛藤の末に二度と投げられないようなストレートを投げ、三振を奪う。
千川が勝利に沸き立つ中、比呂は勝利の嬉しさからではない涙をこぼす。ひかりが英雄の融通の利かないバカ正直さに惚れたことを、比呂は痛いほどに知っていた。英雄は1人海辺で悄然とするが、ひかりに見つけられ、比呂の真っ向勝負を疑ってしまい比呂にも自分にも負けたと吐露する。ひかりはそんな英雄のカギを閉めたような融通の利かなさを確認し、そのドアを開けた中にひかりの居場所があることを比呂の奪三振から教わったと英雄に伝える。比呂があえて試合前に挑発して悪役に回った理由と、終了時に涙した本当の意味を英雄は悟る。野球の勝敗にひかりとの恋愛関係を託し、負ければ身を引くつもりで自分か比呂かをもう一度選ばせようとした英雄は何もわかっていなかったのだ。ひかりは自分こそ選ぶ権利など最初からないのをわかっていなかったと語る。英雄は自分も比呂からだれよりもひかりのことが必要なのは自分だと教わったと応え、ひかりと抱き合う。一方、比呂は宿舎で仲間たちと準決勝の勝利を祝いながらも、内心の悲しみは野田に察されていた。
翌日の決勝戦当日の朝、早くに起きてきた比呂は紙飛行機を作り、同じく起きていた春華と、大リーグへ向かう比呂とスチュワーデスとなる夢を叶えた春華がともに搭乗するという冗談を交わし合い、受け入れる。決意も新たに、千川高校野球部の仲間たちを全員乗せたバスは甲子園に向かう。試合開始前の抜けるような青空の中をあの紙飛行機が風を受けて真っ直ぐに飛んでいき、登場人物たちの未来を示唆する形で物語は幕を閉じる。
ここでは主要人物のみ紹介。
タイトル『H2』とは、「ヒーローふたり、ヒロインふたり」を意味する。そのうちのヒーローふたり(比呂→ヒロ→HERO、英雄→「えいゆう」→HERO)に関しては、作中でも英雄が語っている。コミックス完全版表紙には「The Highschool Days of 2 Heroes and 2 Heroines, Hiro Kunimi, Hideo Tachibana, Hikari Amamiya, Haruka Koga.」と副題が付けられている。
朝日放送(ABC)制作、テレビ朝日系列にて1995年6月1日から1996年3月21日まで毎週木曜19:00〜19:30に放映(以前に木曜7時枠向けに制作されたアニメ作品には『ハーイあっこです』と『クッキングパパ』があった)。
この番組終了を機に、1972年4月1日スタートの『海のトリトン』以来24年間続き、土曜夜7時枠(途中ネットチェンジがあり、TBS系列からテレビ朝日系の同時間帯に移行)→木曜夜7時30分枠(2代)→水曜夕方6時50分枠→木曜夜7時枠と渡り歩き、アニメ作品を中心に構成してきた当時間帯の朝日放送制作枠は消滅、テレビ朝日に制作枠を返上しバラエティ枠となった(現在は『ウラ撮れちゃいました』を放送中)。この枠のメインスポンサーだった日本ガス協会は、引き続きテレビ朝日制作バラエティ枠(『必撮ビデオ!!あんたが主役』と『超次元タイムボンバー』)となった後もスポンサーを継続したが、1997年4月によみうりテレビ制作・日本テレビ系の月曜19:30〜20:00のアニメ『名探偵コナン』へと移った。
2005年1月8日からドラマと連動させるように毎日放送(MBS)で17:30 - 18:00の間で再放送されていた。なお、作品中、末期に放送予定の2作は、編成の関係などで、本放送では欠番、未放送となっている。
なお、MBS等テレビ朝日系列外での再放送時では、スタッフロールや制作局表記時に「ABC」の表記を削除した素材が使われている。
次回予告では、最後にひかりが「いい汗、流してますか?」と視聴者に問いかけるのが定番だった。
映像ソフト化については、VHS版・DVD版がリリースされたが、現在は廃盤となっており、Blu-ray版はリリースされていない。
出典は1995年9月中旬 - 10月上旬時点 | [
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"text": "翌日の決勝戦当日の朝、早くに起きてきた比呂は紙飛行機を作り、同じく起きていた春華と、大リーグへ向かう比呂とスチュワーデスとなる夢を叶えた春華がともに搭乗するという冗談を交わし合い、受け入れる。決意も新たに、千川高校野球部の仲間たちを全員乗せたバスは甲子園に向かう。試合開始前の抜けるような青空の中をあの紙飛行機が風を受けて真っ直ぐに飛んでいき、登場人物たちの未来を示唆する形で物語は幕を閉じる。",
"title": "あらすじ"
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"text": "ここでは主要人物のみ紹介。",
"title": "登場人物"
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"text": "タイトル『H2』とは、「ヒーローふたり、ヒロインふたり」を意味する。そのうちのヒーローふたり(比呂→ヒロ→HERO、英雄→「えいゆう」→HERO)に関しては、作中でも英雄が語っている。コミックス完全版表紙には「The Highschool Days of 2 Heroes and 2 Heroines, Hiro Kunimi, Hideo Tachibana, Hikari Amamiya, Haruka Koga.」と副題が付けられている。",
"title": "登場人物"
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"text": "朝日放送(ABC)制作、テレビ朝日系列にて1995年6月1日から1996年3月21日まで毎週木曜19:00〜19:30に放映(以前に木曜7時枠向けに制作されたアニメ作品には『ハーイあっこです』と『クッキングパパ』があった)。",
"title": "テレビアニメ"
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"text": "この番組終了を機に、1972年4月1日スタートの『海のトリトン』以来24年間続き、土曜夜7時枠(途中ネットチェンジがあり、TBS系列からテレビ朝日系の同時間帯に移行)→木曜夜7時30分枠(2代)→水曜夕方6時50分枠→木曜夜7時枠と渡り歩き、アニメ作品を中心に構成してきた当時間帯の朝日放送制作枠は消滅、テレビ朝日に制作枠を返上しバラエティ枠となった(現在は『ウラ撮れちゃいました』を放送中)。この枠のメインスポンサーだった日本ガス協会は、引き続きテレビ朝日制作バラエティ枠(『必撮ビデオ!!あんたが主役』と『超次元タイムボンバー』)となった後もスポンサーを継続したが、1997年4月によみうりテレビ制作・日本テレビ系の月曜19:30〜20:00のアニメ『名探偵コナン』へと移った。",
"title": "テレビアニメ"
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"text": "2005年1月8日からドラマと連動させるように毎日放送(MBS)で17:30 - 18:00の間で再放送されていた。なお、作品中、末期に放送予定の2作は、編成の関係などで、本放送では欠番、未放送となっている。",
"title": "テレビアニメ"
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"text": "なお、MBS等テレビ朝日系列外での再放送時では、スタッフロールや制作局表記時に「ABC」の表記を削除した素材が使われている。",
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"text": "次回予告では、最後にひかりが「いい汗、流してますか?」と視聴者に問いかけるのが定番だった。",
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"text": "映像ソフト化については、VHS版・DVD版がリリースされたが、現在は廃盤となっており、Blu-ray版はリリースされていない。",
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"text": "出典は1995年9月中旬 - 10月上旬時点",
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] | 『H2』(エイチツー)は、あだち充による日本の漫画作品。『週刊少年サンデー』(小学館)にて、1992年32号から1999年50号まで連載された。 | {{pp-vandalism|small=yes}}
{{Infobox animanga/Header
| タイトル = H2
| ジャンル = [[少年漫画]]
}}
{{Infobox animanga/Manga
| 作者 = [[あだち充]]
| 出版社 = [[小学館]]
| 掲載誌 = [[週刊少年サンデー]]
|レーベル = [[少年サンデーコミックス]]
| 開始号 = 1992年32号
| 終了号 = 1999年50号
| 巻数 = 全34巻
| その他 = ワイド版:全17巻<br />文庫版:全20巻
}}
{{Infobox animanga/TVAnime
| 監督 = [[うえだひでひと]]|
| シリーズ構成 = [[桶谷顕]]
| キャラクターデザイン = [[平田智浩]]
| 音楽 = [[岩代太郎]]
| アニメーション制作 = [[葦プロダクション]]
| 製作 = [[朝日放送テレビ|朝日放送]]<br />[[東宝]]株式会社<br />[[旭通信社|ASATSU]]
| 放送局 = 朝日放送・[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]
| 放送開始 = 1995年6月1日
| 放送終了 = 1996年3月21日
| 話数 = 全39話+未放映2話
| その他 =
}}
{{Infobox animanga/TVDrama
| タイトル = [[H2〜君といた日々]]
| 監督 = [[堤幸彦]]
| 制作 = [[オフィスクレッシェンド]]・[[TBSテレビ|TBS]]
| 放送局 = TBS系列
| 放送開始 = 2005年1月13日
| 放送終了 = 2005年3月24日
| 話数 = 11話
}}
{{Infobox animanga/Footer}}
『'''H2'''』(エイチツー)は、[[あだち充]]による[[日本]]の[[漫画]]作品。『[[週刊少年サンデー]]』([[小学館]])にて、1992年32号から1999年50号まで連載された。
== 概説 ==
[[日本の高校野球|高校野球]]をテーマとした長編[[野球漫画]]。2人の野球少年であるヒーローと2人のヒロインの、野球にかける青春と恋を描く。
単行本は小学館:少年サンデーコミックスより全34巻、同ワイド版より全17巻、小学館文庫より全20巻。2018年8月時点でシリーズ累計発行部数は5500万部を突破している<ref name="prtimes"></ref>。同年には「[[サンデーうぇぶり]]」にて電子版が連載を開始<ref name="prtimes">{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000099.000013640.html|title=初の電子化! シリーズ累計5,500万部超のあだち充の野球漫画「H2」の連載が「サンデーうぇぶり」限定でスタート!|publisher=プレスリリース|date=2018-08-06|accessdate=2018-11-18}}</ref>。
映像では、1995年に[[テレビアニメ|アニメ版]]が<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.narinari.com/Nd/2004113638.html|title=あだち充の名作「H2」が山田孝之主演でドラマ化。|publisher=Narinari.com|date=2004-11-17|accessdate=2018-11-18}}</ref>、2005年1月から3月まで[[H2〜君といた日々|実写ドラマ版]]が放送された。
タイトル『H2』とは、「ヒーローふたり、ヒロインふたり」を意味する(詳細は[[H2 (漫画)#登場人物|登場人物]]の項を参照)。
== 制作背景 ==
=== 6年ぶりの野球漫画 ===
本作は、あだちにとって『[[タッチ (漫画)|タッチ]]』の連載終了以来6年ぶりの野球漫画の連載となった<ref name="ダヴィンチ201212">{{Cite book|和書|chapter=あだち充独占2万字インタビュー&解体全書|title=[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]]|publisher=[[KADOKAWA]]|volume=2012年12月号|page=32}}</ref>。あだちは『タッチ』の終了後は女子ソフトボールを題材とした『[[スローステップ]]』、水泳を題材とした『[[ラフ (漫画)|ラフ]]』、時代劇ものの『[[虹色とうがらし]]』を手掛けるなど野球を避けてきたが、その理由については「掲載誌のことを考えず、自分が柱になろうという気持ちも持たず、本人が描きたい絵をただ描きました」「野球マンガを2本続けて描いたら、しんどいし、すり減っちゃうでしょう」と語っている<ref name="ダヴィンチ201212"/>。
ふたたび野球漫画に取り組んだ理由について、あだちは[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]開幕を翌年に控えた日本国内の[[サッカー]]人気の高まりへの反発や対抗心があったと語っている<ref name="ダヴィンチ201212"/>。また、野球の魅力を読者に伝えようと、『タッチ』以上に野球の描写へのこだわりもみせた<ref name="ダヴィンチ201212"/>。
{{Quotation|その頃Jリーグが始まってサッカーが異様に盛り上がってて、冗談じゃねえやって思って(笑)。サッカーに抵抗してやろうと、野球の面白さを描くことに自分なりにこだわったつもりなんです。『タッチ』ではあまり描かれなかった野球をちゃんと描いてみたら、違うものができるかなという意識もありましたね<ref name="ダヴィンチ201212"/>。|あだち充}}
なお、あだちは野球が「[[間 (余白部分)|間]]のあるスポーツ」で、サッカーは選手が絶え間なく動く「間のないスポーツ」だとしている<ref name="ダヴィンチ201212"/>。自身の作風を「僕のマンガは”間”ばっかりだから(笑)」とし、野球との相性の良さについても言及している<ref name="ダヴィンチ201212"/>。
=== 四角関係と結末 ===
本作はあだち充の長編漫画では最もほろ苦い最終回を迎えるとされる。あだちは野球を真面目に描くつもりで、比呂と春華とひかりと英雄の四角関係の組み合わせを決めずに連載を開始。最後の最後まで比呂とひかりがどちらにいくかはわからない展開が繰り広げられる。主人公である比呂の初恋が敗れるという結末については、他にも収拾の仕方はあったのだろうが流れに任せていたらこうなったとコメントしている<ref name="oato351">{{Cite |和書 |author = あだち充 |title = おあとがよろしいようで |publisher = 小学館 |isbn = 978-4-09-122716-4 |page=351}}</ref><ref>{{Cite |和書 |title=漫画家本vol.6 あだち充本|date=2018-8-8 |publisher=[[小学館]]|page=164-165}}</ref>。そのほろ苦さについて問いかけられた際、「普通だったら、幼なじみの比呂と雨宮ひかりがくっつくところを、読者的には古賀春華の人気が出ちゃったので、まぁ、許してくれるかなと(笑)」<ref name="oato351" />と答えた。少年の思春期の出遅れとそれによる同級生の少女とのすれ違いは当初からあだちが本作のテーマとしていた要素であり、比呂とひかりの関係のターニングポイントとなる第213話「夢じゃないみたいだな」の会話において象徴的に表現されている<ref name="adachi165">{{Cite |和書 |title=漫画家本vol.6 あだち充本|date=2018-8-8 |publisher=[[小学館]]|page=164-165}}</ref><ref>{{Cite |和書 |author = あだち充 |title = おあとがよろしいようで |publisher = 小学館 |isbn = 978-4-09-122716-4 |page=336}}</ref>。
結末は担当編集者とも相談して決定。通常版コミックの20巻近くまで連載が進んだ時点、比呂がまだ春華とひかりのどちらを選ぶか明確でないタイミングで配属された担当は、いち読者としては比呂がひかりへの純愛を貫くことを希望していた。しかし打ち合わせで、読者人気のある春華でなくひかりとくっつくと比呂が悪者に映ってしまうので、ひかりと英雄の幸せのために比呂が一歩退く方向で行けばまとまるのではないかという意見がどちらともなく出る。担当はその打ち合わせ以後『H2』のセリフが切れ味を増していくのを感じ、あだちが物語の結末をイメージできたのだろうと考えた。それが顕著となる第213話「夢じゃないみたいだな」の原稿を読み、担当は完成度の高さに震えたという<ref>{{Cite |和書 |title=漫画家本vol.6 あだち充本|date=2018-8-8 |publisher=[[小学館]]|page=170-171}} </ref>。
春華のスチュワーデスの夢など、多くの要素を長期にわたって結実させたラストである<ref name="oato351" />。甲子園の準決勝までは描いたが決勝は描かなかった点も、高校野球漫画としては特徴的である。比呂・英雄の直接対決と4人の恋の決着を描くことを重視していたため、決勝について描くつもりはなかったと発言している<ref>{{Cite |和書 |title=漫画家本vol.6 あだち充本|date=2018-8-8 |publisher=[[小学館]]|page=167}} </ref>。
あだちは読者を信用し、自作では言葉で全ては与えずに少しずつ匂わせて深読みしてもらう手法を取る。思いをあからさまに言葉にして野暮になることを避け、ちゃんと読者が受け取ってくれて伝わったと感じる時を喜びとした。その感覚は落語に教わったとし、“考えオチ”で考えてやっと意味がわかるのはすごく快感だと語っている<ref>{{Cite journal|和書|journal = [[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]] 2012年12月号 |publisher = [[メディアファクトリー]]|page=31}}</ref>。
== あらすじ ==
親友でありそしてライバルでもあるエース'''国見比呂'''とスラッガー'''橘英雄'''、比呂の幼なじみであり英雄のガールフレンドでもある'''雨宮ひかり'''、比呂が進学先の千川高校で出逢った'''古賀春華'''。名前の頭文字に「H」を持つ「2」人の野球少年であるヒーローと「2」人のヒロインを軸に話が展開する。
比呂と英雄はチームメイトで捕手の'''野田敦'''と共に中学野球で地区大会二連覇を果たすが、その後医師から比呂は肘、野田は腰にそれぞれ爆弾を持っていると診断されてしまい、野球を断念。英雄がひかりとともに野球の名門・明和第一高校へ進学したのに対し、比呂と野田は野球部の無い千川高校に進み、それぞれ[[サッカー]]、[[水泳]]に取り組むことにした。
千川高校に野球部はなかったが、実は「野球愛好会」が細々と活動していた。比呂は、ひょんなことから行われることになったサッカー部と野球愛好会との野球の試合に参加するも、試合中のサッカー部員たちの野球を馬鹿にした態度を嫌い、その場でサッカー部を退部し野球愛好会へ入会する。また、たまたまこの試合を観ていた野田も一緒に入会。2人は1試合だけの参加のつもりだったが、故障の診断を行った医師が実は無免許だったのが発覚して逮捕されたことを知り、別の病院にて何の異常もないことを知ると正式に愛好会へ入会した。
そして、千川高校にて甲子園出場を果たすことを決意。「野球部」への昇格を目指すことになるが、校長が高校野球嫌いのために断られ続けていることを知る。比呂と野田は校長の息子にして名二塁手でもある'''柳守道'''の協力を得ながら、明和一との試合に勝つという校長の提示した無理難題に挑む。英雄に対抗意識を燃やす野球経験者の'''木根竜太郎'''も加わり、惜しくも試合には敗れるものの、この試合が校長の心を開くきっかけとなり野球部創設が認められる。
こうして出来上がった千川高校野球部は、マネージャー・古賀春華の兄の'''古賀富士夫'''を監督に迎えて本格稼働する。千川高校と明和第一高校はそれぞれ北東京、南東京に属しており<ref>現実では東京の代表校の区分は東西。</ref>、比呂と英雄の直接対決は、両校が甲子園出場を果たさない限り実現しない。千川高校野球部は比呂と野田のバッテリーを中心にまずは甲子園出場を目標に奮闘。
比呂たちは2年生に進級し、英雄の幼なじみである'''佐川周二'''ら新入生を加えた千川高校野球部は地区大会を勝ち進む。準決勝の相手の栄京学園高校は黒い噂が囁かれるだけでなく、監督の'''城山義明'''は古賀監督と、2年生エースのは佐川と、それぞれ因縁を持つ相手でもあった。試合の直前に、1年生部員の'''島オサム'''と'''大竹文雄'''が、家庭の事情から広田のスパイとして潜入させられていたと発覚。だが部での交流を深めていた島と大竹は広田への反抗の覚悟を固めており、比呂も2人を受け入る。広田の肘の故障もあって千川は栄京を撃破。千川は決勝でも勝利し、比呂と英雄はともに甲子園出場([[第79回全国高等学校野球選手権大会]])を果たす。だが千川は明和一と対決する3回戦を前に、エース'''月形耕平'''と4番'''志水仁'''を擁する伊羽商業高校との2回戦において、比呂が足を負傷して敗退してしまう。海辺で落ち込む比呂は慰めるひかりに対し、隠していたが初恋はひかりであり、初恋では戦えなかったためせめて野球では英雄と戦いたかったと告白する。ひかりは比呂を抱き留めながらその気持ちに対して謝るが、2人の様子は比呂に想いを寄せる春華に目撃されていた。全国大会では明和一が優勝。この夏で英雄はもちろん比呂も注目選手となる。
秋季東京都野球大会、準決勝にて千川は指導者を交代し体制を一新した栄京と対戦する。一塁手に転向しラフプレーを改めた広田と熱戦を繰り広げ、比呂は勝利を掴む。明和一はこれからの全国大会に向け、新エースである1年生'''石元豊'''をあえて起用し続けて敗退しており、千川は秋季大会で優勝。春の選抜高校野球大会出場を確実なものとする。練習を積み重ねる中で比呂と春華が急接近する一方、英雄とひかりは気持ちのすれ違いが続いていた。春の選抜で千川は優勝し、甲子園にて前年の夏の優勝チームとその年の春の優勝チームで最後の夏を戦うという英雄の希望がいよいよ現実味を帯びる。その後ほどなくしてひかりの母が急死。ひかりと息子同然に可愛がられていた比呂は激しく落ち込み、同じ痛みを共有できる絆を再確認する。2人は幼なじみと現在同じ学校で隣りにいる相手との関係を問い直すために悩み、ひかりをうまく慰められずにもどかしく思う英雄は、比呂への嫉妬とそれを感じてしまう自分に苦しむ。春華は3人の中学生からの因縁を傍から見ることしかできず悲しむが、比呂から今自分が高校で野球を頑張れているのは春華のおかげだと伝えられる。
そして最後の夏、千川は北東京大会で、明和一は南東京大会でそれぞれ優勝し甲子園出場([[第80回全国高等学校野球選手権大会]])。甲子園でも準々決勝に進出し、突破すれば準決勝で明和一との対決となる組み合わせが決まる。準々決勝は比呂の温存のため木根が先発で登板。チーム一丸でのバックアップも手伝い完投を果たして勝利する。準決勝前夜となるその夜、比呂は英雄とひかりの重大な秘密を野田の失言から不意に知ってしまう。この対戦を最後まで見届けて、自分か比呂かをもう一度選ぶように英雄がひかりに持ちかけていたのだ。試合開始時に比呂は英雄へ自分はひかりが大好きだと宣戦布告。両者ともに絶対に負けられない勝負が始まる。9回裏二死、2対0での英雄との対峙において、比呂は葛藤の末に二度と投げられないようなストレートを投げ、三振を奪う。
千川が勝利に沸き立つ中、比呂は勝利の嬉しさからではない涙をこぼす。ひかりが英雄の融通の利かないバカ正直さに惚れたことを、比呂は痛いほどに知っていた。英雄は1人海辺で悄然とするが、ひかりに見つけられ、比呂の真っ向勝負を疑ってしまい比呂にも自分にも負けたと吐露する。ひかりはそんな英雄のカギを閉めたような融通の利かなさを確認し、そのドアを開けた中にひかりの居場所があることを比呂の奪三振から教わったと英雄に伝える。比呂があえて試合前に挑発して悪役に回った理由と、終了時に涙した本当の意味を英雄は悟る。野球の勝敗にひかりとの恋愛関係を託し、負ければ身を引くつもりで自分か比呂かをもう一度選ばせようとした英雄は何もわかっていなかったのだ。ひかりは自分こそ選ぶ権利など最初からないのをわかっていなかったと語る。英雄は自分も比呂からだれよりもひかりのことが必要なのは自分だと教わったと応え、ひかりと抱き合う。一方、比呂は宿舎で仲間たちと準決勝の勝利を祝いながらも、内心の悲しみは野田に察されていた。
翌日の決勝戦当日の朝、早くに起きてきた比呂は紙飛行機を作り、同じく起きていた春華と、[[メジャーリーグ|大リーグ]]へ向かう比呂とスチュワーデスとなる夢を叶えた春華がともに搭乗するという冗談を交わし合い、受け入れる。決意も新たに、千川高校野球部の仲間たちを全員乗せたバスは甲子園に向かう。試合開始前の抜けるような青空の中をあの紙飛行機が風を受けて真っ直ぐに飛んでいき、登場人物たちの未来を示唆する形で物語は幕を閉じる。
== 登場人物 ==
{{see also|H2の登場人物}}
ここでは主要人物のみ紹介。
タイトル『H2』とは、「ヒーローふたり、ヒロインふたり」<ref name="adachi165" />を意味する。そのうちのヒーローふたり(比呂→ヒロ→HERO、英雄→「えいゆう」→HERO)に関しては、作中でも英雄が語っている。コミックス完全版表紙には「The Highschool Days of 2 Heroes and 2 Heroines, '''Hiro Kunimi, Hideo Tachibana, Hikari Amamiya, Haruka Koga'''.」と副題が付けられている。
; 国見 比呂(くにみ ひろ)
: 千川高校3年(開始当時:千川高校1年)。[[投手]]・[[中堅手]]。右投げ・右打ち。
: 物語の主人公。ひかりと野田は幼なじみで、英雄・ひかり・野田とは同じ青南中学校。
: 中学時代から有名投手だったが、肘の故障を宣告され野球部のない千川高校に入学。誤診が判明し千川高校にて一からの甲子園出場を目指す。
; 橘 英雄(たちばな ひでお)
: 明和第一高校3年(開始当時:明和第一高校1年)。[[三塁手]]。右投げ・右打ち。
: 明和第一高校野球部の4番バッター。比呂の親友でライバル。
; 雨宮 ひかり(あまみや ひかり)
: 明和第一高校3年(開始当時:明和第一高校1年)。
: 比呂と野田の幼なじみ。中学時代に比呂の紹介で英雄と付き合うようになった。
: 明和第一高校では弓道部に所属しており、夏季限定で明和第一野球部にもマネージャーとして籍を置く。
; 古賀 春華(こが はるか)
: 千川高校3年(開始当時:千川高校1年)。
: 千川高校の野球部マネージャーで、古賀商事の社長令嬢。
: 高校野球の大ファンで千川高校に野球部を創設させる立役者となり、甲子園を目指すという夢を比呂に再び与えるきっかけを作る。
== 書誌情報 ==
<!--下記情報の他に、レーベル:My First WIDE版も存在しますが、発売日or発行日の情報を見つけられていないため省略しています。-->
=== 単行本 ===
* あだち充 『H2』 小学館〈少年サンデーコミックス〉、全34巻
*# 1993年1月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123151-9}}
*# 1993年3月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123152-7}}
*# 1993年6月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123153-5}}
*# 1993年8月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123154-3}}
*# 1993年11月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123155-1}}
*# 1994年1月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123156-X}}
*# 1994年4月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123157-8}}
*# 1994年6月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123158-6}}
*# 1994年9月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123159-4}}
*# 1995年1月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123160-8}}
*# 1995年4月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123501-8}}
*# 1995年7月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123502-6}}
*# 1995年8月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123503-4}}
*# 1995年9月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123504-2}}
*# 1996年1月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123505-0}}
*# 1996年5月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123506-9}}
*# 1996年7月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123507-7}}
*# 1996年10月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123508-5}}
*# 1997年1月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123509-3}}
*# 1997年4月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-123510-7}}
*# 1997年6月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125221-4}}
*# 1997年9月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125222-2}}
*# 1997年12月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125223-0}}
*# 1998年3月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125224-9}}
*# 1998年5月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125225-7}}
*# 1998年8月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125226-5}}
*# 1998年10月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125227-3}}
*# 1999年1月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125228-1}}
*# 1999年4月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125229-X}}
*# 1999年7月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125230-3}}
*# 1999年9月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125601-5}}
*# 1999年11月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125602-3}}
*# 2000年2月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125603-1}}
*# 2000年4月15日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-125604-X}}
=== ワイド版 ===
<!--発行日は「国立国会図書館サーチ」より引用-->
* あだち充 『H2』 小学館〈少年サンデーコミックスワイド版〉、全17巻
*# 2004年9月発行、{{ISBN2|4-09-127781-0}}
*# 2004年10月発行、{{ISBN2|4-09-127782-9}}
*# 2004年11月発行、{{ISBN2|4-09-127783-7}}
*# 2004年12月発行、{{ISBN2|4-09-127784-5}}
*# 2004年12月発行、{{ISBN2|4-09-127785-3}}
*# 2005年1月発行、{{ISBN2|4-09-127786-1}}
*# 2005年1月発行、{{ISBN2|4-09-127787-X}}
*# 2005年1月発行、{{ISBN2|4-09-127788-8}}
*# 2005年2月発行、{{ISBN2|4-09-127789-6}}
*# 2005年2月発行、{{ISBN2|4-09-127790-X}}
*# 2005年2月発行、{{ISBN2|4-09-127791-8}}
*# 2005年3月発行、{{ISBN2|4-09-127792-6}}
*# 2005年3月発行、{{ISBN2|4-09-127793-4}}
*# 2005年3月発行、{{ISBN2|4-09-127794-2}}
*# 2005年4月発行、{{ISBN2|4-09-127795-0}}
*# 2005年4月発行、{{ISBN2|4-09-127796-9}}
*# 2005年4月発行、{{ISBN2|4-09-127797-7}}
=== 文庫版 ===
* あだち充 『H2』 小学館〈小学館文庫〉、全20巻
*# 2009年5月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193871 |title=H2(文庫版) 1 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193871-8}}
*# 2009年5月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193872 |title=H2(文庫版) 2 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193872-5}}
*# 2009年6月13日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193873 |title=H2(文庫版) 3 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193873-2}}
*# 2009年6月13日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193874 |title=H2(文庫版) 4 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193874-9}}
*# 2009年7月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193875 |title=H2(文庫版) 5 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193875-6}}
*# 2009年7月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193876 |title=H2(文庫版) 6 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193876-3}}
*# 2009年8月12日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193877 |title=H2(文庫版) 7 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193877-0}}
*# 2009年8月12日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193878 |title=H2(文庫版) 8 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193878-7}}
*# 2009年9月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193879 |title=H2(文庫版) 9 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193879-4}}
*# 2009年9月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193880 |title=H2(文庫版) 10 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193880-0}}
*# 2009年10月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193881 |title=H2(文庫版) 11 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193881-7}}
*# 2009年10月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193882 |title=H2(文庫版) 12 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193882-4}}
*# 2009年11月14日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193883 |title=H2(文庫版) 13 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193883-1}}
*# 2009年11月14日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193884 |title=H2(文庫版) 14 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193884-8}}
*# 2009年12月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193885 |title=H2(文庫版) 15 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193885-5}}
*# 2009年12月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193886 |title=H2(文庫版) 16 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193886-2}}
*# 2010年1月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193887 |title=H2(文庫版) 17 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193887-9}}
*# 2010年1月15日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193888 |title=H2(文庫版) 18 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193888-6}}
*# 2010年2月13日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193889 |title=H2(文庫版) 19 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193889-3}}
*# 2010年2月13日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193890 |title=H2(文庫版) 20 |publisher=小学館 |accessdate=2021-06-11}}</ref>、{{ISBN2|978-4-09-193890-9}}
== テレビアニメ ==
[[朝日放送テレビ|朝日放送]](ABC)制作、[[テレビ朝日]]系列にて1995年6月1日から1996年3月21日まで毎週木曜19:00〜19:30に放映(以前に木曜7時枠向けに制作されたアニメ作品には『[[ハーイあっこです]]』と『[[クッキングパパ]]』があった)。
この番組終了を機に、1972年4月1日スタートの『[[海のトリトン]]』以来24年間続き<ref>更に遡れば、1958年4月6日に[[朝日放送制作・TBS日曜6時30分枠の連続ドラマ|日曜18:30]]で開始した『[[やりくりアパート]]』以来。</ref>、土曜夜7時枠(途中[[ネットチェンジ]]があり、[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]からテレビ朝日系の同時間帯に移行)→木曜夜7時30分枠(2代)→水曜夕方6時50分枠→木曜夜7時枠と渡り歩き、アニメ作品を中心に構成してきた当時間帯の朝日放送制作枠は消滅、テレビ朝日に制作枠を返上しバラエティ枠となった(現在は『[[ウラ撮れちゃいました]]』を放送中)。この枠のメインスポンサーだった[[日本ガス協会]]は、引き続きテレビ朝日制作バラエティ枠(『[[邦子と徹のあんたが主役|必撮ビデオ!!あんたが主役]]』と『[[超次元タイムボンバー]]』)となった後もスポンサーを継続したが、1997年4月に[[讀賣テレビ放送|よみうりテレビ]]制作・[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系の月曜19:30〜20:00のアニメ『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』へと移った。
2005年1月8日からドラマと連動させるように[[毎日放送]](MBS)で17:30 - 18:00の間で再放送されていた。なお、作品中、末期に放送予定の2作は、編成の関係などで、本放送では欠番、未放送となっている。
なお、MBS等テレビ朝日系列外での再放送時では、スタッフロールや制作局表記時に「ABC」の表記を削除した素材が使われている。
次回予告では、最後にひかりが「いい汗、流してますか?」と視聴者に問いかけるのが定番だった。
映像ソフト化については、[[VHS]]版・[[DVD]]版がリリースされたが、現在は廃盤となっており、[[Blu-ray]]版はリリースされていない。
=== キャスト ===
* 国見 比呂 - [[古本新乃輔|古本新之輔]]
* 橘 英雄 - [[宮本充]]
* 雨宮 ひかり - [[今村恵子]]
* 古賀 春華 - [[鈴木真仁]]
* 野田 敦 - [[津田健次郎]]
* 木根 竜太郎 - 竹中伸一、[[根谷美智子]](小学校時代)
* 柳 守道 - [[伊崎寿克]]
* 佐川 周二 - [[檜山修之]]
* 古賀 富士夫 - [[松本保典]]
* 広田 勝利 - [[子安武人]]
* 雨宮 高明 - [[飛田展男]]
* 国見 太郎 - [[三ツ矢雄二]]
* 佐川 テツ - [[岩永哲哉]]
=== スタッフ ===
* 原作:[[あだち充]]
* 企画:[[片岡義朗]](ASATSU)、藤原正道(東宝)
* プロデューサー:藤田高一郎→小竹哲(ABC)、[[松下洋子]]、[[山崎立士]](ASATSU)、福与雅子(東宝)、加藤博(葦プロダクション)
* シリーズ構成:[[桶谷顕]]
* キャラクターデザイン:[[平田智浩]]
* 美術監督:海野よしみ
* 撮影監督:杉浦充
* 色彩設定:河端静子→浅井聡子
* 音楽:[[岩代太郎]](サントラ盤発売元:[[キングレコード]])
* 音響監督:[[松浦典良]]
* アニメーションプロデューサー:釜英樹、橋本和典
* デザインワークス:[[大森貴弘]]、高木弘樹、村田俊治、[[松本憲生]]
* 編集:正木直幸
* 監督:[[うえだひでひと]]
* アニメーション制作:[[葦プロダクション]]
* 制作:[[朝日放送テレビ|朝日放送]]、[[東宝]]株式会社、[[旭通信社|ASATSU]]
=== 主題歌 ===
* オープニングテーマ
**1〜23話:[[久保田利伸]]『[[虹のグランドスラム]]』
**24〜41話:[[鵜島仁文]]『BACK TO THE GROUND』<ref>37話では挿入歌としても使用された。</ref>
* エンディングテーマ
**1〜23話:[[西脇唯]]『「二人」に帰ろう』<ref>22話では挿入歌としても使用された。</ref>
**24〜41話:吉村麻希『絶対会えてよかった』<ref>38話では挿入歌としても使用された。</ref>
* 挿入歌
**23話:西脇唯『ゆるやかな虹のように』
**41話:[[今村恵子]]、[[古本新之輔]]、[[宮本充]]、[[鈴木真仁]]『虹のグランドスラム(H2メインキャラバージョン)F・O』
=== ネット局 ===
出典は1995年9月中旬 - 10月上旬時点<ref>{{Cite journal |和書 |journal=[[アニメディア]] |issue=1995年10月号 |publisher=[[学研ホールディングス|学研]] |title=TV STATION NETWORK |pages=113 - 115}}</ref>
{| class="wikitable" style="text-align:center;font-size:smaller"
|-
!放送対象地域
!放送局
!系列
!ネット形態
!備考
|-
|[[広域放送|近畿広域圏]]
|[[朝日放送テレビ|朝日放送]]
|rowspan="11"|[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]
|'''制作局'''
|現:朝日放送テレビ
|-
|[[広域放送|関東広域圏]]
|[[テレビ朝日]]
|rowspan="10"|同時ネット
|
|-
|[[北海道]]
|[[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]
|
|-
|[[青森県]]
|[[青森朝日放送]]
|
|-
|[[宮城県]]
|[[東日本放送]]
|
|-
|[[秋田県]]
|[[秋田朝日放送]]
|
|-
|[[山形県]]
|[[山形テレビ]]
|
|-
|[[福島県]]
|[[福島放送]]
|
|-
|[[新潟県]]
|[[新潟テレビ21]]
|
|-
|[[長野県]]
|[[長野朝日放送]]
|
|-
|[[静岡県]]
|[[静岡朝日テレビ]]
|
|-
|[[富山県]]
|[[チューリップテレビ]]
|[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]
|遅れネット
|金曜 16:27 - より放送
|-
|[[石川県]]
|[[北陸朝日放送]]
|rowspan="6"|テレビ朝日系列
|rowspan="6"|同時ネット
|
|-
|[[広域放送|中京広域圏]]
|[[名古屋テレビ放送|名古屋テレビ]]
|
|-
|[[広島県]]
|[[広島ホームテレビ]]
|
|-
|[[山口県]]
|[[山口朝日放送]]
|
|-
|[[香川県]]<br />[[岡山県]]
|[[瀬戸内海放送]]
|
|-
|[[愛媛県]]
|[[愛媛朝日テレビ]]
|
|-
|[[高知県]]
|[[テレビ高知]]
|TBS系列
|遅れネット
|月曜 16:00 - 放送
|-
|[[福岡県]]
|[[九州朝日放送]]
|rowspan="4"|テレビ朝日系列
|rowspan="4"|同時ネット
|
|-
|[[長崎県]]
|[[長崎文化放送]]
|
|-
|[[熊本県]]
|[[熊本朝日放送]]
|
|-
|[[大分県]]
|[[大分朝日放送]]
|
|-
|[[宮崎県]]
|[[宮崎放送]]
|TBS系列
|遅れネット
|<ref>本放送終了後に放送。</ref>
|-
|[[鹿児島県]]
|[[鹿児島放送]]
|rowspan="2"|テレビ朝日系列
|rowspan="2"|同時ネット
|
|-
|[[沖縄県]]
|[[琉球朝日放送]]
|1995年10月開局から
|}
=== サブタイトルリスト ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
!話!!放送日!!サブタイトル!!脚本!!コンテ!!演出!!作画監督
|-
|1||'''1995年'''<br />6月1日||青春=(イコール)野球ですか||[[松井亜弥]]||[[うえだひでひと]]||鈴木敏明||高木弘樹
|-
|2||6月8日||めざせ両国国技館||rowspan="2"|[[桶谷顕]]||[[高橋ナオヒト]]<br />[[深沢幸司]]||勝亦祥視||深沢幸司
|-
|3||6月15日||おいおいサッカー部||安東信悦<br />[[志田ただし|広田正志]]||日下直義||新羽こういちろう
|-
|4||6月22日||野球だけは別だった||rowspan="2"|[[岸間信明]]||吉田浩<br />高橋ナオヒト||勝亦祥視||広田正志
|-
|5||6月29日||入会届が必要ですか?||高橋ナオヒト||安東信悦||[[千羽由利子]]
|-
|6||7月6日||これが国見比呂だ!||山下久仁明||大関雅幸||[[谷田部勝義|森田風太]]||[[平岡正幸]]
|-
|7||7月13日||愛好会、やめますか?||小出克彦||[[千明孝一]]||高田淳||高木弘樹
|-
|8||7月20日||ガラスのヒジだってさ||桶谷顕||吉田浩||日下直義||深沢幸司
|-
|9||7月27日||神様が見たかったんだろ||岸間信明||安東信悦||勝亦祥視||広田正志
|-
|10||8月3日||いやな展開だな…||山下久仁明||colspan="2" align="center"|安東信悦||千羽由利子
|-
|11||8月10日||打倒!明和第一||小出克彦||松浦錠平||[[杉島邦久]]||平岡正幸
|-
|12||8月17日||クジ運ないのかな||桶谷顕||勝亦祥視<br />安東信悦||勝亦祥視||広田正志
|-
|13||8月24日||友達ならわかるよね||岸間信明||青木佐恵子||高田淳||高木弘樹
|-
|14||8月31日||二軍が出てきたぜ||山下久仁明||colspan="2" align="center"|安東信悦||深沢幸司
|-
|15||9月7日||けっこうカッコいいだろ||小出克彦||安東信悦||勝亦祥視||広田正志
|-
|16||9月14日||今度はハズレじゃないわよ||[[吉田玲子]]||古川順康<br />高田淳||高田淳||佐藤修
|-
|17||9月21日||比呂負傷!?どうする野球愛好会||小出克彦||清水明||葛谷直行||平岡正幸
|-
|18||rowspan="2"|10月5日||熱戦九回裏!バッターは国見…||rowspan="2"|桶谷顕||うえだひでひと||安東信悦<br />勝亦祥視||深沢幸司
|-
|19||大逆転!千川野球部誕生?||日下直義<br />高麗了||青木新一郎||深沢幸司<br />[[進藤満尾]]
|-
|20||10月19日||追跡!比呂VS春華||岸間信明||鈴木胡擯||花井信也||[[今泉賢一]]
|-
|21||10月26日||春華とひかりと比呂の海||山下久仁明||colspan="2" align="center"|高田淳||高木弘樹
|-
|22||11月2日||代打デート・帰れない二人||吉田玲子||うえだひでひと||勝亦祥視||広田正志
|-
|23||11月9日||眠れないよ…二人だけの夜||小出克彦||[[平田智浩]]||高田淳||平田智浩
|-
|24||11月16日||それぞれの夏・花火のように||岸間信明||colspan="2" align="center"|吉村文宏||内田裕
|-
|25||11月23日||監督決定!私が古賀富士夫です||桶谷顕||葛谷直行||清水明||平岡正幸
|-
|26||11月30日||サヨナラ先輩!涙の壮行試合||山下久仁明||colspan="2" align="center"|安東信悦||深沢幸司
|-
|27||12月7日||ヒデちゃん幻のホームラン||吉田玲子||colspan="2" align="center"|小林哲也||佐藤修
|-
|28||12月14日||記念試合!危ない奴らがやって来た||小出克彦||鈴木胡擯||花井信也||今泉賢一
|-
|29||12月21日||ひかりピンチ!周二の罠!?||桶谷顕||うえだひでひと||高田淳||高木弘樹
|-
|30||'''1996年'''<br />1月11日||ひかりのウソ比呂の涙||山下久仁明||安東信悦||勝亦祥視||広田正志
|-
|31||1月18日||新たなる好敵手(ライバル)!栄京・広田||岸間信明||二見緋絽志||棚橋一徳||[[谷口守泰]]
|-
|32||1月25日||天才・橘気迫のバッターボックス||吉田玲子||colspan="2" align="center"|清水明||平岡正幸
|-
|33||2月1日||千川祭歓迎!栄京学園さま||小出克彦||colspan="2" align="center"|小林哲也||佐藤修
|-
|34||2月8日||真剣勝負は嫌いじゃないさ||桶谷顕||鈴木胡擯||高田淳||岡辰也
|-
|35||2月22日||予告三振しろってか?||山下久仁明||colspan="2" align="center"|安東信悦||深沢幸司
|-
|36||2月29日||俺のスコアブックは3対1さ||岸間信明||colspan="2" align="center"|棚橋一徳||谷口守泰
|-
|37||3月7日||クシュン!ダンボールの中の待ちぼうけ||小出克彦||colspan="2" align="center"|清水明||平岡正幸
|-
|38||3月14日||初デート!これからもよろしく||吉田玲子||colspan="2" align="center"|高田淳||高木弘樹
|-
|39||rowspan="2"|未放送||心のギブスがとれてねえぞ||rowspan="2"|桶谷顕||木暮輝夫||宮崎一哉||飯野皓
|-
|40||いつまでも変わらない夢||colspan="2" align="center"|小林哲也||佐藤修
|-
|41||3月21日||夏への誓いここからスタート!||桶谷顕<br />岸間信明<br />山下久仁明||うえだひでひと||高田淳||平田智浩
|}
== テレビドラマ ==
{{see|H2〜君といた日々}}
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [http://ashipro.jp/works/tv_series/w029.html プロダクション リード(旧・葦プロダクション)によるアニメ紹介ページ]
* [http://www.tbs.co.jp/H2/ TBS - H2]
* [https://websunday.net/museum/no19/ サンデー名作ミュージアム - H2]
* {{Abemaビデオ|19-36|H2}}
{{前後番組
|放送局=[[朝日放送テレビ|朝日放送]]をはじめとする[[テレビ朝日]][[オールニッポン・ニュースネットワーク|系列]]
|放送枠=木曜19:00 - 19:30枠
|番組名=H2<br/>(1995年6月 - 1996年3月)<br />【ここまで朝日放送制作のアニメ枠】
|前番組=[[クッキングパパ]]<br>(1992年4月 - 1995年5月)
|次番組=[[ビデオあんたが主役|必撮ビデオ!!あんたが主役]]<br>(1996年4月 - 9月)<br />【ここからテレビ朝日制作のバラエティ枠】
}}
{{デフォルトソート:えいちつう}}
{{あだち充}}
{{葦プロダクション}}
{{Navboxes
|title= オリコン週間チャート第1位
|titlestyle= background-color:#CEE6C1
|list1=
{{オリコン週間コミックチャート第1位 1995年|1995年4月10日・7月10日・9月4日・11日付}}
{{オリコン週間コミックチャート第1位 1996年|1996年1月1日付}}
{{オリコン週間コミックチャート第1位 1998年|1998年3月9日・10月5日付}}
{{オリコン週間コミックチャート第1位 1999年|1999年1月11日・7月5日・8月30日付}}
{{オリコン週間コミックチャート第1位 2000年|2000年4月10日付}}
}}
[[Category:あだち充の漫画作品]]
[[Category:漫画作品 え|いちつう]]
[[Category:1992年の漫画]]
[[Category:週刊少年サンデーの漫画作品]]
[[Category:日本の高校野球を題材とした漫画作品]]
[[Category:恋愛漫画]]
[[Category:練馬区を舞台とした漫画作品]]
[[Category:甲子園球場を舞台とした漫画作品]]
[[Category:アニメ作品 え|いちつう]]
[[Category:朝日放送テレビのアニメ]]
[[Category:テレビ朝日系アニメ]]
[[Category:葦プロダクション]]
[[Category:1995年のテレビアニメ]]
[[Category:東宝製作のアニメ作品]]
[[Category:ADKグループのアニメ作品]]
[[Category:少年サンデーコミックスのアニメ作品]]
[[Category:吉田玲子のシナリオ作品]]
[[Category:日本の高校野球を題材としたアニメ作品]]
[[Category:恋愛アニメ]]
[[Category:練馬区を舞台としたアニメ作品]]
[[Category:甲子園球場を舞台としたアニメ作品]] | 2003-02-13T10:17:09Z | 2023-09-26T12:43:57Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/H2_(%E6%BC%AB%E7%94%BB) |
1,268 | 擬ポテンシャル | 擬ポテンシャル(ぎポテンシャル、英: pseudopotential)は、第一原理計算において原子核近傍の内核電子を直接取り扱わず、これを価電子に対する単なるポテンシャル関数に置き換える手法である。これは原子間結合距離など、多くの物性において、内核電子の直接の影響が小さいことを利用したものである。平面波基底を用いて第一原理計算を行う場合、計算コストの問題から、何らかの擬ポテンシャルを使う場合がほとんどである。
有効内核ポテンシャル(英: effective core potential, ECP)とも呼ばれる。
こうした擬ポテンシャルは、内核電子が与える静電相互作用や交換相関相互作用とは全く無関係に、原子核から或る半径よりも外側では、波動関数が全電子計算の結果と一致することだけを指針に作成される。そのため平均場近似といった物理的な近似や洞察を含むものではなく、あくまでも計算のための便宜的な手法といえる。価電子帯の波動関数は、原子核近傍で同径方向に節(ノード)を持つが、擬ポテンシャルを作製する際には、こうした節を取り除き、滑らかな波動関数となるように問題をすり替える。このため、擬ポテンシャル法により得られる波動関数(密度汎関数法に用いる場合はKohn-Sham軌道)は擬波動関数と呼ばれることもある。こうした操作が、カットオフエネルギーの大幅な削減へと繋がる。
擬ポテンシャルには、次の2種類がある。
現在は精度の上からも、後者が使われることが多い。前述のように第一原理計算は計算コストが高いため、擬ポテンシャルの作製は、もっぱら球対称問題である原子に対して行われる。こうして作製した擬ポテンシャルが、化学結合をふくむ固体中の原子へどの程度利用できるかは、それ自体が複雑な問題である。問題の性質上、明確な答えは存在せず、概ね計算コストとの兼ね合いになる。様々な固体へ適用しても問題を起こさない擬ポテンシャルは、「トランスフェラビリティーが高い」と表現される。
擬ポテンシャルを利用する上での問題点は、内殻電子の寄与を無視するため、内殻電子が関与する物性(内殻励起、コアレベルシフトなど)には擬ポテンシャルを使った手法は事実上無力になることである(コアレベルシフトを擬ポテンシャル手法で扱おうとする試みは存在する)。また、非常に高い圧力下で内殻電子の寄与が物性に影響する(内殻電子の価電子化)ような状況でも、擬ポテンシャルによるバンド計算は対応できなくなる。光学応答の計算についても、擬波動関数が内核領域における波動関数を適切に表現していないため、問題が生じる。
ただし、どこまでを内殻電子とし、どこからを価電子として取り扱うかには任意性が残る。たとえばガリウムの3d軌道など浅い内殻電子を価電子として擬ポテンシャルの手法を利用することは可能である。そうした取り扱いでは、内殻軌道からの効果も部分的に計算に取り込むことが出来る。
エンリコ・フェルミは、原子核による自由中性子の散乱を記述するために擬ポテンシャル V {\displaystyle V} を導入した。 散乱体から遠く離れた中性子の波動関数は、球面波で表されるs 波の散乱波と入射平面波との和で表されると仮定する。よってポテンシャルは動径 r {\displaystyle r} の関数で与えられる。
ここで ħ {\displaystyle \hbar } はプランク定数を 2 π {\displaystyle 2\pi } で割ったもの、 m {\displaystyle m} は質量、 δ ( r ) {\displaystyle \delta (r)} は ディラックのデルタ関数、 b {\displaystyle b} は中性子散乱長、 r = 0 {\displaystyle r=0} は原子核の重心である。 この δ {\displaystyle \delta } 関数のフーリエ変換によって中性子の形状因子が得られる。
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'''擬ポテンシャル'''(ぎポテンシャル、{{lang-en-short|pseudopotential}})は、[[第一原理計算]]において[[原子核]]近傍の[[内核電子]]を直接取り扱わず、これを[[価電子]]に対する単なる[[ポテンシャル関数]]に置き換える手法である。これは原子間結合距離など、多くの物性において、内核電子の直接の影響が小さいことを利用したものである。[[平面波基底]]を用いて第一原理計算を行う場合、計算コストの問題から、何らかの擬ポテンシャルを使う場合がほとんどである。
有効内核ポテンシャル({{lang-en-short|effective core potential}}, ECP)とも呼ばれる。
こうした擬ポテンシャルは、内核電子が与える静電相互作用や交換相関相互作用とは全く無関係に、原子核から或る半径よりも外側では、波動関数が全電子計算の結果と一致することだけを指針に作成される。そのため平均場近似といった物理的な近似や洞察を含むものではなく、あくまでも計算のための便宜的な手法といえる。価電子帯の波動関数は、原子核近傍で同径方向に節(ノード)を持つが、擬ポテンシャルを作製する際には、こうした節を取り除き、滑らかな波動関数となるように問題をすり替える。このため、擬ポテンシャル法により得られる波動関数([[密度汎関数理論|密度汎関数法]]に用いる場合は[[コーン–シャム軌道|Kohn-Sham軌道]])は擬波動関数と呼ばれることもある。こうした操作が、カットオフエネルギーの大幅な削減へと繋がる。
== 擬ポテンシャルの分類 ==
擬ポテンシャルには、次の2種類がある。
*経験的に作られるもの(これは第一原理ではない)
*第一原理計算の結果を利用して作られるもの
現在は精度の上からも、後者が使われることが多い。前述のように第一原理計算は計算コストが高いため、擬ポテンシャルの作製は、もっぱら球対称問題である原子に対して行われる。こうして作製した擬ポテンシャルが、化学結合をふくむ固体中の原子へどの程度利用できるかは、それ自体が複雑な問題である。問題の性質上、明確な答えは存在せず、概ね計算コストとの兼ね合いになる。様々な固体へ適用しても問題を起こさない擬ポテンシャルは、「[[トランスフェラビリティー]]が高い」と表現される。
== 擬ポテンシャルの問題点 ==
擬ポテンシャルを利用する上での問題点は、内殻電子の寄与を無視するため、内殻電子が関与する物性([[内殻励起]]、[[コアレベルシフト]]など)には擬ポテンシャルを使った手法は事実上無力になることである(コアレベルシフトを擬ポテンシャル手法で扱おうとする試みは存在する)。また、非常に高い圧力下で内殻電子の寄与が物性に影響する(内殻電子の価電子化)ような状況でも、擬ポテンシャルによるバンド計算は対応できなくなる。光学応答の計算についても、擬波動関数が内核領域における波動関数を適切に表現していないため、問題が生じる。
ただし、どこまでを内殻電子とし、どこからを価電子として取り扱うかには任意性が残る。たとえば[[ガリウム]]の3d軌道など浅い内殻電子を価電子として擬ポテンシャルの手法を利用することは可能である。そうした取り扱いでは、内殻軌道からの効果も部分的に計算に取り込むことが出来る。
== フェルミの擬ポテンシャル ==
[[エンリコ・フェルミ]]は、[[原子核]]による自由[[中性子]]の散乱を記述するために擬ポテンシャル<math>V</math>を導入した。<ref>{{Citation|author=E. Fermi|journal=Ricerca Scientifica|volume=7|pages=13–52|year=1936|month=July|title=Motion of neutrons in hydrogenous substances}}</ref>
散乱体から遠く離れた中性子の波動関数は、球面波で表される''s'' 波の散乱波と入射平面波との和で表されると仮定する。よってポテンシャルは動径<math>r</math>の関数で与えられる。
:<math>V(r)=\frac{2\pi\hbar^2}{m}b\,\delta(r)</math>
ここで<math>\hbar</math>は[[プランク定数]]を<math> 2\pi</math>で割ったもの、<math>m</math> は[[質量]]、<math>\delta(r)</math> は [[ディラックのデルタ関数]]、<math>b</math> は中性子[[散乱長]]、<math>r=0</math> は[[原子核]]の[[重心]]である。<ref>Squires, ''Introduction to the Theory of Thermal Neutron Scattering'', Dover Publications (1996) ISBN 0-486-69447-X</ref>
この<math>\delta</math>関数のフーリエ変換によって中性子の[[形状因子]]が得られる。
以上は1つの原子核による中性子の散乱についてである。散乱体が多体系である場合のフェルミ擬ポテンシャルは次のように書ける。
:<math>V_n=\sum_n \frac{2\pi\hbar^2}{m}b_n\delta(r-R_n(t))</math>
== 経験的に作られる擬ポテンシャル ==
*[[アシュクロフトの擬ポテンシャル]]
*[[ハイネ-アバレンコフの擬ポテンシャル]]
== 第一原理による擬ポテンシャル ==
*[[ノルム保存型擬ポテンシャル]]
*[[ウルトラソフト擬ポテンシャル]]
== 関連項目 ==
*[[第一原理バンド計算]]
*[[Kleinman-Bylander近似]]
*[[ゴーストバンド]]
*[[部分内殻補正]]
*[[トランスフェラビリティー]]
*[[直交化された平面波]] (OPW)
*[[フローズンコア近似]]
== 引用 ==
<references/>
{{DEFAULTSORT:きほてんしやる}}
[[Category:バンド計算]]
[[Category:計算化学]]
[[Category:量子化学]] | null | 2023-04-10T11:11:13Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%AC%E3%83%9D%E3%83%86%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB |
1,269 | KATSU! | 『KATSU!』(カツ)は、あだち充による日本の漫画作品。同作者の作品でボクシングが登場する作品は『タッチ』、『スローステップ』などがあるが、主軸のスポーツにボクシングを据えた作品は本作が初である。
光葉高校に入学した里山活樹は、同じクラスの名前が同じである、水谷香月に近づくために、友人の川上京太とともに、香月の父親の運営する、ボクシングの水谷ジムへ入会した。しかし、香月の父親はすでに離婚しており、香月本人もボクシングを嫌いになろうとしていた。
ふとしたことから、香月と活樹はスパーリングをすることになり、そこで、その場にいたみんなが活樹の才能を見抜いた。その後いろいろなことが重なり、活樹は香月とともにボクシング部に入部することになる。活樹の父親で、逃げの天才だった元プロボクサーの里山八五郎をコーチに迎え、練習を始めた。そこから二人の"かつき"の運命が動き出す...
【ネタバレあり】
作中の全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園、描写はほぼ背景と実況のみ)で、「タッチ」で主人公の上杉達也らが所属していた明青学園が同作での初出場以来16年ぶり2回目の出場を果たし、準優勝した(決勝で岬新一擁する港星高校に敗れた)。しかし、2012年に連載開始したタッチの続編「MIX」では、「かつて1度だけ甲子園出場して優勝したことがある」とされ、本作での設定は反映されなかった。
作中で水谷香月が急性虫垂炎で入院をした杉中病院はクロスゲームでも登場をしている。 | [
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] | 『KATSU!』(カツ)は、あだち充による日本の漫画作品。同作者の作品でボクシングが登場する作品は『タッチ』、『スローステップ』などがあるが、主軸のスポーツにボクシングを据えた作品は本作が初である。 | {{Redirect|KATSU|その他の「カツ」|かつ}}
{{Infobox animanga/Header
| タイトル = <nowiki>KATSU!</nowiki>
| ジャンル = [[少年漫画]]
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{{Infobox animanga/Manga
| 作者 = [[あだち充]]
| 出版社 = [[小学館]]
| 掲載誌 = [[週刊少年サンデー]]
| レーベル = 少年サンデーコミックス
| 開始号 = [[2001年]]第36・37合併号
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| 開始日 = 2001年[[8月8日]]
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| 巻数 = 全16巻
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}}
{{Infobox animanga/Footer}}
『'''KATSU!'''』(カツ)は、[[あだち充]]による[[日本]]の[[漫画]]作品。同作者の作品でボクシングが登場する作品は『[[タッチ (漫画)|タッチ]]』、『[[スローステップ]]』などがあるが、主軸のスポーツにボクシングを据えた作品は本作が初である。
== あらすじ ==
光葉高校に入学した里山活樹は、同じクラスの名前が同じである、水谷香月に近づくために、友人の川上京太とともに、香月の父親の運営する、ボクシングの水谷ジムへ入会した。しかし、香月の父親はすでに離婚しており、香月本人もボクシングを嫌いになろうとしていた。
ふとしたことから、香月と活樹はスパーリングをすることになり、そこで、その場にいたみんなが活樹の才能を見抜いた。その後いろいろなことが重なり、活樹は香月とともにボクシング部に入部することになる。活樹の父親で、逃げの天才だった元プロボクサーの里山八五郎をコーチに迎え、練習を始めた。そこから二人の"かつき"の運命が動き出す…
== 登場人物 ==
【ネタバレあり】
=== 主要人物 ===
; 里山 活樹(さとやま かつき)
: 本作品の[[主人公]]。光葉高校1年B組(のち2年A組)。5年前に母親を亡くしている。なぜか[[古文]]が得意。連載初期は鼻が三角に描かれていた。
: 名前が同じという事もあって入学以来気になっていた香月に近付くためという不純な動機で、香月の父が会長を務める水谷[[ボクシングジム]]に入会し[[ボクシング]]を始める。自宅の[[体重計]]が壊れていて[[バンタム級]]だと思っていたが、実はライバルが犇めく[[フェザー級]]だった。
: 実の父親である赤松隆介と育ての父親である里山八五郎という二人の正反対のボクシングスタイルの両方の才能を濃く受け継いでいる。
: あるイベントで岬新一と[[野球]]で1打席のみの対決をする。岬の豪速球に書かれた文字を読んだり、[[フォークボール|高速フォーク]]に当たりはしなかったがタイミングを合わせたりと、その実力を見せ付けた。
: 高2、高3時の[[全国高等学校総合体育大会|IH]]、[[国民体育大会|国体]]は2年連続優勝。また、[[全国高等学校ボクシング選抜大会|高校選抜]]でも優勝し、公式戦無敗で高校五冠を果たす<ref>ただし、[[スパーリング]]では水谷香月に1敗している。また、階級は異なるも二階堂周作にも1敗している。なお、活樹の所属するボクシング部では、入部後9ヶ月(?)は大会出場を禁止されている為、文字通り出場可能な全試合で勝利したということになる。</ref>。卒業後[[大学受験]]に失敗するも、[[過年度生|浪人]]中にライセンスを取得し[[プロボクサー]]となる。
:水谷香月とは相思相愛の仲であり、ベタベタはしないがお互いをよく理解している。
; 水谷 香月(みずたに かつき)
: 本作品の[[ヒロイン]]。活樹のクラスメート。勝ち気な性格でボクシングがものすごく強い。母が父の性格を嫌って離婚しており、現在は母親と暮らしている。その為、ボクシングを嫌っているが、[[ガソリンスタンド]]で変装して[[アルバイト|バイト]]をしていたことが校長にばれ、その弱みに付け込まれ新ボクシング部に入部する羽目になった。身長は160cm程。
: 音楽室の幽霊を信じる、など、思い込みが激しい?性格。
: 父・剛史曰く「ボクシング嫌いの原因は、女であることから男子ボクシングは出来ない反動」とのこと。また、同居するボクシング嫌いの母親の手前、表向きは嫌いということにしていた。しかし、下述の通り活樹に夢を託したため再び好きになった様子。
: 紀本高道と対戦するつもりでいたが、試合前の活樹とのスパーリングで活樹の強烈な[[パンチング|パンチ]]をガードし続けた結果、両腕が痺れてしまい試合は不戦敗となった。しかし、このスパーリングで活樹の才能に惚れ込み、活樹に自らの夢を託すことを決意する。
: 活樹がボクシングを始める以前の光葉高校受験の際に、活樹が気付かずに落とした[[お守り]]を拾っており、クラスも名前も同じと言うことで合格発表・入学式など事ある毎に活樹を目で追う癖が付き、その興味はいつしか恋愛感情になっていっていた<ref>活樹が香月を好きになる以前に、また、活樹がボクシングを始める以前から、活樹を気にしていたことになる。</ref>。
: 活樹に近づく南条理子、半沢みのりには露骨に反応するなど、あだち充のヒロインとしては珍しいタイプ。
=== 光葉高等学校 ===
; 川上 京太(かわかみ きょうた)
: 活樹の小学校からの[[幼馴染]]でクラスメート。活樹と同じく香月に近づくために水谷ボクシングジムに通いボクシングを始める。入学した時から香月に目を付けていたが何度も振られる。[[ライト級]]。
: 成長の凄さは水谷ボクシングジムでもトップだが、活樹には右手一本で負けてしまう。といっても、インターハイでは準優勝しており、かなりの実力がある。香月曰くマメさとしつこさが武器。
; 里山 八五郎(さとやま はちごろう)
: 活樹の育ての父親で、年齢は48歳。里山は妻の姓で、彼自身の旧姓は「'''坂口'''」という。かつては「ラビット坂口」という[[リングネーム]]で活動していたプロボクサーで、通算対戦成績は22戦12勝無敗10引分(1KO)。引退後は会社勤めをしていたが、勤めていた会社が倒産したため、息子の高校の校長に頼まれていた新ボクシング部の顧問を引き受ける。
: 減点ギリギリまで逃げ回るボクシングスタイルで、「パンチ力は素人に毛が生えた程度だが、世界に通じるせこい技術をもっている」と言われたほどで、パンチを貰わないボクサーとして有名。そのボクシングスタイルゆえあまり人気はなかったが、当時プロボクサー志望だった選手などにはファンが多い。
: しかし引退試合として選んだ赤松隆介戦で、自分の果たせなかった夢を託そうと殴り倒されるつもりで普段より一歩前に出て闘った。その結果[[カウンターアタック|カウンター]]となり、初のKO勝利を将来有望な赤松から得る。しかし、この試合が原因で1ヵ月後に赤松は亡くなる。罪滅ぼしとして、当時妊娠していた赤松の婚約者である里山佐知子と結婚<ref>このとき妊娠していた子が活樹である。なお佐知子は生前、活樹に「お父さん(八五郎)がいなかったら、あなたも茶紀もこの世にはいなかった」と語っており、八五郎に深い感謝の想いを抱いていたことが伺える。</ref>。その後、佐知子との間に茶紀(活樹の妹)をもうける。
; 大島 由紀夫(おおしま ゆきお)
: 光葉高校校長。58歳。[[ボクシング]]の経験はほとんど無いが、見てきた試合数は半端ではなく、目も肥えている。また、狡猾であり、香月の弱みを握って交渉したり、人脈を利用して八五郎の再就職を邪魔し続けて新ボクシング部のコーチにさせた。
; 二階堂 周作(にかいどう しゅうさく)
: 光葉高校一年(17歳)。中学の時に2年間少年院にいたが、現在は更生した(らしい)。[[ミドル級]]。
: 苦労の末にプロのライセンスを取るがデビュー戦は負ける。活樹とは昔からの仲。水谷ボクシングジム所属。
: 水谷剛史に借金している(額は不明)。
; 船田 銀二郎(ふなだ ぎんじろう)
: ボクシング部の元キャプテン。自分が無軌道に振舞うために廃部(休部)に追い込んだ張本人。練習嫌いなので香月の腕には遠く及ばないが、ケンカは強い。たまに活を入れに新ボクシング部にやってくる。
=== 活樹の対戦相手 ===
; 紀本 高道(きもと たかみち)
: 浅倉高校1年。ボクシング部。香月の家の近所にあるコンビニ店(11/1000 [[セブン-イレブン|千分のイレブン]])の息子。
: 昔はいじめられっ子で、いつも香月に助けられていた。香月より強くなるためにボクシングを始めた。香月には「香月より強くなったらボクシングをやめる」約束をしていたが、香月が無意識に探しているボクシングを辞める理由を作るという目的に変わった。しかし香月の練習相手だった活樹が香月を試合不能に追い込んだことで、香月戦は実現しなかった。
: 天性のセンスと日に日に上達する活樹に香月の恋敵として対戦を決意し、活樹の間違った体重であるバンタム級に合わせ体重調整を行っていた。しかしその後、正しくは活樹はフェザー級だったことを知らされる。
: 光葉高校との練習試合で活樹と対決するのだが、香月との1日デートを条件にハンディキャップとして左フックを封印すると香月に約束していた。それを知っていた活樹はフェアにわざと左フックを誘ったものの、紀本は左フックを使わずに活樹に負ける。約束のデートの際に、実はハンデを守ったのは、絶対に活樹に勝てるという自信が無かったからと述べていたが、香月から「あの試合は負けてはいけなかった」「2度と里山には勝てない」と言われてしまう。
: 岬の好敵手を自認して対戦するが、ボクシングによる自身の視力低下(日常生活を送っている分には支障ないという事から、網膜剥離の可能性も)などが原因で敗れる。活樹に打倒岬の夢を活樹に託し、香月の活樹を育てる夢に協力する為に引退し活樹の参謀役を買って出る。
: しかし登場人物が充実してきたことなど物語が進むにつれ本編への登場機会が無くなってしまった。
; 岬 新一(みさき しんいち)
: [[神奈川県]]にある港星高校の生徒。一年のときに夏の甲子園を制覇したときのエースで四番。158km/hが投げられる。二年ではボクシングでインターハイ優勝を目指すといって転向。[[フェザー級]]。[[サウスポー]]スタイルのボクサー。野球でもボクシングでも、カメラが入るとさらに強くなる。
: 里山家を訪れた時に、香月に助けられたことが切っ掛けで香月に好意を抱くようになった。それ以後、果敢に何度でも香月に言い寄る。そして水谷ボクシングジムに入会する。
: ボクシング好きの祖父の影響を強く受け赤松隆介に憧れており、子供時代はいつも赤松のビデオを見ていた(右ボクサーである赤松のビデオを見ながらボクシングを覚えたため、「鏡」の要領で、幼児期からサウスポーになった)。そのため、赤松の死因となった里山八五郎を恨み、その息子の活樹を赤松の敵として香月の恋敵としていた。(後に活樹は赤松の息子であることを知るのだが)
: 前述の通り、ボクシングの腕前もなかなかのものであり、公式戦負けなしであったが、2年インターハイ時は、事故により準決勝棄権。非公式で活樹と2度対戦しているが、2度とも活樹に敗れている。
: プロボクサーになるつもりでいたのだが、内田の父親のせいで倒産寸前となった父親の会社を救うため、1億円の契約金を目的にプロ野球選手になることを決断し、ボクシングを引退。引退試合は非公式で活樹と対戦し、敗れている。
; 内田 仁(うちだ じん)
: 3年生10人を殴り倒して高校を一ヶ月と持たず退学になり、17歳でボクシングのプロライセンスを取得する。光栄ジム所属。[[フェザー級]]。スーパーの店員をして自活している。
: 岬とは幼い時から親友であり、小学生の時に1度負けている。
: 4戦連続KO勝利するなどボクシング界期待の星だったのだが、犯罪ギリギリの手口で岬の父親を騙した父・権造を殴り、全治3ヶ月の重傷を負わせて逮捕される。
;宮川 光(みやがわ ひかる)
:坂野台高校2年。活樹がインターハイ予選決勝戦で対戦した相手。小学校低学年からプロボクサーを志し、水谷や八五郎の昔馴染みが経営するボクシングジムに入門。会長の益尾曰く「10年に一度の逸材」であり、谷を倒した実力は水谷が認める程である。だが、プロボクサーとして売り出すにはあまりにも地味で目立たない人物である。そのため、岬を倒す事で世間の注目を集めようと坂野台高校からインターハイに出場している。香月に想いを寄せ、彼女にラブレターを渡した。
:益尾の指示で「ラビット坂口」の様な逃げ回ってポイント狙いの戦い方で活樹を苦しめていたが、想いを寄せる香月の叱咤で倒す目的で前進して敗れる。
=== 活樹の家族 ===
; 赤松 隆介(あかまつ りゅうすけ)
: 活樹の本当の父。[[ウェルター級]]。天才的な才能とずば抜けたパンチ力を持つ。デビューから9戦連続KO勝利を見せ、期待の星と言われた。活樹の母、里山佐知子と婚約しており、里山八五郎との対戦で10戦連続KOし、それを手土産に彼女の両親に結婚を申し込むつもりでいた。しかし、八五郎のカウンターを受けた際に後頭部を打ちつけて逆にKO負けしてしまう。その後1度は起き上がるも入院し、1ヶ月後に死亡した。生きていれば間違いなく[[ウェルター級]]世界王者になっていたと言われている。
; 里山 佐知子(さとやま さちこ)
: 活樹と茶紀の母親。婚約者である赤松隆介との間に出来た活樹を身篭っていたが、八五郎との試合で赤松が亡くなり、表向き[[できちゃった結婚]]として八五郎と結婚する。八五郎に深く感謝しているのと同時に彼を夫として心から愛しており、八五郎との間に茶紀をもうける。活樹にとっては美人で優しい母親であったが、5年前の夏に亡くなった。
; 里山 茶紀(さとやま ちゃき)
: 活樹の父親違いの妹。登場当初9歳。手に持った物を人に投げるクセがある。香月とは一緒に風呂に入るなど仲がいい。
; 里山 きく(さとやま きく)
: 活樹・茶紀の母方の祖母。64歳。娘・佐知子からは婚約者がプロボクサーとしか聞かされていなかったため、赤松隆介の存在は知らない様子。日本全国神社仏閣お守り集めが趣味だが、いいタイミングで合格祈願のお守りと縁結びのお守りを間違えてしまう。
; パンチ
: 里山家のペット、バカ犬。元々は八五郎が勤めていた会社の社長の犬で、旅行の間だけ預かってくれと騙されて引き渡される。会社が倒産した後、社長一家は夜逃げしたため、そのまま里山家のペットとなった。散歩の際、常に全力疾走で引っ張るので活樹の足腰が鍛えられた。
: 他のあだち充漫画に登場するパンチとは違い、[[ボクサー (犬)|ボクサー犬]]である。
=== 香月のライバル ===
; 南条 理子(なんじょう りこ)
: 赤松隆介が所属していた翔拳ジム会長の孫娘。赤松隆介は初恋の相手。またプロボクサーであった父親をロードワーク中に飲酒運転の車に轢かれ亡くしている。
: 翔拳ジムを再建する為にあの手この手で芝居を打って活樹を口説き落とそうとしている。3流役者の知り合いが多く、口説き落とすために度々利用している。獲得に真剣だということが伝われば十分として、活樹に芝居がばれてもアッケラカンとしている。活樹を彼個人ではなく赤松の分身や生まれ変わりの様な存在と思っているような描写が多い。愛車はフォルクスワーゲンのニュービトル。
; 半沢 みのり(はんざわ みのり)
: 浅倉高校2年、新聞部。活樹・京太の小、中学校の時の同級生。活樹の事が好き。小学時代に活樹にラブレターを貰ったことがある。しかし、ラブレターの返事はしていない。新聞部だけあって情報通だが、早とちりが多い。顔に雀斑のある平凡な顔立ちの少女であり、香月にとっては女性として格下のライバルである。その為、美人でお金も持っている理子の登場で出番が無くなった。
: また、年の離れた姉がいる。既婚者で娘がいる。
=== その他 ===
;水谷 剛史(みずたに つよし)
: 香月の父親。元プロボクサー、東洋ウェルター級チャンピオン。水谷ボクシングジムの会長。登場当初50歳。校長曰く、右のクロスが凄かった。ラビット坂口(里山八五郎)とは2度闘っているが、いずれもラビットの逃げのボクシングに短気を起こし剛史が反則負けしている。酔っ払って娘に物を投げたりする事もあるが(怪我をさせた事もある)、誰よりも真摯に娘を理解して愛している。ボクシングに対して彼なりの信念を持っている。ラビット坂口に対し、自分のボクシングに対する信念と違う彼のスタイルに反感を持つと同時に関心を持っており、彼に対して「赤松を殺した」とは決して言わない。
: 妻とは離婚しており、養育費は銀行振込みにせずジムで手渡し(香月に会いたいから)している。
:娘を溺愛し、雪で外に出るのが危険なときでも、暗闇が苦手な娘(香月)の様子を見に行ったりした。
: あだ名は海坊主。
; 水谷 春音(みずたに はるね)
: 香月の母親。大のボクシング嫌い。離婚後はお好み焼き屋を経営している。登場当初41歳。偶然同姓者同士の結婚だったために、離婚しても水谷姓。メロンが好物。当初は客寄せの為に未亡人と偽っていた。物語が進むに連れて少しずつ元夫との関係が修復していく様に描写されている。
; 佐久良 正(さくら ただし)
: 水谷ボクシングジム所属のプロボクサー。職業は食堂の店員。
: ラビット坂口(里山八五郎)の大ファンであり、婿入りして名前が変わったことも、活樹がラビット坂口の息子であることも知っている(赤松隆介の息子であることまでは知らない)。お世辞を言わない性格。
:ボクシングの腕前を見る目があり、初期の段階で活樹の能力を見通していたり、活樹が片手で戦っていたりしたのを見抜いて?いた。
: ファンだけあって、ボクシングスタイルはラビットによく似ている。水谷剛史曰く、日本チャンピオンくらいなら行ける。
; 堺(さかい)
: 水谷ボクシングジムの社員。ジムでほぼ唯一の優しい人。ちょっと太め。
; 鶴田(つるた)
: ラビット坂口が所属していた光栄ジムの会長。赤松隆介に関する件などは詳しく知っている。水谷香月が里山家で練習をする際の道具を運んできてくれた。
; 南条 伝助 (なんじょう でんすけ)
:赤松隆介が所属していた翔拳ジムの元会長。赤松隆介と自分の息子の2大看板を事故で亡くしたため、ボクシングジムを閉じ、蕎麦屋を営む。鶴田同様、赤松隆介の試合中の事故、赤松隆介の息子などを知っている数少ない人物。
;谷 正人(たに まさと)
:浅倉高等学校ボクシング部所属。登場当初2年生。活樹達が一年生時のインターハイフェザー級3位。粗暴で短気な性格の上に口も悪い皮肉屋。交友関係も不良が多い。同じ階級の紀本に警戒心を持っている。スパーリングに負けた腹いせに仲間を連れ、彼をリンチしようとする等卑劣な人間である。実家はそこそこの大きさの会社を経営しており、父親に過保護で育てられたらしい。
:紀本、宮川、岬といった作中で活樹が試合した強敵の強さを表現する為のかませ犬としての役回りをしている。
;大友 力也(おおとも りきや)
:浅倉高等学校ボクシング部所属。登場当初2年生。活樹達が一年生時のライト・ミドル級準優勝。大柄な体付きの強面で寡黙な性格だが、男気のあって優しい性格の持ち主。弱い者いじめは嫌いだが、強い人間と喧嘩をするのは好きらしい。谷と一緒に行動している事が多い。ボクシングの実力は紀本よりも下である。
:父親が谷の父親の経営している会社に勤務しているが、剛毅な性格の父親から谷に親同士の関係を出されても突っぱねろと言われており、谷との関係は対等である。
== 作中の建造物 ==
; 光葉高等学校(こうようこうとうがっこう)
: 活樹・香月らが通う高等学校。文武共に普通の高校。かつてはボクシング部があったが廃部(休部)。その後、活樹と香月の為に新ボクシング部が作られる。東京都[[中野区立北中野中学校]]がモデルである(同校にボクシング部はない)。
; 水谷ボクシングジム
: 香月の父親が経営する[[ボクシングジム]]。活樹、京太らが通う。
: 入会金17000円、月謝9000円。
: 平日15:30 - 21:00、日祭日12:00 - 18:00。
; お好み焼き春音(はるね)
: 香月の母親が経営する[[お好み焼き]]屋。ママ目当てで通う常連客も多い、活樹の父親もその一人。2階が住居部分。
; 私立 浅倉高等学校(あさくらこうとうがっこう)
: 紀本が通う高等学校。ボクシングの名門校。東京都にある。顧問は学生時代プロボクサー志望でラビット坂口のファン。
; 翔拳(しょうけん)ボクシングジム
: 赤松隆介がかつて所属していたが、看板選手2人が相次いで死亡し一度潰れてそば屋になった。しかし会長の息子の嫁(もしくは娘)がデザイナーとして集めた資金を利用して近代的ジムとして翔拳ジムを再建する。
: 活樹と香月はここの特別会員(入会費・年会費無料)。
: 住所は[[東京都]][[中野区]]鷺宮([[上鷺宮]]?)。
== その他 ==
作中の[[全国高等学校野球選手権大会]](夏の甲子園、描写はほぼ背景と実況のみ)で、「[[タッチ (漫画)|タッチ]]」で主人公の上杉達也らが所属していた明青学園が同作での初出場以来16年ぶり2回目の出場を果たし、準優勝した(決勝で岬新一擁する港星高校に敗れた)。しかし、2012年に連載開始したタッチの続編「[[MIX (漫画)|MIX]]」では、「かつて1度だけ甲子園出場して優勝したことがある」とされ、本作での設定は反映されなかった<ref>[https://www.excite.co.jp/news/article/E1337010280942/?p=3 『タッチ』の南ちゃんが44歳!? あだち充の新連載「MIX」が始動!] - 2012年5月15日 エキサイトレビュー(3ページ目)</ref>。
作中で水谷香月が急性虫垂炎で入院をした杉中病院は[[クロスゲーム]]でも登場をしている。
== 脚注 ==
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{{デフォルトソート:かつ}}
[[Category:あだち充の漫画作品]]
[[Category:漫画作品 か|つ]]
[[Category:2001年の漫画]]
[[Category:週刊少年サンデーの漫画作品]]
[[Category:ボクシング漫画]]
[[Category:日本の高校スポーツを題材とした漫画作品]] | 2003-02-13T10:20:42Z | 2023-12-24T05:44:35Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/KATSU! |
1,270 | 山本直樹 | 山本 直樹(やまもと なおき、1960年2月1日 - )は、日本の漫画家。別に、成人向け漫画を執筆する森山 塔(もりやま とう)、塔山 森(とうやま もり)の名義がある。
北海道松前郡福島町出身。北海道函館中部高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。劇画村塾3期生。水瓶座、血液型AB型。主に青年漫画を執筆。自身のバンド「ブレメン」(旧スロラナSPブレメン)ではボーカルとギターを担当。都内ライブハウスを中心に活動。
1960年2月1日、北海道松前郡福島町に生まれる。両親、さらには父方・母方の両祖父が学校の先生という教育者の家庭で育った。小学生のころ、自身にとっての「エロのルーツのルーツ」ともいえる『ハレンチ学園』を愛読。高校時代は、筒井康隆の小説を読んで本の面白さに目覚める一方、下宿先の女性の先輩から『りぼん』を借りて読んでいた。
1978年、北海道函館中部高等学校を卒業し、早稲田大学に入学。入試で第一文学部に落ちたため、教育学部に進学した。大学時代は、萩尾望都、大島弓子、山岸凉子、吾妻ひでお、大友克洋などの作品に親しむ。1979年、大学2年の冬に、友人たちとSF小説、少女漫画、ニューウェーブなどの話をするうちに、それまで読むばかりだった漫画を自分でも描き始める。
1981年、小池一夫が主催する「劇画村塾」に入塾する。同期には堀井雄二、とがしやすたからがおり、その熱気に影響されて同人誌の作成を思い立つ。1982年、劇画村塾の有志が製作した同人誌に同人漫画家として初めての成人向け漫画を発表する。1983年、早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業。卒業に際して就職活動はせずに、漫画の投稿、持ち込みを始めた。
1984年、森山塔(山本ナオキ)名義で『ピンクハウス 1984年6月号』(日本出版社発行)に掲載の「ロリータ日記 ホラ、こんなに赤くなってる!」でデビュー。同年、山本直樹名義でも「私の青空」で『ジャストコミック』新人賞を受賞しデビュー。デビュー当初は、山本直樹名義でストーリー性のある青年漫画を描く一方で、森山塔・塔山森名義で成人向け漫画を描いていたが、両者の境界はなくなっていった。
1986年、『極めてかもしだ』が有害(不健全)指定を受ける。
1991年 、『Blue』が初めて東京都青少年保護育成条例で有害コミック指定を受け、当時沸き起こりつつあった有害コミック論争の中心的存在となる。1992年にはコミック表現の自由を守る会に参加。有害コミック論争以降も作風は変わらず、『ありがとう』では更に過激な描写を見せた。
2000年からは、漫画雑誌『マンガ・エロティクス』(現・『マンガ・エロティクス・エフ』、太田出版)のスーパーバイザーを務めながら、同誌に作品も発表している。2006年、『イブニング』(講談社)で連合赤軍事件を題材にした『レッド』の連載を開始、2010年には同作品で第14回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した。
2008年、『堀田』3巻が東京都条例で有害コミック指定を受ける。
2021年現在はWeb連載サイト「Ohta Web Comic」で『山本直樹 最新作品集』を連載中。また6月にかもめ児童合唱団のアルバム『海に向かって歌う歌』のジャケットイラストを描きおろしている。
ムーンライダーズ、フランク・ザッパなどのファンである。自分でも音楽活動を行なっている。『とらわれペンギン』などのように音楽にちなんで漫画作品のタイトルを付けることがあるほか、作品の題材として音楽を取り上げることがある。
同じく漫画家の江口寿史、とり・みき、吉田戦車らと交友関係がある。
家族は妻と一男一女。子供に対しては怒ることはほぼ皆無で、一方でいろいろな漫画を薦めるため、娘曰く「父というよりは、面白いものを紹介してくれる親戚のおじさん」という感じだった。ただ子供に自分の作品を読ませることはなく、また「森山塔」等の別名義のことも子供には内緒にしていたが、あるとき子供の知るところとなり衝撃を受けたという。
正気でない人やエロを題材とする作品を描くことが多い。大胆な性描写とシャープな演出センスで問題作を発表しており、愛とセックスに溺れる弱い人間たちが織り成す悲哀を過激に、シニカルに、そしてややユーモラスに描く。性描写が問題になった有害コミック論争以降も作風は変わらず、『ありがとう』では更に過激な描写を見せ、レイプ、新興宗教、いじめなどの困難に屈せずに奮闘する父を描き、「家族とは何か」という問いを投げかけた同作は、高く評価された。
技術的な特徴としては、かなり早くから漫画にマッキントッシュによる作画(CG)を取り入れていることが挙げられる。1993年ごろから漫画を描くのにパソコンを使い始め、「Aldus SuperPaint」という現在では発売中止になった(開発元のAldusがAdobeに買収されたため)ソフトを現在も使っている。執筆方法の変化により、『フラグメンツ』以降の絵はそれまでよりも繊細になっている。かつては飛龍乱・奥浩哉・山本夜羽音・猫島礼らがアシスタントを務めていたが、近年はアシスタントを雇わずに独力で執筆している。 | [
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] | 山本 直樹は、日本の漫画家。別に、成人向け漫画を執筆する森山 塔、塔山 森の名義がある。 北海道松前郡福島町出身。北海道函館中部高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。劇画村塾3期生。水瓶座、血液型AB型。主に青年漫画を執筆。自身のバンド「ブレメン」(旧スロラナSPブレメン)ではボーカルとギターを担当。都内ライブハウスを中心に活動。 | {{Infobox 漫画家
|名前 = 山本 直樹
|画像 =
|画像サイズ =
|脚注 =
|本名 = 山本 直樹<ref name="森山塔プロフィール">「森山塔プロフィール&作品目録」森山塔『[[真夜中のクロール]]』フランス書院〈フランス書院コミック文庫〉、1989年、199-208頁。</ref>
|生年 = {{生年月日と年齢|1960|2|1}}<ref name="世界最後の日々の著者紹介">[http://eastpress.co.jp/shosai.php?serial=1167 「世界最後の日々」]{{リンク切れ|date=2022年1月}} - イースト・プレス</ref>
|生地 = {{JPN}}・[[北海道]][[松前郡]][[福島町]]<ref name="世界最後の日々の著者紹介" />
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|国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 -->
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* 『[[ジャストコミック]]』新人賞(「私の青空」)<ref name="森山塔プロフィール" />
* 第14回[[文化庁メディア芸術祭]]マンガ部門優秀賞(『[[レッド (山本直樹)|レッド]]』)
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|公式サイト =
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'''山本 直樹'''(やまもと なおき、[[1960年]][[2月1日]]<ref name="世界最後の日々の著者紹介" /> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。別に、[[成人向け漫画]]を執筆する'''森山 塔'''(もりやま とう)、'''塔山 森'''(とうやま もり)の名義がある。
[[北海道]][[松前郡]][[福島町]]出身<ref name="世界最後の日々の著者紹介" />。[[北海道函館中部高等学校]]、[[早稲田大学]][[教育学部]]国語国文学科卒業<ref name="世界最後の日々の著者紹介" />。[[劇画村塾]]3期生。水瓶座、血液型AB型。主に[[青年漫画]]を執筆。自身のバンド「ブレメン」(旧スロラナSPブレメン)ではボーカルとギターを担当。都内ライブハウスを中心に活動。
== 来歴 ==
[[1960年]][[2月1日]]、[[北海道]][[松前郡]][[福島町]]に生まれる。両親、さらには父方・母方の両祖父が学校の先生という教育者の家庭で育った<ref name="水と夢と家族">「山本直樹1万2千字インタビュー「水と夢と家族」」山本直樹『夕方のおともだち』[[イースト・プレス]]、2009年、356-362頁。</ref>。小学生のころ、自身にとっての「エロのルーツのルーツ」<ref name="水と夢と家族" />ともいえる『[[ハレンチ学園]]』を愛読<ref name="森山塔プロフィール" />。高校時代は、[[筒井康隆]]の小説を読んで本の面白さに目覚める一方、下宿先の女性の先輩から『[[りぼん]]』を借りて読んでいた<ref name="水と夢と家族" />。
[[1978年]]、[[北海道函館中部高等学校]]を[[卒業]]し、[[早稲田大学]]に入学。入試で[[第一文学部]]に落ちたため、[[教育学部]]に進学した<ref name="水と夢と家族" />。大学時代は、[[萩尾望都]]、[[大島弓子]]、[[山岸凉子]]、[[吾妻ひでお]]、[[大友克洋]]などの作品に親しむ<ref name="ギャラクシー">[http://www.shinjukuloft.com/galaxy/archive/e/2008/post_72.php 「山本直樹インタビュー」] - ルーフトップギャラクシー</ref>。[[1979年]]、大学2年の冬に、友人たちと[[SF小説]]、[[少女漫画]]、[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]などの話をするうちに、それまで読むばかりだった漫画を自分でも描き始める<ref name="水と夢と家族" />。
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[[1984年]]、森山塔(山本ナオキ)名義で『ピンクハウス 1984年6月号』([[日本出版社]]発行)に掲載の「ロリータ日記 ホラ、こんなに赤くなってる!」でデビュー。同年、山本直樹名義でも「私の青空」で『[[ジャストコミック]]』新人賞を受賞しデビュー<ref name="森山塔プロフィール" />。デビュー当初は、山本直樹名義でストーリー性のある[[青年漫画]]を描く一方で、森山塔・塔山森名義で[[成人向け漫画]]を描いていたが、両者の境界はなくなっていった<ref name="水と夢と家族" />。
[[1986年]]、『極めてかもしだ』が有害(不健全)指定を受ける。
[[1991年]] 、『[[BLUE (山本直樹の漫画)|Blue]]』が初めて東京都[[青少年保護育成条例]]で[[有害図書|有害コミック]]指定を受け、当時沸き起こりつつあった[[有害コミック騒動|有害コミック論争]]の中心的存在となる。[[1992年]]には[[コミック表現の自由を守る会]]に参加。有害コミック論争以降も作風は変わらず、『ありがとう』では更に過激な描写を見せた。
[[2000年]]からは、漫画雑誌『[[マンガ・エロティクス]]』(現・『[[マンガ・エロティクス・エフ]]』、[[太田出版]])の[[スーパーバイザー]]を務めながら、同誌に作品も発表している。[[2006年]]、『[[イブニング]]』([[講談社]])で[[連合赤軍]]事件を題材にした『[[レッド (山本直樹)|レッド]]』の連載を開始、[[2010年]]には同作品で第14回[[文化庁メディア芸術祭]]マンガ部門優秀賞を受賞した。
[[2008年]]、『[[堀田 (漫画)|堀田]]』3巻が東京都条例で有害コミック指定を受ける。
2021年現在はWeb連載サイト「[[Ohta Web Comic]]」で『山本直樹 最新作品集』を連載中。また6月に[[かもめ児童合唱団]]のアルバム『海に向かって歌う歌』のジャケットイラストを描きおろしている<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/434287|title=山本直樹、かもめ児童合唱団の新作ジャケット描き下ろし|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-06-26|accessdate=2021-06-26}}</ref>。
== 人物 ==
[[ムーンライダーズ]]<ref>ムーンライダーズ特集を組んだ『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』2005年6月号にアンケート回答を寄せている。</ref>、[[フランク・ザッパ]]などのファンである。自分でも音楽活動を行なっている<ref>[https://natalie.mu/comic/news/70473 「山本直樹がバンド従えライブ出演、フライヤーは石黒正数」] - コミックナタリー(2012年6月4日)</ref>。『とらわれペンギン』{{Efn|[[フランク・ザッパ]]の同名の曲からタイトルを付けたことが単行本のあとがきで説明されている。}}などのように音楽にちなんで漫画作品のタイトルを付けることがあるほか、作品の題材として音楽を取り上げることがある<ref>例えば、「ヤングフォーク」山本直樹『夏の思い出』[[太田出版]]、1994年。</ref>。
同じく漫画家の[[江口寿史]]、[[とり・みき]]、[[吉田戦車]]らと交友関係がある<ref>[http://www.torimiki.com/2012/03/blog-post.html 「マンガ家飲み会」] - [[とり・みき]]のブログ(2012年3月8日)</ref>。
家族は妻と一男一女。子供に対しては怒ることはほぼ皆無で、一方でいろいろな漫画を薦めるため、娘曰く「父というよりは、面白いものを紹介してくれる親戚のおじさん」という感じだった<ref name=gnavi>[http://r.gnavi.co.jp/g-interview/entry/1549 【田中圭一のペンと箸-漫画家の好物-】第四話:山本直樹とトウモロコシの天ぷら] - ぐるなび みんなのごはん。・2014年8月21日</ref>。ただ子供に自分の作品を読ませることはなく、また「森山塔」等の別名義のことも子供には内緒にしていたが、あるとき子供の知るところとなり衝撃を受けたという<ref name=gnavi />。
== 作風 ==
=== 特徴 ===
正気でない人や[[エロ]]を題材とする作品を描くことが多い<ref name="ギャラクシー" />。大胆な性描写とシャープな演出センスで問題作を発表しており、[[愛]]と[[性行為|セックス]]に溺れる弱い人間たちが織り成す悲哀を過激に、シニカルに、そしてややユーモラスに描く<ref>[http://www.amg-films.jp/tvbaka/introduction.html 『テレビばかり見てると馬鹿になる』イントロダクション]{{リンク切れ|date=2022年1月}} - 映画公式サイト</ref>。性描写が問題になった有害コミック論争以降も作風は変わらず、『ありがとう』では更に過激な描写を見せ、[[強姦|レイプ]]、[[新興宗教]]、[[いじめ]]などの困難に屈せずに奮闘する父を描き、「[[家族]]とは何か」という問いを投げかけた同作は、高く評価された<ref>[http://www.amg-films.jp/tvbaka/staff.html 『テレビばかり見てると馬鹿になる』スタッフ]{{リンク切れ|date=2022年1月}} - 映画公式サイト</ref>。
=== 執筆方法 ===
技術的な特徴としては、かなり早くから漫画に[[Mac (コンピュータ)|マッキントッシュ]]による作画([[コンピュータグラフィックス|CG]])を取り入れていることが挙げられる<ref>[http://www.vector.co.jp/special/comic/yamamotonaoki/ 「山本直樹特集」] - Vectorコミック</ref>。[[1993年]]ごろから漫画を描くのにパソコンを使い始め<ref name="中村佑介との対談">[[中村佑介]]・山本直樹「その曲線にときめけ!世代を超えてつながる絵・マンガ・音楽」『総特集☆中村佑介―イロヅク乙女ノユートピア』(『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』2010年2月臨時増刊号)[[青土社]]、2010年、135-144頁。</ref>、「[[アルダス|Aldus]] [[スーパーペイント|SuperPaint]]」という現在では発売中止になった(開発元のAldusがAdobeに買収されたため)ソフトを現在も使っている。執筆方法の変化により、『[[フラグメンツ (漫画)|フラグメンツ]]』以降の絵はそれまでよりも繊細になっている。かつては[[飛龍乱]]・[[奥浩哉]]・[[山本夜羽音]]・[[猫島礼]]らが[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を務めていたが、近年はアシスタントを雇わずに独力で執筆している。
== 単行本 ==
=== 山本直樹名義 ===
* まかせなさい!(光文社 1986年)
** まかせなさい!(光文社 完全保存版 1994年)
* [[はっぱ64]](小学館 1987年)全3巻
** はっぱ64(弓立社 1994-1995年)全3巻
** はっぱ64(太田出版 1998年)全2巻
* [[気まぐれハーベスト・ホーム]](光文社 1987年)
* 極めてかもしだ(小学館 1987-1988年)全6巻
** 極めてかもしだ(フランス書院 1993-1994年)全6巻
** 極めてかもしだ(太田出版 1998年) 全3巻
* ごめんねBボーイ(講談社 1988年)
** ごめんねBボーイ(スコラ 1994年)
* [[あさってDANCE]](小学館 1989-1991年)全7巻
**あさってDANCE(弓立社 1994年)全7巻
**あさってDANCE(太田出版 1998-1999年)全4巻
* [[BLUE (山本直樹の漫画)|BLUE]](光文社 1991年)
** BLUE(弓立社 1992年)
** BLUE(太田出版 2006年)
** BLUE AND OTHER SHORT PIECE 増補新装版(復刊ドットコム 2018年)
* [[YOUNG & FINE (漫画)|YOUNG&FINE]](双葉社 1992年)
** YOUNG & FINE(双葉社 1997年)
** YOUNG & FINE(復刊ドットコム 2012年)
* フレイクス(シュベール出版 1992年)
**フレイクス(シュベール出版 1996年)文庫化
* [[僕らはみんな生きている]](原作:[[一色伸幸]])(小学館 1992-1993年)全4巻
** 僕らはみんな生きている(小学館 1999年)上下巻
* [[夢で逢いましょう (漫画)|夢で逢いましょう]](光文社 1993年)
** 夢で逢いましょう(太田出版 1999年)※『夢で会いましょう』と『君といつまでも』の合本
* [[夏の思い出 (漫画)|夏の思い出]](太田出版 1994年)
* [[君といつまでも (漫画)|君といつまでも]](光文社 1994年)
* [[こけティッシュ]](メディアックス 1994年)
** こけティッシュ(シュベール出版1999年)
* [[ありがとう (漫画)|ありがとう]] (小学館 1994-1995年) 全4巻
** ありがとう 新装版(小学館 1998年)上下巻
* [[フラグメンツ (漫画)|フラグメンツ]](小学館1997-2003年)
* [[守ってあげたい (漫画)|守ってあげたい]](太田出版 1998年)
* [[学校 (山本直樹の漫画)|学校]](文藝春秋 1998年)
** 学校(太田出版 2006)
* [[ビリーバーズ]](小学館 2000年)
** ビリーバーズ(復刊ドットコム 2012年)
* [[テレビばかり見てると馬鹿になる]](太田出版 2000年)
* お家につくまでが遠足です(太田出版 2002年)
* テレビを消しなさい(平凡社 2002年)エッセイ
* [[安住の地]](小学館 2002-2003年)
* ラジオの仏 山本の夢辞書 1975-2004(平凡社 2003年)エッセイ
* [[堀田 (漫画)|堀田]](太田出版 2003-2010年)全4巻
* 破戒 〜ユリ・ゲラーさん、あなたの顔はいいかげん忘れてしまいました〜(原作:[[松尾スズキ]])(小学館 2005年)
** 破戒 ~ユリ・ゲラーさん、あなたの顔はいいかげん忘れてしまいました~(イースト・プレス 2016年)
* [[夜の領域 (漫画)|夜の領域]](チクマ秀版社 2006年)
** 夜の領域(復刊ドットコム 2014年)
* [[レッド (山本直樹)|レッド]](講談社 2007-2014年)全8巻
* レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ(講談社 2015-2017年)全4巻
* レッド 最終章 あさま山荘の10日間 (講談社 2017-2018年)全1巻
* 明日また電話するよ(イースト・プレス 2008年)
* [[夕方のおともだち]](イースト・プレス 2009年)
* 世界最後の日々(イースト・プレス 2010年)
* 森山塔選集(復刊ドットコム 2013年)全2巻
* 塔山森選集(復刊ドットコム 2013年)
* [[分校の人たち]](太田出版 2013-2018)全3巻(3巻の後半は『DOORS』の1-4話を収録)
* 森山塔選集 よい子の性教育(復刊ドットコム 2018年)
* [[田舎 (漫画)|田舎]]([[Ohta Web Comic]]で連載)(太田出版 2018-2020年)
==== その他 ====
*『柳美里対談集 沈黙より軽い言葉を発するなかれ』創出版、2012年8月 ISBN 978-4904795194
* [[水中、それは苦しい]]「水中見舞い」(2016年12月7日) - アルバムジャケット <ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/208662|title=水中、それは苦しいの新作アルバムで山本直樹がジャケット描き下ろし|newspaper=コミックナタリー|date=2016-11-09|accessdate=2016-11-10}}</ref>
=== 森山塔名義 ===
* [[よい子の性教育]](松文館 1985年)
* [[ラフ&レディ (漫画)|ラフ&レディ]](司書房 1986年)
* [[とらわれペンギン]](辰巳出版 1986年)
* [[桃色、大好き!]](日正堂 1986年)
* さくらんぼ倶楽部(ミリオン出版 1986年)
* キはキノコのキ(司書房 1986年)
* [[ペギミンH]](辰巳出版 1986年)
* [[準子さんの肖像]](笠倉出版 1986年)
* 新・さくらんぼ倶楽部(ミリオン出版 1987年)
* [[あとは寝るだけ (漫画)|あとは寝るだけ]](フランス書院コミック文庫 1987年)
* [[じっとしててね]](フランス書院コミック文庫 1988年)
* [[なんかヘンな気…]](フランス書院コミック文庫1988年)
* [[ペギミンH|ずっと朝まで…]](フランス書院コミック文庫1988年)
* [[夜のお楽しみ袋]](フランス書院コミック文庫 1988年)
* [[真夜中のクロール]](フランス書院コミック文庫 1989年)
* [[そしてイイ気分]](茜新社にんじんコミックス 1994年)
* Orange(フランス書院Zコミックス 2002年)
* SERVANT(フランス書院Zコミックス 2002年)
* mushroom(フランス書院Zコミックス 2003年)
* Rough&Ready(フランス書院Zコミックス 2003年)
* [[ペギミンH|PegiminH]](フランス書院Zコミックス 2003年)
* Climber(フランス書院Zコミックス 2003年)
=== 塔山森名義 ===
* 死ぬなミミズ(フランス書院 1993年)
* お姫さまといろいろ(フランス書院 1993年)
* 誘ってあげる(フランス書院 1998年)
* こんな娘といいな(フランス書院 1998年)
== 映画化された作品 ==
* あさってDANCE
** 1991年、[[磯村一路]]監督
** 2005年、[[本田隆一]]監督
* 僕らはみんな生きている
** 1993年、[[滝田洋二郎]]監督(メディアミックス作品)
* BLUE ある女子校生たちの物語
** 1994年、[[神野太]]監督
* YOUNG&FINE ある女子高生の過激な学園生活
** 1995年、[[篠原哲雄]]監督
* 夏の思い出 異常快楽殺人者
** 1995年、[[斎藤久志]]監督
* 君といつまでも
** 1995年、[[廣木隆一]]監督
* [[ありがとう (漫画)|ありがとう]]
** 1996年、[[小田切正明]]監督
* 夢で逢いましょう
** 1996年、[[佐藤寿保]]監督
* のんきな姉さん
** 2002年、[[七里圭]]監督
* 眠り姫
** 2005年、七里圭監督
* [[テレビばかり見てると馬鹿になる]]
** 2007年、[[亀井亨]]監督
* 世界最後の日々
** 2012年、内田英治監督
* [[ファンシー (映画)|ファンシー]]
** 2019年、廣田正興監督
* 夕方のおともだち
** 2022年、[[廣木隆一]]監督
* [[ビリーバーズ#映画|ビリーバーズ]] ※山本も先生役で出演<ref>{{Cite web2|url=https://eiga.com/news/20220511/6/|title=“カルト”を信じ孤島で生活する2人の男と1人の女 磯村勇斗主演「ビリーバーズ」予告&主題歌&追加キャスト発表|website=映画.com|publisher=カカクコム|date=2022-05-11|accessdate=2022-05-11}}</ref>
** 2022年、[[城定秀夫]]監督
=== オリジナルビデオ化された作品 ===
* どれいちゃんとごしゅじんさまくん
** 2008年、[[城定秀夫]]監督、[[持田茜]]主演
* アダルトビデオの作り方
** 2008年、城定秀夫監督、[[若菜ひかる]]主演
* アダルトビデオができるまで
** 2008年、城定秀夫監督、[[鈴木杏里]]主演
== アニメーション ==
* [[ボディジャック 楽しい幽体離脱]]
* [[くりいむレモン]]
** 5時間目のヴィーナス
** 放課後XXX
** そうかもしんない
== テレビ出演 ==
* [[浦沢直樹の漫勉]] - シーズン4
== 関連人物 ==
; [[吾妻ひでお]]
: 山本が愛読している漫画家の1人<ref name="ギャラクシー" />。山本と対談した<ref>「リスペクト対談 吾妻ひでお×山本直樹」『文藝別冊 吾妻ひでお 美少女・SF・不条理ギャグ、そして失踪』[[河出書房新社]]、2011年、138-154頁。</ref>ほか、ベストセレクションの1冊を山本が監修した<ref>山本直樹監修・吾妻ひでお著『21世紀のための吾妻ひでお』[[河出書房新社]]、2012年</ref>。
; [[中村佑介]]
: [[イラストレーター]]。山本と対談し、絵柄が直接影響を受けたというわけではないが、漫画家として、また「超かわいくてエロい女の子の描き手」としてずっと尊敬してきたと明らかにしている<ref name="中村佑介との対談" />。
; [[奥浩哉]]
: 元アシスタント<ref name="natalie20140114">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/pp/inuyashiki|title=奥浩哉の「いぬやしき」特集、山本直樹×奥浩哉の師弟対談|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2014-01-14|accessdate=2021-08-22}}</ref>。山本の現場が初アシスタントであり、1989年の『あさってDANCE』の最初のころまでアシスタントをしていた{{R|natalie20140114}}。
; [[飛龍乱]]
: 元アシスタント{{R|natalie20140114}}。山本が『スピリッツ』と『スコラ』の仕事を受け、多忙の時期にヘルプで現場に入った{{R|natalie20140114}}。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 外部リンク ==
<!--* [http://yamamotonaoki.com/ 山本直樹.com]-->
* {{twitter|tsugeju}}
* [http://www.shinjukuloft.com/galaxy/archive/e/2008/post_72.php 「山本直樹インタビュー」] - ルーフトップギャラクシー
* [http://www.manga-gai.net/column/shitumon/shitumon_yamamoto.html 「プロのマンガ家さんに聞く30の質問/山本直樹」]
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:やまもと なおき}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:成人向け漫画家]]
[[Category:同人作家]]
[[Category:北海道函館中部高等学校出身の人物]]
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[[Category:存命人物]]
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1,271 | みゆき (漫画) |
『みゆき』は、あだち充による日本の漫画作品。1980年から1984年まで『少年ビッグコミック』(小学館)で連載された。あだち充の代表作の1つであり、ラブコメディにスポーツを絡めた青春モノを得意とするあだち充作品群の中でも、本作は恋愛のみにスポットを当てている「ラブコメ」の王道作品であり、主人公の若松真人とヒロインである2人の「みゆき」の三角関係を主題としている。また本作の漫画連載は、連載当時の実際の時間軸とリアルタイムでほぼ連動しており、作品の中での時季・年月経過と現実の時季・年月経過が同じで進行していた。そのため主人公など登場人物も高校生から受験浪人を経て大学生になるなど現実の時の流れに合わせて成長しており、(連載期間である)1980年から1984年までの4年間が作中で描かれている。
第28回(昭和57年度)小学館漫画賞受賞。 本作はキティフィルムによってテレビアニメ化され、1983年3月から1984年4月にかけてフジテレビ系列で全37話が放映された。このアニメ版みゆきは原作漫画の連載途中での放映だったため、原作漫画の後半はアニメ化されていない。また、同じくキティフィルムによる実写映画が1983年9月に東宝系で公開された。さらにはフジテレビと共同テレビの共同制作という形でテレビドラマ化され、1986年8月4日にフジテレビ系列『月曜ドラマランド』枠で放送された。
2020年4月時点で累計発行部数は2500万部を記録している。
作品の中心となるふたりの「みゆき」という登場人物のアイデアは、あだち充の担当編集者が発案したもので、そのモデルとしたのは歌手の中島みゆきだったという。2022年に出版した講談社の編集者だった石井徹の著書『「少年マガジン」編集部で伝説のマンガ最強の教科書 感情を揺さぶる表現は、こう描け!』には、「ある時○○さん(担当編集者)が中島みゆきのコンサートに行った。そこでびっくりした。中島みゆきの曲はたいがい『暗い』けれど、コンサートでトーク中の中島みゆきは超『明るい』。コンサートが終わって会場の外に出た瞬間、設定が浮かんだのだそうです。『同じ名前で、まったく違う性格の女の子ふたりに、主人公が好かれたら面白いのではないか』と。あとの細かいことは、歩きながら記憶のフラッシュバックのように浮かんだそうです。だからタイトルは『みゆき』なのです」と、インタビューの内容について、このように書かれてある。
なお、あだちは2012年に本作について「単にかわいい妹を描きたかったんですよ。妹がいない自分の妄想です(笑)。で、スポーツ抜きでどれだけもたせられるかなぁ、というところではじめたんですけどね......持ちました!」と改めて語っている。
担当編集者との打ち合わせにより、「理想の妹」を描くことと、前作『ナイン』ではサブヒロインだった安田雪美のようにガラッパチな妹キャラをメインヒロインに据えることを軸にして、本作の企画が始まった。当時「みゆき」という名前の女性芸能人が複数人活動していたため、作者はヒロインの名を「みゆき」と決定する。
若松みゆきの言動のモデルは、中学生の頃から毎日のように作者の仕事場に出入りしていた女性だという証言がある。本作連載当時は高校生であり、妹のいなかった作者にとって格好の素材となったとされる。
設定や人間関係についての打ち合わせを重ねる中、作者は担当から明朗活発な「若松みゆき」だけでなく、しっとりしたもう1人のヒロインがいたほうが良いとアドバイスを受ける。作者はファンであるミュージシャンの「中島みゆき」について、歌のしっとりした面と人柄のガラッパチな面の両方があると担当に語っており、それが担当にヒロインは2人必要だと気付かせるきっかけとなったという。「鹿島みゆき」という名は「中島みゆき」から取られている。
高校1年生の夏休みに、若松真人は友達と一緒に泊まりがけで海辺の民宿にアルバイトに出かける。真人が憧れを抱く同級生の鹿島みゆきも同じバイトに来ており、彼女が自分に気があることを偶然知り、デートの約束にこぎつける。しかし、その直後ある出来事でフラレてしまう。友人たちは落胆する真人に、海で見かけた美少女を誘うようにそそのかす。いい雰囲気になり、デートの約束もした2人だったが、実は彼女は6年ぶりに海外から日本に帰国した血の繋がらない1つ年下の妹の若松みゆきだった。
家に帰ると、妹のみゆきとの2人きりの生活が始まる。真人は若松みゆきはあくまで妹であると、惹かれていく心を制しながら、鹿島みゆきとの関係も良好に続き、2人のみゆきの間で心は揺れつつも高校生活の日々は流れていく。元気な妹みゆきも真人に一途な想いを寄せながらも、真人(と鹿島みゆき)の幸せを最優先に考え、一人の女性・妹という狭間に揺れながら自らの想いを心の中に留めている。
真人は鹿島みゆきとの関係を進展させていこうとするが、男にモテる妹みゆきには、喧嘩は強いが落ちこぼれの間崎竜一や教師の中田虎夫などが寄ってきて、妹みゆきが他の男と付き合うことを許容出来ないでいることもあり、中々思い通りにもならない。2人のみゆきには男からのアプローチが幾度となくあるので、気が抜けない日々を送る。そんな一進一退を繰り返し、色々な出来事もあり成長し、高校卒業、受験浪人を経て大学生となる。
兄妹としての生活は約4年間続き、ある日、幼馴染でありサッカー日本代表のスター選手になった沢田優一が、子供の時以来久しぶりに若松家を訪ねてくる。沢田を兄のように慕っていた2人だったが、沢田は成長した若松みゆきを一人の女として見てしまい、結婚を申し込む。沢田の良い人柄を知っている真人には反対する理由など無い。沢田は若松みゆきの気持ちに内心気づきながらも、次々に話を進めていく。そして迎えた披露宴の最中、真人はついにみゆきに思いを告げる。こうして、沢田との結婚は破談となり、みゆきは真人の気持ちを受け入れる。数か月後、父親のいるフィリピンにて3人で挙式、長年秘めていた愛を成就させる。みゆきは再会当初から真人と血縁関係がないことを知っていたことが、日本にいる竜一とその母との会話からほのめかされ、2人も涙を浮かべながら真人とみゆきの結婚を祝福した。
一方、鹿島みゆきは父の勧めで北海道へ傷心旅行をする。そこで彼女は沢田と偶然再会し、失恋した二人の新しい恋を予感させるように物語は幕を下ろす。
上原美由紀 虎夫の見合い相手。おしとやかで上品で、女子大を優秀な成績で卒業した才媛。中田の勘違いにより彼からプロポーズを受けたが、結婚式直前に彼の失態により破談となる。
1983年3月から1984年4月にかけてフジテレビ系列で全37話が放映された。
放映当時は原作漫画の連載が続いていたため、アニメ化の範囲は原作漫画の中盤までとなっており、結末も異なる。アニメ独自のエピソードや設定の変更もあり、後者の例としては物語は真人が高校2年生になったばかりの春休みからの約1年1か月間(翌年の4月20日ごろまで)を描いており、このため真人が6年ぶりにみゆきと再会する時期が春休みになっている。なお、完結編を劇場用新作アニメーションとして制作する話も持ち上がったが、実現することなく頓挫した。
既に『うる星やつら』などで小学館作品のテレビアニメ化権を取得していたキティ・フィルムが、タツノコプロ出身の宮田知行プロデューサー、西久保瑞穂監督を招き、自社で制作スタジオを構えて挑んだ初のテレビアニメ作品となった。フジテレビは既にアニメーション制作会社のグループ・タックによるあだち充作品『ナイン』をテレビスペシャルで単発放送しており、『みゆき』の後も『タッチ』『陽あたり良好!』と立て続けにあだち充原作のテレビアニメ版を制作・放送していくことになる。
ここではテレビアニメ版での設定、または原作の人物説明の欄に書かれていないものを記す。
※下記の曲はどの回の挿入歌かは不明。
下記備考欄の原作の巻数と話数は、『みゆき』〈少年サンデーコミックスワイド版〉(全5巻)より。また、(オリ)は、アニメオリジナルエピソード。
特筆の無い場合は全てフジテレビ系列フルネット局。
主演の永瀬正敏はキティフィルムの『ションベン・ライダー』でデビュー。脚本の高星由美子はこの後に『タッチ』のシリーズ構成を手がけた。
同時上映はあだち充の漫画『ナイン』のアニメ版。後にあだち充原作のテレビアニメ版『タッチ』を手がけるスタッフが制作し、既にフジテレビの日生ファミリースペシャルで放映されたテレビスペシャルである。
監督である井筒和幸は、受諾してから初めて原作漫画に目を通したが「内容のなさにあきれた」という印象を抱く。仕事にとりかかったものの、まもなく鬱病を発症して精神科医に「仕事のストレスでの離人症のため、最低2カ月の療養が必要」と診断されるが、3日延期したのみで以後は抗鬱剤を服用しながら撮影をしたと語っている。
映画は、真人が高校2年生の夏休みから始まり、2学期が始まるところで終わっており、その中に原作漫画のエピソード(冒頭 - 翌年の母の日、コミックの1巻 - 3巻に相当する部分)が散りばめられている。また、謎の女子大生や家庭教師など、原作にはない登場人物の設定がある。
真人が高校2年生の夏休みに(父親所有と思われる)海沿いの別荘に、鹿島みゆき、竜一、矢内清美、三原佐知子、村木の6名が集まっているところから始まる(原作では、海沿いの民宿でのアルバイト)。真人と若松みゆきの再会シーンも異なり、逆ナンパはない。また、再会時の年齢も原作よりそれぞれ1歳上である。そのほか、エピソードの設定に相違点が多々ある。
フジテレビ系列の『月曜ドラマランド』(毎週月曜日19:30 - 20:54、JST)で1986年8月4日に放送された。主演は野々村真。
原作にない点として、二人のみゆきを河合その子が一人二役こなしている。 | [
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"text": "なお、あだちは2012年に本作について「単にかわいい妹を描きたかったんですよ。妹がいない自分の妄想です(笑)。で、スポーツ抜きでどれだけもたせられるかなぁ、というところではじめたんですけどね......持ちました!」と改めて語っている。",
"title": "作品背景"
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"text": "担当編集者との打ち合わせにより、「理想の妹」を描くことと、前作『ナイン』ではサブヒロインだった安田雪美のようにガラッパチな妹キャラをメインヒロインに据えることを軸にして、本作の企画が始まった。当時「みゆき」という名前の女性芸能人が複数人活動していたため、作者はヒロインの名を「みゆき」と決定する。",
"title": "作品背景"
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"text": "若松みゆきの言動のモデルは、中学生の頃から毎日のように作者の仕事場に出入りしていた女性だという証言がある。本作連載当時は高校生であり、妹のいなかった作者にとって格好の素材となったとされる。",
"title": "作品背景"
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"text": "設定や人間関係についての打ち合わせを重ねる中、作者は担当から明朗活発な「若松みゆき」だけでなく、しっとりしたもう1人のヒロインがいたほうが良いとアドバイスを受ける。作者はファンであるミュージシャンの「中島みゆき」について、歌のしっとりした面と人柄のガラッパチな面の両方があると担当に語っており、それが担当にヒロインは2人必要だと気付かせるきっかけとなったという。「鹿島みゆき」という名は「中島みゆき」から取られている。",
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"text": "高校1年生の夏休みに、若松真人は友達と一緒に泊まりがけで海辺の民宿にアルバイトに出かける。真人が憧れを抱く同級生の鹿島みゆきも同じバイトに来ており、彼女が自分に気があることを偶然知り、デートの約束にこぎつける。しかし、その直後ある出来事でフラレてしまう。友人たちは落胆する真人に、海で見かけた美少女を誘うようにそそのかす。いい雰囲気になり、デートの約束もした2人だったが、実は彼女は6年ぶりに海外から日本に帰国した血の繋がらない1つ年下の妹の若松みゆきだった。",
"title": "あらすじ"
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"text": "家に帰ると、妹のみゆきとの2人きりの生活が始まる。真人は若松みゆきはあくまで妹であると、惹かれていく心を制しながら、鹿島みゆきとの関係も良好に続き、2人のみゆきの間で心は揺れつつも高校生活の日々は流れていく。元気な妹みゆきも真人に一途な想いを寄せながらも、真人(と鹿島みゆき)の幸せを最優先に考え、一人の女性・妹という狭間に揺れながら自らの想いを心の中に留めている。",
"title": "あらすじ"
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"text": "真人は鹿島みゆきとの関係を進展させていこうとするが、男にモテる妹みゆきには、喧嘩は強いが落ちこぼれの間崎竜一や教師の中田虎夫などが寄ってきて、妹みゆきが他の男と付き合うことを許容出来ないでいることもあり、中々思い通りにもならない。2人のみゆきには男からのアプローチが幾度となくあるので、気が抜けない日々を送る。そんな一進一退を繰り返し、色々な出来事もあり成長し、高校卒業、受験浪人を経て大学生となる。",
"title": "あらすじ"
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"text": "兄妹としての生活は約4年間続き、ある日、幼馴染でありサッカー日本代表のスター選手になった沢田優一が、子供の時以来久しぶりに若松家を訪ねてくる。沢田を兄のように慕っていた2人だったが、沢田は成長した若松みゆきを一人の女として見てしまい、結婚を申し込む。沢田の良い人柄を知っている真人には反対する理由など無い。沢田は若松みゆきの気持ちに内心気づきながらも、次々に話を進めていく。そして迎えた披露宴の最中、真人はついにみゆきに思いを告げる。こうして、沢田との結婚は破談となり、みゆきは真人の気持ちを受け入れる。数か月後、父親のいるフィリピンにて3人で挙式、長年秘めていた愛を成就させる。みゆきは再会当初から真人と血縁関係がないことを知っていたことが、日本にいる竜一とその母との会話からほのめかされ、2人も涙を浮かべながら真人とみゆきの結婚を祝福した。",
"title": "あらすじ"
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"text": "一方、鹿島みゆきは父の勧めで北海道へ傷心旅行をする。そこで彼女は沢田と偶然再会し、失恋した二人の新しい恋を予感させるように物語は幕を下ろす。",
"title": "あらすじ"
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"text": "上原美由紀 虎夫の見合い相手。おしとやかで上品で、女子大を優秀な成績で卒業した才媛。中田の勘違いにより彼からプロポーズを受けたが、結婚式直前に彼の失態により破談となる。",
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"text": "1983年3月から1984年4月にかけてフジテレビ系列で全37話が放映された。",
"title": "テレビアニメ"
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"text": "放映当時は原作漫画の連載が続いていたため、アニメ化の範囲は原作漫画の中盤までとなっており、結末も異なる。アニメ独自のエピソードや設定の変更もあり、後者の例としては物語は真人が高校2年生になったばかりの春休みからの約1年1か月間(翌年の4月20日ごろまで)を描いており、このため真人が6年ぶりにみゆきと再会する時期が春休みになっている。なお、完結編を劇場用新作アニメーションとして制作する話も持ち上がったが、実現することなく頓挫した。",
"title": "テレビアニメ"
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"text": "既に『うる星やつら』などで小学館作品のテレビアニメ化権を取得していたキティ・フィルムが、タツノコプロ出身の宮田知行プロデューサー、西久保瑞穂監督を招き、自社で制作スタジオを構えて挑んだ初のテレビアニメ作品となった。フジテレビは既にアニメーション制作会社のグループ・タックによるあだち充作品『ナイン』をテレビスペシャルで単発放送しており、『みゆき』の後も『タッチ』『陽あたり良好!』と立て続けにあだち充原作のテレビアニメ版を制作・放送していくことになる。",
"title": "テレビアニメ"
},
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"text": "ここではテレビアニメ版での設定、または原作の人物説明の欄に書かれていないものを記す。",
"title": "テレビアニメ"
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"text": "※下記の曲はどの回の挿入歌かは不明。",
"title": "テレビアニメ"
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"text": "下記備考欄の原作の巻数と話数は、『みゆき』〈少年サンデーコミックスワイド版〉(全5巻)より。また、(オリ)は、アニメオリジナルエピソード。",
"title": "テレビアニメ"
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"text": "特筆の無い場合は全てフジテレビ系列フルネット局。",
"title": "テレビアニメ"
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"text": "主演の永瀬正敏はキティフィルムの『ションベン・ライダー』でデビュー。脚本の高星由美子はこの後に『タッチ』のシリーズ構成を手がけた。",
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"text": "同時上映はあだち充の漫画『ナイン』のアニメ版。後にあだち充原作のテレビアニメ版『タッチ』を手がけるスタッフが制作し、既にフジテレビの日生ファミリースペシャルで放映されたテレビスペシャルである。",
"title": "映画(実写)"
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"text": "監督である井筒和幸は、受諾してから初めて原作漫画に目を通したが「内容のなさにあきれた」という印象を抱く。仕事にとりかかったものの、まもなく鬱病を発症して精神科医に「仕事のストレスでの離人症のため、最低2カ月の療養が必要」と診断されるが、3日延期したのみで以後は抗鬱剤を服用しながら撮影をしたと語っている。",
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"text": "映画は、真人が高校2年生の夏休みから始まり、2学期が始まるところで終わっており、その中に原作漫画のエピソード(冒頭 - 翌年の母の日、コミックの1巻 - 3巻に相当する部分)が散りばめられている。また、謎の女子大生や家庭教師など、原作にはない登場人物の設定がある。",
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"text": "真人が高校2年生の夏休みに(父親所有と思われる)海沿いの別荘に、鹿島みゆき、竜一、矢内清美、三原佐知子、村木の6名が集まっているところから始まる(原作では、海沿いの民宿でのアルバイト)。真人と若松みゆきの再会シーンも異なり、逆ナンパはない。また、再会時の年齢も原作よりそれぞれ1歳上である。そのほか、エピソードの設定に相違点が多々ある。",
"title": "映画(実写)"
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"text": "フジテレビ系列の『月曜ドラマランド』(毎週月曜日19:30 - 20:54、JST)で1986年8月4日に放送された。主演は野々村真。",
"title": "テレビドラマ"
},
{
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"text": "原作にない点として、二人のみゆきを河合その子が一人二役こなしている。",
"title": "テレビドラマ"
}
] | 『みゆき』は、あだち充による日本の漫画作品。1980年から1984年まで『少年ビッグコミック』(小学館)で連載された。あだち充の代表作の1つであり、ラブコメディにスポーツを絡めた青春モノを得意とするあだち充作品群の中でも、本作は恋愛のみにスポットを当てている「ラブコメ」の王道作品であり、主人公の若松真人とヒロインである2人の「みゆき」の三角関係を主題としている。また本作の漫画連載は、連載当時の実際の時間軸とリアルタイムでほぼ連動しており、作品の中での時季・年月経過と現実の時季・年月経過が同じで進行していた。そのため主人公など登場人物も高校生から受験浪人を経て大学生になるなど現実の時の流れに合わせて成長しており、(連載期間である)1980年から1984年までの4年間が作中で描かれている。 第28回(昭和57年度)小学館漫画賞受賞。
本作はキティフィルムによってテレビアニメ化され、1983年3月から1984年4月にかけてフジテレビ系列で全37話が放映された。このアニメ版みゆきは原作漫画の連載途中での放映だったため、原作漫画の後半はアニメ化されていない。また、同じくキティフィルムによる実写映画が1983年9月に東宝系で公開された。さらにはフジテレビと共同テレビの共同制作という形でテレビドラマ化され、1986年8月4日にフジテレビ系列『月曜ドラマランド』枠で放送された。 2020年4月時点で累計発行部数は2500万部を記録している。 | {{pp-vandalism|small=yes}}
{{Infobox animanga/Header
| タイトル = みゆき
| ジャンル = [[少年漫画]]
}}
{{Infobox animanga/Manga
| 作者 = [[あだち充]]
| 出版社 = [[小学館]]
| 掲載誌 = [[少年ビッグコミック]]
| レーベル = 少年ビッグコミックス
| 開始 = [[1980年]]17号
| 終了 = [[1984年]]18号
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}}
{{Infobox animanga/TVAnime
| タイトル =
| 原作 = あだち充
| 総監督 = [[西久保瑞穂]]
| シリーズ構成 =
| 脚本 = [[金子裕 (脚本家)|金子裕]]、西久保瑞穂、[[柳川茂]]、[[土屋斗紀雄]]<br />[[大橋志吉]]、[[島田満]]、彦坂健二
| キャラクターデザイン = [[遊佐かずしげ|遊佐和重]]
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| アニメーション制作 =
| 製作 = [[キティ・フィルム]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]
| 放送局 = [[フジネットワーク|フジテレビ系列]]→フジテレビほか
| 放送開始 = [[1983年]][[3月31日]]
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{{Infobox animanga/Footer
}}
『'''みゆき'''』は、[[あだち充]]による[[日本]]の[[漫画]]作品。[[1980年]]から[[1984年]]まで『[[少年ビッグコミック]]』([[小学館]])で連載された。あだち充の代表作の1つであり、[[ラブコメディ]]にスポーツを絡めた青春モノを得意とするあだち充作品群の中でも、本作は恋愛のみにスポットを当てている「ラブコメ」の王道作品であり<ref group="注">連載されていた少年ビッグコミックでも本作は「衝撃度ナンバー1 ラブコメ」などと銘打たれていた(1980年11月14日号など)</ref>、主人公の若松真人とヒロインである2人の「みゆき」の[[三角関係]]を主題としている。また本作の漫画連載は、連載当時の実際の時間軸とリアルタイムでほぼ連動しており、作品の中での時季・年月経過と現実の時季・年月経過が同じで進行していた。そのため主人公など登場人物も高校生から受験浪人を経て大学生になるなど現実の時の流れに合わせて成長しており、(連載期間である)1980年から1984年までの4年間が作中で描かれている。
第28回(昭和57年度)[[小学館漫画賞]]受賞。
本作は[[キティフィルム]]によってテレビアニメ化され、[[1983年]]3月から[[1984年]]4月にかけて[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]]で全37話が放映された。このアニメ版みゆきは原作漫画の連載途中での放映だったため、原作漫画の後半はアニメ化されていない。また、同じくキティフィルムによる実写映画が[[1983年]]9月に[[東宝]]系で公開された。さらにはフジテレビと[[共同テレビ]]の共同制作という形でテレビドラマ化され、[[1986年]][[8月4日]]にフジテレビ系列『[[月曜ドラマランド]]』枠で放送された。
2020年4月時点で累計発行部数は2500万部を記録している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.zakzak.co.jp/lif/news/200425/lin2004250003-n2.html |title=実は「サンデー」ではなく「マンガくん」!? “マンガ消失”の謎を追え |work=zakzak |date=2020-04-25 |accessdate=2020-09-21}}</ref>。
== 作品背景 ==
作品の中心となるふたりの「みゆき」という登場人物のアイデアは、あだち充の担当編集者が発案したもので、そのモデルとしたのは歌手の[[中島みゆき]]だったという<ref name="magmix_20230918">{{Cite web|和書|url= https://magmix.jp/post/183762|title= あだち充の『みゆき』のモデルになったのは「暗い印象」の国民的歌手だった?|publisher= マグミクス|date= 2023-09-18|accessdate=2023-09-18}}</ref>。2022年に出版した[[講談社]]の編集者だった石井徹の著書『「[[週刊少年マガジン |少年マガジン]]」編集部で伝説のマンガ最強の教科書 感情を揺さぶる表現は、こう描け!』には、「ある時○○さん(担当編集者)が中島みゆきのコンサートに行った。そこでびっくりした。中島みゆきの曲はたいがい『暗い』けれど、コンサートでトーク中の中島みゆきは超『明るい』。コンサートが終わって会場の外に出た瞬間、設定が浮かんだのだそうです。『同じ名前で、まったく違う性格の女の子ふたりに、主人公が好かれたら面白いのではないか』と。あとの細かいことは、歩きながら記憶のフラッシュバックのように浮かんだそうです。だからタイトルは『みゆき』なのです」と、インタビューの内容について、このように書かれてある<ref name="magmix_20230918"/>。{{efn2|なお、石井は『みゆき』がヒロイン2人の設定とは真逆の男性2人を主役に据えた作品が、野球漫画の『[[タッチ (漫画)|タッチ]]』だったと、『「少年マガジン」編集部で伝説のマンガ最強の教科書 感情を揺さぶる表現は、こう描け!』で記している<ref name="magmix_20230918"/>。}}
なお、あだちは2012年に本作について「単にかわいい妹を描きたかったんですよ。妹がいない自分の妄想です(笑)。で、スポーツ抜きでどれだけもたせられるかなぁ、というところではじめたんですけどね……持ちました!」<ref>{{Cite journal|和書|journal = [[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]] 2012年12月号 |publisher = [[メディアファクトリー]]}}</ref>と改めて語っている。
=== 若松みゆき ===
担当編集者との打ち合わせにより、「理想の妹」を描くことと、前作『[[ナイン (漫画)|ナイン]]』ではサブヒロインだった安田雪美のようにガラッパチな妹キャラをメインヒロインに据えることを軸にして、本作の企画が始まった。当時「みゆき」という名前の女性芸能人が複数人活動していたため、作者はヒロインの名を「みゆき」と決定する。
若松みゆきの言動のモデルは、中学生の頃から毎日のように作者の仕事場に出入りしていた女性だという証言がある。本作連載当時は高校生であり、妹のいなかった作者にとって格好の素材となったとされる<ref>{{Cite |和書 |title=「ダメ!」と言われてメガヒット―名作マンガの知られざる制作現場|author= 宇都宮滋一|date=2004-1-9|publisher=[[東邦出版]]|page=59-62}}</ref>。
=== 鹿島みゆき ===
設定や人間関係についての打ち合わせを重ねる中、作者は担当から明朗活発な「若松みゆき」だけでなく、しっとりしたもう1人のヒロインがいたほうが良いとアドバイスを受ける。作者はファンであるミュージシャンの「[[中島みゆき]]」について、歌のしっとりした面と人柄のガラッパチな面の両方があると担当に語っており、それが担当に'''ヒロインは2人必要'''だと気付かせるきっかけとなったという。「鹿島みゆき」という名は「中島みゆき」から取られている<ref>{{Cite |和書|title = がんばれ女のコ!〈完結編〉|date=1987-12 |publisher = [[学習研究社]]}}</ref><ref>{{Cite |和書 |title=「ダメ!」と言われてメガヒット―名作マンガの知られざる制作現場|author= 宇都宮滋一|date=2004-1-9|publisher=[[東邦出版]]|page=54-58}}</ref><ref name="adachibon">{{Cite |和書 |title=漫画家本vol.6 あだち充本|date=2018-8-8 |publisher=[[小学館]]}} </ref>。
== あらすじ ==
高校1年生の夏休みに、'''若松真人'''は友達と一緒に泊まりがけで海辺の民宿にアルバイトに出かける。真人が憧れを抱く同級生の'''鹿島みゆき'''も同じバイトに来ており、彼女が自分に気があることを偶然知り、デートの約束にこぎつける。しかし、その直後ある出来事でフラレてしまう。友人たちは落胆する真人に、海で見かけた美少女を誘うようにそそのかす。いい雰囲気になり、デートの約束もした2人だったが、実は彼女は6年ぶりに海外から日本に帰国した血の繋がらない1つ年下の妹の'''若松みゆき'''だった。
家に帰ると、妹のみゆきとの2人きりの生活が始まる。真人は若松みゆきはあくまで妹であると、惹かれていく心を制しながら、鹿島みゆきとの関係も良好に続き、2人のみゆきの間で心は揺れつつも高校生活の日々は流れていく。元気な妹みゆきも真人に一途な想いを寄せながらも、真人(と鹿島みゆき)の幸せを最優先に考え、一人の女性・妹という狭間に揺れながら自らの想いを心の中に留めている。
真人は鹿島みゆきとの関係を進展させていこうとするが、男にモテる妹みゆきには、喧嘩は強いが落ちこぼれの'''間崎竜一'''や教師の'''中田虎夫'''などが寄ってきて、妹みゆきが他の男と付き合うことを許容出来ないでいることもあり、中々思い通りにもならない。2人のみゆきには男からのアプローチが幾度となくあるので、気が抜けない日々を送る。そんな一進一退を繰り返し、色々な出来事もあり成長し、高校卒業、受験浪人を経て大学生となる。
兄妹としての生活は約4年間続き、ある日、幼馴染でありサッカー日本代表のスター選手になった'''沢田優一'''が、子供の時以来久しぶりに若松家を訪ねてくる。沢田を兄のように慕っていた2人だったが、沢田は成長した若松みゆきを一人の女として見てしまい、結婚を申し込む。沢田の良い人柄を知っている真人には反対する理由など無い。沢田は若松みゆきの気持ちに内心気づきながらも、次々に話を進めていく。そして迎えた披露宴の最中、真人はついにみゆきに思いを告げる。こうして、沢田との結婚は破談となり、みゆきは真人の気持ちを受け入れる。数か月後、父親のいるフィリピンにて3人で挙式、長年秘めていた愛を成就させる。みゆきは再会当初から真人と血縁関係がないことを知っていたことが、日本にいる竜一とその母との会話からほのめかされ<ref group="注">作中で知ったという描写はないが、作者が竜一親子を介して読者に説明したと思われる</ref>、2人も涙を浮かべながら真人とみゆきの結婚を祝福した。
一方、鹿島みゆきは父の勧めで北海道へ傷心旅行をする。そこで彼女は沢田と偶然再会し、失恋した二人の新しい恋を予感させるように物語は幕を下ろす。
== 登場人物 ==
=== 主人公とヒロイン ===
; 若松 真人(わかまつ まさと)
: 物語の[[主人公]]。青華高校1年A組に所属(その後2年B組、3年B組所属となる<ref group="注">作中では真人が2年から3年に上がる時にクラス替えがなかったとのことで、2年B組の生徒たちはそのまま3年B組に所属となっている。</ref>)。妹のみゆき(以下はみゆきと記す)は2人目の母親の連れ子なので、真人との[[血縁]]関係はない。ごく普通の高校生だが、母親と2度死別している。それ故、人に対する思いやりが人一倍強い点が最大の長所といえる。軟弱で優柔不断でなおかつスケベで単純な性格ではあるが妹や恋人、友人のために自らの危険を顧みず、幼少の頃、命懸けでサーカスのライオンに立ち向かって行ったり、高校ではトラックに撥ねられそうになったクラスメートの香坂を救ったり、鹿島みゆき(以下鹿島と記す)とのデートの最中に不良グループに囲まれても怯まず抵抗するなど、いざというときに仲間想いで勇敢な一面もある。
: 意中の鹿島が自分に気があることを知ったが、海外赴任中の父親について行ったみゆきがとても魅力的に成長して帰国したため、2人の「みゆき」の間で揺れつづける。みゆきと血縁関係がないことに気づくのは、6年ぶりに妹と再会して数日後のことであり、それまでは実の兄妹と認識してきた。真人は、「みゆきは血の繋がらない兄妹である事実をまだ知らない」と思っているため、それを隠し、表面上は普通の兄妹のように振舞い続ける。
: とても可愛いみゆきを一人の女として見てしまうこともしばしばで、「その気になれば[[結婚]]だって出来る」と頭を過ることもあるが、何とか理性を保っている。みゆきに対しては、時に父兄の立場でやや冷たい態度も垣間見えるが、みゆきのことをとても心配しており、それと同時に好意も抱いているため、みゆきが他の男性に[[求婚]]されたり、引き離されそうになったときはすぐさま妨害している。事実、真人は鹿島に逢えないことよりもみゆきと逢えなくなってしまうことの方がよほどつらいらしく、一定期間みゆきに逢えないとすぐに体調を崩してしまう<ref group="注">通称「みゆき病」。</ref>ほどである。また、普段は鹿島に想いを寄せているためデートも彼女を優先しがちでみゆきを邪魔者扱いにしていたが、物語が進むにつれてみゆきとの約束も守り、優先させる機会も増えていった。
:高校3年生の時に青秀大学を受験したが落ち、たまたま高校卒業前に青華高校のすぐ目の前にできた英青予備校で1浪して青秀大学に入学する。幼馴染で兄と慕うサッカー界のスター選手沢田優一が急遽帰国し、共同生活が始まる。真人は沢田に全幅の信頼を寄せ「妹の幸せを願う兄にとって理想の相手」としながらも、沢田がみゆきに[[プロポーズ]]した辺りから、焦燥感と同時にみゆきに対する本当の感情が時折無意識に出始める。最終的に沢田とみゆきの披露宴スピーチの最中、自分の本当の気持ちに気付き、みゆきに告白する。そして数か月後海外でみゆきと[[結婚]]する。
: 血液型はAB型<ref group="注">作者・あだち充によると、変態AB。なお、主要登場人物がみなAB型なのは作者のあだち自身がAB型のため。</ref>。プロ野球チーム・[[読売ジャイアンツ|巨人]](読売ジャイアンツ)ファンで、特に[[江川卓 (野球)|江川卓]]のファン。
; 若松 みゆき(わかまつ みゆき)
: 本作の[[ヒロイン]]。真人の血の繋がらない妹で、旧姓は倉本である。兄とは異なり、成績優秀、運動神経・スタイル抜群。帰国後の9月に白樺女子学園中等部の3年生として転入し、複数の女子生徒からラブレターをもらうなど人気を得る。翌年真人を追って共学である青華高校に入学し、学園のアイドル的存在になり、2年次にはクラス委員長に選ばれる。高校は1年C組に所属(その後2年A組、3年A組に所属する)[[帰国子女]]であるためか、英語で書かれた手紙を普通の手紙のように読むことが出来て、普段着も水着を含めて露出度の高いものが多い。
: 再会当初から真人に好意を持っており、真人が鹿島を優先すると素っ気無い態度をとったりする。時折見せる自分の気持ちに素直ではない小悪魔っぷりも魅力の一つである。勝ち気で何事もはっきりいう明朗快活な性格である一方、冷静である。真人に対してはやさしく献身的で、家庭的<ref group="注">そのため料理はもちろん家事のほとんどは彼女が担当しており、几帳面にこなしている。</ref>である。
: 動物好きで思いやりがあり、男女分け隔てなく優しく接するため、異性からだけでなく同性からも好かれる人気者。しつこく求愛してくる者が後を絶たないが、その中に本命はいないようで、女友達が真人の悪口を言うと感情的<ref group="注">冷静なみゆきが感情的になるのは主に真人への悪口と真人と鹿島の仲のことを第三者から聞かれることで、事実「お兄ちゃんの敵はみゆきの敵」とも公言している。</ref><ref group="注">また、この他にも今日子の命日の供え物のことで真人に八つ当たりしたり、テスト勉強で寝不足になった竜一の努力を身勝手な理由で踏みにじった中田先生を激しく責め立てたりもした。</ref>になって怒ったり、みゆき自身の言動・行動・回想シーンから真人を一途に想ってる様子がうかがえる。とはいえ、真人は自分に対して妹として接し、更に鹿島みゆきという敵わない恋人がいるため、自分の想いを留めている。かわいい妹でいようとするが相当なヤキモチ焼きで間接的に兄のデートの邪魔をしたり、鹿島が若松家に1週間同居する際も鹿島と仲良くさせまいと画策したりする。学内トップクラスの成績で有名大学も入れたが、真人の立場を考えて同じ志望大学に現役合格。
: 当初は鹿島に対して恋敵目線で素っ気無い態度であったが、徐々に彼女の人柄・優しさ・女としての家庭的な技量を認め、家族ぐるみの付き合いになるほどに仲良くなっていく。だが、反面真人を想うが故に、自分には母親がいない、いれば鹿島に近づけた女になっていただろう、という[[コンプレックス]]も感じてしまう。妹という手前、鹿島の前で真人に好意がある素振りは一切見せておらず、自分の幸せより真人の幸せを一番に望んでいるため、葛藤する。急遽帰国した幼馴染でサッカーのスター選手である沢田から[[求婚]]され、思い悩む。
:生年月日は[[1966年]][[2月9日]]。血液型は真人と同じく、AB型。
:みゆきは、真人との[[血縁]]関係はないことを早くから気づいていたようである。
; 鹿島 みゆき(かしま みゆき)
: 真人の同級生で、恋人。若松みゆきと共に本作の[[ヒロイン]]。才色兼備で清楚・おしとやかなクラスのアイドル。少々天然で控えめな性格の割に、たまに真人に対して大胆なアプローチを見せる時もある。そそっかしく勝ち気な一面もあり、真人の頬に平手打ちすること数回。[[料理]]・[[裁縫]]など女性らしい技術は一流で<ref group="注">中学時代には編物コンクールで優勝したことがある。</ref>良妻賢母のような女性。女友達からも頼られ面倒見が良く、当初から真人に好意を持っており一途に思いを寄せる。物語が進むにつれ公認の彼女になる。
: 自らが一人っ子なだけに兄妹を羨ましく思い、真人とみゆきの仲の良さに内心ヤキモチをしつつも表に出したことは一切なく、妹思いの真人・兄思いのみゆきの兄妹を「自分の理想の兄妹像」である、と真人に理解を示している。ほとんど欠点のない女性で、若松みゆきに「今まで出会った中で一番の女性。鹿島さんのようになりたい」と言わしめるほど。ただみゆき曰く唯一の欠点は、真人に惚れているところ、らしい。
: 学年で1、2を争うほど成績優秀で、2年次にはクラス副委員長も務める。しかし、大学志望校を真人に合わせるためにレベルを下げ、現役合格したにもかかわらず真人が落ちてしまったため、真人のために浪人を選択<ref group="注">表向き、“うっかり大学の入学手続きを忘れた”ということにして浪人生となる。</ref>。1年後真人と同時に青秀大学に入る。真人と妹みゆきが血縁関係のない兄妹であることは、沢田とみゆきの披露宴前に控室で親族がその旨について談笑している会話を偶然立ち聞きし知ってしまった。真人が妹のみゆきに告白したことで、最終回、単身北海道に傷心旅行に出た。その旅先で同じ境遇の沢田と運命的に出会い、双方の笑顔が二人の将来を暗示させている。
: 生年月日は1965年[[2月9日]](若松みゆきと1年違いの同じ誕生日)。血液型はAB型。
=== 高校の友人・関係者 ===
{{節スタブ}}
; 間崎 竜一(まさき りゅういち)
: 真人と同じ1年A組に所属。若松みゆきに一目惚れ<ref group="注">「みゆき病」の第一罹患者。</ref>し、'''一緒の修学旅行、一緒の卒業式、一緒の同窓会のため'''に追試まで棄権し留年し、みゆきと同じ1年C組所属となる。年齢は真人の1つ上(中学卒業後高校浪人ため、1浪1留となる。大学浪人はしなかった)。誕生日は9月で、本作開始(夏休み)からほどなくして17歳の誕生日を迎えている。とても積極的な惚れっぽい性格で、様々なドタバタエピソードを残すが、根は義理堅く真面目な努力家でもある。腕っ節は強く、数人相手の喧嘩も負けない。喫茶店「ドラゴン」を母親と切り盛りし、喫茶店のマスターもしている。[[本田技研工業|ホンダ]]のバイクを愛用している。
: 当初は、若松みゆきに好意的に接してもらえたが、2年時に2年E組所属となって彼女と別々のクラスになってしまい会う機会が減った。その後3年E組所属となる。
: 2013年、あだち充の別作品『[[MIX (漫画)|MIX]]』にラーメン屋ドラゴンのマスターとして登場。
; 中田 虎夫(なかた とらお)<ref group="登場">第1巻第7話「父兄、真人くん」。</ref>
: 体育教師をしている独身男性。初登場時に白樺女子学園中等部で体育教師をしていたが、みゆきが青華高校に入学すると、追いかけて転職する。高校転任時からソフト部顧問となる。校内風紀担当。かすみ荘というアパートで一人暮らししている。竜一とは恋敵で、二人の関係は諺の「竜虎相見(まみ)える」に喩えられている。1947年12月24日生まれで、初登場時点で32歳<ref group="注">年齢は当初「30ン歳」と表記されていたが、その後誕生月日と1983年に36歳ということが判明。生年は逆算によるもので、登場時の年齢は本作が1980年の夏休みに開始したことを踏まえて。</ref>。みゆきとは20近く歳が離れている。母親が見合い話をたくさん持ってくるが、みゆきにしか興味がないので相手にしていない。一度、勘違いで同名の美由紀(みゆき)という女性と[[婚約]]したが、結婚直前で破談。土下座までしてみゆきに[[求婚]]したりする入れ込み様だったが、みゆきが真人と[[結婚]]した後、母親の見合い話を承諾する。
; 香坂 健二(こうさか けんじ)<ref group="登場">第1巻第17話。</ref>
: 真人の同級生。2年B組に所属し、クラス委員長。3年次には、生徒会長になる。表向きは礼儀正しく文武両道で教師とっては理想の生徒で、ハンサムということもあり女子にもモテる爽やかな好青年を演じているが、実際はかなりスケベな上、人の恩を仇で返すような性格をしている。
:ひたすら鹿島みゆきのみにアタックし、2年次にはクラス委員という立場を利用して副委員長の鹿島と親しくなろうとする。徐々にエスカレートしていき、真人・鹿島の間を引き離そうと次々と陰湿な計画を企てるようになる。
: 鹿島と同じ大学に入るために、大幅に志望大学のレベルを下げ現役合格する。しかし、鹿島が真人のために浪人して予備校に通うことを知ると、自分も浪人して同じ予備校に通おうとするが失敗。真人と鹿島が同じ大学に入学し、勝手に男女の関係を想像して鹿島への想いを諦めることとなる。高校卒業前に車の免許を取得する。
; 沢田 優一(さわだ ゆういち)<ref group="登場">第5巻第5話「優ちゃん」。</ref>
: 真人の3歳年上の[[幼馴染|幼なじみ]]、22歳の大学生。高校時代までは真人の隣の家に住み、「ウェール大学」に留学するため両親とともに[[西ドイツ]]へ渡った。容姿端麗で裏表のない性格、努力家で練習熱心な将来有望な日本代表のサッカー選手。1984年の冬に進路を決めるため突如一時帰国の形をとって後半から登場。春頃にサッカーの全日本入りを決め、1984年のオリンピック出場を目指す<ref group="注">本作の連載中、実際のサッカー日本代表チームは[[1984年ロサンゼルスオリンピック|ロサンゼルスオリンピック]]の出場権を逃している。これを受けて本作では、本編中のコマで「この物語はフィクションで、実在の人物・団体とは関係ありません」という注意事項が書かれ、沢田のオリンピック出場を目指す設定は継続された。</ref>。再会した若松みゆきに一目惚れしてしまう。若松家に居候する間、何とかみゆきを真人と同じように可愛い妹として見ようと努力するが、無理だと感じたため、転居する。そして改めてみゆきに求婚する。
: 真人とは小さい頃から一緒によく遊び、彼から兄のように慕われると同時に「何やってもカッコいい」と憧れられている。
; 村木 好夫(むらき よしお)
: 真人の同級生。高校では1年A組に所属し、以後真人・鹿島と3年間同じクラスとなる。真人と同じくらいの成績にして、同じくらいのスケベさ、どこにでもいるような高校生。要所要所で登場、真人と鹿島みゆきの間柄をうらやみ、ちょくちょく割り込む。当初は鹿島一筋だったが、中盤から女の子なら手当たり次第にデートに誘うようになる。もてないと思っていた妹がいる。その後志望大学は不明だが受験に失敗し、真人と同じく英青予備校で1年浪人生活を経て同じ大学へ進学。
===家族===
; 若松和人(わかまつかずと)
: 若松真人の実父で、若松みゆきの養父。2度妻を亡くしており、みゆきは2人目の妻・今日子の連れ子である。年齢・職業不詳であるが、6年前からみゆきを連れて海外に赴任しており、本作開始時に娘だけ帰国する。都内の一軒家とは別に別荘も所有し、真人・みゆきの学費・生活費全般を仕送りしていることなどから、資産家と思われる。作品に姿が登場したことはない(声と手紙の文面のみでの登場)。突然みゆきを連れ戻そうとしたり養女に出そうとしたり、赴任先に遊びに来るよう手紙を寄こしたりと真人よりみゆきを気に掛けているようである。事実、みゆきとの間では手紙で近況報告している。真人は自分勝手な父親を快く思っていないようであり、電話での応対も荒っぽい。一方、息子同様性格はスケベである。
: みゆきが日本に帰国してから本人はカナダで暮らし始め、翌年の5月下旬から[[フィリピン]]に移り住む。その後フィリピンの[[サンボアンガ]]沖で搭乗予定の飛行機が墜落してニュースで和人の名前が伝えられた。しかし、後日搭乗前に暴漢に襲われ、空港のトイレで発見され、幸運にも難を逃れたことが判明する。1983年5月頃(みゆきが高校3年生の頃)からオーストラリアで暮らし始める。同年の12月24日に一時帰国し、数日後の1984年の[[正月]]には若松家に戻って来るがどちらも登場シーンはない<ref group="注">12月24日のシーンでは真人とみゆきが和人との食事のため空港に向かおうとする様子が描かれるのみ。[[正月3が日]]のシーンでは、本人は親子3人で過ごすつもりで若松家に戻るが、事前に帰ることを伝えていなかった。鹿島家と泊りがけの旅行から帰宅した真人とみゆきは、和人の「バ~カ 3日で帰った父より」という走り書きで、父が三が日に帰宅していたことを知る。</ref>。
:沢田とみゆきの披露宴には間に合わなかったが、真人とみゆきの[[フィリピン]]での結婚式は唯一見守った人となった。
; 若松今日子
: 若松みゆきの母。故人でみゆきが幼い頃に病死した。命日は5月20日。生前の好物は柿。
; 鹿島 安次郎(かしま やすじろう)<ref group="登場">第1巻第9話「初もうで」。</ref>
: 鹿島みゆきの父。[[警察官]]([[警部]])で、刑事生活20年目のベテラン刑事<ref group="注">実際にはその後「1984年時点で、刑事生活24年目」と書かれており、逆算により登場時は20年目となる。</ref>。「二枚刃の安次郎」と自ら名乗るも、鹿島姓もしくはフルネームで登場したことがない。基本的に軟派な性格で若い女の子一般が好きらしく、[[初詣]]で若松みゆきに偶然出会い、気に入る。その後は警察官の身分を濫用しては、何度も若松みゆきに接近する。真人は気が気ではなく、鹿島の父親と知らず、面と向かって「妹に近づくな」と啖呵をきったこともある。その後、鹿島の父親と知って気まずさを覚えつつも、安次郎自身にも負い目があることから、お互いにそのことには触れずに和解した。娘みゆきと真人の交際を認め、若松家と家族ぐるみの関係を築く。
; 鹿島みゆきの母(かしまみゆきのはは)<ref group="登場">第1巻第10話「ハプニング」。</ref>
: 鹿島安次郎(通称・二枚刃の安次郎)の妻であり、鹿島みゆきの母親。安次郎には少々厳しい。名前は不明。[[料理]]・[[裁縫]]が一流の腕前の鹿島に家事を手伝わせいてる辺り、その技量はこの母親から学んだものと考えられる。明るく温厚な性格で、真人と初対面の時から気に入っており、母娘の会話から鹿島が真人に惚れている理由を暗に示している。少々野暮な質問もするが将来娘との結婚を勧める発言を積極的に真人にしている。若松家(真人、みゆき)と家族ぐるみの付き合いになってからは、みゆきとも仲良くなり、1984年の正月に両家の温泉宿に旅行の際に特に母親のいないみゆきにとって甘えられる存在になっている。
: 真人・みゆきの結婚報告の絵葉書が届いた際には嬉々として安次郎に伝え、鹿島みゆきが単身で傷心旅行する際『私たちの娘ですもの』と温かく送り出した肝っ玉母さんでもある。
; 間崎の母<ref group="登場">第1巻第13話「竜一、恋の策略」。</ref>
: 竜一が小学生の頃に夫を亡くして以来、シングルマザーとして息子を育てている。現在は竜一と二人で喫茶店「ドラゴン」を運営したり、時には2人で旅行に行くなど良好な親子関係を築いている。少々のことには動じない性格で、素行があまり良くない竜一を温かく見守っている。また、母親のいないみゆきを気遣う竜一により、彼女が高校1年生の母の日には若松家に訪れ、疑似母子として一日交流を深める。
; リカ<ref group="登場" name="第2巻第3話">第2巻第3話「独身教師」。</ref>
: 中田の顔なじみの幼稚園児ぐらいの幼女。中田と同じアパートに家族と共に暮らしている。その後小学生の頃(第4巻第9話「いけない先生」)には、男の子みたいな言葉遣いで話すようになる。中田を“トラちゃん”と呼び慕っている。ある休みの日に、みゆきと過ごしたい中田から頼まれて一緒に若松家に遊びに行く。
; 中田虎夫の母<ref group="登場" name="第2巻第3話"/>
: 虎夫が青華高校に赴任した春頃に独身生活を続ける息子の自宅に訪れる。30歳を過ぎても独り身の虎夫を心配し、見合い話を持ってくる。
上原美由紀<ref group="登場" name="第2巻第3話"/>
虎夫の見合い相手。おしとやかで上品で、女子大を優秀な成績で卒業した才媛。中田の勘違いにより彼からプロポーズを受けたが、結婚式直前に彼の失態により破談となる。
; 船橋<ref group="登場">第2巻第14話「震度1」。</ref>
: 真人より1学年上の3年生。青華高校柔道部所属。普段の部活動では弱く、周りから「みかけ倒しの船橋」と言われている。しかし鹿島みゆきの帰宅中に偶然あばれ馬に襲われそうになったのを倒すほどの力を持っている。気が小さくて優しすぎる性格。幼稚園児ぐらいの妹がいる。
; ジョージ・ジョン・ポール<ref group="登場">第2巻第16話「元旦の珍客」。</ref>
: みゆきが以前住んでいたカナダ時代の知人の若者。1982年(真人が高校2年生)の元旦、若松家を訪ねてくる。20歳だが、やや老け顔で初対面の真人から20代後半ぐらいに思われている。ジョージが住む町の結婚のしきたり<ref group="注">独身の10代男性が好きな女性の誕生日におもちゃの指輪を渡し、女性がOKなら男性の誕生日にクッキーをお返しするというもの。その後男性が20歳になった時に先の女性を迎えに行くことになっている。みゆきはこのしきたりを知らずに過去に偶然クッキーを渡した。</ref>により「みゆきと結婚の約束をした」として騒動となる。
; 中条新一<ref group="登場">第3巻第3話「スポーツマン」。</ref>
: みゆきと同じ2年A組所属で、クラス副委員長。サッカー部のスターでありながら勉強もできて見た目も格好良く、明るくて優しい性格なためクラスの女子の人気が高い。3年A組となった後久しぶりに登場し、文化祭の劇でみゆきの相手役をクラスメイトから頼まれる。
;重さん<ref group="登場">第3巻第18話「紛失」。</ref>
: かつて若松家で家政婦として働いていた女性で、若松家で一人暮らしをする真人のために日常の家事をこなしていた。真人を「おぼっちゃま」と呼んでいる。その後真人が高校3年生の10月頃に偶然再会する。みゆきの実母が病気で倒れた頃から若松家で働いていたため、真人とみゆきが実の兄妹ではないことも知っている。
; 井上<ref group="登場">第3巻第19話「戸籍抄本」。</ref>
: 真人と同じ3年B組所属。クラスメイトの中でもかなり存在感が薄い。みゆきに密かに片思いしている。真人が校内で紛失したみゆきの戸籍抄本をたまたま拾い、それをネタにラーメン代などをたかる。その後、卒業まであと約2ヶ月という時期に父親の仕事の都合で南米に行くことになる。
; 村木ゆかり<ref group="登場">第4巻第8話「妹よ」。</ref>
: 村木の3歳下の妹。村木が3月に青華高校を卒業した後、4月から同高校に入学してくる。妹の存在は、真人たちには浪人生になるまで一切教えなかった<ref group="注">村木によると「妹が人に自慢できる容姿をしていなかったから、真人たちに存在を明かさなかった」としている。</ref>。容姿のこともあり異性と付き合えるかどうかを村木から心配されている。
; 喫茶店「ドラゴン」のバイトの女性<ref group="登場">第4巻第10話「年上の女」。</ref>
: 大学4年生。竜一が母と泊りがけで温泉に行くため、一週間限定で雇われた。真人から「色っぽくて美人」と評されるなろ、男性客たちからも評判となる。好きな男性のタイプは年上で、竜一のことを30歳ぐらいと勘違いし、「シブくてステキ」と好意を寄せ始める。
; 野々村正男<ref group="登場">第4巻第11話「友達」。</ref>
: 真人と同じ英青予備校に通う浪人生。両親と一軒家で暮らし、犬を飼っている。秀才で「現役で東大合格確実」と言われていたが、体調不良により受験に失敗して浪人となった。ある日真人とみゆきが出会った犬が野々村の飼い犬と判明したことから、彼らと関わりを持ち始める。高校時代までは明るい性格で、1980年の犬のコンクールで第2位の成績を修めていたが、現在は受験を第一に考えているため飼い犬のことは後回しにしている。
== 書誌情報 ==
=== 単行本 ===
* あだち充 『みゆき』 小学館〈少年ビッグコミックス〉、全12巻
*# 1981年2月5日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-150211-3}}
*# 1981年7月5日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-150212-1}}
*# 1981年10月5日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-150213-X}}
*# 1982年3月5日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-150214-8}}
*# 1982年7月5日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-150215-6}}
*# 1982年12月25日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-150216-4}}
*# 1983年5月5日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-150217-2}}
*# 1983年9月5日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-150218-0}}
*# 1984年1月5日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-150219-9}}
*# 1984年6月5日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-150220-2}}
*# 1984年10月5日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-150481-7}}
*# 1984年12月5日初版第1刷発行、{{ISBN2|4-09-150482-5}}
=== ワイド版 ===
* あだち充 『みゆき』 小学館〈少年サンデーコミックスワイド版〉、全5巻
*# 1990年5月発行、{{ISBN2|4-09-122821-6}}
*# 1990年6月発行、{{ISBN2|4-09-122822-4}}
*# 1990年7月発行、{{ISBN2|4-09-122823-2}}
*# 1990年8月発行、{{ISBN2|4-09-122824-0}}
*# 1990年9月発行、{{ISBN2|4-09-122825-9}}
* あだち充 『みゆき』 小学館〈My First WIDE〉、全4巻
*# 2001年11月発行、{{ISBN2|4-09-162104-X}}
*# 2001年11月発行、{{ISBN2|4-09-162105-8}}
*# 2001年12月発行、{{ISBN2|4-09-162109-0}}
*# 2001年12月発行、{{ISBN2|4-09-162110-4}}
* あだち充 『みゆき』 小学館〈ヤングサンデーコミックスワイド版〉、全5巻
*# 2008年6月発行、{{ISBN2|978-4-09-151352-6}}
*# 2008年6月発行、{{ISBN2|978-4-09-151353-3}}
*# 2008年7月発行、{{ISBN2|978-4-09-151354-0}}
*# 2008年7月発行、{{ISBN2|978-4-09-151355-7}}
*# 2008年8月発行、{{ISBN2|978-4-09-151356-4}}
=== 文庫版 ===
* あだち充 『みゆき』 小学館〈小学館文庫〉、全7巻
*# 1997年11月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193004 |title=みゆき 1(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-12}}</ref>、{{ISBN2|4-09-193004-2}}
*# 1997年11月18日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193005 |title=みゆき 2(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-12}}</ref>、{{ISBN2|4-09-193005-0}}
*# 1998年1月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193006 |title=みゆき 3(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-12}}</ref>、{{ISBN2|4-09-193006-9}}
*# 1998年1月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193007 |title=みゆき 4(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-12}}</ref>、{{ISBN2|4-09-193007-7}}
*# 1998年3月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193008 |title=みゆき 5(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-12}}</ref>、{{ISBN2|4-09-193008-5}}
*# 1998年3月17日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193009 |title=みゆき 6(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-12}}</ref>、{{ISBN2|4-09-193009-3}}
*# 1998年5月16日発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shogakukan.co.jp/books/09193010 |title=みゆき 7(文庫版) |publisher=小学館 |accessdate=2022-02-12}}</ref>、{{ISBN2|4-09-193010-7}}
== テレビアニメ ==
[[1983年]]3月から[[1984年]]4月にかけて[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]]で全37話が放映された。
放映当時は原作漫画の連載が続いていたため、アニメ化の範囲は原作漫画の中盤までとなっており、結末も異なる。アニメ独自のエピソードや設定の変更もあり、後者の例としては物語は真人が高校2年生になったばかりの春休みからの約1年1か月間(翌年の4月20日ごろまで)を描いており、このため真人が6年ぶりにみゆきと再会する時期が春休みになっている。なお、完結編を劇場用新作アニメーションとして制作する話も持ち上がったが、実現することなく頓挫した。
=== 制作(テレビアニメ) ===
既に『[[うる星やつら]]』などで[[小学館]]作品のテレビアニメ化権を取得していた[[キティ・フィルム]]が、[[タツノコプロ]]出身の宮田知行プロデューサー、[[西久保瑞穂]]監督を招き、自社で制作スタジオを構えて挑んだ初のテレビアニメ作品となった。フジテレビは既にアニメーション制作会社の[[グループ・タック]]によるあだち充作品『[[ナイン (漫画)|ナイン]]』をテレビスペシャルで単発放送しており、『みゆき』の後も『[[タッチ (漫画)|タッチ]]』『[[陽あたり良好!]]』と立て続けにあだち充原作のテレビアニメ版を制作・放送していくことになる。
; 声優
: 声優配役は、主役の若松兄妹に声優の実年齢が近い点が重視された。ヒロインの若松みゆき役を演じた[[荻野目洋子]]は、放送当時14歳の中学3年生(最初と最後の短期間は中学2年生と15歳の高校1年生)で若松みゆきとほぼ同学年であり、キティ・フィルム製作の実写映画『[[ションベン・ライダー]]』のオーディションを受けたことがきっかけで起用された<ref name="bomb">『[[BOMB]]』1984年12月号、p.24</ref>。音響監督の[[松浦典良]]は荻野目の声の「テクニックを超えた得難い清潔さ」と「イントネーションのかわいさ」を買っていたが、声や演技については原作のファンからの罵声やブーイングも寄せられ、声に魅力があるとする意見と賛否が分かれたという<ref>松浦典良「僕のポジションから音楽監督の仕事について話してみよう」『グロービアン』1986年11月号、p.25。「音楽監督」は原文のママ</ref><ref>中島紳介「今夜もアニメでよろしくね みゆきMY・LOVE パート1」『アニメック』1984年6月号、p.131</ref><ref>中島紳介「今夜もアニメでよろしくね みゆきMY・LOVE パート2」『アニメック』1984年7月号、p.131</ref>。[[1996年]]に『陽あたり良好!』の文庫版の解説を荻野目が担当した際、イメージを壊されたファンにはお詫びしたいと述べている<ref>あだち充『陽あたり良好!3巻』小学館文庫、1996年。荻野目洋子の解説より。</ref>。しかし小学生の時に芸能活動をしたものの、中学生になってから活動がなかった荻野目にとって再デビューの足がかりとなった<ref name="bomb" />(荻野目はみゆき声優の後は、歌手となりブレイクすることとなる)。
: 三枚目な村木好夫役には、それまで(その後も)逆に美形キャラやハンサムな役が多かった[[塩沢兼人]]が起用されている(アニメ版においてのみ、彼が主役の話もあった(第33話))。塩沢本人も初主役だった『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』のゴドーに次いで思い出のキャラクターとして、『[[戦国魔神ゴーショーグン]]』のブンドルなどと共に本作の村木の名前を挙げている<ref>『人気ヴォイスアクター』[[勁文社]]、1990年、p.83</ref>。
; 音楽
: 楽曲は、音楽部門に[[ユニバーサルミュージック (日本)|キティ・レコード]]を抱えるキティ・フィルムの製作だったためか、[[来生たかお]]らキティ・レコードに所属したアーティストたちの歌が頻繁に挿入歌として使用されている。終盤では毎回エンディングに「きょうの挿入歌」というクレジットが表示された<ref>[http://animestyle.jp/2018/07/24/13864/ 第136回 番号で呼ばないで 〜みゆき〜]、WEBアニメスタイル、2018年7月24日。</ref>。また当時のテレビアニメ作品としては、全37話で2回変わるエンディングテーマ(計3曲)は異例の多さであった。特に[[H2O (日本の歌手グループ)|H<sub>2</sub>O]]が歌うエンディングテーマ『[[想い出がいっぱい]]』のEPレコードは43万枚を売り上げるヒット曲となり<ref>宝泉薫編著『歌謡界一発屋伝説』彩流社、1998年、p.48</ref>、[[1980年代]]のスタンダードナンバーとして記憶されることになった。この曲は、現在でも卒業式などで歌われることがある。
; 放送
: 最初の放送枠は木曜 19時30分 - 20時00分([[日本標準時]])であったが、この枠は[[ロート製薬]]の一社提供番組(『[[万国びっくりショー]]』ほか)→『[[スター千一夜]]』を含む帯番組→『[[とびだせものまね大作戦]]』と変遷しており、当時の金曜19時台後半枠と共にフジテレビの19時枠の中ではアニメーション未経験枠であった。1983年9月ごろまでは15%前後あった視聴率が同年10月以降には半減したため、1984年2月からローカルセールス枠(フジテレビでは金曜 19時00分 - 19時30分)へ移行した<ref>「テレビアニメーションワールド」『アニメージュ』1984年2月号、p.88。宮田智行プロデューサーの文による。</ref>。ネット局の一部では打ち切りとなったが、後年の再放送で全話放送した局もある。
: 本作は、1年1か月(55週)という放送期間のわりに全37話にとどまった。度々別番組放送による休みが入ったためで、木曜放送時代は[[野球道 (フジテレビ系列)|プロ野球中継]]や[[特別番組]]の編成により、一回も放送休止週がなかった月は第1話の1983年3月を除けば同年5月だけ、特に木曜から金曜に移動する間の約1か月間は全く放送されなかったが、金曜移動後の放送休止は1984年4月6日だけであった。
=== キャスト ===
ここではテレビアニメ版での設定、または原作の人物説明の欄に書かれていないものを記す。
<!-- 仮にこの欄に記したもので原作と同じ設定のものがあれば、その部分を原作の欄に移動や修正をお願いします。 -->
* 若松真人 - [[鳥海勝美]]
: 高校2年生の16歳。2年B組の生徒。東京在住<ref>第16話。</ref>。6年間、父とみゆきと離れ離れの生活になったのは、真人が日本が好きで海外に行くのを拒んだため<ref name="名前なし-1">第2話。</ref>。右脇腹には、子供の頃にみゆきを助けようとしてライオンに引っかかれた一生傷がある<ref>第23話。</ref>。2年B組の女子生徒たちによる「クラスの男の点数表」では、顔・スタイル・性格・知性オール0点という最低点を村木と2人でワーストタイを取っており、女子生徒からの人気はかなり低い<ref group="注">ただし鹿島はこのアンケートに参加していない(第32話)</ref>。
* 若松みゆき - [[荻野目洋子]]
: 15歳。帰国後しばらくは日本の学校には所属せず気ままに過ごしていたが、5月上旬に青華高校の1年C組に編入する。ちなみに高校の編入試験では、英数国理社の5科目500点満点中、国語の92点以外満点の合計492点を取っている<ref>第4話。</ref>。好きな野球チームは、[[ロサンゼルス・ドジャース]]<ref>第15話。</ref>。[[鎌倉]]は子供の頃に実母と真人の3人で行った思い出の場所<ref group="注">ちなみに[[化粧坂]]からそう遠くない場所に母の墓がある。母の命日は11月末ごろか12月初旬。母の好物は、[[ビワ]]。(第25話)</ref>。
* 鹿島みゆき - [[鶴ひろみ]]
* 間崎竜一 - [[大林隆介]]
: 真人より1歳年上の設定は原作と同じだが1年留年して真人と同じ2年B組に所属しており、みゆきとは同学年にはならない。4月生まれで第3話で17歳になる<ref group="注">1年留年しているため本来なら18歳になるはずだが設定ミスと思われる。</ref>。自称「真人の親友」で、真人からは内心「誰が親友なんだ?」と否定されている<ref name="名前なし-1"/>。一目惚れしたみゆきが真人の妹と知ってから、彼のことを“お兄さん”と呼び始める。中型バイクを愛用しているが、スピード違反などで免停を食らっている。
* 村木好夫 - [[塩沢兼人]]
* 香坂健二 - [[森功至]](第11話から登場)
: 1学期の途中から2年B組にやって来た転入生。血液型はB型で、8月10日生まれの獅子座<ref>第19話。</ref>。「クラスの男の点数表」では、顔98点、スタイル100点、性格97点、知性99点でクラスの男子生徒で断トツの評価を得ている。
* 中田虎夫 - [[玄田哲章]](第4話から登場)
: みゆきが所属する1年C組のクラス担任。生活指導担当<ref>第18話。</ref>。年齢は、「三十ウン歳」<ref>第8話。</ref>。青華高校に転任してきた日に、偶然編入試験を受けに高校に初めて来たみゆきに一目惚れし、たまたま担任となる。たびたび教師という立場を使ってみゆきと過ごす口実を作ったり、鹿島からは「(みゆきに一筋な所が)純真」と評されている<ref>第8話。</ref>。
* 鹿島安次郎 - [[富山敬]](第6話から登場)
: 若松みゆきとの出会いは5月の地元の祭りで、彼女と親しくなるため当初「生まれたばかりの(みゆき似の)娘を亡くし、1年前に妻にも先立たれた」と真っ赤なウソをついて同情を誘い独身アピールをした。
* 若松和人
: カナダで暮らしており、家事をしてくれていたみゆきが日本に帰国してからはお手伝いさんにやってもらっている。
=== スタッフ ===
* 製作 - [[多賀英典]]([[キティ・フィルム]])
* 原作 - [[あだち充]]
* 企画 - [[落合茂一]](キティ・フィルム)
* 企画協力 - 宇佐美廉([[オービー企画]])
* [[プロデューサー]] - 宮田智行(現・[[宮田知行]]、キティ・フィルム)
* 音楽 - ライオン・メリー、[[天野正道]]、安西史孝
* [[キャラクターデザイン]] - [[遊佐かずしげ|遊佐和重]]
* スタイリスト - 鶴巻葉子
* チーフ制作 - 森本一雄
* 制作デスク - 山津真岐子
* 美術監督 - 海保仁三朗
* アートデザイン - 早乙女満
* 音響監督 - [[松浦典良]]
* 撮影監督 - 都島雅義
* チーフ・ディレクター - [[西久保瑞穂]]
* [[フジテレビジョン|フジテレビ]]プロデューサー - 岡正
* 色指定 - 西川裕子、小松利江
* 美術設定 - 村上律子、須藤栄子、中座洋次
* 編集 - 西出栄子
* 制作担当 - 赤澤信幸、阿部英次
* 効果 - [[スワラ・プロ|伊藤克己]]
* 調整 - 高橋弘幸
* 録音スタジオ - [[メディアフォース|整音スタジオ]]
* 音響制作 - 現
* 現像所 - [[東京現像所]]
* 制作スタジオ - キティ・フィルム 三鷹スタジオ
* 制作 - キティ・フィルム、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]
=== 主題歌・挿入歌 ===
; オープニングテーマ - 「<ruby>1<rt>テ</rt></ruby><ruby>0<rt>ン</rt></ruby>%の雨予報」
: 作詞 - [[阿木燿子]] / 作曲 - [[鈴木キサブロー]] / 編曲 - [[萩田光雄]] / 歌 - [[H2O (日本の歌手グループ)|H<sub>2</sub>O]]
: シングル盤とは歌詞が異なっており、サビの「everyday」の個所が「みゆき」と変えられて歌われている。
; エンディングテーマ
:; 「[[想い出がいっぱい]]」(第1話 - 第13話、第20話 - 第22話)
: 作詞 - 阿木燿子 / 作曲 - 鈴木キサブロー / 編曲 - 萩田光雄 / 歌 - H<sub>2</sub>O
: 作中の挿入歌として数回使われており、最終話のラストでもBGMに使われた。また原作漫画の最終話では、「想い出がいっぱい」の歌詞が表記されている。
:; 「サマー・ホリデー」(第14話 - 第19話)
: 作詞 - [[中里綴]] / 作曲 - 吉田雅彦 / 編曲 - [[星勝]] / 歌 - [[河合美智子]]
: 第17話では、雨の中鹿島が1人で帰るシーンのBGMとして流れる。
:; 「[[Good-byeシーズン]]」(第23話 - 最終話)
: 作詞 - [[山川啓介]] / 作曲 - 鈴木キサブロー / 編曲 - 星勝 / 歌 - H<sub>2</sub>O
: 第25話では、若松家でみゆきと竜一がこの歌をカラオケでデュエットする。
; 挿入歌
; 第3話
:; 「ロック・オン」
:: 作詞・作曲 - 高尾守 / 編曲 - TAKAO & THE VIEW / 歌 - TAKAO & THE VIEW
:: 若松家で行われた竜一の誕生パーティで、この曲のレコードをかけながら竜一とみゆきが踊る。
; 第5話
:; 「ピュア・マインド」
:: 作詞 - [[康珍化]] / 作曲 - 藤本健一<ref group="注">[[ZYYG]]のドラマーで同姓同名の[[藤本健一]]とは異なる。</ref> / 歌 - [[上田正樹]]
:: みゆきと鹿島が学校帰りに喫茶店でジュースを飲みながら話すシーンのBGM。
; 第7話
:; 「官能少女」
:: 作詞 - [[来生えつこ]] / 作曲 - [[来生たかお]] / 編曲 - [[松井忠重]] / 歌 - 来生たかお
:: 登校前の鹿島が自室で、ラジカセでこの曲をかけながら制服に着替える。
:; 「[[我が心のジョージア]]」(Georgia on My Mind)
:: [[ジャズ]]の[[スタンダード・ナンバー]]の一つで、[[レイ・チャールズ]]がカバーした曲としても知られる。
:: 放課後、みゆきと安次郎がジャズ喫茶で会話するシーンで店内でかかる曲として流れる。
; 第8話
:; 「サントワマミイ」
:: [[サン・トワ・マミー]]のカバー。作詞・作曲 - [[サルヴァトール・アダモ]] / 訳詞 - [[岩谷時子]] / 編曲 - [[ヴァージンVS]] / 歌 - ヴァージンVS
:: 虎夫の見合い相手と会った真人が竜一と村木たちと、2人を結婚させるべきか話し合うシーンのBGM。
:; 「[[#来生たかおのシングル「夢の途中-セーラー服と機関銃」|夢の途中]]」
:: 作詞 - 来生えつこ / 作曲 - 来生たかお / 編曲 - 星勝 / 歌 - 来生たかお
:: みゆきに恋しながらも見合い相手と翌日結婚することになった虎夫が、やけ酒を飲む小料理屋で流れる曲。
; 第9話
:; 「男は馬之助」
:: 作詞・作曲 - [[なぎら健壱]] / 歌 - なぎら健壱、[[コント赤信号]]
:: 真人が、自室のラジカセでこの歌を聴きながら陽気に踊る。
:; 「[[傘がない]]」
:: 作詞・作曲 - [[井上陽水]] / 歌 - 井上陽水
:: 自宅を出た真人が、雨が降る中傘も持たずに鹿島みゆきに会いに行くシーンのBGM。
; 第11話
:; 「バラードまでそばにいて」
:: 作詞 - 康珍化 / 作曲 - [[佐々木久美 (ミュージシャン)|佐々木久美]] / 歌 - 上田正樹
:: 真人とみゆきが、自宅で会話するシーンのBGM。
; 第12話
:; 「僕のユーモレスク」来生たかお
:: 作詞 - 来生えつこ / 作曲 - 来生たかお / 歌 - 来生たかお
:: 買ったばかりの水着を着たみゆきが、真人に夏休みに別荘に行くことを提案するシーンのBGM。
:; 「[[ケセラセラ|ケ・セラ・セラ]]」
:: 作詞 - [[レイ・エバンズ]] / 訳詞 - [[音羽たかし]] / 作曲 - [[ジェイ・リビングストン]] / 編曲 - [[今井裕 (ミュージシャン)|今井裕]] / 歌 - [[IMITATION (バンド)|IMTATION]]
:: 真人や村木たちが、喫茶店「ドラゴン」で夏休みの予定について話すシーンのBGM。
; 第13話
:; 「ちょっとまって、Make Love」
:: 作詞 - [[和久井光司]]、大山潤子 / 作曲 - 和久井光司 / 編曲 - スマート・ルッキン / 歌 - スマート・ルッキン
:: 真人が竜一の海の家の食堂でバイトするシーンのBGMとして流れる。
; 第14話
:; 「坂道の天使」
:: 作詞 - 来生えつこ / 作曲 - 来生たかお / 編曲 - [[坂本龍一]] / 歌 - 来生たかお
:: 若松家に遊びに来た鹿島を、みゆきが夜道を送るシーンのBGM。
; 第18話
:; 「[[悲しい色やね]]」
:: 作詞 - 康珍化 / 作曲 - [[林哲司]] / 歌 - 上田正樹
:: 夏休みの終わり頃に「ドラゴン」にやって来た虎夫から、竜一が退学予告<ref group="注">竜一の素行の悪さから職員会議で「夏休み最終日の特別テストで合格点を取らなければ退学にする」というもの。</ref>を伝えられるシーンのBGM。
:; 歌い出しが「なんて明るい夜だ なんてふざけた夜だ」の歌
:: 竜一が、若松家で泊まり込みで勉強するシーンのBGM。
:; 「夢のラジオシティ」
:: 作詞・作曲 - [[あがた森魚]] / 編曲 - ヴァージンVS / 歌 - ヴァージンVS
:: 人命救助をした竜一が、高校の講堂で教師や生徒たちの前で刑事である安次郎から表彰されるシーンのBGM。
; 第19話
:; 「ジプシー・ラヴ」
:: 作詞 - 安藤芳彦 / 作曲・編曲 - [[小林泉美 (歌手)|小林泉美]] / 歌 - 小林泉美
:: 路上の易者に占ってもらったみゆきが、帰宅後結果に納得できず不満を述べるシーンのBGM。
:; 歌い出しが「僕って誰より運の悪いやつ」の歌
:: 真人が花占いで「鹿島みゆきが俺のことを愛しているか?愛してないか?」を占うシーンのBGM。
; 第20話
:; 「HELLO VIBRATION」
:: 作詞 - [[ちあき哲也]] / 作曲・編曲 - 星勝 / 歌 - H<sub>2</sub>O
:: 真人たち2年生が修学旅行に出発するシーンのBGM。
; 第21話
:; 「つまり、愛してる」
:: 作詞 - 来生えつこ / 作曲 - 来生たかお / 編曲 - 松井忠重 / 歌 - 来生たかお
:: 高校の体育祭が終わった後、真人が1人でグラウンドを走るシーンのBGM。
; 第24話
:; 歌い出しが「darling don't you leave me」の歌。
:: 文化祭でクラスの女子たちとダンスすることになったみゆきが、自宅のラジカセでこの曲をかけながら練習する。
; 第26話
:; 途中の歌詞が「ロンリーボーイ、ロンリーガール」の歌
:: ハンバーガー屋でバイトする鹿島が、年上のバイトマネジャーの自宅で会話をするシーンのBGM。
:; 途中の歌詞が「だけど時は変わっているのさ、目を開いて見てごらん」の歌
:: クリスマス・パーティに来るはずだった若者が急遽来られなくなり、真人たちが残念がるシーンのBGM。
; 第27話
:; 「疑惑」
:: 作詞 - 来生えつこ / 作曲 - 来生たかお / 編曲 - 星勝 / 歌 - 来生たかお
:: 「真人が他の女子生徒にラブレターを書いた」と疑う鹿島が、物思いに耽るシーンのBGM。
; 第28話
:; 「[[北酒場]]」
:: 作詞 - [[なかにし礼]] / 作曲 - [[中村泰士]] / 原曲 - [[細川たかし]]
:: 鹿島の誕生パーティで、村木がカラオケでこの歌を歌う。
:; 「[[矢切の渡し (曲)|矢切の渡し]]」
:: 作詞 - [[石本美由起]] / 作曲 - [[船村徹]] / 原曲 - [[ちあきなおみ]]。[[1983年]]には細川たかしもカバーした。
:: 上記の曲に続けて村木がカラオケでこの歌を歌う。
:; 「白い愁い」
:: 作詞 - 来生えつこ / 作曲 - 来生たかお / 編曲 - [[来生たかお|矢倉銀]] / 歌 - 来生たかお
:: みゆきが自宅で真人に誕生日を祝ってもらうシーンのBGM。
; 第29話
:; 「[[雪山讃歌]]」
:: 作詞 - [[西堀栄三郎]] / 作曲 - [[アメリカ合衆国|アメリカ]][[民謡]] / 歌 - [[ダークダックス]]
:: 冬に山荘に遊びに来た香坂と、偶然隣のペンションに遊びに来た1年C組の女子生徒たちが集まり、香坂のギターの弾き語りでこの歌を歌う。
:; 「ウィンター・バスストップ」
:: 作詞・作曲・歌 - ヴァージンVS
:: 冬の林の中でみゆきが金色のウサギを見つけるシーンのBGM。
; 第31話
:; 「無口な夜」
:: 作詞 - 来生えつこ / 作曲 - 来生たかお / 歌 - 来生たかお
:: 真人と鹿島が、星空の下で写真を撮るシーンのBGM。
:; 途中の歌詞が「月の明るい夜はさびしいから」の歌
:: 喫茶店「ドラゴン」の客が、壁に飾られた写真を見るシーンのBGM。
; 第32話
:; 歌い出しが「ルーレット、ルーレット」の歌。
:: 竜一が、みゆきを巡って彼女のクラスの男子サッカー部部員とサッカーの[[PK戦]]で勝負するシーンのBGM。
※下記の曲はどの回の挿入歌かは不明。
:; 「Goodbye Day」
:: 作詞 - 来生えつこ / 作曲 - 来生たかお / 編曲 - [[松任谷正隆]] / 歌 - 来生たかお
=== 各話リスト ===
下記備考欄の原作の巻数と話数は、『みゆき』〈少年サンデーコミックスワイド版〉(全5巻)より<!-- もし単行本の巻数・話数が分かる方がいれば、そちらに変更して下さい。 -->。また、(オリ)は、アニメオリジナルエピソード。
{| class="wikitable" style="font-size:small"
|-
!話数!!放送日!!サブタイトル!!脚本!!絵コンテ!!演出!!作画監督!!備考
|-
|第1話||'''1983年'''<br />3月31日||ボクと渚の黒ビキニ!||[[金子裕 (脚本家)|金子裕]]<br />[[西久保瑞穂]]||colspan="2" align="center"|西久保瑞穂||rowspan="2"|野部駿夫||<ref group="原作">第1巻第1話「海辺の再会」。</ref>
|-
|第2話||4月7日||ひらて打ちは恋のレッスン||rowspan="2"|[[柳川茂]]||rowspan="2"|西久保瑞穂||[[ときたひろこ]]||<ref group="原作">第1巻第2話「兄と妹」、第3話「新学期」。</ref>
|-
|第3話||4月21日||竜一のスクランブル誕生日||大町繁|| ||<ref group="原作">第1巻第4話「日曜日」、第5話「誕生日」。</ref>
|-
|第4話||5月5日||妹ダントツ!あにきはペケ!?||金子裕||colspan="2" align="center"|[[古川順康]]||野部駿夫||<ref group="原作">第1巻第7話「父兄、真人くん」を中心として、みゆきの編入試験の合格とみゆきが戸籍抄本を取りに行こうとする所やみゆきの高校初登校日などのいくつかのシーンで再構築されている。</ref>
|-
|第5話||5月12日||デートのたびにキツーイ一発||[[土屋斗紀雄]]||colspan="2" align="center"|大町繁|| ||<ref group="原作">第1巻第6話「デート」、第8話「約束」。</ref>
|-
|第6話||5月19日||ロリコン刑事 二枚刃の安!||柳川茂||colspan="2" align="center"|ときたひろこ||多賀かずひろ||<ref group="原作">第1巻第9話「初もうで」。</ref><ref group="注">原作では初もうでの設定だが、アニメでは初夏に行われた地元のお祭りの日に変更されている。</ref>
|-
|第7話||5月26日||真人マッサオ!ビキニはどこへ?||[[大橋志吉]]||colspan="2" align="center"|西久保瑞穂||アベ正己||<ref group="原作">第1巻第10話「ハプニング」、第11話「ビキニ」。</ref>
|-
|第8話||6月2日||やったネ中田!みゆきと婚約!?||rowspan="2"|土屋斗紀雄||colspan="2" align="center"|大町繁|| ||<ref group="原作">第2巻第3話「独身教師」、第11話「復活宣言」。</ref>
|-
|第9話||6月16日||雨の日のコンサート||colspan="2" align="center"|古川順康||野部駿夫||(オリ)
|-
|第10話||6月30日||ラブラブハイキング 安次郎の場合…!?||柳川茂||colspan="2" align="center"|[[こだま兼嗣|児玉兼嗣]]||[[神村幸子]]||<ref group="原作">第1巻第13話「竜一、恋の策略」の若松兄妹と竜一の喫茶店「ドラゴン」でのシーンや、第14話「春の訪れ」と第15話「春休み」のピクニック参加にまつわるエピソードを再構築したもの。</ref>
|-
|第11話||7月7日||エッチとすけべ||rowspan="2"|土屋斗紀雄||colspan="2" align="center"|大町繁||[[遊佐かずしげ|遊佐和重]]||<ref group="原作">第1巻第17話「エッチとスケベ」。</ref>
|-
|第12話||7月14日||竜一・村木のアルバイト情報!||西久保瑞穂||[[坂田純一]]||[[谷口守泰]]||<ref group="原作">第2巻第6話「海がよんでいる」。</ref>
|-
|第13話||7月21日||嵐の夜には何かが起こる!?||大橋志吉||colspan="2" align="center"|ときたひろこ||アベ正己||<ref group="原作">第2巻第7話「2年目の夏」、第8話「海辺の一夜」。</ref>
|-
|第14話||8月4日||みゆきの心 曇りのち晴れ||柳川茂||colspan="2" align="center"|真砂智康||薄井義雄||<ref group="原作">第2巻第9話「くもりのち晴れ」。</ref><ref group="注">原作では第2巻第8話「海辺の一夜」で真人と鹿島が海辺の洞穴で一夜を明かした話を、その後村木がクラスメイトに噂を広めているが、アニメでは若松家の隣人が偶然洞穴に訪れて2人を写真に収めたことで噂が広まるという展開に変更されている。</ref>
|-
|第15話||8月11日||青春づくり 想い出づくり||土屋斗紀雄||西久保瑞穂||内藤正志||野部駿夫||(オリ)
|-
|第16話||8月18日||真夏の夜のお願い蛍||柳川茂||colspan="2" align="center"|児玉兼嗣||神村幸子||(オリ)
|-
|第17話||9月1日||ひとりっ子 ふたりっ子||大橋志吉||古川順康||坂田純一||アベ正己||<ref group="原作">第2巻第14話「震度1」、第15話「一人っ子」。</ref>
|-
|第18話||9月8日||ミラクル男 間崎竜一!||土屋斗紀雄||colspan="2" align="center"|ときたひろこ||遊佐和重||<ref group="原作">第2巻第19話「ミラクル竜一」。</ref><ref group="注">アニメではこの回の終盤に夏休みが終わり、2学期が始まる。</ref>
|-
|第19話||9月15日||恋占いラプソディー||大橋志吉||真砂智康||鈴木幹雄||薄井義雄||<ref group="原作">第3巻第15話「占い狂騒曲」。</ref><ref group="注">原作では真人が高校3年生の頃の話。原作より占い師とその恋人の出演シーンが大幅に加筆されている。</ref>
|-
|第20話||9月29日||哀愁の修学旅行||[[島田満]]||colspan="2" align="center"|児玉兼嗣||神村幸子||<ref group="原作">第2巻第12話「一人ぽっち」、第13話「テレフォン・トラブル」。</ref>
|-
|第21話||10月13日||バトンタッチは夕暮れ時に!||大橋志吉||真砂智康||鈴木幹雄||薄井義雄||<ref group="原作">第2巻第4話「二人三脚」。</ref><ref group="注">原作では春に開かれた体育祭が、アニメでは秋に変更されている。</ref>
|-
|第22話||10月27日||ヌワァンと5才で結婚宣言!?||柳川茂||colspan="2" align="center"|児玉兼嗣||神村幸子||(オリ)
|-
|第23話||11月10日||ひとつ屋根の下 二人のみゆき||大橋志吉||colspan="2" align="center"|ときたひろこ||谷口守泰||<ref group="原作">第3巻第6話「板ばさみ」、第7話「ひとつ屋根」。</ref>
|-
|第24話||11月24日||恋のリハーサル||島田満||colspan="2" align="center"|西久保瑞穂||rowspan="2"|遊佐和重||<ref group="原作">第3巻第1話「恋のリハーサル」、第2話「演技と真実」。</ref><ref group="注">原作では真人が2年生の学年末(3月頃)の話だが、アニメでは2年生の秋の文化祭に変更されている。</ref>
|-
|第25話||12月8日||おしかけ母さんラプソディー||柳川茂||colspan="2" align="center"|坂田純一||<ref group="原作">第2巻第1話「おしかけ母さん」。</ref><ref group="注">この回の前半には、原作にはない真人とみゆきがみゆきの実母の墓参りのため鎌倉に行くシーンが追加されている。みゆきの実母の墓は原作(第5巻第12話「墓参」)では和型の[[墓石]]だが、アニメでは実母がキリスト教徒の設定になったのか十字形の墓石に変更されている。</ref>
|-
|第26話||12月22日||M・Wは恋のイニシャル!?||土屋斗紀雄<br />西久保瑞穂||colspan="2" align="center"|西久保瑞穂||アベ正己||(オリ)<ref group="注">この回では短期間だが、鹿島がファストフード店でアルバイトする。</ref>
|-
|第27話||'''1984年'''<br />2月3日||ラブレター代理戦争!||大橋志吉||colspan="2" align="center"|児玉兼嗣||神村幸子||<ref group="原作">第3巻第9話「ラブレター」、第10話「夏の行方」。</ref><ref group="注">原作では夏休み前だが、アニメでは1月頃に変更されている。</ref>
|-
|第28話||2月10日||ロンリー・バースデー||土屋斗紀雄||西久保瑞穂||田代文夫||rowspan="2"|遊佐和重||<ref group="原作">第2巻第18話「ロンリー・バースデー」。</ref>
|-
|第29話||2月17日||迷い狼と金色ウサギ!?||rowspan="2"|彦坂健二||colspan="2" align="center"|坂田純一||<ref group="原作">第3巻第11話「それぞれの夏」、第12話「迷い狼」。</ref><ref group="注">原作では真人が高校3年生の夏休みに避暑に訪れる設定が、アニメでは冬山でスキーなどを楽しむ設定に変わっている。</ref>
|-
|第30話||2月24日||雪やコンコン ストレンジャー||rowspan="2"|真砂智康||rowspan="2"|鈴木幹雄||rowspan="2"|薄井義雄||<ref group="原作">第2巻第16話「元旦の珍客」、第17話「I Love MIYUKI」。</ref><ref group="注">原作では1月1日の話だが、アニメでは2月9日(みゆきの誕生日)より後の話に変更されている。</ref>
|-
|第31話||3月2日||ムフフ写真コンテスト||柳川茂||<ref group="原作">第3巻第8話「ムフフ写真展」。</ref>
|-
|第32話||3月9日||男の点数||彦坂健二||colspan="2" align="center"|田代文夫||谷口守泰||<ref group="原作">第3巻第5話「男の点数」。</ref>
|-
|第33話||3月16日||オジャマ虫・村木君!||土屋斗紀雄||rowspan="2"|真砂智康||rowspan="2"|鈴木幹雄||rowspan="2"|薄井義雄||(オリ)
|-
|第34話||3月23日||すれ違いサードママ||柳川茂||<ref group="原作">第3巻第13話「おふくろさん」。</ref>
|-
|第35話||3月30日||落としちゃった戸籍抄本||島田満||colspan="2" align="center"|坂田純一||アベ正己||<ref group="原作">第3巻第18話「紛失」、第19話「戸籍抄本」、第4巻第2話「時限爆弾」、第3話「切なる思い」から、それぞれみゆきの戸籍抄本と真人のクラスメイトの井上のエピソードを再構築したもの。</ref><ref group="注">真人のクラスメイトの井上は、原作にはない生物部所属という設定が追加されている。</ref>
|-
|第36話||4月13日||恋の酸素不足||土屋斗紀雄||colspan="2" rowspan="2" align="center"|ときたひろこ||rowspan="2"|谷口守泰||<ref group="原作">第3巻第14話「恋の酸素不足」。</ref>
|-
|第37話||4月20日||愛・哀…ブルーエアメール||柳川茂||<ref group="原作">第2巻第2話「親と兄妹」と、第3巻第4話「進路」の若松和人のエピソードを再構築したもの。</ref>
|}
=== 放送局 ===
特筆の無い場合は全て[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]フルネット局。
{{放送期間|media=テレビ
| season=第26話まで
| ネット状況 | 放送時間 | 放送局 | 対象地域 | 備考
| 同時ネット | 木曜 19:30 - 20:00 | [[フジテレビジョン|フジテレビ]] | [[広域放送|関東広域圏]] | '''制作局'''
| | | [[北海道文化放送]] | [[北海道]] |
| | | [[仙台放送]] | [[宮城県]] |
| | | [[秋田テレビ]] | [[秋田県]] | 放送当時フジテレビ系列・[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]の[[クロスネット局|クロスネット]]
| | | [[山形テレビ]] | [[山形県]] |
| | | [[富山テレビ放送|富山テレビ]] | [[富山県]] |
| | | [[石川テレビ放送|石川テレビ]] | [[石川県]] |
| | | [[福井テレビジョン放送|福井テレビ]] | [[福井県]] |
| | | [[長野放送]] | [[長野県]] |
| | | [[テレビ静岡]] | [[静岡県]] |
| | | [[東海テレビ放送|東海テレビ]] | 中京広域圏 |
| | | [[関西テレビ放送|関西テレビ]] | 近畿広域圏 |
| | | [[山陰中央テレビジョン放送|山陰中央テレビ]] | [[鳥取県]]・[[島根県]] |
| | | [[岡山放送]] | [[岡山県・香川県の放送|香川県・岡山県]] |
| | | [[テレビ新広島]] | [[広島県]] |
| | | 愛媛放送 | [[愛媛県]] | 現・[[テレビ愛媛]]
| | | [[テレビ西日本]] | [[福岡県]] |
| | | [[サガテレビ]] | [[佐賀県]] |
| | | [[テレビ長崎]] | [[長崎県]] | 放送当時フジテレビ系列・[[日本ニュースネットワーク|日本テレビ系列]]のクロスネット
| | | [[テレビ熊本]] | [[熊本県]] | 放送当時フジテレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット
| | | [[テレビ大分]] | [[大分県]] | 放送当時フジテレビ系列・[[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]・テレビ朝日系列のトリプルネット
| | | [[テレビ宮崎]] | [[宮崎県]] | フジテレビ系列・日本テレビ系列・テレビ朝日系列のトリプルネット
| | | [[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]] | [[鹿児島県]] | 放送当時フジテレビ系列・日本テレビ系列のクロスネット
| | | [[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]] | [[沖縄県]] |
| 遅れネット<br />↓<br />同時ネット | 金曜 17:30 - 18:00(第18話まで)<!-- 第19話・20話については未詳。 --><ref>『[[福島民報]]』1983年4月8日 - 9月16日付朝刊テレビ欄。</ref><br />木曜 19:00 - 19:30(第21話から) | [[福島テレビ]] | [[福島県]] | 1983年3月31日までは[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]とのクロスネット<ref group="注">なお、1983年9月までは実質TBS系列とのクロスネットの状態であったため、1983年9月まで遅れネットで対応していた。</ref>
| | 木曜 17:25 - 17:55(1983年9月まで)<br />木曜 19:00 - 19:30(1983年10月13日以降) | 新潟総合テレビ | [[新潟県]] | 現・[[NST新潟総合テレビ]]<br />1983年9月まではフジテレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット
| 遅れネット | 木曜 17:30 - 18:00 | [[青森テレビ]] | [[青森県]] | TBS系列
| | 火曜 17:00 - 17:30 | 岩手放送 | [[岩手県]] | TBS系列<br />現・[[IBC岩手放送]]
| | 土曜 17:30 - 18:00 | [[山梨放送]] | [[山梨県]] | 日本テレビ系列
| | 土曜 17:00 - 17:30 | [[テレビ山口]] | [[山口県]] | 放送当時はTBS系列・フジテレビ系列のクロスネット
| | 金曜 17:00 - 17:30 | [[テレビ高知]] | [[高知県]] | TBS系列
| ref={{Cite journal |和書 |journal=[[アニメージュ]] |issue=1983年10月号 |publisher=[[徳間書店]] |title=全国放映リスト |pages=98 - 99}}
}}
{{放送期間|media=テレビ
| season=第27話以降
| ネット状況 | 放送時間 | 放送局 | 対象地域 | 備考
| 同時ネット | 金曜 19:00 - 19:30 | フジテレビ | 関東広域圏 | '''制作局'''
| | | 新潟総合テレビ | 新潟県 | 現・NST新潟総合テレビ
| | | サガテレビ | 佐賀県 |
| 先行ネット |月曜 19:00 - 19:30 (第27話 - 第35話)<br /> → 月曜 17:00 - 18:00 (第36、37話) |東海テレビ | 中京広域圏 |
| 遅れネット | 木曜 17:30 - 18:00 | 青森テレビ | 青森県 | TBS系列
| | 火曜 17:00 - 17:30 | 岩手放送 | 岩手県 | TBS系列<br />現・IBC岩手放送
| | 金曜 17:00 - 17:30 | 秋田テレビ | 秋田県 | 放送当時フジテレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット
| | 金曜 19:00 - 19:30 | 仙台放送 | 宮城県 |時差ネット。1984年2月24日 - 5月11日に放送<br /><ref>『福島民報』1984年2月24日 - 5月11日付朝刊テレビ欄。</ref>。
| | 土曜 16:00 - 16:30<ref>{{Cite journal |和書 |journal=[[アニメディア]] |issue=1984年5月号 |publisher=[[学習研究社]] |title=テレビ局ネットワーク |pages=96}}</ref> | 山形テレビ | 山形県 | 放送当時フジテレビ系列
| | 木曜 17:30 - 18:00<ref>『福島民報』1984年3月8日 - 6月7日付朝刊テレビ欄。</ref> | 福島テレビ | 福島県 |
| | 木曜 17:20 - 17:50 | 富山テレビ | 富山県 | 1984年5月10日まで放送<ref>『[[北國新聞]]』1984年5月10日付朝刊、テレビ欄。</ref>
| | 金曜 6:27 - 6:54 | 石川テレビ | 石川県 | 1984年3月30日で打ち切り<ref>『北國新聞』1984年3月30日付朝刊、テレビ欄。</ref>
| - 1984年4月20日<ref>{{Cite journal |和書 |journal=[[アニメディア]] |issue=1984年5月号 |publisher=[[学習研究社]] |title=テレビ局ネットワーク |pages=97}}</ref> | 金曜 19:30 - 20:00 | テレビ静岡 | 静岡県 |
| 遅れネット | 水曜 16:30 - 17:00| テレビ新広島 | 広島県 |
| | 土曜 17:00 - 17:30 | テレビ山口 | 山口県 | 放送当時はTBS系列・フジテレビ系列のクロスネット
| | 金曜 17:00 - 17:30 | テレビ高知 | 高知県 | TBS系列
| 1984年4月21日<ref name="p98">{{Cite journal |和書 |journal=[[アニメディア]] |issue=1984年5月号 |publisher=[[学習研究社]] |title=テレビ局ネットワーク |pages=97}}</ref> | 土曜 18:00 - 18:30 | テレビ西日本 | 福岡県 | フジテレビ系列
| 遅れネット | 木曜 17:30 - 18:00 | テレビ長崎 | 長崎県 | 放送当時フジテレビ系列・日本テレビ系列のクロスネット
| | 木曜 19:30 - 20:00 | テレビ熊本 | 熊本県 | 放送当時フジテレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット
| | 木曜 19:30 - 20:00<br />→火曜 17:25 - 17:55 | 鹿児島テレビ | 鹿児島県 | 放送当時フジテレビ系列・日本テレビ系列のクロスネット
| ref={{Cite journal |和書 |journal=[[アニメージュ]] |issue=1984年3月号 |publisher=[[徳間書店]] |title=全国放映リスト |pages=116 - 117}}
}}
=== 関連商品 ===
*みゆきメモリアル
:主題歌および挿入歌集で、1984年5月25日{{efn2|『MSXマガジン』1984年7月号では「5月25日に近所のレコード店に行って買ってください」と言及がある{{Sfn|MSXマガジン|1984g|p=132}}。また、『MSXマガジン』1984年9月号におけるテープ版の紹介記事では『レコードも同時発売だ』と記されている{{Sfn|MSXマガジン|1984i}}。}}にテープとレコードの2形態で発売された。2枚組となっており、各巻の末尾にはMSX用プログラムであるCG集「みゆき・グラフィックス」とゲーム「DOORS」のプログラムがそれぞれ収録されている{{Sfn|MSXマガジン|location=SOFT INFORMATION|1984i|p=131}}。なお、プログラムのソースコードは雑誌『[[MSXマガジン]]』1984年9月号に付録として収録された{{Sfn|MSXマガジン|location=SOFT INFORMATION|1984i|p=131}}。
{{前後番組
|放送局=[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]]
|放送枠=木曜19:30 - 20:00枠
|番組名=みゆき<br />(第1話 - 第26話)<br />(1983年3月31日 - 12月22日)<br />【当番組のみ[[フジテレビ系列木曜夜7時台枠のアニメ|アニメ]]】
|前番組=[[とびだせものまね大作戦]]<br />(1981年10月 - 1983年2月)
|次番組=[[おもしろバラエティ|木曜おもしろバラエティ]]<br />(1984年1月 - 3月)<br />木曜日20:00枠から移動 →
|2放送局=フジテレビ
|2放送枠=金曜19:00 - 19:30枠
|2番組名=みゆき<br />(第27話 - 第37話)<br />(1984年2月3日 - 4月20日)<br />【当番組まで[[フジテレビ系列金曜夜7時台枠のアニメ|アニメ]]】
|2前番組=[[ストップ!! ひばりくん!#テレビアニメ|ストップ!! ひばりくん!]]<br />(1983年5月20日 - 1984年1月27日)
|2次番組=[[クルクルくりん#テレビドラマ|クルクルくりん]]<br />(1984年4月27日 - 9月21日)
}}
== 映画(実写)==
{{Infobox Film
| 作品名 = みゆき
| 原題 =
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像解説 =
| 監督 = [[井筒和幸]]
| 脚本 = 高星由美子
| 原案 =
| 原作 =
| 製作 = [[伊地智啓]]
| 製作総指揮 = [[多賀英典]]
| ナレーター =
| 出演者 = [[永瀬正敏]]<br />[[宇沙美ゆかり]]<br />[[三田寛子]]<br />[[嶋大輔]]
| 音楽 = [[奥慶一]]<br />[[萩田光雄]]
| 主題歌 = 永瀬正敏「南風ドリーミング」
| 撮影 = 伊藤昭裕
| 編集 = [[冨田功]]
| 製作会社 =
| 配給 = [[東宝]]
| 公開 = {{flagicon|JPN}} [[1983年]][[9月16日]]
| 上映時間 = 97分
| 製作国 = {{JPN}}
| 言語 = [[日本語]]
| 製作費 =
| 興行収入 =
| 前作 =
| 次作 =
}}
主演の永瀬正敏はキティフィルムの『ションベン・ライダー』でデビュー。脚本の高星由美子はこの後に『[[タッチ (漫画)|タッチ]]』のシリーズ構成を手がけた。
同時上映はあだち充の漫画『[[ナイン (漫画)|ナイン]]』のアニメ版。後にあだち充原作のテレビアニメ版『タッチ』を手がけるスタッフが制作し、既にフジテレビの[[日生ファミリースペシャル]]で放映されたテレビスペシャルである。
監督である井筒和幸は、受諾してから初めて原作漫画に目を通したが「内容のなさにあきれた」という印象を抱く。仕事にとりかかったものの、まもなく鬱病を発症して精神科医に「仕事のストレスでの離人症のため、最低2カ月の療養が必要」と診断されるが、3日延期したのみで以後は抗鬱剤を服用しながら撮影をしたと語っている<REF>[[中島らも]]+[[鮫肌文殊]]『ひそひそくすくす大爆笑』(メディアファクトリー)に収録の井筒との対談より。</REF>。
=== 映画版と原作の相違点 ===
映画は、真人が高校2年生の夏休みから始まり、2学期が始まるところで終わっており、その中に原作漫画のエピソード(冒頭 - 翌年の母の日、コミックの1巻 - 3巻に相当する部分)が散りばめられている。また、謎の女子大生や家庭教師など、原作にはない登場人物の設定がある。
真人が高校2年生の夏休みに(父親所有と思われる)海沿いの別荘に、鹿島みゆき、竜一、矢内清美、三原佐知子、村木の6名が集まっているところから始まる(原作では、海沿いの民宿でのアルバイト)。真人と若松みゆきの再会シーンも異なり、逆ナンパはない。また、再会時の年齢も原作よりそれぞれ1歳上である。そのほか、エピソードの設定に相違点が多々ある。
=== キャスト(映画) ===
* 若松真人 - [[永瀬正敏]]
* 若松みゆき - [[宇沙美ゆかり]]
* 鹿島みゆき - [[三田寛子]]
* 間崎竜一 - [[嶋大輔]]
* 矢内清美 - [[横田ひとみ]]
* 三原佐知子 - 桂田裕子
* 村木好夫 - 吉田充
* 謎の女子大生 - [[石原真理子]]
* 家庭教師・杉原 - [[北詰友樹]]
* 鹿島みゆきの母 - [[長内美那子]]
* 重さん - [[佐々木すみ江]]
* 鹿島安次郎 - [[三遊亭圓楽 (5代目)|三遊亭圓楽]]
* 竜一の母 - [[木の実ナナ]]
=== スタッフ(映画) ===
* 脚本 - 高星由美子
* 音楽 - [[奥慶一]]、[[萩田光雄]]
* 音楽監督 - [[早川裕]]
* 製作 - 多賀英典
* プロデューサー - [[伊地智啓]]
* 企画協力 - 宇佐美廉
* 監督 - [[井筒和幸]]
* 撮影 - 伊藤昭裕
* 照明 - 木村誠作
* 録音 - 小野寺修
* 美術 - 徳田博
* 編集 - [[冨田功]]
* 助監督 - 矢野広成
* 製作担当者 - 青木勝彦
=== 主題歌(映画) ===
; 「南風ドリーミング」
: 歌 - 永瀬正敏
=== 挿入歌 ===
; 「只今失恋真最中」
: 歌 - 嶋大輔
; 「野菊いちりん」
: 歌 - 三田寛子
; 「Miss you baby」
: 歌 - [[上田正樹]]
{{井筒和幸監督作品}}
== テレビドラマ ==
{{基礎情報 テレビ番組
|番組名=みゆき<br />(ドラマ版)
|ジャンル=[[テレビドラマ]]
|放送期間=[[1986年]][[8月4日]]
|放送時間=月曜19:30 - 20:54
|放送分=84
|放送回数=1
|放送枠=月曜ドラマランド
|放送国={{JPN}}
|制作局=[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、[[共同テレビジョン|共同テレビ]]
|原作=[[あだち充]]
|企画=[[久保田榮一]]、大黒章弘
|脚本=奥津啓治
|演出=[[若松節朗]]
|プロデューサー=石川泰平、若松節朗、谷慎輔
|出演者=[[野々村真]]、[[河合その子]]
}}
[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]]の『[[月曜ドラマランド]]』(毎週月曜日19:30 - 20:54、[[日本標準時|JST]])で[[1986年]][[8月4日]]に放送された。主演は[[野々村真]]。
原作にない点として、二人のみゆきを[[河合その子]]が一人二役こなしている。
=== キャスト(ドラマ) ===
* 若松真人 - [[野々村真]]
* 若松みゆき / 鹿島みゆき - [[河合その子]]
* 間崎竜一 - [[山田辰夫]]
* 水島 - [[柄沢次郎]]
* 祐子 - [[遠藤由美子]]
* 佐和子 - [[市川かおり]]
* 清美 - 菊地直子
* 柿本 - [[小宮健吾]]
* 山本講師 - [[ベンガル (俳優)|ベンガル]]
* 白バイ警官 - [[新井康弘]]
* 高木 - [[大地康雄]]
* 占い師 - [[山崎イサオ]]
* 案内嬢 - 橋本薫子
* 木村友子 - [[塩沢とき]]
* 瀬川医師 - [[荒井注]]
=== スタッフ(ドラマ) ===
* 脚本 - 奥津啓治
* 演出 - [[若松節朗]]
* プロデューサー補 - [[塩沢浩二]]
* 演出補 - [[河野圭太]]
* 企画 - [[久保田榮一]]、大黒章弘
* プロデューサー - 石川泰平、若松節朗、谷慎輔
* 制作協力 - [[渡辺プロダクション]]
* 制作 - フジテレビ、[[共同テレビジョン|共同テレビ]]
{{前後番組|
放送局=[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[フジネットワーク|系列]]|
放送枠=[[月曜ドラマランド]]|
番組名=みゆき(ドラマ版)<br />(1986年8月4日)|
前番組=[[初恋スキャンダル]]<br />(1986年7月21日)|
次番組=[[包丁人味平]]<br />(1986年8月11日)|
}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
;原作
{{reflist|group="原作"|2}}
;登場
{{reflist|group="登場"|2}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書 |title=MSXマガジン |date=1985-7-01|publisher=アスキー |issue=1984年7月号|ref={{SfnRef|MSXマガジン|1984g}}}}
*{{Cite book|和書 |title=MSXマガジン |date=1985-8-01|publisher=アスキー |issue=1984年8月号|ref={{SfnRef|MSXマガジン|1984h}}}}
*{{Cite book|和書 |title=MSXマガジン |date=1985-9-01|publisher=アスキー |issue=1984年9月号|ref={{SfnRef|MSXマガジン|1984i}}}}
== 外部リンク ==
* {{Allcinema title|87596|みゆき}}
* {{Kinejun title|17356|みゆき}}
* {{Movie Walker|mv17177|みゆき}}
* {{映画.com title|39632|みゆき}}
* {{IMDb title|0216918|みゆき}}
{{あだち充}}
{{小学館漫画賞少年少女部門}}
{{西久保瑞穂監督作品}}
[[Category:あだち充の漫画作品]]
[[Category:漫画作品 み|ゆき]]
[[Category:1980年の漫画]]
[[Category:少年ビッグコミック]]
[[Category:高等学校を舞台とした漫画作品]]
[[Category:義兄弟姉妹の恋愛を扱った漫画作品]]
[[Category:小学館漫画賞少年少女部門の受賞作品]]
[[Category:アニメ作品 み|ゆき]]
[[Category:1983年のテレビアニメ]]
[[Category:フジテレビ系アニメ]]
[[Category:キティフィルムのアニメ作品]]
[[Category:ビッグコミックスのアニメ作品]]
[[Category:恋愛アニメ]]
[[Category:高等学校を舞台としたアニメ作品]]
[[Category:東京を舞台としたアニメ作品]]
[[Category:義兄弟姉妹の恋愛を扱ったアニメ作品]]
[[Category:1983年の映画]]
[[Category:日本の恋愛映画]]
[[Category:日本のコメディ映画]]
[[Category:井筒和幸の監督映画]]
[[Category:漫画を原作とする映画作品]]
[[Category:義兄弟姉妹の恋愛を扱った映画作品]]
[[Category:月曜ドラマランド]]
[[Category:共同テレビのテレビドラマ]]
[[Category:漫画を原作とするテレビドラマ]]
[[Category:日本の恋愛ドラマ]]
[[Category:義兄弟姉妹の恋愛を扱ったテレビドラマ]] | 2003-02-13T10:22:46Z | 2023-12-26T22:34:04Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D_(%E6%BC%AB%E7%94%BB) |
1,272 | くらもちふさこ | くらもち ふさこ(1955年〈昭和30年〉5月14日 - 、本名:倉持房子)は、日本の漫画家。東京都渋谷区出身。武蔵野美術大学中退。1972年、『別冊マーガレット』(集英社)に掲載された『メガネちゃんのひとりごと』でデビュー。代表作に『いつもポケットにショパン』、『天然コケッコー』、『花に染む』などがある。愛称はふーちゃん。
主に1980年代を中心に少女まんがの日常心理の表現技法に影響を残し、三原順「はみだしっ子」にくらもちふさこがモデルであるフーちゃんが登場する。鈴木光明が運営していた三日月塾メンバーのひとりであり、同じく同塾メンバーであった笹尾なおこ(現・笹生那実。入塾およびデビューはくらもちの方が先)と共に美内すずえのアシスタント をしていたことがある。
くらもちのデビュー前までの少女漫画といえば、舞台が外国とか夢物語のような恋愛、あるいは栄光を目指す根性ものやその他、どこかで一般少女の日常のバランスを離れていくイメージが多かった。しかし、1970年代『りぼん』で陸奥A子などの乙女チックまんがといわれるふつうの女の子の身近な叙情感覚を重視する分野が大きな人気を持った。これと並行して作家として成長したくらもちふさこの作品は、ごく初期の主人公が気弱ながら心をつなげていったり、身近の心理をテーマに展開し、以後もそんな心理描写を中心とした作風を進めている。ストーリーはゆっくりした歩みの中で心理的に読みが深まっていく傾向がある。
初期を中心にミュージシャンなどの芸能ものもあるが、それもほとんど、社会的成功・根性ものとしてでなく、ファン視点など気持ちの交流の話として描かれている。1970年代後期から1980年代中期ごろまでの彼女の作品は、コマ割りの呼吸のような表現と描線による内面描写が大きく発達した時期で、少女漫画の少女まんがらしい表現技法にとって大きな貢献といえる。これは、『りぼん』での乙女チックと言われたものよりドラマチックな面を含む。以後も作風は微妙に発展し続ける。作品を掲載していた集英社『別冊マーガレット』では、1970年代後半にデビューした多田かおる・いくえみ綾などにとどまらず、1990年代には紡木たくと双璧をなす影響を後進に与えている。
1990年代に入ってからは、より挑戦的な作品を発表するようになり、1990年半ばからは活躍の場を『別冊マーガレット』から『コーラス』に移している。そんな中で生まれたのが代表作『天然コケッコー』である。エピソードを積み重ねる演出、直接には表現せず絵から想像させる技法など、一種凝った心理描写を得意とする。1996年には『天然コケッコー』で第20回講談社漫画賞を受賞する。
2012年、『コーラス』から改題した『Cocohana』で活動。
2017年、『花に染む』で第21回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。同年、デビュー45周年を記念したムック本が刊行される。2018年、いくえみ綾との二人による原画展が開催される。また、公式アンソロジーである『くらもち本』が刊行される。NHKの連続テレビ小説『半分、青い。』で作品が登場し話題となる。2019年、初の自伝的エッセイを出版した。
2022年にデビュー50周年を迎える記念として、弥生美術館にて原画展「デビュー50周年記念くらもちふさこ展 ―デビュー作から『いつもポケットにショパン』『天然コケッコー』『花に染む』まで―」を開催。また、同記念企画として初の全集となる『くらもちふさこ全集』が同年7月から電子限定で配信開始。 | [
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] | くらもち ふさこは、日本の漫画家。東京都渋谷区出身。武蔵野美術大学中退。1972年、『別冊マーガレット』(集英社)に掲載された『メガネちゃんのひとりごと』でデビュー。代表作に『いつもポケットにショパン』、『天然コケッコー』、『花に染む』などがある。愛称はふーちゃん。 | {{存命人物の出典明記|date=2013年3月}}
{{Infobox 漫画家
| 名前 = くらもち ふさこ
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 脚注 =
| 本名 =
| 生年 = {{生年月日と年齢|1955|5|14}}
| 生地 =
| 没年 =
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| 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 -->
| 職業 = [[漫画家]]
| 称号 =
| 活動期間 = [[1972年]] -
| ジャンル = [[少女漫画]]
| 代表作 = 『[[いつもポケットにショパン]]』{{R|natalie20220128}}<br />『[[天然コケッコー]]』{{R|natalie20220128}}<br />『[[花に染む]]』{{R|natalie20220128}}
| 受賞 =
* 第20回[[講談社漫画賞]](『天然コケッコー』)
* 第21回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞(『花に染む』)
| サイン =
| 公式サイト =
}}
'''くらもち ふさこ'''([[1955年]]〈[[昭和]]30年〉[[5月14日]]{{Sfn|「家」の履歴書|2022|p=146}} - 、本名:倉持房子{{Sfn|「家」の履歴書|2022|p=146}})は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[東京都]][[渋谷区]]出身{{Sfn|「家」の履歴書|2022|p=146}}。[[武蔵野美術大学]]中退{{Sfn|「家」の履歴書|2022|p=153-154}}。[[1972年]]、『[[別冊マーガレット]]』([[集英社]])に掲載された『メガネちゃんのひとりごと』でデビュー<ref name="natalie1667">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/artist/1667|title=くらもちふさこ|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|accessdate=2022-01-28}}</ref>。代表作に『[[いつもポケットにショパン]]』、『[[天然コケッコー]]』、『[[花に染む]]』などがある<ref name="natalie20220128">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/463464|title=くらもちふさこ原画展が明日から、本人からの直筆メッセージ到着|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-01-28|accessdate=2022-01-28}}</ref>。{{要出典範囲|date=2021-12-27|愛称はふーちゃん}}。
== 作家活動 ==
主に1980年代を中心に少女まんがの日常心理の表現技法に影響を残し、[[三原順]]「[[はみだしっ子]]」にくらもちふさこがモデルであるフーちゃんが登場する。[[鈴木光明]]が運営していた三日月塾メンバーのひとりであり、同じく同塾メンバーであった笹尾なおこ(現・[[笹生那実]]。入塾およびデビューはくらもちの方が先)と共に[[美内すずえ]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]] をしていたことがある。
くらもちのデビュー前までの少女漫画といえば、舞台が外国とか夢物語のような恋愛、あるいは栄光を目指す根性ものやその他、どこかで一般少女の日常のバランスを離れていくイメージが多かった。しかし、1970年代『りぼん』で陸奥A子などの乙女チックまんがといわれるふつうの女の子の身近な叙情感覚を重視する分野が大きな人気を持った。これと並行して作家として成長したくらもちふさこの作品は、ごく初期の主人公が気弱ながら心をつなげていったり、身近の心理をテーマに展開し、以後もそんな心理描写を中心とした作風を進めている。ストーリーはゆっくりした歩みの中で心理的に読みが深まっていく傾向がある。
初期を中心にミュージシャンなどの芸能ものもあるが、それもほとんど、社会的成功・根性ものとしてでなく、ファン視点など気持ちの交流の話として描かれている。1970年代後期から1980年代中期ごろまでの彼女の作品は、コマ割りの呼吸のような表現と描線による内面描写が大きく発達した時期で、少女漫画の少女まんがらしい表現技法にとって大きな貢献といえる。これは、『りぼん』での乙女チックと言われたものよりドラマチックな面を含む。以後も作風は微妙に発展し続ける。作品を掲載していた[[集英社]]『[[別冊マーガレット]]』では、1970年代後半にデビューした[[多田かおる]]・[[いくえみ綾]]などにとどまらず、1990年代には[[紡木たく]]と双璧をなす影響を後進に与えている。
1990年代に入ってからは、より挑戦的な作品を発表するようになり、1990年半ばからは活躍の場を『別冊マーガレット』から『コーラス』に移している。そんな中で生まれたのが代表作『[[天然コケッコー]]』である。エピソードを積み重ねる演出、直接には表現せず絵から想像させる技法など、一種凝った心理描写を得意とする。[[1996年]]には『天然コケッコー』で第20回[[講談社漫画賞]]を受賞する<ref>[https://book.asahi.com/article/11744223 「半分、青い。」で再注目、くらもちふさこの漫画に酔いしれる|好書好日]. 2021年10月6日閲覧</ref>。
2012年、『コーラス』から改題した『[[Cocohana]]』で活動。
[[2017年]]、『[[花に染む]]』で第21回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞を受賞<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASK4P3J6QK4PULPI003.html 「花に染む」全てはこのシーンに くらもちふさこさん:朝日新聞デジタル]. 2021年10月6日閲覧</ref>。同年、デビュー45周年を記念したムック本が刊行される<ref>[https://natalie.mu/comic/news/228850 くらもちふさこ特集のムックに萩尾望都、槇村さとる、いくえみ綾らが寄稿 - コミックナタリー]. 2021年10月6日閲覧</ref>。2018年、[[いくえみ綾]]との二人による原画展が開催される<ref>[https://ddnavi.com/news/433056/a/ キャリア初となる原画展のコンセプトは“手紙”-くらもちふさこ・いくえみ綾 二人展「“あたしの好きな人”へ」 | ダ・ヴィンチニュース]. 2021年10月6日閲覧</ref>。また、公式アンソロジーである『くらもち本』が刊行される<ref>[https://natalie.mu/comic/news/265383 くらもちふさこ公式アンソロに久保帯人、雲田はるこら参加、紡木たくとの対談も - コミックナタリー]. 2021年10月6日閲覧</ref>。NHKの連続テレビ小説『[[半分、青い。]]』で作品が登場し話題となる<ref>[https://book.asahi.com/article/12219915 エッセー「くらもち花伝」刊行、くらもちふさこさんインタビュー 知られざるエピソードも|好書好日]. 2021年10月6日閲覧</ref>。2019年、初の自伝的エッセイを出版した<ref>[https://www.shueisha-int.co.jp/kuramochikaden/ くらもちふさこ初の自伝的エッセイ『くらもち花伝』特設サイト|集英社インターナショナル]. 2021年10月6日閲覧</ref>。
2022年にデビュー50周年を迎える記念として、[[弥生美術館]]にて原画展「デビュー50周年記念くらもちふさこ展 ―デビュー作から『いつもポケットにショパン』『天然コケッコー』『花に染む』まで―」を開催<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/453079|title=デビュー50周年、くらもちふさこの画業をたどる展覧会が弥生美術館で|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-11-11|accessdate=2021-11-11}}</ref>。また、同記念企画として初の全集となる『くらもちふさこ全集』が同年7月から電子限定で配信開始<ref name="oricon2207001">{{Cite news |和書 |title=レジェンド漫画家・初の全集刊行 画業50周年記念企画『くらもちふさこ全集』配信開始 |newspaper=ORICON NEWS |date=2022-07-01 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2240734/full/ |access-date=2023-01-30}}</ref>。
== 年譜 ==
* [[1955年]][[5月14日]]、[[東京都]][[渋谷区]]鉢山町に生まれる{{Sfn|「家」の履歴書|2022|p=146-147}}。
* [[1962年]] - [[渋谷区立猿楽小学校]]に入学{{Sfn|「家」の履歴書|2022|p=147}}。『[[いつもポケットにショパン]]』の主人公が同小学校に通っている。
* [[1962年]]7月、[[豊島区立駒込小学校]]に転校{{Sfn|「家」の履歴書|2022|p=147}}。このとき引っ越した駒込の社宅は、『[[いろはにこんぺいと]]』のモデルである。
* [[1968年]] - 豊島区立駒込中学校に入学{{Sfn|「家」の履歴書|2022|p=147}}。
* [[1971年]] - [[豊島岡女子学園高等学校]]に入学{{Sfn|「家」の履歴書|2022|p=152}}。
:「春のおとずれ」で第49回[[別マまんがスクール]]佳作を受賞。
:「新聞部異状あり」で第51回別マまんがスクール佳作を受賞。[[三原順]]、妹の倉持知子も同じく佳作を受賞している。
* [[1972年]] - 『メガネちゃんのひとりごと』が別マまんがスクール金賞を受賞、『[[別冊マーガレット]]』に掲載されデビュー<ref>[https://books.rakuten.co.jp/event/book/interview/kuramochi_f/ 著者インタビュー くらもちふさこさん『天然コケッコー』] 楽天ブックス</ref>。
* [[1974年]] - [[武蔵野美術大学]]造形学部に入学し、日本画を専攻{{Sfn|「家」の履歴書|2022|p=153}}。漫画研究会に所属。[[1979年]]に中退{{Sfn|「家」の履歴書|2022|p=154}}。
* [[1996年]] - 『[[天然コケッコー]]』で第20回[[講談社漫画賞]]を受賞{{R|natalie1667}}。
* [[2017年]] - 『花に染む』で第21回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞を受賞{{R|natalie1667}}。
* [[2022年]] - デビュー50周年。『くらもちふさこ全集』が電子限定で配信開始{{R|oricon2207001}}。
== 家族・親族 ==
=== 倉持家 ===
*父・'''[[倉持長次|長次]]'''<ref>{{Cite web|和書|date=2005-08-11 |url=http://www.47news.jp/CN/200508/CN2005081101005014.html |title=倉持長次氏死去 元日本製紙会長 |publisher=47NEWS |accessdate= 2021-10-07 |archiveurl= https://archive.fo/eox4F |archivedate= 2013-05-01 }}</ref>(実業家、元[[日本製紙]]会長)
:[[大正]]13年([[1924年]])12月生 - [[平成]]17年([[2005年]])8月没
*母([[島根県]][[浜田市]][[三隅町 (島根県)|三隅町]]出身<ref name="shimane">{{Cite web|和書|url= https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/seisaku/koho/esque/2008/No68/03.html |title= 島根は名作の舞台-「天然コケッコー」「うん、何?」の舞台を訪ねて |work= シマネスク / 2008年 / No68 |publisher= 島根県 |accessdate= 2021-10-07 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20150916013550/https://www.pref.shimane.lg.jp/admin/seisaku/koho/esque/2008/No68/03.html |archivedate= 2015-09-16 }}</ref>)
*妹・知子('''[[倉持知子]]'''{{R|natalie1667}})
== 作品リスト ==
=== 漫画 ===
* 1972年
** メガネちゃんのひとりごと(『[[別冊マーガレット]]』10月号)
* 1973年
** 忘れんぼう(『[[デラックスマーガレット]]』冬の号)
** しあわせを呼ぶ金指輪(『別冊マーガレット』5月号、単行本収録時「金指輪」に改題)
** ほんの少し好きになること(『デラックスマーガレット』秋の号)
* 1974年
** クローバーの国の王子様(『別冊マーガレット』7月号、デビュー作「メガネちゃんのひとりごと」番外編)
** ジュンのほほえみ(『別冊マーガレット』11月号)
* 1975年
** 愛が集まる場所(『別冊マーガレット』3月号)
** 白いアイドル(『別冊マーガレット』7月号)
*** 青いリサイタル(続編、『別冊マーガレット』11月号)
** うるわしのメガネちゃん(『別冊マーガレット』9月号)
* 1976年
** 雪のなみだ(『別冊マーガレット』1月号)
** わずか5センチのロック(蘭丸団シリーズ)
*** わずか5センチのロック(『別冊マーガレット』2月号)
*** わずか1/4の冗談(続編、『別冊マーガレット』1977年1月号)
*** わずか1小節のラララ(続編、『別冊マーガレット』1978年4・5月号)
*** わずか45回転のイブ(続編、『別冊マーガレット』1979年12月号)
** 小さな炎(『別冊マーガレット』4月号)
** いちごの五月館(『別冊マーガレット』5月号)
** SCENE105-破られた台本-(『別冊マーガレット』7月号)
** 赤いガラス窓(『別冊マーガレット』8・9月号)
** 青いチューリップ(『別冊マーガレット』9月号)
** スターライト(『別冊マーガレット』11月号、「糸のきらめき」の後日談)
** シリアスの鏡(『別冊マーガレット』12月号)
* 1977年
** 冬・春・あなた(『別冊マーガレット』2月号)
** 学生会議の森(『別冊マーガレット』4月号)
** 出雲のミコトストーリー(『別冊マーガレット』5月号)
** マジパンデート(『別冊マーガレット』8月号)
** 糸のきらめき(『別冊マーガレット』9・10月号)
** サッカー一座と野球をする日(『別冊マーガレット』11月号)
** メリー・ロバスマス(『別冊マーガレット』12月号)
* 1978年
** 冬の微笑(『別冊マーガレット』1月号)
** 一枚の年輪(『別冊マーガレット』7月号)
** [[おしゃべり階段]]
**# 中学2年生「きゃっ まぶしい!!」(『別冊マーガレット』9月号)
**# 中学3年生「線のくせ」(『別冊マーガレット』10月号)
**# 高校1年生「だれかに似た人」(『別冊マーガレット』11月号)
**# 高校2年生「制服はやめてくれ」(『別冊マーガレット』12月号)
**# 高校3年生「とうふ にんにく とんがら し」(『別冊マーガレット』1979年1月号)
**# 高校3年生「ほおは健康的に」(『別冊マーガレット』1979年2月号)
**# 予備校生「あたし」(『別冊マーガレット』1979年3月号)
**# まゆをつけたピカデリー(『別冊マーガレット』1979年4月号)
* 1979年
** 転校120日目(『別冊マーガレット』7月号)
** 100Mのスナップ(『別冊マーガレット』9・10月号)
** おもちゃのチャチャチャ(『別冊マーガレット』11月号)
* 1980年
** [[いつもポケットにショパン]](『別冊マーガレット』2月号 - 1981年7月号)
* 1981年
** 銀の糸金の針(『別冊マーガレット』9・10月号)
** ハリウッド・ゲーム(『別冊マーガレット』12月号 - 82年5月号)
* 1982年
** 7月ぼくはやさしい(『別冊マーガレット』8月号)
** いろはにこんぺいと(『別冊マーガレット』9月号 - 1983年4月号)
** 迷い娘と7人の小人(『別冊マーガレット』11月号)
* 1983年
** こんぺいと・は・あまい(『別冊マーガレット』6月号)
** 東京のカサノバ(『別冊マーガレット』8月号 - 1984年5月号)
*** 東京のシュラバ(1985年『くらもちふさこの本』)
* 1984年
** A-Girl(『別冊マーガレット』7月号 - 12月号)
* 1985年
** セルロイドのドア(『別冊マーガレット』2月号)
** アンコールが3回(『別冊マーガレット』4月号 - 86年3月号)
* 1986年
** Kiss+πr<sup>2</sup>
*** 「たいへんおまたせしました」(『別冊マーガレット』5月号)
*** Kiss+πr<sup>2</sup>(『別冊マーガレット』7月号 - 1987年1月号)
* 1987年
** タイムテーブル
**# タイムテーブル(『別冊マーガレット』4月号)
**# タイムテーブルII(『別冊マーガレット』1988年4月号)
**# タイムテーブルIII(『別冊マーガレット』1988年9月号)
** 千花ちゃんちはふつう(『別冊マーガレット』6月号 - 1988年1月号)
* 1988年
** アリババ ネコババ(『別冊マーガレット』5・7月号)
** 海の天辺(『別冊マーガレット』12月号 - 1990年3月号)
* 1990年
** チープスリル(『別冊マーガレット』8 - 10月号・1991年1・3・5・7・9月号・1992年1 - 4月号)
* 1992年
** 百年の恋も覚めてしまう(ザ マーガレット特別編集2月増刊『[[Cocohana|コーラス]]』)
** おばけたんご(『別冊マーガレット』10月号 - 1993年1月号
*** あこちゃんの日記(番外編、単行本『おばけたんご』に書き下ろし)
* 1993年
** プライベート・パズル(『くらもちふさこ選集 第4巻 糸のきらめき』に書き下ろし)
** NO, NO, YES(ザ マーガレット特別編集4月増刊『コーラス』No.2)
** 性格の良い大沢くん(ザ マーガレット特別編集10月増刊『コーラス』No.3、「天然コケッコー」の前編)
* 1994年
** [[天然コケッコー]]
<!-- *** scene1 そよ風の誘惑(『コーラス』7月号)
*** scene2 大沢くんへ 花子より(『コーラス』8月号)
*** scene3 あっちゃんの夢(『コーラス』9月号)
*** scene4 不思議な伊吹ちゃん(『コーラス』10月号)
*** scene5 サンドイッチ浩太朗(『コーラス』11月号)
*** scene6 カッちゃんのたらればママ(『コーラス』12月号)
*** scene7 意識(『コーラス』1995年1月号)
*** scene8 意識2(『コーラス』1995年2月号)
*** scene9 レジスタンス(『コーラス』1995年4月号)
*** scene10 聖バレンタイン(『コーラス』1995年5月号)
*** scene11 見えないライバル(『コーラス』1995年6月号)
*** scene12 旅行報告その1(『コーラス』1995年7月号)
*** scene13 旅行報告その2(『コーラス』1995年8月号)
*** scene14 オン・サンデー(『コーラス』1995年9月号)
*** scene15 女の子はえっち(『コーラス』1995年10月号)
*** scene16 台風の日(『コーラス』1995年11月号)
*** scene17 招かれざる客(『コーラス』1995年12月号)
*** scene18 ジャングル探検記(『コーラス』1996年1月号)
*** scene19 幸せという不幸(『コーラス』1996年2月号)
*** scene20 ひよこのマーチ(『コーラス』1996年3月号)
*** scene21 高いハードル(『コーラス』1996年4・5月号)
*** scene22 三者面談(『コーラス』1996年5・6月号)
*** scene23 運命の日(『コーラス』1996年7月号)
*** scene24 KISS(『コーラス』1996年8月号)
*** scene25 あっちゃんの夢2(『コーラス』1996年9月号)
*** scene26 家族旅行(『コーラス』1996年10月号)
*** scene27 中学生 高校生(『コーラス』1997年1月号)
*** scene28 よ そ も ん(『コーラス』1997年2月号)
*** scene29 遊ぼう(『コーラス』1997年3月号)
*** scene30 村にテレビがやってきた(『コーラス』1997年4月号)
*** scene31 通学(『コーラス』1997年6月号)
*** scene32 間が悪い(『コーラス』1997年7月号)
*** scene33 W DATE(『コーラス』1997年8月号)
*** scene34 「熱」(『コーラス』1997年9月号)
*** scene35 村の結婚式(『コーラス』1997年10月号)
*** scene36 タイプ(『コーラス』1997年11月号)
*** scene37 ときめき(『コーラス』1997年12月号)
*** scene38 オン・サタデー(『コーラス』1998年1月号)
*** scene39 『ケンカ』(『コーラス』1998年2月号)
*** scene40 「?」(『コーラス』1998年4月号)
*** scene41 [真友](『コーラス』1998年5月号)
*** scene42 稲刈り(『コーラス』1998年6月号)
*** scene43 神楽の夜(『コーラス』1998年7月号)
*** scene44 お泊まり(『コーラス』1998年8月号)
*** scene45 『浮気』(『コーラス』1998年9月号)
*** scene46 『隠れ家』(『コーラス』1998年10月号)
*** scene47 告白(『コーラス』1998年11月号)
*** scene48 大沢のキモチ(『コーラス』1998年12月号)
*** scene49 右田のキモチ(『コーラス』1999年1月号)
*** scene50 恋愛(『コーラス』1999年2月号)
*** scene51 あかご(『コーラス』1999年4月号)
*** scene52 お買い物(『コーラス』1999年5月号)
*** scene53 春の声(『コーラス』1999年6月号)
*** scene54 暗雲(『コーラス』1999年7月号)
*** scene55 シミュレーション(『コーラス』1999年8月号)
*** scene56 噂(『コーラス』1999年9月号)
*** scene57 推理する(『コーラス』1999年10月号)
*** scene58 宇佐美君(『コーラス』1999年11月号)
*** scene59 わしら(『コーラス』1999年12月号)
*** scene60 遠足(『コーラス』2000年1月号)
*** scene61 「雨上がり」(『コーラス』2000年2・3月号)
*** scene62 気になる(『コーラス』2000年3・4月号)
*** scene63 シゲちゃんのお見合い(『コーラス』2000年4・5月号)
*** scene64 初めての…(『コーラス』2000年6月号)
*** scene65 お別れ(『コーラス』2000年7月号)
*** scene66 巡る(『コーラス』2000年8月号)
*** scene67 人間不信(『コーラス』2000年9月号)
*** scene68 「おおきに」(『コーラス』2003年12月号)
*** scene69 にゃんこ見聞録(『コーラス』2000年10月号、発表時は「scene68」)
*** Last scene そよ風(『コーラス』2000年11月号)
*** そよ風のあいつ(単行本『天然コケッコー 14巻』に書き下ろし) -->
* 1996年
** ダブルフェイス(『[[ぶ〜け]]』2月号)
** さっちゃん([[YOU (雑誌)|YOU]]6月増刊『ほっぺにチュ』1号)
** パラパラ(『コーラス』12月号)
* 2001年
** α
<!-- *** α #1(『コーラス』3月号)
*** α #2(『コーラス』5月号)
*** α #3(『コーラス』7月号)
*** α #4(『コーラス』9月号)
*** α #5(『コーラス』11月号)
*** α #6(『コーラス』2002年2・3月合併月号)
*** +α #1(『コーラス』2002年9月号)
*** +α #2(『コーラス』2002年10月号)
*** +α #3(『コーラス』2002年11月号)
*** +α #4(『コーラス』2002年12月号)
*** +α #5(『コーラス』2003年1月号)
*** +α #6(『コーラス』2003年2月号) -->
* 2002年
** Knock down すてきなネット・ジャンクション(『[[mangaOMO!]]』)
* 2003年
** コネクト2204(『コーラス』7月号)
* 2004年
** 月のパルス(『コーラス』2・4月号 - 2005年4月号)
* 2005年
** [[駅から5分]](『コーラス』8・12月号、2006年2月号)
* 2010年
** [[花に染む]](『コーラス』3月号 - 2011年10月号(第1部))
* 2012年
** asエリス(『[[Cocohana]]』2月号 - 10月号)
* 2021年
** 空を歩く(『Cocohana』2022年2月号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/459543|title=くらもちふさこの6年ぶり新作ストーリーがココハナに、脚本家の卵が電車で空想|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-12-27|accessdate=2021-12-27}}</ref>)
=== 挿画 ===
* [[小西康陽]]「きみになりたい。」(2004年 アルバムジャケット)
* [[北川悦吏子]]「[[オレンジデイズ]]」(2004年 表紙イラスト)
* [[柴崎友香]]「星よりひそかに」(2014年 表紙イラスト)
=== 作詞 ===
* '''銀色のクレッセント'''(1981年レコード・アニメ「糸のきらめき」に収録。[[作曲:西村栄治]])
* A-Girl(1985年 [[ちわきまゆみ]]「JEWELS」に収録、作曲は[[吉田仁]])
* LITTLE SUSIE(1986年 ちわきまゆみ「Angel-WeAre Beautiful」に収録、作曲は吉田仁)
=== 画集 ===
* 『THE くらもちふさこ デビュー50周年記念画集』集英社、2022年1月25日発売<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/463036|title=くらもちふさこのデビュー50周年記念画集、イラスト500点以上や聖千秋との対談収録|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-01-25|accessdate=2022-01-25}}</ref>、{{ISBN2|978-4-08-792082-6}}
== 作品提供 ==
=== レコード ===
* いつもポケットにショパン(1980年 [[日本フォノグラム]])
:脚本:[[仲倉重郎]]/プロデューサー:市川武/出演:[[小原乃梨子]]、[[富山敬]]、[[吉田理保子]]、[[清水マリ]]
* いつもポケットにショパン 愛のソナタ 完結編(1981年 日本フォノグラム)
:脚本:仲倉重郎/プロデューサー:市川武/出演:富山敬、吉田理保子、清水マリ、[[キートン山田|山田俊司]]、[[辻村真人]]
* 糸のきらめき(1981年 日本フォノグラム)
:脚本:仲倉重郎/音楽:[[西村栄二]]/声優:[[麻上洋子]]、[[石丸博也]]、清水マリ、山田俊司、歌:[[大橋美加]]
* いつもポケットにショパン 総集編(1982年 日本フォノグラム)
:脚本:仲倉重郎/プロデューサー:市川武/出演:小原乃梨子、富山敬、吉田理保子、清水マリ、山田俊二、辻村真人
* 冬・春・あなた くらもちふさこ小品集(1982年 日本フォノグラム)
:脚本:仲倉重郎/出演:麻上洋子、[[水島裕 (声優)|水島裕]]、[[秋山るな]]
* いろはにこんぺいと(1983年 日本フォノグラム)
:脚本:仲倉重郎/出演:[[島津冴子]]、水島裕、小原乃梨子、[[中尾隆聖]]、吉田理保子、[[島俊介]]、[[近藤多佳子]]、[[森哲雄]]
* わずか1小節のラララ(1983年 日本フォノグラム)
:脚本:仲倉重郎/音楽:西村栄二、ACTION!/出演:[[戸田恵子]]、[[井上和彦 (声優)|井上和彦]]、[[内田直哉]]、[[鵜飼るみ子]]、中尾隆盛、[[豊田信次]]、[[山形ユキオ]]、[[関俊彦]]、[[平賀あけみ]]/演奏:ACTION!、[[ZELDA (バンド)|ZELDA]]
* 東京のカサノバ(1984年 日本フォノグラム)
:脚本:仲倉重郎/音楽:西村栄二/出演:麻上洋子、水島裕、[[室井深雪]]、鵜飼るみ子、吉田理保子、小原乃梨子、井上和彦、芝田清子、植竹真子
=== CD ===
* A-Girl(1993年 [[ビクターエンタテインメント]])
:[[OVA]]のサウンドトラック盤
=== OVA ===
* A-Girl(1993年 [[ビクターエンタテインメント]])
:製作:[[安齋富夫]]/監督:[[高坂希太郎]]/音楽:[[岡田徹]]
=== 劇中漫画 ===
* [[連続テレビ小説]] [[半分、青い。]](2018年、[[日本放送協会|NHK]])<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/news/other/20180316.html |title= 劇中漫画原作者について |work= ニュース |website= NHK連続テレビ小説『半分、青い。』 |date= 2018-03-16 |accessdate= 2021-10-07 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20180416075651/https://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/news/other/20180316.html |archivedate= 2018-04-16 }}</ref>
: 劇中には『いつもポケットにショパン』など実在の作品名が登場するが、作者の役名は「秋風羽織」(演・[[豊川悦司]])となっている。
== 脚注 ==
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
* {{Citation|和書|editor=週刊文春|date=2022-02-20|title=少女漫画家「家」の履歴書|publisher=文藝春秋|series=文春新書|ref={{SfnRef|「家」の履歴書|2022}} }}
== 外部リンク ==
* {{Twitter|kuramochi_ten|くらもちふさこ50th情報局}}
* 雑誌「コーラス」[http://chorus.shueisha.co.jp/ Chorus Lovers]
* 雑誌「Cocohana」[http://cocohana.shueisha.co.jp/ Cocohana ココロに花を。]
{{Normdaten}}
{{Manga-artist-stub}}
{{DEFAULTSORT:くらもち ふさこ}}
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1,274 | 倉多江美 | 倉多 江美(くらた えみ、1950年9月20日 - )は日本の漫画家。女性。愛称は「江美サマ」。血液型A型、神奈川県鎌倉市出身。大阪育ち。
針金のような描線と乾いたユーモアを持ち味とし、哲学や心理学、民俗学、世界史などもテーマとした独特の作風は「異色」と評され、少女漫画の枠を超えて幅広い読者層を得た。
なお「倉田江美」と表記されることがあるがこれは誤りで、本人が「倉田江美」のペンネームを用いたことはない。
神奈川県鎌倉市に生まれ、幼稚園の頃に大阪へ移る。高校卒業後、大阪・梅田の河原デザインスクール(1962年設立)に1年間通った後、漫画を描き始める。1974年(昭和49年)1月に『雨の日は魔法』で小学館『少女コミック増刊ちゃお』からデビュー。
1975年より『別冊少女コミック』で「ジョジョとカーキー姫」シリーズを発表。同年には『週刊少女コミック』でギャグ漫画「ぼさつ日記」を初連載(全39話)。以降、複数の出版社の漫画雑誌で短編を中心に多数の作品を発表する。
翌1976年には白泉社『花とゆめ』に「樹の実草の実」を発表、同年より『LaLa』で「一万十秒物語」を連載開始。「一万十秒物語」は漫画版ショートショートといえる数頁の短編連作集で、タイトルは稲垣足穂の『一千一秒物語』のもじりである。
1979年には『LaLa』で「エスの解放」を連載(全6話)。この作品の主題は「心理」であると作者自身が述べている。「エス」とはフロイトが提唱した精神分析の概念である。遠い記憶の奥底に不安を抱える少女の深層心理の世界と、彼女が呈する解離性障害のような症状が、漫画ならではの表現で生々しく描写されている。
それと並行して、1977年より『JOTOMO』で「逸郎クンシリーズ」を発表したほか、サンリオが刊行していた少女漫画雑誌『リリカ』にも作品を発表していた。『リリカ』廃刊により同誌掲載作品は単行本未収録となっているものが多い。
また、日本テレビのテレビドラマ『ちょっとマイウェイ』(1979年 - 1980年放送)のオープニングイラストを担当していた。
1983年から1989年まで、潮出版社が刊行していた漫画雑誌『コミックトム』で、フランス革命を題材とした歴史漫画『静粛に、天才只今勉強中!』を連載。単行本全11巻に及ぶ初の長編作品となった。
2000年代以降は、プロ棋士を主人公としたホームコメディ「お父さんは急がない」を不定期連載していた。
単行本は絶版になっているものが多いが、一部は電子書籍として提供されている。Amazon Kindleでは多くの作品がサブスクリプション方式の読み放題サービス「Kindle Unlimited」の対象となっている(購入も可能)。
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] | 倉多 江美は日本の漫画家。女性。愛称は「江美サマ」。血液型A型、神奈川県鎌倉市出身。大阪育ち。 針金のような描線と乾いたユーモアを持ち味とし、哲学や心理学、民俗学、世界史などもテーマとした独特の作風は「異色」と評され、少女漫画の枠を超えて幅広い読者層を得た。 なお「倉田江美」と表記されることがあるがこれは誤りで、本人が「倉田江美」のペンネームを用いたことはない。 | {{Infobox 漫画家
| 名前 = 倉多 江美
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| 脚注 = <!-- 画像の説明文 -->
| 本名 = <!-- 必ず出典を付ける -->
| 生年 = {{生年月日と年齢|1950|09|20}}<ref name="jiten" />
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| 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} -->
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| 国籍 = <!-- {{JPN}} 出生地から推定できない場合のみ指定 -->
| 職業 = [[漫画家]]
| 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 -->
| 活動期間 = [[1974年]] -
| ジャンル = [[少女漫画]]
| 代表作 = 『一万十秒物語』<br/>『[[静粛に、天才只今勉強中!]]』
| 受賞 = <!-- 出版社の賞など -->
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| 公式サイト = <!-- {{Official website|https://www.example.org}}や[https://www.example.org/ 公式ページ名] など -->
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'''倉多 江美'''(くらた えみ、[[1950年]][[9月20日]]<ref name="jiten">『漫画家・アニメ作家人名事典』 [[日外アソシエーツ]]、1997年4月21日発行。ISBN 4-81691423-4</ref> - )は[[日本]]の[[漫画家]]。女性<ref name=":1">倉多江美『エスの解放』作品解説より。[[白泉社]]・花とゆめコミックス、1979年[[3月20日]]。</ref>。[[愛称]]は「江美サマ」<ref name="ducks" />。[[ABO式血液型|血液型]]A型<ref name="fcw1" /><ref name="fcw2" />、[[神奈川県]]<ref name="fcw1">倉多江美『ジョジョの詩 倉多江美作品集1』著者紹介より。[[小学館]]・フラワーコミックスワイド版、[[1991年]][[5月20日]]。ISBN 4-09-133881-X</ref><ref name="fcw2">倉多江美『ぼさつ日記 倉多江美作品集2』著者紹介より。小学館・フラワーコミックスワイド版、1991年[[8月20日]]。ISBN 4-09-133882-8</ref><ref name="kcmimi">倉多江美『青春エスプリシリーズ スプリング・ボード』著者紹介より。講談社・KCコミックスmimi、1981年6月15日。</ref>[[鎌倉市]]出身<ref name="RC-author">倉多江美『ロマンコミック自選全集 倉多江美 上を見れば雲 下を見れば霧』著者紹介より。主婦の友社・RCロマンコミック、1979年1月1日。</ref>。[[大阪]]育ち<ref name="RC-author" />。
針金のような描線と乾いた[[ユーモア]]を持ち味とし<ref name="ducks" />、[[哲学]]や[[心理学]]、[[民俗学]]、[[世界史]]などもテーマとした独特の作風は「異色」と評され<ref name=":1" />、[[少女漫画]]の枠を超えて幅広い読者層を得た。
なお「'''倉田'''江美」と表記されることがあるがこれは誤りで、本人が「倉田江美」の[[筆名|ペンネーム]]を用いたことはない。
== 来歴 ==
<!--『だっくす』の出典はどこからどこまで?-->神奈川県鎌倉市に生まれ、幼稚園の頃に大阪へ移る。高校卒業後、大阪・[[梅田]]の[[河原デザインスクール]]([[1962年]]設立<ref>[https://kawahara-ds.co.jp/ 河原デザインスクール Since 1962]</ref>)に1年間通った後、漫画を描き始める。[[1974年]](昭和49年)1月に『雨の日は魔法』で<ref name="kcmimi" />[[小学館]]『[[少女コミック]]増刊ちゃお』からデビュー<ref name="ducks">[[漫画情報誌|まんが専門誌]]『[[ぱふ|だっくす]] 1978年7・8月号 特集・倉多江美 失われた水分を求めて』p.26、[[雑草社]]。</ref><ref name="RC-author" />。
[[1975年]]より『[[別冊少女コミック]]』で「ジョジョとカーキー姫」シリーズを発表。同年には『[[週刊少女コミック]]』で[[ギャグ漫画]]「ぼさつ日記」を初連載(全39話)。以降、複数の[[出版社]]の漫画雑誌で[[短編]]を中心に多数の作品を発表する。
翌[[1976年]]には[[白泉社]]『[[花とゆめ]]』に「樹の実草の実」を発表、同年より『[[LaLa]]』で「一万十秒物語」を[[連載]]開始。「一万十秒物語」は漫画版[[ショートショート]]といえる数頁の短編連作集で、タイトルは[[稲垣足穂]]の『[[一千一秒物語]]』の[[もじり]]である<ref>[https://otakei.otakuma.net/archives/2015040301.html 【うちの本棚】254回 一万十秒物語/倉多江美] おたくま経済新聞、シー・エス・ティー・エンターテインメント株式会社、2015年4月3日、2021年7月20日閲覧。</ref>。
[[1979年]]には『LaLa』で「エスの解放」を連載(全6話)。この作品の主題は「[[心理]]」であると作者自身が述べている<ref name=":1"/>。「[[自我#精神分析学における自我|エス]]」とは[[フロイト]]が提唱した[[精神分析]]の概念である。遠い[[記憶]]の奥底に[[不安]]を抱える少女の[[深層心理]]の世界と、彼女が呈する[[解離性障害]]のような症状が、漫画ならではの表現で生々しく描写されている。
それと並行して、[[1977年]]より『[[JOTOMO]]』で「逸郎クンシリーズ」を発表したほか、[[サンリオ]]が刊行していた少女[[漫画雑誌]]『[[リリカ (雑誌)|リリカ]]』にも作品を発表していた。『リリカ』廃刊により同誌掲載作品は[[単行本]]未収録となっているものが多い。
また、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の[[テレビドラマ]]『[[ちょっとマイウェイ]]』(1979年 - [[1980年]]放送)のオープニングイラストを担当していた。
[[1983年]]から[[1989年]]まで、[[潮出版社]]が刊行していた漫画雑誌『[[コミックトム]]』で、[[フランス革命]]を題材とした歴史漫画『[[静粛に、天才只今勉強中!]]』を連載。単行本全11巻に及ぶ初の[[長編]]作品となった。
[[2000年代]]以降は、プロ[[棋士 (囲碁)|棋士]]を主人公としたホームコメディ「お父さんは急がない」を不定期連載していた。
単行本は[[絶版]]になっているものが多いが、一部は[[電子書籍]]として提供されている。[[Amazon Kindle]]では多くの作品が[[サブスクリプション]]方式の読み放題サービス「Kindle Unlimited」の対象となっている(購入も可能)。
== 単行本 ==
年月日は[[初版]]発行日。日本の[[出版]]業界で[[ISBN]]が採用されたのは[[1980年代]]以降のため、それ以前の単行本にはISBNは付されていない。
=== 漫画 ===
*『'''ジョジョの詩 1'''』[[小学館]]・[[フラワーコミックス]]、[[1977年]]3月5日
**『[[別冊少女コミック]]』に連載された「ジョジョとカーキー姫」シリーズと、他に短編3篇を収録。
*: コミックスには1巻の表記があるが、2巻以降は刊行されず。のちサンリオから単行本が刊行された。
** 収録作品:黄楊の木/パコの家/ルー/秋の入り日/カーキー姫の午後/新青春/最高の一日/Fくんについて
*『'''樹の実草の実 倉多江美傑作集'''』[[白泉社]]・[[花とゆめコミックス]]、1977年7月20日
**『[[花とゆめ]]』掲載の短編と、『[[LaLa]]』で連載開始された「一万十秒物語」の初期作品を収録。初版と、後にカバーイラストが差し替えられた2種類のデザインが存在する。
*: 表題作の「樹の実草の実」は少年期の友情、「イージーゴーイング」は戦時下の[[旧制高校]]生の苦悩、「球面三角」は民俗学をそれぞれ題材とした作品。「フェイブルくんの夢」は[[新聞記者]]をめざす少年が主人公の連作。
** 収録作品:樹の実草の実/イージーゴーイング/フェイブルくんの夢(全4話)/一万十秒物語(1~5話、赤ずきん君/メニュー/自慢/終末/釘)/球面三角
*『'''ドーバー越えて'''』[[朝日ソノラマ]]・サンコミックス、1977年9月30日<ref>倉多江美『ドーバー越えて』奥付より。朝日ソノラマ・サンコミックス、1977年9月30日。</ref>
** 1974年から1977年に『少女コミック』(「マンション」は『[[ビッグコミック]]増刊号』)に掲載された短編を収録。
*: 収録作品は[[恋愛漫画]]や[[ギャグ漫画]]が多い中、哲学と愛と狂気をテーマとした「かくの如き…!!!」は異色作。「本町通り(ほんまちどおり)」は筆者を彷彿とさせる女性漫画家が主人公の作品で、[[南武線]]近くの「ちっちゃな本町通り」[[商店街]]が登場し、主人公の家には「[[トップ (スーパーマーケット)|スーパーヤヒロ]] お買得品」の特売[[チラシ]]が置かれている<ref>倉多江美『ドーバー越えて』朝日ソノラマ・サンコミックス、1977年9月30日。</ref>。
** 収録作品:ドーバー越えて/アディラ=ミル/赤毛のノッポくん/すこしちがったシンデレラ/本町通り/ロングフォー - あこがれ - /かくの如き…!!!/マンション
*『'''倉多江美傑作集1 五十子さんの日'''』小学館・フラワーコミックス、[[1978年]]2月20日
** 少年の[[女装]]を題材とした「五十子さんの日」前後編を収録。「パラノイア」は「かくの如き…!!!」「エスの解放」の路線に連なる心理と狂気を扱った作品。
** 収録作品:五十子さんの日(ぱあとわん・ぱあとつう)/パラノイア
*『'''倉多江美傑作集2 ぼさつ日記'''』小学館・フラワーコミックス、1978年4月20日
** 収録作品:ぼさつ日記(全39話)。『[[週刊少女コミック]]』に掲載された初[[連載]]作品で、唯一の[[週刊誌]]連載でもある。
*『'''倉多江美傑作集3 栗の木のある家'''』小学館・フラワーコミックス、1978年6月20日
**『[[JOTOMO]]』に連載していた「逸郎クンシリーズ」を中心に収録。
** 収録作品:ひまわり屋敷のテンプルちゃん/半月アニスのビスケット/受難曲(パッシオン)/森の小径(逸郎クンシリーズ1)/セブンスター(逸郎クンシリーズ2)/初夏(逸郎クンシリーズ3)/栗の木のある家(逸郎クンシリーズ4)
*『'''倉多江美傑作選 ジョジョとカーキー姫'''』[[サンリオ]]、1978年6月20日
** [[A5判]][[ハードカバー]]愛蔵版(ビニールカバー付)。フラワーコミックス版『ジョジョの詩』未収録作品を含む「ジョジョとカーキー姫」シリーズ全話を収録。
** 収録作品:太ったカイブツ(描き下ろし)/黄楊の木/パコの家/ルー/秋の入り日/カーキー姫の午後/大地の林檎/フラッパー・ボーイ/展覧会の絵/G線上のアリア
*『一万十秒物語』
**『'''一万十秒物語'''』[[A5判]]ハードカバー(全1冊)、白泉社、[[1978年]]8月20日
** 第1部に「一万十秒物語」(「ひとみ」から「釘」までの15編)、第2部に「五日物語」(「ぱあと1」から「ぱあと5」までの全編)を収録。
** 白泉社・花とゆめコミックス版
*# 『'''一万十秒物語 倉多江美傑作集'''』<!--白泉社・花とゆめコミックス、-->[[1981年]][[3月25日]]<ref>倉多江美『一万十秒物語 倉多江美傑作集』奥付より、白泉社・花とゆめコミックス、1981年3月25日。</ref>。ISBN 4-592-11411-6 - 巻末に描き下ろし「ゴミドリくん」を収録。
*# 『'''一万十秒物語 2'''』<!--白泉社・花とゆめコミックス、-->[[1983年]]6月23日。ISBN 4-592-11412-4
*# 『'''一万十秒物語 3'''』<!--白泉社・花とゆめコミックス、-->[[1985年]]4月25日。ISBN 4-592-11413-2
** [[筑摩書房]]・[[ちくま文庫]]版
*#『'''一万十秒物語 上'''』<!--筑摩書房・ちくま文庫、-->[[1997年]]12月4日。ISBN 4-48003356-4
*#『'''一万十秒物語 下'''』<!--筑摩書房・ちくま文庫、-->1997年12月4日。ISBN 4-48003357-2
*『'''ロマンコミック自選全集 倉多江美 上を見れば雲 下を見れば霧'''』[[主婦の友社]]・RCロマンコミック、[[1979年]][[1月1日]]<ref>倉多江美『ロマンコミック自選全集 倉多江美 上を見れば雲 下を見れば霧』主婦の友社・RCロマンコミック、1979年1月1日。</ref>
** A5判ハードカバー愛蔵版。表題作は『[[ひとみ (雑誌)|ひとみ]]』1978年7月号掲載で、失恋で自殺を図った若い女性と心優しき男子中学生の交流を描く。「レンとイルゼの夜の夢」は1977年10月『リリカ』12号掲載で、同誌のフォーマットに従い[[横書き]]右開きのため単行本では逆から読む。内容は「[[ラプンツェル]]」の[[パロディ]]。描き下ろしの「尾長」は共に暮らす男女の不安を文学的に切り取った短編で、単行本ではこの本にのみ収録。「ある一日」はコミックエッセイ。
** 収録作品:上を見れば雲 下を見れば霧/雨の日は魔法/湖水/イージー・ゴーイング/かくの如き…!!!/セブンスター(逸郎クンシリーズ2)/江美式バカンス/尾長(描き下ろし)/レンとイルゼの夜の夢/ある一日(描き下ろし)
*『'''エスの解放'''』白泉社・花とゆめコミックス、1979年[[3月20日]]
** 『LaLa』連載。収録作品:エスの解放 1 - 6/エムの解放(描き下ろしおまけ漫画)
*『'''宇宙を作るオトコ'''』朝日ソノラマ・サンコミックス、[[1980年]]1月25日
** 『[[マンガ少年]]』連載。収録作品:宇宙を作るオトコ 1 - 6
*『'''Top Lady Colour Series 倉多江美'''』朝日ソノラマ、1980年2月。ISBN 4-25790023-7
** 収録作品:五日物語/一万十秒物語(スーパー民主主義/スタンドプレー)/上を見れば雲 下を見れば霧/ある一日/緑の中の朽ちた船
*『'''バンク・パムプキン'''』[[主婦の友社]]・GLコミックス、[[1981年]]7月15日
** 短編集。表題作「バンク・パムプキン」の[[中黒]]は[[ハート (シンボル)|ハートマーク]]。『[[ギャルズライフ]]』や『[[ポップティーン]]』掲載作品のため、それまでの作品とは傾向が異なる。表題作は[[自動車運転免許|運転免許]]を取り立ての若い女性2人が[[シトロエン・2CV]]に乗って[[横浜市|横浜]]から[[箱根]]までドライブする物語。「はなび」は鎌倉花火大会(1949年開始<ref>[https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kids/jh/kjh421_0721.html 鎌倉花火大会(かまくらはなびたいかい)] 鎌倉市、2022年5月16日更新、2022年7月24日閲覧。</ref>)を見に来たカップルの心の機微を描く。この2作は作者の出身地である神奈川県を舞台としている。「ネコじゃネコじゃ」「恐怖の体験レポート」はコミックエッセイ。
** 収録作品:バンク・パムプキン/優子/ネコじゃネコじゃ/恐怖の体験レポート/はなび
*『'''青春エスプリシリーズ スプリング・ボード'''』講談社・[[講談社コミックス|KCコミックス]][[mimi (雑誌)|mimi]]、1981年6月15日<ref>倉多江美『青春エスプリシリーズ スプリング・ボード』奥付より。講談社・KCコミックスmimi、1981年6月15日。</ref>
** [[講談社コミックス]]からは初となる単行本。自転車好きの少年・三方(みかた)くんが主人公の「青春エスプリシリーズ」ほか、『[[mimi (雑誌)|mimi]]』掲載作品を収録。
** 収録作品:青春エスプリシリーズ(スプリング・ボード/ビーチ☆ライン/雨模様/優しくフライディ/冬の花)/江美式バカンス/ふたつめの遺産/「彼」
*『'''[[静粛に、天才只今勉強中!]]'''』(全11巻)[[潮出版社]]・希望コミックス、1984年 - 1989年
** フランス革命期を舞台にした歴史長編。詳細は作品記事を参照。
*『さくらサクラ』
**『'''倉多江美の本 さくらサクラ'''』小学館・[[ビッグコミックス|FLビッグコミックス]]、[[1985年]] - シリーズ42話を収録。
**『'''さくらサクラ 倉多江美自選傑作集 (2) '''』[[双葉社]]・[[双葉文庫]]、[[1998年]] - コミックス未収録作品を含むシリーズ全話を収録。
*『ミトの窓』
**『'''倉田江美傑作集 ミトの窓'''』白泉社・[[ジェッツコミックス]]、1985年
**「ミトの窓」は田舎から[[東京]]へ転校した少女ミトが主人公のホームコメディ。「彼誰時」は家族の問題をシリアスに描いた作品で、1982年夏『[[LaLa|別冊LaLa]]』創刊号に掲載。なお同誌には[[大島弓子]]の単行本未収録作品「密造アップルサイダー」も同時掲載されている。
** 収録作品:ミトの窓/ゴミドリくん/モモちゃんの1日/すみれ PART1/となりの芝生/すみれ PART2/彼誰時(かわたれとき)/お母さんの一日(あとがき)
**『'''ミトの窓 倉田江美自薦傑作集 (1) '''』[[双葉社]]・[[双葉文庫]]、1998年
** 収録作品:ミトの窓/となりの芝生/彼誰時(かわたれとき)/優子 ぱあと1/優子 ぱあと2/上を見れば雲 下を見れば霧
*『'''お茶でもいかが'''』小学館・[[プチフラワー|PFコミックス]]、1989年
** 双子の少女・アリスとアンを主人公とした連作を全話収録。
** 収録作品:アリス・アン/クリスマス/ミス・ベルト/帽子とお嬢さん/そばかす坊や/祭りの日/めざめて讃えまつれ/陽気なマギー
* 『倉多江美作品集』小学館・フラワーコミックスワイド版、B6判[[ソフトカバー]]愛蔵版
*#『'''ジョジョの詩 倉多江美作品集1'''』<!--小学館・フラワーコミックスワイド版、-->[[1991年]][[5月20日]]
*#:「ジョジョとカーキー姫シリーズ」「逸郎クンシリーズ」と、デビュー作ほか『少女コミック』掲載の短編を1冊にまとめた愛蔵版。
*#: 収録作品:黄楊の木/パコの家/ルー/秋の入り日/カーキー姫の午後/展覧会の絵/雨の日は魔法/おいしいジャム/ひまわり畑のテンプルちゃん/ぼくの心はバイオリン/新青春/半月アニスのビスケット/五十子さんの日(ぱあとわん・ぱあとつう)
*#『'''ぼさつ日記 倉多江美作品集2'''』<!--小学館・フラワーコミックスワイド版、-->1991年[[8月20日]]
*#:「ぼさつ日記」「逸郎クンシリーズ」を1冊にまとめた愛蔵版。
*#: 収録作品:ぼさつ日記/パラノイア/受難曲(パッシオン)/森の小径(逸郎クンシリーズ1)/セブンスター(逸郎クンシリーズ2)/初夏(逸郎クンシリーズ3)/栗の木のある家(逸郎クンシリーズ4)
*『'''シリーズ・誰かに似た人 1 HELP!'''』[[潮出版社]]・[[コミックトム|希望コミックス]]、1991年1月25日
*『'''シリーズ・誰かに似た人 2 王様のお食事'''』潮出版社・希望コミックス、[[1992年]]10月20日
*『'''顔色が悪い!'''』小学館・プチフラワーコミックス、[[1998年]]9月20日
** 収録作品:たえ子の激戦日記/結婚 私の場合/わたしのゆくえ/競馬場へ行こう!/顔色が悪い!
*『'''お父さんは急がない'''』小学館・PFコミックス、2000年5月20日
*『'''続 お父さんは急がない'''』小学館・PFコミックス、[[2003年]]1月20日
==== アンソロジー ====
*『'''ベッドの中の他人'''』[[宙出版]]、[[2000年]]
** [[夏樹静子]]原作のミステリーを漫画化した[[アンソロジー]]。
** 収録作品:走り去った男(倉多江美)/特急夕月(倉多江美)/あちら側の女([[中山乃梨子]])/ベッドの中の他人([[おおの藻梨以]])/路地からの脅迫状([[梶山直美]])
=== 絵本・画集 ===
*『原形質』白泉社・チェリッシュブック、1977年
** 白泉社からシリーズで刊行されたオールカラー画文集『[[チェリッシュブック]]』の一冊。[[新書判]]・[[ハードカバー]]函入、イラストしおり付き。
*『どっちライン』[[北宋社]]、1980年
** 倉多作品にたびたび登場する痩せ細った黒い鳥「ゴミドリくん」を主人公とした[[絵本]]。
*『お空のペンキ屋さん』白泉社・チェリッシュ絵本館、1984年
** [[児童書|児童向け]]ファンタジー絵本。A4判ハードカバー。
=== 育児書 ===
*『1・2・3歳のしつけと健康 まんが安心育児』小学館、1988年
*『まんが安心育児 1・2・3歳児の知能としつけ』小学館、1990年
*『算数だいすき子育て法 算数ぎらいを克服する』[[小宮山博仁]]著、小学館、1991年
== 雑誌特集 ==
*『[[プチコミック]]』昭和52年4月号「倉多江美の世界」[[小学館]]、1977年
*『プチコミック』昭和53年3月 早春の号「倉多江美の世界 PART2」小学館、1978年
* [[漫画情報誌|まんが専門誌]]『[[ぱふ|だっくす]]』1978年7・8月号「特集・倉多江美 失われた水分を求めて」[[雑草社]]、1978年
* 『ギャルズコミックDX』1981年春の号「倉多江美大特集 どっと総特集150ページ」[[主婦の友社]]、1981年4月1日号
** 巻頭カラー4ページ、収録作品:優子/バンク・パムプキン/ネコじゃネコじゃ(ぱあと3・4・5)/尾長(再録)
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[静粛に、天才只今勉強中!]]
