id
int64
5
471k
title
stringlengths
1
74
text
stringlengths
0
233k
paragraphs
list
abstract
stringlengths
1
4.6k
wikitext
stringlengths
22
486k
date_created
stringlengths
20
20
date_modified
stringlengths
20
20
is_disambiguation_page
bool
2 classes
is_sexual_page
bool
2 classes
is_violent_page
bool
2 classes
templates
sequence
url
stringlengths
31
561
2,957
日本代表
日本代表(にほんだいひょう、にっぽんだいひょう)とは、日本を代表して国際会議や世界的な大会に参加する個人もしくは団体。団体を指す場合には「日本代表団」とも呼ばれる。また、スポーツの選手個人を指す場合は「代表選手」とも呼ぶ。 かつては競技スポーツ全般において日本代表チームを「全日本」と呼ぶことが通例だったが、現在では一部競技を除き、この呼称は使われなくなってきた。また、外国のチームも含めて、以前は「ナショナルチーム」と呼ばれる場合も多かったが、現在では「代表チーム」と呼ぶことで落ち着いている。 これに対し現在の日本では、主要な競技スポーツにおけるほとんどの日本代表チームは、代表監督の苗字を頭につけて「**ジャパン」「xxJAPAN」のように呼ばれる。この呼び方は1980年代のラグビー日本代表から始まり、1990年代のサッカー日本代表に波及し、ほぼすべての団体球技に対して用いられている。 日本で開催された2006年バスケットボール世界選手権に出場したバスケットボール男子日本代表監督の名前は、ジェリコ・パブリセヴィッチ。長くて、「パブリセヴィッチジャパン」とは連呼しづらいため、代表チームは監督名で呼ばれないと思われていた。しかし、当時のメディアは監督のファーストネームを使って「ジェリコジャパン」と呼んでいた。2010年にトーマス・ウィスマンが同代表監督に就任した際は、トーマスの愛称「トム」を使って「トムジャパン」と呼んでいる。また、サッカーのアルベルト・ザッケローニ監督に関しても、2010年の就任当初から姓を略して愛称化した「ザックジャパン」と略されていた。 近年は、「**ジャパン」という呼び方に対する短所も明らかになっている。監督が交代すると呼び方も変わり、チーム作りのコンセプトも変わってしまうため、チーム作りにおいて前任者の思想・チーム戦術などが受け継がれないということがよく生じている。また、選手の個性や実力よりも監督の名前と注目度ばかりが先行してしまうことも生じてしまう。こうした側面から、2008年に開催された北京オリンピックでは男女バレーボールや男子サッカー、野球などの「**ジャパン」と呼ばれた競技がことごとく不振に終わっている。同年8月23日の日本経済新聞のコラムでは、「監督のカリスマ性や過剰な物語性よりも、選手の伸びやかなプレーに勝利の女神はほほ笑む。」と書いている。また、日刊スポーツのコラムでも前者の短所に触れて「継続性がない○○ジャパン」と書いている。 上記名称に対して、例外も幾つか存在する。 その他、マジック:ザ・ギャザリングなどのテーブルゲーム、国際数学オリンピック日本代表や、ミス・ユニバースなどの国際的なミスコンテスト日本代表などが挙げられる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "日本代表(にほんだいひょう、にっぽんだいひょう)とは、日本を代表して国際会議や世界的な大会に参加する個人もしくは団体。団体を指す場合には「日本代表団」とも呼ばれる。また、スポーツの選手個人を指す場合は「代表選手」とも呼ぶ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "かつては競技スポーツ全般において日本代表チームを「全日本」と呼ぶことが通例だったが、現在では一部競技を除き、この呼称は使われなくなってきた。また、外国のチームも含めて、以前は「ナショナルチーム」と呼ばれる場合も多かったが、現在では「代表チーム」と呼ぶことで落ち着いている。", "title": "スポーツにおける用例" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "これに対し現在の日本では、主要な競技スポーツにおけるほとんどの日本代表チームは、代表監督の苗字を頭につけて「**ジャパン」「xxJAPAN」のように呼ばれる。この呼び方は1980年代のラグビー日本代表から始まり、1990年代のサッカー日本代表に波及し、ほぼすべての団体球技に対して用いられている。", "title": "スポーツにおける用例" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "日本で開催された2006年バスケットボール世界選手権に出場したバスケットボール男子日本代表監督の名前は、ジェリコ・パブリセヴィッチ。長くて、「パブリセヴィッチジャパン」とは連呼しづらいため、代表チームは監督名で呼ばれないと思われていた。しかし、当時のメディアは監督のファーストネームを使って「ジェリコジャパン」と呼んでいた。2010年にトーマス・ウィスマンが同代表監督に就任した際は、トーマスの愛称「トム」を使って「トムジャパン」と呼んでいる。また、サッカーのアルベルト・ザッケローニ監督に関しても、2010年の就任当初から姓を略して愛称化した「ザックジャパン」と略されていた。", "title": "スポーツにおける用例" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "近年は、「**ジャパン」という呼び方に対する短所も明らかになっている。監督が交代すると呼び方も変わり、チーム作りのコンセプトも変わってしまうため、チーム作りにおいて前任者の思想・チーム戦術などが受け継がれないということがよく生じている。また、選手の個性や実力よりも監督の名前と注目度ばかりが先行してしまうことも生じてしまう。こうした側面から、2008年に開催された北京オリンピックでは男女バレーボールや男子サッカー、野球などの「**ジャパン」と呼ばれた競技がことごとく不振に終わっている。同年8月23日の日本経済新聞のコラムでは、「監督のカリスマ性や過剰な物語性よりも、選手の伸びやかなプレーに勝利の女神はほほ笑む。」と書いている。また、日刊スポーツのコラムでも前者の短所に触れて「継続性がない○○ジャパン」と書いている。", "title": "スポーツにおける用例" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "上記名称に対して、例外も幾つか存在する。", "title": "スポーツにおける用例" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "", "title": "スポーツにおける用例" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "その他、マジック:ザ・ギャザリングなどのテーブルゲーム、国際数学オリンピック日本代表や、ミス・ユニバースなどの国際的なミスコンテスト日本代表などが挙げられる。", "title": "スポーツにおける用例" } ]
日本代表(にほんだいひょう、にっぽんだいひょう)とは、日本を代表して国際会議や世界的な大会に参加する個人もしくは団体。団体を指す場合には「日本代表団」とも呼ばれる。また、スポーツの選手個人を指す場合は「代表選手」とも呼ぶ。
'''日本代表'''(にほんだいひょう、にっぽんだいひょう)とは、[[日本]]を[[代表]]して[[国際]][[会議]]や世界的な[[大会]]に参加する個人もしくは団体。団体を指す場合には「日本代表団」とも呼ばれる。また、スポーツの選手個人を指す場合は「代表選手」とも呼ぶ。 == スポーツにおける用例 == === 「全日本」「ナショナルチーム」「代表チーム」 === かつては競技スポーツ全般において日本代表チームを「'''[[全日本]]'''」と呼ぶことが通例だったが、現在では一部競技を除き、この呼称は使われなくなってきた。また、外国のチームも含めて、以前は「[[ナショナルチーム]]」と呼ばれる場合も多かったが、現在では「代表チーム」と呼ぶことで落ち着いている。 === 「監督名 + ジャパン」 === これに対し現在の日本では、主要な競技スポーツにおけるほとんどの日本代表チームは、代表[[監督]]の[[苗字]]を頭につけて「'''**[[ジャパン (曖昧さ回避)|ジャパン]]'''」「'''xxJAPAN'''」のように呼ばれる。この呼び方は[[1980年代]]の[[ラグビー日本代表]]から始まり、[[1990年代]]の[[サッカー日本代表]]に波及し、ほぼすべての団体球技に対して用いられている。 日本で開催された[[2006年バスケットボール世界選手権]]に出場した[[バスケットボール男子日本代表]]監督の名前は、[[ジェリコ・パブリセヴィッチ]]。長くて、「パブリセヴィッチジャパン」とは連呼しづらいため、代表チームは監督名で呼ばれないと思われていた。しかし、当時のメディアは監督のファーストネームを使って「ジェリコジャパン」と呼んでいた。[[2010年]]に[[トーマス・ウィスマン]]が同代表監督に就任した際は、トーマスの愛称「トム」を使って「トムジャパン」と呼んでいる。また、サッカーの[[アルベルト・ザッケローニ]]監督に関しても、[[2010年]]の就任当初から姓を略して愛称化した<ref group="注">本来は“アルベルト”を略すのが正しいのだが、[[アーノルド・シュワルツェネッガー]]が「アーニー」ではなく「シュワちゃん」と呼ばれているのと同じ手法。</ref>「ザックジャパン」と略されていた。 近年は、「**ジャパン」という呼び方に対する短所も明らかになっている。監督が交代すると呼び方も変わり、チーム作りのコンセプトも変わってしまうため、チーム作りにおいて前任者の思想・チーム戦術などが受け継がれないということがよく生じている。また、選手の個性や実力よりも監督の名前と注目度ばかりが先行してしまうことも生じてしまう。こうした側面から、[[2008年]]に開催された[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]では男女[[バレーボール]]や男子[[サッカー]]、[[野球]]などの「**ジャパン」と呼ばれた競技がことごとく不振に終わっている。同年[[8月23日]]の[[日本経済新聞]]のコラムでは、「監督のカリスマ性や過剰な物語性よりも、選手の伸びやかなプレーに勝利の女神はほほ笑む。」と書いている。また、[[日刊スポーツ]]のコラムでも前者の短所に触れて「継続性がない○○ジャパン」と書いている<ref>[http://beijing2008.nikkansports.com/column/ogishima/20080823.html 日刊スポーツ北京オリンピックコラム「OGGIの毎日がオリンピック」2008年8月23日付]</ref>。 上記名称に対して、例外も幾つか存在する。 === 愛称の具体例 === ==== 競技スポーツで現在使用されている愛称 ==== {|class="wikitable" !日本代表!!愛称名!!愛称名決定の経緯 |- |[[スキージャンプ]]日本代表||[[日の丸飛行隊]]||[[1972年札幌オリンピック]]での活躍を機にメディアが命名したもの。以来今日まで長きに渡り愛称として使用されており、'''日本代表チームの愛称の先駆け'''とも言える。 |- |[[アイスホッケー女子日本代表]]||スマイルジャパン||[[2013年]]に決定<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/03/02/kiji/K20130302005302450.html スポーツニッポン - アイホケ娘 愛称は「スマイルジャパン」 選手の希望通りに] スポーツニッポン 2013年3月2日閲覧</ref>。 |- |[[カーリング]]女子日本代表<br />([[チーム青森]])||クリスタル・ジャパン||[[2009年]]に決定。公式ではないが「''カーリング娘''」<ref>「[[モーニング娘。]]」や「[[カントリー娘。]]」をもじったもの。</ref>や「カー娘(かーむす)」と呼ばれることもあった。 |- |[[ボブスレー]]日本代表||DANGANジャパン<br />(ダンガンジャパン)||2013年に一般公募で決定<ref>[http://www.jblsf.jp/archives/747 ボブスレー日本代表チームの愛称を発表しました] 日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟ニュースリリース 2013年12月23日付</ref>。 |- |[[ラグビー女子日本代表]](15人制)||style="white-space:nowrap"|サクラフィフティーン||2013年に一般公募で決定<ref>[http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130618/oth13061817090003-n1.htm 女子代表の愛称は「サクラ」に] 産経新聞 2013年6月18日閲覧</ref>。 |- |[[7人制ラグビー女子日本代表]]||サクラセブンズ|| |- |[[ラグビー日本代表]](15人制)||BRAVE BLOSSOMS (ブレイブ・ブロッサムズ) |[[ラグビーワールドカップ2003|2003年のワールドカップ]]にて地元[[オーストラリア]]のメディアから命名され<ref>{{Cite web|和書|title=日本代表よ、勇ましくあれ! ~日本代表ニックネーム「BRAVE BLOSSOMS」の由来を辿る~ {{!}} BRAVE BLOSSOMS GAME2017|ラグビー日本代表|url=http://jpn2017.rugby-japan.jp/autumntestmatch/about/467/|website=jpn2017.rugby-japan.jp|accessdate=2021-11-04}}</ref>、日本国内での応援キャンペーンでも使われるようになった<ref>{{Cite web|和書|title=【JRFU公式】ラグビー日本代表応援サイト - WE ARE BRAVE BLOSSOMS|url=https://www.rugby-japan.jp/braveblossoms|website=www.rugby-japan.jp|accessdate=2021-11-04|language=ja|first=(公財)日本ラグビーフットボール協会-|last=JRFU}}</ref>。ほかに、単に「ジャパン」、あるいはその時のヘッドコーチ名を冠して「ジェイミージャパン」などと呼ぶ。 |- |[[7人制ラグビー男子日本代表]]||セブンズ・ジャパン|| |- |[[ラグビーリーグ日本代表]](13人制)||rowspan="2"|サムライズ|| |- |style="white-space:nowrap"|[[オーストラリアンフットボール]]日本代表(18人制)|| |- |[[サッカー日本女子代表]]||[[サッカー日本女子代表|なでしこジャパン]]||[[2004年アテネオリンピック]]のアジア予選を勝ち抜き、出場権を獲得したことで、[[日本サッカー協会]]が一般公募で決定。この名称がスポーツニュースなどで連呼されるようになり、[[女子サッカー]]への注目度が高まった。[[2011年]]には[[新語・流行語大賞]]年間大賞を受賞。 |- |[[U-20サッカー日本女子代表]]||[[ヤングなでしこ]]||[[2012 FIFA U-20女子ワールドカップ|2012年のU-20女子ワールドカップ]]出場の際に公式な愛称として使用することになった。一部メディアではそれ以前から使用されていた。 |- |[[フットサル日本女子代表]]||なでしこ5<br />(なでしこファイブ)||2012年に日本サッカー協会が発表。 |- |[[サッカー日本代表]](男子)||[[SAMURAI BLUE]]<br />(サムライブルー)||[[2006 FIFAワールドカップ|2006年のワールドカップ]]出場の際に使用された。当時は愛称ではなくいわゆるキャッチフレーズであったが、[[2010 FIFAワールドカップ|2010年のワールドカップ]]出場にあたり、正式な愛称として使用することになった。以前は、「岡田ジャパン」「ジーコジャパン」など監督名を冠して呼ぶ事が多かった。また過去には一部メディアで「''ブルース''」と呼ばれていた時期もあった。 |- |[[フットサル日本代表]]||SAMURAI5<br />(サムライファイブ)||2012年に日本サッカー協会が発表。 |- |ホームレスサッカー日本代表<br />(男子4人制[[ミニサッカー]])||野武士ジャパン||2008年に発足。「野武士ジャパン」発足以前も含めて、日本代表は[[ホームレス・ワールドカップ]]に3度出場している<ref>[http://www.k9project.jp/activities/20090823_nobu_ck9.pdf 日本フットサル振興会 - <野武士ジャパン>]</ref>。 |- |[[ホッケー女子日本代表]]||さくらJAPAN<br />(さくらジャパン)||2008年に開催された[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]の出場権獲得を機に、公募で決定。 |- |[[ホッケー男子日本代表]]||サムライJAPAN<br />(サムライジャパン)||2008年に開催された北京オリンピックの最終予選出場を機に、公募によって決定した。当初は平仮名の「さむらいJAPAN」表記だったが、後に「サムライJAPAN」に変更。 |- |[[野球日本代表]](男女共通)||[[侍ジャパン]]<br />(SAMURAI JAPAN)||[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|2009年のワールド・ベースボール・クラシック]](WBC)に出場する日本代表チームの監督就任記者会見で、[[加藤良三]]・[[日本野球機構]](NPB)コミッショナーと[[原辰徳]]・日本代表監督が発表。2008年3月に日本ホッケー協会が商標登録(区分はホッケー限定<ref>登録番号第5195556号、第5195564号「ホッケーの興行の企画・運営又は開催、ホッケーに関する電子出版物の提供、ホッケーに関する図書及び記録の供覧」など</ref>)していたホッケー男子日本代表の愛称「さむらい(サムライ)JAPAN」に酷似しており抗議を受けたが、加藤コミッショナーは「双方の代表チームが『SAMURAI JAPAN』として親しまれ、世界で活躍できるように応援をお願いしたい」と呼びかけた<ref>【WBC】“さむらい”マネしないで!男子ホッケー代表すでに命名(スポーツ報知)</ref>。 |- |[[ソフトボール]]日本代表||SOFT JAPAN<br />(ソフトジャパン)||[[2017年]]に決定<ref>[https://news.line.me/detail/linenews/1c201519f8cb ソフトボール、代表の愛称は"ソフトジャパン"に決定]</ref>。 |- |[[バレーボール]]女子日本代表||火の鳥NIPPON||2009年に公募で決定。[[手塚治虫]]の漫画「[[火の鳥 (漫画)|火の鳥]]」のキャラクターをロゴマークなどに使用している<ref>[https://www.jva.or.jp/hinotori_nippon/nickname.html 女子日本代表 愛称:火の鳥NIPPON]</ref>。 |- |バレーボール男子日本代表||龍神NIPPON||2009年に公募で決定。 |- |[[バスケットボール日本代表]]<br />(男女共通)||AKATSUKI JAPAN<br />(アカツキジャパン)||[[2015年]]までは[[2011年]]に公募によって決定した「ハヤブサジャパン」を使用していたが、「ハヤブサは女性向けではない」とする[[川淵三郎]]([[日本バスケットボール協会|JBA]]会長)の意向で[[2016年]]に5人制にちなむ「AKATSUKI FIVE(アカツキファイブ)」に変更<ref>{{Cite press release|和書| title = バスケットボール日本代表チーム 記者発表会のご報告 -新ニックネームは「AKATSUKI FIVE(アカツキ ファイブ)」に決定- | publisher = 日本バスケットボール協会 | date = 2016-4-11| url = http://www.japanbasketball.jp/japan/22240| accessdate = 2016-4-11}}</ref><ref>{{Cite news|title=バスケ日本代表 ニックネーム「ハヤブサ」→「アカツキ」に変更|newspaper=スポーツニッポン|date=2016-4-11|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/04/11/kiji/K20160411012385010.html|accessdate=2016-4-11}}</ref>。[[2022年]]、東京五輪で初採用された3人制の代表を含め「AKATSUKI JAPAN(アカツキジャパン)」に変更された<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD2881V0Y2A720C2000000/ バスケットボール日本代表の愛称「アカツキジャパン」]</ref>。 |- |[[車いすバスケットボール]]<br />男子日本代表||ハヤテジャパン||2012年に当時のヘッドコーチ・岩佐義明が命名<ref>[http://www.challengers.tv/seijun/2012/07/1543.html 挑戦者たち - 第1回 着々と進む本番への準備 〜世界ベスト4へ"ハヤテジャパン"〜(1/4)]</ref>。 |- |[[ハンドボール日本女子代表]]||おりひめJAPAN<br />(おりひめジャパン)||2013年に公募で決定<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20131122-1221795.html ハンド女子愛称は「おりひめジャパン」] 日刊スポーツ 2013年11月22日</ref>。2011年には当時の主将・[[藤井紫緒]]が命名した「''レインボージャパン''」が使用されていた<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/10/18/kiji/K20111018001840980.html 36年ぶり五輪へ 「レインボージャパン」3連勝!] スポーツニッポン2011年10月8日閲覧</ref>。 |- |[[ハンドボール日本男子代表]]||彗星JAPAN<br />(彗星ジャパン)||2018年に公募で決定<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/news/201806110000749.html ハンド男子代表愛称に彗星ジャパン!定着へ実績次第」] 日刊スポーツ 2018年6月11日</ref>。以前は「ムササビジャパン」と呼ばれていた。 |- |[[バドミントン]]日本代表||BIRD JAPAN<br />(バード・ジャパン)||[[2019年]]に決定<ref>[https://www.badspi.jp/201905082130/ 【日本代表情報】バドミントン日本代表の愛称が「BIRD JAPN(バード・ジャパン)」に決定!]</ref>。 |- |[[卓球日本代表]](男女共通)||卓球NIPPON||2013年に[[日本卓球協会]]が発表<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20130423-1116592.html 愛、佳純ら「卓球NIPPON」で打倒中国] 日刊スポーツ 2013年4月25日閲覧</ref>。 |- |陸上短距離女子<br />ナショナルリレーチーム||椿スプリンターズ||[[2014年]]に公募で決定<ref>[http://www.jaaf.or.jp/womanrelay_nationalteam 女子ナショナルリレーチームの愛称が決まりました!] 日本陸上競技連盟 2014年5月10日</ref>。 |- |陸上短距離男子<br />ナショナルリレーチーム||韋駄天スプリンターズ||2014年に公募で決定<ref>[http://www.jaaf.or.jp/manrelay_nationalteam/ 男子ナショナルリレーチームの愛称を発表しました!] 日本陸上競技連盟 2014年5月23日</ref>。 |- |[[新体操日本代表]]||フェアリー ジャパン POLA||[[2007年]]に[[ポーラ (企業)|ポーラ]]とスポンサー契約を結び、命名。 |- |[[アーティスティックスイミング]]<br />日本代表||マーメイドジャパン||2006年の[[FINAシンクロワールドカップ|シンクロワールドカップ]]・2007年の[[世界水泳選手権]]を中継する[[テレビ朝日]]が、選手たちのイメージアップのためにつけたものである。当初はテレビ朝日の中継でしか用いられなかったが、[[エステティック]]・[[TBCグループ|TBC]]のCMでも用いられ浸透した。[[日本水泳連盟]]による正式な採用は2010年<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/flash/KFullFlash20100418076.html スポニチ2010年4月18日 - 人魚になるまで泳げ!シンクロ代表 愛称はマーメイドジャパン]</ref>。 |- |[[競泳日本代表]]||TOBIUO JAPAN<br />(トビウオジャパン)||[[2009年]]に決定。「フジヤマのトビウオ」と称された[[古橋廣之進]]に由来。 |- |[[飛込競技|飛び込み]]日本代表||翼JAPAN<br />(翼ジャパン)|| |- |[[水球]]日本代表(男女共通)||ポセイドンジャパン||2011年に決定。ギリシャ神話の海の神[[ポセイドン]]に由来。 |- |[[ボート競技|ボート]]日本代表||Crew Japan<br />(クルー・ジャパン)|| |- |[[セーリング]]日本代表||日の丸セーラーズ||[[2015年]]に公募で決定<ref>[https://www.jsaf.or.jp/campaign/concours/result.html 「セーリング日本代表チーム」愛称 入選作発表]</ref>。 |- |[[サーフィン]]日本代表||NAMINORI JAPAN<br />(波乗りジャパン)||[[2016年]]に公募で決定<ref>[https://www.nsa-surf.org/news/20160805_2/ 日本代表愛称発表「NAMINORI JAPAN」 - 日本サーフィン連盟]</ref>。 |- |[[ボクシング]]男子日本代表||阿修羅JAPAN<br />(阿修羅ジャパン)||[[2020年]]に決定。東京五輪ウェルター級代表の[[岡澤セオン]]が命名。 |- |ボクシング女子日本代表||Blue Rose JAPAN<br />(ブルーローズ・ジャパン)||2020年に決定。五輪初出場を決めた日本の女子ボクサーをかつて幻の存在とされた[[青いバラ]]に例えたもの。フライ級代表の[[並木月海]]とフェザー級代表の[[入江聖奈]]が命名<ref>[https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2020/03/20/kiji/20200320s00021000328000c.html ボクシング日本代表愛称は「阿修羅JAPAN」「Blue rose JAPAN」に決定 選手が名付け親]</ref>。 |- |[[空手]]日本代表||雷神ジャパン||2015年に決定。日本神話の建御雷神([[タケミカヅチ]])からとったもので、稲妻の閃光が空手の突きや蹴りのスピード感に通じるほか、英語の「ライジング」の意味もかけている<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASH6X6JXYH6XUTQP034.html 空手代表、愛称は「雷神ジャパン」]</ref>。 |- |[[セパタクロー]]男子日本代表||猿飛JAPAN||2018年に公募で決定。空中の格闘技と称されることから<ref>[http://jstaf.jp/topics/media/2018/post-9.html 男女日本代表チーム:愛称決定のお知らせ]</ref>。 |- |セパタクロー女子日本代表||MIYABI JAPAN||2018年に公募で決定。 |- |[[アルティメット]]日本代表||疾風JAPAN<br />(はやてジャパン)||2013年に公募で決定<ref>[https://japanultimate.jp/web/images/dlfile/PR20130515.pdf 「第9回ワールドゲームズ2013」アルティメット日本代表(疾風(はやて)JAPAN)選手決定のお知らせ]</ref>。 |- |[[ボッチャ]]日本代表||火ノ玉JAPAN(火ノ玉ジャパン)||2016年に決定<ref>[http://www.japan-boccia.net/release20160820.pdf ボッチャ日本代表チーム「火ノ玉 JAPAN 」と命名 - 日本ボッチャ協会][PDF]</ref>。 |- |[[ゴールボール]]日本代表||オリオンJAPAN||2021年に公募で決定。コートで輝く3人の選手を[[オリオン座の三つ星]]に例えたもの<ref>[https://jgba.or.jp/representative/orionjapan/ ゴールボール日本代表愛称「オリオンJAPAN」]</ref>。 |} ==== 競技スポーツでかつて使われていた愛称 ==== {| class="wikitable" !日本代表!!愛称名!!愛称名決定の経緯 |- |[[野球日本女子代表]]||マドンナジャパン||[[第3回IBAF女子ワールドカップ|2008年の女子ワールドカップ]]出場に当たり、開催地である[[松山市]]に因んで命名された(小説『[[坊つちやん#登場人物|坊つちやん]]』)。現在は男女ともに侍JAPANを使用しているが、完全な愛称の統一には至っておらず「マドンナジャパン」の愛称も並行して使われている。かつては[[大塚製薬]]とのスポンサー契約の下、「''チーム・エネルゲン''」を名乗っていた。 |- |大学野球日本代表||若武者ジャパン||[[2010年]]に採用。現在はすべての世代で侍JAPANを使用している。 |- |[[柔道日本代表]]||[[ゴジラ]]ジャパン||全日本柔道連盟が開発した試合の映像分析システムの通称が「ゴジラ」だった縁から、商標を保有する[[東宝]]からの提案で2019年に決定<ref>[http://www.judo.or.jp/p/48133 【お知らせ】柔道日本代表とゴジラがコラボレーション!「ゴジラジャパン」発表会見(3.19) - 全日本柔道連盟]</ref>。東宝との契約を更新せず2019年限りの愛称となった<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2019091901228&g=spo 「ゴジラジャパン」今年限り=柔道日本代表]</ref>。 |} {{節stub}} ==== 競技スポーツ以外で現在使用されている愛称 ==== {| class="wikitable" !日本代表!!愛称名!!愛称名決定の経緯 |- |[[囲碁]] || 知恵の和ジャパン || [[2010年]]に公募で決定。 |} その他、[[マジック:ザ・ギャザリング]]などの[[テーブルゲーム]]、[[国際数学オリンピック]]日本代表や、[[ミス・ユニバース]]などの国際的な[[ミスコンテスト]]日本代表などが挙げられる。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == *[[ナショナルチーム]] *[[オリンピックの日本選手団]] *[[パラリンピックの日本選手団|パラリンピック日本選手団]] *[[アジア競技大会日本選手団]] {{日本関連の項目}} {{スポーツの日本代表チーム}} [[Category:スポーツの日本代表チーム|*]]
2003-02-26T15:34:56Z
2023-11-23T05:42:42Z
false
false
false
[ "Template:日本関連の項目", "Template:スポーツの日本代表チーム", "Template:節stub", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Cite press release", "Template:Cite news" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BB%A3%E8%A1%A8
2,958
GNUコンパイラコレクション
GNU Compiler Collection(グヌーコンパイラコレクション)は、GNUのコンパイラ群である。略称は「GCC(ジーシーシー)」。GNUツールチェーンの中核コンポーネント。 最新標準パッケージには C、C++、Objective-C、Objective-C++、Fortran、Ada、Go、Dのコンパイラ並びにこれらのライブラリが含まれている。 バージョン7以前では、Javaもサポートされていた。 当初はCコンパイラとして開発し、GCCは GNU C Compiler を意味していた。しかし、もともと多言語を想定して設計しており、 GNU C Compiler と呼ばれていたときでも多くの言語に対応していた。現在でも GNU C Compiler の意味で「GCC」と呼ぶことも多い。ちなみに GNU C Compiler の実行ファイルの名称もgccである。なお、GNU C++コンパイラをG++、GNU JavaコンパイラをGCJ、GNU AdaコンパイラをGNATと呼ぶ。 CコンパイラとしてのGCCは、ANSI規格 (ANSI X3.159-1989) にほぼ適合するC言語コンパイラ処理系であった。登場当初の時点では、オペレーティングシステム (OS) 標準に付属するCコンパイラがANSI規格に適合していない部分が多いものがあった。そのため、GCCはANSI規格を広める役割を果たした。GCC自身はK&Rの範囲内のC言語で記述していたので、OS付属のコンパイラでコンパイルできた。ただし、GNU拡張という独自の仕様もあり、GCCでコンパイルできるものがANSI適合コンパイラでコンパイルできるとは限らない。 1985年、当時マサチューセッツ工科大学 (MIT) の研究者であったリチャード・ストールマンによって、既成のコンパイラを拡張する形で開発が始められた。当初コンパイラはPastel(英語版)というPascalの方言によって書かれていた。その後ストールマンとLeonard H. Tower, Jr.によってC言語で書き直され、GNUプロジェクトの一つとして1987年に公開された。さらに2012年にはLawrence CrowlとDiego NovilloによってC++で書き直された。 EGCS (エッグズ、Experimental/Enhanced GNU Compiler System) は、1997年に当時開発中のGCC 2.8をベースとしてCygnus社のEGCS Steering Committee(後のGCC Steering Committee)により開発された拡張版GCCである。1999年4月、GCCと再統合されてEGCSがGCCの公式バージョンとなり、GCCの開発主力はGCC Steering Committeeに委ねられた。また、この時点でGCCはGNU Compiler Collectionの意味となった。統合後初めてリリースされたバージョンは、1999年7月のGCC 2.95である。 GCCは通常のコンパイラと同様にフロントエンド部、最適化部、バックエンド部から構成される。 フロントエンド部は字句解析、構文解析などを行い、対応言語ごとに用意されている。たとえばC++フロントエンド、Javaフロントエンドなどがある。 バックエンド部のコード生成部(コードジェネレータ)、および最適化部(オプティマイザ)は全言語で共通である。したがってGCCの対応の言語同士の間では、生成コードの質や対応するCPUの種類は原理的に同じになる。なお、フロントエンドおよびバックエンドの間でやりとりされる中間形式としてレジスタ転送言語(英語版) (RTL) が使用される。 CコンパイラとしてのGCCの開発のために開発された構文解析部生成系bisonやフリーな字句解析部生成系flexといったプログラムを使用してGNU Cコンパイラその他の各種フロントエンドは構築されている。これらは単独のフリーソフトウェアとしても有用なものである。 GCCはバージョン4から中間形式が2つ追加された。まず、各言語は通常フロントエンド言語の木構造を保持した共通中間形式のGENERICに変換されその後GIMPLEという中間形式で木の最適化SSAをおこなってからRTLの最適化がおこなわれる。また、CやC++のコンパイル時にフロントエンドの構文解析、字句解析においてbisonやflexを使用しなくなった。 GCCはそれ自身が有用なフリーソフトウェアだが、OSやDOSエクステンダ(DJGPP、EMXなど)を構築するための基盤ツールとしても非常に有用であり、商用・非商用を問わず多くの環境で標準的なCコンパイラとして採用されている。特にLinuxやFreeBSDなど、フリーソフトウェアとしてのOSは、もしGCCが存在しなかったならば大きく違ったものになっていたであろうと言われている。実際Linuxの生みの親であるリーナス・トーバルズはGCCをGNUプロジェクトの中で最も重要なものとして挙げている。 また、多くの組み込みOS や、ゲームの開発環境でもGCCを採用している場合も多い。これは、クロス開発を容易なものとするGCCの広範なプロセッサへの対応が評価されていることによる。 その一方で、現状では生成コードの最適化において、特定のプロセッサへの最適化を図る商用コンパイラに水をあけられているのが実情である。特に科学技術演算で多用されるベクトル演算機構への対応や、特定のベンチマークなどでは顕著であった。これは多様な環境に対応することを第一とし、個別のプロセッサ向けの最適化を追求してこなかったことも大きな要因であったが、最近ではこれを改善するための試みも始められている。(最適化を参照) GCCを巡っては、GNU General Public License(特にバージョン3)との関係が問題視される場合がある。実際「GPLフリー」を目指して、OS(あるいはプラットフォーム)の標準コンパイラをGCCから別のものに切り替える動きも有り、一例としてFreeBSDでは、2012年に標準コンパイラをGCCからClang/LLVMに切り替えた。 GNU C コンパイラの特徴のひとつは、前述のようにANSIあるいはISO等の標準への準拠である。もうひとつの特徴は独自の拡張機能である。このような拡張を「GCC拡張機能」とよぶ。GCC拡張機能は数多いが、多引数マクロ、基本型としての複素数型、式の演算結果としての左辺値、初期化式の拡張、Cでのインライン関数定義、ネストした関数定義、ラベルに対する&演算子の適用などがある。 このような拡張は、C99における標準Cの拡張として逆に取り込まれたものも多い。 言語機能の拡張のほかに、標準外機能としてasm文によるインラインアセンブラの機能はユニークである。ただし、GCCにおいてはこのインラインアセンブラ機能を利用して記述したコードに対しても最適化が行われる(プログラマが意図してアセンブリ言語を用いて書いたとしても、その通りのコードが出力されない可能性がある)点に注意が必要である。 その他、研究論文の発表における実装例のベースとして、あるいは実験的機能実装のベースとしてGCC (G++)が使われることも多い。そのような拡張の最近の例としては、スタックバッファオーバーフローに関する脆弱性の回避のためのGCC拡張ProPoliceなどがある。 GCCは高度な最適化を行うが、CPUベンダやRISCワークステーションメーカが提供するコンパイラと比べると見劣りする場合もある。マルチアーキテクチャゆえに、機種依存しない最適化が中心となるため、特定の CPU に特化した専用コンパイラと比べてやや不利な立場といえる。 2005年4月にリリースされたGCC4.0はループ最適化の改善や自動ベクトル化など最適化機構が大幅に見直されている反面、GCC3.x で書かれたコードがコンパイルエラーになることがあり、互換性において若干の問題点がある。GCC4.2ではバグ修正、最適化の改善に加え、新機能としてC、C++、FortranでOpenMPに対応し、さらにGCC4.3ではループの自動並列化によるマルチスレッド処理が可能となるなど、マルチプロセッサ環境では大幅にアプリケーションの性能を引き上げることが可能になった。ただし、マルチスレッドやベクトルプロセッサを使用しないことを前提としたシングルスレッドアプリケーションにおける最適化においては3.x系よりも一部のプログラムにおいて劣る場合もある。 2010年4月にリリースされたGCC4.5ではリンク時最適化が導入され、複数のオブジェクトファイルにまたがるプログラムに対してより効果的に最適化ができるようになった。なおリンク時最適化とは単にリンク時に行う最適化を意味し、プロシージャ間最適化(英語版)やプログラム全体最適化を改善する上で求められるようになった。 1990年頃のGCC1.xや2.xは、特にMC680x0系に対して商用コンパイラを凌駕する最適化品質を誇っていたとされる。ただし、これは同時代の68k系商用コンパイラとの相対的な比較・評価であり絶対的な指標によるものではない。 また1990年代後半のPGCCはインテル Pentium専用の最適化を行うGCC(正確にはegcs)の派生であり、通常版と比べてPentium CPU上でより効率良く動作するコードを生成する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "GNU Compiler Collection(グヌーコンパイラコレクション)は、GNUのコンパイラ群である。略称は「GCC(ジーシーシー)」。GNUツールチェーンの中核コンポーネント。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "最新標準パッケージには C、C++、Objective-C、Objective-C++、Fortran、Ada、Go、Dのコンパイラ並びにこれらのライブラリが含まれている。 バージョン7以前では、Javaもサポートされていた。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "当初はCコンパイラとして開発し、GCCは GNU C Compiler を意味していた。しかし、もともと多言語を想定して設計しており、 GNU C Compiler と呼ばれていたときでも多くの言語に対応していた。現在でも GNU C Compiler の意味で「GCC」と呼ぶことも多い。ちなみに GNU C Compiler の実行ファイルの名称もgccである。なお、GNU C++コンパイラをG++、GNU JavaコンパイラをGCJ、GNU AdaコンパイラをGNATと呼ぶ。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "CコンパイラとしてのGCCは、ANSI規格 (ANSI X3.159-1989) にほぼ適合するC言語コンパイラ処理系であった。登場当初の時点では、オペレーティングシステム (OS) 標準に付属するCコンパイラがANSI規格に適合していない部分が多いものがあった。そのため、GCCはANSI規格を広める役割を果たした。GCC自身はK&Rの範囲内のC言語で記述していたので、OS付属のコンパイラでコンパイルできた。ただし、GNU拡張という独自の仕様もあり、GCCでコンパイルできるものがANSI適合コンパイラでコンパイルできるとは限らない。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1985年、当時マサチューセッツ工科大学 (MIT) の研究者であったリチャード・ストールマンによって、既成のコンパイラを拡張する形で開発が始められた。当初コンパイラはPastel(英語版)というPascalの方言によって書かれていた。その後ストールマンとLeonard H. Tower, Jr.によってC言語で書き直され、GNUプロジェクトの一つとして1987年に公開された。さらに2012年にはLawrence CrowlとDiego NovilloによってC++で書き直された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "EGCS (エッグズ、Experimental/Enhanced GNU Compiler System) は、1997年に当時開発中のGCC 2.8をベースとしてCygnus社のEGCS Steering Committee(後のGCC Steering Committee)により開発された拡張版GCCである。1999年4月、GCCと再統合されてEGCSがGCCの公式バージョンとなり、GCCの開発主力はGCC Steering Committeeに委ねられた。また、この時点でGCCはGNU Compiler Collectionの意味となった。統合後初めてリリースされたバージョンは、1999年7月のGCC 2.95である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "GCCは通常のコンパイラと同様にフロントエンド部、最適化部、バックエンド部から構成される。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "フロントエンド部は字句解析、構文解析などを行い、対応言語ごとに用意されている。たとえばC++フロントエンド、Javaフロントエンドなどがある。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "バックエンド部のコード生成部(コードジェネレータ)、および最適化部(オプティマイザ)は全言語で共通である。したがってGCCの対応の言語同士の間では、生成コードの質や対応するCPUの種類は原理的に同じになる。なお、フロントエンドおよびバックエンドの間でやりとりされる中間形式としてレジスタ転送言語(英語版) (RTL) が使用される。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "CコンパイラとしてのGCCの開発のために開発された構文解析部生成系bisonやフリーな字句解析部生成系flexといったプログラムを使用してGNU Cコンパイラその他の各種フロントエンドは構築されている。これらは単独のフリーソフトウェアとしても有用なものである。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "GCCはバージョン4から中間形式が2つ追加された。まず、各言語は通常フロントエンド言語の木構造を保持した共通中間形式のGENERICに変換されその後GIMPLEという中間形式で木の最適化SSAをおこなってからRTLの最適化がおこなわれる。また、CやC++のコンパイル時にフロントエンドの構文解析、字句解析においてbisonやflexを使用しなくなった。", "title": "構成" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "GCCはそれ自身が有用なフリーソフトウェアだが、OSやDOSエクステンダ(DJGPP、EMXなど)を構築するための基盤ツールとしても非常に有用であり、商用・非商用を問わず多くの環境で標準的なCコンパイラとして採用されている。特にLinuxやFreeBSDなど、フリーソフトウェアとしてのOSは、もしGCCが存在しなかったならば大きく違ったものになっていたであろうと言われている。実際Linuxの生みの親であるリーナス・トーバルズはGCCをGNUプロジェクトの中で最も重要なものとして挙げている。", "title": "影響と評価" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "また、多くの組み込みOS や、ゲームの開発環境でもGCCを採用している場合も多い。これは、クロス開発を容易なものとするGCCの広範なプロセッサへの対応が評価されていることによる。", "title": "影響と評価" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "その一方で、現状では生成コードの最適化において、特定のプロセッサへの最適化を図る商用コンパイラに水をあけられているのが実情である。特に科学技術演算で多用されるベクトル演算機構への対応や、特定のベンチマークなどでは顕著であった。これは多様な環境に対応することを第一とし、個別のプロセッサ向けの最適化を追求してこなかったことも大きな要因であったが、最近ではこれを改善するための試みも始められている。(最適化を参照)", "title": "影響と評価" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "GCCを巡っては、GNU General Public License(特にバージョン3)との関係が問題視される場合がある。実際「GPLフリー」を目指して、OS(あるいはプラットフォーム)の標準コンパイラをGCCから別のものに切り替える動きも有り、一例としてFreeBSDでは、2012年に標準コンパイラをGCCからClang/LLVMに切り替えた。", "title": "影響と評価" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "GNU C コンパイラの特徴のひとつは、前述のようにANSIあるいはISO等の標準への準拠である。もうひとつの特徴は独自の拡張機能である。このような拡張を「GCC拡張機能」とよぶ。GCC拡張機能は数多いが、多引数マクロ、基本型としての複素数型、式の演算結果としての左辺値、初期化式の拡張、Cでのインライン関数定義、ネストした関数定義、ラベルに対する&演算子の適用などがある。", "title": "GNU Cコンパイラ拡張" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "このような拡張は、C99における標準Cの拡張として逆に取り込まれたものも多い。", "title": "GNU Cコンパイラ拡張" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "言語機能の拡張のほかに、標準外機能としてasm文によるインラインアセンブラの機能はユニークである。ただし、GCCにおいてはこのインラインアセンブラ機能を利用して記述したコードに対しても最適化が行われる(プログラマが意図してアセンブリ言語を用いて書いたとしても、その通りのコードが出力されない可能性がある)点に注意が必要である。", "title": "GNU Cコンパイラ拡張" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "その他、研究論文の発表における実装例のベースとして、あるいは実験的機能実装のベースとしてGCC (G++)が使われることも多い。そのような拡張の最近の例としては、スタックバッファオーバーフローに関する脆弱性の回避のためのGCC拡張ProPoliceなどがある。", "title": "GNU Cコンパイラ拡張" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "GCCは高度な最適化を行うが、CPUベンダやRISCワークステーションメーカが提供するコンパイラと比べると見劣りする場合もある。マルチアーキテクチャゆえに、機種依存しない最適化が中心となるため、特定の CPU に特化した専用コンパイラと比べてやや不利な立場といえる。", "title": "最適化" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "2005年4月にリリースされたGCC4.0はループ最適化の改善や自動ベクトル化など最適化機構が大幅に見直されている反面、GCC3.x で書かれたコードがコンパイルエラーになることがあり、互換性において若干の問題点がある。GCC4.2ではバグ修正、最適化の改善に加え、新機能としてC、C++、FortranでOpenMPに対応し、さらにGCC4.3ではループの自動並列化によるマルチスレッド処理が可能となるなど、マルチプロセッサ環境では大幅にアプリケーションの性能を引き上げることが可能になった。ただし、マルチスレッドやベクトルプロセッサを使用しないことを前提としたシングルスレッドアプリケーションにおける最適化においては3.x系よりも一部のプログラムにおいて劣る場合もある。", "title": "最適化" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2010年4月にリリースされたGCC4.5ではリンク時最適化が導入され、複数のオブジェクトファイルにまたがるプログラムに対してより効果的に最適化ができるようになった。なおリンク時最適化とは単にリンク時に行う最適化を意味し、プロシージャ間最適化(英語版)やプログラム全体最適化を改善する上で求められるようになった。", "title": "最適化" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1990年頃のGCC1.xや2.xは、特にMC680x0系に対して商用コンパイラを凌駕する最適化品質を誇っていたとされる。ただし、これは同時代の68k系商用コンパイラとの相対的な比較・評価であり絶対的な指標によるものではない。", "title": "最適化" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "また1990年代後半のPGCCはインテル Pentium専用の最適化を行うGCC(正確にはegcs)の派生であり、通常版と比べてPentium CPU上でより効率良く動作するコードを生成する。", "title": "最適化" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "", "title": "サポートするアーキテクチャ" } ]
GNU Compiler Collection(グヌーコンパイラコレクション)は、GNUのコンパイラ群である。略称は「GCC(ジーシーシー)」。GNUツールチェーンの中核コンポーネント。
{{Infobox Software | 名称 = GNU Compiler Collection | ロゴ = [[ファイル:GNU Compiler Collection logo.svg|100px]] | スクリーンショット = [[ファイル:GCC 11.1.0 compiling Chicken screenshot.png|300px]] | 説明文 = | 開発元 = [[Free Software Foundation]] | latest release version = 12.1 <!-- sync this with [[GFortran]] --> | latest release date = {{Start date and age|2022|05|06|df=yes/no}} <!-- sync this with [[GFortran]] --> | frequently_updated = yes <!-- バージョンを更新するときはこのページを編集せず、番号部分をクリックしてその先のテンプレートで番号と日付を更新して下さい --> | 対応OS = 多くの[[Unix系]][[オペレーティングシステム|OS]]、[[Microsoft Windows|Windows]](一部) | 対応プラットフォーム = [[クロスプラットフォーム]] | 種別 = [[コンパイラ]] | ライセンス = [[GNU General Public License|GPL]] | 公式サイト = {{ConditionalURL}} }} '''GNU Compiler Collection'''(グヌーコンパイラコレクション)は、[[GNU]]の[[コンパイラ]]群である。略称は「'''GCC'''(ジーシーシー)」。[[GNUツールチェーン]]の中核コンポーネント。 == 概説 == 最新標準パッケージには [[C言語|C]]、[[C++]]、[[Objective-C]]、[[Objective-C++]]、[[Fortran]]、[[Ada]]、[[Go (プログラミング言語)|Go]]、[[D言語|D]]のコンパイラ並びにこれらの[[ライブラリ]]が含まれている。<ref>{{Cite web|url=https://gcc.gnu.org/onlinedocs/gcc-9.3.0/gcc/G_002b_002b-and-GCC.html|title=Using the GNU Compiler Collection (GCC): G++ and GCC(Version 9.3)|accessdate=2020-03-18|publisher=}}</ref> バージョン7以前では、[[Java]]もサポートされていた。<ref>{{Cite web|url=https://gcc.gnu.org/onlinedocs/gcc-6.5.0/gcc/G_002b_002b-and-GCC.html|title=Using the GNU Compiler Collection (GCC): G++ and GCC(Version 6.5)|accessdate=2020-03-18|publisher=}}</ref> 当初はC[[コンパイラ]]として開発し、GCCは '''[[GNU C Compiler]]''' を意味していた。しかし、もともと[[多言語]]を想定して設計しており、 GNU C Compiler と呼ばれていたときでも多くの言語に対応していた。現在でも GNU C Compiler の意味で「GCC」と呼ぶことも多い。ちなみに GNU C Compiler の実行ファイルの名称も<code>'''gcc'''</code>である。なお、GNU C++コンパイラを'''G++'''、GNU Javaコンパイラを'''[[GNU Compiler for Java|GCJ]]'''、GNU Adaコンパイラを'''[[GNAT]]'''と呼ぶ。 CコンパイラとしてのGCCは、[[ANSI|ANSI規格]] (ANSI X3.159-1989) にほぼ適合するC言語コンパイラ[[処理系]]であった。登場当初の時点では、[[オペレーティングシステム]] (OS) 標準に付属するCコンパイラがANSI規格に適合していない部分が多いものがあった。そのため、GCCはANSI規格を広める役割を果たした。GCC自身は[[K&R]]の範囲内のC言語で記述していたので、[[オペレーティングシステム|OS]]付属のコンパイラでコンパイルできた。ただし、GNU拡張という独自の仕様もあり、GCCでコンパイルできるものがANSI適合コンパイラでコンパイルできるとは限らない。 == 歴史 == 1985年、当時[[マサチューセッツ工科大学]] (MIT) の研究者であった[[リチャード・ストールマン]]によって、既成のコンパイラを拡張する形で開発が始められた。当初コンパイラは{{仮リンク|Pastel|en|Pastel (programming language)}}という[[Pascal]]の方言によって書かれていた。その後ストールマンとLeonard H. Tower, Jr.によってC言語で書き直され、[[GNUプロジェクト]]の一つとして1987年に公開された。さらに2012年にはLawrence CrowlとDiego NovilloによってC++で書き直された。 === EGCS === [[EGCS]] (エッグズ<ref>[https://gcc.gnu.org/news/announcement.html The initial egcs project announcement - GNU Project - Free Software Foundation (FSF)]</ref>、Experimental/Enhanced GNU Compiler System) は、1997年に当時開発中のGCC 2.8をベースとしてCygnus社の[[EGCS Steering Committee]](後のGCC Steering Committee)により開発された拡張版GCCである。1999年4月、GCCと再統合されてEGCSがGCCの公式バージョンとなり、GCCの開発主力はGCC Steering Committeeに委ねられた。また、この時点でGCCはGNU Compiler Collectionの意味となった<ref>[https://gcc.gnu.org/wiki/History History - GCC Wiki]</ref>。統合後初めてリリースされたバージョンは、1999年7月のGCC 2.95である。 {| class="wikitable" |+GCCの主なバージョン<ref>{{Cite web |title=GCC Releases - GNU Project |url=https://gcc.gnu.org/releases.html |website=gcc.gnu.org |access-date=2022-06-18}}</ref> !style="white-space:nowrap" | 日付 !style="white-space:nowrap" | バージョン !内容 |- |style="white-space:nowrap" | 1999年7月31日 |2.95 |1999年4月のGCC/EGCS再統合以来のGCCの最初のリリースであり、ほぼ1年分の新しい開発とバグ修正が含まれている。 |- |2001年6月18日 |3.0 | |- |2002年5月15日 |3.1 |ほとんどのELFプラットフォームの既定のデバッグ形式がDWARF2に。 |- |2002年8月14日 |3.2 | |- |2003年5月13日 |3.3 | |- |2004年4月18日 |3.4 |GCCの実装がK&RからC89に変更。新しいプロシージャ間最適化を実装。 |- |2005年4月20日 |4.0.0 |tree ssaブランチをマージ。既存のRTL表現よりも高レベルの中間表現に基づく完全に新しい最適化フレームワークを採用。 |- |2007年5月13日 |4.2.0 |OpenMP 2.5サポート |- |2008年3月5日 |4.3.0 |Intel Core 2とAMD Geodeプロセッサのサポートを強化 |- |2009年4月21日 |4.4.0 |大量の新機能を含んだメジャーリリースバージョン。Graphiteブランチが統合され、新しいループ最適化のフレームワークを採用。 |- |2010年4月14日 |4.5.0 |C++0xの実験的サポート (ラムダ式、型変換演算子、raw string)。新しいリンク時最適化(LTO)のフレームワークを採用。 |- |2011年3月25日 |4.6.0 |Intel Sandy Bridgeプロセッサに対応 (AVX拡張命令セットも対応) |- |2012年3月22日 |4.7.0 |プロシージャ間最適化(IPO)の改善 |- |2013年3月22日 |4.8.0 |GCCの実装がCからC++98に変更された。アドレスサニタイザ、スレッドサニタイザが追加。新しいローカルレジスタアロケータ(LRA)が実装。DWARF4が既定のデバッグ形式に。 |- |2014年4月22日 |4.9.0 |C++14の機能追加、OpenMP 4.0対応。未定義動作サニタイザが追加。リンク時最適化の改善。 |- |2015年4月22日 |5.1 |CのデフォルトがC11のGNU拡張に。未定義動作サニタイザの新しいオプション。ポインタ境界チェッカー。 |- |2016年4月27日 |6.1 |C++14がデフォルトに。OpenMP 4.5をフルサポート。配列境界チェッカー。 |- |2017年5月2日 |7.1 |C++17の実験的サポート。アドレスサニタイザの新しいオプション。 |- |2018年5月2日 |8.1 |C17をサポート。エラーメッセージを改善。 |- |2019年5月3日 |9.1 | |- |2020年5月7日 |10.1 |C++14とC++17の間のABIの非互換性が修正。 |- |2021年4月27日 |11.1 |GCCの実装がC++11に変更された。C++17がデフォルトに。DWARF5が既定のデバッグ形式に。 |- |2021年5月14日 |8.5 | |- |2021年6月1日 |9.4 | |- |2021年6月28日 |11.2 | |- |2022年4月21日 |11.3 | |- |2022年5月6日 |12.1 |シャドーコールスタックサニタイザがAArch64に追加。 |- |2022年5月9日 |9.5 | |- |2022年6月28日 |10.4 | |- |2022年8月19日 |12.2 | |- |2023年4月26日 |13.1 | |- |2023年5月8日 |12.3 |AMD Zen 4プロセッサーのサポート。(-march=znver4) |} == 構成 == GCCは通常のコンパイラと同様に[[フロントエンド]]部、最適化部、[[バックエンド]]部から構成される。 フロントエンド部は[[字句解析]]、[[構文解析]]などを行い、対応言語ごとに用意されている。たとえばC++フロントエンド、Javaフロントエンドなどがある。 バックエンド部の[[コード生成]]部(コードジェネレータ)、および[[コンパイラ最適化|最適化]]部(オプティマイザ)は全言語で共通である。したがってGCCの対応の言語同士の間では、生成コードの質や対応するCPUの種類は原理的に同じになる。なお、フロントエンドおよびバックエンドの間でやりとりされる中間形式として{{仮リンク|レジスタ転送言語|en|Register Transfer Language}} (RTL) が使用される。 CコンパイラとしてのGCCの開発のために開発された構文解析部生成系[[bison]]やフリーな字句解析部生成系[[Lex|flex]]といったプログラムを使用してGNU Cコンパイラその他の各種フロントエンドは構築されている。これらは単独のフリーソフトウェアとしても有用なものである。 GCCはバージョン4から中間形式が2つ追加された。まず、各言語は通常フロントエンド言語の[[木構造 (データ構造)|木構造]]を保持した共通中間形式の[[GENERIC]]に変換されその後[[GIMPLE]]という中間形式で木の最適化[[静的単一代入|SSA]]をおこなってからRTLの最適化がおこなわれる。また、CやC++のコンパイル時にフロントエンドの構文解析、字句解析においてbisonやflexを使用しなくなった。 == 影響と評価 == {{独自研究|section=1|date=2018-8}} === 貢献 === GCCはそれ自身が有用な[[フリーソフトウェア]]だが、OSや[[DOSエクステンダ]]([[DJGPP]]、[[EMX]]など)を構築するための基盤ツールとしても非常に有用であり、商用・非商用を問わず多くの環境で標準的なCコンパイラとして採用されている。特に[[Linux]]や[[FreeBSD]]など、フリーソフトウェアとしてのOSは、もしGCCが存在しなかったならば大きく違ったものになっていたであろうと言われている。実際Linuxの生みの親である[[リーナス・トーバルズ]]はGCCをGNUプロジェクトの中で最も重要なものとして挙げている<ref>[https://www.oreilly.co.jp/BOOK/osp/OpenSource_Web_Version/chapter08/chapter08.html Linuxの強味]</ref>。 また、多くの[[組み込みオペレーティングシステム|組み込みOS]] や、ゲームの開発環境でもGCCを採用している場合も多い。これは、クロス開発を容易なものとするGCCの広範なプロセッサへの対応が評価されていることによる。 その一方で、現状では生成コードの最適化において、特定のプロセッサへの最適化を図る商用コンパイラに水をあけられているのが実情である。特に科学技術演算で多用されるベクトル演算機構への対応や、特定のベンチマークなどでは顕著であった。これは多様な環境に対応することを第一とし、個別のプロセッサ向けの最適化を追求してこなかったことも大きな要因であったが、最近ではこれを改善するための試みも始められている。(最適化を参照) <!---コード品質とは何を指し示しているのか? Intel プロセッサの環境であっても、寧ろ多くの既存のコードがそのまま通ることを評価され、標準採用されているケースも多い。単に最適化のみでコンパイラを評価すべきでない。http://opentechpress.jp/enterprise/03/06/05/0031222.shtml また、多くの大規模なソフトウェアでは、極度な最適化はコード生成に問題が出ることも多い。そもそも GCC の貢献という項目に最適化に関する記述を入れることも疑問なので、本来は最後の記述は移動するか削除したい---> === 批判 === {{節スタブ}} GCCを巡っては、[[GNU General Public License]](特にバージョン3)との関係が問題視される場合がある。実際「GPLフリー」を目指して、OS(あるいはプラットフォーム)の標準コンパイラをGCCから別のものに切り替える動きも有り、一例として[[FreeBSD]]では、[[2012年]]に標準コンパイラをGCCから[[Clang]]/[[LLVM]]に切り替えた<ref>[https://www.techrepublic.com/blog/australian-technology/freebsd-takes-another-step-toward-gpl-escape/ FreeBSD takes another step toward GPL escape] - TechRepublic・2012年11月7日</ref>。 == GNU Cコンパイラ拡張 == GNU C コンパイラの特徴のひとつは、前述のようにANSIあるいはISO等の標準への準拠である。もうひとつの特徴は独自の拡張機能である。このような拡張を「GCC拡張機能」とよぶ。GCC拡張機能は数多いが、多引数[[マクロ (コンピュータ用語)|マクロ]]、基本型としての[[複素数]]型、式の演算結果としての左辺値、初期化式の拡張、Cでのインライン関数定義、[[ネスティング|ネスト]]した関数定義、ラベルに対する&[[演算子]]の適用などがある。 このような拡張は、[[C99]]における標準Cの拡張として逆に取り込まれたものも多い。 言語機能の拡張のほかに、標準外機能としてasm文による[[インラインアセンブラ]]の機能はユニークである。ただし、GCCにおいてはこのインラインアセンブラ機能を利用して記述したコードに対しても最適化が行われる(プログラマが意図して[[アセンブリ言語]]を用いて書いたとしても、その通りのコードが出力されない可能性がある)点に注意が必要である。 その他、研究論文の発表における実装例のベースとして、あるいは実験的機能実装のベースとしてGCC (G++)が使われることも多い。そのような拡張の最近の例としては、[[バッファオーバーラン|スタックバッファオーバーフロー]]に関する脆弱性の回避のためのGCC拡張ProPoliceなどがある。[http://www.trl.ibm.com/projects/security/ssp/] == 最適化 == GCCは高度な最適化を行うが、CPUベンダやRISCワークステーションメーカが提供するコンパイラと比べると見劣りする場合もある。マルチアーキテクチャゆえに、機種依存しない最適化が中心となるため、特定の CPU に特化した専用コンパイラと比べてやや不利な立場といえる。 2005年4月にリリースされたGCC4.0は[[ループ (プログラミング)|ループ]]最適化の改善や自動[[ベクトル化]]など最適化機構が大幅に見直されている反面、GCC3.x で書かれたコードがコンパイルエラーになることがあり、[[互換性]]において若干の問題点がある。GCC4.2ではバグ修正、最適化の改善に加え、新機能として[[C言語|C]]、[[C++]]、[[Fortran]]で[[OpenMP]]に対応し、さらにGCC4.3ではループの自動[[並列化]]による[[マルチスレッド]]処理が可能となるなど、マルチプロセッサ環境では大幅にアプリケーションの性能を引き上げることが可能になった。ただし、マルチスレッドやベクトルプロセッサを使用しないことを前提としたシングルスレッドアプリケーションにおける最適化においては3.x系よりも一部のプログラムにおいて劣る場合もある。 2010年4月にリリースされたGCC4.5ではリンク時最適化が導入され、複数のオブジェクトファイルにまたがるプログラムに対してより効果的に最適化ができるようになった。なおリンク時最適化とは単にリンク時に行う最適化を意味し、{{仮リンク|プロシージャ間最適化|en|Interprocedural optimization}}やプログラム全体最適化を改善する上で求められるようになった<ref>{{Cite web |title=Honza Hubička's Blog: Linktime optimization in GCC, part 1 - brief history |url=http://hubicka.blogspot.com/2014/04/linktime-optimization-in-gcc-1-brief.html |website=Honza Hubička's Blog |date=2014-04-21 |access-date=2022-06-19 |first=Honza |last=Hubička}}</ref>。 1990年頃のGCC1.xや2.xは、特にMC680x0系に対して商用コンパイラを凌駕する最適化品質を誇っていたとされる<ref>{{Cite book|和書|title=Oh!X 1990-01|publisher=日本ソフトバンク|chapter=特集2 Cプログラミング応用編}}</ref>。ただし、これは同時代の68k系商用コンパイラとの相対的な比較・評価であり絶対的な指標によるものではない。 また1990年代後半の[[PGCC]]は[[インテル]] [[Pentium]]専用の最適化を行うGCC(正確にはegcs)の派生であり、通常版と比べてPentium CPU上でより効率良く動作するコードを生成する<ref>{{Cite web |title=PGCC: The Pentium Compiler {{!}} Using the GNU Compiler Collection {{!}} InformIT |url=https://www.informit.com/articles/article.aspx?p=130865&seqNum=9 |website=www.informit.com |access-date=2022-06-18}}</ref>。 == サポートするアーキテクチャ == {{Columns-list|colwidth=15em| * [[Intel 80386|i386]] * [[x64|x86-64]] * [[Itanium]] * [[SPARC]] * [[PA-RISC]] * [[PowerPC]] * [[ARMアーキテクチャ|ARM]] * [[Blackfin]] * [[H8]] * [[M32R]] * [[MIPSアーキテクチャ|MIPS]] * [[680x0]] * [[SuperH]] * [[NEC Vシリーズ|V850]] * [[VAX]] * [[PDP]] * [[M16C]]/[[M32C]] * [[Atmel AVR]] * その他 }} <!-- 空編集 --> == 脚注 == {{reflist}} == 関連項目 == {{Portal|FLOSS|[[ファイル:FLOSS logo.svg|41px]]}} {{columns-list|2| * [[Cygwin]] * [[GFortran]] * [[LLVM]] * [[MinGW]] * [[Clang]] }} == 外部リンク == {{Commons|Category:GNU Compiler Collection}} * {{official website|name=GCC, the GNU Compiler Collection - GNU Project - Free Software Foundation (FSF)}} 公式ウェブサイト {{en icon}} * [https://cpplover.blogspot.com/2013/08/openbsd.html 本の虫: OpenBSDのコンパイラー] GCC 2.5からEGCSまでの記載もある {{GNU}} {{FOSS}} {{CProLang}} {{C++}} {{Normdaten}} [[Category:オープンソースソフトウェア]] [[Category:コンパイラ]] [[Category:GNUプロジェクト]] [[Category:1987年のソフトウェア]]
2003-02-26T15:37:21Z
2023-12-22T07:00:41Z
false
false
false
[ "Template:独自研究", "Template:Portal", "Template:En icon", "Template:Normdaten", "Template:仮リンク", "Template:Columns-list", "Template:Cite book", "Template:Infobox Software", "Template:節スタブ", "Template:Reflist", "Template:GNU", "Template:Cite web", "Template:Commons", "Template:Official website", "Template:FOSS", "Template:CProLang", "Template:C " ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/GNU%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
2,961
Bomis
Bomis, Inc.(ボミス・インク)は、1996年設立のインターネット企業であり、主要事業は検索エンジンポータル「bomis.com」(2010年頃閉鎖)での広告販売であった。フリー百科事典プロジェクトNupediaおよびウィキペディアに資金援助をおこなった。2006年以来、ティム・シェルがCEO(最高経営責任者)を務めていた。 Bomis.comでは人気のあるサーチ対象のウェブリングを作成・提供している。ウェブリングのカテゴリーは2005年現在おおまかに「かわいこちゃん」「エンターテインメント」「スポーツ」「ポルノ」「その他」および「サイエンス・フィクション」にカテゴリー分けされている。「ポルノ」「かわいこちゃん」「エンターテインメント」のカテゴリーは最も更新頻度が高く、人気も高い。加えて、Bomis社はOpen Directory Projectのサーチ・ディレクトリをコピーしたものを提供している。検索に関連するページでは広告掲載およびアフィリエイトから収益を得ている。 またBomisは2005年まで「Bomisプレミアム」("Bomis Premium", premium.bomis.com)というウェブサイトを運営していた。これは顧客に対して上質のポルノ・コンテンツを提供するものだった。 2005年半ばまで、Bomisは"Bomis Babe Report"(Bomisのかわいこちゃん通信)という無料のブログを公開しており、これは著名人、モデル、大人向けエンターテインメント業界のニュースや論評を伝えるものであった。この"Bomis Babe Report"は「Bomisプレミアム」へ多くのリンクをはり、Bomisに新しく加わったモデルの情報を逐一伝えていた。またBomisはnekkid.infoという、エロチックな写真のフリー・レポジトリを運営しており、さらに「高精度かわいこちゃん検索エンジン」を謳う「The Babe Engine」を運営していた。これはグラマラスな写真からポルノグラフィーまで多様な写真をインデックスしたものだった。 こうしたポルノグラフィー関連と検索に加えて、Bomisは客観主義(英語版ウィキペディア"Objectivism"を参照)およびその他のリバタリアニズム的政治思想を支持するウェブサイトをホスティングしていた。この中には書籍や引用のデータベース「Freedom's Nest」、そして今や消滅した大規模な客観主義コミュニティー「We the Living」も含まれている。 BomisはNupediaを開始し、Nupediaに従事させるために雇ったラリー・サンガーからウィキペディアのアイディアを得た。Bomisはこれらのプロジェクトにウェブスペースと帯域を提供し、これらのプロジェクトとはかかわるがドメイン名などオープンソースやオープンコンテントで無い部分を所有した。しかし、2003年6月20日、これらの所有権をウィキメディア財団に移譲する計画だと発表した。 Bomis.comは2010年頃に閲覧不能となった。 2012年12月、「Bomisに何が起こったか?」("What Happened to Bomis?")という質問がQuoraに寄せられ、Bomisの創業者であるジミー・ウェールズが2013年1月に以下のように回答した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Bomis, Inc.(ボミス・インク)は、1996年設立のインターネット企業であり、主要事業は検索エンジンポータル「bomis.com」(2010年頃閉鎖)での広告販売であった。フリー百科事典プロジェクトNupediaおよびウィキペディアに資金援助をおこなった。2006年以来、ティム・シェルがCEO(最高経営責任者)を務めていた。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "Bomis.comでは人気のあるサーチ対象のウェブリングを作成・提供している。ウェブリングのカテゴリーは2005年現在おおまかに「かわいこちゃん」「エンターテインメント」「スポーツ」「ポルノ」「その他」および「サイエンス・フィクション」にカテゴリー分けされている。「ポルノ」「かわいこちゃん」「エンターテインメント」のカテゴリーは最も更新頻度が高く、人気も高い。加えて、Bomis社はOpen Directory Projectのサーチ・ディレクトリをコピーしたものを提供している。検索に関連するページでは広告掲載およびアフィリエイトから収益を得ている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "またBomisは2005年まで「Bomisプレミアム」(\"Bomis Premium\", premium.bomis.com)というウェブサイトを運営していた。これは顧客に対して上質のポルノ・コンテンツを提供するものだった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2005年半ばまで、Bomisは\"Bomis Babe Report\"(Bomisのかわいこちゃん通信)という無料のブログを公開しており、これは著名人、モデル、大人向けエンターテインメント業界のニュースや論評を伝えるものであった。この\"Bomis Babe Report\"は「Bomisプレミアム」へ多くのリンクをはり、Bomisに新しく加わったモデルの情報を逐一伝えていた。またBomisはnekkid.infoという、エロチックな写真のフリー・レポジトリを運営しており、さらに「高精度かわいこちゃん検索エンジン」を謳う「The Babe Engine」を運営していた。これはグラマラスな写真からポルノグラフィーまで多様な写真をインデックスしたものだった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "こうしたポルノグラフィー関連と検索に加えて、Bomisは客観主義(英語版ウィキペディア\"Objectivism\"を参照)およびその他のリバタリアニズム的政治思想を支持するウェブサイトをホスティングしていた。この中には書籍や引用のデータベース「Freedom's Nest」、そして今や消滅した大規模な客観主義コミュニティー「We the Living」も含まれている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "BomisはNupediaを開始し、Nupediaに従事させるために雇ったラリー・サンガーからウィキペディアのアイディアを得た。Bomisはこれらのプロジェクトにウェブスペースと帯域を提供し、これらのプロジェクトとはかかわるがドメイン名などオープンソースやオープンコンテントで無い部分を所有した。しかし、2003年6月20日、これらの所有権をウィキメディア財団に移譲する計画だと発表した。", "title": "Nupediaおよびウィキペディアとの関わり" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "Bomis.comは2010年頃に閲覧不能となった。", "title": "その後" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2012年12月、「Bomisに何が起こったか?」(\"What Happened to Bomis?\")という質問がQuoraに寄せられ、Bomisの創業者であるジミー・ウェールズが2013年1月に以下のように回答した。", "title": "その後" } ]
Bomis, Inc.(ボミス・インク)は、1996年設立のインターネット企業であり、主要事業は検索エンジンポータル「bomis.com」(2010年頃閉鎖)での広告販売であった。フリー百科事典プロジェクトNupediaおよびウィキペディアに資金援助をおこなった。2006年以来、ティム・シェルがCEO(最高経営責任者)を務めていた。
{{更新|date=2018年5月}} {{基礎情報 会社 |社名= Bomis, Inc. |英文社名= |ロゴ= |種類= [[企業|私企業]] |市場情報= |略称= |国籍={{USA}} |郵便番号= |本社所在地= [[フロリダ州]][[セント・ピーターズバーグ]] |設立= [[1996年]] |業種= サービス業 |事業内容= ウェブサイトのホスティング、広告販売、各種ポータルの運営 |代表者= |資本金= |売上高= |総資産= |従業員数= 10 |決算期= |主要株主= |主要子会社= |関係する人物= [[ジミー・ウェールズ]]<br />[[ティム・シェル]]<br />マイケル・デイヴィス |外部リンク= {{Wayback|url=http://www.bomis.com|title=http://www.bomis.com|date=20100224110713}} |特記事項= 2010年頃に公式サイト閉鎖 }} [[ファイル:Silvia_Saint_001.jpg|thumb|250px|BomisのTシャツを着た[[シルヴィア・セイント]]]] '''Bomis, Inc.'''(ボミス・インク)は、1996年設立のインターネット企業であり、主要事業は検索エンジンポータル「bomis.com」(2010年頃閉鎖<ref group="注釈" name="closed">[[インターネット・アーカイブ]]に残っているbomis.comのアーカイブは[https://web.archive.org/web/20100224110713/http://www.bomis.com/ 2010年2月24日付]が最後となっている。同じ[[Uniform Resource Locator|URL]]で次に記録が残っているのは[https://web.archive.org/web/20130815153925/http://www.bomis.com/ 2013年8月15日付のアーカイブ]だが、表示されるのはbomis.comのページではなく、[[:en:PetaBox|PetaBox]]という[[レンタルサーバ]]会社のウェルカムメッセージである。</ref>)での広告販売であった。フリー百科事典プロジェクト[[Nupedia]]および[[ウィキペディア]]に資金援助をおこなった。2006年以来、[[ティム・シェル]]がCEO(最高経営責任者)を務めていた。 == 概要 == Bomis.comでは人気のあるサーチ対象の[[ウェブリング]]を作成・提供している。ウェブリングのカテゴリーは2005年現在おおまかに「かわいこちゃん」「エンターテインメント」「スポーツ」「ポルノ」「その他」および「サイエンス・フィクション」にカテゴリー分けされている<ref>{{cite web | title=Bomis What's New | url=http://www.bomis.com/whatsnew/ | deadlinkdate=2018年5月 | archiveurl=https://web.archive.org/web/20100118074657/http://www.bomis.com/whatsnew/ | archivedate=2010-01-18 | accessdate=2018-05-24 }} </ref>。「ポルノ」「かわいこちゃん」「エンターテインメント」のカテゴリーは最も更新頻度が高く、人気も高い。加えて、Bomis社は[[Open Directory Project]]のサーチ・ディレクトリをコピーしたものを提供している。検索に関連するページでは広告掲載およびアフィリエイトから収益を得ている。 またBomisは2005年まで「Bomisプレミアム」("Bomis Premium", premium.bomis.com)というウェブサイトを運営していた。これは顧客に対して上質のポルノ・コンテンツを提供するものだった。 2005年半ばまで、Bomisは"Bomis Babe Report"(Bomisのかわいこちゃん通信)という無料のブログを公開しており、これは著名人、モデル、大人向けエンターテインメント業界のニュースや論評を伝えるものであった。この"Bomis Babe Report"は「Bomisプレミアム」へ多くのリンクをはり、Bomisに新しく加わったモデルの情報を逐一伝えていた。またBomisはnekkid.infoという、エロチックな写真のフリー・レポジトリを運営しており<ref>[http://www.whois.sc/nekkid.info ドメイン名の登録情報] および [https://web.archive.org/web/*/www.nekkid.info/ アーカイブされたページ] を参照。</ref>、さらに「高精度かわいこちゃん検索エンジン」を謳う「The Babe Engine」を運営していた。これはグラマラスな写真からポルノグラフィーまで多様な写真をインデックスしたものだった<ref group="注釈">このサイトはBomis.comで宣伝されていた。2006年3月現在、premium.bomis.comと同じIPアドレスを用いており、[[ネームサーバ]]としてbomis.comを使用している。</ref>。 こうしたポルノグラフィー関連と検索に加えて、Bomisは[[客観主義]]([[:en:Objectivism (Ayn Rand)|英語版ウィキペディア"Objectivism"]]を参照)およびその他の[[リバタリアニズム]]的政治思想を支持するウェブサイトをホスティングしていた。この中には書籍や引用のデータベース「Freedom's Nest」<ref>{{cite web|title=Freedom's Nest website|url=http://www.freedomsnest.com|accessdate=2006-3-16}}</ref>、そして今や消滅した大規模な客観主義コミュニティー「We the Living」も含まれている。 == Nupediaおよびウィキペディアとの関わり == Bomisは[[Nupedia]]を開始し、Nupediaに従事させるために雇った[[ラリー・サンガー]]から[[ウィキペディア]]のアイディアを得た。Bomisはこれらのプロジェクトにウェブスペースと帯域を提供し、これらのプロジェクトとはかかわるがドメイン名などオープンソースやオープンコンテントで無い部分を所有した。しかし、[[2003年]][[6月20日]]、これらの所有権を[[ウィキメディア財団]]に移譲する計画だと発表した<ref>{{cite web|url=http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikipedia-l/2003-June/010743.html|title=Wikipedia-l - Announcing Wikimedia Foundation|accessdate=2008-10-16}}</ref>。 {{See also|ジミー・ウェールズ#ウィキペディア創設時の役割}} == その後 == Bomis.comは2010年頃に閲覧不能となった<ref group="注釈" name="closed" />。 2012年12月、「Bomisに何が起こったか?」({{en|"What Happened to Bomis?"}})という質問が[[Quora]]に寄せられ<ref name="quora">{{Cite web|url=https://www.quora.com/Jimmy-Wales-What-happened-to-Bomis|title=Jimmy Wales: What happened to Bomis?|website=[[Quora]]|date=2013-01-04|accessdate=2018-07-28}}</ref>、Bomisの創業者である[[ジミー・ウェールズ]]が2013年1月に以下のように回答した。 *閉鎖する以前からBomisは更新停止となっていた<ref name="quora" /> *アクセス数は更新停止後に頭打ちとなり、やがて減少へ転じ、ある時期からは大幅に低下した<ref name="quora" /> *このため更新せずに公開し続ける価値がなくなったと判断し、閉鎖するに至った<ref name="quora" /> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === <references /> == 外部リンク == {{Commons|Bomis|Bomis}} * [http://www.bomis.com/ Official Bomis website]{{リンク切れ|date=2013年5月3日 (金) 09:00 (UTC)}} **[http://babes.bomis.com/ The Bomis Babe Report]{{リンク切れ|date=2013年5月3日 (金) 09:00 (UTC)}} (explicit content) **[http://premium.bomis.com/ Bomis Premium Website]{{リンク切れ|date=2013年5月3日 (金) 09:00 (UTC)}} (explicit content; subscription-based site) * [http://www.bomis.com/about/slogans.html List of Bomis slogans]{{リンク切れ|date=2013年5月3日 (金) 09:00 (UTC)}} * [https://lists.wikimedia.org/pipermail/wikipedia-l/2001-October/000657.html Jimmy Wales on Wikipedia-L about Bomis] {{ウィキペディア}} {{DEFAULTSORT:ほみす}} [[Category:アメリカ合衆国のインターネット企業]] [[Category:ウィキペディア]]
2003-02-26T21:43:57Z
2023-11-01T23:49:22Z
false
false
false
[ "Template:更新", "Template:基礎情報 会社", "Template:See also", "Template:En", "Template:Cite web", "Template:Commons", "Template:リンク切れ", "Template:ウィキペディア" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/Bomis
2,962
Moving Picture Experts Group
Moving Picture Experts Group(ムービング・ピクチャー・エクスパーツ・グループ、動画専門家集団)あるいはMPEG(エムペグ)は、ビデオとオーディオに対して符号を付与する基準の開発責任を負ったISO/IECのワーキンググループで1988年1月に設立し、その最初の会議はオタワ(カナダ)で1988年5月に開催された。2005年の終わりの時点で、MPEGは、様々な産業、大学および研究機関から約350人のメンバーが参加している。MPEGの公式名称はISO/IEC JTC 1/SC 29/WG 11である。「Motion 〜」などとも呼ばれる。 グループの略称をMPEGといい、またはそこがつくった動画等の標準規格の名称としてMPEGが使われるようになった。標準規格の名称がMPEGであり、略称ではない。音声圧縮方式のMP3やファイルフォーマットのMP4はMPEGが規格化した方式である。MPEG-2システムはH.222.0、MPEG-2ビデオはH.262、MPEG-4 Part 10 AVCはH.264と同じ内容であるように、MPEGとITU-Tは共同で規格化作業を行うことがある。 MPEGは以下のような圧縮フォーマットおよび付随的な基準を標準化した。ヒトの視覚は目に入る左上頂点から認識する特性があることから、それを原理的に取り入れ、各種な圧縮展開方策が取られている。 ※表中のMP-xはMPEGーxの省略です。 ※CD、BD、HD DVDは標準的な片面1層の容量で、読込速度も1倍速再生で倍速は含まない。また、各メディアに複数の規格があるが、一般的な物とする。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Moving Picture Experts Group(ムービング・ピクチャー・エクスパーツ・グループ、動画専門家集団)あるいはMPEG(エムペグ)は、ビデオとオーディオに対して符号を付与する基準の開発責任を負ったISO/IECのワーキンググループで1988年1月に設立し、その最初の会議はオタワ(カナダ)で1988年5月に開催された。2005年の終わりの時点で、MPEGは、様々な産業、大学および研究機関から約350人のメンバーが参加している。MPEGの公式名称はISO/IEC JTC 1/SC 29/WG 11である。「Motion 〜」などとも呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "グループの略称をMPEGといい、またはそこがつくった動画等の標準規格の名称としてMPEGが使われるようになった。標準規格の名称がMPEGであり、略称ではない。音声圧縮方式のMP3やファイルフォーマットのMP4はMPEGが規格化した方式である。MPEG-2システムはH.222.0、MPEG-2ビデオはH.262、MPEG-4 Part 10 AVCはH.264と同じ内容であるように、MPEGとITU-Tは共同で規格化作業を行うことがある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "MPEGは以下のような圧縮フォーマットおよび付随的な基準を標準化した。ヒトの視覚は目に入る左上頂点から認識する特性があることから、それを原理的に取り入れ、各種な圧縮展開方策が取られている。", "title": "主なMPEG規格" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "※表中のMP-xはMPEGーxの省略です。", "title": "主なMPEG規格" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "※CD、BD、HD DVDは標準的な片面1層の容量で、読込速度も1倍速再生で倍速は含まない。また、各メディアに複数の規格があるが、一般的な物とする。", "title": "主なMPEG規格" } ]
Moving Picture Experts Group(ムービング・ピクチャー・エクスパーツ・グループ、動画専門家集団)あるいはMPEG(エムペグ)は、ビデオとオーディオに対して符号を付与する基準の開発責任を負ったISO/IECのワーキンググループで1988年1月に設立し、その最初の会議はオタワ(カナダ)で1988年5月に開催された。2005年の終わりの時点で、MPEGは、様々な産業、大学および研究機関から約350人のメンバーが参加している。MPEGの公式名称はISO/IEC JTC 1/SC 29/WG 11である。「Motion 〜」などとも呼ばれる。 グループの略称をMPEGといい、またはそこがつくった動画等の標準規格の名称としてMPEGが使われるようになった。標準規格の名称がMPEGであり、略称ではない。音声圧縮方式のMP3やファイルフォーマットのMP4はMPEGが規格化した方式である。MPEG-2システムはH.222.0、MPEG-2ビデオはH.262、MPEG-4 Part 10 AVCはH.264と同じ内容であるように、MPEGとITU-Tは共同で規格化作業を行うことがある。
[[ファイル:Mpeg logo.svg|サムネイル|MPEGのロゴ]] '''Moving Picture Experts Group'''(ムービング・ピクチャー・エクスパーツ・グループ、動画専門家集団)あるいは'''MPEG'''(エムペグ)は、ビデオとオーディオに対して符号を付与する基準の開発責任を負った[[国際標準化機構|ISO]]/[[国際電気標準会議|IEC]]のワーキンググループで1988年1月に設立し、その最初の会議は[[オタワ]]([[カナダ]])で[[1988年]]5月に開催された。[[2005年]]の終わりの時点で、MPEGは、様々な産業、大学および研究機関から約350人のメンバーが参加している。MPEGの公式名称は[[ISO/IEC JTC 1/SC 29]]/WG 11である。「'''Motion 〜'''」などとも呼ばれる。 グループの略称を'''MPEG'''といい、またはそこがつくった動画等の標準規格の名称としてMPEGが使われるようになった。標準規格の名称が'''MPEG'''であり、略称ではない。[[音声圧縮]]方式の[[MP3]]や[[ファイルフォーマット]]の[[MP4]]はMPEGが規格化した方式である。[[MPEG-2システム]]はH.222.0、[[MPEG-2|MPEG-2ビデオ]]はH.262、[[MPEG-4]] Part 10 AVCは[[H.264]]と同じ内容であるように、MPEGと[[ITU-T]]は共同で規格化作業を行うことがある。 == 主なMPEG規格 == MPEGは以下のような圧縮フォーマットおよび付随的な基準を標準化した。ヒトの視覚は目に入る左上頂点から認識する特性があることから、それを原理的に取り入れ、各種な圧縮展開方策が取られている。 * [[MPEG-1]] - 最初のビデオ・オーディオ[[圧縮]]基準。その後、[[ビデオCD]]用基準として使用。著名な[[MP3]](Layer 3)オーディオ圧縮フォーマットを含んでいる。 * [[MPEG-2]] - テレビジョン放送向けの伝送に使用するビデオおよびオーディオ基準。[[ATSC]]・[[デジタルビデオブロードキャスティング|DVB]]および[[ISDB]]といった放送されている[[デジタルテレビ放送]]の規格、[[ディッシュ・ネットワーク]]のようなデジタル[[衛星放送]]、デジタル[[ケーブルテレビ]]の信号に利用されている。そして少し修正されて[[DVD|DVDビデオディスク]]にも使用されている。 * [[MPEG-3]] - もともとは[[高精細度テレビジョン放送|HDTV]]用の規格として設計されたが、MPEG-2がHDTVに十分だったことが判明したためMPEG-2に吸収された。 * [[MPEG-4]] - MPEG-1を拡張して、3D・低[[ビットレート]]符号化およびデジタル権利管理をサポートするために規格化されたビデオ・オーディオ[[オブジェクト]]である。MPEG-2ビデオより新しく高い効率ビデオ規格が設定されており、プロファイルの単純化を進めて、ビデオ・コーディングの効率化を図った。 * [[MPEG-7]] - マルチメディア内容について記述するための形式上のシステム。 * [[MPEG-21]] - MPEGはこの将来の基準をマルチメディア・フレームワークと評している。 {| class="wikitable" |+ !規格 !MPEG-1 !MPEG-2 !MP3 !MPEG-3 !MPEG-4 !MPEG-7 !MPEG-21 |- |用途 |動画(映像や音声)の撮影や録音、及び再生。CD規格 |同左をDVD規格に最適化 |音楽、音声に特化した規格 |HDTV用規格で設計したが、MP-2で対応できたので、MP-2に吸収統合された。 |映像の音声、字幕、その他情報を個別に記録(オブジェクト化)し、一つのデータで多言語、年齢制限などへの対応 |MP-4の各データの構成を統一化し、読込時間の短縮化 |著作権やコンテツ保護を目的とした次世代規格 |- |データ内容 |映像+音声 |映像+音声 |音声 |映像+音声 |MP-1、-2の画質、音質の改良、オブジェクト化の追加。 |MP-4のオブジェクトの改良。※画質、音質の規定なし。 |MP-7以前の規格を21世紀の次世代規格。※画質、音質の規定なし。 |- |規格の根底 |CDに1時間程度の動画を保存 |標準デジタルテレビ放送(SDTV)の送信容量でDVDに最適化 |音楽、音声に特化し、他のMP-xの音源データ |高精度デジタルテレビ放送(HDTV)の送信容量 |映像の国際化(多言語、年齢別)と動画の高圧縮、権利保護 |MP-4以前のデータの記述方法を統一し、読込時間の短縮 |著作権やコンテンツの保護 |- |記録媒体容量 |CD:700MB (再生時間79分58秒) |DVD:4.7GB |MD:140MB |ー | colspan="3" |BD:25GB HD DVD:15GB ※USBメモリー、SSD、HDD、クラウドなどの容量は複数あり |- |ビットレート |最高1.15Mbit/s |MP-2標準3.5Mbit/s DVD 9.8Mbit/s |MD:1.2 Mbps MP3標準が対応している最高水準:320 kbit/s |ー | colspan="3" | {| class="wikitable" |+ !媒体 !画質 !描画速度 !ビットレートMbit/s |- |HDTV品質 | | |8~15 |- |HD DVD | | |29.4 |- |Blu-ray Disc |1080p | |40 |- | rowspan="7" |YouTube |240p |標準 |0.4 |- |360p |標準 |0.75 |- |480p |標準 |1.0 |- | rowspan="2" |720p |標準 |2.5 |- |60fps |3.8 |- | rowspan="2" |1080p |標準 |4.5 |- |60fps |6.8 |} |- |圧縮技術 |H.261 |H.262 | |ー |H.263 MP-4-10以降 H.264 |ー |ー |- |拡張子 |.dat, .mpg, .mpeg, .mp1, .mp2, .mp3, .m1v, .m1a, .m2a, .mpa, .mpv |.mpg .m2p .m2ps |<code>.mp3</code> <code>.bit</code>(1995年以前) |ー |.mp4 |.mp7 .mp47 |.mp21 |- |データの内容 |ラジオ、ライブ音の生中継 |ライブ等の生中継 | | |MP-2の元データを加工したもの。その他データ(音声、字幕、モザイク等)を別々に追記 | colspan="2" |動画編集をしているためパソコンやスマホ等 |- |互換性 | - |MP-1の上位互換 |MP-1、2の共通 | |MP-2の上位互換 | colspan="2" |MP-4の上位互換 |- |国際規格 |ISO/IEC 11172 |ISO/IEC 13818 |MPEG-1 Audio Layer IIIまたはMPEG-2 Audio Layer III | |ISO/IEC 14496 |ISO / IEC 15938 |ISO/IEC 21000 |- |制定年(初版) |1993年 |1995年 | | |1999年 |2002年 |2001年 |} ※表中のMP-xはMPEGーxの省略です。 ※CD、BD、HD DVDは標準的な片面1層の容量で、読込速度も1倍速再生で倍速は含まない。また、各メディアに複数の規格があるが、一般的な物とする。 == 関連項目 == * [[ISO/IEC JTC 1]] * {{仮リンク|MPEG LA|en|MPEG LA}} - MPEG開発及び特許権管理団体<ref>[http://www.mpegla.com/main/default.aspx MPEG LA - The Standard for Standards]</ref> * [[MP4]] * [[MS-MPEG4]] * [[H.264]] - H.264/AVC * [[安田浩]] * [[コーデック#音声圧縮のコーデック]] - オーディオコーデック * [[コーデック#動画圧縮のコーデック]] - ビデオコーデック * {{仮リンク|ビデオ品質|en|Video quality}} * [[データ圧縮]] * [[Pro-MPEG]] - プロ仕様のビデオ機器の標準規格 * [[ISAN]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Wayback |url=http://pioneer.jp/crdl/tech/index.html |title=PIONEER R&D 技術解説 |date=20111124010551}} * [http://www.mpeg.co.jp/libraries/video_it/video_01.html VIDEO-ITを取り巻く市場と技術-ファイルフォーマットとは?] {{圧縮フォーマット}} {{Tech-stub}} {{Normdaten}} [[Category:MPEG|*]] [[Category:データ圧縮規格]] [[Category:動画ファイルフォーマット]] [[Category:音声ファイルフォーマット]] [[Category:ISO/IEC JTC 1]]
null
2023-06-27T02:53:09Z
false
false
false
[ "Template:Normdaten", "Template:仮リンク", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Wayback", "Template:圧縮フォーマット", "Template:Tech-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/Moving_Picture_Experts_Group
2,963
アプリケーションプログラミングインタフェース
アプリケーションプログラミングインタフェース(API、英: application programming interface)とは、広義ではソフトウェアコンポーネント同士が互いに情報をやりとりするのに使用するインタフェースの仕様である。 APIには、サブルーチン、データ構造、オブジェクトクラス、変数などの仕様が含まれる。APIには様々な形態があり、POSIXのような国際標準規格、マイクロソフトのWindows APIのようなベンダーによる文書、プログラミング言語の標準ライブラリ(例えば、C++のStandard Template LibraryやJava API(英語版)など)がある。 商業的に使われる狭義では、各種システムやサービス(ハードウェア、OS、ミドルウェアおよびWebサービス等)を利用するアプリケーションソフトウェア (Application) を開発・プログラミング (Programming) するためのインタフェース (Interface) である。こちらの意味では、システムやサービスから直接提供されないもの、例えば言語の標準ライブラリは含まない。 APIはアプリケーションバイナリインタフェース (ABI) とは異なる。APIはソースコードベースだが、ABIはバイナリインタフェースである。例えば、POSIXはAPIだが、Linux Standard Base (LSB) はABIである(LSBはいろいろな規定の集合なので、正確には「LSBには、ABIにまで踏み込んでいる部分もある」)。 広義のAPIでは単なるライブラリのインタフェースを含むかどうかにばらつきがあるなど定義が曖昧であるため、ここでは狭義のAPIについて説明する。 前述のとおりAPIは各種システム/サービスがそのシステム/サービスを利用するアプリケーションに対して公開するインタフェースである。APIの重要な役割は、システム/サービス提供者が公式に仕様(外部仕様)を定義し、管理している各種機能を利用するための操作方法(インタフェース)を提供することである。APIは多くの場合、アプリケーションを構築する言語と同じ言語のライブラリ、あるいは通信プロトコル形式として提供され、システム/サービス開発者によって提供・管理される。 アプリケーションがシステム/サービスを利用するには、APIを無視してシステム/サービスの現在の実装および内部仕様に依存した方法がある。人と同じ操作をアプリケーションにさせたり、たまたま設定が書き込まれていたファイルをアプリケーションで読み取るなどである。この手法を非APIと言い英語圏ではnon-APIあるいはnon APIと呼ぶ。システム/サービス提供者はアプリケーションがAPI以外の仕様や実装に依存していることは関知せず、API以外の仕様や実装が永続的に維持されることも保証しない。このため非APIを使ったアプリケーションは、バグ修正などで少しでもシステム/サービスの内部仕様に変更があれば、たちまち動かなくなってしまう。この点、APIを使用する場合は、システム/サービスが更新されてもAPIが提供者によって後方互換性を維持してくれるため、アプリケーション側の変更は必要ない(ただし頻繁ではないが提供者により互換性がなくなる場合もある)。アプリケーションがシステム/サービスを操作するにあたり、APIにだけ依存することでこのような互換性の問題を避けることができる。 ただし、APIを使う場合、APIの提供者から使用回数などに制限を掛けられる場合がありそれをらの制限を回避するためやAPIを提供していないシステム/サービスを使うために非APIを使う技術が重要になる場合もある。 Microsoft Windows、macOS、iOS、AndroidなどのOSには、API以外に、俗に「隠しAPI」や「プライベートAPI」「非公開API」などと呼ばれるライブラリー形式の非APIが存在する。これらの非APIは特定の共通処理をアプリケーション側ではなくシステム内部でのみ再利用することを想定して実装されており、例えばWindowsでは一部の非API関数がシステムDLLにエクスポートされていることから、LoadLibrary 関数を使用してAPI関数エントリポイントを動的ロードすることで呼び出すことができる。Javaや.NET Frameworkの場合は、カプセル化を破壊することになるが、隠蔽されたメソッドであってもリフレクションを使用して呼び出すことができる。しかし、これらはシステム/サービス提供者が公式に提供している機能ではなくAPIではない。このためこれらの隠し機能を使ったアプリケーションの動作は保証されないし、互換性も将来に渡って保証されることはない。例えばWindows APIにおいて、timeBeginPeriod(), timeEndPeriod() はアプリケーション開発者向けに正式公開・ドキュメント化されているAPI関数だが、これらは内部でNtSetTimerResolution()を呼び出している。NtSetTimerResolution()は、Windows NT系のシステムDLLのひとつ、"ntdll.dll"にエクスポートされているが、アプリケーション開発者向けのドキュメントには記載されていない非API関数であり、この非API関数をアプリケーションで直接使用した場合の結果は保証されない。EclipseではPlugin開発にて非APIを使った場合エラーを出す設定がある。Appleが提供するApp StoreではAppleが作成した非APIを使ったアプリケーションは掲載を拒否される。 APIは関数、プロシージャ、変数やデータ構造といったライブラリによって実装されることが多いが、狭義のAPIではライブラリとAPIは同一ではない。 ライブラリ形式ではなくプロトコル形式で提供される場合もあるという理由もあるが、ライブラリ形式である場合も同一視せず区別する必要があるという理由がある。 例えばAPIが関数であればサービスにより提供される関数はAPI関数と呼ぶが、API関数を利用して構築された関数はAPIではないためライブラリ関数と呼ぶ。 ライブラリ関数は直接サービスと関係ないか、APIを使って構築されておりサービスを利用する上で必須ではない。逆にAPI関数の存在はサービスを利用する上で必須である。例えばC言語の標準ライブラリ関数であるfwriteは、Windows上ではAPI関数である WriteFile を使って実装されている。WriteFileはOSの機能に直接アクセスできることからfwriteよりも高機能であり、別OSへの移植性を考えなければfwriteの代わりにWriteFileを直接利用してアプリケーションを記述することもできる。同様に、Linuxでは writeシステムコールを利用して実装されている。 APIはサービスを利用するうえで必須になるが、APIを直接使用することは外部サービスに対する依存性を高め移植性を妨げる。例えば前述のWriteFileを使うプログラムは基本的にWindows用にしかコンパイルできないが、fwriteを使うプログラムはフリースタンディング環境以外ならどの環境でもコンパイルできる。このため移植性を考えるのであればAPIの直接使用は避け、APIを抽象化したライブラリを使用することが望ましい。 さらに、後述するように移植性を意識する言語ではライブラリとAPIを厳密に区別している場合が多い。特に後述のSmalltalkはクロスプラットフォームが一つの長所となっているためAPIの直接使用を避けることは重要となる。 C++の規格書では、API関数とライブラリ関数は一貫して区別されており、API関数は標準のライブラリ関数から呼び出されるもの、あるいは標準ライブラリの関数が同等の機能を模倣する対象として書かれている。またCの規格書においてはAPIという言葉は無く、相当する関数がライブラリ関数以外の関数として書かれている。1980年代から存在するSmalltalkでもAPIとライブラリは区別されており、例えばSmalltalk環境の一種であるPharoはAPIと対応しているパッケージをライブラリとは別にAPIとして区分している 。 なお、標準ライブラリはOSやファームウェアなどアプリケーション以外からも使われる。 APIはソフトウェアライブラリと対応しているのが一般的である。 APIは「期待される挙動」を規定し説明するが、ライブラリはその規則群の「実際の実装」である。 1つのAPIが複数の実装を持つこともあるし、実装のない抽象的APIもありうる。 広義のAPIはソフトウェアフレームワークと対応する場合もある。フレームワークはいくつかのライブラリを備え、いくつかのAPIを実装することもあるが、通常のAPIとは使い方が異なり、「フレームワークに組み込まれた」挙動への「アクセス」としてフレームワーク自身に新たなクラスをプラグインすることでその内容を拡張するという手段をとる。さらに言えば、呼び出し側はプログラムの動作を制御できず、制御の反転や他の類似の機構によってフレームワーク側が流れを制御する。 APIはプロトコルの実装となっていることもある。 プロトコルは、共通の転送手段に基づいた要求と応答の標準的交換方法を定義している。一方プロトコルを実装していないAPIは、ライブラリとして実装され、直接使われるのが一般的である。したがってAPIには「転送手段」が関与することはなく(遠隔のマシンとの物理的情報転送を行わない)、「関数呼び出し」によって単純に情報交換し、データは特定の言語で表現された形式で交換される。 APIがプロトコルの実装である場合、下層にある通信プロトコルを使ってリモート呼び出しを行うためのプロキシ的手段となっている。その場合のAPIの役目は、プロトコルの詳細を隠蔽することである。例えばJava RMIは、JRMP(英語版)プロトコルまたはRMI-IIOPとしてのIIOPを実装している。 プロトコルは一般に異なるテクノロジー(特定OS内の特定プログラミング言語に基づくシステム)間をつなぎ、それらの間での情報交換を可能にしている。一方APIは特定のテクノロジーに固有であり、何らかの変換手段を用いない限り、ある言語用のAPIを別の言語では使用できない。 オブジェクトAPIは具体的なオブジェクト交換フォーマットを規定し、オブジェクト交換プロトコルはメッセージ内の同種の情報をリモートシステムに転送する方法を定義する。 2つの異なるプラットフォーム間で、両者にあるオブジェクトを使ってプロトコル経由でメッセージを交換する場合、あるプログラミング言語内のオブジェクトは相手の異なる言語でのオブジェクトに変換される。例えばJavaで書かれたプログラムがC#で書かれたサービスをSOAPやIIOP経由で呼び出す場合、どちらのプログラムもリモート呼び出し用API(API自体はローカルに存在する)を使って情報交換し、ローカルなメモリ内でオブジェクトの変換を行う。 一方、同一マシン上でAPI経由のオブジェクト交換を行う場合、メモリ内で効率的に(オブジェクトまたはオブジェクトへの参照の)交換が行われる。例えば、1つのプロセスに割り当てられたメモリということもあるし、共有メモリを使って複数プロセス間で行うこともあるし、タプルスペースのような共有技法を使うこともある。 ウェブAPIはHTTP要求メッセージ定義とJSON形式等の応答メッセージ定義で構成される。Web 2.0ではSOAPベースからRESTベースへと変化している。ウェブAPIはマッシュアップにより複数のサービスを組み合わせて新たなアプリケーションとすることを可能にする。 APIを公表する慣習により、ウェブコミュニティにはコミュニティ間やアプリケーション間でコンテンツとデータを共有するオープンアーキテクチャが発展していった。そのため、ある場所で作成されたコンテンツはウェブ上の様々な場所で盛んにポストされ更新される。 WebAPIは様々なスタイルで表現される。例えばリソースの表現は以下の様式がありうる。 パスは厳密な階層構造をもつリソースの表現に適している。クエリ文字列およびリクエストボディは自由な表現が可能なため任意のリソースに利用できる。 広く知られるWebAPIスタイルの例として以下が挙げられる。 POSIX標準は、様々な一般的コンピューティング機能を各種システム上で実装できるよう考慮したAPIを定義している。例えば、macOSやBSD系システムで実装されている。ただし、ABIや実行ファイル形式は標準化されていないため、POSIX準拠のプログラムを別のPOSIX準拠のプラットフォームで実行するには、再コンパイルが必要である。 一方、APIおよびABIに互換性があるシステムならば、どこでも同じバイナリをそのまま実行可能である。これはアプリケーションソフトウェアベンダーにもユーザーにも有益であり、ベンダーは互換API/ABIが実装されていれば新システムが登場してもアプリケーション製品を修正・リビルドせずに済むし、ユーザーも古いソフトウェアを後方互換性のある新システムにインストールして利用できる。ただし、それには一般に各種ライブラリが必要なAPI群を実装している必要がある。 WindowsはAPI/ABIに後方互換性があり、例えばVisual C++とWindows SDKを使用して開発されたアプリケーションは、ビルド時にWindows APIヘッダーをインクルードする前にWINVERおよび_WIN32_WINNTなどのシンボルが適切に定義されていれば、指定したバージョン以降のすべてのWindowsで動作する。廃止されたAPI関数などを使用していない限り、アプリケーションを修正・リビルドする必要はない。新しいバージョンのWindowsで追加された機能を使いたい場合、WINVERおよび_WIN32_WINNTをそのバージョンに合わせて定義するか、LoadLibrary関数を使用して動的ロードする。 なおWindows XP以降では、特定のバージョンのWindowsの実装や内部仕様に依存するなど、誤った実装や後方互換性を無視した実装により正常に動作しなくなってしまったアプリケーション向けに、「互換モード」が用意されている。これはシステム側が返す情報を特定バージョンのWindowsのものに偽装することで、アプリケーションをだますことにより動作させる救済措置であり、本来はアプリケーション側をAPI外部仕様に基づいて正しく修正することが好ましい。 Unix系OSでは、相互に関連はあるが非互換なOS群が同一ハードウェア上で動作している。ソフトウェア業者が同一バイナリで各種OSに対応できるようAPIとABIを共通化する試みがなされてきたが、いずれも失敗に終わっている。そのような試みとしてLinuxではLinux Standard Baseがある。BSD系OSも各種あるが、互換性のレベルは様々である。 Androidには「APIレベル」という概念が存在し、Android OSのバージョンごとにAPIレベルの番号が割り振られている。例えばAndroid 10はAPIレベル29に相当する。特定のAPIレベルで追加された機能(クラス、メソッド、フィールド)を利用するには、アプリケーションのビルド時に "AndroidManifest.xml"あるいは "build.gradle"にてtargetSdkVersionの値をそのAPIレベル番号以降に設定し、また指定されたバージョン以降のAndroid SDKを使ってビルドする必要がある。また、minSdkVersionの値によって、アプリケーションのインストールおよび実行に必要な最小システムバージョンを指定することができる。minSdkVersion以下の機能は(廃止されたものでない限り)無条件で使用できるが、minSdkVersionを超えるバージョンで追加された機能を使用する場合は、android.os.Build.VERSION クラスのSDK_INTフィールドの値に基づいて動的分岐する処理を実装する必要がある。 APIの公開に関しては2つの一般的な方針がある。 この2つの方針の中間もある。 互換性のためのAPIを作成するためにそのAPIの実装を解析することは一般的に合法である。この手法は相互運用性のためのリバースエンジニアリングと呼ばれる。しかしAPIそのものとは異なり、APIの実装には著作権が存在するため、リバースエンジニアリングする前には著作権侵害の問題が生じないよう、十分注意する必要がある。また、使おうとしているAPIに、特許保持者の許可がなければ使えない特許技術が許可なく含まれていたら、それは特許権侵害になりうる(ただし、これはリバースエンジニアリングに限られた話ではなく、APIを利用するプログラムにも全般的に言えることである)。 2010年、米オラクルはGoogleがJavaの新たな実装をAndroidの一部として配布したとして、Googleを訴えた。Java APIを複製する許可(ライセンス)はOpenJDKプロジェクトやIBM J9などの実装には与えられていたが、一方AndroidのDalvik仮想マシンの実装はOpenJDKなどに基づいてはおらず、またGoogleはJava APIを複製する許可をとっていなかった。これに対して、地方裁判所はAPIは著作権法の対象外であるとする判断を下したものの、控訴裁では保護対象であるとされ、最終的に2015年、最高裁によりアメリカ合衆国内ではAPIにも著作権があるとの判断が確定した。ただしその後の審理を経て、2021年には著作権があってもフェアユースの下に利用可能であるとの判断が下されている。 日本においては、著作権法第10条第3項において、プログラムのインタフェースやプロトコルが著作物とみなされないことが明確に示されている。 特にDDIやファームウェアインタフェースを使う場合は、ソフトウェアがアプリケーションと異なる環境で動作しAPIに依存するライブラリを使用できない場合があるため、開発者は自分が何を使っているか意識する必要がある。 複数の高水準言語での使用を意図したAPIは、文法的・意味的に各言語に適したインタフェースをAPIに自動的にマッピングする機能を提供している。これを言語束縛と呼び、それ自体もAPIである。その目的は、そのAPIに要求される機能のほとんどをカプセル化するため、各言語に薄い層を設けることである。 以下に挙げたものは、コンパイル時に言語とAPIの束縛を行うインタフェースジェネレータである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アプリケーションプログラミングインタフェース(API、英: application programming interface)とは、広義ではソフトウェアコンポーネント同士が互いに情報をやりとりするのに使用するインタフェースの仕様である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "APIには、サブルーチン、データ構造、オブジェクトクラス、変数などの仕様が含まれる。APIには様々な形態があり、POSIXのような国際標準規格、マイクロソフトのWindows APIのようなベンダーによる文書、プログラミング言語の標準ライブラリ(例えば、C++のStandard Template LibraryやJava API(英語版)など)がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "商業的に使われる狭義では、各種システムやサービス(ハードウェア、OS、ミドルウェアおよびWebサービス等)を利用するアプリケーションソフトウェア (Application) を開発・プログラミング (Programming) するためのインタフェース (Interface) である。こちらの意味では、システムやサービスから直接提供されないもの、例えば言語の標準ライブラリは含まない。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "APIはアプリケーションバイナリインタフェース (ABI) とは異なる。APIはソースコードベースだが、ABIはバイナリインタフェースである。例えば、POSIXはAPIだが、Linux Standard Base (LSB) はABIである(LSBはいろいろな規定の集合なので、正確には「LSBには、ABIにまで踏み込んでいる部分もある」)。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "広義のAPIでは単なるライブラリのインタフェースを含むかどうかにばらつきがあるなど定義が曖昧であるため、ここでは狭義のAPIについて説明する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "前述のとおりAPIは各種システム/サービスがそのシステム/サービスを利用するアプリケーションに対して公開するインタフェースである。APIの重要な役割は、システム/サービス提供者が公式に仕様(外部仕様)を定義し、管理している各種機能を利用するための操作方法(インタフェース)を提供することである。APIは多くの場合、アプリケーションを構築する言語と同じ言語のライブラリ、あるいは通信プロトコル形式として提供され、システム/サービス開発者によって提供・管理される。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "アプリケーションがシステム/サービスを利用するには、APIを無視してシステム/サービスの現在の実装および内部仕様に依存した方法がある。人と同じ操作をアプリケーションにさせたり、たまたま設定が書き込まれていたファイルをアプリケーションで読み取るなどである。この手法を非APIと言い英語圏ではnon-APIあるいはnon APIと呼ぶ。システム/サービス提供者はアプリケーションがAPI以外の仕様や実装に依存していることは関知せず、API以外の仕様や実装が永続的に維持されることも保証しない。このため非APIを使ったアプリケーションは、バグ修正などで少しでもシステム/サービスの内部仕様に変更があれば、たちまち動かなくなってしまう。この点、APIを使用する場合は、システム/サービスが更新されてもAPIが提供者によって後方互換性を維持してくれるため、アプリケーション側の変更は必要ない(ただし頻繁ではないが提供者により互換性がなくなる場合もある)。アプリケーションがシステム/サービスを操作するにあたり、APIにだけ依存することでこのような互換性の問題を避けることができる。", "title": "APIと非API" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ただし、APIを使う場合、APIの提供者から使用回数などに制限を掛けられる場合がありそれをらの制限を回避するためやAPIを提供していないシステム/サービスを使うために非APIを使う技術が重要になる場合もある。", "title": "APIと非API" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "Microsoft Windows、macOS、iOS、AndroidなどのOSには、API以外に、俗に「隠しAPI」や「プライベートAPI」「非公開API」などと呼ばれるライブラリー形式の非APIが存在する。これらの非APIは特定の共通処理をアプリケーション側ではなくシステム内部でのみ再利用することを想定して実装されており、例えばWindowsでは一部の非API関数がシステムDLLにエクスポートされていることから、LoadLibrary 関数を使用してAPI関数エントリポイントを動的ロードすることで呼び出すことができる。Javaや.NET Frameworkの場合は、カプセル化を破壊することになるが、隠蔽されたメソッドであってもリフレクションを使用して呼び出すことができる。しかし、これらはシステム/サービス提供者が公式に提供している機能ではなくAPIではない。このためこれらの隠し機能を使ったアプリケーションの動作は保証されないし、互換性も将来に渡って保証されることはない。例えばWindows APIにおいて、timeBeginPeriod(), timeEndPeriod() はアプリケーション開発者向けに正式公開・ドキュメント化されているAPI関数だが、これらは内部でNtSetTimerResolution()を呼び出している。NtSetTimerResolution()は、Windows NT系のシステムDLLのひとつ、\"ntdll.dll\"にエクスポートされているが、アプリケーション開発者向けのドキュメントには記載されていない非API関数であり、この非API関数をアプリケーションで直接使用した場合の結果は保証されない。EclipseではPlugin開発にて非APIを使った場合エラーを出す設定がある。Appleが提供するApp StoreではAppleが作成した非APIを使ったアプリケーションは掲載を拒否される。", "title": "APIと非API" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "APIは関数、プロシージャ、変数やデータ構造といったライブラリによって実装されることが多いが、狭義のAPIではライブラリとAPIは同一ではない。 ライブラリ形式ではなくプロトコル形式で提供される場合もあるという理由もあるが、ライブラリ形式である場合も同一視せず区別する必要があるという理由がある。", "title": "APIと非API" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "例えばAPIが関数であればサービスにより提供される関数はAPI関数と呼ぶが、API関数を利用して構築された関数はAPIではないためライブラリ関数と呼ぶ。 ライブラリ関数は直接サービスと関係ないか、APIを使って構築されておりサービスを利用する上で必須ではない。逆にAPI関数の存在はサービスを利用する上で必須である。例えばC言語の標準ライブラリ関数であるfwriteは、Windows上ではAPI関数である WriteFile を使って実装されている。WriteFileはOSの機能に直接アクセスできることからfwriteよりも高機能であり、別OSへの移植性を考えなければfwriteの代わりにWriteFileを直接利用してアプリケーションを記述することもできる。同様に、Linuxでは writeシステムコールを利用して実装されている。", "title": "APIと非API" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "APIはサービスを利用するうえで必須になるが、APIを直接使用することは外部サービスに対する依存性を高め移植性を妨げる。例えば前述のWriteFileを使うプログラムは基本的にWindows用にしかコンパイルできないが、fwriteを使うプログラムはフリースタンディング環境以外ならどの環境でもコンパイルできる。このため移植性を考えるのであればAPIの直接使用は避け、APIを抽象化したライブラリを使用することが望ましい。 さらに、後述するように移植性を意識する言語ではライブラリとAPIを厳密に区別している場合が多い。特に後述のSmalltalkはクロスプラットフォームが一つの長所となっているためAPIの直接使用を避けることは重要となる。", "title": "APIと非API" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "C++の規格書では、API関数とライブラリ関数は一貫して区別されており、API関数は標準のライブラリ関数から呼び出されるもの、あるいは標準ライブラリの関数が同等の機能を模倣する対象として書かれている。またCの規格書においてはAPIという言葉は無く、相当する関数がライブラリ関数以外の関数として書かれている。1980年代から存在するSmalltalkでもAPIとライブラリは区別されており、例えばSmalltalk環境の一種であるPharoはAPIと対応しているパッケージをライブラリとは別にAPIとして区分している 。", "title": "APIと非API" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "なお、標準ライブラリはOSやファームウェアなどアプリケーション以外からも使われる。", "title": "APIと非API" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "APIはソフトウェアライブラリと対応しているのが一般的である。 APIは「期待される挙動」を規定し説明するが、ライブラリはその規則群の「実際の実装」である。 1つのAPIが複数の実装を持つこともあるし、実装のない抽象的APIもありうる。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "広義のAPIはソフトウェアフレームワークと対応する場合もある。フレームワークはいくつかのライブラリを備え、いくつかのAPIを実装することもあるが、通常のAPIとは使い方が異なり、「フレームワークに組み込まれた」挙動への「アクセス」としてフレームワーク自身に新たなクラスをプラグインすることでその内容を拡張するという手段をとる。さらに言えば、呼び出し側はプログラムの動作を制御できず、制御の反転や他の類似の機構によってフレームワーク側が流れを制御する。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "APIはプロトコルの実装となっていることもある。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "プロトコルは、共通の転送手段に基づいた要求と応答の標準的交換方法を定義している。一方プロトコルを実装していないAPIは、ライブラリとして実装され、直接使われるのが一般的である。したがってAPIには「転送手段」が関与することはなく(遠隔のマシンとの物理的情報転送を行わない)、「関数呼び出し」によって単純に情報交換し、データは特定の言語で表現された形式で交換される。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "APIがプロトコルの実装である場合、下層にある通信プロトコルを使ってリモート呼び出しを行うためのプロキシ的手段となっている。その場合のAPIの役目は、プロトコルの詳細を隠蔽することである。例えばJava RMIは、JRMP(英語版)プロトコルまたはRMI-IIOPとしてのIIOPを実装している。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "プロトコルは一般に異なるテクノロジー(特定OS内の特定プログラミング言語に基づくシステム)間をつなぎ、それらの間での情報交換を可能にしている。一方APIは特定のテクノロジーに固有であり、何らかの変換手段を用いない限り、ある言語用のAPIを別の言語では使用できない。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "オブジェクトAPIは具体的なオブジェクト交換フォーマットを規定し、オブジェクト交換プロトコルはメッセージ内の同種の情報をリモートシステムに転送する方法を定義する。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2つの異なるプラットフォーム間で、両者にあるオブジェクトを使ってプロトコル経由でメッセージを交換する場合、あるプログラミング言語内のオブジェクトは相手の異なる言語でのオブジェクトに変換される。例えばJavaで書かれたプログラムがC#で書かれたサービスをSOAPやIIOP経由で呼び出す場合、どちらのプログラムもリモート呼び出し用API(API自体はローカルに存在する)を使って情報交換し、ローカルなメモリ内でオブジェクトの変換を行う。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "一方、同一マシン上でAPI経由のオブジェクト交換を行う場合、メモリ内で効率的に(オブジェクトまたはオブジェクトへの参照の)交換が行われる。例えば、1つのプロセスに割り当てられたメモリということもあるし、共有メモリを使って複数プロセス間で行うこともあるし、タプルスペースのような共有技法を使うこともある。", "title": "詳細" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ウェブAPIはHTTP要求メッセージ定義とJSON形式等の応答メッセージ定義で構成される。Web 2.0ではSOAPベースからRESTベースへと変化している。ウェブAPIはマッシュアップにより複数のサービスを組み合わせて新たなアプリケーションとすることを可能にする。", "title": "ウェブAPI" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "APIを公表する慣習により、ウェブコミュニティにはコミュニティ間やアプリケーション間でコンテンツとデータを共有するオープンアーキテクチャが発展していった。そのため、ある場所で作成されたコンテンツはウェブ上の様々な場所で盛んにポストされ更新される。", "title": "ウェブAPI" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "WebAPIは様々なスタイルで表現される。例えばリソースの表現は以下の様式がありうる。", "title": "ウェブAPI" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "パスは厳密な階層構造をもつリソースの表現に適している。クエリ文字列およびリクエストボディは自由な表現が可能なため任意のリソースに利用できる。", "title": "ウェブAPI" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "広く知られるWebAPIスタイルの例として以下が挙げられる。", "title": "ウェブAPI" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "POSIX標準は、様々な一般的コンピューティング機能を各種システム上で実装できるよう考慮したAPIを定義している。例えば、macOSやBSD系システムで実装されている。ただし、ABIや実行ファイル形式は標準化されていないため、POSIX準拠のプログラムを別のPOSIX準拠のプラットフォームで実行するには、再コンパイルが必要である。", "title": "実装" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "一方、APIおよびABIに互換性があるシステムならば、どこでも同じバイナリをそのまま実行可能である。これはアプリケーションソフトウェアベンダーにもユーザーにも有益であり、ベンダーは互換API/ABIが実装されていれば新システムが登場してもアプリケーション製品を修正・リビルドせずに済むし、ユーザーも古いソフトウェアを後方互換性のある新システムにインストールして利用できる。ただし、それには一般に各種ライブラリが必要なAPI群を実装している必要がある。", "title": "実装" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "WindowsはAPI/ABIに後方互換性があり、例えばVisual C++とWindows SDKを使用して開発されたアプリケーションは、ビルド時にWindows APIヘッダーをインクルードする前にWINVERおよび_WIN32_WINNTなどのシンボルが適切に定義されていれば、指定したバージョン以降のすべてのWindowsで動作する。廃止されたAPI関数などを使用していない限り、アプリケーションを修正・リビルドする必要はない。新しいバージョンのWindowsで追加された機能を使いたい場合、WINVERおよび_WIN32_WINNTをそのバージョンに合わせて定義するか、LoadLibrary関数を使用して動的ロードする。", "title": "実装" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "なおWindows XP以降では、特定のバージョンのWindowsの実装や内部仕様に依存するなど、誤った実装や後方互換性を無視した実装により正常に動作しなくなってしまったアプリケーション向けに、「互換モード」が用意されている。これはシステム側が返す情報を特定バージョンのWindowsのものに偽装することで、アプリケーションをだますことにより動作させる救済措置であり、本来はアプリケーション側をAPI外部仕様に基づいて正しく修正することが好ましい。", "title": "実装" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "Unix系OSでは、相互に関連はあるが非互換なOS群が同一ハードウェア上で動作している。ソフトウェア業者が同一バイナリで各種OSに対応できるようAPIとABIを共通化する試みがなされてきたが、いずれも失敗に終わっている。そのような試みとしてLinuxではLinux Standard Baseがある。BSD系OSも各種あるが、互換性のレベルは様々である。", "title": "実装" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "Androidには「APIレベル」という概念が存在し、Android OSのバージョンごとにAPIレベルの番号が割り振られている。例えばAndroid 10はAPIレベル29に相当する。特定のAPIレベルで追加された機能(クラス、メソッド、フィールド)を利用するには、アプリケーションのビルド時に \"AndroidManifest.xml\"あるいは \"build.gradle\"にてtargetSdkVersionの値をそのAPIレベル番号以降に設定し、また指定されたバージョン以降のAndroid SDKを使ってビルドする必要がある。また、minSdkVersionの値によって、アプリケーションのインストールおよび実行に必要な最小システムバージョンを指定することができる。minSdkVersion以下の機能は(廃止されたものでない限り)無条件で使用できるが、minSdkVersionを超えるバージョンで追加された機能を使用する場合は、android.os.Build.VERSION クラスのSDK_INTフィールドの値に基づいて動的分岐する処理を実装する必要がある。", "title": "実装" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "APIの公開に関しては2つの一般的な方針がある。", "title": "公開の方針" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "この2つの方針の中間もある。", "title": "公開の方針" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "互換性のためのAPIを作成するためにそのAPIの実装を解析することは一般的に合法である。この手法は相互運用性のためのリバースエンジニアリングと呼ばれる。しかしAPIそのものとは異なり、APIの実装には著作権が存在するため、リバースエンジニアリングする前には著作権侵害の問題が生じないよう、十分注意する必要がある。また、使おうとしているAPIに、特許保持者の許可がなければ使えない特許技術が許可なく含まれていたら、それは特許権侵害になりうる(ただし、これはリバースエンジニアリングに限られた話ではなく、APIを利用するプログラムにも全般的に言えることである)。", "title": "リバースエンジニアリングと著作権" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2010年、米オラクルはGoogleがJavaの新たな実装をAndroidの一部として配布したとして、Googleを訴えた。Java APIを複製する許可(ライセンス)はOpenJDKプロジェクトやIBM J9などの実装には与えられていたが、一方AndroidのDalvik仮想マシンの実装はOpenJDKなどに基づいてはおらず、またGoogleはJava APIを複製する許可をとっていなかった。これに対して、地方裁判所はAPIは著作権法の対象外であるとする判断を下したものの、控訴裁では保護対象であるとされ、最終的に2015年、最高裁によりアメリカ合衆国内ではAPIにも著作権があるとの判断が確定した。ただしその後の審理を経て、2021年には著作権があってもフェアユースの下に利用可能であるとの判断が下されている。", "title": "リバースエンジニアリングと著作権" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "日本においては、著作権法第10条第3項において、プログラムのインタフェースやプロトコルが著作物とみなされないことが明確に示されている。", "title": "リバースエンジニアリングと著作権" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "特にDDIやファームウェアインタフェースを使う場合は、ソフトウェアがアプリケーションと異なる環境で動作しAPIに依存するライブラリを使用できない場合があるため、開発者は自分が何を使っているか意識する必要がある。", "title": "類似する概念" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "複数の高水準言語での使用を意図したAPIは、文法的・意味的に各言語に適したインタフェースをAPIに自動的にマッピングする機能を提供している。これを言語束縛と呼び、それ自体もAPIである。その目的は、そのAPIに要求される機能のほとんどをカプセル化するため、各言語に薄い層を設けることである。", "title": "言語束縛とインタフェースジェネレータ" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "以下に挙げたものは、コンパイル時に言語とAPIの束縛を行うインタフェースジェネレータである。", "title": "言語束縛とインタフェースジェネレータ" } ]
アプリケーションプログラミングインタフェースとは、広義ではソフトウェアコンポーネント同士が互いに情報をやりとりするのに使用するインタフェースの仕様である。 APIには、サブルーチン、データ構造、オブジェクトクラス、変数などの仕様が含まれる。APIには様々な形態があり、POSIXのような国際標準規格、マイクロソフトのWindows APIのようなベンダーによる文書、プログラミング言語の標準ライブラリがある。 商業的に使われる狭義では、各種システムやサービス(ハードウェア、OS、ミドルウェアおよびWebサービス等)を利用するアプリケーションソフトウェア (Application) を開発・プログラミング (Programming) するためのインタフェース (Interface) である。こちらの意味では、システムやサービスから直接提供されないもの、例えば言語の標準ライブラリは含まない。 APIはアプリケーションバイナリインタフェース (ABI) とは異なる。APIはソースコードベースだが、ABIはバイナリインタフェースである。例えば、POSIXはAPIだが、Linux Standard Base (LSB) はABIである(LSBはいろいろな規定の集合なので、正確には「LSBには、ABIにまで踏み込んでいる部分もある」)。
{{独自研究|date=2019-10}} {{WikipediaPage|ウィキペディアなど、MediaWikiに対して使えるAPIについては、[[mw:API:Main page/ja|MediaWikiの解説ページ]]をご覧ください。}} '''アプリケーションプログラミングインタフェース'''('''{{Lang|en|API}}'''、{{Lang-en-short|application programming interface}})<ref group="注釈">「インターフェイス」「インターフェース」と表記されることもあるが、本記事では「インタフェース」で統一する。</ref>とは、広義では[[ソフトウェアコンポーネント]]同士が互いに情報をやりとりするのに使用する[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]の仕様である。 APIには、[[サブルーチン]]、[[データ構造]]、[[クラス (コンピュータ)|オブジェクトクラス]]、変数などの仕様が含まれる。APIには様々な形態があり、[[POSIX]]のような国際標準規格、[[マイクロソフト]]の[[Windows API]]のようなベンダーによる文書、[[プログラミング言語]]の標準[[ライブラリ]](例えば、[[C++]]の[[Standard Template Library]]や{{仮リンク|Java API一覧|en|List of Java APIs|label=Java API}}など)がある。 商業的に使われる狭義では、各種システムやサービス(ハードウェア、[[オペレーティングシステム|OS]]、[[ミドルウェア]]およびWebサービス等)を利用する[[アプリケーションソフトウェア]] (Application) を開発・プログラミング (Programming) するためのインタフェース (Interface) である<ref>https://www.ibm.com/support/knowledgecenter/ja/SS4SVW_2.0.0/com.ibm.zosconnect.doc/backmatter/glossary.html#glossary__api</ref><ref>https://developer.mozilla.org/ja/docs/Glossary/API</ref><ref>http://www.ocn.ne.jp/support/words/abc/API.html{{リンク切れ|date=2019-10}}</ref><ref>https://www.synergy-marketing.co.jp/glossary/api/</ref><ref>[https://www.g2crowd.com/products/cincom-cpq/features Smalltalk環境の提供元Cincomによる見積サービスの説明] APIの解説がある。</ref>。こちらの意味では、システムやサービスから直接提供されないもの、例えば言語の標準ライブラリは含まない。 APIは[[アプリケーションバイナリインタフェース]] (ABI) とは異なる。APIは[[ソースコード]]ベースだが、ABIはバイナリインタフェースである。例えば、POSIXはAPIだが、[[Linux Standard Base]] (LSB) はABIである<ref>{{Cite web |first=Nick |last=Stoughton |url= http://c59951.r51.cf2.rackcdn.com/4818-1030-standards2004.pdf |title=Update on Standards |publisher=[[USENIX]] |format=PDF |year=2005 |month=April |accessdate=2009-06-04}}</ref>(LSBはいろいろな規定の集合なので、正確には「LSBには、ABIにまで踏み込んでいる部分もある」)。 == 概要 == 広義のAPIでは単なるライブラリのインタフェースを含むかどうかにばらつきがあるなど定義が曖昧であるため、ここでは狭義のAPIについて説明する。 前述のとおりAPIは各種システム/サービスがそのシステム/サービスを利用するアプリケーションに対して公開するインタフェースである。APIの重要な役割は、システム/サービス提供者が公式に仕様('''外部仕様''')を定義し、管理している各種機能を利用するための操作方法(インタフェース)を提供することである。APIは多くの場合、アプリケーションを構築する言語と同じ言語のライブラリ、あるいは通信プロトコル形式<ref group="注釈">ローレベルな[[Transmission Control Protocol|TCP]]あるいは[[UDP]]のパケット形式であったり、[[REST]]や[[SOAP (プロトコル)|SOAP]]に代表されるような[[HTTP]]や[[XML]]などを組み合わせた上位プロトコルであったりする。</ref>として提供され、システム/サービス開発者によって提供・管理される。 == APIと非API == アプリケーションがシステム/サービスを利用するには、APIを無視してシステム/サービスの現在の'''実装'''および'''内部仕様'''に依存した方法がある。人と同じ操作をアプリケーションにさせたり、たまたま設定が書き込まれていたファイルをアプリケーションで読み取るなどである。この手法を非API<ref>{{Cite web|和書|title=Eclipse プラットフォーム API - 使用規則 |url=https://www.ibm.com/docs/ja/developer-for-zos/9.5.1?topic=SSQ2R2_9.5.1/org.eclipse.pde.doc.user/reference/misc/api-usage-rules.htm |website=www.ibm.com |access-date=2023-05-24}}</ref>と言い英語圏ではnon-API<ref name=":0">{{Cite web |title=Non-API VS API Dropshipping Solution - What Should I Use When I Am Dropshipping on eBay? |url=https://www.autods.com/blog/dropshipping-tips-strategies/non-api-vs-api-solution/ |website=AutoDS |date=2020-07-16 |access-date=2023-05-24 |language=en-US |last=Liran}}</ref><ref>{{Cite web |title=Prerequisites and limitations - Power Automate |url=https://learn.microsoft.com/en-us/power-automate/desktop-flows/requirements |website=learn.microsoft.com |date=2023-02-28 |access-date=2023-05-24 |language=en-us |last=georgiostrantzas}}</ref>あるいはnon API<ref>{{Cite web |title=KalDrop Guide |url=https://www.zikanalytics.com/blog/kaldrop/ |website=ZIK Analytics |date=2023-05-16 |access-date=2023-05-24 |language=en-US |first=Nahar |last=Geva}}</ref>と呼ぶ。システム/サービス提供者はアプリケーションがAPI以外の仕様や実装に依存していることは関知せず、API以外の仕様や実装が永続的に維持されることも保証しない。このため非APIを使ったアプリケーションは、バグ修正などで少しでもシステム/サービスの内部仕様に変更があれば、たちまち動かなくなってしまう。この点、APIを使用する場合は、システム/サービスが更新されてもAPIが提供者によって後方[[互換性]]を維持してくれるため、アプリケーション側の変更は必要ない(ただし頻繁ではないが提供者により互換性がなくなる場合もある)。アプリケーションがシステム/サービスを操作するにあたり、APIにだけ依存することでこのような互換性の問題を避けることができる。 ただし、APIを使う場合、APIの提供者から使用回数などに制限を掛けられる場合があり<ref name=":0" />それをらの制限を回避するためやAPIを提供していないシステム/サービスを使うために非APIを使う技術が重要になる場合もある。 === ライブラリー形式の非API === [[Microsoft Windows]]、[[macOS]]、[[iOS]]、[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]などのOSには、API以外に、俗に「隠しAPI」や「プライベートAPI」「非公開API」などと呼ばれるライブラリー形式の非APIが存在する。これらの非APIは特定の共通処理をアプリケーション側ではなくシステム内部でのみ再利用することを想定して実装されており<ref>{{Cite web|和書|title=Eclipse プラットフォーム API - 使用規則 |url=https://www.ibm.com/docs/ja/developer-for-zos/9.5.1?topic=SSQ2R2_9.5.1/org.eclipse.pde.doc.user/reference/misc/api-usage-rules.htm |website=www.ibm.com |access-date=2023-05-24}}</ref>、例えばWindowsでは一部の非API関数がシステム[[DLL]]にエクスポートされていることから、[https://docs.microsoft.com/en-us/windows/win32/api/libloaderapi/nf-libloaderapi-loadlibraryw LoadLibrary] 関数を使用してAPI関数エントリポイントを動的ロードすることで呼び出すことができる。[[Java]]や[[.NET Framework]]の場合は、[[カプセル化]]を破壊することになるが、隠蔽された[[メソッド (計算機科学)|メソッド]]であっても[[リフレクション (情報工学)|リフレクション]]を使用して呼び出すことができる。しかし、これらはシステム/サービス提供者が公式に提供している機能ではなくAPIではない。このためこれらの隠し機能を使ったアプリケーションの動作は保証されないし、互換性も将来に渡って保証されることはない。例えば[[Windows API]]において、[https://docs.microsoft.com/en-us/windows/win32/api/timeapi/nf-timeapi-timebeginperiod timeBeginPeriod()], [https://docs.microsoft.com/en-us/windows/win32/api/timeapi/nf-timeapi-timeendperiod timeEndPeriod()] はアプリケーション開発者向けに正式公開・ドキュメント化されているAPI関数だが、これらは内部で<code>NtSetTimerResolution()</code>を呼び出している<ref>[http://mirrors.arcadecontrols.com/www.sysinternals.com/Information/HighResolutionTimers.html Sysinternals Freeware - Inside Windows NT High Resolution Timers]</ref>。<code>NtSetTimerResolution()</code>は、[[Windows NT系]]のシステムDLLのひとつ、"ntdll.dll"にエクスポートされているが、アプリケーション開発者向けのドキュメントには記載されていない非API関数であり<ref>[https://undocumented.ntinternals.net/index.html?page=UserMode%2FUndocumented%20Functions%2FTime%2FNtSetTimerResolution.html NTAPI Undocumented Functions]</ref>、この非API関数をアプリケーションで直接使用した場合の結果は保証されない。EclipseではPlugin開発にて非APIを使った場合エラーを出す設定がある<ref>{{Cite web|和書|title=API エラーおよび警告に関する設定 |url=https://www.ibm.com/docs/ja/radfws/9.6?topic=SSRTLW_9.6.0/org.eclipse.pde.doc.user/reference/api-tooling/preferences/ref-errorswarnings.html |website=www.ibm.com |access-date=2023-05-24}}</ref>。Appleが提供するApp StoreではAppleが作成した非APIを使ったアプリケーションは掲載を拒否される<ref>{{Cite web |title=Apple rejects Unity games on the App Store |url=https://www.engadget.com/2009-11-14-apple-rejects-unity-games-on-the-app-store.html |website=Engadget |access-date=2023-05-24 |language=en-US}}</ref>。 === ライブラリとAPI === {{独自研究|section=1|date=2019-10}} {{正確性|section=1|date=2019-10}} <!-- WARN: システム固有のAPIと一般的なAPIを混同している模様。APIの中にはクロスプラットフォームで移植性が高いものもある。 --> APIは[[関数 (プログラミング)|関数]]、[[プロシージャ]]、[[変数 (プログラミング)|変数]]や[[データ構造]]といったライブラリによって実装されることが多いが、狭義のAPIではライブラリとAPIは同一ではない。 ライブラリ形式ではなくプロトコル形式で提供される場合もあるという理由もあるが、ライブラリ形式である場合も同一視せず区別する必要があるという理由がある。 例えばAPIが関数であればサービスにより提供される関数はAPI関数と呼ぶが、API関数を利用して構築された関数はAPIではないためライブラリ関数と呼ぶ。 ライブラリ関数は直接サービスと関係ないか、APIを使って構築されておりサービスを利用する上で必須ではない。逆にAPI関数の存在はサービスを利用する上で必須である。例えば[[C言語]]の標準ライブラリ関数である[[fwrite]]は、Windows上ではAPI関数である [https://docs.microsoft.com/en-us/windows/win32/api/fileapi/nf-fileapi-writefile WriteFile] を使って実装されている。<code>WriteFile</code>はOSの機能に直接アクセスできることから<code>fwrite</code>よりも高機能であり、別OSへの移植性を考えなければ<code>fwrite</code>の代わりに<code>WriteFile</code>を直接利用してアプリケーションを記述することもできる。同様に、Linuxでは [https://linuxjm.osdn.jp/html/LDP_man-pages/man2/write.2.html write][[システムコール]]を利用して実装されている。 APIはサービスを利用するうえで必須になるが、APIを直接使用することは外部サービスに対する依存性を高め移植性を妨げる。例えば前述の<code>WriteFile</code>を使うプログラムは基本的にWindows用にしか[[コンパイラ|コンパイル]]できないが、<code>fwrite</code>を使うプログラムは[[フリースタンディング環境]]以外ならどの環境でもコンパイルできる。このため移植性を考えるのであればAPIの直接使用は避け、APIを抽象化したライブラリを使用することが望ましい。 さらに、後述するように移植性を意識する言語ではライブラリとAPIを厳密に区別している場合が多い。特に後述のSmalltalkは[[クロスプラットフォーム]]が一つの長所となっているためAPIの直接使用を避けることは重要となる。 [[C++]]の規格書では、API関数とライブラリ関数は一貫して区別されており、API関数は標準のライブラリ関数から呼び出されるもの、あるいは標準ライブラリの関数が同等の機能を模倣する対象として書かれている<ref>[http://open-std.org/jtc1/sc22/wg21/docs/papers/2013/n3797.pdf C++14の規格書の最終草案]</ref>。また[[C言語|C]]の規格書においてはAPIという言葉は無く、相当する関数がライブラリ関数以外の関数として書かれている<ref>[http://www.open-std.org/jtc1/sc22/wg14/www/docs/n1570.pdf C11の規格書の最終草案]</ref>。1980年代から存在する[[Smalltalk]]でもAPIとライブラリは区別されており、例えばSmalltalk環境の一種である[[Pharo]]はAPIと対応しているパッケージをライブラリとは別にAPIとして区分している [http://catalog.pharo.org/catalog/tags/api?_s=XEKfrrtphSNCTCEh&_k=f6KcWHabBzs5F4yz]。 なお、標準ライブラリはOSや[[ファームウェア]]などアプリケーション以外からも使われる。 == 詳細 == === ライブラリとフレームワーク === APIは[[ライブラリ|ソフトウェアライブラリ]]と対応しているのが一般的である。 APIは「期待される挙動」を規定し説明するが、ライブラリはその規則群の「実際の実装」である。 1つのAPIが複数の実装を持つこともあるし、実装のない抽象的APIもありうる。 広義のAPIは[[ソフトウェアフレームワーク]]と対応する場合もある。フレームワークはいくつかのライブラリを備え、いくつかのAPIを実装することもあるが、通常のAPIとは使い方が異なり、「フレームワークに組み込まれた」挙動への「アクセス」としてフレームワーク自身に新たなクラスをプラグインすることでその内容を拡張するという手段をとる。さらに言えば、呼び出し側はプログラムの動作を制御できず、[[制御の反転]]や他の類似の機構によってフレームワーク側が流れを制御する<ref>{{Cite web |first = Martin |last = Fowler |title = Inversion Of Control |url = http://martinfowler.com/bliki/InversionOfControl.html |accessdate = 2012-10-18}}</ref>。 === APIとプロトコル === APIは[[通信プロトコル|プロトコル]]の実装となっていることもある。 [[通信プロトコル|プロトコル]]は、共通の転送手段に基づいた要求と応答の標準的交換方法を定義している。一方プロトコルを実装していないAPIは、ライブラリとして実装され、直接使われるのが一般的である。したがってAPIには「転送手段」が関与することはなく(遠隔のマシンとの物理的情報転送を行わない)、「関数呼び出し」によって単純に情報交換し、データは特定の言語で表現された形式で交換される<ref>{{Cite web |title = API vs Protocol |url = http://c2.com/cgi/wiki?ApiVsProtocol |accessdate = 2012-10-18}}</ref>。 APIがプロトコルの実装である場合、下層にある通信プロトコルを使ってリモート呼び出しを行うための[[Proxy パターン|プロキシ]]的手段となっている。その場合のAPIの役目は、プロトコルの詳細を隠蔽することである。例えば[[Java Remote Method Invocation|Java RMI]]は、{{仮リンク|JRMP|en|JRMP}}プロトコルまたは[[RMI-IIOP]]としての[[GIOP|IIOP]]を実装している。 プロトコルは一般に異なるテクノロジー(特定OS内の特定プログラミング言語に基づくシステム)間をつなぎ、それらの間での情報交換を可能にしている。一方APIは特定のテクノロジーに固有であり、何らかの変換手段を用いない限り、ある言語用のAPIを別の言語では使用できない。 ==== オブジェクトAPIとプロトコル ==== オブジェクトAPIは具体的なオブジェクト交換フォーマットを規定し、オブジェクト交換プロトコルはメッセージ内の同種の情報をリモートシステムに転送する方法を定義する。 2つの異なるプラットフォーム間で、両者にあるオブジェクトを使ってプロトコル経由でメッセージを交換する場合、あるプログラミング言語内のオブジェクトは相手の異なる言語でのオブジェクトに変換される。例えば[[Java]]で書かれたプログラムが[[C Sharp|C#]]で書かれたサービスを[[SOAP (プロトコル)|SOAP]]や[[GIOP|IIOP]]経由で呼び出す場合、どちらのプログラムもリモート呼び出し用API(API自体はローカルに存在する)を使って情報交換し、ローカルなメモリ内でオブジェクトの変換を行う。 一方、同一マシン上でAPI経由のオブジェクト交換を行う場合、メモリ内で効率的に(オブジェクトまたはオブジェクトへの参照の)交換が行われる。例えば、1つのプロセスに割り当てられたメモリということもあるし、[[共有メモリ]]を使って複数プロセス間で行うこともあるし、[[Linda|タプルスペース]]のような共有技法を使うこともある。 == ウェブAPI == {{Main|Webサービス}} ウェブAPIは[[Hypertext Transfer Protocol|HTTP]]要求メッセージ定義と[[JavaScript Object Notation|JSON]]形式等の応答メッセージ定義で構成される。[[Web 2.0]]では[[SOAP (プロトコル)|SOAP]]ベースから[[Representational State Transfer|REST]]ベースへと変化している<ref>{{Cite web |first= Djamal |last= Benslimane |coauthors= Schahram Dustdar, and Amit Sheth |title= Services Mashups: The New Generation of Web Applications |url= http://www.infosys.tuwien.ac.at/Staff/sd/papers/ServicesMashups_IC.pdf |work= IEEE Internet Computing, vol. 12, no. 5 |publisher= Institute of Electrical and Electronics Engineers |pages= 13–15 |year= 2008 |accessdate=2012-10-18}}</ref>。ウェブAPIは[[マッシュアップ (Webプログラミング)|マッシュアップ]]により複数のサービスを組み合わせて新たなアプリケーションとすることを可能にする<ref>{{Citation |first= James |last= Niccolai |title= So What Is an Enterprise Mashup, Anyway? |url= http://www.pcworld.com/businesscenter/article/145039/so_what_is_an_enterprise_mashup_anyway.html |work= PC World |date= 2008-04-23}}</ref>。 === ウェブによるコンテンツ共有 === APIを公表する慣習により、ウェブコミュニティにはコミュニティ間やアプリケーション間でコンテンツとデータを共有するオープンアーキテクチャが発展していった。そのため、ある場所で作成されたコンテンツはウェブ上の様々な場所で盛んにポストされ更新される。 # 写真は[[Flickr]]や[[Photobucket]]といったサイトから[[Facebook]]や[[Myspace]]といったソーシャルネットワークサイトに共有される。 # コンテンツは埋め込むこともできる。例えば、[[:en:SlideShare|SlideShare]]にあるプレゼン資料を[[LinkedIn]]のプロファイル情報に埋め込むことができる。 # [[Twitter]]のつぶやきを[[Facebook]]の投稿にも同時に反映させるAPIもある。 # 動画コンテンツも別のホスト上のサイトに埋め込むことができる。 # ウェブコミュニティにおけるユーザー情報を外部アプリケーションと共有させることができ、アプリケーションの更新をウェブ側から働きかけるなどの機能もオープンなAPIで実現されている。好例として{{仮リンク|Facebookプラットフォーム|en|Facebook Platform}}や[[OpenSocial]]プラットフォームがある。 === 様式 === WebAPIは様々なスタイルで表現される。例えばリソースの表現は以下の様式がありうる。 * URLパス名: <code><nowiki>https://API.internal</nowiki>.'''/japan/tokyo/sinjuku'''</code> *URLクエリ文字列: <code><nowiki>https://API.internal</nowiki>.'''/?country=japan&prefecture=tokyo&city=sinjuku'''</code> *リクエストボディ: <code>POST <nowiki>https://API.internal</nowiki>. Body '''{country: japan, prefecture: tokyo, city: sinjuku}'''</code> パスは厳密な階層構造をもつリソースの表現に適している。クエリ文字列およびリクエストボディは自由な表現が可能なため任意のリソースに利用できる。 広く知られるWebAPIスタイルの例として以下が挙げられる。 *[[Representational State Transfer|REST]]<nowiki/>ful API: 操作をHTTPメソッド、リソースをURLパス名で表現 *[[GraphQL]]: 操作およびリソースをリクエストボディ内に[[ドメイン固有言語|DSL]] (GraphQL query language) で表現 *[[SOAP (プロトコル)|SOAP]] == 実装 == [[POSIX]]標準は、様々な一般的コンピューティング機能を各種システム上で実装できるよう考慮したAPIを定義している。例えば、[[macOS]]や[[Berkeley Software Distribution|BSD]]系システムで実装されている。ただし、ABIや実行ファイル形式は標準化されていないため、POSIX準拠のプログラムを別のPOSIX準拠のプラットフォームで実行するには、再コンパイルが必要である。 一方、APIおよびABIに互換性があるシステムならば、どこでも同じバイナリをそのまま実行可能である。これはアプリケーションソフトウェアベンダーにもユーザーにも有益であり、ベンダーは互換API/ABIが実装されていれば新システムが登場してもアプリケーション製品を修正・リビルドせずに済むし、ユーザーも古いソフトウェアを後方互換性のある新システムにインストールして利用できる。ただし、それには一般に各種ライブラリが必要なAPI群を実装している必要がある。 WindowsはAPI/ABIに後方互換性があり、例えば[[Visual C++]]と[[Windows SDK]]を使用して開発されたアプリケーションは、ビルド時にWindows APIヘッダーをインクルードする前に<code>WINVER</code>および<code>_WIN32_WINNT</code>などのシンボル<ref>[https://docs.microsoft.com/ja-jp/cpp/porting/modifying-winver-and-win32-winnt WINVER および _WIN32_WINNT の変更 | Microsoft Docs]</ref>が適切に定義されていれば、指定したバージョン以降のすべてのWindowsで動作する<ref group="注釈">新しいバージョンのコンパイラおよびWindows SDKでは、ある程度古いバージョンのWindowsのサポートが打ち切られることもある。</ref>。廃止されたAPI関数などを使用していない限り、アプリケーションを修正・リビルドする必要はない。新しいバージョンのWindowsで追加された機能を使いたい場合、<code>WINVER</code>および<code>_WIN32_WINNT</code>をそのバージョンに合わせて定義するか、<code>LoadLibrary</code>関数を使用して動的ロードする。 なお[[Windows XP]]以降では、特定のバージョンのWindowsの実装や内部仕様に依存するなど、誤った実装や後方互換性を無視した実装により正常に動作しなくなってしまったアプリケーション向けに、「互換モード」が用意されている。これはシステム側が返す情報を特定バージョンのWindowsのものに偽装することで、アプリケーションをだますことにより動作させる救済措置であり<ref>[https://121ware.com/qasearch/1007/app/servlet/relatedqa?QID=003142 121ware.com > サービス&サポート > Q&A > 情報番号 003142]</ref><ref>[https://tech.nikkeibp.co.jp/it/article/COLUMN/20100914/352030/ Windows 7の互換機能を使いこなす(互換モード編) | 日経 xTECH(クロステック)]</ref><ref>[https://news.mynavi.jp/article/win81tips-100/ Windows 8.1ミニTips(100) 「プログラム互換性アシスタント」を制御する●つの方法 | マイナビニュース]</ref>、本来はアプリケーション側をAPI外部仕様に基づいて正しく修正することが好ましい。 [[Unix系]]OSでは、相互に関連はあるが非互換なOS群が同一ハードウェア上で動作している。ソフトウェア業者が同一バイナリで各種OSに対応できるようAPIとABIを共通化する試みがなされてきたが、いずれも失敗に終わっている。そのような試みとして[[Linux]]では[[Linux Standard Base]]がある。BSD系OSも各種あるが、互換性のレベルは様々である。 Androidには「APIレベル」という概念が存在し、[[Androidのバージョン履歴|Android OSのバージョン]]ごとにAPIレベルの番号が割り振られている。例えばAndroid 10はAPIレベル29に相当する。特定のAPIレベルで追加された機能(クラス、メソッド、フィールド)を利用するには、アプリケーションのビルド時に "AndroidManifest.xml"<ref>[https://developer.android.com/guide/topics/manifest/uses-sdk-element &#x3c;uses-sdk&#x3e; | Android Developers]</ref>あるいは "build.gradle"<ref>[https://developer.android.com/studio/build?hl=ja ビルドを設定する | Android Developers]</ref>にて<code>targetSdkVersion</code>の値をそのAPIレベル番号以降に設定し、また指定されたバージョン以降のAndroid SDKを使ってビルドする必要がある。また、<code>minSdkVersion</code>の値によって、アプリケーションのインストールおよび実行に必要な最小システムバージョンを指定することができる。<code>minSdkVersion</code>以下の機能は(廃止されたものでない限り)無条件で使用できるが、<code>minSdkVersion</code>を超えるバージョンで追加された機能を使用する場合は、[https://developer.android.com/reference/android/os/Build.VERSION android.os.Build.VERSION] クラスの<code>SDK_INT</code>フィールドの値に基づいて動的分岐する処理を実装する必要がある。 == 公開の方針 == APIの公開に関しては2つの一般的な方針がある。 # 自社のAPIを厳重に秘匿する。 #: 例えば[[ソニー]]は[[ライセンス]]をもった開発者にしか[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]の公開APIを利用できないようにしている。なぜならPlayStationのゲームを開発できる人の数を制限したほうが、より多くの利益をあげられるからである。これはAPIの実装を売ることで利益を上げるわけではない会社の典型的な例である。(ソニーの場合は、ゲーム開発時のAPIのライセンス料によって利益を上げようとしたがうまくいかず、PlayStation用[[コンソール]]の販売を中止している。) # 自社のAPIを広く普及させる。 #: 例えば[[マイクロソフト]]は計画的にAPIに関する情報を公開しているので、誰でも簡単に[[Microsoft Windows|Windows]][[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]用のソフトウェアを作成することができる。これはAPIの実装を販売して利益をあげる会社の例である。OSなどのAPIは、いくつかのコードに分割され、[[ライブラリ]]として実装されており、OSと一緒に配布される。OSと一緒に配布されるWindowsのAPIは誰でも使うことができる。また直接アプリケーションの中に統合される必要があるAPIもある。 この2つの方針の中間もある。 == リバースエンジニアリングと著作権 == 互換性のためのAPIを作成するためにそのAPIの実装を解析することは一般的に[[合法]]である。この手法は相互運用性のための[[リバースエンジニアリング]]と呼ばれる。しかしAPIそのものとは異なり、APIの実装には著作権が存在するため、リバースエンジニアリングする前には著作権侵害の問題が生じないよう、十分注意する必要がある。また、使おうとしているAPIに、[[特許]]保持者の許可がなければ使えない特許技術が許可なく含まれていたら、それは特許権侵害になりうる(ただし、これはリバースエンジニアリングに限られた話ではなく、APIを利用するプログラムにも全般的に言えることである)。 [[2010年]]、米[[オラクル (企業)|オラクル]]は[[Google]]が[[Java]]の新たな実装を[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]の一部として配布したとして、Googleを訴えた<ref>{{Cite web |url= http://www.drdobbs.com/jvm/232901227 |title=Oracle and the End of Programming As We Know It |publisher=DrDobbs |date=2012-05-01 |accessdate=2012-05-09}}</ref>。Java APIを複製する許可(ライセンス)は[[OpenJDK]]プロジェクトや[[IBM J9]]などの実装には与えられていたが、一方Androidの[[Dalvik仮想マシン]]の実装は[[OpenJDK]]などに基づいてはおらず、またGoogleはJava APIを複製する許可をとっていなかった。これに対して、地方裁判所はAPIは著作権法の対象外であるとする判断を下したものの、控訴裁では保護対象であるとされ、最終的に[[2015年]]、最高裁によりアメリカ合衆国内ではAPIにも著作権があるとの判断が確定した<ref>{{cite web | url= http://www.zdnet.com/blog/btl/jury-clears-google-of-infringing-on-oracle-patents/77897 | title=Jury clears Google of infringing on Oracle's patents | author = Josh Lowensohn | work=ZDNet | date = May 23, 2012 | accessdate=2012-05-25}}</ref><ref>{{cite web | title = Google wins crucial API ruling, Oracle’s case decimated| url = http://arstechnica.com/tech-policy/2012/05/google-wins-crucial-api-ruling-oracles-case-decimated/ | author = Joe Mullin| work = Ars Technica | date = May 31, 2012| accessdate = 2012-06-01 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://xtech.nikkei.com/it/atcl/news/15/063002179/|title=米最高裁がGoogleの訴えを却下、OracleとのJava著作権訴訟で|publisher=[[日経BP|ITPro]]|date=2015-06-30|accessdate=2015-07-01}}</ref>。ただしその後の審理を経て、[[2021年]]には著作権があっても[[フェアユース]]の下に利用可能であるとの判断が下されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.publickey1.jp/blog/21/10googlejava_se.html|title=[速報]10年にわたる著作権訴訟でGoogleがオラクルに勝訴、米連邦最高裁判所で判決。Java SEのコードのコピーはフェアユースの範囲|publisher=Publickey|date=2021-04-06|accessdate=2021-04-07}}</ref>。 [[日本]]においては、[[著作権法]]第10条第3項において、プログラムのインタフェースやプロトコルが著作物とみなされないことが明確に示されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.furutani.co.jp/kiso/tyosaku2.html|title=知的財産権(特許・商標・著作権)の基礎講座|publisher=知的財産権(特許・商標・著作権)の基礎講座|author=松下正|accessdate=2015-07-01}}</ref>。 == 類似する概念 == * DDI (Device Driver Interface) - [[デバイスドライバ]]を開発するためのソフトウェアインタフェース。WindowsおよびLinuxの用語。 * ファームウェアインタフェース - [[ファームウェア]]を開発するためのソフトウェアインタフェース。[[UEFI]]<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/windows-hardware/design/device-experiences/oem-uefi UEFI firmware requirements | Microsoft Docs]</ref>など。 * '''[[ASPI]]''' - SCSI 装置を制御するためのソフトウェアインタフェース 特にDDIやファームウェアインタフェースを使う場合は、ソフトウェアがアプリケーションと異なる環境で動作しAPIに依存するライブラリを使用できない場合があるため、開発者は自分が何を使っているか意識する必要がある。 == APIの例 == * [[Carbon (API)|Carbon]]と[[Cocoa (API)|Cocoa]] - [[macOS]] * [[Common Object Request Broker Architecture|CORBA]] * [[Document Object Model]] (DOM) - [[HyperText Markup Language|HTML]]文書や[[Extensible Markup Language|XML]]文書をアプリケーションから利用するためのAPI * [[Microsoft DirectX|DirectX]] - [[Microsoft Windows]]用のマルチメディアAPI * [[:en:EHLLAPI|EHLLAPI]] * [[iconv]] - [[文字コード]]間の相互変換用API(POSIXの一部) * {{仮リンク|I/O Kit|en|I/O Kit}} - [[Darwin (オペレーティングシステム)|Darwin]] * {{仮リンク|Java API一覧|en|List of Java APIs|label=Java API}} * [[Open Database Connectivity|ODBC]] - [[Microsoft Windows]] * [[OpenAL]] - クロスプラットフォームのオーディオAPI * [[OpenCL]] - 異種計算資源を汎用並列処理に使用するためのクロスプラットフォームのAPI * [[OpenGL]] - クロスプラットフォームのグラフィックスAPI * [[OpenMP]] - クロスプラットフォームの共有メモリ型マルチプロセッシング用API。C/C++、Fortranで利用可能。 * [[POSIX]] * [[QuickTime]] * [[Single UNIX Specification]] * [[SDL|Simple DirectMedia Layer]] (SDL) * Toolbox - [[Mac OS]] * [[Windows API]] - [[Microsoft Windows]] * [[XPCOM]] * [https://xeex-products.jp/extelligence/utilize-api/ EXtelligence API]- EDIを組み込めるAPI * [https://picwish.com/jp/background-removal-api/ PicWish API]- 画像加工API == 言語束縛とインタフェースジェネレータ == 複数の[[高水準言語]]での使用を意図したAPIは、文法的・意味的に各言語に適したインタフェースをAPIに自動的にマッピングする機能を提供している。これを[[束縛 (情報工学)|言語束縛]]と呼び、それ自体もAPIである。その目的は、そのAPIに要求される機能のほとんどを[[カプセル化]]するため、各言語に薄い層を設けることである。 以下に挙げたものは、コンパイル時に言語とAPIの束縛を行うインタフェースジェネレータである。 * [[SWIG]] - オープンソースの多言語間のインタフェースジェネレータ(通常はC/C++からスクリプト言語へのインタフェースを生成) * F2PY:<ref>{{Cite web|url= http://www.f2py.org/ |title=F2PY.org |publisher=F2PY.org |date= |accessdate=2011-12-18}}</ref> - [[FORTRAN|Fortran]]から[[Python]]へのインタフェースジェネレータ == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{commonscat|Application programming interfaces}} * [[システムコール]] * [[呼出規約]] * [[Foreign function interface]] * [[名前修飾]] * [[プラグイン]] * [[ソフトウェア開発キット]] == 外部リンク == * {{コトバンク|API}} {{オペレーティングシステム}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あふりけえしよんふろくらみんくいんたふええす}} [[Category:API|*]] [[Category:プログラミング]]
2003-02-26T22:33:24Z
2023-10-07T00:47:26Z
false
false
false
[ "Template:Main", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist", "Template:Citation", "Template:コトバンク", "Template:オペレーティングシステム", "Template:独自研究", "Template:Lang-en-short", "Template:仮リンク", "Template:正確性", "Template:Reflist", "Template:Normdaten", "Template:Lang", "Template:Commonscat", "Template:WikipediaPage", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%B9
2,964
パソコン通信
パソコン通信(パソコンつうしん)は、専用ソフト等を用いてパソコンとホスト局のサーバ(またはノード、ホスト)との間で、通信回線によりデータ通信を行う手法及びそれによるサービスである。 全盛期は1980年代後半から1990年代で、のちにインターネットが一般ユーザーに開放されたため、徐々に衰退していった。商用大手としては最後まで残っていたニフティが、2006年3月末でパソコン通信サービス「NIFTY-Serve」を終了した事で、パソコン通信は事実上廃止となった。 パソコン通信はいわゆる「クローズドネットワーク」であり、特定のサーバ(ホスト)とその参加者(会員)の間だけをつなぐ閉じたネットワークであったため、他のネットワークに接続するには一度接続を切る必要があった。基本はクローズドネットワークであったが、提携しているサーバ(「NIFTY-Serve」と「CompuServe」など)やインターネットに元のサーバに接続しながらアクセスする事が出来るサービスを提供しているサーバもあった。これに対し、インターネットは「オープンネットワーク」であり、インターネット上のサーバ(ホスト)であれば切り替えずに複数に同時にアクセス可能である。 原理的には個人同士が1対1で接続することも含まれるが、通常の利用形態としてはパソコンにモデムや音響カプラなどを接続して一般加入回線(電話回線)を経由してサーバにダイアルアップ接続していた。その中で電子メールの送受信や電子掲示板、チャットなどを利用した情報交換が行われた。株式取引や公営競技の投票が運営されていた時期もある。 ファイルアーカイブなどの機能を持つが、基本的には情報の送受信は文字データ中心である。パソコン以外にも、ワープロ専用機や家庭用ゲーム機・携帯端末での通信接続もパソコン通信に分類される場合がある。 日本でパソコン通信ホストを運営していた団体・企業には、ニフティサーブ(@niftyを経て現・ニフティ)、PC-VAN(現・BIGLOBE)、アスキーネット(アスキーによるサービス、後にネットワーク事業から撤退)などに代表される商用業者を始めとして、エプソンなど顧客サービスを目的としたものがあった。またそれ以外に個人やグループなどで開設した草の根BBSと呼ばれる小さい局が多数存在していたが、ニフティサーブとPC-VANの二大ネットは、それぞれ数百万の会員を集め、活況を呈した。 一方の草の根BBSはパソコン、ホスト用ソフト、着信用のモデムと通常電話回線、それに書籍から十分仕入れられる比較的簡単な技術知識があれば誰でも開設可能であり、原則無料であったが、一般向けに料金を徴収するなどの商用サービスであれば第2種電気通信事業に該当するため、当時の郵政省への届け出を必要とした。 大規模なところでは、「コミュニティー」と呼ばれる趣味・話題を共通にする集まり(ニフティサーブではフォーラム、PC-VANではSIGと呼んだ)をいくつも作り、それぞれの中で情報交換ができるようにしていた。小規模な草の根BBSなどでは、それ自体が1つのフォーラムのようになっているところもあった。 通信方式はインターネットの各種通信プロトコル(TCP/IPなど)と異なり、基本的に無手順による文字の送受信のみで、ストップビットなど様々な項目を適正に設定しないと通信ができなかった。 画像などバイナリデータの送受信もできたが、各種バイナリ転送プロトコルを使用する必要があり、後のインターネットに比べると面倒なものであった。バイナリ転送プロトコルが普及する以前に開発されたのが、ishなどバイナリデータとテキストを相互変換するツールである。電子メールでのバイナリデータのやり取りや、バイナリ転送に別課金が生じるPC-VANなどでよく利用された。 通信速度は初期には音響カプラを用いた300bps程度であったが、モデムでパソコンと電話回線を直結できるようになると、モデムの改良と歩調を合わせる形で1,200、2,400、9,600、14,400bpsへと速度が上がり、インターネット・サービス・プロバイダ(ISP)のダイヤルアップ接続用アクセスポイントが主要都市に整備され始めた1996年頃には28,800bps、1997年頃には33,600bpsまで達した。現在、一般回線用モデムの能力は最高56kbpsまで上がったが、その能力を使ったパソコン通信はあまりない。ちなみに56kbpsで通信するには、サーバ側にISDN回線と専用のTA・モデムが必要なため、一般の56kbpsモデム同士では33,600bpsが上限である。 また1980年代半ばから、アマチュア無線家の間で、無線機にターミナルノードコントローラ(TNC)と呼ばれるデータ通信機器を接続して行なうアマチュアパケット通信が流行し、シリアルポートを持つパソコンやワープロでこれらに興じる人も多かった。特にアマチュア無線用バンド(周波数帯)では、回線の状態から通信速度は稼げないものの、当時の非常に高価な(1分数十円)電話回線を用いたパソコン通信では非常に贅沢な遊びとされたネットゲームもアマチュア無線経由で流行した。 1982年、在日米軍のための「CORTON-NET」が東京の山王ホテル内で開設され、またスティーブ・ベラミがアメリカ大使館内にBBSを開設した。同時期に林伸夫もApple IIをホストにしたサービス(後の「Mac Event」)を開設した。 1983年8月末にはデータブレーン社が大阪に「Com Com」を開設。これはホストにPC-9801を使用し、メール、電子掲示板、チャットなどのサービスを3回線で提供していた。 1985年、日本電信電話公社が日本電信電話(以下NTT)に移行するに伴い電気通信事業法などの法律が制定・改正された(通信自由化)。その結果、モジュラージャックなどの技術基準を満たしていれば、NTTなど第1種電気通信事業者が敷設する一般加入回線への端末設備の接続が、個人でも法律的に認められるようになった。これにより、従来は電話の受話器に音響カプラを乗せてダイヤルも手動で行い速度も300bps程度だったパソコン通信が、モデムによって手軽かつより高速に楽しめるようになった。これを受けて、数社から技術基準を満たす非同期式300/1200bpsのモデムが発売され、パソコン通信普及のきっかけとなった。これらのモデムは旧来のモデムとは違い、網制御装置(NCU)を内蔵したものである。 1980年代半ばにアスキーネット、PC-VANなどの大手業者が商用サービスに参入、通信ソフトの普及と共に安価な2400bpsモデムが発売されるなど、1990年代にかけて大手、草の根BBSとも加入者が増加していき、『電脳辞典 1990's』によれば、1989年末頃には商用大手9社の加入者数が20万人台、草の根ネットは24時間運営局だけでも300局以上、といった規模となる。 基本的には個々のサービスはそれぞれ独立しており、ニフティとCompuServe、朝日ネットとPeopleなど提携関係にある一部の場合を除いては、他サービスとのつながりはほとんどなかった。電子メールのやりとりも同一サービス加入者でないと不可能であったが、1992年にPC-VANとニフティのメールが接続され、さらに各サービスでインターネットメールとの接続が開始されたため、大手商用サービスのメールに限っては障壁がなくなった。 パソコン通信では、アクセス数の増加への対応や全国各地に居住する利用者への負担を軽減するためには、アクセスポイントを増やさざるを得なかった。ニフティとPC-VANがそれぞれの運営母体である富士通のFENICSとNECのC&Cという自前のVANを活用し、全国各地にアクセスポイントを続々と設置していったのに対して、他社は遅れを取ってアクセスポイント数も少なく、日本の商用パソコン通信サービスはニフティとPC-VANの寡占状態となり、1996年にはそれぞれ会員数200万人を数えた。 草の根BBSでは、24時間開設となっても複数の電話回線と複数のモデムがなければ複数の人間が接続できず、長時間の接続を制限することもあった。遠距離からの電話回線料金の負担を軽減するために、パケット通信によるTYMPASやTri-PといったVANサービスで全国からの接続を仲介したこともあった。例えば、東京から大阪のホストへ直接電話回線の従量料金で接続することは相当な電話料金がかかり、VANサービスならば全国の主要都市にアクセスポイントがあり、近隣のアクセスポイントに接続すれば電話料金を節約できた。しかしホストとユーザーともにVANサービスを利用するための費用も必要であり、会員からの費用徴収が困難な側面もあり、個人で運営するBBSの運営は無料により近隣地区からユーザーの接続という趣味の範囲にとどまることが多かった。個人運営のホストの中には夜間のみ開設され、昼間は普通の電話として使われる回線もあり、専用の回線を24時間開放することは贅沢であった。 ネットワーキングフォーラムと呼ばれる全国大会も開催され、BBSの接続番号などを記載した「ワープロ/パソコン通信BBS電話帳」がマイコンBASICマガジン別冊として年2回のペースで出版されたこともあった。また、出版社などが運営するところもあったり、NHK衛星放送局も運営していた(銀河通信)こともある。名古屋市役所マイコンクラブが運営し、NHK-FM名古屋のリクエストと連動したDEPO-NETなどのメディアミックスも存在した。DEPO-NETは1989年に名古屋で開催された世界デザイン博覧会の協賛ネットワークであり、名古屋市役所やNTT名古屋、NHKという堅い組織が協力していたが、草の根BBSの一つであった。 これらの草の根BBSの中には、無線でパソコン通信を接続するだけでなく、JUNETと連動して、無線でインターネット接続をしていた。 1994年頃から、世界規模の通信網であるインターネットへの一般個人からの接続環境が整備され始めた。 1995年、Windows 95が発売され、パソコンの普及が加速した。ただしマイクロソフトCEO(当時)であったビル・ゲイツはインターネットの普及はまだ先であるとして、パソコン通信を前提としたネットワークを考えていた。それがMSNの元となる The Microsoft Networkである。ゆえに、Windows 95の初期バージョンにはインターネット関連の機能は初期状態で搭載されておらず、別売りの「Microsoft Plus!」に拡張機能としてのInternet Explorerが含まれていたのみであった。 Windows 95発売後、ビル・ゲイツは自分の判断の誤りに気づき、OSR2以降ではインターネット関連機能が標準搭載されるようになった。すなわち、OSR2ではTCP/IPが初期状態で選択されており、「Windows 95を使えばインターネットに接続できる」というイメージ戦略に成功した。 日本ではNTTがINS1500などダイアルアップ回線として安価に多数の回線を収容できるサービスを始めるなど、設備投資が安価になるなどの環境整備もあり、相次ぐISP企業の参入と、ダイヤルアップ接続用アクセスポイントの設置地域が拡充され、多くの地域で安価(市内通話料金あるいはテレホーダイ + プロバイダ料金)にインターネットへ接続できる環境が整っていった。この状況の変化により、基本的に一つの閉じたシステムであるパソコン通信については、事業の将来性や存在意義が薄れてしまったり、2000年問題で更新を迫られたホストも少なくなかったことから、アスキーネットや日経MIX、Peopleなど、殆どの商用サービスでは事業を中止したり、ニフティやPC-VAN、ASAHIネットのように、ISPに事業の中心を移したりしていった。 2000年代には大手、草の根とも、従来のパソコン通信上にあったコンテンツは、インターネットWeb上の電子掲示板等に移行しているか、廃業したところが多く、Telnet接続で文字通信手段を残しているホストもあるが、無手順による接続ホストは消滅に近く実態は殆どつかめないにまで減少した。 全盛期当時の過去ログなどは、利用者によって個人的に保存されたもの以外は、ホストのハードディスク故障、古い記録媒体の劣化やアクセス手段の喪失のほか、運営者によって破棄されるなどして散逸していることが多い。また、保存されているデータも、著作権者が所在不明などの理由により、再利用されることはほとんどない。 少数ながら、業務用で残っていたものもあった。NECのモバイルギアシリーズ、シャープのザウルスなどで屋外での利用を考慮したツールを発売した事もあるが、主な利用は掲示板ではなく、メールなどのデータの送受信としてである。また、屋外での公衆電話機にパソコン通信を考慮したモジュラジャックが付くなどしている。端末側の設備として携帯電話に於いては速度は遅いものの、パソコンと直接接続する物もあった。 ネットの利用形態は様々だが、その中でも「オンラインソフトウェア(特にフリーソフトウェア)」の広範囲な流通と、素性をよく知らない人との気さくな「会話」は、パソコン通信で初めて可能になった。 意思伝達の主な方法が文書であると、日常的に文書を書く人と書かない人では文書作成力や読解力に格差が生じることから、意思がスムーズに伝わらずに誤解が生じることもあった。 文字でのやり取りは、対面して話す時とは違い、感情がそのまま文章に表れるとは限らず、また感情を読み取れる人ばかりではないため、感情やニュアンスを表すのに意図的に顔文字(絵文字)が付け足される場合もあった。また物事に付いての考えが異なれば意見が衝突する機会が度々生じ、いたるところで議論が行われるようになった。それに伴い、議論を楽しもうという人たちが表れる一方で見物して楽しもうという人たちも発生した。 草の根BBSなどでは、限りある回線を占有するだけでコミュニティに積極的に参加しない人をROM(ReadOnlyMember)やDOM(DownloadOnlyMember)と呼び、特に否定的な意味で使われたが、ROMは一般的には読むだけで発言しない人を示す用語であった。 1980年代末期になり、パソコン通信が普及するようになると、パソコン通信でユーザーが自作したパソコン用プログラムがオンラインソフトウェアとして公開されるようになった。従来はパソコン雑誌に投稿して掲載されるか、作者個人か仲間内で使われるしかなかったような小回りの効く便利なツールが一般に流通する機会を得ることになった。一般に単機能のものが多く、商用ソフトほど大規模ではないが、中にはファイル管理ソフトやパソコン通信ソフトなど市販の商用ソフトを凌ぐ人気を得たものもある。日本国内では、その多くはNECのパソコンPC-9800シリーズのMS-DOS上で動くものであった。 プログラミングが得意な人が善意で自作ソフトウェアを公開し、利用者によるバグ報告や要望を取り入れて改良が行われた。その多くは個人による開発であるが、利用者による改良を期待して企業が商用ソフトを開発する前段階として無償公開するソフトもあった。作者の意向によってフリーウェア(フリーソフト)、シェアウェアなどに区分されたが「羊羹ウエア(気に入ったら羊羹を送って欲しい)」という変わり種もあった。 MS-DOS上で動くソフトウェアが主流を占めた時代には決済の手段が限られていたため、ほとんどが無料のフリーウェアとして公開されMicrosoft Windowsが普及し出すと開発ソフトウェアが高価だった背景もあり、徐々に商用BBSで決済を行なうシェアウェアが増えていった。人気の高いソフトウエアは、開発元のホスト局にアップロードされるとたちまち全国の他のホスト局に転載されるのを始め、「月刊パソコン通信」などパソコン通信を扱った雑誌付録としてフロッピーディスクで配布された。しかし初期のパソコン通信では電子メールに課金されたり容量制限が厳しかったり、他のパソコン通信サービスとは相互にメールができなかったりしたため、サポートは自らの加入しているパソコン通信のみというものも多かった。 以下は、小規模なホスト用ソフトウェアである。ホストは、パソコン以外にも汎用コンピュータを使用した物も多々ある。 下記は主にパソコン用のパソコン通信向け機能を持った端末ソフト(いわゆる通信ソフト。ダム端末エミュレータと呼ばれる事もある)である。この他にもワープロソフト中に通信機能を持ったものやワープロ専用機に通信機能(OASYSのAutoComなど)を持った物もあった。 以下は、各ホストプログラムの出力やコマンドに対応した、専用ソフト(オフラインログリーダーなどと呼ばれた)である。 1980年代後半から1990年代のパソコン通信全盛期においては、パソコン通信の話題を専門に扱った専門誌が各社から発刊された。内容はモデムなどのハードウェアや通信プロトコルなどの技術情報、商用ソフト・オンラインソフトの使い方や新作情報、パソコン通信クライアントソフトウェアなどフリーソフトの配布、草の根BBSの開局情報、商用パソコン通信のフォーラムやSIGの紹介など多岐に渡った。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "パソコン通信(パソコンつうしん)は、専用ソフト等を用いてパソコンとホスト局のサーバ(またはノード、ホスト)との間で、通信回線によりデータ通信を行う手法及びそれによるサービスである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "全盛期は1980年代後半から1990年代で、のちにインターネットが一般ユーザーに開放されたため、徐々に衰退していった。商用大手としては最後まで残っていたニフティが、2006年3月末でパソコン通信サービス「NIFTY-Serve」を終了した事で、パソコン通信は事実上廃止となった。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "パソコン通信はいわゆる「クローズドネットワーク」であり、特定のサーバ(ホスト)とその参加者(会員)の間だけをつなぐ閉じたネットワークであったため、他のネットワークに接続するには一度接続を切る必要があった。基本はクローズドネットワークであったが、提携しているサーバ(「NIFTY-Serve」と「CompuServe」など)やインターネットに元のサーバに接続しながらアクセスする事が出来るサービスを提供しているサーバもあった。これに対し、インターネットは「オープンネットワーク」であり、インターネット上のサーバ(ホスト)であれば切り替えずに複数に同時にアクセス可能である。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "原理的には個人同士が1対1で接続することも含まれるが、通常の利用形態としてはパソコンにモデムや音響カプラなどを接続して一般加入回線(電話回線)を経由してサーバにダイアルアップ接続していた。その中で電子メールの送受信や電子掲示板、チャットなどを利用した情報交換が行われた。株式取引や公営競技の投票が運営されていた時期もある。", "title": "システム" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ファイルアーカイブなどの機能を持つが、基本的には情報の送受信は文字データ中心である。パソコン以外にも、ワープロ専用機や家庭用ゲーム機・携帯端末での通信接続もパソコン通信に分類される場合がある。", "title": "システム" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "日本でパソコン通信ホストを運営していた団体・企業には、ニフティサーブ(@niftyを経て現・ニフティ)、PC-VAN(現・BIGLOBE)、アスキーネット(アスキーによるサービス、後にネットワーク事業から撤退)などに代表される商用業者を始めとして、エプソンなど顧客サービスを目的としたものがあった。またそれ以外に個人やグループなどで開設した草の根BBSと呼ばれる小さい局が多数存在していたが、ニフティサーブとPC-VANの二大ネットは、それぞれ数百万の会員を集め、活況を呈した。", "title": "システム" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "一方の草の根BBSはパソコン、ホスト用ソフト、着信用のモデムと通常電話回線、それに書籍から十分仕入れられる比較的簡単な技術知識があれば誰でも開設可能であり、原則無料であったが、一般向けに料金を徴収するなどの商用サービスであれば第2種電気通信事業に該当するため、当時の郵政省への届け出を必要とした。", "title": "システム" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "大規模なところでは、「コミュニティー」と呼ばれる趣味・話題を共通にする集まり(ニフティサーブではフォーラム、PC-VANではSIGと呼んだ)をいくつも作り、それぞれの中で情報交換ができるようにしていた。小規模な草の根BBSなどでは、それ自体が1つのフォーラムのようになっているところもあった。", "title": "システム" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "通信方式はインターネットの各種通信プロトコル(TCP/IPなど)と異なり、基本的に無手順による文字の送受信のみで、ストップビットなど様々な項目を適正に設定しないと通信ができなかった。", "title": "システム" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "画像などバイナリデータの送受信もできたが、各種バイナリ転送プロトコルを使用する必要があり、後のインターネットに比べると面倒なものであった。バイナリ転送プロトコルが普及する以前に開発されたのが、ishなどバイナリデータとテキストを相互変換するツールである。電子メールでのバイナリデータのやり取りや、バイナリ転送に別課金が生じるPC-VANなどでよく利用された。", "title": "システム" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "通信速度は初期には音響カプラを用いた300bps程度であったが、モデムでパソコンと電話回線を直結できるようになると、モデムの改良と歩調を合わせる形で1,200、2,400、9,600、14,400bpsへと速度が上がり、インターネット・サービス・プロバイダ(ISP)のダイヤルアップ接続用アクセスポイントが主要都市に整備され始めた1996年頃には28,800bps、1997年頃には33,600bpsまで達した。現在、一般回線用モデムの能力は最高56kbpsまで上がったが、その能力を使ったパソコン通信はあまりない。ちなみに56kbpsで通信するには、サーバ側にISDN回線と専用のTA・モデムが必要なため、一般の56kbpsモデム同士では33,600bpsが上限である。", "title": "システム" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "また1980年代半ばから、アマチュア無線家の間で、無線機にターミナルノードコントローラ(TNC)と呼ばれるデータ通信機器を接続して行なうアマチュアパケット通信が流行し、シリアルポートを持つパソコンやワープロでこれらに興じる人も多かった。特にアマチュア無線用バンド(周波数帯)では、回線の状態から通信速度は稼げないものの、当時の非常に高価な(1分数十円)電話回線を用いたパソコン通信では非常に贅沢な遊びとされたネットゲームもアマチュア無線経由で流行した。", "title": "システム" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1982年、在日米軍のための「CORTON-NET」が東京の山王ホテル内で開設され、またスティーブ・ベラミがアメリカ大使館内にBBSを開設した。同時期に林伸夫もApple IIをホストにしたサービス(後の「Mac Event」)を開設した。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1983年8月末にはデータブレーン社が大阪に「Com Com」を開設。これはホストにPC-9801を使用し、メール、電子掲示板、チャットなどのサービスを3回線で提供していた。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1985年、日本電信電話公社が日本電信電話(以下NTT)に移行するに伴い電気通信事業法などの法律が制定・改正された(通信自由化)。その結果、モジュラージャックなどの技術基準を満たしていれば、NTTなど第1種電気通信事業者が敷設する一般加入回線への端末設備の接続が、個人でも法律的に認められるようになった。これにより、従来は電話の受話器に音響カプラを乗せてダイヤルも手動で行い速度も300bps程度だったパソコン通信が、モデムによって手軽かつより高速に楽しめるようになった。これを受けて、数社から技術基準を満たす非同期式300/1200bpsのモデムが発売され、パソコン通信普及のきっかけとなった。これらのモデムは旧来のモデムとは違い、網制御装置(NCU)を内蔵したものである。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1980年代半ばにアスキーネット、PC-VANなどの大手業者が商用サービスに参入、通信ソフトの普及と共に安価な2400bpsモデムが発売されるなど、1990年代にかけて大手、草の根BBSとも加入者が増加していき、『電脳辞典 1990's』によれば、1989年末頃には商用大手9社の加入者数が20万人台、草の根ネットは24時間運営局だけでも300局以上、といった規模となる。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "基本的には個々のサービスはそれぞれ独立しており、ニフティとCompuServe、朝日ネットとPeopleなど提携関係にある一部の場合を除いては、他サービスとのつながりはほとんどなかった。電子メールのやりとりも同一サービス加入者でないと不可能であったが、1992年にPC-VANとニフティのメールが接続され、さらに各サービスでインターネットメールとの接続が開始されたため、大手商用サービスのメールに限っては障壁がなくなった。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "パソコン通信では、アクセス数の増加への対応や全国各地に居住する利用者への負担を軽減するためには、アクセスポイントを増やさざるを得なかった。ニフティとPC-VANがそれぞれの運営母体である富士通のFENICSとNECのC&Cという自前のVANを活用し、全国各地にアクセスポイントを続々と設置していったのに対して、他社は遅れを取ってアクセスポイント数も少なく、日本の商用パソコン通信サービスはニフティとPC-VANの寡占状態となり、1996年にはそれぞれ会員数200万人を数えた。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "草の根BBSでは、24時間開設となっても複数の電話回線と複数のモデムがなければ複数の人間が接続できず、長時間の接続を制限することもあった。遠距離からの電話回線料金の負担を軽減するために、パケット通信によるTYMPASやTri-PといったVANサービスで全国からの接続を仲介したこともあった。例えば、東京から大阪のホストへ直接電話回線の従量料金で接続することは相当な電話料金がかかり、VANサービスならば全国の主要都市にアクセスポイントがあり、近隣のアクセスポイントに接続すれば電話料金を節約できた。しかしホストとユーザーともにVANサービスを利用するための費用も必要であり、会員からの費用徴収が困難な側面もあり、個人で運営するBBSの運営は無料により近隣地区からユーザーの接続という趣味の範囲にとどまることが多かった。個人運営のホストの中には夜間のみ開設され、昼間は普通の電話として使われる回線もあり、専用の回線を24時間開放することは贅沢であった。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ネットワーキングフォーラムと呼ばれる全国大会も開催され、BBSの接続番号などを記載した「ワープロ/パソコン通信BBS電話帳」がマイコンBASICマガジン別冊として年2回のペースで出版されたこともあった。また、出版社などが運営するところもあったり、NHK衛星放送局も運営していた(銀河通信)こともある。名古屋市役所マイコンクラブが運営し、NHK-FM名古屋のリクエストと連動したDEPO-NETなどのメディアミックスも存在した。DEPO-NETは1989年に名古屋で開催された世界デザイン博覧会の協賛ネットワークであり、名古屋市役所やNTT名古屋、NHKという堅い組織が協力していたが、草の根BBSの一つであった。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "これらの草の根BBSの中には、無線でパソコン通信を接続するだけでなく、JUNETと連動して、無線でインターネット接続をしていた。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1994年頃から、世界規模の通信網であるインターネットへの一般個人からの接続環境が整備され始めた。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1995年、Windows 95が発売され、パソコンの普及が加速した。ただしマイクロソフトCEO(当時)であったビル・ゲイツはインターネットの普及はまだ先であるとして、パソコン通信を前提としたネットワークを考えていた。それがMSNの元となる The Microsoft Networkである。ゆえに、Windows 95の初期バージョンにはインターネット関連の機能は初期状態で搭載されておらず、別売りの「Microsoft Plus!」に拡張機能としてのInternet Explorerが含まれていたのみであった。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "Windows 95発売後、ビル・ゲイツは自分の判断の誤りに気づき、OSR2以降ではインターネット関連機能が標準搭載されるようになった。すなわち、OSR2ではTCP/IPが初期状態で選択されており、「Windows 95を使えばインターネットに接続できる」というイメージ戦略に成功した。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "日本ではNTTがINS1500などダイアルアップ回線として安価に多数の回線を収容できるサービスを始めるなど、設備投資が安価になるなどの環境整備もあり、相次ぐISP企業の参入と、ダイヤルアップ接続用アクセスポイントの設置地域が拡充され、多くの地域で安価(市内通話料金あるいはテレホーダイ + プロバイダ料金)にインターネットへ接続できる環境が整っていった。この状況の変化により、基本的に一つの閉じたシステムであるパソコン通信については、事業の将来性や存在意義が薄れてしまったり、2000年問題で更新を迫られたホストも少なくなかったことから、アスキーネットや日経MIX、Peopleなど、殆どの商用サービスでは事業を中止したり、ニフティやPC-VAN、ASAHIネットのように、ISPに事業の中心を移したりしていった。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2000年代には大手、草の根とも、従来のパソコン通信上にあったコンテンツは、インターネットWeb上の電子掲示板等に移行しているか、廃業したところが多く、Telnet接続で文字通信手段を残しているホストもあるが、無手順による接続ホストは消滅に近く実態は殆どつかめないにまで減少した。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "全盛期当時の過去ログなどは、利用者によって個人的に保存されたもの以外は、ホストのハードディスク故障、古い記録媒体の劣化やアクセス手段の喪失のほか、運営者によって破棄されるなどして散逸していることが多い。また、保存されているデータも、著作権者が所在不明などの理由により、再利用されることはほとんどない。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "少数ながら、業務用で残っていたものもあった。NECのモバイルギアシリーズ、シャープのザウルスなどで屋外での利用を考慮したツールを発売した事もあるが、主な利用は掲示板ではなく、メールなどのデータの送受信としてである。また、屋外での公衆電話機にパソコン通信を考慮したモジュラジャックが付くなどしている。端末側の設備として携帯電話に於いては速度は遅いものの、パソコンと直接接続する物もあった。", "title": "日本のパソコン通信の歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ネットの利用形態は様々だが、その中でも「オンラインソフトウェア(特にフリーソフトウェア)」の広範囲な流通と、素性をよく知らない人との気さくな「会話」は、パソコン通信で初めて可能になった。", "title": "利用形態" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "意思伝達の主な方法が文書であると、日常的に文書を書く人と書かない人では文書作成力や読解力に格差が生じることから、意思がスムーズに伝わらずに誤解が生じることもあった。", "title": "利用形態" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "文字でのやり取りは、対面して話す時とは違い、感情がそのまま文章に表れるとは限らず、また感情を読み取れる人ばかりではないため、感情やニュアンスを表すのに意図的に顔文字(絵文字)が付け足される場合もあった。また物事に付いての考えが異なれば意見が衝突する機会が度々生じ、いたるところで議論が行われるようになった。それに伴い、議論を楽しもうという人たちが表れる一方で見物して楽しもうという人たちも発生した。", "title": "利用形態" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "草の根BBSなどでは、限りある回線を占有するだけでコミュニティに積極的に参加しない人をROM(ReadOnlyMember)やDOM(DownloadOnlyMember)と呼び、特に否定的な意味で使われたが、ROMは一般的には読むだけで発言しない人を示す用語であった。", "title": "利用形態" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1980年代末期になり、パソコン通信が普及するようになると、パソコン通信でユーザーが自作したパソコン用プログラムがオンラインソフトウェアとして公開されるようになった。従来はパソコン雑誌に投稿して掲載されるか、作者個人か仲間内で使われるしかなかったような小回りの効く便利なツールが一般に流通する機会を得ることになった。一般に単機能のものが多く、商用ソフトほど大規模ではないが、中にはファイル管理ソフトやパソコン通信ソフトなど市販の商用ソフトを凌ぐ人気を得たものもある。日本国内では、その多くはNECのパソコンPC-9800シリーズのMS-DOS上で動くものであった。", "title": "利用形態" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "プログラミングが得意な人が善意で自作ソフトウェアを公開し、利用者によるバグ報告や要望を取り入れて改良が行われた。その多くは個人による開発であるが、利用者による改良を期待して企業が商用ソフトを開発する前段階として無償公開するソフトもあった。作者の意向によってフリーウェア(フリーソフト)、シェアウェアなどに区分されたが「羊羹ウエア(気に入ったら羊羹を送って欲しい)」という変わり種もあった。", "title": "利用形態" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "MS-DOS上で動くソフトウェアが主流を占めた時代には決済の手段が限られていたため、ほとんどが無料のフリーウェアとして公開されMicrosoft Windowsが普及し出すと開発ソフトウェアが高価だった背景もあり、徐々に商用BBSで決済を行なうシェアウェアが増えていった。人気の高いソフトウエアは、開発元のホスト局にアップロードされるとたちまち全国の他のホスト局に転載されるのを始め、「月刊パソコン通信」などパソコン通信を扱った雑誌付録としてフロッピーディスクで配布された。しかし初期のパソコン通信では電子メールに課金されたり容量制限が厳しかったり、他のパソコン通信サービスとは相互にメールができなかったりしたため、サポートは自らの加入しているパソコン通信のみというものも多かった。", "title": "利用形態" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "以下は、小規模なホスト用ソフトウェアである。ホストは、パソコン以外にも汎用コンピュータを使用した物も多々ある。", "title": "パソコン通信用ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "下記は主にパソコン用のパソコン通信向け機能を持った端末ソフト(いわゆる通信ソフト。ダム端末エミュレータと呼ばれる事もある)である。この他にもワープロソフト中に通信機能を持ったものやワープロ専用機に通信機能(OASYSのAutoComなど)を持った物もあった。", "title": "パソコン通信用ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "以下は、各ホストプログラムの出力やコマンドに対応した、専用ソフト(オフラインログリーダーなどと呼ばれた)である。", "title": "パソコン通信用ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1980年代後半から1990年代のパソコン通信全盛期においては、パソコン通信の話題を専門に扱った専門誌が各社から発刊された。内容はモデムなどのハードウェアや通信プロトコルなどの技術情報、商用ソフト・オンラインソフトの使い方や新作情報、パソコン通信クライアントソフトウェアなどフリーソフトの配布、草の根BBSの開局情報、商用パソコン通信のフォーラムやSIGの紹介など多岐に渡った。", "title": "パソコン通信専門誌" } ]
パソコン通信(パソコンつうしん)は、専用ソフト等を用いてパソコンとホスト局のサーバ(またはノード、ホスト)との間で、通信回線によりデータ通信を行う手法及びそれによるサービスである。 全盛期は1980年代後半から1990年代で、のちにインターネットが一般ユーザーに開放されたため、徐々に衰退していった。商用大手としては最後まで残っていたニフティが、2006年3月末でパソコン通信サービス「NIFTY-Serve」を終了した事で、パソコン通信は事実上廃止となった。 パソコン通信はいわゆる「クローズドネットワーク」であり、特定のサーバ(ホスト)とその参加者(会員)の間だけをつなぐ閉じたネットワークであったため、他のネットワークに接続するには一度接続を切る必要があった。基本はクローズドネットワークであったが、提携しているサーバ(「NIFTY-Serve」と「CompuServe」など)やインターネットに元のサーバに接続しながらアクセスする事が出来るサービスを提供しているサーバもあった。これに対し、インターネットは「オープンネットワーク」であり、インターネット上のサーバ(ホスト)であれば切り替えずに複数に同時にアクセス可能である。