* [[チェリッシュブック]]
* [[リリカ (雑誌)]]
== 外部リンク ==
* [https://otakei.otakuma.net/archives/tag/倉多江美 おたくま経済新聞 倉多江美] - シー・エス・ティー・エンターテインメント株式会社
<!--*[http://www.asahi-net.or.jp/~DN4N-IMNR/kuralist.html 倉多江美 書籍リスト] ※ファンサイトのためコメントアウト -->
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1,275 | 恒星 | 恒星(こうせい、英: fixed stars、羅: asteres aplanis)とは、自ら光を発し、その質量がもたらす重力による収縮に反する圧力を内部に持ち支えるガス体の天体の総称である。古典的な定義では、夜空に輝く星のうち、その見かけの相対位置の変化の少ないもののことを指す。地球から一番近い恒星は、太陽系唯一の恒星である太陽である。
惑星が地球を含む太陽系内の小天体であるのに対し、恒星はそれぞれが太陽に匹敵する大きさや光度をもっているが、非常に遠方にあるために小さく暗く見えている。
「恒星(羅: asteres aplanis)」という言葉は、英語「fixed star」の漢訳であり、地球から肉眼で見た際に太陽や月または太陽系の惑星に見られるような動きを見せず、天球に恒常的に固定された星々という意味で名づけられた。これに対し、天球上を移動していく星のことを「さまよう星」という意味で「惑星」と名づけられたといわれる。漢字圏(中・越・朝・日)で「恒星」という漢語術語は共通するが、「惑星」という術語は現在では日本のみが使用する。中・越・朝は「行星」といい、「さまよう星」という意味ももつが、同時に五行思想に基づく五惑星(水星・金星・火星・木星・土星)を暗示する。恒星・惑星・行星という漢語は、いずれも、明末清初に西欧天文書がマテオ・リッチとその協力者たちによって漢訳される際に、参照された古代中国の宇宙論から採用されたと考えられるが、初出は不明である。上海博物館蔵戦国楚竹書に「恒先」と仮称される文献があり、その宇宙論が「恒」と「惑」(或)および「恒」と「行」によって構成されていることが浅野裕一『古代中国の宇宙論』(2006, 94-96頁)に紹介されている。しかし、明清時期にはこの書は失われた状態であって、マテオ・リッチとその協力者たちにより参照されたのは似た内容を持つ別の文献だったと考えられる。
語源にもあるように、太陽以外の恒星は地球から数光年以上の離れた場所にあるため、恒星の見かけ上の相対的な位置はほとんど変化しない。
ただし、恒星は天球上で完全に静止しているわけではなく、わずかに固有運動を持つ。明るい恒星では年間0.1秒角以下の固有運動を持つが、太陽に近い星はより速く動き、これらは高速度星と呼ばれる。その中でもバーナード星(HIP87937)は10.36秒角/年の速度で移動し、100年間で満月の半径にほぼ相当する17.2分角を移動する。そのため、特に注意を払っていなければ数十年から数百年程度の時間では肉眼で変化を確認することは難しい。
相対的に動かない(前述のように現在ではこの表現は厳密には正しくなく、ごくわずかな固有運動が発見されている)という恒星の性質から、古代の人々は恒星の配置に星座を見出してきた。
古代ギリシアのヒッパルコスが作成し、これを元にプトレマイオスが『アルマゲスト』に記載した星表には、1022個の星が存在した。この星表はイスラム世界にも伝えられ普及したため、恒星の固有名に関してはギリシャ神話に由来する名称のほか、アラビア語由来のものも多くなっている。
現代では、それほど明るくない恒星に関しては、おもにヨハン・バイエルの「バイエル星表」に記載された記号で呼ばれる。これは「バイエル記号」と呼ばれる。星座ごとに明るい順にα星、β星とギリシャ語の記号を付けるもので、足りなくなるとローマ字(ラテン文字)のアルファベットの小文字が、それでも足りないとローマ字の大文字が使われた。バイエルの死後、星座の境界が変更されたため、たとえば「α星が無い星座」なども存在する。また、必ずしも明るい順に付けられているわけでもない。具体的には、ギリシャ語のアルファベットと星座名を合わせ、「こと座 α星」などと呼ぶ。国際的にはラテン語を使い、α Lyraeと書く。このとき星座名は属格に活用変化させる。IAUによる3文字の略符を使い、α Lyr と書いてもよい。NASAによる4文字の略符もあるが一般的ではない。バイエルは混乱を防ぐため、たとえば(ギリシャ文字のαとの混同を避けるため)ローマ文字のa星を作らなかった。また、最も星の多い星座でもQ星までしか付けなかったため、R以降の文字は変光星などの特殊な天体に付けられる。
これより更に暗い星は、ジョン・フラムスティードの星表に記されたフラムスティード番号で呼ばれる。恒星を西から順に1番星、2番星と数字の符号を付けるものである。ただし、フラムスティード番号は、南天の星座には付けられていないなどの弱点がある。フラムスティード番号で、上記のこと座α星を表すと、こと座3番星(3 Lyrae、または 3 Lyr)となる。この番号は、フラムスティードの望遠鏡で見たところ、こと座で西端から3番目にあった星ということになる。
よく、バイエルが命名しなかった暗い星に順番に番号が振られたといわれることがあるが、誤りである。たとえば、オリオン座α星(ベテルギウス)は、フラムスティード番号ではオリオン座58番星となる。多くの恒星が両者によって命名がされている。ただし、現在はバイエル符号がおもに使われ、フラムスティード番号は主にバイエル名の付いていない星に使われる。これよりも更に暗い星は、更にそののちに決定された星表(HDなど)で付けられた番号や記号で呼ばれる。
Wikipediaでは、英語版にはバイエル記号を用いた「Table of stars with Bayer designations」という大きな一覧表があり、日本語版には「恒星の一覧」という簡素な記事がある。
恒星の見かけの明るさはさまざまである。太陽を除き、もっとも明るく見える恒星はシリウス(おおいぬ座α星)、次いでカノープス(りゅうこつ座α星)である。しかしこのような視認できる明るさは、恒星本来の明るさとは異なり、単位面積の光量は距離の2乗に逆比例して少なくなる。
この見かけの明るさは視等級や写真等級で表される。視等級mは、こと座α星が0(ゼロ)等級になる様に定数Cを定め、地球上の単位面積あたりに届く光の強度Iから、
で表される。2つの恒星の等級差は、
で表され、これをボグソンの式という。
見かけの等級は肉眼で見える明るさのものを6つに分割しており、数字が小さくなるほど明るくなる。この6分割法は紀元前150年頃に古代ギリシアのヒッパルコスによって始められたと伝えられており、その後観測機器や技術の向上により肉眼で見えない星が発見されるようになると7等星以上の区分が追加されるようになり、また1等星の中でも特に明るいものには0等級や、さらにはマイナスの等級もつけられるようになった。
恒星までの距離測定には、一般的に年周視差が用いられる。これは地球が公転運動する中で、近距離の恒星が遠距離の恒星に対して見かけ上の位置に生じる差を観測するもので、1秒角の視差がある時、公転軌道の中心にある太陽からその対象までの距離をパーセク(pc)で表す。1pcは3.26光年、2.06×10AUそして3.08×10kmである。現在判明している年周視差が最大、すなわち太陽の次に近い恒星はケンタウルス座α星であり、視差0.76秒角、距離1.32pcつまり2.72×10AUとなる。この年周視差を用いる計算法は地動説確立後に間もなく意識され、18 - 19世紀ごろから観測が始まり、1837 - 38年ごろに手段として正しさが確認された。この測定に最初に成功したのはフリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルであり、はくちょう座61番星までの距離を約10.3光年と算出した。その後さまざまな星の視差が測定され、1989年に欧州宇宙機関が打ち上げたヒッパルコス衛星は約11万8000個の恒星の位置および年周視差を測定し、その結果はヒッパルコス星表およびティコ星表として公表された。
ただし、非常に遠方にある星には視差が使用できないため、周期的脈動変光星である古典的セファイド変光星を利用した距離測定がなされる。1908年にハーバード大学天文台のヘンリエッタ・スワン・リービットがケフェイド変光星の変光周期と絶対等級が比例する、いわゆる周期-光度関係を発見したことにより開発された方法で、ケフェイド変光星の周期を求めることで絶対等級を算出し、それを見かけの等級と比較することで距離を割り出す。
恒星までの距離が判明すれば、本来の明るさである絶対等級が計算できる。ある恒星までの距離を10パーセクとした場合に見える視等級を表す。視等級と絶対等級は必ずしも一致せず、例えば太陽は地球からの視等級は-26.78等星であるのに対し、絶対等級では4.83等星にすぎない。
恒星の光を分光器にかけ、そのスペクトルを観察すると、暗い筋であるフラウンホーファー線が見られる。この線が現れる位置は恒星の表面温度を反映しており、19世紀末から20世紀にかけてハーバード大学天文台が高温のO型から低温のM型までの7種類の分類を施した。スペクトルによる分類に最初に着手したのはハーバード大学天文台のエドワード・ピッカリングと助手のウィリアミーナ・フレミングであり、水素の多いものをAから順に分類していく方式を取ったがこれは不十分なもので、のちに同天文台のアニー・ジャンプ・キャノンがOからMまでの7タイプに分類するハーバード法を確立した。
ハーバード法による分類は、以下のようになる。
現在は、この7種それぞれをさらに9段階のサブクラスに分け、合計63段階で表示される。
1940年代に、同じスペクトルに現れる線の太さや強さが着目され、これが恒星の絶対等級と関係することが明らかになった。たとえばBやA型の恒星では、絶対等級の明るい星ほど水素のパルマー線の幅が狭く、絶対等級効果と呼ばれる。これを元に光度階級という指標が導入され、ローマ数字のIからVまでの5段階で表す。
上記2種類の分類を組み合わせる表示法はMK2次元分類と呼ばれる。たとえば太陽はG2V、ベガはA0V、はくちょう座のデネブはA2Iである。MK分類の名は、開発者のウィリアム・ウィルソン・モーガンとフィリップ・チャイルズ・キーナン(英語版)の名前に由来し、モルガン・キーナン分類とも呼ばれる。「スペクトル分類」も合わせて参照のこと。
スペクトルを分析すると、特定の元素が示すフラウンホーファー線は実験室で観察する線とずれが見られる場合がある。これは、恒星の固有運動によって距離が変化するために生じるドップラー効果が影響する。ここから逆に、恒星がどのような運動をしているかを分析することができる。また、恒星が含む元素構成比を測定することも可能であり、恒星の進化状況を判断する材料も与える。
恒星は黒体放射にほぼ等しい光を連続して放っている。これを利用して表面温度を測定する方法では、B(Blue 青)と V(Visual 可視) の2種類のフィルターを通して等級を測定し、その差(B-V)から温度を推計する方法が用いられる。このB-V透過率は色指数と呼ばれ、A0型の恒星をゼロと置き、青が強いと等級数は小さくなるため、色指数が大きいと温度が低く、小さいと温度が高いと考えられる。
20世紀初めに、アメリカのヘンリー・ノリス・ラッセルが恒星のスペクトルと絶対等級の相関関係を図に並べたところ、多くの星が左上と右下を結ぶ帯を成すことが示された。また、デンマークのアイナー・ヘルツシュプルングも独立に恒星の色と明るさの関係に偏りがあることを示した。この相関はヘルツシュプルング・ラッセル図(HR図)として纏められ、恒星の進化を示したものを認識されるようになった。HR図の横軸はスペクトルの型で表す場合と色指数で表す場合があるが、どちらも基本的に恒星の表面温度の指標である。なお後者は色-等級図と呼ばれる場合もある。
HR図にある恒星の位置は、その星の大きさを知る手がかりを与える。恒星が放射するエネルギー総量は、単位面積当たり放射量と星の表面積の積で表される。面積当たり放射量は半径の2乗に比例し、シュテファン=ボルツマンの法則から温度の4乗に比例する。スペクトル、つまり表面温度が同じで絶対等級が0等と10等のふたつの星は、総放射量の差は1万倍になる。これを半径に置き換えると100倍の差があることになる。同じ絶対等級の場合、A型(表面温度1万K)とM型(同3,000K)では、A型はM型の3.3倍であり、この4乗が単位面積当たり放射量になるため差は120倍となる。しかし総放射量は同じであるため、表面積ではA型の表面積M型の120分の1となり、半径では11分の1となる。
X線は恒星の死後の姿である中性子星や、恒星の放射物が連星を成す高密度星に引きずり込まれる際に発生することが知られるが、単独の恒星からも観察される。
太陽をX線観測すると、磁力線のねじれと再結合の際にエネルギーが解放され、コロナやフレアを発する際に放射が起こることが知られている。形成中で若く、まだ中心で水素の核融合を起こす前段階にある前主系列星という恒星は、太陽よりも強い短波長の硬X線を放つ現象が知られる。形成途上の恒星は周囲から収縮途上のガスの流入が続き、その角運動量が持ち込まれて自転が早くなる。すると星の内部で対流が大規模に起こり、発生するフレアも太陽の数万倍規模になって強いX線が生じると考えられている。前主系列星は星間ガスに取り囲まれて可視光線では観測しづらい。しかし硬X線を使えばその位置を知る手段のひとつになる。
太陽質量の5倍以上の恒星は表面対流を起こしておらずコロナやフレアが生じないためX線は放射しないと考えられていたが、X線天文衛星HEAO-2はこのような星からX線を観測した。大質量星は多くの質量を星風の形で放出しており、これが周囲のガスと衝突すると高温のプラズマが発生し、X線を放射している。これらの観測は星間ガスの分布を知るうえで有用である。なお、大・中質量星でもフレアのような磁力線由来のX線と思われるX線が観測された例もあるが、そのメカニズムはわかっていない。
理想気体の状態方程式が示す通り、ガス体の天体は重力に対抗するために内部が高温・高圧にならなければならない。しかし、その一方で宇宙空間の温度は3Kにすぎず、必ずエネルギーが全方位に流れ出ることになる。これが恒星が輝く理由であり、そのためにエネルギーを供給する源が必要になる。
そのエネルギー源は誕生直後の恒星では自己の重力収縮であるが、やがて水素の原子核融合をエネルギー源とするようになり、一生のほとんどをその状態で過ごす。重い恒星では、一生の終わり近くになると核融合する元素を水素からヘリウムへ変え、順次原子番号の大きな元素を使うようになり、その過程で収縮と膨張を繰り返す。
恒星は水素やヘリウムをおもな成分としたガスの塊である。恒星の中心部では、原子核融合によりエネルギーが生み出されており、中心から表層へかけて密度・温度が次第に減少する構造になっている。これによって恒星の内部には圧力差が発生し、多くの場合は自己の重力による圧縮との釣り合いが保たれている。また、熱エネルギーは高温部から低温部へ移動するため、中心部で発生した熱は放射・対流によって表層へ向けて運ばれ、最終的には光エネルギーとして宇宙空間に放出される。
恒星は惑星と比べて質量が大きく表面温度も高い。人類にとってもっとも身近な恒星である太陽は、地球の33万倍の質量と109倍の半径、5,780K(5,510°C)の表面温度を持つ。太陽系最大の惑星である木星と太陽を比べても、質量は1,000倍、半径は10倍の差がある。
恒星の性質にはさまざまなものがあるが、太陽のように安定した段階にある恒星(主系列星)では、質量が大きいほど半径が大きく高温になるという単純な関係が見られる。たとえば太陽と同じ質量の主系列星はいずれも太陽と似た半径や温度を持つことになり、太陽の7倍の質量を持つスペクトル型B5の主系列星では、半径は太陽の4倍、温度は1万5,500K前後になる。ただし恒星が主系列星から脱して巨星化すると温度の低下と半径の膨張が起き、この法則から逸脱する。
質量が太陽の8%程度より小さい天体は、中心部が軽水素の核融合反応が起きるほど高温にならないため、恒星ではなく褐色矮星に分類される。この値は恒星質量の下限値といえる。また、質量が太陽の100倍を超えるような恒星も強烈な恒星風によって自らを吹き飛ばしてしまうため、形成されうる恒星の質量には上限が課せられる。
褐色矮星と恒星の境界付近の質量を持った恒星では、半径は太陽の10分の1程度になる。主系列星段階を終えた恒星は非常に巨大化し、例えばおおいぬ座VY星という赤色超巨星は太陽の1,000倍を超える半径を持つと考えられている。太陽自体も数十億年後に巨星の段階を迎えると現在の100倍以上にまで膨れ上がると予想されている。
恒星が誕生する際には、質量の小さい恒星ほど形成される可能性が高い。銀河系に存在する恒星の大部分は、太陽より質量の小さいK型やM型の主系列星だと考えられている。しかし低質量の星は暗いために地球に近いものしか観測できない。夜空に見える明るい星の多くは、遠くにある大質量の主系列星や赤色巨星などの数量的には稀だが極端に明るい天体の姿である。
恒星は、質量の10分の1ほどの水素原子がヘリウム原子に変わるまで、主系列星でいる。
恒星は、周囲より僅かに物質の密度が高い(それでも地球上の実験室で作ることができる真空よりはずっと希薄な)領域である分子雲から生まれる。分子雲の近くで超新星が爆発したり恒星が近くを通過したりするなどして分子雲に擾乱が起こると、その衝撃波や密度揺らぎによって分子雲の中に圧縮される部分が生じ、重力的に不安定になり収縮していく。大質量星が作られると、その周囲の分子雲が星からの紫外光で電離されて散光星雲(輝線星雲)を作ったり、強烈に照らし出されて反射星雲として観測されたりするようになる。このような星雲の例として、有名なオリオン大星雲やプレアデス星団の周囲の青い星雲などが知られている。
ガス塊の質量が十分大きい場合、熱放射でエネルギーを失うと自己重力によって収縮し温度はかえって上昇する。このような系を「有効比熱が負の系」という。重力ポテンシャルのエネルギーのうち半分は赤外線で放射され、残りは天体内部の温度上昇に寄与する。こうして熱放射はますます盛んになり、やがて輝くようになる。これが原始星である。
原始星の中心温度が数百万度から約1,000万Kに達すると、中心で水素の核融合反応が始まる。すなわち、4個の水素原子を1個のヘリウム原子に変え、エネルギーを発生させることができるようになる。するとこれが熱源となって圧力を発生し、重力による収縮が止まる。この段階の恒星を主系列星という。恒星は一生のうち約90%の時間を主系列星として過ごす。なお星の寿命は質量が小さいほど長くなる。
質量が太陽の約8%よりも小さく、核融合反応を持続することができない星(褐色矮星と呼ばれる)は、自らの重力により、数千億年(宇宙が誕生してから現在までの時間よりも長い)というきわめて長い時間をかけて、位置エネルギーを熱エネルギーに変換しながらゆっくりと収縮していく。最後にはそのままゆっくりと暗くなっていき、黒色矮星へと移っていく。
褐色矮星よりも重いが質量が太陽の46%よりは小さい恒星(赤色矮星と呼ばれる)は、核融合反応は発生するため主系列星には属するものの核反応が遅く、数千億年から数兆年かけて燃料である水素を使い果たしたあと、ヘリウム型の白色矮星になるとされている。
大部分の恒星は、燃料となる中心部の水素をほぼ使い果たすと、外層が膨張し巨大な赤い恒星に変化していく。これは赤色巨星と呼ばれる(約50億年後、太陽が赤色巨星になった時には、金星を呑み込むほどに膨張すると言われる)。やがて核の温度と圧力は上昇し、ヘリウムが炭素に変わる核融合が始まる。恒星が十分な質量を持っている場合は、外層はさらに膨張して温度が下がる一方、中心核はどんどん核融合が進み、窒素、酸素、ネオン、マグネシウム、ケイ素、鉄というように、重い元素が形成されていく。
太陽程度の、平均的な質量を持った恒星では、中心核での核融合反応は窒素や酸素の段階で止まり、外層のガスを放出して惑星状星雲を形成する。中心核は外層部の重力を支えきれず収縮し、収縮するとエネルギーを生じ再び膨張する。こうして膨張収縮を繰り返す脈動変光星となる。高密度になったものの、もはや核融合を起こすことができなくなると縮退物質が残る。これは白色矮星と呼ばれる。白色矮星はゆっくりと熱を放出していき、きわめて長い時間をかけて黒色矮星になっていく。
太陽の8倍よりも質量が大きい恒星では、密度が比較的小さいために中心核が縮退することなく核融合反応が進んで次々と重い元素が作られて行く。最終的に鉄が生成されたところで、鉄原子は安定であるためそれ以降は核融合反応が進まなくなり、重力収縮しながら温度が上がっていく。中心温度が約100億度に達すると鉄の光分解という吸熱反応が起き、中心核の圧力が急激に下がって重力崩壊を起こす。その反動で恒星は超新星爆発と呼ばれる大爆発を起こす。これは宇宙で起こる現象の中で、人間的なタイムスケールで起こる数少ないものである。恒星の質量の大部分は爆発で吹き飛ばされ、かに星雲のような超新星残骸を作る。このとき恒星は急激に明るくなり、明るさでおよそ1億倍、等級で約20等も増光し、数週間の間、超新星ひとつが銀河全体と同じ明るさで輝くことも多い。
歴史上、超新星は、今まで星が何もなかったところに突如出現した「新しい星」として「発見」されてきた。超新星爆発が起こったあとの中心核の運命は恒星の元の質量により異なる。太陽の30倍から40倍程度までの質量を持った恒星の場合、中心核は中性子星(パルサー、X線バースター)と呼ばれる天体となる。さらに重い恒星の場合には中心核が完全に重力崩壊を起こしてブラックホールとなる。
ビッグバン直後には、水素・ヘリウム・リチウム・ベリリウムといった軽い元素は形成されたものの、それ以上重い重元素は形成されなかった。その後恒星が形成され、内部での核融合によって、はじめて炭素や窒素、鉄といった重元素が形成されることとなった。恒星内部の核融合で形成されるのは鉄までであり、金やウランのように鉄よりさらに重い元素は、超新星爆発や中性子星の衝突時に形成されると考えられている。こうした重元素を多く含む、吹き飛ばされた恒星の外層は、やがて再び分子雲を作り、新しい恒星や惑星を作る材料となる。このため、太陽系などのように形成が遅い恒星系ほど重元素が多く含まれることになる。このように、超新星から放出された物質や巨星からの恒星風は、恒星間の環境を形成するのに重要な役割を果たしている。 | [
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"text": "これより更に暗い星は、ジョン・フラムスティードの星表に記されたフラムスティード番号で呼ばれる。恒星を西から順に1番星、2番星と数字の符号を付けるものである。ただし、フラムスティード番号は、南天の星座には付けられていないなどの弱点がある。フラムスティード番号で、上記のこと座α星を表すと、こと座3番星(3 Lyrae、または 3 Lyr)となる。この番号は、フラムスティードの望遠鏡で見たところ、こと座で西端から3番目にあった星ということになる。",
"title": "命名と分類"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "よく、バイエルが命名しなかった暗い星に順番に番号が振られたといわれることがあるが、誤りである。たとえば、オリオン座α星(ベテルギウス)は、フラムスティード番号ではオリオン座58番星となる。多くの恒星が両者によって命名がされている。ただし、現在はバイエル符号がおもに使われ、フラムスティード番号は主にバイエル名の付いていない星に使われる。これよりも更に暗い星は、更にそののちに決定された星表(HDなど)で付けられた番号や記号で呼ばれる。",
"title": "命名と分類"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "Wikipediaでは、英語版にはバイエル記号を用いた「Table of stars with Bayer designations」という大きな一覧表があり、日本語版には「恒星の一覧」という簡素な記事がある。",
"title": "命名と分類"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "恒星の見かけの明るさはさまざまである。太陽を除き、もっとも明るく見える恒星はシリウス(おおいぬ座α星)、次いでカノープス(りゅうこつ座α星)である。しかしこのような視認できる明るさは、恒星本来の明るさとは異なり、単位面積の光量は距離の2乗に逆比例して少なくなる。",
"title": "命名と分類"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "この見かけの明るさは視等級や写真等級で表される。視等級mは、こと座α星が0(ゼロ)等級になる様に定数Cを定め、地球上の単位面積あたりに届く光の強度Iから、",
"title": "命名と分類"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "で表される。2つの恒星の等級差は、",
"title": "命名と分類"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "で表され、これをボグソンの式という。",
"title": "命名と分類"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "見かけの等級は肉眼で見える明るさのものを6つに分割しており、数字が小さくなるほど明るくなる。この6分割法は紀元前150年頃に古代ギリシアのヒッパルコスによって始められたと伝えられており、その後観測機器や技術の向上により肉眼で見えない星が発見されるようになると7等星以上の区分が追加されるようになり、また1等星の中でも特に明るいものには0等級や、さらにはマイナスの等級もつけられるようになった。",
"title": "命名と分類"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "恒星までの距離測定には、一般的に年周視差が用いられる。これは地球が公転運動する中で、近距離の恒星が遠距離の恒星に対して見かけ上の位置に生じる差を観測するもので、1秒角の視差がある時、公転軌道の中心にある太陽からその対象までの距離をパーセク(pc)で表す。1pcは3.26光年、2.06×10AUそして3.08×10kmである。現在判明している年周視差が最大、すなわち太陽の次に近い恒星はケンタウルス座α星であり、視差0.76秒角、距離1.32pcつまり2.72×10AUとなる。この年周視差を用いる計算法は地動説確立後に間もなく意識され、18 - 19世紀ごろから観測が始まり、1837 - 38年ごろに手段として正しさが確認された。この測定に最初に成功したのはフリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルであり、はくちょう座61番星までの距離を約10.3光年と算出した。その後さまざまな星の視差が測定され、1989年に欧州宇宙機関が打ち上げたヒッパルコス衛星は約11万8000個の恒星の位置および年周視差を測定し、その結果はヒッパルコス星表およびティコ星表として公表された。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "ただし、非常に遠方にある星には視差が使用できないため、周期的脈動変光星である古典的セファイド変光星を利用した距離測定がなされる。1908年にハーバード大学天文台のヘンリエッタ・スワン・リービットがケフェイド変光星の変光周期と絶対等級が比例する、いわゆる周期-光度関係を発見したことにより開発された方法で、ケフェイド変光星の周期を求めることで絶対等級を算出し、それを見かけの等級と比較することで距離を割り出す。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "恒星までの距離が判明すれば、本来の明るさである絶対等級が計算できる。ある恒星までの距離を10パーセクとした場合に見える視等級を表す。視等級と絶対等級は必ずしも一致せず、例えば太陽は地球からの視等級は-26.78等星であるのに対し、絶対等級では4.83等星にすぎない。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "恒星の光を分光器にかけ、そのスペクトルを観察すると、暗い筋であるフラウンホーファー線が見られる。この線が現れる位置は恒星の表面温度を反映しており、19世紀末から20世紀にかけてハーバード大学天文台が高温のO型から低温のM型までの7種類の分類を施した。スペクトルによる分類に最初に着手したのはハーバード大学天文台のエドワード・ピッカリングと助手のウィリアミーナ・フレミングであり、水素の多いものをAから順に分類していく方式を取ったがこれは不十分なもので、のちに同天文台のアニー・ジャンプ・キャノンがOからMまでの7タイプに分類するハーバード法を確立した。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "ハーバード法による分類は、以下のようになる。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "現在は、この7種それぞれをさらに9段階のサブクラスに分け、合計63段階で表示される。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "1940年代に、同じスペクトルに現れる線の太さや強さが着目され、これが恒星の絶対等級と関係することが明らかになった。たとえばBやA型の恒星では、絶対等級の明るい星ほど水素のパルマー線の幅が狭く、絶対等級効果と呼ばれる。これを元に光度階級という指標が導入され、ローマ数字のIからVまでの5段階で表す。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "上記2種類の分類を組み合わせる表示法はMK2次元分類と呼ばれる。たとえば太陽はG2V、ベガはA0V、はくちょう座のデネブはA2Iである。MK分類の名は、開発者のウィリアム・ウィルソン・モーガンとフィリップ・チャイルズ・キーナン(英語版)の名前に由来し、モルガン・キーナン分類とも呼ばれる。「スペクトル分類」も合わせて参照のこと。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "スペクトルを分析すると、特定の元素が示すフラウンホーファー線は実験室で観察する線とずれが見られる場合がある。これは、恒星の固有運動によって距離が変化するために生じるドップラー効果が影響する。ここから逆に、恒星がどのような運動をしているかを分析することができる。また、恒星が含む元素構成比を測定することも可能であり、恒星の進化状況を判断する材料も与える。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "恒星は黒体放射にほぼ等しい光を連続して放っている。これを利用して表面温度を測定する方法では、B(Blue 青)と V(Visual 可視) の2種類のフィルターを通して等級を測定し、その差(B-V)から温度を推計する方法が用いられる。このB-V透過率は色指数と呼ばれ、A0型の恒星をゼロと置き、青が強いと等級数は小さくなるため、色指数が大きいと温度が低く、小さいと温度が高いと考えられる。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "20世紀初めに、アメリカのヘンリー・ノリス・ラッセルが恒星のスペクトルと絶対等級の相関関係を図に並べたところ、多くの星が左上と右下を結ぶ帯を成すことが示された。また、デンマークのアイナー・ヘルツシュプルングも独立に恒星の色と明るさの関係に偏りがあることを示した。この相関はヘルツシュプルング・ラッセル図(HR図)として纏められ、恒星の進化を示したものを認識されるようになった。HR図の横軸はスペクトルの型で表す場合と色指数で表す場合があるが、どちらも基本的に恒星の表面温度の指標である。なお後者は色-等級図と呼ばれる場合もある。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "HR図にある恒星の位置は、その星の大きさを知る手がかりを与える。恒星が放射するエネルギー総量は、単位面積当たり放射量と星の表面積の積で表される。面積当たり放射量は半径の2乗に比例し、シュテファン=ボルツマンの法則から温度の4乗に比例する。スペクトル、つまり表面温度が同じで絶対等級が0等と10等のふたつの星は、総放射量の差は1万倍になる。これを半径に置き換えると100倍の差があることになる。同じ絶対等級の場合、A型(表面温度1万K)とM型(同3,000K)では、A型はM型の3.3倍であり、この4乗が単位面積当たり放射量になるため差は120倍となる。しかし総放射量は同じであるため、表面積ではA型の表面積M型の120分の1となり、半径では11分の1となる。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "X線は恒星の死後の姿である中性子星や、恒星の放射物が連星を成す高密度星に引きずり込まれる際に発生することが知られるが、単独の恒星からも観察される。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "太陽をX線観測すると、磁力線のねじれと再結合の際にエネルギーが解放され、コロナやフレアを発する際に放射が起こることが知られている。形成中で若く、まだ中心で水素の核融合を起こす前段階にある前主系列星という恒星は、太陽よりも強い短波長の硬X線を放つ現象が知られる。形成途上の恒星は周囲から収縮途上のガスの流入が続き、その角運動量が持ち込まれて自転が早くなる。すると星の内部で対流が大規模に起こり、発生するフレアも太陽の数万倍規模になって強いX線が生じると考えられている。前主系列星は星間ガスに取り囲まれて可視光線では観測しづらい。しかし硬X線を使えばその位置を知る手段のひとつになる。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "太陽質量の5倍以上の恒星は表面対流を起こしておらずコロナやフレアが生じないためX線は放射しないと考えられていたが、X線天文衛星HEAO-2はこのような星からX線を観測した。大質量星は多くの質量を星風の形で放出しており、これが周囲のガスと衝突すると高温のプラズマが発生し、X線を放射している。これらの観測は星間ガスの分布を知るうえで有用である。なお、大・中質量星でもフレアのような磁力線由来のX線と思われるX線が観測された例もあるが、そのメカニズムはわかっていない。",
"title": "観測"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "理想気体の状態方程式が示す通り、ガス体の天体は重力に対抗するために内部が高温・高圧にならなければならない。しかし、その一方で宇宙空間の温度は3Kにすぎず、必ずエネルギーが全方位に流れ出ることになる。これが恒星が輝く理由であり、そのためにエネルギーを供給する源が必要になる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "そのエネルギー源は誕生直後の恒星では自己の重力収縮であるが、やがて水素の原子核融合をエネルギー源とするようになり、一生のほとんどをその状態で過ごす。重い恒星では、一生の終わり近くになると核融合する元素を水素からヘリウムへ変え、順次原子番号の大きな元素を使うようになり、その過程で収縮と膨張を繰り返す。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "恒星は水素やヘリウムをおもな成分としたガスの塊である。恒星の中心部では、原子核融合によりエネルギーが生み出されており、中心から表層へかけて密度・温度が次第に減少する構造になっている。これによって恒星の内部には圧力差が発生し、多くの場合は自己の重力による圧縮との釣り合いが保たれている。また、熱エネルギーは高温部から低温部へ移動するため、中心部で発生した熱は放射・対流によって表層へ向けて運ばれ、最終的には光エネルギーとして宇宙空間に放出される。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "恒星は惑星と比べて質量が大きく表面温度も高い。人類にとってもっとも身近な恒星である太陽は、地球の33万倍の質量と109倍の半径、5,780K(5,510°C)の表面温度を持つ。太陽系最大の惑星である木星と太陽を比べても、質量は1,000倍、半径は10倍の差がある。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "恒星の性質にはさまざまなものがあるが、太陽のように安定した段階にある恒星(主系列星)では、質量が大きいほど半径が大きく高温になるという単純な関係が見られる。たとえば太陽と同じ質量の主系列星はいずれも太陽と似た半径や温度を持つことになり、太陽の7倍の質量を持つスペクトル型B5の主系列星では、半径は太陽の4倍、温度は1万5,500K前後になる。ただし恒星が主系列星から脱して巨星化すると温度の低下と半径の膨張が起き、この法則から逸脱する。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "質量が太陽の8%程度より小さい天体は、中心部が軽水素の核融合反応が起きるほど高温にならないため、恒星ではなく褐色矮星に分類される。この値は恒星質量の下限値といえる。また、質量が太陽の100倍を超えるような恒星も強烈な恒星風によって自らを吹き飛ばしてしまうため、形成されうる恒星の質量には上限が課せられる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "褐色矮星と恒星の境界付近の質量を持った恒星では、半径は太陽の10分の1程度になる。主系列星段階を終えた恒星は非常に巨大化し、例えばおおいぬ座VY星という赤色超巨星は太陽の1,000倍を超える半径を持つと考えられている。太陽自体も数十億年後に巨星の段階を迎えると現在の100倍以上にまで膨れ上がると予想されている。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "恒星が誕生する際には、質量の小さい恒星ほど形成される可能性が高い。銀河系に存在する恒星の大部分は、太陽より質量の小さいK型やM型の主系列星だと考えられている。しかし低質量の星は暗いために地球に近いものしか観測できない。夜空に見える明るい星の多くは、遠くにある大質量の主系列星や赤色巨星などの数量的には稀だが極端に明るい天体の姿である。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "恒星は、質量の10分の1ほどの水素原子がヘリウム原子に変わるまで、主系列星でいる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "恒星は、周囲より僅かに物質の密度が高い(それでも地球上の実験室で作ることができる真空よりはずっと希薄な)領域である分子雲から生まれる。分子雲の近くで超新星が爆発したり恒星が近くを通過したりするなどして分子雲に擾乱が起こると、その衝撃波や密度揺らぎによって分子雲の中に圧縮される部分が生じ、重力的に不安定になり収縮していく。大質量星が作られると、その周囲の分子雲が星からの紫外光で電離されて散光星雲(輝線星雲)を作ったり、強烈に照らし出されて反射星雲として観測されたりするようになる。このような星雲の例として、有名なオリオン大星雲やプレアデス星団の周囲の青い星雲などが知られている。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "ガス塊の質量が十分大きい場合、熱放射でエネルギーを失うと自己重力によって収縮し温度はかえって上昇する。このような系を「有効比熱が負の系」という。重力ポテンシャルのエネルギーのうち半分は赤外線で放射され、残りは天体内部の温度上昇に寄与する。こうして熱放射はますます盛んになり、やがて輝くようになる。これが原始星である。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "原始星の中心温度が数百万度から約1,000万Kに達すると、中心で水素の核融合反応が始まる。すなわち、4個の水素原子を1個のヘリウム原子に変え、エネルギーを発生させることができるようになる。するとこれが熱源となって圧力を発生し、重力による収縮が止まる。この段階の恒星を主系列星という。恒星は一生のうち約90%の時間を主系列星として過ごす。なお星の寿命は質量が小さいほど長くなる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "質量が太陽の約8%よりも小さく、核融合反応を持続することができない星(褐色矮星と呼ばれる)は、自らの重力により、数千億年(宇宙が誕生してから現在までの時間よりも長い)というきわめて長い時間をかけて、位置エネルギーを熱エネルギーに変換しながらゆっくりと収縮していく。最後にはそのままゆっくりと暗くなっていき、黒色矮星へと移っていく。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "褐色矮星よりも重いが質量が太陽の46%よりは小さい恒星(赤色矮星と呼ばれる)は、核融合反応は発生するため主系列星には属するものの核反応が遅く、数千億年から数兆年かけて燃料である水素を使い果たしたあと、ヘリウム型の白色矮星になるとされている。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "大部分の恒星は、燃料となる中心部の水素をほぼ使い果たすと、外層が膨張し巨大な赤い恒星に変化していく。これは赤色巨星と呼ばれる(約50億年後、太陽が赤色巨星になった時には、金星を呑み込むほどに膨張すると言われる)。やがて核の温度と圧力は上昇し、ヘリウムが炭素に変わる核融合が始まる。恒星が十分な質量を持っている場合は、外層はさらに膨張して温度が下がる一方、中心核はどんどん核融合が進み、窒素、酸素、ネオン、マグネシウム、ケイ素、鉄というように、重い元素が形成されていく。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "太陽程度の、平均的な質量を持った恒星では、中心核での核融合反応は窒素や酸素の段階で止まり、外層のガスを放出して惑星状星雲を形成する。中心核は外層部の重力を支えきれず収縮し、収縮するとエネルギーを生じ再び膨張する。こうして膨張収縮を繰り返す脈動変光星となる。高密度になったものの、もはや核融合を起こすことができなくなると縮退物質が残る。これは白色矮星と呼ばれる。白色矮星はゆっくりと熱を放出していき、きわめて長い時間をかけて黒色矮星になっていく。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "太陽の8倍よりも質量が大きい恒星では、密度が比較的小さいために中心核が縮退することなく核融合反応が進んで次々と重い元素が作られて行く。最終的に鉄が生成されたところで、鉄原子は安定であるためそれ以降は核融合反応が進まなくなり、重力収縮しながら温度が上がっていく。中心温度が約100億度に達すると鉄の光分解という吸熱反応が起き、中心核の圧力が急激に下がって重力崩壊を起こす。その反動で恒星は超新星爆発と呼ばれる大爆発を起こす。これは宇宙で起こる現象の中で、人間的なタイムスケールで起こる数少ないものである。恒星の質量の大部分は爆発で吹き飛ばされ、かに星雲のような超新星残骸を作る。このとき恒星は急激に明るくなり、明るさでおよそ1億倍、等級で約20等も増光し、数週間の間、超新星ひとつが銀河全体と同じ明るさで輝くことも多い。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "歴史上、超新星は、今まで星が何もなかったところに突如出現した「新しい星」として「発見」されてきた。超新星爆発が起こったあとの中心核の運命は恒星の元の質量により異なる。太陽の30倍から40倍程度までの質量を持った恒星の場合、中心核は中性子星(パルサー、X線バースター)と呼ばれる天体となる。さらに重い恒星の場合には中心核が完全に重力崩壊を起こしてブラックホールとなる。",
"title": "性質"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "ビッグバン直後には、水素・ヘリウム・リチウム・ベリリウムといった軽い元素は形成されたものの、それ以上重い重元素は形成されなかった。その後恒星が形成され、内部での核融合によって、はじめて炭素や窒素、鉄といった重元素が形成されることとなった。恒星内部の核融合で形成されるのは鉄までであり、金やウランのように鉄よりさらに重い元素は、超新星爆発や中性子星の衝突時に形成されると考えられている。こうした重元素を多く含む、吹き飛ばされた恒星の外層は、やがて再び分子雲を作り、新しい恒星や惑星を作る材料となる。このため、太陽系などのように形成が遅い恒星系ほど重元素が多く含まれることになる。このように、超新星から放出された物質や巨星からの恒星風は、恒星間の環境を形成するのに重要な役割を果たしている。",
"title": "性質"
}
] | 恒星とは、自ら光を発し、その質量がもたらす重力による収縮に反する圧力を内部に持ち支えるガス体の天体の総称である。古典的な定義では、夜空に輝く星のうち、その見かけの相対位置の変化の少ないもののことを指す。地球から一番近い恒星は、太陽系唯一の恒星である太陽である。 惑星が地球を含む太陽系内の小天体であるのに対し、恒星はそれぞれが太陽に匹敵する大きさや光度をもっているが、非常に遠方にあるために小さく暗く見えている。 | [[ファイル:Alpheratz.gif|thumb|恒星]]
'''恒星'''(こうせい、{{Lang-en-short|fixed stars}}、{{Lang-la-short|asteres aplanis}})とは、自ら[[光]]を発し、その[[質量]]がもたらす[[重力]]による収縮に反する[[圧力]]を内部に持ち支える[[気体|ガス]]体の[[天体]]の総称である{{sfn|尾崎洋二|2010|pp=95-96}}。古典的な定義では、夜空に輝く星のうち、その見かけの相対位置の変化の少ないもののことを指す<ref name="nipponica">『日本大百科全書』(ニッポニカ)</ref>。[[地球]]から一番近い恒星は、[[太陽系]]唯一の恒星である[[太陽]]である{{sfn|水谷仁|2009|pp=30-31}}。
惑星が地球を含む[[太陽系]]内の小天体であるのに対し、恒星はそれぞれが太陽に匹敵する大きさや[[光度 (天文学)|光度]]をもっているが、非常に遠方にあるために小さく暗く見えている<ref name="nipponica" />。
== 語源 ==
「恒星({{Lang-la-short|asteres aplanis}})」という言葉は、[[英語]]「fixed star」の漢訳であり、[[地球]]から肉眼で見た際に[[太陽]]や[[月]]または[[太陽系]]の[[惑星]]に見られるような動きを見せず、[[天球]]に恒常的に固定された星々という意味で名づけられた{{sfn|尾崎洋二|2010|p=71}}。これに対し、天球上を移動していく星のことを「さまよう星」という意味で「[[惑星]]」と名づけられたといわれる{{sfn|水谷仁|2009|p=4}}。[[漢字圏]](中・越・朝・日)で「恒星」という漢語術語は共通するが、「惑星」という術語は現在では日本のみが使用する。中・越・朝は「行星」といい、「さまよう星」という意味ももつが、同時に五行[[五行思想|思想]]に基づく五惑星(水星・金星・火星・木星・土星)を暗示する。恒星・惑星・行星という漢語は、いずれも、明末清初に西欧天文書がマテオ・リッチとその協力者たちによって漢訳される際に、参照された古代中国の宇宙論から採用されたと考えられるが、初出は不明である。[[上海博物館蔵戦国楚竹書]]に「恒先」と仮称される文献があり、その宇宙論が「恒」と「惑」(或)および「恒」と「行」によって構成されていることが[https://www.iwanami.co.jp/book/b260992.html 浅野裕一『古代中国の宇宙論』(2006, 94-96頁)]に紹介されている。しかし、明清時期にはこの書は失われた状態であって、マテオ・リッチとその協力者たちにより参照されたのは似た内容を持つ別の文献だったと考えられる。
== 固有運動 ==
語源にもあるように、太陽以外の恒星は地球から数[[光年]]以上の離れた場所にある{{sfn|尾崎洋二|2010|p=71}}ため、恒星の見かけ上の相対的な位置はほとんど変化しない{{sfn|岡村定矩|2001|pp=45-46}}。
ただし、恒星は天球上で完全に静止しているわけではなく、わずかに[[固有運動]]を持つ{{sfn|尾崎洋二|2010|p=71}}。明るい恒星では年間0.1[[秒 (角度)|秒角]]以下の固有運動を持つが、太陽に近い星はより速く動き、これらは高速度星と呼ばれる。その中でも[[バーナード星]](HIP87937)は10.36秒角/年の速度で移動し、100年間で[[満月]]の[[半径]]にほぼ相当する17.2分角を移動する{{sfn|岡村定矩|2001|pp=45-46}}。そのため、特に注意を払っていなければ数十年から数百年程度の時間では肉眼で変化を確認することは難しい。
== 命名と分類 ==
相対的に動かない(前述のように現在ではこの表現は厳密には正しくなく、ごくわずかな固有運動が発見されている)という恒星の性質から、古代の人々は恒星の配置に[[星座]]を見出してきた{{sfn|尾崎洋二|2010|p=71}}。
[[古代ギリシア]]の[[ヒッパルコス]]が作成し、これを元に[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]が『[[アルマゲスト]]』に記載した[[星表]]には、1022個の星が存在した。この星表は[[イスラム世界]]にも伝えられ普及したため、恒星の固有名に関しては[[ギリシャ神話]]に由来する名称のほか、[[アラビア語]]由来のものも多くなっている<ref>「宇宙観5000年史 人類は宇宙をどうみてきたか」p236-237 中村士・岡村定矩 東京大学出版会 2011年12月26日初版</ref>。
現代では、それほど明るくない恒星に関しては、おもに[[ヨハン・バイエル]]の「バイエル星表」に記載された記号で呼ばれる。これは「[[バイエル符号|バイエル記号]]」と呼ばれる。星座ごとに明るい順にα星、β星とギリシャ語の記号を付けるもので、足りなくなると[[ラテン文字|ローマ字(ラテン文字)]]のアルファベットの[[小文字]]が、それでも足りないとローマ字の[[大文字]]が使われた。バイエルの死後、星座の境界が変更されたため、たとえば「α星が無い星座」なども存在する。また、必ずしも明るい順に付けられているわけでもない。具体的には、ギリシャ語のアルファベットと星座名を合わせ、「[[ベガ|こと座 α星]]」などと呼ぶ。国際的にはラテン語を使い、α Lyraeと書く。このとき星座名は[[属格]]に活用変化させる。IAUによる3文字の略符を使い、α Lyr と書いてもよい。NASAによる4文字の略符もあるが一般的ではない。バイエルは混乱を防ぐため、たとえば(ギリシャ文字のαとの混同を避けるため)ローマ文字のa星を作らなかった。また、最も星の多い星座でもQ星までしか付けなかったため、R以降の文字は変光星などの特殊な天体に付けられる。
これより更に暗い星は、[[ジョン・フラムスティード]]の星表に記されたフラムスティード番号で呼ばれる。恒星を西から順に1番星、2番星と数字の符号を付けるものである。ただし、フラムスティード番号は、南天の星座には付けられていないなどの弱点がある。フラムスティード番号で、上記のこと座α星を表すと、こと座3番星(3 Lyrae、または 3 Lyr)となる。この番号は、フラムスティードの望遠鏡で見たところ、こと座で西端から3番目にあった星ということになる。
よく、バイエルが命名しなかった暗い星に順番に番号が振られたといわれることがあるが、誤りである。たとえば、オリオン座α星([[ベテルギウス]])は、フラムスティード番号ではオリオン座58番星となる。多くの恒星が両者によって命名がされている。ただし、現在はバイエル符号がおもに使われ、フラムスティード番号は主にバイエル名の付いていない星に使われる。これよりも更に暗い星は、更にそののちに決定された星表([[ヘンリー・ドレイパーカタログ|HD]]など)で付けられた番号や記号で呼ばれる。
Wikipediaでは、英語版にはバイエル記号を用いた「[[:en:Table of stars with Bayer designations|Table of stars with Bayer designations]]」という大きな一覧表があり、日本語版には「[[恒星の一覧]]」という簡素な記事がある。
===見かけの明るさによる分類===
{| class="floatright wikitable" style="text-align:right;"
|+ 見かけの等級別の<br />星の数
!見かけの<br />等級
!星の<br />個数<ref>「理科年表第86冊」、P125(天49) ISBN 978-4-621-08606-3</ref>
|-
! -1
| 2
|-
! 0
| 7
|-
! 1
| 12
|-
! 2
| 67
|-
! 3
| 190
|-
! 4
| 710
|-
! 5
| 2,000
|-
! 6
| 5,600
|-
! 7
| 16,000
|}
恒星の見かけの明るさはさまざまである。太陽を除き、もっとも明るく見える恒星は[[シリウス]]([[おおいぬ座]]α星)、次いで[[カノープス]]([[りゅうこつ座]]α星)である。しかしこのような視認できる明るさは、恒星本来の明るさとは異なり、単位面積の光量は[[距離]]の2乗に逆比例して少なくなる{{sfn|岡村定矩|2001|pp=46-47}}。
この見かけの明るさは[[視等級]]や写真等級で表される。視等級mは、こと座α星が0(ゼロ)等級になる様に定数Cを定め、地球上の単位面積あたりに届く光の強度Iから、
: m = -2.5 log I + C
で表される{{sfn|岡村定矩|2001|pp=3-4}}。2つの恒星の等級差は、
: m<sub>1</sub> - m<sub>2</sub> = -2.5 log ( I<sub>1</sub>/I<sub>2</sub>)
で表され、これをボグソンの式という{{sfn|岡村定矩|2001|pp=3-4}}。
見かけの等級は肉眼で見える明るさのものを6つに分割しており、数字が小さくなるほど明るくなる。この6分割法は紀元前150年頃に古代ギリシアのヒッパルコスによって始められたと伝えられており、その後観測機器や技術の向上により肉眼で見えない星が発見されるようになると7等星以上の区分が追加されるようになり、また1等星の中でも特に明るいものには0等級や、さらにはマイナスの等級もつけられるようになった<ref>https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/resource/tenmon/space/seiza/seiza01.html 「国立科学博物館-宇宙の質問箱-星座編」日本国立科学博物館 2023年1月2日閲覧</ref>。
== 観測 ==
=== 距離と明るさ ===
恒星までの距離測定には、一般的に[[年周視差]]が用いられる。これは地球が公転運動する中で、近距離の恒星が遠距離の恒星に対して見かけ上の位置に生じる差を観測するもので、1秒角の視差がある時、公転軌道の中心にある太陽からその対象までの距離を[[パーセク]](pc)で表す。1pcは3.26[[光年]]、2.06×10<sup>5</sup>[[天文単位|AU]]そして3.08×10<sup>13</sup>[[キロメートル|km]]である。現在判明している年周視差が最大、すなわち太陽の次に近い恒星は[[ケンタウルス座アルファ星|ケンタウルス座α星]]であり、視差0.76秒角、距離1.32pcつまり2.72×10<sup>5</sup>AUとなる{{sfn|岡村定矩|2001|pp=46-47}}。この年周視差を用いる計算法は[[地動説]]確立後に間もなく意識され、18 - 19世紀ごろから観測が始まり、1837 - 38年ごろに手段として正しさが確認された{{sfn|岡村定矩|2001|pp=46-47}}。この測定に最初に成功したのは[[フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル]]であり、[[はくちょう座61番星]]までの距離を約10.3光年と算出した<ref>「物理学は歴史をどう変えてきたか 古代ギリシャの自然哲学から暗黒物質の謎まで」p172 アン・ルーニー 立木勝訳 東京書籍 2015年8月18日第1刷発行</ref>。その後さまざまな星の視差が測定され、1989年に[[欧州宇宙機関]]が打ち上げた[[ヒッパルコス (人工衛星)|ヒッパルコス衛星]]は約11万8000個の恒星の位置および年周視差を測定し、その結果は[[ヒッパルコス星表]]および[[ティコ星表]]として公表された<ref>https://astro-dic.jp/hipparcos-satellite/ 「ヒッパルコス衛星」天文学辞典 日本天文学会 2023年1月1日閲覧</ref>。
ただし、非常に遠方にある星には視差が使用できないため、周期的[[脈動変光星]]である[[古典的セファイド変光星]]を利用した距離測定がなされる<ref>「物理学は歴史をどう変えてきたか 古代ギリシャの自然哲学から暗黒物質の謎まで」p173 アン・ルーニー 立木勝訳 東京書籍 2015年8月18日第1刷発行</ref>。1908年にハーバード大学天文台の[[ヘンリエッタ・スワン・リービット]]が[[ケフェイド変光星]]の変光周期と絶対等級が比例する、いわゆる[[周期-光度関係]]を発見したことにより開発された方法で、ケフェイド変光星の周期を求めることで絶対等級を算出し、それを見かけの等級と比較することで距離を割り出す<ref>https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/resource/tenmon/space/galaxy/galaxy05.html 「国立科学博物館-宇宙の質問箱-銀河編」日本国立科学博物館 2023年1月1日閲覧</ref>。
恒星までの距離が判明すれば、本来の明るさである[[絶対等級]]が計算できる。ある恒星までの距離を10パーセクとした場合に見える視等級を表す{{sfn|岡村定矩|2001|pp=3-4}}。視等級と絶対等級は必ずしも一致せず、例えば太陽は地球からの視等級は-26.78等星であるのに対し、絶対等級では4.83等星にすぎない<ref>「そこが知りたい 天文学」(シリーズ大人のための科学)p84 福江純 日本評論社 2008年5月20日第1版第1刷発行</ref>。
=== 恒星の分光 ===
{| class="wikitable" style="float: right; text-align: center; margin-left: 1em;"
|+ 表面温度による色と型の違い
! 型
! 温度(ケルビン)<ref>{{cite web
| last=Smith | first=Gene | date=April 16, 1999
| url=https://casswww.ucsd.edu/archive/public/tutorial/Stars.html
| title=Stellar Spectra
| publisher=University of California, San Diego
| accessdate=2006-10-12}}</ref>
! 代表的な恒星<ref>「理科年表第86冊」、P110(天34) ISBN 978-4-621-08606-3</ref>
|- style="background: {{star-color|O}}"
| O
| 33,000 K or 以上
| [[とも座ゼータ星|とも座ζ星]]
|- style="background: {{star-color|B}}"
| B
| 10,500–30,000 K
| [[オリオン座ガンマ星|オリオン座γ星]]
|- style="background: {{star-color|A}}"
| A
| 7,500–10,000 K
| [[シリウス]]
|- style="background: {{star-color|F}}"
| F
| 6,000–7,200 K
| [[プロキオン]]
|- style="background: {{star-color|G}}"
| G
| 5,500–6,000 K
| [[太陽]]、[[カペラ (恒星)|カペラ]]
|- style="background: {{star-color|K}}"
| K
| 4,000–5,250 K
| [[アークトゥルス]]
|- style="background: {{star-color|M}}"
| M
| 2,600–3,850 K
| [[ベテルギウス]]、[[ミラ (恒星)|ミラ]]
|}
[[恒星光|恒星の光]]を[[分光器]]にかけ、その[[スペクトル]]を観察すると、暗い筋である[[フラウンホーファー線]]が見られる。この線が現れる位置は恒星の表面温度を反映しており、19世紀末から20世紀にかけて[[ハーバード大学天文台]]が高温のO型から低温のM型までの7種類の分類を施した{{sfn|岡村定矩|2001|pp=48-50}}。スペクトルによる分類に最初に着手したのはハーバード大学天文台の[[エドワード・ピッカリング]]と助手の[[ウィリアミーナ・フレミング]]であり、水素の多いものをAから順に分類していく方式を取ったがこれは不十分なもので、のちに同天文台の[[アニー・ジャンプ・キャノン]]がOからMまでの7タイプに分類するハーバード法を確立した<ref>「物理学は歴史をどう変えてきたか 古代ギリシャの自然哲学から暗黒物質の謎まで」p170-171 アン・ルーニー 立木勝訳 東京書籍 2015年8月18日第1刷発行</ref>。
ハーバード法による分類は、以下のようになる。
* O型:電離したヘリウム、高階電離状態の炭素・窒素・酸素などの線が現れる。
* B型:強い中性ヘリウムや水素の吸収線が現れる。
* A型:強い水素の吸収線と、金属吸収線が現れる。
* F型:弱い水素の吸収線と、強い電離カルシウムのH・K線が現れる。
* G型:F型よりも水素の吸収線が弱く、H・K線はより強い
* K型:多くの金属吸収線が現れる。
* M型:K型に、酸化チタン(TiO)の吸収帯が際立つ。
現在は、この7種それぞれをさらに9段階のサブクラスに分け、合計63段階で表示される{{sfn|岡村定矩|2001|pp=48-50}}。
1940年代に、同じスペクトルに現れる線の太さや強さが着目され、これが恒星の絶対等級と関係することが明らかになった。たとえばBやA型の恒星では、絶対等級の明るい星ほど水素のパルマー線の幅が狭く、絶対等級効果と呼ばれる。これを元に光度階級という指標が導入され、ローマ数字のIからVまでの5段階で表す{{sfn|岡村定矩|2001|pp=48-50}}。
*I型:もっとも直径が大きい恒星(超巨星){{sfn|岡村定矩|2001|pp=48-50}}
*II型:次に直径が大きい恒星{{sfn|岡村定矩|2001|pp=48-50}}(輝巨星)<ref name="rikanet">[https://web.archive.org/web/20171004193121/http://rika-net.com/contents/cp0320/manual/Chapter3/3-2/No3/F0301101.htm 理科ねっとわーく]</ref>
*III型:直径が大きい恒星(巨星){{sfn|岡村定矩|2001|pp=48-50}}
*IV型:巨星と矮星の間に当たる恒星{{sfn|岡村定矩|2001|pp=48-50}}(準巨星)<ref name="rikanet"/>
*V型:矮星(主系列星){{sfn|岡村定矩|2001|pp=48-50}}
上記2種類の分類を組み合わせる表示法はMK2次元分類と呼ばれる。たとえば太陽はG2V、[[ベガ]]はA0V、[[はくちょう座]]の[[デネブ]]はA2Iである{{sfn|岡村定矩|2001|pp=48-50}}。MK分類の名は、開発者の[[ウィリアム・ウィルソン・モーガン]]と{{仮リンク|フィリップ・チャイルズ・キーナン|en|Philip Childs Keenan}}の名前に由来し、モルガン・キーナン分類とも呼ばれる<ref>「物理学は歴史をどう変えてきたか 古代ギリシャの自然哲学から暗黒物質の謎まで」p171 アン・ルーニー 立木勝訳 東京書籍 2015年8月18日第1刷発行</ref>。「[[スペクトル分類]]」も合わせて参照のこと。
スペクトルを分析すると、特定の元素が示すフラウンホーファー線は実験室で観察する線とずれが見られる場合がある。これは、恒星の固有運動によって距離が変化するために生じる[[ドップラー効果]]が影響する。ここから逆に、恒星がどのような運動をしているかを分析することができる{{sfn|岡村定矩|2001|pp=53-55}}。また、恒星が含む元素構成比を測定することも可能であり、恒星の進化状況を判断する材料も与える{{sfn|岡村定矩|2001|pp=53-55}}。
=== 色 ===
恒星は[[黒体放射]]にほぼ等しい光を連続して放っている。これを利用して表面温度を測定する方法では、B(Blue 青)と V(Visual 可視) の2種類のフィルターを通して等級を測定し、その差(B-V)から温度を推計する方法が用いられる。このB-V透過率は色指数と呼ばれ、A0型の恒星をゼロと置き、青が強いと等級数は小さくなるため、色指数が大きいと温度が低く、小さいと温度が高いと考えられる{{sfn|岡村定矩|2001|pp=50-51}}。
=== ヘルツシュプルング・ラッセル図 ===
[[画像:H-R diagram.png|right|thumb|200px|ヘルツシュプルング・ラッセル図]]
20世紀初めに、アメリカの[[ヘンリー・ノリス・ラッセル]]が恒星のスペクトルと絶対等級の相関関係を図に並べたところ、多くの星が左上と右下を結ぶ帯を成すことが示された。また、デンマークの[[アイナー・ヘルツシュプルング]]も独立に恒星の色と明るさの関係に偏りがあることを示した。この相関は[[ヘルツシュプルング・ラッセル図]](HR図)として纏められ、恒星の進化を示したものを認識されるようになった{{sfn|岡村定矩|2001|pp=51-53}}。HR図の横軸はスペクトルの型で表す場合と色指数で表す場合があるが、どちらも基本的に恒星の表面温度の指標である。なお後者は色-等級図と呼ばれる場合もある{{sfn|岡村定矩|2001|pp=51-53}}。
HR図にある恒星の位置は、その星の大きさを知る手がかりを与える。恒星が放射するエネルギー総量は、単位面積当たり放射量と星の表面積の積で表される。面積当たり放射量は半径の2乗に比例し、[[シュテファン=ボルツマンの法則]]から温度の4乗に比例する。スペクトル、つまり表面温度が同じで絶対等級が0等と10等のふたつの星は、総放射量の差は1万倍になる。これを半径に置き換えると100倍の差があることになる{{sfn|岡村定矩|2001|pp=51-53}}。同じ絶対等級の場合、A型(表面温度1万K)とM型(同3,000K)では、A型はM型の3.3倍であり、この4乗が単位面積当たり放射量になるため差は120倍となる。しかし総放射量は同じであるため、表面積ではA型の表面積M型の120分の1となり、半径では11分の1となる{{sfn|岡村定矩|2001|pp=51-53}}。
=== X線 ===
X線は恒星の死後の姿である[[中性子星]]や、恒星の放射物が[[連星]]を成す高密度星に引きずり込まれる際に発生することが知られるが{{sfn|岡村定矩|2001|pp=57-59}}、単独の恒星からも観察される。
太陽を[[X線]]観測すると、磁力線のねじれと再結合の際にエネルギーが解放され、[[コロナ]]や[[太陽フレア|フレア]]を発する際に放射が起こることが知られている。形成中で若く、まだ中心で水素の核融合を起こす前段階にある前主系列星という恒星は、太陽よりも強い短波長の硬X線を放つ現象が知られる。形成途上の恒星は周囲から収縮途上のガスの流入が続き、その角運動量が持ち込まれて自転が早くなる。すると星の内部で対流が大規模に起こり、発生するフレアも太陽の数万倍規模になって強いX線が生じると考えられている。前主系列星は星間ガスに取り囲まれて可視光線では観測しづらい。しかし硬X線を使えばその位置を知る手段のひとつになる{{sfn|岡村定矩|2001|pp=55-56}}。
太陽質量の5倍以上の恒星は表面対流を起こしておらずコロナやフレアが生じないためX線は放射しないと考えられていたが、[[X線天文衛星]][[HEAO-2]]はこのような星からX線を観測した。大質量星は多くの質量を星風の形で放出しており、これが周囲のガスと衝突すると高温のプラズマが発生し、X線を放射している。これらの観測は星間ガスの分布を知るうえで有用である{{sfn|岡村定矩|2001|pp=57}}。なお、大・中質量星でもフレアのような磁力線由来のX線と思われるX線が観測された例もあるが、そのメカニズムはわかっていない{{sfn|岡村定矩|2001|pp=57}}。
== 性質 ==
===恒星の物理===
[[理想気体]]の[[理想気体の状態方程式|状態方程式]]が示す通り、ガス体の天体は重力に対抗するために内部が高温・高圧にならなければならない。しかし、その一方で[[宇宙空間]]の[[温度]]は3[[ケルビン|K]]にすぎず、必ず[[エネルギー]]が全方位に流れ出ることになる。これが恒星が輝く理由であり、そのためにエネルギーを供給する源が必要になる{{sfn|尾崎洋二|2010|pp=95-96}}。
そのエネルギー源は誕生直後の恒星では自己の[[ケルビン・ヘルムホルツ機構|重力収縮]]であるが、やがて[[水素]]の[[原子核融合]]をエネルギー源とするようになり、一生のほとんどをその状態で過ごす{{sfn|尾崎洋二|2010|pp=95-96}}。重い恒星では、一生の終わり近くになると核融合する元素を水素から[[ヘリウム]]へ変え、順次[[原子番号]]の大きな元素を使うようになり、その過程で収縮と膨張を繰り返す{{sfn|尾崎洋二|2010|pp=103-104}}。
恒星は[[水素]]や[[ヘリウム]]をおもな成分とした[[気体|ガス]]の塊である。恒星の中心部では、[[原子核融合]]によりエネルギーが生み出されており、中心から表層へかけて[[密度]]・[[温度]]が次第に減少する構造になっている。これによって恒星の内部には[[圧力]]差が発生し、多くの場合は自己の重力による圧縮との釣り合いが保たれている。また、熱エネルギーは高温部から低温部へ移動するため、中心部で発生した熱は[[放射]]・[[対流]]によって表層へ向けて運ばれ、最終的には光エネルギーとして宇宙空間に放出される<ref>斉尾 p.13-16</ref>。
恒星は惑星と比べて質量が大きく表面温度も高い。人類にとってもっとも身近な恒星である太陽は、[[地球]]の33万倍の質量と109倍の半径、5,780K(5,510℃)の表面温度を持つ<ref>{{cite web
| title=Sun Fact Sheet | url=http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/factsheet/sunfact.html | publisher=[[アメリカ航空宇宙局|NASA]] NSSDC | accessdate=2010-02-25
}}</ref>。太陽系最大の惑星である[[木星]]と太陽を比べても、質量は1,000倍、半径は10倍の差がある。
恒星の性質にはさまざまなものがあるが、太陽のように安定した段階にある恒星([[主系列星]])では、質量が大きいほど[[半径]]が大きく高温になるという単純な関係が見られる。たとえば太陽と同じ質量の主系列星はいずれも太陽と似た半径や温度を持つことになり、太陽の7倍の質量を持つス[[スペクトル分類|ペクトル型]]B5の主系列星では、半径は太陽の4倍、温度は1万5,500K前後になる<ref>斉尾 p.43 表1</ref>。ただし恒星が主系列星から脱して[[巨星]]化すると温度の低下と半径の膨張が起き、この法則から逸脱する。
質量が太陽の8%程度<ref name="Ledrew" />より小さい天体は、中心部が軽水素の核融合反応が起きるほど高温にならないため、恒星ではなく[[褐色矮星]]に分類される<ref>「そこが知りたい 天文学」(シリーズ大人のための科学)p117 福江純 日本評論社 2008年5月20日第1版第1刷発行</ref>。この値は恒星質量の下限値といえる。また、質量が太陽の100倍を超えるような恒星も強烈な[[恒星風]]によって自らを吹き飛ばしてしまうため、形成されうる恒星の質量には上限が課せられる。
褐色矮星と恒星の境界付近の質量を持った恒星では、半径は太陽の10分の1程度になる。主系列星段階を終えた恒星は非常に巨大化し、例えば[[おおいぬ座VY星]]という[[赤色超巨星]]は太陽の1,000倍を超える半径を持つと考えられている。太陽自体も数十億年後に巨星の段階を迎えると現在の100倍以上にまで膨れ上がると予想されている。
恒星が誕生する際には、質量の小さい恒星ほど形成される可能性が高い。[[銀河系]]に存在する恒星の大部分は、太陽より質量の小さい[[K型主系列星|K型]]や[[赤色矮星|M型]]の主系列星だと考えられている。しかし低質量の星は暗いために地球に近いものしか観測できない。夜空に見える明るい星の多くは、遠くにある大質量の主系列星や赤色巨星などの数量的には稀だが極端に明るい天体の姿である<ref name="Ledrew">{{cite journal | author=Ledrew, G. | year=2001 | title=The Real Starry Sky | journal=Journal of the Royal Astronomical Society of Canada | volume=95 | pages=32 | url=https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/2001JRASC..95...32L/abstract}}</ref>。
恒星は、質量の10分の1ほどの水素原子がヘリウム原子に変わるまで、[[主系列星]]でいる<ref>「徹底図解 宇宙のしくみ」、[[新星出版社]]、2006年、p108</ref>。
=== 形成と進化 ===
{{Main|恒星進化論}}
恒星は、周囲より僅かに物質の密度が高い(それでも地球上の実験室で作ることができる真空よりはずっと希薄な)領域である[[分子雲]]から生まれる。分子雲の近くで[[超新星]]が爆発したり恒星が近くを通過したりするなどして分子雲に擾乱が起こると、その衝撃波や密度揺らぎによって分子雲の中に圧縮される部分が生じ、重力的に不安定になり収縮していく。大質量星が作られると、その周囲の分子雲が星からの紫外光で電離されて[[散光星雲]]([[輝線星雲]])を作ったり、強烈に照らし出されて[[反射星雲]]として観測されたりするようになる。このような星雲の例として、有名な[[オリオン大星雲]]や[[プレアデス星団]]の周囲の青い星雲などが知られている。
ガス塊の質量が十分大きい場合、[[熱放射]]でエネルギーを失うと自己重力によって収縮し温度はかえって上昇する。このような系を「有効比熱が負の系」という{{sfn|尾崎洋二|2010|pp=95-96}}。[[重力ポテンシャル]]のエネルギーのうち半分は[[赤外線]]で放射され{{sfn|尾崎洋二|2010|pp=96-97}}、残りは天体内部の温度上昇に寄与する{{sfn|尾崎洋二|2010|pp=95-96}}。こうして熱放射はますます盛んになり、やがて輝くようになる。これが[[原始星]]である<ref>「そこが知りたい 天文学」(シリーズ大人のための科学)p89 福江純 日本評論社 2008年5月20日第1版第1刷発行</ref>。
原始星の中心温度が数百万度から約1,000万K{{sfn|尾崎洋二|2010|pp=99-101}}に達すると、中心で水素の核融合反応が始まる。すなわち、4個の水素原子を1個のヘリウム原子に変え、エネルギーを発生させることができるようになる。するとこれが熱源となって圧力を発生し、重力による収縮が止まる。この段階の恒星を[[主系列星]]という<ref name="名前なし-20230316121922">「そこが知りたい 天文学」(シリーズ大人のための科学)p90 福江純 日本評論社 2008年5月20日第1版第1刷発行</ref>。恒星は一生のうち約90%の時間を主系列星として過ごす。なお星の寿命は質量が小さいほど長くなる<ref name="名前なし-20230316121922"/>。
質量が太陽の約8%よりも小さく、核融合反応を持続することができない星([[褐色矮星]]と呼ばれる)は、自らの重力により、数千億年(宇宙が誕生してから現在までの時間よりも長い)というきわめて長い時間をかけて、[[位置エネルギー]]を[[熱エネルギー]]に変換しながらゆっくりと収縮していく。最後にはそのままゆっくりと暗くなっていき、[[黒色矮星]]へと移っていく。
褐色矮星よりも重いが質量が太陽の46%よりは小さい恒星([[赤色矮星]]と呼ばれる)は、核融合反応は発生するため主系列星には属するものの核反応が遅く、数千億年から数兆年かけて燃料である水素を使い果たしたあと、ヘリウム型の[[白色矮星]]になるとされている<ref>「そこが知りたい 天文学」(シリーズ大人のための科学)p117-119 福江純 日本評論社 2008年5月20日第1版第1刷発行</ref>。
[[ファイル:Evolved star fusion shells.svg|thumb|right|赤色巨星の断面図]]
大部分の恒星は、燃料となる中心部の水素をほぼ使い果たすと、外層が膨張し巨大な赤い恒星に変化していく。これは[[赤色巨星]]と呼ばれる<ref>「そこが知りたい 天文学」(シリーズ大人のための科学)p91 福江純 日本評論社 2008年5月20日第1版第1刷発行</ref>(約50億年後、太陽が赤色巨星になった時には、[[金星]]を呑み込むほどに膨張すると言われる)。やがて核の温度と圧力は上昇し、ヘリウムが炭素に変わる核融合が始まる。恒星が十分な質量を持っている場合は、外層はさらに膨張して温度が下がる一方、中心核はどんどん核融合が進み、[[窒素]]、[[酸素]]、[[ネオン]]、[[マグネシウム]]、[[ケイ素]]、[[鉄]]というように、重い元素が形成されていく。
太陽程度の、平均的な質量を持った恒星では、中心核での核融合反応は窒素や酸素の段階で止まり、外層のガスを放出して[[惑星状星雲]]を形成する<ref>「そこが知りたい 天文学」(シリーズ大人のための科学)p119 福江純 日本評論社 2008年5月20日第1版第1刷発行</ref>。中心核は外層部の重力を支えきれず収縮し、収縮するとエネルギーを生じ再び膨張する。こうして膨張収縮を繰り返す[[脈動変光星]]となる。高密度になったものの、もはや核融合を起こすことができなくなると[[フェルミ縮退|縮退]]物質が残る。これは[[白色矮星]]と呼ばれる。白色矮星はゆっくりと熱を放出していき、きわめて長い時間をかけて黒色矮星になっていく。
太陽の8倍よりも質量が大きい恒星では、密度が比較的小さいために中心核が縮退することなく核融合反応が進んで次々と重い元素が作られて行く。最終的に鉄が生成されたところで、鉄原子は安定であるためそれ以降は核融合反応が進まなくなり、重力収縮しながら温度が上がっていく。中心温度が約100億度に達すると[[光崩壊|鉄の光分解]]という吸熱反応が起き、中心核の圧力が急激に下がって[[重力崩壊]]を起こす。その反動で恒星は[[超新星爆発]]と呼ばれる大爆発を起こす<ref name="名前なし-20230316121922-2">「そこが知りたい 天文学」(シリーズ大人のための科学)p120-121 福江純 日本評論社 2008年5月20日第1版第1刷発行</ref>。これは宇宙で起こる現象の中で、人間的なタイムスケールで起こる数少ないものである。恒星の質量の大部分は爆発で吹き飛ばされ、[[かに星雲]]のような[[超新星残骸]]を作る。このとき恒星は急激に明るくなり、明るさでおよそ1億倍、[[視等級|等級]]で約20等も増光し、数週間の間、超新星ひとつが銀河全体と同じ明るさで輝くことも多い。
歴史上、超新星は、今まで星が何もなかったところに突如出現した「新しい星」として「発見」されてきた。超新星爆発が起こったあとの中心核の運命は恒星の元の質量により異なる。太陽の30倍から40倍程度までの質量を持った恒星の場合、中心核は[[中性子星]]([[パルサー]]、[[X線バースター]])と呼ばれる天体となる。さらに重い恒星の場合には中心核が完全に重力崩壊を起こして[[ブラックホール]]となる<ref name="名前なし-20230316121922-2"/>。
[[ビッグバン]]直後には、水素・ヘリウム・[[リチウム]]・[[ベリリウム]]といった軽い元素は形成されたものの、それ以上重い[[重元素]]は形成されなかった。その後恒星が形成され、内部での核融合によって、はじめて炭素や窒素、鉄といった重元素が形成されることとなった。恒星内部の核融合で形成されるのは鉄までであり、[[金]]や[[ウラン]]のように鉄よりさらに重い元素は、超新星爆発や中性子星の衝突時に形成されると考えられている<ref>https://www.kek.jp/ja/essay/post-4513/ 「【KEKエッセイ #32】元素はいつどこで生まれたの?」KEK 大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構 2020年10月4日 2023年1月3日閲覧</ref>。こうした重元素を多く含む、吹き飛ばされた恒星の外層は、やがて再び分子雲を作り、新しい恒星や惑星を作る材料となる。このため、太陽系などのように形成が遅い恒星系ほど重元素が多く含まれることになる。このように、超新星から放出された物質や巨星からの[[恒星風]]は、恒星間の環境を形成するのに重要な役割を果たしている<ref>「そこが知りたい 天文学」(シリーズ大人のための科学)p122 福江純 日本評論社 2008年5月20日第1版第1刷発行</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*{{cite book |和書|author=斉尾英行|year=1992|title=星の進化|series=New Cosmos Series|publisher=[[培風館]]|ref=harv}}
*{{cite book|和書|author=尾崎洋二|authorlink=尾崎洋二|title=宇宙科学入門|publisher=[[東京大学]]出版会|year=2010|edition=第2版第1刷|isbn=978-4-13-062719-1|ref=harv}}
*{{Cite book|和書|author=水谷仁|coauthors= |year=2009|title=[[ニュートン (雑誌)|ニュートン]]別冊 太陽と惑星 改訂版|publisher=[[ニュートンプレス]]|location=東京都渋谷区代々木2-1-1新宿マインズタワー|isbn=978-4-315-51859-7|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author = 編:岡村定矩|title = 天文学への招待|year = 2001|publisher = [[朝倉書店]]|series = |isbn = 4-254-15016-4|page = |ref=harv}}
== 関連項目 ==
{{commons|Category:Stars}}
{{Wiktionary|恒星}}
* 恒星を扱う学問
** [[恒星天文学]]
** [[恒星物理学]]
** [[恒星内部物理学]]
* 恒星の種類
** [[主系列星]] - [[準矮星]] - [[準巨星]] - [[巨星]] - [[輝巨星]] - [[超巨星]]
** [[赤色矮星]] - [[K型主系列星]] - [[G型主系列星]]
** [[赤色巨星]] - [[青色巨星]] - [[赤色超巨星]]
** [[ウォルフ・ライエ星]]
* 恒星に関連した天体
** [[褐色矮星]]
** [[黒色矮星]]
** [[白色矮星]]
** [[中性子星]]
** [[ブラックホール]]
* 一覧
** [[恒星の一覧]]
** [[明るい恒星の一覧]]
** [[近い恒星の一覧]]
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
{{天文学}}
{{恒星}}
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[[Category:天体]]
[[Category:天文学に関する記事]]
[[Category:恒星|*]] | 2003-02-13T10:36:01Z | 2023-12-19T04:39:25Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%92%E6%98%9F |
1,276 | 内田善美 | 内田 善美(うちだ よしみ、1953年10月28日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。山梨県出身。女子美術大学出身。1974年から1986年にかけて約12年間にわたって漫画家として活動した。代表作は『星の時計のLiddell』、「草迷宮・草空間」、「空の色ににている」など。
美術系の大学に在学中の1974年、マンガ誌『りぼん』の新人賞に投稿した「すみれ色の季節に」が大賞を受賞。同年「なみの障害物レース」(『りぼん』1974年7月号)でプロデビューする。卒業制作で忙しくなるまで、一条ゆかりのアシスタントをしていた。内田に紹介されて代わりに一条のアシスタントになった松苗あけみは、内田は一条の『5愛のルール』(雑誌『りぼん』1975年5月号 - 12月号掲載)で背景などを描いていたと述べた。
1977年まで『りぼん』『りぼん増刊』『りぼんDX』各誌で短編を発表。日本の高校やアメリカの田舎町を舞台とした叙情的なものが多い。内田は前者を「ドリームランドの船シリーズ」後者を「ゲイルズバーグ・ストーリーズ」と名付けた。また同時期には「銀河 その星狩り」(「りぼんDX」1977年冬の号)のような異世界ファンタジーも執筆した。
その後『りぼん』の専属契約を終了しフリーになる。サンリオの『リリカ』、新書館の『ペーパームーン』などの新創刊された雑誌でイラストなどを発表する。
1978年、集英社の新雑誌『ぶ〜け』誌に創刊号から参加し、1983年頃まで、吉野朔実や松苗あけみ、水樹和佳子と共に同誌の連載作家陣の一人として活躍した。
イラストレーターとして画集を刊行し、早川書房で装幀を手掛けた。
1982年から1983年にかけて、最長の作品となった長編『星の時計のLiddell』を連載した。その後、加筆修正の上、全3巻の単行本として刊行したのが最後の単行本となる(1986年に完結)。
最後に発表された漫画作品は、『ぶ~けせれくしょん』1984年1月20日号掲載の『草迷宮-めらんこりかるShopping-』である。なおこの作品は、単行本『草迷宮・草空間』に収録されたが、加筆に時間をかけた『星の時計のLiddell』と刊行順が前後している。
漫画以外では、1987年に『ぶ〜け』『ぶ〜けデラックス』誌に計4回、カラーイラストが掲載されていることが確認されている。
1984年以後、内田の新作はなく、既刊作品の再販もされていない。大泉実成は『消えたマンガ家3』で、内田に取材と作品の再刊について申し込んだが、一切拒否、また現在の状況や消息についても触れて欲しくないと釘を刺されたと書いた。
早川書房の編集者だった風間賢二は、内田にイラストを依頼して原稿を取りに内田の家を訪れると、原稿は玄関前に置かれており、一度も顔を合わせることがなかったという。
『芸術新潮』2014年2月号の特集「少女マンガ家はラファエル前派の夢を見るか」で、山岸凉子、森川久美などと並んで過去の作品が掲載された。
『星の時計のLiddell』は、2017年より赤松健主宰のウェブサイト「マンガ図書館Z」で広告付きで無料配信されているが、赤松によれば権利関係は松苗あけみを通じて調査中。
稲葉振一郎によれば、2021年時点で内田の作品が新刊として公式に流通しているのは、ジャック・フィニイ『ゲイルズバーグの春を愛す』(ハヤカワ文庫)の表紙イラストのみだという。
幻想的な作品を発表した。
恩田陸によれば「華麗で緻密で西欧的な、確固たる線の絵」が特徴。画風が似ていることから、大矢ちきのアシスタントをしていたのではないかと言われた。
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] | 内田 善美は、日本の漫画家、イラストレーター。山梨県出身。女子美術大学出身。1974年から1986年にかけて約12年間にわたって漫画家として活動した。代表作は『星の時計のLiddell』、「草迷宮・草空間」、「空の色ににている」など。 | {{存命人物の出典明記|date=2018年6月}}
{{Infobox 漫画家
|名前 = 内田 善美
|本名 =
|生年 = {{生年月日と年齢|1953|10|28}}<ref name="日外アソシエーツ"/>
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|代表作 = 『星の時計のLiddell』<ref name=onda/>
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}}
'''内田 善美'''(うちだ よしみ、1953年10月28日<ref name="日外アソシエーツ">日外アソシエーツ編集部『漫画家・アニメ作家人名事典』p.64 1997年4月21日発行、ISBN 4-8169-1423-4(1987年調査)</ref><ref>『星くず色の船』(集英社、1977年初版)のあとがきイラストに「生まれたの1953年の10月28日だと親がいってたけど」(184ページ)との記述がある。また山梨県の小学校と中学校に通っていたとの記述もある。</ref> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、イラストレーター。山梨県出身<ref name=cinemagene/><ref name="日外アソシエーツ"/>。[[女子美術大学]]出身<ref name="芸術新潮"/>。1974年から1986年にかけて約12年間にわたって漫画家として活動した。代表作は『星の時計のLiddell』<ref name=onda/><ref name="日外アソシエーツ"/>、「草迷宮・草空間」<ref name="日外アソシエーツ"/>、「空の色ににている」<ref name="日外アソシエーツ"/>など。
== 経歴 ==
美術系の大学に在学中の[[1974年]]、マンガ誌『[[りぼん]]』の新人賞に投稿した「すみれ色の季節に」が大賞を受賞<ref>{{Cite book|和書|title=「りぼん」1974年4月号「りぼん漫画スクール」欄|page=200|date=|year=1974|publisher=集英社}} なお、作品は掲載されなかった。</ref>。同年「なみの障害物レース」(『[[りぼん]]』1974年7月号)でプロデビューする<ref name="日外アソシエーツ"/>。卒業制作で忙しくなるまで、[[一条ゆかり]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]をしていた<ref name="芸術新潮">『[[芸術新潮]]』2014年2月号 特集:英国ヴィクトリア朝美術の陶酔 「少女マンガ家はラファエル前派の夢を見るか」インタビュー:[[松苗あけみ]]、聞き手:[[藤本由香里]] 2014年1月25日、[[新潮社]]、79-84ページ</ref>。内田に紹介されて代わりに一条のアシスタントになった[[松苗あけみ]]は、内田は一条の『5愛のルール』(雑誌『りぼん』[[1975年]]5月号 - 12月号掲載)で背景などを描いていたと述べた<ref name="芸術新潮" />。
1977年まで『りぼん』『りぼん増刊』『りぼんDX』各誌で短編を発表。{{要出典|date=2021年10月16日 (土) 10:21 (UTC)|日本の高校やアメリカの田舎町を舞台とした叙情的なものが多い}}。内田は前者を「ドリームランドの船シリーズ」後者を「ゲイルズバーグ・ストーリーズ」と名付けた<ref>{{Cite book|和書|title=秋のおわりのピアニシモ|date=|year=1978|publisher=集英社}}</ref>。また同時期には「銀河 その星狩り」(「りぼんDX」1977年冬の号)のような異世界ファンタジーも執筆した。
その後『りぼん』の専属契約を終了しフリーになる<ref>{{Cite book|和書|title=松苗あけみの少女まんが道|date=2000-06-20|publisher=ぶんか社|pages=63}}</ref>。サンリオの『リリカ』、新書館の『ペーパームーン』などの新創刊された雑誌でイラストなどを発表する。
[[1978年]]、集英社の新雑誌『[[ぶ〜け]]』誌に創刊号から参加し、[[1983年]]頃まで、吉野朔実や松苗あけみ、水樹和佳子と共に同誌の連載作家陣の一人として活躍した。
イラストレーターとして画集を刊行し、[[早川書房]]で装幀を手掛けた<ref name="少女マンガの宇宙"/>。
[[1982年]]から[[1983年]]にかけて、最長の作品となった長編『'''星の時計のLiddell'''』を連載した。その後、加筆修正の上、全3巻の単行本として刊行したのが最後の単行本となる([[1986年]]に完結)。
最後に発表された漫画作品は、『[[ぶ~けせれくしょん]]』[[1984年]]1月20日号掲載の『草迷宮-めらんこりかるShopping-』である。なおこの作品は、単行本『'''草迷宮・草空間'''』に収録されたが、加筆に時間をかけた『星の時計のLiddell』と刊行順が前後している。
漫画以外では、{{要出典|date=2021年10月16日 (土) 10:21 (UTC)|[[1987年]]に『ぶ〜け』『ぶ〜けデラックス』誌に計4回、カラー[[イラスト]]が掲載されていることが確認されている。}}
== 活動終了後 ==
1984年以後、内田の新作はなく、既刊作品の再販もされていない<ref name=cinemagene>[https://cinemagene.com/post-12873/ 現存する単行本はすべてレア物!伝説の漫画家・内田善美とは ] 2021年8月19日閲覧</ref>。[[大泉実成]]は『消えたマンガ家3』で、内田に取材と作品の再刊について申し込んだが、一切拒否、また現在の状況や消息についても触れて欲しくないと釘を刺されたと書いた。
早川書房の編集者だった[[風間賢二]]は、内田にイラストを依頼して原稿を取りに内田の家を訪れると、原稿は玄関前に置かれており、一度も顔を合わせることがなかったという<ref name="少女マンガの宇宙">『少女マンガの宇宙 SF・ファンタジー1970-80年代』pp.137-139、[[立東舎]]、2017年 {{ISBN2|978-4845630301}}</ref>。
『[[芸術新潮]]』2014年2月号の特集「少女マンガ家はラファエル前派の夢を見るか」<ref name="芸術新潮" />で、[[山岸凉子]]、[[森川久美]]などと並んで過去の作品が掲載された。
『星の時計のLiddell』は、2017年より[[赤松健]]主宰のウェブサイト「[[マンガ図書館Z]]」で広告付きで無料配信されているが、赤松によれば権利関係は松苗あけみを通じて調査中<ref>{{Cite web|和書|title=https://twitter.com/kenakamatsu/status/854833688948785152|url=https://twitter.com/kenakamatsu/status/854833688948785152|website=Twitter|accessdate=2020-06-21|language=ja|date=2017-04-20}}</ref>。
[[稲葉振一郎]]によれば、2021年時点で内田の作品が新刊として公式に流通しているのは、[[ジャック・フィニイ]]『ゲイルズバーグの春を愛す』([[ハヤカワ文庫]])の表紙イラストのみだという<ref>{{Cite web|和書|author=稲葉振一郎|url=https://note.com/kashiwashobho/n/n67ba9f0e2e2f|title=内田善美の「隠遁」|稲葉振一郎さんが選ぶ「絶版本」|website=かしわもち 柏書房のwebマガジン|date=2021-10-01|accessdate=2022-06-03}}</ref>。
2023年に行われた松苗あけみの原画展にて、松苗の所蔵する内田の原画が展示された<ref>{{Cite web |title=https://twitter.com/anayuko/status/1695264856218444223 |url=https://twitter.com/anayuko/status/1695264856218444223 |website=X (formerly Twitter) |access-date=2023-12-04 |language=ja}}</ref>。
==作風==
幻想的な作品を発表した<ref name="日外アソシエーツ"/>。
[[恩田陸]]によれば「華麗で緻密で[[西欧]]的な、確固たる線の絵」が特徴<ref name=onda/>。画風が似ていることから、[[大矢ちき]]のアシスタントをしていたのではないかと言われた<ref name=onda>{{Cite web|和書|author=恩田陸|url=https://www.shobunsha.co.jp/?page_id=1956|title=土曜日は灰色の馬 > 第8回 内田善美を探して〈3〉|website=晶文社|date=2009年6月9日|accessdate=2021年8月19日}}</ref>。
同時代の美大出身の[[少女漫画家]]たちと同じくヨーロッパ絵画や挿絵などの影響を受けており、[[ラファエル前派]]や[[エドワード・バーン=ジョーンズ|バーン=ジョーンズ]]を好んだという<ref name="芸術新潮" />。
== 著書 ==
=== 集英社 ===
* りぼんマスコットコミックス
** 秋のおわりのピアニシモ - 全1巻(1978年<ref>https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C284960 メディア芸術データベース 2021年8月19日閲覧</ref>)
** 星くず色の船 - 全1巻(1977年<ref>https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C325457 メディア芸術データベース 2021年8月19日閲覧</ref>)
* ぶ〜けコミックス
** ひぐらしの森 - 全1巻
** 空の色ににている - 全1巻(1981年<ref>https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C273129 メディア芸術データベース 2021年8月19日閲覧</ref>)
** かすみ草にゆれる汽車 - 全1巻(1981年<ref>https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C331725 メディア芸術データベース 2021年8月19日閲覧</ref>)
* ぶ〜けコミックス豪華版
** 草迷宮・草空間 - 全1巻(1985年<ref>https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C260642 メディア芸術データベース 2021年8月19日閲覧</ref>)
** 星の時計のLiddell - 全3巻(1985-86年<ref>https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C271289 メディア芸術データベース 2021年8月19日閲覧</ref>)
=== その他 ===
* 聖パンプキンの呪文(画集) - [[新書館]]
* 白雪姫幻想(画集) - [[サンリオ]]
* ソムニウム夜間飛行記(絵本) - [[白泉社]]
* 少年たちの記憶(画集) - 白泉社
* 愛のギリシア神話 - 紅亜里著『入門 星占い』([[実業之日本社]]、1982年)
** 挿絵として[[十二星座]]のイラストを収録<ref>[http://www.liddellwatchstar.com/works/greek_myths.html 愛のギリシア神話] 内田善美作品リスト Yuko Nagai</ref>
=== 単行本未収録作品 ===
* 銀色の糸 - 『りぼん』1974年10月号掲載<ref>[http://www.liddellwatchstar.com/works/silverline.html 銀色の糸] 内田善美作品リスト Yuko Nagai</ref>
* 妖精王の騎士 - 『[[ペーパームーン]]』(新書館)1977年8月号掲載<ref>[http://www.liddellwatchstar.com/works/fairy.html 妖精王の騎士] 内田善美作品リスト Yuko Nagai</ref>
* 人魚幻想 - 『[[ヤングレディ]]』1977年12月27日号掲載<ref>[http://www.liddellwatchstar.com/works/mermaid.html 人魚幻想] 内田善美作品リスト Yuko Nagai</ref>
* 人魚夢幻の秋のいろ - 『[[週刊セブンティーン]]』1978年47号掲載<ref>[http://www.liddellwatchstar.com/works/mermaid_illusion.html 人魚夢幻の秋のいろ] 内田善美作品リスト Yuko Nagai</ref>
== 出典 ==
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[松苗あけみ]]
* [[一条ゆかり]]
* [[大泉実成]]
== 外部リンク ==
* {{マンガ図書館Z作家|1772}}
* [http://www.liddellwatchstar.com/ 内田善美作品リスト]
* [https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C48254 内田善美 - メディア芸術データベース]
* [https://web.archive.org/web/20020203122654/http://www.riddle.club.pos.to/index.html 内田善美の亜空間]
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1,279 | Java | ■カテゴリ / ■テンプレート
Java(ジャバ、ジャヴァ)は、汎用プログラミング言語とソフトウェアプラットフォームの双方を指している総称ブランドである。オラクルおよびその関連会社の登録商標である。1996年にサン・マイクロシステムズによって市場リリースされ、2010年に同社がオラクルに吸収合併された事によりJavaの版権もそちらに移行した。
プログラミング言語Javaは、C++に類似の構文、クラスベースのオブジェクト指向、マルチスレッド、ガベージコレクション、コンポーネントベース、分散コンピューティングといった特徴を持ち、平易性重視のプログラム書式による堅牢性と、仮想マシン上での実行によるセキュリティ性およびプラットフォーム非依存性が理念とされている。Javaプラットフォームは、Javaプログラムの実行環境または、実行環境と開発環境の双方を統合したソフトウェアであり、ビジネスサーバ、モバイル機器、組み込みシステム、スマートカードといった様々なハードウェア環境に対応したソフトウェア形態で提供されている。その中枢技術であるJava仮想マシンは各プラットフォーム環境間の違いを吸収しながら、Javaプログラムの適切な共通動作を実現する機能を備えている。このテクノロジは「write once, run anywhere」と標榜されていた。
2019年の時点でGitHubによると、Javaは特にクライアント/サーバモデルのWebアプリケーションで使用されている最も人気の高いプログラミング言語の1つであり、全世界でおよそ900万人の開発者がいるとレポートされている。最新バージョンは、2022年9月にリリースされたJava 19と、2018年9月にリリースされたJava 11の長期サポート(LTS)版、2014年3月にリリースされたJava 8のLTS版である。オラクルは未解決のセキュリティ問題によるリスクを回避するために、旧バージョンのアンインストールと新バージョンへの移行を強く推奨している。
現在の正規ベンダーであるオラクルの公式アピールは、以下の通りである。特に業務用システムの構築に最適であるとしている。
オラクルによると、全世界の3億のコンピュータデバイスでJava実行環境が動作しており、全世界の200万の人員がJava開発環境を使用しており、全世界で250億枚のJava Cardが発行されている、と統計されている。
Javaプログラム構文は、C++によく似たものである。オブジェクト指向言語の一面が強調されがちだが、C言語のような手続き型言語としてもプログラミングできる。Javaはオブジェクト指向パラダイムをそれほど強制しない。
Javaは、同時にマルチパラダイム言語でもある。JDK 1.1でJavaBeans/JavaRMI/CORBAによるコンポーネントプログラミングと、リフレクションAPIによるメタプログラミングが備えられた。J2SE 5.0でジェネリクス構文/APIによるジェネリックプログラミングが追加された。Java SE 7で並行APIによる並行プログラミングが追加された。Java SE 8ではラムダ式/関数型インターフェース/ストリームAPIなどによる関数型プログラミングが追加された。2014年(Java 8)以降の関数型とジェネリクスを多用しているJavaプログラムは、それ以前のJavaプログラムから大きく様変わりしている。
Javaは、クラスベースのオブジェクト指向である。クラス、インターフェース、インスタンスといった概念を中心にしたものである。クラスのメンバ要素は、フィールド、メソッド、静的フィールド、静的メソッド、定数、内部クラス、コンストラクタ、ファイナライザである。インターフェースは抽象メソッドと定数で構成される純粋抽象クラスである。クラスはインスタンスのひな型であり、インスタンスはクラスを実体化したものである。Javaプログラムは、1個以上のクラス定義文から形成される。Javaのクラスはカプセル化、継承、多態性をサポートしている。
カプセル化は、クラスメンバの可視性 (private, package, protected, public) でサポートされている。可視性とはメンバのアクセス許可範囲を定めるものであり、privateは同クラス内限定、packageは同クラス内と同パッケージ内限定、protectedは同クラス内と同パッケージ内と派生クラス内限定、publicは制限なしを意味する。パッケージはプログラム全体を任意に分割したソースファイルの1個以上のまとまりである。Javaのデフォルト可視性は、ファイル単位のpackageなので隠蔽性よりも利便性が重視されている。
継承は、スーパークラスが一つに限られる単一継承をサポートしている。多重継承は不可である。既存クラスに任意メンバを追加した新規クラスを作成できる。Javaの全クラスはObjectクラスをルートクラスとしてデフォルト継承する。Objectクラスにはロック機能が備えられており、これは並行プログラミングを前提にした仕様である。
多態性は、仮想関数、抽象クラス、インターフェース、動的ダウンキャストでサポートされている。スーパークラスのvirtualメソッドを、サブクラスの同名メソッドでオーバーライドできる機能を仮想関数と言う。スーパークラス変数にサブクラスインスタンスを代入してその変数からサブクラスのメソッドが呼ばれるようにするのは、サブタイピングになる。インターフェースは抽象メソッドだけの純粋抽象クラスであり、任意の数だけクラスに実装できる。実行時ダウンキャストはinstanceof演算子の実行時型チェックが可能で、ダウンキャスト失敗時は例外発生する。
プラットフォーム非依存とは、Javaプログラムが特定のハードウェアやオペレーティングシステムに依存せずに、あらゆる環境での共通動作を保証する概念である。”Write once, run anywhere”(一度プログラムを書いてしまえば、どのコンピューターでも動くよ)とされる。Javaのプラットフォーム非依存性は次のようにして実現されている。
Java初期のインタプリタ式で走行されるJavaプログラムの実行速度は遅かったが、実行時コンパイラ技術と動的再コンパイル技術 (dynamic recompilation) の導入によって実行速度問題はほぼ解決した。実行時コンパイラとは、一定のJavaバイトコードをまとめてネイティブコードにコンパイルして継続的に実行させる技術である。Java仮想マシンはメモリ境界とバッファオーバーフローのチェックを行いながらプログラムを走行させる。また、クラスロード時のバイトコード検証機能によって、あからさまなコード暴走や致命的エラーの頻発を事前抑止している。
Javaプログラムは、複数以上のスレッドを同時走行できる。これをマルチスレッドと言う。多数のスレッドを扱う大規模システムにも対応しており、例えばスレッドグループAPIは、スレッドたちを役割や性質でグループ化して一括操作できる。これはクライアント・サーバシステムの実装向けである。また、多数の断続的トランザクションをさばくシステムにおいて発生しがちなスレッド生成/破棄の反復による負荷増大を回避するための、スレッドプールとタスクキューを合わせたスレッドモニタAPIも用意されている。
Javaのマルチスレッド並行計算は、クリティカルセクション同期が基準にされている。Javaの全インスタンスは、ロック機能を備えているObjectクラスをルート継承しているので、クリティカルセクションのロックオブジェクトにできる。Javaではsynchronizedで指定された範囲がクリティカルセクションになる。Javaの標準ロック手法は、ミューテックスのモニタである。synchronizedメソッドはその全体が排他セクションになり、そこではThisインスタンスがロックオブジェクトになる。synchronized静的メソッドでは、システム内の専用インスタンスがロックオブジェクトになる。また、synchronized(指名変数)構文でメソッド内の任意範囲をクリティカルセクションにして、そこでは指名変数がロックオブジェクトになる。
ミューテックスのモニタ以外の、カウントセマフォやバリアや読み書きロックなどのロック手法は、並行APIの方で用意されている。
Javaプログラムのメモリ管理は、Java仮想マシンのガベージコレクションによって行われる。ガベージコレクションとは、すでにどこからも参照されていないインスタンスを自動的に特定して破棄し、その占有メモリ領域を自動的に解放する機能である。人の手によるオブジェクトの生成と破棄を正確に対応させるメモリ管理作業は煩雑化するのが常であり、メモリリークや不正リリースによるエラーを引き起こしやすく、バグの温床と化すのが通例であった。それらを自動化したガベージコレクションは、Javaプログラマを複雑なメモリ管理作業から解放する。
ガベージコレクタのプロセスは、システムスレッドに乗って未参照のインスタンスを探し続ける。どこかの末端だけが途切れている参照の連鎖のかたまりも正確に特定して、参照の孤島に例えられたメモリ領域を一気に解放する。Javaではガベージコレクション機能に並々ならぬ力が入れられており、その技術更新は現在も進行中である。世代別ガベージコレクタ、応答時間短縮化のレイテンシ重視ガーベジコレクタ、休止時間短縮化のスループット重視ガーベジコレクタなどが導入されて更に改訂を重ねており、運用環境別の選択使用も可能にされている。
Javaの分散コンピューティングプログラミングは、オブジェクト要求ブローカーに準拠している。これはネットワーク上に存在する様々なプラットフォームの間で、互いに異なる環境を意識せずにリクエストとレスポンスを送りあい任意のタスクを遂行する分散システムの構築をサポートする。各プラットフォーム上で稼働されるサーバアプリケーションとクライアントアプリケーションは、それぞれオブジェクトを内包しており、業界共通規格のCORBAまたはJava独自規格のRMIが提供する運用アーキテクチャと通信プロトコルを通して、他のオブジェクトと相互にコミュニケーションする。それらは分散オブジェクトと呼ばれている。
業務用システムではすでにCORBAが普及していたので、高パフォーマンスだがJavaプラットフォーム間の限定になるRMIはその後追いであった。そのためRMIはCORBAと連携できるようにRMI over IIOPなどの様々な技術が実装されている。CORBAの通信プロトコルはIIOP、RMIの方はJRMPである。分散オブジェクトを実装するためのAPIとクラスライブラリの多くはJakarta EEに属している。分散オブジェクトの中でサーバ機能に特化されたものはEJB (Enterprise JavaBeans) と呼ばれている。
EJBは、クライアントと同期通信を行いトランザクションを管理するセッションビーン、データベースとリンクして永続データを管理するエンティティビーン、様々なイベントからの非同期通信を管理するメッセージドリブンビーンの三種に大別される。これらのEJBは、EJBコンテナに内包されて運用される。分散オブジェクト同士が通信するためのプロトコルは、IIOPかJRMPが使われる。JNDIは、照会された識別名からネットワーク上の分散オブジェクトや各種リソースのロケーションを特定して通信ないしアクセスできるようにする。
EJBコンテナは、WEBコンテナと連携して運用されるのが普通である。EJBコンテナはWEBコンテナを一般的なクライアント窓口として使用することが多い。WEBコンテナはサーブレットとJSP(Java Server Pages)を内包しているWEB用サーバアプリケーションであり、HTTPプロトコルを通して一般的なWEBブラウザとの同期通信を行う。WEB方面の分散オブジェクトは、WEBコンポーネントと呼ばれる。JSPはいわゆるWEBサイトの表示に特化したコンポーネントである。サーブレットはWEBサイトへのリクエストを処理し、場合によってはセッションビーンにトランザクションを委譲するコンポーネントである。EJBコンテナではJBossやWebSphereなどが有名である。EJBコンテナはWEBコンテナと統合されて提供されている事が多い。WEBコンテナではApache Tomcatが有名である。
分散ネットワークプログラミングを重視しているJavaは、サンドボックスモデルに基づいたセキュリティ機構を備えている。これは遠隔ダウンロードされた追加プログラム(Javaバイトコード)による実行環境への予期せぬ操作やユーザー資源への好ましくないアクセスを防止するためのものである。分散(distributed)指向のJavaプログラムでは、Javaクラスファイルを遠隔ロードする機会が多いので、サンドボックス実行は必須になる。Javaのサンドボックスは、大抵は以下の手順になる。
実際には上記に加えて、各クラスを役割やセキュリティレベルでまとめるドメイン機構、認証と承認によるユーザーパーミッション機構、バイトコード送受信時の署名付き証明書機構などが組み合わされて実装運用される。
家電向けプロジェクトの立ち上げ(1990年12月)
Javaの歴史は、1990年12月にサン・マイクロシステムズ(サン)が、次世代の家電製品が内蔵するマイクロコントローラ向けのプログラミング言語を開発するための水面下プロジェクトをリサーチ段階を兼ねて試験的に立ち上げた事から始まる。サンはこの分野が今後の重要市場になると予測していた。サンのエンジニアであるジェームズ・ゴスリンやパトリック・ノートンらの参加により、現実味を帯びたプロジェクトの名称は正式に「グリーンプロジェクト」と定められた。彼らはカリフォルニア州メンローパーク市サンドヒルロードに用意された比較的小さなオフィスで開発を始めた。
Oak言語とGreen OSの誕生(1991年)
グリーンチーム内では当時の主流であったオブジェクト指向を採用する事で一致していた。彼らはそのモデル言語であるC++に白羽の矢を立て、当初はその移植版を検討していたが、プロジェクトの対象が家電製品の組み込みシステムであったために自然と却下された。C++の複雑な言語仕様はコンピュータ資源の浪費とプログラムエラーの発生率を高めがちであり、堅牢性と安全性が最重要の家電製品の制御装置には不向きであると判断されたためだった。加えてC++では移植性に対応できない点も指摘され、プラットフォーム非依存も重要な議題として提起された。彼らはC++に代わる言語の開発と同時に、あらゆる機器に容易に移植できるプラットフォームの必要性も認識するようになった。こうして新言語プログラムの動作環境になる「Green OS」の開発も始められた。
一方で、Mesa言語とC言語の長所を理想にしていたサンのエンジニアのビル・ジョイは、C++をモデルにした新しいオブジェクト指向言語の開発を提案するワーキングペーパーにFurtherという題名を付けて自社に上申した。それを受けてまずジェームズ・ゴスリンがC++の拡張言語を提出した。ゴスリンはこれを「C++ ++ --」と名付けたがすぐに取り下げ、改めて一から設計しなおしたプログラミング言語を1991年秋に誕生させた。オフィスの側に立つオークの木を眺めながら開発を進めていたゴスリンは、この新しい言語に「Oak」という名前をつけた。これがJavaの前身である。
携帯端末、テレビ機器市場への参入と撤退(1992年 - 1994年5月)
1992年夏にはGreen OSを実際の機器に載せてOakプログラムを実行できるようになっていた。この頃になるとより広範囲な可能性を秘めるようになったグリーンプロジェクトの対象は当初の家電機器から、当時のトレンドであった携帯情報端末 (PDA)へとシフトされていた。1992年9月3日に最初のデモンストレーションが開催され「Star7」という名のPDA機器がOakプログラムの初のお披露目舞台になった。このStar7のユーザーインターフェース上で後のマスコットキャラ「Duke」が初登場している。
1992年11月、サンはファーストパーソンという会社を設立しグリーンチームをそちらに所属させた。次世代のインタラクティブ機器に関心を持つファーストパーソンは、ケーブルテレビ用セットトップボックス事業への参入を決めて、タイム・ワーナーと3DOにそれぞれOakテクノロジを提示した。しかし、その余りに高度な柔軟さが却って倦厭されてしまい契約実現には到らなかった。サン本社はファーストパーソンの解散を決め、グリーンチームも本社に戻された。
ワールドワイドウェブ参入(1994年6月〜1994年9月)
1994年6月、サン技術部長ジョン・ゲージがジェームズ・ゴスリン、ビル・ジョイ、パトリック・ノートン、エリック・シュミットら集めて、延べ3日に渡るブレインストーミングが行われた。ここで彼らはワールドワイドウェブをプロジェクトの本命に据える事で一致した。革新的なウェブブラウザである「NCSA Mosaic」の登場に触発された彼らは、インターネットの世界がケーブルテレビのそれを超えたインタラクティブな媒体に発展しつつある事を認識していた。パトリック・ノートンはOakテクノロジをベースにした「WebRunner」という小さなウェブブラウザを開発した。Oakによる小さなアクティブプログラムが埋め込まれたウェブページにアクセスすると、WebRunner上でマウス操作に連動するインタラクティブなアニメーションが表示された。
Javaの始動(1994年10月~1996年1月)
1994年秋までにグリーンチームは、Oakを「Java」に、WebRunnerを「HotJava」に改称した。Green OSは「Java Runtime Environment」に落とし込まれた。改称の理由はOakがすでにビデオカードアダプタ製造会社の登録商標になっていたからだった。この命名は一部のチームメンバーがよく出入りしていた近くのコーヒーショップで決定されたと言われる。Javaの由来は不明とされているが、ロゴが示している通りコーヒーに因んでいるのは明らかである。ジャワ島はコーヒー豆の名産地であり、豆(Bean)はJavaテクノロジ内でコンポーネントを指す用語にされている。
1994年10月、JavaランタイムとHotJavaブラウザがサンの幹部社員たちの前でデモンストレーションされた。1995年5月にアルファ版が社内公開され、5月23日のSunワールドカンファレンスで、JavaランタイムとHotJavaブラウザが社外初披露された。ここではJavaアプレットの技術がセールスポイントとしてアピールされた。同時にネットスケープが「Netscape Navigator」ブラウザへのJavaアプレット機能導入をアナウンスして業界の注目を集めた。1995年秋にベータ版が社外公開された。1996年1月9日にサンは、正式にJavaソフトウェア部門を立ち上げた。基幹テクノロジは市場リリース段階まで進捗していたが、その他のテクノロジは未だ途上段階であり、プラットフォームと呼べる域までは達しておらず、初回リリースのプロダクト名は、Javaランタイム環境を内包したデヴェロップメントキットになった。1月23日に最初の公開バージョンである「JDK 1.0」が市場リリースされた。
例えば、「Javaプログラミング例」に出てきたHello.javaをコンパイルするなら、
で実行するためのファイルを生成する。成功すると、Hello.classが同じディレクトリに出ていることが分かる。
コンパイルしたHelloファイルを
と入力して実行できる。
Javaプラットフォーム (Java Platform) は、Javaプログラムを開発または実行する為のソフトウェア群の総称である。Javaプラットフォームは対象環境に合わせて、Java実行環境およびJava開発環境の構成内容と、Javaテクノロジの追加内容を変えたエディションに編集されて公開されている。Javaテクノロジは権利元ベンダーだけでなくサードパーティー側からも提供されており、その標準化はJavaコミュニティプロセス (JCP) が管理している。Java実行環境とJava開発環境はオープンソース化されているので各企業、各団体、開発者各自が営利または非営利で様々なソフトウェアと関連技術を公開しており、巨大なITエコシステムを構築している。
2019年現在、Java権利元のオラクルは、対象環境に合わせたJavaプラットフォームの4つのエディションを公開している。エディションによってJava実行環境とJava開発キットに含まれるツール構成に違いがあり、またクラスライブラリとAPIの構成内容も異なっている。Java仮想マシンの性能にも差異がある。JDK 1.1までは単体エディションで、J2SE 1.2から3エディションに分かれた。J2SE 5.0頃から拡張テクノロジの一つであったJava Cardが昇格して4エディションとなった。
Java実行環境 (Java Runtime Environment; JRE) は、Javaアプリケーションを実行するために必要なソフトウェアである。Java仮想マシン、''Java.exe''のスターターを含めた各種実行サポートツール、Javaクラスライブラリで構成される。Java実行環境の中核はJava仮想マシンである。エディション毎に仮想マシンの仕様と性能は異なっており、また実行時は複数の動作モードを持つ。仮想マシンはスターターを通して稼働されるのが普通である。様々な使用状況に対応したスターターが最初に実行されて、そこから仮想マシンが呼び出されてJavaプログラムの実行を移譲される。仮想マシンはJavaクラスライブラリを逐次読み込みながらJavaプログラムを実行する。Java実行環境のツール内容とクラスライブラリ構成は、エディション毎に違いがある。
Javaクラスライブラリは、普遍的に呼び出される特定の機能を実装したクラスの集合体である。Javaプログラムはライブラリ内のクラスを逐次呼び出しながら処理を実行する。なお、それぞれのJavaクラスライブラリ内部からプログラマの利用に向けて外部公開されている部分を「Java API」と呼ぶ。
Java実行環境に用意されている特定のJavaクラスライブラリを利用する事でJavaプログラムは結果的に、以下の四種類のアプリケーション形態に派生する。
Java開発キット (Java Development Kit) は、Javaプログラムを開発するために必要なソフトウェアである。Java実行環境も内包している。Javaコンパイラなどの基本開発ツール、各種開発サポートツール、Java APIで構成されている。前述のエディションによって開発ツール内容とAPI構成に違いがある。Java開発キットの呼称はこれまでに何度か変更されている。
APIは、アプリケーション・プログラミング・インタフェースの頭字語であり、Javaクラスライブラリ内部からプログラマに向けて外部公開されているクラス、インタフェース、メソッド、フィールド、定数の集合である。プログラマはこれを用いて各種ソフトウェアの開発を行う。APIは基本的にクラスライブラリの所属に沿って、パッケージ (package) と呼ばれる名前空間で分類されて提供されている。パッケージは各ワードをピリオドで連結して階層化されている。先頭ワードのjavaは開発元提供の純正基礎版を意味する。他に純正拡張版のjavax、任意団体提供のorg、企業提供のcomがある。
統合開発環境 (IDE)は、JDKを中核にしてビジュアルエディターやビルドマネジャーなどの様々な開発支援機能を備えたソフトウェアである。JDKのみだと、メモ帳でプログラムを書きコマンドラインでコンパイルしコンソールでデバッグをするという極めて原始的な作業になるが、IDEを使用する事で多機能エディタコーディングとビルド過程の自動化と視覚的なデバッグが可能になる。Java開発用のIDEは様々な企業と任意団体から公開されている。
開発サポートツールは、プロジェクト管理、自動ビルド、デバッグ、モニタリングを容易にする。下記の他にも多くの支援ツールが存在する。
Javaテクノロジは、個人を含む各種組織から様々な形態で公開されている。開発元から提示された技術は、Java Community Process (JCP) による審査を合格した後にJavaテクノロジの一つとして認証される。これを標準化 (standardization) と言う。Javaテクノロジが準拠すべき規範仕様は、JCP管理下で発行される数々のJava仕様要求 (Java Specification Request) にて定義されている。Javaテクノロジは様々な分野に導入されている。その一例を以下に列挙する。
サン・マイクロシステムズは1996年のリリース当初からJava実行環境とJava開発環境をオープンソース化しており、サードパーティーにJavaテクノロジ開発への参入をアピールしていた。ただしJavaの普及に一定のコントロールをかける為にソースコードの改変までは認めていなかった。2004年になるとIBMが業界の優位性を活かしてJavaオープンソースプロジェクトの主導権を握るようになった。Javaコミュニティプロセスを取り巻く業界の変化を悟ったサン・マイクロシステムズはIBMとの本格的な提携を承認し、2007年にJava SE 6を「OpenJDK」としてGNU一般公開ライセンスの下でリリースした。OpenJDKではソースコードの改変も認められた。GNUプロジェクトは「GNU Interpreter for Java」、GNUコンパイラコレクションの「GNU Compiler for Java」、互換クラスライブラリの「GNU Classpath」を公開した。Windows用GNU Compilerは、MinGWと併せてCygwinの環境上でも実行できた。
WindowsやLinuxなどのメジャーOSでは、オラクル、IBM、Blackdown、GNUプロジェクト、Kaffe.orgなどによるJavaプラットフォームが公開されている。また、JavaソースコードをそのままWin用実行ファイルに変換する「Excelsior JET」や、JarファイルをWin用実行ファイルに変換する「exewrap」「Launch4j」「NSIS」「JSmooth」なども販売ないし公開されている。
オラクルは複数のJava認定資格を主催している。Javaのバージョンアップに伴って資格も変更されることがある。ただし、変更前に取得した資格は変更後も有効である。認定試験に不合格だった場合、その試験日を含めて14日以内は同一試験を受験することができない。 | [
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"text": "2019年の時点でGitHubによると、Javaは特にクライアント/サーバモデルのWebアプリケーションで使用されている最も人気の高いプログラミング言語の1つであり、全世界でおよそ900万人の開発者がいるとレポートされている。最新バージョンは、2022年9月にリリースされたJava 19と、2018年9月にリリースされたJava 11の長期サポート(LTS)版、2014年3月にリリースされたJava 8のLTS版である。オラクルは未解決のセキュリティ問題によるリスクを回避するために、旧バージョンのアンインストールと新バージョンへの移行を強く推奨している。",
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"text": "ミューテックスのモニタ以外の、カウントセマフォやバリアや読み書きロックなどのロック手法は、並行APIの方で用意されている。",
"title": "Javaの特徴"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "Javaプログラムのメモリ管理は、Java仮想マシンのガベージコレクションによって行われる。ガベージコレクションとは、すでにどこからも参照されていないインスタンスを自動的に特定して破棄し、その占有メモリ領域を自動的に解放する機能である。人の手によるオブジェクトの生成と破棄を正確に対応させるメモリ管理作業は煩雑化するのが常であり、メモリリークや不正リリースによるエラーを引き起こしやすく、バグの温床と化すのが通例であった。それらを自動化したガベージコレクションは、Javaプログラマを複雑なメモリ管理作業から解放する。",
"title": "Javaの特徴"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "ガベージコレクタのプロセスは、システムスレッドに乗って未参照のインスタンスを探し続ける。どこかの末端だけが途切れている参照の連鎖のかたまりも正確に特定して、参照の孤島に例えられたメモリ領域を一気に解放する。Javaではガベージコレクション機能に並々ならぬ力が入れられており、その技術更新は現在も進行中である。世代別ガベージコレクタ、応答時間短縮化のレイテンシ重視ガーベジコレクタ、休止時間短縮化のスループット重視ガーベジコレクタなどが導入されて更に改訂を重ねており、運用環境別の選択使用も可能にされている。",
"title": "Javaの特徴"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "Javaの分散コンピューティングプログラミングは、オブジェクト要求ブローカーに準拠している。これはネットワーク上に存在する様々なプラットフォームの間で、互いに異なる環境を意識せずにリクエストとレスポンスを送りあい任意のタスクを遂行する分散システムの構築をサポートする。各プラットフォーム上で稼働されるサーバアプリケーションとクライアントアプリケーションは、それぞれオブジェクトを内包しており、業界共通規格のCORBAまたはJava独自規格のRMIが提供する運用アーキテクチャと通信プロトコルを通して、他のオブジェクトと相互にコミュニケーションする。それらは分散オブジェクトと呼ばれている。",
"title": "Javaの特徴"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "業務用システムではすでにCORBAが普及していたので、高パフォーマンスだがJavaプラットフォーム間の限定になるRMIはその後追いであった。そのためRMIはCORBAと連携できるようにRMI over IIOPなどの様々な技術が実装されている。CORBAの通信プロトコルはIIOP、RMIの方はJRMPである。分散オブジェクトを実装するためのAPIとクラスライブラリの多くはJakarta EEに属している。分散オブジェクトの中でサーバ機能に特化されたものはEJB (Enterprise JavaBeans) と呼ばれている。",
"title": "Javaの特徴"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "EJBは、クライアントと同期通信を行いトランザクションを管理するセッションビーン、データベースとリンクして永続データを管理するエンティティビーン、様々なイベントからの非同期通信を管理するメッセージドリブンビーンの三種に大別される。これらのEJBは、EJBコンテナに内包されて運用される。分散オブジェクト同士が通信するためのプロトコルは、IIOPかJRMPが使われる。JNDIは、照会された識別名からネットワーク上の分散オブジェクトや各種リソースのロケーションを特定して通信ないしアクセスできるようにする。",
"title": "Javaの特徴"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "EJBコンテナは、WEBコンテナと連携して運用されるのが普通である。EJBコンテナはWEBコンテナを一般的なクライアント窓口として使用することが多い。WEBコンテナはサーブレットとJSP(Java Server Pages)を内包しているWEB用サーバアプリケーションであり、HTTPプロトコルを通して一般的なWEBブラウザとの同期通信を行う。WEB方面の分散オブジェクトは、WEBコンポーネントと呼ばれる。JSPはいわゆるWEBサイトの表示に特化したコンポーネントである。サーブレットはWEBサイトへのリクエストを処理し、場合によってはセッションビーンにトランザクションを委譲するコンポーネントである。EJBコンテナではJBossやWebSphereなどが有名である。EJBコンテナはWEBコンテナと統合されて提供されている事が多い。WEBコンテナではApache Tomcatが有名である。",
"title": "Javaの特徴"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "分散ネットワークプログラミングを重視しているJavaは、サンドボックスモデルに基づいたセキュリティ機構を備えている。これは遠隔ダウンロードされた追加プログラム(Javaバイトコード)による実行環境への予期せぬ操作やユーザー資源への好ましくないアクセスを防止するためのものである。分散(distributed)指向のJavaプログラムでは、Javaクラスファイルを遠隔ロードする機会が多いので、サンドボックス実行は必須になる。Javaのサンドボックスは、大抵は以下の手順になる。",
"title": "Javaの特徴"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "実際には上記に加えて、各クラスを役割やセキュリティレベルでまとめるドメイン機構、認証と承認によるユーザーパーミッション機構、バイトコード送受信時の署名付き証明書機構などが組み合わされて実装運用される。",
"title": "Javaの特徴"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "家電向けプロジェクトの立ち上げ(1990年12月)",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "Javaの歴史は、1990年12月にサン・マイクロシステムズ(サン)が、次世代の家電製品が内蔵するマイクロコントローラ向けのプログラミング言語を開発するための水面下プロジェクトをリサーチ段階を兼ねて試験的に立ち上げた事から始まる。サンはこの分野が今後の重要市場になると予測していた。サンのエンジニアであるジェームズ・ゴスリンやパトリック・ノートンらの参加により、現実味を帯びたプロジェクトの名称は正式に「グリーンプロジェクト」と定められた。彼らはカリフォルニア州メンローパーク市サンドヒルロードに用意された比較的小さなオフィスで開発を始めた。",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "Oak言語とGreen OSの誕生(1991年)",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "グリーンチーム内では当時の主流であったオブジェクト指向を採用する事で一致していた。彼らはそのモデル言語であるC++に白羽の矢を立て、当初はその移植版を検討していたが、プロジェクトの対象が家電製品の組み込みシステムであったために自然と却下された。C++の複雑な言語仕様はコンピュータ資源の浪費とプログラムエラーの発生率を高めがちであり、堅牢性と安全性が最重要の家電製品の制御装置には不向きであると判断されたためだった。加えてC++では移植性に対応できない点も指摘され、プラットフォーム非依存も重要な議題として提起された。彼らはC++に代わる言語の開発と同時に、あらゆる機器に容易に移植できるプラットフォームの必要性も認識するようになった。こうして新言語プログラムの動作環境になる「Green OS」の開発も始められた。",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "一方で、Mesa言語とC言語の長所を理想にしていたサンのエンジニアのビル・ジョイは、C++をモデルにした新しいオブジェクト指向言語の開発を提案するワーキングペーパーにFurtherという題名を付けて自社に上申した。それを受けてまずジェームズ・ゴスリンがC++の拡張言語を提出した。ゴスリンはこれを「C++ ++ --」と名付けたがすぐに取り下げ、改めて一から設計しなおしたプログラミング言語を1991年秋に誕生させた。オフィスの側に立つオークの木を眺めながら開発を進めていたゴスリンは、この新しい言語に「Oak」という名前をつけた。これがJavaの前身である。",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "携帯端末、テレビ機器市場への参入と撤退(1992年 - 1994年5月)",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "1992年夏にはGreen OSを実際の機器に載せてOakプログラムを実行できるようになっていた。この頃になるとより広範囲な可能性を秘めるようになったグリーンプロジェクトの対象は当初の家電機器から、当時のトレンドであった携帯情報端末 (PDA)へとシフトされていた。1992年9月3日に最初のデモンストレーションが開催され「Star7」という名のPDA機器がOakプログラムの初のお披露目舞台になった。このStar7のユーザーインターフェース上で後のマスコットキャラ「Duke」が初登場している。",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "1992年11月、サンはファーストパーソンという会社を設立しグリーンチームをそちらに所属させた。次世代のインタラクティブ機器に関心を持つファーストパーソンは、ケーブルテレビ用セットトップボックス事業への参入を決めて、タイム・ワーナーと3DOにそれぞれOakテクノロジを提示した。しかし、その余りに高度な柔軟さが却って倦厭されてしまい契約実現には到らなかった。サン本社はファーストパーソンの解散を決め、グリーンチームも本社に戻された。",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "ワールドワイドウェブ参入(1994年6月〜1994年9月)",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "1994年6月、サン技術部長ジョン・ゲージがジェームズ・ゴスリン、ビル・ジョイ、パトリック・ノートン、エリック・シュミットら集めて、延べ3日に渡るブレインストーミングが行われた。ここで彼らはワールドワイドウェブをプロジェクトの本命に据える事で一致した。革新的なウェブブラウザである「NCSA Mosaic」の登場に触発された彼らは、インターネットの世界がケーブルテレビのそれを超えたインタラクティブな媒体に発展しつつある事を認識していた。パトリック・ノートンはOakテクノロジをベースにした「WebRunner」という小さなウェブブラウザを開発した。Oakによる小さなアクティブプログラムが埋め込まれたウェブページにアクセスすると、WebRunner上でマウス操作に連動するインタラクティブなアニメーションが表示された。",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "Javaの始動(1994年10月~1996年1月)",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "1994年秋までにグリーンチームは、Oakを「Java」に、WebRunnerを「HotJava」に改称した。Green OSは「Java Runtime Environment」に落とし込まれた。改称の理由はOakがすでにビデオカードアダプタ製造会社の登録商標になっていたからだった。この命名は一部のチームメンバーがよく出入りしていた近くのコーヒーショップで決定されたと言われる。Javaの由来は不明とされているが、ロゴが示している通りコーヒーに因んでいるのは明らかである。ジャワ島はコーヒー豆の名産地であり、豆(Bean)はJavaテクノロジ内でコンポーネントを指す用語にされている。",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "1994年10月、JavaランタイムとHotJavaブラウザがサンの幹部社員たちの前でデモンストレーションされた。1995年5月にアルファ版が社内公開され、5月23日のSunワールドカンファレンスで、JavaランタイムとHotJavaブラウザが社外初披露された。ここではJavaアプレットの技術がセールスポイントとしてアピールされた。同時にネットスケープが「Netscape Navigator」ブラウザへのJavaアプレット機能導入をアナウンスして業界の注目を集めた。1995年秋にベータ版が社外公開された。1996年1月9日にサンは、正式にJavaソフトウェア部門を立ち上げた。基幹テクノロジは市場リリース段階まで進捗していたが、その他のテクノロジは未だ途上段階であり、プラットフォームと呼べる域までは達しておらず、初回リリースのプロダクト名は、Javaランタイム環境を内包したデヴェロップメントキットになった。1月23日に最初の公開バージョンである「JDK 1.0」が市場リリースされた。",
"title": "Javaの歴史"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "例えば、「Javaプログラミング例」に出てきたHello.javaをコンパイルするなら、",
"title": "Javaの実行方法"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "で実行するためのファイルを生成する。成功すると、Hello.classが同じディレクトリに出ていることが分かる。",
"title": "Javaの実行方法"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "コンパイルしたHelloファイルを",
"title": "Javaの実行方法"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "と入力して実行できる。",
"title": "Javaの実行方法"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "Javaプラットフォーム (Java Platform) は、Javaプログラムを開発または実行する為のソフトウェア群の総称である。Javaプラットフォームは対象環境に合わせて、Java実行環境およびJava開発環境の構成内容と、Javaテクノロジの追加内容を変えたエディションに編集されて公開されている。Javaテクノロジは権利元ベンダーだけでなくサードパーティー側からも提供されており、その標準化はJavaコミュニティプロセス (JCP) が管理している。Java実行環境とJava開発環境はオープンソース化されているので各企業、各団体、開発者各自が営利または非営利で様々なソフトウェアと関連技術を公開しており、巨大なITエコシステムを構築している。",
"title": "Javaプラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "2019年現在、Java権利元のオラクルは、対象環境に合わせたJavaプラットフォームの4つのエディションを公開している。エディションによってJava実行環境とJava開発キットに含まれるツール構成に違いがあり、またクラスライブラリとAPIの構成内容も異なっている。Java仮想マシンの性能にも差異がある。JDK 1.1までは単体エディションで、J2SE 1.2から3エディションに分かれた。J2SE 5.0頃から拡張テクノロジの一つであったJava Cardが昇格して4エディションとなった。",
"title": "Javaプラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "Java実行環境 (Java Runtime Environment; JRE) は、Javaアプリケーションを実行するために必要なソフトウェアである。Java仮想マシン、''Java.exe''のスターターを含めた各種実行サポートツール、Javaクラスライブラリで構成される。Java実行環境の中核はJava仮想マシンである。エディション毎に仮想マシンの仕様と性能は異なっており、また実行時は複数の動作モードを持つ。仮想マシンはスターターを通して稼働されるのが普通である。様々な使用状況に対応したスターターが最初に実行されて、そこから仮想マシンが呼び出されてJavaプログラムの実行を移譲される。仮想マシンはJavaクラスライブラリを逐次読み込みながらJavaプログラムを実行する。Java実行環境のツール内容とクラスライブラリ構成は、エディション毎に違いがある。",
"title": "Javaプラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "Javaクラスライブラリは、普遍的に呼び出される特定の機能を実装したクラスの集合体である。Javaプログラムはライブラリ内のクラスを逐次呼び出しながら処理を実行する。なお、それぞれのJavaクラスライブラリ内部からプログラマの利用に向けて外部公開されている部分を「Java API」と呼ぶ。",
"title": "Javaプラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "Java実行環境に用意されている特定のJavaクラスライブラリを利用する事でJavaプログラムは結果的に、以下の四種類のアプリケーション形態に派生する。",
"title": "Javaプラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "Java開発キット (Java Development Kit) は、Javaプログラムを開発するために必要なソフトウェアである。Java実行環境も内包している。Javaコンパイラなどの基本開発ツール、各種開発サポートツール、Java APIで構成されている。前述のエディションによって開発ツール内容とAPI構成に違いがある。Java開発キットの呼称はこれまでに何度か変更されている。",
"title": "Javaプラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "APIは、アプリケーション・プログラミング・インタフェースの頭字語であり、Javaクラスライブラリ内部からプログラマに向けて外部公開されているクラス、インタフェース、メソッド、フィールド、定数の集合である。プログラマはこれを用いて各種ソフトウェアの開発を行う。APIは基本的にクラスライブラリの所属に沿って、パッケージ (package) と呼ばれる名前空間で分類されて提供されている。パッケージは各ワードをピリオドで連結して階層化されている。先頭ワードのjavaは開発元提供の純正基礎版を意味する。他に純正拡張版のjavax、任意団体提供のorg、企業提供のcomがある。",
"title": "Javaプラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "統合開発環境 (IDE)は、JDKを中核にしてビジュアルエディターやビルドマネジャーなどの様々な開発支援機能を備えたソフトウェアである。JDKのみだと、メモ帳でプログラムを書きコマンドラインでコンパイルしコンソールでデバッグをするという極めて原始的な作業になるが、IDEを使用する事で多機能エディタコーディングとビルド過程の自動化と視覚的なデバッグが可能になる。Java開発用のIDEは様々な企業と任意団体から公開されている。",
"title": "Javaプラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "開発サポートツールは、プロジェクト管理、自動ビルド、デバッグ、モニタリングを容易にする。下記の他にも多くの支援ツールが存在する。",
"title": "Javaプラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "Javaテクノロジは、個人を含む各種組織から様々な形態で公開されている。開発元から提示された技術は、Java Community Process (JCP) による審査を合格した後にJavaテクノロジの一つとして認証される。これを標準化 (standardization) と言う。Javaテクノロジが準拠すべき規範仕様は、JCP管理下で発行される数々のJava仕様要求 (Java Specification Request) にて定義されている。Javaテクノロジは様々な分野に導入されている。その一例を以下に列挙する。",
"title": "Javaプラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "サン・マイクロシステムズは1996年のリリース当初からJava実行環境とJava開発環境をオープンソース化しており、サードパーティーにJavaテクノロジ開発への参入をアピールしていた。ただしJavaの普及に一定のコントロールをかける為にソースコードの改変までは認めていなかった。2004年になるとIBMが業界の優位性を活かしてJavaオープンソースプロジェクトの主導権を握るようになった。Javaコミュニティプロセスを取り巻く業界の変化を悟ったサン・マイクロシステムズはIBMとの本格的な提携を承認し、2007年にJava SE 6を「OpenJDK」としてGNU一般公開ライセンスの下でリリースした。OpenJDKではソースコードの改変も認められた。GNUプロジェクトは「GNU Interpreter for Java」、GNUコンパイラコレクションの「GNU Compiler for Java」、互換クラスライブラリの「GNU Classpath」を公開した。Windows用GNU Compilerは、MinGWと併せてCygwinの環境上でも実行できた。",
"title": "Javaプラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "WindowsやLinuxなどのメジャーOSでは、オラクル、IBM、Blackdown、GNUプロジェクト、Kaffe.orgなどによるJavaプラットフォームが公開されている。また、JavaソースコードをそのままWin用実行ファイルに変換する「Excelsior JET」や、JarファイルをWin用実行ファイルに変換する「exewrap」「Launch4j」「NSIS」「JSmooth」なども販売ないし公開されている。",
"title": "Javaプラットフォーム"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "オラクルは複数のJava認定資格を主催している。Javaのバージョンアップに伴って資格も変更されることがある。ただし、変更前に取得した資格は変更後も有効である。認定試験に不合格だった場合、その試験日を含めて14日以内は同一試験を受験することができない。",
"title": "Java認定資格"
}
] | Java(ジャバ、ジャヴァ)は、汎用プログラミング言語とソフトウェアプラットフォームの双方を指している総称ブランドである。オラクルおよびその関連会社の登録商標である。1996年にサン・マイクロシステムズによって市場リリースされ、2010年に同社がオラクルに吸収合併された事によりJavaの版権もそちらに移行した。 プログラミング言語Javaは、C++に類似の構文、クラスベースのオブジェクト指向、マルチスレッド、ガベージコレクション、コンポーネントベース、分散コンピューティングといった特徴を持ち、平易性重視のプログラム書式による堅牢性と、仮想マシン上での実行によるセキュリティ性およびプラットフォーム非依存性が理念とされている。Javaプラットフォームは、Javaプログラムの実行環境または、実行環境と開発環境の双方を統合したソフトウェアであり、ビジネスサーバ、モバイル機器、組み込みシステム、スマートカードといった様々なハードウェア環境に対応したソフトウェア形態で提供されている。その中枢技術であるJava仮想マシンは各プラットフォーム環境間の違いを吸収しながら、Javaプログラムの適切な共通動作を実現する機能を備えている。このテクノロジは「write once, run anywhere」と標榜されていた。 2019年の時点でGitHubによると、Javaは特にクライアント/サーバモデルのWebアプリケーションで使用されている最も人気の高いプログラミング言語の1つであり、全世界でおよそ900万人の開発者がいるとレポートされている。最新バージョンは、2022年9月にリリースされたJava 19と、2018年9月にリリースされたJava 11の長期サポート(LTS)版、2014年3月にリリースされたJava 8のLTS版である。オラクルは未解決のセキュリティ問題によるリスクを回避するために、旧バージョンのアンインストールと新バージョンへの移行を強く推奨している。 | {{Otheruses|プログラミング言語|その他|ジャバ}}
{{混同|JavaScript}}
{{出典の明記| date = 2019年3月}}
{{Infobox プログラミング言語
| fetchwikidata = ALL
| onlysourced = true
| name = Java
| logo =
| released = 1995年5月23日α版<br/>1995年秋β版<br/>1996年1月23日ver1.0
| designer = [[Java Community Process]]
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| latest release date = {{release date|2023|10|17}}
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|paradigm = [[オブジェクト指向プログラミング|オブジェクト指向]], [[ソフトウェアコンポーネント|コンポーネントベース]], [[リフレクティブ]], [[ジェネリックプログラミング|ジェネリック]], [[関数型プログラミング|関数型]], [[並行計算|並行プログラミング]]
|influenced_by=[[C++]], [[Ada]]<ref>{{cite web|url={{Google books|0rUtBAAAQBAJ|page=PA133|keywords=|text=|plainurl=yes}}|title=Cracking The Java Programming Interview :: 2000+ Java Interview Que/Ans|first=Harry H.|last=Chaudhary|accessdate=2016-05-29|date=2014-07-28}}</ref>, [[Eiffel]]<ref>{{cite web|author1=Gosling, James|author2=McGilton, Henry|title=The Java Language Environment|date=May 1996|url=https://www.oracle.com/technetwork/java/langenv-140151.html|access-date=May 6, 2014|archive-url=https://web.archive.org/web/20140506214653/http://www.oracle.com/technetwork/java/langenv-140151.html|archive-date=May 6, 2014|url-status=live|df=mdy-all}}</ref>, [[Mesa]]<ref>{{cite web|author1=Gosling, James|author2=Joy, Bill|author3=Steele, Guy|author4=Bracha, Gilad|title=The Java Language Specification, 2nd Edition|url=https://java.sun.com/docs/books/jls/second_edition/html/intro.doc.html#237601|access-date=February 8, 2008|archive-url=https://web.archive.org/web/20110805051057/http://java.sun.com/docs/books/jls/second_edition/html/intro.doc.html#237601|archive-date=August 5, 2011 |url-status=live |df=mdy-all}}</ref>, [[Modula-3]]<ref>{{cite web|url=http://www.computerworld.com.au/index.php/id;1422447371;pp;3;fp;4194304;fpid;1|title=The A-Z of Programming Languages: Modula-3|publisher=Computerworld.com.au|accessdate=2010-06-09|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090105145818/http://www.computerworld.com.au/index.php/id%3B1422447371%3Bpp%3B3%3Bfp%3B4194304%3Bfpid%3B1|archivedate=January 5, 2009|df=mdy-all}}</ref>, [[Objective-C]]<ref>[[Patrick Naughton]] cites [[Objective-C]] as a strong influence on the design of the Java programming language, stating that notable direct derivatives include Java interfaces (derived from Objective-C's [[Objective-C#プロトコル|protocol]]) and primitive wrapper classes. [http://cs.gmu.edu/~sean/stuff/java-objc.html] {{Wayback|url=http://cs.gmu.edu/~sean/stuff/java-objc.html|title=Java Was Strongly Influenced by Objective-C|date=20110713014816}}</ref>
| influenced = [[C Sharp|C#]], [[D言語|D]], [[Dart]], [[Groovy]], [[Scala]], [[Kotlin]], [[Ceylon]]
| operating system = [[Solaris]], [[Linux]], [[Microsoft Windows|Windows]],<br>[[macOS]], [[AIX]], [[i5/OS|System i]]
| license = [[GNU General Public License]]、[[Java Community Process]]
| website = {{ConditionalURL}}
| file ext = java、class、jar
}}
{{プログラミング言語}}
'''Java'''(ジャバ、ジャヴァ)は、汎用[[プログラミング言語]]と[[プラットフォーム (コンピューティング)|ソフトウェアプラットフォーム]]の双方を指している総称ブランドである<ref>{{Cite web|url=https://www.java.com/en/download/faq/whatis_java.xml|title=What is Java and why do I need it?|language=en|accessdate=2019-01|publisher=}}</ref>。[[オラクル (企業)|オラクル]]およびその関連会社の登録商標である。1996年に[[サン・マイクロシステムズ]]によって市場リリースされ、2010年に同社がオラクルに吸収合併された事によりJavaの版権もそちらに移行した。
プログラミング言語Javaは、[[C++]]に類似の構文、[[クラスベース]]の[[オブジェクト指向プログラミング|オブジェクト指向]]、[[マルチスレッド]]、[[ガベージコレクション]]、[[ソフトウェアコンポーネント|コンポーネントベース]]、[[分散コンピューティング]]といった特徴を持ち、平易性重視のプログラム書式による堅牢性と、[[仮想マシン]]上での実行によるセキュリティ性および[[プラットフォーム非依存|プラットフォーム非依存性]]が理念とされている。[[Javaプラットフォーム]]は、Javaプログラムの実行環境または、実行環境と開発環境の双方を統合したソフトウェアであり、[[サーバ|ビジネスサーバ]]、[[モバイル機器]]、[[組み込みシステム]]、[[スマートカード]]といった様々なハードウェア環境に対応したソフトウェア形態で提供されている。その中枢技術である[[Java仮想マシン]]は各プラットフォーム環境間の違いを吸収しながら、Javaプログラムの適切な共通動作を実現する機能を備えている<ref name="design_goals">{{Cite web|url=https://www.oracle.com/technetwork/java/intro-141325.html|title=1.2 Design Goals of the Java™ Programming Language|publisher=オラクル|date=January 1, 1999|accessdate=2013-01-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130123204103/http://www.oracle.com/technetwork/java/intro-141325.html|archivedate=January 23, 2013}}</ref>。このテクノロジは''「[[write once, run anywhere]]''」と標榜されていた<ref>{{Cite web|url=http://www.computerweekly.com/Articles/2002/05/02/186793/write-once-run-anywhere.htm|title=Write once, run anywhere?|date=May 2, 2002|publisher=[[Computer Weekly]]|accessdate=2009-07-27}}</ref>。
2019年の時点で[[GitHub]]によると<ref name="名前なし-1">{{Cite web|author=Chan|first=Rosalie|title=The 10 most popular programming languages, according to the 'Facebook for programmers'|url=https://www.businessinsider.de/the-10-most-popular-programming-languages-according-to-github-2018-10?op=1|website=[[Business Insider]]|accessdate=June 29, 2019|archiveurl=https://archive.today/20190629083530/https://www.businessinsider.com/the-10-most-popular-programming-languages-according-to-github-2018-10?op=1&r=DE&IR=T|archivedate=June 29, 2019|date=January 22, 2019}}</ref>、Javaは特に[[クライアントサーバモデル|クライアント/サーバモデル]]の[[ウェブアプリケーション|Webアプリケーション]]で使用されている最も人気の高いプログラミング言語の1つであり<ref name="名前なし-1"/>、全世界でおよそ900万人の開発者がいるとレポートされている<ref>{{Cite web|url=https://www.oracle.com/technetwork/articles/java/afterglow2013-2030343.html|title=JavaOne 2013 Review: Java Takes on the Internet of Things|website=www.oracle.com|accessdate=2016-06-19|archiveurl=https://www.imarslan.com/javaone-2013-review-java-takes-on-the-internet-of-things|archivedate=April 19, 2016}}</ref>。最新バージョンは、2022年9月にリリースされたJava 19と、2018年9月にリリースされたJava 11の長期サポート(LTS)版、2014年3月にリリースされたJava 8のLTS版である。オラクルは未解決のセキュリティ問題によるリスクを回避するために、旧バージョンのアンインストールと新バージョンへの移行を強く推奨している<ref>{{Cite web|url=https://www.java.com/en/download/faq/remove_olderversions.xml|title=Why should I uninstall older versions of Java from my system?|publisher=オラクル|accessdate=2016-09-09}}</ref>。
== Javaの特徴 ==
現在の正規ベンダーである[[オラクル (企業)|オラクル]]の公式アピールは、以下の通りである<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=Java Software {{!}} オラクル|url=https://www.oracle.com/java/|website=www.oracle.com|accessdate=2019-10-19}}</ref>。特に業務用システムの構築に最適であるとしている。
{{Quotation|Java reduces costs, shortens developer timeframes, drives innovation, and improves application services as the programming language of choice for enterprise architecture, finance, and HR. Java is used in many industries including manufacturing, automotive, insurance, and public sector.<br/>
Javaは、コストを削減し、開発者の時間枠を短縮し、イノベーションを促進し、エンタープライズアーキテクチャ、財務、およびHRに最適なプログラミング言語としてアプリケーションサービスを改善します。 Javaは、製造・自動車・保険・公共部門などの多くの業界で使用されています。}}オラクルによると、全世界の3億のコンピュータデバイスでJava実行環境が動作しており、全世界の200万の人員がJava開発環境を使用しており、全世界で250億枚の[[Java Card]]が発行されている、と統計されている<ref name=":0" />。
=== Javaの構文 ===
{{main|Javaの文法}}Javaプログラム構文は、[[C++]]によく似たものである。[[オブジェクト指向言語]]の一面が強調されがちだが、C言語のような[[手続き型プログラミング|手続き型言語]]としてもプログラミングできる。Javaはオブジェクト指向パラダイムをそれほど強制しない。
Javaは、同時に[[マルチパラダイムプログラミング言語|マルチパラダイム言語]]でもある。JDK 1.1で[[JavaBeans]]/[[Java Remote Method Invocation|JavaRMI]]/[[CORBA]]による[[ソフトウェアコンポーネント|コンポーネントプログラミング]]と、[[リフレクション (情報工学)|リフレクション]]APIによる[[メタプログラミング]]が備えられた。J2SE 5.0でジェネリクス構文/APIによる[[ジェネリックプログラミング]]が追加された。Java SE 7で並行[[Application Programming Interface|API]]による[[並行コンピューティング|並行プログラミング]]が追加された。Java SE 8では[[ラムダ式]]/関数型インターフェース/ストリームAPIなどによる[[関数型プログラミング]]が追加された。2014年(Java 8)以降の関数型とジェネリクスを多用しているJavaプログラムは、それ以前のJavaプログラムから大きく様変わりしている。
=== オブジェクト指向 ===
{{main|オブジェクト指向プログラミング}}Javaは、[[クラスベース]]の[[オブジェクト指向プログラミング言語|オブジェクト指向]]である<ref>広辞苑 第六版</ref>。[[クラス (コンピュータ)|クラス]]、[[インタフェース (抽象型)|インターフェース]]、[[インスタンス]]といった概念を中心にしたものである。クラスのメンバ要素は、フィールド、メソッド、静的フィールド、静的メソッド、定数、内部クラス、コンストラクタ、ファイナライザである。インターフェースは抽象メソッドと定数で構成される純粋抽象クラスである。クラスはインスタンスのひな型であり、インスタンスはクラスを実体化したものである。Javaプログラムは、1個以上のクラス定義文から形成される。Javaのクラスは[[カプセル化]]、[[継承 (プログラミング)|継承]]、[[ポリモーフィズム|多態性]]をサポートしている。
[[カプセル化]]は、クラスメンバの可視性 (private, package, protected, public) でサポートされている。可視性とはメンバのアクセス許可範囲を定めるものであり、<code>private</code>は同クラス内限定、<code>package</code>は同クラス内と同パッケージ内限定、<code>protected</code>は同クラス内と同パッケージ内と派生クラス内限定、<code>public</code>は制限なしを意味する。パッケージはプログラム全体を任意に分割したソースファイルの1個以上のまとまりである。Javaのデフォルト可視性は、ファイル単位の<code>package</code>なので隠蔽性よりも利便性が重視されている。
[[継承 (プログラミング)|継承]]は、スーパークラスが一つに限られる単一継承をサポートしている。多重継承は不可である。既存クラスに任意メンバを追加した新規クラスを作成できる。Javaの全クラスは<code>Object</code>クラスをルートクラスとしてデフォルト継承する。<code>Object</code>クラスには[[ロック (計算機科学)|ロック]]機能が備えられており、これは[[並行プログラミング]]を前提にした仕様である。
[[多態性]]は、[[仮想関数]]、[[抽象クラス]]、[[インタフェース (抽象型)|インターフェース]]、動的[[ダウンキャスト]]でサポートされている。スーパークラスの<code>virtual</code>メソッドを、サブクラスの同名メソッドで[[オーバーライド]]できる機能を仮想関数と言う。スーパークラス変数にサブクラスインスタンスを代入してその変数からサブクラスのメソッドが呼ばれるようにするのは、[[サブタイピング (計算機科学)|サブタイピング]]になる。インターフェースは抽象メソッドだけの純粋抽象クラスであり、任意の数だけクラスに実装できる。実行時ダウンキャストは<code>instanceof</code>演算子の実行時型チェックが可能で、ダウンキャスト失敗時は[[例外処理|例外]]発生する。
=== プラットフォーム非依存 ===
{{main|Java仮想マシン}}[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]非依存とは、Javaプログラムが特定の[[ハードウェア]]や[[オペレーティングシステム]]に依存せずに、あらゆる環境での共通動作を保証する概念である。”''Write once, run anywhere''”(一度プログラムを書いてしまえば、どのコンピューターでも動くよ)とされる。Javaのプラットフォーム非依存性は次のようにして実現されている。
#[[Javaコンパイラ]]は、Javaソースコードを、[[Javaバイトコード]]という[[中間表現]]にコンパイルする。Javaバイトコードは、[[Java仮想マシン]]用の実行コードである。Javaバイトコードは通常、[[Javaクラスファイル]]にまとめられる。
#[[Java仮想マシン]]は、各プラットフォームの差異を吸収するクッション的なソフトウェアである。Java仮想マシンは、様々なコンピュータ環境対応バージョンが提供されており、各プラットフォームに[[Java実行環境]]の中核としてインストールされる。
#[[Java仮想マシン]]は、任意の[[Javaクラスファイル]]を[[Javaクラスローダー]]で読み込み、その[[Javaバイトコード]]を解釈実行する。インタプリタ式の解釈走行と、[[実行時コンパイラ]]で解釈走行させるものがある。
Java初期のインタプリタ式で走行されるJavaプログラムの実行速度は遅かったが、[[実行時コンパイラ]]技術と動的再コンパイル技術 (dynamic recompilation) の導入によって実行速度問題はほぼ解決した。実行時コンパイラとは、一定のJavaバイトコードをまとめて[[ネイティブコード]]にコンパイルして継続的に実行させる技術である。Java仮想マシンはメモリ境界と[[バッファオーバーフロー]]のチェックを行いながらプログラムを走行させる。また、クラスロード時のバイトコード検証機能によって、あからさまなコード暴走や致命的エラーの頻発を事前抑止している。
=== マルチスレッド ===
{{main|マルチスレッド}}Javaプログラムは、複数以上の[[スレッド (コンピュータ)|スレッド]]を同時走行できる。これをマルチスレッドと言う。多数のスレッドを扱う大規模システムにも対応しており、例えばスレッドグループAPIは、スレッドたちを役割や性質でグループ化して一括操作できる。これは[[クライアント・サーバシステム]]の実装向けである。また、多数の断続的[[トランザクション]]をさばくシステムにおいて発生しがちなスレッド生成/破棄の反復による負荷増大を回避するための、スレッドプールとタスクキューを合わせたスレッドモニタAPIも用意されている。
Javaのマルチスレッド[[並行計算]]は、[[クリティカルセクション]][[同期]]が基準にされている。Javaの全インスタンスは、[[ロック (計算機科学)|ロック]]機能を備えている<code>Object</code>クラスをルート継承しているので、クリティカルセクションのロックオブジェクトにできる。Javaでは<code>synchronized</code>で指定された範囲がクリティカルセクションになる。Javaの標準ロック手法は、[[ミューテックス]]の[[モニタ (同期)|モニタ]]である。<code>synchronized</code>メソッドはその全体が排他セクションになり、そこでは[[This (プログラミング)|This]]インスタンスがロックオブジェクトになる。<code>synchronized</code>静的メソッドでは、システム内の専用インスタンスがロックオブジェクトになる。また、<code>synchronized(指名変数)</code>構文でメソッド内の任意範囲をクリティカルセクションにして、そこでは指名変数がロックオブジェクトになる。
ミューテックスのモニタ以外の、カウント[[セマフォ]]や[[バリア (計算機科学)|バリア]]や読み書きロックなどのロック手法は、並行APIの方で用意されている。
=== ガベージコレクション ===
{{see also|ガベージコレクション}}
Javaプログラムのメモリ管理は、[[Java仮想マシン]]の[[ガベージコレクション]]によって行われる。ガベージコレクションとは、すでにどこからも参照されていないインスタンスを自動的に特定して破棄し、その占有メモリ領域を自動的に解放する機能である。人の手によるオブジェクトの生成と破棄を正確に対応させるメモリ管理作業は煩雑化するのが常であり、[[メモリリーク]]や不正リリースによるエラーを引き起こしやすく、バグの温床と化すのが通例であった。それらを自動化したガベージコレクションは、Javaプログラマを複雑なメモリ管理作業から解放する。
ガベージコレクタのプロセスは、システムスレッドに乗って未参照のインスタンスを探し続ける。どこかの末端だけが途切れている参照の連鎖のかたまりも正確に特定して、参照の孤島に例えられたメモリ領域を一気に解放する。Javaではガベージコレクション機能に並々ならぬ力が入れられており、その技術更新は現在も進行中である。[[世代別ガベージコレクション|世代別ガベージコレクタ]]、応答時間短縮化の[[レイテンシ]]重視ガーベジコレクタ、休止時間短縮化の[[スループット]]重視ガーベジコレクタなどが導入されて更に改訂を重ねており、運用環境別の選択使用も可能にされている。
=== 分散コンピューティング ===
{{see also|分散コンピューティング}}
Javaの[[分散コンピューティング]]プログラミングは、[[Object Request Broker|オブジェクト要求ブローカー]]に準拠している。これはネットワーク上に存在する様々なプラットフォームの間で、互いに異なる環境を意識せずにリクエストとレスポンスを送りあい任意のタスクを遂行する[[分散システム]]の構築をサポートする。各プラットフォーム上で稼働されるサーバアプリケーションとクライアントアプリケーションは、それぞれオブジェクトを内包しており、業界共通規格の[[Common Object Request Broker Architecture|CORBA]]またはJava独自規格の[[Java Remote Method Invocation|RMI]]が提供する運用アーキテクチャと通信プロトコルを通して、他のオブジェクトと相互にコミュニケーションする。それらは分散オブジェクトと呼ばれている。
業務用システムではすでにCORBAが普及していたので、高パフォーマンスだがJavaプラットフォーム間の限定になるRMIはその後追いであった。そのためRMIはCORBAと連携できるようにRMI over IIOPなどの様々な技術が実装されている。CORBAの通信プロトコルは[[IIOP]]、RMIの方はJRMPである。分散オブジェクトを実装するためのAPIとクラスライブラリの多くは[[Jakarta EE]]に属している。分散オブジェクトの中でサーバ機能に特化されたものは[[Enterprise JavaBeans|EJB]] (Enterprise JavaBeans) と呼ばれている。
[[Enterprise JavaBeans|EJB]]は、クライアントと同期通信を行いトランザクションを管理するセッションビーン、データベースとリンクして永続データを管理するエンティティビーン、様々なイベントからの非同期通信を管理するメッセージドリブンビーンの三種に大別される。これらのEJBは、[[EJBコンテナ]]に内包されて運用される。分散オブジェクト同士が通信するためのプロトコルは、IIOPかJRMPが使われる。[[Java Naming and Directory Interface|JNDI]]は、照会された識別名からネットワーク上の分散オブジェクトや各種リソースのロケーションを特定して通信ないしアクセスできるようにする。
EJBコンテナは、[[Webコンテナ|WEBコンテナ]]と連携して運用されるのが普通である。EJBコンテナはWEBコンテナを一般的なクライアント窓口として使用することが多い。WEBコンテナは[[サーブレット]]と[[JavaServer Pages|JSP]](Java Server Pages)を内包しているWEB用サーバアプリケーションであり、[[HTTP]]プロトコルを通して一般的な[[WEBブラウザ]]との同期通信を行う。WEB方面の分散オブジェクトは、WEBコンポーネントと呼ばれる。JSPはいわゆるWEBサイトの表示に特化したコンポーネントである。サーブレットはWEBサイトへのリクエストを処理し、場合によってはセッションビーンにトランザクションを委譲するコンポーネントである。[[EJBコンテナ]]では[[JBoss]]や[[WebSphere Application Server|WebSphere]]などが有名である。EJBコンテナはWEBコンテナと統合されて提供されている事が多い。[[Webコンテナ|WEBコンテナ]]では[[Apache Tomcat]]が有名である。
=== セキュリティ ===
{{see also|サンドボックス (セキュリティ)}}
分散ネットワークプログラミングを重視しているJavaは、[[サンドボックス (セキュリティ)|サンドボックス]]モデルに基づいたセキュリティ機構を備えている。これは遠隔ダウンロードされた追加プログラム([[Javaバイトコード]])による実行環境への予期せぬ操作やユーザー資源への好ましくないアクセスを防止するためのものである。分散(distributed)指向のJavaプログラムでは、[[Javaクラスファイル]]を遠隔ロードする機会が多いので、サンドボックス実行は必須になる。Javaのサンドボックスは、大抵は以下の手順になる。
*[[クラスローダ|クラスローダー]]は、バイトコードをダウンロードして順次クラス化する。
*実行環境内のセキュリティポリシーファイルに従って、各種パーミッションが各クラスに付与される。セキュリティポリシーは主に、クラス名とそのパーミッションのペアで記述されている。
*実行環境に元からあるクラスは、オールパーミッション付与がデフォルトである。
*スレッドがリソースアクセスなどの操作をする度に、セキュリティマネージャが現行のパーミッションを調べて対象外なら例外を発生させる。
*その際は、スレッドの各通過メソッドのクラスのパーミッションが全チェックされ、原則的に最少パーミッションの方に合わせる。
*遠隔ロードされたappletクラスなどのパーミッション皆無のクラスのメソッドを一度でも通ったスレッドは、完全なサンドボックス実行になりほとんどのリソースにアクセスできなくなる。
実際には上記に加えて、各クラスを役割やセキュリティレベルでまとめるドメイン機構、認証と承認によるユーザーパーミッション機構、バイトコード送受信時の署名付き証明書機構などが組み合わされて実装運用される。
== Javaの歴史 ==
=== 誕生の経緯 ===
'''家電向けプロジェクトの立ち上げ(1990年12月)'''
[[ファイル:James Gosling 2008.jpg|サムネイル|181x181ピクセル|ジェームズ・ゴスリン]]
Javaの歴史は、1990年12月に[[サン・マイクロシステムズ]](サン)が、次世代の家電製品が内蔵するマイクロコントローラ向けのプログラミング言語を開発するための水面下プロジェクトをリサーチ段階を兼ねて試験的に立ち上げた事から始まる。サンはこの分野が今後の重要市場になると予測していた。サンのエンジニアである[[ジェームズ・ゴスリン]]やパトリック・ノートンらの参加により、現実味を帯びたプロジェクトの名称は正式に「グリーンプロジェクト」と定められた。彼らはカリフォルニア州[[メンローパーク (カリフォルニア州)|メンローパーク]]市サンドヒルロードに用意された比較的小さなオフィスで開発を始めた。
'''Oak言語とGreen OSの誕生(1991年)'''
グリーンチーム内では当時の主流であったオブジェクト指向を採用する事で一致していた。彼らはそのモデル言語である[[C++]]に白羽の矢を立て、当初はその移植版を検討していたが、プロジェクトの対象が家電製品の[[組み込みシステム]]であったために自然と却下された。C++の複雑な言語仕様はコンピュータ資源の浪費とプログラムエラーの発生率を高めがちであり、堅牢性と安全性が最重要の家電製品の制御装置には不向きであると判断されたためだった。加えてC++では[[移植性]]に対応できない点も指摘され、[[プラットフォーム非依存]]も重要な議題として提起された。彼らはC++に代わる言語の開発と同時に、あらゆる機器に容易に移植できるプラットフォームの必要性も認識するようになった。こうして新言語プログラムの動作環境になる「Green OS」の開発も始められた。
一方で、[[Mesa]]言語と[[C言語]]の長所を理想にしていたサンのエンジニアの[[ビル・ジョイ]]は、C++をモデルにした新しいオブジェクト指向言語の開発を提案するワーキングペーパーに''Further''という題名を付けて自社に上申した。それを受けてまずジェームズ・ゴスリンがC++の拡張言語を提出した。ゴスリンはこれを「C++ ++ --」と名付けたがすぐに取り下げ、改めて一から設計しなおしたプログラミング言語を1991年秋に誕生させた。オフィスの側に立つオークの木を眺めながら開発を進めていたゴスリンは、この新しい言語に「Oak」という名前をつけた。これがJavaの前身である。
'''携帯端末、テレビ機器市場への参入と撤退(1992年 - 1994年5月)'''[[ファイル:Duke3D.png|thumb|Javaのマスコット「'''Duke'''」with [[BSDライセンス]]|代替文=|190x190ピクセル]]1992年夏にはGreen OSを実際の機器に載せてOakプログラムを実行できるようになっていた。この頃になるとより広範囲な可能性を秘めるようになったグリーンプロジェクトの対象は当初の家電機器から、当時のトレンドであった[[携帯情報端末]] (PDA)へとシフトされていた。1992年9月3日に最初のデモンストレーションが開催され「Star7」という名のPDA機器がOakプログラムの初のお披露目舞台になった。このStar7のユーザーインターフェース上で後のマスコットキャラ「Duke」が初登場している。
1992年11月、サンはファーストパーソンという会社を設立しグリーンチームをそちらに所属させた。次世代のインタラクティブ機器に関心を持つファーストパーソンは、ケーブルテレビ用[[セットトップボックス]]事業への参入を決めて、[[タイム・ワーナー]]と[[3DO]]にそれぞれOakテクノロジを提示した。しかし、その余りに高度な柔軟さが却って倦厭されてしまい契約実現には到らなかった。サン本社はファーストパーソンの解散を決め、グリーンチームも本社に戻された。
'''ワールドワイドウェブ参入(1994年6月{{~}}1994年9月)'''
1994年6月、サン技術部長ジョン・ゲージが[[ジェームズ・ゴスリン]]、[[ビル・ジョイ]]、パトリック・ノートン、[[エリック・シュミット]]ら集めて、延べ3日に渡るブレインストーミングが行われた。ここで彼らは[[World Wide Web|ワールドワイドウェブ]]をプロジェクトの本命に据える事で一致した。革新的な[[ウェブブラウザ]]である「[[NCSA Mosaic]]」の登場に触発された彼らは、インターネットの世界がケーブルテレビのそれを超えたインタラクティブな媒体に発展しつつある事を認識していた。パトリック・ノートンはOakテクノロジをベースにした「WebRunner」という小さなウェブブラウザを開発した。Oakによる小さなアクティブプログラムが埋め込まれたウェブページにアクセスすると、WebRunner上でマウス操作に連動するインタラクティブなアニメーションが表示された。
'''Javaの始動(1994年10月~1996年1月)'''
[[ファイル:Hotjava.jpg|サムネイル|180x180ピクセル|HotJavaブラウザ]]
1994年秋までにグリーンチームは、Oakを「Java」に、WebRunnerを「[[HotJava]]」に改称した。Green OSは「Java Runtime Environment」に落とし込まれた。改称の理由はOakがすでにビデオカードアダプタ製造会社の登録商標になっていたからだった。この命名は一部のチームメンバーがよく出入りしていた近くのコーヒーショップで決定されたと言われる。Javaの由来は不明とされているが、ロゴが示している通りコーヒーに因んでいるのは明らかである。ジャワ島はコーヒー豆の名産地であり、豆(Bean)はJavaテクノロジ内でコンポーネントを指す用語にされている。
1994年10月、JavaランタイムとHotJavaブラウザがサンの幹部社員たちの前でデモンストレーションされた。1995年5月にアルファ版が社内公開され、5月23日のSunワールドカンファレンスで、JavaランタイムとHotJavaブラウザが社外初披露された。ここでは[[Javaアプレット]]の技術がセールスポイントとしてアピールされた。同時に[[ネットスケープコミュニケーションズ|ネットスケープ]]が「[[Netscape Navigator (ネットスケープコミュニケーションズ)|Netscape Navigator]]」ブラウザへのJavaアプレット機能導入をアナウンスして業界の注目を集めた。1995年秋にベータ版が社外公開された。1996年1月9日にサンは、正式にJavaソフトウェア部門を立ち上げた。基幹テクノロジは市場リリース段階まで進捗していたが、その他のテクノロジは未だ途上段階であり、プラットフォームと呼べる域までは達しておらず、初回リリースのプロダクト名は、Javaランタイム環境を内包したデヴェロップメントキットになった。1月23日に最初の公開バージョンである「JDK 1.0」が市場リリースされた。
=== バージョン履歴 ===
{{main|Javaバージョン履歴}}
{| class="wikitable"
! バージョン !! リリース日
|-
| JDK Beta || 1995年
|-
| JDK1.0 || 1996年1月23日<ref>{{cite web|url=http://www.sun.com/smi/Press/sunflash/1996-01/sunflash.960123.10561.xml |title=JAVASOFT SHIPS JAVA 1.0|website=sun.com |access-date=2008-02-05 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20070310235103/http://www.sun.com/smi/Press/sunflash/1996-01/sunflash.960123.10561.xml |archive-date=March 10, 2007}}</ref>
|-
| JDK 1.1 || 1997年2月19日
|-
| J2SE 1.2 || 1998年12月8日
|-
| J2SE 1.3 || 2000年5月8日
|-
| J2SE 1.4 || 2002年2月6日
|-
| J2SE 5.0 || 2004年9月30日
|-
| Java SE 6 || 2006年12月11日
|-
| Java SE 7 || 2011年7月28日
|-
| Java SE 8 || 2014年3月18日
|-
| Java SE 9 || 2017年9月21日
|-
| Java SE 10 || 2018年3月20日
|-
| Java SE 11 || 2018年9月25日<ref>{{cite web|url=https://blogs.oracle.com/java-platform-group/introducing-java-se-11|title=Introducing Java SE 11|first=Sharat|last=Chander|website=oracle.com|access-date=September 26, 2018|archive-url=https://web.archive.org/web/20180926093144/https://blogs.oracle.com/java-platform-group/introducing-java-se-11|archive-date=September 26, 2018|url-status=live|df=mdy-all}}</ref>
|-
| Java SE 12 || 2019年3月19日
|-
| Java SE 13 || 2019年9月17日
|-
| Java SE 14 || 2020年3月17日
|-
| Java SE 15 || 2020年9月15日<ref>{{cite web|url=https://blogs.oracle.com/java-platform-group/the-arrival-of-java-15|title=The Arrival of Java 15!|date=September 15, 2020|publisher=[[Oracle Corporation|Oracle]]|access-date=2020-09-15}}</ref>
|-
| Java SE 16 || 2021年3月16日
|-
| Java SE 17 || 2021年9月14日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oracle.com/jp/news/announcement/java17-jp-2021-09-17/|title=オラクル、Java 17をリリース|date=September 17, 2021|publisher=[[Oracle Corporation|Oracle]]|access-date=2021-09-30}}</ref>
|-
| Java SE 18 || 2022年3月22日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oracle.com/jp/news/announcement/oracle-releases-java-18-2022-03-23/|title=オラクル、Java 18を発表|date=March 22, 2022|publisher=[[Oracle Corporation|Oracle]]|access-date=2022-03-23}}</ref>
|-
| Java SE 19 || 2022年9月20日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oracle.com/jp/news/announcement/oracle-releases-java-19-2022-09-20/|title=オラクル、Java 19をリリース|date=2022年9月21日|publisher=[[Oracle Corporation|Oracle]]|access-date=2022年9月21日}}</ref>
|-
| Java SE 20 || 2023年3月21日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oracle.com/jp/news/announcement/oracle-releases-java-20-2023-03-21/|title=オラクル、Java 20をリリース|date=2023年3月22日|publisher=[[Oracle Corporation|Oracle]]|access-date=2022年3月23日}}</ref>
|-
| Java SE 21 || 2023年9月19日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oracle.com/jp/news/announcement/ocw-oracle-releases-java-21-2023-09-19/|title=オラクル、Java 21のリリースとサポート・ロードマップの延長を発表|date=2023年9月19日|publisher=[[Oracle Corporation|Oracle]]|access-date=2022年9月21日}}</ref>
|}
== Javaプログラミング例 ==
{{main|Javaの文法}}
=== Hello World ===
<syntaxhighlight lang="java">
// Hello.java
public class Hello {
public static void main(String[] args) {
System.out.println("Hello, world!");
}
}
</syntaxhighlight>
*Javaプログラムでは全てのフィールドとメソッドが<code>'''class'''</code>内に記述される。
*Javaプログラムは静的メソッド<code>'''public static void main (String[] args)'''</code>から開始される。<code>'''args'''</code>はプログラム開始時のコマンドライン・パラメータである。
*<code>'''System.out'''</code>はSystemクラスの静的フィールドoutを意味する。outはPrintStream型のインスタンスである。<code>'''out.println("文字列")'''</code>はoutがprintlnメソッドを呼び出す。
== Javaプラットフォーム ==
{{Main|Javaプラットフォーム}}
Javaプラットフォーム (''Java Platform'') は、Javaプログラムを開発または実行する為のソフトウェア群の総称である。Javaプラットフォームは対象環境に合わせて、Java実行環境およびJava開発環境の構成内容と、Javaテクノロジの追加内容を変えたエディションに編集されて公開されている。Javaテクノロジは権利元ベンダーだけでなく[[サードパーティー]]側からも提供されており、その標準化は[[Java Community Process|Javaコミュニティプロセス]] (JCP) が管理している。Java実行環境とJava開発環境はオープンソース化されているので各企業、各団体、開発者各自が営利または非営利で様々なソフトウェアと関連技術を公開しており、巨大なITエコシステムを構築している。
=== エディション ===
2019年現在、Java権利元のオラクルは、対象環境に合わせたJavaプラットフォームの4つのエディションを公開している。エディションによってJava実行環境とJava開発キットに含まれるツール構成に違いがあり、またクラスライブラリとAPIの構成内容も異なっている。Java仮想マシンの性能にも差異がある。JDK 1.1までは単体エディションで、J2SE 1.2から3エディションに分かれた。J2SE 5.0頃から拡張テクノロジの一つであったJava Cardが昇格して4エディションとなった。
; [[Java Platform, Standard Edition]] (Java SE)
: [[スマートフォン]]や[[タブレット端末]]を含むパーソナルコンピュータ向けである。主にデスクトップアプリケーションとWEBアプリを開発または実行する。一般ユーザー用仕様と言える。
; [[Jakarta EE|Java Platform, Enterprise Edition]] (Java EE) / [[Jakarta EE]]
: サーバマシン、ワークステーション向けである。スタンダード版に加え、WEBサーバ及び多層クライアントサーバ、業務用システムを開発する為の、様々な拡張技術クラスライブラリ&APIが追加されている。業務用プロフェッショナル仕様であり大規模である。
: 2017年9月にオラクルは今後のJava EEのバージョンアップが[[Eclipse Foundation|エクリプス財団]]によって行われる事を発表した<ref>{{Cite web|url=https://blogs.oracle.com/theaquarium/opening-up-ee-update |title=Opening Up Java EE - An Update |date=2017-09-12 |publisher=オラクル |language=en |accessdate=2019-03-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.infoq.com/jp/news/2017/11/towards-java-EE-at-eclipse |title=EE4J、EclipseファウンデーションがオープンソースJava EEを準備 |date=2017-11-16 |publisher=InfoQ |language=ja-jp |accessdate=2019-03-10}}</ref>。Java EEの商標は現行版のサポートを続けるオラクルが保持したので、エクリプス財団による今後のバージョンは'''Jakarta EE'''の名称で公開される事になった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.infoq.com/jp/news/2018/03/java-ee-becomes-jakarta-ee |title=Java EE は Jakarta EE となる |date=2018-03-05 |publisher=InfoQ |language=ja-jp |accessdate=2019-03-10}}</ref>。
; [[Java Platform, Micro Edition]] (Java ME)
: [[組み込みシステム]]、[[マイクロコントローラ]]向けである。コンピュータ資源が制限されている集積回路や電子機器に対応した特定技術仕様であり、専用のクラスライブラリ&APIも用意されている。Java仮想マシンも比較的コンパクトにまとめられている。
; [[Javaカード|Java Card]]
: [[スマートカード]](ICカード)、小型メモリデバイス上で運用されるプログラムを開発するためのエディションである。{{いつ範囲|date=2019年3月|現在}}では[[SIMカード]]や[[ATMカード]]など幅広い分野に普及している。Java仮想マシンの機能は非常にコンパクトにまとめられており、幾つかのプリミティブ型も省略されている。故に特殊なプログラミングスタイルが求められる。
=== Java実行環境 (JRE) ===
{{Main|Java Runtime Environment}}
Java実行環境 (''Java Runtime Environment''; JRE) は、Javaアプリケーションを実行するために必要なソフトウェアである。[[Java仮想マシン]]、<nowiki>''</nowiki>Java.exe<nowiki>''</nowiki>のスターターを含めた各種実行サポートツール、Javaクラスライブラリで構成される。Java実行環境の中核はJava仮想マシンである。エディション毎に仮想マシンの仕様と性能は異なっており、また実行時は複数の動作モードを持つ。仮想マシンはスターターを通して稼働されるのが普通である。様々な使用状況に対応したスターターが最初に実行されて、そこから仮想マシンが呼び出されてJavaプログラムの実行を移譲される。仮想マシンはJavaクラスライブラリを逐次読み込みながらJavaプログラムを実行する。Java実行環境のツール内容とクラスライブラリ構成は、エディション毎に違いがある。
;Javaクラスライブラリ
Javaクラスライブラリは、普遍的に呼び出される特定の機能を実装したクラスの集合体である。Javaプログラムはライブラリ内のクラスを逐次呼び出しながら処理を実行する。なお、それぞれのJavaクラスライブラリ内部からプログラマの利用に向けて外部公開されている部分を「Java API」と呼ぶ。
# 基礎ライブラリ - Java言語の基礎を扱う。
# 入出力ライブラリ - ファイル入出力など。
# コレクションライブラリ - 動的配列と動的連想配列。データ集合の操作。
# 数学ライブラリ - 各種計算を扱う。
# 国際化地域化ライブラリ - 暦、日付、時間、通貨、文字コードなどの[[国際化と地域化]]を扱う。
# ネットワークライブラリ - ソケット通信を扱う。
# GUIライブラリ - グラフィカル・ユーザーインターフェースを扱う。
# アプレットライブラリ - アプレット生成用。
# Javaビーンズライブラリ - ソフトウェアコンポーネント作成用。
# データベース接続ライブラリ - SQLを扱う。
# リモートメソッドライブラリ - 分散オブジェクトを扱う。
#セキュリティライブラリ - セキュリティポリシー、ユーザー認証と権限承認、公開鍵暗号方式など。
;Javaアプリケーションの形態
Java実行環境に用意されている特定のJavaクラスライブラリを利用する事でJavaプログラムは結果的に、以下の四種類のアプリケーション形態に派生する。
;[[Javaアプリケーション]] (application)
:パーソナルコンピュータなどのローカル環境で実行されるJavaプログラム。「[[Java Web Start]]」は任意のjnlpファイル(''java network launching protocol'')をダウンロードして実行できるJavaアプリの配布システムである。この類似技術としてマイクロソフトのノータッチデプロイメント、ClickOnceがある。
;[[Javaアプレット]] (applet)
:サーバからダウンロードされてWEBブラウザ上で実行されるJavaプログラム。[[サンドボックス (セキュリティ)|サンドボックス]]機能下で厳しい動作制約が加えられている。{{独自研究範囲|当初はJavaの目玉技術であったが、様々な理由からさほど普及しなかった|date=2020年12月10日 (木) 13:45 (UTC)}}。
:Java Cardプラットフォームの分野である[[スマートカード]](ICカード)上で動くJavaプログラムもアプレットと呼ばれており、現在ではこちらに舞台を移している。
;[[Java Servlet|Javaサーブレット]] (servlet)
:サーバマシンで実行されるJavaプログラム。その名の通り手軽にサーバプログラムを実装出来るが、大規模サーバの構築にも適している。サーブレットはクライアントからのリクエストを逐次トランザクションして順次レスポンスする。WEBクライアントにはHTMLなどのプロトコルページ及び各種メディアをレスポンスしてWEBブラウザ上で表示させる。[[Perl]]などによる[[Common Gateway Interface|CGI]]に比べ、サーバ側の負荷が低いなどのメリットがある。
;[[JavaServer Pages|Javaサーバページ]] (server page)
:サーブレットをWEBサーバ用に特化したものであり、[[Extensible HyperText Markup Language|XHTML]] ([[HyperText Markup Language|HTML]]) 内に記述するJavaプログラムである。WEBクライアントからのリクエストに伴うパラメータに従い、それをサーバ側で解釈してWEBページ内容を動的に生成、変化させてレスポンスする。コードは似ているが、[[JavaScript]]の様にブラウザ側で実行するスクリプトではない。類似の技術に[[Active Server Pages]]、[[PHP (プログラミング言語)|PHP]]がある。
=== Java開発キット (JDK) ===
{{main|Java Development Kit}}
Java開発キット (''Java Development Kit'') は、Javaプログラムを開発するために必要なソフトウェアである。Java実行環境も内包している。[[Javaコンパイラ]]などの基本開発ツール、各種開発サポートツール、Java APIで構成されている。前述のエディションによって開発ツール内容とAPI構成に違いがある。Java開発キットの呼称はこれまでに何度か変更されている。
*J2SE 1.2.2_004 までは、JDK (''Java Development Kit'') と呼んでいた。
*J2SE 1.4 までは、Java2 SDK (''Java2 Software Development Kit'') と呼んでいた。
*J2SE 5.0 からは再び、JDK (''Java Development Kit'') と呼んだ。
*JavaSE 7 からは、エンタープライズ版とマイクロ版では Java SDK (''Java Software Development Kit'') と呼び、スタンダード版とカード版では JDK (''Java Development Kit'')と呼ぶようになった。JDKはSDKの拡張サブセット(SDKの一部分+その他)とされる。
;Java API
APIは、アプリケーション・プログラミング・インタフェースの頭字語であり、Javaクラスライブラリ内部からプログラマに向けて外部公開されているクラス、インタフェース、メソッド、フィールド、定数の集合である。プログラマはこれを用いて各種ソフトウェアの開発を行う。APIは基本的にクラスライブラリの所属に沿って、パッケージ (''package'') と呼ばれる名前空間で分類されて提供されている。パッケージは各ワードをピリオドで連結して階層化されている。先頭ワードのjavaは開発元提供の純正基礎版を意味する。他に純正拡張版のjavax、任意団体提供のorg、企業提供のcomがある。
# java.lang - Java言語の基礎を扱う。
# java.io - ファイル入出力など。
# java.util - 動的配列と動的連想配列。データ集合の操作。
# java.math - 各種計算を扱う。
# java.text - 暦、日付、時間、通貨、文字コードなどの国際化と地域化を扱う。
# java.net - ソケット通信を扱う。
# java.awt - グラフィカル・ユーザーインターフェイスを扱う。
# java.applet - アプレット生成用。
# java.beans - ソフトウェアコンポーネント作成用。
# java.sql - SQLを扱う。
# java.rmi - 分散オブジェクトを扱う。
# java.security - セキュリティポリシー、ユーザー認証と権限承認、公開鍵暗号方式など。
;統合開発環境と開発支援ツール
統合開発環境 (IDE)は、JDKを中核にしてビジュアルエディターやビルドマネジャーなどの様々な開発支援機能を備えたソフトウェアである。JDKのみだと、メモ帳でプログラムを書きコマンドラインでコンパイルしコンソールでデバッグをするという極めて原始的な作業になるが、IDEを使用する事で多機能エディタコーディングとビルド過程の自動化と視覚的なデバッグが可能になる。Java開発用のIDEは様々な企業と任意団体から公開されている。
*'''[[NetBeans]]''' - ([[サン・マイクロシステムズ]]→[[オラクル (企業)|オラクル]])オープンソースIDE。[https://ja.netbeans.org NetBeans.org] [http://www.netbeans.jp/ NetBeans.jp]。
*[[Eclipse (統合開発環境)|'''Eclipse SDK''']] - ([[IBM]]→[[Eclipse財団]])オープンソースIDE。Java用IDEの共通基盤存在である。ここからWebSphere Studio、JBuilderなど様々なIDEが派生している。[http://www.eclipse.org/ eclipse.org] [http://eclipsewiki.net/eclipse/ EclipseWiki]。
*'''WebSphere Studio''' -([[IBM]])商用IDE。Eclipseに有料プラグイン機能を組み合わせたもの<ref>{{Cite web|和書|url=https://tech.nikkeibp.co.jp/it/members/ITPro/J2EE/20031030/1/|title=EclipseとWebSphere Studioはどう違うのか {{!}} 日経 xTECH(クロステック)|accessdate=2019-11-17|publisher=Nikkei Business Publications, Inc.|author=星 暁雄=日経BP Javaプロジェクト|website=日経 xTECH(クロステック)|date=2003-10-31}}</ref>。現在はアップデート停止。[http://www.ibm.com/jp/software/websphere/ft/studio/index.html WebSphere]。
*{{仮リンク|IBM Rational|en|Rational Application Developer|label='''IBM Rational'''}} - (IBM) [[Rational]]ブランド商用IDE。WebSphere Studioの後継製品。
*'''[[JBuilder]]''' - ([[ボーランド]]→[[エンバカデロ・テクノロジーズ]])商用IDE。JBuilder2007からEclipseベースになっている。[http://www.embarcadero.com/jp/products/jbuilder JBuilder]。
*[[JDeveloper|'''Oracle JDeveloper''']] - (オラクル)Oracle Application Serverと統合されている。2005年6月28日に無料化した。[http://www.oracle.com/technetwork/jp/developer-tools/jdev/overview/ JDeveloper]。
*'''Oracle Workshop for WebLogic''' - ([[BEAシステムズ]]→オラクル){{仮リンク|Oracle WebLogic Server|en|Oracle WebLogic Server|label=WebLogic}}と統合されている。[http://www.oracle.com/technetwork/jp/developer-tools/workshop/ Oracle Workshop]。
*'''[[BlueJ]]''' - ([[サン・マイクロシステムズ]]、豪[[ディーキン大学]]、英[[ケント大学]]の共同開発)フリーIDE。[http://www.bluej.org/ BlueJ]。
*'''[[IntelliJ IDEA]]''' - (JetBrains) 商用IDE。[[Android Studio]]のベースになった。[http://www.jetbrains.com/idea/ IntelliJ IDEA]。
*'''JCreator''' - (Xinox Software) 商用IDE。[http://www.jcreator.com/ JCreator]。
*'''[[Xcode]]''' - ([[Apple]])[[macOS]]に付属するIDE。
開発サポートツールは、プロジェクト管理、自動ビルド、デバッグ、モニタリングを容易にする。下記の他にも多くの支援ツールが存在する。
*'''[[Apache Ant]]''' - Javaアプリケーションのビルドツール。[[Apacheソフトウェア財団]]のプロジェクトによって開発された。コンパイル、[[バージョン管理システム]]との連携、jar、javadoc生成、ファイルのコピー/移動/削除/変換などの一連の処理を自動化して効率的に実行する。[[make (UNIX)|make]] と同種のツールであり、[[Extensible Markup Language|XML]]ファイルにビルドの規則を記述する。Java 以外の言語によるアプリケーション開発や、アプリケーション開発以外の用途にも使うことができる。
*'''[[Apache Maven]]''' - Javaアプリケーションのプロジェクト管理ツール。Apacheソフトウェア財団のプロジェクトによって開発された。
*'''[[Gradle]]''' - [[Apache Ant]]や[[Apache Maven]]のコンセプトに基づくオープンソースビルド自動化システム。
*'''[[JUnit]]''' - Javaアプリケーションの単体テストフレームワーク。単体テストを自動化する。[[xUnit]]の一種である。[[テスト駆動開発]]を支援する。
=== Javaテクノロジの数々 ===
{{Main|Java Community Process}}<!--================================================================================
ここには、Java Community Process のもとで開発された拡張機能と関連技術のみを記述します。
=================================================================================-->
Javaテクノロジは、個人を含む各種組織から様々な形態で公開されている。開発元から提示された技術は、[[Java Community Process]] (JCP) による審査を合格した後にJavaテクノロジの一つとして認証される。これを標準化 (''standardization'') と言う。Javaテクノロジが準拠すべき規範仕様は、JCP管理下で発行される数々の[[:Category:Java specification requests|Java仕様要求]] (Java Specification Request) にて定義されている。Javaテクノロジは様々な分野に導入されている。その一例を以下に列挙する。
; [[Java Native Interface|JNI]] (Java Native Interface) : 他の言語で実装されたネイティブコードを呼び出す技術
; JMI (Java Metadata Interface) : Javaのメタデータの作成・アクセス・検索・送受信に関する仕様
; JML (Java Modeling Language) : [[契約による設計]] (DbC) を指向した形式言語をソースコードに導入する
; [[Java Management Extensions|JMX]] (Java Management Extensions) : 主に分散システムで[[依存性の注入]]によるJavaプログラムの動的な再構成技術
; JDMK (Java Dynamic Management Kit) : JMX仕様に基づいた開発支援ソフトウェア
; [[Java Data Objects|JDO]] (Java Data Objects) : [[オブジェクト (プログラミング)|オブジェクト]][[永続性|永続化]]の仕様
; Jini : 分散システムを構築するネットワークアーキテクチャ
; JavaSpaces : Jiniの分散システム環境でオブジェクトの送受信と永続化などをサポートするテクノロジ
; JAIN (Java API for Integrated Networks) : 統合通信ネットワーク用のAPI
; [[JavaServer Faces|JSF]] (Java Server Faces) : WEBクライアントにユーザーインターフェースを提供するサーバ用テクノロジ
; [[JXTA]] : [[Peer to Peer|P2P]]の仮想ネットワークのためのオープンプロトコル
; [[OSGi]] : サービスの動的な管理と遠隔保守
; [[Java3D]] : 3次元グラフィクスプログラミングのための高水準なAPI。[https://java3d.dev.java.net/ Java 3D]<!--([http://java.sun.com/products/java-media/3D/ ホーム]、[http://java.sun.com/products/java-media/3D/forDevelopers/J3D_1_3_API/j3dapi/ API])-->
; JOGL (Java OpenGL) : [[OpenGL]]を使う3Dプログラミングのための低水準なAPI
; JAI (Java Advanced Imaging) : 高水準な画像操作API
<!--; Java Media APIs [http://java.sun.com/products/java-media/](リンク切れ?) : java.media - マルチメディア向けAPI-->
; [[LWJGL]] : ゲーム開発用のAPI。[[OpenGL]], [[OpenAL]], [[OpenCL]]を扱える。様々なゲーム用コントローラーも扱える。
; JSML (Java Speech Markup Language) : [[音声合成]]システムにテキスト注釈を追加する
<!--; Shared Data ToolkitSound-->
; [[BD-J|Blu-ray Disc Java]] : ブルーレイディスク (BD) で実行される各種コンテンツ制作用
=== Javaオープンソースモデル ===
[[サン・マイクロシステムズ]]は1996年のリリース当初からJava実行環境とJava開発環境をオープンソース化しており、サードパーティーにJavaテクノロジ開発への参入をアピールしていた。ただしJavaの普及に一定のコントロールをかける為にソースコードの改変までは認めていなかった。2004年になると[[IBM]]が業界の優位性を活かしてJavaオープンソースプロジェクトの主導権を握るようになった。[[Java Community Process|Javaコミュニティプロセス]]を取り巻く業界の変化を悟ったサン・マイクロシステムズはIBMとの本格的な提携を承認し、2007年にJava SE 6を「[[OpenJDK]]」として[[GNU General Public License|GNU一般公開ライセンス]]の下でリリースした<ref>{{Cite web|title=Sun Fulfills Promise of Open and Free Java Technology and Releases Java SE Platform to OpenJDK Community|url=http://www.sun.com/aboutsun/pr/2007-05/sunflash.20070508.3.xml|author=Sun Microsystems, Inc|date=2007-5-8|accessdate=2009年9月16日}}</ref>。OpenJDKではソースコードの改変も認められた。[[GNUプロジェクト]]は「[[GNU Interpreter for Java]]」、[[GNUコンパイラコレクション]]の「[[GNU Compiler for Java]]」、互換クラスライブラリの「[[GNU Classpath]]」を公開した。Windows用GNU Compilerは、[[MinGW]]と併せて[[Cygwin]]の環境上でも実行できた。
WindowsやLinuxなどのメジャーOSでは、オラクル、IBM、Blackdown、GNUプロジェクト、Kaffe.orgなどによるJavaプラットフォームが公開されている。また、JavaソースコードをそのままWin用実行ファイルに変換する「Excelsior JET」や<ref>http://www.excelsior-usa.com/jet.html</ref>、JarファイルをWin用実行ファイルに変換する「[http://exewrap.osdn.jp/ exewrap]」「[http://launch4j.sourceforge.net/ Launch4j]」「[http://nsis.sourceforge.net/Java_Launcher_with_automatic_JRE_installation NSIS]」「[http://jsmooth.sourceforge.net/ JSmooth]」なども販売ないし公開されている。<!-- ただし、これらのツールには最新の[[JDK]]でコンパイルされた[[jar]]ファイルには対応していないなどの欠点もある上、{{いつ範囲|date=2019年2月|近年}}の [[Microsoft Windows|Windows]] にはほとんどにJavaがインストールされているため、あまり普及していない。 -->
== Java認定資格 ==
[[File:Java Certification Path.gif|thumb|認定パス]]
オラクル{{efn|買収前は[[サン・マイクロシステムズ]]によって。}}は複数のJava認定資格を主催している。Javaのバージョンアップに伴って資格も変更されることがある。ただし、変更前に取得した資格は変更後も有効である。<!--
認定資格は年3回の受験制限がある。ただし何らかの理由で4回以上受験の際には、アメリカのサン・マイクロシステムズ本社に連絡する必要がある。
→日本オラクルのサイトに上記制限が見つからないのでコメントアウト。でもどこかで見たような気がするんだよなぁ。
代わりに現行のオラクルの再受験ポリシーを記述する。-->認定試験に不合格だった場合、その試験日を含めて14日以内は同一試験を受験することができない。
{| class="sortable wikitable" style="font-size:small"
|+ 現在受験可能な資格<ref>{{Cite web|和書|url=https://education.oracle.com/ja/oracle-certification-path/product_267 |title=オラクル Java SE 認定資格パス 概要 |accessdate=2019-03-07}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://education.oracle.com/ja/oracle-certification-path/product_264 |title=オラクル Java EE and Web Services 認定資格パス 概要 |accessdate=2019-03-07}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://education.oracle.com/products/trackp_372 |title=Java Foundations Certified Junior Associate (novice-level certification) |accessdate=2019-03-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.oracle.com/jp/education/certification/examlist-172597-ja.html#2 |title=認定試験一覧 |accessdate=2019-03-07}}</ref>
! 資格名 !! レベル !! 対象バージョン
|-
| Java Foundations Certified Junior Associate || data-sort-value="0" | Junior Associate || {{Unknown}}
|-
| Oracle Certified Java Programmer, Bronze SE 7/8{{efn|日本でのみ行われている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/1209/27/news141.html |title=Java資格が大幅リニューアル。Bronze/Silver/Goldが登場 |accessdate=2019-03-07}}</ref>。}} || data-sort-value="0" | Bronze || Java SE 7/8
|-
| Oracle Certified Java Programmer, Silver SE 8{{efn|日本以外での Oracle Certified Associate, Java SE 8 Programmer に対応。}} || data-sort-value="1" | Associate || Java SE 8
|-
| Oracle Certified Java Programmer, Gold SE 8{{efn|日本以外での Oracle Certified Professional, Java SE 8 Programmer に対応。}} || data-sort-value="2" | Professional || Java SE 8
|-
| Oracle Certified Professional, Java EE 7 Application Developer || data-sort-value="2" | Professional || Java EE 7
|-
| Oracle Certified Master, Java EE 6 Enterprise Architect || data-sort-value="3" | Master || Java EE 6
|-
| Oracle Certified Expert, Java EE 6 Enterprise JavaBeans Developer || data-sort-value="4" | Expert || Java EE 6
|-
| Oracle Certified Expert, Java EE 6 JavaServer Faces Developer || data-sort-value="4" | Expert || Java EE 6
|-
| Oracle Certified Expert, Java EE 6 Web Services Developer || data-sort-value="4" | Expert || Java EE 6
|-
| Oracle Certified Expert, Java EE 6 Java Persistence API Developer || data-sort-value="4" | Expert || Java EE 6
|-
| Oracle Certified Expert, Java EE 6 Web Component Developer || data-sort-value="4" | Expert || Java EE 6
|}
== 注釈 ==
{{Reflist|group=注釈}}
== 出典 ==
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*Jon Byous, [http://java.sun.com/features/1998/05/birthday.html ''Java technology: The early years'']. Sun Developer Network, 日付不明(1998年頃).(2005年4月22日に参照)
*[[ジェームズ・ゴスリン|James Gosling]], [http://today.java.net/jag/old/green/ ''A brief history of the Green project'']. Java.net, 日付不明(1998年第1四半期頃).(2005年4月22日に参照)
*[[ジェームズ・ゴスリン|James Gosling]], [[ビル・ジョイ|Bill Joy]], [[ガイ・スティール・ジュニア|Guy Steele]], and Gilad Bracha, ''The Java language specification'', third edition. Addison-Wesley, 2005. ISBN 0-321-24678-0.
**村上雅章(訳) 『Java言語仕様 第3版』 ピアソン・エデュケーション、2006年、ISBN 4-89471-715-8
*Tim Lindholm and Frank Yellin. ''The Java Virtual Machine specification'', second edition. Addison-Wesley, 1999. ISBN 0-201-43294-3.
**村上雅章(訳) 『Java 仮想マシン仕様 第2版』 ピアソン・エデュケーション、2001年、ISBN 4-89471-356-X
*ジョシュア・ブロック(著)、柴田芳樹(訳) 『Effective Java プログラミング言語ガイド』 ピアソン・エデュケーション、2001年、ISBN 4-89471-436-1
== 関連項目 ==
{{Wiktionary|Java}}
{{Wikibooks|Java}}
{{Commonscat|Java (programming language)}}
*[[Javaの文法]]
*[[キーワード (Java)|Javaのキーワード (予約語)]]
*[[Javaの性能]]
*[[Javaに対する批判]]
*[[C SharpとJavaの比較|C♯とJavaの比較]]
*[[Java仮想マシン]]
*[[Javaコンパイラ]]
*[[Java Community Process]] - Java技術の標準化プロセス
*[[Javaチャンピオン]]
== 外部リンク ==
'''オラクル・JCP関連'''
*[https://java.com/ja/ Java.com] {{Ja icon}} - Javaのユーザー向け公式サイト
*[https://community.oracle.com/community/groundbreakers/java/ Java | Oracle Community] {{En icon}} - Javaの技術者向け公式サイト
*[https://www.jcp.org/ Java Community Process] {{En icon}} - JCPのサイト。JSRなどを閲覧できる
*[https://www.oracle.com/technetwork/jp/java/index.html Oracle Technology Network - Java] {{Ja icon}} - オラクルの技術者向けサイト
**[https://www.oracle.com/technetwork/java/javase/downloads/index.html Java SE ダウンロード]
**[https://docs.oracle.com/javase/jp/7/ JDK プログラマーズ・ガイド]
**[https://docs.oracle.com/javase/jp/7/api/ コア API ドキュメント]
**[https://docs.oracle.com/cd/E26537_01/tutorial/ Java チュートリアル]
'''技術情報'''
*[https://www.atmarkit.co.jp/ait/subtop/java/ @IT: Java Agile] {{Ja icon}} - Java技術者のための情報提供/情報交換フォーラム
*[http://www.ibm.com/developerworks/jp/java/ IBM developerWorks Java technology] {{Ja icon}} - IBM developerWorks の開発者向けの記事
*[http://www.computer-books.us/java.php Computer-Books.us] {{En icon}} - Java の複数の書籍(無償でダウンロード可能)
*[https://www.oracle.com/jp/java/ Java SE] - オラクル(旧サン・マイクロシステムズ)によるJREとJDKの実装
*[http://www.oracle.com/technetwork/jp/middleware/jrockit/overview/ Oracle JRockit] - オラクル(旧BEAシステムズ)によるJava仮想マシンとJDKの実装
*[http://openjdk.java.net/ OpenJDK] {{En icon}}
*[http://gcc.gnu.org/java/ GNU Compiler for Java (GCJ)] {{En icon}}
{{Java}}
{{Sun Microsystems}}
{{プログラミング言語一覧}}
{{FOSS}}
{{典拠管理}}
{{DEFAULTSORT:JAVA}}
[[Category:Java|*]]
[[Category:Javaプラットフォーム|*Java]]
[[Category:サン・マイクロシステムズ]]
[[Category:オラクル]]
[[Category:オブジェクト指向言語]]
[[Category:Java仮想マシンで動作するプログラミング言語]]
[[Category:プログラミング言語]] | 2003-02-13T10:51:59Z | 2023-11-03T09:57:07Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/Java |
1,282 | 紡木たく | 紡木 たく(つむぎ たく、1964年(昭和39年)8月2日 - )は、日本の漫画家。神奈川県横浜市出身。神奈川県立金井高等学校出身。1982年、『別冊マーガレット』(集英社)同年3月号に掲載された『待ち人』でデビューした。
1980年代半ば、『別冊マーガレット』誌上にて絶大な人気を博す。代表作『ホットロード』は公称700万部を売り上げた。
デビュー当初は大学生が主人公の作品もあったが、その後は主に中学生・高校生を描き、漫画家活動の後期には小学生を主人公にした作品もあった。作者が育った湘南や横浜が舞台になった作品が多い(『みんなで卒業をうたおう』では母校である金井高校がそっくりそのまま描かれている)が、山口県を舞台にした『瞬きもせず』を執筆中は実際に山口県に移り住み、現地の風景や方言を作品に写し込んでいた。
1990年代に入ると、作品の叙情性、内省的な面が強くなり、舞台が都会から遠い場所になったこともあって暗さが目立つようになった。
1995年以降は、2002年に『別冊マーガレット』増刊『P!マーガレット』にポスターイラストを描き下ろした以外の活動はなかったが、2007年12月8日に12年の休筆期間を経て編書房より新作『マイ ガーデナー』が刊行された。 | [
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] | 紡木 たくは、日本の漫画家。神奈川県横浜市出身。神奈川県立金井高等学校出身。1982年、『別冊マーガレット』(集英社)同年3月号に掲載された『待ち人』でデビューした。 | {{存命人物の出典明記|date=2013年3月}}
'''紡木 たく'''(つむぎ たく、[[1964年]]([[昭和]]39年)[[8月2日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[神奈川県]][[横浜市]]出身。[[神奈川県立金井高等学校]]出身。[[1982年]]、『[[別冊マーガレット]]』([[集英社]])同年3月号に掲載された『待ち人』でデビューした。
==概要 ==
[[1980年代]]半ば、『別冊マーガレット』誌上にて絶大な人気を博す。代表作『'''[[ホットロード]]'''』は公称700万部を売り上げた。
デビュー当初は大学生が主人公の作品もあったが、その後は主に中学生・高校生を描き、漫画家活動の後期には小学生を主人公にした作品もあった。作者が育った[[湘南]]や横浜が舞台になった作品が多い(『みんなで卒業をうたおう』では母校である金井高校がそっくりそのまま描かれている)が、[[山口県]]を舞台にした『[[瞬きもせず (漫画)|瞬きもせず]]』を執筆中は実際に山口県に移り住み、現地の風景や方言を作品に写し込んでいた。
[[1990年代]]に入ると、作品の叙情性、内省的な面が強くなり、舞台が都会から遠い場所になったこともあって暗さが目立つようになった。
[[1995年]]以降は、[[2002年]]に『別冊マーガレット』増刊『P!マーガレット』にポスターイラストを描き下ろした以外の活動はなかったが、[[2007年]][[12月8日]]に12年の休筆期間を経て編書房より新作『[[マイ ガーデナー]]』が刊行された。
==全作品リスト==
*待ち人
*ふたりの風景
*サンセット・イメージ
*波の言葉たち
*新しい友達
*あの夏が海にいる
*湘子
*横浜・14才・由子
*あの人の車で…
*やさしい手を、もってる
*うまく いえない
*みんなで卒業をうたおう
*これからも ずっと…
*机をステージに
*[[ホットロード]]
*[[瞬きもせず (漫画)|瞬きもせず]]
*his love
*純 -JUN-
*17の午後
*小さな祈り
*かなしみのまち
*隆司永遠
*[[マイ ガーデナー]]
*紡木たく PICTURE BOOK
==関連項目==
*[[尾崎豊]]
*[[チェッカーズ]]
*[[氣志團]]
== 外部リンク ==
* [https://www.ehonnavi.net/specialcontents/contents.asp?id=117 紡木たく PICTURE BOOK(ピクチャーブック)編集者インタビュー] -絵本ナビによる編集者インタビュー
* [https://web.archive.org/web/*/http://annex.s-manga.net/hotroad/index.html ホットロード完全版] - 集英社による特設サイト
* [https://web.archive.org/web/*/http://www.s-woman.net/mangaar/bn/0706_1/index.html 少女まんがアーカイブ] - 集英社 s-woman.net サイト。第1回から第4回まで紡木たくを特集
<!--*[http://www.amushobo.com/ 編書房] - 『マイ ガーデナー』発行元-->
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1,283 | ドラゴンクエスト | 『ドラゴンクエスト』(DRAGON QUEST)は、1986年(昭和61年)5月27日にエニックス(現:スクウェア・エニックス)より発売されたファミリーコンピュータ(ファミコン、FC)用ロールプレイングゲーム。通称は『ドラゴンクエストI』(ドラゴンクエストワン)。
家庭用ゲーム機では日本初となるオリジナルタイトルのロールプレイングゲームとして知られる。当初、本作は単発作品であったため、詳しい人物設定や背景像などはなかったが、ゲームのシリーズ化に伴い、後続作品との関連性を持たせるため、後からさまざまな公式設定が追加された。後に発売される『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』『ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』は、本作との関連が深く、この3作は合わせて「ロトシリーズ」と呼ばれる。
社会現象を巻き起こした『ドラゴンクエストIII』の発売後には、本作『ドラゴンクエスト』の小説化やゲームブック化に加えドラマCD(CDシアター)化も行われた。
日本では同年内にMSX、MSX2にも移植された。その後、リメイク版としてスーパーファミコン(以下SFC)用ソフト『ドラゴンクエストI・II』、ゲームボーイ(以下GB)用ソフト『ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II』に収録され、Wii用ゲームソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』にFC・SFC版の両方が収録された。
2000年代以降にはフィーチャーフォン用アプリ(iアプリ、EZアプリ、Vアプリ)、スマートフォンアプリ(Android、iOS)としての配信も行われた。2017年8月10日にはPlayStation 4、ニンテンドー3DS版もダウンロード配信が開始された。また2018年7月7日に発売されたニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ 週刊少年ジャンプ50周年記念バージョンにはFC版が収録された。2019年9月27日にはNintendo Switch版もダウンロード配信が開始された。
北米では、1989年5月にNESで『Dragon Warrior』として任天堂から発売され、後にGB版『Dragon Warrior I & II』にも収録された。
エニックス主催の第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストで出会った堀井雄二と中村光一が、千田幸信と共に訪れたアメリカのアップル社展示会「アップルフェスト」で当時アメリカでブームだったRPGに感化されて発案・企画した。
シナリオ・ゲームデザインは当時集英社の『週刊少年ジャンプ』(以下『ジャンプ』)にファミコン関連の記事を執筆していた堀井雄二、キャラクターデザインは同じく『ジャンプ』で『ドラゴンボール』を連載していた鳥山明、作曲は当時CM音楽などを主に手がけていたすぎやまこういち、プログラミングは当時天才少年と言われていた中村光一率いるチュンソフトが担当し、各メンバーやエニックスとの懸け橋として千田幸信が各所を飛び回った。
タイトルロゴデザインは、『ジャンプ』の読者コーナー「ジャンプ放送局」のレイアウト担当であった榎本一夫(バナナグローブスタジオ)が手がけた。決定稿に当初竜は描かれていなかったが、ゲームにもタイトルにも「ドラゴン」というキーワードがあることから、ロゴに竜を絡めてはどうかと榎本が提案。鳥嶋和彦を介し鳥山明に依頼、青いドラゴンが描きおろされた。
開発期間は約5か月であり、マスターアップ直前にプログラム再構成により納期を1週間先延ばししたため、デバッグ作業は堀井雄二やチュンソフトの全メンバーのほか、福嶋康博を筆頭にエニックス社員全員を総動員して行われた。
キャッチコピーは「今、新しい伝説が生まれようとしている」。
ドラクエ2は1Mbitロム、ドラクエ3は2Mbitのところ、本作で使用されたROMの容量は512kbit(64KB)と非常に小さいため、主にゲーム中使用されるテキスト部分においてデータ量の削減のためにさまざまな工夫が行われている。
本作が出る前のファミコンのゲームソフトは、前年に発売された『スーパーマリオブラザーズ』に代表されるようなアクションゲームが主流であった。開発当時『週刊少年ジャンプ』でライターを務めていた堀井雄二は、同誌の主な読者層であった子供たちにRPGの面白さを伝えるという目的で本作を開発した。そのため本作では、RPGに馴染みの無い子供たちにゲームのやり方を理解してもらうための工夫がなされている。
移植・リメイク版については他機種版の節を参照。
プレイヤーの目的は、伝説の勇者「ロト」の血を引く勇者として、「竜王」にさらわれた姫を救い出し、そして竜王を倒すことである。その目的を達成するためには、敵キャラクターであるモンスター(魔物)を倒して経験値と通貨となるゴールドを稼ぎ、レベルを上げ強い武器・防具を購入してプレイヤーキャラクターを強くし、探索範囲を徐々に広げていき、また、町の人々から情報を得て、それをヒントに重要アイテムを手に入れて謎を解く必要がある。
ゲームスタート時に主人公の名前を決定し、初期ステータスとレベルアップ時のステータス上昇パターンが変化する。このシステムは『ドラゴンクエストシリーズ』では本作にのみ見られる。
主人公にはHP・MP・力・素早さ・経験値・ゴールド・攻撃力・守備力のパラメータが存在する。経験値が一定値に達するとレベルが上がり、ステータスが上昇したり呪文を覚えたりする。最高レベルは30。ゴールドはこの世界の通貨で、さまざまな店で使用する。
主人公の装備品は攻撃力を上げる「武器」と守備力を上げる「鎧」「盾」の3種類で、入手した武器や防具は自動的に装備され、それまで装備していたものがその場で売却または破棄されるシステムになっている。
主人公がMPを消費して使用できる魔法の呪文は全10種類で、最初は一つも覚えていないが、レベルが一定値まで上がるたびに1種類ずつ順に覚えていく。道具の代用になるもの(その効果は道具と若干異なる)や、回復呪文、敵の行動を封じる補助呪文、攻撃呪文などが存在する。これらは敵モンスターが使用してくる場合もある。
主人公はアイテム(道具)を持つことができ、道具にはHPを回復する「やくそう」、暗い洞窟内を照らす「たいまつ」、敵モンスターとのエンカウントを回避する「せいすい」、守備力を上昇させる「りゅうのうろこ」、ラダトーム城へ帰還する「キメラのつばさ」、扉を開く「かぎ」などがある。アイテムは基本的に使い捨てで、このうち、「やくそう」「かぎ」は道具とは別個で、それぞれ6つまで所持できる。
移動画面は主人公とその周囲を真上から見下ろした「トップビュー」となっている。フィールドマップには町やダンジョンなどのオブジェクトが散在しており、そこへ主人公を移動させると自動的に町やダンジョンに入場する。逆に町やダンジョンから外へ出た場合には自動的にフィールドマップへ移動する。フィールドマップには平地や森、砂漠などさまざまな地形が存在し、移動しにくい(移動時に若干のウェイトが生じる)山や、岩山や海など移動できない地形、入るだけで主人公のHPにダメージを与える毒の沼も存在する。
本作のみのシステムとして、ダンジョン(洞窟)の内部は完全な暗闇であり、何もしていない場合は主人公のいるブロックしか画面に表示されず、道具「たいまつ」または「レミーラ」の呪文を使わなければ周囲の地形が見えない。このように可視範囲が限定されるシステムは『ウィザードリィ』など当時の多くのRPGに見られたが、難度を不要に上げるだけのものとなっていたため、次回作以降は最初から部屋を見渡せるよう変更されている。
移動画面ではメニューコマンドウィンドウを開き、以下の8つからコマンドを選択できる。
以上のコマンド形態は、「かいだん」や「とびら」コマンドの自動化、「とる」を「しらべる」に統合、『V』以降の「べんりボタン」の導入など、続編が制作されるたびに一つのコマンドにさまざまな役割を持たせるなどして整理されていき、整理されたシステムを採用した続編以降に発売されたリメイク版においては本作のコマンドシステムは使用されていない。
町には、戦闘で使う武器・鎧・盾などを扱う武器と防具の店、「やくそう」などのアイテムを扱う道具屋、「せいすい」のみを扱う聖水屋、前述の「かぎ」を扱う鍵屋などの店がある。これらの店では、入手したいアイテムに対応する価格分のゴールドを払うことにより、その武器・防具やアイテムを入手する(買う)ことができる。不要なアイテムを道具屋で売り、ゴールドに替えることもできる。なお本作では武器・鎧・盾を新しく買うとその場で即座に装備し、古い装備は引き取られる。
ほかに、宿屋では、宿泊してHPとMPを最大値まで回復することができる。宿泊料金は町により異なるが、スタート地点のラダトームから遠い町ほど高額になる傾向がある。
フィールド上、ダンジョン(ロトの洞窟を除く)、廃墟の町など、敵のいる場所を歩いていると、突然画面が切り替わり、敵モンスターとの戦闘になる(ランダムエンカウント)。戦闘が発生した場合は戦闘ウィンドウが開き、モンスターのグラフィックが表示され、戦闘用の効果音が流れ、地上の場合のみ戦闘背景も表示される。
本作での戦闘は常に主人公と1体のモンスターによる1対1である。自分の行動を選択できる状態になるとコマンド入力待ちとなり、武器で攻撃して相手のHPを減らす「たたかう」、呪文を使用する「じゅもん」、アイテムを使用する「どうぐ」、敵から逃げ出す(必ず逃げられるわけではない)「にげる」の中から自分の行動を選択して戦闘を行う。
本作ではプレイヤーや敵のステータスに関係なく、各ターンで基本的にまず主人公が先手となり行動し、続いて敵が後手となり行動する形で、どちらかが倒れる(HPが0になる)まで主人公と相手が交互に行動を繰り返していく。ただし、戦闘開始後、主人公が身構えるより早く敵が襲ってくる場合があり、そのときはターン開始前に一度敵の攻撃を受けてから各ターンを繰り返す。1対1の戦闘であるため、呪文「ラリホー」の効果で眠っている状態だと行動はできず、目が覚めるまで相手側が一方的に攻撃する。行動の結果は常にメッセージウィンドウに表示され、どのように戦闘が進んでいるか確認できる。
敵のHPを0にできればその敵を倒したことになり、その敵に応じた経験値とゴールドを入手できる(最大65535Gまで)。逆に主人公のHPを0にされた場合は死亡し敗北となるが、ゲームオーバーとはならず、スタート地点であるラダトーム城で生き返る。所持金が半分になるが、経験値・レベル・所持アイテムは死亡したときの状態のまま継続できる。この基本システムは次作以降にも引き継がれている。
本作はRPGという性質上、ゲームを始めてからエンディングを迎えるまでに時間がかかるが、バッテリーバックアップなどの記録機能を実装していないため、一度ゲームを中断して電源を切ったあと、パスワードを入力することで次回にその続きからプレイできるようになっている。
中断するときは、ラダトーム王に話しかけることによって画面に表示される「復活の呪文」と呼ばれるひらがな20文字のパスワードを書き留め、次回ゲームを開始するときに画面にパスワードを正しく入力すれば、中断したところから冒険を再開することができる。ただしパスワードを1字でも間違えるとゲームを再開することはできない。
復活の呪文は次作『ドラゴンクエストII』でも登場する。なお、復活の呪文には現在のHP・MPの値や、宝箱のアイテム取得済みのフラグなどといった詳細な情報は記録されず、復活の呪文を入力してゲームを再開した場合はHP・MPは必ず最大値となる。宝箱の中身は、ダンジョンから一度出て、また入り直すと自動的に復活する。そのため、宝箱の中身を何度でも取ることができる。
新しい復活の呪文を出したあとでも、以前に出した古い復活の呪文は有効であり、古い復活の呪文を入力した場合、その復活の呪文を出した時点の状態で再スタートすることが可能である。公式ガイドブックでは、書き間違いに備えて、復活の呪文を一度に2つ出すことが推奨されている。
ここでは、作品中に登場する重要な道具を挙げる。
本作は、シリーズで唯一のバッドエンディングが存在する。最終ボスである竜王との会話のイベントにおいて「はい・いいえ」の選択を誤ると文字が赤くなり、マップが真っ暗となって画面が完全に停止し、ゲームの続行が不可能となる。その寸前に復活の呪文を教えてもらえるが、この復活の呪文を入力すると、レベル1、経験値・ゴールドが0で武器防具・道具を全く持っていない状態でゲームの最初からスタートする。
この状態になった場合、上述のように古い復活の呪文を入力することで、その時点の状態で再スタート可能である。逆を言えば、以前にメモした復活の呪文を紛失したり書き間違えていたりした場合はそこまでの進行を失われる。
北米版『Dragon Warrior』では、日本の『ドラゴンクエストII』以降と同様にキャラクターが横や後ろを向くことができるようになり、フィールドの白い海岸線のグラフィックが追加されるなどビジュアル面も多少変更されている。このほかに日本版『ドラゴンクエストIII』以降と同様にバッテリーバックアップが搭載された。なお、これ以外のゲームシステムやシナリオは日本版と変わらない。ただ、ファンタジー小説の影響でセリフはやや古風な英語に訳された。ローカライズは、当時ハル研究所に所属していた岩田聡が担当した。
美しく豊かな大地、アレフガルドはかつて大魔王の手によって闇に閉ざされていたが、大魔王は伝説の勇者ロトによって倒され、魔物たちも光の玉によって封印された。それ以来、アレフガルドは平和が続いていた。
月日は流れ、ラダトームの王であるラルス16世がアレフガルドを治める時代に、アレフガルドに再び邪悪な者が現れた。その名は竜王。竜王はラダトームから光の玉とローラ姫を奪い、アレフガルドは再び魔物の徘徊する世界となった。竜王に戦いを挑んでいった者はいたが、生きて帰ってきた者は一人もいなかった。そして、ローラ姫もどこかに監禁された。
そんな中、予言者のムツヘタが勇者ロトの血を引く者が竜王を滅ぼすであろうと予言した。そして予言どおり、ロトの血を引く勇者が現れた。王様に姫と平和を取り戻すよう頼まれた勇者は、竜王の城を目指して一人旅立つのである。
様々な街を訪れ、ダンジョンを攻略した勇者は、沼地の洞窟にてドラゴンによって捕らわれているローラ姫を救い出す。さらなる旅の果てに「竜王の城」へと辿り着き、玉座の後ろにある隠し階段を降りて広大な迷宮へと降りていく。
最下層にある竜王の間で勇者の強さを認めた竜王は、「もし、わしの味方になれば世界の半分を勇者にやろう」と誘いをかけてくる。竜王のその誘いを撥ね退けた勇者は、見事壮絶な戦いの後、ついに竜王を討ち倒す。そして勇者は、新たなアレフガルド国王として国を統治してほしいと託されるが、これを拒否して新たな地に国を作るべくアレフガルドから旅立つのであった。
アレフガルドと呼ばれる国が舞台となっている。アレフガルドの「アレフ」はギリシャ数字のアルファのことを指す。また、ガルドは、北欧神話におけるアスガルドと同じであるとすれば、古ノルド語の「王国」「囲い」を意味する。 総じて「始まりの国」を意味する。
なお、「ファミコン神拳」で本作の製作が発表された段階では、「アレフランド」という名称であった。。
本作は疑似マルチウィンドウ型のメニュー、パソコン用RPG『ウルティマ』に代表される二次元マップのカーソル移動を基盤としたキャラクターの移動、同じくパソコン用RPG『ウィザードリィ』に代表される対話式の戦闘モードなどといったスタイルを、当時の技術レベルでの512kbit(64KB)という、2000年代ごろにおけるフィーチャーフォンの待受画像1枚分相当のROM容量の中で実現させた作品である。このようにファミコンという性能的にも容量的にも制約のある環境で、パソコンユーザーとの利用者の違いを理解して作られた本作はRPGの大衆化に成功した作品であるといえる。
†は廃盤。太字は2022年3月現在も販売されているCDである。
上記ではIのFC版およびリメイク版に関する備考を記載、以降のナンバリングや派生作品で使用される場合の備考に関しては「ドラゴンクエストシリーズの楽曲一覧」を参照。
また交響組曲版にはこのほかに「ME集」が収録されている。
2021年3月19日に改定された。 | [
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"text": "フィールド上、ダンジョン(ロトの洞窟を除く)、廃墟の町など、敵のいる場所を歩いていると、突然画面が切り替わり、敵モンスターとの戦闘になる(ランダムエンカウント)。戦闘が発生した場合は戦闘ウィンドウが開き、モンスターのグラフィックが表示され、戦闘用の効果音が流れ、地上の場合のみ戦闘背景も表示される。",
"title": "ゲーム内容"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "本作での戦闘は常に主人公と1体のモンスターによる1対1である。自分の行動を選択できる状態になるとコマンド入力待ちとなり、武器で攻撃して相手のHPを減らす「たたかう」、呪文を使用する「じゅもん」、アイテムを使用する「どうぐ」、敵から逃げ出す(必ず逃げられるわけではない)「にげる」の中から自分の行動を選択して戦闘を行う。",
"title": "ゲーム内容"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "本作ではプレイヤーや敵のステータスに関係なく、各ターンで基本的にまず主人公が先手となり行動し、続いて敵が後手となり行動する形で、どちらかが倒れる(HPが0になる)まで主人公と相手が交互に行動を繰り返していく。ただし、戦闘開始後、主人公が身構えるより早く敵が襲ってくる場合があり、そのときはターン開始前に一度敵の攻撃を受けてから各ターンを繰り返す。1対1の戦闘であるため、呪文「ラリホー」の効果で眠っている状態だと行動はできず、目が覚めるまで相手側が一方的に攻撃する。行動の結果は常にメッセージウィンドウに表示され、どのように戦闘が進んでいるか確認できる。",
"title": "ゲーム内容"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "敵のHPを0にできればその敵を倒したことになり、その敵に応じた経験値とゴールドを入手できる(最大65535Gまで)。逆に主人公のHPを0にされた場合は死亡し敗北となるが、ゲームオーバーとはならず、スタート地点であるラダトーム城で生き返る。所持金が半分になるが、経験値・レベル・所持アイテムは死亡したときの状態のまま継続できる。この基本システムは次作以降にも引き継がれている。",
"title": "ゲーム内容"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "本作はRPGという性質上、ゲームを始めてからエンディングを迎えるまでに時間がかかるが、バッテリーバックアップなどの記録機能を実装していないため、一度ゲームを中断して電源を切ったあと、パスワードを入力することで次回にその続きからプレイできるようになっている。",
"title": "ゲーム内容"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "中断するときは、ラダトーム王に話しかけることによって画面に表示される「復活の呪文」と呼ばれるひらがな20文字のパスワードを書き留め、次回ゲームを開始するときに画面にパスワードを正しく入力すれば、中断したところから冒険を再開することができる。ただしパスワードを1字でも間違えるとゲームを再開することはできない。",
"title": "ゲーム内容"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "復活の呪文は次作『ドラゴンクエストII』でも登場する。なお、復活の呪文には現在のHP・MPの値や、宝箱のアイテム取得済みのフラグなどといった詳細な情報は記録されず、復活の呪文を入力してゲームを再開した場合はHP・MPは必ず最大値となる。宝箱の中身は、ダンジョンから一度出て、また入り直すと自動的に復活する。そのため、宝箱の中身を何度でも取ることができる。",
"title": "ゲーム内容"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "新しい復活の呪文を出したあとでも、以前に出した古い復活の呪文は有効であり、古い復活の呪文を入力した場合、その復活の呪文を出した時点の状態で再スタートすることが可能である。公式ガイドブックでは、書き間違いに備えて、復活の呪文を一度に2つ出すことが推奨されている。",
"title": "ゲーム内容"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "ここでは、作品中に登場する重要な道具を挙げる。",
"title": "ゲーム内容"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "本作は、シリーズで唯一のバッドエンディングが存在する。最終ボスである竜王との会話のイベントにおいて「はい・いいえ」の選択を誤ると文字が赤くなり、マップが真っ暗となって画面が完全に停止し、ゲームの続行が不可能となる。その寸前に復活の呪文を教えてもらえるが、この復活の呪文を入力すると、レベル1、経験値・ゴールドが0で武器防具・道具を全く持っていない状態でゲームの最初からスタートする。",
"title": "ゲーム内容"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "この状態になった場合、上述のように古い復活の呪文を入力することで、その時点の状態で再スタート可能である。逆を言えば、以前にメモした復活の呪文を紛失したり書き間違えていたりした場合はそこまでの進行を失われる。",
"title": "ゲーム内容"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "北米版『Dragon Warrior』では、日本の『ドラゴンクエストII』以降と同様にキャラクターが横や後ろを向くことができるようになり、フィールドの白い海岸線のグラフィックが追加されるなどビジュアル面も多少変更されている。このほかに日本版『ドラゴンクエストIII』以降と同様にバッテリーバックアップが搭載された。なお、これ以外のゲームシステムやシナリオは日本版と変わらない。ただ、ファンタジー小説の影響でセリフはやや古風な英語に訳された。ローカライズは、当時ハル研究所に所属していた岩田聡が担当した。",
"title": "ゲーム内容"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "美しく豊かな大地、アレフガルドはかつて大魔王の手によって闇に閉ざされていたが、大魔王は伝説の勇者ロトによって倒され、魔物たちも光の玉によって封印された。それ以来、アレフガルドは平和が続いていた。",
"title": "設定"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "月日は流れ、ラダトームの王であるラルス16世がアレフガルドを治める時代に、アレフガルドに再び邪悪な者が現れた。その名は竜王。竜王はラダトームから光の玉とローラ姫を奪い、アレフガルドは再び魔物の徘徊する世界となった。竜王に戦いを挑んでいった者はいたが、生きて帰ってきた者は一人もいなかった。そして、ローラ姫もどこかに監禁された。",
"title": "設定"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "そんな中、予言者のムツヘタが勇者ロトの血を引く者が竜王を滅ぼすであろうと予言した。そして予言どおり、ロトの血を引く勇者が現れた。王様に姫と平和を取り戻すよう頼まれた勇者は、竜王の城を目指して一人旅立つのである。",
"title": "設定"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "様々な街を訪れ、ダンジョンを攻略した勇者は、沼地の洞窟にてドラゴンによって捕らわれているローラ姫を救い出す。さらなる旅の果てに「竜王の城」へと辿り着き、玉座の後ろにある隠し階段を降りて広大な迷宮へと降りていく。",
"title": "設定"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "最下層にある竜王の間で勇者の強さを認めた竜王は、「もし、わしの味方になれば世界の半分を勇者にやろう」と誘いをかけてくる。竜王のその誘いを撥ね退けた勇者は、見事壮絶な戦いの後、ついに竜王を討ち倒す。そして勇者は、新たなアレフガルド国王として国を統治してほしいと託されるが、これを拒否して新たな地に国を作るべくアレフガルドから旅立つのであった。",
"title": "設定"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "アレフガルドと呼ばれる国が舞台となっている。アレフガルドの「アレフ」はギリシャ数字のアルファのことを指す。また、ガルドは、北欧神話におけるアスガルドと同じであるとすれば、古ノルド語の「王国」「囲い」を意味する。 総じて「始まりの国」を意味する。",
"title": "設定"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "なお、「ファミコン神拳」で本作の製作が発表された段階では、「アレフランド」という名称であった。。",
"title": "設定"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "本作は疑似マルチウィンドウ型のメニュー、パソコン用RPG『ウルティマ』に代表される二次元マップのカーソル移動を基盤としたキャラクターの移動、同じくパソコン用RPG『ウィザードリィ』に代表される対話式の戦闘モードなどといったスタイルを、当時の技術レベルでの512kbit(64KB)という、2000年代ごろにおけるフィーチャーフォンの待受画像1枚分相当のROM容量の中で実現させた作品である。このようにファミコンという性能的にも容量的にも制約のある環境で、パソコンユーザーとの利用者の違いを理解して作られた本作はRPGの大衆化に成功した作品であるといえる。",
"title": "評価"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "†は廃盤。太字は2022年3月現在も販売されているCDである。",
"title": "関連商品"
},
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"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "上記ではIのFC版およびリメイク版に関する備考を記載、以降のナンバリングや派生作品で使用される場合の備考に関しては「ドラゴンクエストシリーズの楽曲一覧」を参照。",
"title": "関連商品"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "また交響組曲版にはこのほかに「ME集」が収録されている。",
"title": "関連商品"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "2021年3月19日に改定された。",
"title": "動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン"
}
] | 『ドラゴンクエスト』は、1986年(昭和61年)5月27日にエニックスより発売されたファミリーコンピュータ(ファミコン、FC)用ロールプレイングゲーム。通称は『ドラゴンクエストI』(ドラゴンクエストワン)。 家庭用ゲーム機では日本初となるオリジナルタイトルのロールプレイングゲームとして知られる。当初、本作は単発作品であったため、詳しい人物設定や背景像などはなかったが、ゲームのシリーズ化に伴い、後続作品との関連性を持たせるため、後からさまざまな公式設定が追加された。後に発売される『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は、本作との関連が深く、この3作は合わせて「ロトシリーズ」と呼ばれる。 社会現象を巻き起こした『ドラゴンクエストIII』の発売後には、本作『ドラゴンクエスト』の小説化やゲームブック化に加えドラマCD(CDシアター)化も行われた。 日本では同年内にMSX、MSX2にも移植された。その後、リメイク版としてスーパーファミコン(以下SFC)用ソフト『ドラゴンクエストI・II』、ゲームボーイ(以下GB)用ソフト『ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II』に収録され、Wii用ゲームソフト『ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III』にFC・SFC版の両方が収録された。 2000年代以降にはフィーチャーフォン用アプリ(iアプリ、EZアプリ、Vアプリ)、スマートフォンアプリ(Android、iOS)としての配信も行われた。2017年8月10日にはPlayStation 4、ニンテンドー3DS版もダウンロード配信が開始された。また2018年7月7日に発売されたニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ 週刊少年ジャンプ50周年記念バージョンにはFC版が収録された。2019年9月27日にはNintendo Switch版もダウンロード配信が開始された。 北米では、1989年5月にNESで『Dragon Warrior』として任天堂から発売され、後にGB版『Dragon Warrior I & II』にも収録された。 | {{Otheruseslist|シリーズ第1作|シリーズ全般|ドラゴンクエストシリーズ|その他の用法|ドラゴンクエスト (曖昧さ回避)}}
{{Pathnav|frame=1|ドラゴンクエストシリーズ}}
{{コンピュータゲーム
| Title = ドラゴンクエスト
| image =
| Genre = [[コンピュータRPG|ロールプレイングゲーム]]
| Plat = [[ファミリーコンピュータ]] (FC){{Collapsible list |title = 対応機種一覧 |1 = [[MSX]]<br />[[MSX2]]<br />[[スーパーファミコン]] (SFC)<br />[[ゲームボーイ]] (GB)<br />[[iアプリ]]<br />[[BREW|EZアプリ (BREW)]]<br />[[S!アプリ|Vアプリ]]<br />[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]<br />[[iOS]]<br />[[PlayStation 4]] (PS4)<br />[[ニンテンドー3DS]] (3DS)<br />[[Nintendo Switch]]}}
| Dev = [[チュンソフト]]
| Pub = {{vgrelease new|JP|[[エニックス]]|NA|[[任天堂]]}}
| distributor =
| producer = [[千田幸信]]
| director = [[中村光一]]
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| writer = [[堀井雄二]]
| programmer = [[チュンソフト]]
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『'''ドラゴンクエスト'''』(DRAGON QUEST)は、[[1986年]]([[昭和]]61年)[[5月27日]]に[[エニックス]](現:[[スクウェア・エニックス]])より発売された[[ファミリーコンピュータ]](ファミコン、FC)用[[コンピュータRPG|ロールプレイングゲーム]]。通称は『'''ドラゴンクエストI'''』(ドラゴンクエストワン){{Efn2|本作の正式タイトルは『ドラゴンクエスト』であるが、続編が発売されて以降、本作はシリーズ第1作であることから便宜上『'''ドラゴンクエストI'''』(ドラゴンクエストワン)、『初代ドラゴンクエスト』<ref>{{Cite web|和書|title=初代『ドラゴンクエスト』が発売された日。いまなお続く日本のRPGブームを生み出した大人気シリーズの原点【今日は何の日?】 |url=https://www.famitsu.com/news/202005/27198992.html |website=ファミ通.com |access-date=2022-10-19}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「ドラゴンクエスト」34周年を記念し「ドラクエ」の生みの親である堀井雄二氏が感謝のコメントを投稿 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1254964.html |website=GAME Watch |date=2020-05-27 |access-date=2022-10-19 |publisher=インプレス}}</ref>と呼ばれることもある。リメイク版では正式に『ドラゴンクエストI』の呼称が使用されている。[[ドラゴンクエストI・II]]を参照。}}。キャッチコピーは「'''今、新しい伝説が生まれようとしている'''」。
[[コンシューマゲーム|家庭用ゲーム機]]では日本初となるオリジナルタイトルのロールプレイングゲームとして知られる<ref group="注">移植作やアクションRPGを加えると『[[ハイドライドシリーズ#ハイドライド|ハイドライドスペシャル]]』や『[[ドルアーガの塔]]』が先に発売されている。</ref>。当初、本作は単発作品であったため、詳しい人物設定や背景像などはなかったが、[[ドラゴンクエストシリーズ|ゲームのシリーズ化]]に伴い、後続作品との関連性を持たせるため、後からさまざまな公式設定が追加された。後に発売される『[[ドラゴンクエストII 悪霊の神々]]』『[[ドラゴンクエストIII そして伝説へ…]]』は、本作との関連が深く、この3作は合わせて「'''[[ロトシリーズ]]'''」と呼ばれる。
社会現象を巻き起こした『ドラゴンクエストIII』の発売後には、本作『ドラゴンクエスト』の[[小説]]化や[[ゲームブック]]化に加え[[ラジオドラマ|ドラマCD]](CDシアター)化も行われた。
[[日本]]では同年内に[[MSX|MSX、MSX2]]にも移植された。その後、[[リメイク]]版として[[スーパーファミコン]](以下SFC)用ソフト『[[ドラゴンクエストI・II]]』、[[ゲームボーイ]](以下GB)用ソフト『ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II』に収録され、[[Wii]]用ゲームソフト『[[ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III]]』にFC・SFC版の両方が収録された。
2000年代以降には[[フィーチャーフォン]]用アプリ([[iアプリ]]、[[EZアプリ]]、[[S!アプリ|Vアプリ]])、[[スマートフォン]]アプリ([[Android (オペレーティングシステム)|Android]]、[[iOS]])としての配信も行われた。[[2017年]][[8月10日]]には[[PlayStation 4]]、[[ニンテンドー3DS]]版もダウンロード配信が開始された。また[[2018年]][[7月7日]]に発売された[[ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ|ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ 週刊少年ジャンプ50周年記念バージョン]]にはFC版が収録された。[[2019年]][[9月27日]]には[[Nintendo Switch]]版もダウンロード配信が開始された。
[[北アメリカ|北米]]では、[[1989年]][[5月]]<ref name="NorthAmericaVersion">{{Cite web|和書|publisher=任天堂|url=https://www.nintendo.co.jp/ds/interview/ydqj/vol1/index.html|title=社長が訊く 『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』|accessdate=2009-07-03}}</ref>に[[Nintendo Entertainment System|NES]]で『'''Dragon Warrior'''』として[[任天堂]]から発売され、後にGB版『Dragon Warrior I & II』にも収録された。
== ゲーム内容 ==
移植・リメイク版については[[#移植版|他機種版]]の節を参照。
=== ゲームの目的 ===
プレイヤーの目的は、伝説の勇者「ロト」の血を引く勇者として、「[[竜王 (ドラゴンクエスト)|竜王]]」にさらわれた姫を救い出し、そして竜王を倒すことである。その目的を達成するためには、敵キャラクターである[[怪物|モンスター]](魔物)を倒して[[経験値]]と通貨となるゴールドを稼ぎ、[[レベル (ロールプレイングゲーム)|レベル]]を上げ強い[[武器]]・[[防具]]を購入してプレイヤーキャラクターを強くし、探索範囲を徐々に広げていき、また、町の人々から情報を得て、それをヒントに重要[[アイテム]]を手に入れて謎を解く必要がある。
=== 主人公 ===
ゲームスタート時に主人公の名前を決定し、初期ステータスとレベルアップ時のステータス上昇パターンが変化する。このシステムは『ドラゴンクエストシリーズ』では本作にのみ見られる。
主人公には[[ヒットポイント|HP]]・[[マジックポイント|MP]]・力・素早さ・経験値・ゴールド・攻撃力・守備力の[[ステイタス|パラメータ]]が存在する。経験値が一定値に達するとレベルが上がり、ステータスが上昇したり呪文を覚えたりする。最高レベルは30。ゴールドはこの世界の通貨で、さまざまな店で使用する。
主人公の装備品は攻撃力を上げる「武器」と守備力を上げる「鎧」「盾」の3種類で、入手した武器や防具は自動的に装備され、それまで装備していたものがその場で売却または破棄されるシステムになっている。
主人公がMPを消費して使用できる[[魔法]]の呪文は全10種類で、最初は一つも覚えていないが、レベルが一定値まで上がるたびに1種類ずつ順に覚えていく。道具の代用になるもの(その効果は道具と若干異なる)や、回復呪文、敵の行動を封じる補助呪文、攻撃呪文などが存在する。これらは敵モンスターが使用してくる場合もある。
主人公はアイテム(道具)を持つことができ、道具にはHPを回復する「やくそう」、暗い洞窟内を照らす「たいまつ」<ref group="注" name="remake" />、敵モンスターとの[[エンカウント]]を回避する「せいすい」、守備力を上昇させる「りゅうのうろこ」、ラダトーム城へ帰還する「キメラのつばさ」、扉を開く「かぎ」などがある。アイテムは基本的に使い捨てで、このうち、「やくそう」「かぎ」は道具とは別個で、それぞれ6つまで所持できる。
=== 移動画面 ===
移動画面は主人公とその周囲を真上から見下ろした「トップビュー」となっている。[[フィールドマップ]]には町や[[ダンジョン]]などの[[オブジェクト]]が散在しており、そこへ主人公を移動させると自動的に町やダンジョンに入場する。逆に町やダンジョンから外へ出た場合には自動的にフィールドマップへ移動する。フィールドマップには平地や森、砂漠などさまざまな地形が存在し、移動しにくい(移動時に若干のウェイトが生じる)山や、岩山や海など移動できない地形、入るだけで主人公のHPにダメージを与える毒の沼も存在する。
本作のみのシステムとして、ダンジョン(洞窟)の内部は完全な暗闇であり、何もしていない場合は主人公のいるブロックしか画面に表示されず、道具「たいまつ」または「レミーラ」の呪文を使わなければ周囲の地形が見えない。このように可視範囲が限定されるシステムは『[[ウィザードリィ]]』など当時の多くのRPGに見られたが、難度を不要に上げるだけのものとなっていたため、次回作以降は最初から部屋を見渡せるよう変更されている。
==== コマンド ====
移動画面ではメニューコマンドウィンドウを開き、以下の8つからコマンドを選択できる。
; はなす
: 町の住民などの話を聞く。本作ではキャラクターの向きの概念がなく常に同じ方向を向いているため、「はなす」コマンドを選んだ後に、話したい相手のいる方角を東西南北の中から選ぶ必要がある。店を利用する際にもカウンターごしにこのコマンドを使うことで利用できる。
; つよさ
: 主人公のパラメータを確認する。
; かいだん
: 階段を昇降する。階段の上で使用する。
; とびら
: 持っている魔法の鍵(「かぎ」)を1個消費して扉を開ける。本作では「かぎ」はシナリオ中盤から行くことのできる鍵屋で購入することで補充する方式であり、一度使用すると壊れる(1個減る)。「どうぐ」コマンドで鍵を使用した場合でも同様に扉を開けることが可能。
; じゅもん
: 覚えている呪文を使用する。本作では戦闘時に敵に対して使う呪文を移動中に唱えることもできるが、唱えてもMPを消費するのみで効果はない。
; どうぐ
: 持っているアイテムを使用する。
; しらべる
: 自分のいる位置を調べる。
; とる
: 宝箱を開ける。宝箱の上に乗って使用する。
以上のコマンド形態は、「かいだん」や「とびら」コマンドの自動化、「とる」を「しらべる」に統合、『V』以降の「べんりボタン」の導入など、続編が制作されるたびに一つのコマンドにさまざまな役割を持たせるなどして整理<ref group="注">「とびら」は次作では「どうぐ」コマンドで鍵を使うことにより廃止された。しかし、コマンド入力が面倒なのと、鍵なしで開く扉を導入するため、FC版『IV』とSFC版『V』では復活した。SFC版『VI』以降は扉を押すだけで自動的に開けるように操作が簡略化され、再び廃止された。</ref>されていき、整理されたシステムを採用した続編以降に発売されたリメイク版においては本作のコマンドシステムは使用されていない。
==== 店 ====
町には、戦闘で使う武器・鎧・盾などを扱う'''武器と防具の店'''、「やくそう」などのアイテムを扱う'''道具屋'''、「せいすい」のみを扱う'''聖水屋'''、前述の「かぎ」を扱う'''鍵屋'''などの店がある。これらの店では、入手したいアイテムに対応する価格分のゴールドを払うことにより、その武器・防具やアイテムを入手する(買う)ことができる。不要なアイテムを道具屋で売り、ゴールドに替えることもできる。なお本作では武器・鎧・盾を新しく買うとその場で即座に装備し、古い装備は引き取られる。
ほかに、'''宿屋'''では、宿泊してHPとMPを最大値まで回復することができる。宿泊料金は町により異なるが、スタート地点のラダトームから遠い町ほど高額になる傾向がある。
=== 戦闘 ===
フィールド上、ダンジョン(ロトの洞窟を除く)、廃墟の町など、敵のいる場所を歩いていると、突然画面が切り替わり、敵モンスターとの戦闘になる([[ランダムエンカウント]])。戦闘が発生した場合は戦闘ウィンドウが開き、モンスターのグラフィックが表示され、戦闘用の効果音が流れ、地上の場合のみ戦闘背景も表示される。
本作での戦闘は常に主人公と1体のモンスターによる1対1である。自分の行動を選択できる状態になるとコマンド入力待ちとなり、武器で攻撃して相手のHPを減らす「たたかう」、呪文を使用する「じゅもん」、アイテムを使用する「どうぐ」、敵から逃げ出す(必ず逃げられるわけではない)「にげる」の中から自分の行動を選択して戦闘を行う。
本作ではプレイヤーや敵のステータスに関係なく、各[[ターン (ゲーム)|ターン]]で基本的にまず主人公が先手となり行動し、続いて敵が後手となり行動する形で、どちらかが倒れる(HPが0になる)まで主人公と相手が交互に行動を繰り返していく。ただし、戦闘開始後、主人公が身構えるより早く敵が襲ってくる場合があり、そのときはターン開始前に一度敵の攻撃を受けてから各ターンを繰り返す。1対1の戦闘であるため、呪文「ラリホー」の効果で眠っている状態だと行動はできず、目が覚めるまで相手側が一方的に攻撃する。行動の結果は常にメッセージウィンドウに表示され、どのように戦闘が進んでいるか確認できる。
敵のHPを0にできればその敵を倒したことになり、その敵に応じた経験値とゴールドを入手できる(最大65535Gまで)<ref group="注">本作では経験値は同じ種類のモンスターであれば常に一定であるが、ゴールドは同じ種類のモンスターであっても一定の範囲で変動する。</ref>。逆に主人公のHPを0にされた場合は死亡し敗北となるが、[[ゲームオーバー]]とはならず、スタート地点であるラダトーム城で生き返る。所持金が半分になるが、経験値・レベル・所持アイテムは死亡したときの状態のまま継続できる。この基本システムは次作以降にも引き継がれている。
=== 復活の呪文 ===
本作はRPGという性質上、ゲームを始めてからエンディングを迎えるまでに時間がかかるが、[[バッテリーバックアップ]]などの記録機能を実装していないため、一度ゲームを中断して電源を切ったあと、[[パスワード (コンピュータゲーム)|パスワード]]を入力することで次回にその続きからプレイできるようになっている。
中断するときは、ラダトーム王に話しかけることによって画面に表示される「'''復活の呪文'''」と呼ばれるひらがな20文字のパスワードを書き留め、次回ゲームを開始するときに画面にパスワードを正しく入力すれば、中断したところから冒険を再開することができる。ただしパスワードを1字でも間違えるとゲームを再開することはできない。
復活の呪文は次作『ドラゴンクエストII』でも登場する。なお、復活の呪文には現在のHP・MPの値や、宝箱のアイテム取得済みの[[フラグ (コンピュータ)|フラグ]]などといった詳細な情報は記録されず、復活の呪文を入力してゲームを再開した場合はHP・MPは必ず最大値となる。宝箱の中身は、ダンジョンから一度出て、また入り直すと自動的に復活する。そのため、宝箱の中身を何度でも取ることができる。
新しい復活の呪文を出したあとでも、以前に出した古い復活の呪文は有効であり、古い復活の呪文を入力した場合、その復活の呪文を出した時点の状態で再スタートすることが可能である。公式ガイドブックでは、書き間違いに備えて、復活の呪文を一度に2つ出すことが推奨されている。
=== 道具 ===
ここでは、作品中に登場する重要な道具を挙げる。
; たいまつ
: 洞窟内を1歩先まで照らすことができる<ref group="注" name="remake">リメイク版では一部異なる、もしくは追加された仕様があるが、本稿では割愛する。そちらについての詳細は[[ドラゴンクエストI・II]]を参照。</ref>。呪文「レミーラ」に比べ効果の範囲が狭いが、一度使用すると効果は洞窟を出るまで持続する。使い捨てだが、安価に入手できる。
; 妖精の笛
: アレフガルドに住んでいた妖精の作った笛<ref>SFC版『ドラゴンクエストI・II』公式ガイドブック p.77</ref>。強大な敵であるゴーレムを眠らせる効力を持つ。
; 銀の竪琴
: ガライの町を築いた吟遊詩人ガライが愛用していた竪琴で、ガライの墓に保存されている。奏でると魔物を呼び寄せる。
; 王女の愛
: ローラ姫の愛がこめられたペンダント。現在地からラダトーム城までの距離と、次のレベルまでの必要経験値を教えてくれる<ref>『ドラゴンクエスト 公式ガイドブック』エニックス、1988年、41頁</ref>。
; 太陽の石、雨雲の杖
: 勇者ロトが集めていた聖なる道具。アレフガルドに広まる「太陽と雨」の言い伝えに関連する道具であり、2つの道具が合わさることで虹の橋を架ける能力を持つ「虹のしずく」が得られる。竜王の島に渡るために必要である。
; ロトのしるし
: 勇者ロトの血を引く勇者の証。剣・鎧同様に、鳥を模ったロトの紋章が刻まれている<ref>SFC版『ドラゴンクエストI・II』公式ガイドブック p.78</ref>。
; ロトの剣、ロトの鎧
: 勇者ロトの残した剣と鎧であり、それぞれ本作最強の武器・鎧である。鎧は毒沼・バリアーからのダメージを無効化し、歩くごとにHPが回復する能力を持つ。なお、ロトの盾とロトの兜は本作には登場しない。
=== 呪文 ===
{{Main|ドラゴンクエストシリーズの呪文体系}}
=== モンスター ===
{{Main|ドラゴンクエストのモンスター一覧}}
=== バッドエンディング ===
本作は、シリーズで唯一のバッドエンディングが存在する。最終ボスである竜王との会話のイベントにおいて「はい・いいえ」の選択を誤ると文字が赤くなり、マップが真っ暗となって画面が完全に停止し、ゲームの続行が不可能となる。その寸前に復活の呪文を教えてもらえるが、この復活の呪文を入力すると、レベル1、経験値・ゴールドが0で武器防具・道具を全く持っていない状態でゲームの最初からスタートする。<ref group="注" name="remake" />
この状態になった場合、上述のように古い復活の呪文を入力することで、その時点の状態で再スタート可能である。逆を言えば、以前にメモした復活の呪文を紛失したり書き間違えていたりした場合はそこまでの進行を失われる。
=== その他 ===
* 本作の洞窟のBGMは、下の階層に行くほど音程が低くスローテンポになり、恐怖を演出している。次作以降では階層にかかわらず同じBGMが用いられている。
* アレフガルドの町に住む住民の中には、『[[週刊少年ジャンプ]]』のゲーム紹介コーナー「[[ファミコン神拳]]」のスタッフでもあった「ゆうてい」(堀井雄二)、「みやおう」([[宮岡寛]])、「キムこう」([[木村初]])がアレフガルドの各町に登場している。メルキドでは『[[ポートピア連続殺人事件]]』を宣伝する台詞も登場していた。エンディングスタッフロールのスペシャルサンクスにクレジットされているKAZUHIKO TORISHIMAは当時週刊少年ジャンプ編集者の[[鳥嶋和彦]]である。
=== 北米版(NES版) ===
北米版『Dragon Warrior』では、日本の『ドラゴンクエストII』以降と同様にキャラクターが横や後ろを向くことができるようになり、フィールドの白い海岸線のグラフィックが追加されるなどビジュアル面も多少変更されている。このほかに日本版『ドラゴンクエストIII』以降と同様に[[バッテリーバックアップ]]が搭載された。なお、これ以外のゲームシステムやシナリオは日本版と変わらない。ただ、ファンタジー小説の影響でセリフはやや古風な英語に訳された。[[ローカライズ]]は、当時[[ハル研究所]]に所属していた[[岩田聡]]が担当した<ref name="NorthAmericaVersion" />。
== 設定 ==
=== ストーリー ===
美しく豊かな大地、アレフガルドはかつて'''大魔王'''の手によって闇に閉ざされていたが、大魔王は'''伝説の勇者ロト'''によって倒され、魔物たちも光の玉によって封印された。それ以来、アレフガルドは平和が続いていた。
月日は流れ、ラダトームの王であるラルス16世がアレフガルドを治める時代に、アレフガルドに再び邪悪な者が現れた。その名は'''[[竜王 (ドラゴンクエスト)|竜王]]'''。竜王はラダトームから光の玉と'''ローラ姫'''を奪い、アレフガルドは再び魔物の徘徊する世界となった。竜王に戦いを挑んでいった者はいたが、生きて帰ってきた者は一人もいなかった。そして、ローラ姫もどこかに監禁された。
そんな中、予言者のムツヘタが<ref group="注">ムツヘタは、FC版の説明書に記載されていて実際のゲーム中には登場しなかったボツキャラクターであったが、「ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ」でようやく日の目を見ることとなった。</ref>勇者ロトの血を引く者が竜王を滅ぼすであろうと予言した。そして予言どおり、'''ロトの血を引く勇者'''が現れた。王様に姫と平和を取り戻すよう頼まれた勇者は、竜王の城を目指して一人旅立つのである。
様々な街を訪れ、ダンジョンを攻略した勇者は、沼地の洞窟にてドラゴンによって捕らわれているローラ姫を救い出す。さらなる旅の果てに「竜王の城」へと辿り着き、玉座の後ろにある隠し階段を降りて広大な迷宮へと降りていく。
最下層にある竜王の間で勇者の強さを認めた竜王は、'''「もし、わしの味方になれば世界の半分を勇者にやろう」'''と誘いをかけてくる。竜王のその誘いを撥ね退けた勇者は<ref group="注">誘いに乗った場合はバッドエンドとなる。</ref>、見事壮絶な戦いの後、ついに竜王を討ち倒す。そして勇者は、新たなアレフガルド国王として国を統治してほしいと託されるが、これを拒否して新たな地に国を作るべくアレフガルドから旅立つのであった<ref group="注">その際に、ローラ姫を助け出していればローラ姫と二人で、そうでなければ一人で旅立つというマルチエンド方式となっている。</ref>。
=== 世界設定 ===
'''アレフガルド'''と呼ばれる国が舞台となっている。アレフガルドの「アレフ」はギリシャ数字の[[Α|アルファ]]のことを指す。また、ガルドは、北欧神話における[[アースガルズ|アスガルド]]と同じであるとすれば、古ノルド語の「王国」「囲い」を意味する。総じて「始まりの国」を意味する<ref>『ファミコン神拳奥義大全書ドラゴンクエスト』(集英社)</ref>。
なお、「ファミコン神拳」で本作の製作が発表された段階では、「アレフランド」という名称であった。<ref group="注">週刊少年ジャンプ1986年11号にも同様に「アレフランド」と紹介されていた。</ref>。
=== 舞台設定 ===
; ラダトーム城
: アレフガルドの中心となる城であり、冒険のスタート地点でもある。国王より復活の呪文を授かる城でもある。城1階の東側半分は鍵がないと入れない。宝物庫やMPを回復してくれる老人も存在する。また、某所には地下室の入口もある。HPがゼロになると、この城に戻されて生き返る。
; ラダトームの町
: ラダトーム城の城下町。武器防具屋、道具屋、宿屋、聖水屋といった一通りの施設が揃う。
; ロトの洞窟
: ラダトームの北北西にある2層構造の洞窟。勇者ロトの残したメッセージを読むことができる。魔物は出現しない。
; ガライの町
: ラダトームの北西にあるガライヤ半島に存在する町。吟遊詩人ガライによって作られた。町の北側には大きな屋根に覆われた建物があり、さらにその裏には、ガライの遺した楽器の眠る迷宮「'''ガライの墓'''」の入口がある。
; 岩山の洞窟
: ラダトームの南西にある2層構造の洞窟。重要アイテムは無く、必ず行かなければならない場所ではないが、多数の宝箱があり様々なアイテムやゴールドを入手できる。本作のゲームシステム上、宝箱を開けても一度洞窟を出て再び入ることで再度アイテム・ゴールドを得ることが可能<ref group="注" name="remake" />。
; マイラ
: ラダトームから東方にあるマイラの森にある村。[[リウマチ]]に効くといわれる[[温泉]]がある。この温泉はある秘密のヒントになっている。
; 沼地の洞窟
: マイラの南とリムルダールの北とを結ぶ海底トンネル。ローラが捕らえられている部屋があり、ドラゴンがそれを守っている。
; リムルダール
: マイラの南、リムルダール島の中心の湖に囲まれた町。鍵を売る店や予言所がある。道具屋が無い<ref group="注" name="remake" />。
; ドムドーラ
: ガライの町のはるか南、ドムドーラ砂漠にあった町。魔物に滅ぼされ廃墟と化している。町の東側にロトの鎧が埋められているが、悪魔の騎士によって守られている。<!--ラストボスを倒した後に訪れると、ガライの亡霊が現れる。-->本作より昔のアレフガルドが登場する『III』では、魔物に滅ぼされておらず活気のある町である。
; メルキド
: アレフガルド南部のメルキド高原にある城塞都市。人間の作った怪物ゴーレムによって守られている。多くの店があり、高価な武具も売られている。『ドラゴンクエスト 知られざる伝説 ロト2』ではゴーレムを作ったのは大賢者「グラショフ」と言う設定がある<ref>ドラゴンクエスト 知られざる伝説 ロト2 エニックス、1992年3月、125、126頁 ISBN 978-4900527829</ref>。
; 竜王の城
: ラダトームの対岸の島にある敵の本拠地。地上1階、地下7階の全8層からなる巨大かつ複雑なダンジョン<ref group="注" name="remake" />。隠された階段があり、この階段を見つけなければ、竜王のいる最下層にはたどり着けない。
== 登場人物 ==
=== メインキャラクター ===
; 主人公<ref group="注">名前は自由に付けられる。小説版およびCDシアター版では「アレフ」、リメイク版でのスクリーンショットでは「ソロ」や「アルス」となっている。</ref>
: [[声優|声]] - [[関俊彦]](CDシアター版) / [[花江夏樹]](ライバルズエース)
: 本作の主人公。かつてアレフガルドを救った勇者ロトの血を引く者。ラルス16世の導きに応じ、アレフガルドにやってきた。角付きの兜がある甲冑を身に付けている。
: 攻撃・回復・戦闘補助の呪文を一通り覚えることができ、全体的にすべての能力のバランスが良いが、付けた名前の文字により、初期ステータスや各パラメータの伸びが多少変化する。また、主人公の過去・素性などに関する事柄についてはまったく明かされず、主人公の出身地や親族などもゲーム中に登場しない。
: 『IX』では装備がコスプレアイテムとして登場した。
: 『[[剣神ドラゴンクエスト 甦りし伝説の剣|剣神ドラゴンクエスト]]』で大幅にデザインが変更され、その姿のまま『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロード]]』にも登場した(特定のカードイラストには旧作の姿で描かれている)。Wii版『[[ドラゴンクエスト モンスターバトルロードビクトリー|バトルロードビクトリー]]』では、『剣神』の服装の上から今作の鎧・兜を身に付ける演出がある。
; ローラ姫
: 声 - [[笠原弘子]](CDシアター版) / [[細川ふみえ]](『BSドラゴンクエストI』) / [[茅野愛衣]](ライバルズエース)
: アレフガルド王家の王女でラルス16世の一人娘。物語開始時点の半年前には既に竜王にさらわれ、とある洞窟に監禁されている。竜王は世界征服後、彼女を妻にする予定だったらしい。勇者に助け出された後、彼の助けとなるアイテム「王女の愛」を渡す。全てが終わった後に勇者と旅立ち、まだ見ぬ新天地を見つけ、ともに新たな王国を建設する。
: 開始時、王のそばにいる兵士から救出を依頼される。ゲームを進めていく中で勇者が救出することになるが、彼女を救出することはゲームの最終目的ではなく、中盤のイベントとなっている。コミック『[[ドラゴンクエストへの道]]』によると、「“敵の大ボスを倒してから姫を救出する”のは既にありふれていたので、救出は中盤に持ってきた」とのこと。
: 救出すると、主人公のグラフィックがいわゆる「[[お姫様だっこ]]」をしたポーズに変化し、ラダトームまで一緒に旅をすることになる。道中で町に立ち寄り宿に泊まると、翌朝に宿の主人が「ゆうべはおたのしみでしたね」と意味深なメッセージを投げかけてくる。勇者がローラ姫を抱えたまま死んだ場合、再び洞窟に閉じ込められてしまい、再度救出する必要がある。
: ラダトーム城にいるラルス16世の元に送り届けたあとはラルス16世と並んで座り、会話ができるようになる。会話の選択肢でローラ姫を否定するような選択をすると「そんな ひどい………。」というメッセージとともに同じ選択肢が再度出現し、否定し続けると所謂「[[無限ループ]]」の状態になってしまう。これは全てのリメイク版にも継承されている。
: リメイク版ではローラ姫を抱きかかえたまま竜王に話しかけると、竜王の台詞が追加されたり、エンディング前の演出も一部変更されるようになっている。
: 「王女の愛」は全面クリアするための必須アイテムを見つけやすくするための道具である。必須アイテムを得る位置を知っていれば、王女の愛は不要であり、ローラ姫を助けることなくクリアすることも可能である。ローラ姫を助けずにクリアした場合、エンディングにローラ姫が登場せずにスタッフロールに進む。
=== サブキャラクター ===
; ラルス16世<ref group="注">Wii版の設定資料にある企画書での名前は「サウト16世」となっている。</ref>
: 声 - [[槐柳二]](CDシアター版)
: アレフガルド国王。竜王に対抗できる「ロトの血を引く者」を召喚する。FC版では「復活の呪文」発行、リメイク版では「冒険の書」の記録を行う。
; ガライ
: 声 - [[永井一郎]](CDシアター版)
: いにしえの時代に活躍した伝説の吟遊詩人。彼の残した銀の竪琴は、モンスターも魅了する音色を持つ。
; よしりーん
: 声 - [[星野充昭]](CDシアター版)
: マイラの村からリムルダールに移り住んできた老人。キーアイテム『妖精の笛』の場所を知っている。
; ロッコ
: リメイク版に登場。リムルダールにてナナという彼女を待っている。よしりーんと同じ、『妖精の笛』の場所を知っている。
; ゆきのふ
: 竜王、およびその配下の魔物の軍勢により滅ぼされたドムドーラで武器屋を営んでいた老人。既に亡くなっているためか、劇中には登場しない。店の裏の木の根元にある強力な鎧を隠したらしい。なお『III』でゆきのふが乳児の姿で登場する。『ドラゴンクエスト 知られざる伝説 ロト2』ではユキノフ(本書ではカタカナ表記)とその息子・マリノフが登場する。
; [[竜王 (ドラゴンクエスト)|竜王]]
: 声 - [[加藤精三 (声優)|加藤精三]](CDシアター版) / [[大塚芳忠]](ライバルズ)
: 本作の[[最終ボス]]。光の玉を奪い、世界を闇に包んだ張本人。ラダトーム城の目と鼻の先にある竜王の城に住む。魔法使いの仮の姿と、竜の真の姿がある。
== 開発 ==
エニックス主催の第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストで出会った[[堀井雄二]]と[[中村光一]]が、[[千田幸信]]と共に訪れたアメリカのアップル社展示会「アップルフェスト」で当時アメリカでブームだった[[ロールプレイングゲーム|RPG]]に感化されて発案・企画した。
シナリオ・ゲームデザインは当時[[集英社]]の『[[週刊少年ジャンプ]]』(以下『ジャンプ』)にファミコン関連の記事を執筆していた[[堀井雄二]]、キャラクターデザインは同じく『ジャンプ』で『[[ドラゴンボール]]』を連載していた[[鳥山明]]、作曲は当時[[コマーシャルメッセージ|CM]]音楽などを主に手がけていた[[すぎやまこういち]]、プログラミングは当時天才少年と言われていた[[中村光一]]率いる[[チュンソフト]]が担当し、各メンバーやエニックスとの懸け橋として[[千田幸信]]が各所を飛び回った。
[[ロゴタイプ|タイトルロゴ]]デザインは、『ジャンプ』の読者コーナー「[[ジャンプ放送局]]」のレイアウト担当であった<!--榎本○○(○○は年齢)歳こと-->[[榎本一夫]](バナナグローブスタジオ)が手がけた{{Efn2|『I』から『V』まで。『VI』からはエニックスにデザイン部が出来たため、バナナグローブスタジオの手を離れた(2023年6月27日、J-WAVE「J-WAVE TOKYO M.A.A.D SPIN」鳥嶋和彦・堀井雄二・榎本一夫・土居孝幸ゲスト回にて発言)。}}。決定稿に当初竜は描かれていなかったが、ゲームにもタイトルにも「ドラゴン」というキーワードがあることから、ロゴに竜を絡めてはどうかと榎本が提案。[[鳥嶋和彦]]を介し鳥山明に依頼、青いドラゴンが描きおろされた<ref>[https://twitter.com/MAADSPIN/status/1673405437029527552 J-WAVE TOKYO M.A.A.D SPIN Twitter 2023年6月27日付]</ref>。
開発期間は約5か月であり、[[マスターアップ]]直前にプログラム再構成により納期を1週間先延ばししたため、[[デバッグ]]作業は堀井雄二やチュンソフトの全メンバーのほか、[[福嶋康博]]を筆頭にエニックス社員全員を総動員して行われた<ref name="MediaArtsPlaza" /><ref name="road">エニックス出版局 企画制作 『[[ドラゴンクエストへの道]]』 [[石ノ森章太郎]]監修、[[滝沢ひろゆき]]作画、[[エニックス]]〈[[ガンガンコミックス]]〉、1991年、ISBN 9784870250031。</ref>。
=== 容量削減 ===
ドラクエ2は1Mbitロム、ドラクエ3は2Mbitのところ、本作で使用されたROMの容量は512kbit(64KB)と非常に小さいため、主にゲーム中使用されるテキスト部分においてデータ量の削減のためにさまざまな工夫が行われている<ref name="social">{{Cite book|和書
|author = まつもとあつし
|year = 2012
|title = ソーシャルゲームのすごい仕組み
|publisher = アスキー新書
|isbn = 978-4-04-886332-2
|pages = 96-97
}}</ref>。
; カタカナ文字の制限
: カタカナは50音すべてが搭載されておらず、文字種を限定した上でアイテム名や魔法名などを付けていた<ref name="social" />。具体的には、使用したカタカナは以下の20文字である。
: イ、カ、キ、コ、シ、ス、タ、ト、ヘ、ホ、マ、ミ、ム、メ、ラ、リ、ル、レ、ロ、ン
: これに濁点(゛)と音引き(ー)を組み合わせ、全てのカタカナ表現を行った(以上ガンガンコミック『ドラゴンクエストへの道』112ページより)。実際にはカタカナの「ヘ」「リ」は平仮名の「へ」「り」に似ていることを利用し、そのままカタカナの「ヘ」「リ」に代用し、18文字分の文字キャラデータでカタカナ20文字を表現した。これは[[シャーロック・ホームズ|シャーロックホームズ]]のファンであった堀井雄二が「よく使われる英語文字」をヒントにして、ライター業の中で考案した「よく使われるカタカナ」である{{要出典|date=2021年2月}}。
: 濁点込みのフォントとして用意されたカタカナについては「ド」の字だけになっている<ref group="注>通常の濁点付きの文字は行間のスペースを利用して濁点を追加しているが、ウィンドウのタイトル部分にある「コマンド」と表示されている部分には、そのためのスペースが無い。</ref>。
; グラフィック面の制限
: グラフィックに関しても、容量を考慮した仕様が目立つ。主人公をはじめとするキャラクターには横や後ろを向いたパターンが用意されておらず、前向きのグラフィックのみである。このため、プレイヤーから見ると横方向に歩くときも前を向いたまま歩いているように見え、当時は俗に「カニ歩き」と呼ばれた。ほとんどのキャラクターの場合、左右対称にデザインした上でポーズを付けた1枚の画像を、左右反転表示し続けることで足踏みの2コマアニメーションを表現していたが、王様、姫、竜王は完全な左右対称・静止画となっていた。敵キャラクターも静止画であり「動き」を表現できるほどのリソースも無いため、堀井雄二や中村光一の提案で「ダメージを受けると画面が揺れる」「HPが少なくなると文字の色が変わる」など後のRPG作品の基礎となる部分も作られた{{要出典|date=2021年2月}}。
=== RPG初心者への配慮 ===
本作が出る前のファミコンのゲームソフトは、前年に発売された『[[スーパーマリオブラザーズ]]』に代表されるような[[アクションゲーム]]が主流であった。開発当時『[[週刊少年ジャンプ]]』でライターを務めていた堀井雄二は、同誌の主な読者層であった子供たちにRPGの面白さを伝えるという目的で本作を開発した。そのため本作では、RPGに馴染みの無い子供たちにゲームのやり方を理解してもらうための工夫がなされている。
; ゲーム開始時の配慮
: 小学生を集めたテストプレイ時には、主人公はラダトームの町とラダトームの城の中間地点のフィールド上からのスタート位置であったが、町や城に入らずフィールド上をさまよい、主人公がすぐにモンスターにやられてしまうという子供が続出した。想定外の事態に開発者は悩まされたが、あえて開始時にラダトーム王の王室に閉じ込めるアイデアが採用された。
: 鍵の掛かった扉が階段の手前にあり、宝箱から鍵を手に入れないと王の部屋を出られないようになっているが、これは「とる」を使って宝箱を開ける、「とびら」で扉を開ける、「かいだん」で階段を降りるといった基本操作を学習させたり<ref name="MediaArtsPlaza" />、「はなす」で王や兵士たちの話を聞き、主人公がこれからどうすれば良いのか目的を理解させるためである。
; ゴールを見せる
: 竜王の城がラダトーム城の対岸にあるのも、最終目的地となる竜王の城を見せることでゴールの場所と目的を明確化し、初心者にわかりやすくする配慮の一つであった。
; レベルアップの経験値
: レベルが1から2になるのに必要な経験値は開発当初は「20」に設定されていたが、レベルアップの爽快感を味わってもらおうという目的で「7」に引き下げられた経緯がある<ref name="MediaArtsPlaza" /><ref>岡部麒仙『二大RPGの分岐点』 講談社出版サービスセンター、p.123</ref>(この[[Help:セクション|サブセクション]]の[[WP:REF|出典]]として)<ref name="road"/>。
; 死亡時のゴールド半減
: また先述のようにHPが0になってしまってもゲームオーバーにはならず、ゴールドを半額失うだけで経験値と所持品はそのままの状態で再スタートが可能であるが、この方式はそれまでのRPGにおける戦闘敗北のリスクがあまりに高いと思われたため導入されたもので、所持金が半分になっても経験値やアイテムが残っていればRPG初心者でも何とかゲームを進めていけるという考えから採用された<ref name="masters">HIPPON SUPER編集部・編『ドラゴンクエストIV MASTER'S CLUB』(JICC、1990年)pp.4-9 堀井雄二インタビュー</ref>。この方式はその後のドラゴンクエストシリーズにも受け継がれ、他のRPG作品でも多く採用されている。
; ステータス画面
: 「つよさ」による[[ステイタス|ステータス]]画面も、当時のファミコンユーザー(すなわちRPG初心者)に配慮して開発された。一般にRPGはプレイと共に主人公の強さが変化するが、当時のPCゲームでは実際にプレイすることでプレイヤーが主人公の強さを体感できれば、開発する方としては詳細な情報を表示せずとも十分だった。しかし、家庭用ゲーム機で遊ばれる状況を想定した場合、友達や兄弟などの観戦者を伴って迷路や謎解きを話し合いながら協力して進めていくというプレイスタイルが予想されたことから、プレイヤー以外の初心者にも主人公の強さを知ってもらうために詳細な「つよさ」画面を作ることにしたという。
=== スタッフ ===
* シナリオ・ライター:堀井雄二
* キャラクター・デザイナー:鳥山明
* ミュージック・コンポーザー:すぎやまこういち
* プログラマー:中村光一、吉田幸司、山森丈範
* CGデザイナー:安野隆志
* シナリオ・アシスタント:[[宮岡寛]]
* アシスタント:RIKA SUZUKI<ref group="注">ローマ字表記で本作のエンディングクレジットに表示されており、当時リバーヒルソフトのゲームシナリオライターであった鈴木理香と同じ発音だが鈴木のプロフィールとしてドラゴンクエストに関する情報源は明らかでなく、別人の可能性がある</ref>、福沢正
* タイトル・デザイナー:[[榎本一夫]]
* マニュアル・イラストレーター:[[土居孝幸]]
* スペシャル・サンクス:[[鳥嶋和彦]]
* ディレクター:中村光一
* プロデューサー:[[千田幸信]]
== 移植版 ==
{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
! No.
! タイトル
! 発売日
! 対応機種
! 開発元
! 発売元
! メディア
! 型式
! 備考
! 出典
|-
| style="text-align:right" |1
! ドラゴンクエスト
| {{vgrelease new|JP|1986-11-21}}
| [[MSX]]<br />[[MSX2]]
|
| エニックス
| 1[[メガビット]][[ロムカセット]]
| E-G186<br />HBJ-G061C
|
|
|-
| style="text-align:right" |2
! [[ドラゴンクエストI・II]]
| {{vgrelease new|JP|1993-12-18}}
| [[スーパーファミコン]]
| チュンソフト
| エニックス
| 12メガビットロムカセット
| SHVC-DQ
| リメイク版、売上本数約120万本
| <ref>{{Cite web|url=https://www.jp.square-enix.com/company/ja/news/2004/download/0302-200404080000-02.pdf |format=PDF|title=2004年3月25日(木) 発売の“PlayStation2専用ソフト「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」出荷本数150万本突破 |publisher=スクウェア・エニックス |date=2004-04-08 |accessdate=2023-11-14 }}</ref>
|-
| style="text-align:right" |3
! ゲームボーイ<br />ドラゴンクエストI・II
| {{vgrelease new|JP|1999-09-23|NA|September 2000}}
| [[ゲームボーイ]]
| [[トーセ]]
| エニックス
| 32メガビット+256キロRAM<br />ロムカセット
| {{vgrelease new|JP|DMG-AEDJ-JPN}}
| リメイク版、売上本数約76万本
| <ref>{{Cite web|url=http://geimin.net/da/db/2000_ne_fa/index.php |title=2000年テレビゲームソフト売り上げTOP300 ファミ通調べ |website=GEIMIN.NET |date=2000-12-31 |accessdate=2023-11-14 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160614171836/http://geimin.net/da/db/2000_ne_fa/index.php |archivedate=2016-06-14}}</ref>
|-
| style="text-align:right" |4
! ドラゴンクエストI 完全版
| {{vgrelease new|JP|2004-03-01}}
| [[FOMA]]900iシリーズ<br />([[iアプリ]])
| トーセ
| [[スクウェア・エニックス]]
| [[ダウンロード販売|ダウンロード]]<br />(ドラゴンクエストモバイル)
| -
| リメイク版
| <ref>{{Cite web|和書|author= |date=2004-02-23 |url=https://www.famitsu.com/game/mobile/1146968_1115.html |title=『ドラクエ』、『FF』が3月1日から配信スタート! |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2019-09-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author= |date=2004-02-23 |url=https://dengekionline.com/data/news/2004/2/23/eb12e7ab51b90870033752bf756bf138.html |title=完全移植版のiアプリが楽しめる!900iシリーズに「ドラクエ」と「FF」サイト登場 |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2019-09-01}}</ref>
|-
| style="text-align:right" |5
! ドラゴンクエストEZ
| {{vgrelease new|JP|2004-08-19}}
| [[CDMA 1X WIN]]対応機種<br />([[BREW|EZアプリ (BREW)]])
| トーセ
| スクウェア・エニックス
| ダウンロード<br />(ドラゴンクエストモバイル)
| -
| リメイク版
| <ref>{{Cite web|和書|author=滝沢修 |date=2004-08-02 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20040802/dqff.htm |title=スクウェア・エニックス、EZweb向けに2大RPGを同時配信「ドラゴンクエストEZ」&「ファイナルファンタジーEZ」 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2019-09-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=関口聖 |date=2004-08-02 |url=https://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/19994.html |title=スクウェア・エニックス、EZweb向け「ドラクエ」「FF」を19日配信 |website=[[ケータイ Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2019-10-12}}</ref>
|-
| style="text-align:right" |6
! ドラゴンクエストI 完全版
| {{vgrelease new|JP|2006-07-03}}
| [[SoftBank 3G|ボーダフォン3G]]対応機種<br />([[S!アプリ|Vアプリ]])
| トーセ
| スクウェア・エニックス
| ダウンロード<br />(ドラゴンクエストモバイル)
| -
| リメイク版
| <ref>{{Cite web|和書|author= |date=2006-06-14 |url=https://dengekionline.com/data/news/2006/6/14/c2154b8be4568f0215209b44a1fc9f00.html |title=ボーダフォンにも『ドラクエ』、『FF』のポータルサイトが登場! |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2019-09-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author= |date=2006-07-03 |url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0607/03/news109.html |title=スクエニ、ボーダフォン向け「ドラクエ」「FF」の提供を開始 |website=[[ITmedia|ITmedia Moblie]] |publisher=アイティメディア |accessdate=2019-09-01}}</ref>
|-
| style="text-align:right" |7
! ドラゴンクエスト25周年記念<br />[[ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III|ファミコン&スーパーファミコン<br />ドラゴンクエストI・II・III]]
| {{vgrelease new|JP|2011-09-15}}
| [[Wii]]
| [[インテリジェントシステムズ]]
| スクウェア・エニックス
| [[光ディスク|Wii用12センチ光ディスク]]
| -
| リメイク版、売上本数40万3953本
| <ref>{{Cite web|和書|date=2012-01-16|url=https://www.4gamer.net/games/000/G000000/20120116002/|title=2011年のゲーム売り上げランキング&ハードウェアの販売数推移,さらにタイトル別の傾向が分かるマトリックス表(4Gamer調べ)をまとめて大公開!|publisher=4Gamer.net|language=日本語|accessdate=2012-01-16}}</ref>
|-
| style="text-align:right" |8
! ドラゴンクエスト
| {{vgrelease new|JP|2013-11-28}}
| [[Android (オペレーティングシステム)|Android]]<br />[[iOS]]
| [[マトリックス (ゲーム会社)|マトリックス]]
| スクウェア・エニックス
| ダウンロード<br />(ドラゴンクエスト ポータルアプリ)
| -
| リメイク版、350万無料ダウンロード<ref name="itmedia20140106"/>
| <ref>{{Cite web|和書|author= |date=2013-11-27 |url=https://app.famitsu.com/20131127_271984/ |title=『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』で関連情報をゲット! 1作目の先着無料配信も決定! |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2019-09-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=船津稔 |date=2013-11-27 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/625428.html |title=スマホ版「ドラクエ」のポータルアプリの配信決定 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2019-09-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=さかまきうさろーる |date=2013-11-27 |url=https://www.inside-games.jp/article/2013/11/27/72368.html |title=ドラクエ情報アプリ『ドラゴンクエスト ポータルアプリ』配信決定 ― 配信を記念して『DQI』が先着100万ダウンロードまで無料 |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2019-09-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author= |date=2013-11-27 |url=https://www.4gamer.net/games/240/G024051/20131127049/ |title=スマホ版「ドラゴンクエスト」が11月28日よりApp Store/Google Playで配信開始。総計100万DL分が先着順で無料配信 |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[デジタルハーツホールディングス|Aetas]] |accessdate=2019-09-01}}</ref><ref name="itmedia20140106">{{Cite web|和書|author= |date=2014-01-06 |url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1401/06/news107.html |title=350万ダウンロードを獲得した「ドラゴンクエストポータルアプリ」 |website=[[ITmedia|ITmedia Moblie]] |publisher=アイティメディア |accessdate=2019-09-01}}</ref>
|-
| style="text-align:right" |9
! ドラゴンクエスト
| {{vgrelease new|JP|2017-08-10}}
| [[PlayStation 4]]<br />[[ニンテンドー3DS]]
| ビー・トライブ
| スクウェア・エニックス
| ダウンロード
| -
| リメイク版
| <ref>{{Cite web|和書|author=臥待弦 |date=2017-08-06 |url=https://www.inside-games.jp/article/2017/08/06/109015.html |title=『ドラゴンクエスト』初代から『III』までPS4/3DSで配信決定! |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2019-09-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author= |date=2017-08-06 |url=https://www.4gamer.net/games/390/G039011/20170806004/ |title=ドラゴンクエストの「I」「II」「III」がPS4とニンテンドー3DS向けに配信決定 |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[デジタルハーツホールディングス|Aetas]] |accessdate=2019-09-01}}</ref>
|-
| style="text-align:right" |10
! [[ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ|ニンテンドークラシックミニ<br/>ファミリーコンピュータ<br/>週刊少年ジャンプ50周年記念バージョン]]
| {{vgrelease new|JP|2018-07-07}}
|
|
| [[任天堂]]
| 内蔵ソフト
| -
| FC版の移植
| <ref>{{Cite web|和書|author= |date=2018-05-14 |url=https://www.famitsu.com/news/201805/14157186.html |title=『ドラゴンクエスト』や『ファミコンジャンプ』などを収録したミニファミコン発売決定! 『週刊少年ジャンプ』関連作品20タイトル入りで7月7日に発売 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2022-12-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=勝田哲也 |date=2018-05-14 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1121464.html |title=「ファミコンミニ」に「週刊ジャンプ50周年記念バージョン」が! |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2022-12-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author= |date=2018-05-14 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2111335/full/ |title=『週刊少年ジャンプ』ver.のミニファミコン発売 『ドラクエ』『キャプテン翼』など計20タイトル収録 |website=オリコンニュース |publisher=[[オリコン]] |accessdate=2022-12-10}}</ref>
|-
| style="text-align:right" |11
! ドラゴンクエスト
| {{Flagicon|World}} 2019年9月27日
| [[Nintendo Switch]]
|
| スクウェア・エニックス
| ダウンロード
| -
| リメイク版
| <ref>{{Cite web|和書|author=緑里孝行(クラフル) |date=2019-09-27 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1209021.html |title=歴代3タイトルがSwitchで遊べる「DQ1」・「DQII」・「DQIII」本日発売 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2022-12-10}}</ref>
|}
; MSX版・MSX2版
: ファミコン版とほぼ同じであり、復活の呪文も互換性があるが、エンディングで王と共に勇者を迎える兵士達がこのシーンのみのオリジナルデザインであったりするなど、グラフィックやサウンド面において若干の相違点がある。
; スーパーファミコン版
: {{Main|ドラゴンクエストI・II#スーパーファミコン版}}
: FC版のストーリーを基に、操作性やグラフィック面など多くの点を改良したリメイク作品。FC版発売から7年後の[[1993年]]に『ドラゴンクエストII』と合わせて1本のソフト『ドラゴンクエストI・II』として発売され、便宜上用いられていた「ドラゴンクエストI」の呼称が正式に使用されることとなった。町の人の台詞なども一部が変更・追加された。また『II』にNES版と同様のオープニングが追加された。
; ゲームボーイ版
: {{Main|ドラゴンクエストI・II#ゲームボーイ版}}
: [[1999年]]に発売。SFC版と同様、『II』とセットで1本のソフトとなり、ナンバリングタイトル初の携帯ゲーム機用ソフトでもある。SFC版に準拠した移植だが、街で建物に2階が増えそこに移動した人がいるなどSFC版から若干の変更がある。また『I』にもオープニングが追加され、その場でゲームを中断する「中断の書」を利用できるようになった。
; フィーチャーフォン版
: [[2004年]]から配信を開始したフィーチャーフォンアプリゲーム。
: SFC版・GB版での変更点が反映されているほか、呪文を覚えるレベル・次のレベルアップまでの必要経験値・レベルの上限(他機種はレベル30までだが、フィーチャーフォン版はレベル50まで上がる)の変更が行われている。また、移動中に「メッセージスピード変更」や「たびのこころえ」などのあるウィンドウを開くことができるようになった。
: グラフィックやシステムは『[[ドラゴンクエストIII そして伝説へ…|スーパーファミコン ドラゴンクエストIII]]』をベースとしており、SFC版『I・II』よりもさらにグラフィックの質が向上している。
: プレイヤーキャラに限り一部の用語が変更され、「キズ」が「体力」に、HPを回復させた時は回復した後の値がメッセージに表示され、完全に回復した場合は「全快した」と表示される。敵モンスターの場合は他の作品と表記は変わらない。
; Wii版
: {{Main|ドラゴンクエスト25周年記念 ファミコン&スーパーファミコン ドラゴンクエストI・II・III}}
: [[2011年]]9月に発売。FC版の『II』・『III』、SFC版の『I・II』・『III』とセットで収録。中断機能が追加された。
; スマートフォン版
: 2013年11月28日にAndroidおよびiOS向けに配信開始したアプリケーション『'''ドラゴンクエスト ポータルアプリ'''』から購入<ref group="注">当初、先着100万人までの無料配信だったが、無料期間は2013年12月10日まで延長された。</ref>・起動する方式。
: グラフィックはフィーチャーフォン版をベースに縦長画面対応させたもので、タッチパネル上の仮想コントローラにより移動や指示を出す。当初は半マス単位での移動など2010年代の感覚では難のある操作性だったが、2014年2月15日のアップデートで1マス単位での移動になるといった改善がされている<ref>{{Cite web|和書|date=2014-02-15 |url=http://www.dragonquest.jp/news/detail/1034/ |title=スマートフォン版『ドラゴンクエストI』バージョンアップを実施 |work=ドラクエ・パラダイス |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2014-02-15}}</ref>。また、操作性の観点から、対象の方を向いていなくても、「!」が表示されている状態であればタップにより「はなす」「しらべる」が実行されるようになっている(以後の作品も同様)。
: BGMは交響組曲のアレンジをベースにした共通のシンセサイザー音源が使われている。
; PlayStation 4・ニンテンドー3DS・Nintendo Switch版
: 2017年8月10日(Nintendo Switch版は2019年9月27日)に配信開始。スマートフォン版をベースにしたもので、3DS版は下画面にマップが表示される。
: それに先立ち、『[[ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて]]』のゲームクリア時に表示される「ふっかつのじゅもん」を入力する(ゲームクリアのセーブデータが必要)とPlayStation Store、ニンテンドーeショップで無料ダウンロードが可能となっていた(2018年1月28日まで)<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.dragonquest.jp/roto/ |title= ドラゴンクエスト“ロト伝説”シリーズ 公式プロモーションサイト |publisher= スクウェア・エニックス |date= 2017-08-10 |accessdate= 2017-08-10 }}</ref>。
: なお、有料版と無料版はゲーム内容は同じだが別ソフト扱いである。
== 評価 ==
{{コンピュータゲームレビュー
|title =
|Allgame = {{Rating|3.5|5}} (NES)<ref name="mobygames_NES">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/9223/dragon-warrior/ |title=Dragon Warrior for NES (1989) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2017-03-20}}</ref>
|IGN = 7.8/10点 (NES)
|NP = 3/5点 (NES)
|rev1 = [[ファミリーコンピュータMagazine]]
|rev1Score = 25.02/30点 (FC){{Sfn|ファミリーコンピュータMagazine|1991|p=113}}
|award1Pub = ファミリーコンピュータMagazine
|award1 = ゲーム通信簿<br />ロムカセット部門<br />音楽3位{{Sfn|ファミリーコンピュータMagazine|1991|p=379}}<br />操作性1位{{Sfn|ファミリーコンピュータMagazine|1991|p=379}}<br />オリジナリティ2位{{Sfn|ファミリーコンピュータMagazine|1991|p=379}}
}}
{|class="wikitable floatright" style="font-size:70%; text-align:center; width:25%"
|+ 「ゲーム通信簿」評価
|-
! 項目
| キャラクタ || 音楽 || 操作性 || 熱中度 || お買得度 || オリジナリティ
! 総合
|-
! 得点
| 2.73 || 4.59 || 4.14 || 4.64 || 4.52 || 4.40
! 25.02
|}
;ファミリーコンピュータ版
:ゲーム誌『[[ファミリーコンピュータMagazine]]』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は別記の通り25.02点(満30点)となっている{{Sfn|ファミリーコンピュータMagazine|1991|p=113}}。
:また、同雑誌1991年5月10日号特別付録の「ファミコンロムカセット オールカタログ」では、「RPGをメジャーにした1作」と本作を位置付けており、「ドラゴンクエスト、この名前を聞いたことのない人はおそらくお年寄りぐらいのものでしょう」と知名度の高さを指摘したほか、社会現象として取り扱われたことや一大ブームを巻き起こしたことを指摘した。その他、「画面上にウィンドウを開いてコマンドを選択する方法が目新しかった」と操作系統の斬新性を肯定的に評価、さらにRPGというゲームジャンルの普及に貢献したことや、アクションやシューティングなどの他ジャンルが苦手だった層にまでファミリーコンピュータのユーザーを拡大させたと指摘した{{Sfn|ファミリーコンピュータMagazine|1991|p=112}}。
:その他、同付録の巻末に収録されている「ロムカセット部門別BEST5」では、音楽3位、操作性1位、オリジナリティ2位を獲得した{{Sfn|ファミリーコンピュータMagazine|1991|p=379}}。
本作は疑似マルチ[[ウィンドウ]]型の[[メニュー (コンピュータ)|メニュー]]、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]用RPG『[[ウルティマ]]』に代表される二次元マップの[[カーソル]]移動を基盤とした[[キャラクター]]の移動、同じくパソコン用RPG『[[ウィザードリィ]]』に代表される対話式の戦闘モードなどといったスタイルを、当時の技術レベルでの512[[キロビット|kbit]](64[[キロバイト|KB]])という、2000年代ごろにおける[[フィーチャーフォン]]の待受画像1枚分相当の[[Read Only Memory|ROM]]容量の中で実現させた作品である<ref name="MediaArtsPlaza">{{Cite web|和書|publisher=文化庁メディア芸術プラザ|url=http://plaza.bunka.go.jp/museum/meister/entertainment/vol2/|title=Entertainment Meister - Vol.2 堀井 雄二 インタビュー|accessdate=2009-03-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100614061622/http://plaza.bunka.go.jp/museum/meister/entertainment/vol2/|archivedate=2010年6月14日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref><ref group="注">『ウルティマ』型マップと『ウィザードリィ』型戦闘の組み合わせは、1985年に発売のパソコンゲーム『[[夢幻の心臓II]]』([[クリスタルソフト]])で既に確立されており、『ドラゴンクエスト』のオリジナルではない。</ref>。このようにファミコンという性能的にも容量的にも制約のある環境で、パソコンユーザーとの利用者の違いを理解して作られた本作はRPGの大衆化に成功した作品であるといえる<ref>NTT出版 『ファミコンとその時代』上村雅之・細井浩一・中村彰憲著、148頁</ref>。
{{Clear}}
== 関連商品 ==
=== 攻略本 ===
* '''ファミリーコンピュータ版'''
** ファミコン神拳奥義大全書 ドラゴンクエスト(集英社、ISBN 978-4834210514)
** ドラゴンクエスト 完全攻略本(徳間書店、ISBN 978-4197233274)
** ドラゴンクエスト 公式ガイドブック(エニックス、ISBN 978-4900527010)
* '''スーパーファミコン版'''
** Vジャンプブックスゲームシリーズ ドラゴンクエストI・II(集英社)
** ドラゴンクエストI・II 公式ガイドブック(エニックス、ISBN 978-4870257412)
* '''ゲームボーイ版'''
** Vジャンプブックスゲームシリーズ ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II(集英社、ISBN 978-4087790368)
** ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II 公式ガイドブック 上巻 世界編(エニックス、ISBN 978-4757501157)
** ゲームボーイ ドラゴンクエストI・II 公式ガイドブック 下巻 知識編(エニックス、ISBN 978-4757501164)
=== その他の書籍 ===
* [[ファミコン冒険ゲームブック]] ドラゴンクエスト 蘇る英雄伝説([[双葉社]]刊、全1巻、ISBN 978-4575760200、1986年12月)
* [[小説ドラゴンクエスト#小説ドラゴンクエスト|小説ドラゴンクエスト]](エニックス刊、作: [[高屋敷英夫]]、ISBN 978-4757502437、1989年4月7日)
* ドラゴンクエスト モンスター物語<ref group="注" name="DQ1DQ2DQ3">ドラゴンクエストI、II、IIIの3作品を取り扱っている。奥付にも、その3作品の表記がある。</ref>(エニックス、ISBN 978-4900527089、1989年7月)
* [[ゲームブックドラゴンクエスト#ドラゴンクエスト|ゲームブックドラゴンクエスト]](エニックス刊)
** 上巻 甦るロト英雄伝説 ISBN 978-4900527157、1989年11月
** 下巻 死闘! 竜王の島 ISBN 978-4900527164、1989年11月
* ドラゴンクエスト アイテム物語<ref group="注" name="DQ1DQ2DQ3" />(エニックス、ISBN 978-4900527249、1989年12月)
* [[ドラゴンクエストへの道]](エニックス刊、監修: [[石ノ森章太郎]]、作画: 滝沢ひろゆき、全1巻、1990年2月)
** 本作品が世に出るまでの経緯を描いた漫画作品。後に内容を再編集した廉価版(全1巻)が出ている。本作中でRPGを出す前に、プレイヤーに遊び方に慣れてもらう目的で[[アドベンチャーゲーム]]を出そうという話になり、ドラゴンクエストと同じ堀井雄二作の「[[ポートピア連続殺人事件]]」がファミコンに移植されたというエピソードが描かれている。
* ドラゴンクエスト 知られざる伝説 ロト2<ref group="注">全9話の短編集。奥付にはドラゴンクエストI、ドラゴンクエストIIの2作品の表記があるが、全9話の内8話がドラゴンクエストIIの話で、ドラゴンクエストIの話は1話のみである。</ref>(エニックス、本文: 松本多津子、ISBN 978-4900527829、1992年3月)
*† [[CDシアター ドラゴンクエスト#CDシアター ドラゴンクエストI|CDシアター ドラゴンクエストI]] - ドラマCDだが書籍扱い。
=== 音楽作品 ===
†は廃盤。'''太字'''は2022年3月現在も販売されているCDである。
* † [[組曲「ドラゴンクエスト」]]([[バンダイ・ミュージックエンタテインメント|アポロン音楽工業]]、BY30-5121、1986年10月5日) - 当時はCDの普及黎明期であったため、[[レコード|アナログレコード盤]]も併売。東京弦楽合奏団演奏のオーケストラ版、ファミコンのゲーム音源、シンセサイザー版を収録。シンセサイザー版の演奏はすぎやまによって行われ、戦闘曲及びエンディング曲はロックアレンジ部分を含む。
*† スーパーファミコン版 すぎやまこういち 交響組曲「ドラゴンクエストI」([[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]]、SRCL-2733、1994年1月12日) - [[ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団]]演奏のオーケストラと、SFC版のゲーム音源集。
* '''交響組曲「ドラゴンクエストI」'''([[キングレコード]]、KICC-6300、2009年8月5日) - [[東京都交響楽団]]演奏。本作から『VIII』までのME集をオーケストラで演奏したものをカップリング。
** † 交響組曲「ドラゴンクエストI」([[アニプレックス]]、SVWC-7457、2007年3月21日)- レコード移籍に伴い廃盤。
* '''組曲「ドラゴンクエストI・II」'''(キングレコード、KICC-6315、2009年10月7日) - ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団演奏。前8曲が『I』の楽曲。
* '''組曲「ドラゴンクエストI・II」'''(キングレコード、KICC-6321、2009年10月7日) - 東京弦楽合奏団演奏(1986年8月・11月・12月録音)であり、前8曲が『I』の楽曲。
{| class="wikitable"
|+収録楽曲一覧
!<small>No.</small>
!<small>楽曲名</small>
!<small>備考</small>
|-
!<small>1</small>
!<small>序曲</small>
|<small>交響組曲版は4分弱あり、メインメロディ部分のアレンジはその後の序曲に流用されている</small>
|-
!<small>2</small>
!<small>ラダトーム城</small>
|
* <small>2階(王室)と1階・地下とでアレンジが変わる(ただしリメイク版では廃止されている)</small>
* <small>FC版、MSX・MSX2版ではほこらでもこの曲が使用される</small>
|-
!<small>3</small>
!<small>街の人々</small>
|
* <small>FC版、MSX・MSX2版では名前および復活の呪文入力時も使用される</small>
* <small>なおFC版のIでは同曲、リメイク版のIおよびXIでは同曲のアレンジ版(交響組曲版の一部)が間奏曲として採用された</small>
* <small>歌詞がつけられ、女性デュオ「[[ルーラ (デュオ)|ルーラ]]」が歌いCDが発売されていた(タイトルは「町の人々」)</small>
|-
!<small>4</small>
!<small>広野を行く</small>
|
* <small>アレフガルドの曲であり、FC版、MSX版、MSX2版ではAメロのループ、リメイク版では交響組曲版に準じている</small>
* <small>シリーズ第1作の開発当時すぎやまは、ただ1人で旅立つ勇者の期待と不安をイメージしてこの曲を作った</small>
* <small>[[中村光一]]は当初、勇壮なイメージが少し欠けていると感じ納得できなかったが、繰り返し聞くうちに親しみやすい曲であることが分かったとのことである</small>
|-
!<small>5</small>
!<small>戦闘</small>
|<small>交響組曲版およびリメイク版で、曲の後半部分と装飾フレーズが追加され、以後はそれが基準となってアレンジされ続けている</small>
|-
!<small>6</small>
!<small>洞窟</small>
|
* <small>階層が深くなるにつれて音程が低くなり、テンポも遅くなっていく(スマホ版以外)</small>
* <small>FC版、MSX・MSX2版ではドムドーラでも使用される</small>
* <small>GB版の第一階層では前奏が追加されている</small>
|-
!<small>7</small>
!<small>竜王</small>
|
* <small>竜王の変身体との戦闘時の曲であり、GB版のみ存在するオープニングデモにも使用される</small>
* <small>ただ1つのフレーズをひたすら繰り返しながら中盤まで規模を増していき、その後再び収束していく構造をしている</small>
* <small>SFC版ではわずかに前奏が追加されており、以後のアレンジ曲はそれをティンパニを用いて明確化している</small>
* <small>このイントロは「竜王」が竜、即ちドラゴンであることに因み、銅鑼がゴーンと鳴るのをイメージしたものだという</small>
* <small>佳境にはいると竜の咆吼を模したホルンのグリッサンドも登場する</small>
|-
!<small>8</small>
!<small>フィナーレ</small>
|<small>本作品の終曲</small>
|}
上記ではIのFC版およびリメイク版に関する備考を記載、以降のナンバリングや派生作品で使用される場合の備考に関しては「[[ドラゴンクエストシリーズの楽曲一覧]]」を参照。
また交響組曲版にはこのほかに「[[ドラゴンクエストシリーズの楽曲一覧#ME|ME集]]」が収録されている。
== 動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン ==
2021年3月19日に改定された。
*ファミリーコンピュータ版<ref>{{cite news |url=https://www.dragonquest.jp/guideline/dq1/fc/ |title=ファミリーコンピュータ版『ドラゴンクエスト』動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref>
*スマートフォン版<ref>{{cite news |url=https://www.dragonquest.jp/guideline/dq1/sp/|title=スマートフォン版 『ドラゴンクエスト』動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref>
*ニンテンドー3DS版・PlayStation 4版・Nintendo Switch版<ref>{{cite news |url=http://www.dragonquest.jp/roto/guideline.html |title=『ドラゴンクエスト』『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref>
*スーパーファミコン版<ref>{{cite news |url=https://www.dragonquest.jp/guideline/dq1-2/sfc/ |title=スーパーファミコン版 『ドラゴンクエストI・II』動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref>
*ゲームボーイ版<ref>{{cite news |url=https://www.dragonquest.jp/guideline/dq1-2/gb/ |title=ゲームボーイ版 『ドラゴンクエストI・II』動画・生配信・画像投稿に関するガイドライン |publisher=スクウェア・エニックス |accessdate=2021-07-26}}</ref>
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2|30em}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}
== 参考文献 ==
*{{Cite journal |和書 |author = |title = 5月10日号特別付録 ファミコンロムカセット オールカタログ |date = 1991-05-10 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 7 |number = 9 |naid = |pages = 112 - 379 |ref = {{SfnRef|ファミリーコンピュータMagazine|1991}}}}
* {{Cite book|和書|author=<!--株式会社-->QBQ(編)|title=懐かしファミコン パーフェクトガイド|publisher=マガジンボックス|series=M.B.ムック|year=2016|ISBN=9784906735891|ref=懐かし}}
== 関連項目 ==
* [[剣神ドラゴンクエスト 甦りし伝説の剣]] - 2003年に発売された体感ゲーム機。本作のストーリーに準じて作られた。主人公は本作の主人公と同一人物という設定になっている。
* [[ドラゴンクエストビルダーズ アレフガルドを復活せよ]] - 2016年1月28日に発売。本作の主人公が竜王の罠([[#バッドエンディング]]を参照)にかかり敗北した後の世界を舞台にしたパラレル作品。
* [[ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて]] - 本作の復活の呪文が使用可能で、ゲームをある程度有利な状態から始めることができる。
* [[DQI秘伝 竜王バリバリ隊]] - 「[[Vジャンプ|ブイジャンプ]]」に連載された漫画作品。竜王の姉・竜貴妃(この漫画のオリジナルキャラクター)によってモンスターにされるも打倒竜王のため人知れず戦う5人の若者の物語。原作: [[三条陸]]、作画: [[稲田浩司]]。
== 外部リンク ==
* [https://www.jp.square-enix.com/ スクウェア・エニックス]
* [https://www.jp.square-enix.com/game/detail/dq/ ドラゴンクエスト]
* [http://www.dragonquest.jp/dqpteaser ドラゴンクエスト ポータルアプリ]
* [http://www.dragonquest.jp/roto/ ドラゴンクエスト“ロト伝説”シリーズ 公式プロモーションサイト]
* {{MobyGames|id=/9223/dragon-warrior/|name=Dragon Warrior}}
{{DragonQuest}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:とらこんくえすと01}}
[[Category:ドラゴンクエストのコンピュータゲーム|01]]
[[Category:ロトシリーズ|01]]
[[Category:1986年のコンピュータゲーム]]
[[Category:ファミリーコンピュータ用ソフト]]
[[Category:MSX/MSX2用ソフト]]
[[Category:携帯電話アプリゲーム]]
[[Category:コンピュータRPG]]
[[Category:ソニーのゲームソフト]]
[[Category:チュンソフト開発のゲームソフト]]
[[Category:Android用ゲームソフト]]
[[Category:iPhone用ゲームソフト]]
[[Category:ニンテンドー3DS用ソフト]]
[[Category:PlayStation 4用ソフト]]
[[Category:Nintendo Switch用ソフト]]
[[Category:ミリオンセラーのゲームソフト]]
[[Category:冒険ゲーム]]
[[Category:冒険ゲームブック]]
<!--[[Category:スーパーファミコン用ソフト]] →「ドラゴンクエストI・II」へ移動-->
<!--[[Category:ゲームボーイ用ソフト]] →「ドラゴンクエストI・II」へ移動-->
<!--リダイレクト元のカテゴリ: [[:Category:サテラビュー放送番組]]--> | 2003-02-13T10:58:38Z | 2023-12-20T01:29:47Z | false | false | false | [
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"Template:Flagicon",
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1,284 | グラディウス (ゲーム) | 『グラディウス』(Gradius、日本国外名Nemesis)は、日本のコナミから発売され1985年5月に稼働開始したアーケード用横スクロールシューティングゲーム。
稼働当初の正式タイトル名は『超次空ファイター グラディウス』。シリーズ化され、同社の『グラディウスシリーズ』第1作となった。全7ステージの無限ループ制。ゲームデザインは町口浩康。キャッチコピーは「1.9.8.5. 宇宙ガ、マルゴト、ヤッテクル」。
数多くのシリーズ作品(続編)がリリースされている。
惑星グラディウスを救うために、超時空戦闘機ビックバイパーを操り亜時空星団バクテリアンと戦う。同コナミが1981年に製作・販売していたアーケードゲーム『スクランブル』をベースに製作されており、開発当初は『スクランブル2』という企画だった。
ステージ毎の仕掛けと敵の多彩な攻撃を多種多様なパワーアップを使いこなして切り抜けるゲームデザインである。
東野美紀による音楽は、サウンドトラックやアレンジバージョン、「GRADIUS IN CLASSIC」(I,II)といったクラシックアレンジも数多く発売された。
8方向レバーと3ボタン(パワーアップ・対空ショット・対地ミサイル。プラットフォームによっては対空ショットと対地ミサイルを1ボタンで併用)で自機「ビックバイパー (VIC VIPER)」 を操作。全7ステージの変化に富む世界を舞台にバクテリアン軍と戦う。
パワーアップの種類とゲージの順番は以下の通り。ただし、プラットフォームにより差異がある。記載内容はアーケード版に準拠。
稼働当初の正式タイトル名は『超次空ファイター グラディウス』。シリーズ化され、同社の『グラディウスシリーズ』第1作となった。全7ステージの無限ループ制。ゲームデザインは町口浩康。キャッチコピーは「1.9.8.5. 宇宙ガ、マルゴト、ヤッテクル」。
数多くのシリーズ作品(続編)がリリースされている。なお、『ゲーム批評』誌上での町口プロデューサーへのインタビューによると、そもそも復活地点設定は初代作時点では当時のハードの制約からミスをした地点からの再スタート(いわゆるその場復活)が困難だったことによる苦肉の策という。しかし復活パターンが編み出されたため、制約のなくなった以降も復活地点設定は引き継がれることとなった。 数多くのシリーズ作品(続編)がリリースされている。 なお、『ゲーム批評』誌上での町口プロデューサーへのインタビュー によると、そもそも復活地点設定は初代作時点では当時のハードの制約からミスをした地点からの再スタート(いわゆるその場復活)が困難だったことによる苦肉の策という。しかし復活パターンが編み出されたため、制約のなくなった以降も復活地点設定は引き継がれることとなった。
| コナミ | コナミ | 384キロビットロムカセット | RC810 | 売上本数:100万本(ファミコン全1252タイトル中41位) | コナミ | コナミ | 2メガビットHuCARD | KM91001 | ! グラディウス完全版 | 200212022002年12月2日 | J-スカイ(Javaアプリ) | コナミ | コナミ | style="text-align:right" | 16 ! グラディウス | 2006-12-02日200701082007年1月8日200702022007年2月2日 | Wii | コナミ | - | ファミリーコンピュータ版の移植。2019年1月31日 配信・販売終了 | |- | style="text-align:right" | 17 | - | PCエンジン版の移植。2019年1月31日 配信・販売終了 | |
各ステージはいくつかに区切られており、ミスした場合はすべての装備を失い区切り地点(復活地点)からやり直すことになる(いわゆる戻り復活)。パワーアップを十分に行っていることを前提としてゲームバランスを取っているため、ミスをした場所によってはパワーアップの立て直しは難しく、2周目以降になるとさらに顕著となる。しかしプレイヤーの中には立て直しを図るべく復活パターンと呼ばれる緻密な攻略を体系化した者たちもいた。こうした復活パターンは、アーケードゲーム専門誌(『ゲーメスト』など)の創刊により攻略記事が人気の記事として掲載されるようになった。
復活パターンが確立されるにつれ、不可能かと思われていた高次周の逆火山ステージや要塞ステージなどからの復活パターンも生み出され、熟練すればどこでミスしてもゲームを立て直すことが可能となった。単にクリアや高得点を目指す他に「立て直す」という遊び方(ゲーム性)を定着させた。ただし多くの復活パターンは(キャラクタオーバーによる弾切れを利用するなど)基板やプログラムの仕様に依存しているため、例えば『グラディウス』では可能な復活パターンが日本国外版『NEMESIS』では不可能という場合もある。
なお、『ゲーム批評』誌上での町口プロデューサーへのインタビューによると、そもそも復活地点設定は初代作時点では当時のハードの制約からミスをした地点からの再スタート(いわゆるその場復活)が困難だったことによる苦肉の策という。しかし復活パターンが編み出されたため、制約のなくなった以降も復活地点設定は引き継がれることとなった。
グラディウスは無限ループ制のゲームであり、上手いプレイヤーならゲームオーバーにならずに何周でもプレイし続けることができる。何周もしていると当然スコアが上がるので、プレイヤーたちは区切りの良い1000万点を目標とした。ビデオゲームのハイスコアを集計している雑誌にはよく「1000万点+α」などと書かれた。スコアラーと呼ばれるビデオゲームのハイスコアを競う人々の間では、グラディウスで1000万点を達成することが一種のステータスになった。
ただし、同じ1000万点でも時期によって意味合いが異なる。初期は高次面/高次周回でのミスからの復活が不可能といわれていたため、いかにノーミスで長くプレイを続けられるかが重要だった。それに対して中期以降では、復活パターンが編み出され、どこでミスをしても復活できるようになり、コンスタントに1000万点を出せるようになった。
実際に、そのような復活パターンを会得したプレイヤーたちによって、限界得点の1億点も達成された。得点のカウントは99999900点まででこれ以上になるとカウンターがゼロに戻るが、ハイスコアとしてはカウンターがゼロに戻る直前の数値が記録される。さらにこの得点に至る前の9998万点を超えた時点で残機の無限増加が起こり、プログラム上の限界がここに見られる。
『沙羅曼蛇』や『グラディウスII』などの後のシリーズでも1000万点を達成することができる。これは現在でも超上級プレイヤーのステータスとして、グラディウスシリーズの伝統ともなっている。
ステージ毎に特徴的な戦場が用意されている。
各ステージの開始時には、「前衛」、または、「空中戦」と呼ばれる比較的簡単な内容の準備エリアが用意されており、そこで比較的容易にパワーアップを行うことができる構成になっている。ステージの最後まで到達するとスクロールが停止しBGMが変わり、敵の総攻撃タイムとなる。総攻撃を突破した後にボスが出現するという構成を取るステージが多い。各ステージのBGMとは別に空中戦専用のBGMが用意されているのも特徴である。
プラットフォームによってステージ構成自体は多少異なる。また、オリジナルステージが加わる場合もある。一例としてMSX版の骸骨ステージ、PCエンジン版の砂漠の骨ステージ、などが挙げられる。
ステージ構成を多彩にすることを広く普及させた意味合いではシューティングゲームへの貢献度は大きい。なお、開発チームから説明を受けたコナミの上層部は当初、ステージによって雰囲気が変わり過ぎることに対して、統一性に欠けるとプレイヤーに受け入れられないのではないかと懸念していた。これをチーム側は上記のキャッチコピーで説得したという。
7面の後、短いエンディング画面を挟んで、難度が上昇した次周回に突入する。3周目までは敵弾の数が増え、そこから先は敵編隊数の増加を主とした難度上昇をし、自機の装備による難度上昇を除けば、全部で2,3,17,23周目で4回の難度上昇をする。また、23周目以降は難度上昇はなく、単に繰り返しとなる。
2周目以降、敵を倒すと同時に自機に対して一発の弾を撃たれる「撃ち返し弾」という攻撃がある程度の割合で加わるようになる。高次周になるほど撃ち返し弾の発生頻度が高くなるため、1周目とは全くと言っていいほど攻略が変わってくる場面も出てくる。
シリーズ共通として、赤色の敵の撃破と前衛の敵編隊を全滅させるとカプセルが出現する。
今作以降デザイン、名称は異なるが、一部を除き登場する基本敵キャラクターを紹介する。
ファミコンの世代から最新世代の家庭用ゲーム機、ホビーパソコンや携帯電話に移植されている。初期の移植版は、当時のハードの性能限界によりアーケード版の完全移植ができなくても、なるべく近づけるために工夫が凝らされており、各世代機ごとの特徴的な要素がアーケード版とは異なる個性となっている。同様の理由により各機種のBGMも、アーケード版の完全再現を目指すのではなく、一定のアレンジが加えられた作品が多い。また、オプションの挙動が移植版によっては異なる。
変わったところでは、バンダイが発売していたアナログボードゲームシリーズ・パーティジョイの「60番」(60番目の商品)としても発売されたことがある(テレビゲームの雰囲気を生かしつつもルールは異なる)。
アーケード版の初代『グラディウス』は、バブルシステム (GX400) と呼ばれるアーケードゲーム基板を使用している。ソフトウェアは磁気バブルメモリを使った「バブルカセット」という形態で供給された。バブルシステムは本作以外に『ツインビー』『RF-2』『ギャラクティックウォーリアーズ』にも用いられている。
バブルシステムは、使用された磁気バブルメモリの特性によりデータ消失などの故障が頻発したほか、修理用の部品が入手できなくなったこともあり、修理対応で通常の1MビットEPROMが2つ載る専用基板に交換された版が存在する(「ROM版」などとも言われる。外観は出典先を参照)。この基板は『沙羅曼蛇』や、国外版である『NEMESIS』の基板とは全くの別物である。『NEMESIS』では256KビットのEPROMが8つ並ぶ。なお下側の基板はバブルシステム・『沙羅曼蛇』・『NEMESIS』で共通である。またバブルシステムは-12Vの電源を必要とするが、このROM版バブルシステムでは必要ない。
後に発売された『グラディウス デラックスパック』・『グラディウス ポータブル』などではグラディウスを起動する際の読み込み時間にバブルシステム起動デモがカウントダウン終了後のロムチェック・パターン表示まで忠実に再現されている。ただし、暖気カウントダウンは収録されていない。これらコンシューマ機への移植版では読み込みが完了すると任意でスキップできる。また、携帯電話版グラディウス完全版にも起動デモが再現されているが、早くカウントされすぐに終わる。こちらは単なる再現演出のため、最初からスキップ可能。
本作に使用されているBGMの作曲は全曲東野美紀が担当している。以下の曲名は1993年に発売されたCD『MIDI POWER Ver2.0』に基づいて記載しており、未使用曲についてのみ『グラディウス リバース』サウンドトラックのデータを用いている。
これらの英字タイトルはキングレコードの『パーフェクトセレクション・グラディウス』(1991年発売)および『パーフェクトセレクション・グラディウス第2章』(1992年発売)に収録された1面、4面、6面、7面BGMのアレンジバージョンに対して表記されたものが初出である。それ以前、アルファレコードの『コナミ・ゲーム・ミュージック Vol.1』(1986年発売)はゲーム毎のメドレー主体の構成で、曲名としての表記は各ゲームタイトルのみ。アポロン音楽工業の『オリジナル・サウンド・オブ・グラディウス』(1987年発売)では「第1ステージ・BGM」といった端的な表記にとどまり、また本作のBGMが『沙羅曼蛇』(1986年)『グラディウスII』(1988年)などの続編に引用された際も同様である。
『MIDI POWER Ver2.0』ではパーフェクトセレクションの曲名が引き継がれ、また他の曲にも英字タイトルが表記された。以後の関連アルバムやシリーズ作品ではこれらの曲名の使用が通例となったが、『IV』や携帯電話向けサイト「コナミネットDX」での楽曲配信など、旧来のタイトル表記が行われることもある。2000年に『コナミ・ゲーム・ミュージック Vol.1』がサイトロン・デジタルコンテンツより復刻された際にはジャケットやトラックリストに英字タイトルがフィードバックされ、曲単位でのトラック分割といった時流に合わせた仕様変更が行われている。
アーケード版の本作のBGMには、周波数がわずかに異なる音を重ね合わせて深みを出す、「コーラス効果」もしくは「ディチューン」と呼ばれる手法を用いている。これをコンピュータゲームで初めて使用したのはナムコの『ギャラガ』とされるが、『グラディウス』ではステージBGMとして用いられたことでより印象的なものとなり、俗に「コナミ効果」と呼ばれることもあった。 | [
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] | 『グラディウス』(Gradius、日本国外名Nemesis)は、日本のコナミから発売され1985年5月に稼働開始したアーケード用横スクロールシューティングゲーム。 稼働当初の正式タイトル名は『超次空ファイター グラディウス』。シリーズ化され、同社の『グラディウスシリーズ』第1作となった。全7ステージの無限ループ制。ゲームデザインは町口浩康。キャッチコピーは「1.9.8.5. 宇宙ガ、マルゴト、ヤッテクル」。 数多くのシリーズ作品(続編)がリリースされている。 | {{コンピュータゲーム
| Title = グラディウス
| Genre = [[シューティングゲーム|横スクロールシューティング]]
| Plat = [[アーケードゲーム|アーケード]] (AC){{Collapsible list |title = 対応機種一覧 |1 = [[ファミリーコンピュータ]] (FC)<br />[[MSX]]<br />[[PC-8800シリーズ|PC-8801mkIISR]] (PC88)<br />[[X1 (コンピュータ)|X1]]<br />[[コモドール64]] (C64)<br />[[Amstrad CPC]] (CPC)<br />[[ZX Spectrum]] (ZX)<br />[[X68000]] (X68)<br />[[PCエンジン]] (PCE)<br />[[S!アプリ|Javaアプリ]]<br />[[ウィルコム]]<br />[[Microsoft Windows|Windows]] (Win)<br />[[Wii]]<br />[[Webブラウザ]]<br />[[PlayStation 3]] (PS3)<br />[[PlayStation Portable]] (PSP)<br />[[ニンテンドー3DS]] (3DS)<br />[[クラウドゲーム]]<br />[[G-cluster]]<br />[[Wii U]]<br />[[Windowsストア]]<br />[[PlayStation 4]] (PS4)<br />[[Nintendo Switch]] (NS)}}
| Dev = コナミ開発1課
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| composer = [[東野美紀]]
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| series = [[グラディウスシリーズ]]
| Play = 1 - 2人(交互プレイ)
| Media = [[アーケードゲーム基板|業務用基板]]<br />(272.50[[キロバイト]])
| Date = '''AC'''<br />{{vgrelease new|JP|1985-05-29|NA|1985年|EU|September 1985}}{{Collapsible list |title = 発売日一覧 |1 = '''FC'''<br />{{vgrelease new|JP|1986-04-25|NA|1986年[[12月]]|EU|1988-11-30}}'''MSX'''<br />{{vgrelease new|JP|1986-07-25|EU|1986年}}'''PC88'''<br />{{vgrelease new|JP|1986-11-19}}'''X1'''<br />{{vgrelease new|JP|1986-12-28}}'''C64, CPC'''<br />{{vgrelease new|EU|1987-01-01}}'''AC (VS.GRADIUS)'''<br />{{vgrelease new|INT|1986年}}'''ZX'''<br />{{vgrelease new|EU|1987-01-08}}'''X68'''<br />{{vgrelease new|JP|1987-03-28}}'''PCE'''<br />{{vgrelease new|JP|1987-03-28}}'''Javaアプリ'''<br />{{vgrelease new|JP|2002-12-02}}'''Win (i-revo)'''<br />{{vgrelease new|JP|2006-03-14}}'''Wii(FC版の移植)'''<br />{{vgrelease new|JP|2006-12-02}}'''Wii(PCE版の移植)'''<br />{{vgrelease new|JP|2007-08-07}}'''Webブラウザ'''<br />{{vgrelease new|JP|2009-08-24}}'''PS3, PSP'''<br />{{vgrelease new|JP|2010-06-16}}'''3DS(FC版の移植)'''<br />{{vgrelease new|NA|2012-10-18|EU|2012-11-01|JP|2013-05-08}}'''クラウドゲーム (GameNow)'''<br />{{vgrelease new|JP|2013-05-14}}'''クラウドゲーム(ひかりTV)'''<br />{{vgrelease new|JP|2013-06-03}}'''G-cluster'''<br />{{vgrelease new|JP|2013-06-20}}'''Wii U(FC版の移植)'''<br />{{vgrelease new|EU|2013-09-26|JP|2013-10-02|NA|2014-01-09}}'''Windowsストア'''<br />{{vgrelease new|JP|2013-12-20}}'''3DS(PCE版の移植)'''<br />{{vgrelease new|JP|2013-12-25}}'''Win(PCE版の移植)'''<br />{{vgrelease new|JP|2014-03-03}}'''Wii U(PCE版の移植)'''<br />{{vgrelease new|JP|2014-04-16}}'''PS4(AC版の移植)'''<br />{{vgrelease new|JP|2015-01-29}}'''Wii U(MSX版の移植)'''<br />{{vgrelease new|JP|2015-09-30}}'''PS4, NS(VS. グラディウス )'''<br />{{vgrelease new|JP|2019-08-15}}'''NS(AC版の移植)'''<br />{{vgrelease new|JP|2020-07-09}}}}
| Rating = {{vgrelease new|JP|{{CERO-A}}|NA|{{ESRB-E}}|EU|{{PEGI-7}}}}
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| ArcOnly = 1
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}}
『'''グラディウス'''』(''Gradius''、日本国外名''[[ネメシス (ゲーム)|Nemesis]]'')は、日本の[[コナミアミューズメント|コナミ]]から発売され[[1985年]]5月に稼働開始した[[アーケードゲーム|アーケード]]用[[シューティングゲーム|横スクロールシューティングゲーム]]。
稼働当初の正式タイトル名は『超次空ファイター グラディウス』。シリーズ化され、同社の『[[グラディウスシリーズ]]』第1作となった。全7ステージの無限ループ制<ref name="clafami2">{{Cite book|和書|title=ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータMagazine|publisher=[[アンビット]]|series=TOWN MOOK|date=2016-11-14|pages=46-47|ISBN=9784197104789}}</ref>。ゲームデザインは町口浩康。[[キャッチコピー]]は「1.9.8.5. 宇宙ガ、マルゴト、ヤッテクル」。
数多くのシリーズ作品(続編)がリリースされている。
== 概要 ==
{{出典の明記|section=1|date=2023年9月}}
惑星グラディウスを救うために、超時空戦闘機[[ビックバイパー]]を操り亜時空星団バクテリアンと戦う。同コナミが[[1981年]]に製作・販売していたアーケードゲーム『[[スクランブル (ゲーム)|スクランブル]]』をベースに製作されており、開発当初は『スクランブル2』という企画だった。
ステージ毎の仕掛けと敵の多彩な攻撃を多種多様なパワーアップを使いこなして切り抜けるゲームデザインである。
[[東野美紀]]による音楽は、サウンドトラックやアレンジバージョン、「GRADIUS IN CLASSIC」(I,II)といったクラシックアレンジも数多く発売された。
== ゲーム内容 ==
{{Main|グラディウスシリーズ}}
8方向レバーと3ボタン(パワーアップ・対空ショット・対地ミサイル。プラットフォームによっては対空ショットと対地ミサイルを1ボタンで併用)で自機「ビックバイパー (VIC VIPER)」 を操作。全7ステージの変化に富む世界を舞台にバクテリアン軍と戦う。
;パワーアップボタン
:赤いパワーカプセル取得後、パワーメーターが光っている箇所のパワーアップを装備する。
;ショットボタン
:通常は2連射可能なノーマルショットを前方に発射。パワーアップすることでダブル、またはレーザーを発射する。
;ミサイルボタン
:パワーアップの「MISSILE」装備後に、ミサイルを発射。
=== パワーアップの種類と内容 ===
パワーアップの種類とゲージの順番は以下の通り。ただし、プラットフォームにより差異がある。記載内容はアーケード版に準拠。
{| border="1" class="wikitable" style="text-align: center"
|-
! 順番
! style="width: 5em"|1
! style="width: 5em"|2
! style="width: 5em"|3
! style="width: 5em"|4
! style="width: 5em"|5
! style="width: 5em"|6
|-
| '''ゲージ表記'''
| SPEED UP
| MISSILE
| DOUBLE
| LASER
| OPTION
| ?
|}
;1. スピードアップ (SPEED UP)
:自機の移動速度が上がる。最高で5段階まで重複装備が可能で、装備の回数を増やすごとに自機の移動速度も上がっていく。ミス以外に移動速度を下げる方法はない。
;2. ミサイル (MISSILE)
:自機およびオプションから一度に各1発ずつ、前方斜め下にミサイルを発射できるようになる。落下後、地表に到達するとそのまま地表に沿って前進して行く(登坂はできない)。高い耐久力を持つ敵機が発進するハッチを一発で破壊できる。地上の敵を攻撃する他、落下中に空中の敵に命中させることも可能。発射された全てのミサイルが画面から消滅しない限り再発射できない。
;3. ダブル (DOUBLE)
:メインショットが前方と前方斜め上に同時にノーマルショットを撃つダブル砲になる。上方の敵を攻撃するのに便利だが通常は2連射可能なショットが前方と上方に1発ずつしか撃てなくなる上、発射した弾が両方共消滅しないと再発射できないので攻撃力は低く複数のオプションなしでは使いづらい。レーザーとの併用は不可で、ダブル装備中にレーザーを装備するとダブルの効力は失われる。
;4. レーザー (LASER)
:メインショットが前方に貫通力のあるレーザーになる<ref name="clafami2" />。見た目は一本の線だが、上下に幅広い攻撃判定を持つため、見た目よりも広い範囲に攻撃することができる。レーザーは自機のY座標に合わせてY座標が移動するため、レーザー発射後に自機の高さを移動させることで位置合わせをし、物陰に隠れた敵を攻撃することもできる。これを「レーザーワインダー」と呼ぶ。レーザーワインダーは、遮蔽板などで攻撃を防がれる可能性のある敵にレーザーの一部位を上下方向から強制的に当てることができるという特徴を持つ。ショットボタンを押しっ放しにすることで長いレーザーが発射できる。ダブルとの併用は不可で、レーザー装備中にダブルを装備するとレーザーの効力は失われる。ボタンを押しっぱなしで使うのが基本であり、連打するとほとんど破壊力のない細切れの線が飛んでいく状態となっていた。
;5. オプション (OPTION)
:自機と同じ武装を持ち、自機を追うように動く無敵の発光体(詳細は[[グラディウスシリーズ#オプション|グラディウスシリーズ]]の当該項目を参照)。1回のパワーアップで1つのオプションが装備される。最高で4つまで装備可能。海外版では'''マルチプル (MULTIPLE)''' と名称変更されている。スピードアップをするごとにオプションごとの間隔が広がる。
;6. バリア (?)
:装備をすると前方から2つのシールドが飛来し、自機前方に配備される。ビックバイパーとは別キャラクターの扱いになっており、装備前であってもバリア自身に判定のあるキャラクターに衝突すると小さくなり、一定ダメージを受けることで消失する。前方にあることで敵弾や[[雑魚キャラクター|ザコ敵]]の体当たりを一定回数防ぐ効果があるが、地形に対する衝突や耐久力のある敵にたいして急激に消耗し、バリアが別キャラクターとして盾になる構造のため、実際に前方に配備されるまでは無防備な時間が発生する。耐久力を失い消滅するまでは再装備ができないため、地形などを利用しわざと消失させ耐久力のある状態のバリアと交換することもテクニックのひとつである。移植作ではキャラクター表示の制限上、別キャラクターではなく本体の装備として全体、もしくは前方に対して耐久力を付与するパワーアップとする実装もある。『グラディウスII』以降の「シールド」と同じであり、移植作では名前が「シールド」となっていることもある。
稼働当初の正式タイトル名は『超次空ファイター グラディウス』。シリーズ化され、同社の『[[グラディウスシリーズ]]』第1作となった。全7ステージの無限ループ制<ref name="clafami2">{{Cite book|和書|title=ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータMagazine|publisher=[[アンビット]]|series=TOWN MOOK|date=2016-11-14|pages=46-47|ISBN=9784197104789}}</ref>。ゲームデザインは町口浩康。[[キャッチコピー]]は「1.9.8.5. 宇宙ガ、マルゴト、ヤッテクル」。
数多くのシリーズ作品(続編)がリリースされている。なお、『[[ゲーム批評]]』誌上での町口プロデューサーへのインタビュー{{Sfn|ゲーム批評 Vol.18|1999|p=17}}によると、そもそも復活地点設定は初代作時点では当時のハードの制約からミスをした地点からの再スタート(いわゆる[[復活 (コンピュータゲーム)#その場復活|その場復活]])が困難だったことによる苦肉の策という。しかし復活パターンが編み出されたため、制約のなくなった以降も復活地点設定は引き継がれることとなった。
数多くのシリーズ作品(続編)がリリースされている。
なお、『[[ゲーム批評]]』誌上での町口プロデューサーへのインタビュー<ref>{{Cite journal |和書
|title = コナミ町口浩康インタビュー
|date = 1999-09
|publisher = [[マイクロデザイン出版局]]
|journal = [[ゲーム批評]]
|volume = Vol.28
|number =
|naid =
|pages = 17
|url =
|ref = harv}}</ref> によると、そもそも復活地点設定は初代作時点では当時のハードの制約からミスをした地点からの再スタート(いわゆる[[復活 (コンピュータゲーム)#その場復活|その場復活]])が困難だったことによる苦肉の策という。しかし復活パターンが編み出されたため、制約のなくなった以降も復活地点設定は引き継がれることとなった。
=== 復活パターン ===
各ステージはいくつかに区切られており、ミスした場合はすべての装備を失い区切り地点(復活地点)からやり直すことになる(いわゆる[[復活 (コンピュータゲーム)#戻り復活|戻り復活]])。パワーアップを十分に行っていることを前提としてゲームバランスを取っているため、ミスをした場所によってはパワーアップの立て直しは難しく、2周目以降になるとさらに顕著となる。しかしプレイヤーの中には立て直しを図るべく'''復活パターン'''と呼ばれる緻密な攻略を体系化した者たちもいた。こうした復活パターンは、アーケードゲーム専門誌(『ゲーメスト』など)の創刊により攻略記事が人気の記事として掲載されるようになった。
復活パターンが確立されるにつれ、不可能かと思われていた高次周の逆火山ステージや要塞ステージなどからの復活パターンも生み出され、熟練すればどこでミスしてもゲームを立て直すことが可能となった。単にクリアや高得点を目指す他に「立て直す」という遊び方(ゲーム性)を定着させた。ただし多くの復活パターンは(キャラクタオーバーによる弾切れを利用するなど)基板やプログラムの仕様に依存しているため、例えば『グラディウス』では可能な復活パターンが日本国外版『[[ネメシス_(ゲーム)#日本国外版NEMESIS|NEMESIS]]』では不可能という場合もある。
なお、『[[ゲーム批評]]』誌上での町口プロデューサーへのインタビュー{{Sfn|ゲーム批評 Vol.18|1999|p=17}}によると、そもそも復活地点設定は初代作時点では当時のハードの制約からミスをした地点からの再スタート(いわゆる[[復活 (コンピュータゲーム)#その場復活|その場復活]])が困難だったことによる苦肉の策という。しかし復活パターンが編み出されたため、制約のなくなった以降も復活地点設定は引き継がれることとなった。
=== ハイスコア 1000万点 ===
{{Anchors|1000万点}}
{{出典の明記|section=1|date=2023年9月}}
グラディウスは無限ループ制のゲームであり、上手いプレイヤーならゲームオーバーにならずに何周でもプレイし続けることができる。何周もしていると当然スコアが上がるので、プレイヤーたちは区切りの良い1000万点を目標とした。ビデオゲームのハイスコアを集計している雑誌にはよく「1000万点+α」などと書かれた。スコアラーと呼ばれるビデオゲームのハイスコアを競う人々の間では、グラディウスで1000万点を達成することが一種のステータスになった。
ただし、同じ1000万点でも時期によって意味合いが異なる。初期は高次面/高次周回でのミスからの復活が不可能といわれていたため、いかにノーミスで長くプレイを続けられるかが重要だった。それに対して中期以降では、復活パターンが編み出され、どこでミスをしても復活できるようになり、コンスタントに1000万点を出せるようになった。
実際に、そのような復活パターンを会得したプレイヤーたちによって、限界得点の1億点も達成された。得点のカウントは99999900点まででこれ以上になるとカウンターがゼロに戻るが、ハイスコアとしてはカウンターがゼロに戻る直前の数値が記録される。さらにこの得点に至る前の9998万点を超えた時点で残機の無限増加が起こり、プログラム上の限界がここに見られる。
『沙羅曼蛇』や『グラディウスII』などの後のシリーズでも1000万点を達成することができる。これは現在でも超上級プレイヤーのステータスとして、グラディウスシリーズの伝統ともなっている。
=== ゲーム中の細かなバグ・仕様 ===
*残機は1[[バイト (情報)|バイト]]で管理しているため、256機貯めると0になる。なお、グラディウスIIでは100機貯めると即座にゲームオーバーになる<ref>http://sazanami.net/logs/200307.htm#20030719</ref>。
*ボタンを押したままにしてレーザーを撃っていると、自機が画面右側に寄った場合に発射間隔が極端に長くなる(「弾切れを起こす」とも表現される)。
*レーザーは実際に見える光線の絵よりも上寄りに命中判定が大きい(通称レーザー熱)。背景以外を貫通し、ビッグコアの複数の遮蔽板や3面のモアイを抜けた後に出現するマザーの大群にもまとめてダメージを与えられる。また、オプションのレーザーは自機のレーザーよりもさらに当たり判定が上に偏っている。
*オプションは通常、スピードアップの段階によってオプション同士の間隔幅が決まる。ただし、自機の動きや縦方向の画面スクロールに影響されて間隔や動きが変化することがある。また、オプションの動きは第二作目のように正確に自機の動きをトレースしているわけではなく、4つそれぞれに用意された自機の過去の座標(267,533,800,1067[[ミリ秒]])をめがけて最短距離で追尾するアルゴリズムとなっている。この癖の把握も重要な攻略法の一部である。<!-- 「自機と128ドット以上〜」と内容が重複気味なので上手くまとめられないかなぁ、と思うんですが… -->
*オプションは追尾すべき過去の座標と、x,y軸それぞれ128ドット以上離れると、8bit減算のオーバーフローのため目標座標から離れるように動いてしまう。画面端は逆端とループしているため、画面端に消えたオプションは逆端から現れる。画面上端だけは例外で、離れていったオプションが上端に貼り付く現象が見られる。
*同上の理由で、5面の触手細胞が画面上に触手を伸ばし、下端から弾を撃ってくることがある。
*キャラクター数オーバーを起こしている時にタイミング良くオプションを付けると、オプションが5つになることがある。
*ビッグコアの撃ってくるレーザーは、端の2本を斜めに抜けられる他、中央の2本の隙間を抜けることもできる。
*ビッグコアはステージ難度が上がると移動速度と弾速が上がるが、発射間隔は一定であるため先と後に撃ち出されるレーザー同士の間隔も広がり、自機のY座標によって本体の移動範囲も限定される上に両端の停止位置でしか発射されないので、レーザー同士の間に入ってしまえば(撃ち返しのない1周目であれば)後は動かずに倒すことができる。
*ステージクリア後、1,4,6面の地形はキャラクタ毎に[[ワイプ]]されるが、ワイプが終わって宇宙空間になるまでは自機との接触判定が残っているので当たるとミスになり、ボス前復活地点からのやり直しになる。
*青カプセルは以降の作品と違い、敵弾を消さない。
*5面の肉塊と触手に対しては命中判定がレーザーの先端しかなく小さいためダメージも与えづらい。
*5面の肉塊は画面内に最大3個まで出現する。総攻撃タイム時に出ているものをビッグコア出現前に倒すと、ビッグコア出現時に触手のないものがいくつか追加で画面右から流れて来る。
*6面ボスをスクロールが止まる前に倒すと、次のステージが7面のマップに6面の敵キャラクターの出現パターンとなる(一部のキャラクターはスプライトが化ける)。この状態で進むとスプライトが化けた6面ボスの核細胞が出現し、これを破壊するとボス撃破の判定となり背景がフェードアウトしてBGMが止まる。その後の数秒間は地形の当たり判定が確認できるが、やがてプログラムが暴走したり基板のリセットが掛かったりする。AC版で見られたバグで、リセットは基板起動後のモーニングミュージックのところまで戻される。
*7面通路中央付近の横軸に黒い帯が表示されることがある。
*7面ボス(後述の「脳」)直前のスクロールが止まって触手に進行を阻まれる場所は、触手の間のシャッターを早めに抜けないと、シャッターが閉まってからスクロールが再開せず、残機を潰して再スタートするほかにゲームを進行させる手段がなくなる。
*「脳」破壊後の要塞爆発シーンは基板によって破片が飛び散らない・飛び散るの2つのバージョンがある。
* ゲームオーバー時のネームエントリーに使えるボタンはパワーアップボタンのみ。
== 設定 ==
=== ステージ構成 ===
ステージ毎に特徴的な戦場が用意されている。
各ステージの開始時には、「前衛」、または、「空中戦」と呼ばれる比較的簡単な内容の準備エリアが用意されており、そこで比較的容易にパワーアップを行うことができる構成になっている。ステージの最後まで到達するとスクロールが停止しBGMが変わり、敵の総攻撃タイムとなる。総攻撃を突破した後にボス{{efn2|主にビッグコア}}が出現するという構成を取るステージが多い。各ステージのBGMとは別に空中戦専用のBGMが用意されているのも特徴である。
{| class="wikitable"
|-
! 面 !! 内容 !! 解説 !! ボス
|-
| 1
| 火山
| 洞窟の内部を進んでいくステージ。空中に浮かんだ岩もある。最後に待ち構える火山は火山弾を噴出する。
| 火山弾、ビッグコア
|-
| 2
| {{nowrap|ストーンヘンジ}}
| 破壊可能な石と破壊不能な石が並んでおり、砲台が多数配置されている<ref name="clafami2" />。上下方向に無限スクロールする。
| ザブ、ビッグコア
|-
| 3
| モアイ
| イオン砲台として改造されたモアイ像が立ち並ぶステージ。モアイ像は口からイオンリングを吐いて攻撃してくる<ref name="clafami2" />。上下方向に無限スクロールする。
| マザー、ビッグコア
|-
| 4
| 逆火山
| 1面の天地が逆になり、攻撃も激しくなっている。中盤には火山があり、火山弾を噴出する<ref name="clafami2" />。
| アイアンメイデン、ビッグコア
|-
| 5
| 触手
| 地形はなく、宇宙空間が広がる。0から4本の触手を持つ細胞塊が漂い襲ってくる。細胞塊は体当たりと触手からの弾で攻撃する。
| 触手、ビッグコア
|-
| 6
| 細胞
| 巨大な細胞の内部。網目状の細胞を破壊しつつ前進する<ref name="clafami2" />。主な敵はアメーバーだが、途中にハッチも点在する。
| 細胞核
|-
| 7
| 要塞
| ゼロスの要塞内部。様々な敵による猛攻が続く<ref name="clafami2" />。終盤には触れるだけでミスとなるパイプが登場し、進路を防ぐ。
| マザーコンピューター
|}
プラットフォームによってステージ構成自体は多少異なる。また、オリジナルステージが加わる場合もある。一例として[[MSX]]版の骸骨ステージ、[[PCエンジン]]版の砂漠の骨ステージ、などが挙げられる。
ステージ構成を多彩にすることを広く普及させた意味合いではシューティングゲームへの貢献度は大きい。なお、開発チームから説明を受けたコナミの上層部は当初、ステージによって雰囲気が変わり過ぎることに対して、統一性に欠けるとプレイヤーに受け入れられないのではないかと懸念していた。これをチーム側は上記のキャッチコピーで説得したという。
7面の後、短いエンディング画面を挟んで、難度が上昇した次周回に突入する。3周目までは敵弾の数が増え、そこから先は敵編隊数の増加を主とした難度上昇をし、自機の装備による難度上昇を除けば、全部で2,3,17,23周目で4回の難度上昇をする。また、23周目以降は難度上昇はなく、単に繰り返しとなる。
2周目以降、敵を倒すと同時に自機に対して一発の弾を撃たれる「[[撃ち返し]]弾」という攻撃がある程度の割合で加わるようになる。高次周になるほど撃ち返し弾の発生頻度が高くなるため、1周目とは全くと言っていいほど攻略が変わってくる場面も出てくる。
== 敵キャラクター ==
シリーズ共通として、赤色の敵の撃破と前衛の敵編隊を全滅させるとカプセルが出現する。
=== シリーズ共通 ===
今作以降デザイン、名称は異なるが、一部を除き登場する基本敵キャラクターを紹介する。
;ファン
:非武装域哨戒機。各ステージで最初に現れる。4機から10機編隊で飛来してくる。全滅させるとカプセルを出す。
;ルグル
:標準戦闘機。ビックバイパーをしつこく追いかけてくる。装備や難易度によって速度が変わる。
;ガルン
:高速戦闘機。回転しながら高速で蛇行するのが基本だが、ダグムから発進するなどさまざまなタイプが存在する。
;ビーンズ
:偵察遊撃機。2編隊が8の字を書くように高速で飛来する。1編隊全滅させることにカプセルを1個出す。
;ディー01
:対空イオン砲。地形に固定された砲台。各所に設置されており、自機に向かって弾を発射してくる。
;[[ダッカー]]
:歩行型対空ロボット。壁面を歩行し、いったん停止してから自機に照準を合わせ、弾を撃ってくる。
;[[ジャンパー (グラディウス)|ジャンパー]]
:機動ロボット。ジャンプしながら弾を撃ってくる。難易度が上がると一度に複数の方向に、花火のように弾を発射してくる。
;[[ウロス]]
:移動砲台。地上を移動しながら弾を撃ってくる。ダッカーと違いビックバイパーを追尾してくるわけではなく、同じ箇所を左右にうろうろしている。
;[[ザブ (グラディウス)|ザブ]]
:時空間移動爆雷。突如として出現し、自機に向かって移動してくる。
;ダグム
:スクランブルハッチ。地上に設置されており、中から戦闘機の編隊が出現する。ガオム、カニムという形状の異なるハッチも存在する。
;ラッシュ
:スクランブル戦闘機。ダグムなどのスクランブルハッチから発進する機体。ハッチから真上に発進し、自機のY座標にある程度近づいたところで角度を変えて突進してくる。
;[[モアイ (グラディウス)|モアイ]]
:巨大な石像。口を開けてイオンリングを吐いて攻撃してくる。通常の攻撃は通用しないが、口を開けた瞬間に中を攻撃することで破壊できる。
;イオンリング
:モアイが吐いてくるリング状のエネルギー体。ビックバイパーの攻撃で相殺できる。
;チルド
:小型円盤。マザーから発射される。一切の攻撃が効かない。
;マザー
:中型円盤。搭載しているチルドを3方向に発射して攻撃してくる。チルドとは違い破壊可能。
;[[アイアンメイデン (グラディウス)|アイアンメイデン]]
:ゼロス傘型円盤。地形に沿って移動した後、ビックバイパーに向かって突進してくる。
;[[ビッグコア]]
:ゼロスの大型母艦。卵形のフォルムをしており、外装は攻撃を受け付けない。4箇所の砲台から同時に短いレーザーを発射して攻撃してくる。中央部に丸い「コア」があり、それを守るように「遮蔽板」(しゃへいばん)が設置されている。コアを破壊することでビッグコア全体を撃破できる。
=== 当作品限定の敵キャラクター ===
;レーザー砲台
:ステージ1終盤、菱形の空中地形に固定されている砲台。俯角はとれないため、正面方向のみにレーザーを連射する。
;サバル
:ステージ2前衛のみに登場する戦闘機。ゆっくりと自機のY軸に合わせて移動した後、自機の正面に来ると高速で突っ込んでくる。
;フォス
:ゼロス標準巡航機。ステージ3前衛のみの登場。編隊を組み、ゆっくり自機に近寄ってくるが、自機の方から接近すると離脱していく。全滅させるとカプセルを出す。
;ウスカ
:ゼロス輸送船。ステージ5前衛のみの登場。ゆっくり直進しつつ攻撃してくる。
;触手
:ぶよぶよとした球状の肉塊から細長い腕が何本も生えた生物。腕の先端から弾を出して攻撃してくる。球状の本体に攻撃することで破壊可能だが、耐久力が高い難敵。腕の中間部にある色の違う部分を攻撃すればその腕のみを破壊できる。
;アメーバー
:細胞ステージの網細胞の内部に潜む。耐久力が高い。
;核細胞
:ステージ6のボス。
;電磁バリアー
:要塞ステージ最深部の開けた場所に出現する移動式障害物。実質的な中ボスであるが破壊不能。
;メカ触手
:ゼロス要塞防衛触手。要塞ステージ最深部を防衛する機械触手。弱点は上記の触手と同じく腕の中間部にある色の違う部分。
== 他機種版 ==
{{出典の明記|section=1|date=2015年3月}}
ファミコンの世代から最新世代の家庭用ゲーム機、[[ホビーパソコン]]や[[携帯電話]]に移植されている。初期の移植版は、当時のハードの性能限界によりアーケード版の完全移植ができなくても、なるべく近づけるために工夫が凝らされており、各世代機ごとの特徴的な要素がアーケード版とは異なる個性となっている。同様の理由により各機種のBGMも、アーケード版の完全再現を目指すのではなく、一定のアレンジが加えられた作品が多い。また、オプションの挙動が移植版によっては異なる。
変わったところでは、[[バンダイ]]が発売していたアナログボードゲームシリーズ・[[パーティジョイ]]の「60番」(60番目の商品)としても発売されたことがある(テレビゲームの雰囲気を生かしつつもルールは異なる)。
{|class="wikitable" style="font-size:85%"
|-
! No.
! タイトル
! 発売日
! 対応機種
! 開発元
! 発売元
! メディア
! 型式
! 備考
! 出典
|-
| style="text-align:right" | 1
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|1986-04-25|NA|December 1986|EU|1988-11-30}}
| [[ファミリーコンピュータ]]
| コナミ
| コナミ
| 384[[キロビット]][[ロムカセット]]{{Sfn|ファミリーコンピュータMagazine|1991|p=212}}
| {{vgrelease new|JP|RC810}}
| 売上本数:100万本(ファミコン全1252タイトル中41位)
|
|-
| style="text-align:right" | 2
! {{vgrelease new|JP|グラディウス|EU|NEMESIS}}
| {{vgrelease new|JP|1986-07-25|EU|1986年}}
| [[MSX]]
| コナミ
| コナミ
| 1メガビットロムカセット
| {{vgrelease new|JP|RC742}}
|
|
|-
| style="text-align:right" | 3
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|1986-11-19}}
| [[PC-8800シリーズ|PC-8801mkIISR]]
| コナミ
| コナミ
| [[フロッピーディスク]]
| RA300
|
|
|-
| style="text-align:right" | 4
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|1986-12-28}}
| [[X1 (コンピュータ)|X1]]
| コナミ
| コナミ
| フロッピーディスク
| RA900
|
|
|-
| style="text-align:right" | 5
! GRADIUS
| {{vgrelease new|EU|1987-01-01}}
| [[Amstrad CPC]]<br />[[コモドール64]]
| Cyclone
| The Hit Squad
|
|
|
|
|-
| style="text-align:right" | 6
! VS.GRADIUS
| {{vgrelease new|INT|1986年}}
| アーケード
| コナミ
| コナミ
| [[アーケードゲーム基板|業務用基板]]<br />([[任天堂VS.システム]])
| -
| 日本未発売
|
|-
| style="text-align:right" | 7
! GRADIUS
| {{vgrelease new|EU|1987-01-08}}
| [[ZX Spectrum]]
| Cyclone
| The Hit Squad
|
| -
|
|
|-
| style="text-align:right" | 8
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|1987-03-28}}
| [[X68000]]
| [[エス・ピー・エス|SPS]]
| [[シャープ]]
| フロッピーディスク
| -
| 初代X68000本体の付属ソフトで単体での販売はなし<BR>※ただし、X68ユーザーであれば補修部品扱いで取り寄せが可能
|
|-
| style="text-align:right" | 9
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|1991-11-15}}
| [[PCエンジン]]
| コナミ
| コナミ
| 2メガビット[[HuCARD]]{{Sfn|PC Engine FAN|1993|p=74}}
| KM91001
|
|
|-
| style="text-align:right" | 10
! グラディウスDELUXE PACK
| {{vgrelease new|JP|1996-03-26}}
| [[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]<br />[[セガサターン]]
| コナミ
| コナミ
| [[CD-ROM]]
| SLPS 00303<br />(T-9509G)
| アーケード版の移植。<br />[[グラディウスII -GOFERの野望-|グラディウスII]]とのカップリング
|
|-
| style="text-align:right" | 11
! グラディウスDELUXE PACK for Windows
| {{vgrelease new|JP|1997-02-21}}
| [[Microsoft Windows 95|Windows 95]]
| コナミ
| コナミ
| CD-ROM
| ME203-J1
| グラディウスIIとのカップリング
|
|-
| style="text-align:right" | 12
! グラディウス完全版
| {{vgrelease new|JP|2002-12-02}}
| [[Yahoo!ケータイ|J-スカイ]]<br />([[S!アプリ|Javaアプリ]])
| コナミ
| コナミ
| [[ダウンロード販売|ダウンロード]]<br />(コナミ J-APPLI)
| -
|
| <ref>{{Cite web |author= |date=2002-12-02 |url=https://dengekionline.com/data/news/2002/12/2/971fd952347eee16d69bdd07b908743a.html |title=コナミ、J-SKY用サイトで『グラディウス体験版』を含む新アプリを大量に配信開始! |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2019-01-03}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 13
! [[グラディウス ポータブル]]
| {{vgrelease new|JP|2006-2-9}}
| [[PlayStation Portable]]
| コナミ
| コナミ
| [[ユニバーサル・メディア・ディスク|UMD]]
| -
| PlayStation版の移植。
|
|-
| style="text-align:right" | 14
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2006-03-01}}
| [[ウィルコム]]Javaアプリ<br />および[[W-ZERO3]]シリーズ専用
| コナミ
| コナミ
| ダウンロード
| -
|
| <ref>{{Cite web |author= |date=2003-03-01 |url=https://www.famitsu.com/k_tai/news/2006/03/01/607,1141204089,49360,0,0.html |title="コナミネット"をウィルコムの携帯電話で楽しもう |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2019-01-03}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 15
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2006-03-14}}
| [[Microsoft Windows|Windows]]
| コナミ
| アイレボ
| [[ダウンロード販売|ダウンロード]]<br /> ([[i-revo]])
| -
| ファミリーコンピュータ版<br />MSX版<br />PCエンジン版の移植
| <ref>{{Cite web |author=石田賀津男 |date=2006-03-14 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20060314/irevo.htm |title=インターネットレボリューション、ポータルサイト「i-revo」を開設。コナミやハドソンなどのゲームを100タイトル以上配信 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2022-11-20}}</ref><ref>{{Cite web |author=石田賀津男 |date=2006-03-29 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20060329/irevo.htm |title=インターネットレヴォリューション、「i-revo」にて「グラディウス」の無料体験プレイを開始 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2022-11-20}}</ref><ref>{{Cite web |author= |date=2006-03-29 |url=https://dengekionline.com/data/news/2006/3/29/67c7bdee855254b32433bf311a9f6c58.html |title=ポータルサイト「i-revo」グランドオープン!『グラディウス』の無料体験実施中 |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2022-11-20}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 16
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2006-12-02|NA|2007-01-08|EU|2007-02-02}}
| [[Wii]]
| コナミ
| コナミ
| ダウンロード<br />([[バーチャルコンソール]])
| -
| ファミリーコンピュータ版の移植。<br />2019年1月31日 配信・販売終了
| {{vgrelease new|JP|<ref>{{Cite web |author= |date=2006-11-01 |url=https://dengekionline.com/data/news/2006/11/1/4af1e70406a14ae4c98ddcb81e1b99cf.html |title=Wiiバーチャルコンソールのタイトルラインナップ発表!6ハード、全49タイトル公開 |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2022-11-23}}</ref><ref>{{Cite web |author=石田賀津男 |date=2006-12-02 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20061202/vc.htm |title=バーチャルコンソール 配信タイトル一覧 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>|NA|<ref name="mobygames_Wiirelease">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/wii/gradius/release-info |title=Gradius (2006) Wii release dates |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-01-03}}</ref>}}
|-
| style="text-align:right" | 17
! [[コナミ アーケード コレクション]]
| {{vgrelease new|JP|2007-03-15}}
| [[ニンテンドーDS]]
| [[M2 (ゲーム会社)|M2]]
| KDE
| ニンテンドーDSカード
| -
| アーケード版の移植。
|
|-
| style="text-align:right" | 18
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2007-08-07}}
| Wii
| コナミ
| KDE
| ダウンロード<br />(バーチャルコンソール)
| -
| PCエンジン版の移植。<br />2019年1月31日 配信・販売終了
| <ref>{{Cite web |author=土本学 |date=2007-08-03 |url=https://www.inside-games.jp/article/2007/08/03/22546.html |title=「バーチャルコンソール」8月7日配信開始決定タイトル |website=[[iNSIDE (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 19
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2009-08-24}}
| [[Webブラウザ]]
|
| [[MIXI]]
| ダウンロード<br />([[mixi]])
| -
| 2010年5月17日サービス終了
| <ref>{{Cite web |author= |date=2009-08-24 |url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0908/24/news046.html |title=「mixiアプリ」PC版を正式公開 「グラディウス」「テトリス」など130種類以上 |website=[[ITmedia|ITmedia NEWS]] |publisher=アイティメディア |accessdate=2022-11-23}}</ref><ref>{{Cite web |author=滝沢修 |date=2009-08-24 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/310460.html |title=ミクシィ、SNS「mixi」で「mixiアプリ」の提供を開始。ラインナップは「グラディウス」など130タイトル以上 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2022-11-23}}</ref><ref>{{Cite web |author= |date=2009-08-24 |url=https://dengekionline.com/elem/000/000/188/188840/ |title=mixiアプリでKONAMIの名作STG『グラディウス』を無料提供 |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
<ref>{{Cite web |author=TeT |date=2009-08-24 |url=https://www.4gamer.net/games/027/G002744/20090824046/ |title=「グラディウス」や「テトリス」も遊べる「mixiアプリ」がサービス開始 |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[デジタルハーツホールディングス|Aetas]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 20
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2010-06-16}}
| [[PlayStation 3]]<br />PlayStation Portable
| コナミ
| KDE
| ダウンロード<br />([[ゲームアーカイブス]])
| -
| PCエンジン版の移植
|
|-
| style="text-align:right" | 21
! グラディウス
| {{vgrelease new|NA|2012-10-18|EU|2012-11-01|JP|2013-05-08}}
| [[ニンテンドー3DS]]
| コナミ
| KDE
| ダウンロード<br />(バーチャルコンソール)
| -
| ファミリーコンピュータ版の移植
| {{vgrelease new|NA|<ref name="mobygames_3DSrelease">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/3ds/gradius/release-info |title=Gradius (2012) Wii release dates |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-1-3}}</ref>|EU|<ref name="mobygames_3DSrelease" />|JP|<ref>{{Cite web |author= |date=2013-05-01 |url=https://www.inside-games.jp/article/2013/05/01/66127.html |title=KONAMIの名作STG『グラディウス』が3DSバーチャルコンソールに |website=[[iNSIDE (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>}}
|-
| style="text-align:right" | 22
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2013-05-14}}
| GameNow
| コナミ
| KDE
| ダウンロード<br />([[クラウドゲーム]])
| -
| PCエンジン版の移植
|
|-
| style="text-align:right" | 23
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2013-06-03}}
| [[ひかりTV]]ゲーム
| コナミ
| KDE
| ダウンロード<br />(クラウドゲーム)
| -
| PCエンジン版の移植
| <ref>{{Cite web |author= |date=2013-06-04 |url=https://www.famitsu.com/news/201306/04034334.html |title=KONAMIの人気16タイトルが“ひかりTVゲーム”で配信開始 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2022-11-23}}</ref><ref>{{Cite web |author=さかまきうさろーる |date=2013-06-04 |url=https://www.inside-games.jp/article/2013/06/04/67114.html |title=コナミ、『グラディウス』『沙羅曼蛇』など人気ゲーム16タイトルを「ひかりTVゲーム」で配信 |website=[[iNSIDE (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 24
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2013-06-20}}
| [[G-cluster]]
| コナミ
| KDE
| ダウンロード
| -
| PCエンジン版の移植
| <ref>{{Cite web |author= |date=2013-06-20 |url=https://www.famitsu.com/news/201306/20035290.html |title=KONAMIがWi-Fiクラウドゲーム機“G-cluster”に『グラディウス』『沙羅曼蛇』など16タイトルを配信開始 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 25
! グラディウス
| {{vgrelease new|EU|2013-09-26|JP|2013-10-02|NA|2014-01-09}}
| [[Wii U]]
| コナミ
| KDE
| ダウンロード<br />(バーチャルコンソール)
| -
| ファミリーコンピュータ版の移植
| {{vgrelease new|JP|<ref>{{Cite web |author=津久井箇人 a.k.a. そそそ |authorlink=津久井箇人 |date=2013-09-25 |url=https://www.inside-games.jp/article/2013/09/25/70654.html |title=Wii Uバーチャルコンソール10月2日配信タイトル ― 『スーパーファミコンウォーズ』『グラディウス』の2本 |website=[[iNSIDE (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>}}
|-
| style="text-align:right" | 26
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2013-12-20}}
| [[Windowsストア]]
| コナミ
| KDE
| ダウンロード
| -
| PCエンジン版の移植
|
|-
| style="text-align:right" | 27
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2013-12-25}}
| ニンテンドー3DS
| コナミ
| KDE
| ダウンロード<br />(バーチャルコンソール)
| -
| PCエンジン版の移植
| <ref>{{Cite web |author=津久井箇人 a.k.a. そそそ |authorlink=津久井箇人 |date=2013-12-18 |url=https://www.inside-games.jp/article/2013/12/18/72935.html |title=PCエンジン版『グラディウス』3DSバーチャルコンソールに登場 ― ファミコン版より忠実移植、オリジナルステージも |website=[[iNSIDE (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 28
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2014-03-03}}
| Windows
| コナミ
| [[D4エンタープライズ]]
| ダウンロード<br />[[プロジェクトEGG]]
| -
| PCエンジン版の移植
| <ref>{{Cite web |author=皐月誠 |date=2014-03-03 |url=https://dengekionline.com/elem/000/000/814/814608/ |title=PCエンジン版『グラディウス』『沙羅曼蛇』『出たな!! ツインビー』がプロジェクトEGGに一挙登場! 他ハード版とは一味違う!? |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 29
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2014-04-16}}
| Wii U
| コナミ
| KDE
| ダウンロード<br />(バーチャルコンソール)
| -
| PCエンジン版の移植
| <ref>{{Cite web |author=津久井箇人 a.k.a. そそそ |authorlink=津久井箇人 |date=2014-04-09 |url=https://www.inside-games.jp/article/2014/04/09/75874.html |title=Wii Uバーチャルコンソール4月16日配信タイトル ― 『ミスティッククエスト』『悪魔城伝説』『グラディウス(PCE版)』『ニュートピア』の4本 |website=[[iNSIDE (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 30
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2015-01-29|NA|2015-06-09|EU|2015-06-23}}
| [[PlayStation 4]]
| [[ハムスター (ゲーム会社)|ハムスター]]
| ハムスター
| ダウンロード<br />([[アーケードアーカイブス]])
| -
| 日本版、北米版、欧州版を収録
| {{vgrelease new|JP|<ref>{{Cite web |author= |date=2015-01-29 |url=https://www.famitsu.com/news/201501/29070403.html |title=PS4『アーケードアーカイブス グラディウス』が本日1月29日より配信開始 北米版や欧州版も収録 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>}}
|-
| style="text-align:right" | 31
! GRADIUS<br />グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2015-09-30}}
| Wii U
| コナミ
| KDE
| ダウンロード<br />(バーチャルコンソール)
| -
| MSX版の移植
| <ref>{{Cite web |author=津久井箇人 a.k.a. そそそ |authorlink=津久井箇人 |date=2015-09-18 |url=https://www.inside-games.jp/article/2015/09/18/91347.html |title=Wii Uバーチャルコンソール9月30日配信タイトル ― 『ラッシング・ビート』『グラディウス(MSX版)』『メトロイドプライム ハンターズ』 |website=[[iNSIDE (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 32
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2016-11-10}}
| [[ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ|ニンテンドークラシックミニ<br />ファミリーコンピュータ]]
| 任天堂
| 任天堂
| [[プリインストール|本体内蔵]]
| CLV-101
| ファミリーコンピュータ版の移植
|
|-
| style="text-align:right" | 33
! [[ファミリーコンピュータ Nintendo Switch Online]]
| {{vgrelease new|INT|2018-09-19}}
| [[Nintendo Switch]]
| 任天堂
| 任天堂
| ダウンロード
|
| ファミコン版の移植<br />Nintendo Switch Online加入者専用
| <ref>{{Cite web |author=臥待弦 |date=2018-09-14 |url=https://www.inside-games.jp/article/2018/09/14/117399.html
|title=「Nintendo Switch Online」サービス開始時に遊べるファミコンゲームを全公開! 今後『ソロモンの鍵』『メトロイド』『忍者龍剣伝』など追加 |website=[[iNSIDE (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2022-11-23}}</ref><ref>{{Cite web |author= |date=2018-09-19 |url=https://www.famitsu.com/news/201809/19164312.html |title=“Nintendo Switch Online”有料化で正式サービス開始! 金額やサービスの詳細、注意点などのまとめ情報 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 34
! [[アニバーサリーコレクション|アーケードクラシックス<br />アニバーサリーコレクション]]
| {{vgrelease new|INT|2019-04-18}}
| Nintendo Switch<br />PlayStation 4 <br />[[Xbox One]] <br />[[Steam]]
| ハムスター<br />[[ゴッチテクノロジー]]
| KDE
| ダウンロード
|
| 本作も含むアーケードゲーム8作品を収録した<br />オムニバスソフトの1作として収録。<br />アップデートにより英語版(NEMESIS)が追加。
| <ref>{{Cite web |author=ito |date=2019-03-20 |url=https://www.4gamer.net/games/453/G045335/20190320014/ |title=KONAMI,「グラディウス」や「悪魔城ドラキュラ」など往年のタイトルをセットにした「アニバーサリーコレクション」シリーズの発売を決定。第1弾は4月18日に |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[デジタルハーツホールディングス|Aetas]] |accessdate=2022-11-23}}</ref><ref>{{Cite web |author= |date=2019-04-18 |url=https://www.famitsu.com/news/201904/18174994.html |title=『グラディウス』や『ツインビー』などが復活!『アーケードクラシックス アニバーサリーコレクション』が発売!当時の企画書やイラストなどを収めたボーナスブックも収録 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 35
! VS. グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2019-08-15}}
| PlayStation 4 <br />Nintendo Switch
| コナミ
| ハムスター
| ダウンロード<br />(アーケードアーカイブス)
|
| 任天堂VS.システム版の移植
| <ref>{{Cite web |author= |date=2019-08-14 |url=https://www.famitsu.com/news/201908/14181429.html |title=『アーケードアーカイブス VS. グラディウス』が8月15日より配信決定! 侵攻してくる亜時空星団バクテリアンを壊滅せよ |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2022-11-23}}</ref><ref>{{Cite web |author=長岡頼(クラフル) |date=2019-08-14 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1201524.html |title=PS4/Switch用「アーケードアーカイブス VS. グラディウス」配信日決定 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 36
! グラディウス
| {{vgrelease new|INT|2020-03-19}}
| [[PCエンジン mini]]
| [[M2 (ゲーム会社)|エムツー]]<br />(移植担当)
| KDE
| [[プリインストール]]<br />[[Amazon.com]]専売
|
| PCエンジン版ソフト58作品の1作として収録。
| <ref>{{Cite web |author= |date=2019-07-12 |url=https://www.famitsu.com/news/201907/12179544.html |title=PCエンジン mini、発売日は2020年3月19日。『ときメモ』、『SNATCHER(スナッチャー)』など収録 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2022-11-23}}</ref><ref>{{Cite web |author=中村聖司 |date=2019-07-12 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1195853.html |title=「PCエンジン mini」、2020年3月19日発売決定! |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2022-11-23}}</ref><ref>{{Cite web |author=Gueed |date=2019-07-12 |url=https://www.4gamer.net/games/465/G046597/20190712040/ |title=「PCエンジン mini」は2020年3月19日発売。50タイトルを収録し価格は税抜1万500円,予約受付は7月15日スタート |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[デジタルハーツホールディングス|Aetas]] |accessdate=2022-11-23}}</ref><ref>{{Cite web |author=茶っプリン |date=2020-03-19 |url=https://www.inside-games.jp/article/2020/03/19/127944.html |title=「PCエンジン mini」本日3月19日発売!名作ハードが全58タイトル収録のコンパクトモデルで登場 |website=[[iNSIDE (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]] |accessdate=2022-11-23}}</ref>
|-
| style="text-align:right" | 37
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2020-07-09}}
| Nintendo Switch
| コナミ
| ハムスター
| ダウンロード<br />(アーケードアーカイブス)
|
| アーケード版の移植。オリジナル版(ROM版)の他、<br />北米および欧州版のNEMESISをそれぞれ収録。<br />5種類のこだわり設定を実装。
| <ref>{{Cite web |date=2020-07-08 |url=https://www.famitsu.com/news/202007/08201845.html |title=『アケアカ グラディウス』Switch向けに7月9日配信。コナミを代表する傑作シューティングゲームが蘇る! |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |accessdate=2020-07-10}}</ref><ref>{{Cite web |author=長岡頼(クラフル) |date=2020-07-08 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1264104.html |title=Switch版「アーケードアーカイブス グラディウス」7月9日配信 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2022-11-23}}</ref><ref>{{Cite web |author=Gueed |date=2020-07-08 |url=https://www.4gamer.net/games/518/G051844/20200708030/ |title=「グラディウス」がSwitch向けアケアカで7月9日配信開始 |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[デジタルハーツホールディングス|Aetas]] |accessdate=2020-07-10}}</ref>
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| style="text-align:right" | 38
! グラディウス
| {{vgrelease new|JP|2023-06-08}}
| X68000 Z
| [[瑞起]]
| 瑞起
| SDカード
| -
| X68000版の移植
| <ref>https://twitter.com/ZUIKIInc/status/1606250410502541312</ref>
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|}
;ファミリーコンピュータ版
:当時の技術水準やROM容量の制限から、オプションが2つまでしか装備できず<ref name="clafami2" />、レーザーがY座標追従しない2連射まで可能な貫通性のある短いものになっているのが大きな相違点。ダブルやミサイルなどの各武装も、性能を再調整され連射性が上がった。バリアは直接ビックバイパー前方に装着されるようになり見た目と異なり「フォースフィールド (FORCE FIELD)」と同じ仕様の全方位型バリアで、耐弾数が5発分増えるという効果に変更されており、耐弾数が残り1発になると色が赤くなる。また、地形との接触で削られることはない{{efn2|この仕様はその後移植された『沙羅曼蛇』『グラディウスII』にも受け継がれた。}}。この仕様のため、あらかじめパワーアップボタンを?(バリア)に合わせて置き、バリア消失と瞬間に再装備するテクニックが可能となった。なお、破壊不可能な地形や障害物ならびに耐久性を持つボスキャラクターの接触にはいずれも無効。スピードアップが14段階まで装備可能<ref name="clafami2" />。特定場面での上下無限スクロールや、各面の仕掛けがいくつか省略されている反面、各種のボーナス点、ステージを飛ばして先に進めるワープ<ref name="clafami2" />、連射機能、コンティニュー、そして有名な「上上下下左右左右BA」によるフル装備コマンド{{efn2|通称[[コナミコマンド]]。}}といった、多数の「[[裏技]]」が実装されている。また、キャラクターは全体的に小さめ。
:ビッグコアはスプライトによる表示を行うためにデザインの比率が変更されており、出現するのはどのステージであってもボス前のラッシュ攻撃位置からさらにスクロールして宇宙空間に移動した後である。また、プレイヤーが故意に自機のX座標を合わせた場合の挙動が特徴的。
:逆火山ステージ(4面)の途中の火山が噴火せず、アイアンメイデンも出現しない。代わりに、1面の火山ステージと同様、終盤では2つの火山が噴火するものになっている。
:当時の[[ファミリーコンピュータMagazine]]にはオプションを6つまでつけられる[[ウソ技]]が掲載された。
:それまでのコナミのファミコンカセットはオレンジ色のパッケージに統一されていたが、本作以降は作品ごとにデザインを変更するようになった。本作は黒になっている。
:また、[[大塚食品]]と[[タイアップ]]し、パワーアップカプセルのグラフィックが[[カップ麺]]「[[アルキメンデス]]」のパッケージに差し替えられた「グラディウス・アルキメンデス編」がプレゼントされた。非売品で当時から希少性が高く、現在もこれらにはプレミアムがついており高値で取引されている{{要出典|date=2020年7月}}。
:エンディングメッセージがあり、周回によって6通りに変わる。周回ごとに表示されるメッセージの頭文字を順番に並べると「KONAMI」になる。
;MSX版
:ゲーム開始前にデモ画面が追加されており、海外版であるNEMESISのタイトルバックに使われていたイメージイラストが、アーケード版のネームエントリーのBGMと共に表示される。このイメージイラストの画面では煌く星と、飛び交うレーザーなどをスプライトを併用し、8ピクセルにつき16色中2色という制限の中動きのあるイラストとして表示している。また、ビックバイパーのデザイン先端部分が本編ビジュアルに合わせ変更されている。
:ハードウェア性能の制限により、色数やキャラクタの動きこそ他機種版の移植に対して見劣りするものの、大容量ROMの搭載によりファミリーコンピュータ版では削除された演出の追加を実現しているほか、後述の追加ステージや、割り切った実装によりダイナミックな表現を試みている。横方向へのスプライト描画制限に対応するため、自機の攻撃や一部演出、背景の描画は[[キャラクタ (コンピュータ)#PCG|PCG]]により行われ、動きのスムースさと引き換えにファミリーコンピュータ版では不可能だった長く伸びるレーザー、空中戦時の敵機編隊の長さ、ビッグコアの大きさなどを実現している。
:ハードウェアの仕様の制限により、背景のスクロールは8ドット単位だが、宇宙空間の星についてはPCGパターンの書き換えによって滑らかに流れるよう工夫されている。
:これらの画面構成は同機種の同社シューティングゲームで引き継がれ、背景を利用したギミックなどの発展を見せるようになる。
:見た目は長くなり強力に見えるレーザーだが、ワインダーは自機からレーザーが伸びている途中のわずかな間にしか使えず、単発での威力も強くない。このためアーケード版のようなショットボタンの押しっ放しによる発射では耐久力の高い敵にとても太刀打ちできず、手動での連射を要する。ミサイルはファミリーコンピュータ版同様に連射性が良くなっているが、ダブルはアーケード版に準じている。
:レーザー・ミサイルは2段階にパワーアップするようになり、これは後の他機種版を含めたいくつかの作品でも(ダブルなどへの適用も含めて)採用された。
:自機前方に装備されるシールドは、装備時の挙動や見た目と地形への判定がないのはファミリーコンピュータ版とほぼ同じだが、こちらは見た目通り前方からの攻撃しか防げない。
:オリジナルステージとして骨のステージと、通常ステージの決まった場所から移動できる「エクストラステージ」と称したボーナスステージが追加されている。ボーナスステージには1UPの緑カプセルや、連続して回収することで最高10000点まで得点の上昇する黄カプセルが出現する。
:ファミリーコンピュータ版の[[コナミコマンド]]に代わり、関係者の女性名の入力による各ステージごと、1ゲームごとの隠しコマンド、自爆コマンド{{efn2|トラップにも思えるコマンドだが、面の後半でミスしリカバーしやすい前半から始めたいときに役に立つ}}などが追加されている。
:MSXではカプセル回収にもFC版同様500点の得点が付けられている。これによってフル装備のときに、点数稼ぎを優先してカプセルを回収するか、装備変更やシールド切れに備えてパワーアップゲージの位置を予め合わせておくかの判断がプレイヤーにゆだねられることとなった。難易度は6周目まで上昇し、それ以降は3周周期で難易度がピークとなる。
:MSXにはROMカートリッジ用スロットを2つ搭載している機種があり、これで1スロットに本作(『グラディウス』)、2スロットに『[[ツインビー]]』を挿入してプレイすると自機がツインビーになる{{efn2|性能などには変化は無い}}という裏技があり、このリンクシステムもまた、以降の同社ゲームへ影響を与えると共に、このモードの画面が後に『[[パロディウス]]』を生み出す元になった<ref>当時の『マイコンBASICマガジン』の開発者インタビューより{{要高次出典|date=2017年8月}}。</ref>。
:ディスク版ソフト「コナミゲームコレクション Vol.3」に『ネメシス』のタイトルで収録されており、『[[スナッチャー]]』附属の[[SCC]]カートリッジを使用することにより、BGMがSCC音源対応となる。SCCは[[波形メモリ音源]]であり、アーケード版に構造は近いものの、BGMのアレンジは大幅に異なる。また、こちらでは上記の女性名入力による隠しコマンドは利用できないようになっている。
:本作は元々ROM 32KBで開発されていたが容量が足りなくなったため、MSXでは初となるメガロムを採用することになった。しかし今度は容量が余ったため骨ステージを追加したが、それでも容量が余ったためデモ画面やエクストラステージを追加した<ref>月刊ログイン1987年2月号 p.229</ref>。しかしそれでも容量は使い切れておらず、ROMの末尾部分にコードFFHで埋められている領域が存在する。
:海外製のMSXで起動するとタイトルが『NEMESIS』になる。オプションは「OPTION」のままで変更は無い。海外版のマニュアルでは自機の名称がビックバイパーではなく「Warp Rattler」になっている。
;[[X68000]]版
:1987年に登場した[[シャープ]]製PC、X68000の初代モデルに同梱された。本機の性能を[[デモンストレーション]]する役割を担っていた。
:当時のパソコンの附属アプリで、アーケードゲームの移植作品が付くというのは異例だった。処理速度や敵パターン、BGMなどで若干の差異があったものの、その完成度は高かった。移植を担当したのは[[エス・ピー・エス|SPS]]で、まだX68000が[[プロトタイプ]]の状態で開発が進められ、X68000用の[[オペレーティングシステム|OS]]である[[Human68k]]よりも先に完成していたという。後に撤回されるものの、SPSの社員はこの移植に対し「1ドットでも違っていたら腹を切る」とまで豪語していた。単体発売は行われず、二代目モデル以降のマシンには附属しなかった。ただし補修部品として本作をメーカーに注文することは可能で、初代機以降を所有しているX68000ユーザーでもシャープのサービスステーションなどを介すことで合法的に入手可能だった。
:BGMは[[FM音源]]による演奏のため、音源の違いから再現性は高くないが、効果音は[[ADPCM]]による録音された音源の再生により実現している。
:非売品のため販売数の発表は行われなかった。X68000のパフォーマンスを見せつける作品として[[家電量販店]]などでもこのソフトを用いたデモンストレーションが行われた。
:本作はその後のX68000への業務用ゲームの移植の方向性と必要条件を決定づけることにもなった。さらに本作発表の数年後には家庭用ゲーム機の性能も向上して再現度の高い移植が可能となっていき、現在では業務用ゲームについてオリジナル作品の再現を極限まで追求する「完全移植」がごく普通に行われているが、このような移植の際の再現性が意識されるきっかけとしてゲーム業界にも大きな足跡を残した。
:このソフトはパソコンの附属[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]という性質上からか、起動はビジュアル[[シェル]] (VS.X) から行われるようになっており、ゲームのプレイ中でも[[オペレーティングシステム|OS]]画面へ戻ることが可能である。[[コピーガード#フロッピーディスクに使用されているもの|コピープロテクト]]が掛けられておらず、また簡単な[[パッチ]]当てをすることで[[デバッグ]]用の機能と思しきステージセレクトなどを行うことが可能である。未使用曲なども全てデータとして入っていたのは、当時の移植版としては非常に珍しかった。
;[[X1 (コンピュータ)|X1]]版
:レーザーはあまり長くない単発の白い直線でワインダーは使えず、オプションは2つまで、シールドはアーケード版に近い大きさで見た目通り前方からの攻撃しか防がないが、受けたダメージでサイズは縮小せず耐久力も低い。背景のスクロールは8ドット単位で、原作の2,3ステージにあった上下スクロールは省略されている。「エクストラステージ」がある。BGMは[[Programmable Sound Generator|PSG]]のみに対応しているが、X1に標準搭載されていない[[CTC]]による割り込みを使用しているためX1単体では効果音だけが鳴り、オプションであるFM音源ボード{{efn2|CTCを追加搭載しているため。}}を装着したX1かCTC標準搭載のX1turboでのみ演奏される。
:処理量を減らすために、ゲーム画面を枠で囲った部分のみに設定し、表示領域を狭めている。
:また、「裏技」と称した改造ではあるが、[[テクノポリス (雑誌)|テクノポリス]]誌に掲載されたパッチファイルを使用すると、アーケード版と同等のレーザー長とオプション4つを、処理速度の低下なく実現できた。
;[[PC-8800シリーズ|PC-8801]]mkIISR以降版
:アレンジ内容はほぼX1版に準ずる。ただし、地形はダークグリーン一色。BGMは[[YM2203|OPN]]に対応。
;PCエンジン版
: 1991年11月15日にコナミのPCエンジンへのサードパーティ参入の第1作目として発売された。コナミのPCエンジンへの参入は本体発売の4年後と遅めであった。本作の発売時点では古めのタイトルであったが、当時の先行発売されていた移植版と比較し、ROM容量が大きかったことから削除された要素は無く、追加要素を多く含んだ物となった。初代『グラディウス』の家庭用ゲーム機への移植では初めてオプション4個装備と長いレーザーを実現(点滅表示)した。
: アーケード版との主な差異としては、表示解像度の関係から、2,3面以外の本来上下スクロールの無い箇所でもわずかに上下スクロールする。レーザー使用時などに処理落ちが見られるシーンがある。タイトル画面などのグラフィック関連で一部の色が変更されている箇所がある。ダブルは2連射できるようになっているが、前・上一組の連射性はアーケード版に準じている。
: PCエンジン版独自の追加要素として、オープニングとエンディングデモと、ステージ4と5の間に新たに砂漠と骨のステージが追加された。これはMSX版とは別物のまったくの新規ステージである。隠し要素としてステージ内の特定箇所からエクストラステージにワープできる要素も追加された。エンディングにはエンドクレジットのデモが追加されており、BGMには『[[パロディウスだ!]]』のエンディングをアレンジしたものが使われていた。デモ画面には本作のイメージイラストをCG化したグラフィックが表示され自機やレーザーが微妙にアニメーションする。
:波形メモリ音源を搭載する同機はアーケード版に近い出力はスペック上可能であるが、MSXのNEMESIS同様、BGMには大きなアレンジが加えられ、リズムパートが追加されている他、IまたはIIボタンを押しながら電源を入れるとステレオで出力されるようになっている。
;[[セガサターン]](グラディウス DELUXE PACK)
:画面の横サイズを拡大して合わせたり、処理落ちの再現をしたりしている。また、オープニングムービーが追加されている。
:横256ドットを持たないハード仕様(320ドット)のため、左右を広めた状態か切り落とす、または疑似的に見た目を左右に伸ばした画面モードとなる。この点は後述のPS版に劣る。
:これ以前に移植された機種よりも大幅にハードウェア性能が向上しており、オリジナルのアーケード版の性能も完全に超え、性能的余裕が生まれた結果、本作以降は処理落ちなども含めてどこまで細かくアーケード版を忠実に再現した「完全移植」を行い、そこにさらに何を追加するかという点にも力が注がれるようになった。
;[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]](グラディウス DELUXE PACK)
:セガサターン版とほぼ同等。[[PlayStation 2]]以降のハードでも『グラディウス』は問題なく動作する。また、ステージ7クリア後にスタッフロールが追加され、新たに作られたエンディング曲が流れる。
;Windows 95(グラディウスDELUXE PACK for Windows95)
:セガサターン版・PlayStation版からの移植であり、オープニングムービーの追加、おまけでダッカーや、オプションハンターが画面を動き回るスクリーンセーバーが収録されている。
:[[Pentium]] 90{{nbsp}}MHz以上・VRAM2MB以上必須だが、MMX Pentium 166{{nbsp}}MHz未満のスペックだと7面でBGMが濁って発声される他、ビデオメモリが2M未満だと『[[グラディウスIII -伝説から神話へ-|グラディウスIII]]』を髣髴させる動作速度になり、ハードウェアスペックが高すぎてもまた、BGMがまともに鳴らないなど、正常に動作しない。
:Windows XP以降では正常動作しない。[[仮想機械|PC仮想化ソフト]]上のWindows 9x系OS上で動作させることは可能だが、要調整。
:移植は[[マイクロビジョン]]の手による<ref>http://www.microvision.co.jp/images/mv_profile.pdf ソフトウェア作品リスト参照。</ref>。
;[[PlayStation Portable]](『[[グラディウス ポータブル]]』に収録)
:オプションモードでセミオートパワーアップ、自機の当たり判定サイズの変更、画面サイズの変更が可能になっている。また、ゲームプレイ中にポーズメニューからセーブすることでいつでも中断が可能。ロード時はパワーアップを維持したまま復活ポイントから再開できる。ミュージックギャラリーではAC版のみならずX68000版のBGMも聴くことができる。
;バーチャルコンソール
:[[ニンテンドー3DS]]、[[Wii U]]のゲーム配信サービス[[バーチャルコンソール]]では、ファミコン版とPCエンジン版が各機種で、MSX版がWii Uで、それぞれ配信されている([[Wii]]版については2019年1月をもって配信・販売終了)。
;[[ニンテンドーDS]](『[[コナミ アーケード コレクション]]』に収録)
:ニンテンドーDS本体の下部画面には操作方法などが表示される。アーケード版に付属されていた実物が使用されている。
:難易度や残機などの設定は、タッチパネル画面に表示される実際の基板についているスイッチをペンで操作して行う。
;mixiアプリ版
:[[mixi]]アプリの一つとして[[Flashゲーム]]に移植された。mixi会員のみプレイすることができた。なお、2010年5月17日0時00分をもって終了となった。
;ゲームアーカイブス
:[[PlayStation Network]]のゲーム配信サービス[[ゲームアーカイブス]]では、PSPと[[PlayStation 3|PS3]]向けにPCエンジン版が配信されている(配信元は当初[[ハドソン]]となっていたが、その後ハドソンがコナミに吸収合併されたため、現在はKDE表記)。
;[[PC Engine GameBox]]
:[[iOS]]用ソフト『PC Engine GameBox』にPCエンジン版が収録されている。仮想パッドによる操作。
;[[クラウドゲーム]]版
:2013年5月14日よりGameNow、6月3日より[[ひかりTV]]ゲーム、6月20日より[[G-cluster]]でPCエンジン版の移植作品がで配信開始。
;[[プロジェクトEGG]]
:2014年3月3日にPCエンジン版が配信開始。
;[[PlayStation 4]]、[[Nintendo Switch]]([[アーケードアーカイブス]])
:2015年1月29日に配信開始。アーケード版の日本版(ROM版)、北米版、欧州版の3バージョンの他、隠し要素で日本版([[バブルシステム]]版)を収録<ref>[http://www.konami.jp/573ch/content.php?serial=364 KONAMI CHANNEL 【PART3】PS4™版グラディウスは加速する!やはり存在した隠し要素「バブルシステム版」の搭載!もちろん“お馴染みのコマンド”も試してみたよね!?].2015年2月10日 閲覧</ref>。
: Nintendo Switch版は2020年7月9日に配信。
; Nintendo Switch([[ファミリーコンピュータ Nintendo Switch Online]])
: Nintendo Switch Online加入者の特典としてファミコンソフトが遊べる配信サービスの1つとして配信されている。また、2018年11月14日には『グラディウス ステージ5最強バージョン』、2019年8月21日には『グラディウス 激ムズ2周目バージョン』と題した特別版も配信された。
; Nintendo Switch、PlayStation 4、[[Xbox One]]、[[Steam]](『[[アニバーサリーコレクション|アーケードクラシックス アニバーサリーコレクション]]』に収録)
: 2019年にコナミグループ50周年事業の一環として、往年のコナミソフトをいくつかのカテゴリに集めたオムニバスソフトシリーズ第1弾として、ダウンロード専売でリリース(マルチプラットフォームソフトのため、PS4版とNintendo Switch版はアーケードアーカイブスとは別にリリースされたことになる)。
: 収録作は本作のほか7作品(『[[グラディウスII -GOFERの野望-|グラディウスII GOFERの野望]]』、『[[沙羅曼蛇]]』、『[[ツインビー]]』、『[[A-JAX]]』、『[[悪魔城ドラキュラ (アーケードゲーム)|悪魔城ドラキュラ]]』、『[[サンダークロス]]』、『[[スクランブル (ゲーム)|スクランブル]]』。全てAC版)。
;PlayStation 4、Nintendo Switch(アーケードアーカイブス)
: アーケードアーカイブスの1作品として、日本では未発売だった[[任天堂VS.システム]]版を配信。2019年8月15日配信開始。
;PCエンジン mini
: 2020年3月19日にコナミより発売の、家庭用テレビゲーム機「PCエンジン」の復刻版である『[[PCエンジン mini]]』と、その海外版である『PC Engine Core Grafx mini』『TurboGrafx-16 mini』には、プリインストールの58作品の中の1作としてPCエンジン版が収録されている<ref>{{Cite web|title=『PCエンジン mini』、本日発売! {{!}} 株式会社コナミデジタルエンタテインメント|url=https://www.konami.com/games/corporate/ja/news/topics/20200319/|website=www.konami.com|accessdate=2020-03-19}}</ref>。裏技として、メニュー画面でSELECTを押したまま起動することでより原作に近い動作をする『グラディウス near Arcade』として起動することも可能である<ref>[https://japan.cnet.com/article/35151108/ KONAMI、ゲーム機「PCエンジンmini」を発売--“裏技”情報も公開]</ref>。near Arcadeではハードウェア仕様はそのままに、カラーパレットや音源の扱いがアーケード版に近い設定にされており、追加されたステージなどは除去された動作をする。
{{注意|section=1|以下にはメーカー非公認ソフト・非推奨の行為が記述されています。Wikipediaは、これらの事実を記載するのみであり、容認・推奨するものではありません。}}
;オリジナルの改造版
:初代グラディウスのファミコン版には、主に[[ゲームエミュレータ|エミュレータ]]のROM[[ディスクドライブ仮想化ソフト#イメージファイル|イメージ]]用パッチとして、アーケード版に近いグラフィックに改変、2面と3面の上下スクロール、最終面の電磁バリアなど、ファミコンへの移植の際にカットされた仕様が追加された[[改造]]ソフトが出回っている。ROMに焼いてカートリッジ化され実機で遊べるものも存在し、『[[ゲームセンターCX]]』でファミコンソフトのコレクターによって紹介されたが、画面にはモザイクが掛けられていた。同人制作では「グラディウスAC」という、元のファミコン版を可能な限りAC版に近づけたバージョンが、データにIPSパッチを充てるという方法で公開された。その後さらにバージョンアップされた「グラディウスAC2007」も公開されている。改造版はX68000版にも存在し、サウンドなどがアーケード版に似せて修正されていたほか、雑誌で公開されたマップエディタもあった。X1版でも、音源やオプションの数など、手を入れられた物が存在している。
;同人ソフト
:『[[Oh!X]]』1988年6月号には、パロディー企画でX1turboZ専用GRADIUSとした写真が掲載され、その後反響の大きさから、その掲載画像を16パズルにしたゲームが作られ同誌に掲載されている。それとは別に、1990年12月号ではユーザーの作成した投稿ソフトウェアの紹介コーナーに、横内威至の作成したX1turbo専用のものが画面写真と共に掲載されている。記事の解説によると、FM音源によるBGM、長いレーザーなどアーケード版を極力再現したとされ、実験的に大量のオプションを付けた状況でも、比較的高速に動作したと書かれている。権利などの問題により、頒布、掲載などはされていない。
:また、同作に[[インスパイア]]された作品として、[[佐野榮太郎]]による[[シャープ|SHARP]]の[[ポケットコンピュータ]]用シューティングゲームがあり、NEC PC-98x1用にも、[[同人]]サークルCO2-PROの古河らにより、URADIUS'95、GARUDIUS'95や、KEMESISという名称の[[クローンゲーム]]が制作、発表されていた。
== 開発 ==
=== ハードウェア ===
{{Main|バブルシステム}}
アーケード版の初代『グラディウス』は、バブルシステム (GX400) と呼ばれる[[アーケードゲーム基板]]を使用している。ソフトウェアは[[磁気バブル#磁気バブルメモリ|磁気バブルメモリ]]を使った「バブルカセット」という形態で供給された。バブルシステムは本作以外に『[[ツインビー]]』『RF-2』『ギャラクティックウォーリアーズ』にも用いられている。
バブルシステムは、使用された磁気バブルメモリの特性によりデータ消失などの故障が頻発したほか、修理用の部品が入手できなくなったこともあり、修理対応で通常の1MビットEPROMが2つ載る専用基板に交換された版が存在する(「ROM版」などとも言われる。外観は出典先を参照<ref>{{Cite web |author= |date=2019-12-10 |url=https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/wakiba/find/1223146.html |title=グラディウスのアーケード基板が驚きの100万円! |website=[[Impress Watch|AKIBA PC Hotline!]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2019-12-10}}</ref>)。この基板は『[[沙羅曼蛇]]』や、国外版である『NEMESIS』の基板とは全くの別物である。『NEMESIS』では256KビットのEPROMが8つ並ぶ。なお下側の基板はバブルシステム・『沙羅曼蛇』・『NEMESIS』で共通である。またバブルシステムは-12Vの電源を必要とするが、このROM版バブルシステムでは必要ない。
後に発売された『グラディウス デラックスパック』・『グラディウス ポータブル』などではグラディウスを起動する際の読み込み時間にバブルシステム起動デモがカウントダウン終了後のロムチェック・パターン表示まで忠実に再現されている。ただし、暖気カウントダウンは収録されていない。これらコンシューマ機への移植版では読み込みが完了すると任意でスキップできる。また、携帯電話版グラディウス完全版にも起動デモが再現されているが、早くカウントされすぐに終わる。こちらは単なる再現演出のため、最初からスキップ可能。
== 音楽 ==
本作に使用されているBGMの作曲は全曲[[東野美紀]]が担当している。以下の曲名は1993年に発売されたCD『[[MIDI POWER|MIDI POWER Ver2.0]]』に基づいて記載しており、未使用曲についてのみ『[[グラディウス リバース]]』サウンドトラックのデータを用いている。
これらの英字タイトルは[[キングレコード]]の『パーフェクトセレクション・グラディウス』(1991年発売)および『パーフェクトセレクション・グラディウス第2章』(1992年発売)に収録された1面、4面、6面、7面BGMのアレンジバージョンに対して表記されたものが初出である。それ以前、[[アルファレコード]]の『[[コナミ・ゲーム・ミュージック|コナミ・ゲーム・ミュージック Vol.1]]』(1986年発売)はゲーム毎のメドレー主体の構成で、曲名としての表記は各ゲームタイトルのみ。[[バンダイ・ミュージックエンタテインメント|アポロン音楽工業]]の『オリジナル・サウンド・オブ・グラディウス』(1987年発売)では「第1ステージ・BGM」といった端的な表記にとどまり、また本作のBGMが『沙羅曼蛇』(1986年)『グラディウスII』(1988年)などの続編に引用された際も同様である。
『MIDI POWER Ver2.0』ではパーフェクトセレクションの曲名が引き継がれ、また他の曲にも英字タイトルが表記された。以後の関連アルバムやシリーズ作品ではこれらの曲名の使用が通例となったが、『IV』や携帯電話向けサイト「コナミネットDX」での楽曲配信など、旧来のタイトル表記が行われることもある。2000年に『[[コナミ・ゲーム・ミュージック|コナミ・ゲーム・ミュージック Vol.1]]』が[[サイトロン・デジタルコンテンツ]]より復刻された際にはジャケットやトラックリストに英字タイトルがフィードバックされ、曲単位でのトラック分割といった時流に合わせた仕様変更が行われている。
{| class="wikitable"
! 使用箇所
! 曲名
|-
| 空中戦
|Beginning of The History
|-
|1面
|Challenger 1985
|-
|2面
|Beat Back
|-
|3面
|Blank Mask
|-
|4面
|Free Flyer
|-
|5面
|Mazed Music
|-
|6面
|Mechanical Globule
|-
|7面
|Final Attack
|-
|ボス
|Aircraft Carrier
|-
|ゲームオーバー
|Game Over
|-
|ネームエントリー
|Historic Soldier
|-
|未使用曲
|GRADIUS Spare BGM
|}
アーケード版の本作のBGMには、周波数がわずかに異なる音を重ね合わせて深みを出す、「コーラス効果」もしくは「ディチューン」と呼ばれる手法を用いている。これをコンピュータゲームで初めて使用したのは[[バンダイナムコゲームス|ナムコ]]の『[[ギャラガ]]』とされるが、『グラディウス』ではステージBGMとして用いられたことでより印象的なものとなり、俗に「コナミ効果」と呼ばれることもあった。
== 評価 ==
{{コンピュータゲームレビュー
|title =
|Allgame = {{Rating|4.5|5}} (AC)<ref name="mobygames_AC">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/4512/gradius/ |title=Gradius for Arcade (1985) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2018-02-18}}</ref><br />{{Rating|4.5|5}} (FC)<ref>{{cite web|url=http://www.allgame.com/game.php?id=1205&tab=review|title=Gradius (NES) - Review|author=Weiss, Brett Alan|publisher=[[Allgame]]|accessdate=2017-07-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141210232928/http://www.allgame.com/game.php?id=1205&tab=review|archivedate=2014-12-10|deadurl=yes|df=}}</ref><br />{{Rating|4|5}} (PCE)<ref name="mobygames_PCE">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/4512/gradius/ |title=Gradius for TurboGrafx-16 (1991) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2018-02-18}}</ref>
|CVG = 87%点 (FC)<ref name="mobygames_FC">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/4512/gradius/ |title=Gradius for NES (1986) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2018-02-18}}</ref><br />9/10点 (MSX)<ref name="mobygames_MSX">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/4512/gradius/ |title=Gradius for MSX (1986) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2018-02-18}}</ref><br />88% (CPC)<ref name="mobygames_CPC">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/4512/gradius/ |title=Gradius for Amstrad CPC (1987) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2018-02-18}}</ref><br />89% (C64)<ref name="mobygames_C64">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/4512/gradius/ |title=Gradius for Commodore 64 (1987) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2018-02-18}}</ref><br />37/40点 (ZX)<ref>{{cite web|url=http://www.worldofspectrum.org/showmag.cgi?mag=C+VG/Issue065/Pages/CVG06500015.jpg|format=JPG |title=World of Spectrum|website=Worldofspectrum.rog|accessdate=2016-08-17}}</ref><br />92% (PCE)<ref name="mobygames_PCE" />
|CRASH = 59% (ZX)<ref>{{cite web|url=http://www.zxspectrumreviews.co.uk/review.aspx?gid=3836&rid=6793|title=Sinclair ZX Spectrum Reviews|publisher=zxspectrumreviews.co.uk|accessdate=2015-09-04|archivedate=2016-03-04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304025208/http://www.zxspectrumreviews.co.uk/review.aspx?gid=3836&rid=6793|deadurl=yes|df=}}</ref>
|EuroG = 8/10点 (AC)<ref name="mobygames_AC" /><br />6/10点 (Wii)<ref name="mobygames_Wii">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/4512/gradius/ |title=Gradius for Wii (2006) |website=[[:en:Moby Games|Moby Games]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2018-02-18}}</ref>
|Fam = 27/40点 (PCE)<ref name="famitsu" />
|IGN = 7/10点 (Wii)<ref name="mobygames_Wii" />
|NLife = {{Rating|7|10}} (Wii)<ref name="mobygames_Wii" />
|SUser = {{Rating|5|5}} (ZX)<ref>{{cite web|url=http://www.worldofspectrum.org/showmag.cgi?mag=SinclairUser/Issue060/Pages/SinclairUser06000024.jpg|format=JPG|title=World of Spectrum|website=Worldofspectrum.rog|accessdate=2018-01-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160305034700/http://www.ysrnry.co.uk/articles/nemesis.htm|archivedate=2016-03-05|deadurl=yes|df=}}</ref>
|YSinclair = 8/10点 (ZX)<ref>{{cite web|url=http://www.ysrnry.co.uk/articles/nemesis.htm|title=Nemesis|publisher=ysrnry.co.uk|accessdate=2015-09-04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160305034700/http://www.ysrnry.co.uk/articles/nemesis.htm|archivedate=2016-03-05|deadurl=yes|df=}}</ref>
|rev1 = [[ファミリーコンピュータMagazine]]
|rev1Score = 23.40/30点 (FC){{Sfn|ファミリーコンピュータMagazine|1991|p=212}}
|rev2 = [[:en:Computer Gamer|Computer Gamer]]
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|award1Pub = Sinclair User
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|award3Pub = [[ゲーメスト]]
|award3 = ザ・ベストゲーム 第5位{{Sfn|ザ・ベストゲーム|1991|p=10|ps= - 「最も愛されたゲームたち!! 読者が選んだベスト30」より}}
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|award4 = ザ・ベストゲーム2 第24位{{Sfn|ザ・ベストゲーム2|1998|p=46|ps= - 「読者が選ぶベストゲーム」より}}
}}
{|class="wikitable floatright" style="font-size:70%; text-align:center; width:25%"
|+ 「ゲーム通信簿」評価
|-
! 項目
| キャラクタ || 音楽 || 操作性 || 熱中度 || お買得度 || オリジナリティ
! 総合
|-
! FC版
| 3.97 || 4.14 || 3.83 || 3.88 || 4.10 || 3.48
! 23.40
|-
! PCE版
| 3.81 || 3.88 || 3.76 || 3.98 || 3.91 || 3.40
! 22.74
|}
;アーケード版
:ゲーメストムック『ザ・ベストゲーム』([[1991年]])において、『[[ゲーメスト]]』読者による全アーケードゲームを対象とした人気投票で第5位を獲得、同誌では「パワーカプセルを集めて、自機をパワーアップさせていくシステムと自機の分身であるオプションがつけられるということは当時として革命的な発想であった」と評している{{Sfn|ザ・ベストゲーム|1991|p=10|ps= - 「最も愛されたゲームたち!! 読者が選んだベスト30」より}}。
:また、ゲーメストムック『ザ・ベストゲーム2』([[1998年]])では上記と同様の形式で人気投票を行った結果第24位を獲得{{Sfn|ザ・ベストゲーム2|1998|p=46|ps= - 「読者が選ぶベストゲーム」より}}、同誌では「サウンド、グラフィック、ゲーム性あらゆる面において非常に完成度が高く、シューティングの歴史を語るうえで外すことのできない名作である。以後のゲームに与えた影響は計り知れない程、画期的な作品」、「ゲームシステム面での大きな特徴は、パワーアップのシステムと、無敵の分身・オプションの存在である。必要な装備を順番に選んで装備できるパワーアップシステムは、戦略性が高く、自由度の高い攻略を可能にした」と紹介されている{{Sfn|ザ・ベストゲーム2|1998|p=75|ps= - 「ザ・ベストゲーム」より}}。
;ファミリーコンピュータ版
:ゲーム誌『[[ファミリーコンピュータMagazine]]』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は別記の通り23.40点(満30点)となっている<ref name="clafami">ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータMagazine(アンビット、2016年)6ページ</ref>{{Sfn|ファミリーコンピュータMagazine|1991|p=212}}。また、同雑誌1991年5月10日号特別付録の「ファミコンロムカセット オールカタログ」では、「一貫したゲームシステムは完成度の高さの現れだろう」、「オプションの数やレーザーの長さ等、アーケード版と違いがあるが、雰囲気や操作感は忠実に移植されており、さらに『ワープ』や『隠れボーナス』等が追加されている」、「現在の横スクロールシューティングはこのシリーズを目標に作られたと言っても過言ではない。名作ゲームだ」と紹介されている{{Sfn|ファミリーコンピュータMagazine|1991|p=212}}。
;PCエンジン版
:ゲーム誌『[[ファミ通|ファミコン通信]]』のクロスレビューでは合計27点(満40点)<ref name="famitsu">{{Cite web |date= |url= https://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=11995&redirect=no |title= グラディウス(PCエンジン)の関連情報 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher= [[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]] |accessdate= 2015-06-13}}</ref>、『[[月刊PCエンジン]]』では95・90・80・95・85の平均89点(満100点)、『[[PC Engine FAN]]』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は別記の通り22.74点(満30点)となっている{{Sfn|PC Engine FAN|1993|p=74}}。また、この得点はPCエンジン全ソフトの中で104位(485本中、1993年時点)となっている{{Sfn|PC Engine FAN|1993|p=74}}。同雑誌1993年10月号特別付録の「PCエンジンオールカタログ'93」では「ゲームセンターに足を運んだ人で知らない人はいないといわれるぐらい有名な横スクロールシューティング。移植のできがとにかくすばらしい」と紹介されている{{Sfn|PC Engine FAN|1993|p=74}}。
{{Clear}}
== 関連作品 ==
*[[ディフェンダー (ゲーム)|ディフェンダー]]
*[[スクランブル (ゲーム)|スクランブル]]
* [[がんばれゴエモン]]シリーズ
**[[がんばれゴエモン〜ゆき姫救出絵巻〜]]では、道中パートの店である[[ゲームセンター]]にて『グラディウス』の1面のみが遊べるようになっている。アーケード版をほぼ忠実に移植している。ゲームセンターの全収録[[ミニゲーム]]で唯一本作オリジナルではない実在する[[コンピュータゲーム]]でもある。
** [[がんばれゴエモン〜宇宙海賊アコギング〜]]は、シリーズ10周年記念作品。『グラディウス』をパロディにしたミニゲームの一部として「カメディウス」がある。ゴエモンたちを乗せた[[カメ]]が自機であり、[[龍宮]]城までの道のりを表している。
*[[出撃!戦国革命]] - 隠しステージでグラディウスステージとドラキュラステージがある。
*[[パワプロクンポケットシリーズ]]
**[[パワプロクンポケット|パワポケ1]]サッカー部のミニゲームで、部員の出現パターンが初代『グラディウス』のSTAGE1空中戦での雑魚出現パターンと同じらしい。
**[[パワプロクンポケット4]]と[[パワプロクンポケット5]]では『グラディウス』をモチーフにしたミニゲーム「弾出る飛行機ぴゅんぴゅんぴゅん」がある。
**[[パワプロクンポケット11]]の裏サクセスの敵ビームボットなどはダッカーと似ている。
*[[BEMANIシリーズ]]
**『[[beatmania IIDX]](10th style以降)』、『[[pop'n music]](11以降)』、『[[Toy'sMarch]](2以降)』の3作には本作のアレンジ版BBGMメドレー『GRADIUS -FULL SPEED-』が登場している。ただしToy'sでは曲名が「グラディウスメドレー」になり、曲も短縮されている。
** [[スマートフォン]]版『[[jubeat]] plus』、『[[REFLEC BEAT]] plus』では、[[2015年]][[5月15日]]より、有料追加配信の「コナミ伝説 music」パックシリーズを4種類全て購入した際の特典楽曲として「グラディウス メドレー」と「がんばれゴエモン!からくり道中 メドレー」が貰える。
**『beatmania IIDX(20 tricoro以降)』、『[[BeatStream]](アニムトライヴ以降)』では同じく本作のアレンジ版BGMメドレー「GRADIUS 2012」が収録されている。どちらも本作のゲームプレイ映像を基にしたムービーだが、IIDXではHESによるCG映像も加えたVJ編集になっており、BSでは[[伊山達也|Qrispy Joybox]]がファミコン版『グラディウス』を実際にプレーするというものになっている。BS版の映像は公式サイト上でも公開されている<ref>{{Cite web |date=2016-01-07 |url=http://p.eagate.573.jp/game/beatstream/animtribe/p/music/movie/gradius.html |title=GRADIUS 2012 - BeatStream アニムトライヴ |publisher=コナミデジタルエンタテインメント |accessdate=2016-01-19}}</ref>。
*[[脳開発研究所 クルクルラボ]] - 『グラディウス』のキャラクターを使用したミニゲーム「ザブ避け」「ザブ撃破」がある。これらはBGMも初代『グラディウス』の、空中戦→1面→ボス→ゲームオーバーのものが使用されている。
*[[麻雀格闘倶楽部]] - アーケード版では[[コナミコマンド]]を入力することにより、BGMおよびSEを『グラディウス』のものに変更できる(MFC6・7・我龍転生では不可)。家庭用移植版では一定の条件をクリアすることにより、BGMおよびSEに加え、背景を『グラディウス』のものに変更できる。
*[[サイレントヒル アーケード|SILENT HILL THE ARCADE]] - ステージ内に時々現れる、UFOを全て破壊したときに隠しエンディングとしてグラディウスが登場する。
*[[遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム]] - 「超時空戦闘機ビック・バイパー」や「巨大戦艦ビッグ・コア」など、『グラディウス』のキャラクターを用いたカードがいくつか作られている。
*ANUBIS [[ZONE OF THE ENDERS]] - 隠しミッションにて、本作をモチーフとした3Dシューティングゲーム「ゾラディウス (ZORADIUS)」がプレイできる。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
== 参考文献 ==
*{{Cite journal |和書 |author = |title = 5月10日号特別付録 ファミコンロムカセット オールカタログ |date = 1991-05-10 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[ファミリーコンピュータMagazine]] |volume = 7 |number = 9 |naid = |page = 70 |ref = {{SfnRef|ファミリーコンピュータMagazine|1991}}}}
*{{Cite journal |和書 |date = 1991-07-01 |publisher = [[新声社]] |journal = ザ・ベストゲーム 月刊[[ゲーメスト]]7月号増刊 |volume = 6 |number = 7 |naid = |page = 10 |id = 雑誌03660-7 |ref = {{SfnRef|ザ・ベストゲーム|1991}}}}
*{{Cite journal |和書 |author = |title = 10月号特別付録 PCエンジンオールカタログ'93 |date = 1993-10-01 |publisher = [[徳間書店]] |journal = [[PC Engine FAN]] |volume = 6 |number = 10 |page = 74 |ref = {{SfnRef|PC Engine FAN|1993}}}}
*{{Cite journal |和書 |date = 1998-01-17 |publisher = 新声社 |journal = GAMEST MOOK Vol.112 ザ・ベストゲーム2 アーケードビデオゲーム26年の歴史 |volume = 5 |number = 4 |page = 46 |isbn = 9784881994290 |ref = {{SfnRef|ザ・ベストゲーム2|1998}}}}
*{{Cite journal |和書 |title = コナミ町口浩康インタビュー |date = 1999-09 |publisher = [[マイクロデザイン出版局]] |journal = [[ゲーム批評]] |volume = Vol.28 |number = |page = 17 |ref = {{SfnRef|ゲーム批評 Vol.18|1999}}}}
== 関連項目 ==
*[[コナミコマンド]] - このコマンドによる隠し機能を最初に搭載した作品がファミコン版グラディウスである。
*[[SCC]]
*[[アルキメンデス]] - タイアップ
== 外部リンク ==
* {{Wayback |url=http://www.konami.jp/mobile/appli/gradius.html |title=グラディウス(携帯電話) |date=20060516200534}}
* {{Wayback |url=http://www.konami.jp/mobile/appli/gradius_comp.html |title=グラディウス 完全版(携帯電話) |date=20060513224429}}
* [http://www.hamster.co.jp/arcadearchives/gradius.htm ハムスターアーケードアーカイブス公式サイト グラディウス(PS4版)]
** [http://www.jp.playstation.com/software/title/jp0571cusa01793_00hamprdc000000001.html PlayStation公式サイト アーケードアーカイブス グラディウス(PS4版)]
* [http://www.hamster.co.jp/arcadearchives/switch/gradius.htm ハムスターアーケードアーカイブス公式サイト グラディウス(Nintendo Switch版)]
* [http://www.hamster.co.jp/arcadearchives/VS_gradius.htm ハムスターアーケードアーカイブス公式サイト VS. グラディウス(PS4版)]
* [http://www.hamster.co.jp/arcadearchives/switch/VS_gradius.htm ハムスターアーケードアーカイブス公式サイト VS. グラディウス(Nintendo Switch版)]
* {{Wiiバーチャルコンソール|gr|グラディウス(FC版)}}
* {{3DSバーチャルコンソール|tayj|グラディウス(FC版)}}
* {{Wii Uバーチャルコンソール|fatj|グラディウス(FC版)}}
* {{3DSバーチャルコンソール|pnaj|グラディウス(PCE版)}}
* {{Wii Uバーチャルコンソール|pnaj|グラディウス(PCE版)}}
* {{Wii Uバーチャルコンソール|mnyj|GRADIUS グラディウス(MSX版)}}
* {{Wayback |url=http://www.jp.playstation.com/software/title/jp0555npjj30021_00gradius00000jh27.html |title=PlayStation公式サイト ゲームアーカイブス グラディウス(PCエンジン版) |date=20100621022121}}
* [https://www.amusement-center.com/project/egg/cgi/ecatalog-detail.cgi?contcode=7&product_id=1150 グラディウス for PCエンジン(プロジェクトEGG)]
* [https://www.konami.com/games/50th/ac/arcade/jp/ja/ アニバーサリーコレクション アーケードクラシックス 商品情報ページ(KDE)]
* {{MobyGames|id=/4512/gradius/|name=Gradius}}
{{グラディウスシリーズ}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:くらていうす1}}
[[Category:1985年のアーケードゲーム]]
[[Category:1986年のパソコンゲーム]]
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[[Category:Amstrad CPC用ゲームソフト]]
[[Category:I-revoゲーム対応ソフト]]
[[Category:MSX/MSX2用ソフト]]
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[[Category:ファミリーコンピュータ Nintendo Switch Online収録ソフト]]
[[Category:Windows用ゲームソフト]]
[[Category:X1用ゲームソフト]]
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[[Category:アーケードアーカイブス対応ソフト]]
[[Category:グラディウスシリーズ|グ 1]]
[[Category:携帯電話アプリゲーム]]
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[[Category:コモドール64用ゲームソフト]]
[[Category:セガサターン用ソフト]]
[[Category:プロジェクトEGG対応ソフト]]
[[Category:冒険ゲームブック]] | 2003-02-13T11:00:55Z | 2023-12-14T11:15:35Z | false | false | false | [
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1,287 | ホワイトデー | ホワイトデーとは、一般的にバレンタインデーにチョコレートなどをもらった男性がそのお返しとしてキャンディ、マシュマロ、ホワイトチョコレートなどのプレゼントを女性へ贈る日とされる。日付は毎年3月14日。
ホワイトデーの習慣は日本で生まれ、中華人民共和国や台湾、韓国など東アジアの一部でも見られる。欧米やオセアニア、南アメリカやアフリカなどその他の世界各国ではこういった習慣は見られない。
ただし、近年(2000年代以降)の日本では、「友チョコ」や「自分チョコ」、「義理チョコ」などバレンタインデーの習慣が多様化してきていることから、ホワイトデーにも「友チョコ」や「義理チョコ」のお返しが行われるなど多様化が見られる。
ホワイトデーの起源については諸説あり、ホワイトデーの時期になると様々な企業、各陣がそれぞれ「元祖」だと主張している。近年ではデパートなどで食品以外の贈り物などの販売促進も行われており、菓子業界では駅やデパートでの手焼きクッキーなどの販売も売り上げを伸ばしているとされ、現在の市場規模は約750億円に上ると言われる。
日本でバレンタインデーが定着するに従って、菓子業界でそれにお返しをする日を作ってはどうかという案が出された。これを受けた菓子業界では、昭和40年代に入って以降、個々に独自の日を定め、ビスケットやマシュマロ、キャンディ等を「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった。不二家もまた「リターン・バレンタイン」という名称でバレンタインデーのお返し用菓子類の宣伝販売を行うようになり、1973年(昭和48年)にエイワと協力して3月14日にマシュマロを販売するキャンペーンを開始した。
黄身餡をくるんだ白いマシュマロ菓子の「鶴乃子」で知られる福岡市の老舗菓子屋「石村萬盛堂」の社長は、バレンタインデーのお返しにせめてマシュマロでも渡してほしい旨の文章が少女雑誌に掲載されているのを目にした。石村萬盛堂はこの文章に触発され、バレンタインデーの返礼としてマシュマロを渡す日を創設し、返礼用マシュマロ菓子として「君からもらったチョコレートを僕の優しさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」とのコンセプトで、黄身餡の代わりにチョコレートをくるんだマシュマロを売り出すこととした。この「マシュマロデー」は、百貨店岩田屋のアドバイスで、当時大型のイベントが無かった時期にあたる3月14日に設定され、1978年(昭和53年)3月14日からキャンペーンが開始された。後に、他業界にもこのキャンペーンを拡張するため、1980年代に百貨店側からの申し出により名称をホワイトデーに変更した。日本記念日協会に登録されているホワイトデーは石村萬盛堂説を取る。
全国飴菓子工業協同組合(全飴協)は、1978年(昭和53年)に「キャンディを贈る日」としてホワイトデーを制定し、2年後の1980年(昭和55年)より三越・電通の協力も得てイベントやキャンペーンをスタートさせた。ホワイトデーを3月14日に定めた理由は、269年2月14日、兵士の自由結婚禁止政策に背いて結婚しようとした男女を救うためにウァレンティヌス司祭は殉教したが、その1ヶ月後の3月14日、その2人が改めて永遠の愛を誓い合ったとされていることや、古事記および日本書紀で日本において初めて飴が製造されたとされる日が3月14日前後とされていることに由来している。ホワイトデーという名称は、英和辞典のホワイトの項に、シュガーやスイートといった解説が記載されており、若者の純愛や砂糖をイメージさせることによるものである。
ホワイトデーでバレンタインデーの返礼をする事がある。コミックシーモアが2016年2月に調べたアンケートによると、20代から30代の女性が希望するホワイトデーの返礼の金額は、最頻値は「500円未満」の27%、次いで「500円~1,000円未満」の24%であった。ブライダルジュエリー専門店の銀座ダイヤモンドシライシが2016年2月に調べたアンケートによると、20歳から35歳の男性が、好きな人(本命)へホワイトデーの返礼をする時の平均予算は、最頻値は「500円から1000円未満」の22.0%、次いで「1,000円~2,000円未満」の21.2%であった。また、33.6%の男性が、「貰ったものの金額よりやや多くお返しする」と回答し、次いで28.0%が「同額程度」、次いで14.4%が「お返ししない」と回答した。阪神百貨店梅田本店が2016年1月に調べたアンケートによると、45%の女性がホワイトデーの返礼に「がっかりした」と回答した。また85%の女性が、事前に好みを調べてほしいと回答した。また、同じアンケートによると、男性が返礼するときの予算は、最頻値は「もらった額と同等」の33%、次いで「2倍」の27%、次いで「1.5倍」の25%であった。そして、「女性の好みをリサーチする」と回答した男性は49%であった。
チョコレートが大半を占めるバレンタインデーと異なり、ホワイトデーは菓子類だけでなく、近年は食品以外のプレゼントも好まれるようになっている。JIONの2017年の調査によれば、女性側の希望では菓子類は2位で、1位はピアスやネックレスなどのアクセサリーとなっている。
アジアの一部の国でもホワイトデーの習慣が行われている。中国語では「白色情人節」と表記する。台湾での贈り物は様々である。韓国では、バスケットに菓子類を盛り合わせデコレーションしたものが返礼品の定番とされている。
欧米やオセアニア、南アメリカやアフリカなどその他の世界各国ではこういった習慣は見られない。 | [
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"text": "ホワイトデーの起源については諸説あり、ホワイトデーの時期になると様々な企業、各陣がそれぞれ「元祖」だと主張している。近年ではデパートなどで食品以外の贈り物などの販売促進も行われており、菓子業界では駅やデパートでの手焼きクッキーなどの販売も売り上げを伸ばしているとされ、現在の市場規模は約750億円に上ると言われる。",
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"text": "日本でバレンタインデーが定着するに従って、菓子業界でそれにお返しをする日を作ってはどうかという案が出された。これを受けた菓子業界では、昭和40年代に入って以降、個々に独自の日を定め、ビスケットやマシュマロ、キャンディ等を「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった。不二家もまた「リターン・バレンタイン」という名称でバレンタインデーのお返し用菓子類の宣伝販売を行うようになり、1973年(昭和48年)にエイワと協力して3月14日にマシュマロを販売するキャンペーンを開始した。",
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"text": "黄身餡をくるんだ白いマシュマロ菓子の「鶴乃子」で知られる福岡市の老舗菓子屋「石村萬盛堂」の社長は、バレンタインデーのお返しにせめてマシュマロでも渡してほしい旨の文章が少女雑誌に掲載されているのを目にした。石村萬盛堂はこの文章に触発され、バレンタインデーの返礼としてマシュマロを渡す日を創設し、返礼用マシュマロ菓子として「君からもらったチョコレートを僕の優しさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」とのコンセプトで、黄身餡の代わりにチョコレートをくるんだマシュマロを売り出すこととした。この「マシュマロデー」は、百貨店岩田屋のアドバイスで、当時大型のイベントが無かった時期にあたる3月14日に設定され、1978年(昭和53年)3月14日からキャンペーンが開始された。後に、他業界にもこのキャンペーンを拡張するため、1980年代に百貨店側からの申し出により名称をホワイトデーに変更した。日本記念日協会に登録されているホワイトデーは石村萬盛堂説を取る。",
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"text": "ホワイトデーでバレンタインデーの返礼をする事がある。コミックシーモアが2016年2月に調べたアンケートによると、20代から30代の女性が希望するホワイトデーの返礼の金額は、最頻値は「500円未満」の27%、次いで「500円~1,000円未満」の24%であった。ブライダルジュエリー専門店の銀座ダイヤモンドシライシが2016年2月に調べたアンケートによると、20歳から35歳の男性が、好きな人(本命)へホワイトデーの返礼をする時の平均予算は、最頻値は「500円から1000円未満」の22.0%、次いで「1,000円~2,000円未満」の21.2%であった。また、33.6%の男性が、「貰ったものの金額よりやや多くお返しする」と回答し、次いで28.0%が「同額程度」、次いで14.4%が「お返ししない」と回答した。阪神百貨店梅田本店が2016年1月に調べたアンケートによると、45%の女性がホワイトデーの返礼に「がっかりした」と回答した。また85%の女性が、事前に好みを調べてほしいと回答した。また、同じアンケートによると、男性が返礼するときの予算は、最頻値は「もらった額と同等」の33%、次いで「2倍」の27%、次いで「1.5倍」の25%であった。そして、「女性の好みをリサーチする」と回答した男性は49%であった。",
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"text": "チョコレートが大半を占めるバレンタインデーと異なり、ホワイトデーは菓子類だけでなく、近年は食品以外のプレゼントも好まれるようになっている。JIONの2017年の調査によれば、女性側の希望では菓子類は2位で、1位はピアスやネックレスなどのアクセサリーとなっている。",
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"text": "アジアの一部の国でもホワイトデーの習慣が行われている。中国語では「白色情人節」と表記する。台湾での贈り物は様々である。韓国では、バスケットに菓子類を盛り合わせデコレーションしたものが返礼品の定番とされている。",
"title": "日本以外のホワイトデー"
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] | ホワイトデーとは、一般的にバレンタインデーにチョコレートなどをもらった男性がそのお返しとしてキャンディ、マシュマロ、ホワイトチョコレートなどのプレゼントを女性へ贈る日とされる。日付は毎年3月14日。 ホワイトデーの習慣は日本で生まれ、中華人民共和国や台湾、韓国など東アジアの一部でも見られる。欧米やオセアニア、南アメリカやアフリカなどその他の世界各国ではこういった習慣は見られない。 ただし、近年(2000年代以降)の日本では、「友チョコ」や「自分チョコ」、「義理チョコ」などバレンタインデーの習慣が多様化してきていることから、ホワイトデーにも「友チョコ」や「義理チョコ」のお返しが行われるなど多様化が見られる。 | [[ファイル:White Day 001.jpg|thumb|ホワイトデーのケーキ]]
'''ホワイトデー'''とは、一般的に[[バレンタインデー]]に[[チョコレート]]などをもらった[[男性]]がそのお返しとして[[キャンディ]]、[[マシュマロ]]、[[ホワイトチョコレート]]などのプレゼントを[[女性]]へ贈る日とされる。日付は毎年[[3月14日]]。
ホワイトデーの習慣は[[日本]]で生まれ、[[中華人民共和国]]や[[台湾]]、[[大韓民国|韓国]]など[[東アジア]]の一部でも見られる。[[欧米]]や[[オセアニア]]、[[南アメリカ]]や[[アフリカ]]などその他の[[世界]]各国ではこういった習慣は見られない<ref name="ichijo">{{Cite web|和書|title=ホワイトデーの夜はカラオケを |publisher=毎日新聞出版 |date=2016-03-27 |url=http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2016/03/27/post-760.html |work=一条真也の「人生の四季」|accessdate=2017-03-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170315085523/http://mainichibooks.com/sundaymainichi/column/2016/03/27/post-760.html|archivedate=2017-03-15}}</ref>。
ただし、近年([[2000年代の日本|2000年代]]以降)の[[日本]]では、「友チョコ」や「自分チョコ」、「[[義理チョコ]]」などバレンタインデーの習慣が多様化してきていることから、ホワイトデーにも「友チョコ」や「義理チョコ」のお返しが行われるなど多様化が見られる。
== 起源 ==
ホワイトデーの起源については諸説あり、ホワイトデーの時期になると様々な企業、各陣がそれぞれ「[[元祖]]」だと主張している<ref name="spa">{{Cite web|和書|author= |date=2016-03-08 |url=https://joshi-spa.jp/472343 |title=知ってた?ホワイトデーの起源は、結構しょうもない |work= |publisher=女子SPA!(扶桑社) |accessdate=2017-03-14}}</ref>。近年では[[百貨店|デパート]]などで食品以外の贈り物などの販売促進も行われており、菓子業界では駅やデパートでの手焼きクッキーなどの販売も売り上げを伸ばしているとされ、現在の市場規模は約750億円に上ると言われる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.zakzak.co.jp/economy/ecn-news/news/20170226/ecn1702260830001-n1.htm|title=ホワイトデー、お返しに悩む諸兄に… 大きめのアクセサリー|accessdate=2017-03-04|author=執行雅臣|date=2017-02-26|publisher=ZAKZAK(産経新聞社)}}</ref>。
=== 不二家・エイワ説 ===
日本でバレンタインデーが定着するに従って、菓子業界でそれにお返しをする日を作ってはどうかという案が出された。これを受けた菓子業界では、[[昭和]]40年代に入って以降、個々に独自の日を定め、[[ビスケット]]やマシュマロ、キャンディ等を「お返しの贈り物」として宣伝販売するようになった<ref name="ichijo" /><ref name="spa" />。[[不二家]]もまた「リターン・バレンタイン」という名称でバレンタインデーのお返し用菓子類の宣伝販売を行うようになり、[[1973年]](昭和48年)に[[エイワ (菓子メーカー)|エイワ]]と協力して3月14日にマシュマロを販売するキャンペーンを開始した<ref name="ichijo"/><ref name="spa"/>。<!--記録として残っている元祖は、[[1973年]](昭和48年)に[[不二家]]と[[エイワ (菓子メーカー)|エイワ]]が協力し、チョコレートのお返しにキャンディやマシュマロを贈ろうと『'''メルシーバレンタイン'''』キャンペーンを開催したとする[[新聞]][[記事]]がある([[読売新聞]])。同記事では、“[[白]]([[ホワイト]])には「幸福を呼ぶ」「縁起が良い」という意味がある”ということで、バレンタインデーのちょうど1ヶ月後にホワイトデーを設定したことも伝えている。
←上記は該当の新聞記事が確認できなかったためコメントアウトしました。-->
=== 石村萬盛堂説 ===
[[餡|黄身餡]]をくるんだ白いマシュマロ菓子の「[[鶴乃子]]」で知られる[[福岡市]]の老舗菓子屋「[[石村萬盛堂]]」の社長は、バレンタインデーのお返しにせめてマシュマロでも渡してほしい旨の文章が少女雑誌に掲載されているのを目にした。石村萬盛堂はこの文章に触発され、バレンタインデーの返礼としてマシュマロを渡す日を創設し、返礼用マシュマロ菓子として「君からもらったチョコレートを僕の優しさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」とのコンセプトで、黄身餡の代わりにチョコレートをくるんだマシュマロを売り出すこととした。この「マシュマロデー」は、[[百貨店]][[岩田屋]]のアドバイスで、当時大型のイベントが無かった時期にあたる3月14日に設定され、[[1978年]](昭和53年)3月14日からキャンペーンが開始された。後に、他業界にもこのキャンペーンを拡張するため、[[1980年代]]に百貨店側からの申し出により名称をホワイトデーに変更した<ref name="ishimura">{{Cite web|和書|title=WD誕生秘話 |publisher=石村萬盛堂 |date=2016-03-14 |url=http://www.ishimura.co.jp/whiteday/story.html |accessdate=2016-03-15}}</ref><ref name="with">{{Cite web|和書|title=「お返しにマシュマロ=嫌い」はウソ? ホワイトデー発祥の店が反論 |publisher=Withnews(朝日新聞社) |date=2016-03-14 |author=若松真平 |url=https://withnews.jp/article/f0160314003qq000000000000000W00o0401qq000013120A |accessdate=2016-03-15}}</ref><ref name="spa"/>。[[日本記念日協会]]に登録されているホワイトデーは石村萬盛堂説を取る<ref>[https://www.kinenbi.gr.jp/yurai.php?TYPE=ofi&MD=3&NM=37 ホワイト・デー](日本記念日協会)</ref>。
=== 全飴協説 ===
[[全国飴菓子工業協同組合]](全飴協)は、[[1978年]](昭和53年)に「キャンディを贈る日」としてホワイトデーを制定し、2年後の[[1980年]](昭和55年)より[[三越]]・[[電通]]の協力も得て[[イベント]]や[[キャンペーン]]をスタートさせた<ref name="okuruhi">{{Cite web|和書|title=キャンディーを贈る日 |publisher=全国飴菓子工業協同組合 |url=http://www.candy.or.jp/whiteday/okuru.html |accessdate=2017-03-15}}</ref><ref name="hiwa">{{Cite web|和書|title=ホワイトデー誕生秘話(1988年の京王プラザホテルでの対談録) |publisher=全国飴菓子工業協同組合 |url=http://www.candy.or.jp/whiteday/hiwa.html |accessdate=2017-03-15}}</ref>。ホワイトデーを3月14日に定めた理由は、[[269年]][[2月14日]]、兵士の自由結婚禁止政策に背いて[[結婚]]しようとした男女を救うために[[ウァレンティヌス]]司祭は[[殉教]]したが、その1ヶ月後の3月14日、その2人が改めて永遠の愛を誓い合ったとされていることや、[[古事記]]および[[日本書紀]]で日本において初めて飴が製造されたとされる日が3月14日前後とされていることに由来している<ref name="okuruhi"/><ref name="hiwa"/>。ホワイトデーという名称は、英和辞典のホワイトの項に、シュガーやスイートといった解説が記載されており、若者の純愛や砂糖をイメージさせることによるものである<ref name="hiwa"/>。
== ホワイトデーに関する動き ==
[[ファイル:ホワイトデー視察_(4410805432).jpg|サムネイル|[[ハンカチ]]類もホワイトデーの返礼品として人気がある。]]
=== 返礼 ===
ホワイトデーでバレンタインデーの返礼をする事がある。コミックシーモアが2016年2月に調べたアンケートによると、20代から30代の女性が希望するホワイトデーの返礼の金額は、[[最頻値]]は「500円未満」の27%、次いで「500円~1,000円未満」の24%であった<ref>{{Cite web|和書|title=~コミックシーモア調査レポートVol.4~意外に堅実!?マンガ好き女子のホワイトデー恋愛事情!約半数がホワイトデーのお返し『1,000円未満』希望!? |publisher=エヌ・ティ・ティ・ソルマーレ株式会社 |date=2016-03-09 |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000136.000009284.html |accessdate=2016-03-14}}</ref>。ブライダルジュエリー専門店の銀座ダイヤモンドシライシが2016年2月に調べたアンケートによると、20歳から35歳の男性が、好きな人(本命)へホワイトデーの返礼をする時の平均予算は、最頻値は「500円から1000円未満」の22.0%、次いで「1,000円~2,000円未満」の21.2%であった。また、33.6%の男性が、「貰ったものの金額よりやや多くお返しする」と回答し、次いで28.0%が「同額程度」、次いで14.4%が「お返ししない」と回答した<ref>{{Cite web|和書|title=もうすぐホワイトデー!【予算は「貰ったものの金額よりやや多くお返しする」という結果に。】【新生活&出会いの季節。春に出会いを期待する場所ランキング!1位は「会社」】 |publisher=株式会社シーマ |date=2016-03-08 |url= https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000088.000007438.html|accessdate=2016-03-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ホワイトデー 見せる女子、作る男子…調査に見るトレンド |publisher=毎日新聞 |author=大村健一|date=2016-03-13 |url=https://mainichi.jp/articles/20160313/k00/00m/040/054000c |accessdate=2016-03-15}}</ref>。阪神百貨店梅田本店が2016年1月に調べたアンケートによると、45%の女性がホワイトデーの返礼に「がっかりした」と回答した。また85%の女性が、事前に好みを調べてほしいと回答した<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2016-03-10 |url=http://www.sankei.com/west/news/160310/wst1603100040-n1.html |title=ホワイトデー、女性の半数「がっかり」 百貨店意識調査 |work= |publisher=産経新聞WEST |accessdate=2016-03-15}}</ref>。また、同じアンケートによると、男性が返礼するときの予算は、最頻値は「もらった額と同等」の33%、次いで「2倍」の27%、次いで「1.5倍」の25%であった。そして、「女性の好みをリサーチする」と回答した男性は49%であった<ref>{{Cite news |title=義理チョコのお返し女性の半数『がっかり』 |newspaper=静岡新聞 |date=2016年3月11日(朝刊、第B版、第29面) |author= |url= |accessdate=2017-03-14}}</ref>。
=== アクセサリー ===
チョコレートが大半を占めるバレンタインデーと異なり、ホワイトデーは菓子類だけでなく、近年は食品以外のプレゼントも好まれるようになっている。JIONの2017年の調査によれば、女性側の希望では菓子類は2位で、1位はピアスやネックレスなどのアクセサリーとなっている<ref>{{Cite web|和書|author= |date= |url=http://www.men-joy.jp/archives/286909 |title=「ホワイトデー」に欲しいもの大調査!定番は2位…期待高まる1位は |work= |publisher=MenJoy! |accessdate=2017-03-04}}</ref>。
== 日本以外のホワイトデー ==
[[アジア]]の一部の国でもホワイトデーの習慣が行われている。[[中国語]]では「{{Lang|zh|白色情人節}}」と表記する<ref>{{Cite web|和書|author=饒波貴子・黄珮君 |date=2014-03-14 |url=http://news.searchina.net/id/1526878 |title=中国のホワイトデー「白色情人節」は、日本の文化を取り入れた「恋人たちの日」 |work= |publisher=Searchina |accessdate=2017-03-15}}</ref>。台湾での贈り物は様々である。韓国では、バスケットに菓子類を盛り合わせデコレーションしたものが返礼品の定番とされている<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2017-03-14 |url=https://www.konest.com/contents/korean_life_detail.html?id=580 |title=韓国のホワイトデー |work= |publisher=Konest |accessdate=2017-03-15}}</ref>。
[[欧米]]や[[オセアニア]]、[[南アメリカ]]や[[アフリカ]]などその他の[[世界]]各国ではこういった習慣は見られない{{R|"ichijo"}}。
== 出典 ==
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== 関連項目 ==
* [[本命チョコ]] - [[義理チョコ]]
* [[国際結婚の日]] - ホワイトデーと同日(3月14日)の記念日。
* [[バレンタインデー]]
* [[オレンジデー]]([[4月14日]]) - オレンジやオレンジ色のプレゼントを贈る日。
* [[ブラックデー]](韓国、4月14日) - バレンタインやホワイトデーに縁の無かった男女が黒い物を飲食する日。
* [[メイストームデー]]([[5月13日]]) - 別れ話を切り出すのに最適な日、別れ話を切り出していい日。「[[八十八夜]]の別れ霜」に由来。
== 外部リンク ==
* [http://www.candy.or.jp/whiteday/ ホワイトデー公式サイト](全国飴菓子工業協同組合ホワイトデー委員会)
* [http://www.ishimura.co.jp/whiteday/ 石村萬盛堂 マシュマロデーページ] (石村萬盛堂)
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[[Category:3月の記念日]]
[[Category:日本の年中行事]]
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[[Category:商制度・商習慣]] | 2003-02-13T11:12:21Z | 2023-11-09T23:16:00Z | false | false | false | [
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1,288 | 高野文子 | 高野 文子(たかの ふみこ、1957年11月12日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。新潟県新津市(現在の新潟市秋葉区)出身。看護師として勤める傍ら、1979年『JUNE』掲載の「絶対安全剃刀」で商業誌デビュー。従来の少女漫画とも少年・青年漫画とも隔絶した作風が注目され、大友克洋やさべあのまなどとともに漫画界の「ニューウェーブ」の旗手と目された。デビュー30年で単行本7冊ときわめて寡作であるが、強弱のない単純な線と独特な演出方法、一読では理解しがたい心理描写などが特長とされる。
夫はフリー編集者の秋山協一郎。秋山はワセダミステリクラブ出身で、奇譚社の発行人として大友克洋の『GOOD WEATHER』(1981年)『BOOGIE WOOGIE WALZ』(1982年)や高野の『おともだち』(1982年)を刊行している。秋山狂介名義で大藪春彦の評論・研究もおこなう。バラエティ (日本の雑誌)の編集をしていたこともあった。
田舎町で育ったため、少女時代は学年誌に掲載された手塚治虫などの作品を除いてあまり漫画を読む機会が無く、図書館で借りた児童文学などを読んで過ごした。新潟県立新潟江南高等学校衛生看護科2年生のとき、同級生から見せてもらった萩尾望都の作品(『11月のギムナジウム』『モードリン』『白き森白き少年の笛』)をきっかけに萩尾作品にのめり込む。同じころ石ノ森章太郎の『マンガ家入門』を参考に自分でも作品を描くようになり、萩尾の作品も載っていた『別冊少女コミック』に投稿、努力賞となる。続けて30ページの作品を投稿するが、落選。これはギムナジウムを舞台にした萩尾望都にそっくりの作品であった。
投稿を続けるうちにプロを意識するようになり、高校卒業後に上京。東京都立の衛生看護専門学校に2年就学、卒業後は看護師として2年務め、その傍ら高校時代の文通相手の紹介で同人サークル『楽書館(らくがきかん)』に参加。メンバーに教えられ『COM』や岡田史子、永島慎二などの作品を知る。1977年『楽書館』に「花」を掲載。同1978年、『楽書館』メンバーのつてで、新雑誌『JUNE』に「絶対安全剃刀」を掲載。この作品が商業デビュー作となり、以後『JUNE』や同じく新興のマイナー漫画誌『マンガ奇想天外』に作品を発表していく。1980年には『JUNE』でしりあったささやななえから小学館編集長に紹介され、以後『プチフラワー』などの大手の漫画誌にも作品を掲載するようになる。
少女の葬式を幻想的に描いた「ふとん」(1979年)が注目され、この頃から高野は「ニューウェーブ」の作家と見なされるようになった。デビュー当初の高野は、他の漫画家・イラストレーターなどの影響を受けながら、ほとんど1作ごとに作風・画風を変え新しい表現方法を模索している。この時期はとくに『楽書館』から交流のあったさべあのまとの類似が指摘されているが、「方南町経由新宿駅西口京王百貨店前行」では大友克洋のタッチを明確に意識した画風で学生生活の一こまを、「うらがえしの黒い猫」では萩尾望都に通じる絵柄・ストーリーを用いて空想に耽る少女を描き、「アネサとオジ」ではパロディタッチのギャグを見せ、「早道節用守」では浮世絵風の絵柄で山東京伝の戯作を漫画化している。
この時期の作品で、漫画研究・漫画評論の場においてもっとも話題に取り上げられたのは「田辺のつる」である。認知症の始まった老女を中心に、ある一家の情景を淡々と描いた作品であるが、高野は一家の中でこの老女のみ「きいちのぬりえ」風のかわいらしい幼女の姿で描き、客観的な視点の中に老女の錯乱した視点を紛れ込ませている。老女を幼女の姿で描くこの方法は漫画でしかなしえない表現としてさまざまな観点から論じられた。すでに大島弓子が『綿の国星』で猫を少女の姿で描いていたが、荒俣宏は「「田辺のつる」がすごかったのは、『綿の国星』で開発された手法と同じものを使いながら、それを老女に当てはめた上に、惜しげもなく一作で使い捨てた点にある(中略)各少女漫画家が窮めた持ち技から毎回犠牲を選んで、ほとんど暴力的にそれらを使い切ってしまう人が、かつてこの業界に出現したことがあっただろうか」と評している。
二人の少女の夏休みの情景を描いた「玄関」の頃より、「トーンの魔術師」とも評される巧みなトーンワークが顕著となる。この「玄関」までを収めた第一作品集『絶対安全剃刀』は1982年に白泉社より刊行、高野はこの作品集により第11回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞した。
翌1983年7月、第2単行本『おともだち』を刊行。1981年から83年までの作品5編を収録た短編集で、日本を舞台にした作品3篇からなる「日本のおともだち」と、アメリカを舞台にした2編からなる「アメリカのおともだち」の2部で構成されている。箱入りの上製本で、南伸坊による絵本のような装丁が当時話題となった。
「日本のおともだち」の中心となるのは100ページ超の作品「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」である。大正時代の女学校を舞台に、演劇を通じて心を通わせあう二人の少女を描いた作品で、『絶対安全剃刀』収録作品とはうって変わって古典的なストーリーを描いている。ここまでの高野の最長作品で、1ページあたりのコマ数も少なく余裕のあるコマ割りがなされており、作中の少女もこれまでになく丸みを帯びた可愛らしい造形で描かれている。またいしかわじゅんは、それまでロングショットだけで作中人物を描いてきた高野がこの作品からアップを使い始めたことを「劇的な変化」として指摘している。
「アメリカのおともだち」は、「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」の前後に描かれた「ボビー&ハーシー」と「デイビスの計画」の2編からなる。前者は60年代のアメリカ文化を背景にしたポップなラブストーリーであり、後者は少女の活躍するスパイ活劇風の作品で、後者の主題は後の『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』に引き継がれることになる。
『おともだち』は当初、高野の夫の秋山協一郎が発行人を務める綺譚社から刊行された。『おともだち』刊行前後、高野は綺譚社で電話番として働いており、同社の発行する同人雑誌『綺譚』に2ページの作品「雪国」を掲載したりしている。また秋山は80年代前半、角川書店発行の『バラエティ』に参加しており、その関係で高野もこのころ同誌に短編やイラスト・カットを掲載している(いずれも単行本未収録)。
1986年から87年にかけて、『プチフラワー』にて『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』を初連載。全6話258ページで、現時点で高野の最長作品である。大型デパートで売り子として雇われた少女・ラッキーが、スパイを相手にデパート中を駆け回る冒険活劇であり、全編に渡りスパイ映画におけるカメラワークを思わせる多彩な画面構成が用いられ、スピード感やスローモーションをコマの連続で表現することに成功している。インタビューによれば「アガサ・クリスティの『トミーとタペンス』シリーズとアルフレッド・ヒッチコックの1950年代くらいの映画」に着想を得ているという。
高野はこの作品について「あの時は、無謀にも私はどんなものでも描けるぞ、と思っていたので、「あんたには無理よね」と言われそうなものを思ってやりました。(中略)あの時だけですね、テーマと関係なくやってみようと思ったのは。しかし見事に失敗しました」と解説している。「失敗」の内容は具体的には語られていないが、クローズアップの多用を始めとするあまりにも凝った画面構成が時に作品のテンポを悪くしていることが指摘されている。この作品を論じた澤野雅樹は、画面構成に目を奪われ過ぎて、物語の内容を理解するまで3度読み返さなければならなかったと述べている。
前述のいしかわじゅんは、高野の画風はこの作品で「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」に続き2度目の大きな変化を起こしていると指摘している。いしかわによれば高野はこの頃、夫に教えられた上田としこ『フイチンさん』をいたく気に入っており、この時期に描かれている少女の体型や線などが『フイチンさん』に非常によく似たものになっているという。
1988年、マガジンハウスの首都圏情報誌『Hanako』にて『るきさん』の連載を開始(『Hanako』の巻末漫画の編集担当は夫の秋山協一郎だった)。当時のバブル経済のさなか、流行にも恋愛にも興味を持たずきままな独身生活をおくる女性「るきさん」を描いたもので、月1回程度のペースで毎回2ページ(オールカラー)、4コママンガの形式(ただし見開き2ページ分16コマで1話。1コマ目はタイトル)で1992年まで連載された。流行雑誌だったこともあり高野の作品の中では広い読者を獲得。高野の最長連載作品であるが、高野自身は「さてなぁ。これは癒し系マンガと言われてましてね。かなりたくさんの人が読んでくれたんですけど、わたし的には、あまり重要視してないんだなあ」とあまり多くを語っていない。高野に著書のカバーイラストを頼んでいる北村薫は、高野が「わたし、るきさん嫌いなんです」と彼に語ったことがあると記している。
『るきさん』は2000年にTV番組『BSマンガ夜話』で取り上げられ、高野のそれまでの作品と合わせて論じられた。ゲスト出演者のわかぎえふは、連載当時『るきさん』は『Hanako』の掲載作品としてはかなり違和感があった(浮いていた)と語っている。
『るきさん』終了後の高野の『Hanako』掲載作として『東京コロボックル』(1993年、全7話。後述『棒がいっぽん』収録)がある。また後に『Hanako』に連載された魚喃キリコ『ハルチン』(1998年刊行)は明らかに『るきさん』をリスペクトした作品であった。文庫化の早かった作品である。
1995年、5冊目の単行本『棒がいっぽん』を刊行。『るきさん』連載前後の短編作品6作を収録したもので、作品集としては『おともだち』以来12年ぶりのものとなる。巻頭に収められている「美しい町」は1960年代の工業地帯を舞台に若い夫婦の静かな生活を描いた作品。続く「病気になったトモコさん」は、入院中の少女が1日のうちに見たものや連想を一貫してその少女の視点から描いている。「バスで4時に」は、バスに乗って婚約者の家に着くまでの、ある女性の心の動きを描く。「私の知ってるあの子のこと」は、「病気になったトモコさん」と同じく子供を題材にしているが、後者が子供の視点に映る事物をクローズアップを多用し様々な構図で描いているのに対し、前者は俯瞰気味の構図を用い、一貫してロングショットだけで作品を構成している。「東京コロボックル」は、人間の家に間借りして都会生活を営む小人たちの生活を描くショートコミックである。
巻末に収められている「奥村さんのお茄子」は、単行本収録の際に扉ページを除く全ページが描き直された作品。68ページと収録作品中最も長く、単行本表題もこの作品にちなんでつけられている。ごく普通の中年男性・奥村さんのもとに「とっても遠くから」来たという不思議な女性がやってきて、25年前のある日の昼食を一緒に検証する、という一風変わったSF仕立ての作品であるが、高野自身は「それもSFじゃないんでしょうねえ。「奥村さんのお茄子」も「黄色い本」や「美しき町」(いずれも日常を扱った作品 引用者註)とテーマは同じなんですよ。ただ作画の絵柄を変えたという」という風に語っている。この作品は物語の解釈をめぐり誌上・ネット上でさまざまな議論を起こした。夏目房之介は『棒がいっぽん』収録作品の独特の画面構成(大きな遠近の落差)に注目し、「奥村さんのお茄子」ではそれが日常の貴重さを表現するとともに「普通の日常の成りたちがたさ」を表現していると論じている。夏目は『棒がいっぽん』を評し「日常の懐かしさと怖さをここまでラジカルに表現したマンガを、私はほかに知らない」と述べている。
高野の絵柄はこの作品集から次第に簡素になっていく。絵柄について高野は「アシスタントを使わずに最後までできるには、その程度の絵じゃないとだめだというのがあった。手間のかかる絵はとにかくやめようと」考えたと述べている。このころの趣味はゲームで、わたしはダメ嫁や東京コロボックルにはスーパーファミコンをプレイしていた様子が再三描かれていた。
2002年、作品集『黄色い本』刊行。高野の7年ぶりの単行本として話題になり、この作品集で同年手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。表題作「黄色い本」(1999年)は、青年誌『月刊アフタヌーン』に掲載された72頁の読み切り作品である。雪国を舞台に、作者と同世代の少女が学校に通いながら5巻本の『チボー家の人々』をゆっくりと読み進めていく様を描いたもので、執筆開始から完成まで3年の月日が費やされている。作中では本の活字をコマの中で「絵」として描き、主人公の少女が小説の登場人物と会話を交わすなど、読書体験を表現するための様々な試みが行なわれている。絵柄は読者が作品を読むスピードをコントロールするために意識的に単純化されており、主人公の少女もあえて「かわいくない」造形が選ばれた。斎藤環はこの作品を「いかなるフェティッシュとも無縁な漫画、という高み」に至ったと評している。
「黄色い本」は高野が高校時代、実際に1年かけて『チボー家の人々』を読んだ経験がもとになっている。高野は作品執筆の動機について「そもそも本なんか読んで、漫画なんか描くことになったスタートを描こう、と思った」と語っており、漫画を描くのはこれで最後にしようと思っていたとも述べている。作品を描き終えた後は、資料にした中学時代からの日記も本も「思い出すこともすっからかんになって」すべて捨ててしまったという。「黄色い本」は発表直後こそ大きな反響は無かったものの、単行本が刊行されて以降多数の論者による批評・研究が発表されている。呉智英は「黄色い本」を「田辺のつる」に並ぶ高野の最高傑作であるとし「日本マンガの画期的作品として、長く読み継がれることになるだろう」と評した。
作品集『黄色い本』には他に、社内恋愛を扱った「マヨネーズ」、高齢者向けのホームヘルパーを題材にした「二の二の六」、冬野さほの同名作品をリメイクした小品「Cloudy Wednesday」を収めている。前2者について高野は、それまで自分の作品になかった「大人のエロ」を入れたつもりだと語っている。
高野は『黄色い本』刊行以降、イラストの仕事や対談などはあるものの、漫画作品の目だった発表は行っていなかった。2006年の『AERA COMIC 手塚治虫文化賞10周年』(朝日新聞社)に、5年ぶりに8ページの作品を寄稿した際は「作品を描いていないときでも、いつもマンガのことを考えている。24時間、漫画家じゃないときなんてないくらいです」と語った。ドミトリーともきんすは11年ぶりの単行本であり、以前よりも寡作になった。
2015年に第38回巖谷小波文芸賞を受賞。漫画家としては手塚治虫以来2人目の受賞者であった。
高野は「最初に思いつくのはテーマ」だと語っている。描くものが決まると編集者に締め切りを決めてもらい、絵もネームも同時に始める。具体的な制作方法としては、原稿用紙と同寸のレポート用紙を用意し、思いついたコマから描き始める。この段階で背景から人物の目鼻やまつ毛まですべて描き込む。描いたコマを後でセロハンテープでつなげて下書きとし、この上に原稿用紙を重ねて、下書きの線をトレースする形でペンを入れている(以上は2002年のインタビューによるものだが、デビュー当時のインタビューでもほぼ同じ内容の制作方法を語っている)。作品制作は(テレビの音が聞こえないという理由で)1畳半の風呂場の脱衣所に小さな机と手製のトレス台を置いて行なっており、キャラクター表などもそこに貼っている。
「他人が、同じ部屋に一緒にいるのはダメ」で「黄色い本」はアシスタントを使わず一人での制作であったが、他の作品ではトーン貼りを手伝ってもらうこともあるという。「二の二の六」では木尾士目にトーン貼りを手伝ってもらっているが、描き直しのため後でせっかく貼ったトーンを剥がすことになってしまい申し訳なかった、と語っている。
高野はデビュー当時からセンスの良さ・画面構成の巧みさが注目され漫画評論の対象となった。初期には、作品の整然としたコマ割りを大島弓子の不安定なコマ割りと対置し、高野を矢代まさこや岡田史子らに通じる「様式」の作家と論じた荒俣宏の評などがある。またアングルの自在さ、遠近感の効果的な使用、トーンワークのうまさといったことから「物事を見たままに描ける作家」「最も視覚的なマンガ家」とも評されている。『黄色い本』を論じた斎藤環は「あるときには見下ろされ、あるときには見上げられる」ような、自在に入れ替わる作中の視点を「神の視点」ならぬ「蚊の視点(蚊瞰)」と言い表した。
2000年に『BSマンガ夜話』で『るきさん』が取り上げられた際には、高野の各作品に通低する「生と死」へのまなざしが論じられた。いしかわじゅんは高野の作品を「生と死を常に客観的に見て」いるとし、日常を描いた近年の作品にも「目の前にある日常の話を描いているんだけど(中略)その向こうにはやっぱり死がある」と述べている。夏目房之介は「死のほうから生を見ている」と表現しており、これらは高野がデビュー前後に看護師として働き、患者の生死と日常的に向かい合っていたことの影響があるのではないかとしている。また夏目は1985年以降の高野の作品について「それまでのドラマティックな画面の作り方に『不安』が入ってくる」と作風の変化を指摘した。
竹熊健太郎はつげ義春、大友克洋とともに高野を「音楽界で言うところの『ミュージュシャンズ・ミュージシャン』にあたるマンガ家」と評し、「高野文子の存在なくして後続の岡崎京子や桜沢エリカ、内田春菊、一條裕子といった女性作家が、今のような形で存在することもなかっただろう」と述べている。
2003年にスタジオジブリを退社したアニメーター安藤雅司は高野のファンで、『千と千尋の神隠し』の作画監督を務めた際、高野の絵のように少ない線で人間のリアルなラインを描く表現を作品に取り入れる試みを行った。安藤は、リアルな表現を志向し、宮崎駿とは方向性で対立することもあり、フリーで活動することとなった。 | [
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"text": "高野 文子(たかの ふみこ、1957年11月12日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。新潟県新津市(現在の新潟市秋葉区)出身。看護師として勤める傍ら、1979年『JUNE』掲載の「絶対安全剃刀」で商業誌デビュー。従来の少女漫画とも少年・青年漫画とも隔絶した作風が注目され、大友克洋やさべあのまなどとともに漫画界の「ニューウェーブ」の旗手と目された。デビュー30年で単行本7冊ときわめて寡作であるが、強弱のない単純な線と独特な演出方法、一読では理解しがたい心理描写などが特長とされる。",
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"text": "夫はフリー編集者の秋山協一郎。秋山はワセダミステリクラブ出身で、奇譚社の発行人として大友克洋の『GOOD WEATHER』(1981年)『BOOGIE WOOGIE WALZ』(1982年)や高野の『おともだち』(1982年)を刊行している。秋山狂介名義で大藪春彦の評論・研究もおこなう。バラエティ (日本の雑誌)の編集をしていたこともあった。",
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"text": "田舎町で育ったため、少女時代は学年誌に掲載された手塚治虫などの作品を除いてあまり漫画を読む機会が無く、図書館で借りた児童文学などを読んで過ごした。新潟県立新潟江南高等学校衛生看護科2年生のとき、同級生から見せてもらった萩尾望都の作品(『11月のギムナジウム』『モードリン』『白き森白き少年の笛』)をきっかけに萩尾作品にのめり込む。同じころ石ノ森章太郎の『マンガ家入門』を参考に自分でも作品を描くようになり、萩尾の作品も載っていた『別冊少女コミック』に投稿、努力賞となる。続けて30ページの作品を投稿するが、落選。これはギムナジウムを舞台にした萩尾望都にそっくりの作品であった。",
"title": "経歴と作品"
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"text": "投稿を続けるうちにプロを意識するようになり、高校卒業後に上京。東京都立の衛生看護専門学校に2年就学、卒業後は看護師として2年務め、その傍ら高校時代の文通相手の紹介で同人サークル『楽書館(らくがきかん)』に参加。メンバーに教えられ『COM』や岡田史子、永島慎二などの作品を知る。1977年『楽書館』に「花」を掲載。同1978年、『楽書館』メンバーのつてで、新雑誌『JUNE』に「絶対安全剃刀」を掲載。この作品が商業デビュー作となり、以後『JUNE』や同じく新興のマイナー漫画誌『マンガ奇想天外』に作品を発表していく。1980年には『JUNE』でしりあったささやななえから小学館編集長に紹介され、以後『プチフラワー』などの大手の漫画誌にも作品を掲載するようになる。",
"title": "経歴と作品"
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"text": "少女の葬式を幻想的に描いた「ふとん」(1979年)が注目され、この頃から高野は「ニューウェーブ」の作家と見なされるようになった。デビュー当初の高野は、他の漫画家・イラストレーターなどの影響を受けながら、ほとんど1作ごとに作風・画風を変え新しい表現方法を模索している。この時期はとくに『楽書館』から交流のあったさべあのまとの類似が指摘されているが、「方南町経由新宿駅西口京王百貨店前行」では大友克洋のタッチを明確に意識した画風で学生生活の一こまを、「うらがえしの黒い猫」では萩尾望都に通じる絵柄・ストーリーを用いて空想に耽る少女を描き、「アネサとオジ」ではパロディタッチのギャグを見せ、「早道節用守」では浮世絵風の絵柄で山東京伝の戯作を漫画化している。",
"title": "経歴と作品"
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"text": "この時期の作品で、漫画研究・漫画評論の場においてもっとも話題に取り上げられたのは「田辺のつる」である。認知症の始まった老女を中心に、ある一家の情景を淡々と描いた作品であるが、高野は一家の中でこの老女のみ「きいちのぬりえ」風のかわいらしい幼女の姿で描き、客観的な視点の中に老女の錯乱した視点を紛れ込ませている。老女を幼女の姿で描くこの方法は漫画でしかなしえない表現としてさまざまな観点から論じられた。すでに大島弓子が『綿の国星』で猫を少女の姿で描いていたが、荒俣宏は「「田辺のつる」がすごかったのは、『綿の国星』で開発された手法と同じものを使いながら、それを老女に当てはめた上に、惜しげもなく一作で使い捨てた点にある(中略)各少女漫画家が窮めた持ち技から毎回犠牲を選んで、ほとんど暴力的にそれらを使い切ってしまう人が、かつてこの業界に出現したことがあっただろうか」と評している。",
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"text": "二人の少女の夏休みの情景を描いた「玄関」の頃より、「トーンの魔術師」とも評される巧みなトーンワークが顕著となる。この「玄関」までを収めた第一作品集『絶対安全剃刀』は1982年に白泉社より刊行、高野はこの作品集により第11回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞した。",
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"text": "翌1983年7月、第2単行本『おともだち』を刊行。1981年から83年までの作品5編を収録た短編集で、日本を舞台にした作品3篇からなる「日本のおともだち」と、アメリカを舞台にした2編からなる「アメリカのおともだち」の2部で構成されている。箱入りの上製本で、南伸坊による絵本のような装丁が当時話題となった。",
"title": "経歴と作品"
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"text": "「日本のおともだち」の中心となるのは100ページ超の作品「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」である。大正時代の女学校を舞台に、演劇を通じて心を通わせあう二人の少女を描いた作品で、『絶対安全剃刀』収録作品とはうって変わって古典的なストーリーを描いている。ここまでの高野の最長作品で、1ページあたりのコマ数も少なく余裕のあるコマ割りがなされており、作中の少女もこれまでになく丸みを帯びた可愛らしい造形で描かれている。またいしかわじゅんは、それまでロングショットだけで作中人物を描いてきた高野がこの作品からアップを使い始めたことを「劇的な変化」として指摘している。",
"title": "経歴と作品"
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"text": "「アメリカのおともだち」は、「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」の前後に描かれた「ボビー&ハーシー」と「デイビスの計画」の2編からなる。前者は60年代のアメリカ文化を背景にしたポップなラブストーリーであり、後者は少女の活躍するスパイ活劇風の作品で、後者の主題は後の『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』に引き継がれることになる。",
"title": "経歴と作品"
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"text": "『おともだち』は当初、高野の夫の秋山協一郎が発行人を務める綺譚社から刊行された。『おともだち』刊行前後、高野は綺譚社で電話番として働いており、同社の発行する同人雑誌『綺譚』に2ページの作品「雪国」を掲載したりしている。また秋山は80年代前半、角川書店発行の『バラエティ』に参加しており、その関係で高野もこのころ同誌に短編やイラスト・カットを掲載している(いずれも単行本未収録)。",
"title": "経歴と作品"
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"text": "1986年から87年にかけて、『プチフラワー』にて『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』を初連載。全6話258ページで、現時点で高野の最長作品である。大型デパートで売り子として雇われた少女・ラッキーが、スパイを相手にデパート中を駆け回る冒険活劇であり、全編に渡りスパイ映画におけるカメラワークを思わせる多彩な画面構成が用いられ、スピード感やスローモーションをコマの連続で表現することに成功している。インタビューによれば「アガサ・クリスティの『トミーとタペンス』シリーズとアルフレッド・ヒッチコックの1950年代くらいの映画」に着想を得ているという。",
"title": "経歴と作品"
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"text": "高野はこの作品について「あの時は、無謀にも私はどんなものでも描けるぞ、と思っていたので、「あんたには無理よね」と言われそうなものを思ってやりました。(中略)あの時だけですね、テーマと関係なくやってみようと思ったのは。しかし見事に失敗しました」と解説している。「失敗」の内容は具体的には語られていないが、クローズアップの多用を始めとするあまりにも凝った画面構成が時に作品のテンポを悪くしていることが指摘されている。この作品を論じた澤野雅樹は、画面構成に目を奪われ過ぎて、物語の内容を理解するまで3度読み返さなければならなかったと述べている。",
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"text": "前述のいしかわじゅんは、高野の画風はこの作品で「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」に続き2度目の大きな変化を起こしていると指摘している。いしかわによれば高野はこの頃、夫に教えられた上田としこ『フイチンさん』をいたく気に入っており、この時期に描かれている少女の体型や線などが『フイチンさん』に非常によく似たものになっているという。",
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"text": "1988年、マガジンハウスの首都圏情報誌『Hanako』にて『るきさん』の連載を開始(『Hanako』の巻末漫画の編集担当は夫の秋山協一郎だった)。当時のバブル経済のさなか、流行にも恋愛にも興味を持たずきままな独身生活をおくる女性「るきさん」を描いたもので、月1回程度のペースで毎回2ページ(オールカラー)、4コママンガの形式(ただし見開き2ページ分16コマで1話。1コマ目はタイトル)で1992年まで連載された。流行雑誌だったこともあり高野の作品の中では広い読者を獲得。高野の最長連載作品であるが、高野自身は「さてなぁ。これは癒し系マンガと言われてましてね。かなりたくさんの人が読んでくれたんですけど、わたし的には、あまり重要視してないんだなあ」とあまり多くを語っていない。高野に著書のカバーイラストを頼んでいる北村薫は、高野が「わたし、るきさん嫌いなんです」と彼に語ったことがあると記している。",
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"title": "作家評"
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] | 高野 文子は、日本の漫画家、イラストレーター。新潟県新津市(現在の新潟市秋葉区)出身。看護師として勤める傍ら、1979年『JUNE』掲載の「絶対安全剃刀」で商業誌デビュー。従来の少女漫画とも少年・青年漫画とも隔絶した作風が注目され、大友克洋やさべあのまなどとともに漫画界の「ニューウェーブ」の旗手と目された。デビュー30年で単行本7冊ときわめて寡作であるが、強弱のない単純な線と独特な演出方法、一読では理解しがたい心理描写などが特長とされる。 夫はフリー編集者の秋山協一郎。秋山はワセダミステリクラブ出身で、奇譚社の発行人として大友克洋の『GOOD WEATHER』(1981年)『BOOGIE WOOGIE WALZ』(1982年)や高野の『おともだち』(1982年)を刊行している。秋山狂介名義で大藪春彦の評論・研究もおこなう。バラエティ (日本の雑誌)の編集をしていたこともあった。 | {{Infobox 漫画家
| 名前 = 高野 文子
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 脚注 =
| 本名 =
| 生地 = {{JPN}} [[新潟県]][[新潟市]][[秋葉区]]
| 国籍 = [[日本]]
| 生年 = {{生年月日と年齢|1957|11|12}}
| 没年 =
| 職業 = [[漫画家]]、[[イラストレーター]]
| 活動期間 = [[1979年]] -
| ジャンル = [[青年漫画]]、[[少女漫画]]
| 代表作 = 絶対安全剃刀
| 受賞 = 第11回[[日本漫画家協会賞]]優秀賞<br>(『[[絶対安全剃刀]]』)<br>第7回[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞<br>(『[[黄色い本]]』)<br>第38回[[巖谷小波文芸賞]]
}}
'''高野 文子'''(たかの ふみこ、[[1957年]][[11月12日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]。[[新潟県]][[新津市]](現在の[[新潟市]][[秋葉区]])出身。[[看護師]]として勤める傍ら、[[1979年]]『[[JUNE (雑誌)|JUNE]]』掲載の「絶対安全剃刀」で商業誌デビュー{{efn2|ユリイカ2002年7月のpp.163には「看護婦さんをやめたときにデビューはしていたが、月に6ページしか書けず、そこへ<電話番をしながら漫画を描いていてよい>との条件で給料をもらい社員になったんだけど、これってめちゃ恵まれてるよね」と[[魚喃キリコ]]に同意を求めていた。}}。従来の少女漫画とも少年・青年漫画とも隔絶した作風が注目され、[[大友克洋]]や[[さべあのま]]などとともに漫画界の「[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]」の旗手と目された。デビュー30年で単行本7冊ときわめて寡作であるが、強弱のない単純な線と独特な演出方法、一読では理解しがたい心理描写などが特長とされる<ref>『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』カンゼン、85頁</ref>。
夫はフリー編集者の秋山協一郎。秋山は[[ワセダミステリクラブ]]出身で、奇譚社の発行人として[[大友克洋]]の『GOOD WEATHER』(1981年)『BOOGIE WOOGIE WALZ』(1982年)や高野の『[[おともだち (漫画)|おともだち]]』(1982年)を刊行している。秋山狂介名義で[[大藪春彦]]の評論・研究もおこなう。[[バラエティ (日本の雑誌)]]の編集をしていたこともあった。
== 経歴と作品 ==
田舎町で育ったため、少女時代は学年誌に掲載された[[手塚治虫]]などの作品を除いてあまり漫画を読む機会が無く、図書館で借りた児童文学などを読んで過ごした。[[新潟県立新潟江南高等学校]]衛生看護科2年生のとき、同級生から見せてもらった[[萩尾望都]]の作品(『11月のギムナジウム』『モードリン』『白き森白き少年の笛』)をきっかけに萩尾作品にのめり込む。同じころ[[石ノ森章太郎]]の『マンガ家入門』を参考に自分でも作品を描くようになり、萩尾の作品も載っていた『[[別冊少女コミック]]』に投稿、努力賞となる。続けて30ページの作品を投稿するが、落選。これは[[ギムナジウム]]を舞台にした萩尾望都にそっくりの作品であった<ref name=A1>おしぐちたかし「高野文子 INTERVIEW」『漫画魂』、白夜書房、2003年、86頁-96頁。まんがの森『月刊まんがの森』2002年3月号初出</ref>。
投稿を続けるうちにプロを意識するようになり、高校卒業後に上京。東京都立の衛生看護専門学校に2年就学、卒業後は[[看護師]]として2年務め、その傍ら高校時代の文通相手の紹介で同人サークル『楽書館(らくがきかん)』に参加。メンバーに教えられ『[[COM (雑誌)|COM]]』や[[岡田史子]]、[[永島慎二]]などの作品を知る。[[1977年]]『楽書館』に「花」を掲載。同1978年、『楽書館』メンバーのつてで、新雑誌『[[JUNE (雑誌)|JUNE]]』に「絶対安全剃刀」を掲載。この作品が商業デビュー作となり、以後『JUNE』や同じく新興のマイナー漫画誌『[[奇想天外 (SF雑誌)|マンガ奇想天外]]』に作品を発表していく。1980年には『JUNE』でしりあった[[ささやななえ]]から[[小学館]]編集長に紹介され、以後『[[プチフラワー]]』などの大手の漫画誌にも作品を掲載するようになる<ref name=A1/>。
=== 『絶対安全剃刀』(1982年) ===
{{main|絶対安全剃刀}}
少女の葬式を幻想的に描いた「ふとん」(1979年)が注目され、この頃から高野は「[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]」の作家と見なされるようになった。デビュー当初の高野は、他の漫画家・イラストレーターなどの影響を受けながら、ほとんど1作ごとに作風・画風を変え新しい表現方法を模索している。この時期はとくに『楽書館』から交流のあった[[さべあのま]]との類似が指摘されているが、「方南町経由新宿駅西口京王百貨店前行」では[[大友克洋]]のタッチを明確に意識した画風で学生生活の一こまを、「うらがえしの黒い猫」では[[萩尾望都]]に通じる絵柄・ストーリーを用いて空想に耽る少女を描き、「アネサとオジ」ではパロディタッチのギャグを見せ、「早道節用守」では[[浮世絵]]風の絵柄で[[山東京伝]]の戯作を漫画化している<ref name=B1>斎藤宣彦・横井周子「高野文子全著作解題」『ユリイカ』2003年7月号、青土社、168頁-188頁</ref>。
この時期の作品で、漫画研究・漫画評論の場においてもっとも話題に取り上げられたのは「田辺のつる」である。[[認知症]]の始まった老女を中心に、ある一家の情景を淡々と描いた作品であるが、高野は一家の中でこの老女のみ「[[蔦谷喜一|きいちのぬりえ]]」風のかわいらしい幼女の姿で描き、客観的な視点の中に老女の錯乱した視点を紛れ込ませている。老女を幼女の姿で描くこの方法は漫画でしかなしえない表現としてさまざまな観点から論じられた。すでに[[大島弓子]]が『[[綿の国星]]』で猫を少女の姿で描いていたが、[[荒俣宏]]は「「田辺のつる」がすごかったのは、『綿の国星』で開発された手法と同じものを使いながら、それを老女に当てはめた上に、惜しげもなく一作で使い捨てた点にある(中略)各少女漫画家が窮めた持ち技から毎回犠牲を選んで、ほとんど暴力的にそれらを使い切ってしまう人が、かつてこの業界に出現したことがあっただろうか」<ref>『ふゅーじょんぷろだくと』1982年7月号、ラポート、103頁</ref>と評している<ref name=B1/>。
二人の少女の夏休みの情景を描いた「玄関」の頃より、「トーンの魔術師」とも評される巧みな[[スクリーントーン|トーンワーク]]が顕著となる<ref name=B1/>。この「玄関」までを収めた第一作品集『絶対安全剃刀』は1982年に白泉社より刊行、高野はこの作品集により第11回[[日本漫画家協会賞]]優秀賞を受賞した。
=== 『おともだち』(1983年) ===
{{main|おともだち (漫画)}}
翌[[1983年]]7月、第2単行本『おともだち』を刊行。1981年から83年までの作品5編を収録た短編集で、日本を舞台にした作品3篇からなる「日本のおともだち」と、アメリカを舞台にした2編からなる「アメリカのおともだち」の2部で構成されている。箱入りの上製本で、[[南伸坊]]による絵本のような装丁が当時話題となった<ref name=B1/>。
「日本のおともだち」の中心となるのは100ページ超の作品「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」である。[[大正時代]]の女学校を舞台に、演劇を通じて心を通わせあう二人の少女を描いた作品で、『絶対安全剃刀』収録作品とはうって変わって古典的なストーリーを描いている。ここまでの高野の最長作品で、1ページあたりのコマ数も少なく余裕のあるコマ割りがなされており、作中の少女もこれまでになく丸みを帯びた可愛らしい造形で描かれている<ref name=B1/>。また[[いしかわじゅん]]は、それまでロングショットだけで作中人物を描いてきた高野がこの作品からアップを使い始めたことを「劇的な変化」として指摘している<ref> 『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』、カンゼン、2003年、103頁</ref>。
「アメリカのおともだち」は、「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」の前後に描かれた「ボビー&ハーシー」と「デイビスの計画」の2編からなる。前者は60年代のアメリカ文化を背景にしたポップなラブストーリーであり、後者は少女の活躍するスパイ活劇風の作品で、後者の主題は後の『[[ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事]]』に引き継がれることになる。
『おともだち』は当初、高野の夫の秋山協一郎が発行人を務める綺譚社から刊行された。『おともだち』刊行前後、高野は綺譚社で電話番として働いており、同社の発行する同人雑誌『綺譚』に2ページの作品「雪国」を掲載したりしている。また秋山は80年代前半、角川書店発行の『[[バラエティ (日本の雑誌)|バラエティ]]』に参加しており、その関係で高野もこのころ同誌に短編やイラスト・カットを掲載している(いずれも単行本未収録)<ref name=B1/>。
=== 『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』(1987年) ===
{{main|ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事}}
[[1986年]]から87年にかけて、『プチフラワー』にて『ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事』を初連載。全6話258ページで、現時点で高野の最長作品である。大型デパートで売り子として雇われた少女・ラッキーが、スパイを相手にデパート中を駆け回る冒険活劇であり、全編に渡りスパイ映画におけるカメラワークを思わせる多彩な画面構成が用いられ、スピード感やスローモーションをコマの連続で表現することに成功している。インタビューによれば「[[アガサ・クリスティ]]の『[[トミーとタペンス]]』シリーズと[[アルフレッド・ヒッチコック]]の1950年代くらいの映画」に着想を得ているという<ref name=B1/>。
高野はこの作品について「あの時は、無謀にも私はどんなものでも描けるぞ、と思っていたので、「あんたには無理よね」と言われそうなものを思ってやりました。(中略)あの時だけですね、テーマと関係なくやってみようと思ったのは。しかし見事に失敗しました」と解説している。「失敗」の内容は具体的には語られていないが、クローズアップの多用を始めとするあまりにも凝った画面構成が時に作品のテンポを悪くしていることが指摘されている<ref name=B1/>。この作品を論じた[[澤野雅樹]]は、画面構成に目を奪われ過ぎて、物語の内容を理解するまで3度読み返さなければならなかったと述べている<ref>澤野雅樹「ダンス」『ユリイカ』2002年7月号、199頁</ref>。
前述の[[いしかわじゅん]]は、高野の画風はこの作品で「春ノ波止場デウマレタ鳥ハ」に続き2度目の大きな変化を起こしていると指摘している。いしかわによれば高野はこの頃、夫に教えられた[[上田としこ]]『[[フイチンさん]]』をいたく気に入っており、この時期に描かれている少女の体型や線などが『フイチンさん』に非常によく似たものになっているという{{efn2|いしかわは「[[大友克洋|大友]]が[[ジャン・ジロー|メビウス]]に似てる、っていうくらい似てる」と述べている<ref>『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』103頁-104頁)</ref>。}}。
=== 『るきさん』(1993年) ===
{{main|るきさん}}
[[1988年]]、マガジンハウスの首都圏情報誌『[[Hanako]]』にて『[[るきさん]]』の連載を開始(『Hanako』の巻末漫画の編集担当は夫の秋山協一郎だった)。当時のバブル経済のさなか、流行にも恋愛にも興味を持たずきままな独身生活をおくる女性「るきさん」を描いたもので、月1回程度のペースで毎回2ページ(オールカラー)、4コママンガの形式(ただし見開き2ページ分16コマで1話。1コマ目はタイトル)で[[1992年]]まで連載された。流行雑誌だったこともあり高野の作品の中では広い読者を獲得。高野の最長連載作品であるが、高野自身は「さてなぁ。これは癒し系マンガと言われてましてね。かなりたくさんの人が読んでくれたんですけど、わたし的には、あまり重要視してないんだなあ」とあまり多くを語っていない。高野に著書のカバーイラストを頼んでいる[[北村薫]]は、高野が「わたし、るきさん嫌いなんです」と彼に語ったことがあると記している<ref>北村薫「<<るきさん>>はどこから旅立ったのか」『ユリイカ』2002年7月号、138頁</ref>。
『るきさん』は2000年にTV番組『[[BSマンガ夜話]]』で取り上げられ、高野のそれまでの作品と合わせて論じられた。ゲスト出演者の[[わかぎえふ]]は、連載当時『るきさん』は『Hanako』の掲載作品としてはかなり違和感があった(浮いていた)と語っている。
『るきさん』終了後の高野の『Hanako』掲載作として『東京コロボックル』(1993年、全7話。後述『棒がいっぽん』収録)がある。また後に『Hanako』に連載された[[魚喃キリコ]]『[[ハルチン]]』(1998年刊行)は明らかに『るきさん』をリスペクトした作品であった<ref>『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』95頁。なお、魚喃は『ユリイカ』2002年7月号で高野と対談を行なっている。</ref>。文庫化の早かった作品である。
=== 『棒がいっぽん』(1995年) ===
{{main|棒がいっぽん}}
[[1995年]]、5冊目の単行本『[[棒がいっぽん]]』を刊行。『るきさん』連載前後の短編作品6作を収録したもので、作品集としては『おともだち』以来12年ぶりのものとなる。巻頭に収められている「美しい町」は1960年代の工業地帯を舞台に若い夫婦の静かな生活を描いた作品。続く「病気になったトモコさん」は、入院中の少女が1日のうちに見たものや連想を一貫してその少女の視点から描いている。「バスで4時に」は、バスに乗って婚約者の家に着くまでの、ある女性の心の動きを描く。「私の知ってるあの子のこと」は、「病気になったトモコさん」と同じく子供を題材にしているが、後者が子供の視点に映る事物をクローズアップを多用し様々な構図で描いているのに対し、前者は俯瞰気味の構図を用い、一貫してロングショットだけで作品を構成している。「東京コロボックル」は、人間の家に間借りして都会生活を営む小人たちの生活を描くショートコミックである。
巻末に収められている「奥村さんのお茄子」は、単行本収録の際に扉ページを除く全ページが描き直された作品。68ページと収録作品中最も長く、単行本表題もこの作品にちなんでつけられている。ごく普通の中年男性・奥村さんのもとに「とっても遠くから」来たという不思議な女性がやってきて、25年前のある日の昼食を一緒に検証する、という一風変わったSF仕立ての作品であるが、高野自身は「それもSFじゃないんでしょうねえ。「奥村さんのお茄子」も「黄色い本」や「美しき町」(いずれも日常を扱った作品 引用者註)とテーマは同じなんですよ。ただ作画の絵柄を変えたという」という風に語っている<ref name=A1/>。この作品は物語の解釈をめぐり誌上・ネット上でさまざまな議論を起こした<ref name=B1/>。夏目房之介は『棒がいっぽん』収録作品の独特の画面構成(大きな遠近の落差)に注目し、「奥村さんのお茄子」ではそれが日常の貴重さを表現するとともに「普通の日常の成りたちがたさ」を表現していると論じている<ref>夏目房之介「非現実的な日常」『マンガの力』晶文社、1999年、73頁-78頁</ref>。夏目は『棒がいっぽん』を評し「日常の懐かしさと怖さをここまでラジカルに表現したマンガを、私はほかに知らない」と述べている<ref>前掲『マンガの力』73頁</ref>。
高野の絵柄はこの作品集から次第に簡素になっていく。絵柄について高野は「[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を使わずに最後までできるには、その程度の絵じゃないとだめだというのがあった。手間のかかる絵はとにかくやめようと」考えたと述べている<ref name=A1/>。このころの趣味はゲームで、わたしはダメ嫁や東京コロボックルには[[スーパーファミコン]]をプレイしていた様子が再三描かれていた。
=== 『黄色い本』(2002年) ===
{{main|黄色い本}}
2002年、作品集『[[黄色い本]]』刊行。高野の7年ぶりの単行本として話題になり、この作品集で同年[[手塚治虫文化賞]]マンガ大賞を受賞した。表題作「黄色い本」(1999年)は、青年誌『[[月刊アフタヌーン]]』に掲載された72頁の読み切り作品である。雪国を舞台に、作者と同世代の少女が学校に通いながら5巻本の『チボー家の人々』をゆっくりと読み進めていく様を描いたもので、執筆開始から完成まで3年の月日が費やされている<ref>斎藤宣彦「作家の履歴書 高野文子」『AERA COMIC ニッポンのマンガ 手塚治虫文化賞10周年記念』朝日新聞社、2006年、48頁 </ref>。作中では本の活字をコマの中で「絵」として描き、主人公の少女が小説の登場人物と会話を交わすなど、読書体験を表現するための様々な試みが行なわれている。絵柄は読者が作品を読むスピードをコントロールするために意識的に単純化されており、主人公の少女もあえて「かわいくない」造形が選ばれた{{efn2|「今回は最初から最後まで、人物の顔はできるだけきちっと描かないようにしようということを意識してましたね。顔を可愛く描いてしまうと、読者はそこに気を取られて他のところを見なくなってしまうので、もう目鼻ついてりゃいい、下手すると、後ろを向いていて、頭にトーン貼ってるだけでもいいという感じでしたね。そのくらいのほうが、読者は手や足の動きに意識がいくだろうと思ったんです」<ref>高野文子・[[大友克洋]]対談「〈描くこと〉と〈描き続けていくこと〉の不安と恍惚」『ユリイカ』2002年7月号、56頁</ref>。}}。[[斎藤環]]はこの作品を「いかなるフェティッシュとも無縁な漫画、という高み」に至ったと評している<ref>斎藤環「神と虫のポリフォニー」『ユリイカ』2003年7月号、204頁-205頁</ref>。
「黄色い本」は高野が高校時代、実際に1年かけて『チボー家の人々』を読んだ経験がもとになっている。高野は作品執筆の動機について「そもそも本なんか読んで、漫画なんか描くことになったスタートを描こう、と思った」と語っており、漫画を描くのはこれで最後にしようと思っていたとも述べている<ref name=C1>門倉紫麻「物語が生まれる瞬間 高野文子インタビュー」」『AERA COMIC ニッポンのマンガ 手塚治虫文化賞10周年記念』朝日新聞社、2006年、57頁</ref>。作品を描き終えた後は、資料にした中学時代からの日記も本も「思い出すこともすっからかんになって」すべて捨ててしまったという<ref name=C1/>。「黄色い本」は発表直後こそ大きな反響は無かったものの、単行本が刊行されて以降多数の論者による批評・研究が発表されている<ref name=B1/>。呉智英は「黄色い本」を「田辺のつる」に並ぶ高野の最高傑作であるとし「日本マンガの画期的作品として、長く読み継がれることになるだろう」と評した<ref>呉智英『マンガ狂につける薬 下学上達編』メディアファクトリー、2007年、184頁。『ダヴィンチ』初出 </ref>。
作品集『黄色い本』には他に、社内恋愛を扱った「マヨネーズ」、高齢者向けのホームヘルパーを題材にした「二の二の六」、[[冬野さほ]]の同名作品をリメイクした小品「Cloudy Wednesday」を収めている。前2者について高野は、それまで自分の作品になかった「大人のエロ」を入れたつもりだと語っている<ref name=B1/>。
=== 『ドミトリーともきんす』(2014年) ===
高野は『黄色い本』刊行以降、イラストの仕事や対談などはあるものの、漫画作品の目だった発表は行っていなかった。2006年の『AERA COMIC 手塚治虫文化賞10周年』(朝日新聞社)に、5年ぶりに8ページの作品を寄稿した際は「作品を描いていないときでも、いつもマンガのことを考えている。24時間、漫画家じゃないときなんてないくらいです」と語った<ref name=C1/>。ドミトリーともきんすは11年ぶりの単行本であり、以前よりも寡作になった。
[[2015年]]に第38回[[巖谷小波文芸賞]]を受賞。漫画家としては[[手塚治虫]]以来2人目の受賞者であった。
== 執筆スタイル ==
高野は「最初に思いつくのはテーマ」だと語っている。描くものが決まると編集者に締め切りを決めてもらい{{efn2|ただし、原稿を落とす(締め切りを破る)のは気にしないとも語っている<ref>「<描くこと>と<描き続けること>の不安と恍惚」『ユリイカ』2003年7月号、64頁</ref>。}}、絵も[[ネーム (漫画)|ネーム]]も同時に始める。具体的な制作方法としては、原稿用紙と同寸のレポート用紙を用意し、思いついたコマから描き始める。この段階で背景から人物の目鼻やまつ毛まですべて描き込む。描いたコマを後でセロハンテープでつなげて下書きとし、この上に原稿用紙を重ねて、下書きの線をトレースする形でペンを入れている<ref name=A1/>(以上は2002年のインタビューによるものだが、デビュー当時のインタビューでもほぼ同じ内容の制作方法を語っている<ref>「まんが家WHO'S WHO⑨」『ぱふ』1980年4月号、清彗社</ref>)。作品制作は(テレビの音が聞こえないという理由で)1畳半の風呂場の脱衣所に小さな机と手製のトレス台を置いて行なっており、キャラクター表などもそこに貼っている<ref name=B1/>。
「他人が、同じ部屋に一緒にいるのはダメ」で「黄色い本」はアシスタントを使わず一人での制作であったが、他の作品ではトーン貼りを手伝ってもらうこともあるという。「二の二の六」では[[木尾士目]]にトーン貼りを手伝ってもらっているが、描き直しのため後でせっかく貼ったトーンを剥がすことになってしまい申し訳なかった、と語っている<ref name=A1/>。
== 作家評 ==
高野はデビュー当時からセンスの良さ・画面構成の巧みさが注目され漫画評論の対象となった。初期には、作品の整然としたコマ割りを[[大島弓子]]の不安定なコマ割りと対置し、高野を[[矢代まさこ]]や[[岡田史子]]らに通じる「様式」の作家と論じた荒俣宏の評などがある<ref>荒俣宏「高野史子と細切れのページ」『漫画と人生』集英社文庫、274-287頁。奇想天外社『マンガ奇想天外』初出</ref>。またアングルの自在さ、遠近感の効果的な使用、トーンワークのうまさといったことから「物事を見たままに描ける作家」「最も視覚的なマンガ家」とも評されている<ref>[[ヤマダトモコ]]「保守が高じて先鋭的になるマンガ家?」『ユリイカ』2002年7月号、220-226頁</ref>。『黄色い本』を論じた[[斎藤環]]は「あるときには見下ろされ、あるときには見上げられる」ような、自在に入れ替わる作中の視点を「神の視点」ならぬ「蚊の視点(蚊瞰)」と言い表した<ref>斎藤環「神と虫のポリフォニー」『ユリイカ』2003年7月号、206頁</ref>。
2000年に『BSマンガ夜話』で『るきさん』が取り上げられた際には、高野の各作品に通低する「生と死」へのまなざしが論じられた。いしかわじゅんは高野の作品を「生と死を常に客観的に見て」いるとし、日常を描いた近年の作品にも「目の前にある日常の話を描いているんだけど(中略)その向こうにはやっぱり死がある」と述べている。夏目房之介は「死のほうから生を見ている」と表現しており、これらは高野がデビュー前後に看護師として働き、患者の生死と日常的に向かい合っていたことの影響があるのではないかとしている。また夏目は1985年以降の高野の作品について「それまでのドラマティックな画面の作り方に『不安』が入ってくる」と作風の変化を指摘した<ref> 『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』カンゼン、112-116頁</ref>。
[[竹熊健太郎]]は[[つげ義春]]、[[大友克洋]]とともに高野を「音楽界で言うところの『ミュージュシャンズ・ミュージシャン』にあたるマンガ家」と評し、「高野文子の存在なくして後続の[[岡崎京子]]や[[桜沢エリカ]]、[[内田春菊]]、[[一條裕子]]といった女性作家が、今のような形で存在することもなかっただろう」と述べている<ref>「「高野文子なるもの」の系譜」『ユリイカ』2003年7月号、209頁</ref>。
2003年に[[スタジオジブリ]]を退社したアニメーター[[安藤雅司]]は高野のファンで、『[[千と千尋の神隠し]]』の作画監督を務めた際、高野の絵のように少ない線で人間のリアルなラインを描く表現を作品に取り入れる試みを行った<ref>千と千尋の神隠し ロマンアルバム(2001年、徳間書店)</ref>。安藤は、リアルな表現を志向し、[[宮崎駿]]とは方向性で対立することもあり、フリーで活動することとなった。
== 作品リスト ==
=== 漫画作品 ===
;『[[絶対安全剃刀]]』(1982年 白泉社)収録作品(収録順)
:*たあたあたあと遠くで銃の鳴く声がする(奇想天外社『マンガ奇想天外』No.2、1980年)5p
:*花(『楽書館』No.49、1977年)6p
:*はい-背筋を伸して ワタシノバンデス(『楽書館』No.55、1978年)10p
:*絶対安全剃刀(サン出版『June』4号、1978年)9p
:*1+1+1=0(みのり書房『コミックアゲイン』1979年10月号)8p
:*おすわりあそべ(迷宮『漫画新批評大系』Vol.5、1979年)3p
:*ふとん(奇想天外社『別冊奇想天外No.8 SFマンガ大全集PART3』1980年) 12p
:*方南町経由新宿駅西口京王百貨店前行(『別冊奇天外No.9 SFマンガ大全集PART4』1980年) 8p
:*田辺のつる(チャンネルゼロ『漫金超』創刊号、1980年) 16p
:*アネサとオジ(『マンガ奇想天外』No.1、1980年)10p
:*あぜみちロードにセクシーねえちゃん(主婦の友社『ギャルズコミックDX』夏の号、1980年)8p
:*うらがえしの黒い猫(小学館『プチフラワー』夏の号、1980年)16p
:*午前10:00の家鴨(『マンガ奇想天外』No.3、1980年)10p
:*早道節用守(『マンガ奇想天外』No.4、1981年)16p
:*いこいの宿(小学館『ビッグコミックフォアレディ』1981年4月号)16p
:*うしろあたま(『ギャルズコミックDX』初夏の号、1981年)17p
:*玄関(『プチフラワー』秋の号、1981年)20p
;『[[おともだち (漫画)|おともだち]]』(1983年 綺譚社/1993年 筑摩書房)収録作品(収録順)
:*盛子さまのひなまつり(サン出版『JUNE』1982年5月号)2P
:*上海の街角で(流行通信社『流行通信』1982年6月号)2P
:*春ノ波止場デウマレタ鳥ハ(小学館『プチフラワー』1983年3月号)113P
:*ボビー&ハーシー(集英社『週刊セブンティーン』1981年2月16日号)31P
:*デイビスの計画(『週刊セブンティーン』1983年5月10日・17日合併号)27P
;『[[ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事]]』(1987年 小学館/1998年 マガジンハウス)
:*ラッキー嬢ちゃんの新しい仕事(『プチフラワー』1986年11月号-1987年4月号)計258P
;『[[るきさん]]』(1993年 筑摩書房/1996年 筑摩文庫)
:*るきさん(マガジンハウス『Hanako』1988年6月2日号-1992年12月17日号)計118P
;『[[棒がいっぽん]]』(1995年 マガジンハウス)収録作品(収録順)
:*美しき町(小学館『プチフラワー』1987年10月号)40P
:*病気になったトモコさん(白泉社『LaLa』増刊『Short Stories』1987年春)
:*バスで四時に(『プチフラワー』1991年5月号)29P
:*私の知ってるあの子のこと(『プチフラワー』1990年11月号)30P
:*東京コロボックル(マガジンハウス『Hanako』1993年、全7回)15P
:*奥村さんのお茄子(マガジンハウス『コミックアレ!』1994年5月号)68P ※連載時から全面的に改稿している。連載時のバージョンは『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』高野文子特集号で読むことができる。
;『[[黄色い本]]』(2002年 講談社)
:*黄色い本 ジャック・チボーという名の友人(講談社『月刊アフタヌーン』1999年10月号)72p
:*Cloudy Wednesday(イーストプレス『COMIC CUE』Vol. 2、1996年)10p
:*マヨネーズ(マガジンハウス『コミック アレ! 』5月臨時増刊号、1996年)30p
:*二の二の六(『月刊アフタヌーン』2001年7月号)30p
;『[[ドミトリーともきんす]]』(2014年 中央公論新社)
:*ドミトリーともきんす(ウェブサイト「Matogrosso」毎月第2木曜日更新、2012年12月-2014年2月)毎回5p
:*球面世界(『真夜中』no.12、2011年1月22日発行)10p、「トムキンスさん、ケーキをありがとう」改題
:*Tさん(東京都在住)は、この夏、盆踊りが、踊りたい。(『真夜中』no.14、2011年7月22日発行) 4p
;単行本未収録作品
:* ある日 クマをひろった(同人誌『掌篇集 楽書館』(楽書館、1978年3月21日発行<ref>{{Cite web|和書|title=楽書館オフィシャルサイト » 機関紙15「楽書車」(全)◇1978+1979|url=http://rakugakikan.main.jp/index.php?itemid=2174&catid=7|website=rakugakikan.main.jp|accessdate=2021-01-07}}</ref>)所載、たかのふみこ名義)2P
:* はし-Bridge-(同人誌『掌篇集 楽書館』(楽書館、1978年3月21日発行)所載、たかのふみこ名義)4P
:*おやすみなさい(『月刊スターログ』1980年1月号、ツルモトルーム)2P
:*ふみこちゃん(『バラエティ』1981年2月号、角川書店)4コマ漫画
;* 姫さまへ(まついなつき『かるめら丼』(けいせい出版、1981年6月10日初版)所載)2P
;*ウェンディのクリスマス(『少年少女SFマンガ競作大全集』PART13 1982年1月1日発行、東京三世社)8P、斎藤宣彦編『破壊せよ、と笑いは言った 現代マンガ選集』(2020年、ちくま文庫)再録
:*愛の都 憎しみの街角(『ビッグコミック フォアレディ』1982年5月号、小学館)20P
:*まんがの描き方 キャラクター編(『バラエティ』1982年6月号)1P、アンソロジー『あはは、まんが』(1984年、角川書店)再録
:*びっくり姫(『バラエティ』1982年7月号)5P、前掲『あはは、まんが』再録
:*極寒のお宿(『ビッグコミック フォアレディ』1982年12月号)16P
:*雪国 (『綺譚』第5号 1983年6月20日発行、綺譚社) 2P
:*金髪姫(『バラエティ』1983年9月号、角川書店)8P、前掲『あはは、まんが』再録
:*るにちゃん(『活人』1985年創刊号、毎日新聞社)2P
:*わたしはダメ嫁 原作/あらい(アライ)みえこ・絵/高野文子(P.N.高野ロバ)(『comicアレ!』 1996年9月号 2p・10月号 2p・11月号 1p・1997年1月号 2p)
:*るきさん 番外編(毎日ムックアミューズ編『おもしろ図書館であそぶ』毎日新聞社、2003年)1p
:*おはようの歌(『コミックP!』1998年5月号、マガジンハウス)4P
:*sewing(『COMIC CUE』Vol.8、2000年、イーストプレス)10P
:*おりがみでツルを折ろう(『AERA COMIC 手塚治虫文化賞10周年記念』、2006年、朝日新聞社)8P
:*文子おばさんのペーパークラフト教室(徳間書店『COMICリュウ』2006年11月号-)毎回1p、不定期連載
=== 共著 ===
*あはは、まんが([[山岸凉子]]、[[吾妻ひでお]]、[[新井素子]]、[[柴門ふみ]]、[[安彦良和]]、[[吉田秋生]]、[[泉昌之]]、[[さべあのま]]、[[白山宣之]]共著、1984年、角川書店(Variety book))
*谷崎万華鏡-谷崎潤一郎マンガアンソロジー-([[榎本俊二]]、[[今日マチ子]]、[[久世番子]]、[[近藤聡乃]]、[[しりあがり寿]]、[[中村明日美子]]、[[西村ツチカ]]、[[古屋兎丸]]、[[山田参助]]、[[山口晃]]共著、2016年、中央公論新社)
*「私」のバラけ方([[大竹昭子]]共著、2019年、カタリココ文庫(自費出版))大竹とのトークショー「カタリココ」の再録、及び近況インタビュー
*いずみさん、とっておいてはどうですか: こどもの時間のモノ語り( [[昭和のくらし博物館]]共著、2022年、[[平凡社]])
=== 絵本 ===
*『しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん』([[こどものとも]]年少版 2010年2月号)
*『うたのほん』(2022年、BONBOOK)
=== イラストレーション ===
==== 挿絵 ====
*ソウルの練習問題([[関川夏央]]、1984年、情報センター出版局)
*ねたあとに([[長嶋有]]、『朝日新聞』夕刊2007年11月20日 -2008年7月26日)
==== 書籍 ====
*『桃尻娘』シリーズ([[橋本治]]、1981年-、講談社文庫)
*極楽迄ハ何哩(橋本治、1983年、河出書房新社)
*[[グリーン・レクイエム]]([[新井素子]]、1983年、講談社文庫)続編『緑幻想』文庫版(1993年)も担当
*なかよし読本 劇団青い鳥の世界(市堂令他、1986年、白泉社)
*さすらいエマノン([[梶尾真治]]、1992年-、徳間書房)前作『おもいでエマノン』文庫表紙も担当
*看護婦たちの物語(宮古あずさ、1993年、弓立社)
*こんな私が看護婦してる([[宮子あずさ]]、1996年、集英社)
*[[北村薫#『円紫さん』シリーズ|『円紫さん』シリーズ]](『空飛ぶ馬』『秋の花』など)([[北村薫]]、1989年-、東京創元社)
*[[北村薫#『覆面作家』シリーズ|『覆面作家』シリーズ]](北村薫、1991年-、角川書店)
*タンノイのエジンバラ(長嶋有、2002年、文藝春秋)
*チボー家のジャック([[ロジェ・マルタン・デュ・ガール]]、2003年、白水社) - 『チボー家の人々』抄訳本
*電化製品列伝(長嶋有、2008年、講談社)
*ねたあとに(長嶋有、2009年、朝日新聞出版)朝日文庫版(2012年)表紙も担当
*動物園ものがたり([[山田由香]]、2010年、くもん出版)
*先生のための「百科事典」ノート([[赤木かん子]]、2012年、ポプラ社)
*青い鳥 (新装版) ([[モーリス・メーテルリンク]]、2013年、講談社青い鳥文庫)
*科学を生きる([[湯川秀樹]]、2015年、河出書房新社)
*本屋になりたい: この島の本を売る ([[宇田智子]]、2015年、ちくまプリマー新書)増補版(2022年)も担当
*ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集([[斉藤倫]]、2019年、福音館書店)
*素子の碁-サルスベリがとまらない(新井素子、2020年、中公文庫)
*わたしの身体はままならない: 〈障害者のリアルに迫るゼミ〉特別講義([[熊谷晋一郎]]他、2020年、河出書房新社)
*いずみさん、とっておいてはどうですか(昭和の暮らし博物館、2022年、平凡社)
==== CDジャケット ====
*あがた森魚のラジオ・ショウ([[あがた森魚]]、1996年、TDK)
*接吻([[クミコ]]、2000年、東芝EMI)
*AURA(クミコ、2000年、東芝EMI)
*お帰りなさい(クミコ、2001年、東芝EMI)
*Endless game of Cat and Mouse([[Warehause]]、2002年、eve)
*Patrol girl(Warehause、2004年、eve)
=== ペーパークラフト ===
*火打ち箱([[ハンス・クリスチャン・アンデルセン|H・C・アンデルセン]]原作、[[赤木かん子]]文、2006年、フェリシモ)
=== キャラクターデザイン ===
*『[[クラッシャージョウ#アニメ|クラッシャージョウ]]』(1983年、[[松竹富士]]系)※劇場版アニメ映画。スペシャル・デザイン(アネッサ)
*『[[平家物語 (アニメ)|平家物語]]』(2021年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]ほか)※テレビアニメ。キャラクター原案<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/443538|title=古典「平家物語」をアニメ化!山田尚子×吉田玲子×高野文子×サイエンスSARUで|newspaper=[[コミックナタリー]]|date=2021-09-03|accessdate=2021-09-03}}</ref>
=== 装丁 ===
* ステージの悪魔(ジョゼフィン・ケインズ、1984年、創元推理文庫)
* 千明初美作品集 ちひろのお城([[千明初美]]、2016年、復刊ドットコム)- 解説、企画等も担当
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
*『ユリイカ』2002年7月号(特集・高野文子)青土社
*『BSマンガ夜話 ニューウェーブセレクション』カンゼン、2004年
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[[Category:新潟市出身の人物]]
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1,290 | スクウェア (ゲーム会社) | 株式会社スクウェア(英: SQUARE CO., LTD.)は、かつて存在した日本のコンピュータゲームソフト会社。2003年(平成15年)4月1日に同業のエニックスと合併し、スクウェア・エニックス(法人としては現在のスクウェア・エニックス・ホールディングス)となった。以下ではこの旧スクウェアについて解説する。
古くは『ディスク・オリジナル・グループ DOG』などでファミリーコンピュータ ディスクシステム向けソフトを開発していた。同社発売の『ファイナルファンタジーシリーズ』はエニックス(現スクウェア・エニックス)発売の『ドラゴンクエストシリーズ』と並ぶ、日本でのコンピュータRPGの両巨頭である。
1983年(昭和58年)10月に創業者・宮本雅史の父が経営する徳島県の電気工事会社電友社のソフト開発部門として設立されたが、1986年(昭和61年)9月に独立。設立当初の資本金は1000万円。2002年(平成14年)3月31日当時の資本金は119億4500万円。また、元社長・武市智行の出身である四国銀行との関連も深い。
創業時に事業所を置いたのは、光栄と同じ神奈川県横浜市港北区日吉だった。ここでは人材確保を目的に、40台もの最新パソコンを自由に使える会員制サロンを開設していた。かくしてすぐ目の前にある慶應義塾大学日吉キャンパスや、横浜国立大学、神奈川大学など横浜周辺にキャンパスを置く大学の学生たちが出入りするようになる。その中からは同社でアルバイトを始め、そのまま正式入社した者もおり、同社の初期作品を手がけたスタッフには神奈川県にある大学の出身者が多い。
創業から半年後の1984年春、サロンの会員から選ばれたメンバーと公募で集められた者、計10名のスタッフによるゲームソフト開発が開始される。当初はNECPC-8801シリーズを中心としたパソコン用のアドベンチャーゲームやロールプレイングゲームを主力商品とした。シナリオ面でも評価されたほか、ビジュアル性にこだわりを見せた内容がクローズアップされる事が多かった。部分的ではあるがアニメーションを取り入れた『WILL デス・トラップII』、パッケージイラストにいのまたむつみを起用した上にゲーム本編のアニメ風ビジュアルで人気となった『アルファ』、日本サンライズと組んで内容面でもビジュアル面でもロボットアニメの雰囲気を強く打ち出した『クルーズチェイサー ブラスティー』などはゲーム情報誌でも大きく取り上げられた。またラインナップ充実のため、他社作品の移植にも力を入れていた。
1985年(昭和60年)から任天堂とライセンス契約を結びファミコン用ソフトを提供し始める。ファミコン市場への参入は開発スタッフからの要望に応えてのものだったという。当時のパソコンは機種ごとに独自仕様であり、後継機種であっても従来機のソフトが動かない事も多く、移植にも新規開発と同等に労力を要したのに対し、ファミコンには内部仕様の変更はあれどハードの変更がなく、また移植の必要もないのでより腰を据えて開発に臨めるという理由からである。1986年には、ファミコン初のアクションRPGとして『キングスナイト』を発表した。しかし実質、RPG要素の薄い従来型のシューティングゲームであり、販売本数も伸びなかった。その後もパソコンゲームメーカーと組んでファミリーコンピュータ ディスクシステムで多くのゲームを送り出す DOG(Disk Original Group) ブランドを展開するなど意欲を見せるも、なかなかヒット作を出せずにいた。
市場からの撤退も考えていた中、坂口博信(後に副社長)らが開発し、1987年に発売された『ファイナルファンタジー』のヒットで飛躍の足がかりを掴み、その後は『サガ』シリーズ、『聖剣伝説』シリーズ等のRPGを主に制作、一気に大手メーカーとなった。
『ファイナルファンタジー』のヒットは同社に多大な利益をもたらした。『ファイナルファンタジーII』の発売と前後する時期、代々木で『ファイナルファンタジー』のグッズショップを展開した。このショップではスクウェアからライセンスを得て各社が発行していた出版物等の他、イメージイラストを使用したマグカップ等オリジナルグッズも扱っていた。
1992年(平成4年)に宮本に代わり水野哲夫が社長に就任。ゲームボーイ用ソフトの開発を引き上げ、タイトルをスーパーファミコンに専念。ミリオンセラーを続々と叩き出し、株式店頭公開も行う。1995年(平成7年)には本社を目黒区のアルコタワーに移転。同年は『ドラゴンクエストシリーズ』の堀井雄二、漫画家の鳥山明と共に『クロノ・トリガー』を制作、更にはマリオシリーズのキャラクターを扱った『スーパーマリオRPG』も任天堂と共同制作し、同社は絶頂期を迎える。
1996年(平成8年)、水野に代わり武市智行が社長に就任。『トバルNo.1』でPlayStationに参入。そして翌1997年(平成9年)に発売した『ファイナルファンタジーVII』は国内で400万本、全世界で1,035万本という売上を記録。しかし、同時期に任天堂と絶縁状態になり山内溥社長(当時)にゲームボーイでのソフトリリースを「死んでもさせるつもりはない」とまで言われるほど険悪な関係に陥る。(詳しくはスクウェア・エニックス#任天堂との関係を参照)。一方、1999年(平成11年)にバンダイから発売された、任天堂ゲームボーイのライバルとなる携帯ゲーム機ワンダースワンに参入し、同機種の売り上げに貢献。しかし、ゲームボーイの牙城は崩すことはできなかった。なお、2002年(平成14年)には和解して任天堂のゲーム機で再びソフトをリリースしている。
2000年(平成12年)5月、武市に変わって鈴木尚副社長が社長となる。
また2000年(平成12年)頃からは制作するゲームソフトを『ファイナルファンタジー』絡みの作品に絞ろうとする方針を打ち出した。そのため、一部の開発者が退社してモノリスソフトやブラウニーブラウン、サクノス、アルファドリーム、ポンスビックなどの会社を設立していった。しかし、鈴木尚社長退任後は方向を転換し、ブラウニーブラウンやモノリスソフトには外注を依頼している。
米国のゲーム会社、エレクトロニック・アーツ社の日本進出の際に合弁で「エレクトロニック・アーツ・スクウェア株式会社」を設立した。また、逆にスクウェアが海外進出する際も、米国子会社「SQUARE ELECTRONIC ARTS LLC.」を合弁で設立した。
2001年(平成13年)に制作した映画版『ファイナルファンタジー』の興行成績が振るわず、特別損失を計上。鈴木尚社長は責任を取って辞任し、和田洋一に社長が交代。財務体質を改善するため、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の資本参加を受けた。実はSCEに資本参加を求める前に当時絶縁状態にあった任天堂に救済を求めていたが、両者の考え方の違い、特にオンライン面にまだ懐疑的だった任天堂が救済の条件に、スクウェアが推し進めていたPlayOnline事業の凍結を求めたため、交渉は決裂に終わっている。
2002年(平成14年)11月26日に株式会社エニックスとの合併を発表。しかし、スクウェアのオーナーであり、筆頭株主の宮本が株式交換比率1対0.81ではスクウェアの価値を低く見ているとして合併に反対を表明し、後に比率が1対0.85に変更されるというアクシデントもあった。2003年(平成15年)4月1日に合併し、スクウェア・エニックスとなった。これをエニックスによる救済措置と見る向きが多い。なお、この時点で既にスクウェアの財務状態は改善されていた。
1990年代には大阪に開発所を設けていたことがあり、「時空の覇者 Sa・Ga3」「ファイナルファンタジーUSA ミスティッククエスト」「ルドラの秘宝」「アインハンダー」などを生み出した。
1990年代後半の3DCG制作が全盛の頃、ハワイのホノルルに開発スタジオを置いていた時期もあり、坂口博信は現在もホノルルを拠点に活動している。
1990年代中盤は、他のゲーム会社でヒットソフトを作った開発陣を移籍させるというヘッドハンティングが目立ち、それによって従来のRPGだけのメーカーというイメージを脱却しようと、対戦型格闘ゲーム、スポーツゲームなどその他のジャンルのシリーズものの確立を目指した。
一時期、スポーツゲーム、テーブルゲームなどで、「AQUES(アクエス)」というサブブランドを使用していた。
スーパーファミコンの全盛期、アスキー(現エンターブレイン)のパソコンゲーム情報誌「ログイン」に、毎号4〜6ページの求人広告を出稿していた。見開き単位での構成で、主に当時のスクウェアがアピールしていた「労働裁量制による働きやすさ重視の企業」という点を強く打ち出した内容となっていた。この時期、既にパソコンゲームソフト市場からは事実上撤退していたスクウェアのこの広告は、同誌に掲載される広告の殆どがゲームその他のパソコンソフトやパソコン本体のものだった事も手伝って、かなり浮いた存在だった。
全てDOGブランドより発売。
会社が合併した2003年4月以降に発売されたソフトについては、スクウェア・エニックスのゲームタイトル一覧の項目で掲載。
ゴルフのアドレスやグリップで使われる「スクウェア」が由来である。
スクウェア(square)には「正方形」「広場」「頑固な」「きちんとした」などの意味があり、ゴルフでは飛球線に対して90度に正対している状態を指す。問題に対して逃げ腰ではなく、直視していく企業体を目指す意味で名付けられた。また、ゲームソフトのクリエーター達が集まる広場「スクウェア」を意味している。会社生誕の地である四国(四角形から)への謝意、先端機器が整備された製作環境の中で、クリエーター達が豊かな感性と創造力を発揮し、世界に通用するエンタテインメントを提供する国際的企業となる思いが込められている。
1992年(平成4年)、水野哲夫社長就任後にCIを導入。ロゴタイプが改められ、以後発売の製品には「SQUARESOFT」(スクウェアソフト)ブランドを用いていた。初期の雑誌広告などではスクエアーソフトという表記も確認されている。
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"text": "スーパーファミコンの全盛期、アスキー(現エンターブレイン)のパソコンゲーム情報誌「ログイン」に、毎号4〜6ページの求人広告を出稿していた。見開き単位での構成で、主に当時のスクウェアがアピールしていた「労働裁量制による働きやすさ重視の企業」という点を強く打ち出した内容となっていた。この時期、既にパソコンゲームソフト市場からは事実上撤退していたスクウェアのこの広告は、同誌に掲載される広告の殆どがゲームその他のパソコンソフトやパソコン本体のものだった事も手伝って、かなり浮いた存在だった。",
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"text": "会社が合併した2003年4月以降に発売されたソフトについては、スクウェア・エニックスのゲームタイトル一覧の項目で掲載。",
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"text": "スクウェア(square)には「正方形」「広場」「頑固な」「きちんとした」などの意味があり、ゴルフでは飛球線に対して90度に正対している状態を指す。問題に対して逃げ腰ではなく、直視していく企業体を目指す意味で名付けられた。また、ゲームソフトのクリエーター達が集まる広場「スクウェア」を意味している。会社生誕の地である四国(四角形から)への謝意、先端機器が整備された製作環境の中で、クリエーター達が豊かな感性と創造力を発揮し、世界に通用するエンタテインメントを提供する国際的企業となる思いが込められている。",
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"text": "1992年(平成4年)、水野哲夫社長就任後にCIを導入。ロゴタイプが改められ、以後発売の製品には「SQUARESOFT」(スクウェアソフト)ブランドを用いていた。初期の雑誌広告などではスクエアーソフトという表記も確認されている。",
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"text": "一時期使用していたサブブランド「AQUES(アクエス)」の由来はAdvanced QUality of Entertainment&Sports の頭文字を取ったもの。",
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] | 株式会社スクウェアは、かつて存在した日本のコンピュータゲームソフト会社。2003年(平成15年)4月1日に同業のエニックスと合併し、スクウェア・エニックス(法人としては現在のスクウェア・エニックス・ホールディングス)となった。以下ではこの旧スクウェアについて解説する。 古くは『ディスク・オリジナル・グループ DOG』などでファミリーコンピュータ ディスクシステム向けソフトを開発していた。同社発売の『ファイナルファンタジーシリーズ』はエニックス(現スクウェア・エニックス)発売の『ドラゴンクエストシリーズ』と並ぶ、日本でのコンピュータRPGの両巨頭である。 | {{Pathnav|スクウェア・エニックス・ホールディングス|スクウェア・エニックス|frame=1}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = 株式会社スクウェア
| 英文社名 = SQUARE CO., LTD.
| ロゴ = [[File:Square Logo.svg|250px]]
| 画像 =
| 画像説明 =
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 機関設計 =
| 市場情報 =
| 略称 =
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 153-8688
| 本社所在地 = [[東京都]][[目黒区]][[下目黒]]一丁目8番1号
| 本社緯度度 =
| 本社緯度分 =
| 本社緯度秒 =
| 本社N(北緯)及びS(南緯) =
| 本社経度度 =
| 本社経度分 =
| 本社経度秒 =
| 本社E(東経)及びW(西経) =
| 本社地図国コード =
| 本店郵便番号 =
| 本店所在地 =
| 本店緯度度 =
| 本店緯度分 =
| 本店緯度秒 =
| 本店N(北緯)及びS(南緯) =
| 本店経度度 =
| 本店経度分 =
| 本店経度秒 =
| 本店E(東経)及びW(西経) =
| 本店地図国コード =
| 設立 = [[1966年]]([[昭和]]41年)[[7月11日]]{{Efn|創業直後の会社設立は1986年9月であるが、その後の会社合併により登記上の設立日は1966年7月となっている<ref name="FAQ" />。詳細は[[#沿革]]を参照。}}
| 業種 = 5250
| 法人番号 =
| 統一金融機関コード =
| SWIFTコード =
| 事業内容 = [[コンシューマーゲーム]]の開発・販売
| 代表者 = [[代表取締役]][[社長]]兼[[最高経営責任者|CEO]] [[和田洋一 (スクウェア・エニックス)|和田洋一]]
| 資本金 =
| 発行済株式総数 =
| 売上高 =
| 営業利益 =
| 経常利益 =
| 純利益 =
| 純資産 =
| 総資産 =
| 従業員数 =
| 支店舗数 =
| 決算期 =
| 会計監査人 =
| 所有者 =
| 主要株主 =
| 主要部門 =
| 主要子会社 = 株式会社[[デジキューブ]](2003年解散)
| 関係する人物 = [[宮本雅史 (投資家)|宮本雅史]](創業者)<br />[[鈴木尚 (ゲームクリエイター)|鈴木尚]](創業者)<br />[[水野哲夫]]<br />[[武市智行]]<br />[[坂口博信]]
| 外部リンク = [https://web.archive.org/web/20021130061917/http://ir.square.co.jp/ アーカイブ]
| 特記事項 = 特記なければ、2003年3月31日時点のデータ。同年4月1日に[[エニックス]]と合併し、[[スクウェア・エニックス]]となり解散。
}}
'''株式会社スクウェア'''({{Lang-en-short|SQUARE CO., LTD.}})は、かつて存在した[[日本]]の[[コンピュータゲーム]]ソフト会社。[[2003年]]([[平成]]15年)[[4月1日]]に同業の[[エニックス]]と[[合併 (企業)|合併]]し、[[スクウェア・エニックス]](法人としては現在の[[スクウェア・エニックス・ホールディングス]])となった。以下ではこの旧スクウェアについて解説する。
古くは『[[ディスク・オリジナル・グループ]] DOG』などで[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]]向けソフトを開発していた。同社発売の『'''[[ファイナルファンタジーシリーズ]]'''』はエニックス(現スクウェア・エニックス)発売の『[[ドラゴンクエストシリーズ]]』と並ぶ、日本での[[コンピュータRPG]]の両巨頭である。
== 概要 ==
[[1983年]]([[昭和]]58年)10月に創業者・[[宮本雅史 (投資家)|宮本雅史]]の父が経営する[[徳島県]]の電気工事会社[[電友社]]のソフト開発部門として設立されたが、[[1986年]](昭和61年)9月に独立。設立当初の[[資本金]]は1000万[[円 (通貨)|円]]。[[2002年]](平成14年)3月31日当時の資本金は119億4500万円。また、元[[社長]]・[[武市智行]]の出身である[[四国銀行]]との関連も深い。
創業時に[[事業所]]を置いたのは、[[コーエー|光栄]]と同じ[[神奈川県]][[横浜市]][[港北区]][[日吉 (横浜市)|日吉]]だった。ここでは人材確保を目的に、40台もの最新[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]を自由に使える会員制[[サロン]]を開設していた。かくしてすぐ目の前にある[[慶應義塾大学]]日吉キャンパスや、[[横浜国立大学]]、[[神奈川大学]]など[[横浜市|横浜]]周辺に[[キャンパス]]を置く[[大学]]の学生たちが出入りするようになる。その中からは同社で[[アルバイト]]を始め、そのまま正式入社した者もおり、同社の初期作品を手がけたスタッフには[[:Category:神奈川県の大学|神奈川県にある大学]]の出身者が多い。
創業から半年後の[[1984年]]春、サロンの会員から選ばれたメンバーと公募で集められた者、計10名のスタッフによる[[ゲームソフト]]開発が開始される。当初は[[日本電気|NEC]][[PC-8801|PC-8801シリーズ]]を中心としたパソコン用の[[アドベンチャーゲーム]]や[[ロールプレイングゲーム]]を主力商品とした。シナリオ面でも評価されたほか、ビジュアル性にこだわりを見せた内容がクローズアップされる事が多かった。部分的ではあるが[[アニメーション]]を取り入れた『[[ウィル デス・トラップII|WILL デス・トラップII]]』、パッケージイラストに[[いのまたむつみ]]を起用した上にゲーム本編の[[アニメーション|アニメ]]風ビジュアルで人気となった『[[アルファ (ゲーム)|アルファ]]』、[[サンライズ (アニメ制作会社)|日本サンライズ]]と組んで内容面でもビジュアル面でも[[ロボットアニメ]]の雰囲気を強く打ち出した『[[クルーズチェイサー ブラスティー]]』などはゲーム情報誌でも大きく取り上げられた。またラインナップ充実のため、他社作品の移植にも力を入れていた。
[[1985年]](昭和60年)から[[任天堂]]とライセンス契約を結び[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]用ソフトを提供し始める。ファミコン市場への参入は開発スタッフからの要望に応えてのものだったという。当時のパソコンは機種ごとに独自仕様であり、後継機種であっても従来機のソフトが動かない事も多く、[[移植 (ソフトウェア)|移植]]にも新規開発と同等に労力を要したのに対し、ファミコンには内部仕様の変更はあれどハードの変更がなく、また移植の必要もないのでより腰を据えて開発に臨めるという理由からである<ref>[[辰巳出版]]刊『パソコンゲーム80年代記』(1990年5月発行)掲載のメーカーインタビューによる。</ref>。[[1986年]]には、ファミコン初の[[アクションRPG]]として『[[キングスナイト]]』を発表した。しかし実質、RPG要素の薄い従来型のシューティングゲームであり、販売本数も伸びなかった。その後もパソコンゲームメーカーと組んで[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]]で多くのゲームを送り出す [[ディスク・オリジナル・グループ|DOG(Disk Original Group)]] ブランドを展開するなど意欲を見せるも、なかなかヒット作を出せずにいた。
市場からの撤退も考えていた中、[[坂口博信]](後に副社長)らが開発し、[[1987年]]に発売された『'''[[ファイナルファンタジー]]'''』のヒットで飛躍の足がかりを掴み、その後は[[サガシリーズ|'''『サガ』シリーズ''']]、[[聖剣伝説|'''『聖剣伝説』シリーズ''']]等のRPGを主に制作、一気に大手メーカーとなった。
『ファイナルファンタジー』のヒットは同社に多大な利益をもたらした。『[[ファイナルファンタジーII]]』の発売と前後する時期、[[代々木]]で『ファイナルファンタジー』の[[キャラクターグッズ専門店|グッズショップ]]を展開した。このショップではスクウェアから[[ライセンス]]を得て各社が発行していた出版物等の他、イメージイラストを使用した[[マグカップ]]等オリジナルグッズも扱っていた。<!--余談だがこのショップの閉店後、その空いたテナントには僅かに遅れてショップ運営を開始した[[日本ファルコム]]の[[ファルコムショップ]]が入る事となる。-->
[[1992年]](平成4年)に宮本に代わり[[水野哲夫]]が社長に就任。[[ゲームボーイ]]用ソフトの開発を引き上げ、タイトルをスーパーファミコンに専念。ミリオンセラーを続々と叩き出し、株式店頭公開も行う。[[1995年]](平成7年)には本社を[[目黒区]]のアルコタワーに移転。同年は『[[ドラゴンクエストシリーズ]]』の[[堀井雄二]]、漫画家の[[鳥山明]]と共に『[[クロノ・トリガー]]』を制作、更にはマリオシリーズのキャラクターを扱った『[[スーパーマリオRPG]]』も任天堂と共同制作し、同社は絶頂期を迎える。
[[1996年]](平成8年)、水野に代わり[[武市智行]]が社長に就任。『[[トバルNo.1]]』で[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]に参入。そして翌[[1997年]](平成9年)に発売した『'''[[ファイナルファンタジーVII]]'''』は国内で400万本、全世界で1,035万本という売上を記録。しかし、同時期に任天堂と絶縁状態になり[[山内溥]]社長(当時)に[[ゲームボーイ]]でのソフトリリースを「死んでもさせるつもりはない」とまで言われるほど険悪な関係に陥る。(詳しくは[[スクウェア・エニックス#任天堂との関係]]を参照)。一方、[[1999年]](平成11年)に[[バンダイ]]から発売された、任天堂ゲームボーイのライバルとなる携帯ゲーム機[[ワンダースワン]]に参入し、同機種の売り上げに貢献。しかし、ゲームボーイの牙城は崩すことはできなかった。なお、2002年(平成14年)には和解して任天堂のゲーム機で再びソフトをリリースしている。
[[2000年]](平成12年)5月、武市に変わって[[鈴木尚 (ゲームクリエイター)|鈴木尚]]副社長が社長となる。
また2000年(平成12年)頃からは制作するゲームソフトを『ファイナルファンタジー』絡みの作品に絞ろうとする方針を打ち出した。そのため、一部の開発者が退社して[[モノリスソフト]]や[[ブラウニーブラウン]]、[[サクノス]]、[[アルファドリーム]]、[[ポンスビック]]<!--『[[クロスゲート]]』『[[コンチェルトゲート フォルテ]]』などのオンラインゲームを製作していた会社。2011年倒産--><ref>{{Cite web|和書|title=オンラインゲーム開発のポンスビック、自己破産を申請・・・『コンチェルトゲート』『SFO』など|publisher=GameBusiness.jp|url=https://www.gamebusiness.jp/article.php?id=2915|accessdate=2020-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150518102222/https://www.gamebusiness.jp/article.php?id=2915|archivedate= 2015-05-18}}</ref>などの会社を設立していった。しかし、鈴木尚社長退任後は方向を転換し、ブラウニーブラウンやモノリスソフトには外注を依頼している。
米国のゲーム会社、[[エレクトロニック・アーツ]]社の日本進出の際に合弁で「エレクトロニック・アーツ・スクウェア株式会社」を設立した。また、逆にスクウェアが海外進出する際も、米国子会社「SQUARE ELECTRONIC ARTS LLC.」を合弁で設立した。
[[2001年]](平成13年)に制作した[[ファイナルファンタジー (映画)|映画版『ファイナルファンタジー』]]の興行成績が振るわず、特別損失を計上。鈴木尚社長は責任を取って辞任し、[[和田洋一 (スクウェア・エニックス)|和田洋一]]に社長が交代。財務体質を改善するため、[[ソニー・コンピュータエンタテインメント]](SCE)の[[資本参加]]を受けた。実はSCEに資本参加を求める前に当時絶縁状態にあった任天堂に救済を求めていたが、両者の考え方の違い、特にオンライン面にまだ懐疑的だった任天堂が救済の条件に、スクウェアが推し進めていた[[PlayOnline]]事業の凍結を求めたため、交渉は決裂に終わっている{{要出典|date=2008年12月}}。
2002年(平成14年)11月26日に株式会社エニックスとの合併を発表。しかし、スクウェアの[[オーナー]]であり、筆頭[[株主]]の宮本が[[株式交換]]比率1対0.81ではスクウェアの価値を低く見ているとして合併に反対を表明し、後に比率が1対0.85に変更されるというアクシデントもあった。2003年(平成15年)4月1日に合併し、[[スクウェア・エニックス]]となった。これをエニックスによる救済措置と見る向きが多い。なお、この時点で既にスクウェアの財務状態は改善されていた<ref>{{Cite web|和書|date=2020-08-22|url=https://note.com/waday/n/n01b4c3ec81b8|title=そろそろ語ろうか(其の壱)|和田洋一|publisher=note|accessdate=2020-09-09}}</ref>。
=== 社風 ===
[[1990年代]]には[[大阪市|大阪]]に開発所を設けていたことがあり、「[[時空の覇者 Sa・Ga3]]」「[[ファイナルファンタジーUSA ミスティッククエスト]]」「[[ルドラの秘宝]]」「[[アインハンダー]]」などを生み出した。
[[1990年代]]後半の[[3次元コンピュータグラフィックス|3DCG]]制作が全盛の頃、[[ハワイ州|ハワイ]]の[[ホノルル]]に開発スタジオを置いていた時期もあり、坂口博信は現在もホノルルを拠点に活動している。
1990年代中盤は、他のゲーム会社でヒットソフトを作った開発陣を移籍させるという[[ヘッドハンティング]]が目立ち、それによって従来の[[コンピュータRPG|RPG]]だけのメーカーというイメージを脱却しようと、[[対戦型格闘ゲーム]]、[[スポーツゲーム]]などその他のジャンルのシリーズものの確立を目指した。
一時期、スポーツゲーム、[[テーブルゲーム]]などで、「AQUES([[アクエス]])」というサブブランドを使用していた。
スーパーファミコンの全盛期、[[アスキー (出版社)|アスキー]](現[[エンターブレイン]])のパソコンゲーム情報誌「[[ログイン (雑誌)|ログイン]]」に、毎号4〜6ページの[[求人広告]]を出稿していた。見開き単位での構成で、主に当時のスクウェアがアピールしていた「[[労働裁量制]]による働きやすさ重視の企業」という点を強く打ち出した内容となっていた。この時期、既にパソコンゲームソフト市場からは事実上撤退していたスクウェアのこの広告は、同誌に掲載される広告の殆どがゲームその他のパソコンソフトやパソコン本体のものだった事も手伝って、かなり浮いた存在だった。
== 沿革 ==
=== 宮本雅史社長時代 ===
{{seealso|宮本雅史 (投資家)}}
*1986年9月 - 東京都[[中央区 (東京都)|中央区]]銀座三丁目11番13号に(旧)'''株式会社スクウェア'''設立。
*1987年9月 - 本社を東京都[[台東区]][[台東 (台東区)|台東]]三丁目12番1号に移転。
*[[1990年]]2月27日 - 本社を東京都[[港区 (東京都)|港区]]赤坂七丁目6番38号に移転。
*[[1991年]]4月24日 - 株式額面金額の変更を目的として、(新)株式会社スクウェア([[1966年]][[7月11日]]設立)に合併。本店を東京都目黒区上目黒三丁目10番3-209号から旧会社の本店である東京都港区赤坂七丁目6番38号に移転。
=== 水野哲夫社長時代 ===
{{seealso|水野哲夫}}
*[[1992年]]3月 - 登記上の本店を東京都港区[[西新橋]]一丁目6番21号(大和銀行ビル)に移転。実質的な本社機能を、東京都渋谷区恵比寿一丁目13番6号に移転。
*[[1993年]]9月 - 登記上の本店を東京都[[渋谷区]][[恵比寿 (渋谷区)|恵比寿]]一丁目20番18号(三富ビル)に移転。
*[[1994年]]1月 - [[株式会社ソリッド (ゲーム会社)|ソリッド]](旧商号:[[コブラチーム]])を買収し、100%子会社とする。
*1994年6月 - 登記上の本店を東京都港区[[麻布|西麻布]]四丁目3番11号に移転。
*1994年8月 - 株式店頭公開。
*[[1995年]] - 『[[スーパーマリオRPG]]』の開発メンバーを中心とした社員が辞職・独立し、[[ラブデリック]]を設立。その後[[バンプール]]・[[スキップ (ゲーム会社)|スキップ]]・[[パンチライン (企業)|パンチライン]]などの会社に分かれる。
*1995年7月 - 本社を東京都[[目黒区]]下目黒一丁目8番1号(アルコタワー)に移転。
*1996年2月 - 完全子会社として[[デジキューブ|株式会社デジキューブ]]を設立。
=== 武市智行社長時代 ===
{{seealso|武市智行}}
*[[1997年]]5月 - ホノルルスタジオを設置。坂口博信副社長及び[[榊原幹典]]を中心に映画や『[[ファイナルファンタジーIX]]』の開発を行う。
*1997年8月 - 『[[聖剣伝説2]]』や『[[聖剣伝説3]]』などの作曲をした[[菊田裕樹]]を中心とした社員が辞職・独立し、サクノスを設立。
*[[1998年]]5月 - [[エレクトロニック・アーツ]]と日米に合弁会社を設立。アメリカにはスクウェアのソフトをアメリカ向けに販売するSquare Electronic Arts LLCをスクウェアが70%、エレクトロニック・アーツが30%出資して設立し、日本にはエレクトロニック・アーツ製品を販売するエレクトロニック・アーツ・スクウェア株式会社をスクウェアが30%、エレクトロニック・アーツが70%出資して設立<ref>{{Cite web|和書|date=1998-04-27|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/980427/square.htm|title=スクウェアがエレクトロニック・アーツと合弁会社を設立|publisher=PC Watch|accessdate=2012-08-30}}</ref>。
*1998年11月 - フルCG映画「Final Fantasy The Movie」の制作を発表。
*1999年7月 - CG部門を株式会社スクウェアヴィジュアルワークスに、サウンド部門を株式会社スクウェアサウンズに、品質管理・ユーザーサポート部門を株式会社スクアーツにそれぞれ完全子会社として分社化。完全子会社として株式会社スクウェアネクスト(株式会社[[ゲームデザイナーズ・スタジオ]]→[[SQEX]])を設立。
*1999年10月 - 『[[ゼノギアス]]』の開発メンバーを中心とした社員が辞職・独立し、モノリスソフトを設立。
*2000年1月 − 大阪開発部長の[[藤岡千尋]]及び[[水野哲夫]]元社長を中心とした社員が辞職・独立し、アルファドリームを設立。
*2000年1月29日 - プライベートイベント[[スクウェア・ミレニアム]]を開催、オンラインサービスPlay Onlineと[[ファイナルファンタジー]]IX、X、XIの計3作を同時発表
*2000年2月 - 『クロノ・トリガー』のグラフィックディレクターをした[[蒲田泰彦]]を中心とした社員が辞職・独立し、ポンスビックを設立。
*2000年5月 - 開発事業部の統廃合が行われた(通称[[FFシフト]])。武市智行社長に代わり鈴木尚副社長が社長となる。
=== 鈴木尚社長時代 ===
{{seealso|鈴木尚 (ゲームクリエイター)}}
*2000年6月 - 『[[聖剣伝説 LEGEND OF MANA]]』の開発メンバーを中心とした社員が辞職・独立し、ブラウニーブラウンを設立。
*2000年6月 - 経営コンサルタントの[[大前研一]]、元マイクロソフト日本法人社長の[[成毛眞]]が社外取締役に就任。
*2000年8月 - 東京証券取引所一部上場。
*2001年1月 - 株式会社スクウェアヴィジュアルワークス及び株式会社スクアーツを合併。
*2001年2月 - ファイナルファンタジーシリーズの生みの親である坂口博信副社長が『[[ファイナルファンタジーX]]』発売延期の責任を取る形で{{要出典|date=2021年5月}}辞任。その後辞職・独立し[[2004年]]に[[ミストウォーカー]]を設立する。
*2001年10月 - [[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]に対する約149億円の第三者割当増資を実施し、ソニー・コンピュータエンタテインメントが発行済み株式の約19%を取得<ref>https://www.sie.com/content/dam/corporate/jp/corporate/release/pdf/011009.pdf</ref>。
*2001年12月 - 鈴木尚社長に代わり和田洋一が社長となる。
=== 和田洋一社長時代 ===
{{Seealso|和田洋一 (スクウェア・エニックス)}}
* 2002年3月 - ホノルルスタジオを閉鎖。
* 2002年4月 - 株式会社スクウェアサウンズを合併。
* 2002年5月 - 榊原幹典を中心とした社員が辞職・独立し、[[Sprite Entertainment]]([[アミューズ]]の子会社→[[オー・エル・エム|オー・エル・エム デジタル]]の子会社)を設立。
* 2002年6月19日 - [[クエスト (ゲーム会社)|株式会社クエスト]]よりゲームソフトウェア事業の譲渡を受ける。
* 2003年2月 - スクウェア大阪開発部のサウンドスタッフ、関戸剛と福井健一郎がバンド「[[THE BLACK MAGES]]」を結成。
* 2003年3月31日 - エレクトロニック・アーツ・スクウェア株式会社(現エレクトロニック・アーツ株式会社)の全株式を米国エレクトロニック・アーツ社へ譲渡。合弁を解消する。<!--エニックスとの合併とは無関係。-->
* 2003年4月1日 - 株式会社エニックスと合併し、'''株式会社スクウェア・エニックス'''が発足。存続会社はエニックスで、スクウェアは解散。
== 開発・発売タイトル一覧 ==
=== パーソナルコンピュータ用ソフト ===
*[[ザ・デストラップ]] ''THE DEATH TRAP'' (1984年10月 アドベンチャー PC-8801、PC-9801、FM-7)
*[[ウィル デス・トラップII|Will -The death trap 2-]](1985年6月 アドベンチャー PC-8801、PC-9801、FM-7、X1)
*[[ドラゴンスレイヤー (ゲーム)|ドラゴンスレイヤー]] ''DRAGON SLAYER'' (1985年9月 RPG、[[MSX]]、[[PC-9801]]用への移植版) オリジナル版(1984年10月)は日本ファルコム
*[[テグザー]] ''THEXDER'' (1985年7月20日 シューティング、[[X1 (コンピュータ)|X1]]用への移植版) オリジナル版(1985年4月)は[[ゲームアーツ]]
*[[アルファ (ゲーム)|アルファ]] ''ALPHA'' (1986年7月8日 アドベンチャー PC-8801、PC-9801、X1、FM-7)
*[[クルーズチェイサー ブラスティー]] ''CRUISE CHASER BLASSTY'' (1986年4月26日 RPG PC-8801、PC-9801、X1)
*[[キングスナイト]]スペシャル ''KING'S KNIGHT SPECIAL'' (1987年6月 RPG PC-8801mkIISR、X1用への移植版)
*[[ジェネシス (ゲーム)|ジェネシス]] ''GENESIS'' (1987年 RPG PC-8801mkIISR、PC-9801)
*[[エイリアン2]] ''ALIENS2'' (1987年 アクション MSX)
<!--*[[ファイナルファンタジー]] MSXへの移植作品 移植および発売は[[マイクロキャビン]](※スクウェアからの発売ではない)-->
*[[ファイナルファンタジーVIII]]([[Microsoft Windows|Windows]]版、2000年3月23日、発売はエレクトロニック・アーツ)
*[[ファイナルファンタジーXI]](Windows版、2002年[[11月7日]]、オープン価格、オンラインRPG)
<!--
*3156corocoro(発売中止)
*アムトラック(発売中止)
-->
=== ファミリーコンピュータ用ソフト ===
*[[テグザー]](1985年[[12月19日]]、5,500円、シューティング)オリジナル版はゲームアーツ
*[[キングスナイト]](1986年[[9月18日]]、4,900円、シューティング)パッケージでは「フォーメーションRPG」というジャンルを標榜していた。
*[[ハイウェイスター (ゲーム)|ハイウェイスター]](1987年[[8月7日]]、4,500円、レース)
*[[とびだせ大作戦|JJ 〜 とびだせ大作戦パート2]](1987年[[12月7日]]、4,500円、シューティング)
*[[ファイナルファンタジー]](1987年[[12月18日]]、5,900円、RPG)
*[[ディープダンジョン|ディープダンジョンIII 勇士への旅]]([[1988年]][[5月13日]]、5,900円、RPG)
*[[半熟英雄]](1988年[[12月2日]]、5800円、シミュレーションRPG)
*[[ファイナルファンタジーII]](1988年[[12月17日]]、6,500円、RPG)
*[[スクウェアのトム・ソーヤ]]([[1989年]][[11月30日]]、6,500円、RPG)
*[[ファイナルファンタジーIII]](1990年[[4月27日]]、8,400円、RPG)
*[[ファイナルファンタジーI・II]](1994年[[2月27日]]、6,800円、RPG)
=== ファミコン ディスクシステム用ソフト ===
全てDOGブランドより発売。
*[[水晶の龍]](1986年[[12月15日]]、3,400円、アドベンチャー)
*[[ディープダンジョン|ディープダンジョン 魔洞戦記]](1986年12月19日、3,400円、RPG)
*[[とびだせ大作戦]](1987年[[3月12日]]、3,400円、アクション)
*[[アップルタウン物語]](1987年[[4月3日]]、3,400円、シミュレーション)
*[[ハオ君の不思議な旅]](1987年[[5月1日]]、3,400円、アクション)
*[[ディープダンジョン|勇士の紋章 ディープダンジョンII]](1987年[[5月30日]]、3,400円、RPG)
*[[磁界少年メットマグ]](1987年[[7月3日]]、3,400円、パズル)
*[[クレオパトラの魔宝]](1987年[[7月24日]]、3,300円、RPG)
*[[カリーンの剣]](1987年[[10月2日]]、3,300円、アクションRPG)
*[[亜空戦記ライジン]](1988年[[7月12日]]、書き換え500円、シューティング)
*[[ムーンボールマジック]](1988年7月12日、書き換え500円、ピンボール)
=== ゲームボーイ用ソフト ===
*[[魔界塔士Sa・Ga]](1989年12月15日、3,500円、RPG、110万本(日本国内))
*[[Sa・Ga2 秘宝伝説]](1990年[[12月14日]]、4,800円、RPG、85万本(日本国内))
*[[聖剣伝説 〜ファイナルファンタジー外伝〜]](1991年[[6月28日]]、4,800円、アクションRPG、45万本)
*[[時空の覇者 Sa・Ga3|時空の覇者 Sa・Ga3 [完結編]]](1991年[[12月13日]]、4,900円、RPG)
=== スーパーファミコン用ソフト ===
*[[ファイナルファンタジーIV]](1991年[[7月19日]]、8,800円、RPG)
*[[ファイナルファンタジーIV|ファイナルファンタジーIV イージータイプ]](1991年[[10月29日]]、9,000円、RPG)
*[[ロマンシング サ・ガ]](1992年[[1月28日]]、9,500円、RPG)
*[[ファイナルファンタジーV]](1992年[[12月6日]]、9,800円、RPG)
*[[半熟英雄|半熟英雄 ああ、世界よ半熟なれ…!!]](1992年12月19日、9,500円、シミュレーションRPG)
*[[聖剣伝説2]](1993年[[8月6日]]、9,800円、アクションRPG)
*[[ファイナルファンタジーUSA ミスティッククエスト]](1993年[[9月10日]]、7,900円、RPG)
*[[ロマンシング サ・ガ2]](1993年[[12月10日]]、9,900円、RPG)
*[[アルカエスト]](1993年12月17日、8,800円、アクション)
*[[ファイナルファンタジーVI]](1994年[[4月2日]]、11,400円、RPG)
*[[ライブ・ア・ライブ]](1994年[[9月2日]]、9,900円、RPG)
*[[FRONT MISSION|フロントミッション]](1995年[[2月24日]]、11,400円、シミュレーションRPG)
*[[クロノ・トリガー]](1995年[[3月11日]]、11,400円、RPG)
*[[聖剣伝説3]](1995年[[9月30日]]、11,400円、アクションRPG)
*[[ロマンシング サ・ガ3]](1995年[[11月11日]]、11,400円、RPG)
*[[バハムートラグーン]](1996年[[2月9日]]、11,400円、シミュレーションRPG)
*[[FRONT MISSION SERIES GUN HAZARD|ガンハザード]](1996年[[2月23日]]、11,400円、アクション)
*[[ルドラの秘宝]](1996年[[4月5日]]、8,000円、RPG)
*[[トレジャーハンターG]](1996年[[5月24日]]、7,900円、RPG)
=== サテラビュー配信タイトル ===
*[[ダイナマイ・トレーサー]](1996年)
*[[トレジャー・コンフリクス]](1996年)
*[[恋はバランス たとえばK君の多忙な一日編]](1996年)
*[[ラジカル・ドリーマーズ -盗めない宝石-]](1996年)
=== PlayStation用ソフト ===
*[[トバルNo.1]](1996年[[8月2日]]、5,800円、アクション)
*[[ファイナルファンタジーVII]](1997年[[1月31日]]、6,800円、RPG)※ディスク3枚組
*[[プロロジック麻雀 牌神]](1997年1月31日、5,800円、その他)
*[[ブシドーブレード]](1997年[[3月14日]]、5,800円、アクション)
*[[ファイナルファンタジーIV]](1997年[[3月21日]]、4,800円、RPG)
*[[パワーステークス]](1997年[[4月11日]]、5,800円、シミュレーション)
*[[トバル2]](1997年[[4月25日]]、5,800円、アクション)
*[[ファイナルファンタジータクティクス]](1997年[[6月20日]]、6,800円、シミュレーションRPG)
*[[デジカルリーグ]](1997年6月20日、5,800円、スポーツ)
*[[サガ フロンティア]](1997年7月11日、6,800円、RPG)
*[[FRONT MISSION 2|フロントミッションセカンド]](1997年[[9月25日]]、6,800円、シミュレーションRPG)
*[[ファイナルファンタジーVII|ファイナルファンタジーVII インターナショナル]](1997年10月2日、6,800円、RPG)※ディスク4枚組
*[[パワーステークス Grade1]](1997年[[10月9日]]、4,800円、シミュレーション)
*[[アインハンダー]](1997年[[11月20日]]、5,800円、シューティング)
*[[FRONT MISSION ALTERNATIVE|フロントミッションオルタナティヴ]](1997年12月18日、5,800円、シミュレーションRPG)
*[[チョコボの不思議なダンジョン]](1997年[[12月23日]]、6,800円、RPG)
*[[スーパーライブスタジアム]](1998年[[1月1日]]、5,800円、スポーツ)
*[[ゼノギアス]](1998年[[2月11日]]、6,800円、RPG)※ディスク2枚組
*[[ブシドーブレード|ブシドーブレード2]](1998年3月12日、5,800円、アクション)
*[[牌神2]](1998年[[3月26日]]、5,800円、その他)
*[[パラサイト・イヴ (ゲーム)|パラサイト・イヴ]](1998年[[3月29日]]、6,800円、RPG)※ディスク2枚組
*[[ファイナルファンタジーV]](1998年[[3月19日]]、4,800円、RPG)
*[[パワーステークス2]](1998年[[4月9日]]、5,800円、シミュレーション)
*[[双界儀]](1998年[[5月28日]]、6,800円、アクション)※ディスク3枚組
*[[ブレイヴフェンサー 武蔵伝]](1998年[[7月16日]]、6,800円、アクションRPG)
*[[アナザー・マインド]](1998年[[11月12日]]、5,800円、アドベンチャー)
*[[エアガイツ]](1998年12月17日、5,800円、アクション)
*[[チョコボの不思議なダンジョン2]](1998年12月23日、6,800円、RPG)
*[[IS internal section]](1999年1月28日、5,800円、シューティング)
*[[ファイナルファンタジーVIII]](1999年2月11日、7,800円、RPG)※ディスク4枚組
*[[ファイナルファンタジーVI]](1999年3月11日、4,800円、RPG)※[[コンビニエンスストア|コンビニ]]専売
*[[ファイナルファンタジーコレクション]](1999年3月11日、6,800円、RPG)※ディスク3枚組
*[[チョコボレーシング 〜幻界へのロード〜]](1999年[[3月18日]]、5,800円、レース)
*[[サガ フロンティア2]](1999年4月1日、6,800円、RPG)
*[[サイバーオーグ]](1999年[[4月22日]]、5,800円、アクション)
*[[レーシングラグーン]](1999年[[6月10日]]、5,800円、レース・RPG)
*[[聖剣伝説 LEGEND OF MANA|聖剣伝説 レジェンド オブ マナ]](1999年[[7月15日]]、6,800円、アクションRPG)
*[[FRONT MISSION3|フロントミッションサード]](1999年9月2日、6,800円、シミュレーションRPG)
*[[デュープリズム]](1999年[[10月14日]]、5,800円、アクションRPG)
*[[クロノ・トリガー]](1999年[[11月2日]]、4,800円、RPG)
*[[クロノ・クロス]](1999年[[11月18日]]、6,800円、RPG)※ディスク2枚組
*[[パラサイト・イヴ (ゲーム)|パラサイト・イヴ2]](1999年[[12月16日]]、6,800円、アクションRPG)※ディスク2枚組
*[[チョコボスタリオン]](1999年[[12月22日]]、4,800円、シミュレーション)
*[[チョコボコレクション]](1999年12月22日、7,800円、その他)※ディスク3枚組
*[[ベイグラントストーリー]](2000年[[2月10日]]、6,800円、RPG)
*[[ファイナルファンタジーIX]](2000年[[7月7日]]、7,800円、RPG)※ディスク4枚組
*[[ファイナルファンタジー]](2002年[[10月31日]]、3,800円、RPG)
*[[ファイナルファンタジーII]](2002年10月31日、3,800円、RPG)
*ファイナルファンタジーI・II プレミアムパッケージ(2002年10月31日、8,800円、RPG)※ディスク2枚組
=== ワンダースワン用ソフト ===
*[[はたらくチョコボ]](2000年[[9月21日]]、4,200円、シミュレーション)
*[[ファイナルファンタジー]](2000年[[12月9日]]、4,800円、RPG)
*[[ワイルドカード (ゲーム)|ワイルドカード]](2001年3月29日、4,300円、カードゲーム・RPG)
*[[ファイナルファンタジーII]](2001年[[5月3日]]、5,200円、RPG)
*[[ブルーウィングブリッツ]](2001年[[7月5日]]、4,700円、シミュレーションRPG)
*[[ロマンシング サ・ガ]](2001年[[12月20日]]、5,200円、RPG)
*[[半熟英雄|半熟英雄 ああ世界よ半熟なれ…!!]](2002年[[2月14日]]、5,200円、シミュレーションRPG)
*[[魔界塔士Sa・Ga]](2002年[[3月20日]]、5,200円、RPG)
*[[ファイナルファンタジーIV]](2002年[[3月28日]]、5,200円、RPG)
*[[FRONT MISSION|フロントミッション]](2002年7月12日、5,200円、シミュレーションRPG)
=== PlayStation 2用ソフト ===
*[[DRIVING EMOTION TYPE-S]](2000年[[3月30日]]、6,800円、レース)
*[[オールスター・プロレスリング]](2000年[[6月8日]]、6,800円、アクション)
*[[Dramatic Game 1844#テレビゲーム|劇空間プロ野球 AT THE END OF THE CENTURY 1999]](2000年[[9月7日]]、6,800円、スポーツ)
*[[バウンサー (ゲーム)|バウンサー]](2000年12月23日、6,800円、アクションRPG)
*[[ファイナルファンタジーX]](2001年7月19日、8,800円、RPG)
*[[オールスター・プロレスリングII]](2001年[[11月22日]]、6,800円、アクション)
*[[ファイナルファンタジーX|ファイナルファンタジーX インターナショナル]](2002年1月31日、7800円、RPG)
*[[キングダム ハーツ]](2002年3月28日、6,800円、アクションRPG)
*[[日米間プロ野球 FINAL LEAGUE]](2002年4月25日、6,800円、スポーツ)
*[[ファイナルファンタジーXI]](2002年[[5月16日]]、7,800円、オンラインRPG)
*[[ワールドファンタジスタ]](2002年[[6月6日]]、6,800円、スポーツ)
*[[アンリミテッド:サガ]](2002年12月19日、6,800円、RPG)
*[[キングダム ハーツ|キングダムハーツ -FINAL MIX-]](2002年[[12月26日]]、6,800円、アクションRPG)
*[[ファイナルファンタジーX-2]](2003年[[3月13日]]、7,800円、RPG)
=== ゲームボーイアドバンス用ソフト ===
*[[チョコボランド]](2002年12月13日、4,800円、ボードゲーム)
*[[ファイナルファンタジータクティクスアドバンス]](2003年2月14日、5,800円、シミュレーションRPG)
会社が合併した2003年4月以降に発売されたソフトについては、[[スクウェア・エニックスのゲームタイトル一覧]]の項目で掲載。
== 社名の由来 ==
[[File:Logos Square Co Ltd.jpg|thumb|250px|スクウェアの過去のロゴ一覧。]]
[[ゴルフ]]のアドレスやグリップで使われる「スクウェア」が由来である。
[[スクウェア]]([[:wikt:square|square]])には「[[正方形]]」「[[広場]]」「頑固な」「きちんとした」などの意味があり、ゴルフでは飛球線に対して90度に正対している状態を指す。問題に対して逃げ腰ではなく、直視していく企業体を目指す意味で名付けられた。また、ゲームソフトのクリエーター達が集まる広場「スクウェア」を意味している。会社生誕の地である四国(四角形から)への謝意、先端機器が整備された製作環境の中で、クリエーター達が豊かな感性と創造力を発揮し、世界に通用するエンタテインメントを提供する国際的企業となる思いが込められている<ref name="FAQ">[https://web.archive.org/web/20030207093110/http://ir.square.co.jp/cgi-bin/faq/view-f.pl 旧スクウェアIRサイトFAQ]</ref>。
1992年(平成4年)、水野哲夫社長就任後に[[コーポレートアイデンティティ|CI]]を導入。[[ロゴタイプ]]が改められ、以後発売の製品には'''「''SQUARESOFT''」(スクウェアソフト)'''ブランドを用いていた。初期の雑誌広告などでは'''スクエアーソフト'''という表記も確認されている。
一時期使用していたサブブランド「AQUES([[アクエス]])」の由来は'''A'''dvanced '''QU'''ality of '''E'''ntertainment&'''S'''ports の頭文字を取ったもの<ref>ファミ通'96年11月8日・15日合併号</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[エニックス]]
* [[スクウェア・エニックス]]
* [[スクウェア・エニックス・ホールディングス]]
== 外部リンク ==
* [https://www.jp.square-enix.com/ スクウェア・エニックス]
* [https://www.hd.square-enix.com/jpn/index.html スクウェア・エニックス・ホールディングス]
* [https://www.hd.square-enix.com/jpn/company/history.html 沿革(1975年〜) (スクエニHD)]
* {{Wayback|url=http://ir.square.co.jp/|title=スクウェア|date=20021130061917}}
* {{Mediaarts-db}}
{{スクウェア・エニックス・グループ}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:すくうえあ}}
[[Category:スクウェア・エニックスグループの歴史|*]]
[[Category:ディスク・オリジナル・グループ]]
[[Category:かつて存在した日本のコンピュータゲームメーカー]]
[[Category:1986年設立の企業]]
[[Category:2003年廃止の企業]]
[[Category:2003年の合併と買収]] | 2003-02-13T11:20:52Z | 2023-12-10T01:47:57Z | false | false | false | [
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"Template:スクウェア・エニックス・グループ"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2_(%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E4%BC%9A%E7%A4%BE) |
1,291 | 中川いさみ | 中川 いさみ(なかがわ いさみ、本名:中川 功、1962年7月8日 - )は、日本の男性漫画家。神奈川県横浜市出身。旧筆名:中川 イサオ。血液型はB型。東京都世田谷区在住(2010年時点)。兄はアイヌ語学者で千葉大学名誉教授の中川裕。
2003年に朝日新聞広告賞を受賞。
学生時代から漫画を描き始め、1985年「うわさのトラブルマン」(『I'mチャンピオン』)でデビュー。ナンセンス・不条理ギャグを得意とする。ほか挿絵やエッセイも手がける。代表作の『クマのプー太郎』は、テレビアニメ化された。
51歳の時にがん宣告を受ける。「重粒子線がん治療」を選択し、兵庫県立粒子線医療センターに入院した。この闘病記を『重粒子の旅』として漫画化した。 | [
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] | 中川 いさみは、日本の男性漫画家。神奈川県横浜市出身。旧筆名:中川 イサオ。血液型はB型。東京都世田谷区在住(2010年時点)。兄はアイヌ語学者で千葉大学名誉教授の中川裕。 2003年に朝日新聞広告賞を受賞。 学生時代から漫画を描き始め、1985年「うわさのトラブルマン」(『I'mチャンピオン』)でデビュー。ナンセンス・不条理ギャグを得意とする。ほか挿絵やエッセイも手がける。代表作の『クマのプー太郎』は、テレビアニメ化された。 51歳の時にがん宣告を受ける。「重粒子線がん治療」を選択し、兵庫県立粒子線医療センターに入院した。この闘病記を『重粒子の旅』として漫画化した。 | {{存命人物の出典明記|date=2009年3月9日 (月) 12:26 (UTC)}}
{{Infobox 漫画家
| 名前 = 中川 いさみ
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| 脚注 =
| 本名 = 中川功
| 生年 = {{生年月日と年齢|1962|7|8}}
| 生地 = {{JPN}}・[[神奈川県]][[横浜市]]
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| 職業 = [[漫画家]]
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| 代表作 = 『[[クマのプー太郎]]』
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| 公式サイト = [https://isaminakagawaoffice.com/ グッモーニン!]
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'''中川 いさみ'''(なかがわ いさみ、本名:中川 功<ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、{{ISBN2|4-8169-1760-8}}、267頁</ref>、[[1962年]][[7月8日]]<ref name="mangaseek" /> - )は、日本の男性[[漫画家]]<ref name="mangaseek" />。[[神奈川県]][[横浜市]]出身<ref name="mangaseek" />。旧筆名:'''中川 イサオ'''。血液型は[[ABO式血液型|B型]]<ref name="mangaseek" />。[[東京都]][[世田谷区]]在住(2010年時点<ref>{{Cite web2 |df=ja |author=中川いさみ |url=https://twitter.com/isaminakagawa |title=中川いさみ - プロフィール |website=Twitter |accessdate=2010-03-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100327041602/https://twitter.com/isaminakagawa |archivedate=2010-03-27}}</ref>)。兄は[[アイヌ語]]学者で[[千葉大学]]名誉教授の[[中川裕 (アイヌ語研究者)|中川裕]]<ref>朝日新聞『be』2022年6月4日付2面『コロコロ毛玉日記』より。</ref><ref>{{Cite tweet |user=isaminakagawa |author=中川いさみ |number=503135563570876416 |title=「ゴールデンカムイ」アイヌ語の監修は私の兄がやってます。 |date=2014-08-23 |accessdate=2022-12-27}}<br />{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.kamuy-anime.com/staffcast/index.html |title=STAFF/CAST |website=TVアニメ「ゴールデンカムイ」公式サイト |publisher=野田サトル / 集英社・ゴールデンカムイ製作委員会 |accessdate=2022-12-27 |quote=アイヌ語監修:中川裕}}</ref>。
[[2003年]]に朝日新聞広告賞を受賞<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.1101.com/n/s/shiawaseusagi/nikki/index.html |title=しあわせうさぎ日記 中川いさみ |website=ほぼ日刊イトイ新聞 |publisher=HOBONICHI |accessdate=2022-12-27}}</ref>。
学生時代から漫画を描き始め、[[1985年]]「うわさのトラブルマン」(『I'mチャンピオン』)でデビュー<ref name="mangaseek" />。[[ナンセンス]]・[[ギャグ漫画|不条理ギャグ]]を得意とする。ほか[[挿絵]]や[[随筆|エッセイ]]も手がける。代表作の『[[クマのプー太郎]]』は、[[テレビアニメ]]化された。
51歳の時にがん宣告を受ける。「[[重粒子線がん治療]]」を選択し、[[兵庫県立粒子線医療センター]]に入院した。この闘病記を『重粒子の旅』として漫画化した。
== 連載中作品 ==
* コロコロ毛玉日記([[朝日新聞]]『[[be (朝日新聞)|be]]』連載、朝日新聞社) - 飼い猫「ケダマ」について描いた8コマ、カラー作品。2020年10月から連載開始<ref>{{Cite web2 |df=ja |author=西本ゆか |url=https://www.asahi.com/articles/ASN9Z5DL1N9VUCFI006.html |title=不条理ギャグが笑えない コロナ期の漫画描く中川いさみ |website=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2020-10-01 |accessdate=2022-12-27 |url-access=subscription}}</ref>。2022年11月5日掲載回で100回に達した<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://www.asahi.com/articles/DA3S15464048.html |title=警戒心ゼロ&繊細 中川家を訪ねてみた 「コロコロ毛玉日記」連載100回 |website=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2022-11-05 |accessdate=2022-12-27 |url-access=subscription}}</ref>。
* しあわせうさぎ([[ちゃお#ちゃおコミ|ちゃおコミ]]連載、[[小学館]]) - 『[[ちゃお]]』のWeb連載サイト。2023年1月1日から連載開始予定<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://ciao.shogakukan.co.jp/47459/ |title=ちゃおコミからのプレゼント!新作よみきり10本&大人気4作品無料話増量!! |website=ちゃおランド |publisher=小学館 |date=2022-12-25 |accessdate=2022-12-27 |quote=●2023年1月1日(日)れんさいスタート ※毎週日曜日更新 『しあわせうさぎ』中川いさみ}}</ref><ref>{{Cite tweet |user=isaminakagawa |author=中川いさみ |number=1607648264991690754 |title=来年は卯年! 2023年1月1日から「ちゃおコミ」で マンガ「しあわせうさぎ」が始まります! |date=2022-12-27 |accessdate=2022-12-27}}</ref>。
== 作品リスト ==
* 天職の泉([[スコラ]]、バーガーSCデラックス)1990年4月16日 全2巻
* [[クマのプー太郎]]([[小学館]]、『[[ビッグコミックスピリッツ]]』)1991年1月20日 全5巻
** しあわせうさぎ日記(「[[ほぼ日刊イトイ新聞]]」2022年6月24日<ref name="natalie20220624" /> - ) - 短期集中連載<ref name="natalie20220624" />、『クマのプー太郎』のシアワセウサギを主役とした作品<ref name="natalie20220624">{{Cite web2 |df=ja |url=https://natalie.mu/comic/news/482968 |title=中川いさみの短期集中連載「しあわせうさぎ日記」、展示会に大友克洋らの描き下ろしT |website=コミックナタリー |publisher=ナターシャ |date=2022-06-24 |accessdate=2022-06-24}}</ref>
* カサパパ(スコラ、バーガーSCデラックス)1992年12月16日 1巻
* ワタナベの素(小学館、『[[ビッグコミックスペリオール]]』)1993年9月1日 1巻
* 兄さんのバカ!(小学館、『ビッグコミック』、スーパースペシャル)1994年9月1日 1巻
* ポジャリカ(小学館、『ビッグコミックスペリオール』)1996年2月1日 全2巻
* 南海の学生(スコラ、バーガーSCデラックス)1996年4月25日 1巻
* 大人袋(小学館、『ビッグコミックスピリッツ』)1996年11月10日 全7巻
* トリハダ日記(スコラ、バーガーSCデラックス)1998年7月29日 1巻
* 関係筋(小学館、『ビッグコミックスペリオール』)1999年1月1日 全2巻
* ツンドラ・パンチ!([[ソニー・マガジンズ]]、バーズコミック・デラックス)2001年2月27日 1巻
* ゴムテ(小学館、『ビッグコミックスペリオール』)2002年8月30日 全3巻
* カラブキ(小学館、『ビッグコミックスピリッツ』)2003年1月28日 全3巻
* タク坊の毎日(小学館、『ビッグコミックスピリッツ』)2003年6月27日 1巻
* 学級王子([[ベネッセコーポレーション]]、[[進研ゼミ中学講座]])2003年10月 1巻
* [[クータマ]](ポプラ社、『[[月刊コミックブンブン|プレコミックブンブン]]』)2005年5月 1巻
* サラリーマンブラザーズ([[講談社]]、『[[イブニング]]』)
* ニュースの牛(小学館、『ビッグコミックスペリオール』)2007年2月28日 1巻
* ペンペとギンギー(ポプラ社、『プレコミックブンブン』)
* 動きがありしだいお伝えします([[エンターブレイン]]、『[[ファミ通|週刊ファミ通]]』)
* 新米主婦エーコ([[青泉社|Bbmfマガジン]]、[[まんが王国|ケータイ★まんが王国]])
* [[メイド イン 俺]] サンプル4コママンガ([[任天堂]])
* 谷底ライオン([[イースト・プレス]])
* 脳内つかみどり日記([[太田出版]]、『hon-nin』)
* ストラト!(小学館、『[[月刊IKKI]]』)
* スナックプー太郎(エンターブレイン、『週刊ファミ通』)
* 世界美女話ビジョバナ(小学館、『[[月刊!スピリッツ]]』)
* イヌのプー太郎 〜ただいまトイプードル子育て中〜([[メディアファクトリー]]、[[コミックエッセイ劇場]])
* ネッコロ(小学館、『月刊IKKI』、『[[週刊少年サンデーS]]、『[[コロコロイチバン!]]』、『[[ぷっちぐみ]]』、『月刊!スピリッツ』)
* メロスのバカ!(小学館、『[[ビッグコミックオリジナル増刊号]]』、2014年1月増刊号 - )
* 中川いさみのマンガ家再入門([[講談社]]、ウェブコミックサイト『モアイ』)全4巻
* 重粒子の旅 -鼻にガンができた!-(小学館)
* DIYマン(小学館、[[やわらかスピリッツ]])全2巻
* 田中と中田(チャレンジ6年生 未来!発見ブック(ベネッセ)にて連載)
* 田中んち中田んち(チャレンジ5年生、6年生 未来!発見ブック(ベネッセ)にて連載)
== その他の活動 ==
* [[まんが日本史 (NHK)|まんが日本史]](1992年、[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]) - [[聖徳太子]]のキャラクターデザインを担当。
== 個展 ==
* しあわせうさぎ展(2022年7月8日 - 18日)<ref>{{Cite press release|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000219.000043019.html |title=中川いさみさんの「しあわせうさぎ」と「ほぼ日」がタッグを組みます。 |publisher=ほぼ日のプレスリリース |date=2022-06-24 |accessdate=2022-12-27}}</ref>
* ALWAYS LOOK ON THE BRIGHT SIDE OF LIFE(2023年5月6日 - 20日)<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://note.com/happy_usa/n/nce3cc728bda5 |title=速報:中川いさみ先生展示会開催決定!「ALWAYS LOOK ON THE BRIGHT SIDE OF LIFE」 2023年5月6日〜20日! |website=note |publisher=ISAMI NAKAGAWA office |date=2023-04-16 |accessdate=2023-05-30}}</ref><ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://magmix.jp/post/154677 |title=『クマのプー太郎』『しあわせうさぎ』の中川いさみ先生が個展開催中 絵やグッズ販売 |website=マグミクス |publisher=メディア・ヴァーグ |date=2023-05-09 |accessdate=2023-05-30}}</ref>
* しあわせうさぎ 巡回展@ほぼ日 TOBICHI 京都(2023年10月20日〈予定〉 - 11月1日〈予定〉)<ref>{{Cite web2 |df=ja |url=https://note.com/happy_usa/n/n913fb9411113 |title=祝!中川いさみ先生 展示会 巡回展 ほぼ日 TOBICHI@京都10月20日〜11月1日まで 週末の在廊あり! |website=note |publisher=ISAMI NAKAGAWA office |date=2023-10-08 |accessdate=2023-10-13}}</ref>
== 関連番組 ==
* [[BSマンガ夜話]]「[[クマのプー太郎]]」(2004年12月2日、[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK BS2]]) - 本人出演なし。ゲストは[[鴻上尚史]]。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
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== 外部リンク ==
* [http://isaminakagawaoffice.com/ グッモーニン!] - 公式サイト(現サイト)
** [http://www.nakagawaisami.com/ グッモーニン!] - 公式サイト(旧サイト)
* {{Ameba ブログ|nakagawaisami|中川いさみオフィシャルブログ『グッモーニン!blog』}}
* {{Twitter|isaminakagawa}}
* {{Instagram|isaminakagawa}}
* {{note.com|happy_usa|ISAMI NAKAGAWA office}} - 漫画家中川いさみのスタッフnote
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{{DEFAULTSORT:なかかわ いさみ}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:新聞連載の漫画家]]
[[Category:日本の闘病記著者]]
[[Category:横浜市出身の人物]]
[[Category:1962年生]]
[[Category:存命人物]] | 2003-02-13T11:23:43Z | 2023-10-13T04:36:54Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E3%81%84%E3%81%95%E3%81%BF |
1,293 | 今市子 | 今 市子(いま いちこ、4月11日 - )は、日本の漫画家。富山県氷見市出身。東京女子大学文理学部卒業。AB型。
小学生のころから絵を描いており、姉の影響で高校生の頃から漫画を描き始める。萩尾望都『ポーの一族』にはまり、大島弓子、文月今日子などの少女漫画のファンだった。大学時代には、東京女子大学漫画研究会の会誌「やっはるーっ」の8期生として活動し、デビュー前後には「ななつのこ合唱団」というサークルで同人活動をしていた。また、この頃発表した作品が商業誌作品の原型であるというものも少なくない。大学時代に漫画家の友人のところに来ていた編集者が同人誌を見て声をかけ、雑誌に掲載されたことがある。その結果はあまり芳しくなく、アシスタントと同人活動を続け、森川久美・山岸凉子・宮脇明子・ささやななえらのアシスタントを務めた。11年くらい後、1993年に『コミックイマージュ』vol.6(白夜書房)に掲載の『マイ・ビューティフル・グリーンパレス』で公式にデビュー。コミティアのイベントに来ていた『ネムキ』(朝日ソノラマ)の編集者が同人誌を見て、その縁で『ネムキ』で描くようになる。和風ホラーの読み切り『精進おとしの客』が編集に好評で、それを膨らませて『百鬼夜行抄』の連載が始まる。(これ以前にホラーに興味はなく、ホラーらしいホラーを描いたこともなかった)
代表作に『百鬼夜行抄』、『あしながおじさん達の行方』、『楽園まであともうちょっと』などがある。ホラー、ボーイズラブ、ファンタジー、エッセイ漫画など多彩なジャンルを手がける。また、著書の『文鳥様と私』などからも分かるように、多数の文鳥と暮らす愛鳥家でもある。
なお、ペンネームの「今市子」というのは、「イマイチ」に子をつけたもので、友人と冗談で話しているうちに決まったものということである(ちなみに「市子」には「巫女・神子」の意味もある)。
以下初出の掲載誌の出版社に関わらず、現在出版されているコミックスの出版社でまとめる。
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] | 今 市子は、日本の漫画家。富山県氷見市出身。東京女子大学文理学部卒業。AB型。 | '''今 市子'''(いま いちこ、[[4月11日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[富山県]][[氷見市]]出身。[[東京女子大学]]文理学部卒業。AB型。
== 経歴・人物 ==
小学生のころから絵を描いており、姉の影響で高校生の頃から漫画を描き始める<ref name="ナタリー">[https://natalie.mu/comic/pp/nemuki/page/2 今市子インタビュー] コミックナタリー</ref>。[[萩尾望都]]『[[ポーの一族]]』にはまり、[[大島弓子]]、[[文月今日子]]などの少女漫画のファンだった<ref name="ナタリー"/>。大学時代には、東京女子大学漫画研究会の会誌「やっはるーっ」の8期生として活動し、デビュー前後には「ななつのこ合唱団」というサークルで[[同人]]活動をしていた。また、この頃発表した作品が商業誌作品の原型であるというものも少なくない。大学時代に漫画家の友人のところに来ていた編集者が同人誌を見て声をかけ、雑誌に掲載されたことがある<ref name="ナタリー"/>。その結果はあまり芳しくなく、[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]と同人活動を続け<ref name="ナタリー"/>、[[森川久美]]・[[山岸凉子]]・[[宮脇明子]]・[[ささやななえ]]らのアシスタントを務めた。11年くらい後、[[1993年]]に『コミックイマージュ』vol.6([[白夜書房]])に掲載の『マイ・ビューティフル・グリーンパレス』で公式にデビュー<ref name="ナタリー"/>。[[コミティア]]のイベントに来ていた『[[ネムキ]]』([[朝日ソノラマ]])の編集者が同人誌を見て、その縁で『ネムキ』で描くようになる<ref name="ナタリー"/>。和風ホラーの読み切り『精進おとしの客』が編集に好評で、それを膨らませて『[[百鬼夜行抄]]』の連載が始まる<ref name="ナタリー"/>。(これ以前にホラーに興味はなく、ホラーらしいホラーを描いたこともなかった<ref name="ナタリー"/>)
代表作に『百鬼夜行抄』、『あしながおじさん達の行方』、『楽園まであともうちょっと』などがある。[[ホラー漫画|ホラー]]、[[ボーイズラブ]]、[[ファンタジー]]、[[エッセイ]]漫画など多彩なジャンルを手がける。また、著書の『[[文鳥様と私]]』などからも分かるように、多数の[[文鳥]]と暮らす愛鳥家でもある。
なお、[[ペンネーム]]の「今市子」というのは、「イマイチ」に子をつけたもので、友人と冗談で話しているうちに決まったものということである(ちなみに「市子」には「巫女・神子」の意味もある)。
* [[1995年]] - 『ネムキ』vol.23(朝日ソノラマ)にて『百鬼夜行抄』を連載開始。2020年現在も連載中である。
* 2001年1月 - 『[[僕は旅をする]]』が「[[世にも奇妙な物語]]」にて[[稲垣吾郎]]主演で映像化される。
* 2005年12月 - 「平成17年度(第9回)[[文化庁メディア芸術祭]]」マンガ部門審査委員会推薦作品に『百鬼夜行抄』が選ばれる。
* 2006年12月 - 『百鬼夜行抄』で「平成18年度(第10回)文化庁メディア芸術祭」マンガ部門優秀賞を受賞。
* 2007年2月・3月 - 『百鬼夜行抄』が[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の[[黄金の舌]]枠でドラマ化される。
== 作品リスト ==
以下初出の掲載誌の出版社に関わらず、現在出版されているコミックスの出版社でまとめる。
=== コミックス ===
====[[白夜書房]]====
*マイ・ビューティフル・グリーンパレス(1993年、コミックイマージュ、[[白夜書房]])
**「マイ ビューティフル グリーン パレス」
**「魚の破片」
**「肖像」
**「LUNRY STONE」
**「最後の夏休み」
**「夜の雫」
**「六月病」
====[[あおば出版]]====
*笑わない人魚(1996年、COO、[[オークラ出版]])
**「笑わない人魚」
**「青髭の友人」(1997年、COO)
**「真夏の城」(1998年、COO)
**「回遊魚の孤独」
*[[文鳥様と私]]
**旧版1-8・愛蔵版1.2(1996年 - 2006年、新装版はBbmfマガジンにて発行)
====[[朝日ソノラマ]]====
*懐かしい花の思い出(1994年、ネムキ)
**「懐かしい花の思い出」 ( 『ネムキ 』 1997年 Vol.20)
**「夏服の少女」 ( 『ネムキ 』 1993年 Vol.13)
**「眠りにつく前牛乳を」 ( 『ネムキ』 1994年 Vol.19)
**「最後の夏休み」 ( 同人誌、1990年 )
**「マイ・ビューティフル・グリーンパレス」 ( 『コミックイマージュ』 1993年)
**「六月病」 ( 書き下ろし 1994年 )
**「夜の雫」 ( 同人誌 1992年 )
**「ユディトの帰還 Ⅰ」 ( 同人誌 1991年 )
**「ユディトの帰還 Ⅱ」 ( 同人誌 1992年 )
**「神々の花」 ( 同人誌 1993年 )
**「懐かしい恥の思い出 」 ( 作者あとがき )
**「懐かしい花の思い出」 ISBN 9784257721437(ソノラマコミック文庫 2002年)
*砂の上の楽園(1996年、ネムキ)
**「砂の上の楽園」 ( 『ネムキ』 1996年 Vol.30 )
**「僕は旅をする」 ( 『ネムキ』 1994年 Vol.22 )
**「雨になればいい」( 『ネムキ』 1996年 11月号)
**「夜の森の底に」 ( 『ネムキ』 1997年 3月号 )
**タイム・カプセル(作者あとがき 解説)
**「砂の上の楽園」 ISBN 4257721391(ソノラマコミック文庫 2001年)
*孤島の姫君
**赤い袖(1998年、ネムキ)
**沈黙(2000年、ネムキ)
**真夜中の食卓(1999年、ネムキ増刊・今市子特集号)
**遺影がない! (2000年、ネムキ増刊・大ピンチ!)
**孤島の姫君 (2001年、ネムキ)
**美しき獣たち(2006年)
*[[百鬼夜行抄]](1995年 - 連載中、ネムキ)
====[[一水社]]====
*GAME(1993年 - 1996年、Xi〔ザイ〕 → homme〔オム〕、[[一水社]]) - 2006年に[[祥伝社]]より再版
====[[雑草社]]====
*五つの箱の物語(1995年 - 1996年、小説イマージュクラブ、白夜書房)
**「第一の箱 落日」 (1995年 小説イマージュクラブ 7月号 白夜書房)
**「第二の箱 君といつまでも休日」 (1995年 小説イマージュクラブ 9月号 白夜書房)
**「第三の箱 エレベータのパンドラ」 (1995年 小説イマージュクラブ 11月号 白夜書房)
**「第四の箱 雪の下の柩」 (1996年 小説イマージュクラブ 1月号 白夜書房)
**「第五の箱 あたたかい箱」 (1996年 小説イマージュクラブ 3月号 白夜書房)
** 図書館で会いたい(1993年、コミックイマージュ、白夜書房)
** 僕らの季節(1993年、コミックイマージュ)
** へんなやつら(1994年、コミックイマージュ)
** 花曇り(1995年、コミックイマージュDX、白夜書房)
====[[集英社]]====
* 岸辺の唄(2000年 - 2001年、コミックアイズ、発行:ホーム社・出版:集英社)
* 雲を殺した男(2005年、幻想ファンタジー、発行:[[ホーム社]]・出版:集英社)
* 盗賊の水さし(2007年、幻想ファンタジー、発行:[[ホーム社]]・出版:集英社)
* 北の皇子と南の魚(2015年、eyesコミックス)
* 枯れ野の花嫁(2016年、eyesコミックス)
* 月影の長城(2018年、eyesコミックス)
* 砂の下の調べ(2019年、eyesコミックス)
====[[祥伝社]]====
* GAME(1993年 - 1996年、Xi〔ザイ〕 → homme〔オム〕、一水社)
====[[少年画報社]]====
* 夜と星のむこう(2000年 - 不定期連載中、アワーズガール → [[ヤングキングアワーズ]]、少年画報社、既刊1巻(2007年 - ))
====[[徳間書店]]====
*幻月楼奇譚([[Chara (雑誌)|Chara]]、徳間書店)
====[[Bbmfマガジン]]====
* 文鳥様と私 / 新装版(2009年 - )
====[[フロンティアワークス]]====
* いとこ同士
* B級グルメ倶楽部
====[[芳文社]]====
* 大人の問題(1995年 - 1997年、[[花音 (漫画雑誌)|花音]]、芳文社)
* あしながおじさん達の行方(1998年 - 1999年、花音、芳文社)
* 楽園まであともうちょっと(花音、芳文社)
* 僕のやさしいお兄さん(花音、芳文社)
* ホームレス・サラリーマン(花音、芳文社)
====[[ムービック]]====
* いとこ同士 - 2006年にフロンティアワークスから再版
====[[学研プラス]]====
* [[鏡花あやかし秘帖]]シリーズ(原作・[[橘みれい]]・ノーラコミックス)
** 鏡花あやかし秘帖(2012年)
** 鏡花あやかし秘帖 華(2015年)
** 鏡花あやかし秘帖 月(2016年)
** 鏡花あやかし秘帖 完全版 上下巻(2018年) - 上記3巻に描きおろしを追加したもの
=== 画集 ===
* 夕景 今市子画集 ISBN 4257035536(1999年、朝日ソノラマ)
* 大人の塗り絵画集 ― 花と文鳥 ISBN 9784873177502(2006年、[[あおば出版]])
* 今市子画集「錆の泉」ISBN 9784834284218(2010年、[[ホーム社]])
==== 百鬼夜行抄 ====
* 画集〔百鬼夜行抄〕 ISBN 4257036621(2002年、朝日ソノラマ)
* 百鬼夜行抄イラストコレクション ISBN 9784257036982(2004年、朝日ソノラマ)
* 画集〔百鬼夜行抄〕・第二集 夜隠 ISBN 4257037385(2006年、朝日ソノラマ)
* 画集 百鬼夜行抄 第二集 夜隠 ISBN 9784022138057(2007年、朝日新聞出版)
* 画集 百鬼夜行抄 第三集 幻灯 ISBN 9784022138231(2012年、朝日新聞出版)
=== 雑誌 ===
* ネムキ10月号増刊 今市子特集号(1999年、朝日ソノラマ)
* ネムキ9月号増刊 百鬼夜行抄特集号(2006年、朝日ソノラマ)
== 師匠 ==
* [[森川久美]]
* [[山岸凉子]]
* [[宮脇明子]]
* [[ささやななえ]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 外部リンク(連載中作品) ==
'''毎号連載'''
* [http://publications.asahi.com/original/comic/hyakki/ 朝日新聞出版] - [[百鬼夜行抄]] [[ネムキ]] 偶数月13日発売
* [https://web.archive.org/web/20140621184446/http://bbmfmagazine.co.jp/modules/contents/index.php?content_id=82 Bbmfマガジン] - [[文鳥様と私]] [[MYSTERYsara]] 毎月13日発売
* [https://www.nihonbungeisha.co.jp/karen/index.html 日本文芸社] - [[萌えの死角]] [[花恋]] 奇数月30日発売
* [http://www.shueisha.co.jp/home-sha/manga/eyes/labyrinth.html ホーム社] - [[岸辺の唄]]シリーズ [[幻想ラビリンス]] 年2回春秋発売(アンソロジー)
'''不定期連載'''
* [http://www.shonengahosha.jp/ours/index.php 少年画報社] - [[夜と星のむこう]] [[ヤングキングアワーズ]] 毎月30日発売
* [http://www.chara-tokuma.jp/ 徳間書店] - [[幻月楼奇譚]] [[Chara (雑誌)|Chara]] 偶数月22日発売
* [http://hanaoto.net/index.php 芳文社] - [[僕のやさしいお兄さん]] [[花音 (漫画雑誌)|花音]] 毎月14日発売
* [http://www.fwinc.jp/daria/ フロンティアワークス] - [[B級グルメ倶楽部]] [[daria]] 偶数月22日発売
*[https://oakla.com/oakla_blive/ オークラ出版] - 英国伯爵と下宿人の密事(原作:四谷シモーヌ) enigma 毎月25日配信
'''試し読みサイト'''
* [http://sonorama.asahi.com/series/post-6.html ソノラマ+] - [[百鬼夜行抄]]
{{Normdaten}}
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{{DEFAULTSORT:いま いちこ}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:やおい漫画家]]
[[Category:ボーイズラブ漫画家]]
[[Category:東京女子大学出身の人物]]
[[Category:富山県出身の人物]]
[[Category:存命人物]] | 2003-02-13T11:28:14Z | 2023-10-06T01:42:58Z | false | false | false | [
"Template:脚注ヘルプ",
"Template:Reflist",
"Template:Normdaten",
"Template:Manga-artist-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E5%B8%82%E5%AD%90 |
1,294 | 松下容子 | 松下 容子(まつした ようこ、1973年6月23日 - )は、日本の女性漫画家。熊本県出身。血液型はAB型。代表作はアニメ化もされた「闇の末裔」。 | [
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] | 松下 容子は、日本の女性漫画家。熊本県出身。血液型はAB型。代表作はアニメ化もされた「闇の末裔」。 | '''松下 容子'''(まつした ようこ、[[1973年]][[6月23日]] - )は、[[日本]]の[[女性]][[漫画家]]。[[熊本県]]出身。[[ABO式血液型|血液型]]はAB型。代表作は[[アニメ化]]もされた「[[闇の末裔]]」。
== 略歴 ==
* [[1995年]]、「悪魔の学校」にて[[デビュー]]。以後、『[[花とゆめ]]』にて作品を執筆。「闇の末裔」はヒットし、アニメ化や[[ドラマCD]]化もされた。
* [[2006年]]、「闇の末裔」は、『花とゆめ』2006年6号に別冊付録として描かれたのを最後に長期休載。
* [[2010年]][[1月19日]]、「闇の末裔」のおよそ8年ぶりとなる最新刊である12巻が発売された。
* [[2011年]]、「闇の末裔」は『[[ザ花とゆめ]]』2011年8月1日号に特別編が掲載、2011年10月1日号より連載を再開する。しかし、その後は動きがなくコミックスの刊行も止まっている。
* [[2017年]][[7月20日]]、「闇の末裔」のおよそ7年ぶりとなる最新刊である13巻が発売された。
== 作品リスト ==
=== コミックス ===
* [[闇の末裔]] ([[白泉社]] 『[[花とゆめ]]』1996年14号 - '''継続中''')
=== 画集 ===
* 松下容子・闇の末裔 キャラクターブック ([[白泉社]]、1999年8月) ISBN 978-4592731665
* 松下容子・闇の末裔 スケッチブック (白泉社、2000年10月) ISBN 978-4592731757
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{{DEFAULTSORT:まつした ようこ}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:熊本県出身の人物]]
[[Category:1973年生]]
[[Category:存命人物]] | null | 2022-11-23T08:26:22Z | false | false | false | [
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"Template:Manga-artist-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E5%AE%B9%E5%AD%90 |
1,295 | 山本貴嗣 | 山本 貴嗣(やまもと あつじ、1959年1月1日 - )は、日本の漫画家・デザイナー。山口県防府市出身。代表作に『最終教師』、『エルフ・17』、『SABER CATS』など。
中学時代の同級生に宮岡寛がいた。少年時代にE・R・バローズ、R・E・ハワードの小説を読み、本格的にSFに目覚める。1977年に中央大学文学部哲学科に入学し、漫画研究会に所属。この時の仲間に山田貴敏、河合単、みやすのんきなどがいる。この頃、ウォーレン系のアメコミやメタル・ユルラン等のバンド・デシネに傾倒、特にリチャード・コーベンからは大きな影響を受けた。同年、小池一夫が設立した劇画村塾で一期生として学び、狩撫麻礼、さくまあきら、高橋留美子らの知己を得る。
大学在学中の1978年に『週刊漫画アクション』にて読み切り「予備校らぷそでぃ」を発表してデビュー。当時のペンネームは山本一雄。大学卒業前後、経済的に自立できるまでの一時期、はるき悦巳のアシスタントを務めた。
1980年代は『最終教師』(1981年 - 1983年)、『超人日記』(1983年 - 1986年)、『エルフ・17』(1985年 - 1988年)などの高橋留美子と同系のスラップスティックSF漫画が主体だったが、1980年代後半に古武術や中国武術に傾倒すると、武器術の緻密な描写を取り入れたシリアスなダーク・ファンタジー漫画『剣の国のアーニス』(1989年)、武術の緻密な描写を取り入れたSF+ガン・アクション+武術漫画『SABER CATS』(1990年 - 1995年)を発表した。
1998年に馳星周の小説『不夜城』のコミカライズを手がけた後は、近未来を舞台にしたドラッグ(ラブドラッグ)+ガン・アクションの刑事漫画を多数執筆。『Mr.ボーイ』(2001年-2003年)では囮捜査を得意とする女装刑事、『弾』(1998年 - 2007年)では、媚薬を打たれまくり果てにはPSASを発症する美人女刑事、『紅壁虎』(2005年 - 2007年)では、女殺し屋に振り回される刑事を描いた。
漫画家としての活動の合間に、デザイナーとしても活動し、『メタルマックス』等のゲームのキャラクターデザインや小説の挿絵などを多数手掛けている。
なお、大学時代の先輩にサイエンスライターの金子隆一がおり、後輩にはSF翻訳家の中村融がいる。金子は『SABER CATS』の単行本に協力者としてクレジットされている。 | [
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] | 山本 貴嗣は、日本の漫画家・デザイナー。山口県防府市出身。代表作に『最終教師』、『エルフ・17』、『SABER CATS』など。 | {{Infobox 漫画家
| 名前 = 山本 貴嗣
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| 脚注 =
| 本名 =
| 生地 = {{JPN}}・[[山口県]]
| 国籍 =
| 生年 = {{生年月日と年齢|1959|1|1}}
| 没年 =
| ジャンル = [[少年漫画]]・[[青年漫画]]
| 活動期間 = [[1978年]] -
| 代表作 = 『[[最終教師]]』<br />『[[エルフ・17]]』<br />『[[SABER CATS]]』
| 受賞 =
}}
'''山本 貴嗣'''(やまもと あつじ、[[1959年]][[1月1日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]・[[デザイナー]]。[[山口県]][[防府市]]出身。代表作に『[[最終教師]]』、『[[エルフ・17]]』、『[[SABER CATS]]』など。
== 経歴 ==
中学時代の同級生に[[宮岡寛]]がいた。少年時代に[[エドガー・ライス・バローズ|E・R・バローズ]]、[[ロバート・E・ハワード|R・E・ハワード]]の小説を読み、本格的にSFに目覚める。1977年に[[中央大学]]文学部哲学科に入学し、漫画研究会に所属。この時の仲間に[[山田貴敏]]、[[河合単]]、[[みやすのんき]]などがいる。この頃、[[ウォーレン]]系の[[アメリカン・コミックス|アメコミ]]や[[メタル・ユルラン]]等の[[バンド・デシネ]]に傾倒、特にリチャード・コーベンからは大きな影響を受けた<ref>[http://www2.ttcn.ne.jp/~atsuji-ya/corben.html リチャード・コーベンのこと] - 山本貴嗣公式サイト「あつじ屋」内 </ref>。同年、[[小池一夫]]が設立した[[劇画村塾]]で一期生として学び、[[狩撫麻礼]]、[[さくまあきら]]、[[高橋留美子]]らの知己を得る。
大学在学中の1978年に『[[週刊漫画アクション]]』にて読み切り「予備校らぷそでぃ」を発表してデビュー。当時のペンネームは'''山本一雄'''。大学卒業前後、経済的に自立できるまでの一時期、[[はるき悦巳]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を務めた。
1980年代は『[[最終教師]]』(1981年 - 1983年)、『[[超人日記]]』(1983年 - 1986年)、『[[エルフ・17]]』(1985年 - 1988年)などの[[高橋留美子]]と同系の[[スラップスティック・コメディ|スラップスティック]][[SF漫画]]<ref>[[劇画村塾]]同期の[[高橋留美子]]とは仲が良く、相互にアシスタントを務めるなどの交流があった。「[[うる星やつら]]」「[[めぞん一刻]]」等の最終回のクレジットに山本の名前が載っている。</ref>が主体だったが、1980年代後半に[[古武術]]や[[中国武術]]に傾倒すると、武器術の緻密な描写を取り入れたシリアスな[[ダーク・ファンタジー]]漫画『[[剣の国のアーニス]]』(1989年)、武術の緻密な描写を取り入れたSF+ガン・アクション+武術漫画『[[SABER CATS]]』(1990年 - 1995年)を発表した。
1998年に[[馳星周]]の小説『[[不夜城 (小説)|不夜城]]』のコミカライズを手がけた後は、近未来を舞台にしたドラッグ([[媚薬|ラブドラッグ]])+ガン・アクションの刑事漫画を多数執筆。『[[Mr.ボーイ]]』(2001年-2003年)では囮捜査を得意とする女装刑事、『[[弾 (漫画)|弾]]』(1998年 - 2007年)では、[[媚薬]]を打たれまくり果てには[[持続性性喚起症候群|PSAS]]を発症する美人女刑事、『紅壁虎』(2005年 - 2007年)では、女殺し屋に振り回される刑事を描いた。
漫画家としての活動の合間に、デザイナーとしても活動し、『[[メタルマックス]]』等のゲームのキャラクターデザインや小説の挿絵などを多数手掛けている。
なお、大学時代の先輩にサイエンスライターの[[金子隆一 (サイエンスライター)|金子隆一]]がおり<ref>[https://twitter.com/atsuji_yamamoto/status/698016214954553344 山本貴嗣Twitter] 2016年2月12日</ref>、後輩にはSF翻訳家の[[中村融 (SF)|中村融]]がいる<ref>[https://twitter.com/atsuji_yamamoto/status/794200173383516160 山本貴嗣Twitter] 2016年11月4日</ref>。金子は『SABER CATS』の単行本に協力者としてクレジットされている<ref>単行本1巻p.7および最終5巻作者あとがき</ref>。
== 作風 ==
* 『うる星やつら』の連載初期にアシスタントをした経験があり、一部、明らかに山本の手になるものと思われるキャラクターが登場している(戦闘機のパイロットなど)。ヒロイン「ラム」のスペルを「LUM」としたのは山本で、これはキャラクター商品にスペルを書かなくてはならなくなった際に、日本人が発音するならこのようなスペルになるだろうと、高橋の許可を得ずに山本が指示したものである。ラムのモデルである[[アグネス・ラム]](Agnes Lum)とスペルが一致したのはあくまで偶然である。
*SFから中国の古仙、ガンアクションから武術(武器術)、シリアスな作品からコメディ作品、成年向け作品まで幅広く手がける。[[成年コミック]]マークを付けた書店流通の単行本は今のところないが、自費出版した[[同人誌]]には自ら成年コミックマークを付けたものもある。
*「闘う女が散々な目に遭うがのちに[[リベンジ|リヴェンジ]]して勝利する」というプロットが用いられるのが常である。同人誌『アーニスの帰還』の前書きによれば、強く美しい主人公が流血の死闘の果てに勝利する「スケベで外道な物語」が自身の漫画の核、生きがい、存在理由であり、一般商業誌向けの作品は生活の糧を得るために仕方なく描いているのだという。
* [[スター・システム (小説・アニメ・漫画)|スター・システム]]というわけではないが、同時連載作や過去作のキャラクターの設定を流用・改変して新キャラクターとして登場させる手法を取っている<ref>『[[桃源荘綺譚]]』の珍明太→『[[恋はジャスミン]]』の巫明太、『超人日記』のジャム→『エルフ・17』のルウ等</ref>。初期作品に登場した[[宮岡寛]]をモデルにしたキャラ、[[狩撫麻礼]]をモデルにしたキャラ、[[江口寿史]]の元担当編集者をモデルにしたキャラも作品ごとに設定が異なっている。姦(かしま)という地名も古くは『桃源荘綺譚』、近年では『ANTS』で登場するが、各作品で設定が異なっている。
* 1986年に捨て猫を拾い飼い始めた頃から、作品の随所にネコ及びネコをモチーフにしたキャラクターが登場するようになった。飼い猫のミケコ、正式名ミケコ・タマ・ウルル・ネハ・ワニャニャニャウワン1世・山本([[1985年]] - [[2000年]][[11月15日]])はコミックのあとがき欄の常連だった。2001年にアンソロジーコミック『猫mix』に参加した際には、他の執筆者が飼い猫の紹介をしている中、一人だけミケコの追悼文を書いていた。
* 1980年代から1990年代にかけてコマ外にアシスタントのクレジットや執筆日時、執筆に使った参考文献などを明記していた。ただし、近年はアシスタントを極力使わず、一人で執筆する体制を取っている。
* 自画像は数度変わっていて、最初期は宇宙服を着用したもの、その後頭身が下がって『[[超人日記]]』のA児風、さらに変わって鼻輪男。『[[シンバッド (漫画)|シンバッド]]』連載時に鼻輪をやめて、顔面に「貴」の字がついたもの<ref>[http://www2.ttcn.ne.jp/~atsuji-ya/sub1.html 自己紹介]</ref>になり、それから20年近くの間定着している。
== 漫画 ==
=== 連載 ===
* [[桃源荘綺譚]] (1980年、[[平凡パンチ]]) - 山本一雄名義
* 舞魔人 II (1981年、週刊漫画アクション)
* [[最終教師]] (1981年 - 1983年、[[月刊ジャストコミック]]) - 1988年にOVA化
* スタンバイOK! (1982年、[[ヤングコミック]]) - 原作:[[東史朗]]
* [[超人日記]] (1983年 - 1986年、[[コミック劇画村塾]])
* [[恋はジャスミン]] (1983年 - 1985年、月刊ジャストコミック)
* [[エルフ・17]] (1985年 - 1988年、[[月刊コミコミ]]) - 1987年にOVA化
* 大怪盗ムサシ (1980年代、[[リイドコミック]])
* ムサシ=No.1 (1980年代、リイドコミック)
* [[最終教師|最終教師2]] (1988年、[[月刊少年キャプテン]])
* [[西遊少女隊]] (1989年 - 1990年、[[月刊コミックコンプ]])
* [[シンバッド (漫画)|シンバッド]] (1989年 - 1991年、[[月刊コミックNORA]])
* [[剣の国のアーニス]] (1989年、コミックノイズィ)
* [[SABER CATS]] (1990年 - 1995年、[[月刊ニュータイプ#コミックGENKi|コミックGENKi]])
* NESIA!! (1991年、[[ファミ通|ファミコン通信]])
* ミアオ (1992年 - 1993年、コミックガイア)
* [[HINAKO!!!]] (1992年 - 1995年、[[月刊アスキーコミック]])
* 猟姫ナジャ (1994年、[[グランドチャンピオン (雑誌)|グランドチャンピオン]])
* [[西遊少女隊|漫遊少女隊]] (1995年、月刊アスキーコミック)
* [[M4 featuring METALMAX MOMO|METALMAX MOMO]] (1995年 - 1996年、[[月刊コミックビーム]])
* 超 CHAO (1996年 - 1997年、週刊ヤングジャンプ増刊ウルトラジャンプ)
* [[弾 (漫画)|弾 AMMO アモウ]] (1998年 - 2007年、[[ペンギンクラブ]]→[[ヤングペンギン]]→ペンギンクラブ→[[ペンギンクラブ山賊版]]→コミック桃姫)
* 夢の掟 (1999年 - 2000年、[[ヤングアニマル]]) - 原作:[[真刈信二]]
* [[Mr.ボーイ]] (2001年 - 2003年、[[漫画アクション|Weekly漫画アクション]]→メンズアクション→メンズキャラクター)
* 首輪物語 (2003年、コミック桃姫)
* [[俊平1/50]] (2004年、[[イブニング]]) - 監修:[[柳田理科雄]]
* 紅壁虎 ホンピーフー (2005年 - 2007年、[[ビジネスジャンプ]]→[[ビジネスジャンプ|ビジネスジャンプ増刊ビージャン魂]])
* 戦闘女神アヌンガ (2008年 - 2010年、[[ビービーエムエフ|Bbmf]][[ケータイ★まんが王国]])
* マンガ家で行こう (2010年 、カイト)
* [[メタルマックス3 双銃身の魔女]](2010年 - 2011年、[[ファミ通コミッククリア]]) - 原案:[[宮岡寛]]
* 喧嘩寿司〜元祖すし職人 華屋與兵衛〜(2012年? - 2016年、[[ホーム社]]ぷら@ほ〜む、原作:白川晶、コミックスはヤングジャンプコミックスより既刊2巻(以降未完)、電子書籍版はヤングジャンプコミックスDIGITALより全4巻)
=== 描き下ろし長編 ===
* [[不夜城 (小説)|不夜城]] (1998年) - 原作:[[馳星周]]
=== 短編・読み切り ===
{{節スタブ}}<!--単行本未収録作品等の追記お願いします-->
* 予備校らぷそでぃ (1978年、[[週刊漫画アクション]]) - 山本一雄名義
* 舞魔人 (1978年) - 山本一雄名義
* [[最終教師#単行本同時収録作品|情報部員・戦う]] (1978年、[[小池一夫劇画村塾]]) - 山本一雄名義
* [[最終教師#単行本同時収録作品|御祭コンバット]] (1979年、別冊BIG GORO) - 山本一雄名義
* [[桃源荘綺譚#単行本同時収録作品|桃源荘奇談]] (1979年、[[平凡パンチ]]) - 山本一雄名義
* [[桃源荘綺譚#単行本同時収録作品|金太郎侍]] (1980年、[[ポップコーン (漫画雑誌)|ポップコーン]]) - 山本一雄名義
* [[最終教師#単行本同時収録作品|元祖最終教師]] (1980年、[[平凡パンチ]]臨時増刊THAT'Sコミック) - 山本一雄名義?