{{混同|インターネット|イントラネット}} '''パソコン通信'''(パソコンつうしん)は、専用ソフト等を用いてパソコンと<!--一般加入回線経由で-->ホスト局のサーバ(またはノード、ホスト)との間で、通信回線によりデータ通信を行う手法及びそれによるサービスである。 全盛期は1980年代後半から1990年代で、のちにインターネットが一般ユーザーに開放されたため、徐々に衰退していった。商用大手としては最後まで残っていたニフティが、2006年3月末でパソコン通信サービス「NIFTY-Serve」を終了した事で、パソコン通信は事実上廃止となった{{Refnest|group="注釈"|小規模な局は、2018年現在も運営されている<ref name="bunshun">[https://bunshun.jp/articles/-/7483 パソコン通信“最後のホスト”「死ぬまで続ける」と語る理由]、文春オンライン、2018年5月28日。</ref>。}}。 パソコン通信はいわゆる「クローズドネットワーク」であり、特定のサーバ(ホスト)とその参加者(会員)の間だけをつなぐ閉じたネットワークであったため、他のネットワークに接続するには一度接続を切る必要があった。基本はクローズドネットワークであったが、提携しているサーバ(「NIFTY-Serve」と「CompuServe」など)やインターネットに元のサーバに接続しながらアクセスする事が出来るサービスを提供しているサーバもあった。これに対し、インターネットは「オープンネットワーク」であり、インターネット上のサーバ(ホスト)であれば切り替えずに複数に同時にアクセス可能である。 == システム == 原理的には個人同士が1対1で接続することも含まれるが、通常の利用形態としてはパソコンに[[モデム]]や[[音響カプラ]]などを接続して一般加入回線([[電話回線]])を経由してサーバに[[ダイアルアップ接続]]していた。その中で[[電子メール]]の送受信や[[電子掲示板]]、[[チャット]]などを利用した情報交換が行われた。[[株式]]取引や[[公営競技]]の投票が運営されていた時期もある。 ファイルアーカイブなどの機能を持つが、基本的には情報の送受信は文字データ中心である。パソコン以外にも、[[ワープロ]]専用機や[[家庭用ゲーム機]]・[[携帯端末]]での通信接続もパソコン通信に分類される場合がある。 日本でパソコン通信ホストを運営していた団体・企業には、[[ニフティサーブ]](@niftyを経て現・[[ニフティ]])、[[PC-VAN]](現・[[BIGLOBE]])、[[アスキーネット]]([[アスキー (企業)|アスキー]]によるサービス、後にネットワーク事業から撤退)などに代表される商用業者を始めとして、[[セイコーエプソン|エプソン]]など顧客サービスを目的としたものがあった。またそれ以外に個人やグループなどで開設した[[草の根BBS]]と呼ばれる小さい局が多数存在していたが、ニフティサーブとPC-VANの二大ネットは、それぞれ数百万の会員を集め、活況を呈した。 一方の草の根BBSはパソコン、ホスト用ソフト、着信用のモデムと通常電話回線、それに書籍から十分仕入れられる比較的簡単な技術知識があれば誰でも開設可能であり、原則無料であったが、一般向けに料金を徴収するなどの商用サービスであれば第2種電気通信事業に該当するため、当時の[[郵政省]]への届け出を必要とした。 大規模なところでは、「コミュニティー」と呼ばれる趣味・話題を共通にする集まり(ニフティサーブでは[[ニフティサーブ#フォーラム|フォーラム]]、PC-VANでは[[Special Interest Group|SIG]]と呼んだ)をいくつも作り、それぞれの中で情報交換ができるようにしていた。小規模な草の根BBSなどでは、それ自体が1つのフォーラムのようになっているところもあった。 [[画像:音響カプラ.jpg|right|300px|thumb|音響カプラ]] 通信方式は[[インターネット]]の各種[[通信プロトコル]]([[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]]など)と異なり、基本的に無手順による文字の送受信のみ<ref group="注釈">[[AOL]]では画像表示もできた。</ref>で、ストップビットなど様々な項目を適正に設定しないと通信ができなかった。 画像など[[バイナリ|バイナリデータ]]の送受信もできたが、各種[[バイナリ転送プロトコル]]を使用する必要があり、後のインターネットに比べると面倒なものであった。バイナリ転送プロトコルが普及する以前に開発されたのが、[[ish]]などバイナリデータとテキストを相互変換するツールである。電子メールでのバイナリデータのやり取りや、バイナリ転送に別課金が生じるPC-VANなどでよく利用された。 通信速度は初期には[[音響カプラ]]を用いた300[[ビット毎秒|bps]]程度であったが、モデムでパソコンと電話回線を直結できるようになると、モデムの改良と歩調を合わせる形で1,200、2,400、9,600、14,400bpsへと速度が上がり、[[インターネット・サービス・プロバイダ]](ISP)の[[ダイヤルアップ接続]]用[[アクセスポイント (ISP)|アクセスポイント]]が主要都市に整備され始めた[[1996年]]頃には28,800bps、[[1997年]]頃には33,600bpsまで達した。現在、一般回線用モデムの能力は最高56kbpsまで上がったが、その能力を使ったパソコン通信はあまりない。ちなみに56kbpsで通信するには、サーバ側に[[ISDN|ISDN回線]]と専用のTA・モデム<ref group="注釈">ISDN回線内ではデジタル信号で送信するが、電話局の交換機でアナログ信号に変換する。</ref><ref group="注釈">このモデムが内蔵されている業務用TAもあった</ref>が必要なため、一般の56kbpsモデム同士では33,600bpsが上限である。<!--V.92(送信48kbps)同士ではどうでしょうか?--> また1980年代半ばから、[[アマチュア無線|アマチュア無線家]]の間で、無線機にターミナルノードコントローラ(TNC)と呼ばれるデータ通信機器を接続して行なう[[パケット通信 (アマチュア無線)|アマチュアパケット通信]]が流行し、[[シリアルポート]]を持つパソコンや[[ワードプロセッサ|ワープロ]]でこれらに興じる人も多かった。特にアマチュア無線用バンド(周波数帯)では、回線の状態から通信速度は稼げないものの、当時の非常に高価な(1分数十円)電話回線を用いたパソコン通信では非常に贅沢な遊びとされた[[オンラインゲーム|ネットゲーム]]<ref group="注釈">個人が[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]を組んだ[[オセロ (ボードゲーム)|リバーシ]]ゲームや[[チェス]]等の物が主だった。</ref>もアマチュア無線経由で流行した。 == 日本のパソコン通信の歴史 == === 黎明期 === [[1982年]]、在日米軍のための「CORTON-NET」が東京の山王ホテル内で開設され、またスティーブ・ベラミがアメリカ大使館内にBBSを開設した。同時期に林伸夫も[[Apple II]]をホストにしたサービス(後の「Mac Event」)を開設した。<ref name="pcr">{{Cite book|和書|title=パソコン通信開拓者伝説|date=1988-04-20|publisher=小学館|last=小口|first=覺|isbn=4-09-346041-8|chapter=試行錯誤の通信システム|pages=96-100}}</ref> [[1983年]]8月末にはデータブレーン社が大阪に「Com Com」を開設。これはホストに[[PC-9800シリーズ|PC-9801]]を使用し、メール、電子掲示板、チャットなどのサービスを3回線で提供していた<ref name=":0">{{Cite book|和書|title=ザ・PCの系譜 : 100万人の謎を解く|date=1988-02-17|publisher=コンピュータ・ニュース社|last=杉井|first=鏡生|isbn=4-8061-0316-0|chapter=草の根ネットワークに始まるパソコン通信―ユーザー主導で、あっという間に10万人の利用者|pages=180-183|year=}}</ref>。 [[1985年]]、[[日本電信電話公社]]が[[日本電信電話]](以下NTT)に移行するに伴い[[電気通信事業法]]などの法律が制定・改正された([[通信自由化]])。その結果、モジュラージャックなどの技術基準を満たしていれば、NTTなど第1種電気通信事業者が敷設する一般加入回線への端末設備の接続が、個人でも法律的に認められるようになった。これにより、従来は電話の受話器に[[音響カプラ]]を乗せてダイヤルも手動で行い速度も300bps程度だったパソコン通信が、[[モデム]]によって手軽かつより高速に楽しめるようになった。これを受けて、数社から技術基準を満たす非同期式300/1200bpsのモデムが発売され、パソコン通信普及のきっかけとなった。これらのモデムは旧来のモデムとは違い、[[モデム#網制御装置|網制御装置]](NCU)を内蔵したものである。 === 全盛期 === ==== 大手BBS ==== 1980年代半ばにアスキーネット、PC-VANなどの大手業者が商用サービスに参入、通信ソフトの普及と共に安価な2400bpsモデムが発売されるなど、1990年代にかけて大手、草の根BBSとも加入者が増加していき、『電脳辞典 1990's』によれば、1989年末頃には商用大手9社の加入者数が20万人台、草の根ネットは24時間運営局だけでも300局以上、といった規模となる<ref group="注釈">ちなみに同書によれば、1990年頃のモデムの価格は1200bpsが2万円以下、2400bpsが4万円台。</ref><ref name="abc">{{cite encyclopedia | encyclopedia = 『電脳辞典 1990's パソコン用語のABC』 | title = パソコン通信 | editor = ピクニック企画, 堤大介 | language = 日本語 | date = 1990-03-01 | publisher = ピクニック企画 | isbn = 4-938659-00-X | pages = 182}}</ref>。<!--[[1997年]]頃までは--> 基本的には個々のサービスはそれぞれ独立しており、[[ニフティ]]と[[CompuServe]]、[[朝日ネット]]と[[フジテレビフューチャネット|People]]など提携関係にある一部の場合を除いては、他サービスとのつながりはほとんどなかった。電子メールのやりとりも同一サービス加入者でないと不可能であったが、1992年にPC-VANとニフティのメールが接続され、さらに各サービスでインターネットメールとの接続が開始されたため、大手商用サービスのメールに限っては障壁がなくなった<ref>ばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』翔泳社、2005年、p.432</ref>。 パソコン通信では、アクセス数の増加への対応や全国各地に居住する利用者への負担を軽減するためには、アクセスポイントを増やさざるを得なかった。ニフティとPC-VANがそれぞれの運営母体である富士通のFENICSとNECのC&Cという自前のVANを活用し<ref>小林憲夫『ゼロから会員200万人を達成した ニフティサーブ成功の軌跡』コンピュータ・エージ社、1997年、p.49</ref>、全国各地にアクセスポイントを続々と設置していったのに対して、他社は遅れを取ってアクセスポイント数も少なく、日本の商用パソコン通信サービスはニフティとPC-VANの寡占状態となり<ref>「PC-VAN、ニフティサーブ 2大ネットで3分の2」『[[中日新聞]]』1995年7月7日号。当時、商用パソコン通信サービス利用者は300万人でそのうち3分の2を両サービスが占めたという記事。</ref>、1996年にはそれぞれ会員数200万人を数えた<ref>小林、1997年、p.2</ref>。 ==== 草の根BBS ==== [[草の根BBS]]では、24時間開設となっても複数の電話回線と複数のモデムがなければ複数の人間が接続できず、長時間の接続を制限することもあった。遠距離からの電話回線料金の負担を軽減するために、[[パケット通信]]によるTYMPASやTri-PといったVANサービスで全国からの接続を仲介したこともあった。例えば、東京から大阪のホストへ直接電話回線の従量料金で接続することは相当な電話料金がかかり、VANサービスならば全国の主要都市にアクセスポイントがあり、近隣のアクセスポイントに接続すれば電話料金を節約できた。しかしホストとユーザーともにVANサービスを利用するための費用も必要であり、会員からの費用徴収が困難な側面もあり、個人で運営するBBSの運営は無料により近隣地区からユーザーの接続という趣味の範囲にとどまることが多かった。個人運営のホストの中には夜間のみ開設され、昼間は普通の電話として使われる回線もあり、専用の回線を24時間開放することは贅沢であった。 ネットワーキングフォーラムと呼ばれる全国大会も開催され、BBSの接続番号などを記載した「ワープロ/パソコン通信BBS電話帳」が[[マイコンBASICマガジン]]別冊として年2回のペースで出版されたこともあった。また、出版社などが運営するところもあったり、NHK衛星放送局も運営していた([[銀河通信 (NHK)|銀河通信]])こともある。名古屋市役所マイコンクラブが運営し、NHK-FM名古屋のリクエストと連動したDEPO-NETなどのメディアミックスも存在した。DEPO-NETは1989年に名古屋で開催された[[世界デザイン博覧会]]の協賛ネットワークであり、名古屋市役所やNTT名古屋、NHKという堅い組織が協力していたが、草の根BBSの一つであった。 これらの草の根BBSの中には、無線でパソコン通信を接続するだけでなく、JUNETと連動して、無線でインターネット接続をしていた。 === インターネットへの移行 === [[1994年]]頃から、世界規模の通信網であるインターネットへの一般個人からの接続環境が整備され始めた。 [[1995年]]、[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]が発売され、パソコンの普及が加速した。ただしマイクロソフトCEO(当時)であったビル・ゲイツはインターネットの普及はまだ先であるとして、パソコン通信を前提としたネットワークを考えていた。それが[[MSN]]の元となる The Microsoft Networkである。ゆえに、Windows 95の初期バージョンにはインターネット関連の機能は初期状態で搭載されておらず、別売りの「[[Microsoft Plus!]]」に拡張機能としての[[Internet Explorer]]が含まれていたのみであった。 Windows 95発売後、ビル・ゲイツは自分の判断の誤りに気づき、OSR2以降ではインターネット関連機能が標準搭載されるようになった。すなわち、OSR2ではTCP/IPが初期状態で選択されており、「Windows 95を使えばインターネットに接続できる」というイメージ戦略に成功した。 日本ではNTTがINS1500などダイアルアップ回線として安価に多数の回線を収容できるサービスを始めるなど、設備投資が安価になるなどの環境整備もあり、相次ぐISP企業の参入と、[[ダイヤルアップ接続]]用アクセスポイントの設置地域が拡充され、多くの地域で安価(市内通話料金あるいは[[テレホーダイ]] + プロバイダ料金)にインターネットへ接続できる環境が整っていった。この状況の変化により、基本的に'''一つの閉じたシステム'''であるパソコン通信については、事業の将来性や存在意義が薄れてしまったり、[[2000年問題]]で更新を迫られたホストも少なくなかったことから、アスキーネットや日経MIX、Peopleなど、殆どの商用サービスでは事業を中止したり、ニフティやPC-VAN、ASAHIネットのように、ISPに事業の中心を移したりしていった。 2000年代には大手、草の根とも、従来のパソコン通信上にあったコンテンツは、インターネット[[World Wide Web|Web]]上の電子掲示板等に移行しているか、廃業したところが多く、[[Telnet]]接続で文字通信手段を残しているホストもあるが、無手順による接続ホストは消滅に近く実態は殆どつかめないにまで減少した。 全盛期当時の[[過去ログ]]などは、利用者によって個人的に保存されたもの以外は、ホストのハードディスク故障、古い記録媒体の劣化やアクセス手段の喪失のほか、運営者によって破棄されるなどして散逸していることが多い。また、保存されているデータも、著作権者が所在不明などの理由により、再利用されることはほとんどない。 少数ながら、業務用で残っていたものもあった。[[日本電気|NEC]]の[[モバイルギア]]シリーズ、[[シャープ]]の[[ザウルス]]などで屋外での利用を考慮したツールを発売した事もあるが、主な利用は掲示板ではなく、メールなどのデータの送受信としてである。また、屋外での公衆電話機にパソコン通信を考慮したモジュラジャックが付くなどしている。端末側の設備として携帯電話に於いては速度は遅いものの、パソコンと直接接続する物もあった。<!--利点は、[[ファイアウォール]]や[[非武装地帯 (コンピュータセキュリティ)|DMZ]]などの高度な技術・設備が不要なことである。--><!--ため、インターネットに比べ外部からのアクセスを遮断できるため企業情報や個人情報などの保護がし易い為でもある。--> == 利用形態 == ネットの利用形態は様々だが、その中でも「オンラインソフトウェア(特に[[フリーソフトウェア]])」の広範囲な流通と、素性をよく知らない人との気さくな「会話」は、パソコン通信で初めて可能になった。 === 会話 === 意思伝達の主な方法が文書であると、日常的に文書を書く人と書かない人では文書作成力や読解力に格差が生じることから、意思がスムーズに伝わらずに誤解が生じることもあった。 文字でのやり取りは、対面して話す時とは違い、感情がそのまま文章に表れるとは限らず、また感情を読み取れる人ばかりではないため、感情やニュアンスを表すのに意図的に[[顔文字]](絵文字)が付け足される場合もあった。また物事に付いての考えが異なれば意見が衝突する機会が度々生じ、いたるところで議論が行われるようになった。それに伴い、議論を楽しもうという人たちが表れる一方で見物して楽しもうという人たちも発生した。 草の根BBSなどでは、限りある回線を占有するだけでコミュニティに積極的に参加しない人を[[リードオンリーメンバー|ROM]](ReadOnlyMember)や[[ダウンロードオンリーメンバー|DOM]](DownloadOnlyMember)と呼び、特に否定的な意味で使われたが、ROMは一般的には読むだけで発言しない人を示す用語であった。 === オンラインソフトウェア === 1980年代末期になり、パソコン通信が普及するようになると、パソコン通信でユーザーが自作したパソコン用プログラムが[[オンラインソフトウェア]]として公開されるようになった。従来はパソコン雑誌に投稿して掲載されるか、作者個人か仲間内で使われるしかなかったような小回りの効く便利なツールが一般に流通する機会を得ることになった。一般に単機能のものが多く、商用ソフトほど大規模ではないが、中にはファイル管理ソフトやパソコン通信ソフトなど市販の商用ソフトを凌ぐ人気を得たものもある。日本国内では、その多くはNECのパソコン[[PC-9800シリーズ]]の[[MS-DOS]]上で動くものであった。 [[プログラミング]]が得意な人が善意で自作ソフトウェアを公開し、利用者による[[バグ]]報告や要望を取り入れて改良が行われた。その多くは個人による開発であるが、利用者による改良を期待して企業が商用ソフトを開発する前段階として無償公開するソフトもあった。作者の意向によって[[フリーウェア]](フリーソフト)、[[シェアウェア]]などに区分されたが「羊羹ウエア(気に入ったら羊羹を送って欲しい)」という変わり種もあった。 MS-DOS上で動くソフトウェアが主流を占めた時代には決済の手段が限られていたため、ほとんどが無料のフリーウェアとして公開され[[Microsoft Windows]]が普及し出すと開発ソフトウェアが高価だった背景もあり、徐々に商用BBSで決済を行なうシェアウェアが増えていった。人気の高いソフトウエアは、開発元のホスト局にアップロードされるとたちまち全国の他のホスト局に転載されるのを始め、「月刊パソコン通信」などパソコン通信を扱った雑誌付録として[[フロッピーディスク]]で配布された。しかし初期のパソコン通信では電子メールに課金されたり容量制限が厳しかったり、他のパソコン通信サービスとは相互にメールができなかったりしたため、サポートは自らの加入しているパソコン通信のみというものも多かった。 == 商用パソコン通信サービス == === 日本 === ==== 大手 ==== * [[アスキーネット]] - [[1985年]]5月に実験サービス開始。1987年3月に有料サービス「ACS」を開始<ref name=":0" />。1997年にサービス終了。 * [[PC-VAN]] - [[1986年]]4月に実験サービスを開始し、1987年4月に有料化<ref name=":0" />。2001年にサービス終了。 * [[ニフティサーブ|NIFTY-Serve]] - [[1987年]]4月開局<ref name=":0" />。徐々に掲示板的サービスに移行(一部の旧会員が利用していたパソコン通信も[[2006年]][[3月31日]]終了。)。 * [[日経MIX]] - 1986年9月に実験サービスを開始し、1987年9月に有料化<ref name=":0" />。1997年にサービス終了。 * ASAHIパソコンネット - 1988年11月開局。インターネットが普及した後も[[ASAHIネット]]の会員限定でウェブブラウザから電子掲示板にアクセスできる「電子フォーラム」サービスを提供していたが、2019年5月末にサービスを終了した<ref>{{Cite web|和書|title=電子フォーラム|プロバイダ ASAHIネット|url=https://asahi-net.jp/service/contents/forum/|website=asahi-net.jp|accessdate=2019-06-06|language=ja|first=株式会社朝日ネット (Asahi Net Inc.)}}</ref>。電子フォーラム設置後も[[telnet]]機能を使えばパソコン通信機能の会議室として電子フォーラムに接続できたが、やはり2019年5月末でサービス終了した。 * People - 1994年開局。1997年にフジテレビと業務提携。2001年にサービス終了。運営会社であったピープル・ワールドの後身である[[フジテレビフューチャネット]]は合併によって消滅。 ==== その他 ==== [[File:LAOX NET Login screen(1986).png|right|300px|thumb|LAOX NET オープニングメッセージ画面]] * [[工学社#TeleStar|TeleStar]] - 工学社による。[[1985年]]3月より有料サービスとして実験開始<ref name=":0" />。[[1999年]]にサービス終了。 * [[ZERO (インターネットサービスプロバイダ)|マスターネット]] - ISP専業(ZERO)に移行した後、[[2004年]]に全事業を[[GMOインターネット]]に譲渡、会社はスカイマークエアラインズ(現・[[スカイマーク]])に吸収合併。 * 中日ネット - [[中日新聞]]系。ISP専業となったのち、[[2013年]]3月にサービス終了。 * Telepute - [[NTT]]名古屋支社の厚生事業。[[HP Inc.|HP]]のUnix機材での運営とシスオペの人間性で、地元の技術者の商売人の人気を集めた。 * DEPONET - [[名古屋市役所]]マイコンクラブ運営。BIG-Modelを公費で購入し、市役所職員のパソコン研修の一貫と世界デザイン博の行事推進としてNHK名古屋、NTT名古屋と連携して行事展開。 * EYE-NET - [[フジサンケイグループ]]のフジミックが運営。1985年9月に実験サービスを開始し、1986年4月に有料化<ref name=":0" />。[[平成教育委員会|たけし・逸見の平成教育委員会]]の視聴者向け問題や、その解答が掲載されていた時期があった。 * LAOX NET - [[ラオックス]]のコンピュータ・ソフト・サポート(CSS)が運営。[[電子掲示板]]の他に、イベント、パソコン、ビデオ、音楽等の情報提供も行っていた。後に「LAOX Jr Net」に名称変更している。 * YOMINET - [[読売新聞]]系。[[1990年]]頃にパソコン通信事業開始。その後、個人有料会員インターネットサービスを行っていたが、[[2000年]]10月にサービス終了。 * DUCK-NETWORK - 大同通信建設のネットワーク部署が[[1990年]]頃に運営。[[Special Interest Group]](SIG)、電子掲示板、プログラムコーナー等を提供。 * MSA-NET - マイクロソフトウェアアソシエイツ(1992年から[[ボーランド]])が[[1990年]]頃に運営開始。 * エナジーNET - ユートピア開発研究所が[[1990年]]頃に運営開始。同NETでは地球環境問題の議論が盛んで「かえるの声 -電脳回覧板-」も郵送されていた。 === アメリカ === * [[CompuServe]] - パソコン通信の老舗、AOLに吸収される。 * [[AOL]] - [[グラフィカルユーザインターフェース|GUI]]を用いるのが特徴。ベライゾン傘下のYahoo!と統合され[[Oath]]になって以後は大手ISP。日本にも進出を果たしたが、2004年イー・アクセスに営業譲渡。 * [[MSN]] - [[マイクロソフト]]が[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]発売と同時に開始。Windowsエクスプローラとシームレスに接続できることが売りだったが、早々に撤退。現在{{いつ|date=2013年10月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->はコンテンツプロバイダ。米国・カナダではISP事業も手がける。 == パソコン通信用ソフトウェア == === パソコン通信ホスト用ソフトウェア === 以下は、小規模なホスト用ソフトウェアである。ホストは、パソコン以外にも汎用コンピュータを使用した物も多々ある。 * HCS-II/IV - 草の根BBSの老舗「ADD-NET」が母体となる株式会社B.S.J.が開発した商用ホストシステム(PC-98シリーズ用)。専用サバオリボードを追加することで最大24回線まで拡張できる。銀河通信やACCS-NETなどに加え、企業内BBSなど業務目的の中規模BBSシステムとして採用されていた。 * Turbo BBS - カナダのRobert Maxwellによる同名のBBSのホストプログラム。ドキュメント中に[[パブリックドメインソフトウェア|パブリックドメイン]]という記述があるが、作者の事前の許可のない商目的での配布や再販は禁止している。[[Turbo Pascal]]で書かれていた。 * KTBBS - KPUC(久喜PCユーザーズクラブ)版Turbo BBS。日本で広く使われた。同じくTurbo BBSをアレンジしたものとしてRT BBS、TT BBSなどがあった。また、NET-COCKと共通のオフラインログリーダーを利用できるよう改造したKTC-BBSがある。 * BIG-Model - ネットコンプレックスより発売されている商用ソフトウェア。Ver4.0C以前はナツメ出版企画(ナツメ社の出版部門)より発売されていた。もともとはマイコン研究グループのFORSIGHTのBBS用として開発がすすめられたもの<ref>FORSIGHTライブラリィ[https://www.ne.jp/asahi/foresight/club/f2.html]より</ref>。市販ソフトでは圧倒的なシェアを持ち、主に東日本で利用しているホストが多かった。同時接続数により価格差がある。Pro版の3.xまではカスタマイズにも応じていた。4.0Bまでは2000年問題があり、3.xまでから4.0Cへのバージョンアップは有料だったため、これを機に他へ移行または閉鎖したBBSもあった(4.0xからは無料)。派生版にピディウス!というソフトがある。かつて、ネットコンプレックスはBIG-Modelのサポートやサンプル等を兼ねたNet Complex Net(ナツメ時代はNATSUME NET、サポート・サンプルの他に書籍などの案内、問い合わせなどもあった)を運営していた。現在{{いつ|date=2013年10月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->、同社ではこのノウハウを元に作ったOpen!NOTESというインターネット用の掲示板CGIをリリースしている(機能限定型シェアウェア)。 * 絵理香 - BCCより発売されていた商用ソフトウェア(現在廃盤)。九州を中心に西日本で利用しているホストが多かった。元々オープンソースであった為、派生版が多く存在し特に絵理香K版が有名。「レス」に相当するものを「アペ」(アペンドから)と呼ぶという特徴がある。 * ピディウス! - BIG-Modelの派生版で、Windowsで動作する。また、現在{{いつ|date=2013年10月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->の[[xoops]]のような機能を提供できるピディウス!IGというバージョンも存在する。 * mmm - HyperNotes型の[[フリーウェア|フリーソフト]]。トライエムと読む。 * WWIV - Wayne Bell(米国)作の[[シェアウェア]]。[[Turbo Pascal]]で記述されている。Mac版もあった。日本語化にあたって数々の派生バージョンが存在した。 * CoSy Conference System([[w:CoSy (computer conferencing system)]]) - [[カナダ]]のゲルフ大学([[w:University of Guelph]])で開発され、[[マグロウヒル]]社(当時)のBIX(Byte Information eXchange)および[[日経BP|日経マグロウヒル社]]の日経MIXで採用された電子会議システム。 * [[FirstClass]] - カナダのSoftArc社が開発した[[Mac OS]]用の商用ソフトウェア。GUIを使ったパソコン通信ホスト局を手軽に開局することができた。[[Apple|Apple Computer]]は一時ユーザーグループの育成のために、バケツリレー方式のネットワークを日本全国に張り巡らしたことがある。現在{{いつ|date=2013年10月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->では対応[[オペレーティングシステム|OS]]も増えインターネットとの親和性を高めたものが、[[グループウェア]]と称して市販されている。 * 網元さん・同2 - [[MSX]]パソコン上で稼働するソフトウェア。[[MSXマガジン]]が開発し、主要部分が[[BASIC]]言語で記述されて改造が容易だったことや、安価なMSX機を使用することによって初期投資を抑えられたこともあり、比較的人気があった。1も2も作者は伊藤という人物であるが、同一人物でも家族でも親戚でもなく、偶然である。 * XXJW - [[PC-8800シリーズ|PC-8801]]上で動作するソフトウェア。ユーザーインターフェイスがWWIVとほぼ同じ造りになっていた。 * TownBBS - シスポート社が販売していたソフトウェア。シャープのMZ2500/NECのPC9801用。 * WANI-BBS - アスキーネットに似たルック&フィールのソフトウェア。 * NET-COCK - [[X68000]]上で動作するソフトウェア。洗練されたコマンド体系と優秀なオフラインログリーダーの存在から、特にX68000ユーザーを中心に熱狂的な支持を得た。共通のオフラインログリーダーを利用できる、KTBBSを改造したKTC-BBSや、利用者の設定で[[互換モード]]が選択できるMPNBBSといった互換ホストプログラムも誕生した。 * MPNBBS - KTBBSやNET-COCK互換のインタフェースが選べるホストプログラム。改造ではなくスクラッチビルドで開発された。[[LSI C-86]]試食版でコンパイルして配布されていた。 * 謎的電網.exe - 「謎の青年失業家」が開発・公開したホストプログラム。ネットリンク機能に優れ、短い時間でアーティクルを交換し合い、同ホストを採用している草の根BBS同士でフォーラムを共有できるなど先進的であった。メインメモリに常駐が出来、エディタの利用等の軽作業をホストプログラムを動かしたまま行え、ホストメッセージのメンテナンスに優れていた。 === パソコン通信クライアント用ソフトウェア === <!-- 著名と思われるもの、それほどでもないものに分け、各々をアルファベット順にソートしてあります --> 下記は主にパソコン用のパソコン通信向け機能を持った端末ソフト(いわゆる通信ソフト。[[端末エミュレータ|ダム端末エミュレータ]]と呼ばれる事もある)である。この他にもワープロソフト中に通信機能を持ったものやワープロ専用機に通信機能([[OASYS]]のAutoComなど)を持った物もあった。 * まいと〜く - [[インターコム]]社製の有料ソフトウェア。1986年11月発売。''「MS-DOSも知らんと言う人でも、手軽にパソコン通信を楽しめる」''というコンセプトのソフトウェア<ref>『ヒット商品物語』p.251 インターコム営業本部部長 米田守 (1988年当時)</ref>。初心者でも簡単に使えるよう設定が簡略化され、操作性についても配慮がなされていた<ref name="jousikidokuhon">{{Cite book| 和書 | author = 安田幸弘 | year = 1989 | title = パソコン通信の常識読本 | publisher = 日本実業出版 | page = 64}}</ref><ref name = best>{{Cite book |和書 | title = パソコンベストソフトカタログ | editor = 長沢英夫 | year = 1988 | publisher = JICC出版局 | pages = 155-157}}</ref><ref name="NWM1992A">「DataSheet-通信ソフト」、『ネットワーカーマガジン 1992年秋号』所収、[[アスキー (企業)|アスキー]]、1992年10月、PP203-208。</ref>。通信ログを遡れる機能、日本語ワープロ機能などの機能を本体に取込み、これ1本である程度の情報処理ができる<ref name = best /><ref>『ヒット商品物語』pp.250-251</ref>。最初のバージョンではB5判で450ページとA4判42ページ、次のバージョンではA5判で「準備編」、「速習編」、「実習編」、「資料編」の4冊と、初心者にも懇切丁寧を心がけた結果膨大なマニュアルが添付されており、[[日本語入力システム]]や、各社のモデムのディップスイッチ設定についてまでも解説がなされていた<ref name = best /><ref>『ヒット商品物語』pp.252-254</ref>。インターコムは1985年からモデム(my looper)を通信販売していたが、その販促用として、パソコン通信で知り合ったプログラマーの協力で、半ば遊び半分で開発されたもの<ref>または遊び全部。『ヒット商品物語』 pp.247-249, p.251</ref>。1988年の雑誌『THE COMPUTER』では、「人気ナンバーワン」と称されていた<ref>『ヒット商品物語』 p.231</ref>。その後発売された『まいと〜く for Windows』([[Microsoft Windows 3.x]]用、価格28000円)では主要ネットワーク200件のアクセス設定情報が既にプリセットされており、また[[アクセスポイント (ISP)|アクセスポイント]]への接続について、[[NTT]]のみならず[[第二電電]]等各社の中から最も通信料金の安い回線を探索するLCR機能などが搭載された<ref>{{Cite book| 和書 | author = 東京電脳倶楽部 | year = 1994 | title = パソコンソフト徹底評価 | isbn = 4-534-02244-1 | page = 134}}</ref>。ちなみに姉妹品として『まいと〜くFAX』という[[ファックス]]ソフトもあり、for Windows(Windows3.x用、19000円)ではやはり、送信時にLCR機能で安価な回線を検索できる<ref>『徹底評価』p.136</ref><!--* {{Cite book|和書 | editor = [[THE COMPUTER]]編集部 | year = 1991 | title = パソコンヒット商品物語 | publisher = ソフトバンク | isbn = 4-89052-194-1}} インターコム社設立の経緯や、モデム販売の詳細などもあり。--> * KmTermX - フリーソフト。通称「KTX」。[[PC-9800シリーズ]]とPC/AT互換機向け。WTERMと双璧を成した。軽快な動作と独自マルチタスクエンジンによる並行動作が売りで、マクロもコンパイルを要するなど高度だがそのためとっつきにくさなどもあり、中級者以上に支持されたソフト。後にWindows用も開発された。Win32版の開発終了直前にソースコード一式が、作者のHPで公開されていた。 * WTERM - フリーソフト。H.INOUE、TOMTOM制作。初心者からでも使え、MS-DOSが動作する様々な機種に移植された。ダイヤル時に回線がbusyであった時に単純にその電話番号にかけなおすのではなく、関連づけられた別の電話番号にダイヤルしなおす機能やオートパイロット、バックスクロールや、入力した文字列を再表示させられるヒストリー機能など、多くの機能が盛り込まれていた。また、添付されたマニュアルはA4用紙換算で約100枚というボリュームで、WTERMのインストール時に''「フロッピーをフォーマットするところから説明を始めている」''懇切丁寧なものであった<ref>{{Cite book| 和書 | author = 東京電脳倶楽部 | year = 1994 | title = パソコンソフト徹底評価 | isbn = 4-534-02244-1 | page = 142}}</ref>。 * CCT - [[技術評論社]]製の有料ソフトウェア。強力なマクロ機能を特徴とする。CCT-98IIでは「コンカレント機能」と言うマルチタスク的な機能があり、ダウンロードを行いながら内蔵テキストエディタで文章を作る事などが可能となっている<ref name="jousikidokuhon"/>。CCT-98III(価格20000円)は親切なセットアップ環境が用意され、また文献によればマクロ機能は非常に強力であったとのことである<ref>{{Cite book|和書 | author = 東京電脳倶楽部 | year = 1994 | title = パソコンソフト徹底評価 | isbn = 4-534-02244-1 | page = 138}}</ref>。その後『CCT-Win』([[Microsoft Windows 3.x]]用、価格20000円)も発売されている<ref>『徹底評価』p.140</ref>。 * EasyTERM - フリーソフト。マルチタスク環境で通信中に内蔵エディタが使えた。Cソースが公開されていたため,派生版もある。 * EmTerm - シェアウェア。後発ながら高機能で支持を集めた。EmTermの一部機能は[[EmEditor]]に利用された。Windows 95等。 * ESterm2 - [[アスキー (企業)|アスキー]]社製。処理速度が比較的速く、バイナリ転送プロトコルが充実していた<ref name="jousikidokuhon"/><ref name="NWM1992A" />。 * hwterm - ハイパーウェア製の有料ソフトウェア。Unix等の端末としてパソコンを使うための端末ソフトとしての性格も強いのが特徴である。 *JETターミナル - [[キャリーラボ]]が1986年に発売した有料ソフトで9800円。[[PC-8801]]、[[PC-9801]]専用であったが、同社のワープロソフトのJETの技術を取り入れ、ターミナル機能だけではなく、かな漢字変換(述語変換)も可能になっていた。まいとーく、CCTより安価であり、このソフトウェアにより当時PC-8801のユーザーが相当数を占めていたため、半角カナ英数のみの通信であったパソコン通信が漢字での通信が容易になり、飛躍的に漢字化が進んだ。 * 秀Term - シェアウェア。ver.4からは「秀Term Evolution」と改称。Windows 95等。 * MopTerm - フリーソフト。[[FM TOWNS]](Towns-OS)用、[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.1]]、Windows 95等。「猫の手スクロール」機能を持つ。 * NinjaTerm - フリーソフト。[[Mac OS]]用の通信ソフトでは草分け的存在。System6時代にはほとんどの人が使っていた。 * STERM - フリーソフト。[[OS/2]] PMアプリ。Telnet端末としても有用だった。 * [[Tera Term]] - Windows 3.1、Windows 95等。現在{{いつ|date=2013年10月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->は[[オープンソース]]。 * CommunicationPRO68K - X68000上で動作した。[[シャープ|シャープ テレビ事業部]]から発売された<ref name="NWM1992A" />。 以下は、各ホストプログラムの出力やコマンドに対応した、専用ソフト(オフラインログリーダーなどと呼ばれた)である。 * [[NIFTY-Serve]](現・@nifty)専用の巡回通信ソフト群 ** ComNifty - フリーソフト。[[Mac OS]]用。フォーラムを指定すると自動的に巡回してログを保存してくれる。ログ切り出しソフトの「まな板」とNIFTY専用ブラウザ「茄子R」と組み合わせて使う。 ** NifTerm - 年間制のシェアウェア。Windows 95等。統合型通信ソフト。NIFTY-Serveが積極的に配布サービスを行っていたことにより、使用している会員は多かった。後にNIFTY-Serveの衰退にともなう利用者減少により、料金は年間制から永久制に変更になった。 ** AirCraft - もともとはMS-DOS用で通信環境などのベースシステムとなる「Air」に、別の作者による[[マクロ言語|マクロ]]プログラム「Craft」を組み合わせたものでフリーソフトであったが、Windows用は一体化してシェアウェアとなった。オートパイロット、ログブラウザ、エディタ、アドレス帳、データベース、チャットアダプタなどを備えた統合型通信ソフト。 * CockNews(CN) - X68000上で動作するソフトウェア。NET-COCK用の優秀なオフラインログリーダーとしてその人気を支えた。派生といえるものに、[[PC-9800シリーズ|PC-98]]用のCockMate(CM)、[[PC/AT互換機]]用のCockLife for DOS/V(CLV)などがある。 == パソコン通信専門誌 == 1980年代後半から1990年代のパソコン通信全盛期においては、パソコン通信の話題を専門に扱った専門誌が各社から発刊された。内容はモデムなどのハードウェアや通信プロトコルなどの技術情報、商用ソフト・オンラインソフトの使い方や新作情報、パソコン通信クライアントソフトウェアなどフリーソフトの配布、[[草の根BBS]]の開局情報、商用パソコン通信のフォーラムやSIGの紹介など多岐に渡った。 * 月刊パソコン通信([[エーアイ出版]]) * Networker Magazine→Networks([[アスキー (出版社)|アスキー]])1986年(昭和61年)10月 創刊号 * [[ネットピア]]([[学研ホールディングス|学習研究社]]) * 「マイコン通信入門」NHK趣味講座 講師 柏木恭忠 [[日本放送協会]]発行 1986年4月 * 「パソコン通信の本」 横田秀次郎著 工芸社発行 1985年 == パソコン通信を題材にした作品 == === 映画・アニメ・テレビ番組など === ; [[ウォー・ゲーム (映画)|ウォー・ゲーム]]: [[1983年]]、アメリカ映画 : 主人公が偶然接続した[[ホスト (ネットワーク)|ホスト]]が軍のコンピュータであり、本人がゲームのつもりで動かしていたプログラムが核戦争を引き起こそうとする。[[コンピュータネットワーク]]や[[ハッカー]]や[[クラッカー (コンピュータセキュリティ)|クラッカー]]を扱った作品としては古典の部類に入る。 ; [[ビデオ戦士レザリオン]]: [[1984年]]-[[1985年]]、[[東映]]・[[東映動画]]制作、TBS系列放映のテレビアニメーション。 : 主人公はパソコン好きの中学生・香取敬。彼は自らプログラムしてネットに流しているオンラインゲーム『レザリオン』で友人とプレイしていた矢先、月で起きた反乱による攻撃の余波で、電脳世界の存在のはずだったレザリオンを実体化してしまい、以降レザリオンを駆使した戦いに身を投じていく事になっていった。レザリオンは電送機能を用い、地球上の至る所、果ては月面までも自由に瞬間的に移動する。後半は敵ロボットの強化に伴い、レーザーバトルギアという強化装甲をまとうようになる。 : 作中では「パソコン通信でゲーム」と表現されていた、が実際はオンラインビデオゲームである『レザリオン』をプレイしていたはずの主人公が、実験中の軍の電送装置とリンク、ゲームの存在を実体化してしまった所から始まる。ただし、主人公が作中で本稿の内容に相当する「パソコン通信」で情報収集する場面も存在する。 ; ニューメディアいつもでない1日: 1989年[[3月22日]]、[[日本放送協会|NHK]]にて[[放送記念日]]特集としてレギュラー番組の合間をみて1日をかけて生放送された[[ニューメディア]]特集番組。スーパーバイザーとして[[坂村健]]が登場する。 : この中に「ミスターXを探せ」と題する、4人のチャレンジャーがパソコン通信を駆使して情報を集め、世界のどこかにいる「ミスターX」を探すという企画があった。コーナー司会は[[千田正穂]]。チャレンジャーはニフティサーブやPC-VANなどの商用ネットでチャットを使った情報収集にあたるが、この際に同時アクセス者から「[[NHK受信料]]徴収はんたーい!」というメッセージが送られてきて画面に丸写しになったり、マイクを使用したボイスキーのトラップが不具合で通過できなくなったりするなど、ハプニング・不手際が続き、結局人物を探し当てることができず時間切れで終了した(時間切れ直前にチャレンジャーの1人が苦笑いしつつXの人物名を吐露している)。なお、ミスターXはPC-VANでもSIGを主宰していた[[クロード・チアリ]]であった。 ; [[空と海をこえて]]: [[1989年]]、[[TBSテレビ|TBS]]が製作放送した3時間[[テレビドラマ]]。[[後藤久美子]]主演、[[加藤茶]]共演。 : パソコン通信のほかに通信手段のない孤島で、パソコン通信によって[[血清]]を手に入れるという設定。時空を超えた繋がりを強調していた。なおこのドラマの内輪話が放映後、[[技術評論社]]発行の「TheBASIC」に掲載された。パソコンの世界ではNECがほぼ一人勝ちの状態にあって、[[日立製作所|日立]]が1社提供で制作した番組。 ; ネットワークベイビー: [[1990年]]、NHK製作のテレビドラマ。主演:[[富田靖子]] : 厳密にはパソコン通信とは言いにくいが、まだパソコン通信しかなかった時代にネットワークゲームを題材として扱ったドラマである。 ; [[ レッスンC (テレビドラマ)]]: [[1993年]]、[[テレビ朝日]]制作、[[ネオドラマ]]枠で放映されたテレビドラマ 。主演:[[中嶋朋子]]、共演:[[沢向要士]]・[[大沢健]] :女子大生の千春は、同棲相手の浩平がパソコンに夢中になっていて自分が淡白に扱われていることに少し不満を覚えていた。そんなある日、千春は家庭教師のアルバイトの紹介を受けた。クライアント先の高校生は、恋愛アドベンチャーゲームに夢中の根暗なオタク、信一だった。信一は次第に千春に対して恋心を抱くようになり、[[ニフティサーブ]]にある恋愛フォーラムの常連であり、信一の良き兄貴分でもあるハンドルネーム「ウルトラの父さん」のアドバイスを受けながらその恋愛を発展させようとする。 ;[[電光超人グリッドマン]]: [[1993年]]-[[1994年]]、[[円谷プロダクション]]制作、TBS系列放映の特撮テレビ番組。 : 直人、一平、ゆかの中学生3人組は、中古パーツを集めて手作りで組み上げたコンピュータ「ジャンク」を使って研究や開発を楽しんでいた。そこへ、異世界からやってきた魔王が、クラスメートを操って「コンピュータワールド」内へ怪獣を実体化させ、地球を支配しようと乗り出した。魔王を追って現れたエージェントは、一平が「ジャンク」の中にCGで描いていた超人「グリッドマン」と一体化し、魔王の送り出す怪獣と戦う。 : この作品での「怪獣」とは、パソコン通信でどこかのコンピュータに侵入、暴れさせてプログラムを破壊し、現実世界を大混乱に陥れようとする存在で、[[インターネット]]や[[コンピュータウイルス]]の登場を先取りした設定である。また、戦いは全てコンピュータ世界の中で発生しており、怪獣やグリッドマンの存在は一般には知られていない。 : 制作には[[富士通]]が全面協力しており、同社のパソコンが劇中に登場するほか、撮影方式にも当時最先端の[[VTR]]技術やCG合成が使用されている。 ; [[サイバーネット]] : 1995年、アメリカ映画 ; [[(ハル)]]: [[1997年]]、[[森田芳光]]監督の映画。主演:[[深津絵里]]・[[内野聖陽]] : 「映画フォーラム」の[[チャット]]を舞台に、一度も出会ったことがない男女の恋愛物語を紡いでいる。パソコン通信で出会って結婚することを「パソ婚」などと呼ぶが、その経緯を丁寧に描写した作品。 ; [[ザ・ハッカー]] : 2000年、アメリカ映画 === マンガ・小説・ゲームなど === ; ネットワーク戦士(ネットワークウォリアー): [[矢野健太郎 (漫画家)|矢野健太郎]]による漫画。[[月刊少年チャンピオン]]1986年4月号に掲載された読みきり作品と、それをプロローグとした[[月刊少年ジャンプ]]増刊[[ホビーズジャンプ]]1986年Vol.8/1月20日号から1988年vol.14号/1月20日号までに連載された作品から成り、単行本は1991年に学研から刊行された。パソコン通信中に[[音響カプラ]]が外れたことがきっかけで主人公たちがゲームの世界に取り込まれてしまう。 :*{{マンガ図書館Z作品|48691|ネットワーク戦士}}(外部リンク) ; ヴァレンティーナ:コンピュータ・ネットワークの女王: J・ディレーニイ&M・スティーグラーによる小説。原題はVALENTINA: SOUL IN SAPPHIRE (1985)。[[小川隆]]訳、新潮文庫、1986年刊行。意識をもってしまったコンピュータ・プログラム「ヴァレンティーナ」をめぐる物語。 ; マイクロチップの魔術師: [[ヴァーナー・ヴィンジ]]による小説。原題はTRUE NAMES (1981)。[[若島正]]訳、新潮文庫、1989年刊行。未来のコンピュータネットワーク上の仮想空間で展開されるサスペンスSF。解説を[[マービン・ミンスキー]]が書いている。 ; 矢野徹の狂乱酒場1988:[[矢野徹]]編による書籍。パソコン誌「[[コンプティーク]]」が運営していた「コンプティークBBS」のボード「矢野徹の狂乱酒場」(1988年8月1日開始)のログを編集したもの。角川文庫、1990年12月刊。 ; チャットしましょ: [[砂倉そーいち]]による漫画。1990年8月からCOMICクラフトで連載。1992年12月に単行本化。高校一年生の三日花真紀<ref group="注釈">みかかまきと読む。みかかは、NTTの隠語([[みかか]]参照)。真紀は画像フォーマットの[[MAGフォーマット|MAKI]]に由来する。</ref>が[[チャット]]をしていたらコンピュータ([[FM TOWNS]])からチャットの妖怪が飛び出してきた。妖怪チャットとのドタバタコメディー。[[かないみか]]出演のドラマCDも作られた。 :*{{マンガ図書館Z作品|42591|チャットしましょ}}(外部リンク) ; [[朝のガスパール]]: [[1991年]][[10月18日]]~[[1992年]][[3月31日]]、[[筒井康隆]]の『[[朝日新聞]]』連載小説。タイトルは[[モーリス・ラヴェル]]作曲の[[ピアノ]]曲『[[夜のガスパール (ラヴェル)|夜のガスパール]]』の[[パロディー]]。 : パソコン通信成長期を物語るイベントがこの小説との同時進行ライブであろう。<!---そしてこれに先立つ[[10月6日]]、朝日新聞紙上に次のようなお知らせが掲載された。これは日々、--->筒井が書く小説に対してASAHI-NET会員が反応してメッセージを盛んに書き込み、筒井自身や筒井の友人が応答することもあった。<!---状況を知らない人以外には何のことやらさっぱりわからなかったが、会員以外でも大いに盛り上がった。例えば、--->紙上での企画に呼応したPC-VANの[[Special Interest Group|SIG]]-SFDBでは参加したい人たちの意見をまとめて[[フロッピーディスク]]に収納し、朝日新聞の当該部署に送ることが行われた。また後には、これらのメッセージのやり取りが出版された(「電脳筒井線」全3巻、朝日新聞社、1991-1992)。 ; 『[[真・女神転生]]』およびそのシリーズ : [[アトラス (ゲーム会社)|株式会社アトラス]]より発売されたゲームタイトル。初代は1992年。 : 本作品のストーリーは、主人公がパソコン通信ネットワーク'''DDS-NET'''上でSTEVENというハンドルネームを持つ者より配布された「[[女神転生#キーワード|悪魔召喚プログラム]]」を入手するところから始まる。派生作品である『[[真・女神転生デビルサマナー]]』でもDDS-NETを使って[[チャット]]を行っている描写が見られる。別の派生作品である『[[魔神転生]]』では、パソコン通信中の[[キャラクタユーザインタフェース]]を模したデモがある。 ; 竹熊の野望 インターネット前夜、パソコン通信で世界征服の実現を目論む男の物語 :1993年-1996年 [[EYE-COM]]連載。著:[[竹熊健太郎]]、イラスト:[[羽生生純]] 立東舎、2016年2月刊 ISBN 978-4845627745 : 竹熊健太郎をモデルにした「竹熊」が[[スタパ齋藤]]をモデルにした部下「齋藤」を従え、パソコン通信を使った世界征服を目論む小説。 ; パスカルへの道 - 第1回パスカル短篇文学新人賞:[[ASAHIネット]]編による書籍。中公文庫、1994年10月刊行。短篇文学新人賞を、応募から選考までをすべてパソコン通信ネットワーク上で行うという、当時としては画期的な試み。全応募作が読め、応募者同士も会話がかわせた<ref>川上弘美「受賞者のことば」より</ref>。第1回の選考委員は[[筒井康隆]]、[[井上ひさし]]、[[小林恭二]]で、受賞したのは、[[川上弘美]]『神様』。詳しくは「[[ASAHIネット#パスカル短篇文学新人賞]]」を参照。 ; [[A・Iが止まらない!|A・I(あい)が止まらない!]]: [[1994年]]-[[1997年]]、[[赤松健]]の[[講談社]][[マガジンSPECIAL]]連載漫画。 : インターネットとパソコン通信の混在する時代。主人公の神戸ひとしが作った[[人工知能|AI(人工知能)]]プログラムNo.30(サーティ)が、女の子の姿で実体化してしまう。サーティはパソコン通信の中を自由に移動したりするなどし、さまざまな騒動を巻き起こす(のちに彼女の“姉”・“妹”も登場した)。 ; [[パソコン通信探偵団事件ノート|パスワードシリーズ]]: [[1995年]]~、[[松原秀行]]による児童文学作品。[[青い鳥文庫]]([[講談社]])から刊行。 : パソコン通信上の民間会員制学習塾フォーラムに設置されたパスワード式チャットルームのメンバー(皆探偵・推理小説の愛読者で、開設者以外のメンバーは小学生)が様々な事件に巻き込まれる。なおシリーズの長期化により、初期作品をリメイクした『風浜電子探偵団事件ノート』シリーズではパスワード式チャットルームの設置先がインターネットの学習塾サイト内に変更されている。 ; 仮面舞踏会-伊集院大介の帰還-:1995年4月、講談社 [[栗本薫]]による小説。 : [[伊集院大介]]シリーズの一作。パソコン通信ネットワーク「コンピュートピア(作者の創作で特定のモデルは存在しない)」で男性ユーザーからアイドルのように人気な正体不明のユーザー「姫」。「姫」とリアルでも友人で唯一正体を知る浪人生滝沢稔(ハンドルネーム「アトム」)は、ある日「姫(実は男性)」から取り巻きたちとの初オフ会での替え玉になってもらった女子大生が殺されてしまったと聞き事件の真相解明に乗り出す。[[ネカマ]](作中ではネットおカマ)が登場し、ラストでは[[ネットいじめ]]が行われた可能性が示唆されている。また作中では真相解明のために[[自作自演 (インターネット)|自作自演]]が行われている(情報収集のため2つのハンドルを使い分けているので厳密にそうとは言い切れないが)。リアルでは終始稔の家が舞台でネットでの[[チャット]]がメインの為[[安楽椅子探偵]]ものでもあり、作中でのチャット場面では[[顔文字]]も使われている。 ;'''[[青猫の街]]''' : 1998年12月、新潮社 [[涼元悠一]]によるミステリー小説。 : 舞台はインターネットの普及し始めた1995年頃の東京。失踪した友人Aを探す神野俊幸は様々な人達と出会い、「青猫(あおねこ)」の存在を知る。 ; [[オレ通AtoZ]]: [[1996年]]、[[恋緒みなと]]による[[週刊ヤングマガジン]]連載漫画。単行本は全1巻で、講談社より1996年刊。 : [[チャット]]や[[電子掲示板|BBS]]・[[オフ会]]や掲示板上でのケンカ(いわゆる[[炎上 (ネット用語)|炎上]])といったパソコン通信文化に関して高校生男子の主人公(学校の備品である[[Macintosh|Mac]]で[[Adobe Photoshop|フォトショップ]]を使って絵を描くのが得意・行きつけのBBSでは「先生」と呼ばれている)とその先輩(女子)・他のクラスメイトやアイドル、その追っかけといった人たちの姿を通じて描いた作品。 ; 小説 金田一少年の事件簿 電脳山荘殺人事件: 1996年4月、講談社マガジンノベルス。 : 推理漫画『[[金田一少年の事件簿]]』の小説版。パソコン通信で知り合った男女7人が吹雪の山荘に集う。そこで起こる連続殺人事件に金田一少年が挑む。[[ハンドルネーム]]やBBS、[[OFF会]]などパソコン通信特有の用語が登場する。 ; マンガ パソコン通信入門 - 笑って体験、はじめの一歩: 1996年9月、講談社[[ブルーバックス]]から刊行された漫画。 : ブルーバックスでは珍しい[[学習漫画]]で[[荻窪圭]]が原作を、[[永野のりこ]]が漫画を担当している。恋人のユキの趣味がパソコン通信だということを知って、大手商用パソコン通信に参加することになるトオルが主人公。パソコンに関しては全くの素人の彼が戸惑いつつもユキのレクチャーを受けながら学んでいく様がコメディタッチに、またときにはしんみりと描かれる。 :*{{マンガ図書館Z作品|41951|マンガ パソコン通信入門}}(外部リンク) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist | group = "注釈"}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 | editor = THE COMPUTER編集部 | year = 1991 | title = パソコンヒット商品物語 | publisher = ソフトバンク | isbn = 4-89052-194-1 | pages = 240-257}} - 「まいと〜く」について == 関連項目 == * [[ニューメディア]] * [[電子掲示板]] * [[草の根BBS]] * [[オフラインミーティング]] * [[バイナリ転送プロトコル]] * [[インターネット]] * [[ビデオテックス]](電話回線を利用した文字情報システム) ** [[キャプテンシステム]] ** [[ミニテル]] {{Telecommunications}} [[Category:パソコン通信|*はそこんつうしん]] [[Category:パソコンの歴史|はそこんつうしん]]
2003-02-26T23:07:56Z
2023-10-24T01:36:43Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:Cite book", "Template:Telecommunications", "Template:Refnest", "Template:いつ", "Template:マンガ図書館Z作品", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite encyclopedia", "Template:Cite web", "Template:混同" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%BD%E3%82%B3%E3%83%B3%E9%80%9A%E4%BF%A1
2,965
モデム
モデム(英: modem)とは、アナログ信号をデジタル信号に、またデジタル信号をアナログ信号に変換することでコンピュータなどの機器が通信回線を通じてデータを送受信できるようにする装置。変復調装置。 変調器 (modulator) と復調器 (demodulator) を組み合わせた装置なので、双方の名称から頭の数文字 (mo + dem) を採り命名されている。 デジタル信号を伝送路の特性に合わせたアナログ信号にデジタル変調して送信し、伝送路からのアナログ信号をデジタル信号に復調して受信する。通信方式はITU-Tにより標準化されている。 通信回線の種類に応じた網制御装置 (NCU) を持つものが多く、誤り検出と再送信・データ圧縮などの機能を持つものもある。 単にモデムという場合は、コンピュータをアナログ電話回線(公衆交換電話網)に接続するための変復調装置を意味することが多い。 広義には、コンピュータなどの機器と通信回線の間で信号の相互変換を行って通信を仲介する機器全般をモデムということがある。 アナログ電話回線つまり人と人が音声で会話をするために使っている通話回線を用いてコンピュータ等でデータの送受信を行うための装置である。このタイプのモデムは、平易に言うと、デジタル信号をいわゆる「音」に変換し、またその音を元のデジタル信号に戻す装置である。送信側と受信側がそれぞれモデムを設置することで、音声通話用回線でもデジタル通信を行えるようになる。 このタイプのモデムは (300 - 3400Hz) という周波数帯域を利用し通信する。つまり音声可聴帯域周波数よりはかなり狭い帯域を使用する。(※)。 このタイプのモデムの通信速度は300bpsから56kbpsである。 指定した電話番号を発呼してデータ通信を開始したり、外部からの着呼に応答して自動的にデータ通信を開始したりといった機能も備えていることが多い。 なおアナログ音声回線には公衆交換電話網以外にも、専用線、私設線(利用者が施設内・建物内・敷地などに敷設した電話線)、無線電話などがある。モデムとこうしたアナログ回線を利用して、たとえばPOS装置のデータ集計、自動販売機のリモート情報収集、屋外の道路信号機や標識類とのデータ通信、コンピュータとコンピュータの1対1の接続などといったことができる。電話回線さえつなげばデータ通信が可能になる。機器をサイバー攻撃が行われがちなインターネットから完全に遮断して、セキュリティを確保した状態でデータ通信を行うことができる、完全にプライベートな回線でデータ通信できる、など現在でも意味ある利用法は多々ある。 ADSL回線用のものは、はっきり区別して、「ADSLモデム」と呼ぶ。 本来のモデムを、後から登場したADSLモデム(数百kHz~数MHzの非可聴音、高周波を使う)と対比させて「アナログモデム」と呼んでしまう人が一部にいるが、一般に認知された表現とはいえない。可聴音を使うものを従来通り「モデム」と呼び、非可聴音を使うほうを「ADSLモデム」と呼びわけるのが一般的である。 通信の途中がデジタル化されていることを前提にした規格ITU V.90、V.92モデムについて、「加入側がアナログ回線だから」などと理由をつけて「アナログモデム」と呼ぶのも、やはりあまり一般的ではない。 光回線の光回線終端装置 (ONU)・ISDN回線のターミナルアダプタ (TA) は、オペレーティングシステムの「コントロールパネル」などの画面内で「デバイス」の枠で乱暴に「モデム」と表示されてしまうこともあるが、やはりターミナルアダプタをモデムと呼ぶのは不適切である。 形状には次のようなものがある。 最初に商業的に利用可能になったモデムはBell 103 modemであり、1962年にアメリカのAT&Tから公表されたものである。 日本では日本電信電話公社を民営化するため1985年4月に電気通信事業法が制定され、民間企業としての日本電信電話 (NTT) が誕生した。この法令の施行により、それまで省庁が個別に許認可制し、特別の事情だけに許可されていた「日本国内での通信事業」が、広く一般民間企業に開放された。これと同時に「端末の自由化」も行われ、技術基準適合認定を受けた通信機器であれば自由に利用できるようになった。 この端末機器自由化は、アナログ信号の音声通話機器の自由化に加えて、デジタル信号を伝送するデータ通信も自由化された。それまでのデジタル通信は日本電信電話公社が1964年の東京オリンピック目前の1963年末の12月に、国鉄の「みどりの窓口」と日本航空の座席予約システムコンピューターネットワーク接続のために開始したデータ伝送サービスだった。その後、全国銀行データ通信システムでの銀行間における為替業務通信に広がった。 企業間のデータ通信は時代の当然の流れで機器の低価格化に伴い次第に個人レベルでのアーリーアダプターに広がり草の根のパソコン通信では音響カプラによる300bps使用、企業が乗り出してくるころには1200bpsのデータ通信への置き換え、パソコン通信のアクセスポイントへのダイヤルアップ接続、FAX通信をする手段となった。これによりパーソナルコンピュータに接続する電話回線用モデムが普及した。1994年の日本でのインターネット商用化を受けてこれがさらに加速し、当初は外付けだったモデムはパソコンの低価格と相まって、次第に内蔵が主流となった。 モデムはもともとはデジタル信号をアナログ信号に変換し、アナログ通信回線を通じて相手に送り、受信側はそのアナログ信号をモデムでデジタル信号に変換するものである。 しかし、デジタル信号をデジタル回線にそのまま載せるシステムとして1995年には世界に先駆けて日本でデジタル通信のためのISDN回線がサービス開始された。ISDNでは(「モデム」は本来アナログ回線を使うものであったので)それとはっきり区別するために「ターミナルアダプタ (TA)」と呼ばれた。1997年からの常時接続サービスにより一般使用も徐々に広がり、高速通信として使用された。データ通信は64kbps/128kbpsとなった。しかしアナログ加入回線が主流で、モデムのほうも広く一般に使用されつづけ、アナログ回線用モデムとデジタル回線用ターミナルアダプタが共存する時代となった。 2000年頃からADSL・CATVなどのブロードバンド回線が普及しはじめた。ADSLは(一般音声のための)アナログ回線を利用してのデジタル通信であり、ADSL仕様のモデムを利用する。これをADSLモデムという。ADSLは低価格化大容量化し一般に広く普及し、ADSLモデムも広く普及した。(一方、光ファイバー網のデジタル回線も普及し、デジタル回線を利用したデジタル通信が主流となってきた。) 公衆無線LAN接続・モバイルデータ通信定額制・インターネットFAXサービスなどの拡充によりモデムを使う用途は激減し、2000年代後半には、モデムはノートパソコンでも内蔵されないことが一般化した。モデムを利用する人だけカード型モデムを増設して利用するようになった。モデムの代わりにWifiを標準搭載するノートPCが一般化していった。ノートパソコンにカードスロットもなくなり、モデム使用にはUSB接続モデムが使われるようになってきた。 デジタル回線やADSL使用不可の地域(一部の離島など)では、今でも従来型のモデムが使用されている。 コンピュータやルーターなどとは、古い機種ではRS-232C・RS-422などのシリアルポート、比較的新しい機種ではUSBやExpressCardなどのインタフェースで接続するのが多い。また、パソコン本体に内蔵されたものや、PCIなどの拡張スロットに装着するもの、PCカードタイプのものもある。 ケーブルモデム・ADSLモデムなどの高速なものは、LANポート(イーサネット)で接続するものが多い。 加入電話回線用のモデムの加入者線側は、電話用2線式のモジュラージャック (RJ-11) にモジュラーケーブルで接続する。アナログ電話機は、電話機端子に接続する。 単方向通信のみ可能で、送信側受信側の切り替えのできないもの。 通信方向を切り替えて使用するもので、送信・受信を同時にできないもの。現在でもPOSシステムや、銀行向けの業務用システム(全銀手順)の一部で使われている。G3ファクシミリもこの方式である(制御通信・画像通信とも)。 各種複信方式を利用して、送受信を同時に行えるようになっているもの。現在一般的に使用されている。 一般的に使われるタイプ。モデムには、同期の機能が無いものである。調歩同期式でビット単位同期、High-Level Data Link Control (HDLC) などのフラグ同期またはキャラクタ同期でブロック単位同期を、データ信号自体で取りながら通信する。同期モデムに比べて、速度と確実性に劣るが、安価である。 一部の業務用で使われるタイプ。端末装置から別々の信号線で送信されたデータ信号と同期信号を、一つの伝送路で送信し、受信側でデータ信号と同期信号を分離し別々の信号線で端末装置に受信させるものである。非同期モデムに比べて、確実で高速な通信が可能であるが、高価である。 電話回線の音声周波数帯域 (300 - 3400Hz) をデジタル変調により変復調し、コンピューター等のシリアルポートとデジタル信号(データ)としてやり取りするものである。 MMとは手動発信・手動着信の略である。通信回線インターフェースと変復調部を一体にまとめたモデム。通信用インターフェース(RS-232Cが多い)と通信回線インターフェース(一般の電話回線が多い)を持ち、1980年代のパソコン通信の登場初期から使われている。音響カプラと異なり回線に直接接続されているので安定性が高い。 回線の制御機能は自動的ではなく、電話機でダイヤル後にモデムにあるボタンやスイッチの操作(以下スイッチ操作)で回線をモデムに切り替える。通信終了時にも同様にスイッチ操作で回線を電話機に戻す。発信(発呼 ORG)側か着信(被呼 ANS)側かの選択もスイッチ操作で行う。複数の通信規格(V.21 300bpsとV.23 1200bps半二重 など)に対応した機種では通信速度の切り替えもスイッチ操作で行う。 など のちに着信のみ自動化したMAモデムも登場した。1980年代後半頃から次項のインテリジェントモデムにとって代わられた。 NCU・変復調・制御部を一体にまとめたモデム。通信用インターフェースと通信回線インターフェースを持ち、1980年代のパソコン通信の登場初期から使われている。当時は普及機のMMモデムに対し高級機であった。かつては主流であったが、2000年頃から少なくなっている。 次項のソフトモデムと異なり、動作中にCPUに負担をかけることが少なく、安定して動作することや、特別なデバイスドライバがなくても、RS-232Cポートさえ利用できれば通信できるメリットがあり、産業用機器などの組み込みシステムのコンポーネンツに利用されたことも多い。 インテリジェントモデムをモジュール化し、INS1500のような集合回線に一括接続し、通信用インターフェースにネットワークインターフェースを用いた集合モデムは、アクセスポイントに多用された。 ソフトモデムは、モデム側のハードウェアを簡略化し、コンピュータ側のCPUで処理の多くを行うものである。部品点数が少なく・回路が占有する基板面積が狭く・コストが安いため、非動作時には電源を切っても構わない、内部拡張スロット・USB接続・PCカード・コンピュータ内蔵のモデムのほとんどは、このソフトモデムである。 機能の多くをソフトウェアで実現しているため、安価で新規格にソフトウェアの変更のみで対応が可能である。しかし、処理速度・通信速度・安定性の低下の原因となることもある。また、オペレーティングシステムごとにデバイスドライバの開発が必要である。 基本的に一般的なモデム(インテリジェントモデム)の場合、NCUからアナログ信号とデジタル信号の相互変換を行うADC/DACに接続するまでのトランス・アンプ・イコライザなどのアナログ回路と、ADC/DACと接続され変調・復調・圧縮展開・エラー訂正・コマンド処理を司るDSPとシリアルインターフェース回路で構成されている。コンピューター側のCPUがDSPの機能を担当すれば、ハードウエアで必要な部品はNCU・トランス・必要最小限のアナログ回路・ADC/DACになる。特にDSPは高価な部品なので、省略する事で大幅なコストダウンとなる。 シリアルインターフェースも省略され、生のアナログ信号をADC/DAC経由で高速にCPUと入出力するため、FIFOメモリとホストバスインターフェース(ISAやPCI、USB)が使われる。初期のソフトモデムを除き、現在のソフトモデムはアナログ回路からホストバスインターフェースまでの一切をワンチップで構成している。 デバイスドライバはDSPが担当していた処理をエミュレーションし、イコライザ・ゲイン調整・NCUで使用する信号の生成・変調・復調・圧縮展開・エラー訂正・コマンド処理を行い、オペレーティングシステムに仮想シリアルインターフェースの形でインテリジェントモデムが存在するように見せかけている。 初期のソフトモデムは非常に多くのCPUパワーを消費していた。これは当時のCPUがDSP的な命令セットを備えていなかったために、特に変調・復調処理で手間取っていたためである。ダイヤル回線のダイヤルパルスの間隔が乱れ、かけ間違いが起こることもあった。現代のCPUは全般的に処理能力が向上していることに加え、DSP的な命令セットを備え、かつ並列して一度に実行することができることから、ソフトモデムが登場したころに比べるとCPU負荷はかなり軽減されている。 スマートフォンのアプリケーションとしての実装もできる。FAXモデム(次項)を実装することにより、スマートフォンでFAXを送受信することもできるようになる。 モデムホン(オートホン)は電話機とモデムを一体にした装置。オンフックダイヤル、スピーカ受話、短縮ダイヤルリダイヤル、スピーカ音量調節等の付加機能。通信装置としての機能はモデムに準じる。通信回線インターフェース(モジュラジャック)と通信用インターフェース (RS-232C) を持ち、パソコンからコントロールできる多機能電話とも言える。 但し、モデムを内蔵している電話機のためAC電源アダプタ等により電源を供給する必要がある。 FAXモデムは、G3ファクシミリ (ITU-T T.30) の送受信機能を、ATコマンドを拡張して実装したものである。カラーG3 (ITU-T T.30E) などの拡張機能を利用する場合、Class1相当の機能のみを利用することとなる。機械的には、単体モデム・ソフトモデムともに存在する。 1990年代後半より、パーソナルコンピュータと電話網に接続されたファクシミリとの相互通信のために導入されていた。2000年代に入り、業務用のFAXサーバや複合機のFAXインターフェースモジュールとして製造されるものが主となっている。FAXモデムチップセットのシェアはコネクサント社(旧ロックウエル社)が大部分を占めている。EIA-578規格は一度は姿を消したものの、チップセットの価格を安価にする事ができる事、G3以外の規格(カラーG3やスーパーG3など)も使える為、再び2014年現在主流であるEIA-592規格を後退させている。 ボイスモデムは、データ通信と切替または、対応機器間で同時に音声通信が可能なものである。1990年代後半に製造されていたが、2000年代に入りほとんど製造されていない。 詳細はを参照。 FSK変調を採用した規格は、Bell 103を除き低群・高群ともマーク(1)信号が低位、スペース(0)信号が高位である。FSK以外の変調を採用した規格では、同じシンボルが連続すると搬送波に変化がなくなり復調に支障をきたすため、一定のアルゴリズムでマークとスペースを入れ替える処理が行われる。これをスクランブルという。 2400bps以上の速度のものは、後述のMNPやLAPMによる圧縮を行うことから、パソコンとモデム間の通信速度は、回線上の通信速度よりも高く設定することがほとんどである。この場合、RS-232CのRS・CS信号のオン・オフでフローコントロールを行う。 MNP (Microcom Networking Protocol) は、アメリカMicrocom(マイクロコム)社が提唱した、モデム用のデータ圧縮とエラー訂正のための規格の総称。第三者組織によって標準化された規格ではないが、一部の規格は内容が一般に公開されたことと、実際にMicrocom Networking Protocolを搭載したマイクロコム社のモデムの伝送品質が優れていた事から普及した。クラス1から10までクラス分けがされており、上位のクラスは下位のクラスの機能をすべて含んでいる。ほかの通信プロトコルと組み合わせて使用される。 クラス毎の特徴は以下の通り。 なお、クラス8は欠番である。 ITU-T標準プロトコルで規定された、エラー訂正とデータ圧縮の方式。エラー訂正はMNP4と互換。「V.42bis」はBTLZ (British Telecom Lempel-Ziv) 方式を採用したデータ圧縮の規格であり、CCITT(当時)が1989年11月に勧告したもの。MNP5の圧縮率が1.6 : 1であったのと比較して2.45 : 1程度と、圧縮効が高い。2400bps以上のモデムで広く使われた。 網制御装置(もうせいぎょそうち)は、NCU (Network Control Unit) とも呼ばれる、一般加入者回線に接続するために、交換機に対し回線の接続・相手側の電話番号の通知・切断・通信先等の変更等の処理を行う機器である。 初期のものは、電話機の形状をしており、回線接続などの動作は手動でダイヤルしたり、回路を切り替えたりしていたが、後に、コンピュータからの制御により自動発信、自動着信などもできる様になった。 初期段階では、NCUから制御用信号専用のケーブルでモデムに接続されていたが、後にモデムと一体化された機器が登場する。ヘイズATコマンドという業界標準のコマンドを搭載したモデムが登場してからは、専用ケーブルを介して制御する必要がなくなり、制御コードの標準化と通信回線接続のモジュラジャック化に伴い、一般のパソコン通信などでも使えるようになった。 ヘイズATコマンドとは、アメリカのHayes Microcomputer Products社が開発したインテリジェントモデムのコマンド体系で、ATtentionの略である、「AT」でコマンドが始まることからこう呼ばれる。AやTは小文字でも良いが、AとTとの間に他のコードが入るとATコマンドとは認識されない。 ヘイズ以外のモデムメーカーも同コマンド体系を採用したため業界標準となったが、各社の独自の拡張がされた部分には互換性がないこともある。 端末からの命令を「コマンド」、モデムからの応答を「リザルトコード」と呼ぶ。 RS-232は最下位ビットから送信するので、8-N-1(8データビット、パリティビットなし、1ストップビット)のラインパターンは 0100000101 0001010101(スタート、ストップビットを斜体)でATコマンドは、次のようなビットストリームから始まる。 8bit、パリティなし、ストップビット1bitの場合 A|0s|1|0|0|0|0|0c|1|0x|1s| T|0s|0|0|1|0|1|0c|1|0x|1s| /|0s|1|1|1|1|0|1|0|0x|1s| a|0s|1|0|0|0|0|1c|1|0x|1s| t|0s|0|0|1|0|1|1c|1|0x|1s| ヘイズATコマンドを採用するモデムはDCE - DTE間の速度及びフォーマットを自動判定する機能を備えている場合が多い。このATというデータを受信したと仮定し、最初の1の後の5個の0の後に現れる1までの時間を測定することで速度 (bit per second) を測定できる。その次の0 (0x) が現れるかどうかで、現れなければ7bitパリティなしと、0ではなく1が現れた場合は7bit奇数パリティであると判定できる。0が現れた場合は7bit偶数パリティと8bitパリティなしの可能性がある。その場合、AとTでは1の個数が異なるため、Tのパリティビットを見ることでどちらなのか判定できる。実際の実装は、AやTが小文字であった場合 (0c=1) を考慮してある、ストップビット長をAの後にくるTとの間で判断するなど、若干複雑である。なお、A/は直前の操作を繰り返すコマンドである。 ITU-Tが定めたモデムのコマンド体系。ヘイズATコマンドはモデムによって独自の拡張が行われており、通信するにあたってモデムを何らかの形で識別しなければならないが、V.25bisではシリアルインターフェースの制御状態からコマンドとその手順が厳密に定義されており機種依存の問題はほとんどない。ルーターなどに接続されることを前提としたモデムで採用されている。コンシューマー向けの製品では一時期V.25bisとヘイズATコマンドの両方をサポートしていたが、現在ではV.25bisをサポートしていない製品がほとんどである。 無線モデム、ワイヤレスモデム (wireless modem) とは、無線通信回線を伝送路に使用するモデムである。ブロードバンドインターネット接続のものは、モバイルモデム (Mobile modem)、ポータブルモデム (portable modem) と呼ぶこともある。 IPの仮想LANカード・ルーター・ブリッジとして振る舞うものは、「モデム」と言うよりは「(通信)アダプタ」などと呼ばれる事も多い。 汎用の無線デバイスとして多様な使い方が可能なBluetoothも無線モデムの一種と言える。 2000年代より電波帯域の有効活用のため、2G携帯電話やPHSのように、音声をアナログ-デジタル変換してナローバンド無線モデムでデジタル伝送することが一般的になっていた。また、2000年代後半より第3世代移動通信システム (3G) ・Wimaxなどの広帯域無線アクセスや、Wi-Fiアクセスポイントなどが普及し始める。 2010年代より、第3.5世代携帯電話 (3.5G)、おくれて第3.9世代携帯電話 (3.9G) が普及し始めている。特に3.9G (LTE) は形式の差こそあれ基盤技術は同じLTEであり、3.5Gまで見られた規格争いは沈静化し一本化が見られる。3.9G (LTE) は2010年代末に掛けて本格的に普及した。 2020年代に掛けて第4世代携帯電話 (4G)、第5世代携帯電話 (5G) の普及が展望されている。 移動体通信ネットワーク以外を使用するものとして、小出力のFMラジオ波を使用したり、ISM帯である2.4GHz帯や、特定小電力無線を使用する無線モデムがある。後者の無線モデムは、ホストと通信ポート等で直接接続したり、イーサネットブリッジとして機能する物もある。2.4GHz帯の無線モデムは免許が不要でかつ高速通信ができるスペクトラム拡散を用いた物が主である。アマチュア無線におけるターミナルノードコントローラ (TNC) が、モデムを内蔵したデータリンク装置に該当する。ただしTNCがモデムと呼ばれることは少ない。 通信衛星を利用した、デジタル通信に用いられるもの。多元接続の機能を持つものが多い。 ブロードバンドインターネット接続などの高速デジタル通信用のモデム。コンピュータ等とは、LANポート(イーサネット)でPPPoE等によるブリッジ接続、あるいはルーターに内蔵されてルータ接続するものが多い。 従来のアナログモデムより高速性と、ノイズへの耐性を高めるなどの安定性を目的としたモデム。RS-232Cなどのシリアルインターフェースを半導体レーザー光に変換して、光ケーブルを用いて通信する。用途はNTTがサポートするアナログ回線の内、特定回線によるものとほぼ同じで、アナログの専用線からの置き換えが進んでいる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "モデム(英: modem)とは、アナログ信号をデジタル信号に、またデジタル信号をアナログ信号に変換することでコンピュータなどの機器が通信回線を通じてデータを送受信できるようにする装置。変復調装置。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "変調器 (modulator) と復調器 (demodulator) を組み合わせた装置なので、双方の名称から頭の数文字 (mo + dem) を採り命名されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "デジタル信号を伝送路の特性に合わせたアナログ信号にデジタル変調して送信し、伝送路からのアナログ信号をデジタル信号に復調して受信する。通信方式はITU-Tにより標準化されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "通信回線の種類に応じた網制御装置 (NCU) を持つものが多く、誤り検出と再送信・データ圧縮などの機能を持つものもある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "単にモデムという場合は、コンピュータをアナログ電話回線(公衆交換電話網)に接続するための変復調装置を意味することが多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "広義には、コンピュータなどの機器と通信回線の間で信号の相互変換を行って通信を仲介する機器全般をモデムということがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "アナログ電話回線つまり人と人が音声で会話をするために使っている通話回線を用いてコンピュータ等でデータの送受信を行うための装置である。このタイプのモデムは、平易に言うと、デジタル信号をいわゆる「音」に変換し、またその音を元のデジタル信号に戻す装置である。送信側と受信側がそれぞれモデムを設置することで、音声通話用回線でもデジタル通信を行えるようになる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "このタイプのモデムは (300 - 3400Hz) という周波数帯域を利用し通信する。つまり音声可聴帯域周波数よりはかなり狭い帯域を使用する。(※)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "このタイプのモデムの通信速度は300bpsから56kbpsである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "指定した電話番号を発呼してデータ通信を開始したり、外部からの着呼に応答して自動的にデータ通信を開始したりといった機能も備えていることが多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "なおアナログ音声回線には公衆交換電話網以外にも、専用線、私設線(利用者が施設内・建物内・敷地などに敷設した電話線)、無線電話などがある。モデムとこうしたアナログ回線を利用して、たとえばPOS装置のデータ集計、自動販売機のリモート情報収集、屋外の道路信号機や標識類とのデータ通信、コンピュータとコンピュータの1対1の接続などといったことができる。電話回線さえつなげばデータ通信が可能になる。機器をサイバー攻撃が行われがちなインターネットから完全に遮断して、セキュリティを確保した状態でデータ通信を行うことができる、完全にプライベートな回線でデータ通信できる、など現在でも意味ある利用法は多々ある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ADSL回線用のものは、はっきり区別して、「ADSLモデム」と呼ぶ。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "本来のモデムを、後から登場したADSLモデム(数百kHz~数MHzの非可聴音、高周波を使う)と対比させて「アナログモデム」と呼んでしまう人が一部にいるが、一般に認知された表現とはいえない。可聴音を使うものを従来通り「モデム」と呼び、非可聴音を使うほうを「ADSLモデム」と呼びわけるのが一般的である。 通信の途中がデジタル化されていることを前提にした規格ITU V.90、V.92モデムについて、「加入側がアナログ回線だから」などと理由をつけて「アナログモデム」と呼ぶのも、やはりあまり一般的ではない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "光回線の光回線終端装置 (ONU)・ISDN回線のターミナルアダプタ (TA) は、オペレーティングシステムの「コントロールパネル」などの画面内で「デバイス」の枠で乱暴に「モデム」と表示されてしまうこともあるが、やはりターミナルアダプタをモデムと呼ぶのは不適切である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "形状には次のようなものがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "最初に商業的に利用可能になったモデムはBell 103 modemであり、1962年にアメリカのAT&Tから公表されたものである。", "title": "アナログ回線用モデムの歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "", "title": "アナログ回線用モデムの歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "日本では日本電信電話公社を民営化するため1985年4月に電気通信事業法が制定され、民間企業としての日本電信電話 (NTT) が誕生した。この法令の施行により、それまで省庁が個別に許認可制し、特別の事情だけに許可されていた「日本国内での通信事業」が、広く一般民間企業に開放された。これと同時に「端末の自由化」も行われ、技術基準適合認定を受けた通信機器であれば自由に利用できるようになった。", "title": "アナログ回線用モデムの歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "この端末機器自由化は、アナログ信号の音声通話機器の自由化に加えて、デジタル信号を伝送するデータ通信も自由化された。それまでのデジタル通信は日本電信電話公社が1964年の東京オリンピック目前の1963年末の12月に、国鉄の「みどりの窓口」と日本航空の座席予約システムコンピューターネットワーク接続のために開始したデータ伝送サービスだった。その後、全国銀行データ通信システムでの銀行間における為替業務通信に広がった。", "title": "アナログ回線用モデムの歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "企業間のデータ通信は時代の当然の流れで機器の低価格化に伴い次第に個人レベルでのアーリーアダプターに広がり草の根のパソコン通信では音響カプラによる300bps使用、企業が乗り出してくるころには1200bpsのデータ通信への置き換え、パソコン通信のアクセスポイントへのダイヤルアップ接続、FAX通信をする手段となった。これによりパーソナルコンピュータに接続する電話回線用モデムが普及した。1994年の日本でのインターネット商用化を受けてこれがさらに加速し、当初は外付けだったモデムはパソコンの低価格と相まって、次第に内蔵が主流となった。", "title": "アナログ回線用モデムの歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "モデムはもともとはデジタル信号をアナログ信号に変換し、アナログ通信回線を通じて相手に送り、受信側はそのアナログ信号をモデムでデジタル信号に変換するものである。", "title": "アナログ回線用モデムの歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "しかし、デジタル信号をデジタル回線にそのまま載せるシステムとして1995年には世界に先駆けて日本でデジタル通信のためのISDN回線がサービス開始された。ISDNでは(「モデム」は本来アナログ回線を使うものであったので)それとはっきり区別するために「ターミナルアダプタ (TA)」と呼ばれた。1997年からの常時接続サービスにより一般使用も徐々に広がり、高速通信として使用された。データ通信は64kbps/128kbpsとなった。しかしアナログ加入回線が主流で、モデムのほうも広く一般に使用されつづけ、アナログ回線用モデムとデジタル回線用ターミナルアダプタが共存する時代となった。", "title": "アナログ回線用モデムの歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2000年頃からADSL・CATVなどのブロードバンド回線が普及しはじめた。ADSLは(一般音声のための)アナログ回線を利用してのデジタル通信であり、ADSL仕様のモデムを利用する。これをADSLモデムという。ADSLは低価格化大容量化し一般に広く普及し、ADSLモデムも広く普及した。(一方、光ファイバー網のデジタル回線も普及し、デジタル回線を利用したデジタル通信が主流となってきた。)", "title": "アナログ回線用モデムの歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "公衆無線LAN接続・モバイルデータ通信定額制・インターネットFAXサービスなどの拡充によりモデムを使う用途は激減し、2000年代後半には、モデムはノートパソコンでも内蔵されないことが一般化した。モデムを利用する人だけカード型モデムを増設して利用するようになった。モデムの代わりにWifiを標準搭載するノートPCが一般化していった。ノートパソコンにカードスロットもなくなり、モデム使用にはUSB接続モデムが使われるようになってきた。", "title": "アナログ回線用モデムの歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "デジタル回線やADSL使用不可の地域(一部の離島など)では、今でも従来型のモデムが使用されている。", "title": "アナログ回線用モデムの歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "コンピュータやルーターなどとは、古い機種ではRS-232C・RS-422などのシリアルポート、比較的新しい機種ではUSBやExpressCardなどのインタフェースで接続するのが多い。また、パソコン本体に内蔵されたものや、PCIなどの拡張スロットに装着するもの、PCカードタイプのものもある。", "title": "インタフェース" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "ケーブルモデム・ADSLモデムなどの高速なものは、LANポート(イーサネット)で接続するものが多い。", "title": "インタフェース" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "加入電話回線用のモデムの加入者線側は、電話用2線式のモジュラージャック (RJ-11) にモジュラーケーブルで接続する。アナログ電話機は、電話機端子に接続する。", "title": "インタフェース" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "単方向通信のみ可能で、送信側受信側の切り替えのできないもの。", "title": "インタフェース" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "通信方向を切り替えて使用するもので、送信・受信を同時にできないもの。現在でもPOSシステムや、銀行向けの業務用システム(全銀手順)の一部で使われている。G3ファクシミリもこの方式である(制御通信・画像通信とも)。", "title": "インタフェース" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "各種複信方式を利用して、送受信を同時に行えるようになっているもの。現在一般的に使用されている。", "title": "インタフェース" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "一般的に使われるタイプ。モデムには、同期の機能が無いものである。調歩同期式でビット単位同期、High-Level Data Link Control (HDLC) などのフラグ同期またはキャラクタ同期でブロック単位同期を、データ信号自体で取りながら通信する。同期モデムに比べて、速度と確実性に劣るが、安価である。", "title": "インタフェース" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "一部の業務用で使われるタイプ。端末装置から別々の信号線で送信されたデータ信号と同期信号を、一つの伝送路で送信し、受信側でデータ信号と同期信号を分離し別々の信号線で端末装置に受信させるものである。非同期モデムに比べて、確実で高速な通信が可能であるが、高価である。", "title": "インタフェース" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "電話回線の音声周波数帯域 (300 - 3400Hz) をデジタル変調により変復調し、コンピューター等のシリアルポートとデジタル信号(データ)としてやり取りするものである。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "MMとは手動発信・手動着信の略である。通信回線インターフェースと変復調部を一体にまとめたモデム。通信用インターフェース(RS-232Cが多い)と通信回線インターフェース(一般の電話回線が多い)を持ち、1980年代のパソコン通信の登場初期から使われている。音響カプラと異なり回線に直接接続されているので安定性が高い。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "回線の制御機能は自動的ではなく、電話機でダイヤル後にモデムにあるボタンやスイッチの操作(以下スイッチ操作)で回線をモデムに切り替える。通信終了時にも同様にスイッチ操作で回線を電話機に戻す。発信(発呼 ORG)側か着信(被呼 ANS)側かの選択もスイッチ操作で行う。複数の通信規格(V.21 300bpsとV.23 1200bps半二重 など)に対応した機種では通信速度の切り替えもスイッチ操作で行う。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "など", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "のちに着信のみ自動化したMAモデムも登場した。1980年代後半頃から次項のインテリジェントモデムにとって代わられた。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "NCU・変復調・制御部を一体にまとめたモデム。通信用インターフェースと通信回線インターフェースを持ち、1980年代のパソコン通信の登場初期から使われている。当時は普及機のMMモデムに対し高級機であった。かつては主流であったが、2000年頃から少なくなっている。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "次項のソフトモデムと異なり、動作中にCPUに負担をかけることが少なく、安定して動作することや、特別なデバイスドライバがなくても、RS-232Cポートさえ利用できれば通信できるメリットがあり、産業用機器などの組み込みシステムのコンポーネンツに利用されたことも多い。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "インテリジェントモデムをモジュール化し、INS1500のような集合回線に一括接続し、通信用インターフェースにネットワークインターフェースを用いた集合モデムは、アクセスポイントに多用された。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ソフトモデムは、モデム側のハードウェアを簡略化し、コンピュータ側のCPUで処理の多くを行うものである。部品点数が少なく・回路が占有する基板面積が狭く・コストが安いため、非動作時には電源を切っても構わない、内部拡張スロット・USB接続・PCカード・コンピュータ内蔵のモデムのほとんどは、このソフトモデムである。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "機能の多くをソフトウェアで実現しているため、安価で新規格にソフトウェアの変更のみで対応が可能である。しかし、処理速度・通信速度・安定性の低下の原因となることもある。また、オペレーティングシステムごとにデバイスドライバの開発が必要である。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "基本的に一般的なモデム(インテリジェントモデム)の場合、NCUからアナログ信号とデジタル信号の相互変換を行うADC/DACに接続するまでのトランス・アンプ・イコライザなどのアナログ回路と、ADC/DACと接続され変調・復調・圧縮展開・エラー訂正・コマンド処理を司るDSPとシリアルインターフェース回路で構成されている。コンピューター側のCPUがDSPの機能を担当すれば、ハードウエアで必要な部品はNCU・トランス・必要最小限のアナログ回路・ADC/DACになる。特にDSPは高価な部品なので、省略する事で大幅なコストダウンとなる。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "シリアルインターフェースも省略され、生のアナログ信号をADC/DAC経由で高速にCPUと入出力するため、FIFOメモリとホストバスインターフェース(ISAやPCI、USB)が使われる。初期のソフトモデムを除き、現在のソフトモデムはアナログ回路からホストバスインターフェースまでの一切をワンチップで構成している。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "デバイスドライバはDSPが担当していた処理をエミュレーションし、イコライザ・ゲイン調整・NCUで使用する信号の生成・変調・復調・圧縮展開・エラー訂正・コマンド処理を行い、オペレーティングシステムに仮想シリアルインターフェースの形でインテリジェントモデムが存在するように見せかけている。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "初期のソフトモデムは非常に多くのCPUパワーを消費していた。これは当時のCPUがDSP的な命令セットを備えていなかったために、特に変調・復調処理で手間取っていたためである。ダイヤル回線のダイヤルパルスの間隔が乱れ、かけ間違いが起こることもあった。現代のCPUは全般的に処理能力が向上していることに加え、DSP的な命令セットを備え、かつ並列して一度に実行することができることから、ソフトモデムが登場したころに比べるとCPU負荷はかなり軽減されている。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "スマートフォンのアプリケーションとしての実装もできる。FAXモデム(次項)を実装することにより、スマートフォンでFAXを送受信することもできるようになる。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "モデムホン(オートホン)は電話機とモデムを一体にした装置。オンフックダイヤル、スピーカ受話、短縮ダイヤルリダイヤル、スピーカ音量調節等の付加機能。通信装置としての機能はモデムに準じる。通信回線インターフェース(モジュラジャック)と通信用インターフェース (RS-232C) を持ち、パソコンからコントロールできる多機能電話とも言える。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "但し、モデムを内蔵している電話機のためAC電源アダプタ等により電源を供給する必要がある。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "FAXモデムは、G3ファクシミリ (ITU-T T.30) の送受信機能を、ATコマンドを拡張して実装したものである。カラーG3 (ITU-T T.30E) などの拡張機能を利用する場合、Class1相当の機能のみを利用することとなる。機械的には、単体モデム・ソフトモデムともに存在する。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "1990年代後半より、パーソナルコンピュータと電話網に接続されたファクシミリとの相互通信のために導入されていた。2000年代に入り、業務用のFAXサーバや複合機のFAXインターフェースモジュールとして製造されるものが主となっている。FAXモデムチップセットのシェアはコネクサント社(旧ロックウエル社)が大部分を占めている。EIA-578規格は一度は姿を消したものの、チップセットの価格を安価にする事ができる事、G3以外の規格(カラーG3やスーパーG3など)も使える為、再び2014年現在主流であるEIA-592規格を後退させている。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ボイスモデムは、データ通信と切替または、対応機器間で同時に音声通信が可能なものである。1990年代後半に製造されていたが、2000年代に入りほとんど製造されていない。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "詳細はを参照。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "FSK変調を採用した規格は、Bell 103を除き低群・高群ともマーク(1)信号が低位、スペース(0)信号が高位である。FSK以外の変調を採用した規格では、同じシンボルが連続すると搬送波に変化がなくなり復調に支障をきたすため、一定のアルゴリズムでマークとスペースを入れ替える処理が行われる。これをスクランブルという。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "2400bps以上の速度のものは、後述のMNPやLAPMによる圧縮を行うことから、パソコンとモデム間の通信速度は、回線上の通信速度よりも高く設定することがほとんどである。この場合、RS-232CのRS・CS信号のオン・オフでフローコントロールを行う。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "MNP (Microcom Networking Protocol) は、アメリカMicrocom(マイクロコム)社が提唱した、モデム用のデータ圧縮とエラー訂正のための規格の総称。第三者組織によって標準化された規格ではないが、一部の規格は内容が一般に公開されたことと、実際にMicrocom Networking Protocolを搭載したマイクロコム社のモデムの伝送品質が優れていた事から普及した。クラス1から10までクラス分けがされており、上位のクラスは下位のクラスの機能をすべて含んでいる。ほかの通信プロトコルと組み合わせて使用される。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "クラス毎の特徴は以下の通り。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "なお、クラス8は欠番である。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ITU-T標準プロトコルで規定された、エラー訂正とデータ圧縮の方式。エラー訂正はMNP4と互換。「V.42bis」はBTLZ (British Telecom Lempel-Ziv) 方式を採用したデータ圧縮の規格であり、CCITT(当時)が1989年11月に勧告したもの。MNP5の圧縮率が1.6 : 1であったのと比較して2.45 : 1程度と、圧縮効が高い。2400bps以上のモデムで広く使われた。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "網制御装置(もうせいぎょそうち)は、NCU (Network Control Unit) とも呼ばれる、一般加入者回線に接続するために、交換機に対し回線の接続・相手側の電話番号の通知・切断・通信先等の変更等の処理を行う機器である。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "初期のものは、電話機の形状をしており、回線接続などの動作は手動でダイヤルしたり、回路を切り替えたりしていたが、後に、コンピュータからの制御により自動発信、自動着信などもできる様になった。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "初期段階では、NCUから制御用信号専用のケーブルでモデムに接続されていたが、後にモデムと一体化された機器が登場する。ヘイズATコマンドという業界標準のコマンドを搭載したモデムが登場してからは、専用ケーブルを介して制御する必要がなくなり、制御コードの標準化と通信回線接続のモジュラジャック化に伴い、一般のパソコン通信などでも使えるようになった。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "ヘイズATコマンドとは、アメリカのHayes Microcomputer Products社が開発したインテリジェントモデムのコマンド体系で、ATtentionの略である、「AT」でコマンドが始まることからこう呼ばれる。AやTは小文字でも良いが、AとTとの間に他のコードが入るとATコマンドとは認識されない。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "ヘイズ以外のモデムメーカーも同コマンド体系を採用したため業界標準となったが、各社の独自の拡張がされた部分には互換性がないこともある。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "端末からの命令を「コマンド」、モデムからの応答を「リザルトコード」と呼ぶ。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "RS-232は最下位ビットから送信するので、8-N-1(8データビット、パリティビットなし、1ストップビット)のラインパターンは", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "0100000101 0001010101(スタート、ストップビットを斜体)でATコマンドは、次のようなビットストリームから始まる。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "8bit、パリティなし、ストップビット1bitの場合", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "A|0s|1|0|0|0|0|0c|1|0x|1s| T|0s|0|0|1|0|1|0c|1|0x|1s| /|0s|1|1|1|1|0|1|0|0x|1s|", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "a|0s|1|0|0|0|0|1c|1|0x|1s| t|0s|0|0|1|0|1|1c|1|0x|1s|", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "ヘイズATコマンドを採用するモデムはDCE - DTE間の速度及びフォーマットを自動判定する機能を備えている場合が多い。このATというデータを受信したと仮定し、最初の1の後の5個の0の後に現れる1までの時間を測定することで速度 (bit per second) を測定できる。その次の0 (0x) が現れるかどうかで、現れなければ7bitパリティなしと、0ではなく1が現れた場合は7bit奇数パリティであると判定できる。0が現れた場合は7bit偶数パリティと8bitパリティなしの可能性がある。その場合、AとTでは1の個数が異なるため、Tのパリティビットを見ることでどちらなのか判定できる。実際の実装は、AやTが小文字であった場合 (0c=1) を考慮してある、ストップビット長をAの後にくるTとの間で判断するなど、若干複雑である。なお、A/は直前の操作を繰り返すコマンドである。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ITU-Tが定めたモデムのコマンド体系。ヘイズATコマンドはモデムによって独自の拡張が行われており、通信するにあたってモデムを何らかの形で識別しなければならないが、V.25bisではシリアルインターフェースの制御状態からコマンドとその手順が厳密に定義されており機種依存の問題はほとんどない。ルーターなどに接続されることを前提としたモデムで採用されている。コンシューマー向けの製品では一時期V.25bisとヘイズATコマンドの両方をサポートしていたが、現在ではV.25bisをサポートしていない製品がほとんどである。", "title": "可聴帯域用のモデム" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "無線モデム、ワイヤレスモデム (wireless modem) とは、無線通信回線を伝送路に使用するモデムである。ブロードバンドインターネット接続のものは、モバイルモデム (Mobile modem)、ポータブルモデム (portable modem) と呼ぶこともある。", "title": "無線モデム" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "IPの仮想LANカード・ルーター・ブリッジとして振る舞うものは、「モデム」と言うよりは「(通信)アダプタ」などと呼ばれる事も多い。", "title": "無線モデム" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "汎用の無線デバイスとして多様な使い方が可能なBluetoothも無線モデムの一種と言える。", "title": "無線モデム" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "2000年代より電波帯域の有効活用のため、2G携帯電話やPHSのように、音声をアナログ-デジタル変換してナローバンド無線モデムでデジタル伝送することが一般的になっていた。また、2000年代後半より第3世代移動通信システム (3G) ・Wimaxなどの広帯域無線アクセスや、Wi-Fiアクセスポイントなどが普及し始める。", "title": "無線モデム" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "2010年代より、第3.5世代携帯電話 (3.5G)、おくれて第3.9世代携帯電話 (3.9G) が普及し始めている。特に3.9G (LTE) は形式の差こそあれ基盤技術は同じLTEであり、3.5Gまで見られた規格争いは沈静化し一本化が見られる。3.9G (LTE) は2010年代末に掛けて本格的に普及した。", "title": "無線モデム" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "2020年代に掛けて第4世代携帯電話 (4G)、第5世代携帯電話 (5G) の普及が展望されている。", "title": "無線モデム" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "移動体通信ネットワーク以外を使用するものとして、小出力のFMラジオ波を使用したり、ISM帯である2.4GHz帯や、特定小電力無線を使用する無線モデムがある。後者の無線モデムは、ホストと通信ポート等で直接接続したり、イーサネットブリッジとして機能する物もある。2.4GHz帯の無線モデムは免許が不要でかつ高速通信ができるスペクトラム拡散を用いた物が主である。アマチュア無線におけるターミナルノードコントローラ (TNC) が、モデムを内蔵したデータリンク装置に該当する。ただしTNCがモデムと呼ばれることは少ない。", "title": "無線モデム" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "通信衛星を利用した、デジタル通信に用いられるもの。多元接続の機能を持つものが多い。", "title": "衛星モデム" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ブロードバンドインターネット接続などの高速デジタル通信用のモデム。コンピュータ等とは、LANポート(イーサネット)でPPPoE等によるブリッジ接続、あるいはルーターに内蔵されてルータ接続するものが多い。", "title": "ケーブルモデム・ADSLモデムなど" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "従来のアナログモデムより高速性と、ノイズへの耐性を高めるなどの安定性を目的としたモデム。RS-232Cなどのシリアルインターフェースを半導体レーザー光に変換して、光ケーブルを用いて通信する。用途はNTTがサポートするアナログ回線の内、特定回線によるものとほぼ同じで、アナログの専用線からの置き換えが進んでいる。", "title": "光モデム" } ]
モデムとは、アナログ信号をデジタル信号に、またデジタル信号をアナログ信号に変換することでコンピュータなどの機器が通信回線を通じてデータを送受信できるようにする装置。変復調装置。 変調器 (modulator) と復調器 (demodulator) を組み合わせた装置なので、双方の名称から頭の数文字 を採り命名されている。