* [[桃源荘綺譚#単行本同時収録作品|オデュセウスの夜]] (1981年、別冊BIG GORO) - 山本一雄名義
* [[超人日記#単行本同時収録作品|不治の病]] (1981年、小池一夫劇画村塾)
* [[恋はジャスミン#単行本同時収録作品|高い城の男]] (1981年、[[月刊ジャストコミック]])
* [[最終教師#単行本同時収録作品|HIBERNATER]] (1981年、BORO FINAL<!--立大漫研の同人誌-->)
* 朝の時間割り (1981年、[[ヤングコミック]])
* 勝手にセクサロイド (1983年、[[週刊プレイボーイ]]) - 原作:松原いづみ
* ファントム・キッズ<!--読み切り、単行本未収録--> (1984年、[[週刊少年マガジン]]) - 電子書籍化
* 星の流れに (1985年、歌謡漫画大全集) - 原作:[[高千穂遥]]
* LOVERS (1985年、ハロウィーン・ショー)
* 魔道士の遺産 (1985年、コミック読本)
* 宇宙パトロールハーナ (1986年、[[メルティ・レモン]])
* [[エルフ・17#単行本同時収録作品|エルフ・17 外伝 カーサの休日]] (1986年、コミック読本)
* 竜精児<!--前後編、単行本未収録-->(1986年、[[週刊少年サンデー]])
* バトルナッツ(1986年、増刊少年サンデー)
* [[M4 featuring METALMAX MOMO#サンダーボーイ|サンダーボーイ]] (1988年、[[月刊コミコミ]])
* [[M4 featuring METALMAX MOMO#銀河特捜官レイコ123C56X|銀河特捜官レイコ123C56X]] (1989年、[[サウス (雑誌)|月刊ウィングス別冊サウス]])
* [[シンバッド (漫画)##単行本同時収録作品|SDシンバッド番外編 壺中魔神]] (1990年、[[コミックNORA]])
* 廃墟の標的 MARI'S GAME (1993年、[[メタルマックス2 スーパーコレクション]])
* MASKERS (1995年、[[ウルトラジャンプ|週刊ヤングジャンプ増刊ウルトラジャンプ]]) - 原作:[[矢島正雄]]
* どうぶつがお医者さん 第2001話 三匹が診る!(2001年、猫mix)
* [[弾 (漫画)#単行本同時収録作品|ANTS]] (2002年?、[[ペンギンクラブ山賊版]])
* デブデビル (2003年、コミック・ザ・ベスト)
* エクスタティック メイ (2007年、[[ビジネスジャンプ|ビジネスジャンプ増刊ビージャン魂]]) - 電子書籍化
* 夢見るカルメン (2010年、[[メタルマックス3]]初回限定版付録)
* 忘れえぬ人 (2011年、[[メタルマックス2|メタルマックス2:リローデッド]]初回限定版付録)
=== 書籍 ===
* 山本貴嗣の謹画信念-本気のマンガ術 ([[美術出版社]]、1998年) - 共著:[[唐沢よしこ]]
== サイドワーク ==
=== ゲーム関連 ===
* 冒険者たち 〜賢者の遺言〜 (1987年) - カバーデザイン
* [[メタルマックス]] (1991年) - モンスターデザイン
* [[メタルマックス2]] (1993年) - キャラクターデザイン
* メタルマックスリターンズ (1995年) - キャラクターデザイン
* [[秀吉 (NHK大河ドラマ)|秀吉(仮)]] (1996年発売中止) - キャラクターデザイン
* [[怪物パラ☆ダイス]] (1997年) - キャラクターデザイン(一部)
* [[幻獣旅団]] (1998年) - キャラクターデザイン
* [[エンドセクター]] (1998年) - カードデザイン(一部)
* [[メタルサーガ 〜砂塵の鎖〜]] (2005年) - スペシャルサンクス
* [[メタルマックス3]] (2010年) - アートワーク
* [[メタルマックス2|メタルマックス2:リローデッド]] (2011年) - アートワーク
* [[メタルマックス4 月光のディーヴァ]] (2013年) - オリジナルキャラクターデザイン
=== 挿絵 ===
* [[伊藤和典]] 『武蔵野妖精迎撃隊』 (1988年、[[ドラゴンマガジン (富士見書房)|月刊ドラゴンマガジン]]連載)
* [[笠原弘子]] 『笠原弘子のスローガラスの輝き』 (1988年 - 1990年、[[月刊ニュータイプ|ニュータイプ]]連載)
* 北沢蒼 『メタルマックス (1)火炎水晶』 (1993年、角川書店角川スニーカー文庫)
* [[火浦功]] 『[[奪戦元年#ウィークエンド・ひーろー|ウィークエンド・ひーろー 放課後の英雄]]』 (1993年、アスキー出版局ログアウト冒険文庫)
* [[エドガー・ライス・バローズ|E・R・バローズ]]、亀山龍樹訳 『[[火星のプリンセス]]』 (2003年、[[岩崎書店]]冒険ファンタジー名作選)
* [[馳星周]] 『淡雪記』 (2008年 - 2010年、[[小説すばる]]連載)
=== その他 ===
* [[森野うさぎ]]編 『[[魔法のルージュ りっぷ☆すてぃっく]]』 (1986年) - イラスト寄稿
* [[アイドル雀士スーチーパイ]] めちゃ限定盤~発売5周年(得)パッケージ~ (1998年) - 付属のイラスト集に参加
* [[手塚治虫]] 『[[人間ども集まれ!]] 完全版』 (1999年、実業之日本社) - イラスト寄稿
* [[唯登詩樹]] 『とらぶるジェミニ』 (2000年) - イラスト寄稿
* [[超こち亀]] (2006年) - 1Pトリビュート漫画に参加
* [[ルパン三世officialマガジン]]vol.12 (2007年) - イラスト寄稿
* [[秋本治]] 『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』159巻 (2008年) - 巻末コメント
* [[三山のぼる]]メモリアル単行本 『レクイエム』 (2008年、茜新社)
== 元アシスタント ==<!--単行本にクレジットあり-->
* [[山田貴敏]]
* [[田巻久雄]]
* [[こいおみなと]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
== 外部リンク ==
* [http://www2.ttcn.ne.jp/~atsuji-ya/index.html あつじ屋]
* {{twitter|atsuji_yamamoto|山本貴嗣}}
* {{マンガ図書館Z作家|822}}
* [https://atsujiya.booth.pm/ あつじ屋売画堂 - BOOTH]
{{METAL MAX}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:やまもと あつし}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:SF漫画家]]
[[Category:ゲームのグラフィッカー・原画家]]
[[Category:中央大学出身の人物]]
[[Category:山口県立防府高等学校出身の人物]]
[[Category:山口県出身の人物]]
[[Category:1959年生]]
[[Category:存命人物]] | 2003-02-13T11:31:05Z | 2023-11-16T13:29:07Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E8%B2%B4%E5%97%A3 |
1,296 | アインシュタイン (曖昧さ回避) | アインシュタイン (Einstein)
主に上記アルベルトに因む。 | [
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}
] | アインシュタイン (Einstein) アルベルト・アインシュタイン - ドイツ出身の理論物理学者。
ハンス・アルベルト・アインシュタイン - アルベルトの長男。水工学者。
エドゥアルト・アインシュタイン - アルベルトの次男。
その他のアルベルトの家族についてはアインシュタイン家を参照。
アルフレート・アインシュタイン - ドイツ出身のアメリカの音楽学者。モーツァルト研究で名高い。物理学者アルベルトの従弟という説がある。
パウル・アインシュタイン - スイスの音楽家、俳優。
EINSHTEIN - 日本のラッパー。 主に上記アルベルトに因む。 アインシュタイン (単位) - エネルギーの単位。
アインシュタイン (小惑星) - X型小惑星。
アインシュタイン (テレビ番組) - フジテレビの科学情報番組。
アインシュタイン (競走馬) - アメリカ合衆国の競走馬。
アインシュタイン (お笑いコンビ) - 吉本興業所属のお笑いコンビ。
アルベルト・アインシュタイン (ATV) - 欧州補給機の4号機。
フォーエヴァー・アインシュタイン - アメリカ合衆国のアバンギャルド・バンド。
ボース=アインシュタイン凝縮 - ある転移温度以下で巨視的な数のボース粒子が最低エネルギー状態に落ち込む相転移現象。
アインシュタインの十字架 - 銀河[Y88] Gと、[Y88] Gによってもたらされた重力レンズ効果で4個に分裂したクエーサーQSO 2237+030の組み合わせ。
ラッセル=アインシュタイン宣言 - イギリスの哲学者・バートランド・ラッセルと、アメリカの物理学者・アルベルト・アインシュタインが中心となり、1955年7月9日にロンドンにて当時の第一級の科学者ら11人の連名で、米ソの水爆実験競争という世界情勢に対して提示された核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた宣言文。
アインシュタイン問題 - 数学上の未解決問題。「2次元の表面を無限に敷き詰めることができる単一の非周期タイル」。 ニーナ・アインシュタイン - 『コードギアス』シリーズの登場人物。⇒コードギアスシリーズの登場人物#アッシュフォード学園
クリス・アインシュタイン - 『金田一少年の事件簿』シリーズの登場人物。 バック・トゥ・ザ・フューチャーに登場する科学者エメット・ブラウンの1985年頃の飼い犬。
オリバー ニューヨーク子猫ものがたりに登場するフェイギンが飼っているグレート・デーン。 | '''アインシュタイン''' ({{lang|de|Einstein}})
; ユダヤ系ドイツ人の姓
* [[アルベルト・アインシュタイン]] - [[ドイツ]]出身の理論[[物理学者]]。
* [[ハンス・アルベルト・アインシュタイン]] - アルベルトの長男。水工学者。
* [[エドゥアルト・アインシュタイン]] - アルベルトの次男。
** その他のアルベルトの家族については[[アインシュタイン家]]を参照。
* [[アルフレート・アインシュタイン]] - ドイツ出身のアメリカの[[音楽学者]]。[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]研究で名高い。物理学者アルベルトの従弟という説がある。
* [[パウル・アインシュタイン]] - スイスの[[音楽家]]、[[俳優]]。
* [[EINSHTEIN]] - 日本の[[ラッパー]]。
;人名以外
主に上記アルベルトに因む。
* [[アインシュタイン (単位)]] - [[エネルギー]]の[[物理単位|単位]]。
* [[アインシュタイン (小惑星)]] - [[X型小惑星]]。
* [[アインシュタイン (テレビ番組)]] - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]の科学情報番組。
* [[アインシュタイン (競走馬)]] - [[アメリカ合衆国]]の[[競走馬]]。
* [[アインシュタイン (お笑いコンビ)]] - [[吉本興業]]所属のお笑いコンビ。
* [[アルベルト・アインシュタイン (ATV)]] - [[欧州補給機]]の4号機。
* [[フォーエヴァー・アインシュタイン]] - アメリカ合衆国のアバンギャルド・バンド。
* [[ボース=アインシュタイン凝縮]] - ある転移温度以下で巨視的な数のボース粒子が最低エネルギー状態に落ち込む相転移現象。
* [[アインシュタインの十字架]] - 銀河[Y88] Gと、[Y88] Gによってもたらされた重力レンズ効果で4個に分裂したクエーサーQSO 2237+030の組み合わせ。
* [[ラッセル=アインシュタイン宣言]] - イギリスの哲学者・バートランド・ラッセルと、アメリカの物理学者・アルベルト・アインシュタインが中心となり、1955年7月9日にロンドンにて当時の第一級の科学者ら11人の連名で、米ソの水爆実験競争という世界情勢に対して提示された核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた宣言文。
* [[平面充填#アインシュタイン問題|アインシュタイン問題]] - 数学上の未解決問題。「2次元の表面を無限に敷き詰めることができる単一の非周期タイル」。
; 架空の人名
* [[ニーナ・アインシュタイン]] - 『[[コードギアス]]』シリーズの登場人物。⇒[[コードギアスシリーズの登場人物#アッシュフォード学園]]
* [[クリス・アインシュタイン]] - 『[[金田一少年の事件簿]]』シリーズの登場人物。
;架空の犬の名前
*[[バック・トゥ・ザ・フューチャー]]に登場する科学者[[バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズの登場人物|エメット・ブラウン]]の1985年頃の飼い犬。
*[[オリバー ニューヨーク子猫ものがたり]]に登場するフェイギンが飼っている[[グレート・デーン]]。
== 関連項目 ==
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1,297 | パーソナルコンピュータ | パーソナルコンピュータ(英: personal computer)は、個人によって占有されて使用されるコンピュータのことである。
略称はパソコンまたはPC(ピーシー)。
パーソナルコンピュータ(PC)は、個人で使用するコンピュータである。アメリカの辞書Merriam-Websterでは「個人が汎用目的で使うための、マイクロプロセッサを備え、一般的なソフトウェア(ワープロソフトやブラウザなど)を動かすために設計されたコンピュータ」といった定義文を掲載している。
パーソナルコンピュータが登場する以前、コンピュータといえば大型で、かつ高価だった。購入や運用に巨額の費用が必要なので、それらは大企業や大学や研究所などが所有し、1台を、それら組織に所属する人々が共同で使用していた(タイムシェアリングシステム)。この時代、個人が自分のためだけに購入して占有して使えるようなコンピュータは存在しなかった。だが1971年にアメリカのインテルがマイクロプロセッサの開発に成功したことで、コンピュータを小型化および低価格化する道が開け、個人所有する可能性が開かれた。
PCをサイズや形状に焦点を当てて分類する場合、ノートPC(ラップトップPC)、デスクトップPC、タブレット型PC(スレートPC)などに分類できる。
インターネットの普及とともにインターネットの情報アクセス端末としても利用されるようになった。
パーソナルコンピュータで使用される頻度が高いアプリケーションソフトウェアとしては、ウェブブラウザ、ワープロソフト、表計算ソフト、データベース、プレゼンテーションソフトウェア、メディアプレーヤー、ペイントソフト、写真編集ソフト、ゲームソフトなどを挙げることができる。(なお近年ではe-mailのPCでのやりとりも、gmailなどのwebメールをつかうということがかなり広く行われている。その結果ネット検索だけでなくe-mailの閲覧・送受信時にも、ソフトウェアとしてはウェブブラウザが使われていることが増えている。)
「パーソナルコンピュータ」という用語は、1972年にアラン・ケイがACM National Conferenceで発表した"A Personal Computer for Children of All Ages"の中で使用され、「個人のための理想のコンピュータ」という意味使った。(なお、アラン・ケイという人物は、GUIを搭載しA4サイズ程度の片手で持てる小型のコンピュータも構想し、それを「ダイナミックメディア(メタメディア)機能を備えた本(ブック)」という意味を込めて「ダイナブック」と呼んだ。)
最初の実際に市販されたパーソナルコンピュータはAltair 8800だと現在では一般的に言われており、これは1974年にインテルの8bitマイクロプロセッサ8080をCPUに用いて登場したものである。ただし1970年代後半までは、CPUにマイクロプロセッサを採用したコンピュータは、英語圏では主に「micro computer」などと呼ばれることが多く(たとえば1977年発売のTRS-80も名称は「TRS-80 Micro Computer System」であり)、あるいは「home computer」という呼称も好まれた。日本で1970年代後半は、英語のmicro computerをカタカナに直訳した「マイクロコンピュータ」が堅い記事などでは好まれ、(日本国内では用語を4文字(4音節)に短縮することが好まれるので)日常的には短縮形の「マイコン」が使われた。
パーソナルコンピュータという用語は1977年ころから一部の機種についても使われており、アメリカでは1977年発売のApple IIの広告類で、日本では1979年発表・発売のPC-8000シリーズを指して日本電気が使うようになった(この「PC-8000」の2文字「PC」は「Personal Computer」の頭文字)。
世界的に見て一番決定的だったのは、当時「コンピュータ業界の巨人」と言われ絶大なブランド力をもっていたIBMが1981年に発売し大きな市場占有率を占めるようになったIBM PCの影響である。「IBM PC」は通称で、発売当時の品名は「IBM Personal Computer」であり、雑誌広告や取扱説明書などでも繰り返し大きく使用され、購入したユーザたちもパーソナルコンピュータという用語に慣れ、この表現が一般化するのを後押しし、パーソナルコンピュータという用語・概念が世界中でしっかり定着してゆくことになった。
日本では省略して「パソコン」と呼ばれるようになり、「パソコン」が定着すると、あとは「ホビーパソコン」「ノートパソコン」「パソコン教室」のような、他の語と「パソコン」を組み合わせた造語も次々と行われるようになった。
1974年に登場したマイクロプロセッサにより、個人でも所有可能な小型で低価格なコンピュータが実現可能になった。
(英語圏でen:microprocessor development boardと呼ばれ)日本でワンボードマイコンと呼ばれたキットは当初、技術者向けの評価キットおよびトレーニングキットで、入出力にはテレタイプ端末等、従来のコンピュータに用いられた巨大で扱いに手こずる入出力端末を接続する必要があった。また、その接続作業においても専門的知識を必要とし、一般的なものではなかった。一方、電子回路に詳しいアマチュアが部品を集めてコンピュータを自作し、個人で使用することもあった。また、いわゆるミニコンピュータを個人で所有する者もいた。
最初のパーソナルコンピュータとされることが多いAltair 8800が1974年の末に誕生した。完成させると「箱にランプとスイッチ」というミニコンスタイルのコンピュータができあがるキットはそれ以前からあったにはあったが、Altairが初の安価なヒット製品であった。それ以降2-3年ほどの間に、Apple IのようにCRTディスプレイやキーボードを接続するよう設計されているものなど、入出力が工夫された多数のマイコンキットが現れた。
1977年、Apple、コモドール、タンディ・ラジオシャックの各社から相次いで、本体がプラスチックケースにきれいに収められBASICインタプリタを内蔵し、オールインワンの完成品で出荷される、今日のパーソナルコンピュータの原型と言える型のコンピュータが登場した。これらはインタフェース(CRTディスプレイ、キーボード、外部記憶装置、プリンター用)を一通り備えており、ディスプレイに接続して電源プラグをコンセントに差し込みさえすれば動作するものであった。中でもApple IIは標準でカラー画像出力や音声出力に対応しておりパソコンゲームのプラットフォームとしても人気を博したうえに、表計算ソフト VisiCalcがキラーアプリケーションとなり、単なるホビーイスト向けの玩具ではなく実務にも使える道具と一般人にも認められ大成功した。
1981年に16ビットのIBM PCが登場して世界的にベストセラーとなり、IBM PCで採用されたインテルのx86系のCPUとマイクロソフトのMS-DOSが主流(事実上の標準)となった。更にコンパックなどによりIBM PC互換機市場が形成され、「パーソナルコンピュータ」の名称が一般化した。表計算ソフトはLotus 1-2-3、ワープロソフトはWordPerfect(日本では一太郎)が普及した。
1984年に登場したMacintoshはグラフィカルユーザーインターフェイスの概念を大きく普及させることに成功し、後のコンピュータに絶大な影響をもたらした。1985年にはMacintosh向けにMicrosoft Excelが登場し、そのインターフェイスは後のWindowsアプリケーションの原型となった。
しかし日本では「日本語表示の壁」もあり各社独自の日本語仕様が続き、異なったメーカー間ではアプリケーションソフトウェアの互換性はほとんど無かった。16ビット市場では1982年のNECのPC-9800シリーズがトップシェアを続け、他には富士通のFMシリーズやFM TOWNS、セイコーエプソンのPC-9800互換機、個人向けに絞ったシャープのX68000、PC/AT互換機ベースのAX協議会のAX、日本語表示用に高解像度を標準採用した日本IBMのマルチステーション5550などが競った。一方、IBM互換機の独自拡張であるDynaBookは場所を決めずにいつでもどこでも利用できるノートパソコンを大きく広めるものとなった。また、より手軽に入手・使用できる廉価機として8ビットのMSX規格がホビーパソコンとして一定の普及をとげた。 海外では、1980年に英国でシンクレア ZX80、1982年に米国でコモドール64、1983年にユーゴスラビアでGalaksija(英語版)、1980年代後半にも英国でAmstrad CPCなど、8ビットCPU搭載機が現れた。
1990年代にはダウンサイジングの潮流もあり企業や個人へのパーソナルコンピュータの普及が進み、企業用のローエンドのサーバーもPCサーバーが広く普及した。1990年代初頭まではAmigaやコモドール64、アルキメデスなどのホビーパソコンもなお一定のシェアを保っていたものの1990年代中盤以降の世界ではIBM PC互換機とMacintoshがパソコン市場の大多数を占めるようになった。
1991年にはWindows 3.0、1995年にはWindows 95が発売され、従来の「16ビット / DOS」から徐々に「32ビット / Windows」への移行が進んだ。一部の高機能指向のユーザーには従来のUNIXワークステーションに匹敵する機能を持つOS/2やWindows NT、さらに高機能なOPENSTEPが使われ、パーソナルコンピュータでのPC-UNIXの利用も行われはじめた。
日本でも1990年のDOS/Vの登場、Windowsの普及とともに世界と同じPC/AT互換機への移行が進んだ。またアプリケーションソフトウェアの発達とパソコン本体の低価格化もあり、ワープロ専用機ユーザーもワープロソフトに移行していった。この過程でMicrosoft OfficeがLotus 1-2-3などを駆逐してオフィススイートのデファクトスタンダードとなった。
1990年代末以降インターネットが急激に普及し、パーソナルコンピュータのウェブ端末としての利用が一般化した。1998年には「インターネットのための新世代のパーソナルコンピュータ」と銘打ったiMacが登場し社会現象となった。
1990年代にはWindowsやマルチメディアアプリケーションの普及による「スピード飢餓」を背景にマイクロプロセッサの高性能化が急激に進んだ。アウトオブオーダ実行、スーパースカラなど従来スーパーコンピュータに使われていたような新技術が次々に投入され、1990年頃は16-20MHz程度だったパソコン用CPUのクロックは2000年には1GHzに達した。
国連統計をもとに一部推計により算出した世界各国のPC台数実績値は、2008年に11.2億台となった。
インターネットの普及とともに、各パソコンはブロードバンドルータに接続され、更に上位のルータ・スイッチやサーバに連結されるようになり、インターネットの利用者は主にパソコンをインターネットの情報アクセス端末として利用するようになった。
インターネット利用者1人当たりのPC台数は、経済水準によって違いがあり、各国の1人当たりのPC保有台数と1人当たりGDPには一定の正の相関があることが指摘されるようになった。途上国ではパソコンの利用はオフィスでの業務用やインターネット・カフェなど共同利用形態が多いが、経済水準の向上や情報化社会の進展に応じてパソコンの保有台数は増加し、特に就労者は家庭用と業務用等で複数台を利用する傾向がみられた。
2005年時点の1人当たりのPC保有台数の世界平均は0.82で、最高値はアイルランドの1.49だった。
2000年代には新しい情報端末が多く出現し、携帯電話、情報携帯端末(Personal Digital Assistants:PDA)、ゲーム機等からのインターネットへのアクセスが急増するようになった。
ユーザーが各種アプリストアからアプリケーションをダウンロードしてインストールすることが可能なスマートフォンが普及し、HTML5/CSS3標準をサポートするブラウザが増えたことでウェブアプリケーションの高機能化が進み、さらにハードウェア性能も向上したことから、日常生活を送るうえでの手続きや娯楽などはスマートフォンやタブレットがあれば事足りるようになった。そのため、家庭で従来の「パソコン」を所有せず、操作したことがない一般消費者も増えている。
しかし、スマートフォンはクリエイティブな作業に使うには限界があること、ハード性能に制約があること、タッチ操作には最適化されている一方でポインティングデバイスやキーボードによる入力には最適化されていないこと、サンドボックスによりアプリケーションのインストールが制限されていること(ハードウェアの拡張やオペレーティングシステムおよびデバイスドライバーなどの自由なインストールもできない)などから、依然として従来のパソコンやワークステーションは広く使われている。
パソコンも個人用途ではスマートフォンに代替される傾向となり、2012年には日本国内のパソコン出荷数の減少が始まる。2013年にはWindows XPのサポート終了に伴う駆け込み需要で販売台数が増加したが、2014年からはそれがなくなり、パソコンの販売台数が急減した。2014年度には国内出荷が1000万台を割り込んだ。一方でスマホをパソコン寄りに近づけたタブレット型PCが2010年のApple iPadを皮切りに登場し、逆にパソコンをスマホ寄りに近づけたタイプも登場し、普及がみられる。
形状や大きさによる分類には次のようなものがある。分類の基準やそれぞれの呼称は、メーカー、シリーズ、時期などによって異なる。
パソコンの本体にキーボードと液晶ディスプレーが一体となった、ノートの形状・構造(※)をしたパソコン。
英語圏では「laptop computer」また単に「laptop」あるいは「notebook computer」と呼んでいる。lapは多義語であるが「上におおいかぶさるようなパネル」のことである。 英語圏では「laptop computer」と「notebook computer」は基本的に同義である。上部が覆いかぶさるパネル状になっている、ということと、ノートのように開け閉めできる構造、ということは、ほぼ同義だからである。
日本では主に「ノートパソコン」や「ノートPC」や、単に「ノート」と呼ばれている。日本国内の呼び方を列挙すると「ノートパソコン」「ノートPC」「ノート」「ノート型」などがある。
日本では「ラップトップが大きめでノートパソコンが小ぶり」などと解釈して区別していた時期があるが、英語圏では現在、そういう区別をしているわけではない。詳細はラップトップパソコンを参照。
ノートブックのうち特に小型・軽量・低価格で、性能や拡張性を割り切たもの。
タブレット型(板状)のコンピュータのコンセプトは、「パーソナルコンピュータの父」とも言われるアラン・ケイがかなり早い時期に提示して、知られていた。 タブレット状(スレート状、板状)でディスプレイを内蔵し、現在ではキーボード無しで、指やペンで文字入力やポインティングを行え、モバイルオペレーティングシステムを搭載したものが主流。
机の上に据え置いて使うパーソナルコンピュータで、ノートパソコンではないもの。ディスプレイが一体化しているものもある。初期のパソコン(1970年代後半から1980年代前半)ではキーボードが一体となっている機種も多かった。
最近では個人使用では、デスクトップと言ってもかなり小型(15センチ x 15センチ x 高さ10センチ程度)の mini-PC(ミニPC)の売上が伸びている。
GPUを使わざるを得ないユーザは、GPUが高い排熱効率を必要とするので(2010年ころまでは)タワー型のデスクトップパソコンを使用していた。だが2010年や2015年ころから、ノート型のパソコンでも性能の良いGPU、強力なヒートシンク、高リフレッシュレートのディスプレイを備えたもの(いわゆるゲーミングノートPC)が増えてきており、特に2010年代末や2020年ころからは、GPU搭載PCを選ぶ人でも、デスクトップ型は止めてノート型ゲーミングPCを選ぶというように、マーケットの状況が変わってきている。
なお、「個人で占有して使うコンピュータ」というパーソナルコンピュータの定義から全く外れてしまうが、「盗まれにくい」などの理由で、役所などが設置する、人々が共用で使うためのコンピュータとして、"省スペース型"のデスクトップパソコンがしばしば使われている。
それら全部を合わせてもデスクトップPCの販売台数はパーソナルコンピュータの販売全体の1割にもならない。
USBメモリに似たスティック状の形状にCPU(SoC)とメモリ、ストレージにeMMCを搭載した超小型パソコン。たいていのモデルはHDMI端子を備えており、フラットパネルディスプレイに接続して使用する。コンポーネントの実装面積や廃熱に制約があり性能は著しく低いが、持ち運びがしやすい。バッテリーは内蔵しない。消費電力が小さいためモバイルバッテリーの給電でも動作する場合がある。
時計型や頭部に装着するなど、身体に装着して使用するもの。
手のひらに入るサイズの汎用コンピュータで、パームサイズやハンドヘルドとも呼ばれる。主にタッチパネルやペンで操作する。省電力化と小さい画面に適した操作性を持たせるため、パーソナルコンピュータとは異なるアーキテクチャ及びモバイルオペレーティングシステムが採用されている。スマートフォン及びタブレットがここから派生したが、2010年代以降はメディアプレーヤやタブレット端末およびスマートフォンなどの携帯デバイスの市場に吸収された形となっている。
PDAに携帯電話機能をプラスし、単体で移動体通信網への接続機能を持たせたもの。
主に用途による分類で、大型コンピュータのクライアントに高性能な処理能力を持たせたものが起源。CADなどの画像処理、ディーリングなどの金融端末に用いられる。かつては独自のアーキテクチャを採用していたが、今日ではPCを流用したものが多い。
主に用途による分類で、パーソナルコンピュータのアーキテクチャをベースとしながら、業務用(代表例は24時間365日連続稼働など)に耐え得る信頼性を実現する拡張が行われている。形状はタワー型やラックマウント型が多い。
典型的なパーソナルコンピュータは、以下のハードウェアから構成される。(かつて一般的だった)デスクトップパソコンと、現在主流のノートパソコンでは、基本要素はおおむね同じであるが、ノートパソコンのほうはより小さな部品やユニットが使用されて細やかに一体化がなされている傾向がある。
パーソナルコンピュータのメインボードの典型的なマザーボードの構成は、システムの中央となるチップセット、UEFIなどのファームウェアが書き込まれたROMあるいはフラッシュメモリ、CPUやメインメモリなどの専用のソケットやスロット類(固定の場合もある)、PCIeなど汎用のバスのスロット(ビデオカードには2019年現在はこれが使われることが多い)、その他SATAやUSBなどのためのソケット、オンボードグラフィック機能、などから成る。
デスクトップPCのメインボードは、ATX仕様、Mini-ITX仕様などがある。
コンピュータの頭脳に当たる部品。中央処理装置。汎用のマイクロプロセッサ(MPU)が使われる。プロセッサは、世代、メーカーごとにソケット規格が異なる。
RAMとも呼ばれる。漢字表記では主記憶装置。CPUと基板上の回路を通じて直に接続されているメモリである。次に説明する補助記憶装置(ストレージ)に比べ読み書きが桁違いに高速という特徴があるが、単価が高いため、搭載される容量は補助記憶装置に比べて何桁(けた)か少ないのが一般的である。メインメモリはCPUの作業場所に当たり、実行中のプログラムや、CPUが操作中のデータが格納される。揮発性の記憶装置であり、電源を切ると記憶内容は消えるため、電源を切った後も使うデータや設定などは、電源を切っても記憶が消えない補助記憶装置(HDDやSSDなど)に保管することになる。 搭載可能なメモリモジュールの規格や容量はマザーボードに左右される。また、認識・使用可能なメモリの上限はOSに左右される。 なお搭載するメインメモリの量が足りないと、OSのデフォルトの設定ではやむを得ずメインメモリの代わりに補助記憶装置を作業場所として使うようになっていることは多く、そうなるとPCの処理速度が一気に落ちてしまい、いわゆる「もっさり」とした動きになってしまうので、メインメモリをたっぷりと搭載しておくことが快適な処理速度を保つ上で鍵となる。
ストレージとも、補助記憶装置とも、外部記憶装置ともいう。不揮発性の記憶であり、通電しなくても記憶が保たれ、容量当たりの単価が安く大容量のものが使えるが、書き込み速度がメインメモリのそれと比べて非常に遅い。したがってプログラム、データなどの格納場所(ストレージ)として使われたり、他のPCへプログラムやデータを移すために用いられる。
PCに内蔵するもの、外付けのもの、着脱可能なリムーバブルなものがある。内蔵型は固定ディスクとも呼ばれる。
1990年代から2010年ころまではPCのOS起動ディスクとしてはハードディスクドライブ (HDD) が主に使われてきたが、その後2010年代後半ころから、高速に読み書きができるソリッドステートドライブ (SSD) も次第に安価になり、オペレーティングシステムの立ち上げ時の時間が半分〜数分の1ほどにも短縮され、PCの使い心地に大きく影響するので、SSDのほうが人々に選ばれることが一般化してきた。(OSの使い勝手にも大きく影響するので)マイクロソフト社も2022年のなかばごろにはPCのハードウェアのメーカーに対してSSDを標準で搭載することを強く要求するようになった。
オペレーティングシステムやアプリケーションソフトウェアやよく使われるファイルを読み書きしたりする場所としては高速なSSDを、バックアップや大容量データの長期保存にはHDDを利用するなどの使い分けもされる。HDDはSSDよりも容量あたりの価格が安く、大容量化しやすいことが特徴で、2019年には14TBの製品が、2021年には20TBの製品が発売された。
着脱可能なメディアを使用できる外部とのデータ交換用のディスクドライブ。時代とともにメディアが変遷してきて、フロッピーディスクドライブ、光磁気ディスク(MO)ドライブ、CD、DVD、BDと変遷してきて、DVDスーパーマルチドライブやBDドライブなど、複数規格のメディアが読み書きできるものが増えたが、インターネット経由でオペレーティング・システムやソフトウェアやコンテンツがダウンロードできることが一般化するにつれ、リムーバブルディスクの需要がめっきり減り、2020年代以降は、リムーバブルディスクドライブを搭載しないモデルが一般的になっている。
拡張カードは用途に応じてコンピュータを拡張するためのカード(ボード)。ただし、拡張スロット自体がないモデルも多い。
ビデオ(映像)信号をディスプレイに表示するビデオカード、ネットワーク接続用のネットワークカード、音声出力用のサウンドカードなどがある。
特にリアルタイムの3DCGといった用途でPCを使う場合は、高性能なGPUを利用することが多い。DirectX 10世代以降はGPUを汎用計算に利用すること(GPGPU)も行われるようになり、リアルタイム3DCG以外にも、大量の物理演算、汎用画像処理、動画エンコーディング、ディープラーニングなどの用途でPCを使う場合も高性能のGPUを搭載するようになった。拡張カードを使いたい場合はデスクトップPCやタワー型PCから望みの拡張スロットを備えているものを選択することになる。
パソコンでいう「電源」というのは、コンセントに来ている交流を直流に変換しマザーボードやドライブ装置などに電力を供給するもの。
ノートPCの電源は本体内部に一体化されたリチウムイオン電池などを内蔵しており出先などではこれを使うが、長時間使う場合はコンセントにACアダプタを挿しACアダプタのDCコネクタをノートPCに挿して使用することが一般的である。
なお最近販売数が伸びてきている、机上で使うmini-PC(ミニPC)などと呼ばれる一辺が10センチ強や数センチ角程度の弁当箱のようなコンピュータも電源にACアダプタを使う傾向がある。
デスクトップPCやタワー型PCの電源は本体内部に収められる比較的大きなユニットである。ATX電源など。
モニターとも呼ばれる。GUIやCUIでコンピュータを操作するために必要な表示装置。アスペクト比(縦横の比)が時代とともに変化し、最近は横長になってきた。
販売量が多いノートPCのディスプレイは本体と一体化しており、ヒンジ機構で開くことができる。ディスプレイの上部にwebカメラを内蔵しているモデルも多い。
デスクトップPC用のディスプレイの多くは外付けで、PC本体とケーブルで接続する。スピーカーやWebカメラを内蔵していたり、TVチューナーを内蔵しているモデルもある。デスクトップPCのディスプレイは2000年頃まではブラウン管が一般的であったが、2002年以降は液晶ディスプレイが主流となり、2006年までに完全にブラウン管と置き換わった。
コンピュータにコマンドや文字を入力するための機器。キー配列は、英語圏では101キーボード(104キーボード)、日本では106キーボード(109キーボード)が主流である。大手メーカー製などは、ショートカットとして特定の機能(電子メール機能、スピーカーの音量調整など)に一発でアクセスできる専用のボタンを追加した物もある。接続は有線の場合はUSB、無線の場合はBluetooth接続が多い。
ポインティングデバイスは、位置や座標を指し示すための装置。画面上の1点を指し示したり、操作対象を指定することができる。( 販売量がすでに9割を越えている)ノートPCではタッチパッドがキーボードの手前に組み込まれていて一体化していることが一般的。デスクトップPCではマウスを使うことが一般的であるが、各人の好みで外付け別売りのタッチパッドを使ったり、トラックボールを使う人もいる。
黎明期のPCは、内蔵音源としてビープ音やFM音源といった貧弱な音源しか持たなかったが、PCMデータの再生に対応したPCM音源を搭載したサウンドチップが標準的となり、また各種OSにおいてアプリケーションソフトウェアからオーディオデバイスを利用するためのアプリケーションプログラミングインターフェイス (API) の標準化が進んだことにより、音声や動画の再生が標準的にできるようになっている。
スピーカーは音声(音響)を出力するための装置。
ノートPCではキーボードとディスプレイの間あたりに内蔵されていることが多く、スピーカーの直径が小さいため音響的には貧弱な音しか出ないことが一般的であるが、ノートPC本体横に音響出力用のミニプラグのジャック(メス側)が用意されていることも一般的なので、そのジャックに高性能のヘッドフォン(イヤホン)類を挿せば、良質な音響を聞くことができる。
デスクトップPCでは、HDMI接続したディスプレイがスピーカーを備えていればそのスピーカーから音が出る。PCをサウンドカードを搭載する場合で音声出力端子があればそこにスピーカーを接続する。
周辺機器を接続するための差し込み口(ポート、端子)。以前はそれぞれの周辺機器に対応する専用のインターフェイス(レガシーデバイスともいう)が備わっており、PS/2コネクタ、DVI、イーサネット、Thunderbolt、IEEE 1394、USBなど複数の種類に分かれていたが、2010年代以降USB+ HDMI(モデルによってはイーサネット用RJ-45)だけしか備えないという機種が増えた。
デスクトップPCやタワー型PCではケース、つまり箱状の入れ物が使われる。縦置きのミニタワー型、ミドルタワー型、フルタワー型などがある。
パーソナルコンピュータにおけるファームウェアは、主にマザーボードのファームウェア(BIOS / UEFI)を指すことが多い。
オペレーティングシステム (OS) はコンピュータシステム全体の管理と制御を行ない、ユーザーインターフェイスを提供するシステムソフトウェアの一種である。OSによって標準化・抽象化されたAPIが提供されることで、アプリケーションソフトウェアはハードウェアを直接制御する必要がなくなる。
マイクロソフトが提供する独自のオペレーティングシステムで、1990年代よりPC/AT互換機に搭載されるOSの主流となっている。Microsoft Windows 10以降はWindows Subsystem for Linux (WSL) によるLinux互換環境もサポートしている。
Appleが提供するUnix系の独自のオペレーティングシステムで、Apple社独自のハードウェアで動作する。GUI操作を基本とするが、UNIX互換のシェルも持つ。
Googleが提供するLinux系の独自オペレーティングシステムで、Google Chromeをベースとしたシェルを持つ。Androidとの連携や互換性が優れており、ソフトウェア開発用途などにDebian系のLinuxサブシステム (Crostini) も制限付きながら利用できる。
パーソナルコンピュータで稼働するUnix系オペレーティング環境。カーネルとしてオープンソースソフトウェアであるLinuxが使われるようになって普及した。ウィンドウシステムとしてはX Window Systemが標準になっている。
普通の人々がインターネット上の検索エンジンで情報検索したり、あるいは各企業やサービスの公式サイトで各種登録を行ったり、ネットショッピングを行ったり、webメールを送受信するためにはWebブラウザが使われており、さまざまなアプリケーションソフトの中でも使われる頻度が高くなっている(最近はさまざまな便利なクラウドサービスが増えているのでブラウザが使われる頻度が特に高くなっている)。 事務作業用のソフトウェアは近年ではプロダクティビティ・ソフトウェアと呼ばれるようになってきており、たとえばワープロ、表計算、データベースなどやこれらをパッケージ化したオフィススイートなどがある。それ以外にも、ペイントソフト、写真加工ソフトなどはきわめて一般的で、さらに映像(動画)編集ソフト、オーサリングツールも使用ユーザが次第に増えている。 ほかにもゲーム好きな人々はゲームソフトを高頻度で使用している。コンピュータエンジニアなどはターミナルソフト(en:Terminal emulator)を多用し、システム開発を行うエンジニアはプログラミングツール(統合開発環境、コンパイラなど)を多用する。 いずれも 無償のもの / 有償のもの の両方があり、無償のものにはオープンソースなどライセンスに従えば無償でも利用できるものがある。近年ではインターネット経由で無償でダウンロードできるものも多い。またオペレーティングシステムに標準で含まれているものもある。そのほか、特定の業種だけで使うソフトや、特定の職種だけが使うきわめて特殊なソフトもある(こちらは多くは有償で、相当の価格に設定されていることが多く、なかには(かなりの費用をかけて)特注で制作するものもありユーザは一社だけあるいはひとりだけという場合もある)。
ミドルウェアはOSとアプリケーションとの間に構築されるアプリケーションフレームワークの一種である。アプリケーションの開発を効率化する。
主なパーソナルコンピュータのメーカーは以下の通りである。大手メーカーの多くはクアンタ・コンピュータ、コンパル・エレクトロニクスなどの台湾に本社を置く受託製造メーカーにOEM生産を委託しており、ノートパソコンに至っては世界の年間生産台数の約9割を台湾企業が手掛けている。
上記以外にもパソコンの製造メーカーはPCをベースとした専用機器やシステム販売、あるいは小規模なPCショップを含め多数存在するが、パソコンの内部に使われている部品は限られた企業が生産している。
国連大学の「電子廃棄物問題を解決するイニシアチブ」によると、年間当たりの電気・電子機器廃棄物の発生量は、全世界で約4880万トン(2014年)と推計されている。
国連大学の「電子廃棄物問題を解決するイニシアチブ」によると、米国の年間当たりの電気・電子機器廃棄物の発生量は約720万トン(2014年)と推計されている。
国連大学の「電子廃棄物問題を解決するイニシアチブ」によると、中国の年間当たりの電気・電子機器廃棄物の発生量は約610万トン(2014年)と推計されている。
広東省汕頭市の貴嶼では約13万人の住民のうち約8万人が電子ごみのリサイクル産業に従事しているが(2012年地元統計)、2014年の汕頭大学医学院の研究チームの調査報告書では重金属類による大気汚染や水質汚染が深刻になっているとしている。
半導体素子製造プロセスの急速な高度化(この様子はムーアの法則などと表現される)の恩恵を受けてより高速・高機能なCPUを用いた製品が市場に投入され、そうした最新版のハードウェアに対応したソフトウェアが普及するにつれ旧型製品の買い替えサイクルは短くなる。そのため廃棄されるPCの台数が増加しており、資源の有効活用や環境保護の面から問題点が指摘されるようになった。そのため家庭電化製品と同様に「資源の有効な利用の促進に関する法律」の適用を受けることになり、メーカーによる回収・リサイクルが制度化された。
これを受け2001年4月1日から企業や個人事業者、2003年10月1日から家庭用で不要となったパソコン本体(付属のキーボード・マウス・スピーカー・ケーブル類、単独の外部ディスプレイ含む。付属マニュアルやメディア、プリンターなどの周辺機器は除く)は各製品のメーカーが回収し、素材レベルに分解し資源として再利用される(中古品としての流用や部品取りは原則として行われない)。
「PCリサイクルマーク」がついた家庭用PCは販売価格に回収処分の手数料が含まれているためリサイクルの費用は不要であるが、マークのついていない製品は新たに「回収再資源化料金」を負担する必要がある。自作PCやメーカーのパソコン事業撤退・倒産した場合は、一般社団法人パソコン3R推進協会が有償で回収を行う。この制度を受けて、自治体などではPCの粗大ごみ収集・処分を行わないところが多い。
事業用のパソコンについては別途メーカーによる回収・リサイクル体制が整えられているが、産業廃棄物として処理される場合もある。 | [
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"text": "パーソナルコンピュータ(英: personal computer)は、個人によって占有されて使用されるコンピュータのことである。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 1,
"tag": "p",
"text": "略称はパソコンまたはPC(ピーシー)。",
"title": null
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "パーソナルコンピュータ(PC)は、個人で使用するコンピュータである。アメリカの辞書Merriam-Websterでは「個人が汎用目的で使うための、マイクロプロセッサを備え、一般的なソフトウェア(ワープロソフトやブラウザなど)を動かすために設計されたコンピュータ」といった定義文を掲載している。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "パーソナルコンピュータが登場する以前、コンピュータといえば大型で、かつ高価だった。購入や運用に巨額の費用が必要なので、それらは大企業や大学や研究所などが所有し、1台を、それら組織に所属する人々が共同で使用していた(タイムシェアリングシステム)。この時代、個人が自分のためだけに購入して占有して使えるようなコンピュータは存在しなかった。だが1971年にアメリカのインテルがマイクロプロセッサの開発に成功したことで、コンピュータを小型化および低価格化する道が開け、個人所有する可能性が開かれた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "PCをサイズや形状に焦点を当てて分類する場合、ノートPC(ラップトップPC)、デスクトップPC、タブレット型PC(スレートPC)などに分類できる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "インターネットの普及とともにインターネットの情報アクセス端末としても利用されるようになった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "パーソナルコンピュータで使用される頻度が高いアプリケーションソフトウェアとしては、ウェブブラウザ、ワープロソフト、表計算ソフト、データベース、プレゼンテーションソフトウェア、メディアプレーヤー、ペイントソフト、写真編集ソフト、ゲームソフトなどを挙げることができる。(なお近年ではe-mailのPCでのやりとりも、gmailなどのwebメールをつかうということがかなり広く行われている。その結果ネット検索だけでなくe-mailの閲覧・送受信時にも、ソフトウェアとしてはウェブブラウザが使われていることが増えている。)",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "「パーソナルコンピュータ」という用語は、1972年にアラン・ケイがACM National Conferenceで発表した\"A Personal Computer for Children of All Ages\"の中で使用され、「個人のための理想のコンピュータ」という意味使った。(なお、アラン・ケイという人物は、GUIを搭載しA4サイズ程度の片手で持てる小型のコンピュータも構想し、それを「ダイナミックメディア(メタメディア)機能を備えた本(ブック)」という意味を込めて「ダイナブック」と呼んだ。)",
"title": "名称"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "最初の実際に市販されたパーソナルコンピュータはAltair 8800だと現在では一般的に言われており、これは1974年にインテルの8bitマイクロプロセッサ8080をCPUに用いて登場したものである。ただし1970年代後半までは、CPUにマイクロプロセッサを採用したコンピュータは、英語圏では主に「micro computer」などと呼ばれることが多く(たとえば1977年発売のTRS-80も名称は「TRS-80 Micro Computer System」であり)、あるいは「home computer」という呼称も好まれた。日本で1970年代後半は、英語のmicro computerをカタカナに直訳した「マイクロコンピュータ」が堅い記事などでは好まれ、(日本国内では用語を4文字(4音節)に短縮することが好まれるので)日常的には短縮形の「マイコン」が使われた。",
"title": "名称"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "パーソナルコンピュータという用語は1977年ころから一部の機種についても使われており、アメリカでは1977年発売のApple IIの広告類で、日本では1979年発表・発売のPC-8000シリーズを指して日本電気が使うようになった(この「PC-8000」の2文字「PC」は「Personal Computer」の頭文字)。",
"title": "名称"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "世界的に見て一番決定的だったのは、当時「コンピュータ業界の巨人」と言われ絶大なブランド力をもっていたIBMが1981年に発売し大きな市場占有率を占めるようになったIBM PCの影響である。「IBM PC」は通称で、発売当時の品名は「IBM Personal Computer」であり、雑誌広告や取扱説明書などでも繰り返し大きく使用され、購入したユーザたちもパーソナルコンピュータという用語に慣れ、この表現が一般化するのを後押しし、パーソナルコンピュータという用語・概念が世界中でしっかり定着してゆくことになった。",
"title": "名称"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "日本では省略して「パソコン」と呼ばれるようになり、「パソコン」が定着すると、あとは「ホビーパソコン」「ノートパソコン」「パソコン教室」のような、他の語と「パソコン」を組み合わせた造語も次々と行われるようになった。",
"title": "名称"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "1974年に登場したマイクロプロセッサにより、個人でも所有可能な小型で低価格なコンピュータが実現可能になった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "(英語圏でen:microprocessor development boardと呼ばれ)日本でワンボードマイコンと呼ばれたキットは当初、技術者向けの評価キットおよびトレーニングキットで、入出力にはテレタイプ端末等、従来のコンピュータに用いられた巨大で扱いに手こずる入出力端末を接続する必要があった。また、その接続作業においても専門的知識を必要とし、一般的なものではなかった。一方、電子回路に詳しいアマチュアが部品を集めてコンピュータを自作し、個人で使用することもあった。また、いわゆるミニコンピュータを個人で所有する者もいた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "最初のパーソナルコンピュータとされることが多いAltair 8800が1974年の末に誕生した。完成させると「箱にランプとスイッチ」というミニコンスタイルのコンピュータができあがるキットはそれ以前からあったにはあったが、Altairが初の安価なヒット製品であった。それ以降2-3年ほどの間に、Apple IのようにCRTディスプレイやキーボードを接続するよう設計されているものなど、入出力が工夫された多数のマイコンキットが現れた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "1977年、Apple、コモドール、タンディ・ラジオシャックの各社から相次いで、本体がプラスチックケースにきれいに収められBASICインタプリタを内蔵し、オールインワンの完成品で出荷される、今日のパーソナルコンピュータの原型と言える型のコンピュータが登場した。これらはインタフェース(CRTディスプレイ、キーボード、外部記憶装置、プリンター用)を一通り備えており、ディスプレイに接続して電源プラグをコンセントに差し込みさえすれば動作するものであった。中でもApple IIは標準でカラー画像出力や音声出力に対応しておりパソコンゲームのプラットフォームとしても人気を博したうえに、表計算ソフト VisiCalcがキラーアプリケーションとなり、単なるホビーイスト向けの玩具ではなく実務にも使える道具と一般人にも認められ大成功した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "1981年に16ビットのIBM PCが登場して世界的にベストセラーとなり、IBM PCで採用されたインテルのx86系のCPUとマイクロソフトのMS-DOSが主流(事実上の標準)となった。更にコンパックなどによりIBM PC互換機市場が形成され、「パーソナルコンピュータ」の名称が一般化した。表計算ソフトはLotus 1-2-3、ワープロソフトはWordPerfect(日本では一太郎)が普及した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "1984年に登場したMacintoshはグラフィカルユーザーインターフェイスの概念を大きく普及させることに成功し、後のコンピュータに絶大な影響をもたらした。1985年にはMacintosh向けにMicrosoft Excelが登場し、そのインターフェイスは後のWindowsアプリケーションの原型となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "しかし日本では「日本語表示の壁」もあり各社独自の日本語仕様が続き、異なったメーカー間ではアプリケーションソフトウェアの互換性はほとんど無かった。16ビット市場では1982年のNECのPC-9800シリーズがトップシェアを続け、他には富士通のFMシリーズやFM TOWNS、セイコーエプソンのPC-9800互換機、個人向けに絞ったシャープのX68000、PC/AT互換機ベースのAX協議会のAX、日本語表示用に高解像度を標準採用した日本IBMのマルチステーション5550などが競った。一方、IBM互換機の独自拡張であるDynaBookは場所を決めずにいつでもどこでも利用できるノートパソコンを大きく広めるものとなった。また、より手軽に入手・使用できる廉価機として8ビットのMSX規格がホビーパソコンとして一定の普及をとげた。 海外では、1980年に英国でシンクレア ZX80、1982年に米国でコモドール64、1983年にユーゴスラビアでGalaksija(英語版)、1980年代後半にも英国でAmstrad CPCなど、8ビットCPU搭載機が現れた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "1990年代にはダウンサイジングの潮流もあり企業や個人へのパーソナルコンピュータの普及が進み、企業用のローエンドのサーバーもPCサーバーが広く普及した。1990年代初頭まではAmigaやコモドール64、アルキメデスなどのホビーパソコンもなお一定のシェアを保っていたものの1990年代中盤以降の世界ではIBM PC互換機とMacintoshがパソコン市場の大多数を占めるようになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "1991年にはWindows 3.0、1995年にはWindows 95が発売され、従来の「16ビット / DOS」から徐々に「32ビット / Windows」への移行が進んだ。一部の高機能指向のユーザーには従来のUNIXワークステーションに匹敵する機能を持つOS/2やWindows NT、さらに高機能なOPENSTEPが使われ、パーソナルコンピュータでのPC-UNIXの利用も行われはじめた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "日本でも1990年のDOS/Vの登場、Windowsの普及とともに世界と同じPC/AT互換機への移行が進んだ。またアプリケーションソフトウェアの発達とパソコン本体の低価格化もあり、ワープロ専用機ユーザーもワープロソフトに移行していった。この過程でMicrosoft OfficeがLotus 1-2-3などを駆逐してオフィススイートのデファクトスタンダードとなった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "1990年代末以降インターネットが急激に普及し、パーソナルコンピュータのウェブ端末としての利用が一般化した。1998年には「インターネットのための新世代のパーソナルコンピュータ」と銘打ったiMacが登場し社会現象となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "1990年代にはWindowsやマルチメディアアプリケーションの普及による「スピード飢餓」を背景にマイクロプロセッサの高性能化が急激に進んだ。アウトオブオーダ実行、スーパースカラなど従来スーパーコンピュータに使われていたような新技術が次々に投入され、1990年頃は16-20MHz程度だったパソコン用CPUのクロックは2000年には1GHzに達した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "国連統計をもとに一部推計により算出した世界各国のPC台数実績値は、2008年に11.2億台となった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "インターネットの普及とともに、各パソコンはブロードバンドルータに接続され、更に上位のルータ・スイッチやサーバに連結されるようになり、インターネットの利用者は主にパソコンをインターネットの情報アクセス端末として利用するようになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "インターネット利用者1人当たりのPC台数は、経済水準によって違いがあり、各国の1人当たりのPC保有台数と1人当たりGDPには一定の正の相関があることが指摘されるようになった。途上国ではパソコンの利用はオフィスでの業務用やインターネット・カフェなど共同利用形態が多いが、経済水準の向上や情報化社会の進展に応じてパソコンの保有台数は増加し、特に就労者は家庭用と業務用等で複数台を利用する傾向がみられた。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "2005年時点の1人当たりのPC保有台数の世界平均は0.82で、最高値はアイルランドの1.49だった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "2000年代には新しい情報端末が多く出現し、携帯電話、情報携帯端末(Personal Digital Assistants:PDA)、ゲーム機等からのインターネットへのアクセスが急増するようになった。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "ユーザーが各種アプリストアからアプリケーションをダウンロードしてインストールすることが可能なスマートフォンが普及し、HTML5/CSS3標準をサポートするブラウザが増えたことでウェブアプリケーションの高機能化が進み、さらにハードウェア性能も向上したことから、日常生活を送るうえでの手続きや娯楽などはスマートフォンやタブレットがあれば事足りるようになった。そのため、家庭で従来の「パソコン」を所有せず、操作したことがない一般消費者も増えている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "しかし、スマートフォンはクリエイティブな作業に使うには限界があること、ハード性能に制約があること、タッチ操作には最適化されている一方でポインティングデバイスやキーボードによる入力には最適化されていないこと、サンドボックスによりアプリケーションのインストールが制限されていること(ハードウェアの拡張やオペレーティングシステムおよびデバイスドライバーなどの自由なインストールもできない)などから、依然として従来のパソコンやワークステーションは広く使われている。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "パソコンも個人用途ではスマートフォンに代替される傾向となり、2012年には日本国内のパソコン出荷数の減少が始まる。2013年にはWindows XPのサポート終了に伴う駆け込み需要で販売台数が増加したが、2014年からはそれがなくなり、パソコンの販売台数が急減した。2014年度には国内出荷が1000万台を割り込んだ。一方でスマホをパソコン寄りに近づけたタブレット型PCが2010年のApple iPadを皮切りに登場し、逆にパソコンをスマホ寄りに近づけたタイプも登場し、普及がみられる。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "形状や大きさによる分類には次のようなものがある。分類の基準やそれぞれの呼称は、メーカー、シリーズ、時期などによって異なる。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "パソコンの本体にキーボードと液晶ディスプレーが一体となった、ノートの形状・構造(※)をしたパソコン。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "英語圏では「laptop computer」また単に「laptop」あるいは「notebook computer」と呼んでいる。lapは多義語であるが「上におおいかぶさるようなパネル」のことである。 英語圏では「laptop computer」と「notebook computer」は基本的に同義である。上部が覆いかぶさるパネル状になっている、ということと、ノートのように開け閉めできる構造、ということは、ほぼ同義だからである。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "日本では主に「ノートパソコン」や「ノートPC」や、単に「ノート」と呼ばれている。日本国内の呼び方を列挙すると「ノートパソコン」「ノートPC」「ノート」「ノート型」などがある。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "日本では「ラップトップが大きめでノートパソコンが小ぶり」などと解釈して区別していた時期があるが、英語圏では現在、そういう区別をしているわけではない。詳細はラップトップパソコンを参照。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "ノートブックのうち特に小型・軽量・低価格で、性能や拡張性を割り切たもの。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "タブレット型(板状)のコンピュータのコンセプトは、「パーソナルコンピュータの父」とも言われるアラン・ケイがかなり早い時期に提示して、知られていた。 タブレット状(スレート状、板状)でディスプレイを内蔵し、現在ではキーボード無しで、指やペンで文字入力やポインティングを行え、モバイルオペレーティングシステムを搭載したものが主流。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "机の上に据え置いて使うパーソナルコンピュータで、ノートパソコンではないもの。ディスプレイが一体化しているものもある。初期のパソコン(1970年代後半から1980年代前半)ではキーボードが一体となっている機種も多かった。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "最近では個人使用では、デスクトップと言ってもかなり小型(15センチ x 15センチ x 高さ10センチ程度)の mini-PC(ミニPC)の売上が伸びている。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "GPUを使わざるを得ないユーザは、GPUが高い排熱効率を必要とするので(2010年ころまでは)タワー型のデスクトップパソコンを使用していた。だが2010年や2015年ころから、ノート型のパソコンでも性能の良いGPU、強力なヒートシンク、高リフレッシュレートのディスプレイを備えたもの(いわゆるゲーミングノートPC)が増えてきており、特に2010年代末や2020年ころからは、GPU搭載PCを選ぶ人でも、デスクトップ型は止めてノート型ゲーミングPCを選ぶというように、マーケットの状況が変わってきている。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "なお、「個人で占有して使うコンピュータ」というパーソナルコンピュータの定義から全く外れてしまうが、「盗まれにくい」などの理由で、役所などが設置する、人々が共用で使うためのコンピュータとして、\"省スペース型\"のデスクトップパソコンがしばしば使われている。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "それら全部を合わせてもデスクトップPCの販売台数はパーソナルコンピュータの販売全体の1割にもならない。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "USBメモリに似たスティック状の形状にCPU(SoC)とメモリ、ストレージにeMMCを搭載した超小型パソコン。たいていのモデルはHDMI端子を備えており、フラットパネルディスプレイに接続して使用する。コンポーネントの実装面積や廃熱に制約があり性能は著しく低いが、持ち運びがしやすい。バッテリーは内蔵しない。消費電力が小さいためモバイルバッテリーの給電でも動作する場合がある。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "時計型や頭部に装着するなど、身体に装着して使用するもの。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "手のひらに入るサイズの汎用コンピュータで、パームサイズやハンドヘルドとも呼ばれる。主にタッチパネルやペンで操作する。省電力化と小さい画面に適した操作性を持たせるため、パーソナルコンピュータとは異なるアーキテクチャ及びモバイルオペレーティングシステムが採用されている。スマートフォン及びタブレットがここから派生したが、2010年代以降はメディアプレーヤやタブレット端末およびスマートフォンなどの携帯デバイスの市場に吸収された形となっている。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "PDAに携帯電話機能をプラスし、単体で移動体通信網への接続機能を持たせたもの。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "主に用途による分類で、大型コンピュータのクライアントに高性能な処理能力を持たせたものが起源。CADなどの画像処理、ディーリングなどの金融端末に用いられる。かつては独自のアーキテクチャを採用していたが、今日ではPCを流用したものが多い。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "主に用途による分類で、パーソナルコンピュータのアーキテクチャをベースとしながら、業務用(代表例は24時間365日連続稼働など)に耐え得る信頼性を実現する拡張が行われている。形状はタワー型やラックマウント型が多い。",
"title": "種類"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "典型的なパーソナルコンピュータは、以下のハードウェアから構成される。(かつて一般的だった)デスクトップパソコンと、現在主流のノートパソコンでは、基本要素はおおむね同じであるが、ノートパソコンのほうはより小さな部品やユニットが使用されて細やかに一体化がなされている傾向がある。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "パーソナルコンピュータのメインボードの典型的なマザーボードの構成は、システムの中央となるチップセット、UEFIなどのファームウェアが書き込まれたROMあるいはフラッシュメモリ、CPUやメインメモリなどの専用のソケットやスロット類(固定の場合もある)、PCIeなど汎用のバスのスロット(ビデオカードには2019年現在はこれが使われることが多い)、その他SATAやUSBなどのためのソケット、オンボードグラフィック機能、などから成る。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "デスクトップPCのメインボードは、ATX仕様、Mini-ITX仕様などがある。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "コンピュータの頭脳に当たる部品。中央処理装置。汎用のマイクロプロセッサ(MPU)が使われる。プロセッサは、世代、メーカーごとにソケット規格が異なる。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "RAMとも呼ばれる。漢字表記では主記憶装置。CPUと基板上の回路を通じて直に接続されているメモリである。次に説明する補助記憶装置(ストレージ)に比べ読み書きが桁違いに高速という特徴があるが、単価が高いため、搭載される容量は補助記憶装置に比べて何桁(けた)か少ないのが一般的である。メインメモリはCPUの作業場所に当たり、実行中のプログラムや、CPUが操作中のデータが格納される。揮発性の記憶装置であり、電源を切ると記憶内容は消えるため、電源を切った後も使うデータや設定などは、電源を切っても記憶が消えない補助記憶装置(HDDやSSDなど)に保管することになる。 搭載可能なメモリモジュールの規格や容量はマザーボードに左右される。また、認識・使用可能なメモリの上限はOSに左右される。 なお搭載するメインメモリの量が足りないと、OSのデフォルトの設定ではやむを得ずメインメモリの代わりに補助記憶装置を作業場所として使うようになっていることは多く、そうなるとPCの処理速度が一気に落ちてしまい、いわゆる「もっさり」とした動きになってしまうので、メインメモリをたっぷりと搭載しておくことが快適な処理速度を保つ上で鍵となる。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "ストレージとも、補助記憶装置とも、外部記憶装置ともいう。不揮発性の記憶であり、通電しなくても記憶が保たれ、容量当たりの単価が安く大容量のものが使えるが、書き込み速度がメインメモリのそれと比べて非常に遅い。したがってプログラム、データなどの格納場所(ストレージ)として使われたり、他のPCへプログラムやデータを移すために用いられる。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "PCに内蔵するもの、外付けのもの、着脱可能なリムーバブルなものがある。内蔵型は固定ディスクとも呼ばれる。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "1990年代から2010年ころまではPCのOS起動ディスクとしてはハードディスクドライブ (HDD) が主に使われてきたが、その後2010年代後半ころから、高速に読み書きができるソリッドステートドライブ (SSD) も次第に安価になり、オペレーティングシステムの立ち上げ時の時間が半分〜数分の1ほどにも短縮され、PCの使い心地に大きく影響するので、SSDのほうが人々に選ばれることが一般化してきた。(OSの使い勝手にも大きく影響するので)マイクロソフト社も2022年のなかばごろにはPCのハードウェアのメーカーに対してSSDを標準で搭載することを強く要求するようになった。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "オペレーティングシステムやアプリケーションソフトウェアやよく使われるファイルを読み書きしたりする場所としては高速なSSDを、バックアップや大容量データの長期保存にはHDDを利用するなどの使い分けもされる。HDDはSSDよりも容量あたりの価格が安く、大容量化しやすいことが特徴で、2019年には14TBの製品が、2021年には20TBの製品が発売された。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "着脱可能なメディアを使用できる外部とのデータ交換用のディスクドライブ。時代とともにメディアが変遷してきて、フロッピーディスクドライブ、光磁気ディスク(MO)ドライブ、CD、DVD、BDと変遷してきて、DVDスーパーマルチドライブやBDドライブなど、複数規格のメディアが読み書きできるものが増えたが、インターネット経由でオペレーティング・システムやソフトウェアやコンテンツがダウンロードできることが一般化するにつれ、リムーバブルディスクの需要がめっきり減り、2020年代以降は、リムーバブルディスクドライブを搭載しないモデルが一般的になっている。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "拡張カードは用途に応じてコンピュータを拡張するためのカード(ボード)。ただし、拡張スロット自体がないモデルも多い。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "ビデオ(映像)信号をディスプレイに表示するビデオカード、ネットワーク接続用のネットワークカード、音声出力用のサウンドカードなどがある。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "特にリアルタイムの3DCGといった用途でPCを使う場合は、高性能なGPUを利用することが多い。DirectX 10世代以降はGPUを汎用計算に利用すること(GPGPU)も行われるようになり、リアルタイム3DCG以外にも、大量の物理演算、汎用画像処理、動画エンコーディング、ディープラーニングなどの用途でPCを使う場合も高性能のGPUを搭載するようになった。拡張カードを使いたい場合はデスクトップPCやタワー型PCから望みの拡張スロットを備えているものを選択することになる。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "パソコンでいう「電源」というのは、コンセントに来ている交流を直流に変換しマザーボードやドライブ装置などに電力を供給するもの。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "ノートPCの電源は本体内部に一体化されたリチウムイオン電池などを内蔵しており出先などではこれを使うが、長時間使う場合はコンセントにACアダプタを挿しACアダプタのDCコネクタをノートPCに挿して使用することが一般的である。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "なお最近販売数が伸びてきている、机上で使うmini-PC(ミニPC)などと呼ばれる一辺が10センチ強や数センチ角程度の弁当箱のようなコンピュータも電源にACアダプタを使う傾向がある。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "デスクトップPCやタワー型PCの電源は本体内部に収められる比較的大きなユニットである。ATX電源など。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "モニターとも呼ばれる。GUIやCUIでコンピュータを操作するために必要な表示装置。アスペクト比(縦横の比)が時代とともに変化し、最近は横長になってきた。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "販売量が多いノートPCのディスプレイは本体と一体化しており、ヒンジ機構で開くことができる。ディスプレイの上部にwebカメラを内蔵しているモデルも多い。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "デスクトップPC用のディスプレイの多くは外付けで、PC本体とケーブルで接続する。スピーカーやWebカメラを内蔵していたり、TVチューナーを内蔵しているモデルもある。デスクトップPCのディスプレイは2000年頃まではブラウン管が一般的であったが、2002年以降は液晶ディスプレイが主流となり、2006年までに完全にブラウン管と置き換わった。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "コンピュータにコマンドや文字を入力するための機器。キー配列は、英語圏では101キーボード(104キーボード)、日本では106キーボード(109キーボード)が主流である。大手メーカー製などは、ショートカットとして特定の機能(電子メール機能、スピーカーの音量調整など)に一発でアクセスできる専用のボタンを追加した物もある。接続は有線の場合はUSB、無線の場合はBluetooth接続が多い。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "ポインティングデバイスは、位置や座標を指し示すための装置。画面上の1点を指し示したり、操作対象を指定することができる。( 販売量がすでに9割を越えている)ノートPCではタッチパッドがキーボードの手前に組み込まれていて一体化していることが一般的。デスクトップPCではマウスを使うことが一般的であるが、各人の好みで外付け別売りのタッチパッドを使ったり、トラックボールを使う人もいる。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "黎明期のPCは、内蔵音源としてビープ音やFM音源といった貧弱な音源しか持たなかったが、PCMデータの再生に対応したPCM音源を搭載したサウンドチップが標準的となり、また各種OSにおいてアプリケーションソフトウェアからオーディオデバイスを利用するためのアプリケーションプログラミングインターフェイス (API) の標準化が進んだことにより、音声や動画の再生が標準的にできるようになっている。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "スピーカーは音声(音響)を出力するための装置。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "ノートPCではキーボードとディスプレイの間あたりに内蔵されていることが多く、スピーカーの直径が小さいため音響的には貧弱な音しか出ないことが一般的であるが、ノートPC本体横に音響出力用のミニプラグのジャック(メス側)が用意されていることも一般的なので、そのジャックに高性能のヘッドフォン(イヤホン)類を挿せば、良質な音響を聞くことができる。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "デスクトップPCでは、HDMI接続したディスプレイがスピーカーを備えていればそのスピーカーから音が出る。PCをサウンドカードを搭載する場合で音声出力端子があればそこにスピーカーを接続する。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "周辺機器を接続するための差し込み口(ポート、端子)。以前はそれぞれの周辺機器に対応する専用のインターフェイス(レガシーデバイスともいう)が備わっており、PS/2コネクタ、DVI、イーサネット、Thunderbolt、IEEE 1394、USBなど複数の種類に分かれていたが、2010年代以降USB+ HDMI(モデルによってはイーサネット用RJ-45)だけしか備えないという機種が増えた。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "デスクトップPCやタワー型PCではケース、つまり箱状の入れ物が使われる。縦置きのミニタワー型、ミドルタワー型、フルタワー型などがある。",
"title": "ハードウェア"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "パーソナルコンピュータにおけるファームウェアは、主にマザーボードのファームウェア(BIOS / UEFI)を指すことが多い。",
"title": "ファームウェア"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "オペレーティングシステム (OS) はコンピュータシステム全体の管理と制御を行ない、ユーザーインターフェイスを提供するシステムソフトウェアの一種である。OSによって標準化・抽象化されたAPIが提供されることで、アプリケーションソフトウェアはハードウェアを直接制御する必要がなくなる。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "マイクロソフトが提供する独自のオペレーティングシステムで、1990年代よりPC/AT互換機に搭載されるOSの主流となっている。Microsoft Windows 10以降はWindows Subsystem for Linux (WSL) によるLinux互換環境もサポートしている。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "Appleが提供するUnix系の独自のオペレーティングシステムで、Apple社独自のハードウェアで動作する。GUI操作を基本とするが、UNIX互換のシェルも持つ。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "Googleが提供するLinux系の独自オペレーティングシステムで、Google Chromeをベースとしたシェルを持つ。Androidとの連携や互換性が優れており、ソフトウェア開発用途などにDebian系のLinuxサブシステム (Crostini) も制限付きながら利用できる。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "パーソナルコンピュータで稼働するUnix系オペレーティング環境。カーネルとしてオープンソースソフトウェアであるLinuxが使われるようになって普及した。ウィンドウシステムとしてはX Window Systemが標準になっている。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "普通の人々がインターネット上の検索エンジンで情報検索したり、あるいは各企業やサービスの公式サイトで各種登録を行ったり、ネットショッピングを行ったり、webメールを送受信するためにはWebブラウザが使われており、さまざまなアプリケーションソフトの中でも使われる頻度が高くなっている(最近はさまざまな便利なクラウドサービスが増えているのでブラウザが使われる頻度が特に高くなっている)。 事務作業用のソフトウェアは近年ではプロダクティビティ・ソフトウェアと呼ばれるようになってきており、たとえばワープロ、表計算、データベースなどやこれらをパッケージ化したオフィススイートなどがある。それ以外にも、ペイントソフト、写真加工ソフトなどはきわめて一般的で、さらに映像(動画)編集ソフト、オーサリングツールも使用ユーザが次第に増えている。 ほかにもゲーム好きな人々はゲームソフトを高頻度で使用している。コンピュータエンジニアなどはターミナルソフト(en:Terminal emulator)を多用し、システム開発を行うエンジニアはプログラミングツール(統合開発環境、コンパイラなど)を多用する。 いずれも 無償のもの / 有償のもの の両方があり、無償のものにはオープンソースなどライセンスに従えば無償でも利用できるものがある。近年ではインターネット経由で無償でダウンロードできるものも多い。またオペレーティングシステムに標準で含まれているものもある。そのほか、特定の業種だけで使うソフトや、特定の職種だけが使うきわめて特殊なソフトもある(こちらは多くは有償で、相当の価格に設定されていることが多く、なかには(かなりの費用をかけて)特注で制作するものもありユーザは一社だけあるいはひとりだけという場合もある)。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "ミドルウェアはOSとアプリケーションとの間に構築されるアプリケーションフレームワークの一種である。アプリケーションの開発を効率化する。",
"title": "ソフトウェア"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "主なパーソナルコンピュータのメーカーは以下の通りである。大手メーカーの多くはクアンタ・コンピュータ、コンパル・エレクトロニクスなどの台湾に本社を置く受託製造メーカーにOEM生産を委託しており、ノートパソコンに至っては世界の年間生産台数の約9割を台湾企業が手掛けている。",
"title": "主なメーカー"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "上記以外にもパソコンの製造メーカーはPCをベースとした専用機器やシステム販売、あるいは小規模なPCショップを含め多数存在するが、パソコンの内部に使われている部品は限られた企業が生産している。",
"title": "主なメーカー"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "国連大学の「電子廃棄物問題を解決するイニシアチブ」によると、年間当たりの電気・電子機器廃棄物の発生量は、全世界で約4880万トン(2014年)と推計されている。",
"title": "電子ごみ問題とリサイクル"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "国連大学の「電子廃棄物問題を解決するイニシアチブ」によると、米国の年間当たりの電気・電子機器廃棄物の発生量は約720万トン(2014年)と推計されている。",
"title": "電子ごみ問題とリサイクル"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "国連大学の「電子廃棄物問題を解決するイニシアチブ」によると、中国の年間当たりの電気・電子機器廃棄物の発生量は約610万トン(2014年)と推計されている。",
"title": "電子ごみ問題とリサイクル"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "広東省汕頭市の貴嶼では約13万人の住民のうち約8万人が電子ごみのリサイクル産業に従事しているが(2012年地元統計)、2014年の汕頭大学医学院の研究チームの調査報告書では重金属類による大気汚染や水質汚染が深刻になっているとしている。",
"title": "電子ごみ問題とリサイクル"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "半導体素子製造プロセスの急速な高度化(この様子はムーアの法則などと表現される)の恩恵を受けてより高速・高機能なCPUを用いた製品が市場に投入され、そうした最新版のハードウェアに対応したソフトウェアが普及するにつれ旧型製品の買い替えサイクルは短くなる。そのため廃棄されるPCの台数が増加しており、資源の有効活用や環境保護の面から問題点が指摘されるようになった。そのため家庭電化製品と同様に「資源の有効な利用の促進に関する法律」の適用を受けることになり、メーカーによる回収・リサイクルが制度化された。",
"title": "電子ごみ問題とリサイクル"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "これを受け2001年4月1日から企業や個人事業者、2003年10月1日から家庭用で不要となったパソコン本体(付属のキーボード・マウス・スピーカー・ケーブル類、単独の外部ディスプレイ含む。付属マニュアルやメディア、プリンターなどの周辺機器は除く)は各製品のメーカーが回収し、素材レベルに分解し資源として再利用される(中古品としての流用や部品取りは原則として行われない)。",
"title": "電子ごみ問題とリサイクル"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "「PCリサイクルマーク」がついた家庭用PCは販売価格に回収処分の手数料が含まれているためリサイクルの費用は不要であるが、マークのついていない製品は新たに「回収再資源化料金」を負担する必要がある。自作PCやメーカーのパソコン事業撤退・倒産した場合は、一般社団法人パソコン3R推進協会が有償で回収を行う。この制度を受けて、自治体などではPCの粗大ごみ収集・処分を行わないところが多い。",
"title": "電子ごみ問題とリサイクル"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "事業用のパソコンについては別途メーカーによる回収・リサイクル体制が整えられているが、産業廃棄物として処理される場合もある。",
"title": "電子ごみ問題とリサイクル"
}
] | パーソナルコンピュータは、個人によって占有されて使用されるコンピュータのことである。 略称はパソコンまたはPC(ピーシー)。 | {{Redirect|パソコン}}
{{複数の問題
|出典の明記=2016-01-19
|独自研究=2021-11
}}
{{表記揺れ案内
|text=
|理由=
|表記1=パーソナルコンピュータ
|表記2=パーソナルコンピューター
|議論ページ=
|font-size=
}}
[[File:Portable_eteint.png|thumb|250px|[[ノートパソコン]]。(近年ではノートPCとデスクトップPCの販売比率は、9:1以上の比率でノートPCのほうが多い<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1284709.html]</ref>)]]
[[File:Hand Gesture - Holding a Tablet Vector.svg|thumb|250px|[[タブレット型PC]]。(2022年のタブレット型PCの世界出荷台数は、1億6320万台だった<ref>Around 163.2 million units of tablets were shipped worldwide in 2022.(出典:[https://www.statista.com/statistics/276635/market-share-held-by-tablet-vendors/ Tablet shipments market share by vendor worldwide from 2nd quarter 2011 to 1st quarter 2023](の中の「Tablet market share in 2022 – additional information」の節)</ref>。{{Efn|タブレット型PCの出荷台数は、デスクトップPCの出荷台数よりもはるかに多い。}})]]
[[File:Desktop.jpg|thumb|250px|[[デスクトップパソコン]]。]]
'''パーソナルコンピュータ'''({{lang-en-short|personal computer}})は、個人によって占有されて使用される[[コンピュータ]]のことである。
略称は'''パソコン'''{{efn|日本独自の略語である。(著書『インターネットの秘密』より) {{Full citation needed|date=2022年2月}}}}または'''PC'''(ピーシー){{efn|ただし「PC」という略称は、特に[[PC/AT互換機]]を指す場合もある。「Mac対PC」のような用法。}}{{Efn|[[1980年]]ころは「パーコン」とも呼ばれていた<ref>[[西順一郎]]「マトリックス経営計画(完)-その実現面-」『経営実務』1980年6月号、30-33頁。{{NDLJP|2662216/18}}</ref>。現在では「パーコン」とは呼ばれない。}}。
英語圏ではパソコン全般を personal computer、 PC と呼ぶことはあまり一般的でなく単に computer と呼ぶことが多い。
また注釈3にあるように PC はWindowsマシンを指すのが一般的である。
== 概要 ==
パーソナルコンピュータ(PC)は、個人で使用するコンピュータである<ref name="b_kokusai">{{Cite web|和書|title=パーソナル・コンピュータとは|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF-114572|website=コトバンク|accessdate=2021-01-10|language=ja|first=ブリタニカ国際大百科事典|last=小項目事典}}</ref>。アメリカの辞書Merriam-Websterでは「個人が汎用目的で使うための、[[マイクロプロセッサ]]を備え、一般的なソフトウェア(ワープロソフトやブラウザなど)を動かすために設計されたコンピュータ<ref>[https://www.merriam-webster.com/dictionary/personal%20computer]</ref>」といった定義文を掲載している。
パーソナルコンピュータが登場する以前、コンピュータといえば[[大型コンピュータ|大型]]で、かつ高価だった<ref name="b_kokusai" />。購入や運用に巨額の費用が必要なので、それらは大企業や大学や研究所などが所有し、1台を、それら組織に所属する人々が共同で使用していた([[タイムシェアリングシステム]])。この時代、個人が自分のためだけに購入して占有して使えるようなコンピュータは存在しなかった。だが[[1971年]]にアメリカの[[インテル]]がマイクロプロセッサの開発に成功したことで、コンピュータを小型化および低価格化する道が開け、個人所有する可能性が開かれた<ref name="b_kokusai" />。
<!--得体の知れない素人による、独自研究に満ちた、低品質のプレゼン資料。出典としては品質が低すぎる。PC以前の機器では実現できなかった汎用性が特徴である<ref>{{Cite web|url=http://open.shonan.bunkyo.ac.jp/~ohtan/jugyo/old/old2008haru/multimedia-bunkaron-for-print-2008-4.pdf |title=パソコンの特徴 |publisher=[[文教大学]] |accessdate=2020-08-26}}</ref>。-->
<!-- 当記事に投稿すべきではない。ただのエッセー。しかもパーソナルコンピュータに関するエッセーではなく、「デジタル」全般に関するイメージ。
デジタルの登場で、以前は専用機器をいくつも組み合わせて行なっていた作業を、1台の機械で行なえるようになった。また、PCは、専用機器のみでは不可能な、複雑な情報処理が可能であり、膨大な情報を扱うことで、それまでの生活では知り得ないような知見<ref>{{Cite web|url=https://pps-net.org/column/83184 |title=デジタルだからできること |publisher=[[新電力ネット]] |accessdate=2020-08-26}}</ref>{{信頼性要検証|date=2021年5月}}を生み、様々な意味<ref>{{Cite web|url=https://iotnews.jp/archives/141413 |title=どんどん賢くなる、最新デジタルサイネージでできること |publisher=[[IoTNEWS]] |accessdate=2020-08-26}}</ref>{{信頼性要検証|date=2021年5月}}で生活に激変をもたらした<ref>{{Cite web|url=https://urbanlife.tokyo/post/30026/ |title=パソコン普及の起爆剤に 1995年の革命「ウィンドウズ95」の思い出 |publisher=[[URBAN LIFE METRO]] |accessdate=2020-08-26}}</ref>{{信頼性要検証|date=2021年5月}}。-->
PCをサイズや形状に焦点を当てて分類する場合、[[ノートパソコン|ノートPC]](ラップトップPC)、[[デスクトップパソコン|デスクトップPC]]、[[タブレット (コンピュータ)|タブレット型PC(スレートPC)]]などに分類できる。
[[インターネット]]の普及とともにインターネットの情報アクセス端末としても利用されるようになった<ref name="hoshino" />。
パーソナルコンピュータで使用される頻度が高い[[アプリケーションソフトウェア]]としては、[[ウェブブラウザ]]、[[ワープロソフト]]、[[表計算ソフト]]、[[データベース]]、[[プレゼンテーションソフトウェア]]、[[メディアプレーヤー]]、[[ペイントソフト]]、[[画像編集|写真編集]]ソフト、[[ゲームソフト]]などを挙げることができる。(なお近年では[[e-mail]]のPCでのやりとりも、[[gmail]]などの[[webメール]]をつかうということがかなり広く行われている。その結果ネット検索だけでなくe-mailの閲覧・送受信時にも、ソフトウェアとしてはウェブブラウザが使われていることが増えている。)
== 名称 ==
「パーソナルコンピュータ」という用語は、[[1972年]]に[[アラン・ケイ]]が[[Association for Computing Machinery|ACM]] National Conferenceで発表した"A Personal Computer for Children of All Ages"の中で使用され、「個人のための理想のコンピュータ」という意味使った。(なお、アラン・ケイという人物は、GUIを搭載しA4サイズ程度の片手で持てる小型のコンピュータも構想し、それを「ダイナミックメディア(メタメディア)機能を備えた本(ブック)」という意味を込めて「[[ダイナブック]]」と呼んだ。{{Efn|今日のノートパソコンの原型である。}})
最初の実際に市販されたパーソナルコンピュータは[[Altair 8800]]だと現在では一般的に言われており、これは[[1974年]]にインテルの[[8bit]][[マイクロプロセッサ]][[Intel 8080|8080]]を[[CPU]]に用いて登場したものである。ただし1970年代後半までは、CPUにマイクロプロセッサを採用したコンピュータは、英語圏では主に「micro computer」などと呼ばれることが多く(たとえば1977年発売の[[TRS-80]]も名称は「TRS-80 Micro Computer System」であり)、あるいは「home computer」という呼称も好まれた。日本で1970年代後半は、英語のmicro computerをカタカナに直訳した「[[マイクロコンピュータ]]」が堅い記事などでは好まれ、(日本国内では用語を4文字(4音節)に短縮することが好まれるので)日常的には短縮形の「'''マイコン'''」が使われた。
パーソナルコンピュータという用語は1977年ころから一部の機種についても使われており、アメリカでは1977年発売の[[Apple II]]の広告類で、日本では1979年発表・発売の[[PC-8000シリーズ]]を指して日本電気が使うようになった(この「PC-8000」の2文字「PC」は「Personal Computer」の頭文字)。
世界的に見て一番決定的だったのは、当時「コンピュータ業界の巨人」と言われ絶大なブランド力をもっていたIBMが[[1981年]]に発売し大きな市場占有率を占めるようになった[[IBM PC]]の影響である。「IBM PC」は通称で、発売当時の品名は「IBM Personal Computer」であり、雑誌広告や取扱説明書などでも繰り返し大きく使用され、購入したユーザたちもパーソナルコンピュータという用語に慣れ、この表現が一般化するのを後押しし、パーソナルコンピュータという用語・概念が世界中でしっかり定着してゆくことになった。
日本では省略して「'''パソコン'''」と呼ばれるようになり、「パソコン」が定着すると、あとは「[[ホビーパソコン]]」「[[ノートパソコン]]」「パソコン教室」のような、他の語と「パソコン」を組み合わせた[[造語]]も次々と行われるようになった。
== 歴史 ==
{{Main|パーソナルコンピュータ史}}
=== 20世紀 ===
==== 1970年代 8ビット時代 パーソナルコンピュータの出現 ====
[[ファイル:Altair 8800.jpg|thumb|right|160px|[[Altair 8800]]]]
[[1974年]]に登場した[[マイクロプロセッサ]]により、個人でも所有可能な小型で低価格なコンピュータが実現可能になった。
(英語圏で[[:en:microprocessor development board]]と呼ばれ)日本で[[ワンボードマイコン]]と呼ばれた[[キット]]は当初、技術者向けの評価キットおよびトレーニングキットで、入出力には[[テレタイプ端末]]等、従来のコンピュータに用いられた巨大で扱いに手こずる入出力端末を接続する必要があった。また、その接続作業においても専門的知識を必要とし、一般的なものではなかった。一方、電子回路に詳しいアマチュアが部品を集めてコンピュータを自作し、個人で使用することもあった。また、いわゆる[[ミニコンピュータ]]を個人で所有する者もいた<ref name=":0">『マイ・コンピュータ入門 - コンピュータはあなたにもつくれる』 pp.78-118、 「第三章 マイ・コンピュータのつくり方」</ref>。
[[ファイル:Apple 1 Woz 1976 at CHM.agr cropped.jpg|thumb|160px|[[Apple I]]]]
最初のパーソナルコンピュータとされることが多い[[Altair 8800]]が[[1974年]]の末に誕生した。完成させると「箱にランプとスイッチ」というミニコンスタイルのコンピュータができあがるキットはそれ以前からあったにはあったが、Altairが初の安価なヒット製品であった。それ以降2-3年ほどの間に、[[Apple I]]のようにCRTディスプレイや[[キーボード (コンピュータ)|キーボード]]を接続するよう設計されているものなど、入出力が工夫された多数のマイコンキットが現れた。
{{Double image aside|right|Apple II typical configuration 1977.png|160|PET2001.jpg|160|[[Apple II]]。1977年6月10日発売<ref name="Apple II intro date">{{cite web | title = June 10, 1978 - Apple II Released Today | work = This Day in History | publisher = Computer History Museum | location = Mountain View, CA | url = http://www.computerhistory.org/tdih/June/10/ | access-date = August 4, 2023 | url-status = live | archive-url = https://web.archive.org/web/20120620175048/http://www.computerhistory.org/tdih/June/10/ | archive-date = June 20, 2012 | df = mdy-all }}</ref>。|[[PET 2001]]。1977年10月出荷開始{{Efn|1977年10月の出荷は100台のみで、主に雑誌社向けの出荷であり、一般ユーザ向けの出荷ではなかった。一般向けの出荷は1977年12月から。だが12月以降も受注した数を生産することができず、[[バックオーダー]]が積み上がる事態となり、主メモリが4KBのバージョンの受注をキャンセルする事態となった<ref>{{cite web |title=A tribute to Jack Tramiel, father of Commodore 64|website=[[ZDNet]]|url=http://www.zdnet.com/pictures/a-tribute-to-jack-tramiel-father-of-commodore-64-gallery/4/}}</ref>。}}}}
<!--[[File:Apple II typical configuration 1977.png|thumb|160px|Apple II。1977年6月10日発売<ref name="Apple II intro date">{{cite web | title = June 10, 1978 - Apple II Released Today | work = This Day in History | publisher = Computer History Museum | location = Mountain View, CA | url = http://www.computerhistory.org/tdih/June/10/ | access-date = August 4, 2023 | url-status = live | archive-url = https://web.archive.org/web/20120620175048/http://www.computerhistory.org/tdih/June/10/ | archive-date = June 20, 2012 | df = mdy-all }}</ref>。]]
[[File:PET2001.jpg|thumb|right|160px|[[PET 2001|Commodore PET]]。1977年10月に出荷開始{{Efn|1977年10月の出荷は100台のみで、主に雑誌社向けの出荷であり、一般ユーザ向けの出荷ではなかった。一般向けの出荷は1977年12月から。だが12月以降も受注した数を生産することができず、[[バックオーダー]]が積み上がる事態となり、主メモリが4KBのバージョンの受注をキャンセルする事態となった<ref>{{cite web |title=A tribute to Jack Tramiel, father of Commodore 64|website=[[ZDNet]]|url=http://www.zdnet.com/pictures/a-tribute-to-jack-tramiel-father-of-commodore-64-gallery/4/}}</ref>。}}]]-->
[[1977年]]、[[Apple]]、[[コモドール]]、[[ラジオシャック|タンディ・ラジオシャック]]の各社から相次いで、本体がプラスチックケースにきれいに収められ[[BASIC]][[インタプリタ]]を内蔵し、[[オールインワン]]の完成品で出荷される、今日のパーソナルコンピュータの原型と言える型のコンピュータが登場した。これらは[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]([[CRT]][[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]、キーボード、外部記憶装置、プリンター用)を一通り備えており、ディスプレイに接続して電源プラグをコンセントに差し込みさえすれば動作するものであった。中でも'''[[Apple II]]'''は標準でカラー画像出力や音声出力に対応しており[[パソコンゲーム]]のプラットフォームとしても人気を博したうえに、[[表計算ソフト]] [[VisiCalc]]が[[キラーアプリケーション]]となり、単なるホビーイスト向けの玩具ではなく実務にも使える道具と一般人にも認められ大成功した。
==== 1980年代 16ビット時代 オフィスへの普及 ====
[[Image:IBM PC 5150.jpg|thumb|160px|[[IBM PC]](IBM 5150)]]
[[1981年]]に[[16ビット]]の'''[[IBM PC]]'''が登場して世界的に[[ベストセラー]]となり、IBM PCで採用された[[インテル]]のx86系のCPUと[[マイクロソフト]]の[[MS-DOS]]が主流([[事実上の標準]])となった。更に[[コンパック]]などにより[[PC/AT互換機|IBM PC互換機]]市場が形成され、「パーソナルコンピュータ」の名称が一般化した。表計算ソフトは[[Lotus 1-2-3]]、[[ワープロソフト]]は[[WordPerfect]](日本では[[一太郎]])が普及した。
[[ファイル:Macintosh 128k transparency.png|thumb|120px|[[Macintosh 128K]]。1984年1月24日発売。]]
[[1984年]]に登場した'''[[Macintosh]]'''は[[グラフィカルユーザインタフェース|グラフィカルユーザーインターフェイス]]の概念を大きく普及させることに成功し、後のコンピュータに絶大な影響をもたらした。[[1985年]]にはMacintosh向けに[[Microsoft Excel]]が登場し、そのインターフェイスは後のWindowsアプリケーションの原型となった。
しかし[[日本]]では「日本語表示の壁」もあり各社独自の日本語仕様が続き、異なったメーカー間では[[アプリケーションソフトウェア]]の[[互換性]]はほとんど無かった。16ビット市場では[[1982年]]の[[日本電気|NEC]]の'''[[PC-9800シリーズ]]'''がトップシェアを続け、他には[[富士通]]の[[FM-11|FMシリーズ]]や[[FM TOWNS]]、[[セイコーエプソン]]の[[EPSON PCシリーズ|PC-9800互換機]]、個人向けに絞ったシャープの[[X68000]]、PC/AT互換機ベースのAX協議会の[[AX]]、日本語表示用に高解像度を標準採用した[[日本アイ・ビー・エム|日本IBM]]の[[マルチステーション5550]]などが競った。一方、IBM互換機の独自拡張である[[ダイナブック|DynaBook]]は場所を決めずにいつでもどこでも利用できる[[ノートパソコン]]を大きく広めるものとなった<ref name=":02">小林紀興「東芝の奇襲で日本電気が受けた深傷」、光文社、1990年、128頁。</ref><ref>『日本経済新聞』 1990年7月31日朝刊、23面。</ref>。また、より手軽に入手・使用できる廉価機として8ビットの[[MSX]]規格が[[ホビーパソコン]]として一定の普及をとげた。
海外では、1980年に英国で[[シンクレア ZX80]]、1982年に米国で[[コモドール64]]、1983年に[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国|ユーゴスラビア]]で{{仮リンク|Galaksija|en|Galaksija (computer)}}<ref>{{ cite journal |first=STEPHEN |last=CASS |month=August |year=2023 |title=Hands On Yugoslavia's Home-Brewed Microcomputer |journal=IEEE Spectrum |volume=60 |issue=8 |page=pp.16-18 }}</ref>、1980年代後半にも英国で[[Amstrad CPC]]など、8ビットCPU搭載機が現れた。
{{see also|PC/AT互換機#日本における普及}}
==== 1990年代 32ビット時代 パソコンのネット端末化 ====
[[Image:TOSHIBA Dynabook FV475 501TW (V486).jpg|thumb|right|160px|[[DynaBook]] FV475 501TW]]
[[1990年代]]には[[ダウンサイジング]]の潮流もあり企業や個人へのパーソナルコンピュータの普及が進み、企業用のローエンドの[[サーバ|サーバー]]も[[IAサーバ|PCサーバー]]が広く普及した。1990年代初頭までは[[Amiga]]や[[コモドール64]]、[[Acorn Archimedes|アルキメデス]]などのホビーパソコンもなお一定のシェアを保っていたものの1990年代中盤以降の世界ではIBM PC互換機とMacintoshがパソコン市場の大多数を占めるようになった。
[[1991年]]には[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.0]]、[[1995年]]には[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]が発売され、従来の「16ビット / DOS」から徐々に「32ビット / Windows」への移行が進んだ。一部の高機能指向のユーザーには従来のUNIX[[ワークステーション]]に匹敵する機能を持つ[[OS/2]]や[[Windows NT]]、さらに高機能な[[OPENSTEP]]が使われ、パーソナルコンピュータでの[[PC-UNIX]]の利用も行われはじめた。
日本でも[[1990年]]の[[DOS/V]]の登場、Windowsの普及とともに世界と同じPC/AT互換機への移行が進んだ<ref name=":5">{{Cite journal|和書|author=塩田紳二|year=1998|title=国産銘機列伝 : History 「そして、世界標準がやって来た」|journal=ASCII|volume=22|issue=8|pages=378-379|publisher=アスキー|issn=03865428}}</ref>。また[[アプリケーションソフトウェア]]の発達とパソコン本体の低価格化もあり、[[ワードプロセッサ|ワープロ専用機]]ユーザーも[[ワープロソフト]]に移行していった。この過程で[[Microsoft Office]]が[[Lotus 1-2-3]]などを駆逐して[[オフィススイート]]のデファクトスタンダードとなった<ref>{{Cite journal|和書|year=2006|title=パソコン業界のあの事件を追え!:オフィスとパーソナルコンピュータ|journal=ASCII|volume=30|issue=8|pages=74-75|publisher=アスキー}}</ref>。
1990年代末以降'''[[インターネット]]'''が急激に普及し、パーソナルコンピュータの[[World Wide Web|ウェブ]]端末としての利用が一般化した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kogures.com/hitoshi/history/internet/|title=インターネットの歴史概要<通信の歴史<歴史<木暮仁|accessdate=2016-11-08|publisher=木暮仁}}</ref>。[[1998年]]には「インターネットのための新世代のパーソナルコンピュータ」と銘打った[[iMac]]が登場し社会現象となった。
1990年代にはWindowsや[[マルチメディア]]アプリケーションの普及による「スピード飢餓」を背景にマイクロプロセッサの高性能化が急激に進んだ。[[アウト・オブ・オーダー実行|アウトオブオーダ実行]]、[[スーパースケーラ|スーパースカラ]]など従来スーパーコンピュータに使われていたような新技術が次々に投入され、[[1990年]]頃は16-20MHz程度だったパソコン用[[CPU]]のクロックは[[2000年]]には1GHzに達した。
=== 21世紀 ===
[[File:Global Digital Divide1.png|300px|right|2000年代の世界のパソコンの普及状況]]
[[File:Japanese PC Shipments and Revenue.svg|thumb|1983年から2020年までの日本のPC国内出荷台数(青線)と出荷額(赤線)([[電子情報技術産業協会|JEITA]]調べ)]]
国連統計をもとに一部推計により算出した世界各国のPC台数実績値は、2008年に11.2億台となった<ref name="hoshino" />。
==== インターネットとPC ====
インターネットの普及とともに、各パソコンはブロードバンドルータに接続され、更に上位のルータ・スイッチやサーバに連結されるようになり、インターネットの利用者は主にパソコンをインターネットの情報アクセス端末として利用するようになった<ref name="hoshino" />。
インターネット利用者1人当たりのPC台数は、経済水準によって違いがあり、各国の1人当たりのPC保有台数と1人当たりGDPには一定の正の相関があることが指摘されるようになった<ref name="hoshino" />。途上国ではパソコンの利用はオフィスでの業務用やインターネット・カフェなど共同利用形態が多いが、経済水準の向上や情報化社会の進展に応じてパソコンの保有台数は増加し、特に就労者は家庭用と業務用等で複数台を利用する傾向がみられた<ref name="hoshino" />。
2005年時点の1人当たりのPC保有台数の世界平均は0.82で、最高値はアイルランドの1.49だった<ref name="hoshino" />。
==== 新世代のパーソナルコンピュータの出現 ====
2000年代には新しい情報端末が多く出現し、携帯電話、情報携帯端末(Personal Digital Assistants:PDA)、ゲーム機等からのインターネットへのアクセスが急増するようになった<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.ides-kaihatsu.jp/app/download/13911871296/Hoshino.pdf?t=1482393412| title = 第 2 章 通信分野の国際的動向と今後の展望 |publisher = JICA | accessdate = 2022-8-12}}</ref>。
ユーザーが各種アプリストアからアプリケーションをダウンロードしてインストールすることが可能な[[スマートフォン]]が普及し、[[HTML5]]/[[CSS3]]標準をサポートするブラウザが増えたことでウェブアプリケーションの高機能化が進み、さらにハードウェア性能も向上したことから、日常生活を送るうえでの手続きや娯楽などはスマートフォンやタブレットがあれば事足りるようになった<ref>[https://webtan.impress.co.jp/n/2019/09/17/33951 20代のノートPC利用者は約4割、デスクトップPCだと2割以下に【プラネット調べ】 | Web担当者Forum]</ref>。そのため、家庭で従来の「パソコン」を所有せず、操作したことがない一般消費者も増えている。
しかし、スマートフォンはクリエイティブな作業に使うには限界があること、ハード性能に制約があること、タッチ操作には最適化されている一方でポインティングデバイスやキーボードによる入力には最適化されていないこと、[[サンドボックス (セキュリティ)|サンドボックス]]によりアプリケーションのインストールが制限されていること(ハードウェアの拡張やオペレーティングシステムおよび[[デバイスドライバ|デバイスドライバー]]などの自由なインストールもできない)などから、依然として従来のパソコンやワークステーションは広く使われている。
==== タブレット型PCの普及 ====
パソコンも個人用途では[[スマートフォン]]に代替される傾向となり、2012年には日本国内のパソコン出荷数の減少が始まる。2013年にはWindows XPのサポート終了に伴う駆け込み需要で販売台数が増加したが、2014年からはそれがなくなり、パソコンの販売台数が急減した<ref>{{citenews|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/757813.html|title=2015年度国内PC出荷台数、前年比21.4%減で1,000万台を割る結果に|publisher=PC Watch|date=2016-5-17|accessdate=2017-10-30|author=佐藤岳大}}</ref>。2014年度には国内出荷が1000万台を割り込んだ<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/it/20150423-OYT1T50119.html|title=スマホに押され…PC国内出荷が1千万台割れ|newspaper=読売新聞|date=2015-4-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150505061038/http://www.yomiuri.co.jp/it/20150423-OYT1T50119.html|archivedate=2015-5-5}}</ref>。一方でスマホをパソコン寄りに近づけた[[タブレット (コンピュータ)|タブレット型PC]]が[[2010年]]の[[Apple]] [[iPad]]を皮切りに登場し、逆にパソコンをスマホ寄りに近づけたタイプも登場し、普及がみられる<ref name="hoshino">{{Cite web|和書| url = https://www.ides-kaihatsu.jp/app/download/13911871296/Hoshino.pdf?t=1482393412| title = 世界全体のインターネット普及率とパソコン設置台数の将来予測| author= 星野岳穂、松野泰也、足立芳寛 |publisher = 開発技術学会 | accessdate = 2022-8-12}}</ref>。
== 種類 ==
形状や大きさによる分類には次のようなものがある。分類の基準やそれぞれの呼称は、メーカー、シリーズ、時期などによって異なる。
=== ノートパソコン(ラップトップ) ===
{{Double image aside|right|HPLaptopzv6000series.jpg|180|Macbook Air 2020 (M1) - 1.jpg|180|[[ノートパソコン]]([[ヒューレット・パッカード]])|[[MacBook Air]](2020年。省電力性能に優れる[[Apple M1]]モデル)}}
{{Main|ノートパソコン}}
パソコンの本体にキーボードと液晶ディスプレーが一体となった、ノートの形状・構造(※)をしたパソコン<ref>デジタル大辞泉</ref>。
:: (※)具体的に言うと、[[蝶番|ヒンジ]]機構を備え、開けたり閉めたりできる形状・構造のこと。
英語圏では「laptop computer」また単に「laptop」あるいは「notebook computer」と呼んでいる。lapは多義語であるが「上におおいかぶさるようなパネル<ref>https://www.merriam-webster.com/dictionary/lap#:~:text=Definition%20of%20lap,of%20a%20coat%20or%20dress</ref>」のことである。
英語圏では「laptop computer」と「notebook computer」は基本的に同義である。上部が覆いかぶさるパネル状になっている、ということと、ノートのように開け閉めできる構造、ということは、ほぼ同義だからである。
日本では主に「[[ノートパソコン]]」や「ノートPC」や、単に「ノート<ref>[https://www.nec-lavie.jp/ NEC 直販サイト]</ref><ref>[https://www.dell.com/ja-jp/shop/%E3%83%87%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3/sc/laptops Dell 直販サイト](日本人向けの画面には「ノート」と記載されている。だがウェブサイトのurlの末尾は「laptops」となっている。つまり全く同じものを、日本人向けには「ノート」と呼び、英語圏では「laptop」と呼んでいる)</ref>」と呼ばれている。日本国内の呼び方を列挙すると「ノートパソコン」「ノートPC」「ノート」「ノート型」などがある。
日本では「ラップトップが大きめで[[ノートパソコン]]が小ぶり」などと解釈して区別していた時期があるが、英語圏では現在、そういう区別をしているわけではない。詳細は[[ラップトップパソコン]]を参照。
==== ネットブック ====
{{Main|ネットブック}}
ノートブックのうち特に小型・軽量・低価格で、性能や拡張性を割り切たもの。
=== タブレット型PC ===
{{Main|タブレット (コンピュータ)}}
タブレット型(板状)のコンピュータのコンセプトは、「パーソナルコンピュータの父」とも言われる[[アラン・ケイ]]がかなり早い時期に提示して、知られていた。
タブレット状(スレート状、板状)でディスプレイを内蔵し、現在ではキーボード無しで、指やペンで文字入力やポインティングを行え、[[モバイルオペレーティングシステム]]を搭載したものが主流。
=== デスクトップパソコン ===
<!--この写真(イラスト)は、一体いつのデスクトップパソコンなのか? 今どきではパソコンの専門店に行っても、こんなタイプのものは基本的に並んでいない。投稿者が得体の知れない写真を投稿している。この写真の投稿者は、一体どこからこの写真(イラスト)をもってきたのか? 怪しすぎるので不採用。 [[File:The typical desktop computer system.png|thumb|right|180px|デスクトップPCの構成]]-->
{{Main|デスクトップパソコン}}
机の上に据え置いて使うパーソナルコンピュータで、ノートパソコンではないもの。ディスプレイが一体化しているものもある。初期のパソコン(1970年代後半から1980年代前半)ではキーボードが一体となっている機種も多かった。
最近では個人使用では、デスクトップと言ってもかなり小型(15センチ x 15センチ x 高さ10センチ程度)の mini-PC(ミニPC)の売上が伸びている。
[[Graphics Processing Unit|GPU]]を使わざるを得ないユーザは、GPUが高い排熱効率を必要とするので(2010年ころまでは)タワー型のデスクトップパソコンを使用していた。だが2010年や2015年ころから、ノート型のパソコンでも性能の良いGPU、強力なヒートシンク、高リフレッシュレートのディスプレイを備えたもの(いわゆる[[ゲーミングPC#ノートPCタイプ|ゲーミングノートPC]])が増えてきており、特に2010年代末や2020年ころからは、GPU搭載PCを選ぶ人でも、デスクトップ型は止めてノート型ゲーミングPCを選ぶというように、マーケットの状況が変わってきている。{{Efn|そもそもGPUを使っていた人も、PCメイカーがGPU搭載で高性能でノート型のマシンを提供してくれないからしかたなく邪魔になるデスクトップ型を使っていたわけで、本当の気持ちとしては、許容範囲の性能を出せるならPCはできるだけコンパクトなほうが良いと思っていた人は多く、べつにデカいこと自体を喜んでいたわけではないので、今(2020年以降)のようにノート型のGPU搭載PCが十分に高性能化し安定して動作するようになった状況では、デスクトップ型を避けてノート型を選ぶ人が増えてきている。}}
なお、「個人で占有して使うコンピュータ」というパーソナルコンピュータの定義から全く外れてしまうが、「盗まれにくい」などの理由で、役所などが設置する、人々が共用で使うためのコンピュータとして、"省スペース型"のデスクトップパソコンがしばしば使われている{{Efn|図書館の一般利用者向けの図書検索用のコンピュータなどは世界的にデスクトップPCを設置することが一般的である。ノートPCは小さく軽く運びやすいので図書館職員が見いないスキを狙われて盗まれてしまうが、大きくて重いデスクトップPCなら画面などを取り外す手間が必要で、両手でかかえて運ばざるをえず目立つし、今どき性能も良くないのにかさばるような "省スペース" デスクトップパソコンを自宅のデスク上に置きたいと思う人は皆無で、魅力が感じられず、盗難抑止になるのである。今どきの個人ユーザの圧倒的大多数は、使い終えたら蓋を閉じて棚の隙間や引き出しなどに入れられ、カバンに入れて持ち運ぶこともできる、本当に省スペースのノートPCを選ぶ。}}。
それら全部を合わせてもデスクトップPCの販売台数はパーソナルコンピュータの販売全体の1割にもならない。
=== スティック型 ===
{{Main|スティックパソコン}}
[[USBフラッシュドライブ|USBメモリ]]に似たスティック状の形状に[[CPU]]([[System-on-a-chip|SoC]])とメモリ、ストレージに[[eMMC]]を搭載した超小型パソコン。たいていのモデルはHDMI端子を備えており、フラットパネルディスプレイに接続して使用する。コンポーネントの実装面積や廃熱に制約があり性能は著しく低いが、持ち運びがしやすい。バッテリーは内蔵しない。消費電力が小さいためモバイルバッテリーの給電でも動作する場合がある。
=== その他 ===
==== ウェアラブル ====
{{Main|ウェアラブルコンピュータ}}
時計型や頭部に装着するなど、身体に装着して使用するもの。
==== PDA ====
{{Main|Personal Data Assistant}}
手のひらに入るサイズの汎用コンピュータで、パームサイズやハンドヘルドとも呼ばれる。主に[[タッチパネル]]やペンで操作する。省電力化と小さい画面に適した操作性を持たせるため、パーソナルコンピュータとは異なる[[コンピュータ・アーキテクチャ|アーキテクチャ]]及び[[モバイルオペレーティングシステム]]が採用されている。スマートフォン及びタブレットがここから派生したが、2010年代以降はメディアプレーヤやタブレット端末およびスマートフォンなどの携帯デバイスの市場に吸収された形となっている。
==== スマートフォン ====
{{Main|スマートフォン}}
PDAに[[携帯電話]]機能をプラスし、単体で[[移動体通信]]網への接続機能を持たせたもの。
==== ワークステーション ====
{{Main|ワークステーション}}
主に用途による分類で、大型コンピュータのクライアントに高性能な処理能力を持たせたものが起源。[[CAD]]などの画像処理、ディーリングなどの金融端末に用いられる。かつては独自のアーキテクチャを採用していたが、今日ではPCを流用したものが多い。
==== サーバ ====
{{Main|PCサーバ}}
主に用途による分類で、パーソナルコンピュータのアーキテクチャをベースとしながら、業務用(代表例は24時間365日連続稼働など)に耐え得る信頼性を実現する拡張が行われている。形状はタワー型やラックマウント型が多い。
== ハードウェア ==
[[Image:Personal computer, exploded 6.svg|thumb|300px|タワー型PCと周辺機器の立体分解図:
{{Ol
|[[イメージスキャナ]]
|[[CPU]]([[マイクロプロセッサ]])
|[[主記憶装置]]([[メインメモリ]])
|[[拡張カード]]([[ビデオカード]]等)
|[[ATX電源|電源ユニット]]
|[[リムーバブルディスク]]([[光ディスク]]等)
|[[ハードディスクドライブ|内蔵ハードディスク]]
|[[マザーボード]]
|[[スピーカー]]
|[[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]
|[[システムソフトウェア]]
|[[アプリケーションソフトウェア]]
|[[キーボード (コンピュータ)|キーボード]]
|[[マウス (コンピュータ)|マウス]]
|[[ハードディスクドライブ|外部ハードディスク]]
|[[プリンター]]
}}]]
典型的なパーソナルコンピュータは、以下のハードウェアから構成される。(かつて一般的だった)[[デスクトップパソコン]]と、現在主流の[[ノートパソコン]]では、基本要素はおおむね同じであるが、ノートパソコンのほうはより小さな部品やユニットが使用されて細やかに一体化がなされている傾向がある。
{{Gallery
|width=300px
|File:Laptop_Internals_1_2018-07-03.jpg|ノートPCのキーボードやタッチパッドを取り除いて内部をむき出しにした写真
}}
=== メインボード ===
[[File:ThinkPad X230 - mainboard LDB-2-0974.jpg|thumb|180px|right|lenovoのノートPC(ThinkPad X230、2012年発売)のメインボードを底面側から見た写真{{Efn|ノートPCを底面側から見た向きになっているメインボードの写真。通常のユーザの視点でいえば、左右を入れ替えるようにして裏返しにしてある写真ということになる。通常、ノートPCのRAM(この写真では青色の板)の増設はPC底面の蓋を開けて行えるようになっている。}}。 銀色の金属板の下にCPUが隠れている。CPUから右上に伸びる[[銅]]の曲線的な棒およびファンは[[ヒートシンク]]であり、CPUの放熱をおこなう。CPU左側の青色の板がRAM(主記憶装置)。]]
パーソナルコンピュータのメインボードの典型的なマザーボードの構成は、システムの中央となる[[チップセット]]、UEFIなどのファームウェアが書き込まれたROMあるいはフラッシュメモリ、[[CPU]]や[[メインメモリ]]などの専用のソケットやスロット類(固定の場合もある)、[[PCI Express|PCIe]]など汎用のバスのスロット([[ビデオカード]]には2019年現在はこれが使われることが多い)、その他SATAやUSBなどのためのソケット、[[オンボードグラフィック]]機能{{efn|かつてはマザーボード上に、カジュアルな用途では必要十分な性能を持つグラフィックスプロセッサ (GPU) を搭載していることが多かったが、[[Intel Core i]]シリーズや[[AMD APU]]などのGPUを内蔵したCPUが主流となってからは、マザーボードがGPUを搭載することは少なくなり、以後の世代ではそれらのCPUが内蔵しているGPUのための周辺回路などが「オンボードグラフィック機能」となっている。}}、などから成る。
{{Efn|歴史的に見ると、[[集積回路]]によって多数の素子が集積されるより以前のコンピュータは、中央の[[プロセッサ]]である[[CPU]]をはじめとする各装置それぞれが筐体などのモジュールになっていて、相互に大量の配線で接続されていた。それが集積回路によって1つの筐体に高密度に実装されるようになると、大量の配線に代わってメインボードと呼ばれる大型の1枚あるいは少ない枚数のプリント基板が使われるようになった。
メインボードの形態としては、[[バックプレーン]]などと呼ばれる相互接続機能のみに特化したものと、[[マザーボード]]と呼ばれる各種の機能をまとめてあるものに、おおざっぱには分けることができる。
パーソナルコンピュータのメインボードは、ほぼ必要な機能が決まっていることからバックプレーンに各種の機能ボードを乗せるよりも、マザーボードに集積してしまったほうが効率的などといった理由で、たいていはマザーボードが使われる。}}
デスクトップPCのメインボードは、[[ATX]]仕様、[[Mini-ITX]]仕様などがある。
=== CPU ===
{{Main|CPU|マイクロプロセッサ}}
コンピュータの頭脳に当たる部品。中央処理装置。汎用の[[マイクロプロセッサ]](MPU)が使われる。プロセッサは、世代、メーカーごとにソケット規格が異なる。
*[[Windows]]機向け。[[x86]]互換
**[[2019年]]現在、老舗の[[インテル]]のものを安価なものから高価高性能なものへと並べて挙げると<!--[[Intel Atom|Atom]]・-->[[Celeron]]・[[Pentium]]、[[Intel Core|Core i]]シリーズとなる。業務用では[[Xeon]]シリーズもある。
**[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]のMPUでは、[[Athlon]]、[[AMD Accelerated Processing Unit#製品|Aシリーズ]]、[[Ryzen]]などがある。「プロ」(ハイエンドユーザ用)としてはRyzen Proがある。
**インテル、AMD向けとも[[Graphics Processing Unit|GPU]]を統合したものがある。
*[[Mac (コンピュータ)|Mac]]向け - [[Apple M1]]および[[Apple M1 Pro]]([[:en:Apple M1 Pro and M1 Max]])。<!--モバイル向けチップから発展した、-->[[ARMアーキテクチャ]]ベースの[[System-on-a-chip|SoC]]であり、独自開発の[[Graphics Processing Unit|GPU]]及び[[AIアクセラレータ|ニューラルコア]]と緊密に統合されている。M1 Proは、インテルのハイエンドCPUであるCore i7よりも性能が高く、なおかつ省電力である<ref>[https://nanoreview.net/en/cpu-compare/intel-core-i7-1195g7-vs-apple-m1-pro Intel Core i7 1195G7 vs Apple M1 Pro]NanoReview.net</ref>。<!--いつ、どこの誰が{{誰|date=2022年5月}}、「だがメモリ搭載容量に制限があり、外付けGPUを利用することができないなどの難点もある。」と主張した{{要出典|date=2022年5月}}。-->2022年3月にはさらに高性能化した[[Apple M1 Ultra]]が登場した(2022年5月時点でワークステーションに採用されている)
*タブレット([[スマートフォン]])向け - タブレット(スマホ)のCPU(MPU)は省電力であることが重要で、基本的に[[ARMアーキテクチャ]]である。[[Appleシリコン]]や[[クアルコム]]の[[Snapdragon]]など。設計を多数のメーカーにライセンスする方式をとり、おびただしい種類の[[ASIC]]が生産されている。
=== メインメモリ ===
{{Main|主記憶装置|Random Access Memory}}
'''[[RAM]]'''とも呼ばれる<ref name="e-words_main_memory">[https://e-words.jp/w/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA.html e-words「メインメモリ」]</ref>。漢字表記では主記憶装置。CPUと基板上の回路を通じて直に接続されているメモリである<ref name="e-words_main_memory" />。次に説明する補助記憶装置(ストレージ)に比べ読み書きが桁違いに高速という特徴があるが、[[単価]]が高いため、搭載される容量は補助記憶装置に比べて何桁(けた)か少ないのが一般的である<ref name="e-words_main_memory" />。メインメモリはCPUの作業場所に当たり、実行中の[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]や、CPUが操作中のデータが格納される。揮発性の記憶装置であり、電源を切ると記憶内容は消えるため、電源を切った後も使うデータや設定などは、電源を切っても記憶が消えない補助記憶装置(HDDやSSDなど)に保管することになる。
搭載可能なメモリモジュールの規格や容量はマザーボードに左右される。また、認識・使用可能なメモリの上限はOSに左右される。
なお搭載するメインメモリの量が足りないと、OSのデフォルトの設定ではやむを得ずメインメモリの代わりに補助記憶装置を作業場所として使うようになっていることは多く、そうなるとPCの処理速度が一気に落ちてしまい、いわゆる「もっさり」とした動きになってしまうので、メインメモリをたっぷりと搭載しておくことが快適な処理速度を保つ上で鍵となる。<!--専用[[VRAM]]を持たないオンボードグラフィックスやCPU内蔵GPUは、メインメモリの一部をVRAMとして利用する。-->
=== 補助記憶装置 ===
{{Main|補助記憶装置|ハードディスクドライブ|SSD|ソリッドステートドライブ}}
[[ストレージ]]とも、補助記憶装置とも、外部記憶装置ともいう<ref name="e-words_storage">[https://e-words.jp/w/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B8.html e-words「ストレージ」</ref>。不揮発性の記憶であり、通電しなくても記憶が保たれ<ref name="e-words_storage" />、容量当たりの単価が安く大容量のものが使えるが、書き込み速度がメインメモリのそれと比べて非常に遅い。したがって[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]、[[データ]]などの格納場所(ストレージ)として使われたり、他のPCへプログラムやデータを移すために用いられる<ref name="e-words_storage" />。
PCに内蔵するもの、外付けのもの、着脱可能なリムーバブルなものがある。内蔵型は固定ディスクとも呼ばれる。
1990年代から2010年ころまではPCのOS起動ディスクとしては[[ハードディスクドライブ]] (HDD) が主に使われてきたが、その後2010年代後半ころから、高速に読み書きができる[[ソリッドステートドライブ]] (SSD) も次第に安価になり、オペレーティングシステムの立ち上げ時の時間が半分〜数分の1ほどにも短縮され、PCの使い心地に大きく影響するので、SSDのほうが人々に選ばれることが一般化してきた。(OSの使い勝手にも大きく影響するので)マイクロソフト社も2022年のなかばごろにはPCのハードウェアのメーカーに対してSSDを標準で搭載することを強く要求するようになった<ref>[https://gigazine.net/news/20220609-microsoft-require-ssd/ Gigazine「MicrosoftがPCにHDDではなくSSDを搭載するようメーカーに要求か、切り替え期限は2023年」]</ref>{{Efn|そして2022年秋時点で、Dell、HP、ASUS、Acerなど世界のメジャーなPCメーカーが通販で提供している量販モデルのPCのほとんどがデフォルトの選択でSSDを搭載している状態になっている。(HDDはあくまで2番目以降の選択肢として選ぶぶような、つまりすでに、HDDは例外的な位置づけになっている。)}}。
オペレーティングシステムやアプリケーションソフトウェアやよく使われるファイルを読み書きしたりする場所としては高速なSSDを、バックアップや大容量データの長期保存にはHDDを利用するなどの使い分けもされる。HDDはSSDよりも容量あたりの価格が安く、大容量化しやすいことが特徴で、[[2019年]]には14TBの製品が、2021年には20TBの製品が発売された<ref>[https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/news/news/1164392.html Western Digitalの14TB HDDが発売、データセンター向けの「Ultrastar DC HC530」 - AKIBA PC Hotline!]</ref><ref>[https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/docs/news/news/1371604.html 過去最大の20TB HDDが12月17日に発売、SeagateのNAS向け「IronWolf Pro」 - AKIBA PC Hotline!]</ref>。
=== リムーバブルディスク ===
{{Main|リムーバブルディスク|光学ドライブ|光磁気ディスク|フロッピーディスク}}
着脱可能なメディアを使用できる外部とのデータ交換用の[[ディスクドライブ]]。時代とともにメディアが変遷してきて、[[フロッピーディスク]]ドライブ、[[光磁気ディスク|光磁気ディスク(MO)ドライブ]]、[[コンパクトディスク|CD]]、[[DVD]]、[[Blu-ray Disc|BD]]と変遷してきて、DVDスーパーマルチドライブやBDドライブなど、複数規格のメディアが読み書きできるものが増えたが、インターネット経由でオペレーティング・システムやソフトウェアやコンテンツがダウンロードできることが一般化するにつれ、リムーバブルディスクの需要がめっきり減り、2020年代以降は、リムーバブルディスクドライブを搭載しないモデルが一般的になっている。
=== 拡張カード ===
{{Main|拡張カード}}
拡張カードは用途に応じてコンピュータを拡張するためのカード(ボード)。ただし、拡張スロット自体がないモデルも多い。
ビデオ(映像)信号をディスプレイに表示する[[ビデオカード]]、ネットワーク接続用の[[ネットワークカード]]、音声出力用の[[サウンドカード]]などがある。
特にリアルタイムの[[3次元コンピュータグラフィックス|3DCG]]といった用途でPCを使う場合は、高性能な[[Graphics Processing Unit|GPU]]を利用することが多い。[[DirectX]] 10世代以降はGPUを汎用計算に利用すること([[GPGPU]])も行われるようになり、リアルタイム3DCG以外にも、大量の物理演算、汎用画像処理、動画エンコーディング、ディープラーニングなどの用途でPCを使う場合も高性能のGPUを搭載するようになった。拡張カードを使いたい場合はデスクトップPCやタワー型PCから望みの拡張スロットを備えているものを選択することになる。
=== 電源 ===
{{Double image aside|right|15012011037.jpg|180|ATX-Netzteil.jpg|180|ノートPCの電源である[[ACアダプタ]]|デスクトップPCの[[ATX電源]]}}
パソコンでいう「電源」というのは、[[コンセント]]に来ている交流を直流に変換しマザーボードやドライブ装置などに電力を供給するもの。
ノートPCの電源は本体内部に一体化された[[リチウムイオン電池]]などを内蔵しており出先などではこれを使うが、長時間使う場合はコンセントにACアダプタを挿しACアダプタのDCコネクタをノートPCに挿して使用することが一般的である。
なお最近販売数が伸びてきている、机上で使うmini-PC(ミニPC)などと呼ばれる一辺が10センチ強や数センチ角程度の弁当箱のようなコンピュータも電源にACアダプタを使う傾向がある。
デスクトップPCやタワー型PCの電源は本体内部に収められる比較的大きなユニットである。[[ATX電源]]など。
{{Seealso|電源回路}}
=== ディスプレイ ===
[[ファイル:Laptop computer monitor (Unsplash).jpg|thumb|ノートPCのディスプレイ(左)と外付けディスプレイ(右)]]
{{Main|ディスプレイ (コンピュータ)}}
モニターとも呼ばれる。[[GUI]]や[[CUI]]でコンピュータを操作するために必要な表示装置。アスペクト比(縦横の比)が時代とともに変化し、最近は横長になってきた。
販売量が多いノートPCのディスプレイは本体と一体化しており、[[ヒンジ]]機構で開くことができる。ディスプレイの上部にwebカメラを内蔵しているモデルも多い。
デスクトップPC用のディスプレイの多くは外付けで、PC本体とケーブルで接続する。スピーカーやWebカメラを内蔵していたり、[[TVチューナー]]を内蔵しているモデルもある。デスクトップPCのディスプレイは2000年頃までは[[ブラウン管]]が一般的であったが、2002年以降は[[液晶]]ディスプレイが主流となり、2006年までに完全にブラウン管と置き換わった。
=== キーボード ===
[[Image:ModelM.jpg|thumb|right|[[IBM]] [[キー配列#101キーボード|101英語キーボード]]]]
{{Main|キーボード (コンピュータ)}}
コンピュータに[[コマンド (コンピュータ)|コマンド]]や[[文字]]を入力するための機器。キー配列は、英語圏では[[キー配列#101キーボード|101キーボード]](104キーボード)、日本では106キーボード([[キー配列#109キーボード|109キーボード]])が主流である。大手メーカー製などは、ショートカットとして特定の機能([[電子メール]]機能、スピーカーの音量調整など)に一発でアクセスできる専用の[[押しボタン|ボタン]]を追加した物もある。接続は有線の場合はUSB、無線の場合はBluetooth接続が多い。
=== ポインティングデバイス ===
{{Double image aside|right|Touchpad scrolling.jpg|180|Mouse-255.svg|180|[[タッチパッド]]|[[マウス (コンピュータ)|マウス]]}}
{{Main|ポインティングデバイス}}
[[ポインティングデバイス]]は、位置や座標を指し示すための装置。画面上の1点を指し示したり、操作対象を指定することができる。(
販売量がすでに9割を越えている)ノートPCでは[[タッチパッド]]がキーボードの手前に組み込まれていて一体化していることが一般的。デスクトップPCでは[[マウス (コンピュータ)|マウス]]を使うことが一般的であるが、各人の好みで外付け別売りのタッチパッドを使ったり、トラックボールを使う人もいる。
=== 音源とスピーカ類 ===
黎明期のPCは、[[内蔵音源]]として[[ビープ音]]や[[FM音源]]といった貧弱な[[音源]]しか持たなかったが、[[パルス符号変調|PCM]]データの再生に対応した[[PCM音源]]を搭載したサウンドチップが標準的となり、また各種OSにおいてアプリケーションソフトウェアからオーディオデバイスを利用するための[[アプリケーションプログラミングインタフェース|アプリケーションプログラミングインターフェイス]] (API) の標準化が進んだことにより、音声や動画の再生が標準的にできるようになっている。{{Efn|もともとPC内部はノイズの宝庫であり、かつては音質の悪さから敬遠されることもあったが、[[S/PDIF]]および[[HDMI]]のようなデジタル伝送規格や[[High Definition Audio]]規格の普及など、技術の向上により、一般的な視聴用途であればオーディオ専用機器と比べてもさほど遜色はない機種もある(出典:[https://av.watch.impress.co.jp/docs/series/dal/1167962.html 【藤本健のDigital Audio Laboratory】「パソコンの音が悪い」は当たり前? オーディオ出力性能を数値で比較-AV Watch]。}}
[[スピーカー]]は[[音声]]([[音響]])を出力するための装置。
[[File:Acer Swift 3 rear-right edge.jpg|thumb|180px|ノートPCのヘッドフォン・ジャック]]
ノートPCではキーボードとディスプレイの間あたりに内蔵されていることが多く、スピーカーの直径が小さいため音響的には貧弱な音しか出ないことが一般的であるが、ノートPC本体横に音響出力用の[[ミニプラグ]]のジャック(メス側)が用意されていることも一般的なので、そのジャックに高性能の[[ヘッドフォン]]([[イヤホン]])類を挿せば、良質な音響を聞くことができる。
デスクトップPCでは、[[HDMI]]接続したディスプレイがスピーカーを備えていればそのスピーカーから音が出る。PCをサウンドカードを搭載する場合で音声出力端子があればそこにスピーカーを接続する。
=== インターフェイス ===
{{Main|インタフェース (情報技術)}}
周辺機器を接続するための差し込み口(ポート、端子)。以前はそれぞれの周辺機器に対応する専用のインターフェイス([[レガシーデバイス]]ともいう)が備わっており、[[PS/2]]コネクタ、[[Digital Visual Interface|DVI]]、[[イーサネット]]、[[Thunderbolt]]、[[IEEE 1394]]、[[USB]]など複数の種類に分かれていたが、2010年代以降[[ユニバーサル・シリアル・バス|USB]]+ [[HDMI]](モデルによってはイーサネット用[[RJ-45]])だけしか備えないという機種が増えた。
=== ケース ===
{{Main|筐体|PCケース}}
デスクトップPCやタワー型PCではケース、つまり箱状の入れ物が使われる。縦置きのミニタワー型、ミドルタワー型、フルタワー型などがある。
=== その他の周辺機器 ===
;[[Webカメラ]]
:PCのモニター等に取り付ける小型カメラ。内蔵されるものと外付けのものがある。主に[[ビデオ会議]]や動画配信などのネットワークストリーミング用途で使用される。
;[[プリンター]]
:紙に[[印刷]]するための装置。カラーの[[インクジェットプリンター]]や[[レーザープリンター]]が主流である。イメージスキャナとの[[複合機]]もある。{{Efn|なおパソコンなしで[[メモリーカード]]を直接挿入したり、デジタルカメラとUSBケーブルで直接接続したりすることで、メモリカードやカメラ内に保存されている画像や文書を印刷できるものもあるが、そういう使い方は「PCの周辺機器」としての使用法ではない。}}
;[[スキャナ]]([[イメージスキャナ]])
:外部から[[画像]](平面的な[[写真]]や[[印刷物]])をPC用のデータに変換して取り込むための装置。[[リバーサルフィルム|ポジ]]や[[ネガフィルム|ネガ]]などの[[写真フィルム|フィルム]]をスキャンできる機種もある。プリンターに統合された複合機が主流となっており、単独の製品は少ない。
;ビデオキャプチャ装置
:ビデオ信号を動画データに変換して取り込むために使う。内蔵カード型のもの([[ビデオキャプチャカード]])も、外付けの箱型でUSB接続のものもある。
;[[チューナー]]
:古くはAM/FMラジオチューナー搭載モデル、次いでアナログTVチューナー搭載モデルが発売されたことがあったが普及をみなかった。日本ではデジタル放送 (TV) チューナーが[[2008年]]ごろから普及しはじめ、[[薄型テレビ]]やHDD/DVD/BDレコーダー等の家電製品と同様に、パソコンで放送を録画、再生できるようになっている。
;モデム、TAなど
:[[モデム]]は[[ダイヤルアップ接続]]で[[インターネット]]へ接続する場合に必要な装置で2000年代までは標準的に搭載されていた。[[ISDN]]を利用する場合は[[ターミナルアダプタ|TA]]、[[ADSL]]の場合はADSLモデムを使った。
;その他 [[デジタルカメラ]] 等
:写真データを取り込む場合にUSB接続やワイヤレス接続する。
== ファームウェア ==
パーソナルコンピュータにおける[[ファームウェア]]は、主にマザーボードのファームウェア(BIOS / UEFI)を指すことが多い<ref>[https://www.dospara.co.jp/5info/cts_str_pc_firmware ファームウェアとは?ファームウェアアップデート(更新)方法や注意点をご紹介|ドスパラ通販【公式】]</ref>。
== ソフトウェア ==
=== オペレーティングシステム ===
{{Main|オペレーティングシステム}}
オペレーティングシステム (OS) はコンピュータシステム全体の管理と制御を行ない、[[ユーザインタフェース|ユーザーインターフェイス]]を提供する[[システムソフトウェア]]の一種である。OSによって標準化・抽象化されたAPIが提供されることで、アプリケーションソフトウェアはハードウェアを直接制御する必要がなくなる。
==== Windows ====
{{Main|Microsoft Windows}}
[[マイクロソフト]]が提供する独自の[[オペレーティングシステム]]で、1990年代よりPC/AT互換機に搭載されるOSの主流となっている。[[Microsoft Windows 10]]以降は[[Windows Subsystem for Linux]] (WSL) によるLinux互換環境もサポートしている。
==== macOS ====
{{Main|macOS}}
[[Apple]]が提供する[[Unix系]]の独自のオペレーティングシステムで、Apple社独自のハードウェアで動作する。[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]操作を基本とするが、UNIX互換の[[シェル]]も持つ。
==== ChromeOS ====
{{Main|ChromeOS}}
[[Google]]が提供する[[Linux|Linux系]]の独自オペレーティングシステムで、[[Google Chrome]]をベースとしたシェルを持つ。[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]との連携や互換性が優れており、ソフトウェア開発用途などに[[Debian]]系のLinuxサブシステム (Crostini) も制限付きながら利用できる<ref>[https://support.google.com/chromebook/answer/9145439?hl=ja Chromebook で Linux をセットアップする - Chromebook ヘルプ]</ref>。
==== PC-UNIX ====
{{Main|PC-UNIX}}
パーソナルコンピュータで稼働する[[Unix系]]オペレーティング環境。[[カーネル]]として[[オープンソースソフトウェア]]である[[Linux]]が使われるようになって普及した。[[ウィンドウシステム]]としては[[X Window System]]が標準になっている。
=== アプリケーションソフトウェア ===
{{Main|アプリケーションソフトウェア}}
普通の人々がインターネット上の[[検索エンジン]]で情報検索したり、あるいは各企業やサービスの公式サイトで各種登録を行ったり、[[ネットショッピング]]を行ったり、[[webメール]]を送受信するためには[[ウェブブラウザ|Webブラウザ]]が使われており、さまざまなアプリケーションソフトの中でも使われる頻度が高くなっている(最近はさまざまな便利な[[クラウドコンピューティング|クラウド]]サービスが増えているのでブラウザが使われる頻度が特に高くなっている)。
事務作業用のソフトウェアは近年ではプロダクティビティ・ソフトウェアと呼ばれるようになってきており、たとえば[[ワープロソフト|ワープロ]]、[[表計算]]、[[データベース]]などやこれらをパッケージ化した[[オフィススイート]]などがある。それ以外にも、[[ペイントソフト]]、写真加工ソフトなどはきわめて一般的で、さらに[[映像編集|映像(動画)編集]]ソフト、[[オーサリングツール]]も使用ユーザが次第に増えている。
ほかにもゲーム好きな人々は[[ゲームソフト]]を高頻度で使用している。コンピュータエンジニアなどはターミナルソフト([[:en:Terminal emulator]])を多用し、システム開発を行うエンジニアは[[プログラミングツール]]([[統合開発環境]]、[[コンパイラ]]など)を多用する。
いずれも 無償のもの / 有償のもの の両方があり、無償のものには[[オープンソース]]などライセンスに従えば無償でも利用できるものがある。近年ではインターネット経由で無償でダウンロードできるものも多い。またオペレーティングシステムに標準で含まれているものもある。そのほか、特定の業種だけで使うソフトや、特定の職種だけが使うきわめて特殊なソフトもある(こちらは多くは有償で、相当の価格に設定されていることが多く、なかには(かなりの費用をかけて)特注で制作するものもありユーザは一社だけあるいはひとりだけという場合もある)。
=== ミドルウェア ===
[[ミドルウェア]]はOSとアプリケーションとの間に構築される[[アプリケーションフレームワーク]]の一種である。アプリケーションの開発を効率化する。
== 主なメーカー ==
主なパーソナルコンピュータのメーカーは以下の通りである。大手メーカーの多くは[[クアンタ・コンピュータ]]、[[コンパル・エレクトロニクス]]などの台湾に本社を置く受託製造メーカーに[[OEM]]生産を委託しており、ノートパソコンに至っては世界の年間[[生産]]台数の約9割を[[台湾]]企業が手掛けている。
{|class="wikitable sortable"
!国・地域名!!現存する主なPCメーカー!!かつて存在した主なPCメーカー
|-
|[[アメリカ合衆国|アメリカ]]||[[ヒューレット・パッカード|HP]]<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1446534.html]</ref><br>[[デル]](Dell)<br>[[Apple]]<br>[[Google]]<br>[[マイクロソフト|Microsoft]]<br>[[Amazon.com]]<br>[[エバレックス]]<br>[[インテル]]<br />[[アジレント・テクノロジー]]<br />[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ]]<br />[[クレイ (コンピュータ企業)|クレイ]]||[[コモドール]](破産)<br>[[ラジオシャック|タンディ・ラジオシャック]](撤退)<br>[[アタリ (企業)|アタリ]](撤退)<br>[[IBM]](PC部門を[[レノボ]]に売却し撤退)<br>[[コンパック]](HPに吸収合併され[[ブランド]]名として存続)<br>[[ディジタル・イクイップメント・コーポレーション|DEC]](コンパックに買収)<br>[[ASTリサーチ]]([[サムスングループ|サムスン]]に買収)<br>[[:en:eMachines|イーマシーンズ]](ゲートウェイに買収)<br>[[ゲートウェイ (PCメーカー)|ゲートウェイ]](エイサーに買収され[[ブランド]]名として存続)<br>[[パッカードベル]](NEC傘下を経てエイサーに買収)<br>[[ユニシス]](撤退)<br />[[ベル&ハウエル]](撤退)
|-
|[[日本]]||[[NECパーソナルコンピュータ]]<br>[[富士通クライアントコンピューティング]]<br>[[Dynabook (企業)|Dynabook]]([[東芝]]→[[シャープ]]){{efn|シャープにとっては[[Mebius]]以来の再参入となった<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASL6475CYL64PLFA00M.html シャープ、パソコン事業再参入へ 東芝から買収する方針:朝日新聞デジタル]</ref>。}}<br>[[VAIO (企業)|VAIO]]<ref name="vaio">[http://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press/201405/14-0502/ PC事業の譲渡に関する正式契約の締結について] - ソニー ニュースリリース</ref><br>[[パナソニック]]<br>[[エプソンダイレクト]]<br>[[MCJ]](マウスコンピューター)<br>[[サードウェーブ]]<br>[[ロジテック]](企業向けのみ)<br>[[日本デジタル研究所]](会計業務用のみ)
|[[アキア]](廃業)<br>[[アイコム]](撤退)<BR>[[Iiyama|飯山電機]](MCJに吸収合併)<BR>[[オンキヨー]](倒産)<br>[[セイコーエプソン]](エプソンダイレクトに集約)<br>[[セガ]](撤退)<br>[[東芝パソコンシステム|ソード]](東芝に業務売却)<br>[[三洋電機]](撤退)<br>[[トミー (企業)|トミー]](撤退)<br>[[バンダイ]](撤退)<br>[[プロサイド]](撤退)<br>[[沖電気工業]](撤退)<br>[[ソニー]](VAIOに事業譲渡<ref name="vaio"/>)<br>旧・[[アイワ]](ソニーに吸収合併、一時期[[PC/AT互換機]]を製造販売){{efn|2017年ブランド復活。}}<br>[[カシオ計算機]](撤退)<br>[[キヤノン]](撤退)<br>[[京セラ]](撤退)<br>[[パーパス|高木産業]](撤退)<br>[[日本ビクター]](撤退)<br>[[ソーテック]](オンキヨーに買収、後にブランド廃止)<br>[[工人舎]](オンキヨーにPC事業統合し、工人舎ブランドは撤退)<br>[[日立製作所]](一般向けは撤退しセキュリティ用に特化するも現在は終了)<br>[[KOUZIRO]](解散し[[インバースネット]]のブランド名として存続)<br>[[パイオニア]](一時期[[Macintosh互換機]]を製造販売)<br>[[三菱電機]](撤退)<br>[[東芝]](2018年10月1日にシャープへ事業譲渡→Dynabook)<br>[[三井物産デジタル]](撤退)
|-
|[[台湾]]||[[エイサー (企業)|エイサー]]<br>[[ASUS]]<br>[[Micro-Star International|MSI]]<br />[[クアンタ・コンピュータ]]<br />[[AOpen]]<br />[[BenQ]]<br />[[Biostar]]<br />[[コンパル・エレクトロニクス]]<br />[[エリートグループコンピューター・システムズ]]<br />[[ASRock]]<br>||[[:en:MiTAC|マイタック]](モバイル用に特化し一般向けは撤退)<br>[[UMAX]](撤退)
|-
|[[中華人民共和国|中国]]||[[レノボ]]<br>[[方正]]<br>[[清華同方]]<br>[[ハイアール・グループ|ハイアール]]<br>[[シャオミ]]<br />[[ZOTAC]]<br />[[Aigo]]<br />[[CHUWI]]||
|-
|[[大韓民国|韓国]]||[[サムスン電子]]<br>[[LGエレクトロニクス]]<br>[[トライジェム]]||
|-
|[[ヨーロッパ]]||Aleutia<br />CMS Computers<br />[[Bull]]<br />[[グルンディッヒ]]<br />IGEL<br />Tプラットフォーム<br />Wortmann||[[シンクレア・リサーチ|シンクレア]](撤退)<br>[[アムストラッド]](撤退)<br>[[:en:International Computers Limited|ICL]](撤退)<br>[[オリベッティ]](PC部門を売却し撤退)<br>[[エイコーン・コンピュータ|エイコーン]](PC部門を廃止し解体)<br />[[ノキア]](撤退)
|-
|その他||[[Razer]]<br />AXIOO<br />[[グラディエンテ]]<br />Itautec<br />Lanix||
|}
上記以外にもパソコンの製造メーカーはPCをベースとした専用機器やシステム販売、あるいは小規模なPCショップを含め多数存在するが、パソコンの内部に使われている部品は限られた企業が生産している。
*[[CPU]]はx86アーキテクチャにおいては2015年時点で[[インテル]]が87.7%を占め、[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]が12.1%を占める<ref>{{Cite web|url=http://www.pcworld.com/article/3060666/hardware/how-amd-is-ressurecting-itself-as-a-formidable-rival-to-intel.html|title=How AMD is resurrecting itself as a formidable rival to Intel - PCWorld|accessdate=2016-11-13|date=2016-04-22|publisher=IDG Consumer}}</ref>。ただし、2010年代に入ってから小型デバイスなどの組み込み向けを中心にARMアーキテクチャが台頭してきており、x86アーキテクチャだけで一概に推し量ることはできない<ref>{{Cite web|url=http://hackerboards.com/amd-reveals-arm-and-x86-soc-and-apu-plans/|title=AMD reveals roadmap for ARM and x86 SoCs|accessdate=2016-11-13|date=2013-09-09|publisher=Rick Lehrbaum}}</ref>。
*[[Graphics Processing Unit|GPU]]は2015年第3四半期時点でデスクトップ向けのビデオカード製品では[[NVIDIA]]が81.1%、AMD(旧・[[ATI Technologies|ATI]])が18.8%を占め、[[Matrox]]が1%未満となっている。チップセットやノートパソコンなどのモバイル向けGPUを含む総合ではインテルが72.8%、NVIDIAが15.7%、AMDが11.5%を占める<ref>{{Cite web|url=http://wccftech.com/gpu-market-share-q3-2015-amd-nvidia/|title=GPU Market Share Results For Q3 2015 - AMD and NVIDIA See Increased AIB GPU Shipments as PC Gaming Market Grows|accessdate=2016-11-13|author=Hassan Mujtaba|date=2015-11-17|publisher=WCCF PTE LTD.}}</ref>。
*[[主記憶装置|メモリ]]は[[サムスン電子]]が4割、[[SKハイニックス]](旧・[[ヒュンダイ|現代]]電子)が3割、[[マイクロン・テクノロジ]]が2割を占める<ref>{{Cite web|url=http://marketrealist.com/2015/12/samsungs-market-share-expected-increase-fiscal-2016/|title=Samsung’s Market Share Is Expected to Increase in Fiscal 2016|accessdate=2016-11-13|date=2015-12-09|publisher=Market Realist}}</ref>。
=== 市場シェア ===
{|class="wikitable" style="text-align:center"
|+世界市場(各1〜12月、台数ベース、IDC調査)
|-
!||colspan="2"|2019年<ref>[https://www.gartner.com/en/newsroom/press-releases/2020-01-13-gartner-says-worldwide-pc-shipments-grew-2-point-3-percent-in-4q19-and-point-6-percent-for-the-year Gartner Says Worldwide PC Shipments Grew 2.3% in 4Q19 and 0.6% for the Year]</ref>
|-
!||メーカー||%
|-
|1||[[レノボ]]||21.3
|-
|2||[[HP Inc.]]||20.9
|-
|3||[[Dell]]||15.7
|-
|4||[[ASUS]]||7.4
|-
|5||[[Apple]]||7.1
|-
|6〜||その他||27.7
|}
{|class="wikitable" style="text-align:center"
|+日本市場(各1〜12月、出荷台数ベース、IDC調査)
|-
!||colspan="2"|2019年<ref>[https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/2003/06/news118.html 2019年のPC国内出荷は前年比45.7%増の活況 IDC調べ]</ref>
|-
!||メーカー||%
|-
|1||[[日本電気|NEC]]||25.4
|-
|2||[[富士通]]||19.0
|-
|3||[[HP Inc.]]||12.4
|-
|4||[[Dell]]||12.1
|-
|5||[[Dynabook]]||11.1
|-
|6〜||その他||20.0
|}
== 電子ごみ問題とリサイクル ==
[[Image:Computer Recycling.JPG|thumb|right|リサイクルのため集められたデスクトップパソコン]]
[[国連大学]]の「電子廃棄物問題を解決するイニシアチブ」によると、年間当たりの電気・電子機器廃棄物の発生量は、全世界で約4880万トン(2014年)と推計されている<ref name="recycle">[https://www.afpbb.com/articles/-/3030185 中国「リサイクル産業の都」が払う電子ごみ処理の代償] AFP 2014年10月29日</ref>。
=== アメリカ ===
国連大学の「電子廃棄物問題を解決するイニシアチブ」によると、米国の年間当たりの電気・電子機器廃棄物の発生量は約720万トン(2014年)と推計されている<ref name="recycle" />。
=== 中国 ===
国連大学の「電子廃棄物問題を解決するイニシアチブ」によると、中国の年間当たりの電気・電子機器廃棄物の発生量は約610万トン(2014年)と推計されている<ref name="recycle" />。
[[広東省]][[汕頭市]]の[[貴嶼]]では約13万人の住民のうち約8万人が電子ごみのリサイクル産業に従事しているが(2012年地元統計)、2014年の汕頭大学医学院の研究チームの調査報告書では重金属類による大気汚染や水質汚染が深刻になっているとしている<ref name="recycle" />。
=== 日本 ===
[[半導体素子]]製造プロセスの急速な高度化(この様子は[[ムーアの法則]]などと表現される)の恩恵を受けてより高速・高機能な[[CPU]]を用いた製品が市場に投入され、そうした最新版のハードウェアに対応したソフトウェアが普及するにつれ旧型製品の買い替えサイクルは短くなる。そのため廃棄されるPCの台数が増加しており、資源の有効活用や環境保護の面から問題点が指摘されるようになった。そのため[[家庭電化製品]]と同様に「[[資源の有効な利用の促進に関する法律]]」の適用を受けることになり、メーカーによる回収・[[リサイクル]]が制度化された。
これを受け[[2001年]][[4月1日]]から[[企業]]や[[個人事業主|個人事業者]]、[[2003年]][[10月1日]]から家庭用で不要となったパソコン本体(付属のキーボード・マウス・スピーカー・ケーブル類、単独の[[ディスプレイ (コンピュータ)|外部ディスプレイ]]含む。付属マニュアルやメディア、プリンターなどの周辺機器は除く)は各製品のメーカーが回収し、素材レベルに分解し資源として再利用される(中古品としての流用や部品取りは原則として行われない)。
「PCリサイクルマーク」がついた家庭用PCは販売価格に回収処分の手数料が含まれているためリサイクルの費用は不要であるが、マークのついていない製品は新たに「回収再資源化料金」を負担する必要がある。自作PCやメーカーのパソコン事業撤退{{efn|例えば高木産業(現[[パーパス]])はかつて「PURPOSE」ブランドでパソコンを販売していたが、[[2003年]]頃に撤退している。[http://www.purpose.co.jp/special_form/index-haiki.html PURPOSEパソコンの廃棄について] {{リンク切れ|date=2022年2月}}}}・倒産した場合は、一般社団法人パソコン3R推進協会<ref>https://www.pc3r.jp/index.html</ref>が有償で回収を行う。この制度を受けて、自治体などではPCの粗大ごみ収集・処分を行わないところが多い{{efn|旧[[コンパック]]製品については、合併した[[ヒューレット・パッカード]]で回収を行っている。[[2001年]]に一度日本から撤退した[[ゲートウェイ (PCメーカー)|ゲートウェイ]]製品については、再進出後の現日本法人で回収を行っている。}}。
事業用のパソコンについては別途メーカーによる回収・リサイクル体制が整えられているが、[[産業廃棄物]]として処理される場合もある。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Wiktionary|パーソナルコンピュータ}}
{{Commons category}}
{{ウィキポータルリンク|コンピュータ|[[ファイル:Computer.svg|36px|ウィキポータル コンピュータ]]|break=yes}}
* [[コンピュータ・情報関連企業設立の年表]]
* [[パーソナルコンピュータ史]]
* [[パーソナルコンピュータ製品一覧]]
* [[コンピュータ用語一覧]]
* [[情報・通信・コンピュータ一覧の一覧]]
== 外部リンク ==
*[http://www.ism.ac.jp/computer_system/hist/Computers.html コンピュータ(計算機)の歴史]、[[統計数理研究所]]
*[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/topic/feature/1552954.html 不要なパソコンを「自宅にいながら無料で」回収してくれる2つの方法を紹介 (PC Watch, 2023年12月8日)]
{{Computer sizes}}
{{コンピュータの構成要素}}
{{パーソン・オブ・ザ・イヤー|state=expanded|state3=expanded}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:はあそなるこんひゆうた}}
[[Category:パーソナルコンピュータ|*はあそなるこんひゆうた]]
[[Category:コンピュータの形態]]
[[Category:音声処理]]
[[Category:スタジオ関連機材]]
[[Category:タイム誌が選ぶパーソン・オブ・ザ・イヤー]] | 2003-02-13T11:36:16Z | 2023-12-17T22:55:57Z | false | false | false | [
"Template:複数の問題",
"Template:表記揺れ案内",
"Template:Seealso",
"Template:Cite journal",
"Template:Cite news",
"Template:ウィキポータルリンク",
"Template:Redirect",
"Template:Lang-en-short",
"Template:Reflist",
"Template:Commons category",
"Template:コンピュータの構成要素",
"Template:パーソン・オブ・ザ・イヤー",
"Template:Main",
"Template:仮リンク",
"Template:See also",
"Template:Cite web",
"Template:Normdaten",
"Template:Computer sizes",
"Template:Efn",
"Template:Double image aside",
"Template:Ol",
"Template:Gallery",
"Template:Notelist",
"Template:Citenews",
"Template:Wiktionary"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF |
1,300 | コナミグループ | コナミグループ株式会社(英: KONAMI GROUP CORPORATION)は、ゲームソフトやアミューズメント機器の製造・販売とスポーツクラブの運営などを手掛けるコナミグループの純粋持株会社である。東京証券取引所プライム市場、ロンドン証券取引所に上場。日経平均株価(日経225)構成銘柄の一つである。
1969年3月21日に大阪府豊中市で創業して1973年3月19日に法人化された。ジュークボックスのレンタルと修理業を経てアーケードゲーム事業に参入。
アーケードゲームのほかにMSX、ファミリーコンピュータ、プレイステーションなどのパソコン・家庭用テレビゲーム機でジャンルを問わない多くの人気ゲーム作品を発表し、現在では関連子会社を通じてテレビゲームに留まらず、ソーシャルゲーム進出やカードゲームなどの玩具の製作・発売、スポーツクラブの運営も手掛けるなど、多角的に事業を展開している。1980年代、アーケードゲームから家庭用コンピューターゲームへ参入した老舗ゲームメーカーの中で、現在も独立を保っている数少ない存在である。
※その他グループ会社、関連会社、かつて存在した企業は「コナミの関連企業」を参照。
デジタルエンタテインメント商品一覧・アーケードゲーム一覧・メダルゲーム一覧を参照。
1981年3月にKONAMIのロゴマーク(青のロゴタイプ)を制定。1986年8月のCI導入時に、オレンジとレッドの曲線の帯を斜めに並べたシンボルマークとグレーのロゴタイプを組み合わせたものに変更された。このシンボルマークは若さ・知性・感性・創造・テクノロジーおよび人と企業の躍動を象徴したものとしている。
創立30周年の2003年にロゴデザインを一新し、赤を基調にしたロゴタイプとなった。 この赤は「コナミレッド」と命名され、安定性を持ちつつ独創性・革新性を強くアピールする色として、コナミグループのコーポレートカラーとなっている。また、用途によって「コナミレッド背景に白色のロゴ」「白色背景にコナミレッドのロゴ」を使い分けている。
コナミにおける著作権・特許権・商標権などの知的財産権の取得と行使は排他性が高く、著作権法・特許法違反に該当すると判断した事案に対しては厳しい姿勢で臨んでいる。
コナミの著作物に付随する権利は基本的に法務部により自主管理されており、一部の音楽ソフトを除いてJASRACなどの管理団体には委託していない。
1999年には野球ゲームでプロ野球選手・球団名の実名を使用する権利を日本野球機構との契約により独占し、他社の野球ゲーム発売に際し、コナミを介してのサブライセンス供与を渋ったとして後に独占禁止法違反で公正取引委員会から警告を受けている(DRAMATIC BASEBALLを参照)。
1999年頃から2000年にかけて知的財産の保護等を目的に自社製品名の商標登録に合わせて他社製品・名称等を登録する動きがあった。違法ではないものの同業他社や出版社が発行する著名な雑誌名にまでコナミが商標登録を行った動きに対してユーザーや関係者から批判が起こり、一部ではコナミ製品への不買にまで発展。中には特許庁に商標登録しないよう働きかける運動も行われ、最終的に特許の取り下げ・拒絶査定によりコナミが申請を行った他社製品等の名称は商標登録されない結果になっている。
2010年冬のコミックマーケットで同人サークル『Diverse System』が発行する予定だったCD『Dear,Mr.wac』『D16』に対し著作権侵害として販売差し止めを行った。それ以来BEMANI関連の同人CDが激減している。 | [
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"text": "デジタルエンタテインメント商品一覧・アーケードゲーム一覧・メダルゲーム一覧を参照。",
"title": "主なゲーム・玩具・アニメ"
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"text": "1981年3月にKONAMIのロゴマーク(青のロゴタイプ)を制定。1986年8月のCI導入時に、オレンジとレッドの曲線の帯を斜めに並べたシンボルマークとグレーのロゴタイプを組み合わせたものに変更された。このシンボルマークは若さ・知性・感性・創造・テクノロジーおよび人と企業の躍動を象徴したものとしている。",
"title": "グループブランドロゴ"
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"text": "創立30周年の2003年にロゴデザインを一新し、赤を基調にしたロゴタイプとなった。 この赤は「コナミレッド」と命名され、安定性を持ちつつ独創性・革新性を強くアピールする色として、コナミグループのコーポレートカラーとなっている。また、用途によって「コナミレッド背景に白色のロゴ」「白色背景にコナミレッドのロゴ」を使い分けている。",
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"text": "コナミにおける著作権・特許権・商標権などの知的財産権の取得と行使は排他性が高く、著作権法・特許法違反に該当すると判断した事案に対しては厳しい姿勢で臨んでいる。",
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"text": "コナミの著作物に付随する権利は基本的に法務部により自主管理されており、一部の音楽ソフトを除いてJASRACなどの管理団体には委託していない。",
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"text": "1999年頃から2000年にかけて知的財産の保護等を目的に自社製品名の商標登録に合わせて他社製品・名称等を登録する動きがあった。違法ではないものの同業他社や出版社が発行する著名な雑誌名にまでコナミが商標登録を行った動きに対してユーザーや関係者から批判が起こり、一部ではコナミ製品への不買にまで発展。中には特許庁に商標登録しないよう働きかける運動も行われ、最終的に特許の取り下げ・拒絶査定によりコナミが申請を行った他社製品等の名称は商標登録されない結果になっている。",
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"text": "2010年冬のコミックマーケットで同人サークル『Diverse System』が発行する予定だったCD『Dear,Mr.wac』『D16』に対し著作権侵害として販売差し止めを行った。それ以来BEMANI関連の同人CDが激減している。",
"title": "コナミの知的財産戦略"
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] | コナミグループ株式会社は、ゲームソフトやアミューズメント機器の製造・販売とスポーツクラブの運営などを手掛けるコナミグループの純粋持株会社である。東京証券取引所プライム市場、ロンドン証券取引所に上場。日経平均株価(日経225)構成銘柄の一つである。 | {{Redirect5||コナミ (曖昧さ回避)|コナミ|KONAMI}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = コナミグループ株式会社
| 英文社名 = KONAMI GROUP CORPORATION
| 略称 = コナミG
| ロゴ = [[File:Konami 4th logo 1.svg|200px]]
| 画像 = [[File:コナミクリエイティブセンター銀座.png|250px]]
| 画像説明 = コナミクリエイティブセンター銀座
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 機関設計 = [[監査等委員会設置会社]]<ref>[https://www.konami.com/corporate/ja/governance/ コーポレートガバナンス - コナミグループ株式会社</ref>
| 市場情報 = {{上場情報|東証プライム|9766|1984年10月1日}}{{上場情報|LSE|KNM}}{{OTC Pink|KNMCY}}
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 104-0053
| 本社所在地 = [[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[晴海 (東京都中央区)|晴海]]一丁目8番11号<br />晴海アイランドトリトンスクエア オフィスタワーY棟 39階
| 本社緯度度 = 35|本社緯度分 = 39|本社緯度秒 = 23.6|本社N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本社経度度 = 139|本社経度分 = 46|本社経度秒 = 53.3|本社E(東経)及びW(西経) = E
| 座標右上表示 = Yes
| 本店郵便番号 = 104-0061
| 本店所在地 = 東京都中央区[[銀座]]一丁目11番1号
| 本店緯度度 = 35
| 本店緯度分 = 40
| 本店緯度秒 = 28.6
| 本店N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本店経度度 = 139
| 本店経度分 = 46
| 本店経度秒 = 10.5
| 本店E(東経)及びW(西経) = E
| 本社地図国コード = JP-13
| 設立 = [[1973年]]([[昭和]]48年)[[3月19日]]<br />(コナミ工業株式会社)<br />創業:[[1969年]](昭和44年)[[3月21日]]
| 業種 = 情報・通信業
| 事業内容 = グループ全体の企業価値・株主価値の増大を図るための戦略的経営計画の立案・実行、事業子会社の業務遂行の管理
| 代表者 = {{Plainlist|
* [[代表取締役]][[会長]] [[上月景正]]
* [[代表取締役]][[社長]] [[東尾公彦]]
}}
| 資本金 =
* 473億9800万円
(2023年3月31日現在)<ref name="fy">{{Cite report |和書 |author=コナミグループ株式会社 |date=2023-06-29 |title=第51期(2022年4月1日 - 2023年3月31日)有価証券報告書}}</ref><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 発行済株式総数 =
* 1億4350万株
(2023年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 売上高 =
* 連結: 3143億2100万円
* 単独: 485億7600万円
(2023年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 営業利益 =
* 連結: 461億8500万円
* 単独: 436億7700万円
(2023年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 経常利益 =
* 連結: 471億2000万円
* 単独: 449億9700万円
(2023年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 純利益 =
* 連結: 348億9500万円
* 単独: 443億2200万円
(2023年3月期)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 純資産 =
* 連結: 3762億7900万円
* 単独: 2878億4200万円
(2023年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 総資産 =
* 連結: 5472億2300万円
* 単独: 3514億1300万円
(2023年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 従業員数 =
* 連結: 4,881人
* 単独: 214人
(2023年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
| 決算期 = 3月31日
| 会計監査人 = [[PwCあらた有限責任監査法人]]<ref name="fy" />
| 主要株主 = {{Plainlist|
* [[日本マスタートラスト信託銀行]](信託口) 22.24%
* [[日本カストディ銀行]](信託口) 13.07%
* [[上月財団]] 12.61%
* KOZUKI HOLDING B.V. 11.58%
* コウヅキキャピタル 5.20%
* JP MORGAN CHASE BANK 380815 4.82%
* KOREA SECURITIES DEPOSITORY-SAMSUNG 2.61%
* STATE STREET BANK WEST CLIENT - TREATY 505234 1.18%
* HSBC HONGKONG-TREASURY SERVICES A/C ASIAN EQUITIES DERIVATIVES 1.09%
* JP MORGAN CHASE BANK 385781 0.93%
* (2023年3月31日現在)<ref name="fy" /><!-- 数値を更新する際は出典を修正してください -->
}}
| 主要子会社 =
{{Plainlist|
* 株式会社[[コナミデジタルエンタテインメント]] 100%
* [[コナミスポーツ (企業)|コナミスポーツ]]株式会社 100%
* 株式会社[[コナミアミューズメント]] 100%
}}
| 関係する人物 = [[上月景正]](創業者)
| 外部リンク = {{Official URL}}
| 特記事項 = 連結経営指標は[[国際会計基準]]のため、売上高は売上高及び営業収入、経常利益は税引前当期利益、純利益は当期利益、純資産は資本合計、総資産は資産合計。
}}
'''コナミグループ株式会社'''({{Lang-en-short|KONAMI GROUP CORPORATION}}<ref>コナミグループ株式会社 定款 第1章第1条</ref>)は、[[コンピュータゲーム|ゲームソフト]]や[[アーケードゲーム|アミューズメント機器]]の製造・販売と[[スポーツクラブ]]の運営などを手掛けるコナミグループの[[持株会社|純粋持株会社]]である。[[東京証券取引所]]プライム市場、[[ロンドン証券取引所]]に上場。[[日経平均株価]](日経225)構成銘柄の一つである。
== 概要 ==
1969年3月21日に大阪府豊中市で創業して1973年3月19日に[[法人]]化された。[[ジュークボックス]]のレンタルと修理業を経て[[アーケードゲーム]]事業に参入。
アーケードゲームのほかに[[MSX]]、[[ファミリーコンピュータ]]、[[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]などの[[ホビーパソコン|パソコン]]・[[ゲーム機|家庭用テレビゲーム機]]でジャンルを問わない多くの人気ゲーム作品を発表し、現在では関連子会社を通じてテレビゲームに留まらず、[[ソーシャルゲーム]]進出や[[カードゲーム]]などの[[玩具]]の製作・発売、[[スポーツクラブ]]の運営も手掛けるなど、多角的に事業を展開している。1980年代、アーケードゲームから家庭用コンピューターゲームへ参入した老舗ゲームメーカーの中で、現在も独立を保っている数少ない存在である。
== 沿革 ==
* [[1969年]]3月21日 - 上月景正(現・代表取締役会長)が創業。
* [[1973年]]3月19日 - 大阪府豊中市に'''コナミ工業株式会社'''を設立。[[アミューズメント]]機器の製造を開始。
* [[1978年]]1月 - コンピュータを応用したビデオゲーム機の制作・販売を開始。
* [[1979年]]1月 - 米国に製品を輸出。
* [[1980年]]5月 - 大阪府豊中市に新社屋完成。本社を移転。
* [[1982年]]
** 3月 - 玩具ゲーム事業に参入。大阪市北区の[[大阪駅前第4ビル]]に本社を移転。
** 3月 - 上月景正が個人所有の株式を拠出して[[上月財団|財団法人 上月教育財団]]を設立。
** 10月 - [[パーソナルコンピュータ]]用ゲームソフト事業に参入。
** 11月 - 米国に現地法人Konami of America, Inc.(現・Konami Digital Entertainment, Inc.)を設立。
* [[1983年]]12月 - 「[[MSX]]」パーソナルコンピューター用[[ゲームソフト]]事業に参入。
* [[1984年]]
** 5月 - 英国に現地法人Konami Ltd.(現・Konami Digital Entertainment B.V.)を設立。
** 10月 - [[大阪証券取引所]]新二部(市場第二部特別指定銘柄)に上場する。
** 12月 - ドイツに現地法人Konami GmbH(現・Konami Digital Entertainment GmbH)を設立。[[ファミリーコンピュータ]]用ゲームソフト事業に参入。
* [[1986年]]8月 - 神戸市中央区にコナミソフト開発ビル完成。本社を移転と同時にシンボルマークを導入。
* [[1987年]]12月 - コナミ興産株式会社(現・コナミリアルエステート株式会社)を設立。
* [[1988年]]
** 2月 - [[東京証券取引所]]市場第二部上場。
** 8月 - 東京証券取引所および大阪証券取引所市場第一部上場。
* [[1991年]]
** 6月1日 - コナミ工業株式会社から'''コナミ株式会社'''に商号変更。
** 11月 - [[PCエンジン]]用ゲームソフト事業に参入。
* [[1992年]]
** 4月21日 - 東京都港区の[[森トラスト|城山トラストタワー]]に東京本社を移転。
** 7月1日 - ぱちんこ機向け液晶ゲームの制作により遊技機事業に参入。
** 10月5日 - [[メガドライブ]]用ゲームソフト事業に参入。
* [[1994年]]
** 9月 - 香港に現地法人Konami (Hong Kong) Limited(現・Konami Digital Entertainment Limited)を設立。
** 12月 - [[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]用ゲームソフト事業に参入。
* [[1996年]]
** 10月 - [[ニンテンドー64]]用ゲームソフト事業に参入。
** 11月 - 米国に米国持株会社Konami Corporation of Americaを、豪州に現地法人Konami Australia Pty Ltdを設立。
* [[1997年]]
** 1月 - 米国に現地法人Konami Gaming, Inc.を設立。
** 10月 - 豪州[[カジノ]]機器市場へ参入。
** 11月 - [[シンガポール証券取引所]]上場。オランダに欧州持株会社Konami Europe B.V.(現・Konami Digital Entertainment B.V.)を設立。
* [[1999年]]
** 2月 - [[カードゲーム]]事業に参入。
** 9月 - [[ロンドン証券取引所]]上場。
** 12月 - 神戸市中央区から東京都港区に本店登記を移転。
* [[2000年]]
** 1月 - 米国カジノ機器市場へ日本企業として初めて参入。
** 6月 - 中国に現地法人Konami Software Shanghai, Inc.を設立。
* [[2001年]]
** 2月 - 株式会社ピープル(現・[[コナミスポーツ]]株式会社)を友好的[[株式公開買付]]により子会社化。健康サービス([[スポーツクラブ]]運営)事業に参入。
** 8月 - 株式会社[[ハドソン]]に資本参加し関係会社化。
** 10月 - 玩具菓子事業に参入。
* [[2002年]]
** 2月 - [[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]用ゲームソフト事業に参入。
** 3月 - [[e-AMUSEMENT]](業務用機器のオンラインサービス)を展開。
** 4月 - KONAMIのスポーツ施設の名称を「コナミスポーツクラブ」に変更。
** 8月 - 東京都千代田区の[[丸の内ビルディング|丸ビル]]に本社を移転。
** 9月 - [[ニューヨーク証券取引所]]に[[米国預託証券]]上場。
* [[2003年]]
** 4月1日 - 創立30周年を機に現行の新ブランドロゴマークを導入。
** 10月 - [[日経平均株価]](日経225)構成銘柄に採用される。
* [[2005年]]10月 - コナミロジスティクス&サービス株式会社(現・コナミマニュファクチャリング&サービス株式会社)を設立。
* [[2006年]]
** 2月 - 株式会社[[インターネットイニシアティブ]]との合弁会社、株式会社[[インターネットレボリューション]]を設立。
** 3月 - リゾートソリューション株式会社(現・[[リソルホールディングス]]株式会社)に資本参加([[持分法適用会社]])するとともに、業務提携契約を締結。
** 3月 - コナミ株式会社のデジタルエンタテインメント事業を、株式会社[[コナミデジタルエンタテインメント]]として会社分割し、コナミ株式会社は[[持株会社|純粋持株会社]]へ移行。
** 5月 - フィットネス機器メーカーである[[コンビ (企業)|コンビ]]ウェルネス株式会社の全株式を取得し子会社とする。
** 8月 - [[パチスロ]]機器市場へ参入。
* [[2007年]]4月 - 東京都港区の[[東京ミッドタウン]]に本社を移転。
* [[2010年]]
** 3月 - アミューズメント施設向け電子マネー『PASELI(パセリ)』サービスを開始。
** 7月 - アンテナショップ [[コナミスタイル]]オープン。
** 9月 - モバイルゲームの配信を拡大。
* [[2011年]]
** 1月 - [[株式交換]]によりアビリット株式会社(現・株式会社[[コナミアミューズメント]])を完全子会社化。
** 3月 - 株式会社[[デジタルゴルフ]]を[[簡易株式交換]]により完全子会社化。
* [[2012年]]
** 2月 - KPE・高砂販売株式会社を設立。
** 3月 - 株式会社[[コナミデジタルエンタテインメント]]が株式会社ハドソンを吸収合併。
** 6月 - [[コナミスポーツ (企業)|コナミスポーツ&ライフ]]がコンビウェルネスを吸収合併。
** 6月 - コナミ株式会社代表取締役社長に上月拓也が就任。
** 8月 - シンガポールに現地法人Konami Digital Entertainment Pte. Ltd.を設立。
* [[2013年]]
** 4月 - 欧州の本社機能を英国・[[ウィンザー (イングランド)|ウィンザー]]に集約(Konami Digital Entertainment B.V.)。
** 6月 - 東京都中央区に「コナミクリエイティブセンター銀座」用地を取得。
** 9月 - 米国に「ロサンゼルススタジオ」([[小島プロダクション]])を設立。
** 10月 - 米国[[ネバダ州]][[ラスベガス]]で[[カジノ]]事業・第2工場の起工式を実施。
* [[2014年]]
** 6月 - 高砂電器産業株式会社がぱちんこ機を販売開始。
* [[2015年]]10月1日 - コナミ株式会社から'''コナミホールディングス株式会社'''に商号変更。
* [[2016年]]10月1日 - グループ会社の事業再編を実施し、株式会社[[コナミアミューズメント]]が発足。
* [[2018年]]1月 - タイ王国に現地法人 Konami Amusement (Thailand) Co., Ltd.を設立。
* [[2019年]]
** 3月 - 株式会社コナミスポーツクラブからコナミスポーツ株式会社に商号変更。
** 12月 - 東京都中央区の「コナミクリエイティブセンター銀座」にて業務開始。
* [[2020年]]
** 1月 - 「コナミクリエイティブセンター銀座」に開設したesports 銀座 studioがeスポーツ施設として稼働を開始。
** 4月 - コナミホールディングス株式会社 代表取締役社長に東尾公彦が就任。
** 6月 - 東京都中央区銀座に本店を移転。
* [[2021年]]6月 - 監査役会設置会社から監査等委員会設置会社に移行。
* [[2022年]]
** 4月 - 東京証券取引所の市場区分の見直しにより、東証第一部からプライム市場に移行。
** 7月1日 - コナミホールディングス株式会社から'''コナミグループ株式会社'''に商号変更<ref name="KONAMIGROUP">[https://img.konami.com/news/ja/release/2022/ja0421_fe8hym.pdf 商号の変更に関するお知らせ] - コナミホールディングス 2022年4月21日</ref>。
== 事業領域・事業会社 ==
;デジタルエンタテインメント事業
* 株式会社[[コナミデジタルエンタテインメント]]
: モバイルゲーム、家庭用ゲーム、カードゲーム、音楽・映像ソフト、グッズ等の企画、制作、製造及び販売。
; アミューズメント事業
* 株式会社[[コナミアミューズメント]]
: アミューズメントマシンの制作・製造・販売。
; 健康サービス事業
* [[コナミスポーツ (企業)|コナミスポーツ]]株式会社
: フィットネス、スイミング・体操・ダンス・サッカー・テニス・ゴルフなどのスクール運営、およびスポーツ関連商品の開発・製造・販売。
; カジノ事業
* Konami Gaming, Inc
: ゲーミング機器の開発・製造・販売。
※その他グループ会社、関連会社、かつて存在した企業は「[[コナミの関連企業]]」を参照。
== 主な事業所 ==
* 本店(コナミクリエイティブセンター銀座):[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]1丁目11番1号
* 本社事務所:[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[晴海 (東京都中央区)|晴海]]1丁目8番11号([[晴海アイランドトリトンスクエア]] オフィスタワーY棟 39階)
* 東京テクニカルセンター:神奈川県座間市東原5丁目1番1号
* 一宮事業所:愛知県一宮市高田字池尻1番地
* 神戸テクニカルセンター:[[兵庫県]][[神戸市]][[西区 (神戸市)|西区]]高塚台6丁目3番地
* 大阪スタジオ:[[大阪府]][[大阪市]][[北区 (大阪市)|北区]][[梅田]]2丁目5番25号
* 那須研修所:[[栃木県]][[那須郡]][[那須町]]大字高久乙3376
== 主なゲーム・玩具・アニメ ==
[[コナミデジタルエンタテインメント発売の製品一覧|デジタルエンタテインメント商品一覧]]・[[アーケードゲームのタイトル一覧 (コナミ)|アーケードゲーム一覧]]・[[:Category:コナミのメダルゲーム|メダルゲーム一覧]]を参照。
== グループブランドロゴ ==
1981年3月にKONAMIのロゴマーク(青のロゴタイプ)を制定<ref name="沿革">[https://www.konami.com/corporate/ja/history/ "会社沿革 | コナミグループ株式会社"]</ref>。1986年8月のCI導入時に、オレンジとレッドの曲線の帯を斜めに並べたシンボルマークとグレーのロゴタイプを組み合わせたものに変更された。このシンボルマークは若さ・知性・感性・創造・テクノロジーおよび人と企業の躍動を象徴したものとしている<ref>{{Cite news|和書|title=CIに基づくパターン発表 コナミ(東京・大阪)も移転|url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19861001p.pdf|newspaper=ゲームマシン|issue=293|agency=[[アミューズメント通信社]]|date=1986-10-01|page=2}}</ref>。
創立30周年の2003年にロゴデザインを一新し、赤を基調にしたロゴタイプとなった。
この赤は「コナミレッド」と命名され、安定性を持ちつつ独創性・革新性を強くアピールする色として、コナミグループのコーポレートカラーとなっている<ref>{{Wayback|url=http://www.konami.co.jp/press/2003/02/006/r.15.02.25.html|title=コナミ、創立30周年を機に新ブランドロゴマークを導入|date=20030226144108}}</ref>。また、用途によって「コナミレッド背景に白色のロゴ」「白色背景にコナミレッドのロゴ」を使い分けている。
<gallery caption="ロゴの歴史">
File:Konami-1981.svg|1981年3月
File:Konami_2nd_logo.png|1986年8月
File:Konami 3rd logo.png|1998年10月
File:KONAMI_LOGO_RED.png|2003年4月(コナミレッド背景)
File:Konami 4th logo 1.svg|2003年4月(白色背景)
</gallery>
== コナミの知的財産戦略 ==
コナミにおける[[著作権]]・[[特許権]]・[[商標権]]などの[[知的財産権]]の取得と行使は排他性が高く、[[著作権法]]・[[特許法]]違反に該当すると判断した事案に対しては厳しい姿勢で臨んでいる。
;知的財産の占有と自主管理
コナミの著作物に付随する権利は基本的に法務部により自主管理されており、一部の音楽ソフトを除いて[[日本音楽著作権協会|JASRAC]]などの管理団体には委託していない。
[[1999年]]には[[野球ゲーム]]で[[プロ野球選手]]・球団名の実名を使用する権利を[[日本野球機構]]との契約により独占し、他社の野球ゲーム発売に際し、コナミを介しての[[サブライセンス]]供与を渋ったとして後に[[私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律|独占禁止法]]違反で[[公正取引委員会]]から警告を受けている<ref>[https://web.archive.org/web/20030806171123/http://www.jftc.go.jp/pressrelease/03.april/03042202.pdf コナミ株式会社に対する警告等について] - 公正取引委員会 2003年4月22日(2003年8月6日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>([[次の瞬間、熱くなれ。THE BASEBALL#『劇空間プロ野球』時代|DRAMATIC BASEBALL]]を参照)。
1999年頃から2000年にかけて知的財産の保護等を目的に自社製品名の商標登録に合わせて'''他社製品・名称等を登録する動きがあった'''<ref group="注">具体的には集英社の「ジャンプ」や小学館の「コロコロコミック」などの名称の前に『デジタル』を入れて登録していた。また、90年代後半から知名度が上がっていたゲームの表現方法の一つである[[ビジュアルノベル]]も商標出願したために、問題が一般ゲームユーザーだけでなくPCゲームユーザーにまで波及している。</ref>。違法ではないものの同業他社や出版社が発行する著名な雑誌名にまでコナミが商標登録を行った動きに対してユーザーや関係者から批判が起こり、一部ではコナミ製品への不買にまで発展<ref group="注">ボイコットコナミというサイトがコナミの一連の行動に対して批判・拡散させ、一部では署名まで実施されている。</ref>。中には特許庁に商標登録しないよう働きかける運動も行われ<ref>サイゾー紙2000年3月号等に掲載</ref>、最終的に特許の取り下げ・拒絶査定によりコナミが申請を行った他社製品等の名称は商標登録されない結果になっている<ref group="注">当時、サイレントヒルをノベル形式にして発売しようとした際に登録させようとしたビジュアルノベルも、最終的には登録拒絶されている。仮に登録となったとしても、ユーザー側は[[Leaf]]に占有権がある旨の主張を行い拒絶させる方向であった。</ref>。
[[2010年]]冬の[[コミックマーケット]]で[[同人サークル]]『[[Diverse System]]』が発行する予定だったCD『Dear,Mr.wac』『D16』に対し[[著作権侵害]]として販売差し止めを行った。それ以来[[BEMANI]]関連の同人CDが激減している<ref>[https://togetter.com/li/83889 Diverse System C79新譜頒布中止→オリジナルCD作成まとめ] Togetter</ref>。
;法人に対する主な訴訟
* [[1996年]]11月27日 - [[ときめきメモリアル]]の改変セーブデータを販売していた[[ゲームテック|スペックコンピュータ]]に対し、著作物の同一性保持権を侵害しているとして提訴。
** [[2001年]]2月13日 - [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]は上告を棄却し、コナミ側の勝訴が確定した。詳細は[[ときめきメモリアルメモリーカード事件]]を参照。
* [[1999年]]6月7日 - [[ジャレコ]]の[[VJ (アーケードゲーム)|VJ]]などが[[BEMANIシリーズ]]の特許権を侵害しているとして提訴した。
** [[2000年]]7月3日 - コナミと[[バンダイナムコエンターテインメント|ナムコ(当時、現バンダイナムコエンターテインメント)]]が和解、[[2000年]]12月18日にはコナミと[[ジャレコ]]が和解した。
* [[2005年]]8月25日 - Neople([[大韓民国|韓国]])が開発、Hanbit Soft([[大韓民国|韓国]])が運営のオンライン野球ゲーム「新野球」が、[[実況パワフルプロ野球]]の[[著作権]]を侵害しているとして提訴した。
** [[2006年]]7月20日 - [[ソウル中央地方裁判所]]はコナミ側敗訴の判決を下した。
* [[2023年]][[3月31日]] - [[Cygames]]の[[ウマ娘 プリティーダービー]]がコナミが保有する特許侵害したことを理由に賠償金40億とウマ娘のゲーム差止を求め提訴。5月17日に公式報道<ref name="uma">{{Cite web|和書|url=https://automaton-media.com/articles/newsjp/20230517-247735/|title=コナミ、『ウマ娘』をめぐってCygamesを訴訟。特許侵害としてゲーム差し止めと40億円などを請求|accessdate=2023-08-29}}</ref>。
== スポンサー活動 ==
* [[日本オリンピック委員会]] - オフィシャルパートナー
* [[日本野球機構]](子会社の[[コナミデジタルエンタテインメント]]がNPBパートナーとして協賛)
** [[日本選手権シリーズ]] - 2011年から2013年までの間、冠スポンサー「KONAMI日本シリーズ」として協賛(ただし、NPBパートナーである子会社ではなく、コナミ本社・およびグループ全体での特別協賛)
** [[アジアシリーズ]] - 2005年から2007年まで「KONAMI CUPアジアシリーズ」として協賛
* [[読売ジャイアンツ]] - 1997年から2001年まで[[読売ジャイアンツ (ファーム)|ファーム]]のユニフォーム袖スポンサー
* [[野球日本代表]] - 2013年から協賛
* [[2013 ワールド・ベースボール・クラシック]] - グローバルパートナー
* [[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]] - 2002年からオフィシャルスポンサー→トップパートナー
* [[東京ヴェルディ1969]] - 1996年-2002年までスポンサー
* [[サッカー日本代表]] - 2013年からサポーティングカンパニー
* [[日本女子サッカーリーグ|なでしこリーグ]] - 2012年-2013年までオフィシャルスポンサー
* [[棋王戦 (将棋)]] - 2021年(第47期)は特別協力、2022年(第48期)より冠スポンサー「棋王戦コナミグループ杯」として特別協賛
== 主な提供番組 ==
{{節スタブ}}
; 現在
* [[遊☆戯☆王ゴーラッシュ!!]]([[テレビ東京]])
; 過去
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{{col-2}}
* [[遊☆戯☆王|遊☆戯☆王シリーズ]](テレビ東京)
** [[遊☆戯☆王デュエルモンスターズ]]
** [[遊☆戯☆王デュエルモンスターズGX]]
** [[遊☆戯☆王5D's]]
** [[遊☆戯☆王ZEXAL]]
** [[遊☆戯☆王ARC-V]]
** [[遊☆戯☆王VRAINS]]
** [[遊☆戯☆王SEVENS]]
** [[遊戯王デュエルモンスターズ|遊戯王デュエルモンスターズ20thリマスター]]
* [[モンスター烈伝 オレカバトル|オレカバトル]]&[[ドラゴンコレクション]](テレビ東京)
* [[おはコロシアム]](テレビ東京)
* [[ラブひな]](テレビ東京)
* [[コロッケ!]](テレビ東京)
* [[ギャグコロスタジオ]](テレビ東京)
* [[MÄR|MÄR-メルヘヴン-]](テレビ東京)
* [[ハヤテのごとく! (アニメ)|ハヤテのごとく!]](テレビ東京)
* [[絶対可憐チルドレン (アニメ)|絶対可憐チルドレン]](テレビ東京)
* [[DEAR BOYS]](テレビ東京)
* [[ボンバーマンジェッターズ]](テレビ東京)
* [[テニスの王子様 (アニメ)|テニスの王子様]](テレビ東京)
* [[ヒカルの碁 (アニメ)|ヒカルの碁]](テレビ東京)
* [[アイシールド21]](テレビ東京)
* [[仰天人間バトシーラー]](テレビ東京)
* [[超GALS!寿蘭]](テレビ東京)
* [[キャプテン翼]](テレビ東京、平成版のみ)
* [[わがまま☆フェアリー ミルモでポン!]](テレビ東京)
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* [[おとぎ銃士 赤ずきん]](テレビ東京)
* [[BLUE DRAGON (アニメ)|BLUE DRAGON]](テレビ東京)
* [[Get Ride! アムドライバー]](テレビ東京)
* [[魔法先生ネギま! (アニメ)|魔法先生ネギま!]](テレビ東京)
* [[ネギま!?]](テレビ東京)
* [[極上生徒会]](テレビ東京)
* [[きらりん☆レボリューション]](テレビ東京)
{{col-2}}
* [[ときめきメモリアル Only Love]](テレビ東京)
* [[天元突破グレンラガン]](テレビ東京)
* [[極上!!めちゃモテ委員長]](テレビ東京)
* [[FAIRY TAIL]](テレビ東京)
* [[おはスタ]](テレビ東京)
* [[ダイヤのA|ダイヤのA actⅡ]](テレビ東京)
* [[特命リサーチ200X]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* [[8時だヨ!全員集合]] ([[TBSテレビ|TBS]]) ※1985年頃。コントで「[[ハイパーオリンピック]]殿様バージョン」が生まれるきっかけにもなった。
* [[加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ]](TBS)
* [[アニメがんばれゴエモン]](TBS)
* [[RAVE (漫画)|RAVE]](TBS)
* [[GetBackers-奪還屋-]](TBS)
* [[探偵学園Q]](TBS)
* [[アニメサタデー630]]・[[100%パスカル先生]]&[[プリプリちぃちゃん!!]]([[MBSテレビ|MBS]]制作・TBS系列全国ネット)
* [[ニセコイ]](MBSテレビ他)
* [[情熱大陸]]([[MBSテレビ|MBS]]制作・TBS系列全国ネット)(2022年4月〜9月)
* [[ツヨシしっかりしなさい]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
* [[ちびまる子ちゃん]](フジテレビ)
* [[花さか天使テンテンくん]](フジテレビ)
* [[HUNTER×HUNTER]](フジテレビ)
* [[とんねるずのみなさんのおかげでした]](フジテレビ)
* [[鬼滅の刃 刀鍛冶の里編]]([[フジテレビ]]系列全国ネット)※第9話より
* [[やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜]]([[テレビ朝日]])
* [[ワールドプロレスリング]](テレビ朝日)
* [[ボボボーボ・ボーボボ]](テレビ朝日)
* [[夢色パティシエール]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作・日本テレビ系列全国ネット)
* [[べるぜバブ]](読売テレビ制作・日本テレビ系列全国ネット)
* [[プロ野球No.1決定戦!バトルスタジアム]](読売テレビ制作・日本テレビ系列全国ネット、2019年度・2020年放送)
* [[シャインポスト]]([[日本テレビ]])※一社提供、10話まで。
* [[ぬらりひょんの孫]]([[東京メトロポリタンテレビジョン|東京MXテレビ]]他)
* [[CLUB db]]([[文化放送]])
{{col-end}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
;注釈
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;出典
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== 関連項目 ==
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* [[SCC]]
* [[Virtual Rom Controller|VRC]]
* [[コナミコマンド]]
* [[コナミ矩形波倶楽部]]
* [[e-AMUSEMENT]]
* [[コナミスタイル]]
* [[コナミレーベル]]
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* {{仮リンク|Ultra Games|en|Ultra Games}} - [[Snake's Revenge]]を参照のこと
== 外部リンク ==
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* {{Mediaarts-db}}
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[[Category:コナミグループ|*]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%8A%E3%83%9F%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97 |
1,303 | 幸村誠 | 幸村 誠(ゆきむら まこと、1976年5月8日 - )は、日本の漫画家。神奈川県横浜市出身。多摩美術大学美術学部中退。血液型B型。既婚、三児の父。
1999年に『モーニング』(講談社)にて発表した『プラネテス』でデビュー。『月刊アフタヌーン』(同)において『ヴィンランド・サガ』を連載中(2019年12月現在)。
大学中退後、守村大のアシスタントを経て、1999年『モーニング』にてスペースデブリの掃除屋を描いたSF漫画『プラネテス』でデビュー。『プラネテス』は同誌で不定期連載となり、2002年に星雲賞コミック部門を受賞した。また2003年にはNHK BS2でアニメ化もされ、2005年に星雲賞メディア部門を受賞した(全26話)。
2004年4月13日号の『イブニング』に、新選組の沖田総司の晩年を描いた読み切り作品「さようならが近いので」を掲載。
2005年4月から北欧のヴァイキング(Viking)を描いた歴史漫画『ヴィンランド・サガ』を連載中。当初は『週刊少年マガジン』にて毎号連載だったのだが、幸村の遅筆が原因で休載がしばしばあり10月で連載を中断。同年12月より『月刊アフタヌーン』に移り連載を再開した。
2009年に第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞(受賞作は『ヴィンランド・サガ』)。
2012年に第35回講談社漫画賞一般部門を受賞(受賞作は同上)。
2013年には『プラネテス』の作者として、日本宇宙フォーラム主催の「第2回 人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム」にて特別講演した。
ステッドラー製の三角定規を愛用。
また、『もやしもん』の石川雅之と親交があり、2007年には京都精華大学にて対談形式の講演会もおこなっている。
2011年には安彦良和『愛蔵版 機動戦士ガンダム THE ORIGIN』第8巻(VIII オデッサ編)の巻末に寄稿し、また『ガンダムエース』2012年1月号にてガンダム4コマを4本描いている。
2006年11月下旬、「ヴィンランド・サガ」の連載を聞きつけたノルウェーの新聞「アフテンポステン」紙の記者・ビョルケングと、スウェーデンのコミック協会会長・ストロンバーグの訪問取材を仕事場で受けている。両名は本物のヴァイキングの末裔で、資料として仕事場に置いてあったヴァイキングの斧と盾で幸村とチャンバラを演じた。取材の様子は、『月刊アフタヌーン』2007年2月号に掲載された。また、ストロンバーグのブログにも掲載されている。 | [
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] | 幸村 誠は、日本の漫画家。神奈川県横浜市出身。多摩美術大学美術学部中退。血液型B型。既婚、三児の父。 1999年に『モーニング』(講談社)にて発表した『プラネテス』でデビュー。『月刊アフタヌーン』(同)において『ヴィンランド・サガ』を連載中(2019年12月現在)。 | {{存命人物の出典明記|date=2016年10月}}
{{Infobox 漫画家
| 名前 = 幸村 誠
| 画像 = TT061130A Makoto Yukimura.jpg
| 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px -->
| 脚注 = 幸村誠、2006年
| 本名 = <!-- 必ず出典を付ける -->
| 生年 = {{生年月日と年齢|1976|5|8}}
| 生地 = {{JPN}}・[[神奈川県]][[横浜市]]
| 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} -->
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| 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 -->
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| 受賞 =
* 第33回[[星雲賞]]コミック部門(『プラネテス』)
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| サイン = <!-- 画像ファイル名 -->
| 公式サイト = <!-- {{Official website|https://www.example.org}}や[https://www.example.org/ 公式ページ名] など -->
}}
'''幸村 誠'''(ゆきむら まこと、[[1976年]][[5月8日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[神奈川県]][[横浜市]]出身。[[多摩美術大学]]美術学部中退。[[血液型]]B型。既婚、三児の父。
[[1999年]]に『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』([[講談社]])にて発表した『[[プラネテス]]』でデビュー。『[[月刊アフタヌーン]]』(同)において『[[ヴィンランド・サガ]]』を連載中(2019年12月現在)。
== 来歴 ==
大学中退後、[[守村大]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を経て、[[1999年]]『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』にて[[スペースデブリ]]の掃除屋を描いたSF漫画『[[プラネテス]]』でデビュー。『プラネテス』は同誌で不定期連載となり、2002年に[[星雲賞]]コミック部門を受賞した。また2003年には[[日本放送協会|NHK]] [[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]]で[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]化もされ、2005年に星雲賞メディア部門を受賞した(全26話)。
[[2004年]]4月13日号の『[[イブニング]]』に、[[新選組]]の[[沖田総司]]の晩年を描いた読み切り作品「さようならが近いので」を掲載。
[[2005年]]4月から[[北ヨーロッパ|北欧]]の[[ヴァイキング]](Viking)を描いた歴史漫画『[[ヴィンランド・サガ]]』を連載中。当初は『[[週刊少年マガジン]]』にて毎号連載だったのだが、幸村の遅筆が原因で休載がしばしばあり10月で連載を中断。同年12月より『[[月刊アフタヌーン]]』に移り連載を再開した。
2009年に第13回[[文化庁メディア芸術祭マンガ部門]]大賞を受賞(受賞作は『ヴィンランド・サガ』)。
2012年に第35回[[講談社漫画賞]]一般部門を受賞(受賞作は同上)。
2013年には『プラネテス』の作者として、日本宇宙フォーラム主催の「第2回 人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム」にて特別講演した<ref>[http://www.jsforum.or.jp/info/2013/2-2.html 日本宇宙フォーラム | お知らせ 2013.03.13 「人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム」を開催しました]</ref><ref>[https://togetter.com/li/463812 第2回 人類の持続的宇宙開発利用のための国際シンポジウム:幸村誠氏講演 - Togetter]</ref>。
=== 人物 ===
[[ステッドラー]]製の三角定規を愛用。
また、『[[もやしもん]]』の[[石川雅之]]と親交があり<ref>[http://mmmasayuki.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_2e63.html ねりまくみんだもの: 日記]</ref><ref>[http://mmmasayuki.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-a4ec.html 幸村誠さんが遊びに来ます: 日記]</ref>、2007年には京都精華大学にて対談形式の講演会もおこなっている<ref>[http://www.kyoto-seika.ac.jp/assembly/2007/1018.html 対談 石川雅之(マンガ家)×幸村誠(マンガ家)「〈描くこと〉が世界を創る」:アセンブリーアワー講演会]</ref>。
== 作品リスト ==
=== 漫画 ===
* 『[[プラネテス]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/101754/|title=プラネテス : 作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-10-04}}</ref> - 『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』(1999年 - 2004年、全4巻)
* 「宇宙葬」 - 『[[Quick Japan]]』Vol.41(2002年2月)pp.4-5,78-80(冒頭2pカラー) {{ISBN2|978-4-87-233652-8}}
** のちに『プラネテス公式ガイドブック 2075年宇宙への挑戦』({{ISBN2|978-4-06-334845-3}})へ収録。
* 「さようならが近いので」 - 『[[イブニング]]』(2004年8号)
** のちに『ヴィンランド・サガ』23巻({{ISBN2|978-4-06-517507-1}})へ収録。
* 『[[ヴィンランド・サガ]]』 - 『[[週刊少年マガジン]]』(2005年4月 - 10月)→『月刊アフタヌーン』(2005年12月 - '''連載中'''、既刊27巻)
* 「イノシシの牙 〜イソップ童話より〜」 - 『We are 宇宙兄弟』Vol.02(2011年3月)pp.17-20(フルカラー) {{ISBN2|978-4-06-389539-1}} <ref>[http://morningmanga.com/WeareUchuKyodai/vol02/ We are 宇宙兄弟 Vol.02 | 小山宙哉「宇宙兄弟」ムック特設サイト]</ref>
=== イラスト ===
* 『[[S-Fマガジン|SFマガジン]]』2002年2月号表紙画(創刊550号記念特大号)
*[[小川一水]]『[[第六大陸]]』カバー画([[ハヤカワ文庫|ハヤカワ文庫SF]]、全2巻、2003年)
=== その他 ===
2011年には[[安彦良和]]『愛蔵版 [[機動戦士ガンダム THE ORIGIN]]』第8巻(VIII オデッサ編)の巻末に寄稿し<ref>[https://natalie.mu/comic/news/55475 愛蔵版「ガンダム THE ORIGIN」8巻は、幸村誠が特別寄稿 - コミックナタリー]</ref>、また『[[ガンダムエース]]』2012年1月号にてガンダム4コマを4本描いている<ref>[https://natalie.mu/comic/news/60244 幸村誠のガンダム4コマ&安彦のORIGIN外伝ダムエーに掲載 - コミックナタリー]</ref>。
== インタビュー・対談記事 ==
=== 雑誌 ===
* 『[[Quick Japan]]』Vol.41(2002年2月)特集「SFマンガ新時代宣言」pp.4-5,54-80(うちインタビュー部分はpp.56-59) {{ISBN2|978-4-87-233652-8}}
* 『[[コミッカーズ]]』2003年冬号「Space SF対談 幸村誠×[[太田垣康男]]」
=== Web ===
*[https://web.archive.org/web/20121128092457/http://www.manga-g.co.jp/interview/int02-09.htm 漫画家リレー訪問記 2002年9月号/幸村誠先生:日本漫画学院Web](Internet Archive)<ref>「漫画家リレー訪問記」は日本漫画学院発行『漫画新聞』と連動した連載企画。</ref>
* [https://web.archive.org/web/20090907103652/http://manganohi.com/interview/9/4972.html まんがのチカラ『幸村誠先生』 その1 (2008年01月07日) | まんが☆天国](Internet Archive)<ref>「まんが☆天国」は「まんがの日」委員会(講談社、集英社、小学館、白泉社)が運営していた漫画情報サイト。</ref>
* [https://web.archive.org/web/20090412035023/http://manganohi.com/interview/9/4973.html まんがのチカラ『幸村誠先生』 その2 (2008年01月14日) | まんが☆天国](Internet Archive)
* [https://web.archive.org/web/20090412035101/http://manganohi.com/interview/9/4974.html まんがのチカラ『幸村誠先生』 その3 (2008年01月21日) | まんが☆天国](Internet Archive)
* [http://teknatokyo.com/archives/document/%E5%B9%B8%E6%9D%91%E8%AA%A0%EF%BC%88%E6%BC%AB%E7%94%BB%E5%AE%B6%EF%BC%89%C3%97%E5%B9%B3%E6%9C%AC%E6%AD%A3%E5%AE%8F%E3%80%80%E5%AF%BE%E8%AB%87-%E3%80%8E2001%E5%B9%B4%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AE 幸村誠(漫画家)×平本正宏 対談 『2001年宇宙の旅』から12年経って | TeknaTokyo](2013年12月10日付)<ref>「Tekna TOKYO」は平本正宏氏の音楽レーベルウェブサイト。</ref>
* [http://kenbunden.net/general/archives/4634 【SF企画】幸村誠先生取材(漫画家) | KENBUNDEN – 見たい、聞きたい、伝えたい](2014年4月28日付) <ref>「KENBUNDEN」は学生団体・東京大学見聞伝ゼミナールのウェブサイト。</ref>
* [https://manba.co.jp/manba_magazines/20424 金井暁×吉川きっちょむのマンガ語りvol.1 イベントレポート【前編】 | マンバ](2022年12月14日付)<ref name="名前なし-20230316121552">トークイベントへのゲスト出演。</ref>
* [https://manba.co.jp/manba_magazines/20440 金井暁×吉川きっちょむのマンガ語りvol.1 イベントレポート【後編】 | マンバ](2022年12月21日付)<ref name="名前なし-20230316121552"/>
== 北欧紙による取材 ==
2006年11月下旬、「ヴィンランド・サガ」の連載を聞きつけた[[ノルウェー]]の新聞「アフテンポステン」紙の記者・ビョルケングと、[[スウェーデン]]のコミック協会会長・ストロンバーグの訪問取材を仕事場で受けている。両名は本物のヴァイキングの末裔で、資料として仕事場に置いてあったヴァイキングの斧と盾で幸村とチャンバラを演じた。取材の様子は、『月刊アフタヌーン』2007年2月号に掲載された。また、ストロンバーグのブログにも掲載されている<ref>{{cite web|url=http://gammalt.sekventiellt.se/blog.php?sid=91&mid=6|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100822103624/http://gammalt.sekventiellt.se/blog.php?sid=91&mid=6|accessdate=2015-03-03|title= Tokyo Tour - Afternoon|date=2006-12-20|author= Fredrik Strömberg|archivedate=2010-08-22}}</ref>。
== 脚注 ==
<references />
== 外部リンク ==
* [http://www.planet-es.net/ PLANETES Web - プラネテス公式ホームページ -]
* {{Twitter|makotoyukimura}}
* {{Cite journal|和書|url=https://doi.org/10.14992/00016465 |author=幸村誠 |title=漫画でつなぐ、中世北欧と現代日本 |journal=史苑 |ISSN=03869318 |publisher=立教大学 |year=2018 |volume=78 |issue=2 |pages=43-62 |doi=10.14992/00016465 |naid=120006485543}}
{{Normdaten}}
{{Manga-artist-stub}}
{{DEFAULTSORT:ゆきむら まこと}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:SF漫画家]]
[[Category:横浜市出身の人物]]
[[Category:1976年生]]
[[Category:存命人物]] | 2003-02-13T11:49:51Z | 2023-11-21T15:09:27Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E6%9D%91%E8%AA%A0 |
1,304 | 是枝裕和 |
是枝 裕和(これえだ ひろかず、1962年6月6日 - )は、日本の映画監督、脚本家、ドキュメンタリーディレクター、映画プロデューサー。東京都練馬区出身。東京都立武蔵高等学校、早稲田大学第一文学部文芸学科卒業。早稲田大学基幹理工学部表現工学科教授、立命館大学産業社会学部客員教授。
ドキュメンタリー出身の映画監督として知られ、国内外で高い評価を受ける日本人監督の一人である。
東京都練馬区に生まれ、9歳から清瀬市の清瀬旭が丘団地で過ごす。のちに旭が丘団地は『海よりもまだ深く』の主人公の実家として撮影場所にも使われた。鹿児島県生まれで奄美大島に渡った曽祖父、奄美生まれで台湾に渡った祖父、台湾生まれでシベリア抑留を経験した父という家系に生まれた。
母親が映画好きだったため、幼いころから池袋の映画館でさまざまな映画を鑑賞。TV作品ではウルトラマンやウルトラセブンに描かれた怪獣や宇宙人に差別や戦争のメタファーを託した名作たちに影響を受け、萩原健一のファンでもあり、萩原主演の『前略おふくろ様』や『傷だらけの天使』に一番大きな影響を受けたと語り、アルフレッド・ヒッチコックの『鳥』にも衝撃を受け、『鳥』をみた翌日に道で鳥を見かけ怖いと感じるほど衝撃を受けた。1972年ミュンヘンオリンピックの男子バレーボールの金メダル獲得に感動し、中学・高校とバレーボールに没頭し部活では部長を務めていた。物書きになろうと、早稲田大学第一文学部文芸学科に進学するが、大学に入学してすぐにフェデリコ・フェリーニの映画を観て衝撃を受け、大学よりも映画館に足を運ぶ日々が続く。特に早稲田の近くにあったACTミニ・シアターは年会費1万円でフリーパスで映画が観られたため毎日通っていた。シナリオ文学にも熱中し、ビルの警備や福武書店のバイトを掛け持ちでやりながら、バイト代は倉本聰、向田邦子、山田太一、市川森一のシナリオ集を揃えるのに当てていた。大学では岩本憲児に師事し、卒論は創作脚本を書いた。
将来的に監督業を目指すことも視野に入れながら1987年に番組制作会社テレビマンユニオンへ入社。(2013年の重松清によるインタビューで是枝はテレビマンユニオン創設メンバーの今野勉、萩本晴彦、村木良彦の名を挙げてテレビ特有の作家性に閉じないライブ感を3人から教わったと述べていて、テレビマンユニオンへの参加10年が経過した1997年に新人採用試験の委員長を務めた際には、「今野勉、萩本晴彦、村木良彦にインタビューしてください」という課題を出した。)
『遠くへ行きたい』、『アメリカ横断ウルトラクイズ』や『日立 世界・ふしぎ発見!』等のテレビ番組のADとして毎日怒られる生活を続けながら、企画を考え一人で作れるものを模索した結果、90年代、フジテレビの『NONFIX』でドキュメンタリー番組を多く手掛けるようになる。
ドキュメンタリー1作目となった『しかし... 福祉切り捨ての時代に』では、生活保護を打ち切られた難病の女性の自死と福祉に尽力しながらも水俣病和解訴訟の国責との板挟みで追い込まれた厚生官僚の山内豊徳の自死、別々に起きた2人の死の背景にある福祉の問題を追い、ギャラクシー賞優秀作品賞を受賞。すぐに次の番組作りの声がかかると、是枝が3年前から密かに一人でホームビデオ片手に密着を続けていた長野県の小学校のドキュメンタリー『もう一つの教育〜伊那小学校春組の記録〜』の放送が決まる。この作品は教科書を使わない総合学習に取り組む小学校の子供たちが仔牛の飼育をする3年間の成長記録でATP賞優秀賞を受賞。映画監督となった後も、これらドキュメンタリー制作の経験によって、映画でも一般の人たちの暮らしに寄り添うものを作りたいと考えるようになる。
テレビマンユニオン在籍中の1995年に『幻の光』で映画監督デビューすると、第52回ヴェネチア映画祭で金のオゼッラ賞を受賞。続く2作目の『ワンダフルライフ』ではナント三大陸映画祭でグランプリを受賞、世界30ヶ国、全米200館で上映されインディペンデント映画ながら国際的にも異例のヒットとなった。相米慎二とタッグを組んでいた安田匡裕が『ワンダフルライフ』からプロデューサーとなり、亡くなる2009年まで是枝作品をサポートし続けた。
2001年、『DISTANCE』でカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に初出品。2004年、『誰も知らない』で柳楽優弥が第57回カンヌ国際映画祭において史上最年少・日本人初にして最優秀男優賞を受賞すると日本国内でも大きなニュースとなる。この作品は巣鴨子供置き去り事件を題材に是枝が20代の頃から脚本を書き15年かけて映画化に至った作品で数々の作品賞も受賞。まだネグレクトという言葉が知られていない時代に育児放棄された子どもたちが生きる姿を映し世間に衝撃を与えた。
2008年、『歩いても 歩いても』では亡くなった自身の母を反映させた普通の家族のとある日常を描き出すが、海外のエージェントには「ローカル過ぎて理解されないだろう」と言われてしまう。さらに30館スタートの小規模上映のうえに、配給会社のシネカノンが倒産してしまい収益も回収ゼロに見舞われるが、公開された各国で「あれは自分の母親だ」と評され、国境を越えて多くの映画ファンから高い支持を受ける作品となった。
オリジナル作品を作り続けてきたが、業田良家の漫画『ゴーダ哲学堂 空気人形』を見て、主人公の空気人形に吹き込まれる「息」をメタファーにした官能的な世界を描き出したいと映画化を熱望し、2009年に『空気人形』を制作。初めて原作漫画を映画化しファンタジーに挑戦した。釜山国際映画祭でポン・ジュノ監督に会った際に、韓国女優のペ・ドゥナの起用を相談し助言を受け、実際に主人公の空気人形役にペ・ドゥナを起用した。
2010年4月にBPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員に就任。同期の委員として重松清、立花隆、香山リカがいた。
2013年には『そして父になる』では新生児取り違え問題を題材に家族の在り方を描き、第66回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。その功績により2013年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。
2011年、過去の是枝作品のスタッフでもあった映画監督の西川美和、砂田麻美らと共にオリジナル作品の企画制作を行う制作者集団「分福」を立ち上げ、テレビマンユニオンから独立後、2014年に株式会社化。テレビマンユニオンの創設者の一人である村木良彦がかつて述べた「組織が創造するのではなく創造が中心にあり、そこに人が集まり組織になる」という考えが受け継がれている。監督と対等な立場で意見を出し合う監督助手というポジションを設け、若手監督の育成も行っている。
2018年には、高齢者所在不明問題や万引きで生計を立てる家族など、実際に日本で起きた事件から着想を得て『万引き家族』を制作。この作品で第71回カンヌ国際映画祭で最高賞となるパルム・ドールを受賞した。日本人監督としては、『地獄門』の衣笠貞之助、『影武者』の黒澤明、『楢山節考』と『うなぎ』の今村昌平に続き、史上4人目、21年ぶりの受賞となった。パルムドール受賞により国内でも興行収入46億を超える大ヒットを記録し、アカデミー賞でも日本映画としては2008年の『おくりびと』以来となるアカデミー国際長編映画賞候補となり、フランス版アカデミー賞とされるセザール賞では黒澤明の『影武者』以来、約40年振りに日本映画としての外国映画賞受賞を果たした。
2019年、カトリーヌ・ドヌーヴやジュリエット・ビノシュらをキャストに迎え、撮影監督のエリック・ゴーティエらとともに全編フランスで撮影した映画『真実』が第76回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門でオープニング作品として上映され、日本人監督として初の快挙となった。この作品は2011年にジュリエット・ビノシュに「何か一緒に映画を撮りませんか?」と誘われたのがきっかけで8年の構想かけ実現に至った。
2022年の自身としては初となる韓国映画『ベイビー・ブローカー』では、ソン・ガンホ、カン・ドンウォン、さらに『空気人形』でもタッグを組んだぺ・ドゥナといった韓国の映画俳優が出演。ソン・ガンホは本作で第75回カンヌ国際映画祭男優賞を受賞し、韓国人俳優としては初の快挙となった。
海外の批評家や記者からは、小津安二郎と比較されることが多く、「小津の孫」と称される事もあるが、是枝本人はどちらかというと小津よりも成瀬巳喜男の影響を強く受けている。作品の中では記憶と想像と観察力のバランスを重視し、「誰かを悪者として描くことをしない」というスタンスを一貫している。 テレビのドキュメンタリーディレクター時代から映画監督になった今も企画、脚本、監督、編集、すべて自らが行うスタイルを貫き、日頃から常に手帳を持っていてアイデアが思いついたら手帳に記している。撮影現場で発見した事を大事にし、役者のリアクションによってはその場で脚本を書き換え、役者同士の会話に耳を傾け、そのやりとりを脚本に加えることもある。子どもたちの日常を描くときには、独白(モノローグ)ではなく対話(ダイアローグ)を用いる。映画に出演する子役には台本は渡さず、現場で口頭で台詞を説明し、子ども自身の言葉で台詞を言ってもらう。
ドキュメンタリー作家の小川紳介と土本典昭からの影響を強く受けており、「すごく尊敬していて、あの人ならこういうときどうするんだろうという僕なりの基準にしている人」と述べている。
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| ふりがな = これえだ ひろかず
| 芸名 = 是枝 裕和
| 画像ファイル = Hirokazu Kore-eda Cannes 2015.jpg
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| 画像コメント = [[2015年]]、[[第68回カンヌ国際映画祭]]にて
| 本名 =
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'''是枝 裕和'''(これえだ ひろかず、[[1962年]][[6月6日]]<ref name="KINENOTE">{{Cite web|和書| title = 是枝裕和| publisher = [[KINENOTE]]| url = http://www.kinenote.com/main/public/cinema/person.aspx?person_id=128841| accessdate = 2016-07-06}}</ref> - )は、[[日本]]の[[映画監督]]、[[脚本家]]、[[ドキュメンタリー]][[ディレクター]]、[[映画プロデューサー]]。[[東京都]][[練馬区]]出身<ref name="Twitter">是枝裕和公式Twitter{{Twitter status|hkoreeda|104847170456395776|2011年8月20日の発言}}</ref>。[[東京都立武蔵高等学校・附属中学校|東京都立武蔵高等学校]]<ref>{{Cite interview|和書|subject=是枝裕和|interviewer=鈴木あづさ|url=http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/ichiran/20151110-OYT8T50164.html|title=多様な意見を認める先生…是枝裕和さん|date=2015-11-09|work=[[読売新聞|YOMIURI ONLINE]]|accessdate=2017-05-05|archiveurl=https://archive.is/GF4Nc |archivedate=2017年5月4日}}</ref>、[[早稲田大学第一文学部]][[文芸学科]]卒業<ref name="KORE-EDA">{{Cite web| title = PROFILE & WOARKS| work = KORE-EDA.com| url = http://www.kore-eda.com/works.html| accessdate = 2016-07-06}}</ref>。[[早稲田大学理工学術院|早稲田大学基幹理工学部表現工学科]]教授<ref>{{Cite web|和書| title = 映画監督・是枝裕和氏、理工学術院教授に就任へ 映画に関係する講義を担当| publisher = [[早稲田大学]]| date = 2014-01-16| url = https://www.waseda.jp/top/news/6542| accessdate = 2015-10-15}}</ref>、[[立命館大学産業社会学部]][[客員教授]]<ref>{{Cite web|和書| title = 是枝裕和客員教授 | プロフェッショナルに学ぶ | 教育内容 | 産業社会学部 | 立命館大学| publisher = [[立命館大学]]| url = http://www.ritsumei.ac.jp/ss/education/professional/koreeda.html/| accessdate = 2018-06-18}}</ref>。
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== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
[[東京都]][[練馬区]]に生まれ<ref name="Twitter" />、9歳から[[清瀬市]]の[[旭が丘 (清瀬市)|清瀬旭が丘団地]]で過ごす。のちに旭が丘団地は『[[海よりもまだ深く]]』の主人公の実家として撮影場所にも使われた<ref>{{Cite web|和書|url=http://cinema.pia.co.jp/news/0/65325/|title=是枝裕和監督の新作『海よりもまだ深く』が公開決定。主演は阿部寛|date=2015-12-25 |publisher=ぴあ映画生活 |accessdate=2018-06-17}}</ref>。[[鹿児島県]]生まれで[[奄美大島]]に渡った曽祖父、奄美生まれで[[台湾]]に渡った祖父、台湾生まれで[[シベリア抑留]]を経験した父という家系に生まれた<ref>[https://www.news-postseven.com/archives/20150913_349129.html/2 是枝裕和氏 なぜ「後に残された人」の悲しみだけを撮るのか]</ref>。
母親が映画好きだったため、幼いころから[[池袋]]の映画館でさまざまな映画を鑑賞<ref name="locationjapan" />。TV作品では[[ウルトラマン]]や[[ウルトラセブン]]に描かれた怪獣や宇宙人に差別や戦争のメタファーを託した名作たちに影響を受け<ref>[[映画秘宝]]2018年9月号での[[町山智浩]]との対談「独占12000字対談!「モンスター映画が撮りたい!」 『万引き家族』是枝裕和VS町山智浩!」での発言。この対談では他に『[[ジェイムズ・ホエール]]『[[フランケンシュタイン (1931年の映画)|フランケンシュタイン]]』と『[[フランケンシュタインの花嫁]]』が大好きでフランケンシュタインなどの怪物のフィギアを多く所有しているや大学時代に『[[自転車泥棒 (映画)|自転車泥棒]]』や『[[無防備都市]]』などのイタリアン[[ネオレアリズモ]]に衝撃を受けた、[[チャールズ・チャップリン]]『[[キッド (1921年の映画)|キッド]]』や[[アメリカン・ニューシネマ]]『[[ペーパー・ムーン]]』が『万引き家族』に与えた影響、悪の魅力を描いた作品が作りづらくなっている咋今の状況などを語り、ウルトラシリーズからの影響は[[社会学者]]の[[宮台真司]]からの指摘で気づいたという。</ref>、[[萩原健一]]のファンでもあり、萩原主演の『[[前略おふくろ様]]』や『[[傷だらけの天使]]』に一番大きな影響を受けたと語り、[[アルフレッド・ヒッチコック]]の『[[鳥 (1963年の映画)|鳥]]』にも衝撃を受け、『鳥』をみた翌日に道で鳥を見かけ怖いと感じるほど衝撃を受けた<ref>[[週刊プレイボーイ]]2019年42号の122pの[[角田陽一郎]]の映画インタビューコーナー</ref>。[[1972年ミュンヘンオリンピック]]の[[男子バレーボール]]の金メダル獲得に感動し、中学・高校とバレーボールに没頭し部活では部長を務めていた<ref>{{Cite web|和書|url=http://daigakushinbun.com/post/views/853|title=第30号(平成28年4月30日発行)映画監督 是枝裕和さん|date=2016-05-10 |publisher=大學新聞 |accessdate=2018-06-17}}</ref>。物書きになろうと、[[早稲田大学第一文学部]][[文芸学科]]に進学するが<ref name="specialissue-koreeda2">{{Cite web|和書| title = 「誰も知らない“是枝先生”」インタビューVol.1 いかにして監督は先生になったか| publisher = 早稲田ウィークリー| url = https://www.waseda.jp/inst/weekly/features/specialissue-koreeda2/| accessdate = 2018-06-17}}</ref>、大学に入学してすぐに[[フェデリコ・フェリーニ]]の映画を観て衝撃を受け、大学よりも映画館に足を運ぶ日々が続く<ref name="bunroku">{{Cite web|和書| title = 是枝裕和監督単独インタビュー| publisher = ブンロク| url = https://hizen.nagoya/news/1678| accessdate = 2018-06-17}}</ref>。特に早稲田の近くにあった[[ACTミニ・シアター]]は年会費1万円でフリーパスで映画が観られたため毎日通っていた<ref name="bunroku" />。[[シナリオ文学]]にも熱中し、ビルの警備や[[福武書店]]のバイトを掛け持ちでやりながら、バイト代は[[倉本聰]]、[[向田邦子]]、[[山田太一 (脚本家)|山田太一]]、[[市川森一]]のシナリオ集を揃えるのに当てていた<ref>{{Cite web|和書| title = 「是枝監督が挑んだ心理サスペンス『三度目の殺人』、かつてない法廷劇を生み出した斬新な創作術とは!?| url = https://otocoto.jp/interview/sandome/3/| date = 2017-09-05 | accessdate = 2018-06-17}}</ref>。大学では[[岩本憲児]]に師事し、卒論は創作脚本を書いた<ref name="specialissue-koreeda2" />。
=== ドキュメンタリーディレクターとして ===
将来的に監督業を目指すことも視野に入れながら1987年に番組制作会社[[テレビマンユニオン]]へ入社<ref name="logmi188061">{{Cite web|和書| title = 「ただの落ちこぼれだった」映画監督・是枝裕和氏が20代の下積み時代を振り返る| publisher = ログミー| url = https://logmi.jp/188061| accessdate = 2018-06-18}}</ref>。(2013年の[[重松清]]によるインタビューで是枝は[[テレビマンユニオン]]創設メンバーの[[今野勉]]、[[萩元晴彦|萩本晴彦]]、[[村木良彦]]の名を挙げてテレビ特有の作家性に閉じないライブ感を3人から教わったと述べていて、テレビマンユニオンへの参加10年が経過した1997年に新人採用試験の委員長を務めた際には、「[[今野勉]]、[[萩元晴彦|萩本晴彦]]、[[村木良彦]]にインタビューしてください」という課題を出した。<ref>{{Cite book|和書|title=この人たちについての14万字ちょっと|year=2014|publisher=扶桑社}}</ref>)
『[[遠くへ行きたい (テレビ番組)|遠くへ行きたい]]』、『[[アメリカ横断ウルトラクイズ]]』や『[[日立 世界・ふしぎ発見!]]』等のテレビ番組のADとして毎日怒られる生活を続けながら、企画を考え一人で作れるものを模索した結果、90年代、[[フジテレビ]]の『[[NONFIX]]』でドキュメンタリー番組を多く手掛けるようになる<ref name="yidff">[http://www.yidff.jp/docbox/13/box13-1.html 山形国際ドキュメンタリー映画祭 日本のドキュメンタリー作家インタビュー No. 12]</ref><ref name="specialissue-koreeda3">{{Cite web|和書| title = 誰も知らない“是枝先生”」インタビューVol.2 是枝監督が“記述した世界”の軌跡| publisher = 早稲田ウィークリー| url = https://www.waseda.jp/inst/weekly/features/specialissue-koreeda3/| accessdate = 2018-06-17}}</ref>。
ドキュメンタリー1作目となった『しかし… 福祉切り捨ての時代に』では、生活保護を打ち切られた難病の女性の自死と福祉に尽力しながらも[[水俣病]]和解訴訟の国責との板挟みで追い込まれた厚生官僚の[[山内豊徳]]の自死、別々に起きた2人の死の背景にある福祉の問題を追い、[[ギャラクシー賞]]優秀作品賞を受賞<ref name="locationjapan">{{Cite interview|和書|subject=是枝裕和|url=http://locationjapan.net/interview/20180521_koreedahirokazu/|title=監督クローズアップ 是枝裕和監督|date=2018-05-21|work=LOCATION JAPAN.net|accessdate=2018-06-10}}</ref>。すぐに次の番組作りの声がかかると、是枝が3年前から密かに一人でホームビデオ片手に密着を続けていた[[長野県]]の小学校のドキュメンタリー『もう一つの教育〜伊那小学校春組の記録〜』の放送が決まる<ref name="yidff" />。この作品は教科書を使わない総合学習に取り組む小学校の子供たちが仔牛の飼育をする3年間の成長記録で[[ATP賞]]優秀賞を受賞<ref>{{Cite web|和書|title=もう一つの教育~伊那小学校春組の記録~|url=https://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh10001877_0001.html|date=2018-05-21|program=日本映画専門チャンネル|accessdate=2018-06-18}}</ref>。映画監督となった後も、これらドキュメンタリー制作の経験によって、映画でも一般の人たちの暮らしに寄り添うものを作りたいと考えるようになる<ref name = "specialissue-koreeda3" />。
=== 映画監督として ===
テレビマンユニオン在籍中の1995年に『[[幻の光]]』で映画監督デビューすると、第52回[[ヴェネチア映画祭]]で金のオゼッラ賞を受賞<ref name="KINENOTE" />。続く2作目の『[[ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ]]』では[[ナント三大陸映画祭]]でグランプリを受賞、世界30ヶ国、全米200館で上映されインディペンデント映画ながら国際的にも異例のヒットとなった<ref name="KORE-EDA" />。[[相米慎二]]とタッグを組んでいた[[安田匡裕]]が『ワンダフルライフ』からプロデューサーとなり、亡くなる2009年まで是枝作品をサポートし続けた<ref name="logmi188061" />。
2001年、『[[DISTANCE (映画)|DISTANCE]]』で[[カンヌ国際映画祭]]のコンペティション部門に初出品<ref name="KINENOTE" />。2004年、『[[誰も知らない]]』で[[柳楽優弥]]が[[第57回カンヌ国際映画祭]]において史上最年少・日本人初にして最優秀男優賞を受賞すると日本国内でも大きなニュースとなる<ref name="KINENOTE" />。この作品は[[巣鴨子供置き去り事件]]を題材に是枝が20代の頃から脚本を書き15年かけて映画化に至った作品で数々の作品賞も受賞<ref name="logmi188061" />。まだ[[ネグレクト]]という言葉が知られていない時代に育児放棄された子どもたちが生きる姿を映し世間に衝撃を与えた<ref>{{Cite web|和書| title = 是枝裕和 監督 「#2ドキュメンタリー制作時代から学ぶ完成への輪郭」動画書き起こし配信!| publisher = SHORT SHORTS| url = http://www.shortshorts.org/learn/detail/ja/482| date = 2015-05-21 | accessdate = 2018-06-18}}</ref>。
2008年、『[[歩いても 歩いても]]』では亡くなった自身の母を反映させた普通の家族のとある日常を描き出すが、海外のエージェントには「ローカル過ぎて理解されないだろう」と言われてしまう<ref name="jungle">{{Cite web|和書| title = 【シアトル発】世界で評価される理由 – 是枝裕和監督インタビュー| publisher = JUNGLE CITY.com | url = https://www.junglecity.com/jcommunity/jc-news/interview-hirokazu-koreeda-2017/| date = 2017-05 | accessdate = 2018-06-18}}</ref>。さらに30館スタートの小規模上映のうえに、配給会社の[[シネカノン]]が倒産してしまい収益も回収ゼロに見舞われるが<ref>{{Cite web|和書| title = 「リベンジを果たせた最新作」是枝裕和監督インタビュー | publisher = Forbs JAPAN | url = https://forbesjapan.com/articles/detail/13433/2/1/1 |date = 2016-09-03 | accessdate = 2018-06-18}}</ref>、公開された各国で「あれは自分の母親だ」と評され、国境を越えて多くの映画ファンから高い支持を受ける作品となった<ref name="jungle" />。
オリジナル作品を作り続けてきたが、[[業田良家]]の漫画『ゴーダ哲学堂 空気人形』を見て、主人公の空気人形に吹き込まれる「息」をメタファーにした官能的な世界を描き出したいと映画化を熱望し、2009年に『[[空気人形]]』を制作<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20090907/7/|title=是枝裕和監督作「空気人形」の原作者・業田良家が9年ぶり続編漫画を発表|accessdate=2018-06-19|date=2009-09-07|publisher=eiga.com}}</ref>。初めて原作漫画を映画化しファンタジーに挑戦した<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20090213/6/|title=是枝裕和監督「空気人形」撮了。ぺ・ドゥナの演技は「パーフェクト」|accessdate=2018-06-19|date=2009-02-13|publisher=eiga.com}}</ref>。[[釜山国際映画祭]]で[[ポン・ジュノ]]監督に会った際に、韓国女優の[[ペ・ドゥナ]]の起用を相談し助言を受け、実際に主人公の空気人形役にペ・ドゥナを起用した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/interview/A0002356|title=『空気人形』ペ・ドゥナ、是枝裕和監督、板尾創路 単独インタビュー|accessdate=2021-02-25|date=2009-09-24|publisher=シネマトゥデイ}}</ref>。
2010年4月に[[放送倫理・番組向上機構|BPO(放送倫理・番組向上機構)]]の放送倫理検証委員に就任。同期の委員として[[重松清]]、[[立花隆]]、[[香山リカ (精神科医)|香山リカ]]がいた。
2013年には『[[そして父になる]]』では[[新生児取り違え]]問題を題材に家族の在り方を描き、[[第66回カンヌ国際映画祭]]で審査員賞を受賞。その功績により2013年度[[芸術選奨]]文部科学大臣賞を受賞<ref>{{Cite web|和書| title =芸術選奨に映画監督の是枝さんら29人| publisher =[[日本経済新聞]]| date = 2014-03-14| url = https://www.nikkei.com/article/DGXNZO68261320U4A310C1CR8000/ | accessdate = 2018-6-10}}</ref>。
=== 独立 ===
2011年、過去の是枝作品のスタッフでもあった映画監督の[[西川美和]]、[[砂田麻美]]らと共にオリジナル作品の企画制作を行う制作者集団「分福」を立ち上げ<ref name="think">{{Cite web|和書|url=https://corp.netprotections.com/thinkabout/1328/|title=是枝裕和監督「あえて会社未満の会社を目指す」―オリジナルの映画作品を生み出し続ける組織づくりとは|date=2017-12-07|accessdate=2021-01-16|publisher=THINK ABOUT}}</ref>、テレビマンユニオンから独立後、2014年に株式会社化<ref>{{Cite web|和書|url=https://employment.en-japan.com/myresume/entry/2020/08/25/103000|title=是枝裕和の履歴書|「役に立たないAD」が映像の世界で生き、カンヌの頂に登りつめるまで|accessdate=2021-01-16|date=2020-08-25|publisher=エン転職}}</ref>。テレビマンユニオンの創設者の一人である[[村木良彦]]がかつて述べた「組織が創造するのではなく創造が中心にあり、そこに人が集まり組織になる」という考えが受け継がれている<ref name="think" />。監督と対等な立場で意見を出し合う監督助手というポジションを設け、若手監督の育成も行っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20190105-MVGQ2X7QPVJDVG4Z7TFCU356A4/|title=【映画深層】「夜明け」で是枝監督の秘蔵っ子がデビュー|accessdate=2021-01-16|date=2019-01-05|publisher=産経新聞}}</ref>。
=== パルム・ドール受賞 ===
2018年には、[[高齢者所在不明問題]]や[[万引き]]で生計を立てる家族など、実際に日本で起きた事件から着想を得て『[[万引き家族]]』を制作<ref name="movichemanbiki">{{Cite web|和書|url=https://moviche.com/contents/news/71957/|title=是枝裕和監督「養護施設で『スイミー』を読んでくれた女の子の為につくった」『万引き家族』日本外国特派員協会記者会見レポート|date=2018-06-07|accessdate=2021-02-25|publisher=ムビッチ}}</ref>。この作品で[[第71回カンヌ国際映画祭]]で最高賞となる[[パルム・ドール]]を受賞した<ref name="asahi20180520">{{Cite news|author=伊藤恵里奈 |title=是枝監督の「万引き家族」がパルムドール カンヌ映画祭|url=https://www.asahi.com/articles/ASL5N04X1L5MUCLV00J.html|newspaper=朝日新聞DIGITAL|date=2018-05-20|accessdate=2018-08-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20180606/20/|title=是枝裕和監督「万引き家族」は「誰か1人に向けて作っている」 取材先の女児との交流明かす|accessdate=2018-06-19|date=2018/06/06|publisher=eiga.com}}</ref>。日本人監督としては、『[[地獄門]]』の[[衣笠貞之助]]、『[[影武者 (映画)|影武者]]』の[[黒澤明]]、『[[楢山節考 (1983年の映画)|楢山節考]]』と『[[うなぎ (映画)|うなぎ]]』の[[今村昌平]]に続き、史上4人目、21年ぶりの受賞となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0100948|title=是枝裕和『万引き家族』に最高賞パルムドール!日本人21年ぶり|date=2018-05-20|accessdate=2018-06-19|publisher=シネマトゥデイ}}</ref>。パルムドール受賞により国内でも興行収入46億を超える大ヒットを記録し<ref>{{Cite web|和書|url=https://screenonline.jp/_ct/17288098|title=「万引き家族」是枝裕和監督、初の国際共同製作最新作の邦題&日本公開日が決定|date=2019-07-17|accessdate=2021-02-25|publisher=SCREEN ONLINE}}</ref>、[[アカデミー賞]]でも日本映画としては2008年の『[[おくりびと]]』以来となる[[アカデミー国際長編映画賞]]候補となり、フランス版アカデミー賞とされる[[セザール賞]]では[[黒澤明]]の『[[影武者 (映画)|影武者]]』以来、約40年振りに日本映画としての外国映画賞受賞を果たした。
=== 海外進出 ===
2019年、[[カトリーヌ・ドヌーヴ]]や[[ジュリエット・ビノシュ]]らをキャストに迎え、撮影監督の[[エリック・ゴーティエ]]らとともに全編[[フランス]]で撮影した映画『[[真実 (2019年の映画)|真実]]』が[[第76回ヴェネツィア国際映画祭]]のコンペティション部門でオープニング作品として上映され、日本人監督として初の快挙となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://globe.asahi.com/article/12754510|title=『真実』是枝裕和監督が語る、初めて挑んだ日仏共同制作の舞台裏|date=2019-10-05|accessdate=2021-01-14|publisher=朝日新聞GLOBE+}}</ref>。この作品は2011年にジュリエット・ビノシュに「何か一緒に映画を撮りませんか?」と誘われたのがきっかけで8年の構想かけ実現に至った<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.switch-pub.co.jp/koreeda-binoche-special-talk-part1/|title=【第1回】映画『真実』制作の出発点となった 是枝裕和×ジュリエット・ビノシュ対談を特別公開|date=2019-10-23|accessdate=2021-01-16|publisher=SWITCH ONLINE}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://lp.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_bb40dfe2-d0e2-40cb-aacf-44bd8ffa89b3.html|title=さらなる変化と出会いを求めて。是枝裕和監督が語る新作『真実』|date=2019-10-11|accessdate=2021-01-16|publisher=ぴあニュース}}</ref>。
2022年の自身としては初となる[[韓国映画]]『[[ベイビー・ブローカー]]』では、[[ソン・ガンホ]]、[[カン・ドンウォン]]、さらに『空気人形』でもタッグを組んだぺ・ドゥナといった韓国の映画俳優が出演<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinemacafe.net/article/2020/08/26/68669.html|title=是枝裕和監督が韓国映画を初演出、ソン・ガンホ&カン・ドンウォン再共演へ|date=2020-08-26|accessdate=2021-02-25|publisher=シネマカフェ}}</ref>。[[ソン・ガンホ]]は本作で[[第75回カンヌ国際映画祭]][[カンヌ国際映画祭 男優賞|男優賞]]を受賞し、韓国人俳優としては初の快挙となった。
== 作風・手法 ==
海外の批評家や記者からは、[[小津安二郎]]と比較されることが多く、「小津の孫」と称される事もあるが、是枝本人はどちらかというと小津よりも[[成瀬巳喜男]]の影響を強く受けている<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/150825|title=是枝裕和が語る「海街diary」と小津安二郎作品の共通点とは|date=2015-06-16|accessdate=2018/06/19|publisher=映画ナタリー}}</ref>。作品の中では記憶と想像と観察力のバランスを重視し、「誰かを悪者として描くことをしない」というスタンスを一貫している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.waseda.jp/inst/sgu/news/2017/11/16/2823/|title=言語や環境を超えて訴える-是枝裕和監督映画イベント ロサンゼルスにてUCLAと共催|date=2016-11-16|accessdate=2018/06/19|publisher=早稲田大学}}</ref>。
テレビのドキュメンタリーディレクター時代から映画監督になった今も企画、脚本、監督、編集、すべて自らが行うスタイルを貫き<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0100948|title=是枝裕和『万引き家族』に最高賞パルムドール!日本人21年ぶり|accessdate=2018/05/20|publisher=シネマトゥデイ}}</ref>、日頃から常に手帳を持っていてアイデアが思いついたら手帳に記している<ref name="locationjapan" />。撮影現場で発見した事を大事にし、役者のリアクションによってはその場で脚本を書き換え<ref>{{Cite web|和書| title = 「ドキュメンタリー制作者は皆、悪人である」 是枝裕和&想田和弘が背負う“被写体への責任”| publisher = eiga.com| url = https://eiga.com/news/20180601/19/| date= 2018-06-01 |accessdate = 2018-06-17}}</ref>、役者同士の会話に耳を傾け、そのやりとりを脚本に加えることもある<ref>{{Cite web|和書| title = 是枝裕和(Hirokazu Kore-eda)氏: 第71回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞!| publisher = クリエイターズ ステーション| url = http://www.creators-station.jp/seehim/37809| date= 2018-05-21 |accessdate = 2018-06-17}}</ref>。子どもたちの日常を描くときには、[[独白]](モノローグ)ではなく[[対話]](ダイアローグ)を用いる<ref>{{Cite web|和書|url=https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/%E6%98%AF%E6%9E%9D%E8%A3%95%E5%92%8C%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC/2130|title=ディレクター目線で自分を取材|date=2018-05-01|accessdate=2018/06/19|publisher=集英社新書プラス}}</ref>。映画に出演する子役には台本は渡さず、現場で口頭で台詞を説明し、子ども自身の言葉で台詞を言ってもらう<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20131001/10/|title=大ヒット!「そして父になる」是枝裕和監督、米リメイク決定でスピルバーグ監督と対談|accessdate=2018-06-19|date=2013-10-01|publisher=eiga.com}}</ref>。
ドキュメンタリー作家の[[小川紳介]]と[[土本典昭]]からの影響を強く受けており、「すごく尊敬していて、あの人ならこういうときどうするんだろうという僕なりの基準にしている人」と述べている<ref>{{Cite web|和書|title=人と社会を見つめる――是枝裕和監督が世界で評価される理由(dmenu映画)|url=http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/dmenumovie/entertainment/dmenumovie-20190204115515472|website=dメニューニュース|accessdate=2019-02-09|publisher=NTTドコモ|date=2019-02-04}}</ref>。
== 監督作品 ==
=== 長編映画 ===
*[[幻の光]](1995年) - 監督
*[[ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ]](1999年) - 監督・脚本・編集
*[[DISTANCE (映画)|DISTANCE]](2001年)- 監督・脚本・編集
*[[誰も知らない]](2004年) - 監督・脚本・編集・製作
*[[花よりもなほ]](2006年) - 監督・脚本・編集
*[[歩いても 歩いても]](2008年) - 監督・原作・脚本・編集
*大丈夫であるように -Cocco 終らない旅-(2008年) - 監督・編集・プロデュース・撮影・製作委員会プロデューサー 2015年に再上映<ref>{{Cite web|和書| title = 是枝裕和×Cocco「大丈夫であるように」、米軍基地問題を受け全国で再上映| publisher = [[映画.com]]| date = 2015-08-06| url = http://eiga.com/news/20150806/4/| accessdate = 2015-10-15}}</ref>
*[[空気人形]](2009年) - 監督・脚本・編集・製作
*[[奇跡 (2011年の映画)|奇跡]](2011年) - 監督・脚本・編集
*[[そして父になる]](2013年)<ref>{{Cite web|和書| author = 渡邊玲子| title = 是枝裕和監督インタビュー 福山雅治主演『そして父になる』 父とは何かを考える。| publisher = dacapo the web-magazine| date = 2013-10-10| url = http://dacapo.magazineworld.jp/cinema/120626/| accessdate = 2014-05-18}}</ref> - 監督・脚本・編集
*[[海街diary (映画)|海街diary]](2015年) - 監督・脚本・編集
*[[海よりもまだ深く]](2016年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/170330|title=是枝裕和の新作で阿部寛&樹木希林が親子に、「海よりもまだ深く」公開決定|publisher=映画ナタリー|date=2015-12-25|accessdate=2015-12-25}}</ref>- 監督・原作・脚本・編集
*[[三度目の殺人]](2017年) - 監督・脚本・編集
*[[万引き家族]](2018年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinra.net/news/20180214-manbikikazoku|title=是枝裕和の新作に池松壮亮、高良健吾、池脇千鶴ら タイトルは『万引き家族』|accessdate=2018/2/14|publisher=CINRA.NET}}</ref> - 監督・原作・脚本・編集・製作
*[[真実 (2019年の映画)|真実]](2019年) - 監督・脚本・編集
** 真実 特別編集版(2019年) - 監督・脚本・編集
*[[ベイビー・ブローカー]](2022年) - 監督・脚本・編集<ref>{{Cite web2|url=https://eiga.com/news/20220301/3/|title=是枝裕和監督、初の韓国映画は邦題「ベイビー・ブローカー」! “国民の妹”の出演も発表|website=映画.com|publisher=カカクコム |date=2022-03-01|accessdate=2022-03-01}}</ref>
*[[怪物 (2023年の映画)|怪物]](2023年) - 監督・編集
=== テレビドラマ ===
*[[妖しき文豪怪談#後の日|妖しき文豪怪談]] 第4回「後の日」(2010年、[[NHKデジタル衛星ハイビジョン|NHK-BShi]])<ref name="cinema20110924" />
*[[ゴーイング マイ ホーム]](2012年10月 - 12月、[[関西テレビ放送|関西テレビ]])- 監督・脚本・編集<ref>{{Cite interview|和書|subject=是枝裕和|interviewer=中山治美|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0050768|title=「ゴーイング マイ ホーム」は是枝監督、人生の総括 両親の死が作品に与えた影響明かす|date=2013-03-04|work=シネマトゥデイ|accessdate=2015-07-10}}
</ref>
* オリジナルドラマ「[[有村架純の撮休]]」第1話・第3話(2020年、[[WOWOW|WOWOWプライム]])<ref>{{Cite news|url=https://eiga.com/news/20200128/5/|title=WOWOWドラマ「有村架純の撮休」に柳楽優弥、満島真之介、伊藤沙莉ら豪華キャスト集結|newspaper=[[映画.com]]|date=2020-01-28|accessdate=2020-01-30}}</ref>
* [[舞妓さんちのまかないさん]] 原案・脚本・監督(2023年1月12日配信、[[Netflix]])<ref>{{cite web|url=https://about.netflix.com/en/news/netflix-announces-new-japanese-series-the-makanai-cooking-for-the-maiko|title=Netflix Announces new series "The Makanai: Cooking for the Maiko House" directed by Hirokazu Kore-eda|website=Netflix Media Center|accessdate=2021-01-06}}</ref>
=== テレビドキュメンタリー ===
*[[NONFIX]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
**しかし… 福祉切り捨ての時代に(1991年)
**もう一つの教育〜伊那小学校春組の記録〜(1991年)
**公害はどこへ行った…(1991年)
**日本人になりたかった…(1992年)
**映画が時代を写す時 侯孝賢とエドワード・ヤン(1993年)
**彼のいない八月が(1994年)
**全身落語家宣言(1996年)
**シリーズ憲法 〜第9条・戦争放棄「忘却」〜(2006年)
*心象スケッチ それぞれの宮沢賢治(1993年、[[テレビ東京]]『[[ドキュメンタリー人間劇場]]』)
*記憶が失われた時…〜ある家族の2年半の記録〜(1996年、[[日本放送協会|NHK]])
*歩くような速さで〜37,319人のオーディション(2002年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
*私がこどもだった頃 谷川俊太郎篇(2008年、NHK)
*あの時だったかもしれない 〜テレビにとって「私」とは何か〜(2008年、[[BS-TBS|BS-i]]、TBS『[[報道の魂]]』)
*悪いのはみんな萩本欽一である(2010年、フジテレビ『[[チャンネルΣ]]』)
*[[未来への手紙2014〜あれから3年たちました〜]](2014年、NHK)<ref>{{Cite web|和書| title = 是枝裕和が初めて震災をテーマに…『未来への手紙2014〜あれから3年たちました〜』| publisher = [[テレビドガッチ]]| date = 2014-02-28| url = http://dogatch.jp/news/nhk/23233| accessdate = 2017-05-04|archiveurl= https://web.archive.org/web/20161014071038/http://dogatch.jp/news/nhk/23233|archivedate= 2016-10-14}}</ref>
*きょうの、あきない(2015年4月11日 - 、TBS)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/kyounoakinai/ |title=「きょうの、あきない」 |publisher=[[TBSテレビ|TBS]] |accessdate=2015-04-12}}</ref>
*[[いしぶみ#2015年版|いしぶみ〜忘れない。あなたたちのことを〜]](2015年8月1日、[[広島テレビ放送|広島テレビ]])<ref>{{Cite web|和書| title = 広島出身・綾瀬はるか、戦後特番で遺族手記を朗読 是枝監督と再タッグ | publisher = [[オリコン|ORICON STYLE]]| date = 2015-07-10| url = https://www.oricon.co.jp/news/2055726/full/| accessdate = 2015-07-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書| title = 戦後70年特別番組「いしぶみ〜忘れない。あなたたちのことを〜」| publisher = [[広島テレビ放送|広島テレビ]]| date = 2015| url = http://www.htv.jp/ishibumi/index.html| accessdate = 2017-05-04|archiveurl= https://web.archive.org/web/20160304091052/http://www.htv.jp/ishibumi/index.html|archivedate= 2016-05-04}}</ref>
=== CM ===
*[[日産自動車|日産]] [[日産・セレナ|ニューセレナ]]「モノより思い出」シリーズ(1999年-2003年)
*[[サントリー]] [[なっちゃん]]「3年目のなっちゃん」
*[[ポッカ]]「じっくりコトコト煮込んだスープ」
*[[Sony Music Audition]]シリーズ(2001年-2002年)
*[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・キャンペーン「きっかけはフジテレビ」(2002年)
*[[ソニー・コンピュータエンタテインメント|ソニー]] [[PlayStation 2|PS2]]ソフト『[[アークザラッド 精霊の黄昏]]』(2003年)
*[[ネスカフェ]]「朝のリレー 寝顔篇」(2004年)
*[[ダイハツ]] [[ダイハツ・ミラ|ミラ・カスタム]](2006年)※[[柳楽優弥]]と[[YOU (タレント)|YOU]]が親子役で再共演
*[[ミツカン]] [[金のつぶ]](2007年)
*[[サッポロビール]](2012年1月2日、1月3日)※小説家の[[村上春樹]]がナレーションを執筆<ref>{{Cite press release|和書|title= サッポロビール2012年企業広告特別篇について 〜 村上春樹さんが初めてCMナレーションを執筆、監督は是枝裕和さん 〜 |publisher= サッポロビール株式会社 |date= 2011-12-26 |url= https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000004472.html |accessdate=2019-09-04 }}</ref>
*[[JCBグループ]](2015年) ※[[福山雅治]]が出演<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2053096/full/|title=福山雅治、是枝監督と再びタッグ 映画『そして父になる』以来|publisher=[[オリコン|ORICON]]|date=2015-05-21|accessdate=2015-05-21}}</ref>
*[[大日本除虫菊|KINCHO]]「虫コナーズ」(2016年) ※[[長澤まさみ]]・[[高畑淳子]]が出演<ref>{{Cite web|和書| title = 長澤まさみ「海街diary」是枝裕和監督と再タッグ 関西弁&コミカルな演技で魅せる| publisher = [[モデルプレス]]| date = 2016-03-31| url = https://mdpr.jp/news/detail/1574619| accessdate = 2016-04-01}}</ref>
*[[大塚製薬]]「ファイブミニ」(2017年) ※[[広瀬すず]]が出演<ref>{{Cite web|和書| title = 広瀬すず×是枝裕和監督による初CMが完成、等身大の葛藤を描く| work = ORICON NEWS | publisher = [[オリコン]]| date = 2017-05-19| url = https://www.oricon.co.jp/news/2090975/full/| accessdate = 2017-05-20}}</ref>
*[[住友林業]]「住友林業の家」(2017年) ※長澤まさみ・[[加瀬亮]]が出演<ref>{{Cite web|和書| title = 長澤まさみと加瀬亮が夫婦に 是枝裕和監督の新CMが話題| work = DWANGO.JP NEWS| publisher = [[ドワンゴ]]| date = 2017-11-03| url = https://web.archive.org/web/20211027191631/https://news.dwango.jp/news/24851-1711| accessdate = 2017-11-21}}</ref>
*[[ストライプインターナショナル]] [[アースミュージックアンドエコロジー|earth music&ecology]]「エシカルへ」篇(2019年) ※広瀬すずが出演<ref>{{Cite web|和書|url= https://natalie.mu/eiga/news/320763 |title= 是枝裕和と広瀬すず、earth music&ecologyのCMでタッグ |work= 映画ナタリー |date= 2019-02-21 |accessdate= 2019-02-21}}</ref>
* [[ジャパネットたかた]]「ジャパネットウォーター きれいだ。」篇(2022年)※福山雅治が出演<ref>{{Cite news|title=福山雅治、是枝裕和監督による「ジャパネットウォーター」新CMに出演|newspaper=[[BARKS]]|date=2022-07-01|url=https://www.barks.jp/news/?id=1000221573|accessdate=2022-07-16|publisher=[[ジャパンミュージックネットワーク]]株式会社}}</ref>
=== ミュージック・ビデオ ===
*[[Cocco]]
**「[[水鏡 (Coccoの曲)|水鏡]]」(2000年)
**「[[陽の照りながら雨の降る]]」(2006年)
*[[Cheri]]「ためいき」(2003年)
*[[タテタカコ]]「宝石」(2004年)
*[[スネオヘアー]]「やさしいうた」(2007年)
*[[AKB48]]
**「[[桜の木になろう]]」(2011年)
**「[[Green Flash (AKB48の曲)|Green Flash]]」(2015年)<ref>{{Cite news | title = AKB48:ぱるる、珠理奈が“本気の涙” 新曲MVは4年ぶり是枝作品| newspaper = [[毎日新聞|MANTANWEB]]| date = 2015-02-13| url = https://mantan-web.jp/article/20150213dog00m200044000c.html| accessdate = 2015-02-14}}</ref>
*[[高橋優]] 「[[さくらのうた (高橋優の曲)|さくらのうた]]」(2016年) ※監修<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/175261|title=門脇麦がバレエ披露、是枝裕和監修の高橋優MV「さくらのうた」完成|publisher=映画ナタリー|date=2016-02-06|accessdate=2016-02-08}}</ref>
*[[ハナレグミ]]「深呼吸」(2016年)
*[[米津玄師]]「[[STRAY SHEEP (米津玄師のアルバム)|カナリヤ]]」(2020年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20201119/5/|title=米津玄師、是枝裕和監督と初タッグ! 「カナリヤ」MVが公開|publisher=映画.com|date=2020-11-19|accessdate=2020-11-23}}</ref>
== プロデュース作品 ==
*[[カクト]](2002年、監督:[[伊勢谷友介]])
*[[蛇イチゴ]](2003年、監督:西川美和)
*扉の向こう 〜エレファントカシマシ・宮本浩次という生き方〜(2004年、フジテレビ『NONFIX』、ディレクター:[[千切谷知子]])<ref>[http://www.fujitv.co.jp/nonfix/library/2004/415.html NONFIX : 扉の向こう 〜エレファントカシマシ・宮本浩次という生き方〜 - フジテレビ]</ref>
*[[ゆれる]](2006年、監督:西川美和)
*[[ビューティフル アイランズ]](2010年、ドキュメンタリー、監督:[[海南友子]])
*[[エンディングノート]](2011年、監督:砂田麻美)
*[[十年 Ten Years Japan]](2018年、監督:[[早川千絵]]、[[木下雄介]]、[[津野愛]]、[[藤村明世]]、[[石川慶]])<ref>{{Cite news|url= http://eiga.com/news/20180504/1/ |title= 是枝裕和総合監修「十年」に杉咲花、太賀、川口覚、池脇千鶴、國村隼! |newspaper=[[映画.com]]|publisher=[[カカクコム]]|date= 2018-05-04 |accessdate= 2018-05-04 }}</ref>
*[[泣く子はいねぇが]](2020年、監督:[[佐藤快磨]])
*[[マイスモールランド]](2022年、監督:[[川和田恵真]])
== 出演 ==
; ドキュメンタリー映画
:* The Two Directors: A Flame in Silence(2015年、監督:海南友子)<ref>{{Cite web|和書| title = 山田洋次監督&是枝裕和監督に追るドキュメンタリー、釜山で上映| publisher = [[映画.com]]| date = 2015-10-10| url = http://eiga.com/news/20151010/11/| accessdate = 2015-10-15}}</ref>
== 書籍 ==
*しかし…-ある福祉高級官僚 死への軌跡(1992年、あけび書房)ISBN 978-4900423664
*小説ワンダフルライフ(1999年、ハヤカワ文庫)ISBN 978-4150306113
*官僚はなぜ死を選んだのか-現実と理想の間で(2001年、日経ビジネス人文庫)ISBN 978-4532190682
*DISTANCE 〜映画が作られるまで〜(2001年、スイッチパブリッシング)ISBN 978-4884180003
*あの頃のこと-Every day as a child(共著、2004年、ソニーマガジンズ)ISBN 978-4789723398
*花よりもなほ(2006年、角川書店)ISBN 978-4048737029
*歩いても 歩いても(2008年、幻冬舎)ISBN 978-4344015142
*それでもテレビは終わらない(共著、2010年、岩波ブックレット)ISBN 978-4002707976
*奇跡(2011年、文藝春秋)ISBN 978-4163301402
*クーナ(2012年、イースト・プレス、絵:大塚いちお)ISBN 978-4781608693
*ゴーイング マイ ホーム シナリオ(2012年、ポプラ社)ISBN 978-4591132173
*そして父になる(2013年、宝島社文庫)ISBN 978-4800215154
*歩くような速さで(2013年、ポプラ社)ISBN 978-4591136720
*雲は答えなかった 高級官僚 その生と死(2014年、PHP文庫)ISBN 978-4569761558
*是枝裕和 対談集「世界といまを考える 1」(2015年、PHP文庫)ISBN 978-4569763507
*是枝裕和 対談集「世界といまを考える 2」(2016年、PHP文庫)<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/174194|title=是枝裕和の対談集「世界といまを考える」第2弾、岸田繁やスガシカオら多彩な顔ぶれ|publisher=映画ナタリー|date=2016-02-02|accessdate=2016-02-02}}</ref> ISBN 978-4569764474
*海よりもまだ深く(2016年、幻冬舎文庫)ISBN 978-4344424739
*公園対談 クリエイティブな仕事はどこにある?([[樋口景一]]と共著、2016年、廣済堂出版)ISBN 978-4331520284
*映画を撮りながら考えたこと(2016年、[[ミシマ社]])<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/188158|title=是枝裕和が“映画を撮りながら考えたこと”とは?構想8年、400P超の著書が発売|newspaper=映画ナタリー|date=2016-06-06|accessdate=2016-06-06}}</ref> ISBN 978-4903908762
*是枝裕和 対談集「世界といまを考える 3」(2016年、PHP文庫)<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/204162|title=是枝裕和の対談集第3弾が発売、ゲストは細田守、三谷幸喜、蜷川幸雄、森達也ら|newspaper=映画ナタリー|date=2016-10-04|accessdate=2016-10-05}}</ref> ISBN 978-4569765693
*僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう(共著、2017年、文春新書)ISBN 978-4166611188
*三度目の殺人(2017年、宝島社文庫)ISBN 978-4800273475
*是枝裕和(2017年、文藝別冊)ISBN 978-4309979274
*映画の言葉を聞く(早稲田大学「マスターズ・オブ・シネマ」講義録)(共編、2018年、フィルムアート社)ISBN 978-4845917105
*家族と社会が壊れるとき([[ケン・ローチ]]と共著、2020年、NHK出版新書)ISBN 978-4140886427
*いま、映画をつくるということ(共編、2023年、フィルムアート社)ISBN 978-4845921461
== 受賞歴 ==
ドキュメンタリー作品において、[[ギャラクシー賞]]や[[ATP賞]]などを数多く受賞。
*個人として
** 第8回[[伊丹十三賞]](2016年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/179784|title=是枝裕和が伊丹十三賞受賞、映像作家としての姿勢を評価され喜びのコメント|work=映画ナタリー|publisher=ナターシャ|date=2016-03-14|accessdate=2016-03-14}}</ref>
**[[サン・セバスティアン国際映画祭]] [[ドノスティア賞]]<ref>{{Cite news|url= https://www.sanspo.com/geino/news/20180925/geo18092505010005-n1.html |title= 是枝監督、「ドノスティア賞」をアジア人で初めて受賞 |newspaper= SANSPO.COM |publisher= 産経デジタル |date= 2019-09-25 |accessdate= 2019-09-04 }}</ref>
**2018年度[[朝日賞]]<ref>{{Cite web|和書|title=朝日賞 2001-2018年度|website=朝日新聞社|url=https://www.asahi.com/corporate/award/asahi/12738075 |accessdate=2023-01-03}}</ref>
**第24回[[釜山国際映画祭]] アジア映画人賞(2019年)<ref>{{Cite news|url= https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/09/04/kiji/20190904s00041000148000c.html |title= 是枝監督にアジア映画人賞 韓国・釜山国際映画祭 |newspaper= Sponichi Annex |publisher= スポーツニッポン新聞社 |date= 2019-09-04 |accessdate= 2019-09-04 }}</ref>
**2021年度[[国際交流基金賞]]<ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20211020-OHT1T51146.html?page=1|title=是枝裕和監督、国際交流基金賞受賞「さらに豊かな文化交流を次世代に」|work=スポーツ報知|publisher=報知新聞社|date=2021-10-20|accessdate=2021-10-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211020125819/https://hochi.news/articles/20211020-OHT1T51146.html?page=1|archivedate=2021-10-20|url-status=live}}</ref>
**[[第79回ヴェネツィア国際映画祭]] {{仮リンク|ロベール・ブレッソン賞|it|Premio Robert Bresson}}<ref>{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/cinema/20220906-OYT1T50265/|title=是枝裕和監督にロベール・ブレッソン賞…「また新しい作品と向き合いたい」|newspaper=[[読売新聞オンライン]]|publisher=株式会社[[読売新聞東京本社]]|date=2022-09-07|accessdate=2022-09-07}}</ref>
*幻の光
**[[ヴェネツィア国際映画祭]] [[金オゼッラ賞]]
**バンクーバー映画祭 グランプリ
**シカゴ映画祭 グランプリ
**第10回[[高崎映画祭]] 若手監督グランプリ
**第69回[[キネマ旬報#キネマ旬報ベスト・テン|キネマ旬報ベスト・テン]] 日本映画ベスト・テン第4位
**[[新藤兼人賞]]金賞
*ワンダフルライフ
**[[ナント三大陸映画祭]] グランプリ
**トリノ映画祭 最優秀脚本賞
**ブエノスアイレス映画祭 グランプリ、最優秀脚本賞
**[[サン・セバスティアン国際映画祭]] 国際批評家連盟賞
**第14回高崎映画祭 最優秀作品賞
**第73回キネマ旬報ベスト・テン 読者選出日本映画ベスト・テン第9位
*DISTANCE
**第16回高崎映画祭 最優秀作品賞
*誰も知らない
**[[第77回アカデミー賞]][[アカデミー外国語映画賞|外国語映画賞]]部門・日本代表作品
**フランダース国際映画祭 グランプリ
**シカゴ国際映画祭 金のプラーク賞
**第29回[[報知映画賞]]作品賞
**第26回[[ヨコハマ映画祭]] 日本映画ベストテン第3位
**第78回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画ベスト・ワン、読者選出日本映画監督賞、読者選出日本映画ベスト・テン第1位
**第47回[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]] 作品賞・監督賞
**第19回高崎映画祭 最優秀監督賞
*花よりもなほ
**第21回高崎映画祭 最優秀作品賞
*歩いても 歩いても
**第56回サン・セバスティアン国際映画祭 脚本家協会賞
**第4回ユーラシア国際映画祭 最優秀監督賞
**第23回[[マール・デル・プラタ国際映画祭]] 最優秀作品賞
**第30回ヨコハマ映画祭 日本映画ベストテン第3位
**第23回高崎映画祭 最優秀監督賞
**第82回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画ベスト・テン第5位、読者選出日本映画ベスト・テン第3位
**第51回ブルーリボン賞 監督賞
**第59回[[毎日映画コンクール]] 日本映画優秀賞
**第18回[[東京スポーツ映画大賞]] 作品賞
**第3回[[アジア・フィルム・アワード]] 監督賞
*空気人形
**第24回高崎映画祭 最優秀作品賞
**第83回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画ベスト・テン第6位、読者選出日本映画ベスト・テン第7位
*奇跡
**第59回サン・セバスティアン国際映画祭 最優秀脚本賞・カトリックメディア協議会(SIGNIS)賞
**第3回[[TAMA CINEMA FORUM|TAMA映画賞]] 最優秀作品賞
**[[おおさかシネマフェスティバル|おおさかシネマフェスティバル2012]] 日本映画ベストテン第5位
**第26回イスファハーン国際青少年映画祭(イラン) 最優秀作品賞
*エンディングノート
**第31回[[藤本賞]]・奨励賞
*ゴーイング マイ ホーム
**第75回[[ザテレビジョンドラマアカデミー賞]] 監督賞
**第50回[[ギャラクシー賞]] テレビ部門 奨励賞
*そして父になる
**[[第66回カンヌ国際映画祭]] [[カンヌ国際映画祭 審査員賞|審査員賞]]・エキュメニカル賞特別表彰
**第61回サン・セバスティアン国際映画祭 観客賞(PEARLS部門)
** 第32回バンクーバー国際映画祭 観客賞(Rogers People’s Choice Award)
**第7回アブダビ国際映画祭 Child Protection Award 脚本賞(Child Protection Award for Best Script)
**第37回[[サンパウロ国際映画祭]] 観客賞
**第35回ヨコハマ映画祭 日本映画ベストテン第4位・脚本賞
**第26回[[日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞|日刊スポーツ映画大賞]] 監督賞
**第87回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画ベスト・テン第6位、読者選出日本映画ベスト・テン第2位
**おおさかシネマフェスティバル2014 日本映画ベストテン第8位
**{{仮リンク|第56回アジア太平洋映画祭|zh|第56屆亞太影展}} 最優秀作品賞・最優秀監督賞
**[[第37回日本アカデミー賞]] 優秀作品賞・優秀監督賞ほか
**[[芸術選奨文部科学大臣賞]]映画部門
**クロトゥルーディス賞 監督賞
**第23回東京スポーツ映画大賞 監督賞
*海街diary
**第63回サン・セバスティアン国際映画祭 観客賞(PEARLS部門)
**第7回TAMA映画賞 最優秀作品賞<ref>{{Cite web|和書| title = 是枝裕和、塚本晋也、綾瀬はるか、綾野剛らがTAMA映画賞授賞式で喜び噛みしめる| publisher = 映画ナタリー| date = 2015-11-21| url = https://natalie.mu/eiga/news/166774| accessdate = 2016-07-06}}</ref>
**第39回[[山路ふみ子映画賞]] 山路ふみ子映画賞
**第37回ヨコハマ映画祭 作品賞・監督賞
**第89回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画ベスト・テン第4位、読者選出日本映画監督賞、読者選出日本映画ベスト・テン第1位
**第57回[[毎日芸術賞]]特別賞
**第25回東京スポーツ映画大賞 監督賞{{Refnest|group="注"|第25回東京スポーツ映画大賞発表時には監督賞は[[北野武]](『龍三と七人の子分たち』)とされていた。ところが、授賞式で同賞の審査委員長を務める北野が「是枝監督に監督賞をあげようかな」と自身が受け取ったトロフィーを会場に来ていた是枝に対して手渡し、これにより『海街diary』は1冠増えて、主演女優賞、助演女優賞、新人賞、監督賞と4冠に輝くことになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20160228dog00m200033000c.html|title=海街diary:たけしの思い付きで「東スポ映画大賞」1冠増え4冠に 綾瀬、長澤、すずがコマネチ|publisher=まんたんウェブ|date=2016-02-29|accessdate=2016-03-01}}</ref>。主催者である東京スポーツの授賞式記事(受賞者一覧)では「監督賞:北野武(「龍三と七人の子分たち」)→是枝裕和(「海街diary」)」となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/224530|title=【東スポ映画大賞】授賞式、受賞者一覧|publisher=東京スポーツ|date=2016-02-29|accessdate=2016-03-01}}</ref>。}}
**[[第39回日本アカデミー賞]] 最優秀監督賞<ref>{{Cite web|和書| title = 【第39回日本アカデミー賞】是枝裕和が最優秀監督賞!| publisher = [[映画.com]]| date = 2016-03-04| url = http://eiga.com/news/20160304/26/| accessdate = 2016-04-02}}</ref>、最優秀作品賞、優秀脚本賞、編集賞
* 海よりもまだ深く
**第26回フィルムズ・フロム・ザ・サウス映画祭 シルバー・ミラー賞(最高賞)<ref>{{Cite news|url= http://www.hochi.co.jp/entertainment/20161017-OHT1T50143.html |title= 是枝監督の「海よりもまだ深く」がノルウェー映画祭で最高賞を獲得「とてもうれしい」 |newspaper= スポーツ報知 |publisher= 報知新聞社 |date= 2016-10-17 |accessdate= 2017-11-21|archiveurl= https://archive.is/g2hRJ|archivedate= 2016-10-26}}</ref>
* 三度目の殺人
**[[第41回日本アカデミー賞]] 作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞
*万引き家族
**第71回カンヌ国際映画祭 [[パルム・ドール]]
**第36回 ミュンヘン国際映画祭 シネマスターズ・コンペティション部門 アリ・オスラム賞(外国語映画賞)<ref>{{cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/07/08/kiji/20180708s00041000258000c.html|title=「万引き家族」是枝裕和監督またまた快挙!ミュンヘン映画祭でARRI/OSRAM賞|newspaper=スポニチアネックス|date=2018-7-8|accessdate=2018-7-8}}</ref>
**第55回 アンタルヤ国際映画祭 監督賞<ref>{{cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/302735|title=「万引き家族」是枝裕和がトルコの映画祭で監督賞、日本映画初&アジア人初の快挙|newspaper=映画ナタリー|date=2018-10-6|accessdate=2018-10-6}}</ref>
**第37回 バンクーバー国際映画祭 外国長編映画観客賞<ref>{{cite news|url=https://vancouver.keizai.biz/headline/2521/|title=バンクーバー国際映画祭で「万引き家族」が外国作品観客賞 「カメ止め」は再上映作に|newspaper=バンクーバー経済新聞|date=2018-10-16|accessdate=2018-11-8}}</ref>
**第3回 スレマニ映画祭 長編作品審査員賞
**第10回 [[TAMA CINEMA FORUM|TAMA映画賞]] 最優秀作品賞<ref>{{cite news|url=https://mantan-web.jp/article/20181003dog00m200045000c.html|title=TAMA映画賞:最優秀作品に「万引き家族」と「寝ても覚めても」 安藤サクラ、松岡茉優も受賞|newspaper=まんたんウェブ|date=2018-10-4|accessdate=2018-10-4}}</ref>
**[[GQ JAPAN|GQ Men of the Year]] 2018 フィルム・ディレクター・オブ・ザ・イヤー賞<ref>{{Cite web|和書|title=2018年の「GQ MEN OF THE YEAR」が決定! 田中圭、美輪明宏、DA PUMPをはじめ10組が受賞!|url=https://gqjapan.jp/culture/celebrity/20181121/moty2018-all|publisher=GQ JAPAN|date=2018-11-21|accessdate=2019-06-15}}</ref>
**[[第44回ロサンゼルス映画批評家協会賞|第44回]][[ロサンゼルス映画批評家協会賞 外国語映画賞]]
**[[第42回日本アカデミー賞]] 最優秀作品賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://japan-academy-prize.jp/ceremony_report/index42.html|title=第42回日本アカデミー賞授賞式|work=日本アカデミー賞公式サイト|publisher=日本アカデミー賞協会|accessdate=2020-01-30}}</ref>、最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀音楽賞、最優秀撮影賞、最優秀照明賞、優秀美術賞、優秀録音賞、優秀編集賞
**第42回[[セザール賞]] 外国語映画賞
**第38回[[藤本賞]]
*ベイビー・ブローカー
**第27回 春史国際映画賞 国際監督賞
**[[第79回ヴェネツィア国際映画祭]] ロベール・ブレッソン賞
**第42回 ハワイ国際映画祭 ヴィジョン・イン・フィルム賞
**第16回[[アジア・フィルム・アワード]] 最優秀監督賞
*怪物
**第76回カンヌ国際映画祭 クィア・パルム賞<ref>{{Cite news|url= https://eiga.com/news/20230527/8/ |title= 【第76回カンヌ国際映画祭】是枝裕和監督「怪物」にクィア・パルム賞 日本映画としては初 |newspaper= 映画.com |publisher= 株式会社エイガ・ドット・コム |date= 2023-05-27 |accessdate= 2023-05-27 }}</ref>
** 第15回TAMA映画賞 最優秀作品賞<ref>{{Cite news|和書| title = 是枝裕和監督「2人の役者さんに出会えたことが…」最優秀作品賞に「怪物」第15回TAMA映画賞| newspaper = 日刊スポーツ| date = 2023-11-25| url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202311250001438.html| accessdate = 2023-11-27}}</ref>
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 関連文献 ==
*{{Cite web|和書|url=http://www.public-image.org/interview/2009/09/25/hirokazu-koreeda-2.html|title=HIROKAZU KOREEDA|是枝裕和|Film Director|publisher= PUBLIC-IMAGE.ORG|date=2009-09-25|accessdate=2018-06-10}}{{Wayback|http://www.public-image.org/interview/2009/09/25/hirokazu-koreeda-2.html|date=20120308060348}}
*{{Cite web|和書|url=https://www.cinra.net/article/interview-2009-09-18-000000-php|title=映画『空気人形』是枝裕和監督インタビュー|publisher=CINRA.NET|date=2009-09-18|accessdate=2018-06-10}}
*{{Cite web|和書|url=https://www.cinra.net/article/interview-2009-12-30-000000-php|title=『映画の未来へ』黒沢清×是枝裕和|publisher=CINRA.NET|date=2009-12-30|accessdate=2018-06-10}}
*{{Cite web|和書|url=https://www.cinra.net/article/interview-2010-01-01-000000-php|title=『映画の未来へ』黒沢清×是枝裕和×西島秀俊×寺島進|publisher=CINRA.NET|date=2010-01-01|accessdate=2018-06-10}}
*{{videonews.com|451460|001326|456|2010年01月06日|新年映画特集 映画監督・是枝裕和がまだテレビにこだわる理由|是枝裕和氏(映画監督・テレビディレクター)}}
*{{Cite web|和書|url=https://www.1101.com/hirokazu_koreeda/2015-07-24.html|title=ぼくはなぜ物語を書くのか。-是枝裕和監督に訊く『海街diary』とその周辺-|publisher=[[ほぼ日刊イトイ新聞]]|date=2015-07-24|accessdate=2018-06-10}}
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Hirokazu Koreeda}}
*{{Official website}}
*{{Twitter|hkoreeda}}
*{{allcinema name|274104|是枝裕和}}
*{{Kinejun name|128841|是枝裕和}}
*{{jmdb name|0467480|是枝裕和}}
*{{IMDb name|0466153|Hirokazu Koreeda}}
{{是枝裕和監督作品}}
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AF%E6%9E%9D%E8%A3%95%E5%92%8C |
1,307 | バブルボブル | 『バブルボブル』(Bubble Bobble)は、1986年8月にタイトーから稼働されたアーケード用固定画面アクションゲーム。
魔法によってバブルドラゴンに変身させられた主人公の「バブルン」と「ボブルン」を操作し、地下100階を目指し恋人を救出する事を目的としたゲーム。「泡」を題材にした独特のアクションを用いており、二人同時プレイにより優れた連携アクションを楽しむことができる。
開発はタイトー中央研究所が行い、ゲーム・デザインおよびキャラクター・デザインは後に『サイバリオン』(1988年)や『ヴォルフィード』(1989年)を手掛けた三辻富貴朗が担当、音楽は『フェアリーランドストーリー』(1985年)を手掛けた君島正が担当している。
アーケード版はゲーム誌『ゲーメスト』の企画「ゲーメスト・オブ・ザ・イヤー」にて銀賞を獲得した他、ゲーメストムック『ザ・ベストゲーム』では第30位を獲得した。
後にストーリー上の続編となるアーケードゲーム『レインボーアイランド』(1987年)が稼働された他、ゲームシステムを引き継いだ続編としてファミリーコンピュータ用ソフト『バブルボブル2』(1993年)が発売され、以後シリーズ化された。
正面図で表現された固定画面のラウンドで「泡はきドラゴン」を操作し、画面内の敵を倒すゲーム。プレイヤー1の操作キャラクターは黄緑色のバブルン、プレイヤー2は水色のボブルン。
ストーリー上、バブルンとボブルンは人間の男の子であったバビーとボビーの兄弟が呪いで「泡はきドラゴン」にされてしまった姿である。恐ろしい魔法使いの森に迷い込んでしまったバビーとボビー兄弟が、地下100階の洞窟に連れ去られた彼らの恋人のベティーとバティーを救い出すため洞窟内に潜っていくという内容となっている。ただし、機種によってはストーリーが異なっている。
画面内に配置された敵を全て倒すとラウンドクリア。全100面構成。1人プレイで最終ボスを倒してもクリアとはならず、ランダムで50面 - 85面のどこかに戻されてしまう。2人同時プレイで100面目をクリアすればエンディングを見ることができる。
2方向レバーでの左右移動、「泡はき(後述)」ボタンとジャンプボタンで主人公のバブルンを操作する。敵キャラクターや敵の出す攻撃に触れる、または100面のすーぱーどらんく出現時に静止している(後述)と1ミスで残機が一つ減り、プレイヤーの残数がなくなるとゲームオーバー。
アーケード基板は、『スクランブルフォーメーション』(1986年)と同じ物が使われている。かつて、同作からソフト変更できるROMキットが販売されていた。
1987年に欧米にて各種ホビーパソコンに移植された他、日本ではファミリーコンピュータ ディスクシステムやMSX2、欧米ではNESに移植された。それ以外にもセガ・マークIIIなどの家庭用ゲーム機やPC/AT互換機、Apple II、X68000、FM TOWNSなどのパソコン、ゲームボーイやゲームギアなどの携帯用ゲーム機にも移植された。2003年には携帯電話ゲームとして各種携帯電話キャリアにて配信された。アーケード版はPlayStation 2用ソフト『タイトーメモリーズ 上巻』(2005年)に収録された他、2016年にPlayStation 4用ソフト、2022年にNintendo Switch用ソフトとしてアーケードアーカイブスにて配信された。ディスクシステム版はバーチャルコンソール対応ソフトとして2007年にWii、2013年にニンテンドー3DS、2014年にWii Uにてそれぞれ配信された。
バブルボブルでは、コンピュータがゲーム中のプレイヤーの技量をチェックして、敵の入ったバブルが割れるまでの時間や「Hurry up」がでるまでの時間が変化するなどにより、難易度レベルを調整するシステムが採用されている。難易度レベルは、ノーミスが続いたりEXTEND(エクステンド・ボーナス)したりすると、どんどん難易度レベルが上がっていき、ゲーム中にミスをしたり、コンティニューをすれば難易度レベルが下がる。また、二人同時プレイでは一人プレイの時よりも難易度ランクが高い。
泡を一定個数出す、泡を一定個数割る、一定距離歩くなど、ラウンド内で特定の動作によりラウンドによって決められた特定箇所にアイテムが出現する。これらを獲得することによって主人公の泡の性能や移動速度などが向上し、より有利にゲームを進めることが可能になる。また、同時にいくつかの出現条件を満たした場合には、より出現しにくい条件のもの、重要なアイテムが優先されると考えられている。
アイテム数はスペシャルバブルを除いた全53種類。パワーアップ以外のものも多く、ラウンドをクリアしたことになるものや、大量得点のチャンスとなるものなどがあり、その種類も効果も多彩で派手である。
アイテムはラウンドの制限時間を使い切ると消滅するため、ラウンドによっては絶対にアイテムを取得できない面も存在する。
主なアイテムの効果を以下に示す。
ゲーム中には、フード(食べ物)と呼ばれるボーナスアイテムが登場し、その数も全96種類と豊富である。大別すると、「タイマー・フード」「エネミー・フード」「ラウンドクリア・フード」「ボーナス・フード」の4タイプに分けることができる。中には王冠、宝石、ダイヤモンドといった、食べ物でない物も存在するが、ゲーム中では一様にフードとして扱っている。
バブルボブルには以下の隠しコマンドが存在する。隠しコマンドは、ゲーム開始前のタイトル画面が表示されている間に入力する。タイトル表示1回につき1つのコマンドしか入力できないがデモをループさせ、タイトル画面を複数回表示させることにより複数のコマンドを入力可能。入力に成功すると画面下に入力成功コマンドの文字が表示される。
コマンドの記号はB(泡ボタン)J(ジャンプボタン)←(左)→(右)S(1Pスタートボタン)
この隠しコマンドによるパワーアップを使うと使わないとでは難易度に大きな差が生じてしまう。隠しコマンドを知っている人だけが有利になり、ゲームバランスを崩壊させてしまっているという見方もできる。このコマンドを公開しているゲームセンターもあった。なお、筐体貼り付け用に、この隠しコマンドが記載されたタイトー純正のインストカードも存在する。上記3つのコマンドは、続編であるレインボーアイランドにおいても入力可能で、ゲーム中のヒントをゲームスタート時に表示させることができる。
通常スタートで最終100面をクリアすると、偽りのエンディングメッセージが表示され、裏ゲーム「スーパー・バブルボブル」へ入るための暗号(バブルボブル文字)が大きな文字で示される。暗号は英語のアルファベットに対応しており、これを読み解くヒントは、ノーミスで20面に到達した際に行けるシークレット・ルームの中に、暗号がABCD...順に表示されているので、これと照らし合わせることで読み解ける仕掛けになっている。
「スーパー・バブルボブル」のコマンド入力に成功すると選択できるようになるスーパーモードは、通常のラウンドの敵の配置をすべて入れ替えた(ぜんちゃんとひでごんす、まいたとどらんく、など対応は固定)もので、こちらも100ラウンドある。このモードを二人同時にクリアすると、真のエンディングを見ることができる(オープニングの泡の出方も変わっている)。イタズラで入力された場合の対策として、ノーマルモードも選択可能。
当時の雑誌インタビューによると、これらの隠しコマンドはゲームデザイナーが仕様書に書かず無断で入れたようである。 | [
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] | 『バブルボブル』は、1986年8月にタイトーから稼働されたアーケード用固定画面アクションゲーム。 魔法によってバブルドラゴンに変身させられた主人公の「バブルン」と「ボブルン」を操作し、地下100階を目指し恋人を救出する事を目的としたゲーム。「泡」を題材にした独特のアクションを用いており、二人同時プレイにより優れた連携アクションを楽しむことができる。 開発はタイトー中央研究所が行い、ゲーム・デザインおよびキャラクター・デザインは後に『サイバリオン』(1988年)や『ヴォルフィード』(1989年)を手掛けた三辻富貴朗が担当、音楽は『フェアリーランドストーリー』(1985年)を手掛けた君島正が担当している。 アーケード版はゲーム誌『ゲーメスト』の企画「ゲーメスト・オブ・ザ・イヤー」にて銀賞を獲得した他、ゲーメストムック『ザ・ベストゲーム』では第30位を獲得した。 後にストーリー上の続編となるアーケードゲーム『レインボーアイランド』(1987年)が稼働された他、ゲームシステムを引き継いだ続編としてファミリーコンピュータ用ソフト『バブルボブル2』(1993年)が発売され、以後シリーズ化された。 | {{コンピュータゲーム
| Title = バブルボブル
| image =
| Genre = [[アクションゲーム|固定画面アクション]]
| Plat = [[アーケードゲーム|アーケード]] (AC){{Collapsible list |title = 対応機種一覧 |1 = [[Amiga]]<br />[[Amstrad CPC]] (CPC)<br />[[Atari ST]] (ST)<br />[[コモドール64]] (C64)<br />[[ZX Spectrum]] (ZX)<br />[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム|ディスクシステム]] (FCD)<br />[[Nintendo Entertainment System|NES]]<br />[[MSX2]]<br />[[セガ・マークIII]] (MkIII)<br />[[セガ・マスターシステム]] (SMS)<br />[[PC/AT互換機]] (DOS)<br />[[Apple II]] (APII)<br />[[X68000]] (X68)<br />[[FM TOWNS]] (FMT)<br />[[ゲームボーイ]] (GB)<br />[[ゲームギア]] (GG)<br />[[Microsoft Windows|Windows]] (Win)<br />[[iアプリ]]<br />[[EZアプリ]]<br />[[Wii]]<br />[[ニンテンドー3DS]] (3DS)<br />[[Wii U]]<br />[[PlayStation 4]] (PS4)<br />[[Nintendo Switch]] (NSW)}}
| Dev = タイトー中央研究所
| Pub = {{vgrelease new|JP|[[タイトー]]|NA|[[:en:Romstar|Romstar]]}}
| distributor =
| producer =
| director =
| designer = [[三辻富貴朗]]
| writer =
| programmer = 藤末一郎<br />NISHIYORI
| composer = [[ZUNTATA|君島正]]
| artist = 三辻富貴朗
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| series = バブルボブルシリーズ
| Ver =
| Play = 1 - 2人(同時プレイ)
| Date = {{vgrelease new|JP|August 1986|NA|October 1986}}{{Collapsible list |title = 発売日一覧 |1 = '''Amiga,CPC,ST,C64,ZX'''<br />{{vgrelease new|EU|1987年|NA|May 1989}}'''FCD,NES'''<br />{{vgrelease new|JP|1987-10-30|NA|November 1988|EU|1990年}}'''MSX2'''<br />{{vgrelease new|JP|October 1987}}'''MkIII,SMS'''<br />{{vgrelease new|JP|1988-07-02|EU|1992年}}'''DOS'''<br />{{vgrelease new|NA|1988年}}'''APII'''<br />{{vgrelease new|NA|July 1989}}'''X68'''<br />{{vgrelease new|JP|1990-03-09}}'''FMT'''<br />{{vgrelease new|JP|1990-10-31}}'''GB'''<br />{{vgrelease new|JP|1990-12-07|NA|March 1991|EU|1991年}}'''GG'''<br />{{vgrelease new|NA|November 1994}}'''Win'''<br />{{vgrelease new|JP|2002-07-18}}'''iアプリ'''<br />{{vgrelease new|JP|2003-04-21}}'''Win(廉価版)'''<br />{{vgrelease new|JP|2004-02-19}}'''EZアプリ'''<br />{{vgrelease new|JP|2004-06-10}}'''Wii'''<br />{{vgrelease new|EU|2007-11-23|NA|2007-12-31|JP|2008-05-13}}'''3DS'''<br />{{vgrelease new|JP|2013-10-16}}'''Wii U'''<br />{{vgrelease new|JP|2014-01-29}}'''PS4'''<br />{{vgrelease new|JP|2016-01-29}}'''NSW'''<br />{{vgrelease new|JP|2022-12-29}}}}
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『'''バブルボブル'''』('''Bubble Bobble''')は、[[1986年]][[8月]]に[[タイトー]]から稼働された[[アーケードゲーム|アーケード]]用[[アクションゲーム|固定画面アクションゲーム]]。
魔法によってバブルドラゴンに変身させられた主人公の「バブルン」と「ボブルン」を操作し、地下100階を目指し恋人を救出する事を目的としたゲーム。「[[泡]]」を題材にした独特のアクションを用いており、二人同時プレイにより優れた連携アクションを楽しむことができる。
開発はタイトー中央研究所が行い、ゲーム・デザインおよびキャラクター・デザインは後に『[[サイバリオン]]』([[1988年]])や『[[ヴォルフィード]]』([[1989年]])を手掛けた[[三辻富貴朗]]が担当、音楽は『[[フェアリーランドストーリー]]』([[1985年]])を手掛けた[[ZUNTATA|君島正]]が担当している。
アーケード版はゲーム誌『[[ゲーメスト]]』の企画「ゲーメスト・オブ・ザ・イヤー」にて銀賞を獲得した他、ゲーメストムック『ザ・ベストゲーム』では第30位を獲得した。
後にストーリー上の続編となるアーケードゲーム『[[レインボーアイランド]]』([[1987年]])が稼働された他、ゲームシステムを引き継いだ続編としてファミリーコンピュータ用ソフト『[[バブルボブル2]]』([[1993年]])が発売され、以後シリーズ化された。
== 概要 ==
[[正投影図|正面図]]で表現された固定画面の[[ステージ (コンピュータゲーム)|ラウンド]]で「泡はき[[ドラゴン]]」を操作し、画面内の敵を倒すゲーム。プレイヤー1の操作キャラクターは黄緑色の'''バブルン'''、プレイヤー2は水色の'''ボブルン'''<ref name="natsukashiGB">M.B.MOOK『懐かしゲームボーイパーフェクトガイド』 (ISBN 9784866400259)、57ページ</ref>。
ストーリー上、バブルンとボブルンは人間の男の子であったバビーとボビーの兄弟が呪いで「泡はきドラゴン」にされてしまった姿である。恐ろしい魔法使いの森に迷い込んでしまったバビーとボビー兄弟が、地下100階の洞窟に連れ去られた彼らの恋人のベティーとバティーを救い出すため洞窟内に潜っていくという内容となっている。ただし、機種によってはストーリーが異なっている。
画面内に配置された敵を全て倒すとラウンドクリア。全100面構成。1人プレイで最終ボスを倒してもクリアとはならず、ランダムで50面 - 85面のどこかに戻されてしまう。2人同時プレイで100面目をクリアすればエンディングを見ることができる。
2方向レバーでの左右移動、「泡はき(後述)」ボタンとジャンプボタンで主人公のバブルンを操作する。敵キャラクターや敵の出す攻撃に触れる、または100面のすーぱーどらんく出現時に静止している(後述)と1ミスで残機が一つ減り、プレイヤーの残数がなくなるとゲームオーバー。
[[アーケード基板]]は、『[[スクランブルフォーメーション]]』(1986年)と同じ物が使われている。かつて、同作からソフト変更できるROMキットが販売されていた。
[[1987年]]に欧米にて各種ホビーパソコンに移植された他、日本では[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]]や[[MSX2]]、欧米では[[Nintendo Entertainment System|NES]]に移植された。それ以外にも[[セガ・マークIII]]などの家庭用ゲーム機や[[PC/AT互換機]]、[[Apple II]]、[[X68000]]、[[FM TOWNS]]などのパソコン、[[ゲームボーイ]]や[[ゲームギア]]などの携帯用ゲーム機にも移植された。[[2003年]]には[[携帯電話ゲーム]]として各種携帯電話キャリアにて配信された。アーケード版は[[PlayStation 2]]用ソフト『'''[[タイトーメモリーズ|タイトーメモリーズ 上巻]]'''』([[2005年]])に収録された他、[[2016年]]に[[PlayStation 4]]用ソフト、[[2022年]]に[[Nintendo Switch]]用ソフトとして[[アーケードアーカイブス]]にて配信された。ディスクシステム版は[[バーチャルコンソール]]対応ソフトとして[[2007年]]に[[Wii]]、[[2013年]]に[[ニンテンドー3DS]]、[[2014年]]に[[Wii U]]にてそれぞれ配信された。
== ゲーム内容 ==
=== システム ===
バブルボブルでは、コンピュータがゲーム中のプレイヤーの技量をチェックして、敵の入ったバブルが割れるまでの時間や「Hurry up」がでるまでの時間が変化するなどにより、難易度レベルを調整するシステムが採用されている{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。難易度レベルは、ノーミスが続いたりEXTEND(エクステンド・ボーナス)したりすると、どんどん難易度レベルが上がっていき、ゲーム中にミスをしたり、コンティニューをすれば難易度レベルが下がる{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。また、二人同時プレイでは一人プレイの時よりも難易度ランクが高い{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。
; 泡
: 泡は主人公が吐くものとラウンド外から出現するものがあり、2つの用法がある。
:* 泡の上をジャンプしてより高いところへ移動する
:* 中に敵を閉じ込める
:ラウンド内にはバブルン(以下、ボブルンも含む)の目に見えない気流が起きており、泡は気流に乗って画面内を一定軌道で漂う。気流は「無限軌道で循環する」場合と「一定箇所に漂着する」場合の2種類に大分することができる。
:「泡の上でのジャンプ」と「気流」は本作品のゲーム性を高める大きな特徴となっている。
:; 泡の上でのジャンプ
:: バブルンが泡に飛び乗った際、ジャンプボタンが押されていなければ、泡はつぶれて割れてしまうが、同ボタンを押したままにしておくと主人公は泡の上で飛び跳ねる。これによって通常のジャンプだけでは到達できない場所に飛び込むことが可能になる。
:; 泡による攻撃
:: 主人公は口から泡を吐き出すことができる。泡は一定距離まで勢い良く飛び、その後はラウンド内に吹いている「気流」に沿って流れる。一定時間がたつと吐いた泡は割れて消える。
:: 泡を使って敵を倒すためには2つの段階を経る必要がある。
::* 気流に乗る前の「勢いの良い」泡を敵にぶつけて閉じ込める。
::* 敵が脱出する前に泡を割る。すると中の敵を倒せる。泡は、上から飛び降りて潰す他、頭か背中のトゲで刺すことでも割ることができる。
:: 一定時間で敵は泡から脱出してしまうので、敵を閉じ込めた泡は素早く割る必要がある。ラウンドによっては極めて早く脱出されてしまうので様々な工夫をして敵を倒さなければならない。敵にぎりぎり近づいて泡を吐くことで、閉じ込めるとほぼ同時に泡を割る「かぶりつき」という技が有効である。
:: 泡が割れると、その泡に接している泡も連鎖的に割れる。連鎖を使って複数の敵を一度に倒すと得られる得点は飛躍的に大きくなり、最大7匹64000点のボーナスとなる。また、まとめて倒した数に応じて[[バブルボブル#システム|エクステンドバブル]]が出現するため、泡をまとめて一度に割るのが特に低次ラウンドで有効な戦略である。
:: また後述の特殊バブルを使った攻撃や、アイテムを取ることでできる特殊攻撃で敵を倒すこともできる。
:
; 特殊な泡
: 画面の上下端に穴(通気口)のあるラウンドでは、そこから泡が出現し気流に乗って移動する。その泡には、主人公の吐き出す泡と同じ種類のもの以外に、特殊な泡がある。文字が描かれているエクステンドバブルと、中に何かが入っている攻撃用バブルなどである。攻撃用バブルはラウンドによって出現の有無、種類が決まっている。
:; エクステンドバブル
:: 「E」「X」「T」「E」「N」「D」の文字が書かれた6色のバブルで、敵をまとめて倒すとその数に応じて出現する。6種類を割って揃えると残りプレイヤーが1増える。5が表示上の上限だがそれ以上増やせる。
:; ウォーターバブル
:: 割ると中から水が流れ出し、敵を押し流す。流された敵は7000点の青ダイヤに変わる。水流は、割ったときのバブルンの背びれ側に流れる。バブルンが敵とともに水流に乗って通風口に落下すると青ダイヤを全て取得することができる。
:; サンダーバブル
:: 割ると中から雷が飛び出し、横向きに飛んで当たった敵を倒す。自分が当たると一定時間動けなくなる。当たった敵は8000点の黄ダイヤに変わる。また100面のみ、アイテム「ドラッグ・オブ・サンダー」を取ることにより、口からサンダーバブルが吐けるようになる。
:; ファイヤーバブル
:: 割ると火が落下し、地面で燃え広がる。触れた敵は9000点の赤ダイヤに変わる。自分が火に当たると一定時間動けなくなる。火は、割ったときのバブルンの背びれ側へ向けて燃え広がる。
:; スペシャルバブル
:: 画面外から飛来するバブルの4096分の1の確率で出現<ref>『[[ゲーメスト]]』1987年8月号〈通巻11号〉より</ref>。中心部分が黄色く輝く赤いバブル。割ると、後述のアイテム「クロス・オブ・ファイア」と同様に、泡の代わりに敵を直接倒せる火の玉を最大16発吐ける<ref name="ベーマガ付録198702"/>。5回分の効果があり、ラウンドクリアかミスをすることで残り回数を1消費してまた最大16発吐けるようになる<ref name="ベーマガ付録198702"/>。ラウンド100にも効果を持ち込めるが、ボスにはダメージを与えられない。ゲームデザイナーのペンネームから、通称「MTJボール」とも呼ばれる。
=== アイテム ===
泡を一定個数出す、泡を一定個数割る、一定距離歩くなど、ラウンド内で特定の動作によりラウンドによって決められた特定箇所にアイテムが出現する{{efn2|ある特定のアイテムの出現条件として要求される繰り返し動作の回数は、ゲーム中の難易度レベルで変化することがある{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。}}。これらを獲得することによって主人公の泡の性能や移動速度などが向上し、より有利にゲームを進めることが可能になる。また、同時にいくつかの出現条件を満たした場合には、より出現しにくい条件のもの、重要なアイテムが優先されると考えられている{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。
アイテム数はスペシャルバブルを除いた全53種類{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。パワーアップ以外のものも多く、ラウンドをクリアしたことになるものや、大量得点のチャンスとなるものなどがあり、その種類も効果も多彩で派手である。
アイテムはラウンドの制限時間を使い切ると消滅するため、ラウンドによっては絶対にアイテムを取得できない面も存在する。
主なアイテムの効果を以下に示す。
* ◎:プレイヤーがミスするまで有効
* □:取得した面をクリアするかプレイヤーがミスするまで有効
* ○:取得した面のみ有効
* ☆:取得してから一定の面数まで有効
; キャンディー(◎)
: 泡吐き機能を強化する。ピンク色、青色、オレンジ色の3種類があり、ピンクは泡吐きの射程が伸び、青は泡吐きのスピードアップ、オレンジ色は泡吐きが連射できるようになる。<ref name="ベーマガ付録198702">「バブルボブル アイテム一覧表」『[[マイコンBASICマガジン]]』1987年2月号(第6巻第2号)、[[電波新聞社]]、1987年2月1日、とじ込み付録:マイコンBASICマガジン・オリジナル・データシート④1987年2月号。</ref>
; 赤い靴(◎)
: バブルンの移動速度が上昇する<ref name="ベーマガ付録198702"/>。
; 魔法の杖(○)、トレジャーボックス(○)
: 取得後最後の敵をやっつけると同時に大型のフードが1つ落下、さらに画面上の泡全てがフードに変化する。魔法の杖(6種類)はビッグなアイス・果物・エクレア・ケーキが、トレジャーボックス(5種類)はビッグ・ダイヤモンドがそれぞれ降下して出現する。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; リング(□)
: バブルンが取った行動により得点加算される指輪。紫色、赤色、水色の3種類。紫色はジャンプする毎に、赤色は泡を吐く毎に、水色は歩くごとにそれぞれ得点加算される。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; ホーリーウォーター(○)
: 取得した瞬間敵が全て消滅、ボーナスターゲットが出現しボーナスステージになる。30秒以内に全てのターゲット取ればパーフェクトボーナス。オレンジ色・赤色・緑色・黄色・紫色の5種類ありそれぞれボーナスターゲットの種類(花・クローバー・虹・音符)も異なる。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; クロス・オブ・ファイア(□)
: 赤い十字架。バブルンが泡の代わりの貫通力がある火の玉を最大16発吐けるようになり、直接敵を倒せる。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; クロス・オブ・サンダー(○)
: 黄色い十字架。画面上部から巨大な雷を落として敵を攻撃する。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; クロス・オブ・ウォーター(○)
: 青い十字架。画面全体が水没して敵を全滅させる。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; ブック・オブ・デス(○)
: 取った瞬間地震が起こり敵を全滅させる<ref name="ベーマガ付録198702"/>。空中の敵にも有効。
; ダイナマイト(○)
: 取った瞬間爆発が起こり敵を全滅させる<ref name="ベーマガ付録198702"/>。
; ちゃっくんハート(○)
: バブルンが一定時間無敵とスピードアップ状態になり、体当たりで敵を倒せる<ref name="ベーマガ付録198702"/>。敵はその間は身動きが取れない状態になっている。
; パラソル(○)
: 先の面へとワープする傘。オレンジ色、赤色、紫色の3種類あり、オレンジは3面先、赤は5面先、紫は7面先へそれぞれワープする。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; 魔法のネックレス(○)
: 銀色のネックレス。壁や床に当たると跳ね返るエナジー・ボールを出現させて、敵を攻撃する。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; 炎のネックレス(○)
: 赤色のネックレス。EXTENDバブルが続けて10個出現する。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; 魔法のランプ
: 黄色、青色、赤色、紫色の4種類。黄は3種のキャンディーの効果(◎)、青色は3種のリングの効果(□)、赤は全てのキャンディー(◎)とリング(□)の効果が同時に備わる。紫はSPARK(聖なる炎)を生じて爆発を起こし、敵を全滅させる(○)。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; スター・ティアラ(○)
: 多数の星を降らせて敵を攻撃する<ref name="ベーマガ付録198702"/>。
; 鈴(☆)
: 各通常面において敵を全滅させる攻撃アイテムが出現する場合、ラウンド開始時に予め鳴って知らせる<ref name="ベーマガ付録198702"/>。
; 水晶玉(☆)
: タイマー・フード(後述)およびアイテムが、ラウンド開始直後に出現する<ref name="ベーマガ付録198702"/>。
; クロック(○)
: 一定時間敵の動きを止める<ref name="ベーマガ付録198702"/>。動きが止まっている間でも敵に触れるとミスになる。
; 金のシャレコウベ(□)
: 彗星が横切り、すぐさま「Hurry up」になる<ref name="ベーマガ付録198702"/>。
; フォーク(○)、ナイフ(○)、コーラ(○)
: 色々なものをたくさん降らせて敵を攻撃する。フォークは野菜を、ナイフはケーキを、コーラはオレンジ色の花を降らせる。ネームエントリーで特定のイニシャルを入力後、次回のプレイで出現する。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; チューハイ(○)、ピンクフラミンゴ(○)、タコッパチ(○)
: ラウンドクリア・フード(後述)を特定のものにする。チューハイはお好み焼きに、ピンクフラミンゴはピンクのウンコに、タコッパチは×印になる<ref name="ベーマガ付録198702"/>。ネームエントリーで特定のイニシャルを入力後、次回のプレイで出現する。
; クレヨン(☆)
: 赤色のクレヨン。ホーリー・ウォーターと同様の効果があり、さらにホーリーウォーターが次の面から3面連続で出現する。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; 金の扉(○)、銀の扉(○)
: 1面からノーミスでラウンドクリアを続けると出現する。金の扉は50面から70面までワープする。銀の扉は20面、30面、40面で出現し、高得点のダイヤモンドが多数置かれているシークレット・ルームに行くことができる。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
; ドラッグ・オブ・サンダー(□)
: 最終面(100面)のみ出現するアイテム。バブルンがサンダーバブルを吐けるようになる。<ref name="ベーマガ付録198702"/>
=== フード ===
ゲーム中には、フード(食べ物)と呼ばれるボーナスアイテムが登場し、その数も全96種類と豊富である{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。大別すると、「タイマー・フード」「エネミー・フード」「ラウンドクリア・フード」「ボーナス・フード」の4タイプに分けることができる{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。中には王冠、宝石、ダイヤモンドといった、食べ物でない物も存在するが、ゲーム中では一様にフードとして扱っている。
; タイマー・フード
: 最終面以外の各面に必ず1つ出現し、時間が経つと消える。前の面を早くクリアするほど、次の面で得点の高いフードが出現する。一人プレイの時は10 - 7000点。二人同時プレイの時は10 - 10000点。
; エネミー・フード
:敵をやっつけた時に、その敵が変化したフード。敵をまとめ割りでやっつけると得点の高いフードが出るようになる。時間が経つと消える。前述の通り、特殊バブルや攻撃アイテムで敵をやっつけるとその敵は必ずダイヤモンドに変化する。500 - 10000点。
; ラウンドクリア・フード
: ラウンドクリアと同時に、画面上に出ていた全ての泡がフードに変化するもの{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=251}}。特定の面{{efn2|ラウンド1、5、10、15、20、25、30、35、40、45、50、85、86、92、93、94。}}では無条件で出現するが、それ以外の面では、最後の敵をやっつけた瞬間にスコアの百の位と十の位を同数にしてからクリアすると出現する{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=251}}。二人同時プレイの場合は、いずれか一人がこの条件を満たしていればよい{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=251}}。フードの種類は同数にした数字により異なる{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=251}}。一律700点。ただし、二人同時プレイで各プレイヤーの下3桁がまったく同じになった場合でもラウンドクリア・フード出現し、この場合はスコアの十の位のスコアでフードの種類が決定される{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。また「魔法の杖」「宝箱」のアイテムを取ってからクリアすると、泡が変化したフードとともに大型のフードが1つ落下してくる。大型のフードは取ると10000 - 80000点と高得点となっている。
=== 隠しコマンド ===
{{出典の明記|section=1|date=2015年10月}}
バブルボブルには以下の[[隠しコマンド]]が存在する。隠しコマンドは、ゲーム開始前のタイトル画面が表示されている間に入力する。タイトル表示1回につき1つのコマンドしか入力できないがデモをループさせ、タイトル画面を複数回表示させることにより複数のコマンドを入力可能。入力に成功すると画面下に入力成功コマンドの文字が表示される<ref name="bestgame_104">{{Cite journal|和書|title=ゲーメスト肉迫!! 徹底解剖SPECIAL9 バブルボブル|date=1991-07-01|publisher=[[新声社]]|journal=ザ・ベストゲーム 月刊[[ゲーメスト]]7月号増刊|volume=6|number=7|pages=104 - 113|asin=B00BHEECW0|ref=harv}}</ref>。
コマンドの記号はB(泡ボタン)J(ジャンプボタン)←(左)→(右)S(1Pスタートボタン)
; オリジナルゲーム(B・J・B・J・B・J・→・S<ref name="bestgame_104" />)
: 20、30、40面において「ノーミス」で到達しない限り出現しないアイテム「銀の扉」(取ると、シークレットルームに入る)と、50面において同条件の「金の扉」(取ると70面までワープする)が無条件で出現するようになる
; パワーアップ(←・J・←・S・←・B・←・S<ref name="bestgame_104"/>)
: 高速移動、泡の連射と速射の3種類のアイテムの効力を常に保持
; スーパー・バブルボブル(S・J・B・←・→・J・S・→<ref name="bestgame_104" />)
: タイトルの左上に「SUPER」の文字が現れ、ゲーム開始時にスーパーモードが選択できるようになる。
この隠しコマンドによるパワーアップを使うと使わないとでは難易度に大きな差が生じてしまう。隠しコマンドを知っている人だけが有利になり、ゲームバランスを崩壊させてしまっているという見方もできる。このコマンドを公開しているゲームセンターもあった。なお、筐体貼り付け用に、この隠しコマンドが記載されたタイトー純正のインストカードも存在する。上記3つのコマンドは、続編であるレインボーアイランドにおいても入力可能で、ゲーム中のヒントをゲームスタート時に表示させることができる。
通常スタートで最終100面をクリアすると、偽りのエンディングメッセージが表示され、裏ゲーム「スーパー・バブルボブル」へ入るための暗号(バブルボブル文字)が大きな文字で示される{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=251}}。暗号は英語のアルファベットに対応しており、これを読み解くヒントは、ノーミスで20面に到達した際に行けるシークレット・ルームの中に、暗号がABCD...順に表示されているので、これと照らし合わせることで読み解ける仕掛けになっている{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=251}}。
「スーパー・バブルボブル」のコマンド入力に成功すると選択できるようになるスーパーモードは、通常のラウンドの敵の配置をすべて入れ替えた(ぜんちゃんとひでごんす、まいたとどらんく、など対応は固定)もので、こちらも100ラウンドある。このモードを二人同時にクリアすると、真のエンディングを見ることができる(オープニングの泡の出方も変わっている)。イタズラで入力された場合の対策として、ノーマルモードも選択可能。
当時の雑誌インタビューによると、これらの隠しコマンドはゲームデザイナーが仕様書に書かず無断で入れたようである。
=== その他 ===
* 吐いた泡の上でジャンプをしようとしても、必ず割れてしまうことがある。これは、規定数を超える泡の存在を禁止しており、それを超える泡を出した際にその泡が優先的に割れるような順位に、内部処理的になってしまっているからである。これを防ぐには、その優先的に割れる泡を1つ、他に割らないように吐き捨てて、その後に吐いた泡を使うようにすれば良い。ただし、特殊バブルは自然に割れるには相当の時間を要するので、特殊バブルで画面が埋まっている場合はそれを割る必要がある。
* ウォーターバブルの水流に対して、バブルンは半キャラクター分左にずれて流される。そのため、左向きの水流に流されて左端でジャンプで水流から抜けると左端壁に半キャラクターめり込んだ状態になり、そのまま放置すれば縦に落ち続ける。
* 97面は時間経過による「Hurry up!!」が発生しないため、すかるもんすたも出現しない。ただしアイテムの金のシャレコウベを取った時は別で、アイテムの効果通りに「Hurry up!!」が発生しすかるもんすたも出現する。<!-- {{疑問点範囲|また、この面でアイテムの時計をとってしまうとタイムストップが一定時間経っても解除されず、敵を全滅させても次の面に進めなくなるというバグがある。|title=機種は何ですか?アーケード版では起こりません。|date=2015年5月}} -->
* すーぱーどらんく出現時に静止していると、突如ミスとなる。
* すーぱーどらんくには、最終面の女の子が落としたドラッグ・オブ・サンダーを取ったあと、サンダーを1発だけ命中させてから一定時間逃げまわって待つと、薬が効いてきて勝手に泡に入って自滅してしまう{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=251}}。ただし、サンダーを2発以上当てたり、途中でミスするとこの効果はなくなってしまい正攻法でしか倒せなくなる{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=251}}。
* シークレットルーム内でゲームオーバーになると{{efn2|シークレットルームで一定時間経つと、永久パターン防止用キャラ「ラスカル」が登場し、触れることでミスになる{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。ただし、シークレットルーム内で一度ミスすると、すぐにノーマルステージにすすんでしまうため、ここでゲームオーバーになるためにはプレイヤー(バブルン)を最後の1匹にしておく工夫が必要になる{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。}}まずその後のレコードラウンド表示が102になる画面が見られ、その後のデモでシークレットルームが表示されるなど挙動がおかしくなるバグが発生する{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。さらに、ゲームを再度始めるとラウンド1でいきなりシークレットルームになる{{Sfn|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号|p=252}}。そのシークレットルーム自体は2面。
* 56面は開始直後に「Hurry up!!」になってすかるもんすたが出現し、アイテムはその後出現する。そのためアイテムとしてちゃっくんハートが出た場合は、取って無敵になった後にすかるもんすたに体当たりして消すことができる。しかしすかるもんすたはすぐに再出現する。
* 2009年10月には韓国のアイドルユニット「[[少女時代 (音楽グループ)|少女時代(SNSD)]]」がこのゲームのBGMに歌詞を加えて歌った[[三養ラーメン]]のCMが韓国で放送されていることが[[YouTube]]で流され、日本で話題となる。このCMの音楽の件は正式にタイトーから承諾を受けているとのことである<ref>{{Cite web|和書|author=池谷勇人 |date=2009-10-28 |url=http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/0910/28/news097.html |title=日々是遊戯:「バブルボブル」のBGMが、韓国ではラーメンのCMに使われている!? |website=[[ITmedia|ねとらぼ]] |publisher=アイティメディア|accessdate=2019-12-21}}</ref>。
* ネームエントリーで「SEX」を入力すると強制的に「H.!」に変えられる。<!--他のゲームで「ダライアス」は名前自体消えたり「電車でGO!」は強制的に「205系」などに変えられたりする。-->
* ゲームボーイ版では画面サイズの関係で、ラウンド内がスクロールする仕様に変更されている。また、オリジナルは画面下に落ちると画面上にワープする仕様であったが、ゲームボーイ版では画面上と下がスクロールで繋がって表示される<ref name="natsukashiGB"/>。
== 敵キャラクター ==
;ぜんちゃん
:背中に[[ぜんまいばね|ぜんまい]]がある敵キャラクター。ブロックの上を歩いて動き回り、バブルンたちを追いかける。ジャンプも多少できる。元々はアーケードゲーム『[[ちゃっくんぽっぷ]]』([[1984年]])の没キャラクターだった。
;まいた
:白色の[[ローブ]]を羽織った敵キャラクター。動きはぜんちゃんとほぼ同じ。進行方向に岩を投げることがある。『ちゃっくんぽっぷ』にタイマー役で登場していた。
;もんすた
:常に空中を浮遊し、落下中以外は斜め45度方向に移動、壁などにぶつかると跳ね返るように進行方向を変える。『ちゃっくんぽっぷ』に敵キャラクターとして登場している。
;ぷるぷる
:頭頂部にプロペラがある敵キャラクター。空中に常に浮いており、緩やかなジグザグを描くように移動する。
;ばねぼう
:下半身がバネのような形をしている。ブロックの上を飛び跳ねるように移動する。
;ひでごんす
:紫色の毛むくじゃらの敵キャラクター。動きはぜんちゃんとほぼ同じだが、穴を飛び越えるジャンプはしない。進行方向に火の玉を打ってくる。ルックスは、当時タイトーに在籍していた実在の人物がモデル。
;どらんく
:[[杖]]を持ち、緑色のローブを羽織っている敵キャラクター。動きはぜんちゃんとほぼ同じだが、垂直方向へ連続ジャンプできる。進行方向に酒のビンを投げてくる。ビンは壁に当たるとはね返ってくる。跳ね返ったビンを受け取ると1回ジャンプする習性がある。
;いんべーだー
:紫色の敵キャラクター。ブロックに沿うように移動しながら、下方向にビームを放つ。アーケードゲーム『[[スペースインベーダー]]』([[1978年]])がそのモデル。アルゴリズムが単純でハマり易いため、『スーパーバブルボブル』(前述)では登場しない。
;すかるもんすた
:白色のもんすたで、[[永久パターン#永久パターン防止キャラ|永久パターン防止キャラクター]]。撃破することができず、こちらを常に追跡している。一定時間クリアしないでいると出現。
;らすかる
:緑の顔の敵キャラクターで、永久パターン防止キャラクター。一定時間シークレットルームを出ないでいると出現する。動き自体はすかるもんすたと同じ。アーケードゲーム『[[べんべろべえ]]』(1984年)に登場したキャラクター。
;すーぱーどらんく
:ボスキャラクター。巨大化したどらんく。斜め45度方向に動き画面端で跳ね返るように飛び回りながら、酒瓶を扇状に投げてくる。
== 他機種版 ==
{|class="wikitable" style="font-size:85%"
|-
! No.
! タイトル
! 発売日
! 対応機種
! 開発元
! 発売元
! メディア
! 型式
! 備考
|-
| style="text-align:right" | 1
! Bubble Bobble
| {{vgrelease new|EU|1987年|NA|May 1989}}
| [[Amiga]]<br />[[Amstrad CPC]]<br />[[Atari ST]]<br />[[コモドール64]]<br />[[ZX Spectrum]]
| [[:en:Software Creations (UK)|Software Creations]]
| [[:en:Telecomsoft|Firebird]]
| [[フロッピーディスク]]<br />[[コンパクトカセット|カセットテープ]]
| -
| Amstrad CPC、ZX Spectrum版は欧州のみ発売
|-
| style="text-align:right" | 2
! バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|1987-10-30|NA|November 1988|EU|1990年}}
| {{vgrelease new|JP|[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム|ディスクシステム]]|NA|[[Nintendo Entertainment System|NES]]|EU|NES}}
| タイトー
| タイトー
| {{vgrelease new|JP|[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム#ディスクカード|ディスクカード]]両面|NA|[[ロムカセット]]|EU|ロムカセット}}
| {{vgrelease new|JP|TFD-BUB|NA|NES-B2|EU|NES-B2}}
|
|-
| style="text-align:right" | 3
! バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|1987-9-26}}
| [[MSX2]]
| タイトー
| タイトー
| 1[[メガビット]]ロムカセット
| TMS-02
|
|-
| style="text-align:right" | 4
! ファイナルバブルボブル<br />Bubble Bobble
| {{vgrelease new|JP|1988-07-02|EU|December 1991}}
| {{vgrelease new|JP|[[セガ・マークIII]]|EU|[[セガ・マスターシステム]]}}
| タイトー
| [[セガ]]
| 2[[メガビット]]ロムカセット<ref name="megafan63">{{Cite journal|和書|title=7月号特別付録 MEGADRIVE ALL CATALOG|date=1991-07-15|publisher=[[徳間書店]]|journal=[[ドリームキャストFAN|メガドライブFAN]]|volume=3|number=7|pages=62|ref=harv}}</ref>
| {{vgrelease new|JP|G-1362|EU|7077}}
|
|-
| style="text-align:right" | 6
! Bubble Bobble
| {{vgrelease new|NA|July 1989}}
| [[Apple II]]
| [[:en:NovaLogic|NovaLogic]]
| タイトー
| フロッピーディスク
| -
|
|-
| style="text-align:right" | 5
! Bubble Bobble
| {{vgrelease new|NA|September 1989}}
| [[PC/AT互換機]]
| NovaLogic
| タイトー
| 5インチフロッピーディスク
| -
|
|-
| style="text-align:right" | 7
! バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|1990-03-09}}
| [[X68000]]
| [[電波新聞社]]
| [[マイコンソフト]]
| フロッピーディスク
| -
|
|-
| style="text-align:right" | 8
! バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|1990-10-31}}
| [[FM TOWNS]]
| ビング
| ビング
| [[CD-ROM]]
| HMB-191
|
|-
| style="text-align:right" | 9
! バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|1990-12-07|NA|March 1991|EU|1991年}}
| [[ゲームボーイ]]
| タイトー
| タイトー
| 1[[メガビット]]ロムカセット<ref name="famimaga138">{{Cite journal|和書|title=5月24日号特別付録 ファミコンディスクカード ゲームボーイ スーパーファミコン オールカタログ|date=1991-05-24|publisher=[[徳間書店]]|journal=[[ファミリーコンピュータMagazine]]|volume=7|number=10|pages=138|ref=harv}}</ref>
| {{vgrelease new|JP|DMG-B2A|NA|DMG-B2-USA|EU|DMG-B2-NOE}}
|
|-
| style="text-align:right" | 10
! Bubble Bobble
| {{vgrelease new|NA|November 1994}}
| [[ゲームギア]]
| Open
| タイトー
| ロムカセット
| T-11028
|
|-
| style="text-align:right" | 11
! Bubble Bobble<br />also featuring Rainbow Islands
| {{vgrelease new|NA|1996-09-03|EU|1996年}}
| [[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]<br />[[セガサターン]]
| [[:en:Acclaim Cheltenham|Probe Software]]
| [[アクレイム・エンタテインメント|アクレイム]]
| CD-ROM
| '''PS'''<br />{{vgrelease new|NA|SLUS-00370|EU|SLES-00448}}'''SS'''<br />{{vgrelease new|NA|T-8131H|EU|T-8131H-50}}
| 『レインボーアイランド』と同時収録
|-
| style="text-align:right" | 12
! Bubble Bobble<br />featuring Rainbow Islands
| {{vgrelease new|NA|1996-09-30|EU|1996-09-30}}
| PC/AT互換機
| Probe Software
| アクレイム
| CD-ROM
| -
| 『レインボーアイランド』と同時収録
|-
| style="text-align:right" | 13
! タイトーメモリアル<br />バブルボブル<br />Classic Bubble Bobble
| {{vgrelease new|NA|1999-10-01|EU|1999-10-01|JP|2000-05-06}}
| ゲームボーイ<br />ゲームボーイカラー共通
| ねこぐみ
| ジョルダン
| ロムカセット
| {{vgrelease new|JP|DMG-BJBJ-JPN}}
| リメイク版、1人プレイ専用
|-
| style="text-align:right" | 14
! Ultra2000 バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|2002-07-18}}
| [[Microsoft Windows|Windows]]
| タイトー
| [[メディアカイト]]
| CD-ROM
| -
|
|-
| style="text-align:right" | 15
! バブルボブル OLD&NEW
| {{vgrelease new|JP|2002年7月25日<ref>{{Cite web|和書|author=田名網陽平 |date=2002-05-31 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20020531/bub.htm |title=メディアカイト、なつかしの「バブルボブル」がGBAで甦る! GBA「バブルボブル OLD&NEW」 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]]|accessdate=2019-12-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author= |date=2002-05-31 |url=https://dengekionline.com/data/news/2002/5/31/38f80fb056f27d3d785cd1b37986c2f7.html |title=メディアカイト、懐かしさと新要素満載のGBA『バブルボブルOLD&NEW』を7月発売 |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]]|accessdate=2019-12-21}}</ref>|NA|2003年|EU|2003-03-14}}
| [[ゲームボーイアドバンス]]
| タイトー
| {{vgrelease new|JP|[[メディアカイト]]|NA|[[:en:Empire Interactive|Empire Interactive]]|EU|Empire Interactive}}
| ロムカセット
| -
| リメイク版と同時収録
|-
| style="text-align:right" | 16
! バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|2003年4月21日<ref>{{Cite web|和書|author=関口聖 |date=2003-04-21 |url=https://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/13683.html |title=タイトー、iモード向けゲームサイトで「バブルボブル」配信 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]]|accessdate=2019-12-21}}</ref>}}
| [[iアプリ]]
| タイトー
| タイトー
| [[ダウンロード販売|ダウンロード]]<br />(タイトーG@meパーク)
| -
| アーケード版の移植
|-
| style="text-align:right" | 17
! 遊遊 バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|2004-02-19}}
| Windows
| タイトー
| メディアカイト
| CD-ROM
| -
| 廉価版
|-
| style="text-align:right" | 18
! バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|2004年6月10日<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2004-06-09 |url=https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/0406/09/news056.html |title=タイトー、EZアプリ向けアクションゲーム「バブルボブル」 |website=[[ITmedia|ITmedia Moblie]] |publisher=アイティメディア|accessdate=2019-12-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=滝沢修 |date=2004-06-10 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20040610/taito.htm |title=タイトー、EZアプリ「バブルボブル」を配信 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |language= [[日本語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref>}}
| [[BREW]]<br />([[EZアプリ]])
| タイトー
| タイトー
| ダウンロード<br />(タイトーゲームエキスポ)
| -
| アーケード版の移植
|-
| style="text-align:right" | 19
! [[タイトーメモリーズ|タイトーメモリーズ 上巻]]
| {{vgrelease new|JP|2005-07-28}}
| [[PlayStation 2]]
| タイトー
| タイトー
| [[DVD-ROM]]
| SLPM-66057
| アーケード版の移植、一定の条件を満たさないとプレイできない
|-
| style="text-align:right" | 20
! [[:en:Taito Legends|Taito Legends]]
| {{vgrelease new|EU|2005-10-14|NA|2005-10-25}}
| PlayStation 2<br />[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]<br />Windows
| タイトー<br />Empire Interactive<br />[[:en:Atomic Planet Entertainment|Atomic Planet]]
| {{vgrelease new|EU|Empire Interactive|NA|セガ}}
| DVD-ROM
| -
| アーケード版の移植
|-
| style="text-align:right" | 21
! {{vgrelease new|JP|バブルボブルDS|EU|Bubble Bobble Revolution|NA|Bubble Bobble Revolution}}
| {{vgrelease new|JP|2005年11月24日<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2005-09-22 |url=https://www.famitsu.com/game/coming/1167330_1407.html |title=名作パズルアクションゲームが復活!『バブルボブルDS』 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]]|accessdate=2019-12-21}}</ref>|EU|2005-10-25|NA|2006-10-03}}
| [[ニンテンドーDS]]
| ドリームス<br />[[パック・イン・ビデオ|マーベラスインタラクティブ]]
| {{vgrelease new|JP|タイトー|EU|[[Rising Star Games]]、[[アタリ (企業)|アタリ]]|NA|[[コードマスターズ]]}}
| DSカード
| -
| リメイク版と同時収録
|-
| style="text-align:right" | 22
! タイトーベスト<br />タイトーメモリーズ 上巻
| {{vgrelease new|JP|2006-07-06}}
| PlayStation 2
| タイトー
| タイトー
| DVD-ROM
| TCPS-10160
| 廉価版、アーケード版の移植、始めからプレイ可能
|-
| style="text-align:right" | 23
! エターナルヒッツ<br />タイトーメモリーズ 上巻
| {{vgrelease new|JP|2007-06-28}}
| PlayStation 2
| タイトー
| タイトー
| DVD-ROM
| SLPM-66775
| 廉価版、アーケード版の移植、始めからプレイ可能
|-
| style="text-align:right" | 24
! バブルボブル
| {{vgrelease new|EU|2007-11-23|NA|2007-12-31|JP|2008年5月13日<ref>{{Cite web|和書|author=土本学 |date=2008-05-11 |url=https://www.inside-games.jp/article/2008/05/11/28924.html |title=「バーチャルコンソール」5月13日配信開始タイトル |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]]|accessdate=2019-12-21}}</ref>}}
| [[Wii]]
| タイトー
| タイトー
| ダウンロード<br />([[バーチャルコンソール]])
| {{vgrelease new|EU|FC3P|NA|FC3E|JP|FC3J}}
| ファミリーコンピュータ版の移植
|-
| style="text-align:right" | 25
! {{vgrelease new|JP|バブルボブルWii|PAL|Bubble Bobble Plus!|NA|Bubble Bobble Plus!}}
| {{vgrelease new|JP|2009年2月10日<ref>{{Cite web|和書|author=ginger |date=2009-02-06 |url=https://www.4gamer.net/games/084/G008449/20090206016/ |title=懐かしの「バブルボブル」がWiiウェアに! 「バブルボブルWii」が配信決定 |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[デジタルハーツホールディングス|Aetas]]|accessdate=2019-12-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author= |date=2009-02-09 |url=https://dengekionline.com/elem/000/000/138/138310/ |title=名作ACTがWiiへ! 『バブルボブル』新作がWiiウェアで明日発売 |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]]|accessdate=2019-12-21}}</ref>|PAL|2009-04-10|NA|2009-05-25}}
| Wii
| タイトー<br />ドリームス
| {{vgrelease new|JP|タイトー|EU|[[スクウェア・エニックス]]|NA|スクウェア・エニックス}}
| ダウンロード<br />([[Wiiウェア]])
| -
|
|-
| style="text-align:right" | 26
! BUBBLE BOBBLE Neo!
| {{vgrelease new|JP|2009年8月5日<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2009-07-21 |url=https://www.famitsu.com/game/news/1226050_1124.html |title=『バブルボブル Neo!』の配信予定日が2009年8月5日に決定 |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]]|accessdate=2019-12-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author= |date=2009-07-21 |url=https://dengekionline.com/elem/000/000/179/179738/ |title=シリーズ最大ボリュームで贈る『バブルボブル Neo!』が配信決定 |website=[[アスキー・メディアワークス|電撃オンライン]] |publisher=[[KADOKAWA]]|accessdate=2019-12-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=滝沢修 |date=2009-07-22 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/303940.html |title=タイトー、XLA「バブルボブル Neo!」8月5日配信決定 |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]]|accessdate=2019-12-21}}</ref>|INT|2009-09-16}}
| [[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]<br />([[Xbox Live|Xbox Live Arcade]])
| タイトー<br />ドリームス<br />ペガサスジャパン
| タイトー
| ダウンロード
| -
|
|-
| style="text-align:right" | 27
! バブルボブル ダブル
| {{vgrelease new|INT|2010年10月01日<ref>{{Cite web|和書|author=八岡弘高 |date=2010-10-25 |url=https://www.inside-games.jp/article/2010/10/02/44795.html |title=タイトー、アーケードで人気を博した『バブルボブル ダブル』をiPhone/iPod Touch向けに配信 |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]]|accessdate=2019-12-21}}</ref>}}
| [[iPhone]]、[[iPod touch]]<br />([[iOS]])
| タイトー
| タイトー
| ダウンロード
| -
|
|-
| style="text-align:right" | 28
! バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|2013年10月16日<ref>{{Cite web|和書|author=津久井箇人 a.k.a. そそそ |authorlink=津久井箇人 |date=2013-10-09 |url=https://www.inside-games.jp/article/2013/10/09/71030.html |title=『BUBBLE BOBBLE』3DSバーチャルコンソールで配信決定 ― 2人プレイが熱いアクション!かわいいキャラにも注目 |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]]|accessdate=2019-12-21}}</ref>}}
| [[ニンテンドー3DS]]
| タイトー
| スクウェア・エニックス
| ダウンロード<br />(バーチャルコンソール)
| TDTJ
| ファミリーコンピュータ版の移植
|-
| style="text-align:right" | 29
! バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|2014年1月29日<ref>{{Cite web|和書|author=津久井箇人 a.k.a. そそそ |authorlink=津久井箇人 |date=2014-01-22 |url=https://www.inside-games.jp/article/2014/01/22/73708.html |title=Wii Uバーチャルコンソール1月29日配信タイトル ― 『BUBBLE BOBBLE』『ワリオの森』『高橋名人の新冒険島』『夢大陸アドベンチャー』の4本 |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]]|accessdate=2019-12-21}}</ref>}}
| [[Wii U]]
| タイトー
| スクウェア・エニックス
| ダウンロード<br />(バーチャルコンソール)
| FBWJ
| ファミリーコンピュータ版の移植
|-
| style="text-align:right" | 30
! バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|2016年1月29日<ref>{{Cite web|和書|author= |date=2016-01-25 |url=https://www.famitsu.com/news/201601/25097899.html |title=『バブルボブル』がPS4向け“アーケードアーカイブス”で1月29日より配信スタート |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |language= [[日本語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=津久井箇人 a.k.a. そそそ |authorlink=津久井箇人 |date=2016-01-25 |url=https://www.inside-games.jp/article/2016/01/25/95278.html |title=初代『バブルボブル』PS4で1月29日配信決定!2人プレイにも対応 |website=[[インサイド (ニュースサイト)|iNSIDE]] |publisher=[[イード (企業)|イード]]|accessdate=2019-12-21}}</ref>|NA|2016-03-15|EU|2016-04-01}}
| [[PlayStation 4]]<br />([[PlayStation Network]])
| タイトー
| [[ハムスター (ゲーム会社)|ハムスター]]
| ダウンロード<br />([[アーケードアーカイブス]])
| -
| アーケード版の移植
|-
| style="text-align:right" | 31
! Bubble Bobble<br /> Pocket Player
| {{vgrelease new|NA|2019-07-22||}}
| Bubble Bobble<br /> Pocket Player
| My Arcade<ref>[https://www.myarcadegaming.com/products/bubble-bobble Bubble Bobble Pocket Player](My Arcade公式サイト)</ref><br />※本体の開発元
| My Arcade
| [[プリインストール]]
| -
| 携帯ゲーム機<br />NES版の移植<br />『バブルボブル2』『レインボーアイランド』も同時収録
|-
| style="text-align:right" | 32
! Bubble Bobble<br /> Micro Player
| {{vgrelease new|NA|2019-08-05||}}
| Bubble Bobble<br /> Micro Player
| My Arcade<ref>[https://www.myarcadegaming.com/products/bubble-bobble-micro-player Bubble Bobble Micro Player](My Arcade公式サイト)</ref><br />※本体の開発元
| My Arcade
| [[プリインストール]]
| -
| 卓上アーケード筐体<br />NES版の移植
|-
| style="text-align:right" | 33
! バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|2022-03-02||}}
| [[イーグレットツー ミニ]]
| 瑞起<ref>[https://www.zuiki.co.jp/solution-results/egret2mini/ EGRET II mini](瑞起公式サイト)</ref><br />※本体の開発元
| タイトー
| [[プリインストール]]
| -
| アーケード版の移植
|-
| style="text-align:right" | 34
! バブルボブル
| {{vgrelease new|JP|2022年12月29日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/news/202212/28288279.html |title=Switch『アケアカ バブルボブル』が12月29日に配信開始。泡はきドラゴンのバブルンとボブルンを操作して、地下100階を目指すアクションゲーム |website=[[ファミ通|ファミ通.com]] |publisher=[[KADOKAWA]] |date=2022-12-28 |accessdate=2022-12-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=屋敷悠太 |date=2022-12-28 |url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1467523.html |title=「バブルボブル」のアケアカSwitch版が12月29日発売! 泡はきドラゴンのバブルンとボブルン再び |website=[[Impress Watch|GAME Watch]] |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2022-12-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=maru |date=2022-12-28 |url=https://www.4gamer.net/games/677/G067751/20221228042/ |title=Switch「アーケードアーカイブス バブルボブル」12月29日にリリース。公式番組“アーケードアーカイバー”も同日に配信 |website=[[4Gamer.net]] |publisher=[[デジタルハーツホールディングス|Aetas]] |accessdate=2022-12-29}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=Gamer編集部 |date=2022-12-28 |url=https://www.gamer.ne.jp/news/202212280040/ |title=「アーケードアーカイブス バブルボブル」がSwitchで12月29日に配信!バブルンとボブルンが活躍するシリーズの第一作目 |website=Gamer |publisher=ixll |accessdate=2022-12-29}}</ref>}}
| [[Nintendo Switch]]
| タイトー
| ハムスター
| ダウンロード<br />(アーケードアーカイブス)
| -
| アーケード版の移植
|}
; MSX2版
:*バブルン・ボブルン以外のキャラクターをMSX2のスプライト1枚で描画できる「1ライン1色」にすることで横方向のスプライトちらつき、画面全体のスプライトオーバーを発生しにくくしている。
;*ノーマルエンドの後で表示される隠しコマンドをゲーム開始時のセレクト画面で入力することでスーパーバブルボブルがプレイできる。
:*エンディングが何故か曲が流れない仕様になっている(ROM内に曲データは存在する)。
:*2人プレイを行うと処理落ちが頻繁に発生する。
; セガ・マークIII版
:『'''ファイナルバブルボブル'''』と銘打っており、先に発売されていたMSX2版をベースに以下の要素を追加している。
:* フードやアイテムの種類が増えていて、新しい特殊攻撃も追加されている。
:* 隠しアイテムが出現するシークレットルームが追加されている。全ての隠しアイテムを集めるのがクリアの条件になっている。
:* 巨大な宝箱からフードやアイテムが大量に出現するシークレットルームが追加されている。
:* スーパーどらんく以外の大型キャラクターが中ボスとして登場する。
:* 全200ラウンド。前半のラウンド100をクリアするとバッドエンディングが流れ、後半は100ラウンドのスーパーバブルボブルになる。
:* エンディングが変更されている。
:* ゲームオーバー時に隠し要素のヒントが表示される。
:* 2019年には[[Amazon.co.jp|Amazon]]の[[サイバーマンデー]]限定で、『[[バブルボブル 4 フレンズ]]』に[[Nintendo Switch]]移植版のダウンロードコードが付属した<ref>{{Cite web|和書|title=『バブルボブル 4』Amazonサイバーマンデー限定で『ファイナルバブルボブル(マークIII版)』が特典に|url=https://dengekionline.com/articles/19265/|website=電撃オンライン|date=2019-11-29|accessdate=2019-12-22}}</ref>。
:
; ゲームギア版
:* マークIII版をベースにステージレイアウトをゲームギアの解像度に合わせて縮小している。
:* 2台のゲームギアを対戦ケーブルで繋いで2人同時プレイができる。
:
; X68000版
:* オリジナル要素として『サイバブルン』 (SYBuBBLuN) という全20面の上級者向けアレンジバージョンが追加されている。同社の『[[サイバリオン]]』の[[パロディ]]であり、キャラクターやBGMも使用されている。
:
; ゲームボーイ版
:* モノクロ版とカラー対応版の2種類が発売されているが、1人プレイ専用のためストーリーが2作共通で独自のものに変更されており、病気の弟を救うためにバブルンが「月の水」を独り占めしている「すーぱーどらんくJr.」をこらしめにいくという、他機種版の続編のような内容となっている。どちらも画面サイズが小さいため、バブルンの周囲をスクロールする形式となっている。
:** モノクロ版はストーリーデモに両親と人間の姿の弟ボビーが登場。メッセージは全編英語。
:** カラー対応版『'''タイトーメモリアル バブルボブル'''』はややコミカルな絵柄になり、弟が泡吐きドラゴンのボブルンの姿で登場。メッセージは日本語で、エンディングメッセージも簡素な文章となっている。ステージ構成が大幅にリメイクされて様々な世界を廻る内容にアレンジされており、各ワールドに中間ボスが存在するなど『バブルボブルジュニア』にも似た構成になっている。
:
; PlayStation 2版
:* [[2005年]][[7月28日]]、[[タイトーメモリーズ 上巻]]にバブルボブルが収録。通常版ではロックがかかっており、一定の条件を満たすか、隠しコマンドを入力しないとプレイできない。[[2006年]][[7月6日]]に発売された[[廉価版]]は最初からプレイできる。
:
; Wiiウェア・Xbox Live Arcade版
:* [[2009年]][[2月10日]]より[[Wiiウェア]]版が『'''BUBBLE BOBBLE Wii'''』、同年[[8月5日]]より[[Xbox Live Arcade]]版が『'''BUBBLE BOBBLE Neo!'''』としてダウンロード販売開始。
:* アーケード版が再現された「スタンダードマップ(ノーマル100ラウンド+SUPER100ラウンド)」に加え、4人までの同時プレイが可能な新規ボスがいるアレンジマップ(ノーマル100ラウンド+SUPER100ラウンド)を収録。さらに追加コンテンツとして2種類(各50ラウンド)を有料販売している。こちらも新規ボスを収録している。
:* 4人プレイでは新キャラクターとして、バブルンたちそっくりな姿の黄色い「パブルン」とピンク色の「ぺブルン」が登場する。それぞれ『バブルシンフォニー』のクルルンとコロロンに配色が似ているが、こちらは完全にバブルンたちの色違いで性能も同一となっている。
; その他
:*韓国では本作を無許可で[[Zemmix]]用に移植した[[海賊版]]ソフトが『{{lang|ko|보글보글}}』(ボグルボグル<ref>韓国語で「ぶくぶく」の意味がある。</ref>)のタイトルで発売された。
== スタッフ ==
;アーケード版
:*ゲーム・デザイン:MTJ([[三辻富貴朗]])
:*キャラクター:MTJ(三辻富貴朗)
:*ソフトウェア・プログラマー:ICH(藤末一郎)、NSO/NISHIYORI
:*サウンド・クリエイター:KIM([[ZUNTATA|君島正]])
:*インストラクション:YSH(よしだなおこ)
:*ハードウェア:KTU(ふじもとかつじろう)、SAK(さかもとせいご)
:*スペシャル・サンクス:TOP(末角要次郎)、HED(上野崇男)、RYO/YUKI、SKE/NAKAMURA、SAN(三部幸治)、PAN(中川和雄)、OTO(今村善雄)
:
;ファミリーコンピュータ版
:*プログラマー:高橋章二、DRUNKER KZM、かわむきゆういちろう
:*キャラクター:SHINOBU.I
:*音楽:KIMI(君島正)
:*企画:SLEEPY.SHUN(高瀬努)
:*スペシャル・サンクス:MTJ(三辻富貴朗)、藤末一郎、たつやかずや、おまけたなか
:*プロデューサー:高橋章二、P.M.D.C.
:
;MSX2版
:*プログラマー:SUPER ATUJI(阿閉雅宏)、さとうさんた、T.KURIYAMA
:*コンバート・デザイン:高瀬努
:*キャラクター:やまなさちこ
:*サウンド:[[小倉久佳]]、Dr.A
:*プロデューサー:高橋章二
:*スペシャル・サンクス:三辻富貴朗、藤末一郎、君島正
:
;セガ・マークIII版
:*ゲーム・プログラマー:NANNO KHK
:*音楽:YAG(八木下直人)、大縫一行、ZTT
:*ゲーム・グラフィック:やまなさちこ
:*ゲーム・デザイン:RAINBOW S.T.