{{著作権問題調査依頼|多数}} {{変調方式}} '''モデム'''({{Lang-en-short|modem}})とは、アナログ信号をデジタル信号に、またデジタル信号をアナログ信号に変換することでコンピュータなどの機器が通信回線を通じてデータを送受信できるようにする装置<ref name="eword">[https://e-words.jp/w/%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%A0.html]</ref><ref name="sohpia">[https://www.sophia-it.com/content/%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%A0]</ref>。変復調装置。 [[変調方式|変調]]器 (modulator) と[[復調]]器 (demodulator) を組み合わせた装置なので、双方の名称から頭の数文字 (mo + dem) を採り[[命名]]されている<ref name="eword" />。 == 概要 == [[デジタル信号]]を[[伝送路]]の特性に合わせた[[アナログ]]信号に[[デジタル変調]]して送信し、伝送路からのアナログ信号をデジタル信号に復調して受信する。通信方式は[[ITU-T]]により[[標準化]]されている。 通信回線の種類に応じた網制御装置 (NCU) を持つものが多く、[[誤り検出]]と再送信・[[データ圧縮]]などの機能を持つものもある。 単にモデムという場合は、コンピュータをアナログ電話回線([[公衆交換電話網]])に接続するための変復調装置を意味することが多い<ref name="eword" />。 広義には、コンピュータなどの機器と通信回線の間で信号の相互変換を行って通信を仲介する機器全般をモデムということがある<ref name="eword" />。 === アナログ電話回線用のモデム === アナログ電話回線つまり人と人が音声で会話をするために使っている通話回線を用いてコンピュータ等でデータの送受信を行うための装置である。このタイプのモデムは、平易に言うと、デジタル信号をいわゆる「音」に変換し、またその音を元のデジタル信号に戻す装置である。送信側と受信側がそれぞれモデムを設置することで、音声通話用回線でもデジタル通信を行えるようになる。 このタイプのモデムは (300 - 3400Hz) という周波数帯域を利用し通信する。つまり音声可聴帯域周波数よりはかなり狭い帯域を使用する。(※)。 ::(※)可聴周波数帯域は、健康な若い人の場合、およそ20Hz から 20000Hzと言われている<ref>[https://www.nikkenren.com/kenchiku/sound/pdf/glossary/ka-0200.pdf]</ref>。公衆交換電話網の通信の品質(周波数特性)は、音声のコミュニケーションが一応できればよい、伝わる音はあまり高品質でなくてもよい、という考えで決定された経緯があり、その結果公衆交換電話網では周波数が高い音は伝わらない。公衆交換電話網が伝える周波数帯域は、健康で若い人の可聴周波数帯域よりもずっと狭い。それにあわせてモデムが使用する周波数帯域も狭められている。 このタイプのモデムの通信速度は300[[bps]]から56kbpsである。 指定した電話番号を発呼してデータ通信を開始したり、外部からの着呼に応答して自動的にデータ通信を開始したりといった機能も備えていることが多い<ref name="eword" />。 * モデムをつかって電話回線経由で遠隔地のコンピュータ・LAN・インターネットなどに接続することを[[ダイヤルアップ接続]]といい、[[パソコン通信]]や、2000年代前半ころまでの個人のインターネット利用では主要な手段として利用された<ref name="eword" />。 * [[FAX]]機([[ファクシミリ]]機器)と通信できるモデムを'''{{仮リンク|FAXモデム|en|Fax modem}}'''という。コンピュータとFAXモデムを組み合わせ電話回線につなぐと、コンピュータ上のソフトウェアを使い自動的に大量の宛先にFAX送信をしたり、自動的にFAXを次々と受信し全部データ化する、などということもでき、FAX利用が盛んだった時代には利用された。 なおアナログ音声回線には[[公衆交換電話網]]以外にも、[[専用線]]、私設線(利用者が施設内・建物内・敷地などに敷設した[[電話線]])、[[無線電話]]などがある。モデムとこうしたアナログ回線を利用して、たとえば[[販売時点情報管理|POS]]装置のデータ集計、自動販売機のリモート情報収集、屋外の道路信号機や標識類とのデータ通信、コンピュータとコンピュータの1対1の接続などといったことができる<ref>[https://support.usr.com/education/modem-applications.asp]</ref>。電話回線さえつなげばデータ通信が可能になる。機器をサイバー攻撃が行われがちなインターネットから完全に遮断して、セキュリティを確保した状態でデータ通信を行うことができる、完全にプライベートな回線でデータ通信できる、など現在でも意味ある利用法は多々ある。 === 他の回線用のもの === ADSL回線用のものは、はっきり区別して、「ADSLモデム」と呼ぶ。 === 呼び方 === 本来のモデムを、後から登場したADSLモデム(数百kHz~数MHzの非可聴音、高周波を使う)と対比させて「アナログモデム」と呼んでしまう人が一部にいるが、一般に認知された表現とはいえない。可聴音を使うものを従来通り「モデム」と呼び、非可聴音を使うほうを「ADSLモデム」と呼びわけるのが一般的である。 通信の途中がデジタル化されていることを前提にした規格ITU V.90、V.92モデムについて、「加入側がアナログ回線だから」などと理由をつけて「アナログモデム」と呼ぶのも、やはりあまり一般的ではない。 光回線の[[光回線終端装置]] (ONU)・[[ISDN]]回線の[[ターミナルアダプタ]] (TA) は、[[オペレーティングシステム]]の「コントロールパネル」などの画面内で「[[ハードウェア|デバイス]]」の枠で乱暴に「モデム」と表示されてしまうこともあるが、やはりターミナルアダプタをモデムと呼ぶのは不適切である。 === 形状 === 形状には次のようなものがある。 * 単体の箱型(通信用[[シリアルポート]]([[RS-232]]C、[[ユニバーサル・シリアル・バス|USB]]などを備えたタイプ) * [[ドングル]]型 * カード型(ボード型)([[拡張カード]]や[[PCカード]]などPCのスロットに挿すもの) == アナログ回線用モデムの歴史 == === 世界における歴史 === {{節スタブ|section=1|date=2023年3月}} 最初に商業的に利用可能になったモデムはBell 103 modemであり、1962年にアメリカの[[AT&T]]から公表されたものである<ref>Britannica, modem.[https://www.britannica.com/technology/modem#:~:text=The%20first%20modem%20to%20be,to%20300%20bits%20per%20second.]</ref>。 === 日本国内の歴史 === 日本では[[日本電信電話公社]]を[[民営化]]<!--([[特別の法律により設立される法人|根拠法(特別法)]]ではなく[[一般法・特別法|一般法]]である[[会社法|会社法上の会社]]となること)-->するため1985年4月に[[電気通信事業法]]が制定され、民間企業としての[[日本電信電話|日本電信電話 (NTT)]] が誕生した。この法令の施行により、それまで省庁が個別に許認可制し、特別の事情だけに許可されていた「日本国内での通信事業」が、広く一般民間企業に開放された。これと同時に「端末の自由化」も行われ<ref group="注">この時期は接続機器 (Device) ではなく端末 (Terminal) であった。接続する通信ネットワークが主人(主)であり、接続する機器(デバイス)はそれが[[コンピューター]]であっても主に従う(従)ものとして扱われた。</ref>、[[技術基準適合認定]]を受けた通信機器であれば自由に利用できるようになった。 この端末機器自由化は、アナログ信号の音声通話機器の自由化に加えて、デジタル信号を伝送する[[データ通信]]も自由化された。それまでのデジタル通信は日本電信電話公社が1964年の東京オリンピック目前の1963年末の12月<ref>https://www.ntt-east.co.jp/databook/pdf/2019_S4.pdf</ref>に、[[国鉄]]の「[[みどりの窓口]]」と[[日本航空]]の[[CRS (航空)|座席予約システム]]コンピューターネットワーク接続のために開始した[[データ伝送サービス]]だった<ref>https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/s48/html/s48a02010201.html</ref><ref>https://next.rikunabi.com/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=001133</ref>。その後、[[全国銀行データ通信システム]]での銀行間における[[為替|為替業務通信]]に広がった。 企業間のデータ通信は時代の当然の流れで機器の低価格化に伴い次第に個人レベルでの[[普及学|アーリーアダプター]]に広がり草の根の[[パソコン通信]]では[[音響カプラ]]による300bps使用、企業が乗り出してくるころには1200bpsのデータ通信への置き換え、[[パソコン通信]]の[[アクセスポイント (ISP)|アクセスポイント]]への[[ダイヤルアップ接続]]、[[ファクシミリ|FAX]]通信をする手段となった。これにより[[パーソナルコンピュータ]]に接続する[[電話回線]]用モデムが普及した。1994年の日本での[[インターネット]]商用化を受けてこれがさらに加速し、当初は外付けだったモデムはパソコンの低価格と相まって、次第に内蔵が主流となった。 モデムはもともとはデジタル信号をアナログ信号に変換し、アナログ通信回線を通じて相手に送り、受信側はそのアナログ信号をモデムでデジタル信号に変換するものである。 しかし、デジタル信号をデジタル回線にそのまま載せるシステムとして1995年には世界に先駆けて日本でデジタル通信のための[[ISDN]]回線がサービス開始された。ISDNでは(「モデム」は本来アナログ回線を使うものであったので)それとはっきり区別するために「[[ターミナルアダプタ]] (TA)」と呼ばれた。1997年からの常時接続サービスにより一般使用も徐々に広がり、高速通信として使用された。データ通信は64kbps/128kbpsとなった。しかしアナログ加入回線が主流で、モデムのほうも広く一般に使用されつづけ、アナログ回線用モデムとデジタル回線用ターミナルアダプタが共存する時代となった。 2000年頃から[[ADSL]]・[[ケーブルテレビ|CATV]]などの[[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド回線]]が普及しはじめた。ADSLは(一般音声のための)アナログ回線を利用してのデジタル通信であり、ADSL仕様のモデムを利用する。これを'''ADSLモデム'''という。ADSLは低価格化大容量化し一般に広く普及し、ADSLモデムも広く普及した。(一方、光ファイバー網のデジタル回線も普及し、デジタル回線を利用したデジタル通信が主流となってきた。) [[公衆無線LAN]]接続・[[モバイルデータ通信定額制]]・[[InternetFAX|インターネットFAX]]サービスなどの拡充によりモデムを使う用途は激減し、2000年代後半には、モデムは[[ノートパソコン]]でも内蔵されないことが一般化した。モデムを利用する人だけカード型モデムを増設して利用するようになった。モデムの代わりに[[Wifi]]を標準搭載するノートPCが一般化していった。ノートパソコンにカードスロットもなくなり、モデム使用にはUSB接続モデムが使われるようになってきた。 デジタル回線やADSL使用不可の地域(一部の離島など)では、今でも従来型のモデムが使用されている。 == インタフェース == === 接続法 === [[ファイル:TarjetaPCIModemInternoSmartLink56K.jpg|thumb|内蔵用PCIモデム]] [[ファイル:US Robotics 56K Modem Front.JPG|thumb|単独の外部モデム]] [[コンピュータ]]や[[ルーター]]などとは、古い機種では[[RS-232|RS-232C]]・[[RS-422]]などの[[シリアルポート]]、比較的新しい機種では[[ユニバーサル・シリアル・バス|USB]]や[[ExpressCard]]などの[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]で接続するのが多い。また、パソコン本体に内蔵されたものや、[[Peripheral Component Interconnect|PCI]]などの拡張スロットに装着するもの、[[PCカード]]タイプのものもある。 [[ケーブルテレビ|ケーブル]]モデム・[[ADSL]]モデムなどの高速なものは、[[Local Area Network|LAN]]ポート([[イーサネット]])で接続するものが多い。 加入電話回線用のモデムの[[加入者線]]側は、電話用2線式の[[Registered jack|モジュラージャック (RJ-11)]] にモジュラーケーブルで接続する。アナログ[[電話機]]は、電話機端子に接続する。<!--モデムとは関係ない話 モデムとして基本的に利用するのは6芯のうち2本だけだが、基本的には壁面端子と電話機の間にモデムを設置するため、多機能電話機などが要求する6芯すべてが結線されたモジュラーケーブルが望ましい。--> === 通信方式 === ==== 単方向(単信) ==== 単方向通信のみ可能で、送信側受信側の切り替えのできないもの。 ==== 半二重(半複信) ==== 通信方向を切り替えて使用するもので、送信・受信を同時にできないもの。現在でも[[販売時点情報管理|POS]]システムや、銀行向けの業務用システム(全銀手順)の一部で使われている。G3[[ファクシミリ]]もこの方式である(制御通信・画像通信とも)。 ==== 全二重(複信) ==== 各種[[複信]]方式を利用して、送受信を同時に行えるようになっているもの。現在一般的に使用されている。 === 同期方式 === {{see also|同期方式}} ==== 非同期モデム ==== 一般的に使われるタイプ。モデムには、同期の機能が無いものである。調歩同期式でビット単位同期、[[High-Level Data Link Control]] (HDLC) などのフラグ同期またはキャラクタ同期でブロック単位同期を、データ信号自体で取りながら通信する。同期モデムに比べて、速度と確実性に劣るが、安価である。 ==== 同期モデム ==== 一部の業務用で使われるタイプ。端末装置から別々の信号線で送信されたデータ信号と同期信号を、一つの伝送路で送信し、受信側でデータ信号と同期信号を分離し別々の信号線で端末装置に受信させるものである。非同期モデムに比べて、確実で高速な通信が可能であるが、高価である。 == 可聴帯域用のモデム == [[電話回線]]の音声周波数帯域 (300 - 3400Hz) をデジタル変調により変復調し、[[コンピューター]]等の[[シリアルポート]]とデジタル信号(データ)としてやり取りするものである。 === MMモデム === MMとは手動発信・手動着信の略である。通信回線インターフェースと変復調部を一体にまとめたモデム。通信用インターフェース([[RS-232C]]が多い)と通信回線インターフェース(一般の電話回線が多い)を持ち、1980年代のパソコン通信の登場初期から使われている。音響カプラと異なり回線に直接接続されているので安定性が高い。 回線の制御機能は自動的ではなく、電話機でダイヤル後にモデムにあるボタンやスイッチの操作(以下スイッチ操作)で回線をモデムに切り替える。通信終了時にも同様にスイッチ操作で回線を電話機に戻す。発信(発呼 ORG)側か着信(被呼 ANS)側かの選択もスイッチ操作で行う。複数の通信規格(V.21 300bpsとV.23 1200bps半二重 など)に対応した機種では通信速度の切り替えもスイッチ操作で行う。 * [[アイワ|AIWA]] PV-2123 V.21/V.23<ref>{{cite web|url=https://1drv.ms/u/s!AiKMO-w23ozogcxAVwwlH-Ft9DjJVg?e=etUjwz|title=AIWA PV-2123 (1986)|accessdate=2020-02-13}}</ref> など のちに着信のみ自動化したMAモデムも登場した。1980年代後半頃から次項のインテリジェントモデムにとって代わられた。 === インテリジェントモデム === NCU・変復調・制御部を一体にまとめたモデム。通信用インターフェースと通信回線インターフェースを持ち、1980年代のパソコン通信の登場初期から使われている。当時は普及機のMMモデムに対し高級機であった。かつては主流であったが、2000年頃から少なくなっている。 次項のソフトモデムと異なり、動作中にCPUに負担をかけることが少なく、安定して動作することや、特別なデバイスドライバがなくても、RS-232Cポートさえ利用できれば通信できるメリットがあり、産業用機器などの[[組み込みシステム]]のコンポーネンツに利用されたことも多い。 インテリジェントモデムをモジュール化し、INS1500のような集合回線に一括接続し、通信用インターフェースにネットワークインターフェースを用いた集合モデムは、アクセスポイントに多用された。 === ソフトモデム === ソフトモデムは、モデム側の[[ハードウェア]]を簡略化し、コンピュータ側の[[CPU]]で処理の多くを行うものである。部品点数が少なく・回路が占有する基板面積が狭く・コストが安いため、非動作時には電源を切っても構わない、内部拡張スロット・USB接続・PCカード・コンピュータ内蔵のモデムのほとんどは、このソフトモデムである。 機能の多くをソフトウェアで実現しているため、安価で新規格に[[ソフトウェア]]の変更のみで対応が可能である。しかし、処理速度・通信速度・安定性の低下の原因となることもある。また、[[オペレーティングシステム]]ごとに[[デバイスドライバ]]の開発が必要である。 基本的に一般的なモデム(インテリジェントモデム)の場合、[[#網制御装置|NCU]]からアナログ信号とデジタル信号の相互変換を行う[[アナログ-デジタル変換回路|ADC]]/[[デジタル-アナログ変換回路 |DAC]]に接続するまでのトランス・アンプ・イコライザなどのアナログ回路と、ADC/DACと接続され変調・復調・圧縮展開・エラー訂正・コマンド処理を司る[[デジタルシグナルプロセッサ|DSP]]とシリアルインターフェース回路で構成されている。コンピューター側のCPUがDSPの機能を担当すれば、ハードウエアで必要な部品はNCU・トランス・必要最小限のアナログ回路・ADC/DACになる。特にDSPは高価な部品なので、省略する事で大幅なコストダウンとなる。 シリアルインターフェースも省略され、生のアナログ信号をADC/DAC経由で高速にCPUと入出力するため、FIFOメモリとホストバスインターフェース([[Industry Standard Architecture|ISA]]や[[Peripheral Component Interconnect|PCI]]、[[ユニバーサル・シリアル・バス|USB]])が使われる。初期のソフトモデムを除き、現在のソフトモデムはアナログ回路からホストバスインターフェースまでの一切をワンチップで構成している。 デバイスドライバはDSPが担当していた処理を[[エミュレーション]]し、イコライザ・ゲイン調整・NCUで使用する信号の生成・変調・復調・圧縮展開・エラー訂正・コマンド処理を行い、オペレーティングシステムに仮想シリアルインターフェースの形でインテリジェントモデムが存在するように見せかけている。 初期のソフトモデムは非常に多くのCPUパワーを消費していた。これは当時のCPUがDSP的な命令セットを備えていなかったために、特に変調・復調処理で手間取っていたためである。ダイヤル回線のダイヤルパルスの間隔が乱れ、かけ間違いが起こることもあった。現代のCPUは全般的に処理能力が向上していることに加え、DSP的な命令セットを備え、かつ並列して一度に実行することができることから、ソフトモデムが登場したころに比べるとCPU負荷はかなり軽減されている。 [[スマートフォン]]のアプリケーションとしての実装もできる。FAXモデム(次項)を実装することにより、スマートフォンでFAXを送受信することもできるようになる。 === モデムホン === モデムホン(オートホン)<ref>{{Cite web|和書|url=http://121ware.com/psp/PA121/NECS_SUPPORT_SITE/CRM/s/WEBLIB_NECS_PRO.PRODUCT_ID.FieldFormula.IScript_Product_Spec_Details?prodId=PC-TL101|title=オートホン PC-TL101 仕様一覧|publisher=NEC サービス&サポート|accessdate=2019-4-16}}</ref>は電話機とモデムを一体にした装置。オンフックダイヤル、スピーカ受話、短縮ダイヤルリダイヤル、スピーカ音量調節等の付加機能。通信装置としての機能はモデムに準じる。通信回線インターフェース(モジュラジャック)と通信用インターフェース (RS-232C) を持ち、パソコンからコントロールできる多機能電話とも言える。 但し、モデムを内蔵している電話機のためAC電源アダプタ等により電源を供給する必要がある。 === FAXモデム === FAXモデムは、G3[[ファクシミリ]] ([[ITU-T]] T.30) の送受信機能を、ATコマンドを拡張して実装したものである。カラーG3 (ITU-T T.30E) などの拡張機能を利用する場合、Class1相当の機能のみを利用することとなる。機械的には、単体モデム・ソフトモデムともに存在する。 [[1990年代]]後半より、[[パーソナルコンピュータ]]と[[電話網]]に接続されたファクシミリとの相互通信のために導入されていた。[[2000年代]]に入り、業務用のFAX[[サーバ]]や[[複合機]]のFAXインターフェースモジュールとして製造されるものが主となっている。FAXモデムチップセットのシェアは[[コネクサント]]社(旧[[ロックウエル]]社)が大部分を占めている。EIA-578規格は一度は姿を消したものの、チップセットの価格を安価にする事ができる事、G3以外の規格(カラーG3やスーパーG3など)も使える為、再び2014年現在主流であるEIA-592規格を後退させている。 {| class="wikitable" width="100%" summary="FAXモデム規格"> |+'''FAXモデム規格''' |-align=center ! width="3%" |[[電気通信工業会|TIA]] [[電子工業会|EIA]]規格 ! width="3%" |TR-29 Class !特徴 ! width="18%" |備考 ! width="3%" |制定年 |-align=center |EIA-578 |1 | colspan="2" |[[High-Level Data Link Control|HDLC]]フレーム生成のみ実装・他の機能はPC側で実現 |1990 |-align=center | |2 | rowspan="2" |G3の送受信制御を実装・PC側は[[コーデック#画像圧縮のコーデック|画像圧縮]]したデータとコマンドとを送りリザルトを受け取る |ドラフト仕様 | |-align=center |EIA-592 |2.0 |最終仕様に準拠 | |} === ボイスモデム === ボイスモデムは、[[データ通信]]と切替または、対応機器間で同時に[[音]]声通信が可能なものである。[[1990年代]]後半に製造されていたが、[[2000年代]]に入りほとんど製造されていない。 {| class="wikitable" width="100%" summary="ボイスモデム規格"> |+'''ボイスモデム規格''' |-align=center ! rowspan="2" width="3%" |規格名 ! rowspan="2" width="3%" |[[ITU-T]]勧告名 ! colspan="2" |[[音]]声通信 ! rowspan="2" |用途 ! rowspan="2" width="5%" |制定年 |-align=center ! width="7%" |方式 ! width="18%" |[[データ通信]]との競合 |-align=center |ASVD |V.34Q |[[アナログ]] |中断して切替 |[[公衆交換電話網]]を利用した[[留守番電話]]・[[ボイスメール]] |1996 |-align=center |DSVD |V.70 |[[デジタル]] |帯域の一部を利用して同時通信 |対応機器相互間のテレビ会議・ボイスチャット |1996 |} === 通信速度 === 詳細は[http://www.itu.int/rec/T-REC-V/en]を参照。 {| class="wikitable" width="100%" summary="規格と最高通信速度"> |+'''規格と最高通信速度''' |-align=center ! rowspan="2" width="5%" |[[ITU-T]]勧告名 ! colspan="2" |[[複信]] ! rowspan="2" width="5%" |最高通信速度 ([[ビット毎秒|bps]]) ! colspan="3" |変調 ! rowspan="2" width="5%" |[[搬送波]][[周波数]] ([[ヘルツ (単位)|Hz]]) ! rowspan="2" width="2%" |制定年 ! rowspan="2" |備考 |- ! width="3%" |2線 ! width="3%" |4線 ! width="3%" |速度 ([[ボー|baud]]) ! width="3%" |最大[[ビット]]数 ! width="5%" |[[デジタル変調|方式]] |-align=center | rowspan="2" |V.21 | rowspan="4" |全二重 | rowspan="4" | | rowspan="2" |最高300 | rowspan="2" |最高300 | rowspan="2" |1 | rowspan="2" |FSK |1080<br />±100 | rowspan="2" |1964 | rowspan="2" |G3ファクシミリの制御通信は、この規格の高群信号により75bpsで行われる。<br />この規格では、着信時のアンサートーン (2100Hz) を出さずに直接高群のマーク信号 (1650Hz) を出しても良い事になっていた。MMモデムでは必然的にこの実装になるが、初期のインテリジェントモデムでもこの実装のものがある。 |-align=center |1750<br />±100 |-align=center |V.22 |1200 | rowspan="2" |600 |2 |QPSK | rowspan="2" |1200<br />/2400 |1980 | |-align=center |V.22bis |2400 |4 |16QAM |1984 | |-align=center | rowspan="2" |V.23 | rowspan="2" |半二重 | rowspan="2" | |600 |600 | rowspan="2" |1 | rowspan="2" |FSK |1500<br />±200 | rowspan="2" |1964 | rowspan="2" |600bpsの規格(前者)と1200bpsの規格(後者)がある。日本では[[ナンバーディスプレイ]]の番号通知に利用されている。<br />オプションで75bpsのバックワードチャネル (420±30Hz) の追加が可能。<br />この場合は2線式で全二重通信になる |-align=center |1200 |1200 |1700<br />±400 |-align=center |V.26 | rowspan="2" |半二重 |全二重 | rowspan="3" |2400 | rowspan="3" |1200 | rowspan="3" |2 |DQPSK<br />(Alternative A) π/4 DQPSK<br />(Alternative B) | rowspan="3" |1800 |1968 | |-align=center |V.26bis | |π/4 DQPSK |1972 |V.23同様、オプションで75bpsのバックワードチャネル(420±30HzのFSK)を追加可能。 |-align=center |V.26ter |全二重 | |DQPSK |1984 |[[エコー除去|エコーキャンセラ]]使用 |-align=center |V.27 | rowspan="2" |半二重 |全二重 | rowspan="3" |4800 | rowspan="3" |1600 | rowspan="3" |3 | rowspan="3" |8PSK | rowspan="3" |1800 |1972 | |-align=center |V.27bis | |1976 |G3ファクシミリの画像通信。<br />V.23同様、オプションで75bpsのバックワードチャネル(420±30HzのFSK)を追加可能。 |-align=center |V.27ter |全二重 | |1976 | |-align=center |V.29 |半二重 |全二重 |9600 |2400 |4 |16APSK |1700 |1976 |G3ファクシミリの画像通信(オプション) |-align=center |V.32 | rowspan="2" |全二重 | rowspan="2" | |9600 | rowspan="4" |2400 |4 |16QAM | rowspan="6" |1800 |1984 | |-align=center |V.32bis | rowspan="3" |14400 | rowspan="3" |6 | rowspan="3" |{{仮リンク|トレリス変調|label=TCM|en|Trellis modulation|preserve=1}}<br />128QAM |1991 | |-align=center |V.33 | |全二重 |1988 | |-align=center |V.17 |半二重 | | |G3ファクシミリの画像通信(オプション) |-align=center | rowspan="2" |V.34 | rowspan="10" |全二重 | rowspan="10" | |28800 |3200 | rowspan="2" |10.7 |TCM<br />960QAM<ref group="注" name="960qam">変調ごとに象限がπ/2 (90°) ずつ変わるため、変調ごとのシンボルは240または416である。960・1664は総数である</ref> |1994 | rowspan="2" |スーパーG3ファクシミリ<br />1996年に改定 |-align=center |33600 |3429 |TCM<br />1664QAM |1996 |-align=center | rowspan="4" |V.90 | colspan="3" |ISDN→アナログ | rowspan="2" |TCM<br />PCM | rowspan="2" |8000<br /> サンプリング | rowspan="4" |1998 | rowspan="4" |中継回線が[[ISDN]]化されており、通信相手がISDNで接続されている場合<br />アナログ回線側の交換機でD/A変換 |-align=center |56000 |8000 |7 |-align=center | colspan="3" |アナログ→ISDN | rowspan="2" |TCM<br />1664QAM<ref group="注" name="960qam" /> | rowspan="2" |1800 |-align=center |33600 |3429 |10.7 |-align=center | rowspan="4" |[[V.92]] | colspan="3" |ISDN→アナログ | rowspan="4" |TCM<br />PCM | rowspan="4" |8000<br /> サンプリング | rowspan="4" |2000 | rowspan="4" |中継回線がISDN化されており、通信相手がISDNで接続されている場合<br />アナログ回線側の交換機でD/A変換 |-align=center |56000 |8000 |7 |-align=center | colspan="3" |アナログ→ISDN |-align=center |48000 |8000 |6 |} FSK変調を採用した規格は、Bell 103を除き低群・高群ともマーク(1)信号が低位、スペース(0)信号が高位である。FSK以外の変調を採用した規格では、同じシンボルが連続すると搬送波に変化がなくなり復調に支障をきたすため、一定のアルゴリズムでマークとスペースを入れ替える処理が行われる。これをスクランブルという。 2400bps以上の速度のものは、後述のMNPやLAPMによる圧縮を行うことから、パソコンとモデム間の通信速度は、回線上の通信速度よりも高く設定することがほとんどである。この場合、RS-232CのRS・CS信号のオン・オフでフローコントロールを行う。 ; V.90/V.92 : V.90は中継回線がISDN化されており、通信相手がISDNで接続されているのを前提に、ISDN→アナログ回線の通信に、デジタルデータをサンプリング周波数8kHz・量子化ビット数7ビットのPCM信号として伝送することにより最高56,000bpsを達成できる規格である。ISDN側からはデジタルデータのまま伝送し、アナログ回線側の交換機でD/A変換する。サンプリング周波数8kHzである電話回線での理論上の上限である8000baudに達した。サンプリング周波数は動的に変化し、通信速度は1,333.3bps (4000/3) 刻みである。なお、アナログ→ISDNはV.34と同様の33,600bpsまでである。 :: [[K56flex]]やX2も似たような規格であるが互換性はない(K56flexは速度が2,000bps刻みである等)。 : V.92ではアナログ→ISDN方向をサンプリング周波数8kHz・量子化ビット数6ビットのPCM信号として伝送することにより、最高48,000bpsを達成できる規格である。アナログ回線側の交換機でA/D変換する。ISDN→アナログ方向はV.90同様に最高56,000bpsである。さらに、2対のモデムを用いて更なる高速化(最高で2倍)を図る事も可能である。 :: なお、アナログ回線用のV.92モデム同士ではV.92で応答せずV.34での通信になるため、最高速度は33,600bpsである。 : ; Bell規格 : Bell規格は北米で普及した。元々は[[:en:AT&T|AT&T]]製モデムの商品名である。Bell 103、Bell 202、Bell 212Aなどがある。高速通信の規格はなくITU-Tの規格を使用する。 : ITU-Tの規格との違いは、着信時のアンサートーンがBell 103の高群のマーク信号 (2225Hz) である点である。 : Bell 103やBell 202は有線通信の他、[[パケット通信 (アマチュア無線)|パケット通信]]などでも使用された。 :; Bell 103 :: Bell 103([[1962年]]発売)は300bps、全二重の規格である。[[1958年]]発売、110bpsのBell 101を改良したもの。搬送波周波数は1170±100Hzおよび2125±100HzのFSKであるが、低群・高群ともV.21とは逆にマーク信号が高位、スペース信号が低位である。 :; Bell 212A :: Bell 212Aは1200bps、全二重の規格である。1200Hzおよび2400HzのQPSKである点はV.22と同じであるが、スクランブルのアルゴリズムが異なり互換性はない。 :; Bell 202 :: Bell 202は1200bps、半二重(4線式では全二重)の規格である。1700±500HzのFSKである。北米で、日本のナンバーディスプレイに相当する[[:en:Caller ID|Caller ID]]の番号通知に使用されている。オプションで、5bps(387HzのASK)または150bps(437±50HzのFSK)のバックワードチャンネルを追加できる。 : ; HST Dual Standard : HSTは[[:en:USRobotics|US Robotics]]により16,800bpsでの通信を実現したものである。V.FC/V.34の16,800bpsとは互換性がない。普及せずローカルな実装となった。Dual StandardとはHSTとV.32bisの両方に対応するという意味である。 ; V.32terbo : AT&TによりV.32bisをさらに発展させ、19,200bpsでの通信を実現したものである。V.FC/V.34の19,200bpsとは互換性がない。これも普及せずローカルな実装となった。 ; V.FC : 別名V.FAST。V.34以前に28,800bpsでの通信を実現した。V.34の制定が遅れたため、前二者より普及した。V.34にある送信と受信で異なる速度を利用する実装はない。接続から通信開始までの時間がV.34より長い。V.34とは互換性がないが、V.34対応機種の多くがV.FCにも対応している。 === Microcom Networking Protocol === '''MNP''' (Microcom Networking Protocol) は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]Microcom(マイクロコム)社が提唱した、モデム用のデータ圧縮とエラー訂正のための規格の総称。第三者組織によって標準化された規格ではないが、一部の規格は内容が一般に公開されたことと、実際にMicrocom Networking Protocolを搭載したマイクロコム社のモデムの伝送品質が優れていた事から普及した。クラス1から10までクラス分けがされており、上位のクラスは下位のクラスの機能をすべて含んでいる。ほかの通信プロトコルと組み合わせて使用される。 クラス毎の特徴は以下の通り。<ref>MNPオフィシャルハンドブック,株式会社アスキー,1989年</ref> ; クラス1 : 非同期半二重通信を行う。 ; クラス2 : 非同期全二重通信を行う。 ; クラス3 : 同期型通信を行う。スタートビット、ストップビットを送らないことからスループットは非同期無手順通信の110%程度になる。 ; クラス4 : 回線品質に応じてパケット長を自動設定する。また、送受信されるデータからコントロールビットの重複を取り除くことでスループットは非同期無手順通信の120%以上になる。 ; クラス5 : ランレングス圧縮とハフマン符号によるデータ圧縮を行う。スループットは200%となる。 ; クラス6 : 通信量に応じて全二重通信を2倍の半二重通信として使う手法および通信速度の自動設定。 ; クラス7 : ファースト・オーダ・マルコフモデルによるハフマン符号データ圧縮をおこなう。スループットは約300%。 ; クラス9 : データ・パケットにACKを付加するPiggy Back Askingと指定したデータ・パケットのみを再送要求できるMultiple Selective Negative Ackに対応する。 ; クラス10 : [[移動体通信]]など用の、伝送路の状態変化により通信速度やパケットサイズを調節し、再送信などを減らして送信効率を上げるもの。 なお、クラス8は欠番である。 === LAPM・V.42bis === ITU-T標準プロトコルで規定された、エラー訂正とデータ圧縮の方式。エラー訂正はMNP4と互換。「V.42bis」は[[BTLZ]] (British Telecom Lempel-Ziv) 方式を採用したデータ圧縮の規格であり、[[ITU-T|CCITT]](当時)が1989年11月に勧告したもの。MNP5の圧縮率が1.6 : 1であったのと比較して2.45 : 1程度と、圧縮効が高い<ref>{{cite encyclopedia | encyclopedia = 『電脳辞典 1990's パソコン用語のABC』 | title = BTLZ方式 | editor = ピクニック企画, 堤大介 | language = 日本語 | date = 1990-03-01 | publisher = ピクニック企画 | isbn = 4-938659-00-X | pages = 282}}</ref><ref>{{cite encyclopedia | encyclopedia = 『電脳辞典 1990's パソコン用語のABC』 | title = V.42bis | editor = ピクニック企画, 堤大介 | language = 日本語 | date = 1990-03-01 | publisher = ピクニック企画 | isbn = 4-938659-00-X | pages = 356}}</ref>。2400bps以上のモデムで広く使われた。 === 網制御装置 === '''網制御装置'''(もうせいぎょそうち)は、'''NCU''' (Network Control Unit) とも呼ばれる、一般加入者回線に接続するために、交換機に対し回線の接続・相手側の電話番号の通知・切断・通信先等の変更等の処理を行う機器である。 初期のものは、電話機の形状をしており、回線接続などの動作は手動でダイヤルしたり、回路を切り替えたりしていたが、後に、コンピュータからの制御により自動発信、自動着信などもできる様になった。 初期段階では、NCUから制御用信号専用のケーブルでモデムに接続されていたが、後にモデムと一体化された機器が登場する。ヘイズATコマンドという業界標準のコマンドを搭載したモデムが登場してからは、専用ケーブルを介して制御する必要がなくなり、制御コードの標準化と通信回線接続のモジュラジャック化に伴い、一般のパソコン通信などでも使えるようになった。 === ヘイズATコマンド === {{redirect|ATコマンド|Unix上のatコマンド|at (UNIX)}} [[ファイル:Hayes 300 Baud Smartmodem 02.jpg|right|300px|thumb|Hayes社の300bpsモデム Smartmodem(北米向け)]] '''ヘイズATコマンド'''とは、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のHayes Microcomputer Products社が開発したインテリジェントモデムのコマンド体系で、ATtentionの略である、「AT」でコマンドが始まることからこう呼ばれる。AやTは小文字でも良いが、AとTとの間に他のコードが入るとATコマンドとは認識されない。 ヘイズ以外のモデムメーカーも同コマンド体系を採用したため業界標準となったが、各社の独自の拡張がされた部分には互換性がないこともある。 端末からの命令を「コマンド」、モデムからの応答を「リザルトコード」と呼ぶ。 RS-232は最下位ビットから送信するので、8-N-1(8データビット、パリティビットなし、1ストップビット)のラインパターンは ''0''10000010''1 0''00101010''1''(スタート、ストップビットを斜体)でATコマンドは、次のようなビットストリームから始まる。 8bit、パリティなし、ストップビット1bitの場合 '''A'''|0s|1|0|0|0|0|0c|1|0x|1s| '''T'''|0s|0|0|1|0|1|0c|1|0x|1s| '''/'''|0s|1|1|1|1|0|1|0|0x|1s| '''a'''|0s|1|0|0|0|0|1c|1|0x|1s| '''t'''|0s|0|0|1|0|1|1c|1|0x|1s| ヘイズATコマンドを採用するモデムはDCE - DTE間の速度及びフォーマットを自動判定する機能を備えている場合が多い。このATというデータを受信したと仮定し、最初の1の後の5個の0の後に現れる1までの時間を測定することで速度 (bit per second) を測定できる。その次の0 (0x) が現れるかどうかで、現れなければ7bitパリティなしと、0ではなく1が現れた場合は7bit奇数パリティであると判定できる。0が現れた場合は7bit偶数パリティと8bitパリティなしの可能性がある。その場合、AとTでは1の個数が異なるため、Tのパリティビットを見ることでどちらなのか判定できる。実際の実装は、AやTが小文字であった場合 (0c=1) を考慮してある、ストップビット長をAの後にくるTとの間で判断するなど、若干複雑である。なお、'''A/'''は直前の操作を繰り返すコマンドである。 === ITU-T V.25bis === [[ITU-T]]が定めたモデムのコマンド体系。ヘイズATコマンドはモデムによって独自の拡張が行われており、通信するにあたってモデムを何らかの形で識別しなければならないが、V.25bisではシリアルインターフェースの制御状態からコマンドとその手順が厳密に定義されており機種依存の問題はほとんどない。ルーターなどに接続されることを前提としたモデムで採用されている。コンシューマー向けの製品では一時期V.25bisとヘイズATコマンドの両方をサポートしていたが、現在ではV.25bisをサポートしていない製品がほとんどである。 == 無線モデム == {{See also |モバイルブロードバンド}} [[ファイル:3G With USB cable.jpg|thumb|[[Huawei]] [[CDMA2000]] [[CDMA2000 1x|Evolution-Data Optimized]] USB ワイヤレスモデム]] '''無線モデム'''、'''ワイヤレスモデム''' ([[:en:wireless modem|wireless modem]]) とは、[[無線通信]]回線を伝送路に使用するモデムである。[[ブロードバンドインターネット接続]]のものは、'''モバイルモデム''' ([[:en:Mobile modem|Mobile modem]])、'''ポータブルモデム''' ([[:en:portable modem|portable modem]]) と呼ぶこともある<ref group="注">これらは元々は、据付ではない可搬性のある可聴帯域用モデムに対する呼び名でもあった。</ref>。 [[Internet Protocol|IP]]の[[仮想LANカード]]・[[ルーター]]・[[ブリッジ (ネットワーク機器) |ブリッジ]]として振る舞うものは、「モデム」と言うよりは「(通信)アダプタ」などと呼ばれる事も多い<ref group="注">同様に、通信機器の構成部品としては確かに無線回路に対しデジタル変復調を行う部品が存在するが、それをモデムと呼ぶ事は少なく、通信チップやモジュール等と呼ばれる方が多い。</ref>。 汎用の無線デバイスとして多様な使い方が可能な[[Bluetooth]]も無線モデムの一種と言える。 [[2000年代]]より電波帯域の有効活用のため、[[第2世代移動通信システム|2G携帯電話]]や[[PHS]]のように、[[音]]声を[[アナログ-デジタル変換回路|アナログ-デジタル変換]]して[[ナローバンド]]無線モデムでデジタル伝送することが一般的になっていた。また、2000年代後半より[[第3世代移動通信システム]] (3G) ・[[モバイルWiMAX|Wimax]]などの広帯域[[無線アクセス]]や、[[Wi-Fi]]アクセスポイントなどが普及し始める。 [[2010年代]]より、[[第3.5世代移動通信システム|第3.5世代携帯電話 (3.5G)]]、おくれて[[第3.9世代移動通信システム|第3.9世代携帯電話 (3.9G)]] が普及し始めている。特に3.9G (LTE) は形式の差こそあれ基盤技術は同じLTEであり、3.5Gまで見られた規格争いは沈静化し一本化が見られる。3.9G (LTE) は2010年代末に掛けて本格的に普及した。 2020年代に掛けて第4世代携帯電話 (4G)、[[第5世代移動通信システム|第5世代携帯電話 (5G)]] の普及が展望されている。 [[移動体通信ネットワーク]]以外を使用するものとして、小出力のFMラジオ波を使用したり、[[ISMバンド|ISM帯]]である2.4GHz帯や、[[特定小電力無線]]を使用する無線モデムがある。後者の無線モデムは、ホストと通信ポート等で直接接続したり、イーサネットブリッジとして機能する物もある。2.4GHz帯の無線モデムは免許が不要でかつ高速通信ができる[[スペクトラム拡散]]を用いた物が主である。[[パケット通信 (アマチュア無線)|アマチュア無線]]におけるターミナルノードコントローラ (TNC) が、モデムを内蔵したデータリンク装置に該当する。ただしTNCがモデムと呼ばれることは少ない。 == 衛星モデム == {{See also |衛星電話}} [[通信衛星]]を利用した、[[デジタル]]通信に用いられるもの。[[多元接続]]の機能を持つものが多い。 == ケーブルモデム・ADSLモデムなど == [[ファイル:NTT East ADSL modem-NVIII.jpg|thumb|ADSLモデム]] [[ファイル:Cable.modem.arp.500pix.jpg|thumb|ケーブルモデム]] [[ブロードバンドインターネット接続]]などの高速デジタル通信用のモデム。コンピュータ等とは、[[Local Area Network|LAN]]ポート([[イーサネット]])で[[PPPoE]]等による[[ブリッジ (ネットワーク機器)|ブリッジ]]接続、あるいは[[ルーター]]に内蔵されてルータ接続するものが多い。 * [[ケーブルモデム]] : [[Data Over Cable Service Interface Specifications|DOCSIS]]、{{仮リンク|c.LINK|en|Multimedia over Coax Alliance}}など。 * [[デジタル加入者線]]用モデム : [[ADSL]]モデム、[[デジタル加入者線#VDSL|VDSL]]モデムなど * [[HomePNA]]、[[電力線搬送通信|PLC]]などのモデム == 光モデム == 従来のアナログモデムより高速性と、[[ノイズ (電子工学)|ノイズ]]への耐性を高めるなどの安定性を目的としたモデム。[[RS-232|RS-232C]]などのシリアルインターフェースを半導体レーザー光に変換して、光ケーブルを用いて通信する。用途はNTTがサポートする[[アナログ回線]]の内、特定回線によるものとほぼ同じで、アナログの[[専用線]]からの置き換えが進んでいる。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons|Category:Modems}} * [[音響カプラ]] : 端末設備自由化以前に使用されていた、音響結合の[[データ通信]]機器 * [[端末]] : [[インタフェース (情報技術)|インターフェース]]の詳細 * [[電気通信設備工事担任者]] : 接続のための[[資格]] * [[同期方式]] {{Internet access}} {{多元接続}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:もてむ}} [[Category:モデム|*]] [[Category:通信機器]] [[Category:有線通信]]
2003-02-26T23:36:30Z
2023-10-31T16:30:12Z
false
false
false
[ "Template:Cite encyclopedia", "Template:Lang-en-short", "Template:節スタブ", "Template:Notelist2", "Template:Cite web", "Template:Internet access", "Template:変調方式", "Template:仮リンク", "Template:脚注ヘルプ", "Template:See also", "Template:Normdaten", "Template:Commons", "Template:多元接続", "Template:著作権問題調査依頼", "Template:Redirect", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%A0
2,971
HAVi
HAVi(Home Audio/Video Interoperability、ハビ)は、デジタルオーディオ、デジタルビデオ等の家庭用AV機器を、IEEE 1394を使ってネットワーク接続するための共通基盤の名称。ホームネットワーク上で異なるベンダー製品の相互運用を可能にすることを目指す。 HAVi仕様では、製品製造者やサードパーティーがアプリケーション開発可能なAPIセットを規定している。ホームネットワークを分散コンピューティング環境とみなしており、ネットワーク中にPCのような制御用の単一マスターデバイスを必要としない点が特徴。ネイティブコードによる開発のみではなく将来拡張のためにJavaを利用可能な仕様となっている。 1999年11月、ソニー、日立製作所、フィリップス、トムソンなど8社によりHAVi推進協会(HAVi Organization)が創設された。HAViを利用した最終製品はロイヤリティとして0.10USドルを支払うこととなっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "HAVi(Home Audio/Video Interoperability、ハビ)は、デジタルオーディオ、デジタルビデオ等の家庭用AV機器を、IEEE 1394を使ってネットワーク接続するための共通基盤の名称。ホームネットワーク上で異なるベンダー製品の相互運用を可能にすることを目指す。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "HAVi仕様では、製品製造者やサードパーティーがアプリケーション開発可能なAPIセットを規定している。ホームネットワークを分散コンピューティング環境とみなしており、ネットワーク中にPCのような制御用の単一マスターデバイスを必要としない点が特徴。ネイティブコードによる開発のみではなく将来拡張のためにJavaを利用可能な仕様となっている。", "title": "HAVi仕様" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1999年11月、ソニー、日立製作所、フィリップス、トムソンなど8社によりHAVi推進協会(HAVi Organization)が創設された。HAViを利用した最終製品はロイヤリティとして0.10USドルを支払うこととなっている。", "title": "HAVi推進協会" } ]
HAViは、デジタルオーディオ、デジタルビデオ等の家庭用AV機器を、IEEE 1394を使ってネットワーク接続するための共通基盤の名称。ホームネットワーク上で異なるベンダー製品の相互運用を可能にすることを目指す。
'''HAVi'''('''Home Audio/Video Interoperability'''、ハビ)は、デジタルオーディオ、デジタルビデオ等の家庭用AV機器を、[[IEEE 1394]]を使ってネットワーク接続するための共通基盤の名称。ホームネットワーク上で異なるベンダー製品の相互運用を可能にすることを目指す。 == HAVi仕様 == HAVi仕様では、製品製造者やサードパーティーがアプリケーション開発可能な[[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]セットを規定している。ホームネットワークを[[分散コンピューティング]]環境とみなしており、ネットワーク中に[[パーソナルコンピュータ|PC]]のような制御用の単一マスターデバイスを必要としない点が特徴。ネイティブコードによる開発のみではなく将来拡張のために[[Java]]を利用可能な仕様となっている。 == HAVi推進協会 == 1999年11月、[[ソニー]]、[[日立製作所]]、[[フィリップス]]、[[トムソン (企業)|トムソン]]など8社によりHAVi推進協会(HAVi Organization)が創設された。HAViを利用した[[最終製品]]はロイヤリティとして0.10[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]を支払うこととなっている。 == 外部リンク == [http://www.havi.org/ HAVi] [[Category:インタフェース規格]] [[Category:モノのインターネット|*]] {{Computer-stub}}
2003-02-27T02:48:43Z
2023-12-13T00:27:35Z
false
false
false
[ "Template:Computer-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/HAVi
2,972
HS
HS、Hs
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "HS、Hs", "title": null } ]
HS、Hs Hs - ハッシウムの元素記号 ショア硬さの記号。 HS規格、またはHyper Storageは、ソニーがMini Discの技術を使って開発した光磁気ディスク。容量は約600MBであるが、MD-DATAと同じくMOと競合したため普及しなかった。 スキージャンプの競技場におけるヒルサイズを表す。 鉄道のサインシステムにおいて、北総鉄道北総線 (HokuSō)、阪神電気鉄道の各線 (HanShin) の路線記号として用いられる。 「Harmonized Commodity Description and Coding System(商品の名称及び分類についての統一システム)」の略称。→統計品目番号 ヘパラン硫酸 - Heparan sulfate ヘッドショットの略。頭を打ち抜く行為。FPSなどのコンピュータゲームで多用される行為、またその行為の略称。 ホームストレッチ(Homestretch) - 陸上競技場・競馬場・競輪場などで、決勝線のある側の略。Hとも。 キリスト教における「聖霊」(Holy Spirit)の略称。 幸福の科学の世界通称、英語名称、Happy Science の略称。 ラジオ番組林原めぐみのHeartful Station(ラジオ関西)の略称。 遺伝性球状赤血球症 - Hereditary spherocytosis スーパーマーケット、ハローズのプライベートブランド、ハローズセレクションの略。
'''HS'''、'''Hs''' * '''Hs''' - [[ハッシウム]]の[[元素記号]] * [[ショア硬さ]](Shore hardness)の記号。 * '''HS規格'''(''' - きかく''')、または[[光磁気ディスク#HS|Hyper Storage]]は、[[ソニー]]が[[ミニディスク|Mini Disc]]の技術を使って開発した[[光磁気ディスク]]。容量は約600MBであるが、[[MD-DATA]]と同じく[[MO (記憶媒体)|MO]]と競合したため普及しなかった。 * [[スキージャンプ]]の競技場におけるヒルサイズを表す。 * [[鉄道]]の[[サインシステム]]において、[[北総鉄道北総線]] ('''H'''oku'''S'''ō)、[[阪神電気鉄道]]の各線 ('''H'''an'''S'''hin) の[[路線記号]]として用いられる。 * 「Harmonized Commodity Description and Coding System(商品の名称及び分類についての統一システム)」の略称。→[[統計品目番号]] * [[ヘパラン硫酸]] - Heparan sulfate * [[ヘッドショット]]の略。頭を打ち抜く行為。[[ファーストパーソン・シューティングゲーム|FPS]]などの[[コンピュータゲーム]]で多用される行為、またその行為の略称。 * [[ホームストレッチ]]('''H'''omestretch) - [[陸上競技場]]・[[競馬場]]・[[競輪場]]などで、決勝線のある側の略。[[H]]とも。 * キリスト教における「聖霊」(Holy Spirit)の略称。 * [[幸福の科学]]の世界通称、[[英語]]名称、'''H'''appy '''S'''cience の略称。 * ラジオ番組[[林原めぐみのHeartful Station]]([[ラジオ関西]])の略称。 * [[遺伝性球状赤血球症]] - Hereditary spherocytosis * [[スーパーマーケット]]、[[ハローズ]]の[[プライベートブランド]]、ハローズセレクションの略。 == 乗り物に関するもの == * 自動車の[[日本のナンバープレート|ナンバープレート]]で、[[国際ナンバー]]につけられる地名のひとつ。日本の地名の「広」にあたる。 * [[漁船]]の登録番号において[[広島県]]を表す識別標(漁船法施行規則13条・付録第二) * 日本貨物鉄道[[広島車両所]]('''H'''IRO'''S'''HIMA)の略称。 * [[阪神電気鉄道]]の[[スルッとKANSAI]]符号。 * [[北総鉄道]]の[[パスネット]]符号。 * [[阪神1000系電車]]の近鉄側電算記号 * [[日立製作所]]製の[[鉄道車両]]用モーターの型番。 * [[レクサス・HS|HS]] - [[トヨタ自動車]]の高級車ブランド[[レクサス]]のハイブリッドカー * HS→'''H'''elicopter anti '''s'''ubmarineの略称。[[対潜哨戒機#哨戒ヘリコプター|対潜哨戒ヘリコプター]]を表す。 {{aimai}}
null
2023-05-08T04:13:45Z
true
false
false
[ "Template:Aimai" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/HS
2,974
MD
MD, Md, md(エムディー)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "MD, Md, md(エムディー)", "title": null } ]
MD, Md, md(エムディー)
{{TOCright}} '''MD''', '''Md''', '''md'''(エムディー) == 記号・単位 == *'''Md''' - [[メンデレビウム]] ({{en|Mendelevium}}) の[[元素記号]] == 正式名称 == * [[MD (Tokyo Cheer2 Partyの曲)]] - [[Tokyo Cheer2 Party]]のシングル曲。 == 略語・略称 == === 一般名詞・術語 === * 学位 (国により意味が異なる) ** [[医学博士]] ** [[学士(医学)]] ** [[医師]] ({{en|doctor of medicine}}) * 一般名 ** [[マーチャンダイジング]] ({{en|merchandising}}) - [[商品]]、[[価格]]、[[在庫]] ** [[役員_(会社)#マネージング・ディレクター|マネージング・ディレクター]]({{en|managing director}}) - 業務執行取締役 ** [[分子動力学法]] ({{en|molecular dynamics method}}) ** [[相互進展]] ({{en|mutual development}}) ** [[マシン依存]] ({{en|machine dependent}}) - コンピュータの機種や[[コンピュータ・アーキテクチャ|アーキテクチャ]]に依存する状態やデータ。 ** [[ダンパ_(空調)#モータダンパ(MD)|モーターダンパ]]({{en|motor damper}}) - 空調設備の一種 *軍事 **[[ミサイル防衛]]({{en|Missile Defense}}) **[[掃海艇|機雷処理]] ({{en|mine disposal}}) === 固有名詞 === * 企業 ** [[マクドネル・ダグラス]] ({{en|McDonnell Douglas}}) - アメリカ合衆国の旧航空機メーカー。 ** [[ミスタードーナツ]] ({{en|Mister Donut}}) * 商品名 ** [[マイクロドライブ]] ({{en|Microdrive}}) - [[IBM]]・[[HGST]]のハードディスク。 ** [[メガドライブ]] ({{en|Mega Drive}}) - [[セガ]]のゲーム機。 ** [[マグナムドライ]] ({{en|Magnum Dry}}) - [[サントリー酒類]](初代法人。現・[[サントリービール]])がかつて発売していた発泡酒。 * 規格 ** [[ミニディスク]] ({{en|MiniDisc}}) - [[ソニー]]のオーディオディスク規格。 ** [[ミニディスク・マイクロディスク]] ({{en|Mini Disc, Micro Disc}}) - [[テレフンケン]]と[[テルデック]]のオーディオディスク規格。 == コード・形式名 == * [[国際標準化機構]]の[[国名コード]]([[ISO 3166-1]] alpha-2)で、'''[[モルドバ]]''' ({{en|Moldova}}) を示す。 * [[国際標準化機構]]の行政区画コード([[ISO 3166-2]])などのコードで、以下の各国の行政区画を示す。 ** アメリカ合衆国の[[メリーランド州]] ({{en|Maryland}}) - [[アメリカ合衆国各州の略号一覧|各州の略号]]、[[ISO 3166-2:US]] ** イタリアの[[メディオ・カンピダーノ県]] ({{it|Medio Campidano}}) - [[イタリア共和国の県名略記号|県名略記号]]、[[ISO 3166-2:IT]] *[[IATA航空会社コード]]で、[[マダガスカル航空]] ({{en|Air Madagascar}}) を示す。 * [[日産ディーゼル・MD92エンジン|MD92型エンジン]] - [[UDトラックス|日産ディーゼル工業(現・UDトラックス)]]の自動車エンジン。 * 5代目[[ヒュンダイ・エラントラ]]の形式コード。 == 他の記号等を付して用いるもの == * [[.md]] - [[モルドバ]] ({{en|Moldova}}) の[[国別ドメイン]]。 * .md - [[Markdown]] ({{en|Markdown}}) ファイルの[[拡張子]]。 == 架空のことがら == * [[モビルドール]] ({{en|Mobile Doll}}) - アニメ『[[新機動戦記ガンダムW]]』に登場する兵器 == その他 == * [[ローマ数字]]で[[1500]]。 * [[男性差別]] (Male Discrimination) == 関連項目 == * [[ラテン文字のアルファベット二文字組み合わせの一覧]] * [[特別:Prefixindex/MD|MDで始まる記事の一覧]] * [[特別:Prefixindex/Md|Md, mdで始まる記事の一覧]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{aimai}}
2003-02-27T03:09:26Z
2023-08-07T22:35:30Z
true
false
false
[ "Template:En", "Template:It", "Template:Kotobank", "Template:Aimai", "Template:TOCright" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/MD
2,975
デジタルコンパクトカセット
デジタルコンパクトカセット(英: Digital Compact Cassette、DCC)は、フィリップスと松下電器産業(現:パナソニックホールディングス)が共同で開発し、1991年に発表したオーディオ規格である。 アナログコンパクトカセット(Cカセット、カセットテープ)と同サイズのテープに、PASC(Precision Adaptive Subband Coding)形式(MPEG-1/2 Audio Layer-1)で圧縮されたデジタルデータを固定ヘッド方式で記録する。PASCにより、CDなどの音源を約1/4の容量に圧縮できる。サンプリング周波数は48kHz、44.1kHz、32kHzに対応していて、デジタル・コピーはSCMS方式を採用している。 なお、DAT(R-DAT・回転ヘッド)規格制定時に、固定ヘッドを用いるS-DATと呼ばれる規格が策定されていた。S-DATは商品化されず、また、DCCはS-DATそのものではない。DCCは、S-DATからみてヘッドを簡略化され圧縮音声が採用されている別の規格である。音質面では、サンプリング後のビットレートが低い時は無圧縮で記録する仕組みになっていたり、圧縮時も人間の聴感に合わせたチューニングが施されていたので聴感上は優れていた。 DCCの基本技術は、フィリップスの基礎研究所(Natラボ)で開発されていたが、製品化は、フィリップス、松下電器、日本マランツの3社で行っていた。フィリップス、日本マランツで試作を行った後、キーデバイス(薄膜ヘッド等)の供給は主に松下電器が、完成品の製造は、主に日本マランツが行っていた。DCC用の薄膜ヘッドの基本技術はフィリップスのNatラボで開発されていたが、量産化には松下電器の技術が必要であった。また、松下電器は、ICの開発も担当していた。 (アナログ)コンパクトカセットとの互換性を重視して開発されており、DCC機器ではコンパクトカセットがそのまま再生可能である。フィリップスは独BASF(ビー・エー・エス・エフ)社にDCCテープの開発を依頼し、DCC専用に開発された二酸化クロムを採用して発売した。フィリップスがハイポジション(Type II/CrO2)規格(二酸化クロムまたはコバルト被着酸化鉄)を採用した理由は、メタルテープ用のメタルパウダーを作る会社が欧州に存在しないこと(メタルテープの製造に必要なパンケーキ〈≒磁気テープ本体〉を製造していたのは主に日本と北米が中心だった)、また、ミュージックテープを作成する場合に熱転写が容易であるからである。 DCCテープの製造会社は欧州では独BASF社が中心となっていた。一方日本では松下電器産業から販売されたテープのパッケージに「原産国・日本」と明記され、説明文にも「新開発超微粒子ZETAS磁性体を使用」と明記されていたことから、コバルト被着酸化鉄系磁性体を採用した自社生産だった可能性がある。 DCC用の磁性粉はS-VHS並の超微粒子を使用しなければ必要なC/N比が確保できなかったため、オーディオ用の大きな磁性粉は使えない。パナソニックのZETAS磁性体やBASFの二酸化クロムの粒子サイズもかなり微細である。どちらも長軸はサブミクロンの領域である。 日本国内でDCCテープを発売したのはパナソニック(松下電器産業)、TDK(記録メディア事業部。後にイメーションへ事業譲渡)、日立マクセル(現・マクセル)、AXIA(富士フイルム)、日本ビクター(記録メディア事業部。後のビクターアドバンストメディア。2015年12月末を以って法人解散、および清算)。輸入品としてフィリップスも発売された。 DCCは1992年に蘭フィリップス社と日本の松下電器産業(現:パナソニック)が共同で開発した。一方で、日本のソニーもMDを同年に開発している。 2つの陣営の3社は、ほぼ同一の市場に向けた2つの異なる規格による製品群を送り出すことで、自らが敗者となることを恐れた。3社は可能ならば両規格が共存することを望み、最悪でもいずれか片方が絶対的な敗者となる危険性を避けるために、当初から3社によって2つの規格を共同ライセンスしていた。MDとDCCのいずれが普及するかに関わらず、フィリップス、松下、ソニーは共同ライセンスすることで、莫大なライセンス料の支払いという意味での敗者になることを避けた。 これにより両陣営は、市場で競争を演じることもなく、DCC陣営だった松下とフィリップスの2社が、市場が選んだMDをすんなりと採用したことで、DCCは消えて行った。 1992年9月、第1号機であるパナソニックRS-DC10(標準価格135,000円・税別)とフィリップスDCC900(標準価格115,000円・税別)が発売された。いずれも比較的大型の据置型カセットデッキである。 1992年11月、ソニー(現・ソニーグループ)がMDレコーダーの第1号機MZ-1(標準価格79,800円・税別)を発売。こちらは重量520gのポータブル型である。また、すでに登場から5年が経過していたDATは値下がりが進んでおり、1991年5月発売のパイオニア(ホームAV機器事業部。後のパイオニアホームエレクトロニクス→オンキヨー&パイオニア→オンキヨーホームエンターテイメント→オンキヨーテクノロジー/ティアック) D-50の標準価格は85,000円(税別)、1992年10月発売のソニー DTC-59ESの標準価格は95,000円(税別)だった。 このように、すでに発売当初から価格・大きさの両面で明らかに競争力が不足していた。MDがディスク形式ならではの使い勝手をアピールしたのに対し、DCCは以下の理由から、MDはおろか同じテープメディアのDATにも劣っており、最後まで一般に普及することはなかった。 結果的に1996年末までに全ての参入メーカーがハードウェア機器の生産を終え、翌年の1997年には開発元の一つであった松下電器産業( → パナソニック)や日本マランツも最終的にMDに参入した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "デジタルコンパクトカセット(英: Digital Compact Cassette、DCC)は、フィリップスと松下電器産業(現:パナソニックホールディングス)が共同で開発し、1991年に発表したオーディオ規格である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "アナログコンパクトカセット(Cカセット、カセットテープ)と同サイズのテープに、PASC(Precision Adaptive Subband Coding)形式(MPEG-1/2 Audio Layer-1)で圧縮されたデジタルデータを固定ヘッド方式で記録する。PASCにより、CDなどの音源を約1/4の容量に圧縮できる。サンプリング周波数は48kHz、44.1kHz、32kHzに対応していて、デジタル・コピーはSCMS方式を採用している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "なお、DAT(R-DAT・回転ヘッド)規格制定時に、固定ヘッドを用いるS-DATと呼ばれる規格が策定されていた。S-DATは商品化されず、また、DCCはS-DATそのものではない。DCCは、S-DATからみてヘッドを簡略化され圧縮音声が採用されている別の規格である。音質面では、サンプリング後のビットレートが低い時は無圧縮で記録する仕組みになっていたり、圧縮時も人間の聴感に合わせたチューニングが施されていたので聴感上は優れていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "DCCの基本技術は、フィリップスの基礎研究所(Natラボ)で開発されていたが、製品化は、フィリップス、松下電器、日本マランツの3社で行っていた。フィリップス、日本マランツで試作を行った後、キーデバイス(薄膜ヘッド等)の供給は主に松下電器が、完成品の製造は、主に日本マランツが行っていた。DCC用の薄膜ヘッドの基本技術はフィリップスのNatラボで開発されていたが、量産化には松下電器の技術が必要であった。また、松下電器は、ICの開発も担当していた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "(アナログ)コンパクトカセットとの互換性を重視して開発されており、DCC機器ではコンパクトカセットがそのまま再生可能である。フィリップスは独BASF(ビー・エー・エス・エフ)社にDCCテープの開発を依頼し、DCC専用に開発された二酸化クロムを採用して発売した。フィリップスがハイポジション(Type II/CrO2)規格(二酸化クロムまたはコバルト被着酸化鉄)を採用した理由は、メタルテープ用のメタルパウダーを作る会社が欧州に存在しないこと(メタルテープの製造に必要なパンケーキ〈≒磁気テープ本体〉を製造していたのは主に日本と北米が中心だった)、また、ミュージックテープを作成する場合に熱転写が容易であるからである。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "DCCテープの製造会社は欧州では独BASF社が中心となっていた。一方日本では松下電器産業から販売されたテープのパッケージに「原産国・日本」と明記され、説明文にも「新開発超微粒子ZETAS磁性体を使用」と明記されていたことから、コバルト被着酸化鉄系磁性体を採用した自社生産だった可能性がある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "DCC用の磁性粉はS-VHS並の超微粒子を使用しなければ必要なC/N比が確保できなかったため、オーディオ用の大きな磁性粉は使えない。パナソニックのZETAS磁性体やBASFの二酸化クロムの粒子サイズもかなり微細である。どちらも長軸はサブミクロンの領域である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本国内でDCCテープを発売したのはパナソニック(松下電器産業)、TDK(記録メディア事業部。後にイメーションへ事業譲渡)、日立マクセル(現・マクセル)、AXIA(富士フイルム)、日本ビクター(記録メディア事業部。後のビクターアドバンストメディア。2015年12月末を以って法人解散、および清算)。輸入品としてフィリップスも発売された。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "DCCは1992年に蘭フィリップス社と日本の松下電器産業(現:パナソニック)が共同で開発した。一方で、日本のソニーもMDを同年に開発している。", "title": "共存戦略" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2つの陣営の3社は、ほぼ同一の市場に向けた2つの異なる規格による製品群を送り出すことで、自らが敗者となることを恐れた。3社は可能ならば両規格が共存することを望み、最悪でもいずれか片方が絶対的な敗者となる危険性を避けるために、当初から3社によって2つの規格を共同ライセンスしていた。MDとDCCのいずれが普及するかに関わらず、フィリップス、松下、ソニーは共同ライセンスすることで、莫大なライセンス料の支払いという意味での敗者になることを避けた。", "title": "共存戦略" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "これにより両陣営は、市場で競争を演じることもなく、DCC陣営だった松下とフィリップスの2社が、市場が選んだMDをすんなりと採用したことで、DCCは消えて行った。", "title": "共存戦略" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1992年9月、第1号機であるパナソニックRS-DC10(標準価格135,000円・税別)とフィリップスDCC900(標準価格115,000円・税別)が発売された。いずれも比較的大型の据置型カセットデッキである。", "title": "規格争いと終焉" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1992年11月、ソニー(現・ソニーグループ)がMDレコーダーの第1号機MZ-1(標準価格79,800円・税別)を発売。こちらは重量520gのポータブル型である。また、すでに登場から5年が経過していたDATは値下がりが進んでおり、1991年5月発売のパイオニア(ホームAV機器事業部。後のパイオニアホームエレクトロニクス→オンキヨー&パイオニア→オンキヨーホームエンターテイメント→オンキヨーテクノロジー/ティアック) D-50の標準価格は85,000円(税別)、1992年10月発売のソニー DTC-59ESの標準価格は95,000円(税別)だった。", "title": "規格争いと終焉" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "このように、すでに発売当初から価格・大きさの両面で明らかに競争力が不足していた。MDがディスク形式ならではの使い勝手をアピールしたのに対し、DCCは以下の理由から、MDはおろか同じテープメディアのDATにも劣っており、最後まで一般に普及することはなかった。", "title": "規格争いと終焉" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "結果的に1996年末までに全ての参入メーカーがハードウェア機器の生産を終え、翌年の1997年には開発元の一つであった松下電器産業( → パナソニック)や日本マランツも最終的にMDに参入した。", "title": "規格争いと終焉" } ]
デジタルコンパクトカセットは、フィリップスと松下電器産業が共同で開発し、1991年に発表したオーディオ規格である。
{{複数の問題 |出典の明記=2012年8月31日 (金) 19:39 (UTC) |独自研究=2012年8月31日 (金) 19:39 (UTC) }} {{ディスクメディア |名称=デジタルコンパクトカセット<br/>(DCC) |ロゴ=<!--[[File:Digital Compact Cassette logo.svg|150px]]--> |画像1=Digital Compact Cassette front.jpg |画像2=Digital Compact Cassette rear.jpg |画像コメント=DCCミュージックテープ |種類=磁気テープ |容量=45分<br />60分<br />90分 |フォーマット= |コーデック= |読み込み速度= |書き込み速度= |回転速度=4.8cm/秒 |読み取り方法= |書き込み方法= |書き換え= |回転制御= |策定= |用途=デジタル音声記録 |ディスク径= |大きさ=100×60×10mm<br />(テープ幅:3.8mm) |重さ= |上位= |下位= |関連= }} [[画像:Digital Compact Cassette front.jpg|thumb|DCCミュージックテープ(表面)]] [[画像:Digital Compact Cassette rear.jpg|thumb|DCCミュージックテープ(裏面)]] '''デジタルコンパクトカセット'''({{Lang-en-short|Digital Compact Cassette}}、'''DCC''')は、[[フィリップス]]と[[松下電器産業]](現:[[パナソニックホールディングス]])が共同で開発し、[[1991年]]に発表したオーディオ規格である。 == 概要 == アナログ[[コンパクトカセット]](Cカセット、カセットテープ)と同サイズのテープに、[[PASC]]({{Lang|en|Precision Adaptive Subband Coding}})形式([[MP3#MPEG-1/2 Audio Layer-1|MPEG-1/2 Audio Layer-1]])で圧縮されたデジタルデータを固定ヘッド方式で記録する。PASCにより、[[コンパクトディスク|CD]]などの音源を約1/4の容量に圧縮できる。[[サンプリング周波数]]は48[[キロヘルツ|kHz]]、44.1kHz、32kHzに対応していて、デジタル・コピーは[[SCMS]]方式を採用している。 なお、[[DAT]](R-DAT・回転ヘッド)規格制定時に、固定ヘッドを用いるS-DATと呼ばれる規格が策定されていた。S-DATは商品化されず、また、DCCはS-DATそのものではない。DCCは、S-DATからみてヘッドを簡略化され圧縮音声が採用されている別の規格である。音質面では、サンプリング後のビットレートが低い時は無圧縮で記録する仕組みになっていたり、圧縮時も人間の聴感に合わせたチューニングが施されていたので聴感上は優れていた。 DCCの基本技術は、フィリップスの基礎研究所(Natラボ)で開発されていたが、製品化は、フィリップス、松下電器、[[日本マランツ]]の3社で行っていた。フィリップス、日本マランツで試作を行った後、キーデバイス(薄膜ヘッド等)の供給は主に松下電器が、完成品の製造は、主に日本マランツが行っていた。DCC用の薄膜ヘッドの基本技術はフィリップスのNatラボで開発されていたが、量産化には松下電器の技術が必要であった。また、松下電器は、[[集積回路|IC]]の開発も担当していた。<ref>ステレオ時代 Vol.14</ref> == 特徴 == * DCCのカセットハーフは縦横の寸法はコンパクトカセットとまったく同じになっている。厚みは、コンパクトカセット用の8.7[[ミリメートル|mm]]に対して、DCC用は9.6mmになっている。 * テープの走行速度もコンパクトカセットと同じ0.0476[[メートル毎秒|m/s]]になっている。 * オートリバース方式を採用しているので、テープを駆動するための[[ハブ (機械)|ハブ]]穴は片面だけに開けられており、カセットハーフの片面は完全にフラットである。ハブ穴はレーベル面の反対側、カセットの裏側に設けられる。この穴とテープローディング用の窓は、普段はスライダーと呼ばれる金属製のシャッターで覆われており、テープをデッキに[[マウント]]した時だけ自動的に開くようになっている。これは、DCCの[[トラック (記録媒体)|トラック]]幅は非常に細くなっており、少々のゴミやホコリ、[[指紋]]などがついても[[ドロップアウト]]の原因になるので、そういったホコリや汚れ、破損などからテープを保護するために設けられている。それと同時に、このシャッターが閉じられていると[[リール (機構)|リール]]が空転しないようにロックされるので、そのまま持ち歩いても振動などでテープが緩まないようになっている。 * カセットハーフには、DCCかコンパクトカセットかを識別するための穴がある。この穴が開いていればDCC、開いてなければコンパクトカセットと、デッキ内の回路が自動で切り替わるようになっている。これを逆手に取り、DCCの入手が難しい現在では、コンパクトカセットに穴を開けDCCとして誤認識させ録音再生する方法(ただしハイ(クローム)ポジション (Type II/CrO2)テープ以外は全て使用不可。具体的な理由は[[デジタルコンパクトカセット#テープ|後述]]を参照)も、自己責任レベルで存在する。 * [[ブランク]]テープには、制御信号の記録用トラックの一部に文字情報を記入するスペースが設けられている。[[アルファベット]]で160字、[[日本語]]では80字程度の文字情報を、各曲の頭の部分に4種類の情報(曲名、[[音楽家|アーティスト]]名など、各40文字ずつ)に分けて記録できる。 * オートリバース方式なので、テープ幅を上下に分け、片道にオーディオ信号用8トラック、コントロール信号用1トラックの計9トラックが記録される。 * DCCに採用されているヘッドの基本構造は、テープの上半分の部分にDCC用の録音ヘッドと再生ヘッド、テープの下半分の部分にコンパクトカセット用の再生ヘッドで構成されている。DCCでもコンパクトカセットでもAセクタ(A面)を[[録音再生機器|再生]]する場合は、ヘッドはこの状態(上半分がDCC用ヘッド、下半分がコンパクトカセット用ヘッド)でテープを走行させ、Bセクタ(B面)を再生する場合はヘッドを反転させてテープを走行させる。 * DCCには、録音済みのテープに別の録音をする時には、そのまま前の録音に重ねて録音していけば自然に書き換えができるようになっているオーバーライト方式を採用しているためDAT同様、消去ヘッドの搭載は必要ない。DCCデッキでコンパクトカセットでの録音ができないのはこのためだと推測される。 * DCCの再生ヘッド(70[[マイクロメートル|μm]])は録音ヘッド(185μm)より細くなっており、多少の蛇行があっても正しく再生できるようになっている。そのため、今までのコンパクトカセット用の精度のメカニズムであっても差し支えがないようになっている。 * DCCデッキに標準で採用されている'''[[MR素子]]ヘッド'''は[[半導体]]製造用の[[薄膜]]技術で製造されており、ヘッドギャップが1μmの数分の1まで狭くできるため高域特性に優れており、低音も従来のインダクティブヘッドより低い[[周波数]]から再生できる。[[1995年]]11月にはこのMR素子ヘッドを基にアナログカセットデッキ専用品として新規開発された再生専用MR素子ヘッドを搭載したシングルキャプスタン・3ヘッド方式<ref>ただし、録音専用ヘッドは[[パーマロイ|ハードパーマロイ]]ヘッドが、消去用ヘッドは[[フェライト (磁性材料)|フェライト]]ヘッドがそれぞれ採用された。</ref>によるアナログコンパクトカセットデッキ「[[テクニクス]] [https://audio-heritage.jp/TECHNICS/player/rs-az7.html RS-AZ7]」<ref>また、海外向けにはRS-AZ7を基に機能を一部割愛したRS-AZ6も存在する。</ref>も発売された。 === テープ === (アナログ)[[コンパクトカセット]]との互換性を重視して開発されており、DCC機器ではコンパクトカセットがそのまま再生可能である。フィリップスは[[ドイツ|独]][[BASF|BASF(ビー・エー・エス・エフ)]]社にDCCテープの開発を依頼し、DCC専用に開発された二酸化クロムを採用して発売した。フィリップスがハイポジション(Type II/CrO2)規格(二酸化クロムまたはコバルト被着酸化鉄)を採用した理由は、メタルテープ用のメタルパウダーを作る会社が[[ヨーロッパ|欧州]]に存在しないこと(メタルテープの製造に必要な[[パンケーキ]]〈≒磁気テープ本体〉を製造していたのは主に日本と[[北アメリカ|北米]]が中心だった)、また、ミュージックテープを作成する場合に[[プリンター#熱転写方式|熱転写]]が容易であるからである。 DCCテープの製造会社は欧州では独BASF社が中心となっていた。一方日本では松下電器産業から販売されたテープのパッケージに「原産国・日本」と明記され、説明文にも「新開発超微粒子[[ZETAS]]磁性体<ref>当時松下電器産業がVHS/S-VHSビデオテープに採用していたコバルト被着酸化鉄系磁性体の名称。実際は当時業務提携していたTDKと共同で開発した。</ref>を使用」と明記されていたことから、コバルト被着酸化鉄系磁性体を採用した自社生産だった可能性がある<ref>ステレオ時代 VoL.14、22 - 24ページ『DCCとはどんなメディアなのか』、[[ネコ・パブリッシング]]、2019年3月。</ref>。 DCC用の[[磁性]]粉は[[S-VHS]]並の超微粒子を使用しなければ必要なC/N比が確保できなかったため、オーディオ用の大きな磁性粉は使えない。パナソニックのZETAS磁性体やBASFの二酸化クロムの[[粒子]]サイズもかなり微細である。どちらも長軸はサブ[[マイクロメートル|ミクロン]]の領域である。 日本国内でDCCテープを発売したのはパナソニック(松下電器産業)、[[TDK]](記録メディア事業部。後に[[イメーション]]へ事業譲渡)、日立マクセル(現・[[マクセル]])、[[AXIA]]([[富士フイルム]])、[[日本ビクター]](記録メディア事業部。後の[[ビクターアドバンストメディア]]。2015年12月末を以って法人解散、および清算)<ref>その後、2017年12月から[[三菱ケミカルメディア]](現・[[Verbatim|Verbatim Japan]])がVictorブランドの記録メディアを発売している。</ref>。輸入品としてフィリップスも発売された。 == DCCソフト == *DCCソフトについては当時松下傘下だったビクター・MCAビクター・テイチクとPHILIPS傘下のポリグラムを中心に、[[1992年]]から[[1994年]]にかけて各社から発売されていた。ソニーを中心に人気作品が順次発売されていたMDソフトと比べ、DCCソフトはタイトルが圧倒的に少なかった。 *ビクターやテイチク、キングレコードはMDソフトを発売・供給していたが、MD陣営であるソニーミュージックや[[ポニーキャニオン]]、[[日本コロムビア]]などはDCCソフトを供給しなかった。 *また[[ポリグラム]]が当時受託販売していたファンハウス(現:[[ソニー・ミュージックレーベルズ]])<ref>[[小田和正]]・[[岡村孝子]]・[[辛島美登里]]・[[永井真理子]]らを擁していた</ref>・[[B-Gram RECORDS]]<ref>[[ZARD]]・[[大黒摩季]]・[[WANDS]]・[[DEEN]]を擁していた</ref>・[[ポリスター]]<ref>[[Wink]]・[[横山輝一]]・[[やしきたかじん]]らを擁していた</ref>や、ビクターが販売受託していたイースタンゲイル<ref>[[須藤あきら]]らを擁していた。</ref>、BMGビクターが販売受託していた[[VERMILLION RECORDS|BMGルームス]]<ref>[[B'z]]や[[織田哲郎]]らを擁していた</ref>・Sixty RECORDS他受託レーベルからのDCCソフトも供給される事はなかった。 === DCCソフトを発売していたレコード会社 === *ビクターエンタテインメント(現:[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント]]) - MDソフトも発売 **ビクター音楽産業 - SMAP 002のみ発売。 **MCAビクター(現:[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサル ミュージックLLC]]) - [[浜田麻里]]<ref>『[[TOMORROW (浜田麻里のアルバム)|TOMORROW]]』と『[[Anti-Heroine]]』の2作品</ref>・[[中森明菜]]<ref>『[[UNBALANCE+BALANCE]]』と『[[歌姫 (中森明菜のアルバム)|歌姫]]』の2作品</ref>・[[LUNA SEA]]<ref>『[[IMAGE (LUNA SEAのアルバム)|IMAGE]]』と『[[EDEN (アルバム)|EDEN]]』の2作品</ref>と[[hide]]<ref>アルバム『[[HIDE YOUR FACE]]』1作品のみ</ref>のタイトルを発売 **[[BMG JAPAN|BMGビクター]](現:ソニー・ミュージックレーベルズ) - MDソフトも発売 *ポリドール(現:ユニバーサル ミュージックLLC) - クラシック作品を中心としたラインナップ *テイチク(現:[[テイチクエンタテインメント]]) - MDソフトも発売 *[[キングレコード]] - MDソフトも発売 == 主な機種 == ;松下電器産業(現:パナソニック) *RS-DC10、RS-DC8 *RS-DCM1(ミニコンポサイズ) *RX-DD1、RX-DD2([[ラジカセ]]タイプ、いずれも発売当時「MUSIC STATION」の愛称が付けられていた) *[[パナソニックのヘッドホンステレオ|RQ-DP7]](ポータブルタイプ、再生のみ) *[[パナソニックのヘッドホンステレオ|RQ-DR9]](ポータブルタイプ、録音再生) *SC-CH505D(DCC搭載ミニコンポ) *CQ-DC1D([[カーオーディオ]]タイプ) ;フィリップス *DCC900、DCC600 *DCC130、DCC134(ポータブルタイプ、再生のみ) *DCC170、DCC175(ポータブルタイプ、録音再生) *DCC730、DCC951(日本未発売) ;日本マランツ *DD-92、DD-82 ;日本ビクター(現:[[JVCケンウッド]]) *ZD-V919 *ZD-1(ポータブルタイプ、再生のみ) == 共存戦略 == DCCは1992年に蘭フィリップス社と日本の松下電器産業(現:パナソニック)が共同で開発した。一方で、日本のソニーも[[ミニディスク|MD]]を同年に開発している。 2つの陣営の3社は、ほぼ同一の市場に向けた2つの異なる規格による製品群を送り出すことで、自らが敗者となることを恐れた。3社は可能ならば両規格が共存することを望み、最悪でもいずれか片方が絶対的な敗者となる危険性を避けるために、当初から3社によって2つの規格を共同ライセンスしていた。MDとDCCのいずれが普及するかに関わらず、フィリップス、松下、ソニーは共同ライセンスすることで、莫大なライセンス料の支払いという意味での敗者になることを避けた<ref name="勝ち残る">米山秀隆著、『勝ち残るための技術標準化戦略』、富士通総研、2003年5月30日初版第1版、ISBN 4526051357、92-93頁/112頁</ref>。 これにより両陣営は、市場で競争を演じることもなく、DCC陣営だった松下とフィリップスの2社が、市場が選んだMDをすんなりと採用したことで、DCCは消えて行った。 == 規格争いと終焉 == {{独自研究|section=1|date=2011年6月}} 1992年9月、第1号機であるパナソニックRS-DC10(標準価格135,000円・税別)とフィリップスDCC900(標準価格115,000円・税別)が発売された。いずれも比較的大型の据置型カセットデッキである。 1992年11月、ソニー(現・[[ソニーグループ]])が[[ミニディスク|MD]]レコーダーの第1号機MZ-1(標準価格79,800円・税別)を発売。こちらは重量520gのポータブル型である。また、すでに登場から5年が経過していた[[DAT]]は値下がりが進んでおり、1991年5月発売の[[パイオニア]](ホームAV機器事業部。後のパイオニアホームエレクトロニクス→[[オンキヨー&パイオニア]]→[[オンキヨーホームエンターテイメント]]→[[オンキヨーテクノロジー]]/[[ティアック]]) D-50の標準価格は85,000円(税別)、1992年10月発売のソニー DTC-59ESの標準価格は95,000円(税別)だった。 このように、すでに発売当初から価格・大きさの両面で明らかに競争力が不足していた。MDがディスク形式ならではの使い勝手をアピールしたのに対し、DCCは以下の理由から、MDはおろか同じテープメディアのDATにも劣っており、最後まで一般に普及することはなかった。 * テープ形式の制約を引きずっており、使い勝手やメディアの携帯性はMDはおろか、DATにも大きく劣っていた。高速なランダムアクセスが出来ず、終端の曲まで一分以上の[[アクセス時間]]が掛かる場合もあり、同じ分数のメディアで比較すればDATよりも更にアクセス時間が長かった。早送り・巻き戻し時に音を出しながらサーチ出来ないため、曲間を探すのが面倒だった。 * 売りだった従来のコンパクトカセットとの互換性が足かせとなる場合もあった。コンパクトカセットはDCCデッキで録音ができなかったほか、多用するとコンパクトカセットから剥がれ落ちた微細な磁性体(特に[[赤鉄鉱|γ-ヘマタイト系酸化鉄]]を磁性体に用いた[[1970年代]]以前の[[ノーマルポジション]]用のSTD級、またはLN級カセットテープが顕著)やヘッドの磨耗により、すぐにDCCカセットでの録音や再生に埃や傷などの付着による物理的なエラー(ドロップアウト)が生じる問題が出ていた。 * DCC専用ブランクメディアの低価格化が思いのほか進展しなかった。発売当初はMDはともかく、DATよりも安かったが、その後DATとMDはそれぞれ普及による増産とDATとMDの各種ブランクメディアの低価格化が進んだ事に対し、DCCテープは早い段階で縮小・撤退したため量産化が進まず価格が終始高止まりしており、相対的にDAT用のブランクメディアよりも割高感が強かった(DCC専用ブランクメディアの最大記録時間は90分、一方のDAT専用ブランクメディアの最大記録時間は標準モード時で最大180分)。 * 先述の通り全てのDCC録再機・再生専用機にはヘッドに半導体用製造技術を応用したMR素子ヘッドが使用されているため、ヘッドの表面が汚れている場合、湿式のヘッドクリーニングキットやヘッド・ディマグネタイザ(ヘッド消磁器)を使用することができず、事実上、乾式タイプのカセット型ヘッドクリーナーしか使用できなかった<ref>この件に関してはDCC用ヘッドを再生専用ヘッドに応用したテクニクス(松下電器産業)のアナログコンパクトカセットデッキの「[https://audio-heritage.jp/TECHNICS/player/rs-az7.html RS-AZ7]」[http://purassi.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/technics_rsaz7.html]も同様だが、こちらの場合は録音専用ヘッドには一般的な[[パーマロイ|硬質パーマロイ]]の磁気ヘッドが用いられているため自己再生が不可能になるものの、DCCと異なりヘッドが独立しているため自己録音だけの用途ならとりあえず利用可能である。</ref>。仮に誤ってDCC録再機・再生専用機のMR素子ヘッドを[[静電気]]を帯びた指先で触れる以外に、湿式ヘッドクリーニングキットで清掃したりヘッド・ディマグネタイザを使用して薄膜ヘッドを消磁すると最悪の場合、ヘッド内部の素子が破壊されて自己録音・自己再生が完全にできなくなる。 * 発売当初に据え置き機しか用意できず、ポータブル機の割合もDATより遥かに少なかった。特に録再ポータブル機は発売が大幅に遅れ(市場投入まで概ね2年以上かかった)、録再ポータブル機からスタートしたMDに対しゼネラルオーディオ市場で大きく遅れをとった。 結果的に[[1996年]]末までに全ての参入メーカーがハードウェア機器の生産を終え、翌年の[[1997年]]には開発元の一つであった松下電器産業( → パナソニック)や日本マランツも最終的にMDに参入した。 <!--発売当初に据え置き機しか用意できなかったのは、DCCデッキが自社製ではなくごく一部を除き松下電器産業、または日本マランツのOEMだったことも大きく影響している。--> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[音響機器]] * [[DAT]] * [[磁気テープ]] * [[ハイポジション|ハイポジション(クロムポジション)]] * [[RESTY]] * [[MP1]]・[[MP3#MPEG-1/2_Audio_Layer-2|MP2]]・[[MP3]] * [[規格争い]] == 外部リンク == * {{Archive.today|url=http://homepage2.nifty.com/junz/dcc/dcc.html |title=幻のdcc(デジタル・コンパクト・カセット)|date=20131119041217}}{{リンク切れ|date=2019年1月}} * {{Wayback |url=http://drittereich.dyndns.org/audio/DCC/DCC.HTM |date=20070921213603 |title=日本DCC保存会本部}} {{Audio formats}} {{DEFAULTSORT:てしたるこんはくとかせつと}} [[Category:オーディオテープ]] [[Category:デジタルオーディオストレージ]] [[Category:フィリップスの製品]] [[Category:パナソニックのAV機器]] {{Audio-visual-stub}}
2003-02-27T03:15:08Z
2023-12-15T04:17:56Z
false
false
false
[ "Template:複数の問題", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Audio formats", "Template:ディスクメディア", "Template:Lang-en-short", "Template:Lang", "Template:独自研究", "Template:Archive.today", "Template:リンク切れ", "Template:Wayback", "Template:Audio-visual-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%AB%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88
2,977
録音再生機器
録音再生機器(ろくおんさいせいきき)は、音声を記録媒体=メディアに録音し、またその音声を再生するための音響機器である。 録音機能だけの機器は「レコーダー」、再生機能だけの機器は「プレーヤー」と呼ばれることが多いが、一般に民生分野の機器には、録音機能も再生機能も備わっており、「レコーダー」という名称で販売される。 音をアナログ信号のまま記録再生するアナログ録音再生機器と、音をデジタル信号に変換(AD変換)して録音し、再びアナログ信号に変換(DA変換)して再生するデジタル録音再生機器とがある。 録音再生機器には、メディア別に以下のようなものがある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "録音再生機器(ろくおんさいせいきき)は、音声を記録媒体=メディアに録音し、またその音声を再生するための音響機器である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "録音機能だけの機器は「レコーダー」、再生機能だけの機器は「プレーヤー」と呼ばれることが多いが、一般に民生分野の機器には、録音機能も再生機能も備わっており、「レコーダー」という名称で販売される。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "音をアナログ信号のまま記録再生するアナログ録音再生機器と、音をデジタル信号に変換(AD変換)して録音し、再びアナログ信号に変換(DA変換)して再生するデジタル録音再生機器とがある。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "録音再生機器には、メディア別に以下のようなものがある。", "title": "録音再生機器の一覧" } ]
録音再生機器(ろくおんさいせいきき)は、音声を記録媒体=メディアに録音し、またその音声を再生するための音響機器である。 録音機能だけの機器は「レコーダー」、再生機能だけの機器は「プレーヤー」と呼ばれることが多いが、一般に民生分野の機器には、録音機能も再生機能も備わっており、「レコーダー」という名称で販売される。 音をアナログ信号のまま記録再生するアナログ録音再生機器と、音をデジタル信号に変換(AD変換)して録音し、再びアナログ信号に変換(DA変換)して再生するデジタル録音再生機器とがある。
{{出典の明記|date=2011年3月}} '''録音再生機器'''(ろくおんさいせいきき)は、[[音声]]を記録媒体=[[メディア (媒体)|メディア]]に[[録音]]し、またその音声を再生するための[[音響機器]]である。 録音機能だけの機器は「[[レコーダー]]」、再生機能だけの機器は「[[プレーヤー]]」と呼ばれることが多いが、一般に[[民生用|民生分野の機器]]には、録音機能も再生機能も備わっており、「レコーダー」という名称で販売される。 音を[[アナログ信号]]のまま記録再生する'''アナログ録音'''再生機器と、音を[[デジタル信号]]に変換([[AD変換]])して録音し、再びアナログ信号に変換([[DA変換]])して再生する'''デジタル録音'''再生機器とがある。 == 録音再生機器の一覧 == 録音再生機器には、メディア別に以下のようなものがある。 * [[蓄音機]] ([[ダイレクトカッティング]]) ** [[蝋管]]式蓄音機 ** [[レコード]]録音再生機 *** [[アセテート盤]]レコーダー *** バイナルレコーダー * [[光学録音]] * [[鋼線式磁気録音機]](ワイヤーレコーダー) * [[テープレコーダー]] ** [[オープンリール]]・テープレコーダー *** [[マルチトラックレコーダー#オープンリールMTR | オープンリールMTR]] ** [[8トラック]]・テープレコーダー ** [[コンパクトカセット]]・テープレコーダー(カセットテープレコーダー) *** [[マルチトラックレコーダー#カセット式MTR | カセット式MTR]] ** [[エルカセット]]・テープレコーダー ** [[マイクロカセット]]・テープレコーダー ** [[デジタルオーディオテープ]] (DAT) レコーダー ** [[デジタルコンパクトカセット]] (DCC) レコーダー ** [[デジタルマイクロカセット]] (NT) レコーダー * [[MDレコーダー|ミニディスク (MD) レコーダー]] ** MDLP ** Hi-MD * [[CDレコーダー|コンパクトディスク (CD) レコーダー]] ** [[CD-R]] ** [[CD-RW]] * [[ハードディスクドライブ]](HDD) * [[フラッシュメモリ]] ** [[ICレコーダー]] *** リニアPCMレコーダー ** [[デジタルオーディオプレーヤー]]の録音機能 * [[デジタルオーディオワークステーション]] (DAW) ==関連項目== * [[録音スタジオ]] * [[デジタルオーディオ]] * [[映像機器]] - 映像の録画・再生機能を持つ機器が「レコーダー」ないし「プレイヤー」と呼ばれる例 {{DEFAULTSORT:ろくおんさいせいきき}} [[Category:録音]] [[Category:音声処理|*ろくおんさいせいきき]] [[Category:音響機器]] [[Category:スタジオ関連機材]]
2003-02-27T03:49:38Z
2023-08-09T07:52:28Z
false
false
false
[ "Template:出典の明記" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%B2%E9%9F%B3%E5%86%8D%E7%94%9F%E6%A9%9F%E5%99%A8
2,978
池波正太郎
池波 正太郎(いけなみ しょうたろう、1923年(大正12年)1月25日 - 1990年(平成2年)5月3日)は、戦後の日本を代表する時代小説・歴史小説作家。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表する傍ら、映画評論家としても著名であった。 映画ではとりわけフランス映画の名作、とりわけフィルム・ノワールを好み、監督ではジュリアン・デュヴィヴィエや俳優ジャン・ギャバンを敬愛している。その他美食家としても知られている。 1923年(大正12年)1月25日、東京市浅草区聖天町(現:東京都台東区浅草7丁目)に生れる。父・富治郎は日本橋の錦糸問屋に勤める通い番頭、母・鈴は浅草の錺職・今井教三の長女で、正太郎は長男であった。この年9月1日、関東大震災が起こり、両親とともに埼玉県浦和に避難し引越、6歳まで同地に居住。1929年(昭和4年)、両親と共に下谷に戻る。正太郎は根岸小学校に入学する。商売不振だった富治郎は近親の出資により上根岸で撞球場を開業するも、この年不和により両親は離婚した。 正太郎は母に引き取られ、浅草永住町の祖父の家に移り、学校は下谷の西町小学校(後の台東区立西町小学校。1998年に閉校)に転入した。祖父・今井教三は御家人の家に養子入りした職人気質・江戸っ子気質の人物で、忙しい母親に代わって正太郎をかわいがった。この時期、母は働きながら今井家の家計を支え、一時正太郎を預けたまま再婚をしたが、不縁となり、実家に戻った。この二度目の結婚によって、正太郎には異父弟が一人できた。小学校時代の正太郎は図画を得意とし、将来は日本画家鏑木清方の弟子となることを夢見る一方、チャンバラものの剣劇映画と少年向け小説を大いに好み、小遣い銭で買い食いを楽しんでいた。 1935年(昭和10年)、西町小学校を卒業。担任教師は進学を勧めたが、家庭の事情により奉公に出た。親戚の伝手によって最初株式現物取引店・田崎商店に出るが、半年あまりでペンキ屋に奉公を変わり、さらにそこも退いて株式仲買店・松島商店に入った。以後、1942年(昭和17年)に国民勤労訓練所に入所するまで、同店で過ごした。チップや小遣い銭を元手に内緒の相場に手を出し月給を上回る収入を得ていた。兜町時代の正太郎はこれを「軍資金」として読書、映画、観劇にはげみ、登山や旅行を楽しみ、剣術道場にも足を運ぶ一方、諸方を食べ歩き、吉原で遊蕩にふけるなどした。特にこの時期、読書・映画への興味が深まったことはもとより、歌舞伎・新国劇・新劇などの舞台を盛んに見物し、歌舞伎への理解を深めるために長唄まで習っていた。 1941年(昭和16年)、太平洋戦争が開戦したが、その翌年に松島商店を退職、国民勤労訓練所に入所。同年には芝浦・萱場製作所に配属され、ここで旋盤機械工としての技術を学んだ。所長の意向ではじめ経理を担当する予定であったものが、池波本人のたっての望みで現場担当となり、上司の丁寧な指導もあって数か月間で技術を習熟した。この間には「婦人画報」の朗読文学欄にスケッチなどを投稿、また「休日」で選外佳作(1943年5月号)、「兄の帰還」で入選(同7月号)、「駆足」で佳作入選(同11月号)、「雪」で選外佳作(同12月号)。「兄の帰還」で賞金50円を得て、これが自身初めての原稿収入となった。 1943年(昭和18年)の冬には岐阜太田の工場に転勤となり、当地で旋盤工の教育係を兼ねた。翌年元日には名古屋の製鋼所に徴用されていた父と久しぶりに再会。休日には中部地方の山をめぐり、東京に足を伸ばして歌舞伎を見物したが、前年、成年に達した正太郎のもとにも、ついに召集令状が来て、工場を退職。 1944年4月、横須賀海兵団に入団。間もなく武山海兵団内自動車講習所に入所。しかし、教官の暴力的な教えかたや物資横流しに反感を持ち、ことあるごとに反抗的な態度を取り、繰返し制裁を受け、同所を修了しないまま退所。横浜磯子の八〇一空に転属となり、通信任務(電話交換手)を担当。1945年(昭和20年)3月10日には東京大空襲で浅草永住町の家が焼失。水兵長に昇進し米子の美保航空基地に転属。同地で電話交換室の室長となった。戦況が悪化し、全国的に空襲の危機にさらされるなか、米子では比較的平穏な日々がつづき、この時期、正太郎は余暇に俳句や短歌を作ることに熱中した。8月15日の敗戦によるポツダム進級で二等兵曹、残務処理を終えて8月24日に帰京した。 1945年10月には、帝国劇場で六代目尾上菊五郎の『銀座復興』を観劇した。1946年(昭和21年)、占領下の東京都職員となり下谷区役所に勤務、学生アルバイトを伴い各所にDDTを撒布してまわることだった。空襲によって家を失っていたうえに、借家の家主が疎開先から帰ってきたため、役所内に寝泊りして作業に没頭する一方、この年に創設された読売新聞演劇文化賞に向けて、戯曲「雪晴れ」を執筆。同作品は入選第四位となり、新協劇団で上演された。区役所勤務を継続しつつ、翌年「南風の吹く窓」で同賞佳作入選を果たした。 1948年(昭和23年)には習作を手に初めて長谷川伸を訪問。翌年より本格的に劇作を師事し、門下の批評会「二十六日会」にも参加した。この前後の習作に『牡丹軒』『手』『蛾』など。『手』は新国劇での上演が検討された。1950年(昭和25年)、片岡豊子と結婚し、借家して所帯を持ったが、間もなく申しこんでいた住宅抽選に当選し、新国劇で上演された『鈍牛』の上演料などで新居を建てた。以後、座付作者といわれるほどに新国劇と関係を深めた正太郎は、辰巳柳太郎・島田正吾らに『檻の中』(1952年)、『渡辺華山』(1953年)などを提供する一方で、長谷川の強い勧めによって小説でも、新鷹会の雑誌「大衆文芸」に『厨房にて』(1954年)などの作品を発表した。 1955年(昭和30年)1月、劇作における代表作のひとつ『名寄岩』が上演され、自ら演出をも行った。これにより文筆によって立つ自信を得て、都職員を退職(あえて昇進を断り、外回りの職に徹しており、この時期は目黒税務事務所で収税を行っていた)。翌年には『牧野富太郎』、井上靖原作の『風林火山』『黒雲谷』『賊将』など、新国劇で作品を次々と上演する一方、「大衆文芸」誌に定期的に小説を寄せつづけた。初期には現代ものの作品が多かったが、1956年11月・12月号に分載した『恩田木工(真田騒動)』によって、歴史小説・時代小説を執筆活動の中心に据えるようになった。『恩田木工』は翌年、56年下期の直木賞候補となるものの落選。以降劇作と平行して着実に小説の執筆をつづけ、1959年(昭和34年)9月には処女作品集『信濃大名記』を光書房から上梓する。この間『眼』(57年上期)、『信濃大名記』(同下期)、『応仁の乱』(58年下期)、『秘図』(59年上期)で計5回直木賞候補となるも、選考委員であった海音寺潮五郎の酷評もあり受賞には至らなかった。私生活では1958年(昭和33年)暮れ、出征直前に名古屋で会って以来音信不通になっていた父と久々の再会を果たした。正太郎は母とともに同居することを勧めたが、聞き入れられることはなかった。また、同じく小説家の角原三之助とは親友であり、何度も旅行を共にした他、一時期は同居していたともいう。 1960年(昭和35年)、「オール讀物」6月号に発表した『錯乱』によって直木賞(上期)を受賞した。長谷川はわがことのように喜び、少年期から愛読者だった大佛次郎より賞を手渡された。受賞後も数年は『清水一角』『加賀騒動』などの脚本を書き、『北海の男』(「オール讀物」60年10月号)、『鬼坊主の女』(「週刊大衆」同年11月7日号)、『卜伝最後の旅』(「別冊小説新潮」61年1月号)、『色』(「オール讀物」同年8月号)、『火消しの殿』(「別冊小説新潮」62年1月号)、『人斬り半次郎』(「アサヒ芸能」同年10月28日号 - 64年1月26日号)、『あばた又十郎』(「推理ストリー」63年1月号)、『さむらいの巣』(「文芸朝日」同年6月号)、『幕末新撰組』(「地上」同年1月号 - 64年3月号)、『幕末遊撃隊』(「週刊読売」同年8月4日号 - 12月29日号)など、初期代表作の小説を次々と発表、このうち『色』は『維新の篝火』(1961年)の題名で直ちに映画化された。一方で劇作家として、1963年(昭和38年)に子母沢寛原作『おとこ鷹』の脚色を行ったのち、しばらく演劇界・新国劇との関係を断ち、小説に専念するようになった。新国劇のありかたへの疑問や正太郎の一徹さからくる周囲との軋轢が原因であった。同年6月11日、師・長谷川伸が没し、これを契機として二十六日会・新鷹会などを退会し、以後はいかなる団体にも属さず執筆をつづけた。 四十代に入った正太郎は、『江戸怪盗記』(「週刊新潮」64年1月6日号)、『おせん』(「小説現代」同年7月号)、『堀部安兵衛』(「中国新聞」同年5月14日 - 66年5月24日)、『出刃打お玉』(「小説現代」65年3月号)、『同門の宴』(「オール讀物」同年9月号)、『あほうがらす』(「小説新潮」67年7月号)など従来からの歴史小説に加えて江戸の市井に題材を採った時代小説作品を多く手がけるようになったが、なかでも1967年(昭和42年)12月の「オール讀物」に発表した『浅草御厩河岸』は読者から高い評価を受け、次号以降断続的にシリーズとして連載が開始された。これが代表作となった『鬼平犯科帳』の第一作目である。「寛政重修諸家譜」のなかで出会った長谷川平蔵という人物に強い興味を持っていたが、旧知の八代目松本幸四郎をモデルに、世の善悪に通じ、強烈なリーダーシップと情愛を兼ね備えた平蔵を描出するとともに、火付盗賊改方と盗賊たちの相克を通して「よいことをしながらわるいことをする」人間の矛盾を描き、悪漢小説として読者の広範な支持を受けた。同時期の歴史小説は『さむらい劇場』(「週刊サンケイ」66年8月22日号 - 67年7月17日号)、『上泉伊勢守(日本剣客伝)』(「週刊朝日」67年4月28日号 - 6月16日号)、『蝶の戦記』(「信濃毎日新聞」ほか同年4月30日 - 68年3月31日)、『近藤勇自書』(「新評」同年10月号 - 69年3月号)などが挙げられる。昼に起き夜中に執筆する生活習慣は相変わらずであったが、元来速筆家で仕事の合間に取材旅行を含めて旺盛に旅行し、映画・演劇鑑賞も盛んに行っていた。 『鬼平』連載開始の翌1968年(昭和43年)には、担当編集者の求めにより自伝的随筆『青春忘れもの』(「小説新潮」68年1月号 - 12月号)を執筆。旧友「井上留吉」という架空の人物を登場させたが、観劇・読書・旅行・食べ歩きを楽しんだ青春時代の思い出を戦前の兜町を舞台として描いたこの作品は読者から強い支持を受けた。翌1969年(昭和44年)にはNETテレビで『鬼平犯科帳』が連続ドラマ化され、さらに1971年(昭和46年)には同シリーズ中『狐火』を舞台化。各・主演は八代目幸四郎で、特にテレビ版は度々再放送され時代劇として高い評価を受け、以後の評価を不動のものとした。『鬼平』の連載は「オール讀物」誌上にあって依然好調であり、1968年に単行本第一巻が刊行されて後、『兇剣』(69年)、『血闘』(70年)、『狐火』(71年)、『流星』(72年)と年一冊のペースで新作が世に送り出された。江戸の市井を舞台とした作品でも、幡随院長兵衛を描いた『侠客』(「サンケイスポーツ」68年10月28日 - 69年9月5日)、忠臣蔵に取材した『編笠十兵衛』(「週刊新潮」69年5月31日号 - 70年5月16日号)、大石内蔵助を主人公とした『おれの足音』(「東京新聞」ほか70年3月20日 - 71年6月17日)などの作品が発表された。 1972年(昭和47年)には「小説新潮」1月号に「剣客商売」を発表した。京都の古書店で偶然見かけた歌舞伎役者・二代目中村又五郎をモデルに、孫のような少女と夫婦になって隠棲する老剣客・秋山小兵衛を描き出し、朴訥誠実で世に疎い小兵衛の長男・大治郎、田沼意次の娘である女剣客・佐々木三冬といった人物を周囲に配して、江戸市井に起こる事件を解決していく、代表作となり人気を博した。翌73年4月にテレビドラマ『剣客商売』が放送開始された。 1972年「小説現代」3月号に『仕掛人・藤枝梅安』シリーズ第1作となる『おんなごろし』を発表。同誌6月号には第二作『殺しの四人』が掲載され、この作品は年末に小説現代読者賞を受賞。仕掛人という言葉は流行語となり、同年9月より朝日放送で『必殺仕掛人』が放送開始された。翌73年には『鬼平犯科帳』を「オール讀物」1月号 - 12月号に、『剣客商売』を「小説新潮」1月号 - 12月号に、『仕掛人』を「小説現代」2、7、9、10月号に、並行連載した。 また同時期には『雲霧仁左衛門』(「週刊新潮」72年8月26日号 - 74年4月4日号)、『剣の天地』(「東京タイムズ」ほか、73年5月15日 - 74年3月30日)の長編作品や、随筆『食事の情景』(「週刊朝日」72年1月7日号 - 73年7月27日号)なども連載。1973年には立風書房で『池波正太郎自選傑作集』全5巻を刊行。仕掛人もの『春雪仕掛針』で小説現代読者賞を再び受賞した。 1974年(昭和49年)に「週刊朝日」で『真田太平記』(1月4日号 - 80年12月15日号)が連載開始、同年には『男振』(「太陽」7月号 - 77年9月号)の連載もはじまり、2月には『必殺仕掛人』が映画化、11月には『秋風三国峠』が新国劇で上演された。1975年(昭和50年)は『梅安最合傘』で三たび小説現代読者賞受賞、「鬼平」「剣客」「梅安」「真田」連載に加え、劇作でも、新国劇のほかに、歌舞伎にも脚本を提供するようになり、原作・脚本両方を含め、『出刃打お玉』(2月歌舞伎座)、『剣客商売』(6月帝国劇場)、『必殺仕掛人』(9月明治座)『手越の平八』(11月明治座)の五つの舞台に係わり、翌1976年にはさらに『黒雲峠』(4月、演出担当)、『江戸女草紙・出刃打お玉』(5月、演出担当)、『侠客幡随院長兵衛』(10月)を上演。 一連の舞台のなかで1975年の『出刃打お玉』『剣客商売』などで中村又五郎とともに仕事をし、親交を深めたが、1976年(昭和51年)より『又五郎の春秋』(「中央公論」7月号 - 77年6月号)を連載した。同年にはこのほか『散歩のとき何か食べたくなって』(「太陽」1月号 - 77年6月号)、『おとこの秘図』(「週刊新潮」1月号 - 77年5月12日号)および三大シリーズの諸篇を発表。1977年(昭和52年)にはさらに新連載『忍びの旗』(「読売新聞」夕刊11月26日 - 78年8月22日)が始まった。同年、「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」を中心とした作家活動によって、第11回吉川英治文学賞受賞。『市松小僧の女』(2月)、『真田太平記』(11月)が舞台化され、NHK「この人と語ろう」に出演し、映画『トップ・ハット』の曲『ピコリーノ』の演奏をリクエストした。またこの年の初夏、初めてフランスを中心にヨーロッパへ長期旅行した。 1978年(昭和53年)、「鬼平」「剣客」のほか、『旅路』(「サンケイ新聞」5月13日 - 79年5月7日)の連載を開始する一方、『あいびきの女』(2月歌舞伎座)、『狐火』(11月明治座)で脚本と演出を担当。また前年の『市松小僧の女』が高い評価を受け、第3回大谷竹次郎賞を受賞。7月には『雲霧仁左衛門』が映画化された。この年、「池波正太郎短篇小説全集」全10巻・別1巻が立風書房より刊行された。翌1979年(昭和54年)には三大シリーズの執筆に専念し、以前からの連載のほかは、『日曜日の万年筆』(「毎日新聞」2月4日 - 80年1月27日)、『よい匂いのする一夜』(「太陽」7月号 - 81年5月号)のエッセイ二作が発表されたのみであった。この年の秋にはふたたびヨーロッパに旅行した。1980年(昭和55年)、この年も「鬼平」「剣客」のほか『味の歳時記』(「芸術新潮」1月号 - 12月号)を連載した。なお同年には『真田太平記』が完結。82年までにすべてが単行本化した。初夏には三たびヨーロッパを旅行。1981年(昭和56年)、『黒白』(「週刊新潮」4月23日号 - 82年11月4日号)を発表。さらにエッセイ『むかしの味』(「小説新潮」1月号 - 82年12月号)の連載のほか、書き下ろしとして『男の作法』(ごま書房)、『田園の微風』(講談社)を上梓した。このころよりヨーロッパ旅行を基としたエッセイも多数発表され、1982年(昭和57年)にはフランスを舞台とした小説『ドンレミイの雨』(「小説新潮」9月号)を発表した。また同年には『新潮45+』に「新潮45+封切館」の連載(5月号 - 83年4月号)を持った。初夏には四たびヨーロッパ旅行に赴いた。1983年(昭和58年)、『鬼平』『剣客』『梅安』に加え、『雲ながれゆく』(「週刊文春」1月6日号 - 8月18・25日合併号)、『食卓のつぶやき』(「週刊朝日」10月14日号 - 84年7月20日号)を発表した。 1984年(昭和59年)には「鬼平」「剣客」のほか『乳房』(「週刊文春」1月5日号 - 7月26日号)を新連載。秋には同じく1923年生まれの角原三之助と共に5度目のヨーロッパ旅行を行う。翌1985年(昭和60年)には『まんぞくまんぞく』(「週刊新潮」5月30日号 - 11月28日号)と「秘伝の声」(「サンケイ新聞」8月19日 - 86年4月30日)を発表。また『池波正太郎のパレット遊び』と題して小画集を角川書店から刊行した。同年、紫綬褒章受章。「鬼平」「剣客」「梅安」を平行して連載。さらに『秘密』(「週刊文春」2月6日号 - 9月11日号)を執筆し、3月の新国劇公演で自作の『黒雲峠』と長谷川伸の原作をもとに脚色した『夜もすがら検校』の演出として参加。新国劇は翌年解散し、池波ゆかりの同劇団が彼の脚本で公演を行うのはこれが最後となった。1987年(昭和62年)、三大シリーズを「剣客」一本にしぼり、「波」に『原っぱ』を連載した(1月号 - 88年2月号)。同年1月、西武百貨店池袋本店にて「池波正太郎展」開催。1988年、この年はまとまった仕事(以前からの連載を除いて)として『江戸切絵図散歩』(「小説新潮」1月号 - 12月号)のみにとどめ、5月にフランス、9月にドイツ・フランス・イタリアへ旅行したが、これが最後の海外旅行となった。この年12月、「大衆文学の真髄である新しいヒーローを創出し、現代の男の生き方を時代小説の中に活写、読者の圧倒的支持を得た」として第36回菊池寛賞受賞。 1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が崩御し、平成と改元。正太郎も前年末から体調は芳しくなかったが、回復を待って『剣客商売 浮沈』(「週刊新潮」2月号 - 7月号)、『仕掛人・藤枝梅安 梅安冬時雨』(「小説現代」12月号 - )、『鬼平犯科帳 誘拐』(「オール讀物」12月号 - )の連載を開始した。5月には銀座和光で個展「池波正太郎絵筆の楽しみ展」が開催された。明けて1990年(平成2年)、二代目中村吉右衛門主演のテレビドラマ『鬼平犯科帳』が好評を博し、2月には吉右衛門主演の『狐火』が歌舞伎座で上演されるが、正太郎の体調は依然芳しくなかった。3月、急性白血病で三井記念病院に緊急入院、5月3日に同病院にて逝去、67歳。連載中の『仕掛人・藤枝梅安 梅安冬時雨』と『鬼平犯科帳 誘拐』は同年4月号分で未完絶筆となった。5月6日、千日谷会堂にて葬儀及び告別式。山口瞳が弔辞を読んだ。法名は「華文院釈正業」。浅草西光寺(真宗大谷派)に葬られた。没後、勲三等瑞宝章受章。 1998年(平成10年)11月、長野県上田市に「池波正太郎真田太平記館」が開館した。 2006年(平成18年)5月、富山県南砺市井波(旧井波町)に「池波正太郎ふれあい館」が開館した(池波の先祖は井波の宮大工で、天保年間に江戸へ移り住んだことがわかっている。こうした縁で池波が寄贈した直筆の書や原稿、地元関係者に送った手紙などが展示されている)。 池波正太郎の死後、2001年(平成13年)9月26日に台東区生涯学習センター1階台東区立中央図書館内に池波正太郎記念文庫が開設された。池波正太郎の遺品、原稿、台本、絵画などが展示されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "池波 正太郎(いけなみ しょうたろう、1923年(大正12年)1月25日 - 1990年(平成2年)5月3日)は、戦後の日本を代表する時代小説・歴史小説作家。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表する傍ら、映画評論家としても著名であった。 映画ではとりわけフランス映画の名作、とりわけフィルム・ノワールを好み、監督ではジュリアン・デュヴィヴィエや俳優ジャン・ギャバンを敬愛している。その他美食家としても知られている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1923年(大正12年)1月25日、東京市浅草区聖天町(現:東京都台東区浅草7丁目)に生れる。父・富治郎は日本橋の錦糸問屋に勤める通い番頭、母・鈴は浅草の錺職・今井教三の長女で、正太郎は長男であった。この年9月1日、関東大震災が起こり、両親とともに埼玉県浦和に避難し引越、6歳まで同地に居住。1929年(昭和4年)、両親と共に下谷に戻る。正太郎は根岸小学校に入学する。商売不振だった富治郎は近親の出資により上根岸で撞球場を開業するも、この年不和により両親は離婚した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "正太郎は母に引き取られ、浅草永住町の祖父の家に移り、学校は下谷の西町小学校(後の台東区立西町小学校。1998年に閉校)に転入した。祖父・今井教三は御家人の家に養子入りした職人気質・江戸っ子気質の人物で、忙しい母親に代わって正太郎をかわいがった。この時期、母は働きながら今井家の家計を支え、一時正太郎を預けたまま再婚をしたが、不縁となり、実家に戻った。この二度目の結婚によって、正太郎には異父弟が一人できた。小学校時代の正太郎は図画を得意とし、将来は日本画家鏑木清方の弟子となることを夢見る一方、チャンバラものの剣劇映画と少年向け小説を大いに好み、小遣い銭で買い食いを楽しんでいた。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1935年(昭和10年)、西町小学校を卒業。担任教師は進学を勧めたが、家庭の事情により奉公に出た。親戚の伝手によって最初株式現物取引店・田崎商店に出るが、半年あまりでペンキ屋に奉公を変わり、さらにそこも退いて株式仲買店・松島商店に入った。以後、1942年(昭和17年)に国民勤労訓練所に入所するまで、同店で過ごした。チップや小遣い銭を元手に内緒の相場に手を出し月給を上回る収入を得ていた。兜町時代の正太郎はこれを「軍資金」として読書、映画、観劇にはげみ、登山や旅行を楽しみ、剣術道場にも足を運ぶ一方、諸方を食べ歩き、吉原で遊蕩にふけるなどした。特にこの時期、読書・映画への興味が深まったことはもとより、歌舞伎・新国劇・新劇などの舞台を盛んに見物し、歌舞伎への理解を深めるために長唄まで習っていた。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1941年(昭和16年)、太平洋戦争が開戦したが、その翌年に松島商店を退職、国民勤労訓練所に入所。同年には芝浦・萱場製作所に配属され、ここで旋盤機械工としての技術を学んだ。所長の意向ではじめ経理を担当する予定であったものが、池波本人のたっての望みで現場担当となり、上司の丁寧な指導もあって数か月間で技術を習熟した。この間には「婦人画報」の朗読文学欄にスケッチなどを投稿、また「休日」で選外佳作(1943年5月号)、「兄の帰還」で入選(同7月号)、「駆足」で佳作入選(同11月号)、「雪」で選外佳作(同12月号)。「兄の帰還」で賞金50円を得て、これが自身初めての原稿収入となった。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1943年(昭和18年)の冬には岐阜太田の工場に転勤となり、当地で旋盤工の教育係を兼ねた。翌年元日には名古屋の製鋼所に徴用されていた父と久しぶりに再会。休日には中部地方の山をめぐり、東京に足を伸ばして歌舞伎を見物したが、前年、成年に達した正太郎のもとにも、ついに召集令状が来て、工場を退職。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1944年4月、横須賀海兵団に入団。間もなく武山海兵団内自動車講習所に入所。しかし、教官の暴力的な教えかたや物資横流しに反感を持ち、ことあるごとに反抗的な態度を取り、繰返し制裁を受け、同所を修了しないまま退所。横浜磯子の八〇一空に転属となり、通信任務(電話交換手)を担当。1945年(昭和20年)3月10日には東京大空襲で浅草永住町の家が焼失。水兵長に昇進し米子の美保航空基地に転属。同地で電話交換室の室長となった。戦況が悪化し、全国的に空襲の危機にさらされるなか、米子では比較的平穏な日々がつづき、この時期、正太郎は余暇に俳句や短歌を作ることに熱中した。8月15日の敗戦によるポツダム進級で二等兵曹、残務処理を終えて8月24日に帰京した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1945年10月には、帝国劇場で六代目尾上菊五郎の『銀座復興』を観劇した。1946年(昭和21年)、占領下の東京都職員となり下谷区役所に勤務、学生アルバイトを伴い各所にDDTを撒布してまわることだった。空襲によって家を失っていたうえに、借家の家主が疎開先から帰ってきたため、役所内に寝泊りして作業に没頭する一方、この年に創設された読売新聞演劇文化賞に向けて、戯曲「雪晴れ」を執筆。同作品は入選第四位となり、新協劇団で上演された。区役所勤務を継続しつつ、翌年「南風の吹く窓」で同賞佳作入選を果たした。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1948年(昭和23年)には習作を手に初めて長谷川伸を訪問。翌年より本格的に劇作を師事し、門下の批評会「二十六日会」にも参加した。この前後の習作に『牡丹軒』『手』『蛾』など。『手』は新国劇での上演が検討された。1950年(昭和25年)、片岡豊子と結婚し、借家して所帯を持ったが、間もなく申しこんでいた住宅抽選に当選し、新国劇で上演された『鈍牛』の上演料などで新居を建てた。以後、座付作者といわれるほどに新国劇と関係を深めた正太郎は、辰巳柳太郎・島田正吾らに『檻の中』(1952年)、『渡辺華山』(1953年)などを提供する一方で、長谷川の強い勧めによって小説でも、新鷹会の雑誌「大衆文芸」に『厨房にて』(1954年)などの作品を発表した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1955年(昭和30年)1月、劇作における代表作のひとつ『名寄岩』が上演され、自ら演出をも行った。これにより文筆によって立つ自信を得て、都職員を退職(あえて昇進を断り、外回りの職に徹しており、この時期は目黒税務事務所で収税を行っていた)。翌年には『牧野富太郎』、井上靖原作の『風林火山』『黒雲谷』『賊将』など、新国劇で作品を次々と上演する一方、「大衆文芸」誌に定期的に小説を寄せつづけた。初期には現代ものの作品が多かったが、1956年11月・12月号に分載した『恩田木工(真田騒動)』によって、歴史小説・時代小説を執筆活動の中心に据えるようになった。『恩田木工』は翌年、56年下期の直木賞候補となるものの落選。以降劇作と平行して着実に小説の執筆をつづけ、1959年(昭和34年)9月には処女作品集『信濃大名記』を光書房から上梓する。この間『眼』(57年上期)、『信濃大名記』(同下期)、『応仁の乱』(58年下期)、『秘図』(59年上期)で計5回直木賞候補となるも、選考委員であった海音寺潮五郎の酷評もあり受賞には至らなかった。私生活では1958年(昭和33年)暮れ、出征直前に名古屋で会って以来音信不通になっていた父と久々の再会を果たした。正太郎は母とともに同居することを勧めたが、聞き入れられることはなかった。また、同じく小説家の角原三之助とは親友であり、何度も旅行を共にした他、一時期は同居していたともいう。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1960年(昭和35年)、「オール讀物」6月号に発表した『錯乱』によって直木賞(上期)を受賞した。長谷川はわがことのように喜び、少年期から愛読者だった大佛次郎より賞を手渡された。受賞後も数年は『清水一角』『加賀騒動』などの脚本を書き、『北海の男』(「オール讀物」60年10月号)、『鬼坊主の女』(「週刊大衆」同年11月7日号)、『卜伝最後の旅』(「別冊小説新潮」61年1月号)、『色』(「オール讀物」同年8月号)、『火消しの殿』(「別冊小説新潮」62年1月号)、『人斬り半次郎』(「アサヒ芸能」同年10月28日号 - 64年1月26日号)、『あばた又十郎』(「推理ストリー」63年1月号)、『さむらいの巣』(「文芸朝日」同年6月号)、『幕末新撰組』(「地上」同年1月号 - 64年3月号)、『幕末遊撃隊』(「週刊読売」同年8月4日号 - 12月29日号)など、初期代表作の小説を次々と発表、このうち『色』は『維新の篝火』(1961年)の題名で直ちに映画化された。一方で劇作家として、1963年(昭和38年)に子母沢寛原作『おとこ鷹』の脚色を行ったのち、しばらく演劇界・新国劇との関係を断ち、小説に専念するようになった。新国劇のありかたへの疑問や正太郎の一徹さからくる周囲との軋轢が原因であった。同年6月11日、師・長谷川伸が没し、これを契機として二十六日会・新鷹会などを退会し、以後はいかなる団体にも属さず執筆をつづけた。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "四十代に入った正太郎は、『江戸怪盗記』(「週刊新潮」64年1月6日号)、『おせん』(「小説現代」同年7月号)、『堀部安兵衛』(「中国新聞」同年5月14日 - 66年5月24日)、『出刃打お玉』(「小説現代」65年3月号)、『同門の宴』(「オール讀物」同年9月号)、『あほうがらす』(「小説新潮」67年7月号)など従来からの歴史小説に加えて江戸の市井に題材を採った時代小説作品を多く手がけるようになったが、なかでも1967年(昭和42年)12月の「オール讀物」に発表した『浅草御厩河岸』は読者から高い評価を受け、次号以降断続的にシリーズとして連載が開始された。これが代表作となった『鬼平犯科帳』の第一作目である。「寛政重修諸家譜」のなかで出会った長谷川平蔵という人物に強い興味を持っていたが、旧知の八代目松本幸四郎をモデルに、世の善悪に通じ、強烈なリーダーシップと情愛を兼ね備えた平蔵を描出するとともに、火付盗賊改方と盗賊たちの相克を通して「よいことをしながらわるいことをする」人間の矛盾を描き、悪漢小説として読者の広範な支持を受けた。同時期の歴史小説は『さむらい劇場』(「週刊サンケイ」66年8月22日号 - 67年7月17日号)、『上泉伊勢守(日本剣客伝)』(「週刊朝日」67年4月28日号 - 6月16日号)、『蝶の戦記』(「信濃毎日新聞」ほか同年4月30日 - 68年3月31日)、『近藤勇自書』(「新評」同年10月号 - 69年3月号)などが挙げられる。昼に起き夜中に執筆する生活習慣は相変わらずであったが、元来速筆家で仕事の合間に取材旅行を含めて旺盛に旅行し、映画・演劇鑑賞も盛んに行っていた。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "『鬼平』連載開始の翌1968年(昭和43年)には、担当編集者の求めにより自伝的随筆『青春忘れもの』(「小説新潮」68年1月号 - 12月号)を執筆。旧友「井上留吉」という架空の人物を登場させたが、観劇・読書・旅行・食べ歩きを楽しんだ青春時代の思い出を戦前の兜町を舞台として描いたこの作品は読者から強い支持を受けた。翌1969年(昭和44年)にはNETテレビで『鬼平犯科帳』が連続ドラマ化され、さらに1971年(昭和46年)には同シリーズ中『狐火』を舞台化。各・主演は八代目幸四郎で、特にテレビ版は度々再放送され時代劇として高い評価を受け、以後の評価を不動のものとした。『鬼平』の連載は「オール讀物」誌上にあって依然好調であり、1968年に単行本第一巻が刊行されて後、『兇剣』(69年)、『血闘』(70年)、『狐火』(71年)、『流星』(72年)と年一冊のペースで新作が世に送り出された。江戸の市井を舞台とした作品でも、幡随院長兵衛を描いた『侠客』(「サンケイスポーツ」68年10月28日 - 69年9月5日)、忠臣蔵に取材した『編笠十兵衛』(「週刊新潮」69年5月31日号 - 70年5月16日号)、大石内蔵助を主人公とした『おれの足音』(「東京新聞」ほか70年3月20日 - 71年6月17日)などの作品が発表された。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1972年(昭和47年)には「小説新潮」1月号に「剣客商売」を発表した。京都の古書店で偶然見かけた歌舞伎役者・二代目中村又五郎をモデルに、孫のような少女と夫婦になって隠棲する老剣客・秋山小兵衛を描き出し、朴訥誠実で世に疎い小兵衛の長男・大治郎、田沼意次の娘である女剣客・佐々木三冬といった人物を周囲に配して、江戸市井に起こる事件を解決していく、代表作となり人気を博した。翌73年4月にテレビドラマ『剣客商売』が放送開始された。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1972年「小説現代」3月号に『仕掛人・藤枝梅安』シリーズ第1作となる『おんなごろし』を発表。同誌6月号には第二作『殺しの四人』が掲載され、この作品は年末に小説現代読者賞を受賞。仕掛人という言葉は流行語となり、同年9月より朝日放送で『必殺仕掛人』が放送開始された。翌73年には『鬼平犯科帳』を「オール讀物」1月号 - 12月号に、『剣客商売』を「小説新潮」1月号 - 12月号に、『仕掛人』を「小説現代」2、7、9、10月号に、並行連載した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "また同時期には『雲霧仁左衛門』(「週刊新潮」72年8月26日号 - 74年4月4日号)、『剣の天地』(「東京タイムズ」ほか、73年5月15日 - 74年3月30日)の長編作品や、随筆『食事の情景』(「週刊朝日」72年1月7日号 - 73年7月27日号)なども連載。1973年には立風書房で『池波正太郎自選傑作集』全5巻を刊行。仕掛人もの『春雪仕掛針』で小説現代読者賞を再び受賞した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1974年(昭和49年)に「週刊朝日」で『真田太平記』(1月4日号 - 80年12月15日号)が連載開始、同年には『男振』(「太陽」7月号 - 77年9月号)の連載もはじまり、2月には『必殺仕掛人』が映画化、11月には『秋風三国峠』が新国劇で上演された。1975年(昭和50年)は『梅安最合傘』で三たび小説現代読者賞受賞、「鬼平」「剣客」「梅安」「真田」連載に加え、劇作でも、新国劇のほかに、歌舞伎にも脚本を提供するようになり、原作・脚本両方を含め、『出刃打お玉』(2月歌舞伎座)、『剣客商売』(6月帝国劇場)、『必殺仕掛人』(9月明治座)『手越の平八』(11月明治座)の五つの舞台に係わり、翌1976年にはさらに『黒雲峠』(4月、演出担当)、『江戸女草紙・出刃打お玉』(5月、演出担当)、『侠客幡随院長兵衛』(10月)を上演。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "一連の舞台のなかで1975年の『出刃打お玉』『剣客商売』などで中村又五郎とともに仕事をし、親交を深めたが、1976年(昭和51年)より『又五郎の春秋』(「中央公論」7月号 - 77年6月号)を連載した。同年にはこのほか『散歩のとき何か食べたくなって』(「太陽」1月号 - 77年6月号)、『おとこの秘図』(「週刊新潮」1月号 - 77年5月12日号)および三大シリーズの諸篇を発表。1977年(昭和52年)にはさらに新連載『忍びの旗』(「読売新聞」夕刊11月26日 - 78年8月22日)が始まった。同年、「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」を中心とした作家活動によって、第11回吉川英治文学賞受賞。『市松小僧の女』(2月)、『真田太平記』(11月)が舞台化され、NHK「この人と語ろう」に出演し、映画『トップ・ハット』の曲『ピコリーノ』の演奏をリクエストした。またこの年の初夏、初めてフランスを中心にヨーロッパへ長期旅行した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1978年(昭和53年)、「鬼平」「剣客」のほか、『旅路』(「サンケイ新聞」5月13日 - 79年5月7日)の連載を開始する一方、『あいびきの女』(2月歌舞伎座)、『狐火』(11月明治座)で脚本と演出を担当。また前年の『市松小僧の女』が高い評価を受け、第3回大谷竹次郎賞を受賞。7月には『雲霧仁左衛門』が映画化された。この年、「池波正太郎短篇小説全集」全10巻・別1巻が立風書房より刊行された。翌1979年(昭和54年)には三大シリーズの執筆に専念し、以前からの連載のほかは、『日曜日の万年筆』(「毎日新聞」2月4日 - 80年1月27日)、『よい匂いのする一夜』(「太陽」7月号 - 81年5月号)のエッセイ二作が発表されたのみであった。この年の秋にはふたたびヨーロッパに旅行した。1980年(昭和55年)、この年も「鬼平」「剣客」のほか『味の歳時記』(「芸術新潮」1月号 - 12月号)を連載した。なお同年には『真田太平記』が完結。82年までにすべてが単行本化した。初夏には三たびヨーロッパを旅行。1981年(昭和56年)、『黒白』(「週刊新潮」4月23日号 - 82年11月4日号)を発表。さらにエッセイ『むかしの味』(「小説新潮」1月号 - 82年12月号)の連載のほか、書き下ろしとして『男の作法』(ごま書房)、『田園の微風』(講談社)を上梓した。このころよりヨーロッパ旅行を基としたエッセイも多数発表され、1982年(昭和57年)にはフランスを舞台とした小説『ドンレミイの雨』(「小説新潮」9月号)を発表した。また同年には『新潮45+』に「新潮45+封切館」の連載(5月号 - 83年4月号)を持った。初夏には四たびヨーロッパ旅行に赴いた。1983年(昭和58年)、『鬼平』『剣客』『梅安』に加え、『雲ながれゆく』(「週刊文春」1月6日号 - 8月18・25日合併号)、『食卓のつぶやき』(「週刊朝日」10月14日号 - 84年7月20日号)を発表した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1984年(昭和59年)には「鬼平」「剣客」のほか『乳房』(「週刊文春」1月5日号 - 7月26日号)を新連載。秋には同じく1923年生まれの角原三之助と共に5度目のヨーロッパ旅行を行う。翌1985年(昭和60年)には『まんぞくまんぞく』(「週刊新潮」5月30日号 - 11月28日号)と「秘伝の声」(「サンケイ新聞」8月19日 - 86年4月30日)を発表。また『池波正太郎のパレット遊び』と題して小画集を角川書店から刊行した。同年、紫綬褒章受章。「鬼平」「剣客」「梅安」を平行して連載。さらに『秘密』(「週刊文春」2月6日号 - 9月11日号)を執筆し、3月の新国劇公演で自作の『黒雲峠』と長谷川伸の原作をもとに脚色した『夜もすがら検校』の演出として参加。新国劇は翌年解散し、池波ゆかりの同劇団が彼の脚本で公演を行うのはこれが最後となった。1987年(昭和62年)、三大シリーズを「剣客」一本にしぼり、「波」に『原っぱ』を連載した(1月号 - 88年2月号)。同年1月、西武百貨店池袋本店にて「池波正太郎展」開催。1988年、この年はまとまった仕事(以前からの連載を除いて)として『江戸切絵図散歩』(「小説新潮」1月号 - 12月号)のみにとどめ、5月にフランス、9月にドイツ・フランス・イタリアへ旅行したが、これが最後の海外旅行となった。この年12月、「大衆文学の真髄である新しいヒーローを創出し、現代の男の生き方を時代小説の中に活写、読者の圧倒的支持を得た」として第36回菊池寛賞受賞。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が崩御し、平成と改元。正太郎も前年末から体調は芳しくなかったが、回復を待って『剣客商売 浮沈』(「週刊新潮」2月号 - 7月号)、『仕掛人・藤枝梅安 梅安冬時雨』(「小説現代」12月号 - )、『鬼平犯科帳 誘拐』(「オール讀物」12月号 - )の連載を開始した。5月には銀座和光で個展「池波正太郎絵筆の楽しみ展」が開催された。明けて1990年(平成2年)、二代目中村吉右衛門主演のテレビドラマ『鬼平犯科帳』が好評を博し、2月には吉右衛門主演の『狐火』が歌舞伎座で上演されるが、正太郎の体調は依然芳しくなかった。3月、急性白血病で三井記念病院に緊急入院、5月3日に同病院にて逝去、67歳。連載中の『仕掛人・藤枝梅安 梅安冬時雨』と『鬼平犯科帳 誘拐』は同年4月号分で未完絶筆となった。5月6日、千日谷会堂にて葬儀及び告別式。山口瞳が弔辞を読んだ。法名は「華文院釈正業」。浅草西光寺(真宗大谷派)に葬られた。没後、勲三等瑞宝章受章。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1998年(平成10年)11月、長野県上田市に「池波正太郎真田太平記館」が開館した。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2006年(平成18年)5月、富山県南砺市井波(旧井波町)に「池波正太郎ふれあい館」が開館した(池波の先祖は井波の宮大工で、天保年間に江戸へ移り住んだことがわかっている。こうした縁で池波が寄贈した直筆の書や原稿、地元関係者に送った手紙などが展示されている)。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "池波正太郎の死後、2001年(平成13年)9月26日に台東区生涯学習センター1階台東区立中央図書館内に池波正太郎記念文庫が開設された。池波正太郎の遺品、原稿、台本、絵画などが展示されている。", "title": "池波正太郎記念文庫" } ]