:*スペシャル・サンクス:オリジナル・バブルボブル・チーム、タイトーC.P.チーム、DRUNKER KZM、かわむきゆういちろう、SUPER(波多野幹夫)、HUCKER、GREAT(栗城源也)、[[西角友宏]]
:*プロデューサー:三部幸治、高橋章二
:
;ゲームボーイ(モノクロ)版
:*プロデューサー:KHK
:*プログラマー:CHARRY.SUZUKI、OMAKE-KZM
:*Q.C:KAMEDA
:*グラフィック:かわにしとおる
:*サウンド:OGR "ZTT"(小倉久佳)
:*ラウンド・デザイン:MASUMI
:*エネミー・セット:SUIT-S
:*スペシャル・サンクス:三辻富貴朗、藤末一郎、高瀬努
== 評価 ==
{{コンピュータゲームレビュー
|title =
|Allgame = {{Rating|3.5|5}} (AC)<ref name="mobygames_AC">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/arcade/bubble-bobble |title=Bubble Bobble for Arcade (1986) |website=[[:en:MobyGames|MobyGames]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref><br />{{Rating|4.5|5}} (FC)<ref>{{cite web |last=Couper |first=Chris|title=Bubble Bobble-Review|publisher=[[Allgame]] |accessdate=April 12, 2013 |url=http://allgame.com/game.php?id=263&tab=review |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141115151433/http://www.allgame.com/game.php?id=263&tab=review |archivedate=November 15, 2014}}</ref><br />{{Rating|3.5|5}} (GG)<ref name="mobygames_GG">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/game-gear/bubble-bobble |title=Bubble Bobble for Game Gear (1994) |website=[[:en:MobyGames|MobyGames]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref>
|CVG = 9/10点 (ST)<ref name="mobygames_ST">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/atari-st/bubble-bobble |title=Bubble Bobble for Atari ST (1987) |website=[[:en:MobyGames|MobyGames]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref><br />27/30点 (ZX)<ref>{{cite web|url=http://www.worldofspectrum.org/showmag.cgi?mag=C+VG/Issue072/Pages/CVG07200015.jpg |title=Bubble Bobble Review |journal=C+VG | issue=72 | pages=14–15 |date= October 1987 |accessdate=2012-08-10}}</ref><br />74% (SMS)<ref name="mobygames_SMS">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/sega-master-system/bubble-bobble |title=Bubble Bobble for SEGA Master System) (1988) |website=[[:en:MobyGames|MobyGames]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref>
|CRASH = 90% (ZX)<ref>{{citation |url=http://www.worldofspectrum.org/showmag.cgi?mag=Crash/Issue45/Pages/Crash4500132.jpg |title=Bubble Bobble Review |journal=Crash |date = October 1987 | issue = 45 | pages = 132–133 | archiveurl=http://www.crashonline.org.uk/45/bubble.htm | archivedate = 2006| accessdate=2012-08-10}}</ref>
|EGM = 7.75/10点 (GG)<ref name="EGM63">{{cite journal|last= |first= |title=Review Crew: Bubble Bobble|journal=[[エレクトロニック・ゲーミング・マンスリー]]|issue=63|publisher=[[Ziff Davis]]|date=October 1994|page=42}}</ref><br />95% (GG)<ref name="mobygames_GG"/>
|EuroG = 9/10点 (Wii)<ref name="mobygames_Wii">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/wii/bubble-bobble |title=Bubble Bobble for Wii (2007) |website=[[:en:MobyGames|MobyGames]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref>
|Fam = 28/40点 (FC)<ref name="famitsu"/><br />23/40点 (GB)<ref name="famitsu2"/><br />24/40点 (GBA)<ref name="famitsu3"/>
|GSpot = 8/10点 (Wii)<ref name="mobygames_Wii"/>
|IGN = 7.5/10点 (Wii)<ref name="mobygames_Wii"/>
|NLife = {{Rating|8|10}} (Wii)<ref name="mobygames_Wii"/>
|ONM = 70% (Wii)<ref name="mobygames_Wii"/>
|SUser = 8/10点 (ZX)<ref name = "suser">{{cite web|url=http://www.worldofspectrum.org/showmag.cgi?mag=SinclairUser/Issue068/Pages/SinclairUser06800050.jpg |title=Bubble Bobble Review |journal=Sinclair User|date = October 1987 | issue = 68 | pages = 50 | accessdate=2012-08-10}}</ref>
|YSinclair = 90% (ZX)<ref>{{citation |url=http://www.worldofspectrum.org/showmag.cgi?mag=YourSinclair/Issue69/Pages/YourSinclair6900056.jpg |title=Bubble Bobble Review |journal=Your Sinclair | date= September 1991 | issue = 69 | pages = 56 | archiveurl=http://www.ysrnry.co.uk/articles/bubblebobble-69.htm | archivedate = 2006 | accessdate=2012-08-10}}</ref>
|rev1 = [[:en:ACE (magazine)|ACE]]
|rev1Score = 915/1000点 (Amiga)<ref name="mobygames_Amiga">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/amiga/bubble-bobble |title=Bubble Bobble for Amiga (1987) |website=[[:en:MobyGames|MobyGames]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref><br />915/1000点 (CPC)<ref name="mobygames_CPC">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/cpc/bubble-bobble |title=Bubble Bobble for Amstrad CPC (1987) |website=[[:en:MobyGames|MobyGames]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref><br />915/1000点 (ST)<ref name="mobygames_ST"/><br />958/1000点 (C64)<ref name="mobygames_C64">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/c64/bubble-bobble |title=Bubble Bobble for Commodore 64 (1987) |website=[[:en:MobyGames|MobyGames]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref><br />915/1000点 (ZX)<ref name="mobygames_ZX">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/zx-spectrum/bubble-bobble |title=Bubble Bobble for ZX Spectrum (1987) |website=[[:en:MobyGames|MobyGames]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref><br />510/1000点 (GB)<ref name="mobygames_GB">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/gameboy/bubble-bobble |title=Bubble Bobble for Game Boy (1990) |website=[[:en:MobyGames|MobyGames]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref>
|rev2 = [[:en:Commodore User|Commodore User]]
|rev2Score = 7/10点 (Amiga)<ref name="mobygames_Amiga"/><br />94% (C64)<ref name="mobygames_C64"/>
|rev3 = [[:en:Amstrad Action|Amstrad Action]]
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|rev4 = [[:en:The Games Machine|The Games Machine]]
|rev4Score = 94% (ST)<ref name="mobygames_ST"/><br />93% (C64)<ref name="mobygames_C64"/><br />88% (ZX)<ref>{{cite web|url=http://www.worldofspectrum.org/showmag.cgi?mag=TheGamesMachine/Issue01/Pages/TheGamesMachine0100066.jpg |title=Bubble Bobble Review |journal=The Games Machine | issue=1 | pages=66 |date= November 1987 |accessdate=2012-08-10}}</ref>
|rev5 = [[:en:Atari ST User|Atari ST User]]
|rev5Score = 91% (ST)<ref name="mobygames_ST"/>
|rev6 = [[:en:ST Action|ST Action]]
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|rev7 = [[:en:Popular Computing Weekly|Popular Computing Weekly]]
|rev7Score = 10/20点 (ST)<ref name="mobygames_ST"/>
|rev8 = [[:en:Zzap!64|Zzap!64]]
|rev8Score = 97% (C64)<ref>{{citation | journal = Zzap!64 |url=http://www.zzap64.co.uk/cgi-bin/displaypage.pl?issue=030&page=012&thumbstart=0&magazine=zzap |title = Bubble Bobble Review | publisher= [[:en:Newsfield Publications|Newsfield Publications]] |date = October 1987 |accessdate=2014-06-23 | issue = 30 | pages = 12 }}</ref>
|rev9 = [[:en:Your Commodore|Your Commodore]]
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|rev10 = [[:en:Commodore Force|Commodore Force]]
|rev10Score = 92% (C64)<ref name="mobygames_C64"/>
|rev11 = [[:en:Aktueller Software Markt|Aktueller Software Markt]]
|rev11Score = 12.5/20点 (C64)<ref name="mobygames_C64"/><br />7.2/12点 (ZX)<ref name="mobygames_ZX"/><br />8.8/12点 (FC)<ref name="mobygames_FC">{{Cite web |author= |date= |url=https://www.mobygames.com/game/nes/bubble-bobble |title=Bubble Bobble for NES (1987) |website=[[:en:MobyGames|MobyGames]] |publisher=Blue Flame Labs |language=[[英語]] |accessdate=2019-12-21}}</ref><br />9/12点 (SMS)<ref name="mobygames_SMS"/><br />8.8/12点 (GB)<ref name="mobygames_GB"/>
|rev12 = [[ファミリーコンピュータMagazine]]
|rev12Score = 18.89/25点 (FC)<ref name="famimaga30"/><br />20.77/30点 (GB)<ref name="famimaga138"/>
|rev13 = [[:en:Mean Machines|Mean Machines]]
|rev13Score = 85% (FC)<ref name="mobygames_FC"/><br />85% (SMS)<ref name="mobygames_SMS"/>
|rev14 = [[:en:Raze (magazine)|Raze]]
|rev14Score = 75% (GB)<ref name="mobygames_GB"/>
|rev15 = [[GAME SIDE|ユーゲー]]
|rev15Score = 肯定的 (FC)<ref name="usedgame09"/>
|award1Pub = [[ゲーメスト大賞]]
|award1 = ゲーメスト・オブ・ザ・イヤー 銀賞<ref name="bestgame2_26"/>
|award2Pub = [[ゲーメスト]]
|award2 = ザ・ベストゲーム 第30位<ref name="bestgame_60"/><br />(1991年)
|award3Pub = Zzap!64
|award3 = Gold Medal
}}
; アーケード版
:*ゲーム誌『[[ゲーメスト]]』の企画であり「[[ゲーメスト大賞]]」の前身にあたる「ゲーメスト・オブ・ザ・イヤー」(1986年)で、編集部選考により銀賞を獲得している<ref name="bestgame2_26">{{Cite journal|和書|title=ゲーメスト大賞11年史|date = 1998-01-17|publisher=[[新声社]]|journal=GAMEST MOOK Vol.112 ザ・ベストゲーム2 アーケードビデオゲーム26年の歴史|volume=5|number=4|pages=26|isbn=9784881994290|ref=harv}}</ref>。
:*ゲーメストムック『ザ・ベストゲーム』([[1991年]])において、それまでの全アーケードゲーム作品を対象とした読者投票では第30位を獲得、同誌では「とにかく話題の多かったゲーム」と指摘した上で、「マニアも一般プレイヤーもみんな盛り上がった名作」と称賛した<ref name="bestgame_60">{{Cite journal|和書|title=最も愛されたゲームたち!! 読者が選んだベスト30|date=1991-07-01|publisher=[[新声社]]|journal=ザ・ベストゲーム 月刊[[ゲーメスト]]7月号増刊|volume=6|number=7|pages=60 - 61|asin=B00BHEECW0|ref=harv}}</ref>。
:*ゲーメストムック『ザ・ベストゲーム2』([[1998年]])では『名作・秀作・天才的タイトル』と認定された「ザ・ベストゲーム」に選定され、同書では本作がシューティングゲームの爽快感とアクションゲームの操作感、パズルゲームの謎解きを持ち合わせた上で、それらがバランス良く構成されていた事を称賛し、「非常に幅の広い層にプレイされ、大ヒットした」と指摘した<ref name="bestgame2_97">{{Cite journal|和書|title=ザ・ベストゲーム|date=1998-01-17|publisher=新声社|journal=GAMEST MOOK Vol.112 ザ・ベストゲーム2 アーケードビデオゲーム26年の歴史|volume=5|number=4|pages=97|isbn=9784881994290|ref=harv}}</ref>。また、本作が面クリアという要素でプレイヤーを楽しませると同時に如何に効率よく敵を倒すか、如何に高得点を取るかという要素で当時のプレイヤーを熱中させた事を指摘した<ref name="bestgame2_97"/>。
:
;ファミリーコンピュータ版
:*ゲーム誌『[[ファミ通|ファミコン通信]]』の「[[クロスレビュー]]」では合計28点となっている<ref name="famitsu">{{Cite web|和書|url=http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=9041|title=バブルボブル まとめ [ファミコン]|website=[[ファミ通|ファミ通.com]]|publisher=[[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]]|accessdate= 2016-12-24}}</ref>。
:*ゲーム誌『[[ファミリーコンピュータMagazine]]』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通りとなっており、18.89点(満25点)となっている<ref name="famimaga30">{{Cite journal|和書|title=5月24日号特別付録 ファミコンディスクカード ゲームボーイ スーパーファミコン オールカタログ|date=1991-05-24|publisher=[[徳間書店]]|journal=[[ファミリーコンピュータMagazine]]|volume=7|number=10|pages=30|ref=harv}}</ref>。
::{|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%"
|-
! 項目
| キャラクタ || 音楽 || 操作性 || 熱中度 || お買得度 || オリジナリティ
! 総合
|-
! 得点
| 4.10 || 3.66 || 3.62 || 3.72 || - || 3.79
! 18.89
|}
:*ゲーム誌『[[GAME SIDE|ユーゲー]]』では、敵を閉じ込めた泡を繋いで割る事でボーナス得点が入る事や、泡の上に乗ってジャンプする事でさらに高い位置へ移動できる事などに関して「素晴らしいアイディアが満載」と称賛した<ref name="usedgame09">{{Cite journal|和書|authorlink=|title=総力特集 フォーエバー DISK SYSTEM|date=2003-10-01|publisher=[[キルタイムコミュニケーション]]|journal=[[GAME SIDE|ユーゲー]] 2003 Vol.09|volume=7|number=18|pages=47|id=雑誌17630-10|ref=harv}}</ref>。その他、ディスクシステム版ではボーナスフードの種類が少ない点などに関して否定的な見解を示したが、到達したラウンドをセーブする事ができる点を肯定的に評価した<ref name="usedgame09"/>。
:
;ゲームボーイ(モノクロ)版
:*ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では合計23点となっている<ref name="famitsu2">{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=13674|title=バブルボブル まとめ [ゲームボーイ]|website= [[ファミ通|ファミ通.com]]|publisher=[[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]]|accessdate=2016-12-24}}</ref>。
:*ゲーム誌『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通り20.77(満30点)点となっている<ref name="famimaga138"/>。また、同雑誌1991年5月24日号特別付録の「ゲームボーイ オールカタログ」では、「軽快な音楽と、テンポのいいゲーム展開がウリ」と肯定的に評価された<ref name="famimaga138"/>。
::{|class="wikitable" style="font-size:85%; text-align:center; width:50%"
|-
! 項目
| キャラクタ || 音楽 || 操作性 || 熱中度 || お買得度 || オリジナリティ
! 総合
|-
! 得点
| 3.72 || 3.37 || 3.37 || 3.51 || 3.36 || 3.44
! 20.77
|}
:
;ゲームボーイアドバンス版
:*ゲーム誌『ファミコン通信』のクロスレビューでは合計24点となっている<ref name="famitsu3">{{Cite web|和書|url=http://www.famitsu.com/cominy/?m=pc&a=page_h_title&title_id=4729|title=バブルボブル OLD&NEW まとめ [GBA]|website=[[ファミ通|ファミ通.com]]|publisher=[[KADOKAWA|KADOKAWA CORPORATION]]|accessdate=2016-12-24}}</ref>。
{{Clear}}
== 続編 ==
; [[レインボーアイランド]]
: 本作品のストーリー上の続編で、「THE STORY OF BUBBLE BOBBLE 2」と銘打たれている。主人公が本作のエンディングで人間に戻ったバビーとボビーであることと、使用方法が多様な能力を活用して進めていくという点以外は全く別物。
; [[パラソルスター]]
: 『レインボーアイランド』の続編にあたり、「THE STORY OF BUBBLE BOBBLE III」と銘打たれている。上記と同様に人間のバビーとボビーが主人公だが、『バブルボブル』や『レインボーアイランド』とはまたシステムが異なる。
; [[バブルボブル2]]
: ファミリーコンピュータ用タイトル。本作品のシステムを受け継ぎ『2』と銘打たれているが、主人公の設定が異なる。キャラクターが大きくなり見えやすくなっている。難易度は低め。
; [[バブルボブルジュニア]]
: 『バブルボブル2』のゲームボーイ用アレンジ移植で、ストーリー設定やステージ構成がさらに変更されている。
; [[バブルシンフォニー]]
: 本作品のシステムを受け継いだ続編。欧州版は『BUBBLE BOBBLE II』として登場。第1作の世界観を受け継いでいるが、孫世代の話となっている。
; [[バブルメモリーズ]]
: 『バブルシンフォニー』の流れを汲む続編だが、時系列上は第1作と同時代となっている。『パラソルスター』と同じく「THE STORY OF BUBBLE BOBBLE III」と銘打たれている。
; {{仮リンク|バブルボブル マジカルタワー大作戦!!|en|Bubble Bobble Evolution}}
: PlayStation Portable用タイトル。18世紀の[[ロンドン]]を舞台に、バブルンとボブルン兄弟が着ぐるみのデザインになっているリブート作品。ゲームシステムも[[アクションパズル]]となっている。
; [[:en:Bubble Bobble Double Shot|Bubble Bobble Double Shot]]
: 日本未発売。ニンテンドーDS用タイトル。3匹のバブルドラゴンを切り替えて進めるアクションゲーム。
; [[バブルボブル 4 フレンズ]]
: ナンバリング4作目にあたる作品。協力プレイ可能。
; [[パズルボブル]]
: 本作品のキャラクターを登場させた[[スピンオフ]]の[[パズルゲーム]]シリーズ。
; [[ドンドコドン]]
: 本作品の基本的なシステムを受け継いだ作品。
; バブルンLINES
: バブルンが登場し、バブルブロックを回転させることで画面内のパイプをつないでいく携帯電話用パズルゲーム<ref>{{Cite web|和書|title=タイトー、EZweb向けパズルゲーム「バブルンLINES」|url=https://k-tai.watch.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/22103.html|website=ケータイ Watch|date=2005-01-12|accessdate=2019-12-22}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
<references group="注"/>
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite journal|和書|author=見城こうじ|title=バブルボブル 七つの謎|journal=[[マイコンBASICマガジン]]|volume=1987年2月号(第6巻第2号)|publisher=[[電波新聞社]]|date=1987年2月1日|page=251 - 253|ref={{SfnRef|『マイコンBASICマガジン』1987年2月号}} }}
== 関連項目 ==
* [[フェアリーランドストーリー]] - 本作品の原型ともいえる作品で、このゲームの基本的なシステムを受け継いでいる。
* [[大爆笑!!人生劇場 ドキドキ青春編]] - 病院の看板として登場。
* [[爆笑!!人生劇場]] - 『爆笑人生64 めざせ!リゾート王』でバブルンもどきの巨大怪獣が登場。ホテルを破壊する。
* [[スペースインベーダー|スペースインベーダーDX]] - パロディモードの3面で登場。
* [[メガブラスト]] - 7面と8面の中ボスとして登場する。
* [[ぽっぷんぽっぷ]] - アーケード版以外で、バブルンとボブルンが主人公の一人として登場する。
* [[ラクガキ王国]] - 『初代』『2』でバブルンとボブルンの「ラクガキ」が登場。
* [[ふるふるぱーく]] - ミニゲームの1つとして収録。ゲーム画面と音楽は今風になっている。
* [[式神の城]] - 『III』の登場人物の伊勢薙乃が、 親切なタイトーの人にもらった「バブルンのリュック」をしょっている。
* [[ミュージックガンガン!]] - [[小塩広和|COSIO]]によるアレンジ「バブルボブルメドレー」を収録。[[グルーヴコースター]]にも移植されている。
== 外部リンク ==
* [http://www.hamster.co.jp/arcadearchives/bubble.htm ハムスターアーケードアーカイブス公式サイト バブルボブル(PS4版)]
** [http://www.jp.playstation.com/software/title/jp0571cusa03711_00hamprdc000000001.html PlayStation公式サイト アーケードアーカイブス バブルボブル(PS4版)]
* [http://www.hamster.co.jp/arcadearchives/switch/bubble.htm ハムスターアーケードアーカイブス公式サイト バブルボブル(Nintendo Switch版)]
* {{Wiiバーチャルコンソール|bb|BUBBLE BOBBLE(ディスクシステム版)}}
* {{3DSバーチャルコンソール|tdtj|BUBBLE BOBBLE(ディスクシステム版)}}
* {{Wii Uバーチャルコンソール|fbwj|BUBBLE BOBBLE(ディスクシステム版)}}
* [https://www.jp.square-enix.com/game/detail/bubblebobblewii/ BUBBLE BOBBLE Wii] - [[スクウェア・エニックス]]
* [http://www.marv.jp/special/game/psp/bubble_bobble/game.html バブルボブル マジカルタワー大作戦!!] - [[マーベラス (企業)|マーベラス]]
* {{MobyGames|id=/787/bubble-bobble/|name=Bubble Bobble}}
{{バブルボブル}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:はふるほふる}}
[[Category:1986年のアーケードゲーム]]
[[Category:バブルボブルシリーズ|*]]
[[Category:固定画面アクションゲーム]]
[[Category:Amiga用ゲームソフト]]
[[Category:Amstrad CPC用ゲームソフト]]
[[Category:Apple II用ゲームソフト]]
[[Category:Atari ST用ゲームソフト]]
[[Category:コモドール64用ゲームソフト]]
[[Category:DOSのゲームソフト]]
[[Category:ZX Spectrum用ゲームソフト]]
[[Category:ディスクシステム用ソフト]]
[[Category:セガ・マークIII&マスターシステム用ソフト]]
[[Category:FM TOWNS用ゲームソフト]]
[[Category:MSX/MSX2用ソフト]]
[[Category:Windows用ゲームソフト]]
[[Category:X68000用ゲームソフト]]
[[Category:ゲームボーイアドバンス用ソフト]]
[[Category:携帯電話アプリゲーム]]
[[Category:ニンテンドーDS用ソフト]]
[[Category:Wii用バーチャルコンソール対応ソフト]]
[[Category:Wii U用バーチャルコンソール対応ソフト]]
[[Category:ニンテンドー3DS用バーチャルコンソール対応ソフト]]
[[Category:Wiiウェア]]
[[Category:Xbox Live Arcade対応ソフト]]
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1,308 | かずはじめ | かず はじめ(1971年9月19日 - )は、日本の元女性漫画家。東京都出身、神奈川県育ち。
集英社の『週刊少年ジャンプ』で行われていた新人賞「ホップ☆ステップ賞」の第96回(1993年19号で発表)で投稿作『TWIN SPIRITS』が最終候補(得点順4位)となる。
1994年、『週刊少年ジャンプ・特別増刊スプリングスペシャル』に掲載の読切作品『MIND ASSASSIN』でデビュー。代表作『MIND ASSASSIN』『明稜帝梧桐勢十郎』等を『週刊少年ジャンプ』ならびに『月刊少年ジャンプ』に発表。
シャープな線で組み立てられる透明感を持った絵柄が特徴的。
『Luck Stealer』の連載終了後は新作を発表しておらず、2018年に発売されたジャンプ50周年号では少年ジャンプ+で新作の準備中とコメントしていたが、2023年現在も何の動きもない状態となっている。かずが運営するブログおよびサイトも2012年2月を最後に更新が途絶え、2023年時点ではどちらも閉鎖されており事実上の引退状態にある。
以下の作品は短編集単行本『UNIFY』『UNIFY secondgeneration』および集英社コミック文庫『かずはじめ作品集』に収録。 | [
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] | かず はじめは、日本の元女性漫画家。東京都出身、神奈川県育ち。 | '''かず はじめ'''([[1971年]][[9月19日]] - )は、[[日本]]の元女性[[漫画家]]。[[東京都]]出身、[[神奈川県]]育ち。
== 来歴 ==
[[集英社]]の『[[週刊少年ジャンプ]]』で行われていた新人賞「[[ホップ☆ステップ賞]]」の第96回([[1993年]]19号で発表)で投稿作『TWIN SPIRITS』が最終候補(得点順4位)となる。
[[1994年]]、『週刊少年ジャンプ・[[週刊少年ジャンプの増刊号|特別増刊スプリングスペシャル]]』に掲載の読切作品『MIND ASSASSIN』でデビュー。代表作『MIND ASSASSIN』『明稜帝梧桐勢十郎』等を『週刊少年ジャンプ』ならびに『[[月刊少年ジャンプ]]』に発表。
シャープな線で組み立てられる透明感を持った絵柄が特徴的。
『Luck Stealer』の連載終了後は新作を発表しておらず、[[2018年]]に発売されたジャンプ50周年号では[[少年ジャンプ+]]で新作の準備中とコメントしていたが、[[2023年]]現在も何の動きもない状態となっている。かずが運営するブログおよびサイトも2012年2月を最後に更新が途絶え、2023年時点ではどちらも閉鎖されており事実上の引退状態にある。
== 作品 ==
;[[MIND ASSASSIN]](マインドアサシン)
: デビュー作。『週刊少年ジャンプ』[[1994年]]52号-[[1995年]]29号。全27話、単行本全5巻。[[ナチス・ドイツ]]に生み出された精神を破壊する超能力者「マインドアサシン」の末裔である医師「奥森かずい」は、殺人のための能力を嫌悪しつつも人々の心を救うために奮戦する。ストーリーは未完となっている。
; [[明稜帝 梧桐勢十郎]](めいりょうてい ごとうせいじゅうろう)
: 『週刊少年ジャンプ』[[1997年]]52号-[[1999年]]52号。全95話、単行本全10巻。集英社文庫版は全6巻。明稜高校を支配し「明稜帝」と恐れられる残忍で狂暴な生徒会長・梧桐勢十郎と、彼の周囲に巻き起こるトラブルを描く。読者の視点に近い立場の気弱な書記・青木速太は、梧桐の思慮も情も深い真実の顔を知り、その横暴な行動に振り回されながらも慕っている。2年に渡る長期連載となった。
; [[鴉MAN]](からすマン)
: 『週刊少年ジャンプ』[[2001年]]24号-同年40号。全16話、単行本全2巻。治安の悪化により凶悪犯罪が横行する近未来(西暦2050年)の東京を舞台としたヒーローアクション。驚異的身体能力を持った少年強盗ジュウトは、超法規的機関 "SHREC" に捕らえられ「鴉MAN」として犯罪組織と戦うことになる。初めは強要されて動いていたジュウトだが、やがて正義に目覚めてゆく。
; [[神奈川磯南風天組]](かながわいそなん ふうてんぐみ)
: 『週刊少年ジャンプ』[[2003年]]31号-同年51号。全18話、単行本全2巻。神奈川県沿岸の磯山南中学。そこで最強コンビ「風天組」として恐れられる風間・天堂寺の二人は、束縛を嫌い女の敵を憎む自由人である。喧嘩と軟派とバイトに明け暮れる風天組の日々を綴った作品。短期連載に終わった。
; [[Luck Stealer]](ラックスティーラー)
: 『ジャンプスクエア』[[2007年]]12月号-[[2012年]]2月号。単行本全10巻。
: 読切作品として『[[週刊少年ジャンプの増刊号|赤マルジャンプ]]』[[2005年]]WINTER号と、『[[週刊少年ジャンプの増刊号|ジャンプ the REVOLUTION!]]』 2005の二度掲載され、[[2007年]][[11月2日]]より新創刊された月刊誌『[[ジャンプスクエア]]』にて連載を開始。
=== 読切作品 ===
以下の作品は短編集単行本『'''UNIFY'''』『'''UNIFY secondgeneration'''』および[[集英社文庫|集英社コミック文庫]]『'''かずはじめ作品集'''』に収録。
*'''遊天使''' - 『週刊少年ジャンプ』[[1996年]]29号。
*'''外道''' - 『週刊少年ジャンプ』1996年3-4合併号。
*'''0-Game(ラブ・ゲーム)''' - 『赤マルジャンプ』1999年WINTER号。
*'''Juto -ジュウト-''' - 週刊少年ジャンプ[[2000年]]21-22合併号。
*'''風嵐童子''' - 『赤マルジャンプ』[[2001年]]WINTER号。
*'''鬼導師 仙道寺八紘''' - 『週刊少年ジャンプ』[[2002年]]37-38合併号。
*'''LuckStealer(読切版)''' - 『赤マルジャンプ』[[2004年]]WINTER号。
*'''不思議島のキオ''' - 『ジャンプ the REVOLUTION』[[2006年]]。
== アシスタント ==
* [[許斐剛]]
* [[西公平]]
== 関連人物 ==
*[[瓶子吉久]]
== 外部リンク ==
* [https://web.archive.org/web/20211104165601/http://wisedog.sakura.ne.jp/kinkyo/ かずはじめのメモ的近況] - [[ウェイバックマシン]](2021年11月4日アーカイブ分)
* [https://web.archive.org/web/20220823205946/http://www.venus.dti.ne.jp/~wisedog/ WISEDOG] - [[ウェイバックマシン]](2022年8月23日アーカイブ分)
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1,309 | FM TOWNS | FM TOWNS(エフエムタウンズ)とは、富士通が1989年(平成元年)2月28日に発表した、世界で初めてCD-ROMドライブを標準搭載した独自アーキテクチャーの32ビットマルチメディアパソコン。
全モデルにCD-ROMドライブを標準搭載した他、インテル80386搭載、32768色同時表示や1677万色中256色発色機能、640×480の解像度、フレームバッファ方式のスプライト機能、PCM音源の標準搭載など、強力なグラフィック機能やオーディオ機能が特長。
キャッチコピーは「ハイパーメディアパソコン」。マルチメディア機能を生かした、教育分野向けのソフトウェアや、ゲームソフトが充実。派生機種として、テレビにつなげるマルチメディアプレーヤー FM TOWNSマーティー (Marty)も発売。
FM-7(FM77AV)シリーズのオーディオ・ビジュアル(AV)機能の充実という流れを汲んだ後継機で、また、ビジネス向けのFMR-50シリーズと上位互換性を持っていた。
「FM-TOWNS」とFM-7のようにハイフン入りで表記されることもあるが、「FM TOWNS」とハイフンなし表記が正しい。説明書やパンフレットなどでは、ロゴと同じように「FMTOWNS」と「FM」を小さく書く表記が用いられた。
初代モデルはモデル1とモデル2の2タイプ。違いはメインメモリとフロッピーディスクドライブ(FDD)の初期搭載数のみでその他は共通。モデル1がメインメモリ1MB /FDD1台、モデル2がメインメモリ2MB /FDD2台。
価格はモデル1が338,000円、モデル2が398,000円。
縦型CD-ROMドライブと3.5インチFDDドライブ、音量レベルメータ、マイクなどを正面に配した灰色の縦型プラスチック成型筐体を採用。筐体上部にはキャリングハンドルとメモリカードスロットを装備。筐体左側面は工具なしで開き、CPUやメモリスロットに容易にアクセスできた。
マウスとゲームパッドを標準添付し、標準OSとしてGUIによる独自のシェルを搭載したTownsOS(Townsシステムソフトウェア)を用意。MS-DOSをDOSエクステンダと呼ばれるモジュールで拡張して386プロテクトモードでの動作を可能にしたもので、T-BIOSと呼ばれる各種マルチメディアAPIが実装された。
CPUにはインテル80386(i386DX)/16MHzを搭載。当時の日本国内向けPCの中では高級・高性能なCPUで、FM TOWNSは386搭載機としては破格な価格設定だった。
サウンド機能としてFM音源ステレオ6音、PCM音源ステレオ8音を標準搭載。サンプリングメモリは64KB、量子化ビット数は8ビット。CD-DAも再生可。MIDI端子はオプション。
ポート類は、FMRシリーズと共通のキーボード端子(ミニDIN)、シリアルマウス/ジョイパッド端子が2つ(MSXなどと共通のアタリ規格、D-SUB9ピン)、3.5mmステレオフォン端子とマイク端子、オーディオ入力/出力端子(RCAピン端子、ステレオLR)、パラレルポート/プリンタ端子(セントロニクス端子)、シリアルポート(RS-232C規格、D-SUB25ピン)、拡張FDD端子(FMRシリーズと共通の専用端子を装備。
数値演算プロセッサ(FPU)の取り付けにも対応。メインボード上のCPUを一旦取り外し、インテル80387を搭載したオプションの数値演算プロセッサカード(ドーターボード)に80386も装着した上でCPUソケットに取り付ける方式となっていた。
拡張スロットは3スロット。モデムカード専用スロット、ビデオカード専用スロット、SCSIカード専用スロット。汎用拡張スロットは無く、本体とほぼ同寸法のI/O拡張ボックスを筐体左側面に取り付けた上で、FMR-50LT用の拡張カードを3枚装着可能。MIDI端子などはこの形式で増設できた。
メモリカードスロットはJEIDA3.0。ベクトルフォント(アウトラインフォント)を収録した専用ROMカードが提供された。S-RAMカードも読み書き可能で、OASYSやFMR-CARDなどとのデータ交換に利用可能。I/O機能やフラッシュメモリカードには非対応。
FMRシリーズをベースに開発されたとされ、FMR-50型番の機種と一定の互換性を備えている。FMRシリーズとはメモリー・マッピングやBIOS等が異なったが、別売りのFM TOWNS専用版MS-DOSで起動することによりFMRシリーズ用のアプリケーションの多くが動作した。
キーボードは別売りで、JIS配列と親指シフトキーボードの2種類から選択できた。いずれもFMRシリーズや同社の日本語ワードプロセッサ(ワープロ)のOASYSシリーズと類似したキー配列で、独立した実行キーや変換/無変換キーを備えていた。また、かな漢字変換システム(日本語FEP)としてオアシスかな漢字変換(OAK)をROMで搭載しており、キーボードと併せて同社のパソコン/ワープロに共通した使用感を実現していた。
専用RGBモニタは14インチでトリニトロンを使用し、これらはソニーのOEM品であった。複合同期や15/24/31kHzの3つの水平同期周波数に対応していた。ドットピッチ0.39mm/0.26mmの2タイプと、タッチパネル付きの計三機種が用意された。
FM TOWNSが発売されると、モトローラの68000シリーズの搭載を期待していた旧来の8ビット時代のFMユーザや、先にシャープから発売されていた、同じくマルチメディア指向と目されるX68000のユーザを中心として賛否両論が沸き起こった。
現代から技術的に評価すれば、後にIA-32と呼ばれ長く主流の座にあったアーキテクチャの始祖である80386を存分に活用することを前提としているなど、それなりに思い切ったコンセプトではあったのだが、それまでの8086やMS-DOSのネガティブイメージを持ち出すなど、その類の業界メディアによって賛否の両方が煽られていたというのが、その実態という所ではあろう。
また、本体同時発売のゲーム「アフターバーナー」において潜在的なポテンシャルの高さを誇示したものの、プログラムの完成度の低さが特に初期には目立った。
などが当時の主な指摘点である。
後年の『Oh!FM TOWNS』の記事によると、CD-ROMや80386が採用されたのはアスキーの西和彦の影響があったということである。
その出航ではいろいろと物議を醸し、発売当初の専用ソフトウェアラインアップもあまり冴えない状況であったが、時間とともに優秀なソフトウェアやサードパーティーからの支援に恵まれるようになる。 また、ソフトウェアコンテストを旺文社と共同で実施し、そのために本体と開発環境など一式を学校法人向けに無償で提供したほか、フリーソフトウェアをユーザから集めてCD-ROMで実費配布する試みなどの営業施策が功を奏し、若年層やクリエイターを中心に根強いユーザを掴むに至った。
なお、逸話として、FM TOWNSには当時大人気だったイースシリーズのゲームソフトウェアが一作も発売されていない。当時、日本メーカーから発売されていたパソコン及び据え置き型コンシューマー機にはもれなく移植されていたタイトルであったが、なぜかFM TOWNSには、最後まで遂に移植・発売されることはなかった。
宣伝や展開は富士通の総力を結集するような大規模なもので、南野陽子、宮沢りえ、観月ありさら当時のトップアイドルを起用してのCMの連打、年2回全国での一斉イベント開催のイベントなどが行われた。特に東京地区においては、東京ドームを貸し切って「電脳遊園地」の題名で複数回イベントが行われた。国内では前例が少ないオリジナルCD-ROMマルチメディアタイトルを揃えるため、各ソフトメーカーには機材援助、買い取り本数保証などの支援が惜しまれなかった。
1989年(平成元年)11月に発表された二代目モデルでは、ハードディスク内蔵モデルが追加された。モデル構成はモデル1F/2F/1H/2Hの二機種4タイプ。
カタログスペックはほぼ同一ながら、細かな改良が多数加えられている。主な改良点は、HDD内蔵ベイの新設、SCSI端子の搭載、拡張スロット構成の変更(SCSIカード専用スロットの廃止、MIDIカード専用スロットの新設)、最大メモリ搭載量の拡張(最大8MB。初代モデルは6MB)、CD-ROMドライブの改良(取り出し時のブレーキ搭載、シーク速度の高速化、アクセスランプの追加)、フロントパネルの音量レベルメーターの改良(オレンジLED5つから緑/赤LED10連に変更)、FPU装着方法の変更(メインボード上の専用ソケットに直挿しする方式に変更)、マウス/ジョイパッド端子カバーの追加など。
1990年(平成2年)10月発表の三代目モデルも、10F/20F/40H/80Hの二機種4タイプ。
カタログスペックは初代・二代目と同等だが、拡張スロットがこれまでの専用スロットから汎用スロットに変更された。メインメモリの最大搭載量も26MBに拡張されている。メインボードの集積度も上がっており、定価もモデル20Fで¥323,000とプライスダウンを実現している。
専用ディスプレイのラインナップも拡充され、当時一般的だった球面ブラウン管を採用した廉価版が登場した。このモニターは上下左右の角度が変えられるモニタースタンドを装備していた。
TownsOSやF-BASIC386なども本体が発売されるたびに少しずつ改良された。
他に、非公式な仕様の変更点として、I/O操作によりメインメモリのアクセスウエイトをノーウエイトにしたり、ビデオメモリ(VRAM)のアクセスウェイトを少なくしたりできるようになっている。
1991年(平成3年)11月、FM TOWNS IIと名称を変更。従来型筐体のCXではメモリウエイトの従来互換/高速モードのソフトによる切り替え機能が追加された。また、トリニトロンモニタ一体型のモデル、UX(386SX-16MHz)を発売した。UXではソフトからの電源制御は削除され、CD-ROMドライブはフロントローディングタイプに変更された。メモリはノーウェイトであるが、バス幅が16ビットの386SXを搭載するため、速度的には三代目までの機種やCXの互換モードとほぼ同じだった。
1992年(平成4年)秋のHR(486SX-20MHz)/ HG(386DX-20MHz)ではビデオデッキのような横置き筐体になり、内蔵CD-ROMドライブはフロントローディングタイプに変更され、3.5インチ対応のドライブベイはMOなども使えるよう前面に配置され、フロッピーディスクドライブはPC/AT互換機で一般的な1.44MBフォーマットにも対応した。メンテナンスの容易なプラスチック成型の筐体構造は踏襲され、487SXやODPも専用カード形態で搭載可能とされた。UX同様のモニタ一体型のUG(386SX-20MHz)がHR/HGと同時発売、後を追うようにUR(486SX-20MHz)も1993年2月に発売された。486搭載機は動作速度が非常に速くなっており、高速モードでは古いソフトの場合マウスの読み取りミスがあるなどの不具合が出た。なお、富士通はその対策なども兼ね、読み取りの際に割り込みが入る機能を搭載したマウスへ移行した。
1993年(平成5年)秋のMA(486SX-33MHz)/ MX(486DX2-66MHz)/ ME、1994年春のFM TOWNS発売5周年記念モデルMF/FreshではPC/AT互換機のモニタの流用を意識してHRの本体色を灰色から白に変更し、24kHzのRGB出力を31kHzにコンバートするように仕様変更された。特に廉価版のME/MF/Freshシリーズでは15kHzのRGB出力も31kHzにコンバートされるほか、コストダウンのために筐体が金属製となった。この通称白TOWNSと呼ばれる世代ではオーディオ周りのアナログ回路設計が見直され、音質が向上した。内蔵CD-ROMドライブは倍速タイプに変更された。また内蔵RS-232Cポートにはモデムなどの周辺機器側の高速化を受け、38,400bps以上での取りこぼしを防ぐFIFOバッファメモリが追加された。チューナーカードのリモコン受信口は塞がれた。MX/MAではWSS相当の新PCMや1024×768のハイレゾ表示モードがつき、マイクロソフトから「MPC 2.0」の認定を受けている。
この頃からPC/AT互換機の流行を受け、富士通でもPC/AT互換機であるFMVの販売が開始されている。
1994年(平成6年)12月の486DX2機のHAとPentium搭載のHB、1995年(平成7年)2月のHCでもMA/MXの拡張仕様が受け継がれた。Freshシリーズ同様、15kHzから31kHzへのアップコンバートが標準機能となった。白いHシリーズでは筐体が金属製となり、もう一つのHDD専用ドライブベイと、ステレオのスピーカーが用意された。
TOWNSが発売された当時の液晶ディスプレイでは、FM TOWNSのアーキテクチャ全てを満たすことは不可能で、TOWNSは全期間を通じて、ノート/ラップトップ形態の本体は1機種しかない。
これはMacintoshにPowerBookが存在し、また新規ユーザをめぐっては少なからずPC-9800シリーズやその互換機であるEPSON PCシリーズとも対抗しなければならなかったFM TOWNSにとっては、マーケティング上の大きなハンデとなった。
1992年(平成4年)以降、富士通はWindows 3.1の動作を前提とし、TOWNS用アプリケーションソフトとも一定の互換性を有し、ユーザターゲットをTOWNSとラップさせたカラーノートパソコンをラインアップした。これらは前述の理由からTOWNSのアーキテクチャ全てはサポートされず、そのため「FMR50シリーズ」を名乗った。
1995年(平成7年)、唯一のラップトップモデルとして「FM TOWNSII モデルSN」が発売された。パソコンの普及とそれに伴うシェア争奪戦激化により、ノートパソコン用カラー液晶ディスプレイモジュールの性能が向上し、また価格も大きく下がったためである。バッテリは搭載せずAC電源動作専用である。この機種は教育市場向けモデルのため一般にはほとんど出回っていない。なお、SNではUXと同様、ソフトからの電源制御機能は削除されている。
1995年(平成7年)冬にはWindows 95発売の影響でPC/AT互換機であるFMVのPCIスロットに専用拡張ボードを搭載したハイブリッド機FMV-TOWNSという形態に変わった。動作モードを前面のスイッチで切りかえ、TOWNSモードは専用カードによるハードウェア支援を受けた上でのエミュレーション形態で動作する。
PC/AT互換機の汎用性を併せ持った反面、独自性が薄れることにもつながった。
また、ベースとなったFMVが当初ALi製Alladin IIチップセットを搭載しPentium 133MHz搭載でも486 100MHz搭載機にさえ劣る程度の性能しか出ない機種であったことから、WindowsマシンとしてもTOWNS互換機としても額面通りの性能が出ないことで大きな不評を買った。
富士通専門誌「Oh!FM TOWNS」も、1996年2月号をもって休刊。代わって「FMVファミリー」が創刊され、2000年に休刊するまで刊行されたが、文面でのFM TOWNSの扱いは、あったとしても僅かなコーナーに限られた。このためTOWNSユーザは情報源をニフティサーブのFTOWNSフォーラム・草の根BBSといったパソコン通信や、同じ1996年にFTOWNSを中心とした有志によって創刊された同人誌「Another TOWNS」(1996年〜2002年。全20号)に頼ることとなった。またユーザはPC/AT互換機以外に、一部はMacintoshにも流れていった。
当初Fresh相当だった拡張ボードの機能は、モデルを追うごとにMシリーズ相当に近づいていくなどしたが、1997年夏のFMV-TOWNS モデルH20を最後に、FMV-DESKPOWERに統合される形でTOWNSシリーズは終了した。
なお、専用拡張カードはPCIカード形態であるが、その動作にはPCIバス以外にも幾つか信号線が必要で、カードだけを外して普通のPC/AT互換機に搭載しても動作しない。ただし、チップセット構成がV-TOWNSと同様であるか、特定の機能を持ったチップセットを搭載したマザーボードであれば、マザーボード上に一部改造を施すことで動作可能である。
日本IBMのOptions(純正オプション)としてPS/V VisionなどのPC/AT互換機で動作するISA用のFM TOWNSアプリケーションカードが1993年(平成5年)12月末に発売されている。このカードに加え、CD-ROMドライブを準備するとISAスロット搭載のPC/AT互換機でTOWNSソフトを動作させることができた。
1980年代後半の16ビットパソコン市場では、富士通がFM-11・FM-16βと2シリーズで重大な戦略ミスを繰り返したこともあり、NECのPC-9800シリーズがROM-BASICマシンからOSマシンへの移行をスムーズに実現すると共に各分野での対応アプリケーションソフトの拡充に成功したことで、ほぼ全ての用途において寡占を実現していた。
このため、富士通は市場シェアの確保を目指し、16ビット以上のCPUを搭載する高性能個人向けパソコンの展開を模索していた。
8ビットパソコンではFM77AVシリーズのマルチメディア機能と低価格が一定の支持を得ており、性能面ではNECのPC-8800シリーズと充分対抗しうる存在であった。
FM TOWNSはこの流れを汲み、折りしもシャープから発売され、ホビーパソコン市場でNECによる対抗機種(PC-88VA)に事実上圧勝していたX68000から刺激を受け、CD-ROMを始めとした強化されたマルチメディア機能と32ビットCPUの処理能力という新機軸を武器に、個人向け市場においてPC-9800シリーズでは開拓できない分野の需要を掘り起こし、結果的に個人向け用途においてPC-9800シリーズのシェアと拮抗する存在となるべく企画されたと伝えられる。
プロジェクトが発足すると共に、富士通社内で専用部署が設置され、特別に社内公募にてその構成メンバーが集められた。これは当時の富士通がFM TOWNSに並々ならぬ期待と熱意をかけていたことの証左である。
発売にあたっては広告戦略やイメージ戦略を重視し、意図的に先行情報を流したと伝えられている。 そして、NHKが『富士通が戦略的32ビットパソコンを開発中』とニュースで報じたり、週刊文春で『NECへ挑戦する富士通』との主旨の記事が掲載されたりした結果、人々の注目を集めた。
発売後はパーソナルコンピュータの拡販イベントとしては前例を見ない大規模な、東京ドームを借り切ったイベント「電脳遊園地」が開催され話題となる。開催は1989年12月9日〜11日、総経費は約10億円、総入場者数は当初目標の10万人を上回ったとされる。
イメージキャラクタは、南野陽子、宮沢りえ、観月ありさなど人気女性アイドルが代々起用された。これによりポスターやノベルティ類も好評で、商品名の浸透と拡販に貢献した。後期にはタッチおじさんとなった。コマーシャルの楽曲として、ストラヴィンスキーの『春の祭典』やデビュー間もないB'zの『BAD COMMUNICATION』が使用されたことも当時としては斬新で注目を集めた。
ちなみにFM77AVの購買層の移行と取り込みも眼中に置かれ、FM TOWNSの発売とともにFM77AVはFM77AV40SXを最後に販売が打ち切られた。FM77AVのシステム価格帯は20万円台だったが、当時、まだ高価なパソコンにしか採用されていなかった80386を搭載したFM TOWNSでは、発表時の最廉価モデルのシステム価格は40万円を越えた。その価格差からFM TOWNSの販売に併せて旧来のFM77AV購買層を取り込もうとする目論見は失敗に終わった。
FM TOWNSは当初、NEC PC-9800シリーズとは商品コンセプトが異なり、マーケティングでメインターゲットとするユーザ層も異なっていたため、直接市場で競合することは少なかった。
だが富士通はFM-16β、FMRシリーズとPC-9800シリーズに対して事実上の敗退を繰り返してきた日本国内のビジネス用途向けパソコン市場における自社製品の浸透・占有率の向上を図るべく、ビジネスパソコンとして性能と競合製品に対する価格競争力の点で充分な力を持つこのFM TOWNSを一種の戦略商品として取り扱い、既存のFMRシリーズ用ソフトウェアやハードウェアとの互換性を確保、更にはジャストシステムの「一太郎」など人気実用ソフトウェアの移植も積極的に推進する戦略を取った。
またシリーズ開始当時の段階ではマルチメディア対応が皆無であったPC-9800シリーズに対するニッチ市場適合策として、マルチメディアや教育関連用途向けにFM TOWNSの機能を活かした展開も同時になされ、一定の成功を収めていた。
ところが、その後、1990年代に入ると、マイクロソフトによるMPC認定などのマルチメディア環境の一般化が始まり、NECはPC-9800シリーズをそれに適合させるための開発を本格化させることになる。
その第1陣となったのは、1991年(平成3年)に発売された「PC-98GS」である。この機種では、PC-9800シリーズの基本機能に加えて球面スクロールなど高度なグラフィックス機能やDSPによる4チャネル出力に対応するサウンド機能が標準で搭載され、ビデオデジタイザにオプションで対応、ハードディスクドライブや(上位機種に)CD-ROMドライブを内蔵、更にMPCへの対応を視野に入れてPC-9800シリーズでは初となる、VGA相当のグラフィック解像度(640ドット×480ライン)がサポートされるなど、FM TOWNSに近いかあるいはそれを凌駕する機能がサポートされた。ただし、これはオーサリング用として開発・発売された一種の実験機で、CD-ROMドライブ非搭載のmodel 1でさえ本体の定価が730,000円と極端に高価で一般向けのものではなく、FM TOWNSと市場で直接競合する商品ではなかった。
もっとも、1993年(平成5年)よりNECは自社の主力商品であったPC-9800シリーズの上位・後継機種として、このPC-98GSでの試行錯誤の結果をフィードバックし、より普遍的な形に機能を再編した上で開発されたPC-9821シリーズを大々的に展開するようになる。
標準搭載されるグラフィックスやサウンド機能については、DSPを搭載するなど贅沢な設計であったPC-98GSが高価になりすぎた反省もあって大幅に簡略化され、FM TOWNS単体と比べれば幾分見劣りした。だが、従来のPC-9801シリーズに対してハードウェア・ソフトウェア双方について上位互換性を備え、膨大な既存資産をほぼそのまま持ち越せたこと、それにNECがWindowsを快適に動作させるための高速グラフィックアクセラレータへの対応を積極的に推進したことなどから、このPC-9821シリーズはユーザ層の強い支持を集めた。また、NECが長い時間をかけて良好な関係を築き上げてきたサードパーティー各社の支持を背景として、多彩な周辺機器や拡張機能が提供され、加えて日本国内シェア1位だった寡占状態から生まれる利点から、Pentium、Pentium Pro、そしてPentium IIとインテルによる発表から間髪入れずに次々に搭載された最新CPUによる基本性能の向上もあって、FM TOWNSが得意としたマルチメディア領域は次第に、そして急速に脅かされていくことになった。
FM TOWNS登場当初、先行していたシャープ製パソコンX68000陣営は少なからず脅威を感じていたが、実機が登場した段階では、まだ周辺環境が未整備であったことから、それは杞憂に終わった。
さらにFM TOWNSの周辺環境が整備されて行くにつれ、その方向性の相違が明らかとなっていったため、直接のライバルというよりもそれぞれ独自の道を歩んでいくことになる。
同じホビーパソコンでありながらも、最終的にFM TOWNSは一般的なユーザを獲得し、X68000は先鋭的なユーザを獲得するに至った。
FM TOWNSにおいてはコンピュータ専業メーカーである富士通の威信をかけた部分もあり、数多くの派生機種が発表され、広告戦略も比較的大規模なものであった。加えて商品寿命もPC/AT互換機の台頭のスピードから考えるとかなり長寿であったと見なせる。また、光ディスクをメインのメディアとして用い、高精細多色表示でAVと高い融合性を持つという、2010年代もなおPCの基本形となっているスタイルを先駆したという歴史的役割も大きい。
対してX68000は家電メーカーのテレビ事業部門が単独で展開していたこともあり、基礎体力の違いから思うように派生機種の展開ができず、広告戦略もごく小規模なものに留まり、最終的にはシャープ本体から疎外され、終焉を迎えた。
そんな中、X68000はFM TOWNSに先行して様々なホビー利用形態を提案し、実質上はその質においてFM TOWNSよりも先行しており、非常に健闘し、結果的にFM TOWNSの新用途を開拓し、牽引した側面もあった。
また、当時ようやく一般の事務所や制御用途に「使える」ようになったことから、パソコンの用途がホビーから実務へと大きくシフトし始めた時代において、旧来の慣習的なホビー市場は縮小の方向に向かっていた。
シャープ側では、当初計画されていた32ビットパソコンにおいても開発から発売までに、その資金面・仕様においてかなり迷走したと伝えられている。
結果、登場したのは「より高速のX68000」であるX68030に留まり、それはX68000シリーズのその後の運命を決定づけた。
一方、FM TOWNSは一般ユーザを主なターゲットに捉えたことから、自ずとより安価でかつ高性能な家庭用ゲーム機や、PC/AT互換機にその座を譲ることになる。この流れはWindowsの普及の始まりによって確定的となり、マーティーを投入しても抗らうことはできなかった。
富士通とシャープ、メーカーレベルで見れば対等に見えたこの2機種の関係も、実質上の事業規模で見るならば、まさに巨人と小人の関係であった。
当時、パソコンにおいて雑誌メディアが主体だった頃、よくこの二機種の比較が取り上げられることが多かったが、その多くは単にパソコンの単体スペックのみを争う内容であり、2000年代時点でのパソコンが(Macintoshを除けば)1つのアーキテクチャで統一された時代から見れば特異なものであった。
しかしながら、その背景にあったライバル意識は、結果的に優れたフリーウェアの充実という形で結実した側面もあり、これもまたその時代ならではの特異なものであった。
初代モデルから32ビットアーキテクチャのインテル製80386が搭載されていた。純正のオプションとして、FPUの80387も提供されていた。初代機はFPUをサブボードにさしこむ形態のためCPUがソケットになっているが他はPentium機とHA以外はマザーボード上にFPUソケットやODPスロットがあるため、CPUにソケットを使用していない。ただし2代目(1F/H、2F/H)は例外的にソケット仕様である。なお386/486機は、インテル以外の相当品の場合もある。
CPUの交換については、
Pentium機が登場後には、HR用のi486DX2-40MHz ODPの価格が暴落しHRをi486SX-20MHzで我慢して使っていたユーザを喜ばせた、日替わり目玉商品として定価の1/10程度で投げ売りされていたこともある。CPUベンチマークテストでは、i486DX2-40MHzといった程度であったため、サードパーティー製のAMD Am5x86を搭載した製品の方が高速であった。ただし、値段は格安で、純正品というステータスがあった。FPUを搭載し、動作クロックも2倍になっているため、例えばTOWNS Linuxにおけるカーネル再構築や、浮動小数点演算を多用するレイ・トレーシングといった長時間の作業において劇的な速度アップがあった。
(BIOSでサポートしている主なモード)
(※1) スクロール付きの独立した2画面を合成表示して使用可能。1画面をスプライト画面にすることも可能 (※2) 16色モードと32768色モードを1画面ずつ使うことも可能 (※3) 後期に発売されたMシリーズ・Hシリーズの高解像度・フルカラー対応モデルのみ
CRTCでは、2画面別々に、整数倍単位でのドットの拡大と、アスペクト比の切りかえの設定ができる。このためCRTCを直接操作すると、BIOSで設定できる、上記以外の画面モードを、ある程度自由に作ることができた。縦解像度を400/200ラインにすることもできた(640×400、640×200についてはBIOSでもサポートされている)。走査線(ラスタ)検出機能はあるが、これを割り込み要因とすることはできない、などの理由により、ハード的なラスタースクロールはできないとされていた。
VRAMはデュアルポートRAMとなっていて、メモリ空間とI/O空間それぞれに割り付けられ、同時にアクセスすることができる。容量は512KB(後期のフルカラー対応機では1MB)。
また、16色モード時は標準のパックドピクセル方式ではなく、FMR-50互換のRGBプレーンごとにVRAMにアクセスするモードがサポートされていた。もっともFMR-50にあるテキストVRAMは実装されておらず、MS-DOSなどではBIOSでテキストVRAMをエミュレーションし、グラフィック面にテキストを描画表示した。
俗に「フレームバッファ方式」と呼ばれる、セガのアーケードゲームの大型筐体でも使われていたのと同様の方法で実装されていた。このため、MSXやX68000、ファミコンなどの「ラインバッファ方式」と違い、その構造上、横方向への表示枚数制限がない。デビュー当時は、この方法について色々な議論があり、「擬似スプライト」と呼ばれることもあったものの、PC-8800シリーズやPC-9800シリーズ向けソフトで用いられる、プログラムによる擬似スプライトとは技術的に異なり、ポリゴンによる3D描画が主流となる以前はアーケードゲーム基板でもよく用いられた方法であった。なお、この方式はその後家庭用ゲーム機でもポリゴン処理の応用によって、類似した形で実装され、主流になっている。
ATARI仕様のポートが2つ標準搭載されている。ゲームパッドを2つ使う場合はマウスを外す。
マウスはFM77AVのものとほぼ同仕様で、MSXのものと互換性がある。添付されるマウスは本体と同色で、デザインは丸型(初代)、角型(1F/2F)、卵型(10F/20F~)と、毎年のように変更された。HA/HB/Fresh・E/Fresh・T以降に付属の最終版は、初期のFMV付属のものと同様の形状で、旧バージョンのOSを高速モードで動作させたときのマウスカーソルの挙動が改善されている。なお、解像度は丸型(初代)のみ100dpi、二代目以降は200dpiである。またペンタブレット(ワコムのOEM)もオプションで用意された。なお、2ndマウスを利用することができるという非常に珍しい特徴を持つ。
FMRシリーズ仕様のマウスポートがついているキーボードもあるが、この仕様のマウスに対応するソフトは限られる。
ゲームパッドはATARI仕様に準拠しているが、上下・左右の入力を同時ONにすることで実装したTOWNS独自の「RUN」「SELECT」がついている他、ポートの一部の出力が可変などの違いがあり、初期のゲームタイトルでは他機種向けのパッドが動作しないものもある。灰色のTOWNS/TOWNS IIシリーズと白のTOWNS IIシリーズのものではデザインが違い、灰色の方はボタンが固い・斜めに入れにくいなどの問題があったが、白の方は問題が解決されて使いやすくなっている。他にも対戦格闘ゲーム向けに6ボタンパッドが発売された。Marty向けのパッドは白のTOWNS IIシリーズのものに似ているが、ZOOMボタンが追加されていて、画面をハードで拡大表示するモードのために使われた。
キーボードはJIS配列・親指シフト配列が用意され、2キーロールオーバーのものとnキーロールオーバーのもの、テンキーのあるものとないものが用意された。白TOWNSからはデザインが変更された。Marty向けのキーボード(106キーボード形状)もあり、TOWNSシリーズでも使用できた。
背面の拡張スロットは、初代ではSCSIカード・モデムカード・ビデオカード、2代目はモデムカード・MIDIカード・ビデオカードのそれぞれ専用の3スロット構成だった。SCSIは2代目から内蔵された(フルピッチ、SCSI-1相当)。初代機及び二代目機の本体カバーの中には拡張スロット増設ボックス(I/O拡張ユニット)用のコネクタが設けられていた。このI/O拡張ユニットは本体の左側面に直接取り付けるというユニークな形状となっている。初代機及び二代目機用のI/O拡張ユニットは新旧二タイプあり、旧タイプのI/O拡張ユニット(FMT-601/602)はFMR-60用の拡張カード(ただし公式にサポートされていた富士通純正の拡張カードはMIDIカードとRS-232Cカードのみ)を3枚、新タイプのI/O拡張ユニット(FMT-611)はFMR-50LTシリーズと同じ信号の拡張カードを2枚取り付けることができる。
3代目からはFMT-611と同等の汎用拡張スロット2基(HR/MA/MXなどでは3基)と、ビデオカード/チュナーカード専用スロット1基という構成になった。モデム・MIDIカードは汎用スロットに接続するタイプが用意された。また、3代目以降の機種用に、本体内蔵の汎用拡張スロット経由で接続するI/O拡張ユニット(FMT-621。汎用拡張スロット×6)も用意された。
Hシリーズではグラフィックアクセラレータ専用のスロットも用意され、本体内蔵のものと交換するPower9100チップ搭載のカードが用意されていた。
初代から用意されたビデオカードはTOWNS最大の特徴と言われ、ビデオ入力端子(またはS端子)から動画の取り込みが行えた。MIDIカードは後にGS音源を搭載したものもあった。LANカードも存在した。Windowsで使用可能なグラフィックアクセラレータもある。
初代機からモニタ(D-Sub 15pin)、RS-232C(D-Sub 25pin)、プリンタ、増設フロッピィディスクのコネクタがあった。また、2代目モデルからはSCSIコネクタが標準搭載された。Freshシリーズ、白Hシリーズでは増設フロッピィディスクコネクタが廃止されている。
『Oh!FM TOWNS』1994年5月号(表記上は「5・6月合併号」)のアンケートの集計結果によるとFM TOWNSユーザーのオプションハードの所有率は以下の通りであった。ビデオカード:24.9%、MIDIカード:12.7%、モデム:29.9%、イメージスキャナ:6.9%。
TOWNSには標準のオペレーティングシステムとしてTownsOSが用意された。「32ビットシングルタスク」と称しており、当時の他機種ではi386など32ビットマイクロプロセッサを積んでいても活用されていることが少なかった32ビットモードを、DOSエクステンダで活用するものだった。PC-98などではユーザが各自に環境を設定するものであったためトラブルなども多かった点で、標準として用意し安定して活用できるものとした点に大きな意義があった。TownsOSには大きく分けて初代TOWNSからのV1.1、TOWNS IIから付属したV2.1の2系統のバージョンがあった。V1.1にはL10 - L30、V2.1にはL10 - L50・L51のマイナーバージョン(Lはレベル)があり、毎年のようにアップデートされていた。
TownsOSの基本構造は、ROM化して本体に内蔵されたMS-DOS 3.1本体およびCD-ROMドライバのMSCDEX.EXE、それに32ビットプロテクトモードでアプリケーションを起動させる「386|DOS-Extender」(RUN386.EXE)を組み合わせたものだった。また、BIOSや各種デバイスドライバに相当する「TBIOS」により、グラフィック系機能、サウンド機能、CD-ROMアクセス/CD音再生機能、マウス/ジョイスティックなどFM TOWNSのハードウェアまわりの機能が利用できた。また、ゲームソフトの組み込み用として、TBIOS互換の「VINGBIOS」、「AYABIOS」などがあった。
なおROMで内蔵のMS-DOSにはCOMMAND.COMに相当するシェルプログラムが内蔵されているがテキスト表示はサポートされておらず、コマンドプロンプトなどを使用するにはFM TOWNS専用版のMS-DOSを購入するか、TownsOSやF-BASIC386などに付属するコンソール表示ソフト、もしくはフリーソフトを使用する必要があった。この点はTownsOS V2.1において標準でテキスト表示がサポートされたことで解消された。
TownsOSにはTownsMENUと呼ばれるファイラとランチャを兼ね備えたメニューアプリケーションが搭載され、ここからアプリケーションの起動やシステムの設定などの多くの操作を行うことができた。TownsMENUから本体の電源を自動的に切断することも可能。当初のV1.1ではドライブごとに分かれたタブ型のメニューだったが、V2.1ではマルチウィンドウタイプに大きく変更され、またL30からはTownsSHELLによりノンプリエンプティブなマルチタスクにも対応した(マルチタスクアプリの拡張子は.EXG)。
TownsOSは一部の機能(システムの設定など)を省いたサブセット版が、アプリケーションなどのCD-ROMに組み込まれていることが多かった。この場合、CD-ROMから直接TownsOSの起動ができるため、フロッピーディスクやハードディスクなしでアプリケーションの利用が可能だった。
TownsOS V2.1のL40以降では、HDDにインストールしたMS-DOS 6.2(別売)をTownsOSのベースとすることが可能になった。これにより、圧縮ドライブなどの機能も利用できるようになった。
TownsMENUやアプリケーションなどの操作環境の多くはGUIだった。初期の段階では、アプリケーションごとのGUI仕様は統一されておらず開発者任せであったが、後に標準的なGUIの仕様ができ、純正のGUIライブラリも発売された。
TownsOSと、管理ユーティリティ、アプリケーションなどからなる基本的なセットは、Townsシステムソフトウェアという形態で販売または本体に添付されていた。ほぼすべてのユーティリティやアプリケーションは統一されたGUIで構成されており、マウスを使ったわかりやすい操作を行うことが可能。日本語入力にはOAK(オアシスかな漢字変換システム)というかな漢字変換が付属した。
付属しているアプリケーションは、Townsシステムソフトウェアのバージョンによって異なった。
TownsOSやMS-DOSのほかに、FM TOWNS専用のWindows 3.0/Windows 3.0 with Multimedia Extensions/3.1も発売されていた。特にWindows 3.0 with Multimedia Extensionsまでは、マシンの適合性が高いこともあって、他の国内PCに先行していた。CPUに486やPentiumを搭載した白色のモデルでは、TownsOSのほかにWindows 3.1もプリインストールしたモデルも登場した。なお、『Oh!FM TOWNS』のアンケートの集計結果によると、1992年7月号調査でFM TOWNSユーザー中、Windowsの所有率は12.6%、1994年9月号調査でFM TOWNSユーザー中、Windowsを週に2時間以上使用する率は24.8%であった。
Linuxの移植もいちはやく行われている。
店頭販売はされず、富士通プラザ(ショールーム)での申し込みという形での販売のみでの発売だったが486以上の白TOWNS II用(HRでも動作は一応可能)向けにWindows 95(OSR1相当)も作られた。但し「Microsoft Plus! for Windows 95」は販売されなかった。また、一部のWindows 95用ソフトウェアでは、正常動作しないことがあった。
この他、一般向けモデルをベースにした(一部を除く)、教育市場向けのモデルが存在した。基本的にはシステム販売のみの取り扱いであったが、ごく一部が一般市場に流通した。
FMV-TOWNSについては、(既に富士通のデスクトップパソコンの主力がFMV DESKPOWERシリーズになっていた関係で)CMという形態ではないが、ドラマ『ストーカー・誘う女』で室町医師の診察室にFMV-TOWNSが置かれ、ドラマ各回の最後のクレジットに「FMV-TOWNS MODEL H」と明記されることでの宣伝がなされている。 | [
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"text": "FM TOWNS(エフエムタウンズ)とは、富士通が1989年(平成元年)2月28日に発表した、世界で初めてCD-ROMドライブを標準搭載した独自アーキテクチャーの32ビットマルチメディアパソコン。",
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"text": "全モデルにCD-ROMドライブを標準搭載した他、インテル80386搭載、32768色同時表示や1677万色中256色発色機能、640×480の解像度、フレームバッファ方式のスプライト機能、PCM音源の標準搭載など、強力なグラフィック機能やオーディオ機能が特長。",
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"text": "キャッチコピーは「ハイパーメディアパソコン」。マルチメディア機能を生かした、教育分野向けのソフトウェアや、ゲームソフトが充実。派生機種として、テレビにつなげるマルチメディアプレーヤー FM TOWNSマーティー (Marty)も発売。",
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"text": "FM-7(FM77AV)シリーズのオーディオ・ビジュアル(AV)機能の充実という流れを汲んだ後継機で、また、ビジネス向けのFMR-50シリーズと上位互換性を持っていた。",
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"text": "「FM-TOWNS」とFM-7のようにハイフン入りで表記されることもあるが、「FM TOWNS」とハイフンなし表記が正しい。説明書やパンフレットなどでは、ロゴと同じように「FMTOWNS」と「FM」を小さく書く表記が用いられた。",
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"text": "初代モデルはモデル1とモデル2の2タイプ。違いはメインメモリとフロッピーディスクドライブ(FDD)の初期搭載数のみでその他は共通。モデル1がメインメモリ1MB /FDD1台、モデル2がメインメモリ2MB /FDD2台。",
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"text": "価格はモデル1が338,000円、モデル2が398,000円。",
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"text": "縦型CD-ROMドライブと3.5インチFDDドライブ、音量レベルメータ、マイクなどを正面に配した灰色の縦型プラスチック成型筐体を採用。筐体上部にはキャリングハンドルとメモリカードスロットを装備。筐体左側面は工具なしで開き、CPUやメモリスロットに容易にアクセスできた。",
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"text": "マウスとゲームパッドを標準添付し、標準OSとしてGUIによる独自のシェルを搭載したTownsOS(Townsシステムソフトウェア)を用意。MS-DOSをDOSエクステンダと呼ばれるモジュールで拡張して386プロテクトモードでの動作を可能にしたもので、T-BIOSと呼ばれる各種マルチメディアAPIが実装された。",
"title": "概要"
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"text": "CPUにはインテル80386(i386DX)/16MHzを搭載。当時の日本国内向けPCの中では高級・高性能なCPUで、FM TOWNSは386搭載機としては破格な価格設定だった。",
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"text": "サウンド機能としてFM音源ステレオ6音、PCM音源ステレオ8音を標準搭載。サンプリングメモリは64KB、量子化ビット数は8ビット。CD-DAも再生可。MIDI端子はオプション。",
"title": "概要"
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"text": "ポート類は、FMRシリーズと共通のキーボード端子(ミニDIN)、シリアルマウス/ジョイパッド端子が2つ(MSXなどと共通のアタリ規格、D-SUB9ピン)、3.5mmステレオフォン端子とマイク端子、オーディオ入力/出力端子(RCAピン端子、ステレオLR)、パラレルポート/プリンタ端子(セントロニクス端子)、シリアルポート(RS-232C規格、D-SUB25ピン)、拡張FDD端子(FMRシリーズと共通の専用端子を装備。",
"title": "概要"
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"text": "数値演算プロセッサ(FPU)の取り付けにも対応。メインボード上のCPUを一旦取り外し、インテル80387を搭載したオプションの数値演算プロセッサカード(ドーターボード)に80386も装着した上でCPUソケットに取り付ける方式となっていた。",
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"text": "拡張スロットは3スロット。モデムカード専用スロット、ビデオカード専用スロット、SCSIカード専用スロット。汎用拡張スロットは無く、本体とほぼ同寸法のI/O拡張ボックスを筐体左側面に取り付けた上で、FMR-50LT用の拡張カードを3枚装着可能。MIDI端子などはこの形式で増設できた。",
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"text": "メモリカードスロットはJEIDA3.0。ベクトルフォント(アウトラインフォント)を収録した専用ROMカードが提供された。S-RAMカードも読み書き可能で、OASYSやFMR-CARDなどとのデータ交換に利用可能。I/O機能やフラッシュメモリカードには非対応。",
"title": "概要"
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"text": "FMRシリーズをベースに開発されたとされ、FMR-50型番の機種と一定の互換性を備えている。FMRシリーズとはメモリー・マッピングやBIOS等が異なったが、別売りのFM TOWNS専用版MS-DOSで起動することによりFMRシリーズ用のアプリケーションの多くが動作した。",
"title": "概要"
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"text": "キーボードは別売りで、JIS配列と親指シフトキーボードの2種類から選択できた。いずれもFMRシリーズや同社の日本語ワードプロセッサ(ワープロ)のOASYSシリーズと類似したキー配列で、独立した実行キーや変換/無変換キーを備えていた。また、かな漢字変換システム(日本語FEP)としてオアシスかな漢字変換(OAK)をROMで搭載しており、キーボードと併せて同社のパソコン/ワープロに共通した使用感を実現していた。",
"title": "概要"
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"text": "専用RGBモニタは14インチでトリニトロンを使用し、これらはソニーのOEM品であった。複合同期や15/24/31kHzの3つの水平同期周波数に対応していた。ドットピッチ0.39mm/0.26mmの2タイプと、タッチパネル付きの計三機種が用意された。",
"title": "概要"
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"text": "FM TOWNSが発売されると、モトローラの68000シリーズの搭載を期待していた旧来の8ビット時代のFMユーザや、先にシャープから発売されていた、同じくマルチメディア指向と目されるX68000のユーザを中心として賛否両論が沸き起こった。",
"title": "概要"
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"tag": "p",
"text": "現代から技術的に評価すれば、後にIA-32と呼ばれ長く主流の座にあったアーキテクチャの始祖である80386を存分に活用することを前提としているなど、それなりに思い切ったコンセプトではあったのだが、それまでの8086やMS-DOSのネガティブイメージを持ち出すなど、その類の業界メディアによって賛否の両方が煽られていたというのが、その実態という所ではあろう。",
"title": "概要"
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"text": "また、本体同時発売のゲーム「アフターバーナー」において潜在的なポテンシャルの高さを誇示したものの、プログラムの完成度の低さが特に初期には目立った。",
"title": "概要"
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"text": "などが当時の主な指摘点である。",
"title": "概要"
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"text": "後年の『Oh!FM TOWNS』の記事によると、CD-ROMや80386が採用されたのはアスキーの西和彦の影響があったということである。",
"title": "概要"
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"text": "その出航ではいろいろと物議を醸し、発売当初の専用ソフトウェアラインアップもあまり冴えない状況であったが、時間とともに優秀なソフトウェアやサードパーティーからの支援に恵まれるようになる。 また、ソフトウェアコンテストを旺文社と共同で実施し、そのために本体と開発環境など一式を学校法人向けに無償で提供したほか、フリーソフトウェアをユーザから集めてCD-ROMで実費配布する試みなどの営業施策が功を奏し、若年層やクリエイターを中心に根強いユーザを掴むに至った。",
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"text": "なお、逸話として、FM TOWNSには当時大人気だったイースシリーズのゲームソフトウェアが一作も発売されていない。当時、日本メーカーから発売されていたパソコン及び据え置き型コンシューマー機にはもれなく移植されていたタイトルであったが、なぜかFM TOWNSには、最後まで遂に移植・発売されることはなかった。",
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"text": "宣伝や展開は富士通の総力を結集するような大規模なもので、南野陽子、宮沢りえ、観月ありさら当時のトップアイドルを起用してのCMの連打、年2回全国での一斉イベント開催のイベントなどが行われた。特に東京地区においては、東京ドームを貸し切って「電脳遊園地」の題名で複数回イベントが行われた。国内では前例が少ないオリジナルCD-ROMマルチメディアタイトルを揃えるため、各ソフトメーカーには機材援助、買い取り本数保証などの支援が惜しまれなかった。",
"title": "概要"
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"text": "1989年(平成元年)11月に発表された二代目モデルでは、ハードディスク内蔵モデルが追加された。モデル構成はモデル1F/2F/1H/2Hの二機種4タイプ。",
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"text": "カタログスペックはほぼ同一ながら、細かな改良が多数加えられている。主な改良点は、HDD内蔵ベイの新設、SCSI端子の搭載、拡張スロット構成の変更(SCSIカード専用スロットの廃止、MIDIカード専用スロットの新設)、最大メモリ搭載量の拡張(最大8MB。初代モデルは6MB)、CD-ROMドライブの改良(取り出し時のブレーキ搭載、シーク速度の高速化、アクセスランプの追加)、フロントパネルの音量レベルメーターの改良(オレンジLED5つから緑/赤LED10連に変更)、FPU装着方法の変更(メインボード上の専用ソケットに直挿しする方式に変更)、マウス/ジョイパッド端子カバーの追加など。",
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"text": "1990年(平成2年)10月発表の三代目モデルも、10F/20F/40H/80Hの二機種4タイプ。",
"title": "概要"
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"tag": "p",
"text": "カタログスペックは初代・二代目と同等だが、拡張スロットがこれまでの専用スロットから汎用スロットに変更された。メインメモリの最大搭載量も26MBに拡張されている。メインボードの集積度も上がっており、定価もモデル20Fで¥323,000とプライスダウンを実現している。",
"title": "概要"
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"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "専用ディスプレイのラインナップも拡充され、当時一般的だった球面ブラウン管を採用した廉価版が登場した。このモニターは上下左右の角度が変えられるモニタースタンドを装備していた。",
"title": "概要"
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"paragraph_id": 31,
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"text": "TownsOSやF-BASIC386なども本体が発売されるたびに少しずつ改良された。",
"title": "概要"
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"text": "他に、非公式な仕様の変更点として、I/O操作によりメインメモリのアクセスウエイトをノーウエイトにしたり、ビデオメモリ(VRAM)のアクセスウェイトを少なくしたりできるようになっている。",
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{
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"text": "1991年(平成3年)11月、FM TOWNS IIと名称を変更。従来型筐体のCXではメモリウエイトの従来互換/高速モードのソフトによる切り替え機能が追加された。また、トリニトロンモニタ一体型のモデル、UX(386SX-16MHz)を発売した。UXではソフトからの電源制御は削除され、CD-ROMドライブはフロントローディングタイプに変更された。メモリはノーウェイトであるが、バス幅が16ビットの386SXを搭載するため、速度的には三代目までの機種やCXの互換モードとほぼ同じだった。",
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"paragraph_id": 34,
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"text": "1992年(平成4年)秋のHR(486SX-20MHz)/ HG(386DX-20MHz)ではビデオデッキのような横置き筐体になり、内蔵CD-ROMドライブはフロントローディングタイプに変更され、3.5インチ対応のドライブベイはMOなども使えるよう前面に配置され、フロッピーディスクドライブはPC/AT互換機で一般的な1.44MBフォーマットにも対応した。メンテナンスの容易なプラスチック成型の筐体構造は踏襲され、487SXやODPも専用カード形態で搭載可能とされた。UX同様のモニタ一体型のUG(386SX-20MHz)がHR/HGと同時発売、後を追うようにUR(486SX-20MHz)も1993年2月に発売された。486搭載機は動作速度が非常に速くなっており、高速モードでは古いソフトの場合マウスの読み取りミスがあるなどの不具合が出た。なお、富士通はその対策なども兼ね、読み取りの際に割り込みが入る機能を搭載したマウスへ移行した。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "1993年(平成5年)秋のMA(486SX-33MHz)/ MX(486DX2-66MHz)/ ME、1994年春のFM TOWNS発売5周年記念モデルMF/FreshではPC/AT互換機のモニタの流用を意識してHRの本体色を灰色から白に変更し、24kHzのRGB出力を31kHzにコンバートするように仕様変更された。特に廉価版のME/MF/Freshシリーズでは15kHzのRGB出力も31kHzにコンバートされるほか、コストダウンのために筐体が金属製となった。この通称白TOWNSと呼ばれる世代ではオーディオ周りのアナログ回路設計が見直され、音質が向上した。内蔵CD-ROMドライブは倍速タイプに変更された。また内蔵RS-232Cポートにはモデムなどの周辺機器側の高速化を受け、38,400bps以上での取りこぼしを防ぐFIFOバッファメモリが追加された。チューナーカードのリモコン受信口は塞がれた。MX/MAではWSS相当の新PCMや1024×768のハイレゾ表示モードがつき、マイクロソフトから「MPC 2.0」の認定を受けている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "この頃からPC/AT互換機の流行を受け、富士通でもPC/AT互換機であるFMVの販売が開始されている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "1994年(平成6年)12月の486DX2機のHAとPentium搭載のHB、1995年(平成7年)2月のHCでもMA/MXの拡張仕様が受け継がれた。Freshシリーズ同様、15kHzから31kHzへのアップコンバートが標準機能となった。白いHシリーズでは筐体が金属製となり、もう一つのHDD専用ドライブベイと、ステレオのスピーカーが用意された。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "TOWNSが発売された当時の液晶ディスプレイでは、FM TOWNSのアーキテクチャ全てを満たすことは不可能で、TOWNSは全期間を通じて、ノート/ラップトップ形態の本体は1機種しかない。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "これはMacintoshにPowerBookが存在し、また新規ユーザをめぐっては少なからずPC-9800シリーズやその互換機であるEPSON PCシリーズとも対抗しなければならなかったFM TOWNSにとっては、マーケティング上の大きなハンデとなった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "1992年(平成4年)以降、富士通はWindows 3.1の動作を前提とし、TOWNS用アプリケーションソフトとも一定の互換性を有し、ユーザターゲットをTOWNSとラップさせたカラーノートパソコンをラインアップした。これらは前述の理由からTOWNSのアーキテクチャ全てはサポートされず、そのため「FMR50シリーズ」を名乗った。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "1995年(平成7年)、唯一のラップトップモデルとして「FM TOWNSII モデルSN」が発売された。パソコンの普及とそれに伴うシェア争奪戦激化により、ノートパソコン用カラー液晶ディスプレイモジュールの性能が向上し、また価格も大きく下がったためである。バッテリは搭載せずAC電源動作専用である。この機種は教育市場向けモデルのため一般にはほとんど出回っていない。なお、SNではUXと同様、ソフトからの電源制御機能は削除されている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "1995年(平成7年)冬にはWindows 95発売の影響でPC/AT互換機であるFMVのPCIスロットに専用拡張ボードを搭載したハイブリッド機FMV-TOWNSという形態に変わった。動作モードを前面のスイッチで切りかえ、TOWNSモードは専用カードによるハードウェア支援を受けた上でのエミュレーション形態で動作する。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "PC/AT互換機の汎用性を併せ持った反面、独自性が薄れることにもつながった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "また、ベースとなったFMVが当初ALi製Alladin IIチップセットを搭載しPentium 133MHz搭載でも486 100MHz搭載機にさえ劣る程度の性能しか出ない機種であったことから、WindowsマシンとしてもTOWNS互換機としても額面通りの性能が出ないことで大きな不評を買った。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "富士通専門誌「Oh!FM TOWNS」も、1996年2月号をもって休刊。代わって「FMVファミリー」が創刊され、2000年に休刊するまで刊行されたが、文面でのFM TOWNSの扱いは、あったとしても僅かなコーナーに限られた。このためTOWNSユーザは情報源をニフティサーブのFTOWNSフォーラム・草の根BBSといったパソコン通信や、同じ1996年にFTOWNSを中心とした有志によって創刊された同人誌「Another TOWNS」(1996年〜2002年。全20号)に頼ることとなった。またユーザはPC/AT互換機以外に、一部はMacintoshにも流れていった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "当初Fresh相当だった拡張ボードの機能は、モデルを追うごとにMシリーズ相当に近づいていくなどしたが、1997年夏のFMV-TOWNS モデルH20を最後に、FMV-DESKPOWERに統合される形でTOWNSシリーズは終了した。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "なお、専用拡張カードはPCIカード形態であるが、その動作にはPCIバス以外にも幾つか信号線が必要で、カードだけを外して普通のPC/AT互換機に搭載しても動作しない。ただし、チップセット構成がV-TOWNSと同様であるか、特定の機能を持ったチップセットを搭載したマザーボードであれば、マザーボード上に一部改造を施すことで動作可能である。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "日本IBMのOptions(純正オプション)としてPS/V VisionなどのPC/AT互換機で動作するISA用のFM TOWNSアプリケーションカードが1993年(平成5年)12月末に発売されている。このカードに加え、CD-ROMドライブを準備するとISAスロット搭載のPC/AT互換機でTOWNSソフトを動作させることができた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "1980年代後半の16ビットパソコン市場では、富士通がFM-11・FM-16βと2シリーズで重大な戦略ミスを繰り返したこともあり、NECのPC-9800シリーズがROM-BASICマシンからOSマシンへの移行をスムーズに実現すると共に各分野での対応アプリケーションソフトの拡充に成功したことで、ほぼ全ての用途において寡占を実現していた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "このため、富士通は市場シェアの確保を目指し、16ビット以上のCPUを搭載する高性能個人向けパソコンの展開を模索していた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "8ビットパソコンではFM77AVシリーズのマルチメディア機能と低価格が一定の支持を得ており、性能面ではNECのPC-8800シリーズと充分対抗しうる存在であった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "FM TOWNSはこの流れを汲み、折りしもシャープから発売され、ホビーパソコン市場でNECによる対抗機種(PC-88VA)に事実上圧勝していたX68000から刺激を受け、CD-ROMを始めとした強化されたマルチメディア機能と32ビットCPUの処理能力という新機軸を武器に、個人向け市場においてPC-9800シリーズでは開拓できない分野の需要を掘り起こし、結果的に個人向け用途においてPC-9800シリーズのシェアと拮抗する存在となるべく企画されたと伝えられる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "プロジェクトが発足すると共に、富士通社内で専用部署が設置され、特別に社内公募にてその構成メンバーが集められた。これは当時の富士通がFM TOWNSに並々ならぬ期待と熱意をかけていたことの証左である。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "発売にあたっては広告戦略やイメージ戦略を重視し、意図的に先行情報を流したと伝えられている。 そして、NHKが『富士通が戦略的32ビットパソコンを開発中』とニュースで報じたり、週刊文春で『NECへ挑戦する富士通』との主旨の記事が掲載されたりした結果、人々の注目を集めた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "発売後はパーソナルコンピュータの拡販イベントとしては前例を見ない大規模な、東京ドームを借り切ったイベント「電脳遊園地」が開催され話題となる。開催は1989年12月9日〜11日、総経費は約10億円、総入場者数は当初目標の10万人を上回ったとされる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "イメージキャラクタは、南野陽子、宮沢りえ、観月ありさなど人気女性アイドルが代々起用された。これによりポスターやノベルティ類も好評で、商品名の浸透と拡販に貢献した。後期にはタッチおじさんとなった。コマーシャルの楽曲として、ストラヴィンスキーの『春の祭典』やデビュー間もないB'zの『BAD COMMUNICATION』が使用されたことも当時としては斬新で注目を集めた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "ちなみにFM77AVの購買層の移行と取り込みも眼中に置かれ、FM TOWNSの発売とともにFM77AVはFM77AV40SXを最後に販売が打ち切られた。FM77AVのシステム価格帯は20万円台だったが、当時、まだ高価なパソコンにしか採用されていなかった80386を搭載したFM TOWNSでは、発表時の最廉価モデルのシステム価格は40万円を越えた。その価格差からFM TOWNSの販売に併せて旧来のFM77AV購買層を取り込もうとする目論見は失敗に終わった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "FM TOWNSは当初、NEC PC-9800シリーズとは商品コンセプトが異なり、マーケティングでメインターゲットとするユーザ層も異なっていたため、直接市場で競合することは少なかった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "だが富士通はFM-16β、FMRシリーズとPC-9800シリーズに対して事実上の敗退を繰り返してきた日本国内のビジネス用途向けパソコン市場における自社製品の浸透・占有率の向上を図るべく、ビジネスパソコンとして性能と競合製品に対する価格競争力の点で充分な力を持つこのFM TOWNSを一種の戦略商品として取り扱い、既存のFMRシリーズ用ソフトウェアやハードウェアとの互換性を確保、更にはジャストシステムの「一太郎」など人気実用ソフトウェアの移植も積極的に推進する戦略を取った。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "またシリーズ開始当時の段階ではマルチメディア対応が皆無であったPC-9800シリーズに対するニッチ市場適合策として、マルチメディアや教育関連用途向けにFM TOWNSの機能を活かした展開も同時になされ、一定の成功を収めていた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "ところが、その後、1990年代に入ると、マイクロソフトによるMPC認定などのマルチメディア環境の一般化が始まり、NECはPC-9800シリーズをそれに適合させるための開発を本格化させることになる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "その第1陣となったのは、1991年(平成3年)に発売された「PC-98GS」である。この機種では、PC-9800シリーズの基本機能に加えて球面スクロールなど高度なグラフィックス機能やDSPによる4チャネル出力に対応するサウンド機能が標準で搭載され、ビデオデジタイザにオプションで対応、ハードディスクドライブや(上位機種に)CD-ROMドライブを内蔵、更にMPCへの対応を視野に入れてPC-9800シリーズでは初となる、VGA相当のグラフィック解像度(640ドット×480ライン)がサポートされるなど、FM TOWNSに近いかあるいはそれを凌駕する機能がサポートされた。ただし、これはオーサリング用として開発・発売された一種の実験機で、CD-ROMドライブ非搭載のmodel 1でさえ本体の定価が730,000円と極端に高価で一般向けのものではなく、FM TOWNSと市場で直接競合する商品ではなかった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "もっとも、1993年(平成5年)よりNECは自社の主力商品であったPC-9800シリーズの上位・後継機種として、このPC-98GSでの試行錯誤の結果をフィードバックし、より普遍的な形に機能を再編した上で開発されたPC-9821シリーズを大々的に展開するようになる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "標準搭載されるグラフィックスやサウンド機能については、DSPを搭載するなど贅沢な設計であったPC-98GSが高価になりすぎた反省もあって大幅に簡略化され、FM TOWNS単体と比べれば幾分見劣りした。だが、従来のPC-9801シリーズに対してハードウェア・ソフトウェア双方について上位互換性を備え、膨大な既存資産をほぼそのまま持ち越せたこと、それにNECがWindowsを快適に動作させるための高速グラフィックアクセラレータへの対応を積極的に推進したことなどから、このPC-9821シリーズはユーザ層の強い支持を集めた。また、NECが長い時間をかけて良好な関係を築き上げてきたサードパーティー各社の支持を背景として、多彩な周辺機器や拡張機能が提供され、加えて日本国内シェア1位だった寡占状態から生まれる利点から、Pentium、Pentium Pro、そしてPentium IIとインテルによる発表から間髪入れずに次々に搭載された最新CPUによる基本性能の向上もあって、FM TOWNSが得意としたマルチメディア領域は次第に、そして急速に脅かされていくことになった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "FM TOWNS登場当初、先行していたシャープ製パソコンX68000陣営は少なからず脅威を感じていたが、実機が登場した段階では、まだ周辺環境が未整備であったことから、それは杞憂に終わった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "さらにFM TOWNSの周辺環境が整備されて行くにつれ、その方向性の相違が明らかとなっていったため、直接のライバルというよりもそれぞれ独自の道を歩んでいくことになる。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "同じホビーパソコンでありながらも、最終的にFM TOWNSは一般的なユーザを獲得し、X68000は先鋭的なユーザを獲得するに至った。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "FM TOWNSにおいてはコンピュータ専業メーカーである富士通の威信をかけた部分もあり、数多くの派生機種が発表され、広告戦略も比較的大規模なものであった。加えて商品寿命もPC/AT互換機の台頭のスピードから考えるとかなり長寿であったと見なせる。また、光ディスクをメインのメディアとして用い、高精細多色表示でAVと高い融合性を持つという、2010年代もなおPCの基本形となっているスタイルを先駆したという歴史的役割も大きい。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "対してX68000は家電メーカーのテレビ事業部門が単独で展開していたこともあり、基礎体力の違いから思うように派生機種の展開ができず、広告戦略もごく小規模なものに留まり、最終的にはシャープ本体から疎外され、終焉を迎えた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "そんな中、X68000はFM TOWNSに先行して様々なホビー利用形態を提案し、実質上はその質においてFM TOWNSよりも先行しており、非常に健闘し、結果的にFM TOWNSの新用途を開拓し、牽引した側面もあった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "また、当時ようやく一般の事務所や制御用途に「使える」ようになったことから、パソコンの用途がホビーから実務へと大きくシフトし始めた時代において、旧来の慣習的なホビー市場は縮小の方向に向かっていた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "シャープ側では、当初計画されていた32ビットパソコンにおいても開発から発売までに、その資金面・仕様においてかなり迷走したと伝えられている。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "結果、登場したのは「より高速のX68000」であるX68030に留まり、それはX68000シリーズのその後の運命を決定づけた。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "一方、FM TOWNSは一般ユーザを主なターゲットに捉えたことから、自ずとより安価でかつ高性能な家庭用ゲーム機や、PC/AT互換機にその座を譲ることになる。この流れはWindowsの普及の始まりによって確定的となり、マーティーを投入しても抗らうことはできなかった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "富士通とシャープ、メーカーレベルで見れば対等に見えたこの2機種の関係も、実質上の事業規模で見るならば、まさに巨人と小人の関係であった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "当時、パソコンにおいて雑誌メディアが主体だった頃、よくこの二機種の比較が取り上げられることが多かったが、その多くは単にパソコンの単体スペックのみを争う内容であり、2000年代時点でのパソコンが(Macintoshを除けば)1つのアーキテクチャで統一された時代から見れば特異なものであった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "しかしながら、その背景にあったライバル意識は、結果的に優れたフリーウェアの充実という形で結実した側面もあり、これもまたその時代ならではの特異なものであった。",
"title": "概要"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "初代モデルから32ビットアーキテクチャのインテル製80386が搭載されていた。純正のオプションとして、FPUの80387も提供されていた。初代機はFPUをサブボードにさしこむ形態のためCPUがソケットになっているが他はPentium機とHA以外はマザーボード上にFPUソケットやODPスロットがあるため、CPUにソケットを使用していない。ただし2代目(1F/H、2F/H)は例外的にソケット仕様である。なお386/486機は、インテル以外の相当品の場合もある。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "CPUの交換については、",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "Pentium機が登場後には、HR用のi486DX2-40MHz ODPの価格が暴落しHRをi486SX-20MHzで我慢して使っていたユーザを喜ばせた、日替わり目玉商品として定価の1/10程度で投げ売りされていたこともある。CPUベンチマークテストでは、i486DX2-40MHzといった程度であったため、サードパーティー製のAMD Am5x86を搭載した製品の方が高速であった。ただし、値段は格安で、純正品というステータスがあった。FPUを搭載し、動作クロックも2倍になっているため、例えばTOWNS Linuxにおけるカーネル再構築や、浮動小数点演算を多用するレイ・トレーシングといった長時間の作業において劇的な速度アップがあった。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "(BIOSでサポートしている主なモード)",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "(※1) スクロール付きの独立した2画面を合成表示して使用可能。1画面をスプライト画面にすることも可能 (※2) 16色モードと32768色モードを1画面ずつ使うことも可能 (※3) 後期に発売されたMシリーズ・Hシリーズの高解像度・フルカラー対応モデルのみ",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "CRTCでは、2画面別々に、整数倍単位でのドットの拡大と、アスペクト比の切りかえの設定ができる。このためCRTCを直接操作すると、BIOSで設定できる、上記以外の画面モードを、ある程度自由に作ることができた。縦解像度を400/200ラインにすることもできた(640×400、640×200についてはBIOSでもサポートされている)。走査線(ラスタ)検出機能はあるが、これを割り込み要因とすることはできない、などの理由により、ハード的なラスタースクロールはできないとされていた。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "VRAMはデュアルポートRAMとなっていて、メモリ空間とI/O空間それぞれに割り付けられ、同時にアクセスすることができる。容量は512KB(後期のフルカラー対応機では1MB)。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "また、16色モード時は標準のパックドピクセル方式ではなく、FMR-50互換のRGBプレーンごとにVRAMにアクセスするモードがサポートされていた。もっともFMR-50にあるテキストVRAMは実装されておらず、MS-DOSなどではBIOSでテキストVRAMをエミュレーションし、グラフィック面にテキストを描画表示した。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 86,
"tag": "p",
"text": "俗に「フレームバッファ方式」と呼ばれる、セガのアーケードゲームの大型筐体でも使われていたのと同様の方法で実装されていた。このため、MSXやX68000、ファミコンなどの「ラインバッファ方式」と違い、その構造上、横方向への表示枚数制限がない。デビュー当時は、この方法について色々な議論があり、「擬似スプライト」と呼ばれることもあったものの、PC-8800シリーズやPC-9800シリーズ向けソフトで用いられる、プログラムによる擬似スプライトとは技術的に異なり、ポリゴンによる3D描画が主流となる以前はアーケードゲーム基板でもよく用いられた方法であった。なお、この方式はその後家庭用ゲーム機でもポリゴン処理の応用によって、類似した形で実装され、主流になっている。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 87,
"tag": "p",
"text": "ATARI仕様のポートが2つ標準搭載されている。ゲームパッドを2つ使う場合はマウスを外す。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 88,
"tag": "p",
"text": "マウスはFM77AVのものとほぼ同仕様で、MSXのものと互換性がある。添付されるマウスは本体と同色で、デザインは丸型(初代)、角型(1F/2F)、卵型(10F/20F~)と、毎年のように変更された。HA/HB/Fresh・E/Fresh・T以降に付属の最終版は、初期のFMV付属のものと同様の形状で、旧バージョンのOSを高速モードで動作させたときのマウスカーソルの挙動が改善されている。なお、解像度は丸型(初代)のみ100dpi、二代目以降は200dpiである。またペンタブレット(ワコムのOEM)もオプションで用意された。なお、2ndマウスを利用することができるという非常に珍しい特徴を持つ。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 89,
"tag": "p",
"text": "FMRシリーズ仕様のマウスポートがついているキーボードもあるが、この仕様のマウスに対応するソフトは限られる。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 90,
"tag": "p",
"text": "ゲームパッドはATARI仕様に準拠しているが、上下・左右の入力を同時ONにすることで実装したTOWNS独自の「RUN」「SELECT」がついている他、ポートの一部の出力が可変などの違いがあり、初期のゲームタイトルでは他機種向けのパッドが動作しないものもある。灰色のTOWNS/TOWNS IIシリーズと白のTOWNS IIシリーズのものではデザインが違い、灰色の方はボタンが固い・斜めに入れにくいなどの問題があったが、白の方は問題が解決されて使いやすくなっている。他にも対戦格闘ゲーム向けに6ボタンパッドが発売された。Marty向けのパッドは白のTOWNS IIシリーズのものに似ているが、ZOOMボタンが追加されていて、画面をハードで拡大表示するモードのために使われた。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 91,
"tag": "p",
"text": "キーボードはJIS配列・親指シフト配列が用意され、2キーロールオーバーのものとnキーロールオーバーのもの、テンキーのあるものとないものが用意された。白TOWNSからはデザインが変更された。Marty向けのキーボード(106キーボード形状)もあり、TOWNSシリーズでも使用できた。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 92,
"tag": "p",
"text": "背面の拡張スロットは、初代ではSCSIカード・モデムカード・ビデオカード、2代目はモデムカード・MIDIカード・ビデオカードのそれぞれ専用の3スロット構成だった。SCSIは2代目から内蔵された(フルピッチ、SCSI-1相当)。初代機及び二代目機の本体カバーの中には拡張スロット増設ボックス(I/O拡張ユニット)用のコネクタが設けられていた。このI/O拡張ユニットは本体の左側面に直接取り付けるというユニークな形状となっている。初代機及び二代目機用のI/O拡張ユニットは新旧二タイプあり、旧タイプのI/O拡張ユニット(FMT-601/602)はFMR-60用の拡張カード(ただし公式にサポートされていた富士通純正の拡張カードはMIDIカードとRS-232Cカードのみ)を3枚、新タイプのI/O拡張ユニット(FMT-611)はFMR-50LTシリーズと同じ信号の拡張カードを2枚取り付けることができる。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 93,
"tag": "p",
"text": "3代目からはFMT-611と同等の汎用拡張スロット2基(HR/MA/MXなどでは3基)と、ビデオカード/チュナーカード専用スロット1基という構成になった。モデム・MIDIカードは汎用スロットに接続するタイプが用意された。また、3代目以降の機種用に、本体内蔵の汎用拡張スロット経由で接続するI/O拡張ユニット(FMT-621。汎用拡張スロット×6)も用意された。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 94,
"tag": "p",
"text": "Hシリーズではグラフィックアクセラレータ専用のスロットも用意され、本体内蔵のものと交換するPower9100チップ搭載のカードが用意されていた。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 95,
"tag": "p",
"text": "初代から用意されたビデオカードはTOWNS最大の特徴と言われ、ビデオ入力端子(またはS端子)から動画の取り込みが行えた。MIDIカードは後にGS音源を搭載したものもあった。LANカードも存在した。Windowsで使用可能なグラフィックアクセラレータもある。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 96,
"tag": "p",
"text": "初代機からモニタ(D-Sub 15pin)、RS-232C(D-Sub 25pin)、プリンタ、増設フロッピィディスクのコネクタがあった。また、2代目モデルからはSCSIコネクタが標準搭載された。Freshシリーズ、白Hシリーズでは増設フロッピィディスクコネクタが廃止されている。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 97,
"tag": "p",
"text": "『Oh!FM TOWNS』1994年5月号(表記上は「5・6月合併号」)のアンケートの集計結果によるとFM TOWNSユーザーのオプションハードの所有率は以下の通りであった。ビデオカード:24.9%、MIDIカード:12.7%、モデム:29.9%、イメージスキャナ:6.9%。",
"title": "仕様"
},
{
"paragraph_id": 98,
"tag": "p",
"text": "TOWNSには標準のオペレーティングシステムとしてTownsOSが用意された。「32ビットシングルタスク」と称しており、当時の他機種ではi386など32ビットマイクロプロセッサを積んでいても活用されていることが少なかった32ビットモードを、DOSエクステンダで活用するものだった。PC-98などではユーザが各自に環境を設定するものであったためトラブルなども多かった点で、標準として用意し安定して活用できるものとした点に大きな意義があった。TownsOSには大きく分けて初代TOWNSからのV1.1、TOWNS IIから付属したV2.1の2系統のバージョンがあった。V1.1にはL10 - L30、V2.1にはL10 - L50・L51のマイナーバージョン(Lはレベル)があり、毎年のようにアップデートされていた。",
"title": "TownsOS"
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{
"paragraph_id": 99,
"tag": "p",
"text": "TownsOSの基本構造は、ROM化して本体に内蔵されたMS-DOS 3.1本体およびCD-ROMドライバのMSCDEX.EXE、それに32ビットプロテクトモードでアプリケーションを起動させる「386|DOS-Extender」(RUN386.EXE)を組み合わせたものだった。また、BIOSや各種デバイスドライバに相当する「TBIOS」により、グラフィック系機能、サウンド機能、CD-ROMアクセス/CD音再生機能、マウス/ジョイスティックなどFM TOWNSのハードウェアまわりの機能が利用できた。また、ゲームソフトの組み込み用として、TBIOS互換の「VINGBIOS」、「AYABIOS」などがあった。",
"title": "TownsOS"
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{
"paragraph_id": 100,
"tag": "p",
"text": "なおROMで内蔵のMS-DOSにはCOMMAND.COMに相当するシェルプログラムが内蔵されているがテキスト表示はサポートされておらず、コマンドプロンプトなどを使用するにはFM TOWNS専用版のMS-DOSを購入するか、TownsOSやF-BASIC386などに付属するコンソール表示ソフト、もしくはフリーソフトを使用する必要があった。この点はTownsOS V2.1において標準でテキスト表示がサポートされたことで解消された。",
"title": "TownsOS"
},
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"paragraph_id": 101,
"tag": "p",
"text": "TownsOSにはTownsMENUと呼ばれるファイラとランチャを兼ね備えたメニューアプリケーションが搭載され、ここからアプリケーションの起動やシステムの設定などの多くの操作を行うことができた。TownsMENUから本体の電源を自動的に切断することも可能。当初のV1.1ではドライブごとに分かれたタブ型のメニューだったが、V2.1ではマルチウィンドウタイプに大きく変更され、またL30からはTownsSHELLによりノンプリエンプティブなマルチタスクにも対応した(マルチタスクアプリの拡張子は.EXG)。",
"title": "TownsOS"
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"paragraph_id": 102,
"tag": "p",
"text": "TownsOSは一部の機能(システムの設定など)を省いたサブセット版が、アプリケーションなどのCD-ROMに組み込まれていることが多かった。この場合、CD-ROMから直接TownsOSの起動ができるため、フロッピーディスクやハードディスクなしでアプリケーションの利用が可能だった。",
"title": "TownsOS"
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"text": "TownsOS V2.1のL40以降では、HDDにインストールしたMS-DOS 6.2(別売)をTownsOSのベースとすることが可能になった。これにより、圧縮ドライブなどの機能も利用できるようになった。",
"title": "TownsOS"
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"paragraph_id": 104,
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"text": "TownsMENUやアプリケーションなどの操作環境の多くはGUIだった。初期の段階では、アプリケーションごとのGUI仕様は統一されておらず開発者任せであったが、後に標準的なGUIの仕様ができ、純正のGUIライブラリも発売された。",
"title": "TownsOS"
},
{
"paragraph_id": 105,
"tag": "p",
"text": "TownsOSと、管理ユーティリティ、アプリケーションなどからなる基本的なセットは、Townsシステムソフトウェアという形態で販売または本体に添付されていた。ほぼすべてのユーティリティやアプリケーションは統一されたGUIで構成されており、マウスを使ったわかりやすい操作を行うことが可能。日本語入力にはOAK(オアシスかな漢字変換システム)というかな漢字変換が付属した。",
"title": "TownsOS"
},
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"text": "付属しているアプリケーションは、Townsシステムソフトウェアのバージョンによって異なった。",
"title": "TownsOS"
},
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"paragraph_id": 107,
"tag": "p",
"text": "TownsOSやMS-DOSのほかに、FM TOWNS専用のWindows 3.0/Windows 3.0 with Multimedia Extensions/3.1も発売されていた。特にWindows 3.0 with Multimedia Extensionsまでは、マシンの適合性が高いこともあって、他の国内PCに先行していた。CPUに486やPentiumを搭載した白色のモデルでは、TownsOSのほかにWindows 3.1もプリインストールしたモデルも登場した。なお、『Oh!FM TOWNS』のアンケートの集計結果によると、1992年7月号調査でFM TOWNSユーザー中、Windowsの所有率は12.6%、1994年9月号調査でFM TOWNSユーザー中、Windowsを週に2時間以上使用する率は24.8%であった。",
"title": "TownsOS"
},
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"text": "Linuxの移植もいちはやく行われている。",
"title": "TownsOS"
},
{
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"tag": "p",
"text": "店頭販売はされず、富士通プラザ(ショールーム)での申し込みという形での販売のみでの発売だったが486以上の白TOWNS II用(HRでも動作は一応可能)向けにWindows 95(OSR1相当)も作られた。但し「Microsoft Plus! for Windows 95」は販売されなかった。また、一部のWindows 95用ソフトウェアでは、正常動作しないことがあった。",
"title": "TownsOS"
},
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"text": "この他、一般向けモデルをベースにした(一部を除く)、教育市場向けのモデルが存在した。基本的にはシステム販売のみの取り扱いであったが、ごく一部が一般市場に流通した。",
"title": "機種"
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{
"paragraph_id": 111,
"tag": "p",
"text": "FMV-TOWNSについては、(既に富士通のデスクトップパソコンの主力がFMV DESKPOWERシリーズになっていた関係で)CMという形態ではないが、ドラマ『ストーカー・誘う女』で室町医師の診察室にFMV-TOWNSが置かれ、ドラマ各回の最後のクレジットに「FMV-TOWNS MODEL H」と明記されることでの宣伝がなされている。",
"title": "歴代イメージキャラクター"
}
] | FM TOWNS(エフエムタウンズ)とは、富士通が1989年(平成元年)2月28日に発表した、世界で初めてCD-ROMドライブを標準搭載した独自アーキテクチャーの32ビットマルチメディアパソコン。 | {{Infobox information appliance
|name = FM TOWNS
|logo = FM TOWNS logo.svg
|image = [[File:FMTOWNS 2F.jpg|250px]]
|caption = FM Towns 2F
|developer = [[富士通]]
|manufacturer = 富士通
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|generation = [[ゲーム機|第4世代]]
|releasedate = {{Start date and age|1989|2|28}}
|lifespan = 1989-1997年
|price = <!-- this is price at initial release, not the current price. -->
|discontinued = 1997年夏
|unitssold = 50万台(1995年11月発表)<ref name="fmvtowns">{{Cite web|url=https://www.fmworld.net/product/former/vtw9511/towns.html |title=新製品「FMV-TOWNS」発表 |accessdate=2021年8月26日}}</ref>
|unitsshipped =
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|os = TownsOS, [[MS-DOS]], [[Microsoft Windows|Windows]], [[Linux]]
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|sound = リコー [[RF5C68]]、ヤマハ [[YM2612]]
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|successor =
|related = [[FM TOWNS マーティー]]
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}}
'''FM TOWNS'''(エフエムタウンズ)とは、[[富士通]]が[[1989年]](平成元年)[[2月28日]]に発表した、世界で初めて{{Refnest|独立行政法人日本学術振興会「発明と発見のデジタル博物館・卓越研究データベース(日本)」研究情報(登録番号637)<ref>独立行政法人日本学術振興会「発明と発見のデジタル博物館・卓越研究データベース(日本)」[https://dbnst.nii.ac.jp/pro/detail/637]</ref>。発売元の富士通も「世界で初めて」とも公称している<ref>[https://www.fujitsu.com/jp/about/plus/museum/products/computer/personalcomputer/fmtowns.html?fbclid=IwAR1lclwUiodghwn-gxYdXVGqKYpZ5gFjISP_JeHds2nq46ARWhqQJkMuUkU FM TOWNS(1989年)]、富士通 - 2021年10月19日閲覧。</ref>。富士通が発行していた技術情報誌『FUJITSU』<ref>[https://www.fujitsu.com/jp/about/resources/publications/magazine/ 雑誌FUJITSU]、富士通 - 2021年10月19日閲覧。</ref>における記述:「CDドライブを他社に先駆けて標準搭載した。」<ref>『FUJITSU』1989年11月号、344頁。{{NDLJP|3216773/20}}</ref>「FM TOWNSは世界で最も早くCD-ROMを標準搭載したパソコンとして、1989年3月に登場した。」<ref>『FUJITSU』1994年7月号、306頁。{{NDLJP|3216802/27}}</ref>|group="注"}}CD-ROMドライブを標準搭載した独自[[コンピュータ・アーキテクチャ|アーキテクチャー]]の32ビットマルチメディアパソコン。<ref group="注">パソコン以外ではFM TOWNS以前に[[PCエンジン]]・[[CD-ROM2|CD-ROM<sup>2</sup>]]、[[OASYS]]での採用例がある。また、オプション装備としての導入なら、Apple CDscが1987年に発売された[[Macintosh]]の方が2年早い。</ref>
== 概要 ==
全モデルに[[CD-ROM]]ドライブを標準搭載した<ref name="shashin">『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p109</ref>他、インテル80386搭載、32768色同時表示や1677万色中256色発色機能、640×480の解像度、フレームバッファ方式の[[スプライト (映像技術)|スプライト]]機能、PCM音源の標準搭載など、強力なグラフィック機能やオーディオ機能が特長。
キャッチコピーは「[[ハイパーメディア]]パソコン」。[[マルチメディア]]機能を生かした、教育分野向けの[[ソフトウェア]]や、[[ゲーム]]ソフトが充実。派生機種として、テレビにつなげるマルチメディアプレーヤー FM TOWNS[[FM TOWNS マーティー|マーティー]] '''('''Marty''')も発売。
[[FM-7]]([[FM77AV]])シリーズのオーディオ・ビジュアル(AV)機能の充実という流れを汲んだ後継機で、また、ビジネス向けの[[FMRシリーズ|FMR-50シリーズ]]と上位互換性を持っていた。
「FM-TOWNS」とFM-7のように[[ハイフン]]入りで表記されることもあるが、「FM TOWNS」とハイフンなし表記が正しい。アメリカの物理学者の[[チャールズ・タウンズ#日本との関わり|チャールズ・タウンズ]]にちなんで命名された。説明書やパンフレットなどでは、ロゴと同じように「<span style="font-size:60%">FM</span>TOWNS」と「FM」を小さく書く表記が用いられた。
=== FM TOWNS ===
初代モデルはモデル1とモデル2の2タイプ。違いはメインメモリとフロッピーディスクドライブ(FDD)の初期搭載数のみでその他は共通。モデル1がメインメモリ1MB /FDD1台、モデル2がメインメモリ2MB /FDD2台。
価格はモデル1が338,000円、モデル2が398,000円。
縦型[[CD-ROM]]ドライブと3.5インチ[[フロッピーディスク|FDD]]ドライブ、音量レベルメータ、マイクなどを正面に配した灰色の縦型プラスチック成型筐体を採用。筐体上部にはキャリングハンドルとメモリカードスロットを装備。筐体左側面は工具なしで開き、CPUやメモリスロットに容易にアクセスできた。
[[マウス (コンピュータ)|マウス]]と[[ゲームパッド]]を標準添付し、標準OSとしてGUIによる独自の[[シェル]]を搭載した[[#TownsOS|TownsOS]](Townsシステムソフトウェア)を用意。[[MS-DOS]]を[[DOSエクステンダ]]と呼ばれるモジュールで拡張して386[[プロテクトモード]]での動作を可能にしたもので、T-BIOSと呼ばれる各種[[マルチメディア]][[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]が実装された。
CPUには[[Intel 80386|インテル80386(i386DX)]]/16MHzを搭載。当時の日本国内向けPCの中では高級・高性能なCPUで、FM TOWNSは386搭載機としては破格な価格設定だった。<ref group="注">同時期の他機種の定価は、例としてNEC PC-9801RA2 (i386DX/16MHz)¥498,000、ソニー Quarter/L PCX-300C11(i386SX/16MHz)¥578,000 ※CD-ROMドライブ搭載など。</ref>
サウンド機能として[[FM音源]][[ステレオ]]6音、[[PCM音源]][[ステレオ]]8音を標準搭載。サンプリングメモリは64KB、量子化ビット数は8ビット。CD-DAも再生可。MIDI端子はオプション。
ポート類は、FMRシリーズと共通のキーボード端子(ミニDIN)、シリアルマウス/ジョイパッド端子が2つ(MSXなどと共通のアタリ規格、D-SUB9ピン)、3.5mmステレオフォン端子とマイク端子、オーディオ入力/出力端子(RCAピン端子、ステレオLR)、パラレルポート/プリンタ端子(セントロニクス端子)、シリアルポート(RS-232C規格、D-SUB25ピン)、拡張FDD端子(FMRシリーズと共通の専用端子を装備。
数値演算プロセッサ(FPU)の取り付けにも対応。メインボード上のCPUを一旦取り外し、インテル80387を搭載したオプションの数値演算プロセッサカード(ドーターボード)に80386も装着した上でCPUソケットに取り付ける方式となっていた。
拡張スロットは3スロット。モデムカード専用スロット、ビデオカード専用スロット、SCSIカード専用スロット。汎用拡張スロットは無く、本体とほぼ同寸法のI/O拡張ボックスを筐体左側面に取り付けた上で、FMR-50LT用の拡張カードを3枚装着可能。MIDI端子などはこの形式で増設できた。
メモリカードスロットはJEIDA3.0。ベクトルフォント(アウトラインフォント)を収録した専用ROMカードが提供された。S-RAMカードも読み書き可能で、OASYSやFMR-CARDなどとのデータ交換に利用可能。I/O機能やフラッシュメモリカードには非対応。
FMRシリーズをベースに開発されたとされ<ref group="注">当時FMR-50型番の機種には[[Intel 80386|80386]]搭載機種はなかったため、実機ができるまでの開発環境はFMR-70+専用AVボード+専用DOS-Extenderであった</ref>、FMR-50型番の機種と一定の互換性を備えている。FMRシリーズとはメモリー・マッピングや[[Basic Input/Output System|BIOS]]等が異なったが、別売りのFM TOWNS専用版MS-DOSで起動することによりFMRシリーズ用の[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]の多くが動作した。
キーボードは別売りで、[[JISキーボード|JIS配列]]と[[親指シフト]]キーボードの2種類から選択できた。いずれもFMRシリーズや同社の日本語ワードプロセッサ(ワープロ)のOASYSシリーズと類似したキー配列で、独立した実行キーや変換/無変換キーを備えていた。また、かな漢字変換システム(日本語FEP)としてオアシスかな漢字変換(OAK)をROMで搭載しており、キーボードと併せて同社のパソコン/ワープロに共通した使用感を実現していた。
専用[[ディスプレイ (コンピュータ)|RGBモニタ]]は14インチで[[トリニトロン]]を使用し、これらは[[ソニー]]の[[OEM]]品であった。[[複合同期]]や15/24/31kHzの3つの水平同期周波数に対応していた。ドットピッチ0.39mm/0.26mmの2タイプと、タッチパネル付きの計三機種が用意された。
==== 発表当時を含むその背景と概要 ====
FM TOWNSが発売されると、[[モトローラ]]の[[MC68000|68000]]シリーズの搭載を期待していた旧来の[[8ビット]]時代の[[富士通#パーソナルコンピュータ|FM]]ユーザや、先にシャープから発売されていた、同じくマルチメディア指向と目されるX68000のユーザを中心として賛否両論が沸き起こった。
現代から技術的に評価すれば、後に[[IA-32]]と呼ばれ長く主流の座にあったアーキテクチャの始祖である[[Intel 80386|80386]]を存分に活用することを前提としているなど、それなりに思い切ったコンセプトではあったのだが、それまでの[[Intel 8086|8086]]や[[MS-DOS]]のネガティブイメージを持ち出すなど、その類の業界メディアによって賛否の両方が煽られていたというのが、その実態という所ではあろう。
また、本体同時発売のゲーム「[[アフターバーナー (ゲーム)|アフターバーナー]]」において潜在的なポテンシャルの高さを誇示したものの、プログラムの完成度の低さ<ref group="注">後にX68000版が[[マイコンソフト]]から発売され、店頭デモなどでよく比較された。画面処理能力の関係から画面の再現性ではFM TOWNS版が上回っていたが、ゲームとしての本質的な再現度では画面の再現性を幾分犠牲にしてでもプレイアビリティを重視したコーディングが行われたX68000版の方が格段に完成度が高かった。</ref>が特に初期には目立った。
* [[キーボード (コンピュータ)|キーボード]]が別売であった
* [[CD-ROM]]の読み出し速度<ref group="注">本体色がグレーのモデルは1倍速ドライブを搭載していた。</ref>
* スプライトの表示性能
* 初代機の[[主記憶装置|メインメモリ]]/[[VRAM]]の[[ウェイト]]の多さ<ref group="注">正確にはそれぞれ3ウェイト、6ウェイト。しかし実際の性能にはあまり影響を与えていないとされる。メモリウェイトはI/Oの隠し操作で少なくできるようになっていた。</ref>
* [[テキスト]]専用のVRAMを持たない<ref group="注">MS-DOSはFMR-50のテキスト画面のハードウェアをエミュレーションすることによりグラフィック画面にテキストを表示する。なお、この仕様のため、[[ブート|ブートローダー]]がテキストVRAMを必要とするFMRシリーズ用[[Microsoft Windows NT|Windows NT]]は対応しない。</ref>
* [[F-BASIC|F-BASIC386]]の使い勝手が悪い<ref group="注">最初のバージョンではCD再生に対応していない始末であった。</ref>
などが当時の主な指摘点である。
後年の『[[Oh!FM|Oh!FM TOWNS]]』の記事によると、CD-ROMや80386が採用されたのは[[アスキー (企業)|アスキー]]の[[西和彦]]の影響があったということである<ref>『Oh!FM TOWNS』1996年2月号 pp.108-109</ref>。
その出航ではいろいろと物議を醸し、発売当初の専用ソフトウェアラインアップもあまり冴えない状況であったが、時間とともに優秀なソフトウェアや[[サードパーティー]]からの支援に恵まれるようになる。
また、[[ソフトウェアコンテスト]]を[[旺文社]]と共同で実施し、そのために本体と開発環境など一式を[[学校法人]]向けに無償で提供したほか、[[フリーソフトウェア]]をユーザから集めてCD-ROMで実費配布する試みなどの[[営業]]施策が功を奏し、若年層や[[クリエイター]]を中心に根強いユーザを掴むに至った。
なお、逸話として、FM TOWNSには当時大人気だった[[イースシリーズ]]のゲームソフトウェアが一作も発売されていない。当時、日本メーカーから発売されていたパソコン及び据え置き型コンシューマー機にはもれなく移植されていたタイトルであったが、なぜかFM TOWNSには、最後まで遂に[[移植]]・発売されることはなかった。
宣伝や展開は富士通の総力を結集するような大規模なもので、[[南野陽子]]、[[宮沢りえ]]、[[観月ありさ]]ら当時のトップアイドルを起用してのCMの連打、年2回全国での一斉イベント開催のイベントなどが行われた。特に東京地区においては、[[東京ドーム]]を貸し切って「電脳遊園地」の題名で複数回イベントが行われた<ref>[https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0608/17/news003_2.html 進化するマルチメディアパソコンとノスタルジー (2/2)] - ITmediaエンタープライズ・2006年8月17日</ref>。{{要出典範囲|国内では前例が少ないオリジナルCD-ROMマルチメディアタイトルを揃えるため、各ソフトメーカーには機材援助、買い取り本数保証などの支援が惜しまれなかった。|date=2015-1}}
==== 二代目以降 ====
1989年(平成元年)11月に発表された二代目モデルでは、ハードディスク内蔵モデルが追加された。モデル構成はモデル1F/2F/1H/2Hの二機種4タイプ。
カタログスペックはほぼ同一ながら、細かな改良が多数加えられている。主な改良点は、HDD内蔵ベイの新設、SCSI端子の搭載、拡張スロット構成の変更(SCSIカード専用スロットの廃止、MIDIカード専用スロットの新設)、最大メモリ搭載量の拡張(最大8MB。初代モデルは6MB)、CD-ROMドライブの改良(取り出し時のブレーキ搭載、シーク速度の高速化、アクセスランプの追加)、フロントパネルの音量レベルメーターの改良(オレンジLED5つから緑/赤LED10連に変更)、FPU装着方法の変更(メインボード上の専用ソケットに直挿しする方式に変更)、マウス/ジョイパッド端子カバーの追加など。
[[1990年]](平成2年)[[10月]]発表の三代目モデルも、10F/20F/40H/80Hの二機種4タイプ。
カタログスペックは初代・二代目と同等だが、[[拡張スロット]]がこれまでの専用スロットから汎用スロットに変更された。メインメモリの最大搭載量も26MBに拡張されている。メインボードの集積度も上がっており、定価もモデル20Fで¥323,000とプライスダウンを実現している。
専用ディスプレイのラインナップも拡充され、当時一般的だった球面ブラウン管を採用した廉価版が登場した。このモニターは上下左右の角度が変えられるモニタースタンドを装備していた。
TownsOSやF-BASIC386なども本体が発売されるたびに少しずつ改良された<ref group="注">なお、前項で取り上げたタイトル「アフターバーナー」は後に、別物となった続編や、他ソフトと組み合わせた廉価版のパッケージが発売されたものの、オリジナルの改良は最後までなされなかった。</ref>。
他に、非公式な仕様の変更点として、I/O操作によりメインメモリのアクセスウエイトをノーウエイトにしたり、ビデオメモリ(VRAM)のアクセスウェイトを少なくしたりできるようになっている。
=== FM TOWNS II ===
[[File:FM Towns II.jpg|thumb|モニタ一体型モデル]]
[[1991年]](平成3年)11月、'''FM TOWNS II'''と名称を変更。従来型筐体の'''CX'''ではメモリウエイトの従来互換/高速モード<ref group="注">高速モードではメインメモリアクセス時の0ウエイト動作、VRAMアクセス時の3ウェイト動作を行う。</ref>のソフトによる切り替え機能が追加された。また、[[トリニトロン]][[ディスプレイ (コンピュータ)|モニタ]]一体型のモデル、'''UX'''(386SX-16MHz)を発売した。UXではソフトからの電源制御は削除され、CD-ROMドライブはフロントローディングタイプに変更された。メモリはノーウェイトであるが、バス幅が16ビットの386SXを搭載するため、速度的には三代目までの機種やCXの[[互換モード]]とほぼ同じだった<ref group="注">これはMartyへの布石にもなった。</ref>。
==== 486搭載・横置き型化 ====
[[1992年]](平成4年)秋の'''HR'''([[Intel 486|486SX]]-20MHz)/ '''HG'''(386DX-20MHz)ではビデオデッキのような横置き筐体になり、内蔵CD-ROMドライブはフロントローディングタイプに変更され、3.5インチ対応のドライブベイは[[MO (記憶媒体)|MO]]なども使えるよう前面に配置され、[[フロッピーディスクドライブ]]はPC/AT互換機で一般的な1.44MBフォーマットにも対応した。メンテナンスの容易なプラスチック成型の筐体構造は踏襲され、[[Intel 487|487SX]]や[[オーバードライブプロセッサ|ODP]]も専用カード形態で搭載可能とされた。UX同様のモニタ一体型の'''UG'''(386SX-20MHz)がHR/HGと同時発売、後を追うように'''UR'''(486SX-20MHz)も[[1993年]][[2月]]に発売された<ref group="注">URはODPには対応していない。</ref>。486搭載機は動作速度が非常に速くなっており、高速モードでは古いソフトの場合マウスの読み取りミスがあるなどの不具合が出た。なお、富士通はその対策なども兼ね、読み取りの際に割り込みが入る機能を搭載したマウスへ移行した。
==== 白TOWNS ====
[[File:FM TOWNS II (HR and MX models).jpg|thumb|FM TOWNS II HR(上)/ MX(下)]]
1993年(平成5年)秋の'''MA'''(486SX-33MHz)/ '''MX'''(486DX2-66MHz)/ '''ME'''、[[1994年]]春のFM TOWNS発売5周年記念モデル'''MF'''/'''Fresh'''ではPC/AT互換機のモニタの流用を意識してHRの本体色を灰色から白に変更し、24kHzのRGB出力を31kHzにコンバートするように仕様変更された。特に廉価版のME/MF/Freshシリーズでは15kHzのRGB出力も31kHzにコンバートされる<ref group="注">MX/MAでは隠しモードとして搭載。</ref>ほか、コストダウンのために筐体が金属製となった。この通称白TOWNSと呼ばれる世代では[[オーディオ]]周りの[[アナログ回路]]設計が見直され、音質が向上した。内蔵CD-ROMドライブは倍速タイプに変更された。また内蔵RS-232Cポートにはモデムなどの周辺機器側の高速化を受け、38,400bps以上での取りこぼしを防ぐFIFOバッファメモリが追加された<ref group="注">OSレベルでは非対応。</ref>。[[チューナー]]カードのリモコン受信口は塞がれた<ref group="注">後に発売されたFresh・TVではハードディスクベイの右上にリモコン受信口がある</ref>。MX/MAでは[[WSS]]相当の新PCMや1024×768の[[ハイレゾ]]表示モードがつき、[[マイクロソフト]]から「MPC 2.0」の認定を受けている。
この頃からPC/AT互換機の流行を受け、富士通でもPC/AT互換機である[[FMV]]の販売が開始されている。
1994年(平成6年)[[12月]]の486DX2機の'''HA'''と[[Pentium]]搭載の'''HB'''、[[1995年]](平成7年)2月の'''HC'''でもMA/MXの拡張仕様が受け継がれた。Freshシリーズ同様、15kHzから31kHzへのアップコンバートが標準機能となった。白いHシリーズでは筐体が金属製となり、もう一つのHDD専用ドライブベイと、[[ステレオ]]の[[スピーカー]]が用意された。
=== ノート/ラップトップ機 ===
TOWNSが発売された当時の[[液晶]]ディスプレイでは、FM TOWNSのアーキテクチャ全てを満たすことは不可能で、TOWNSは全期間を通じて、ノート/ラップトップ形態の本体は1機種しかない。
これは[[Macintosh]]に[[PowerBook]]が存在し、また新規ユーザをめぐっては少なからず[[PC-9800シリーズ]]やその互換機である[[EPSON PCシリーズ]]とも対抗しなければならなかったFM TOWNSにとっては、マーケティング上の大きなハンデとなった。
1992年(平成4年)以降、富士通は[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.1]]の動作を前提とし、TOWNS用アプリケーションソフトとも一定の互換性を有し、ユーザターゲットをTOWNSとラップさせたカラーノートパソコンをラインアップした。これらは前述の理由からTOWNSのアーキテクチャ全てはサポートされず、そのため「FMR50シリーズ」を名乗った。
[[1995年]](平成7年)、唯一のラップトップモデルとして「FM TOWNSII モデル'''SN'''」が発売された。パソコンの普及とそれに伴うシェア争奪戦激化により、ノートパソコン用カラー液晶ディスプレイモジュールの性能が向上し、また価格も大きく下がったためである。バッテリは搭載せずAC電源動作専用である。この機種は教育市場向けモデルのため一般にはほとんど出回っていない。なお、SNではUXと同様、ソフトからの電源制御機能は削除されている<ref>『Oh!FM TOWNS』1995年4月号、132頁。</ref>。
=== FMV-TOWNS(TOWNSシリーズの終焉) ===
1995年(平成7年)冬には[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]発売の影響でPC/AT互換機であるFMVの[[Peripheral Component Interconnect|PCI]]スロットに専用拡張ボードを搭載したハイブリッド機'''FMV-TOWNS'''という形態に変わった。動作モードを前面のスイッチで切りかえ、TOWNSモードは専用カードによるハードウェア支援を受けた上での[[エミュレーション]]形態で動作する。
PC/AT互換機の汎用性を併せ持った反面、独自性が薄れることにもつながった。
また、ベースとなったFMVが当初[[ALi (企業)|ALi]]製Alladin IIチップセットを搭載し<!--V50LA搭載機のことです。念のため。-->Pentium 133MHz搭載でも486 100MHz搭載機にさえ劣る程度の性能しか出ない機種<ref group="注">特にバス周りの転送性能が極めて低く、バスマスタ転送に対応するPCI/[[Industry Standard Architecture|ISA]]カードの中には、[[日本電気ホームエレクトロニクス|NECホームエレクトロニクス]]のPCFX-GA for DOS/Vのように当該チップセット搭載機種での動作を保証しないケースも少なからず存在した。</ref>であったことから、WindowsマシンとしてもTOWNS互換機としても額面通りの性能が出ないことで大きな不評を買った。
富士通専門誌「Oh!FM TOWNS」も、[[1996年]]2月号をもって休刊。代わって「FMVファミリー」が創刊され、[[2000年]]に休刊するまで刊行されたが、文面でのFM TOWNSの扱いは、あったとしても僅かなコーナーに限られた。このためTOWNSユーザは情報源を[[ニフティサーブ]]のFTOWNSフォーラム・草の根BBSといった[[パソコン通信]]や、同じ1996年にFTOWNSを中心とした有志によって創刊された[[同人誌]]「Another TOWNS<ref>[https://web.archive.org/web/20040805132015/http://member.nifty.ne.jp/AnotherTOWNS/ AnotherTOWNS HOMEPAGE]([[インターネットアーカイブ]]のキャッシュ)</ref>」(1996年〜2002年。全20号)に頼ることとなった。またユーザはPC/AT互換機以外に、一部は[[Macintosh]]にも流れていった。
当初Fresh相当だった拡張ボードの機能は、モデルを追うごとにMシリーズ相当に近づいていくなどしたが、[[1997年]]夏のFMV-TOWNS モデルH20を最後に、FMV-DESKPOWERに統合される形でTOWNSシリーズは終了した。
なお、専用拡張カードはPCIカード形態であるが、その動作にはPCIバス以外にも幾つか信号線が必要で、カードだけを外して普通のPC/AT互換機に搭載しても動作しない。ただし、チップセット構成がV-TOWNSと同様であるか、特定の機能を持ったチップセットを搭載したマザーボードであれば、マザーボード上に一部改造を施すことで動作可能<ref group="注">実際にその手法で作られた[[Athlon]]搭載のV-TOWNSが存在する。</ref>である。
=== その他 ===
[[日本アイ・ビー・エム|日本IBM]]のOptions(純正オプション)としてPS/V VisionなどのPC/AT互換機で動作する[[Industry Standard Architecture|ISA]]用のFM TOWNSアプリケーションカード<ref group="注">本体から独立した386SX CPU+メモリ+グラフィックチップ+サウンドチップなどを搭載する。</ref>が[[1993年]](平成5年)[[12月]]末に発売されている。このカードに加え、CD-ROMドライブを準備するとISAスロット搭載のPC/AT互換機でTOWNSソフトを動作させることができた。
=== 販売・広告戦略 ===
[[1980年代]]後半の[[16ビット]][[パソコン]]市場では、富士通が[[FM-11]]・[[FM-16β]]と2シリーズで重大な戦略ミス<ref group="注">特にFM-16βの開発時に標準OSとして、結果的にアメリカ市場で[[MS-DOS]]に大敗を喫した[[CP/M-86]]を選択するという判断を行ったことは、同シリーズの寿命を著しく縮めた。PC-9800シリーズの成功には、[[ROM-BASIC]]マシンからOSマシンへの移行時に、このような大きなミスを犯さなかったことによる所が大きい。</ref>を繰り返したこともあり、[[日本電気|NEC]]のPC-9800シリーズがROM-BASICマシンからOSマシンへの移行をスムーズに実現すると共に各分野での対応アプリケーションソフトの拡充に成功したことで、ほぼ全ての用途において寡占を実現していた。
このため、富士通は市場シェアの確保を目指し、16ビット以上のCPUを搭載する高性能個人向けパソコンの展開を模索していた。
[[8ビットパソコン]]ではFM77AVシリーズのマルチメディア機能と低価格が一定の支持を得ており、性能面ではNECの[[PC-8800シリーズ]]と充分対抗しうる存在であった<ref group="注">もっとも、PC-8800シリーズや[[X1 (コンピュータ)|X1シリーズ]]、それに[[MSX]]・MSX2規格といった、1980年代後半の日本で[[ホビーパソコン]]市場の主流を形成していた[[Z80]]搭載各シリーズと異なり、高機能ではあるがコーディングの難しい6809をCPUとして搭載していたFM7/77シリーズは、開発言語の主流が[[アセンブリ言語]]であった当時の状況ではデータ格納形式の相違なども含めて移植作業に当たってのプログラマの負担が大きく、8080系CPUを中心に開発しているソフトハウスでは忌避される傾向にあった。後期は相次ぐPC-8800シリーズの高速化や低価格化、ファミコンをはじめとする家庭用ゲーム機の大ヒット、それにX68000の出現などの事情からそのシェアは急速な低下傾向を示し、末期には商業的な市場規模の小ささに見切りをつけた有力ソフトハウス各社による、発売予告のなされたゲームソフト(主に移植作品)の発売中止が相次いだ。</ref>。
FM TOWNSはこの流れを汲み、折りしもシャープから発売され、ホビーパソコン市場でNECによる対抗機種([[PC-8800シリーズ|PC-88VA]])に事実上圧勝していたX68000から刺激を受け、CD-ROMを始めとした強化されたマルチメディア機能と32ビットCPUの処理能力という新機軸を武器に、個人向け市場においてPC-9800シリーズでは開拓できない分野の需要を掘り起こし、結果的に個人向け用途においてPC-9800シリーズのシェアと拮抗する存在となるべく企画された<ref group="注">発売前の雑誌インタビューでは、「コンセプト的には日本のMacを目指しているといってよいでしょう」というスタッフの発言が掲載されていた。</ref><ref>大谷和利 「モトローラCPUを巡るパソコン史 68000光と影」『THE COMPUTER 1988年8月号』、日本ソフトバンク、1988年、pp.72-78</ref>と伝えられる。
プロジェクトが発足すると共に、富士通社内で専用部署が設置され、特別に社内公募にてその構成メンバーが集められた。これは当時の富士通がFM TOWNSに並々ならぬ期待と熱意をかけていたことの証左である。
発売にあたっては広告戦略やイメージ戦略を重視し、意図的に先行情報を流したと伝えられている。
そして、[[日本放送協会|NHK]]が『富士通が戦略的32ビットパソコンを開発中』とニュースで報じたり、[[週刊文春]]で『NECへ挑戦する富士通』との主旨の記事が掲載されたりした結果、人々の注目を集めた。
発売後はパーソナルコンピュータの拡販[[イベント]]としては前例を見ない大規模な、[[東京ドーム]]を借り切ったイベント「電脳遊園地」が開催され話題となる。開催は1989年12月9日〜11日、総経費は約10億円、総入場者数は当初目標の10万人を上回ったとされる<ref name=ns_891212>「富士通『電脳遊園地』が閉幕 入場者、10万人を突破 でも宮沢りえがお目当て?」『[[日経産業新聞]]』1989年12月12日付、7頁。</ref>。
イメージキャラクタは、[[南野陽子]]、[[宮沢りえ]]、[[観月ありさ]]など人気女性[[アイドル]]が代々起用された。これにより[[ポスター]]や[[ノベルティ]]類も好評で、商品名の浸透と拡販に貢献した。後期には[[タッチおじさん]]となった。[[コマーシャルメッセージ|コマーシャル]]の楽曲として、[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]の『[[春の祭典]]』やデビュー間もない[[B'z]]の『[[BAD COMMUNICATION]]』が使用されたことも当時としては斬新で注目を集めた。
ちなみにFM77AVの購買層の移行と取り込みも眼中に置かれ、FM TOWNSの発売とともにFM77AVはFM77AV40SXを最後に販売が打ち切られた。FM77AVのシステム価格帯は20万円台だったが、当時、まだ高価なパソコンにしか採用されていなかった80386を搭載したFM TOWNSでは、発表時の最廉価モデルのシステム価格は40万円を越えた。その価格差からFM TOWNSの販売に併せて旧来のFM77AV購買層を取り込もうとする目論見は失敗に終わった。
=== PC-9800シリーズとの関係 ===
FM TOWNSは当初、NEC PC-9800シリーズとは商品[[概念|コンセプト]]が異なり、[[マーケティング]]でメインターゲットとするユーザ層も異なっていたため、直接市場で競合することは少なかった。
だが富士通はFM-16β、FMRシリーズとPC-9800シリーズに対して事実上の敗退を繰り返してきた日本国内の[[ビジネス]]用途向けパソコン市場における自社製品の浸透・占有率の向上を図るべく、ビジネスパソコンとして性能と競合製品に対する価格競争力の点で充分な力を持つこのFM TOWNSを一種の戦略商品として取り扱い、既存のFMRシリーズ用[[ソフトウェア]]や[[ハードウェア]]との互換性を確保、更には[[ジャストシステム]]の「[[一太郎]]」など人気実用[[ソフトウェア]]の[[移植]]も積極的に推進する戦略を取った。
またシリーズ開始当時の段階ではマルチメディア対応が皆無であったPC-9800シリーズに対する[[ニッチ市場]]適合策として、マルチメディアや[[教育]]関連用途向けにFM TOWNSの機能を活かした展開も同時になされ、一定の成功を収めていた。
ところが、その後、[[1990年代]]に入ると、マイクロソフトによるMPC認定などのマルチメディア環境の一般化が始まり、NECはPC-9800シリーズをそれに適合させるための開発を本格化させることになる。
その第1陣となったのは、1991年(平成3年)に発売された「PC-98GS」である。この機種では、PC-9800シリーズの基本機能に加えて球面スクロールなど高度な[[グラフィックス]]機能やDSPによる4チャネル出力に対応するサウンド機能が標準で搭載され、ビデオデジタイザにオプションで対応、[[ハードディスクドライブ]]や(上位機種に)[[CD-ROM]]ドライブを内蔵、更にMPCへの対応を視野に入れてPC-9800シリーズでは初となる、[[Video Graphics Array|VGA]]相当のグラフィック解像度(640ドット×480ライン)がサポートされるなど、FM TOWNSに近いかあるいはそれを凌駕する機能がサポートされた。ただし、これは[[オーサリング]]用として開発・発売された一種の実験機で、CD-ROMドライブ非搭載のmodel 1でさえ本体の定価が730,000円<ref group="注">Windows 3.0プリインストール済み。なお、1倍速CD-ROMドライブ標準搭載のmodel 2は本体の定価が828,000円であった。</ref>と極端に高価で一般向けのものではなく、FM TOWNSと市場で直接競合する商品ではなかった。
もっとも、[[1993年]](平成5年)よりNECは自社の主力商品であったPC-9800シリーズの上位・後継機種として、このPC-98GSでの試行錯誤の結果をフィードバックし、より普遍的な形に機能を再編した上で開発された[[PC-9821シリーズ]]を大々的に展開するようになる。
標準搭載される[[グラフィックス]]やサウンド機能については、DSPを搭載するなど贅沢な設計であったPC-98GSが高価になりすぎた反省もあって大幅に簡略化され、FM TOWNS単体と比べれば幾分見劣りした。だが、従来のPC-9801シリーズに対してハードウェア・ソフトウェア双方について上位互換性を備え、膨大な既存資産をほぼそのまま持ち越せたこと、それにNECがWindowsを快適に動作させるための高速グラフィックアクセラレータへの対応を積極的に推進したことなどから、このPC-9821シリーズはユーザ層の強い支持を集めた。また、NECが長い時間をかけて良好な関係を築き上げてきたサードパーティー各社の支持を背景として、多彩な[[周辺機器]]や拡張機能が提供され、加えて日本国内[[市場占有率|シェア]]1位だった[[寡占]]状態から生まれる利点から、[[Pentium]]、[[Pentium Pro]]、そして[[Pentium II]]と[[インテル]]による発表から間髪入れずに次々に搭載された最新CPU<ref group="注">Pentium(PC-9821Af)やPentium Pro(PC-9821St15)などではインテルによる新CPUの発表と同時に製品が発表されている。</ref>による基本性能の向上もあって、FM TOWNSが得意としたマルチメディア領域は次第に、そして急速に脅かされていくことになった。
=== X68000シリーズとの関係 ===
FM TOWNS登場当初、先行していた[[シャープ]]製[[パソコン]][[X68000]]陣営は少なからず脅威を感じていたが、実機が登場した段階では、まだ周辺環境が未整備であったことから、それは杞憂に終わった。
さらにFM TOWNSの周辺環境が整備されて行くにつれ、その方向性の相違が明らかとなっていったため、直接のライバルというよりもそれぞれ独自の道を歩んでいくことになる。
同じホビーパソコンでありながらも、最終的にFM TOWNSは一般的なユーザを獲得し、X68000は先鋭的なユーザを獲得するに至った。
FM TOWNSにおいては[[コンピュータ]]専業メーカーである[[富士通]]の威信をかけた部分もあり、数多くの派生機種が発表され、広告戦略も比較的大規模なものであった。加えて商品寿命も[[PC/AT互換機]]の台頭のスピードから考えるとかなり長寿であったと見なせる。また、光ディスクをメインのメディアとして用い、高精細多色表示でAVと高い融合性を持つという、2010年代もなおPCの基本形となっているスタイルを先駆したという歴史的役割も大きい。
対してX68000は家電メーカーの[[テレビ]]事業部門が単独で展開していたこともあり、基礎体力の違いから思うように派生機種の展開ができず、広告戦略もごく小規模なものに留まり、最終的にはシャープ本体から疎外され、終焉を迎えた。
そんな中、X68000はFM TOWNSに先行して様々なホビー利用形態を提案し、実質上はその質においてFM TOWNSよりも先行しており、非常に健闘し、結果的にFM TOWNSの新用途を開拓し、牽引した側面もあった。
また、当時ようやく一般の事務所や制御用途に「使える」ようになったことから、パソコンの用途がホビーから実務へと大きくシフトし始めた時代において、旧来の慣習的なホビー市場は縮小の方向に向かっていた。
シャープ側では、当初計画されていた32ビットパソコンにおいても開発から発売までに、その資金面・仕様においてかなり迷走したと伝えられている<ref group="注">X68000が搭載する[[MC68000|68000]](より厳密にはその[[セカンドソース]]品の日立製作所HD68HC000)は汎用[[レジスタ (コンピュータ)|レジスタ]]が32ビット長であるが、アドレスバスは24ビット幅、データバスは16ビット幅となっており、開発元である[[モトローラ]]の定義では16ビットCPUとなる。同社のライバルであったインテルの場合はCPU内部の汎用レジスタ長をもってCPUのビット数として取り扱ったが、モトローラではデータバス幅をもってCPUのビット数を表現した。このため、同じ16ビットパソコンと表記する場合でもインテル製CPU搭載マシンとモトローラ製CPU搭載マシンではその意味合いが異なる場合がある。X68000の場合もインテル流に表記すれば全て32ビットパソコンということになり、データバス幅16ビットの386SXを搭載したFM TOWNSの廉価機はモトローラ流の表記に従えば16ビットパソコンとなる。ここでいう32ビットパソコンとは、データバス幅も32ビット化されたマシン、つまりMC68020やMC68030(およびその派生モデル)を搭載したマシンを指す。</ref>。
結果、登場したのは「より高速のX68000」である[[X68000#X68030|X68030]]に留まり、それはX68000シリーズのその後の運命を決定づけた。
一方、FM TOWNSは一般ユーザを主なターゲットに捉えたことから、自ずとより安価でかつ高性能な家庭用[[ゲーム機]]や、PC/AT互換機にその座を譲ることになる。この流れはWindowsの普及の始まりによって確定的となり、[[FM TOWNS マーティー|マーティー]]を投入しても抗らうことはできなかった。
富士通とシャープ、メーカーレベルで見れば対等に見えたこの2機種の関係も、実質上の事業規模で見るならば、まさに巨人と小人の関係であった<ref group="注">当時、シャープ内部では、その企業規模の割にはパソコン事業部が独立して2部門もあり、しかもその2つが連携することはほとんど無く、社内の力関係で劣勢に立たされていたのはむしろX68000の開発部隊の方であった。</ref><ref group="注">もっとも、この関係は後に矢継ぎ早のモデルチェンジに耐えられなくなり体力切れとなったFM TOWNSと、それまでの資産や圧倒的なネームバリューを武器にIntelx86系としては最後まで独自アーキテクチャを以って抗い続けたPC-9800シリーズの関係にも似る。シャープのX68000シリーズの開発陣が小人、富士通が巨人ならば、NECはさらにその上を行く巨大[[怪獣]]であり、[[PC/AT互換機]]陣営はさらにそれすらも飲み込む(盟主たるIBMですら制御不能な[[群雄割拠]]状態の)[[魔界]]であった。</ref>。
当時、パソコンにおいて雑誌メディアが主体だった頃、よくこの二機種の比較が取り上げられることが多かったが、その多くは単にパソコンの単体[[スペック]]のみを争う内容であり、[[2000年代]]時点でのパソコンが(Macintoshを除けば)1つの[[コンピュータ・アーキテクチャ|アーキテクチャ]]で統一された時代から見れば特異なものであった。
しかしながら、その背景にあったライバル意識は、結果的に優れた[[フリーウェア]]の充実という形で結実した側面もあり、これもまたその時代ならではの特異なものであった。
== 仕様 ==
=== CPU ===
初代モデルから32ビットアーキテクチャのインテル製[[80386]]が搭載されていた。純正のオプションとして、[[FPU]]の[[Intel 80387|80387]]も提供されていた。初代機はFPUをサブボードにさしこむ形態のためCPUが[[CPUソケット|ソケット]]になっているが他はPentium機とHA以外はマザーボード上にFPUソケットや[[オーバードライブプロセッサ|ODP]]スロットがあるため、CPUにソケットを使用していない。ただし2代目(1F/H、2F/H)は例外的にソケット仕様である。なお386/486機は、インテル以外の相当品の場合もある。
* 80386SX(16MHz):UX、(Marty、MartyII、カーマーティー)
* 80386SX(20MHz):UG
* 80386DX(16MHz):初代~CX
* 80386DX(20MHz):HG
* 80486SX(20MHz):HR。UR
* 80486SX(25MHz):ME
* 80486SX(33MHz):MA、MF、Fresh、Fresh・TV、Fresh・T、EA
* 80486DX2(66MHz):MX、Fresh・E、Fresh・ES、Fresh・ET、HA、SN
* Am486DX4(100MHz):Fresh・FS、Fresh・FT
* Pentium(Socket4/60MHz):HB
* Pentium(Socket5/90MHz):HC
CPUの交換については、
* 初代機~CXの80386DX機でCPUを[[サイリックス]]などの内部486・ピン386互換のものに交換しても動作にはBIOSへのパッチ当てが必要となる。なお3代目以降の機種についてはCPU直付仕様のため、交換には高度なハンダコテ技術を要した。
* UX/UG(一部)ではアセットコアのVIPERシリーズ(既存の386SX/DXの上からはめ込む形のアクセラレータ)に使用可能なものがある。
* 横置き型の486機はODPスロットへのカード挿入によりCPUをAm5x86-133MHzなどに拡張可能(サイリックスのものは不安定になり、Pentium ODPはCPUクーラーを外す必要があり実装困難)。
* HシリーズはCPUボード自体を交換可能な設計になっている(HA用にHB相当、HA/HB用にHC相当のPentiumカードをオプションで用意)。またHAはCPUソケットを使用している。
* Pentium機はCPU交換が可能で、市販のソケット変換アダプタも使用可能なものがある。
* 余談だが、初代機に[[FPU]]を取り付ける際には、神社で「お祓い」を受けなければならないと言われる程、難しい(CPUが静電気などで壊れる)物であった<ref>『Oh!FM TOWNS』1994年5月号(表記上は「5・6月合併号」)p.28</ref>。
* MA/MXでは、後にODPが発売された際、「MXを買うよりも、MAを買ってODPカードを搭載した方が安く上がる」ということが話題になった。
* DX4カードだが、富士通純正の最初に登場したものは[[Intel486|Intel DX4]]を搭載していた。その結果、[[CPU]]ベンチマークテストでは(若干であるが)性能が上であった。これは、(CPU内部の)キャッシュ容量に差があったためである。後にFresh・FS/Fresh・FTに搭載された廉価版DX4カードは[[Am486|Am486DX4]]を搭載しており、[[CPU]]ベンチマークテストの結果は若干落ちている。
Pentium機が登場後には、HR用のi486DX2-40MHz ODPの価格が暴落しHRをi486SX-20MHzで我慢して使っていたユーザを喜ばせた、日替わり目玉商品として定価の1/10程度で投げ売りされていたこともある。[[CPU]]ベンチマークテストでは、i486DX2-40MHzといった程度であったため、サードパーティー製のAMD Am5x86を搭載した製品の方が高速であった。ただし、値段は格安で、純正品というステータスがあった。FPUを搭載し、動作クロックも2倍になっているため、例えばTOWNS Linuxにおけるカーネル再構築や<ref name="towns-linux">[http://archive.linux.or.jp/JF/JFdocs/LinuxTOWNS-info.html Linux/TOWNS 情報メモ 第2版]</ref>、[[浮動小数点]]演算を多用する[[レイ・トレーシング]]といった長時間の作業において劇的な速度アップがあった。
=== グラフィック ===
==== 画面モード ====
(BIOSでサポートしている主なモード)
* 640ドット×480ライン / 1024ドット×512ライン (1677万色中256色)
* 512ドット×480ライン / 512ドット×512ライン (32768色)
* 640ドット×480ライン / 1024ドット×512ライン (4096色中16色 × 2画面) (※1)(※2)
* 320ドット×240ライン / 512ドット×256ライン (32768色 × 2画面) (※1)(※2)
* 256ドット×240ライン / 256ドット×512ライン (32768色 × 2画面) (※1)(※2)
* 640ドット×480ライン / 640ドット×480ライン (1677万色) (※3)
* 1024ドット×768ライン / 1024ドット×1024ライン (256色) (※3)
* 1024ドット×768ライン / 1024ドット×1024ライン (16色 × 2画面) (※1) (※2)(※3)
* 512ドット×384ライン / 512ドット×512ライン (32768色 × 2画面) (※2)(※3)
(※1) スクロール付きの独立した2画面を合成表示して使用可能。1画面をスプライト画面にすることも可能
(※2) 16色モードと32768色モードを1画面ずつ使うことも可能
(※3) 後期に発売されたMシリーズ・Hシリーズの高解像度・フルカラー対応モデルのみ
[[CRTC (LSI)|CRTC]]では、2画面別々に、整数倍単位でのドットの拡大と、アスペクト比の切りかえの設定ができる。このためCRTCを直接操作すると、BIOSで設定できる、上記以外の画面モードを、ある程度自由に作ることができた。縦解像度を400/200ラインにすることもできた(640×400、640×200についてはBIOSでもサポートされている)。走査線(ラスタ)検出機能はあるが、これを割り込み要因とすることはできない、などの理由により、ハード的な[[ラスタースクロール]]はできないとされていた。
[[VRAM]]はデュアルポートRAMとなっていて、メモリ空間とI/O空間それぞれに割り付けられ、同時にアクセスすることができる。容量は512KB(後期のフルカラー対応機では1MB)。
また、16色モード時は標準のパックドピクセル方式ではなく、[[FMRシリーズ|FMR-50]]互換のRGBプレーンごとにVRAMにアクセスするモードがサポートされていた。もっともFMR-50にあるテキストVRAMは実装されておらず、[[MS-DOS]]などではBIOSでテキストVRAMをエミュレーションし、グラフィック面にテキストを描画表示した。
==== スプライト ====
俗に「フレームバッファ方式」と呼ばれる、[[セガ]]の[[アーケードゲーム]]の大型筐体でも使われていたのと同様の方法で実装されていた。このため、MSXやX68000、[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]などの「ラインバッファ方式」と違い、その構造上、横方向への表示枚数制限がない。デビュー当時は、この方法について色々な議論があり、「擬似スプライト」と呼ばれることもあったものの、PC-8800シリーズやPC-9800シリーズ向けソフトで用いられる、プログラムによる擬似スプライトとは技術的に異なり、ポリゴンによる3D描画が主流となる以前はアーケードゲーム基板でもよく用いられた方法であった<ref group="注">もっとも、この方式は充分なCPUパワーとバス性能がなければその優位性を発揮することは難しく、また限られたVRAM上にフレームバッファを確保する仕様であって背景画面が使いにくいこともあり、1980年代末の段階で主流であったラインバッファ方式のスプライトを実装するアーケードゲーム基板からのゲーム移植、特にシューティングゲームの移植を困難なものとした。</ref>。なお、この方式はその後[[家庭用ゲーム機]]でも[[ポリゴン]]処理の応用によって、類似した形で実装され、主流になっている。
* 解像度 : 256ドット×256ライン固定<ref group="注">256ラインのうち上部2ラインは画面クリアのために予約されている</ref> ([[アスペクト比]]を横長にすることも可能)
* サイズ : 16ドット×16ライン/パターン
* 色 : 32768色 もしくは 32768色中16色 (カラーパレット数256個)
** グラフィック面が256色モードの場合はスプライトは使用できない
* 定義数 : 256パターン(32768色の場合) もしくは 1024パターン(32768色中16色の場合)
* 表示数 : 1024パターン (最大)
** 1/60秒(1フレーム)内に表示できるのは386機と互換モードでは200パターン程度(画面の80%相当を埋められる枚数)で、それ以上にすると、表示の更新自体がさらに1フレーム遅くなる。このため、スプライトをふんだんに使って擬似3D表示や多重スクロールをさせた一部のソフトでは、フレームスキップ(処理落ち)が発生していた。
** V-TOWNSではI/O操作で、この制限を650パターン程度にすることが可能。
* パターンRAM : 128KB
=== オーディオ ===
[[画像:Yamaha YM2612 chip.jpg|thumb|YM2612]]
* [[FM音源]] [[YM2612]](または[[Complementary Metal Oxide Semiconductor|CMOS]]版のYM3438) ステレオ6チャンネル
** 白TOWNSはYMF276-M(基本仕様は同じだが内蔵D/Aコンバータのビット数が上がっている)
* PCM音源 RF5C68 ステレオ8チャンネル、8ビット、周波数・音階可変 (波形メモリ64KB)
** 当時「実用に耐える上限は19.2KHz」と言うのが一部で非公式に流布した
** 余り話題に上らなかったが、白TOWNSからは[[サンプリング周波数]]の上限が僅かだが向上している
* PCM音源 ステレオ48kHz 1チャンネル 、16ビット[[WSS]]に相当。白TOWNS以降に発売されたモデルのみ(Martyシリーズを除く)。[[Direct Memory Access|DMA]]で再生するため専用のメモリはない。未搭載機種では、RF5C68を利用し、ソフトウェアエミュレーションで対応した<ref group="注">ただし、未搭載機種では8チャンネル全てを利用し、その上[[CPU]]にかなりの負担をかけた。また、ソフトウェアによっては、TOWNSがフリーズしてしまった。</ref>。
=== マウス・ゲームパッド・キーボード ===
[[Atari 2600#コントローラ|ATARI仕様]]のポートが2つ標準搭載されている。ゲームパッドを2つ使う場合は[[マウス (コンピュータ)|マウス]]を外す。
マウスは[[FM77AV]]のものとほぼ同仕様で、[[MSX]]のものと互換性がある。添付されるマウスは本体と同色で、デザインは丸型(初代)、角型(1F/2F)、卵型(10F/20F~)と、毎年のように変更された。HA/HB/Fresh・E/Fresh・T以降に付属の最終版は、初期のFMV付属のものと同様の形状で、旧バージョンのOSを高速モードで動作させたときのマウスカーソルの挙動が改善されている。なお、解像度は丸型(初代)のみ100dpi、二代目以降は200dpiである。また[[ペンタブレット]]([[ワコム]]のOEM)もオプションで用意された。なお、2ndマウスを利用することができるという非常に珍しい特徴を持つ<!--(現在製造されているマシンで2マウスをサポートするマシンはない)--><!--USBマウスは?という話になるのでコメントアウト-->。
FMRシリーズ仕様のマウスポートがついている[[キーボード (コンピュータ)|キーボード]]もあるが、この仕様のマウスに対応するソフトは限られる。
ゲームパッドはATARI仕様に準拠しているが、上下・左右の入力を同時ONにすることで実装したTOWNS独自の「RUN」「SELECT」がついている他、ポートの一部の出力が可変などの違いがあり、初期のゲームタイトルでは他機種向けのパッドが動作しないものもある。灰色のTOWNS/TOWNS IIシリーズと白のTOWNS IIシリーズのものではデザインが違い、灰色の方はボタンが固い・斜めに入れにくいなどの問題があったが、白の方は問題が解決されて使いやすくなっている。他にも[[対戦格闘ゲーム]]向けに6ボタンパッドが発売された。Marty向けのパッドは白のTOWNS IIシリーズのものに似ているが、ZOOMボタンが追加されていて、画面をハードで拡大表示するモードのために使われた。
キーボードはJIS配列・[[親指シフト]]配列が用意され、2キーロールオーバーのものと[[nキーロールオーバー]]のもの、[[キー配列#テンキー|テンキー]]のあるものとないものが用意された。白TOWNSからはデザインが変更された。Marty向けのキーボード([[106キーボード]]形状)もあり、TOWNSシリーズでも使用できた。
=== 拡張性、オプションなど ===
==== 拡張スロット ====
背面の拡張スロットは、初代では[[Small Computer System Interface|SCSI]]カード・[[モデム]]カード・ビデオカード、2代目はモデムカード・[[MIDI]]カード・ビデオカードのそれぞれ専用の3スロット構成だった。SCSIは2代目から内蔵された(フルピッチ、SCSI-1相当)。初代機及び二代目機の本体カバーの中には拡張スロット増設ボックス(I/O拡張ユニット)用のコネクタが設けられていた。このI/O拡張ユニットは本体の左側面に直接取り付けるというユニークな形状となっている。初代機及び二代目機用のI/O拡張ユニットは新旧二タイプあり、旧タイプのI/O拡張ユニット(FMT-601/602)はFMR-60用の拡張カード(ただし公式にサポートされていた富士通純正の拡張カードはMIDIカードとRS-232Cカードのみ)を3枚、新タイプのI/O拡張ユニット(FMT-611)はFMR-50LTシリーズと同じ信号<ref group="注">カードの幅は同じだが奥行きサイズが大きい。変換基板によりFMR-50LT用のカードを接続可能。</ref>の拡張カードを2枚取り付けることができる。
3代目からはFMT-611と同等の汎用拡張スロット2基(HR/MA/MXなどでは3基)と、ビデオカード/チュナーカード専用スロット1基という構成になった。モデム・MIDIカードは汎用スロットに接続するタイプが用意された。また、3代目以降の機種用に、本体内蔵の汎用拡張スロット経由で接続するI/O拡張ユニット(FMT-621。汎用拡張スロット×6)も用意された。
Hシリーズでは[[グラフィックアクセラレータ]]専用のスロットも用意され、本体内蔵のものと交換するPower9100チップ搭載のカードが用意されていた。
* 白TOWNSより前の機種では「16bitバス」であった。白TOWNS以降は16bitバスに加え、1スロットのみ「32bitバス」対応スロットが用意されており、それに対応したカード(動画取り込みカードなど)が発売された。
==== 拡張カード ====
初代から用意されたビデオカードはTOWNS最大の特徴と言われ、ビデオ入力端子(または[[S端子]])から[[動画]]の取り込みが行えた。MIDIカードは後に[[GSフォーマット|GS音源]]を搭載したものもあった。[[Local Area Network|LAN]]カードも存在した。Windowsで使用可能なグラフィックアクセラレータもある。
==== コネクタ ====
初代機からモニタ(D-Sub 15pin<ref group="注">1994年秋発売のモデルEA/Freshシリーズ以降はシュリンクD-Sub 15pin</ref>)、[[RS-232|RS-232C]](D-Sub 25pin)、[[プリンター|プリンタ]]、増設フロッピィディスクのコネクタがあった。また、2代目モデルからはSCSIコネクタが標準搭載された<ref group="注">ただし、Martyシリーズにはなく、FMV-TOWNSシリーズではオプション。</ref>。Freshシリーズ、白Hシリーズでは増設フロッピィディスクコネクタが廃止されている。
==== ストレージ ====
* CD-ROM
* 3.5インチ2HDフロッピーディスクドライブ
* ICメモリカード([[PCカード]])スロット
* 内蔵ドライブベイ(SCSI)2代目より
==== 所有率 ====
『Oh!FM TOWNS』1994年5月号(表記上は「5・6月合併号」)のアンケートの集計結果によるとFM TOWNSユーザーのオプションハードの所有率は以下の通りであった。ビデオカード:24.9%、MIDIカード:12.7%、モデム:29.9%{{Refnest|group="注"|一方で『Oh!FM TOWNS』1994年7月号のアンケートの集計結果によるとFM TOWNSユーザーのパソコン通信の利用率は24.4%に留まっている<ref name="oft_9412_64">「アンケートに見るTOWNSユーザー その4」『Oh!FM TOWNS』1994年12月号、64〜65頁。</ref>。}}、イメージスキャナ:6.9%<ref name="oft_9412_64" />。
== TownsOS ==
TOWNSには標準の[[オペレーティングシステム]]として'''TownsOS'''が用意された。「32ビットシングルタスク」と称しており、当時の他機種ではi386など32ビットマイクロプロセッサを積んでいても活用されていることが少なかった32ビットモードを、[[DOSエクステンダ]]で活用するものだった。PC-98などではユーザが各自に環境を設定するものであったためトラブルなども多かった点で、標準として用意し安定して活用できるものとした点に大きな意義があった。TownsOSには大きく分けて初代TOWNSからのV1.1、TOWNS IIから付属したV2.1の2系統のバージョンがあった。V1.1にはL10 - L30、V2.1にはL10 - L50・L51のマイナーバージョン(Lは[[レベル]])があり、毎年のように[[アップデート]]されていた<ref group="注">旧バージョンからの更新は期間限定の特別価格で可能であった。</ref>。
TownsOSの基本構造は、[[Read Only Memory|ROM]]化して本体に内蔵された[[MS-DOS]] 3.1本体およびCD-ROMドライバのMSCDEX.EXE、それに32ビットプロテクトモードでアプリケーションを起動させる「386|DOS-Extender」(RUN386.EXE)を組み合わせたものだった。また、[[Basic Input/Output System|BIOS]]や各種[[デバイスドライバ]]に相当する「[[TBIOS]]」により、グラフィック系機能、サウンド機能、CD-ROMアクセス/CD音再生機能、[[マウス (コンピュータ)|マウス]]/[[ジョイスティック]]などFM TOWNSのハードウェアまわりの機能が利用できた<ref group="注">32ビット実行ファイルの[[拡張子]]は.EXP。よく誤解されるが、.EXPはFM TOWNS独自のファイル形式ではない。386|DOS-Extender自体米PharLap Software社が開発したもので、元々はPC/AT互換機用である。</ref>。また、ゲームソフトの組み込み用として、TBIOS互換の「VINGBIOS」<ref group="注">[[ビング (ゲーム会社)|ビング]]が開発。TBIOSを自社のゲーム向けに最適化・高速化したもの</ref>、「AYABIOS」<ref group="注">[[データウエスト]]の仕様に基づいて富士通がTBIOSを最適化したもの</ref>などがあった。
なおROMで内蔵のMS-DOSにはCOMMAND.COMに相当するシェルプログラムが内蔵されているがテキスト表示はサポートされておらず、コマンドプロンプトなどを使用するにはFM TOWNS専用版のMS-DOSを購入するか、TownsOSやF-BASIC386などに付属するコンソール表示ソフト、もしくはフリーソフトを使用する必要があった。この点はTownsOS V2.1において標準でテキスト表示がサポートされたことで解消された。
TownsOSにはTownsMENUと呼ばれる[[ファイルマネージャ|ファイラ]]と[[ランチャー|ランチャ]]を兼ね備えたメニューアプリケーションが搭載され、ここからアプリケーションの起動やシステムの設定などの多くの操作を行うことができた。TownsMENUから本体の電源を自動的に切断することも可能。当初のV1.1ではドライブごとに分かれたタブ型のメニューだったが、V2.1ではマルチウィンドウタイプに大きく変更され、またL30からはTownsSHELLにより[[ノンプリエンプティブ]]な[[マルチタスク]]にも対応した(マルチタスクアプリの拡張子は.EXG)。
TownsOSは一部の機能(システムの設定など)を省いたサブセット版が、アプリケーションなどの[[CD-ROM]]に組み込まれていることが多かった。この場合、CD-ROMから直接TownsOSの起動ができるため、フロッピーディスクやハードディスクなしでアプリケーションの利用が可能だった。
TownsOS V2.1のL40以降では、HDDにインストールしたMS-DOS 6.2(別売)をTownsOSのベースとすることが可能になった。これにより、圧縮ドライブなどの機能も利用できるようになった。
TownsMENUやアプリケーションなどの操作環境の多くはGUIだった。初期の段階では、アプリケーションごとのGUI仕様は統一されておらず開発者任せであったが、後に標準的なGUIの仕様ができ、純正のGUI[[ライブラリ]]も発売された。
=== Townsシステムソフトウェア ===
TownsOSと、管理ユーティリティ、アプリケーションなどからなる基本的なセットは、'''Townsシステムソフトウェア'''という形態で販売または本体に添付されていた。ほぼすべてのユーティリティやアプリケーションは統一されたGUIで構成されており、マウスを使ったわかりやすい操作を行うことが可能。日本語入力には[[Japanist#沿革|OAK]]([[OASYS|オアシス]]かな漢字変換システム)という[[かな漢字変換]]が付属した<ref group="注">ただし、TownsOS V2.1L40以降の「MS-DOS V6.2を利用しての起動」を利用しない場合は、OAKの単語登録数に限界があった。これは、単語データをファイルとしてディスクに保存せず、内蔵CMOSに保存しているためである。</ref>。
付属しているアプリケーションは、Townsシステムソフトウェアのバージョンによって異なった。
==== 主な添付ユーティリティ ====
* ディスクの初期化・複写・名前変更
* フロッピーディスクのヘッドクリーニング
* [[ハードディスクドライブ|ハードディスク]]のバックアップ
* ハードディスクの区画設定
* ディスクの表面検査
==== 主な添付アプリケーション ====
* [[TownsGEAR]] - 画面(ページと呼ぶ)にボタンやテキスト、ピクチャなどの部品を配置していくだけの簡単な操作で、様々な用途に利用することができるオーサリングツール。同時期のMacintoshに標準搭載されていた[[HyperCard]]によく似ている<ref>清水計宏『マルチメディアへの挑戦』、[[SBクリエイティブ|ソフトバンク]]、1991年、338頁。ISBN 4-89052-233-6。</ref><ref>{{青空文庫|000055|698|新字新仮名|青空のリスタート(富田倫生)}}</ref>。GearBASICというプログラミング言語を搭載しており、これを用いて複雑な動作をさせることも可能。
* テキスト編集 - テキストエディタ。複数ファイルの編集や、操作キーの変更などの詳細なカスタマイズに対応している。
* TownsStaff - [[EPWING]]形式のCD-ROM辞書の検索、テキストファイル・イメージファイル・オンラインマニュアルの印刷、予定表、電卓のツールで構成されている。
* アイコン編集 - TownsMENUで使用する[[アイコン]]の作成・編集ができる。
* フォント編集 - [[フォント]]や[[外字]]の作成・編集ができる。
* スプライト編集 - [[F-BASIC|F-BASIC386]]で使用する[[スプライト (映像技術)|スプライト]]パターンの作成ができる。
* Macデータコンバータ - Macintoshのテキストファイル・画像ファイル・音声ファイルの形式を、FM TOWNSで標準的に使われている形式に変換できる。また、Macintosh[[ファイルシステム|フォーマット]]のフロッピーディスクを読めるようになる設定もできる。
* ファイル比較 - [[テキストファイル]]・[[バイナリ|バイナリファイル]]の内容を比較し、相違点の表示ができる。
* ファイルダンプ - バイナリファイルの内容表示・編集ができる。
* プリントスプーラ - プリンタ印刷の[[ジョブ]]を溜め込んで、順番に処理させることができる。
=== 各種OS ===
TownsOSやMS-DOSのほかに、FM TOWNS専用の[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.0/Windows 3.0 with Multimedia Extensions/3.1]]も発売されていた。特にWindows 3.0 with Multimedia Extensionsまでは、マシンの適合性が高いこともあって、他の国内PCに先行していた。CPUに486やPentiumを搭載した白色のモデルでは、TownsOSのほかに[[Microsoft Windows 3.1|Windows 3.1]]もプリインストールしたモデルも登場した。なお、『Oh!FM TOWNS』のアンケートの集計結果によると、1992年7月号調査でFM TOWNSユーザー中、Windowsの所有率は12.6%、1994年9月号調査でFM TOWNSユーザー中、Windowsを週に2時間以上使用する率は24.8%であった<ref name="oft_9412_64" />。
[[Linux]]の移植もいちはやく行われている。<ref name="towns-linux"/><ref>[https://web.archive.org/web/20060831060910/http://www.st.rim.or.jp/~shindo/ TOWNS + Linux = SHU's homepage]</ref>
店頭販売はされず、富士通プラザ(ショールーム)での申し込みという形での販売のみでの発売だったが486以上の白TOWNS II用(HRでも動作は一応可能)向けに[[Microsoft Windows 95|Windows 95]](OSR1相当)も作られた<ref>{{Cite web|和書|date=1996-6-10 |url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/960610/towns.htm |title=FM TOWNSにも、Windows 95が登場 |publisher=PC Watch |accessdate=2012-05-06}}</ref>。但し「Microsoft Plus! for Windows 95」は販売されなかった。また、一部のWindows 95用ソフトウェアでは、正常動作しないことがあった。
== 機種 ==
* [[1989年]](平成元年)[[2月28日]] - FM TOWNS 1/2/1S/2S 発表<ref group="注">1S,2Sは、発売記念キャンペーンモデルで、本来は別売であるキーボード、MS-DOS3.1、TownsPAINTが添付されていた。</ref>。 1989年度グッドデザイン賞受賞<ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/16171 受賞番号:89K0771(受賞対象:FM TOWNS FM TOWNS-2 FMT-DP532、FMT-KB201、FMT-MO101)]</ref>
* 1989年[[11月7日]] - FM TOWNS 1F/2F/1H/2H 1990年度グッドデザイン賞受賞<ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/17319 受賞番号:90K0773(受賞対象:FM TOWNS FM TOWNS-2H、FMT-DP531、B276A010、FMT-KB205)]</ref>
* [[1990年]][[10月30日]] - FM TOWNS 10F/20F/40H/80H 1991年度グッドデザイン賞受賞<ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/18642 受賞番号:91K0881(受賞対象:FM TOWNS モデル10F FMTOWNS10F)]</ref><ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/18641 受賞番号:91K0880(受賞対象:FM TOWNS モデル20F FMTOWNS20F)]</ref><ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/18640 受賞番号:91K0879(受賞対象:FM TOWNS モデル40H FMTOWNS40H)]</ref><ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/18639 受賞番号:91K0878(受賞対象:FM TOWNS モデル80H FMTOWNS80H)]</ref>
* [[1991年]][[11月5日]] - FM TOWNSII CX/UX(CRT一体型386SX TOWNS) 1992年度グッドデザイン賞受賞<ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/19659 受賞番号:92K0679(受賞対象:FM TOWNSII モデルCX10 FMTW2CX10、FMT-KB207、FMT-DP536)]</ref><ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/19660 受賞番号:92K0680(受賞対象:FM TOWNSIIモデルCX20 FMTW2CX20、FMT-KB207、FMT-DP536)]</ref><ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/19661 受賞番号:92K0681(受賞対象:FM TOWNSIIモデルCX40 FMTW2CX40、FMT-KB207、FMT-DP536)]</ref><ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/19662 受賞番号:92K0682(受賞対象:FM TOWNSIIモデルCX100 FMTW2CX100、FMT-KB207、FMT-DP536)]</ref><ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/19658 受賞番号:92K0678(受賞対象:FM TOWNSIIモデルUX20 FMTW2UX20、FMT-KB202A)]</ref>
* [[1992年]]2月 - FM TOWNSII UX40
* 1992年[[11月4日]] - FM TOWNSII HR/HG/UG(486 横型TOWNS) ※HRは、オプションでハイレゾ対応。 1993年度グッドデザイン賞受賞<ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/20597 受賞番号:93K0635(受賞対象:FMTOWNSIIモデルHR20 FMTW2HR20)]</ref>
* [[1993年]][[2月15日]] - FM TOWNSII UR(486 一体型TOWNS) 1993年度グッドデザイン賞受賞<ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/20596 受賞番号:93K0634(受賞対象:FMTOWNSIIモデルUR20 FMTW2UR20)]</ref>
* 1993年[[2月16日]] - [[FM TOWNS マーティー]]
* 1993年[[11月9日]] - FM TOWNSII MX/MA/ME(ハイレゾ対応/白TOWNS)
* [[1994年]][[2月14日]] - FM TOWNSII MF、Fresh(ソフト/CRTセット)
* 1994年[[4月]] - カーマーティー
* 1994年[[6月18日]] - FM TOWNSII Fresh・TV(TVチューナー搭載)
* 1994年[[10月30日]] - FM TOWNSII EA、Fresh・E/T
* 1994年[[11月]] - カーマーティーII
* 1994年[[12月]] - FM TOWNSII HA/HB(Pentium搭載)
* [[1995年]][[2月8日]] - FM TOWNSII HC/Fresh・ES/ET 1995年度グッドデザイン賞受賞<ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/22355 受賞番号:95K0587(受賞対象:FMTOWNSIIモデルHC FMTWHC5J2/S2)]</ref>
* 1995年夏 - FM TOWNSII HC/Fresh・FS/FT(HCは価格改定)
* 1995年冬 - FMV-TOWNS モデルH、Fresh・GS/GT
* [[1996年]]夏 - FMV-TOWNS モデルH2、Fresh・GE/GM
* [[1996年]]冬 - FMV-TOWNS モデルH2、Fresh・GE/GM(価格改定、バンドルソフト変更)
* [[1997年]]夏 - FMV-TOWNS モデルH20
この他、一般向けモデルをベースにした(一部を除く)、教育市場向けのモデルが存在した。基本的にはシステム販売のみの取り扱いであったが、ごく一部が一般市場に流通した。
* 1995年[[2月10日]] - FM TOWNSII モデルSN(FM TOWNS唯一の[[ラップトップパソコン]]モデル)※バッテリー非搭載なのでノートパソコンではない
== 歴代イメージキャラクター ==
* [[南野陽子]]
* [[カケフくん]]
* [[宮沢りえ]]
* [[観月ありさ]]
* [[黒田勇樹]]
* 親父(CGキャラクター)
* [[タッチおじさん]]
FMV-TOWNSについては、(既に富士通のデスクトップパソコンの主力がFMV DESKPOWERシリーズになっていた関係で)CMという形態ではないが、ドラマ『[[ストーカー・誘う女]]』で室町医師の診察室にFMV-TOWNSが置かれ、ドラマ各回の最後のクレジットに「FMV-TOWNS MODEL H」と明記されることでの宣伝がなされている。
== 累計出荷台数の推移 ==
* 1989年(平成元年)3月末 - 1万2000台<ref name="名前なし-1">『Oh!FM TOWNS』1994年5月号 p.27</ref>
* 1989年(平成元年)6月末 - 2万1000台<ref>「富士通『FM TOWNS』切り札パソコン苦戦」『日経産業新聞』1989年7月19日付、1頁。</ref>
* 1989年(平成元年)9月末 - 受注台数3万5000台<ref name=ns_891212 /><ref>「マーケティング・イノベーション(3) FMタウンズの教訓」『日経産業新聞』1990年1月9日付、22頁。</ref>
* 1989年(平成元年)12月末 - 5万台突破<ref name="名前なし-1"/>
* 1990年(平成2年)2月末 - 受注台数約6万台<ref>「なぜ売れない─誤算の研究 (1) 富士通『FMタウンズ』」『日経産業新聞』1990年4月4日付、25頁。</ref>
* 1990年(平成2年)12月末 - 受注台数11万台突破<ref>『Oh!FM TOWNS』1994年5月号 p.30</ref>
* 1991年(平成3年)11月末 - 16万台<ref>「富士通『FMタウンズII』雪辱期す2代目」『日経産業新聞』1991年12月11日付、14頁。</ref>
* 1992年(平成4年)3月 - 21万台<ref>「FMタウンズ 販売4割増に 富士通、92年度計画 ソフトも80本投入」『日経産業新聞』1992年6月29日付、7頁。</ref>
* 1992年(平成4年)9月末 - 約26万台<ref>「ウィンドウズも使える 高解像度表示採用型など 国内メーカー 次世代機に力」『[[日経MJ|日経流通新聞]]』1992年12月3日付、3頁。</ref>
* 1992年(平成4年)12月末 - 28万台<ref>「富士通 FMTOWNS・MARTY」『日経産業新聞』1993年2月26日付、12頁。(受注台数としている)</ref><ref>「クローズアップ戦略商品 富士通の『FMTOWNSマーティー』」『日経流通新聞』1993年5月1日付、3頁。(販売台数としている)</ref>
* 1993年(平成5年)11月 - 35万台<ref>「CD-ROM 富士通、連携に活路 アップルは教育市場開拓」『[[日本経済新聞]]』1993年11月13日付夕刊、3頁。</ref>
* 1994年(平成6年)3月末 - 41万台<ref>清水欣一『富士通のマルチメディア・ビジネス』オーエス出版社、1995年5月15日第1刷、1997年3月15日第4刷、ISBN 4-87190-415-6、127頁。</ref>
* 1995年(平成7年)11月 - 50万台<ref name="fmvtowns" />
== マスコット ==
* パピー([[犬]])
: FM TOWNSの起動画面や、[[富士通Habitat]]のコマンドパネル等に表示された。「Tom Snyder's Puppy Love」(パピー・ラブ)という犬の調教ゲームのキャラクターでもある。
== 開発環境 ==
* [[F-BASIC|F-BASIC386]][[インタプリタ]]/[[コンパイラ]]
* [[High C|High C Compiler]]
* 386|ASM
* GNU C Compiler
== 実用ソフトなど ==
* EUPHONY - [[MIDI]]に対応したサウンドツールで、TOWNS標準のEUP形式を作成する。後継ソフトとしてTownsOS専用で内蔵音源に対応したEUPHONY II/MTR・EUPHONY II/SCOREが存在する。
* HEat - Oh!FMTOWNS誌で公開されたものが初出のEUP作成ソフト兼[[テキストエディタ]]。[http://www.runser.jp/ TaroPYON(現・taro)]が開発したフリーソフトウェア(=[[フリーウェア]])で、名称は「High EUP active tool」の略。[[Music Macro Language|MML]][[コンパイラ]]としてEUP形式ファイルの作製を主眼としたツールであったが、その特性上テキストエディタとしても強力な機能を持っており、一時期はTOWNS用テキストエディタとして[[デファクトスタンダード]]の存在になっていた。
* HEwin - HEatの後継にあたるマルチウィンドウ対応のソフト。
* EASTRAY(エストレイ) - [[レイトレーシング]]画像作成ツール。EASTが開発したフリーソフトウェア。Oh!FM[[1990年]]9月号初出。
* [http://www.netvision.co.jp/mopterm/ MopTerm(モップターム)] - TownsOS上で動作するフリーソフトウェアの通信ソフト。「猫の手スクロール」を特徴とする。モップが開発したフリーソフトウェア。Windowsにも移植されている(Windows版では「猫の手スクロール」は再現されていない)。
* Super Shooting Towns(スーパーシューティングタウンズ) - アモルフォスが発売した縦横2D[[シューティングゲーム]]のコンストラクションツールで、前作「シューティングタウンズ」の全面改良版。略称はSST。スプライトを多用して、背景を4重スクロールまで作成できた。TOWNS IIの高速モードには対応しない。
* Hyper Planet(ハイパープラネット) - [[ダットジャパン]]の発売した[[天体観測]]シミュレータ。
* EIN(TM)プロジェクト(アインプロジェクト<ref name=OF9602_36>『Oh!FM TOWNS』1996年2月号、36頁。</ref>) - 晩年に起こった、Towns Shell用の自作EXG形式アプリケーションを独自に標準化するプロジェクト。富士通内部の有志から始まった<ref name=OF9602_36 />。EIN(TM)とは[[再帰的頭字語]]による命名であり、Ein Is Not Towns Menuの略である<ref name=OF9602_36 />。
* [[TEO -もうひとつの地球-]] - 仮想生物フィンフィンと対話するソフト。Windows用も発売された。また、富士通と[[ハドソン]]の共同開発により[[NINTENDO64]]用「Teo [[64DD]](仮称)」の発売が予定されていた<ref>[https://www.ign.com/articles/1998/01/02/teo TEO]、[[IGN]]、1998年1月2日。</ref>が開発中止になった。
* フリーソフトウェアコレクション(フリコレ<ref>[http://mjkozou.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/103_fmtowns_fre_207a.html ボクラのカケラ .103 "FM-TOWNS フリコレ(Free Software Collection)"。]、アルマジロ・ヴギ (armadillo boogie) written by [[石切山英詔|M.J.KOZOU]]、2008年8月19日。</ref>、FSWC) - TOWNSで動作する[[フリーソフトウェア]]をまとめて実費配布した[[オムニバス]]CD-ROM。No.11まで作られ、その他フリコレMARTYとフリコレSSS{{Refnest|group="注"|秀和システム発行の書籍「FMTOWNSフリーソフトウェア入門キット」に添付されたCD-ROM。}}がある。No.1~3は「[[フリーウェア]]コレクション」(FWC)だったがNo.4以降名称変更された。名称変更の理由は商標の関係とされている<ref name=OF9502_27>『Oh!FM TOWNS』1995年2月号、27頁。</ref>。No.1(1989年10月発表)は市販されず、当時富士通にユーザー登録したFM TOWNS購入者(アンケートに答えた者)と『[[週刊アスキー|EYE-COM]]』創刊号の読者プレゼントで配布された<ref name=OF9502_27 />。No.2は発行数が最も少なく短期で発売終了したため入手困難である<ref name=OF9502_27 />。プラットフォームがFM TOWNS限定ながら、『[[マイコンBASICマガジン]]』の「スーパーソフト・ホット・インフォメーション」のパソコンゲーム売上ランキングでたびたびランクインした{{Refnest|group="注"|No.5は1992年8月号にて7位<ref>『マイコンBASICマガジン』1992年8月号、231頁。</ref>、9月号にて20位<ref>『マイコンBASICマガジン』1992年9月号、235頁。</ref>。No.7は1994年4月号にて8位<ref>「今月の売れ筋パソコン・ゲームHOT 30」『マイコンBASICマガジン』1994年4月号、付録2頁。</ref>、No.8は1994年9月号にて10位<ref>「今月の売れ筋パソコン・ゲームHOT 30」『マイコンBASICマガジン』1994年9月号、付録2頁。</ref>、No.9は1995年3月号にて12位<ref>「今月の売れ筋パソコン・ゲームHOT 30」『マイコンBASICマガジン』1995年3月号、付録2頁。</ref>、No.10は1995年9月号にて6位<ref>「今月の売れ筋パソコン・ゲームHOT 30」『マイコンBASICマガジン』1995年9月号、付録2頁。</ref>。}}。『Oh!FM TOWNS』1994年8月号のアンケートの集計結果によるとFM TOWNSユーザーの所有率は以下の通りであった。No.1:11.6%、No.2:12.6%、No.3:25.8%,No.4:44.9%、No.5:53.1%、No.6:63.0%、No.7:67.6%、No.8:43.8%、一つもなし:0.3%(調査当時はNo.8が最新版)<ref name="oft_9412_64" />。
* High C Compiler - MetaWare社のCコンパイラに、FM TOWNS固有のAPIライブラリを組み合わせた純正開発環境。F-BASIC386などと異なり、ビジュアル開発環境ではないため、コマンドライン環境が必要(なくても標準出力のメッセージが読めないだけで、コンパイルやリンク自体はできる)。コンパイラやリンカは、MS-DOS(x86)汎用の16ビット版とRUN386必須の32ビット版の実行プログラムが同梱されている。16ビット版は、コンパイルやリンク時に、16ビットDOSのメモリ空間(富士通版は768KB)の制約を受けるため、巨大なソースのコンパイルで劇的に処理速度が低下するが、32ビット版は、プロテクトモードで動作し、搭載メモリが全て使えるために、より処理が高速である。アセンブラ、ライブラリアンは含まれていない。従って、自前のライブラリなどは作れない。当初はリンカまで含まれていなかったので、実行ファイルを作るのにも386|ASM TOOL KITを必要とし、この定価設定(8万円+4万円=合計12万円、税抜)がFM TOWNSのフリーソフトの発展を阻害したと言う者は多い。GUIキットは当初含まれていなかったが、その後標準GUIライブラリを含むオプション販売だった各種ライブラリをバンドルしマニュアルを電子化して値段を据え置いた「High C Compiler マルチメディアキット」、加えてソースレベルデバッガをバンドルした「High C Compiler マルチメディア開発キット」が発売された。後継ソフトとしてC++に対応した「High C Compiler マルチメディア開発キット V3.2」が発売されたが、定価15万円(税抜)と高価なものであった。
* 386|ASM TOOL KIT - 純正のアセンブラ環境。High Cと同様に、コマンドライン環境向けのツール群。当初、High C Compilerとの併用を前提としていながら、定価8万円(税抜)と非常に高価であった。
* [[Linux]]
* やみなべDX - TOWNSユーザ有志の手によって企画されたFMTOWNS専用の[[ディスクマガジン]]。創刊号は3.5inchFD2枚で、[[ソフトベンダーTAKERU]]や[[横浜国際平和会議場]](パシフィコ横浜)で開催されたパソコン通信関係のイベント「Networkers Japan'96 おふらいんまつり」に出展した[[ニフティサーブ]]のユーザーズフォーラムFTOWNS(当時の正式名称は、FMTOWNSマルチメディアフォーラム)ブースで販売。創刊号に続く「やみなべDX廃刊~愛は止まらない~号」は、フリコレの制作がNo.11で打ち切られた後のユーザ主導のフリコレ的な作品集として、「全員参加」を目標にFTOWNS(当時の正式名称は、FMTOWNSフォーラム)などで収録作品を募集し、CD-ROMの形で制作された。商品は、「Networkers Japan'97 おふらいんまつり」FTOWNSブースで予約受付されたほか、一部のFMTOWNS取扱店への持込や個別対応の形で販売された(現在も、個別対応は可能とのこと)。フリコレ同様、実用ツールや本格的ゲームが豊富に収録されているとはいえ、全身黒タイツ姿の「ひとし君」をメインキャラクタに設定しており、フリコレとは異なる一種独特の雰囲気を持つものとなっている。収録作品のほとんどは、Windows用TOWNSエミュレータ「うんづ」でも動作する。
== ソフトメーカー ==
* CSK総合研究所→現:[[CRI・ミドルウェア]]
* [[データウエスト]] - [[DAPS]]
* [[電脳商会]]
* [[ビング]]
* ダットジャパン
* [[日本ファルコム]]
* [[アリスソフト]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist2|2}}
=== 出典 ===
{{reflist|2}}
== 関連項目 ==
* [[FM TOWNS マーティー]]
* [[Oh!FM]](→[[1991年]]10月号よりOh!FMTOWNS)
* [[:Category:FM TOWNS用ゲームソフト]]
* [[電光超人グリッドマン]](劇中にFM TOWNSが登場)
* [[篠原涼子]] - [[コマーシャルソング|CMソング]]を歌唱。
* [[B'z]] - 同上
== 外部リンク ==
{{ウィキポータルリンク|コンピュータ|[[ファイル:Computer.svg|36px|ウィキポータル コンピュータ]]|break=yes}}
* {{Wayback|url=http://forum.nifty.com/ftowns/|title=FMTOWNSフォーラム公式サイト|date=20040803111557}}
* {{Archive.today|url=http://homepage2.nifty.com/ftowns/ |title=FM TOWNS WORLD|date=20130427113025}} ※[[@nifty]]のFMTOWNSフォーラム(FTOWNS)の後継HP
* [http://cc.ctk23.ne.jp/~elfaria/townsdic/ TOWNS辞典]
* [http://cc.ctk23.ne.jp/~elfaria/ FM-TOWNS Free Software Collection Archive.]
* {{Wayback|url=http://www.page.sannet.ne.jp/ripplewave/towns/unz_ttl.htm|title=うんずのお部屋|date=20160305012758}}
* [http://hosiken.jp/dev/ FM TOWNS用ソフトウェア(ほしけんのWEB頁)]
* [http://ash.jp/~kim/towns/towns.htm FMTOWNS 研究所]
* {{Wayback|url=http://www.siisise.net/towns.html|title=TOWNS DATA倶楽部|date=20130523183853}}
* [http://www.awa.or.jp/home/shimojo/ T.Shimojoのホームページ]
* [http://hp.vector.co.jp/authors/VA015539/ RUMSTORM OFFICIAL HOMEPAGE]
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1,310 | 奥浩哉 | 奥 浩哉(おく ひろや、男性、1967年9月16日 - )は、日本の漫画家。福岡県福岡市出身。代表作は『GANTZ』。コミックスの累計発行部数は3000万部を超える。デビュー作である『変[HEN]』を連載していた当時のペンネームは久遠矢広。
非常に特徴的なタッチの持ち味。元々は、大友克洋や池上遼一の影響を受け、劇画路線を目指していた。『GANTZ』が代表作として知られるが、それ以前の『変[HEN]』と『HEN』の2作品の成功により名を知られるようになった。この2作品はともに同性愛をテーマにしたもので、そのためよく同性愛者と間違われることがあるが、奥本人は結婚しており、それを否定している。
暴力や性的描写、世間ではタブーとされている事柄などを描くことが多く、特に奥の短編『観察日記』は衝撃的ともいえるものである(『奥浩哉短編集「黒」』に収録)。山本直樹に師事した時期があり、山本がキャラクターデザインを担当した成年向けアニメの小説の挿絵などを代筆に近い形で描いたこともある。
マンガの背景にデジタル処理を用いた草分け的存在として知られる。Macintoshコンピュータによって作られた3DのCGなどを採り入れ『01 ZERO ONE』や『GANTZ』ではその結果として、極めてリアルな背景が描かれている。但し、3DCGの背景(≒街)データは膨大なものであり、劇中における地域が変わるその都度、データを新規に作製する必要も生じる。これは普通に(必要な画のみを原稿用紙に描けば済む)手描き作業で行うよりも作画時間が増えてしまう形となり、CG作画のデメリットでもある。実際に『01 ZERO ONE』のクオリティは財産を使い果たす程の投資があったからこそで、連載時は金銭的に大変苦しかったと語っている。『いぬやしき』は現代劇であることから、背景に写真加工を多用している。写真データに記録された撮影情報を元に3DCGをあわせて背景を合成することもあるが、主は写真。空間表現の追求のためドローンを利用した撮影や、ヘリコプターをチャーターした空撮に投資している。
自他共に認める巨乳好きで、漫画の本編とは全く関係ない巨乳の女の子の挿絵が、『GANTZ』の扉絵を頻繁に飾ることが多かった。また大友克洋が『AKIRA』『気分はもう戦争』などに用いていた乗用車やバイクのテールランプが残像する表現手法をもとに、乳房の激しい揺れを乳首の残像によって表現する技法を考案、『変』で採用した。本人が述懐する通り、他の漫画家にもしばしば用いられている。
GANTZは必殺シリーズを現代SF風にアレンジすることから着想を得ている。奥は「『GANTZ』『いぬやしき』でやってることって『ドラえもん』の世界観に近い」と述べている。時代劇の『必殺シリーズ』が好きで、好きな映画は『ダイ・ハード』。GANTZの準主人公である加藤(加藤勝)の「何で俺がこんな目に」と思いながらも戦う様は『ダイ・ハード』のジョン・マクレーンの影響があると語っている。また、加藤については、作者が一番好きなキャラである。ネコ耳が特に根拠は無く嫌いであり、GANTZで一瞬で殺される星人にする案もあった。なお、この案は2005年に発売されたPlayStation 2用ゲームソフト『GANTZ THE GAME』において採用されており、ネコみみ星人として登場する。
スピッツの草野マサムネとは幼馴染。
『GANTZ』『いぬやしき』などに2ちゃんねる風の掲示板がよく登場するが、奥本人はインターネット上で自分の作品に関わる掲示板を読まないようにしていると『GANTZ』のオニ星人編のあとがきで語っている。『GIGANT』では若者の2ちゃんねる離れが進んだからか、Twitter風のSNSが多くなっている。
2022年10月1日、SNSや掲示板、まとめサイトでのデマ拡散並びに誹謗中傷に対して法的措置(開示請求)を取ると発表。「SNS、匿名掲示板、まとめサイトから僕に対する誹謗中傷を書いた人物を絞って貰いました。アカ消してももう手遅れなのでこころあたりがある人は一年以内に訴状が届くと思うので、覚悟はしておいて下さい。訴訟費用全額請求するのでよろしくお願いします。」と行動に移したことを明らかにした。
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{{Infobox 漫画家
| 名前 = 奥 浩哉
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| 本名 =
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| 活動期間 = [[1988年]]-
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'''奥 浩哉'''(おく ひろや、男性、[[1967年]][[9月16日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=ハイブリッド型総合書店「honto」、漫画家・奥浩哉さん(「いぬやしき」「GANTZ」)をゲストに迎えたスペシャルセッション「中川翔子のポップカルチャー・ラボ」第3弾公開! |url=https://japan.zdnet.com/release/30209789/ |website=ZDNet Japan |access-date=2022-10-03 |language=ja}}</ref>。[[福岡県]][[福岡市]]出身<ref name=":1" />。代表作は『[[GANTZ]]』<ref name=":1" />。コミックスの累計発行部数は3000万部を超える<ref>{{Cite web|和書|title=奥浩哉による漫画『GANTZ』がハリウッド映画化か |url=https://hypebeast.com/jp/2021/11/gantz-hollywood-live-action-adaptation-announcement-info |website=Hypebeast.JP |date=2021-11-05 |access-date=2023-05-14}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=ジジイの秘密、知りたいですか?映画『いぬやしき』公開に先駆け、最新技術を駆使した作品の魅力に迫るGIF公式チャンネルがGIFMAGAZINEに登場! |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000044.000013629.html |website=プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES |access-date=2023-05-14}}</ref>。デビュー作である『[[変 (漫画)|変[HEN]]]』を連載していた当時のペンネームは'''久遠矢広'''<ref name=":1" />。
== 人物 ==
非常に特徴的なタッチの持ち味。元々は、[[大友克洋]]や[[池上遼一]]の影響を受け、劇画路線を目指していた<ref name="natalie">[https://natalie.mu/comic/pp/inuyashiki 奥浩哉の「いぬやしき」特集、山本直樹×奥浩哉の師弟対談(1/4)]コミックナタリー 2014年1月14日</ref>。『[[GANTZ]]』が代表作として知られるが、それ以前の『変[HEN]』と『HEN』の2作品の成功により名を知られるようになった。この2作品はともに[[同性愛]]をテーマにしたもので、そのためよく同性愛者と間違われることがあるが、奥本人は[[結婚]]しており、それを否定している。
暴力や性的描写、世間では[[タブー]]とされている事柄などを描くことが多く、特に奥の短編『観察日記』は衝撃的ともいえるものである(『奥浩哉短編集「黒」』に収録)。[[山本直樹]]に師事した時期があり<ref name="natalie" />、山本がキャラクターデザインを担当した成年向けアニメの小説の挿絵などを代筆に近い形で描いたこともある。
マンガの背景にデジタル処理を用いた草分け的存在として知られる<ref name="natalie" />。[[Macintosh]][[コンピュータ]]によって作られた[[3次元コンピュータグラフィックス|3DのCG]]などを採り入れ『[[01 ZERO ONE]]』や『GANTZ』ではその結果として、極めてリアルな背景が描かれている。但し、3DCGの背景(≒街)データは膨大なものであり、劇中における地域が変わるその都度、データを新規に作製する必要も生じる。これは普通に(必要な画のみを原稿用紙に描けば済む)手描き作業で行うよりも作画時間が増えてしまう形となり、CG作画のデメリットでもある。実際に『01 ZERO ONE』のクオリティは財産を使い果たす程の投資があったからこそで、連載時は金銭的に大変苦しかったと語っている<ref>『GANTZ』10巻インタビューより。</ref>。『いぬやしき』は現代劇であることから、背景に写真加工を多用している。写真データに記録された撮影情報を元に3DCGをあわせて背景を合成することもあるが、主は写真。空間表現の追求のためドローンを利用した撮影や、ヘリコプターをチャーターした空撮に投資している。
自他共に認める[[巨乳]]好きで、漫画の本編とは全く関係ない巨乳の女の子の挿絵が、『GANTZ』の[[扉絵]]を頻繁に飾ることが多かった。また大友克洋が『[[AKIRA (漫画)|AKIRA]]』『[[気分はもう戦争]]』などに用いていた乗用車やバイクのテールランプが残像する表現手法をもとに、乳房の激しい揺れを乳首の残像によって表現する技法を考案<ref name="yj40comicaward">[https://yj40comicaward.jp/03/interview.php 奥 浩哉先生インタビュー ヤングジャンプ40周年記念 賞金総額最大1億円40漫画賞]</ref>、『変』で採用した。本人が述懐する通り、他の漫画家にもしばしば用いられている。
GANTZは必殺シリーズを現代SF風にアレンジすることから着想を得ている。奥は「『GANTZ』『いぬやしき』でやってることって『ドラえもん』の世界観に近い」と述べている<ref>[https://natalie.mu/comic/pp/inuyashiki_pact 奥浩哉「いぬやしき」×久慈進之介「PACT」特集、異なる作風のSF作家対談(1/3)]コミックナタリー</ref>。時代劇の『[[必殺シリーズ]]』が好きで<ref>奥浩哉 『GANTZ/MANUAL』 集英社〈ヤングジャンプ・コミックス〉、2004年、238頁。</ref>、好きな映画は『[[ダイ・ハード]]』<ref>奥浩哉 『GANTZ』6巻 集英社〈ヤングジャンプ・コミックス〉、2002年、219頁。</ref>。GANTZの準主人公である加藤(加藤勝)の「何で俺がこんな目に」と思いながらも戦う様は『ダイ・ハード』のジョン・マクレーンの影響があると語っている<ref>奥浩哉 『GANTZ/MANUAL』 集英社〈ヤングジャンプ・コミックス〉、2004年、115頁。</ref>。また、加藤については、作者が一番好きなキャラである。[[猫耳|ネコ耳]]が特に根拠は無く嫌いであり、GANTZで一瞬で殺される星人にする案もあった<ref>奥浩哉 『GANTZ』8巻 集英社〈ヤングジャンプ・コミックス〉、2003年、219頁。</ref>。なお、この案は2005年に発売された[[PlayStation 2]]用ゲームソフト『GANTZ THE GAME』において採用されており、ネコみみ星人として登場する。
スピッツの草野マサムネとは幼馴染。
『GANTZ』『いぬやしき』などに[[2ちゃんねる]]風の掲示板がよく登場するが、奥本人はインターネット上で自分の作品に関わる掲示板を読まないようにしていると『GANTZ』のオニ星人編のあとがきで語っている。『[[GIGANT]]』では若者の2ちゃんねる離れが進んだからか、[[Twitter]]風のSNSが多くなっている。
2022年10月1日、SNSや掲示板、[[まとめサイト]]での[[虚偽報道|デマ拡散]]並びに[[誹謗中傷]]に対して法的措置([[行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律|開示請求]])を取ると発表<ref name=":0" />。「SNS、匿名掲示板、まとめサイトから僕に対する誹謗中傷を書いた人物を絞って貰いました。アカ消してももう手遅れなのでこころあたりがある人は一年以内に[[訴状]]が届くと思うので、覚悟はしておいて下さい。訴訟費用全額請求するのでよろしくお願いします。」と行動に移したことを明らかにした<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://times.abema.tv/articles/-/10041950|title=『GANTZ』作者、SNSでの誹謗中傷に法的措置「アカ消しても手遅れ」「訴訟費用全額請求する」|publisher=ABEMA TIMES|date=2022-10-01|accessdate=2022-10-01}}</ref>。
== 受賞 ==
1988年 - [[週刊ヤングジャンプ#新人賞|ヤングジャンプ青年漫画大賞]]準入選(『変』)。
== 作品リスト ==
; [[変 (漫画)|変[HEN]]]
: デビュー作。恋愛を軸とした内容。
: 1988年に青年漫画大賞で準入選した『変』が原型。後に『へん』としてリメイク。不定期連載の末、1992年から『[[週刊ヤングジャンプ]]』([[集英社]])連載。
: 1996年4月 - 5月に『変[HEN] 鈴木くん 佐藤くん』としてテレビドラマ化され、[[佐藤藍子]](1話目のみ「x」表記で誰が演じているのか伏せられていた)が恋人の佐藤役を演じ、鈴木くんを[[青木伸輔]]が演じた。
:; HEN
:: 『変[HEN]』の続編。[[百合 (ジャンル)|百合]]を軸とした内容。『変[HEN]』に登場したキャラも登場している。
:: 1996年5月 - 6月に前作の後番組として『HEN Vol.2 ちずるちゃん・あずみちゃん』というタイトルでドラマ化。ちずるを[[城麻美]]、あずみを[[木内美穂]]が演じた。設定上、男性の需要に応える形でこちらはビデオ化されていた。また青木は別役で出演しており、佐藤は一話のみ友情出演した。
; [[01 ZERO ONE]]
: 1999年から2000年まで『週刊ヤングジャンプ』で連載。
; [[GANTZ]]
: 代表作。[[サイエンス・フィクション|SF]]バトルを軸とした内容。
: 2000年31号から2013年29号まで『週刊ヤングジャンプ』で連載。2004年にテレビアニメ化、2011年には2部作で実写映画化、2016年10月にはフル3DCGアニメ映画化、2018年1月には舞台化もされた。
; 奥浩哉短編集「赤」
: 「好」、「嫌」、「糸」、「雑」、「熱」が収録された短編集。
; 奥浩哉短編集「黒」
: 「黒」、「缶」、「へん」、「宿」、「変」、「観察日記」が収録された短編集。
; [[め〜てるの気持ち]]
: 2006年40号から2007年27号まで『週刊ヤングジャンプ』で連載。全3巻。
; 奥せんせいの漫画の描き方講座!
: 『[[漫太郎|週刊ヤングジャンプ増刊マンタロー2007]]』に掲載。読み切り作品。
; GANTZの素 -奥浩哉とSF映画物語-
: 『[[ミラクルジャンプ]]』(集英社)で連載。後に大幅に加筆修正・再編集され『GANTZなSF映画論』として発売された。
; [[いぬやしき]]
: 2014年4号から2017年16号まで『[[イブニング]]』([[講談社]])で連載。奥にとって、講談社から刊行されている雑誌での初めての連載となる。
; [[GIGANT]]
: 2018年1号から2021年20号まで『[[ビッグコミックスペリオール]]』([[小学館]])で連載。奥にとって、小学館から刊行されている雑誌での初めての連載となる。
== 原案 ==
;[[GANTZ:G]]
:『ミラクルジャンプ』で連載。作画はイイヅカケイタ。
;[[GANTZ:E]]
: 2020年6・7合併号から『週刊ヤングジャンプ』で連載。作画は花月仁。
== 挿し絵 ==
* [[くりいむレモン|新くりいむレモン 5時間目のヴィーナス]]
== 関連人物 ==
; [[山本直樹]]
: 師匠<ref name="natalie" />。
; [[飛龍乱]]
: 山本の現場でのアシスタント仲間<ref name="natalie" />。
; [[武田一義]]<ref>[https://web.archive.org/web/20220928175432/http://www.moae.jp/comic/inuyashiki/2 武田一義「奥先生との出会い」] 講談社「モアイ」</ref>
: 2006年ごろからアシスタントを務めた。2010年に病気療養で一時休職後、最終話まで務めている。
== 脚注 ==
<div class="references-small"><references /></div>
== 外部リンク ==
* {{twitter|hiroya_oku}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:おく ひろや}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:福岡市出身の人物]]
[[Category:1967年生]]
[[Category:存命人物]] | 2003-02-13T11:57:17Z | 2023-11-18T10:30:50Z | false | false | false | [
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1,311 | 藤田和日郎 | 藤田 和日郎(ふじた かずひろ、1964年5月24日 - )は、日本の漫画家。北海道旭川市出身。本名:藤田 和宏(読み同じ)。
旭川市立東町小学校第21回卒業生、北海道旭川東高等学校、日本大学法学部新聞学科卒業。現仕事場は東京都豊島区。血液型はA型。
1988年(昭和63年)に「連絡船奇譚」が『週刊少年サンデー』の増刊号に掲載されてデビューし、1990年(平成2年)より『週刊少年サンデー』本誌で開始した「うしおととら」で連載デビュー。代表作に『うしおととら』・『からくりサーカス』・『月光条例』・『邪眼は月輪に飛ぶ』など。主に『週刊少年サンデー』で活躍。
子どもの頃から漫画や本を読むのが好きで、ロジャー・ゼラズニイの小説『地獄のハイウェイ』を自分の原点としている。高校では友人たちと漫画研究会を設立、1982年に高橋留美子のホラー短編「闇をかけるまなざし」を読んだことをきっかけとして漫画家を目指す。
絵の描き方について試行錯誤を繰り返していた高校時代に、アニメ映画『クラッシャージョウ』の舞台挨拶のため、地元旭川に訪れた安彦良和へ質問した思い出を持つ。そのイベントで安彦が「目線が決まると体の向きが決まる」と発言したのを聞き「人物はまず目から描く」ことに決めたという。この描き方はプロになってからも続けられている。
1983年(昭和58年)、大学進学のために上京。大学では漫画研究会、アニメーション研究会、推理SF研究会に所属し小説の挿絵などを描く。漫画・イラストなどの修業のほか、アニメーション監督の押井守の兄を直接の先生に形意拳の修行歴があり短編集の作品にも反映されている。
あさりよしとおのアシスタントを経て、1988年(昭和63年)に第22回新人コミック大賞に入選した「連絡船奇譚」が『週刊少年サンデー』の増刊号に掲載されてデビューを果たす。そして1989年(平成元年)に「うしおととら」で第2回少年サンデーコミックグランプリに入賞。この賞は少年サンデーが主催していた新人賞で、受賞作がそのまま連載となることを謳っていた。翌1990年(平成2年)より少年サンデー誌上で同作の連載を開始する。同作は6年以上に亘り連載され、OVA化などもされる人気作品となった。
1997年(平成9年)から2006年(平成18年)まで、少年サンデーで「からくりサーカス」を連載。およそ9年に亘る長期連載となった。
「からくりサーカス」終了後は少年サンデーを離れ、『ビッグコミックスピリッツ』・『モーニング』と一時的に青年誌へと活動の場を移す。2008年(平成20年)には再び少年サンデーに戻り、2014年(平成26年)まで「月光条例」を連載した。
2015年から2016年にかけて「うしおととら」が、藤田作品では初めてテレビアニメ化された。次作品の「からくりサーカス」も2018年から2019年にかけてテレビアニメ化されている。
2016年(平成28年)から2021年(令和3年)まで、少年サンデーで「双亡亭壊すべし」を連載。
2022年(令和4年)、3月10日発売の週刊『モーニング』で「黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ」(「黒博物館・第3シーズン」)の連載開始。
※掲載誌の記載がない物は『週刊少年サンデー』及びその増刊号。
各作品の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。
書誌情報の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。
藤田はアシスタントに「ここに来たら、全員マンガ家になって出てってよ」と述べており、実際に藤田の元から独立・デビューした漫画家を多数輩出している。 | [
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] | 藤田 和日郎は、日本の漫画家。北海道旭川市出身。本名:藤田 和宏(読み同じ)。 旭川市立東町小学校第21回卒業生、北海道旭川東高等学校、日本大学法学部新聞学科卒業。現仕事場は東京都豊島区。血液型はA型。 1988年(昭和63年)に「連絡船奇譚」が『週刊少年サンデー』の増刊号に掲載されてデビューし、1990年(平成2年)より『週刊少年サンデー』本誌で開始した「うしおととら」で連載デビュー。代表作に『うしおととら』・『からくりサーカス』・『月光条例』・『邪眼は月輪に飛ぶ』など。主に『週刊少年サンデー』で活躍。 | {{存命人物の出典明記|date=2011年8月}}
{{Infobox 漫画家
|名前 = 藤田 和日郎
|画像 = Kazuhiro Fujita - Lucca Comics & Games 2016.jpg
|画像サイズ =
|脚注 = 藤田 和日郎 - Lucca Comics & Games 2016
|本名 = '''藤田 和宏'''
|生地 = {{flagicon|Japan}} [[北海道]][[旭川市]]<ref name="mangaseek">『漫画家人名事典』、2003年、325頁。</ref>
|国籍 = {{JPN}}
|生年 = {{生年月日と年齢|1964|5|24}}{{r|mangaseek}}
|職業 = [[漫画家]]
|活動期間 = [[1988年]](昭和63年) -
|ジャンル = [[少年漫画]]<br>[[青年漫画]]<br>[[ホラー漫画]]<br>[[格闘漫画|バトル漫画]]<br>[[劇画|アクション漫画]]
|代表作 = 『[[うしおととら]]』<br>『[[からくりサーカス]]』<br>『[[月光条例]]』<br>『[[邪眼は月輪に飛ぶ]]』<br>『[[双亡亭壊すべし]]』
|受賞 = 第22回新人コミック大賞・入賞<br>(『連絡船奇譚』)<br>第2回少年サンデーコミックグランプリ<br>第37回[[小学館漫画賞]]少年部門<br>第28回[[星雲賞]]コミック部門<br>[[日本のメディア芸術100選]]マンガ部門<br>(以上『うしおととら』)
|サイン =
|公式サイト =
}}
'''藤田 和日郎'''(ふじた かずひろ、[[1964年]][[5月24日]]{{r|mangaseek}} - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[北海道]][[旭川市]]出身{{r|mangaseek}}。本名:'''藤田 和宏'''(読み同じ)。
旭川市立東町小学校第21回卒業生、[[北海道旭川東高等学校]]{{Efn|携帯用サイト「[http://i.mobile-fujita.com/ 漫画家藤田和日郎]」編集部コラム「第16回」の中で、担当編集者が藤田の母校が「[http://manga-koshien.net/17th/school.html まんが甲子園・第17回大会本選出場校]」であり、その「まんが研究会」を創設したのは藤田たちの代であると紹介している。}}、[[日本大学法学部・大学院法学研究科及び新聞学研究科|日本大学法学部]][[新聞学|新聞学科]]卒業<ref>中野晴行(取材・文)「マンガ家スペシャルインタビュー藤田和日郎」『[[ダ・ヴィンチ (雑誌)|ダ・ヴィンチ]] 77号』 [[メディアファクトリー]]、2000年9月、p.108-109。</ref>。現仕事場は東京都豊島区<ref>『[[朝日新聞]]』2008年3月8日朝刊。</ref>。血液型は[[ABO式血液型|A型]]{{r|mangaseek}}。
[[1988年]](昭和63年)に「連絡船奇譚」が[[週刊少年サンデー超|『週刊少年サンデー』の増刊号]]に掲載されてデビューし、[[1990年]](平成2年)より『[[週刊少年サンデー]]』本誌で開始した「[[うしおととら]]」で連載デビュー。代表作に『[[うしおととら]]』・『[[からくりサーカス]]』・『[[月光条例]]』・『[[邪眼は月輪に飛ぶ]]』など<ref name="mysweet">『週刊少年サンデー』2008年49号、36頁。</ref>。主に『週刊少年サンデー』で活躍。
== 来歴 ==
子どもの頃から漫画や本を読むのが好きで、[[ロジャー・ゼラズニイ]]の小説『地獄のハイウェイ』を自分の原点としている{{Sfn|藤田和日郎魂|2009|p=114-115}}。高校では友人たちと漫画研究会を設立{{Sfn|藤田和日郎魂|2009|p=6}}、1982年に[[高橋留美子]]のホラー短編「闇をかけるまなざし」{{Efn|「闇をかけるまなざし」は『週刊少年サンデー』8月増刊号に掲載された{{Sfn|藤田和日郎魂|2009|p=115}}。}}を読んだことをきっかけとして漫画家を目指す{{r|mysweet}}<ref name="sq2">『ジャンプスクエア直撃インタビュー完全版』第2回。</ref><ref name="WebSun">{{Cite web|和書| url = https://www.sunday-webry.com/events/2017legend_interview/ | archiveurl = https://archive.fo/8fHoC | title = vol.1 藤田和日郎 | work = 少年サンデー伝説インタビュー | website = サンデーうぇぶり | date = 2017-6-17 | accessdate = 2017-6-24 | archivedate = 2017-6-17 | deadlinkdate = 2020年3月27日}}</ref>。
絵の描き方について試行錯誤を繰り返していた高校時代に、アニメ映画『[[クラッシャージョウ]]』の舞台挨拶のため、地元旭川に訪れた[[安彦良和]]へ質問した思い出を持つ<ref>「ペンの魔術師たち1 想像力は時を駆ける」『[[北海道新聞]]』1997年10月27日夕刊。</ref>。そのイベントで安彦が「目線が決まると体の向きが決まる」と発言したのを聞き「人物はまず目から描く」ことに決めたという。この描き方はプロになってからも続けられている<ref name="pafu">{{Citation|和書|title=藤田和日郎インタビュー |periodical=[[ぱふ]] |number=1997年2月 |publisher=[[雑草社]] |date=1997-2 |pages=40-43 }}</ref>。
1983年(昭和58年)、大学進学のために上京{{Sfn|藤田和日郎魂|2009|p=6}}。大学では漫画研究会、アニメーション研究会、推理SF研究会に所属し小説の挿絵などを描く{{Sfn|藤田和日郎魂|2009|p=116}}。漫画・イラストなどの修業のほか、アニメーション監督の[[押井守]]の兄を直接の先生に[[形意拳]]<ref> 2012年5月26日のツイッターの発言</ref><ref>藤田和日郎,荒川弘,「少年マンガの教理と実践 藤田和日郎が 『鋼の錬金術師』 を読む」『ユリイカ』2010年2月号(青土社)参照。</ref>の修行歴があり短編集の作品にも反映されている。
[[あさりよしとお]]<ref name="guidep252">「からくりサーカスのすべて」252頁。</ref>の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を経て、[[1988年]](昭和63年)に第22回新人コミック大賞に入選した「連絡船奇譚」が[[週刊少年サンデー超|『週刊少年サンデー』の増刊号]]に掲載されてデビューを果たす。そして[[1989年]](平成元年)に「[[うしおととら]]」で第2回少年サンデーコミックグランプリに入賞。この賞は少年サンデーが主催していた新人賞で、受賞作がそのまま連載となることを謳っていた。翌[[1990年]](平成2年)より少年サンデー誌上で同作の連載を開始する。同作は6年以上に亘り連載され、[[OVA]]化などもされる人気作品となった{{r|mangaseek}}。
[[1997年]](平成9年)から[[2006年]](平成18年)まで、少年サンデーで「[[からくりサーカス]]」を連載。およそ9年に亘る長期連載となった。
「からくりサーカス」終了後は少年サンデーを離れ、『[[ビッグコミックスピリッツ]]』・『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』と一時的に青年誌へと活動の場を移す。[[2008年]](平成20年)には再び少年サンデーに戻り、[[2014年]](平成26年)まで「[[月光条例]]」を連載した。
[[2015年]]から[[2016年]]にかけて「うしおととら」が、藤田作品では初めて[[テレビアニメ]]化された。次作品の「からくりサーカス」も[[2018年]]から[[2019年]]にかけてテレビアニメ化されている。
[[2016年]](平成28年)から[[2021年]](令和3年)まで、少年サンデーで「[[双亡亭壊すべし]]」を連載。
[[2022年]](令和4年)、3月10日発売の週刊『モーニング』で「[[黒博物館スプリンガルド|黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ]]」(「黒博物館・第3シーズン」)の連載開始。
== 年表 ==
※掲載誌の記載がない物は『[[週刊少年サンデー]]』及びその増刊号。
* [[1988年]](昭和63年) - 「連絡船奇譚」で第22回新人コミック大賞に入選し、漫画家としてデビュー。
* [[1989年]](平成元年) - 「[[うしおととら]]」で第2回少年サンデーコミックグランプリに入賞。
* [[1990年]](平成2年) - 「うしおととら」で連載デビュー( - [[1996年]])。
* [[1992年]](平成4年) - 「うしおととら」で第37回[[小学館漫画賞]]少年部門受賞。
* [[1997年]](平成9年) - 「[[からくりサーカス]]」の連載開始( - [[2006年]])。『うしおととら』で第28回[[星雲賞]]コミック部門賞受賞。
* [[2007年]](平成19年) - 『[[ビッグコミックスピリッツ]]』で「[[邪眼は月輪に飛ぶ]]」、続いて『[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]]』で「[[黒博物館スプリンガルド]]」を連載(共に同年終了)。
* [[2008年]](平成20年) - 「[[月光条例]]」を連載開始( - [[2014年]])。
* [[2014年]](平成26年) - 「[[黒博物館スプリンガルド|黒博物館ゴースト アンド レディ]]」を連載開始( - [[2015年]])
* [[2015年]](平成27年) - [[浦沢直樹の漫勉]]「藤田和日郎」(NHK Eテレ、放送2015年9月11日(金))※仕事場での作画風景のドキュメンタリー<ref>[https://www.nhk.or.jp/manben/fujita/ 浦沢直樹の漫勉「藤田和日郎」 NHK-Vol.35/2009年2月18日]</ref>。
* [[2016年]](平成28年) - 「[[双亡亭壊すべし]]」を連載開始。( - [[2021年]])
* [[2019年]](平成31年) - [[人間ってナンだ?超AI入門]] シーズン2 第3回「発想する」ゲスト出演(NHK Eテレ、放送2019年1月24日(木))
* [[2022年]](令和4年) - 「[[黒博物館スプリンガルド|黒博物館三日月よ、怪物と踊れ]]」を連載開始
== 人物 ==
* 筆名の漢字表記は[[姓名判断]]で付けたのではないかと訊かれることが多いが、実際は"和日郎"表記で描いた作品がたまたま「会心の出来」だったため、験担ぎでそのまま名乗るようになっただけだという{{r|pafu}}。
* 影響を受けた漫画家は、[[高橋留美子]]、[[高橋葉介]]、[[吉田聡]]、[[諸星大二郎]]{{Sfn|藤田和日郎魂|2009|p=115}}、[[あさりよしとお]]、[[モンキー・パンチ]]、[[細野不二彦]]、[[石川賢 (漫画家)|石川賢]]。[[週刊少年サンデー|サンデー]]へ持ち込んだ理由も「大好きな高橋留美子がいるから」だった。また、初めて高橋と会った際には、高橋作品への思いを語り過ぎたために一言も喋らせなかったと思うと後年のインタビューで語っている{{r|WebSun}}。
* 女の子の描き方は、高橋留美子と細野不二彦の影響を受けているという。また、[[うる星やつら]]の2巻の表紙のラムを何度も模写していた<ref name="rumiko">『漫画家本vol.14 高橋留美子本』対談 藤田和日郎 × 皆川亮二 より。</ref>。
* 小説家では、[[山田風太郎]]、[[隆慶一郎]]、[[スティーヴン・キング]]、[[泉鏡花]]、[[小泉八雲]]を挙げている<ref>季刊コミッカーズ 1996年秋号 20頁</ref>。
* 単行本の余りページにはアシスタントによる楽屋ネタおまけ漫画をよく掲載しており、こうした作品内での藤田の姿は[[眼鏡]]をかけ[[額]]が[[ハゲ|禿げ上がった]]姿で描かれている。また『からくりサーカス』では[[道化師]]の赤いつけ鼻がトレードマークとなっている<ref>「メイキングオブからくりサーカス 衝撃ショック100連発!!」『からくりサーカス 2巻』小学館〈少年サンデーコミックス〉1998年3月15日初版発行、{{ISBN2|4-09-125332-6}}、185 - 190頁、他多数。</ref>。
* 好きな音楽のジャンルは[[ヘヴィメタル]]や[[ハードロック]]。好きなバンドは[[ディープ・パープル]]、[[レインボー (バンド)|レインボー]]、[[ブラック・サバス]]、[[オジー・オズボーン]]、[[ジューダス・プリースト]]、[[アイアン・メイデン]]、[[アクセプト (バンド)|アクセプト]]、[[ハロウィン (ドイツのバンド)|ハロウィン]]、[[ナイトウィッシュ]]、[[エヴァネッセンス]]など。アンケートでの質問「自分の漫画を読む時にこの曲を聴いてほしい」では、ナイトウィッシュの「[[ダーク・パッション・プレイ|エスケイピスト]]」を聴いて欲しい曲として挙げている<ref>[https://websunday.net/6964/ WEBサンデー まんが家BACKSTAGE -藤田和日郎-Vol.35/2009年2月18日]</ref>。また[[筋肉少女帯]]のファンを公言しており、彼らの楽曲『機械』を元にした短編を描いている(短編集『暁の歌』収録『空に羽が…』)。なお同バンドは、アニメ『うしおととら』のオープニングテーマを担当している。
* 映画好きで、ホラーやアクションを好む。ホラーでは[[ダリオ・アルジェント]]などを挙げている<ref>季刊コミッカーズ 1996年秋号 19頁</ref>。
* 漫画家の[[皆川亮二]]とはデビューが同期であり、[[新人コミック大賞]]の授賞式でも隣同士で座っていたことから仲が良く、「皆川亮二が同じ世界にいる」と思うだけで今でも元気が出るという{{r|rumiko}}。
* 自身の漫画に対するポリシーとして『漫画の最大の目的は人を喜ばせること。そのためにはまず分かりやすい漫画を描くこと。そしていい読後感を読者に与えること。これがきちんとできているのが最強の漫画。読者を嫌な気持ちにさせるのは漫画ではない』という考えを持っている。そして、『その理想の漫画を描き続けているのが高橋留美子であり、「高橋先生こそが最強の漫画家」だ』と答えている。{{r|rumiko}}。
=== 藤田をモデルにしたキャラクター ===
{{出典の明記|date=2018年2月|section=1}}
; 唐巣和宏
: 『[[GS美神 極楽大作戦!!]]』([[椎名高志]])に登場する美神令子の師匠でゴーストスイーパーの[[神父]]。
; 富士鷹ジュビロ
: 『[[吼えろペン]]』([[島本和彦]])に登場する架空のマンガ家。自分の美学を持っている。
; 漫画家
: 『[[かってに改蔵]]』([[久米田康治]])に登場する漫画家。編集部からの[[接待]]を受けている。なお、同作には『[[からくりサーカス]]』の[[からくりサーカスの登場人物#最古の四人(レ・キャトル・ピオネール)|パンタローネ]]も度々登場している。
; 不二多勝日郎
: 『[[かくしごと]]』(久米田康治)に登場する漫画家。作中では「ダークファンタジーの巨匠」として名を知られており、主人公の後藤可久士からは「漫豪」(「文豪」の漫画家バージョン)と呼ばれるシーンがある。眼鏡に和服、長髪で細身の整った容姿と、他の作品で描かれる藤田和日郎をモデルとしたキャラクターとはイメージが大きく異なる。藤田自身はこのキャラクターについて自身のTwitter で「カッコイイキャラクターだったからユルス。」とコメントしている<ref>{{Twitter status2|Ufujitakazuhiro|684657518262394880|4=藤田和日郎@Ufujitakazuhiroの2016年1月6日のツイート|5=2020-06-01}}</ref>。
: テレビアニメ版の公式ツイッターは、藤田がモデルであることを明言し、藤田も応援イラストを描いている<ref>{{Twitter status2|kakushigoto_pr|1245735155685134337|4=『かくしごと』TVアニメ公式の2020年4月3日のツイート|5=2020-04-03}}</ref>。
; 鬼
: 『[[ハヤテのごとく!]]』([[畑健二郎]])に登場する『神変を得た人の図』。人は神変を得ると鬼になるという。正確には上記の「富士鷹ジュビロ」をモデルにしたキャラクター。
; 東京で地震に被災する男
: 『[[日本沈没]]』([[小松左京]]原作、[[一色登希彦]]作画)に登場する男性。地震で崩れた家具に押し潰された。なお、この話が掲載された『週刊ビッグコミックスピリッツ』には、「[[邪眼は月輪に飛ぶ]]」の第1話も掲載されている。
== 作品リスト ==
=== 漫画作品 ===
各作品の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。
<small>
* 2023年9月現在。
* デフォルトでの表記は発表順。他列でのソート後に再度発表順でソートするには、最左列を利用する。
* 「種」欄は連載か読切かで2種に大別。前後編作品については読切として扱った。
* 「掲載誌」欄ではマガジンボックス社に対して略称を用い、「MB」と記載。ソートは刊行頻度(週刊 etc.)を除いた名称で行う。
* 「収」欄は収録単行本を示す。記号対応は[[#漫画単行本]]を参照。「-x」は各単行本内での収録順を示す。
</small>
{| style="font-size:smaller"
| style="background-color: #fdd; width: 1em" |
| 連載作品
| style="background-color: #ddf; width: 1em" |
| 読切作品
|}
{| class="wikitable sortable" style="font-size:smaller; background-color:#ddf"
! !! 作品名 !! 種 !! 発行 !! 掲載誌 !! 収 !! 注記
|-
! 1
|<span style="display:none">たいとうせきふつ</span>帯刀石仏||<span style="display:none">2</span>読切||—||雑誌未掲載(1985年頃執筆{{Efn|文庫版『暁の歌』215頁のエッセイにて21歳時の執筆であることが記されている。}})||短2-5{{Efn|name="bunko"|文庫版のみに収録。}}||
|-
! 2
|<span style="display:none">れんらくせんきたん</span>連絡船奇譚||<span style="display:none">2</span>読切||<span style="display:none">2</span>[[小学館]]||<span style="display:none">シ</span>[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊]] 1988年8月号||短1-3||第22回新人コミック大賞・入賞作。<br />デビュー作。
|-
! 3
|<span style="display:none">めりいこおらんとへ</span>メリーゴーランドへ!||<span style="display:none">2</span>読切||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">シ</span>[[週刊少年サンデー]] 1988年45号||短1-4||『WS』本誌初掲載作品。
|-
! 4
|<span style="display:none">あきちやんともりて</span>アキちゃんと森で||<span style="display:none">2</span>読切||<span style="display:none">3</span>MB||パンドラ 1989年07月号||短1-5{{Efn|name="bunko"}}||
|-style="background-color:#fdd"
! 5
|[[うしおととら]]||<span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">シ</span>週刊少年サンデー 1990年6号 - 1996年45号||う||連載デビュー作。<br />[[OVA]]化・[[テレビアニメ]]化されている。<br />第2回少年サンデーコミックグランプリ入賞作。<br />第37回[[小学館漫画賞]]少年部門受賞作。<br />第28回[[星雲賞]]コミック部門賞受賞作。<br>[[日本のメディア芸術100選]]マンガ部門受賞作品。<br>テレビアニメ版では[[シリーズ構成]]を兼任。
|-
! 6
|<span style="display:none">よるにさんほしないかね</span>夜に散歩しないかね||<span style="display:none">2</span>読切||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">シ</span>週刊少年サンデー 1993年18号 - 19号||短1-6||前後編。
|-
! 7
|<span style="display:none">てのひらのうた</span>掌の歌||<span style="display:none">2</span>読切||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">シ</span>週刊少年サンデー増刊 1994年6月号||短1-2||第22回新人コミック大賞・入賞作。
|-
! 8
|<span style="display:none">からくりのきみ</span>[[からくりの君]]||<span style="display:none">2</span>読切||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">シ</span>週刊少年サンデー 1994年47号||短1-1||[[OVA]]化されている。
|-
! 9
|<span style="display:none">しゆんけきのこくう</span>瞬撃の虚空||<span style="display:none">2</span>読切||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">ヤ</span>[[週刊ヤングサンデー]] 1996年51号 - 52号||短2-1||前後編。{{独自研究範囲|date=2023-09-21|青年誌初掲載。}}
|-
! 10
|<span style="display:none">そらにはねか</span>空に羽が…||<span style="display:none">2</span>読切||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">シ</span>週刊少年サンデー 1997年21・22合併号||短2-2||
|-style="background-color:#fdd"
! 11
|<span style="display:none">からくりさあかす</span>[[からくりサーカス]]||<span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">シ</span>週刊少年サンデー 1997年32号 - 2006年26号||か||テレビアニメ版ではシリーズ構成を兼任。
|-
! 12
|<span style="display:none">けめるうちゆうふきてん</span>ゲメル宇宙武器店||<span style="display:none">2</span>読切||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">シ</span>週刊少年サンデー <br />2000年2・3合併号 - 4・5合併号||短2-3||前後編。
|-
! 13
|<span style="display:none">かすときんくのとうちやく</span>美食王の到着||<span style="display:none">2</span>読切||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">シ</span>[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊]] 2003年2月号||短2-4||
|-style="background-color:#fdd"
! 14
|<span style="display:none">しやかんはかちりんにとふ</span>[[邪眼は月輪に飛ぶ]]||<span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">ヒ</span>[[ビッグコミックスピリッツ|週刊ビッグコミックスピリッツ]] <br />2007年2号 - 9号||し||{{独自研究範囲|date=2023-09-21|青年誌初連載。}}
|-style="background-color:#fdd"
! 15
|<span style="display:none">くろはくふつかんすふりんかると1</span>[[黒博物館スプリンガルド]]||<span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">1</span>[[講談社]]||[[モーニング (漫画雑誌)|モーニング]] 2007年23号 - 28号||く-1||
|-style="background-color:#fdd"
! 16
|<span style="display:none">くろはくふつかんすふりんかると2</span>[[黒博物館スプリンガルド|黒博物館スプリンガルド <br />異聞マザア・グウス]]||<span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">1</span>講談社||モーニング 2007年33号 - 35・36合併号||く-1||「[[黒博物館スプリンガルド]]」の続編。
|-style="background-color:#fdd"
! 17
|<span style="display:none">けつこうしようれい</span>[[月光条例]]||<span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">シ</span>週刊少年サンデー 2008年17号 - 2014年19号||け||
|-style="background-color:#fdd"
! 18
|<span style="display:none">くろはくふつかんすふりんかると3</span>[[黒博物館ゴースト アンド レディ]]||<span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">1</span>講談社||モーニング 2014年52号<ref name="natalie20141127">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/132274|title=藤田和日郎の週刊連載、モーニングで開幕!「黒博物館」新シリーズ|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2014-11-27|accessdate=2023-09-21}}</ref> - 2015年30号<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/151751|title=藤田和日郎「黒博物館」シリーズ第2弾が華麗に終幕、単行本は7月発売|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2015-06-25|accessdate=2023-09-21}}</ref>||く-2||「[[黒博物館スプリンガルド]]」シリーズ{{R|natalie20141127}}。
|-style="background-color:#fdd"
! 19
|<span style="display:none">そうほうていこわすへし</span>[[双亡亭壊すべし]]||<span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">2</span>小学館||<span style="display:none">シ</span>週刊少年サンデー 2016年17号 - 2021年34号||そ||
|-
! 20
|<span style="display:none">くろはくふつかんすふりんかると4</span>[[黒博物館キャンディケイン]]||<span style="display:none">1</span>読切||<span style="display:none">1</span>講談社||モーニング 2018年2・3号<ref name="natalie20171214">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/260994|title=新たな義経像を描く新連載モーニングで始動、藤田和日郎「黒博物館」新作も|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2017-12-14|accessdate=2023-09-21}}</ref>||単行本未収録||「[[黒博物館スプリンガルド]]」シリーズ{{R|natalie20171214}}。
|-style="background-color:#fdd"
! 21
|<span style="display:none">くろはくふつかんすふりんかると5</span>[[黒博物館三日月よ、怪物と踊れ]]||<span style="display:none">1</span>連載||<span style="display:none">1</span>講談社||モーニング 2022年15号<ref name="natalie20220310">{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/468894|title=藤田和日郎が描く19世紀英国伝奇アクション「黒博物館」約7年ぶりの新シリーズ開始|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-03-10|accessdate=2023-09-21}}</ref> - 2023年42号<ref>{{Twitter status2|1=morningmanga|2=1702155457534579017|4=モーニング公式 2023年9月14日のポスト|5=2023-09-21}}</ref>||く-3||「[[黒博物館スプリンガルド]]」シリーズ{{R|natalie20220310}}。
|}
=== 書籍 ===
==== 漫画単行本 ====
書誌情報の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。
<small>
* 2023年9月現在。
* 書名が同じ物は【 】内の注記で区分をつけている。
* 「書名」欄でのソート時、短編集については「藤田和日郎短編集(x)」を無視する。
* デフォルトでの表記は作品毎にまとめて初巻の発行順とし、短編集については最後にまとめた。他列でのソート後にデフォルトの順へと戻すには、最左列を利用する。
* 「略」欄は上記[[#漫画作品]]の収録欄で用いている略号を示す。
</small>
{| style="font-size:smaller"
| style="background-color: #fcc; width: 1em" |
| 連載作品
| style="background-color: #fee; width: 1em" |
| 再出版
| style="background-color: #ccf; width: 1em" |
| 短編集
| style="background-color: #eef; width: 1em" |
| 再出版短編集
|}
{| class="wikitable sortable" style="font-size:smaller; background-color:#fcc"
! !! 書名 !! 発行 !! レーベル !! 判 !! 発行年 !! 巻 !! 注記 !! 略
|-
!1
|<span style="display:none">うしおととら1</span>[[うしおととら]]【SSC版】||[[小学館]]||<span style="display:none">シ2</span>少年サンデーコミックス||<span style="display:none">2</span>[[B40|新書]]||[[1990年]] - [[1997年]]||style="text-align:right" | 33||||う
|-
!2
|<span style="display:none">うしおととら2</span>[[うしおととら]]外伝 ||[[小学館]]||<span style="display:none">シ2</span>少年サンデーコミックス||<span style="display:none">2</span>[[B40|新書]]||[[1997年]]||style="text-align:right" | 1||||う
|- style="background-color:#fee"
!3
|<span style="display:none">うしおととら3</span>[[うしおととら]]【ワイド版】||[[小学館]]||<span style="display:none">シ3</span>少年サンデーコミックスワイド版||<span style="display:none">4</span>[[四六判|四六]]||[[2000年]] - [[2003年]]||style="text-align:right" | 18||ワイド版での新装版(外伝を含む)。||う
|- style="background-color:#fee"
!4
|<span style="display:none">うしおととら4</span>[[うしおととら]]【文庫版】||[[小学館]]||<span style="display:none">シ1</span>小学館文庫||<span style="display:none">1</span>[[文庫本|文庫]]||[[2004年]]<span style="display:none">9</span> - [[2006年]]||style="text-align:right" | 19||文庫での新装版(外伝を含む)。||う
|-
!5
|<span style="display:none">からくりさあかす1</span>[[からくりサーカス]]【SSC版】||[[小学館]]||<span style="display:none">シ2</span>少年サンデーコミックス||<span style="display:none">2</span>[[B40|新書]]||[[1998年]] - [[2006年]]||style="text-align:right" | 43||||か
|- style="background-color:#fee"
!6
|<span style="display:none">からくりさあかす2</span>[[からくりサーカス]]【ワイド版】||[[小学館]]||<span style="display:none">シ4</span>少年サンデーコミックスワイド版||<span style="display:none">3</span>[[紙の寸法#JIS B列|B6]]||[[2011年]] - [[2013年]]||style="text-align:right" | 23||ワイド版での新装版。||か
|-
!7
|<span style="display:none">しやかんは</span>[[邪眼は月輪に飛ぶ]]||[[小学館]]||ビッグコミックス||<span style="display:none">3</span>[[紙の寸法#JIS B列|B6]]||[[2007年]]<span style="display:none">5</span>||style="text-align:right" | 1||||し
|-
!8
|<span style="display:none">くろはくふつかん</span>[[黒博物館スプリンガルド]]||<span style="display:none">こ</span>[[講談社]]||モーニングKC||<span style="display:none">3</span>[[紙の寸法#JIS B列|B6]]||[[2007年]]<span style="display:none">9</span>||style="text-align:right" | 1||||く-1
|-
!9
|<span style="display:none">けつこうしようれい</span>[[月光条例]]||[[小学館]]||<span style="display:none">シ2</span>少年サンデーコミックス||<span style="display:none">2</span>[[B40|新書]]||[[2008年]] - [[2014年]]||style="text-align:right" | 29||||け
|-
!10
|<span style="display:none">くろはくふつかん</span>[[黒博物館スプリンガルド|黒博物館ゴースト アンド レディ]]||<span style="display:none">こ</span>[[講談社]]||モーニングKC||<span style="display:none">3</span>[[紙の寸法#JIS B列|B6]]||[[2015年]]<span style="display:none">7</span>||style="text-align:right" | 2||||く-2
|-
!11
|<span style="display:none">そうぼうていこわすべし</span>[[双亡亭壊すべし]]||<span style="display:none">こ</span>[[小学館]]||少年サンデーコミックス||<span style="display:none">3</span>[[B40|新書]]||[[2016年]] - [[2021年]]<span style="display:none">7</span>||style="text-align:right" | 25||||そ
|-
!12
|<span style="display:none">くろはくふつかん</span>[[黒博物館|黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ]]||<span style="display:none">こ</span>[[講談社]]||モーニングKC||<span style="display:none">3</span>[[紙の寸法#JIS B列|B6]]||[[2022年]] - <span style="display:none">7</span>||style="text-align:right" | 5||||く-3
|- style="background-color:#ccf"
!13
|<span style="display:none">よるのうた1</span>藤田和日郎短編集 夜の歌【SSC版】||[[小学館]]||<span style="display:none">シ2</span>少年サンデーコミックス||<span style="display:none">2</span>[[B40|新書]]||[[1995年]]||style="text-align:right" | 1||短編集。{{ISBN2|4-09-123561-1}}。||短1
|- style="background-color:#eef"
!14
|<span style="display:none">よるのうた2</span>藤田和日郎短編集(1) 夜の歌【文庫版】||[[小学館]]||<span style="display:none">シ1</span>小学館文庫||<span style="display:none">1</span>[[文庫本|文庫]]||[[2006年]]<span style="display:none">5</span>||style="text-align:right" | 1||文庫での新装版。<br />「アキちゃんと森で」を追加収録。<br>{{ISBN2|4-09-193651-2}}。||短1
|- style="background-color:#ccf"
!15
|<span style="display:none">あかつきのうた1</span>藤田和日郎短編集 暁の歌【SSC版】||[[小学館]]||<span style="display:none">シ2</span>少年サンデーコミックス||<span style="display:none">2</span>[[B40|新書]]||[[2004年]]<span style="display:none">3</span>||style="text-align:right" | 1||短編集。{{ISBN2|4-09-123562-X}}。||短2
|- style="background-color:#eef"
!16
|<span style="display:none">あかつきのうた2</span>藤田和日郎短編集(2) 暁の歌【文庫版】||[[小学館]]||<span style="display:none">シ1</span>小学館文庫||<span style="display:none">1</span>[[文庫本|文庫]]||[[2006年]]<span style="display:none">6</span>||style="text-align:right" | 1||文庫での新装版。<br />「帯刀石仏」を追加収録。<br>{{ISBN2|4-09-193652-0}}。||短2
|}
==== その他 ====
* 『うしおととら全集』小学館(原画集)
** 上巻:1997年4月発売、{{ISBN2|4-09-179291-X}}
** 下巻:1997年7月発売、{{ISBN2|4-09-179292-8}}
* 『からくりサーカス公式ガイドブック からくりサーカスのすべて』小学館〈少年サンデーコミックス〉2004年8月15日初版発行、{{ISBN2|4-09-127771-3}}
* 『イラストテクニック ミニ専科 1』誠文堂新光社 1988年11月発行、{{ISBN2|4-416-78856-8}}
* 『画業20周年記念全集 藤田和日郎魂』小学館 2009年7月17日発売、{{ISBN2|978-4-09-199019-8}}
* 『読者ハ読ムナ(笑) 〜いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか〜』小学館 2016年7月12日発売、{{ISBN2|978-4-09-127355-0}}
=== 原案など ===
; [[妖逆門]](原案・キャラクターデザイン)
: キャラクターデザイン・原案を担当した[[妖逆門]]はTVアニメ・カードゲームとも連動したクロスメディア企画である。同作には『[[うしおととら]]』に登場した一角なども登場している。[[2006年]]。
; あやかし堂のホウライ(原案協力)
: 作者は、フジタ組のチーフアシスタントのニックこと[[金田達也]]。増刊雑誌にて不定期連載だった。藤田和日郎は原案協力として参加。当初はTVアニメ化用の企画だった様子である。2004年 - 2006年。
=== イラスト ===
; イラストテクニックミニ専科 1
: イラスト素材集。1988年、[[誠文堂新光社]]刊、ISBN 978-4416788561<ref>{{Cite book |title=イラストテクニックミニ専科〈1 まんが編〉 |url=https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9F%E3%83%8B%E5%B0%82%E7%A7%91%E3%80%881-%E3%81%BE%E3%82%93%E3%81%8C%E7%B7%A8%E3%80%89-%E8%97%A4%E7%94%B0-%E5%92%8C%E6%97%A5%E9%83%8E/dp/4416788568 |publisher=誠文堂新光社 |date=1988-11-01 |isbn=978-4-416-78856-1 |first=和日郎 |last=藤田}}</ref><ref>{{Cite book |title=イラストテクニックミニ専科 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I008531211-00 |publisher=誠文堂新光社 |date=1988 |first=藤田 |last=和日郎 |first2=林家 |last2=小正楽 |first3=こやま |last3=きょうへい |first4=西里 |last4=龍 |first5=山口 |last5=賢裕 |first6=芹川 |last6=優子 |first7=矢野 |last7=鉾人 |first8=三浦 |last8=春日 |first9=小島 |last9=知香子}}</ref>。
; 纐纈城綺譚
: [[田中芳樹]]による小説。1995年、{{ISBN2|4-257-79023-7}}。
; [[天竺熱風録]]
: 同じく田中芳樹による小説。2007年、{{ISBN2|4-396-20825-1}}。
; 星の果てまでブッ飛ばす!
: 碧星タケルによる小説。1995年、[[メディアワークス]][[電撃文庫]]刊、{{ISBN2|4-07-302600-3}}。
; ヤロフのアトラク屋
: 紙谷通人([[紙谷龍生]])による小説。1992年、[[桜桃書房]]刊、{{ISBN2|4-87183-624-X}}。『地獄森のアトラク屋』1993年、{{ISBN2|4-87183-643-6}}。
; [[さよなら絶望先生 (アニメ)|さよなら絶望先生]](エンドカード)
: [[久米田康治]]原作の[[テレビアニメ]]。2007年。第1期の第1話。
; [[サンデー×マガジン クロスライン]](ゲストキャラクターデザイン)
: [[村枝賢一]]による漫画。[[クラブサンデー]]に期間限定でデザイン画が掲載。2007年7月 - 9月。
; [[戦国大戦]](カードイラスト)
: [[セガ]]のアーケードカードゲーム。2010年。
; [[手裏剣戦隊ニンニンジャー]]
: Blu-ray COLLECTION 第1巻収録のブックレットの表紙イラスト<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/157067|title=忍びなれども忍ばない!藤田和日郎が描いた勇壮な「ニンニンジャー」公開|work=コミックナタリー|date=2015-08-14|accessdate=2015-08-14}}</ref>。2015年。
; 鬼のずんぼらぶー〜[[そこのけもののけ事件帖]]番外編(ジャケットイラスト)
: [[檜木田正史]]作・演出のドラマCD。2015年。
; [[戸次重幸]]ソロプロジェクト「MONSTER MATES」(メインビジュアル)
: 戸次重幸の作・演出による舞台<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/stage/news/311205|title=戸次重幸ソロ「MONSTER MATES」藤田和日郎の描き下ろしビジュアル公開|work=ステージナタリー|date=2018-12-07|accessdate=2022-01-10}}</ref>。2018年。
; 何かが道をやってくる
: [[レイ・ブラッドベリ]](翻訳:[[大久保康雄]])による小説。[[創元推理文庫]]60周年フェアで期間限定表紙イラストを担当<ref>{{Cite web|和書|url= https://natalie.mu/comic/gallery/news/320453/1110096 |title=東京創元社の文庫フェアにマンガ家10名、お気に入り作品のカバー描き下ろす(画像ギャラリー 6/10)|publisher=コミックナタリー|accessdate=2022-12-20|date=2019-02-18}}</ref>。2019年。
; [[昭和50年男]] 2022年3月号 / vol.15(表紙)
: 「うしおととら」描き下ろしイラスト。また、同誌16ページより藤田のインタビュー記事も掲載<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.s40otoko.com/archives/119598|title=『昭和50年男』は只今発売中で~す♪ vol.015の特集は「オレたちがヤラれた 少年マンガ」! レア!?な『うしおととら』表紙をゲットせよ!!|publisher=昭和50年男|date=2022-02-12|accessdate=2022-02-17}}</ref>。2022年。
== 元アシスタント ==
藤田は[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]に「ここに来たら、全員マンガ家になって出てってよ」と述べており{{r|sq2}}、実際に藤田の元から独立・デビューした漫画家を多数輩出している。
* [[安西信行]]<ref name="guidep264">『からくりサーカスのすべて』264 - 275頁。</ref>
* [[井上和郎]]{{r|guidep264}}
* [[片山ユキヲ|片山ユキオ]]{{r|guidep264}}
* [[金田達也]]{{r|guidep264}}
* [[雷句誠]]{{r|guidep264}}
* [[福田宏]]<ref>『[[からくりサーカス]]』43巻巻末「団員紹介」より。</ref>
*はこたゆうじ(画家)
*内富拓地
== コラボ商品 ==
* 「藤田和日郎 眼鏡」を執事眼鏡 eye mirrorより発売
== その他 ==
* イラストが表紙「震災に負けるな!東日本project」 - [[猪熊しのぶ]]を中心にチャリティ活動に取り組んでおり、[[東日本大震災]]の被災者を支援する為に他の漫画家と共同で東日本大震災チャリティ同人誌「LOVE ACROSS JAPAN -日本中に愛を-」で執筆する<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/58984 |title=猪熊しのぶら参加チャリティ本の原画展・即売会が栃木で |work=東日本大震災チャリティ同人誌「LOVE ACROSS JAPAN -日本中に愛を-」 |publisher= |accessdate=2015-06-22}}</ref>。
* [[TEAM NACS]] SOLO PROJECT [[戸次重幸]]『MONSTER MATES』- イラスト版ビジュアルを描き下ろした<ref>{{Cite web|和書|title=藤田和日郎、TEAM NACS戸次重幸の舞台「MONSTER MATES」ビジュアル描き下ろし(コメントあり)|url=https://natalie.mu/comic/news/311227|website=コミックナタリー|accessdate=2021-02-04|language=ja|first=Natasha|last=Inc}}</ref>。
* 『[[諸星大二郎]] デビュー50周年記念 トリビュート』 - 諸星をリスペクトする作家として参加し、エッセイ漫画を寄稿<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/444103|title=浦沢直樹、萩尾望都、星野之宣、山岸凉子らが描き下ろし「諸星大二郎トリビュート」|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2021-09-07|accessdate=2021-09-07}}</ref>。
* 50周年だから!花ゆめ部員がやってみました企画 第1弾『実はHMC投稿者!藤田和日郎先生インタビュー』 - [[花とゆめ]]2024年1号掲載<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/551817|title=天使のような美男子の秘密を知ってしまい…花ゆめ新連載「琥春くんの細胞を」|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-12-05|accessdate=2023-12-05}}</ref>。
== 関連番組 ==
* [[BSマンガ夜話]]『うしおととら』(2001年2月27日 NHK BS2) - 本人出演なし。ゲストは[[村上知彦]]と[[花柳錦之輔 (3代目)|花柳錦之輔]]。
* [[浦沢直樹の漫勉]](2015年9月11日 NHK Eテレ) - 『[[黒博物館ゴースト アンド レディ]]』の製作過程を収録した画像を見ながら浦沢と対談。
* [[まんが未知]](2022年2月2日・9日、4月1日、[[テレビ朝日]]) - [[宮下兼史鷹]]([[宮下草薙]])と実弟がプロの漫画家を目指す「宮下兄弟プロまんが未知」コーナー(第3弾・第4弾)に出演。4月1日放送の『特別編』では、『藤田先生回 "ほぼノーカット完全版"』が放送された。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* 「第3幕 舞台の裏側」『からくりサーカス公式ガイドブック からくりサーカスのすべて』247 - 278頁
* {{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20120207211716/https://jumpsq.shueisha.co.jp/contents/topic-interview/index.html|title=ジャンプスクエア直撃インタビュー完全版|work=[http://jumpsq.shueisha.co.jp/index.html ジャンプスクエア公式サイト]|publisher=集英社|accessdate=2009-04-25}}{{リンク切れ|date=2022年3月}}
** {{Cite web|和書|date=2008-08-14|url=https://web.archive.org/web/20110904054014/https://jumpsq.shueisha.co.jp/contents/topic-hujita/index.html|title=第1回『月光条例』について|accessdate=2009-04-25}}{{リンク切れ|date=2022年3月}}
** {{Cite web|和書|date=2008-08-18|url=https://web.archive.org/web/20120113021619/https://jumpsq.shueisha.co.jp/contents/topic-hujita/index2.html|title=第2回マンガ家を目指した経緯|accessdate=2009-04-25}}{{リンク切れ|date=2022年3月}}
* 「MY SWEET SUNDAY」『週刊少年サンデー』50巻57号(通巻2900号、2008年49号)小学館、31 - 36頁
* まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、{{ISBN2|4-8169-1760-8}}、325頁
* {{Citation|和書|author=藤田和日郎|date=2009-07-22|title=藤田和日郎魂|publisher=小学館|isbn=978-4-09-199019-8|ref={{SfnRef|藤田和日郎魂|2009}} }}
== 外部リンク ==
* {{Twitter|Ufujitakazuhiro|藤田和日郎}}
* [https://websunday.net/author/675/ サンデーまんが家バックステージ 藤田和日郎]
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ふした かすひろ}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:日本大学出身の人物]]
[[Category:北海道旭川東高等学校出身の人物]]
[[Category:北海道出身の人物]]
[[Category:1964年生]]
[[Category:存命人物]]
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1,313 | 雷句誠 | 雷句 誠 (らいく まこと、本名:河田 誠(かわだ まこと)、1974年8月23日 - )は、日本の漫画家。岐阜県岐阜市出身。
1991年、県立岐阜城北高(旧:県立岐阜三田高校)在学中に「BIRD MAN」でまんがカレッジに入選、デビュー作となる。高校卒業後に上京し、藤田和日郎のもとで6年間アシスタントを務めた後、2001年1月から『週刊少年サンデー』(小学館)で『金色のガッシュ!!』を連載した。
漫画家になろうと決心したのは高校1年生のとき。絵を描くことが好きなため画家になることも考えたが、ピカソなどの抽象画を見ても「普通の人に理解されにくい絵」がなぜ高価なのかわからなかった。ならば「自分は子供たちにも理解されて、みんなに喜んでもらえる漫画を描こう」、「そんな漫画家になろう」と決心する。漫画の描き方を知らなかった雷句は、他の漫画を真似して描きながら『サンデー』に投稿を始めた。しかし、何も賞がもらえず原稿が送り返されることが続くと、描いて送るだけでは駄目だと思い、高校2年生の頃に編集部に持ちこむことを決意する。岐阜から4時間以上かけて小学館に向かい、編集部からアドバイスをもらった。それから1年後の高校3年生のとき、その時点で「自分が持っているもの」や「自分の思い」を全部詰めこんだという『BIRD MAN』を描いて投稿すると、これがまんがカレッジに入選し、デビュー作となる。
『金色のガッシュ!!』で2003年に第48回小学館漫画賞少年部門を受賞。同作は『金色のガッシュベル!!』のタイトルでテレビアニメ化された他、トレーディングカード化、テレビゲーム化、映画化など積極的なメディアミックス展開が取られ、また『月刊コロコロコミック』、『ちゃお』で別の新人漫画家による4コマ漫画連載などで児童層の取り込みが図られ、一躍人気作品となった。
漫画家になって良かったことは子供たちに喜んでもらえたことであり、子供たちが一生懸命ハガキにガッシュの絵を描いて送ってきてくれることが励みになったという。
詳細は#小学館との訴訟を参照
2008年12月30日のブログで「次の作品は講談社で描かせていただきます」と発表し、2009年9月9日に新創刊される『別冊少年マガジン』にて『どうぶつの国』が連載される事となった。また、この連載開始に合わせ、同時期に発行される3社5誌の合同企画として『雷句誠がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!祭り』と題して、同作品を含め5作品が掲載されることとなった。なお、『どうぶつの国』以外は読み切りである。
2013年、『どうぶつの国』が第37回講談社漫画賞児童部門を受賞した。
2016年からは、『週刊少年マガジン』にて『VECTOR BALL』を連載していたが、2017年16号に予告無く最終回を迎える。最終頁には小さく「第一部完」の文字があり、作者コメント欄には『大変申し訳ありません。VECTOR BALLはこれで終わりとなります。』と掲載された。
2018年05月28日に、新しいマンガの制作・電子出版などを事業にするBIRGDIN BOARD株式会社を設立。代表取締役に就任した。
2022年3月からBIRGDIN BOARD株式会社による電子出版で、『金色のガッシュ!!』の続編となる『金色のガッシュ!!2』の連載を開始した。
ペンネームの「雷句」は、雷が好きで「雷(ライ)」に何か付けようとゴロが良さそうなカ行の文字を当てはめている。また、英語での意味も良い「ライク」にした。
藤田和日郎はアシスタントに英語名の愛称を付けるのを常としており、そこからニックネームが「リック」になった。
バイク好き。『玄米ブレード』のネーム時に車と衝突事故を起こし骨折、入院しながらペン入れしている。2008年現在の愛車は2005年式のホンダ・ワルキューレルーン。雑誌『HONDA Bikes』に愛車と一緒のところを取材された事がある。また、ヤマハ・YZF-R1も所持している。
初期の短編は青山剛昌や皆川亮二の影響が強いものだったが、藤田の元でのアシスタント時代後期から画風・作風共に藤田の影響が強まり、『ニュータウン・ヒーローズ』以降はその傾向が顕著になった。
藤田同様、少年漫画らしい「熱血」的描写が得意であり、いじめや複雑な人間関係を『金色のガッシュ!!』で描くなど、理不尽なものに対する強い思いを込めた描写が多く描かれている。
雷句は2005年半ばに『金色のガッシュ!!』の終了までの構想(クリア編まで)がまとまり、週刊少年サンデー編集部にそれとなく連載終了を申し入れた。
しかし、アニメ放映の最中であり、映画2作目の公開も控えていたために、編集部は連載を引き延ばそうとした。それまでにも歴代の担当編集者全員とうまく噛み合わず、「雷句スタジオ」を有限会社化した際には、担当編集者へ雷句の税理士からの文書にて契約の変更を申し入れたが変更がなされずに1年以上経過。その結果、雷句が税務署に不備を指摘され、小学館の経理とトラブルになったこともある。なお、この時の追徴課税分は全額小学館に払わせている。
このような、小学館との泥沼化した関係によってストレスを抱え込む。同年11月には編集者の度重なるアイディアの強要にストレスが限界を超える。なお、この編集者による引き延ばしのアイディアは最終的に全て断っていた。
この頃、仕事上のミスを指摘した際にアシスタントに怪我を負わせ、自らも机に右手を叩きつけたため全治2ヶ月の開放骨折(複雑骨折)となり、同年12月から翌2006年2月までの約3ヶ月間に及ぶ休載を余儀なくされた。
休載していた間に、当時執筆中であった『金色のガッシュ!!』「ファウード編」の終了後、約1年間をもって連載終了の確約を編集部に取り付けた。また、連載終了確約の際には「『金色のガッシュ!!』の終了後は、小学館との縁を切る」事を同時に申し入れている。
2007年12月に『金色のガッシュ!!』連載終了。雷句は2007年12月27日に原稿の一括返却を受けるが、数点欠けていたためにその後も数度返却要請を行う。2008年2月29日、最終的に5枚のカラー原稿の紛失が確定、同日にポジフィルムの返還の合意を得る。小学館は紛失原稿に対する賠償金として、カット扱いの1枚を1万円、他を原稿料1万7000円/枚とし、それらの3倍に相当する23万4000円+補償金26万6000円の計50万円を提示したが、雷句はこれを拒否した。また、『金色のガッシュ!!』終了確約の際に同時に申し入れていた、小学館と縁を切る旨も、雷句の思惑に反して慰留したため、その際の小学館側の対応を含め、諸問題が一層拗れることとなった。
雷句は、同年4月19日に自らのブログで描き下ろしのカラーイラスト2点をチャリティーオークションに出品することを発表。同年5月19日に企画終了。5月21日、ブログ上でファンの質問に答える形で「小学館との決別」を発表。オークションの落札価格である平均価格25万9000円、さらに、該当オークションのファン認知度の低さなどを加味し、原稿1枚に30万円の美術的価値があるという根拠の元、同年6月6日に小学館に対し、原稿5枚で150万円+慰謝料150万円+弁護士費用30万円、計330万円の損害賠償とポジフィルムの返還を求め東京地方裁判所に提訴した。
同日にブログで訴状と陳述書を公開。証拠物件としてウィキペディアの記述が2点使われている。自身の精神的苦痛を訴えると同時に、歴代担当編集者を実名で批判した。また、雷句の元アシスタントである漫画家酒井ようへいからの伝聞で、酒井の作品『東遊記』が編集主導の末に打ち切りとなったことに対しても編集者を実名で非難した。「雷句誠のアシスタントが酷い目に遭っていたから自分がこう言う事例を後に作っては行けないと考えての掲載」と公開した旨を記載しており、「成功した漫画家」の責任として、新人漫画家も含め「漫画家の地位向上」を訴えた。
この陳述書には多くの漫画家が反応。Webサイトやブログで過去にあった編集とのトラブルや原稿紛失話など相次いで苦言を呈した。特に、2007年「小学館からフリーになった」と公言していた漫画家新條まゆの内幕暴露はネット上で話題になった。
雷句と弁護士は「謝罪」「賠償金」「共同提言」などを求める和解のための訴訟戦術を取り、同年11月11日に小学館の謝罪と和解金255万円(内訳非公開)で和解成立、共同提言については実現しなかった。雷句は和解後の記者クラブの会見で、美術的価値が認められたと思うと発言する一方で、帰宅後に書いたブログで不満を述べた。それに対し、雷句の担当弁護士は「勝訴的和解」と勝利宣言を行った。
※は短編集『玄米ブレード』(2003年)に収録。
藤田和日郎のアシスタント(『うしおととら』中盤 - 『からくりサーカス』初期)を6年近く務めた。
高校を卒業して上京後、数か月で大ファンだった藤田和日郎のアシスタントになり、最初の頃は原稿にさわるのも怖かったという。6年間の下積み時代に技術を学んだだけでなく、藤田の勧めでたくさんの映画を観て本を読んだ。この期間の蓄積がなかったら今の自分はいないと語っている。
アシスタントは最大5人(通常4人、多忙時に+1人)というシフトを取っていたが、出入りが非常に激しく、『金色のガッシュ!!』の33巻(最終巻)のアシスタント一覧のクレジットでは「1ヶ月以上勤務の子」という但し書きとともに17人の名が連ねられている。
東日本大震災の被災者の支援にも取り組んでおり、他の漫画家と共同で東日本大震災チャリティー同人誌「pray for Japan」で執筆する。 | [
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] | 雷句 誠 は、日本の漫画家。岐阜県岐阜市出身。 1991年、県立岐阜城北高在学中に「BIRD MAN」でまんがカレッジに入選、デビュー作となる。高校卒業後に上京し、藤田和日郎のもとで6年間アシスタントを務めた後、2001年1月から『週刊少年サンデー』(小学館)で『金色のガッシュ!!』を連載した。 | {{存命人物の出典明記|date=2009年5月19日 (火) 12:40 (UTC)}}
{{Infobox 漫画家
| 名前 = 雷句 誠
| ふりがな = らいく まこと
| 画像 = <!-- 画像ファイル名 -->
| 画像サイズ = <!-- 空白の場合は220px -->
| 脚注 = <!-- 画像の説明文 -->
| 本名 = 河田 誠(かわだ まこと)
| 生年 = {{生年月日と年齢|1974|08|23}}<ref name="sponichi">[https://megalodon.jp/2009-0525-2351-25/www.sponichi.co.jp/society/news/2008/06/07/01.html スポニチ 2008年6月7日(キャッシュ)]</ref>
| 生地 = {{JPN}}・[[岐阜県]][[岐阜市]]<ref name="mangaseek">まんがseek・日外アソシエーツ共著『漫画家人名事典』日外アソシエーツ、2003年2月25日初版発行、ISBN 4-8169-1760-8、422 - 423頁</ref>
| 没年 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|1974|08|23|YYYY|YY|YY}} -->
| 没地 = <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 -->
| 国籍 = {{JPN}}
| 職業 = [[漫画家]]
| 称号 = <!-- 国家からの称号・勲章。学位は取得学校名、取得年を記載 -->
| 活動期間 = [[1991年]] -
| ジャンル = [[少年漫画]]
| 代表作 = 『[[金色のガッシュ!!]]』<br />『[[どうぶつの国]]』
| 受賞 = 第48回[[小学館漫画賞]]少年部門<br />(『金色のガッシュ!!』)<br />第37回[[講談社漫画賞]]児童部門<br />(『どうぶつの国』)
| サイン = <!-- 画像ファイル名 -->
| 公式サイト = <!-- {{Official website|https://www.example.org}}や[https://www.example.org/ 公式ページ名] など -->
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'''雷句 誠''' (らいく まこと、本名:'''河田 誠'''(かわだ まこと)、[[1974年]][[8月23日]]<ref name="sponichi" /> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[岐阜県]][[岐阜市]]出身<ref name="mangaseek" />。
[[1991年]]、[[岐阜県立岐阜城北高等学校|県立岐阜城北高]](旧:県立岐阜三田高校)在学中に「BIRD MAN」で[[まんがカレッジ]]に入選、デビュー作となる。高校卒業後に上京し、[[藤田和日郎]]のもとで6年間[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を務めた後、[[2001年]]1月から『[[週刊少年サンデー]]』([[小学館]])で『[[金色のガッシュ!!]]』を連載した。
== 来歴 ==
=== デビューまでの経緯 ===
[[漫画家]]になろうと決心したのは高校1年生のとき<ref name="sundayR">{{Cite journal |和書|title =マイ・ルーキー・イヤー 雷句誠先生 |publisher =小学館 |journal =[[少年サンデー特別増刊R]] |issue =2002年4月15日号 |pages =676-677}}</ref>。[[絵]]を描くことが好きなため[[画家]]になることも考えたが、[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]などの[[抽象画]]を見ても「普通の人に理解されにくい絵」がなぜ高価なのかわからなかった<ref name="sundayR" />。ならば「自分は[[子供]]たちにも理解されて、みんなに喜んでもらえる漫画を描こう」、「そんな漫画家になろう」と決心する<ref name="sundayR" />。漫画の描き方を知らなかった雷句は、他の漫画を真似して描きながら『サンデー』に投稿を始めた<ref name="sundayR" />。しかし、何も賞がもらえず原稿が送り返されることが続くと、描いて送るだけでは駄目だと思い、高校2年生の頃に編集部に持ちこむことを決意する<ref name="sundayR" />。岐阜から4時間以上かけて[[小学館]]に向かい、編集部からアドバイスをもらった<ref name="sundayR" />。それから1年後の高校3年生のとき、その時点で「自分が持っているもの」や「自分の思い」を全部詰めこんだという『BIRD MAN』を描いて投稿すると、これが[[まんがカレッジ]]に入選し、デビュー作となる<ref name="sundayR" />。
=== 転機となった作品 ===
『金色のガッシュ!!』で[[2003年]]に第48回[[小学館漫画賞]]少年部門を受賞。同作は『金色のガッシュベル!!』のタイトルでテレビアニメ化された他、トレーディングカード化、テレビゲーム化、映画化など積極的な[[メディアミックス]]展開が取られ、また『[[月刊コロコロコミック]]』、『[[ちゃお]]』で別の新人漫画家による[[4コマ漫画]]連載などで児童層の取り込みが図られ、一躍人気作品となった。
漫画家になって良かったことは子供たちに喜んでもらえたことであり、子供たちが一生懸命[[はがき|ハガキ]]にガッシュの絵を描いて送ってきてくれることが励みになったという<ref name="sundayR"/>。
=== 小学館との決別 ===
''詳細は[[#小学館との訴訟]]を参照''
=== 講談社での連載へ ===
[[2008年]]12月30日のブログで「次の作品は[[講談社]]で描かせていただきます」と発表し<ref>[http://88552772.at.webry.info/200812/article_5.html 雷句誠の今日このごろ。- 今年も終わりですね。]</ref>、2009年9月9日に新創刊される『[[別冊少年マガジン]]』にて『どうぶつの国』が連載される事となった。また、この連載開始に合わせ、同時期に発行される3社5誌の合同企画として『雷句誠がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!祭り』と題して、同作品を含め5作品が掲載されることとなった<ref>『月刊少年マガジン』2009年5月号ほか各誌での告知</ref>。なお、『どうぶつの国』以外は読み切りである。
[[2013年]]、『どうぶつの国』が第37回[[講談社漫画賞]]児童部門を受賞した。
[[2016年]]からは、『[[週刊少年マガジン]]』にて『[[VECTOR BALL]]』を連載していたが、[[2017年]]16号に予告無く[[最終回]]を迎える。最終頁には小さく「第一部完」の文字があり、作者コメント欄には『大変申し訳ありません。VECTOR BALLはこれで終わりとなります。』と掲載された。
=== 自社での連載へ ===
[[2018年]]05月28日に、新しいマンガの制作・電子出版などを事業にするBIRGDIN BOARD株式会社を設立。代表取締役に就任した。
[[2022年]]3月からBIRGDIN BOARD株式会社による電子出版で、『金色のガッシュ!!』の続編となる『金色のガッシュ!!2』の連載を開始した。
== 人物 ==
=== 名前の由来 ===
ペンネームの「雷句」は、[[雷]]が好きで「雷(ライ)」に何か付けようとゴロが良さそうなカ行の文字を当てはめている。また、英語での意味も良い「ライク」にした<ref name="pafu">雑草社「ぱふ」2009年12月号雷句誠スペシャルインタビューより</ref>。
[[藤田和日郎]]は[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]に英語名の愛称を付けるのを常としており、そこから[[ニックネーム]]が「リック」になった。
=== 趣味 ===
[[オートバイ|バイク]]好き。『[[玄米ブレード]]』のネーム時に車と衝突事故を起こし骨折、入院しながらペン入れしている<ref>短編集『玄米ブレード』 p.115</ref>。2008年現在の愛車は2005年式の[[ホンダ・ワルキューレルーン]]。雑誌『HONDA Bikes』に愛車と一緒のところを取材された事がある。また、[[ヤマハ・YZF-R1]]も所持している。
== 作風 ==
初期の短編は[[青山剛昌]]や[[皆川亮二]]の影響が強いものだったが、藤田の元でのアシスタント時代後期から画風・作風共に藤田の影響が強まり、『ニュータウン・ヒーローズ』以降はその傾向が顕著になった。
藤田同様、少年漫画らしい「熱血」的描写が得意であり、[[いじめ]]や複雑な人間関係を『[[金色のガッシュ!!]]』で描くなど、理不尽なものに対する強い思いを込めた描写が多く描かれている。
== 小学館との訴訟 ==
雷句は[[2005年]]半ばに『金色のガッシュ!!』の終了までの構想(クリア編まで)がまとまり、週刊少年サンデー編集部にそれとなく連載終了を申し入れた。
しかし、アニメ放映の最中であり、映画2作目の公開も控えていたために、編集部は連載を引き延ばそうとした。それまでにも歴代の担当編集者全員とうまく噛み合わず<ref>『[[サイゾー]]』2008年11月号でルポライターの[[大泉実成]]により検証がなされている。</ref>、「雷句スタジオ」を[[有限会社]]化した際には、担当編集者へ雷句の[[税理士]]からの文書にて契約の変更を申し入れたが変更がなされずに1年以上経過。その結果、雷句が[[税務署]]に不備を指摘され、[[小学館]]の経理とトラブルになったこともある。なお、この時の追徴課税分は全額小学館に払わせている。
このような、小学館との泥沼化した関係によって[[ストレス (生体)|ストレス]]を抱え込む。同年11月には編集者の度重なるアイディアの強要にストレスが限界を超える。なお、この編集者による引き延ばしのアイディアは最終的に全て断っていた<ref>[http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080620_raiku/ GIGAZINE - 雷句誠インタビュー]による。</ref>。
この頃、仕事上のミスを指摘した際にアシスタントに怪我を負わせ、自らも机に右手を叩きつけたため全治2ヶ月の開放骨折(複雑骨折)となり、同年12月から翌[[2006年]]2月までの約3ヶ月間に及ぶ休載を余儀なくされた。
休載していた間に、当時執筆中であった『金色のガッシュ!!』「ファウード編」の終了後、約1年間をもって連載終了の確約を編集部に取り付けた。また、連載終了確約の際には「『金色のガッシュ!!』の終了後は、小学館との縁を切る」事を同時に申し入れている。
[[2007年]]12月に『金色のガッシュ!!』連載終了。雷句は[[2007年]][[12月27日]]に原稿の一括返却を受けるが、数点欠けていたためにその後も数度返却要請を行う。[[2008年]][[2月29日]]、最終的に5枚のカラー原稿の紛失が確定、同日に[[リバーサルフィルム|ポジフィルム]]の返還の合意を得る。小学館は紛失原稿に対する賠償金として、カット扱いの1枚を1万円、他を原稿料1万7000円/枚とし、それらの3倍に相当する23万4000円+補償金26万6000円の計50万円を提示したが、雷句はこれを拒否した。また、『金色のガッシュ!!』終了確約の際に同時に申し入れていた、小学館と縁を切る旨も、雷句の思惑に反して慰留したため、その際の小学館側の対応を含め、諸問題が一層拗れることとなった。
{{Wikinews|『金色のガッシュ!!』作者の雷句誠さんが東京地裁に提訴、原画原稿紛失で小学館に損害賠償請求}}
雷句は、同年[[4月19日]]に自らのブログで描き下ろしのカラーイラスト2点を[[チャリティー]][[オークション]]に出品することを発表。同年[[5月19日]]に企画終了。[[5月21日]]、ブログ上でファンの質問に答える形で「小学館との決別」を発表<ref>[http://88552772.at.webry.info/200805/article_8.html 雷句誠の今日このごろ。- またまた、皆さんの質問など。]</ref>。オークションの落札価格である平均価格25万9000円<!--訴状で言及-->、さらに、該当[[オークション]]のファン認知度の低さなどを加味し、原稿1枚に30万円の美術的価値がある<ref>訴状 第3 被告の債務不履行(原画の紛失)による損害(原画の美術的価値)</ref>という根拠の元、同年[[6月6日]]に小学館に対し、原稿5枚で150万円+慰謝料150万円+弁護士費用30万円、計330万円の損害賠償とポジフィルムの返還を求め[[東京地方裁判所]]に提訴した。
同日にブログで訴状と陳述書を公開<ref>[http://raikumakoto.com/archives/5649678.html (株)小学館を提訴。] - 雷句誠の今日このごろ。(2008年06月06日20:40)2018年8月24年閲覧。編集者への非難などの部分は和解成立後に削除された。</ref>。証拠物件として[[ウィキペディア]]の記述が2点使われている<!--証拠として認められればウィキペディアの記事の法的有効性が確認される初のケースとなるはずだった。-->。自身の精神的苦痛を訴えると同時に、歴代担当編集者を実名で批判した。また、雷句の元アシスタントである漫画家[[酒井ようへい]]からの伝聞で、酒井の作品『[[東遊記 (漫画)|東遊記]]』が編集主導の末に[[打ち切り]]となったことに対しても編集者を実名で非難した。「雷句誠のアシスタントが酷い目に遭っていたから自分がこう言う事例を後に作っては行けないと考えての掲載」と公開した旨を記載しており<ref>[http://raikumakoto.com/archives/5649677.html 反響など…] - 雷句誠の今日このごろ。(2008年06月08日01:47)2018年8月24日閲覧。「」は引用、原文ママ</ref>、「成功した漫画家」の責任として<ref>訴状 第6 本訴の意義 (2)</ref>、新人漫画家も含め「漫画家の地位向上」を訴えた。
この陳述書には多くの漫画家が反応。Webサイトやブログで過去にあった編集とのトラブルや原稿紛失話など相次いで苦言を呈した<ref name=a1>[http://www.j-cast.com/2008/06/09021499.html J-CASTニュース 週刊サンデーに漫画家続々苦言 小学館はどうなっているのか] [[J-CASTニュース]] [[2008年]][[6月9日]]</ref>。特に、[[2007年]]「小学館からフリーになった」と公言していた漫画家[[新條まゆ]]の内幕暴露<ref>[http://blog.mayutan.com/archives/2008-06.html?p=3#20080608 まゆたんブログ:2008年6月08日]</ref>はネット上で話題になった<ref name=a1/>。
雷句と弁護士は「謝罪」「賠償金」「共同提言」などを求める和解のための訴訟戦術を取り、同年[[11月11日]]に小学館の謝罪と和解金255万円(内訳非公開)で和解成立、共同提言については実現しなかった。雷句は和解後の記者クラブの会見で、美術的価値が認められたと思うと発言する<ref>[http://www.asahi.com/national/update/1111/TKY200811110294.html 朝日新聞2008年11月11日]</ref>一方で、帰宅後に書いたブログで不満を述べた<ref>[http://raikumakoto.com/archives/5649640.html 和解成立。そして…] - 雷句誠の今日このごろ。(2008年11月11日20:40)2018年8月24日閲覧。</ref>。それに対し、雷句の担当弁護士は「勝訴的和解」と勝利宣言を行った<ref>[http://lawyer-tomohikoono.com/archives/2008/11/1111.html blabber 【ガッシュ訴訟】11-11 和解成立しました。]</ref>。
== 作品リスト ==
=== 連載 ===
* ニュータウン・ヒーローズ(『[[週刊少年サンデー超]]』、1999年3月号 - 2000年8月号)
* [[金色のガッシュ!!]](『[[週刊少年サンデー]]』、2001年6号 - 2008年4・5合併号)
** [[金色のガッシュ!!2]](各電子書店、2022年3月14日 - 連載中)
* [[どうぶつの国]](『[[別冊少年マガジン]]』、2009年創刊号 - 2013年12月号)
* [[VECTOR BALL]](『[[週刊少年マガジン]]』、2016年22・23合併号 - 2017年16号)
=== 読み切り ===
※は短編集『玄米ブレード』(2003年)に収録。
* BIRD MAN - 『[[週刊少年サンデー超|週刊少年サンデー増刊号]]』(1993年4月号)※
* 浪速超人伝 - 『週刊少年サンデー超』(1995年2月号)、原作:斉藤宗幸
* ユリネ・グレイト - 『週刊少年サンデー超』(1996年6月号)※
* [[玄米ブレード]] - 『週刊少年サンデー超』(1996年12月号)、『少年サンデー特別増刊R』(1998年2月号)※
** 玄米ブレンド - 『[[少年サンデー特別増刊R]]』(1998年2月10日)
* 哀愁戦士ヒーローババーン - 『週刊少年サンデー超』(1997年3月号)※
* アオソラ - 『月刊少年マガジン』(2009年10月号)
* どうぶつの国〜エピソード0〜 - 『週刊少年マガジン』(2009年41号)
* おやじゅ〜ライダー - 『[[ヤングキングアワーズ]]』(2009年11月号)
* Class Room - 『[[ジャンプスクエア]]』(2009年11月号)
== 関連人物 ==
=== 藤田和日郎 ===
[[藤田和日郎]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]](『[[うしおととら]]』中盤 - 『[[からくりサーカス]]』初期)を6年近く務めた。
高校を卒業して上京後、数か月で大ファンだった藤田和日郎のアシスタントになり、最初の頃は原稿にさわるのも怖かったという。6年間の下積み時代に技術を学んだだけでなく、藤田の勧めでたくさんの映画を観て本を読んだ。この期間の蓄積がなかったら今の自分はいないと語っている<ref name="sundayR"/>。
=== アシスタント ===
アシスタントは最大5人(通常4人、多忙時に+1人)というシフトを取っていた<ref>[http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080620_raiku/ GIGAZINE - 雷句誠インタビュー]</ref>が、出入りが非常に激しく、『[[金色のガッシュ!!]]』の33巻(最終巻)のアシスタント一覧のクレジットでは「1ヶ月以上勤務の子」という但し書きとともに17人の名が連ねられている。
* [[酒井ようへい]]<ref name="G33">『金色のガッシュ!!』33巻、[[小学館]]〈少年サンデーコミックス〉2008年6月18日発売、978-4-09-121399-0、197頁</ref>
* [[麻生羽呂]]<ref name="G33" />
* [[黒田高祥]]<ref name="G33" />
* [[田辺イエロウ]]<ref name="G33" />
* [[上川敦志]]<ref name="G33" />
* [[福井あしび]]<ref name="G33" />
== その他 ==
[[東日本大震災]]の被災者の支援にも取り組んでおり、他の漫画家と共同で東日本大震災[[チャリティー]][[同人誌]]「pray for Japan」で執筆する<ref>[http://koge.kokage.cc/earthquake/ 東日本大震災チャリティ同人誌「pray for Japan」]</ref>。
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://www.birgdin.co.jp/ BIRGDIN BOARD株式会社]
* [http://raikumakoto.com/ 雷句誠の今日このごろ](2008年2月25日 01:08 - )
* {{Twitter|raikumakoto}}(2010年6月21日 05:08:13 - )'''※ [[協定世界時|UTC]]表記。'''
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{{デフォルトソート:らいく まこと}}
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1,314 | 富士通 | 富士通株式会社(ふじつう、英: Fujitsu Limited)は、東京都港区東新橋(汐留)に本社を置く、日本の総合エレクトロニクスメーカー、総合ITベンダー。通信システム、情報処理システムおよび電子デバイスの製造・販売ならびにそれらに関するサービスの提供を行っている。日経平均株価およびTOPIX Large70の構成銘柄の一つ。
ITサービス提供企業としては、国内シェア1位、世界10位(2022年)の売上高。2015年には、国内1位、世界4位(2015年)であった。
古河電気工業、古河機械金属、富士電機とともに古河グループの中核企業である。
グローバル(世界100か国以上)にビジネスを展開し、約12万人の連結従業員と3246億円を超える資本金を擁し、売上高3兆5800億円を超える大手企業である(2021年時点)。理化学研究所と共同開発したスーパーコンピュータ「富岳」が、計算速度のランキングで世界首位を獲得した(2020年時点)。環境保全に積極的であり、世界有数のICT専門誌『Computerworld』の‘グリーンIT ベンダートップ12社’(IT機器における省エネと電力を節約してCO2排出を減少させる技術の利用において最も優れているITベンダーのランキング)で、2年連続で世界首位を獲得した(2011年時点)。また「非接触型 手のひら静脈認証」などの世界初の商品を開発し、第17回 顧客満足度調査(調査:日経コンピュータ)のハードウェア分野において8部門中6部門で首位を獲得するなど高い商品力を誇る。
これまでの人生において何らかの高い実績を上げた人が対象である『Challenge & Innovation採用』(新卒採用)を2010年度に新設した。その採用ではラクロスやアーティスティックスイミングの日本代表選手、俳句や囲碁で学生日本一になった者、また現役で公認会計士試験に合格した者や国際的なビジネスコンテストで優勝を果たした者など、幅広い層の人材を獲得することに成功している。また国内のIT業界・就職人気企業ランキングのメーカー部門で首位、総合部門で第2位にランクインするなど高い人気を誇っている(2011年時点)。
1923年、古河電気工業とドイツの電機メーカーであるシーメンス社が発電機と電動機を日本で国産化するため合弁会社として富士電機製造株式会社(現・富士電機株式会社)を創業として設立。社名の富士の「富」は古河グループの「ふ」、「士」はシーメンス社(ドイツ語では「ジーメンス」社)の「じ」に由来する。
当社は、富士電機製造社の電話部所管業務を分離して、1935年6月20日に富士通信機製造株式会社として設立された。1938年に専用の新工場(現在の川崎工場・本店)を建設して独立、1965年に資本的にも独立し、1967年に商号を富士通株式会社へ改称した。1978年まで使用されていた社章は、親会社だった富士電機と同様に○の中に小文字アルファベットの“f”と“s”を組み合わせたものである。
1989年8月21日にロゴマークを現在使われている無限大のマーク「∞」を冠した“FUJITSU”に変更。それまでのロゴは「富士通」が上下を青の長方形に挟まれたロゴで、1972年頃から使用されていた。翌1990年にイギリスのIT企業ICL (英語版) を買収した。
IBMプラグコンパチブル機「FACOM M シリーズ」の成功で、現在の規模へと成長した。官公庁や電話会社、その他大企業向けの大規模システムを得意としている。また、各種コンピュータ、ソフトウェア、電子デバイス、通信設備などを販売している。
富士通グループのブランドプロミスは、創立75周年となる2010年3月29日から「shaping tomorrow with you」となる。それまでのコマーシャルメッセージは、当初は輸出向けの「THE POSSIBILITIES ARE INFINITE」(可能性は無限)であった。社内向けに発行されている「富士通技報」では、「夢をかたちに 信頼と創造の富士通」とそれ以前のコマーシャルメッセージが使用されているが、最近では、松たか子らが出演している、CI広告に「夢をかたちに、富士通」というスローガンを併用して使用していた。また、「らくらくホン7」のTVCMからハイビジョン画面を生かしてサイドのどちらか一方に字幕を挿入した字幕入りCMが放映されており、以降、「FMV」(らくらくパソコン3及び2010年冬モデルESPRIMO・LIFEBOOK)のCMや企業CMでも字幕入りとなっている。合わせて、FMVの2010年冬モデルのTVCMよりブランドプロミスの「shaping tomorrow with you」を表記したサウンドロゴに変更となった(30秒以上のロングバージョンでは「FUJITSU shaping tomorrow with you(シェイピング トゥモロー ウィズ ユー)」とアナウンスされる)。
なお、歴史的経緯から登記上の本店は神奈川県川崎市中原区の川崎工場内にあるが、本社機能は汐留シティセンター(東京都港区東新橋一丁目5番2号)にある。
なお、かつての親会社で母体となった現在の富士電機はじめ富士電機グループとは、互いに株を持ち合う、役員を相互に出し合う、同等の取引・パートナー関係、共同で新会社を設立するなど兄弟会社のような関係となっていたが、取締役相互派遣停止を経て、2017年2月に株式相互保有方針の見直しを行い、富士電機保有の富士通株式の売却を発表した。当社保有の富士電機株式も時期を見て売却することとしており、同年9月29日付で売却された。
2008年、シーメンスのコンピュータ関連部門を買収(富士通テクノロジー・ソリューションズ)。
2009年8月27日、フランクフルト証券取引所へ上場廃止を申請。また翌8月28日、スイス証券取引所へ上場廃止を申請。
2009年9月、社長・野副州旦が辞任。富士通はこの時点で辞任の理由を「病気療養のための自発的辞任」と公表した。同月25日、会長・間塚道義が社長を兼任する人事を発表したが、その後、野副が自らの社長辞任の取り消しを求める文書を提出。野副は辞任した日に取締役相談役・秋草直之らから「社長としての不適格性」を理由に辞任を迫られたと主張し、辞任理由を「病気療養のため」とした富士通の説明を否定した。翌年の2010年3月6日、富士通は臨時取締役会にて野副を相談役から解任した。同時に当初の社長辞任の理由を翻し、「当社が関係を持つことはふさわしくないと判断した企業と関係を続けたため」と公表しお家騒動が発覚した。
2009年9月25日、間塚道義が代表取締役会長兼社長に就任。
2010年6月17日、携帯電話事業を東芝と統合させる事を発表した。同年10月1日に、東芝とともに、同社が株式の8割超を持つ新会社・富士通東芝モバイルコミュニケーションズ(のち富士通モバイルコミュニケーションズに社名変更)の事業を開始。富士通は、2009年度の携帯電話出荷台数で日本国内3位であったが、東芝との統合により2位に浮上する。
2010年7月12日、Microsoft(および、日本マイクロソフト)との戦略的協業により、クラウドの世界戦略を強化する事を発表した。
2014年1月31日、ロンドン証券取引所上場廃止。
2015年10月29日、2016年春、PC事業および携帯電話事業を、それぞれ100%子会社にすることを発表した 。
2015年12月、東芝、VAIOとの3社によるパソコン事業を統合する検討に入ったが、2016年4月に破談となった。
2016年2月1日、PC事業を富士通クライアントコンピューティング株式会社、携帯電話事業を富士通コネクテッドテクノロジーズ株式会社にそれぞれ分社化。富士通モバイルは、コネクテッドの子会社に変更された。
2016年11月1日、連結子会社のうち富士通システムズ・イースト、富士通システムズ・ウエスト、富士通ミッションクリティカルシステムズを簡易吸収合併。
2017年11月2日、富士通は富士通クライアントコンピューティングの株式の51%を中国のレノボが取得し、44%を富士通、5%を日本政策投資銀行が保有することで合意したと正式発表した。また、工場は閉鎖せず、同じくレノボに買収されたNECと同様に富士通ブランド(FMV)を維持することになり、製品戦略でも人工知能の導入など独自性を維持するとした。
2018年1月31日、富士通コネクテッドテクノロジーズなどの携帯電話端末事業を投資ファンドのポラリス・キャピタル・グループに売却すると正式に発表した。また、「arrows」ブランドも維持するとした。
2020年7月17日、日本国内サービス市場での更なるビジネス拡大に向けて、10月1日付で富士通Japan株式会社を発足させることを発表した。
2020年10月5日、富士通自身を変革する全社DXプロジェクト「フジトラ」を本格始動。
2021年4月1日、株式会社富士通研究所及び、国内主要SI系グループ会社11社を吸収合併。国内地域企業団体向けソリューションサービス・プロダクト関連事業を富士通Japan株式会社へ会社分割により継承。
2021年10月1日、富士通コンピュータテクノロジーズを吸収合併。
2022年4月1日、富山富士通を吸収合併。
2022年10月27日、PFU、富士通セミコンダクターメモリソリューション、ソシオネクストに続いて、新光電気工業、富士通ゼネラル、FDKについても、持ち株を売却し、これらの子会社のカーブアウトや他社との資本・業務提携を検討していることを2022年度第2四半期の決算説明会資料で明らかにした。
2023年9月22日、本社機能を東京都港区から神奈川県川崎市に移転する事を発表した。
2023年12月12日、新光電気工業を政府系ファンドの産業革新投資機構(JIC)連合に売却すると発表した。JICは子会社のJICキャピタル(JICC)を通じ、大日本印刷、三井化学と共同で全株式を取得する。買収額は約6850億円で、新光電気工業への出資比率はJICCファンドが80%、大日本印刷が15%、三井化学が5%となる。
2024年4月1日、富士通クラウドテクノロジーズを吸収合併予定。
不採算事業の為、2009年10月1日をもってドライブ事業は東芝へ、記憶媒体事業は昭和電工へ事業を譲渡した。なお、東芝に譲渡したタイの生産拠点(東芝ストレージデバイス・タイ社)がウェスタン・デジタル (WD)の日立グローバルストレージテクノロジーズ (現: HGST) の買収後にHGSTの3.5インチHDD製造設備等と引き換えにWDに譲渡されている。
かつては半導体企業として、1983年にデジタル信号処理プロセッサMB8764を、1986年にフロッピーディスクコントローラ(英語版)MB8877を開発、またセカンドソーサとしてインテル社のi80286を製造するなどした。特に特定用途向け集積回路(ASIC)の世界最大手メーカーとして知られており、他メーカーから発注を受けて製造する受託生産事業(ファウンドリ)も行っていた。しかし平成以降弱体化し、2000年代よりは撤退している。具体的には、まず富士通セミコンダクターとして残存していた半導体事業を分社化し、設計部門はパナソニックとの合弁でソシオネクスト社として再び分社化、製造部門はUMCなど同業の米・台メーカーらに売却している。
半導体メモリの事業に関しては、市場環境が厳しくなった1990年代以降自前で投資できず、DRAMにおいて韓国・現代電子(現SKハイニックス)、フラッシュメモリにおいては米国・AMD社と提携したが、いずれも既に撤退に至った。AMDとの合弁会社であったSpansion社には、その後マイコンとアナログ半導体の事業も売却している。2022年には、強誘電体メモリ(FeRAM)と抵抗変化型メモリ(ReRAM)の事業会社「富士通セミコンダクターメモリソリューション株式会社」の株式を国内投資ファンド「ティーキャピタルパートナーズ株式会社」に売却した。
凋落の原因としては、世界半導体業界が急速に政治化したことが挙げられる。
販売のみ。製造は富士通フロンテックが行っている。ATMのシェアでは大手に属する。防犯上、機器仕様は公開していない。
また、過去には日立プラズマディスプレイ株式会社(旧・富士通日立プラズマディスプレイ株式会社)の19.9%の株式を保有していたが、2008年3月に全株式を日立製作所に売却している。なお、エレベーター専業メーカーのフジテック株式会社は富士通と類似したロゴだが、富士通グループとの資本・人的関連は一切ない(同根の富士電機とは資本関係あり)。 | [
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"text": "1989年8月21日にロゴマークを現在使われている無限大のマーク「∞」を冠した“FUJITSU”に変更。それまでのロゴは「富士通」が上下を青の長方形に挟まれたロゴで、1972年頃から使用されていた。翌1990年にイギリスのIT企業ICL (英語版) を買収した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "IBMプラグコンパチブル機「FACOM M シリーズ」の成功で、現在の規模へと成長した。官公庁や電話会社、その他大企業向けの大規模システムを得意としている。また、各種コンピュータ、ソフトウェア、電子デバイス、通信設備などを販売している。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "富士通グループのブランドプロミスは、創立75周年となる2010年3月29日から「shaping tomorrow with you」となる。それまでのコマーシャルメッセージは、当初は輸出向けの「THE POSSIBILITIES ARE INFINITE」(可能性は無限)であった。社内向けに発行されている「富士通技報」では、「夢をかたちに 信頼と創造の富士通」とそれ以前のコマーシャルメッセージが使用されているが、最近では、松たか子らが出演している、CI広告に「夢をかたちに、富士通」というスローガンを併用して使用していた。また、「らくらくホン7」のTVCMからハイビジョン画面を生かしてサイドのどちらか一方に字幕を挿入した字幕入りCMが放映されており、以降、「FMV」(らくらくパソコン3及び2010年冬モデルESPRIMO・LIFEBOOK)のCMや企業CMでも字幕入りとなっている。合わせて、FMVの2010年冬モデルのTVCMよりブランドプロミスの「shaping tomorrow with you」を表記したサウンドロゴに変更となった(30秒以上のロングバージョンでは「FUJITSU shaping tomorrow with you(シェイピング トゥモロー ウィズ ユー)」とアナウンスされる)。",
"title": "歴史"
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{
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"text": "なお、歴史的経緯から登記上の本店は神奈川県川崎市中原区の川崎工場内にあるが、本社機能は汐留シティセンター(東京都港区東新橋一丁目5番2号)にある。",
"title": "歴史"
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{
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"text": "なお、かつての親会社で母体となった現在の富士電機はじめ富士電機グループとは、互いに株を持ち合う、役員を相互に出し合う、同等の取引・パートナー関係、共同で新会社を設立するなど兄弟会社のような関係となっていたが、取締役相互派遣停止を経て、2017年2月に株式相互保有方針の見直しを行い、富士電機保有の富士通株式の売却を発表した。当社保有の富士電機株式も時期を見て売却することとしており、同年9月29日付で売却された。",
"title": "歴史"
},
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"text": "2008年、シーメンスのコンピュータ関連部門を買収(富士通テクノロジー・ソリューションズ)。",
"title": "歴史"
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{
"paragraph_id": 13,
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"text": "2009年8月27日、フランクフルト証券取引所へ上場廃止を申請。また翌8月28日、スイス証券取引所へ上場廃止を申請。",
"title": "歴史"
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{
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"text": "2009年9月、社長・野副州旦が辞任。富士通はこの時点で辞任の理由を「病気療養のための自発的辞任」と公表した。同月25日、会長・間塚道義が社長を兼任する人事を発表したが、その後、野副が自らの社長辞任の取り消しを求める文書を提出。野副は辞任した日に取締役相談役・秋草直之らから「社長としての不適格性」を理由に辞任を迫られたと主張し、辞任理由を「病気療養のため」とした富士通の説明を否定した。翌年の2010年3月6日、富士通は臨時取締役会にて野副を相談役から解任した。同時に当初の社長辞任の理由を翻し、「当社が関係を持つことはふさわしくないと判断した企業と関係を続けたため」と公表しお家騒動が発覚した。",
"title": "歴史"
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"text": "2009年9月25日、間塚道義が代表取締役会長兼社長に就任。",
"title": "歴史"
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"text": "2010年6月17日、携帯電話事業を東芝と統合させる事を発表した。同年10月1日に、東芝とともに、同社が株式の8割超を持つ新会社・富士通東芝モバイルコミュニケーションズ(のち富士通モバイルコミュニケーションズに社名変更)の事業を開始。富士通は、2009年度の携帯電話出荷台数で日本国内3位であったが、東芝との統合により2位に浮上する。",
"title": "歴史"
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"text": "2010年7月12日、Microsoft(および、日本マイクロソフト)との戦略的協業により、クラウドの世界戦略を強化する事を発表した。",
"title": "歴史"
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"text": "2014年1月31日、ロンドン証券取引所上場廃止。",
"title": "歴史"
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"text": "2015年10月29日、2016年春、PC事業および携帯電話事業を、それぞれ100%子会社にすることを発表した 。",
"title": "歴史"
},
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"text": "2015年12月、東芝、VAIOとの3社によるパソコン事業を統合する検討に入ったが、2016年4月に破談となった。",
"title": "歴史"
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"text": "2016年2月1日、PC事業を富士通クライアントコンピューティング株式会社、携帯電話事業を富士通コネクテッドテクノロジーズ株式会社にそれぞれ分社化。富士通モバイルは、コネクテッドの子会社に変更された。",
"title": "歴史"
},
{
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"text": "2016年11月1日、連結子会社のうち富士通システムズ・イースト、富士通システムズ・ウエスト、富士通ミッションクリティカルシステムズを簡易吸収合併。",
"title": "歴史"
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"text": "2017年11月2日、富士通は富士通クライアントコンピューティングの株式の51%を中国のレノボが取得し、44%を富士通、5%を日本政策投資銀行が保有することで合意したと正式発表した。また、工場は閉鎖せず、同じくレノボに買収されたNECと同様に富士通ブランド(FMV)を維持することになり、製品戦略でも人工知能の導入など独自性を維持するとした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 24,
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"text": "2018年1月31日、富士通コネクテッドテクノロジーズなどの携帯電話端末事業を投資ファンドのポラリス・キャピタル・グループに売却すると正式に発表した。また、「arrows」ブランドも維持するとした。",
"title": "歴史"
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"text": "2020年7月17日、日本国内サービス市場での更なるビジネス拡大に向けて、10月1日付で富士通Japan株式会社を発足させることを発表した。",
"title": "歴史"
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"text": "2020年10月5日、富士通自身を変革する全社DXプロジェクト「フジトラ」を本格始動。",
"title": "歴史"
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"paragraph_id": 27,
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"text": "2021年4月1日、株式会社富士通研究所及び、国内主要SI系グループ会社11社を吸収合併。国内地域企業団体向けソリューションサービス・プロダクト関連事業を富士通Japan株式会社へ会社分割により継承。",
"title": "歴史"
},
{
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"text": "2021年10月1日、富士通コンピュータテクノロジーズを吸収合併。",
"title": "歴史"
},
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"text": "2022年4月1日、富山富士通を吸収合併。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 30,
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"text": "2022年10月27日、PFU、富士通セミコンダクターメモリソリューション、ソシオネクストに続いて、新光電気工業、富士通ゼネラル、FDKについても、持ち株を売却し、これらの子会社のカーブアウトや他社との資本・業務提携を検討していることを2022年度第2四半期の決算説明会資料で明らかにした。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 31,
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"text": "2023年9月22日、本社機能を東京都港区から神奈川県川崎市に移転する事を発表した。",
"title": "歴史"
},
{
"paragraph_id": 32,
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"text": "2023年12月12日、新光電気工業を政府系ファンドの産業革新投資機構(JIC)連合に売却すると発表した。JICは子会社のJICキャピタル(JICC)を通じ、大日本印刷、三井化学と共同で全株式を取得する。買収額は約6850億円で、新光電気工業への出資比率はJICCファンドが80%、大日本印刷が15%、三井化学が5%となる。",
"title": "歴史"
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"text": "2024年4月1日、富士通クラウドテクノロジーズを吸収合併予定。",
"title": "歴史"
},
{
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"text": "不採算事業の為、2009年10月1日をもってドライブ事業は東芝へ、記憶媒体事業は昭和電工へ事業を譲渡した。なお、東芝に譲渡したタイの生産拠点(東芝ストレージデバイス・タイ社)がウェスタン・デジタル (WD)の日立グローバルストレージテクノロジーズ (現: HGST) の買収後にHGSTの3.5インチHDD製造設備等と引き換えにWDに譲渡されている。",
"title": "主な製品"
},
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"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "かつては半導体企業として、1983年にデジタル信号処理プロセッサMB8764を、1986年にフロッピーディスクコントローラ(英語版)MB8877を開発、またセカンドソーサとしてインテル社のi80286を製造するなどした。特に特定用途向け集積回路(ASIC)の世界最大手メーカーとして知られており、他メーカーから発注を受けて製造する受託生産事業(ファウンドリ)も行っていた。しかし平成以降弱体化し、2000年代よりは撤退している。具体的には、まず富士通セミコンダクターとして残存していた半導体事業を分社化し、設計部門はパナソニックとの合弁でソシオネクスト社として再び分社化、製造部門はUMCなど同業の米・台メーカーらに売却している。",
"title": "主な製品"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "半導体メモリの事業に関しては、市場環境が厳しくなった1990年代以降自前で投資できず、DRAMにおいて韓国・現代電子(現SKハイニックス)、フラッシュメモリにおいては米国・AMD社と提携したが、いずれも既に撤退に至った。AMDとの合弁会社であったSpansion社には、その後マイコンとアナログ半導体の事業も売却している。2022年には、強誘電体メモリ(FeRAM)と抵抗変化型メモリ(ReRAM)の事業会社「富士通セミコンダクターメモリソリューション株式会社」の株式を国内投資ファンド「ティーキャピタルパートナーズ株式会社」に売却した。",
"title": "主な製品"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "凋落の原因としては、世界半導体業界が急速に政治化したことが挙げられる。",
"title": "主な製品"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "販売のみ。製造は富士通フロンテックが行っている。ATMのシェアでは大手に属する。防犯上、機器仕様は公開していない。",
"title": "主な製品"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "また、過去には日立プラズマディスプレイ株式会社(旧・富士通日立プラズマディスプレイ株式会社)の19.9%の株式を保有していたが、2008年3月に全株式を日立製作所に売却している。なお、エレベーター専業メーカーのフジテック株式会社は富士通と類似したロゴだが、富士通グループとの資本・人的関連は一切ない(同根の富士電機とは資本関係あり)。",
"title": "関連企業"
}
] | 富士通株式会社は、東京都港区東新橋(汐留)に本社を置く、日本の総合エレクトロニクスメーカー、総合ITベンダー。通信システム、情報処理システムおよび電子デバイスの製造・販売ならびにそれらに関するサービスの提供を行っている。日経平均株価およびTOPIX Large70の構成銘柄の一つ。 ITサービス提供企業としては、国内シェア1位、世界10位(2022年)の売上高。2015年には、国内1位、世界4位(2015年)であった。 | {{Redirect|FUJITSU|工藤静香のシングル曲|FU-JI-TSU}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = 富士通株式会社
| 英文社名 = Fujitsu Limited
| ロゴ = [[ファイル:Logo fujitsu.svg|200px|ロゴ]]
| 画像 = [[ファイル:Shiodome City Center 2018.jpg|260px]]
| 画像説明 = 本社が入居する[[汐留シティセンター]]
| 種類 = [[株式会社]]
| 機関設計 = [[監査役会設置会社]]<ref group="PR">[https://www.fujitsu.com/jp/about/csr/governance/ コーポレートガバナンス] 富士通株式会社 2021年6月28日</ref>
| 市場情報 = {{上場情報 | 東証プライム | 6702 | 1949年5月16日 | }}{{上場情報 | 名証プレミア | 6702 | 1961年10月 | }}{{上場情報 | LSE | FUJ | 1981年10月 | 2014年1月31日}}
| 略称 = F,FJ
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 105-7123
| 本社所在地 = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[東新橋]]一丁目5番2号<br />([[汐留シティセンター]])
| 本店郵便番号 = 211-8588
| 本店所在地 = [[神奈川県]][[川崎市]][[中原区]][[上小田中]]四丁目1番1号
| 設立 = [[1935年]][[6月20日]]<br />(富士通信機製造株式会社)(創業:[[1923年]])
| 業種 = 電気機器
| 統一金融機関コード =
| SWIFTコード =
| 事業内容 = 通信システム<br />情報処理システム<br />電子デバイス<br />([[#主な製品|主な製品]]を参照)
| 代表者 = [[時田隆仁]]([[代表取締役]][[社長]]兼[[最高経営責任者|CEO]]兼CDXO)<br />[[古田英範]]([[代表取締役]][[副社長]]兼[[最高執行責任者|COO]]兼[[最高技術責任者|CTO]])
| 資本金 = 3246億2500万円<br />(2022年3月31日時点)<ref group="PR" name="financialresult">{{Cite web|和書|date=2020-6-22|url=https://pr.fujitsu.com/jp/ir/secreports/2020/pdf/all.pdf|title=第120期有価証券報告書|publisher=富士通株式会社|accessdate=2020-08-02|format=PDF}}</ref>
| 発行済株式総数 = 2億700万1821株<br />(2020年3月31日時点)<ref group="PR" name="financialresult" />
| 売上高 = 連結:3兆5897億02百万円<br />(2021年3月期)<ref group="PR" name="financialresult" />
| 営業利益 = 連結:2663億24百万円<br />(2021年3月期)<ref group="PR" name="financialresult" />
| 純利益 = 連結:2027億円<br />(2021年3月期)<ref group="PR" name="financialresult" />
| 純資産 = 連結:1兆5469億05百万円<br />(2021年3月期)<ref group="PR" name="financialresult" />
| 総資産 = 連結:3兆1902億06百万円<br />(2021年3月期)<ref group="PR" name="financialresult" />
| 従業員数 = 連結:124,000人<br />(2023年3月末時点)
| 決算期 = [[3月31日|3月末日]]
| 会計監査人 = [[EY新日本有限責任監査法人]]
| 主要株主 = いちごトラスト・ピーティーイー・リミテッド 7.44%<br />[[日本マスタートラスト信託銀行]](信託口) 7.38%<br />[[日本カストディ銀行]](信託口) 5.35%<br />[[富士電機]] 2.97%<br />SSBTC CLIENT OMNIBUS ACCOUNT 2.76%<br />富士通従業員持株会 2.40%<br />日本カストディ銀行株式会社(信託口5) 1.96%<br />日本カストディ銀行株式会社(信託口7) 1.89%<br />[[朝日生命保険]] 1.76%<br />STATE STREET BANK AND TRUST COMPANY 505103 1.75%<br />(2020年3月31日現在)<ref group="PR" name="financialresult" />
| 主要子会社 = [[富士通Japan|富士通Japan(株)]] 100.00%<br />[[富士通フロンテック|富士通フロンテック(株)]] 100.00%<br />[[富士通エフサス|(株)富士通エフサス]] 100.0%<br />[[富士通パーソナルズ|(株)富士通パーソナルズ]] 100.0%
| 関係する人物 = [[吉村萬治郎]](創業者)<br />[[岡田完二郎]](元社長)<br />[[山本卓眞]](元社長)<br />[[清宮博]](元社長)<br />[[秋草直之]](元社長)<br>[[間塚道義]](元社長)<br>[[山本正已]](元社長)<br />[[田中達也 (実業家)|田中達也]](元社長)<br>[[佐々木繁]](元副社長)<Br>[[谷口典彦]](元副社長)<Br>[[富田達夫]](元副社長)<Br>[[池田敏雄]](元取締役)
| 外部リンク = [https://www.fujitsu.com/jp/ 富士通公式サイト]
| 特記事項 = [[古河グループ|古河三水会]]の理事会社である。
}}
'''富士通株式会社'''(ふじつう、{{lang-en-short|Fujitsu Limited}})は、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[東新橋]]([[汐留]])に本社を置く、[[日本]]の総合[[電子工学|エレクトロニクス]][[電機メーカー|メーカー]]、総合[[情報技術|IT]][[ベンダー]]。通信システム、[[情報処理システム]]および[[電子デバイス]]の製造・販売ならびにそれらに関するサービスの提供を行っている。[[日経平均株価]]および[[TOPIX Large70]]の構成銘柄の一つ<ref>[https://indexes.nikkei.co.jp/nkave/index/component?idx=nk225 構成銘柄一覧:日経平均株価] Nikkei Inc. 2021年10月8日閲覧。</ref><ref>{{PDFlink|[https://www.jpx.co.jp/news/1044/nlsgeu0000050uqm-att/mei_12_size.pdf 「TOPIXニューインデックスシリーズ」の定期選定結果及び構成銘柄一覧]}} jpx.co.jp 2020年10月7日公表 2021年10月8日閲覧。</ref>。
ITサービス提供企業としては、国内シェア1位、世界10位(2022年)<ref>{{Cite web|和書|title=2021年国内ITサービス市場のベンダー売上は、富士通、NTTデータ、日立、NEC、IBMの順─IDC |url=https://it.impress.co.jp/articles/-/23563 |website=IT Leaders |access-date=2023-02-04 |language=ja}}</ref><ref name=“World-ranking-2022”>[https://brandirectory.com/rankings/it-services/table Brand Finance]</ref>の売上高。2015年には、国内1位、世界4位(2015年)<ref name="fujitsu-world-rank">ITサービスを提供する世界の企業の収益(revenue)順位、1位「IBM」、2位「HP」、3位「アクセンチュア」、4位「富士通」「[https://www.horsesforsources.com/2015-hfs-it-services-top-ten_100715 The 2015 HfS Global IT Services Top Ten]」HfS Research 2015</ref>であった。
[[File:Fujitsu Kawasaki Main Office.jpg|250px|right|thumb|富士通川崎ビル(登記上本店。[[神奈川県]][[川崎市]][[中原区]][[上小田中]]四丁目)]]
== 概要 ==
[[古河電気工業]]、[[古河機械金属]]、[[富士電機]]とともに[[古河グループ]]の中核企業である。
グローバル(世界100か国以上)にビジネスを展開し、約12万人の連結従業員と3246億円を超える資本金を擁し、売上高3兆5800億円を超える大手企業である(2021年時点)。[[理化学研究所]]と共同開発した[[スーパーコンピュータ]]「[[富岳 (スーパーコンピュータ)|富岳]]」が、計算速度のランキングで世界首位を獲得した(2020年時点)。環境保全に積極的であり、世界有数のICT専門誌『Computerworld』の‘グリーンIT ベンダートップ12社’(IT機器における省エネと電力を節約してCO2排出を減少させる技術の利用において最も優れているITベンダーのランキング)で、2年連続で世界首位を獲得した(2011年時点)<ref>http://www.computerworld.com/s/article/359173/The_top_Green_IT_organizations_Hard_wired_to_be_green</ref>。また「非接触型 手のひら静脈認証」などの世界初の商品を開発し、第17回 顧客満足度調査(調査:[[日経コンピュータ]])の[[ハードウェア]]分野において8部門中6部門で首位を獲得するなど高い商品力を誇る<ref>https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20120709/408017/</ref>。
これまでの人生において何らかの高い実績を上げた人が対象である『Challenge & Innovation採用』(新卒採用)を2010年度に新設した。その採用では[[ラクロス]]や[[アーティスティックスイミング]]の日本代表選手、[[俳句]]や[[囲碁]]で学生日本一になった者、また現役で[[公認会計士]]試験に合格した者や国際的なビジネスコンテストで優勝を果たした者など、幅広い層の人材を獲得することに成功している。また国内のIT業界・就職人気企業ランキングのメーカー部門で首位、総合部門で第2位にランクインするなど高い人気を誇っている(2011年時点)<ref>http://www.nikki.ne.jp/event/20100329/#02</ref>。
== 歴史 ==
[[1923年]]、[[古河電気工業]]と[[ドイツ]]の電機メーカーである[[シーメンス]]社が発電機と電動機を日本で国産化するため合弁会社として富士電機製造株式会社(現・[[富士電機|富士電機株式会社]])を創業として設立。社名の富士の「富」は古河グループの「ふ」、「士」はシーメンス社([[ドイツ語]]では「ジーメンス」社)の「じ」に由来する<ref>「『富士通』の社名の由来にも 日本に息づくシーメンス」『[[週刊ダイヤモンド]]』2012年7月12日号、p.114</ref>。
当社は、富士電機製造社の電話部所管業務を分離して、[[1935年]][[6月20日]]に'''富士通信機製造株式会社'''として設立された。[[1938年]]に専用の新工場(現在の川崎工場・本店)を建設して独立、[[1965年]]に資本的にも独立し、[[1967年]]に商号を'''富士通株式会社'''へ改称した。[[1978年]]まで使用されていた社章は、親会社だった富士電機と同様に○の中に小文字アルファベットの“f”と“s”を組み合わせたものである{{Efn-ua|<ref group="PR" name="transition"/><ref group="PR" name="brand-values"/>}}{{Efn-ua|<ref group="PR" name="databook2015"/><ref group="PR" name="databook2016"/><ref group="PR" name="databook2017"/><ref group="PR" name="databook2018"/><ref group="PR" name="databook2019"/><ref group="PR" name="databook2020"/>}}。
[[ファイル:Fujitsu logo 1972.svg|thumb|150px|旧ロゴ(1972-1988年)]]
[[1989年]][[8月21日]]にロゴマークを現在使われている無限大のマーク「[[∞]]」を冠した“FUJITSU”に変更<ref name="大河原">{{Cite news|author=大河原克行|title=富士通のパソコン40年間ストーリー【7】「FM TOWNS」はのちのパソコンに大きな影響を与えた|newspaper=[[マイナビニュース]]|publisher=[[マイナビ|株式会社マイナビ]]|date=2021-07-05|url=https://news.mynavi.jp/article/20210705-fujitsupc40th07/|accessdate=2023-01-09}}</ref>。それまでのロゴは「富士通」が上下を青の長方形に挟まれたロゴで、[[1972年]]頃から使用されていた{{Efn-ua|<ref group="PR" name="transition">{{Cite web|和書|url=http://www.fujitsu.com/jp/about/brandmanagement/logo/transition/index.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201021083917/http://www.fujitsu.com/jp/about/brandmanagement/logo/transition/index.html|archivedate=2020-10-21|title=シンボルマークの変遷|website=富士通|accessdate=2016-06-28|publisher='''富士通株式会社'''|deadlinkdate=2023年1月9日}}</ref><ref group="PR" name="brand-values">{{Cite web|和書|url=https://www.fujitsu.com/jp/about/brand-values/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220526184236/https://www.fujitsu.com/jp/about/brand-values/|archivedate=2022-05-26|title=富士通ブランド|website=富士通|accessdate=2023-01-09|publisher='''富士通株式会社'''|deadlinkdate=2023年1月9日}}</ref>}}{{Efn-ua|<ref group="PR" name="databook2020">{{Cite book|
| title = 富士通データブック 2021年1月
| publisher ='''富士通株式会社''' 広報IR室
| date = 2021年1月1日<!-- | edition = 3-->
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| chapter = 富士通のあゆみ
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| title = 富士通データブック 2019年7月
| publisher ='''富士通株式会社''' 広報IR室
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| title = 富士通データブック 2018年10月
| publisher ='''富士通株式会社''' 広報IR室
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| title = 富士通データブック 2017年7月
| publisher ='''富士通株式会社''' 広報IR室
| date = 2017年7月27日<!--| edition = 1-->
| format = [[Portable Document Format|PDF]]
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| page = 44
| chapter = 富士通のあゆみ
| chapterurl =https://pr.fujitsu.com/jp/ir/library/databook/2017/pdf/115.pdf
|accessdate=2023-01-09}}</ref><ref group="PR" name="databook2016">{{Cite book|
| title = 富士通データブック 2016年7月
| publisher ='''富士通株式会社''' 広報IR室
| date = 2016年8月26日<!--| edition = 2-->
| format = [[Portable Document Format|PDF]]
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| page = 42
| chapter = 富士通のあゆみ
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|accessdate=2023-01-09}}</ref><ref group="PR" name="databook2015">{{Cite book|
| title = 富士通データブック 2015年10月
| publisher ='''富士通株式会社''' 広報IR室
| date = 2015年10月29日<!--| edition = 1-->
| format = [[Portable Document Format|PDF]]
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| page = 44
| chapter = 富士通のあゆみ
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|accessdate=2023-01-09}}</ref>}}{{Efn-ua|<ref>{{Cite news|author=大河原克行
|title=富士通のパソコン40年間ストーリー【2】8ビットマイコンキット「LKIT-8」という存在|newspaper=[[マイナビニュース]]|publisher=[[マイナビ|株式会社マイナビ]]
|date=2021-05-31|url=https://news.mynavi.jp/article/20210531-fujitsupc40th02/|accessdate=2023-01-09}}</ref><ref>{{Cite news|author=大河原克行
|title=富士通のパソコン40年間ストーリー【3】「8ビット御三家」へと押し上げた「FM-7」|newspaper=[[マイナビニュース]]|publisher=[[マイナビ|株式会社マイナビ]]
|date=2021-06-07|url=https://news.mynavi.jp/article/20210607-fujitsupc40th03/|accessdate=2023-01-09}}</ref><ref>{{Cite news|author=大河原克行
|title=富士通のパソコン40年間ストーリー【6】時代を先取りしすぎた「FM TOWNS」|newspaper=[[マイナビニュース]]|publisher=[[マイナビ|株式会社マイナビ]]
|date=2021-06-28|url=https://news.mynavi.jp/article/20210628-fujitsupc40th06/|accessdate=2023-01-09}}</ref><ref name="大河原"/>}}。翌1990年にイギリスのIT企業[[:en:International Computers Limited|ICL]]<small> (英語版) </small>を買収した<ref>{{Cite news|author=大河原克行
|title=富士通のパソコン40年間ストーリー【15】海外パソコン事業の躍進と凋落|newspaper=[[マイナビニュース]]|publisher=[[マイナビ|株式会社マイナビ]]
|date=2022-03-07|url=https://news.mynavi.jp/article/20220307-fujitsupc40th15/|accessdate=2023-01-09}}</ref>。
IBMプラグコンパチブル機「[[FACOM#FACOM M シリーズ (メインフレーム)|FACOM M シリーズ]]」の成功で、現在の規模へと成長した。[[役所|官公庁]]や[[電気通信事業者|電話会社]]、その他大企業向けの大規模システムを得意としている。また、各種[[コンピュータ]]、[[ソフトウェア]]、[[電子デバイス]]、通信設備などを販売している。
富士通グループのブランドプロミスは、創立75周年となる[[2010年]][[3月29日]]から「'''shaping tomorrow with you'''」となる。それまでの[[コマーシャルメッセージ]]は、当初は輸出向けの「'''THE POSSIBILITIES ARE INFINITE'''」(可能性は無限)であった。社内向けに発行されている「富士通技報」では、「'''夢をかたちに 信頼と創造の富士通'''」とそれ以前のコマーシャルメッセージが使用されているが、最近では、[[松たか子]]らが出演している、[[コーポレートアイデンティティ|CI]]広告に「'''夢をかたちに、富士通'''」というスローガンを併用して使用していた。また、「らくらくホン7」のTVCMからハイビジョン画面を生かしてサイドのどちらか一方に[[字幕]]を挿入した字幕入りCM<ref group="PR">[http://pr.fujitsu.com/jp/news/2010/07/21-2.html 富士通初の「字幕入りTV-CM」を製作、7月23日より放送開始] - 富士通 プレスリリース 2010年7月21日(2010年10月11日閲覧)</ref>が放映されており、以降、「FMV」(らくらくパソコン3及び2010年冬モデルESPRIMO・LIFEBOOK)のCMや企業CMでも字幕入りとなっている。合わせて、FMVの2010年冬モデルのTVCMよりブランドプロミスの「'''shaping tomorrow with you'''」を表記したサウンドロゴに変更{{refnest|group="注釈"|2013年5月中旬から2017年までは、ブランドプロミスの字幕が2010年6月に制定されていた吹き出し状のロゴを使用していた。}}となった(30秒以上のロングバージョンでは「FUJITSU shaping tomorrow with you(シェイピング トゥモロー ウィズ ユー)」とアナウンスされる)。
なお、歴史的経緯から[[登記]]上の[[本店]]は[[神奈川県]][[川崎市]][[中原区]]の川崎工場内にあるが、[[本社]]機能は[[汐留シティセンター]]([[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[東新橋]]一丁目5番2号)にある。
なお、かつての親会社で母体となった現在の富士電機はじめ富士電機グループとは、[[株式持ち合い|互いに株を持ち合う]]、役員を相互に出し合う、同等の取引・パートナー関係、共同で新会社を設立するなど兄弟会社のような関係となっていたが、取締役相互派遣停止を経て、[[2017年]]2月に株式相互保有方針の見直しを行い、富士電機保有の富士通株式の売却を発表した。当社保有の富士電機株式も時期を見て売却することとしており<ref group="PR">[http://pr.fujitsu.com/jp/news/2017/02/7-2.pdf 主要株主との株式持合いの見直しについて](富士通株式会社、2017年2月7日、2017年2月14日閲覧)</ref>、同年[[9月29日]]付で売却された。
[[2008年]]、シーメンスのコンピュータ関連部門を買収([[富士通テクノロジー・ソリューションズ]])。
[[2009年]][[8月27日]]、[[フランクフルト証券取引所]]へ上場廃止を申請。また翌[[8月28日]]、[[スイス証券取引所]]へ上場廃止を申請。
[[2009年]]9月、社長・[[野副州旦]]が辞任。富士通はこの時点で辞任の理由を「病気療養のための自発的辞任」と公表した。同月25日、会長・間塚道義が社長を兼任する人事を発表したが、その後、野副が自らの社長辞任の取り消しを求める文書を提出。野副は辞任した日に取締役相談役・[[秋草直之]]らから「社長としての不適格性」を理由に辞任を迫られたと主張し、辞任理由を「病気療養のため」とした富士通の説明を否定した。翌年の[[2010年]]3月6日、富士通は臨時取締役会にて野副を相談役から解任した。同時に当初の社長辞任の理由を翻し、'''「当社が関係を持つことはふさわしくないと判断した企業と関係を続けたため」'''と公表し[[お家騒動]]が発覚した<ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/manufacturer/365611/ 富士通、前社長の野副相談役を解任]{{リンク切れ|date=2022年2月}}</ref>。
[[2009年]][[9月25日]]、[[間塚道義]]が[[代表取締役]][[会長]]兼[[社長]]に就任。
[[2010年]][[6月17日]]、携帯電話事業を[[東芝]]と統合させる事を発表した。同年[[10月1日]]に、東芝とともに、同社が株式の8割超を持つ新会社・富士通東芝モバイルコミュニケーションズ(のち[[富士通モバイルコミュニケーションズ]]に社名変更)の事業を開始。富士通は、2009年度の携帯電話出荷台数で日本国内3位であったが、東芝との統合により2位に浮上する<ref group="PR">[http://pr.fujitsu.com/jp/news/2010/06/17-1.html?nw=pr 富士通と東芝、携帯電話事業の統合で基本合意 富士通]</ref><ref>[https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1006/17/news043.html 富士通と東芝、携帯電話事業を統合]</ref><ref>[https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/1004/23/news035.html iPhone国内累計230万台出荷]</ref>。
[[2010年]][[7月12日]]、[[マイクロソフト|Microsoft]](および、[[日本マイクロソフト]])との戦略的協業により、クラウドの世界戦略を強化する事を発表した<ref group="PR">[http://pr.fujitsu.com/jp/news/2010/07/13.html 富士通とマイクロソフト 戦略的協業により、クラウドの世界戦略を強化] : 富士通(2011年9月7日閲覧)</ref>。
[[2014年]][[1月31日]]、[[ロンドン証券取引所]]上場廃止<ref group="PR">[http://pr.fujitsu.com/jp/news/2014/01/31.html ロンドン証券取引所における上場廃止完了に関するお知らせ]</ref>。
[[2015年]][[10月29日]]、2016年春、PC事業および携帯電話事業を、それぞれ100%子会社にすることを発表した
<ref>{{cite news |language = | author = | url =https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/gyokai/730742.html| title=富士通がPC/携帯電話事業を分社化するのはなぜか? | publisher =| date= 2015-11-16| accessdate =2015-12-05}}</ref>。
[[2015年]]12月、[[東芝]]、[[VAIO (企業)|VAIO]]との3社によるパソコン事業を統合する検討に入ったが、2016年4月に破談となった。
[[2016年]][[2月1日]]、PC事業を[[富士通クライアントコンピューティング|富士通クライアントコンピューティング株式会社]]、携帯電話事業を[[富士通コネクテッドテクノロジーズ|富士通コネクテッドテクノロジーズ株式会社]]にそれぞれ分社化。[[富士通モバイルコミュニケーションズ|富士通モバイル]]は、コネクテッドの子会社に変更された。
[[2016年]][[11月1日]]、連結子会社のうち[[富士通システムズ・イースト]]、[[富士通システムズ・ウエスト]]、[[富士通ミッションクリティカルシステムズ]]を簡易吸収合併<ref group="PR">[http://pr.fujitsu.com/jp/news/2016/09/29.pdf 連結子会社との吸収合併(簡易吸収合併)契約締結のお知らせ]</ref>。
[[2017年]]11月2日、富士通は富士通クライアントコンピューティングの株式の51%を[[中華人民共和国|中国]]の[[レノボ]]が取得し、44%を富士通、5%を[[日本政策投資銀行]]が保有することで合意したと正式発表した<ref group="PR">{{Cite press release|和書|url=http://pr.fujitsu.com/jp/news/2017/11/2.html |title=富士通とレノボおよび日本政策投資銀行がPC事業の合弁会社を設立|publisher=富士通|date=2017-11-02|accessdate=2017-11-03}}</ref>。また、工場は閉鎖せず、同じくレノボに買収された[[日本電気|NEC]]と同様に富士通ブランド([[FMV]])を維持することになり<ref>{{Cite news|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1089708.html |title=Lenovoが富士通のPC事業を支配下に。FMVブランドはNECに加え継続|newspaper=[[PC Watch]]|date=2017-11-02|accessdate=2017-11-03}} </ref>、製品戦略でも[[人工知能]]の導入など独自性を維持するとした<ref>{{Cite news|url=https://newswitch.jp/p/11216 |title=レノボ傘下にはなるけれど、富士通がAIパソコン来年投入|newspaper=[[日刊工業新聞]]|date=2017-12-01|accessdate=2017-12-15}} </ref>。
[[2018年]][[1月31日]]、富士通コネクテッドテクノロジーズなどの携帯電話端末事業を投資ファンドのポラリス・キャピタル・グループに売却すると正式に発表した<ref name=itmedia18131>{{Cite news|url=https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1801/31/news094.html |title=富士通、携帯事業を投資ファンドに売却 正式発表|newspaper=[[ITmedia]]|date=2018-01-31|accessdate=2018-02-09}} </ref>。また、「[[arrows (携帯電話)|arrows]]」ブランドも維持するとした<ref name=itmedia18131/>。
[[2020年]][[7月17日]]、日本国内サービス市場での更なるビジネス拡大に向けて、[[10月1日]]付で[[富士通Japan]]株式会社を発足させる<ref group="注釈">富士通マーケティングを存続会社として、[[富士通エフ・アイ・ピー]]を吸収合併。</ref>ことを発表した<ref group="PR">[https://pr.fujitsu.com/jp/news/2020/07/17.html 新会社「富士通Japan株式会社」発足]</ref>。
[[2020年]][[10月5日]]、富士通自身を変革する全社DXプロジェクト「フジトラ」を本格始動<ref group="PR">[https://pr.fujitsu.com/jp/news/2020/10/5.html 富士通自身を変革する全社DXプロジェクト「フジトラ」が本格始動 IT企業からDX企業へ]</ref>。
[[2021年]][[4月1日]]、株式会社富士通研究所及び、国内主要SI系グループ会社11社<ref group="注釈">株式会社富士通ビー・エス・シー、株式会社富士通ソーシアルサイエンスラボラトリ、株式会社富士通ソフトウェアテクノロジーズ、株式会社富士通アドバンストエンジニアリング、株式会社富士通パブリックソリューションズ、富士通アプリケーションズ株式会社、株式会社富士通システムズウェブテクノロジー、株式会社富士通九州システムズ、株式会社富士通北陸システムズ、株式会社富士通システムズアプリケーション&サポート及び株式会社沖縄富士通システムエンジニアリング。</ref>を吸収合併<ref group="PR">{{Cite press release
| 和書
| title = グループフォーメーションの再編について お客様への価値提供を最大化させる体制への変革
| publisher ='''富士通株式会社'''
| date = 2021-01-28
| url = https://pr.fujitsu.com/jp/news/2021/01/28-1.pdf
| format = [[Portable Document Format|PDF]]
| accessdate = 2021-03-31 }}</ref><ref group="PR">{{Cite press release
| 和書
| title = 連結子会社(SI 系グループ会社11 社)との吸収合併(簡易吸収合併)契約締結およびこれに伴う個別業績における特別利益計上のお知らせ
| publisher ='''富士通株式会社'''
| date = 2021-01-28
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| format = [[Portable Document Format|PDF]]
| accessdate = 2021-03-31 }}</ref><ref>{{Cite news
| author = ITmedia
| title = 「富士通研究所」も富士通に吸収合併 4月1日付の組織再編で
| newspaper = [[ITmedia|MONOist]]
| publisher = [[アイティメディア|アイティメディア株式会社]]
| date = 2021-01-28
| url = https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2101/28/news154.html
| accessdate = 2023-01-09}}</ref><ref>{{Cite news
| author = 北川 賢一 日経クロステック/[[日経コンピュータ]]
| title = 富士通の地域子会社が消滅、幹部社員に冬到来か
| page = 1
| newspaper = [[日経BP|日経クロステック]](xTECH)
| publisher = [[日経BP|株式会社日経ビーピー]]
| date = 2021-10-12
| url = https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00848/00062/
| accessdate = 2023-01-09}}</ref>。国内地域企業団体向けソリューションサービス・プロダクト関連事業を富士通Japan株式会社へ会社分割により継承<ref group="PR">{{Cite press release
| 和書
| title = 連結子会社(富士通Japan 株式会社)との会社分割(簡易吸収分割)契約締結のお知らせ
| publisher ='''富士通株式会社'''
| date = 2021-01-28
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| format = [[Portable Document Format|PDF]]
| accessdate = 2023-01-09 }}</ref><ref group="PR">{{Cite press release
| 和書
| title = (訂正)「連結子会社(富士通Japan 株式会社)との会社分割(簡易吸収分割)契約締結のお知らせ」の一部訂正に関するお知らせ
| publisher ='''富士通株式会社'''
| date = 2021-01-29
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| accessdate = 2023-01-09 }}</ref>。
2021年[[10月1日]]、富士通コンピュータテクノロジーズを吸収合併<ref group="PR">{{Cite web|和書
| title = サイト閉鎖のお知らせ
| publisher ='''富士通株式会社'''
| date = 2021-01-29
| url = https://www.fujitsu.com/jp/group/fct/
| quote = 「株式会社富士通コンピュータテクノロジーズ」は、2021年10月1日に「富士通株式会社」に統合されました。そのため、富士通コンピュータテクノロジーズの公開サイトは閉鎖いたしました。
| accessdate = 2021-03-31 }}</ref>。
[[2022年]]4月1日、富山富士通を吸収合併<ref group="PR">{{Cite press release
| 和書
| title = 連結子会社(株式会社富山富士通)との吸収合併(簡易吸収合併)契約締結のお知らせ
| publisher ='''富士通株式会社'''
| date = 2022-01-27
| url = https://pr.fujitsu.com/jp/news/2022/01/27-1.pdf
| format = [[Portable Document Format|PDF]]
| accessdate = 2021-03-31 }}</ref>。
2022年10月27日、[[PFU]]、富士通セミコンダクターメモリソリューション、[[ソシオネクスト]]に続いて、[[新光電気工業]]、[[富士通ゼネラル]]、[[FDK]]についても、持ち株を売却し、これらの子会社のカーブアウトや他社との資本・業務提携を検討していることを2022年度第2四半期の決算説明会資料で明らかにした<ref>{{Cite web|和書|title=富士通、グループ会社の持ち株売却を検討 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC27A8C0X21C22A0000000/ |website=日本経済新聞 |date=2022-10-27 |access-date=2023-08-25 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://pr.fujitsu.com/jp/ir/library/presentation/pdf/20221027-01.pdf |title=2022年度第2四半期決算概要 |access-date=2023-08-25 |publisher=富士通株式会社 |date=2022-10-27 |page=26}}</ref>。
[[2023年]]9月22日、本社機能を東京都港区から[[神奈川県]][[川崎市]]に移転する事を発表した<ref>{{Cite web|和書|title=富士通が本社機能を川崎市に移転、汐留オフィスから退去 |url=https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/18/15968/ |website=日経クロステック(xTECH) |date=2023-09-22 |access-date=2023-09-22 |language=ja |last=日経クロステック(xTECH)}}</ref>。
2023年12月12日、新光電気工業を政府系ファンドの[[産業革新投資機構]](JIC)連合に売却すると発表した<ref name=":1">{{Cite web |title=富士通が新光電気工業をJIC連合に売却へ、買収総額は約6850億円 |url=https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/18/16433/ |website=日経クロステック(xTECH) |date=2023-12-13 |access-date=2023-12-13 |language=ja |last=日経クロステック(xTECH)}}</ref>。JICは子会社のJICキャピタル(JICC)を通じ、[[大日本印刷]]、[[三井化学]]と共同で全株式を取得する<ref name=":1" />。買収額は約6850億円で、新光電気工業への出資比率はJICCファンドが80%、大日本印刷が15%、三井化学が5%となる<ref name=":1" />。
[[2024年]]4月1日、[[富士通クラウドテクノロジーズ]]を吸収合併予定<ref>{{Cite web|和書|title=富士通クラウドテクノロジーズ消滅へ 「ニフクラ」など提供 富士通が吸収合併 |url=https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2310/30/news095.html |website=ITmedia NEWS |date=2023-10-30 |access-date=2023-11-01 |language=ja}}</ref>。
== 主な製品 ==
=== コンピュータ ===
==== パーソナルコンピュータ ====
{{See |富士通クライアントコンピューティング}}
==== オープン系サーバ ====
* [[Σ-Station]]
* [[DS/90 7000シリーズ]]
* [[FUJITSU Sファミリ]]
* [[GRANPOWER]]
* [[PRIMEPOWER]]
* [[SPARC Enterprise]]
* [[SPARC Servers]]
==== IAサーバ ====
{{See also|IAサーバ}}
* [[PRIMERGY]]シリーズ(旧GP5000シリーズ) - PCサーバ
* [[PRIMEQUESTシリーズ]]
* [[PRIMERGY 6000]]シリーズ(旧GP6000シリーズ) - [[FACOM Kシリーズ]]の後継となる[[オフコン]]/ビジネスサーバ
==== ミニコンピュータ ====
{{See also|ミニコンピュータ}}
* [[FUJITSU Aファミリ]](スーパーミニコン)
==== メインフレーム ====
{{Main|メインフレーム}}
* [[FACOM 230]]シリーズ
* FACOM 270シリーズ
* [[FACOM Mシリーズ]]
* [[FUJITSU GS]]シリーズ
* FUJITSU PRIMEFORCEシリーズ
* FUJITSU PRIMEQUEST([[OSIV/XSP]]動作機構)
==== スーパーコンピュータ ====
{{Main|スーパーコンピュータ}}
* [[FACOM#VPシリーズ (スーパーコンピュータ)|VP]]シリーズ
* [[VPP]]シリーズ
==== ストレージシステム ====
{{See also|ディスクアレイ}}
* [[ETERNUS]]シリーズ
==== フォールトトレラント・ノンストップシステム ====
* [[SUREシリーズ]]
==== 超並列マシン ====
* [[AP1000 (コンピュータ)|AP1000]]
* [[AP3000]]
=== その他コンピュータ関係 ===
* [[親指シフト]]
==== ワープロ専用機 ====
{{See also|ワードプロセッサ}}
* [[OASYS]]
* [[OASYS-V]](PC/AT互換機にOASYSを実装した機種。のちに、FMVにOASYS用のROMを実装したFMV-DESKPOWER DCシリーズに移行)
==== ソフトウェア ====
* [[AIM]]
* [[TRIOLE]](システム中核基盤製品群)
** [[Interstage]]シリーズ
** [[Systemwalker]]シリーズ
** [[Symfoware Server]]シリーズ
* [[Horizon (ITシステム)|Horizon]] (英国郵便局向け会計パッケージ)
*[[GLOVIA]]シリーズ
* [[TeamWARE]]シリーズ
* [[MyOFFICE]]シリーズ
* [[Japanist]](旧OAK)
* [[NetCOBOL]]
* Jasmine
* [[OASYS]](FMR用・TownsOS用の「FM-OASYS」と、Windows用の「OASYS/Win」はV3.0から「OASYS for Windows」を経てV5.0から「OASYS」)
* [[ATLAS]]
* [[PowerGRES Plus]]
* [[TEO]]
* [[Poynting]]
* [[FENCEシリーズ]]
==== マイコンキット ====
{{See also|マイクロコンピュータ}}
* [[LKit-8]] - パナファコム (現: [[PFU]])製
* [[LKit-16]] - パナファコム (現: PFU)製
==== ハードディスクドライブ ====
{{Main|ハードディスクドライブ}}
* [[MH シリーズ 2.5インチモバイル]]
* [[MA シリーズ 2.5インチ/3.5インチ エンタープライズ]]
不採算事業の為、2009年10月1日をもってドライブ事業は[[東芝]]へ、記憶媒体事業は[[昭和電工]]へ事業を譲渡した。なお、東芝に譲渡したタイの生産拠点(東芝ストレージデバイス・タイ社)が[[ウェスタン・デジタル]] (WD)の日立グローバルストレージテクノロジーズ (現: [[HGST]]) の買収後にHGSTの3.5インチ[[ハードディスク|HDD]]製造設備等と引き換えにWDに譲渡されている。
=== 集積回路 ===
かつては[[半導体]]企業として、1983年に[[デジタルシグナルプロセッサ|デジタル信号処理プロセッサ]]MB8764<ref>{{Cite book|和書
| author=
| first1 = 力男
| last1 = 丸太
| first2 = 隆夫
| last2 = 西谷
|title= シグナルプロセッサとその応用
| year=1988
| date=1988-8-6
|publisher=株式会社昭晃堂|isbn =4-7856-2005-6 |page=78 }}</ref>を、1986年に{{仮リンク|フロッピーディスクコントローラ|en|Floppy-disk controller}}MB8877<ref>{{Cite web|和書|url=https://pdf1.alldatasheet.jp/datasheet-pdf/view/164827/FUJITSU/MB8877A.html |title=MB8877A データシート (PDF) - Fujitsu Component Limited. |accessdate=2023-09-05}}</ref>を開発、またセカンドソーサとして[[インテル]]社の[[intel 80286|i80286]]を製造するなどした。特に[[ASIC|特定用途向け集積回路(ASIC)]]の世界最大手メーカーとして知られており、他メーカーから発注を受けて製造する受託生産事業([[ファウンドリ]])も行っていた。しかし[[平成]]以降弱体化し、[[2000年代]]よりは撤退している<ref>{{Cite news|title=富士通が半導体事業を分社化、先端開発は三重工場に一本化|url=https://www.reuters.com/article/idJPJAPAN-29863520080121|work=Reuters|date=2008-01-21|accessdate=2022-01-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=富士通、半導体生産から撤退 |url=https://www.nikkei.com/article/DGKDASDZ1709S_X10C14A7MM8000/ |website=日本経済新聞 |date=2014-07-18 |accessdate=2022-01-21}}</ref><ref name=":0">{{Cite web|和書|title=「日の丸半導体」が凋落したこれだけの根本原因 |url=https://toyokeizai.net/articles/-/456631 |website=東洋経済オンライン |date=2021-09-22 |accessdate=2022-01-21}}</ref>。具体的には、まず[[富士通セミコンダクター]]として残存していた半導体事業を分社化し、設計部門は[[パナソニック]]との合弁で[[ソシオネクスト]]社として再び分社化、製造部門は[[UMC]]など同業の米・台メーカーらに売却している。
半導体[[記憶装置|メモリ]]の事業に関しては、市場環境が厳しくなった1990年代以降自前で投資できず、[[Dynamic Random Access Memory|DRAM]]において韓国・現代電子(現[[SKハイニックス]])、[[フラッシュメモリ]]においては米国・[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]社と提携したが、いずれも既に撤退に至った。AMDとの合弁会社であった[[スパンション|Spansion]]社には、その後マイコンとアナログ半導体の事業も売却している。2022年には、[[強誘電体メモリ]](FeRAM)と[[抵抗変化型メモリ]](ReRAM)の事業会社「富士通セミコンダクターメモリソリューション株式会社」の株式を国内投資ファンド「ティーキャピタルパートナーズ株式会社」に売却した<ref>{{Cite web|和書|title=システムメモリ事業に関する株式譲渡契約の締結について |url=https://www.tcap.co.jp/news/Press_Release_20220526_J.pdf |website=プレスリリース一覧 |access-date=2023-08-25 |publisher=富士通セミコンダクターメモリソリューション株式会社 |date=2022-05-26}}</ref>。
凋落の原因としては、世界半導体業界が急速に政治化したことが挙げられる<ref name=":0" />。
=== 携帯端末 ===
==== PDA ====
{{See also|携帯情報端末}}
* [[INTERTOP]]
* [[INTERTOP CX]]([[Windows CE]])
* [[Pocket LOOX]](Windows CE)
==== 携帯電話・PHS・スマートフォン ====
[[ファイル:NTT DoCoMo FOMA F880iES bronze.jpg|thumb|160px|ベストセラーとなったFOMAらくらくホン]]
[[ファイル:F-12C-Front.jpg|thumb|220px|富士通初のAndroid搭載スマートフォン F-12C]]
{{See also|arrows (携帯電話)}}
; [[NTTドコモ]]向け
:[[2016年]]2月以降に発売された端末は、当該事業の移管先である[[富士通コネクテッドテクノロジーズ]]が製造販売を担当している。
* 自動車電話101型(NTT現行方式とNTT大容量方式に対応した、アナログ方式。[[パナソニック モバイルコミュニケーションズ]](松下通信工業)・NECとの共同製造した端末。これと同じハンドセットを電池パックにセットすると、ショルダーフォン101型となる)
* 自動車電話20x型(NTT現行方式とNTT大容量方式に対応した、アナログ方式。これと同じハンドセットを電池パックにセットすると、ショルダーフォン20x型となる)
* アナログムーバF、F2、F3(NTT現行方式とNTT大容量方式に対応した、アナログ方式)
* デジタルムーバF、FII(PDC方式)
* F1xx : [[F101]]、[[F151]]、[[F153]]、[[F156]](PDC方式。800MHZ帯の携帯電話端末のF10xと1.5G帯携帯電話端末([[シティフォン|シティフォン/シティオ]])のF15xがある)
* F2xx(PDC方式): [[F201]]、[[F203]]、[[F205]]、[[F206]]、[[F207]]、[[F208]]
* F2xxi(S)(iモード対応PDC方式):[[F209i]]、[[F210i]]、[[F211i]]、[[F212i]]
* F50xix(PDC方式):[[F501i]]、[[F502i]]、[[F503i]]、[[F503iS]]、[[F504i]]、[[F504iS]]、[[F505i]]、[[F505iGPS]]、[[F506i]]
* 高級志向携帯電話 : [[F601ev]](PDC方式)
* F70xi (FOMA):[[F700i]]、[[F700iS]]、[[F702iD]]、[[F703i]]、[[F704i]]、[[F705i]]、[[F706i]]
* [[F2051]] (FOMA)
* [[F2102V]] (FOMA)
* F240x(FOMAモバイルカード):[[F2402]]
* F90xi (FOMA):[[F900i]]、[[F901iC]]、[[F901iS]]、[[F902i]]、[[F902iS]]、[[F903i]]、[[F904i]]、[[F905i]]、[[F906i]]
* F90xix(FOMA。Bluetooth対応の携帯電話端末やおサイフケータイが搭載した携帯電話端末):[[F900iC]]、[[F900iT]]、[[F903iX HIGH-SPEED]]
* [[F903iBSC]]・[[F-10B]](セキュリティ重視のためそれぞれF903i、F-08Bからカメラなどを撤去した法人専用携帯電話端末)
* [[F905iBiz]]・[[F-06A]](セキュリティ重視のためそれぞれF905i、F906iから一部機能を撤去した法人専用携帯電話端末。カメラは搭載されている)
* モバイルF(PDC方式。普通の携帯電話端末に、モバイルカードが搭載した携帯電話端末)
* [[らくらくホン]]([[P601es]]の他は)全機種([[らくらくホンII|らくらくホンII (F671i)]]、[[らくらくホンIIS|らくらくホンIIS (F671iS)]]、[[らくらくホンIII|らくらくホンIII (F672i)]])
* FOMAらくらくホン([[らくらくホンシンプル|らくらくホンシンプル (D880SS)]]の他は)全機種([[FOMAらくらくホン|FOMAらくらくホン (F880iES)]]、[[FOMAらくらくホンII|FOMAらくらくホンII (F881iES)]]、[[FOMAらくらくホンIII|FOMAらくらくホンIII(F882iES)]]、[[らくらくホンベーシック|らくらくホンベーシック (F883i)]]、[[らくらくホンIV|らくらくホンIV (F883iES)]]、[[らくらくホンプレミアム|らくらくホンプレミアム (F884i)]]、[[らくらくホンV|らくらくホンV (F884iES)]]、[[らくらくホンベーシックII|らくらくホンベーシックII(F-07A)]]、[[らくらくホン6|らくらくホン6(F-10A)]]、[[らくらくホン7|らくらくホン7(F-09B)]]、[[らくらくホンベーシック3|らくらくホンベーシック3(F-08C)]])、[[らくらくスマートフォン|らくらくスマートフォン(F-12D)]]、[[らくらくスマートフォン2|らくらくスマートフォン2(F-08E)]]
* キッズケータイ:[[F801i]]、[[F-05A]]
* スマートフォン ([[F1100]])
* [[docomo STYLE series]]:[[F-02A]]、[[F-08A]]、[[F-02B]]、[[F-07B]]、[[F-08B]]、[[F-02C]]、[[F-04C]]、[[F-05C]]、[[F-02D]]、[[F-04D]]、[[F-06D]]/Girl'S、[[F-01E]]
* [[docomo PRIME series]]:[[F-01A]]、[[F-03A]]、[[F-09A]]、[[F-01B]]、[[F-04B]]、[[F-06B]]、[[F-01C]]
* [[docomo SMART series]]:[[F-04A]]、[[F-03B]]、[[F-03C]]
* [[docomo NEXT series]]:[[F-05D]]、[[F-07D]]、[[T-02D]]、[[F-10D]]、[[F-02E]]
* [[docomo with series]]:[[F-12C]]、[[T-01D]]、[[F-03D]]/Girl's、[[F-09D]]、[[F-11D]]、[[F-03E]]、[[F-04E]]
* [[ドコモ スマートフォン]]:[[F-06E]]、[[F-07E]]
* [[ドコモ タブレット]] : [[F-01D]]、[[F-05E]]
* [[F-05B]](バーコードスキャナ一体型法人専用スマートフォン端末)
* ビジネスケータイ:[[F-06A]]、[[F-10B]]
* Windows 7 ケータイ : [[F-07C]]
* [[Xi (携帯電話)|Xi(クロッシィ)データ通信端末]]: [[F-06C]]
; [[ウィルコム]]向け
* [[AH-F401U]] ([[エアーエッジ]]データ通信専用型端末)
* [[エアーエッジ|エアーエッジイン]]通信モジュール
; [[KDDI]]・[[沖縄セルラー電話]][[連合]](各[[au (携帯電話)|auブランド]])向け
: au、ソフトバンク、イー・モバイル向け端末の製造は[[富士通モバイルコミュニケーションズ]]が担当。
: 富士通単体としても[[日本移動通信]]・[[DDIセルラーグループ]]に供給していた。
* スマートフォン([[ISシリーズ]]、ビジネススマートフォン等):[[ISW11F]](CDMA FJI11)([[モバイルWiMAX]])、[[IS12F]](CDMA FJI12)、[[ISW13F]](CDMA FJI13)(モバイルWiMAX)、[[FJL21]]
* 携帯電話([[CDMA 1X WIN]]、ビジネスケータイ等):[[E09F]](CDMA E09F)、[[F001]](CDMA FJ001)
; [[ソフトバンク]]向け
: 富士通単体としては後述のとおりデジタルホン向けへの供給経験がある。
* [[SoftBank 101F]]、[[SoftBank 201F]]、[[SoftBank 202F]]
; [[イー・モバイル]]向け
* [[EM01F]]
; 海外向け
: らくらくスマートフォン(F-12D)をベースとした「'''Fujitsu STYLISTIC S01'''」を2013年6月にフランスの[[Orange (通信会社)|Orange]]向けに供給予定である。
: かつては[[デジタルホン]]グループ、[[ツーカー]](廃業)にも供給していた。
=== その他通信関係 ===
==== 電話交換機 ====
* IP Pathfinder
* LEGEND-V
==== ネットワーク機器 ====
* Si-Rシリーズ(ルーター)
* NetVehicleシリーズ(ルータ)
* SR-Sシリーズ(L3, L2スイッチ)
* IPCOMシリーズ(ファイアウォール)
==== ネットワークサービス ====
* FENICS II(IP-VPN, 広域イーサ, フレッツVPN, 日本国外専用線, モバイル)
=== ATM ===
{{See also|現金自動預け払い機}}
販売のみ。製造は[[富士通フロンテック]]が行っている。ATMのシェアでは大手に属する。防犯上、機器仕様は公開していない。
* FACTシリーズ
* Conbrioシリーズ
== 製造・研究拠点 ==
[[ファイル:YRPFUJITU.jpg|thumb|YRP研究開発センター]]
[[ファイル:Fujitsu Makuhari System Laboratory-1.jpg|thumb|幕張システムラボラトリ]]
* 札幌システムラボラトリ([[北海道]][[札幌市]][[厚別区]])
* 青森システムラボラトリ([[青森県]][[青森市]])
* 富士通ソリューションスクエア([[東京都]][[大田区]])
* 富士通あきる野テクノロジセンター(東京都[[あきる野市]])2016年9月に閉鎖 <ref>{{Cite web|和書|date=2016-05-30|url=https://www.fujitsu.com/jp/group/fsl/resources/news/press-releases/2016/0530.html|title=あきる野テクノロジセンターの閉鎖および機能移転について|publisher=富士通株式会社|accessdate=2020-04-05}}</ref>
* 川崎工場([[神奈川県]][[川崎市]][[中原区]]) - 登記上の[[本店]]所在地
* TECHビル(神奈川県[[横浜市]][[港北区]])
* [[横須賀リサーチパーク|YRP]]研究開発センター(神奈川県[[横須賀市]])
* 幕張システムラボラトリ([[千葉県]][[千葉市]][[美浜区]])
* 熊谷工場([[埼玉県]][[熊谷市]])
* 小山工場([[栃木県]][[小山市]])
* 那須工場(栃木県[[大田原市]])
* 長野工場([[長野県]][[長野市]])
* 沼津工場([[静岡県]][[沼津市]])
* 岐阜ソフトピアセンター([[岐阜県]][[大垣市]])
* 関西システムラボラトリ([[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]])
* 明石工場([[兵庫県]][[明石市]])
* 高知富士通テクノポート([[高知県]][[南国市]])
* 九州R&Dセンター([[福岡県]][[福岡市]][[早良区]])
* 大分システムラボラトリ([[大分県]][[大分市]])
* 熊本システムラボラトリ([[熊本県]][[上益城郡]][[益城町]])
== 関連企業 ==
=== 日本国内のグループ会社 ===
==== 上場企業 ====
* [[新光電気工業]]株式会社 (東京証券取引所市場第一部上場・連結子会社)
* [[FDK]]株式会社 (東京証券取引所市場第二部上場・連結子会社)
* 株式会社[[富士通ゼネラル]] (東京証券取引所市場第一部上場・持分法適用会社)
==== 非上場企業 ====
===== 東京都の企業 =====
* [[富士通Japan]]株式会社
* 株式会社[[ABシステムソリューション]]
* [[富士通キャピタル]]株式会社
* [[ジスインフォテクノ]]株式会社
* 株式会社[[富士通総研]]
* [[富士通特機システム]]株式会社
* [[富士通フロンテック]]株式会社
* [[トータリゼータエンジニアリング]]株式会社
* 株式会社[[富士通ラーニングメディア]]
* [[富士通コンポーネント]]株式会社
* [[富士通クラウドテクノロジーズ]]株式会社
===== 神奈川県の企業 =====
* [[富士通アドバンス・アカウンティングサービス]]株式会社
* 株式会社[[富士通HRプロフェショナルズ]]
* 株式会社[[富士通エフサス]]
* 株式会社[[川崎フロンターレ]]([[富士通サッカー部]]が前身)
* [[富士通クライアントコンピューティング]]株式会社(持分法適用会社)
* 株式会社[[ケアネット]]
* [[FCNT]]株式会社(旧:[[富士通コネクテッドテクノロジーズ]])
* [[富士通コミュニケーションサービス]]株式会社
* 株式会社[[富士通システム統合研究所]]
* [[富士通セミコンダクター]]株式会社
* 株式会社[[ツー・ワン]]
* [[富士通テクノリサーチ]]株式会社
* [[デジタルプロセス]]株式会社
* 株式会社[[トランストロン]]
* [[富士通ネットワークソリューションズ]]株式会社
* [[富士通ハーモニー]]株式会社
* 株式会社[[ベストライフ・プロモーション]]
* [[富士通ホーム&オフィスサービス]]株式会社
* 株式会社[[モバイルテクノ]]
* [[富士通コワーコ]]株式会社
* 株式会社[[ジー・サーチ]]
* 株式会社[[富士通ディフェンスシステムエンジニアリング]]
* 株式会社[[富士通バンキングソリューションズ]]
* [[富士通ISサービス]]株式会社
* 株式会社[[ITマネジメントパートナーズ]]
* 株式会社[[富士通パーソナルズ]]
===== その他の都道府県の企業 =====
* 株式会社[[PFU]](持分法適用会社)
* [[富士通アイ・ネットワークシステムズ]]株式会社(持分法適用会社)
* 株式会社[[島根富士通|島根富士通(]][[富士通クライアントコンピューティング]]株式会社子会社 持分法適用会社)
*富士通アイソテック株式会社
=== 日本国外のグループ会社 ===
* [[富士通テクノロジー・ソリューションズ]]
: 日本の富士通と[[ドイツ]]の[[シーメンス]]が折半出資した会社。本社は[[オランダ]]の[[:en:Maarssen|マールセン]]。2009年4月を目処に、シーメンスが合弁事業より撤退し、富士通が完全子会社化。
* Fujitsu Services Limited (英国) <ref>https://www.fujitsu.com/global/about/corporate/locations/worldlocation/europe/uk-gig5.html</ref>
=== グループ外の主な出資会社 ===
* 株式会社[[アドバンテスト]] (10.09%){{refnest|group="注釈"|厳密には退職給付信託として[[みずほ信託銀行]]に信託されているが、議決権は富士通の指図により行使される<ref group="PR">アドバンテストの{{PDFlink|[http://www.advantest.co.jp/investors/valuable-report/pdf/valuablereport_2007_final.pdf 第66期有価証券報告書]}}内の「大株主の状況」を参照</ref>。}}
* 株式会社[[デンソーテン]](14.0%)
* [[都築電気]]株式会社 (10.86%) 東証2部上場 - 富士通マーケティングに続いて、富士通ディーラーの中で売上2位。オーナー一族だった都築省吾が社長を退いてからは、富士通が筆頭株主となっている。
* [[大興電子通信]]株式会社 (14.86%) 東証2部上場 - 富士通ディーラー売上3位。元々は大和証券グループだが、富士通の保有株比率が最も高いディーラーの一社となる(富士通マーケティング(旧富士通ビジネスシステム)を除く)。又、富士通出身者である高橋が社長を務めていることもあり、富士通の子会社色が比較的強いと言われる。
* 株式会社[[高見沢サイバネティックス]](15.46%、間接含む)
また、過去には日立プラズマディスプレイ株式会社(旧・富士通日立プラズマディスプレイ株式会社)の19.9%の株式を保有していたが、2008年3月に全株式を日立製作所に売却している。なお、[[エレベーター]]専業メーカーの[[フジテック]]株式会社は富士通と類似したロゴだが、富士通グループとの資本・人的関連は一切ない(同根の富士電機とは資本関係あり)。
== 広報・広告 ==
=== 協賛・スポンサー ===
* [[世界囲碁選手権富士通杯]]([[読売新聞社]]主催 [[囲碁]]の世界選手権)
* [[富士通杯達人戦]]([[週刊朝日]]主催 [[将棋]]のシニア戦:非公式)
* [[川崎富士見球技場]](旧:[[川崎球場]])([[命名権]]を取得し「富士通スタジアム川崎」と改称、2015年4月より)
* [[ミニ四駆公認競技会|ミニ四駆ジャパンカップ]](このため、公式ルール上[[タミヤ]]ブランド電池しか使用できない中、ジャパンカップでは例外的に富士通乾電池の使用が解禁されている。)
*[[川崎フロンターレ]](ユニフォームスポンサー)
* [[富士通レディース]](冠スポンサー)
* [[出雲全日本大学選抜駅伝競走|出雲駅伝]](冠スポンサー)
=== 提供番組(過去に提供された番組も含む) ===
;現在{{いつ| date=2019年3月}}
* [[世界の車窓から]]([[一社提供]])
* [[ファイト!川崎フロンターレ]]
;過去
* [[ザ・コンピニオン|ザ・コンピニオン→ハロー!コンピニオン]]
* [[ニュースハイライト]]
* [[ビジネスマンNEWS]](初期は当社の一社提供)
* [[日経スペシャル ガイアの夜明け]]
* [[吉川なよ子]]の爽やかゴルフ→[[塩谷育代]]のゴルフ魅せます(古河グループの1社として提供に参加)
* [[月曜ロードショー|ザ・ロードショー→火曜ロードショー→火曜ビッグシアター]]
* [[水曜ロードショー (TBS)|水曜ロードショー]]
* [[スペースJ|情報スペースJ]]
* [[スーパーサッカー (TBSのサッカー番組)|スーパーサッカー]]
* [[JNN報道特集]]
* [[ワールドビジネスサテライト|WBS]]※[[パーティシペーション|PT]]
* [[三井住友VISA太平洋マスターズ]](2013年)
* [[ダンロップフェニックストーナメント]](2009年 - 2013年) など
=== 歴代CMキャラクター===
* [[タモリ]](FM77他)
* [[高見山大五郎]](OASIS)
* [[サザンオールスターズ]](富士通テレホン)
* [[南野陽子]](FM77AV40EX他)
* [[森本毅郎]]
* [[山田邦子]]
* [[宮沢りえ]]
* [[観月ありさ]]
* [[坂田利夫]](タッチおじさんの声優として出演)
* [[高倉健]]
* [[倍賞千恵子]]
* [[木村拓哉]]
* [[岸部一徳]]
* [[松たか子]]
* [[EXILE]]
* [[大竹しのぶ]](らくらくホンシリーズ)
== 社会関連 ==
=== スポーツ ===
* [[富士通フロンティアーズ]]([[アメリカンフットボール]]チーム。[[Xリーグ]]1部所属)
* [[富士通レッドウェーブ]](女子[[バスケットボール]]チーム。[[バスケットボール女子日本リーグ]](Wリーグ)所属)
* [[富士通レッドウルブズ]](男子バスケットボールチーム。[[地域リーグ (バスケットボール)|南関東地域リーグ]]所属)
* [[富士通陸上競技部]]
* [[富士通カワサキレッドスピリッツ]](男子[[バレーボール]]チーム。[[V.LEAGUE|V2リーグ]]所属)
** かつての9人制バレーボール男子部は、全国タイトル計35回(歴代最多タイ、都市対抗4回・全日本実業団9回・国体8回・全日本総合8回・桜田記念6回)を誇る強豪と知られる。
* [[樋口久子]]所属契約[[プロゴルファー]]
* [[藤本麻子]]所属契約プロゴルファー
=== 社会貢献活動 ===
* 環境省[[エコチル調査]]企業・団体サポーター(2011年-)
== 関連人物 ==
<!-- 50音順 -->
* [[佐々木伸彦]](元執行役員副会長、第13代[[日本貿易振興機構]]理事長、元[[経済産業審議官]]、元[[経済産業省]][[通商政策局]]長)
* [[富田達夫]](元代表取締役副社長、[[情報処理推進機構]]理事長、第28代[[情報処理学会]]会長)
* [[本田博文]](元社員、[[大分県]][[日出町]]長)
* [[松苗竜太郎]](元NHKアナウンサー)
== 不祥事 ==
* 2021年12月16日、富士通は[[全日本実業団対抗駅伝競走大会]]で優勝した優勝旗を紛失したと発表<ref>{{Cite web|和書|title=大きかったので展示せず、保管したはずが…… 富士通が優勝旗を紛失:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASPDJ5K0HPDJUTQP00H.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |date=2021-12-16 |access-date=2023-05-28 |language=ja}}</ref>。日本実業団陸上競技連合を訪問した平松浩樹常務は「全て会社の責任にある」と謝罪した。
=== システムのトラブル ===
*2000年から2014年、[[イギリス]]で700人以上の郵便局長が横領や不正経理の無実の罪を着せられた。原因は富士通の会計システム「ホライゾン」の欠陥で、窓口の現金とシステム上の記録額に不整合が発生していた。「イギリス史上最大の冤罪事件」とも呼ばれる<ref>{{Cite news|title=富士通の会計システムが引き起こした英郵便局スキャンダル|url=https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-60598164|work=BBCニュース|access-date=2022-10-18|language=ja}}</ref>。
*2020年10月1日、富士通の株式売買システム「arrowhead」を使用している[[東京証券取引所]]でシステム障害が発生。障害の影響で、全銘柄の取引が終日停止となった<ref>{{Cite web|和書|title=東京証券取引所様の株式売買システム「arrowhead」で発生した障害の原因と対策について |url=http://pr.fujitsu.com/jp/news/2020/10/19-2.html |website=富士通 |access-date=2022-10-17 |language=ja}}</ref>。
*2023年3月から、富士通JapanのMICJETコンビニ証明書交付サービス及び周辺関連サービスにおいて、立て続けにトラブル(過去の同公表含む)が続いている。(詳細は[[富士通Japan#不祥事]])
*2023年6月30日、[[総務省]]は富士通のサイバーセキュリティ対策に不備があったとして、同社を行政指導した<ref>{{Cite web|和書|title=富士通へのサイバー攻撃、1700社・機関に影響 総務省が行政指導 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC303JH0Q3A630C2000000/ |website=日本経済新聞 |date=2023-06-30 |access-date=2023-07-01 |language=ja}}</ref>。
=== 労働問題・過労死 ===
*2006年7月、富士通社員の男性=当時(28)=が自殺したのは過労が原因として、横浜市の両親が労災申請していた事件で、請求を認めなかった厚木労働基準監督署が一転して過労自殺と認定していた事が分かった<ref>{{Cite web|和書|title=過労自殺、一転認める/労基署 富士通社員遺族に謝罪 |url=https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-07-13/2006071301_02_0.html |website=www.jcp.or.jp |access-date=2022-10-17}}</ref>。
*2012年8月、富士通の課長だった男性(当時42)が昨年4月、急性心不全で死亡したのは東日本大震災の対応に追われた長時間労働が原因だったとして、三田労働基準監督署(東京)が労災認定した<ref>{{Cite web|和書|title=富士通課長の過労死認定 震災対応が原因と労基署 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2104D_R20C12A9CR8000/ |website=日本経済新聞 |date=2012-09-21 |access-date=2022-10-17 |language=ja}}</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
{{Notelist-ua}}
==== 一次資料または記事主題の関係者による情報源 ====
{{Reflist|group="PR"|2}}
== 関連項目 ==
* [[古河財閥]]
* [[古河機械金属]]
* [[富士電機]]
* [[PayPay銀行]] - 富士通が設立に深く関わった。
* [[キルビー特許]]
* [[セットトップボックス]]
* [[神田泰典]]
* [[城繁幸]] - 元法務部社員。人事コンサルタント
* [[木村拓哉]] - 2000年から2010年まで一般向け製品CM・カタログに出演した。
* [[坂田利夫]] - CMに出演した。
* [[グラス・ルイス]]([[:en:Glass Lewis]])
* [[REGZA Phone]]
* [[成果主義]] - 1993年、東証一部上場企業では日本初の導入。
* [[西部警察 SPECIAL]] - 川崎工場が新しい西部警察署の建物として使用されている(連続ドラマ版では[[東洋現像所]]の建物を使用していた)。
* [[ニフティ]]
* [[ファナック]]
* [[川崎フロンターレ]]
* [[富士通レッドウェーブ]]
* [[阪急バス]] - 富士通と[[いすゞ自動車]]との3社共同開発で、1972年に日本初の[[デマンドバス]]を運行開始。
* [[ITゼネコン]]
* [[:Category:富士通の人物|富士通の人物]]
== 外部リンク ==
{{Commons|Category:Fujitsu}}
* [https://www.fujitsu.com/jp/ 富士通]
* [https://www.fmworld.net/ FMWORLD]
* [https://www.fujitsu-webmart.com/ 富士通 WEB MART]
{{Normdaten}}
{{富士通}}
{{navboxes|list=
{{日本の携帯電話事業者}}
{{TOPIX 100}}
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{{JOCオフィシャルスポンサー(2015-2020)}}
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}}
{{デフォルトソート:ふしつう}}
[[Category:富士通|*]]
[[Category:古河グループ]]
[[Category:日本の電気機器メーカー]]
[[Category:日本の映像機器メーカー]]
[[Category:日本の多国籍企業]]
[[Category:半導体企業]]
[[Category:日本のシステムインテグレータ]]
[[Category:日本の業務用機械器具メーカー]]
[[Category:日本の軍需産業]]
[[Category:東京都港区の企業]]
[[Category:中原区の企業]]
[[Category:東証プライム上場企業]]
[[Category:名証プレミア上場企業]]
[[Category:1949年上場の企業]]
[[Category:1935年設立の企業]]
[[Category:日経平均株価]]
[[Category:かつて存在した日本のコンピュータゲームメーカー]]
[[Category:汐留]]
[[Category:TOPIX 100]] | 2003-02-13T12:03:10Z | 2023-12-26T04:13:25Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E9%80%9A |
1,315 | 前川たけし | 前川 たけし(まえかわ たけし、1960年7月29日 - )は、日本の漫画家。北海道旭川市出身。大東文化大学漫画研究会OB。
1983年、『月刊少年マガジン』(講談社)掲載の「鉄拳チンミ」でデビュー。その後、1980年代末より『月刊少年マガジン』『週刊少年マガジン』『コミックボンボン』など講談社の漫画雑誌で活躍。代表作に『鉄拳チンミ』シリーズ、『ブレイクショット』など。
前川の代表作である『鉄拳チンミ』シリーズ(現在は『鉄拳チンミLegends』)は、『DEAR BOYS』と共に『月刊少年マガジン』を代表する長期連載作品となっている。同作品はアニメ化もされ、テレビ朝日系にて1988年7月2日から12月24日まで全20話が放送された。
1987年度(昭和62年)、第11回講談社漫画賞少年部門受賞(『鉄拳チンミ』)。現在も連載中。 | [
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] | 前川 たけしは、日本の漫画家。北海道旭川市出身。大東文化大学漫画研究会OB。 | {{Infobox 漫画家
| 名前 = 前川 たけし
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 脚注 =
| 本名 =
| 生地 = {{flagicon|Japan}} [[北海道]][[旭川市]]
| 国籍 = {{JPN}}
| 生年 = {{生年月日と年齢|1960|7|29}}
| 没年 =
| 没地 =
| 職業 = [[漫画家]]
| 活動期間 = [[1983年]] -
| ジャンル = [[少年漫画]]
| 代表作 = 『[[鉄拳チンミ]]』シリーズ<br />『[[ブレイクショット (漫画)|ブレイクショット]]』
| 受賞 = 第11回[[講談社漫画賞]]少年部門([[1987年]]度)
| 公式サイト =
}}
'''前川 たけし'''(まえかわ たけし、[[1960年]][[7月29日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]。[[北海道]][[旭川市]]出身。[[大東文化大学]]漫画研究会OB。
== 概要 ==
[[1983年]]、『[[月刊少年マガジン]]』([[講談社]])掲載の「鉄拳チンミ」でデビュー。その後、[[1980年代]]末より『月刊少年マガジン』『[[週刊少年マガジン]]』『[[コミックボンボン]]』など[[講談社]]の漫画雑誌で活躍。代表作に『[[鉄拳チンミ]]』シリーズ、『[[ブレイクショット (漫画)|ブレイクショット]]』など。
前川の代表作である『鉄拳チンミ』シリーズ(現在は『[[鉄拳チンミLegends]]』)は、『[[DEAR BOYS]]』と共に『月刊少年マガジン』を代表する長期連載作品となっている。同作品は[[アニメ化]]もされ、[[テレビ朝日]]系にて[[1988年]][[7月2日]]から[[12月24日]]まで全20話が放送された。
[[1987年]]度(昭和62年)、第11回[[講談社漫画賞]]少年部門受賞(『鉄拳チンミ』)。現在も連載中。
== 作品リスト ==
=== 連載作品 ===
* [[鉄拳チンミ]](『[[月刊少年マガジン]]』1983年12月号 - 1997年2月号、全35巻、文庫本全18巻)
**[[新鉄拳チンミ]](『月刊少年マガジン』1997年3月号 - 2004年11月号、全20巻、文庫版全10巻)(拳法家チンミの成長物語)
** [[鉄拳チンミ外伝]](『[[マガジンイーノ|月刊少年マガジン増刊GREAT]]』、『月刊少年マガジン』、『[[月刊少年ライバル]]』、『月刊少年マガジン+』、'''不定期掲載'''、既刊4巻) ※『鉄拳チンミ』の外伝話を複数描いた短編集。
** [[鉄拳チンミLegends]](『月刊少年マガジン』2006年9月号 - '''連載中'''、既刊28巻)
* [[The ストライカー]](原作:[[ヒロナカヤスシ]]、『月刊少年マガジン』1984年6月号 - 1985年12月号、全3巻) ※[[サッカー漫画]]。
* [[カンフータオ]](『[[週刊少年マガジン]]』1986年42号 - 1987年9号、全2巻)
* [[ブレイクショット (漫画)|ブレイクショット]](『週刊少年マガジン』1987年21号 - 1990年28号、全16巻、ワイド版全9巻、文庫版全8巻) ※[[ビリヤード]]漫画。
* [[はっけよい]](原作:[[七三太朗]]、『週刊少年マガジン』1990年42号 - 1991年18号、全3巻) ※[[相撲]]漫画。
* [[星の剣]](『[[マガジンSPECIAL]]』1991年No.10 - 1992年No.2、全1巻) ※[[時代劇]]漫画。
* [[剣豪伝ルーレットバトラー]](『[[コミックボンボン]]』2002年9月号 - 2004年8月号、全4巻)
* [[A.S.]](アニマル・センス)(監修:[[飯塚修]]、『月刊少年マガジン』2005年7月号 - 2006年7月号、全3巻)
=== 読切作品 ===
* 山の陣太(『マガジンSPECIAL』1990年8号) ※『ブレイクショット』16巻に収録。
* 3000バーツのサム(『月刊少年マガジン増刊GREAT』1993年1月号) ※『鉄拳チンミ外伝』1巻に収録。
* 雪の音 短編(『コミックふるさと北海道』)
== 外部リンク ==
*[http://tekkenchinmi.sakura.ne.jp/ 前川たけし公式ホームページ]
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{{DEFAULTSORT:まえかわ たけし}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:大東文化大学出身の人物]]
[[Category:北海道出身の人物]]
[[Category:1960年生]]
[[Category:存命人物]] | null | 2021-09-16T23:55:16Z | false | false | false | [
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1,316 | ワンダフルライフ (映画) | 『ワンダフルライフ』(英: After Life)は、1999年公開の日本映画。監督は是枝裕和。
ヴェネツィア国際映画祭などで受賞した前作に引き続き、日本国内よりもアメリカやカナダでの評価の方が高く、ハリウッドでのリメイクも決定している。ドキュメンタリー出身の作風を生かし、出演者に簡単な状況設定のみを与え、即興で作られたシーンが多い。その手法は第3作目の『DISTANCE』、第4作目の『誰も知らない』でも引き継がれている。
「貴方の一番大切な思い出を1つだけ選んでください。」
死んでから死後の世界へと旅立つまでの1週間、死者達は「そこ」で一番大切な思い出を選ぶ。その思い出は、彼らと「そこ」のスタッフ達の手によって映画として再現される。そして、その記憶が頭の中に鮮明に蘇った瞬間、彼らはその「一番大切な記憶」だけを胸に死後の世界へと旅立っていく。選んでください。貴方の一番大切な思い出はなんですか? | [
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] | 『ワンダフルライフ』は、1999年公開の日本映画。監督は是枝裕和。 | {{Infobox Film
| 作品名 = ワンダフルライフ
| 原題 = After Life
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| 画像サイズ =
| 画像解説 =
| 監督 = [[是枝裕和]]
| 脚本 = 是枝裕和
| 原案 =
| 原作 =
| 製作 = 佐藤志保<br />秋枝正幸
| 製作総指揮 =
| ナレーター =
| 出演者 = [[井浦新|ARATA]]<br />[[小田エリカ]]<br />[[寺島進]]<br />[[内藤剛志]]<br />[[谷啓]]
| 音楽 = [[笠松泰洋]]
| 主題歌 =
| 撮影 = [[山崎裕 (撮影監督)|山崎裕]]<br />[[鋤田正義]]
| 編集 = 是枝裕和
| 製作会社 = [[テレビマンユニオン]]<br />[[エンジンフィルム]]
| 配給 = [[テレビマンユニオン]]
| 公開 = {{Flagicon|CAN}} 1998年9月11日<small>([[トロント国際映画祭|TIFF]])</small><br />{{Flagicon|JPN}} 1999年4月17日
| 上映時間 = 118分
| 製作国 = {{JPN}}
| 言語 = [[日本語]]
| 製作費 =
| 興行収入 =
}}
『'''ワンダフルライフ'''』({{lang-en-short|After Life}})は、[[1999年]]公開の[[日本映画]]。監督は[[是枝裕和]]。
== 概要 ==
[[ヴェネツィア国際映画祭]]などで受賞した前作に引き続き、日本国内よりも[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[カナダ]]での評価の方が高く、[[ハリウッド]]でのリメイクも決定している。[[ドキュメンタリー]]出身の作風を生かし、出演者に簡単な状況設定のみを与え、即興で作られたシーンが多い。その手法は第3作目の『[[DISTANCE (映画)|DISTANCE]]』、第4作目の『[[誰も知らない]]』でも引き継がれている。
== ストーリー ==
{{不十分なあらすじ|section=1|date=2019年6月}}
「貴方の一番大切な思い出を1つだけ選んでください。」
死んでから死後の世界へと旅立つまでの1週間、死者達は「そこ」で一番大切な思い出を選ぶ。その思い出は、彼らと「そこ」のスタッフ達の手によって映画として再現される。そして、その記憶が頭の中に鮮明に蘇った瞬間、彼らはその「一番大切な記憶」だけを胸に死後の世界へと旅立っていく。選んでください。貴方の一番大切な思い出はなんですか?
== 出演 ==
* 望月隆:[[井浦新|ARATA]]
* 里中しおり:[[小田エリカ]]
* 川嶋さとる:[[寺島進]]
* 杉江卓郎:[[内藤剛志]]
* 中村健之助:[[谷啓]]
* 伊勢谷友介:[[伊勢谷友介]]
* 庄田義助:[[由利徹]]
* 守衛:[[横山あきお]]
* 西村キヨ:[[原ひさ子]]
* 天野信子:[[白川和子]]
* 吉野香奈:[[吉野紗香]]
* 山本賢司:[[志賀廣太郎]]
* 渡辺一朗:[[内藤武敏]]、[[阿部サダヲ]](青春時代)
* 渡辺京子:[[香川京子]]([[特別出演]])、[[石堂夏央]](青春時代)
* 食堂係:[[山口美也子]]、[[木村多江]]
* 受付係:[[平岩友美]]
== スタッフ ==
* 監督・脚本:[[是枝裕和]]
* ゼネラルプロデューサー:重延浩
* プロデューサー:佐藤志保、秋枝正幸
* 企画:[[安田匡裕]]
* 撮影:[[山崎裕 (撮影監督)|山崎裕]]
* 美術:[[磯見俊裕]]、郡司英雄
* 編集:是枝裕和
* 音楽:[[笠松泰洋]]
* 照明:佐藤譲
* 録音:滝澤修
* 助監督:[[高橋巖 (映画監督)|高橋巌]]
* 製作協力:[[IMAGICA]]
== 受賞歴 ==
* [[ナント三大陸映画祭]] グランプリ
* [[サン・セバスチャン映画祭]] 国際映画批評家連盟賞
* [[トリノ映画祭]] 最優秀脚本賞
* [[ブエノスアイレス映画祭]] グランプリ、最優秀脚本賞
* [[サンダンス映画祭|サンダンス]]および[[ロッテルダム映画祭]] 正式招待作品
* [[高崎映画祭]] 最優秀作品賞、最優秀助演男優賞([[寺島進]])、最優秀新人男優賞([[井浦新|ARATA]])
== 外部リンク ==
* {{Official website|http://www.kore-eda.com/w-life/}}
* {{Allcinema title|161771|ワンダフルライフ}}
* {{Kinejun title|31676|ワンダフルライフ}}
* {{Amg movie|173451|After Life}}
* {{IMDb title|0165078|After Life}}
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[[Category:1999年の映画]]
[[Category:是枝裕和の監督映画]]
[[Category:日本のファンタジー映画]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95_(%E6%98%A0%E7%94%BB) |
1,317 | CD-ROM | CD-ROM(シーディーロム、Compact Disc Read only memory、JIS X 6281-1992、ISO/IEC 10149:1989)は、コンピュータやゲーム機などで取り扱うデータが記録されているコンパクトディスク (CD) のこと。CD-R、CD-RWとは異なり、書き込みも消去もできないため、再生専用型と呼ばれる。
CD-ROMはもともとCDがそうであるように、プレス費が比較的安値で、主に製品等の大量配布用に作られた読み込み専用のメディアである。規格書「Yellow Book」(イエローブック)によりライセンスされている。CD-ROMのファイルシステムには、標準的なISO 9660などが採用される。
またCD-ROMは、厳密には「CD-ROM Mode1」と呼ばれている。CD-ROMを拡張したものに、「CD-ROM Mode2 Form1」または「CD-ROM Mode2 Form 2」を使用したマルチメディア用途としてのCD-ROM XAやCD-i、その他CD-RAM(早くに消滅)やGD-ROMなどがある。
CDの1トラック分にデータが記録されている。他のトラックには通常のCDプレイヤーで聴ける音声データ (CD-DA)が記録されている場合もある。
主にパソコンや1990年代に発売されたゲーム機に搭載されたCD-ROMドライブで使用できる。
規格発表当時は誤り訂正が重視され、容量は540 MBが限度とされたが、後にドライブ装置の読み取り技術の進歩により650 – 700 MB程度まで記録されたメディアが主流となり、700 MBを超える容量を確保したメディアもある。
1994年頃までは、標準的なハードディスク(当時、300 – 500MB程度)よりも多くのデータを格納できた。そのため大容量のCD-ROMは、一般的なCD-Rドライブでの記録可能容量を上回る(ダミーの)データを記録しておくことで、容易なコピーを防ごうとする意図で用いられる場合が多かった。単に容量が必要なだけであれば、複数枚のメディアに記録すれば良いからである。
CD-ROMは2,048バイト (=2 KiB) で1セクタであり、ISO9660フォーマットでは1セクタ2Kバイト単位でファイルを収容できる。対して、当時CD-ROM1枚分に相当する容量のハードディスクドライブの容量540MBでは32セクタ16Kバイト単位でファイルを記録するため、CD-ROMのファイル充填効率はハードディスクドライブより8倍以上優れており、より多くのファイルを収容できた。
読み取り速度(読み込み速度、読み出し速度などとも呼ばれる)は、初期には音楽用CDと同じ(1倍速・等速と呼ばれ、150キロバイト/秒 (= 1.2 Mbps) の転送速度)であったが、次第に2倍速、4倍速と高速化し、1999年、ケンウッドは1つのピックアップから7本のビームを出すマルチビームピックアップという独自方式を採用し、低回転で振動や騒音を抑えながら最大72倍速(全周域平均で70倍速相当)で読み込みできるCD-ROMドライブを販売した。その他のメーカーは最終的に52倍速までの高速化を実現した。しかし、CD-ROMの材質として一般的なポリカーボネートの物性上、52倍速時ではディスク最外周の速度は235 km/hにも達し、これ以上高速で回転させると遠心力によってディスクが変形・破壊されてしまうため、CD-ROMの読み取り速度は既に工学的な限界を迎えている。
CD-ROMの読み取り速度と、それに対する1秒あたりの最大データ読み取り容量は以下の通りである。
音楽CD(基本的にCD-DA)の中には、通常の音楽CDの販路ではなく、PCソフトと同じPC流通に乗るものがある。そのようなCDは流通上、CD-ROMとして扱われる。
CD-ROM流通のCDは、メーカーからPCソフト問屋に卸されるため、通常のCDショップでは売られず、PCソフト店か、CDショップでも専門的な店でのみ売られることになる。
ゲーム会社が自社のゲームソフトの主題歌やサウンドトラックなどを独自レーベルで販売するというケースが多い。なお、そのようなCDの収録曲はJASRAC非信託であることが多いが、そのこととCD-ROM流通であることとの間に直接の関係はない。 | [
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] | CD-ROMは、コンピュータやゲーム機などで取り扱うデータが記録されているコンパクトディスク (CD) のこと。CD-R、CD-RWとは異なり、書き込みも消去もできないため、再生専用型と呼ばれる。 | {{pathnav|メディア (媒体)|記録媒体|光ディスク|コンパクトディスク|frame=1}}
{{ディスクメディア
|名称=Compact Disc Read Only Memory
|略称=CD-ROM
|ロゴ=
|画像=File:CD-ROM.png
|画像コメント=CD-ROM
|種類=[[光ディスク]]
|容量=650 MB<br />700 MBなど (12 cm)
|フォーマット=[[ISO 9660]]など
|コーデック=
|読み込み速度=1.2 Mbps<br />(150 [[kiB]]/s、1倍速)<br />最高72倍速
|書き込み速度=
|回転速度=200/min. - 600/min.
|読み取り方法=780nm赤外線レーザー
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|ディスク径=12 cm・[[8センチCD|8 cm]]
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|重さ=
|上位=[[DVD-ROM]]
|下位=なし
|関連=[[CD-ROM XA]]、[[CD-i]]、[[フォトCD]]、[[Video CD]]
}}
'''CD-ROM'''(シーディーロム、[[Compact Disc]] [[Read only memory]]、[[日本産業規格|JIS]] X 6281-1992、[[国際標準化機構|ISO]]/[[国際電気標準会議|IEC]] 10149:1989)は、[[コンピュータ]]や[[ゲーム機]]などで取り扱う[[データ]]が記録されている[[コンパクトディスク]] (CD) のこと。[[CD-R]]、[[CD-RW]]とは異なり、書き込みも消去もできないため、再生専用型と呼ばれる。
== 概要 ==
CD-ROMはもともと[[CD]]がそうであるように、プレス費が比較的安値で、主に製品等の大量配布用に作られた読み込み専用のメディアである。規格書「'''Yellow Book'''」(イエローブック)により[[ライセンス]]されている<ref>{{Cite web |url=https://www.lscdweb.com/ordering/cd_products.html |title=CD Products |publisher=フィリップス |accessdate=2020-08-08}}</ref>。CD-ROMのファイルシステムには、標準的な[[ISO 9660]]などが採用される。
またCD-ROMは、厳密には「CD-ROM Mode1」と呼ばれている。CD-ROMを拡張したものに、「CD-ROM Mode2 Form1」または「CD-ROM Mode2 Form 2」を使用したマルチメディア用途としての[[CD-ROM XA]]や[[CD-i]]、その他CD-RAM(早くに消滅)や[[GD-ROM]]などがある。
CDの1トラック分にデータが記録されている。他のトラックには通常のCDプレイヤーで聴ける音声データ ([[CD-DA]])が記録されている場合もある。
{{Main|CD_EXTRA#ミックスモードCD}}
主に[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]や[[1990年代]]に発売された[[ゲーム機]]に搭載されたCD-ROMドライブで使用できる。
== 歴史 ==
*[[1985年]] - [[フィリップス]]、[[PC/XT]]・[[PC/AT]]用CD-ROMドライブ「CM100」を発売。
*1985年10月 - [[三修社]]、日本初のCD-ROMソフトウェア「最新科学技術用語辞典」を発売{{Sfn |データベース振興センター|1989| p=13}}。
*[[1987年]]6月 - [[富士通]]、CD-ROMドライブ対応のワープロ専用機[[OASYS]] 100GX-CDを発売。
*1987年9月 - [[トヨタ自動車]]、[[トヨタ・クラウン]](ロイヤルサルーンG)に世界初のCD-ROMを利用した[[カーナビゲーション]]機能「CDインフォメーション」を搭載する{{Sfn |データベース振興センター|1989| p=43}}。
*[[1988年]]3月 - [[Apple|Apple Computer]]、[[Macintosh]]用CD-ROMドライブ「Apple CDsc」を発表{{Sfn |データベース振興センター|1989| p=55}}。
*1988年12月 - [[日本電気ホームエレクトロニクス]]、世界初のCD-ROMドライブ搭載[[ゲーム機|家庭用ゲーム機]][[PCエンジン]]用CD-ROMドライブ「[[CD-ROM2|CD-ROM<sup>2</sup>]]」を発売<ref>{{Cite web|和書|date =2007年9月15日|url=http://www.jp.playstation.com/info/release/nr_20090715_psstore_pce.html|title=PlayStationStore「ゲームアーカイブス」カテゴリ内にて「PCエンジンアーカイブス」を、本日より取り扱い開始|publisher=ソニー・コンピュータエンタテインメントジャパン ニュースリリース|accessdate=2016年5月9日}}</ref>。
*1988年12月 - [[ハドソン]]、世界初のCD-ROMゲームソフトウェア『[[ストリートファイター (ゲーム)|ファイティング・ストリート]]』と『[[小川範子|No・Ri・Ko]]』を発売<ref>{{Cite web|和書|date =2009年10月6日|url=http://dl.capcom-onlinegames.jp/details/game34.html|title=カプコンオンラインゲームズ|タイトル詳細|ファイティング・ストリート|publisher=株式会社カプコン|accessdate=2016年5月9日}}</ref>。
*[[1989年]]3月 - 富士通、CD-ROM標準搭載のパソコン「[[FM TOWNS]]」を発売{{Sfn |データベース振興センター|1989| p=34}}。
*1989年4月〜6月 - [[ソニー]]、CD-ROM標準搭載のパソコン「[[Quarter L]]」(PCX-300C41・PCX-300C11)を発売{{Sfn |データベース振興センター|1990| p=17}}。
*1989年10月 - [[日本電気]] (NEC)、CD-ROM標準搭載のパソコン「[[PC-8800シリーズ|PC-8801 MC]]」を発表。
*[[1990年]]7月 - ソニー、[[8センチCD|8cm]]CD-ROM専用電子ブックプレイヤー「データディスクマン DD-1」を発売。
{{節スタブ}}
== 容量 ==
規格発表当時は[[誤り訂正]]が重視され、容量は540 MBが限度とされたが、後にドライブ装置の読み取り技術の進歩により650 – 700 MB程度まで記録されたメディアが主流となり、700 MBを超える容量を確保したメディアもある。
[[1994年]]頃までは、標準的な[[ハードディスクドライブ|ハードディスク]](当時、300 – 500MB程度)よりも多くのデータを格納できた。そのため大容量のCD-ROMは、一般的な[[CD-R]]ドライブでの記録可能容量を上回る(ダミーの)データを記録しておくことで、容易なコピーを防ごうとする意図で用いられる場合が多かった。単に容量が必要なだけであれば、複数枚のメディアに記録すれば良いからである。
CD-ROMは2,048[[バイト (情報)|バイト]] (=2 KiB) で1セクタであり、ISO9660フォーマットでは1セクタ2Kバイト単位でファイルを収容できる。対して、当時CD-ROM1枚分に相当する容量のハードディスクドライブの容量540MBでは32セクタ16Kバイト単位でファイルを記録するため、CD-ROMのファイル充填効率はハードディスクドライブより8倍以上優れており、より多くのファイルを収容できた。
== 速度 ==
読み取り速度(読み込み速度、読み出し速度などとも呼ばれる)は、初期には音楽用CDと同じ(1倍速・等速と呼ばれ、150[[キロバイト]]/秒 (= 1.2 Mbps) の転送速度)であったが、次第に2倍速、4倍速と高速化し、[[1999年]]、[[ケンウッド]]は1つのピックアップから7本のビームを出すマルチビームピックアップという独自方式を採用し、低回転で振動や騒音を抑えながら最大72倍速(全周域平均で70倍速相当)で読み込みできるCD-ROMドライブを販売した<ref>{{Cite web|和書|date =1999年11月05日|url=https://www.kenwood.com/jp/newsrelease/1999/press991104_2.html|title=ニュースリリース|publisher=株式会社ケンウッド|accessdate=2019年7月17日}}</ref>。その他のメーカーは最終的に52倍速までの高速化を実現した。しかし、CD-ROMの材質として一般的な[[ポリカーボネート]]の物性上、52倍速時ではディスク最外周の速度は235 [[km/h]]にも達し、これ以上高速で回転させると[[遠心力]]によってディスクが変形・破壊されてしまうため、CD-ROMの読み取り速度は既に工学的な限界を迎えている{{Efn|これ以上の速度を望むならば、より[[記録密度#線記録密度|記録密度]]の高い媒体(DVDなどの上位規格)を選択する他ない。もっとも回転速度の上限は同じなので、DVDの読み取り速度もすでに頭打ちである。}}。
CD-ROMの読み取り速度と、それに対する1秒あたりの最大データ読み取り容量は以下の通りである。
{| class="wikitable"
! style="text-align: right"| 読み取り速度
! [[メガバイト|MB]]/秒
! [[ビット毎秒|Mbps]]
! [[メビバイト|MiB]]/秒
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|-
! 2x
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| 2.4
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|-
! 4x
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| 4.8
| 0.5859
|-
! 8x
| 1.2
| 9.6
| 1.1719
|-
! 10x
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| 12.0
| 1.4648
|-
! 12x
| 1.8
| 14.4
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|-
! 20x
| 3.0
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|-
! 32x
| 4.8
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| 4.6875
|-
! 36x
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|-
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|-
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|-
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| 84.0
| 10.2539
|-
! 72x
| 10.8
| 86.4
| 10.5469
|}
== CD-ROMを採用したゲーム機 ==
*[[日本電気ホームエレクトロニクス]]
** [[PCエンジン]]
*** [[CD-ROM2|CD-ROM<sup>2</sup>]] ([[1988年]])
*** [[SUPER CD-ROM2|SUPER CD-ROM<sup>2</sup>]] ([[1991年]])
*** [[PCエンジンDuo]] (1991年)
** [[PC-FX]] ([[1994年]])
* [[セガ]]
** [[メガドライブ]]
*** [[メガCD]] (1991年)
*** [[ワンダーメガ]] ([[1992年]])
*** GENESIS CDX/マルチメガ(1994年)
** [[セガサターン]] (1994年)
*[[ソニー・インタラクティブエンタテインメント|ソニー・コンピュータエンタテインメント]]
** [[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]] (1994年)
** [[PlayStation 2]] ([[2000年]])
*[[バンダイ]]
** [[プレイディア]] (1994年)
** [[ピピンアットマーク]] ([[1996年]])
*その他のゲームメーカー
** [[3DO]] ([[1993年]]、[[パナソニック|松下電器]]、[[三洋電機]]、[[金星電子]])
** [[ネオジオCD]] (1994年、[[SNK (1978年設立の企業)|SNK]])
== CD-ROM標準搭載を売りにしていたパソコン ==
* [[FM TOWNS]]
* [[FM TOWNS マーティー]]
* [[PC-8800シリーズ|PC-8801 MC]]
* [[PC-9800シリーズ|PC-98GS]](一部モデル)
* [[PC-9821シリーズ|PC-9821(初代)]]
* [[Quarter L]](一部モデル)
== 流通形態としてのCD-ROM ==
音楽CD(基本的に[[CD-DA]])の中には、通常の音楽CDの販路ではなく、PCソフトと同じPC流通に乗るものがある。そのようなCDは流通上、CD-ROMとして扱われる。
CD-ROM流通のCDは、メーカーからPCソフト[[問屋]]に卸されるため、通常のCDショップでは売られず、PCソフト店か、CDショップでも専門的な店でのみ売られることになる。
[[ゲーム会社]]が自社の[[ゲームソフト]]の[[主題歌]]や[[サウンドトラック]]などを独自[[レコードレーベル|レーベル]]で販売するというケースが多い。なお、そのようなCDの収録曲は[[日本音楽著作権協会|JASRAC]]非信託であることが多いが、そのこととCD-ROM流通であることとの間に直接の関係はない。
== 関連項目 ==
* [[CD-R]]
* [[CD-RW]]
* [[Live CD]]
* [[CD EXTRA]]
* [[CD-DA]] - 音楽CDの規格
* [[光学ドライブ]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*{{Cite web|和書|url=https://www.jipdec.or.jp/archives/publications/J0000664.pdf |title=CD-ROM調査研究報告書 |format=PDF |publisher=データベース振興センター |date=1989-03 |accessdate=2022-10-18 |ref ={{SfnRef|データベース振興センター|1989}}}}
*{{Cite web|和書|url=https://www.jipdec.or.jp/archives/publications/J0000685.pdf |title=CD-ROM調査研究報告書 |format=PDF |publisher=データベース振興センター |date=1990-03 |accessdate=2022-10-18 |ref ={{SfnRef|データベース振興センター|1990}}}}
{{CD規格}}
{{光ディスク}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:しいていいろむ}}
[[Category:コンパクトディスク|ROM]]
[[Category:コンピュータゲーム流通]] | 2003-02-13T12:07:48Z | 2023-09-24T01:54:09Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/CD-ROM |
1,318 | 坂本タクマ | 坂本 タクマ(さかもと タクマ、1967年5月20日 - )は、日本のギャグ漫画家。
兵庫県尼崎市出身。小学生の時に仙台市へ転居し、宮城県仙台第一高等学校を経て東北大学文学部を卒業。同大学では漫画研究会に所属していた。「ぶんぶんレジデンス」は、同大学の寮がモデルになっている。1989年に『シンケン君』でデビュー。 | [
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] | 坂本 タクマは、日本のギャグ漫画家。 兵庫県尼崎市出身。小学生の時に仙台市へ転居し、宮城県仙台第一高等学校を経て東北大学文学部を卒業。同大学では漫画研究会に所属していた。「ぶんぶんレジデンス」は、同大学の寮がモデルになっている。1989年に『シンケン君』でデビュー。 | {{複数の問題
|存命人物の出典明記=2022-03-01
|一次資料=2022-03-01
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'''坂本 タクマ'''(さかもと タクマ、[[1967年]][[5月20日]]<ref name=bunbun>『ぶんぶんレジデンス』1巻著者プロフィール欄より</ref> - )は、[[日本]]の[[ギャグ漫画|ギャグ]][[漫画家]]。
[[兵庫県]][[尼崎市]]出身<ref name=bunbun/>。小学生の時に[[仙台市]]へ転居し<ref name=bunbun/>、[[宮城県仙台第一高等学校]]を経て[[東北大学]][[文学部]]を卒業。同大学では漫画研究会に所属していた。「ぶんぶんレジデンス」は、同大学の寮がモデルになっている。[[1989年]]に『シンケン君』でデビュー<ref name=bunbun/>。
== 作品リスト ==
* ぶんぶんレジデンス([[近代麻雀オリジナル]])
* シンケン君(近代麻雀オリジナルにて、20年間連載したが2009年に終了<ref>公式サイト情報より</ref>)
* [[屈辱er大河原上]](『[[週刊コミックバンチ]]』[[新潮社]])
* 坂本タクマの実戦株入門(『[[パチスロパニック7|パニック7ゴールド]]』[[白夜書房]]→[[ガイドワークス]])
== 脚注 ==
<references/>
== 関連項目 ==
* [[日本の漫画家一覧]]
* [[4コマ漫画家の一覧]]
== 外部リンク ==
* [http://gigamoto.la.coocan.jp/ 坂本タクマの絶対ギガモトXP] - 公式サイト
* [https://twitter.com/gigamto Twitter]
{{Normdaten}}
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[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:東北大学出身の人物]]
[[Category:宮城県仙台第一高等学校出身の人物]]
[[Category:兵庫県出身の人物]]
[[Category:1967年生]]
[[Category:存命人物]] | null | 2022-03-01T10:56:31Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%9E |
1,319 | レッドハット | レッドハット (英: Red Hat) とは、IBMの子会社で、クラウド技術サービスを中心とした会社であり、またLinuxディストリビューションのRed Hat Enterprise Linuxを製品として販売・開発・サポートしている。
オープンソースソフトウェアを利用したビジネスを展開している。ソフトウェアライセンス料は無料、ソフトウェアのアップデート・アップグレード・保守サポートなどを一体化したサブスクリプション(年間契約費)で販売する事業モデルである。
レッドハットのLinuxディストリビューション (Red Hat Enterprise Linux) は、コピーレフト (GPL) なソフトウェアを中心に構成されている。レッドハットが独自に製作したソフトウェアもコピーレフトで公開されている。このため、Red Hat Enterprise Linuxを元にしたLinuxディストリビューションが数多く存在する。例としては、CentOS・Turbo Linux・Oracle Linuxなどである。
Linuxの歴史の初期から、より一般的なユーザーが利用できるように、Linuxカーネル と GNUプロジェクト、BSD、X11等のソフトウエアを組み合わせて、ネットワークサーバやワークステーションとして使えるようにして来た。
2001年にレッドハット系のCaldera、Conectiva、SuSE、Turbolinuxが集まって共同のGNU/Linuxの基本となる United Linux が公開されているが、現在事実上活動停止の状態になっていた。この背景には、SuSEがノベルに買収されたり、SCO Group( 旧 Caldera International )による IBM 提訴などがあるとされる。「法的には存在しているが、明かりは消した」状態であると最近のニュースメディアでは報道された。
2003年の Red Hat Linux 9 を最後にコンシューマ向けのディストリビューションの販売・サポートを中止し、これを Fedora Project に移譲した。企業向けの Red Hat Enterprise Linux を軸にサポート・トレーニング・プロフェッショナルサービスなどを収益の軸に据えるようになる。
2006年にはオープンソースミドルウエアの最大手 JBoss Inc. を買収し JBoss Enterprise Middleware を市場投入。Linux 事業に続く2つ目の事業の核を構築。2008年2月にフロリダオーランドで行われた JBoss World では業界で初めてのサービス指向アーキテクチャ (Service Oriented Architecture、SOA) オープンソースソリューションである JBoss Enterpise SOA Platform を市場投入している。これにより、それまでのように OS だけでなく、オープンソースソフトウェアによる統合的なITソリューションを構築できる製品が揃いつつある。
2006年12月12日に取引所を NASDAQ から、ニューヨーク証券取引所へ変更した。これに伴いティッカーシンボルも「RHAT」から「RHT」へ変更された。
2008年買収した Qumranet 社の仮想化技術であるカーネルにハイパーバイザー機能を持たせる KVM やデスクトップ仮想化 VDI 、さらに分散ファイルシステムの登場などによりOSの役割が多様化するに従い、仮想化・クラウド分野において積極的な成長を図っている。2012年1月 KVMベースの仮想化を最大限に活用できる Red Hat Enterprise Virtualization (RHEV) をオープンソースソフトウェアとして販売開始した。
2010年、Linuxを中心としたプラットフォーム事業部、JBossを中心としたミドルウェア事業部に加え、第3の事業部であるクラウド事業部を発足。KVM仮想化やRHEV (Red Hat Enterprise Virtualization) という仮想化管理ソフト、JON (JBoss Operations Network) というミドルウェア管理ソフトなどを駆使したクラウドソリューションを市場投入。IBM、Amazon、SAAVIS や日本の NTT、ソフトバンク、富士通などのパブリッククラウドコンピューティング提供者との提携を結んでいる。
2010年11月には PaaS ソリューション関連製品を持つ MAKARA 社を買収し、Linux、KVMを中心としたIaaSクラウドソリューションに加えJBoss, SOAを含んだPAASクラウドソリューションの投入を計画している。
2012年からは第4の事業部としてストレージ(2011年10月に買収したGlusterFS)を展開し始めた。
2012年度決算(2012年2月末)では11億3300万ドルの売上(前年同期比25%増)を発表、ジェームス・ホワイトハースト CEOが着任以来4年で2.2倍の売上成長を達成。株価も過去最高となっている。CEO はさらにオープンクラウド戦略を標榜し更なる事業成長への展開を開始している。
2018年1月30日、CoreOSの買収を発表。コンテナ型の仮想化技術に注力していくとされる。
2019年7月9日、IBMがRed Hatを340億USドル(日本円にして約3兆7000億円)で買収した。
世界や日本のトップクラウド・サービス・プロバイダー(アマゾン、IBM、富士通、NTT、ソフトバンク、テルストラ、等)とパートナーシップを結んでおり急速にオープンクラウド・仮想化事業を伸ばしている。
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] | レッドハット とは、IBMの子会社で、クラウド技術サービスを中心とした会社であり、またLinuxディストリビューションのRed Hat Enterprise Linuxを製品として販売・開発・サポートしている。 | {{出典の明記|date=2021年10月}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = Red Hat, Inc.
| ロゴ = [[File:Red Hat logo.svg|90px]]{{spaces|3}}[[File:Modified Red Hat 2019 logo without Fedora hat.svg|180px]]
| 画像 = [[ファイル:Red Hat Tower (formerly headquarters of Progress Energy Inc.) -- 20 May 2012 (panoramio.com) (cropped).jpg|310px]]
| 画像説明 = Red Hat本社
| 種類 = [[株式会社]]
| 国籍 = {{USA}}
| 本社所在地 = [[ノースカロライナ州]][[ローリー (ノースカロライナ州)|ラーレー]]
| 設立 = [[1993年]]
| 業種 = 情報・通信業
| 事業内容 = [[クラウドコンピューティング|クラウド]]事業・[[ソフトウェア]]開発・販売・マーティング・サポート・プロフェッショナルサービス
| 代表者 = Paul Cormier (CEO兼社長)
| 従業員数 = 約12600人 ([[2018年]][[6月]])
| 決算期 = 2月
| 所有者 = [[IBM]]
| 関係する人物 = Bob Young (創始者)<br>Marc Ewing (創始者)
| 外部リンク = {{url|https://www.redhat.com/}}
}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = レッドハット株式会社
| 英文社名 = Red Hat K.K.
| 種類 = [[株式会社]]
| 郵便番号 = 150-0013
| 本社所在地 = [[東京都]][[渋谷区]][[恵比寿 (渋谷区)|恵比寿]]4丁目1番18号 恵比寿ネオナート8F・5F
| 設立 = [[1999年]]
| 業種 = [[:Category:日本の情報・通信業|情報・通信業]]
| 事業内容 = [[ソフトウェア]]開発・販売・マーティング・サポート・プロフェッショナルサービス
| 代表者 = 代表取締役社長 三浦 美穂<br>
President and Representative Director<br>
Miho Miura
| 資本金 = 1億円
| 売上高 = 日本では上場していないので、日本の利益・経常・純利益などは出ない<br>
294億9786万7000円<br>(2022年12月31日時点)<ref name="fy">[https://catr.jp/settlements/1c66a/295311 レッドハット株式会社 第24期決算公告]</ref>
| 営業利益 = 8億3854万2000円<br>(2022年12月31日時点)<ref name="fy" />
| 経常利益 = 14億8066万8000円<br>(2022年12月31日時点)<ref name="fy" />
| 純利益 = 10億1719万1000円<br>(2022年12月31日時点)<ref name="fy" />
| 純資産 = 11億4219万1000円<br>(2022年12月31日時点)<ref name="fy" />
| 総資産 = 301億7749万円<br>(2022年12月31日時点)<ref name="fy" />
| 外部リンク = https://www.redhat.com/ja
}}
'''レッドハット''' ({{lang-en-short|Red Hat}}) とは、[[IBM]]の子会社で、クラウド技術サービスを中心とした会社であり、また[[Linux]][[Linuxディストリビューション|ディストリビューション]]の[[Red Hat Enterprise Linux]]を製品として販売・開発・サポートしている。
== 概要 ==
[[オープンソースソフトウェア]]を利用したビジネスを展開している。ソフトウェアライセンス料は無料、ソフトウェアのアップデート・アップグレード・保守サポートなどを一体化したサブスクリプション(年間契約費)で販売する事業モデルである。
レッドハットのLinuxディストリビューション ([[Red Hat Enterprise Linux]]) は、[[コピーレフト]] ([[GNU General Public License|GPL]]) なソフトウェアを中心に構成されている。レッドハットが独自に製作したソフトウェアもコピーレフトで公開されている。このため、Red Hat Enterprise Linuxを元にしたLinuxディストリビューションが数多く存在する。例としては、[[CentOS]]・[[Turbo Linux]]・[[Oracle Linux]]などである。
== 歴史 ==
Linuxの歴史の初期から、より一般的なユーザーが利用できるように、[[Linuxカーネル]] と [[GNUプロジェクト]]、[[Berkeley Software Distribution|BSD]]、[[X11]]等のソフトウエアを組み合わせて、[[サーバ|ネットワークサーバ]]や[[ワークステーション]]として使えるようにして来た。
2001年にレッドハット系のCaldera、Conectiva、[[SUSE|SuSE]]、[[Turbolinux]]が集まって共同の[[GNU/Linux]]の基本となる [[United Linux]] が公開されているが、現在事実上活動停止の状態になっていた。この背景には、SuSEが[[ノベル (企業)|ノベル]]に買収されたり、[[SCO Group]]( 旧 Caldera International )による [[IBM]] 提訴などがあるとされる。「法的には存在しているが、明かりは消した」状態であると最近のニュースメディアでは報道された。
[[2003年]]の Red Hat Linux 9 を最後にコンシューマ向けのディストリビューションの販売・サポートを中止し、これを [[Fedora Project]] に移譲した。企業向けの [[Red Hat Enterprise Linux]] を軸にサポート・トレーニング・プロフェッショナルサービスなどを収益の軸に据えるようになる。
[[2006年]]にはオープンソースミドルウエアの最大手 [[JBoss Inc.]] を買収し [[JBoss Enterprise Middleware]] を市場投入。Linux 事業に続く2つ目の事業の核を構築。2008年2月にフロリダオーランドで行われた JBoss World では業界で初めての[[サービス指向アーキテクチャ]] (Service Oriented Architecture、SOA) オープンソースソリューションである JBoss Enterpise SOA Platform を市場投入している。これにより、それまでのように OS だけでなく、オープンソースソフトウェアによる統合的なITソリューションを構築できる製品が揃いつつある。
[[2006年]][[12月12日]]に取引所を [[NASDAQ]] から、[[ニューヨーク証券取引所]]へ変更した。これに伴い[[ティッカーシンボル]]も「RHAT」から「RHT」へ変更された。
2008年買収した Qumranet 社の仮想化技術であるカーネルに[[ハイパーバイザー]]機能を持たせる [[Kernel-based Virtual Machine|KVM]] やデスクトップ仮想化 [[VDI]] 、さらに[[分散ファイルシステム]]の登場などによりOSの役割が多様化するに従い、[[仮想化]]・[[クラウドコンピューティング|クラウド]]分野において積極的な成長を図っている。2012年1月 KVMベースの仮想化を最大限に活用できる Red Hat Enterprise Virtualization (RHEV) をオープンソースソフトウェアとして販売開始した。
2010年、Linuxを中心としたプラットフォーム事業部、[[JBoss]]を中心としたミドルウェア事業部に加え、第3の事業部であるクラウド事業部を発足。KVM仮想化やRHEV (Red Hat Enterprise Virtualization) という仮想化管理ソフト、JON (JBoss Operations Network) というミドルウェア管理ソフトなどを駆使したクラウドソリューションを市場投入。[[IBM]]、[[Amazon.com|Amazon]]、SAAVIS や日本の [[NTT]]、[[ソフトバンク]]、[[富士通]]などのパブリッククラウドコンピューティング提供者との提携を結んでいる。
2010年11月には [[PaaS]] ソリューション関連製品を持つ MAKARA 社を買収し、Linux、KVMを中心とした[[IaaS]]クラウドソリューションに加えJBoss, SOAを含んだPAASクラウドソリューションの投入を計画している。
2012年からは第4の事業部としてストレージ(2011年10月に買収した[[GlusterFS]])を展開し始めた。
2012年度決算(2012年2月末)では11億3300万ドルの売上(前年同期比25%増)を発表、ジェームス・ホワイトハースト CEOが着任以来4年で2.2倍の売上成長を達成。株価も過去最高となっている。CEO はさらにオープンクラウド戦略を標榜し更なる事業成長への展開を開始している。
2018年1月30日、CoreOSの買収を発表<ref>{{cite web|title=Red Hat to Acquire CoreOS, Expanding its Kubernetes and Containers Leadership|url=https://www.redhat.com/en/about/press-releases/red-hat-acquire-coreos-expanding-its-kubernetes-and-containers-leadership|accessdate=2018-1-31}}</ref>。コンテナ型の仮想化技術に注力していくとされる。
[[2019年]][[7月9日]]、[[IBM]]がRed Hatを340億[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]([[日本円]]にして約3兆7000億円)で買収した<ref>[https://www.redhat.com/ja/about/press-releases/ibm-closes-landmark-acquisition-red-hat-34-billion-defines-open-hybrid-cloud-future IBM、Red Hatを340億ドルで買収完了。オープンかつ、ハイブリッドなクラウドの未来を切り拓く]</ref>。
== 主力事業 ==
* Linux OS ([[Red Hat Enterprise Linux]])
* [[サービス指向アーキテクチャ]]、[[ミドルウェア]] ( [[JBoss Enterprise Middleware]] )
* [[仮想化]] ( [[Kernel-based Virtual Machine|KVM]]、[[Red Hat Virtualization]] )
* [[クラウドコンピューティング]] ([[IaaS]]: [[CloudForms]]、 [[PaaS]]: [[Open Shift]])
* ストレージ ( [[スケールアウト]]型非構造型ストレージ管理ソフト : [[GlusterFS]] )
世界や日本のトップクラウド・サービス・プロバイダー([[Amazon.com|アマゾン]]、[[IBM]]、[[富士通]]、[[NTT]]、[[ソフトバンク]]、[[テルストラ]]、等)とパートナーシップを結んでおり急速にオープンクラウド・仮想化事業を伸ばしている。
== 認定資格 ==
レッドハッドは以下の認定試験及び資格を提供している<ref>{{Cite web|和書|url=http://jp-redhat.com/training/certification/|title=RED HAT トレーニング|accessdate=2018-1-19}}</ref>。資格に応じた推奨コースも提供される。
=== Red Hat Enterprise Linux 関連 ===
* RHCSA(Red Hat Certified System Administrator)
* RHCE(Red Hat Certified Engineer)- RHCSAの認定が必要
* エキスパート認定 - Server Hardening -
* エキスパート認定 - High Availability Clustering -
* エキスパート認定 - パフォーマンスチューニング -
=== クラウド/仮想化関連資格 ===
* RHCSA - Red Hat OpenStack -
* RHCE - Red Hat OpenStack -
* RHCVA(Red Hat Certified Virtualization Administrator)
* エキスパート認定 - Hybrid Cloud Storage -
=== DevOps/コンテナ技術関連資格 ===
* エキスパート認定 - Platform-as-a-Service -
* エキスパート認定 - Ansible Automation -
=== JBoss関連資格 ===
* RHCJD(Red Hat Certified JBoss Developer)
* RHCJA(Red Hat Certified JBoss Administrator)
=== Red Hat アーキテクト ===
* RHCA(Red Hat Certified Architect)
== 製品 ==
LINUX関連
* [[Red Hat Enterprise Linux]]
* [[Red Hat Enterprise MRG: Messaging Real Time Grid]]
* [[Red Hat HPC Solutions]]
* [[Red Hat Cluster Suite]]
* [[Red Hat Global File Systems]]
* [[Red Hat Application Stack]]
JBossミドルウェア関連
* [[JBoss EAP: Enterprise Application Platform]]
* [[JBoss EWS: Enterprise Web Server]]
* [[JBoss SOA Platform]]
* [[JBoss EPP: Enterprise Portal Platform]]
クラウド・仮想化関連
* [[Cloud Certified Program]]
* [[Red Hat Global File Systems]]
* [[RHEV: Red Hat Enterprise Virtualization]]
* [[RHN: Red Hat Network]]
* [[JON: JBoss Operations Network]]
サービス関連
* [[GPS: Global Professional Service]]
* [[GLS: Global Learning Service]]
== 関連する主なオープンソース・プロジェクト ==
* [[Fedora Project]]
* [[CentOS]]
* [[JBoss.org]]
* [[Spacewalk]]
* [[Delta Cloud API]]
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[FreeOTP]]
* [[OpenShift]]
* [[IBMによる合併買収一覧]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
* {{Official website|https://www.redhat.com/}}
* [https://www.redhat.com/ja/global/japan レッドハット株式会社]
* [https://fedoraproject.org/wiki/Red_Hat_contributions Red Hatによるフリー/オープンソースソフトウェアへの貢献(英語)]
{{レッドハット}}
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[[Category:Linux企業]]
[[Category:アメリカ合衆国のソフトウェア会社]]
[[Category:ノースカロライナ州の企業]]
[[Category:NYSE上場企業]]
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[[Category:IBMによる買収]]
[[Category:2019年の合併と買収]] | 2003-02-13T12:17:28Z | 2023-11-01T16:58:00Z | false | false | false | [
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1,320 | Intel 80386 | Intel 80386(またはi386)はインテルの32ビットマイクロプロセッサ (CPU) である。1985年10月に発表され、x86アーキテクチャを32ビットに拡張し、レジスタを強化した。インテルが現在使用している名称はIntel386プロセッサ (Intel386 Processor) である。互換CPUにも386の型番が付くものがある。
後にIA-32と呼ばれる、インテルの32ビットCPUのベースとなる命令セットアーキテクチャは、このCPUで確定した。アーキテクチャとしてのi386については、x86およびIA-32の項目も参照のこと。
1985年の発表当初の名称はIntel 80386であった。80386専用の数値演算コプロセッサには80387がある。仕様上は80287も接続できるが、そのためにはマシンが80287に対応するように設計されている必要がある。
1988年に80386SX(SXはSingle-word eXternal、つまり16ビット外部バスを意味する) が80386シリーズに加わった際に、従来の32ビット外部バスのプロセッサには区別するためにDXをつけてIntel 80386DX(DXはDouble-word eXternal、つまり32ビット外部バスを意味する)と改名した。
また、インテルが80386からセカンドソースを廃止したため、Am386などの互換プロセッサが出現し、その対策もありi386DXと呼ばれるようになった(数字だけでは商標として登録・保護できないため)。
ごく初期の製品では32ビット演算が正しく行われない、仮想86モードが動作しないという不具合があったが、当初はMS-DOSなどのソフトウェアが主流であり、80286と同様に主として高速な8086/V30として使われていたために32ビット機能を使えなくても重大な支障はなかった。PC-9800シリーズ初の32ビット機「PC-98XL」に採用された例では、32ビット機能がオプション扱いになっており、「機能拡張プロセッサ」を購入してCPUを交換することで32ビット機能を提供する仕様だが、機能拡張プロセッサは不具合が修正された80386そのものである。
80386で採用された32ビット命令セットや仮想86モードはやがて多くのオペレーティングシステム (OS) で徐々に使われるようになっていった。また、Unix系OSであるBSDが移植されて386BSDとなり、Linuxの開発も80386上で開始された。
プロテクトモードとリアルモードの二つの異なる動作モードを備える。80286ではいったんプロテクトモードに入るとリアルモードに戻すにはリセットが必要であったのに対し、80386ではリアルモードとプロテクトモードを行き来することができる。また、プロテクトモード上で複数の8086を仮想的に動作させる仮想86モードが追加された。
汎用レジスタは32ビットに拡張された。32ビットレジスタはEAX、ESIのように従来の16ビットレジスタ名に「E」をつけて呼ばれる。従来の16ビットレジスタに上位16ビットを拡張した形で用意されており、下位16ビットは従来通りの16ビット/8ビットレジスタとしてもアクセス出来る。上位16ビットのみを独立した16ビットレジスタとして使用することは出来ない。
セグメントレジスタは従来のCS、DS、ES、SSの4個にFS、GSが追加された。プロテクトモード上ではセグメントレジスタは単にセグメントアドレスを格納するのではなく、メモリ上のセグメントディスクプリタを指すためのセレクタとなっており、レジスタサイズは16ビットのままである。オフセットアドレスは従来と同じく「ベース」、「インデックス」、「符号付き定数」の3項目の任意の組み合わせで記述するが、32bitの汎用レジスタを用いて記述する場合には必要に応じてインデックス側に*1、*2、*4、*8のいずれかの掛け算(スケールファクタ)も記述できるようになった。
既存の命令が32ビット演算に対応したほか、多くの新命令が追加された。レジスタの直交性が増し、従来「AX は演算用」「SI、DIはメモリ操作用」など用途別に対応命令が細かく分化していたEAX、EBX、ECX、EDX、EBP、ESP、ESI、EDI合計8個の「汎用レジスタ」がほぼ均等に扱えるようになり、コンパイラ言語への対応が容易になった。
レジスタ及び命令の拡張はCPUのモードとは独立したもので、プロテクトモード・リアルモードの別なく使用可能である。従って、リアルモードでも32ビットプロセッサとして動作し32ビット幅のレジスタやデータを扱えるが、64KBを超えるアクセスを実行すると一般保護例外が発生する。
フラグレジスタも32ビットに拡張する形で新たなフラグが設けられた。第16ビットは RF (Resume flag) と呼ばれ、デバッグフォールトの発生を制御する。第17ビットは VM (Virtual 8086 mode)で、このビットが立つことにより仮想86モードに移行する。
従来のMSW (Machine status word)レジスタも拡張され、CR0 - CR3というコントロールレジスタ4個が設けられた。それぞれ32ビットで、CR0の下位16ビットがMSWそのものである。386で追加されたフラグはCR0の第4ビットのET (Extension type)フラグと末尾31ビットのPG (Paging enable)である。前者は80387が存在するとセットされ、後者をセットするとページングが有効になる。CR1は予約されており使用できない。CR2とCR3はページングに使われる。CR2はページング有効時にページフォールトが発生したときにそのアドレスが格納される。CR3の上位20ビットはページングで使用するページディレクトリのアドレス上位20ビットすなわちベースアドレスを記録する。
また、ハードウエアによるデバッグ支援機能が追加され、DR0からDR7のデバッグレジスタを備える。
さらにTLB(トランスレーション・ルックアサイド・バッファ)をテストするテストレジスタTR6-TR7が設けられた。
32ビット化に併せて論理・物理アドレス空間も4GB(32ビット)に拡張され、セグメントサイズも最大4GBに拡張された。従って、セグメント機構の無いプロセッサ同様のフラットメモリモデル(リニアメモリモデル)で全メモリ空間が使用可能である。また可変長のセグメントに加えて固定長のページ単位によるメモリ管理も追加され、近代的なOSの実装が容易になった。
x86アーキテクチャCPUとしては、複数の並列ステージ(Intel386 では6 ステージ)を持つ最初のインテル・アーキテクチャ・プロセッサとなった(初めての「パイプライン」ではないことに注意。80286は80386と同じ4段パイプライン構成)。80386のパイプラインは4段で構成されている。命令の実行は全てマイクロコードで実現されており、複数サイクルの時間を要する。また、複雑な命令の場合はデコードで所要サイクルが増加した。
80386では後のCPUID命令と同様のプロセッサ・シグニチャという概念が導入されたものの、まだCPUID命令そのものは無く、インテルはフラグレジスタを使ったCPU判別方法を紹介している。
80386と80486以降を区別する方法としては、80486で追加されたACビットの存在が利用できる。PUSHFDとPOPFDで読み書きできる32ビット分のフラグのうち第18ビットが該当し、これを変更できれば80486以上、変更できなければ80386系のCPUであると判断できる。ただし32ビット分のフラグレジスタへのアクセス命令は16ビットCPUには存在しないので、これに先立ち80286以前か80386以降かをあらかじめ判別しておく必要がある(詳細はIntel 80286を参照)。
またリセット直後のEDXレジスタには、後のCPUIDのEAX=1に相当するCPUの識別情報(プロセッサ・シグネチャ)が格納されるようになったため、これが利用できる状況ならばそれを使うこともできる(CPUIDも参照)。ただし80386のプロセッサ・シグニチャは80486以降やCPUID命令とは定義に少々違いがあり、80386ではプロセッサタイプが4ビット分使われている。ファミリは4ビットで同じだが、モデル番号に相当する4ビットはメジャー・ステッピングと呼ばれ、ステッピングIDに相当する4ビットはマイナー・ステッピングと呼ばれる。なお上位16ビットはすべて予約ビットとなっており、拡張ファミリと拡張モデルは利用できない。
新たに追加されたコントロールレジスタ (CR0-3)・テストレジスタ (TR6-7)・デバッグレジスタ (DR0-7) のシステムレジスタはニーモニック上はMOV命令でデータ交換する書式ではあるが、当然ながら内部的には新規のシステム命令である。
既存命令と同様の機能で、32ビットのデータや32ビットレジスタを扱うものを挙げる。以下のほか、実質的な追加命令として条件ジャンプ命令が一新されており、16ビットや32ビットのアドレス属性を扱えるコードが新たに用意された。
開発コード名P9。命令セットは80386と互換性があるが、外部アドレス幅を24ビット (16MB)、外部データバスを16ビット幅に縮小し、システム(システム基板、メモリを含む)のトータル的なコストダウンと、既存の80286搭載パーソナルコンピュータ (PC) をほとんど仕様変更せずにCPU換装を可能として、当時急速にシェアを拡大しつつあったAMDなどのセカンドソース版80286、特にIntelが提供していなかった16MHz版Am80286などの高クロック周波数動作対応モデルを市場から駆逐することを念頭に置いて設計されたCPUである。 特にメモリのバス幅が狭いことからプロテクトモードの利用は性能の低下が激しかったが、それでもこのCPUを採用することで、PCメーカーは従来の80286マシンをわずかな手直しを施すだけで「32ビットマシン」として販売することが可能となり、またユーザー側にもMicrosoft Windows 3.1(日本語版)の動作が可能になる、あるいは後述するようにDOS環境でも1MB以上のメモリ空間にマッピングされるプロテクトモード対応増設メモリ(XMSメモリ)を仮想86モードの下でEMSメモリとして割り当てて使用可能となるなど、80286使用時と比較してメモリ利用の自由度が上がるというメリットがあったため、一時は広く普及した。
80386SXをベースに、システムマネジメントモードを追加し、サスペンドやレジューム機能などに対応させたCPU。現在のモバイル用CPUの先駆けといえる。また、日本電気がインテルに発注して製造された、PC-9800シリーズアーキテクチャ専用のCPU、80386SL (98) もある。80386SL (98) にはi386SLロゴの下にPC-98ロゴも入っており、PC9800 NECと打刻されている。通常版にはPC9800 NECの代わりにISAと打刻されている。
80376(英語版)は、組込機器用のマイクロコントローラである。80386SXに基づいているものの、リアルモードを実装しておらず、ブート時からプロテクトモードで動作する。
80386EX(英語版)は、フルスタティック設計の80386SXコアとした組込機器用のマイクロコントローラ。クロック、システムマネージメント、タイマーカウンター、ウォッチドッグタイマー、同期/非同期シリアル入出力、パラレル入出力、DMAコントローラ、DRAMリフレッシュ、JTAG検査ロジックなどの周辺回路を混載し、フットプリントと消費電力とコストの低減を図っている。
80386ピン互換の486DX相当プロセッサだが、プロセッサ・シグネチャは386系を示すx3xx (0340) を返す。FPU内蔵のため、数値演算コプロセッサのソケットにはダミーを挿して使う。
Intel製80386には存在しない独自のCPUキャッシュを搭載した。また、RDMSR・WRMSR命令が実装されていた。
386SL (386SX) ベースのIBM改良版。内部32ビット、外部データバス16ビットのまま、内蔵キャッシュ8Kを搭載。IBM PS/2 などに搭載。インテルは80386からセカンドソースを廃止したが、IBMはインテルとの提携により、80486までは製造ライセンスを持っていた。名称の「C」はCacheの略とも言われる。
IBM 386SLCの改良版。内蔵キャッシュ16Kを搭載。内部32ビット、外部データバス16ビットのまま、内蔵キャッシュ16Kにより486SXと同レベルの性能を実現。ThinkPadなどに搭載。名称こそ486SXに類似するものの、486SXのIBM改良版ではなく、コアは386SL (386SX) ベースである。
IBM 486SLCのダブルクロック版。内部32ビット、外部データバス16ビット、ダブルクロックのまま、内蔵キャッシュ16Kを搭載。PS/V、ThinkPadなどに搭載。比較的後年までCPUアクセラレータにも使われた。サードパーティではSusTeenのWinMasterシリーズの一部の下位機種に搭載されたことがある。
IBM486SLCシリーズの32ビット版に相当する製品群の通称。いくつかの種類があり、最大で3倍速のものも登場した。製品によって386DXベースとも486SLベースとも言われる。
32ビットCPUとして登場したものの、当初のPC市場にはその機能を活用できるOSは存在しておらず、単に高速なx86CPUとして、主にMS-DOS環境で使われる場合が多かった。
その後、80386のアーキテクチャを前提として新たに開発された32ビットOSとして、OS/2 2.0やWindows NTが市場に登場するが、その頃には既に80486が登場しており、80386は下位機種向けで外部16ビットバスの386SXが主流となりつつあった。外部16ビットのシステムで32ビットOSを動かすには力不足が明白であり、結果的により高速なIntel 486やPentiumプロセッサがその後を受け継ぐこととなった。
MS-DOS環境における利点は、メモリマネージャとよばれるソフト(EMM386.EXE等)によって仮想86モードへと移行し、高速・広帯域のプロテクトメモリを転用してEMSメモリをハードウェアEMSと同等、またはそれ以上の性能で実現できたことである。しかしこれも本来の80386の機能・スペックからすると中途半端な使い方であり、80386本来の機能を活かし切るには程遠いものであった。
また仮想86モードの使用はI/Oアクセスなどの際にトラップを発生させ、その処理と復帰に数十サイクル程度の時間を要するため、25MHzや33MHzの80386であっても、処理によっては12MHzの80286と大差ない状況や、場合によってはむしろ劣るといった状況を招いてしまうこともあった。ただし、通常の演算処理やメモリ操作に関しては、CPUおよびメモリの駆動クロックの差が実効性能に反映されるため、これは都合の悪い処理をピンポイント的に繰り返した際の話にすぎない。
80386用に改良されたOSとして以下が登場した。
80386搭載PCは「高額」とは言っても、当時隆盛していたRISCワークステーション等よりは大幅に安価であったため、より大規模なシステムで利用されていたUNIXなどの32ビットOS環境をこれら安価なパーソナルコンピュータに移植する試みが、80386の登場によって始められた。1988年には当時既にSPARCプロセッサを搭載するSUN-4を製造販売していたサン・マイクロシステムズがSUN386iと称する、SUN OS 4.0の386対応版を搭載するワークステーションを発表し、低価格であるだけでなく、当時のSPARC搭載機では困難であった、MS-DOS環境とSUN OS環境の共存を制限付きながら可能とするなど、当時のRISCプロセッサ搭載機にはない新しい機能についての提案を行った。その後、386BSD(後のFreeBSDおよびNetBSD)やLinuxなど、今日の代表的なPC-UNIX系環境の移植やビルドが始められたが、その理由や動機は、80386の登場によってパーソナルコンピュータがこれらの近代的な32ビットオペレーティングシステム環境を実現するだけの機能や性能を持ちえるに至ったからに他ならない。2000年代末にはWindowsがOS市場の殆どを占めたことに加え、PC-UNIXが伝統的なUNIXと同等の機能と信頼性を備えたことで、80386から始まったIA-32を利用した方が圧倒的にコストパフォーマンスが高くなったため、ハイエンド用途やレガシーソフトウェアの利用を除いてIA-32がSPARCを駆逐するにまで至っている。
80386で実装された32ビット命令(のちのIA-32命令)は、登場から30年以上が経過したが、上位互換を保ったCPUがインテルから提供され続けている他、AMD、VIAが発売しているx86系のさまざまな互換CPUにおいても継承され続けており、多くのパーソナルコンピュータと多くのサーバで採用され続けている。80386の命令アーキテクチャは、ARMアーキテクチャと並び、これまでに最も普及した命令アーキテクチャと言える。80386以降のIA-32プロセッサでは基本命令の追加はあまりなく、MMX、SSE、SSE2、SSE3などのSIMD命令の追加が主であった。 | [
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"text": "さらにTLB(トランスレーション・ルックアサイド・バッファ)をテストするテストレジスタTR6-TR7が設けられた。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "32ビット化に併せて論理・物理アドレス空間も4GB(32ビット)に拡張され、セグメントサイズも最大4GBに拡張された。従って、セグメント機構の無いプロセッサ同様のフラットメモリモデル(リニアメモリモデル)で全メモリ空間が使用可能である。また可変長のセグメントに加えて固定長のページ単位によるメモリ管理も追加され、近代的なOSの実装が容易になった。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 17,
"tag": "p",
"text": "x86アーキテクチャCPUとしては、複数の並列ステージ(Intel386 では6 ステージ)を持つ最初のインテル・アーキテクチャ・プロセッサとなった(初めての「パイプライン」ではないことに注意。80286は80386と同じ4段パイプライン構成)。80386のパイプラインは4段で構成されている。命令の実行は全てマイクロコードで実現されており、複数サイクルの時間を要する。また、複雑な命令の場合はデコードで所要サイクルが増加した。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "80386では後のCPUID命令と同様のプロセッサ・シグニチャという概念が導入されたものの、まだCPUID命令そのものは無く、インテルはフラグレジスタを使ったCPU判別方法を紹介している。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "80386と80486以降を区別する方法としては、80486で追加されたACビットの存在が利用できる。PUSHFDとPOPFDで読み書きできる32ビット分のフラグのうち第18ビットが該当し、これを変更できれば80486以上、変更できなければ80386系のCPUであると判断できる。ただし32ビット分のフラグレジスタへのアクセス命令は16ビットCPUには存在しないので、これに先立ち80286以前か80386以降かをあらかじめ判別しておく必要がある(詳細はIntel 80286を参照)。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "またリセット直後のEDXレジスタには、後のCPUIDのEAX=1に相当するCPUの識別情報(プロセッサ・シグネチャ)が格納されるようになったため、これが利用できる状況ならばそれを使うこともできる(CPUIDも参照)。ただし80386のプロセッサ・シグニチャは80486以降やCPUID命令とは定義に少々違いがあり、80386ではプロセッサタイプが4ビット分使われている。ファミリは4ビットで同じだが、モデル番号に相当する4ビットはメジャー・ステッピングと呼ばれ、ステッピングIDに相当する4ビットはマイナー・ステッピングと呼ばれる。なお上位16ビットはすべて予約ビットとなっており、拡張ファミリと拡張モデルは利用できない。",
"title": "特徴"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "新たに追加されたコントロールレジスタ (CR0-3)・テストレジスタ (TR6-7)・デバッグレジスタ (DR0-7) のシステムレジスタはニーモニック上はMOV命令でデータ交換する書式ではあるが、当然ながら内部的には新規のシステム命令である。",
"title": "追加命令一覧"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "既存命令と同様の機能で、32ビットのデータや32ビットレジスタを扱うものを挙げる。以下のほか、実質的な追加命令として条件ジャンプ命令が一新されており、16ビットや32ビットのアドレス属性を扱えるコードが新たに用意された。",
"title": "追加命令一覧"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "開発コード名P9。命令セットは80386と互換性があるが、外部アドレス幅を24ビット (16MB)、外部データバスを16ビット幅に縮小し、システム(システム基板、メモリを含む)のトータル的なコストダウンと、既存の80286搭載パーソナルコンピュータ (PC) をほとんど仕様変更せずにCPU換装を可能として、当時急速にシェアを拡大しつつあったAMDなどのセカンドソース版80286、特にIntelが提供していなかった16MHz版Am80286などの高クロック周波数動作対応モデルを市場から駆逐することを念頭に置いて設計されたCPUである。 特にメモリのバス幅が狭いことからプロテクトモードの利用は性能の低下が激しかったが、それでもこのCPUを採用することで、PCメーカーは従来の80286マシンをわずかな手直しを施すだけで「32ビットマシン」として販売することが可能となり、またユーザー側にもMicrosoft Windows 3.1(日本語版)の動作が可能になる、あるいは後述するようにDOS環境でも1MB以上のメモリ空間にマッピングされるプロテクトモード対応増設メモリ(XMSメモリ)を仮想86モードの下でEMSメモリとして割り当てて使用可能となるなど、80286使用時と比較してメモリ利用の自由度が上がるというメリットがあったため、一時は広く普及した。",
"title": "その他の80386シリーズ"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "80386SXをベースに、システムマネジメントモードを追加し、サスペンドやレジューム機能などに対応させたCPU。現在のモバイル用CPUの先駆けといえる。また、日本電気がインテルに発注して製造された、PC-9800シリーズアーキテクチャ専用のCPU、80386SL (98) もある。80386SL (98) にはi386SLロゴの下にPC-98ロゴも入っており、PC9800 NECと打刻されている。通常版にはPC9800 NECの代わりにISAと打刻されている。",
"title": "その他の80386シリーズ"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "",
"title": "その他の80386シリーズ"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "80376(英語版)は、組込機器用のマイクロコントローラである。80386SXに基づいているものの、リアルモードを実装しておらず、ブート時からプロテクトモードで動作する。",
"title": "その他の80386シリーズ"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "80386EX(英語版)は、フルスタティック設計の80386SXコアとした組込機器用のマイクロコントローラ。クロック、システムマネージメント、タイマーカウンター、ウォッチドッグタイマー、同期/非同期シリアル入出力、パラレル入出力、DMAコントローラ、DRAMリフレッシュ、JTAG検査ロジックなどの周辺回路を混載し、フットプリントと消費電力とコストの低減を図っている。",
"title": "その他の80386シリーズ"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "80386ピン互換の486DX相当プロセッサだが、プロセッサ・シグネチャは386系を示すx3xx (0340) を返す。FPU内蔵のため、数値演算コプロセッサのソケットにはダミーを挿して使う。",
"title": "その他の80386シリーズ"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "Intel製80386には存在しない独自のCPUキャッシュを搭載した。また、RDMSR・WRMSR命令が実装されていた。",
"title": "その他の80386シリーズ"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "386SL (386SX) ベースのIBM改良版。内部32ビット、外部データバス16ビットのまま、内蔵キャッシュ8Kを搭載。IBM PS/2 などに搭載。インテルは80386からセカンドソースを廃止したが、IBMはインテルとの提携により、80486までは製造ライセンスを持っていた。名称の「C」はCacheの略とも言われる。",
"title": "その他の80386シリーズ"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "IBM 386SLCの改良版。内蔵キャッシュ16Kを搭載。内部32ビット、外部データバス16ビットのまま、内蔵キャッシュ16Kにより486SXと同レベルの性能を実現。ThinkPadなどに搭載。名称こそ486SXに類似するものの、486SXのIBM改良版ではなく、コアは386SL (386SX) ベースである。",
"title": "その他の80386シリーズ"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "IBM 486SLCのダブルクロック版。内部32ビット、外部データバス16ビット、ダブルクロックのまま、内蔵キャッシュ16Kを搭載。PS/V、ThinkPadなどに搭載。比較的後年までCPUアクセラレータにも使われた。サードパーティではSusTeenのWinMasterシリーズの一部の下位機種に搭載されたことがある。",
"title": "その他の80386シリーズ"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "IBM486SLCシリーズの32ビット版に相当する製品群の通称。いくつかの種類があり、最大で3倍速のものも登場した。製品によって386DXベースとも486SLベースとも言われる。",
"title": "その他の80386シリーズ"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "32ビットCPUとして登場したものの、当初のPC市場にはその機能を活用できるOSは存在しておらず、単に高速なx86CPUとして、主にMS-DOS環境で使われる場合が多かった。",
"title": "影響"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "その後、80386のアーキテクチャを前提として新たに開発された32ビットOSとして、OS/2 2.0やWindows NTが市場に登場するが、その頃には既に80486が登場しており、80386は下位機種向けで外部16ビットバスの386SXが主流となりつつあった。外部16ビットのシステムで32ビットOSを動かすには力不足が明白であり、結果的により高速なIntel 486やPentiumプロセッサがその後を受け継ぐこととなった。",
"title": "影響"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "MS-DOS環境における利点は、メモリマネージャとよばれるソフト(EMM386.EXE等)によって仮想86モードへと移行し、高速・広帯域のプロテクトメモリを転用してEMSメモリをハードウェアEMSと同等、またはそれ以上の性能で実現できたことである。しかしこれも本来の80386の機能・スペックからすると中途半端な使い方であり、80386本来の機能を活かし切るには程遠いものであった。",
"title": "影響"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "また仮想86モードの使用はI/Oアクセスなどの際にトラップを発生させ、その処理と復帰に数十サイクル程度の時間を要するため、25MHzや33MHzの80386であっても、処理によっては12MHzの80286と大差ない状況や、場合によってはむしろ劣るといった状況を招いてしまうこともあった。ただし、通常の演算処理やメモリ操作に関しては、CPUおよびメモリの駆動クロックの差が実効性能に反映されるため、これは都合の悪い処理をピンポイント的に繰り返した際の話にすぎない。",
"title": "影響"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "80386用に改良されたOSとして以下が登場した。",
"title": "影響"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "80386搭載PCは「高額」とは言っても、当時隆盛していたRISCワークステーション等よりは大幅に安価であったため、より大規模なシステムで利用されていたUNIXなどの32ビットOS環境をこれら安価なパーソナルコンピュータに移植する試みが、80386の登場によって始められた。1988年には当時既にSPARCプロセッサを搭載するSUN-4を製造販売していたサン・マイクロシステムズがSUN386iと称する、SUN OS 4.0の386対応版を搭載するワークステーションを発表し、低価格であるだけでなく、当時のSPARC搭載機では困難であった、MS-DOS環境とSUN OS環境の共存を制限付きながら可能とするなど、当時のRISCプロセッサ搭載機にはない新しい機能についての提案を行った。その後、386BSD(後のFreeBSDおよびNetBSD)やLinuxなど、今日の代表的なPC-UNIX系環境の移植やビルドが始められたが、その理由や動機は、80386の登場によってパーソナルコンピュータがこれらの近代的な32ビットオペレーティングシステム環境を実現するだけの機能や性能を持ちえるに至ったからに他ならない。2000年代末にはWindowsがOS市場の殆どを占めたことに加え、PC-UNIXが伝統的なUNIXと同等の機能と信頼性を備えたことで、80386から始まったIA-32を利用した方が圧倒的にコストパフォーマンスが高くなったため、ハイエンド用途やレガシーソフトウェアの利用を除いてIA-32がSPARCを駆逐するにまで至っている。",
"title": "影響"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "80386で実装された32ビット命令(のちのIA-32命令)は、登場から30年以上が経過したが、上位互換を保ったCPUがインテルから提供され続けている他、AMD、VIAが発売しているx86系のさまざまな互換CPUにおいても継承され続けており、多くのパーソナルコンピュータと多くのサーバで採用され続けている。80386の命令アーキテクチャは、ARMアーキテクチャと並び、これまでに最も普及した命令アーキテクチャと言える。80386以降のIA-32プロセッサでは基本命令の追加はあまりなく、MMX、SSE、SSE2、SSE3などのSIMD命令の追加が主であった。",
"title": "その後の状況"
}
] | Intel 80386(またはi386)はインテルの32ビットマイクロプロセッサ (CPU) である。1985年10月に発表され、x86アーキテクチャを32ビットに拡張し、レジスタを強化した。インテルが現在使用している名称はIntel386TMプロセッサ である。互換CPUにも386の型番が付くものがある。 後にIA-32と呼ばれる、インテルの32ビットCPUのベースとなる命令セットアーキテクチャは、このCPUで確定した。アーキテクチャとしてのi386については、x86およびIA-32の項目も参照のこと。 | {{出典の明記|date=2018年10月}}
{{Infobox CPU
| 名称 = 80386
| 画像 = Ic-photo-intel-A80386DX-33-IV-(386DX).png
| 画像サイズ = 200px
| 画像の説明 = i386DX 33MHz
| 生産開始 = 1985年10月
| 生産終了 = 2007年9月28日
| 生産者 = Intel, AMD, IBM
| 最低周波数 = 12
| 最高周波数 = 40
| 最低周波数単位 = MHz
| 最高周波数単位 = MHz
| 最大プロセスルール = 1.5μm
| 最小プロセスルール = 1μm
| 命令セット = [[x86]] ([[IA-32]])
| パッケージ = 132ピン[[パッケージ (電子部品)#PGA (Pin Grid Array)|PGA]]・[[PQFP]]<br />100ピン PQFP・BQFP
|コプロセッサ=386DX: [[X87#Intel_80387|Intel 80387]]
386SX: [[X87#Intel_80387|Intel 80387SX]]|トランジスタ=275000|前世代プロセッサ=[[Intel 80286]]|次世代プロセッサ=[[Intel 80486]]}}
'''Intel 80386'''(または'''i386''')は[[インテル]]の[[32ビット]][[マイクロプロセッサ]] ([[CPU]]) である。[[1985年]][[10月]]に発表され、[[x86]]アーキテクチャを32ビットに拡張し、[[レジスタ (コンピュータ)|レジスタ]]を強化した。インテルが現在使用している名称は'''Intel386<sup>TM</sup>プロセッサ''' ('''Intel386<sup>TM</sup> Processor''') である。互換CPUにも386の型番が付くものがある。
後に[[IA-32]]と呼ばれる、インテルの32ビットCPUのベースとなる[[命令セット]][[コンピュータ・アーキテクチャ|アーキテクチャ]]は、このCPUで確定した。アーキテクチャとしての'''i386'''については、'''[[x86]]'''および'''[[IA-32]]'''の項目も参照のこと。
== 概要 ==
1985年の発表当初の名称はIntel 80386であった。80386専用の[[FPU|数値演算コプロセッサ]]には[[Intel 80387|80387]]がある。仕様上は[[Intel 80287|80287]]も接続できるが、そのためにはマシンが80287に対応するように設計されている必要がある。
[[1988年]]に80386SX(SXはSingle-word eXternal、つまり[[16ビット]]外部バスを意味する) が80386シリーズに加わった際に、従来の32ビット外部バスのプロセッサには区別するためにDXをつけてIntel 80386DX(DXはDouble-word eXternal、つまり32ビット外部バスを意味する)と改名した。
また、インテルが80386から[[セカンドソース]]を廃止したため、[[Am386]]などの[[互換性|互換]]プロセッサが出現し、その対策もありi386DXと呼ばれるようになった(数字だけでは[[商標]]として登録・保護できないため)。
ごく初期の製品では32ビット演算が正しく行われない、[[仮想86モード]]が動作しないという不具合があったが、当初はMS-DOSなどのソフトウェアが主流であり、80286と同様に主として高速な8086/V30<ref group="注">ただし、同一クロック周波数・どちらもリアルモードでも386より286の方が高速である。386をプロテクトモードにすると(MS-DOSで使っていても拡張メモリマネージャを使うためにはその必要がある)さらにその差は開く。そのためかインテルは16MHz以上の286を出さなかった。逆に286のセカンドソーサや286互換CPUメーカーは、16MHz以上、果てはメーカーによっては25MHzという高速の286を製造・販売した。</ref>として使われていたために32ビット機能を使えなくても重大な支障はなかった。[[PC-9800シリーズ]]初の32ビット機「PC-98XL<sup>2</sup>」に採用された例では、32ビット機能がオプション扱いになっており、「機能拡張プロセッサ」を購入してCPUを交換することで32ビット機能を提供する仕様だが、機能拡張プロセッサは不具合が修正された80386そのものである。
80386で採用された32ビット命令セットや仮想86モードはやがて多くの[[オペレーティングシステム]] (OS) で徐々に使われるようになっていった。また、[[Unix系]]OSである[[Berkeley Software Distribution|BSD]]が移植されて[[386BSD]]となり、[[Linux]]の開発も80386上で開始された。
== 特徴 ==
=== 機能 ===
[[ファイル:80386DX arch.png|thumb|right|300px|80386DXの内部ブロック図]]
[[プロテクトモード]]と[[リアルモード]]の二つの異なる動作モードを備える。[[Intel 80286|80286]]ではいったんプロテクトモードに入るとリアルモードに戻すにはリセットが必要であったのに対し、80386ではリアルモードとプロテクトモードを行き来することができる。また、プロテクトモード上で複数の[[Intel 8086|8086]]を仮想的に動作させる[[仮想86モード]]が追加された。
汎用レジスタは32ビットに拡張された。32ビットレジスタはEAX、ESIのように従来の16ビットレジスタ名に「E」をつけて呼ばれる。従来の16ビットレジスタに上位16ビットを拡張した形で用意されており、下位16ビットは従来通りの16ビット/8ビットレジスタとしてもアクセス出来る。上位16ビットのみを独立した16ビットレジスタとして使用することは出来ない。
[[セグメント方式|セグメント]]レジスタは従来のCS、DS、ES、SSの4個にFS、GSが追加された。プロテクトモード上ではセグメントレジスタは単にセグメントアドレスを格納するのではなく、メモリ上のセグメントディスクプリタを指すためのセレクタ<ref group="注">[[セグメント方式#x86]]を参照。</ref>となっており、レジスタサイズは16ビットのままである。オフセットアドレスは従来と同じく「ベース」、「インデックス」、「符号付き定数」の3項目の任意の組み合わせで記述するが、32bitの汎用レジスタ<ref group="注">ただしスタックポインタ(ESP)はインデックスとして使用できない。</ref>を用いて記述する場合には必要に応じてインデックス側に<code>*1</code>、<code>*2</code>、<code>*4</code>、<code>*8</code>のいずれかの掛け算(スケールファクタ)も記述できるようになった。
既存の命令が32ビット演算に対応したほか、多くの新命令が追加された。レジスタの[[直交性]]が増し、従来「AX は演算用」「SI、DIはメモリ操作用」など用途別に対応命令が細かく分化していたEAX、EBX、ECX、EDX、EBP、ESP、ESI、EDI合計8個の「汎用レジスタ」がほぼ均等に扱えるようになり、[[コンパイラ]]言語への対応が容易になった。
レジスタ及び命令の拡張はCPUのモードとは独立したもので、プロテクトモード・リアルモードの別なく使用可能である。従って、リアルモードでも32ビットプロセッサとして動作し32ビット幅のレジスタやデータを扱えるが、64KBを超えるアクセスを実行すると一般保護例外が発生する。<ref group="注">64KBを超えるアクセスには予めセグメントリミットの変更が必要。[[リアルモード]]を参照。</ref>
フラグレジスタも32ビットに拡張する形で新たなフラグが設けられた。第16ビットは RF (Resume flag) と呼ばれ、デバッグフォールトの発生を制御する。第17ビットは VM (Virtual 8086 mode)で、このビットが立つことにより仮想86モードに移行する。
従来のMSW (Machine status word)レジスタも拡張され、CR0 - CR3というコントロールレジスタ4個が設けられた。それぞれ32ビットで、CR0の下位16ビットがMSWそのものである。386で追加されたフラグはCR0の第4ビットのET (Extension type)フラグと末尾31ビットのPG (Paging enable)である。前者は80387が存在するとセットされ、後者をセットすると[[ページング方式|ページング]]が有効になる。CR1は予約されており使用できない。CR2とCR3はページングに使われる<ref group="注">80486以降はCR3の下位ビットに新たなフラグも設定された。</ref>。CR2はページング有効時にページフォールトが発生したときにそのアドレスが格納される。CR3の上位20ビットはページングで使用するページディレクトリのアドレス上位20ビットすなわちベースアドレスを記録する。
また、ハードウエアによるデバッグ支援機能が追加され、DR0からDR7のデバッグレジスタを備える<ref group="注">うち2本は予約されているのみで、機能は無い。</ref>。
さらにTLB(トランスレーション・ルックアサイド・バッファ)をテストするテストレジスタTR6-TR7が設けられた<ref group="注">なお80486ではさらにTR3-TR5が追加されている。</ref>。
32ビット化に併せて論理・物理[[アドレス空間]]も4GB(32ビット)に拡張され、セグメントサイズも最大4GBに拡張された。従って、セグメント機構の無いプロセッサ同様のフラットメモリモデル(リニアメモリモデル)で全メモリ空間が使用可能である。また可変長のセグメントに加えて固定長の[[ページング方式|ページ]]単位による[[メモリ管理]]も追加され、近代的なOSの実装が容易になった。
=== アーキテクチャ ===
[[x86]]アーキテクチャCPUとしては、複数の並列ステージ(Intel386 では6 ステージ)を持つ最初のインテル・アーキテクチャ・プロセッサとなった(初めての「パイプライン」ではないことに注意<ref>http://download.intel.com/design/intarch/manuals/24319001.PDF </ref>。80286は80386と同じ4段パイプライン構成<ref group="注">詳細は[[:en:Intel_80286]]を参照。</ref>)。80386のパイプラインは4段で構成されている。命令の実行は全て[[マイクロコード]]で実現されており、複数サイクルの時間を要する。また、複雑な命令の場合はデコードで所要サイクルが増加した。
=== 80386の判別 ===
80386では後の[[CPUID]]命令と同様のプロセッサ・シグニチャという概念が導入されたものの、まだCPUID命令そのものは無く、インテルは[[ステータスレジスタ|フラグレジスタ]]を使ったCPU判別方法を紹介している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.intel.co.jp/content/dam/www/public/ijkk/jp/ja/documents/developer/Processor_Identification_071405_i.pdf|title=インテル(R) プロセッサの識別とCPUID命令|publisher=インテル|format=PDF|accessdate=2017-12-23|language=英語・日本語}}</ref>。
80386と80486以降を区別する方法としては、80486で追加されたACビットの存在が利用できる。<code>PUSHFD</code>と<code>POPFD</code>で読み書きできる32ビット分のフラグのうち第18ビットが該当し、これを変更できれば80486以上、変更できなければ80386系のCPUであると判断できる。ただし32ビット分のフラグレジスタへのアクセス命令は16ビットCPUには存在しないので、これに先立ち80286以前か80386以降かをあらかじめ判別しておく必要がある(詳細は[[Intel 80286]]を参照)。
またリセット直後のEDXレジスタには、後のCPUIDのEAX=1に相当するCPUの識別情報(プロセッサ・シグネチャ<!-- ("signature"の表記ゆれについて、出典のinlelのPDFでは「シグニチャ」表記だが、jawikiの項目名が[[シグネチャ]]だったので、念のためそちらに合わせた) -->)が格納されるようになったため、これが利用できる状況{{Refnest|group="注"|例えば80286用に作られたソフトウェアがプロテクトモードからリアルモードに戻るときの外部ハードウェア機構を利用することで、CPUをリセットしつつも、OSは処理を続行することができる(ただし復帰処理の際にDXレジスタが保存されるか否かは機種によって異なる)。また、PC-98ではメモリアドレス0000:0486に保存される<ref name="memsys">{{Cite web|和書|url=http://www.webtech.co.jp/company/doc/undocumented_mem/memsys.txt|title=BIOSが使用するシステム共通域|publisher=[[ウェブテクノロジ]]|format=プレーンテキスト|accessdate=2018-01-08}}</ref>。}}ならばそれを使うこともできる([[CPUID]]も参照)。ただし80386のプロセッサ・シグニチャは80486以降やCPUID命令とは定義に少々違いがあり、80386ではプロセッサタイプが4ビット分使われている。ファミリは4ビットで同じだが、モデル番号に相当する4ビットはメジャー・ステッピングと呼ばれ、ステッピングIDに相当する4ビットはマイナー・ステッピングと呼ばれる。なお上位16ビットはすべて予約ビットとなっており、拡張ファミリと拡張モデルは利用できない。
== 追加命令一覧 ==
=== システム命令 ===
新たに追加されたコントロールレジスタ (CR0-3)・テストレジスタ (TR6-7)・デバッグレジスタ (DR0-7) のシステムレジスタはニーモニック上は<code>MOV</code>命令でデータ交換する書式ではあるが、当然ながら内部的には新規のシステム命令である。
=== 既存命令の32ビット版に相当する一般命令 ===
既存命令と同様の機能で、32ビットのデータや32ビットレジスタを扱うものを挙げる。以下のほか、実質的な追加命令として条件ジャンプ命令が一新されており、16ビットや32ビットのアドレス属性を扱えるコードが新たに用意された。
CDQ (Convert doubleword to qwadword)
CMPSD (Compare string double word)
CWDE (Convert word to doubleword extended)
INSD (Input string double word)
IRETD (Interrupt return using EIP)
JECXZ (Jump if ECX is zero)
LODSD (Load string double word)
MOVSD (Move string double word)
OUTSD (Output string double word)
POPAD (Pop all general doubleword registers)
POPFD (Pop extended flags off stack)
PUSHAD (Push all general doubleword registers)
PUSHFD (Push extended flags onto stack)
SCASD (Scan string double word)
STOSD (Store string double word)
=== その他の一般命令 ===
* ビットをテストする命令群が6個追加された。
* アドレス(セグメント・オフセット)をロードする命令には、新たにSS・FS・GSのセグメントレジスタに対応したものが用意された。
* データのビット長を拡張する命令および、シフト命令について、結果を別のレジスタに保存できる命令が新たに追加された。
* 条件SET命令は各種の条件ジャンプ命令の冒頭の"J"の部分を"SET"にそれぞれ置き換えたニーモニック表記の命令群で、条件が合致した際にはジャンプする代わりに、判定結果を指定されたレジスタやメモリに保存するだけの動作となる。
BSF (Bit scan forward)
BSR (Bit scan reverse)
BT (Bit test)
BTC (Bit test and complement)
BTR (Bit test and reset)
BTS (Bit test and set)
LFS (Load pointer using FS)
LGS (Load pointer using GS)
LSS (Load pointer using SS)
MOVSX (Move with sign extend)
MOVZX (Move with zero extend)
SHLD (Double precision shift left)
SHRD (Double precision shift right)
条件SET (Byte set on condition)
=== 非公開命令 ===
* ICEBP
:[[インサーキット・エミュレータ|ICE]]が接続されている状態でこの命令を実行すると、ICE側のプログラムに制御が移る。ICEが接続されていない状態ではシングルステップ割込みINT 1を実行する<ref name=rcollins-sep97>[http://www.rcollins.org/ddj/Sep97/Sep97.html In-Circuit Emulation:How the Microprocessor Evolved Over Time]</ref>。のちにINT1(オペコードはF1)として公開された。
* UMOV
:ICE側のメモリとデバッグターゲット側のメモリ間の転送命令である<ref name=rcollins-sep97/>。
* [[LOADALL]]
:ICE側でこの命令を実行するとICEBP実行時点のレジスタの状態をすべてもどしてデバッグターゲット側でのプログラムの実行に戻る。また、ICEとは関係ないがLOADALLを使用するとリアルモードのままで、プロテクトメモリを含む4Gバイトのメモリにアクセス可能となる。ただし、80386以降では{{仮リンク|Unreal mode|en|Unreal mode}}を使用すればLOADALLを使用しなくともリアルモードのままで4Gバイトのメモリにアクセス可能である。
== その他の80386シリーズ ==
=== 80386SX ===
[[ファイル:I386SX.jpg|thumb|200px|i386SX(外部から機能を停止できるC STEP)]]
開発コード名P9。命令セットは80386と互換性があるが、外部アドレス幅を[[24ビット]] (16MB)、外部[[データバス]]を[[16ビット]]幅に縮小し、システム(システム基板、メモリを含む)のトータル的なコストダウンと、既存の80286搭載[[パーソナルコンピュータ]] (PC) をほとんど仕様変更せずにCPU換装を可能として、当時急速にシェアを拡大しつつあった[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]などの[[セカンドソース]]版80286、特にIntelが提供していなかった16MHz版[[Am80286]]などの高クロック周波数動作対応モデルを市場から駆逐することを念頭に置いて設計されたCPUである。
特にメモリのバス幅が狭いことからプロテクトモードの利用は性能の低下が激しかったが<ref name = abc>{{cite encyclopedia | encyclopedia = 『電脳辞典 1990's パソコン用語のABC』 | title = i 80386SX | editor = ピクニック企画, 堤大介 | language = 日本語 | date = 1990-03-01 | publisher = ピクニック企画 | isbn = 4-938659-00-X | pages = 309}} によれば、データ処理能力は20%ほどの低下を来す。</ref>、それでもこのCPUを採用することで、PCメーカーは従来の[[Intel 80286|80286]]マシンをわずかな手直しを施すだけで「32ビットマシン」として販売することが可能となり、またユーザー側にも[[Microsoft Windows 3.x|Microsoft Windows 3.1]](日本語版)の動作が可能になる、あるいは後述するようにDOS環境でも1MB以上のメモリ空間にマッピングされるプロテクトモード対応増設メモリ([[XMS]]メモリ)を仮想86モードの下で[[Expanded Memory Specification|EMS]]メモリとして割り当てて使用可能となるなど、80286使用時と比較してメモリ利用の自由度が上がるというメリットがあったため、一時は広く普及した。
=== 80386SL ===
[[ファイル:KL Intel i386SL.jpg|thumb|200px|i386SL(PQFPパッケージ)]]
80386SXをベースに、[[システムマネジメントモード]]を追加し、サスペンドやレジューム機能などに対応させたCPU。現在のモバイル用CPUの先駆けといえる。また、[[日本電気]]が[[インテル]]に発注して製造された、[[PC-9800シリーズ]]アーキテクチャ専用のCPU、80386SL (98) もある。80386SL (98) にはi386SLロゴの下にPC-98ロゴも入っており、PC9800 NECと打刻されている。通常版にはPC9800 NECの代わりにISAと打刻されている。
=== 80376 ===
'''{{仮リンク|80376|en|Intel 80376}}'''は、組込機器用の[[マイクロコントローラ]]である。80386SXに基づいているものの、[[リアルモード]]を実装しておらず、ブート時から[[プロテクトモード]]で動作する。<ref>{{Cite web
|authorlink=インテル
|date=2002-09-12
<!-- |year=2002
|month=09 -->
|url=http://www.intel.com/design/intarch/datashts/24018204.pdf
|title=376TM HIGH PERFORMANCE 32-BIT EMBEDDED PROCESSOR
|format=PDF
|language=英語
|accessdate=2008-04-06
}}</ref>
=== 80386EX ===
'''{{仮リンク|80386EX|en|Intel 80386EX}}'''は、フルスタティック設計の80386SXコアとした組込機器用の[[マイクロコントローラ]]。クロック、システムマネージメント、タイマーカウンター、[[ウォッチドッグタイマー]]、同期/非同期[[シリアル通信|シリアル]]入出力、パラレル入出力、[[Direct Memory Access|DMA]]コントローラ、[[Dynamic Random Access Memory|DRAM]]リフレッシュ、[[JTAG]]検査ロジックなどの周辺回路を混載し、フットプリントと消費電力とコストの低減を図っている。<ref>{{Cite web
|authorlink=インテル
|date=2002-09-12
<!-- |year=2002
|month=09 -->
|url=http://www.intel.com/products/mid/ultramobile2007.htm
|title=Intel386™ Processors
|language=英語
|accessdate=2008-04-06
}}</ref>
=== RapidCAD ===
{{main|w:RapidCAD}}
80386ピン互換の486DX相当プロセッサだが、プロセッサ・シグネチャは386系を示すx3xx (0340) を返す<ref name="memsys"/>。FPU内蔵のため、数値演算コプロセッサのソケットにはダミーを挿して使う<ref>{{Cite web|和書|url=https://ascii.jp/elem/000/000/809/809566/3/|title=Intel 8087からRapidCADまで コプロセッサーの歴史|publisher=ASCII.jp|date=2013-07-22|accessdate=2020-03-29}}</ref>。
=== IBM製 ===
{{main|IBM 386SLC}}
Intel製80386には存在しない独自のCPUキャッシュを搭載した。また、<code>RDMSR</code>・<code>WRMSR</code>命令が実装されていた<ref>Frank van Gilluwe, "The Undocumented PC, second edition", 1997, {{ISBN|0-201-47950-8}}, page 55</ref>。
==== IBM 386SLC ====
386SL (386SX) ベースの[[IBM]]改良版。内部32ビット、外部データバス16ビットのまま、内蔵キャッシュ8Kを搭載。[[IBM PS/2]] などに搭載。[[インテル]]は80386から[[セカンドソース]]を廃止したが、IBMはインテルとの提携により、[[80486]]までは製造ライセンスを持っていた。名称の「C」はCacheの略とも言われる。
<!-- ↓ノート参照。もしも情報があればお寄せください。
==== IBM 386SLC2 ====
IBM 386SLCのダブルクロック版。例えば386SLC2-50/25は、ベースクロック25MHz、内部クロック50MHzで稼働する。[[PS/V]]などに搭載。
-->
==== IBM 486SLC ====
IBM 386SLCの改良版。内蔵キャッシュ16Kを搭載。内部32ビット、外部データバス16ビットのまま、内蔵キャッシュ16Kにより486SXと同レベルの性能を実現。[[ThinkPad]]などに搭載。名称こそ486SXに類似するものの、486SXのIBM改良版ではなく、'''コアは386SL (386SX) ベース'''である。
==== IBM 486SLC2 ====
IBM 486SLCのダブルクロック版。内部32ビット、外部データバス16ビット、ダブルクロックのまま、内蔵キャッシュ16Kを搭載。[[PS/V]]、[[ThinkPad]]などに搭載。比較的後年まで[[Intel 80286#CPUアクセラレータ|CPUアクセラレータ]]にも使われた。サードパーティでは[[SusTeen]]のWinMasterシリーズの一部の下位機種に搭載されたことがある<ref>「Susteen最新鋭機種登場」、月刊ソフマップワールド1993年8月号、p33。</ref>。
==== Blue Lightning ====
IBM486SLCシリーズの32ビット版に相当する製品群の通称。いくつかの種類があり、最大で3倍速のものも登場した。製品によって386DXベースとも486SLベースとも言われる<ref>{{Cite web|和書|url=https://xtech.nikkei.com/dm/article/NEWS/20090316/167237/|title=【マイコンデータ室】その他のx86系プロセサの系譜|publisher=日経XTECH|author=大原雄介|date=2009-03-16|accessdate=2020-12-27}}</ref>。
== 影響 ==
32ビットCPUとして登場したものの、当初のPC市場にはその機能を活用できるOSは存在しておらず、単に高速な[[x86]]CPUとして、主に[[MS-DOS]]環境で使われる場合が多かった。
その後、80386のアーキテクチャを前提として新たに開発された32ビットOSとして、[[OS/2]] 2.0や[[Microsoft Windows NT|Windows NT]]が市場に登場するが、その頃には既に80486が登場しており、80386は下位機種向けで外部16ビットバスの386SXが主流となりつつあった。外部16ビットのシステムで32ビットOSを動かすには力不足が明白であり、結果的により高速な[[Intel 486]]や[[Pentium]]プロセッサがその後を受け継ぐこととなった。
=== MS-DOS ===
MS-DOS環境における利点は、メモリマネージャとよばれるソフト([[EMM386|EMM386.EXE]]等)によって仮想86モードへと移行し、高速・広帯域のプロテクトメモリを転用して[[Expanded Memory Specification|EMS]]メモリをハードウェアEMSと同等、またはそれ以上の性能で実現できたことである。しかしこれも本来の80386の機能・スペックからすると中途半端な使い方であり、80386本来の機能を活かし切るには程遠いものであった。
<!---しかし、それも本来の80386のスペックからすると中途半端な使い方であり、[[80286]]に対するアドバンテージとしては不足していた。<br>
しかもMS-DOSユーザーが主に使う[[リアルモード]]での動作速度は同クロックの80286と大差ないかむしろ遅いほどで、その割りにハードウェアが高額であったことから普及は遅々として進まなかった。<br>
インテル製のプロセッサ同士で比較した場合、80386DXは33MHz駆動で80286は12MHz駆動であり、クロック分の性能差はあったが、80286は[[セカンドソース]]で他社による生産が行われており、各社が高クロック版を作成していたため、クロック差によるアドバンテージは実質的になくなっていた。--->
また仮想86モードの使用はI/Oアクセスなどの際にトラップを発生させ、その処理と復帰に数十サイクル程度の時間を要するため、25MHzや33MHzの80386であっても、処理によっては12MHzの80286と大差ない状況や、場合によってはむしろ劣るといった状況を招いてしまうこともあった。ただし、通常の演算処理やメモリ操作に関しては、CPUおよびメモリの駆動クロックの差が実効性能に反映されるため、これは都合の悪い処理をピンポイント的に繰り返した際の話にすぎない。
=== Microsoft Windowsなど ===
80386用に改良されたOSとして以下が登場した。
*[[Microsoft Windows]] (Windows)
**Windows386 2.1 (リアルモード用[[16ビットアプリケーション]]を前提とした16ビットOSだが、OS自体は80386のプロテクトモードを活用するようになった)
**Windows 3.0 (80286相当のプロテクトモードに対応した16ビットアプリケーションを前提とした16ビットOSであるが、OS自体はエンハンスドモード動作時に32ビットの仮想86モードを活用している)
**Windows NT (OS自体を32ビット化)
*[[OS/2]]
**OS/2 2.0 (OS自体を32ビット化。MVDMに[[仮想86モード]]を使用する)
*[[NetWare]]
**NetWare386 ([[MS-DOS]]から起動し、80386のプロテクトモードを使用できる)
*TownsOS
**富士通FM TOWNS用(MS-DOSにDOSエクステンダを組み合わせたもの。80386のプロテクトモードを使用。4GBリニアな論理アドレス空間を活かしたマルチメディアデータの取り扱いを可能にした)
=== UNIX ===
80386搭載PCは「高額」とは言っても、当時隆盛していた[[RISC]][[ワークステーション]]等よりは大幅に安価であったため、より大規模なシステムで利用されていた[[UNIX]]などの32ビットOS環境をこれら安価なパーソナルコンピュータに移植する試みが、80386の登場によって始められた。1988年には当時既にSPARCプロセッサを搭載するSUN-4を製造販売していた[[サン・マイクロシステムズ]]がSUN386iと称する、SUN OS 4.0の386対応版を搭載するワークステーションを発表し、低価格であるだけでなく、当時のSPARC搭載機では困難であった、MS-DOS環境とSUN OS環境の共存を制限付きながら可能とするなど、当時のRISCプロセッサ搭載機にはない新しい機能についての提案を行った。その後、[[386BSD]](後の[[FreeBSD]]および[[NetBSD]])や[[Linux]]など、今日の代表的な[[PC-UNIX]]系環境の移植やビルドが始められたが、その理由や動機は、80386の登場によってパーソナルコンピュータがこれらの近代的な32ビットオペレーティングシステム環境を実現するだけの機能や性能を持ちえるに至ったからに他ならない。[[2000年代]]末には[[Microsoft Windows|Windows]]がOS市場の殆どを占めたことに加え、[[PC-UNIX]]が伝統的な[[UNIX]]と同等の機能と信頼性を備えたことで、80386から始まった[[IA-32]]を利用した方が圧倒的にコストパフォーマンスが高くなったため、ハイエンド用途やレガシーソフトウェアの利用を除いて[[IA-32]]が[[SPARC]]を駆逐するにまで至っている。
== その後の状況 ==
80386で実装された32ビット命令(のちの[[IA-32]]命令)は、登場から30年以上が経過したが、上位互換を保ったCPUがインテルから提供され続けている他、[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]、[[VIA Technologies|VIA]]が発売しているx86系のさまざまな互換CPUにおいても継承され続けており、多くのパーソナルコンピュータと多くのサーバで採用され続けている。80386の命令アーキテクチャは、[[ARMアーキテクチャ]]と並び、これまでに最も普及した命令アーキテクチャと言える。80386以降の[[IA-32]]プロセッサでは基本命令の追加はあまりなく、[[MMX]]、[[ストリーミングSIMD拡張命令|SSE]]、SSE2、SSE3などの[[SIMD]]命令の追加が主であった。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Intel i386}}
*[[x86]]
*[[IA-32]]
*[[IA-64]]
{{Intel_processors}}
{{Normdaten}}
[[Category:インテルのx86マイクロプロセッサ|80386]] | 2003-02-13T12:17:50Z | 2023-09-27T05:24:15Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/Intel_80386 |
1,323 | 小林賢太郎 | 小林 賢太郎(こばやし けんたろう、1973年4月17日 - )は、日本の劇作家、演出家、元コメディアン、元パフォーマー。スタジオコンテナ所属。
静岡県生まれ 神奈川県横浜市旭区出身。多摩美術大学版画科卒業。
1996年に大学の同級生、片桐仁とコントグループ「ラーメンズ」を結成。脚本・演出・出演のすべてを手がける。演劇プロジェクト「小林賢太郎プロデュース公演(K.K.P)」、パントマイム・マジック・イラスト・映像などを駆使して構成されるソロパフォーマンス「POTSUNEN」、コント集団「カジャラ」など、劇場を中心に活動を重ねる。また2009年から2019年まで、年に一度『小林賢太郎テレビ』(NHK BSプレミアム)にてコントを披露していた。ほか、小島淳二との映像製作ユニット「NAMIKIBASHI」、升野英知(バカリズム)との大喜利ユニット「大喜利猿」、田中知之 (Fantastic Plastic Machine) との音楽ユニット「SymmetryS」としての活動も行っていた。
2020年に芸能界からの引退を表明し、ラーメンズとしての活動は事実上終了した。現在は劇作家および演出家として活動している。
1996年、片桐仁とともにラーメンズを結成。
1999年から2004年まで『ヤングマガジンアッパーズ』(講談社)に『鼻兎』を連載していた。
2002年、自ら脚本・演出を手掛ける演劇プロジェクト「小林賢太郎プロデュース公演 (KKP)」 を立ち上げた。
2005年、ソロコントプロジェクト「POTSUNEN」を立ち上げた。2012年には、初の海外公演(パリ・モナコ)を果たす。
2007年度、舞台演劇情報誌の「演劇ぶっく」にて、演劇ランキングと俳優ランキング第1位を獲得。2010年、2012年度には俳優ランキング第1位を獲得した。
2009年から2019年まで『小林賢太郎テレビ』(NHK BSプレミアム)が、年に1度放送された。
2013年、『ボクらの時代』(フジテレビ)に出演。長年の友人であるバカリズムの熱烈なオファーにより、約10年ぶりの民放テレビ出演を果たした。バカリズム、いとうせいこうと共に鼎談を行った。
2014年9月、『孤独のグルメ Season4』(テレビ東京)の最終話にて初めてテレビドラマに役付で出演した。同年に放送された『小林賢太郎テレビ6』に松重豊が出演したことがきっかけとなった。
2016年、新作コント公演「カジャラ」を立ち上げた。
2017年10月17日、自身の著作物の管理やライブ運営及びマネジメントを行う事務所「スタジオコンテナ」を設立・移籍。それに伴いトゥインクル・コーポレーションの所属タレントページからラーメンズが削除され、現在は片桐仁のみが掲載されている。また、ラーメンズ、POTSUNEN、演劇プロジェクトなどそれぞれの公式サイトも小林の個人サイトに一元化される。
2020年11月16日をもって芸能界の全ての表舞台から引退した、と同年12月1日にトゥインクル・コーポレーションから発表された。同社によれば、芸能界引退後も執筆活動など裏方としての活動は継続されるとのことである。小林はこの引退を「肩書きから『パフォーマー』を外した」と表現し、理由の一つとして足を悪くしてしまったことを挙げている。
2021年1月5日、noteにて有料の定期購読マガジン「小林賢太郎のノート」を連載開始。
同年10月29日公開予定のドキュメンタリー映画『場所はいつも旅先だった』に、朗読で参加する。
2021年7月14日、五輪組織委員会は、東京オリンピック・パラリンピックの開会式と閉会式の「式典コンセプト」を発表。小林は開会式・閉会式のクリエイター役職一覧で1番手に名を連ね、肩書は事実上トップの「ショーディレクター」とされた。
ところが7月21日夜、コアマガジンが発刊する『実話BUNKAタブー』が自身の公式Twitterアカウント上でラーメンズ時代のコントを一部切り抜き紹介。コントの中で使用している発言を問題視した。さらに元ハフポスト編集長、高橋浩祐がYahooニュースに寄稿したことにより、ツイートは広く拡散され、インターネット上で騒動となった。問題とされたのは、1998年5月発売のビデオソフト『ネタde笑辞典ライブ Vol.4』に収録されたコント。NHKの教育番組『できるかな』をパロディにし、「ノッポさん」に扮した小林と「ゴン太くん」に扮した片桐は、あり得ない題目を採用しようとして却下されるという例えで「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というフレーズを使用していた。このため、小林の人選は、差別反対を掲げるオリンピック憲章に抵触する可能性があると指摘された。同日(日本時間22日)、ホロコーストの記録保存や反ユダヤ主義の監視を行う非政府組織「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が声明を発表。22日午前2時、中山泰秀副防衛大臣は自身のTwitterを更新。Twitterの一般利用者から騒動の報告を受け、自ら同団体に連絡を取ったと述べた。
組織委員会は21日深夜から22日朝にかけて対応を協議。開会式前日にあたる22日の午前、小林を解任した。同日、小林は組織委員会を通して謝罪コメントを発表している。
2020年作品までは兼出演(「二人舞台」「カラフル忍者いろまき」を除く)
脚本、演出、美術、出演:小林賢太郎
※コンビでの出演作はラーメンズの項を参照のこと。 | [
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}
] | 小林 賢太郎は、日本の劇作家、演出家、元コメディアン、元パフォーマー。スタジオコンテナ所属。 | {{Otheruses|[[コメディアン]]の小林賢太郎|[[本名]]が「小林健太郎」の[[料理研究家]]|ケンタロウ}}
{{複数の問題|存命人物の出典明記=2015年9月|中立=2021年7月}}
{{ActorActress
| 芸名 = 小林 賢太郎
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| 事務所 = スタジオコンテナ
| 公式サイト = [https://www.studiocontena.jp/ studio Contena <br />KENTARO KOBAYASHI WORKS]
| 主な作品 = 漫画 『[[鼻兎]]』<br />著書 『小林賢太郎戯曲集』<br />短篇集 『こばなしけんたろう』<br />絵本 『うるうの森』
| アカデミー賞 =
| AFI賞 =
| 英国アカデミー賞 =
| セザール賞 =
| エミー賞 =
| ジェミニ賞 =
| ゴールデングローブ賞 =
| ゴールデンラズベリー賞 =
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| グラミー賞 =
| ブルーリボン賞 =
| ローレンス・オリヴィエ賞 =
| 全米映画俳優組合賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 =
| その他の賞 = [[2009年]] 第26回[[全日本テレビ番組製作社連盟|ATP賞テレビグランプリ]] 最優秀賞(〜笑劇開演〜 小林賢太郎テレビ)
| 備考 =
}}
{{Infobox お笑い芸人
| 名前 = {{ruby|小林|こばやし}} {{ruby|賢太郎|けんたろう}}
| 画像 =
| キャプション =
| 本名 = 小林 賢太郎(読み同じ)
| ニックネーム = コバケン
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1973|4|17}}
| 没年月日 =
| 出身地 = {{JPN}}・[[神奈川県]][[横浜市]][[旭区 (横浜市)|旭区]]
| 血液型 = [[ABO式血液型|A型]]
| 身長 = 182cm
| 方言 = [[共通語]]・[[横浜弁]]
| 最終学歴 = [[多摩美術大学]][[版画]]科
| 師匠 =
| 出身 =
| コンビ名 = [[ラーメンズ]]
| トリオ名 =
| グループ名 =
| 相方 = [[片桐仁]]
| 芸風 =
| 立ち位置 =
| 事務所 = スタジオコンテナ
| 活動時期 = [[1995年]] - 2020年11月16日{{Refnest|group="注"|2020年11月16日をもって芸能界の全ての表舞台から引退した、と発表した。芸能界引退後も執筆活動など裏方としての活動は継続する<ref name="twincle20201201" />。}}<br />2020年11月17日 - (裏方として)
| 同期 = [[品川庄司]]<br/>[[角田晃広]]([[東京03]])など
| 現在の代表番組=
| 過去の代表番組=
| 作品 = 漫画 『[[鼻兎]]』<br />著書 『小林賢太郎戯曲集』<br/>短篇集 『こばなしけんたろう』<br/>絵本 『うるうの森』
| 他の活動 = [[漫画家]]、[[劇作家]]、[[演出家]]
| 配偶者 = 既婚
| 弟子 =
| 公式サイト = [https://www.studiocontena.jp/ studio Contena <br />KENTARO KOBAYASHI WORKS]
| 受賞歴 = [[2009年]] 第26回[[全日本テレビ番組製作社連盟|ATP賞テレビグランプリ]] 最優秀賞(〜笑劇開演〜 小林賢太郎テレビ)
}}
'''小林 賢太郎'''(こばやし けんたろう、[[1973年]][[4月17日]] - )は、[[日本]]の[[劇作家]]、[[演出家]]、元[[コメディアン]]、元[[パフォーマー]]。スタジオコンテナ所属。
== 概要 ==
[[静岡県]]生まれ<ref>{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20020610004854/http://www.twinkle-co.co.jp/watakushinikki.htm|title=ウェイバックマシーン|accessdate=2021.8.23}}</ref> [[神奈川県]][[横浜市]][[旭区 (横浜市)|旭区]]出身。[[多摩美術大学]][[版画]]科卒業。
1996年に大学の同級生、[[片桐仁]]と[[コント]]グループ「[[ラーメンズ]]」を結成。脚本・演出・出演のすべてを手がける。演劇プロジェクト「[[小林賢太郎プロデュース公演]](K.K.P)」、[[パントマイム]]・[[奇術|マジック]]・[[イラストレーション|イラスト]]・映像などを駆使して構成されるソロパフォーマンス「[[POTSUNEN]]」、コント集団「[[カジャラ]]」など、劇場を中心に活動を重ねる。また[[2009年]]から[[2019年]]まで、年に一度『[[小林賢太郎テレビ]]』([[NHK BSプレミアム]])にてコントを披露していた<ref>{{Cite web|和書|url=https://kentarokobayashi.net/message/2020/01/01/3359/|title=来ましたね、2020年が。|accessdate=2020/1/10|publisher=}}</ref>。ほか、[[小島淳二]]との映像製作ユニット「[[NAMIKIBASHI]]」、升野英知([[バカリズム]])との[[大喜利]]ユニット「[[大喜利猿]]」、田中知之 ([[Fantastic Plastic Machine]]) との音楽ユニット「[[SymmetryS]]」としての活動も行っていた。
[[2020年]]に芸能界からの引退を表明し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2020/12/01/0013906190.shtml|title=小林賢太郎、引退理由「足が悪くて…」限界パフォーマンス無理|website=[[デイリースポーツ|デイリースポーツ online]]|work=株式会社デイリースポーツ|date=2020-12-01|accessdate=2021-07-22}}</ref>、[[ラーメンズ]]としての活動は事実上終了した。現在は劇作家および演出家として活動している。
== 来歴 ==
===1996年 - 2020年:ラーメンズ・パフォーマーとして===
[[1996年]]、[[片桐仁]]とともに'''ラーメンズ'''を結成。
[[1999年]]から2004年まで『[[ヤングマガジンアッパーズ]]』([[講談社]])に『[[鼻兎]]』を連載していた。
[[2002年]]、自ら脚本・演出を手掛ける演劇プロジェクト「小林賢太郎プロデュース公演 (KKP)」 を立ち上げた。
[[2005年]]、ソロコントプロジェクト「POTSUNEN」を立ち上げた。2012年には、初の海外公演([[パリ]]・[[モナコ]])を果たす。
[[2007年]]度、舞台演劇情報誌の「演劇ぶっく」にて、演劇ランキングと俳優ランキング第1位を獲得。2010年、2012年度には俳優ランキング第1位を獲得した。
[[2009年]]から2019年まで『小林賢太郎テレビ』(NHK BSプレミアム)が、年に1度放送された。
[[2013年]]、『[[ボクらの時代]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])に出演。長年の友人であるバカリズムの熱烈なオファーにより、約10年ぶりの民放テレビ出演を果たした。バカリズム、[[いとうせいこう]]と共に鼎談を行った。
[[2014年]]9月、『[[孤独のグルメ#日本版テレビドラマ|孤独のグルメ Season4]]』([[テレビ東京]])の最終話にて初めて[[テレビドラマ]]に役付で出演した。同年に放送された『小林賢太郎テレビ6』に[[松重豊]]が出演したことがきっかけとなった。
[[2016年]]、新作コント公演「カジャラ」を立ち上げた。
[[2017年]][[10月17日]]、自身の著作物の管理やライブ運営及びマネジメントを行う事務所「スタジオコンテナ」を設立・移籍<ref>[http://kentarokobayashi.net/message/2017/10/17 業務連絡です。異動になりました。]小林賢太郎のしごと 2017年10月17日、2017年11月28日閲覧</ref>{{Refnest|group="注"|スタッフは前事務所のトゥインクル・コーポレーションの経営陣が担当しており、また、引退時のトゥインクル・コーポレーションによる発表において「弊社所属タレントの小林賢太郎」との表現が用いられていた<ref name="twincle20201201">{{Cite press release|和書|url=http://www.twinkle-co.co.jp/info/kobayashikentarou.html|title=小林賢太郎 芸能活動からの引退及び退所のお知らせ|publisher=[[トゥインクル・コーポレーション]]|date=2020-12-01|accessdate=2020-12-01}}</ref>事から、独立というよりは暖簾分けに近い形。}}。それに伴い[[トゥインクル・コーポレーション]]の所属タレントページからラーメンズが削除され、現在は片桐仁のみが掲載されている。また、ラーメンズ、POTSUNEN、演劇プロジェクトなどそれぞれの公式サイトも小林の個人サイトに一元化される。
===2020年 - 現在===
[[2020年]][[11月16日]]をもって芸能界の全ての表舞台から引退した、と同年[[12月1日]]にトゥインクル・コーポレーションから発表された。同社によれば、芸能界引退後も執筆活動など裏方としての活動は継続されるとのことである<ref name="twincle20201201" /><ref>{{Cite news |和書 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/12/01/kiji/20201201s00041000244000c.html |title=小林賢太郎が芸能活動引退 裏方へ 09年以来ラーメンズ本公演叶わず 事務所引き留めも「強い希望」 |newspaper=スポニチスクエア |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=2020-12-01 |accessdate=2020-12-01}}</ref>。小林はこの引退を「肩書きから『パフォーマー』を外した」と表現し、理由の一つとして足を悪くしてしまったことを挙げている<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/kkw_official/status/1333658005154324481 |title=【HP更新】 “小林賢太郎より”を更新しました。 「肩書きから「パフォーマー」をはずしました。」 |accessdate=2020-12-05}}</ref>。
[[2021年]][[1月5日]]、[[note (配信サイト)|note]]にて有料の定期購読マガジン「小林賢太郎のノート」を連載開始<ref>[https://www.studiocontena.jp/post/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E8%B3%A2%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%AE%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88 小林賢太郎のノート]</ref>。
同年[[10月29日]]公開予定の[[ドキュメンタリー]][[映画]]『場所はいつも旅先だった』に、朗読で参加する<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/owarai/news/429705 |title=小林賢太郎が朗読で参加、ドキュメンタリー映画「場所はいつも旅先だった」 |website=お笑いナタリー |publisher=ナターシャ |date=2021-05-26 |accessdate=2021-07-22}}</ref>。
==== 東京五輪開会式演出担当と解任 ====
2021年[[7月14日]]、[[東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会|五輪組織委員会]]は、[[2020年東京オリンピック・パラリンピック|東京オリンピック・パラリンピック]]の[[2020年東京オリンピックの開会式|開会式]]と[[2020年東京オリンピックの閉会式|閉会式]]の「式典コンセプト」を発表。小林は開会式・閉会式のクリエイター役職一覧で1番手に名を連ね、肩書は事実上トップの「ショーディレクター」とされた<ref name="hokkoku20210715">{{Cite news |url=https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/469559 |title=五輪パラ開閉会式、共通コンセプト&クリエイティブチームのメンバーなど発表 |newspaper=[[北國新聞]] |date=2021-07-15 |accessdate=2021-07-20}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://olympics.com/tokyo-2020/ja/news/news-20210714-03-ja |title=東京2020大会開閉会式4式典共通コンセプトならびに東京2020オリンピック開閉会式コンセプトを発表 |publisher=東京2020オリンピック競技大会公式ウェブサイト |date=2021-07-14 |accessdate=2021-07-20}}</ref>。
ところが[[7月21日]]夜、コアマガジンが発刊する『[[実話BUNKAタブー]]』が自身の公式Twitterアカウント上でラーメンズ時代のコントを一部切り抜き紹介。コントの中で使用している発言を問題視した。さらに元[[ハフポスト]]編集長、[[高橋浩祐]]が[[Yahoo!ニュース|Yahooニュース]]に寄稿したことにより、ツイートは広く拡散され、[[インターネット]]上で騒動となった。問題とされたのは、1998年5月発売のビデオソフト『ネタde笑辞典ライブ Vol.4』に収録されたコント。[[日本放送協会|NHK]]の[[教育番組]]『[[できるかな]]』をパロディにし、「ノッポさん」に扮した小林と「ゴン太くん」に扮した片桐は、あり得ない題目を採用しようとして却下されるという例えで「[[ユダヤ人]]大量惨殺ごっこ」というフレーズを使用していた。<ref>{{Cite news |url=https://www.sanspo.com/article/20210725-5A2DKGZX2RG5TH3FJXOEIA7NIA/ |title= 太田光、小林賢太郎氏解任のネタを解説「『できるかな』の“偽善性”を茶化す」 |newspaper=サンケイスポーツ |date=2021-07-25 |accessdate=2021-07-25}}</ref>このため、小林の人選は、差別反対を掲げる[[オリンピック憲章]]に抵触する可能性があると指摘された<ref>{{Cite news |url=https://news.yahoo.co.jp/byline/takahashikosuke/20210722-00249199 |title=五輪開会式ディレクターの小林賢太郎氏、芸人時代にホロコーストを笑いのネタに |newspaper=Yahoo!ニュース |date=2021-07-21 |accessdate=2021-07-22}}</ref>。同日(日本時間22日)、[[ホロコースト]]の記録保存や[[反ユダヤ主義]]の監視を行う非政府組織「[[サイモン・ウィーゼンタール・センター]]」が声明を発表<ref name="SWC20210721">{{Cite web |url=https://www.wiesenthal.com/about/news/swc-condemns-anti-semitic-1.html |title=SWC Condemns Anti-Semitic Remarks by Director of Opening Ceremony of Tokyo Olympics |publisher=[[サイモン・ウィーゼンタール・センター|Simon Wiesenthal Center]] |date=2021-07-21 |accessdate=2021-07-22}}</ref>。22日午前2時、[[中山泰秀]]副防衛大臣は自身のTwitterを更新。Twitterの一般利用者から騒動の報告を受け、自ら同団体に連絡を取ったと述べた<ref name="mainichi20210722">{{cite news |author=岩壁峻、倉沢仁志 |url=https://mainichi.jp/articles/20210722/k00/00m/040/100000c | title=橋本会長「副防衛相の指摘ではない」 小林氏問題、早朝に確認 | newspaper=毎日新聞 | date=2021-7-22 | accessdate=2021-07-22 }}</ref><ref>[https://twitter.com/iloveyatchan/status/1417896461262483457 中山泰秀 Yasuhide NAKAYAMA やっちゃん 2021年7月22日 午前2:17]</ref><ref>{{Cite news |url=https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12156-1174061/ |title= 【東京五輪】小林賢太郎氏が解任、イスラエル紙は擁護 中山泰秀防衛副大臣が戦犯とも |newspaper=@niftyニュース |accessdate=2021-07-30}}</ref>。
組織委員会は21日深夜から22日朝にかけて対応を協議。開会式前日にあたる22日の午前、小林を解任した<ref>{{Cite web|和書|author= |url=https://www.asahi.com/articles/ASP7Q3QBZP7QUTIL00N.html |title=五輪開閉会式ディレクターの小林賢太郎氏を解任 組織委 | publisher=朝日新聞 | date=2021-7-22 | accessdate=2021-7-22 }}</ref>。同日、小林は組織委員会を通して謝罪コメントを発表している<ref>{{Cite news |url=https://web.archive.org/web/20210722032920/https://nordot.app/790782426070319104|title=小林賢太郎氏のコメント|newspaper=共同通信 |date=2021-07-22 |accessdate=2021-07-22}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.youtube.com/watch?v=Sr7V6-6Y3ng | title=Olympics ceremony boss sacked over Holocaust joke | newspaper=BBC News | date=2021-7-22 | accessdate=2021-7-23 }}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.cyzo.com/2021/08/post_287470_entry_3.html | title=小林賢太郎、五輪ディレクター解任劇と批判であらためて考える“芸人”の社会での位置 | newspaper=日刊サイゾー | accessdate=2021-08-03 }}</ref>。
== 人物 ==
* 特技は[[デッサン]]、[[奇術|手品]]、[[パントマイム]]、[[歌]]など。これらは作品の演出にも用いられている<ref>{{Cite web|和書|title=小林賢太郎「ポツネン氏の奇妙で平凡な日々」DVD / Blu-ray化|url=https://natalie.mu/owarai/news/166506|website=お笑いナタリ―|accessdate=2015-11-19}}</ref>。
* 大学生のころに、デパートのマジック用品売り場で実演販売のアルバイトをしていた。
* 物心ついたときから、絵を描くことや不思議なこと、笑っている人が好きで様々なことにのめりこんだという。小学生のころは、漫画家をめざし学級文庫などに並べる同人誌作りに没頭。中学生のころは、マジシャンをめざし手品を猛練習していた。高校生になり、美大受験のためデッサンを勉強。大学生の時は、落研サークルをつくり、漫才のネタ作りにハマっていた。「自分のつくったもので人を楽しませる」ということを喜びにして生きてきた、と自著で述べている<ref>{{Cite |和書 | author = 小林賢太郎 | title = 僕がコントや演劇のために考えていること | date = 2014 | publisher = 幻冬舎| ref = harv }}</ref>。
* 自らを「コントの虫」と称するほどのコント好き。「コントには無限の可能性があると信じている」と発言し、その領域を追究していた。
* 客席に優劣を作らないという方針のもと、ファンクラブなどは設置していない。
* パフォーマーとしての引退発表を受け、「日本の表現者の中でも稀有な存在であったコバケンさん。その独特の世界観は多くのファンがいました。彼がいなくなった(表舞台から)事は本当に寂しいです」と「[[水曜どうでしょう]]」の出演者である[[鈴井貴之]]がコメントを寄せた。そのほか、[[君の席]]でユニットを組んだ[[バナナマン]]や[[おぎやはぎ]]も本件について自身のラジオで触れている。
* {{要出典範囲|date=2016年6月|中学3年生の頃、文化祭で行われた演劇の脚本・演出を担当し、それで優勝したことが、芸能界に入るきっかけの一つとなったと語っている}}。
== 作品 ==
2020年作品までは兼出演(「二人舞台」「カラフル忍者いろまき」を除く)
=== ラーメンズ ===
{{main|ラーメンズ}}
=== プロデュース公演 ===
{{main|小林賢太郎プロデュース公演}}
* 小林賢太郎プロデュース公演#001「[[good day house]]」(2002年)
* 小林賢太郎プロデュース公演#002「[[Sweet7]]」(2003年)
* 小林賢太郎プロデュース公演#003「[[Paper Runner]]」(2004年)
* 小林賢太郎プロデュース公演#004「[[LENS]]」(2004年)
* 小林賢太郎プロデュース公演#005「[[TAKEOFF 〜ライト三兄弟〜]]」(2006年、2007年)
* 小林賢太郎プロデュース公演#006「[[TRIUMPH (戯曲)|TRIUMPH]]」(2008年)
* 小林賢太郎プロデュース公演#007「[[ロールシャッハ (戯曲)|ロールシャッハ]]」(2010年、2012年)
* 小林賢太郎プロデュース公演#008「[[うるう (戯曲)|うるう]]」(2011年 - 2012年、2015年 - 2016年、2019年 - 2020年)
* 小林賢太郎演劇作品「[[振り子とチーズケーキ]]」(2013年)
* 小林賢太郎演劇作品「ノケモノノケモノ」(2014年)
=== ソロ公演 ===
{{main|POTSUNEN}}
脚本、演出、美術、出演:小林賢太郎
* KENTARO KOBAYASHI SOLO CONTE LIVE 「ポツネン」(2005)
* KENTARO KOBAYASHI SOLO CONTE LIVE 「○ -maru-」(2006)
* Kentaro Kobayashi Solo Performance Live Potsunen 2008 『Drop』(2008)
* ポツネン氏の庭 〜The spot garden of Mr.Potsunen〜(2009)
* Kentaro Kobayashi Solo Performance Live Potsunen 2010 『SPOT』(2010)
* ポツネン氏の庭 〜The spot garden of Mr.Potsunen〜(2011)
* Kentaro Kobayashi Solo Performance LIVE POTSUNEN 2011 『THE SPOT』(2011)
* Kentaro Kobayashi Solo Performance LIVE POTSUNEN 2012 『P』(2012)
* Kentaro Kobayashi Solo Performance LIVE POTSUNEN 2013『P+』(2013)
* Kentaro Kobayashi Solo Performance LIVE POTSUNEN 2014/2015『ポツネン氏の奇妙で平凡な日々』(2014-2015、2017)
=== 新作コント公演 ===
{{main|カジャラ}}
* カジャラ#1 『大人たるもの』(2016)
* カジャラ#2 『裸の王様』(2017)
* カジャラ#3 『働けど働けど』(2018)
* カジャラ#4 『怪獣たちの宴』(2019)
* カジャラ#5 『無関心の旅人』(2020)
=== その他 ===
* 舞台 [[安田ユーシ]]・[[犬飼若浩]]「二人舞台」(2006)(作、演出)
* [[Jam Films]] 「机上の空論」
* 「[[THE JAPANESE TRADITION 〜日本の形〜]]」
* 『68FILMS 侍ショートフィルム』「ROOM SERVICE」([[BS-TBS|BS-i]]、2008年9月19日)(主演、脚本)
* [[若手アニメーター育成プロジェクト|あにめたまご2016]]「カラフル忍者いろまき」(監督・脚本担当)
*「[[東京五輪音頭|東京五輪音頭-2020-]]」
== 出演 ==
※コンビでの出演作は[[ラーメンズ]]の項を参照のこと。
=== バラエティ番組 ===
* 過去のレギュラー番組
** 『[[小林賢太郎テレビ]]』([[NHK BSプレミアム]]、2009年 - 2019年)
** 『[[金髪先生]]』([[テレビ朝日]]、1997年3月25日 - 9月30日)
** 『[[ピタゴラスイッチ]]』([[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]])- 何してるの?おじさん
* 単発出演
** 『[[ボクらの時代]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、2013年4月28日) - [[いとうせいこう]]、[[バカリズム]]と鼎談
**『[[SWITCHインタビュー 達人達]]』(NHK Eテレ、2019年11月30日)- [[椎名林檎]]と対談
=== テレビドラマ ===
* 『[[孤独のグルメ#日本版テレビドラマ|孤独のグルメ Season 4]]』最終話([[テレビ東京]]、2014年9月24日) - マスター 役
=== 公演 ===
* [[東京03]] 10周年記念 悪ふざけ公演「タチの悪い流れ」(2013年9月20日出演)<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/owarai/news/99775|title=当日券も決定、タチの悪い悪ふざけな東京03ショー開幕|newspaper=お笑いナタリー|date=2013-09-20|accessdate=2019-05-24}}</ref><ref group="注">ただし、後に発売された本公演を収録したDVDにおいては小林の出演シーンはカットされている。</ref>
* [[久ヶ沢徹]]生誕50周年祭 久ヶ沢牛乳presents「A HALF CENTURY BOY」(2012年9月9日ソワレ、ゲスト出演)
=== CM ===
* [[セイコーエプソン]] [[カラリオ]](2003年)
* [[ケンタッキーフライドチキン]](2004年)
* [[トヨタホーム]](2005年 - )
* [[明治製菓]] UP
* [[三菱電機]] V301D 「Bar」篇
* [[キリンビール]] チューハイ 氷結 「新レモン」篇(ナレーション)
* [[三井住友海上]] 安心を売る仕事 子猫篇、帽子篇
* [[日本郵便]] [[ゆうパック]] [[レターパック]] 「配達希望時間帯拡充」篇、「初回受取場所変更」篇、「ゆうパックスマホ割・あて名ラベル」篇、「合理的」篇 (ナレーション)(2018年 - )
=== PV ===
* [[KREVA]] 「[[国民的行事 (曲)|国民的行事]]」
* [[Fantastic Plastic Machine]] 「Tell Me」
* [[椎名林檎]] 「[[茎 (STEM) 〜大名遊ビ編〜]]」
=== 映像作品 ===
* 椎名林檎 「[[賣笑エクスタシー]]」
* 椎名林檎 「[[短篇キネマ 百色眼鏡]]」
=== 短編映画 ===
* 「ライフ・イズ・ジャーニー」(監督:[[田辺誠一]]、2003年)
=== 音楽 ===
* [[KREVA]]「[[AFTERMIXTAPE]]」
** 11. それとこれとは話がべつ! Feat. [[宇多丸]], 小林賢太郎
== 出版物 ==
* 「小林賢太郎戯曲集―home FLAT news」([[幻冬舎]] 2002年1月 / 幻冬舎文庫 2007年4月)
* 「小林賢太郎戯曲集―椿・鯨・雀」(幻冬舎 2004年4月 / 幻冬舎文庫 2007年8月)
* 「小林賢太郎戯曲集―CHERRY BLOSSOM FRONT345・ATOM・CLASSIC」(幻冬舎 2007年9月 / 幻冬舎文庫 2011年8月)
* 「小林賢太郎戯曲集―STUDY ALICE TEXT」(幻冬舎 2009年3月 / 幻冬舎文庫 2012年8月)
* 「僕がコントや演劇のために考えていること」(幻冬舎 2014年9月)
* 「短編集 こばなしけんたろう」(幻冬舎 2019年2月22日 / 幻冬舎文庫改訂版 2022年4月)
=== 漫画 ===
* 「[[鼻兎]]」(全4巻)([[講談社]] 2001年9月 - 2004年12月)
*「ハナウサシリシリ」(講談社 2019年1月 - 2020年1月)- 「[[イブニング]]」連載
=== 創作絵本 ===
* 「うるうのもり」(講談社 2016年2月)
* 「カキワリの劇場」(あかね書房 2023年1月)
=== 翻訳 ===
* 「オレ、カエルやめるや」([[マイクロマガジン社]]) 2017年11月
* 「オレ、なんにもしたくない」(マイクロマガジン社)2019年4月
* 「オレ、おおきくなるのいや」(マイクロマガジン社)2019年4月
* 「オレ、ねたくないからねない」(マイクロマガジン社) 2020年11月
=== 共著 ===
* 「new(KAWADE夢ムック)」 [[河出書房新社]] 2003年9月
* 「猫本」 講談社 2006年4月
* 「大喜利猿」(河出書房新社 2006年2月) - [[バカリズム|升野英知]]との共著
* 「大喜利猿 墨」(河出書房新社 2007年1月) - 升野英知との共著
* 「大喜利猿 優勝」(河出書房新社 2008年3月) - 升野英知との共著
* 「大喜利猿 北海道」(河出書房新社 2009年6月) - 升野英知との共著
*「小説幻冬」(幻冬舎 2016年11月〜)「こばなしけんたろう」連載
== その他 ==
* 舞台 親族代表「忄(りっしんべん)」(2006) - 脚本提供
* 舞台 安田ユーシ・犬飼若浩 LIVE双六「参」(2006) - 脚本提供
* 映画 「モルタデロとフィレモン」(2006) - 字幕監修
* 漫画 「[[GOLDEN LUCKY]] 完全版・上」 - あとがき・帯推薦文
* 舞台 [[久ヶ沢徹]]他 久ヶ沢牛乳「A HALF CENTURY BOY」(2012) - 脚本提供
* 舞台 東京03結成10周年記念悪ふざけ公演「タチの悪い流れ」(2013)
* [[鈴井貴之]]「ダメ人間〜溜め息ばかりの青春記」(文庫版) - 巻末にて著者との対談
* [[西尾維新]]「西尾維新対談集 本題」(2014) - 著者との対談
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 外部リンク ==
* [https://www.studiocontena.jp/ studio Contena]
* {{Twitter|kkw_official|小林賢太郎のしごと【公式】}}
* {{Twitter|kkw_event|小林賢太郎のあそび【公式】}}
* {{note.com|kentarokobayashi}}
* {{YouTube|channel=UCpbqG3t3wH0FSk2yFzsj1wQ|小林賢太郎のしごと}}
{{KKP}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:こはやし けんたろう}}
[[Category:日本の男性コメディアン]]
[[Category:お笑い芸人]]
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:20世紀日本の劇作家]]
[[Category:21世紀日本の劇作家]]
[[Category:日本の舞台演出家]]
[[Category:過去のケイダッシュ系列所属者]]
[[Category:多摩美術大学出身の人物]]
[[Category:横浜市出身の人物]]
[[Category:1973年生]]
[[Category:存命人物]] | 2003-02-13T12:46:47Z | 2023-11-19T14:14:51Z | false | false | false | [
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1,325 | 司馬遼太郎 | 司馬 遼󠄁太郎(しば りょうたろう、1923年〈大正12年〉8月7日 - 1996年〈平成8年〉2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。位階は従三位。本名は福田 定一(ふくだ ていいち)。筆名の由来は「司馬遷に遼󠄁(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」からきている。
大阪府大阪市出身。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがある。『街道をゆく』をはじめとする多数の随筆・紀行文などでも活発な文明批評を行った。
1923年(大正12年)8月7日、大阪府大阪市南区難波西神田町(現在の浪速区塩草)に、薬局を経営する父・福田是定(薬剤師)、母・直枝の次男として生まれた。兄がいたが2歳で早世し、姉、妹が一人ずついる。乳児脚気のために3歳まで奈良県北葛城郡當麻町(現・葛城市)の母の実家に里子に出されていた。
1930年(昭和5年)、大阪市難波塩草尋常小学校(現・大阪市立塩草立葉小学校)に入学。性格は明るかったが、学校嫌いで、悪童でもあったようである。母の実家の周りには古墳が多く、土器のかけらや石鏃などを拾い集めていた。また、当時の少年たちには特別ではなかったのであるが、大陸の馬賊に憧れていた。後に戦車隊の小隊長となることでこの夢は結実した。
1936年(昭和11年)、私立上宮中学校に進学。入学後の成績は300名中でビリに近く本人も驚いたらしいが、慌てて勉強をしたら二学期には上位20位に入ったという。井伏鱒二の『岩田君のクロ』に感銘を受ける。3年生から松坂屋の横の御蔵跡町の図書館に通うようになり、大阪外国語学校卒業まで本を乱読するようになる。古今東西のあらゆる分野の書物を読破し、しまいには釣りや将棋などの本まで読んだという。阿倍野のデパートでは吉川英治の宮本武蔵全集を立ち読みで読破した。いつも立ち読みばかりするので頭にきた売り場の主任が「うちは図書館やあらへん!」と文句を言うと、「そのうちここらの本をぎょうさん買うたりますから...」と言ったそうである。また、半ば趣味として山登りを好み、大阪周辺の名山は大抵踏破している。高等学校への受験に際して、家計の都合で私立学校への進学は許されず、官立のみと父親から釘を刺されていた。
1939年(昭和14年)、中学生だった司馬にも日中戦争や第二次世界大戦が影を落としており、上宮中学の配属将校から学校教練を受けている。ある日の教練の、配属将校による当時の日本軍の主力小銃三八式歩兵銃の説明で、「よその国の小銃は機関銃のように連発式になっているが、日本軍の三八式歩兵銃はボルトアクション式のライフルであり、一発ずつしか撃てない、しかし、よその国はバラバラと撃てるが、これでは心が入らない。わが国のほうが心に念じ、一発必中になって狙えるからいい」との説明があったと著作に記述し、これが司馬少年の心に強く印象付けられたとされている。しかし、1939年に「機関銃のように連発式」の自動小銃が正式採用されていたのはアメリカ軍のM1ガーランドだけで、これも1939年の初めにはまだ7,715丁しか生産されておらず、数の面では製造開始年は三八式歩兵銃と変わらないボルトアクションライフルのスプリングフィールドM1903小銃が主力小銃であり、1941年12月の真珠湾攻撃による日本とアメリカの開戦時には、508,000丁(日産2,000丁)の大量発注も行われていた。また、ドイツ国防軍のKar98k、イギリス軍のリー・エンフィールド、ソ連労農赤軍のモシン・ナガン M1891/30など、当時の列強国の主力小銃は三八式歩兵銃と同じボルトアクションライフルで、これらの小銃は第二次世界大戦が終わるまで各国歩兵の主力装備として運用されており、日本軍の小銃だけが時代遅れのボルトアクションだったというのは事実誤認である。
司馬少年は学校が嫌いで、図書館と本屋さえあれば人間はそれでいいと考えていたが、仕方なく通学し学校で社会訓練を受けているうちに、中国人と朝鮮人に好感を抱くようになった。好きになった理由は、「彼らは非常に人間というものを感じさせた」からであったとしている。やがて、司馬にとっての恩人である中国と戦争をしている日本が嫌いであるという感情が芽生えることになった。しかし、それは実際は日本も大好きという感情の裏返しであるアンビバレンスな状態であったと自己分析している。
1940年(昭和15年)に旧制大阪高校、翌年には旧制弘前高校を受験するも不合格。1942年(昭和17年)4月に旧制大阪外国語学校(現在の大阪大学外国語学部モンゴル語専攻)に入学。入学時に校内食堂で上級生が新入生に催す歓迎会では、上級生が木刀、竹刀を振り回し下駄を踏み鳴らして『こらーっ!』と怒鳴りながら入り、訓辞や軍歌指導を行なった。その際に司馬は見事なガマの油売りを一席やったが、これは彼の性格の明るさを表す一端である。当時の学生の大半がそうであったように語学が嫌いで、早稲田大学の中国文学に鞍替えしようかと考えたこともあった。しかし読書は依然として好み、ロシア文学や、司馬遷の『史記』を愛読。2年上に庄野潤三(英語学科)、1年上に陳舜臣(印度語学科)、同期に赤尾兜子(中国語学科)らの「創作グループ」がいたが、その輪には加われなかった。当時の司馬は、色白でふっくらした童顔であったが、旧制高校に憧れて下駄履きで登下校したという。教室へは「オース、オース」と声をかけながら入り、生徒間で人気があり人が集まる中心にいた。授業でもよく発言をした。食事はよく食べ朝飯を5杯おかわりするのが常であった。「中庸の徳」が座右の銘であったという。
1943年(昭和18年)11月に、学徒出陣により大阪外国語学校を仮卒業(翌年9月に正式卒業となる)。兵庫県加東郡河合村(現:小野市)青野が原の戦車第十九連隊に入隊した。軍隊内ではかなり珍しい「俳句の会」を興し、集合の合図には一番遅れて来た。翌44年4月に、満州四平の四平陸軍戦車学校に入校し、12月に卒業。戦車学校では文系であったために機械に弱く、ある時に戦車を動かそうとあちこちいじっているとエンジンが起動したが、中から白煙が出て「助けてくれー」と悲鳴が聞こえたので駆けつけると、コードが戦車に触れて電流が流れていた。手斧でコードを断ち切り、事なきを得たという。司馬は、軍隊生活になかなか馴染めず、訓練の動作にも遅れが目立ち、同期生のなかでも戦車の操縦はとびきり下手であったが、「俺は将来、戦車1個小隊をもらって蒙古の馬賊の大将になるつもりだ」などと冗談を言うなど、笑みを絶やさない明るい性格で同期生たちの癒しになっていた。
部隊で一緒だったのが石濱恒夫であり、石濱と司馬はこの時以来、司馬が亡くなるまで親交が深かった。
戦車学校で成績の良かった者は内地や外地へ転属したが、成績の悪かった者はそのまま中国に配属になり、これが生死を分けた。卒業後、満州国牡丹江に展開していた久留米戦車第一連隊第三中隊第五小隊に小隊長として配属される。翌1945年に本土決戦のため、新潟県を経て栃木県佐野市に移り、ここで陸軍少尉として終戦を迎えた。
敗戦にショックを受けた司馬は「なんとくだらない戦争をしてきたのか」「なんとくだらないことをいろいろしてきた国に生まれたのだろう」との数日考えこみ、「昔の日本人は、もう少しましだったのではないか」という思いが、後の司馬の日本史に対する関心の原点となり、趣味として始めた小説執筆を、綿密な調査をして執筆するようになったのは「昔というのは、鎌倉のことやら、室町、戦国のころのことである。やがて、ごく新しい江戸期や明治時代のことも考えた。いくら考えても昭和の軍人たちのように、国家そのものを賭けものにして賭場にほうりこむようなことをやったひとびとがいたようには思えなかった」と考えた終戦時の司馬自身に対する「いわば、23歳の自分への手紙を書き送るようにして小説を書いた」からであると述懐している。復員後は直ちに図書館通いを再開する。
戦地からの復員後、生野区猪飼野東五丁目8にあった在日朝鮮人経営の新世界新聞社に大竹照彦とともに入社。1946年(昭和21年)、ふたたび大竹とともに新日本新聞京都本社に入社。同僚に青木幸次郎がいた。このころから30歳を過ぎたら小説を書こうと考えるようになる。大学、宗教記事を書いたが、社は2年後に倒産、産経新聞社から「外語大卒だから英語くらいできるだろう」と誘われ、英語がまったくできないにもかかわらず「できます」と応じて京都支局に入る。入社して1か月も経たない1948年(昭和23年)6月28日午後、福井地震が発生し、その日のうちに福井の取材に行く。同年11月、歌人川田順の失踪事件を取材。
翌年大阪本社に異動。1950年(昭和25年)の初夏に京都の岩屋不動志明院に宿泊し奇っ怪な体験をする。同年に金閣寺放火事件の記事を書いた(真っ先に取材に訪れた記者の一人とされる)。このころ京都の寺社周り・京都大学を担当し、その結果京都の密教寺院で不思議な僧侶らと出会ったり、石山合戦のときの本願寺側の兵糧方の子孫の和菓子屋と話したり、京都大学で桑原武夫、貝塚茂樹らの京都学派の学者たちに取材したりするなど、後年の歴史小説やエッセイを執筆する種となる出会いがあった。このことは後年の自筆の回想記(多く『司馬遼󠄁太郎が考えたこと』に所収)に記されている。その後文化部長、出版局次長を務めた。文化部時代の同僚に廓正子がいる。
同年に大阪大学医局の薬剤師と見合いにより最初の結婚。1952年(昭和27年)に長男が誕生するが、1954年(昭和29年)に離婚。長男は実家の福田家に預けられ祖父母に養育される。この結婚及び、誕生した息子のことは、当時は一切公表されなかったが、司馬の死後の新聞報道により明らかになっている。
1955年(昭和30年)、『名言随筆・サラリーマン』(六月社)を発表。この作品は本名で発表したが、このほかにも「饅頭伝来記」など数作本名で発表した作品があるといわれる。さらに、当時親しくなっていた成田有恒(寺内大吉)に勧められて小説を書くようになる。1956年(昭和31年)5月、「ペルシャの幻術師」が第8回講談倶楽部賞に応募(「司馬遼󠄁太郎」の名で投稿)、海音寺潮五郎の絶賛を受け同賞を受賞し、出世作となる。また、寺内とともに雑誌『近代説話』を創刊した。『近代説話』『面白倶楽部』『小説倶楽部』に作品を発表し続け、1958年(昭和33年)7月、「司馬遼󠄁太郎」としての初めての著書『白い歓喜天』が出版される。当時は山田風太郎と並ぶ、伝奇小説の担い手として注目され、本格歴史小説の大家になろうとは予想だにされていなかった。さらに「梟のいる都城」(のち『梟の城』に改題)の連載を開始。
1959年(昭和34年)1月、同じ産経新聞記者の松見みどりと再婚。12月に大阪市西区西長堀のアパートに転居。同じアパートに南海ホークス時代の野村克也がいた。『大坂侍』『梟の城』を発表。1960年(昭和35年)、『梟の城』で第42回直木賞を受賞、翌年に産経新聞社を退職して、作家生活に入る。
初期は直木賞を受賞した『梟の城』や『大坂侍』『風の武士』『風神の門』などの長編や、短編「ペルシャの幻術師」「果心居士の幻術」「飛び加藤」など、時代・伝奇小説が多い。忍者を主人公にした作品が多く「忍豪作家」(五味康祐ら「剣豪作家」にちなむ呼び名)とも呼ばれた。また、初期数編が西アジアを主要舞台としている点も(当時としてはなおのこと)異色でありながら、後年の創作へは(エッセイ等では同地への強い関心を維持しつつも)引き継がれなかった。推理小説も書き、『豚と薔薇』『古寺炎上』があるがあまり得意ではなくこの2作にとどまっている。
だが、1962年(昭和37年)より『竜馬がゆく』『燃えよ剣』、1963年(昭和38年)より『国盗り物語』を連載し、歴史小説家として旺盛な活動を本格化させた。この辺りの作品より、作者自ら、作中で随筆風に折込解説する手法が完成している。1964年(昭和39年)には、終のすみかとなる布施市下小阪(現在の東大阪市)に転居した。近所には付近の大地主であり上宮中学からの同級生の山澤茂雄がおり終生交流が続いたの(「近所の記」)ちに「猥雑な土地でなければ住む気がしない」と記している。1966年(昭和41年)、菊池寛賞を受ける。その後も『国盗り物語』に続き、『新史太閤記』『関ヶ原』『城塞』の戦国四部作を上梓した。
1971年(昭和46年)から、紀行随筆『街道をゆく』を週刊朝日で連載開始した。1972年(昭和47年)には明治の群像を描いた『坂の上の雲』の産経新聞での連載が終了。また、幕末を扱った『世に棲む日日』で吉川英治文学賞。初期のころから示していた密教的なものへの関心は『空海の風景』(日本芸術院恩賜賞)に結実されている。「国民的作家」の名が定着し始めるようになり、歴史を俯瞰して一つの物語と見る「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観を築いて人気を博した。1970年代中期から80年代にかけ、明治初期の『翔ぶが如く』や、『胡蝶の夢』、江戸後期の『菜の花の沖』、戦国期の『箱根の坂』などを著し、清朝興隆の時代を題材にした『韃靼疾風録』を最後に小説執筆を止める。「街道をゆく」や、月一回連載のエッセイ『風塵抄』、『この国のかたち』に絞り、日本とは、日本人とは何かを問うた文明批評を行った。
1981年(昭和56年)に日本芸術院会員、1991年(平成3年)には文化功労者となり、1993年(平成5年)に文化勲章を受章した。このころから腰に痛みを覚えるようになる。坐骨神経痛と思われていたが、実際は直接の死因となる腹部大動脈瘤であった。それでも「街道を行く 台湾紀行」取材の折に、当時台北で台湾総統だった李登輝との会談「場所の悲哀」を行ったり、「街道を行く」取材で青森の三内丸山遺跡を訪れるなど精力的な活動を続ける。また、晩年にはノモンハン事件の作品化を構想していたといわれているが、着手されずに終わった。
1996年(平成8年)1月、「街道をゆく 濃尾参州記」の取材を終え、連載中の2月10日深夜に吐血して倒れ、大阪市中央区の国立大阪病院(現:国立病院機構大阪医療センター)に入院、2日後の2月12日午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため死去した、72歳。同日は「菜の花忌」と呼ばれている。死去した国立大阪病院は、奇しくも『花神』で書いた大村益次郎が死去した場所であった。絶筆「濃尾参州記」は未完となった。親族・関係者による密葬を経て、3月10日に大阪市内のホテルで「司馬遼󠄁太郎さんを送る会」が行われ、約3,000人が参列した。法名は、「遼󠄁望院釋淨定」。政府から従三位を追賜された。
翌年に司馬遼󠄁太郎記念財団が発足し、司馬遼󠄁太郎賞が創設された。2001年(平成13年)に、東大阪市の自宅隣に司馬遼󠄁太郎記念館が開館。司馬遼󠄁太郎記念室がある姫路文学館では毎年8月7日の生誕日に、ゆかりのゲストを迎えて「司馬遼󠄁太郎メモリアル・デー」を開催している。また、NHK大河ドラマ原作となった作品数は最も多く、「21世紀スペシャル大河ドラマ」(後にNHKスペシャルドラマと変更)と称する『坂の上の雲』を含めると7作品である。
歴史小説家としてはW・スコット以来の人物中心主義の流れを汲んでおり、筆名からも直接には司馬遷『史記』列伝の形式を範にした作家でもある。
特徴としては、基本的に登場人物や主人公に対して好意的であり、作者が好意を持つ人物を中心に描く。それによって作者が主人公に対して持つ共感を読者と主人公の関係にまで延長し、ストーリーの中に読者を巻きこんでゆく手法をとることが多い。また歴史の大局的な叙述とともにゴシップを多用して登場人物を素描し、やや突き放した客観的な描写によって乾いたユーモアや余裕のある人間肯定の態度を見せる手法は、それまでの日本の歴史小説の伝統から見れば異質なものであり、その作品が与えた影響は大きい。「余談だが......」の言葉に代表されるように、物語とは直接関係ないエピソードや司馬自身の経験談(登場人物の子孫とのやりとりや訪れた土地の素描)などを適度に物語内にちりばめていく随筆のような手法も司馬小説の特徴の一つであり、そこに魅了されている読者も多い。
評論家の川本三郎からは「一平二太郎」(藤沢周平、司馬遼󠄁太郎、池波正太郎)の一人として、「大人の日本人男子」の嗜みとして読むべき作家と評されている。
そのユニークな文体は、のちに、渡部直己や清水義範のパスティーシュの対象になったり、あるいは酒見賢一『後宮小説』のようにリスペクトした作品が現れたりした。
作品中の人物の内面描写にはそれほど深入りしないため“浅薄である”とされたり、長編では主題が破綻しているとの批判がある。しかし多くの登場人物を一筆書きにしながら物語を展開してゆく司馬の手法においては、ある程度仕方のないことという反論もなされる。特に内面描写を避けることは、人間を外部から把握し単純化(典型化)して示す18世紀ヨーロッパ小説や漢籍の史書の影響によるところが大きく、「典型としての人間」か「典型からそれようとする内面描写か」という問題は、小説の流儀の問題(18世紀型小説か、19世紀型小説か)であると捉える見方もある。長編の構成力が弱いことも指摘され、前述した「余談だが...」といった言葉で話が脇道にそれることもあるように、たとえば丸谷才一の「全体の五分の三あたりのところから雑になる」「最初の伏線が後半で生かされない」という評がある。ただし、こうした「雑さ」「とりとめのなさ」が磨かれた結果、様々な人物が次々に登場し、ゴシップを振りまいては消えてゆくというグランド・ホテル形式の小説として成功していると評される作品もある(例:『ひとびとの跫音』)。
作家としての後半期は、小説創作から遠ざかり、随想や文明批評などを主としたが、合理的思考を掲げて具体的な考証による歴史評論を進めていった。
司馬が収集した資料については、戦記『レイテ戦記』の著者大岡昇平が、司馬の著作『殉死』への評論を通じ、司馬の歴史小説に対し「時々記述について、典拠を示してほしい、と思うことがある」「面白い資料だけ渡り歩いているのではないか、という危惧にとらえられる」と苦言を呈している。
司馬は新しい視点と斬新な描写で彼自身の歴史観を作って日本社会に広く影響を与えた国民的作家であると言われており、死後においても司馬の影響力は大きい。
司馬の作品はベストセラーかつロングセラーとなり、また多くが映像化された。
昭和の歴史について、著書「この国のかたち」のなかで「明治の夏目漱石が、もし昭和初年から敗戦までの“日本”に出逢うことがあれば、相手の形相のあまりのちがいに人違いするにちがいない」と述べている。
歴史作家司馬は、1968年に小説『坂の上の雲』の連載を開始した頃から、自分の戦時中に学徒動員により予備士官として戦車第1師団戦車第1連隊に配属された経験を顧みて、次の時代小説ではノモンハン事件を取り上げようと考えて取材を開始した。ノモンハン事件を選んだ理由としては、この国境紛争が司馬の人生に大きな影響を与えたからとしている。
司馬は他にも「私どもの部隊の先祖(といってもわずか四、五年前の先祖だが)がこの凄惨な戦闘に参加し、こなごなにやられた」など、たびたび、自分の所属した戦車第1連隊がノモンハン事件に参戦していたと著作やエッセーに記述しており、司馬のもし自分が5年前に戦車第1連隊に配属されていたら無残な戦死を遂げたかも知れないという思いも、ノモンハン事件への強い拘りに繋がったとする指摘もあるが、実際にノモンハン戦に投入されたのは、司馬が配属された戦車第1連隊ではなく戦車第3連隊と戦車第4連隊であった。
司馬は、防衛庁戦史室を訪ね協力を取り付けて、段ボール1箱分のノモンハン事件に関する防衛庁戦史室秘蔵資料の提供を受けるなど 、50歳代の10年に渡ってノモンハン事件のことを取材、調査しているが、その取材の過程で、「もつともノモンハンの戦闘は、ソ連の戦車集団と、分隊教練だけがやたらとうまい日本の旧式歩兵との鉄と肉の戦いで、日本戦車は一台も参加せず、ハルハ河をはさむ荒野は、むざんにも日本歩兵の殺戮場のような光景を呈していた。事件のおわりごろになってやっと海を渡って輸送されてきた八九式中戦車団が、雲霞のようなソ連のBT戦車団に戦いを挑んだのである」「(日本軍の戦車砲は)撃てども撃てども小柄なBT戦車の鋼板にカスリ傷もあたえることができなかった、逆に日本の八九式中戦車はBT戦車の小さくて素早い砲弾のために一発で仕止められた。またたくまに戦場に八九式の鉄の死骸がるいるいと横たわった。戦闘というより一方的虐殺であった」「ソ連軍は日本軍の前に縦深陣地を作って現れた。(日本軍は縦深陣地を理解しておらず)全兵力に近いものを第一線に配置して、絹糸一本の薄い陣容で突撃した。日本軍はあたかも蟻地獄に落ちていく昆虫のような状態に置かれた」などと考え、「その結果、日本はノモンハンで大敗北し、さらにその教訓を活かすことなく、2年後に太平洋戦争を始めるほど愚かな国であり、調べていけばいくほど空しくなってきたから、ノモンハンについての小説は書けなくなった」などと、知人の作家半藤一利に後日語り、「日本人であることが嫌になった」とノモンハン事件の作品化を断念した経緯がある。
しかし、日本軍の八九式中戦車は第2次ノモンハン事件の中盤には既に日本内地に帰還しており、事件のおわりごろになってやっと戦場に到着したとする司馬の認識は事実誤認であり、また、1939年7月3日のハルハ川東岸での戦いで、日本軍の戦車第3連隊とソ連軍第11戦車旅団がノモンハン事件最大の戦車戦を行ったが、ソ連側の記録で確認できる、同日正午に開始された戦車戦では、八九式中戦車がソ連軍のBT-5を3輛撃破したのに対して、八九式中戦車の損失は2輌(ソ連軍は4輌撃破を主張)であり、互角以上の戦いとなっている。その後に戦車第3連隊はソ連軍の速射砲や戦車が配置された陣地を強攻し、ソ連軍戦車32輌と装甲車35輌を撃破したと報告している(ソ連側の記録は不明)。そもそも、ノモンハン事件においては、日本軍の戦車と装甲車の損失は35輌(うち八九式中戦車は16輌)であったのに対し、ソ連軍の損失は397輌(うちBT-5とBT-7は216輌)とはるかに大きく、八九式中戦車がソ連軍戦車に一方的に撃破されたというのも司馬の事実誤認である。
また、ノモンハン事件の戦闘で、敵軍陣地を強攻して大損害を被ったのは、日本軍よりむしろソ連軍であり、ソ連軍大攻勢時にフイ高地やノロ高地などに日本軍が構築した陣地を強攻して大損害を被っている。井置栄一中佐率いる第23師団捜索隊が守ったフイ高地について、井置は速射砲陣地に予備陣地を4~5個程構築し、砲撃のたびに陣地変更して敵の攻撃をかわす巧妙なつくりするなど、逆に縦深陣地を作り上げて強攻してきたソ連軍に大損害を与えている。司馬の認識とは異なり、ソ連軍がノモンハンで多用したのは、縦深防御ではなく縦深攻撃であり、8月の大攻勢時に威力を発揮し、第二次世界大戦でさらに進化し1944年6月に開始されたバグラチオン作戦がその集大成となったとされている。
司馬はソ連軍がほぼ損害を受けていなかったと思い込んでいたように示唆されているが、日本軍歩兵が一方的に殺戮されたという説は、司馬がノモンハン事件の取材を進めていた1960年~1970年代には明らかでなかったソ連軍の情報が公開されるに従い否定されている。
司馬は戦後に長野県上山田温泉で温泉宿を経営していた歩兵第26連隊長須見新一郎元大佐と知り合った。連隊長解任の経緯から軍中央の参謀に不快感を抱いていた須見は、参謀を「悪魔」と罵倒するほどであり、昭和軍部に批判的であった司馬と意気投合している。須見は明確に日本陸軍の作戦用兵に対しては批判的であり、司馬の小説の構想にうってつけの人物であったため、司馬は須見を主人公のモデルとして小説を書こうと決めて、熱心に上山田温泉通いをしていた。1974年の文藝春秋正月号で司馬は参謀本部元参謀で伊藤忠商事の副社長だった瀬島龍三と対談し、それが記事となったが、須見は、エリート参謀であった瀬島に対して「あのインチキめ」と腹立たしく思っており、その瀬島と対談した司馬に対して「あんな不埒な奴にニコニコと対談し、反論せずにすませる作家は信用できん」と激高し、以後の取材は一切受ける気はないとする絶縁状を送り付けたため、司馬はノモンハン事件の小説が書くのが困難となってしまった。のちに司馬はこの時を振り返り「もしぼくがノモンハンを書くとしたら血管が破裂すると思う」と述べた。
モンゴル研究者の佐々木健悦は、司馬の歴史認識は上からの視点で、ノモンハン事件が書けなかったのは司馬の知的怠慢と知的不誠実さだと批判したうえに、モンゴル憲法についての記載も間違っていると指摘した。
歴史学者の秦郁彦は、司馬がノモンハン事件の小説を書けなかった理由として、下記の4点をあげている。
司馬は戦車隊予備士官だった経験により、日本軍の戦車についても強いこだわりを持っており、著書やエッセーで幾度となく取り上げている。自分の戦車隊予備士官時代の話を、同じく司馬原作のテレビドラマ「梟の城」の後番組としてテレビドラマ化を目指していたが、撮影困難として挫折した経緯もある。
司馬は戦車第1連隊に配属され満州牡丹江で訓練を受けたが、連隊は本土決戦準備のため栃木県佐野市に移動した。そこで司馬は今後の人生の方向性を左右するような強烈な体験をすることになる。ある日、上陸してくる連合軍への邀撃作戦について説明するために大本営から将校が訪れて、戦車第1連隊の士官を集めた。一折り説明を受けたのちに司馬がこの将校に質問をしている。
司馬はこの大本営将校の話を聞いて、民衆を守るのが軍隊ではなく、民衆の命よりも軍のほうが大事なのかとショックを受けて、「こんな愚かな戦争を日本人はどうしてやってしまったのか」との問いが司馬の最大の疑問となっていき、その謎を解くために書かれたのが後の小説群であった。つまり、この戦車第1連隊での体験が小説家司馬遼太郎の原点とも言える。昭和史研究で著名な半藤一利のように、出版業界で歴史畑を長く扱ってきた者が(司馬の担当者であった事もあり)この発言を信じて、帝国陸軍批判の材料とする者もいる。「恐ろしい言葉です。逃げてくる無抵抗な民衆を、作戦の邪魔になるから「ひき殺していけ」と言う。それを軍を指揮する「大本営参謀」が言ったというのです。しかも、司馬さんの質問に答えてたんですから、また聞きとか、伝聞とかではないんです。名前まではさすがに出されていませんでしたが、わたくしには当時の参謀本部作戦課の秀才参謀たちのいくつかの顔が思い浮かんできました。」などと、推測を交えた記述がなされている。
しかし、この司馬の体験談は幾度も司馬の著作や発言に登場するが、登場当初からは内容が変遷している。このエピソードが初めて司馬の著作に登場するのは「中央公論」1964年2月号の「百年の単位」であるが、このときの記述によれば、質問したのは司馬ではなく連隊の「ある将校」になっており、回答したのは「大本営少佐参謀」とより具体的になっている。
この時の少佐参謀は、同席した司馬や質問した連隊将校を睨みすえることもなく自然に「轢き殺してゆく」と答えたとされているが、司馬自身が小説家としての原体験となったと自認している重大事件について、司馬自身が質問したことを忘れるはずがないという指摘もある。
そして司馬が没する前年の1995年の鶴見俊輔との対談では、それまで大本営の少佐参謀や将校とされていた発言者が、同じ戦車第1連隊の大尉となっている。
また、この問答の存在自体に当事者から疑念が呈されている。軍事史研究家土門周平(本名近藤新治)(元戦車第二十八連隊中隊長)は「あの話は、われわれの間で大問題になったんです。司馬さんといっしょの部隊にいた人たちに当ったけれど、だれもこの話を聞いていない。ひとりぐらい覚えていてもいいはずなのですがね。」「当時、戦車隊が進出するのには、夜間、4なり5キロの時速で行くから、人を轢くなどということはまずできなかったですよ。」と述べている。当時の日本軍は連合軍の戦闘爆撃機による空襲が最大の脅威であるため、大規模な移動は戦闘爆撃機の作戦が制限される夜間に行うとする「夜間機動作戦」が原則であったが、予備士官ながらも戦車小隊長であった司馬は、戦車第1師団司令部から各所属連隊の示達されていた「夜間機動作戦」をついて知らずに「かれら(避難民)を轢き殺さない限り作戦行動はとれない」と思い込んでいたことになる。土門はこの件で一度司馬と対談する機会があったという。企画した雑誌は「朝日ジャーナル」であったが、その席で土門は「なんであんなことを言うのか。あの参謀は私の先輩だし、あなたの周りにいた将校も誰ひとりそんな発言は聞いていない」と問いただすと、司馬はにやりと笑って「近藤(土門)先生は学者ですなぁ」とひとことだけ答えたという。土門はその言葉を司馬の「私は小説家だから」という意味の発言ではないかと考えたが、結局このときの対談はお蔵入りとなり記事となることはなかった。
1973年に戦車第1連隊第5中隊の元中隊長西野堯大尉を会長として、満州時代の駐屯地名を冠した「石頭会」という戦友会が発足した。司馬は妻女とともに京都で開催された第一回目の会合に出席して「私は西野さんの言うことならなんでも聞きます。西野さんの大事な体温計割っちゃったからな」と挨拶して一同を笑わせている。その後加入した西野と同期の宗像正吉大尉が、あるときの二次会で思い切って司馬に「轢いてゆけ」発言の真偽をただしてみたところ、司馬からは「宗像さん、新品少尉が大本営参謀とサシで話ができると思いますか」「私は小説家ですよ。歴史研究家ではありません」「小説というものは面白くなければ、読者は離れてしまいます」と語り、作家の「創作」だったことを明かしたという。
自分が乗った九七式中戦車については、「同時代の最優秀の機械であったようで」「チハ車は草むらの獲物を狙う猟犬のようにしなやかで、車高が低く、その点でも当時の陸軍技術家の能力は高く評価できる」「当時の他の列強の戦車はガソリンを燃料としていたのに対し、日本陸軍の戦車は既に(燃費の良い)ディーゼルエンジンで動いていた」と評価する一方で、その戦闘能力については「この戦車の最大の欠点は戦争ができないことであった。敵の戦車に対する防御力もないに等しかった」と罵倒するなど愛憎入り混じった評価をしているが、九七式中戦車はノモンハン事件、日中戦争、太平洋戦争初期には、開発コンセプトに沿った歩兵支援用主力戦車としての活躍を見せている。ノモンハン事件の教訓もあって、主砲を一式四十七粍戦車砲に換装し対戦車攻撃力が強化された九七式中戦車改は、当時の参戦各列強国の水準に大きく立ち遅れていたが、ルソン島の戦いでは、第2戦車師団に配備された同車が、アメリカ軍の主力戦車M4中戦車やM3軽戦車を撃破するなど一定の戦果を挙げて、アメリカ軍の戦訓広報誌『Intelligence Bulletin』にて「もっとも効果的な日本軍戦車」との評価もうけている。また、中国大陸では対戦車能力に乏しい中国軍相手に活躍し、大戦末期の1944年4月に開始された大陸打通作戦では97式中戦車改が主力の第3戦車師団が、1944年5月のわずか1か月で1,400kmを走破、湯恩伯将軍率いる40万人の中国軍を撃破する原動力になったが、同車を含む師団の参加戦車255輌のうちで戦闘で撃破された戦車はわずか9輌であった。九七式中戦車の活躍を見ていた中国共産党の軍隊東北人民自治軍は、日本の降伏ののち、九七式中戦車改を接収すると、自軍の兵器として使用、功臣号と名付けられた九七式中戦車改は国共内戦で大活躍しながら生存し、現在も中国人民革命軍事博物館に展示されているなどの活躍を見せている。
一方で九七式中戦車の前の日本軍主力戦車八九式中戦車に対しては、その戦績への事実誤認も含めたところで、罵倒されていることが多く、司馬が戦車について語った小説新潮連載の「戦車・この憂鬱な乗物」というエッセーで「B・T・ホワイト著湯浅謙三訳の『戦車及び装甲車』という本は世界中のその種の車の絵図と初期の発達史が書かれているが、悲しいことに日本の八九式中戦車については一行ものせていないのである。ノモンハンであれほど悲劇的な最期を遂げながら、その種の国際的歴史からも黙殺された」と司馬は述べているが、司馬のいう『戦車及び装甲車』という本はブレイン・テレンス・ホワイト著『Tanks and Other Armored Fighting Vehicles, 1900 to 1918』の和訳であり、本の題名通り、1918年の第一次世界大戦までの戦車や戦闘車両に関する書籍で、1929年(皇紀2589年)に制式採用された八九式中戦車は対象外であった。また、世界の多数の戦車を所蔵し、戦車の歴史を見ることができるアメリカのアバディーン戦車博物館に八九式中戦車も展示されている。
戦車第1連隊の元中隊長であり、戦後にAIU保険の役員となった宗像は、秦郁彦からの司馬はなぜ日本軍の戦車の悪口を言い続けたのか?という質問に対して「彼は本当は戦車が大好きだったんだと思います。ほれ、出来の悪い子ほどかわいいという諺があるでしょう」と答えている。司馬自身も戦車に乗っている自分の姿をよく夢に見ているが、その夢の内容を「戦車の内部は、エンジンの煤と、エンジンが作動したために出る微量の鉄粉とそして潤滑油のいりまじった特有の体臭をもっている。その匂いまで夢の中に出てくる。追憶の甘さと懐かしさの入りまじった夢なのだが、しかし悪夢ではないのにたいてい魘されたりしている」と詳細に書き残しており、戦車に対する司馬の愛着を感じることができる。また、戦車兵であったという軍歴も否定的には捉えておらず、戦友会にも「無防備の裸で付き合える」として、積極的に出席していたほか、文藝春秋の編集者として多くの有名作家と面識のあった中井勝との会話で、司馬は作家井上靖が従軍時代の兵科が何であったかを中井に尋ね、中井が「輜重輸卒でしょう」と答えると、司馬は「そうや、よう知っとるねえ」とまんざらでもない表情になったという。司馬は新聞記者の大先輩で文壇では格上で頭があがらなかった井上が、兵科として旧日本軍では軽く見られがちだった輜重兵であったのに対して、戦車兵の自分のほうが上であったという稚気っぷりな自負心を持っていたと、司馬のまんざらでもない表情を見て中井は思ったという。
のちに、戦車第1連隊で司馬と戦友であった宗像らは日本の戦車部隊発祥の地の久留米基地(現在は陸上自衛隊久留米駐屯地)にかつてあり、戦後に進駐軍に破壊された「戦車之碑」再建しようと奔走したが、再建の目途が立ったときに、碑文の起草を司馬に依頼したところ、司馬は二つ返事で承諾し、下記の碑文を送った。
その後20年 戦い日多く 戦域はひろがり ひとびとはこの車輛ともに生死し 昭和20年 その歴史を閉じた 世々の価値観を越えて事実は後世に伝えらるべきものであるために その発祥を記念し この地に生き残れる者が相集い 死せしひとびとの霊を慰めつつ 戦車の碑を建てる
昭和49年5月 旧戦車兵有志980余名
こうした司馬の戦車に対する思いを感得していた戦車第1連隊の戦友たちは、宗像が一度問いただした以降は敢えて「大本営参謀の来隊は見た者も聞いた者もいないよ」などと口にすることはなかった。
司馬の作り上げた歴史観は、「司馬史観」と評される。
その特徴としては日清・日露戦争期の日本を理想視し、(自身が参戦した)太平洋戦争期の日本を暗黒視する点である。人物においては、高評価が「庶民的合理主義」者の織田信長、西郷隆盛、坂本龍馬、大久保利通であり、低評価が徳川家康、山県有朋、伊藤博文、乃木希典、三島由紀夫である。この史観は、高度経済成長期に広く支持を集め、ポスト高度成長期になると新自由主義や自由主義史観の流行にのって読まれた。
しかしこのような歴史観は都合が良すぎるという指摘がある。左派からは歴史修正主義の土台になった、右派からは自虐史観の土台になったとして、それぞれ批判されることがある。また乃木希典を愚将として描いていることは、福田恆存や福井雄三により批判されている(詳しくは乃木希典#評価を参照)。
晩年の司馬は土地の公有を主張する、「庶民的」な田中角栄を嫌悪するなど主張が変化しており、日本文学者の助川幸逸郎は、司馬史観は高度経済成長期の思想で、バブル景気とその崩壊後の時代には視点が無かったのではないかと述べている。
より学究的な立場からは、実証性の面からも批判されることがある。歴史家の鈴木眞哉は司馬史観には多くの盲点があるとして具体的な例を挙げて批判をしている。
『竜馬がゆく』『上総の剣客』の剣豪森要蔵は、参考文献『會津戊辰戦史』『七年史』の誤記もあった。白河地区を調査した結果、森親子が白河口の雷神山で戦死、板垣退助が見たなどはありえない。その後、多くの作家の作品に御前試合は語られていない。2022年、森要蔵の行動記録『会津人群像No44』「剣豪森要蔵の真実」池月映(歴史春秋社)が発表された。
読者が多く影響力が強いために、作品に描かれているのがそのまま史実と受け取る読者も少なくないが、作品の多くはあくまでも大衆小説であり、小説とするために史実を意図的に変えているもの(例・「池田屋異聞」において山崎烝の先祖が奥野将監という事実は存在しない。また、常城家の出である大高忠兵衛の先祖が大高忠雄と書かれている)や、根本的に架空のストーリーも含まれている。
代表作『竜馬がゆく』で坂本龍馬による罵倒語として数ヶ所「ちょうりんぼう(馬鹿め)!」との表現を用いた。この記述が1983年9月16日、京都新聞夕刊の広告欄における伏見銘酒会の「銘柄クイズ」に引用されたのを機に問題視され、司馬は部落解放同盟から糾弾を受けた。このとき、司馬だけではなく、京都新聞やKBS京都放送、コピーの下請け制作を依頼した電通京都支局、さらには電通本社までが突き上げを受けている。
司馬に対する糾弾会は、1983年12月12日、京都の部落解放センターで開かれた。司馬は「知らなかった自分が恥ずかしい」と釈明し、「土佐弁では『ちょうりんぼう』は単なる罵倒語になっていると思っていた。被差別者が『長吏』と呼ばれていたことは古くから知っていた。日本語を考え続けているつもりながら、長吏とちょうりんぼうがつながっていることに気付かなかったことは、限りなく恥ずかしい」と述べた。
この事件の後、問題の箇所は「ばかめ!」と改められて刊行が続いている。
※は、後に文庫(他社・新編も含め)で再刊。他に新書判(講談社ロマンブックス)などで再刊がある。
(単行本・文庫本の合計:出典『ダカーポ』2005年9月7日号(第567号)、65頁) | [
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"text": "司馬 遼󠄁太郎(しば りょうたろう、1923年〈大正12年〉8月7日 - 1996年〈平成8年〉2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。位階は従三位。本名は福田 定一(ふくだ ていいち)。筆名の由来は「司馬遷に遼󠄁(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」からきている。",
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"text": "大阪府大阪市出身。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがある。『街道をゆく』をはじめとする多数の随筆・紀行文などでも活発な文明批評を行った。",
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"text": "1923年(大正12年)8月7日、大阪府大阪市南区難波西神田町(現在の浪速区塩草)に、薬局を経営する父・福田是定(薬剤師)、母・直枝の次男として生まれた。兄がいたが2歳で早世し、姉、妹が一人ずついる。乳児脚気のために3歳まで奈良県北葛城郡當麻町(現・葛城市)の母の実家に里子に出されていた。",
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"text": "1930年(昭和5年)、大阪市難波塩草尋常小学校(現・大阪市立塩草立葉小学校)に入学。性格は明るかったが、学校嫌いで、悪童でもあったようである。母の実家の周りには古墳が多く、土器のかけらや石鏃などを拾い集めていた。また、当時の少年たちには特別ではなかったのであるが、大陸の馬賊に憧れていた。後に戦車隊の小隊長となることでこの夢は結実した。",
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"text": "1936年(昭和11年)、私立上宮中学校に進学。入学後の成績は300名中でビリに近く本人も驚いたらしいが、慌てて勉強をしたら二学期には上位20位に入ったという。井伏鱒二の『岩田君のクロ』に感銘を受ける。3年生から松坂屋の横の御蔵跡町の図書館に通うようになり、大阪外国語学校卒業まで本を乱読するようになる。古今東西のあらゆる分野の書物を読破し、しまいには釣りや将棋などの本まで読んだという。阿倍野のデパートでは吉川英治の宮本武蔵全集を立ち読みで読破した。いつも立ち読みばかりするので頭にきた売り場の主任が「うちは図書館やあらへん!」と文句を言うと、「そのうちここらの本をぎょうさん買うたりますから...」と言ったそうである。また、半ば趣味として山登りを好み、大阪周辺の名山は大抵踏破している。高等学校への受験に際して、家計の都合で私立学校への進学は許されず、官立のみと父親から釘を刺されていた。",
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"text": "1939年(昭和14年)、中学生だった司馬にも日中戦争や第二次世界大戦が影を落としており、上宮中学の配属将校から学校教練を受けている。ある日の教練の、配属将校による当時の日本軍の主力小銃三八式歩兵銃の説明で、「よその国の小銃は機関銃のように連発式になっているが、日本軍の三八式歩兵銃はボルトアクション式のライフルであり、一発ずつしか撃てない、しかし、よその国はバラバラと撃てるが、これでは心が入らない。わが国のほうが心に念じ、一発必中になって狙えるからいい」との説明があったと著作に記述し、これが司馬少年の心に強く印象付けられたとされている。しかし、1939年に「機関銃のように連発式」の自動小銃が正式採用されていたのはアメリカ軍のM1ガーランドだけで、これも1939年の初めにはまだ7,715丁しか生産されておらず、数の面では製造開始年は三八式歩兵銃と変わらないボルトアクションライフルのスプリングフィールドM1903小銃が主力小銃であり、1941年12月の真珠湾攻撃による日本とアメリカの開戦時には、508,000丁(日産2,000丁)の大量発注も行われていた。また、ドイツ国防軍のKar98k、イギリス軍のリー・エンフィールド、ソ連労農赤軍のモシン・ナガン M1891/30など、当時の列強国の主力小銃は三八式歩兵銃と同じボルトアクションライフルで、これらの小銃は第二次世界大戦が終わるまで各国歩兵の主力装備として運用されており、日本軍の小銃だけが時代遅れのボルトアクションだったというのは事実誤認である。",
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"text": "司馬少年は学校が嫌いで、図書館と本屋さえあれば人間はそれでいいと考えていたが、仕方なく通学し学校で社会訓練を受けているうちに、中国人と朝鮮人に好感を抱くようになった。好きになった理由は、「彼らは非常に人間というものを感じさせた」からであったとしている。やがて、司馬にとっての恩人である中国と戦争をしている日本が嫌いであるという感情が芽生えることになった。しかし、それは実際は日本も大好きという感情の裏返しであるアンビバレンスな状態であったと自己分析している。",
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"text": "1940年(昭和15年)に旧制大阪高校、翌年には旧制弘前高校を受験するも不合格。1942年(昭和17年)4月に旧制大阪外国語学校(現在の大阪大学外国語学部モンゴル語専攻)に入学。入学時に校内食堂で上級生が新入生に催す歓迎会では、上級生が木刀、竹刀を振り回し下駄を踏み鳴らして『こらーっ!』と怒鳴りながら入り、訓辞や軍歌指導を行なった。その際に司馬は見事なガマの油売りを一席やったが、これは彼の性格の明るさを表す一端である。当時の学生の大半がそうであったように語学が嫌いで、早稲田大学の中国文学に鞍替えしようかと考えたこともあった。しかし読書は依然として好み、ロシア文学や、司馬遷の『史記』を愛読。2年上に庄野潤三(英語学科)、1年上に陳舜臣(印度語学科)、同期に赤尾兜子(中国語学科)らの「創作グループ」がいたが、その輪には加われなかった。当時の司馬は、色白でふっくらした童顔であったが、旧制高校に憧れて下駄履きで登下校したという。教室へは「オース、オース」と声をかけながら入り、生徒間で人気があり人が集まる中心にいた。授業でもよく発言をした。食事はよく食べ朝飯を5杯おかわりするのが常であった。「中庸の徳」が座右の銘であったという。",
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"text": "1943年(昭和18年)11月に、学徒出陣により大阪外国語学校を仮卒業(翌年9月に正式卒業となる)。兵庫県加東郡河合村(現:小野市)青野が原の戦車第十九連隊に入隊した。軍隊内ではかなり珍しい「俳句の会」を興し、集合の合図には一番遅れて来た。翌44年4月に、満州四平の四平陸軍戦車学校に入校し、12月に卒業。戦車学校では文系であったために機械に弱く、ある時に戦車を動かそうとあちこちいじっているとエンジンが起動したが、中から白煙が出て「助けてくれー」と悲鳴が聞こえたので駆けつけると、コードが戦車に触れて電流が流れていた。手斧でコードを断ち切り、事なきを得たという。司馬は、軍隊生活になかなか馴染めず、訓練の動作にも遅れが目立ち、同期生のなかでも戦車の操縦はとびきり下手であったが、「俺は将来、戦車1個小隊をもらって蒙古の馬賊の大将になるつもりだ」などと冗談を言うなど、笑みを絶やさない明るい性格で同期生たちの癒しになっていた。",
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"text": "部隊で一緒だったのが石濱恒夫であり、石濱と司馬はこの時以来、司馬が亡くなるまで親交が深かった。",
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"text": "戦車学校で成績の良かった者は内地や外地へ転属したが、成績の悪かった者はそのまま中国に配属になり、これが生死を分けた。卒業後、満州国牡丹江に展開していた久留米戦車第一連隊第三中隊第五小隊に小隊長として配属される。翌1945年に本土決戦のため、新潟県を経て栃木県佐野市に移り、ここで陸軍少尉として終戦を迎えた。",
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"text": "敗戦にショックを受けた司馬は「なんとくだらない戦争をしてきたのか」「なんとくだらないことをいろいろしてきた国に生まれたのだろう」との数日考えこみ、「昔の日本人は、もう少しましだったのではないか」という思いが、後の司馬の日本史に対する関心の原点となり、趣味として始めた小説執筆を、綿密な調査をして執筆するようになったのは「昔というのは、鎌倉のことやら、室町、戦国のころのことである。やがて、ごく新しい江戸期や明治時代のことも考えた。いくら考えても昭和の軍人たちのように、国家そのものを賭けものにして賭場にほうりこむようなことをやったひとびとがいたようには思えなかった」と考えた終戦時の司馬自身に対する「いわば、23歳の自分への手紙を書き送るようにして小説を書いた」からであると述懐している。復員後は直ちに図書館通いを再開する。",
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"text": "戦地からの復員後、生野区猪飼野東五丁目8にあった在日朝鮮人経営の新世界新聞社に大竹照彦とともに入社。1946年(昭和21年)、ふたたび大竹とともに新日本新聞京都本社に入社。同僚に青木幸次郎がいた。このころから30歳を過ぎたら小説を書こうと考えるようになる。大学、宗教記事を書いたが、社は2年後に倒産、産経新聞社から「外語大卒だから英語くらいできるだろう」と誘われ、英語がまったくできないにもかかわらず「できます」と応じて京都支局に入る。入社して1か月も経たない1948年(昭和23年)6月28日午後、福井地震が発生し、その日のうちに福井の取材に行く。同年11月、歌人川田順の失踪事件を取材。",
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"text": "翌年大阪本社に異動。1950年(昭和25年)の初夏に京都の岩屋不動志明院に宿泊し奇っ怪な体験をする。同年に金閣寺放火事件の記事を書いた(真っ先に取材に訪れた記者の一人とされる)。このころ京都の寺社周り・京都大学を担当し、その結果京都の密教寺院で不思議な僧侶らと出会ったり、石山合戦のときの本願寺側の兵糧方の子孫の和菓子屋と話したり、京都大学で桑原武夫、貝塚茂樹らの京都学派の学者たちに取材したりするなど、後年の歴史小説やエッセイを執筆する種となる出会いがあった。このことは後年の自筆の回想記(多く『司馬遼󠄁太郎が考えたこと』に所収)に記されている。その後文化部長、出版局次長を務めた。文化部時代の同僚に廓正子がいる。",
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"text": "同年に大阪大学医局の薬剤師と見合いにより最初の結婚。1952年(昭和27年)に長男が誕生するが、1954年(昭和29年)に離婚。長男は実家の福田家に預けられ祖父母に養育される。この結婚及び、誕生した息子のことは、当時は一切公表されなかったが、司馬の死後の新聞報道により明らかになっている。",
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"text": "1955年(昭和30年)、『名言随筆・サラリーマン』(六月社)を発表。この作品は本名で発表したが、このほかにも「饅頭伝来記」など数作本名で発表した作品があるといわれる。さらに、当時親しくなっていた成田有恒(寺内大吉)に勧められて小説を書くようになる。1956年(昭和31年)5月、「ペルシャの幻術師」が第8回講談倶楽部賞に応募(「司馬遼󠄁太郎」の名で投稿)、海音寺潮五郎の絶賛を受け同賞を受賞し、出世作となる。また、寺内とともに雑誌『近代説話』を創刊した。『近代説話』『面白倶楽部』『小説倶楽部』に作品を発表し続け、1958年(昭和33年)7月、「司馬遼󠄁太郎」としての初めての著書『白い歓喜天』が出版される。当時は山田風太郎と並ぶ、伝奇小説の担い手として注目され、本格歴史小説の大家になろうとは予想だにされていなかった。さらに「梟のいる都城」(のち『梟の城』に改題)の連載を開始。",
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"text": "1959年(昭和34年)1月、同じ産経新聞記者の松見みどりと再婚。12月に大阪市西区西長堀のアパートに転居。同じアパートに南海ホークス時代の野村克也がいた。『大坂侍』『梟の城』を発表。1960年(昭和35年)、『梟の城』で第42回直木賞を受賞、翌年に産経新聞社を退職して、作家生活に入る。",
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"text": "初期は直木賞を受賞した『梟の城』や『大坂侍』『風の武士』『風神の門』などの長編や、短編「ペルシャの幻術師」「果心居士の幻術」「飛び加藤」など、時代・伝奇小説が多い。忍者を主人公にした作品が多く「忍豪作家」(五味康祐ら「剣豪作家」にちなむ呼び名)とも呼ばれた。また、初期数編が西アジアを主要舞台としている点も(当時としてはなおのこと)異色でありながら、後年の創作へは(エッセイ等では同地への強い関心を維持しつつも)引き継がれなかった。推理小説も書き、『豚と薔薇』『古寺炎上』があるがあまり得意ではなくこの2作にとどまっている。",
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"text": "だが、1962年(昭和37年)より『竜馬がゆく』『燃えよ剣』、1963年(昭和38年)より『国盗り物語』を連載し、歴史小説家として旺盛な活動を本格化させた。この辺りの作品より、作者自ら、作中で随筆風に折込解説する手法が完成している。1964年(昭和39年)には、終のすみかとなる布施市下小阪(現在の東大阪市)に転居した。近所には付近の大地主であり上宮中学からの同級生の山澤茂雄がおり終生交流が続いたの(「近所の記」)ちに「猥雑な土地でなければ住む気がしない」と記している。1966年(昭和41年)、菊池寛賞を受ける。その後も『国盗り物語』に続き、『新史太閤記』『関ヶ原』『城塞』の戦国四部作を上梓した。",
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"text": "1971年(昭和46年)から、紀行随筆『街道をゆく』を週刊朝日で連載開始した。1972年(昭和47年)には明治の群像を描いた『坂の上の雲』の産経新聞での連載が終了。また、幕末を扱った『世に棲む日日』で吉川英治文学賞。初期のころから示していた密教的なものへの関心は『空海の風景』(日本芸術院恩賜賞)に結実されている。「国民的作家」の名が定着し始めるようになり、歴史を俯瞰して一つの物語と見る「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観を築いて人気を博した。1970年代中期から80年代にかけ、明治初期の『翔ぶが如く』や、『胡蝶の夢』、江戸後期の『菜の花の沖』、戦国期の『箱根の坂』などを著し、清朝興隆の時代を題材にした『韃靼疾風録』を最後に小説執筆を止める。「街道をゆく」や、月一回連載のエッセイ『風塵抄』、『この国のかたち』に絞り、日本とは、日本人とは何かを問うた文明批評を行った。",
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"text": "1981年(昭和56年)に日本芸術院会員、1991年(平成3年)には文化功労者となり、1993年(平成5年)に文化勲章を受章した。このころから腰に痛みを覚えるようになる。坐骨神経痛と思われていたが、実際は直接の死因となる腹部大動脈瘤であった。それでも「街道を行く 台湾紀行」取材の折に、当時台北で台湾総統だった李登輝との会談「場所の悲哀」を行ったり、「街道を行く」取材で青森の三内丸山遺跡を訪れるなど精力的な活動を続ける。また、晩年にはノモンハン事件の作品化を構想していたといわれているが、着手されずに終わった。",
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"text": "1996年(平成8年)1月、「街道をゆく 濃尾参州記」の取材を終え、連載中の2月10日深夜に吐血して倒れ、大阪市中央区の国立大阪病院(現:国立病院機構大阪医療センター)に入院、2日後の2月12日午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため死去した、72歳。同日は「菜の花忌」と呼ばれている。死去した国立大阪病院は、奇しくも『花神』で書いた大村益次郎が死去した場所であった。絶筆「濃尾参州記」は未完となった。親族・関係者による密葬を経て、3月10日に大阪市内のホテルで「司馬遼󠄁太郎さんを送る会」が行われ、約3,000人が参列した。法名は、「遼󠄁望院釋淨定」。政府から従三位を追賜された。",
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"text": "翌年に司馬遼󠄁太郎記念財団が発足し、司馬遼󠄁太郎賞が創設された。2001年(平成13年)に、東大阪市の自宅隣に司馬遼󠄁太郎記念館が開館。司馬遼󠄁太郎記念室がある姫路文学館では毎年8月7日の生誕日に、ゆかりのゲストを迎えて「司馬遼󠄁太郎メモリアル・デー」を開催している。また、NHK大河ドラマ原作となった作品数は最も多く、「21世紀スペシャル大河ドラマ」(後にNHKスペシャルドラマと変更)と称する『坂の上の雲』を含めると7作品である。",
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"text": "歴史小説家としてはW・スコット以来の人物中心主義の流れを汲んでおり、筆名からも直接には司馬遷『史記』列伝の形式を範にした作家でもある。",
"title": "特徴"
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"paragraph_id": 24,
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"text": "特徴としては、基本的に登場人物や主人公に対して好意的であり、作者が好意を持つ人物を中心に描く。それによって作者が主人公に対して持つ共感を読者と主人公の関係にまで延長し、ストーリーの中に読者を巻きこんでゆく手法をとることが多い。また歴史の大局的な叙述とともにゴシップを多用して登場人物を素描し、やや突き放した客観的な描写によって乾いたユーモアや余裕のある人間肯定の態度を見せる手法は、それまでの日本の歴史小説の伝統から見れば異質なものであり、その作品が与えた影響は大きい。「余談だが......」の言葉に代表されるように、物語とは直接関係ないエピソードや司馬自身の経験談(登場人物の子孫とのやりとりや訪れた土地の素描)などを適度に物語内にちりばめていく随筆のような手法も司馬小説の特徴の一つであり、そこに魅了されている読者も多い。",
"title": "特徴"
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"text": "評論家の川本三郎からは「一平二太郎」(藤沢周平、司馬遼󠄁太郎、池波正太郎)の一人として、「大人の日本人男子」の嗜みとして読むべき作家と評されている。",
"title": "特徴"
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{
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"text": "そのユニークな文体は、のちに、渡部直己や清水義範のパスティーシュの対象になったり、あるいは酒見賢一『後宮小説』のようにリスペクトした作品が現れたりした。",
"title": "特徴"
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"text": "作品中の人物の内面描写にはそれほど深入りしないため“浅薄である”とされたり、長編では主題が破綻しているとの批判がある。しかし多くの登場人物を一筆書きにしながら物語を展開してゆく司馬の手法においては、ある程度仕方のないことという反論もなされる。特に内面描写を避けることは、人間を外部から把握し単純化(典型化)して示す18世紀ヨーロッパ小説や漢籍の史書の影響によるところが大きく、「典型としての人間」か「典型からそれようとする内面描写か」という問題は、小説の流儀の問題(18世紀型小説か、19世紀型小説か)であると捉える見方もある。長編の構成力が弱いことも指摘され、前述した「余談だが...」といった言葉で話が脇道にそれることもあるように、たとえば丸谷才一の「全体の五分の三あたりのところから雑になる」「最初の伏線が後半で生かされない」という評がある。ただし、こうした「雑さ」「とりとめのなさ」が磨かれた結果、様々な人物が次々に登場し、ゴシップを振りまいては消えてゆくというグランド・ホテル形式の小説として成功していると評される作品もある(例:『ひとびとの跫音』)。",
"title": "特徴"
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"text": "作家としての後半期は、小説創作から遠ざかり、随想や文明批評などを主としたが、合理的思考を掲げて具体的な考証による歴史評論を進めていった。",
"title": "特徴"
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"text": "司馬が収集した資料については、戦記『レイテ戦記』の著者大岡昇平が、司馬の著作『殉死』への評論を通じ、司馬の歴史小説に対し「時々記述について、典拠を示してほしい、と思うことがある」「面白い資料だけ渡り歩いているのではないか、という危惧にとらえられる」と苦言を呈している。",
"title": "歴史観"
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"text": "司馬は新しい視点と斬新な描写で彼自身の歴史観を作って日本社会に広く影響を与えた国民的作家であると言われており、死後においても司馬の影響力は大きい。",
"title": "歴史観"
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"text": "司馬の作品はベストセラーかつロングセラーとなり、また多くが映像化された。",
"title": "歴史観"
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"paragraph_id": 32,
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"text": "昭和の歴史について、著書「この国のかたち」のなかで「明治の夏目漱石が、もし昭和初年から敗戦までの“日本”に出逢うことがあれば、相手の形相のあまりのちがいに人違いするにちがいない」と述べている。",
"title": "歴史観"
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"text": "歴史作家司馬は、1968年に小説『坂の上の雲』の連載を開始した頃から、自分の戦時中に学徒動員により予備士官として戦車第1師団戦車第1連隊に配属された経験を顧みて、次の時代小説ではノモンハン事件を取り上げようと考えて取材を開始した。ノモンハン事件を選んだ理由としては、この国境紛争が司馬の人生に大きな影響を与えたからとしている。",
"title": "歴史観"
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"text": "司馬は他にも「私どもの部隊の先祖(といってもわずか四、五年前の先祖だが)がこの凄惨な戦闘に参加し、こなごなにやられた」など、たびたび、自分の所属した戦車第1連隊がノモンハン事件に参戦していたと著作やエッセーに記述しており、司馬のもし自分が5年前に戦車第1連隊に配属されていたら無残な戦死を遂げたかも知れないという思いも、ノモンハン事件への強い拘りに繋がったとする指摘もあるが、実際にノモンハン戦に投入されたのは、司馬が配属された戦車第1連隊ではなく戦車第3連隊と戦車第4連隊であった。",
"title": "歴史観"
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"paragraph_id": 35,
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"text": "司馬は、防衛庁戦史室を訪ね協力を取り付けて、段ボール1箱分のノモンハン事件に関する防衛庁戦史室秘蔵資料の提供を受けるなど 、50歳代の10年に渡ってノモンハン事件のことを取材、調査しているが、その取材の過程で、「もつともノモンハンの戦闘は、ソ連の戦車集団と、分隊教練だけがやたらとうまい日本の旧式歩兵との鉄と肉の戦いで、日本戦車は一台も参加せず、ハルハ河をはさむ荒野は、むざんにも日本歩兵の殺戮場のような光景を呈していた。事件のおわりごろになってやっと海を渡って輸送されてきた八九式中戦車団が、雲霞のようなソ連のBT戦車団に戦いを挑んだのである」「(日本軍の戦車砲は)撃てども撃てども小柄なBT戦車の鋼板にカスリ傷もあたえることができなかった、逆に日本の八九式中戦車はBT戦車の小さくて素早い砲弾のために一発で仕止められた。またたくまに戦場に八九式の鉄の死骸がるいるいと横たわった。戦闘というより一方的虐殺であった」「ソ連軍は日本軍の前に縦深陣地を作って現れた。(日本軍は縦深陣地を理解しておらず)全兵力に近いものを第一線に配置して、絹糸一本の薄い陣容で突撃した。日本軍はあたかも蟻地獄に落ちていく昆虫のような状態に置かれた」などと考え、「その結果、日本はノモンハンで大敗北し、さらにその教訓を活かすことなく、2年後に太平洋戦争を始めるほど愚かな国であり、調べていけばいくほど空しくなってきたから、ノモンハンについての小説は書けなくなった」などと、知人の作家半藤一利に後日語り、「日本人であることが嫌になった」とノモンハン事件の作品化を断念した経緯がある。",
"title": "歴史観"
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"paragraph_id": 36,
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"text": "しかし、日本軍の八九式中戦車は第2次ノモンハン事件の中盤には既に日本内地に帰還しており、事件のおわりごろになってやっと戦場に到着したとする司馬の認識は事実誤認であり、また、1939年7月3日のハルハ川東岸での戦いで、日本軍の戦車第3連隊とソ連軍第11戦車旅団がノモンハン事件最大の戦車戦を行ったが、ソ連側の記録で確認できる、同日正午に開始された戦車戦では、八九式中戦車がソ連軍のBT-5を3輛撃破したのに対して、八九式中戦車の損失は2輌(ソ連軍は4輌撃破を主張)であり、互角以上の戦いとなっている。その後に戦車第3連隊はソ連軍の速射砲や戦車が配置された陣地を強攻し、ソ連軍戦車32輌と装甲車35輌を撃破したと報告している(ソ連側の記録は不明)。そもそも、ノモンハン事件においては、日本軍の戦車と装甲車の損失は35輌(うち八九式中戦車は16輌)であったのに対し、ソ連軍の損失は397輌(うちBT-5とBT-7は216輌)とはるかに大きく、八九式中戦車がソ連軍戦車に一方的に撃破されたというのも司馬の事実誤認である。",
"title": "歴史観"
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"text": "また、ノモンハン事件の戦闘で、敵軍陣地を強攻して大損害を被ったのは、日本軍よりむしろソ連軍であり、ソ連軍大攻勢時にフイ高地やノロ高地などに日本軍が構築した陣地を強攻して大損害を被っている。井置栄一中佐率いる第23師団捜索隊が守ったフイ高地について、井置は速射砲陣地に予備陣地を4~5個程構築し、砲撃のたびに陣地変更して敵の攻撃をかわす巧妙なつくりするなど、逆に縦深陣地を作り上げて強攻してきたソ連軍に大損害を与えている。司馬の認識とは異なり、ソ連軍がノモンハンで多用したのは、縦深防御ではなく縦深攻撃であり、8月の大攻勢時に威力を発揮し、第二次世界大戦でさらに進化し1944年6月に開始されたバグラチオン作戦がその集大成となったとされている。",
"title": "歴史観"
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"paragraph_id": 38,
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"text": "司馬はソ連軍がほぼ損害を受けていなかったと思い込んでいたように示唆されているが、日本軍歩兵が一方的に殺戮されたという説は、司馬がノモンハン事件の取材を進めていた1960年~1970年代には明らかでなかったソ連軍の情報が公開されるに従い否定されている。",
"title": "歴史観"
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"paragraph_id": 39,
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"text": "司馬は戦後に長野県上山田温泉で温泉宿を経営していた歩兵第26連隊長須見新一郎元大佐と知り合った。連隊長解任の経緯から軍中央の参謀に不快感を抱いていた須見は、参謀を「悪魔」と罵倒するほどであり、昭和軍部に批判的であった司馬と意気投合している。須見は明確に日本陸軍の作戦用兵に対しては批判的であり、司馬の小説の構想にうってつけの人物であったため、司馬は須見を主人公のモデルとして小説を書こうと決めて、熱心に上山田温泉通いをしていた。1974年の文藝春秋正月号で司馬は参謀本部元参謀で伊藤忠商事の副社長だった瀬島龍三と対談し、それが記事となったが、須見は、エリート参謀であった瀬島に対して「あのインチキめ」と腹立たしく思っており、その瀬島と対談した司馬に対して「あんな不埒な奴にニコニコと対談し、反論せずにすませる作家は信用できん」と激高し、以後の取材は一切受ける気はないとする絶縁状を送り付けたため、司馬はノモンハン事件の小説が書くのが困難となってしまった。のちに司馬はこの時を振り返り「もしぼくがノモンハンを書くとしたら血管が破裂すると思う」と述べた。",
"title": "歴史観"
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"paragraph_id": 40,
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"text": "モンゴル研究者の佐々木健悦は、司馬の歴史認識は上からの視点で、ノモンハン事件が書けなかったのは司馬の知的怠慢と知的不誠実さだと批判したうえに、モンゴル憲法についての記載も間違っていると指摘した。",
"title": "歴史観"
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{
"paragraph_id": 41,
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"text": "歴史学者の秦郁彦は、司馬がノモンハン事件の小説を書けなかった理由として、下記の4点をあげている。",
"title": "歴史観"
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"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "司馬は戦車隊予備士官だった経験により、日本軍の戦車についても強いこだわりを持っており、著書やエッセーで幾度となく取り上げている。自分の戦車隊予備士官時代の話を、同じく司馬原作のテレビドラマ「梟の城」の後番組としてテレビドラマ化を目指していたが、撮影困難として挫折した経緯もある。",
"title": "歴史観"
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"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "司馬は戦車第1連隊に配属され満州牡丹江で訓練を受けたが、連隊は本土決戦準備のため栃木県佐野市に移動した。そこで司馬は今後の人生の方向性を左右するような強烈な体験をすることになる。ある日、上陸してくる連合軍への邀撃作戦について説明するために大本営から将校が訪れて、戦車第1連隊の士官を集めた。一折り説明を受けたのちに司馬がこの将校に質問をしている。",
"title": "歴史観"
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{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "司馬はこの大本営将校の話を聞いて、民衆を守るのが軍隊ではなく、民衆の命よりも軍のほうが大事なのかとショックを受けて、「こんな愚かな戦争を日本人はどうしてやってしまったのか」との問いが司馬の最大の疑問となっていき、その謎を解くために書かれたのが後の小説群であった。つまり、この戦車第1連隊での体験が小説家司馬遼太郎の原点とも言える。昭和史研究で著名な半藤一利のように、出版業界で歴史畑を長く扱ってきた者が(司馬の担当者であった事もあり)この発言を信じて、帝国陸軍批判の材料とする者もいる。「恐ろしい言葉です。逃げてくる無抵抗な民衆を、作戦の邪魔になるから「ひき殺していけ」と言う。それを軍を指揮する「大本営参謀」が言ったというのです。しかも、司馬さんの質問に答えてたんですから、また聞きとか、伝聞とかではないんです。名前まではさすがに出されていませんでしたが、わたくしには当時の参謀本部作戦課の秀才参謀たちのいくつかの顔が思い浮かんできました。」などと、推測を交えた記述がなされている。",
"title": "歴史観"
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{
"paragraph_id": 45,
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"text": "しかし、この司馬の体験談は幾度も司馬の著作や発言に登場するが、登場当初からは内容が変遷している。このエピソードが初めて司馬の著作に登場するのは「中央公論」1964年2月号の「百年の単位」であるが、このときの記述によれば、質問したのは司馬ではなく連隊の「ある将校」になっており、回答したのは「大本営少佐参謀」とより具体的になっている。",
"title": "歴史観"
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"paragraph_id": 46,
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"text": "この時の少佐参謀は、同席した司馬や質問した連隊将校を睨みすえることもなく自然に「轢き殺してゆく」と答えたとされているが、司馬自身が小説家としての原体験となったと自認している重大事件について、司馬自身が質問したことを忘れるはずがないという指摘もある。",
"title": "歴史観"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "そして司馬が没する前年の1995年の鶴見俊輔との対談では、それまで大本営の少佐参謀や将校とされていた発言者が、同じ戦車第1連隊の大尉となっている。",
"title": "歴史観"
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{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "また、この問答の存在自体に当事者から疑念が呈されている。軍事史研究家土門周平(本名近藤新治)(元戦車第二十八連隊中隊長)は「あの話は、われわれの間で大問題になったんです。司馬さんといっしょの部隊にいた人たちに当ったけれど、だれもこの話を聞いていない。ひとりぐらい覚えていてもいいはずなのですがね。」「当時、戦車隊が進出するのには、夜間、4なり5キロの時速で行くから、人を轢くなどということはまずできなかったですよ。」と述べている。当時の日本軍は連合軍の戦闘爆撃機による空襲が最大の脅威であるため、大規模な移動は戦闘爆撃機の作戦が制限される夜間に行うとする「夜間機動作戦」が原則であったが、予備士官ながらも戦車小隊長であった司馬は、戦車第1師団司令部から各所属連隊の示達されていた「夜間機動作戦」をついて知らずに「かれら(避難民)を轢き殺さない限り作戦行動はとれない」と思い込んでいたことになる。土門はこの件で一度司馬と対談する機会があったという。企画した雑誌は「朝日ジャーナル」であったが、その席で土門は「なんであんなことを言うのか。あの参謀は私の先輩だし、あなたの周りにいた将校も誰ひとりそんな発言は聞いていない」と問いただすと、司馬はにやりと笑って「近藤(土門)先生は学者ですなぁ」とひとことだけ答えたという。土門はその言葉を司馬の「私は小説家だから」という意味の発言ではないかと考えたが、結局このときの対談はお蔵入りとなり記事となることはなかった。",
"title": "歴史観"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "1973年に戦車第1連隊第5中隊の元中隊長西野堯大尉を会長として、満州時代の駐屯地名を冠した「石頭会」という戦友会が発足した。司馬は妻女とともに京都で開催された第一回目の会合に出席して「私は西野さんの言うことならなんでも聞きます。西野さんの大事な体温計割っちゃったからな」と挨拶して一同を笑わせている。その後加入した西野と同期の宗像正吉大尉が、あるときの二次会で思い切って司馬に「轢いてゆけ」発言の真偽をただしてみたところ、司馬からは「宗像さん、新品少尉が大本営参謀とサシで話ができると思いますか」「私は小説家ですよ。歴史研究家ではありません」「小説というものは面白くなければ、読者は離れてしまいます」と語り、作家の「創作」だったことを明かしたという。",
"title": "歴史観"
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{
"paragraph_id": 50,
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"text": "自分が乗った九七式中戦車については、「同時代の最優秀の機械であったようで」「チハ車は草むらの獲物を狙う猟犬のようにしなやかで、車高が低く、その点でも当時の陸軍技術家の能力は高く評価できる」「当時の他の列強の戦車はガソリンを燃料としていたのに対し、日本陸軍の戦車は既に(燃費の良い)ディーゼルエンジンで動いていた」と評価する一方で、その戦闘能力については「この戦車の最大の欠点は戦争ができないことであった。敵の戦車に対する防御力もないに等しかった」と罵倒するなど愛憎入り混じった評価をしているが、九七式中戦車はノモンハン事件、日中戦争、太平洋戦争初期には、開発コンセプトに沿った歩兵支援用主力戦車としての活躍を見せている。ノモンハン事件の教訓もあって、主砲を一式四十七粍戦車砲に換装し対戦車攻撃力が強化された九七式中戦車改は、当時の参戦各列強国の水準に大きく立ち遅れていたが、ルソン島の戦いでは、第2戦車師団に配備された同車が、アメリカ軍の主力戦車M4中戦車やM3軽戦車を撃破するなど一定の戦果を挙げて、アメリカ軍の戦訓広報誌『Intelligence Bulletin』にて「もっとも効果的な日本軍戦車」との評価もうけている。また、中国大陸では対戦車能力に乏しい中国軍相手に活躍し、大戦末期の1944年4月に開始された大陸打通作戦では97式中戦車改が主力の第3戦車師団が、1944年5月のわずか1か月で1,400kmを走破、湯恩伯将軍率いる40万人の中国軍を撃破する原動力になったが、同車を含む師団の参加戦車255輌のうちで戦闘で撃破された戦車はわずか9輌であった。九七式中戦車の活躍を見ていた中国共産党の軍隊東北人民自治軍は、日本の降伏ののち、九七式中戦車改を接収すると、自軍の兵器として使用、功臣号と名付けられた九七式中戦車改は国共内戦で大活躍しながら生存し、現在も中国人民革命軍事博物館に展示されているなどの活躍を見せている。",
"title": "歴史観"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "一方で九七式中戦車の前の日本軍主力戦車八九式中戦車に対しては、その戦績への事実誤認も含めたところで、罵倒されていることが多く、司馬が戦車について語った小説新潮連載の「戦車・この憂鬱な乗物」というエッセーで「B・T・ホワイト著湯浅謙三訳の『戦車及び装甲車』という本は世界中のその種の車の絵図と初期の発達史が書かれているが、悲しいことに日本の八九式中戦車については一行ものせていないのである。ノモンハンであれほど悲劇的な最期を遂げながら、その種の国際的歴史からも黙殺された」と司馬は述べているが、司馬のいう『戦車及び装甲車』という本はブレイン・テレンス・ホワイト著『Tanks and Other Armored Fighting Vehicles, 1900 to 1918』の和訳であり、本の題名通り、1918年の第一次世界大戦までの戦車や戦闘車両に関する書籍で、1929年(皇紀2589年)に制式採用された八九式中戦車は対象外であった。また、世界の多数の戦車を所蔵し、戦車の歴史を見ることができるアメリカのアバディーン戦車博物館に八九式中戦車も展示されている。",
"title": "歴史観"
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"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "戦車第1連隊の元中隊長であり、戦後にAIU保険の役員となった宗像は、秦郁彦からの司馬はなぜ日本軍の戦車の悪口を言い続けたのか?という質問に対して「彼は本当は戦車が大好きだったんだと思います。ほれ、出来の悪い子ほどかわいいという諺があるでしょう」と答えている。司馬自身も戦車に乗っている自分の姿をよく夢に見ているが、その夢の内容を「戦車の内部は、エンジンの煤と、エンジンが作動したために出る微量の鉄粉とそして潤滑油のいりまじった特有の体臭をもっている。その匂いまで夢の中に出てくる。追憶の甘さと懐かしさの入りまじった夢なのだが、しかし悪夢ではないのにたいてい魘されたりしている」と詳細に書き残しており、戦車に対する司馬の愛着を感じることができる。また、戦車兵であったという軍歴も否定的には捉えておらず、戦友会にも「無防備の裸で付き合える」として、積極的に出席していたほか、文藝春秋の編集者として多くの有名作家と面識のあった中井勝との会話で、司馬は作家井上靖が従軍時代の兵科が何であったかを中井に尋ね、中井が「輜重輸卒でしょう」と答えると、司馬は「そうや、よう知っとるねえ」とまんざらでもない表情になったという。司馬は新聞記者の大先輩で文壇では格上で頭があがらなかった井上が、兵科として旧日本軍では軽く見られがちだった輜重兵であったのに対して、戦車兵の自分のほうが上であったという稚気っぷりな自負心を持っていたと、司馬のまんざらでもない表情を見て中井は思ったという。",
"title": "歴史観"
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"paragraph_id": 53,
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"text": "のちに、戦車第1連隊で司馬と戦友であった宗像らは日本の戦車部隊発祥の地の久留米基地(現在は陸上自衛隊久留米駐屯地)にかつてあり、戦後に進駐軍に破壊された「戦車之碑」再建しようと奔走したが、再建の目途が立ったときに、碑文の起草を司馬に依頼したところ、司馬は二つ返事で承諾し、下記の碑文を送った。",
"title": "歴史観"
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{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "その後20年 戦い日多く 戦域はひろがり ひとびとはこの車輛ともに生死し 昭和20年 その歴史を閉じた 世々の価値観を越えて事実は後世に伝えらるべきものであるために その発祥を記念し この地に生き残れる者が相集い 死せしひとびとの霊を慰めつつ 戦車の碑を建てる",
"title": "歴史観"
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{
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"text": "昭和49年5月 旧戦車兵有志980余名",
"title": "歴史観"
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"text": "こうした司馬の戦車に対する思いを感得していた戦車第1連隊の戦友たちは、宗像が一度問いただした以降は敢えて「大本営参謀の来隊は見た者も聞いた者もいないよ」などと口にすることはなかった。",
"title": "歴史観"
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"text": "司馬の作り上げた歴史観は、「司馬史観」と評される。",
"title": "歴史観"
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"paragraph_id": 58,
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"text": "その特徴としては日清・日露戦争期の日本を理想視し、(自身が参戦した)太平洋戦争期の日本を暗黒視する点である。人物においては、高評価が「庶民的合理主義」者の織田信長、西郷隆盛、坂本龍馬、大久保利通であり、低評価が徳川家康、山県有朋、伊藤博文、乃木希典、三島由紀夫である。この史観は、高度経済成長期に広く支持を集め、ポスト高度成長期になると新自由主義や自由主義史観の流行にのって読まれた。",
"title": "歴史観"
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{
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"text": "しかしこのような歴史観は都合が良すぎるという指摘がある。左派からは歴史修正主義の土台になった、右派からは自虐史観の土台になったとして、それぞれ批判されることがある。また乃木希典を愚将として描いていることは、福田恆存や福井雄三により批判されている(詳しくは乃木希典#評価を参照)。",
"title": "歴史観"
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{
"paragraph_id": 60,
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"text": "晩年の司馬は土地の公有を主張する、「庶民的」な田中角栄を嫌悪するなど主張が変化しており、日本文学者の助川幸逸郎は、司馬史観は高度経済成長期の思想で、バブル景気とその崩壊後の時代には視点が無かったのではないかと述べている。",
"title": "歴史観"
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{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "より学究的な立場からは、実証性の面からも批判されることがある。歴史家の鈴木眞哉は司馬史観には多くの盲点があるとして具体的な例を挙げて批判をしている。",
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"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "『竜馬がゆく』『上総の剣客』の剣豪森要蔵は、参考文献『會津戊辰戦史』『七年史』の誤記もあった。白河地区を調査した結果、森親子が白河口の雷神山で戦死、板垣退助が見たなどはありえない。その後、多くの作家の作品に御前試合は語られていない。2022年、森要蔵の行動記録『会津人群像No44』「剣豪森要蔵の真実」池月映(歴史春秋社)が発表された。",
"title": "歴史観"
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{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "読者が多く影響力が強いために、作品に描かれているのがそのまま史実と受け取る読者も少なくないが、作品の多くはあくまでも大衆小説であり、小説とするために史実を意図的に変えているもの(例・「池田屋異聞」において山崎烝の先祖が奥野将監という事実は存在しない。また、常城家の出である大高忠兵衛の先祖が大高忠雄と書かれている)や、根本的に架空のストーリーも含まれている。",
"title": "歴史観"
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{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "代表作『竜馬がゆく』で坂本龍馬による罵倒語として数ヶ所「ちょうりんぼう(馬鹿め)!」との表現を用いた。この記述が1983年9月16日、京都新聞夕刊の広告欄における伏見銘酒会の「銘柄クイズ」に引用されたのを機に問題視され、司馬は部落解放同盟から糾弾を受けた。このとき、司馬だけではなく、京都新聞やKBS京都放送、コピーの下請け制作を依頼した電通京都支局、さらには電通本社までが突き上げを受けている。",
"title": "歴史観"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "司馬に対する糾弾会は、1983年12月12日、京都の部落解放センターで開かれた。司馬は「知らなかった自分が恥ずかしい」と釈明し、「土佐弁では『ちょうりんぼう』は単なる罵倒語になっていると思っていた。被差別者が『長吏』と呼ばれていたことは古くから知っていた。日本語を考え続けているつもりながら、長吏とちょうりんぼうがつながっていることに気付かなかったことは、限りなく恥ずかしい」と述べた。",
"title": "歴史観"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "この事件の後、問題の箇所は「ばかめ!」と改められて刊行が続いている。",
"title": "歴史観"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "※は、後に文庫(他社・新編も含め)で再刊。他に新書判(講談社ロマンブックス)などで再刊がある。",
"title": "作品"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "(単行本・文庫本の合計:出典『ダカーポ』2005年9月7日号(第567号)、65頁)",
"title": "作品"
}
] | 司馬 遼󠄁太郎は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。位階は従三位。本名は福田 定一。筆名の由来は「司馬遷に遼󠄁(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」からきている。 大阪府大阪市出身。産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』などがある。『街道をゆく』をはじめとする多数の随筆・紀行文などでも活発な文明批評を行った。 | {{しんにょう|{{JIS2004フォント|遼󠄁}}|2}}
{{Infobox 作家
| name = 司馬 {{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎<br />(しば りょうたろう)
| image = Shiba Ryotaro, 1964.jpg
| image_size =
| caption = <small>講談社『週刊現代』10月1日号(1964)より</small>
| pseudonym =
| birth_name = 福田 定一(ふくだ ていいち)
| birth_date = [[1923年]][[8月7日]]
| birth_place = {{JPN}}・[[大阪府]][[大阪市]][[南区 (大阪市)|南区]][[難波]]西神田町(現在の[[浪速区]]塩草)
| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1923|8|7|1996|2|12}}
| death_place = {{JPN}}・[[大阪府]][[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]][[法円坂]]([[国立病院機構大阪医療センター|国立大阪病院]])<ref name="ismedia">{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/mwimgs/0/f/-/img_0fd9f8ab813393dc05d2af0945e6b79e847910.jpg|title=史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか|publisher=現代ビジネス|date=2011-08-17|accessdate=2019-12-22}}</ref>
| resting_place = [[西本願寺]][[大谷本廟]]
| occupation = [[小説家]]、[[ノンフィクション作家]]、[[評論家]]
| language = [[日本語]]
| nationality = {{JPN}}
| period = [[1955年]] - [[1996年]]
| genre = [[歴史小説]]・[[推理小説]]・[[戯曲]]・[[随筆]]・[[紀行]]
| subject = [[日本の歴史]]と[[風土]]
| movement =
| notable_works = 『[[梟の城]]』(1959年)<br />『[[竜馬がゆく]]』(1962年 - 1966年)<br />『[[燃えよ剣]]』(1964年)<br />『[[国盗り物語]]』(1965年)<br />『[[坂の上の雲]]』(1968年)<br />『[[街道をゆく]]』(1971年 - 1996年、紀行文)<br />『[[翔ぶが如く]]』(1976年)<br />『[[項羽と劉邦 (小説)|項羽と劉邦]]』(1980年)
| awards = [[直木三十五賞]](1960年)<br />[[菊池寛賞]](1966年)<br />[[毎日芸術賞]](1968年)<br />[[吉川英治文学賞]](1972年)<br />[[日本芸術院賞]]・[[恩賜賞 (日本芸術院)|恩賜賞]](1976年)<br />[[読売文学賞]](1982年・1987年)<br />[[朝日賞]](1983年)<br />[[日本文学大賞]](1984年)<br />[[大佛次郎賞]](1988年)<br />[[文化勲章]](1993年)<br />贈[[従三位]]・賜[[賞杯|銀杯一組]](1996年、没時叙位下賜)
| debut_works = 福田定一名義:<br />『名言随筆・サラリーマン』(1955年)<br />司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎名義:<br />『ペルシャの幻術師』(1956年)
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| influences =[[萩原延壽]]
| influenced =
| signature = RyotaroShibaSignature.jpg
| website = [https://www.shibazaidan.or.jp/ 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎記念館]
<!--| footnotes = -->
}}
'''司馬 遼󠄁太郎'''(しば りょうたろう、[[1923年]]〈[[大正]]12年〉[[8月7日]] - [[1996年]]〈[[平成]]8年〉[[2月12日]])は、[[日本]]の[[小説家]]、[[ノンフィクション作家]]、[[評論家]]。[[日本芸術院]]会員、[[文化功労者]]、[[文化勲章]]受章者。[[位階]]は[[従三位]]。本名は'''福田 定一'''(ふくだ ていいち)。筆名の由来は「[[司馬遷|'''司馬'''遷]]に'''遼󠄁'''(はるか)に及ばざる日本の者(故に'''太郎''')」からきている。
[[大阪府]][[大阪市]]出身。[[産経新聞社]]記者として在職中に、『[[梟の城]]』で[[直木三十五賞|直木賞]]を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『[[竜馬がゆく]]』『[[燃えよ剣]]』『[[国盗り物語]]』『[[坂の上の雲]]』などがある。『[[街道をゆく]]』をはじめとする多数の[[随筆]]・[[紀行|紀行文]]などでも活発な文明批評を行った。
== 生涯 ==
=== 生い立ち ===
[[1923年]]([[大正]]12年)[[8月7日]]、[[大阪府]][[大阪市]][[南区 (大阪市)|南区]][[難波]]西神田町(現在の[[浪速区]]塩草)に、薬局を経営する父・福田是定([[薬剤師]])、母・直枝の次男として生まれた。兄がいたが2歳で早世し、姉、妹が一人ずついる。乳児[[脚気]]のために3歳まで[[奈良県]][[北葛城郡]][[當麻町]](現・[[葛城市]])の母の実家に里子に出されていた。
[[1930年]]([[昭和]]5年)、大阪市難波塩草尋常小学校(現・[[大阪市立塩草立葉小学校]])に入学。性格は明るかったが、学校嫌いで、悪童でもあったようである。母の実家の周りには[[古墳]]が多く、[[土器]]のかけらや[[石鏃]]などを拾い集めていた。また、当時の少年たちには特別ではなかったのであるが、大陸の[[馬賊]]に憧れていた。後に戦車隊の小隊長となることでこの夢は結実した。
[[1936年]](昭和11年)、私立[[上宮高等学校|上宮中学校]]に進学。入学後の成績は300名中でビリに近く本人も驚いたらしいが、慌てて勉強をしたら二学期には上位20位に入ったという。[[井伏鱒二]]の『岩田君のクロ』に感銘を受ける{{efn|生涯井伏作品を愛読している。『別冊[[アサヒグラフ]] 井伏鱒二の世界』([[朝日新聞]]社、1992年)にも井伏論を寄せている。}}。3年生から[[松坂屋]]の横の御蔵跡町の[[図書館]]に通うようになり、大阪外国語学校卒業まで本を乱読するようになる。古今東西のあらゆる分野の書物を読破し、しまいには釣りや将棋などの本まで読んだという。阿倍野のデパートでは[[吉川英治]]の[[宮本武蔵]]全集を立ち読みで読破した。いつも立ち読みばかりするので頭にきた売り場の主任が「うちは図書館やあらへん!」と文句を言うと、「そのうちここらの本をぎょうさん買うたりますから…」と言ったそうである。また、半ば趣味として山登りを好み、大阪周辺の名山は大抵踏破している。高等学校への受験に際して、家計の都合で私立学校への進学は許されず、官立のみと父親から釘を刺されていた。
[[1939年]](昭和14年)、中学生だった司馬にも[[日中戦争]]や[[第二次世界大戦]]が影を落としており、上宮中学の[[配属将校]]から[[学校教練]]を受けている。ある日の教練の、配属将校による当時の日本軍の主力小銃[[三八式歩兵銃]]の説明で、「よその国の小銃は機関銃のように連発式になっているが、日本軍の[[三八式歩兵銃]]は[[ボルトアクション]]式のライフルであり、一発ずつしか撃てない、しかし、よその国はバラバラと撃てるが、これでは心が入らない。わが国のほうが心に念じ、一発必中になって狙えるからいい」との説明があったと著作に記述し{{Sfn|司馬|1998|p=250}}、これが司馬少年の心に強く印象付けられたとされている。しかし、1939年に「機関銃のように連発式」の[[自動小銃]]が正式採用されていたのは[[アメリカ軍]]の[[M1ガーランド]]だけで、これも1939年の初めにはまだ7,715丁しか生産されておらず<ref>{{Cite web |url=http://www.fulton-armory.com/faqs/M1G-FAQs/tea/m1serial.htm |title=M1 Garand Serial Numbers |publisher=Fulton Armory |accessdate=2019-04-06}}</ref>、数の面では製造開始年は三八式歩兵銃と変わらないボルトアクションライフルの[[スプリングフィールドM1903小銃]]が主力小銃であり、1941年12月の[[真珠湾攻撃]]による日本とアメリカの開戦時には、508,000丁(日産2,000丁)の大量発注も行われていた<ref>{{Cite web |author=Bruce N. Canfield |url=https://www.americanrifleman.org/articles/2016/6/8/the-remington-m1903-rifles/ |title=American Rifleman | The Remington M1903 Rifles |publisher=National Rifle Association of America |accessdate=2019-04-06}}</ref>。また、[[ドイツ国防軍]]の[[Kar98k]]<ref>{{Cite web |url=https://ww2db.com/weapon.php?q=3 |title=Mauser Kar98k Rifle |website=World War II Database |publisher=Lava Development, LLC |accessdate=2019-04-06}}</ref>、イギリス軍の[[リー・エンフィールド]]<ref>{{Cite web |url=https://warfarehistorynetwork.com/daily/wwii/the-lee-enfield-rifle-in-world-war-ii/ |title=The Lee-Enfield Rifle in World War II |publisher=Sovereign Media |accessdate=2019-04-06}}</ref>、[[赤軍|ソ連労農赤軍]]の[[モシン・ナガンM1891/30|モシン・ナガン M1891/30]]<ref>{{Cite web |url=http://www.russian-mosin-nagant.com/russian3.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100221210814/http://www.russian-mosin-nagant.com/russian3.html |archivedate=2010-02-21 |title=Russian erection |publisher=Darryl Boyd |accessdate=2019-04-06}}</ref>など、当時の列強国の主力小銃は三八式歩兵銃と同じボルトアクションライフルで、これらの小銃は[[第二次世界大戦]]が終わるまで各国歩兵の主力装備として運用されており、日本軍の小銃だけが時代遅れのボルトアクションだったというのは事実誤認である。
司馬少年は学校が嫌いで、図書館と本屋さえあれば人間はそれでいいと考えていたが、仕方なく通学し学校で社会訓練を受けているうちに、[[中国人]]と[[朝鮮人]]に好感を抱くようになった。好きになった理由は、「彼らは非常に人間というものを感じさせた」からであったとしている。やがて、司馬にとっての恩人である中国と戦争をしている日本が嫌いであるという感情が芽生えることになった。しかし、それは実際は日本も大好きという感情の裏返しである[[アンビバレンス]]な状態であったと自己分析している{{Sfn|司馬|1998|p=9}}。
[[1940年]](昭和15年)に[[大阪高等学校 (旧制)|旧制大阪高校]]、翌年には[[弘前高等学校 (旧制)|旧制弘前高校]]を受験するも不合格。[[1942年]](昭和17年)4月に旧制大阪外国語学校(現在の[[大阪大学外国語学部]][[モンゴル語]]専攻)に入学<ref>司馬遼太郎『出身県別 現代人物事典 西日本版』p898 サン・データ・システム 1980年</ref>。入学時に校内食堂で上級生が新入生に催す歓迎会では、上級生が木刀、竹刀を振り回し下駄を踏み鳴らして『こらーっ!』と怒鳴りながら入り、訓辞や軍歌指導を行なった。その際に司馬は見事な[[ガマの油売り]]を一席やったが、これは彼の性格の明るさを表す一端である。当時の学生の大半がそうであったように語学が嫌いで、早稲田大学の中国文学に鞍替えしようかと考えたこともあった。しかし読書は依然として好み、[[ロシア文学]]や、[[司馬遷]]の『史記』を愛読。2年上に[[庄野潤三]](英語学科)、1年上に[[陳舜臣]](印度語学科)、同期に[[赤尾兜子]](中国語学科)らの「創作グループ」がいたが、その輪には加われなかった。当時の司馬は、色白でふっくらした童顔であったが、旧制高校に憧れて下駄履きで登下校したという。教室へは「オース、オース」と声をかけながら入り、生徒間で人気があり人が集まる中心にいた。授業でもよく発言をした。食事はよく食べ朝飯を5杯おかわりするのが常であった。「中庸の徳」が座右の銘であったという。
=== 軍歴 ===
[[1943年]](昭和18年)11月に、[[学徒出陣]]により大阪外国語学校を仮卒業(翌年9月に正式卒業となる)。[[兵庫県]][[加東郡]][[河合村 (兵庫県)|河合村]](現:[[小野市]])[[青野原演習場|青野が原]]の戦車第十九連隊に入隊した。軍隊内ではかなり珍しい「俳句の会」を興し、集合の合図には一番遅れて来た。翌44年4月に、[[満州]][[四平市|四平]]の[[四平陸軍戦車学校]]に入校し、12月に卒業。戦車学校では文系であったために機械に弱く、ある時に戦車を動かそうとあちこちいじっているとエンジンが起動したが、中から白煙が出て「助けてくれー」と悲鳴が聞こえたので駆けつけると、コードが戦車に触れて電流が流れていた。手斧でコードを断ち切り、事なきを得たという。司馬は、軍隊生活になかなか馴染めず、訓練の動作にも遅れが目立ち、同期生のなかでも戦車の操縦はとびきり下手であったが、「俺は将来、戦車1個小隊をもらって[[蒙古]]の[[馬賊]]の大将になるつもりだ」などと冗談を言うなど、笑みを絶やさない明るい性格で同期生たちの癒しになっていた<ref>{{Cite news |url=https://www.sankei.com/article/20150808-PAZBPVF3SFMILPJGWWU6FRBOM4/2/|title=戦友が見た「戦車兵・司馬遼太郎」 苦難の中でも冗談や笑み「軍人らしくなかった |newspaper=産経新聞 |date=2015-08-08 |accessdate=2021-01-10}}</ref>。
部隊で一緒だったのが[[石濱恒夫]]であり、石濱と司馬はこの時以来、司馬が亡くなるまで親交が深かった。
戦車学校で成績の良かった者は内地や外地へ転属したが、成績の悪かった者はそのまま[[中国]]に配属になり、これが生死を分けた。卒業後、[[満州国]][[牡丹江市|牡丹江]]に展開していた[[久留米市|久留米]][[戦車第一連隊]]第三中隊第五小隊に小隊長として配属される。翌1945年に[[本土決戦]]のため、[[新潟県]]を経て[[栃木県]][[佐野市]]に移り、ここで陸軍少尉として[[日本の終戦|終戦]]を迎えた。
敗戦にショックを受けた司馬は「なんとくだらない戦争をしてきたのか」「なんとくだらないことをいろいろしてきた国に生まれたのだろう」との数日考えこみ、「昔の日本人は、もう少しましだったのではないか」という思いが、後の司馬の日本史に対する関心の原点となり{{Sfn|司馬|1998|pp=7-8}}、趣味として始めた小説執筆を、綿密な調査をして執筆するようになったのは「昔というのは、鎌倉のことやら、室町、戦国のころのことである。やがて、ごく新しい江戸期や明治時代のことも考えた。いくら考えても昭和の軍人たちのように、国家そのものを賭けものにして[[賭場]]にほうりこむようなことをやったひとびとがいたようには思えなかった」と考えた終戦時の司馬自身に対する「いわば、23歳の自分への手紙を書き送るようにして小説を書いた」<ref group="注釈">第二次世界大戦終戦時点での司馬の年齢は正確には22歳で、正確な年齢を記述している著作もある。</ref>{{Sfn|司馬|1998|p=7}}からであると述懐している{{Sfn|司馬|1993|pp=283-284}}。[[復員]]後は直ちに図書館通いを再開する。
=== 記者時代 ===
戦地からの復員後、[[生野区]][[猪飼野]]東五丁目8にあった[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]経営の新世界新聞社に大竹照彦とともに入社。[[1946年]](昭和21年)、ふたたび大竹とともに[[新日本新聞社|新日本新聞]]京都本社に入社。同僚に青木幸次郎がいた{{efn|青木は後に『[[中外日報]]』編集局長、[[西本願寺]]の雑誌『大乗』の編集長を歴任。『梟の城』は、青木の伝手で『中外日報』に連載されている。}}。このころから30歳を過ぎたら小説を書こうと考えるようになる。大学、宗教記事を書いたが、社は2年後に倒産、[[産経新聞社]]から「外語大卒だから英語くらいできるだろう」と誘われ、英語がまったくできないにもかかわらず「できます」と応じて京都支局に入る。入社して1か月も経たない[[1948年]](昭和23年)6月28日午後、[[福井地震]]が発生し、その日のうちに[[福井市|福井]]の取材に行く。同年11月、歌人[[川田順]]の[[川田順#老いらくの恋|失踪事件]]を取材<ref>司馬は自身が「老いらくの恋」という見出しを付け流行語になったとしているが、それが記憶違いであることは当時を知る報道関係者らに否定されている(『新聞記者・司馬遼太郎』文春文庫、2013、p104)。司馬は事件のあとに川田から「老いらくの恋」の語が入っている詩を見せてもらったと「自伝的断章集成」に書いているが、その詩は川田が家出前に懇意にしていた朝日新聞編集局長に送られており、「老いらくの恋」は同紙の第1報から見出しに使われている。</ref>。
翌年大阪本社に異動。[[1950年]](昭和25年)の初夏に京都の岩屋不動志明院に宿泊し奇っ怪な体験をする。同年に[[金閣寺放火事件]]の記事を書いた(真っ先に取材に訪れた記者の一人とされる)。このころ京都の寺社周り・[[京都大学]]を担当し、その結果京都の密教寺院で不思議な僧侶らと出会ったり、石山合戦のときの本願寺側の兵糧方の子孫の和菓子屋と話したり、京都大学で[[桑原武夫]]、[[貝塚茂樹]]らの[[京都学派]]の学者たちに取材したりするなど、後年の歴史小説やエッセイを執筆する種となる出会いがあった。このことは後年の自筆の回想記(多く『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎が考えたこと』に所収)に記されている。その後文化部長、出版局次長を務めた。文化部時代の同僚に[[廓正子]]がいる。
同年に大阪大学医局の薬剤師と[[見合い]]により最初の結婚。[[1952年]](昭和27年)に長男が誕生するが、[[1954年]](昭和29年)に離婚。長男は実家の福田家に預けられ祖父母に養育される。この結婚及び、誕生した息子のことは、当時は一切公表されなかったが、司馬の死後の新聞報道により明らかになっている<ref>1994年2月14日[[日本経済新聞]]夕刊</ref>。
[[1955年]](昭和30年)、『名言随筆・サラリーマン』(六月社)を発表。この作品は本名で発表したが、このほかにも「饅頭伝来記」など数作本名で発表した作品があるといわれる。さらに、当時親しくなっていた[[成田有恒]]([[寺内大吉]])に勧められて小説を書くようになる。[[1956年]](昭和31年)5月、「ペルシャの幻術師」が第8回講談倶楽部賞に応募(「司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎」の名で投稿)、[[海音寺潮五郎]]の絶賛を受け同賞を受賞し、出世作となる{{efn|多くの選者が無視し、一人がもっともな理由で痛烈に否定し、一人がそれ以上の激しさで推賞した。それが海音寺であった<ref>[[中公文庫]] 『歴史の世界から 改版』 [[中央公論新社]] {{ISBN2|978-4122021013}}、211頁。</ref>。}}。また、寺内とともに雑誌『[[近代説話]]』を創刊した。『近代説話』『面白倶楽部』『小説倶楽部』に作品を発表し続け、[[1958年]](昭和33年)7月、「司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎」としての初めての著書『白い歓喜天』が出版される。当時は[[山田風太郎]]と並ぶ、伝奇小説の担い手として注目され、本格歴史小説の大家になろうとは予想だにされていなかった。さらに「梟のいる都城」(のち『[[梟の城]]』に改題)の連載を開始。
[[1959年]](昭和34年)1月、同じ産経新聞記者の[[福田みどり|松見みどり]]と再婚{{efn|プロポーズの場所は[[大阪市電]]の電停であった<ref>中公文庫 『歴史の中の日本 改版』 中央公論新社 {{ISBN2|978-4122021037}}。{{要ページ番号|date=2019-04-06}}</ref>。}}。12月に大阪市[[西区 (大阪市)|西区]][[西長堀]]のアパートに転居。同じアパートに[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]時代の[[野村克也]]がいた。『大坂侍』『梟の城』を発表。[[1960年]](昭和35年)、『梟の城』で第42回[[直木三十五賞|直木賞]]を受賞、翌年に産経新聞社を退職して、作家生活に入る<ref>この時期までは、産経新聞社『新聞記者司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』(文春文庫、2013年)、後輩の三浦浩『青春の司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』(朝日文庫、2000年)に詳しい。</ref>。
=== 小説家時代 ===
[[File:Eiga-Hyoron-1964-July-1.jpg|thumb|180px|『[[暗殺 (1964年の映画)|暗殺]]』(1964年)を監督した[[篠田正浩]]とともに]]
初期は[[直木賞]]を受賞した『[[梟の城]]』や『大坂侍』『風の武士』『風神の門』などの長編や、短編「ペルシャの幻術師」「果心居士の幻術」「飛び加藤」など、時代・伝奇小説が多い。忍者を主人公にした作品が多く「忍豪作家」([[五味康祐]]ら「剣豪作家」にちなむ呼び名)とも呼ばれた。また、初期数編が西アジアを主要舞台としている点も(当時としてはなおのこと)異色でありながら、後年の創作へは(エッセイ等では同地への強い関心を維持しつつも)引き継がれなかった。推理小説も書き、『[[豚と薔薇]]』『古寺炎上』があるがあまり得意ではなくこの2作にとどまっている。
だが、[[1962年]](昭和37年)より『[[竜馬がゆく]]』『[[燃えよ剣]]』、[[1963年]](昭和38年)より『[[国盗り物語]]』を連載し、歴史小説家として旺盛な活動を本格化させた。この辺りの作品より、作者自ら、作中で随筆風に折込解説する手法が完成している。[[1964年]](昭和39年)には、終のすみかとなる[[布施市]]下小阪(現在の[[東大阪市]])に転居した。近所には付近の大地主であり上宮中学からの同級生の山澤茂雄がおり終生交流が続いたの(「近所の記」)ちに「猥雑な土地でなければ住む気がしない」と記している。[[1966年]](昭和41年)、[[菊池寛賞]]を受ける。その後も『国盗り物語』に続き、『[[新史太閤記]]』『[[関ヶ原 (小説)|関ヶ原]]』『[[城塞 (小説)|城塞]]』の戦国四部作を上梓した。
[[1971年]](昭和46年)から、紀行随筆『[[街道をゆく]]』を[[週刊朝日]]で連載開始した。[[1972年]](昭和47年)には[[明治]]の群像を描いた『[[坂の上の雲]]』の[[産経新聞]]での連載が終了。また、幕末を扱った『[[世に棲む日日]]』で[[吉川英治文学賞]]。初期のころから示していた密教的なものへの関心は『[[空海の風景]]』([[日本芸術院]][[恩賜賞 (日本芸術院)|恩賜賞]])に結実されている。「国民的作家」の名が定着し始めるようになり、歴史を俯瞰して一つの物語と見る「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観を築いて人気を博した。1970年代中期から80年代にかけ、明治初期の『[[翔ぶが如く]]』や、『胡蝶の夢』、江戸後期の『[[菜の花の沖]]』、戦国期の『[[箱根の坂]]』などを著し、[[清朝]]興隆の時代を題材にした『[[韃靼疾風録]]』を最後に小説執筆を止める。「街道をゆく」や、月一回連載のエッセイ『[[風塵抄]]』、『[[この国のかたち]]』に絞り、日本とは、日本人とは何かを問うた文明批評を行った。
[[ファイル:1993年李登輝與司馬遼太郎三度對談.jpg|サムネイル|[[李登輝]]と対談する司馬]]
[[1981年]](昭和56年)に[[日本芸術院会員]]、[[1991年]](平成3年)には[[文化功労者]]となり、[[1993年]](平成5年)に[[文化勲章]]を受章した。このころから腰に痛みを覚えるようになる。坐骨神経痛と思われていたが、実際は直接の死因となる[[腹部大動脈瘤]]であった。それでも「街道を行く [[台湾紀行]]」取材の折に、当時[[台北]]で[[台湾総統]]だった[[李登輝]]との会談「場所の悲哀」{{efn|李登輝は同世代の愛読者であった。この対談は内外の注目を起こした。なお1989年には韓国[[ソウル特別市|ソウル]]で、当時[[大統領 (大韓民国)|韓国大統領]]だった[[盧泰愚]]と対談した<ref>『文藝春秋』1989年8月号。{{要ページ番号|date=2019-04-06}}</ref>。}}を行ったり、「街道を行く」取材で青森の[[三内丸山遺跡]]を訪れるなど精力的な活動を続ける。また、晩年には[[ノモンハン事件]]の作品化を構想していたといわれているが、着手されずに終わった<ref>{{Cite news |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2007043002012658.html |title=東京新聞:「司馬史観」といわれる歴史観がある。作家の司馬遼太郎さんが…:社説・コラム |newspaper=東京新聞 TOKYO Web |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120109145047/http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2007043002012658.html |archivedate=2012-01-09 |accessdate=2019-04-06}}なお、同コラムに書かれている[[半藤一利]]は、司馬の遺志を継ぐ意味も込めて、司馬の死後に『ノモンハンの夏』を著した。下記『清張さんと司馬さん』では司馬の心情を推量している。</ref>。
[[1996年]](平成8年)1月、「街道をゆく 濃尾参州記」の取材を終え、連載中の[[2月10日]]深夜に吐血して倒れ、大阪市[[中央区 (大阪市)|中央区]]の国立大阪病院(現:[[国立病院機構大阪医療センター]])に入院、2日後の[[2月12日]]午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため死去した、72歳。同日は「菜の花忌」と呼ばれている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20211203-VIY5EM7VYVMQPGULIZBLIDW5BE/|title=第25回菜の花忌シンポ、来年2月12日に東京で開催|publisher=産経ニュース|date=2021-12-03|accessdate=2021-12-03}}</ref>。死去した国立大阪病院は、奇しくも『[[花神 (小説)|花神]]』で書いた[[大村益次郎]]が死去した場所であった。絶筆「濃尾参州記」は未完となった。親族・関係者による密葬を経て、3月10日に大阪市内のホテルで「司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎さんを送る会」が行われ、約3,000人が参列した。[[法名 (浄土真宗)|法名]]は、「{{JIS2004フォント|遼󠄁}}望院釋淨定」。政府から[[従三位]]を追賜された。
翌年に司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎記念財団が発足し、[[司馬遼太郎賞|司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎賞]]が創設された。[[2001年]](平成13年)に、[[東大阪市]]の自宅隣に[[司馬遼太郎記念館|司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎記念館]]が開館。司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎記念室がある[[姫路文学館]]では毎年8月7日の生誕日に、ゆかりのゲストを迎えて「司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎メモリアル・デー」を開催している。また、[[大河ドラマ|NHK大河ドラマ]]原作となった作品数は最も多く、「21世紀スペシャル大河ドラマ」(後にNHKスペシャルドラマと変更)と称する『坂の上の雲』を含めると7作品である。
== 年表 ==
* [[1923年]]([[大正]]12年)
**8月7日 - [[大阪市]][[浪速区]]西神田町に生まれる。
* [[1930年]]([[昭和]]{{0}}5年) - 大阪市立難波塩草尋常小学校入学。
* [[1936年]](昭和11年) - 私立上宮中学校(現:[[上宮高等学校]])へ進学。
* [[1940年]](昭和15年) - 上宮中を卒業。
* [[1941年]](昭和16年) - 大阪外国語学校(現:[[大阪大学]]外国語学部)[[モンゴル語|蒙古語]]学科に入学。
* [[1943年]](昭和18年) - [[学徒出陣]]のため大阪外国語学校を卒業。[[兵庫県]][[加古郡]](現在の[[加古川市]])にあった戦車第19連隊に入営。
* [[1944年]](昭和19年) - [[満州]]の[[戦車第1連隊]]に配属される。
* [[1945年]](昭和20年)
** 本土防衛のための[[第12方面軍 (日本軍)|第12方面軍]][[第36軍 (日本軍)|第36軍]][[戦車第1師団 (日本軍)|戦車第1師団]]戦車第1連隊付小隊長として[[栃木県]][[佐野市]]に配属され終戦を迎える。
** 新世界新聞に入社。
* [[1946年]](昭和21年) - [[新日本新聞社]]に入社。[[京都市|京都]]支社に配属となる。
* [[1948年]](昭和23年)
** 2月、新日本新聞社倒産。
** 5月、[[産業経済新聞社]]入社、京都支局に配属となる。
** 6月、[[福井地震]]発生。新人ながら応援記者として福井に赴く。
* [[1950年]](昭和25年) - 最初の結婚。初夏に京都の岩屋不動志明院に宿泊し奇っ怪な体験をする。同年の[[金閣寺放火事件]]では住職等から犯行の動機をすっぱ抜く。
* [[1952年]](昭和27年) - 長男誕生。
* [[1954年]](昭和29年) - 離婚。長男は実家の福田家に預けられる。
* [[1956年]](昭和31年) - 大阪本社勤務の傍ら短編小説「ペルシャの幻術師」を[[講談社]]の懸賞に募集。第8回講談倶楽部賞を受賞し文壇にデビューする。
* [[1959年]](昭和34年) - 松見みどりと結婚。
* [[1960年]](昭和35年) - 『[[梟の城]]』にて第42回[[直木三十五賞|直木賞]]受賞。
* [[1961年]](昭和36年) - 産経新聞社退社。執筆活動に専念する。
* [[1964年]](昭和39年) - 現在、司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎記念館のある大阪府[[布施市]]下小阪(現:[[東大阪市]]下小阪)に転居。
* [[1966年]](昭和41年) - 『[[竜馬がゆく]]』『[[国盗り物語]]』にて第14回[[菊池寛賞]]受賞。
* [[1968年]](昭和43年) - 名誉高知県人となる<ref>{{Cite web|和書|title=名誉高知県人|website=高知県|url=https://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/110901/meiyokenjin-list.html|accessdate=2022-07-25}}</ref>。
* [[1981年]](昭和56年) - [[日本芸術院]]会員となる。
* [[1986年]](昭和61年) - [[財団法人]][[大阪府立国際児童文学館|大阪国際児童文学館]]理事長に就任( - [[1990年]])。
* [[1991年]]([[平成]]{{0}}3年) - [[文化功労者]]に選ばれる。
* [[1993年]](平成{{0}}5年) - [[文化勲章]]受章。
* [[1996年]](平成{{0}}8年)
**2月12日 - 腹部大動脈瘤破裂のため[[国立病院機構大阪医療センター|国立大阪病院]]にて死去。[[従三位]]に叙され銀杯一組を追賜される。忌日は生前好きだった[[菜の花]]にちなみ「菜の花忌」と呼ばれる。墓所は[[京都市]][[東山区]]。
**[[3月4日]] - 東大阪市[[名誉市民]]となる<ref>{{Cite web|和書|title=名誉市民|website=東大阪市|url=https://www.city.higashiosaka.lg.jp/0000007410.html |accessdate=2022-08-11}}</ref>。
**[[11月1日]] - (財)司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎記念財団発足。
* [[1998年]](平成10年) - この年から、毎年菜の花忌に[[司馬遼太郎賞|司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎賞]]を贈賞。
* [[2001年]](平成13年)11月1日 - [[司馬遼太郎記念館|司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎記念館]]が自宅隣接地に開館。
== 特徴 ==
歴史小説家としては[[ウォルター・スコット|W・スコット]]以来の人物中心主義の流れを汲んでおり、筆名からも直接には[[司馬遷]]『[[史記]]』[[紀伝体|列伝]]の形式を範にした作家でもある。
特徴としては、基本的に登場人物や主人公に対して好意的であり、作者が好意を持つ人物を中心に描く。それによって作者が主人公に対して持つ共感を読者と主人公の関係にまで延長し、ストーリーの中に読者を巻きこんでゆく手法をとることが多い。また歴史の大局的な叙述とともにゴシップを多用して登場人物を素描し、やや突き放した客観的な描写によって乾いたユーモアや余裕のある人間肯定の態度を見せる手法は、それまでの日本の歴史小説の伝統から見れば異質なものであり、その作品が与えた影響は大きい。「[[余談]]だが……」の言葉に代表されるように、物語とは直接関係ないエピソードや司馬自身の経験談(登場人物の子孫とのやりとりや訪れた土地の素描)などを適度に物語内にちりばめていく随筆のような手法も司馬小説の特徴の一つであり、そこに魅了されている読者も多い。
評論家の[[川本三郎]]からは「一平二太郎」([[藤沢周平]]、司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎、[[池波正太郎]])の一人として、「大人の日本人男子」の嗜みとして読むべき作家と評されている。
そのユニークな文体は、のちに、[[渡部直己]]や[[清水義範]]の[[パスティーシュ]]の対象になったり<ref>渡辺については、『レトリックス—大衆文芸技術論』収録の「神の自意識-司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎」を参照。清水については、彼の初期の短編小説「猿蟹の賦」および「商道をゆく」(講談社文庫の『蕎麦ときしめん』所収)を参照。</ref>、あるいは[[酒見賢一]]『[[後宮小説]]』のようにリスペクトした作品が現れたりした。
作品中の人物の内面描写にはそれほど深入りしないため“浅薄である”とされたり、長編では主題が破綻しているとの批判がある。しかし多くの登場人物を一筆書きにしながら物語を展開してゆく司馬の手法においては、ある程度仕方のないことという反論もなされる。特に内面描写を避けることは、人間を外部から把握し単純化(典型化)して示す[[18世紀]]ヨーロッパ小説や漢籍の史書の影響によるところが大きく、「典型としての人間」か「典型からそれようとする内面描写か」という問題は、小説の流儀の問題(18世紀型小説か、[[19世紀]]型小説か)であると捉える見方もある。長編の構成力が弱いことも指摘され、前述した「余談だが…」といった言葉で話が脇道にそれることもあるように、たとえば[[丸谷才一]]の「全体の五分の三あたりのところから雑になる」「最初の伏線が後半で生かされない」という評がある。ただし、こうした「雑さ」「とりとめのなさ」が磨かれた結果、様々な人物が次々に登場し、[[ゴシップ]]を振りまいては消えてゆくという[[グランド・ホテル形式]]の小説として成功していると評される作品もある(例:『ひとびとの跫音』)。
作家としての後半期は、小説創作から遠ざかり、随想や文明批評などを主としたが、合理的思考を掲げて具体的な考証による歴史評論を進めていった。
== 歴史観 ==
=== 時代性 ===
司馬が収集した資料については、戦記『[[レイテ戦記]]』の著者[[大岡昇平]]が、司馬の著作『[[殉死 (小説)|殉死]]』への評論を通じ、司馬の歴史小説に対し「時々記述について、典拠を示してほしい、と思うことがある」「面白い資料だけ渡り歩いているのではないか、という危惧にとらえられる」と苦言を呈している{{Sfn|小林|2010|p=167}}。
=== 影響 ===
司馬は新しい視点と斬新な描写で彼自身の歴史観を作って日本社会に広く影響を与えた国民的作家であると言われており、死後においても司馬の影響力は大きい<ref>霍見芳浩「学者が斬る(97)米国の対イラク攻撃と司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の警告」『エコノミスト』81巻2号(2002年、[[毎日新聞社]]) [[養老孟司]]「没後十年をむかえて 特別寄稿 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎さんの予言 司馬さんは今の危機を見通していたかのようだ」『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』2006年1月号</ref>。
司馬の作品は[[ベストセラー]]かつ[[ロングセラー]]となり、また多くが映像化された。
=== 昭和史観 ===
昭和の歴史について、著書「この国のかたち」のなかで「明治の夏目漱石が、もし昭和初年から敗戦までの“日本”に出逢うことがあれば、相手の形相のあまりのちがいに人違いするにちがいない」と述べている<ref>2016年3月29日付「朝日新聞」</ref>。
=== 司馬とノモンハン事件 ===
{{main|ノモンハン事件}}
[[ファイル:1st-IJA-Tank-Division,-night-practice-shooting.jpg|right|thumb|250px|司馬が所属した戦車第1師団の九七式中戦車の夜間訓練。司馬も九七式中戦車に搭乗した]]
歴史作家司馬は、1968年に小説『坂の上の雲』の連載を開始した頃から、自分の戦時中に[[学徒動員]]により[[予備士官]]として[[戦車第1師団 (日本軍)|戦車第1師団]][[戦車第1連隊]]に配属された経験を顧みて、次の時代小説では[[ノモンハン事件]]を取り上げようと考えて取材を開始した{{Sfn|小林|2010|p=147}}。ノモンハン事件を選んだ理由としては、この国境紛争が司馬の人生に大きな影響を与えたからとしている{{Sfn|司馬|1998|p=10}}。
{{quotation|いったい日本とは何だろうということを、最初に考えさせられたのは、ノモンハン事件でした。昭和14年(1939年)、私が中学の時でした。こんなばかな戦争をする国は、世界中にもないと思うのです。ノモンハンには実際に行ったことはありません。その後に入った戦車連隊が、ノモンハン事件に参加していました。いったい、こういうばかなことをやる国は何なのだろうかということが、日本とは何か、日本人とは何か、ということの最初の疑問となりました。|「昭和」という国家{{Sfn|司馬|1998|p=10}} }}
司馬は他にも「私どもの部隊の先祖(といってもわずか四、五年前の先祖だが)がこの凄惨な戦闘に参加し、こなごなにやられた」など{{Sfn|司馬|1998|p=51}}、たびたび、自分の所属した戦車第1連隊がノモンハン事件に参戦していたと著作やエッセーに記述しており、司馬のもし自分が5年前に戦車第1連隊に配属されていたら無残な戦死を遂げたかも知れないという思いも、ノモンハン事件への強い拘りに繋がったとする指摘もあるが{{Sfn|小林|2010|p=142}}、実際にノモンハン戦に投入されたのは、司馬が配属された戦車第1連隊ではなく[[戦車第3連隊]]と[[戦車第4連隊]]であった{{Sfn|豊田|1986|p=114}}。
司馬は、[[防衛研究所|防衛庁戦史室]]を訪ね協力を取り付けて、段ボール1箱分のノモンハン事件に関する防衛庁戦史室秘蔵資料の提供を受けるなど{{Sfn|森|2016|p=280}} 、50歳代の10年に渡ってノモンハン事件のことを取材、調査しているが{{Sfn|小林|2010|p=146}}、その取材の過程で<ref>NHK 戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2014年度「知の巨人たち」第4回 二十二歳の自分への手紙〜司馬遼太郎〜</ref>、「もつともノモンハンの戦闘は、ソ連の戦車集団と、分隊教練だけがやたらとうまい日本の旧式歩兵との鉄と肉の戦いで、日本戦車は一台も参加せず、ハルハ河をはさむ荒野は、むざんにも日本歩兵の殺戮場のような光景を呈していた。事件のおわりごろになってやっと海を渡って輸送されてきた[[八九式中戦車]]団が、雲霞のようなソ連の[[BT戦車]]団に戦いを挑んだのである{{Sfn|司馬|2004|pp=179-180}}」「(日本軍の戦車砲は)撃てども撃てども小柄なBT戦車の鋼板にカスリ傷もあたえることができなかった、逆に日本の八九式中戦車はBT戦車の小さくて素早い砲弾のために一発で仕止められた。またたくまに戦場に八九式の鉄の死骸がるいるいと横たわった。戦闘というより一方的虐殺であった{{Sfn|司馬|1980|p=Kindle版523}}」「ソ連軍は日本軍の前に[[縦深防御|縦深陣地]]を作って現れた。(日本軍は縦深陣地を理解しておらず)全兵力に近いものを第一線に配置して、絹糸一本の薄い陣容で突撃した。日本軍はあたかも[[蟻地獄]]に落ちていく昆虫のような状態に置かれた{{Sfn|司馬|1998|p=130}}」などと考え、「その結果、日本はノモンハンで大敗北し、さらにその教訓を活かすことなく、2年後に太平洋戦争を始めるほど愚かな国であり、調べていけばいくほど空しくなってきたから、ノモンハンについての小説は書けなくなった」などと、知人の作家[[半藤一利]]に後日語り<ref>半藤一利『プレジデント』1996年9月号 「司馬遼太郎とノモンハン事件」</ref>、「日本人であることが嫌になった」とノモンハン事件の作品化を断念した経緯がある<ref name="nhk-1">{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/special/detail/20180815.html |title=NHKスペシャル|ノモンハン 責任なき戦い |publisher=NHK |accessdate=2019-04-06}}</ref>。
しかし、日本軍の八九式中戦車は第2次ノモンハン事件の中盤には既に日本内地に帰還しており、事件のおわりごろになってやっと戦場に到着したとする司馬の認識は事実誤認であり{{Sfn|豊田|1986|p=118}}、また、1939年7月3日の[[ハルハ川]]東岸での戦いで、日本軍の戦車第3連隊とソ連軍第11戦車旅団がノモンハン事件最大の戦車戦を行ったが、ソ連側の記録で確認できる、同日正午に開始された戦車戦では、八九式中戦車がソ連軍の[[BT-5]]を3輛撃破したのに対して、八九式中戦車の損失は2輌(ソ連軍は4輌撃破を主張)であり、互角以上の戦いとなっている{{Sfn|コロミーエツ|p=82}}。その後に戦車第3連隊はソ連軍の[[速射砲]]や戦車が配置された陣地を強攻し、ソ連軍戦車32輌と装甲車35輌を撃破したと報告している{{Sfn|豊田|1986|p=115}}(ソ連側の記録は不明{{Sfn|コロミーエツ|p=82}})。そもそも、ノモンハン事件においては、日本軍の戦車と[[装甲車]]の損失は35輌(うち八九式中戦車は16輌)であったのに対し{{Sfn|加登川|1974|p=186}}、ソ連軍の損失は397輌(うちBT-5と[[BT-7]]は216輌)とはるかに大きく、八九式中戦車がソ連軍戦車に一方的に撃破されたというのも司馬の事実誤認である{{Sfn|コロミーエツ|pp=101,125}}。
また、ノモンハン事件の戦闘で、敵軍陣地を強攻して大損害を被ったのは、日本軍よりむしろソ連軍であり、ソ連軍大攻勢時にフイ高地やノロ高地などに日本軍が構築した陣地を強攻して大損害を被っている{{Sfn|コロミーエツ|p=109}}。[[井置栄一]]中佐率いる[[第23師団 (日本軍)|第23師団]]捜索隊が守ったフイ高地について、井置は速射砲陣地に予備陣地を4~5個程構築し、砲撃のたびに陣地変更して敵の攻撃をかわす巧妙なつくりするなど、逆に縦深陣地を作り上げて強攻してきたソ連軍に大損害を与えている{{Sfn|コロミーエツ|p=145}}。司馬の認識とは異なり、ソ連軍がノモンハンで多用したのは、縦深防御ではなく[[縦深攻撃]]であり、8月の大攻勢時に威力を発揮し、第二次世界大戦でさらに進化し[[1944年]]6月に開始された[[バグラチオン作戦]]がその集大成となったとされている{{Sfn|葛原|2009|p=69}}。
司馬はソ連軍がほぼ損害を受けていなかったと思い込んでいたように示唆されているが{{Sfn|小林|2010|p=140}}、日本軍歩兵が一方的に殺戮されたという説は、司馬がノモンハン事件の取材を進めていた1960年~1970年代には明らかでなかったソ連軍の情報が公開されるに従い否定されている<ref group="注釈">日本軍の損失、戦死者7,696人、行方不明者(捕虜も含む)1,021人、負傷者8,647人、合計17,364人。ソ連軍とモンゴル軍の損失、戦死者9,983人、負傷者16,662人、合計26,645人。</ref>{{Sfn|コロミーエツ|p=151}}<ref group="注釈">司馬はソ連情報公開直後に書かれた、アルヴィン・D. クックス『ノモンハン―草原の日ソ戦 1939』朝日新聞社〈上・下〉、1989年。を読み、来日したクックスとも対談「ノモンハン事件はいつも古くて新しいですね」「書くよりも読者の側に回ってよかったと思いました。いい本でした」と見解を述べている。のち『東と西 対談集』朝日新聞社に収録。</ref>{{Sfn|小林|2010|p=146}}。
司馬は戦後に[[長野県]][[上山田温泉]]で温泉宿を経営していた歩兵第26連隊長[[須見新一郎]]元大佐と知り合った。連隊長解任の経緯から軍中央の参謀に不快感を抱いていた須見は、参謀を「悪魔」と罵倒するほどであり、昭和軍部に批判的であった司馬と意気投合している{{Sfn|森|2016|p=287}}。須見は明確に日本陸軍の作戦用兵に対しては批判的であり、司馬の小説の構想にうってつけの人物であったため、司馬は須見を主人公のモデルとして小説を書こうと決めて、熱心に上山田温泉通いをしていた{{Sfn|森|2016|p=290}}。1974年の文藝春秋正月号で司馬は参謀本部元参謀で[[伊藤忠商事]]の副社長だった[[瀬島龍三]]と対談し、それが記事となったが、須見は、エリート参謀であった瀬島に対して「あのインチキめ」と腹立たしく思っており、その瀬島と対談した司馬に対して「あんな不埒な奴にニコニコと対談し、反論せずにすませる作家は信用できん{{Sfn|森|2016|p=291}}」と激高し、以後の取材は一切受ける気はないとする絶縁状を送り付けた{{Sfn|小林|2010|p=151}}ため、司馬はノモンハン事件の小説が書くのが困難となってしまった{{Sfn|小林|2010|p=161}}<ref name="nhk-1" /><ref>[[佐藤優 (作家)|佐藤優]]「知を磨く読書 司馬遼太郎の語られざる本音 」週刊ダイヤモンド 2016年3月19日号</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.stakaha.com/?p=2334 |title=《風立ちぬ》論Ⅳ――ノモンハンの「風」と司馬遼太郎の志 | |website=高橋誠一郎 公式ホームページ |author=[[高橋誠一郎 (文学者)|高橋誠一郎]] |accessdate=2019-04-06}}</ref>。のちに司馬はこの時を振り返り「もしぼくがノモンハンを書くとしたら血管が破裂すると思う」と述べた{{Sfn|小林|2010|p=146}}。
モンゴル研究者の佐々木健悦は、司馬の歴史認識は上からの視点で、[[ノモンハン事件]]が書けなかったのは司馬の知的怠慢と知的不誠実さだと批判したうえに、モンゴル憲法についての記載も間違っていると指摘した<ref>佐々木健悦『徳王の見果てぬ夢』[[社会評論社]] 2013年{{ISBN2|978-4-7845-1349-9}} pp.216-217</ref>。
歴史学者の[[秦郁彦]]は、司馬がノモンハン事件の小説を書けなかった理由として、下記の4点をあげている{{Sfn|秦|2012|p=Kindle版1448}}。
# 司馬のイメージにかなう主人公や傍役を見つけられなかった。
# 国境紛争という中途半端な戦争形態。
# 戦車隊はめぼしい戦果なしに、一週間ばかりで戦場を去った。
# [[五味川純平]]「ノモンハン」など競合する先行作品が出現した。
=== 司馬と戦車 ===
司馬は戦車隊予備士官だった経験により、日本軍の戦車についても強いこだわりを持っており、著書やエッセーで幾度となく取り上げている。自分の戦車隊予備士官時代の話を、同じく司馬原作のテレビドラマ「[[梟の城]]」の後番組としてテレビドラマ化を目指していたが、撮影困難として挫折した経緯もある{{Sfn|小林|2010|p=162}}。
司馬は戦車第1連隊に配属され満州[[牡丹江市|牡丹江]]で訓練を受けたが、連隊は[[本土決戦]]準備のため[[栃木県]][[佐野市]]に移動した。そこで司馬は今後の人生の方向性を左右するような強烈な体験をすることになる。ある日、上陸してくる連合軍への邀撃作戦について説明するために大本営から将校が訪れて、戦車第1連隊の士官を集めた。一折り説明を受けたのちに司馬がこの将校に質問をしている{{Sfn|小林|2010|pp=134-135}}。
{{quotation|速成教育をうけただけの私にはむずかしいことはわからなかったが、素人ながらどうしても解せないことがあった。その道路が空っぽという前提で説明されているのだが、東京や横浜には大人口が住んでいるのである。敵が上陸ってくれば当然その人たちが動く。物凄い人数が、[[大八車]]に家財道具を積んで北関東や西関東の山に逃げるべく道路を北上してくるに違いなかった。当時は関東のほとんどの道路が舗装されておらず、路幅もせまく、やっと二車線程度という道筋がほとんどだった。戦車が南下する。大八車が北上してくる、そういう場合の交通整理はどうなっているのだろうかということであった...(その将校は)しばらく私を睨みすえていたが、やがて、昂然と「轢っ殺してゆけ」と、いった。同じ国民をである。|「石鳥居の垢」{{Sfn|司馬|1980|pp=Kindle版1152-1162}}}}
司馬はこの大本営将校の話を聞いて、民衆を守るのが軍隊ではなく、民衆の命よりも軍のほうが大事なのかとショックを受けて、「こんな愚かな戦争を日本人はどうしてやってしまったのか」との問いが司馬の最大の疑問となっていき、その謎を解くために書かれたのが後の小説群であった{{Sfn|小林|2010|pp=134-135}}。つまり、この戦車第1連隊での体験が小説家司馬遼太郎の原点とも言える。昭和史研究で著名な[[半藤一利]]のように、出版業界で歴史畑を長く扱ってきた者が(司馬の担当者であった事もあり)この発言を信じて、帝国陸軍批判の材料とする者もいる。「恐ろしい言葉です。逃げてくる無抵抗な民衆を、作戦の邪魔になるから「ひき殺していけ」と言う。それを軍を指揮する「大本営参謀」が言ったというのです。しかも、司馬さんの質問に答えてたんですから、また聞きとか、伝聞とかではないんです。名前まではさすがに出されていませんでしたが、わたくしには当時の参謀本部作戦課の秀才参謀たちのいくつかの顔が思い浮かんできました。」などと、推測を交えた記述がなされている<ref>『NHK人間講座.半藤一利 清張さんと司馬さん』[[NHK出版]] 2001年10月、改訂版2002年10月/ 文春文庫、2005年10月 111頁</ref>。
しかし、この司馬の体験談は幾度も司馬の著作や発言に登場するが、登場当初からは内容が変遷している。このエピソードが初めて司馬の著作に登場するのは「[[中央公論]]」1964年2月号の「百年の単位」であるが、このときの記述によれば、質問したのは司馬ではなく連隊の「ある将校」になっており、回答したのは「大本営少佐参謀」とより具体的になっている{{Sfn|秦|2012|pp=Kindle版1329-1333}}。
{{quotation|ある日、大本営の少佐参謀がきた...連隊のある将校が、このひとに質問した。「われわれの連隊は、敵が上陸すると同時に南下して敵を水際で撃滅する任務をもっているが、しかし、敵上陸とともに、東京都の避難民が荷車に家財を積んで北上してくるであろうから、当然、街道の交通混雑が予想される。こういう場合、わが八十輌の中戦車は、戦場到達までに立ち往生してしまう。どうすればよいか」高級な戦術論ではなくごく常識的な質問である。だから大本営少佐参謀も、ごくあたりまえな表情で答えた。「轢き殺してゆく」私は、その現場にいた|「百年の単位」{{Sfn|司馬|1974|p=312}} }}
この時の少佐参謀は、同席した司馬や質問した連隊将校を睨みすえることもなく自然に「轢き殺してゆく」と答えたとされているが、司馬自身が小説家としての原体験となったと自認している重大事件について、司馬自身が質問したことを忘れるはずがないという指摘もある{{Sfn|延吉|2002|p=298}}。
そして司馬が没する前年の1995年の[[鶴見俊輔]]との対談では、それまで大本営の少佐参謀や将校とされていた発言者が、同じ戦車第1連隊の大尉となっている{{Sfn|延吉|2002|p=294}}。
{{quotation|その人、いい人なんですよ。その連隊(戦車第1連隊)のスターのような人でした。若い大尉で感じのいい...今でも感じのいい人ですが、大本営にしばらく出向されておられたんです。|「昭和の道に井戸をたずねて」{{Sfn|司馬|1996|p=75}} }}
また、この問答の存在自体に当事者から疑念が呈されている。[[軍事史]]研究家[[土門周平]](本名近藤新治)(元戦車第二十八[[連隊]]中隊長)は「あの話は、われわれの間で大問題になったんです。司馬さんといっしょの部隊にいた人たちに当ったけれど、だれもこの話を聞いていない。ひとりぐらい覚えていてもいいはずなのですがね。」「当時、戦車隊が進出するのには、夜間、4なり5キロの時速で行くから、人を轢くなどということはまずできなかったですよ。」と述べている<ref>中央公論『[[歴史と人物 (雑誌)|歴史と人物]]』増刊「太平洋戦争-終戦秘話」、1983年8月(通巻第150号)351頁</ref>。当時の日本軍は連合軍の[[戦闘爆撃機]]による空襲が最大の脅威であるため、大規模な移動は戦闘爆撃機の作戦が制限される夜間に行うとする「夜間機動作戦」が原則であったが、予備士官ながらも戦車小隊長であった司馬は、[[戦車第1師団 (日本軍)|戦車第1師団]]司令部から各所属連隊の示達されていた「夜間機動作戦」をついて知らずに「かれら(避難民)を轢き殺さない限り作戦行動はとれない」と思い込んでいたことになる{{Sfn|延吉|2002|p=301}}。土門はこの件で一度司馬と対談する機会があったという。企画した雑誌は「[[朝日ジャーナル]]」であったが、その席で土門は「なんであんなことを言うのか。あの参謀は私の先輩だし、あなたの周りにいた将校も誰ひとりそんな発言は聞いていない」と問いただすと、司馬はにやりと笑って「近藤(土門)先生は学者ですなぁ」とひとことだけ答えたという。土門はその言葉を司馬の「私は小説家だから」という意味の発言ではないかと考えたが、結局このときの対談はお蔵入りとなり記事となることはなかった{{Sfn|ギルバート|2016}}。
1973年に戦車第1連隊第5中隊の元中隊長西野堯大尉を会長として、満州時代の駐屯地名を冠した「石頭会」という戦友会が発足した。司馬は妻女とともに京都で開催された第一回目の会合に出席して「私は西野さんの言うことならなんでも聞きます。西野さんの大事な体温計割っちゃったからな」と挨拶して一同を笑わせている。その後加入した西野と同期の宗像正吉大尉が、あるときの二次会で思い切って司馬に「轢いてゆけ」発言の真偽をただしてみたところ、司馬からは「宗像さん、新品少尉が大本営参謀とサシで話ができると思いますか」「私は小説家ですよ。歴史研究家ではありません」「小説というものは面白くなければ、読者は離れてしまいます」と語り、作家の「創作」だったことを明かしたという{{Sfn|秦|2012|pp=Kindle版1382-1392}}。
[[ファイル:Gongchen tank.jpg|right|thumb|300px|太平洋戦争後、[[東北人民自治軍]]に接収されて[[国共内戦]]で活躍した九七式中戦車改([[功臣号]])]]
自分が乗った九七式中戦車については、「同時代の最優秀の機械であったようで{{Sfn|司馬|1980|p=Kindle版474}}」「チハ車は草むらの獲物を狙う猟犬のようにしなやかで、車高が低く、その点でも当時の陸軍技術家の能力は高く評価できる」「当時の他の列強の戦車はガソリンを燃料としていたのに対し、日本陸軍の戦車は既に(燃費の良い)ディーゼルエンジンで動いていた{{Sfn|司馬|1980|p=Kindle版487}}」と評価する一方で、その戦闘能力については「この戦車の最大の欠点は戦争ができないことであった。敵の戦車に対する防御力もないに等しかった{{Sfn|司馬|1980|p=Kindle版487}}」と罵倒するなど愛憎入り混じった評価をしているが、九七式中戦車はノモンハン事件、[[日中戦争]]、[[太平洋戦争]]初期には、開発コンセプトに沿った歩兵支援用主力戦車{{Sfn|下田|2014|p=106}}としての活躍を見せている<ref group="注釈">司馬もエッセイ集『司馬遼太郎の考えたこと』『[[西住小次郎|軍神・西住戦車長]]』では[[マレー作戦]]と[[シンガポールの戦い]]を日本の戦車が武名をあげた唯一の例として、戦車らしいものをもたなかったイギリス軍相手に無人の野をゆくように突進し、[[島田豊作]]少佐率いる1個中隊18輌の戦車がイギリス軍2個師団を壊滅させたと記述している。</ref>{{Sfn|司馬|2004|pp=183-184}}。ノモンハン事件の教訓もあって、主砲を[[一式四十七粍戦車砲]]に換装し対戦車攻撃力が強化された九七式中戦車改は、当時の参戦各列強国の水準に大きく立ち遅れていたが{{Sfn|司馬|1980|p=Kindle版560}}、[[ルソン島の戦い]]では、[[戦車第2師団 (日本軍)|第2戦車師団]]に配備された同車が、アメリカ軍の主力戦車[[M4中戦車]]や[[M3軽戦車]]を撃破するなど一定の戦果を挙げて{{Sfn|加登川|1974|p=222}}、アメリカ軍の戦訓広報誌『Intelligence Bulletin』にて「もっとも効果的な日本軍戦車」との評価もうけている<ref>"The Most Effective Jap Tank" from Intelligence Bulletin, July 1945</ref>。また、中国大陸では対戦車能力に乏しい中国軍相手に活躍し、大戦末期の1944年4月に開始された[[大陸打通作戦]]では97式中戦車改が主力の[[戦車第3師団 (日本軍)|第3戦車師団]]が、1944年5月のわずか1か月で1,400㎞を走破、[[湯恩伯]]将軍率いる40万人の中国軍を撃破する原動力になったが、同車を含む師団の参加戦車255輌のうちで戦闘で撃破された戦車はわずか9輌であった{{Sfn|加登川|1974|p=214}}。九七式中戦車の活躍を見ていた[[中国共産党]]の軍隊[[東北人民自治軍]]は、[[日本の降伏]]ののち、九七式中戦車改を接収すると、自軍の兵器として使用、[[功臣号]]と名付けられた九七式中戦車改は[[国共内戦]]で大活躍しながら生存し、現在も[[中国人民革命軍事博物館]]に展示されているなどの活躍を見せている<ref>新浪公司 「99A式“功臣号”挺进朱日和,五代传承两次跨越」2018年07月15日記事</ref>。
[[ファイル:Type 89 Chi-Ro3.jpg|right|thumb|300px|他国の戦車と一緒にアバディーン戦車博物館で展示されている八九式中戦車]]
一方で九七式中戦車の前の日本軍主力戦車八九式中戦車に対しては、その戦績への事実誤認も含めたところで、罵倒されていることが多く、司馬が戦車について語った[[小説新潮]]連載の「戦車・この憂鬱な乗物」{{Sfn|小林|2010|p=161}}というエッセーで「B・T・ホワイト著湯浅謙三訳の『戦車及び装甲車』という本は世界中のその種の車の絵図と初期の発達史が書かれているが、悲しいことに日本の八九式中戦車については一行ものせていないのである。ノモンハンであれほど悲劇的な最期を遂げながら、その種の国際的歴史からも黙殺された」と司馬は述べているが{{Sfn|司馬|1980|p=Kindle版400}}、司馬のいう『戦車及び装甲車』という本はブレイン・テレンス・ホワイト著『Tanks and Other Armored Fighting Vehicles, 1900 to 1918』の和訳であり、本の題名通り、1918年の第一次世界大戦までの戦車や戦闘車両に関する書籍で{{Sfn|ホワイト|1971|p=表紙}}、1929年([[神武天皇即位紀元|皇紀]]2589年)に制式採用された八九式中戦車は対象外であった{{Sfn|下田|2014|p=101}}。また、世界の多数の戦車を所蔵し、戦車の歴史を見ることができる[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[アメリカ陸軍兵器博物館|アバディーン戦車博物館]]に八九式中戦車も展示されている<ref>{{Cite web |url=https://www.pacificwrecks.com/restore/usa/ordnance.html |title=Pacific Wrecks - U. S. Army Ordnance Museum (Aberdeen Proving Ground) |publisher=Pacific Wrecks Inc. |accessdate=2019-04-06}}</ref>。
戦車第1連隊の元中隊長であり、戦後に[[AIG損害保険|AIU保険]]の役員となった宗像は、[[秦郁彦]]からの司馬はなぜ日本軍の戦車の悪口を言い続けたのか?という質問に対して「彼は本当は戦車が大好きだったんだと思います。ほれ、出来の悪い子ほどかわいいという諺があるでしょう」と答えている{{Sfn|秦|2012|p=Kindle版1392}}。司馬自身も戦車に乗っている自分の姿をよく夢に見ているが、その夢の内容を「戦車の内部は、エンジンの煤と、エンジンが作動したために出る微量の鉄粉とそして潤滑油のいりまじった特有の体臭をもっている。その匂いまで夢の中に出てくる。追憶の甘さと懐かしさの入りまじった夢なのだが、しかし悪夢ではないのにたいてい魘されたりしている」と詳細に書き残しており{{Sfn|司馬|1980|p=Kindle版922}}、戦車に対する司馬の愛着を感じることができる{{Sfn|秦|2012|p=Kindle版1409}}。また、戦車兵であったという軍歴も否定的には捉えておらず、戦友会にも「無防備の裸で付き合える」として<ref>{{Cite news |url=https://www.sankei.com/article/20150808-PAZBPVF3SFMILPJGWWU6FRBOM4/3/|title=戦友が見た「戦車兵・司馬遼太郎」 苦難の中でも冗談や笑み「軍人らしくなかった |newspaper=産経新聞 |date=2015-08-08 |accessdate=2021-01-10}}</ref>、積極的に出席していたほか{{Sfn|秦|2012|p=Kindle版1384}}、[[文藝春秋]]の編集者として多くの有名作家と面識のあった[[森史朗|中井勝]]との会話で、司馬は作家[[井上靖]]が従軍時代の兵科が何であったかを中井に尋ね、中井が「[[輜重兵|輜重輸卒]]でしょう」と答えると、司馬は「そうや、よう知っとるねえ」とまんざらでもない表情になったという。司馬は新聞記者の大先輩で文壇では格上で頭があがらなかった井上が、兵科として旧日本軍では軽く見られがちだった輜重兵であったのに対して、戦車兵の自分のほうが上であったという稚気っぷりな自負心を持っていたと、司馬のまんざらでもない表情を見て中井は思ったという<ref>{{Cite web|和書|url=http://hon.bunshun.jp/articles/-/4550?page=2 |title=司馬遼太郎の全貌――戦車兵だった司馬さん 「文藝春秋2016年3月特別増刊号 司馬遼太郎の真髄」 |author=中井勝 |website=本の話WEB |publisher=文藝春秋 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180904084519/http://hon.bunshun.jp/articles/-/4550?page=2 |archivedate=2018-09-04 |accessdate=2019-04-06}}</ref>。
のちに、戦車第1連隊で司馬と戦友であった宗像らは日本の戦車部隊発祥の地の[[久留米市|久留米]]基地(現在は[[陸上自衛隊]][[久留米駐屯地]])にかつてあり、戦後に[[進駐軍]]に破壊された「戦車之碑」再建しようと奔走したが{{Sfn|加登川|1974|p=229}}、再建の目途が立ったときに、碑文の起草を司馬に依頼したところ、司馬は二つ返事で承諾し、下記の碑文を送った{{Sfn|秦|2012|pp=Kindle版1392-14001}}。
{{quotation|大正14年 この地に日本最初の戦車隊が誕生した<br />
その後20年 戦い日多く 戦域はひろがり ひとびとはこの車輛ともに生死し 昭和20年 その歴史を閉じた<br />
世々の価値観を越えて事実は後世に伝えらるべきものであるために その発祥を記念し この地に生き残れる者が相集い 死せしひとびとの霊を慰めつつ 戦車の碑を建てる
昭和49年5月<br />
旧戦車兵有志980余名<br />
陸上自衛隊機甲科3500余名|司馬遼太郎 }}
こうした司馬の戦車に対する思いを感得していた戦車第1連隊の戦友たちは、宗像が一度問いただした以降は敢えて「大本営参謀の来隊は見た者も聞いた者もいないよ」などと口にすることはなかった{{Sfn|秦|2012|p=Kindle版1409}}。
=== 歴史観への批判 ===
司馬の作り上げた歴史観は、「司馬史観」と評される<ref>例えば[[新潮社]]は自社のウェブサイトにて司馬の講演テープ『[http://www.shinchosha.co.jp/book/830169/ 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎が語る 第二集 歴史小説家の視点]』を「作家、司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の歴史に対するスタンスを提示した「司馬史観」の原点ともいえる講演」と宣伝している。</ref><ref>[[読売新聞]]、[[2004年]][[2月21日]]13面「現代に生きる日露戦争」</ref>。
その特徴としては日清・日露戦争期の日本を理想視し、(自身が参戦した)太平洋戦争期の日本を暗黒視する点である。人物においては、高評価が「庶民的合理主義」者の[[織田信長]]、[[西郷隆盛]]、[[坂本龍馬]]、[[大久保利通]]であり、低評価が[[徳川家康]]、[[山県有朋]]、[[伊藤博文]]、[[乃木希典]]、[[三島由紀夫]]である。この史観は、[[高度経済成長期]]に広く支持を集め<ref name="kako">[https://honto.jp/article/business/shibaryotaro.html 司馬遼太郎を「過去」にできない日本人(インタビュー) - honto+]</ref>、ポスト高度成長期になると[[新自由主義]]や[[自由主義史観]]の流行にのって読まれた<ref>[https://ddnavi.com/review/965832/a/ なぜ司馬遼太郎作品は、「昭和のビジネスパーソン」に愛読されたのか? | ダ・ヴィンチWeb]</ref>。
しかしこのような歴史観は都合が良すぎるという指摘がある<ref>井桁幹人 [https://www.mskj.or.jp/report/2907.html 塾主の戦争観に垣間見る司馬史観へのアンチテーゼ(塾生レポート) | 松下政経塾]</ref>。左派からは[[歴史修正主義]]の土台になった<ref>山田朗[http://www.edu-kana.com/kenkyu/news/no21.pdf 自由主義史観の克服と歴史教育の課題]</ref>、右派からは[[自虐史観]]の土台になったとして、それぞれ批判されることがある<ref>池田博男 [http://www.ikeda-column.jp/article/16513996.html 司馬史観の犯罪性]</ref>。また[[乃木希典]]を愚将として描いていることは、[[福田恆存]]や[[福井雄三]]により批判されている(詳しくは[[乃木希典#評価]]を参照)。
晩年の司馬は土地の公有を主張する、「庶民的」な[[田中角栄]]を嫌悪するなど主張が変化しており、日本文学者の[[助川幸逸郎]]は、司馬史観は高度経済成長期の思想で、[[バブル景気]]とその崩壊後の時代には視点が無かったのではないかと述べている<ref name="kako"/>。
=== フィクションへの批判 ===
より学究的な立場からは、実証性の面からも批判されることがある。歴史家の[[鈴木眞哉]]は司馬史観には多くの盲点があるとして具体的な例を挙げて批判をしている<ref>[[鈴木眞哉]]「司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎先生、お言葉ですが……」(『戦国「常識・非常識」大論争!―旧説・奇説を信じる方々への最後通牒―』洋泉社、2011年)53-88頁</ref>。
『竜馬がゆく』『上総の剣客』の剣豪[[森要蔵]]は、参考文献『會津戊辰戦史』『七年史』の誤記もあった。白河地区を調査した結果、森親子が白河口の雷神山で戦死、[[板垣退助]]が見たなどはありえない。その後、多くの作家の作品に御前試合は語られていない。2022年、森要蔵の行動記録『会津人群像№44』「剣豪森要蔵の真実」池月映(歴史春秋社)が発表された。
=== 虚構の記述 ===
読者が多く影響力が強いために、作品に描かれているのがそのまま史実と受け取る読者も少なくないが、作品の多くはあくまでも大衆小説であり、小説とするために史実を意図的に変えているもの(例・「池田屋異聞」において山崎烝の先祖が[[奥野定良|奥野将監]]という事実は存在しない。また、常城家の出である大高忠兵衛の先祖が大高忠雄と書かれている)<ref>大高忠雄は独身であり妻子はいない。(赤穂市史編纂室主幹「赤穂四十七士列伝」)。</ref>や、根本的に架空のストーリーも含まれている。
===『竜馬がゆく』糾弾事件===
代表作『竜馬がゆく』で坂本龍馬による罵倒語として数ヶ所「ちょうりんぼう(馬鹿め)!」との表現を用いた<ref name="江上">{{Cite book |和書 |author=江上茂|title=差別用語を見直す : マスコミ界・差別用語最前線 |pages=54-57 |publisher=花伝社/共栄書房 |date=2007-08 |isbn=9784763404992}}</ref>。この記述が[[1983年]][[9月16日]]、[[京都新聞]]夕刊の広告欄における伏見銘酒会の「銘柄クイズ」に引用されたのを機に問題視され、司馬は[[部落解放同盟]]から糾弾を受けた<ref name="江上" />。このとき、司馬だけではなく、京都新聞やKBS京都放送、コピーの下請け制作を依頼した[[電通]]京都支局、さらには電通本社までが突き上げを受けている<ref name="江上" />。
司馬に対する糾弾会は、[[1983年]][[12月12日]]、京都の部落解放センターで開かれた<ref name="江上" />。司馬は「知らなかった自分が恥ずかしい」と釈明し、「土佐弁では『ちょうりんぼう』は単なる罵倒語になっていると思っていた。被差別者が『[[長吏 (賎民)|長吏]]』と呼ばれていたことは古くから知っていた。日本語を考え続けているつもりながら、長吏とちょうりんぼうがつながっていることに気付かなかったことは、限りなく恥ずかしい」と述べた<ref name="江上" />。
この事件の後、問題の箇所は「ばかめ!」と改められて刊行が続いている<ref>『竜馬がゆく』文庫版第6巻p.265{{Full citation needed |date=2019-04-06 |title=刊行年・発行元不明。}}</ref>。
==エピソード==
===人物===
* 速読家として知られ、ある友人と家で話していたとき、その友人がコーヒーを1杯飲み終わるうちに、会話しながらであるにもかかわらず、文庫本くらいの大きさの本1冊を読み終わっていたというエピソードがある。この時読んでいたのは小説の資料(当事者の日記など)である。
* 資料集めへの執念はすさまじく、一度に何千万円単位という巨費を投じて買い集めた。司馬が資料を集め始めると、関連する古書が業界から払底したという逸話があった。当初は、軽トラックで乗り込み、古本屋に乗り込むや否や手当たり次第に乱読購入し、関係者らと荷台に乗せていったという。『[[坂の上の雲]]』執筆に際しては、[[神田神保町]]の[[神田古書店街]]の[[古書店]]主らに依頼し、「日露戦争」という記述のある本を片っ端から買い集め、当時同じ題材の戯曲を書いていた[[井上ひさし]]が古書店に行っても資料がなかったという逸話も残る。
* 名字とその人の顔つきなどから、出身地や先祖を当てるという特技があり、たびたび周囲の人を驚かせた。
* 私生活の面では[[中村玉緒]]のファンで、そのお辞儀の美しさに見とれたという。舞台『[[竜馬がゆく]]』で、[[萬屋錦之介]]と共演した。また錦之介は竜馬を生涯の持ち役とした。
*自身の作品の中で最も好きな作品はと聞かれた際「空海と燃えよ剣」と語っている。
* [[大阪市]]の[[西長堀アパート]]{{efn|いわゆる下駄履きアパートではなく、現在で言う最新の高層マンションのような高級物件である。}}に住んでいたころ、同じフロアーに、昼過ぎに家を出て深夜に帰ってくる謎の大男がいた。肉体労働者のような体つきだが、それにしては身なりが良い。自宅に出入りする出版社の編集者に雑談として話したところ、興味から編集者がその謎の男の住む部屋の表札を確認したら、[[野村克也]]と書かれていたという。スポーツに関心がないあまり、野村を球史に残るスター選手と知らぬ司馬と、隣人を司馬と知りながら、シャイで話しかけられなかった野村は、結局親しくなることはなかった。
* 執筆活動以外はごろ寝をしてテレビを見るくらいで、ゴルフやギャンブルといったようなものへの興味は生涯なく、バンダナ収集が唯一の趣味であった。外出の際は気に入ったバンダナを身につけていた。その多くは遺族が保存し、記念館で一部展示している。
* 終生喫煙者で、タバコ銘柄は[[ハイライト (たばこ)|ハイライト]]、喫煙する肖像写真が多く残っている<ref>[https://www.sankei.com/article/20170220-G4V4XTTNFVISFCJ3C4RYLDIX2M/photo/35S22NONEZKK7HCYR2AG4FXHGE/]</ref><ref>[https://mainichi.jp/premier/business/articles/20170201/biz/00m/010/009000c 記者時代の司馬遼太郎が「新論語」で描いたロマンと現実]</ref>。
* 話し上手・聞き上手として有名で「座談の名手」と呼ばれ、対談集を数多く出版した。交友関係も広く、[[池波正太郎]]をはじめ、[[桑原武夫]]、[[井上靖]]、[[梅棹忠夫]]、[[榊莫山]]、[[上田正昭]]、[[ドナルド・キーン]]、[[萩原延壽]]、[[山崎正和]]、[[安野光雅]]、[[貝塚茂樹]]・[[湯川秀樹]]兄弟など多岐にわたった。池波は小説家として共に駆け出しのころの親友であり、お互いに忙しくなってからは次第に疎遠になったそうだが、司馬は池波の『[[鬼平犯科帳]]』など愛読していたという。また、小説家としての初期に励ましてくれたのは[[海音寺潮五郎]]で、海音寺の励ましがなければ小説家として立っていたかどうか疑わしいと司馬は回想している。晩年は[[宮城谷昌光]]を高く評価し、宮城谷から送られてくる作品を読んで手紙などで励ましつづけ、没する間際には宮城谷に「どうしても会っておきたい」と述べて会談を行っている。
*アニメ監督の[[宮崎駿]]の作品、特に『[[ルパン三世 カリオストロの城]]』、『[[となりのトトロ]]』を高く評価し、宮崎と対談も行っている。その時に司馬が新聞記者時代、京都の岩屋不動志明院に宿泊した際、奇っ怪な体験をした話しをしていて『もののけ姫』の着想になったといわれている。
*1970年11月25日に起きた[[三島事件]]では毎日新聞に寄稿、作家・[[三島由紀夫]]の「薄よごれた模倣者」が出ることを危惧し、三島の死は文学論のカテゴリーに留めるべきものという主旨で、政治的な意味を持たせることに反対し、野次った自衛官たちの大衆感覚の方を正常で健康なものとした。だが四半世紀を経た晩年には、三島が予言した[[バブル景気|バブル期]]の日本人の拝金主義や倫理喪失を憂うようになった<ref>司馬遼太郎「異常な三島事件に接して」([[毎日新聞]] 1970年11月26日朝刊)。{{Harvnb|徳岡|1999|p=290}}</ref>。
*[[田中卓志]]([[アンガールズ]])の祖父は、司馬と戦地で同じ部隊だったことがテレビ番組で判明した<ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/ungirls-t/entry-12062087627.html|title=おじいちゃんと司馬遼太郎さん|work=アンガールズ田中卓志オフィシャルブログ|publisher=[[Ameba]]|date=2015-08-15|accessdate=2020-05-11}}</ref>。
===その他===
* 直木賞選考委員だった時に、[[SF作家]]・[[広瀬正]]の作品を何度も、候補になるたびに高く評価したが、他の選考委員の賛成を得られず、授賞に至らなかった。後に早世した広瀬の作品集がまとめられた際には、『[[ツィス (広瀬正)|広瀬正・小説全集2 ツィス]]』の解説を書いた。<br />直木賞選後の司馬の評に、どれほど広瀬を評価し、同席した他の選考者があきれていたかが推察できる。当時の評から一部抜粋すると、「一読者として、一番面白かったのは、広瀬正氏の『[[マイナス・ゼロ]]』であった。SFには読み方が要る。頭から空想譚に騙まされる姿勢で読まねばならないが、それにしてもこの人の空想能力と空想構築の堅牢さにおどろいた」というものである。この一節は「マイナス・ゼロ」の帯広告にも用いられた。初期に伝奇小説を多く執筆している司馬にとって、こうしたSFへの好意はさほど意外なものではない。
* 芸術家・[[岡本太郎]]が万博協会から[[日本万国博覧会|大阪万博]]プロデューサーへの就任を打診された時、岡本は司馬に万博プロデューサーを引き受けるべきか相談。司馬は「ぜひやったほうがいい」と岡本を励ました<ref>「地球にひとりだけの人」-『岡本太郎著作集』第5巻月報 [[講談社]](1979年){{要ページ番号|date=2019-04-06}}</ref>。
* 古巣の産経新聞社をはじめとする[[フジサンケイグループ]]の鹿内家支配を「企業の私物化だ」と批判しており、[[羽佐間重彰]](当時産経新聞社社長)・[[日枝久]](当時[[フジテレビジョン]]社長、産経新聞社取締役)らによる[[鹿内宏明]]会長解任を喜び、羽佐間・日枝に色紙を贈ったという<ref>[[日経ビジネス]]2005年6月6日号「検証 狙われたフジサンケイグループ 資本のねじれ解消暗闘の13年」。</ref>{{efn|司馬は鹿内に「ハイジャッカー」とのニックネームをつけて呼んでいた<ref>「週刊ポスト」2009年6月5日号。{{要ページ番号|date=2019-04-06}}</ref>。}}。
* 元台湾総統の[[李登輝]]とは[[学徒出陣]]の同期であり、李が愛読者でもあったことから懇意となった。『[[台湾紀行]]』取材に際しては、総統時代の李と対談を行った。
* [[堤堯]](『諸君!』、『文藝春秋』の元編集長)によれば、生前の司馬から、「日本には[[自由民主党 (日本)|自民党]]と[[日本共産党|共産党]]、この二つがあればエエ。現実政党と批判政党の二つや」という言葉を直接聞いたことがあるという。これは、堤が雑誌コラムなどでたびたび書いている話だが<ref>『リベラルタイム』2007年5月号「永田町仄聞録 だから民主党はダメなのだ」など参照</ref>、司馬自身は著作ではこのような趣旨の事は書いていない。
* 祖父・福田惣八は[[兵庫県]][[姫路市]]の浜寄りの郊外の[[広村 (兵庫県)|広]]という村の出身で、そこに[[江戸時代]]のあいだずっと[[百姓]]をしていた[[家系]]に生まれた{{Sfn|司馬|2011|pp=9-10}}。戦国のころは播州三木城にその先祖が籠城したということであるが、[[身分]]はわからない{{Sfn|司馬|2011|p=10}}。[[浄土真宗]][[西本願寺]]の熱心な門徒で、三木城が落ちてから他の籠城兵ととも広村に落ち、そこで[[田地]]を耕した{{Sfn|司馬|2011|p=10}}。惣八の嫁(司馬の祖母)は、広に近い高浜の人で司馬の父親となる是定(しじょう)を産んでほどなく亡くなった{{Sfn|司馬|2011|p=35}}。惣八が[[明治維新]]をむかえたのは18か19の頃で、“[[百姓]]にも姓がつくそうな。”ということになり、当時村にいた惣八の一族たちは会合して申しあわせ、三木という姓にすることにしたが(先祖が三木籠城したということでそうなったという)、その頃惣八は親類中と喧嘩をしていて、親類の者から「おまえだけは別の姓にしろ」と言われた{{Sfn|司馬|2011|p=11}}。惣八は、無類の[[珠算]]好きで、ついには[[和算]]までやりだし、[[ソロバン]]で[[開平法|開平]][[開立法|開立]]を解いたりした{{Sfn|司馬|2011|p=11}}。その後、彼自身のわずかな財産からすれば大相場を張ったが、無一文になってしまい土地にいられなくなったため、[[夜逃げ]]同然で村を出、飾磨の湊から船に乗って大阪に行き、難波で[[餅]]屋を開業した{{Sfn|司馬|2011|p=13}}。
* 生涯大阪に居住し、生前最後の住居が大阪府東大阪市の[[司馬遼太郎記念館]]として(一部が)公開されている。
==作品==
=== 長編小説 ===
[[File:Chunichi1967-01-05-1.jpg|thumb|200px|『[[関ヶ原 (小説)|関ヶ原]]』(1966年)]]
*『[[梟の城]]』(1959年、講談社)
*『[[上方武士道]]』(1960年、中央公論社)- 没後『花咲ける上方武士道』に改題再刊
*『[[風の武士]]』(1961年、講談社)
*『[[戦雲の夢]]』(1961年、講談社)
*『[[風神の門]]』(1962年、新潮社)
*『[[竜馬がゆく]]』(1963-1966年、文藝春秋新社)
*『[[燃えよ剣]]』(1964年、文藝春秋新社)
*『[[尻啖え孫市]]』(1964年、講談社)
*『[[功名が辻]]』(1965年、文藝春秋新社)
*『[[城をとる話]]』(1965年、光文社)
*『[[国盗り物語]]』(1965-1966年、新潮社)
*『[[俄 浪華遊侠伝]]』(1966年、講談社)
*『[[関ヶ原 (小説)|関ヶ原]]』(1966年、新潮社)
*『[[北斗の人]]』(1966年、講談社)
*『[[十一番目の志士]]』(1967年、文藝春秋)
*『[[最後の将軍 徳川慶喜|最後の将軍]]』(1967年、文藝春秋)
**英訳版『The Last Shogun』(Juliet Winters Carpenter・訳)
*『[[殉死 (小説)|殉死]]』(1967年、文藝春秋)
*『[[夏草の賦]]』(1968年、文藝春秋)
*『[[新史太閤記]]』(1968年、新潮社)
*『[[義経 (小説)|義経]]』(1968年、文藝春秋)- 連載時の題名は『九郎判官義経』
*『[[峠 (小説)|峠]]』(1968年、新潮社)
*『[[宮本武蔵]]』(1968年、朝日新聞社『日本剣客伝』収録)
*『[[坂の上の雲]]』(1969-1972年、文藝春秋)
*『[[妖怪 (司馬遼太郎)|妖怪]]』(1969年、講談社)
*『[[大盗禅師]]』(1969年、文藝春秋)
*『[[歳月 (小説)|歳月]]』(1969年、講談社)
*『[[世に棲む日日]]』(1971年、文藝春秋)
*『[[城塞 (小説)|城塞]]』(1971-1972年、新潮社)
*『[[花神 (小説)|花神]]』(1972年、新潮社)
*『[[覇王の家]]』(1973年、新潮社)
*『[[播磨灘物語]]』(1975年、講談社)
*『[[翔ぶが如く]]』(1975-1976年、文藝春秋)
*『[[空海の風景]]』(1975年、中央公論社)
**英訳版『KUKAI THE UNIVERSAL』(武本明子・訳)
*『[[胡蝶の夢 (小説)|胡蝶の夢]]』(1979年、新潮社)
*『[[項羽と劉邦 (小説)|項羽と劉邦]]』(1980年、新潮社)- 連載時の題名は『漢の風 楚の雨』
*『[[ひとびとの跫音]]』(1981年、中央公論社)
*『[[菜の花の沖]]』(1982年、文藝春秋)
*『[[箱根の坂]]』(1984年、講談社)
*『[[韃靼疾風録]]』(1987年、中央公論社)
**英訳版『The Tatar Whirlwind』(Joshua Fogel・訳)
===短編小説===
※は、後に文庫(他社・新編も含め)で再刊。他に新書判(講談社ロマンブックス)などで再刊がある。
*『白い歓喜天』(1958年、凡凡社)- 処女出版。
:「ペルシャの幻術師」「戈壁の匈奴」 「白い歓喜天」「兜率天の巡礼」
*『大坂侍』(1959年、東方社)- ※数作入れ替え、講談社文庫で新編再刊。
:「和州長者」「泥棒名人」「盗賊と間者」「法駕籠のご寮人さん」「大坂侍」「難波村の仇討」
*『最後の伊賀者』(1960年、文藝春秋新社)- ※「けろりの道頓」を追加し講談社文庫で新編再刊。
:「外法仏」「下請忍者」「伊賀者」「最後の伊賀者」「蘆雪を殺す」「天明の絵師」
*『[[果心居士]]の幻術』(1961年、新潮社)※ - 新潮文庫で再刊。
:「八咫烏」「朱盗」「牛黄加持」「果心居士の幻術」「飛び加藤」「壬生狂言の夜」
*『おお、大砲』(1961年、中央公論社)- ※数作入れ替えし「言い触らし団右衛門」中公文庫で新編再刊。
:「言い触らし団右衛門」「岩見重太郎の系図」「売ろう物語」「雑賀の舟鉄砲」「おお、大砲」
*『一夜官女』(1962年、東方社)- ※「女は遊べ物語」「京の剣客」を追加し中公文庫で再刊。
:「一夜官女」「雨おんな」「侍大将の胸毛」「伊賀の四鬼」
*『真説宮本武蔵』(1962年、文藝春秋新社)- ※講談社文庫で再刊。
:「真説宮本武蔵」「京の剣客」「越後の刀」「[[千葉周作]]」「上総の剣客」「奇妙な剣客」
*『花房助兵衛』(1963年、[[桃源社]])
:「伊賀者」「奇妙な剣客」「花房助兵衛」「軍師二人」「割って、城を」「千葉周作」「上総の剣客」
*『幕末』(1963年、文藝春秋新社)※ - 幕末の暗殺事件を描いた連作短編全12編。文春文庫で再刊。
:「冷泉斬り」は月刊誌『日本』(1962年6月号)、「逃げの小五郎」は書き下ろし。他の10編は『幕末暗殺史』の題で『月刊[[オール讀物]]』に連載。
:「[[桜田門外の変]]」「奇妙なり八郎」「花屋町の襲撃」「猿ヶ辻の血闘」「冷泉斬り」「[[祇園囃子]]」「土佐の夜雨」「逃げの小五郎」「死んでも死なぬ」「[[彰義隊]]胸算用」「[[浪華城]]焼討」「最後の攘夷志士」
*『[[新選組血風録]]』(1964年、中央公論社)- ※[[幕末]]の[[新選組]]を描いた連作短編 全15編。角川・中公文庫で再刊。
*『鬼謀の人』(1964年、新潮社)
:「鬼謀の人」「英雄児」「慶応長崎事件」「人斬り以蔵」「喧嘩草雲」
*『[[酔って候]]』(1965年、文藝春秋新社)※ - 幕末の西南雄藩の藩主4名を描いた連作短編。文春文庫で再刊。
:「酔って候」「きつね馬」「伊達の黒船」「肥前の妖怪」
*『[[豊臣家の人々]]』(1967年、中央公論社)※ - [[安土桃山時代]]、[[豊臣秀吉]]につながる10名を描いた連作短編。角川・中公文庫で再刊。
*『王城の護衛者』(1968年、講談社)※ -「人斬り以蔵」を追加し講談社文庫(1971年)で再刊。
:「加茂の水」「王城の護衛者」「英雄児」「鬼謀の人」
*『喧嘩草雲』(1968年、東方社)- 表題は幕末の画家[[田崎草雲]]の数奇な人生を描く。
*『故郷忘じがたく候』(1968年、文藝春秋)※ - 朝鮮人陶工師を描いた「故郷忘じがたく候」は、司馬の作品としては唯一存命中の人物([[沈壽官]])を主人公とした物語である。文春文庫で再刊。
:「故郷忘じがたく候」「斬殺」「胡桃に酒」
*『[[岡田以蔵|人斬り以蔵]]』(1969年、新潮文庫)- 新編文庫判。
:「鬼謀の人」「人斬り以蔵」「割って、城を」「おお、大砲」「言い触らし団右衛門」「大夫殿坂」「美濃浪人」「売ろう物語」
*『馬上少年過ぐ』(1970年、新潮社)
:「馬上少年過ぐ」「重庵の転々」「城の怪」「貂の皮」<br> ※新編は「英雄児」「慶応長崎事件」「喧嘩草雲」を追加し新潮文庫(1978年)。
*『木曜島の夜会』(1977年、文藝春秋)※ - 最後期(執筆時期)の短編集。文春文庫で再刊。
:「木曜島の夜会」「[[富永有隣|有隣は悪形にて]]」「[[大楽源太郎]]の生死」「[[小室信夫|小室某覚書]]」
*『おれは権現』(1982年、講談社文庫) - 以下は文庫での新編再刊。
:「愛染明王」「おれは権現」「助兵衛物語」「覚兵衛物語」「信九郎物語」「若江堤の霧」「けろりの道頓」
*『軍師二人』(1985年、講談社文庫)
:「雑賀の舟鉄砲」「女は遊べ物語」「嬖女守り」「雨おんな」「一夜官女」「侍大将の胸毛」「割って、城を」「軍師二人」
*『アームストロング砲』(1988年、講談社文庫)
:「薩摩浄福寺党」「[[倉敷浅尾騒動|倉敷の若旦那]]」「[[アームストロング砲]]」「理心流異聞」「侠客万助珍談」「斬ってはみたが」「五条陣屋」「壬生狂言の夜」「大夫殿坂」
*『ペルシャの幻術師』(2001年、文春文庫) - 初の文庫化作品集。
:「兜率天の巡礼」「ペルシャの幻術師」「戈壁の匈奴」「下請忍者」「外法仏」「牛黄加持」「飛び加藤」「果心居士の幻術」
*『侍はこわい』(2005年、光文社文庫) - 著者の生前未収録の作品集。
:「権平五千石」「豪傑と小壺」「忍者四貫目の死」「狐斬り」「ただいま十六歳」「侍はこわい」「みょうが斎の武術」「庄兵衛稲荷」
*『花妖譚』(2009年、文春文庫) - 新聞記者時代に、本名「福田定一」名義で書いた花をテーマにした連作短編。
:「森の美少年」「チューリップの城主」「黒色の牡丹」「烏江の月 謡曲『項羽』より」「匂い沼」「睡蓮」「菊の典侍」「白椿」「サフラン」「蒙古桜」
===初期作品(単行本・全集未所収)===
* わが生涯は夜光貝の光と共に(1950年、「ブディスト・マガジン」創刊号、浄土真宗西本願寺)、初めての出版作品で、福田定一名義。
* 役の行者(1958年、「吉野風土記」所収、吉野史談会)
* ある不倫(1960年、「小説中央公論」所収、中央公論社)
* 魔女の時間(「主婦の友」1961年12月号〜1962年11月号。全12話)司馬には珍しい、BG(ビジネスガール)の女性を主人公とした現代小説。
* [[豚と薔薇]](1960年、東方社。1968年に再版)、「兜率天の巡礼」を併収
:推理小説で、司馬は本版あとがきで、この作品は自らすすんで書いたものではないと明言し、またこれから後は推理小説は書かないつもりだとも記している。全集に未収録の上、文庫化もされてない。
* 古寺炎上(1962年、<角川小説新書>[[角川書店]])、「豚と薔薇」を併収。なお今日双方とも、相当な古書価となっている。
=== 戯曲 ===
*花の館(1970年、中央公論社)
*鬼灯(1975年12月、中央公論社)
*司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 全舞台(2002年8月、[[中央公論新社]])
=== 随筆・紀行・対談 ===
{| border="0" cellpadding="5" style="width: 100%;"
|- style="vertical-align: top;"
| style="width: 50%;" |
| style="width: 50%;" |
|- style="vertical-align: top;"
|
;随筆・評論ほか
* 名言随筆サラリーマン哲学(1960年、六月社) → ビジネスエリートの新論語(1972年、六月社書房)
*:両方とも福田定一名義、「二人の老サラリーマン」は「文藝春秋 臨時増刊号」2005年5月号に所収。
** ビジネスエリートの新論語(2016年12月、[[文春新書]])
* [[手掘り日本史]](1969年6月、[[毎日新聞社]])
* 歴史と小説(1969年8月、[[河出書房新社]])
* 歴史と視点(1974年10月、新潮社)
* 歴史の中の日本(1974年10月、中央公論社)
* 余話として(1975年10月、文藝春秋)
* 古今往来(1979年9月、日本書籍)
* 歴史の世界から(1980年11月、中央公論社)
* 微光のなかの宇宙(1984年3月、中央公論社)- 美術論集
* ある運命について(1984年6月、中央公論社)
* ロシアについて(1986年6月、文藝春秋)
* [[二十一世紀に生きる君たちへ]](1987年5月、[[大阪書籍]]刊『小学国語 六年下』に収録)
* 「[[明治]]」という国家(1989年9月、[[NHK出版|日本放送出版協会]]/[[NHKブックス]]、新版2018年)
::[[NHKスペシャル]]「太郎の国の物語」トークドキュメントで、1989年正月と秋に[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]で放映(全7回、[[吉田直哉]]演出)
* [[この国のかたち]] (全6巻、1990年 - 1996年、文藝春秋)-「月刊[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]」での巻頭随筆
* [[風塵抄]] (一.1991年、二.1996年、中央公論社)- [[産経新聞]]朝刊で月一回連載の巻頭コラム