池波 正太郎は、戦後の日本を代表する時代小説・歴史小説作家。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表する傍ら、映画評論家としても著名であった。 映画ではとりわけフランス映画の名作、とりわけフィルム・ノワールを好み、監督ではジュリアン・デュヴィヴィエや俳優ジャン・ギャバンを敬愛している。その他美食家としても知られている。
{{Infobox 作家 | name = 池波 正太郎<br />(いけなみ しょうたろう) | image = Ikenami Shotaro.jpg | caption = <small>[[婦人生活社]]『[[婦人生活]]』3月号([[1961年]])より</small> | birth_date = [[1923年]][[1月25日]] | birth_place = {{JPN}}・[[東京府]][[東京市]][[浅草区]] | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1923|1|25|1990|5|3}} | death_place = {{JPN}}・[[東京都]][[千代田区]][[神田和泉町]]([[三井記念病院]])<ref name="ismedia">{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/mwimgs/0/f/-/img_0fd9f8ab813393dc05d2af0945e6b79e847910.jpg|title=史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか|publisher=現代ビジネス|date=2011-08-17|accessdate=2019-12-22}}</ref> | occupation = [[小説家]] | nationality = {{JPN}} | alma_mater = 下谷西町小学校卒業 | period = | genre = [[時代小説]]・[[歴史小説]] | subject = | movement = | notable_works = 『錯乱』(1960年)<br />『人切り半次郎』(1963年)<br />『[[鬼平犯科帳]]』(1967年 - 1989年)<br />『[[剣客商売]]』(1972年 - 1989年)<br />『[[仕掛人・藤枝梅安]]』(1972年 - 1990年)<br />『[[真田太平記]]』(1974年 - 1982年) | awards = [[直木三十五賞]](1957年)<br />[[吉川英治文学賞]](1977年)<br />[[紫綬褒章]](1986年)<br />[[菊池寛賞]](1988年) | debut_works = | website = [https://ikenami.info/ 池波正太郎公式サイト]<br />[https://www.facebook.com/ikenami.shotaro 池波正太郎公式facebook] }} '''池波 正太郎'''(いけなみ しょうたろう、[[1923年]]([[大正]]12年)[[1月25日]] - [[1990年]]([[平成]]2年)[[5月3日]])は、[[戦後]]の日本を代表する[[時代小説]]・[[歴史小説]][[小説家|作家]]。『[[鬼平犯科帳]]』『[[剣客商売]]』『[[仕掛人・藤枝梅安]]』『[[真田太平記]]』など、[[戦国時代 (日本)|戦国]]・[[江戸時代]]を舞台にした[[時代小説]]を次々に発表する傍ら、[[映画評論家]]としても著名であった。 映画ではとりわけ[[フランス映画]]の名作、とりわけフィルム・ノワールを好み、監督では[[ジュリアン・デュヴィヴィエ]]や[[俳優]][[ジャン・ギャバン]]を敬愛している<ref>池波正太郎とフィルム・ノワールhttps://www.jidaigeki.com/ru10/ikenami/</ref>。その他[[美食家]]としても知られている。 == 略歴 == ===生い立ち=== [[1923年]]([[大正]]12年)[[1月25日]]、[[東京市]][[浅草区]]聖天町(現:[[東京都]][[台東区]][[浅草]]7丁目)に生れる。父・富治郎は[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]の錦糸[[問屋]]に勤める通い[[番頭]]、母・鈴は浅草の錺職・今井教三の長女で、正太郎は長男であった。この年[[9月1日]]、[[関東大震災]]が起こり、両親とともに[[埼玉県]]浦和に避難し引越、6歳まで同地に居住。1929年([[昭和]]4年)、両親と共に[[下谷]]に戻る。正太郎は[[台東区立根岸小学校|根岸小学校]]に入学する。商売不振だった富治郎は近親の出資により[[根岸 (台東区)|上根岸]]で[[撞球場]]を開業するも、この年不和により両親は離婚した。 正太郎は母に引き取られ、[[元浅草|浅草永住町]]の祖父の家に移り、学校は下谷の西町小学校(後の[[台東区立西町小学校]]。1998年に閉校)に転入した。祖父・今井教三は[[御家人]]の家に[[養子縁組|養子]]入りした職人気質・江戸っ子気質の人物で、忙しい母親に代わって正太郎をかわいがった。この時期、母は働きながら今井家の家計を支え、一時正太郎を預けたまま再婚をしたが、不縁となり、実家に戻った。この二度目の結婚によって、正太郎には異父弟が一人できた。小学校時代の正太郎は図画を得意とし、将来は[[日本画]]家[[鏑木清方]]の弟子となることを夢見る一方、[[チャンバラ]]ものの[[剣戟映画|剣劇映画]]と少年向け小説を大いに好み、小遣い銭で買い食いを楽しんでいた。 [[1935年]]([[昭和]]10年)、西町小学校を卒業。担任教師は進学を勧めたが、家庭の事情により奉公に出た。親戚の伝手によって最初[[株式]][[現物取引店]]・[[田崎商店]]に出るが、半年あまりでペンキ屋に奉公を変わり、さらにそこも退いて株式仲買店・松島商店に入った。以後、[[1942年]](昭和17年)に[[国民勤労訓練所]]に入所するまで、同店で過ごした。[[チップ (サービス)|チップ]]や小遣い銭を元手に内緒の相場に手を出し月給を上回る収入を得ていた。[[日本橋兜町|兜町]]時代の正太郎はこれを「軍資金」として読書、映画、観劇にはげみ、登山や旅行を楽しみ、剣術道場にも足を運ぶ一方、諸方を食べ歩き、[[吉原 (東京都)|吉原]]で遊蕩にふけるなどした。特にこの時期、読書・映画への興味が深まったことはもとより、[[歌舞伎]]・[[新国劇]]・[[新劇]]などの舞台を盛んに見物し、歌舞伎への理解を深めるために[[長唄]]まで習っていた。 ===終戦まで=== [[1941年]](昭和16年)、[[太平洋戦争]]が開戦したが、その翌年に松島商店を退職、国民勤労訓練所に入所。同年には[[芝浦]]・[[KYB|萱場製作所]]に配属され、ここで[[旋盤]]機械工としての技術を学んだ。所長の意向ではじめ経理を担当する予定であったものが、池波本人のたっての望みで現場担当となり、上司の丁寧な指導もあって数か月間で技術を習熟した。この間には「[[婦人画報]]」の朗読文学欄に[[スケッチ]]などを投稿、また「休日」で選外佳作(1943年5月号)、「兄の帰還」で入選(同7月号)、「駆足」で佳作入選(同11月号)、「雪」で選外佳作(同12月号)。「兄の帰還」で賞金50円を得て、これが自身初めての原稿収入となった。 [[1943年]](昭和18年)の冬には[[岐阜県|岐阜]][[太田町 (岐阜県)|太田]]の工場に転勤となり、当地で旋盤工の教育係を兼ねた。翌年[[元日]]には[[名古屋市|名古屋]]の製鋼所に徴用されていた父と久しぶりに再会。休日には[[中部地方]]の山をめぐり、[[東京府|東京]]に足を伸ばして歌舞伎を見物したが、前年、成年に達した正太郎のもとにも、ついに[[召集令状]]が来て、工場を退職。 [[1944年]]4月、横須賀[[海兵団]]に入団。間もなく武山海兵団内[[自動車]]講習所に入所。しかし、教官の暴力的な教えかたや物資横流しに反感を持ち、ことあるごとに反抗的な態度を取り、繰返し制裁を受け、同所を修了しないまま退所。横浜[[磯子区|磯子]]の[[横浜海軍航空隊|八〇一空]]に転属となり、通信任務(電話[[交換手]])を担当。[[1945年]](昭和20年)[[3月10日]]には[[東京大空襲]]で浅草永住町の家が焼失。[[水兵長]]に昇進し[[米子市|米子]]の[[美保飛行場|美保航空基地]]に転属。同地で電話交換室の室長となった。戦況が悪化し、全国的に[[空襲]]の危機にさらされるなか、米子では比較的平穏な日々がつづき、この時期、正太郎は余暇に[[俳句]]や[[短歌]]を作ることに熱中した。[[8月15日]]の[[日本の降伏|敗戦]]による[[ポツダム進級]]で[[二等兵曹]]、残務処理を終えて[[8月24日]]に帰京した。 ===劇作家として=== 1945年10月には、[[帝国劇場]]で[[尾上菊五郎 (6代目)|六代目尾上菊五郎]]の『銀座復興』を観劇した。[[1946年]](昭和21年)、占領下の[[東京都]]職員となり[[下谷区]]役所に勤務、学生[[アルバイト]]を伴い各所に[[DDT]]を撒布してまわることだった。空襲によって家を失っていたうえに、借家の家主が[[疎開]]先から帰ってきたため、役所内に寝泊りして作業に没頭する一方、この年に創設された[[読売新聞]]演劇文化賞に向けて、[[戯曲]]「雪晴れ」を執筆。同作品は入選第四位となり、[[新協劇団]]で上演された。区役所勤務を継続しつつ、翌年「南風の吹く窓」で同賞佳作入選を果たした。 [[1948年]](昭和23年)には習作を手に初めて[[長谷川伸]]を訪問。翌年より本格的に劇作を師事し、門下の批評会「二十六日会」にも参加した。この前後の習作に『牡丹軒』『手』『蛾』など。『手』は新国劇での上演が検討された。[[1950年]](昭和25年)、片岡豊子と結婚し、借家して所帯を持ったが、間もなく申しこんでいた住宅抽選に当選し、新国劇で上演された『鈍牛』の上演料などで新居を建てた。以後、座付作者といわれるほどに新国劇と関係を深めた正太郎は、[[辰巳柳太郎]]・[[島田正吾]]らに『檻の中』([[1952年]])、『[[渡辺崋山|渡辺華山]]』([[1953年]])などを提供する一方で、長谷川の強い勧めによって[[小説]]でも、[[新鷹会]]の雑誌「大衆文芸」に『厨房にて』([[1954年]])などの作品を発表した。 ===小説家へ=== [[1955年]](昭和30年)1月、劇作における代表作のひとつ『[[名寄岩]]』が上演され、自ら[[演出]]をも行った。これにより文筆によって立つ自信を得て、都職員を退職(あえて昇進を断り、外回りの職に徹しており、この時期は[[目黒 (目黒区)|目黒]]税務事務所で収税を行っていた)。翌年には『[[牧野富太郎]]』、[[井上靖]]原作の『[[風林火山 (小説)|風林火山]]』『黒雲谷』『賊将』など、新国劇で作品を次々と上演する一方、「大衆文芸」誌に定期的に小説を寄せつづけた。初期には現代ものの作品が多かったが、[[1956年]]11月・12月号に分載した『恩田木工(真田騒動)』によって、[[歴史小説]]・[[時代小説]]を執筆活動の中心に据えるようになった。『恩田木工』は翌年、56年下期の[[直木賞]]候補となるものの落選。以降劇作と平行して着実に小説の執筆をつづけ、[[1959年]](昭和34年)9月には処女作品集『信濃大名記』を光書房から上梓する。この間『眼』(57年上期)、『信濃大名記』(同下期)、『応仁の乱』(58年下期)、『秘図』(59年上期)で計5回直木賞候補となるも、選考委員であった[[海音寺潮五郎]]の酷評もあり受賞には至らなかった。私生活では[[1958年]](昭和33年)暮れ、出征直前に名古屋で会って以来音信不通になっていた父と久々の再会を果たした。正太郎は母とともに同居することを勧めたが、聞き入れられることはなかった。また、同じく小説家の[[角原三之助]]とは親友であり、何度も旅行を共にした他、一時期は同居していたともいう。 [[1960年]](昭和35年)、「[[オール讀物]]」6月号に発表した『錯乱』によって直木賞(上期)を受賞した<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD164UP0W2A111C2000000/ 池波正太郎生誕100年 風景から料理まで「江戸」を愛す]</ref>。長谷川はわがことのように喜び、少年期から愛読者だった[[大佛次郎]]より賞を手渡された。受賞後も数年は『清水一角』『加賀騒動』などの脚本を書き、『北海の男』(「オール讀物」60年10月号)、『鬼坊主の女』(「週刊大衆」同年[[11月7日]]号)、『卜伝最後の旅』(「別冊小説新潮」61年1月号)、『色』(「オール讀物」同年8月号)、『火消しの殿』(「別冊小説新潮」62年1月号)、『人斬り半次郎』(「アサヒ芸能」同年[[10月28日]]号 - 64年[[1月26日]]号)、『あばた又十郎』(「推理ストリー」63年1月号)、『さむらいの巣』(「文芸朝日」同年6月号)、『幕末新撰組』(「地上」同年1月号 - 64年3月号)、『幕末遊撃隊』(「週刊読売」同年[[8月4日]]号 - [[12月29日]]号)など、初期代表作の小説を次々と発表、このうち『色』は『維新の篝火』([[1961年]])の題名で直ちに映画化された。一方で劇作家として、[[1963年]](昭和38年)に[[子母沢寛]]原作『[[おとこ鷹]]』の脚色を行ったのち、しばらく演劇界・新国劇との関係を断ち、小説に専念するようになった。新国劇のありかたへの疑問や正太郎の一徹さからくる周囲との軋轢が原因であった。同年[[6月11日]]、師・長谷川伸が没し、これを契機として二十六日会・新鷹会などを退会し、以後はいかなる団体にも属さず執筆をつづけた。 ===鬼平犯科帳=== 四十代に入った正太郎は、『江戸怪盗記』(「[[週刊新潮]]」64年[[1月6日]]号)、『おせん』(「小説現代」同年7月号)、『堀部安兵衛』(「[[中国新聞]]」同年[[5月14日]] - 66年[[5月24日]])、『出刃打お玉』(「小説現代」65年3月号)、『同門の宴』(「オール讀物」同年9月号)、『あほうがらす』(「小説新潮」67年7月号)など従来からの[[歴史小説]]に加えて[[江戸]]の市井に題材を採った[[時代小説]]作品を多く手がけるようになったが、なかでも[[1967年]](昭和42年)12月の「オール讀物」に発表した『浅草御厩河岸』は読者から高い評価を受け、次号以降断続的にシリーズとして連載が開始された。これが代表作となった『[[鬼平犯科帳]]』の第一作目である。「[[寛政重修諸家譜]]」のなかで出会った[[長谷川宣以|長谷川平蔵]]という人物に強い興味を持っていたが、旧知の[[松本白鸚 (初代)|八代目松本幸四郎]]をモデルに、世の善悪に通じ、強烈な[[リーダーシップ]]と情愛を兼ね備えた平蔵を描出するとともに、[[火付盗賊改方]]と盗賊たちの相克を通して「よいことをしながらわるいことをする」人間の矛盾を描き、[[悪漢小説]]として読者の広範な支持を受けた。同時期の歴史小説は『さむらい劇場』(「週刊サンケイ」66年[[8月22日]]号 - 67年[[7月17日]]号)、『上泉伊勢守(日本剣客伝)』(「週刊朝日」67年[[4月28日]]号 - [[6月16日]]号)、『蝶の戦記』(「[[信濃毎日新聞]]」ほか同年[[4月30日]] - 68年[[3月31日]])、『近藤勇自書』(「新評」同年10月号 - 69年3月号)などが挙げられる。昼に起き夜中に執筆する生活習慣は相変わらずであったが、元来速筆家で仕事の合間に取材旅行を含めて旺盛に旅行し、映画・演劇鑑賞も盛んに行っていた。 『鬼平』連載開始の翌[[1968年]](昭和43年)には、担当編集者の求めにより自伝的随筆『青春忘れもの』(「[[小説新潮]]」68年1月号 - 12月号)を執筆。旧友「井上留吉」という架空の人物を登場させたが、観劇・読書・旅行・食べ歩きを楽しんだ青春時代の思い出を戦前の兜町を舞台として描いたこの作品は読者から強い支持を受けた。翌[[1969年]](昭和44年)には[[テレビ朝日|NETテレビ]]で『鬼平犯科帳』が連続ドラマ化され、さらに[[1971年]](昭和46年)には同シリーズ中『狐火』を舞台化。各・主演は八代目幸四郎で、特にテレビ版は度々再放送され[[時代劇]]として高い評価を受け、以後の評価を不動のものとした。『鬼平』の連載は「オール讀物」誌上にあって依然好調であり、1968年に[[単行本]]第一巻が刊行されて後、『兇剣』(69年)、『血闘』(70年)、『狐火』(71年)、『流星』(72年)と年一冊のペースで新作が世に送り出された。江戸の市井を舞台とした作品でも、[[幡随院長兵衛]]を描いた『侠客』(「サンケイスポーツ」68年[[10月28日]] - 69年[[9月5日]])、[[忠臣蔵]]に取材した『[[編笠十兵衛]]』(「週刊新潮」69年[[5月31日]]号 - 70年[[5月16日]]号)、[[大石良雄|大石内蔵助]]を主人公とした『おれの足音』(「[[東京新聞]]」ほか70年[[3月20日]] - 71年[[6月17日]])などの作品が発表された。 ===剣客商売・仕掛人=== [[1972年]](昭和47年)には「小説新潮」1月号に「[[剣客商売]]」を発表した。[[京都]]の[[古書店]]で偶然見かけた[[歌舞伎役者]]・[[中村又五郎 (2代目)|二代目中村又五郎]]をモデルに、孫のような少女と夫婦になって隠棲する老剣客・秋山小兵衛を描き出し、朴訥誠実で世に疎い小兵衛の長男・大治郎、[[田沼意次]]の娘である女剣客・佐々木三冬といった人物を周囲に配して、江戸市井に起こる事件を解決していく、代表作となり人気を博した。翌73年4月に[[剣客商売 (テレビドラマ)|テレビドラマ『剣客商売』]]が放送開始された。 1972年「小説現代」3月号に『[[仕掛人・藤枝梅安]]』シリーズ第1作となる『おんなごろし』を発表。同誌6月号には第二作『殺しの四人』が掲載され、この作品は年末に小説現代読者賞を受賞。仕掛人という言葉は流行語となり、同年9月より[[朝日放送テレビ|朝日放送]]で『[[必殺仕掛人]]』が放送開始された。翌73年には『鬼平犯科帳』を「オール讀物」1月号 - 12月号に、『剣客商売』を「小説新潮」1月号 - 12月号に、『仕掛人』を「小説現代」2、7、9、10月号に、並行連載した。 また同時期には『[[雲霧仁左衛門#池波正太郎の小説|雲霧仁左衛門]]』(「週刊新潮」72年[[8月26日]]号 - 74年[[4月4日]]号)、『剣の天地』(「[[東京タイムズ]]」ほか、73年[[5月15日]] - 74年[[3月30日]])の長編作品や、随筆『食事の情景』(「[[週刊朝日]]」72年[[1月7日]]号 - 73年[[7月27日]]号)なども連載。[[1973年]]には[[立風書房]]で『池波正太郎自選傑作集』全5巻を刊行。仕掛人もの『春雪仕掛針』で小説現代読者賞を再び受賞した。 [[1974年]](昭和49年)に「週刊朝日」で『[[真田太平記]]』([[1月4日]]号 - 80年[[12月15日]]号)が連載開始、同年には『男振』(「太陽」7月号 - 77年9月号)の連載もはじまり、2月には『[[必殺仕掛人 (映画)|必殺仕掛人]]』が映画化、11月には『秋風三国峠』が新国劇で上演された。[[1975年]](昭和50年)は『梅安最合傘』で三たび小説現代読者賞受賞、「鬼平」「剣客」「梅安」「真田」連載に加え、劇作でも、新国劇のほかに、[[歌舞伎]]にも脚本を提供するようになり、原作・脚本両方を含め、『出刃打お玉』(2月[[歌舞伎座]])、『剣客商売』(6月[[帝国劇場]])、『必殺仕掛人』(9月[[明治座]])『手越の平八』(11月明治座)の五つの舞台に係わり、翌[[1976年]]にはさらに『黒雲峠』(4月、[[演出]]担当)、『江戸女草紙・出刃打お玉』(5月、演出担当)、『侠客幡随院長兵衛』(10月)を上演。 ===三大シリーズとともに=== 一連の舞台のなかで1975年の『出刃打お玉』『剣客商売』などで中村又五郎とともに仕事をし、親交を深めたが、[[1976年]](昭和51年)より『又五郎の春秋』(「[[中央公論]]」7月号 - 77年6月号)を連載した。同年にはこのほか『散歩のとき何か食べたくなって』(「太陽」1月号 - 77年6月号)、『おとこの秘図』(「週刊新潮」1月号 - 77年[[5月12日]]号)および三大シリーズの諸篇を発表。[[1977年]](昭和52年)にはさらに新連載『忍びの旗』(「読売新聞」夕刊[[11月26日]] - 78年[[8月22日]])が始まった。同年、「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」を中心とした作家活動によって、第11回[[吉川英治文学賞]]受賞。『[[市松小僧の女]]』(2月)、『真田太平記』(11月)が舞台化され、[[日本放送協会|NHK]]「この人と語ろう」に出演し、映画『[[トップ・ハット]]』の曲『ピコリーノ』の演奏をリクエストした。またこの年の初夏、初めて[[フランス]]を中心に[[ヨーロッパ]]へ長期旅行した。 [[1978年]](昭和53年)、「鬼平」「剣客」のほか、『旅路』(「サンケイ新聞」[[5月13日]] - 79年[[5月7日]])の連載を開始する一方、『あいびきの女』(2月歌舞伎座)、『狐火』(11月明治座)で脚本と演出を担当。また前年の『市松小僧の女』が高い評価を受け、第3回[[大谷竹次郎]]賞を受賞。7月には『雲霧仁左衛門』が映画化された。この年、「池波正太郎短篇小説全集」全10巻・別1巻が立風書房より刊行された。翌[[1979年]](昭和54年)には三大シリーズの執筆に専念し、以前からの連載のほかは、『日曜日の万年筆』(「[[毎日新聞]]」[[2月4日]] - 80年[[1月27日]])、『よい匂いのする一夜』(「太陽」7月号 - 81年5月号)のエッセイ二作が発表されたのみであった。この年の秋にはふたたびヨーロッパに旅行した。[[1980年]](昭和55年)、この年も「鬼平」「剣客」のほか『味の歳時記』(「[[芸術新潮]]」1月号 - 12月号)を連載した。なお同年には『真田太平記』が完結。82年までにすべてが単行本化した。初夏には三たびヨーロッパを旅行。[[1981年]](昭和56年)、『黒白』(「週刊新潮」[[4月23日]]号 - 82年[[11月4日]]号)を発表。さらにエッセイ『むかしの味』(「小説新潮」1月号 - 82年12月号)の連載のほか、書き下ろしとして『男の作法』(ごま書房)、『田園の微風』(講談社)を上梓した。このころよりヨーロッパ旅行を基としたエッセイも多数発表され、[[1982年]](昭和57年)にはフランスを舞台とした小説『ドンレミイの雨』(「小説新潮」9月号)を発表した。また同年には『新潮45+』に「新潮45+封切館」の連載(5月号 - 83年4月号)を持った。初夏には四たびヨーロッパ旅行に赴いた。[[1983年]](昭和58年)、『鬼平』『剣客』『梅安』に加え、『雲ながれゆく』(「週刊文春」[[1月6日]]号 - 8月18・25日合併号)、『食卓のつぶやき』(「週刊朝日」10月14日号 - 84年[[7月20日]]号)を発表した。 ===晩年=== [[1984年]](昭和59年)には「鬼平」「剣客」のほか『乳房』(「週刊文春」[[1月5日]]号 - [[7月26日]]号)を新連載。秋には同じく[[1923年]]生まれの[[角原三之助]]と共に5度目のヨーロッパ旅行を行う。翌[[1985年]](昭和60年)には『まんぞくまんぞく』(「週刊新潮」[[5月30日]]号 - [[11月28日]]号)と「秘伝の声」(「サンケイ新聞」[[8月19日]] - 86年[[4月30日]])を発表。また『池波正太郎のパレット遊び』と題して小画集を[[角川書店]]から刊行した。同年、[[紫綬褒章]]受章。「鬼平」「剣客」「梅安」を平行して連載。さらに『秘密』(「週刊文春」[[2月6日]]号 - [[9月11日]]号)を執筆し、3月の新国劇公演で自作の『黒雲峠』と長谷川伸の原作をもとに脚色した『夜もすがら検校』の演出として参加。新国劇は翌年解散し、池波ゆかりの同劇団が彼の脚本で公演を行うのはこれが最後となった。[[1987年]](昭和62年)、三大シリーズを「剣客」一本にしぼり、「波」に『原っぱ』を連載した(1月号 - 88年2月号)。同年1月、[[西武百貨店]][[池袋]]本店にて「池波正太郎展」開催。[[1988年]]、この年はまとまった仕事(以前からの連載を除いて)として『江戸切絵図散歩』(「小説新潮」1月号 - 12月号)のみにとどめ、5月にフランス、9月に[[ドイツ]]・[[フランス]]・[[イタリア]]へ旅行したが、これが最後の海外旅行となった。この年12月、「大衆文学の真髄である新しいヒーローを創出し、現代の男の生き方を時代小説の中に活写、読者の圧倒的支持を得た」として第36回[[菊池寛賞]]受賞。 [[1989年]](昭和64年)1月7日に[[昭和天皇]]が崩御し、[[平成]]と改元。正太郎も前年末から体調は芳しくなかったが、回復を待って『剣客商売 浮沈』(「週刊新潮」2月号 - 7月号)、『仕掛人・藤枝梅安 梅安冬時雨』(「小説現代」12月号 - )、『鬼平犯科帳 誘拐』(「オール讀物」12月号 - )の連載を開始した。5月には[[銀座]][[和光 (商業施設)|和光]]で個展「池波正太郎絵筆の楽しみ展」が開催された。明けて[[1990年]](平成2年)、[[中村吉右衛門 (2代目)|二代目中村吉右衛門]]主演の[[テレビドラマ]]『鬼平犯科帳』が好評を博し、2月には吉右衛門主演の『狐火』が[[歌舞伎座]]で上演されるが、正太郎の体調は依然芳しくなかった。3月、[[急性白血病]]で[[三井記念病院]]に緊急入院、5月3日に同病院にて逝去、67歳<ref name="ismedia" />。連載中の『仕掛人・藤枝梅安 梅安冬時雨』と『鬼平犯科帳 誘拐』は同年4月号分で未完絶筆となった。[[5月6日]]、千日谷会堂にて[[葬儀]]及び[[告別式]]。[[山口瞳]]が[[弔辞]]を読んだ。[[法名 (浄土真宗)|法名]]は「華文院釈正業」。浅草西光寺([[真宗大谷派]])に葬られた。没後、[[勲三等]][[瑞宝章]]受章。 [[1998年]]([[平成]]10年)11月、[[長野県]][[上田市]]に「[[池波正太郎真田太平記館]]」が開館した。 [[2006年]](平成18年)5月、[[富山県]][[南砺市]]井波(旧[[井波町]])に「池波正太郎ふれあい館」が開館した(池波の先祖は井波の宮大工で、天保年間に江戸へ移り住んだことがわかっている<ref>「[[北日本新聞]]」2013年10月23日付け「[https://webun.jp/item/2004834 ふるさと風土記:南砺市高瀬地区/絆結ぶ歴史ロマンの里9.追慕の念]」</ref>。こうした縁で池波が寄贈した直筆の書や原稿、地元関係者に送った手紙などが展示されている)。 == 受賞歴 == * 1955年([[昭和]]30年)『太鼓』で第2回[[新鷹会]]賞奨励賞 * 1956年(昭和31年)『天城峠』で第3回新鷹会賞 * 1960年(昭和35年)『錯乱』で第43回[[直木三十五賞]] * 1972年(昭和47年)『殺しの四人』で第5回[[小説現代]]ゴールデン読者賞 * 1973年(昭和48年)『春雪仕掛針』で第7回小説現代ゴールデン読者賞 * 1977年(昭和52年)『[[市松小僧の女]]』で第6回[[大谷竹次郎賞]]、『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』で第11回[[吉川英治文学賞]] * 1986年(昭和61年) [[紫綬褒章]] * 1988年(昭和63年)第36回[[菊池寛賞]] == 池波正太郎を取り上げた番組 == * グルメに関してのエッセーは[[NHKラジオ第1放送]]「[[ラジオ深夜便]]」の[[ラジオ深夜便のコーナー一覧#アンカーコーナー|アンカーコーナー]]「味なサウンド」(朗読・司会:[[立子山博恒]]アナウンサー)として[[1997年]]ごろに放送された他、[[ニッポン放送]]と[[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]で[[2006年]][[10月7日]]より[[2007年]]3月と、2007年10月から(LFのみ)放送の「[[味な歳時記 池波正太郎その世界]]」(朗読・パーソナリティー:[[栗村智]]アナウンサー)で取り上げられた。 * 『[[うまいが一番]]』(フジテレビ)という池波作品の料理シーンを取りあげる[[ミニ番組]]も制作されている。 * 池波の生涯を取りあげた番組としては、『[[知ってるつもり?!]]』(日本テレビ)や『[[ワーズワースの庭で]]』(フジテレビ)などがある。 <!-- ==作品における差別表現問題== 『鬼平犯科帳』には「唖」(おし)や「跛」(びっこ)などの表現が登場し、[[部落解放同盟]]肝煎りの「[[出版・人権差別問題懇談会]]」から問題にされたことがあるが、全24巻の[[文春文庫]]版『鬼平犯科帳』では表現の削除が一切おこなわれていない<ref name="江上">[[山中央|江上茂]]『差別用語を見直す』p.131-137</ref>。ただしNET(テレビ朝日)系のテレビドラマ版『鬼平犯科帳』の再放送では、部落解放同盟や障害者団体「大阪精神障害者家族連合会」(大家連)による糾弾を恐れて徹底的な検証が行われ、劇中の「人非人」「びっこ」「非人」「キチガイ」「メクラ」などの音声が全て削除された<ref name="江上" />。{{see also|部落解放同盟|精神障害者家族会}} --> == 池波正太郎記念文庫 == 池波正太郎の死後、[[2001年]]([[平成]]13年)[[9月26日]]に台東区生涯学習センター1階台東区立中央図書館内に池波正太郎記念文庫が開設された。池波正太郎の遺品、原稿、台本、絵画などが展示されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.taito.lg.jp/index/bunka_kanko/shosekigoods/skytreekaiyu/backnumber.files/vol4-p8-9.pdf |title=浅草〜合羽橋散策コース |publisher=台東区 |accessdate=2019-11-24}}</ref>。 == 主な刊行作品一覧 == === 歴史小説ほか === *『信濃大名記』光書房 1959 *『竜尾の剣』東方社 1960 *『錯乱』文藝春秋新社 1960 のち春陽文庫 - 短編集 *『[[応仁の乱]]』東方社 1960 *『真田騒動 [[恩田民親|恩田木工]]』東方社 1960 のち新潮文庫 - 短編集 *『眼(め)』東方社 1961 *『夜の戦士』東方社 1963 *『[[桐野利秋|人斬り半次郎]]』東方社 1963 「人斬り半次郎 幕末編」角川文庫、新潮文庫 **『人斬り半次郎 賊将編』学習研究社 1970 のち角川文庫、新潮文庫 *『幕末遊撃隊』講談社 1964 「剣士[[伊庭八郎]]」、原題で集英社文庫 *『賊将』東方社 1964 のち新潮文庫、角川文庫 - 短編集 *『幕末新選組』文藝春秋新社(ポケット文春)1964 のち文庫 *『真説・仇討ち物語』アサヒ芸能出版(平和新書)1964 「仇討ち物語」春陽文庫 - 短編集 *『忍者丹波大介』新潮社 1965 のち文庫、角川文庫 **『火の国の城』文藝春秋 1971 のち文庫(丹波大介もの) *『娼婦の眼』青樹社 1965 のち講談社文庫 *『青空の街』青樹社 1965 のち集英社文庫 *『[[織田信長|信長]]と[[豊臣秀吉|秀吉]]・関ケ原の決戦』(物語日本史 6)学習研究社 1967 「信長と秀吉と家康」PHP文庫 *『[[西郷隆盛]]』(近代人物叢書)人物往来社 1967のち角川文庫 *『[[堀部武庸|堀部安兵衛]]』徳間書店 1967 のち角川文庫、新潮文庫 *『スパイ武士道』青樹社 1967 のち集英社文庫 *『さむらい劇場』サンケイ新聞出版局 1967 のち新潮文庫 *『忍者群像』東都書房 1967 のち角川文庫、文春文庫 - 短編集 *『[[塚原卜伝|卜伝]]最後の旅』人物往来社(歴史小説選書)1967 のち角川文庫、「上意討ち」新潮文庫 - 短編集 *『にっぽん怪盗伝』サンケイ新聞社出版局 1968 のち角川文庫 - 短編集 *『仇討ち』毎日新聞社 1968 のち角川文庫 - 短編集 *『炎の武士』東方社 1968 のち角川文庫 - 短編集 *『武士の紋章 男のなかの男の物語』芸文社 1968 のち新潮文庫 - 短編集 *『[[鬼平犯科帳]]』シリーズ 文藝春秋 のち文庫(初期解説は[[植草甚一]]) **鬼平犯科帳 1968 **血闘 1970 **狐火 1971 **流星 1972 **追跡 1973 **密告 1974 **五月闇 新・鬼平犯科帳 1976 **一本眉 1976 **雲竜剣 1977 **影法師 1977 **鬼火 1978 **草雲雀 1978 **霧の朝 1979 **助太刀 1980 **春の淡雪 1982 **迷路 1984 **炎の色 1987 **誘拐 1990 *『剣客群像』桃源社 1969 のち文春文庫 - 短編集 *『[[近藤勇]]白書』講談社 1969 のち角川文庫 *『蝶の戦記』文藝春秋 1969 のち文庫 *『江戸の暗黒街』学習研究社 1969 のち角川文庫、新潮文庫 - 短編集 *『戦国幻想曲』毎日新聞社 1970 のち角川文庫、新潮文庫 *『夜の戦士』文藝春秋(ポケット文春)1970 のち角川文庫 *『ひとのふんどし』東京文芸社(Tokyo books)1970 「緑のオリンピア」講談社文庫 - 短編集 *『槍の大蔵』桃源社(ポピュラー・ブックス)1970 - 短編集 *『[[編笠十兵衛]]』新潮社 1970 のち文庫 *『闇は知っている』桃源社 1971 のち新潮文庫 *『おれの足音 [[大石良雄|大石内蔵助]]』文藝春秋 1971 のち文庫 *『英雄にっぽん 小説[[山中幸盛|山中鹿之介]]』文藝春秋 1971 のち角川文庫、集英社文庫 *『まぼろしの城』講談社 1972 のち文庫 *『その男』文藝春秋 1972 のち文庫 *『あいびき -江戸の女たち-』講談社 1972 - 短編集 **『おせん』新潮文庫 1985 - 改題したもの *『忍びの風』文藝春秋 1972 のち文庫 *『この父その子』東京文芸社 1972 *『獅子』中央公論社 1973 のち文庫([[真田信之]]) *『黒幕』東京文芸社 1973 のち新潮文庫 - 短編集 *『[[剣客商売]]』シリーズ、新潮社 のち文庫 **剣客商売 1973 **陽炎の男 1973 **辻斬り 1973 **天魔 1974 **白い鬼 1975 **新妻 1976 **隠れ簑 1976 **狂乱 1977 **待ち伏せ 1978 **春の嵐 1978 **勝負 1979 **剣客商売十番斬り 1980 **黒白 剣客商売番外編 1983 **波紋 1983 **暗殺者 1985 **剣客商売二十番斬り 1987 **ないしよないしよ 剣客商売番外編 1988 **浮沈 1989 *『[[仕掛人・藤枝梅安]]』シリーズ 講談社、のち文庫 **殺しの四人 1973 **梅安蟻地獄 1974 **梅安最合傘 1977 **梅安針供養 1979 **梅安乱れ雲 1983 **梅安影法師 1987 **梅安冬時雨 1990 *『[[真田太平記]]』全16巻 朝日新聞社 1974-1983 のち新潮文庫 *『[[雲霧仁左衛門#池波正太郎の小説|雲霧仁左衛門]]』新潮社 1974 のち文庫 *『[[闇の狩人]]』新潮社 1974 のち文庫、角川文庫 *『戦国と幕末 乱世の男たち』東京文芸社 1975 のち角川文庫 *『男振』平凡社 1975 のち新潮文庫 *『剣の天地』新潮社 1975 のち文庫([[上泉信綱]]) *『忍びの女』講談社 1975 のち文庫 *『おとこの秘図』全6巻 新潮社 1977 - 1978 のち文庫 *『忍びの旗』新潮社 1979 のち文庫 *『侠客』新潮文庫 1979 角川文庫 *『旅路』文藝春秋 1979 のち文庫 *『夜明けの星』毎日新聞社 1980 のち文春文庫 *『男の系譜』立風書房 1982 のち新潮文庫 *『雲ながれゆく』文藝春秋 1983 のち文庫 *『乳房』文藝春秋 1984 のち文庫 *『あほうがらす』新潮文庫 1985 - 短編集 *『殺しの掟』講談社文庫 1985 - 短編集 *『まんぞくまんぞく』新潮社 1986 のち文庫 *『秘伝の声』新潮社 1986 のち文庫 *『秘密』文藝春秋 1987 のち文庫 新装版2013 *『原っぱ』新潮社 1988 のち文庫 *『あばれ狼』新潮文庫 1989 - 短編集 *『谷中・首ふり坂』新潮文庫 1990 - 短編集 *『若き獅子』講談社文庫 1994 - 短編集 *『熊田十兵衛の仇討ち』双葉社 1996 のち文庫 - 短編集 === 舞台 === *『池波正太郎が書いたもうひとつの「鬼平」「剣客」「梅安」』小島香編、武田ランダムハウスジャパン 2010 *『銀座並木通り 池波正太郎初期戯曲集』幻戯書房 2013 === 随筆・日記など === *『青春忘れもの』毎日新聞社 1969 のち中公文庫、新潮文庫 *『新選組異聞 歴史エッセイ集』新人物往来社 1972 *『食卓の情景』朝日新聞社 1973 のち新潮文庫 *『江戸古地図散歩 回想の下町』正・続 平凡社カラー新書 1975、新編「江戸古地図散歩」コロナ・ブックス *『映画を食べる』立風書房 1975 のち河出文庫 *『男のリズム』角川書店 1976 のち文庫、立風書房 *『池波正太郎の映画の本』文化出版局 1976 *『又五郎の春秋』中央公論社 1977 のち文庫 - [[中村又五郎 (2代目)|2代目中村又五郎]]の聞き書き *『回想の[[ジャン・ギャバン]] フランス映画の旅』平凡社カラー新書 1977 *『新年の二つの別れ』朝日新聞社 1977 のち文庫、同新編「小説の散歩みち」 *『私のスクリーン&ステージ』雄鶏社 1977 *『散歩のとき何か食べたくなって』平凡社 1977 のち新潮文庫、新編・平凡社コロナ・ブックス *『フランス映画旅行』文藝春秋 1978 のち新潮文庫 *『私の歳月』講談社 1979 のち文庫 *『映画を見ると得をする』ごま書房(ゴマブックス)1980 のち新潮文庫 *『旅と自画像』立風書房 1980 *『最後の[[ジョン・ウェイン]] 池波正太郎の「映画日記」1978.2-1979.9』講談社 1980 のち新編文庫 全1巻 *『日曜日の万年筆』新潮社 1980 のち文庫 *『よい匂いのする一夜 あの宿この宿』平凡社 1981 のち講談社文庫 *『男の作法』ごま書房(ゴマブックス)1981 のち新潮文庫 *『旅は青空』新潮社 1981 のち文庫、新編「あるシネマディクトの旅」文春文庫 *『田園の微風』講談社 1981 のち文庫 *『味と映画の歳時記』新潮社 1982 のち文庫 *『一年の風景』朝日新聞社 1982 のち文庫 *『ドンレミイの雨』朝日新聞社 1983 のち新潮文庫 *『ラストシーンの夢追い 池波正太郎の「映画日記」1979・10-1981・9』講談社 1983 のち新編文庫 *『池波正太郎のフィルム人生』新潮文庫 1983 *『むかしの味』新潮社 1984 のち文庫 *『食卓のつぶやき』朝日新聞社 1984 のち文庫 *『夜明けのブランデー』文藝春秋 1985 のち文庫 *『池波正太郎の銀座日記 part 1・2』朝日新聞社 1985-88 のち新潮文庫(全1巻 改版) *『スクリーンの四季 池波正太郎の「映画日記」 1982・10-1984・12』講談社 1985 のち新編文庫 *『池波正太郎のパレット遊び 画文集』角川書店 1985 *『東京の情景』朝日新聞社 1985 のち文庫 *『[[ピエール=オーギュスト・ルノワール|ルノワール]]の家』朝日新聞社 1985 のち文庫 *『新私の歳月』講談社 1986 のち文庫 *『きままな絵筆 Essai en images』講談社 1987 のち文庫 *『ル・パスタン』文藝春秋 1989 のち文庫 *『[[江戸切絵図]]散歩』新潮社 1989 のち文庫 *『池波正太郎の春夏秋冬』文藝春秋 1989 のち文庫 *『最後の映画日記』河出書房新社 2004 - ※以下は没後刊 *『歴史を探る・人生を探る』河出書房新社 2006 *『一升桝の度量』[[幻戯書房]] 2011 *『味な映画の散歩道』河出書房新社 2013 *『正太郎名画館』河出書房新社 2013 *『人生の滋味 池波正太郎かく語りき』幻戯書房 2023。全集未収録 === 共著・編著 === *『捕物小説名作選』池波選、集英社文庫 1980 のち改版 *『池波正太郎・鬼平料理帳』佐藤隆介編、文藝春秋 1982 のち文庫 *『梅安料理ごよみ』[[佐藤隆介]]・[[筒井ガンコ堂]]編、講談社 1984 のち文庫 *『肴 [[日本の名随筆]]26』池波編 作品社 1984 *『酒と肴と旅の空』池波編 新潮社「エッセイおとなの時間」1985 のち[[光文社文庫]] *『鬼平犯科帳の世界』池波編 文春文庫 1990 *『剣客商売 庖丁ごよみ』新潮社 1991 のち文庫 *『映画行脚』[[淀川長治]]共著、河出書房新社 2004 *『そうざい料理帖 巻一・二』[[矢吹申彦]]絵、平凡社 2004、[[平凡社ライブラリー]] 2011 *『食べ物日記 鬼平誕生のころ』文藝春秋 2009 のち文庫。[[1968年|昭和43年]]前後の記録 == 図版・その他 == *『新潮日本文学アルバム53 池波正太郎』新潮社 1993 *『池波正太郎の世界』太陽編集部編、[[平凡社]]「コロナ・ブックス」1998 *『池波正太郎が残したかった「風景」』新潮社「[[とんぼの本]]」2002 *『池波正太郎と歩く京都』重金敦之解説、新潮社「とんぼの本」2010 *『別冊太陽 池波正太郎 練達の人』平凡社 2010 *『総特集 池波正太郎』[[河出書房新社]]「[[KAWADE夢ムック|文藝別冊]]」2005、新版2013、2020 *『池波正太郎を読む』『[[歴史読本]]』編集部 新人物往来社 2010 *入門『池波正太郎全仕事』文春文庫 2010 *入門『文豪ナビ 池波正太郎』新潮文庫 2020 *入門『ずばり池波正太郎』[[里中哲彦]]、文春文庫 2023 *朗読『鬼平犯科帳』朗読:[[古今亭志ん朝]]、CD4枚組:日本音声保存 2005 *評伝『小説仕事人・池波正太郎』[[重金敦之]]、[[朝日新聞出版]] 2009 *[[重金敦之]]・[[野崎洋光]]『池波正太郎の江戸料理を食べる』朝日新聞出版 2012 == 作品集成 == ;立風書房 *池波正太郎自選傑作集 全5巻 1973 *池波正太郎短編小説全集 全10巻別巻1 1978-1981、新編全3巻 1983 *池波正太郎短篇コレクション 全16巻 1991-1992 ;朝日新聞社 *池波正太郎作品集 全10巻 1976 *池波正太郎自選随筆集 全2巻 1988、朝日文庫 全3巻 1996-1997 *池波正太郎エッセイ・シリーズ 朝日文庫 全7巻 2007-2008 ;講談社 *池波正太郎傑作壮年期短編集 全2巻 1990-1991 *完本 池波正太郎大成 全30巻別巻1 1998-2001 *池波正太郎未刊行エッセイ集 全5巻 2003、講談社文庫 2007 **おおげさがきらい **わたくしの旅 **わが家の夕めし **新しいもの古いもの **作家の四季 ;新潮社 *剣客商売全集 全9巻 1992 ;リブリオ出版 *池波正太郎短編ベストコレクション 全6巻 2008 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * [https://ikenami.info/ 池波正太郎公式サイト] * [https://www.facebook.com/ikenami.shotaro 池波正太郎公式facebookページ] * [https://library.city.taito.lg.jp/ikenami/index.html 池波正太郎記念文庫(台東区立図書館)] 中央図書館に開設 * [http://www.city.ueda.nagano.jp/tanoshimu/ikenami/ 池波正太郎真田太平記館]([[長野県]][[上田市]]) * [http://www.matidukuri-inami.co.jp/ikenami/ikeanami1.html 池波正太郎ふれあい館]([[富山県]][[南砺市]]) * [http://library.city.nanto.toyama.jp/www/library/detail.jsp?id=3 南砺市立井波図書館](池波正太郎コーナーがある) {{直木賞|第43回}} {{吉川英治文学賞|第11回}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:いけなみ しようたろう}} [[Category:池波正太郎|*]] [[Category:20世紀日本の小説家]] [[Category:日本の歴史小説家]] [[Category:日本の映画評論家]] [[Category:紫綬褒章受章者]] [[Category:直木賞受賞者]] [[Category:菊池寛賞受賞者]] [[Category:東京都庁職員]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:白血病で亡くなった人物]] [[Category:1923年生]] [[Category:1990年没]]
2003-02-27T04:40:57Z
2023-11-26T17:19:32Z
false
false
false
[ "Template:Cite web", "Template:直木賞", "Template:吉川英治文学賞", "Template:Normdaten", "Template:Infobox 作家", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E6%B3%A2%E6%AD%A3%E5%A4%AA%E9%83%8E
2,981
和尚
和尚(呉音:わじょう、漢音:かしょう、唐音:おしょう、梵: upādhyāya)とは、仏教の僧侶に対する敬称である。upādhyāya の俗語形を音写したもの。和上、和闍、和社とも書き、親教師、依学と訳される。 本来の意味は、出家して受戒した僧が、日常親しく教えを受けるグル(Guru, 指導者)を指す。『十誦律』では、受戒の師を指す。 日本では、天平宝字2年(758年)に戒師として渡来した鑑真に対して「大和尚」の号が授与されており、その後、高僧への敬称として使用され、更に住職以上の僧への敬称となった。 宗派によって書き方・読み方が異なり、一部地域では更に言葉が詰まって「おっさん」「おっさま」「おっしゃん」(アクセントは頭高型)と呼ばれている。 ※「和尚」の読み方は一般に宗派の区別により放送上も読み分けられている。 ※ 天台宗では遷化(亡くなること)された時は和尚(おしょう)から和尚(かしょう)へと呼び方が変わる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "和尚(呉音:わじょう、漢音:かしょう、唐音:おしょう、梵: upādhyāya)とは、仏教の僧侶に対する敬称である。upādhyāya の俗語形を音写したもの。和上、和闍、和社とも書き、親教師、依学と訳される。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "本来の意味は、出家して受戒した僧が、日常親しく教えを受けるグル(Guru, 指導者)を指す。『十誦律』では、受戒の師を指す。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "日本では、天平宝字2年(758年)に戒師として渡来した鑑真に対して「大和尚」の号が授与されており、その後、高僧への敬称として使用され、更に住職以上の僧への敬称となった。", "title": "日本において" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "宗派によって書き方・読み方が異なり、一部地域では更に言葉が詰まって「おっさん」「おっさま」「おっしゃん」(アクセントは頭高型)と呼ばれている。", "title": "日本において" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "※「和尚」の読み方は一般に宗派の区別により放送上も読み分けられている。 ※ 天台宗では遷化(亡くなること)された時は和尚(おしょう)から和尚(かしょう)へと呼び方が変わる。", "title": "日本において" } ]
和尚とは、仏教の僧侶に対する敬称である。upādhyāya の俗語形を音写したもの。和上、和闍、和社とも書き、親教師、依学と訳される。 本来の意味は、出家して受戒した僧が、日常親しく教えを受けるグルを指す。『十誦律』では、受戒の師を指す。
{{出典の明記|date=2012年12月}} {{ Infobox Buddhist term | title = 和尚 | en = Guru | pi = upajjhāya | sa = upādhyāya | my = | my-Latn = | zh = 和尚, 和上, 和闍, 和社 | zh-Latn = | ja = 和尚 | ja-Latn = }} '''和尚'''([[呉音]]:わじょう、[[漢音]]:かしょう、[[唐音]]:おしょう、{{lang-sa-short|upādhyāya}})とは、[[仏教]]の[[僧|僧侶]]に対する[[敬称]]である。{{lang|sa|upādhyāya}} の俗語形を音写したもの{{refnest|name="daijirin3_oshou"|[https://kotobank.jp/word/%E5%92%8C%E5%B0%9A-40294#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 「和尚」 - 大辞林 第三版]、三省堂。}}。'''和上'''、'''和闍'''、'''和社'''とも書き、親教師、依学と訳される{{refnest|name="sekai_daihyakka_oshou"|[https://kotobank.jp/word/%E5%92%8C%E5%B0%9A-40294#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 「和尚」 - 世界大百科事典 第2版]、平凡社。}}。 本来の意味は、[[出家]]して[[受戒]]した僧が、日常親しく教えを受ける[[グル]](Guru, 指導者)を指す。『'''[[十誦律]]'''』では、受戒の師を指す。 ==日本において== [[日本]]では、[[天平宝字]]2年([[758年]])に戒師として渡来した[[鑑真]]に対して「大和尚」の[[号 (称号)|号]]が授与されており、その後、高僧への敬称として使用され、更に[[住職]]以上の僧への敬称となった。 ===宗派=== 宗派によって書き方・読み方が異なり、一部地域では更に言葉が詰まって「おっさん」「おっさま」「おっしゃん」([[アクセント]]は頭高型)と呼ばれている<ref>{{Cite web|和書|url= https://japanknowledge.com/personal/jknews/12320131008.html|title=「お坊さん」は「おっさん」?|publisher=ネットアドバンス|accessdate=2023年3月4日}}</ref>。 * 和上(わじょう) [[律宗]]・[[浄土真宗]]など{{refnest|name="digital_daijisen_oshou"|[https://kotobank.jp/word/%E5%92%8C%E5%B0%9A-40294#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 「和尚」 - デジタル大辞泉]、小学館。}}(儀式指導者に対してのみ) * 和尚(わじょう) [[法相宗]]・[[真言宗]]など{{refnest|name="digital_daijisen_oshou"}} * 和尚(かしょう) [[華厳宗]]・[[天台宗]]など{{refnest|name="digital_daijisen_oshou"}} * 和尚(おしょう) [[禅宗]]・[[浄土宗]]{{refnest|name="digital_daijisen_oshou"}}・{{要出典範囲|[[天台宗]]など|date=2018-01}} ※「和尚」の読み方は一般に宗派の区別により放送上も読み分けられている。<br> ※ 天台宗では遷化(亡くなること)された時は和尚(おしょう)から和尚(かしょう)へと呼び方が変わる。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}}<!-- ===注釈=== {{Notelist}}--> ===出典=== {{Reflist}} == 関連項目 == * 日本の[[民話]]に「[[和尚と小僧]]」がある。 * [[僧位]]・[[僧綱]] * [[上人]]・[[聖人]] * [[バグワン・シュリ・ラジニーシ]] - 「和尚」を別名として使用していた。 {{Buddhism-stub}} {{Buddhism2}} {{DEFAULTSORT:おしよう}} [[Category:仏教僧]] [[Category:敬称]]
2003-02-27T06:11:15Z
2023-11-16T10:15:40Z
false
false
false
[ "Template:出典の明記", "Template:Lang", "Template:要出典範囲", "Template:Buddhism-stub", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Buddhism2", "Template:Infobox Buddhist term", "Template:Lang-sa-short", "Template:Refnest", "Template:脚注ヘルプ" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%B0%9A
2,984
Microsoft Windows XP
Microsoft Windows XP(マイクロソフト ウィンドウズ エックスピー)は、マイクロソフトが2001年に発表したWindowsシリーズに属するオペレーティングシステム (OS) である。 Windows XPの発売以前、Windowsは一般家庭向けでWindows 3.1由来のMS-DOSを前提とした古い構造を機能拡張して開発されたWindows 95、Windows 98、Windows MeなどのWindows 9x系と、サーバ用途に耐える安定したOSとして新規開発されたWindows NTなどのWindows NT系が並行開発・販売されている状態が永らく続いていた。 その状況はマイクロソフトにとっては開発リソースが2つの製品に向けて分散される等の大きな課題となり、9x系ではマルチメディア機能の拡張と共にシステムリソースに余裕が無くなりクラッシュが多発するようになる(特にWindows Meで顕著)など、構造面でも限界に達しており、開発負荷の軽減と、マルチメディア対応の安定したOSを作る目的で、一般家庭向けの9x系をNT系に統合することを目標に開発された。XP以前に同様の統合化を試みたWindows 2000を基本に、その際の統合の成功に至らなかった機能も含めて開発されている。この機能統合の成功により、XPはNTの安定性・堅牢性と9x系のマルチメディア機能や使いやすさを併せ持った汎用OSとなった。NTカーネルを採用した一般家庭向けのWindowsはXPが初であり、XPのリリースによって、一般市民が初めて安定に動作するOSを手軽に入手・利用することができるようになった。XPの開発成功を受け、マイクロソフトは長年の懸案であった9x系の終息を成すことができた。 開発時のコードネームはWhistler(ウィスラー)と呼ばれていた。 永きに渡って販売されていたが、ネットブックなど超低価格機向けなどの一部の用途を除き、2008年6月30日をもってマイクロソフトからの出荷は終了した。2008年7月以降の入手方法は、流通在庫品のほかに後継製品となるWindows VistaのBusinessかUltimateエディション、Windows 7のProfessionalかUltimateエディションからのダウングレード権を利用する形のみになった。一部の直販 (BTO) メーカーでは、この仕組みを利用して業務用向けオプションとして引き続きWindows XP ProfessionalをプリインストールしたPCが出荷されていたが、2010年10月22日に販売が終了した。また、米MicrosoftのDSP版も2009年6月30日に販売終了となり、店舗在庫限りとなった。 OSはコンピュータが導入された時のものが使われ諸事情により後続のOSに置き換えができない場合がある(たとえば工場の生産ラインのマシン群のひとつとして組まれてしまっていて仕様を変更するわけにはいかないコンピュータや、発展途上国に慈善活動、フィランソロピーなどで贈られたもので使用者側は買い替え予算が組めないコンピュータなど)。米国の調査会社Net Applicationsによると、2018年12月時点における世界のOSシェアはWindows XPが4.54%であり、首位の座をWindows 10 (39.22%) に明け渡している。NetMarketShareの調査では2020年時点で、シェアが1.26%であり、この数字はWindows 8 のシェア(0.57%)、ChromeOS (0.42%)、Windows Vista (0.12%)よりも大きい。2020年時点でXPは、後続のWindows 8やVistaよりも多く使われているのである。StatCounterによる2020年3月の別の調査では、Windows XPのシェアが増加し0.24ポイント増の1.39%となったといい、中国での急増(13.32%、+9.13)が大きいらしいが、先進国でもフランス(1.11%、+0.23)・カナダ(1.13%、+0.22)・アメリカ合衆国(0.92%、+0.14)など微増している国は数多い。 これにはそれなりの理由がある。XPが要求するハードウェア要件がWindows 2000の次くらいに低く(後述参照)、低スペックのマシンで動かすことができ、また使用しているアプリケーションソフトによっては後継のWindowsに対応していないなどの理由からXPが必要であるユーザがいるなどといった事情で依然として根強いシェアがあるのである。その結果、一部のインターネットオークションや中古販売においてWindows XPリテールパッケージ版(特にクリーンインストール版のProfessional)は後発のWindows Vista、およびWindows 7、Windows 8、Windows 8.1、Windows 10、そして2023年6月現在、最新のWindowsであるWindows 11より高額で取引されることも決して少なくない。 XPは「「経験、体験」を意味するeXPerienceに由来する」と公式には解説されている。 主に家庭で使用されることを前提に開発されたエディション。Windows XPの基本的な機能が搭載されており、ドメイン参加といったビジネス向けの機能は非搭載。Professionalエディションに比して、1つの物理CPUのみの対応(ただしハイパースレッディング・テクノロジーやマルチコアプロセッサはサポートする)といくつか拡張性に制限がある。 ここでは、32ビットバージョンのService Packについて述べる。なお、SP2以降では起動画面でエディション名が表示されなくなった。 従来のマイクロソフトの方針では、家庭向けのエディションではメインストリーム サポート フェーズ(次のバージョンのWindows発売から2年後まで)しか提供せず、ビジネス・開発向けのエディションのみ延長サポート フェーズ(メインストリーム サポート終了後5年間)を提供してきた。しかし、Windows XP Home Editionは市場で非常に多く使われていたため、メインストリーム サポート期間をもってサポートを打ち切ると、重大な脆弱性が発見されてもセキュリティ アップデートが提供されず、無防備な状態のPCが巷にあふれることが懸念された。2007年1月25日、マイクロソフトは市場の状況を鑑み、「Windows XP Home EditionおよびMedia Center Editionについても、(家庭向けのエディションであるが)5年間の延長サポートフェーズを提供する」と発表した。これにより、Home EditionおよびMedia Center Editionはサポート期限が2009年4月14日から2014年4月8日へ延長された。発売開始より約12年半にもおよぶという、PC用ソフトとしてはかなりの長期サポートとなる。 なお、ProfessionalとTablet PC Editionに関してはビジネス・開発用製品扱いのため、従前どおり延長サポート フェーズが提供される。また、Windows XPベースの組み込みシステム向けOSであるWindows XP Embeddedは2016年1月12日を以って延長サポートが終了した。このほか、Windows Embedded Standard 2009は2019年1月8日まで、Windows Embedded POSReady 2009は2019年4月9日までそれぞれ延長サポートとなる予定である。 2014年4月9日(日本標準時)を以って延長サポートが切れ、更新プログラムの提供が全て終了した。マイクロソフトはWindows 7以降の最新のWindowsへの早めの移行を呼び掛けている。しかし、中小企業などでは会社内のネットワークシステムをデファクトスタンダードだったXP向けに構築している会社も非常に多く、予算不足などから思いのほか移行が進められていない会社も少なくない。さらに東日本大震災によって被災した福島県、および宮城県、岩手県、一部の関東地方の各学校や各企業などでは、建物の耐震改修やパソコンより重要な業務機材などの購入に予算を取られ、期限切れまでにパソコンを更新できない自治体や企業、学校が続出しており、こちらも大きな問題となっている。家庭や企業のPCに大量に導入されたWindows XPの延長サポート切れに伴う諸問題について2014年問題と呼ばれることがある。 また、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)は、既に延長サポートが全て終了したWindows XPのセキュリティ上の危険性を指摘しており、なるべく、ネットワークに接続しない単独の専用システム(スタンドアローン)にしたうえでUSBメモリやFD、MO、外付けHDDなどの外部補助記憶装置でデータ交換しないことを呼びかけている。このほか、VMwareやVirtualBox、Pro以上のバージョンに搭載されている64ビット版Windows 8/8.1/10専用のクライアントHyper-V、Professional以上のバージョンに搭載されているWindows 7のXP Modeなどの仮想デスクトップ(ハイパーバイザ)上で稼働しているWindows XPであってもセキュリティ上の危険性を指摘している。 その一方で、一部の法人向けセキュリティソフトについては、マイクロソフトのサポート打ち切り後も、2018年7月5日までWindows XPのサポートを継続する製品も存在している。キヤノンITソリューションズのESET Endpoint Securityを含めた製品は2018年1月31日まで、米シマンテックのSymantec Endpoint Protection 12.xは2018年7月5日→2021年4月3日まで、トレンドマイクロのウイルスバスター コーポレートエディション 10.6は有償の延長サポートは2019年1月30日まででその他の製品も少なくとも2021年1月31日まで利用可能のものもある、露カスペルスキーのKaspersky Endpoint Security 10 for Windowsなどは最短でも2016年1月末日まで、米マカフィーのMcAfee Endpoint Protection Suiteは2015年12月31日でサポート終了、フォティーンフォティ技術研究所(FFRI)のFFRI yaraiは2017年12月31日まで。 政府機関や企業向けの有償カスタムサポートは、2014年4月9日以降も提供される。実際に英国やオランダの政府が契約している。 マイクロソフトはXPからの移行キャンペーンとして、XPの各種要素をモチーフにした敵を倒すブラウザゲーム「Escape from XP」を公開している。ゲームの最後はXPが爆破されるという演出になっている。 なお、2014年4月8日(日本時間4月9日)をもってWindows XPの延長サポートが全て終了となった直後、マイクロソフトは米国時間2014年4月26日、Internet Explorerの更新プログラムが配布された際、Internet Explorer6から11までのバージョンに脆弱性があると発表し、「サポート切れからまだ間もない」という理由で「特例」としてXPも更新プログラムの対象となりIE6向けにも例外的に2014年5月2日セキュリティ更新プログラム(パッチ)を公開した(KB2964358)。 また、2017年5月15日(日本時間)には同年5月12日(米国時間)より全世界各国で流行発生している新型ランサムウェア ("WannaCry") によるサイバー攻撃の被害が深刻であったがこれについての対策状況を告知。このランサムウェアが悪用しているセキュリティーホールがもはやアップデートパッチの提供されていない(またはパッチを当てていない)システムのみに存在するため、サポート中のVista以降のOSに加えて本来は3年前にサポート終了済のXPや2年前にサポート終了済みのServer 2003も再び例外的にセキュリティ更新プログラム(パッチ)が特例として公開 (KB4012598) 配布された(すでに淘汰の進んだWindows 2000などは対象外)。 現地時間2019年5月14日に、リモート デスクトップ サービス(Remote Desktop Services、かつてはTerminal Servicesとも)に重大なリモートコード実行の脆弱性 (CVE-2019-0708) が存在するので、Windows 7とWindows Server 2008およびWindows Server 2008 R2などにWindows Updateを介したパッチの提供を行っている。Windows XPとWindows Server 2003に対しても修正プログラム「KB4500331」をMicrosoft Update カタログで提供。Windows 8.1やWindows 10などはセキュリティ強化が施されているので提供されない。 Windows XPは、Windows NT系列のOSとして開発されているため、本来ならWindows NT 4.0(SP5以降)やWindows 2000からのアップグレードを想定しているが、Windows NT系列のOSとWindows 9x系列のOSはWin32という共通のAPIを備えている上、Windows XPは前述の通りWindows NT系列とWindows 9x系列の統合を目的として開発されているため、Windows 9x系列のOSの基本的な機能も含まれている。そのためWindows 98(SEも含む。以下同じ)やWindows Meからでもアップグレード可能。特に、Windows XP Home Editionへは、Windows 9x系列であるWindows 98とWindows Meからしかアップグレードできない。また、これらがインストールされた環境では、アップグレードの他に新規インストールも行える。Windows 95やWindows NT 3.51やWindows 2000からはセットアッププログラムを起動させるとエラーメッセージが表示してしまい、先に進まない(そのため新規インストールも行えない)。Windows 98とWindows Meのどちらからアップグレードしてもそのシステムファイルが保存されれば、後でWindows XPをアンインストールして旧バージョンへ戻すことは可能。ただし、旧バージョンのシステムファイルの保存はWindows XPをインストールするパーティションに十分な空き容量が残っている必要がある。Windows XPをインストールできる容量はあっても旧バージョンのシステムファイルを保存する容量まではない場合は、その旨を伝えるメッセージが表示され、旧バージョンのシステムファイルは保存されない。この場合は、たとえWindows 98やWindows Meからアップグレードした場合でも後でWindows XPをアンインストールすることはできない。 一方Windows XP Professionalへは、Windows 98、Windows Me、Windows NT 4.0 Workstation、Windows 2000 Professional、Windows XP Home Editionのいずれかからアップグレード可能。Home Edition同様、Windows 95やNT 3.51からはアップグレードできない(セットアップ開始時に強制終了してしまうため、基本的には新規インストールも行えないが、パッケージによってはアップグレードができないだけで、Windows 95からセットアップを起動し、Windows XP Professionalの新規インストールを行えるものはある。MSDNなどで配布されるWindows XP Professionalがこれにあたる。Home Editionも同様)。また、アンインストールはWindows 98とWindows Meからアップグレードした場合に限り可能(Windows NT Workstation 4.0、Windows 2000 Professional、Windows XP Home Editionからアップグレードした場合はアンインストールできない)。ちなみに、通常のXP Professionalへのアップグレード版は、SP未適用のRTMはXP Home Editionからはアップグレードの対象とはなっていなかったが、SP1以降は対象となった。なお、日本語版のみWindows 2000 Professionalのみからアップグレード可能のWindows XP Professional 期間限定特別アップグレード版もあった。 また、Windows XP Media Center EditionとWindows XP Tablet PC Editionにはアップグレード版が存在しないが、基本的にWindows XP Professionalと同じセットアッププログラムでインストールが進行し、途中で該当バージョンに分岐する(これらのバージョンにはインストールCDが2つあり、1つ目のインストールCDからセットアップを開始すると最初に「Windows XP Professional セットアップ」と表示され、使用許諾契約書の一番上の行にも「Microsoft Windows XP Professional」と表示される)。ただし、Windows XPのOEM版CD-ROMはアップグレードインストールをサポートせず、アップグレードアナライザも実行できないように制限されているため、旧バージョンからアップグレードするには特殊な手順を踏む必要がある。ちなみにこれらのバージョンにアップグレードした場合でも、アップグレード元がWindows 98かWindows Meならば、これらのバージョンをアンインストールして元のバージョンに戻すことができる。 Windows XPからはWindows VistaとWindows 7、Windows 8にアップグレードすることができる。しかし、Windows 7へは直接アップグレードすることはできず、新規インストールを行うか、間にWindows Vistaを挟む必要がある。Windows Vistaにアップグレードする場合、アップグレード元のWindows XPにはService Pack 2以上が予め適用されている必要がある。Windows 7に新規インストールという形でアップグレードする場合も同様。Windows 8にアップグレードする場合は、Service Pack 3が予め適用されている必要がある。また、Windows XP Home Editionからは、Windows Vistaの全てのエディションにアップグレード可能であるが(StarterとEnterpriseを除く)、Windows XP ProfessionalとWindows XP Tablet PC EditionからはWindows VistaのBusinessかUltimateにしかすることができない(Professional x64からは直接アップグレードすることができず、新規インストールを行う必要がある)。Windows XP Media Center EditionからはHome PremiumかUltimateにのみアップグレード可能。 また、Windows XPのどのバージョンからWindows Vistaのすべてのエディションにアップグレードしても、それらをアンインストールしてWindows XPに戻すことはできない。これは、Windows XPからWindows Vistaにアップグレードする前に、システムパーティションを強制的にFAT32からNTFSに変換しなければならないためである。NTFSは通常、Windows 98やWindows MeのようなWindows 9x系のOSには対応しておらず、インストール・アンインストール共にできない。Windows 98かWindows MeをWindows XPのインストール先と同じパーティションに旧バージョンのシステムファイルを保存する形でWindows XPにアップグレードした環境をさらにWindows Vistaにアップグレードすると、Windows XPにアップグレードする際に保存された旧バージョンのシステムファイルは強制的に(システムパーティションをNTFSに変換した段階で)削除される。また、Windows 95やWindows 3.1からWindows 98にアップグレードし、それをさらに(Windows XPをインストールするパーティションとは別のパーティションに旧バージョンのシステムファイルを保存するという形で)Windows XPにアップグレードした環境や、Windows 98をWindows Meにアップグレードし、それをさらにWindows XPにアップグレードした環境をWindows Vistaにアップグレードすると、Windows XPにアップグレードする前のアップグレードによって保存された旧バージョンのシステムファイルは使用不能になる(その旧システムファイルのデータにアクセスすること自体はできるが、アンインストール機能がなくなるため、そのままでは使い道はほぼ無い)。最初からNTFSパーティションにインストールされたWindows XPをWindows Vistaにアップグレードした場合でも、アンインストールは基本的にできない。 Windows XPのアップグレード版を使って新規インストールを開始した場合、セットアップの途中でアップグレード認証を行わなければならない(ハードディスクにWindows 2000がインストールされている場合は除く)。これは古いバージョンのWindowsを所持しているかどうかを確認するために行われるが、上述のアップグレード対象製品と違い、以下のバージョンのWindows CDのいずれかを1枚持っていれば、取りあえずアップグレード認証は通過できる。ただし、購入したアップグレードパッケージに記載されているアップグレード対象製品のCDとそのライセンスが手元にない場合、Microsoftの使用許諾契約書の条項に違反することになる(正規ライセンスからのアップグレードと見なされないため)。例えば、手元にWindows 95のCDとライセンスしかないにもかかわらず、Windows XP Home Editionのアップグレード版CD-ROMを使って新規インストールを開始し、アップグレード認証にそのWindows 95のCD(Companion CDでも可能)を使用した場合や、Windows XP Professionalの「ステップアップグレードパッケージ」(後日期間限定で発売されたHome EditionからProfessionalへの専用アップグレードパッケージ)を使ってWindows XP Home Edition以外のバージョン(Windows 98など)からWindows XP Professionalにアップグレードした場合などがこれに当てはまる(Windows 95はWindows XPのどのバージョンのアップグレード対象製品にもなっておらず、「Windows XP Professional ステップアップグレードパッケージ」もWindows XP Home Edition以外のバージョンがアップグレード対象製品になっていないため)。 上記のうち、通常版を要求されるWindows XP以外のバージョンのCDを挿入する場合、それがアップグレード版だったとしても認証することができる。 すでにWindows XPのパッケージ製品を持つユーザーが、2台目以降のPCへ、同じWindows XPのエディションを追加する際に必要となる、プロダクトキーのみのパッケージでCD-ROMは付属していない。 Professionalに拡張キットのMicrosoft Plus!がセット。 2005年11月に日本限定で行われた企画で、Windows誕生20周年を記念しWindows XP Professionalアップグレード版(SP2適用)の特別パッケージが 9999本限定で販売された。パッケージは専用の「20」と大きく書かれたものを採用し、Windowsの20年間の歩みが書かれた年表がパッケージに印刷されている。その他、通常パッケージとの差は以下の通り。 Windows XPが使用できることをPCメーカーやマイクロソフトから保証されたPCで、主に2001年夏モデルが対象となっていた。このグループに認定されたPCは、Windows XP発売と同時に専用のアップグレードプログラムにより、既存のWindowsをWindows XPに入れ替えられるのはもちろん、プレインストールされているアプリケーションやハードウエアデバイスドライバをWindows XP対応済のバージョンに修正・入れ替えて、アプリケーションソフトウェアや周辺機器をWindows XPで使えるようになっていた。 なお、プレインストールのWindows Meの場合はWindows XP Home Editionへの、Windows 2000の場合はWindows XP Professionalへのアップグレードとなっていた。 2005年以降、Windows Genuine Advantageにより正規のWindowsであることが認証された場合の特典として、LZH(LHA)圧縮ファイルの展開機能をサポートするプラグインである「Microsoft 圧縮(LZH形式)フォルダ」や、フォトアルバムソフトの「Microsoft Photo Story 3」、神経衰弱ゲームの「Microsoft Match-Up!」などが用意され配布された。 Windows XPをインストールした際にデフォルトで設定されている壁紙の「草原」(英語名「Bliss」)は、カリフォルニア州ソノマ郡の、カリフォルニアワイン産地としても知られるソノマ・ヴァレー。実在する風景である。マイクロソフトでは撮影者を非公開としているが、チャールズ・オレアというカメラマンが撮影したという説が有力とされている。なお、マイクロソフトは採用される壁紙について「壁紙はプロの写真家や社内の公募から候補を挙げて製品コンセプトに合うイメージのものを採用している。候補には挙がったものの採用されないものが大量にあり、製品出荷前のベータ版には異なった壁紙が採用されていることもあるのでそちらが話題になることもある。」と回答している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Microsoft Windows XP(マイクロソフト ウィンドウズ エックスピー)は、マイクロソフトが2001年に発表したWindowsシリーズに属するオペレーティングシステム (OS) である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "Windows XPの発売以前、Windowsは一般家庭向けでWindows 3.1由来のMS-DOSを前提とした古い構造を機能拡張して開発されたWindows 95、Windows 98、Windows MeなどのWindows 9x系と、サーバ用途に耐える安定したOSとして新規開発されたWindows NTなどのWindows NT系が並行開発・販売されている状態が永らく続いていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "その状況はマイクロソフトにとっては開発リソースが2つの製品に向けて分散される等の大きな課題となり、9x系ではマルチメディア機能の拡張と共にシステムリソースに余裕が無くなりクラッシュが多発するようになる(特にWindows Meで顕著)など、構造面でも限界に達しており、開発負荷の軽減と、マルチメディア対応の安定したOSを作る目的で、一般家庭向けの9x系をNT系に統合することを目標に開発された。XP以前に同様の統合化を試みたWindows 2000を基本に、その際の統合の成功に至らなかった機能も含めて開発されている。この機能統合の成功により、XPはNTの安定性・堅牢性と9x系のマルチメディア機能や使いやすさを併せ持った汎用OSとなった。NTカーネルを採用した一般家庭向けのWindowsはXPが初であり、XPのリリースによって、一般市民が初めて安定に動作するOSを手軽に入手・利用することができるようになった。XPの開発成功を受け、マイクロソフトは長年の懸案であった9x系の終息を成すことができた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "開発時のコードネームはWhistler(ウィスラー)と呼ばれていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "永きに渡って販売されていたが、ネットブックなど超低価格機向けなどの一部の用途を除き、2008年6月30日をもってマイクロソフトからの出荷は終了した。2008年7月以降の入手方法は、流通在庫品のほかに後継製品となるWindows VistaのBusinessかUltimateエディション、Windows 7のProfessionalかUltimateエディションからのダウングレード権を利用する形のみになった。一部の直販 (BTO) メーカーでは、この仕組みを利用して業務用向けオプションとして引き続きWindows XP ProfessionalをプリインストールしたPCが出荷されていたが、2010年10月22日に販売が終了した。また、米MicrosoftのDSP版も2009年6月30日に販売終了となり、店舗在庫限りとなった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "OSはコンピュータが導入された時のものが使われ諸事情により後続のOSに置き換えができない場合がある(たとえば工場の生産ラインのマシン群のひとつとして組まれてしまっていて仕様を変更するわけにはいかないコンピュータや、発展途上国に慈善活動、フィランソロピーなどで贈られたもので使用者側は買い替え予算が組めないコンピュータなど)。米国の調査会社Net Applicationsによると、2018年12月時点における世界のOSシェアはWindows XPが4.54%であり、首位の座をWindows 10 (39.22%) に明け渡している。NetMarketShareの調査では2020年時点で、シェアが1.26%であり、この数字はWindows 8 のシェア(0.57%)、ChromeOS (0.42%)、Windows Vista (0.12%)よりも大きい。2020年時点でXPは、後続のWindows 8やVistaよりも多く使われているのである。StatCounterによる2020年3月の別の調査では、Windows XPのシェアが増加し0.24ポイント増の1.39%となったといい、中国での急増(13.32%、+9.13)が大きいらしいが、先進国でもフランス(1.11%、+0.23)・カナダ(1.13%、+0.22)・アメリカ合衆国(0.92%、+0.14)など微増している国は数多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "これにはそれなりの理由がある。XPが要求するハードウェア要件がWindows 2000の次くらいに低く(後述参照)、低スペックのマシンで動かすことができ、また使用しているアプリケーションソフトによっては後継のWindowsに対応していないなどの理由からXPが必要であるユーザがいるなどといった事情で依然として根強いシェアがあるのである。その結果、一部のインターネットオークションや中古販売においてWindows XPリテールパッケージ版(特にクリーンインストール版のProfessional)は後発のWindows Vista、およびWindows 7、Windows 8、Windows 8.1、Windows 10、そして2023年6月現在、最新のWindowsであるWindows 11より高額で取引されることも決して少なくない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "XPは「「経験、体験」を意味するeXPerienceに由来する」と公式には解説されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "主に家庭で使用されることを前提に開発されたエディション。Windows XPの基本的な機能が搭載されており、ドメイン参加といったビジネス向けの機能は非搭載。Professionalエディションに比して、1つの物理CPUのみの対応(ただしハイパースレッディング・テクノロジーやマルチコアプロセッサはサポートする)といくつか拡張性に制限がある。", "title": "エディション" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ここでは、32ビットバージョンのService Packについて述べる。なお、SP2以降では起動画面でエディション名が表示されなくなった。", "title": "サポート" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "従来のマイクロソフトの方針では、家庭向けのエディションではメインストリーム サポート フェーズ(次のバージョンのWindows発売から2年後まで)しか提供せず、ビジネス・開発向けのエディションのみ延長サポート フェーズ(メインストリーム サポート終了後5年間)を提供してきた。しかし、Windows XP Home Editionは市場で非常に多く使われていたため、メインストリーム サポート期間をもってサポートを打ち切ると、重大な脆弱性が発見されてもセキュリティ アップデートが提供されず、無防備な状態のPCが巷にあふれることが懸念された。2007年1月25日、マイクロソフトは市場の状況を鑑み、「Windows XP Home EditionおよびMedia Center Editionについても、(家庭向けのエディションであるが)5年間の延長サポートフェーズを提供する」と発表した。これにより、Home EditionおよびMedia Center Editionはサポート期限が2009年4月14日から2014年4月8日へ延長された。発売開始より約12年半にもおよぶという、PC用ソフトとしてはかなりの長期サポートとなる。", "title": "サポート" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "なお、ProfessionalとTablet PC Editionに関してはビジネス・開発用製品扱いのため、従前どおり延長サポート フェーズが提供される。また、Windows XPベースの組み込みシステム向けOSであるWindows XP Embeddedは2016年1月12日を以って延長サポートが終了した。このほか、Windows Embedded Standard 2009は2019年1月8日まで、Windows Embedded POSReady 2009は2019年4月9日までそれぞれ延長サポートとなる予定である。", "title": "サポート" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2014年4月9日(日本標準時)を以って延長サポートが切れ、更新プログラムの提供が全て終了した。マイクロソフトはWindows 7以降の最新のWindowsへの早めの移行を呼び掛けている。しかし、中小企業などでは会社内のネットワークシステムをデファクトスタンダードだったXP向けに構築している会社も非常に多く、予算不足などから思いのほか移行が進められていない会社も少なくない。さらに東日本大震災によって被災した福島県、および宮城県、岩手県、一部の関東地方の各学校や各企業などでは、建物の耐震改修やパソコンより重要な業務機材などの購入に予算を取られ、期限切れまでにパソコンを更新できない自治体や企業、学校が続出しており、こちらも大きな問題となっている。家庭や企業のPCに大量に導入されたWindows XPの延長サポート切れに伴う諸問題について2014年問題と呼ばれることがある。", "title": "サポート" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "また、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)は、既に延長サポートが全て終了したWindows XPのセキュリティ上の危険性を指摘しており、なるべく、ネットワークに接続しない単独の専用システム(スタンドアローン)にしたうえでUSBメモリやFD、MO、外付けHDDなどの外部補助記憶装置でデータ交換しないことを呼びかけている。このほか、VMwareやVirtualBox、Pro以上のバージョンに搭載されている64ビット版Windows 8/8.1/10専用のクライアントHyper-V、Professional以上のバージョンに搭載されているWindows 7のXP Modeなどの仮想デスクトップ(ハイパーバイザ)上で稼働しているWindows XPであってもセキュリティ上の危険性を指摘している。", "title": "サポート" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "その一方で、一部の法人向けセキュリティソフトについては、マイクロソフトのサポート打ち切り後も、2018年7月5日までWindows XPのサポートを継続する製品も存在している。キヤノンITソリューションズのESET Endpoint Securityを含めた製品は2018年1月31日まで、米シマンテックのSymantec Endpoint Protection 12.xは2018年7月5日→2021年4月3日まで、トレンドマイクロのウイルスバスター コーポレートエディション 10.6は有償の延長サポートは2019年1月30日まででその他の製品も少なくとも2021年1月31日まで利用可能のものもある、露カスペルスキーのKaspersky Endpoint Security 10 for Windowsなどは最短でも2016年1月末日まで、米マカフィーのMcAfee Endpoint Protection Suiteは2015年12月31日でサポート終了、フォティーンフォティ技術研究所(FFRI)のFFRI yaraiは2017年12月31日まで。", "title": "サポート" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "政府機関や企業向けの有償カスタムサポートは、2014年4月9日以降も提供される。実際に英国やオランダの政府が契約している。", "title": "サポート" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "マイクロソフトはXPからの移行キャンペーンとして、XPの各種要素をモチーフにした敵を倒すブラウザゲーム「Escape from XP」を公開している。ゲームの最後はXPが爆破されるという演出になっている。", "title": "サポート" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "なお、2014年4月8日(日本時間4月9日)をもってWindows XPの延長サポートが全て終了となった直後、マイクロソフトは米国時間2014年4月26日、Internet Explorerの更新プログラムが配布された際、Internet Explorer6から11までのバージョンに脆弱性があると発表し、「サポート切れからまだ間もない」という理由で「特例」としてXPも更新プログラムの対象となりIE6向けにも例外的に2014年5月2日セキュリティ更新プログラム(パッチ)を公開した(KB2964358)。", "title": "サポート" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "また、2017年5月15日(日本時間)には同年5月12日(米国時間)より全世界各国で流行発生している新型ランサムウェア (\"WannaCry\") によるサイバー攻撃の被害が深刻であったがこれについての対策状況を告知。このランサムウェアが悪用しているセキュリティーホールがもはやアップデートパッチの提供されていない(またはパッチを当てていない)システムのみに存在するため、サポート中のVista以降のOSに加えて本来は3年前にサポート終了済のXPや2年前にサポート終了済みのServer 2003も再び例外的にセキュリティ更新プログラム(パッチ)が特例として公開 (KB4012598) 配布された(すでに淘汰の進んだWindows 2000などは対象外)。", "title": "サポート" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "現地時間2019年5月14日に、リモート デスクトップ サービス(Remote Desktop Services、かつてはTerminal Servicesとも)に重大なリモートコード実行の脆弱性 (CVE-2019-0708) が存在するので、Windows 7とWindows Server 2008およびWindows Server 2008 R2などにWindows Updateを介したパッチの提供を行っている。Windows XPとWindows Server 2003に対しても修正プログラム「KB4500331」をMicrosoft Update カタログで提供。Windows 8.1やWindows 10などはセキュリティ強化が施されているので提供されない。", "title": "サポート" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "Windows XPは、Windows NT系列のOSとして開発されているため、本来ならWindows NT 4.0(SP5以降)やWindows 2000からのアップグレードを想定しているが、Windows NT系列のOSとWindows 9x系列のOSはWin32という共通のAPIを備えている上、Windows XPは前述の通りWindows NT系列とWindows 9x系列の統合を目的として開発されているため、Windows 9x系列のOSの基本的な機能も含まれている。そのためWindows 98(SEも含む。以下同じ)やWindows Meからでもアップグレード可能。特に、Windows XP Home Editionへは、Windows 9x系列であるWindows 98とWindows Meからしかアップグレードできない。また、これらがインストールされた環境では、アップグレードの他に新規インストールも行える。Windows 95やWindows NT 3.51やWindows 2000からはセットアッププログラムを起動させるとエラーメッセージが表示してしまい、先に進まない(そのため新規インストールも行えない)。Windows 98とWindows Meのどちらからアップグレードしてもそのシステムファイルが保存されれば、後でWindows XPをアンインストールして旧バージョンへ戻すことは可能。ただし、旧バージョンのシステムファイルの保存はWindows XPをインストールするパーティションに十分な空き容量が残っている必要がある。Windows XPをインストールできる容量はあっても旧バージョンのシステムファイルを保存する容量まではない場合は、その旨を伝えるメッセージが表示され、旧バージョンのシステムファイルは保存されない。この場合は、たとえWindows 98やWindows Meからアップグレードした場合でも後でWindows XPをアンインストールすることはできない。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "一方Windows XP Professionalへは、Windows 98、Windows Me、Windows NT 4.0 Workstation、Windows 2000 Professional、Windows XP Home Editionのいずれかからアップグレード可能。Home Edition同様、Windows 95やNT 3.51からはアップグレードできない(セットアップ開始時に強制終了してしまうため、基本的には新規インストールも行えないが、パッケージによってはアップグレードができないだけで、Windows 95からセットアップを起動し、Windows XP Professionalの新規インストールを行えるものはある。MSDNなどで配布されるWindows XP Professionalがこれにあたる。Home Editionも同様)。また、アンインストールはWindows 98とWindows Meからアップグレードした場合に限り可能(Windows NT Workstation 4.0、Windows 2000 Professional、Windows XP Home Editionからアップグレードした場合はアンインストールできない)。ちなみに、通常のXP Professionalへのアップグレード版は、SP未適用のRTMはXP Home Editionからはアップグレードの対象とはなっていなかったが、SP1以降は対象となった。なお、日本語版のみWindows 2000 Professionalのみからアップグレード可能のWindows XP Professional 期間限定特別アップグレード版もあった。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "また、Windows XP Media Center EditionとWindows XP Tablet PC Editionにはアップグレード版が存在しないが、基本的にWindows XP Professionalと同じセットアッププログラムでインストールが進行し、途中で該当バージョンに分岐する(これらのバージョンにはインストールCDが2つあり、1つ目のインストールCDからセットアップを開始すると最初に「Windows XP Professional セットアップ」と表示され、使用許諾契約書の一番上の行にも「Microsoft Windows XP Professional」と表示される)。ただし、Windows XPのOEM版CD-ROMはアップグレードインストールをサポートせず、アップグレードアナライザも実行できないように制限されているため、旧バージョンからアップグレードするには特殊な手順を踏む必要がある。ちなみにこれらのバージョンにアップグレードした場合でも、アップグレード元がWindows 98かWindows Meならば、これらのバージョンをアンインストールして元のバージョンに戻すことができる。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "Windows XPからはWindows VistaとWindows 7、Windows 8にアップグレードすることができる。しかし、Windows 7へは直接アップグレードすることはできず、新規インストールを行うか、間にWindows Vistaを挟む必要がある。Windows Vistaにアップグレードする場合、アップグレード元のWindows XPにはService Pack 2以上が予め適用されている必要がある。Windows 7に新規インストールという形でアップグレードする場合も同様。Windows 8にアップグレードする場合は、Service Pack 3が予め適用されている必要がある。また、Windows XP Home Editionからは、Windows Vistaの全てのエディションにアップグレード可能であるが(StarterとEnterpriseを除く)、Windows XP ProfessionalとWindows XP Tablet PC EditionからはWindows VistaのBusinessかUltimateにしかすることができない(Professional x64からは直接アップグレードすることができず、新規インストールを行う必要がある)。Windows XP Media Center EditionからはHome PremiumかUltimateにのみアップグレード可能。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "また、Windows XPのどのバージョンからWindows Vistaのすべてのエディションにアップグレードしても、それらをアンインストールしてWindows XPに戻すことはできない。これは、Windows XPからWindows Vistaにアップグレードする前に、システムパーティションを強制的にFAT32からNTFSに変換しなければならないためである。NTFSは通常、Windows 98やWindows MeのようなWindows 9x系のOSには対応しておらず、インストール・アンインストール共にできない。Windows 98かWindows MeをWindows XPのインストール先と同じパーティションに旧バージョンのシステムファイルを保存する形でWindows XPにアップグレードした環境をさらにWindows Vistaにアップグレードすると、Windows XPにアップグレードする際に保存された旧バージョンのシステムファイルは強制的に(システムパーティションをNTFSに変換した段階で)削除される。また、Windows 95やWindows 3.1からWindows 98にアップグレードし、それをさらに(Windows XPをインストールするパーティションとは別のパーティションに旧バージョンのシステムファイルを保存するという形で)Windows XPにアップグレードした環境や、Windows 98をWindows Meにアップグレードし、それをさらにWindows XPにアップグレードした環境をWindows Vistaにアップグレードすると、Windows XPにアップグレードする前のアップグレードによって保存された旧バージョンのシステムファイルは使用不能になる(その旧システムファイルのデータにアクセスすること自体はできるが、アンインストール機能がなくなるため、そのままでは使い道はほぼ無い)。最初からNTFSパーティションにインストールされたWindows XPをWindows Vistaにアップグレードした場合でも、アンインストールは基本的にできない。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "Windows XPのアップグレード版を使って新規インストールを開始した場合、セットアップの途中でアップグレード認証を行わなければならない(ハードディスクにWindows 2000がインストールされている場合は除く)。これは古いバージョンのWindowsを所持しているかどうかを確認するために行われるが、上述のアップグレード対象製品と違い、以下のバージョンのWindows CDのいずれかを1枚持っていれば、取りあえずアップグレード認証は通過できる。ただし、購入したアップグレードパッケージに記載されているアップグレード対象製品のCDとそのライセンスが手元にない場合、Microsoftの使用許諾契約書の条項に違反することになる(正規ライセンスからのアップグレードと見なされないため)。例えば、手元にWindows 95のCDとライセンスしかないにもかかわらず、Windows XP Home Editionのアップグレード版CD-ROMを使って新規インストールを開始し、アップグレード認証にそのWindows 95のCD(Companion CDでも可能)を使用した場合や、Windows XP Professionalの「ステップアップグレードパッケージ」(後日期間限定で発売されたHome EditionからProfessionalへの専用アップグレードパッケージ)を使ってWindows XP Home Edition以外のバージョン(Windows 98など)からWindows XP Professionalにアップグレードした場合などがこれに当てはまる(Windows 95はWindows XPのどのバージョンのアップグレード対象製品にもなっておらず、「Windows XP Professional ステップアップグレードパッケージ」もWindows XP Home Edition以外のバージョンがアップグレード対象製品になっていないため)。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "上記のうち、通常版を要求されるWindows XP以外のバージョンのCDを挿入する場合、それがアップグレード版だったとしても認証することができる。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "すでにWindows XPのパッケージ製品を持つユーザーが、2台目以降のPCへ、同じWindows XPのエディションを追加する際に必要となる、プロダクトキーのみのパッケージでCD-ROMは付属していない。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "Professionalに拡張キットのMicrosoft Plus!がセット。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2005年11月に日本限定で行われた企画で、Windows誕生20周年を記念しWindows XP Professionalアップグレード版(SP2適用)の特別パッケージが 9999本限定で販売された。パッケージは専用の「20」と大きく書かれたものを採用し、Windowsの20年間の歩みが書かれた年表がパッケージに印刷されている。その他、通常パッケージとの差は以下の通り。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "Windows XPが使用できることをPCメーカーやマイクロソフトから保証されたPCで、主に2001年夏モデルが対象となっていた。このグループに認定されたPCは、Windows XP発売と同時に専用のアップグレードプログラムにより、既存のWindowsをWindows XPに入れ替えられるのはもちろん、プレインストールされているアプリケーションやハードウエアデバイスドライバをWindows XP対応済のバージョンに修正・入れ替えて、アプリケーションソフトウェアや周辺機器をWindows XPで使えるようになっていた。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "なお、プレインストールのWindows Meの場合はWindows XP Home Editionへの、Windows 2000の場合はWindows XP Professionalへのアップグレードとなっていた。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2005年以降、Windows Genuine Advantageにより正規のWindowsであることが認証された場合の特典として、LZH(LHA)圧縮ファイルの展開機能をサポートするプラグインである「Microsoft 圧縮(LZH形式)フォルダ」や、フォトアルバムソフトの「Microsoft Photo Story 3」、神経衰弱ゲームの「Microsoft Match-Up!」などが用意され配布された。", "title": "アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "Windows XPをインストールした際にデフォルトで設定されている壁紙の「草原」(英語名「Bliss」)は、カリフォルニア州ソノマ郡の、カリフォルニアワイン産地としても知られるソノマ・ヴァレー。実在する風景である。マイクロソフトでは撮影者を非公開としているが、チャールズ・オレアというカメラマンが撮影したという説が有力とされている。なお、マイクロソフトは採用される壁紙について「壁紙はプロの写真家や社内の公募から候補を挙げて製品コンセプトに合うイメージのものを採用している。候補には挙がったものの採用されないものが大量にあり、製品出荷前のベータ版には異なった壁紙が採用されていることもあるのでそちらが話題になることもある。」と回答している。", "title": "草原の壁紙" } ]
Microsoft Windows XPは、マイクロソフトが2001年に発表したWindowsシリーズに属するオペレーティングシステム (OS) である。