* 春灯雑記(1991年11月、朝日新聞社)
* 十六の話(1993年10月、中央公論社)
* 「[[昭和]]」という国家 (1998年3月、日本放送出版協会/新版・NHKブックス)
::1986年放映のドキュメント番組([[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]])での語りをまとめたもの
* 歴史と風土(1998年10月、文春文庫)-「全集」月報・自作解題ほか
* 以下、無用のことながら(2001年2月、文藝春秋)- 晩年に書かれた71篇の随筆集
* 新聞記者 司馬遼太郎(2000年、産経新聞社/2013年、文春文庫)- 文化部記者時代のコラム15本を収録。
* もうひとつの「風塵抄」(2000年2月、中央公論新社)- 担当者・福島靖男との往復書簡
** 追悼の司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎(1997年1月、[[夕刊フジ]]編、[[産経新聞]]社)
:書簡抜粋と講演・対談を収録
* 人間というもの(1998年12月、PHP研究所)- [[アフォリズム]]集
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 アジアへの手紙(1998年3月、集英社)
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎からの手紙(上下)(週刊朝日編集部編、2004年、朝日文庫)
;紀行
* [[歴史を紀行する]](1969年2月、文藝春秋)
* [[街道をゆく]](1971年9月 - 1996年11月、朝日新聞社)<br/>「[[週刊朝日]]」に連載。43巻目で絶筆
* 人間の集団について ベトナムから考える(1973年10月、サンケイ新聞社)
* 長安から北京へ(1976年10月、中央公論社)
* 歴史の舞台(1984年3月、中央公論社)
* アメリカ素描(1986年4月、[[読売新聞社]])
* 草原の記(1992年6月、新潮社)
|
;対談・鼎談・座談
<!-- 各々「遼」のしんにょうの点の数を確認すること -->
* 萌え騰るもの(1969年、学習研究社)※[[岡潔]]と、新版・[https://www.doyosha.com 土曜社](2020年)
* 日本歴史を点検する(1970年1月、講談社)※[[海音寺潮五郎]]と
* 日本人を考える(1971年8月、文藝春秋)
* [[日本人と日本文化]] (1972年5月、[[中公新書]])※[[ドナルド・キーン]]と
* 歴史を考える(1973年10月、文藝春秋)
* 座談会・日本の渡来文化(1975年6月、中央公論社)※[[上田正昭]]、[[金達寿]]と
* 土地と日本人(1976年8月、中央公論社)※[[松下幸之助]]、[[野坂昭如]]らと
* 天下大乱を生きる(1977年、潮出版社)※[[小田実]]と
* 対談 中国を考える(1978年3月、文藝春秋)※[[陳舜臣]]と
* 日本人の内と外(1978年4月、中公新書)※[[山崎正和]]と
* 西域をゆく(1978年8月、潮出版社)※[[井上靖]]と
* 日本語と日本人(1978年11月、朝日新聞社)※[[中西進]]、[[大野晋]]らと
* 座談会・朝鮮と古代日本文化(1978年12月、中央公論社)※上田正昭、金達寿と
* 日本人の顔(1980年8月、朝日新聞社)※[[江崎玲於奈]]らと
* 歴史の夜咄(1981年5月、小学館)※[[林屋辰三郎]]と
* 人間について(1983年7月、平凡社)※[[山村雄一]]と
* 日韓理解への道(1983年7月、読売新聞社)※[[鮮于煇]]、高柄朔、金達寿、[[森浩一]]と
* 歴史の交差路にて(1984年4月、講談社)※陳舜臣、金達寿と
* 東と西(1990年11月、朝日新聞社)※[[開高健]]、[[桑原武夫]]、[[エドウィン・O・ライシャワー|エドウィン・ライシャワー]]らと
* 世界のなかの日本(1992年4月、中央公論社)※ドナルド・キーンと
* 時代の風音(1992年11月、UPU)※[[堀田善衛]]、[[宮崎駿]]と
* 八人との対話(1993年3月、文藝春秋)※[[丸谷才一]]、[[立花隆]]、[[山本七平]]らと
* [http://www.alex-kerr.com/html/shiba_ryotaro__jul_95.html 九つの問答](1995年7月、朝日新聞社)※[[井筒俊彦]]、[[リービ英雄]]らと
** リンク先の[[:en:Alex Kerr (Japanologist)|Alex Kerr]]のウェブサイトで一部を読むことができる。
* 国家・宗教・日本人(1996年7月、講談社)※[[井上ひさし]]と
* 日本人への遺言(1997年2月、朝日新聞社)※[[田中直毅]]、宮崎駿らと
* 日本とは何かということ(1997年3月、日本放送出版協会)※[[山折哲雄]]と<br/> 1995年7月に教育テレビ「[[ETV特集]]」で3回放送。
|}
=== 全集・選集 ===
<!-- 各々「遼」のしんにょうの点の数を確認すること -->
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎全集(全68巻、文藝春秋)、3期に分け出版(第3期は没後)
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎短篇総集(講談社、1971年、解説[[尾崎秀樹]])- 五十数篇を収録
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎短篇全集(全12巻、文藝春秋、2005-2006年)
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎が考えたこと(全15巻、新潮社、のち新潮文庫)、エッセイ集成
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎対話選集(全5巻、文藝春秋、のち文春文庫 全10巻)、関川夏央監修
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 歴史のなかの邂逅(全4巻、中央公論新社、のち中公文庫 全8巻)、人物エッセイ集成
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 歴史のなかの邂逅 同時代篇(中公文庫、2023年)、生誕100年記念
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎歴史歓談(中央公論新社、のち中公文庫 全2巻)
:※[[湯川秀樹]]、[[富士正晴]]、[[福永光司]]、[[芳賀徹]]、[[橋本峰雄]]らと、版元での約30年間の対談集成
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎全講演 1964-1995(全3巻、朝日新聞社、のち朝日文庫 全5巻)
* 幕末維新のこと/明治国家のこと(幕末・明治論コレクション:ちくま文庫、2015年)、関川夏央編
=== 発行部数ランキング===
(単行本・文庫本の合計:出典『[[ダカーポ (雑誌)|ダカーポ]]』2005年9月7日号(第567号)、65頁)
:年数を経たので、上位作品は更に数百万部、下位でも数十万部が上乗せされている。
:一例として、『讀賣新聞』2010年1月1日付・朝刊第2面広告欄で、『竜馬がゆく』は「2400万部」、『坂の上の雲』は「1900万部」と記載。
:* 2016年2月11日付「毎日新聞」の「もう一度読みたい<司馬遼太郎没後20年>」によると、各出版社のデータを元に独自集計した「司馬作品累計発行部数」は、 ①「竜馬がゆく」(2,477万部) ②「坂の上の雲」(1,967) ③「街道をゆく」(1,191) ④「翔ぶが如く」(1,181) ⑤「国盗り物語」(728) ⑥「項羽と劉邦」(716) ⑦「関ケ原」(577) ⑧「功名が辻」(557) ⑨「世に棲む日日」(528) ⑩「菜の花の沖」(512) ⑪「花神」(483) ⑫「燃えよ剣」(474) ⑬「播磨灘物語」(415) ⑭「この国のかたち」(390) ⑮「峠」(365) ⑯「城塞」(340) ⑰「胡蝶の夢」(300) ⑱「新史太閤記」(291) ⑲「箱根の坂」(265) ⑳「義経」(253) とのこと。[https://emuzu-2.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/221225sibabest.jpg]
:* 2023年1月11日付「産経新聞」によると、司馬遼太郎記念財団が生誕100年になるのに合わせ、各出版社に問い合わせた結果、全司馬作品の紙・電子を合わせた累計発行部数は、2億673万部で、1位は「竜馬がゆく」2496万部、2位「坂の上の雲」1987万部、3位「街道をゆく」1224万部で、その他は「国盗り物語」は749万部、「関ヶ原」は630万部、「世に棲む日日」は527万部、「燃えよ剣」は517万部、「菜の花の沖」は515万部、「峠」は402万部、「花神」は384万部で、下記の部数よりも上がっている。<ref>{{Cite web|和書|url=https://emuzu-2.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/230112sukinasibasakuhinn.jpg |title=好きな司馬作品ランキング |access-date=2023/01/11}}</ref>
{| class="wikitable"
|-
!順位!!作品!!部数
|-
|1位||[[竜馬がゆく]]||2125万部
|-
|2位||[[坂の上の雲]]||1475万部
|-
|3位||[[翔ぶが如く]]||1070万部
|-
|4位||[[街道をゆく]]||1051万部
|-
|5位||[[国盗り物語]]||674万部
|-
|6位||[[項羽と劉邦 (小説)|項羽と劉邦]]||669万部
|-
|7位||[[関ヶ原 (小説)|関ヶ原]]||520万部
|-
|8位||[[菜の花の沖]]||475万部
|-
|9位||[[花神 (小説)|花神]]||453万部
|-
|10位||[[世に棲む日日]]||445万部
|-
|11位||[[功名が辻]]||395万部
|-
|12位||[[播磨灘物語]]||392万部
|-
|13位||[[この国のかたち]]||365万部
|-
|14位||[[峠 (小説)|峠]]||322万部
|-
|15位||[[城塞 (小説)|城塞]]||307万部
|-
|16位||[[新史太閤記]]||262万部
|-
|17位||[[義経 (小説)|義経]]||240万部
|-
|18位||[[箱根の坂]]||238万部
|-
|19位||[[胡蝶の夢 (小説)|胡蝶の夢]]||231万部
|-
|20位||[[最後の将軍 徳川慶喜|最後の将軍]]||220万部
|}
== 関連作品 ==
<!-- 各々「遼」のしんにょうの点の数を確認すること -->
=== 映画 ===
*恋をするより得をしろ(1961年、監督:春原政久、原作「十日の菊」)
*[[梟の城|忍者秘帖 梟の城]](1963年、監督:[[工藤栄一]])
*[[新選組血風録 近藤勇]](1963年、監督:[[小沢茂弘]])
*[[暗殺 (1964年の映画)|暗殺]](1964年、監督:[[篠田正浩]]、原作「奇妙なり八郎」)
*[[風の武士]](1964年、監督:[[加藤泰]])
*[[城取り]](1965年、監督:[[舛田利雄]])
*泥棒番付(1966年、監督:[[池広一夫]]、原作「盗賊と間者」)
*[[燃えよ剣]](1966年、監督:市村泰一)
*[[人斬り (映画)|人斬り]](1969年、監督:[[五社英雄]]、参考文献「人斬り以蔵」)
*[[尻啖え孫市]](1969年、監督:[[三隅研次]])
*[[幕末 (映画)|幕末]](1970年、監督:[[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]]、原案「[[竜馬がゆく]]」)
*忍びの衆(1970年、監督:[[森一生]]、原作「伊賀の四鬼」)
*[[梟の城]](1999年、監督:篠田正浩)
*[[御法度 (映画)|御法度]](1999年、監督:[[大島渚]]、原作「[[新選組血風録]]」)
*[[関ヶ原 (映画)|関ヶ原]](2017年、監督:[[原田眞人]])
*燃えよ剣(2021年、監督:原田眞人)
*峠 最後のサムライ(2022年、監督:[[小泉堯史]])
===テレビドラマ ===
* [[新選組血風録]]
** [[新選組血風録 (テレビドラマ)|新選組血風録]](連続ドラマ 1965年 [[テレビ朝日|NET]] 主演:[[栗塚旭]]、[[島田順司]])
** [[新選組血風録 (テレビドラマ)|新選組血風録]](連続ドラマ 1998年 [[テレビ朝日]] 主演:[[渡哲也]])
** [[新選組血風録 (テレビドラマ)|新選組血風録]](連続ドラマ 2011年 [[日本放送協会|NHK]] 主演:[[永井大]])
* [[竜馬がゆく]]
** [[竜馬がゆく (NHK大河ドラマ)|NHK大河ドラマ]]<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010765 番組エピソード 大河ドラマ『竜馬がゆく』-NHKアーカイブス]</ref>(1968年 [[日本放送協会|NHK]] 主演:[[北大路欣也]])
** [[新春ワイド時代劇|12時間超ワイド時代劇]](1982年 [[テレビ東京]] 主演:[[萬屋錦之介]])
** [[TBS大型時代劇スペシャル]](1997年 [[TBSテレビ|TBS]] 主演:[[上川隆也]])
** [[新春ワイド時代劇]](2004年 テレビ東京開局40周年記念 主演:[[松本幸四郎 (10代目)|市川染五郎]])
* [[燃えよ剣]](連続ドラマ [[1970年]] 製作:[[テレビ朝日|NET]](現:テレビ朝日)・[[東映京都テレビ・プロダクション|東映京都テレビプロダクション]] 主演:[[栗塚旭]])
* [[国盗り物語]]
** [[国盗り物語 (NHK大河ドラマ)|大河ドラマ]]<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010748 番組エピソード 大河ドラマ『国盗り物語』-NHKアーカイブス]</ref>(1973年 NHK大河ドラマ 主演:[[平幹二朗]])
** 新春ワイド時代劇(2005年 テレビ東京 主演:北大路欣也)
* [[花神 (NHK大河ドラマ)|花神]]<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010766 番組エピソード 大河ドラマ『花神』 NHKアーカイブス]</ref>(1977年 NHK大河ドラマ 主演:[[中村梅之助 (4代目)|中村梅之助]])
* [[風神の門]](1980年 NHK水曜時代劇 主演:[[三浦浩一]])
* [[関ヶ原 (テレビドラマ)|関ヶ原]](1981年 TBS開局30周年記念番組 主演:[[森繁久彌]])
* [[TBS大型時代劇スペシャル]][[豊臣家の人々|愛に燃える戦国の女-豊臣家の人々より-]](1988年 [[TBSテレビ|TBS]]主演:[[三田佳子]])
* [[翔ぶが如く (NHK大河ドラマ)|翔ぶが如く]](1990年 NHK大河ドラマ 主演:[[西田敏行]])
* [[徳川慶喜 (NHK大河ドラマ)|徳川慶喜]]<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010767 番組エピソード 大河ドラマ『徳川慶喜』 NHKアーカイブス]</ref>(1998年 NHK大河ドラマ 原作「[[最後の将軍 徳川慶喜]]」 主演:[[本木雅弘]])
* [[けろりの道頓 秀吉と女を争った男]](1999年 [[関西テレビ放送]]開局40周年記念番組 主演:西田敏行)
* [[世に棲む日日#蒼天の夢|蒼天の夢 松陰と晋作・新世紀への挑戦]](2000年 [[NHK正月時代劇]] 原作「[[世に棲む日日]]」 主演:[[中村橋之助 (3代目)|中村橋之助]])
* [[菜の花の沖 (テレビドラマ)|菜の花の沖]](2000年 NHKドラマ 主演:[[竹中直人]])
* [[功名が辻]]
** 戦国夫婦物語『功名が辻』([[1966年]] [[テレビ朝日|NET]](現:テレビ朝日) 主演:[[団令子]]、[[三橋達也]])
** 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の功名が辻([[1997年]] テレビ朝日・[[東映]] 主演:[[檀ふみ]]、[[宅麻伸]])
** [[功名が辻 (NHK大河ドラマ)|大河ドラマ]](2006年 NHK大河ドラマ 主演:[[仲間由紀恵]])<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010770 番組エピソード 大河ドラマ『功名が辻』NHKアーカイブス]</ref>
* [[坂の上の雲 (テレビドラマ)|坂の上の雲]](NHKスペシャルドラマ 2009年 - 2011年 主演:本木雅弘、[[阿部寛]]、[[香川照之]])
===ラジオ===
*[[司馬遼太郎短篇傑作選]](2012年10月 - 、[[ラジオ大阪]]) - [[朗読番組]]
===漫画===
* [[梟の城]](1963年 東邦図書出版社 作画:[[久松文雄]])
* 幕末(2017年 - 2018年 [[週刊文春]] 作画:[[森秀樹 (漫画家)|森秀樹]])、文春時代コミック 全1巻
* [[新選組血風録]](2018年 - 2020年 週刊文春 作画:森秀樹)、文春時代コミック 全3巻
* ペルシャの幻術師(2021年 - 2022年 週刊文春 作画:[[蔵西]])
* [[燃えよ剣]](2021年 - [[月刊コミック@バンチ|月刊コミックバンチ]] 作画:奏ヨシキ 脚本:[[小松エメル]])
* [[竜馬がゆく]](2022年 - 週刊文春 作画:[[鈴ノ木ユウ]])
===舞台===
* [[誠の群像 -新選組流亡記-]](1997年・2018年 [[宝塚歌劇団]] 原作「[[燃えよ剣]]」「[[新選組血風録]]」)
* 大坂侍 -けったいな人々-(2007年 宝塚歌劇団 原作「大阪侍」)
* 女は遊べ物語(2010年 [[明治座]] 原作「女は遊べ物語」)
===ドキュメント===
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 雑談「昭和」への道(全12巻、NHKビデオ)
* [[NHKスペシャル]] 太郎の国の物語(全4巻、NHKビデオ)
: 他にもNHK番組を中心に多数出演している。
* NHKスペシャル 街道をゆく(全13巻、NHKビデオ)
* 新シリーズ 街道をゆく(全24巻、NHKビデオ)
* NHKスペシャル [[空海の風景]] (2002年)
== 受賞・栄典 ==
* 1956年 - 『ペルシャの幻術師』で第8回講談倶楽部賞
* 1960年 - 『[[梟の城]]』で第42回[[直木三十五賞|直木賞]]
* 1966年 - 『[[国盗り物語]]』『[[竜馬がゆく]]』で第14回[[菊池寛賞]]
* 1967年 - [[大阪芸術賞]]、『[[殉死 (小説)|殉死]]』で[[毎日芸術賞]]
* 1968年 - 『[[歴史を紀行する]]』で第30回[[文藝春秋読者賞]]
* 1970年 - 『[[世に棲む日日]]』で第6回[[吉川英治文学賞]]
* 1976年 - 『空海の風景』ほかで第32回[[日本芸術院賞]]・[[恩賜賞 (日本芸術院)|恩賜賞]]文芸部門<ref>『朝日新聞』1976年4月6日([[朝日新聞東京本社|東京本社]]発行)朝刊、22頁。</ref>
* 1981年 - 『[[ひとびとの跫音]]』で第33回[[読売文学賞]](小説)
* 1982年 - [[朝日賞]]<ref>{{Cite web|和書|title=朝日賞 1971-2000年度|website=朝日新聞社|url=https://www.asahi.com/corporate/award/asahi/12738070 |accessdate=2022-09-02}}</ref>
* 1984年 - 『[[街道をゆく|街道をゆく 南蛮のみち]]』で第16回[[日本文学大賞]]学芸部門
* 1986年 - 第37回[[NHK放送文化賞]]、『ロシアについて』で第38回読売文学賞(随筆紀行)
* 1988年 - 第14回[[博物館明治村|明治村]]賞、『[[韃靼疾風録]]』で第15回[[大佛次郎賞]]
* 1991年 - [[文化功労者]]
* 1993年 - [[文化勲章]]を受章
* 1996年 - [[東大阪市]][[名誉市民]]、第1回井原西鶴賞、[[従三位]]・[[銀杯]]一組を没時追賜
== 評伝・作品評論==
<!-- 各々「遼」のしんにょうの点の数を確認すること-->
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎書誌研究文献目録』(2004年、松本勝久/文献目録・諸資料等研究会編、[[勉誠出版]]) {{ISBN2|4585060529}}
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎事典』(2007年、[[志村有弘]]編、勉誠出版) {{ISBN2|4585060588}} - 下記は一部重複
**『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の世界』(2002年、志村有弘編、[[至文堂]] 国文学解釈と鑑賞 別冊)
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎全作品大事典』(1998年、新装版2010年、[[新人物往来社]]編) {{ISBN2|4404039360}}
*『レクイエム 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』(1996年11月、[[三浦浩]]編、講談社) {{ISBN2|4062082993}}
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の跫(あし)音』([[中央公論]]1996年9月臨時増刊号、中央公論社 / 中公文庫、1998年){{ISBN2|4122030323}}
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の世界』(1996年10月<ref>文藝春秋・1996年5月臨時増刊号を改訂。</ref>、文藝春秋 / 文春文庫(新編)、1999年9月) {{ISBN2|4167217694}}
<!-- ムックにつき、コメントアウト *『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 全小説徹底ガイド』(2018年、松坂健、メディアックスMOOK)-->
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎について 裸眼の思索者』(1998年、[[NHK出版|日本放送出版協会]] / NHKライブラリー、2006年)
*:寄稿者は、[[尾崎秀樹]]、[[山折哲雄]]、[[松原正毅]]、磯貝勝太郎、[[田中直毅]]、[[人文書館|道川文夫]](担当編集者)
*[[梅棹忠夫]]編著 『日本の未来へ 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎との対話』(2000年、日本放送出版協会 / [[臨川書店]]、2020年) {{ISBN2|4653043981}}
*[[磯貝勝太郎]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の風音』(2001年、日本放送出版協会) {{ISBN2|4140805854}}
**― 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の幻想ロマン』(2012年、集英社新書) {{ISBN2|4087206386}}
*[[松本健一]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の「場所」』(2001年、[[学研ホールディングス|学研M文庫]] / 2007年、[[ちくま文庫]](増補版))
*:元版 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 歴史は文学の華なり、と。』(1996年、[[小沢書店]])
**― 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎を読む』(2005年、めるくまーる / 2009年、[[新潮文庫]])
**― 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎が発見した日本 「街道をゆく」を読み解く』(2006年、[[朝日新聞出版]] / 2009年、朝日文庫)
**― 『[[三島由紀夫]]と司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 -「美しい日本」をめぐる激突』(2010年、[[新潮選書]]) {{ISBN2|4106036673}}
* [[関川夏央]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の「かたち」』(2000年、文藝春秋 / 2003年、文春文庫) {{ISBN2|4167519070}}
**― 『「坂の上の雲」と日本人』(2006年、文藝春秋 / 2009年、文春文庫) {{ISBN2|4167519127}}
*[[山野博史]] 『発掘 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』(2001年、文藝春秋) {{ISBN2|416356960X}}
**― 『司馬さん、みつけました。』(2018年、和泉書院) {{ISBN2|4757608748}}
*[[尾崎秀樹]] 『歴史の中の地図 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の世界』(1991年、文春文庫 / 文藝春秋、1975年)
*[[谷沢永一]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の遺言』(2005年、ビジネス社)
**― 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 エッセンス』(1996年、文春文庫)、ほか 類著多数刊行
*[[向井敏]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の歳月』(2000年、文藝春秋)、以上三者は「全集」版の解説担当者
;関係者の回想、作品案内
* [[福田みどり]] 『司馬さんは夢の中』(全3巻:2004-2007年、中央公論新社 / 中公文庫、2008-2012年)
* 和田宏 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎という人』(2004年、[[文春新書]]){{ISBN2|4166604090}}、文春での担当者
**― 『余談ばっかり 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎作品の周辺から』(2013年、文春文庫){{ISBN2|4167838931}}
* [[森史朗]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎に日本人を学ぶ』(2016年、文春新書){{ISBN2|4166610651}}、文春での担当者
*北山章之助 『手掘り 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』(2003年、日本放送出版協会 / 2006年、[[角川文庫]])
**― 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 旅路の鈴』(2006年、日本放送出版協会) {{ISBN2|4140811412}} - NHKでの担当者
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の「遺言」』(1997年、夕刊フジ編、[[産経新聞社]]){{ISBN2|4594021913}} - 知人29名の回想
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 全仕事』(2013年、文藝春秋編・文春文庫){{ISBN2|4167217945}} - 全作品ガイド
*『文豪ナビ 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』(2021年、新潮文庫){{ISBN2|4101152004}} - 入門書
;以下は(歴史観などの)各立場で、作品の受容と評論を紹介
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の世紀 保存版』(1996年6月、朝日出版社)、[[齋藤愼爾|斎藤慎爾]]責任編集
*『群像日本の作家30 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』(1998年、[[小学館]])
*『[[KAWADE夢ムック]] 総特集司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の「戦国時代」』(2002年8月、[[河出書房新社]])
*『KAWADE夢ムック 総特集司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 幕末・近代の歴史観』(2001年9月、河出書房新社)
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の流儀 その人と文学』(2001年、日本放送出版協会)
*:寄稿者は、[[小山内美江子]]、[[鶴見俊輔]]、[[出久根達郎]]、[[半藤一利]]
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎がゆく—「知の巨人」が示した「良き日本」への道標』(2001年、[[プレジデント社]] / 2018年、小学館文庫)
**『完全保存版 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎がゆく プレジデント 1997年3月臨時増刊号』を増訂
::寄稿者は、半藤一利、[[山折哲雄]]、[[童門冬二]]、[[吉岡忍 (作家)|吉岡忍]]、[[村松友視]]ほか
* [[半藤一利]] 『清張さんと司馬さん』(2002年、日本放送出版協会、2005年、文春文庫){{ISBN2|4167483149}}
** [[鴨下信一]]・[[磯田道史]]等との座談『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎リーダーの条件』(2009年、文春新書)
* [[鷲田小弥太]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎を「活用」する!』(2010年、彩流社)
* 岬龍一郎 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎「日本国」への箴言』(2004年、本の森出版センター、旧版1996年) {{ISBN2|4860970624}}
* 現代作家研究会 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎読本』 (1996年11月、徳間文庫)
* 村井英雄 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 日本を知る』(1997年、大巧社){{ISBN2|4924899216}}
* 三浦浩 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎とそのヒーロー』(1998年、大村書店){{ISBN2|4756310729}}
**- 『菜の花の賦(うた) 小説青春の司馬さん』(1996年、勁文社)/『青春の司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』(2000年、朝日文庫)
* [[桂英史]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎をなぜ読むか』(1999年、[[新書館]]){{ISBN2|4403210678}}
* [[一坂太郎]] 『「竜馬がゆく」読本』(1998年、世論時報社){{ISBN2|4915340422}}
**- 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎が描かなかった幕末 松陰・龍馬・晋作の実像』(2013年、[[集英社新書]]){{ISBN2|4087207056}}
* 中嶋誠 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎と[[丸山眞男]]』(1998年、現代書館){{ISBN2|4768467261}}
* [[佐高信]]<ref>[[色川大吉]]・佐高信「対談 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎批判」を収録 - 岩波書店『[[世界 (雑誌)|世界]]』〈1998年1月号〉。</ref> 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎と[[藤沢周平]] 「歴史と人間」をどう読むか』(1999年 光文社、2002年 同知恵の森文庫){{ISBN2|4334972233}}
* [[中村政則]] 『近現代史をどう見るか 司馬史観を問う』 (1997年、[[岩波ブックレット]])
**『歴史と真実 いま日本の歴史を考える』(1997年、筑摩書房)<br> 「歴史教科書問題とナショナリズム」の章で、「三、司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎史観とは何か」と「四、司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の太平洋戦争観」
** — 『「坂の上の雲」と司馬史観』 (2009年、[[岩波書店]]) {{ISBN2|4000230298}}
* [[成田龍一]] 『戦後思想家としての司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』(2009年、[[筑摩書房]]){{ISBN2|4480823646}}
** — 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の幕末・明治 「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」』を読む』(2003年、[[朝日選書]])
* 遠藤芳信 『海を超える司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 東アジア世界に生きる「在日日本人」』(1998年、フォーラム・A){{ISBN2|4894281228}}
* [[中塚明]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の歴史観 その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』(2009年 高文研)
* 宇治琢美 『武士(もののふ)の国 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎氏の「サムライ」を鑑る』(2000年、文芸社){{ISBN2|4835500709}}
* [[小林竜雄 (脚本家)|小林竜雄]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎考 モラル的緊張へ』(2002年、中央公論新社){{ISBN2|4120032280}}
**改題 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎が書いたこと、書けなかったこと』(2010年、[[小学館文庫]]){{ISBN2|4094085416}}
* 延吉実 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎とその時代 戦中編』、『戦後編』(2002-2003年、[[青弓社]])
* [[青木彰]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎と三つの戦争 戊辰・日露・太平洋』(2004年、朝日選書)
* 石原靖久 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の「[[武士道]]」』(2004年、平凡社)、類書を数冊刊行
* [[福井雄三]] 『「坂の上の雲」に隠された歴史の真実』(2004年、[[主婦の友]]インフォス情報社、2007年、同・文庫判){{ISBN2|4072588563}}
* 福井雄三<ref>[[東谷暁]]によるインタビュー 福井雄三「司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎という悪しき戦後」『[[表現者 (雑誌)|表現者]]』(2005年、[[西部邁]]事務所)</ref> 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎と東京裁判』(2006年、主婦の友インフォス情報社){{ISBN2|4072531901}}
** 改題『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の「意外な歴史眼」』(2008年、同社・文庫判){{ISBN2|4072606812}}
<!--* [[別宮暖朗]]『「坂の上の雲」では分からない旅順攻防戦』(2004年、並木書房){{ISBN2|4890631690}}
* 別宮暖朗 『「坂の上の雲」では分からない日本海海戦』(2005年、並木書房){{ISBN2|4890631844}} 司馬作品論では無くコメントアウト-->
* 川原崎剛雄 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎と網野善彦』(2008年、[[明石書店]]) {{ISBN2|4750326887}}
* 川原崎剛雄 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎がみた世界史 歴史から学ぶとはどういうことか』(2015年、明石書店){{ISBN2|4750341061}}
* [[高橋誠一郎 (文学者)|高橋誠一郎]] 『「竜馬」という日本人 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎が描いたこと』(2009年、[[人文書館]])、類書を数冊刊行
* [[中村稔 (詩人)|中村稔]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎を読む』(2009年、[[青土社]]) {{ISBN2|4791764811}}
* 山内由紀人 『[[三島由紀夫]]vs. 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 戦後精神と近代』(2011年、河出書房新社) {{ISBN2|4309020518}}
* [[原田敬一 (歴史学者)|原田敬一]] 『「坂の上の雲」と日本近現代史』(2011年、新日本出版社) {{ISBN2|4406055142}}
* [[辻井喬]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎覚書 『坂の上の雲』のことなど』(2011年、かもがわ出版){{ISBN2|4780304865}}
* [[磯田道史]] 『「司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎」で学ぶ日本史』(2017年、[[NHK出版新書]]){{ISBN2|4140885173}}
* [[小谷野敦]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎で読み解く幕末・維新』(2018年、ベストセラーズ・ベスト新書){{ISBN2|4584125724}}
* 桑島秀樹 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 旅する感性』(2020年、[[世界思想社]]){{ISBN2|4790717399}}
* [[佐藤優 (作家)|佐藤優]]・[[片山杜秀]] 『完全読解 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎『坂の上の雲』』(2022年3月、文藝春秋){{ISBN2|4163914889}}
* [[福間良明]] 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の時代-歴史と大衆[[教養主義]]』(2022年10月、[[中公新書]]){{ISBN2|4121027205}}
* 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎記念財団編『「司馬さん」を語る 菜の花忌シンポジウム』(2023年2月、文春文庫)
* ホンダ・アキノ『二人の美術記者 [[井上靖]]と司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』(2023年9月、[[平凡社]])
;図版本
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎が愛した「風景」』(2001年、新潮社・[[とんぼの本]])
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎が描いた「新選組」の風景』(2003年、新潮社・とんぼの本)
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 新しい日本の発見』(2007年、別冊太陽 日本のこころ:平凡社){{ISBN2|4582921302}}
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎「街道をゆく」の視点』小林修(2019年10月、朝日新聞出版)
*『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎「坂の上の雲」の視点 小林修写真集』(2022年10月、朝日新聞出版)
;雑誌特集
*『カイエ 特集司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』(1979年12月号、冬樹社)。司馬自身も座談会に参加
*『[[芸術新潮]] 大特集 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎が愛した「風景」』(1996年8月号、新潮社)、上記「とんぼの本」元版
*『大航海No.13 特集司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 カルチュラル・スタディーズ』(1996年12月、[[新書館]])
*『文藝春秋special 「没後十年特別企画 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎ふたたび」 日本人を考える旅へ』 2006年2月臨時増刊号
:編集者、古書店店主、批評家(複数)などが寄稿。なお文春の月刊誌などで、司馬に縁のある記事が度々掲載されている。なお同誌で「臨時増刊 坂の上の雲 総特集」を3号発行した。
*『文藝春秋 「司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の真髄『この国のかたち』」没後20年』 2016年3月特別増刊号
*『季刊誌 [[kotoba]] 特集 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 解体新書』(2021年1月号、集英社)
;[[週刊朝日]]『週刊司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』シリーズ([[朝日新聞出版]])
* 『週刊司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎』(2006年、週刊朝日MOOK){{ISBN2|402274510X}} - 『燃えよ剣』、『竜馬が行く』、『国盗り物語』、『功名が辻』など
* 『週刊司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎II』(2007年、週刊朝日MOOK){{ISBN2|4022745134}} - 『関ヶ原』、『梟の城』、『世に棲む日日』、『峠』など
* 『週刊司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎III』(2008年、週刊朝日MOOK){{ISBN2|4022745231}} - 『新史 太閤記』、『義経』、『翔ぶが如く』、『花神』など
* 『週刊司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎IV』(2008年、週刊朝日MOOK){{ISBN2|4022745290}} - 『菜の花の沖』、『箱根の坂』、『宮本武蔵』、『北斗の人』 など
* 『週刊司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎V』(2009年、週刊朝日MOOK){{ISBN2|4022745347}} - 『最後の将軍』、『胡蝶の夢』、『播磨灘物語』など
* 『週刊司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎VI』(2010年、週刊朝日MOOK){{ISBN2|4022745479}} -『坂の上の雲の世界 青春編』
* 『週刊司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎VII』(2010年、週刊朝日MOOK){{ISBN2|4022745606}} -『坂の上の雲』など
* 『週刊司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎VIII』(2011年、週刊朝日MOOK){{ISBN2|4022745746}} -『坂の上の雲』、『覇王の家』など
* 『週刊司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎IX』(2012年、週刊朝日MOOK){{ISBN2|4022745908}} -『空海の風景』、『坂の上の雲』、『新選組血風録』など
* 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の街道 1・2・3・4』(2013-2015年、週刊朝日MOOK / 2020年、朝日文庫 全3巻)
* 『没後20年 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の言葉 1・2・3』(2015-2016年、週刊朝日MOOK)
*:※他にも、司馬の著作物に付与された解説、新聞、雑誌での批評記事、更に『週刊朝日』が没後発行したシリーズ『未公開講演録 愛蔵版 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎が語る日本』に続き、連載された「司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎からの手紙」シリーズ。他の出版社でも、PHP研究所の『文蔵』、文藝春秋の企画記事など、別冊特集やその流れを汲んだ記事などがある。
* 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎と宗教 [[親鸞]]とザヴィエルの時代』(2017年11月、週刊朝日MOOK)
* 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎と明治 西郷、大久保の時代』(2018年10月、週刊朝日MOOK)
* 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎と明治 「坂の上の雲」の時代』(2019年7月、週刊朝日MOOK)
* 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎と昭和 発掘インタビュー「軍隊、悪の魅力、私の小説」』(2020年3月、週刊朝日MOOK)
* 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の戦国 [[明智光秀]]の時代 豊臣家の人々』(2021年3月、週刊朝日MOOK)
* 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 もうひとつの幕末史』(2022年3月、週刊朝日MOOK)
* 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎と鎌倉 沖縄・先島への道』(2022年12月、週刊朝日MOOK)
* 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の現在地 戦国・幕末・明治編』(2023年3月、週刊朝日MOOK)、生誕100年記念、大判の作品案内
* 『司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎の現在地2 旅・宗教・国家・文明』(2023年10月、週刊朝日MOOK)、同上
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |author=越智春海 |title=ノモンハン事件―日ソ両軍大激突の真相 |date=2012年 |publisher=光人社NF文庫 |isbn=4769827342 |ref={{SfnRef|越智}} }}
* {{Cite book |和書 |author=加登川幸太郎 |title=帝国陸軍機甲部隊 |date=1974年 |publisher=白金書房 |asin=B000J9FY44 |ref={{SfnRef|加登川|1974}} }}
* {{Cite book |和書 |author=葛原和三 |title=機甲戦の理論と歴史 |date=2009年 |publisher=芙蓉書房出版 |isbn=978-4829504505|ref={{SfnRef|葛原|2009}} }}
* {{Cite book |和書 |author=ケント・ギルバート|authorlink=ケント・ギルバート |title=やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人 |date=2016年 |publisher= PHP研究所 |isbn=978-4569827681|ref={{SfnRef|ギルバート|2016}} }}
* {{Cite book |和書 |author=小林竜雄 |title=司馬遼太郎が書いたこと、書けなかったこと |date=2010年 |publisher=小学館文庫 |isbn=978-4094085419|ref={{SfnRef|小林|2010}} }}
* {{Cite book |和書 |author=司馬遼太郎 |title=司馬遼太郎が考えたこと〈2〉 エッセイ1961.10-1964.10 |date=2005年 |publisher=新潮社 |isbn=4101152446|ref={{SfnRef|司馬|2004}} }}
* {{Cite book |和書 |author=司馬遼太郎 |title=[[この国のかたち]]〈1〉 |date=1993年 |publisher=文春文庫 |isbn=978-4163441306|ref={{SfnRef|司馬|1993}} }}
* {{Cite book |和書 |author=司馬遼太郎 |title=「昭和」という国家 |date=1998年 |publisher=NHKブックス |isbn=978-4140803615|ref={{SfnRef|司馬|1998}} }}
* {{Cite book |和書 |author=司馬遼太郎 |title= 歴史と視点―私の雑記帖 |date=1980年、改版2009年 |publisher=新潮文庫 |isbn=978-4101152264|ref={{SfnRef|司馬|1980}} }}
* {{Cite book |和書 |author=司馬遼太郎 |title= 司馬遼太郎全集〈32〉 評論随筆集 |date=1974年 |publisher=文藝春秋 |isbn=978-4165103202|ref={{SfnRef|司馬|1974}} }}
* {{Cite book |和書 |author= |title= 司馬遼太郎の世紀 |date=1996年 |publisher=朝日出版社 |isbn=978-4255960289|ref={{SfnRef|司馬|1996}} }}
* {{Cite book |和書 |author=司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎 |date=2011 |title=歴史のなかの邂逅〈8〉 ある明治の庶民 |publisher=中公文庫 |isbn=9784122054646 |ref={{SfnRef|司馬|2011}} }}
* {{Cite book |和書 |author=下田四郎 |title=サイパン戦車戦 戦車第九連隊の玉砕 |date=2014年 |publisher=潮書房光人社 |isbn=978-4769823544|ref={{SfnRef|下田|2014}} }}
* [[鈴木眞哉]] 「司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎先生、お言葉ですが……」(『戦国「常識・非常識」大論争!―旧説・奇説を信じる方々への最後通牒―』洋泉社、2011年){{ISBN2|978-4862486981}}
* {{Cite book |和書 |author=豊田穣|authorlink=豊田穣 |title=名将[[宮崎繁三郎]]―不敗、最前線指揮官の生涯 |date=1986年 |publisher=光人社 |isbn=978-4769803041 |ref={{SfnRef|豊田|1986}} }}
* {{Cite book |和書 |author=延吉実 |title=司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎とその時代 戦中篇 |date=2002年 |publisher=青弓社 |isbn=978-4787291523|ref={{SfnRef|延吉|2002}} }}
* {{Cite book |和書 |author=秦郁彦|authorlink=秦郁彦 |title=昭和史の秘話を追う |date=2012年 |publisher=PHP研究所 |isbn=978-4569803081|ref={{SfnRef|秦|2012}} }}「第4章 司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎と戦車」
* {{Cite book |和書 |author=ブレイン・テレンス・ホワイト |translator=湯浅謙三 |title=戦車および装甲車 |date=1971年 |publisher=鶴書房 |asin=B000JA1Z28 |ref={{SfnRef|ホワイト|1971}} }}
* {{Cite book |和書 |author=マクシム・コロミーエツ |translator=小松徳仁 |editor=鈴木邦宏 |title=独ソ戦車戦シリーズ7 ノモンハン戦車戦 ロシアの発掘資料から検証するソ連軍対関東軍の封印された戦い |date=2005年 |publisher=大日本絵画 |isbn= |ref={{SfnRef|コロミーエツ}} }}
* {{Cite book |和書 |author=森史朗|authorlink=森史朗 |title=司馬{{JIS2004フォント|遼󠄁}}太郎に日本人を学ぶ |date=2016年 |publisher=文春新書 |isbn=978-4166610655|ref={{SfnRef|森|2016}} }}
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Shiba Ryotaro}}
{{ウィキポータルリンク|文学|[[画像:Open book 01.svg|none|34px]]}}
*[[司馬遼太郎記念館]]
*[[姫路文学館]] - 司馬遼太郎記念室を設置
*[[日本学]]
*[[比較文学]]
*[[明治維新以前に日本に入国した欧米人の一覧|維新期以前の来日した外人一覧]]
*[[エドウィン・O・ライシャワー|エドウィン・ライシャワー]] 「ザ・ジャパニーズ」
*[[マリウス・バーサス・ジャンセン]] 「[[坂本龍馬]]と明治維新」
*[[NHK特集 シルクロード]] - 司馬も現地取材に参加
== 外部リンク ==
* [https://www.nytimes.com/1996/02/16/nyregion/ryotaro-shiba-72-historical-novelist.html Ryotaro Shiba, 72, Historical Novelist] - New York Times(1996年2月16日)
* [https://web.archive.org/web/20060106001443/http://www.iwakura-mission.gr.jp/n_kaihou/n12-21.htm 「司馬史観をどう見るか——歴史と小説」] - 米欧亜回覧の会『米欧回覧ニュース第12号』(1998年8月30日)より。第10回例会(1998年7月25日)での[[中村政則]]の講演の要約。質疑応答も掲載。
*[https://www.mskj.or.jp/report/2907.html 塾主の戦争観に垣間見る司馬史観へのアンチテーゼ] - 井桁幹人(松下政経塾第27期生)『[[松下政経塾]]月例レポート』2007年3月
*{{NHK人物録|D0009071041_00000}}
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[[Category:司馬遼太郎|*]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E |
1,327 | 和月伸宏 |
和月 伸宏(わつき のぶひろ、1970年5月26日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。東京都生まれ、新潟県長岡市(旧越路町)育ち。愛称は「ワッキー」など。血液型はA型。
『週刊少年ジャンプ』で『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』、『武装錬金』などを連載。現在は『ジャンプスクエア』で活動。妻は小説家の黒碕薫。
1987年、新潟県立長岡高等学校在学中に「ティーチャー・ポン」で第33回手塚賞佳作を受賞しデビュー(西脇伸宏名義)。同期受賞者に出口竜正がいる。高校卒業後上京し、次原隆二、高橋陽一、小畑健らのアシスタントを務める。
1994年、『週刊少年ジャンプ』に「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」を連載。1996年にテレビアニメ化された。
2001年、『週刊少年ジャンプ』に「GUN BLAZE WEST」を連載。
2003年、『週刊少年ジャンプ』に「武装錬金」を連載。2006年にテレビアニメ化された。
2007年、『ジャンプスクエア』にて「エンバーミング-THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN-」を連載。
2017年、『ジャンプスクエア』10月号より「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」の続編である「北海道編」の連載を開始。だが2017年11月21日に和月が児童買春・ポルノ禁止法違反(単純所持)容疑で書類送検されたことを受け、連載は12月4日発売号より休載することとなった。2018年2月27日、略式起訴により罰金20万円が言い渡された。2018年、『ジャンプスクエア』7月号より連載が再開。
対戦型格闘ゲーム『サムライスピリッツ』シリーズ (SNK) のファンであり、『るろうに剣心』もその影響を受けている(サムライスピリッツの風間火月の影響を受けた戌亥番神など。特に牙神幻十郎に強い思い入れがあり、維新志士時代の志々雄真実の風貌や斎藤一の牙突のポーズや台詞各所でインスパイアを受けている)。後年、同ゲームシリーズのディレクターと知人であるという縁で、『サムライスピリッツ零』で一部のキャラクターデザインを担当することとなった。またアメリカン・コミックスのファンでもあり、それをモチーフにしたキャラクターデザイン(『X-メン』シリーズのアポカリプスと『るろうに剣心』の鯨波兵庫など。単行本の『登場人物製作秘話』より)も多い。
単行本の余剰ページに、登場人物のデザインやモチーフなどを詳細に記述したおまけをつけることがある。関係者からは少々苦い顔をされつつも、「読者サービスと作品へのより深い理解を兼ねたものである」と語っている。
「エンタテイメントの基本は笑顔とハッピーエンド」という持論を持っている。『るろうに剣心』の後半の展開に関してヒロインの神谷薫を殺すかどうかで悩んだが、「薫が死んだら、心からの笑顔もハッピーエンドもなくなってしまう」という理由で薫を生存させる展開にしたという。
和月の作品にはすべて、自分の名前が入った捺印を押している。この印は『るろうに剣心』の連載が始まった際、当時友人だった妻が中国旅行のときに祝いにと作ってきてくれたもの。和月はこれを「世界で一つしかなく、自分の漫画家人生に欠かせない大事なもの。もしもこれを無くしたら漫画家を辞めろということではないのか?」かと語っている。
一番好きな漫画は『ブラック・ジャック』(手塚治虫)。その他影響を受けた作品として『ドラえもん』・『パーマン』(藤子・F・不二雄)・『タッチ』(あだち充)・『ウイングマン』(桂正和)・『エイリアン通り』・『CIPHER』(成田美名子)・小畑健の一連の作品・『ジョジョの奇妙な冒険』 (荒木飛呂彦)・『幽☆遊☆白書』(冨樫義博)を挙げている。
テレビアニメではアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』にも一時期影響を受けており、『るろうに剣心』の作中で『新世紀エヴァンゲリオン』の登場人物をモチーフにしたキャラクターを登場させている(雪代巴など)。旧劇場版については、「演出等は参考になるが、作った人が作品や登場人物を愛していない」と批判的であった。
アクションゲームが好きで『バーチャロン』や『ライジング ザン』にハマっていたこともある。バーチャロンに関しては『るろうに剣心』(IN THE BLUE SKY)『武装錬金』(FADE TO BLACK)で、ゲーム中に使われているBGMの名前を拝借してサブタイトルに使ったことがある。ただし、ゲーム操作そのものは、CPU相手でも苦戦する等あまり強くないようである。ヘビーユーザー向けに強くなりすぎたゲームにも、ゲーム初心者の立場から苦言を呈したことがある。現在は以前ほどゲームをすることがなくなったと『るろうに剣心』の完全版の付録で語っている。
ロックバンド・アンジーのファンで、ヴォーカルの水戸華之介をデザインモチーフにしたキャラクターを『るろうに剣心』に登場させている(悠久山安慈)。また大槻ケンヂおよびその所属バンド筋肉少女帯のファンでもあり、作中にも影響が多く見られる。『メテオストライク』では作中でラジオから筋肉少女帯の楽曲名が流れており、『武装錬金』では作中の台詞や用語に大槻の小説『ステーシー 少女ゾンビ再殺談』や筋肉少女帯の歌詞フレーズ、曲名、大槻に関係したバンドの名前などが多く引用されている。
『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』時代のアシスタントから人気作家を輩出し、その結束力の高さもあって「和月組」と呼ばれている(もっとも和月本人はこの呼び方を嫌っている)。彼らがアシスタントを離れた後にも単行本の作者コメントにその名前がしばしば見える。本人は彼らの師匠というより同士であると思っており、『週刊少年ジャンプ』の巻末コメントなどでも、かつてのアシスタントを「○○先生」と呼んでいる。 | [
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] | 和月 伸宏は、日本の漫画家、イラストレーター。東京都生まれ、新潟県長岡市(旧越路町)育ち。愛称は「ワッキー」など。血液型はA型。 『週刊少年ジャンプ』で『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』、『武装錬金』などを連載。現在は『ジャンプスクエア』で活動。妻は小説家の黒碕薫。 | {{pp-vandalism|small=yes}}
{{存命人物の出典明記|date=2012年9月}}
{{Infobox 漫画家
| 名前 = 和月 伸宏
| ふりがな = わつき のぶひろ
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 脚注 =
| 本名 = <!--本名に関しては報道されていても本人からの発表がない場合は[[WP:BLP]]による記載不可です。本人発表出典の提示が必要です。-->
| 生地 = {{JPN}}・[[東京都]]<ref name="hidenp185">『剣心秘伝』185頁</ref><br>([[新潟県]][[長岡市]]〈旧[[越路町 (新潟県)|越路町]]〉育ち)
| 国籍 =
| 生年 = {{生年月日と年齢|1970|5|26}}<ref name="hidenp185" />
| 没年 =
| ジャンル = [[少年漫画]]
| 活動期間 = [[1987年]] -
| 代表作 =『[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]]』<br />『[[武装錬金]]』
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| 公式サイト =
}}
'''和月 伸宏'''(わつき のぶひろ、[[1970年]][[5月26日]]<ref name="hidenp185" /> - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]。[[東京都]]生まれ、[[新潟県]][[長岡市]](旧[[越路町 (新潟県)|越路町]])育ち<ref name="hidenp185" />。愛称は「ワッキー」など<ref>{{Cite book|和書|author=倉田英之|title=倉本 倉田の蔵出し|publisher=アスキー・メディアワークス|date=2008-7-9|isbn=978-4-04-867193-4|page=121}}</ref>。血液型はA型<ref name="hidenp185" />。
『[[週刊少年ジャンプ]]』で『[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]]』、『[[武装錬金]]』などを連載。現在は『[[ジャンプスクエア]]』で活動。妻は[[小説家]]の[[黒碕薫]]<ref name="otona64">和月伸宏「和月伸宏先生激闘浪漫インタビュー」『[[オトナファミ]]』2011年4月号 (No.30) エンターブレイン、2011年2月19日発売、64頁</ref>。
== 略歴 ==
1987年、[[新潟県立長岡高等学校]]在学中に「ティーチャー・ポン」で第33回[[手塚賞]]佳作を受賞しデビュー(西脇伸宏名義)。同期受賞者に[[出口竜正]]がいる{{要出典|date=2015年9月}}。高校卒業後上京し、[[次原隆二]]、[[高橋陽一]]、[[小畑健]]<ref name="hidenP186-187">『剣心秘伝』186 - 187頁</ref>らの[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]を務める<ref name="kadenp144-145">『剣心華伝』144 - 145頁</ref>。
1994年、『[[週刊少年ジャンプ]]』に「[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]]」を連載。1996年に[[テレビアニメ]]化された。
2001年、『週刊少年ジャンプ』に「[[GUN BLAZE WEST]]」を連載。
2003年、『週刊少年ジャンプ』に「[[武装錬金]]」を連載。2006年にテレビアニメ化された。
2007年、『[[ジャンプスクエア]]』にて「[[エンバーミング (漫画)|エンバーミング-THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN-]]」を連載。
2017年、『ジャンプスクエア』10月号より「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」の続編である「北海道編」の連載を開始<ref>{{Cite web|和書|date=2017-09-04 |url=https://natalie.mu/comic/news/247271 |title=「るろうに剣心」18年ぶりの続編「北海道編」が満を持してSQ.で始動 |work=コミックナタリー |accessdate=2017-12-09}}</ref>。だが2017年11月21日に和月が[[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童買春・ポルノ禁止法]]違反(単純所持)容疑で[[書類送検]]されたことを受け、連載は12月4日発売号より休載することとなった<ref>{{Cite web|和書|date= 2017-11-21|url=http://www.asahi.com/articles/ASKCP5CR9KCPUTIL04D.html |title=「るろうに剣心」作者、児童ポルノ所持容疑 連載は休止|work=朝日新聞デジタル |accessdate=2017-12-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sankei.com/affairs/news/171121/afr1711210041-n1.html |title=人気漫画「るろうに剣心」作者の和月伸宏さん、児童ポルノDVD所持容疑で書類送検 集英社、新シリーズの休載決定|publisher=産経ニュース|date=2017-11-21|accessdate=2018-01-23}}</ref>。2018年2月27日、略式起訴により罰金20万円が言い渡された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sankei.com/affairs/news/180227/afr1802270053-n1.html |title=人気漫画「るろ剣」作者に罰金刑、児童ポルノ所持の罪|publisher=産経ニュース|date=2018-02-27|accessdate=2018-02-27}}</ref>。2018年、『ジャンプスクエア』7月号より連載が再開<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/285070 |title=「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚・北海道編-」本日発売のSQ.で7カ月ぶりの再開 |work=コミックナタリー |date=2018-06-04 |accessdate=2018-09-06}}</ref>。
== 作風 ==
[[対戦型格闘ゲーム]]『[[サムライスピリッツ]]』シリーズ ([[SNK (1978年設立の企業)|SNK]]) のファンであり<ref>『剣心秘伝』189-190頁</ref>、『るろうに剣心』もその影響を受けている(サムライスピリッツの[[風間火月]]の影響を受けた[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-の登場人物一覧#六人の同志|戌亥番神]]など。特に牙神幻十郎に強い思い入れがあり、維新志士時代の志々雄真実の風貌や斎藤一の牙突のポーズや台詞各所でインスパイアを受けている)<ref>{{Cite book|和書|title=るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-|volume=22巻|publisher=集英社|series=[[ジャンプ・コミックス]]|date=1998年9月|isbn=978-4-08-872601-4}}</ref>。後年、同ゲームシリーズのディレクターと知人であるという縁で、『[[サムライスピリッツ零]]』で一部のキャラクターデザインを担当することとなった<ref>『[[月刊アルカディア]] 2003年9月号 7頁。</ref>。また[[アメリカン・コミックス]]のファンでもあり、それをモチーフにしたキャラクターデザイン(『[[X-メン]]』シリーズのアポカリプスと『るろうに剣心』の鯨波兵庫など。単行本の『登場人物製作秘話』より)も多い。
単行本の余剰ページに、登場人物のデザインやモチーフなどを詳細に記述したおまけをつけることがある。関係者からは少々苦い顔をされつつも<ref>{{Cite book|和書|author=和月伸宏|chapter=キャラクターファイル #01 ビュー=バンズ|title=GUN BLAZE WEST|volume=2巻|publisher=集英社|series=[[ジャンプ・コミックス]]|date=2001年9月9日|isbn=978-4-08-873163-6|page=26頁}}</ref>、「読者サービスと作品へのより深い理解を兼ねたものである」と語っている<ref>{{Cite book|和書|title=るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-|volume=9巻|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|date=1996年2月|isbn=978-4-08-871509-4}}</ref>。
「エンタテイメントの基本は笑顔とハッピーエンド」という持論を持っている。『るろうに剣心』の後半の展開に関してヒロインの神谷薫を殺すかどうかで悩んだが、「薫が死んだら、心からの笑顔もハッピーエンドもなくなってしまう」という理由で薫を生存させる展開にしたという<ref>{{Cite book|和書|title=るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-|volume=24巻|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|date=1999年2月|isbn=978-4-08-872668-7}}</ref>。
和月の作品にはすべて、自分の名前が入った捺印を押している。この印は『るろうに剣心』の連載が始まった際、当時友人だった妻が中国旅行のときに祝いにと作ってきてくれたもの。和月はこれを「世界で一つしかなく、自分の漫画家人生に欠かせない大事なもの。もしもこれを無くしたら漫画家を辞めろということではないのか?」かと語っている<ref>『オトナファミ』2012年NO.48、58-59ページ。</ref>。
== 趣味 ==
一番好きな漫画は『[[ブラック・ジャック]]』([[手塚治虫]])。その他影響を受けた作品として『[[ドラえもん]]』・『[[パーマン]]』([[藤子・F・不二雄]])・『[[タッチ (漫画)|タッチ]]』([[あだち充]])・『[[ウイングマン]]』([[桂正和]])・『[[エイリアン通り]]』・『[[CIPHER]]』([[成田美名子]])・[[小畑健]]の一連の作品・『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』 ([[荒木飛呂彦]])・『[[幽☆遊☆白書]]』([[冨樫義博]])を挙げている<ref name="hidenP186-187" />。
テレビアニメではアニメ『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』にも一時期影響を受けており、『るろうに剣心』の作中で『新世紀エヴァンゲリオン』の登場人物をモチーフにしたキャラクターを登場させている(雪代巴など){{要出典|date=2019年4月}}。旧劇場版については、「演出等は参考になるが、作った人が作品や登場人物を愛していない」と批判的であった{{要出典|date=2019年4月}}。
アクションゲームが好きで『[[電脳戦機バーチャロン|バーチャロン]]』や『[[ライジング ザン ザ・サムライガンマン|ライジング ザン]]』にハマっていたこともある。バーチャロンに関しては『るろうに剣心』(IN THE BLUE SKY)『武装錬金』(FADE TO BLACK)で、ゲーム中に使われているBGMの名前を拝借してサブタイトルに使ったことがある。ただし、ゲーム操作そのものは、CPU相手でも苦戦する等あまり強くないようである。ヘビーユーザー向けに強くなりすぎたゲームにも、ゲーム初心者の立場から苦言を呈したことがある。現在は以前ほどゲームをすることがなくなったと『るろうに剣心』の完全版の付録で語っている。
ロックバンド・[[アンジー]]のファンで、ヴォーカルの水戸華之介をデザインモチーフにしたキャラクターを『るろうに剣心』に登場させている(悠久山安慈)。また[[大槻ケンヂ]]およびその所属バンド[[筋肉少女帯]]のファンでもあり、作中にも影響が多く見られる。『メテオストライク』では作中でラジオから筋肉少女帯の楽曲名が流れており、『武装錬金』では作中の台詞や用語に大槻の小説『ステーシー 少女ゾンビ再殺談』や筋肉少女帯の歌詞フレーズ、曲名、大槻に関係したバンドの名前などが多く引用されている{{要出典|date=2012年9月}}。
== 作品リスト ==
=== 連載作品 ===
* [[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]](週刊少年ジャンプ1994年19号 - 1999年43号)
* [[GUN BLAZE WEST]](週刊少年ジャンプ2001年2号 - 同年35号)
* [[武装錬金]](週刊少年ジャンプ2003年30号 - 2005年21・22合併号)
* [[エンバーミング (漫画)|エンバーミング-THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN-]](ジャンプスクエア2007年12月号 - 2015年5月号)
* るろうに剣心-キネマ版-(ジャンプスクエア2012年6月号 - 2013年7月号)
* るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚・北海道編-(ジャンプスクエア2017年10月号 - 連載中)
=== 読切作品 ===
* 北陸幽霊小話(『[[ホップ☆ステップ賞#単行本|ホップ★ステップ賞SELECTION]]』6巻に収録)
* 戦国の三日月(『[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]]』6巻、同作完全版10巻に収録)
* るろうに -明治剣客浪漫譚-(『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』1巻および3巻、同作完全版1巻および3巻に収録)
* 弥彦の逆刃刀(『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』完全版22巻に収録)
* メテオ・ストライク(『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』28巻に収録)
* 春に桜(『剣心華伝』収録、『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』完全版22巻に収録)
* 武装錬金ファイナル(『[[週刊少年ジャンプの増刊号|赤マルジャンプ]]』2005年SUMMER、『武装錬金』9巻に収録)
* 武装錬金ピリオド(『[[週刊少年ジャンプの増刊号|赤マルジャンプ]]』2006年WINTER、『武装錬金』10巻に収録)
* [[エンバーミング (漫画)#『DEAD BODY and BRIDE』|エンバーミング-DEAD BODY and BRIDE-]](週刊少年ジャンプ増刊『ジャンプ the REVOLUTION!』2005年11月1日増刊号に掲載、『武装錬金』10巻に収録)
* [[エンバーミング (漫画)#『DEAD BODY and LOVER』|エンバーミングII-DEAD BODY and LOVER-]](週刊少年ジャンプ増刊『ジャンプ the REVOLUTION!』2006年11月1日増刊号に掲載)
* 天翔ける英雄伝説([[ヤマトタケル]])([[週刊マンガ日本史|週刊新マンガ日本史]] 創刊号、2010年)
* るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 第零幕(週刊少年ジャンプ2012年38号)
* 炎を統べる -るろうに剣心・裏幕-(ジャンプスクエア2014年8月号、10月号)
* -るろうに剣心・異聞- 明日郎 前科アリ(ジャンプスクエア2016年11月号、12月号)
=== ゲームキャラクターデザイン ===
* [[サムライスピリッツ零]](原案)
* [[新選組群狼伝]](原案)
* [[エンドライド]](原案)
=== イラスト ===
* [[STAR DRIVER 輝きのタクト]] アンソロジー
=== 関連書籍 ===
* 週刊少年ジャンプ特別編集『原典・るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 剣心秘伝』集英社〈[[ジャンプ・コミックス|ジャンプ・コミックス デラックス]]〉1996年7月9日初版発行、{{ISBN2|978-4-08-858882-7}}
* 週刊少年ジャンプ特別編集『全史『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』 剣心華伝』集英社、1999年12月22日初版発行、{{ISBN2|978-4-08-782037-9}}
== 関連人物 ==
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2017年12月}}
=== 和月がアシスタントに入った人物 ===
; [[次原隆二]]
: [[アシスタント (漫画)|アシスタント]]に入り、心構えを教わる<ref name="kadenp144-145" />。
; [[高橋陽一]]
: 前にアシスタントに入り、基本技術を教わる<ref name="kadenp144-145" />。
; [[小畑健]]
: 小畑が[[手塚賞]]準入選をとった時の総評から当初はライバルとして設定していたが、『[[CYBORGじいちゃんG]]』を読んだことをきっかけとして心の師匠と仰ぐ。『魔神冒険譚ランプ・ランプ』(1991年 - 1992年)と『力人伝説 -鬼を継ぐもの-』(1992年 - 1993年)の2作品に参加。一番好きな作家に小畑を、影響を受けた作品に「小畑健先生の一連の作品」を挙げている<ref name="hidenP186-187" /><ref name="kadenp144-145" />。
; [[梅澤春人]]
: 『[[HARELUYA]]』(1992年)にアシスタントとして参加<ref name="kadenp144-145" />。
=== 元アシスタント ===
{{要出典範囲|『[[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]]』時代のアシスタントから人気作家を輩出し、その結束力の高さもあって「'''和月組'''」と呼ばれている<ref>{{Cite web|和書|url=http://news.denfaminicogamer.jp/game-gene/watsuki-interview|title=90年代格闘ゲームがジャンプ作家に与えた衝撃。『るろ剣』再開の和月伸宏が語るその影響|date=2016-12-27|publisher=電ファミニコゲーマー|accessdate=2018-9-22}}</ref>(もっとも和月本人はこの呼び方を嫌っている<ref>[[安西信行]]の同人誌での寄稿文章より</ref>{{出典無効|date=2017-12-09 |title=いつのどの本なのか不明、また通常の同人誌は検証可能性を満たさず}})。彼らがアシスタントを離れた後にも単行本の作者コメントにその名前がしばしば見える。本人は彼らの師匠というより同士である<ref>[https://www.excite.co.jp/news/article/Shueishapn_20120824_13559/?p=4 週プレNews 2012年8月24日より][excite. ニュース]2018年1月12日閲覧</ref>と思っており、『週刊少年ジャンプ』の巻末コメントなどでも、かつてのアシスタントを「○○先生」と呼んでいる|date=2017年12月}}。
* [[尾田栄一郎]]<ref name="kadenp54">『剣心華伝』54頁</ref>
* [[武井宏之]]<ref name="kadenp54" />
* [[鈴木信也]]<ref name="kadenp54" />
* [[しんがぎん]]<ref name="kadenp54" />
* [[いとうみきお]]<ref name="kadenp54" />
=== その他の人物 ===
; [[黒碕薫]]
: 小説家で和月の妻<ref name="otona64" />。『[[武装錬金]]』『[[エンバーミング (漫画)|エンバーミング-THE ANOTHER TALE OF FRANKENSTEIN-]]』にストーリー協力として参加。2作発表された『武装錬金』や『るろうに剣心』の[[小説化|ノベライズ]]の執筆も担当している。また実写映画『るろうに剣心』の脚本協力をしている(小説『るろうに剣心 -銀幕草紙変-』はその際用意した脚本を小説化したもの)。
; [[佐々木尚]]
: [[編集者]]。初投稿の時から和月の担当を務め、『るろうに剣心』の担当編集を務める<ref>『剣心華伝』144頁</ref>。後に[[茨木政彦]]の後を継ぎ『[[週刊少年ジャンプ]]』9代目の編集長に就任している。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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== 参考文献 ==
* 「るろうに秘話 〜『るろうに剣心』原作者・和月伸宏インタビュー〜」『剣心秘伝』185 - 191頁
* 「和月伸宏インタビュー・真」『剣心華伝』144 - 147頁
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{{DEFAULTSORT:わつき のふひろ}}
[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:日本のイラストレーター]]
[[Category:新潟県立長岡高等学校出身の人物]]
[[Category:新潟県出身の人物]]
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[[Category:存命人物]]
[[Category:和月伸宏|*]] | 2003-02-13T13:20:31Z | 2023-12-15T06:02:55Z | false | false | false | [
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%9C%88%E4%BC%B8%E5%AE%8F |
1,328 | エニックス | 株式会社エニックス(英: ENIX Corporation)は、かつて存在した日本のゲームメーカー、出版社。2003年(平成15年)4月1日に同業のスクウェアと合併し、スクウェア・エニックス(法人としては現在のスクウェア・エニックス・ホールディングス)となった。以下ではこの旧エニックスについて解説する。
1975年9月22日、福嶋康博により公団住宅の情報誌を発行する出版社「営団社募集サービスセンター」として創業。紆余曲折を経て、1982年に子会社としてエニックスを設立し、パソコンソフト業界に参入。大々的なプログラムコンテストを開き、翌1983年に一挙に13本のソフトを発売した事で一躍知名度を上げる。
1984年10月に任天堂と提携し、ファミリーコンピュータ用のソフトを提供することが決定。1985年7月に家庭用ゲーム機市場に参入。1988年に発売した『ドラゴンクエストIII そして伝説へ...』は社会現象とも呼ばれるほどのヒットを記録、エニックスはゲームメーカーとしての地位を確固たるものとした。なお、社内にはドラクエシリーズ専門の部署である「ドラクエ課」が存在した(現スクウェア・エニックス第9開発事業部)。
1990年、収益の安定を図るために出版ビジネスに進出。翌1991年に創刊した『月刊少年ガンガン』は、15年近く月刊漫画雑誌の創刊で成功といえるものがないという逆風の中、一定の成功を収め、その後、数多くの派生誌を生んだ。
かつては映像ソフト製作とゲームソングやアニメソングの制作も行っていた。自社レーベル『PLENTY SAMAN』(プレンティーサマン)として発足、販売網はパイオニアLDCに委託。スクウェア・エニックスに合併後、映像ソフト製作とアニメソング事業を撤退するが、ゲームソング事業は継続中である。
社名の「エニックス」は、世界初の汎用デジタルコンピュータと言われる「ENIAC(エニアック)」と不死鳥「PHOENIX(フェニックス)」をあわせた造語である。なお、ドラクエシリーズのヒットにより日本有数のゲーム会社とも言われたが、エニックス自体は開発機能を持たないゲームパブリッシャーである。前述のプログラムコンテスト以降、主にコンテストで新人を発掘するという手法が取られ、定期的にゲームのコンテストが開かれていた。この路線は出版ビジネスに進出した際にも踏襲され、多くの新人を発掘している。合併してスクウェア・エニックスになった現在でも、旧エニックス系の流れを汲む作品の開発は外部へ委託されている。
2002年11月26日にスクウェアとの合併契約書が締結されたが、2003年1月10日にスクウェア筆頭株主の宮本雅史が合併比率に不満を持っているとの報道がなされ、1月14日に合併比率がエニックス1:スクウェア0.81からエニックス1:スクウェア0.85に変更された。
1982年に第1回を開催(同年12月20日締め切り)。賞金総額300万円(最優秀賞100万円)というのが最大の売りであり(当時の同様のコンテストは賞金は30万前後が普通)、後のゲーム界を担う人材を発掘した。300本近くの応募作の中から、13本がパソコンソフトとして実際に販売された。天才マイコン少年として一部で知られていた中村光一をスターダムに押し上げ、堀井雄二との出会いのきっかけとなったことから、『ドラゴンクエスト』シリーズ開発史の最初の舞台として描かれることが多い。なお堀井はコンテストの紹介記事を「週刊少年ジャンプ」に執筆したライターという立場であったにもかかわらず、プログラミングを独学して勝手に応募してきたという。
年2回開催される漫画家募集企画。1995年に「エニックス21世紀マンガ大賞」としてスタート(1995 - 99年:全9回)し、2000年に「新世紀マンガ大賞」と改名(2000 - 02年:全6回)。2003年から「エニックスマンガ大賞」となり、スクウェアとの合併に伴い2004年の第3回より「スクウェア・エニックスマンガ大賞」と改名され現在に至る。
最高位となる大賞受賞者として、桜野みねね、戸土野正内郎、有楽彰展、荒川弘、大高忍などを輩出した。
1998年に行われた、アニメーション関連のクリエイター募集企画。アニメ企画部門、アニメ声優部門、アニメシナリオ部門、メカデザイン部門の4部門があり、出崎統、野沢雅子、藤川桂介の3名が審査を行った。
1998年12月31日に応募が締め切られ、1999年3月12日付の朝日新聞および『月刊少年ガンガン』ほかエニックス刊行各誌で発表された。声優部門の受賞者には野川さくら、今井麻美、早水リサ、雛野まよ(現・榊原ゆい)がいる。
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] | 株式会社エニックスは、かつて存在した日本のゲームメーカー、出版社。2003年(平成15年)4月1日に同業のスクウェアと合併し、スクウェア・エニックス(法人としては現在のスクウェア・エニックス・ホールディングス)となった。以下ではこの旧エニックスについて解説する。 | {{Pathnav|スクウェア・エニックス・ホールディングス|スクウェア・エニックス|frame=1}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = 株式会社エニックス
| 英文社名 = ENIX Corporation
| ロゴ = [[File:Enix.svg|100px]]
| 画像 =
| 画像説明 =
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 機関設計 =
| 市場情報 =
| 略称 =
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 151-0053
| 本社所在地 = [[東京都]][[渋谷区]][[代々木]]四丁目31番8号
| 本社緯度度 =
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| 本店地図国コード =
| 設立 = [[1975年]]([[昭和]]50年)[[9月22日]]<br />(株式会社営団社募集サービスセンター)
| 業種 = 5250
| 法人番号 =
| 統一金融機関コード =
| SWIFTコード =
| 事業内容 = [[コンシューマーゲーム]]の販売、書籍出版など
| 代表者 = [[福嶋康博]](代表取締役会長兼CEO)<br>[[本多圭司]](代表取締役社長兼[[最高執行責任者|COO]])
| 資本金 = 69億4080万400円
| 発行済株式総数 =
| 売上高 =
| 営業利益 =
| 経常利益 =
| 純利益 =
| 純資産 =
| 総資産 =
| 従業員数 =
| 支店舗数 =
| 決算期 =
| 会計監査人 =
| 所有者 =
| 主要株主 =
| 主要部門 =
| 主要子会社 =
| 関係する人物 = [[福嶋康博]](創業者)
| 外部リンク = [https://web.archive.org/web/20010531010659/http://www.enix.co.jp/ アーカイブ]
| 特記事項 = 特記なければ、2003年3月31日時点のデータ。同年4月1日に[[スクウェア (ゲーム会社)|スクウェア]]と合併し、[[スクウェア・エニックス]]に商号変更。
}}
'''株式会社エニックス'''({{Lang-en-short|ENIX Corporation}})は、かつて存在した[[日本]]の[[ゲーム会社一覧|ゲームメーカー]]、[[出版社]]。[[2003年]]([[平成]]15年)[[4月1日]]に同業の[[スクウェア (ゲーム会社)|スクウェア]]と[[合併 (企業)|合併]]し、[[スクウェア・エニックス]](法人としては現在の[[スクウェア・エニックス・ホールディングス]])となった。以下ではこの旧エニックスについて解説する。
== 概要 ==
[[1975年]]9月22日、[[福嶋康博]]により公団住宅の情報誌を発行する出版社「営団社募集サービスセンター」として創業<ref>[https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00129/080100070/ スクエニHD・福嶋康博名誉会長 世間知らずが大恥かいた幻の起業],日経ビジネス電子版,2022年8月4日</ref>。紆余曲折を経て、1982年に子会社としてエニックスを設立し、パソコンソフト業界に参入。大々的なプログラムコンテストを開き、翌1983年に一挙に13本のソフトを発売した事で一躍知名度を上げる。
[[1984年]]10月に任天堂と提携し、ファミリーコンピュータ用のソフトを提供することが決定<ref name="natsukashi">[http://qbq.jp/ 株式会社QBQ]編 『[http://diapress.jp/archives/6872.html 懐かしファミコン パーフェクトガイド]』 [http://www.magazinebox.co.jp/ マガジンボックス](M.B.ムック)、2016年。ISBN 9784906735891 p117</ref>。[[1985年]]7月に[[コンシューマーゲーム|家庭用ゲーム機]]市場に参入。[[1988年]]に発売した『'''[[ドラゴンクエストIII そして伝説へ…]]'''』は[[社会現象]]とも呼ばれるほどのヒットを記録、エニックスはゲームメーカーとしての地位を確固たるものとした。なお、社内には[[ドラゴンクエストシリーズ|ドラクエシリーズ]]専門の部署である「ドラクエ課」が存在した(現スクウェア・エニックス第9開発事業部)。
[[1990年]]、収益の安定を図るために出版ビジネスに進出。翌[[1991年]]に創刊した『[[月刊少年ガンガン]]』は、15年近く月刊[[漫画雑誌]]の創刊で成功といえるものがないという逆風の中、一定の成功を収め、その後、数多くの派生誌を生んだ。
かつては[[映像ソフト]]製作と[[ゲームソング]]や[[アニメソング]]の制作も行っていた。自社[[レコードレーベル|レーベル]]『PLENTY SAMAN』(プレンティーサマン)として発足、販売網は[[パイオニアLDC]]に委託。スクウェア・エニックスに合併後、映像ソフト製作とアニメソング事業を撤退するが、ゲームソング事業は継続中である。
社名の「'''エニックス'''」は、世界初の汎用[[デジタルコンピュータ]]と言われる「[[ENIAC]](エニアック)」と不死鳥「[[フェニックス|PHO'''ENIX''']](フェニックス)」をあわせた造語である。なお、ドラクエシリーズのヒットにより日本有数のゲーム会社とも言われたが、エニックス自体は開発機能を持たないゲームパブリッシャーである。前述の[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]コンテスト以降、主にコンテストで新人を発掘するという手法が取られ、定期的にゲームのコンテストが開かれていた。この路線は出版ビジネスに進出した際にも踏襲され、多くの新人を発掘している。合併してスクウェア・エニックスになった現在でも、旧エニックス系の流れを汲む作品の開発は外部へ委託されている。
[[2002年]]11月26日にスクウェアとの合併契約書が締結されたが、[[2003年]]1月10日にスクウェア筆頭[[株主]]の[[宮本雅史 (投資家)|宮本雅史]]が合併比率に不満を持っているとの報道がなされ<ref>「[https://www.famitsu.com/game/news/2003/01/10/103,1042194907,9928,0,0.html スクウェア筆頭株主の宮本氏が合併比率に反対? スクウェアとエニックスが見解を発表]」 ファミ通.com、2003年1月10日。</ref>、1月14日に合併比率がエニックス1:スクウェア0.81からエニックス1:スクウェア0.85に変更された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hd.square-enix.com/jpn/ir/pdf/0301-200301140000-01.pdf|title=合併契約書変更のお知らせ|publisher=エニックス/スクウェア|date=2003-1-14|accessdate=2023-2-3}}</ref>。
== 沿革 ==
* 1975年9月 - '''株式会社営団社募集サービスセンター'''設立。
* [[1980年]]2月 - 営団社募集サービスセンターの100%[[出資]]により、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]虎ノ門に'''株式会社営団社不動産'''を設立。
* [[1981年]]8月 - 株式会社営団社不動産の商号を'''株式会社営団社システム'''に変更。[[新宿区]]西新宿に移転。
* [[1982年]]8月 - 株式会社営団社システムの商号を'''株式会社エニックス'''に変更。
* [[1983年]]10月 - [[コニカ|小西六写真工業]](現・[[コニカミノルタ]])との合弁により、東京都北区に株式会社小西六エニックスを設立。
* [[1986年]]5月 - ファミリーコンピュータ用[[ロールプレイングゲーム]](RPG)『'''ドラゴンクエスト'''』発売。
* [[1987年]]10月 - 株式会社小西六エニックスの商号をコニカエニックス株式会社に変更。
* 1988年3月 - 出版物、キャラクター商品の販売子会社としてエニックスプロダクツ株式会社設立。
* [[1989年]]1月 - コニカエニックスを100%子会社化。
* [[1989年]]4月 - エニックス、コニカエニックス、エニックスプロダクツを営団社募集サービスセンターに吸収合併し、商号を株式会社エニックスに変更。営団社募集サービスセンターは休眠状態であり、旧エニックスが実質的な存続会社となる。神奈川県川崎市にエニックス研究所を設置(2000年10月 株式会社ビーエムエフとして法人化)。
* 1991年2月 - [[社団法人]][[日本証券業協会]]に店頭登録銘柄として登録([[店頭公開]])。
* 1991年3月 - 『月刊少年ガンガン』創刊。
* 1991年10月 - [[デジタルエンタテインメントアカデミー|株式会社デジタルエンタテインメントアカデミー]]設立。「エニックスゲームスクール」の運営を開始。
* [[1996年]]8月 - 本社を新宿区西新宿から[[渋谷区]]代々木へ移転
** スクウェアとの経営統合、本社移転後はスクウェア・エニックス初台ビルとして存続していたが、老朽化に伴い2015年に[[日本瓦斯]]に売却され、同社が本社として使用している<ref>[http://www.hd.square-enix.com/jpn/ir/stock/docs/150624/page02.html 平成27年6月24日開催 第35回定時株主総会 開催概要 質疑応答概要]</ref><ref>[http://v4.eir-parts.net/v4Contents/View.aspx?cat=tdnet&sid=1293876 本社移転に関するお知らせ],日本瓦斯,2015年10月28日</ref>。
* [[1999年]]8月 - [[東京証券取引所]] 一部上場。
* 1999年11月 - ENIX AMERICA INC. 設立。
* [[2001年]]6月 - [[エニックスお家騒動]]発生。
* 2002年9月 - [[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド]]コンテンツの制作、[[ネット配信|配信]]を目的に[[早稲田大学]]と共同で株式会社スポーツビービー設立。
* 2003年4月1日 - 同業の株式会社[[スクウェア (ゲーム会社)|スクウェア]]と「対等の精神に基づき」合併。当社を存続会社とし、代表をスクウェア代表の[[和田洋一 (スクウェア・エニックス)|和田洋一]]へと交代、新商号は株式会社'''[[スクウェア・エニックス]]'''となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hd.square-enix.com/jpn/ir/pdf/0301-200211260000-01.pdf|title=合併に関するお知らせ|publisher=エニックス/スクウェア|date=2002-11-26|accessdate=2023-2-3}}</ref>。
== 優秀なクリエイターの発掘 ==
=== ゲーム・ホビープログラムコンテスト ===
{{external media
| align = right
| width = 350px
| topic =
| image1 = {{ウェブアーカイブ|deadlink=|title=第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストの広告|url=https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/img/ah/docs/1090/204/html/m80nensoft1.jpg.html|archiveurl=https://archive.is/iVTzv|archiveservice=[[archive.is]]|archivedate=2019-02-03}}
| image2 = {{ウェブアーカイブ|deadlink=|title=第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト発表後に販売された応募作13本の広告|url=https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/img/ah/docs/1118/349/html/drdr2.jpg.html|archiveurl=https://archive.is/TuzTY|archiveservice=[[archive.is]]|archivedate=2019-02-03}}
}}
1982年に第1回を開催(同年[[12月20日]]締め切り)。賞金総額300万[[円 (通貨)|円]](最優秀賞100万円)というのが最大の売りであり(当時の同様のコンテストは賞金は30万前後が普通)、後のゲーム界を担う人材を発掘した。300本近くの応募作の中から、13本が[[パソコンソフト]]として実際に販売された。天才[[マイクロコンピュータ|マイコン]]少年として一部で知られていた[[中村光一]]をスターダムに押し上げ、[[堀井雄二]]との出会いのきっかけとなったことから、『[[ドラゴンクエストシリーズ|ドラゴンクエスト]]』シリーズ開発史の最初の舞台として描かれることが多い。なお堀井はコンテストの紹介記事を「[[週刊少年ジャンプ]]」に執筆した[[ライター]]という立場であったにもかかわらず、[[プログラミング]]を独学して勝手に応募してきたという<ref>[https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima/2 【全文公開】伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話]</ref>。
:*最優秀プログラム賞「[[森田のバトルフィールド]]/[[森田和郎]]」
:*優秀プログラム賞「[[ドアドア]]/中村光一」
:*優秀プログラム賞「[[マリちゃん危機一髪]]/槇村ただし(後の[[どろんぱ]])」
:*入選プログラム賞(以下順不同)
:**「宇宙の戦士/岡田良行」
:**「D・I・Sエアポート/藤原誠司」
:**「星子のアドベンチャー/浅沼利行」
:**「地底のモンスター/長谷川修」
:**「ポーカーエキストラ/川口真弘」
:**「ナポレオン/島田弘明」
:**「ピラニア君の一週間/白井篤」
:**「暴走オリエント急行/長瀬敏之」
:**「ラブマッチテニス/堀井雄二」
:**「バクテリアエスケープ/橋下友茂」
=== エニックス マンガ大賞 ===
年2回開催される漫画家募集企画。1995年に「エニックス21世紀マンガ大賞」としてスタート(1995 - 99年:全9回)し、2000年に「新世紀マンガ大賞」と改名(2000 - 02年:全6回)。2003年から「エニックスマンガ大賞」となり、スクウェアとの合併に伴い2004年の第3回より「スクウェア・エニックスマンガ大賞」と改名され現在に至る。
最高位となる大賞受賞者として、[[桜野みねね]]、[[戸土野正内郎]]、[[有楽彰展]]、[[荒川弘]]、[[大高忍]]などを輩出した。
=== エニックス アニメ企画大賞 ===
1998年に行われた、アニメーション関連のクリエイター募集企画<ref>「[http://www.animetopics.com/news.php?news_seq=3812 News: 情報>エニックス『アニメ企画大賞』]」 [[ニフティ|@nifty AnimeFan]]、1998年12月7日。</ref>。アニメ企画部門、アニメ声優部門、アニメシナリオ部門、メカデザイン部門の4部門があり、[[出崎統]]、[[野沢雅子]]、[[藤川桂介]]の3名が審査を行った。
1998年12月31日に応募が締め切られ、1999年3月12日付の朝日新聞および『月刊少年ガンガン』ほかエニックス刊行各誌で発表された。声優部門の受賞者には[[野川さくら]]、[[今井麻美]]、[[早水リサ]]、[[榊原ゆい|雛野まよ(現・榊原ゆい)]]がいる。
== エニックスお家騒動 ==
{{Main|エニックスお家騒動}}
== 関連会社 ==
* 株式会社デジタルエンタテインメントアカデミー (東京都新宿区)
* ENIX AMERICA INC. (ワシントン州シアトル) ※2003年清算
* [[コミュニティーエンジン|コミュニティーエンジン株式会社]] (東京都渋谷区)
* 株式会社ビーエムエフ (神奈川県川崎市)
* [[マッグガーデン|株式会社マッグガーデン]] (東京都千代田区)
* 株式会社スポーツビービー (東京都渋谷区) ※2004年清算
== 作品一覧 ==
=== パーソナルコンピュータ用ソフト ===
{| class="sortable wikitable" style="font-size:small;"
! タイトル !! 発売日 !! プラットフォーム !! 開発元 !! 備考
|-
| [[ドアドア]] || 1983年2月 || PC || [[中村光一]]
|
|-
| [[マリちゃん危機一髪]] || 1983年2月 || PC || [[槙村ただし]]
|
|-
| [[ポートピア連続殺人事件]] || 1983年6月 || PC || [[堀井雄二]]
|
|-
| [[ロリータ・シンドローム (ゲーム)|ロリータ・シンドローム]] || 1983年10月 || PC || [[望月かつみ]]
|
|-
| [[ザース 人工頭脳オリオンの奪還]] || 1984年 || PC || ジャンドラ
|
|-
| [[Dr.スランプ|Dr.スランプ バブル大作戦]] || 1984年|| PC
|
|
|- 井沢誘
| [[ニュートロン]] || 1984年5月 || PC || [[中村光一]]
|
|-
| [[ウイングマン#PCゲーム|ウイングマン]] || 1984年11月 || PC || TAMTAM
|
|-
| [[地球戦士ライーザ]] || 1985年 || PC || 九葉真、[[真島真太郎]]
|
|-
| ブレインブレイカー || 1985年|| PC
|
|
|-
| [[エルドラド伝奇]] || 1985年1月 || PC || [[槙村ただし]]
|
|-
| [[軽井沢誘拐案内]] || 1985年4月 || PC || [[堀井雄二]]
|
|-
| [[TOKYOナンパストリート]] || 1985年4月 || PC || [[関野ひかる]]
|
|-
| セイバー || 1985年10月|| PC
|
|
|-
| [[ゼビウス]]([[PC-8800シリーズ|PC-8801/mkII/SR]]移植版) || 1985年11月 || PC
|
|
|-
| [[ウイングマン#PCゲーム|ウイングマン2 -キータクラーの復活-]] || 1986年4月 || PC || TAMTAM
|
|-
| [[北斗の拳 バイオレンス劇画アドベンチャー]] || 1986年5月 || PC
|
|
|-
| [[ジーザス (ゲーム)|ジーザス]] || 1987年4月28日 || PC
|
|
|-
| [[ガンダーラ 仏陀の聖戦]] || 1987年5月28日|| PC
|
|
|-
| [[ウイングマン#PCゲーム|ウイングマンスペシャル -さらば夢戦士-]] || 1987年12月 || PC || TAMTAM
|
|-
| [[アンジェラス 〜悪魔の福音〜]] || 1988年7月 || PC
|
|
|-
| バーニングポイント || 1989年2月23日|| PC
|
|
|- コスモぐらし
| PRAJATOR || 1989年12月|| PC
|
|
|-
| [[ミスティ・ブルー]] || 1990年4月2日 || PC
|
|
|-
| [[46億年物語|46億年物語 -THE 進化論-]] || 1990年5月26日 || PC || 46億年物語プロジェクトチーム
|
|-
| [[ジーザス (ゲーム)#ジーザス2|ジーザス2]] || 1991年3月24日 || PC
|
|
|-
| ライヒスリッター-帝国騎士団- || 1991年5月26日|| PC
|
|
|-
| High Reward || 1994年9月22日|| PC
|
|発売元:イマジニア
|-
| [[クロスゲート]] || 2001年7月26日 || PC || [[ドワンゴ]]、[[ツェナワークス]]、[[ポンスビック]]
|
|-
| [[ディプスファンタジア]] || 2001年12月6日 || PC || [[ヘッドロック (企業)|ヘッドロック]]
|
|-
| [[コスモぐらし|コスモぐらし 〜オンライン的野菜生活〜]] || 2003年3月28日 || PC || [[ムームー (企業)|ムームー]]、[[マイクロビジョン]]、[[コミュニティーエンジン]]
|
|-
| ファランクス || || PC
|
|
|}
=== コンシューマーゲーム機用ソフト ===
{| class="sortable wikitable" style="font-size:small;"
! タイトル !! 発売日 !! プラットフォーム !! 開発元 !! 備考
|-
| [[ドアドア]] || 1985年7月18日 || FC || [[チュンソフト]]
|
|-
| [[ポートピア連続殺人事件]] || 1985年11月29日 || FC || チュンソフト
|
|-
| [[ドラゴンクエスト]] || 1986年5月27日 || FC || チュンソフト || ドラゴンクエストシリーズ
|-
| [[ドラゴンクエストII 悪霊の神々]] || 1987年1月26日 || FC || チュンソフト || ドラゴンクエストシリーズ
|-
| [[ドラゴンクエストIII そして伝説へ…]] || 1988年2月10日 || FC || チュンソフト || ドラゴンクエストシリーズ
|-
| [[ドラゴンクエストIV 導かれし者たち]] || 1990年2月11日 || FC || チュンソフト || ドラゴンクエストシリーズ
|-
| [[アクトレイザー]] || 1990年12月16日 || SFC || [[クインテット (ゲーム会社)|クインテット]] || アクトレイザーシリーズ
|-
| [[ソウルブレイダー]] || 1992年1月31日 || SFC || クインテット
|-
| [[ドラゴンクエストV 天空の花嫁]] || 1992年9月27日 || SFC || チュンソフト || ドラゴンクエストシリーズ
|-
| [[ダンジョンランド]] || 1992年12月15日 || GB || [[森田和郎#ランダムハウス|ランダムハウス]]
|
|-
| [[ジャストブリード]] || 1992年12月15日 || FC || ランダムハウス
|
|-
| [[46億年物語#スーパーファミコン版|46億年物語-はるかなるエデンへ-]] || 1992年12月21日 || SFC || [[ギブロ|アルマニック]]
|
|-
| [[エルナード]] || 1993年4月23日 || SFC || [[プロデュース]]
|
|-
| [[樹帝戦紀]] || 1993年8月27日 || SFC || タムタム
|
|-
| [[アクトレイザー|アクトレイザー2 〜沈黙への聖戦〜]] || 1993年10月29日 || SFC || クインテット || アクトレイザーシリーズ
|-
| [[ガイア幻想紀]] || 1993年11月27日 || SFC || クインテット
|-
| [[ドラゴンクエストI・II]] || 1993年12月18日 || SFC || チュンソフト || ドラゴンクエストシリーズ
|-
| [[ブレインロード]] || 1994年1月29日 || SFC || プロデュース
|-
| [[いただきストリート2 〜ネオンサインはバラ色に〜]] || 1994年2月26日 || SFC || [[トムキャットシステム]] || いただきストリートシリーズ
|-
| [[南国少年パプワくん#ゲーム|南国少年パプワくん]] || 1994年3月25日 || SFC || [[ダフト]]
|
|-
| [[南国少年パプワくん#ゲーム|南国少年パプワくん ガンマ団の野望]] || 1994年3月25日 || GB || ダフト
|
|-
| [[スラップスティック (ゲーム)|スラップスティック]] || 1994年7月8日 || SFC || クインテット
|
|-
| [[ワンダープロジェクトJ 機械の少年ピーノ]] || 1994年12月9日 || SFC || アルマニック || ワンダープロジェクトJシリーズ
|-
| [[熱血大陸バーニングヒーローズ]] || 1995年3月17日 || SFC || [[Jフォース]]
|
|-
| [[魔法陣グルグル (ゲーム)|魔法陣グルグル]] || 1995年4月21日 || SFC || タムタム
|
|-
| [[ミスティックアーク]] || 1995年7月14日 || SFC || プロデュース || ミスティックアークシリーズ
|-
| [[ハーメルンのバイオリン弾き#コンピュータゲーム|ハーメルンのバイオリン弾き]] || 1995年9月29日 || SFC || ダフト
|
|-
| [[常勝麻雀 天牌]] || 1995年9月29日 || SFC || [[ゲームアーツ]]、[[マイクロパイン]]
|
|-
| [[天地創造 (ゲーム)|天地創造]] || 1995年10月20日 || SFC || クインテット
|
|-
| [[ドラゴンクエストVI 幻の大地]] || 1995年12月9日 || SFC || [[ハートビート (ゲーム会社)|ハートビート]] || ドラゴンクエストシリーズ
|-
| [[魔法陣グルグル2]] || 1996年4月12日 || SFC || タムタム
|
|-
| [[ダークハーフ]] || 1996年5月31日 || SFC || [[ウエストン ビット エンタテインメント|ウエストン]]
|
|-
| [[スターオーシャン]] || 1996年7月19日 || SFC || [[トライエース]] || スターオーシャンシリーズ
|-
| [[ワンダープロジェクトJ2 コルロの森のジョゼット]] || 1996年11月22日 || N64 || ギブロ || ワンダープロジェクトJシリーズ
|-
| [[ドラゴンクエストIII そして伝説へ…]] || 1996年12月6日 || SFC || ハートビート || ドラゴンクエストシリーズ
|-
| [[ゆけゆけ!!トラブルメーカーズ]] || 1997年6月26日 || N64 || [[トレジャー]]
|
|-
| [[七ツ風の島物語]] || 1997年11月27日 || SS || ギブロ
|
|-
| [[忍ペンまん丸#ゲーム|忍ペンまん丸]] || 1997年12月18日 || SS || タムタム
|
|-
| [[RIVEN THE SEQUEL TO MYST]] || 1997年12月23日 || PS ||
|
|-
| [[バスト ア ムーブ|バスト ア ムーブ Dance & Rhytum Action]] || 1998年1月29日 || PS || [[メトロ (ゲーム会社)|メトロ]] || バスト ア ムーブシリーズ
|-
| [[RIVEN THE SEQUEL TO MYST]] || 1998年4月9日 || SS ||
|
|-
| [[日本代表チームの監督になろう!]] || 1998年6月25日 || SS || [[トーセ]]
|
|-
| [[ハローチャーリー!!]] || 1998年7月30日 || PS ||
|
|-
| [[スターオーシャン セカンドストーリー]] || 1998年7月30日 || PS || トライエース || スターオーシャンシリーズ
|-
| [[アストロノーカ]] || 1998年8月27日 || PS || [[ムームー (企業)|ムームー]]、[[システムサコム]]
|-
| [[いただきストリート ゴージャスキング]] || 1998年9月23日 || PS || トムキャットシステム || いただきストリートシリーズ
|-
| [[ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド]] || 1998年9月25日 || GB || トーセ || ドラゴンクエストモンスターズシリーズ
|-
| [[グレイトヒッツ]] || 1998年10月29日 || PS || [[ウィズ]]{{要曖昧さ回避|date=2020年4月}}、システムサコム
|
|-
| [[ユーラシアエクスプレス殺人事件]] || 1998年11月26日 || PS || [[フォーサム]]、システムサコム
|
|-
| [[グーグートロプス]] || 1999年1月28日|| PS || プロデュース
|
|-
| [[トゥームレイダー3]] || 1999年3月4日 || PS || [[アイドス・インタラクティブ]]
|
|-
| [[ミスティックアーク まぼろし劇場]] || 1999年3月18日 || PS || プロデュース || ミスティックアークシリーズ
|-
| [[バスト ア ムーブ|バスト ア ムーブ2 〜ダンス天国MIX〜]] || 1999年4月15日 || PS || メトロ || バスト ア ムーブシリーズ
|-
| [[せがれいじり]] || 1999年6月3日 || PS || [[ブレインドック]]、[[ネメシス (企業)|ネメシス]] || せがれいじりシリーズ
|-
| [[ラクガキショータイム]] || 1999年7月29日 || PS || トレジャー
|
|-
| [[ポップンタンクス!]] || 1999年7月29日 || PS ||
|
|-
| [[ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険2 不思議のダンジョン]] || 1999年9月15日 || PS || チュンソフト、[[マトリックス (ゲーム会社)|マトリックス]] || 不思議のダンジョンシリーズ
|-
| [[ドラゴンクエストI・II]] || 1999年9月23日 || GB || トーセ || ドラゴンクエストシリーズ
|-
| [[プラネットライカ]] || 1999年10月21日 || PS || [[木村央志|是空]]
|
|-
| [[ヴァルキリープロファイル]] || 1999年12月22日 || PS || トライエース
|
|-
| [[快感・フレーズ#ゲーム版|KAIKANフレーズ 堕天使降臨]] || 2000年2月24日 || PS || プロデュース
|
|-
| [[うたうたウ〜 SEIREI-SONGS]] || 2000年2月24日 || PS || [[オーパス]]、[[ウサギ王]]
|
|-
| [[天までジャック オドロキマメノキ大登亡!!]] || 2000年3月23日 || PS || [[バンタンインターナショナル]]、[[エクスレイズ]]
|
|-
| [[お見合いコマンドー 〜バカップルにつっこみを〜]] || 2000年3月30日 || PS || [[魔法 (ゲーム会社)|魔法]]
|
|-
| [[ØSTORY]] || 2000年4月27日 || PS2 || [[ゼネラル・エンタテイメント]]
|
|-
| [[鈴木爆発]] || 2000年7月6日 || PS || [[ソル]]
|
|-
| [[ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち]] || 2000年8月26日 || PS || ハートビート、[[アルテピアッツァ]] || ドラゴンクエストシリーズ
|-
| [[ブレイドアーツ 〜黄昏の都ルルイエ〜]] || 2000年9月28日 || PS || [[エア]]
|-
| [[バスト ア ムーブ|ダンスサミット2001 バスト ア ムーブ]] || 2000年11月2日 || PS2 || メトロ || バスト ア ムーブシリーズ
|-
| [[ドキドキ♡伝説 魔法陣グルグル]] || 2000年11月17日 || GB || タムタム
|-
| [[オレが監督だ! 〜激闘ペナントレース〜]] || 2000年11月22日 || PS2 || [[タムソフト]] || オレが監督だ!シリーズ
|-
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| [[ドラゴンクエストキャラクターズ トルネコの大冒険3 不思議のダンジョン]] || 2002年10月31日 || PS2 || チュンソフト、マトリックス || 不思議のダンジョンシリーズ
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| [[スターオーシャン Till the End of Time]] || 2003年2月27日 || PS2 || トライエース || スターオーシャンシリーズ
|-
| [[ドラゴンクエストモンスターズ キャラバンハート]] || 2003年3月29日 || GBA || トーセ || ドラゴンクエストモンスターズシリーズ
|}
=== 周辺機器 ===
* ハイパーコントローラ(HYPER CONTROLLER) - [[FM-TOWNS]]用[[ゲームコントローラ]]。品番:EOJ-01。
== 漫画雑誌 ==
* 1991年3月 - [[月刊少年ガンガン]]
* 1993年3月 - ガンガンファンタジー (1994年3月に[[月刊Gファンタジー]]に改題)
* 1994年3月 - [[月刊少年ギャグ王]] (1999年3月休刊)
* 2001年1月 - [[月刊ガンガンWING]] (2009年2月休刊)・[[月刊ステンシル]] (2003年7月休刊)
== 主な提供番組 ==
(いずれも過去)
* [[ドラゴンクエスト (アニメ)|ドラゴンクエスト]]
* [[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]]
* [[DRAGON QUEST -ダイの大冒険-|ドラゴンクエスト ダイの大冒険]]
* [[ドンキーコング (アニメ)|ドンキーコング]]
* [[南国少年パプワくん]]
* [[魔法陣グルグル]]<ref group="注">[[広島ホームテレビ]]が時折[[日本のプロ野球|プロ野球]][[広島東洋カープ]]主催試合の[[スーパーベースボール (テレビ朝日系列)|中継]]に差し替えた際にも、そのまま提供スポンサーとなっていた(当該番組は後日に振替放送)。</ref>
* [[モンスターファーム (アニメ)|モンスターファーム]]
* [[忍ペンまん丸]]
* [[ハーメルンのバイオリン弾き]]
* [[人気者でいこう!]]
* [[吉本超合金]]
* [[吉本超合金F]]
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
* [[スクウェア (ゲーム会社)|スクウェア]]
* [[スクウェア・エニックス]]
* [[スクウェア・エニックス・ホールディングス]]
== 外部リンク ==
* [https://www.jp.square-enix.com/ スクウェア・エニックス]
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1,329 | フォーミュラ1 | フォーミュラ1(Formula One、英語発音: [ˈfɔːrmjulə ˈwʌn] フォーァミュラ・ワン)は、モータースポーツのカテゴリの1つであり、その世界選手権を指す場合もある。略称はF1(エフ・ワン)。
F1世界選手権 (FIA Formula One World Championship) は、国際自動車連盟が主催する自動車レースの最高峰であり、代表的なモータースポーツとして知られている。年間の観客動員数は400万人を超えており、ヨーロッパを中心に世界中で人気を獲得している。競技は4輪の1人乗りフォーミュラカーで行われている。
フォーミュラ1における「フォーミュラ(formula)」とは、全参加者および参加車両が準拠しなければならない一連の「規定」を意味している。F1に出場する車両には、タイヤ・シャシー・エンジン等々、あらゆる部分に技術的な規定(テクニカルレギュレーション)があり、これに反する車両は出走が認められない。また、走行中のマナーなどの取り決め(スポーティングレギュレーション)もあり、違反した場合にはレース中のピットレーン通過強制やスターティンググリッド(レース開始時の順番)降格などのペナルティを課せられる。ヨーロッパ・アジア・南アメリカ大陸・北アメリカ大陸を中心に世界各国を転戦し、各レース毎の順位によって与えられる点数「チャンピオンシップ・ポイント」の総計によってチャンピオンを決定する。
F1は戦間期にヨーロッパ各地で盛んに行われていたグランプリ・モーターレーシングをその起源とする。(F1世界選手権の歴史#F1誕生)F1ドライバーズ選手権の構想は1930年代末にはすでに話し合われていたが、第二次世界大戦の勃発によってその実現は見送られた。戦後、1950年にイギリスのシルバーストン・サーキットでF1世界選手権の最初のレースが開催された。
F1世界選手権はグランプリと呼ばれる複数のレースによって構成されるシリーズである。国々を転戦する興行一座という例えから、F1は「グランプリ・サーカス(Grand Prix circus)」の異名で呼ばれることもある。F1初年度である1950年シーズンには、全7戦のうち6戦がヨーロッパで開催された。唯一のヨーロッパ域外のレースはアメリカでのインディアナポリス500(インディ500)であったが、これは世界選手権としての体裁を整えるためにF1シーズンに組み込まれていた側面が強かった。その後、1957年までレースの大半がヨーロッパ地域でのレースで行われていた。1960年をもってインディ500はF1から除外され、1959年から並行開催されていたアメリカGPに一本化された。
初年度のカレンダーに含まれていたイギリスグランプリとイタリアグランプリの2レースは、1950年から2022年現在まで毎年継続して開催され、同じく含まれていたフランスとベルギーも休止を挟みつつも、2022年も開催されている(フランスは2023年のグランプリカレンダーから除外された)。またハンガリーグランプリは、1986年の初開催から休止や開催地変更もなく30年以上継続開催されている稀有な例となっている。
1999年にマレーシアGPが新規開催されると、それに続く形でいくつかの国家がF1GPの誘致に動き、2004年以降新規開催国でのレースが増加した。しかし、2008年にF1史上初のナイトレースとして開催されたシンガポールGP のように長期開催国の1つになった例もあった一方、長期開催の契約を結びながらも中途での休止や打ち切りを強いられたレースもあった。2010年初開催の韓国GPは2016年までの開催契約を結んでいたものの、資金難を克服できず2013年のレースをもって撤退した。同様に、2011年初開催のインドGPにも金銭的問題が浮上し、2年間の開催契約を残したまま2013年を最後に休止され、以後復活していない。
エンジンがV6ハイブリッドターボとなった2014年以降の時代には、権威主義的政治体制を有する国家(アゼルバイジャン、ロシア、ベトナム等)の政府が潤沢な公的資金でレースを誘致・開催する例が多く見られる。また、F1はアジア地域への関心を高めており、その背景としてアジアではレース開催料が高額となり多くの収入が得られることや、未開拓のファン層が存在することなどが指摘されている。
だが、V6ハイブリッドターボの時代に長期開催していた国が中止や開催継続が危ぶまれる例が出現している。F1全体での観客動員数が増加傾向にある一方で、FOMが要求するレース開催料が依然として高額であるため、一部の主催者は財政的に苦しんでいる。その動きの象徴となったのがイギリスGPであり、2016年と2017年に3日間で約35万人を集客したにもかかわらず、サーキット側が公的援助なしで高額の開催費用を負担する必要があり存続の危機に立たされていた。そのため、2017年シーズン中にイギリスGPとイタリアGPは開催料の減額を求める姿勢の一環として契約破棄条項を発動し、再交渉が不発に終われば、2019年を以て両国でのF1開催が終了する予定にまで追い込まれていた。最終的にはイギリス(シルバーストン)側の利益を保護する内容の契約が成立したため、継続となったが、この時の運営者であるリバティメディアはロンドンでの市街地コースとしての開催や新規開催国の存在を根拠に契約の終了も辞さない構えであったため、一時はイギリスGP終了が最も現実的になった時期でもあった。 一方でかつて1国で2つのGPを開催するほどの人気を博していたドイツでは、資金難であったうえ、外部からの支援を得られなかったため、2015年と2017年にF1が開催されない事態に陥った。また、開催数ではイギリスとイタリアに次ぐフランスグランプリ も2008年を最後に開催が中止され、その後2018年まで復活しなかった。 このうち、1999年から継続開催され、長期開催国の一つとなっていたマレーシアGPは、2017年をもって開催を終了した。また、契約更新を何年するかの交渉や判断の予定を念頭に開催しているGPも少なくない。実際に、2018年に復活したドイツGPは同年7月の時点では後述のマイアミGPが開催される予定であったため、開催に関する交渉が失敗したことも影響し、2019年の開催は行われない予定 となっていたが、マイアミGPが2019年は開催されないこととなったため、再交渉を経て9月に2019年のみの開催契約が結ばれることとなった。
その一方でコース運営者の負担が仮に解決したとしても、2018年などの全21戦という数字はすでに限界というチームの声も少なくなく、むしろ開催数の方に課題が生じつつある。1960年代には年間10戦前後だったF1世界選手権レースの開催数は、1970年代には平均で年間14戦前後に増加。1980年代から1990年代にかけては年間16戦前後で安定して推移した。21世紀に入るとレース開催数は徐々に増加。特に2016年には史上最多の年間21戦に達し、2017年こそ全20戦だったが、2018年は全21戦開催となり、2019年も21戦開催が承認された。
リバティメディアは今後年間25戦にまでカレンダーを拡大する意向を示しているものの、レース開催数の増加に伴う様々な負担増にドライバーを含む関係者は懸念を表明しており、年間15-18戦程度の開催に回帰することを望む声 や年間22戦以上の開催には懸念を示す声も多い。そのため、当面の間は最大21戦で推移すると思われていたが、2018年11月にベトナムGP開催が決定。さらに2019年5月にはオランダGPの復活も決定したため、2020年は22戦以上の開催の可能性が浮上した。当初2019年までの開催契約を結んでいたGPのうち3つが終了することが濃厚であったため、新規開催国はあるものの21戦以下で収まると思われていた。だが、結果的に消滅するのは1つのみとなり、2019年の全21戦に1つ追加される形となった。それでも、参戦中のチームは開催数変更について合意。その結果、2020年は全22戦開催となる予定だったが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により多数のグランプリが中止に追い込まれ、最終的に開催数としては全17戦の開催となった。2021年はサウジアラビアGPが既存のカレンダーに追加され、2020年の暫定カレンダーよりも多い全23戦の開催が予定されたが、この年も新型コロナの影響で多数のグランプリが中止に追い込まれ、カタールGPなどの追加で全22戦の開催となった。開催数増加を受け、2020年以降についてはプレシーズンテストの実施日の変更と日程削減、さらにインシーズンテスト廃止を決定した。しかしこの措置は、マシンに慣れる時間が大幅に減少することから、ルーキーやチームを移籍したドライバーにとって厳しいものとなった。
各レース毎の順位によって与えられる点数「チャンピオンシップ・ポイント」の総計によってチャンピオンが決定される。シーズン終了時に獲得ポイントの最も多い選手が「ドライバーズ・ワールド・チャンピオン」として認定される。同様に、獲得ポイントが最も多い車体製造者(コンストラクター)は「コンストラクターズ・ワールド・チャンピオン」として認定される。過去には有効ポイント制を採用していた事もあった。
強力なターボ・エンジンと自然吸気 (NA) エンジンが混走した1987年には自然吸気エンジン搭載車のみでのチャンピオンシップが制定され、それぞれドライバーに与えられる「ジム・クラーク・カップ」、コンストラクターに与えられる「コーリン・チャップマン・カップ」と呼ばれたが、翌1988年、ターボ・エンジンの燃費規制が厳しくなり自然吸気エンジンとの戦力差が縮小され、1年限りで廃止された。
金曜午後に2回、土曜午後に1回、計3回の練習走行が設けられる。2007年に金曜日のフリー走行の時間が60分から90分に拡大されてから、以降はフリー走行に関する変更は行われていなかったが、2021年は金曜日のフリー走行の時間がそれぞれ60分間に短縮された。各マシンは過去のセッティングデータに基づいて開催サーキットの特性にある程度合わせて持ち込まれるが、実際に走行することによってドライバーの意見を反映させて微調整を繰り返す。また、参戦初年度のドライバーが過去に未体験のサーキットを走る場合、コースの習熟の意味も含まれている。2006年まではチーム独自のテスト走行の実施が許されていたが、2007年からコスト削減の名目で年間テストの走行距離の指定を皮切りに、チーム独自のマシンテストに制約がかかるようになり、2010年に開幕戦以降のシーズン中のチーム独自のテストが事実上禁止された。それ以降は、パフォーマンスの追及の観点から少しでもコース上での実走のテストを経験すべく、その代わりにフリー走行をマシンテストの場として利用したり、新しいパーツの評価を行ったりする場として活用せざるを得ない傾向にある。
土曜午後に行われる。各車が一定時間内で自由に走行を行い、1周の最速タイムを競い合う。
2006年からは『ノックアウト方式』でスターティンググリッドを決定する。2019年は、20台が参加し以下のように進行する。
Q3で最速タイムを記録した者はポールポジションとなり、以降は各セッションのノックアウト順で整列する事になる。ただし、フリー走行等でのトラブルにより予選Q1に出走しない車両がある場合は、強制的にQ1の最下位扱いとして進行し、台数に応じてQ1のノックアウト者を減らす。
また、以下のような理由でペナルティを課されグリッド降格になる場合があるため、必ずしも予選結果順にスタートするとは限らない。
また、予選後、セッティング変更などを行うと予選の結果にかかわらずピットレーンスタートとなる(正確には決勝出走の際、マシンの仕様が予選終了時と異なるものになった場合を指す。そのため、外見上ではウイングの変更などが一例だが、PUの性能の違いといった部品単位の仕様が異なる場合、基本はそれが適用される)。 さらに2011年からは107%ルールが再導入されており、予選Q1のトップタイムに対し自身のベストラップが107%より遅いドライバーは審議対象になり、出走許可が出なければ予選落ちとなる ものの、「例外的な状況」という名目でグリッドに並ぶケースが多く、出走不可になったケースは2012年オーストラリアグランプリにおけるHRTの例が最後となっている。
なお、タイムはマシンに搭載された無線装置により1/1,000秒単位まで計測される。まれに1/1,000秒まで同タイムのケースが見られるが、その場合には先にタイムを出したドライバーから上位グリッドに着く。 だが、ノックアウト方式が導入された影響で、中下位チームが自力でフロントロー入りすることが難しくなっている。ただし、グリッドペナルティの影響で結果的にフロントローを獲得した例や雨天での予選(ウェットコンディション)で波乱が起きることもあるが、全体で見ればまれな出来事となっている。
2021年4月に同シーズンの第10戦イギリスGP、第14戦イタリアGP、第20戦サンパウロGP(ブラジル)の計3戦でスプリント予選レースを行うことが決定した。2021年は本来のタイム計測によるノックアウト方式の予選を金曜日の午後に行い、その結果をスプリント予選レースの順位として認定。従来の予選がある土曜日の午後に、レース距離約100kmのスプリントレースを行い、そのスプリントレースの順位が決勝のスターティンググリッドとして扱われる仕組みとした。しかし、この年はスプリント予選レースが行われるGPに関してはポールポジションの扱いが変わることへの批判や実施したことによっていくつかの問題が表面化。それらも含む様々な思惑によって、一時は2021年限定のイベントになるという推測も報じられたが、2022年も第4戦エミリア・ロマーニャGP、第11戦オーストリアGP、第22戦サンパウロGPの計3戦でそれを行うことが決定。ただし、内容について変更され、この年はスプリント予選レースの正式名称は「スプリント」へ変更。スプリントの結果で決勝のスタート順が決まる点は変わらないものの、それが実施される各GPのポールポジションは金曜日の予選での最速のドライバーに与えられ、スプリントの結果の入賞の対象が変更されるなど、内容面に関して変更が行われた。
日曜午後に行われる決勝は、原則的に305kmをサーキットの一周の距離数で割ったものの小数点以下を切り上げた周回数で争われる。また、レースが2時間を超えた場合は、その周回で打ち切られる。また、レース自体の時間が2時間を超えなくても途中赤旗中断があった場合、レーススタートから中断時間を含めて3時間(2021年より)を超えた場合、その周回で打ち切られる。例として、2012年シンガポールグランプリでは2時間ルールが適用されるレースとなったため、2時間を超えた後にラップリーダーがコントロールラインを通過すると同時にチェッカーが振られ、この時の周回数で終了。この際は予定周回数より2周少ない結果となった。ただし主催者判断で、レース時間のカウントを一時止めることも可能で、結果として中断も含んだ実際のレース時間が3時間を超えることもある。
例外として、モナコグランプリは市街地コースで行われることによる体力的・精神的負担などを考慮し、また平均速度が極端に遅く(他コースより60km/hほど遅い)競技時間が長くなってしまうことから、1967年から約260kmで争われている。また、ドライコンディション時に(セーフティカーラン等を伴わずに)レース時間が2時間を超えて終了したコースについては、翌年から周回数を減らして行われる。
レース展開だが、レース開始時刻となったら、まずフォーメーションラップが開始される。ただし、フォーメーションラップ中のトラブルの発生や雨天などでレース開始に適さない状況に遭遇した場合、フォーメーションラップが追加される場合もある。もしその追加のラップが行われた場合、レースの規定周回数からその分が減算されることとなる。そのラップは基本的には1周で終わり、全車指定のグリッドの位置に静止する。そして、シグナルのサインに合わせてスタートを切り(スタンディングスタート)、規定の周回数を最初に走破したドライバーが優勝となる。
その後の順位は走破した周回数とその時間により決まる。すなわち優勝者と同じ周回を走りきったドライバー、その次に1周遅れのドライバー、2周遅れ...という順で、それぞれの中で先にゴールしたドライバーから順位がつけられる。途中リタイヤして、最後まで走り切れなかったドライバーも「全体の9割以上の周回を走っていれば」周回遅れとして完走扱いになる(例...60周で行われるレースなら54周以上走っていたら完走扱い)。そのため、1996年モナコグランプリのように、チェッカーを受けなかったのに入賞というケースも出ることがある。
レース後のリザルトによって、チーム・ドライバーにはチャンピオンシップポイントが加算される。2010年からのルールでは上位10台にポイントが順位に応じて加算され、10位以上は「入賞」となる。また、2019年からはファステストラップ記録者が10位以内に入賞した場合に限り、同じく1ポイントが加算される。
2016年よりファンとの関わりを増やすために、決勝レース中のインターネット投票による「この日最も印象的であった」ドライバーを選出するシステムが導入された。これはチャンピオンシップには直接関係はしないが、選出されたドライバーはレース後に賞を受け取ることになる。
レース中はタイヤ交換などのためにピットに入る(ピットイン)。ピットで可能な作業は時代によって異なり、タイヤ交換の他にマシン微調整や破損したウイングの交換などを行うことができる。2009年まではレース中の給油が解禁されていた年もあったが、2010年からレース中にピットに入り給油することは完全に禁止されている。ただし、タイヤに関しては2007年からはレース中に2種類のドライタイヤを使用することが義務づけられたため、レース中のタイヤ交換が最低1回は必要となり、タイヤ無交換作戦は事実上禁止されたが、悪天候によりウェットコンディションが宣言され決勝レース中にレインタイヤ(インターミディエイトタイヤまたはウェットタイヤ)を使用した場合にはこの制限はない。それでもタイヤの摩耗や天候の変化へ対応する関係でピットインは必須となっていたが、2021年トルコグランプリでは雨天でのレースとなったため、その規定が適応外となり、その結果、エステバン・オコンがタイヤ無交換作戦によって10位入賞を達成。タイヤ無交換(ピットストップなし)のドライバーが入賞を記録したのは1997年モナコグランプリのミカ・サロ以来24年ぶりとなる。また、このピット作業の最速記録は、2023年カタールGP(カタールグランプリ (4輪))にてマクラーレン・F1が記録した1.80秒となっている。
セッション中に規定違反の行為(フライング、アンフェアなブロック行為、ピットレーンでの速度違反等)を犯したドライバーにはスチュワード(競技審査委員会)からペナルティが与えられる。決勝レース中の違反に対する一般的なペナルティは、5秒間もしくは10秒間の「タイムペナルティ」、時速80kmの制限速度でピットレーンを通過しなければならない「ドライブスルーペナルティ」(約20秒~30秒程度のタイムロス)、ピットに戻り10秒間静止してからコースへ復帰することが義務付けられる「ストップ&ゴーペナルティー」(約30秒~40秒程度のタイムロス)となり、先頭のペナルティからだんだんと重くなっていく形となる。深刻な違反と判断された場合、レース中なら黒旗失格(レース旗#黒旗参照)の適用、レース後なら失格と同時にレース順位からの除外や次戦出場停止を含む厳罰が与えられることもある。
タイムペナルティを与えられた場合、レース中にピットで静止してペナルティを消化する例もあるが、それはストップ&ゴーペナルティーとは異なる。後者は「レース中にペナルティを消化してコースへ戻ることが義務付けられる罰則」であり無視した場合は失格の対象となる。一方で、前者は「ペナルティ裁定が下ってからレース終了までの間に一度もピットストップを行わない場合は、レース結果に該当タイムを加算」とされている。2007年以降「レース中のタイヤ交換が最低1回必要」な関係上、スタート時のタイヤで走行中にタイムペナルティを受けた場合、事実上タイヤ交換時にその消化が義務付けられる形となる。また、1回目のタイヤ交換後にタイムペナルティを受けた場合、再びタイヤ交換を行う場合はその消化が義務付けられる形となるが、規定のタイヤ交換の義務は終えているため、そのままレースを終えても失格にはならないが、その場合「レース後のタイムに加算される形」となるため、各ドライバーのタイム差次第では順位の変動が起きる可能性が高い。ただし、残り3周を切る時点またはレース終了後に前述の裁定が下った場合、レース終了後のタイム加算という形でペナルティを消化する形となる。
そのうえで、違反を犯したドライバーにはスチュワードの判断で「ペナルティ・ポイント」が与えられる場合もあり、累積12ポイントに達した場合には1戦の出場停止となる。一方で、ペナルティの運用に対しては一貫性がないという批判も存在する。
自動車に関する技術の進歩とマシンの高速化による危険性の増加にともない、F1のレギュレーションは大小さまざまな変更がなされている。特に1994年サンマリノグランプリで起きた2件の死亡事故以後は、安全性向上のためのレギュレーションが多く施行された。この流れのレギュレーション変更には、主にスピードの低下を狙ったものと安全設備の設置を義務付けるものとがある。また、2000年代に入ってからは高騰したマシン開発費を抑制するための改定がたびたび施行されている。
2023年のフォーミュラ1では以下のコンストラクターがエントリーしている。
現代のF1カーはカーボンファイバー製シャシーに、内燃機関(エンジン)とエネルギー回生システム(ERS)を組み合わせた「パワーユニット(PU)」を搭載する。2022年の規定では車体重量は最低798 kg(タイヤ・ドライバー込み、燃料は除く)とされており、最低重量を下回った場合には失格となる。PUのエンジンは排気量1.6リッターのV型6気筒シングルターボエンジンと規定されており、ERSによるパワー追加は最大120 kW (161 hp)に制限されている。2018年1月時点の推定では、エンジンとERSの合計最高出力は約950 hpに到達していた。
F1カーは前後のウイングや車体底面で発生するダウンフォースを利用してタイヤを路面に押し付けることで旋回速度を高めており、コーナリング時の横方向のGフォースは最大で6.5 G以上に達する。2017年に導入された技術規定では前後のウイング拡大などによってダウンフォースが大幅に向上し、多くのサーキットでそれまでの最速ラップタイム記録が更新されたが、一方で後方乱気流の発生量も増加したため、後続車は前を走る車に接近した際にダウンフォースを大きく失うこととなり、その結果レース中の追い抜きが困難になった。この問題への対応として、2022年規定のF1カーでは車体底面のグラウンド・エフェクト構造によってダウンフォースの大半を発生させる設計が導入され、ウイングへの空力的依存度が低下した。
F1カーはカーボンファイバー複合材のブレーキディスクを使用しており、制動距離は非常に短い。2017年には、急減速の多いモンツァ・サーキットでの減速Gは平均で5.5 Gに達していた。2014年以降はPUのエネルギー回生を行うためにブレーキ・バイ・ワイヤ(BBW)が導入され、ブレーキング時に電子制御が介入している。一方で、現行規定ではアンチロック・ブレーキ・システム(ABS)やトラクションコントロールシステム(TCS)等のドライバー補助を目的とした制御装置は禁止されている。
追い抜きを容易にするため、2011年からはドラッグリダクションシステム(DRS)と呼ばれる可変リアウィング機構が全車に導入されている。また、2018年シーズンからは全F1マシンに「Halo」と呼ばれる頭部保護デバイスの装着が義務付けられている。
現在ではF1の競技車両は4輪のオープンホイール・カーでなければならないと規定されているが、過去に出走したF1カーにはタイヤがフェンダーで覆われている車両(メルセデス・ベンツ・W196)や6輪の車両(ティレル・P34)も存在した。
F1は自動車メーカーの実験場としても機能しており、いくつかの成果は市販車にも応用されている。近年ではデロイトのようなデータ分析を得意とする企業との提携も行われている。
かつては他のカテゴリー同様、1社のシャシーを複数のチームが使用することもあったが、現在ではコンコルド協定において、知的所有権を含め、過去2年のうちに参戦した他チームのシャシーを使用できないよう規定された。そのため、F1はフォーミュラカーの選手権としては唯一、全チームがオリジナルのシャシーを使用している。独自にシャシーを開発・製造するためには莫大な費用がかかり、2014年シーズンには中位チームでも年間1億2000万ドルを出費していた。ケータハムF1チームやマノーF1チームのように近年新規参入したものの数年以内に破産に追い込まれたコンストラクターも存在している。参戦中のチームも財政的な問題を抱えており、2018年のフォース・インディアは長年課題となっていたチームの資金問題が遂に限界に達し、同年7月に破産申請。2018年第13戦ベルギーGP以降の参戦が不可能という状況になった(チームは投資家により救済され、いくつかの交渉を経て第13戦以降も参戦可能となった)。1977年から参戦している歴史あるウイリアムズも、2018年のマシン開発失敗に起因する低迷で資金難に陥り、2020年9月にアメリカの投資会社「ドリルトン・キャピタル」に買収され、ウイリアムズ家の家族経営が終わりを迎えた。
開発予算の格差を背景として、V6ハイブリッドターボ時代になってからは、上位チームと中位以下のチームのマシンの性能差が非常に大きくなってしまい、特に2017年シーズン以降は上位3チーム 所属のドライバーが表彰台を独占することが慣例化してしまっている。F1の運営陣も、(中小規模チームのマシンに上位進出のチャンスがなく)レース結果が容易に予測できるものになっている現状を改善する必要があることは認めている。2021年以降は、全チーム共通の予算制限と開発費の一角を占める風洞も前年のチームランキングに応じて風洞の利用時間が指定される仕組みが導入された。
市販車への技術応用という名目においても、2020年以降世界的な低炭素社会やカーボンニュートラルへの対応として、ガソリン車の販売禁止と電気自動車へ移行の流れが出来つつあるなかで、ガソリンエンジン開発に多額の費用をかける理由が失われたなどと主張し、好調であっても撤退する企業(ホンダ)が出ている。
F1レースに出走するためには、FIAが発給するモータースポーツライセンスの最上位クラスである「スーパーライセンス」を所持していなければならない。各F1チームは1シーズン4人までのドライバーをレースで起用することができる。最大4人のレースドライバーに加え、グランプリ週末金曜日の練習走行(P1・P2)では各セッション2人までの追加ドライバーを出走させることができるが、それらの追加ドライバーは最低でも「フリー走行限定スーパーライセンス」を所持している必要がある。2015年までも下位カテゴリーの経験の必要性が言及されていたが、2001年のキミ・ライコネンのように、F1マシンで指定距離を走行したドライバーであれば、個別の審査を経てライセンスが発給されることもあった。ただ、時代が進むにつれ、ドライバーの低年齢化が著しく進み、2014年にはマックス・フェルスタッペン(トロ・ロッソ)が史上最年少の17歳でF1のフリー走行をこなし、翌年フェルスタッペンはレギュラー契約を結んでF1デビューを果たした。
その後、FIAはスーパーライセンスの発給規定を厳格化することになり、2016年以降は
が明記され、他にも数多くの条件に該当する必要がある方針へ変化した(詳細はスーパーライセンス、マックス・フェルスタッペンを参照)。
前述の通り、2016年以降スーパーライセンスの発給資格を満たしていることが絶対条件となったため、かつてのような18歳未満のドライバーはいかなる特例をもってしてもF1への出場はおろか、リザーブドライバーとしての登録やテストドライバーとしてフリー走行のみに参加することすら認められなくなった。過度な低年齢化や経験不足によるデビューの抑制の評価する声もあるものの、1991年にミハエル・シューマッハがF1へスポット参戦する形でF1デビューした事例や2001年にジェンソン・バトンがウィリアムズのドライバーとしてフル参戦した事例は、この基準の場合、認められていなかったことになるため、ポイントで左右される仕組みに関しては見解が分かれている。
多くのF1チームはレギュラードライバーが参戦できない場合の代役、およびマシン開発の担当者として「リザーブドライバー」や「テストドライバー」を任命しているが、F1のテスト制限が進んだ現在では彼らの主な役割はドライビングシミュレーター上での作業となっている。その関係でフリー走行もテスト的な役割を担わなくてはいけなくなってしまったため、リザーブドライバーがフリー走行のみ参加して経験を積むということは困難になっており、技量維持のためフォーミュラEといった別カテゴリーへ参戦している事例も少なくない。実際、2020年度にはセルジオ・ペレスが新型コロナウイルスの影響で欠場することになった際、チームは登録していたリザーブドライバーではなく、前年にF1のレギュラーシートを喪失していたニコ・ヒュルケンベルグを急遽起用している。
カーナンバーについては、1996年から2013年までは前年のポイントランキングに基づいてチーム毎に割り振りされていたが、2014年以降はF1に参戦するドライバーは自らのカーナンバーを2から99までの数字(永久欠番である17を除く)から自由に選択することができ、選択された数字はそのドライバーのキャリアを通して固定されたカーナンバーとなる。カーナンバー1は専用ナンバーとして現役のドライバーズチャンピオンに与えられるが、チャンピオンは自分が選択した固定ナンバーを使い続けることも可能である。
シーズン中、各ドライバーのヘルメットは同一のデザインを使用し続けなくてはならないが、ドライバーのホームレース(もしくはチームのホームレース)やモナコGPなど、特別な1戦でのみはそれに合わせた特別仕様のデザインが許されている。ただし、基本1回限りとされているヘルメットのデザイン変更だが、これには抜け穴があり、「シーズン中に申請されたデザイン変更が許可される回数は1回限り」だが、ドライバー側が「無許可でデザイン変更した場合」であっても、それを理由に罰せられたことはなく、厳密には形骸化している。実際、2018年のベッテルはすべてのレースにてロゴの位置や文字のフォントの変更などの最初に発表したデザインから大きく逸脱しない程度のデザイン変更を毎戦加えて出走した。そのため、デザイン変更の規定に矛盾が生じつつあったが、2019年ロシアGPにてトロロッソのダニール・クビアトがヘルメットのデザイン変更を申請したのだが、その権利をイタリアGPで使用していたことを理由に却下された件をきっかけに批判が殺到。ただ擁護するなら、時のレギュレーションに従ってFIAは却下したのだが、いわゆる規定の矛盾が問題視された。その結果、2020年からはドライバーヘルメットのデザイン変更の回数制限が撤廃されることとなった。
ペイドライバーとは、資金の持ち込みと引き換えにチームとの契約を確保するドライバーの俗称である。「金でシートを買った」などと揶揄されることも多く、ペイドライバーというだけで正当に評価されないことも少なくない。ただ、実際のところ、ほぼすべてのドライバーが(金額の差はあるが)自身のスポンサーをチーム加入時に持ち込んでおり、他にもドライバーの活躍を受け、その母国の企業が後から支援してくれるケースもある。そのため、個人スポンサーに限れば、レーシングスーツやヘルメットに掲載しており、マシンにも小口スポンサーとして何らかのロゴが掲載されていることが主流である。
他にもレギュラードライバーにはある程度実績・実力のあるドライバーを起用しつつ、ペイドライバーはテストまたはリザーブドライバーとして契約することで戦績と資金調達を両立するチームも少なからずあり、この種のペイドライバーはテストやフリー走行にだけ出現する事が多い。そのため、本来の定義でもある「持参金を持ち込むことを条件に契約する」ドライバーという意味合いより、狭義の意味合いでもある「目立った実力・実績を持っておらず知名度が低い」のに「(資金的に苦しいチームへ)極端に高額な資金を持ち込んで契約する」ドライバーが「ペイドライバー」として扱われることが多い。
また2015年には「ペイドライバーが、より高額な資金を持つ別のペイドライバーにシートを奪われる」という事態も発生した。これはザウバーに契約を破棄されたギド・ヴァン・デル・ガルデの告訴により発覚したものである。ガルデは1度は契約を結んだにもかかわらず、ザウバーがマーカス・エリクソン、フェリペ・ナッセと契約を結んだため、押し出される形で失ったシートの返還を求め告訴し、裁判で勝訴した。最終的にはガルデがザウバーからの違約金を条件に出走を諦めることで和解したが、一時は2つの枠に3人のドライバー(ヴァン・デル・ガルデ、エリクソン、ナッセ)が存在するという混乱を生んだ。更には前年からの契約期間が残っていたエイドリアン・スーティルも似た経緯で同年のシートを喪失していたことが判明し、スーティルの場合は賠償金の支払いのみを求めて裁判で勝訴している。なお、この4人がどのような順番及び内容で契約していたのかは不明であり、一説ではエステバン・グティエレス、ジュール・ビアンキとも契約を結んでいたとされる(詳細は「ザウバー#ドライバー多重契約騒動」を参照)。
ザウバーの件は極端な例だが、モータースポーツは大口スポンサーがいないチームからすれば、常に資金に悩むことも少なくなく、中小プライベーターがペイドライバーをうまく利用するのは一般的なことである。実際、過去のシーズンを見れば、今は亡きジョーダン・グランプリは、1993年は資金不足などの影響もあり、1台のマシンを5人のドライバーがドライブした形となった経歴があり、後述のハースF1チームもそれに該当する。 また、下位カテゴリーのF2に目を向ければ、持参金でシートが左右されるのは有名な話である。一例を挙げるなら、アレクサンダー・アルボンは資金不足により2018年のF2参戦を断念しかかっていたが、DAMSと交渉して1戦毎の契約を条件に参戦することに成功。アルボン側も第3戦バクーで初優勝して実力をアピールしつつ、後押しとして資金をかき集めてフル参戦の契約に切り替える交渉をして、その結果、フル参戦の契約が成立してそのまま最終戦まで戦った経歴を持つ。
新型コロナウイルス感染症の世界的流行による影響によって一部のF1チームは急激な資金難となり、ハースF1チームは時のレギュラードライバー(ケビン・マグヌッセンおよびロマン・グロージャン)を放出してでもニキータ・マゼピンらを起用せざるを得ない状況まで追い込まれていた。現にチームのコメントでも、マゼピンの起用は彼の資金が決め手の一つになったことも事実上認めていた。だが、2022年も彼の参戦が予定されていたのだが、2022年2月下旬に勃発したロシアのウクライナ侵攻により、ハースは当時のチームのタイトルスポンサーのウラルカリとの契約見直しを迫られ、最終的にウラルカリとの契約を解消。これに伴いマゼピンはシーズン前テストに参加していたにもかかわらず、同年のシートを失った。他にも、ベネズエラ政府のバックアップ及びPDVSAからバックアップを受けていたマルドナドは2016年も参戦予定であったが、ベネズエラの石油価格の下落による経済・政治情勢が不安定なことによりPDVSAがシート料を払うことができずチームとの契約が破談し、そのままシートを失った例もある。
実際にペイドライバーとして扱われながらも好走を見せたドライバーも少なからずおり、以下は活躍したペイドライバーの一例。
ヨーロッパで始まった最高峰自動車レースのF1は、ヨーロッパにおいては非常に大きな関心を集めるスポーツの一つである。TV視聴者が最も多い国として南米のブラジルがイタリアと並んで挙げられるなど、F1はヨーロッパのみならず世界的に見ても人気のあるスポーツと言える。その一方で、世界最大級の市場であるアメリカではインディカーやNASCAR等が台頭していることもあり、人気があるとは言えず、一時期「不毛の地」とも揶揄された。世界的なF1中継の有料放送化を背景に、2018年には過去10年間でF1の視聴者総数が41.3%減少したことが報道されており、他にも一部の強豪チームが勝利を独占している状態が近年のF1の人気低下につながっているとの指摘もある。
現にV6ハイブリッドターボ時代になってから表彰台入りしているのは、シーズンを通して上位3チーム 所属のドライバーが独占することが慣例化しており、2014年から2016年までの間は3チーム以外のドライバーが表彰台に上がったレースが各シーズンで数戦あったが、2017年と2018年に限っては、上位3チーム以外の表彰台入りしたのは計41戦中2戦だけという状況であった。2019年以降は上位3チーム以外のドライバーが上がったレースが数度あるようになったが、そのレースは上位3チームのリタイアやトラブルが発生した波乱のレースによる混戦の結果であり、そのチーム以外が自力でその3チームを打ち破って表彰台に上がるというのは非常に困難となっており、ゴールまでにある程度の結果が予測できる状況になってしまっている。また、エンジン使用制限に伴うペナルティの影響で予選の価値が低下している面 もあり、レギュレーションの問題がF1の人気低下を招いている面もある。
そのため、この状況にドライバーからも不満の声が上がっており、チャンピオン経験者で言えば、フェルナンド・アロンソが「デビュー時に比べコース上での戦いが非常に少なくなった」とコメントし、2019年5月に時のフェラーリのドライバーであったセバスチャン・ベッテルが「メルセデスが圧勝を続ける現在のF1は退屈でつまらない」と皮肉交じりのコメント をしている。また、前述のペイドライバーの一人、セルジオ・ペレスは2019年5月に「現状は単なるチームのチャンピオンシップとなってしまっている」「ドライバーの腕よりマシンの性能でレースが確定する」と言い切っており、ドライバーたちも不満を抱えている状況である。その一方でNetflixやSNSによる新規ファンの流入も起きており、F1の人気低下に関しては見解が分かれている。
2018シーズンのF1世界選手権の現地観戦者数は、全21グランプリで合計409万3,305人と2017年と比較して7.83%増加しており、F1側は人気が回復傾向にあるとの認識を示している。リバティ・メディアはF1人気復活のために、マイアミグランプリを含めた1国複数回グランプリ開催の実現に向けて動いている。
初期の車体塗装はチーム国の「ナショナルカラー」にスポンサーのロゴを掲示する程度であった。しかし1968年にロータスが新たにスポンサーとなったインペリアル・タバコ社の製品のパッケージと同じカラーリングとしたロータス・49を出走させ話題となったことで伝統が破られた。これ以降はレイノルズやフィリップモリスなどタバコ企業が広告効果を狙ってスポンサーに名乗りを上げ、自社製品のパッケージと同じカラーに塗装したマシンを多数出走させていた。しかし、1990年代からはタバコ広告の規制が始まり、2005年8月以降は、欧州連合域内でのタバコ広告が全面的に禁止されたことに伴い、シーズン中に一部のチームではタイトル・スポンサーの変更などが行われた。その後、世界中でタバコブランドとその商品名の広告は、多くの規制がかかるようになり、イギリスの規制は厳格なものとなっている。一方で欧州以外の地域では、喫煙の危険性について警告する内容の表記の義務化の徹底のように条件付きでの広告の宣伝活動を禁止したわけではなく、欧州以外のGPではタバコ会社がスポンサーをする広告の掲載は時の判断となっている面もあり、各GPのエントリーリストやマシンのスポンサー枠を細かく見れば、タバコに関連する広告の記載は結果的に存続している。実際、フェラーリと関係の深いスポンサーであるフィリップモリスは、規制によってF1マシンの広告が不可能になりながらも関係を継続。2018年10月からMission Winnowというタバコとは関係のないプロジェクトの宣伝という名目でフェラーリのマシンのスポンサー枠として復活している。
1990年代からのタバコ広告の規制の始まりと入れ替わるように、2000年代から情報通信業に分類される会社がチームのスポンサーとして参入しており、タイトルスポンサーという点で言えば、2007年にはボーダフォンがマクラーレンのタイトルスポンサーに就任。AT&Tは2001年からスポンサー活動をしていたが、この年からウィリアムズのタイトルスポンサーに就任した。また、2010年にはセキュリティソフトウェアの開発がメインの会社であるカスペルスキーがフェラーリとのパートナーシップを締結し、2013年には公式ITセキュリティプロバイダーとして認定され、2013年からはカスペルスキーの広告がウェアやマシンに記載されるようになった。これら以外にもその分類にあたる会社がスポンサーの規模の大小はあるものの参入しており、2021年にはコグニサント (Cognizant) がF1チームのタイトルスポンサーに就任したことをはじめ、この年はオラクルなどのIT企業が多数参入。データ分析など自社の技術でサポートする新たなスポンサー形態が広まっている。
2020年代に入ると、これまでファン獲得に苦戦していたアメリカにおいて、動画配信サービスなどの急速な普及やNetflix製作のドキュメンタリー番組『Formula 1: 栄光のグランプリ』の大ヒットが追い風となり、若年層を中心にファンの獲得に成功。2023年シーズンは41年ぶりにアメリカ国内で計3回のレース(アメリカGP・マイアミGP・ラスベガスGP)が開催されることが決定している。
1983年からホンダがF1へ復帰したことをきっかけに関心が集まり、1987年に中嶋悟が日本人初のフルタイムF1ドライバーとしてデビューすると、鈴鹿サーキットで初開催された1987年日本GPや1988年のマクラーレン・ホンダの誕生、さらにはバブル経済で多数のジャパンマネーがF1に流れたことをきっかけにF1の人気は熱狂ともいえる時代を迎えることとなった。
1992年にホンダが撤退したことや1994年にその人気の中核を担っていたアイルトン・セナの死、さらにはバブル崩壊により、その熱気は終わりを告げたものの、フジテレビ系『F1グランプリ』による地上波無料放送での中継がその動向に左右されることなく継続していたこともあり、ある程度の人気は維持、現に日本GPの総入場者数は上昇傾向となって2006年には歴代最高の入場者数を記録することとなった。
しかし、2006年に人気の柱の一つとなっていたミハエル・シューマッハの引退も含め、来場者数は2006年を境に下降線を辿り始め、2008年の日本グランプリの総入場者数が鈴鹿サーキットで初開催された1987年の総入場者数を下回り(ただし、2007年と2008年は富士スピードウェイでの日本GP開催なため、一概に比較できない面もある)、目に見える形で人気にも陰りが出始めた。
それに追い打ちをかけるように日本GPの冠スポンサーだったフジテレビが2009年を以て降板したうえ、地上波中継も2011年を以て打ち切られ、経済の悪化から、トヨタやホンダも次々とF1から撤退し、それにともない日本人ドライバーや企業が2012年を最後に事実上消滅したため、F1へ関心を集める要素が減ってしまったことも日本国内の人気低迷に拍車をかけた。
その影響は、サーキットの運営状況にも影響しており、鈴鹿サーキットが事実上日本GPのコースとなっているが、2010年から冠スポンサーが不在となり(2016年のみエミレーツ航空が冠スポンサーとなった)、資金面でも厳しい状況となったが、2018年にホンダが冠スポンサーとなったこともあり、減少傾向に歯止めを掛ける事に成功した。2019年は令和元年東日本台風(台風19号)の影響で土曜の開催を見合わせたため過去最低の12万2000人に減少したが、この年レッドブル・ホンダの活躍や山本尚貴がフリー走行1回目に出走したこともあり、金曜、日曜ともに観客数は増加し、人気向上に期待が掛かっていたが、翌年にはコロナ禍とホンダF1撤退発表が起きた。コロナ禍により2020年と2021年は2年連続で開催が中止された。
しかし、3年振りの開催となった2022年は角田裕毅の存在と、ホンダのF1との関係継続もあり20万人の観客数を記録。翌年2023年は22万2000人を記録。2007年以来最多となる観客数であった。また2012年以来初めて決勝日に10万人以上が訪れ、日本でのF1人気はある程度の回復を見せた。さらに2023年日本GPの冠スポンサーをレノボが務め、サーキットの資金面に後押しとなった。
各年毎の結果は下記囲み内のリンクを参照。
また、各グランプリの年別の勝者などについては、F1選手権レースの一覧から各グランプリ別の記事を参照。
原則として1つの国で開催されるグランプリ (GP) は1シーズン中1回だけ(1国1開催)と定められている。通常開催名は「国名+グランプリ」で表されるため、これらの例外では以下のような「別名」を使用していた。
1997年は1国2開催がスペインGPとヨーロッパGP、ドイツGPとルクセンブルクGP、イタリアGPとサンマリノGPの3例行われた。 極端な例としては、1982年にアメリカで「アメリカ西GP」(ロング・ビーチ)・「アメリカ東GP」(デトロイト)・「ラスベガスGP」(ラスベガス)という1国3開催が行われた。
しかしながら、FIAは2007年以降は1国1開催の原則を徹底する方針を示しており、同年から2014年までドイツGPはニュルブルクリンク(2007年、2009年、2011年、2013年)とホッケンハイム(2008年、2010年、2012年、2014年)で交互開催されたが、2015年はニュルブルクリンクの財政難により中止となった。2008年からスペインのバレンシアで行われたヨーロッパGPも2012年で終了し、2013年よりスペインでのF1開催はカタロニアのみとなった。2016年にヨーロッパGPがアゼルバイジャンで初開催された際にその名称が復活したが、翌2017年からはアゼルバイジャンGPに名称を変更している。
また、2007年の日本GPが富士スピードウェイで開催されることが決まると鈴鹿サーキットが別名称での開催継続を要請したものの、原則もあってカレンダーから外れた。なお、鈴鹿サーキットに限らず、イモラでのサンマリノGP開催もこれを受けて2006年の開催を最後にカレンダーから外れている。FOAのバーニー・エクレストンは、2007年および2008年は富士スピードウェイで日本GPを開催し、2009年以降は鈴鹿と富士で隔年開催することを発表していたが、富士のF1撤退に伴い、2010年も鈴鹿で開催されることとなった。2018年までは鈴鹿サーキットでの日本GP開催の契約は結ばれていたものの、観客減少の影響 で2019年以降の開催は厳しい状況であった。そんななか、2018年からリバティメディアにF1の運営権が代わったことに伴い再交渉が実施され、その結果、2018年8月31日に、2021年までの開催継続が決定したと発表された。
リバティメディアによりF1そのものが買収されてから配信体制が一新されたことに伴い、一国一開催も破棄することを以前から公言していた。実現性が高いのはアメリカでの2レース開催であり、テキサス州オースティンでのGPに加えてマイアミ市街地レースが新規開催されるものと見られていた。その後、現地のマイアミ市がF1開催を承認し交渉が始まったため、早ければ2019年10月にマイアミグランプリが開催され、その方針が実現する可能性があった。だが、地元住民からの反対もあり2019年からの開催は断念。そのため、2020年以降の開催を目指していたが、マイアミ市委員会が当初の計画案を否決してしまったため、計画を一から見直すこととなった。また、2020年は新規開催国が増えた ように、1国複数グランプリ開催を実行するためのハードルが上がりつつある。しかし、計画の見直しにより、開催地をNFLマイアミ・ドルフィンズの本拠地ハードロック・スタジアム周辺に変更され、マイアミGP開催を促進する同チームの経営陣とリバティメディアとの交渉が進展し、同地での開催に原則合意した。2021年のアメリカGPの開催はオースティンで行う意向であったものの、政治的支援や市議会の承認が必要だが、2021年からマイアミGPが開催される実現性が高まった。ただし、新型コロナウイルス感染症の世界的流行によってこの計画自体が一旦中断されたが、後述の通り、2022年からマイアミGPの開催が決定している。
その一方でコロナウイルスの影響で当初計画されていた2020年の開催スケジュールが事実上破綻。その関係で当初の計画の2020年3月からのシーズン開幕ができなくなり、スケジュール見直しの過程で1国複数グランプリ開催の案が浮上。同年6月にコロナウイルスに対応した新スケジュールが発表され、7月に開幕戦が行われることや1国複数グランプリ開催が含まれたスケジュールであることが発表され、最終的には12か国での全17戦のスケジュールのうち4か国で1国複数グランプリが開催されることとなった。また、2020年12月に発表された2021年のスケジュールの内容の段階では、1国複数グランプリ開催が組み込まれていなかったため、2020年のみの限定版という位置づけになる思われていた。ところが、2021年もコロナウイルスの影響を受け、それに伴うスケジュール変更が行われたため、2021年も1国複数グランプリ開催のスケジュールが実施されることとなった。また、2021年4月に後述のマイアミGPの開催が正式に決定したため、2022年から1国複数グランプリ開催のスケジュールが臨時で導入される形ではなく、正式な計画として導入されることが決定している。
今後、選手権に追加されることが決定しているレース
F1選手権への追加の検討が一度でもなされたレースイベントは以下。
F1を代表するグランプリの1つであり毎年世界中のセレブリティーが訪れることでも有名なモナコグランプリをはじめ、各グランプリに「Formula One Paddock Club」と呼ばれる特別観戦エリアが設定されている。「Formula One Paddock Club」は、各国の有力者や文化人などのいわゆる「セレブリティー」が訪れるなど、単なるスポーツ観戦の枠を超えた上流階級の社交場の1つとして提供されている。
この事は、F1がヨーロッパの文化や社交に根付いていることを象徴しているのみならず、最低でも50万円を超える高い入場料金が設定されている上、その多くがF1に多額の資金を注入している自動車メーカーやスポンサー向けに提供されていることから「多額の資金が投下され、商業化が進む近年のF1を象徴している」という指摘もある。
Formula One Administration(FOA)との世界独占契約に基づく公式ゲームと、契約なしに作られた非公式ゲームがある。
2023年現在は地上波での中継は行われておらず、CS放送及びインターネット配信のみが行われている。いずれも有料で配信されている。
「フジテレビNEXT」で全戦生中継(金曜フリー走行、土曜フリー走行、予選、決勝)で放送している。フジテレビのスタジオにいる実況アナウンサーともう2人の解説者(森脇基恭や川井一仁など)と共に中継を行っている。
スポーツライブ配信サービス「DAZN」で全戦生中継(金曜フリー走行、土曜フリー走行、予選、決勝)を行っており、さらにオンボードカメラ映像や下位カテゴリのF2やF3(旧GP3)の各セッションと決勝の生中継配信と関連番組の配信も含めて、サッシャや小倉茂徳、中野信治などの実況・解説で日本語で中継を行っている。なお、PCやスマートフォンのみならず、テレビでの観戦も可能である。
1976年のF1世界選手権イン・ジャパンと1977年の日本GPをTBSが中継し、その後1986年までは、TBSがダイジェスト形式で放送を行っていた。また、カーグラフィックTV(当時はテレビ朝日、後のBS朝日)でも全戦をダイジェスト形式で放送を行っていたこともある。
1987年から日本GPが復活することや中嶋悟のフルタイム参戦に伴い、フジテレビは日本GPのみを中継できる権利を購入しようとFIAにかけあった。しかし、FIAの放映権販売の方針として、一つのグランプリだけを売ることをせず、すべてのグランプリの放映権を一括で購入させる方式をとっていた。そのため、フジテレビはある意味においてはやむなく独占中継権を取得した。放映権料は30億といわれた。同局はその際、日本GPの冠スポンサー(名称は「フジテレビジョン日本グランプリ」)にもなり、23年間冠スポンサーを継続したが、リーマンショックに端を発した不況の煽りを受け、2010年冠スポンサーの座を辞した。
1991年の日本GPは日曜日の20時からというゴールデンタイムにテレビ放送され、バブル景気下における未曾有のF1ブームの上に、日本人初のレギュラードライバーの中嶋悟の最後の日本GP、セナとマンセルのタイトル争いといった要素が影響し、すでにレース終了から5時間以上が経ってからの録画中継という形にもかかわらず、20.8%(中部地域では27.4%)の高視聴率をマーク。裏番組であるNHKの大河ドラマとほぼ同じ視聴率を上げ、関係者を驚かせ、日本のF1ブームを象徴する出来事となった。
1987年から25年放送されてきた地上波放送がスポンサーの減少などの理由で終了し、BSフジでの放送に移行されることになった。CS放送(フジテレビNEXT)での全セッション生中継はそれまでと同様に継続された。
2014年、インターネット視聴サービス「フジテレビNEXT smart」でも生中継を開始。地上波(関東ローカル)で数戦ごとにまとめたダイジェスト番組が放送された。
1976年の富士スピードウェイでのF1日本初開催時の決勝の模様はTBSが午後3時から録画映像で放送する予定だったが、スタート順延のため結果的に初のTV中継にして初の生中継となった。しかし1987年に鈴鹿サーキットに移って以降は、F1と同じくフジテレビ系列が放送する日本中央競馬会の日曜日のメインレースと時間帯が重なるため生中継ができず、日本国外では生中継が行われながら開催国では同日夜のゴールデンタイム・プライムタイムでの録画放送しか見られないと言う状況が長年続いていた。1994年のパシフィックGPが日本国内開催のF1グランプリレースとして初めてフジテレビ系列で生中継されたが、この時はレーススタート時間が12時30分であったことで、中央競馬中継とのバッティングが避けられることによって実現したものであった。しかしその後も長く、日本国内開催のF1グランプリレースが地上波で生中継されることはなかった。
2005年に、フジテレビが放送を開始して初めて日本GPの地上波生中継が実現した。ファイナルラップでマクラーレンのキミ・ライコネンがルノーのジャンカルロ・フィジケラを追い抜くという、1位と2位の逆転劇があったことなどにより平均視聴率10.3%(関東地区)とまずまずの結果を残したことから2006年以降も地上波生中継が継続された。
2007年9月30日の日本GPは日本中央競馬会のGI競走スプリンターズステークスと重なることからどうなるか注目されたが、日本GPの生中継は13時10分 - 15時15分(最大延長15時35分まで)となり、レギュラーの競馬中継時間と一部重なることになるが、F1・競馬両レースを生中継するにはほぼ問題ないスケジュールとなった。しかし日本GPが雨の影響でレース時間が延長になり、15時35分までF1が中継され、トップ3記者会見のカット、また競馬もパドックや本馬場入場のカットなどの影響があった。
2009年もGIスプリンターズステークスと重なったが、スプリンターズステークスの発走時刻を通常のGI発走時刻より5分遅く15時45分とすることで回避が図られた。
2010年は日本GPのレーススタート時刻が15時に変更され、中央競馬中継(みんなのKEIBA)と時刻が被ることとなったが、中央競馬中継のための規約の関係上、みんなのKEIBAを放送休止にはできないため、日本GPは16時からの録画放送に変更となった。
海外グランプリではカナダGPやブラジルGPなど南北アメリカで開催されるレースが時差の関係から生中継されていたが、1992年のメキシコGPとカナダGPは生中継ではなく、月曜朝(録画放送)・月曜深夜(ダイジェスト)の2回放送されていた。また、1999年と2006年のオーストラリアGPが生中継で放送されている(2006年は残り3周あたりから生中継)。ヨーロッパにおいて開催されるレースは、レース時間が日本におけるゴールデンタイム、プライムタイムと重なり、その時間帯に相応しい高い視聴率が望めないために地上波での生中継は行われることはなかった。
CS放送は全戦生中継(金曜フリー走行、土曜フリー走行、予選、決勝)で、地上波とは別の実況・解説者にて放送という形態をとった。今宮純や川井一仁が現地のスタジオで、フジテレビのスタジオにいる実況アナウンサーともう一人の解説者(森脇基恭・熊倉重春・小倉茂徳など)と共に中継を行った。(2018年現在では一部のグランプリ以外は現地でなくフジテレビのスタジオに実況アナ・全ての解説者が揃うという形態)なお音声切り替えにより、解説、実況のない現地の音声のみで楽しむことができる。
2016年 - 2022年のアジアでのF1放映権をFOXスポーツが獲得しており、日本でF1中継が継続されるかが注目されたが、2016年2月にフジテレビが放映権を獲得したと発表した。しかし、FOXからの購入というかたちでの獲得だったため、契約上BSフジでの放送は不可能になり(ただし、日本GPのみBSフジで録画放送された)、中継はCS放送のみとなった。
2023年2月23日に、2025年までの放映権を獲得したことが発表された。
インターネットでの中継配信は2013年にソフトバンク傘下のTVバンクとイギリスのZume Motor Racingが「Formula 1 on Zume」としてパソコン及びiPad向けに2013年7月よりサービスを開始、国際映像だけでなくオンボードカメラやピットレーンの映像も切り換えられる形で提供していたが、2013年シーズン限りでサービスを終了した。2015年までは「フジテレビNEXTSmart」単独契約でも試聴可能だったが、2016年からは前述の放映権の変更に伴い、CS契約者のみがネットでも見られる形に変更されている。
2016年8月からは、イギリスのスポーツライブ配信サービス「DAZN」の日本でのサービスを開始。F1の全セッション及びオンボードカメラ映像、下位カテゴリのF2、F3の生中継配信と関連番組の配信を日本語で実施している。ChromecastやAir Stick 4Kといったキャストデバイスを使えば、テレビ画面で視聴することも可能である。 | [
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"text": "フォーミュラ1(Formula One、英語発音: [ˈfɔːrmjulə ˈwʌn] フォーァミュラ・ワン)は、モータースポーツのカテゴリの1つであり、その世界選手権を指す場合もある。略称はF1(エフ・ワン)。",
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"text": "F1世界選手権 (FIA Formula One World Championship) は、国際自動車連盟が主催する自動車レースの最高峰であり、代表的なモータースポーツとして知られている。年間の観客動員数は400万人を超えており、ヨーロッパを中心に世界中で人気を獲得している。競技は4輪の1人乗りフォーミュラカーで行われている。",
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"text": "フォーミュラ1における「フォーミュラ(formula)」とは、全参加者および参加車両が準拠しなければならない一連の「規定」を意味している。F1に出場する車両には、タイヤ・シャシー・エンジン等々、あらゆる部分に技術的な規定(テクニカルレギュレーション)があり、これに反する車両は出走が認められない。また、走行中のマナーなどの取り決め(スポーティングレギュレーション)もあり、違反した場合にはレース中のピットレーン通過強制やスターティンググリッド(レース開始時の順番)降格などのペナルティを課せられる。ヨーロッパ・アジア・南アメリカ大陸・北アメリカ大陸を中心に世界各国を転戦し、各レース毎の順位によって与えられる点数「チャンピオンシップ・ポイント」の総計によってチャンピオンを決定する。",
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"text": "F1は戦間期にヨーロッパ各地で盛んに行われていたグランプリ・モーターレーシングをその起源とする。(F1世界選手権の歴史#F1誕生)F1ドライバーズ選手権の構想は1930年代末にはすでに話し合われていたが、第二次世界大戦の勃発によってその実現は見送られた。戦後、1950年にイギリスのシルバーストン・サーキットでF1世界選手権の最初のレースが開催された。",
"title": "概要"
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"text": "F1世界選手権はグランプリと呼ばれる複数のレースによって構成されるシリーズである。国々を転戦する興行一座という例えから、F1は「グランプリ・サーカス(Grand Prix circus)」の異名で呼ばれることもある。F1初年度である1950年シーズンには、全7戦のうち6戦がヨーロッパで開催された。唯一のヨーロッパ域外のレースはアメリカでのインディアナポリス500(インディ500)であったが、これは世界選手権としての体裁を整えるためにF1シーズンに組み込まれていた側面が強かった。その後、1957年までレースの大半がヨーロッパ地域でのレースで行われていた。1960年をもってインディ500はF1から除外され、1959年から並行開催されていたアメリカGPに一本化された。",
"title": "グランプリ"
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"text": "初年度のカレンダーに含まれていたイギリスグランプリとイタリアグランプリの2レースは、1950年から2022年現在まで毎年継続して開催され、同じく含まれていたフランスとベルギーも休止を挟みつつも、2022年も開催されている(フランスは2023年のグランプリカレンダーから除外された)。またハンガリーグランプリは、1986年の初開催から休止や開催地変更もなく30年以上継続開催されている稀有な例となっている。",
"title": "グランプリ"
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"text": "1999年にマレーシアGPが新規開催されると、それに続く形でいくつかの国家がF1GPの誘致に動き、2004年以降新規開催国でのレースが増加した。しかし、2008年にF1史上初のナイトレースとして開催されたシンガポールGP のように長期開催国の1つになった例もあった一方、長期開催の契約を結びながらも中途での休止や打ち切りを強いられたレースもあった。2010年初開催の韓国GPは2016年までの開催契約を結んでいたものの、資金難を克服できず2013年のレースをもって撤退した。同様に、2011年初開催のインドGPにも金銭的問題が浮上し、2年間の開催契約を残したまま2013年を最後に休止され、以後復活していない。",
"title": "グランプリ"
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"text": "エンジンがV6ハイブリッドターボとなった2014年以降の時代には、権威主義的政治体制を有する国家(アゼルバイジャン、ロシア、ベトナム等)の政府が潤沢な公的資金でレースを誘致・開催する例が多く見られる。また、F1はアジア地域への関心を高めており、その背景としてアジアではレース開催料が高額となり多くの収入が得られることや、未開拓のファン層が存在することなどが指摘されている。",
"title": "グランプリ"
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"text": "だが、V6ハイブリッドターボの時代に長期開催していた国が中止や開催継続が危ぶまれる例が出現している。F1全体での観客動員数が増加傾向にある一方で、FOMが要求するレース開催料が依然として高額であるため、一部の主催者は財政的に苦しんでいる。その動きの象徴となったのがイギリスGPであり、2016年と2017年に3日間で約35万人を集客したにもかかわらず、サーキット側が公的援助なしで高額の開催費用を負担する必要があり存続の危機に立たされていた。そのため、2017年シーズン中にイギリスGPとイタリアGPは開催料の減額を求める姿勢の一環として契約破棄条項を発動し、再交渉が不発に終われば、2019年を以て両国でのF1開催が終了する予定にまで追い込まれていた。最終的にはイギリス(シルバーストン)側の利益を保護する内容の契約が成立したため、継続となったが、この時の運営者であるリバティメディアはロンドンでの市街地コースとしての開催や新規開催国の存在を根拠に契約の終了も辞さない構えであったため、一時はイギリスGP終了が最も現実的になった時期でもあった。 一方でかつて1国で2つのGPを開催するほどの人気を博していたドイツでは、資金難であったうえ、外部からの支援を得られなかったため、2015年と2017年にF1が開催されない事態に陥った。また、開催数ではイギリスとイタリアに次ぐフランスグランプリ も2008年を最後に開催が中止され、その後2018年まで復活しなかった。 このうち、1999年から継続開催され、長期開催国の一つとなっていたマレーシアGPは、2017年をもって開催を終了した。また、契約更新を何年するかの交渉や判断の予定を念頭に開催しているGPも少なくない。実際に、2018年に復活したドイツGPは同年7月の時点では後述のマイアミGPが開催される予定であったため、開催に関する交渉が失敗したことも影響し、2019年の開催は行われない予定 となっていたが、マイアミGPが2019年は開催されないこととなったため、再交渉を経て9月に2019年のみの開催契約が結ばれることとなった。",
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"text": "その一方でコース運営者の負担が仮に解決したとしても、2018年などの全21戦という数字はすでに限界というチームの声も少なくなく、むしろ開催数の方に課題が生じつつある。1960年代には年間10戦前後だったF1世界選手権レースの開催数は、1970年代には平均で年間14戦前後に増加。1980年代から1990年代にかけては年間16戦前後で安定して推移した。21世紀に入るとレース開催数は徐々に増加。特に2016年には史上最多の年間21戦に達し、2017年こそ全20戦だったが、2018年は全21戦開催となり、2019年も21戦開催が承認された。",
"title": "グランプリ"
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"text": "リバティメディアは今後年間25戦にまでカレンダーを拡大する意向を示しているものの、レース開催数の増加に伴う様々な負担増にドライバーを含む関係者は懸念を表明しており、年間15-18戦程度の開催に回帰することを望む声 や年間22戦以上の開催には懸念を示す声も多い。そのため、当面の間は最大21戦で推移すると思われていたが、2018年11月にベトナムGP開催が決定。さらに2019年5月にはオランダGPの復活も決定したため、2020年は22戦以上の開催の可能性が浮上した。当初2019年までの開催契約を結んでいたGPのうち3つが終了することが濃厚であったため、新規開催国はあるものの21戦以下で収まると思われていた。だが、結果的に消滅するのは1つのみとなり、2019年の全21戦に1つ追加される形となった。それでも、参戦中のチームは開催数変更について合意。その結果、2020年は全22戦開催となる予定だったが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により多数のグランプリが中止に追い込まれ、最終的に開催数としては全17戦の開催となった。2021年はサウジアラビアGPが既存のカレンダーに追加され、2020年の暫定カレンダーよりも多い全23戦の開催が予定されたが、この年も新型コロナの影響で多数のグランプリが中止に追い込まれ、カタールGPなどの追加で全22戦の開催となった。開催数増加を受け、2020年以降についてはプレシーズンテストの実施日の変更と日程削減、さらにインシーズンテスト廃止を決定した。しかしこの措置は、マシンに慣れる時間が大幅に減少することから、ルーキーやチームを移籍したドライバーにとって厳しいものとなった。",
"title": "グランプリ"
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"text": "各レース毎の順位によって与えられる点数「チャンピオンシップ・ポイント」の総計によってチャンピオンが決定される。シーズン終了時に獲得ポイントの最も多い選手が「ドライバーズ・ワールド・チャンピオン」として認定される。同様に、獲得ポイントが最も多い車体製造者(コンストラクター)は「コンストラクターズ・ワールド・チャンピオン」として認定される。過去には有効ポイント制を採用していた事もあった。",
"title": "チャンピオンシップ"
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"text": "強力なターボ・エンジンと自然吸気 (NA) エンジンが混走した1987年には自然吸気エンジン搭載車のみでのチャンピオンシップが制定され、それぞれドライバーに与えられる「ジム・クラーク・カップ」、コンストラクターに与えられる「コーリン・チャップマン・カップ」と呼ばれたが、翌1988年、ターボ・エンジンの燃費規制が厳しくなり自然吸気エンジンとの戦力差が縮小され、1年限りで廃止された。",
"title": "チャンピオンシップ"
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"text": "金曜午後に2回、土曜午後に1回、計3回の練習走行が設けられる。2007年に金曜日のフリー走行の時間が60分から90分に拡大されてから、以降はフリー走行に関する変更は行われていなかったが、2021年は金曜日のフリー走行の時間がそれぞれ60分間に短縮された。各マシンは過去のセッティングデータに基づいて開催サーキットの特性にある程度合わせて持ち込まれるが、実際に走行することによってドライバーの意見を反映させて微調整を繰り返す。また、参戦初年度のドライバーが過去に未体験のサーキットを走る場合、コースの習熟の意味も含まれている。2006年まではチーム独自のテスト走行の実施が許されていたが、2007年からコスト削減の名目で年間テストの走行距離の指定を皮切りに、チーム独自のマシンテストに制約がかかるようになり、2010年に開幕戦以降のシーズン中のチーム独自のテストが事実上禁止された。それ以降は、パフォーマンスの追及の観点から少しでもコース上での実走のテストを経験すべく、その代わりにフリー走行をマシンテストの場として利用したり、新しいパーツの評価を行ったりする場として活用せざるを得ない傾向にある。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "土曜午後に行われる。各車が一定時間内で自由に走行を行い、1周の最速タイムを競い合う。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "2006年からは『ノックアウト方式』でスターティンググリッドを決定する。2019年は、20台が参加し以下のように進行する。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "Q3で最速タイムを記録した者はポールポジションとなり、以降は各セッションのノックアウト順で整列する事になる。ただし、フリー走行等でのトラブルにより予選Q1に出走しない車両がある場合は、強制的にQ1の最下位扱いとして進行し、台数に応じてQ1のノックアウト者を減らす。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "また、以下のような理由でペナルティを課されグリッド降格になる場合があるため、必ずしも予選結果順にスタートするとは限らない。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "また、予選後、セッティング変更などを行うと予選の結果にかかわらずピットレーンスタートとなる(正確には決勝出走の際、マシンの仕様が予選終了時と異なるものになった場合を指す。そのため、外見上ではウイングの変更などが一例だが、PUの性能の違いといった部品単位の仕様が異なる場合、基本はそれが適用される)。 さらに2011年からは107%ルールが再導入されており、予選Q1のトップタイムに対し自身のベストラップが107%より遅いドライバーは審議対象になり、出走許可が出なければ予選落ちとなる ものの、「例外的な状況」という名目でグリッドに並ぶケースが多く、出走不可になったケースは2012年オーストラリアグランプリにおけるHRTの例が最後となっている。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "なお、タイムはマシンに搭載された無線装置により1/1,000秒単位まで計測される。まれに1/1,000秒まで同タイムのケースが見られるが、その場合には先にタイムを出したドライバーから上位グリッドに着く。 だが、ノックアウト方式が導入された影響で、中下位チームが自力でフロントロー入りすることが難しくなっている。ただし、グリッドペナルティの影響で結果的にフロントローを獲得した例や雨天での予選(ウェットコンディション)で波乱が起きることもあるが、全体で見ればまれな出来事となっている。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "2021年4月に同シーズンの第10戦イギリスGP、第14戦イタリアGP、第20戦サンパウロGP(ブラジル)の計3戦でスプリント予選レースを行うことが決定した。2021年は本来のタイム計測によるノックアウト方式の予選を金曜日の午後に行い、その結果をスプリント予選レースの順位として認定。従来の予選がある土曜日の午後に、レース距離約100kmのスプリントレースを行い、そのスプリントレースの順位が決勝のスターティンググリッドとして扱われる仕組みとした。しかし、この年はスプリント予選レースが行われるGPに関してはポールポジションの扱いが変わることへの批判や実施したことによっていくつかの問題が表面化。それらも含む様々な思惑によって、一時は2021年限定のイベントになるという推測も報じられたが、2022年も第4戦エミリア・ロマーニャGP、第11戦オーストリアGP、第22戦サンパウロGPの計3戦でそれを行うことが決定。ただし、内容について変更され、この年はスプリント予選レースの正式名称は「スプリント」へ変更。スプリントの結果で決勝のスタート順が決まる点は変わらないものの、それが実施される各GPのポールポジションは金曜日の予選での最速のドライバーに与えられ、スプリントの結果の入賞の対象が変更されるなど、内容面に関して変更が行われた。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "日曜午後に行われる決勝は、原則的に305kmをサーキットの一周の距離数で割ったものの小数点以下を切り上げた周回数で争われる。また、レースが2時間を超えた場合は、その周回で打ち切られる。また、レース自体の時間が2時間を超えなくても途中赤旗中断があった場合、レーススタートから中断時間を含めて3時間(2021年より)を超えた場合、その周回で打ち切られる。例として、2012年シンガポールグランプリでは2時間ルールが適用されるレースとなったため、2時間を超えた後にラップリーダーがコントロールラインを通過すると同時にチェッカーが振られ、この時の周回数で終了。この際は予定周回数より2周少ない結果となった。ただし主催者判断で、レース時間のカウントを一時止めることも可能で、結果として中断も含んだ実際のレース時間が3時間を超えることもある。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "例外として、モナコグランプリは市街地コースで行われることによる体力的・精神的負担などを考慮し、また平均速度が極端に遅く(他コースより60km/hほど遅い)競技時間が長くなってしまうことから、1967年から約260kmで争われている。また、ドライコンディション時に(セーフティカーラン等を伴わずに)レース時間が2時間を超えて終了したコースについては、翌年から周回数を減らして行われる。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "レース展開だが、レース開始時刻となったら、まずフォーメーションラップが開始される。ただし、フォーメーションラップ中のトラブルの発生や雨天などでレース開始に適さない状況に遭遇した場合、フォーメーションラップが追加される場合もある。もしその追加のラップが行われた場合、レースの規定周回数からその分が減算されることとなる。そのラップは基本的には1周で終わり、全車指定のグリッドの位置に静止する。そして、シグナルのサインに合わせてスタートを切り(スタンディングスタート)、規定の周回数を最初に走破したドライバーが優勝となる。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "その後の順位は走破した周回数とその時間により決まる。すなわち優勝者と同じ周回を走りきったドライバー、その次に1周遅れのドライバー、2周遅れ...という順で、それぞれの中で先にゴールしたドライバーから順位がつけられる。途中リタイヤして、最後まで走り切れなかったドライバーも「全体の9割以上の周回を走っていれば」周回遅れとして完走扱いになる(例...60周で行われるレースなら54周以上走っていたら完走扱い)。そのため、1996年モナコグランプリのように、チェッカーを受けなかったのに入賞というケースも出ることがある。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "レース後のリザルトによって、チーム・ドライバーにはチャンピオンシップポイントが加算される。2010年からのルールでは上位10台にポイントが順位に応じて加算され、10位以上は「入賞」となる。また、2019年からはファステストラップ記録者が10位以内に入賞した場合に限り、同じく1ポイントが加算される。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "2016年よりファンとの関わりを増やすために、決勝レース中のインターネット投票による「この日最も印象的であった」ドライバーを選出するシステムが導入された。これはチャンピオンシップには直接関係はしないが、選出されたドライバーはレース後に賞を受け取ることになる。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "レース中はタイヤ交換などのためにピットに入る(ピットイン)。ピットで可能な作業は時代によって異なり、タイヤ交換の他にマシン微調整や破損したウイングの交換などを行うことができる。2009年まではレース中の給油が解禁されていた年もあったが、2010年からレース中にピットに入り給油することは完全に禁止されている。ただし、タイヤに関しては2007年からはレース中に2種類のドライタイヤを使用することが義務づけられたため、レース中のタイヤ交換が最低1回は必要となり、タイヤ無交換作戦は事実上禁止されたが、悪天候によりウェットコンディションが宣言され決勝レース中にレインタイヤ(インターミディエイトタイヤまたはウェットタイヤ)を使用した場合にはこの制限はない。それでもタイヤの摩耗や天候の変化へ対応する関係でピットインは必須となっていたが、2021年トルコグランプリでは雨天でのレースとなったため、その規定が適応外となり、その結果、エステバン・オコンがタイヤ無交換作戦によって10位入賞を達成。タイヤ無交換(ピットストップなし)のドライバーが入賞を記録したのは1997年モナコグランプリのミカ・サロ以来24年ぶりとなる。また、このピット作業の最速記録は、2023年カタールGP(カタールグランプリ (4輪))にてマクラーレン・F1が記録した1.80秒となっている。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "セッション中に規定違反の行為(フライング、アンフェアなブロック行為、ピットレーンでの速度違反等)を犯したドライバーにはスチュワード(競技審査委員会)からペナルティが与えられる。決勝レース中の違反に対する一般的なペナルティは、5秒間もしくは10秒間の「タイムペナルティ」、時速80kmの制限速度でピットレーンを通過しなければならない「ドライブスルーペナルティ」(約20秒~30秒程度のタイムロス)、ピットに戻り10秒間静止してからコースへ復帰することが義務付けられる「ストップ&ゴーペナルティー」(約30秒~40秒程度のタイムロス)となり、先頭のペナルティからだんだんと重くなっていく形となる。深刻な違反と判断された場合、レース中なら黒旗失格(レース旗#黒旗参照)の適用、レース後なら失格と同時にレース順位からの除外や次戦出場停止を含む厳罰が与えられることもある。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "タイムペナルティを与えられた場合、レース中にピットで静止してペナルティを消化する例もあるが、それはストップ&ゴーペナルティーとは異なる。後者は「レース中にペナルティを消化してコースへ戻ることが義務付けられる罰則」であり無視した場合は失格の対象となる。一方で、前者は「ペナルティ裁定が下ってからレース終了までの間に一度もピットストップを行わない場合は、レース結果に該当タイムを加算」とされている。2007年以降「レース中のタイヤ交換が最低1回必要」な関係上、スタート時のタイヤで走行中にタイムペナルティを受けた場合、事実上タイヤ交換時にその消化が義務付けられる形となる。また、1回目のタイヤ交換後にタイムペナルティを受けた場合、再びタイヤ交換を行う場合はその消化が義務付けられる形となるが、規定のタイヤ交換の義務は終えているため、そのままレースを終えても失格にはならないが、その場合「レース後のタイムに加算される形」となるため、各ドライバーのタイム差次第では順位の変動が起きる可能性が高い。ただし、残り3周を切る時点またはレース終了後に前述の裁定が下った場合、レース終了後のタイム加算という形でペナルティを消化する形となる。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "そのうえで、違反を犯したドライバーにはスチュワードの判断で「ペナルティ・ポイント」が与えられる場合もあり、累積12ポイントに達した場合には1戦の出場停止となる。一方で、ペナルティの運用に対しては一貫性がないという批判も存在する。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "自動車に関する技術の進歩とマシンの高速化による危険性の増加にともない、F1のレギュレーションは大小さまざまな変更がなされている。特に1994年サンマリノグランプリで起きた2件の死亡事故以後は、安全性向上のためのレギュレーションが多く施行された。この流れのレギュレーション変更には、主にスピードの低下を狙ったものと安全設備の設置を義務付けるものとがある。また、2000年代に入ってからは高騰したマシン開発費を抑制するための改定がたびたび施行されている。",
"title": "基本的な競技の進行"
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"text": "2023年のフォーミュラ1では以下のコンストラクターがエントリーしている。",
"title": "参戦コンストラクター"
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"text": "現代のF1カーはカーボンファイバー製シャシーに、内燃機関(エンジン)とエネルギー回生システム(ERS)を組み合わせた「パワーユニット(PU)」を搭載する。2022年の規定では車体重量は最低798 kg(タイヤ・ドライバー込み、燃料は除く)とされており、最低重量を下回った場合には失格となる。PUのエンジンは排気量1.6リッターのV型6気筒シングルターボエンジンと規定されており、ERSによるパワー追加は最大120 kW (161 hp)に制限されている。2018年1月時点の推定では、エンジンとERSの合計最高出力は約950 hpに到達していた。",
"title": "技術"
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{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "F1カーは前後のウイングや車体底面で発生するダウンフォースを利用してタイヤを路面に押し付けることで旋回速度を高めており、コーナリング時の横方向のGフォースは最大で6.5 G以上に達する。2017年に導入された技術規定では前後のウイング拡大などによってダウンフォースが大幅に向上し、多くのサーキットでそれまでの最速ラップタイム記録が更新されたが、一方で後方乱気流の発生量も増加したため、後続車は前を走る車に接近した際にダウンフォースを大きく失うこととなり、その結果レース中の追い抜きが困難になった。この問題への対応として、2022年規定のF1カーでは車体底面のグラウンド・エフェクト構造によってダウンフォースの大半を発生させる設計が導入され、ウイングへの空力的依存度が低下した。",
"title": "技術"
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{
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"tag": "p",
"text": "F1カーはカーボンファイバー複合材のブレーキディスクを使用しており、制動距離は非常に短い。2017年には、急減速の多いモンツァ・サーキットでの減速Gは平均で5.5 Gに達していた。2014年以降はPUのエネルギー回生を行うためにブレーキ・バイ・ワイヤ(BBW)が導入され、ブレーキング時に電子制御が介入している。一方で、現行規定ではアンチロック・ブレーキ・システム(ABS)やトラクションコントロールシステム(TCS)等のドライバー補助を目的とした制御装置は禁止されている。",
"title": "技術"
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"text": "追い抜きを容易にするため、2011年からはドラッグリダクションシステム(DRS)と呼ばれる可変リアウィング機構が全車に導入されている。また、2018年シーズンからは全F1マシンに「Halo」と呼ばれる頭部保護デバイスの装着が義務付けられている。",
"title": "技術"
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"paragraph_id": 37,
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"text": "現在ではF1の競技車両は4輪のオープンホイール・カーでなければならないと規定されているが、過去に出走したF1カーにはタイヤがフェンダーで覆われている車両(メルセデス・ベンツ・W196)や6輪の車両(ティレル・P34)も存在した。",
"title": "技術"
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"text": "F1は自動車メーカーの実験場としても機能しており、いくつかの成果は市販車にも応用されている。近年ではデロイトのようなデータ分析を得意とする企業との提携も行われている。",
"title": "技術"
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"tag": "p",
"text": "かつては他のカテゴリー同様、1社のシャシーを複数のチームが使用することもあったが、現在ではコンコルド協定において、知的所有権を含め、過去2年のうちに参戦した他チームのシャシーを使用できないよう規定された。そのため、F1はフォーミュラカーの選手権としては唯一、全チームがオリジナルのシャシーを使用している。独自にシャシーを開発・製造するためには莫大な費用がかかり、2014年シーズンには中位チームでも年間1億2000万ドルを出費していた。ケータハムF1チームやマノーF1チームのように近年新規参入したものの数年以内に破産に追い込まれたコンストラクターも存在している。参戦中のチームも財政的な問題を抱えており、2018年のフォース・インディアは長年課題となっていたチームの資金問題が遂に限界に達し、同年7月に破産申請。2018年第13戦ベルギーGP以降の参戦が不可能という状況になった(チームは投資家により救済され、いくつかの交渉を経て第13戦以降も参戦可能となった)。1977年から参戦している歴史あるウイリアムズも、2018年のマシン開発失敗に起因する低迷で資金難に陥り、2020年9月にアメリカの投資会社「ドリルトン・キャピタル」に買収され、ウイリアムズ家の家族経営が終わりを迎えた。",
"title": "技術"
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"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "開発予算の格差を背景として、V6ハイブリッドターボ時代になってからは、上位チームと中位以下のチームのマシンの性能差が非常に大きくなってしまい、特に2017年シーズン以降は上位3チーム 所属のドライバーが表彰台を独占することが慣例化してしまっている。F1の運営陣も、(中小規模チームのマシンに上位進出のチャンスがなく)レース結果が容易に予測できるものになっている現状を改善する必要があることは認めている。2021年以降は、全チーム共通の予算制限と開発費の一角を占める風洞も前年のチームランキングに応じて風洞の利用時間が指定される仕組みが導入された。",
"title": "技術"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "市販車への技術応用という名目においても、2020年以降世界的な低炭素社会やカーボンニュートラルへの対応として、ガソリン車の販売禁止と電気自動車へ移行の流れが出来つつあるなかで、ガソリンエンジン開発に多額の費用をかける理由が失われたなどと主張し、好調であっても撤退する企業(ホンダ)が出ている。",
"title": "技術"
},
{
"paragraph_id": 42,
"tag": "p",
"text": "F1レースに出走するためには、FIAが発給するモータースポーツライセンスの最上位クラスである「スーパーライセンス」を所持していなければならない。各F1チームは1シーズン4人までのドライバーをレースで起用することができる。最大4人のレースドライバーに加え、グランプリ週末金曜日の練習走行(P1・P2)では各セッション2人までの追加ドライバーを出走させることができるが、それらの追加ドライバーは最低でも「フリー走行限定スーパーライセンス」を所持している必要がある。2015年までも下位カテゴリーの経験の必要性が言及されていたが、2001年のキミ・ライコネンのように、F1マシンで指定距離を走行したドライバーであれば、個別の審査を経てライセンスが発給されることもあった。ただ、時代が進むにつれ、ドライバーの低年齢化が著しく進み、2014年にはマックス・フェルスタッペン(トロ・ロッソ)が史上最年少の17歳でF1のフリー走行をこなし、翌年フェルスタッペンはレギュラー契約を結んでF1デビューを果たした。",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 43,
"tag": "p",
"text": "その後、FIAはスーパーライセンスの発給規定を厳格化することになり、2016年以降は",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 44,
"tag": "p",
"text": "が明記され、他にも数多くの条件に該当する必要がある方針へ変化した(詳細はスーパーライセンス、マックス・フェルスタッペンを参照)。",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 45,
"tag": "p",
"text": "前述の通り、2016年以降スーパーライセンスの発給資格を満たしていることが絶対条件となったため、かつてのような18歳未満のドライバーはいかなる特例をもってしてもF1への出場はおろか、リザーブドライバーとしての登録やテストドライバーとしてフリー走行のみに参加することすら認められなくなった。過度な低年齢化や経験不足によるデビューの抑制の評価する声もあるものの、1991年にミハエル・シューマッハがF1へスポット参戦する形でF1デビューした事例や2001年にジェンソン・バトンがウィリアムズのドライバーとしてフル参戦した事例は、この基準の場合、認められていなかったことになるため、ポイントで左右される仕組みに関しては見解が分かれている。",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 46,
"tag": "p",
"text": "多くのF1チームはレギュラードライバーが参戦できない場合の代役、およびマシン開発の担当者として「リザーブドライバー」や「テストドライバー」を任命しているが、F1のテスト制限が進んだ現在では彼らの主な役割はドライビングシミュレーター上での作業となっている。その関係でフリー走行もテスト的な役割を担わなくてはいけなくなってしまったため、リザーブドライバーがフリー走行のみ参加して経験を積むということは困難になっており、技量維持のためフォーミュラEといった別カテゴリーへ参戦している事例も少なくない。実際、2020年度にはセルジオ・ペレスが新型コロナウイルスの影響で欠場することになった際、チームは登録していたリザーブドライバーではなく、前年にF1のレギュラーシートを喪失していたニコ・ヒュルケンベルグを急遽起用している。",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 47,
"tag": "p",
"text": "カーナンバーについては、1996年から2013年までは前年のポイントランキングに基づいてチーム毎に割り振りされていたが、2014年以降はF1に参戦するドライバーは自らのカーナンバーを2から99までの数字(永久欠番である17を除く)から自由に選択することができ、選択された数字はそのドライバーのキャリアを通して固定されたカーナンバーとなる。カーナンバー1は専用ナンバーとして現役のドライバーズチャンピオンに与えられるが、チャンピオンは自分が選択した固定ナンバーを使い続けることも可能である。",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 48,
"tag": "p",
"text": "シーズン中、各ドライバーのヘルメットは同一のデザインを使用し続けなくてはならないが、ドライバーのホームレース(もしくはチームのホームレース)やモナコGPなど、特別な1戦でのみはそれに合わせた特別仕様のデザインが許されている。ただし、基本1回限りとされているヘルメットのデザイン変更だが、これには抜け穴があり、「シーズン中に申請されたデザイン変更が許可される回数は1回限り」だが、ドライバー側が「無許可でデザイン変更した場合」であっても、それを理由に罰せられたことはなく、厳密には形骸化している。実際、2018年のベッテルはすべてのレースにてロゴの位置や文字のフォントの変更などの最初に発表したデザインから大きく逸脱しない程度のデザイン変更を毎戦加えて出走した。そのため、デザイン変更の規定に矛盾が生じつつあったが、2019年ロシアGPにてトロロッソのダニール・クビアトがヘルメットのデザイン変更を申請したのだが、その権利をイタリアGPで使用していたことを理由に却下された件をきっかけに批判が殺到。ただ擁護するなら、時のレギュレーションに従ってFIAは却下したのだが、いわゆる規定の矛盾が問題視された。その結果、2020年からはドライバーヘルメットのデザイン変更の回数制限が撤廃されることとなった。",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 49,
"tag": "p",
"text": "ペイドライバーとは、資金の持ち込みと引き換えにチームとの契約を確保するドライバーの俗称である。「金でシートを買った」などと揶揄されることも多く、ペイドライバーというだけで正当に評価されないことも少なくない。ただ、実際のところ、ほぼすべてのドライバーが(金額の差はあるが)自身のスポンサーをチーム加入時に持ち込んでおり、他にもドライバーの活躍を受け、その母国の企業が後から支援してくれるケースもある。そのため、個人スポンサーに限れば、レーシングスーツやヘルメットに掲載しており、マシンにも小口スポンサーとして何らかのロゴが掲載されていることが主流である。",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 50,
"tag": "p",
"text": "他にもレギュラードライバーにはある程度実績・実力のあるドライバーを起用しつつ、ペイドライバーはテストまたはリザーブドライバーとして契約することで戦績と資金調達を両立するチームも少なからずあり、この種のペイドライバーはテストやフリー走行にだけ出現する事が多い。そのため、本来の定義でもある「持参金を持ち込むことを条件に契約する」ドライバーという意味合いより、狭義の意味合いでもある「目立った実力・実績を持っておらず知名度が低い」のに「(資金的に苦しいチームへ)極端に高額な資金を持ち込んで契約する」ドライバーが「ペイドライバー」として扱われることが多い。",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 51,
"tag": "p",
"text": "また2015年には「ペイドライバーが、より高額な資金を持つ別のペイドライバーにシートを奪われる」という事態も発生した。これはザウバーに契約を破棄されたギド・ヴァン・デル・ガルデの告訴により発覚したものである。ガルデは1度は契約を結んだにもかかわらず、ザウバーがマーカス・エリクソン、フェリペ・ナッセと契約を結んだため、押し出される形で失ったシートの返還を求め告訴し、裁判で勝訴した。最終的にはガルデがザウバーからの違約金を条件に出走を諦めることで和解したが、一時は2つの枠に3人のドライバー(ヴァン・デル・ガルデ、エリクソン、ナッセ)が存在するという混乱を生んだ。更には前年からの契約期間が残っていたエイドリアン・スーティルも似た経緯で同年のシートを喪失していたことが判明し、スーティルの場合は賠償金の支払いのみを求めて裁判で勝訴している。なお、この4人がどのような順番及び内容で契約していたのかは不明であり、一説ではエステバン・グティエレス、ジュール・ビアンキとも契約を結んでいたとされる(詳細は「ザウバー#ドライバー多重契約騒動」を参照)。",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 52,
"tag": "p",
"text": "ザウバーの件は極端な例だが、モータースポーツは大口スポンサーがいないチームからすれば、常に資金に悩むことも少なくなく、中小プライベーターがペイドライバーをうまく利用するのは一般的なことである。実際、過去のシーズンを見れば、今は亡きジョーダン・グランプリは、1993年は資金不足などの影響もあり、1台のマシンを5人のドライバーがドライブした形となった経歴があり、後述のハースF1チームもそれに該当する。 また、下位カテゴリーのF2に目を向ければ、持参金でシートが左右されるのは有名な話である。一例を挙げるなら、アレクサンダー・アルボンは資金不足により2018年のF2参戦を断念しかかっていたが、DAMSと交渉して1戦毎の契約を条件に参戦することに成功。アルボン側も第3戦バクーで初優勝して実力をアピールしつつ、後押しとして資金をかき集めてフル参戦の契約に切り替える交渉をして、その結果、フル参戦の契約が成立してそのまま最終戦まで戦った経歴を持つ。",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 53,
"tag": "p",
"text": "新型コロナウイルス感染症の世界的流行による影響によって一部のF1チームは急激な資金難となり、ハースF1チームは時のレギュラードライバー(ケビン・マグヌッセンおよびロマン・グロージャン)を放出してでもニキータ・マゼピンらを起用せざるを得ない状況まで追い込まれていた。現にチームのコメントでも、マゼピンの起用は彼の資金が決め手の一つになったことも事実上認めていた。だが、2022年も彼の参戦が予定されていたのだが、2022年2月下旬に勃発したロシアのウクライナ侵攻により、ハースは当時のチームのタイトルスポンサーのウラルカリとの契約見直しを迫られ、最終的にウラルカリとの契約を解消。これに伴いマゼピンはシーズン前テストに参加していたにもかかわらず、同年のシートを失った。他にも、ベネズエラ政府のバックアップ及びPDVSAからバックアップを受けていたマルドナドは2016年も参戦予定であったが、ベネズエラの石油価格の下落による経済・政治情勢が不安定なことによりPDVSAがシート料を払うことができずチームとの契約が破談し、そのままシートを失った例もある。",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 54,
"tag": "p",
"text": "実際にペイドライバーとして扱われながらも好走を見せたドライバーも少なからずおり、以下は活躍したペイドライバーの一例。",
"title": "ドライバー"
},
{
"paragraph_id": 55,
"tag": "p",
"text": "ヨーロッパで始まった最高峰自動車レースのF1は、ヨーロッパにおいては非常に大きな関心を集めるスポーツの一つである。TV視聴者が最も多い国として南米のブラジルがイタリアと並んで挙げられるなど、F1はヨーロッパのみならず世界的に見ても人気のあるスポーツと言える。その一方で、世界最大級の市場であるアメリカではインディカーやNASCAR等が台頭していることもあり、人気があるとは言えず、一時期「不毛の地」とも揶揄された。世界的なF1中継の有料放送化を背景に、2018年には過去10年間でF1の視聴者総数が41.3%減少したことが報道されており、他にも一部の強豪チームが勝利を独占している状態が近年のF1の人気低下につながっているとの指摘もある。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 56,
"tag": "p",
"text": "現にV6ハイブリッドターボ時代になってから表彰台入りしているのは、シーズンを通して上位3チーム 所属のドライバーが独占することが慣例化しており、2014年から2016年までの間は3チーム以外のドライバーが表彰台に上がったレースが各シーズンで数戦あったが、2017年と2018年に限っては、上位3チーム以外の表彰台入りしたのは計41戦中2戦だけという状況であった。2019年以降は上位3チーム以外のドライバーが上がったレースが数度あるようになったが、そのレースは上位3チームのリタイアやトラブルが発生した波乱のレースによる混戦の結果であり、そのチーム以外が自力でその3チームを打ち破って表彰台に上がるというのは非常に困難となっており、ゴールまでにある程度の結果が予測できる状況になってしまっている。また、エンジン使用制限に伴うペナルティの影響で予選の価値が低下している面 もあり、レギュレーションの問題がF1の人気低下を招いている面もある。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 57,
"tag": "p",
"text": "そのため、この状況にドライバーからも不満の声が上がっており、チャンピオン経験者で言えば、フェルナンド・アロンソが「デビュー時に比べコース上での戦いが非常に少なくなった」とコメントし、2019年5月に時のフェラーリのドライバーであったセバスチャン・ベッテルが「メルセデスが圧勝を続ける現在のF1は退屈でつまらない」と皮肉交じりのコメント をしている。また、前述のペイドライバーの一人、セルジオ・ペレスは2019年5月に「現状は単なるチームのチャンピオンシップとなってしまっている」「ドライバーの腕よりマシンの性能でレースが確定する」と言い切っており、ドライバーたちも不満を抱えている状況である。その一方でNetflixやSNSによる新規ファンの流入も起きており、F1の人気低下に関しては見解が分かれている。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 58,
"tag": "p",
"text": "2018シーズンのF1世界選手権の現地観戦者数は、全21グランプリで合計409万3,305人と2017年と比較して7.83%増加しており、F1側は人気が回復傾向にあるとの認識を示している。リバティ・メディアはF1人気復活のために、マイアミグランプリを含めた1国複数回グランプリ開催の実現に向けて動いている。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 59,
"tag": "p",
"text": "初期の車体塗装はチーム国の「ナショナルカラー」にスポンサーのロゴを掲示する程度であった。しかし1968年にロータスが新たにスポンサーとなったインペリアル・タバコ社の製品のパッケージと同じカラーリングとしたロータス・49を出走させ話題となったことで伝統が破られた。これ以降はレイノルズやフィリップモリスなどタバコ企業が広告効果を狙ってスポンサーに名乗りを上げ、自社製品のパッケージと同じカラーに塗装したマシンを多数出走させていた。しかし、1990年代からはタバコ広告の規制が始まり、2005年8月以降は、欧州連合域内でのタバコ広告が全面的に禁止されたことに伴い、シーズン中に一部のチームではタイトル・スポンサーの変更などが行われた。その後、世界中でタバコブランドとその商品名の広告は、多くの規制がかかるようになり、イギリスの規制は厳格なものとなっている。一方で欧州以外の地域では、喫煙の危険性について警告する内容の表記の義務化の徹底のように条件付きでの広告の宣伝活動を禁止したわけではなく、欧州以外のGPではタバコ会社がスポンサーをする広告の掲載は時の判断となっている面もあり、各GPのエントリーリストやマシンのスポンサー枠を細かく見れば、タバコに関連する広告の記載は結果的に存続している。実際、フェラーリと関係の深いスポンサーであるフィリップモリスは、規制によってF1マシンの広告が不可能になりながらも関係を継続。2018年10月からMission Winnowというタバコとは関係のないプロジェクトの宣伝という名目でフェラーリのマシンのスポンサー枠として復活している。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 60,
"tag": "p",
"text": "1990年代からのタバコ広告の規制の始まりと入れ替わるように、2000年代から情報通信業に分類される会社がチームのスポンサーとして参入しており、タイトルスポンサーという点で言えば、2007年にはボーダフォンがマクラーレンのタイトルスポンサーに就任。AT&Tは2001年からスポンサー活動をしていたが、この年からウィリアムズのタイトルスポンサーに就任した。また、2010年にはセキュリティソフトウェアの開発がメインの会社であるカスペルスキーがフェラーリとのパートナーシップを締結し、2013年には公式ITセキュリティプロバイダーとして認定され、2013年からはカスペルスキーの広告がウェアやマシンに記載されるようになった。これら以外にもその分類にあたる会社がスポンサーの規模の大小はあるものの参入しており、2021年にはコグニサント (Cognizant) がF1チームのタイトルスポンサーに就任したことをはじめ、この年はオラクルなどのIT企業が多数参入。データ分析など自社の技術でサポートする新たなスポンサー形態が広まっている。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 61,
"tag": "p",
"text": "2020年代に入ると、これまでファン獲得に苦戦していたアメリカにおいて、動画配信サービスなどの急速な普及やNetflix製作のドキュメンタリー番組『Formula 1: 栄光のグランプリ』の大ヒットが追い風となり、若年層を中心にファンの獲得に成功。2023年シーズンは41年ぶりにアメリカ国内で計3回のレース(アメリカGP・マイアミGP・ラスベガスGP)が開催されることが決定している。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 62,
"tag": "p",
"text": "1983年からホンダがF1へ復帰したことをきっかけに関心が集まり、1987年に中嶋悟が日本人初のフルタイムF1ドライバーとしてデビューすると、鈴鹿サーキットで初開催された1987年日本GPや1988年のマクラーレン・ホンダの誕生、さらにはバブル経済で多数のジャパンマネーがF1に流れたことをきっかけにF1の人気は熱狂ともいえる時代を迎えることとなった。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 63,
"tag": "p",
"text": "1992年にホンダが撤退したことや1994年にその人気の中核を担っていたアイルトン・セナの死、さらにはバブル崩壊により、その熱気は終わりを告げたものの、フジテレビ系『F1グランプリ』による地上波無料放送での中継がその動向に左右されることなく継続していたこともあり、ある程度の人気は維持、現に日本GPの総入場者数は上昇傾向となって2006年には歴代最高の入場者数を記録することとなった。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 64,
"tag": "p",
"text": "しかし、2006年に人気の柱の一つとなっていたミハエル・シューマッハの引退も含め、来場者数は2006年を境に下降線を辿り始め、2008年の日本グランプリの総入場者数が鈴鹿サーキットで初開催された1987年の総入場者数を下回り(ただし、2007年と2008年は富士スピードウェイでの日本GP開催なため、一概に比較できない面もある)、目に見える形で人気にも陰りが出始めた。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 65,
"tag": "p",
"text": "それに追い打ちをかけるように日本GPの冠スポンサーだったフジテレビが2009年を以て降板したうえ、地上波中継も2011年を以て打ち切られ、経済の悪化から、トヨタやホンダも次々とF1から撤退し、それにともない日本人ドライバーや企業が2012年を最後に事実上消滅したため、F1へ関心を集める要素が減ってしまったことも日本国内の人気低迷に拍車をかけた。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 66,
"tag": "p",
"text": "その影響は、サーキットの運営状況にも影響しており、鈴鹿サーキットが事実上日本GPのコースとなっているが、2010年から冠スポンサーが不在となり(2016年のみエミレーツ航空が冠スポンサーとなった)、資金面でも厳しい状況となったが、2018年にホンダが冠スポンサーとなったこともあり、減少傾向に歯止めを掛ける事に成功した。2019年は令和元年東日本台風(台風19号)の影響で土曜の開催を見合わせたため過去最低の12万2000人に減少したが、この年レッドブル・ホンダの活躍や山本尚貴がフリー走行1回目に出走したこともあり、金曜、日曜ともに観客数は増加し、人気向上に期待が掛かっていたが、翌年にはコロナ禍とホンダF1撤退発表が起きた。コロナ禍により2020年と2021年は2年連続で開催が中止された。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 67,
"tag": "p",
"text": "しかし、3年振りの開催となった2022年は角田裕毅の存在と、ホンダのF1との関係継続もあり20万人の観客数を記録。翌年2023年は22万2000人を記録。2007年以来最多となる観客数であった。また2012年以来初めて決勝日に10万人以上が訪れ、日本でのF1人気はある程度の回復を見せた。さらに2023年日本GPの冠スポンサーをレノボが務め、サーキットの資金面に後押しとなった。",
"title": "人気"
},
{
"paragraph_id": 68,
"tag": "p",
"text": "各年毎の結果は下記囲み内のリンクを参照。",
"title": "レースイベント"
},
{
"paragraph_id": 69,
"tag": "p",
"text": "また、各グランプリの年別の勝者などについては、F1選手権レースの一覧から各グランプリ別の記事を参照。",
"title": "レースイベント"
},
{
"paragraph_id": 70,
"tag": "p",
"text": "原則として1つの国で開催されるグランプリ (GP) は1シーズン中1回だけ(1国1開催)と定められている。通常開催名は「国名+グランプリ」で表されるため、これらの例外では以下のような「別名」を使用していた。",
"title": "レースイベント"
},
{
"paragraph_id": 71,
"tag": "p",
"text": "1997年は1国2開催がスペインGPとヨーロッパGP、ドイツGPとルクセンブルクGP、イタリアGPとサンマリノGPの3例行われた。 極端な例としては、1982年にアメリカで「アメリカ西GP」(ロング・ビーチ)・「アメリカ東GP」(デトロイト)・「ラスベガスGP」(ラスベガス)という1国3開催が行われた。",
"title": "レースイベント"
},
{
"paragraph_id": 72,
"tag": "p",
"text": "しかしながら、FIAは2007年以降は1国1開催の原則を徹底する方針を示しており、同年から2014年までドイツGPはニュルブルクリンク(2007年、2009年、2011年、2013年)とホッケンハイム(2008年、2010年、2012年、2014年)で交互開催されたが、2015年はニュルブルクリンクの財政難により中止となった。2008年からスペインのバレンシアで行われたヨーロッパGPも2012年で終了し、2013年よりスペインでのF1開催はカタロニアのみとなった。2016年にヨーロッパGPがアゼルバイジャンで初開催された際にその名称が復活したが、翌2017年からはアゼルバイジャンGPに名称を変更している。",
"title": "レースイベント"
},
{
"paragraph_id": 73,
"tag": "p",
"text": "また、2007年の日本GPが富士スピードウェイで開催されることが決まると鈴鹿サーキットが別名称での開催継続を要請したものの、原則もあってカレンダーから外れた。なお、鈴鹿サーキットに限らず、イモラでのサンマリノGP開催もこれを受けて2006年の開催を最後にカレンダーから外れている。FOAのバーニー・エクレストンは、2007年および2008年は富士スピードウェイで日本GPを開催し、2009年以降は鈴鹿と富士で隔年開催することを発表していたが、富士のF1撤退に伴い、2010年も鈴鹿で開催されることとなった。2018年までは鈴鹿サーキットでの日本GP開催の契約は結ばれていたものの、観客減少の影響 で2019年以降の開催は厳しい状況であった。そんななか、2018年からリバティメディアにF1の運営権が代わったことに伴い再交渉が実施され、その結果、2018年8月31日に、2021年までの開催継続が決定したと発表された。",
"title": "レースイベント"
},
{
"paragraph_id": 74,
"tag": "p",
"text": "リバティメディアによりF1そのものが買収されてから配信体制が一新されたことに伴い、一国一開催も破棄することを以前から公言していた。実現性が高いのはアメリカでの2レース開催であり、テキサス州オースティンでのGPに加えてマイアミ市街地レースが新規開催されるものと見られていた。その後、現地のマイアミ市がF1開催を承認し交渉が始まったため、早ければ2019年10月にマイアミグランプリが開催され、その方針が実現する可能性があった。だが、地元住民からの反対もあり2019年からの開催は断念。そのため、2020年以降の開催を目指していたが、マイアミ市委員会が当初の計画案を否決してしまったため、計画を一から見直すこととなった。また、2020年は新規開催国が増えた ように、1国複数グランプリ開催を実行するためのハードルが上がりつつある。しかし、計画の見直しにより、開催地をNFLマイアミ・ドルフィンズの本拠地ハードロック・スタジアム周辺に変更され、マイアミGP開催を促進する同チームの経営陣とリバティメディアとの交渉が進展し、同地での開催に原則合意した。2021年のアメリカGPの開催はオースティンで行う意向であったものの、政治的支援や市議会の承認が必要だが、2021年からマイアミGPが開催される実現性が高まった。ただし、新型コロナウイルス感染症の世界的流行によってこの計画自体が一旦中断されたが、後述の通り、2022年からマイアミGPの開催が決定している。",
"title": "レースイベント"
},
{
"paragraph_id": 75,
"tag": "p",
"text": "その一方でコロナウイルスの影響で当初計画されていた2020年の開催スケジュールが事実上破綻。その関係で当初の計画の2020年3月からのシーズン開幕ができなくなり、スケジュール見直しの過程で1国複数グランプリ開催の案が浮上。同年6月にコロナウイルスに対応した新スケジュールが発表され、7月に開幕戦が行われることや1国複数グランプリ開催が含まれたスケジュールであることが発表され、最終的には12か国での全17戦のスケジュールのうち4か国で1国複数グランプリが開催されることとなった。また、2020年12月に発表された2021年のスケジュールの内容の段階では、1国複数グランプリ開催が組み込まれていなかったため、2020年のみの限定版という位置づけになる思われていた。ところが、2021年もコロナウイルスの影響を受け、それに伴うスケジュール変更が行われたため、2021年も1国複数グランプリ開催のスケジュールが実施されることとなった。また、2021年4月に後述のマイアミGPの開催が正式に決定したため、2022年から1国複数グランプリ開催のスケジュールが臨時で導入される形ではなく、正式な計画として導入されることが決定している。",
"title": "レースイベント"
},
{
"paragraph_id": 76,
"tag": "p",
"text": "今後、選手権に追加されることが決定しているレース",
"title": "レースイベント"
},
{
"paragraph_id": 77,
"tag": "p",
"text": "F1選手権への追加の検討が一度でもなされたレースイベントは以下。",
"title": "レースイベント"
},
{
"paragraph_id": 78,
"tag": "p",
"text": "F1を代表するグランプリの1つであり毎年世界中のセレブリティーが訪れることでも有名なモナコグランプリをはじめ、各グランプリに「Formula One Paddock Club」と呼ばれる特別観戦エリアが設定されている。「Formula One Paddock Club」は、各国の有力者や文化人などのいわゆる「セレブリティー」が訪れるなど、単なるスポーツ観戦の枠を超えた上流階級の社交場の1つとして提供されている。",
"title": "Formula One Paddock Club"
},
{
"paragraph_id": 79,
"tag": "p",
"text": "この事は、F1がヨーロッパの文化や社交に根付いていることを象徴しているのみならず、最低でも50万円を超える高い入場料金が設定されている上、その多くがF1に多額の資金を注入している自動車メーカーやスポンサー向けに提供されていることから「多額の資金が投下され、商業化が進む近年のF1を象徴している」という指摘もある。",
"title": "Formula One Paddock Club"
},
{
"paragraph_id": 80,
"tag": "p",
"text": "Formula One Administration(FOA)との世界独占契約に基づく公式ゲームと、契約なしに作られた非公式ゲームがある。",
"title": "F1などのオープンホイールを題材とした作品"
},
{
"paragraph_id": 81,
"tag": "p",
"text": "2023年現在は地上波での中継は行われておらず、CS放送及びインターネット配信のみが行われている。いずれも有料で配信されている。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
},
{
"paragraph_id": 82,
"tag": "p",
"text": "「フジテレビNEXT」で全戦生中継(金曜フリー走行、土曜フリー走行、予選、決勝)で放送している。フジテレビのスタジオにいる実況アナウンサーともう2人の解説者(森脇基恭や川井一仁など)と共に中継を行っている。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
},
{
"paragraph_id": 83,
"tag": "p",
"text": "スポーツライブ配信サービス「DAZN」で全戦生中継(金曜フリー走行、土曜フリー走行、予選、決勝)を行っており、さらにオンボードカメラ映像や下位カテゴリのF2やF3(旧GP3)の各セッションと決勝の生中継配信と関連番組の配信も含めて、サッシャや小倉茂徳、中野信治などの実況・解説で日本語で中継を行っている。なお、PCやスマートフォンのみならず、テレビでの観戦も可能である。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
},
{
"paragraph_id": 84,
"tag": "p",
"text": "1976年のF1世界選手権イン・ジャパンと1977年の日本GPをTBSが中継し、その後1986年までは、TBSがダイジェスト形式で放送を行っていた。また、カーグラフィックTV(当時はテレビ朝日、後のBS朝日)でも全戦をダイジェスト形式で放送を行っていたこともある。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
},
{
"paragraph_id": 85,
"tag": "p",
"text": "1987年から日本GPが復活することや中嶋悟のフルタイム参戦に伴い、フジテレビは日本GPのみを中継できる権利を購入しようとFIAにかけあった。しかし、FIAの放映権販売の方針として、一つのグランプリだけを売ることをせず、すべてのグランプリの放映権を一括で購入させる方式をとっていた。そのため、フジテレビはある意味においてはやむなく独占中継権を取得した。放映権料は30億といわれた。同局はその際、日本GPの冠スポンサー(名称は「フジテレビジョン日本グランプリ」)にもなり、23年間冠スポンサーを継続したが、リーマンショックに端を発した不況の煽りを受け、2010年冠スポンサーの座を辞した。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
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"paragraph_id": 86,
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"text": "1991年の日本GPは日曜日の20時からというゴールデンタイムにテレビ放送され、バブル景気下における未曾有のF1ブームの上に、日本人初のレギュラードライバーの中嶋悟の最後の日本GP、セナとマンセルのタイトル争いといった要素が影響し、すでにレース終了から5時間以上が経ってからの録画中継という形にもかかわらず、20.8%(中部地域では27.4%)の高視聴率をマーク。裏番組であるNHKの大河ドラマとほぼ同じ視聴率を上げ、関係者を驚かせ、日本のF1ブームを象徴する出来事となった。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
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"text": "1987年から25年放送されてきた地上波放送がスポンサーの減少などの理由で終了し、BSフジでの放送に移行されることになった。CS放送(フジテレビNEXT)での全セッション生中継はそれまでと同様に継続された。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
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"text": "2014年、インターネット視聴サービス「フジテレビNEXT smart」でも生中継を開始。地上波(関東ローカル)で数戦ごとにまとめたダイジェスト番組が放送された。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
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"text": "1976年の富士スピードウェイでのF1日本初開催時の決勝の模様はTBSが午後3時から録画映像で放送する予定だったが、スタート順延のため結果的に初のTV中継にして初の生中継となった。しかし1987年に鈴鹿サーキットに移って以降は、F1と同じくフジテレビ系列が放送する日本中央競馬会の日曜日のメインレースと時間帯が重なるため生中継ができず、日本国外では生中継が行われながら開催国では同日夜のゴールデンタイム・プライムタイムでの録画放送しか見られないと言う状況が長年続いていた。1994年のパシフィックGPが日本国内開催のF1グランプリレースとして初めてフジテレビ系列で生中継されたが、この時はレーススタート時間が12時30分であったことで、中央競馬中継とのバッティングが避けられることによって実現したものであった。しかしその後も長く、日本国内開催のF1グランプリレースが地上波で生中継されることはなかった。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
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"text": "2005年に、フジテレビが放送を開始して初めて日本GPの地上波生中継が実現した。ファイナルラップでマクラーレンのキミ・ライコネンがルノーのジャンカルロ・フィジケラを追い抜くという、1位と2位の逆転劇があったことなどにより平均視聴率10.3%(関東地区)とまずまずの結果を残したことから2006年以降も地上波生中継が継続された。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
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"text": "2007年9月30日の日本GPは日本中央競馬会のGI競走スプリンターズステークスと重なることからどうなるか注目されたが、日本GPの生中継は13時10分 - 15時15分(最大延長15時35分まで)となり、レギュラーの競馬中継時間と一部重なることになるが、F1・競馬両レースを生中継するにはほぼ問題ないスケジュールとなった。しかし日本GPが雨の影響でレース時間が延長になり、15時35分までF1が中継され、トップ3記者会見のカット、また競馬もパドックや本馬場入場のカットなどの影響があった。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
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"text": "2009年もGIスプリンターズステークスと重なったが、スプリンターズステークスの発走時刻を通常のGI発走時刻より5分遅く15時45分とすることで回避が図られた。",
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"text": "2010年は日本GPのレーススタート時刻が15時に変更され、中央競馬中継(みんなのKEIBA)と時刻が被ることとなったが、中央競馬中継のための規約の関係上、みんなのKEIBAを放送休止にはできないため、日本GPは16時からの録画放送に変更となった。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
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"text": "海外グランプリではカナダGPやブラジルGPなど南北アメリカで開催されるレースが時差の関係から生中継されていたが、1992年のメキシコGPとカナダGPは生中継ではなく、月曜朝(録画放送)・月曜深夜(ダイジェスト)の2回放送されていた。また、1999年と2006年のオーストラリアGPが生中継で放送されている(2006年は残り3周あたりから生中継)。ヨーロッパにおいて開催されるレースは、レース時間が日本におけるゴールデンタイム、プライムタイムと重なり、その時間帯に相応しい高い視聴率が望めないために地上波での生中継は行われることはなかった。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
},
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"text": "CS放送は全戦生中継(金曜フリー走行、土曜フリー走行、予選、決勝)で、地上波とは別の実況・解説者にて放送という形態をとった。今宮純や川井一仁が現地のスタジオで、フジテレビのスタジオにいる実況アナウンサーともう一人の解説者(森脇基恭・熊倉重春・小倉茂徳など)と共に中継を行った。(2018年現在では一部のグランプリ以外は現地でなくフジテレビのスタジオに実況アナ・全ての解説者が揃うという形態)なお音声切り替えにより、解説、実況のない現地の音声のみで楽しむことができる。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
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"text": "2016年 - 2022年のアジアでのF1放映権をFOXスポーツが獲得しており、日本でF1中継が継続されるかが注目されたが、2016年2月にフジテレビが放映権を獲得したと発表した。しかし、FOXからの購入というかたちでの獲得だったため、契約上BSフジでの放送は不可能になり(ただし、日本GPのみBSフジで録画放送された)、中継はCS放送のみとなった。",
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"text": "2023年2月23日に、2025年までの放映権を獲得したことが発表された。",
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"text": "インターネットでの中継配信は2013年にソフトバンク傘下のTVバンクとイギリスのZume Motor Racingが「Formula 1 on Zume」としてパソコン及びiPad向けに2013年7月よりサービスを開始、国際映像だけでなくオンボードカメラやピットレーンの映像も切り換えられる形で提供していたが、2013年シーズン限りでサービスを終了した。2015年までは「フジテレビNEXTSmart」単独契約でも試聴可能だったが、2016年からは前述の放映権の変更に伴い、CS契約者のみがネットでも見られる形に変更されている。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
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"text": "2016年8月からは、イギリスのスポーツライブ配信サービス「DAZN」の日本でのサービスを開始。F1の全セッション及びオンボードカメラ映像、下位カテゴリのF2、F3の生中継配信と関連番組の配信を日本語で実施している。ChromecastやAir Stick 4Kといったキャストデバイスを使えば、テレビ画面で視聴することも可能である。",
"title": "日本におけるテレビ・インターネット中継"
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] | フォーミュラ1は、モータースポーツのカテゴリの1つであり、その世界選手権を指す場合もある。略称はF1(エフ・ワン)。 F1世界選手権 は、国際自動車連盟が主催する自動車レースの最高峰であり、代表的なモータースポーツとして知られている。年間の観客動員数は400万人を超えており、ヨーロッパを中心に世界中で人気を獲得している。競技は4輪の1人乗りフォーミュラカーで行われている。 | {{Otheruses|[[自動車競技]]の世界選手権であるF1|F1の車両の説明|フォーミュラ1カー|その他のF1|F1|}}
{{redirect|F1レース|任天堂から発売されたゲームソフト|F1レース (任天堂)|}}{{スポーツ大会シリーズ|大会名=フォーミュラ1|別名=FIA Formula One World Championship|競技=[[モータースポーツ]]|大会形式=[[フォーミュラカー|シングルシーター]]|画像=File:F1.svg|開始年=1950年|主催=[[国際自動車連盟]]|開催国=全23カ国(2023年)|開催都市=全23都市(2023年)|開催時期=3月〜11月|参加人数=20|チーム数=10|前回優勝=ドライバーズチャンピオン<br />{{flagicon|NED}} [[マックス・フェルスタッペン]]<br />コンストラクターズチャンピオン{{flagicon|AUT}}[[レッドブル・レーシング]]|最多優勝=ドライバーズチャンピオン<br />{{flagicon|GER}} [[ミハエル・シューマッハ]] 7回<br />{{flagicon|GBR}} [[ルイス・ハミルトン]] 7回<br />コンストラクターズチャンピオン{{flagicon|ITA}} [[スクーデリア・フェラーリ|フェラーリS.p.A]] 16回|今シーズン=[[2023年のF1世界選手権]]|公式サイト={{URL|www.formula1.com}}}}{{F1記事}}
'''フォーミュラ1'''(''Formula One''、{{IPA-en|ˈfɔːrmjulə ˈwʌn}} '''フォー'''ァミュラ・'''ワ'''ン)は、[[モータースポーツ]]の[[カテゴリ]]の1つであり、その[[世界選手権]]を指す場合もある。[[略語|略称]]は'''F1'''(エフ・ワン)<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=好調のF1撤退、惜しくないですか?ホンダ幹部の答えは:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASP6Y4VXNP6XUPQJ00K.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-07-03|language=ja}}</ref>。
'''F1世界選手権''' (''FIA Formula One World Championship'') は、[[国際自動車連盟]]が主催する[[自動車レース]]の最高峰であり<ref name=":0" />、代表的な[[モータースポーツ]]として知られている<ref group="注">その影響で、「F1」はモータースポーツ以外にも、[[パワーボート]]や[[アメリカズカップ]]を「海のF1」、[[レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ]]を「空のF1」、[[ボブスレー]]を「氷上のF1」と称するなど、トップカテゴリーの[[代名詞]]として使われることがある。</ref>。年間の観客動員数は400万人を超えており、[[ヨーロッパ]]を中心に世界中で人気を獲得している。競技は4輪の1人乗り[[フォーミュラカー]]で行われている。
== 概要 ==
[[ファイル:Red_Bull_Racing%27s_Sergio_Perez,_Ferrari%27s_Charles_Leclerc,_Mercedes%27_Lewis_Hamilton,_Alpine%27s_Fernando_Alonso_and_McLaren%27s_Lando_Norris_battling_over_the_final_podium_place_at_the_2022_British_Grand_Prix_at_Silverstone._(52210246114).jpg|サムネイル|300x300ピクセル|2022年[[イギリスグランプリ|イギリスGP]]]]
フォーミュラ1における「フォーミュラ(formula)」とは、全参加者および参加車両が準拠しなければならない一連の「規定」を意味している<ref name=ESPN>{{cite web|title=A brief history of Formula One|last=Martin Williamson|url=http://en.espn.co.uk/f1/motorsport/story/3831.html|website=ESPN UK|accessdate=2018-11-16}}</ref>。F1に出場する車両には、[[タイヤ]]・[[プラットフォーム (自動車)|シャシー]]・[[機関 (機械)|エンジン]]等々、あらゆる部分に技術的な規定(テクニカルレギュレーション)があり、これに反する車両は出走が認められない<ref group="注">かつては[[ティレル・P34]]のような6輪も認められていたが、[[1983年]]以降は4輪の1人乗り[[フォーミュラカー]]に限られている。</ref>。また、走行中の[[マナー]]などの取り決め(スポーティングレギュレーション)もあり、違反した場合にはレース中のピットレーン通過強制や[[グリッド (モータースポーツ)#種類|スターティンググリッド(レース開始時の順番]])降格などの[[ペナルティ (モータースポーツ)|ペナルティ]]を課せられる。[[ヨーロッパ]]・[[アジア]]・[[南アメリカ大陸]]・[[北アメリカ大陸]]を中心に世界各国を転戦し、各レース毎の順位によって与えられる点数「チャンピオンシップ・ポイント」の総計によってチャンピオンを決定する<ref group="注">なお、FIAが主催する四輪自動車競技の世界選手権は、F1の他、[[世界ラリー選手権]] (WRC)、[[世界ツーリングカー選手権]] (WTCC)、[[FIA 世界耐久選手権|世界耐久選手権]] (WEC)、[[フォーミュラE]]、[[世界ラリークロス選手権]] (WorldRX)がある。</ref>。
F1は[[戦間期]]にヨーロッパ各地で盛んに行われていた[[グランプリ・モーターレーシング]]をその起源とする<ref name=ESPN/>。([[F1世界選手権の歴史#F1誕生]])F1ドライバーズ選手権の構想は[[1930年代]]末にはすでに話し合われていたが、[[第二次世界大戦]]の勃発によってその実現は見送られた<ref name=ESPN/>。戦後、[[1950年]]に[[イギリス]]の[[シルバーストン・サーキット]]でF1世界選手権の最初のレースが開催された<ref name=CNBC/>。
== グランプリ ==
[[ファイル:Formula 1 all over the world.svg|thumb|upright=1.35|F1レースの開催状況を示した世界地図。<br>緑色 - 現在F1レースを開催した国<br>濃灰色 - 過去にF1レースを開催していた国]]
F1世界選手権は[[グランプリ (モータースポーツ)|グランプリ]]と呼ばれる複数のレースによって構成されるシリーズである。国々を転戦する興行一座という例えから、F1は「グランプリ・サーカス(Grand Prix circus)」の異名で呼ばれることもある<ref>{{Cite web|url=https://www.foxsportsasia.com/formula1/836235/everything-need-know-bahrain-grand-prix/|title=Everything you need to know about the Bahrain Grand Prix|publisher=[[FOXスポーツ|FOX Sport Asia]]|date=2018-4-4|accessdate=2018-11-25}}</ref>。F1初年度である[[1950年のF1世界選手権|1950年シーズン]]には、全7戦のうち6戦がヨーロッパで開催された。唯一のヨーロッパ域外のレースはアメリカでの[[インディアナポリス500]](インディ500)であったが、これは世界選手権としての体裁を整えるためにF1シーズンに組み込まれていた側面が強かった<ref group="注">現に時のシーズンでタイトル争いをしていたF1ドライバーは事実上参戦しておらず、ほとんど名目上のものであった。</ref>。その後、1957年までレースの大半がヨーロッパ地域でのレースで行われていた。1960年をもってインディ500はF1から除外され、{{F1|1959}}から並行開催されていたアメリカGPに一本化された<ref group="注">逆に1970年代-1980年代にはアメリカで1国複数開催(後述)が行われた時期もある。その一方で1957年までは域外のレースは前述の二つのみで、ヨーロッパ地域以外のレースが複数を行われるようになったのは1958年からであった。</ref>。
初年度のカレンダーに含まれていた[[イギリスグランプリ]]と[[イタリアグランプリ]]の2レースは、1950年から2022年現在まで毎年継続して開催され<ref>{{Cite web|url=http://en.espn.co.uk/f1/motorsport/page/2609.html|title=A history of the Italian Grand Prix|publisher=ESPN|accessdate=2018-11-25}}</ref><ref group="注">イタリアは[[イモラ・サーキット|イモラ]]開催の[[1980年]]以外は[[モンツァ・サーキット|モンツァ]]での開催。</ref>、同じく含まれていたフランスとベルギーも休止を挟みつつも、2022年も開催されている(フランスは2023年のグランプリカレンダーから除外された)。また[[ハンガリーグランプリ]]は、1986年の初開催から休止や開催地変更もなく30年以上継続開催されている稀有な例となっている。
{{F1|1999}}に[[マレーシアグランプリ|マレーシアGP]]が新規開催されると、それに続く形でいくつかの国家がF1GPの誘致に動き、2004年以降新規開催国でのレースが増加した。しかし、[[2008年]]にF1史上初のナイトレースとして開催された[[シンガポールグランプリ|シンガポールGP]]<ref>{{cite web|url=http://www.formula1.com/news/headlines/2007/5/6063.html |title=Singapore confirms 2008 night race |publisher=F1公式ウェブサイト |date=11 May 2007 |accessdate=2018-11-25 |deadurl=yes |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100517074908/http://www.formula1.com/news/headlines/2007/5/6063.html |archivedate=17 May 2010 |df=dmy }}</ref> のように長期開催国の1つになった例もあった一方、長期開催の契約を結びながらも中途での休止や打ち切りを強いられたレースもあった。2010年初開催の[[韓国グランプリ|韓国GP]]は2016年までの開催契約を結んでいたものの<ref>{{Cite news|date=2015-02-11|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3039318|title=F1、不開催の韓国GPに多額の違約金を請求か|newspaper=AFPBB NEWS|accessdate=2018-11-25}}</ref>、資金難を克服できず2013年のレースをもって撤退した<ref name=Forbes/>。同様に、2011年初開催の[[インドグランプリ|インドGP]]にも金銭的問題が浮上し、2年間の開催契約を残したまま2013年を最後に休止され、以後復活していない<ref>{{Cite web|和書|url =http://f1sokuho.mopita.com/pc/free/index.php?page=news/sp/body&no=78106 |title =今週末のインドGP中止の申し立て。今日審問へ |publisher =f1sokuho.mopita.com |date =2013-10-25 |accessdate =2018-11-25 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url =https://jp.motorsport.com/f1/news/2013%E5%B9%B4%E3%81%8C%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89gp-%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%92%E5%A3%B2%E5%8D%B4%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%A4%E3%82%82%E3%82%8A%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84-844633/844633/ |title =2013年が最後の開催となったインドGP「サーキットを売却するつもりはない」 |publisher =jp.motorsport.com |date =2016-10-29 |accessdate =2018-11-25 }}</ref>。
エンジンがV6ハイブリッドターボとなった2014年以降の時代には、[[権威主義]]的政治体制を有する国家([[アゼルバイジャン]]、[[ロシア]]、[[ベトナム]]等)の政府が潤沢な公的資金でレースを誘致・開催する例が多く見られる<ref name=USAtoday>{{Cite web|url=https://www.usatoday.com/story/sports/motor/formula1/2018/04/24/street-race-in-hanoi-could-lead-formula-ones-asia-expansion/34223793/|title=Street race in Hanoi could lead Formula One's Asia expansion|date=2018-4-24|publisher=[[USA Today]]|accessdate=2018-11-25}}</ref>。また、F1はアジア地域への関心を高めており<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.as-web.jp/f1/139528?all |title = ザック・ブラウン、アジアでのF1進出拡大を推進。バンコク市街地での開催を提案 |publisher = AUTOSPORT web |date = 2017-7-11 |accessdate = 2018-11-25}}</ref>、その背景としてアジアではレース開催料が高額となり多くの収入が得られることや、未開拓のファン層が存在することなどが指摘されている<ref name=USAtoday/>。
[[ファイル:2013 Monaco Grand Prix - Sunday.jpg|thumb|280px|代替文=|[[モナコグランプリ|モナコGP]]はF1にとって重要な存在であり、主催者がF1側に支払うレース開催料の減額など様々な優遇を受けている<ref>{{cite web|date=2017-05-05|url=http://f1i.com/news/267302-monaco-pays-race-fee-low.html|title=Monaco pays a race fee - but it's low|publisher=F1i.com|last=Phillip van Osten|accessdate=2018-12-03}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://f1sokuho.mopita.com/free/index.php?uid=NULLGWDOCOMO&pass=&page=news/sp/body&no=90319&topics_type=1164&back=column|title=サーキットだけではないモナコGPの特殊さ、その理由は?|publisher=[[F1速報|f1sokuho.mopita.com]]|accessdate=2018-12-03}}</ref>。]]
だが、V6ハイブリッドターボの時代に長期開催していた国が中止や開催継続が危ぶまれる例が出現している。F1全体での観客動員数が増加傾向にある一方で<ref name=F1att>{{Cite web |date=2017-12-8 |url=https://www.formula1.com/en/latest/article.f1-attendance-figures-hit-four-million-in-2017.A1haq5GkLe6SKsyya22Ia.html |title=F1 attendance figures hit four million in 2017 |publisher=F1公式ウェブサイト |accessdate=2018-11-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2017-12-13 |url=https://www.as-web.jp/f1/188163?all |title=2017年のF1年間観客動員数が発表に。シーズン全体で8%の増加を見せる |publisher=AUTOSPORT Web |accessdate=2018-11-26}}</ref><ref group="注">F1の公式発表によると、2017年の観客動員総数は2016年比で約8.8パーセント増加した。2017年に観客動員数が最も多かったカナダGP、イギリスGP、メキシコGPの各レースでの来場者数(3日間合計)は約34万-36万人だった。同年の日本GPの3日間合計来場者数は約13万7000人であり、全20レース中4番目に少なかった。F1公式ウェブサイト(2017年12月8日)参照</ref>、[[フォーミュラワン・グループ|FOM]]が要求するレース開催料が依然として高額であるため、一部の主催者は財政的に苦しんでいる。その動きの象徴となったのがイギリスGPであり、[[2016年イギリスグランプリ|2016年]]と[[2017年イギリスグランプリ|2017年]]に3日間で約35万人を集客したにもかかわらず<ref name=F1att/>、サーキット側が公的援助なしで高額の開催費用を負担する必要があり存続の危機に立たされていた<ref>{{Cite web|和書|url =http://f1sokuho.mopita.com/free/index.php?page=news/sp/body&no=110852 |title =F1イギリスGP開催が契約解除目前に。ハミルトン「何らかのかたちで継続を」 |publisher =f1sokuho.mopita.com |date = |accessdate =2018-11-15 }}</ref>。そのため、2017年シーズン中にイギリスGPとイタリアGPは開催料の減額を求める姿勢の一環として契約破棄条項を発動し、再交渉が不発に終われば、2019年を以て両国でのF1開催が終了する予定にまで追い込まれていた<ref>{{Cite web|和書|url=http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/250599.html|title=歴史的サーキットに警鐘を鳴らすF1|publisher=ESPN F1|date=2018-11-8|accessdate=2018-11-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.as-web.jp/f1/402741?all|title=チケット売上減少でモンツァでのF1開催が危機に。回避策は「FOMが費用を減額すること」とACI会長|publisher=AUTOSPORT Web|date=2018-08-23|accessdate=2018-11-26}}</ref>。最終的にはイギリス(シルバーストン)側の利益を保護する内容の契約が成立<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.as-web.jp/f1/501040?all |title = シルバーストンでのF1イギリスGP、開催継続が確定。2024年までの新契約を締結 |publisher = autosport web |date = 2019-07-11 |accessdate = 2019-07-11}}</ref>したため、継続となったが、この時の運営者である[[リバティメディア]]はロンドンでの市街地コースとしての開催や新規開催国の存在を根拠に契約の終了も辞さない構えであったため、一時はイギリスGP終了が最も現実的になった時期でもあった。
一方でかつて1国で2つのGPを開催するほどの人気を博していたドイツでは、資金難であったうえ、外部からの支援を得られなかったため、2015年と2017年にF1が開催されない事態に陥った<ref name=Forbes>{{Cite web |date=2017-3-13 |url=https://www.forbes.com/sites/csylt/2017/03/13/the-1-billion-cost-of-hosting-an-f1-race/#1dd42f564f79 |last=Christian Sylt|title=The $1 Billion Cost Of Hosting An F1 Race |publisher=[[フォーブス (雑誌)|Forbes]] |accessdate=2018-11-26}}</ref>。また、開催数ではイギリスとイタリアに次ぐ[[フランスグランプリ]]<ref group="注">[[フランス]]は1950年から開催され、1955年の休止を挟んでから(コースの変更はあったものの)2008年まで休止せず開催されていた。</ref> も[[2008年フランスグランプリ|2008年]]を最後に開催が中止され、その後[[2018年フランスグランプリ|2018年]]まで復活しなかった<ref name=Forbes/>。
このうち、{{F1|1999}}から継続開催され、長期開催国の一つとなっていた[[マレーシアグランプリ|マレーシアGP]]は、2017年をもって開催を終了した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.as-web.jp/f1/105834?all|title=マレーシアGPが今季開催で終了、19年の歴史に幕。2018年F1は21戦のカレンダーに|publisher=AUTOSPORTweb|date=2017-04-07|accessdate=2017-04-07}}</ref><ref group="注">表向きは負担の限界と観客数低下となっているが、実際はシンガポールGPとの観客の共食いなどの減少した収益を回復できなかったことが原因とされている。{{Cite web|和書|url=https://formula1-data.com/article/f1-target-second-chinese-grand-prix|title=F1、中国でのグランプリ開催数増加を検討…薄れゆく日本GPの存在感|publisher=formula1-data.com|date=2019-01-24|accessdate=2019-02-18}}</ref>。また、契約更新を何年するかの交渉や判断の予定を念頭に開催しているGPも少なくない<ref group="注">仮に長期開催が予定となっているGPでも、開催が事実上保障されているのはモナコGPぐらいで、カナダGPのような長期開催の契約が結ばれていても、イギリスGPのように長期契約を結びながら中途で契約解除を申し出る事例もあり、安泰とは言えない状況である。</ref>。実際に、{{F1|2018}}に復活したドイツGPは同年7月の時点では後述のマイアミGPが開催される予定であったため、開催に関する交渉が失敗したことも影響し、2019年の開催は行われない予定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.as-web.jp/f1/384535?all|title=収益確保に苦戦していたホッケンハイム、2019年のドイツGP開催を断念|publisher=AUTOSPORTweb|date=2018-07-02|accessdate=2017-07-02}}</ref> となっていたが、マイアミGPが2019年は開催されないこととなったため、再交渉を経て9月に2019年のみの開催契約が結ばれることとなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.motorsport.com/f1/news/GermanGP-agrees-deal/3167594/?nrt=54|title=ドイツGP、来年の開催に向け一歩前進。リバティとの開催契約に基本合意|publisher=jp.motorsport.com|date=2018-08-30|accessdate=2018-09-07}}</ref>。
その一方でコース運営者の負担が仮に解決したとしても、2018年などの全21戦という数字はすでに限界というチームの声も少なくなく、むしろ開催数の方に課題が生じつつある。[[1960年代]]には年間10戦前後だったF1世界選手権レースの開催数は、[[1970年代]]には平均で年間14戦前後に増加<ref group="注">1967年が全11戦となったのをきっかけに増加傾向となり、1977年には当時最多の全17戦で開催された。</ref>。[[1980年代]]から[[1990年代]]にかけては年間16戦前後で安定して推移した<ref name=FT>{{Cite web|url=https://www.ft.com/content/adb445fa-debc-11e8-b173-ebef6ab1374a|title=F1 teams fear the metal and mental fatigue of 25 races|last=Simon Gray|publisher=[[フィナンシャル・タイムズ|Financial Times]]|date=2018-11-23|accessdate=2018-11-25}}</ref><ref group="注">1977年をピークにいったんは減少傾向となり、1980年には全14戦まで縮小した。だが、1981年から増加に転じたものの、開催数自体は2003年まで16戦前後で推移した。</ref>。21世紀に入るとレース開催数は徐々に増加。特に2016年には史上最多の年間21戦に達し<ref group="注">2005年の全19戦の除けば、2004年から2009年の間は18戦前後へ増加。2010年から2015年の間は全19戦へ増加。この間の2012年のみ当時最多の全20戦を記録した。</ref>、2017年こそ全20戦だったが、2018年は全21戦開催となり、2019年も21戦開催が承認された。
リバティメディアは今後年間25戦にまでカレンダーを拡大する意向を示しているものの<ref name=FT/>、レース開催数の増加に伴う様々な負担増にドライバーを含む関係者は懸念を表明しており<ref>{{Cite web |url=https://www.theguardian.com/sport/2018/nov/08/f1-lewis-hamilton-unimpressed-by-extra-races|title=Lewis Hamilton unimpressed by plans to add more races to F1 calendar|publisher=[[The Guardian]]|date=2018-11-08|last=Giles Richards|accessdate=2018-11-25}}</ref>、年間15-18戦程度の開催に回帰することを望む声<ref name=FT/> や年間22戦以上の開催には懸念を示す声も多い<ref>[http://www.topnews.jp/2019/05/06/news/f1/180868.html 年間レース数増加を懸念するF1チーム首脳たち] - www.topnews.jp・(2019年5月6日)2019年5月8日閲覧</ref><ref>[https://www.as-web.jp/f1/478381?all レッドブル・ホンダ代表、拡大を続けるF1カレンダーに警告「レース数が増えれば、良いショーになるのか」] - www.as-web.jp・(2019年5月8日)2019年5月8日閲覧</ref>。そのため、当面の間は最大21戦で推移すると思われていたが、2018年11月にベトナムGP開催が決定。さらに2019年5月には[[オランダグランプリ|オランダGP]]の復活も決定したため、2020年は22戦以上の開催の可能性が浮上した。当初2019年までの開催契約を結んでいたGPのうち3つが終了<ref group="注">2019年で終了予定であったのは、イギリスGP、イタリアGP、スペインGP、ドイツGP、メキシコGPの5つだが、イギリスGPとイタリアGPについては終了しないという見込みであり、他の3つは財政支援が打ち切られることから、その3つがなくなると見られていた。</ref>することが濃厚であったため、新規開催国はあるものの21戦以下で収まると思われていた。だが、結果的に消滅するのは1つのみとなり<ref group="注">暫定カレンダー発表までに延長契約が結ばれなかったドイツGPが消滅する形となった。</ref>、2019年の全21戦に1つ追加される形となった。それでも、参戦中のチームは開催数変更について合意<ref>[https://www.as-web.jp/f1/516244?all 2020年F1暫定カレンダーが発表。史上最多22戦の過密スケジュール、日本GPは10月11日の第18戦に] - www.as-web.jp・(2019年8月29日)2019年9月2日閲覧</ref>。その結果、2020年は全22戦開催となる予定だったが、[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の世界的流行]]により多数のグランプリが中止に追い込まれ、最終的に開催数としては全17戦の開催となった<ref group="注">ただし、2020年は開催数こそ少なく見えるが、全17戦として行われた直近のシーズンは2009年だが、この年はサマーブレイク期間込みで約7か月未満の日程で全17戦だったのに対し、2020年は感染症の影響でサマーブレイク期間を設けない形での約6か月未満の日程で全17戦なため、スケジュール的には2020年のほうが過密となっている。</ref>。2021年は[[サウジアラビアグランプリ|サウジアラビアGP]]が既存のカレンダーに追加され、2020年の暫定カレンダーよりも多い全23戦の開催が予定されたが、この年も新型コロナの影響で多数のグランプリが中止に追い込まれ、[[カタールグランプリ (4輪)|カタールGP]]などの追加で全22戦の開催となった。開催数増加を受け、2020年以降についてはプレシーズンテストの実施日の変更と日程削減、さらにインシーズンテスト廃止を決定した<ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/f1-teams-agree-to-testing-reduction-in-2020/4524204/ 開催レース数増加を受けて……F1、2020年のテスト日程を削減へ] - jp.motorsport.com・(2019年9月1日)2019年9月2日閲覧</ref>。しかしこの措置は、マシンに慣れる時間が大幅に減少することから、ルーキーやチームを移籍したドライバーにとって厳しいものとなった。
== チャンピオンシップ ==
各レース毎の順位によって与えられる点数「チャンピオンシップ・ポイント」の総計によってチャンピオンが決定される<ref>{{Cite web |url =https://www.formula1.com/en/championship/inside-f1/rules-regs/Classification_Race_distance_and_Points.html |title =Points, classification and race distance |publisher =F1公式ウェブサイト |date = |accessdate =2018-11-26 }}</ref>。シーズン終了時に獲得ポイントの最も多い選手が[[F1ドライバーズチャンピオンの一覧|「ドライバーズ・ワールド・チャンピオン」]]として認定される。同様に、獲得ポイントが最も多い車体製造者(コンストラクター)は[[F1コンストラクターズチャンピオンの一覧|「コンストラクターズ・ワールド・チャンピオン」]]として認定される<ref group="注">コンストラクターにはチームと言う意味合いは含まれて無いが、2005年現在ではレギュレーションに『チームと車体製造者は同一でなければならない』と記載されており、ルール上は同様の意味合いとなっている。</ref>。過去には[[有効ポイント制]]を採用していた事もあった。
強力な[[ターボチャージャー|ターボ]]・エンジンと[[自然吸気]] (NA) エンジンが混走した[[1987年]]には自然吸気エンジン搭載車のみでのチャンピオンシップが制定され、それぞれドライバーに与えられる「ジム・クラーク・カップ」、コンストラクターに与えられる「コーリン・チャップマン・カップ」と呼ばれたが、翌[[1988年]]、ターボ・エンジンの燃費規制が厳しくなり自然吸気エンジンとの戦力差が縮小され、1年限りで廃止された。
== 基本的な競技の進行 ==
=== フリー走行 ===
金曜午後に2回、土曜午後に1回、計3回の練習走行が設けられる。2007年に金曜日のフリー走行の時間が60分から90分に拡大されてから、以降はフリー走行に関する変更は行われていなかったが、2021年は金曜日のフリー走行の時間がそれぞれ60分間に短縮された<ref>[https://formula1-data.com/article/f1-to-cut-free-practice-time-by-25-percent-in-2021 F1、2021年のフリー走行時間を25%削減…週末に許される練習が計3時間に]formula1-data.com(2021年1月4日)2021年9月7日閲覧。</ref>。各マシンは過去のセッティングデータに基づいて開催サーキットの特性にある程度合わせて持ち込まれるが、実際に走行することによってドライバーの意見を反映させて微調整を繰り返す。また、参戦初年度のドライバーが過去に未体験のサーキットを走る場合、コースの習熟の意味も含まれている。2006年まではチーム独自のテスト走行の実施が許されていたが、2007年からコスト削減の名目で年間テストの走行距離の指定を皮切りに、チーム独自のマシンテストに制約がかかるようになり、2010年に開幕戦以降のシーズン中のチーム独自のテストが事実上禁止された。それ以降は、パフォーマンスの追及の観点から少しでもコース上での実走のテストを経験すべく、その代わりにフリー走行をマシンテストの場として利用したり、新しいパーツの評価を行ったりする場として活用せざるを得ない傾向にある。
=== 予選 ===
土曜午後に行われる。各車が一定時間内で自由に走行を行い、1周の最速タイムを競い合う。
{{f1|2006}}からは『[[ノックアウト方式 (モータースポーツ)|ノックアウト方式]]』で[[グリッド (モータースポーツ)#種類|スターティンググリッド]]を決定する。{{f1|2019}}は、20台が参加し以下のように進行する。
* Q1(第1セッション)では、20台が18分間走行し5名がノックアウト、15名がQ2進出。16位から20位までが決定される。
* Q2(第2セッション)では、15台が15分間走行し5名がノックアウト、10名がQ3進出。11位から15位までが決定される。
* Q3(第3セッション)では、10台が12分間走行し、1位から10位までが決定される。
Q3で最速タイムを記録した者は[[ポールポジション]]となり、以降は各セッションのノックアウト順で整列する事になる。ただし、フリー走行等でのトラブルにより予選Q1に出走しない車両がある場合は、強制的にQ1の最下位扱いとして進行し、台数に応じてQ1のノックアウト者を減らす<ref group="注">[[2015年オーストラリアグランプリ|2015年オーストラリアGP]]では[[マルシャF1チーム|マノー・マルシャ]]の2台が予選Q1に出走しなかったため、Q1ノックアウトは3台(16-18位)。</ref>。
また、以下のような理由でペナルティを課されグリッド降格になる場合があるため、必ずしも予選結果順にスタートするとは限らない。
* 決勝までに規定数以上<ref group="注">2020年からエンジン、ターボチャージャー、MGU-K、MGU-Hは年間3基、バッテリー、電子制御装置は年間2基。</ref> のパワーユニットコンポーネント交換<ref group="注">1つ目のコンポーネントの場合10グリッド、2つ目以降は5グリッド。</ref> した際、交換範囲に応じてグリッド降格や本来連続使用するギアボックスの早期交換(6戦以内)を行った場合の5グリッド降格がある。
* 前戦やフリー走行及び予選中の危険走行に対するペナルティでの予選タイム変動(予選最速・全タイムの抹消(ノータイム扱い)<ref group="注">例外として特定のコーナーにおいて、4輪全てが縁石を越えた場合は当該周回で出したタイムが無効になる。</ref> など)によるグリッド降格。
* 15グリッド以上の降格ペナルティを科せられた場合は予選順位にかかわらず、最後尾グリッドからのスタートが義務付けられる。また、2019年以降はこのペナルティによる最後尾スタートのドライバーが複数いる場合は、予選順位が上位のドライバーから優先して前のグリッドに入る<ref>{{Cite web|和書|url = https://jp.motorsport.com/f1/news/f1-tweaks-penalty-rules-to-curb-qualifying-no-shows/4309365/ |title = F1、グリッドペナルティ適用を微調整。PUペナルティがあっても予選が重要に |publisher = jp.motorsport.com |date = 2018-12-06 |accessdate = 2019-02-16}}</ref>。
また、予選後、セッティング変更などを行うと予選の結果にかかわらずピットレーンスタートとなる(正確には決勝出走の際、マシンの仕様が予選終了時と異なるものになった場合を指す。そのため、外見上ではウイングの変更などが一例だが、PUの性能の違いといった部品単位の仕様が異なる場合、基本はそれが適用される)<ref group="注">2012年アブダビGPでの[[セバスチャン・ベッテル]]のように、予選の結果を受けて、作戦上ピットレーンスタートを選択する場合もある。</ref>。
さらに2011年からは[[107%ルール]]が再導入されており、予選Q1のトップタイムに対し自身のベストラップが107%より遅いドライバーは審議対象になり、出走許可が出なければ予選落ちとなる<ref group="注">審議時には「フリー走行でのタイム」「今シーズンのレースの走行ペース」などといった要素が考慮されている。またマシントラブルやアクシデントで走行できず予選ノータイムや107%を超過するタイムとなった場合も審議対象となる。</ref> ものの、「例外的な状況」という名目でグリッドに並ぶケースが多く、出走不可になったケースは[[2012年オーストラリアグランプリ]]における[[HRT F1|HRT]]の例が最後となっている。
なお、タイムはマシンに搭載された無線装置により1/1,000秒単位まで計測される。まれに1/1,000秒まで同タイムのケースが見られるが、その場合には先にタイムを出したドライバーから上位グリッドに着く<ref group="注">[[1988年日本グランプリ (4輪)|1988年日本グランプリ]]では予選5位のタイムが1分43秒693で2名並び、先にタイムを出した[[ネルソン・ピケ]]が5位、[[中嶋悟]]が6位になった。また[[1997年ヨーロッパグランプリ]]ではトップ3名が1分21秒072の同タイムで並び、タイムを記録した順でポールポジションから[[ジャック・ヴィルヌーヴ]]、[[ミハエル・シューマッハ]]、[[ハインツ・ハラルド・フレンツェン]]の順でグリッドに着いた。</ref>。
だが、ノックアウト方式が導入された影響で、中下位チームが自力でフロントロー入りすることが難しくなっている。ただし、グリッドペナルティの影響で結果的にフロントローを獲得した例<ref group="注">[[2017年イタリアグランプリ]]では予選4位だった[[ランス・ストロール]]がグリッドペナルティの影響で予選2位に繰り上がった。</ref>や雨天での予選(ウェットコンディション)で波乱が起きること<ref>[https://www.as-web.jp/f1/645338?all ストロールがメルセデスの連続ポールをストップ「最高の形でスランプから立ち直れた」レーシングポイント【F1第14戦】]www.as-web.jp(2020年11月15日)2021年9月6日閲覧。</ref><ref>[https://www.as-web.jp/f1/733566 F1 Topic:「失うモノは何もない」一か八かの作戦で予選2番手を獲得したラッセルとウイリアムズ]www.as-web.jp(2021年8月29日)2021年9月6日閲覧。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/5dd0571b0086ea4b1f298e29a3a23d030b729665 |title=マグヌッセン本人も驚きのポールポジション獲得「こんなことは考えたことがなかった」 |access-date=2022年11月12日}}</ref>もあるが、全体で見ればまれな出来事となっている。
=== スプリント関連 ===
* 以下の内容に関する参考出典先<ref>{{Cite web|和書|url=https://formula1-data.com/glossary/race/game/sprint-qualifying-race|title=スプリント予選レース|accessdate=2021-09-06|publisher=Formula1-Data|date=2021-07-06}}</ref>。
{{F1|2021}}4月に同シーズンの第10戦イギリスGP、第14戦イタリアGP、第20戦サンパウロGP(ブラジル)の計3戦でスプリント予選レースを行うことが決定した<ref>[https://www.as-web.jp/f1/691784 F1“予選スプリント”レース導入にチーム側が同意、2021年3戦で実施へ。大きく変わる週末のスケジュールが明らかに]www.as-web.jp(2020年4月27日)2021年9月6日閲覧。</ref>。2021年は本来のタイム計測によるノックアウト方式の予選を金曜日の午後に行い、その結果をスプリント予選レースの順位として認定。従来の予選がある土曜日の午後に、レース距離約100kmのスプリントレースを行い、そのスプリントレースの順位が決勝のスターティンググリッドとして扱われる仕組みとした。しかし、この年はスプリント予選レースが行われるGPに関してはポールポジションの扱いが変わることへの批判<ref>{{Cite web|和書|url=https://formula1-data.com/article/wrong-to-call-winner-of-sprint-qualifying-pole-sitter-says-vettel|title=スプリント予選の勝者をポールシッターと呼ぶのは筋近い、とベッテル&ロズベルグ|accessdate=2022-02-22|publisher=Formula1-Data|date=2021-07-16}}</ref>や実施したことによっていくつかの問題が表面化<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.as-web.jp/f1/741020l|title=FIA会長がF1スプリント予選フォーマットの問題点を指摘「土曜FP2を行う意味がない」|accessdate=2022-02-22|publisher=www.as-web.jp|date=2021-09-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://formula1-data.com/article/f1-sprint-criticised-as-boring-could-become-independent-events-with-reverse-grid|title=”退屈”なF1スプリント予選、リバースグリッド採用で独立イベント化の可能性…2005年の”1発アタック方式”を推す声も|accessdate=2022-02-22|publisher=Formula1-Data|date=2021-09-12}}</ref>。それらも含む様々な思惑によって、一時は2021年限定のイベントになるという推測も報じられたが<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.as-web.jp/f1/778264|title=2022年のF1スプリント予選開催に暗雲。一部チームが予算の引き上げを要求し、コストを巡って対立|accessdate=2022-02-22|publisher=www.as-web.jp|date=2022-01-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.as-web.jp/f1/780669|title=一部チームが予算の上乗せを求め、未だ詳細が決まらないスプリント予選。レッドブル代表はF1側に決断を促す|accessdate=2022-02-22|publisher=www.as-web.jp|date=2022-02-01}}</ref>、{{F1|2022}}も第4戦エミリア・ロマーニャGP、第11戦オーストリアGP、第22戦サンパウロGPの計3戦でそれを行うことが決定。ただし、内容について変更され<ref>{{Cite web|和書|url=https://formula1-data.com/article/f1-to-hold-three-sprints-in-2022-and-a-major-change-to-points-system |title=F1、2022年スプリント実施の3会場を正式決定…付与ポイントは大幅増額 |accessdate=2022-02-22|publisher=Fomula1-Data|date=2022-02-15}}</ref>、この年はスプリント予選レースの正式名称は「スプリント」へ変更。スプリントの結果で決勝のスタート順が決まる点は変わらないものの、それが実施される各GPのポールポジションは金曜日の予選での最速のドライバーに与えられ<ref group="注">2022年に関しては、スプリントで1位になっても決勝でPPスタートの権利が得られるわけではない。</ref>、スプリントの結果の入賞の対象が変更されるなど、内容面に関して変更が行われた。
=== 決勝 ===
日曜午後に行われる決勝は、原則的に305kmをサーキットの一周の距離数で割ったものの小数点以下を切り上げた周回数で争われる。また、レースが2時間を超えた場合は、その周回で打ち切られる。また、レース自体の時間が2時間を超えなくても途中赤旗中断があった場合、レーススタートから中断時間を含めて3時間(2021年より<ref>[https://f1sokuho.mopita.com/free/index.php?uid=NULLGWDOCOMO&pass=&page=news/sp/body&no=146539&tt=1170 2021年F1に導入される“時間”に関する3つの規則変更] - F1速報・2021年3月1日</ref>)を超えた場合、その周回で打ち切られる。例として、[[2012年シンガポールグランプリ]]では2時間ルールが適用されるレースとなったため、2時間を超えた後にラップリーダーがコントロールラインを通過すると同時にチェッカーが振られ、この時の周回数で終了。この際は予定周回数より2周少ない結果となった<ref>[https://www.webcg.net/articles/-/1788 第14戦シンガポールGP決勝結果【F1 2012 速報】]www.webcg.net(2012年9月24日)2021年9月7日閲覧。</ref>。ただし主催者判断で、レース時間のカウントを一時止めることも可能で、結果として中断も含んだ実際のレース時間が3時間を超えることもある<ref group="注">[[2011年カナダグランプリ]]では、大雨による赤旗中断をはさみながらも打ち切りは行われず、セーフティーカー走行の周回もありながらも予定周回数を走破したため、決勝のレース時間としては4時間超えたレースとして記録されている。</ref><ref>[[2021年ベルギーグランプリ]]では大雨による赤旗中断となり、日没の影響もあり、予定通りの周回数を走破するレースではなく、60分のタイムレースで競技を行おうとした事例もある。[https://www.as-web.jp/f1/733696?all 悪天候による3時間の中断を挟み、3周目に終了。フェルスタッペンが優勝、2位ラッセルが初表彰台【決勝レポート/F1第12戦】] - オートスポーツ・2021年8月30日</ref>。
例外として、[[モナコグランプリ]]は[[モンテカルロ市街地コース|市街地コース]]で行われることによる体力的・精神的負担などを考慮し、また平均速度が極端に遅く(他コースより60km/hほど遅い)競技時間が長くなってしまうことから、1967年から約260kmで争われている。また、ドライコンディション時に([[セーフティカー]]ラン等を伴わずに)レース時間が2時間を超えて終了したコースについては、翌年から周回数を減らして行われる<ref group="注">[[フェニックス市街地コース|フェニックス市街地]]で行われた[[アメリカグランプリ|アメリカGP]]が代表例([[1989年アメリカグランプリ|1989年]]は本来81周のところが75周で打ち切り、優勝タイム2時間1分33秒133。翌[[1990年アメリカグランプリ|1990年]]では72周に短縮)。</ref>。
レース展開だが、レース開始時刻となったら、まず[[フォーメーションラップ]]が開始される。ただし、フォーメーションラップ中のトラブルの発生や雨天などでレース開始に適さない状況に遭遇した場合、フォーメーションラップが追加される場合もある。もしその追加のラップが行われた場合、レースの規定周回数からその分が減算されることとなる。そのラップは基本的には1周で終わり、全車指定のグリッドの位置に静止する。そして、シグナルのサインに合わせてスタートを切り(スタンディングスタート)<ref group="注">ただし、雨天時などスタンディングスタートで行うリスクが高いと判断された場合は、セーフティカーの先導によるローリングスタートが行われる場合もある。</ref>、規定の周回数を最初に走破したドライバーが優勝となる。
その後の順位は走破した周回数とその時間により決まる。すなわち優勝者と同じ周回を走りきったドライバー、その次に1周遅れのドライバー、2周遅れ…という順で、それぞれの中で先にゴールしたドライバーから順位がつけられる。途中リタイヤして、最後まで走り切れなかったドライバーも「全体の9割以上の周回を走っていれば」周回遅れとして完走扱いになる(例…60周で行われるレースなら54周以上走っていたら完走扱い)。そのため、[[1996年モナコグランプリ]]のように、チェッカーを受けなかったのに入賞というケースも出ることがある。
: 例) [[2004年日本グランプリ (4輪)|2004年日本GP]] 53周
{| class="wikitable" style="font-size: 90%;"
|-style="background:#efefef"
!順位!!ドライバー!!タイム/時間差!!備考
|-
|1位||[[ミハエル・シューマッハ]]||1時間24分26秒985||
|-
|2位||[[ラルフ・シューマッハ]]||+14秒098||
|-
|3位||[[ジェンソン・バトン]]||+19秒662||
|-
|4位||[[佐藤琢磨]]||+31秒781||
|-
|colspan="3" style="text-align: center;"|…||
|-
|11位||[[ヤルノ・トゥルーリ]]||+1周 ||
|-
|colspan="3" style="text-align: center;"|…||
|-
|16位||[[ジャンマリア・ブルーニ]]||+3周||
|-
|||[[ルーベンス・バリチェロ]]||38周でリタイヤ(+15周)||(完走扱いではない)
|}
レース後のリザルトによって、チーム・ドライバーにはチャンピオンシップポイントが加算される。{{f1|2010}}からのルールでは上位10台にポイントが順位に応じて加算され、10位以上は「入賞」となる。また、{{f1|2019}}からは[[ファステストラップ]]記録者が10位以内に入賞した場合に限り、同じく1ポイントが加算される。
=== ドライバー・オブ・ザ・デイ ===
{{f1|2016}}よりファンとの関わりを増やすために、決勝レース中のインターネット投票による「この日最も印象的であった」ドライバーを選出するシステムが導入された<ref>[http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/215337.html ファン投票で決まるドライバー・オブ・ザ・デー導入へ] ESPN 2016年2月24日、2019年4月1日閲覧。</ref>。これはチャンピオンシップには直接関係はしないが、選出されたドライバーはレース後に賞を受け取ることになる。
===ピット===
[[ファイル:F1 2011 Barcelona test - Vettel.jpg|サムネイル|250x250ピクセル|2011年[[スペイングランプリ|スペインGP]]におけるピット作業の様子]]
レース中はタイヤ交換などのために[[サーキット#主な設備|ピット]]に入る(ピットイン)。ピットで可能な作業は時代によって異なり、[[スリックタイヤ|タイヤ]]交換の他にマシン微調整や破損した[[エアロパーツ|ウイング]]の交換などを行うことができる。2009年まではレース中の給油が解禁されていた年もあったが、2010年からレース中にピットに入り給油することは完全に禁止されている。ただし、タイヤに関しては2007年からはレース中に2種類のドライタイヤを使用することが義務づけられたため、レース中のタイヤ交換が最低1回は必要となり、タイヤ無交換作戦は事実上禁止されたが、悪天候によりウェットコンディションが宣言され決勝レース中に[[レインタイヤ]](インターミディエイトタイヤまたはウェットタイヤ)を使用した場合にはこの制限はない<ref name=JSR>{{Cite web|和書|url=http://jaf-sports.jp/assets/img/regulation/2018f1_sport_reg_ja.pdf|title=2018 FIA FORMULA ONE WORLD CHAMPIONSHIP 競技規則 (2017 年 12 月 19 日付発行版仮訳) |publisher=[[日本自動車連盟]] |accessdate=2018-11-28}}</ref>。それでもタイヤの摩耗や天候の変化へ対応する関係でピットインは必須となっていたが、[[2021年トルコグランプリ]]では雨天でのレースとなったため、その規定が適応外となり、その結果、[[エステバン・オコン]]がタイヤ無交換作戦によって10位入賞を達成。タイヤ無交換(ピットストップなし)のドライバーが入賞を記録したのは[[1997年モナコグランプリ]]の[[ミカ・サロ]]以来24年ぶりとなる<ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/how-ocons-dangerous-non-stop-f1-strategy-paid-off/6686288/?filters%5Bdriver%5D%5B0%5D%5Btitle%5D=%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%90%E3%83%B3+%E3%82%AA%E3%82%B3%E3%83%B3&filters%5Bdriver%5D%5B0%5D%5Bvalue%5D=19624 危険と紙一重だったオコンの”ノンストップ戦略”。フィニッシュできたのは奇跡だった?]jp.motorsport.com(2021年10月15日)2022年4月10日閲覧。</ref>。また、このピット作業の最速記録は、2023年カタールGP([[カタールグランプリ (4輪)]])にて[[マクラーレン・F1]]が記録した1.80秒<ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/mclaren-fastest-pitstop-180/10530875/ F1ピットストップで世界最速更新! カタールGPでマクラーレンがタイヤ交換『1.80秒』の新記録]formula1-data.com(2023年10月9日)2023年10月28日閲覧</ref>となっている。
===ペナルティ===
* 以下の内容はこの出典先<ref>[https://formula1-data.com/article/regulation-penalty F1レギュレーション「違反行為 & ペナルティー編」]formula1-data.com 2020年10月21日閲覧</ref>の内容を参照。
セッション中に規定違反の行為(フライング、アンフェアなブロック行為、ピットレーンでの速度違反等)を犯したドライバーには[[スチュワード]](競技審査委員会)から[[ペナルティ]]が与えられる。決勝レース中の違反に対する一般的なペナルティは、5秒間もしくは10秒間の「タイムペナルティ」、時速80kmの制限速度でピットレーンを通過しなければならない「ドライブスルーペナルティ」(約20秒~30秒程度のタイムロス)、ピットに戻り10秒間静止してからコースへ復帰することが義務付けられる「ストップ&ゴーペナルティー」(約30秒~40秒程度のタイムロス)となり、先頭のペナルティからだんだんと重くなっていく形となる。深刻な違反と判断された場合、レース中なら黒旗失格([[レース旗#黒旗(ブラックフラッグ)|レース旗#黒旗]]参照)の適用、レース後なら失格と同時にレース順位からの除外や次戦出場停止を含む厳罰が与えられることもある。
タイムペナルティを与えられた場合、レース中にピットで静止してペナルティを消化する例もあるが、それはストップ&ゴーペナルティーとは異なる。後者は「レース中にペナルティを消化してコースへ戻ることが義務付けられる罰則」であり無視した場合は失格の対象となる。一方で、前者は「ペナルティ裁定が下ってからレース終了までの間に一度もピットストップを行わない場合は、レース結果に該当タイムを加算」とされている。2007年以降「レース中のタイヤ交換が最低1回必要」な関係上、スタート時のタイヤで走行中にタイムペナルティを受けた場合、事実上タイヤ交換時にその消化が義務付けられる形となる。また、1回目のタイヤ交換後にタイムペナルティを受けた場合、再びタイヤ交換を行う場合はその消化が義務付けられる形となるが、規定のタイヤ交換の義務は終えているため、そのままレースを終えても失格にはならないが、その場合「レース後のタイムに加算される形」となるため、各ドライバーのタイム差次第では順位の変動が起きる可能性が高い。ただし、残り3周を切る時点またはレース終了後に前述の裁定が下った場合、レース終了後のタイム加算という形でペナルティを消化する形となる<ref>[[2019年ドイツグランプリ]]においてレース終了後、[[アルファロメオ・レーシング]]の2台のマシンのデータからペナルティ対象になる行為があったと認定され、10秒のストップ&ゴーペナルティが科された。これはレースタイムに30秒加算する形に置き換えられることとなり、順位変動が起きている。[https://jp.motorsport.com/f1/news/alfa-romeos-penalised-hamilton-and-kubica-in-the-points/4503145/ アルファロメオにペナルティ。ハミルトンとクビサが入賞に繰り上がり]jp.motorsport.com(2019年7月29日)2020年10月21日閲覧。</ref>。
そのうえで、違反を犯したドライバーにはスチュワードの判断で「ペナルティ・ポイント」が与えられる場合もあり、累積12ポイントに達した場合には1戦の出場停止となる<ref name=JSR/><ref>{{Cite web |url=https://www.formula1.com/en/championship/inside-f1/rules-regs/Licenses_driving_protocol_and_penalties.html |title=Penalties and driver protocol |publisher=F1公式ウェブサイト |accessdate=2018-12-26}}</ref>。一方で、ペナルティの運用に対しては一貫性がないという批判も存在する<ref>{{Cite web|和書|url =https://jp.motorsport.com/f1/news/Verstappen-blames-Bottas-for-unfair-penalty/3170491/ |title =フェルスタッペン、”ペナルティは不公平”と主張「スペースを残した」 |publisher =jp.motorsport.com |date =2018-09-03 |accessdate =2018-11-16 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url =https://jp.motorsport.com/f1/news/raikkonen-harsher-penalties-would-curb-stupidity-in-f1/3209108/|title =ペナルティ厳罰化はF1にプラス? ”愚か者”が減るとライコネン賛成 |publisher =jp.motorsport.com |date =2018-11-06 |accessdate =2018-11-17 }}</ref><ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/steiner-grosjeans-penalty-point-completely-wrong-/4362076/ シュタイナー、グロージャンへのペナルティポイント加算の裁定を痛烈批判] jp.motorsport.com (2019年3月31日)、同年4月20日閲覧。</ref><ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/f1-drivers-pushing-for-penalty-points-system-change/4894684/?ic_source=home-page-widget&ic_medium=widget&ic_campaign=widget-22 現在のペナルティポイントシステムは不毛? 変更を求めるF1ドライバーたち]jp.motorsport.com (2020年10月21日)2020年10月21日閲覧。</ref>。
=== レギュレーションの変遷 ===
自動車に関する技術の進歩とマシンの高速化による危険性の増加にともない、F1の[[F1レギュレーション|レギュレーション]]は大小さまざまな変更がなされている。特に1994年[[サンマリノグランプリ]]で起きた2件の死亡事故以後は、安全性向上のためのレギュレーションが多く施行された。この流れのレギュレーション変更には、主にスピードの低下を狙ったものと安全設備の設置を義務付けるものとがある。また、2000年代に入ってからは高騰したマシン開発費を抑制するための改定がたびたび施行されている。
{{main|F1レギュレーション}}
== 参戦コンストラクター ==
2023年のフォーミュラ1では以下のコンストラクターがエントリーしている。
* {{Flagicon|ITA}}[[スクーデリア・フェラーリ]] 1950年 -
* {{Flagicon|DEU}}[[メルセデスAMG F1|メルセデスAMG]] 1954年 -
* {{Flagicon|GBR}}[[アストンマーティンF1|アストンマーティンF1チーム]] 1959年 -
* {{Flagicon|GBR}}[[マクラーレン|マクラーレンF1チーム]] 1966年 -
* {{Flagicon|GBR}}[[ウィリアムズF1|ウィリアムズ・レーシング]] 1978年 -
* {{flagicon|AUT}}[[レッドブル・レーシング]] 1997年 -
* {{Flagicon|USA}}[[ハースF1チーム]] 2016年 -
* {{Flagicon|CHE}}[[アルファロメオ・レーシング]] 2019年 -
* {{Flagicon|ITA}}[[スクーデリア・アルファタウリ]] 2020年 -
* {{Flagicon|GBR}}[[アルピーヌF1|アルピーヌF1チーム]] 2021年 -
{{Main|F1コンストラクターの一覧}}
== 技術 ==
{{main|フォーミュラ1カー}}
{{multiple image
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|caption2=2018年型[[メルセデス・F1 W09 EQ Power+|メルセデスW09]](上)と2015年型[[メルセデス・F1 W06 Hybrid|メルセデスW06]](下)の比較。2017年以降のF1カーは前後のウィングとタイヤが大型化し、コーナリング速度が飛躍的に向上した。
}}
現代の[[フォーミュラ1カー|F1カー]]は[[炭素繊維|カーボンファイバー]]製[[シャーシ|シャシー]]に、[[内燃機関]](エンジン)と[[運動エネルギー回生システム#ERS|エネルギー回生システム]](ERS)を組み合わせた「パワーユニット(PU)」を搭載する。[[2022年のF1世界選手権|2022年]]の規定では車体重量は最低798{{nbsp}}kg(タイヤ・ドライバー込み、燃料は除く)とされており<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.as-web.jp/f1/793919|title=F1マシンの最低重量引き上げが正式決定、3{{nbsp}}kg増の798{{nbsp}}kgに。セーフティカー規則の小変更も明らかに |publisher=autosport web |date=2022-03-18 |accessdate=2022-07-05}}</ref>、最低重量を下回った場合には失格となる<ref>{{Cite web |url=https://www.formula1.com/en/championship/inside-f1/rules-regs/Scrutineering_and_weighing.html |title=Scrutineering and weighing |publisher=F1公式ウェブサイト |accessdate=2018-11-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180624232757/https://www.formula1.com/en/championship/inside-f1/rules-regs/Scrutineering_and_weighing.html|archive-date=2018-12-17}}</ref><ref name=JAF>{{Cite web|和書|language=ja |df=ja |url=http://jaf-sports.jp/assets/img/regulation/2018f1_tech_reg_ja.pdf|title=2018 FORMULA ONE 技術規則 (2017 年 12 月 19 日付発行版仮訳) |publisher=[[日本自動車連盟]] |accessdate=2018-11-28 |archive-url=https://web.archive.org/web/20181129184228/http://jaf-sports.jp/assets/img/regulation/2018f1_tech_reg_ja.pdf |archive-date=2018-11-29 }}</ref>。PUのエンジンは[[排気量]]1.6リッターの[[V型6気筒]]シングル[[ターボ]]エンジンと規定されており、ERSによるパワー追加は最大{{cvt|120|kW|hp|0}}に制限されている<ref name=JAF/>。2018年1月時点の推定では、エンジンとERSの合計最高出力は約950{{nbsp}}[[英馬力|hp]]に到達していた<ref>{{Cite web|和書|date=2018-01-04 |url=http://www.as-web.jp/f1/191507?all |title=F1各パワーユニットの推定馬力が明らかに。1000馬力達成に自信のメルセデスにフェラーリが迫る |publisher=AUTOSPORT web |accessdate=2018-11-28}}</ref>。
F1カーは前後の[[エアロパーツ#エアロパーツの種類と効果|ウイング]]や車体底面で発生する[[ダウンフォース]]を利用してタイヤを路面に押し付けることで旋回速度を高めており<ref>{{Cite web |url=https://www.formula1.com/en/championship/inside-f1/understanding-f1-racing/Aerodynamics.html|title=Aerodynamics |publisher=F1公式ウェブサイト |accessdate=2022-07-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20181129184059/https://www.formula1.com/en/championship/inside-f1/understanding-f1-racing/Aerodynamics.html|archivedate=2018年11月29日}}</ref>、コーナリング時の横方向の[[重力加速度|Gフォース]]は最大で6.5{{nbsp}}G以上に達する<ref>{{Cite news|url=https://www.formula1.com/en/latest/features/2017/3/f1-video-2017-vs-2016-g-force-comparison.html|title=VIDEO: Analysing 2017's massive rises in G-Force|publisher=F1公式ウェブサイト|accessdate=2018-11-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180809025002/https://www.formula1.com/en/latest/features/2017/3/f1-video-2017-vs-2016-g-force-comparison.html |archivedate=2018年12月9日}}</ref>。[[2017年のF1世界選手権|2017年]]に導入された技術規定では前後のウイング拡大などによってダウンフォースが大幅に向上し<ref>{{Cite web|和書|date=2016–10-16 |url=https://www.as-web.jp/f1/56165 |title=新規則でのダウンフォースは「驚くべきものになる」とウイリアムズ技術責任者 |publisher=AUTOSPORT web |accessdate=2018-11-28}}</ref>、多くのサーキットでそれまでの最速ラップタイム記録が更新されたが<ref>{{Cite web|和書|date=2017-5-27|url=http://ja.espnf1.com/monaco/motorsport/story/235929.html|title=ベッテルがまたもコースレコード更新 |publisher=ESPN F1 |accessdate=2018-11-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2017-10-7 |url=https://jp.motorsport.com/f1/news/%E6%97%A5%E6%9C%ACgp%E4%BA%88%E9%81%B8-%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E9%88%B4%E9%B9%BF%E3%81%A7%E5%88%9D%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E7%8D%B2%E5%BE%97-%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%891-6%E7%A7%92%E6%9B%B4%E6%96%B0-962488/2128158/|title=日本GP予選:ハミルトン鈴鹿で初ポール獲得。コースレコード1.6秒更新 |publisher=jp.motorsport.com |accessdate=2018-11-28}}</ref>、一方で[[後方乱気流]]の発生量も増加したため、後続車は前を走る車に接近した際にダウンフォースを大きく失うこととなり、その結果レース中の追い抜きが困難になった<ref name=F12022/><ref>{{Cite web|和書|date=2017-3-29 |url=https://www.as-web.jp/f1/103147?all |title=2017年F1マシンでのオーバーテイク減少をドライバーたちが懸念。「ほぼ不可能」との悲観的な声 |publisher=AUTOSPORT web |accessdate=2018-11-28}}</ref>。この問題への対応として、[[2022年のF1世界選手権|2022年]]規定のF1カーでは車体底面の[[グラウンド・エフェクト・カー|グラウンド・エフェクト構造]]によってダウンフォースの大半を発生させる設計が導入され、ウイングへの空力的依存度が低下した<ref>{{Cite web |title=Formula 1 in 2022: Explaining the new rules and car changes as teams prepare for first launches |url=https://www.skysports.com/f1/news/12433/12524402/formula-1-in-2022-explaining-the-new-rules-and-car-changes-as-teams-prepare-for-first-launches |access-date=2022-07-05 |website=Sky Sports |language=en}}</ref><ref name=F12022>{{Cite web |title=10 things you need to know about the all-new 2022 F1 car {{!}} Formula 1® |url=https://www.formula1.com/en/latest/article.10-things-you-need-to-know-about-the-all-new-2022-f1-car.4OLg8DrXyzHzdoGrbqp6ye.html |access-date=2022-07-05 |website=www.formula1.com |language=en}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2022-02-08 |url=https://www.as-web.jp/f1/782378?all |title=2022年F1技術レギュレーションを画像で解説(1)バトル促進のための空力革命。乱流対策で導入された新フロア|publisher=autosport web |accessdate=2022-07-08}}</ref>。
F1カーはカーボンファイバー[[複合材]]の[[ブレーキディスク]]を使用しており、制動距離は非常に短い<ref>{{Cite web |url=https://www.formula1.com/en/championship/inside-f1/understanding-f1-racing/Brakes.html|title=Brakes|publisher=F1公式ウェブサイト |accessdate=2018-11-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20181201005341/https://www.formula1.com/en/championship/inside-f1/understanding-f1-racing/Brakes.html |archivedate=2018年12月1日}}</ref>。2017年には、急減速の多い[[モンツァ・サーキット]]での減速Gは平均で5.5{{nbsp}}Gに達していた<ref>{{Cite web |date=2017-12-22|url=https://www.jamesallenonf1.com/2017/12/braking-power-whats-the-biggest-stop-of-the-formula-1-season/|title=BRAKING POWER: WHAT’S THE BIGGEST STOP OF THE FORMULA 1 SEASON?|publisher=jamesallenonf1.com|last=[[:en:James Allen (journalist)|James Allen]]|accessdate=2018-11-29}}</ref>。2014年以降はPUのエネルギー回生を行うために[[ブレーキ・バイ・ワイヤ]](BBW)が導入され、ブレーキング時に電子制御が介入している<ref>{{Cite web|和書|date=2016-4-15|title=分析:ハースが見舞われたブレーキ“火災”の原因を考える|url=https://www.as-web.jp/f1/10015?all|publisher=AUTOSPORT web|accessdate=2018-11-30}}</ref>。一方で、現行規定では[[アンチロック・ブレーキ・システム]](ABS)や[[トラクションコントロールシステム]](TCS)等のドライバー補助を目的とした制御装置は禁止されている<ref name=JAF/>。
追い抜きを容易にするため、[[2011年のF1世界選手権|2011年]]からは[[ドラッグリダクションシステム]](DRS)と呼ばれる可変リアウィング機構が全車に導入されている<ref>{{Cite web|url=https://www.bbc.com/sport/formula1/20496330|title=Formula for success – Kers and DRS|publisher=[[英国放送協会|BBC Sport]]|date=2012-11-26|accessdate=2018-12-04}}</ref>。また、2018年シーズンからは全F1マシンに「[[Halo (フォーミュラカー)|Halo]]」と呼ばれる頭部保護デバイスの装着が義務付けられている<ref>{{Cite web|和書|date=2017-7-20|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3136312|title=頭部保護システム「Halo」、F1で2018年シーズンから導入決定|publisher=[[フランス通信社|AFPBB NEWS]]|accessdate=2018-11-29}}</ref>。
現在ではF1の競技車両は4輪の[[オープンホイール・カー]]でなければならないと規定されているが、過去に出走したF1カーにはタイヤが[[フェンダー (自動車)|フェンダー]]で覆われている車両([[メルセデス・ベンツ・W196]])や6輪の車両([[ティレル・P34]])も存在した<ref>{{Cite web |date=2011-1-7 |url=http://en.espnf1.com/f1/motorsport/gallery/37673.html |title=Top 10 weird F1 cars |publisher=ESPN F1 |accessdate=2018-11-30}}</ref>。