{{Pathnav|[[マイクロソフト|Microsoft]]|Microsoft Windows|Windows NT系|this=Windows XP|frame=1}} {{Infobox OS version |name = Windows XP |family = Microsoft Windows |logo = Windows_XP_wordmark.svg |logo_size= 200px |developer = [[マイクロソフト|Microsoft]] |website = |source_model = [[シェアードソース]] |license = Microsoft EULA |kernel_type = [[カーネル#ハイブリッドカーネル|ハイブリッドカーネル]] |RTM_date = {{Start date|2001|08|24}}(英語版)<ref name="reldate">{{Cite web|url=http://news.microsoft.com/2001/08/24/an-inside-look-at-the-months-long-process-of-getting-windows-xp-ready-for-release-to-manufacturing/|title=An Inside Look at the Months-long Process of Getting Windows XP Ready for Release to Manufacturing - News Center |language=英語|publisher=Microsoft|date=2001-08-24|accessdate=2016-11-10}}</ref><br />{{Start date|2001|09|06}}(日本語版)<ref name="reljdate">{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=502|title=「Microsoft(R) Windows(R) XP」日本語版開発完了し、製品発売に向け、製造を開始 - News Center|publisher=マイクロソフト|date=2001-09-06|accessdate=2016-11-10}}</ref> |GA_date = {{Start date|2001|10|25}}([[OEM]]・[[DSP]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20011025/xp2.htm|title=「「終電で帰る」が今回の流行、Windows XP OEM版発売開始|publisher=インプレス|date=2001-10-25|accessdate=2016-11-10}}</ref><br />{{Start date|2001|11|16}}([[リテール]])<ref name="reljdate" /> |release_version = 5.1 Service Pack 3(Build&#160;2600) |release_date = [[2008年]][[4月21日]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0422/ms.htm|title=Microsoft、Windows XP SP3を4月29日にリリースへ|publisher=インプレス|date=2008-04-22|accessdate=2016-11-10}}</ref> |supported_platforms = [[IA-32]] | preceded_by = [[Microsoft Windows 2000|Windows 2000]] [[Microsoft Windows Millennium Edition|Windows Me]] |support_status = '''サポート終了'''<br><span style="font-size:80%">メインストリーム サポート終了日:[[2009年]][[4月15日]]<br/>([[アメリカ合衆国|米国]]日時[[4月14日]]・終了済み)<br>延長サポート終了日:[[2014年]][[4月9日]]<br/>(米国日時[[4月8日]]・終了済み)<ref name="Microsoft Support Lifecycle">{{Cite web|和書|date=2015年6月22日 |url=https://support.microsoft.com/lifecycle/?C2=1173 |title=マイクロソフト サポート ライフサイクル |publisher=[[マイクロソフト]] |accessdate=2015-10-22}}</ref><ref name="Windows lifecycle fact sheet">{{Cite web|和書|date=2015年8月 |url=http://windows.microsoft.com/ja-jp/windows/lifecycle |title=Windows ライフサイクルのファクト シート |work=Windows ヘルプ |publisher=[[マイクロソフト]] |accessdate=2015-08-08}}</ref></span> |succeeded_by=[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]}} {{Infobox OS version |name = Windows XP 64-bit Itanium Edition |family = Microsoft Windows |logo = Windows_XP_wordmark.svg |logo_size = 200px |developer = マイクロソフト |source_model = [[クローズドソース]] |license = Microsoft EULA |kernel_type = ハイブリッドカーネル |release_version = 2003 |release_date = [[2003年]][[3月28日]] |release_url = https://web.archive.org/web/20060210112428/http://www.microsoft.com/presspass/press/2003/mar03/03-28WinXP64BitPR.mspx |supported_platforms = [[IA-64]] |support_status = '''サポート終了'''<br /><span style="font-size:80%">メインストリーム サポート終了日 不詳<br/>延長サポート終了日:2014年4月9日<br/>(米国日時4月8日・終了済み) }} {| class="infobox" |+ '''出荷本数の推移''' !本数!!日付 |- |700万本||[[2001年]][[11月12日]]発表<ref name="xp_retail">{{Cite web|和書|url=http://news.mynavi.jp/news/2001/11/12/25.html |title=WindowsXP、2週間で700万本以上の売上で、Windows95/98/Meを越える販売記録。|work=マイナビニュース |publisher=マイナビ |daate=2001-11-12 |accessdate=2016-12-12}}</ref> |- |1700万本以上||[[2002年]][[1月18日]]発表<ref>『[[日本経済新聞]]』[[2002年]][[1月18日]]付夕刊</ref> |- |4600万本||2002年6月発表 |- |1億3000万本||[[2003年]]7月発表<ref name="ITpro">{{Cite web|和書|url=https://xtech.nikkei.com/it/free/NT/NEWS/20040506/4/|title=Windows XPの累計出荷本数が2億1000万を突破|publisher=ITpro|accessdate=2004-05-06}}</ref> |- |2億1000万本||[[2004年]][[5月3日]]発表<ref name="ITpro" /> |} '''[[Microsoft]] Windows XP'''(マイクロソフト ウィンドウズ エックスピー)は、[[マイクロソフト]]が[[2001年]]に発表した[[Microsoft Windows|Windowsシリーズ]]に属する[[オペレーティングシステム]] (OS) である<ref name="アスキー">{{Cite web|和書|author=ASCII.jp |authorlink=ASCII.jp |title=ASCII.jp デジタル用語辞典 |url=https://yougo.ascii.jp/caltar/Windows_XP |publisher=[[アスキー (企業)|アスキー]] / [[KADOKAWA]] |date=2008-10-07 |accessdate=2021-07-16}}</ref><ref name="日経パソコン"/>。 == 概要 == ;開発の経緯 Windows XPの発売以前、Windowsは一般家庭向けで[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.1]]由来の[[MS-DOS]]を前提とした古い構造を機能拡張して開発された[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]、[[Microsoft Windows 98|Windows 98]]、[[Microsoft Windows Millennium Edition|Windows Me]]などの[[Windows 9x系]]と、[[サーバ]]用途に耐える安定したOSとして新規開発された[[Microsoft Windows NT|Windows NT]]などの[[Windows NT系]]が並行開発・販売されている状態が永らく続いていた。 その状況はマイクロソフトにとっては開発リソースが2つの製品に向けて分散される等の大きな課題となり、9x系ではマルチメディア機能の拡張と共にシステムリソースに余裕が無くなりクラッシュが多発するようになる(特にWindows Meで顕著)など、構造面でも限界に達しており、開発負荷の軽減と、[[マルチメディア]]対応の安定したOSを作る目的で、一般家庭向けの9x系をNT系に統合することを目標に開発された。XP以前に同様の統合化を試みた[[Microsoft Windows 2000|Windows 2000]]を基本に、その際の統合の成功に至らなかった機能も含めて開発されている。この機能統合の成功により、XPはNTの安定性・堅牢性と9x系の[[マルチメディア]]機能や使いやすさを併せ持った汎用OSとなった。NT[[カーネル]]を採用した一般家庭向けのWindowsはXPが初であり、XPのリリースによって、一般市民が初めて安定に動作するOSを手軽に入手・利用することができるようになった。XPの開発成功を受け、マイクロソフトは長年の懸案であった9x系の終息を成すことができた。 開発時の[[コードネーム]]はWhistler(ウィスラー)と呼ばれていた<ref name="PCwatch">{{Cite web|和書|title=MS、次世代Windowsの名称を「Windows XP」に決定 |publisher=Impress Watch |url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20010206/ms.htm |accessdate=2001-02-06}}</ref><ref name="日経パソコン">{{Cite|和書|author=日経パソコン|authorlink=日経パソコン|title=日経パソコン用語事典 (2009年版)|publisher=[[日経BP|日経BP社]]|date=2008-10-20|isbn=9784822233907}}</ref>。 ;2008年以降の状態 永きに渡って販売されていたが、[[ネットブック]]など超低価格機向けなどの一部の用途を除き、[[2008年]][[6月30日]]をもってマイクロソフトからの出荷は終了した<ref>{{Cite web|和書|url=http://japan.zdnet.com/sp/feature/07microsoft/story/0,3800083079,20375950,00.htm|title=執行猶予はなし:XPの段階的廃止は6月30日にはじまる|publisher=ZDNet Japan|accessdate=2008-06-28}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.microsoft.com/japan/windows/products/windowsxp/future.mspx |title=Windows XPのこれから |publisher=マイクロソフト |accessdate=2016-12-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080914030819/http://www.microsoft.com/japan/windows/products/windowsxp/future.mspx |archivedate=2008-09-14}}</ref>。2008年7月以降の入手方法は、流通在庫品のほかに後継製品となる[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]のBusinessかUltimateエディション<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.microsoft.com/japan/windows/products/Windowsvista/buyorupgrade/downgrade/default.mspx |title=Windows Vista のダウングレード権(旧バージョンソフトウェアの使用)について |publisher=マイクロソフト |accessdate=2009-11-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091211220608/http://www.microsoft.com/japan/windows/products/Windowsvista/buyorupgrade/downgrade/default.mspx |archivedate=2009-12-11}}</ref>、[[Microsoft Windows 7|Windows 7]]のProfessionalかUltimateエディションからのダウングレード権<ref>[http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20090618/332199/ マイクロソフト、Windows 7の「XPダウングレード」を認める方針 - ニュース:ITpro]</ref>{{efn2|ただし、Windows 7のダウングレードに関しては「Windows 7発売から18か月後」あるいは「SP1のリリース」のいずれか早いほうまでという条件付きであったが、後にWindows 7のサポートライフサイクル終了までダウングレード権の行使が可能となった。しかしこれは、ダウングレード先のOSのサポート期間のさらなる延長がなされることを意味していない。あくまでもダウングレード権の行使期間の延長に過ぎないという点に留意する必要がある。}}を利用する形のみになった。一部の直販 ([[BTO]]) メーカーでは、この仕組みを利用して業務用向けオプションとして引き続きWindows XP Professionalを[[プリインストール]]したPCが出荷されていたが、[[2010年]][[10月22日]]に販売が終了した<ref>[https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20100927/352376/ XP搭載PC、販売終了まで1カ月]</ref><ref>[https://gigazine.net/news/20100908_windows_xp_pc_end/ ついに「Windows XP」を搭載したパソコンが販売終了へ]</ref>。また、米MicrosoftのDSP版も[[2009年]][[6月30日]]に販売終了となり、店舗在庫限りとなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://atmarkit.itmedia.co.jp/news/200810/08/eweek.html|title=Windows XPのダウングレード権延長は“都市伝説”|work=@IT|publisher=ITmedia Inc.|accessdate=2008-10-08}}</ref>。 OSはコンピュータが導入された時のものが使われ諸事情により後続のOSに置き換えができない場合がある(たとえば工場の生産ラインのマシン群のひとつとして組まれてしまっていて仕様を変更するわけにはいかないコンピュータや、発展途上国に慈善活動、[[フィランソロピー]]などで贈られたもので使用者側は買い替え予算が組めないコンピュータなど)。米国の調査会社Net Applicationsによると、[[2018年]]12月時点における世界のOSシェアはWindows XPが4.54%であり、首位の座を[[Microsoft Windows 10|Windows 10]] (39.22%) に明け渡している。NetMarketShareの調査では2020年時点で、シェアが1.26%であり、この数字はWindows 8 のシェア(0.57%)、ChromeOS (0.42%)、Windows Vista (0.12%)よりも大きい<ref name="techradar">[https://www.techradar.com/news/if-you-can-believe-it-millions-of-people-are-still-using-windows-xp]</ref>。2020年時点でXPは、後続のWindows 8やVistaよりも多く使われているのである。StatCounterによる2020年3月の別の調査では、Windows XPの<u>シェアが増加</u>し0.24ポイント増の1.39%となったといい、中国での急増(13.32%、+9.13)が大きいらしいが、先進国でもフランス(1.11%、+0.23)・カナダ(1.13%、+0.22)・アメリカ合衆国(0.92%、+0.14)など微増している国は数多い<ref name="techradar" />。 これにはそれなりの理由がある。XPが要求するハードウェア要件がWindows 2000の次くらいに低く([[Microsoft Windows XP#システム要件|後述参照]])、低スペックのマシンで動かすことができ、また使用しているアプリケーションソフトによっては後継のWindowsに対応していないなどの理由からXPが必要であるユーザがいるなどといった事情で依然として根強いシェアがあるのである。その結果、一部のインターネットオークションや中古販売においてWindows XPリテールパッケージ版(特にクリーンインストール版のProfessional)は後発のWindows Vista、およびWindows 7、[[Microsoft Windows 8|Windows 8]]、[[Microsoft Windows 8.1|Windows 8.1]]、[[Microsoft Windows 10|Windows 10]]、そして[[2023年]]6月現在、最新のWindowsである[[Microsoft Windows 11|Windows 11]]より高額で取引されることも決して少なくない。 ;名称の意味 XPは「「[[経験]]、体験」を意味するeXPerienceに由来する」と公式には解説されている。 == エディション == === Home Edition===  主に家庭で使用されることを前提に開発されたエディション。Windows XPの基本的な機能が搭載されており、ドメイン参加といったビジネス向けの機能は非搭載。Professionalエディションに比して、1つの物理[[CPU]]のみの対応(ただし[[ハイパースレッディング・テクノロジー]]や[[マルチコア|マルチコアプロセッサ]]はサポートする)といくつか拡張性に制限がある。 === Professional=== : [[パワーユーザー|(個人の)上級ユーザー]]、あるいはビジネスでの利用を想定した、Home Editionに対する上位エディション。[[対称型マルチプロセッシング|マルチプロセッサ]]への対応や [[Active Directory|ドメイン]]への参加、[[リモートデスクトップ]]のホスト機能、[[ダイナミックディスク]]のサポートなどに対応するほか、[[Internet Information Services|IIS]]やファイルシステム暗号化などセキュリティ保護関連機能も搭載する。 === Media Center Edition=== : MCEと略される。バージョンは2002(コードネーム:eHome、2002年10月に米国、カナダ、韓国で先行発売、日本語版は存在しない)、2003(コードネーム:Freestyle、開発中止)、2004(コードネーム:Harmony、2003年10月に日本、中国、フランス、ドイツ、英国でも発売、日本語版は2003年10月15日発売)、2005(コードネーム:Symphony、2004年10月DSP版は米国では当初未発表で日本でのみ先行発売された)とそのマイナーアップデート版Update Rollup2(コードネーム:Emerald)の4種類がある。Professionalエディションの機能を基本に、[[テレビ|テレビジョン]]放送やデジタルオーディオ機器などの[[オーディオ・ビジュアル|AV]]機能を付加したエディションである。MCEにのみ、[[Windows Media Center]]と呼ばれるテレビ視聴・録画、音楽再生・録音、ビデオ・DVD鑑賞などを専門的に行うツールが収録されており、付属する専用リモコンで遠隔操作を行うことが可能である。ただし、Media Center EditionはOEM供給の形でのみ提供されるため、プリインストールPCを購入する必要がある(2005についてはDSP版が提供され、一部のハードウェアとセットで入手が可能となった)。 : 2004ではドメインへの参加は可能であったが、2005では再インストール時(OEM版はインストール時も含む)のみにしかドメインへの参加はできなくなった。マイクロソフトも公式にはドメイン参加は不可能であるとアナウンスしている。その他の両バージョンの差として、サポートTVチューナー数が1から2に増加、導入済みService PackがSP1からSP2になったほか、2004では非対応だった[[:en:Portable Media Center|Portable Media Center]]やデータCD/DVDの作成について、2005で対応した。 : [[2005年]]10月にリリースされたUpdate Rollup2では、[[Xbox 360]]をクライアントとして使用することが可能となった。 : なお、AV機能が充実したPCは日本でも多数リリースされているものの、それらへのMCE採用例は少ない。日本の大手PCメーカーはAV機能に特化した製品を提供する際、ハードウェア・ソフトウェア(ドライバ、アプリケーション)を独自に開発・機能拡張することが多く、結果、Home EditionまたはProfessionalでも事足りるからである。この理由として、それら大手PCメーカーのほとんどは大手家電メーカーでありAV製品に関する技術が潤沢であること、MCEのリリース以前から多くのAV機能特化PCを製造販売していたこと、そういった製品の多くは家庭向けであるため、MCEよりもコストが低いHome Editionを採用したいこと、などが挙げられる。 === Tablet PC Edition=== : Professionalの機能に加え、ペンタッチ機能を付加させたエディション。このエディションが搭載されたPCには必ず専用のペンが付属する。また[[タブレットPC]]での操作を想定したエディションであるため、[[Windows Journal]]と呼ばれるツールでメモ書きができたり付箋紙や[[Microsoft Office]]など一部のアプリケーションの付加機能が利用できる場合もある。Tablet PC Edition (2002) (日本語版は2002年11月7日発売)とTablet PC Edition 2005(日本語版は2005年11月22日発売)の2種類のバージョンが存在し、2002ユーザーはService Pack2をインストールすることにより2005へとアップグレードできる。OEM版とDSP版(2005のみ)での提供で、市販パッケージ版は存在しない。 ; 64ビット版 :; {{Anchors|64-bit Itanium Edition}}64-bit Itanium Edition :: [[Itanium]] 環境のワークステーション向けのエディション。Windows XPを基に開発され[[2002年]]に公開されたVersion 2002と、[[Microsoft Windows Server 2003|Windows Server 2003]]を基に開発され[[2003年]]に公開されたVersion 2003がある。16GBまでの実メモリと8TBまでの仮想メモリをサポート。IA-32向けアプリケーションソフトウェアがそのまま動作するという機構([[WOW64]])を備えている。OEM供給の形でのみ提供された。後述するProfessional x64 Editionが発売される前の2005年[[1月4日]]に販売終了となった。 :; {{Anchors|Professional x64 Edition}}Professional x64 Edition :: {{See also|Microsoft Windows XP Professional x64 Edition}} :: [[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]によるx86アーキテクチャの64ビット拡張[[x64|AMD64]]に対応したWindows Server 2003 Service Pack 1 x64 Editionsを基に開発されたクライアント向けのエディション。機能の多くとそれを表すバージョン番号はWindows Server 2003 Service Pack 1と同じ。2005年[[4月23日]]から販売開始され、OEM版とDSP版のみが提供された。 === 市場限定版 === ==== Starter Edition==== : [[開発途上国]]向けのエディションで、2004年10月ごろから各国語版が段階的に試験発売された。日本語版は提供されていない。対象国は低国民所得がゆえに[[海賊版]]が横行しており、その対抗策として廉価で提供されている。主要エディションに比して廉価で提供している理由として、同時に開けるウィンドウ数が3つまでであることや、[[画面解像度]]が[[Super Video Graphics Array|SVGA]](800×600)までであること、ネットワーク共有機能の制限やマルチアカウントが使用できないなどの大幅な制限が加えられている。Home Editionなどへのアップグレードは提供されていない。[[ポルトガル語]]([[ブラジル]])、[[タイ語]]などの言語版をはじめ複数のローカライズ版がリリースされており、それぞれ異なった壁紙やスクリーン セーバーなどが収録されている。 ; Edition N : {{See also|マイクロソフトの欧州連合における競争法違反事件}} : [[欧州委員会]]の要求を受けて用意されたエディション。Home EditionとProfessionalからWindows Media Playerが除かれている。主要エディションは[[メディアプレーヤー]]に関する[[消費者]]の選択権を狭めるとして、[[欧州連合競争法|競争法]]違反に問われたため。 ; Edition KおよびEdition KN : [[大韓民国|韓国]]公正取引委員会の要求を受けて用意されたエディション。KはHome EditionとProfessionalに他社製[[インスタントメッセンジャー|インスタント メッセンジャー]]へのリンクを追加したもの。KNはHome Edition KとProfessional KからWindows Media PlayerおよびWindows Messengerが除かれているもの。欧州連合域内におけるメディア プレーヤーに加えて、インスタント メッセンジャーについても消費者の選択権を狭めるとして、[[独占禁止法]]違反に問われたため。 === その他 === ; Home Edition ULCPC : [[2008年]][[4月3日]]にマイクロソフトが[[ULCPC]]用としてメーカー向け販売を開始すると発表したもの<ref>{{Cite web |url=http://www.microsoft.com/presspass/features/2008/apr08/04-03xpeos.mspx |title=Microsoft Announces Extended Availability of Windows XP Home for ULCPCs:Q&A:Michael Dix, General Manager of Windows Client Product Management, discusses Microsoft's commitment to deliver Windows to customers for a new category of devices known as ultra low-cost personal computers(ULCPCs). |publisher=マイクロソフト |language=英語 |date=2008-04-03 |accessdate=2008-04-17 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080407034607/http://www.microsoft.com/presspass/features/2008/apr08/04-03xpeos.mspx |archivedate=2008-04-07}}</ref>。なおマイクロソフトで言うところのULCPCは一般において[[Netbook|ネットブックやネットトップ]]と呼ばれる超[[廉価版]]PCに合致しており、これらの市場向け製品に利用されている。 ; Windows Fundamentals for Legacy PCs : コードネーム"Eiger"と呼ばれたもので、[[2006年]]7月に[[シンクライアント]]版としてソフトウェア アシュアランス契約者向けに登場した<ref>{{Cite web|和書|url=http://japan.internet.com/webtech/20060718/12.html |title=『Windows 98』時代のマシンが『XP』シンクライアントに蘇る |publisher=japan.internet.com |date=2006-07-18 |accessdate=2010-11-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080720041658/http://japan.internet.com/webtech/20060718/12.html |archivedate=2008-07-20}}</ref>。 ; [[Windows Embedded#Windows Embedded Standard|Windows XP Embedded]] : Windows XPベースの[[組み込みシステム]]向け[[組み込みオペレーティングシステム|OS]]。専用の構築ツールを使用してOSの機能をカスタマイズし、搭載製品の構成や用途に応じたOSパッケージを作成することができる。[[POSシステム]]、[[現金自動預け払い機|ATM]]、[[カーナビゲーション]]、[[アーケードゲーム基板]]、シンクライアントなどに使われているほか、大手メーカー製PCでTV視聴録画専用モードのOSとして採用されている例もある。 ; Windows Embedded Standard 2009 : Windows XPベースの[[組み込みシステム]]向け[[組み込みオペレーティングシステム|OS]]。Windows XP Embeddedの後継にあたる。 ; Windows Embedded POSReady 2009 : Windows XPベースの[[販売時点情報管理|POSシステム]]向け[[組み込みオペレーティングシステム|OS]]。Windows Embedded for Point of Services (WEPOS) の後継にあたる。 == 特徴 == === ユーザーインターフェイスと外観 === ; ビジュアルスタイル : 大きな特徴は、[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]のデザインを変更することのできるテーマの概念を取り入れたことである。Windows XP以降では、ボタンやウィンドウ・その他GUIの外観をまとめてビジュアル スタイルと称する。Windows XPでは標準として「[[Luna]]」(Windows XP スタイル)が採用された。Lunaの他にマイクロソフトやその他の[[サードパーティー]]がリリースしているビジュアル スタイルが多数存在するが、標準ではマイクロソフト公式のものにしか変更できない。 : また[[デスクトップ環境|デスクトップ]]の[[アイコン]]の利用をスタートボタンへ集約、コントロール パネルなどといった設定項目も[[ウィザード (ソフトウェア)|ウィザード]]を取り入れ、初心者でも直感的に操作できるユーザー インターフェースとなっている。 : なお、処理能力が低い環境での使用や、Windows 2000やWindows 98以前の旧来操作性を継承したい場合、画面のプロパティの設定で「クラシック スタイル」を選択することで、「Luna」を使わない以前のバージョンに似たスタイルを設定することも可能である。 === システム管理 === ; ユーザーの簡易切り替え : これまでのWindowsはログオンしているユーザーを変える場合、必ずファイルを保存させてログオフする必要があったが、この機能によりログオフすることなくユーザーを切り替えられるようになった。この時、切り替える前のユーザーによって実行を開始したプロセスはバックグラウンドで動作したままの状態となる。これはサーバOSで培われた[[リモート デスクトップ サービス|ターミナル サービス]]の技術を利用したものである。ただし、Windows Serverドメインに参加しているコンピュータはこの機能を使用することができない。 ; [[システムの復元]] : システムの環境をある時点の状態へ戻すことが可能となった。もともとは Windows Meから含まれた機能で、Windows XPは市販されたNTベースのOSで初めて含まれた。 : 開発中止になった[[Microsoft Windows Neptune|Windows Neptune]]には搭載された。 === ハードウェアとデバイスドライバ === ; CD-R/RW の書き込み : これまでのWindowsでは別途[[ライティングソフトウェア]](書き込みソフト)が必要だったが、Windows XPでは[[Roxio Creator|Roxio]]のライティングエンジンが搭載されており、[[CD-R]]と[[CD-RW]]の書き込み機能に標準で対応した。フォルダにファイルを移す感覚で記録したいファイルを選択できるので利便性があり、直感的な操作が可能である。Windows Media Playerで音楽CDの記録もできるので、大半の環境では書き込みソフトの必要性はなくなった。ただし、ISOイメージ ファイルからのCD作成はできない、DAO(Disk at Once)での書き込みができない、パケットライト方式の書き込みができないなど、ライティング ソフトウェアを別途用いる場合に比して何点か制約がある。 ; [[ClearType]] : [[アンチエイリアス|アンチエイリアシング]]を発展させたClearType採用により[[液晶ディスプレイ]]環境で、より鮮明な文字表示が可能となった。 === Windows 9x系との互換性 === ; Windowsアプリケーション互換モード : {{See also|Windows NT系#Win16サブシステム}} : 過去のWindowsバージョンに依存したアプリケーションを動作させるモード。SP2以降のWindows 2000にも搭載され、さらに改良が加えられた。Windows NT系である本製品は、[[Windows 9x系]]と設計思想が異なる。そのため、そのままでは動作しないアプリケーションが少なくなく、サポート終了したWindows 9x系からの移行のために用意されたモードである。また、過去のWindows NT系に特化したアプリケーション動作にも使われる。該当するプログラムのプロパティから「互換性」タブを選ぶことで、互換性を持たせるバージョンをWindows 95、Windows 98/Me、Windows NT 4.0、Windows 2000から選択できる。マイクロソフトが公表した、[[ライオン (企業)|ライオン株式会社]]のWindows 98から Windows XPへの移行の事例によると、自社開発した12のアプリケーションで、そのまま動作したのは8、表示に問題はあるが動作したのは2、ソースの書き換えが必要だったのは2で、80%以上動作したという<ref>{{Cite web|和書|date=2003-06-13|url=http://technet.microsoft.com/ja-jp/library/cc835594.aspx|title=Windows XP Professional の優れた互換性を事例が実証 - 自社開発アプリケーションの移行もスムーズな高い互換率を実現|publisher=マイクロソフト|accessdate=2010-12-08}}</ref>。 : また、互換性を高めるためのツールとして、[[Application Compatibility Toolkit]]が配布されている。これは現在の環境で利用しているソフトの互換性調査や、マイクロソフトへの報告、互換のために用意された[[:en:Shim computing|Shim]](設定)を組み合わせ、自力で動作させることなどが可能になっている。さらに、互換対応したアプリケーションのデータベースを利用できる。これは、本来の仕様では動作しなかったアプリケーションに、追加で互換性を持たせたことを意味する<ref>{{Cite web|和書|author=[[中田敦]]|url=https://xtech.nikkei.com/it/article/OPINION/20060427/236520/|title=本当はすごい「Windowsの互換性維持」|work=ITpro|publisher=[[日経BP]]|accessdate=2010-12-08}}</ref>。 === ネットワーク === ; [[リモート デスクトップ サービス|リモートデスクトップ]] : PCを[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]を介して操作できる[[リモートデスクトップ]]機能である。ホスト側のPCはProfessionalまたはTablet PC Editionである必要がある。[[Remote Desktop Protocol|RDP]]を利用しているので[[Unix系]]OSでも接続が可能となっており、大半のコンピュータがクライアントとなることが可能。ローカルユーザがログオン中の場合には強制的にログオフされる。 ; リモートアシスタンス : 操作されるPCから操作するPCへ[[Windows Messenger]]や[[電子メール]]で遠隔操作の通知を出し、許可が下りれば遠隔操作できる機能。PCに詳しくない人が遠隔地にいるPCに詳しい知人からサポートを受ける用途に用意されている。リモートデスクトップを応用した機能で、この機能の利用には、双方がWindows XP以降を利用している必要がある。 ; [[IPv6]] : 当初は開発者向けとして、一般ユーザーに対するサポートの対象外となっていたが、Service Pack 1で正式にサポートされた。ただし、実装されているIPv6の仕様が初期のものであり、古くなっているため、実際に使用するには問題があることがある。 : また、ホスト名の解決を行う[[Domain Name System|DNS]]クライアントサービス([[リゾルバ]])の実装がWindows Vista以降とは異なっており、非互換の仕様がある。Windows XPでは、IPv6を有効にすると、IPv4でのホスト名の解決に時間がかかるようになり、IPv4での性能が低下する。 : この性能低下については、Windows Vista以降で改善されたが、副作用として、ホストに[[リンクローカルアドレス]]または[[Teredo トンネリング|Teredo]]アドレスしか割り当てられていない場合、ホスト名からIPv6のIPアドレスを取得できなくなるため、IPv6で通信することが困難になっている。 == サポート == === Service Pack === ここでは、32ビットバージョンのService Packについて述べる。なお、SP2以降では起動画面でエディション名が表示されなくなった<ref>[https://support.microsoft.com/ja-jp/kb/884248 公式]</ref>。 ; Service Pack 1 : 2002年[[9月19日]]に公開された。既存の不具合修正に加えて[[ユニバーサル・シリアル・バス|USB]] 2.0への対応、および[[DVD-Audio]]のサポート対応、'''プログラムの追加と削除'''内にウェブブラウザやメーラーなどの特定のアプリケーションについて、サードパーティー製アプリケーションを標準で使用するように設定できる「プログラムのアクセスと既定の設定」が付け加えられている。このうち、「プログラムのアクセスと既定の設定」に関しては反トラスト訴訟に基づく。2003年[[2月3日]]にマイクロソフト製[[Java仮想マシン|Java VM]](Microsoft VM)を削除したService Pack 1aが公開された<ref>{{Cite web|和書|date=2004-08-23|url=http://support.microsoft.com/default.aspx?scid=kb;ja;813926|title=Windows XP SP1とWindows XP SP1aの相違点|publisher=マイクロソフト|accessdate=2010-12-24}}</ref>。2006年[[10月11日]]にサポートが終了した<ref name="xpsp1_lifecycle">{{Cite web|和書|url=http://support.microsoft.com/gp/lifean19 |title=Windows XP SP1およびSP1aのセキュリティ更新プログラムのサポートを2006年10月11日に終了しました |language=英語 |publisher=マイクロソフト |accessdate=2006-10-30 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061108064636/http://support.microsoft.com/gp/lifean19 |archivedate=2006-11-08}}</ref>。 ; Service Pack 2 : [[2004年]][[9月2日]]に公開された。当初従来通りのService Packの予定であったが、計画の段階で相次いでMSBlasterなどの[[セキュリティホール]]を狙った悪意のあるソフトウェアの出現や[[不正アクセス]]事件が多発したことを受け、セキュリティの強化が最重点項目となっている。名称も従来では単にService Pack 2となるところが「Service Pack 2 セキュリティ強化機能搭載」と“副題”が付けられている。マイクロソフトの内部では、XP SP2としてリリースするのではなく、「XP Release 2」という名称で、再パッケージ化して販売しようという計画もあった。入手方法は従来通りマイクロソフトのサイトからのダウンロードと[[Microsoft Update|Windows Update]]で行われた他、PC販売店や一部の家電量販店、[[郵便局 (企業)|郵便局]]にて小冊子付CD-ROM配布も行われた、2004年以降のXPはSP2が標準で適用されている。[[2010年]][[7月13日]]にサポートが終了した<ref name="xpsp2_lifecycle">{{Cite web|和書|url=http://windows.microsoft.com/ja-JP/windows/help/end-support-windows-xp-sp2-windows-vista-without-service-packs |title=Windows サポート終了情報 |publisher=マイクロソフト |accessdate=2011-07-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110721040816/http://windows.microsoft.com/ja-JP/windows/help/end-support-windows-xp-sp2-windows-vista-without-service-packs |archivedate=2011-07-21}}</ref>。 :; Service Pack 2b :: 2006年[[7月22日]]に、一部の店舗で販売された。内容はSP2に一部の修正プログラムを適用したものである<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.watch.impress.co.jp/akiba/hotline/20060722/etc_xpsp2b.html |title=Windows XP SP2bが発売に、一部の最新パッチ適用済み |publisher=Impress Watch |accessdate=2006-07-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060721224025/http://www.watch.impress.co.jp/akiba/hotline/20060722/etc_xpsp2b.html |archivedate=2006-07-21}}</ref>。 :; Service Pack 2c :: [[2007年]](米国では8月。日本では不明)から販売された<ref>{{Cite web|和書|title=Windows XPの「SP2c」って知ってます?|url=https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/blog/archives/2007/10/windows_xpsp2c.html|publisher=Impress Watch|accessdate=2009-01-25}}</ref>。SP2cではプロダクトキーの不足に対応するためプロダクトキーの系統が変わった。この変更によりSP2b以前のインストールメディアではSP2cのプロダクトキーが使用できない。ただし、参照リンク先の「SP2c 付属のインストール メディアでインストールを行う際、従来(SP2bまで)のプロダクト キーを入れてしまうと“無効なプロダクト キー”と判定されてしまう」という記述は誤りであり、実際にはSP2c付属インストール メディアではSP2b以前のプロダクトキーを使用することはできる。 ; Service Pack 3 : 2008年[[4月21日]]に完成し、2008年[[5月6日]]にMicrosoftダウンロードセンターおよびWindows Updateで公開された。[[Network Access Protection]]、ブラックホールルーター検出、カーネルレベルでのFIPS 140-1 Level 1準拠の暗号化サポートがサポートされ、プロダクト アクティベーション システムが変更された。既にインストール済みの環境に SP3を適用する場合、SP1もしくはSP2が適用されている必要がある。SPが未適用の初期バージョンには、直接SP3を適用することはできない。また、SP3を適用したメディアはOEM向けにのみ提供されリテールパッケージは販売されていない。2014年[[4月9日]]、サポートを終了した。 === サポート ライフサイクル === 従来のマイクロソフトの方針では、家庭向けのエディションでは'''メインストリーム サポート フェーズ'''(次のバージョンのWindows発売から2年後まで)しか提供せず、ビジネス・開発向けのエディションのみ'''延長サポート フェーズ'''(メインストリーム サポート終了後5年間)を提供してきた。しかし、Windows XP Home Editionは市場で非常に多く使われていたため、メインストリーム サポート期間をもってサポートを打ち切ると、重大な脆弱性が発見されてもセキュリティ アップデートが提供されず、無防備な状態のPCが巷にあふれることが懸念された<ref>{{Cite web|和書|url=http://ascii.jp/elem/000/000/011/11007/|title=XP Homeのサポートが2014年まで延長――マイクロソフト、Windows XP Home Editionのサポート提供期間延長を発表|date=2007-01-25|publisher=Ascii|accessdate=2009-04-05}}</ref>。[[2007年]][[1月25日]]、マイクロソフトは市場の状況を鑑み、「Windows XP Home EditionおよびMedia Center Editionについても、(家庭向けのエディションであるが)5年間の延長サポートフェーズを提供する」と発表した<ref name="Vista_lifeCycle">{{Cite web|和書|url=http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=2947 |title=Windows(R) XP Home Editionのサポート提供期間を2014年4月まで延長 |publisher=マイクロソフト|date=2007-01-25 |accessdate=2008-01-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080213080033/http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=2947 |archivedate=2008-02-13}}</ref>。これにより、Home EditionおよびMedia Center Editionはサポート期限が[[2009年]][[4月14日]]から2014年4月8日へ延長された{{efn2|一時的に後継OSのWindows Vistaの家庭向けエディション群(BusinessとEnterpriseを除くエディション)のサポート期限「[[2012年]][[4月10日]]」との逆転現象が発生したが、2012年[[2月20日]]にWindows Vistaのサポート期間改訂により、解消された。}}。発売開始より約12年半にもおよぶという、PC用ソフトとしてはかなりの長期サポートとなる{{efn2|ただし、[[Microsoft Windows 1.0|Windows 1.0]]は発売から約16年、[[Microsoft Windows 2.0|Windows 2.0]]も発売から約14年と、Windows XPよりも長い期間サポートされていた。}}。 なお、ProfessionalとTablet PC Editionに関してはビジネス・開発用製品扱いのため、従前どおり延長サポート フェーズが提供される。また、Windows XPベースの[[組み込みシステム]]向け[[組み込みオペレーティングシステム|OS]]であるWindows XP Embeddedは[[2016年]][[1月12日]]を以って延長サポートが終了した<ref name="Microsoft Support Lifecycle_Embedded">{{Cite web|和書|date=2015年6月22日 |url=https://support.microsoft.com/lifecycle/?p1=3220 |title=マイクロソフト サポート ライフサイクル |publisher=[[マイクロソフト]] |accessdate=2015-10-22}}</ref>。このほか、Windows Embedded Standard 2009は[[2019年]][[1月8日]]まで<ref name="Microsoft Support Lifecycle_WES2009">{{Cite web|和書|date=2015年6月22日 |url=https://support.microsoft.com/lifecycle/?p1=14100 |title=マイクロソフト サポート ライフサイクル |publisher=[[マイクロソフト]] |accessdate=2015-10-22}}</ref>、Windows Embedded POSReady 2009は[[2019年]][[4月9日]]までそれぞれ延長サポートとなる予定である<ref name="Microsoft Support Lifecycle_POSReady 2009">{{Cite web|和書|date=2015年6月22日 |url=https://support.microsoft.com/lifecycle/?p1=14086 |title=マイクロソフト サポート ライフサイクル |publisher=[[マイクロソフト]] |accessdate=2015-10-22}}</ref>。 2014年4月9日([[日本標準時]])を以って'''延長サポートが切れ、更新プログラムの提供が全て終了した。'''マイクロソフトは'''[[Microsoft Windows 7|Windows 7]]以降の最新のWindowsへの早めの移行'''を呼び掛けている。しかし、中小企業などでは会社内のネットワークシステムを[[デファクトスタンダード]]だったXP向けに構築している会社も非常に多く、予算不足などから思いのほか移行が進められていない会社も少なくない。さらに[[東日本大震災]]によって被災した[[福島県]]、および[[宮城県]]、[[岩手県]]、一部の関東地方の各学校や各企業などでは、建物の耐震改修やパソコンより重要な業務機材などの購入に予算を取られ、期限切れまでにパソコンを更新できない自治体や企業、学校が続出しており、こちらも大きな問題となっている。家庭や企業のPCに大量に導入されたWindows XPの延長サポート切れに伴う諸問題について'''2014年問題'''と呼ばれることがある<ref>{{Cite news|url=https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1305/13/news057.html|title=「2014年問題/XPサポート終了」って何?|date=2013-05-13|accessdate=2014-02-08|author=鈴木淳也|publisher=ITmedia}}</ref>。 また、[[独立行政法人]][[情報処理推進機構]](IPA)は、既に延長サポートが全て終了したWindows XPのセキュリティ上の危険性を指摘しており<ref>[https://www.ipa.go.jp/security/announce/winxp_eos.html Windows XPのサポート終了に伴う注意喚起] - 独立行政法人情報処理推進機構 2014年5月15日。</ref>、'''なるべく、ネットワークに接続しない単独の専用システム([[スタンドアローン]])にしたうえで[[USBメモリ]]や[[フロッピーディスク|FD]]、[[光磁気ディスク|MO]]、外付け[[ハードディスクドライブ|HDD]]などの外部[[補助記憶装置]]でデータ交換しない'''ことを呼びかけている。このほか、[[VMware]]や[[VirtualBox]]、Pro以上のバージョンに搭載されている64ビット版[[Microsoft Windows 8|Windows 8/]][[Microsoft Windows 8.1|8.1/]][[Microsoft Windows 10|10]]専用の[[Hyper-V|クライアントHyper-V]]、Professional以上のバージョンに搭載されている[[Windows 7]]のXP Modeなどの仮想デスクトップ([[ハイパーバイザ]])上で稼働しているWindows XPであってもセキュリティ上の危険性を指摘している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nikkeibp.co.jp/article/tk/20140326/389820/?ST=xp2014&P=4|title=【さよなら Windows XP】サポート終了後もネットにつながなければ問題なし? Q10.Windows 7の仮想化機能なら安全?|publisher=日経BPネット|date=2014-04-01|accessdate=2014-04-03}}</ref>。 その一方で、一部の法人向け[[アンチウイルスソフトウェア|セキュリティソフト]]については、マイクロソフトのサポート打ち切り後も、[[2018年]][[7月5日]]までWindows XPのサポートを継続する製品も存在している<ref>[https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20130510/476133/ 日経コンピュータReport 2013年5月21日]</ref>。[[キヤノンITソリューションズ]]の[[ESET]] Endpoint Securityを含めた製品は2018年1月31日まで<ref>[https://eset-support.canon-its.jp/faq/show/6158?site_domain=business イーセット]</ref>、米[[シマンテック]]の[[Symantec Endpoint Protection]] 12.xは2018年7月5日→2021年4月3日まで<ref>[https://support.symantec.com/ja_JP/article.TECH239769.html シマンテック]</ref>、[[トレンドマイクロ]]の[[ウイルスバスター]] コーポレートエディション 10.6は有償の延長サポートは2019年1月30日まででその他の製品も少なくとも2021年1月31日まで利用可能のものもある<ref>[https://www.trendmicro.com/ja_jp/about/announce/announces-20160701-01.html トレンドマイクロ]</ref>、露[[カスペルスキー]]のKaspersky Endpoint Security 10 for Windowsなどは最短でも2016年1月末日まで<ref>[https://support.kaspersky.co.jp/10929 カスペルスキー]</ref>、米[[マカフィー]]のMcAfee Endpoint Protection Suiteは2015年12月31日でサポート終了<ref>[https://kc.mcafee.com/corporate/index?page=content&id=KB78434&locale=ja_JP&viewlocale=ja_JP マカフィー]</ref>、フォティーンフォティ技術研究所(FFRI)のFFRI yaraiは2017年12月31日まで<ref>[https://www.ffri.jp/news/release_20130424.htm フォティーンフォティ]</ref>。 政府機関や企業向けの有償カスタムサポートは、2014年4月9日以降も提供される。実際に英国やオランダの政府が契約している<ref>{{Cite web|和書|url=http://wired.jp/2014/04/07/windows-xp-alive/ |title=Windows XPを使い続けられるようオランダと英国が「延命」契約。その支払い額は? |publisher=[[WIRED_(雑誌)#『WIRED』日本版|WIRED.jp]] |language=日本語 |date=2014年4月7日 |accessdate=2014年8月28日}}</ref>。 マイクロソフトはXPからの移行キャンペーンとして、XPの各種要素をモチーフにした敵を倒すブラウザゲーム「Escape from XP」を公開している<ref>[http://www.modern.ie/en-us/virtualization-tools#escape-from-xp Escape from XP]</ref>。ゲームの最後はXPが爆破されるという演出になっている<ref>[https://www.4gamer.net/games/048/G004888/20140415034/ Microsoft公式のWindows XP駆逐ゲーム「Escape from XP」がmodern.IEで公開中] - [[4Gamer.net]]</ref>。 なお、[[2014年]][[4月8日]]([[日本時間]]4月9日)をもってWindows XPの延長サポートが全て終了となった直後、マイクロソフトは米国時間2014年4月26日、[[Internet Explorer]]の更新プログラムが配布された際、Internet Explorer6から11までのバージョンに脆弱性があると発表し、「サポート切れからまだ間もない」という理由で「特例」として'''XPも更新プログラムの対象'''となりIE6向けにも例外的に2014年5月2日セキュリティ更新プログラム(パッチ)を公開した(KB2964358)<ref>[https://xtech.nikkei.com/it/article/NEWS/20140502/554422/?top_tl1 「IEのゼロデイ脆弱性」を修正するパッチが緊急公開、Windows XPも対象]</ref><ref>[https://technet.microsoft.com/ja-jp/library/security/ms14-021 マイクロソフト セキュリティ情報 MS14-021 - 緊急]</ref>。 また、[[2017年]][[5月15日]](日本時間)には同年5月12日(米国時間)より全世界各国で流行発生している新型ランサムウェア ("[[WannaCry]]") によるサイバー攻撃の被害が深刻であったがこれについての対策状況を告知。このランサムウェアが悪用しているセキュリティーホールがもはやアップデートパッチの提供されていない(またはパッチを当てていない)システムのみに存在するため、サポート中のVista以降のOSに加えて本来は3年前にサポート終了済のXPや2年前にサポート終了済みのServer 2003も再び例外的にセキュリティ更新プログラム(パッチ)が特例として公開 (KB4012598) 配布された(すでに淘汰の進んだWindows 2000などは対象外)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1705/15/news088.html|title=日本マイクロソフト、ランサムウェア攻撃に関する対策状況を告知――Windows XP/8用の更新プログラムも“例外的”に提供|publisher=ITmedia|date=2017-05-15|accessdate=2017-05-15}}</ref>。 現地時間[[2019年]][[5月14日]]に、リモート デスクトップ サービス(Remote Desktop Services、かつてはTerminal Servicesとも)に重大なリモートコード実行の脆弱性 (CVE-2019-0708) が存在するので、Windows 7とWindows Server 2008およびWindows Server 2008 R2などにWindows Updateを介したパッチの提供を行っている。Windows XPとWindows Server 2003に対しても修正プログラム「KB4500331」をMicrosoft Update カタログで提供。Windows 8.1やWindows 10などはセキュリティ強化が施されているので提供されない<ref>[https://forest.watch.impress.co.jp/docs/news/1184520.html impress]</ref>。 == システム要件 == {| class="wikitable" |+ Windows XP システム要件 (x86) !CPU |300MHz以上のIntel Pentium/Celeronファミリー、AMD K6/Athlon/Duronファミリー(いずれも600MHz以上を推奨)または互換性のあるCPU(Professionalでは2個の物理CPUまで対応)<br>PC-9800/9821シリーズには対応しない |- !メモリ |128MB以上(96MB以下の場合、一部の機能に制限が加わる。384MB以上を推奨<ref>SP3は512MB以上を推奨</ref>) |- !{{Nowrap|ハードディスク}} |1.5GB以上の空き容量(ネットワーク経由のインストールではそれ以上必要な場合がある。SP2では2.1GB以上の空き容量)また最初期のXPにのみ137GB以上の容量を認識できないバグがあり(BIGドライブ問題)初期版の場合は対策をする必要な場合がある、SP1以降のXPであれば基本的に発生しない。 |- !ディスプレイ |Super VGA(800x600)以上の高解像度ディスプレイアダプタを推奨 |- !ディスク装置 |CD-ROMまたはDVD-ROMドライブ<!-- BD-ROMドライブでも可能だがBlu-ray discを使用するにはUDF2.60を導入する必要がある。--> |- !その他 |Microsoft Mouse、Microsoft IntelliMouseまたは互換性のあるポインティングデバイス |} {| class="wikitable" |+ Windows XP Professional x64 Edition システム要件 !CPU |AMD Athlon 64、AMD Opteron、Intel EM64Tに対応したIntel XeonおよびIntel Pentium 4 |- !メモリ |256MB以上(512MB以上を推奨) |- !ハードディスク |1.5GB以上の空き領域(ネットワーク経由のインストールではそれ以上必要な場合がある) |- !ディスプレイ |Super VGA(800x600)以上の高解像度ディスプレイアダプタとモニター |- !ディスク装置 |CD-ROMまたはDVD-ROM ドライブ |- !その他 |Microsoft Mouse、Microsoft IntelliMouseまたは互換性のあるポインティング デバイス |} == アップグレード、新規インストール、拡張キット、アンインストールなど == === 旧バージョンからのアップグレードおよびアンインストール === Windows XPは、[[Windows NT系]]列のOSとして開発されているため、本来なら[[Microsoft Windows NT 4.0|Windows NT 4.0]](SP5以降)や[[Microsoft Windows 2000|Windows 2000]]からのアップグレードを想定しているが、Windows NT系列のOSと[[Windows 9x系]]列のOSは[[Windows API|Win32]]という共通の[[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]を備えている上、Windows XPは前述の通りWindows NT系列とWindows 9x系列の統合を目的として開発されているため、Windows 9x系列のOSの基本的な機能も含まれている。そのため[[Microsoft Windows 98|Windows 98]](SEも含む。以下同じ)や[[Microsoft Windows Millennium Edition|Windows Me]]からでもアップグレード可能。特に、Windows XP Home Editionへは、Windows 9x系列であるWindows 98とWindows Meからしかアップグレードできない。また、これらがインストールされた環境では、アップグレードの他に新規インストールも行える。[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]やWindows NT 3.51やWindows 2000からはセットアッププログラムを起動させるとエラーメッセージが表示してしまい、先に進まない(そのため新規インストールも行えない)。Windows 98とWindows Meのどちらからアップグレードしてもそのシステムファイルが保存されれば、後でWindows XPを[[アンインストール]]して旧バージョンへ戻すことは可能。ただし、旧バージョンのシステムファイルの保存はWindows XPをインストールするパーティションに十分な空き容量が残っている必要がある。Windows XPをインストールできる容量はあっても旧バージョンのシステムファイルを保存する容量まではない場合は、その旨を伝えるメッセージが表示され、旧バージョンのシステムファイルは保存されない。この場合は、たとえWindows 98やWindows Meからアップグレードした場合でも後でWindows XPをアンインストールすることはできない。 一方Windows XP Professionalへは、Windows 98、Windows Me、Windows NT 4.0 Workstation、Windows 2000 Professional、Windows XP Home Editionのいずれかからアップグレード可能。Home Edition同様、Windows 95やNT 3.51からはアップグレードできない(セットアップ開始時に強制終了してしまうため、基本的には新規インストールも行えないが、パッケージによってはアップグレードができないだけで、Windows 95からセットアップを起動し、Windows XP Professionalの新規インストールを行えるものはある。MSDNなどで配布されるWindows XP Professionalがこれにあたる。Home Editionも同様)。また、アンインストールはWindows 98とWindows Meからアップグレードした場合に限り可能(Windows NT Workstation 4.0、Windows 2000 Professional、Windows XP Home Editionからアップグレードした場合はアンインストールできない)。ちなみに、通常のXP Professionalへのアップグレード版は、SP未適用の[[ソフトウェアリリースライフサイクル#製造工程へのリリース(RTM)|RTM]]はXP Home Editionからはアップグレードの対象とはなっていなかったが、SP1以降は対象となった。なお、日本語版のみWindows 2000 Professionalのみからアップグレード可能の'''Windows XP Professional 期間限定特別アップグレード版'''もあった。 また、Windows XP Media Center EditionとWindows XP Tablet PC Editionにはアップグレード版が存在しないが、基本的にWindows XP Professionalと同じセットアッププログラムでインストールが進行し、途中で該当バージョンに分岐する(これらのバージョンにはインストールCDが2つあり、1つ目のインストールCDからセットアップを開始すると最初に「'''Windows XP Professional セットアップ'''」と表示され、[[ソフトウェア利用許諾契約|使用許諾契約書]]の一番上の行にも「Microsoft Windows XP Professional」と表示される)。ただし、Windows XPのOEM版CD-ROMはアップグレードインストールをサポートせず、アップグレードアナライザも実行できないように制限されているため、旧バージョンからアップグレードするには特殊な手順を踏む必要がある。ちなみにこれらのバージョンにアップグレードした場合でも、アップグレード元がWindows 98かWindows Meならば、これらのバージョンをアンインストールして元のバージョンに戻すことができる。 === 新しいバージョンへのアップグレードおよびアンインストール === Windows XPからは[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]と[[Microsoft Windows 7|Windows 7]]、[[Microsoft Windows 8|Windows 8]]にアップグレードすることができる。しかし、Windows 7へは直接アップグレードすることはできず、新規インストールを行うか、間にWindows Vistaを挟む必要がある。Windows Vistaにアップグレードする場合、アップグレード元のWindows XPにはService Pack 2以上が予め適用されている必要がある。Windows 7に新規インストールという形でアップグレードする場合も同様。Windows 8にアップグレードする場合は、Service Pack 3が予め適用されている必要がある。また、Windows XP Home Editionからは、Windows Vistaの全てのエディションにアップグレード可能であるが(StarterとEnterpriseを除く)、Windows XP ProfessionalとWindows XP Tablet PC EditionからはWindows VistaのBusinessかUltimateにしかすることができない(Professional x64からは直接アップグレードすることができず、新規インストールを行う必要がある)。Windows XP Media Center EditionからはHome PremiumかUltimateにのみアップグレード可能。 また、Windows XPのどのバージョンからWindows Vistaのすべてのエディションにアップグレードしても、それらを[[アンインストール]]してWindows XPに戻すことはできない。これは、Windows XPからWindows Vistaにアップグレードする前に、システムパーティションを強制的にFAT32からNTFSに変換しなければならないためである。NTFSは通常、[[Microsoft Windows 98|Windows 98]]や[[Microsoft Windows Millennium Edition|Windows Me]]のような[[Windows 9x系]]のOSには対応しておらず、インストール・アンインストール共にできない。Windows 98かWindows Meを'''Windows XPのインストール先と同じパーティションに旧バージョンのシステムファイルを保存する形で'''Windows XPにアップグレードした環境をさらにWindows Vistaにアップグレードすると、Windows XPにアップグレードする際に保存された旧バージョンのシステムファイルは強制的に(システムパーティションをNTFSに変換した段階で)削除される。また、[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]や[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.1]]からWindows 98にアップグレードし、それをさらに(Windows XPをインストールするパーティションとは別のパーティションに旧バージョンのシステムファイルを保存するという形で)Windows XPにアップグレードした環境や、Windows 98をWindows Meにアップグレードし、それをさらにWindows XPにアップグレードした環境をWindows Vistaにアップグレードすると、Windows XPにアップグレードする前のアップグレードによって保存された旧バージョンのシステムファイルは使用不能になる(その旧システムファイルのデータにアクセスすること自体はできるが、アンインストール機能がなくなるため、そのままでは使い道はほぼ無い)。最初からNTFSパーティションにインストールされたWindows XPをWindows Vistaにアップグレードした場合でも、アンインストールは基本的にできない。 === アップグレード版を使用しての新規インストール === Windows XPのアップグレード版を使って新規インストールを開始した場合、セットアップの途中でアップグレード認証を行わなければならない(ハードディスクにWindows 2000がインストールされている場合は除く)。これは古いバージョンのWindowsを所持しているかどうかを確認するために行われるが、上述のアップグレード対象製品と違い、以下のバージョンのWindows CDのいずれかを1枚持っていれば、取りあえずアップグレード認証は通過できる。ただし、購入したアップグレードパッケージに記載されているアップグレード対象製品のCDとそのライセンスが手元にない場合、Microsoftの使用許諾契約書の条項に違反することになる(正規ライセンスからのアップグレードと見なされないため)。例えば、手元にWindows 95のCDとライセンスしかないにもかかわらず、Windows XP Home Editionのアップグレード版CD-ROMを使って新規インストールを開始し、アップグレード認証にそのWindows 95のCD(Companion CDでも可能)を使用した場合や、Windows XP Professionalの「'''ステップアップグレードパッケージ'''」(後日期間限定で発売されたHome EditionからProfessionalへの専用アップグレードパッケージ)を使ってWindows XP Home Edition以外のバージョン(Windows 98など)からWindows XP Professionalにアップグレードした場合などがこれに当てはまる(Windows 95はWindows XPのどのバージョンのアップグレード対象製品にもなっておらず、「Windows XP Professional ステップアップグレードパッケージ」もWindows XP Home Edition以外のバージョンがアップグレード対象製品になっていないため)。 * Windows XP Home Editionの場合:Windows 95(Companion CDでも可能)、Windows 98(Second Edition アップデートCDでも可能)、Windows Me、[[Microsoft Windows 2000|Windows 2000 Professional]] * Windows XP Professionalの場合:Windows 95(Companion CDでも可能)、Windows 98(Second Edition アップデートCDでも可能)、Windows Me、[[Microsoft Windows NT|Windows NT Workstation 3.51]]、[[Microsoft Windows NT 4.0|Windows NT Workstation 4.0]]、Windows 2000 Professional、Windows XP Home Edition(通常版)、Windows XP Professional(通常版) 上記のうち、通常版を要求されるWindows XP以外のバージョンのCDを挿入する場合、それがアップグレード版だったとしても認証することができる。 === 追加ライセンスパック === すでにWindows XPのパッケージ製品を持つユーザーが、2台目以降のPCへ、同じWindows XPのエディションを追加する際に必要となる、プロダクトキーのみのパッケージでCD-ROMは付属していない。 === Microsoft Plus! for Windows XP === Professionalに拡張キットの[[Microsoft Plus!]]がセット。 === Windows 20周年記念パッケージ === 2005年11月に日本限定で行われた企画で、Windows誕生20周年を記念しWindows XP Professionalアップグレード版(SP2適用)の特別パッケージが 9999本限定で販売された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=2500 |title=Microsoft(R) Windows(R) 20周年記念パッケージを発売 |publisher=マイクロソフト |date=2005-11-16 |accessdate=2011-10-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060615111903/http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=2500 |archivedate=2006-06-15}}</ref>。パッケージは専用の「20」と大きく書かれたものを採用し、Windowsの20年間の歩みが書かれた年表がパッケージに印刷されている。その他、通常パッケージとの差は以下の通り。 * Windows 95、98、Me、2000のレプリカCDが付属(OSが記録されていないラベルだけのディスク。インストールはできない) * Windows 95 - XP(Professional)のパッケージのクラフトモデルが付属 * Windows 20周年記念[[切手]](通用する)・記念ステッカーが同梱されている * 購入者全員にWindows Vistaの早期プレビュー版・Windows 20周年記念ビデオ クリップとデスクトップテーマの収録されたCD-ROMが送られるクーポンが付属 * 上記の申込者の中から抽選で[[ビル・ゲイツ]]のサイン入りWindows Vistaパッケージがプレゼントされる企画 === Windows XP Ready PCs === Windows XPが使用できることをPCメーカーやマイクロソフトから保証されたPCで、主に2001年夏モデルが対象となっていた。このグループに認定されたPCは、Windows XP発売と同時に専用のアップグレードプログラムにより、既存のWindowsをWindows XPに入れ替えられるのはもちろん、プレインストールされているアプリケーションやハードウエアデバイスドライバをWindows XP対応済のバージョンに修正・入れ替えて、アプリケーションソフトウェアや周辺機器をWindows XPで使えるようになっていた。 なお、プレインストールのWindows Meの場合はWindows XP Home Editionへの、Windows 2000の場合はWindows XP Professionalへのアップグレードとなっていた。 === 正規Windowsの特典 === 2005年以降、[[Windows Genuine Advantage]]により正規のWindowsであることが認証された場合の特典として、LZH([[LHA]])圧縮ファイルの展開機能をサポートする[[プラグイン]]である「[[Microsoft 圧縮 (LZH 形式) フォルダ|Microsoft 圧縮(LZH形式)フォルダ]]」や、フォトアルバムソフトの「Microsoft Photo Story 3」、神経衰弱ゲームの「Microsoft Match-Up!」などが用意され配布された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=2223 |title=マイクロソフト、Windows(R) XP ユーザー向けの特典提供プログラム、Windows Genuine Advantage Programの試験運用を3月15日から開始 〜Windows XPユーザーに特典ソフトウエアを提供〜 |publisher=マイクロソフト |date=2005-03-15 |accessdate=2011-10-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050316140435/http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=2223 |archivedate=2005-03-16}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://forest.watch.impress.co.jp/article/2005/07/29/matchupjp.html |title=MS、Windows XPの正規ユーザー特典として神経衰弱ゲーム「Match-Up!」を配布 |publisher=窓の杜 |date=2005-07-29 |accessdate=2011-10-01}}</ref>。 == 草原の壁紙== === 草原の場所 === Windows XPをインストールした際にデフォルトで設定されている壁紙の「[[草原 (画像)|草原]]」(英語名「Bliss」)は、[[カリフォルニア州]][[ソノマ郡 (カリフォルニア州)|ソノマ郡]]の、[[カリフォルニアワイン]]産地としても知られるソノマ・ヴァレー。実在する風景である。マイクロソフトでは撮影者を非公開としているが、チャールズ・オレアという[[カメラマン]]が撮影したという説が有力とされている。なお、マイクロソフトは採用される壁紙について「壁紙はプロの写真家や社内の公募から候補を挙げて製品コンセプトに合うイメージのものを採用している。候補には挙がったものの採用されないものが大量にあり、製品出荷前のベータ版には異なった壁紙が採用されていることもあるのでそちらが話題になることもある。」と回答している<ref>{{Cite web|和書|url= https://r25.jp/it/90003274/|title=Windows XP標準の壁紙「草原」あの丘はどこにあるの? |publisher=[[R25 (雑誌)|web R25]] |accessdate= 2017-09-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161220210957/https://r25.jp/it/90003274/ |archivedate=2016-12-10}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} ==関連項目== *[[:en:Like Humans Do|Like Humans Do]] *[[プロダクトアクティベーション]] == 外部リンク == {{Commonscat-inline}} * {{Wayback |url=http://windows.microsoft.com/ja-JP/windows/products/windows-xp |title=公式ウェブサイト |date=20121024192852}} {{Windows}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:WindowsXP}} [[Category:Windows XP|*]] [[Category:2001年のソフトウェア]]
2003-02-27T09:11:58Z
2023-11-16T13:55:06Z
false
false
false
[ "Template:Wayback", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Normdaten", "Template:Infobox OS version", "Template:Notelist2", "Template:See also", "Template:Cite", "Template:Cite news", "Template:Efn2", "Template:Anchors", "Template:Cite web", "Template:Commonscat-inline", "Template:Windows", "Template:Pathnav", "Template:Nowrap" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/Microsoft_Windows_XP
2,986
ジェリウムモデル
ジェリウム(Jellium)は、固体中の原子核がもつ正電荷と電子密度が、固体内で均一に分布していると仮定する模型である。この模型によって、結晶格子などの固体の構造を無視して、固体中の電子の量子力学的性質と、固体中の電子との相互作用によって起こる効果について比較的簡単に議論することが可能になる。均一電子ガスまたは一様電子ガス(uniform electron gas、UEG; homogeneous electron gas、HEG)とも呼ばれる。 ジェリウムは、非局在化した金属中の電子の単純な模型として、固体物理学でしばしば使われ、遮蔽、プラズモン、ウィグナー結晶化、フリーデル振動といった金属の特徴を定性的に再現できる。 絶対零度では、ジェリウムの性質は一定の電子密度にのみ依存する。これが密度汎関数理論内での取り扱いに役立つ。ジェリウム模型自身は交換-相関エネルギー密度汎関数への局所密度近似の基礎を与える。 「Jellium」という用語は、コニャーズ・ヘリング(英語版)による造語である。これは「positive jelly」背景とそれが示す典型的な金属的振る舞いを暗示する。 ジェリウムモデルのみ(例:正電荷のジェリウム+自由電子)で電子状態の計算が行われる以外にも、バンド計算においては単位胞内で通常電荷の中性が保たれるが、電子が過剰あるいは過少にあると仮定し、そのままの計算ではエバルト項などが発散してしまう場合に使われる。この発散の問題を解消するため、電子が過剰な場合は全体の電荷中性を満たすよう、正(過少なら負)の一様な電荷(→ジェリウム)を分布させる。ただし、これは近似なので、現実の系を正しく記述できてはいない。 電子系のハミルトニアンが で与えられるときを考える。ここで、 V L ( r i ) {\textstyle V_{L}({\boldsymbol {r}}_{i})} は格子ポテンシャルで、 E I {\displaystyle E_{I}} はイオンの背景電荷によるエネルギーである。これらは で定義される。ここで r i {\displaystyle {\boldsymbol {r}}_{i}} は i {\displaystyle i} 番目の電子の位置、 R λ {\displaystyle {\boldsymbol {R}}_{\lambda }} は λ {\displaystyle \lambda } 番目のイオンの位置、 m {\displaystyle m} は電子の電荷、 Z λ {\displaystyle Z_{\lambda }} はイオンの価数を表す。ジェリウムモデルでは、格子ポテンシャルを連続体近似して、 とする。ここで n {\displaystyle n} は電子密度、 n I {\textstyle n_{I}} はイオン密度である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ジェリウム(Jellium)は、固体中の原子核がもつ正電荷と電子密度が、固体内で均一に分布していると仮定する模型である。この模型によって、結晶格子などの固体の構造を無視して、固体中の電子の量子力学的性質と、固体中の電子との相互作用によって起こる効果について比較的簡単に議論することが可能になる。均一電子ガスまたは一様電子ガス(uniform electron gas、UEG; homogeneous electron gas、HEG)とも呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ジェリウムは、非局在化した金属中の電子の単純な模型として、固体物理学でしばしば使われ、遮蔽、プラズモン、ウィグナー結晶化、フリーデル振動といった金属の特徴を定性的に再現できる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "絶対零度では、ジェリウムの性質は一定の電子密度にのみ依存する。これが密度汎関数理論内での取り扱いに役立つ。ジェリウム模型自身は交換-相関エネルギー密度汎関数への局所密度近似の基礎を与える。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「Jellium」という用語は、コニャーズ・ヘリング(英語版)による造語である。これは「positive jelly」背景とそれが示す典型的な金属的振る舞いを暗示する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ジェリウムモデルのみ(例:正電荷のジェリウム+自由電子)で電子状態の計算が行われる以外にも、バンド計算においては単位胞内で通常電荷の中性が保たれるが、電子が過剰あるいは過少にあると仮定し、そのままの計算ではエバルト項などが発散してしまう場合に使われる。この発散の問題を解消するため、電子が過剰な場合は全体の電荷中性を満たすよう、正(過少なら負)の一様な電荷(→ジェリウム)を分布させる。ただし、これは近似なので、現実の系を正しく記述できてはいない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "電子系のハミルトニアンが", "title": "ハミルトニアン" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "で与えられるときを考える。ここで、 V L ( r i ) {\\textstyle V_{L}({\\boldsymbol {r}}_{i})} は格子ポテンシャルで、 E I {\\displaystyle E_{I}} はイオンの背景電荷によるエネルギーである。これらは", "title": "ハミルトニアン" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "で定義される。ここで r i {\\displaystyle {\\boldsymbol {r}}_{i}} は i {\\displaystyle i} 番目の電子の位置、 R λ {\\displaystyle {\\boldsymbol {R}}_{\\lambda }} は λ {\\displaystyle \\lambda } 番目のイオンの位置、 m {\\displaystyle m} は電子の電荷、 Z λ {\\displaystyle Z_{\\lambda }} はイオンの価数を表す。ジェリウムモデルでは、格子ポテンシャルを連続体近似して、", "title": "ハミルトニアン" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "とする。ここで n {\\displaystyle n} は電子密度、 n I {\\textstyle n_{I}} はイオン密度である。", "title": "ハミルトニアン" } ]
ジェリウム(Jellium)は、固体中の原子核がもつ正電荷と電子密度が、固体内で均一に分布していると仮定する模型である。この模型によって、結晶格子などの固体の構造を無視して、固体中の電子の量子力学的性質と、固体中の電子との相互作用によって起こる効果について比較的簡単に議論することが可能になる。均一電子ガスまたは一様電子ガスとも呼ばれる。
{{出典の明記|date=2017-05-06}} '''ジェリウム'''(Jellium)は、固体中の原子核がもつ[[正電荷]]と[[電子密度]]が、固体内で均一に分布していると仮定する[[モデル (自然科学)|模型]]である。この模型によって、[[結晶格子]]などの固体の構造を無視して、固体中の電子の量子力学的性質と、固体中の電子との相互作用によって起こる効果について比較的簡単に議論することが可能になる。'''均一電子ガス'''または'''一様電子ガス'''(uniform electron gas、'''UEG'''; homogeneous electron gas、'''HEG''')とも呼ばれる。 == 概要 == ジェリウムは、非局在化した金属中の電子の単純な模型として、[[固体物理学]]でしばしば使われ、[[遮蔽]]、[[プラズモン]]、[[ウィグナー結晶]]化、[[フリーデル振動]]といった金属の特徴を定性的に再現できる。 [[絶対零度]]では、ジェリウムの性質は一定の[[電子密度]]にのみ依存する。これが[[密度汎関数理論]]内での取り扱いに役立つ。ジェリウム模型自身は[[交換相互作用|交換]]-[[電子相関|相関]]エネルギー密度汎関数への[[局所密度近似]]の基礎を与える。 「Jellium」という用語は、{{仮リンク|コニャーズ・ヘリング|en|Conyers Herring}}による造語である。これは「positive jelly」背景とそれが示す典型的な金属的振る舞いを暗示する<ref>{{cite journal|doi=10.1162/posc.2006.14.4.457|last=Hughes|first=R. I. G. |year=2006|title=Theoretical Practice: the Bohm-Pines Quartet|journal=Perspectives on Science|volume=14|issue=4|pages=457–524|url=http://muse.jhu.edu/journals/perspectives_on_science/v014/14.4hughes.pdf}}</ref>。 ジェリウムモデルのみ(例:正電荷のジェリウム+[[自由電子]])で電子状態の計算が行われる以外にも、[[バンド計算]]においては[[単位胞]]内で通常電荷の中性が保たれるが、[[電子]]が過剰あるいは過少にあると仮定し、そのままの計算では[[エバルト項]]などが発散してしまう場合に使われる。この発散の問題を解消するため、電子が過剰な場合は全体の電荷中性を満たすよう、正(過少なら負)の一様な電荷(→ジェリウム)を分布させる。ただし、これは近似なので、現実の系を正しく記述できてはいない。 == ハミルトニアン == 電子系のハミルトニアンが :<math> H^{(\mathrm{e})}=\sum_{i}\left(\frac{\boldsymbol{p}^{2}_{i}}{2m}+V_{L}(\boldsymbol{r}_{i})\right)-\sum_{i\neq{}j}\frac{e^{2}}{|\boldsymbol{r}_{i}-\boldsymbol{r}_{j}|}+E_{I}</math> で与えられるときを考える<ref>{{Cite book|title=Kotai denshiron|url=https://www.worldcat.org/oclc/675293964|publisher=裳華房|date=1995|isbn=4-7853-2062-1|oclc=675293964|others=Kanaji, Tooru, 1931-, 金持, 徹, 1931-}}</ref>。ここで、<math display="inline">V_L(\boldsymbol{r}_{i})</math>は格子ポテンシャルで、<math>E_{I}</math>はイオンの背景電荷によるエネルギーである。これらは :<math> V_{L}(\boldsymbol{r}_{i}):=-\sum_{\lambda}\frac{Z_{\lambda}e^{2}}{|\boldsymbol{r}_{i}-\boldsymbol{R}_{\lambda}|},\ E_{I}:=\sum_{\lambda\neq{}\lambda'}\frac{Z_{\lambda}Z_{\lambda'}e^{2}}{|\boldsymbol{R}_{\lambda}-\boldsymbol{R}_{\lambda'}|} </math> で定義される。ここで<math>\boldsymbol{r}_{i}</math>は<math>i</math>番目の電子の位置、<math>\boldsymbol{R}_{\lambda}</math>は<math>\lambda</math>番目のイオンの位置、<math>m</math>は電子の電荷、<math>Z_{\lambda}</math>はイオンの価数を表す。ジェリウムモデルでは、格子ポテンシャルを連続体近似して、<math display="block">V_L(\boldsymbol{r})=-\sum_\lambda\frac{Z_{\lambda}e^{2}}{|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{R}_{\lambda}|}\simeq-\int{}d^{3}R\frac{Ze^{2}n_{I}}{|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{R}|}=-n\int{}d^{3}R\frac{e^{2}}{|\boldsymbol{r}-\boldsymbol{R}|}</math> <math display="block">E_{I}=\sum_{\lambda\neq{}\lambda'}\frac{Z_{\lambda}Z_{\lambda'}e^{2}}{|\boldsymbol{R}_{\lambda}-\boldsymbol{R}_{\lambda'}|}\simeq\iint{}d^{3}Rd^{3}R'\frac{Z^{2}e^{2}n^{2}_{I}}{|\boldsymbol{R}-\boldsymbol{R}'|}=n^{2}\iint{}d^{3}Rd^{3}R'\frac{e^{2}}{|\boldsymbol{R}-\boldsymbol{R}'|}. </math>とする。ここで<math>n</math>は電子密度、<math display="inline">n_{I}</math>はイオン密度である。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * 浅野健一 『固体電子の量子論』 東京大学出版会、2019年、16頁。 == 関連項目 == * [[電子ガス]] * [[第一原理バンド計算]] {{Physics-stub}} {{DEFAULTSORT:しえりうむもてる}} [[Category:固体物理学]] [[Category:計算物理学]] [[Category:密度汎関数理論]]
null
2023-07-09T19:08:02Z
false
false
false
[ "Template:出典の明記", "Template:仮リンク", "Template:Reflist", "Template:Cite journal", "Template:Cite book", "Template:Physics-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB
2,987
エバルト項
エバルト項(エバルトこう Ewald term)は、バンド計算において、単位胞内の原子核(またはイオン芯)同士のクーロン相互作用を表す項。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "エバルト項(エバルトこう Ewald term)は、バンド計算において、単位胞内の原子核(またはイオン芯)同士のクーロン相互作用を表す項。", "title": null } ]
エバルト項は、バンド計算において、単位胞内の原子核(またはイオン芯)同士のクーロン相互作用を表す項。
{{特筆性|date=2021年6月13日 (日) 12:00 (UTC)}} '''エバルト項'''(エバルトこう Ewald term)は、[[バンド計算]]において、[[単位胞]]内の[[原子核]](または[[イオン芯]])同士の[[クーロン相互作用]]を表す項。 == 関連項目 == *[[エバルトの方法]] *[[分子動力学法]] *[[第一原理バンド計算]] *[[マーデルングエネルギー]] == 外部リンク == * [http://www.crl.nitech.ac.jp/~ida/education/ComputerScience/02_07/7.pdf 7.原子間力の計算方法(1)] * [http://galaxy.u-aizu.ac.jp/permanent/p3m.pdf 1 Ewaldの総和] * 福田育夫, [https://doi.org/10.2142/biophys.55.037 分子動力学計算における新規非エバルト法の開発と応用]」『生物物理』 2015年 55巻 1号 p.037-039, 日本生物物理学会, {{doi|10.2142/biophys.55.037}}, {{naid|130004794736}}。 * {{Cite journal|和書|author=小林一昭 |title=固体物理とバンド計算と計算機 (第44回物性若手夏の学校(1999年度)) |url=https://hdl.handle.net/2433/96731 |journal=物性研究 |issn=05252997 |publisher=物性研究刊行会 |year=1999 |month=nov |volume=73 |issue=2 |pages=393-412 |naid=110006411739}} {{DEFAULTSORT:えはるとこう}} [[Category:バンド計算]]
null
2021-06-13T12:00:36Z
false
false
false
[ "Template:特筆性", "Template:Doi", "Template:Naid", "Template:Cite journal" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E9%A0%85
2,990
Microsoft Windows 2000
Microsoft Windows 2000(マイクロソフト ウィンドウズ 2000)は、マイクロソフトによってWindows NT 4.0の後継として開発されたオペレーティングシステム。1999年12月15日(米東部時間)に製造工程向けリリース (RTM) が発表され、2000年2月18日(日本時間)に一般リリースが発売された。 Windows 2000はWindows 9x系に比べて安定性・堅牢性に優れた NTカーネルを基に開発された。当初の正式名称は「Windows NT 5.0」として発表されていたが、後に現在のものに変更された。Windows NTチームのデーブ・トンプソンによると、ジム・オールチン(英語版)がコードネームを嫌っていたため、Windows 2000にはコードネームがなかった。Windows 2000は主に業務用として位置付けられている。しかし、開発当初からWindows NT系とWindows 9x系の統合が計画されていたため、一般ユーザーへも十分に対応できるようWindows 9x系のユーザーインターフェイスも取り込まれている。 当初の製品版では65000件以上の問題を抱えていたと揶揄されたが、数度のサービスパックの適用により、安定性や使い勝手なども登場当初と比べると格段に向上した。当初は各種ドライバ類が少なく、特にマルチメディア関連機器の多くに非対応という弱点を抱えていた。しかし次第に専用もしくはWindows XP互換のドライバが開発された。 Windows NT系は移植性を高める設計が行われており、前バージョンのWindows NT 4.0ではPowerPCやDEC Alphaなどの複数のプラットフォームに向けて販売されていた。しかしIA-32以外のプラットフォームが事実上消滅してしまったため、Windows 2000ではβ3までは複数存在していたものの、結局IA-32以外の発売は取り止めとなった。ただし後述の「Windows Advanced Server, Limited Edition」についてはIA-64(Itaniumシリーズ)用が後にリリースされた。また、PC-9800シリーズの対応もWindows 2000を最後に終了した。 Windows 2000はサーバー用とクライアント用が同一の製品名として発売された最後のWindowsではあるが、後期のサーバエディションである「Windows Datacenter Server Limited Edition」や「Windows Advanced Server, Limited Edition」からは「Windows 2000」の名称が外れている。これ以降のWindowsのリリースでも同様に、サーバー用とクライアント用が別のバージョンや別の製品名で別けて発売されている。 2019年1月現在、Windows 2000は企業・法人向けのボリュームライセンス契約者に限定したダウングレード権としてライセンスのみ提供が継続されている。その他のサポートとしては、それまでに提供された修正モジュールがダウンロードできる「オンラインセルフヘルプサポート」があるほか、企業等の契約者に対する有料の「カスタマーサポート」にて新たなOS環境へ移行するための手助けを受けられる。しかし延長サポートがすでに終了しているため、新たな修正モジュールは必ずしも開発されているわけではない。その後もいくつかの更新プログラムが提供されているが、無論すべてのhotfixが対応しているわけではなく、Windows 2000では延長サポート中でさえ開発困難なパッチは対応が見送られるケースもあった。また充分な動作検証が行われていない場合もある。 Windows 2000は主に企業で多く用いられていたため、資金難等の理由からシステム更新の遅れた企業で需要が残るケースが少なくなかった。実際、後続OSであるWindows XPのサポートも終了した2014年4月時点ですら、XPを利用して構築されたサーバは世界で6000件程度なのに対し、(サーバエディションの存在する)Windows 2000については50万台ものサーバがなおも稼動しているという。さらに、組み込み向けの"Windows 2000 Professional for Embedded Systems"は延長サポートの終了が2010年7月13日(日本時間7月14日)までで、ライセンス搭載製品出荷提供可能期間終了の2015年3月31日(日本時間4月1日)までサポートされるという事情もあった。こうした問題に目を付けた一部のセキュリティソフトベンダでは独自サポートを継続する動きも見られ、企業向けのセキュリティソフトでは2016年3月31日(日本時間4月1日)までサポートされていた例もある。ただし、そうしたセキュリティベンダでも基本的には新しい環境への移行を推奨している。独立行政法人情報処理推進機構(IPA)も、根本的な解決ではないとしながらもシステム更新までに時間が掛かる場合のつなぎとしてセキュリティツールの使用を指導している。またIPAはこうしたサポートの終了した旧OSのセキュリティ上の危険性を指摘しており、なるべく、ネットワークに接続しない単独の専用システム(スタンドアローン)にしたうえでUSBメモリやFD、MO、外付けHDD等の外部補助記憶装置でデータ交換しないことを呼びかけている。 そのほかにも などの機能追加及び強化が図られた。 サービスパックではないがそれに準ずるものとしてロールアップも複数回登場しているため、時系列上これも併記する。サービスパックはOSバージョンに準ずる扱いであり、それぞれにサポート期間が設定されている。またWindowsコンポーネント追加の際にもサービスパック適用済みのファイルからインストールされる。これに対しロールアップは単に修正プログラム集であり、後からWindowsコンポーネントを追加した際にはそのファイルに対してロールアップは適用されていない。またサポート期限も対象サービスパックの期限に依存する。 Windows 2000 Professionalは本来、Windows NT 3.51 WorkstationとWindows NT 4.0 Workstationからのアップグレードを想定しているが、Windows NT系列のOSと、Windows 9x系列のOSはWin32という共通のAPIを備えている為、Windows 95、Windows 98(Second Edition含む)、Windows Meからでもアップグレードは可能。ただし、どのバージョンからアップグレードしても、旧バージョンに戻す事(アンインストール)はできない(Windows 2000には元々アンインストール機能が備わっていないため)。なお、Windows 2000 Professional 期間限定アップグレードパッケージ(Windows 95/98/98SEからのアップグレード)もあった。また、Windows MeはWindows 2000よりも後にリリースされているので本来ならアップグレード対象になっていないはずだったが、Microsoftから2001年2月に正式にWindows MeもWindows 2000のアップグレード対象OSとして認められた。ただし、アップグレードインストールはサポートされておらず、フォーマットしての新規インストールのみがサポートされている。一応、Windows MeからWindows 2000にアップグレードインストールする事自体はできるが、Windows Meからアップグレードすると、Windows Meに備わっていた一部の機能(システムの復元など)が利用できなくなる。また、通常パッケージ版ではWindows 3.1及びそれ以前のOSからはアップグレードできない。 Windows 2000 ServerとWindows 2000 Advanced Serverへは、Windows NT Server 3.51と4.0からのみアップグレード可能。また、Windows 2000の異なるバージョン間でのアップグレードはサポートされていない(Windows 2000 ProfessionalからWindows 2000 Serverにアップグレードする事はできず、その逆もできない。ただし、新規インストールは可能)。 アカデミックパックでは「優待アップグレード版」という形態が取られており、上記に加えWindows 3.1も正式なアップグレード対象に含まれた。さらに他社OSもアップグレード対象であり、パッケージのシールでは具体例としてUNIX、OS/2およびMacintoshが挙げられている。すなわちコンピュータシステムごと乗り替える「アップグレード」も想定されている。無論これらはライセンスの話であり、インストールについては通常版と同様に(Windows 95/98/98SE/NT以外からの)アップグレードインストールはサポートされておらず新規インストールしかできない。ちなみにこの「優待アップグレード版」CDから新規インストールを開始すると、アップグレード版であるにもかかわらず、旧バージョンのインストールメディアの挿入を要求されない(通常のアップグレード版から新規インストールを開始すると、途中でアップグレード対象製品のCDの挿入を要求されるはずである)。 ボリュームライセンス版ではクライアントOS(Windows 2000の場合はProfessional)について、最新OSへのアップグレードライセンス(に付随するWindows 2000へのダウングレード権)として提供されている。そのアップグレード対象は契約内容によって異なり、場合によっては一部の他社OSがアップグレード対象になることもある。やはりWindows 95/98/98SE/NT以外からのアップグレードインストールはサポートされていない。 Windows 2000がアップグレード元OSの場合、そのバージョンによってアップグレード先が異なるのが特徴である。Windows 2000 Professionalからアップグレードする場合と、Windows 2000 Server及びWindows 2000 Advanced Serverからアップグレードする場合とでアップグレード先が変わる(Windows 2000 ServerとWindows 2000 Advanced Serverは基本的にアップグレード先が共通だが、Windows 2000 Advanced Serverからアップグレードする場合、Windows Server 2003の下位エディション(Standard)にはアップグレードできないので注意)。 Windows 2000 ProfessionalからはWindows XP ProfessionalかWindows Vistaにのみアップグレードする事ができる。ただし、Windows Vistaへは直接アップグレードする事ができず、新規インストールを行う必要がある。Windows 2000からアップグレードによって(環境を引き継いで)Windows Vistaにしたい場合、間にWindows XP Professionalを挟む必要がある。Windows XP Home Editionにはアップグレードできない(セットアップ開始時に強制終了してしまうので、CD-ROMから起動しないと新規インストールも行えない)。故にWindows 2000 Professionalから直接アップグレードできるのは、Windows XP Professionalのみとなる。なお、日本語版のみ、Windows 2000 Professionalのみからアップグレード可能の、Windows XP Professional 期間限定特別アップグレード版もあった。 一方、Windows 2000 Server及びWindows 2000 Advanced ServerからはWindows Server 2003かWindows Server 2008にのみアップグレード可能。ただし、Windows 2000 ProfessionalからWindows Vistaにするのと同様、Windows 2000 Server及びWindows 2000 Advanced ServerからいきなりWindows Server 2008にする事はできない。間にWindows Server 2003を挟むか、新規インストールをする必要がある。 また、両バージョン間に互換性は無い為、Windows 2000 ProfessionalからWindows Server 2003にアップグレードしたり、Windows 2000 ServerやWindows 2000 Advanded ServerからWindows XP Professionalにアップグレードする事はできない(いずれもの場合もそのバージョンからセットアップを起動しての新規インストール及び、CD-ROMから起動しての新規インストールは可能)。 Windows 2000がアップグレード元OSの場合、基本的にどのバージョンからどのバージョンにアップグレードしても、新しいバージョンをアンインストールしてWindows 2000に戻す事はできない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Microsoft Windows 2000(マイクロソフト ウィンドウズ 2000)は、マイクロソフトによってWindows NT 4.0の後継として開発されたオペレーティングシステム。1999年12月15日(米東部時間)に製造工程向けリリース (RTM) が発表され、2000年2月18日(日本時間)に一般リリースが発売された。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "Windows 2000はWindows 9x系に比べて安定性・堅牢性に優れた NTカーネルを基に開発された。当初の正式名称は「Windows NT 5.0」として発表されていたが、後に現在のものに変更された。Windows NTチームのデーブ・トンプソンによると、ジム・オールチン(英語版)がコードネームを嫌っていたため、Windows 2000にはコードネームがなかった。Windows 2000は主に業務用として位置付けられている。しかし、開発当初からWindows NT系とWindows 9x系の統合が計画されていたため、一般ユーザーへも十分に対応できるようWindows 9x系のユーザーインターフェイスも取り込まれている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "当初の製品版では65000件以上の問題を抱えていたと揶揄されたが、数度のサービスパックの適用により、安定性や使い勝手なども登場当初と比べると格段に向上した。当初は各種ドライバ類が少なく、特にマルチメディア関連機器の多くに非対応という弱点を抱えていた。しかし次第に専用もしくはWindows XP互換のドライバが開発された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "Windows NT系は移植性を高める設計が行われており、前バージョンのWindows NT 4.0ではPowerPCやDEC Alphaなどの複数のプラットフォームに向けて販売されていた。しかしIA-32以外のプラットフォームが事実上消滅してしまったため、Windows 2000ではβ3までは複数存在していたものの、結局IA-32以外の発売は取り止めとなった。ただし後述の「Windows Advanced Server, Limited Edition」についてはIA-64(Itaniumシリーズ)用が後にリリースされた。また、PC-9800シリーズの対応もWindows 2000を最後に終了した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "Windows 2000はサーバー用とクライアント用が同一の製品名として発売された最後のWindowsではあるが、後期のサーバエディションである「Windows Datacenter Server Limited Edition」や「Windows Advanced Server, Limited Edition」からは「Windows 2000」の名称が外れている。これ以降のWindowsのリリースでも同様に、サーバー用とクライアント用が別のバージョンや別の製品名で別けて発売されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2019年1月現在、Windows 2000は企業・法人向けのボリュームライセンス契約者に限定したダウングレード権としてライセンスのみ提供が継続されている。その他のサポートとしては、それまでに提供された修正モジュールがダウンロードできる「オンラインセルフヘルプサポート」があるほか、企業等の契約者に対する有料の「カスタマーサポート」にて新たなOS環境へ移行するための手助けを受けられる。しかし延長サポートがすでに終了しているため、新たな修正モジュールは必ずしも開発されているわけではない。その後もいくつかの更新プログラムが提供されているが、無論すべてのhotfixが対応しているわけではなく、Windows 2000では延長サポート中でさえ開発困難なパッチは対応が見送られるケースもあった。また充分な動作検証が行われていない場合もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "Windows 2000は主に企業で多く用いられていたため、資金難等の理由からシステム更新の遅れた企業で需要が残るケースが少なくなかった。実際、後続OSであるWindows XPのサポートも終了した2014年4月時点ですら、XPを利用して構築されたサーバは世界で6000件程度なのに対し、(サーバエディションの存在する)Windows 2000については50万台ものサーバがなおも稼動しているという。さらに、組み込み向けの\"Windows 2000 Professional for Embedded Systems\"は延長サポートの終了が2010年7月13日(日本時間7月14日)までで、ライセンス搭載製品出荷提供可能期間終了の2015年3月31日(日本時間4月1日)までサポートされるという事情もあった。こうした問題に目を付けた一部のセキュリティソフトベンダでは独自サポートを継続する動きも見られ、企業向けのセキュリティソフトでは2016年3月31日(日本時間4月1日)までサポートされていた例もある。ただし、そうしたセキュリティベンダでも基本的には新しい環境への移行を推奨している。独立行政法人情報処理推進機構(IPA)も、根本的な解決ではないとしながらもシステム更新までに時間が掛かる場合のつなぎとしてセキュリティツールの使用を指導している。またIPAはこうしたサポートの終了した旧OSのセキュリティ上の危険性を指摘しており、なるべく、ネットワークに接続しない単独の専用システム(スタンドアローン)にしたうえでUSBメモリやFD、MO、外付けHDD等の外部補助記憶装置でデータ交換しないことを呼びかけている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "そのほかにも", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "などの機能追加及び強化が図られた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "サービスパックではないがそれに準ずるものとしてロールアップも複数回登場しているため、時系列上これも併記する。サービスパックはOSバージョンに準ずる扱いであり、それぞれにサポート期間が設定されている。またWindowsコンポーネント追加の際にもサービスパック適用済みのファイルからインストールされる。これに対しロールアップは単に修正プログラム集であり、後からWindowsコンポーネントを追加した際にはそのファイルに対してロールアップは適用されていない。またサポート期限も対象サービスパックの期限に依存する。", "title": "サービスパック" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "Windows 2000 Professionalは本来、Windows NT 3.51 WorkstationとWindows NT 4.0 Workstationからのアップグレードを想定しているが、Windows NT系列のOSと、Windows 9x系列のOSはWin32という共通のAPIを備えている為、Windows 95、Windows 98(Second Edition含む)、Windows Meからでもアップグレードは可能。ただし、どのバージョンからアップグレードしても、旧バージョンに戻す事(アンインストール)はできない(Windows 2000には元々アンインストール機能が備わっていないため)。なお、Windows 2000 Professional 期間限定アップグレードパッケージ(Windows 95/98/98SEからのアップグレード)もあった。また、Windows MeはWindows 2000よりも後にリリースされているので本来ならアップグレード対象になっていないはずだったが、Microsoftから2001年2月に正式にWindows MeもWindows 2000のアップグレード対象OSとして認められた。ただし、アップグレードインストールはサポートされておらず、フォーマットしての新規インストールのみがサポートされている。一応、Windows MeからWindows 2000にアップグレードインストールする事自体はできるが、Windows Meからアップグレードすると、Windows Meに備わっていた一部の機能(システムの復元など)が利用できなくなる。また、通常パッケージ版ではWindows 3.1及びそれ以前のOSからはアップグレードできない。", "title": "旧バージョンからのアップグレード / アンインストール" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "Windows 2000 ServerとWindows 2000 Advanced Serverへは、Windows NT Server 3.51と4.0からのみアップグレード可能。また、Windows 2000の異なるバージョン間でのアップグレードはサポートされていない(Windows 2000 ProfessionalからWindows 2000 Serverにアップグレードする事はできず、その逆もできない。ただし、新規インストールは可能)。", "title": "旧バージョンからのアップグレード / アンインストール" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "アカデミックパックでは「優待アップグレード版」という形態が取られており、上記に加えWindows 3.1も正式なアップグレード対象に含まれた。さらに他社OSもアップグレード対象であり、パッケージのシールでは具体例としてUNIX、OS/2およびMacintoshが挙げられている。すなわちコンピュータシステムごと乗り替える「アップグレード」も想定されている。無論これらはライセンスの話であり、インストールについては通常版と同様に(Windows 95/98/98SE/NT以外からの)アップグレードインストールはサポートされておらず新規インストールしかできない。ちなみにこの「優待アップグレード版」CDから新規インストールを開始すると、アップグレード版であるにもかかわらず、旧バージョンのインストールメディアの挿入を要求されない(通常のアップグレード版から新規インストールを開始すると、途中でアップグレード対象製品のCDの挿入を要求されるはずである)。", "title": "旧バージョンからのアップグレード / アンインストール" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ボリュームライセンス版ではクライアントOS(Windows 2000の場合はProfessional)について、最新OSへのアップグレードライセンス(に付随するWindows 2000へのダウングレード権)として提供されている。そのアップグレード対象は契約内容によって異なり、場合によっては一部の他社OSがアップグレード対象になることもある。やはりWindows 95/98/98SE/NT以外からのアップグレードインストールはサポートされていない。", "title": "旧バージョンからのアップグレード / アンインストール" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "Windows 2000がアップグレード元OSの場合、そのバージョンによってアップグレード先が異なるのが特徴である。Windows 2000 Professionalからアップグレードする場合と、Windows 2000 Server及びWindows 2000 Advanced Serverからアップグレードする場合とでアップグレード先が変わる(Windows 2000 ServerとWindows 2000 Advanced Serverは基本的にアップグレード先が共通だが、Windows 2000 Advanced Serverからアップグレードする場合、Windows Server 2003の下位エディション(Standard)にはアップグレードできないので注意)。", "title": "新しいバージョンへのアップグレード / アンインストール" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "Windows 2000 ProfessionalからはWindows XP ProfessionalかWindows Vistaにのみアップグレードする事ができる。ただし、Windows Vistaへは直接アップグレードする事ができず、新規インストールを行う必要がある。Windows 2000からアップグレードによって(環境を引き継いで)Windows Vistaにしたい場合、間にWindows XP Professionalを挟む必要がある。Windows XP Home Editionにはアップグレードできない(セットアップ開始時に強制終了してしまうので、CD-ROMから起動しないと新規インストールも行えない)。故にWindows 2000 Professionalから直接アップグレードできるのは、Windows XP Professionalのみとなる。なお、日本語版のみ、Windows 2000 Professionalのみからアップグレード可能の、Windows XP Professional 期間限定特別アップグレード版もあった。", "title": "新しいバージョンへのアップグレード / アンインストール" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "一方、Windows 2000 Server及びWindows 2000 Advanced ServerからはWindows Server 2003かWindows Server 2008にのみアップグレード可能。ただし、Windows 2000 ProfessionalからWindows Vistaにするのと同様、Windows 2000 Server及びWindows 2000 Advanced ServerからいきなりWindows Server 2008にする事はできない。間にWindows Server 2003を挟むか、新規インストールをする必要がある。", "title": "新しいバージョンへのアップグレード / アンインストール" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "また、両バージョン間に互換性は無い為、Windows 2000 ProfessionalからWindows Server 2003にアップグレードしたり、Windows 2000 ServerやWindows 2000 Advanded ServerからWindows XP Professionalにアップグレードする事はできない(いずれもの場合もそのバージョンからセットアップを起動しての新規インストール及び、CD-ROMから起動しての新規インストールは可能)。", "title": "新しいバージョンへのアップグレード / アンインストール" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "Windows 2000がアップグレード元OSの場合、基本的にどのバージョンからどのバージョンにアップグレードしても、新しいバージョンをアンインストールしてWindows 2000に戻す事はできない。", "title": "新しいバージョンへのアップグレード / アンインストール" } ]
Microsoft Windows 2000は、マイクロソフトによってWindows NT 4.0の後継として開発されたオペレーティングシステム。1999年12月15日(米東部時間)に製造工程向けリリース (RTM) が発表され、2000年2月18日(日本時間)に一般リリースが発売された。
{{Pathnav|[[マイクロソフト|Microsoft]]|Microsoft Windows|Windows NT系|this=Windows 2000|frame=1}} {{Infobox OS version |name = Windows 2000 |logo = [[File:Microsoft Windows 2000 wordmark.svg|200px|]] |family = Microsoft Windows |screenshot = |caption = |developer = [[マイクロソフト|Microsoft]] |website = |RTM_date = {{Start date|1999|12|15}}(英語版)<ref name="reldate">{{Cite web|url=http://news.microsoft.com/1999/12/15/microsoft-releases-windows-2000-to-manufacturing/|title=Microsoft Releases Windows 2000 to Manufacturing - News Center|publisher=Microsoft|date=1999-12-15|accessdate=2016-11-10}}</ref><br />{{Start date|1999|12|24}}(日本語版)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1139|title=Microsoft(R) Windows(R) 2000日本語版、 開発完了し、製品発売に向け、製造を開始 - News Center|publisher=マイクロソフト|date=1999-12-24|accessdate=2016-11-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161114032043/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=1139 |archivedate=2016-11-14}}</ref> |GA_date = {{Start date|2000|2|18}}(全世界)<ref name="reldate" /><ref name="onsale">{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20000218/w2k_2.htm|title=Windows 2000深夜販売レポート:秋葉原編|publisher=Impress Watch|date=2000-02-18|accessdate=2015-08-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=489|title=「Microsoft(R) Windows(R) 2000 」日本語版  2月18日(金)発売開始 - News Center|publisher=マイクロソフト|date=2000-02-18|accessdate=2016-11-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160317004730/https://www.microsoft.com/ja-jp/presspass/detail.aspx?newsid=489 |archivedate=2016-03-17}}</ref> |release_version = 5.0.2195(SP4 Rollup 1 v2) |release_date = {{Start date|2005|9|14}}<ref>{{Cite web|url=http://support.microsoft.com/kb/891861|title=Update Rollup 1 for Windows 2000 SP4 and known issues|publisher=Microsoft|date=2015-12-09|accessdate=2016-11-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20050630012557/http://support.microsoft.com/kb/891861|archivedate=2005-06-30}}</ref> |source_model = [[Microsoft Shared Source Initiative|MS-SSI]] |license = Microsoft EULA |kernel_type = [[カーネル#ハイブリッドカーネル|ハイブリッドカーネル]] |supported_platforms = [[IA-32]]<br />[[IA-64]] (Limited Edition) | preceded_by = [[Microsoft Windows NT 4.0]] |support_status = '''サポート終了'''<br><span style="font-size:80%">メインストリーム サポート終了日:2005年[[7月1日]]([[アメリカ合衆国|米国]]日時[[6月30日]]・終了済み)<br>延長サポート終了日:[[2010年]][[7月14日]](米国日時[[7月13日]]・終了済み)<ref name="Microsoft Support Lifecycle">{{Cite web|和書|date=2015年6月22日 |url=https://support.microsoft.com/lifecycle/?C2=1131 |title=マイクロソフト サポート ライフサイクル |publisher=[[マイクロソフト]] |accessdate=2015-08-08}}</ref></span> |succeeded_by=[[Microsoft Windows XP|Windows XP]] [[Microsoft Windows Server 2003|Windows Server 2003]]}} '''Microsoft Windows 2000'''(マイクロソフト ウィンドウズ 2000)は、[[マイクロソフト]]によって[[Microsoft Windows NT 4.0|Windows NT 4.0]]の後継として開発された[[オペレーティングシステム]]<ref>{{Cite|和書 | author = 日経パソコン | authorlink = 日経パソコン | title = 日経パソコン用語事典 (2009年版) | publisher = [[日経BP|日経BP社]] | date = 2008-10-20 | isbn =9784822233907}}</ref><ref>{{Cite web|和書 | author = ASCII.jp | authorlink = ASCII.jp | title = ASCII.jp デジタル用語辞典 | url = https://yougo.ascii.jp/caltar/Windows_2000 | publisher = [[アスキー (企業)|アスキー]] / [[KADOKAWA]] | date = 2010-04-16 | accessdate = 2021-07-16}}</ref>。[[1999年]][[12月15日]](米東部時間)に製造工程向けリリース (RTM) が発表され<ref name="reldate" />、[[2000年]][[2月18日]](日本時間)に一般リリースが発売された<ref name="onsale" />。 ==概要== Windows 2000は[[Windows 9x系]]に比べて安定性・堅牢性に優れた NT[[カーネル]]を基に開発された。当初の正式名称は「'''Windows NT 5.0'''<ref group="注釈">なお後述のように後期の[[IA-64]](Itanium)版サーバについては2000ベースでありながら内部バージョンが5.1であり、この影響で[[x64]]版[[Microsoft Windows XP|XP]]や[[Microsoft Windows Server 2003|Server 2003]]は5.2を名乗っている。</ref>」として発表されていたが、後に現在のものに変更された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/981028/ms.htm |title=Microsoft、NT 5.0の製品名を「Windows 2000」へ変更 |work=PC Watch |publisher=Impress |date=1998-10-28 |accessdate=2016-11-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/19990202012825/http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/981028/ms.htm |archivedate=1999-02-02}}</ref>。Windows NTチームのデーブ・トンプソンによると、{{仮リンク|ジム・オールチン|en|Jim Allchin}}が[[コードネーム]]を嫌っていたため、Windows 2000にはコードネームがなかった<ref>{{Cite news|title=SuperSite Flashback: NT’s First Decade|date=2013-08-08|url=https://www.itprotoday.com/windows-server/supersite-flashback-nt-s-first-decade|accessdate=2018-10-15|work=IT Pro}}</ref>。Windows 2000は主に業務用として位置付けられている。しかし、開発当初からWindows NT系とWindows 9x系の統合が計画されていたため、一般ユーザーへも十分に対応できるようWindows 9x系のユーザーインターフェイスも取り込まれている<ref group="注釈">開発段階において、すでに[[Microsoft Windows Neptune|Neptune]]等の一般ユーザー向けOSが並行開発されていた。後にNeptuneで予定されていた一部の機能は9x系の[[Microsoft Windows Millennium Edition|Windows Me]]で実現し、最終的に[[Microsoft Windows XP|Whistler]]で統合されることとなった。</ref>。 当初の製品版では65000件以上の問題を抱えていた<ref>{{Cite book |和書 |author=瑠沢るか|authorlink=瑠沢るか |title=[[パソトラ]] るかぽんのパソコントラブル奮闘記 |publisher=[[キルタイムコミュニケーション]] |series=PC-DIY books |page=94 |date=2001-11 |isbn=4-86032-005-0}}</ref>と揶揄されたが、数度の[[サービスパック]]の適用により、安定性や使い勝手なども登場当初と比べると格段に向上した。当初は各種ドライバ類が少なく、特にマルチメディア関連機器の多くに非対応という弱点を抱えていた。しかし次第に専用もしくは[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]互換のドライバが開発された。 Windows NT系は移植性を高める設計が行われており、前バージョンのWindows NT 4.0では[[PowerPC]]や[[DEC Alpha]]などの複数の[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]に向けて販売されていた。しかしIA-32以外のプラットフォームが事実上消滅してしまったため、Windows 2000ではβ3までは複数存在していたものの、結局IA-32以外の発売は取り止めとなった。ただし後述の「Windows Advanced Server, Limited Edition」についてはIA-64([[Itanium]]シリーズ)用が後にリリースされた。また、[[PC-9800シリーズ]]の対応もWindows 2000を最後に終了した。 Windows 2000はサーバー用とクライアント用が同一の製品名として発売された最後のWindowsではあるが、後期のサーバエディションである「Windows Datacenter Server Limited Edition」や「Windows Advanced Server, Limited Edition」からは「Windows 2000」の名称が外れている。これ以降のWindowsのリリースでも同様に、サーバー用とクライアント用が別のバージョンや別の製品名で別けて発売されている。 2019年1月現在、Windows 2000は企業・法人向けのボリュームライセンス契約者に限定したダウングレード権としてライセンスのみ<ref group="注釈">インストールCDの提供は既に終了している。</ref>提供が継続されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.microsoft.com/ja-jp/business/windows/windowsdowngrade.aspx|title=Windows のダウングレードに関して|accessdate=2019-02-01|publisher=Microsoft}}</ref>。その他のサポートとしては、それまでに提供された修正モジュールがダウンロードできる「オンラインセルフヘルプサポート」<ref group="注釈">マイクロソフトのサポート ライフサイクルにあるビジネス向け製品のオンラインセルフヘルプサポート期間は「製品が出荷されてから最短10年間」であり、「最短年数」を経過した製品では完全にはサポートされない場合がある。</ref>があるほか、企業等の契約者に対する有料の「カスタマーサポート」にて新たなOS環境へ移行するための手助けを受けられる。しかし延長サポートがすでに終了しているため、新たな修正モジュールは必ずしも開発されているわけではない。その後もいくつかの更新プログラムが提供されている<ref group="注釈">例えば[http://www.microsoft.com/ja-jp/download/details.aspx?id=27315 2011年9月]・[http://www.microsoft.com/ja-jp/download/details.aspx?id=30629 2012年8月]・[http://www.microsoft.com/ja-jp/download/details.aspx?id=36707 2013年2月]といったセキュリティリリースにはいくつか含まれていることが確認できる。</ref>が、無論すべてのhotfixが対応しているわけではなく、Windows 2000では延長サポート中でさえ開発困難なパッチは対応が見送られるケースもあった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.computerworld.jp/topics/563/161429 |title=マイクロソフト、作成困難を理由にWindows 2000 Server向けパッチを提供せず |work=COMPUTERWORLD |publisher=International Data Group |date=2009-09-09 |accessdate=2013-03-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130429115616/http://www.computerworld.jp/topics/563/161429 |archivedate=2013-04-29}}</ref>。また充分な動作検証が行われていない場合もある<ref group="注釈">例えば[http://support.microsoft.com/hotfix/KBHotfix.aspx?kbnum=2803751&kbln=ja KB2803751]などは特定の不具合が無ければ導入しないことが推奨されている。</ref>。 Windows 2000は主に企業で多く用いられていたため、資金難等の理由からシステム更新の遅れた企業で需要が残るケースが少なくなかった<ref>{{Cite news|url=https://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1002/26/news047.html|title=Windows 2000の維持とパッチ適用に悩む管理者の実態が明らかに|publisher=ITmedia|date=2010-02-26|accessdate=2011-01-17}}</ref>。実際、後続OSであるWindows XPのサポートも終了した2014年4月時点ですら、XPを利用して構築されたサーバは世界で6000件程度なのに対し、(サーバエディションの存在する)Windows 2000については50万台ものサーバがなおも稼動しているという<ref>{{Cite news|url=http://gigazine.net/news/20140409-website-host-on-windows-xp/|title=50万件以上のサイトがWindows XP・2000などサポート切れOSベースのサーバーで動作中|date=2014-04-09|accessdate=2014-07-04}}</ref>。さらに、組み込み向けの"Windows 2000 Professional for Embedded Systems"は延長サポートの終了が2010年7月13日(日本時間7月14日)までで、ライセンス搭載製品出荷提供可能期間終了の[[2015年]][[3月31日]](日本時間[[4月1日]])までサポートされるという事情もあった<ref>例えば[https://esg.teldevice.co.jp/product/microsoft/schedule.html 東京エレクトロンデバイス]、[https://www.oec.okaya.co.jp/product/embedded/microsoft-embedded/support 岡谷エレクトロニクス]、[https://www.ryoyo.co.jp/microsoft/microsoft-5/ 菱洋エレクトロ]、[https://www.avnet.co.jp/maker/Microsoft.aspx アヴネット]。</ref>。こうした問題に目を付けた一部のセキュリティソフトベンダでは独自サポートを継続する動きも見られ<ref group="注釈">例えば2012年になって日本市場に本格参入した[[ALYac]]に至っては、当時すでにWindows 2000が延長サポート終了後2年も過ぎていたにもかかわらず動作対象に含めており、2018年9月現在も現行製品となっている。</ref>、企業向けのセキュリティソフトでは2016年3月31日(日本時間4月1日)までサポートされていた例<ref group="注釈">{{Cite web|和書|url=http://www.hitachi-systems.com/solution/s105/yarai/index.html|title=標的型攻撃対策ソフトウェア FFR yarai(エフエフアール ヤライ)|publisher=日立情報システムズ|accessdate=2015-03-14}} - ただし新規販売は2013年3月末で終了。</ref>もある。ただし、そうしたセキュリティベンダでも基本的には新しい環境への移行を推奨している。[[独立行政法人]][[情報処理推進機構]](IPA)も、根本的な解決ではないとしながらもシステム更新までに時間が掛かる場合のつなぎとしてセキュリティツールの使用を指導している。またIPAはこうしたサポートの終了した旧OSのセキュリティ上の危険性を指摘しており、なるべく、ネットワークに接続しない単独の専用システム([[スタンドアローン]])にしたうえで[[USBメモリ]]や[[フロッピーディスク|FD]]、[[光磁気ディスク|MO]]、外付け[[ハードディスクドライブ|HDD]]等の外部[[補助記憶装置]]でデータ交換しないことを呼びかけている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ipa.go.jp/security/txt/2010/07outline.html|title=コンピュータウイルス・不正アクセスの届出状況[6月分および上半期]について|publisher=情報処理推進機構|date=2010-07-05|accessdate=2011-01-17}}</ref>。 {| class="infobox" |+ '''出荷本数の推移''' !本数!!日付 |- |50万本(米国) |2000年3月7日発表<ref>{{Cite news |title= |newspaper=[[日経産業新聞]] |publisher=日本経済新聞社 |page={{要ページ番号|date=2016年11月}} |date=2000-03-07}}</ref> |- |100万本(全世界) |2000年3月14日発表<ref>{{Cite news |title= |newspaper=[[日本経済新聞]] 夕刊 |publisher=日本経済新聞社 |page={{要ページ番号|date=2016年11月}} |date=2000-03-15}}</ref> |- |150万本 |2000年4月20日<ref>{{Cite news |title= |newspaper=[[日本経済新聞]] 夕刊 |publisher=日本経済新聞社 |page={{要ページ番号|date=2016年11月}} |date=2000-04-21}}</ref> |} ==特徴== ===Windows 9x系統からの機能=== *[[ユニバーサル・シリアル・バス|USB]]や[[プラグアンドプレイ]]による容易な周辺機器の増設 *[[Advanced Configuration and Power Interface|ACPI]]による電源管理機能 *[[Microsoft Windows 98|Windows 98]]/98 Second Editionと似た[[グラフィカルユーザインタフェース]](操作性は改良されており、利便性はかなり向上している) *[[Microsoft DirectX|DirectX]]や[[OpenGL]]といったマルチメディア及びゲーム環境への対応または強化 *[[DVD#DVD-ROM|DVD-ROM]]等の大容量ディスクへの対応 など ===Windows 2000での新機能=== ;[[Active Directory]] :Active Directoryは、Windows NT 4.0サーバー以前に導入や利用されていた「NT[[ドメイン (ディレクトリサービス)|ドメイン]]」に代わる新たな概念として導入された。 ;[[NT File System|NTFS 3.0]](NTFS5, NTFS2000) :Windows NTで採用されている[[NT File System|NTFS]]にさらなる改良を加えた[[ファイルシステム|ファイル システム]]。各ユーザー[[アカウント]]ごとに使用できるディスク容量を制限できる「ディスク クォータ」が装備された。また、ファイル システムそのものを[[暗号化]]する機能も搭載され、セキュリティ保護に関連する機能が強化された。 ;Windows/Win32 Driver Model([[Windows Driver Model|WDM]]) :それまで、[[デバイスドライバ]]は通常[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]と[[Microsoft Windows NT|Windows NT]]では異なるものが必要であった。しかし、この問題を解決するためWin32 Driver Modelが導入され、これに従って開発されたドライバはWindows 98/98SE/MeでもWindows 2000でも同じものが使えると謳われた(Windows 95とWindows NT 4.0もしくはそれ以前は未対応)。 :そのほかにも、[[PC/AT互換機|AT互換機]]と[[PC-9800シリーズ]]の間でドライバの互換性が高まるという一面もあった<ref group="注釈">例えば[[玄人志向]]の複合機能PCIカード「CHANPON3」は日本国外のAT互換機用パーツのOEM販売品であるが、PC-9800シリーズでサウンド機能を使う場合はWDMドライバを使うように指示されていた([https://web.archive.org/web/20151029192950/http://archive.kuroutoshikou.com/products/chanpon3/chanpon3.html インターフェースボード CHANPON3(2015年10月29日時点のアーカイブ)])。</ref>。 :しかし、結果的に目論見は失敗し、[[Windows Driver Model]]へとスケールダウンすることになる。Windows Driver ModelとWin32 Driver Modelの違いは、ドライバの[[バイナリ]]互換(Win32 Driver Model)であるか、[[ソースコード|ソース]]互換(Windows Driver Model)であるかの違いである。 ;自動インストーラへの対応 :アプリケーションを自動修復できるプログラムがある場合、備え付けのWindowsインストーラ サービスによって自動的に修復される。また、Windows 98 / 98 Second Editionにもあったシステムまたは[[レジストリ]]の自動修復機能も強化され、再セットアップ操作を極力排除している。 そのほかにも *日本語版においてシステムフォントとしての全角のひらがなとカタカナの文字幅が小さくなった「MS UI ゴシック」が新たに導入され、ウインドウのメニューバーなどに使用されていた[[半角カナ]]が全角カナに統一 *[[コンピュータアクセシビリティ]]のサポート *[[多言語]]への対応 *[[グループポリシー]]によるユーザー管理の一元化 *[[Microsoft 管理コンソール]]による一部アプリケーションの統一された操作環境 *[[Microsoft Windows Installer]] 1.1の搭載 などの機能追加及び強化が図られた。 ==エディション== ;Windows 2000 Professional :クライアント向けのエディションで、パワー ユーザーやビジネスで使用するデスクトップやラップトップのパソコンを対象にしている。また、組み込み向けの OS として同エディションを基にしたWindows 2000 Professional for Embedded Systemsが出荷された。 ;Windows 2000 Server :ワークグループや小規模なコンピューティング環境向けのエディションで、IISやActive Directoryといったサーバー サービスが揃っている。NEC PC-9800シリーズ向けではこのエディションが最上位エディションとなっている。 ;Windows 2000 Advanced Server :基幹システム向けのエディションで、Serverエディションに比べよりクラスタリングのサポートなど高機能な機能を含んでいる。NEC PC-9800シリーズ向けにはこのエディションは存在しない。2002年7月にはItanium 2 プロセッサで動作する64ビット版のWindows Advanced Server Limited Edition が発表され、プリインストールされて出荷された。<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=385 |title=インテル(R) Itanium 2プロセッサに最適化されたMicrosoft(R) Windows(R) Advanced Server,Limited Edition 1.2日本語版を提供 |publisher=マイクロソフト |date=2002-03-11 |accessdate=2010-11-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030824162605/http://www.microsoft.com/japan/presspass/detail.aspx?newsid=385 |archivedate=2003-08-24}}</ref>。 ;Windows 2000 Datacenter Server :Advanced Serverエディションが対象となるよりも規模が大きなシステム向けのエディションで、プロセッサ数やメモリ容量などが大きなハードウェアをサポートする。NEC PC-9800シリーズ向けにはこのエディションは存在しない。Datacenter Edition はパッケージとして販売はされていない。日本語版は提供されていないが、2002年3月にパフォーマンスやスケーラビリティが高いWindows Datacenter Server Limited Edition が出荷された<ref>{{Cite news |url=http://www.nikkeibp.co.jp/archives/172/172971.html |title=米MSが「Windows Datacenter Server Limited Edition」 |newspaper=nikkei BPnet |publisher=日経BP社 |date=2002-03-05 |accessdate=2010-11-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140222151329/http://www.nikkeibp.co.jp/archives/172/172971.html |archivedate=2014-02-22}}</ref>。 ==サービスパック== サービスパックではないがそれに準ずるものとしてロールアップも複数回登場しているため、時系列上これも併記する。サービスパックはOSバージョンに準ずる扱いであり、それぞれにサポート期間が設定されている。またWindowsコンポーネント追加の際にもサービスパック適用済みのファイルからインストールされる。これに対しロールアップは単に修正プログラム集であり、後からWindowsコンポーネントを追加した際にはそのファイルに対してロールアップは適用されていない<ref>{{Cite web|和書|url=https://xtech.nikkei.com/it/free/ITPro/OPINION/20041127/153142/|title=Windows 2000に対するサービス・パックの提供はまだ続けてほしい|date=2004-11-29|accessdate=2011-05-29|publisher=ITpro/日経BP}}</ref>。またサポート期限も対象サービスパックの期限に依存する。 ;Service Pack 1 :2000年9月8日に公開された<ref>{{Cite web|和書|date=2000-09-08|url=https://atmarkit.itmedia.co.jp/fwin2k/operation/win2000servicepack1/win2000servicepack1_1.html|title=Windows 2000 Service Pack1日本語版がついに登場|publisher=@IT|accessdate=2010-11-13}}</ref>。[[Outlook Express]]をバージョン5.0から5.5に置き換えた。2002年8月1日にサポートが終了した。 ;Service Pack 2 :2001年6月1日に公開された<ref>{{Cite web|和書|date=2001-06-02|url=https://atmarkit.itmedia.co.jp/fwin2k/insiderseye/20010601win2ksp2/win2ksp2_1.html|title=Insider's Eye -- 速報;Windows 2000 Service Pack 2 日本語版 1.SP2の入手とインストール|publisher=@IT|accessdate=2010-11-13}}</ref>。自動的に128ビット暗号機能がインストールされる。また、隠れた機能ではあるが[[Microsoft Windows XP#Windows 9x系との互換性|互換性のないアプリケーションを仮想的に実行する互換性機能]]が導入される(別途使用可能にするための操作が必要になる)。2004年6月30日にサポートが終了した。 :;Service Pack 2用の更新プログラム セキュリティロールアップパッケージ 1(SRP1) ::2002年1月30日に公開された<ref>{{Cite web|和書|date=2007-10-29|accessdate=2011-05-23|url=http://support.microsoft.com/kb/311401|title=Windows 2000 用のセキュリティ ロールアップ パッケージ 1(SRP1)、2002年1月|publisher=Microsoft|archiveurl=https://web.archive.org/web/20041210133908/http://support.microsoft.com/kb/311401|archivedate=2004-12-01}}</ref>。SP2以降から当時までのセキュリティ関連のアップデートをまとめたもの。SP3以降には含まれている。 :<!--リスト分断防止のためのダミー行--> ;Service Pack 3 :2002年8月9日に公開された<ref>{{Cite web|和書|date=2002-08-10|url=https://atmarkit.itmedia.co.jp/fwin2k/insiderseye/20020810win2ksp3/win2ksp3_01.html|title=@IT:Insider's Eye -- Windows 2000 Service Pack 3日本語版がついに登場(1)|publisher=@IT|accessdate=2010-11-13}}</ref>。[[反トラスト法|反トラスト訴訟]]に基づく実装として、Windows XP Service Pack 1 で実装したプログラムの追加と削除内に[[ウェブブラウザ|ウェブ ブラウザ]]や[[電子メールクライアント|電子メール クライアント]]等の、特定のアプリケーションを[[サードパーティー]]製アプリケーションに差し替える「プログラムのアクセスと既定の設定」を実装した。また、[[Java仮想マシン|Microsoft Java VM]]の削除や、別途レジストリの操作が必要だが(つまりインストール時点では未対応)[[Advanced Technology Attachment#48bit LBA(BigDrive)|137GB以上のハードディスク(48bit LBA)]]に対応した。2005年6月30日にサポートが終了した。 ;Service Pack 4 :2003年7月3日に公開された<ref>{{Cite web|和書|date=2003-07-09|url=https://atmarkit.itmedia.co.jp/fwin2k/hotfix/win2ksp4/win2ksp4.html|title=@IT:Windows HotFix Briefings:Windows 2000 Service Pack 4日本語版登場|publisher=@IT|accessdate=2010-11-13}}</ref>。新たに[[DVD-Audio]]のほか[[ユニバーサル・シリアル・バス#USB 2.0|USB 2.0]]や[[IEEE 802.11]]の規格に標準ドライバで対応した。2010年7月13日にサポートが終了した。 :;Service Pack 4 用の更新プログラム ロールアップ 1(SP4 Rollup 1) ::2005年6月28日に公開された<ref>{{Cite web|和書|date=2005-06-29|url=https://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2005/06/29/8207.html|title=Windows 2000用の修正パッチ群「Update Rollup 1」公開|publisher=INTERNET Watch|accessdate=2010-11-13}}</ref>。Service Pack 4公開からの約2年分に公開した修正プログラムをまとめたもので、追加で新しいファイル システム フィルタ マネージャが導入された<ref>{{Cite web|和書|date=2006-10-26|url=http://support.microsoft.com/kb/894608/ja|title=新 フィルタ マネージャ 機能は、 Windows 2000 で使用できます。|publisher=Microsoft|accessdate=2008-01-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080103013545/http://support.microsoft.com/kb/894608/ja|archivedate=2008-01-03}}</ref>。しかしリリース後にいくつかの不具合が報告されたため、報告された不具合に対処したパッケージSP4 Rollup 1 v2が2005年9月14日に再度公開されて置き換えられた<ref>{{Cite web|和書|date=2005-09-14|url=https://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2005/09/14/9132.html|title=Windows 2000用のUpdate Rollup 1、適用後の不具合を修正した新バージョン|publisher=INTERNET Watch|accessdate=2010-11-13}}</ref>。 :<!--リスト分断防止のためのダミー行--> ;Service Pack 5(中止) :2004年11月に開発が中止され、Service Pack 4のロールアップ(SP4 Rollup 1 v2)をもって替えることが決定された<ref>{{Cite web|和書|url=https://xtech.nikkei.com/it/free/NT/NEWS/20041130/2/|title=Microsoft、Windows 2000 SP5中止とアップデート・ロールアップ提供を正式に発表|date=2004-11-30|accessdate=2011-05-29|publisher=ITpro/日経BP}}</ref>。 ==システム要件== {|class="wikitable" style="font-size:small" |+Windows 2000(IA-32版)ハードウェア仕様要求{{Ref label|A|1|1}} !rowspan="2" colspan="2"| !scope="colgroup" colspan="4"|エディション |- !scope="col"|{{lang|en|Professional}} !scope="col"|{{lang|en|Server}} !scope="col"|{{lang|en|Advanced Server}} !scope="col"|{{lang|en|Datacenter Server}} |- !scope="rowgroup" rowspan="2" style="text-align:left"|[[CPU|プロセッサー]] !scope="row" style="text-align:left"|速度 |colspan="3"|133 MHz以上のPentium互換プロセッサー {{Ref label|A|2|2}}||Pentium III Xeon またはそれ以上 |- !scope="row" style="text-align:left"|最大搭載数 |2||4||8||8 |- !scope="rowgroup" rowspan="2"|[[主記憶装置|物理メモリー]] !scope="row" style="text-align:left"|最小 |32 MB(64 MB以上を推奨){{Ref label|A|3|3}}||colspan="3"|128 MB(256 MB以上を推奨) |- !scope="row" style="text-align:left"|最大 |4 GB||4 GB||8 GB||16/32/64 GB {{Ref label|A|4|4}} |- !scope="row" colspan="2" style="text-align:left"|ストレージ |colspan="3"|850 MB以上の空き容量のある2 GBのもの||1 GB以上の空き容量のある2 GBのもの |- !scope="row" colspan="2" style="text-align:left"|画面解像度 |colspan="4"|640 x 480 |- !scope="row" colspan="2" style="text-align:left"|光学ドライブ |colspan="4"|CD-ROMまたはDVD-ROMドライブ |- !scope="row" colspan="2" style="text-align:left"|その他 |colspan="4"|Microsoft Mouseまたは互換性のあるポインティング デバイス |} {{plainlist|style=font-size:small| *{{Note label|A|1|1}} PC-9800シリーズを含む。 *{{Note label|A|2|2}} 初期バージョン、SP1、SP2での場合。SP3、およびSP4は最低200 MHz以上。 *{{Note label|A|3|3}} 初期バージョン、SP1、SP2での場合。SP3、およびSP4は最低64 MB以上(128 MB以上を推奨)。 *{{Note label|A|4|4}} DataCenter は最大メモリが制限されたバージョンがあり、8 GB, 16 GB, 32 GB, 64 GBが存在する。 }} ==旧バージョンからのアップグレード / アンインストール== Windows 2000 Professionalは本来、[[Microsoft Windows NT|Windows NT 3.51]] Workstationと[[Microsoft Windows NT 4.0|Windows NT 4.0]] Workstationからのアップグレードを想定しているが、[[Windows NT系]]列のOSと、[[Windows 9x系]]列のOSは[[Win32]]という共通の[[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]を備えている為、[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]、[[Microsoft Windows 98|Windows 98]](Second Edition含む)、[[Microsoft Windows Me|Windows Me]]からでもアップグレードは可能。ただし、どのバージョンからアップグレードしても、旧バージョンに戻す事([[アンインストール]])はできない(Windows 2000には元々アンインストール機能が備わっていないため)。なお、'''Windows 2000 Professional 期間限定アップグレード'''パッケージ(Windows 95/98/98SEからのアップグレード)もあった。また、Windows MeはWindows 2000よりも後にリリースされているので本来ならアップグレード対象になっていないはずだったが、Microsoftから2001年2月に正式にWindows MeもWindows 2000のアップグレード対象OSとして認められた。ただし、アップグレードインストールはサポートされておらず、フォーマットしての新規インストールのみがサポートされている。一応、Windows MeからWindows 2000にアップグレードインストールする事自体はできるが、Windows Meからアップグレードすると、Windows Meに備わっていた一部の機能(システムの復元など)が利用できなくなる。また、通常パッケージ版ではWindows 3.1及びそれ以前のOSからはアップグレードできない。 Windows 2000 ServerとWindows 2000 Advanced Serverへは、Windows NT Server 3.51と4.0からのみアップグレード可能。また、Windows 2000の異なるバージョン間でのアップグレードはサポートされていない(Windows 2000 ProfessionalからWindows 2000 Serverにアップグレードする事はできず、その逆もできない。ただし、新規インストールは可能)。 [[アカデミックパッケージ|アカデミックパック]]では「優待アップグレード版」という形態が取られており、上記に加えWindows 3.1も正式なアップグレード対象に含まれた。さらに他社OSもアップグレード対象であり、パッケージのシールでは具体例として[[UNIX]]、[[OS/2]]および[[Macintosh]]が挙げられている。すなわちコンピュータシステムごと乗り替える「アップグレード」も想定されている。無論これらはライセンスの話であり、インストールについては通常版と同様に(Windows 95/98/98SE/NT以外からの)アップグレードインストールはサポートされておらず新規インストールしかできない。ちなみにこの「優待アップグレード版」CDから新規インストールを開始すると、アップグレード版であるにもかかわらず、旧バージョンのインストールメディアの挿入を要求されない(通常のアップグレード版から新規インストールを開始すると、途中でアップグレード対象製品のCDの挿入を要求されるはずである)。 ボリュームライセンス版ではクライアントOS(Windows 2000の場合はProfessional)について、最新OSへのアップグレードライセンス(に付随するWindows 2000へのダウングレード権)として提供されている。そのアップグレード対象は契約内容によって異なり、場合によっては一部の他社OSがアップグレード対象になることもある。やはりWindows 95/98/98SE/NT以外からのアップグレードインストールはサポートされていない。 ==新しいバージョンへのアップグレード / アンインストール== Windows 2000がアップグレード元OSの場合、そのバージョンによってアップグレード先が異なるのが特徴である。Windows 2000 Professionalからアップグレードする場合と、Windows 2000 Server及びWindows 2000 Advanced Serverからアップグレードする場合とでアップグレード先が変わる(Windows 2000 ServerとWindows 2000 Advanced Serverは基本的にアップグレード先が共通だが、Windows 2000 Advanced Serverからアップグレードする場合、[[Microsoft Windows Server 2003|Windows Server 2003]]の下位エディション(Standard)にはアップグレードできないので注意)。 Windows 2000 Professionalからは[[Microsoft Windows XP|Windows XP Professional]]か[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]にのみアップグレードする事ができる。ただし、Windows Vistaへは直接アップグレードする事ができず、新規インストールを行う必要がある。Windows 2000からアップグレードによって(環境を引き継いで)Windows Vistaにしたい場合、間にWindows XP Professionalを挟む必要がある。Windows XP Home Editionにはアップグレードできない(セットアップ開始時に強制終了してしまうので、CD-ROMから起動しないと新規インストールも行えない)。故にWindows 2000 Professionalから直接アップグレードできるのは、Windows XP Professionalのみとなる。なお、日本語版のみ、Windows 2000 Professionalのみからアップグレード可能の、'''Windows XP Professional 期間限定特別アップグレード版'''もあった。 一方、Windows 2000 Server及びWindows 2000 Advanced ServerからはWindows Server 2003か[[Windows Server 2008]]にのみアップグレード可能。ただし、Windows 2000 ProfessionalからWindows Vistaにするのと同様、Windows 2000 Server及びWindows 2000 Advanced ServerからいきなりWindows Server 2008にする事はできない。間にWindows Server 2003を挟むか、新規インストールをする必要がある。 また、両バージョン間に互換性は無い為、Windows 2000 ProfessionalからWindows Server 2003にアップグレードしたり、Windows 2000 ServerやWindows 2000 Advanded ServerからWindows XP Professionalにアップグレードする事はできない(いずれもの場合もそのバージョンからセットアップを起動しての新規インストール及び、CD-ROMから起動しての新規インストールは可能)。 Windows 2000がアップグレード元OSの場合、基本的にどのバージョンからどのバージョンにアップグレードしても、新しいバージョンを[[アンインストール]]してWindows 2000に戻す事はできない。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist}} ==外部リンク== *{{Wayback |url=http://www.microsoft.com/japan/windows2000/ |title=Windows 2000 Home |date=20060825001023}} {{Windows}} {{Normdaten}} [[Category:Windows NT系|Windows NT 5.0]] [[Category:2000年のソフトウェア|Windows2000]]
2003-02-27T11:10:15Z
2023-12-30T00:34:35Z
false
false
false
[ "Template:Cite news", "Template:Cite book", "Template:仮リンク", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Wayback", "Template:Windows", "Template:Ref label", "Template:Plainlist", "Template:Cite", "Template:Normdaten", "Template:Pathnav", "Template:Infobox OS version", "Template:Lang", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/Microsoft_Windows_2000
2,991
モンテカルロ法
モンテカルロ法(、英: Monte Carlo method、MC)とはシミュレーションや数値計算を乱数を用いて行う手法の総称。元々は、中性子が物質中を動き回る様子を探るためにスタニスワフ・ウラムが考案しジョン・フォン・ノイマンにより命名された手法。カジノで有名な国家モナコ公国の4つの地区(カルティ)の1つであるモンテカルロから名付けられた。ランダム法とも呼ばれる。 計算理論の分野において、モンテカルロ法とは誤答する確率の上界が与えられる乱択アルゴリズム(ランダム・アルゴリズム)と定義される。一例として素数判定問題におけるミラー-ラビン素数判定法がある。このアルゴリズムは与えられた数値が素数の場合は確実に Yes と答えるが、合成数の場合は非常に少ない確率ではあるが No と答えるべきところを Yes と答える場合がある。一般にモンテカルロ法は独立な乱択を用いて繰り返し、実行時間を犠牲にすれば誤答する確率をいくらでも小さくすることができる。またモンテカルロ法の中でも任意の入力に対して最大時間計算量の上界が入力サイズの多項式で与えられるものを効率的モンテカルロ法という。 なお、これとは対照的に理論上必ずしも終了するとは限らないが、もし答えが得られれば必ず正しい乱択アルゴリズムをラスベガス法と呼ぶ。 計算複雑性理論では、確率的チューリング機械によるモデル化によってモンテカルロ法を用いて解決できる問題のクラスをいくつか定義している。代表的なところでは RPやBPP、PP などがある。これらのクラスと P や NP との関連性を解明していくことによって、モンテカルロ法のようにランダム性を含むアルゴリズムによって解ける問題の範囲が拡大しているのか(P ≠ BPP なのか)、それとも単に決定的アルゴリズムで解ける問題の多項式時間の次数を減らしているだけなのか(P=BPP なのか)は計算複雑性理論における主要課題の1つである。現在、NP ⊂ PP 、RP ⊆ NPであることはわかっているが BPP と NPとの関係はわかっていない。 一様乱数ではなく、超一様分布列(英語版)を使用する方法を準モンテカルロ法(英語版)という。乱数を利用するよりも収束が早くなる場合がある。ただし、純粋にランダムな方法ではないので、正解を得られる可能性が確率論的に低下する場合がある。 超一様分布列としては、以下などがある。 数値解析の分野においてはモンテカルロ法はよく確率を近似的に求める手法として使われる。n 回シミュレーションを行い、ある事象が m 回起これば、その事象の起こる確率は当然ながら m/n で近似される。試行回数が少なければ近似は荒く、試行回数が多ければよい近似となる。 また、この確率を利用すれば、積分(面積)の近似解を求めることが可能となる。領域 R の面積 S は、領域 R を含む面積 T の領域内でランダムに点を打ち、領域 R の中に入る確率 p をモンテカルロ法で求めれば、S = pT で近似される。 n 重積分 をサンプルサイズ N のモンテカルロ法で計算するには、0 以上 1 以下の値をとる n × N 個の一様乱数 を生成して、 とすれば、IN が積分の近似値となる。一様乱数を超一様分布列に置き換えると準モンテカルロ法になる。 これに層化抽出法を行うよう改良を加えた MISER 法や、加重サンプリングを行う VEGAS 法といった改良版のアルゴリズムがある。MISER 法では、積分範囲を分割し、それぞれの領域中でランダム・サンプリングを行い、被積分関数値の分散が最も大きくなる領域をより小さな領域に分割して、そこでさらにサンプリングを行うことで精度を上げる。VEGAS 法では、被積分関数値の大きな場所にサンプリング点を増やし、積分値に寄与の大きなところに集中することで精度を上げる。 積分の計算法には他に台形公式・シンプソンの公式・二重指数関数型数値積分公式等があるが、モンテカルロ法はこれらの手法より多次元問題の際に利用しやすく、誤差が少ない。 機械学習の強化学習の文脈では、モンテカルロ法とは行動によって得られた報酬経験だけを頼りに状態価値、行動価値を推定する方法のことを指す。 統計学におけるモンテカルロ法の1つとして、ブートストラップ法を参照。 モンテカルロ法では状況に応じた乱数列の選択が重要である。また、結果の品質には使用する乱数の品質によるところがある。 また、精度の良い結果を得るためには多くの試行回数が必要となる。しかし、1回の試行に膨大な時間がかかる場合、多くの試行を行うことは物理的に不可能となる。そのため、モンテカルロ法の精度は1回の試行に掛かる時間にも制限を受ける。 数値積分の精度はサンプルサイズ N を増やすことによって、よくなることが確率論によって保証されている。サンプルが真にランダムな乱数列だった場合には、積分の値と近似値の誤差 は、N を無限大にしたときほとんど確実に 0 に収束する(大数の法則)。この収束の速さに関しては、 となる(重複対数の法則(英語版))。すなわち、精度を10倍にするためには100倍のサンプルが必要となる。 これに対して、準モンテカルロ法では となるので、精度を10倍にするためには約10倍のサンプルでよい。これが、準モンテカルロ法の利点である。 ただし多次元の積分を行う場合には次元 n が大きくなるので実際問題として効果が薄くなり、単純なモンテカルロの方が良い結果を与えることが多い。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "モンテカルロ法(、英: Monte Carlo method、MC)とはシミュレーションや数値計算を乱数を用いて行う手法の総称。元々は、中性子が物質中を動き回る様子を探るためにスタニスワフ・ウラムが考案しジョン・フォン・ノイマンにより命名された手法。カジノで有名な国家モナコ公国の4つの地区(カルティ)の1つであるモンテカルロから名付けられた。ランダム法とも呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "計算理論の分野において、モンテカルロ法とは誤答する確率の上界が与えられる乱択アルゴリズム(ランダム・アルゴリズム)と定義される。一例として素数判定問題におけるミラー-ラビン素数判定法がある。このアルゴリズムは与えられた数値が素数の場合は確実に Yes と答えるが、合成数の場合は非常に少ない確率ではあるが No と答えるべきところを Yes と答える場合がある。一般にモンテカルロ法は独立な乱択を用いて繰り返し、実行時間を犠牲にすれば誤答する確率をいくらでも小さくすることができる。またモンテカルロ法の中でも任意の入力に対して最大時間計算量の上界が入力サイズの多項式で与えられるものを効率的モンテカルロ法という。", "title": "計算理論" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "なお、これとは対照的に理論上必ずしも終了するとは限らないが、もし答えが得られれば必ず正しい乱択アルゴリズムをラスベガス法と呼ぶ。", "title": "計算理論" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "計算複雑性理論では、確率的チューリング機械によるモデル化によってモンテカルロ法を用いて解決できる問題のクラスをいくつか定義している。代表的なところでは RPやBPP、PP などがある。これらのクラスと P や NP との関連性を解明していくことによって、モンテカルロ法のようにランダム性を含むアルゴリズムによって解ける問題の範囲が拡大しているのか(P ≠ BPP なのか)、それとも単に決定的アルゴリズムで解ける問題の多項式時間の次数を減らしているだけなのか(P=BPP なのか)は計算複雑性理論における主要課題の1つである。現在、NP ⊂ PP 、RP ⊆ NPであることはわかっているが BPP と NPとの関係はわかっていない。", "title": "計算理論" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "一様乱数ではなく、超一様分布列(英語版)を使用する方法を準モンテカルロ法(英語版)という。乱数を利用するよりも収束が早くなる場合がある。ただし、純粋にランダムな方法ではないので、正解を得られる可能性が確率論的に低下する場合がある。", "title": "準モンテカルロ法" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "超一様分布列としては、以下などがある。", "title": "準モンテカルロ法" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "数値解析の分野においてはモンテカルロ法はよく確率を近似的に求める手法として使われる。n 回シミュレーションを行い、ある事象が m 回起これば、その事象の起こる確率は当然ながら m/n で近似される。試行回数が少なければ近似は荒く、試行回数が多ければよい近似となる。", "title": "数値積分" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "また、この確率を利用すれば、積分(面積)の近似解を求めることが可能となる。領域 R の面積 S は、領域 R を含む面積 T の領域内でランダムに点を打ち、領域 R の中に入る確率 p をモンテカルロ法で求めれば、S = pT で近似される。", "title": "数値積分" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "n 重積分", "title": "数値積分" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "をサンプルサイズ N のモンテカルロ法で計算するには、0 以上 1 以下の値をとる n × N 個の一様乱数", "title": "数値積分" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "を生成して、", "title": "数値積分" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "とすれば、IN が積分の近似値となる。一様乱数を超一様分布列に置き換えると準モンテカルロ法になる。", "title": "数値積分" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "これに層化抽出法を行うよう改良を加えた MISER 法や、加重サンプリングを行う VEGAS 法といった改良版のアルゴリズムがある。MISER 法では、積分範囲を分割し、それぞれの領域中でランダム・サンプリングを行い、被積分関数値の分散が最も大きくなる領域をより小さな領域に分割して、そこでさらにサンプリングを行うことで精度を上げる。VEGAS 法では、被積分関数値の大きな場所にサンプリング点を増やし、積分値に寄与の大きなところに集中することで精度を上げる。 積分の計算法には他に台形公式・シンプソンの公式・二重指数関数型数値積分公式等があるが、モンテカルロ法はこれらの手法より多次元問題の際に利用しやすく、誤差が少ない。", "title": "数値積分" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "機械学習の強化学習の文脈では、モンテカルロ法とは行動によって得られた報酬経験だけを頼りに状態価値、行動価値を推定する方法のことを指す。", "title": "強化学習" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "統計学におけるモンテカルロ法の1つとして、ブートストラップ法を参照。", "title": "統計学" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "モンテカルロ法では状況に応じた乱数列の選択が重要である。また、結果の品質には使用する乱数の品質によるところがある。", "title": "乱数(列)の選択" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "また、精度の良い結果を得るためには多くの試行回数が必要となる。しかし、1回の試行に膨大な時間がかかる場合、多くの試行を行うことは物理的に不可能となる。そのため、モンテカルロ法の精度は1回の試行に掛かる時間にも制限を受ける。", "title": "精度" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "数値積分の精度はサンプルサイズ N を増やすことによって、よくなることが確率論によって保証されている。サンプルが真にランダムな乱数列だった場合には、積分の値と近似値の誤差", "title": "精度" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "は、N を無限大にしたときほとんど確実に 0 に収束する(大数の法則)。この収束の速さに関しては、", "title": "精度" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "となる(重複対数の法則(英語版))。すなわち、精度を10倍にするためには100倍のサンプルが必要となる。", "title": "精度" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "これに対して、準モンテカルロ法では", "title": "精度" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "となるので、精度を10倍にするためには約10倍のサンプルでよい。これが、準モンテカルロ法の利点である。 ただし多次元の積分を行う場合には次元 n が大きくなるので実際問題として効果が薄くなり、単純なモンテカルロの方が良い結果を与えることが多い。", "title": "精度" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "", "title": "精度" } ]
モンテカルロ法(モンテカルロほう、とはシミュレーションや数値計算を乱数を用いて行う手法の総称。元々は、中性子が物質中を動き回る様子を探るためにスタニスワフ・ウラムが考案しジョン・フォン・ノイマンにより命名された手法。カジノで有名な国家モナコ公国の4つの地区の1つであるモンテカルロから名付けられた。ランダム法とも呼ばれる。
{{読み仮名|'''モンテカルロ法'''|モンテカルロほう|{{lang-en-short|Monte Carlo method}}、'''MC'''}}とは[[シミュレーション]]や[[数値計算]]を[[乱数列|乱数]]を用いて行う手法の総称。元々は、中性子が物質中を動き回る様子を探るために[[スタニスワフ・ウラム]]が考案し[[ジョン・フォン・ノイマン]]により命名された手法。[[カジノ]]で有名な国家[[モナコ]]公国の4つの地区(カルティ)の1つである[[モンテカルロ]]から名付けられた。ランダム法とも呼ばれる。 == 計算理論 == [[計算理論]]の分野において、モンテカルロ法とは誤答する確率の上界が与えられる[[乱択アルゴリズム]](ランダム・アルゴリズム)と定義される{{sfn|Motwani|Raghavan|1995|page={{google books quote|id=QKVY4mDivBEC|page=9|9}}}}。一例として[[素数判定|素数判定問題]]における[[ミラー-ラビン素数判定法]]がある。このアルゴリズムは与えられた数値が素数の場合は確実に Yes と答えるが、合成数の場合は非常に少ない確率ではあるが No と答えるべきところを Yes と答える場合がある。一般にモンテカルロ法は独立な乱択を用いて繰り返し、実行時間を犠牲にすれば誤答する確率をいくらでも小さくすることができる。またモンテカルロ法の中でも任意の入力に対して[[最大時間計算量]]の上界が入力サイズの多項式で与えられるものを効率的モンテカルロ法という{{sfn|Motwani|Raghavan|1995|page={{google books quote|id=QKVY4mDivBEC|page=10|10}}}}。 なお、これとは対照的に理論上必ずしも終了するとは限らないが、もし答えが得られれば必ず正しい乱択アルゴリズムを[[ラスベガス法]]と呼ぶ。 [[計算複雑性理論]]では、[[確率的チューリング機械]]によるモデル化によってモンテカルロ法を用いて解決できる問題の[[複雑性クラス|クラス]]をいくつか定義している。代表的なところでは '''[[RP (計算複雑性理論)|RP]]'''や'''[[BPP (計算複雑性理論)|BPP]]'''、'''[[PP (計算複雑性理論)|PP]]''' などがある。これらのクラスと '''[[P (計算複雑性理論)|P]]''' や '''[[NP]]''' との関連性を解明していくことによって、モンテカルロ法のようにランダム性を含むアルゴリズムによって解ける問題の範囲が拡大しているのか(P ≠ BPP なのか)、それとも単に[[決定的アルゴリズム]]で解ける問題の多項式時間の次数を減らしているだけなのか(P=BPP なのか)は計算複雑性理論における主要課題の1つである。現在、'''NP''' ⊂ '''PP''' 、'''RP''' ⊆ '''NP'''であることはわかっているが '''BPP''' と '''NP'''との関係はわかっていない。 ==準モンテカルロ法== 一様乱数ではなく、{{仮リンク|超一様分布列|en|Low-discrepancy sequence|label=超一様分布列}}を使用する方法を{{仮リンク|準モンテカルロ法|en|Quasi-Monte Carlo method|label=準モンテカルロ法}}という。乱数を利用するよりも収束が早くなる場合がある。ただし、純粋にランダムな方法ではないので、正解を得られる可能性が確率論的に低下する場合がある。 超一様分布列としては、以下などがある。 * [[ファンデルコルプト数列]]<ref>{{lang-en-short|van der Corput sequence}}</ref> * {{仮リンク|ハルトン列|en|Halton sequence}}<ref>{{lang-en-short|Halton sequence}}</ref> * {{仮リンク|ソボル列|en|Sobol sequence}}<ref>{{lang-en-short|Sobol sequence}}</ref> * [[ニーダーライター列]]<ref>{{lang-en-short|Niederreiter sequence}}</ref> * [[ファウレ列]]<ref>{{lang-en-short|Faure sequence}}</ref> ==数値積分== [[Image:Pi 30K.gif|thumb|right|モンテカルロ法を[[円周率]]πの値の近似に適用した例。30,000点をランダムに置いたとき、πの推定量は実際の値から0.07%以下の誤差の範囲内にあった。]] [[数値解析]]の分野においてはモンテカルロ法はよく確率を近似的に求める手法として使われる。''n'' 回シミュレーションを行い、ある事象が ''m'' 回起これば、その事象の起こる確率は当然ながら ''m''/''n'' で近似される。試行回数が少なければ近似は荒く、試行回数が多ければよい近似となる。 また、この確率を利用すれば、[[積分法|積分]](面積)の近似解を求めることが可能となる。領域 ''R'' の面積 ''S'' は、領域 ''R'' を含む面積 ''T'' の領域内でランダムに点を打ち、領域 ''R'' の中に入る確率 ''p'' をモンテカルロ法で求めれば、''S'' = ''pT'' で近似される。 ''n'' 重積分 : <math>I = \int_0^1\dotsi\int_0^1 f(x_1,x_2,\dotsc,x_n) dx_1\dotsm dx_n</math> をサンプルサイズ ''N'' のモンテカルロ法で計算するには、0 以上 1 以下の値をとる ''n'' &times; ''N'' 個の一様乱数 : <math>X_{i,j},\quad 1\leq i \leq n, 1\leq j \leq N</math> を生成して、 : <math>I_N = \frac{1}{N}\sum_j f(X_{1,j}, X_{2,j}, \dotsc, X_{n,j})</math> とすれば、''I<sub>N</sub>'' が積分の近似値となる。一様乱数を超一様分布列に置き換えると準モンテカルロ法になる。 これに[[層化抽出法]]を行うよう改良を加えた MISER 法や、加重サンプリングを行う VEGAS 法といった改良版のアルゴリズムがある。MISER 法では、積分範囲を分割し、それぞれの領域中でランダム・サンプリングを行い、被積分関数値の分散が最も大きくなる領域をより小さな領域に分割して、そこでさらにサンプリングを行うことで精度を上げる。VEGAS 法では、被積分関数値の大きな場所にサンプリング点を増やし、積分値に寄与の大きなところに集中することで精度を上げる。 積分の計算法には他に[[台形公式]]・[[シンプソンの公式]]・[[二重指数関数型数値積分公式]]等があるが、モンテカルロ法はこれらの手法より多次元問題の際に利用しやすく、誤差が少ない。 == 強化学習 == {{main|強化学習}} [[機械学習]]の[[強化学習]]の文脈では、モンテカルロ法とは行動によって得られた報酬経験だけを頼りに状態価値、行動価値を推定する方法のことを指す<ref>{{Cite book |first = Richard S. |last = Sutton |year = 1998 |title = Reinforcement Learning: An Introduction |isbn = 978-0262039246 |url = http://incompleteideas.net/book/RLbook2018trimmed.pdf |page = 91 }}</ref>。 ==統計学== 統計学におけるモンテカルロ法の1つとして、[[ブートストラップ法]]を参照。 ==乱数(列)の選択== モンテカルロ法では状況に応じた[[乱数列]]の選択が重要である。また、結果の品質には使用する乱数の品質によるところがある。 ; 擬似乱数列: [[擬似乱数]]列は初期状態によって未来の数列がすべて決定されるので、いわゆる「真にランダム」ではないが、シミュレーションなどでは(他に非決定的な要素が無ければ)再現性がある、という重要な特性がある。 ; 物理乱数: 真の乱数が必要な場合や、擬似乱数列生成系の初期状態の設定のために良質の乱数が必要な場合は、物理現象を利用して物理乱数(真性乱数)を生成するハードウェアを利用する([[ダイオード]]のPN接合部に生じる熱雑音を利用する方法がよく使われる。放射性元素を使うものもある)。 ; 超一様分布列: 逆に規則性の強い数列であり、数値積分に用いられる<ref name="algo">{{cite book | 1=和書 | title=C言語による最新アルゴリズム事典 | publisher=[[技術評論社]] | author=奥村晴彦 | authorlink=奥村晴彦 | year=1991 | pages=280-281 | isbn=4-87408-414-1}}</ref>。超一様分布列を用いたモンテカルロ法を準モンテカルロ法という。超一様分布列のことを、'''低食い違い量列'''や'''準乱数列'''<ref>{{lang-en-short|quasi-random sequence}}</ref>と呼ぶこともある。超一様分布列を数値積分に用いる目的は精度を高めることである。 ==精度== また、精度の良い結果を得るためには多くの試行回数が必要となる。しかし、1回の試行に膨大な時間がかかる場合、多くの試行を行うことは物理的に不可能となる。そのため、モンテカルロ法の精度は1回の試行に掛かる時間にも制限を受ける。 数値積分の精度はサンプルサイズ ''N'' を増やすことによって、よくなることが[[確率論]]によって保証されている。サンプルが真にランダムな乱数列だった場合には、積分の値と近似値の誤差 : <math>| I - I_N |\,</math> は、''N'' を無限大にしたときほとんど確実に 0 に収束する([[大数の法則]])。この収束の速さに関しては、 : <math>| I - I_N | < C \sqrt{\frac{\log \log N}{N}}</math> となる({{ill|重複対数の法則|en|Law of the iterated logarithm}})。すなわち、精度を10倍にするためには100倍のサンプルが必要となる。 これに対して、準モンテカルロ法では : <math>| I - I_N | < C \frac{(\log N)^n}{N}</math> となるので、精度を10倍にするためには約10倍のサンプルでよい。これが、準モンテカルロ法の利点である<ref name="algo" />。 ただし多次元の積分を行う場合には次元 ''n'' が大きくなるので実際問題として効果が薄くなり、単純なモンテカルロの方が良い結果を与えることが多い。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == * {{cite book |last1 = Motwani |first1 = Rajeev |last2 = Raghavan |first2 = Prabhakar |year = 1995 |title = Randomized algorithms |url = {{google books|QKVY4mDivBEC|plainurl=yes}} |publisher = Cambridge University Press |isbn = 0-521-47465-5 |mr = 1344451 |zbl = 0849.68039 |ref = harv }} {{参照方法|date=2015年10月9日 (金) 13:09 (UTC)}} * Jan van Leeuwen 編、『コンピュータ基礎理論ハンドブックI アルゴリズムと複雑さ』、廣瀬 健、野崎昭弘、小林孝次郎 監訳、丸善、1994年、ISBN 4-621-03921-0 * 電気学会 GA・ニューロを用いた学習法とその応用調査専門委員会 編、『学習とそのアルゴリズム』、森北出版、2002年、ISBN 4-627-82751-2 * 杉原・室田、 数値計算法の数理、岩波書店 2003年、ISBN 978-4000055185 * 伏見正則 ・逆瀬川浩孝 監訳:「モンテカルロ法ハンドブック」、朝倉出版、ISBN 978-4254280050(2014年8月25日)。原著はDirk P.Kroese, Thomas Taimre, Zdravko I.Botev:"Handbook of Monte Carlo Methods", John Wiley & Sons, Inc.,ISBN 978-0470177938(2011年1月28日)。 * [https://doi.org/10.11540/jsiamt.30.4_320 鈴木航介、合田隆:「準モンテカルロ法の最前線」、日本応用数理学会論文誌、30巻(2020)4号、pp.320-374。] * [https://journals.aps.org/prx/pdf/10.1103/PhysRevX.13.031006 "Fast, Hierarchical, and Adaptive Algorithm for Metropolis Monte Carlo Simulations of Long-Range Interacting Systems", DOI: 10.1103/PhysRevX.13.031006] ==関連項目== {{Commonscat|Monte Carlo method}} * [[ブートストラップ法]] * [[数値積分]] * [[乱数列]] * [[メトロポリス法]] * [[レプリカ交換法]] * [[計算物理学]] * [[保険数理]] * [[金融工学]] * [[乱択アルゴリズム]] - [[ラスベガス法]] * [[逐次モンテカルロ法]] * [[モンテカルロ木探索]] * [[マルコフ連鎖モンテカルロ法]] * [[次元の呪い]] * [[マルコフ連鎖]] * [[ランダム]] * [[R言語]] * [[GNU Octave]] * [[コンピュータ囲碁]] - モンテカルロ法を応用した探索法により、レベルが急上昇した。 * [[ビュフォンの針]] - モンテカルロ法の考えが適用された古い例。 *[[レイトレーシング]]-レンダリング方程式を解く際に解法としてモンテカルロ法が使われる {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:もんてかるろほう}} [[Category:モンテカルロ法|*]] [[Category:ランダム・アルゴリズム]] [[Category:統計学的近似]] [[Category:統計力学]] [[Category:数値解析]] [[Category:計算物理学]] [[Category:計算化学]] [[Category:計算科学]] [[Category:近似法]] [[Category:数学に関する記事]]
2003-02-27T14:34:55Z
2023-12-28T22:45:54Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:参照方法", "Template:Normdaten", "Template:Ill", "Template:Lang-en-short", "Template:Cite book", "Template:Commonscat", "Template:読み仮名", "Template:Sfn", "Template:仮リンク", "Template:Main" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E6%B3%95
2,992
駿河湾
座標: 北緯34度48分 東経138度30分 / 北緯34.8度 東経138.5度 / 34.8; 138.5 駿河湾(するがわん)は、伊豆半島先端にある石廊崎と、御前崎を結ぶ線より北側の海域。海岸は全て静岡県に属し、令制国としては西岸と北岸は駿河国、東岸は伊豆国である。最深部は水深2500メートルに達し、日本で最も深い湾である。相模湾、富山湾とならんで日本三大深湾(日本三深海湾とも)のひとつに数えられる。 駿河湾は湾口幅が56キロメートル、奥行が約60キロメートルあり、表面積は約2300平方キロメートル。約60万年前にフィリピン海プレートに載った火山島であった伊豆半島が本州に衝突して駿河湾ができた。湾はフィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界、その北端部である駿河トラフが湾の南北に通るために深度が深い。富士川河口部にあたる湾の最奥部では、海岸からわずか2キロメートル地点で水深500メートルに達する。 伊豆半島や伊豆諸島から沖縄県の各諸島までは、太平洋の一海域であるフィリピン海であり、駿河湾もその一海域に含まれる。湾奥からは九州、台湾東岸沖まで水深1000メートルを超える海底峡谷が続く。 駿河湾の一海域として、湾奥の沼津市沖のごく小さい海域が、内浦湾(北緯35度1分20秒 東経138度53分30秒)と江浦湾(北緯35度2分30秒 東経138度53分40秒)と名づけられている。また、湾の東側にある三保半島で分けられた海域が折戸湾(北緯35度0分0秒 東経138度30分0秒)と呼ばれている。 火山活動により形成された東側(伊豆半島ブロック)と堆積活動により形成された西側(静岡ブロック)が接する。伊豆側は水深1500メートル付近まで硬い岩石で構成されるため急斜面が発達しており、海底谷は少なく、海食崖や、島嶼が多くなる。一方で、静岡側は削れやすい礫・砂・泥岩で構成され水深1000メートル付近まで谷地形の発達する斜面が広がっている。特に静岡側はトラフ陸側斜面に特徴的な逆断層により、階段状に発達した平坦面と急斜面が繰り返す複雑な地形が見られ、多くの海底谷を有する。また、静岡側には、最大12キロメートルに達する平坦な大陸棚(水深100 - 150メートル以浅)が発達しており、これらは2万年前の氷河期に海面が低下したために形成された浸食地形である。ただし例外的に、三保半島沖には大陸棚が発達しておらず、東へ約4キロメートル進むと一気に水深500メートルまで落ち込む谷地形となっている。 湾南西域には水深平均100メートル、最浅部32メートル、最大比高約1800メートルを呈する石花海(せのうみ、または石花海堆)と呼ばれる台地が存在し、好漁場となっている。この石花海は2つの高まりからなり、北側を石花海北堆(北緯34度44分0秒 東経138度30分0秒)、南側を石花海南堆(北緯34度38分44秒 東経138度27分43秒)と呼ぶ。この石花海の山頂は水深約40 - 60メートルの平らな地形であり、砂質堆積物が表層を覆っている。山頂は非常に浅いため、イサキ・マダイ・カサゴ・イカなど多様に富んだ釣りが盛んである。石花海の西側には傾斜の緩やかな斜面が水深800メートルまで広がっており、北堆西側斜面上には馬蹄形状の地すべり地形が見られるが、この地すべりは1854年に発生した安政地震の際に起きたものと推定される。さらに西方には焼津まで続く平坦な地形(石花海海盆:最大水深900メートル)が発達している。 一方で、石花海の東側斜面はこれとは異なり水深150メートル付近から一気に深さを増し1800 - 2000メートルの駿河トラフ底まで落ち込んでいる。この斜面は45 - 50°の急角で約4キロメートルに渡って発達しており、この斜面上には礫岩層と泥岩層が分布している。この礫岩の種類は、有度丘陵や三保海岸を構成する円礫とほぼ同じ種類あり、いずれも古安倍川から供給されたものと推定され、200万年 - 数十万年前に起こった隆起運動によって山地となった。これらの円礫のほとんどに割れ目が入っていたことから隆起運動の際に強い圧力がかかったと考えられる。 また、石花海北堆東側に発達する急斜面底(水深1850メートル)付近は石花海ゴージと呼ばれる幅約200メートルの峡谷が約4キロメートルわたって広がっている。この峡谷付近は深海底であるにもかかわらず、2ノットを超える潮の流れがあり、潜水調査船の操作を困難にしている。 公の機関では、御前崎から大瀬崎までの163キロメートルを駿河湾沿岸、大瀬崎から石廊崎を経て、静岡県と神奈川県の境界までの273キロメートルを伊豆半島沿岸として用語を使用している。 湾の西側は大井川、安倍川、富士川などの一級水系が多く、河川水の影響を強く受けている。これに対し、湾の東側は伊豆半島の中央を流れる一級水系の狩野川の河口が、湾奥にあるため流入河川が少なく表層水が比較的、澄んでいる。 富士山やその山麓に降った雨や雪がとけた水は河川から流入する以外に、海底湧水にもなっている。富士山に降った降水の約20 %にあたる年間6億立方メートルの水が、湾北部の沿岸域の海底から地下水として直接湾に流出している。駿河湾に流れ込む河川水は年間100億立方メートルに達し、この流量の少なくとも10 %程度が海底湧水として流れ込んでいる。さらに、富士山由来の分も含めれば年間16億立方メートルの地下水が直接湾に注いでいる。河川水や海底湧水に含む豊富な栄養は、植物プランクトンを経て、湾に生息する生物へと伝播している。黒潮系水や中深層水がさまざまな卵稚仔や成魚を湾内にもたらし、それらを栄養豊富な沿岸河川系水が育むことで、生物多様性に富む駿河湾の生態系を形成している。 湾口が南に開いているため、北太平洋の海水が容易に侵入する。沖合で西から東へ流れる黒潮の分派流が伊豆半島に沿って流入することがあり、湾内ではサンゴや熱帯魚が見られる。この黒潮系水は、湾全域の水深300メートル以浅に分布する(黒潮系海洋深層水)。また、河川水が流入する湾西部や北部の沿岸部には、河川水の影響を受けた低塩分の海水が恒常的に存在する。河川水は海水に比べて軽いため、黒潮系水と混ざりあいながら黒潮系水に乗り上げ、これを覆うように分布しており、沿岸河川系水と呼ばれる。この沿岸河川系水は降水量が増加する夏季には湾の表層全域に広がる。 湾の水深300メートルから800メートルには、水温5°Cから10°Cと比較的低温・低塩分の海水が存在する。この海水は北太平洋亜熱帯海域の北緯20°から45°にかけ広く分布し、亜寒帯系海洋深層水(北太平洋中層水)と呼ばれる。中層水の起源は、オホーツク海北西部陸棚域にあることが判明している。 水深800メートル以深に存在する海水は、太平洋海洋深層水(太平洋深層水)と呼ばれており、グリーンランド近海と南極ウェッデル海表層を起源とする。 このように、表層水の下には三層の海洋深層水がある(黒潮系海洋深層水、亜寒帯系海洋深層水、太平洋海洋深層水)。 年間平均気温は、県内南端にある御前崎や石廊崎付近で高く、北へ行くほど低くなるが、駿河湾の沿岸、特に三保半島のある西岸付近では海洋性気候を反映して幾分高くなる傾向にある。 日本列島に北西の季節風が吹くと、中部地方の山脈地帯を避けて、関東地方を経て東回りに迂回する気流と、若狭湾から伊勢湾を経由して遠州灘方向へ西回りに迂回する気流が、駿河湾付近で収束することによって、駿河湾収束線(または駿河湾低気圧)が発生する。駿河湾収束線が発生したときには、駿河湾付近に西部と東部から気流が流れ込むため、湾内の南北方向に収束線ができる。その結果、県内西部では晴天であるにもかかわらず、中部から東部では曇天になり、時には霧や降水をもたらす。収束線は、西高東低型の気圧配置になる冬季から春季に発生する傾向にあるが、地上での気象観測点が限られている点、駿河湾を含めた洋上における気象観測資料が不足しているなどの点から、その発生予測は必ずしも容易ではない。 なお、人為的要因を含んだ気象条件の変化により、駿河湾内における水温は過去50年間で0.7度ほど上昇傾向にある。 駿河湾は駿河トラフが南北に通るため、これが巨大地震とされる東海地震を起こすと考えられている。この境界を境に、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むことで、プレート境界地震(海溝型地震)が過去に繰り返し発生してきたことが、書き残されている大地震の記録や津波堆積物の調査結果、考古学的な発掘調査などから判明している。 東海大学と気象研究所は、駿河湾の海底に海底地震観測網の展開を2011年から行い、観測を継続している。観測には海底地震計などを用いる。 2009年(平成21年)8月11日には、マグニチュード6.5の駿河湾地震が起きたが、気象庁の発表では、この地震と東海地震の関連性について『直接的には関係ない』と結論を出した。 漁場や海上交通路として古来利用された。戦国時代には戦国大名間の海戦も発生した(伊豆水軍を参照)。 漁業では、江戸時代後期から明治・大正・昭和初期にクロマグロが漁獲されていた。天保3年(1832年)に幕府浜御殿奉行・木村喜繁は長浜村(現・沼津市)においてマグロの大漁を目撃し、画帳『天保三年伊豆紀行』(静岡県立中央図書館所蔵)として記録しており、マグロ漁師や商談をする網元・商人の姿を描いている。同年3月には滝沢馬琴が『兎園小説余録』において江戸におけるマグロ価格の暴落を記録しており、木村喜繁が目撃したマグロ大漁が影響したと考えられている。 近代には1894年(明治27年)刊行の『静岡県水産誌』においてマグロやカツオ、イルカなど大型魚類・哺乳類の漁獲を記している。同書によればこれらの大型魚類は網で断ち切り追い込んで漁獲する「建切網」と呼ばれる漁法で漁獲されていたという。マグロは駿河湾奥部から伊豆半島を中心に漁獲されており、カツオは駿河湾口部と湾外で漁獲されている。イルカはマグロやカツオに比較して少なく、西伊豆を中心に漁獲されている。 1907年(明治40年)と1913年(大正2年)には沼津市口野の金桜神社にマグロ豊漁を祈念した絵馬が奉納され、マグロ漁の様子が描かれている。1921年(大正10年)頃の木内三朗『落穂拾遺』でも、木内が1919年(大正8年)に伊豆三津浜で目撃したマグロ追い込みや買い付けの商人の姿が描かれている。 江戸後期・明治期には駿河湾で漁獲された大型魚類は内陸部へも流通しており、甲斐国(山梨県)南部の鰍沢河岸(山梨県富士川町鰍沢)からは江戸後期から近代にかけての魚類など動物遺体が多く出土している。鰍沢河岸出土の魚類はマグロやイルカといった大型魚類をはじめ、アブラボウズ、イシナギなど伊豆半島や小田原で食される希少種も出土している。これらの魚類は駿河湾で漁獲され、甲斐・駿河間を結ぶ富士川舟運や中道往還を通じて甲斐国へもたらされたと考えられている。 大正期には駿河湾岸で製紙工場の建設が始まり、1920年には工場排水が原因でサクラエビの漁獲に影響が出るなどの被害が現れ始めている。 2016年11月、駿河湾の「世界で最も美しい湾クラブ」への加盟が正式に決定した。 日本の魚類は淡水魚を含め約2300種であるが、駿河湾内にはこの内の約1000種の魚類が生息している。 最深部は2500メートルという日本一深い駿河湾。1000メートルも潜れば、太陽の光が全く届かない世界。沼津市には、日本で唯一深海生物をテーマにした水族館、「沼津港深海水族館」があり、水深200メートルよりも深い位置に生息する深海生物を常時100種類以上も見ることができる。 かつて、深海部で撮影された巨大なオンデンザメ科のサメの映像がテレビ番組上で放送され、話題になったこともあった。また、近年では一般的に観察の難しいとされるアカボウクジラ科やスジイルカ、ハナゴンドウなど鯨類が回遊・定住する海域であることも判明しつつある。松崎町雲見町には非常に希少な種類(セミクジラ)の骨格標本を展示する「雲見くじら館」も建立されている。 以下は主要な港湾である。ただし、2種未満の漁港は除く。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "座標: 北緯34度48分 東経138度30分 / 北緯34.8度 東経138.5度 / 34.8; 138.5", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "駿河湾(するがわん)は、伊豆半島先端にある石廊崎と、御前崎を結ぶ線より北側の海域。海岸は全て静岡県に属し、令制国としては西岸と北岸は駿河国、東岸は伊豆国である。最深部は水深2500メートルに達し、日本で最も深い湾である。相模湾、富山湾とならんで日本三大深湾(日本三深海湾とも)のひとつに数えられる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "駿河湾は湾口幅が56キロメートル、奥行が約60キロメートルあり、表面積は約2300平方キロメートル。約60万年前にフィリピン海プレートに載った火山島であった伊豆半島が本州に衝突して駿河湾ができた。湾はフィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界、その北端部である駿河トラフが湾の南北に通るために深度が深い。富士川河口部にあたる湾の最奥部では、海岸からわずか2キロメートル地点で水深500メートルに達する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "伊豆半島や伊豆諸島から沖縄県の各諸島までは、太平洋の一海域であるフィリピン海であり、駿河湾もその一海域に含まれる。湾奥からは九州、台湾東岸沖まで水深1000メートルを超える海底峡谷が続く。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "駿河湾の一海域として、湾奥の沼津市沖のごく小さい海域が、内浦湾(北緯35度1分20秒 東経138度53分30秒)と江浦湾(北緯35度2分30秒 東経138度53分40秒)と名づけられている。また、湾の東側にある三保半島で分けられた海域が折戸湾(北緯35度0分0秒 東経138度30分0秒)と呼ばれている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "火山活動により形成された東側(伊豆半島ブロック)と堆積活動により形成された西側(静岡ブロック)が接する。伊豆側は水深1500メートル付近まで硬い岩石で構成されるため急斜面が発達しており、海底谷は少なく、海食崖や、島嶼が多くなる。一方で、静岡側は削れやすい礫・砂・泥岩で構成され水深1000メートル付近まで谷地形の発達する斜面が広がっている。特に静岡側はトラフ陸側斜面に特徴的な逆断層により、階段状に発達した平坦面と急斜面が繰り返す複雑な地形が見られ、多くの海底谷を有する。また、静岡側には、最大12キロメートルに達する平坦な大陸棚(水深100 - 150メートル以浅)が発達しており、これらは2万年前の氷河期に海面が低下したために形成された浸食地形である。ただし例外的に、三保半島沖には大陸棚が発達しておらず、東へ約4キロメートル進むと一気に水深500メートルまで落ち込む谷地形となっている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "湾南西域には水深平均100メートル、最浅部32メートル、最大比高約1800メートルを呈する石花海(せのうみ、または石花海堆)と呼ばれる台地が存在し、好漁場となっている。この石花海は2つの高まりからなり、北側を石花海北堆(北緯34度44分0秒 東経138度30分0秒)、南側を石花海南堆(北緯34度38分44秒 東経138度27分43秒)と呼ぶ。この石花海の山頂は水深約40 - 60メートルの平らな地形であり、砂質堆積物が表層を覆っている。山頂は非常に浅いため、イサキ・マダイ・カサゴ・イカなど多様に富んだ釣りが盛んである。石花海の西側には傾斜の緩やかな斜面が水深800メートルまで広がっており、北堆西側斜面上には馬蹄形状の地すべり地形が見られるが、この地すべりは1854年に発生した安政地震の際に起きたものと推定される。さらに西方には焼津まで続く平坦な地形(石花海海盆:最大水深900メートル)が発達している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "一方で、石花海の東側斜面はこれとは異なり水深150メートル付近から一気に深さを増し1800 - 2000メートルの駿河トラフ底まで落ち込んでいる。この斜面は45 - 50°の急角で約4キロメートルに渡って発達しており、この斜面上には礫岩層と泥岩層が分布している。この礫岩の種類は、有度丘陵や三保海岸を構成する円礫とほぼ同じ種類あり、いずれも古安倍川から供給されたものと推定され、200万年 - 数十万年前に起こった隆起運動によって山地となった。これらの円礫のほとんどに割れ目が入っていたことから隆起運動の際に強い圧力がかかったと考えられる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "また、石花海北堆東側に発達する急斜面底(水深1850メートル)付近は石花海ゴージと呼ばれる幅約200メートルの峡谷が約4キロメートルわたって広がっている。この峡谷付近は深海底であるにもかかわらず、2ノットを超える潮の流れがあり、潜水調査船の操作を困難にしている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "公の機関では、御前崎から大瀬崎までの163キロメートルを駿河湾沿岸、大瀬崎から石廊崎を経て、静岡県と神奈川県の境界までの273キロメートルを伊豆半島沿岸として用語を使用している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "湾の西側は大井川、安倍川、富士川などの一級水系が多く、河川水の影響を強く受けている。これに対し、湾の東側は伊豆半島の中央を流れる一級水系の狩野川の河口が、湾奥にあるため流入河川が少なく表層水が比較的、澄んでいる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "富士山やその山麓に降った雨や雪がとけた水は河川から流入する以外に、海底湧水にもなっている。富士山に降った降水の約20 %にあたる年間6億立方メートルの水が、湾北部の沿岸域の海底から地下水として直接湾に流出している。駿河湾に流れ込む河川水は年間100億立方メートルに達し、この流量の少なくとも10 %程度が海底湧水として流れ込んでいる。さらに、富士山由来の分も含めれば年間16億立方メートルの地下水が直接湾に注いでいる。河川水や海底湧水に含む豊富な栄養は、植物プランクトンを経て、湾に生息する生物へと伝播している。黒潮系水や中深層水がさまざまな卵稚仔や成魚を湾内にもたらし、それらを栄養豊富な沿岸河川系水が育むことで、生物多様性に富む駿河湾の生態系を形成している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "湾口が南に開いているため、北太平洋の海水が容易に侵入する。沖合で西から東へ流れる黒潮の分派流が伊豆半島に沿って流入することがあり、湾内ではサンゴや熱帯魚が見られる。この黒潮系水は、湾全域の水深300メートル以浅に分布する(黒潮系海洋深層水)。また、河川水が流入する湾西部や北部の沿岸部には、河川水の影響を受けた低塩分の海水が恒常的に存在する。河川水は海水に比べて軽いため、黒潮系水と混ざりあいながら黒潮系水に乗り上げ、これを覆うように分布しており、沿岸河川系水と呼ばれる。この沿岸河川系水は降水量が増加する夏季には湾の表層全域に広がる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "湾の水深300メートルから800メートルには、水温5°Cから10°Cと比較的低温・低塩分の海水が存在する。この海水は北太平洋亜熱帯海域の北緯20°から45°にかけ広く分布し、亜寒帯系海洋深層水(北太平洋中層水)と呼ばれる。中層水の起源は、オホーツク海北西部陸棚域にあることが判明している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "水深800メートル以深に存在する海水は、太平洋海洋深層水(太平洋深層水)と呼ばれており、グリーンランド近海と南極ウェッデル海表層を起源とする。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "このように、表層水の下には三層の海洋深層水がある(黒潮系海洋深層水、亜寒帯系海洋深層水、太平洋海洋深層水)。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "年間平均気温は、県内南端にある御前崎や石廊崎付近で高く、北へ行くほど低くなるが、駿河湾の沿岸、特に三保半島のある西岸付近では海洋性気候を反映して幾分高くなる傾向にある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "日本列島に北西の季節風が吹くと、中部地方の山脈地帯を避けて、関東地方を経て東回りに迂回する気流と、若狭湾から伊勢湾を経由して遠州灘方向へ西回りに迂回する気流が、駿河湾付近で収束することによって、駿河湾収束線(または駿河湾低気圧)が発生する。駿河湾収束線が発生したときには、駿河湾付近に西部と東部から気流が流れ込むため、湾内の南北方向に収束線ができる。その結果、県内西部では晴天であるにもかかわらず、中部から東部では曇天になり、時には霧や降水をもたらす。収束線は、西高東低型の気圧配置になる冬季から春季に発生する傾向にあるが、地上での気象観測点が限られている点、駿河湾を含めた洋上における気象観測資料が不足しているなどの点から、その発生予測は必ずしも容易ではない。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "なお、人為的要因を含んだ気象条件の変化により、駿河湾内における水温は過去50年間で0.7度ほど上昇傾向にある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "駿河湾は駿河トラフが南北に通るため、これが巨大地震とされる東海地震を起こすと考えられている。この境界を境に、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むことで、プレート境界地震(海溝型地震)が過去に繰り返し発生してきたことが、書き残されている大地震の記録や津波堆積物の調査結果、考古学的な発掘調査などから判明している。 東海大学と気象研究所は、駿河湾の海底に海底地震観測網の展開を2011年から行い、観測を継続している。観測には海底地震計などを用いる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2009年(平成21年)8月11日には、マグニチュード6.5の駿河湾地震が起きたが、気象庁の発表では、この地震と東海地震の関連性について『直接的には関係ない』と結論を出した。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "漁場や海上交通路として古来利用された。戦国時代には戦国大名間の海戦も発生した(伊豆水軍を参照)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "漁業では、江戸時代後期から明治・大正・昭和初期にクロマグロが漁獲されていた。天保3年(1832年)に幕府浜御殿奉行・木村喜繁は長浜村(現・沼津市)においてマグロの大漁を目撃し、画帳『天保三年伊豆紀行』(静岡県立中央図書館所蔵)として記録しており、マグロ漁師や商談をする網元・商人の姿を描いている。同年3月には滝沢馬琴が『兎園小説余録』において江戸におけるマグロ価格の暴落を記録しており、木村喜繁が目撃したマグロ大漁が影響したと考えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "近代には1894年(明治27年)刊行の『静岡県水産誌』においてマグロやカツオ、イルカなど大型魚類・哺乳類の漁獲を記している。同書によればこれらの大型魚類は網で断ち切り追い込んで漁獲する「建切網」と呼ばれる漁法で漁獲されていたという。マグロは駿河湾奥部から伊豆半島を中心に漁獲されており、カツオは駿河湾口部と湾外で漁獲されている。イルカはマグロやカツオに比較して少なく、西伊豆を中心に漁獲されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1907年(明治40年)と1913年(大正2年)には沼津市口野の金桜神社にマグロ豊漁を祈念した絵馬が奉納され、マグロ漁の様子が描かれている。1921年(大正10年)頃の木内三朗『落穂拾遺』でも、木内が1919年(大正8年)に伊豆三津浜で目撃したマグロ追い込みや買い付けの商人の姿が描かれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "江戸後期・明治期には駿河湾で漁獲された大型魚類は内陸部へも流通しており、甲斐国(山梨県)南部の鰍沢河岸(山梨県富士川町鰍沢)からは江戸後期から近代にかけての魚類など動物遺体が多く出土している。鰍沢河岸出土の魚類はマグロやイルカといった大型魚類をはじめ、アブラボウズ、イシナギなど伊豆半島や小田原で食される希少種も出土している。これらの魚類は駿河湾で漁獲され、甲斐・駿河間を結ぶ富士川舟運や中道往還を通じて甲斐国へもたらされたと考えられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "大正期には駿河湾岸で製紙工場の建設が始まり、1920年には工場排水が原因でサクラエビの漁獲に影響が出るなどの被害が現れ始めている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2016年11月、駿河湾の「世界で最も美しい湾クラブ」への加盟が正式に決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "日本の魚類は淡水魚を含め約2300種であるが、駿河湾内にはこの内の約1000種の魚類が生息している。", "title": "生物" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "最深部は2500メートルという日本一深い駿河湾。1000メートルも潜れば、太陽の光が全く届かない世界。沼津市には、日本で唯一深海生物をテーマにした水族館、「沼津港深海水族館」があり、水深200メートルよりも深い位置に生息する深海生物を常時100種類以上も見ることができる。", "title": "生物" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "かつて、深海部で撮影された巨大なオンデンザメ科のサメの映像がテレビ番組上で放送され、話題になったこともあった。また、近年では一般的に観察の難しいとされるアカボウクジラ科やスジイルカ、ハナゴンドウなど鯨類が回遊・定住する海域であることも判明しつつある。松崎町雲見町には非常に希少な種類(セミクジラ)の骨格標本を展示する「雲見くじら館」も建立されている。", "title": "生物" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "以下は主要な港湾である。ただし、2種未満の漁港は除く。", "title": "港湾" } ]
駿河湾(するがわん)は、伊豆半島先端にある石廊崎と、御前崎を結ぶ線より北側の海域。海岸は全て静岡県に属し、令制国としては西岸と北岸は駿河国、東岸は伊豆国である。最深部は水深2500メートルに達し、日本で最も深い湾である。相模湾、富山湾とならんで日本三大深湾(日本三深海湾とも)のひとつに数えられる。