F1は[[自動車産業|自動車メーカー]]の実験場としても機能しており、いくつかの成果は市販車にも応用されている<ref>{{Cite web|和書|title=7月3日F1開幕!ホンダは「走る実験室」というが、現在のF1技術は市販車のどこにフィードバックしている?【週刊クルマのミライ】|url=https://clicccar.com/2020/06/28/989798/|website=clicccar.com|date=2020-06-28|accessdate=2021-05-23|language=ja}}</ref>。近年では[[デロイト トウシュ トーマツ|デロイト]]のようなデータ分析を得意とする企業との提携も行われている<ref>{{Cite web|和書|title=「チームにとって大きな一歩」デロイトと組んだトムスは、一体何を目指しているのか?|url=https://jp.motorsport.com/supergt/news/toms-deloitte-pertnership-what-is-anbition/6007453/|website=jp.motorsport.com|accessdate=2021-07-04|language=ja}}</ref>。
=== 開発費 ===
かつては他のカテゴリー同様、1社のシャシーを複数のチームが使用することもあったが、現在では[[コンコルド協定]]において、[[知的所有権]]を含め、過去2年のうちに参戦した他チームのシャシーを使用できないよう規定された。そのため、F1はフォーミュラカーの選手権としては唯一、全チームがオリジナルのシャシーを使用している<ref group="注">[[ローラ・カーズ|ローラ]]や[[ダラーラ]]などのシャシーメーカに製作を依頼することは可能だが、その場合もそのシャシーを他チームと共用することはできない。</ref>。独自にシャシーを開発・製造するためには莫大な費用がかかり、[[2014年のF1世界選手権|2014年シーズン]]には中位チームでも年間1億2000万[[アメリカドル|ドル]]を出費していた<ref name=Caterham>{{Cite web |date=2014-11-1 |url=https://www.telegraph.co.uk/sport/motorsport/formulaone/11203136/Formula-Ones-vast-costs-are-driving-small-teams-to-ruin.html |title=Formula One's vast costs are driving small teams to ruin |publisher=[[The Telegraph]] |accessdate=2018-11-29}}</ref>。[[ケータハムF1チーム]]や[[マルシャF1チーム|マノーF1チーム]]のように近年新規参入したものの数年以内に破産に追い込まれたコンストラクターも存在している<ref name=Caterham/><ref>{{Cite web|和書|date=2017-1-9 |url=https://www.as-web.jp/f1/81409 |title=破産申請のマノーF1が声明「不本意な旅の終わり」。アジア投資グループとの交渉が土壇場で決裂 |publisher=AUTOSPORT web |accessdate=2018-11-28}}</ref>。参戦中のチームも財政的な問題を抱えており、2018年のフォース・インディアは長年課題となっていたチームの資金問題が遂に限界に達し、同年7月に破産申請。2018年第13戦ベルギーGP以降の参戦が不可能という状況になった(チームは投資家により救済され、いくつかの交渉を経て第13戦以降も参戦可能となった)。1977年から参戦している歴史ある[[ウィリアムズF1|ウイリアムズ]]も、2018年のマシン開発失敗に起因する低迷で資金難に陥り、2020年9月にアメリカの投資会社「ドリルトン・キャピタル」に買収され、ウイリアムズ家の家族経営が終わりを迎えた<ref>{{Cite web|title=Williams Racing is acquired by Dorilton Capital|url=https://www.williamsf1.com/News/2020/Team/Williams-Racing-is-acquired-by-Dorilton-Capital|website=www.williamsf1.com|accessdate=2021-08-16|language=en}}</ref>。
開発予算の格差を背景として<ref>{{Cite web|和書|date=2017–8-12 |url=https://jp.motorsport.com/f1/news/f1-%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E9%96%93%E6%A0%BC%E5%B7%AE%E6%98%AF%E6%AD%A3%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81-f1%E3%81%AB%E3%82%82%E5%85%B1%E9%80%9A%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%84%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%81%B8-940547/2126304/|title=チーム間の”予算格差”是正のため、F1にも共通パーツ導入へ |publisher=jp.motorsport.com |accessdate=2018-12-1}}</ref>、V6ハイブリッドターボ時代になってからは、上位チームと中位以下のチームのマシンの性能差が非常に大きくなってしまい、特に2017年シーズン以降は上位3チーム<ref group="注">V6ハイブリッドターボ時代の3チームと言えば、メルセデス・フェラーリ・レッドブルとなる。</ref> 所属のドライバーが表彰台を独占することが慣例化してしまっている<ref>{{Cite web|和書|date=2018-11-29 |url=https://jp.reuters.com/article/motor-f1-azerbaijan-idJPKCN1NY08B |title=F1=ブラウン氏、トップ3チームによる表彰台独占に苦言 |publisher=[[ロイター通信]] |accessdate=2018-12-1}}</ref>。F1の運営陣も、(中小規模チームのマシンに上位進出のチャンスがなく)レース結果が容易に予測できるものになっている現状を改善する必要があることは認めている<ref>{{Cite web|和書|date=2018-8-22 |url=https://jp.motorsport.com/f1/news/alonso-right-to-say-f1-is-predictable-bratches/3162207/|title=F1の改善に取り組む運営陣。アロンソの”意外性がない”との批判は「正しい」 |publisher=jp.motorsport.com |accessdate=2018-12-1}}</ref>。2021年以降は、全チーム共通の予算制限と開発費の一角を占める風洞も前年のチームランキングに応じて風洞の利用時間が指定される仕組みが導入された。
市販車への技術応用という名目においても、2020年以降世界的な[[低炭素社会]]や[[カーボンニュートラル]]への対応として、ガソリン車の販売禁止と[[電気自動車]]へ移行の流れが出来つつあるなかで、ガソリンエンジン開発に多額の費用をかける理由が失われたなどと主張し、好調であっても撤退する企業(ホンダ)が出ている<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書|title=ホンダが下した「究極の判断」 F1撤退と真の存在意義:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/ASP6V4D4GP6FUPQJ006.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-07-03|language=ja}}</ref>。
== ドライバー ==
{{See also|F1ドライバーの一覧|F1ドライバーズチャンピオンの一覧}}
[[ファイル:Map of Formula One drivers by nationality.png|thumb|300px|各国のF1ドライバー輩出人数を示した世界地図。アメリカ出身者が極めて多いのはかつて[[インディ500]]がF1の1戦に数えられていた影響である。(データは2014年1月時点)]]
=== ドライバーに関する規定 ===
F1レースに出走するためには、FIAが発給するモータースポーツライセンスの最上位クラスである「[[スーパーライセンス]]」を所持していなければならない<ref>[https://formula1-data.com/glossary/race/rule/super-licence FIAスーパーライセンスとは]formula1-data.com(2020年7月9日)2021年4月7日閲覧。</ref><ref>{{Cite web|和書|url =https://jp.motorsport.com/supergt/news/SGT-SF-F1-yamamoto-f1-possibility/3212564/|title =国内二冠でスーパーライセンス発給条件達成。山本尚貴のF1挑戦はあるのか? |publisher =jp.motorsport.com |date = |accessdate =2018-11-14 }}</ref>。各F1チームは1シーズン4人までのドライバーをレースで起用することができる<ref name=JSR/>。最大4人のレースドライバーに加え、グランプリ週末金曜日の練習走行(P1・P2)では各セッション2人までの追加ドライバーを出走させることができるが、それらの追加ドライバーは最低でも「[[スーパーライセンス#フリー走行限定ライセンス|フリー走行限定スーパーライセンス]]」を所持している必要がある<ref name=drchange>{{cite web|title=Licenses, driver changes and additional drivers|url=https://www.formula1.com/en/championship/inside-f1/rules-regs/|Driver_changes_and_additional_drivers.html|publisher=F1公式ウェブサイト|accessdate=2018-12-27}}</ref>。2015年までも下位カテゴリーの経験の必要性が言及されていたが、2001年の[[キミ・ライコネン]]のように、F1マシンで指定距離を走行したドライバーであれば、個別の審査を経てライセンスが発給されることもあった。ただ、時代が進むにつれ、ドライバーの低年齢化が著しく進み、2014年には[[マックス・フェルスタッペン]]([[スクーデリア・トロ・ロッソ|トロ・ロッソ]])が史上最年少の17歳でF1のフリー走行をこなし、翌年フェルスタッペンはレギュラー契約を結んでF1デビューを果たした。
その後、FIAはスーパーライセンスの発給規定を厳格化することになり、2016年以降は
* 各レースカテゴリに2年以上(開催レース数の80%以上)参戦し、参戦した年の成績に応じて与えられる「スーパーライセンスポイント」を過去3年間で40点以上獲得していること
* 近年のF1マシンで300km以上の距離を走行した経験があること
* 自動車運転免許を取得していること
* 年齢が18歳以上であること
が明記され、他にも数多くの条件に該当する必要がある方針へ変化した(詳細は[[スーパーライセンス]]、[[マックス・フェルスタッペン]]を参照)。
前述の通り、2016年以降スーパーライセンスの発給資格を満たしていることが絶対条件となったため、かつてのような18歳未満のドライバーはいかなる特例をもってしてもF1への出場はおろか、リザーブドライバーとしての登録やテストドライバーとしてフリー走行のみに参加することすら認められなくなった<ref>{{Cite web|和書|date=2017-09-22|url=https://www.as-web.jp/f1/162951?all|title=新スーパーライセンスポイント シリーズ別獲得ポイント一覧表|publisher=AUTOSPORT web|accessdate=2018-12-27}}</ref><ref name=drchange/>。過度な低年齢化や経験不足によるデビューの抑制の評価する声もあるものの、1991年に[[ミハエル・シューマッハ]]がF1へスポット参戦する形でF1デビューした事例や2001年に[[ジェンソン・バトン]]がウィリアムズのドライバーとしてフル参戦した事例は、この基準の場合、認められていなかったことになるため<ref>[http://www.topnews.jp/2015/01/08/news/f1/121140.html 2016年からのF1ライセンス発給要件ではバトンやライコネン、そしてシューマッハもアウト!]www.topnews.jp(2015年1月8日)2022年3月9日閲覧。</ref>、ポイントで左右される仕組みに関しては見解が分かれている<ref>[https://formula1-data.com/article/red-bull-criticizes-fia-superlicense レッドブル、FIAスーパーライセンスを批判「ポイントの過多はF1での成功とは無関係」]formula1-data.com(2020年1月22日)2022年3月9日閲覧。</ref>。
多くのF1チームはレギュラードライバーが参戦できない場合の代役、およびマシン開発の担当者として「リザーブドライバー」や「テストドライバー」を任命しているが、F1のテスト制限が進んだ現在では彼らの主な役割は[[ドライビングシミュレーター]]上での作業となっている<ref>{{cite news|last=Allen|first=James|title=Inside an F1 team's driving simulator|url=http://www.jamesallenonf1.com/2010/10/video-exclusive-inside-an-f1-teams-driving-simulator/|accessdate=10 June 2011|work=James Allen on F1|date=11 October 2010}}</ref>。その関係でフリー走行もテスト的な役割を担わなくてはいけなくなってしまったため、リザーブドライバーがフリー走行のみ参加して経験を積むということは困難になっており、技量維持のため[[フォーミュラE]]といった別カテゴリーへ参戦している事例も少なくない。実際、2020年度には[[セルジオ・ペレス]]が[[新型コロナウイルス]]の影響で欠場することになった際、チームは登録していたリザーブドライバーではなく、前年にF1のレギュラーシートを喪失していた[[ニコ・ヒュルケンベルグ]]を急遽起用している<ref>[https://formula1-data.com/article/why-did-racing-point-use-hulkenberg 24時間の舞台裏…レーシングポイントF1、何故バンドーンやグティエレスではなくヒュルケンベルグを起用したのか?]formula1-data.com(2020年7月31日)2021年4月8日閲覧。</ref>。
カーナンバーについては、1996年から2013年までは前年のポイントランキングに基づいてチーム毎に割り振りされていたが<ref group="注">前年のドライバーズランキング総合優勝者が在籍するチームに1(前年のドライバーズランキング総合優勝者)・2が与えられ、以降はコンストラクターズランキング上位より3・4、5・6・・・と割り当てられていた。</ref>、2014年以降はF1に参戦するドライバーは自らのカーナンバーを2から99までの数字(永久欠番である17を除く<ref>{{cite web|title=Number 17 to be retired in Bianchi's honour|url=https://www.formula1.com/content/fom-website/en/latest/headlines/2015/7/number-17-to-be-retired-in-bianchis-honour.html|website=Formula1.com|accessdate=31 August 2015|date=20 July 2015}}</ref>)から自由に選択することができ、選択された数字はそのドライバーのキャリアを通して固定されたカーナンバーとなる<ref name=helmet>{{cite web|title=Car and helmet livery and driver numbers|url=https://www.formula1.com/en/championship/inside-f1/rules-regs/Car_livery.html|publisher=F1公式ウェブサイト|accessdate=2018-12-27}}</ref>。カーナンバー1は専用ナンバーとして現役のドライバーズチャンピオンに与えられるが、チャンピオンは自分が選択した固定ナンバーを使い続けることも可能である<ref>{{cite web|last=Benson|first=Andrew|title=Formula 1's governing body confirm drivers' numbers|url=https://www.bbc.co.uk/sport/0/formula1/25694748|website=BBC Sport|accessdate=21 March 2014|date=11 January 2014}}</ref>。
シーズン中、各ドライバーのヘルメットは同一のデザインを使用し続けなくてはならないが、ドライバーのホームレース(もしくはチームのホームレース)やモナコGPなど、特別な1戦でのみはそれに合わせた特別仕様のデザインが許されている<ref name=helmet/>。ただし、基本1回限りとされているヘルメットのデザイン変更だが、これには抜け穴があり、「シーズン中に申請されたデザイン変更が許可される回数は1回限り」<ref>{{Cite web|和書|url =https://www.as-web.jp/f1/373080?all|title =ボッタス「ハッキネンカラーのヘルメットでモナコで走れるのは誇らしい」 |publisher =www.as-web.jp |date =2018-5-25 |accessdate =2018-12-30 }}</ref>だが、ドライバー側が「無許可でデザイン変更した場合」であっても、それを理由に罰せられたことはなく、厳密には形骸化している。実際、2018年のベッテルはすべてのレースにてロゴの位置や文字のフォントの変更などの最初に発表したデザインから大きく逸脱しない程度のデザイン変更を毎戦加えて出走した。そのため、デザイン変更の規定に矛盾が生じつつあったが、2019年ロシアGPにてトロロッソの[[ダニール・クビアト]]がヘルメットのデザイン変更を申請<ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/masi-explains-refusal-to-allow-kvyats-helmet-design/4550971/ 正直者はバカを見る!? クビアトのヘルメットは「聞かれたから却下した」]jp.motorsport.com(2019年10月2日)2020年3月10日閲覧</ref>したのだが、その権利をイタリアGPで使用していたことを理由に却下された件をきっかけに批判が殺到<ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/vettel-slams-major-bs-restriction-on-helmet-changes/4593832/ ヘルメットデザインの変更は”自由”にすべき? ベッテル「だってこれは僕のだよ」]jp.motorsport.com(2019年11月8日)2020年3月10日閲覧</ref>。ただ擁護するなら、時のレギュレーションに従ってFIAは却下したのだが、いわゆる規定の矛盾が問題視された。その結果、2020年からはドライバーヘルメットのデザイン変更の回数制限が撤廃されることとなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.as-web.jp/f1/571608?all |title=FIA、2020年F1レギュレーションの改定点を発表。不評だったヘルメットデザイン規制が撤廃 |publisher=autosport web |date=2020-03-07 |accessdate=2020-03-07}}</ref>。
===ペイドライバー===
ペイドライバーとは、資金の持ち込みと引き換えにチームとの契約を確保するドライバーの俗称である<ref>{{cite news |url= https://www.bbc.com/sport/formula1/21194933 |title= Pay as you go, go, go: F1's 'pay drivers' explained |last=Andrew Benson|date= 2013-01-27 |work=[[英国放送協会|BBC]] Sport|accessdate=2018-11-15}}</ref>。「金でシートを買った」などと揶揄されることも多く、ペイドライバーというだけで正当に評価されないことも少なくない。ただ、実際のところ、ほぼすべてのドライバーが(金額の差はあるが)自身のスポンサーをチーム加入時に持ち込んでおり、他にもドライバーの活躍を受け、その母国の企業が後から支援してくれるケースもある。そのため、個人スポンサーに限れば、レーシングスーツやヘルメットに掲載しており、マシンにも小口スポンサーとして何らかのロゴが掲載されていることが主流である。
他にもレギュラードライバーにはある程度実績・実力のあるドライバーを起用しつつ、ペイドライバーはテストまたはリザーブドライバーとして契約することで戦績と資金調達を両立するチームも少なからずあり<ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/The-bigger-picture-behind-Nissany-deal/4661310/ ウイリアムズ、テストドライバーに無名の若手を起用。その背景にあるものとは?]jp.motorsport.com(2020年1月22日)2021年4月7日閲覧。</ref>、この種のペイドライバーはテストやフリー走行にだけ出現する事が多い。そのため、本来の定義でもある「持参金を持ち込むことを条件に契約する」ドライバーという意味合いより、狭義の意味合いでもある「目立った実力・実績を持っておらず知名度が低い」のに「(資金的に苦しいチームへ)極端に高額な資金を持ち込んで契約する」ドライバーが「ペイドライバー」として扱われることが多い。
また{{F1|2015}}には「ペイドライバーが、より高額な資金を持つ別のペイドライバーにシートを奪われる」という事態も発生した。これは[[ザウバー]]に契約を破棄された[[ギド・ヴァン・デル・ガルデ]]の告訴により発覚したものである。ガルデは1度は契約を結んだにもかかわらず、ザウバーが[[マーカス・エリクソン]]、[[フェリペ・ナスル|フェリペ・ナッセ]]と契約を結んだため、押し出される形で失ったシートの返還を求め告訴し、裁判で勝訴した。最終的にはガルデがザウバーからの違約金を条件に出走を諦めることで和解したが、一時は2つの枠に3人のドライバー(ヴァン・デル・ガルデ、エリクソン、ナッセ)が存在するという混乱を生んだ。更には前年からの契約期間が残っていた[[エイドリアン・スーティル]]も似た経緯で同年のシートを喪失していたことが判明し、スーティルの場合は賠償金の支払いのみを求めて裁判で勝訴している。なお、この4人がどのような順番及び内容で契約していたのかは不明であり、一説では[[エステバン・グティエレス]]、[[ジュール・ビアンキ]]とも契約を結んでいたとされる(詳細は「[[ザウバー#ドライバー多重契約騒動]]」を参照)。
ザウバーの件は極端な例だが、モータースポーツは大口スポンサーがいないチームからすれば、常に資金に悩むことも少なくなく、中小プライベーターがペイドライバーをうまく利用するのは一般的なことである。実際、過去のシーズンを見れば、今は亡き[[ジョーダン・グランプリ]]は、[[ジョーダン・193|1993年]]は資金不足などの影響もあり、1台のマシンを5人のドライバーがドライブした形となった経歴があり、後述の[[ハースF1チーム]]もそれに該当する。
また、下位カテゴリーのF2に目を向ければ、持参金でシートが左右されるのは有名な話である。一例を挙げるなら、[[アレクサンダー・アルボン]]は資金不足により2018年のF2参戦を断念しかかっていたが、[[DAMS]]と交渉して1戦毎の契約を条件に参戦することに成功。アルボン側も第3戦バクーで初優勝して実力をアピールしつつ、後押しとして資金をかき集めてフル参戦の契約に切り替える交渉をして、その結果、フル参戦の契約が成立してそのまま最終戦まで戦った経歴を持つ<ref>[https://formula1-data.com/article/alex-albons-journey-to-f1-with-chronic-financial-difficulties レッドブル放出、慢性的な資金難…首の皮一枚でF1まで這い上がったアレックス・アルボンのキャリア]formula1-data.com(2019年12月20日)2020年2月18日閲覧</ref>。
[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の世界的流行]]による影響によって一部のF1チームは急激な資金難となり<ref>[https://formula1-data.com/article/why-haas-f1-released-grosjean-and-magnussen-at-the-same-time 理由はお金?それとも…ハースF1がグロージャンとマグヌッセンを同時に放出した訳と来季ラインナップの見通し]formula1-data.com(2020年10月23日)2021年4月7日閲覧。</ref><ref>[https://www.as-web.jp/f1/637290?all F1ポルトガルGP木曜会見:グロージャン「どちらかがチームを去ることを予期していた」離脱の背景に財政問題]www.as-web.jp(2020年10月30日)2021年4月7日閲覧。</ref>、ハースF1チームは時のレギュラードライバー([[ケビン・マグヌッセン]]および[[ロマン・グロージャン]])を放出してでも[[ニキータ・マゼピン]]らを起用せざるを得ない状況まで追い込まれていた。現にチームのコメントでも<ref>[https://www.as-web.jp/f1/650899?all 「マゼピンは才能も資金もある完璧な選択」とハースF1代表]www.as-web.jp(2020年12月4日)2021年4月7日閲覧。</ref><ref>[https://www.as-web.jp/f1/654229/2 【F1チームの戦い方:小松礼雄コラム第18回】“ハース再生”を目標に新人ふたりを起用「ミスを恐れずに挑戦してほしい」]www.as-web.jp(2020年12月11日)2021年4月7日閲覧。</ref>、マゼピンの起用は彼の資金が決め手の一つになったことも事実上認めていた。だが、2022年も彼の参戦が予定されていたのだが、2022年2月下旬に勃発した[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]]により、ハースは当時のチームのタイトルスポンサーの[[ウラルカリ]]との契約見直しを迫られ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.as-web.jp/f1/787818?all |title=ハースF1、ロシア企業ウラルカリ&マゼピンとの契約について見直しへ。チームの将来には懸念なしと断言 |accessdate=2022-03-07 |publisher=auto sport Web |date=2022-02-26}}</ref>、最終的にウラルカリとの契約を解消。これに伴いマゼピンはシーズン前テストに参加していたにもかかわらず、同年のシートを失った<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.as-web.jp/f1/789929?all |title=ハースF1、ロシアのウラルカリ社およびマゼピンとの契約解除を発表。後任ドライバーは明らかにされず |accessdate=2022-03-07 |publisher=auto sport Web |date=2022-03-05}}</ref>。他にも、ベネズエラ政府のバックアップ及び[[ベネズエラ国営石油会社|PDVSA]]からバックアップを受けていたマルドナドは2016年も参戦予定であったが、ベネズエラの石油価格の下落による経済・政治情勢が不安定なことによりPDVSAがシート料を払うことができずチームとの契約が破談し、そのままシートを失った例もある。
実際にペイドライバーとして扱われながらも好走を見せたドライバーも少なからずおり、以下は活躍したペイドライバーの一例。
; [[アンドレア・デ・チェザリス]]
: [[フィリップモリス]]([[マールボロ (たばこ)|マールボロ]])の重役の息子だったため、同社の強力なスポンサードを受けて参戦していた。「クラッシュ・キング」「サーキットの通り魔」などの不名誉な異名もとったが、[[1982年アメリカ西グランプリ|1982年]]には当時の最年少のポールポジション獲得記録<ref group=注>デ・チェザリスの史上最年少PP記録は22歳と308日である。この記録更新は{{F1|1968}}のドイツグランプリにて史上最年少PPを記録した[[ジャッキー・イクス]](23歳と216日)以来の実に14年ぶりの快挙であった。尚、デ・チェザリスの記録を破ったのは{{F1|1994}}ベルギーグランプリにて[[ルーベンス・バリチェロ]]が記録した22歳と97日であり、デ・チェザリスは12年間最年少PP記録を保持し続けていた。</ref>を樹立<ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/how-a-fist-shake-may-have-cost-f1s-youngest-poleman-a-win/4777059/ 最年少PP記録樹立も、未勝利で引退。チェザリス悲運のキャリア]jp.motorsport.com(2020年4月12日)2021年4月7日閲覧。</ref>するなど、時折結果を残し、[[1991年のF1世界選手権|1991年]]には新参チーム・[[ジョーダン・グランプリ]]のコンストラクターズランキング5位に貢献した。最終的にはキャリア15年で延べ12チームに在籍し長きに渡ってドライブしていた。
; [[ペドロ・ディニス]]
: 父親のブラジル有数の実業家・[[アビーリオ・ディニス]]の支援を受け、[[パルマラット]]やブラジルの多数の食品関連会社のスポンサードを受けていた。当初は「国際F3000で目立った実績を残していないが、F1に出場させるために[[フォルティ・コルセ|所属チーム]]ごとF1デビュー」「[[ルネ・アルヌー|ドライビングコーチ]]が同伴」などスポンサーマネーの豊富さと実力不足を露呈していたが、移籍して[[オリビエ・パニス]]や[[デイモン・ヒル]]、[[ミカ・サロ]]、[[ジャン・アレジ]]といった実力あるドライバーと組むうちに自身も実力を付け、時には彼らチームメイトよりも予選で上位に入るなど注目を集めた。キャリア終盤にはただのペイドライバーから「十分な実力を備え、おまけに莫大な資金源も抱えるドライバー」へと評価も変わっていった。
; [[セルジオ・ペレス]]
: [[カルロス・スリム]]の関連会社から多額の支援を受けており、2012年に所属した[[ザウバー]]では一度の2位表彰台と二度の3位表彰台を獲得<ref group="注">これはザウバーに所属した歴代ドライバーの中で最高位、最多回数である</ref>した反面、入賞回数に関してはチームメイト([[小林可夢偉]])に負ける(ペレスは表彰台3回も含めた入賞7回、対して小林は表彰台1回も含めた入賞9回)などシーズン全体で見れば好成績とは言えず<ref>[http://www.topnews.jp/2012/11/03/news/f1/f1teams/mclaren/76088.html ペレス、マクラーレン移籍で集中力欠如?]www.topnews.jp(2012年11月03日)2021年4月7日閲覧。</ref>、{{F1|2013}}に当時トップチームであった[[マクラーレン]]と契約を結んだことに関してはペイドライバー的な起用だとを揶揄された<ref>[http://www.topnews.jp/2013/03/13/news/f1/f1teams/mclaren/82890.html マクラーレンはペイドライバーを選んだとワトソン]www.topnews.jp(2013年3月13日)2021年4月7日閲覧。</ref>。しかし、2013年の1年限りでマクラーレンのシートを喪失するが、その後、移籍した[[フォース・インディア]]では、複数の表彰台に加え、2016年と2017年には、当時の優勝経験のないチームの中で唯一獲得ポイントで3桁に到達するドライビング<ref>[https://www.as-web.jp/f1/73595?all 「冷静な思考を身に着けた」2度の表彰台を獲得したペレス、2016年のF1シーズンを振り返る]www.as-web.jp(2016年12月15日)2021年4月7日閲覧。</ref><ref group="注">特に完走率が非常に高く、2017年までの4年間では、93.5%(決勝に進出した78戦中73戦完走)という記録を誇る。</ref>を見せた。また、{{F1|2020}}には第16戦[[2020年サヒールグランプリ|サクヒールGP]]で自身初優勝を得た結果、メキシコ人ドライバーとしては[[ペドロ・ロドリゲス]]以来、50年振りの優勝を記録。この頃になると高い評価を得るようになり、2020年いっぱいで契約していた[[レーシング・ポイント]]のシートを失う状況であったが<ref>[https://formula1-data.com/article/perez-to-leave-racing-point-at-the-end-of-2020 セルジオ・ペレス、2020年末でのレーシングポイントF1離脱を発表…来季の「プランBはない」]formula1-data.com(2020年9月10日)2021年4月7日閲覧。</ref>、様々な要因から、時のトップチームの[[レッドブル・レーシング|レッドブル]]の2021年のシート候補になった際には<ref>[http://www.topnews.jp/2020/10/06/news/f1/192604.html ペレスあるいはヒュルケンベルグにレッドブル加入の可能性?]www.topnews.jp(2020年10月6日)2021年4月7日閲覧。</ref>、かつてとは違い同チームのシート獲得を支持されるほどの評価となっており<ref>[https://formula1-data.com/article/racing-point-bosses-wish-perez-to-join-red-bull-next-season F1サクヒールGP勝者セルジオ・ペレスの来季レッドブル・ホンダ入りを願うレーシングポイントのボスと元ドライバー達]formula1-data.com(2020年12月7日)2021年4月7日閲覧。</ref>、最終的には2021年のレッドブルのシートを獲得<ref>[https://formula1-data.com/article/red-bull-f1-officially-announces-signing-of-perez 速報:レッドブル・ホンダF1、2021年王座争いに向けセルジオ・ペレスとの契約を正式発表!アルボンは控えに降格]formula1-data.com(2020年12月18日)2021年4月7日閲覧。</ref><ref>[https://formula1-data.com/article/give-next-season-my-full-focus-said-perez セルジオ・ペレス、2021年に”全精力”を注ぐ覚悟「レッドブル・ホンダのタイトル争いに貢献する事が僕の役目」]formula1-data.com(2020年12月19日)2021年4月7日閲覧。</ref>。2022年にはメキシコ人ドライバーとしてはじめてのF1でのポールポジションを獲得し同年のモナコGPを制覇するなど、現在では彼をペイドライバーと呼ぶ声は無くなり、ペイドライバーと呼ばれていたドライバーとしては最も成功したドライバーと言える。
; [[パストール・マルドナド]]
: 前述のようにベネズエラ政府のバックアップ及び[[ベネズエラ国営石油会社|PDVSA]]から40億円近い資金を持ち込んだことで知られている。ただし、マルドナドは前年に[[GP2]]のタイトルを獲得しており、仮に資金がなかったとしてもシートに見合う実績はあった。事故によるリタイアが多く、[[フライング|ジャンプスタート]]を犯してしまうなどミスも目立ったが、時折予選で上位を獲得したり決勝でも上位を走ることがあり注目を集め、[[2012年スペイングランプリ|2012年スペインGP]]では明確なペイドライバーとしては数少ない[[ポールポジション]]獲得・優勝を果たしている。前述したように、ベネズエラの石油価格の下落による経済・政治情勢が不安定なことによる影響を被り、F1を去ることとなった。
; [[ランス・ストロール]]
: カナダ有数の実業家の父親・[[ローレンス・ストロール]]が82億円の資金を[[ウィリアムズF1|ウィリアムズ]]に提供し当時の持参金の最高額を更新しシートを獲得。だが、マルドナドのような直下のカテゴリにあたるGP2などの経験や実績がなく、かつてウィリアムズに在籍していた[[ジャック・ヴィルヌーヴ]]からは実力を酷評され<ref>[http://www.topnews.jp/2017/07/06/news/f1/160999.html ビルヌーブ「ストロールを酷評したことに後悔はない」]www.topnews.jp(2017年7月6日)2021年4月7日閲覧。</ref>、F1参戦を果たした2017年序盤は事故によるリタイアが目立ったため、その影響でメディアからもその実力を疑問視された。ただ、2016年の[[ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権|ヨーロッパF3]]のタイトルを得るなど、F2より下に当たるカテゴリーでのタイトル獲得やフォーミュラカーというジャンルの経験は積んでおり、直下のカテゴリ(F2・GP2)を経験せずF1へジャンプアップする例<ref group="注">そもそも、F1の歴史的に見れば、F3からF1といったジャンプアップした例は珍しいものではなく、ストロール特有の出来事ではない。</ref>や正ドライバーとしての起用を確定すべく多額の持参金を用意する例は過去にも存在する。また、F1デビュー自体もテストドライバーとしてF1に関わっているときに正ドライバーとして起用されたため、他のドライバーと比べても異色なキャリアを築いているわけではない<ref group="注">同じウィリアムズのドライバーで見れば、持参金以外の点では[[バルテリ・ボッタス]]と似たようなキャリアとなっている。</ref>。父親の資金をフル活用したという印象<ref>{{Cite web|和書|url =http://www.as-web.jp/f1/89912 |title =【2017年F1ルーキー特集】ランス・ストロールを“ペイドライバー”と侮ってはならない |publisher =www.as-web.jp |date =2017-02-11 |accessdate =2018-11-15 }}</ref>や2019年には父親がかつての[[フォース・インディア]]を買収し[[レーシング・ポイント]]として再スタートする際、レーシング・ポイントに移籍したことから「ペイドライバー」の代表例として見られることも多い。その一方でデビューチームのウィリアムズの2年間では、[[2017年アゼルバイジャングランプリ|2017年アゼルバイジャンGP]]での3位表彰台獲得<ref group="注">当時3強と呼ばれるチーム以外では唯一の表彰台獲得。</ref>やチームが不振に陥った2018年に2度の自力入賞を果たした。レーシング・ポイント移籍後は[[2020年トルコグランプリ|2020年トルコGP]]でウェットコンディションではあるがキャリア初の[[ポールポジション]]獲得<ref>[https://www.as-web.jp/f1/645338?all ストロールがメルセデスの連続ポールをストップ「最高の形でスランプから立ち直れた」レーシングポイント【F1第14戦】]www.as-web.jp(2020年11月15日)2021年4月7日閲覧。</ref>など、時折速さを見せており<ref>[https://www.as-web.jp/f1/558411?all レーシングポイントF1代表、ストロールのポテンシャルに期待「速く走る方法を教える必要はない」]www.as-web.jp(2020年1月16日)2020年1月16日閲覧</ref><ref>[https://www.as-web.jp/f1/461464?all ペレス「ストロールのフィードバック技術には驚かされた」と僚友に感服。レーシングポイントF1の躍進を担えるか]www.as-web.jp(2019年3月14日)2021年4月7日閲覧。</ref><ref>[https://www.as-web.jp/f1/646844?all 1997年F1王者ビルヌーブ、ストロールへの酷評を撤回「難コンディションに強い。実力によるポールポジション」]www.as-web.jp(2020年11月21日)2021年4月7日閲覧。</ref>、初期のころの評価を払拭している。
== 人気 ==
ヨーロッパで始まった最高峰自動車レースのF1は、ヨーロッパにおいては非常に大きな関心を集めるスポーツの一つである<ref group="注">ヨーロッパで人気のある他のスポーツとしては[[サッカー]]が挙げられる。</ref>。TV視聴者が最も多い国として南米の[[ブラジル]]がイタリアと並んで挙げられるなど<ref name=TV>{{cite web|url=https://www.independent.co.uk/sport/motor-racing/formula1/f1-television-figures-down-decrease-liberty-media-standings-a8346796.html|title= Formula One reveals television audience is down so far this year despite a boost in on-track action |last=Christian Sylt|date= 2018-05-11 |work=[[インデペンデント|The Independent]]|accessdate=2018-11-15}}</ref>、F1はヨーロッパのみならず世界的に見ても人気のあるスポーツと言える。その一方で、世界最大級の市場である[[アメリカ]]ではインディカーやNASCAR等が台頭していることもあり、人気があるとは言えず、一時期「不毛の地」とも揶揄された<ref name=CNBC>{{cite web|url=https://www.cnbc.com/2018/07/06/formula-one-america-united-states-racing-sport-liberty-media.html|title= After decades of trying, Formula One may finally be growing in America |last=Sophie Bearman|date= 2018-06-07 |work=[[CNBC]]|accessdate=2018-11-15}}</ref><ref name=":2">{{Cite web |title=F1「不毛の地」アメリカ、今では空前のブームに…若者人気の火付け役はネットフリックス |url=https://www.yomiuri.co.jp/economy/20231114-OYT1T50051/ |website=読売新聞 |date=2023-11-14 |access-date=2023-11-14 |author=小林泰裕}}</ref>。世界的なF1中継の有料放送化を背景に、2018年には過去10年間でF1の視聴者総数が41.3%減少したことが報道されており<ref name=TV/>、他にも一部の強豪チームが勝利を独占している状態が近年のF1の人気低下につながっているとの指摘もある<ref>{{cite web|url=https://www.motorsport.com/f1/news/football-chief-spells-out-why-f1-fans-are-switching-off-1010013/1393878/|title= Football chief spells out why F1 fans are ‘switching off’|last=James Allen|date= 2018-02-28 |work=motorsport.com|accessdate=2018-11-15}}</ref>。
現にV6ハイブリッドターボ時代になってから表彰台入りしているのは、シーズンを通して上位3チーム<ref group="注">V6ハイブリッドターボ時代の3チームと言えば、メルセデス・フェラーリ・レッドブルとなる。</ref> 所属のドライバーが独占することが慣例化しており、2014年から2016年までの間は3チーム以外のドライバーが表彰台に上がったレースが各シーズンで数戦あったが、2017年と2018年に限っては、上位3チーム以外の表彰台入りしたのは計41戦中2戦<ref group="注">2017年第8戦の[[ランス・ストロール]]、2018年第4戦の[[セルジオ・ペレス]]が表彰台を獲得しただけであった。</ref>だけという状況であった。2019年以降は上位3チーム以外のドライバーが上がったレースが数度あるようになったが、そのレースは上位3チームのリタイアやトラブルが発生した波乱のレースによる混戦の結果であり、そのチーム以外が自力でその3チームを打ち破って表彰台に上がるというのは非常に困難となっており、ゴールまでにある程度の結果が予測できる状況になってしまっている。また、エンジン使用制限に伴うペナルティの影響で予選の価値が低下している面<ref>[https://www.as-web.jp/f1/414731?all “ナンセンス”なF1ロシアGP予選にアロンソが批判。「F2レースの方が楽しめたよ」] - www.as-web.jp(2018年10月12日)2019年5月14日閲覧。</ref> もあり、レギュレーションの問題がF1の人気低下を招いている面もある。
そのため、この状況にドライバーからも不満の声が上がっており、チャンピオン経験者で言えば、[[フェルナンド・アロンソ]]が「デビュー時に比べコース上での戦いが非常に少なくなった」とコメント<ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/Alonso-lack-of-track/3159704/ アロンソ、F1参戦停止の理由は”コース上での闘い”の欠如] - motorsport.com(2018年8月17日)2019年5月14日閲覧。</ref>し、2019年5月に時のフェラーリのドライバーであった[[セバスチャン・ベッテル]]が「メルセデスが圧勝を続ける現在のF1は退屈でつまらない」と皮肉交じりのコメント<ref>[https://formula1-data.com/article/vettel-mercedes-success-is-boring メルセデスの圧勝が続くF1は「退屈でつまらない」とセバスチャン・ベッテル] - formula1-data.com(2018年8月17日)2019年5月14日閲覧。</ref> をしている。また、前述のペイドライバーの一人、[[セルジオ・ペレス]]は2019年5月に「現状は単なるチームのチャンピオンシップとなってしまっている」「ドライバーの腕よりマシンの性能でレースが確定する」と言い切っており<ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/frustrating-f1-needs-to-change-massively-perez/4387483/ もはやドライバーズ選手権ではない……ペレス、所属チームが勝敗分ける現代F1に不満] - motorsport.com(2019年5月14日)2019年5月14日閲覧。</ref>、ドライバーたちも不満を抱えている状況である。その一方で[[Netflix]]やSNSによる新規ファンの流入も起きており<ref name=":1" />、F1の人気低下に関しては見解が分かれている。
2018シーズンのF1世界選手権の現地観戦者数は、全21グランプリで合計409万3,305人と2017年と比較して7.83%増加しており、F1側は人気が回復傾向にあるとの認識を示している<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.as-web.jp/f1/440487?all |title = 開催危機がささやかれるF1イギリスGP、2018年は観客数が増加し全戦中トップに |publisher = AUTOSPORT web |date = 2018-12-24 |accessdate = 2018-12-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url =https://formula1-data.com/article/f1-attended-by-four-million-fans-2018 |title =F1人気が回復傾向…400万人以上のファンが現地観戦 昨年比7.83%増を達成、日本GPも2桁増 |publisher =Formula1-Data |date =2018-12-25 |accessdate =2018-12-26 }}</ref>。[[リバティ・メディア]]はF1人気復活のために、マイアミグランプリを含めた1国複数回グランプリ開催の実現に向けて動いている<ref>{{Cite web|和書|url = https://jp.motorsport.com/f1/news/f1-plans-to-make-major-united-states-push-in-2021/5341857/|title = アメリカでの人気を拡大するため……F1が進める新戦略。米国2レース目開催も視野|website = jp.motorsport.com|publisher = jmotorsport.com|date = 2021-02-05|accessdate = 2021-04-08}}</ref>。
初期の車体塗装はチーム国の「ナショナルカラー」にスポンサーのロゴを掲示する程度であった。しかし[[1968年のF1世界選手権|1968年]]にロータスが新たにスポンサーとなった[[インペリアル・ブランズ|インペリアル・タバコ社]]の製品のパッケージと同じカラーリングとした[[ロータス・49]]を出走させ話題となったことで伝統が破られた。これ以降は[[R.J.レイノルズ・タバコ・カンパニー|レイノルズ]]や[[フィリップモリス]]などタバコ企業が広告効果を狙ってスポンサーに名乗りを上げ、自社製品のパッケージと同じカラーに塗装したマシンを多数出走させていた。しかし、1990年代からはタバコ広告の規制が始まり<ref>{{Cite web|和書|title=【フォトギャラリー】F1チームはタバコ広告禁止のレースにどう対処したのか? 個性が光る6つの解決策|url=https://jp.motorsport.com/f1/news/seven-ways-f1-teams-got-around-tobacco-bans/4778804/|website=jp.motorsport.com|accessdate=2021-07-04|language=ja}}</ref>、2005年8月以降は、[[欧州連合]]域内でのタバコ広告が全面的に禁止されたことに伴い、シーズン中に一部のチームではタイトル・スポンサーの変更などが行われた。その後、世界中でタバコブランドとその商品名の広告は、多くの規制がかかるようになり、[[たばこ広告#イギリス|イギリス]]の規制は厳格なものとなっている。一方で欧州以外の地域では、喫煙の危険性について警告する内容の表記の義務化の徹底のように条件付きでの広告の宣伝活動を禁止したわけではなく、欧州以外のGPではタバコ会社がスポンサーをする広告の掲載は時の判断となっている面もあり、各GPのエントリーリストやマシンのスポンサー枠を細かく見れば、タバコに関連する広告の記載は結果的に存続している。実際、フェラーリと関係の深いスポンサーである[[フィリップモリス]]は、規制によってF1マシンの広告が不可能になりながらも関係を継続。2018年10月からMission Winnowというタバコとは関係のないプロジェクトの宣伝という名目でフェラーリのマシンのスポンサー枠として復活している<ref>[https://jp.motorsport.com/f1/news/ferrari-unveils-new-f1-livery-ahead-of-the-japanese-gp/3188238/ フェラーリ、新カラーを鈴鹿で発表。フィリップモリスの白いロゴが追加]jp.motorsport.com(2018年10月4日)2021年10月22日閲覧。</ref>。
1990年代からのタバコ広告の規制の始まりと入れ替わるように、2000年代から[[情報通信業]]に分類される会社がチームのスポンサーとして参入しており、タイトルスポンサーという点で言えば、2007年には[[ボーダフォン]]がマクラーレンのタイトルスポンサーに就任。[[AT&T]]は2001年からスポンサー活動をしていたが、この年からウィリアムズのタイトルスポンサーに就任した。また、2010年にはセキュリティ[[ソフトウェア]]の開発がメインの会社である[[カスペルスキー]]がフェラーリとのパートナーシップを締結し、2013年には公式ITセキュリティプロバイダーとして認定され、2013年からはカスペルスキーの広告がウェアやマシンに記載されるようになった<ref>[https://blog.kaspersky.co.jp/facts-behind-ferraris-choice-for-it-security/6794/ フェラーリのセキュリティパートナー:その選択の理由]blog.kaspersky.co.jp(2015年2月10日)2021年10月22日閲覧。</ref>。これら以外にもその分類にあたる会社がスポンサーの規模の大小はあるものの参入しており、2021年にはコグニサント{{enlink|Cognizant}}がF1チームのタイトルスポンサーに就任したことをはじめ<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.as-web.jp/f1/660367?all |title = アストンマーティンF1、コグニザントとタイトルパートナー契約。新カラーリングのティザー画像を公開 |publisher = auto sport Web |date = 2021-01-08 |accessdate = 2021-10-22}}</ref>、この年は[[オラクル (企業)|オラクル]]などのIT企業が多数参入<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=変わりつつあるF1のスポンサー事情。広告塔の域を超えたより深いパートナーシップへ|url=https://jp.motorsport.com/f1/news/why-fighter-jet-f1-is-winning-a-new-wave-of-sponsors/6163602/|website=jp.motorsport.com|accessdate=2021-07-04|language=ja}}</ref>。データ分析など自社の技術でサポートする新たなスポンサー形態が広まっている。
2020年代に入ると、これまでファン獲得に苦戦していたアメリカにおいて、動画配信サービスなどの急速な普及や[[Netflix]]製作の[[ドキュメンタリー|ドキュメンタリー番組]]『[[Formula 1: 栄光のグランプリ]]』の大ヒットが追い風となり、若年層を中心にファンの獲得に成功。2023年シーズンは41年ぶりにアメリカ国内で計3回のレース(アメリカGP・マイアミGP・ラスベガスGP)が開催されることが決定している<ref name=":2" />。
=== 日本国内の人気 ===
1983年からホンダがF1へ復帰したことをきっかけに関心が集まり、1987年に[[中嶋悟]]が日本人初のフルタイムF1ドライバーとしてデビューすると、鈴鹿サーキットで初開催された[[1987年日本グランプリ (4輪)|1987年日本GP]]や1988年のマクラーレン・ホンダの誕生、さらには[[バブル経済]]で多数のジャパンマネーがF1に流れたことをきっかけにF1の人気は熱狂ともいえる時代を迎えることとなった。
1992年にホンダが撤退したことや1994年にその人気の中核を担っていた[[アイルトン・セナの死]]、さらにはバブル崩壊により、その熱気は終わりを告げたものの、[[フジテレビ]]系『[[F1グランプリ]]』による地上波無料放送での中継がその動向に左右されることなく継続していたこともあり、ある程度の人気は維持、現に日本GPの総入場者数は上昇傾向となって[[2006年]]には歴代最高の入場者数を記録することとなった。
しかし、2006年に人気の柱の一つとなっていた[[ミハエル・シューマッハ]]の引退も含め、来場者数は2006年を境に下降線を辿り始め、2008年の[[日本グランプリ (4輪)|日本グランプリ]]の総入場者数が鈴鹿サーキットで初開催された[[1987年]]の総入場者数を下回り(ただし、[[2007年]]と[[2008年]]は富士スピードウェイでの日本GP開催なため、一概に比較できない面もある)<ref group="注">他にも[[2007年]]の開催は直接的な要因は開催コース変更に伴う集客率の変化だが、間接的な要因は運営側の不手際が頻発し、観戦者より民事訴訟が起きる事態になったうえ、競技面でもトラブルが頻発してしまった。また、それが影響し、[[2008年]]の富士スピードウェイの日本GPにおいてはその対策を施したものの、前述のイメージ低下を払拭することができず、入場者数の低下を招いた面もある(ただ、[[2008年]]については、決勝観客動員数を14万人から11万人相当に縮小する対策をとった影響もあり、分母が減った分だけ入場数が減ったという見方もできる)。</ref>、目に見える形で人気にも陰りが出始めた。
それに追い打ちをかけるように日本GPの冠スポンサーだったフジテレビが2009年を以て降板したうえ、地上波中継も2011年を以て打ち切られ<ref group="注">無料放送については、[[F1総集編]]は[[2009年]]シーズン分で、生放送も[[2011年]]シーズンを以て終了。[[2012年]]から[[2015年]]まではBSフジにて編集された録画放送の視聴は可能であったものの、事実上[[2012年]]シーズンからは有料放送のみとなった。ただし、F1総集編については[[2014年]]と[[2015年]]シーズン分のみBSフジで放送された。</ref>、経済の悪化から、トヨタやホンダも次々とF1から撤退し、それにともない日本人ドライバーや企業が2012年を最後に事実上消滅したため、F1へ関心を集める要素が減ってしまったことも日本国内の人気低迷に拍車をかけた。
その影響は、サーキットの運営状況にも影響しており、鈴鹿サーキットが事実上日本GPのコースとなっているが、[[2010年]]から冠スポンサーが不在となり([[2016年]]のみエミレーツ航空が冠スポンサーとなった)、資金面でも厳しい状況となったが、[[2018年]]にホンダが冠スポンサーとなったこともあり、減少傾向に歯止めを掛ける事に成功した。[[2019年]]は[[令和元年東日本台風]](台風19号)の影響で土曜の開催を見合わせたため過去最低の12万2000人に減少したが<ref>{{Cite web|和書|url = https://formula1-data.com/article/japan-gp-attendance-2019 |title = 2019年 F1日本GP、台風19号の影響受けるも 前年比9.8%増の観客動員数を記録 |publisher = Formula1-Data |date = 2019-10-14 |accessdate = 2020-07-14}}</ref>、この年[[レッドブル・レーシング|レッドブル]]・ホンダの活躍や山本尚貴がフリー走行1回目に出走したこともあり、金曜、日曜ともに観客数は増加<ref>{{Cite web|和書|url = https://jp.motorsport.com/f1/news/2019-japanesegp-spectator/4557445/ |title = F1人気“復活”間近? 台風はねのけ決勝動員10%増の8万9000人 |publisher = motorsport.com |date = 2019-10-14 |accessdate = 2020-07-14}}</ref>し、人気向上に期待が掛かっていたが、翌年には[[コロナ禍]]と[[ホンダF1]]撤退発表が起きた。コロナ禍により2020年と2021年は2年連続で開催が中止された。
しかし、3年振りの開催となった2022年は[[角田裕毅]]の存在と、ホンダのF1との関係継続もあり20万人の観客数を記録。翌年2023年は22万2000人を記録。2007年以来最多となる観客数であった。また2012年以来初めて決勝日に10万人以上が訪れ、日本でのF1人気はある程度の回復を見せた。<ref>{{Cite web|和書|title=鈴鹿サーキット社長、F1日本GPに詰めかけた22万2000人の観客に感謝「来年4月の開催に向け、地域の皆様と一体となって準備していく」 |url=https://jp.motorsport.com/f1/news/f1-2023-japanese-gp-mobilityland-comments/10524752/ |website=jp.motorsport.com |date=2023-09-24 |access-date=2023-10-11 |language=ja}}</ref>さらに2023年日本GPの冠スポンサーを[[レノボ]]が務め、サーキットの資金面に後押しとなった。
== レースイベント ==
{{main|F1世界選手権の歴史}}
各年毎の結果は下記囲み内のリンクを参照。
また、各グランプリの年別の勝者などについては、[[F1選手権レースの一覧]]から各グランプリ別の記事を参照。
{{F1世界選手権}}
{{F1選手権レース}}
=== 1国1開催厳守時代(2007-2019) ===
原則として1つの国で開催される[[グランプリ (モータースポーツ)|グランプリ]] (GP) は1シーズン中1回だけ(1国1開催)と定められている。通常開催名は「国名+グランプリ」で表されるため、これらの[[例外]]では以下のような「別名」を使用していた。
* 地域名を冠する例
** [[ヨーロッパグランプリ|ヨーロッパGP]] - ヨーロッパ各国で1国2開催の場合用いられる。1983年と1985年の[[ブランズハッチ]](→[[イギリスグランプリ|イギリスGP]])、1993年の[[ドニントンパーク]](→イギリスGP)、1994年と1997年の[[ヘレス・サーキット|ヘレス]](→[[スペイングランプリ|スペインGP]])、1984年、1995年から1996年、および1999年から2007年は[[ニュルブルクリンク]](→[[ドイツグランプリ|ドイツGP]])で開催されている。また、2008年から2012年まで[[スペイン]]の[[バレンシア (スペイン)|バレンシア]]市街地サーキット(→[[バレンシア|バレンシアGP]])で開催された。2016年は[[アゼルバイジャン]]の[[バクー市街地コース]]で開催された(→翌2017年から[[アゼルバイジャングランプリ|アゼルバイジャンGP]])<ref group="注">アゼルバイジャンでは重複するF1のレースが無く、「アゼルバイジャンGP」の名称でも開催が可能だったが、開催初年度の2016年のみ「ヨーロッパGP」の名称を使用した</ref>。
** [[パシフィックグランプリ (4輪)|パシフィックGP]](→[[日本グランプリ (4輪)|日本GP]])- 日本でも2開催されたことがある。1994年と1995年、TIサーキット英田(後の[[岡山国際サーキット]])で行われた。
* 地名を冠する例
** [[ペスカーラグランプリ|ペスカーラGP]](→[[イタリアグランプリ#イタリアグランプリ以外のF1レース|イタリアGP]]) - 1957年、[[ペスカーラ・サーキット]]で行われた。
* 近隣国名を借りる例
** [[サンマリノグランプリ|サンマリノGP]](→イタリアGP) - 1981年から2006年まで、[[サンマリノ共和国]]の名を冠し、イタリアの[[イモラ・サーキット|イモラ]]で行われた。
** [[スイスグランプリ|スイスGP]](→[[フランスグランプリ|フランスGP]]) - 1982年、スイスの名を冠し、フランスの[[ディジョン・プレノワ・サーキット|ディジョン・プレノワ]]で行われた。
** [[ルクセンブルクグランプリ|ルクセンブルクGP]](→ドイツGP) - 1997年と1998年、[[ルクセンブルク]]の名を冠し、ドイツの[[ニュルブルクリンク]]で行われた。
1997年は1国2開催がスペインGPとヨーロッパGP、ドイツGPとルクセンブルクGP、イタリアGPとサンマリノGPの3例行われた。
極端な例としては、[[1982年]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で「アメリカ西GP」([[ロングビーチ市街地コース|ロング・ビーチ]])・「アメリカ東GP」([[デトロイト市街地コース|デトロイト]])・「ラスベガスGP」([[ラスベガス市街地コース|ラスベガス]])という1国3開催が行われた。
しかしながら、[[国際自動車連盟|FIA]]は[[2007年]]以降は1国1開催の原則を徹底する方針を示しており、同年から2014年までドイツGPはニュルブルクリンク(2007年、2009年、2011年、2013年)とホッケンハイム(2008年、2010年、2012年、2014年)で交互開催されたが、2015年はニュルブルクリンクの財政難により中止となった。2008年からスペインのバレンシアで行われたヨーロッパGPも2012年で終了し、2013年よりスペインでのF1開催はカタロニアのみとなった。2016年にヨーロッパGPがアゼルバイジャンで初開催された際にその名称が復活したが、翌2017年からはアゼルバイジャンGPに名称を変更している。
また、2007年の日本GPが[[富士スピードウェイ]]で開催されることが決まると[[鈴鹿サーキット]]が別名称での開催継続を要請したものの、原則もあってカレンダーから外れた。なお、鈴鹿サーキットに限らず、イモラでのサンマリノGP開催もこれを受けて2006年の開催を最後にカレンダーから外れている。[[フォーミュラ・ワン・アドミニストレーション|FOA]]の[[バーニー・エクレストン]]は、2007年および2008年は富士スピードウェイで日本GPを開催し、2009年以降は鈴鹿と富士で隔年開催することを発表していたが、富士のF1撤退に伴い、2010年も鈴鹿で開催されることとなった。2018年までは鈴鹿サーキットでの日本GP開催の契約は結ばれていたものの、観客減少の影響<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.motorsport.com/f1/news/F1-Suzuka-JapaneaseGP-1017244/ |title=F1日本GPの将来は? モビリティランド社長「非常に厳しい」と語る |publisher=jp.motorsport.com |date=2018-03-22 |accessdate=2018-09-07}}</ref> で2019年以降の開催は厳しい状況であった。そんななか、2018年からリバティメディアにF1の運営権が代わったことに伴い再交渉が実施され、その結果、2018年8月31日に、2021年までの開催継続が決定したと発表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.motorsport.com/f1/news/f1-suzuka-honda-japanese-gp/3168369/?nrt=54 |title=鈴鹿での日本GP開催契約3年延長。ホンダがタイトルスポンサーに決定 |publisher=jp.motorsport.com |date=2018-08-31 |accessdate=2018-09-07}}</ref>。
=== 1国複数グランプリ開催時代(2020-) ===
リバティメディアによりF1そのものが買収されてから配信体制が一新されたことに伴い、一国一開催も破棄することを以前から公言していた。実現性が高いのはアメリカでの2レース開催であり、テキサス州オースティンでのGPに加えてマイアミ市街地レースが新規開催されるものと見られていた<ref>[http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/244821.html 2019年のマイアミ市街地レースに現実味] ja.espnf1.com 2018年5月3日配信 2018年5月4日閲覧</ref>。その後、現地のマイアミ市がF1開催を承認し交渉が始まったため<ref>{{Cite web|和書|url = https://jp.motorsport.com/f1/news/miami-f1gp-2017-braced-for-lawsuits-1043112/ |title = マイアミGP実現で法廷闘争の可能性も? 市長は万全の住民対策を約束 |publisher = jp.motorsport.com |date = 2018-05-30 |accessdate = 2018-06-18}}</ref>、早ければ2019年10月にマイアミグランプリが開催され、その方針が実現する可能性があった<ref>{{Cite web|和書|date=2018-7-18 |url=http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/247135.html |title=マイアミ、公式契約に向けて重要な投票実施へ |publisher=ESPN F1 |accessdate=2018-11-26}}</ref>。だが、地元住民からの反対もあり2019年からの開催は断念<ref name=Miami>{{cite news|url=https://www.as-web.jp/f1/393417?all|title=F1、マイアミGPの2019年開催を断念。来季カレンダーは20戦か|publisher=AUTOSPORT Web|date=2018-07-25|accessdate=2018-11-26}}</ref>。そのため、[[2020年]]以降の開催を目指していたが、マイアミ市委員会が当初の計画案を否決してしまったため、計画を一から見直すこととなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.motorsport.com/f1/news/miami-scraps-downtown-f1-plan-in-favour-of-stadium-based-event/4375232/ |title=F1マイアミGP、開催計画を大幅変更。地元の反対で港湾エリア開催を断念 |publisher=jp.motorsport.com |date=2019-04-29 |accessdate=2019-05-17}}</ref>。また、2020年は新規開催国が増えた<ref>{{Cite web|和書|url = http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/253875.html |title = オランダGPが2020年にカレンダー復帰 |publisher = ja.espnf1.com |date = 2019-05-14 |accessdate = 2019-05-14}}</ref> ように、1国複数グランプリ開催を実行するためのハードルが上がりつつある。しかし、計画の見直しにより、開催地を[[NFL]][[マイアミ・ドルフィンズ]]の本拠地[[ハードロック・スタジアム]]周辺に変更され、マイアミGP開催を促進する同チームの経営陣とリバティメディアとの交渉が進展し、同地での開催に原則合意した。2021年のアメリカGPの開催はオースティンで行う意向<ref>{{Cite web |url = https://twitter.com/F1/status/1326102409840652289|title = BREAKING: The 2021 #F1 calendar is here!|website = twitter.com|publisher = twitter.com|date = 2020-11-10|accessdate = 2020-11-12}}</ref>であったものの、政治的支援や市議会の承認が必要だが、[[2021年]]からマイアミGPが開催される実現性が高まった<ref name="HardRockStadium">{{cite news|url=http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/257611.html|title=F1とハードロック・スタジアムが原則合意|publisher=ESPN F1|date=2019-10-16|accessdate=2019-10-23}}</ref>。ただし、[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の世界的流行]]によってこの計画自体が一旦中断<ref name="マイアミGP開催計画"/>されたが、後述の通り、2022年からマイアミGPの開催が決定している<ref name=マイアミGP開催発表/>。
その一方でコロナウイルスの影響で当初計画されていた2020年の開催スケジュール<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.as-web.jp/f1/529135?all |title = 2020年F1カレンダーが承認、日本GPは10月11日に開催。史上最多22戦の過密スケジュールでテストが大幅縮小へ |publisher = autosport Web |date = 2019-10-05 |accessdate = 2020-12-25}}</ref>が事実上破綻<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.as-web.jp/f1/580809?all |title = F1が公式サイトから2020年カレンダーを取り下げ「調整がつき次第、修正版を発表」夏開幕を目指すと改めて表明 |publisher = autosport web |date = 2020-04-17 |accessdate = 2020-12-25}}</ref>。その関係で当初の計画の2020年3月からのシーズン開幕ができなくなり、スケジュール見直しの過程で1国複数グランプリ開催の案が浮上<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.as-web.jp/f1/585947?all |title = 2020年F1カレンダー予想:イギリスGPとベルギーGPにゴーサイン。7月から19戦を開催か |publisher = autosport web |date = 2020-05-16 |accessdate = 2020-12-25}}</ref>。同年6月にコロナウイルスに対応した新スケジュールが発表され、7月に開幕戦が行われることや1国複数グランプリ開催が含まれたスケジュールであることが発表<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.as-web.jp/f1/589323?all |title = 2020年F1序盤ヨーロッパラウンドの日程が正式決定。7月5日開幕、10週に8戦の超過密スケジュール |publisher = autosport web |date = 2020-06-02 |accessdate = 2020-12-25}}</ref>され、最終的には12か国での全17戦のスケジュールのうち4か国で1国複数グランプリが開催されることとなった<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.as-web.jp/f1/616841?all |title = 2020年シーズンのF1スケジュールが確定。トルコGPが復活、今季は全17戦の開催に |publisher = autosport web |date = 2020-08-25 |accessdate = 2020-12-25}}</ref>。また、2020年12月に発表された{{F1|2021}}のスケジュールの内容<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.as-web.jp/f1/656412?all |title=FIA、2021年F1カレンダーを承認。史上最多23戦が予定も3戦が未確定、日本GPは10月10日 |publisher=autosport web |date=2020-12-17 |accessdate=2020-12-25}}</ref>の段階では、1国複数グランプリ開催が組み込まれていなかったため、2020年のみの限定版という位置づけになる思われていた。ところが、2021年もコロナウイルスの影響を受け、それに伴うスケジュール変更<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.as-web.jp/f1/660903?all |title = F1、2021年シーズンの改訂版カレンダーを発表。開幕戦はバーレーンで3月28日に開催 |publisher = auto sport Web |date = 2021-01-12 |accessdate = 2021-01-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.as-web.jp/f1/697999?all |title=F1、渡航制限により6月のトルコGP開催を断念。オーストリアで2レース実施、フランスとの3連戦へ |publisher=autosport web |date=2021-05-14 |accessdate=2021-05-15}}</ref>が行われたため、2021年も1国複数グランプリ開催のスケジュールが実施されることとなった。また、2021年4月に後述のマイアミGPの開催が正式に決定したため、2022年から1国複数グランプリ開催のスケジュールが臨時で導入される形ではなく、正式な計画として導入されることが決定している<ref name=マイアミGP開催発表/>。
=== 追加決定のレース ===
今後、選手権に追加されることが決定しているレース
* [[アメリカグランプリ|ラスベガスグランプリ]](2023年 / [[ラスベガス]]市街地コース)
** 2022年3月31日、2023年11月にラスベガスでF1を開催することを発表。アメリカにおいては年3回開催されることになる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fnn.jp/articles/-/340728|title=F1ラスベガス・グランプリ 2023年11月に 夜のカジノ街を駆ける|accessdate=2022-04-04|date=2022-04-01|publisher=FNNプライムオンライン}}</ref>。
=== 追加の検討がなされたレース ===
F1選手権への追加の検討が一度でもなされたレースイベントは以下。
* [[ベトナムグランプリ]](TBA / [[ハノイ]]市街地コース<ref>[https://www.formula1.com/en/latest/article.vietnam-to-host-formula-1-grand-prix-from-2020.5GwYlGbr56A0GCycMuUM0G.html Vietnam to host Formula 1 Grand Prix from 2020]</ref><ref>{{Cite web|和書|url =http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/250596.html |title =2020年からベトナムでのF1開催が決定 |publisher =ja.espnf1.com |date =2018-11-07 |accessdate =2018-11-07 }}</ref>)
** ヘルマン・ティルケが設計。1.5kmのロングストレートを含む3本の直線区間を有し、市街地にもかかわらず最高速度は335km/hに達する見通し<ref>{{Cite web|和書|url=https://formula1-data.com/article/vietnam-to-host-f1-grand-prix-from-2020|title=F1ベトナムGPの開催が正式決定!市街地を使ったティルケ設計のストリートサーキット|publisher=Formula1-Data|date=2018-11-07|accessdate=2018-11-07}}</ref>。一度は2020年の開催が決定していたものの[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の世界的流行]]で中止となり、2021年以降の開催についてはグランプリ招致の委員が汚職で逮捕されたため、ベトナム政府は一旦計画を白紙にしている。
* [[南アフリカグランプリ]]([[キャラミ]])
** 一時は[[ケープタウン]]の開催も検討されていたが、アフリカ大陸での開催復活に意欲的なリバティメディアは、キャラミでの開催復活に取り組んでいる<ref name="ZAFandMOR">{{Cite web|和書|url=https://jp.motorsport.com/f1/news/return-to-africa-a-priority-for-f1-owners/4389907/ |title=F1オーナー、アフリカ大陸でのレース復活を熱望。マラケシュも誘致に名乗り? |publisher=motorsport.com |date=2019-05-17 |accessdate=2020-01-18}}</ref>。交渉が進展できれば、2023年にも開催復活の可能性がある<ref>{{Cite news|url=https://jp.motorsport.com/f1/news/south-africa-in-contention-for-2023-f1-calendar-slot/10322029/|title=F1南アフリカGP、早ければ2023年に復活か? F1首脳陣がキャラミ関係者と会合へ|website=motorsport.com|accessdate=2022-06-15}}</ref>。
* [[ロンドン]]グランプリ(ロンドン市街地コース)
* [[ローマ]]グランプリ(ローマ市街地コース)
** 2013年より開催予定であったが、2010年12月に2020年の五輪招致に活動を切り替えると発表。その後[[2020年東京オリンピック|2020年夏季オリンピック]]は[[東京都|東京]]に決定したため、F1招致そのものが白紙化。
* [[ギリシャ]]グランプリ([[アテネ]])
** ギリシャ全体を覆う深刻な不況のため、不透明。
* [[ルーマニア]]グランプリ([[ブカレスト]])
* [[アルゼンチングランプリ]]([[レセンド・エルナンデス・サーキット]])
* [[デンマーク]]グランプリ([[コペンハーゲン]]市街地コース<ref>{{Cite web|和書|url =http://www.topnews.jp/2018/09/25/news/f1/174004.html |title =F1デンマークGP開催計画がとん挫 |publisher =www.topnews.jp |date = |accessdate =2018-11-15 }}</ref>)
* [[タイ王国|タイ]]グランプリ([[チャーン・インターナショナル・サーキット]])
** サーキットはあるが、レースが実現していない<ref>{{Cite web |url =https://www.reuters.com/article/us-motor-racing-thailand/formula-one-grade-circuit-opens-in-thailand-idUSKCN0HX0HT20141008 |title =Formula One grade circuit opens in Thailand |publisher =www.reuters.com |date =2014-10-8 |accessdate =2018-11-26 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url =http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/story/110027.html|title =タイGPの実現困難に |publisher =ja.espnf1.com |date =2013-06-08 |accessdate =2018-11-26 }}</ref>。
* [[パナマ]]グランプリ
** 計画段階だが、サーキットの草案のみ提出<ref>{{Cite web |url = https://www.time24.news/2019/12/f1-looking-for-a-new-grand-prix-panama-as-a-new-venue-2.html|title = F1 looking for a new Grand Prix: Panama as a new venue?|website = www.time24.news|publisher = TIME 24|date = 2019-12-29|accessdate = 2020-01-04}}</ref>。[[2022年]]以降の開催を目指している。
* [[モロッコグランプリ]]([[マラケシュ]])
** マラケシュでは既に2009年から2017年まで[[世界ツーリングカー選手権]](WTCC)が、[[2016年-17年のフォーミュラE|2016年]]から[[フォーミュラE]]が開催されており、同地にあるサーキットによるF1開催に名乗りを挙げている。ただし、F1開催には公的資金が不可欠とされている<ref name="ZAFandMOR" />。
== Formula One Paddock Club ==
F1を代表するグランプリの1つであり毎年世界中のセレブリティーが訪れることでも有名なモナコグランプリをはじめ、各グランプリに「[[Formula One Paddock Club]]」と呼ばれる特別観戦エリアが設定されている。「Formula One Paddock Club」は、各国の有力者や文化人などのいわゆる「[[セレブリティー]]」が訪れるなど、単なるスポーツ観戦の枠を超えた[[上流階級]]の社交場の1つとして提供されている。
この事は、F1がヨーロッパの文化や社交に根付いていることを象徴しているのみならず、最低でも50万円を超える高い入場料金が設定されている上、その多くがF1に多額の資金を注入している自動車メーカーやスポンサー向けに提供されていることから「多額の資金が投下され、商業化が進む近年のF1を象徴している」という指摘もある<ref>{{Cite web|和書|url =http://ja.espnf1.com/mercedes/motorsport/story/250936.html |title =ハミルトン、インドについての発言を説明 |publisher =ja.espnf1.com |date =2018-11-15 |accessdate =2018-11-16 }}</ref>。
== F1などのオープンホイールを題材とした作品 ==
; 実写映画・ドラマ
* [[グラン・プリ]]([[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]:1967年)
* ウィークエンドチャンピオン 〜モンテカルロ1971〜(イギリス映画:1972年 監督:[[フランク・サイモン]])※ドキュメンタリー映画
* ボビー・デアフィールド(アメリカ映画:1977年 監督:[[シドニー・ポラック]])
* [[ポール・ポジション (映画)|ポール・ポジション]](イタリア映画:1978年 監督:[[フランク・サイモン|マリオ・モッラ]])※ドキュメンタリー映画
* [[F2グランプリ]](日本映画:1984年)([[スーパーフォーミュラ|F2]])
* [[愛はクロスオーバー]](日本映画:1987年)([[全日本F3|F3]])
* [[グッバイ・ヒーロー]](日本・アメリカ、イタリア合作映画:1987年) ※[[ドキュメンタリー映画]]。[[矢沢永吉]]が音楽を担当
* [[デイズオブサンダー]]([[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]:1990年)
* [[ポールポジション!愛しき人へ…]](テレビドラマ:1992年)([[全日本F3選手権|F3]]、[[全日本F3000選手権|F3000]])
*[[ドリヴン]](アメリカ映画:2001年 監督:[[レニー・ハーリン]]) ([[チャンプカー・ワールド・シリーズ|CART]])
* [[エンジン (テレビドラマ)|エンジン]](テレビドラマ:2005年) (F3)
* [[ラッシュ/プライドと友情]](アメリカ・イギリス合作映画:2013年 監督:[[ロン・ハワード]])
* [[マクラーレン ~F1に魅せられた男]](ニュージーランド映画:2017年 監督:[[ロジャー・ドナルドソン]])
* [[Formula 1: 栄光のグランプリ]](ドキュメンタリー:2019年 - 監督:ジェームズ・ゲイ=リース、ポール・マーティン)
; マンガ・アニメ
* グランプリ野郎 (漫画:1968年 - 1969年 作:[[横山光輝]])
* [[サーキットの狼]] (漫画:1975年 - 1979年 作:[[池沢さとし]])
* [[アローエンブレム グランプリの鷹]](アニメ:1977年 - 1978年)
* [[激走!ルーベンカイザー]](アニメ:1977年 - 1978年)
* [[赤いペガサス]] (漫画:1977年 - 1979年 作:[[村上もとか]])
** 赤いペガサスII -翔- (漫画:1988年 - 1990年 作:村上もとか、画:[[千葉きよかず|千葉潔和]])
* [[F (漫画)|F]] (漫画・アニメ:1985年 - 1992年 作:[[六田登]])
** [[F REGENERATION 瑠璃]] (漫画:2002年 - 2006年 作:六田登)
** [[F FINAL]] (漫画:2009年 - 2011年 作:六田登) ※[[M-TEC|無限]]35周年記念のコラボレーション企画の一環として描かれた作品
* [[GP BOY]] (漫画:1990年 原作:赤井邦彦、画:[[鬼窪浩久]])
* Fの閃光 アイルトン・セナの挑戦 (漫画:1991年 原作:[[西村幸祐]]、画:[[長沢克泰]]・鬼窪浩久)
* ジェントル萬 (漫画:1991年 - 1992年 作:[[新谷かおる]])
* [[HAYATE]] (漫画:1992年 - 1997年 作:[[風童じゅん]])
* [[あんたが大将 オレさま烈伝]] (漫画:2003年 - 2006年,2008年 - 作:[[有野篤]])
* [[capeta]] (漫画・アニメ:2003年 - 2013年 作:[[曽田正人]])
: [[自動車漫画#モータースポーツを主題にした作品]]も参照。
; ゲーム
Formula One Administration(FOA)との世界独占契約に基づく公式ゲームと、契約なしに作られた非公式ゲームがある。
* [[モナコGP (ゲーム)|モナコGP]] ([[アーケードゲーム|AC]],[[SG-1000]],SG-3000など セガ)
** [[スーパーモナコGP]]シリーズ (AC,[[メガドライブ|MD]],[[ゲームギア|GG]],[[セガ・マスターシステム|SMS]] セガ) ※2作目は[[アイルトン・セナ]]が監修を務めた
* [[F1レース (任天堂)|F1レース]] ([[ファミリーコンピュータ|FC]], [[ゲームボーイ|GB]] [[任天堂]])
* [[ピット&ラン]] (AC [[タイトー]])
* [[GPワールド]] (AC,SG-1000,[[MSX]] セガ) ※MSX版は[[ポニーキャニオン]]発売
* [[ファイナルラップ]]シリーズ (AC,FC,[[PCエンジン|PCE]] ナムコ〈後の[[バンダイナムコエンターテインメント]]〉)
* [[F1スピリット]] (MSX,GB コナミ〈後の[[コナミデジタルエンタテインメント]]〉)
* [[コンチネンタルサーカス]] (AC タイトー)
* レーシングビート(AC タイトー)
* グランドエフェクト (AC タイトー)
* グランプリスター(AC ジャレコ)
* F-1 スーパーバトル(AC ジャレコ)
* 中嶋悟 F1 HEROシリーズ (FC,MD,GBなど [[レイアップ|バリエ]])
* [[グランプリサーカス]] ([[PC-9800シリーズ|PC-98]] ウエストサイド)
* [[:en:F1 (video game)|F1]] (MD,GG,SMS [[:en:Domark Software|DOMARK]])
* [[F1サーカス]]シリーズ (PCE,MD,[[スーパーファミコン|SFC]]など [[日本物産]])
* [[F1 GRAND PRIX (ゲーム)|F1 GRAND PRIX]]シリーズ (AC,SFC [[ビデオシステム]])
** F1 WORLD GRAND PRIXシリーズ ([[NINTENDO64|N64]],[[ドリームキャスト|DC]],[[ゲームボーイカラー|GBC]]など ビデオシステム)
* OVERTAKE ([[X68000]] [[ズーム (ゲーム会社)|ZOOM]])
* ヒューマン・グランプリシリーズ (SFC [[ヒューマン (ゲーム会社)|ヒューマン]])
* F1 スーパーラップ (AC セガ〈後のセガ・インタラクティブ〉)
* 鈴木亜久里のF1スーパードライビング (SFC,GB ロジーク)
* [[F-1 SENSATION]] (FC コナミ)
* ナイジェル・マンセル F1チャレンジ (SFC,MD(海外のみ) [[インフォコム]])
* [[ヘブンリーシンフォニー]] ([[メガCD|MCD]] [[セガ]]、[[フジテレビジョン]])
* F‐1 GP in ([[3DO]] ポニーキャニオン)
* F-1 ライブインフォメーション ([[セガサターン|SS]] セガ)
* F1チーム運営シミュレーションシリーズ ([[PlayStation (ゲーム機)|PS]],SS [[ココナッツジャパンエンターテイメント]])
* [[Grand Prix Legends]] (PC Sierra Entertainment)
* [[Formula One]]シリーズ (PS,[[PlayStation 2|PS2]],[[PlayStation Portable|PSP]]など [[ソニー・コンピュータエンタテインメント]])-'''[[2003年]]から[[2006年]]までは[[公式]][[ゲーム]]'''
* F1シリーズ ([[PlayStation 3|PS3]],[[PlayStation 4|PS4]],[[Xbox 360]]など [[コードマスターズ]]<ref>日本での発売は、当初コードマスターズの日本法人が行っていたが、日本法人の廃止以降、2015年から2018年まで[[ユービーアイソフト]]が、2019年から2020年までGame Source Entertainmentが担当。2021年以降、コードマスターズを買収した[[エレクトロニック・アーツ]]が全世界の販売を担当している。</ref>)-'''[[2009年]]からの[[公式]][[ゲーム]]'''
* [[:en:F1 Manager 2022|F1マネージャー]]シリーズ ([[PlayStation 4|PS4]],[[PlayStation 5|PS5]],[[Xbox ONE|Xbox ONE]],[[Xbox Series X/S|Xbox Series]],[[Windows]],[[Steam]],[[Epic Games Store|EGS]]など [[:en:Frontier Developments|Frontier Developments]])-'''[[2022年]]からの[[公式]][[ゲーム]]'''
; 音楽
* [[TRUTH (T-SQUAREの曲)|TRUTH]] - [[T-SQUARE]]による[[フジテレビジョン|フジテレビ]]「[[F1グランプリ]]」のオープニング曲。
* F-1 GRAND PRIX,F-1 GRAND PRIX WORLD - [[T-SQUARE]]による[[F1グランプリ]]の企画アルバム。
* [[ファースター]] - [[ジョージ・ハリスン]]の曲。
* [[ゼッケンNO.1スタートだ]] - [[橋幸夫]]の曲。
* [[LE PILOTE]] - F1チーム、[[アートプラス|フットワーク]][[M-TEC|無限]]のイメージ・アルバム。
* Formula 1 ([[Fastway]])
* Go Go Ferrari ([[Frank Torpedo]])
* Go to the top ([[Dave Rodgers]])
* Ayrton Senna ([[Corduroy]])
; 小説
* [[F2グランプリ]] (小説:1981年 作:[[海老沢泰久]])
* 龍の伝説(小説:1996年 - 1997年)
== 日本におけるテレビ・インターネット中継 ==
===現在===
[[2023年]]現在は地上波での中継は行われておらず、CS放送及びインターネット配信のみが行われている。いずれも有料で配信されている。
{{Main2|テレビ放送の詳細|F1グランプリ}}
====CS放送====
「[[フジテレビNEXT]]」で全戦生中継(金曜フリー走行、土曜フリー走行、予選、決勝)で放送している。フジテレビのスタジオにいる実況アナウンサーともう2人の解説者([[森脇基恭]]や[[川井一仁]]など)と共に中継を行っている。
====インターネット====
スポーツライブ配信サービス「[[DAZN]]」で全戦生中継(金曜フリー走行、土曜フリー走行、予選、決勝)を行っており、さらにオンボードカメラ映像や下位カテゴリの[[フォーミュラ2|F2]]や[[フォーミュラ3|F3]](旧[[GP3]])の各セッションと決勝の生中継配信と関連番組の配信も含めて、[[サッシャ]]や[[小倉茂徳]]、[[中野信治]]などの実況・解説で日本語で中継を行っている<ref name="av.watch.impress.co.jp">[https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1016076.html F1やプロ野球 横浜・広島も。月額1,750円のスポーツライブ配信「DAZN」開始],AV Watch,2016年8月23日</ref><ref>{{Cite web|和書|url =https://av.watch.impress.co.jp/docs/topic/1113059.html|title=2018 F1開幕! フジテレビNEXTとDAZNどちらで楽しむ? 低遅延や見逃しなどに違い|date=2018-3-23|publisher=AV Watch|last=笠原一輝|accessdate=2018-11-26}}</ref>。なお、PCやスマートフォンのみならず、テレビでの観戦も可能である。
=== 1986年以前 ===
1976年の[[1976年F1世界選手権イン・ジャパン|F1世界選手権イン・ジャパン]]と1977年の[[1977年日本グランプリ (4輪)|日本GP]]を[[TBSテレビ|TBS]]が中継し、その後[[1986年]]までは、TBSがダイジェスト形式で放送を行っていた。また、[[カーグラフィックTV]](当時は[[テレビ朝日]]、後の[[ビーエス朝日|BS朝日]])でも全戦をダイジェスト形式で放送を行っていたこともある。
=== 1987-2011年 ===
1987年から[[日本グランプリ (4輪)|日本GP]]が復活することや[[中嶋悟]]のフルタイム参戦に伴い、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]は日本GPのみを中継できる権利を購入しようとFIAにかけあった。しかし、FIAの放映権販売の方針として、一つのグランプリだけを売ることをせず、すべてのグランプリの放映権を一括で購入させる方式をとっていた。そのため、フジテレビはある意味においてはやむなく独占中継権を取得した。放映権料は30億といわれた。同局はその際、日本GPの[[冠スポンサー]](名称は「フジテレビジョン日本グランプリ」)にもなり、23年間冠スポンサーを継続したが、リーマンショックに端を発した不況の煽りを受け、2010年冠スポンサーの座を辞した。
[[1991年]]の[[1991年日本グランプリ (4輪)|日本GP]]は日曜日の20時からという[[ゴールデンタイム]]にテレビ放送され、[[バブル景気]]下における未曾有のF1ブームの上に、日本人初のレギュラードライバーの[[中嶋悟]]の最後の日本GP、セナとマンセルのタイトル争いといった要素が影響し、すでにレース終了から5時間以上が経ってからの録画中継という形にもかかわらず、20.8%([[中京圏|中部]]地域では27.4%)の高[[視聴率]]をマーク。裏番組であるNHKの大河ドラマとほぼ同じ視聴率を上げ、関係者を驚かせ、日本のF1ブームを象徴する出来事となった。
=== 2012-2015年 ===
1987年から25年放送されてきた地上波放送がスポンサーの減少などの理由で終了し、[[BSフジ]]での放送に移行されることになった。CS放送([[フジテレビNEXT]])での全セッション生中継はそれまでと同様に継続された。
2014年、インターネット視聴サービス「[[フジテレビNEXT#フジテレビNEXT smart|フジテレビNEXT smart]]」でも生中継を開始。地上波(関東ローカル)で数戦ごとにまとめたダイジェスト番組が放送された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.as-web.jp/past/3%e5%b9%b4%e3%81%b6%e3%82%8a%ef%bc%81%e3%80%80%e3%83%95%e3%82%b8%e3%83%86%e3%83%ac%e3%83%93f1%e5%9c%b0%e4%b8%8a%e6%b3%a2%e3%81%ab%e5%be%a9%e6%b4%bb |title=3年ぶり! フジテレビF1地上波に復活 |publisher=AUTOSPORT web |date=2014-05-09 |accessdate=2015-04-13}}</ref>。
==== 生中継 ====
1976年の富士スピードウェイでのF1日本初開催時の決勝の模様はTBSが午後3時から録画映像で放送する予定だったが、スタート順延のため結果的に初のTV中継にして初の生中継となった<ref>『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ(All about Formula One Grand Prix in) 』 東邦出版、2008年、14頁。</ref>。しかし1987年に鈴鹿サーキットに移って以降は、F1と同じくフジテレビ系列が放送する[[日本中央競馬会]]の日曜日のメインレースと時間帯が重なるため生中継ができず、日本国外では生中継が行われながら開催国では同日夜のゴールデンタイム・プライムタイムでの録画放送しか見られないと言う状況が長年続いていた。1994年の[[パシフィックグランプリ (4輪)|パシフィックGP]]が日本国内開催のF1グランプリレースとして初めてフジテレビ系列で生中継されたが、この時はレーススタート時間が12時30分であったことで、中央競馬中継とのバッティングが避けられることによって実現したものであった。しかしその後も長く、日本国内開催のF1グランプリレースが地上波で生中継されることはなかった。
2005年に、フジテレビが放送を開始して初めて日本GPの地上波生中継が実現した。ファイナルラップで[[マクラーレン]]の[[キミ・ライコネン]]が[[ルノーF1|ルノー]]の[[ジャンカルロ・フィジケラ]]を追い抜くという、1位と2位の逆転劇があったことなどにより平均視聴率10.3%(関東地区)とまずまずの結果を残したことから2006年以降も地上波生中継が継続された。
2007年9月30日の日本GPは日本中央競馬会の[[グレード制|GI競走]][[スプリンターズステークス]]と重なることからどうなるか注目されたが、日本GPの生中継は13時10分 - 15時15分(最大延長15時35分まで)となり、レギュラーの競馬中継時間と一部重なることになるが、F1・競馬両レースを生中継するにはほぼ問題ないスケジュールとなった。しかし日本GPが雨の影響でレース時間が延長になり、15時35分までF1が中継され、トップ3記者会見のカット、また競馬もパドックや本馬場入場のカットなどの影響があった。
2009年もGIスプリンターズステークスと重なったが、スプリンターズステークスの発走時刻を通常のGI発走時刻より5分遅く15時45分とすることで回避が図られた。
2010年は日本GPのレーススタート時刻が15時に変更され、中央競馬中継([[みんなのKEIBA]])と時刻が被ることとなったが、中央競馬中継のための規約の関係上、みんなのKEIBAを放送休止にはできないため、日本GPは16時からの録画放送に変更となった。
海外グランプリでは[[カナダグランプリ|カナダGP]]や[[ブラジルグランプリ|ブラジルGP]]など[[南北アメリカ]]で開催されるレースが時差の関係から生中継されていたが、1992年のメキシコGPとカナダGPは生中継ではなく、月曜朝(録画放送)・月曜深夜(ダイジェスト)の2回放送されていた。また、1999年と2006年の[[オーストラリアグランプリ|オーストラリアGP]]が生中継で放送されている(2006年は残り3周あたりから生中継)。ヨーロッパにおいて開催されるレースは、レース時間が日本におけるゴールデンタイム、プライムタイムと重なり、その時間帯に相応しい高い視聴率が望めないために地上波での生中継は行われることはなかった。
==== CS放送 ====
CS放送は全戦生中継(金曜フリー走行、土曜フリー走行、予選、決勝)で、地上波とは別の実況・解説者にて放送という形態をとった。[[今宮純]]や[[川井一仁]]が現地のスタジオで、フジテレビのスタジオにいる実況アナウンサーともう一人の解説者([[森脇基恭]]・[[熊倉重春]]・[[小倉茂徳]]など)と共に中継を行った。(2018年現在では一部のグランプリ以外は現地でなくフジテレビのスタジオに実況アナ・全ての解説者が揃うという形態)なお音声切り替えにより、解説、実況のない現地の音声のみで楽しむことができる。
=== 2016年 - 2022年===
2016年 - 2022年のアジアでのF1放映権を[[FOXスポーツ]]が獲得しており、日本でF1中継が継続されるかが注目されたが、2016年2月にフジテレビが放映権を獲得したと発表した。しかし、FOXからの購入というかたちでの獲得だったため、契約上BSフジでの放送は不可能になり(ただし、日本GPのみBSフジで録画放送された)、中継はCS放送のみとなった。
=== 2023年 - ===
2023年2月23日に、2025年までの放映権を獲得したことが発表された<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20230315142133/https://jp.motorsport.com/f1/news/f1-2023-fujitv-contract-with0-F1/10435393/ |title=フジテレビ、F1と2025年まで放送契約を締結。中継開始からから37年目のシーズンがスタート |publisher=motorsport.com |date=2023-02-23 |accessdate=2023-05-14}}</ref>。
=== インターネット中継 ===
====-2015年====
インターネットでの中継配信は2013年に[[ソフトバンク]]傘下のTVバンクとイギリスのZume Motor Racingが「Formula 1 on Zume」としてパソコン及び[[iPad]]向けに2013年7月よりサービスを開始<ref>[https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/609263.html F1の国際映像やオンボード映像をライブ配信する「Zume」],AV Watch,2013年7月26日</ref>、国際映像だけでなくオンボードカメラやピットレーンの映像も切り換えられる形で提供していたが、2013年シーズン限りでサービスを終了した。2015年までは「フジテレビNEXTSmart」単独契約でも試聴可能だったが、2016年からは前述の放映権の変更に伴い、CS契約者のみがネットでも見られる形に変更されている<ref>[https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/747868.html 2016年フジテレビF1のネット配信は、放送契約者限定に],AV Watch,2016年3月11日</ref>。
====2016年-====
2016年8月からは、イギリスのスポーツライブ配信サービス「[[DAZN]]」の日本でのサービスを開始。F1の全セッション及びオンボードカメラ映像、下位カテゴリのF2、F3の生中継配信と関連番組の配信を日本語で実施している<ref name="av.watch.impress.co.jp"/>。[[Chromecast]]やAir Stick 4Kといったキャストデバイスを使えば、テレビ画面で視聴することも可能である<ref>[https://formula1-data.com/article/f1-tv-2018 《2018年版》F1放送を見る3つの方法、テレビ・ネット配信サービスの比較とまとめ],formula1-data.com,2018年1月29日</ref>。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
===注釈===
{{Reflist|group="注"}}
===出典===
{{Reflist|refs=
<ref name="マイアミGP開催計画">{{Cite web|和書|url=https://jp.motorsport.com/f1/news/miami-gp-plans-on-hold-during-pandemic/4905079/ |title=マイアミGP開催計画は未だ進行中。しかし新型コロナの”見通し”が立つまで保留 |publisher=motorsport.com |date=2020-11-09 |accessdate=2020-11-09}}</ref>
<ref name=マイアミGP開催発表>{{Cite web|和書|url = https://bellagara.com/news/9643|title = 2022年、マイアミGPがカレンダー入りへ|website = bellagara.com|publisher = Bella Gara|date = 2021-04-18|accessdate = 2021-04-18}}</ref>
}}
== 関連項目 ==
{{commons|Formula One}}
* [[コンコルド協定]]
* [[モータースポーツ]]
* [[F1レギュレーション]]
* [[F1世界選手権ポイントシステム]]
* [[F1コンストラクターの一覧]]
** [[F1コンストラクターズチャンピオンの一覧]]
* [[F1歴代記録]]
* [[ドライバー一覧]]
** [[F1ドライバーの一覧]]
** [[F1優勝者の一覧]]
** [[F1ドライバーズチャンピオンの一覧]]
* [[サーキット一覧]]
** [[日本のサーキット一覧]]
* [[F1選手権レースの一覧]]
* [[F1死亡事故一覧]]
* [[F1ロックス]]
* [[Formula One Paddock Club]]
* [[F1グランプリ]] '''テレビ番組'''についての詳細を説明
* [[TRUTH (T-SQUAREの曲)]] 上記の番組のテーマソングとして採用されたため、「F1の曲」というイメージが確立されている。
== 外部リンク ==
{{Wikinews|Category:フォーミュラ1}}
; 公式ウェブサイト
* [https://www.formula1.com/ Formula 1公式ウェブサイト]([[英語]])
* [https://www.fia.com/ 国際自動車連盟(FIA)公式ウェブサイト](英語、[[国際自動車連盟]])
* {{Twitter|f1|Formula 1}}
* {{Youtube|Formula1|FORMULA 1}}
; ニュースサイト
* [http://ja.espnf1.com/ ESPN F1](日本語、[[ESPN]] Sports Media)
* [https://www.as-web.jp/f1 F1速報公式サイト](日本語、株式会社サンズ)
* [https://f1-stinger2.com/ STINGER F1 NEWS](日本語、有限会社マイズ)
* [https://formula1-data.com/ Formula1 Data](日本語、AT&A)
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A91 |
1,330 | ナス科 | ナス科(ナスか、学名:Solanaceae)は、双子葉植物綱キク亜綱ナス目(クロンキスト体系)の科の1つ。115属2678種からなる大きな群である。ナスに加え、ジャガイモやトマトなど多くの有用植物が属している。
熱帯から温帯にかけて、世界では115属2678種ほどがあり、その多くはナス属に分類される。ナスやトマト、ジャガイモなどが属するナス属、トウガラシやピーマンなどが属するトウガラシ属、タバコなどが属するタバコ属、チョウセンアサガオなどが属するチョウセンアサガオ属、ホオズキなどが属するホオズキ属、ペチュニアなどが属するペチュニア属などが知られている。多くは一年草もしくは多年草、低木の木本がある。葉は互生し単葉だが、まれに複葉のものもある。花は両性花で放射相称で、花冠が5裂するのが特徴。ピーマンやトマトを輪切りにすると、5つに分かれているのが確認できる。雄ずいは5本あり、花冠裂片と互生して花筒につく。葯は2室で、先に孔が開くか縦裂する。子房は上位で2室で花の中線に対して斜めになり、膨れた中軸胎座に多数の倒生または半倒生胚珠をつける。漿果あるいは蒴果をつける。種子には胚乳がある。アルカロイドを含み薬用になるものもあれば、有毒なものもある。
ナスやトマト、トウガラシ、ピーマンなど果実を食用にする種が多く、ほかにジャガイモのように塊茎を食用とするもの、タバコのように嗜好品として栽培されるもの、ホオズキやペチュニアなど観賞用に栽培されるものなど、利用の幅は広い。また、一般に特有のアルカロイドを含むために、多様な生理作用をもつ。これらは薬用や香辛料として用いられる場合もあるが、一般には強い刺激性や毒性を持つ。なお、食用とされる作物では品種改良により可食部にはアルカロイドが含まれないが、ジャガイモの芽・茎(ソラニン)や未熟なトマト(トマチン)などのように非可食部は有毒である場合がある。
かつて、ナス科の植物はデザイナーフーズ計画のピラミッドで2群に属しており、2群の中でも最下位のアブラナ科の植物の1つ上の4位に属するが、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた。 | [
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] | ナス科は、双子葉植物綱キク亜綱ナス目(クロンキスト体系)の科の1つ。115属2678種からなる大きな群である。ナスに加え、ジャガイモやトマトなど多くの有用植物が属している。 | {{生物分類表
|名称 = ナス科
|色 = 植物界
|画像 = [[ファイル:Solanum melongena ja02.jpg|250px]]
|画像キャプション = [[ナス]]の花と実
|分類体系 = [[APG IV]], Cantino ''et al.'' (2007)<ref>{{cite book|first1=Philip D.|last1=Cantino|first2=James A.|last2=Doyle|first3=Sean W.|last3=Graham|first4=Walter S.|last4=Judd|first5=Richard G.|last5=Olmstead|first6=Douglas E.|last6=Soltis|first7=Pamela S.|last7=Soltis|first8=Michael J.|last8=Donoghue|title=Towards a phylogenetic nomenclature of ''Tracheophyta''|journal=Taxon|date=2007|volume=56|issue=3|pages=E1-E44|ref=cantino}}</ref>
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|亜綱階級なし = [[キク類]] {{Sname|en|Asterids|Asteridae}}
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|学名 = {{sname|Solanaceae}} {{AU|Juss.}}
|和名 = ナス科
|タイプ属 = {{Snamei||Solanum}} {{AU|L.}}<ref>[http://www.tropicos.org/Name/42000282 Solanaceae Juss.] Tropicos</ref>
|下位分類名 = 属
|下位分類 = * 本文参照
|生息図 = [[ファイル:Solanaceae map.svg|200px]]
|生息図キャプション = ナス科植物の分布(緑色)
}}
'''ナス科'''(ナスか、学名:{{sname|Solanaceae}})は、[[双子葉植物綱]][[キク亜綱]][[ナス目]]([[クロンキスト体系]])の[[科 (生物)|科]]の1つ。115属2678種<ref>[http://www.theplantlist.org/1.1/browse/A/Solanaceae/ The Plant List]による</ref>からなる大きな群である。[[ナス]]に加え、[[ジャガイモ]]や[[トマト]]など多くの有用植物が属している。
== 特徴 ==
[[熱帯]]から[[温帯]]にかけて、世界では115属2678種ほどがあり、その多くは[[ナス属]]に分類される。ナスやトマト、ジャガイモなどが属するナス属、トウガラシやピーマンなどが属する[[トウガラシ属]]、[[タバコ]]などが属する[[タバコ属]]、チョウセンアサガオなどが属する[[チョウセンアサガオ属]]、ホオズキなどが属する[[ホオズキ属]]、ペチュニアなどが属する[[ペチュニア属]]などが知られている。多くは一年草もしくは多年草、低木の木本がある<ref name=a>{{Cite book|和書|author = 北村四郎|authorlink = |coauthors = [[村田源]]|title = 原色日本植物図鑑 草本編(1)|url = |edition = 59|date = 1983-10-10|publisher = 保育社|isbn = 4-586-30015-9}}</ref>。葉は互生し単葉だが、まれに複葉のものもある。花は両性花で放射相称で、花冠が5裂するのが特徴。ピーマンやトマトを輪切りにすると、5つに分かれているのが確認できる。[[雄ずい]]は5本あり、花冠裂片と互生して花筒につく。[[葯]]は2室で、先に孔が開くか縦裂する。[[子房]]は上位で2室で花の中線に対して斜めになり、膨れた中軸胎座に多数の倒生または半倒生[[胚珠]]をつける。[[漿果]]あるいは[[蒴果]]をつける。種子には胚乳がある。アルカロイドを含み薬用になるものもあれば、有毒なものもある<ref name=a />。
== 利用 ==
ナスやトマト、[[トウガラシ]]、[[ピーマン]]など[[果実]]を食用にする[[種 (分類学)|種]]が多く、ほかにジャガイモのように塊茎を食用とするもの、タバコのように嗜好品として栽培されるもの、[[ホオズキ]]や[[ペチュニア]]など観賞用に栽培されるものなど、利用の幅は広い。また、一般に特有の[[アルカロイド]]を含むために、多様な生理作用をもつ。これらは薬用や[[香辛料]]として用いられる場合もあるが、一般には強い刺激性や毒性を持つ。なお、食用とされる作物では品種改良により可食部にはアルカロイドが含まれないが、ジャガイモの芽・茎([[ソラニン]]<ref>[https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000082078.html 自然毒のリスクプロファイル:高等植物:ジャガイモ] 厚生労働省</ref>)や未熟なトマト([[トマチン]]<ref>[http://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=803 トマチン] 日本植物生理学会</ref>)などのように非可食部は有毒である場合がある。
かつて、ナス科の植物は[[デザイナーフーズ計画]]のピラミッドで2群に属しており、2群の中でも最下位のアブラナ科の植物の1つ上の4位に属するが、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた<ref>大澤俊彦、「[https://doi.org/10.2740/jisdh.20.11 がん予防と食品]」『日本食生活学会誌』 2009年 20巻 1号 p.11-16, {{doi|10.2740/jisdh.20.11}}</ref>。
== 主なナス科の植物 ==
* [[ナス属]] {{Snamei|Solanum}}
** [[ソラヌム・エチオピクム]] {{Snamei|Solanum aethiopicum}} ([[ジロ (植物)]]は栽培品種)
** [[アメリカイヌホオズキ]] {{Snamei|Solanum americanum}}
** [[ワルナスビ]] {{Snamei|Solanum carolinense}}
** [[タマリロ]] {{Snamei|Solanum betaceum}}
** [[トマト]] {{Snamei|Solanum lycopersicum}}({{Snamei|Lycopersicon esculentum}})
** [[ヒヨドリジョウゴ]] {{Snamei|Solanum lyratum}}
** [[ツノナス]] {{Snamei|Solanum mammosum}}
** [[ナス]] {{Snamei|Solanum melongena}}
** [[ペピーノ]] {{Snamei|Solanum muricatum}}
** [[イヌホオズキ]] {{Snamei|Solanum nigrum}}
** [[タマサンゴ]](リュウノタマ、フユサンゴ) {{Snamei|Solanum pseudocapsicum}}
** [[ジャガイモ]] {{Snamei|Solanum tuberosum}}
* [[トウガラシ属]] {{Snamei|Capsicum}}
** [[トウガラシ]]([[ピーマン]]、[[パプリカ]]){{Snamei|Capsicum annuum}}
** [[アヒ・アマリージョ]] {{Snamei|Capsicum baccatum}}
** [[ウルピカ]] {{Snamei|Capsicum cardenasii}}
** [[カプシクム・キネンセ]] {{Snamei|Capsicum chinense}}
** [[キダチトウガラシ]] {{Snamei||Capsicum frutescens}}
** [[ロコト]] {{Snamei|Capsicum pubescens}}
* [[タバコ属]] {{Snamei|Nicotiana}}
** [[シュッコンタバコ]] {{Snamei|N. alata}}
** [[タバコ]] {{Snamei|Nicotiana}} spp.
* [[チョウセンアサガオ属]] {{Snamei|Datura}}
** [[チョウセンアサガオ]] {{Snamei|Datura metel}}
** [[アメリカチョウセンアサガオ]] {{Snamei|Datura inoxia}}
** [[シロバナヨウシュチョウセンアサガオ]] {{Snamei|Datura stramonium}}
* [[キダチチョウセンアサガオ属]] {{Snamei|Brugmansia}} (ブルグマンシア、エンジェルズトランペット)
** [[コダチチョウセンアサガオ]] {{Snamei|Brugmansia arborea}}
** [[キダチチョウセンアサガオ]] {{Snamei|Brugmansia suaveolens}}
* [[ホオズキ属]] {{Snamei|Physalis}}
** [[ホオズキ]] {{Sname|''Physalis alkekengi'' var. ''franchetii''}}
** [[トマティーヨ|オオブドウホオズキ]] {{Snamei|Physalis philadelphica}}(トマティージョ、[[:en:Tomatillo|Tomatillo]])他
* [[イガホオズキ属]] {{Snamei|Physaliastrum}}
** [[イガホオズキ]] {{Snamei|Physaliastrum japonicum}}
* ハダカホオズキ属 {{Snamei|Sv|Tubocapsicum}}
** [[ハダカホオズキ]] {{Snamei|Tubocapsicum anomalum}}
* [[ペチュニア属]] {{Snamei|Petunia}}
** [[ペチュニア]]、[[サフィニア]] {{Sname|''Petunia'' x ''hybrida''}}
* [[ハシリドコロ属]] {{Snamei|Scopolia}}
** [[ハシリドコロ]] {{Snamei|Scopolia japonica}}
* [[ヒヨス属]] {{Snamei|Hyoscyamus}}
** [[ヒヨス]] {{Snamei|Hyoscyamus niger}}
* [[ベラドンナ属]] {{Snamei|Atropa}}
** [[ベラドンナ]] {{Snamei|Atoropa belladonna}}
* [[マンドラゴラ属]](コイナス属) {{Snamei|Mandragora}}
** [[マンドレイク]] {{Snamei|Mandragora officinarun}}
* [[クコ属]] {{Snamei|Lycium}}
** [[クコ]] {{Snamei|Lycium rhombifolium}}({{snamei|L. chinense}})
* [[カリブラコア属]] {{Snamei|Calibrachoa}}
** [[ミリオンベル]] {{Snamei|Calibrachoa}} sp.
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
* [https://web.archive.org/web/20080615041648/http://www.kazusa.or.jp/jsol/ ナス科コンソーシアム]
* [http://blog.livedoor.jp/tomatoresearch/ 集まれ!!トマト・ナス科植物研究者]
{{Commonscat|Solanaceae}}
{{Plant-stub}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:なすか}}
[[Category:ナス科|*]] | null | 2022-11-08T13:41:30Z | false | false | false | [
"Template:Reflist",
"Template:Commonscat",
"Template:Normdaten",
"Template:生物分類表",
"Template:Sname",
"Template:Snamei",
"Template:Cite book",
"Template:Doi",
"Template:Plant-stub"
] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B9%E7%A7%91 |
1,331 | オブジェクト指向 | オブジェクト指向(オブジェクトしこう、英: object-oriented)は、ソフトウェア開発とコンピュータプログラミングのために用いられる考え方である。元々は特定のプログラミングパラダイムを説明するために考案された言葉であり、その当時の革新的技術であったGUI(グラフィカル・ユーザーインターフェース)とも密接に関連していた。明確な用語としては1970年代に誕生し、1981年頃から知名度を得て、1986年頃からソフトウェア開発のムーブメントと化した後に、1990年頃にはソフトウェア開発の総合技術としての共通認識を確立している。ソフトウェア開発における一つの標語のような扱い方もされている。
オブジェクトとは、プログラミング視点ではデータ構造とその専属手続きを一つにまとめたものを指しており、分析/設計視点では情報資源とその処理手順を一つにまとめたものを指している。データとプロセスを個別に扱わずに、双方を一体化したオブジェクトを基礎要素にし、メッセージと形容されるオブジェクト間の相互作用を重視して、ソフトウェア全体を構築しようとする考え方がオブジェクト指向である。
オブジェクト指向(object-oriented)という言葉自体は、1972年から80年にかけてプログラミング言語「Smalltalk」を開発したゼロックス社パロアルト研究所の計算機科学者アラン・ケイが、その言語設計を説明する過程で誕生している。本人の述懐によると、大学院時代のケイがプログラミング言語「Simula」に感化されて日夜プログラミング・アーキテクチャの思索に耽っていた1967年頃、今何をしているのかと尋ねてきた知人に対して「object-oriented programmingだよ」とその時の造語で答えたのが原点であるという。このオブジェクト指向が知名度を得るようになったのは1981年頃からであり、当時の著名なマイコン専門誌BYTEによるSmalltalkの誌上紹介が契機になっている。オブジェクト指向の中でケイはメッセージングという考え方を重視していたが、世間の技術的関心はクラスとインスタンスの仕組みの方に集まり、オブジェクト指向の解釈はケイの考えとは異なる方向性で推移していった。クラスを初めて導入した言語はSimulaの1967年版だったので、こちらも後付けでオブジェクト指向の源流に位置付けられることになった。Simulaに結び付けられたオブジェクト指向と、Smalltalkで提唱されたオブジェクト指向の性格は全く異なるものだったので、後のオブジェクト指向の解釈に数々の齟齬を生じさせている。1983年に計算機科学者ビャーネ・ストロヴストルップがSimulaをモデルにした言語「C++」を公開し、このC++が人気を博した事や、Smalltalkでも実際の開発に対応するためにSimulaスタイルの継承などの機能が取り入れられたことで、オブジェクト指向プログラミングはSimulaスタイルの方で認識されるようになった。
1986年からACM(計算機協会)がOOPSLA(オブジェクト指向会議)を年度開催するようになり、オブジェクト指向はコンピュータサイエンスの一つのムーブメントになった。OOPSLA初期のチェアパーソンは、Smalltalkが生まれたゼロックス社パロアルト研究所のフェローが務めることが多かった。Smalltalkは正確にはプログラミング言語とGUIフレームワークを合わせた統合開発運用環境であり、ゼロックスAlto機上のOSまたはミドルウェアとして制作されていた。ゼロックスAltoはGUIを初めて汎用的にサポートしたコンピュータとOSであり、かのスティーブ・ジョブスを啓発してMacintoshのモデルになったことはよく知られている。1980年代前半のコンピュータ界隈は、CUI(キャラクタ・ユーザーインターフェース)からGUI(グラフィカル・ユーザーインターフェース)への過渡期であったので、すでにプログラミングパラダイムとGUIデザイン理論をミックスさせていたオブジェクト指向は、その当時における次世代的なソフトウェア開発技術になり得るものとして関心を集めていた。
また別の背景としては、1970年代からの主流である構造化開発が拡張を続けていた中で、様々なデータ構造図やデータフロー図の技法およびデータモデリングの手法がやや乱立気味になっていたという事情があり、その見直しを兼ねて一からの仕切り直しによるソフトウェア開発技術の標準化(standardization)を図りたいとする産業界や計算機科学界の思惑もあった。オブジェクト指向はそのためのスローガンとしても最適であった。こうした経緯から技術的以外の意味も与えられたオブジェクト指向は同時にバズワード化することにもなっている。構造化開発が機能を中心にして機能とデータ構造を個別にデザインする段階的詳細化を基礎にしていたのに対し、オブジェクト指向はデータと機能を一つにまとめたobjectをソフトウェアデザインの中心にした上でエドガー・ダイクストラ発案の抽象データ構造及びバーバラ・リスコフ提唱の抽象データ型を基礎にしていた。これは前述のSimulaスタイル由来である。オブジェクト指向開発(object-oriented development)という言葉を最初に引用したのは、1986年のソフトウェア技術者グラディ・ブーチであったとされる。その最初の活用対象になったのは、データベース開発とオペレーティングシステム開発およびユーザーインターフェース設計であった。
OOPSLAの開催と連動してまずオブジェクト指向設計(OOD)とオブジェクト指向分析(OOA)が立ち上げられた。これは構造化開発のSDとSAに倣っていた。1980年代後半からOOPSLA界隈の識者たちによって様々な分析メソッドと設計メソッドが発表されるようになった。この分析/設計メソッドから導出される概念モデルを、形式的にチャート化ないしダイアグラム化するという作業がモデリングであり、構造化開発でも機能モデルやデータモデルや実体関連モデル(ER図)などが存在していたが、抽象化を尊ぶオブジェクト指向開発では特にこのモデリングが重視されたのが特徴である。1988年のオブジェクト指向システム分析(OOSA)、1990年からのCoad&Yourdon法、1991年のBooch法とオブジェクトモデル化技法(OMT)、1992年のオブジェクト指向ソフトウェア工学(OOSE)、1993年のフュージョンメソッドとMartin&Odell法といった数々のオブジェクト指向方法論(object-oriented methodology)によるモデリング手法が発表され、いずれも形式言語化されていたのでオブジェクト指向では、モデリング言語とプログラミング言語が並んでソフトウェア開発の両輪になった。
1990年前後から認知されるようになったオブジェクト指向方法論とは、要求分析・概念設計・モデリング・プログラミングといった一連の工程を総括的に形式化した理論体系であり、ソフトウェア開発の総合技術としてのオブジェクト指向を体現していた。1994年にモデリング言語をプログラム設計に直接適用したGOFデザインパターンが初回発表された。Booch法とOMTとOOSEの考案者(スリーアミーゴス)は、後のIBMブランドになるラショナルソフトウェアで合流して統一モデリング言語(UML)を制作し、1995年のOOPSLAで初回発表した。オブジェクト指向はソフトウェア開発工程の分野にも広がり、モデル駆動工学、ドメイン固有言語、リファクタリング、アジャイルソフトウェア開発といった数々のトピックもOOPSLAから誕生している。IBMラショナルはオブジェクト指向開発工程フレームワークを標榜するラショナル統一プロセスを2003年に公開した。
1989年にはIBM社、Apple社、ヒューレットパッカード社、サンマイクロシステムズ社、アメリカン航空などの11社がコンピュータ産業共同事業団体OMG(Object Management Group)を設立した。その主な目的は、企業システムネットワークの基盤になる分散コンピューティングを構築するための分散オブジェクト設計の標準化を図ることであった。ここでのオブジェクトもデータとメソッドの複合体と定義されていた。1991年に分散オブジェクトの規格パラダイムとなるCORBAが発表された。1997年にOMGの標準モデリング言語はUMLに策定された。モデリングの形式体系化に力を注いでいたOMGはモデル駆動工学のメソッド確立を進めて、2001年にモデル駆動アーキテクチャを発表している。
1989年に発表された「User Interface A Personal View」という記事の中でアラン・ケイは、Smalltalkのオブジェクト指向性は大変示唆的であると前置きした上で、そのプログラミング言語でのOOPと、そのGUIフレームワークでのOOUIを照応させながらこう述べている。これは人とコンピュータの対話形式としてのオブジェクト指向に沿ったものになっている。1970年代から80年代にかけてのオブジェクト指向は、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)と半ば表裏一体で扱われていたという技術史背景がある。
これは認知心理学のアフォーダンスにつながる考え方と解釈されている。その説明の中でケイは、Smalltalkプログラミングを抽象シンボル舞台と形容しており、GUIフレームワークを具象ユーザーインターフェース舞台と形容している。前者の抽象シンボル舞台では、我々は最初にオブジェクトの名前(識別子)をコーディングし、次にそのオブジェクトが実行する「なにか」を伝えるメッセージをコーディングすることになる。後者の具象ユーザーインターフェース舞台では、我々は最初に操作する対象(アイコン)を選択し、次にその対象が提供する「なにか」のメニュー欄を表示選択することになる。この双方を踏まえた上でケイはこう結論している。
80年代前半までのオブジェクト指向はプログラミングとGUIの融合思想と言った方が適当であり、オペレータがプログラミングでカスタマイズした結果をGUIビュー環境でほぼ同時に確認できるという特性は、コマンドライン実行とキャラクタ文字環境が当然であった時代において革新的であった。プログラミングはコンピュータとの潜在的な対話であり、GUIは顕在的な対話であると形容されている。長じてアイコン選択とメニュー処理を適宜に連携させるGUIの考え方をプログラミングにも応用したものが、後述のオブジェクトとメッセージ式になっている。
1992年にACMからプログラミング言語史編纂の一環として執筆を依頼されたアラン・ケイは、翌93年の「The Early History Of Smalltalk」でオブジェクト指向の原点としてのSmalltalkについて解説している。冒頭の序章で設計理念が説明され、第一章から第三章まではその着想元になったバロースB5000、Sketchpad、Simula、Flex machine、LISPなどの技術史が記され、第四章から第六章まではSmalltalkの開発史が綴られている。ここでは序章から特徴的な要点のみを抜粋する。
再帰構成すなわち再帰の概念は、後続文にも繰り返し登場している。もっとも再帰は一般知識であり、例えばジョン・マッカーシーもLISPの設計をrecursive functions of symbolic expressions and their computation by machine.(記号式の再帰関数群と機械によるその計算)と概略していた。メッセージ交換は、徹底的な疎結合および情報隠蔽(英語版)を示唆している。
ケイが理想とする計算の総体可能性の反対である劣化要素への分割とは、いわゆる型システムの導入を指している。他の論考でもケイは特に静的な型システムに対して否定的な見解を示していた。
ここでのモナドはObjectの情報隠蔽を示唆しており、イデア論はクラスのインスタンス化を示唆している。ただし、クラスもまたメタクラスのインスタンス化とするような哲学は、非実用的であったと言及されている。Objectを再帰構成するMetaobjectによる拡張性と、機能注入の視点から継承を再解釈したMix-inによる拡張性は重視されており、それらを初めてアプローチしたCLOSのMetaobject Protocolを、ケイは1997年のOOPSLAでOOPへの最も深い洞察と評している。Objectがモナドで言う”窓のない部屋”であるのに対して、Metaobjectは”部屋のない窓”であり、窓の向こう側にある部屋の中の窓の向こう側に~という風に、他者との繋がり(縁)で左右される自己対象を表現していた。
第四章では、Smalltalkの言語仕様が六つに概略されている。
2, Objects communicate by sending and receiving messages (in terms of objects).
3, Objects have their own memory (in terms of objects).
4, Every object is an instance of a class (which must be an object).
5, The class holds the shared behavior for its instances (in the form of objects in a program list).
この和訳は以下のようになるが、ここでは長い説明を避けて特徴的な要点のみを解説する。
(2)は様々に解釈されるが、コミュニケーションするオブジェクトは、プロセスやアクターとしての性格が強くなる。(3)の記憶は簡単に言うとフィールドやプロパティや属性であるが、オブジェクトの振る舞いを制約するための私的環境を示唆している。(4)は、クラスもまたメタクラスのインスタンス化であるという再帰構成を示唆している。(5)の振る舞いは簡単に言うとメソッドであるが、LISPのフォームリストに似たオブジェクトとして保持されることを示唆している。(6)は、式内のオブジェクトはその時の並べられた順序によって、いずれもがコントローラ(関数式)になり、いずれもがそれへのメッセージ(引数)になることを示唆している。
2003年にアラン・ケイはオブジェクト指向の貢献でチューリング賞を受賞し、知人から改めてオブジェクト指向の意味を尋ねられたケイは以下のようにメール返信している。このメールは60年代末からの構想をさり気なく簡潔にまとめたものとしてしばしば引用される。ここでは文章順に各要点を抜粋していく。
上記はケイ本来のオブジェクトの在り方を述べたものであり、特に解説はしない。
ここでプログラムからデータを取り除きたいという考えが提示されている。
ここでの代数は、プロセス代数か、プログラミングに適用した代数的構造とも解釈できる。
メッセージングは造語に近く、メッセージパッシングに類似の概念であり、ただのリモートプロシージャコールとは異なることが明言されている。ステートプロセスは、データとコードの一元化概念であり、これも造語である。遅延バインディングは、シンボルと実体の結合をランタイムで決定する概念である。
ここで抽象データ型に対しての、非データ手順(non-data-procedure)というワードが登場する。振る舞いを通してデータを扱うというデータ抽象の概念を、更に抽象化したものが非データであり、代数学で言う写像だけでデータを表現するという概念を指している。これにケイの生物学専攻を背景にしたバイオ/ネット(bio/net)なる考えが加えられている。
非データ手順(non-data-procedure)に関連付けられるものとしては、代数的構造、圏論の射や関手の構造、Futuresとpromises(英語版)、ポイントフリースタイル(英語版)、プロセス代数、アクターモデル、自由モナドなどが挙げられる。
ここで歴史に戻る。1970年前後になるとソフトウェア危機としても語られるプログラム規模拡大に対応するために、サブルーチンとデータをまとめたプログラムモジュールという機能が登場した。それと同時期の1967年にオルヨハン・ダールらはクラスという機能を備えたSimula67を開発し、1969年からエドガー・ダイクストラは抽象データ構造という概念を備えた構造化プログラミングを提唱した。1974年からIBM社中心の研究者たちが構造化分析/設計と総称される技法を発表し、構造化プログラミングはこちらに取って代わられた。1972年からアラン・ケイはメッセージングという概念を備えたオブジェクト指向を誕生させている。オブジェクト指向は後にクラス・パラダイムにマウントされている。
構造化設計は、サブルーチン複合体とデータ構造を扱っている具象データ(concrete data)技術である。Simula発のクラスとダイクストラ発の抽象データ構造は、プログラムモジュールにカプセル化・継承・多態性を備えて抽象体として扱おうとする抽象データ(abstract data)技術である。そしてアラン・ケイ本来のオブジェクトとは、プログラムモジュールを生物学と代数学の観点から再解釈した非データ(non data)技術であった。構造化開発は1980年代までの主流であり、続けてオブジェクト指向が主流になったが、現在においてもクラスをただのデータとメソッドの複合体として扱っているようなオブジェクト指向は、構造化開発と大差ないものになり「具象データ」から「抽象データ」への思考転換の難しさを物語っている。モジュールの抽象化が提唱され始めたのは1970年代であったが、同時期にアラン・ケイは「抽象データ」を更に抽象化した「非データ」を構想していた。
Q&AサイトのQuoraで「1966~67年のオブジェクト指向という造語を発したアラン・ケイに誰かが影響を与えていたのか?」という質問に対して本人がこう回答している。ここでのキーワードである”rotation”は「一つのコンピュータはどこかのコンピュータができることをできる、相互通信によってあらゆる規模の計算を表現できる」を意味する。
The foolish part is that “object” is a very bad word for what I had in mind — it is too inert and feels too much like “data”. Simula called its instances “processes” and that is better.“Process-oriented programming” would have been much better, don’t you think?(愚かしいこのオブジェクトは僕の考えを表現するのにとても悪い言葉だった。不活性的でデータを過剰に意識させたからだ。Simulaはプロセスと呼んでいた。こっちがよかったな。プロセス指向プログラミングの方がずっと良かったと思わないかい?) | [
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"text": "構造化設計は、サブルーチン複合体とデータ構造を扱っている具象データ(concrete data)技術である。Simula発のクラスとダイクストラ発の抽象データ構造は、プログラムモジュールにカプセル化・継承・多態性を備えて抽象体として扱おうとする抽象データ(abstract data)技術である。そしてアラン・ケイ本来のオブジェクトとは、プログラムモジュールを生物学と代数学の観点から再解釈した非データ(non data)技術であった。構造化開発は1980年代までの主流であり、続けてオブジェクト指向が主流になったが、現在においてもクラスをただのデータとメソッドの複合体として扱っているようなオブジェクト指向は、構造化開発と大差ないものになり「具象データ」から「抽象データ」への思考転換の難しさを物語っている。モジュールの抽象化が提唱され始めたのは1970年代であったが、同時期にアラン・ケイは「抽象データ」を更に抽象化した「非データ」を構想していた。",
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"text": "The foolish part is that “object” is a very bad word for what I had in mind — it is too inert and feels too much like “data”. Simula called its instances “processes” and that is better.“Process-oriented programming” would have been much better, don’t you think?(愚かしいこのオブジェクトは僕の考えを表現するのにとても悪い言葉だった。不活性的でデータを過剰に意識させたからだ。Simulaはプロセスと呼んでいた。こっちがよかったな。プロセス指向プログラミングの方がずっと良かったと思わないかい?)",
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] | オブジェクト指向は、ソフトウェア開発とコンピュータプログラミングのために用いられる考え方である。元々は特定のプログラミングパラダイムを説明するために考案された言葉であり、その当時の革新的技術であったGUI(グラフィカル・ユーザーインターフェース)とも密接に関連していた。明確な用語としては1970年代に誕生し、1981年頃から知名度を得て、1986年頃からソフトウェア開発のムーブメントと化した後に、1990年頃にはソフトウェア開発の総合技術としての共通認識を確立している。ソフトウェア開発における一つの標語のような扱い方もされている。 オブジェクトとは、プログラミング視点ではデータ構造とその専属手続きを一つにまとめたものを指しており、分析/設計視点では情報資源とその処理手順を一つにまとめたものを指している。データとプロセスを個別に扱わずに、双方を一体化したオブジェクトを基礎要素にし、メッセージと形容されるオブジェクト間の相互作用を重視して、ソフトウェア全体を構築しようとする考え方がオブジェクト指向である。 | {{著作権問題調査依頼}}
{{独自研究|date=2019年2月}}
'''オブジェクト指向'''(オブジェクトしこう、{{lang-en-short|''object-oriented''}})は、[[ソフトウェア開発]]と[[コンピュータプログラミング]]のために用いられる考え方である。元々は特定の[[プログラミングパラダイム]]を説明するために考案された言葉であり、その当時の革新的技術であったGUI([[グラフィカル・ユーザー・インターフェース|グラフィカル・ユーザーインターフェース]])とも密接に関連していた。明確な用語としては1970年代に誕生し、1981年頃から知名度を得て、1986年頃からソフトウェア開発のムーブメントと化した後に、1990年頃にはソフトウェア開発の総合技術としての共通認識を確立している。ソフトウェア開発における一つの標語のような扱い方もされている。
オブジェクトとは、プログラミング視点では[[データ構造]]とその専属[[手続き]]を一つにまとめたものを指しており、分析/設計視点では情報資源とその処理手順を一つにまとめたものを指している。[[データ]]と[[プロセス]]を個別に扱わずに、双方を一体化した[[オブジェクト (プログラミング)|オブジェクト]]を基礎要素にし、[[メッセージ (コンピュータ)|メッセージ]]と形容されるオブジェクト間の相互作用を重視して、ソフトウェア全体を構築しようとする考え方がオブジェクト指向である。{{main|オブジェクト指向プログラミング}}
== オブジェクト指向の来歴 ==
[[ファイル:Alan Kay (3097597186) (cropped).jpg|サムネイル|222x222ピクセル|Alan Kay]]
=== オブジェクト指向プログラミングの発案 ===
オブジェクト指向(''object-oriented'')という言葉自体は、1972年から80年にかけてプログラミング言語「[[Smalltalk]]」を開発した[[ゼロックス|ゼロックス社]][[パロアルト研究所]]の計算機科学者[[アラン・ケイ]]が、その言語設計を説明する過程で誕生している<ref name="EarlyHistoryOfSmalltalk">{{Cite web|url=http://worrydream.com/EarlyHistoryOfSmalltalk/|title=The Early History Of Smalltalk|accessdate=2019-01|publisher=}}</ref>。本人の述懐によると、大学院時代のケイがプログラミング言語「[[Simula]]」に感化されて日夜プログラミング・アーキテクチャの思索に耽っていた1967年頃、今何をしているのかと尋ねてきた知人に対して「object-oriented programmingだよ」とその時の造語で答えたのが原点であるという。このオブジェクト指向が知名度を得るようになったのは1981年頃からであり、当時の著名なマイコン専門誌[[バイト (雑誌)|BYTE]]によるSmalltalkの誌上紹介が契機になっている。オブジェクト指向の中でケイは[[メッセージング]]という考え方を重視していたが、世間の技術的関心は[[クラス (コンピュータ)|クラス]]と[[インスタンス]]の仕組みの方に集まり、オブジェクト指向の解釈はケイの考えとは異なる方向性で推移していった。[[クラス (コンピュータ)|クラス]]を初めて導入した言語はSimulaの1967年版だったので、こちらも後付けでオブジェクト指向の源流に位置付けられることになった<ref>[http://kristennygaard.org/FORSKNINGSDOK_MAPPE/F_OO_start.html How Object-Oriented Programming Started]</ref>。Simulaに結び付けられたオブジェクト指向と、Smalltalkで提唱されたオブジェクト指向の性格は全く異なるものだったので、後のオブジェクト指向の解釈に数々の齟齬を生じさせている。1983年に計算機科学者[[ビャーネ・ストロヴストルップ]]がSimulaをモデルにした言語「[[C++]]」を公開し、このC++が人気を博した事や、Smalltalkでも実際の開発に対応するためにSimulaスタイルの継承などの機能が取り入れられたことで、[[オブジェクト指向プログラミング]]はSimulaスタイルの方で認識されるようになった<ref>{{Cite web|url=https://www.cs.cmu.edu/~charlie/courses/15-214/2014-fall/slides/25-history-oo.pdf|title=OO History: Simula and Smalltalk|accessdate=2019-02|publisher=}}</ref>。
=== オブジェクト指向開発の始動 ===
1986年から[[Association for Computing Machinery|ACM]](計算機協会)が[[OOPSLA]](オブジェクト指向会議)を年度開催するようになり、オブジェクト指向は[[コンピュータサイエンス]]の一つのムーブメントになった。[[OOPSLA]]初期のチェアパーソンは、[[Smalltalk]]が生まれた[[ゼロックス|ゼロックス社]][[パロアルト研究所]]のフェローが務めることが多かった。Smalltalkは正確には[[プログラミング言語]]と[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]][[フレームワーク]]を合わせた統合開発運用環境であり、[[Alto|ゼロックスAlto]]機上の[[オペレーティングシステム|OS]]または[[ミドルウェア]]として制作されていた。[[Alto|ゼロックスAlto]]は[[GUI]]を初めて汎用的にサポートしたコンピュータと[[オペレーティングシステム|OS]]であり、かの[[スティーブ・ジョブズ|スティーブ・ジョブス]]を啓発して[[Macintosh]]のモデルになったことはよく知られている。1980年代前半のコンピュータ界隈は、[[キャラクタユーザインタフェース|CUI]](キャラクタ・ユーザーインターフェース)から[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]](グラフィカル・ユーザーインターフェース)への過渡期であったので、すでに[[プログラミングパラダイム]]とGUIデザイン理論をミックスさせていたオブジェクト指向は、その当時における次世代的なソフトウェア開発技術になり得るものとして関心を集めていた。
また別の背景としては、1970年代からの主流である[[構造化プログラミング|構造化開発]]が拡張を続けていた中で、様々な[[データ構造図]]や[[データフロー図]]の技法および[[データモデリング]]の手法がやや乱立気味になっていたという事情があり、その見直しを兼ねて一からの仕切り直しによるソフトウェア開発技術の標準化(standardization)を図りたいとする産業界や計算機科学界の思惑もあった。オブジェクト指向はそのためのスローガンとしても最適であった。こうした経緯から技術的以外の意味も与えられたオブジェクト指向は同時に[[バズワード]]化することにもなっている。[[構造化分析設計技法|構造化開発]]が[[機能モデル|機能]]を中心にして[[機能モデル|機能]]と[[データモデル|データ構造]]を個別にデザインする[[段階的詳細化法|段階的詳細化]]を基礎にしていたのに対し、オブジェクト指向はデータと機能を一つにまとめた[[オブジェクト (プログラミング)|object]]をソフトウェアデザインの中心にした上で[[エドガー・ダイクストラ]]発案の[[構造化プログラミング|抽象データ構造]]及び[[バーバラ・リスコフ]]提唱の[[抽象データ型]]を基礎にしていた。これは前述の[[Simula]]スタイル由来である。オブジェクト指向開発(object-oriented development)という言葉を最初に引用したのは、1986年のソフトウェア技術者[[グラディ・ブーチ]]であったとされる。その最初の活用対象になったのは、[[データベース]]開発と[[オペレーティングシステム]]開発および[[ユーザーインターフェース]]設計であった。
=== オブジェクト指向方法論の進展 ===
[[OOPSLA]]の開催と連動してまず[[オブジェクト指向設計]](OOD)と[[オブジェクト指向分析設計|オブジェクト指向分析]](OOA)が立ち上げられた。これは[[構造化プログラミング|構造化開発]]のSDとSAに倣っていた。1980年代後半からOOPSLA界隈の識者たちによって様々な分析メソッドと設計メソッドが発表されるようになった。この分析/設計メソッドから導出される[[コンセプトモデル|概念モデル]]を、形式的にチャート化ないし[[ダイアグラム|ダイアグラム化]]するという作業がモデリングであり、[[構造化分析設計技法|構造化開発]]でも[[機能モデル]]や[[データモデル]]や[[実体関連モデル]](ER図)などが存在していたが、抽象化を尊ぶオブジェクト指向開発では特にこのモデリングが重視されたのが特徴である。1988年のオブジェクト指向システム分析(OOSA)、1990年からの[[ピーター・コード|Coad]]&[[エドワード・ヨードン|Yourdon]]法、1991年の[[Booch法]]と[[オブジェクトモデル化技法]](OMT)、1992年の[[オブジェクト指向ソフトウェア工学]](OOSE)、1993年のフュージョンメソッドとMartin&Odell法といった数々のオブジェクト指向方法論(object-oriented methodology)による[[オブジェクト指向モデリング|モデリング手法]]が発表され、いずれも[[形式言語]]化されていたのでオブジェクト指向では、[[モデリング言語]]と[[プログラミング言語]]が並んでソフトウェア開発の両輪になった。
1990年前後から認知されるようになったオブジェクト指向方法論とは、[[オブジェクト指向分析設計|要求分析]]・[[オブジェクト指向設計|概念設計]]・[[オブジェクト指向モデリング|モデリング]]・[[オブジェクト指向プログラミング|プログラミング]]といった一連の工程を総括的に形式化した理論体系であり、ソフトウェア開発の総合技術としてのオブジェクト指向を体現していた。1994年にモデリング言語をプログラム設計に直接適用した[[ギャング・オブ・フォー (情報工学)|GOF]][[デザインパターン (ソフトウェア)|デザインパターン]]が初回発表された。Booch法とOMTとOOSEの考案者([[スリーアミーゴス]])は、後の[[IBM]]ブランドになる[[ラショナル|ラショナルソフトウェア]]で合流して[[統一モデリング言語]](UML)を制作し、1995年のOOPSLAで初回発表した。オブジェクト指向は[[ソフトウェア開発工程]]の分野にも広がり、[[モデル駆動工学]]、[[ドメイン固有言語]]、[[リファクタリング (プログラミング)|リファクタリング]]、[[アジャイルソフトウェア開発]]といった数々のトピックも[[OOPSLA]]から誕生している。[[ラショナル|IBMラショナル]]はオブジェクト指向開発工程フレームワークを標榜する[[ラショナル統一プロセス]]を2003年に公開した。
1989年には[[IBM|IBM社]]、[[Apple]]社、[[ヒューレット・パッカード|ヒューレットパッカード社]]、[[サンマイクロシステムズ|サンマイクロシステムズ社]]、[[アメリカン航空]]などの11社がコンピュータ産業共同事業団体[[Object Management Group|OMG]](Object Management Group)を設立した。その主な目的は、企業システムネットワークの基盤になる[[分散コンピューティング]]を構築するための分散オブジェクト設計の標準化を図ることであった。ここでのオブジェクトもデータとメソッドの複合体と定義されていた。1991年に分散オブジェクトの規格パラダイムとなる[[CORBA]]が発表された。1997年に[[Object Management Group|OMG]]の標準モデリング言語は[[統一モデリング言語|UML]]に策定された。モデリングの[[形式体系]]化に力を注いでいたOMGは[[モデル駆動工学]]のメソッド確立を進めて、2001年に[[モデル駆動型アーキテクチャ|モデル駆動アーキテクチャ]]を発表している。
==オブジェクト指向の種類==
* [[オブジェクト指向プログラミング]] - 1970年代から
* [[オブジェクトデータベース]] - 1980年代から
**[[オブジェクト関係データベース]] - 1990年代から
* {{仮リンク|オブジェクト指向オペレーティングシステム|en|Object-oriented operating system|label=}} - 1980年代から
* {{仮リンク|オブジェクト指向ユーザーインターフェース|en|Object-oriented user interface|label=}} - 1980年代から
**オブジェクト指向ユーザーエクスペリエンス - 2010年代から
*[[オブジェクト指向分析設計|オブジェクト指向設計]] - 1980年代から
*[[オブジェクト指向分析設計|オブジェクト指向分析]] - 1980年代から
*[[オブジェクト指向モデリング]] - 1980年代から
*オブジェクト指向方法論 - 1990年代から
**Meyer法(オブジェクト指向ソフトウェア構築 - OOSC)
**Shlaer and Mellor法(オブジェクト指向システム分析 - OOSA)
**Wirfs-Brock法(責任駆動設計 - RDD)
**Coad and Yourdon法
**[[Booch法]]
**[[オブジェクトモデル化技法]](OMT)
**[[オブジェクト指向ソフトウェア工学]](OOSE)
**Gibson and Goldberg法(オブジェクト動作分析 - OBA)
**フュージョンメソッド ← Booch法・RDD・OMT・OOSE
**Martin and Odell法
**Graham法(意味論オブジェクトモデル化導入論 - SOMA)
**Henderson-Sellers法(オブジェクト指向システムソフトウェア工学方法論 - MOSES)
**[[統一モデリング言語]](UML)← Booch法・OMT・OOSE
**Openモデリング言語(OML)← フュージョンメソッド・SOMA・MOSES
**オブジェクト工学プロセス(OEP)← UML・OMT・OOSE
**[[ラショナル統一プロセス]](RUP)← UML・OMT・OOSE
* {{仮リンク|オブジェクト指向存在論|en|Object-oriented ontology}} - 哲学分野
==アラン・ケイのオブジェクト指向とは==
=== 1980年代の言及 ===
1989年に発表された「User Interface A Personal View」という記事の中でアラン・ケイは、[[Smalltalk]]のオブジェクト指向性は大変示唆的であると前置きした上で、そのプログラミング言語での[[オブジェクト指向プログラミング|OOP]]と、その[[GUI]]フレームワークでのOOUIを照応させながらこう述べている<ref>{{Cite web|url=http://worrydream.com/refs/Kay%20-%20User%20Interface,%20a%20Personal%20View.pdf|title=User Interface A Personal View|accessdate=2020-1|publisher=}}</ref>。これは人とコンピュータの対話形式としてのオブジェクト指向に沿ったものになっている。1970年代から80年代にかけてのオブジェクト指向は、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)と半ば表裏一体で扱われていたという技術史背景がある。
{{Quotation|object-oriented means that the object knows what it can do.<br/>(オブジェクト指向とは、オブジェクトが出来る「なにか」を知っていることを意味している)}}
これは[[認知心理学]]の[[アフォーダンス]]につながる考え方と解釈されている。その説明の中でケイは、Smalltalkプログラミングを抽象シンボル舞台と形容しており、GUIフレームワークを具象ユーザーインターフェース舞台と形容している。前者の抽象シンボル舞台では、我々は最初にオブジェクトの名前(識別子)をコーディングし、次にそのオブジェクトが実行する「なにか」を伝えるメッセージをコーディングすることになる。後者の具象ユーザーインターフェース舞台では、我々は最初に操作する対象(アイコン)を選択し、次にその対象が提供する「なにか」のメニュー欄を表示選択することになる。この双方を踏まえた上でケイはこう結論している。
{{Quotation|In both case we have the object first and the desire second. this unifies the concrete with the abstract in highly satisfying way.<br/>(双方の事例において私達は、オブジェクト(対象)を第一とし、欲求を第二とする。これは高い満足度で具象と抽象を一体化する)}}80年代前半までのオブジェクト指向はプログラミングとGUIの融合思想と言った方が適当であり、オペレータがプログラミングでカスタマイズした結果をGUIビュー環境でほぼ同時に確認できるという特性は、コマンドライン実行とキャラクタ文字環境が当然であった時代において革新的であった。プログラミングはコンピュータとの潜在的な対話であり、GUIは顕在的な対話であると形容されている。長じてアイコン選択とメニュー処理を適宜に連携させるGUIの考え方をプログラミングにも応用したものが、後述のオブジェクトとメッセージ式になっている。
=== 1990年代の言及 ===
1992年に[[Association for Computing Machinery|ACM]]からプログラミング言語史編纂の一環として執筆を依頼されたアラン・ケイは、翌93年の「The Early History Of Smalltalk」でオブジェクト指向の原点としての[[Smalltalk]]について解説している<ref name="EarlyHistoryOfSmalltalk" />。冒頭の序章で設計理念が説明され、第一章から第三章まではその着想元になった[[バロース B5000|バロースB5000]]、[[Sketchpad]]、[[Simula]]、Flex machine、[[LISP]]などの技術史が記され、第四章から第六章まではSmalltalkの開発史が綴られている。ここでは序章から特徴的な要点のみを抜粋する。
{{Quotation|Smalltalk's design—and existence—is due to the insight that everything we can describe can be represented by the recursive composition of a single kind of behavioral building block that hides its combination of state and process inside itself and can be dealt with only through the exchange of messages.<br/>(Smalltalkの設計―及び存在―とは、私たちの思い描ける全てが、自己の状態とプロセスの結合を内部隠蔽した個々の振る舞い組立ブロックの再帰構成によって表現され、徹底的なメッセージの交換のみによって処理されるということだ。)}}再帰構成すなわち[[再帰]]の概念は、後続文にも繰り返し登場している。もっとも再帰は一般知識であり、例えば[[ジョン・マッカーシー]]も[[LISP]]の設計を<code>recursive functions of symbolic expressions and their computation by machine.</code>(記号式の再帰関数群と機械によるその計算)と概略していた。メッセージ交換は、徹底的な[[疎結合]]および{{仮リンク|情報隠蔽|en|Information hiding|redirect=1}}を示唆している。{{Quotation|In computer terms, Smalltalk is a recursion on the notion of computer itself. Instead of dividing "computer stuff" into things each less strong than the whole—like data structures, procedures, and functions which are the usual paraphernalia of programming languages—each Smalltalk object is a recursion on the entire possibilities of the computer.<br/>(Smalltalkは計算概念の自己再帰である。コンピュータプログラムをその全体からの劣化要素―データ構造、手続き、関数といった言語機能の諸々に分割していくのではなく、Smalltalkのオブジェクトはそれぞれが計算の総体可能性を備えた再帰要素になる。)}}ケイが理想とする計算の総体可能性の反対である劣化要素への分割とは、いわゆる[[型システム]]の導入を指している。他の論考でもケイは特に静的な[[型システム]]に対して否定的な見解を示していた。{{Quotation|Philosophically, Smalltalk's objects have much in common with the monads of Leibniz and the notions of 20th century physics and biology. Its way of making objects is quite Platonic in that some of them act as idealizations of concepts—Ideas—from which manifestations can be created. <br/>(哲学面でのSmalltalkオブジェクトは、[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]の[[モナド (哲学)|モナド]]や20世紀の物理・生物学思考との共通点を見出せる。オブジェクトの構築は、[[イデア論|イデア]]から現象が創生されるという全くの[[プラトン|プラトニック]]である。)}}
第四章では、Smalltalkの言語仕様が六つに概略されている。{{Quotation|1, EverythingIsAnObject.
2, Objects communicate by sending and receiving messages (in terms of objects).
3, Objects have their own memory (in terms of objects).
4, Every object is an instance of a class (which must be an object).
5, The class holds the shared behavior for its instances (in the form of objects in a program list).
6, To eval a program list, control is passed to the first object and the remainder is treated as its message.}}この和訳は以下のようになるが、ここでは長い説明を避けて特徴的な要点のみを解説する。
# すべてはオブジェクトである。
# オブジェクトはメッセージの送信と受信によってコミュニケーションする。
# オブジェクトは自身の記憶を持つ。
# すべてのオブジェクトはクラスのインスタンスである。クラスもまたオブジェクトである。
# クラスはその各インスタンスで共有される振る舞いを保持する。振る舞いとはプログラムリスト・オブジェクトである。
# プログラムリストの評価では、制御は最初のオブジェクトに渡され、残りはそのメッセージとして扱われる。
'''(2)'''は様々に解釈されるが、コミュニケーションする[[オブジェクト (プログラミング)|オブジェクト]]は、[[プロセス計算|プロセス]]や[[アクターモデル|アクター]]としての性格が強くなる。'''(3)'''の記憶は簡単に言うと[[フィールド (計算機科学)|フィールド]]や[[プロパティ (プログラミング)|プロパティ]]や[[属性 (コンピューティング)|属性]]であるが、オブジェクトの振る舞いを制約するための私的環境を示唆している。'''(4)'''は、[[クラス (コンピュータ)|クラス]]もまた[[メタクラス]]の[[インスタンス]]化であるという再帰構成を示唆している。'''(5)'''の振る舞いは簡単に言うと[[メソッド (計算機科学)|メソッド]]であるが、[[LISP]]のフォームリストに似たオブジェクトとして保持されることを示唆している。'''(6)'''は、[[式 (プログラミング)|式]]内のオブジェクトはその時の並べられた順序によって、いずれもがコントローラ(関数式)になり、いずれもがそれへのメッセージ(引数)になることを示唆している。
=== 2000年代の言及 ===
2003年にアラン・ケイはオブジェクト指向の貢献で[[チューリング賞]]を受賞し、知人から改めてオブジェクト指向の意味を尋ねられたケイは以下のようにメール返信している<ref>{{Cite web|url=http://userpage.fu-berlin.de/~ram/pub/pub_jf47ht81Ht/doc_kay_oop_en|title=Dr. Alan Kay on the Meaning of “Object-Oriented Programming”|accessdate=2019-1|publisher=}}</ref>。このメールは60年代末からの構想をさり気なく簡潔にまとめたものとしてしばしば引用される。ここでは文章順に各要点を抜粋していく。
{{Quotation|I thought of objects being like biological cells and/or individual computers on a network, only able to communicate with messages.<br/>(さながら生物の細胞、もしくはネットワーク上の銘々のコンピュータ、それらはただメッセージによってコミュニケーションする存在、僕はオブジェクトをそう考えている)}}
上記はケイ本来のオブジェクトの在り方を述べたものであり、特に解説はしない。
{{Quotation|I wanted to get rid of data. The B5000 almost did this via its almost unbelievable HW architecture. I realized that the cell/whole-computer metaphor would get rid of data, ...<br/>(僕はデータを取り除きたかった。これを[[バロース B5000|バロースB5000]]は驚くべきHWアーキテクチャでほとんど実現していた。僕は気付いた。細胞/全体コンピュータメタファはデータを除去できるであろうと、)}}
ここでプログラムからデータを取り除きたいという考えが提示されている。
{{Quotation|My math background made me realize that each object could have several algebras associated with it, and there could be families of these, and that these would be very very useful.<br/>(僕の数学専攻経験がこれを気付かせた。各オブジェクトは幾つかの関連付けられた代数を持ち、またその系統群もあるかもしれない。それらは大変有用になるだろうと)}}
ここでの代数は、[[プロセス代数]]か、プログラミングに適用した[[代数的構造]]とも解釈できる。
{{Quotation|OOP to me means only messaging, local retention and protection and hiding of state-process, and extreme late-binding of all things.<br/>(僕にとってのOOPとは、メッセージング、ステートプロセスの局所保持かつ保護かつ隠蔽、徹底的な遅延バインディング、これだけの意味だった)}}
メッセージングは造語に近く、[[メッセージパッシング]]に類似の概念であり、ただの[[リモートプロシージャコール]]とは異なることが明言されている。ステートプロセスは、データとコードの一元化概念であり、これも造語である。[[動的束縛|遅延バインディング]]は、シンボルと実体の結合をランタイムで決定する概念である。
{{Quotation|One of the things I should have mentioned is that there were two main paths that were catalysed by Simula. The early one (just by accident) was the bio/net non-data-procedure route that I took. The other one, which came a little later as an object of study was abstract data types, and this got much more play.<br/>(僕が触れるべきだった一つは、Simulaを触媒にした二本の道があったということだ。最初の一本はバイオ/ネットな非データ手順で僕が選んだ方。少し遅れたもう一本は抽象データ型でこっちの方がずっと賑わっている)}}
ここで[[抽象データ型]]に対しての、非データ手順(non-data-procedure)というワードが登場する。振る舞いを通してデータを扱うというデータ抽象の概念を、更に抽象化したものが非データであり、[[代数学]]で言う[[写像]]だけでデータを表現するという概念を指している。これにケイの[[生物学]]専攻を背景にしたバイオ/ネット(bio/net)なる考えが加えられている。
{{Quotation|And the very first problems I solved with my early Utah stuff was the "disappearing of data" using only methods and objects. At the end of the 60s (I think) Bob Balzer wrote a pretty nifty paper called "Dataless Programming", and shortly thereafter John Reynolds wrote an equally nifty paper "Gedanken" (in 1970 I think) in which he showed that using the lamda expressions the right way would allow data to be abstracted by procedures.<br/>([[ユタ大学|ユタ]]での専攻知識で僕が解決した最初期の問題はメソッドとオブジェクトのみを用いてのデータの消滅だった。1960年代末にBob Balzerはデータレス・プログラミングというものを書き示した。直後の1970年にJohn Reynoldsは[[ラムダ式]]を用いての手順によるデータ抽象化の方法を書き示した)}}
非データ手順(non-data-procedure)に関連付けられるものとしては、[[代数的構造]]、[[圏論]]の[[射 (圏論)|射]]や[[関手]]の構造、{{仮リンク|Futuresとpromises|en|Futures and promises}}、{{仮リンク|ポイントフリースタイル|en|point-free style}}、[[プロセス代数]]、[[アクターモデル]]、自由[[モナド (プログラミング)|モナド]]などが挙げられる。
{{Quotation|The people who liked objects as non-data were smaller in number,<br/>(非データとしてのオブジェクトを好む者は少なかった、)}}
ここで歴史に戻る。1970年前後になると[[ソフトウェア危機]]としても語られるプログラム規模拡大に対応するために、サブルーチンとデータをまとめた[[モジュール|プログラムモジュール]]という機能が登場した。それと同時期の1967年に[[オルヨハン・ダール]]らは[[クラス (コンピュータ)|クラス]]という機能を備えた[[Simula|Simula67]]を開発し、1969年から[[エドガー・ダイクストラ]]は抽象データ構造という概念を備えた[[構造化プログラミング]]を提唱した。1974年から[[IBM|IBM社]]中心の研究者たちが[[構造化分析設計技法|構造化分析/設計]]と総称される技法を発表し、構造化プログラミングはこちらに取って代わられた。1972年からアラン・ケイはメッセージングという概念を備えたオブジェクト指向を誕生させている。オブジェクト指向は後に[[クラスベース|クラス・パラダイム]]にマウントされている。
[[構造化プログラミング|構造化設計]]は、サブルーチン複合体とデータ構造を扱っている具象データ(concrete data)技術である。Simula発のクラスとダイクストラ発の抽象データ構造は、プログラムモジュールに[[カプセル化]]・[[継承 (プログラミング)|継承]]・[[多態性]]を備えて抽象体として扱おうとする抽象データ(abstract data)技術である。そしてアラン・ケイ本来のオブジェクトとは、プログラムモジュールを[[生物学]]と[[代数学]]の観点から再解釈した非データ(non data)技術であった。構造化開発は1980年代までの主流であり、続けてオブジェクト指向が主流になったが、現在においてもクラスをただのデータとメソッドの複合体として扱っているようなオブジェクト指向は、構造化開発と大差ないものになり「具象データ」から「抽象データ」への思考転換の難しさを物語っている。モジュールの抽象化が提唱され始めたのは1970年代であったが、同時期にアラン・ケイは「抽象データ」を更に抽象化した「非データ」を構想していた。
=== 2020年の言及 ===
Q&Aサイトの[[Quora]]で「1966~67年のオブジェクト指向という造語を発したアラン・ケイに誰かが影響を与えていたのか?」という質問に対して本人がこう回答している。ここでのキーワードである”rotation”は「一つのコンピュータはどこかのコンピュータができることをできる、相互通信によってあらゆる規模の計算を表現できる」を意味する。{{Quotation|''In the 1960s, software composites that were more complex than arrays, were often called “objects”, and all the schemes I had seen involved structures that included attached procedures. A month or so after the “rotation” someone asked me what I was doing, and I foolishly said “object-oriented programming”.''<br>(60年代、配列より複雑なソフトウェア構成体はしばしばオブジェクトと呼ばれており、僕のスキームにあった手続き付きの構造体もそうだった。rotation構想の後、今何をしているのかと尋ねられた僕は愚かにもこう言った。オブジェクト指向プログラミングと。)<br>
''The foolish part is that “object” is a very bad word for what I had in mind — it is too inert and feels too much like “data”. Simula called its instances “processes” and that is better.“Process-oriented programming” would have been much better, don’t you think?''<br>(愚かしいこのオブジェクトは僕の考えを表現するのにとても悪い言葉だった。不活性的でデータを過剰に意識させたからだ。Simulaはプロセスと呼んでいた。こっちがよかったな。プロセス指向プログラミングの方がずっと良かったと思わないかい?)
}}
== 脚注 ==
'''出典'''{{Reflist}}
==関連項目==
*[[アラン・ケイ]]
*[[Smalltalk]]
*[[LISP]]
*[[Simula]]
*[[ダイナブック]]
*[[Alto|Xerox Alto]]
*[[GUI]]
*[[仮想マシン]]
*[[アクターモデル]]
==外部リンク==
{{Wikibooks|オブジェクト指向|オブジェクト指向}}
*[http://msdn.microsoft.com/ja-jp/academic/cc998612.aspx オブジェクト指向とは: 開発者向け技術情報]
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1,332 | アントニオ・ヴィヴァルディ | アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ(Antonio Lucio Vivaldi, 1678年3月4日 - 1741年7月28日)は、現在はイタリアに属するヴェネツィア出身のバロック音楽後期の著名な作曲家の一人、ヴァイオリニスト、ピエタ院の音楽教師、カトリック教会の司祭。興行師、劇場支配人でもあった。多数の協奏曲の他、室内楽、オペラ、宗教音楽等を作曲。現代ではヴァイオリン協奏曲『四季』の作曲者として広く知られている。
ヴェネツィアに生まれ、オーストリアのウィーンで没した。サン・マルコ大聖堂付きオーケストラのヴァイオリニストで理髪師の父ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィヴァルディからヴァイオリンを学ぶ。10歳より教会附属の神学校に入るとともにサン・マルコの見習いヴァイオリニストになり、13歳で父の代理を務める様になる。15歳で神学校に入学し、25歳で司祭に叙階された。赤毛であったことから、「赤毛の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれるようになった。
司祭になった年までに全12曲の『トリオ・ソナタ集』作品1を出版し、在俗司祭となってヴェネツィアのピエタ慈善院付属音楽院 のヴァイオリン教師に就く。後に楽器演奏全ての指導者「マエストロ・デ・コンチェルティ(maestro de concerti / de'concerti)」として、多くの器楽曲と、後には宗教曲もピエタに提供し、リハーサルと指揮をする義務を負った。一方、オペラ作曲家としての名声も次第と揺るぎないものになり、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダモーレ、ヴィオラ・アッリングレーゼの卓越した演奏家としての演奏旅行の他、オペラ上演のためにヨーロッパ各地を回った。彼の残した作品は死後長らく忘れられた存在であったが、20世紀に入り多くの作品が再発見され、再評価されることになった。
現在確認できている作品は、四季をはじめとして600を超える協奏曲、改作や共作、パスティッチョを含めて50数曲のオペラ(ほぼ総てがオペラ・セリアで、現存するのはその内20数曲、ヴィヴァルディ自身は「94のオペラを作曲した」と書簡に記している)、73のソナタ、等の室内楽曲、シンフォニア、オラトリオ(現在自筆譜が残っているのは勝利のユディータのみ)、宗教音楽(モテットなど)、カンタータ、など多岐に渡る。
シャルル・ド・ブロスに「写譜屋が写譜を行っている間に、協奏曲の全パートを作曲できる」(「イタリア書簡集」1739年の手紙より)と豪語していた彼は速筆の多作家であり、記号や用語の簡略化を多用した崩し書きの筆致は自筆譜で確認できる。時代楽器で演奏すると全楽章が4分半で終わってしまう協奏曲(RV 138)もあり、これを凌ぐ短い協奏曲(RV 161)も存在する。
ヴィヴァルディは特に急・緩・急の3楽章を持ち、主に第1楽章において全奏による繰り返しと独奏楽器による技巧的なエピソードが交替するリトルネッロ形式をもつ独奏協奏曲の形式を確立した人物として知られる。ただし実際にはヴィヴァルディが独奏協奏曲の考案者というわけではなく、ジュゼッペ・トレッリらはヴィヴァルディ以前に独奏協奏曲を書いているが、ヴィヴァルディの作品は国際的に有名になり、多くのドイツの作曲家がヴィヴァルディの形式で協奏曲を書くようになった。古典派の協奏曲はヴィヴァルディなしには考えることができない。
ヴィヴァルディは書こうと思えば高度に対位法的なフーガなどの音楽も書くことができたが、より直感的で透明な音楽を主に書いた。この親しみやすさによって第二次世界大戦後のバロック・ブームはヴィヴァルディの再発見という形で進められた。
ヴィヴァルディはヴェネツィア派のヴァイオリニストとしても、18世紀前半のイタリアのヴァイオリン界に重要な役割を果たしており、運指法や運弓法に新生面を開いた。
その一方でヴィヴァルディの作品はどれも同じという批判的な意見もあり、たとえばルイージ・ダッラピッコラは「600曲の協奏曲を作曲したのでなく、1曲を600回作曲したにすぎない」と言ったとされる。イーゴリ・ストラヴィンスキーも、おそらくダッラピッコラの言葉によって「同じ形式をあんなにくりかえしくりかえし作曲できた、退屈な男にすぎない」と言っている。皆川達夫は、ダッラピッコラの言葉は「いいすぎ」であり不適当としつつも「個人の好み」として「ヴィヴァルディの音楽の品のなさが耐えられない」と述べている。しかし、彼らの発言が記録された1955年から1972年では、ヴィヴァルディの新鮮な古楽器復興は全く行われていない。ヴィヴァルディの時代は演奏会に対して厳粛に耳を傾けるという聴取は行われていなかった。
通常リオム番号(RV番号)で楽曲が整理されるが、この他にパンシェルル番号(P番号)、ファンナ番号(F番号)が存在する。
協奏曲の独奏のために用いられた楽器の種類と組み合わせの多彩さでも知られ、大量のヴァイオリンのための協奏曲だけでなく、チェロ、リュート、テオルボ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオラ・ダモーレ、マンドリン、オーボエ、フルート、ピッコロ、シャリュモー(クラリネットの前身)、バソン/ファゴット、トランペット、トロンボーン、ホルン、オルガン等同時期の作曲家としては格段に多様である、これはピエタの運営委員会が《合奏の娘たち》に珍しい楽器を演奏させて演奏会の希少性を高めるためにヴィヴァルディに求めたことでもあるが、ヴィヴァルディはオーボエやバソンといった管楽器、チェロ、オルガンといった伴奏用の楽器にもヴァイオリンがほぼ独占していた独奏楽器の地位を与え、ピエタの娘たちに演奏させた。
1678年3月4日、イタリア・ヴェネツィアのカステッロ区に生まれる。誕生日は長らく不明であったが、20世紀になって、当時の洗礼記録が教区教会で発見された。瀕死の状態で生まれたため、助産婦が仮の洗礼を授け、2ヶ月後の5月6日に生家の目と鼻の先にあるサン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ教会で正式な洗礼を受けた。このことは、ヴィヴァルディの生まれながらの病弱さを示しているとするものと、当日にヴェネツィアを襲った大きな地震によるものという2つの見方がある。
父親のジョヴァンニ・バッティスタは、理髪師兼町医者(当時の理髪師は簡単な外科医でもあった)として家計を支えていたが、同時にヴァイオリンの才能に恵まれ、1713年発行のヴェネツィア旅行案内のパンフレットには息子アントニオと並んで名ヴァイオリニストとして紹介されるほどであった。1685年にサン・マルコの楽長になったジョヴァンニ・レグレンツィらとも親交があり、同年にサン・マルコ大聖堂のヴァイオリニストに選ばれると共に、レグレンツィを代表とする音楽家組合の創設メンバーのひとりになった。同じブレシア出身で高名なオペラ作曲家だった副楽長のカルロ・フランチェスコ・ポッラローロとも親交があったと見られ、その後劇場付きのヴァイオリニストも務めるようになる。1676年に仕立屋の娘カミッラ・カリッキヨと結婚し、初めて生まれた男子に、ヴェネツィア生まれの長男として代表的な「アントニオ」と、3月4日を祝日とする聖人ルキウス1世から「ルーチョ」の洗礼名を与える。妻はアントニオの他に夭逝した子も含めて男の子5人、女の子5人を授かるが、彼らの中から音楽家は誕生しなかった。幼少時から父親のもとでヴァイオリンに習熟すると共に、父親の幅広い音楽仲間から作曲法などを学ぶ。レグレンツィとポッラローロのほか、サン・マルコのオルガニストでのちの楽長になるアントニオ・ロッティや首席ヴァイオリニストのジョルジョ・ジェンティーリ、1699年までサン・マルコのチェリストを務めていたアントニオ・カルダーラ、ポッラローロの息子で1702年から父の任務を引き継ぎ、ロッティの後任の楽長になったアントニオ・ポッラローロなど、さまざまな音楽家がヴィヴァルディに影響を与えていたと考えられている。
庶民階級のヴィヴァルディが、やがて世に出て、さまざまな階級の人と引け目なく交わるには、聖職者になるのがもっとも確実な方法だった。1688年、10歳で当時サン・マルコ大聖堂とサン・マルコ広場を挟んで向かい合って建っていたサン・ジェミニアーノ教会付属学校に入学し、その頃サン・マルコの見習いヴァイオリニストになる。12歳で父と共演し、13歳で劇場ヴァイオリニストの仕事をする父の代理をしばしば務めるようになる。1693年、15歳で剃髪し、1699年、21歳で下級叙階を得て、1700年、22歳で助祭となり、翌1703年の3月25日に、25歳で司祭に叙階される。彼は「赤色」に因むRossi(ロッスィ)の綽名で呼ばれた父親と同じく赤い髪であったために、「赤毛の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれた。
司祭の叙階を得た1703年、ピエタの音楽教師となる9月までの間に、『トリオ・ソナタ集』作品1をイタリアの出版社ジュゼッペ・サーラから出版する、この曲集はアルカンジェロ・コレッリの『作品1』から『作品4』と同じ様式の3声のソナタで、当時の流行に沿ったものであり、1700年に出版されたコレッリの作品5『12のヴァイオリン・ソナタ集』同様、12曲目がスペイン舞曲の《ラ・フォリア》を主題とした曲になっていた。この曲集は、父と同じブレーシャ出身のヴェネツィア貴族アンニーバレ=ガンバーラ伯に献呈され、出版費用も伯爵が負担した。この曲集は1705年に出版社の費用負担で再版された(従来はこの版が初版と見做されていた)ことから、十分な販売実績を示し、それがヴィヴァルディが音楽家への道を目指す理由になったとも考えられる(作品1は1712~1713年にアムステルダムで、1715年にパリで再版されている)。
従来ヴィヴァルディは、生まれつき喘息と思われる持病があり、特に司祭としてミサの説教に立っている時に発作が起こると、ミサの続行が困難と成ることがたびたびあり、同年9月にはミサを挙げることを免除され、平服の在俗司祭となったと本人の手紙で主張され、そう考えられていたが、実際は司祭の職務を免れるための方便だったとも推測されている。
在俗司祭となった9月、1346年設立という由緒あるピエタ慈善院付属音楽院 でヴァイオリンの教師として教鞭を執り始めた。キリスト教会が行う慈善事業の一環として、捨て子の養育を目的に建てられた慈善院は、才能のある女子に対して音楽教育も盛んで、ヴェネツィア共和国にはピエタをはじめ、インクラービリ、メンディカンティ、オスペダレットの4つがあり、附属の音楽院が併設されていた。また1704年にはヴィオラ・アッリングレーゼ(Viola all'inglese)(フランス語版)(「イングランド式ヴィオラ」の意味、Lyra viol (英語版)と推測されるが諸説ある。ヴィオラ・ダ・ガンバと同じく脚で支える弦楽器でヴィオラ・ダモーレのように共鳴弦を持つ)も教えている。1703年以降から1740年にかけて、教師として、また作曲家として器楽曲から声楽にいたる幅広い分野の作品を提供し、そのリハーサルを行なう雇用関係を断続的に持った。
ヴィヴァルディは1708年の11月から、イタリアの出版社アントニオ・ボルトリのカタログにヴァイオリン・ソナタ集の出版広告を掲載していたが、まだ献呈先は存在しなかった。その後1708年の12月29日に、デンマーク=ノルウェーの王フレデリク4世がヴェネツィアに上陸する。フレデリク4世は翌日の午前11時にはピエタを訪問して宗教音楽会に臨み、ガスパリーニの代役としてヴィヴァルディが指揮する娘たちの歌と演奏を聴いた。フレデリク4世はヴェネツィア各所で催される音楽界や舞踏会に臨席し、ピエタにもたびたび足を運んだ。ヴィヴァルディとボルトリはこの機を逃さず、空欄だった献呈先にフレデリク4世の名を記し、国王が帰国する1709年の3月6日までに、12曲すべて出版してフレデリク4世に手渡した。出版を急いだためか、この時のボルトリ社発行の出版譜には作品番号が付されておらず、1710年頃にアムステルダムの出版社エティエンヌ・ロジェから『ヴァイオリン・ソナタ集 作品2』として再販されている。しかしフレデリク4世が帰国する前の1709年の2月24日の年末の会議(ヴェネツィア共和国の暦はローマ暦の名残で3月から1年が始まる)で、僅差の投票の結果ヴィヴァルディとピエタ音楽院との契約が更新されなかった。
その後1711年の9月、ヴィヴァルディはピエタ音楽院に全会一致の投票で復帰する。同年に「作品3」として『調和の霊感』が、アムステルダムの出版社エティエンヌ・ロジェから出版され、ベストセラーとなる。作品3はトスカーナ大公コジモ3世の継嗣、フェルディナンド・デ・メディチへ「フェルディナンド3世」の敬称で献呈されている。この称号はフェルディナンドが大公位を継いだ際に名乗るはずのものであったが、父コジモ3世が長命を保ったため、実際に用いられることはなかった。
1713年に、ピエタ音楽院でヴィヴァルディの先任の音楽指導者の「マエストロ・ディ・コーロ(Maestro di Coro)」だったフランチェスコ・ガスパリーニ(Francesco Gasparini,1668-1727)が長期休暇を取ってローマに赴き、そのまま辞職する。後任が決まるまで、音楽院はヴィヴァルディに宗教曲の作曲も依頼する。同年にオペラの処女作『離宮のオットーネ(Ottone in Villa)』(RV 729)がヴィチェンツァの劇場で初演される。
この時期、基本的に音楽院の音楽教師という立場にいながら、作曲家としてのヴィヴァルディの名はヨーロッパ中に広がり始めていた。これは、生命力のほとばしりを感じさせる瑞々しい曲想のみならず、合奏協奏曲から更に進んだ独奏協奏曲のスタイルを確立していったためと考えられる。同時代のドイツ人音楽家ヨハン・ゼバスティアン・バッハも少なくとも筆写譜の形でヴィヴァルディの楽譜を入手していた。各地で公演されたオペラも次第に彼の名を高めて行った。
1713年以降、ヴィヴァルディはヴェネツィアのサンタンジェロ劇場をベースにオペラの作曲に精力的に取り組み始め、1714年の『狂気を装うオルランド(Orlando finto pazzo)』(RV 727)を皮切りに、1718年までの間に10曲を上演して人気を博した。ピエタ音楽院では1716年からは正式に「マエストロ・デ・コンチェルティ」の称号をピエタから与えられていた。1717年後半から1720年までの3年間はヴェネツィアを去り、ハプスブルク家領となったマントヴァの総督、ヘッセン=ダルムシュタット方伯フィリップに宮廷楽長として奉職し、同地で3作ものオペラを上演する。1723年7月にピエタの理事会はヴィヴァルディに対してピエタ音楽院のために協奏曲を月に2曲提供すること、旅行中は楽譜を郵送すること、リハーサルを2回ないし3回ほど指導する契約を交わした。音楽院にとってヴィヴァルディは大切な人材であり、必要不可欠な人物でもあった。
この間における作品群は、1712年-1714年ごろに「作品4」として『ラ・ストラヴァガンツァ』と題する12曲のヴァイオリン協奏曲集が、ヴィヴァルディの弟子でヴェネツィア貴族のヴィットール・デルフィーノを献呈先として出版されている、1714年に作曲したオラトリオ『ファラオの神モイゼ』(RV 643,紛失)が同年に初演される。また1716年に現存する唯一のオラトリオ『勝利のユディータ』が初演される。1716年からはロジェの娘ジャンヌの下で、献呈先を持たない出版作品集、『6つのソナタ 作品5』、『6つのヴァイオリン協奏曲 作 品6』、『12の協奏曲 作品7』が出版されている。
また1716年から1717年に、ザクセン選帝侯兼ポーランド国王フリードリヒ・アウグスト1世の宮廷ヴァイオリニストで、後にコンサート・マスターとなり、ドイツ随一のヴァイオリニストとの評価を得るヨハン・ゲオルク・ピゼンデルが師事しており、ヴィヴァルディは彼と彼の所属するザクセン公の宮廷楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)のためのヴァイオリン協奏曲やソナタ、シンフォニア等の楽曲を少なからず作曲した。ピゼンデルがドレスデンに持ち帰ったそれらの楽譜は現在のドレスデン州立図書館に保存され、ヴィヴァルディ研究の重要な資料となっている。
ヴィヴァルディは書簡の中で、ヨーロッパの各都市を旅行したことを述べており、この書簡で窺えるように、この時期はほとんど旅行に費やしている。1723年から1724年にかけてローマを訪れ、同地で3曲のオペラを上演した。1724年には、ローマ教皇(おそらく同年5月に教皇に選出されたばかりのベネディクトゥス13世)に二度謁見し、その御前で演奏したとも述べている。
1725年9月12日には、9月5日に挙式されたフランス国王ルイ15世とマリー・レグザンスカの結婚式を祝うため、駐ヴェネツィア・フランス大使ジャック・ヴァンサン・ランゲ伯爵が主催したヴェネツィアでの祝宴でヴィヴァルディのセレナータ『グロリアとヒメネオ』(RV 687)が上演された。
1726年に再びサンタンジェロ劇場の作曲家兼興行主となり、この年のオペラ《テンペラーのドリッラ》で歌手のアンナ・ジローがヴィヴァルディのオペラで初めて主演を務めた。ヴィヴァルディはその後1739年まで断続的に劇場の興行に携わる。
1727年に作品9『ラ・チェトラ』を出版、神聖ローマ皇帝カール6世に献呈する。1728年にトリエステでカール6世自身に謁見する機会ができ、手書きの協奏曲集を「ラ・チェトラ」として献呈する。皇帝と親密になったヴィヴァルディは、多額の金品とパトロンの証の金鎖付きのメダリオンを賜った。
1730年と1731年に、ヴィヴァルディはオペラを上演するためプラハに向かった。1732年から1737年まで、イタリアの各都市でオペラの上演と興行活動を行った。
上記以外のこの時期の作品群では、1724年頃に『四季』を含むヴァイオリン協奏曲集『和声と創意への試み』が「作品8」としてロジェの後を継いだミシェル=シャルル・ル・セーヌから出版された。1729年には、音楽史上初めてのソロのフラウト・トラヴェルソ(フルートの前身)のための協奏曲集が、『6つのフルート協奏曲』作品10として出版される。また生前出版された楽譜としては最後となる『6つの協奏曲』作品11と『6つの協奏曲』作品12のヴァイオリン協奏曲集が出版される。1937年にはパリの出版社マダム・ボワヴァンから「作品13」として『忠実な羊飼い』が出版されたが、これはニコラ・シュドヴィルによる偽作であった。1740年頃にはパリのル・クレール社からチェロ・ソナタ集が出版されたが出版経緯は不明である。また12月には「メルキュール・ド・フランス」紙からチェロ・ソナタ集の出版広告が掲載されたが、実際に出版された可能性は低いと考えられる。
長年の活躍によりオペラ作曲家としてイタリア本土と諸外国で名声を得ていたが、本国ヴェネツィアでは地元出身の新星バルダッサーレ・ガルッピや、ヴェネツィア貴族の養子となったヨハン・アドルフ・ハッセに代表されるナポリ楽派のオペラが人気を博し、ヴィヴァルディ名義のオペラ作品に対する評価に翳りが見え始める。また、1736年から教皇領フェラーラでのオペラ興行を準備していたが、1737年11月16日に当地を管轄する枢機卿にフェラーラへの入境を禁止されるトラブルに見舞われ、損失を被る事となる。
1738年1月7日に開催されたアムステルダムの王立劇場設立100年記念の音楽祭に音楽監督として招待され、音楽祭のプロデュースとオーケストラの指揮を行う。その後ピエタの音楽指導者の職を辞すも、ピエタ音楽院の求めにより作品の供給は1740年のウィーン行の直前まで続いた。
1740年、ザクセン選帝侯の継嗣フリードリヒ・クリスティアン公爵がヴェネツィアを訪問し、ピエタ他各慈善院で盛大な音楽会が催され、一番手となるピエタでの3月21日の音楽会では、宗教曲の挿入曲としてヴィヴァルディの作品が演奏された。ヴィヴァルディはピエタから協奏曲3曲(RV 540, 552, 558)とシンフォニア1曲(RV 149)の代金15ドゥカーツ13リラを受け取り、更にザクセンの王子アウグスト3世 (ポーランド王)に曲を献呈することで報奨を受け取ったと考えられる(献呈された曲は1741年にドレスデンで出版された)。その後手持ちの楽譜20曲を70ドゥカーツ23リラで売却したヴィヴァルディは、予てから予定していたウィーンでのオペラ興業を決心する。同年秋にグラーツで自作の公演を行ったあとの足取りは不明だが、ウィーン到着後一番のよき理解者であり最も力のあるパトロンだったカール6世が10月20日に崩御し、オーストリア国内は1年間喪に服すことになったのである。服喪期間中はすべての興業が禁止されたため、予定していたオペラ『メッセニアの神託』が上演できなくなった。当時は出演者から大道具に至るまで興行主が後で清算する形でオペラの準備が行われていたので、おそらく大変な借財を抱え込むことになったと思われる。さらに、カール6世の娘マリア・テレジアが帝位を継いだためにオーストリア継承戦争が勃発し、国内の雰囲気も戦争一色となり、老大家に一瞥を与えるゆとりも関心も貴族たちにはなかった。
失意のうちに体調を崩したと思われるヴィヴァルディは、ヴェネツィアに帰国することもかなわず、1741年7月28日にケルントナートーア劇場が用意していた作曲家用の宿舎にて、63歳で死去した。死因は体内の炎症または腫瘍と診断されたが詳細は不明である。夏季であったこともあり、旅行者のための簡素な葬礼の後、遺体は翌日、病院付属の貧民墓地に埋葬された。この墓地は1783年に取り壊され、現在はウィーン工科大学の構内になっている。オペラのほうは、ウィーンの新聞の広告欄に「故ヴィヴァルディ氏作曲」と張り出されて、翌1742年に当初の予定通りにケルントナートーア劇場で上演された。
ヴィヴァルディは作曲家としてもヴァイオリンのヴィルトゥオーソとしても、同時代において高い評価を受け、多大な収入を得たこともあった。ルイ=クロード・ダカンも著作の中で「アルカンジェロ・コレッリに匹敵するのはヴィヴァルディの『四季』のみ」と書いている。ところが18世紀末から19世紀末にかけて、ヴィヴァルディはイタリアでは全く顧みられず忘れ去られた。フランスでは『四季』、特に『春』は人気曲としての地位を保ち、1775年にジャン・ジャック・ルソーによってフルート独奏曲に編曲されたりもしたが、それもフランス革命で終わりを告げられた。19世紀末になり、ヨハン・ニコラウス・フォルケルらによってバッハが再評価されるとその生涯が調査され、その作品にヴィヴァルディの楽曲を編曲した箇所が複数発見された。
20世紀に入り、アルノルト・シェーリングやマルク・パンシェルルがヴィヴァルディの器楽曲に歴史的意味を見出し、1926年と1930年にはトリノの国立図書館が未発見の膨大なコレクションを入手した。それらはアルフレード・カゼッラやジャン・フランチェスコ・マリピエロらの尽力で整理、校訂が行われ、1939年9月にシエナで開催された「ヴィヴァルディ週間」で〈グローリア〉(RV 589)、〈スターバト・マーテル〉(RV 621)などがカゼッラの指揮で復活演奏され、聴衆の関心も高まることとなった。第二次大戦を経た1949年にリコルディ社が『四季』の楽譜を出版、1951年に録音されたカール・ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団のレコードがデッカ社から発売されベストセラーとなり、ヴィヴァルディの作品は完全に復興を果たした。
パンシェルル以後の研究者としては、ヴィヴァルディの研究で教授資格を取得したオーストリアの音楽学者ワルター・コルネーダー、リオム番号の生みの親、デンマークの音楽学者ペーター・リオム、そして「マンチェスター・ソナタ」の発見者であり、『ニューグローヴ世界音楽大事典』のヴィヴァルディの項目を執筆し、多数の録音媒体の解説書に文章が採用されているイギリスの音楽学者で作曲家のマイケル・トールボットが挙げられる。
イ・ムジチ合奏団は『四季』を1955年に初めて録音し、レコードはこれまでに2500万枚以上という驚異的な売り上げを記録している。21世紀とは異なり、1950年代ではモダンチェンバロとモダン楽器によってヴィヴァルディの作品が演奏されていた。
21世紀はNAÏVE(ナイーヴ)が、精力的にヴィヴァルディの作品をオペラから器楽曲まで体系的に、時代楽器のみで録音している。
小惑星(4330) VivaldiやウェブブラウザのVivaldiは、ヴィヴァルディの名前にちなんで命名された。
次項「作品一覧」、および「ヴィヴァルディの楽曲一覧」も参照のこと
ヴィヴァルディの協奏曲およびソナタのうちのいくつかは存命中に出版されている。
以上の作品の初版は、1、2を除いてアムステルダムのル・セーヌ社から出版されており、ヴィヴァルディがヴェネツィアのみに留まらず、ヨーロッパでも名声を得ていたことがわかる。作品1、2、3、4、8、9はすべて献辞つきで王侯貴族に献呈されているが、献辞のない作品のうちヴィヴァルディの編曲指示のある10を除く5、6、7、11、12の内、幾つかは、出版社がヴィヴァルディの了解を得ることなく出版した可能性が高い。1730年頃を境に、いろいろ制約の多い出版譜ではなく、筆写譜での流布を好むようになった。そのため、円熟期の作品には作品番号が付されていないものが圧倒的に多い。1737年に出版された作品13『忠実な羊飼い』は真作とされていたが、後年の研究でニコラ・シェドヴィルがヴィヴァルディの名をかたって出版したものであることが1998年に判明した。また、1740年頃に出版された6曲のチェロソナタ「作品14」は、真作と確認されているが、作品番号はパンシェルルが暫定的に付したものが定着したもので、近年の古楽器演奏のレコードやCDのタイトルでは用いられないことが多い。また現在では作品7は出版社が12曲セットで出版するために水増しした物が半数以上含まれていると考えられている。
ヴィヴァルディの作品はかなり膨大で、紛失したものや偽作などが多数含まれる。ここでは比較的知られている作品のみ掲載する。
作品10として出版された『フルート協奏曲集』に含まれる楽曲である。 | [
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"text": "ヴェネツィアに生まれ、オーストリアのウィーンで没した。サン・マルコ大聖堂付きオーケストラのヴァイオリニストで理髪師の父ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィヴァルディからヴァイオリンを学ぶ。10歳より教会附属の神学校に入るとともにサン・マルコの見習いヴァイオリニストになり、13歳で父の代理を務める様になる。15歳で神学校に入学し、25歳で司祭に叙階された。赤毛であったことから、「赤毛の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれるようになった。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 2,
"tag": "p",
"text": "司祭になった年までに全12曲の『トリオ・ソナタ集』作品1を出版し、在俗司祭となってヴェネツィアのピエタ慈善院付属音楽院 のヴァイオリン教師に就く。後に楽器演奏全ての指導者「マエストロ・デ・コンチェルティ(maestro de concerti / de'concerti)」として、多くの器楽曲と、後には宗教曲もピエタに提供し、リハーサルと指揮をする義務を負った。一方、オペラ作曲家としての名声も次第と揺るぎないものになり、ヴァイオリン、ヴィオラ・ダモーレ、ヴィオラ・アッリングレーゼの卓越した演奏家としての演奏旅行の他、オペラ上演のためにヨーロッパ各地を回った。彼の残した作品は死後長らく忘れられた存在であったが、20世紀に入り多くの作品が再発見され、再評価されることになった。",
"title": "人物"
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{
"paragraph_id": 3,
"tag": "p",
"text": "現在確認できている作品は、四季をはじめとして600を超える協奏曲、改作や共作、パスティッチョを含めて50数曲のオペラ(ほぼ総てがオペラ・セリアで、現存するのはその内20数曲、ヴィヴァルディ自身は「94のオペラを作曲した」と書簡に記している)、73のソナタ、等の室内楽曲、シンフォニア、オラトリオ(現在自筆譜が残っているのは勝利のユディータのみ)、宗教音楽(モテットなど)、カンタータ、など多岐に渡る。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 4,
"tag": "p",
"text": "シャルル・ド・ブロスに「写譜屋が写譜を行っている間に、協奏曲の全パートを作曲できる」(「イタリア書簡集」1739年の手紙より)と豪語していた彼は速筆の多作家であり、記号や用語の簡略化を多用した崩し書きの筆致は自筆譜で確認できる。時代楽器で演奏すると全楽章が4分半で終わってしまう協奏曲(RV 138)もあり、これを凌ぐ短い協奏曲(RV 161)も存在する。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 5,
"tag": "p",
"text": "ヴィヴァルディは特に急・緩・急の3楽章を持ち、主に第1楽章において全奏による繰り返しと独奏楽器による技巧的なエピソードが交替するリトルネッロ形式をもつ独奏協奏曲の形式を確立した人物として知られる。ただし実際にはヴィヴァルディが独奏協奏曲の考案者というわけではなく、ジュゼッペ・トレッリらはヴィヴァルディ以前に独奏協奏曲を書いているが、ヴィヴァルディの作品は国際的に有名になり、多くのドイツの作曲家がヴィヴァルディの形式で協奏曲を書くようになった。古典派の協奏曲はヴィヴァルディなしには考えることができない。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 6,
"tag": "p",
"text": "ヴィヴァルディは書こうと思えば高度に対位法的なフーガなどの音楽も書くことができたが、より直感的で透明な音楽を主に書いた。この親しみやすさによって第二次世界大戦後のバロック・ブームはヴィヴァルディの再発見という形で進められた。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 7,
"tag": "p",
"text": "ヴィヴァルディはヴェネツィア派のヴァイオリニストとしても、18世紀前半のイタリアのヴァイオリン界に重要な役割を果たしており、運指法や運弓法に新生面を開いた。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 8,
"tag": "p",
"text": "その一方でヴィヴァルディの作品はどれも同じという批判的な意見もあり、たとえばルイージ・ダッラピッコラは「600曲の協奏曲を作曲したのでなく、1曲を600回作曲したにすぎない」と言ったとされる。イーゴリ・ストラヴィンスキーも、おそらくダッラピッコラの言葉によって「同じ形式をあんなにくりかえしくりかえし作曲できた、退屈な男にすぎない」と言っている。皆川達夫は、ダッラピッコラの言葉は「いいすぎ」であり不適当としつつも「個人の好み」として「ヴィヴァルディの音楽の品のなさが耐えられない」と述べている。しかし、彼らの発言が記録された1955年から1972年では、ヴィヴァルディの新鮮な古楽器復興は全く行われていない。ヴィヴァルディの時代は演奏会に対して厳粛に耳を傾けるという聴取は行われていなかった。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 9,
"tag": "p",
"text": "通常リオム番号(RV番号)で楽曲が整理されるが、この他にパンシェルル番号(P番号)、ファンナ番号(F番号)が存在する。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 10,
"tag": "p",
"text": "協奏曲の独奏のために用いられた楽器の種類と組み合わせの多彩さでも知られ、大量のヴァイオリンのための協奏曲だけでなく、チェロ、リュート、テオルボ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオラ・ダモーレ、マンドリン、オーボエ、フルート、ピッコロ、シャリュモー(クラリネットの前身)、バソン/ファゴット、トランペット、トロンボーン、ホルン、オルガン等同時期の作曲家としては格段に多様である、これはピエタの運営委員会が《合奏の娘たち》に珍しい楽器を演奏させて演奏会の希少性を高めるためにヴィヴァルディに求めたことでもあるが、ヴィヴァルディはオーボエやバソンといった管楽器、チェロ、オルガンといった伴奏用の楽器にもヴァイオリンがほぼ独占していた独奏楽器の地位を与え、ピエタの娘たちに演奏させた。",
"title": "人物"
},
{
"paragraph_id": 11,
"tag": "p",
"text": "1678年3月4日、イタリア・ヴェネツィアのカステッロ区に生まれる。誕生日は長らく不明であったが、20世紀になって、当時の洗礼記録が教区教会で発見された。瀕死の状態で生まれたため、助産婦が仮の洗礼を授け、2ヶ月後の5月6日に生家の目と鼻の先にあるサン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ教会で正式な洗礼を受けた。このことは、ヴィヴァルディの生まれながらの病弱さを示しているとするものと、当日にヴェネツィアを襲った大きな地震によるものという2つの見方がある。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 12,
"tag": "p",
"text": "父親のジョヴァンニ・バッティスタは、理髪師兼町医者(当時の理髪師は簡単な外科医でもあった)として家計を支えていたが、同時にヴァイオリンの才能に恵まれ、1713年発行のヴェネツィア旅行案内のパンフレットには息子アントニオと並んで名ヴァイオリニストとして紹介されるほどであった。1685年にサン・マルコの楽長になったジョヴァンニ・レグレンツィらとも親交があり、同年にサン・マルコ大聖堂のヴァイオリニストに選ばれると共に、レグレンツィを代表とする音楽家組合の創設メンバーのひとりになった。同じブレシア出身で高名なオペラ作曲家だった副楽長のカルロ・フランチェスコ・ポッラローロとも親交があったと見られ、その後劇場付きのヴァイオリニストも務めるようになる。1676年に仕立屋の娘カミッラ・カリッキヨと結婚し、初めて生まれた男子に、ヴェネツィア生まれの長男として代表的な「アントニオ」と、3月4日を祝日とする聖人ルキウス1世から「ルーチョ」の洗礼名を与える。妻はアントニオの他に夭逝した子も含めて男の子5人、女の子5人を授かるが、彼らの中から音楽家は誕生しなかった。幼少時から父親のもとでヴァイオリンに習熟すると共に、父親の幅広い音楽仲間から作曲法などを学ぶ。レグレンツィとポッラローロのほか、サン・マルコのオルガニストでのちの楽長になるアントニオ・ロッティや首席ヴァイオリニストのジョルジョ・ジェンティーリ、1699年までサン・マルコのチェリストを務めていたアントニオ・カルダーラ、ポッラローロの息子で1702年から父の任務を引き継ぎ、ロッティの後任の楽長になったアントニオ・ポッラローロなど、さまざまな音楽家がヴィヴァルディに影響を与えていたと考えられている。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 13,
"tag": "p",
"text": "庶民階級のヴィヴァルディが、やがて世に出て、さまざまな階級の人と引け目なく交わるには、聖職者になるのがもっとも確実な方法だった。1688年、10歳で当時サン・マルコ大聖堂とサン・マルコ広場を挟んで向かい合って建っていたサン・ジェミニアーノ教会付属学校に入学し、その頃サン・マルコの見習いヴァイオリニストになる。12歳で父と共演し、13歳で劇場ヴァイオリニストの仕事をする父の代理をしばしば務めるようになる。1693年、15歳で剃髪し、1699年、21歳で下級叙階を得て、1700年、22歳で助祭となり、翌1703年の3月25日に、25歳で司祭に叙階される。彼は「赤色」に因むRossi(ロッスィ)の綽名で呼ばれた父親と同じく赤い髪であったために、「赤毛の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれた。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 14,
"tag": "p",
"text": "司祭の叙階を得た1703年、ピエタの音楽教師となる9月までの間に、『トリオ・ソナタ集』作品1をイタリアの出版社ジュゼッペ・サーラから出版する、この曲集はアルカンジェロ・コレッリの『作品1』から『作品4』と同じ様式の3声のソナタで、当時の流行に沿ったものであり、1700年に出版されたコレッリの作品5『12のヴァイオリン・ソナタ集』同様、12曲目がスペイン舞曲の《ラ・フォリア》を主題とした曲になっていた。この曲集は、父と同じブレーシャ出身のヴェネツィア貴族アンニーバレ=ガンバーラ伯に献呈され、出版費用も伯爵が負担した。この曲集は1705年に出版社の費用負担で再版された(従来はこの版が初版と見做されていた)ことから、十分な販売実績を示し、それがヴィヴァルディが音楽家への道を目指す理由になったとも考えられる(作品1は1712~1713年にアムステルダムで、1715年にパリで再版されている)。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 15,
"tag": "p",
"text": "従来ヴィヴァルディは、生まれつき喘息と思われる持病があり、特に司祭としてミサの説教に立っている時に発作が起こると、ミサの続行が困難と成ることがたびたびあり、同年9月にはミサを挙げることを免除され、平服の在俗司祭となったと本人の手紙で主張され、そう考えられていたが、実際は司祭の職務を免れるための方便だったとも推測されている。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 16,
"tag": "p",
"text": "在俗司祭となった9月、1346年設立という由緒あるピエタ慈善院付属音楽院 でヴァイオリンの教師として教鞭を執り始めた。キリスト教会が行う慈善事業の一環として、捨て子の養育を目的に建てられた慈善院は、才能のある女子に対して音楽教育も盛んで、ヴェネツィア共和国にはピエタをはじめ、インクラービリ、メンディカンティ、オスペダレットの4つがあり、附属の音楽院が併設されていた。また1704年にはヴィオラ・アッリングレーゼ(Viola all'inglese)(フランス語版)(「イングランド式ヴィオラ」の意味、Lyra viol (英語版)と推測されるが諸説ある。ヴィオラ・ダ・ガンバと同じく脚で支える弦楽器でヴィオラ・ダモーレのように共鳴弦を持つ)も教えている。1703年以降から1740年にかけて、教師として、また作曲家として器楽曲から声楽にいたる幅広い分野の作品を提供し、そのリハーサルを行なう雇用関係を断続的に持った。",
"title": "生涯"
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{
"paragraph_id": 17,
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"text": "ヴィヴァルディは1708年の11月から、イタリアの出版社アントニオ・ボルトリのカタログにヴァイオリン・ソナタ集の出版広告を掲載していたが、まだ献呈先は存在しなかった。その後1708年の12月29日に、デンマーク=ノルウェーの王フレデリク4世がヴェネツィアに上陸する。フレデリク4世は翌日の午前11時にはピエタを訪問して宗教音楽会に臨み、ガスパリーニの代役としてヴィヴァルディが指揮する娘たちの歌と演奏を聴いた。フレデリク4世はヴェネツィア各所で催される音楽界や舞踏会に臨席し、ピエタにもたびたび足を運んだ。ヴィヴァルディとボルトリはこの機を逃さず、空欄だった献呈先にフレデリク4世の名を記し、国王が帰国する1709年の3月6日までに、12曲すべて出版してフレデリク4世に手渡した。出版を急いだためか、この時のボルトリ社発行の出版譜には作品番号が付されておらず、1710年頃にアムステルダムの出版社エティエンヌ・ロジェから『ヴァイオリン・ソナタ集 作品2』として再販されている。しかしフレデリク4世が帰国する前の1709年の2月24日の年末の会議(ヴェネツィア共和国の暦はローマ暦の名残で3月から1年が始まる)で、僅差の投票の結果ヴィヴァルディとピエタ音楽院との契約が更新されなかった。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 18,
"tag": "p",
"text": "その後1711年の9月、ヴィヴァルディはピエタ音楽院に全会一致の投票で復帰する。同年に「作品3」として『調和の霊感』が、アムステルダムの出版社エティエンヌ・ロジェから出版され、ベストセラーとなる。作品3はトスカーナ大公コジモ3世の継嗣、フェルディナンド・デ・メディチへ「フェルディナンド3世」の敬称で献呈されている。この称号はフェルディナンドが大公位を継いだ際に名乗るはずのものであったが、父コジモ3世が長命を保ったため、実際に用いられることはなかった。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 19,
"tag": "p",
"text": "1713年に、ピエタ音楽院でヴィヴァルディの先任の音楽指導者の「マエストロ・ディ・コーロ(Maestro di Coro)」だったフランチェスコ・ガスパリーニ(Francesco Gasparini,1668-1727)が長期休暇を取ってローマに赴き、そのまま辞職する。後任が決まるまで、音楽院はヴィヴァルディに宗教曲の作曲も依頼する。同年にオペラの処女作『離宮のオットーネ(Ottone in Villa)』(RV 729)がヴィチェンツァの劇場で初演される。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 20,
"tag": "p",
"text": "この時期、基本的に音楽院の音楽教師という立場にいながら、作曲家としてのヴィヴァルディの名はヨーロッパ中に広がり始めていた。これは、生命力のほとばしりを感じさせる瑞々しい曲想のみならず、合奏協奏曲から更に進んだ独奏協奏曲のスタイルを確立していったためと考えられる。同時代のドイツ人音楽家ヨハン・ゼバスティアン・バッハも少なくとも筆写譜の形でヴィヴァルディの楽譜を入手していた。各地で公演されたオペラも次第に彼の名を高めて行った。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 21,
"tag": "p",
"text": "1713年以降、ヴィヴァルディはヴェネツィアのサンタンジェロ劇場をベースにオペラの作曲に精力的に取り組み始め、1714年の『狂気を装うオルランド(Orlando finto pazzo)』(RV 727)を皮切りに、1718年までの間に10曲を上演して人気を博した。ピエタ音楽院では1716年からは正式に「マエストロ・デ・コンチェルティ」の称号をピエタから与えられていた。1717年後半から1720年までの3年間はヴェネツィアを去り、ハプスブルク家領となったマントヴァの総督、ヘッセン=ダルムシュタット方伯フィリップに宮廷楽長として奉職し、同地で3作ものオペラを上演する。1723年7月にピエタの理事会はヴィヴァルディに対してピエタ音楽院のために協奏曲を月に2曲提供すること、旅行中は楽譜を郵送すること、リハーサルを2回ないし3回ほど指導する契約を交わした。音楽院にとってヴィヴァルディは大切な人材であり、必要不可欠な人物でもあった。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 22,
"tag": "p",
"text": "この間における作品群は、1712年-1714年ごろに「作品4」として『ラ・ストラヴァガンツァ』と題する12曲のヴァイオリン協奏曲集が、ヴィヴァルディの弟子でヴェネツィア貴族のヴィットール・デルフィーノを献呈先として出版されている、1714年に作曲したオラトリオ『ファラオの神モイゼ』(RV 643,紛失)が同年に初演される。また1716年に現存する唯一のオラトリオ『勝利のユディータ』が初演される。1716年からはロジェの娘ジャンヌの下で、献呈先を持たない出版作品集、『6つのソナタ 作品5』、『6つのヴァイオリン協奏曲 作 品6』、『12の協奏曲 作品7』が出版されている。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 23,
"tag": "p",
"text": "また1716年から1717年に、ザクセン選帝侯兼ポーランド国王フリードリヒ・アウグスト1世の宮廷ヴァイオリニストで、後にコンサート・マスターとなり、ドイツ随一のヴァイオリニストとの評価を得るヨハン・ゲオルク・ピゼンデルが師事しており、ヴィヴァルディは彼と彼の所属するザクセン公の宮廷楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)のためのヴァイオリン協奏曲やソナタ、シンフォニア等の楽曲を少なからず作曲した。ピゼンデルがドレスデンに持ち帰ったそれらの楽譜は現在のドレスデン州立図書館に保存され、ヴィヴァルディ研究の重要な資料となっている。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 24,
"tag": "p",
"text": "ヴィヴァルディは書簡の中で、ヨーロッパの各都市を旅行したことを述べており、この書簡で窺えるように、この時期はほとんど旅行に費やしている。1723年から1724年にかけてローマを訪れ、同地で3曲のオペラを上演した。1724年には、ローマ教皇(おそらく同年5月に教皇に選出されたばかりのベネディクトゥス13世)に二度謁見し、その御前で演奏したとも述べている。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 25,
"tag": "p",
"text": "1725年9月12日には、9月5日に挙式されたフランス国王ルイ15世とマリー・レグザンスカの結婚式を祝うため、駐ヴェネツィア・フランス大使ジャック・ヴァンサン・ランゲ伯爵が主催したヴェネツィアでの祝宴でヴィヴァルディのセレナータ『グロリアとヒメネオ』(RV 687)が上演された。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 26,
"tag": "p",
"text": "1726年に再びサンタンジェロ劇場の作曲家兼興行主となり、この年のオペラ《テンペラーのドリッラ》で歌手のアンナ・ジローがヴィヴァルディのオペラで初めて主演を務めた。ヴィヴァルディはその後1739年まで断続的に劇場の興行に携わる。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 27,
"tag": "p",
"text": "1727年に作品9『ラ・チェトラ』を出版、神聖ローマ皇帝カール6世に献呈する。1728年にトリエステでカール6世自身に謁見する機会ができ、手書きの協奏曲集を「ラ・チェトラ」として献呈する。皇帝と親密になったヴィヴァルディは、多額の金品とパトロンの証の金鎖付きのメダリオンを賜った。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 28,
"tag": "p",
"text": "1730年と1731年に、ヴィヴァルディはオペラを上演するためプラハに向かった。1732年から1737年まで、イタリアの各都市でオペラの上演と興行活動を行った。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 29,
"tag": "p",
"text": "上記以外のこの時期の作品群では、1724年頃に『四季』を含むヴァイオリン協奏曲集『和声と創意への試み』が「作品8」としてロジェの後を継いだミシェル=シャルル・ル・セーヌから出版された。1729年には、音楽史上初めてのソロのフラウト・トラヴェルソ(フルートの前身)のための協奏曲集が、『6つのフルート協奏曲』作品10として出版される。また生前出版された楽譜としては最後となる『6つの協奏曲』作品11と『6つの協奏曲』作品12のヴァイオリン協奏曲集が出版される。1937年にはパリの出版社マダム・ボワヴァンから「作品13」として『忠実な羊飼い』が出版されたが、これはニコラ・シュドヴィルによる偽作であった。1740年頃にはパリのル・クレール社からチェロ・ソナタ集が出版されたが出版経緯は不明である。また12月には「メルキュール・ド・フランス」紙からチェロ・ソナタ集の出版広告が掲載されたが、実際に出版された可能性は低いと考えられる。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 30,
"tag": "p",
"text": "長年の活躍によりオペラ作曲家としてイタリア本土と諸外国で名声を得ていたが、本国ヴェネツィアでは地元出身の新星バルダッサーレ・ガルッピや、ヴェネツィア貴族の養子となったヨハン・アドルフ・ハッセに代表されるナポリ楽派のオペラが人気を博し、ヴィヴァルディ名義のオペラ作品に対する評価に翳りが見え始める。また、1736年から教皇領フェラーラでのオペラ興行を準備していたが、1737年11月16日に当地を管轄する枢機卿にフェラーラへの入境を禁止されるトラブルに見舞われ、損失を被る事となる。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 31,
"tag": "p",
"text": "1738年1月7日に開催されたアムステルダムの王立劇場設立100年記念の音楽祭に音楽監督として招待され、音楽祭のプロデュースとオーケストラの指揮を行う。その後ピエタの音楽指導者の職を辞すも、ピエタ音楽院の求めにより作品の供給は1740年のウィーン行の直前まで続いた。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 32,
"tag": "p",
"text": "1740年、ザクセン選帝侯の継嗣フリードリヒ・クリスティアン公爵がヴェネツィアを訪問し、ピエタ他各慈善院で盛大な音楽会が催され、一番手となるピエタでの3月21日の音楽会では、宗教曲の挿入曲としてヴィヴァルディの作品が演奏された。ヴィヴァルディはピエタから協奏曲3曲(RV 540, 552, 558)とシンフォニア1曲(RV 149)の代金15ドゥカーツ13リラを受け取り、更にザクセンの王子アウグスト3世 (ポーランド王)に曲を献呈することで報奨を受け取ったと考えられる(献呈された曲は1741年にドレスデンで出版された)。その後手持ちの楽譜20曲を70ドゥカーツ23リラで売却したヴィヴァルディは、予てから予定していたウィーンでのオペラ興業を決心する。同年秋にグラーツで自作の公演を行ったあとの足取りは不明だが、ウィーン到着後一番のよき理解者であり最も力のあるパトロンだったカール6世が10月20日に崩御し、オーストリア国内は1年間喪に服すことになったのである。服喪期間中はすべての興業が禁止されたため、予定していたオペラ『メッセニアの神託』が上演できなくなった。当時は出演者から大道具に至るまで興行主が後で清算する形でオペラの準備が行われていたので、おそらく大変な借財を抱え込むことになったと思われる。さらに、カール6世の娘マリア・テレジアが帝位を継いだためにオーストリア継承戦争が勃発し、国内の雰囲気も戦争一色となり、老大家に一瞥を与えるゆとりも関心も貴族たちにはなかった。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 33,
"tag": "p",
"text": "失意のうちに体調を崩したと思われるヴィヴァルディは、ヴェネツィアに帰国することもかなわず、1741年7月28日にケルントナートーア劇場が用意していた作曲家用の宿舎にて、63歳で死去した。死因は体内の炎症または腫瘍と診断されたが詳細は不明である。夏季であったこともあり、旅行者のための簡素な葬礼の後、遺体は翌日、病院付属の貧民墓地に埋葬された。この墓地は1783年に取り壊され、現在はウィーン工科大学の構内になっている。オペラのほうは、ウィーンの新聞の広告欄に「故ヴィヴァルディ氏作曲」と張り出されて、翌1742年に当初の予定通りにケルントナートーア劇場で上演された。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 34,
"tag": "p",
"text": "ヴィヴァルディは作曲家としてもヴァイオリンのヴィルトゥオーソとしても、同時代において高い評価を受け、多大な収入を得たこともあった。ルイ=クロード・ダカンも著作の中で「アルカンジェロ・コレッリに匹敵するのはヴィヴァルディの『四季』のみ」と書いている。ところが18世紀末から19世紀末にかけて、ヴィヴァルディはイタリアでは全く顧みられず忘れ去られた。フランスでは『四季』、特に『春』は人気曲としての地位を保ち、1775年にジャン・ジャック・ルソーによってフルート独奏曲に編曲されたりもしたが、それもフランス革命で終わりを告げられた。19世紀末になり、ヨハン・ニコラウス・フォルケルらによってバッハが再評価されるとその生涯が調査され、その作品にヴィヴァルディの楽曲を編曲した箇所が複数発見された。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 35,
"tag": "p",
"text": "20世紀に入り、アルノルト・シェーリングやマルク・パンシェルルがヴィヴァルディの器楽曲に歴史的意味を見出し、1926年と1930年にはトリノの国立図書館が未発見の膨大なコレクションを入手した。それらはアルフレード・カゼッラやジャン・フランチェスコ・マリピエロらの尽力で整理、校訂が行われ、1939年9月にシエナで開催された「ヴィヴァルディ週間」で〈グローリア〉(RV 589)、〈スターバト・マーテル〉(RV 621)などがカゼッラの指揮で復活演奏され、聴衆の関心も高まることとなった。第二次大戦を経た1949年にリコルディ社が『四季』の楽譜を出版、1951年に録音されたカール・ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団のレコードがデッカ社から発売されベストセラーとなり、ヴィヴァルディの作品は完全に復興を果たした。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 36,
"tag": "p",
"text": "パンシェルル以後の研究者としては、ヴィヴァルディの研究で教授資格を取得したオーストリアの音楽学者ワルター・コルネーダー、リオム番号の生みの親、デンマークの音楽学者ペーター・リオム、そして「マンチェスター・ソナタ」の発見者であり、『ニューグローヴ世界音楽大事典』のヴィヴァルディの項目を執筆し、多数の録音媒体の解説書に文章が採用されているイギリスの音楽学者で作曲家のマイケル・トールボットが挙げられる。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 37,
"tag": "p",
"text": "イ・ムジチ合奏団は『四季』を1955年に初めて録音し、レコードはこれまでに2500万枚以上という驚異的な売り上げを記録している。21世紀とは異なり、1950年代ではモダンチェンバロとモダン楽器によってヴィヴァルディの作品が演奏されていた。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 38,
"tag": "p",
"text": "21世紀はNAÏVE(ナイーヴ)が、精力的にヴィヴァルディの作品をオペラから器楽曲まで体系的に、時代楽器のみで録音している。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 39,
"tag": "p",
"text": "小惑星(4330) VivaldiやウェブブラウザのVivaldiは、ヴィヴァルディの名前にちなんで命名された。",
"title": "生涯"
},
{
"paragraph_id": 40,
"tag": "p",
"text": "次項「作品一覧」、および「ヴィヴァルディの楽曲一覧」も参照のこと",
"title": "作品"
},
{
"paragraph_id": 41,
"tag": "p",
"text": "ヴィヴァルディの協奏曲およびソナタのうちのいくつかは存命中に出版されている。",
"title": "作品"
},
{
"paragraph_id": 42,
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"text": "以上の作品の初版は、1、2を除いてアムステルダムのル・セーヌ社から出版されており、ヴィヴァルディがヴェネツィアのみに留まらず、ヨーロッパでも名声を得ていたことがわかる。作品1、2、3、4、8、9はすべて献辞つきで王侯貴族に献呈されているが、献辞のない作品のうちヴィヴァルディの編曲指示のある10を除く5、6、7、11、12の内、幾つかは、出版社がヴィヴァルディの了解を得ることなく出版した可能性が高い。1730年頃を境に、いろいろ制約の多い出版譜ではなく、筆写譜での流布を好むようになった。そのため、円熟期の作品には作品番号が付されていないものが圧倒的に多い。1737年に出版された作品13『忠実な羊飼い』は真作とされていたが、後年の研究でニコラ・シェドヴィルがヴィヴァルディの名をかたって出版したものであることが1998年に判明した。また、1740年頃に出版された6曲のチェロソナタ「作品14」は、真作と確認されているが、作品番号はパンシェルルが暫定的に付したものが定着したもので、近年の古楽器演奏のレコードやCDのタイトルでは用いられないことが多い。また現在では作品7は出版社が12曲セットで出版するために水増しした物が半数以上含まれていると考えられている。",
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"text": "ヴィヴァルディの作品はかなり膨大で、紛失したものや偽作などが多数含まれる。ここでは比較的知られている作品のみ掲載する。",
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] | アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディは、現在はイタリアに属するヴェネツィア出身のバロック音楽後期の著名な作曲家の一人、ヴァイオリニスト、ピエタ院の音楽教師、カトリック教会の司祭。興行師、劇場支配人でもあった。多数の協奏曲の他、室内楽、オペラ、宗教音楽等を作曲。現代ではヴァイオリン協奏曲『四季』の作曲者として広く知られている。 | {{Infobox Musician <!-- プロジェクト:音楽家を参照 -->
| 名前 = アントニオ・ヴィヴァルディ<br>Antonio Vivaldi
| 画像 = Antonio Vivaldi.jpg
| 画像説明 = [[1725年]]のヴィヴァルディの肖像画。フランス系オランダ人のF.M.ド・ラ・カーヴによる銅版画。
| 画像サイズ = 200px
| 背景色 = classic
| 出生名 = アントーニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ<br>Antonio Lucio Vivaldi
| 出生 = [[1678年]][[3月4日]]<br>{{MRV}}、[[ヴェネツィア]]
| 死没 = {{死亡年月日と没年齢|1678|3|4|1741|7|28}}<br>{{HRR}}、{{AUT1358}}、[[ウィーン]]
| 学歴 = <!-- 個人のみ -->
| ジャンル = [[バロック音楽]]
| 職業 = [[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]]
| 担当楽器 = [[ヴァイオリン]]
| 活動期間 = [[1703年]] - 1741年
}}
[[File:Antonio Vivaldi signature.svg|thumb|ヴィヴァルディのサイン]]
{{Portal クラシック音楽}}
'''アントニオ{{efn2|「アントニオ」/「アントーニオ」は両方の表記が普及している。[[Wikipedia:外来語表記法/イタリア語]]では、アクセントのある単母音開音節は長音表記('''アントーニオ''')を推奨しており、また推奨に従ったミドルネームの「ルーチョ」と表記不整合を生じるものの、とりあえず記事名および記事内の使用箇所と表記が異なるのは記事内の統一を損ねるので回避する。}}・ルーチョ・ヴィヴァルディ'''(Antonio Lucio Vivaldi, [[1678年]][[3月4日]] - [[1741年]][[7月28日]])は、現在は[[イタリア]]に属する[[ヴェネツィア]]出身の[[バロック音楽]]後期の著名な[[作曲家]]の一人、[[ヴァイオリニスト]]、[[ピエタ院]]の音楽教師、[[カトリック教会]]の[[司祭]]。興行師、[[劇場支配人 (職業)|劇場支配人]]でもあった。多数の[[協奏曲]]の他、[[室内楽]]、[[オペラ]]、[[宗教音楽]]等を作曲。現代では[[ヴァイオリン協奏曲]]『[[四季 (ヴィヴァルディ)|四季]]』の作曲者として広く知られている。
== 人物 ==
[[ヴェネツィア]]に生まれ、[[オーストリア]]の[[ウィーン]]で没した<ref>{{Cite web |url = https://www.nytimes.com/1991/12/22/travel/vivaldi-in-venice.html|title = Vivaldi in Venice|website = www.nytimes.com|publisher = www.nytimes.com|date = |accessdate = 2020-12-05}}</ref>。[[サン・マルコ大聖堂]]付き[[オーケストラ]]の[[ヴァイオリニスト]]で理髪師の父[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィヴァルディ]]から[[ヴァイオリン]]を学ぶ。10歳より教会附属の[[神学校]]に入るとともにサン・マルコの見習いヴァイオリニストになり、13歳で父の代理を務める様になる<ref>{{Cite book|和書|title=「ヴェネーツィアと芸術家たち」p179 山下史路 文藝春秋 平成17年8月20日第1刷|date=|year=|publisher=|pages=}}</ref>。15歳で神学校に入学し、25歳で[[司祭]]に[[叙階]]された。赤毛であったことから、「'''赤毛の司祭'''」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれるようになった。
司祭になった年までに全12曲の『[[トリオ・ソナタ集 作品1 (ヴィヴァルディ)|トリオ・ソナタ集]]』作品1を出版し<ref>{{Cite book|title=大作曲家の世界1 バッハ/ヴィヴァルディ/ヘンデル P86|date=|year=|publisher=音楽之友社}}</ref>、在俗司祭となってヴェネツィアの[[ピエタ院|ピエタ慈善院付属音楽院]] のヴァイオリン教師に就く。後に楽器演奏全ての指導者「マエストロ・デ・コンチェルティ(maestro de concerti / de'concerti)」として、多くの器楽曲と、後には宗教曲もピエタに提供し、リハーサルと指揮をする義務を負った。一方、オペラ作曲家としての名声も次第と揺るぎないものになり、ヴァイオリンの[[ヴィルトゥオーソ]]としての演奏旅行の他、オペラ上演のためにヨーロッパ各地を回った。彼の残した作品は死後長らく忘れられた存在であったが、20世紀に入り多くの作品が再発見され、再評価されることになった。
現在確認できている作品は、[[四季 (ヴィヴァルディ)|四季]]をはじめとして600を超える[[協奏曲]]、改作や共作、パスティッチョを含めて50数曲の[[オペラ]](ほぼ総てが[[オペラ・セリア]]で、現存するのはその内20数曲、ヴィヴァルディ自身は「94のオペラを作曲した」<ref>{{Cite web|url=https://www.classicfm.com/discover-music/periods-genres/baroque/baroque-early-opera/vivaldi-operas|title=Vivaldi composed 94 operas…|website=www.classicfm.com|publisher=www.classicfm.com|date=|accessdate=2020-11-25}}</ref>と書簡に記している)、73の[[ソナタ]]、等の室内楽曲、[[シンフォニア]]、[[オラトリオ]](現在自筆譜が残っているのは[[勝利のユディータ]]のみ)、宗教音楽(モテットなど)、[[カンタータ]]、など多岐に渡る。[[シャルル・ド・ブロス]]に「写譜屋が写譜を行っている間に、協奏曲の全パートを作曲できる」(「イタリア書簡集」1739年の手紙より)と豪語していた彼は速筆の多作家であり、記号や用語の簡略化を多用した崩し書きの筆致は自筆譜で確認できる。
ヴィヴァルディは特に急・緩・急の3楽章を持ち、主に第1楽章において全奏による繰り返しと独奏楽器による技巧的なエピソードが交替する[[リトルネッロ形式]]をもつ独奏協奏曲の形式を確立した人物として知られる。ただし実際にはヴィヴァルディが独奏協奏曲の考案者というわけではなく、[[ジュゼッペ・トレッリ]]らはヴィヴァルディ以前に独奏協奏曲を書いているが<ref>Talbot (2011) p.171</ref>、ヴィヴァルディの作品は国際的に有名になり、多くの[[ドイツ]]の作曲家がヴィヴァルディの形式で協奏曲を書くようになった<ref>Talbot (2005) p.50</ref>。[[古典派音楽|古典派]]の協奏曲はヴィヴァルディなしには考えることができない<ref name="isoyama">磯山(1989) p.86</ref>。
ヴィヴァルディは書こうと思えば高度に[[対位法]]的な[[フーガ]]などの音楽も書くことができたが、より直感的で透明な音楽を主に書いた<ref>Talbot (2005) p.49</ref>。この親しみやすさによって[[第二次世界大戦]]後のバロック・ブームはヴィヴァルディの再発見という形で進められた<ref name="isoyama"/>。
ヴィヴァルディはヴェネツィア派のヴァイオリニストとしても、18世紀前半のイタリアのヴァイオリン界に重要な役割を果たしており、運指法や運弓法に新生面を開いた<ref>{{Cite book|edition=Shintei dai 1-han|title=新訂 標準音楽辞典 アーテ P160|url=https://www.worldcat.org/oclc/29176774|publisher=Ongaku no Tomosha|date=1991|location=Tōkyō|isbn=4-276-00002-5|oclc=29176774|others=目黒惇., Ongaku no Tomosha., 音楽之友社.|year=}}</ref>。
その一方でヴィヴァルディの作品はどれも同じという批判的な意見もあり、たとえば[[ルイージ・ダッラピッコラ]]は「600曲の協奏曲を作曲したのでなく、1曲を600回作曲したにすぎない」と言ったとされる<ref>{{Cite book|title=ヴィヴァルディ―生涯と作品|page = 71, 141, 205|date=1970|year=|publisher=音楽之友社|last=パンシェルル}}</ref><ref>皆川(1972) p.125</ref>{{efn2|ヴィヴァルディ研究者として知られる[[マルク・パンシェルル]]の1955年の著書に引用されている<ref>Talbot (2011) p.64</ref>。}}。[[イーゴリ・ストラヴィンスキー]]も、おそらくダッラピッコラの言葉によって「同じ形式をあんなにくりかえしくりかえし作曲できた、退屈な男にすぎない」と言っている<ref>Talbot (2011) p.178</ref><ref>{{cite book|和書|author=イーゴリ・ストラヴィンスキー|translator=[[吉田秀和]]|title=118の質問に答える|year=1960|publisher=[[音楽之友社]]|page=102}}(原著は1958年)</ref>。[[皆川達夫]]は、ダッラピッコラの言葉は「いいすぎ」であり不適当としつつも「個人の好み」として「ヴィヴァルディの音楽の品のなさが耐えられない」と述べている<ref>皆川(1972) pp.125-126</ref>。
通常[[リオム番号]](RV番号)で楽曲が整理されるが、この他にパンシェルル番号(P番号)、ファンナ番号(F番号)が存在する。
協奏曲の独奏のために用いられた楽器の種類と組み合わせの多彩さでも知られ、大量のヴァイオリンのための協奏曲だけでなく、チェロ、リュート、テオルボ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオラ・ダモーレ、マンドリン、オーボエ、フルート、ピッコロ、シャリュモー(クラリネットの前身)、バソン/ファゴット、トランペット、トロンボーン、ホルン、オルガン等同時期の作曲家としては格段に多様である<ref>{{Cite book|title=音楽史ほんとうの話|date=|year=2005|publisher=音楽之友社|last=西原 稔}}</ref>、これはピエタの運営委員会が《合奏の娘たち》に珍しい楽器を演奏させて演奏会の希少性を高めるためにヴィヴァルディに求めたことでもあるが<ref>{{Cite book|title=大作曲家の世界:ファブリ・カラー版 1 バロックの巨匠 バッハ/ヴィヴァルディ/ヘンデル p80|date=1990|year=1990|publisher=音楽之友社}}</ref>、ヴィヴァルディはオーボエやバソンといった管楽器、チェロ、オルガンといった伴奏用の楽器にもヴァイオリンがほぼ独占していた独奏楽器の地位を与え、ピエタの娘たちに演奏させた<ref>{{Cite book|title=反音楽史 さらばベートーベン|page = 253|date=|year=2004|publisher=新潮社|last=石井宏}}</ref>。
== 生涯 ==
=== 誕生から幼年期と青年期 ===
[[File:Chiesa di San Giovanni in Bragora - Venezia.jpg|thumb|ヴィヴァルディが洗礼を受けたヴェネツィアのサン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ教会]]
[[1678年]]3月4日<ref>渡邊學而『大作曲家の知られざる横顔』丸善ライブラリー、1991年、2頁。</ref>、[[イタリア]]・[[ヴェネツィア]]のカステッロ区に生まれる。誕生日は長らく不明であったが、20世紀になって、当時の洗礼記録が教区教会で発見された。瀕死の状態で生まれたため、助産婦が仮の[[洗礼]]を授け、2ヶ月後の5月6日に生家の目と鼻の先にあるサン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ教会で正式な洗礼を受けた。このことは、ヴィヴァルディの生まれながらの病弱さを示しているとするものと<ref>「大作曲家の知られざる横顔」p6 渡邊學而 丸善ライブラリー 平成3年7月20日発行</ref>、当日にヴェネツィアを襲った大きな地震によるものという2つの見方がある<ref>ロラン・ド・カンデ『ヴィヴァルディ』p44</ref>。
父親のジョヴァンニ・バッティスタは、[[理髪師]]兼町医者(当時の理髪師は簡単な[[外科医]]でもあった)として家計を支えていたが、同時にヴァイオリンの才能に恵まれ、1713年発行のヴェネツィア旅行案内のパンフレットには息子アントニオと並んで名[[ヴァイオリニスト]]として紹介されるほどであった<ref>「大作曲家の知られざる横顔」pp2-4 渡邊學而 丸善ライブラリー 平成3年7月20日発行</ref>。1685年にサン・マルコの楽長になった[[ジョヴァンニ・レグレンツィ]]らとも親交があり、同年に[[サン・マルコ大聖堂]]のヴァイオリニストに選ばれると共に、レグレンツィを代表とする音楽家組合の創設メンバーのひとりになった。同じ[[ブレシア]]出身で高名なオペラ作曲家だった副楽長の[[カルロ・フランチェスコ・ポッラローロ]]とも親交があったと見られ、その後劇場付きのヴァイオリニストも務めるようになる<ref>Michael Talbot: ''Giovanni Battista Vivaldi copies music by Telemann: New light on the genesis of Antonio Vivaldi’s chamber concertos.'' In: Studi vivaldiani: Rivista annuale dell'Istituto Italiano Antonio Vivaldi della Fondazione Giorgio Cini. 2015, 55–72.</ref>。1676年に仕立屋の娘カミッラ・カリッキヨと結婚し、初めて生まれた男子に、ヴェネツィア生まれの長男として代表的な「アントニオ」と、3月4日を祝日とする[[聖人]][[ルキウス1世 (ローマ教皇)|ルキウス1世]]から「ルーチョ」の[[洗礼名]]を与える。妻はアントニオの他に夭逝した子も含めて男の子5人、女の子5人を授かるが、彼らの中から音楽家は誕生しなかった<ref>渡邊學而『大作曲家の知られざる横顔』丸善ライブラリー、1991年、4頁。</ref><ref>Michael Talbot: ''The Vivaldi Compendium''. Boydell Press, Woodbridge 2011, S. 3</ref><ref>{{Cite book|title=Karl Heller: Antonio Vivaldi. The Red Priest of Venice. Amadeus Press, Portland 1991, S. 39–42.|publisher=}}</ref>。幼少時から父親のもとで[[ヴァイオリン]]に習熟すると共に、父親の幅広い音楽仲間から作曲法などを学ぶ。レグレンツィとポッラローロのほか、サン・マルコのオルガニストでのちの楽長になる[[アントニオ・ロッティ]]や首席ヴァイオリニストの[[ジョルジョ・ジェンティーリ]]、1699年までサン・マルコのチェリストを務めていた[[アントニオ・カルダーラ]]、ポッラローロの息子で1702年から父の任務を引き継ぎ、ロッティの後任の楽長になった[[アントニオ・ポッラローロ]]など、さまざまな音楽家がヴィヴァルディに影響を与えていたと考えられている。
庶民階級のヴィヴァルディが、やがて世に出て、さまざまな階級の人と引け目なく交わるには、聖職者になるのがもっとも確実な方法だった。[[1688年]]、10歳で当時[[サン・マルコ大聖堂]]とサン・マルコ広場を挟んで向かい合って建っていたサン・ジェミニアーノ教会付属学校に入学し、その頃サン・マルコの見習いヴァイオリニストになる。12歳で父と共演し、13歳で劇場ヴァイオリニストの仕事をする父の代理をしばしば務めるようになる。1693年、15歳で剃髪し、1699年、21歳で下級叙階を得て、1700年、22歳で助祭となり、翌1703年の3月25日に、25歳で[[司祭]]に[[叙階]]される<ref>渡邊學而『大作曲家の知られざる横顔』丸善ライブラリー、1991年、8頁。</ref>。彼は「赤色」に因むRossi(ロッスィ)の綽名で呼ばれた父親と同じく赤い髪であったために、「赤毛の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれた<ref>渡邊學而「大作曲家の知られざる横顔」丸善ライブラリー、19991年、4頁。</ref>。
司祭の叙階を得た[[1703年]]、ピエタの音楽教師となる9月までの間に、『[[トリオ・ソナタ集 作品1 (ヴィヴァルディ)|トリオ・ソナタ集]]』作品1をイタリアの出版社[[ジュゼッペ・サーラ (出版社)|ジュゼッペ・サーラ]]から出版する、この曲集は[[アルカンジェロ・コレッリ]]の『作品1』から『作品4』と同じ様式の3声のソナタで、当時の流行に沿ったものであり、1700年に出版されたコレッリの作品5『12のヴァイオリン・ソナタ集』同様、12曲目がスペイン舞曲の《[[フォリア|ラ・フォリア]]》を主題とした曲になっていた。この曲集は、父と同じブレーシャ出身のヴェネツィア貴族アンニーバレ=ガンバーラ伯に献呈され、出版費用も伯爵が負担した。この曲集は[[1705年]]に出版社の費用負担で再版された(従来はこの版が初版と見做されていた)ことから、十分な販売実績を示し、それがヴィヴァルディが音楽家への道を目指す理由になったとも考えられる(作品1は1712~1713年にアムステルダムで、1715年にパリで再版されている)。
従来ヴィヴァルディは、生まれつき[[喘息]]と思われる持病があり、特に司祭として[[ミサ]]の[[説教]]に立っている時に発作が起こると、ミサの続行が困難と成ることがたびたびあり<ref>「大作曲家の知られざる横顔」p5 渡邊學而 丸善ライブラリー 平成3年7月20日発行</ref>、同年9月にはミサを挙げることを免除され、平服の在俗司祭となったと本人の手紙で主張され、そう考えられていたが、実際は司祭の職務を免れるための方便だったとも推測されている<ref>{{Cite book|title=『作曲家名曲ライブラリー21 ヴィヴァルディ』|page=8|date=|year=|publisher=音楽之友社}}</ref>。
=== 音楽院の教師としての活動(1703年から1713年) ===
[[Image:Ospedale della Pietà.jpg|thumb|ヴィヴァルディが教鞭をとったピエタ慈善院付属音楽院]]
在俗司祭となった[[9月]]、[[1346年]]設立という由緒ある[[ピエタ慈善院付属音楽院]] でヴァイオリンの教師として教鞭を執り始めた<ref>「大作曲家の知られざる横顔」p8 渡邊學而 丸善ライブラリー 平成3年7月20日発行</ref>。キリスト教会が行う慈善事業の一環として、捨て子の養育を目的に建てられた慈善院は、才能のある女子に対して音楽教育も盛んで、ヴェネツィア共和国にはピエタをはじめ、[[インクラービリ]]、[[メンディカンティ]]、[[オスペダレット]]の4つがあり、附属の音楽院が併設されていた。また[[1704年]]には{{ill|ヴィオラ・アッリングレーゼ|fr|Viola all'inglese|label=ヴィオラ・アッリングレーゼ(Viola all'inglese)}}(「[[イングランド]]式[[ヴィオラ]]」の意味、[[:en:Lyra viol|Lyra viol (英語版)]]と推測されるが諸説ある。[[ヴィオラ・ダ・ガンバ]]と同じく脚で支える弦楽器で[[ヴィオラ・ダモーレ]]のように共鳴弦を持つ)も教えている。1703年以降から1740年にかけて、教師として、また作曲家として器楽曲から声楽にいたる幅広い分野の作品を提供し、そのリハーサルを行なう雇用関係を断続的に持った<ref>『作曲家別名曲解説ライブラリー21 ヴィヴァルディ』[[音楽之友社]]、1995年、p10-11。</ref>。
ヴィヴァルディは[[1708年]]の11月から、イタリアの出版社アントニオ・ボルトリのカタログに[[ヴァイオリンソナタ|ヴァイオリン・ソナタ]]集の出版広告を掲載していたが、まだ献呈先は存在しなかった。その後1708年の12月29日に、[[デンマーク=ノルウェー]]の王[[フレデリク4世 (デンマーク王)|フレデリク4世]]がヴェネツィアに上陸する。フレデリク4世は翌日の午前11時には[[ピエタ院|ピエタ]]を訪問して宗教音楽会に臨み、ガスパリーニの代役としてヴィヴァルディが指揮する娘たちの歌と演奏を聴いた。フレデリク4世はヴェネツィア各所で催される音楽界や舞踏会に臨席し、ピエタにもたびたび足を運んだ。ヴィヴァルディとボルトリはこの機を逃さず、空欄だった献呈先にフレデリク4世の名を記し、国王が帰国する[[1709年]]の3月6日までに、12曲すべて出版してフレデリク4世に手渡した<ref>『大作曲家の世界:ファブリ・カラー版 1 バロックの巨匠 バッハ/ヴィヴァルディ/ヘンデル』音楽之友社、1990年。p87-88</ref>。出版を急いだためか、この時のボルトリ社発行の出版譜には作品番号が付されておらず、[[1710年]]頃にアムステルダムの出版社エティエンヌ・ロジェから『[[12のヴァイオリンソナタ 作品2 (ヴィヴァルディ)|ヴァイオリン・ソナタ集 作品2]]』として再販されている<ref>ラルース世界音楽事典 遠山一行, 海老沢敏編 福武書店, 1989.11 p157</ref>。しかしフレデリク4世が帰国する前の1709年の2月24日の年末の会議(ヴェネツィア共和国の暦は[[ローマ暦]]の名残で3月から1年が始まる)で、僅差の投票の結果ヴィヴァルディとピエタ音楽院との契約が更新されなかった<ref>Talbot (1993) p.36</ref>。
その後[[1711年]]の9月、ヴィヴァルディはピエタ音楽院に全会一致の投票で復帰する。同年に「作品3」として『[[調和の霊感]]』が、アムステルダムの出版社[[エティエンヌ・ロジェ]]から出版され、ベストセラーとなる。作品3は[[トスカーナ大公国|トスカーナ]]大公[[コジモ3世]]の継嗣、[[フェルディナンド・デ・メディチ (大公子)|フェルディナンド・デ・メディチ]]へ「フェルディナンド3世」の敬称で献呈されている。この称号はフェルディナンドが大公位を継いだ際に名乗るはずのものであったが、父コジモ3世が長命を保ったため、実際に用いられることはなかった。
[[1713年]]に、ピエタ音楽院でヴィヴァルディの先任の音楽指導者の「マエストロ・ディ・コーロ(Maestro di Coro)」だった[[フランチェスコ・ガスパリーニ]](Francesco Gasparini,1668-1727)が長期休暇を取ってローマに赴き、そのまま辞職する<ref>『作曲家別名曲解説ライブラリー21 ヴィヴァルディ』[[音楽之友社]]、1995年、11頁。</ref>。後任が決まるまで、音楽院はヴィヴァルディに宗教曲の作曲も依頼する。同年にオペラの処女作『離宮のオットーネ(Ottone in Villa)』(RV 729)が[[ヴィチェンツァ]]の劇場で初演される<ref>マイケル・トールボット著『ヴィヴァルディ』(上)p31</ref>。
この時期、基本的に音楽院の音楽教師という立場にいながら、作曲家としてのヴィヴァルディの名は[[ヨーロッパ]]中に広がり始めていた。これは、生命力のほとばしりを感じさせる瑞々しい曲想のみならず、合奏協奏曲から更に進んだ独奏協奏曲のスタイルを確立していったためと考えられる。同時代の[[ドイツ]]人音楽家[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]も少なくとも筆写譜の形でヴィヴァルディの[[楽譜]]を入手していた<ref name="名前なし-1">渡邊學而『大作曲家の知られざる横顔』丸善ライブラリー、1991年、15頁。</ref>。各地で公演されたオペラも次第に彼の名を高めて行った。
=== オペラ作曲家としての活動(1713年から1723年) ===
1713年以降、ヴィヴァルディはヴェネツィアのサンタンジェロ劇場をベースに[[オペラ]]の作曲に精力的に取り組み始め、1714年の『狂気を装うオルランド(Orlando finto pazzo)』(RV 727)を皮切りに、1718年までの間に10曲を上演して<ref>『作曲家別名曲解説ライブラリー21 ヴィヴァルディ』p11-12 [[音楽之友社]] 1995年4月30日第1刷</ref>人気を博した。ピエタ音楽院では1716年からは正式に「マエストロ・デ・コンチェルティ」の称号をピエタから与えられていた<ref name="名前なし-2">『作曲家別名曲解説ライブラリー21 ヴィヴァルディ』p243 [[音楽之友社]] 1995年4月30日第1刷</ref>。1717年後半から1720年までの3年間はヴェネツィアを去り、[[ハプスブルク家]]領となった[[マントヴァ]]の総督、[[フィリップ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット|ヘッセン=ダルムシュタット方伯フィリップ]]に宮廷楽長として奉職し、同地で3作ものオペラを上演する<ref name="名前なし-3">『作曲家別名曲解説ライブラリー21 ヴィヴァルディ』p12 [[音楽之友社]] 1995年4月30日第1刷</ref>。1723年7月にピエタの理事会はヴィヴァルディに対してピエタ音楽院のために協奏曲を月に2曲提供すること、旅行中は楽譜を郵送すること、リハーサルを2回ないし3回ほど指導する契約を交わした<ref name="名前なし-3"/>。音楽院にとってヴィヴァルディは大切な人材であり、必要不可欠な人物でもあった。
この間における作品群は、1712年-1714年ごろに「作品4」として『[[ラ・ストラヴァガンツァ]]』と題する12曲のヴァイオリン協奏曲集が、ヴィヴァルディの弟子でヴェネツィア貴族のヴィットール・デルフィーノを献呈先として出版されている<ref>『作曲家別名曲解説ライブラリー21 ヴィヴァルディ』p51-52 [[音楽之友社]]。 1995年4月30日第1刷</ref>、1714年に作曲した[[オラトリオ]]『ファラオの神モイゼ』(RV 643,紛失)が同年に初演される。また1716年に現存する唯一のオラトリオ『[[勝利のユディータ]]』が初演される。1716年からはロジェの娘ジャンヌの下で、献呈先を持たない出版作品集、『[[6つのソナタ 作品5 (ヴィヴァルディ)|6つのソナタ 作品5]]』、『[[6つのヴァイオリン協奏曲 作品6 (ヴィヴァルディ)|6つのヴァイオリン協奏曲 作 品6]]』、『[[12の協奏曲 作品7 (ヴィヴァルディ)|12の協奏曲 作品7]]』が出版されている。
また1716年から1717年に、ザクセン選帝侯兼ポーランド国王[[アウグスト2世 (ポーランド王)|フリードリヒ・アウグスト1世]]の宮廷ヴァイオリニストで、後にコンサート・マスターとなり、ドイツ随一のヴァイオリニストとの評価を得る[[ヨハン・ゲオルク・ピゼンデル]]が師事しており、ヴィヴァルディは彼と彼の所属するザクセン公の宮廷楽団([[シュターツカペレ・ドレスデン]])のためのヴァイオリン協奏曲やソナタ、シンフォニア等の楽曲を少なからず作曲した<ref>『作曲家別名曲解説ライブラリー21 ヴィヴァルディ』p178 [[音楽之友社]] 1995年4月30日第1刷</ref>。ピゼンデルがドレスデンに持ち帰ったそれらの楽譜は現在のドレスデン州立図書館に保存され、ヴィヴァルディ研究の重要な資料となっている。
=== 人気と円熟期(1723年から1740年) ===
ヴィヴァルディは書簡の中で、ヨーロッパの各都市を旅行したことを述べており、この書簡で窺えるように、この時期はほとんど旅行に費やしている。1723年から1724年にかけて[[ローマ]]を訪れ、同地で3曲のオペラを上演した<ref name="名前なし-3"/>。1724年には、[[教皇|ローマ教皇]](おそらく同年5月に教皇に選出されたばかりの[[ベネディクトゥス13世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス13世]])に二度謁見し、その御前で演奏したとも述べている。
[[1725年]]9月12日には、9月5日に挙式されたフランス国王[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]と[[マリー・レクザンスカ|マリー・レグザンスカ]]の結婚式を祝うため、駐ヴェネツィア・フランス大使ジャック・ヴァンサン・ランゲ伯爵が主催したヴェネツィアでの祝宴でヴィヴァルディのセレナータ『グロリアとヒメネオ』(RV 687)が上演された<ref>Talbot (1993) p.54</ref>。
[[1726年]]に再びサンタンジェロ劇場の作曲家兼興行主となり<ref name="名前なし-2"/>、この年のオペラ《テンペラーのドリッラ》で歌手のアンナ・ジローがヴィヴァルディのオペラで初めて主演を務めた。ヴィヴァルディはその後1739年まで断続的に劇場の興行に携わる。
[[1727年]]に作品9『[[ラ・チェトラ (ヴィヴァルディ)|ラ・チェトラ]]』を出版、[[神聖ローマ皇帝]][[カール6世 (神聖ローマ皇帝)|カール6世]]に献呈する。[[1728年]]に[[トリエステ]]でカール6世自身に謁見する機会ができ、手書きの協奏曲集を「ラ・チェトラ」として献呈する。皇帝と親密になったヴィヴァルディは、多額の金品とパトロンの証の金鎖付きのメダリオンを賜った。
1730年と1731年に、ヴィヴァルディはオペラを上演するためプラハに向かった。1732年から1737年まで、イタリアの各都市でオペラの上演と興行活動を行った<ref>『作曲家別名曲解説ライブラリー21 ヴィヴァルディ』p12-13 [[音楽之友社]] 1995年4月30日第1刷</ref>。
上記以外のこの時期の作品群では、1724年頃に『四季』を含む[[ヴァイオリン協奏曲]]集『[[和声と創意の試み|和声と創意への試み]]』が「作品8」としてロジェの後を継いだ[[ミシェル=シャルル・ル・セーヌ]]から出版された<ref>『作曲家別名曲解説ライブラリー21 ヴィヴァルディ』p83-84 [[音楽之友社]] 1995年4月30日第1刷</ref>。1729年には、音楽史上初めてのソロの[[フラウト・トラヴェルソ]](フルートの前身)のための協奏曲集が、『[[フルート協奏曲集 (ヴィヴァルディ)|6つのフルート協奏曲]]』作品10として出版される。また生前出版された楽譜としては最後となる『[[6つの協奏曲 作品11 (ヴィヴァルディ)|6つの協奏曲]]』作品11と『[[6つの協奏曲 作品12 (ヴィヴァルディ)|6つの協奏曲]]』作品12のヴァイオリン協奏曲集が出版される。1937年にはパリの出版社マダム・ボワヴァンから「作品13」として『[[忠実な羊飼い (シェドヴィル)|忠実な羊飼い]]』が出版されたが、これは[[ニコラ・シェドヴィル|ニコラ・シュドヴィル]]による偽作であった。1740年頃にはパリのル・クレール社から[[チェロソナタ (ヴィヴァルディ)|チェロ・ソナタ集]]が出版されたが出版経緯は不明である。また12月には「[[メルキュール・ド・フランス]]」紙からチェロ・ソナタ集の出版広告が掲載されたが、実際に出版された可能性は低いと考えられる<ref>{{Cite book|和書|title=BBCミュージック・ガイド1 ヴィヴァルディ(上)|page=41|year=1981|publisher=東芝EMI音楽出版|author=マイケル・トールボット著 為本章子 訳}}</ref>。
=== 晩年 ===
長年の活躍により[[オペラ]]作曲家としてイタリア本土と諸外国で名声を得ていたが、本国ヴェネツィアでは地元出身の新星[[バルダッサーレ・ガルッピ]]や、ヴェネツィア貴族の養子となった[[ヨハン・アドルフ・ハッセ]]に代表される[[ナポリ楽派]]<ref>{{Cite book|title=『大作曲家の世界:ファブリ・カラー版 1 バロックの巨匠 バッハ/ヴィヴァルディ/ヘンデル』|date=|year=|publisher=音楽之友社|page=90}}</ref>のオペラが人気を博し、ヴィヴァルディ名義のオペラ作品に対する評価に翳りが見え始める<ref>「ヴェネーツィアと芸術家たち」p192 山下史路 文藝春秋 平成17年8月20日第1刷</ref>。また、1736年から教皇領[[フェラーラ]]でのオペラ興行を準備していたが、[[1737年]][[11月16日]]に当地を管轄する[[枢機卿]]に[[フェラーラ]]への入境を禁止されるトラブルに見舞われ、損失を被る事となる。
[[1738年]][[1月7日]]に開催された[[アムステルダム]]の王立劇場設立100年記念の音楽祭に音楽監督として招待され、音楽祭のプロデュースとオーケストラの指揮を行う。その後ピエタの音楽指導者の職を辞すも、ピエタ音楽院の求めにより作品の供給は1740年のウィーン行の直前まで続いた。
[[1740年]]、ザクセン選帝侯の継嗣[[フリードリヒ・クリスティアン (ザクセン選帝侯)|フリードリヒ・クリスティアン]]公爵がヴェネツィアを訪問し、ピエタ他各慈善院で盛大な音楽会が催され、一番手となるピエタでの3月21日の音楽会では、宗教曲の挿入曲としてヴィヴァルディの作品が演奏された。ヴィヴァルディはピエタから協奏曲3曲(RV 540, 552, 558{{Efn2|シンフォニアはわかっていないが、協奏曲3曲はこの日のための書き下ろしであったことが判明しており、ヴィヴァルディの最後の生前発表作と考えられる。NAÏVE OP 30429 p.16}})とシンフォニア1曲(RV 149)の代金15[[ドゥカート|ドゥカーツ]]13[[リラ]]を受け取り、更にザクセンの王子[[アウグスト3世 (ポーランド王)]]に曲を献呈{{Efn2|Concerto 'per Sua Altezza Reale di Sassonia (Federico Augusto 1696-1763)' sol minore RV576}}することで報奨を受け取ったと考えられる(献呈された曲は1741年に[[ドレスデン]]で出版された)<ref>ロラン・ド・カンデ『ヴィヴァルディ』p149-150</ref>。その後手持ちの楽譜20曲を70ドゥカーツ23リラで売却したヴィヴァルディは、予てから予定していた[[ウィーン]]でのオペラ興業を決心する。同年秋に[[グラーツ]]で自作の公演を行った<ref>渡邊學而『大作曲家の知られざる横顔』丸善ライブラリー、1991年、10頁。</ref>あとの足取りは不明だが、ウィーン到着後一番のよき理解者であり最も力のあるパトロンだった[[カール6世]]が10月20日に崩御し、オーストリア国内は1年間喪に服すことになったのである。服喪期間中はすべての興業が禁止されたため、予定していたオペラ『[[メッセニアの神託]]』が上演できなくなった。当時は出演者から大道具に至るまで興行主が後で清算する形でオペラの準備が行われていたので、おそらく大変な借財を抱え込むことになったと思われる。さらに、[[カール6世]]の娘[[マリア・テレジア]]が帝位を継いだために[[オーストリア継承戦争]]が勃発し、国内の雰囲気も戦争一色となり、老大家に一瞥を与えるゆとりも関心も貴族たちにはなかった。
[[File:Tafel Vivaldi Grabstaette TU Wien DSC 6740w.jpg|thumb|ヴィヴァルディが埋葬された墓地はのちにウィーン工科大学の構内となり、彼を記念して[[銘板]]が設置されている]]
失意のうちに体調を崩したと思われるヴィヴァルディは、ヴェネツィアに帰国することもかなわず、[[1741年]][[7月28日]]に[[ケルントナートーア劇場]]が用意していた作曲家用の宿舎にて、63歳で死去した。死因<ref>{{Cite web |url = http://www.bri.ucla.edu/nha/ishn/ab082-99.htm|title = www.bri.ucla.edu|website = www.bri.ucla.edu|publisher = The Red Priest of Venice: did Vivaldi suffer from a primary muscular disorder ?|date = 1999-09-14|accessdate = 2021-02-15}}</ref>は体内の炎症または腫瘍と診断されたが詳細は不明である。夏季であったこともあり、旅行者のための簡素な葬礼の後、遺体は翌日、病院付属の貧民墓地に埋葬された<ref>「大作曲家の知られざる横顔」p13 渡邊學而 丸善ライブラリー 平成3年7月20日発行</ref>。この墓地は1783年に取り壊され、現在は[[ウィーン工科大学]]の構内になっている。オペラのほうは、ウィーンの新聞の広告欄に「故ヴィヴァルディ氏作曲」と張り出されて、翌1742年に当初の予定通りに[[ケルントナートーア劇場]]で上演された。
=== 後世の影響と評価 ===
ヴィヴァルディは作曲家としてもヴァイオリンの[[ヴィルトゥオーソ]]としても、同時代において高い評価を受け、多大な収入を得たこともあった。[[ルイ=クロード・ダカン]]も著作の中で「[[アルカンジェロ・コレッリ]]に匹敵するのはヴィヴァルディの『四季』のみ」と書いている<ref name="名前なし-1"/>。ところが18世紀末から19世紀末にかけて、ヴィヴァルディはイタリアでは全く顧みられず忘れ去られた。フランスでは『四季』、特に『春』は人気曲としての地位を保ち、1775年にジャン・ジャック・ルソーによってフルート独奏曲に編曲されたりもしたが、それもフランス革命で終わりを告げられた。19世紀末になり、[[ヨハン・ニコラウス・フォルケル]]らによってバッハが再評価されるとその生涯が調査され、その作品にヴィヴァルディの楽曲を編曲した箇所が複数発見された<ref>「大作曲家の知られざる横顔」p15-16 渡邊學而 丸善ライブラリー 平成3年7月20日発行</ref>。
20世紀に入り、[[アルノルト・シェーリング]]や[[マルク・パンシェルル]]がヴィヴァルディの器楽曲に歴史的意味を見出し、1926年と1930年にはトリノの国立図書館が未発見の膨大なコレクションを入手した。それらは[[アルフレード・カゼッラ]]や[[ジャン・フランチェスコ・マリピエロ]]らの尽力で整理、校訂が行われ、[[1939年]]9月にシエナで開催された「ヴィヴァルディ週間」で〈[[グローリア (ヴィヴァルディ)|グローリア]]〉(RV 589)、〈[[スターバト・マーテル (ヴィヴァルディ)|スターバト・マーテル]]〉(RV 621)などがカゼッラの指揮で復活演奏され、聴衆の関心も高まることとなった。[[第二次世界大戦|第二次大戦]]を経た[[1949年]]に[[リコルディ|リコルディ社]]が『[[四季 (ヴィヴァルディ)|四季]]』の楽譜を出版、[[1951年]]に録音された[[カール・ミュンヒンガー]]指揮[[シュトゥットガルト室内管弦楽団]]のレコードが[[デッカ・レコード|デッカ]]社から発売され<ref>{{Cite web |url = https://www.discogs.com/ja/release/10087431-Vivaldi-Karl-M%C3%BCnchinger-Stuttgart-Chamber-Orchestra-The-Four-Seasons |archiveurl = |author = discogs|title = Karl Münchinger, Stuttgart Chamber Orchestra|website = www.discogs.com|publisher = www.discogs.com|date = |archivedate = |accessdate = 2023-11-23}}</ref>ベストセラーとなり、ヴィヴァルディの作品は完全に復興を果たした。
パンシェルル以後の研究者としては、ヴィヴァルディの研究で教授資格を取得したオーストリアの音楽学者[[ワルター・コルネーダー]]、[[リオム番号]]の生みの親、デンマークの音楽学者[[ペーター・リオム]]、そして「[[マンチェスター・ソナタ]]」の発見者であり、『[[ニューグローヴ世界音楽大事典]]』のヴィヴァルディの項目を執筆し、多数の録音媒体の解説書に文章が採用されているイギリスの音楽学者で作曲家の[[マイケル・トールボット]]が挙げられる。
[[イ・ムジチ合奏団]]は『四季』を1955年に初めて録音し、レコードはこれまでに2500万枚以上という驚異的な売り上げを記録している<ref>{{citation|和書|url=https://www.nagano-arts.or.jp/stages/p5801/|title=ヴィヴァルディ×ピアソラ -ふたつの四季- イ・ムジチ合奏団|publisher=長野市美術館}}</ref>。
21世紀はNAÏVE([[ナイーブ (レコードレーベル)|ナイーヴ]])が、精力的にヴィヴァルディの作品をオペラから器楽曲まで体系的に、時代楽器のみで録音している<ref>{{Cite web |url = http://vivaldiedition.eu/about/|title = The Vivaldi Edition recording project offers the public more than one hundred hours of listening pleasure beyond The Four Seasons and provides an opportunity to discover a treasure trove of superb works, in itself a compelling adventure.|website = vivaldiedition.eu|publisher = vivaldiedition.eu|date = |accessdate = 2020-12-04}}</ref>。
[[小惑星]][[ヴィヴァルディ (小惑星)|(4330) Vivaldi]]や[[Vivaldi (ウェブブラウザ)|ウェブブラウザのVivaldi]]は、ヴィヴァルディの名前にちなんで命名された<ref>{{cite web|url=https://minorplanetcenter.net/db_search/show_object?object_id=4330|title=(4330) Vivaldi = 1972 TN8 = 1982 UJ3 = 1987 BH3|publisher=MPC|accessdate=2021-10-07}}</ref><ref>{{cite web| |url=https://www.tecmundo.com.br/navegador/88912-vivaldi-testamos-navegador-internet-tem-personalizacao-completa.htm |title=Vivaldi: testamos o navegador de internet que tem personalização completa |access-date=2022-11-21}}</ref>。
== 年表 ==
[[ファイル:Vivaldi.jpg|right|200px|thumb|一般的にヴィヴァルディのものとされる肖像画。ボローニャに伝わる作者不詳の有名な絵だが、これがヴィヴァルディなのかは正確にはわかっていない]]
*[[1678年]] - (0歳) ヴェネツィアに生まれる。
*[[1688年]] - (10歳) サン・マルコ大聖堂の見習いヴァイオリニストになり、大聖堂近くのサン・ジェミニアーノ教会付属学校に入学する。
*[[1693年]] - (15歳) 神学校に入学、剃髪して最下級の聖職者となる。
*[[1703年]] - (25歳) 司祭となる。『[[トリオ・ソナタ集 作品1 (ヴィヴァルディ)|トリオ・ソナタ集]]』作品1を出版。ピエタでヴァイオリン教師として奉職し始める。
*[[1704年]] - (26歳) ピエタで、ヴァイオリンの他にヴィオラ・アッリングレーゼを教え始める。
*[[1709年]] - (31歳) [[デンマーク=ノルウェー]]の王[[フレデリク4世 (デンマーク王)|フレデリク4世]]に『12のヴァイオリン・ソナタ』を献呈し、「作品2」として出版する。
*[[1711年]] - (33歳) 作品3『[[調和の霊感]]』が[[アムステルダム]]で出版される。
*[[1713年]] - (35歳) 最初の[[オペラ]]『離宮のオットー大帝』を[[ヴィチェンツァ]]で初演する、この頃、作品4『[[ラ・ストラヴァガンツァ]]』出版。
*[[1716年]] - (38歳) [[オラトリオ]]『[[勝利のユディータ]]』をピエタで初演、音楽指導者「マエストロ・デ・コンチェルティ」に任命される。
*[[1718年]]-[[1720年]] - (40歳-42歳)[[マントヴァ]]で[[ヘッセン=ダルムシュタット方伯領|ヘッセン=ダルムシュタット方伯]]の宮廷楽長として奉職する。
*[[1723年]]-[[1724年]] - (45歳-46歳)[[ローマ]]で3本の[[オペラ]]を初演、[[ローマ教皇]]御前演奏。作品8『[[和声と創意の試み|和声と創意への試み]]』([[四季 (ヴィヴァルディ)|四季]]を含む)出版。
*[[1727年]] - (49歳) 作品9『[[ラ・チェトラ (ヴィヴァルディ)|ラ・チェトラ]]』をアムステルダムの出版社から出版、[[神聖ローマ皇帝]][[カール6世 (神聖ローマ皇帝)|カール6世]]に献呈する。
*[[1728年]] - (50歳) [[トリエステ]]でカール6世と謁見。手書きの協奏曲集を『ラ・チェトラ』として献呈し、多額の金品と金鎖付きのメダルを賜る。
*[[1729年]] - (51歳) この頃、作品10『[[フルート協奏曲集 (ヴィヴァルディ)|6つのフルート協奏曲]]』出版。
*[[1730年]] - (52歳) [[オペラ]]が[[プラハ]]で上演される。
*[[1735年]] - (57歳) 再び音楽指導者に任ぜられる。
*[[1738年]] - (60歳) アムステルダムの王立劇場100年記念祭で音楽監督を務める。
*[[1740年]] - (62歳) 3月21日に[[ヴェネツィア]]を訪問中だった[[ザクセン選帝侯]]の公子のためにピエタで開催された演奏会のために作曲し、公子に曲を献呈する。この年の秋に[[ヴェネツィア]]を発つが、ウィーン到着後カール6世が崩御し、[[オーストリア継承戦争]]が勃発する。
*[[1741年]] - (63歳) 7月28日、ウィーンの[[ケルントナートーア劇場]]専用の作曲家宿舎で死去、遺体は貧民墓地に葬られる。
== 作品 ==
次項「作品一覧」、および「[[ヴィヴァルディの楽曲一覧]]」も参照のこと
=== 著名な作品 ===
* '''[[和声と創意の試み]]'''(Il cimento dell'armonia e dell'invenzione)作品8。1725年に出版された12曲のヴァイオリン協奏曲集
**'''[[四季 (ヴィヴァルディ)|四季]]'''(Le quattro stagioni(The Four Seasons)):この作品8のうちの第1番から第4番までを指す。
*'''[[調和の霊感]]'''(L'estro armonico)作品3
*:1本から4本のヴァイオリン(部分的にチェロも加わる)のための12曲からなる協奏曲集。1711年に[[アムステルダム]]のロジェより出版された<ref>『作曲家別名曲解説ライブラリー21 ヴィヴァルディ』p23 [[音楽之友社]] 1995年4月30日第1刷</ref>。いわゆる[[リトルネロ形式]]による急速楽章を持つ、急―緩―急の3楽章形式による独奏協奏曲の様式を確立した画期的作品といえる。しかし、部分的には[[アルカンジェロ・コレッリ|コレッリ]]以来の[[合奏協奏曲]]のスタイルも含んでいる(例えば7番、11番など)。後に[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]]が、この曲集のうち第3番、第9番、第12番をチェンバロ独奏用(BWV 978, 972, 976)に、第8番、第11番をオルガン独奏用(BWV 593, 596)に、第10番を4台のチェンバロと弦楽合奏のため(BWV 1065)に編曲した。
=== ヴィヴァルディが出版した作品 ===
ヴィヴァルディの協奏曲およびソナタのうちのいくつかは存命中に出版されている。
*作品1 [[トリオ・ソナタ集 作品1 (ヴィヴァルディ)|12のトリオ・ソナタ]](1703年出版)
*作品2 [[12のヴァイオリンソナタ 作品2 (ヴィヴァルディ)|12のヴァイオリンソナタ]](1709年)
*作品3 12の協奏曲『'''[[調和の霊感]]'''』(1711年)
*作品4 12のヴァイオリン協奏曲『'''[[ラ・ストラヴァガンツァ]]'''』(1712年-1714年ごろ)
*作品5 [[6つのソナタ 作品5 (ヴィヴァルディ)|6つのソナタ]](1716年)
*作品6 [[6つのヴァイオリン協奏曲 作品6 (ヴィヴァルディ)|6つのヴァイオリン協奏曲]](1719年ごろ)
*作品7 [[12の協奏曲 作品7 (ヴィヴァルディ)|12の協奏曲]](1719年-1720年ごろ)
*作品8 12の協奏曲『'''[[和声と創意の試み|和声と創意への試み]]'''』(『[[四季 (ヴィヴァルディ)|四季]]』を含む)(1724年ごろ)
*作品9 12のヴァイオリン協奏曲『'''[[ラ・チェトラ (ヴィヴァルディ)|ラ・チェトラ]]''' 』(1727年)
*作品10 [[フルート協奏曲集 (ヴィヴァルディ)|6つのフルート協奏曲]](1729年-1730年ごろ)
*作品11 [[6つの協奏曲 作品11 (ヴィヴァルディ)|6つの協奏曲 作品11]](1729年)
*作品12 [[6つの協奏曲 作品12 (ヴィヴァルディ)|6つの協奏曲 作品12]](1729年)
*作品番号なし [[チェロソナタ (ヴィヴァルディ)|6つのチェロソナタ]](1740年)
以上の作品の初版は、1、2を除いてアムステルダムのル・セーヌ社から出版されており、ヴィヴァルディがヴェネツィアのみに留まらず、ヨーロッパでも名声を得ていたことがわかる。作品1、2、3、4、8、9はすべて献辞つきで王侯貴族に献呈されているが、献辞のない作品のうちヴィヴァルディの編曲指示のある10を除く5、6、7、11、12の内、幾つかは、出版社がヴィヴァルディの了解を得ることなく出版した可能性が高い。[[1730年]]頃を境に、いろいろ制約の多い出版譜ではなく、筆写譜での流布を好むようになった。そのため、円熟期の作品には作品番号が付されていないものが圧倒的に多い。[[1737年]]に出版された作品13『[[忠実な羊飼い (シェドヴィル)|忠実な羊飼い]]』は真作とされていたが、後年の研究で[[ニコラ・シェドヴィル]]がヴィヴァルディの名をかたって出版したものであることが1998年に判明した<ref>Talbot (1993) p170-171</ref>。また、1740年頃に出版された6曲のチェロソナタ「作品14」は、真作と確認されているが、作品番号はパンシェルルが暫定的に付したものが定着したもので、近年の[[古楽器|古楽器演奏]]のレコードやCDのタイトルでは用いられないことが多い。また現在では作品7は出版社が12曲セットで出版するために水増しした物が半数以上含まれていると考えられている。
== 作品一覧 ==
[[ファイル:Vivaldi caricature.png|right|thumb|200px|P.L.ゲッツィ(P.L.Ghezzi)によるカリカチュア(1723)]]
ヴィヴァルディの作品はかなり膨大で、紛失したものや偽作などが多数含まれる。ここでは比較的知られている作品のみ掲載する。
{{main|ヴィヴァルディの楽曲一覧}}
=== 舞台作品 ===
==== オラトリオ ====
*ファラオの神モイゼ RV.643(散失)
*[[勝利のユディータ|蛮族の王ホロフェルネスを討伐した勝利のユディータ]] RV.644
=== オペラ ===
*エジプトの戦場のアルミーダ RV.699
*[[バヤゼット (ヴィヴァルディ)|バヤゼット]]RV.703
*貞節な妖精(忠実なニンフ)RV.714
*[[ダリオの戴冠 (ヴィヴァルディ)|ダリオの戴冠]] RV.719
*モテズーマ RV.723
*狂気を装うオルランド RV.727
*離宮のオットー大帝 RV.729 *ヴィヴァルディ最初のオペラ
*テウッツォーネ RV.736
*救われたアンドロメダ *おそらく共作<ref>{{Cite web|和書|url = https://www.universal-music.co.jp/andrea-marcon/products/ucca-1056/|title = 彼の作曲かどうかで意見が分かれている作品|website = www.universal-music.co.jp|publisher = www.universal-music.co.jp|date = |accessdate = 2020-11-25}}</ref>
=== 協奏曲 ===
==== ヴァイオリン協奏曲 ====
*ヴァイオリン協奏曲 ハ長調 『喜び』 RV.180
*ヴァイオリン協奏曲 ハ短調 『疑い』 RV.199
*ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 『グロッソ・モグール』 RV.208
*ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 『1712年のパドヴァの聖アントニオの聖なる舌の祝日のために』 RV.212a
*ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 RV.230(J.S.バッハがBWV.972に編曲)
*ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 『不安』 RV.234
*[[ヴァイオリン協奏曲RV.242|ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 『ピゼンデル氏のために』 RV.242]]
*[[海の嵐 (ヴァイオリン協奏曲)|ヴァイオリン協奏曲 変ホ長調 『海の嵐』 RV.253]]
*ヴァイオリン協奏曲 変ホ長調 『隠れ里』 RV.256
*[[四季 (ヴィヴァルディ)|ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 『春』 RV.269]]
*ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 『安らぎ:いとも聖なるクリスマスのために』 RV.270
*ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 『恋人』 RV.271
*ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 『お気に入り』 RV.277
*ヴァイオリン協奏曲 ヘ長調 『[[聖ロレンツォの祝日のために]]』 RV.286
*[[四季 (ヴィヴァルディ)|ヴァイオリン協奏曲 ヘ長調 『秋』 RV.293]]
*ヴァイオリン協奏曲 ヘ長調 『隠れ里』 RV.294
*[[四季 (ヴィヴァルディ)|ヴァイオリン協奏曲 ヘ短調 『冬』 RV.297]]
*ヴァイオリン協奏曲 ト長調 『トゥロンバ・マリーナ風ヴァイオリンで』 RV.313
*[[四季 (ヴィヴァルディ)|ヴァイオリン協奏曲 ト短調 『夏』 RV.315]]
*[[ヴァイオリン協奏曲RV.317|ヴァイオリン協奏曲 ト短調 RV.317]]
*ヴァイオリン協奏曲 イ長調 『ナイチンゲール』 RV.335a
*ヴァイオリン協奏曲 変ロ長調 『ポストホルン(郵便屋の角笛)』 RV.363
*ヴァイオリン協奏曲 変ロ長調 『カルボネッリ』 RV.366
*ヴァイオリン協奏曲 ハ短調 『アマート・ベネ』 RV.761
*ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 『アンナ・マリーアのために』 RV.762
*ヴァイオリン協奏曲 イ長調 『オッタヴィーナ』 RV.763
==== フルート協奏曲 ====
作品10として出版された『[[フルート協奏曲集 (ヴィヴァルディ)|フルート協奏曲集]]』に含まれる楽曲である。
*[[ごしきひわ (フルート協奏曲)|フルート協奏曲 ニ長調『ごしきひわ』 RV.428 作品10-3]]
*フルート協奏曲 ヘ長調 『海の嵐』 RV.433 作品10-1
*フルート協奏曲 ヘ長調 RV.434 作品10-5
*フルート協奏曲 ト長調 RV.435 作品10-4
*フルート協奏曲 ト長調 RV.437 作品10-6
*[[夜 (フルート協奏曲)|フルート協奏曲 ト短調 『夜』 RV.439 作品10-2]]
*フルート協奏曲 ト長調 RV.442
*2本のフルート([[フラウト・トラヴェルソ]])のための協奏曲 ハ長調 RV.533
==== 複数の楽器のための協奏曲 ====
*協奏曲 ニ長調 『ごしきひわ』 RV.90 *複数のヴァージョンが残されている。
*協奏曲 ニ長調 RV.93(リュート協奏曲とも)
*協奏曲 ニ長調 『女羊飼い』 RV.95
*協奏曲 ト短調 『夜』 RV.104
*2つのマンドリンのための協奏曲 ト長調 RV.532
*2つのオーボエのための協奏曲 ハ長調 RV.534
*2つのトランペットのための協奏曲 ハ長調 RV.537
*2つのクラリネットと2つのオーボエの為の協奏曲ハ長調RV.559 *バロック音楽史上最初のクラリネット協奏曲
*2つのクラリネットと2つのオーボエの為の協奏曲ハ長調RV.560
*ヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ヘ長調 『プロテウス、すなわち逆様の世界』 RV.544
*『ソロ・ヴァイオリンと遠くのこだま用のヴァイオリンのための協奏曲 』イ長調 RV.552
*[[ヴァイオリン、2本のオーボエと2本のホルンのための協奏曲 ニ長調『聖ロレンツォの祝日のために』]] RV.562
*ヴァイオリン、2本のリコーダー、3本のオーボエとファゴットとのための協奏曲 ト短調 『ザクセン選帝侯のために』 RV.576
*ヴァイオリン、2本のオーボエ、2本のリコーダーとファゴットのための協奏曲ト短調 『ドレスデンのオーケストラのために』 [[ドレスデンのオーケストラのために|RV.577]]
*ヴァイオリン、オーボエ、シャリュモーと3つのヴィオラ・アッリングレーゼのための協奏曲 変ロ長調 『葬送協奏曲』 RV.579
==== オルガンのための協奏曲 ====
*オーボエ、ヴァイオリン、オルガン、弦とチェンバロのための協奏曲 ハ長調 P.36
*ヴァイオリン、オルガン、弦とチェンバロのための協奏曲 ヘ長調 P.276
*ヴァイオリン、オルガン、弦とチェンバロのための協奏曲 ニ短調 P.311
*4つのオブリガードフルート、4つのヴァイオリン、弦と2つのオルガンのための協奏曲「イン・ドゥエ・コーリ」イ長調 P.226
==== 弦楽のための協奏曲(またはシンフォニア) ====
*弦楽のための協奏曲 ト長調『アラ・ルスティカ(田園風)』RV.151
*弦楽のための協奏曲 変ロ長調『コンカ(法螺貝)』RV.163
*シンフォニア ロ短調『聖なる墓に(聖墓のそばに)』RV.169
=== 宗教曲・声楽曲 ===
==== 宗教音楽 ====
*グローリア ニ長調 RV.588
*[[グローリア (ヴィヴァルディ)|グローリア ニ長調 RV.589]]
*サルヴェ・レジナ(「めでたし元后」) ハ短調 RV.616
*[[スターバト・マーテル (ヴィヴァルディ)|スターバト・マーテル]](「母は悲しみにありき」) ヘ短調 RV.621
==== 声楽曲 ====
*モテット『まことの安らぎはこの世にはなく』RV 630
*カンタータ『黄金色の雨のごとく』RV 686
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*[[マイケル・トールボット|M・トールバット]]著『BBCミュージック・ガイド1 ヴィヴァルディ』(上)(下) 為本章子 訳、東芝EMI音楽出版、1981年。ISBN 4-543-08021-1(上)ISBN 4-543-08046-7(下)
*[[西原稔]]『音楽史ほんとうの話』音楽之友社,2005年。
*『大作曲家の世界:ファブリ・カラー版 1 バロックの巨匠 バッハ/ヴィヴァルディ/ヘンデル』[[音楽之友社]]、1990年。
*『作曲家別名曲解説ライブラリー21 ヴィヴァルディ』[[音楽之友社]]、1995年。ISBN 4-276-01061-6
*[[マルク・パンシェルル]]『ヴィヴァルディ、作品と生涯』[[早川正昭]]・桂誠訳、[[音楽之友社]]、1970年。
*ロラン・ド・カンデ『ヴィヴァルディ』[[戸口幸策]]訳、[[白水社]]〈永遠の音楽家 10〉、1970年。
*{{cite book|和書|author=磯山雅|title=バロック音楽:豊かなる生のドラマ|year=1989|publisher=[[NHKブックス]]|isbn=4140015705}}
*{{cite book|和書|author=皆川達夫|authorlink=皆川達夫|title=バロック音楽|year=1972|publisher=[[講談社現代新書]]}}
*Talbot, Michael:VIVALDI, Oxford University Press, 1993.
*{{cite book|author=Michael Talbot|chapter=The Italian concerto in the late seventeenth and early eighteenth centuries|title=The Cambridge Companion to the Concerto|editor=Simon P. Keefe|publisher=Cambridge University Press|year=2005|isbn=052183483X|pages=35-52}}
*{{cite book|author=Michael Talbot|title=The Vivaldi Compendium|year=2011|publisher=The Boydell Press|isbn=9781843836704}}
*Heller, Karl :ANTONIO VIVALDI-THE RED PRIEST OF VENICE, Amadeus Press, Portland, 1997.
*Ryom, Peter : VIVALDI WERKVERZEICHNIS, Breikopf & Härtel, 2007.
== 関連項目 ==
{{commonscat|Antonio Vivaldi}}
*[[ヴィヴァルディの楽曲一覧]]
*[[バロック音楽]]
== 外部リンク ==
*{{IMSLP|id=Vivaldi, Antonio}}
* [https://web.archive.org/web/20110323021812/http://www.anima-veneziana.narod.ru/index.html Project Anima Veneziana], Free English eBooks: 1. Talbot, M. ''Vivaldi''. 1993; 2. Heller, K. ''Antonio Vivaldi: The Red Priest of Venice''. 1997; 3. Pincherle, Marc. ''Vivaldi: Genius of the Baroque'', 1957; 4. Ryom, Peter. ''Vivaldi Werkverzeichnis''. 1st edition, 2007
*[https://www.brilliantclassics.com/media/965989/94840-Vivaldi-Liner-Notes-Download.pdf VIVALDI EDITION] brilliantclassics.com
* {{Kotobank|ビバルディ}}
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[[Category:アントニオ・ヴィヴァルディ|*]]
[[Category:バロックの作曲家]]
[[Category:イタリアの作曲家]]
[[Category:18世紀イタリアの音楽家]]
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] | https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3 |
1,333 | ゲシュタルト心理学 | ゲシュタルト心理学(ゲシュタルトしんりがく、Gestalt Psychology)とは、心理学の一学派。人間の精神を、部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置いて捉える。この全体性を持ったまとまりのある構造をドイツ語でゲシュタルト(Gestalt :形態)と呼ぶ。
ゲシュタルト心理学は、ヴントを中心とした要素主義・構成主義の心理学に対する反論として、20世紀初頭にドイツにて提起された経緯を持つ。精神分析学や行動主義心理学に比べると、元々の心理学に近いと言える。特にユダヤ系の学者が多かった事などもあって、ナチスが台頭してきた時代に、同学派の主要な心理学者の大部分がアメリカに亡命した(例外的にヴォルフガング・ケーラーのみはバルト・ドイツ人出身)。その後、同学派の考え方は知覚心理学、社会心理学、認知心理学などに受け継がれた。自然科学的・実験主義的アプローチや、全体性の考察に力学の概念を取り入れた事など、現代の心理学に与えた影響は大きい。
日本の研究者では、ケーラーのもとで学んだ佐久間鼎などがいる。言語学者でもあった佐久間は発音にもこだわり、より原語の発音に近い「ゲシタルト」と称した。現在でも、「ゲシュタルト心理学」ではなく「ゲシタルト心理学」という語を用いる研究者もいる。
構成主義・要素主義の立場では、人間の心理現象は要素の総和によるものであり、視覚・聴覚などの刺激には、個々にその感覚や認識などが対応していると考えられている。例えば既知のメロディを認識する過程では、一つ一つの音に対して記憶と対照した認知があり、その総和がメロディーの認識を構成すると考える。
これに対する反論としては、移調した既知の旋律であっても、同じ旋律であると認識出来る事の説明にならないというものがある。一つ一つの音は既知の旋律とは違っていても、移調しただけであれば、実際は同じものであると人は認識できる、というものである。
この事を説明するために提唱されたのが、ゲシュタルト性質という概念である。
ゲシュタルト心理学の最も基本的な考え方は、知覚は単に対象となる物事に由来する個別的な感覚刺激によって形成されるのではなく、それら個別的な刺激には還元出来ない全体的な枠組みによって大きく規定される、というものである。ここで、全体的な枠組みにあたるものはゲシュタルト(形態)と呼ばれる。
例えば果物が書かれた絵を見て、それが線や点の集合ではなく「りんご」であるように見える事や、映画を見て複数のコマが映写されているのではなく動いているように見える事は、ゲシュタルトの働きの重要性を考えさせられる例である。
ベルリン学派に属する M. ヴェルトハイマー、W. ケーラー、K. コフカ、K. レヴィンらが中心的存在である。
ヴェルトハイマーは、人間がゲシュタルトを知覚するときの法則について考察し、以下に挙げるような法則(プレグナンツの法則、law of prägnanz、プレグナンツとは「簡潔さ」の意)を示した。これらは視知覚によるものだが、後の研究で記憶や学習、思考などにも当てはめられる事が判明している。
近接しているもの同士はひとまとまりになりやすい。例えば以下の図では、近接している2つの縦線がグループとして知覚される。離れた縦線同士はグループには成りにくい。空間的なものだけでなく、時間的にも近いものは、まとまって認識されやすい。
いくつかの刺激がある時、同種のもの同士がひとまとまりになりやすい。以下の図では、黒い四角と白い四角のグループが交互に並んでいるように知覚される。白黒、黒白のグループが交互に並んでいるようには知覚されにくい。
互いに閉じあっているもの同士(閉じた領域)はひとまとまりになりやすい。例えば以下の図では、閉じた括弧同士がグループを成すように認識される。〕と〔 同士では、グループとして認識されにくい。
いくつかの曲線になり得る刺激がある時、よい曲線(なめらかな曲線)として連続しているものは1つとして見られる。例えば、「ベン図」(2つの円の一部分が重なった図。数学の教科書などで、集合の解説によく用いられる)では、「円が2つある」と認識され、「欠けた円が2つと、ラグビーボールのような形が1つある」とは認識されにくい。 なお、「よい連続の要因」と似た法則として「よい形の要因」(よい形とは規則的な形を表す)もある。
ドイツの心理学には、ベルリン学派あるいはフランクフルト/ベルリン学派と呼ばれる学派が存在していた。これは主要な心理学者が集っていた二つの大学の名前を指している。マックス・ヴェルトハイマーはプラハ大学で法学を学び卒業した後、ベルリン大学およびヴェルツブルク大学で心理学を研究するようになった。プラハ大学でエーレンフェルスの講義、ベルリン大学でシュトゥンプの講義を聴いた。 ヴェルトハイマーは1912年、運動の知覚に関する画期的な論文『運動視の実験的研究』を発表した。(これはワトソンの行動主義宣言の前年に発表したことになる。)
ヴェルトハイマーによる実験では、当時フランクフルト大学の助手をしていたケーラーとコフカおよびコフカ夫人の3人が被験者となった。細い線と太い線を使うと線が拡張するように見えたり、水平な線[ - ]と45度の線 [ / ]を連続して提示すると線が角運動しているように見えたりした。どちらも実際には物理的には存在しない動きが見えるので、これを仮現運動とかファイ現象と呼んだ。(φは「現象」を意味するドイツ語Phänomenの頭文字)。
それ以前、ヘルムホルツやヴントなどは仮現運動の原因として眼球運動との連合を考えたが、それに対しヴェルトハイマーは、真ん中の刺激が左右同時に分かれる刺激図形を実験に用いて、眼球運動は仮現運動の必要条件ではないことを実証した。また、グラーツ学派は「先に感覚があってゲシュタルト質がその感覚データに付与される」と考えていたが、ヴェルトハイマーはそうではなく、最初から感覚のなかにゲシュタルトが組み込まれていると論じた。コフカは後の1935年ゲシュタルトと体制化はほぼ同じ意味であると論ずるようになった。人間は刺激を単純で明快な方向へと知覚しようとする傾向があり、これをヴェルトハイマーはプレグナンツの法則と呼んだ。
ヴォルフガング・ケーラーは、第一次大戦中、アフリカ北西のカナリア諸島のテネリフェ島にある類人猿研究所でチンパンジーを用いた実験を行っていた。チンパンジーが新しい方法で天井から吊り下がったバナナを取ることを観察し、試行錯誤学習に対比して、これを洞察学習と呼び、研究成果を『類人猿の知恵試験』という本にまとめた(1917、1921)。ケーラーはプレグナンツの法則が成立する背景には、それと類似した脳の中枢過程があると考えた。一例を挙げると、ある空間的構造がそのように体験され知覚されるのは脳内の基盤となる過程が機能的に対応しているからだ、としている。このような考え方は心理物理同型説(psychophysical isomorphism)と呼ばれている。
クルト・レヴィンは1930年代にヴェルトハイマーら3人と一緒に研究したことや、ベルリン大学で学位をとった関係でゲシュタルト心理学者のひとりとされている。レヴィンは体験を通じて構造化される空間に興味を示し、それをやがて生活空間と呼ぶようになった。ケーラーが心理物理的な場理論を考えていたのとは対照的に、レヴィンは純粋に心理的な場理論を考えた。これはトポロギー心理学(トポロジー心理学Topologie psychology)との名称で知られるようになった。Topologieとは位相幾何学という意味である。
レヴィンはゲシュタルト心理学を人間個人だけでなく集団行動にも応用した。集団内における個人の行動は、集団のエネルギー場、すなわち集団がもつ性質やどんな成員がいるのかといったことなどによって影響を受けると考え、これによりグループ・ダイナミックス(集団力学)を生み出した。このグループ・ダイナミックスはやがて感受性訓練などにも応用され、臨床的分野へと広がっていった。また、レヴィンは、米国に渡ってから政治的・社会的問題にも関心を示し、実践的な方法としてアクション・リサーチを提唱し、社会心理学などにも影響を与えた。
ベルリン学派の主要な4人は全員米国へ渡り、その地で亡くなっている。1933年にドイツでナチスが政権を握るとユダヤ人学者は教壇から追放された。当時15人いたドイツの心理学教授のうち5人が失職した。コフカは米国のスミス大学の教授として、晩年までゲシュタルト心理学の普及に努めた。なかでも1935年に英語で発表された『ゲシュタルト心理学の原理』は網羅的なものであり、ゲシュタルト心理学が知覚の理論にとどまらないことを人々に広く知らしめた。ケーラーはユダヤ人ではなかったが、職場のベルリン大学への政府の介入を嫌い1935年に米国に亡命した。レヴィンは1933年は海外で講義を行うために旅行に出ており、日本からロシアへの旅の途中でナチス政権について聞き、ドイツに戻らず米国に亡命した。
ゲシュタルト心理学はドイツや日本で大きな潮流となった。
米国ではドイツや日本ほどではなかった。というのは主要な用語や概念が英語という外国語ではうまく表現できず、曖昧なものと考えられたことなどが挙げられる。結局ゲシュタルトやプレグナンツという用語も英語ではなくドイツ語のまま使用された。だが、自身をゲシュタルト心理学者と呼ぶ者は少ないものの、ゲシュタルト心理学に接近したエドワード・トールマンがのちの認知心理学の成立に与えた影響や、グループ・ダイナミックスが社会心理学や行動科学の発展に果たした役割を考慮すると、むしろゲシュタルト心理学がアメリカの主流な心理学の流れを変えたのだと言ってもよさそうである。
ゲシュタルトの基本的な概念として、対象を全体として捉えるという事が言える。
例えば音楽は、個々の音を聞いた時よりも大きな効果を与える。図形もまた、中途半端な線や点であっても、丸や三角などそれを見た人間がパターンを補って理解する(逆に錯覚・誤解を引き起こす原因とも言える)。
ゲシュタルト心理学は被験者の人間が感じることを整理分類して、人間の感覚構造を研究した。そのため、図形による印象などの研究が中心であった。
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] | ゲシュタルト心理学とは、心理学の一学派。人間の精神を、部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置いて捉える。この全体性を持ったまとまりのある構造をドイツ語でゲシュタルト(Gestalt :形態)と呼ぶ。 ゲシュタルト心理学は、ヴントを中心とした要素主義・構成主義の心理学に対する反論として、20世紀初頭にドイツにて提起された経緯を持つ。精神分析学や行動主義心理学に比べると、元々の心理学に近いと言える。特にユダヤ系の学者が多かった事などもあって、ナチスが台頭してきた時代に、同学派の主要な心理学者の大部分がアメリカに亡命した(例外的にヴォルフガング・ケーラーのみはバルト・ドイツ人出身)。その後、同学派の考え方は知覚心理学、社会心理学、認知心理学などに受け継がれた。自然科学的・実験主義的アプローチや、全体性の考察に力学の概念を取り入れた事など、現代の心理学に与えた影響は大きい。 日本の研究者では、ケーラーのもとで学んだ佐久間鼎などがいる。言語学者でもあった佐久間は発音にもこだわり、より原語の発音に近い「ゲシタルト」と称した。現在でも、「ゲシュタルト心理学」ではなく「ゲシタルト心理学」という語を用いる研究者もいる。 | {{心理学のサイドバー}}
'''ゲシュタルト心理学'''(ゲシュタルトしんりがく、''Gestalt Psychology'')とは、[[心理学]]の一学派。人間の精神を、部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置いて捉える。この全体性を持ったまとまりのある構造を[[ドイツ語]]で[[ゲシュタルト]](''Gestalt'' :[[形態]])と呼ぶ。
ゲシュタルト心理学は、[[ヴィルヘルム・ヴント|ヴント]]を中心とした要素主義・構成主義の心理学に対する反論として、20世紀初頭に[[ドイツ]]にて提起された経緯を持つ。[[精神分析学]]や[[行動主義心理学]]に比べると、元々の心理学に近いと言える。特に[[ユダヤ人|ユダヤ系]]の学者が多かった事などもあって、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が台頭してきた時代に、同学派の主要な心理学者の大部分が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に亡命した(例外的に[[ヴォルフガング・ケーラー]]のみは[[バルト・ドイツ人]]出身)。その後、同学派の考え方は[[知覚心理学]]、[[社会心理学]]、[[認知心理学]]などに受け継がれた。自然科学的・実験主義的アプローチや、全体性の考察に[[力学]]の概念を取り入れた事など、現代の心理学に与えた影響は大きい。
日本の研究者では、[[ヴォルフガング・ケーラー|ケーラー]]のもとで学んだ[[佐久間鼎]]などがいる。言語学者でもあった佐久間は発音にもこだわり、より原語の発音に近い「ゲシタルト」と称した。現在でも、「ゲシュタルト心理学」ではなく「ゲシタルト心理学」という語を用いる研究者もいる。
== 概要 ==
構成主義・要素主義の立場では、人間の心理現象は要素の総和によるものであり、視覚・聴覚などの刺激には、個々にその感覚や認識などが対応していると考えられている。例えば既知の[[メロディ]]を認識する過程では、一つ一つの音に対して記憶と対照した認知があり、その総和がメロディーの認識を構成すると考える。
これに対する反論としては、[[移調]]した既知の旋律であっても、同じ旋律であると認識出来る事の説明にならないというものがある。一つ一つの音は既知の旋律とは違っていても、移調しただけであれば、実際は同じものであると人は認識できる、というものである。
この事を説明するために提唱されたのが、[[ゲシュタルト性質]]という概念である。
ゲシュタルト心理学の最も基本的な考え方は、[[知覚]]は単に対象となる物事に由来する個別的な感覚刺激によって形成されるのではなく、それら個別的な刺激には還元出来ない全体的な枠組みによって大きく規定される、というものである。ここで、全体的な枠組みにあたるものは[[ゲシュタルト]](形態)と呼ばれる。
例えば果物が書かれた絵を見て、それが線や点の集合ではなく「りんご」であるように見える事や、映画を見て複数のコマが映写されているのではなく動いているように見える事は、ゲシュタルトの働きの重要性を考えさせられる例である。
ベルリン学派に属する [[マックス・ヴェルトハイマー|M. ヴェルトハイマー]]、[[ヴォルフガング・ケーラー|W. ケーラー]]、[[クルト・コフカ|K. コフカ]]、[[クルト・レヴィン|K. レヴィン]]らが中心的存在である。
== プレグナンツの法則 ==
ヴェルトハイマーは、人間がゲシュタルトを知覚するときの法則について考察し、以下に挙げるような法則(プレグナンツの法則、''law of prägnanz''、プレグナンツとは「簡潔さ」の意)を示した。これらは視知覚によるものだが、後の研究で[[記憶]]や[[学習]]、[[思考]]などにも当てはめられる事が判明している。
=== 近接の要因 ===
近接しているもの同士はひとまとまりになりやすい。例えば以下の図では、近接している2つの縦線がグループとして知覚される。離れた縦線同士はグループには成りにくい。空間的なものだけでなく、時間的にも近いものは、まとまって認識されやすい。
''''' || || ||'''''
=== 類同の要因 ===
いくつかの刺激がある時、同種のもの同士がひとまとまりになりやすい。以下の図では、黒い四角と白い四角のグループが交互に並んでいるように知覚される。白黒、黒白のグループが交互に並んでいるようには知覚されにくい。
□■■□□■■□□■■□□■■□□■
=== 閉合の要因 ===
互いに閉じあっているもの同士(閉じた領域)はひとまとまりになりやすい。例えば以下の図では、閉じた括弧同士がグループを成すように認識される。〕と〔 同士では、グループとして認識されにくい。
〕〔 〕〔 〕〔 〕〔
=== よい連続の要因 ===
いくつかの曲線になり得る刺激がある時、よい曲線(なめらかな曲線)として連続しているものは1つとして見られる。例えば、「[[ベン図]]」(2つの円の一部分が重なった図。数学の教科書などで、[[集合]]の解説によく用いられる)では、「円が2つある」と認識され、「欠けた円が2つと、ラグビーボールのような形が1つある」とは認識されにくい。
なお、「よい連続の要因」と似た法則として「よい形の要因」(よい形とは規則的な形を表す)もある。
== 歴史的経緯と主要人物 ==
ドイツの心理学には、ベルリン学派あるいはフランクフルト/ベルリン学派と呼ばれる学派が存在していた。これは主要な心理学者が集っていた二つの大学の名前を指している<ref name=nagare52>『流れを読む 心理学史』、52頁</ref>。[[マックス・ヴェルトハイマー]]はプラハ大学で法学を学び卒業した後、ベルリン大学およびヴェルツブルク大学で心理学を研究するようになった<ref name=nagare52/>。プラハ大学でエーレンフェルスの講義、ベルリン大学でシュトゥンプの講義を聴いた<ref name=nagare52/>。
ヴェルトハイマーは1912年、運動の知覚に関する画期的な論文『運動視の実験的研究』を発表した<ref name=nagare52/>。(これはワトソンの行動主義宣言の前年に発表したことになる。)
ヴェルトハイマーによる実験では、当時フランクフルト大学の助手をしていたケーラーとコフカおよびコフカ夫人の3人が被験者となった。細い線と太い線を使うと線が拡張するように見えたり、水平な線[ - ]と45度の線 [ / ]を連続して提示すると線が角運動しているように見えたりした。どちらも実際には物理的には存在しない動きが見えるので、これを'''仮現運動'''とか'''[[ファイ現象]]'''と呼んだ。(φは「現象」を意味するドイツ語Phänomenの頭文字)<ref>『流れを読む 心理学史』、53頁</ref>。
それ以前、ヘルムホルツやヴントなどは[[仮現運動]]の原因として眼球運動との連合を考えたが、それに対しヴェルトハイマーは、真ん中の刺激が左右同時に分かれる刺激図形を実験に用いて、眼球運動は仮現運動の必要条件ではないことを実証した。また、グラーツ学派は「先に感覚があってゲシュタルト質がその感覚データに付与される」と考えていたが、ヴェルトハイマーはそうではなく、最初から感覚のなかにゲシュタルトが組み込まれていると論じた<ref name=nagare54>『流れを読む 心理学史』、54頁</ref>。コフカは後の1935年ゲシュタルトと体制化はほぼ同じ意味であると論ずるようになった<ref name=nagare54/>。人間は刺激を単純で明快な方向へと知覚しようとする傾向があり、これをヴェルトハイマーは'''プレグナンツの法則'''と呼んだ。
[[ヴォルフガング・ケーラー]]は、第一次大戦中、アフリカ北西のカナリア諸島のテネリフェ島にある類人猿研究所でチンパンジーを用いた実験を行っていた。チンパンジーが新しい方法で天井から吊り下がったバナナを取ることを観察し、[[試行錯誤学習]]に対比して、これを'''[[洞察学習]]'''と呼び、研究成果を『類人猿の知恵試験』という本にまとめた(1917、1921)<ref name=nagare55>『流れを読む 心理学史』、55頁</ref>。ケーラーはプレグナンツの法則が成立する背景には、それと類似した脳の中枢過程があると考えた。一例を挙げると、ある空間的構造がそのように体験され知覚されるのは脳内の基盤となる過程が機能的に対応しているからだ、としている<ref name=nagare55/>。このような考え方は[[心理物理同型説]](psychophysical isomorphism)と呼ばれている。
[[クルト・レヴィン]]は1930年代にヴェルトハイマーら3人と一緒に研究したことや、ベルリン大学で学位をとった関係でゲシュタルト心理学者のひとりとされている<ref name=nagare56>『流れを読む 心理学史』、56頁</ref>。レヴィンは体験を通じて構造化される空間に興味を示し、それをやがて'''生活空間'''と呼ぶようになった。ケーラーが心理物理的な場理論を考えていたのとは対照的に、レヴィンは純粋に心理的な場理論を考えた<ref name=nagare56/>。これは'''[[トポロギー心理学]]'''(トポロジー心理学Topologie psychology)との名称で知られるようになった。Topologieとは[[位相幾何学]]という意味である。
レヴィンはゲシュタルト心理学を人間個人だけでなく集団行動にも応用した。集団内における個人の行動は、集団のエネルギー場、すなわち集団がもつ性質やどんな成員がいるのかといったことなどによって影響を受けると考え、これにより'''グループ・ダイナミックス'''('''[[集団力学]]''')を生み出した<ref name=nagare56/>。このグループ・ダイナミックスはやがて感受性訓練などにも応用され、臨床的分野へと広がっていった。また、レヴィンは、米国に渡ってから政治的・社会的問題にも関心を示し、実践的な方法として'''[[アクション・リサーチ]]'''を提唱し、[[社会心理学]]などにも影響を与えた<ref name=nagare56/>。
ベルリン学派の主要な4人は全員米国へ渡り、その地で亡くなっている。1933年にドイツでナチスが政権を握るとユダヤ人学者は教壇から追放された。当時15人いたドイツの心理学教授のうち5人が失職した。コフカは米国の[[スミス大学]]の教授として、晩年までゲシュタルト心理学の普及に努めた。なかでも1935年に英語で発表された『ゲシュタルト心理学の原理』は網羅的なものであり、ゲシュタルト心理学が知覚の理論にとどまらないことを人々に広く知らしめた。ケーラーはユダヤ人ではなかったが、職場のベルリン大学への政府の介入を嫌い1935年に米国に亡命した。レヴィンは1933年は海外で講義を行うために旅行に出ており、日本からロシアへの旅の途中でナチス政権について聞き、ドイツに戻らず米国に亡命した<ref name=nagare56/>。
ゲシュタルト心理学はドイツや日本で大きな潮流となった<ref name=nagare57>『流れを読む 心理学史』、57頁</ref>。
米国ではドイツや日本ほどではなかった。というのは主要な用語や概念が英語という外国語ではうまく表現できず、曖昧なものと考えられたことなどが挙げられる<ref name=nagare57/>。結局ゲシュタルトやプレグナンツという用語も英語ではなくドイツ語のまま使用された<ref name=nagare57/>。だが、自身をゲシュタルト心理学者と呼ぶ者は少ないものの、ゲシュタルト心理学に接近した[[エドワード・トールマン]]がのちの[[認知心理学]]の成立に与えた影響や、グループ・ダイナミックスが社会心理学や[[行動科学]]の発展に果たした役割を考慮すると、むしろゲシュタルト心理学がアメリカの主流な心理学の流れを変えたのだと言ってもよさそうである<ref name=nagare57/>。
* [[フォン・エーレンフェルス]](Christian von Ehrenfels [[1859年]] - [[1932年]])
* [[クルト・ゴルトシュタイン]](Kurt Goldstein [[1878年]] - [[1965年]])
* [[マックス・ヴェルトハイマー]](Max Wertheimer [[1880年]] - [[1943年]]):『運動視の実験的研究』(1912)、『生産的思考』(1945)
* [[クルト・コフカ]](Kurt Koffka [[1886年]] - [[1941年]]):『発達心理学』(1921)
* [[ヴォルフガング・ケーラー]](Wolfgang Kohler [[1887年]] - [[1967年]]):図形残効、『類人猿の知恵試験』(1917)、『物理的ゲシュタルト』(1920)
* [[クルト・レヴィン]](Kurt Lewin [[1890年]] - [[1947年]]):[[集団力学|グループダイナミックス]]、感受性訓練、トポロジー心理学
* [[フリッツ・ハイダー]](Fritz Heider [[1896年]] - [[1988年]])
* [[ヴォルフガンク・メッツガー]](Wolfgang Metzger [[1899年]] - [[1979年]])
* [[ルドルフ・アルンハイム]](Rudolf Arnheim [[1904年]] - )
* [[ソロモン・アッシュ]](Solomon Asch [[1907年]] - [[1996年]])
* [[ガエタノ・カニッツァ]](Gaetano Kanizsa [[1913年]] - [[1993年]])
* [[中島祥好]](Yoshitaka NAKAJIMA Kyushu University [[1954年]] - )
== ゲシュタルト心理学の展開 ==
<!--
さらに、人間の意識が「[[林檎]]([[りんご]])」であるように見えると説明するときパターン認識している。といえる。
-->
ゲシュタルトの基本的な概念として、対象を全体として捉えるという事が言える。
例えば音楽は、個々の音を聞いた時よりも大きな効果を与える。図形もまた、中途半端な線や点であっても、丸や三角などそれを見た人間がパターンを補って理解する(逆に[[錯覚]]・誤解を引き起こす原因とも言える)。
ゲシュタルト心理学は被験者の人間が感じることを整理分類して、人間の感覚構造を研究した。そのため、図形による印象などの研究が中心であった。
== コンピュータ科学への応用 ==
近接や類同の原理が、ラジオボタンの配置等、コンピュータの[[ユーザインタフェース設計]]へ応用される。またコンピュータによる画像解析([[コンピュータビジョン]])にも応用されている。
== 出典 ==
<references/>
== 文献 ==
*{{Cite book|和書|author=サトウタツヤ・高砂美樹|year=2003|title=流れを読む心理学史-世界と日本の心理学|series=有斐閣アルマ|publisher=有斐閣|isbn=9784641121959}}
== 関連項目 ==
* [[ゲシュタルト療法]]
* [[ゲシュタルト崩壊]]
* [[体制化の法則]]
* [[集団力学]]
* [[ファイ現象]]
* [[ギャル文字]]
* [[アスキーアート]]
* [[錯視]]
== 外部リンク ==
* {{Spedia|Gestalt_principles|Gestalt principles|ゲシュタルトの法則}}
* {{Kotobank|2=世界大百科事典 第2版}}
* {{Kotobank|2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}}
* {{Kotobank|2=デジタル大辞泉}}
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1,335 | 深見じゅん | 深見 じゅん(ふかみ じゅん、2月19日 - )は、日本の漫画家。長崎県出身、福岡県育ち。血液型はA型。女性。夫は元漫画家の土山芳樹。
1971年、『週刊セブンティーン』に掲載の「17歳の裸婦像」でデビュー。初期は『セブンティーン』で活躍していたが、1980年代以降、レディースコミックに進出、人気作家となる。『BE・LOVE』(講談社)や『YOU』(集英社)で活躍。1991年、『悪女』で第15回講談社漫画賞一般部門を受賞。
代表作は「ぽっかぽか」、「悪女」。両作ともテレビドラマ化されている。 | [
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[[1971年]]、『[[Seventeen (日本の雑誌)|週刊セブンティーン]]』に掲載の「[[17歳の裸婦像]]」でデビュー。初期は『セブンティーン』で活躍していたが、[[1980年代]]以降、[[レディースコミック]]に進出、人気作家となる。『[[BE・LOVE]]』([[講談社]])や『[[YOU (雑誌)|YOU]]』([[集英社]])で活躍。[[1991年]]、『悪女』で第15回[[講談社漫画賞]]一般部門を受賞。
代表作は「[[ぽっかぽか]]」、「[[悪女 (漫画)|悪女]]」。両作ともテレビドラマ化されている。
== 主な作品 ==
* [[ぽっかぽか]] (1987年 - 2015年、[[YOU (雑誌)|YOU]]、[[集英社]])- 単行本全19+3巻、文庫版全15巻
* [[悪女 (漫画)|悪女]](1988年 - 1997年、[[BE・LOVE]]、[[講談社]]) - 単行本全37巻、文庫版全19巻
* 夢魔
* おんなの彩
* 彼岸恋
* 恋愛小説
* むぅぶ(1997年 - 2000年、BE・LOVE) - 単行本全11巻
* 5秒前(2001年 - 2003年、BE・LOVE) - 単行本全11巻
* 東京ぬりえきせかえ(2003年 - 2005年、BE・LOVE) - 単行本全6巻
* くるみ(2005年 - 2009年、BE・LOVE) - 単行本全17巻
* みみっく(2009年 - 2012年、BE・LOVE)- 単行本全12巻
* まゆごもり 深見じゅん短編集(2013年2月13日発売)ISBN 978-4-06-380378-5
** セイレーン・ゲーム
** 黒魔術
** 白魔術
** ぴんく
* SUPER G(2013年<!-- 8号 --> - 2014年<!--2015年1号(2014年12月15日発売) -->、BE・LOVE)- 単行本全7巻
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[[Category:日本の漫画家]]
[[Category:長崎県出身の人物]]
[[Category:存命人物]] | null | 2022-03-26T18:27:57Z | false | false | false | [
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