{{coord|34.8|138.5|region:JP|display=title}} {{Infobox ocean | name = 駿河湾 | image = Mount Fuji and Ashitaka Mountains from Satta Pass.JPG | caption = [[薩埵峠]]から望む駿河湾越しの[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]と[[愛鷹山]] | oceans = [[太平洋]] | basin_countries = {{JPN}} | area = 2300[[平方キロメートル]]<ref name="Shizuoka Pref." /> | width = 56キロメートル<ref name="Shizuoka Pref." /> | length = 60[[キロメートル]]<ref name="Shizuoka Pref." /> | max-depth = 2445[[メートル]]<ref>中村保昭・沢田貴義「3駿河湾の海洋構造-1969年秋季の特性-」『水産海洋研究会報』第18号、45頁</ref> | rivers = {{hlist-comma|[[大井川]]|[[安倍川]]|[[富士川]]|[[狩野川]]}} | islands = {{hlist-comma|[[淡島 (沼津市)|淡島]]|[[堂ヶ島|三四郎島]]}} | trenches = [[駿河トラフ]] | cities = {{hlist-comma|[[御前崎市]]|[[牧之原市]]|[[吉田町]]|[[焼津市]]|[[静岡市]]|[[富士市]]|[[沼津市]]|[[伊豆市]]|[[西伊豆町]]|[[松崎町]]|[[南伊豆町]]}} }} [[File:Suruga Bay.png|thumb|200px|駿河湾の範囲を示した地図]] '''駿河湾'''(するがわん)は、[[伊豆半島]]先端にある[[石廊崎]]と、[[御前崎]]を結ぶ線より北側の海域<ref name="isewan">出典 : [http://www.isewan-db.go.jp/index.asp 伊勢湾環境データベース 『駿河湾流域の概要』] - [[国土交通省]]中部[[地方整備局]] 名古屋港湾空港技術調査事務所、2012年11月1日閲覧</ref>。海岸は全て[[静岡県]]に属し<ref name="静岡県">[http://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-410/surugabay/quickguide.html 駿河湾早わかりガイド]静岡県(2019年10月12日閲覧)</ref>、[[令制国]]としては西岸と北岸は[[駿河国]]、東岸は[[伊豆国]]である。最深部は[[水深]]2500[[メートル]]に達し、日本で最も深い[[湾]]である<ref group="注釈">2位は[[相模湾]]の1500メートル、3位は[[富山湾]]の900メートル。</ref><ref name="Shizuoka Pref.">出典 : [http://www.pref.shizuoka.jp/j-no1/m_surugawan.html 日本一深い湾 駿河湾] - 静岡県、2012年11月1日閲覧</ref>。[[相模湾]]、[[富山湾]]とならんで'''日本三大深湾'''(日本三深海湾とも)のひとつに数えられる<ref>[https://www.pref.kanagawa.jp/docs/s3w/2020/06-sagamiwan.html 相模湾]神奈川県(2022年5月18日閲覧)</ref>{{Sfn|村山|2017|p=24}}。 == 地理 == {{File clip | Geofeatures map of Chubu Japan ja.svg | width = 250 | 65 | 10 | 1 | 55 | w = 1080 | h = 1200 | 駿河湾周辺の地形}} {{CSS image crop |Image = Izu Islands and Zenisu Ridge 500m mesh bathymetry.png |bSize = 1120 |cWidth = 240 |cHeight = 290 |oTop = 60 |oLeft = 330 |Description = 駿河湾の海底地形図(海上保安庁J-EGG500データ) }} 駿河湾は湾口幅が56[[キロメートル]]、奥行が約60キロメートルあり、表面積は約2300[[平方キロメートル]]<ref name="Shizuoka Pref." /><ref name="isewan" />。約60万年前に[[フィリピン海プレート]]に載った[[火山島]]であった伊豆半島が[[本州]]に衝突して駿河湾ができた<ref>出典 : [http://izugeopark.org/izugeomain/ 伊豆半島ジオパークのテーマ] - 伊豆半島ジオパーク、2012年11月1日閲覧</ref>。湾はフィリピン海プレートと[[ユーラシアプレート]]の境界、その北端部である'''[[駿河トラフ]]'''が湾の南北に通るために深度が深い。[[富士川]]河口部にあたる湾の最奥部では、海岸からわずか2キロメートル地点で水深500メートルに達する<ref>出典 : [http://www1.gsi.go.jp/geowww/paleogeography/create.php?report=kano&data=1-t-1 古地理調査「狩野川・安倍川・大井川 川の流れと歴史のあゆみ」] -[[国土地理院]]、2012年11月1日閲覧 </ref>。 伊豆半島や[[伊豆諸島]]から[[沖縄県]]の各諸島までは、[[太平洋]]の一海域である[[フィリピン海]]であり、駿河湾もその一海域に含まれる。湾奥からは[[九州]]、[[台湾]]東岸沖まで水深1000メートルを超える[[海底谷|海底峡谷]]が続く<ref name="静岡県"/>。 駿河湾の一海域として、湾奥の[[沼津市]]沖のごく小さい海域が、'''内浦湾'''<small>({{ウィキ座標|35|1|20|N|138|53|30|E|region:JP|地図|name=内浦湾}})</small>と'''江浦湾'''<small>({{ウィキ座標|35|2|30|N|138|53|40|E|region:JP|地図|name=江浦湾}})</small>と名づけられている。また、湾の東側にある[[三保半島]]で分けられた海域が'''[[折戸湾]]'''<small>({{ウィキ座標|35|0|0|N|138|30|0|E|region:JP|地図|name=折戸湾}})</small>と呼ばれている。 === 海底地形 === 火山活動により形成された東側(伊豆半島ブロック)と堆積活動により形成された西側(静岡ブロック)が接する。伊豆側は水深1500メートル付近まで硬い岩石で構成されるため急斜面が発達しており、[[海底谷]]は少なく<ref name="isewan" />、[[海食崖]]や、[[島嶼]]が多くなる。一方で、静岡側は削れやすい[[礫]]・[[砂]]・[[泥]]岩で構成され水深1000メートル付近まで谷地形の発達する斜面が広がっている。特に静岡側はトラフ陸側斜面に特徴的な[[逆断層]]により、階段状に発達した平坦面と急斜面が繰り返す複雑な地形が見られ、多くの海底谷を有する<ref name="isewan" />。また、静岡側には、最大12[[キロメートル]]に達する平坦な[[大陸棚]](水深100 - 150メートル以浅)が発達しており、これらは2万年前の[[氷河期]]に海面が低下したために形成された浸食地形である。ただし例外的に、[[三保半島]]沖には大陸棚が発達しておらず、東へ約4[[キロメートル]]進むと一気に水深500メートルまで落ち込む谷地形となっている{{Sfn|村山|2017|pp=14–15}}。 湾南西域には水深平均100メートル、最浅部32メートル、最大比高約1800メートルを呈する'''石花海'''(せのうみ、または石花海[[堆]])と呼ばれる[[台地]]が存在し、好[[漁場]]となっている<ref name="isewan" />。この石花海は2つの高まりからなり、北側を石花海北堆<small>({{ウィキ座標|34|44|0|N|138|30|0|E|region:JP|地図|name=石花海北堆}})</small>、南側を石花海南堆<small>({{ウィキ座標|34|38|44|N|138|27|43|E|region:JP|地図|name=石花海南堆}})</small>と呼ぶ<ref>出典 : 各種論文より。</ref>。この石花海の山頂は水深約40 - 60メートルの平らな地形であり、砂質堆積物が表層を覆っている。山頂は非常に浅いため、イサキ・マダイ・カサゴ・イカなど多様に富んだ釣りが盛んである。石花海の西側には傾斜の緩やかな斜面が水深800メートルまで広がっており、北堆西側斜面上には馬蹄形状の[[地すべり]]地形が見られるが、この地すべりは[[1854年]]に発生した[[安政地震]]の際に起きたものと推定される。さらに西方には焼津まで続く平坦な地形(石花海[[海盆]]:最大水深900メートル)が発達している{{Sfn|村山|2017|pp=11–12}}。 一方で、石花海の東側斜面はこれとは異なり水深150メートル付近から一気に深さを増し1800 - 2000メートルの駿河トラフ底まで落ち込んでいる。この斜面は45 - 50°の急角で約4キロメートルに渡って発達しており、この斜面上には礫岩層と泥岩層が分布している。この礫岩の種類は、[[日本平|有度丘陵]]や三保海岸を構成する円礫とほぼ同じ種類あり、いずれも古[[安倍川]]から供給されたものと推定され、200万年 - 数十万年前に起こった隆起運動によって山地となった。これらの円礫のほとんどに割れ目が入っていたことから隆起運動の際に強い圧力がかかったと考えられる{{Sfn|村山|2017|pp=12–13}}。 また、石花海北堆東側に発達する急斜面底(水深1850メートル)付近は'''石花海ゴージ'''と呼ばれる幅約200メートルの峡谷が約4キロメートルわたって広がっている。この峡谷付近は深海底であるにもかかわらず、2[[ノット]]を超える潮の流れがあり、潜水調査船の操作を困難にしている{{Sfn|村山|2017|p=13}}。 {{座標一覧}} {{-}} === 海岸地形 === 公の機関では、御前崎から[[大瀬崎]]までの163[[キロメートル]]を'''駿河湾沿岸'''<ref>出典 : {{PDF|[https://www.cbr.mlit.go.jp/kikaku/jigyou/data/pdf/h1901_shiryou04.pdf 駿河湾沿岸海岸事業]}} - 国土交通省中部地方整備局 沼津河川国道事務所 静岡河川事務所、2012年11月1日閲覧</ref>、大瀬崎から石廊崎を経て、静岡県と神奈川県の境界までの273キロメートルを'''伊豆半島沿岸'''<ref>出典 : {{PDF|[http://doboku.pref.shizuoka.jp/kawa/seaplan/izuplan/pdf/izu_1.pdf 伊豆半島沿岸海岸保全基本計画] - 静岡県}}、2012年11月1日閲覧</ref>として用語を使用している。 ==== 駿河湾沿岸 ==== * '''[[三保半島]]'''および'''[[三保の松原]]'''([[静岡市]][[清水区]])'''[[世界遺産]]''' *: [[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]を望む[[白砂青松]]の[[砂洲]]([[日本の白砂青松100選]]の一つ)。 * '''[[富士海岸]]'''([[沼津市]] - [[富士市]]) *: 約23[[キロメートル]]にわたる海岸。[[砂州]]として発達したものであり、その北側には[[浮島沼]]という[[湿地帯]]があった。この湿地帯は古くは[[潟湖]]である。'''[[千本松原 (静岡県)|千本松原]]'''の松林が10キロメートル以上に亘って海岸沿いに続く(日本の白砂青松100選の一つ)。 * '''[[大瀬崎]]'''(沼津市) [[陸繋島]]と[[陸繋砂州]]。 {{中央|<gallery widths="200px" heights="150px" perrow="3"> File:Sizuoka Simizukou 1.jpg|[[三保半島]]、[[清水港]]、[[三保の松原]] File:Mt fuji and mt ashitaka.jpg|駿河湾と[[千本松原 (静岡県)|千本松原]]、背後は[[愛鷹山]]と[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]] File:Osezaki cape Aerial Photograph.jpg|大瀬崎 <small>{{国土航空写真}}</small> </gallery>}} ==== 伊豆半島沿岸 ==== * '''[[御浜岬]]'''(沼津市) [[砂嘴]]。 * '''[[堂ヶ島]]海岸'''([[西伊豆町]]) - 伊豆半島が海底火山時代だった頃の痕跡を持つ[[海食崖]]の海岸。[[三四郎島]]で[[陸繋島]]([[タイダル・アイランド]])が見られる。 * '''[[伊豆西南海岸]]'''([[松崎町]]・西伊豆町・[[南伊豆町]]) - 半島南西部の3町に亘る海岸が、国の名勝[[史蹟名勝天然紀念物保存法|天然記念物]]として指定されている<ref>出典 : [https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138647 文化遺産オンライン] - [[文化庁]]、2012年11月1日閲覧</ref>。これはあくまで登録上の名称であって、この名の海岸は存在していない。上記の堂ヶ島海岸も指定範囲に含む。 {{中央|<gallery widths="200px" heights="150px" perrow="3"> File:Heda 20120821.jpg|[[御浜岬]]と[[戸田港]] File:Sanshirojima 20121019.jpg|[[三四郎島]] File:Nishiizu 20121019.jpg|伊豆西南海岸 </gallery>}} === 海水 === 湾の西側は[[大井川]]、[[安倍川]]、富士川などの[[一級水系]]が多く、河川水の影響を強く受けている<ref name="isewan" />。これに対し、湾の東側は伊豆半島の中央を流れる一級水系の[[狩野川]]の河口が、湾奥にあるため流入河川が少なく表層水が比較的、澄んでいる<ref name="isewan" />。 [[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]やその山麓に降った[[雨]]や[[雪どけ|雪がとけた水]]は河川から流入する以外に、海底[[湧水]]にもなっている。富士山に降った降水の約20{{nbsp}}[[%]]にあたる年間6億[[立方メートル]]の水が、湾北部の沿岸域の海底から地下水として直接湾に流出している。駿河湾に流れ込む河川水は年間100億立方メートルに達し、この流量の少なくとも10{{nbsp}}%程度が海底湧水として流れ込んでいる。さらに、富士山由来の分も含めれば年間16億立方メートルの[[地下水]]が直接湾に注いでいる。河川水や海底湧水に含む豊富な栄養は、[[植物プランクトン]]を経て、湾に生息する生物へと伝播している。黒潮系水や中深層水がさまざまな卵稚仔や成魚を湾内にもたらし、それらを栄養豊富な沿岸河川系水が育むことで、生物多様性に富む駿河湾の生態系を形成している{{Sfn|村山|2017|p=28}}。 ==== 深層水 ==== 湾口が南に開いているため、北[[太平洋]]の海水が容易に侵入する。沖合で西から東へ流れる[[黒潮]]の分派流が[[伊豆半島]]に沿って流入することがあり、湾内では[[サンゴ]]や[[熱帯魚]]が見られる。この黒潮系水は、湾全域の水深300メートル以浅に分布する{{Sfn|村山|2017|p=24}}(黒潮系海洋深層水)。また、河川水が流入する湾西部や北部の沿岸部には、河川水の影響を受けた低塩分の海水が恒常的に存在する。河川水は海水に比べて軽いため、黒潮系水と混ざりあいながら黒潮系水に乗り上げ、これを覆うように分布しており、沿岸河川系水と呼ばれる。この沿岸河川系水は降水量が増加する夏季には湾の表層全域に広がる{{Sfn|村山|2017|p=27}}。 湾の水深300メートルから800メートルには、水温5[[℃]]から10℃と比較的低温・低塩分の海水が存在する。この海水は北太平洋亜熱帯海域の北緯20°から45°にかけ広く分布し、亜寒帯系海洋深層水(北太平洋中層水)と呼ばれる。中層水の起源は、[[オホーツク海]]北西部陸棚域にあることが判明している{{Sfn|村山|2017|pp=24–25}}。 水深800メートル以深に存在する海水は、太平洋海洋深層水(太平洋深層水)と呼ばれており、[[グリーンランド]]近海と[[南極]][[ウェッデル海]]表層を起源とする{{Sfn|村山|2017|p=25}}。 このように、表層水の下には三層の[[海洋深層水]]がある([[黒潮]]系海洋深層水、[[亜寒帯]]系海洋深層水、太平洋海洋深層水)<ref name="静岡県"/>。 === 気象 === 年間平均気温は、県内南端にある[[御前崎]]や[[石廊崎]]付近で高く、北へ行くほど低くなるが、駿河湾の沿岸、特に[[三保半島]]のある西岸付近では[[海洋性気候]]を反映して幾分高くなる傾向にある{{Sfn|村山|2017|p=21}}。 [[日本列島]]に北西の[[季節風]]が吹くと、[[中部地方]]の山脈地帯を避けて、[[関東地方]]を経て東回りに迂回する気流と、[[若狭湾]]から[[伊勢湾]]を経由して[[遠州灘]]方向へ西回りに迂回する気流が、駿河湾付近で収束することによって、'''駿河湾収束線'''(または'''駿河湾低気圧''')が発生する。駿河湾収束線が発生したときには、駿河湾付近に西部と東部から気流が流れ込むため、湾内の南北方向に収束線ができる。その結果、県内西部では晴天であるにもかかわらず、中部から東部では曇天になり、時には[[霧]]や降水をもたらす。収束線は、[[西高東低]]型の気圧配置になる冬季から春季に発生する傾向にあるが、地上での気象観測点が限られている点、駿河湾を含めた洋上における気象観測資料が不足しているなどの点から、その発生予測は必ずしも容易ではない{{Sfn|村山|2017|pp=22–23}}。 なお、人為的要因を含んだ気象条件の変化により、駿河湾内における水温は過去50年間で0.7度ほど上昇傾向にある{{Sfn|村山|2017|p=23}}。 === 災害 === 駿河湾は[[駿河トラフ]]が南北に通るため、これが[[巨大地震]]とされる[[東海地震]]を起こすと考えられている。この境界を境に、[[フィリピン海プレート]]が[[ユーラシアプレート]]の下に沈み込むことで、[[プレート境界地震]](海溝型地震)が過去に繰り返し発生してきたことが、書き残されている大地震の記録や[[津波]]堆積物の調査結果、考古学的な発掘調査などから判明している{{Sfn|村山|2017|pp=16–19}}。 [[東海大学]]と[[気象研究所]]は、駿河湾の海底に海底地震観測網の展開を[[2011年]]から行い、観測を継続している。観測には[[海底地震計]]などを用いる。 [[2009年]](平成21年)8月11日には、[[マグニチュード]]6.5の[[駿河湾地震 (2009年)|駿河湾地震]]が起きたが、[[気象庁]]の発表では、この地震と東海地震の関連性について『直接的には関係ない』と結論を出した<ref>出典 : [[駿河湾地震 (2009年)]]2012年10月11日10:54版より引用。</ref>。 == 歴史 == [[漁場]]や海上交通路として古来利用された。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[戦国大名]]間の[[海戦]]も発生した([[伊豆水軍]]を参照)。 [[漁業]]では、[[江戸時代]]後期から[[明治]]・[[大正]]・[[昭和]]初期に[[クロマグロ]]が漁獲されていた<ref name="名前なし-1">『甲州食べもの紀行』、pp.34 - 35</ref>。[[天保]]3年([[1832年]])に[[江戸幕府|幕府]][[浜御殿奉行]]・木村喜繁は長浜村(現・沼津市)においてマグロの大漁を目撃し、画帳『天保三年伊豆紀行』([[静岡県立中央図書館]]所蔵)として記録しており、マグロ漁師や商談をする[[網元]]・商人の姿を描いている<ref>『甲州食べもの紀行』、p.35</ref>。同年3月には[[曲亭馬琴|滝沢馬琴]]が『兎園小説余録』において江戸におけるマグロ価格の暴落を記録しており、木村喜繁が目撃したマグロ大漁が影響したと考えられている<ref>『甲州食べもの紀行』、p.36</ref>。 近代には[[1894年]](明治27年)刊行の『静岡県水産誌』においてマグロや[[カツオ]]、[[イルカ]]など大型魚類・哺乳類の漁獲を記している<ref name="植月(2007)、p.16">植月(2007)、p.16</ref>。同書によればこれらの大型魚類は[[網]]で断ち切り追い込んで漁獲する「建切網」と呼ばれる[[漁法]]で漁獲されていたという<ref name="植月(2007)、p.16" />。マグロは駿河湾奥部から伊豆半島を中心に漁獲されており、カツオは駿河湾口部と湾外で漁獲されている<ref name="植月(2007)、p.16" />。イルカはマグロやカツオに比較して少なく、西伊豆を中心に漁獲されている<ref name="植月(2007)、p.16" />。 [[1907年]](明治40年)と[[1913年]](大正2年)には沼津市口野の金桜神社にマグロ豊漁を祈念した[[絵馬]]が奉納され、マグロ漁の様子が描かれている。[[1921年]](大正10年)頃の木内三朗『落穂拾遺』でも、木内が[[1919年]](大正8年)に伊豆三津浜で目撃したマグロ追い込みや買い付けの商人の姿が描かれている<ref name="名前なし-1"/>。 江戸後期・明治期には駿河湾で漁獲された大型魚類は内陸部へも流通しており、[[甲斐国]]([[山梨県]])南部の[[鰍沢河岸]](山梨県[[富士川町]]鰍沢)からは江戸後期から近代にかけての魚類など動物遺体が多く出土している。鰍沢河岸出土の魚類はマグロやイルカといった大型魚類をはじめ、[[アブラボウズ]]、[[イシナギ]]など伊豆半島や[[小田原市|小田原]]で食される希少種も出土している。これらの魚類は駿河湾で漁獲され、甲斐・駿河間を結ぶ[[富士川舟運]]や[[中道往還]]を通じて甲斐国へもたらされたと考えられている<ref>植月(2007)、p.20</ref>。 大正期には駿河湾岸で[[製紙]]工場の建設が始まり、[[1920年]]には[[工場排水]]が原因でサクラエビの漁獲に影響が出るなどの被害が現れ始めている<ref>下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p339 河出書房新社 2003年11月30日刊 {{全国書誌番号|20522067}}</ref>。 [[2016年]]11月、駿河湾の「[[世界で最も美しい湾クラブ]]」への加盟が正式に決定した<ref>[http://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-410/beautifulbay.html 世界で最も美しい湾クラブ]静岡県(2022年5月18日閲覧)</ref>。 == 生物 == [[ファイル:Sakura shrimp and Whitebait from Suruga bay.jpg|thumb|駿河湾の海の幸、生サクラエビと生シラス]] 日本の魚類は[[淡水魚]]を含め約2300種であるが、駿河湾内にはこの内の約1000種の魚類が生息している<ref name="Shizuoka Pref." />。 最深部は2500メートルという日本一深い駿河湾。1000メートルも潜れば、太陽の光が全く届かない世界。[[沼津市]]には、日本で唯一深海生物をテーマにした水族館、「[[沼津港深海水族館]]」があり、水深200メートルよりも深い位置に生息する深海生物を常時100種類以上も見ることができる<ref>{{Cite web|url=http://www.numazu-deepsea.com/dsfish1|title=ANIMAL GUIDE|website=沼津深海水族館 シーラカンス・ミュージアム|accessdate=2020-09-03}}</ref>。 かつて、深海部で撮影された巨大な[[オンデンザメ科]]のサメの映像がテレビ番組上で放送され、話題になったこともあった{{要出典|date=2011年10月}}。また、近年では一般的に観察の難しいとされる[[アカボウクジラ科]]や[[スジイルカ]]、[[ハナゴンドウ]]など[[鯨類]]が回遊・定住する海域であることも判明しつつある<ref>{{cite journal|author=大泉 宏|year=2014|title=『駿河湾のクジラたち』|url=http://www.siip.jp/assets/files/sangaku90.pdf|format=PDF|accessdate=2015年01月16日}}</ref>。[[松崎町]]雲見町には非常に希少な種類([[セミクジラ]])の骨格標本を展示する「[[雲見くじら館]]」も建立されている。 *[[タカアシガニ]] - 静岡県が日本で最もタカアシガニの漁獲量が多い<ref>出典 : [http://www.pref.shizuoka.jp/j-no1/m_takaashi2.html 静岡県]、2012年11月1日閲覧</ref>。 *[[サクラエビ]] - 日本では駿河湾でのみ漁業が行われている<ref>出典 : {{PDF|[http://fish-exp.pref.shizuoka.jp/02fishery/2-5/sakuraebi.pdf 静岡県/水産技術研究所]}}、2012年11月1日閲覧</ref>。 *[[ラブカ]] *[[ハダカイワシ]] *[[ミツクリザメ]] == 港湾 == 以下は主要な港湾である。ただし、2種未満の漁港は除く<ref>出典 : [http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN3/sizuoka-port.htm 静岡県の港湾一覧] - [[第三管区海上保安本部]]海洋情報部、2012年11月1日閲覧</ref><ref>出典 : [http://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-430/gyokoitiran.html 静岡県/漁港一覧] - 静岡県建設部港湾局漁港整備室、2012年11月1日閲覧</ref>。 <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 2em;"> * [[御前崎港]]([[御前崎市]])[[重要港湾]] * [[相良港]]([[牧之原市]])[[地方港湾]] * [[榛原港]](牧之原市)地方港湾 * [[吉田漁港]]([[榛原郡]][[吉田町]])[[漁港|第2種漁港]] * [[大井川港]]([[焼津市]])地方港湾 * [[焼津漁港]](焼津市)[[特定第3種漁港]] * [[用宗漁港]]([[静岡市]][[駿河区]])[[漁港|第3種漁港]] * [[清水港]](静岡市[[清水区]])[[特定重要港湾]] * [[由比漁港]](静岡市清水区)第2種漁港 * [[田子の浦港]]([[富士市]])重要港湾 </div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 2em;"> * [[沼津港]]([[沼津市]])地方港湾 * [[静浦漁港]](沼津市)第2種漁港 * [[内浦漁港]](沼津市)第2種漁港 * [[戸田漁港]](沼津市)第2種漁港 * [[土肥港]]([[伊豆市]])地方港湾 * [[宇久須港]]([[賀茂郡]][[西伊豆町]]) * [[安良里漁港]](賀茂郡西伊豆町)第2種漁港 * [[田子漁港]](賀茂郡西伊豆町)第2種漁港 * [[松崎港]](賀茂郡[[松崎町]])地方港湾 * [[妻良港]](賀茂郡[[南伊豆町]])[[漁港|第4種漁港]] </div>{{clear|left}} == 定期航路 == * [[富士山清水港クルーズ|駿河湾フェリー]] : [[清水港]] - [[土肥港]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注釈" /> === 出典 === <references /> == 参考文献 == * {{Citation|和書|author=村山司|date=2017|title=駿河湾学|publisher=[[東海大学]]出版部|ref={{SfnRef|村山|2017}} }} * 『甲州食べもの紀行-山国の豊かな食文化-』[[山梨県立博物館]]、[[2008年]] * 植月学「明治期の鰍沢河岸における海産物利用の動物考古学的検討」『山梨県立博物館 研究紀要 第1集』山梨県立博物館、[[2007年]] == 関連項目 == {{Commonscat|Suruga Bay}} * 駿河湾[[海洋深層水|深層水]] - 静岡県がブランド化を図っている。 * [[東海地震]] - 駿河湾で起きると想定される巨大地震。 * [[南海トラフ巨大地震]] - 南海トラフから駿河トラフにかけて連動して起きると想定される巨大地震。 * [[駿河湾地震 (2009年)]] - [[2009年]][[8月11日]]に駿河湾で発生したM6.5の地震。 * [[日本航空機駿河湾上空ニアミス事故]] - [[2001年]][[1月31日]]に焼津市沖の駿河湾上空で発生した[[日本航空]]の[[旅客機]]同士による[[ニアミス事故]]。 * [[沼津港深海水族館]] - 主に駿河湾で捕獲した[[深海生物]]を展示している。 * [[東駿河湾環状道路]] * [[日本一の一覧]] == 外部リンク == * [http://www.isewan-db.go.jp/index.asp 伊勢湾環境データベース『駿河湾流域の概要』] - 国土交通省中部地方整備局 名古屋港湾空港技術調査事務所 * {{PDF|[http://doboku.pref.shizuoka.jp/kawa/seaplan/surugaplan/plan.pdf 駿河湾沿岸海岸保全基本計画]}} - 静岡県 * [https://www.pref.shizuoka.jp/machizukuri/kowan/1040846/1025740.html 多様な生物] - [https://www.pref.shizuoka.jp/ 静岡県] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:するかわん}} [[Category:駿河湾|*]] [[Category:太平洋の湾]] [[Category:静岡県の地形]]
2003-02-27T14:43:49Z
2023-10-28T23:42:21Z
false
false
false
[ "Template:File clip", "Template:ウィキ座標", "Template:Commonscat", "Template:脚注ヘルプ", "Template:PDF", "Template:Citation", "Template:Normdaten", "Template:Infobox ocean", "Template:Sfn", "Template:Clear", "Template:Cite web", "Template:Coord", "Template:中央", "Template:Nbsp", "Template:要出典", "Template:全国書誌番号", "Template:Cite journal", "Template:CSS image crop", "Template:座標一覧", "Template:-" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%BF%E6%B2%B3%E6%B9%BE
2,993
乱数列
乱数列(らんすうれつ)とはランダムな数列のこと。 数学的に述べれば、今得られている数列 x 1 , x 2 , ... , x n {\displaystyle x_{1},x_{2},\dots ,x_{n}} から次の数列の値 x n + 1 {\displaystyle x_{n+1}} が予測できない数列。乱数列の各要素を乱数(らんすう)という。もう少し具体的には、漸化式や関数で定義できない数列を構成する数を乱数ということもできる。 決定的オートマトン (en:deterministic automaton) であるコンピュータでは、基本的には確定的な計算によってしか数列を作ることができない。しかし、確定的な計算によって作られた数列でありながら、用途において必要とする統計的な性質に関して、サイコロなどで作られた乱数列を近似した数列の生成法があり、そのようにして生成された数列を擬似乱数列という。特にコンピュータへの実装に関しては、ビット列を生成することから Deterministic Random Bit Generator (DRBG) という語もある。「乱数列と近似の性質」の評価(検定)に関しては各種の提案があるが、標準としては米国のNIST、FIPSが検査方法を、ANS X9-82の中で公表しているものがあり、いくつかの方法について公認としている。 以上のような、確定的な計算により生成される擬似的な乱数列に対して、(十分に)本質的に確率的な自然現象・物理現象を基にして作られる乱数列を「真の乱数」「自然乱数」「物理乱数」などという。非決定的という点を強調した Non-deterministic Random Bit Generator (NRBG) という語もある。この発生に用いられる代表的な自然現象は、原子核の放射崩壊により放出された放射線のカウントや時間間隔、電気抵抗器の両端に現れる熱雑音などのホワイトノイズやピンクノイズなどのノイズ、熱雑音などを原因とする半導体素子の遅れ時間のバラつき、光の屈折からの光子の分散などが多く使われている。前述のFIPSでは、自然乱数の検定方法はいまだ検討中となっているが、いくつかの必要条件を示しており、乱数発生源の健康状態が確認できること、発生源のエントロピーを確認できること、発生回路を自己検定できることなどがあげられているが、まだドラフトの段階となっている。特記すべき点として、自然乱数はその発生源のエントロピーの低下に備えて、疑似乱数と混合する(たとえば二進乱数なら排他的論理和を取るなど)ことが望ましいとしていることがある(これは望ましくない場合もある。コンピュータの応答などで遅滞が許されない場合は疑似乱数にフォールバックすべきだろうが、暗号などに使う場合などには絶対に真の乱数でなければならない場合がある)。 近年、IoT他、セキュリティの程度を高める要求から、暗号のためにより良い乱数が必要とされ、従来はその実装が高価で一般に特殊な用途でしか実用化されていなかった自然乱数に対する需要が高まり、たとえばCPUメーカーであるインテルがCPU内部に機能として組み込む例もでている。 世界での自然乱数の発生器については英語版の記事が詳しい。 乱数列はそのとる値や確率分布によって分類される。 多くのプログラム言語では、0からある最大値までの整数に一様分布する乱数を発生させる関数が標準で用意されている。これを基にして加工することにより様々な分布を持つ乱数を作ることができる。ただし、実装に使われているアルゴリズムによって周期やランダム性(すなわち乱数の"質")には違いがあり、たとえばC++11標準ライブラリに実装されているメルセンヌ・ツイスタエンジン(std::mt19937)は2-1(24番目のメルセンヌ素数、約4.315×10)という非常に長い周期をもつが、C言語標準ライブラリのrand()関数やJavaのjava.util.Random 、および.NET Framework基本クラスライブラリのSystem.Random などのように、実装は簡便であるが下位の桁が規則性を持っていたり、2次元以上では分布に相関が生じる線形合同法が使われていることが多い。 一様乱数とはある有限の区間を区切って、その区間内で全ての実数が同じ確率(濃度)で現れるような連続一様分布に従う乱数のことである。 ある範囲の整数値を取る乱数列を発生させて、それを範囲の幅で割ることで [0,1](0以上1以下)や [0,1)(0以上1未満)の一様乱数に近いものが得られる。このようにして生成した一様乱数は原理的に有理数のみを含むため、任意の実数でありうる真の一様乱数ではない。コンピュータでは一般に浮動小数点数を扱い、真の実数を一般に扱うことは難しいため、真の一様乱数を扱うのは難しい。 2進乱数とは0と1(あるいは-1と1)がランダムに現れるようなベルヌーイ分布に従う乱数である。ストリーム暗号やスペクトラム拡散通信に用いられる。 正規乱数とは正規分布に従う乱数である。正規乱数は工学においてはホワイトガウスノイズとして利用される。 手法として、以下の方法などがある。GNU Scientific Library のドキュメントによるとほとんどの場合ジッグラト法が最速である。 平均 μ {\displaystyle \mu } 、分散 σ 2 {\displaystyle \sigma ^{2}} の正規分布 N ( μ , σ 2 ) {\displaystyle N(\mu ,\sigma ^{2})} のような正規乱数を作る場合、まず ( 0 , 1 ] {\displaystyle (0,1]} の一様乱数をボックス=ミュラー法(Box-Muller transform)で変換して N ( 0 , 1 ) {\displaystyle N(0,1)} の正規乱数を得ることから始める。 一様乱数 ( 0 , 1 ] {\displaystyle (0,1]} の要素 α {\displaystyle \alpha } と β {\displaystyle \beta } を次の変換を用いて変換する。 このようにして2つの相関のない N ( 0 , 1 ) {\displaystyle N(0,1)} の正規乱数が得られる。ただし ln {\displaystyle \ln } は自然対数。 この正規乱数に σ {\displaystyle \sigma } をかけて、さらに μ {\displaystyle \mu } を加えることで正規分布 N ( μ , σ 2 ) {\displaystyle N(\mu ,\sigma ^{2})} の正規乱数が得られる。 またこれとは別に、簡単で擬似的な方法として、12個の一様乱数 [0,1] の和から6を減ずる方法もよく用いられる。中心極限定理によって、独立した複数の一様乱数の和の分布は正規分布に近づく。さらに、12個の一様乱数 [0,1] の和の分散は1となるため、6を減ずるだけで正規分布に近い確率分布が得られ、計算に都合がよい。 1990年代以降のパーソナルコンピュータは浮動小数点演算処理装置の内蔵によって三角関数や対数関数の演算が速くなっているため、1つの正規乱数あたり12回もの一様乱数生成を要するこの方法より、1つの正規乱数あたり1回の一様乱数生成で済むボックス=ミュラー法を用いた方が、一般的によく知られた多くの擬似乱数生成器との組み合わせにおいては高速である。 但し、非常に高速な擬似乱数生成器を用いるならば、中心極限定理を用いた手法はボックス=ミュラー法を用いるよりも十分に高速な正規乱数の生成が可能である。 ボードゲームやテーブルトークRPGなどの遊戯において、複数個のサイコロの目の合計を使用している例がよく見られるが、これは中心極限定理によって正規乱数(の、ごくごく粗い近似)を生成し利用しているといえる。 各種サンプリング法を使用する。手法ごとに計算量や棄却率など様々な特徴がある。 擬似乱数列でない乱数列をコンピュータで利用するには、外部のエントロピーを入力するための専用ハードウェアなどを利用することになる。そのようなハードウェア乱数生成器を内蔵したCPUやチップセット、OSによってキーボードの打鍵タイミングなどから乱数が生成される擬似デバイスなどが存在する。このような乱数の生成法はコンピュータの歴史より古く、コンピュータが一般的に利用可能となるまでは「乱数賽」(1〜10の全ての数字が1/10の確率で現れるよう作られたサイコロ。3軸に対して対称の10面体は作れないので、正20面体の面に同じ番号を2つずつ振ったものが通常使われる)や袋に入れた乱数カードを引き出すハイハット方式で生成していた。 擬似乱数列の生成は、理論的(数学的)にはコンピュータ以前から手計算でも可能ではあったが、実際的にはコンピュータ以後に発展した。代表的な生成法に二乗中抜き法や線形合同法、線形帰還シフトレジスタやXorshift、メルセンヌ・ツイスタがある。これらはいずれも暗号論的に安全ではない。暗号論的に安全な擬似乱数については暗号論的擬似乱数生成器を参照。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "乱数列(らんすうれつ)とはランダムな数列のこと。 数学的に述べれば、今得られている数列 x 1 , x 2 , ... , x n {\\displaystyle x_{1},x_{2},\\dots ,x_{n}} から次の数列の値 x n + 1 {\\displaystyle x_{n+1}} が予測できない数列。乱数列の各要素を乱数(らんすう)という。もう少し具体的には、漸化式や関数で定義できない数列を構成する数を乱数ということもできる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "決定的オートマトン (en:deterministic automaton) であるコンピュータでは、基本的には確定的な計算によってしか数列を作ることができない。しかし、確定的な計算によって作られた数列でありながら、用途において必要とする統計的な性質に関して、サイコロなどで作られた乱数列を近似した数列の生成法があり、そのようにして生成された数列を擬似乱数列という。特にコンピュータへの実装に関しては、ビット列を生成することから Deterministic Random Bit Generator (DRBG) という語もある。「乱数列と近似の性質」の評価(検定)に関しては各種の提案があるが、標準としては米国のNIST、FIPSが検査方法を、ANS X9-82の中で公表しているものがあり、いくつかの方法について公認としている。", "title": "擬似乱数列と真の乱数列" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "以上のような、確定的な計算により生成される擬似的な乱数列に対して、(十分に)本質的に確率的な自然現象・物理現象を基にして作られる乱数列を「真の乱数」「自然乱数」「物理乱数」などという。非決定的という点を強調した Non-deterministic Random Bit Generator (NRBG) という語もある。この発生に用いられる代表的な自然現象は、原子核の放射崩壊により放出された放射線のカウントや時間間隔、電気抵抗器の両端に現れる熱雑音などのホワイトノイズやピンクノイズなどのノイズ、熱雑音などを原因とする半導体素子の遅れ時間のバラつき、光の屈折からの光子の分散などが多く使われている。前述のFIPSでは、自然乱数の検定方法はいまだ検討中となっているが、いくつかの必要条件を示しており、乱数発生源の健康状態が確認できること、発生源のエントロピーを確認できること、発生回路を自己検定できることなどがあげられているが、まだドラフトの段階となっている。特記すべき点として、自然乱数はその発生源のエントロピーの低下に備えて、疑似乱数と混合する(たとえば二進乱数なら排他的論理和を取るなど)ことが望ましいとしていることがある(これは望ましくない場合もある。コンピュータの応答などで遅滞が許されない場合は疑似乱数にフォールバックすべきだろうが、暗号などに使う場合などには絶対に真の乱数でなければならない場合がある)。", "title": "擬似乱数列と真の乱数列" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "近年、IoT他、セキュリティの程度を高める要求から、暗号のためにより良い乱数が必要とされ、従来はその実装が高価で一般に特殊な用途でしか実用化されていなかった自然乱数に対する需要が高まり、たとえばCPUメーカーであるインテルがCPU内部に機能として組み込む例もでている。", "title": "擬似乱数列と真の乱数列" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "世界での自然乱数の発生器については英語版の記事が詳しい。", "title": "擬似乱数列と真の乱数列" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "乱数列はそのとる値や確率分布によって分類される。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "多くのプログラム言語では、0からある最大値までの整数に一様分布する乱数を発生させる関数が標準で用意されている。これを基にして加工することにより様々な分布を持つ乱数を作ることができる。ただし、実装に使われているアルゴリズムによって周期やランダム性(すなわち乱数の\"質\")には違いがあり、たとえばC++11標準ライブラリに実装されているメルセンヌ・ツイスタエンジン(std::mt19937)は2-1(24番目のメルセンヌ素数、約4.315×10)という非常に長い周期をもつが、C言語標準ライブラリのrand()関数やJavaのjava.util.Random 、および.NET Framework基本クラスライブラリのSystem.Random などのように、実装は簡便であるが下位の桁が規則性を持っていたり、2次元以上では分布に相関が生じる線形合同法が使われていることが多い。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "一様乱数とはある有限の区間を区切って、その区間内で全ての実数が同じ確率(濃度)で現れるような連続一様分布に従う乱数のことである。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ある範囲の整数値を取る乱数列を発生させて、それを範囲の幅で割ることで [0,1](0以上1以下)や [0,1)(0以上1未満)の一様乱数に近いものが得られる。このようにして生成した一様乱数は原理的に有理数のみを含むため、任意の実数でありうる真の一様乱数ではない。コンピュータでは一般に浮動小数点数を扱い、真の実数を一般に扱うことは難しいため、真の一様乱数を扱うのは難しい。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2進乱数とは0と1(あるいは-1と1)がランダムに現れるようなベルヌーイ分布に従う乱数である。ストリーム暗号やスペクトラム拡散通信に用いられる。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "正規乱数とは正規分布に従う乱数である。正規乱数は工学においてはホワイトガウスノイズとして利用される。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "手法として、以下の方法などがある。GNU Scientific Library のドキュメントによるとほとんどの場合ジッグラト法が最速である。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "平均 μ {\\displaystyle \\mu } 、分散 σ 2 {\\displaystyle \\sigma ^{2}} の正規分布 N ( μ , σ 2 ) {\\displaystyle N(\\mu ,\\sigma ^{2})} のような正規乱数を作る場合、まず ( 0 , 1 ] {\\displaystyle (0,1]} の一様乱数をボックス=ミュラー法(Box-Muller transform)で変換して N ( 0 , 1 ) {\\displaystyle N(0,1)} の正規乱数を得ることから始める。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "一様乱数 ( 0 , 1 ] {\\displaystyle (0,1]} の要素 α {\\displaystyle \\alpha } と β {\\displaystyle \\beta } を次の変換を用いて変換する。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "このようにして2つの相関のない N ( 0 , 1 ) {\\displaystyle N(0,1)} の正規乱数が得られる。ただし ln {\\displaystyle \\ln } は自然対数。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "この正規乱数に σ {\\displaystyle \\sigma } をかけて、さらに μ {\\displaystyle \\mu } を加えることで正規分布 N ( μ , σ 2 ) {\\displaystyle N(\\mu ,\\sigma ^{2})} の正規乱数が得られる。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "またこれとは別に、簡単で擬似的な方法として、12個の一様乱数 [0,1] の和から6を減ずる方法もよく用いられる。中心極限定理によって、独立した複数の一様乱数の和の分布は正規分布に近づく。さらに、12個の一様乱数 [0,1] の和の分散は1となるため、6を減ずるだけで正規分布に近い確率分布が得られ、計算に都合がよい。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1990年代以降のパーソナルコンピュータは浮動小数点演算処理装置の内蔵によって三角関数や対数関数の演算が速くなっているため、1つの正規乱数あたり12回もの一様乱数生成を要するこの方法より、1つの正規乱数あたり1回の一様乱数生成で済むボックス=ミュラー法を用いた方が、一般的によく知られた多くの擬似乱数生成器との組み合わせにおいては高速である。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "但し、非常に高速な擬似乱数生成器を用いるならば、中心極限定理を用いた手法はボックス=ミュラー法を用いるよりも十分に高速な正規乱数の生成が可能である。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ボードゲームやテーブルトークRPGなどの遊戯において、複数個のサイコロの目の合計を使用している例がよく見られるが、これは中心極限定理によって正規乱数(の、ごくごく粗い近似)を生成し利用しているといえる。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "各種サンプリング法を使用する。手法ごとに計算量や棄却率など様々な特徴がある。", "title": "乱数列の種類" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "擬似乱数列でない乱数列をコンピュータで利用するには、外部のエントロピーを入力するための専用ハードウェアなどを利用することになる。そのようなハードウェア乱数生成器を内蔵したCPUやチップセット、OSによってキーボードの打鍵タイミングなどから乱数が生成される擬似デバイスなどが存在する。このような乱数の生成法はコンピュータの歴史より古く、コンピュータが一般的に利用可能となるまでは「乱数賽」(1〜10の全ての数字が1/10の確率で現れるよう作られたサイコロ。3軸に対して対称の10面体は作れないので、正20面体の面に同じ番号を2つずつ振ったものが通常使われる)や袋に入れた乱数カードを引き出すハイハット方式で生成していた。", "title": "生成法" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "擬似乱数列の生成は、理論的(数学的)にはコンピュータ以前から手計算でも可能ではあったが、実際的にはコンピュータ以後に発展した。代表的な生成法に二乗中抜き法や線形合同法、線形帰還シフトレジスタやXorshift、メルセンヌ・ツイスタがある。これらはいずれも暗号論的に安全ではない。暗号論的に安全な擬似乱数については暗号論的擬似乱数生成器を参照。", "title": "生成法" } ]
乱数列(らんすうれつ)とはランダムな数列のこと。 数学的に述べれば、今得られている数列 x 1 , x 2 , … , x n から次の数列の値 x n + 1 が予測できない数列。乱数列の各要素を乱数(らんすう)という。もう少し具体的には、漸化式や関数で定義できない数列を構成する数を乱数ということもできる。
'''乱数列'''(らんすうれつ)とは[[ランダム]]な[[数列]]のこと。 [[数学]]的に述べれば、今得られている数列 <math>x_1, x_2, \dots , x_n</math> から次の数列の値 <math>x_{n + 1}</math> が予測できない数列。乱数列の各要素を'''乱数'''(らんすう)という。もう少し具体的には、[[漸化式]]や[[関数 (数学)|関数]]で定義できない[[数列]]を構成する数を乱数ということもできる。 == 擬似乱数列と真の乱数列 == 決定的[[オートマトン]] ([[:en:deterministic automaton]]) である[[コンピュータ]]では、基本的には確定的な計算によってしか数列を作ることができない。しかし、確定的な計算によって作られた数列でありながら、用途において必要とする統計的な性質に関して、[[サイコロ]]などで作られた乱数列を近似した数列の生成法があり、そのようにして生成された数列を[[擬似乱数|擬似乱数列]]という。特にコンピュータへの実装に関しては、ビット列を生成することから Deterministic Random Bit Generator (DRBG) という語もある。「乱数列と近似の性質」の評価(検定)に関しては各種の提案があるが、標準としては米国の[[NIST]]、[[FIPS]]が検査方法を、ANS X9-82の中で公表しているものがあり、いくつかの方法について公認としている。 以上のような、確定的な計算により生成される擬似的な乱数列に対して、(十分に<ref>量子力学的現象に比べると、サイコロなどはかなり確定的であるという主張もあるかもしれない。</ref>)本質的に確率的な自然現象・物理現象を基にして作られる乱数列を「真の乱数」「自然乱数」「物理乱数」などという。非決定的という点を強調した Non-deterministic Random Bit Generator (NRBG) という語もある。この発生に用いられる代表的な自然現象は、原子核の放射崩壊により放出された放射線のカウントや時間間隔、電気抵抗器の両端に現れる熱雑音などのホワイトノイズやピンクノイズなどのノイズ、熱雑音などを原因とする半導体素子の遅れ時間のバラつき、光の屈折からの光子の分散などが多く使われている。前述のFIPSでは、自然乱数の検定方法はいまだ検討中となっているが、いくつかの必要条件を示しており、乱数発生源の健康状態が確認できること、発生源のエントロピーを確認できること、発生回路を自己検定できることなどがあげられているが、まだドラフトの段階となっている。特記すべき点として、自然乱数はその発生源のエントロピーの低下に備えて、疑似乱数と混合する(たとえば二進乱数なら排他的論理和を取るなど)ことが望ましいとしていることがある(これは望ましくない場合もある。コンピュータの応答などで遅滞が許されない場合は疑似乱数にフォールバックすべきだろうが、[[暗号]]などに使う場合などには絶対に真の乱数でなければならない場合がある)。 近年、[[モノのインターネット|IoT]]他、セキュリティの程度を高める要求から、暗号のためにより良い乱数が必要とされ、従来はその実装が高価で一般に<!--軍(自衛隊を含む)--><!--軍を例に出してるのは暗号を考えてるのかもしれませんが、暗号だけじゃなくて統計などで科学的に必要な(高いカネを出してくれる)所は普通にあったはず-->特殊な用途でしか実用化されていなかった自然乱数に対する需要が高まり、たとえば[[CPU]]メーカーであるインテルがCPU内部に機能として組み込む例もでている。 世界での自然乱数の発生器については[[:en:Hardware random number generator|英語版の記事]]が詳しい。 == 乱数列の種類 == 乱数列はそのとる値や[[確率分布]]によって分類される。 === 離散一様分布(整数の一様分布乱数) === 多くの[[プログラム言語]]では、0からある最大値までの整数に一様分布する乱数を発生させる関数が標準で用意されている。これを基にして加工することにより様々な分布を持つ乱数を作ることができる。ただし、実装に使われているアルゴリズムによって周期やランダム性(すなわち乱数の"質")には違いがあり、たとえば[[C++11]]標準ライブラリに実装されている[[メルセンヌ・ツイスタ]]エンジン(<code>std::mt19937</code>)は2<sup>19937</sup>-1(24番目の[[メルセンヌ素数]]、約4.315×10<sup>6001</sup>)という非常に長い周期をもつが、[[C言語]]標準ライブラリの<code>[[rand]]()</code>関数や[[Java]]の<code>java.util.Random</code> <ref>[https://docs.oracle.com/javase/jp/8/api/java/util/Random.html Random (Java Platform SE 8 )]</ref>、および[[.NET Framework]]基本クラスライブラリの<code>System.Random</code> <ref>[https://msdn.microsoft.com/en-us/library/system.random.aspx Random Class (System)]</ref>などのように、実装は簡便であるが下位の桁が規則性を持っていたり、2次元以上では分布に相関が生じる[[線形合同法]]が使われていることが多い。 === 連続一様分布(一様乱数) === {{Anchors|一様乱数}}一様乱数<!-- リンク元: [[ハードウェア乱数生成器]] 2020年5月29日設置 -->とはある有限の区間を区切って、その区間内で全ての実数が同じ確率([[濃度 (数学)|濃度]])で現れるような[[連続一様分布]]に従う乱数のことである。 ある範囲の整数値を取る乱数列を発生させて、それを範囲の幅で割ることで [0,1](0以上1以下)や [0,1)(0以上1未満)の一様乱数に近いものが得られる。このようにして生成した一様乱数は原理的に[[有理数]]のみを含むため、任意の実数でありうる真の一様乱数ではない。コンピュータでは一般に[[浮動小数点数]]を扱い、真の実数を一般に扱うことは難しいため、真の一様乱数を扱うのは難しい。 === ベルヌーイ分布(2進乱数) === 2進乱数とは[[0]]と[[1]](あるいは[[-1]]と1)がランダムに現れるような[[ベルヌーイ分布]]に従う乱数である。[[ストリーム暗号]]や[[スペクトラム拡散]][[通信]]に用いられる。<!--コンピュータでは、複数ビットの乱数を生成するような関数から1ビット単位で切り出して生成する。--><!-- ← M系列とかは本質的にビット列ですのでこの説明は変 MetaNest --> <!-- === 自然乱数 === 自然乱数とは[[自然数]]がランダムに現れるような乱数である。0を含むことが多い。0以上無限大までの全ての自然数を用いた自然乱数が考えられるが、実際上は最大の自然数を決めて、それ以下の範囲で考えることが多い。 --><!-- ← この節はあれこれ変。検索する限り、この記事の引用以外は、自然乱数=真の乱数ないし物理乱数の別名じゃないかという感じだが MetaNest --> === 正規分布(正規乱数) === 正規乱数とは[[正規分布]]に従う乱数である。正規乱数は工学においては[[ホワイトノイズ|ホワイトガウスノイズ]]として利用される。 手法として、以下の方法などがある。[[GNU Scientific Library]] のドキュメントによるとほとんどの場合ジッグラト法が最速である<ref>[https://www.gnu.org/software/gsl/manual/html_node/The-Gaussian-Distribution.html GNU Scientific Library – Reference Manual: The Gaussian Distribution]</ref>。 * [[逆関数法|逆関数サンプリング法]] * [[ボックス=ミュラー法]] *{{仮リンク|ジッグラト法|en|ziggurat algorithm}} *{{仮リンク|マルサグリア法|en|Marsaglia polar method}} ==== ボックス=ミュラー法 ==== {{main|ボックス=ミュラー法}} 平均 <math>\mu</math>、分散 <math>\sigma ^ 2</math> の正規分布 <math>N(\mu, \sigma ^ 2)</math> のような正規乱数を作る場合、まず <math>(0, 1]</math> の一様乱数を[[ボックス=ミュラー法]](Box-Muller transform)で変換して <math>N(0, 1)</math> の正規乱数を得ることから始める。 一様乱数 <math>(0, 1]</math> の要素 <math>\alpha</math> と <math>\beta</math> を次の変換を用いて変換する。 *<math>\sqrt{-2\cdot\ln \alpha}\cdot\sin \left(2\pi \beta \right)</math> *<math>\sqrt{-2\cdot\ln \alpha}\cdot\cos \left(2\pi \beta \right)</math> このようにして2つの相関のない <math>N(0, 1)</math> の正規乱数が得られる<ref name="正規分布">[[#algo|奥村(1991)]]、P133-134。</ref>。ただし <math>\ln</math> は[[自然対数]]。 この正規乱数に <math>\sigma</math> をかけて、さらに <math>\mu</math> を加えることで正規分布 <math>N(\mu, \sigma ^ 2)</math> の正規乱数が得られる。 ==== 中心極限定理を用いた手法 ==== またこれとは別に、簡単で擬似的な方法として、12個の一様乱数 [0,1] の和から6を減ずる方法もよく用いられる<ref name="正規分布" />。[[中心極限定理]]によって、独立した複数の一様乱数の和の分布は正規分布に近づく。さらに、12個の一様乱数 [0,1] の和の分散は1となるため、6を減ずるだけで正規分布に近い確率分布が得られ、計算に都合がよい。 1990年代以降の[[パーソナルコンピュータ]]は[[FPU|浮動小数点演算処理装置]]の内蔵によって三角関数や対数関数の演算が速くなっているため、1つの正規乱数あたり12回もの一様乱数生成を要するこの方法より、1つの正規乱数あたり1回の一様乱数生成で済むボックス=ミュラー法を用いた方が、一般的によく知られた多くの擬似乱数生成器との組み合わせにおいては高速である。 但し、非常に高速な擬似乱数生成器を用いるならば、[[中心極限定理]]を用いた手法はボックス=ミュラー法を用いるよりも十分に高速な正規乱数の生成が可能である。 [[ボードゲーム]]や[[テーブルトークRPG]]などの遊戯において、複数個のサイコロの目の合計を使用している例がよく見られるが、これは中心極限定理によって正規乱数(の、ごくごく粗い近似)を生成し利用しているといえる。 === その他一般の確率分布 === 各種サンプリング法を使用する。手法ごとに計算量や棄却率など様々な特徴がある。 * [[逆関数法|逆関数サンプリング法]] * 棄却サンプリング * [[マルコフ連鎖モンテカルロ法]] ** [[メトロポリス・ヘイスティングス法]] ** [[ハミルトニアン・モンテカルロ法]] *** [[ランジュバン動力学|ランジュバン]]・モンテカルロ法 == 生成法 == {{seealso|乱数生成|ハードウェア乱数生成器|擬似乱数|暗号論的擬似乱数生成器}} 擬似乱数列でない乱数列をコンピュータで利用するには、外部の[[エントロピー]]を入力するための専用ハードウェアなどを利用することになる。そのような[[ハードウェア乱数生成器]]を内蔵した[[CPU]]や[[チップセット]]、[[オペレーティングシステム|OS]]によって[[キーボード (コンピュータ)|キーボード]]の打鍵タイミングなどから乱数が生成される擬似デバイスなどが存在する。このような乱数の生成法はコンピュータの歴史より古く、コンピュータが一般的に利用可能となるまでは「乱数賽」(1〜10の全ての数字が1/10の確率で現れるよう作られた[[サイコロ]]。3軸に対して対称の10面体は作れないので、[[正20面体]]の面に同じ番号を2つずつ振ったものが通常使われる)や袋に入れた乱数カードを引き出すハイハット方式で生成していた。 [[擬似乱数]]列の生成は、理論的(数学的)にはコンピュータ以前から手計算でも可能ではあったが、実際的にはコンピュータ以後に発展した。代表的な生成法に二乗中抜き法や[[線形合同法]]、[[線形帰還シフトレジスタ]]や[[Xorshift]]、[[メルセンヌ・ツイスタ]]がある。これらはいずれも暗号論的に安全ではない。暗号論的に安全な擬似乱数については[[暗号論的擬似乱数生成器]]を参照。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 参考文献 == * 伏見正則:「乱数」、東京大学出版会、ISBN 978-4130640725 (1989年3月)。 *{{cite book | 1=和書 | title=C言語による最新アルゴリズム事典 | publisher=[[技術評論社]] | author=奥村晴彦 | authorlink=奥村晴彦 | year=1991 |isbn=4-87408-414-1|ref=algo}} * 宮武修、脇本和昌:「乱数とモンテカルロ法 POD版」、森北出版、ISBN 978-4627004795 (2007年5月30日)。 * 四辻哲章:「計算機シミュレーションのための確率分布乱数生成法」、プレアデス出版、ISBN 978-4903814353(2010年6月1日)。 * 杉田洋:「確率と乱数」、数学書房、ISBN 978-4903342245(2014年7月11日)。 * 伏見正則 (監訳)、逆瀬川浩孝 (監訳):「モンテカルロ法ハンドブック」、朝倉書店、ISBN 978-4254280050(2014年10月31日)。 * 小柴健史:「乱数生成と計算量理論」、岩波書店、ISBN 978-4000069755 (2014年11月28日)。 * Donald E.Knuth:「The Art of Computer Programming Volume 2 Seminumerical Algorithms Third Edition 日本語版」、KADOKAWA、ISBN 978-4048694162(2015年7月24日)。※第3章「乱数」。 * 藤井光昭:「暗号と乱数: 乱数の統計的検定」、共立出版、ISBN 978-4320112582 (2018年4月7日)。 * 﨑山一男、菅原健、李陽:「暗号ハードウェアのセキュリティ」、 コロナ社、ISBN 978-4339028942(2019年5月23日)。 * [https://www.asahi.com/articles/ASN2G4SH8N25ULBJ008.html 「でたらめ」作りを研究者たちが競う 奥深い乱数の世界 朝日新聞記事2020年2月18日)]。 * 現場へ!「乱数の世界へようこそ」(朝日新聞連載記事全5回) **[https://www.asahi.com/articles/ASN614CMJN5NULBJ001.html 第1回:奥深き「でたらめ」の世界 秘密通信研究から転じた職人(2020年6月2日)]。 **[https://www.asahi.com/articles/ASN614CPTN5NULBJ009.html 第2回:数学界の「異世界転生」 スーパー乱数に魅せられた職人(2020年6月3日)]。 **[https://www.asahi.com/articles/ASN614CR3N5TULBJ003.html 第3回:「地上の太陽」作るシミュレーション でたらめが支える(2020年6月4日)]。 **[https://www.asahi.com/articles/ASN614CXCN5TULBJ002.html 第4回:スパイ対策の跡 あのプロ野球投手も使った暗号と乱数表(2020年6月5日)]。 **[https://www.asahi.com/articles/ASN614CY9N5TULBJ001.html 第5回:メイド・イン・ジャパン 世界に先駆けたランダムの極意(2020年6月6日)]。 ==関連記事== *[[ランダム]] *[[カイ二乗検定]] *[[コルモゴロフ複雑性]] *[[擬似乱数]] *[[モンテカルロ法]] *[[逐次モンテカルロ法]] *[[乱択アルゴリズム]] - [[ラスベガス法]] *[[次元の呪い]] *[[マルコフ連鎖]] *[[MCMC]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:らんすうれつ}} [[Category:乱数|*]] [[Category:数学に関する記事]]
2003-02-27T14:59:26Z
2023-08-18T13:34:13Z
false
false
false
[ "Template:Anchors", "Template:仮リンク", "Template:Main", "Template:Seealso", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite book", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B1%E6%95%B0%E5%88%97
2,995
MSX-BASIC
MSX-BASIC(エムエスエックス ベイシック)は、MSXパソコンにROMで搭載されたマイクロソフト製のBASIC。他のマイクロソフト製BASICと基本的に同じ文法、ユーザーインターフェースを持っていた。 言語の仕様としては、変数名が最初の2文字のみ有効、行番号を抽象化するラベルの概念がなく、GOTO命令等の飛び先にラベルを指定できないなど、他機種に採用されていたマイクロソフト製BASICが拡張されていたのと比べると初期の版に近かった。 一方で、浮動小数点には仮数部は単精度6桁、倍精度14桁のBCDで演算している。他のBASICの処理系の仮数部の基底が2であるのに対して、基底を10とすることで、コンピューター初心者にも分かりやすくなっている。演算サブルーチンは仮想計算機として実装されており、仮想レジスタ相当のワークエリアに引数を書き込み処理を行うルーチンをコールする形になっている。この演算の中核部分はMath-Packとして仕様が公開されており、BASIC以外からも直接呼び出せるようになっている。また、BASICのサブルーチンとして実装されているため、一部関連するBASICの機能とは不可分である。また、浮動小数点演算は精度は高いものの相応にコストが高いため、ゲームなどレスポンスや処理速度を重視するゲームなどの作成では変数を整数として宣言することがTipsとなっていた。 Z80のメモリ空間のうち前半32KBをBIOSとBASICインタプリタのROM、後半32KBにユーザーエリアと、周辺機器の使用するものを含むワークエリアが配置される。MSX2以降の追加機能やディスクドライブを接続した際のDISK-BASICのためのROMは前半32KBのスロットを切り替える形で実装されていたが、そのワークエリアはフリーエリアの末尾に配置される。そのため、機能を拡張するにつれてフリーエリアは削減される。また、後半のユーザーエリアはページが固定であることを前提に使用されるため、BASICのVersionやハードウェアに関わらず、32KiB以上実装された機種やメモリマッパを持っている機種でもBASICのユーザーエリアは増えず、初期状態で配置されるRAM以外はRAMDISK等の拡張機能で使用する形となっている。 システム部分がROMで構成されているため機能の拡張や、変更用のフックがメモリの最後部に配置されているほか、ディスクドライブなどのBIOSがワークエリアとして使用するため、ユーザーが直接メモリに書き込みを行う場合には、事前に使用可能な末尾のアドレスを確認する必要がある。BASIC上で機能の拡張を行う場合、call命令によって初期化、有効化を行う必要がありハードウェアの拡張などの場合BASICからの利用に対応している場合は、同じ手順で制御ルーチンの組み込みと初期化も行う形となっていた。 MSXのBIOSは同時期の実装におけるマシン語モニタなどとは異なり、規格としてハードウェアに対するアクセスの窓口ともなっているため、純正のシステムを離れたプログラムでもシステムコールの形で呼び出される性質のものになっているほか、マシン語モニタとして簡略化されたメモリやバイナリに対する操作は標準の構成として提供していない。スロット、ハードウェア制御以外はBASICの実装に伴うサブルーチンであるが、公開されているエントリに関してはユーザーも呼び出して利用できるのは他の環境のマシン語モニタでのエントリと同様である。 MSX規格に則ったハードウェアの持つスプライト機能、VDP命令の補助によるグラフィックス処理等によって、他の機種では難しかった高速にキャラクタが動き回るリアルタイムゲームをBASICレベルで作成することが簡単だった。また、命令単位では低級言語によるハードウェアの直接制御に肉薄する速度で動作させることが可能だったことも特徴である。ただし、グラフィックス制御に関してはアルゴリズムレベルで最適化するなどしない限り、直接ハードウェアを制御してもそれ以上の速度は望めないということでもあり、VDPの処理速度から必ずしも他の実装に対し高速なわけではない。 MSXの規格にあわせた次のような命令を持っていた。 本体またはカートリッジスロットにフロッピーディスクドライブが存在する場合、それらの内蔵ROMにより拡張されたDISK-BASICが起動した。物理的にドライブが1台の場合でも、ワークエリアは2台分確保される。CTRLキーを押しながら起動することで1台分に制限され、空きエリアを増やすことができた。また、SHIFTキーを押しながら起動するとフロッピーディスク環境は一切無効化され、従来のROM-BASICの空きエリアを前提としたアプリケーションが実行できた。 MSX-BASICにはMSXの規格と対応するいくつかのバージョンが用意された。ローマ字入力等の一部を除けば、規格の拡張に伴い機能に対応する予約語の追加が主な変更点となる。但し、メモリについては積極的にフリーエリアや、ワークエリアとして使用するような拡張はされず、RAMDISKなど拡張ストレージとしての対応に留まっている。すべてのバージョンで文法に上位互換性があり、大幅なシステムプログラムの更新が行われたturboRを除けばスイッチ、システムの読み込みなどによるモード変更やシステムの変更などを必要とせずにそのまま旧版のソフトウェアが実行可能である。MSX turboRではプロセッサの変更やMSX-DOSの改版に伴い、起動時に「1」キーを押し続けるか、MSX-DOS1またはDISK-BASICのVersion1でフォーマットしたディスクで起動するとDISK-BASICがVersion1でZ80ベースの互換モードで起動し、互換性を維持している。 MSX(1)用。 FDDを含む拡張BASICを使用しない場合、ROM-BASICのワークエリアは約4KBである。ユーザエリアは となっており、標準で32KiB未満の機種では拡張したメモリが直接BASICで使用可能な容量に反映される。 MSX2用。 MSX2は全機種がRAM 64KiB以上であるため、ROM-BASICのユーザエリアは28,815バイトである。2.xで拡張された命令は1.xで未使用だったワークエリアで動作する。 MSX2+用。 MSX2+は全機種がRAM 64KiB以上であるため、ROM-BASICのユーザエリアは28,815バイトである。3.xで拡張された命令は1.x, 2.xで未使用だったワークエリアで動作する。 MSXturboR用。 MSX-BASICには「MSXべーしっ君」という名称でMSX独自の機能を活用できるコンパイラも存在した。 アスキーに所属していたプログラマ・鈴木仁志が開発した。初版は雑誌に発表、1986年にアスキーからROMカートリッジで発売された。製品名は当時ログイン誌で連載していた4コママンガのタイトルから取られており、ソフトのパッケージにも主人公・べーしっ君のイラストが描かれ、一見するとゲームソフトを思わせる体裁だった。付属のフロッピーディスクにはサンプルのマンデルブロ集合の描画やワイヤーフレームの3D迷路自動作成のプログラムが収められていた。 MSX2+が発表されると新機能に対応した「べーしっ君ぷらす」が発売されたほか、サンヨーのMSX2+であるWAVY77シリーズに同等のものが内蔵された。また、MSXturboRが発表されるとソフトベンダーTAKERUからディスク版で「べーしっ君たーぼ」が発売された。 なお、MSX-BASICのコンパイラは、べーしっ君以外にも、ソフトウエスト、ハート電子産業がそれぞれ開発・発売していたものが存在する。 オンメモリのコンパイラで、拡張BASICとして実装されている。ROM媒体や本体内蔵のバージョンではROMカートリッジや本体内のスロットに、ディスク媒体のバージョンではメインRAMの未使用領域(裏RAM)に格納されて動作する。 既存のBASICプログラムに対し少し手直しするだけで高速化できるというコンセプトで設計されている。 一般的なコンパイラと違い、中間コードや機械語オブジェクトをファイルとしては生成せず、プログラム実行の都度コンパイルを行い、オンメモリで機械語オブジェクトを生成して実行する仕様となっている。このため、MSX-BASICのプログラムソースそのものがMSXべーしっ君のソースとなり、一般のBASICプログラムと同等に管理できるため、BASICの扱いの簡便さと機械語の高速さを併せ持った開発環境となっている。 実行速度は最大で10倍程度に高速化される。 ただし、MSX-BASICの完全互換ではなく、ディスク入出力など未サポートの命令が一部あるため、プログラム全体をコンパイルするか一部分のみをコンパイルするかを選択できるようになっている。 RUN の代わりに拡張命令 CALL RUN により実行開始した場合、プログラム全体の機械語オブジェクトを生成し実行する。 一部分のみをコンパイルする場合は、BASICプログラム内に拡張命令(CALL TURBO ON、CALL TURBO OFF)を用い、高速化したい部分の前後にこの拡張命令を記述する。実行時にその拡張命令に処理が移ると、ワークエリアにコンパイル対象の部分の機械語オブジェクトが一時的に生成されて実行される仕組みとなっている。コンパイル対象外の箇所はそのままBASICインタプリタで動作するため、MSXべーしっ君非対応の命令がプログラムソース中に同居できる。 浮動小数点数は、MSX-BASICがBCDで実装しているのに対して効率化を理由に3バイトの2進数という独自方式で実装しているため、非コンパイル部分と受け渡しすることはできない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "MSX-BASIC(エムエスエックス ベイシック)は、MSXパソコンにROMで搭載されたマイクロソフト製のBASIC。他のマイクロソフト製BASICと基本的に同じ文法、ユーザーインターフェースを持っていた。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "言語の仕様としては、変数名が最初の2文字のみ有効、行番号を抽象化するラベルの概念がなく、GOTO命令等の飛び先にラベルを指定できないなど、他機種に採用されていたマイクロソフト製BASICが拡張されていたのと比べると初期の版に近かった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "一方で、浮動小数点には仮数部は単精度6桁、倍精度14桁のBCDで演算している。他のBASICの処理系の仮数部の基底が2であるのに対して、基底を10とすることで、コンピューター初心者にも分かりやすくなっている。演算サブルーチンは仮想計算機として実装されており、仮想レジスタ相当のワークエリアに引数を書き込み処理を行うルーチンをコールする形になっている。この演算の中核部分はMath-Packとして仕様が公開されており、BASIC以外からも直接呼び出せるようになっている。また、BASICのサブルーチンとして実装されているため、一部関連するBASICの機能とは不可分である。また、浮動小数点演算は精度は高いものの相応にコストが高いため、ゲームなどレスポンスや処理速度を重視するゲームなどの作成では変数を整数として宣言することがTipsとなっていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "Z80のメモリ空間のうち前半32KBをBIOSとBASICインタプリタのROM、後半32KBにユーザーエリアと、周辺機器の使用するものを含むワークエリアが配置される。MSX2以降の追加機能やディスクドライブを接続した際のDISK-BASICのためのROMは前半32KBのスロットを切り替える形で実装されていたが、そのワークエリアはフリーエリアの末尾に配置される。そのため、機能を拡張するにつれてフリーエリアは削減される。また、後半のユーザーエリアはページが固定であることを前提に使用されるため、BASICのVersionやハードウェアに関わらず、32KiB以上実装された機種やメモリマッパを持っている機種でもBASICのユーザーエリアは増えず、初期状態で配置されるRAM以外はRAMDISK等の拡張機能で使用する形となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "システム部分がROMで構成されているため機能の拡張や、変更用のフックがメモリの最後部に配置されているほか、ディスクドライブなどのBIOSがワークエリアとして使用するため、ユーザーが直接メモリに書き込みを行う場合には、事前に使用可能な末尾のアドレスを確認する必要がある。BASIC上で機能の拡張を行う場合、call命令によって初期化、有効化を行う必要がありハードウェアの拡張などの場合BASICからの利用に対応している場合は、同じ手順で制御ルーチンの組み込みと初期化も行う形となっていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "MSXのBIOSは同時期の実装におけるマシン語モニタなどとは異なり、規格としてハードウェアに対するアクセスの窓口ともなっているため、純正のシステムを離れたプログラムでもシステムコールの形で呼び出される性質のものになっているほか、マシン語モニタとして簡略化されたメモリやバイナリに対する操作は標準の構成として提供していない。スロット、ハードウェア制御以外はBASICの実装に伴うサブルーチンであるが、公開されているエントリに関してはユーザーも呼び出して利用できるのは他の環境のマシン語モニタでのエントリと同様である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "MSX規格に則ったハードウェアの持つスプライト機能、VDP命令の補助によるグラフィックス処理等によって、他の機種では難しかった高速にキャラクタが動き回るリアルタイムゲームをBASICレベルで作成することが簡単だった。また、命令単位では低級言語によるハードウェアの直接制御に肉薄する速度で動作させることが可能だったことも特徴である。ただし、グラフィックス制御に関してはアルゴリズムレベルで最適化するなどしない限り、直接ハードウェアを制御してもそれ以上の速度は望めないということでもあり、VDPの処理速度から必ずしも他の実装に対し高速なわけではない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "MSXの規格にあわせた次のような命令を持っていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "本体またはカートリッジスロットにフロッピーディスクドライブが存在する場合、それらの内蔵ROMにより拡張されたDISK-BASICが起動した。物理的にドライブが1台の場合でも、ワークエリアは2台分確保される。CTRLキーを押しながら起動することで1台分に制限され、空きエリアを増やすことができた。また、SHIFTキーを押しながら起動するとフロッピーディスク環境は一切無効化され、従来のROM-BASICの空きエリアを前提としたアプリケーションが実行できた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "MSX-BASICにはMSXの規格と対応するいくつかのバージョンが用意された。ローマ字入力等の一部を除けば、規格の拡張に伴い機能に対応する予約語の追加が主な変更点となる。但し、メモリについては積極的にフリーエリアや、ワークエリアとして使用するような拡張はされず、RAMDISKなど拡張ストレージとしての対応に留まっている。すべてのバージョンで文法に上位互換性があり、大幅なシステムプログラムの更新が行われたturboRを除けばスイッチ、システムの読み込みなどによるモード変更やシステムの変更などを必要とせずにそのまま旧版のソフトウェアが実行可能である。MSX turboRではプロセッサの変更やMSX-DOSの改版に伴い、起動時に「1」キーを押し続けるか、MSX-DOS1またはDISK-BASICのVersion1でフォーマットしたディスクで起動するとDISK-BASICがVersion1でZ80ベースの互換モードで起動し、互換性を維持している。", "title": "バージョン" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "MSX(1)用。 FDDを含む拡張BASICを使用しない場合、ROM-BASICのワークエリアは約4KBである。ユーザエリアは", "title": "バージョン" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "となっており、標準で32KiB未満の機種では拡張したメモリが直接BASICで使用可能な容量に反映される。", "title": "バージョン" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "MSX2用。", "title": "バージョン" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "MSX2は全機種がRAM 64KiB以上であるため、ROM-BASICのユーザエリアは28,815バイトである。2.xで拡張された命令は1.xで未使用だったワークエリアで動作する。", "title": "バージョン" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "MSX2+用。", "title": "バージョン" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "MSX2+は全機種がRAM 64KiB以上であるため、ROM-BASICのユーザエリアは28,815バイトである。3.xで拡張された命令は1.x, 2.xで未使用だったワークエリアで動作する。", "title": "バージョン" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "MSXturboR用。", "title": "バージョン" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "MSX-BASICには「MSXべーしっ君」という名称でMSX独自の機能を活用できるコンパイラも存在した。", "title": "BASICコンパイラ" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "アスキーに所属していたプログラマ・鈴木仁志が開発した。初版は雑誌に発表、1986年にアスキーからROMカートリッジで発売された。製品名は当時ログイン誌で連載していた4コママンガのタイトルから取られており、ソフトのパッケージにも主人公・べーしっ君のイラストが描かれ、一見するとゲームソフトを思わせる体裁だった。付属のフロッピーディスクにはサンプルのマンデルブロ集合の描画やワイヤーフレームの3D迷路自動作成のプログラムが収められていた。", "title": "BASICコンパイラ" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "MSX2+が発表されると新機能に対応した「べーしっ君ぷらす」が発売されたほか、サンヨーのMSX2+であるWAVY77シリーズに同等のものが内蔵された。また、MSXturboRが発表されるとソフトベンダーTAKERUからディスク版で「べーしっ君たーぼ」が発売された。", "title": "BASICコンパイラ" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "なお、MSX-BASICのコンパイラは、べーしっ君以外にも、ソフトウエスト、ハート電子産業がそれぞれ開発・発売していたものが存在する。", "title": "BASICコンパイラ" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "オンメモリのコンパイラで、拡張BASICとして実装されている。ROM媒体や本体内蔵のバージョンではROMカートリッジや本体内のスロットに、ディスク媒体のバージョンではメインRAMの未使用領域(裏RAM)に格納されて動作する。", "title": "BASICコンパイラ" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "既存のBASICプログラムに対し少し手直しするだけで高速化できるというコンセプトで設計されている。", "title": "BASICコンパイラ" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "一般的なコンパイラと違い、中間コードや機械語オブジェクトをファイルとしては生成せず、プログラム実行の都度コンパイルを行い、オンメモリで機械語オブジェクトを生成して実行する仕様となっている。このため、MSX-BASICのプログラムソースそのものがMSXべーしっ君のソースとなり、一般のBASICプログラムと同等に管理できるため、BASICの扱いの簡便さと機械語の高速さを併せ持った開発環境となっている。", "title": "BASICコンパイラ" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "実行速度は最大で10倍程度に高速化される。", "title": "BASICコンパイラ" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ただし、MSX-BASICの完全互換ではなく、ディスク入出力など未サポートの命令が一部あるため、プログラム全体をコンパイルするか一部分のみをコンパイルするかを選択できるようになっている。", "title": "BASICコンパイラ" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "RUN の代わりに拡張命令 CALL RUN により実行開始した場合、プログラム全体の機械語オブジェクトを生成し実行する。", "title": "BASICコンパイラ" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "一部分のみをコンパイルする場合は、BASICプログラム内に拡張命令(CALL TURBO ON、CALL TURBO OFF)を用い、高速化したい部分の前後にこの拡張命令を記述する。実行時にその拡張命令に処理が移ると、ワークエリアにコンパイル対象の部分の機械語オブジェクトが一時的に生成されて実行される仕組みとなっている。コンパイル対象外の箇所はそのままBASICインタプリタで動作するため、MSXべーしっ君非対応の命令がプログラムソース中に同居できる。", "title": "BASICコンパイラ" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "浮動小数点数は、MSX-BASICがBCDで実装しているのに対して効率化を理由に3バイトの2進数という独自方式で実装しているため、非コンパイル部分と受け渡しすることはできない。", "title": "BASICコンパイラ" } ]
MSX-BASICは、MSXパソコンにROMで搭載されたマイクロソフト製のBASIC。他のマイクロソフト製BASICと基本的に同じ文法、ユーザーインターフェースを持っていた。
{{出典の明記|date=2012年12月}} '''MSX-BASIC'''(エムエスエックス ベイシック)は、[[MSX]]パソコンに[[Read Only Memory|ROM]]で搭載された[[マイクロソフト]]製の[[BASIC]]。他のマイクロソフト製BASICと基本的に同じ文法、[[ユーザーインターフェース]]を持っていた。 == 概要 == 言語の仕様としては、変数名が最初の2文字のみ有効、行番号を抽象化するラベルの概念がなく、<code>[[Goto文|GOTO]]</code>命令等の飛び先にラベルを指定できないなど、他機種に採用されていたマイクロソフト製BASICが拡張されていたのと比べると初期の版に近かった。 一方で、[[浮動小数点]]には仮数部は単精度6桁、倍精度14桁の[[二進化十進表現|BCD]]で演算している。他のBASICの処理系の仮数部の基底が2であるのに対して、基底を10とすることで、コンピューター初心者にも分かりやすくなっている。演算サブルーチンは仮想計算機として実装されており、仮想レジスタ相当のワークエリアに引数を書き込み処理を行うルーチンをコールする形になっている。この演算の中核部分はMath-Packとして仕様が公開されており、BASIC以外からも直接呼び出せるようになっている<ref>MSX2 テクニカルハンドブック Appendix A.2 Math-Pack</ref>。また、BASICのサブルーチンとして実装されているため、一部関連するBASICの機能とは不可分である。また、浮動小数点演算は精度は高いものの相応にコストが高いため、ゲームなどレスポンスや処理速度を重視するゲームなどの作成では変数を整数として宣言することがTipsとなっていた。 [[Z80]]のメモリ空間のうち前半32KBをBIOSとBASICインタプリタのROM、後半32KBにユーザーエリアと、周辺機器の使用するものを含むワークエリアが配置される。MSX2以降の追加機能やディスクドライブを接続した際のDISK-BASICのためのROMは前半32KBのスロットを切り替える形で実装されていたが、そのワークエリアはフリーエリアの末尾に配置される。そのため、機能を拡張するにつれてフリーエリアは削減される。また、後半のユーザーエリアはページが固定であることを前提に使用されるため、BASICのVersionやハードウェアに関わらず、32KiB以上実装された機種やメモリマッパを持っている機種でもBASICのユーザーエリアは増えず、初期状態で配置されるRAM以外はRAMDISK等の拡張機能で使用する形となっている。 システム部分がROMで構成されているため機能の拡張や、変更用のフックがメモリの最後部に配置されているほか、ディスクドライブなどのBIOSがワークエリアとして使用するため、ユーザーが直接メモリに書き込みを行う場合には、事前に使用可能な末尾のアドレスを確認する必要がある。BASIC上で機能の拡張を行う場合、call命令によって初期化、有効化を行う必要がありハードウェアの拡張などの場合BASICからの利用に対応している場合は、同じ手順で制御ルーチンの組み込みと初期化も行う形となっていた。 MSXの[[Basic Input/Output System|BIOS]]は同時期の実装におけるマシン語モニタなどとは異なり、規格としてハードウェアに対するアクセスの窓口ともなっているため、純正のシステムを離れたプログラムでもシステムコールの形で呼び出される性質のものになっているほか、マシン語モニタとして簡略化されたメモリやバイナリに対する操作は標準の構成として提供していない。スロット、ハードウェア制御以外はBASICの実装に伴うサブルーチンであるが、公開されているエントリに関してはユーザーも呼び出して利用できるのは他の環境のマシン語モニタでのエントリと同様である。 MSX規格に則ったハードウェアの持つスプライト機能、VDP命令の補助によるグラフィックス処理等によって、他の機種では難しかった高速にキャラクタが動き回るリアルタイムゲームをBASICレベルで作成することが簡単だった。また、命令単位では低級言語によるハードウェアの直接制御に肉薄する速度で動作させることが可能だったことも特徴である。ただし、グラフィックス制御に関してはアルゴリズムレベルで最適化するなどしない限り、直接ハードウェアを制御してもそれ以上の速度は望めないということでもあり、VDPの処理速度から必ずしも他の実装に対し高速なわけではない。 === 拡張された命令 === MSXの規格にあわせた次のような命令を持っていた。 ;<code>VPOKE</code>,<code>VPEEK</code> :[[VRAM]]への書き込み命令と読み込み関数。MSXではVRAMはVDPが管理し、CPUのアドレス空間とは別になっているため用意された。 ;<code>VDP</code> :画像コントローラ[[TMS9918|VDP]]のレジスタをBASICから直接読み書きする関数。 ;<code>ON</code> ~ <code>GOSUB</code> :割り込み命令。[[ファンクションキー]]押下(<code>KEY</code>)、インターバルタイマ(<code>INTERVAL</code>)、[[スプライト (映像技術)|スプライト]]衝突(<code>SPRITE</code>)、プログラム中断操作(<code>STOP</code>)などを検知して特定の[[サブルーチン]]をコール。 ;<code>CALL</code> :スロットに接続されたデバイスの拡張命令を呼び出す。周辺機器の持つ拡張BIOSに<code>CALL</code>命令の処理[[ルーチン]]が格納されており、BASICプログラムから周辺機器をコントロールすることができた。短縮形はアンダーバー(<code>_</code>)。 :*例:[[MSX-DOS]]から「<code>BASIC</code>」コマンドで[[DISK-BASIC]]を起動した場合、<code>CALL SYSTEM</code>を実行するとMSX-DOSが起動。 ;<code>PUT SPRITE</code> :スプライトの表示位置・パターン・色を制御。 ;<code>SPRITE$(n)</code> :スプライトのパターンを定義する関数。 === DISK-BASIC === 本体またはカートリッジスロットに[[フロッピーディスクドライブ]]が存在する場合、それらの内蔵ROMにより拡張された[[DISK-BASIC]]が起動した。物理的にドライブが1台の場合でも、ワークエリアは2台分確保される。CTRLキーを押しながら起動することで1台分に制限され、空きエリアを増やすことができた。また、SHIFTキーを押しながら起動するとフロッピーディスク環境は一切無効化され、従来のROM-BASICの空きエリアを前提としたアプリケーションが実行できた。 == バージョン == MSX-BASICにはMSXの規格と対応するいくつかのバージョンが用意された。ローマ字入力等の一部を除けば、規格の拡張に伴い機能に対応する予約語の追加が主な変更点となる。但し、メモリについては積極的にフリーエリアや、ワークエリアとして使用するような拡張はされず、RAMDISKなど拡張ストレージとしての対応に留まっている。すべてのバージョンで文法に上位互換性があり、大幅なシステムプログラムの更新が行われたturboRを除けばスイッチ、システムの読み込みなどによるモード変更やシステムの変更などを必要とせずにそのまま旧版のソフトウェアが実行可能である。MSX turboRではプロセッサの変更やMSX-DOSの改版に伴い、起動時に「1」キーを押し続けるか、MSX-DOS1またはDISK-BASICのVersion1でフォーマットしたディスクで起動するとDISK-BASICがVersion1で[[Z80]]ベースの互換モードで起動し、互換性を維持している。 === Version1.x === [[MSX (初代規格)|MSX]](1)用。 FDDを含む拡張BASICを使用しない場合、ROM-BASICのワークエリアは約4KBである。ユーザエリアは * RAM 32KB以上の機種 28,815バイト * RAM 16KBの機種 12,431バイト * RAM 8KBの機種([[カシオ計算機|CASIO]] [[PV-7]]) 4,239バイト となっており、標準で32KiB未満の機種では拡張したメモリが直接BASICで使用可能な容量に反映される。 === Version2.x === [[MSX2]]用。 * <code>SCREEN</code>命令やスプライト命令の拡張。 * マウスやトラックボール等の[[入力機器]]の情報取得。 * [[CMOS]]メモリによるカレンダ時計機能や設定バックアップ機能が搭載されたことにより、設定変更のための<code>SET</code>命令を追加。 ** カレンダ時計の設定(<code>SET TIME</code>、<code>SET DATE</code>)。 ** カレンダ時計の取得(<code>GET TIME</code>、<code>GET DATE</code>)。 ** 画面表示位置の補正値を設定(<code>SET ADJUST</code>)。 ** ビープ音の音量や種類を設定(<code>SET BEEP</code>)。 ** デフォルトの画面設定を保存(<code>SET SCREEN</code>)。 ** 6文字以内の任意の文字列を起動ロゴ画面に表示(<code>SET TITLE</code>)、プロンプトを標準の<code>Ok</code>から6文字以内の任意の文字列に変更(<code>SET PROMPT</code>)、起動時の簡易パスワードロック機能を設定(<code>SET PASSWORD</code>)。これらは、CMOSメモリの保存領域が共通のため排他使用となる。 * <code>SET VIDEO</code>などグラフィックに関する<code>SET</code>命令を多数追加。 * ROM空間に隠された裏RAM32kバイトを擬似RAMディスクとして使用する命令(<code>CALL MEMINI</code>)。装置名<code>MEM:</code>の追加。 *: 擬似RAMディスクはMSX2+まではRAMディスク、MSXturboRではメモリディスクと呼称。Disk-BASIC ver2.0で実装されたRAMディスクと異なり裏RAMを利用する性質上、インタースロットコールにより間接的にしかアクセスできない関係で転送速度はカセットテープ並に遅かった。 * 漢字ROM(オプション)の内容を出力する<code>PUT KANJI</code>を追加。 * かな文字の[[ローマ字入力]]モードを追加。かなキーをShiftキーを押しながらONにすることにより、ローマ字入力が可能になる。 * [[V9938]]のVDPコマンドを利用した<code>COPY</code>命令。 ** 配列の形で確保したメインメモリと画面の矩形との間での転送と、画像をメインメモリを経由することなく矩形でコピーが可能。論理演算や透明色を適用でき、非常に容易にグラフィックを取り扱うことが可能となった。 MSX2は全機種がRAM 64KiB以上であるため、ROM-BASICのユーザエリアは28,815バイトである。2.xで拡張された命令は1.xで未使用だったワークエリアで動作する。 === Version3.x === [[MSX2+]]用。 * <code>SCREEN</code>命令(10~12)のモード追加。 * <code>SET SCROLL</code>を追加。MSX2ではVDPで縦スクロールはあるものの、VDP命令から直接指示しなければならなかったが、この命令で直接、BASIC上から縦横スクロールが出来るようになった。 * 平仮名などのフォントを変更し、<code>SCREEN 0</code>の横6ドット表示でも識別できるようになった。 * 漢字BASICを標準搭載。(連文節変換機能のMSX-JEは規格上はオプション。非搭載の機種では単漢字変換となる。)ただし、漢字フォントのスタイルは本体メーカーによって違う。 * ファンクションキーのF7の登録命令が「<code>cload"</code>」から「<code>load"</code>」に変更。 MSX2+は全機種がRAM 64KiB以上であるため、ROM-BASICのユーザエリアは28,815バイトである。3.xで拡張された命令は1.x, 2.xで未使用だったワークエリアで動作する。 === Version4.x === [[MSXturboR]]用。 * [[R800]]の高速モードに対応。 * [[PCM]]機能などの命令を追加。 * MSX-DOS2内蔵によりDISK-BASICがVersion2になり、カレントディレクトリを変更する<code>CALL CHDIR</code>命令やメモリマッパを[[RAMディスク]]として使用する<code>CALL RAMDISK</code>命令などが追加。互換Z80モードではVersion1で起動。 * カセットテープI/Oに関する命令(<code>CSAVE</code>/<code>CLOAD</code>/<code>CLOAD?</code>/<code>MOTOR</code>)および装置名<code>CAS:</code>が削除され、実行するとエラーとなる。 ** <code>CSAVE</code>/<code>CLOAD</code>/<code>CLOAD?</code>/<code>MOTOR</code>は''Syntax error''となり、<code>CAS:</code>は''Bad file name''となる。''Device I/O error''とはならない *: 対応するBIOSのエントリは残っているものの、コールしても何もせず正常終了かエラーを返すだけになっている *これまでのBASICインタプリタはPLAY文が終了する時に1カウント分余計な空白が入るバグがあり、MIDIインターフェイスが本体へ搭載される際に解消された<ref>[[宮本拓海]] [http://takumi-cb.com/column_2/004.html #004 2003/12/14 MSXの思い出]</ref>。 == BASICコンパイラ == MSX-BASICには「[[べーしっ君|MSXべーしっ君]]」という名称でMSX独自の機能を活用できる[[コンパイラ]]も存在した。 アスキーに所属していた[[プログラマ]]・鈴木仁志が開発した<ref>「超速コンパイラMSXべーしっ君たーぼとR800の秘密! 岸岡和也×鈴木仁志」『MSX MAGAZINE 永久保存版 2』アスキー書籍編集部編著、アスキー、2003年。p.68。</ref>。初版は[[雑誌]]に発表、1986年にアスキーから[[ROMカートリッジ]]で発売された。製品名は当時[[ログイン (雑誌)|ログイン]]誌で連載していた4コママンガのタイトルから取られており、ソフトのパッケージにも主人公・べーしっ君のイラストが描かれ、一見するとゲームソフトを思わせる体裁だった。付属のフロッピーディスクにはサンプルの[[マンデルブロ集合]]の描画やワイヤーフレームの[[3D迷路]]自動作成のプログラムが収められていた。 MSX2+が発表されると新機能に対応した「べーしっ君ぷらす」が発売されたほか、サンヨーのMSX2+であるWAVY77シリーズに同等のものが内蔵された。また、MSXturboRが発表されると[[ソフトベンダーTAKERU]]からディスク版で「べーしっ君たーぼ」が発売された。 なお、MSX-BASICのコンパイラは、べーしっ君以外にも、ソフトウエスト、ハート電子産業がそれぞれ開発・発売していたものが存在する。 === 仕様 === オンメモリのコンパイラで、拡張BASICとして実装されている。ROM媒体や本体内蔵のバージョンではROMカートリッジや本体内のスロットに、ディスク媒体のバージョンではメインRAMの未使用領域(裏RAM)に格納されて動作する。 既存のBASICプログラムに対し少し手直しするだけで高速化できるというコンセプトで設計されている。 一般的なコンパイラと違い、中間コードや機械語オブジェクトをファイルとしては生成せず、プログラム実行の都度コンパイルを行い、オンメモリで機械語オブジェクトを生成して実行する仕様となっている。このため、MSX-BASICのプログラムソースそのものがMSXべーしっ君のソースとなり、一般のBASICプログラムと同等に管理できるため、BASICの扱いの簡便さと機械語の高速さを併せ持った開発環境となっている。 実行速度は最大で10倍程度に高速化される。 ただし、MSX-BASICの完全互換ではなく、ディスク入出力など未サポートの命令が一部あるため、プログラム全体をコンパイルするか一部分のみをコンパイルするかを選択できるようになっている。 <code>RUN</code> の代わりに拡張命令 <code>CALL RUN</code> により実行開始した場合、プログラム全体の機械語オブジェクトを生成し実行する。 一部分のみをコンパイルする場合は、BASICプログラム内に拡張命令(<code>CALL TURBO ON</code>、<code>CALL TURBO OFF</code>)を用い、高速化したい部分の前後にこの拡張命令を記述する。実行時にその拡張命令に処理が移ると、ワークエリアにコンパイル対象の部分の機械語オブジェクトが一時的に生成されて実行される仕組みとなっている。コンパイル対象外の箇所はそのままBASICインタプリタで動作するため、MSXべーしっ君非対応の命令がプログラムソース中に同居できる。 浮動小数点数は、MSX-BASICがBCDで実装しているのに対して効率化を理由に3バイトの2進数という独自方式で実装している<ref>MSXマガジン永久保存版2 「超速コンパイラMSXべーしっ君たーぼとR800の秘密!」P.70</ref>ため、非コンパイル部分と受け渡しすることはできない。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|30em}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 関連項目 == * [[MSX]] * [[MSX-DOS]] {{BASIC}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:MSXBASIC}} [[Category:BASICインタプリタ]] [[Category:MSX]] [[Category:廃止されたマイクロソフトの開発ツール]]
null
2023-05-11T21:19:37Z
false
false
false
[ "Template:Notelist", "Template:Reflist", "Template:BASIC", "Template:Normdaten", "Template:出典の明記", "Template:脚注ヘルプ" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/MSX-BASIC
2,996
誕生石
誕生石()とは、1月から12月までの各月にちなむ宝石である。自分の生まれた月の宝石を身につけるとなんらかの加護があると言われる俗習の一種である。1月1日から12月31日までの各日にちなむ宝石もあるが、こちらは特に誕生日石と呼ぶ。 誕生石の由来については、『旧約聖書』の『出エジプト記』に出てくる祭司の胸当てにはめ込まれた12種類の宝石という説や、『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』にある神の都の神殿の土台に使われた12種類の宝石という説などがある。誕生石をお守りとして身につける習慣が始まったのは18世紀頃のポーランドとされ、移住したユダヤ人が広めたともされている。 誕生石を整理したのはアメリカの鉱物学者であるジョージ・フレデリック・クンツ(英語版)で、1912年にアメリカの宝石商組合(現在のジュエラーズ・オブ・アメリカ(英語版))によって広められた。今日の誕生石は1952年にアメリカ宝石小売商組合など複数の団体によって個々に改訂されたものが基準となっている。誕生石の習慣はイギリス、フランス、カナダ、オーストラリア、日本など各国に広まったが、それぞれの国情に合わせて種類には若干の違いがある。 日本では、アメリカの宝石商組合が定めたものを基準に、1958年に全国宝石商協同組合(現:全国宝石卸商協同組合)が独自にサンゴとヒスイを追加して制定したものが最初とされる。サンゴとヒスイが加わった経緯について、組合理事長を務めた巽忠春が書籍に記した箇所を引用する。 その後、他の団体も独自に導入していったため、業界全体での統一がされておらず消費者の混乱を招いていたことから、全国宝石卸商協同組合は日本ジュエリー協会および山梨県水晶宝飾協同組合の賛同を得て、2021年に63年ぶりの改訂を行った。今回の改訂は、最盛期の3分の1以下にまで落ちた宝飾品の国内市場を盛り上げる狙いもあるという。2021年の改訂では、アメリカのジュエラーズ・オブ・アメリカで既に誕生石になっていたものを追認し、日本独自のものも含めて計10種類が追加され、誕生石は全部で29種類となった(#全国宝石卸商協同組合による誕生石の一覧を参照)。 イギリスでは、日本で選定されていない宝石として、水晶(4月)、クリソプレーズ(5月)、カーネリアン(7月)の名前を見ることができる。 誕生石の起源としては、占星術や地域説など諸説あるが、明確に文書として残っているものに聖書の記述がある。 旧約聖書『出エジプト記』28章17 - 21節には、裁きの胸当てにはめる12個の貴石の記述がある。 ヘブライ語では となっているが、それぞれの石は聖書の翻訳によって異なり、一義的には決まっていない。 聖書協会共同訳、新共同訳、口語訳では、それぞれ以下のように記されている。 12の貴石にはそれぞれ支族の名を彫るように指示されており、訳としてオデムをルビー、サピールをサファイヤ、ヤハロームをダイヤモンドとしているものがあるが、これらの宝石は硬度が高く彫刻は困難である。 新約聖書『ヨハネの黙示録』に記されているエルサレムの城壁の土台石に飾られている宝石にちなむという説が、クリスチャン人口の多いアメリカならではの有力な説である。 各種の団体が定める、各月の誕生石の例を次の表に示す。複数の石が選ばれている月もある。 2021年時点でジュエラーズ・オブ・アメリカのサイトに掲載されているもの。 全国宝石卸商協同組合(ZHO)の常任理事であり誕生石委員会委員長である望月英樹らによって誕生石改訂作業を行い、日本ジュエリー協会(JJA)および山梨県水晶宝飾協同組合(YJA)の賛同を得て、宝飾業界での統一をはかるため、2021年に改訂した誕生石の一覧。2021年の改訂では、アレキサンドライト、スピネル、タンザナイト、ジルコンはアメリカのジュエラーズ・オブ・アメリカが採用しているものを追認し、ブラッドストーンは歴史的背景を考慮して追加している。 日本で独自に追加された5種類については、クリソベリル・キャッツアイは、日本で2月22日が「猫の日」、2月17日がヨーロッパなどで "World Cat Day" とされていることにちなむものである。それ以外のアイオライト、モルガナイト、スフェーン、クンツァイトについては、色合いやゆかりのある人物の誕生月にちなみ選定されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "誕生石()とは、1月から12月までの各月にちなむ宝石である。自分の生まれた月の宝石を身につけるとなんらかの加護があると言われる俗習の一種である。1月1日から12月31日までの各日にちなむ宝石もあるが、こちらは特に誕生日石と呼ぶ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "誕生石の由来については、『旧約聖書』の『出エジプト記』に出てくる祭司の胸当てにはめ込まれた12種類の宝石という説や、『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』にある神の都の神殿の土台に使われた12種類の宝石という説などがある。誕生石をお守りとして身につける習慣が始まったのは18世紀頃のポーランドとされ、移住したユダヤ人が広めたともされている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "誕生石を整理したのはアメリカの鉱物学者であるジョージ・フレデリック・クンツ(英語版)で、1912年にアメリカの宝石商組合(現在のジュエラーズ・オブ・アメリカ(英語版))によって広められた。今日の誕生石は1952年にアメリカ宝石小売商組合など複数の団体によって個々に改訂されたものが基準となっている。誕生石の習慣はイギリス、フランス、カナダ、オーストラリア、日本など各国に広まったが、それぞれの国情に合わせて種類には若干の違いがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "日本では、アメリカの宝石商組合が定めたものを基準に、1958年に全国宝石商協同組合(現:全国宝石卸商協同組合)が独自にサンゴとヒスイを追加して制定したものが最初とされる。サンゴとヒスイが加わった経緯について、組合理事長を務めた巽忠春が書籍に記した箇所を引用する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "その後、他の団体も独自に導入していったため、業界全体での統一がされておらず消費者の混乱を招いていたことから、全国宝石卸商協同組合は日本ジュエリー協会および山梨県水晶宝飾協同組合の賛同を得て、2021年に63年ぶりの改訂を行った。今回の改訂は、最盛期の3分の1以下にまで落ちた宝飾品の国内市場を盛り上げる狙いもあるという。2021年の改訂では、アメリカのジュエラーズ・オブ・アメリカで既に誕生石になっていたものを追認し、日本独自のものも含めて計10種類が追加され、誕生石は全部で29種類となった(#全国宝石卸商協同組合による誕生石の一覧を参照)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "イギリスでは、日本で選定されていない宝石として、水晶(4月)、クリソプレーズ(5月)、カーネリアン(7月)の名前を見ることができる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "誕生石の起源としては、占星術や地域説など諸説あるが、明確に文書として残っているものに聖書の記述がある。", "title": "起源" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "旧約聖書『出エジプト記』28章17 - 21節には、裁きの胸当てにはめる12個の貴石の記述がある。", "title": "起源" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ヘブライ語では", "title": "起源" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "となっているが、それぞれの石は聖書の翻訳によって異なり、一義的には決まっていない。", "title": "起源" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "聖書協会共同訳、新共同訳、口語訳では、それぞれ以下のように記されている。", "title": "起源" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "12の貴石にはそれぞれ支族の名を彫るように指示されており、訳としてオデムをルビー、サピールをサファイヤ、ヤハロームをダイヤモンドとしているものがあるが、これらの宝石は硬度が高く彫刻は困難である。", "title": "起源" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "新約聖書『ヨハネの黙示録』に記されているエルサレムの城壁の土台石に飾られている宝石にちなむという説が、クリスチャン人口の多いアメリカならではの有力な説である。", "title": "起源" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "各種の団体が定める、各月の誕生石の例を次の表に示す。複数の石が選ばれている月もある。", "title": "各月の誕生石" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "2021年時点でジュエラーズ・オブ・アメリカのサイトに掲載されているもの。", "title": "各月の誕生石" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "全国宝石卸商協同組合(ZHO)の常任理事であり誕生石委員会委員長である望月英樹らによって誕生石改訂作業を行い、日本ジュエリー協会(JJA)および山梨県水晶宝飾協同組合(YJA)の賛同を得て、宝飾業界での統一をはかるため、2021年に改訂した誕生石の一覧。2021年の改訂では、アレキサンドライト、スピネル、タンザナイト、ジルコンはアメリカのジュエラーズ・オブ・アメリカが採用しているものを追認し、ブラッドストーンは歴史的背景を考慮して追加している。", "title": "各月の誕生石" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "日本で独自に追加された5種類については、クリソベリル・キャッツアイは、日本で2月22日が「猫の日」、2月17日がヨーロッパなどで \"World Cat Day\" とされていることにちなむものである。それ以外のアイオライト、モルガナイト、スフェーン、クンツァイトについては、色合いやゆかりのある人物の誕生月にちなみ選定されている。", "title": "各月の誕生石" } ]
誕生石とは、1月から12月までの各月にちなむ宝石である。自分の生まれた月の宝石を身につけるとなんらかの加護があると言われる俗習の一種である。1月1日から12月31日までの各日にちなむ宝石もあるが、こちらは特に誕生日石と呼ぶ。
{{Notice|本稿では情報源で確認できる誕生石のみ掲載しています。}} {{読み仮名|'''誕生石'''|たんじょうせき}}とは、1月から12月までの各月にちなむ[[宝石]]である。自分の生まれた月の宝石を身につけるとなんらかの加護があると言われる俗習の一種である。1月1日から12月31日までの各日にちなむ宝石もあるが、こちらは特に'''誕生日石'''と呼ぶ。 == 概要 == 誕生石の由来については、『[[旧約聖書]]』の『[[出エジプト記]]』に出てくる祭司の胸当てにはめ込まれた12種類の宝石という説や、『[[新約聖書]]』の『[[ヨハネの黙示録]]』にある神の都の神殿の土台に使われた12種類の宝石という説などがある<ref name="図解雑学">[[近山晶]]監修『図解雑学 鉱物・宝石の不思議』[[ナツメ社]]、2007年、182頁</ref>。誕生石を[[お守り]]として身につける習慣が始まったのは18世紀頃の[[ポーランド]]とされ、移住した[[ユダヤ人]]が広めたともされている<ref name="図解雑学" />。 誕生石を整理したのは[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[鉱物学]]者である{{仮リンク|ジョージ・フレデリック・クンツ|en|George Frederick Kunz}}で、[[1912年]]にアメリカの宝石商組合{{Efn|正確には、"the American National Retail Jeweler’s Association"<ref name="Birthstone">[https://www.jewelers.org/gift-guides/birthstone-jewelry-guide Birthstone Jewelry | Jewelers of America]. 2021年12月26日閲覧</ref>。}}(現在の{{仮リンク|ジュエラーズ・オブ・アメリカ|en|Jewelers of America}})によって広められた<ref name="岩田2007">[[岩田裕子 (作家)|岩田裕子]]『21世紀の冷たいジュエリ』[[柏書店松原]]、2007年、27頁</ref>。今日の誕生石は[[1952年]]にアメリカ宝石小売商組合など複数の団体によって個々に改訂されたものが基準となっている<ref name="図解雑学" /><ref name="岩田2007" /><ref name="まいどな">[https://maidonanews.jp/article/14368447 日本の誕生石、63年ぶりに改訂 新たに宝石10石追加、全29石に まいどなニュース] 2021年12月20日 2021年12月20日閲覧</ref>。誕生石の習慣はイギリス、フランス、カナダ、オーストラリア、日本など各国に広まったが、それぞれの国情に合わせて種類には若干の違いがある<ref name="岩田2007" />。 [[日本]]では、アメリカの宝石商組合が定めたものを基準に、[[1958年]]に全国宝石商協同組合(現:[[全国宝石卸商協同組合]])が独自に[[サンゴ]]と[[ヒスイ]]を追加して制定したものが最初とされる<ref name="まいどな" /><ref name="図解雑学" /><ref name="宝石商組合沿革">[https://zho.or.jp/history/ 組織沿革 - 全国宝石卸商協同組合] 2021年12月21日閲覧</ref>。サンゴとヒスイが加わった経緯について、組合理事長を務めた巽忠春が書籍に記した箇所を引用する。 {{Quote |三月のアクアマリン、ブラッド・ストーンはごく安い石ですが、その対比として安いのもありますが、比較的に高価な品もあるサンゴを加え、五月には反対に、高いエメラルドに対して、かなり高いのは別にして、割合に買いやすい値段の石もあるヒスイを選んだわけです。 |巽忠春 |『あなたの宝石』{{Sfn |巽忠春 |1962 |p=77 }}}} その後、他の団体も独自に導入していったため、業界全体での統一がされておらず消費者の混乱を招いていたことから、全国宝石卸商協同組合は[[日本ジュエリー協会]]および[[山梨県水晶宝飾協同組合]]の賛同を得て、[[2021年]]に63年ぶりの改訂を行った<ref name="NHK">{{Cite web|和書|title=「誕生石」63年ぶり改定 新たに10種類の石を追加|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211220/k10013395871000.html|website=NHKニュース|accessdate=2021-12-20|last=日本放送協会}}</ref>。今回の改訂は、最盛期の3分の1以下にまで落ちた[[宝飾品]]の国内市場を盛り上げる狙いもあるという<ref name="NHK" />。2021年の改訂では、アメリカのジュエラーズ・オブ・アメリカで既に誕生石になっていたものを追認し、日本独自のものも含めて計10種類が追加され、誕生石は全部で29種類となった([[#全国宝石卸商協同組合による誕生石の一覧]]を参照)<ref name="誕生石改訂事業">[https://zho.or.jp/wp-content/uploads/2021/12/%E8%AA%95%E7%94%9F%E7%9F%B3%E3%81%AE%E6%94%B9%E8%A8%82.pdf 全国宝石卸商協同組合 誕生石改訂事業]. 2021年12月20日閲覧</ref><ref name="まいどな" />。 [[イギリス]]では、日本で選定されていない宝石として、[[水晶]](4月)、[[クリソプレーズ]](5月)、[[カーネリアン]](7月)の名前を見ることができる<ref>[[近山晶]]監修『図解雑学 鉱物・宝石の不思議』ナツメ社、2007年、183頁</ref><ref name="岩田2007" />。 == 起源 == 誕生石の起源としては、[[占星術]]や地域説など諸説あるが、明確に文書として残っているものに[[聖書]]の記述がある。 === 旧約聖書説 === [[旧約聖書]]『[[出エジプト記]]』28章17 - 21節には、裁きの胸当てにはめる12個の貴石の記述がある。 [[ヘブライ語]]では {{Quotation| *第一列、{{読み仮名|{{Lang|he|אודם}}|オデム}}{{Efn|{{lang-*-Latn|he|odem}}}}、{{読み仮名|{{Lang|he|פטדה}}|ピトダー}}{{Efn|{{lang-*-Latn|he|pit'dah}}}}、{{読み仮名|{{Lang|he|ברקת}}|バーレケト}}{{Efn|{{lang-*-Latn|he|bareket}}}}、 *第二列、{{読み仮名|{{Lang|he|נופך}}|ノーフェク}}{{Efn|{{lang-*-Latn|he|nofekh}}}}、{{読み仮名|{{Lang|he|ספיר}}|サピール}}{{Efn|{{lang-*-Latn|he|sappir}}}}、{{読み仮名|{{Lang|he|יהלום}}|ヤハローム}}{{Efn|{{lang-*-Latn|he|yahalom}}}}、 *第三列、{{読み仮名|{{Lang|he|לשם}}|レシェム}}{{Efn|{{lang-*-Latn|he|leshem}}}}、{{読み仮名|{{Lang|he|שבו}}|シェボー}}{{Efn|{{lang-*-Latn|he|shebo}}}}、{{読み仮名|{{Lang|he|אחלמה}}|アヒラマー}}{{Efn|{{lang-*-Latn|he|'achlamah}}}}、 *第四列、{{読み仮名|{{Lang|he|תרשיש}}|タルシシュ}}{{Efn|{{lang-*-Latn|he|tarshish}}}}、{{読み仮名|{{Lang|he|שוהם}}|ショハム}}{{Efn|{{lang-*-Latn|he|shoham}}}}、{{読み仮名|{{Lang|he|ישפה}}|ヤーシュフェー}}{{Efn|{{lang-*-Latn|he|yashfeh}}}} }} となっているが、それぞれの石は聖書の翻訳によって異なり、一義的には決まっていない。 [[聖書協会共同訳聖書|聖書協会共同訳]]、[[新共同訳聖書|新共同訳]]、[[聖書 口語訳|口語訳]]では、それぞれ以下のように記されている。 {{Quotation| *第一列、[[ルビー]]、[[トパーズ]]、[[エメラルド]] *第二列、[[孔雀石]]、[[ラピスラズリ]]、[[シマメノウ]] *第三列、[[オパール]]、[[メノウ]]、[[アメジスト|紫水晶]] *第四列、[[カンラン石]]、[[カーネリアン]]、[[碧玉]] | 聖書協会共同訳}} {{Quotation| *第一列、ルビー、トパーズ、エメラルド *第二列、[[ガーネット]]、[[サファイア]]、[[ジャスパー]] *第三列、オパール、メノウ、[[アメジスト]] *第四列、[[アクアマリン]]、ラピスラズリ、碧玉 |新共同訳}} {{Quotation| *第一列、[[赤玉髄]]、[[貴カンラン石]]、[[水晶]] *第二列、[[柘榴石]]、ルリ、[[赤シマメノウ]] *第三列、[[黄水晶]]、メノウ、紫水晶 *第四列、[[黄碧玉]]、シマメノウ、碧玉 |口語訳}} 12の貴石にはそれぞれ支族の名を彫るように指示されており、訳としてオデムをルビー、サピールをサファイヤ、ヤハロームを[[ダイヤモンド]]としているものがあるが、これらの宝石は[[硬度]]が高く[[彫刻]]は困難である。 === 新約聖書説 === [[新約聖書]]『[[ヨハネの黙示録]]』に記されている[[エルサレム]]の城壁の土台石に飾られている宝石にちなむという説が、[[クリスチャン]]人口の多いアメリカならではの有力な説である。 {{Quotation|都の城壁の土台は、あらゆる宝石で飾られていた。第一の土台は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、 第五は赤縞めのう、第六はカーネリアン、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九はトパーズ、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。 |新約聖書『ヨハネの黙示録』、聖書協会共同訳、21章19 - 20節}} == 各月の誕生石 == 各種の団体が定める、各月の誕生石の例を次の表に示す。複数の石が選ばれている月もある。 === ジュエラーズ・オブ・アメリカによる誕生石の一覧 === 2021年時点でジュエラーズ・オブ・アメリカのサイトに掲載されているもの<ref name="Birthstone" />。 {| class="wikitable" !月!!名前 |- |1月||ガーネット |- |2月||アメジスト |- |3月||アクアマリン |- |4月||ダイヤモンド |- |5月||エメラルド |- |6月||アレキサンドライト<br />養殖真珠<br />ムーンストーン |- |7月||ルビー |- |8月||ペリドット<br />スピネル |- |9月||サファイア |- |10月||オパール<br />トルマリン |- |11月||トパーズ<br />[[石英#色つき水晶|シトリン]] |- |12月||ターコイズ<br />ブルージルコン<br />タンザナイト |} === 全国宝石卸商協同組合による誕生石の一覧 === 全国宝石卸商協同組合(ZHO)の常任理事であり誕生石委員会委員長である望月英樹らによって誕生石改訂作業を行い、日本ジュエリー協会(JJA)および山梨県水晶宝飾協同組合(YJA)の賛同を得て、宝飾業界での統一をはかるため、[[2021年]]に改訂した誕生石の一覧<ref name="誕生石改訂事業" />。2021年の改訂では、アレキサンドライト、スピネル、タンザナイト、ジルコンはアメリカのジュエラーズ・オブ・アメリカが採用しているものを追認し、ブラッドストーンは歴史的背景を考慮して追加している<ref name="誕生石改訂事業" />。 日本で独自に追加された5種類については、クリソベリル・キャッツアイは、日本で2月22日が「[[猫の日]]」、2月17日がヨーロッパなどで "World Cat Day" とされていることにちなむものである<ref name="誕生石改訂事業" />。それ以外のアイオライト、モルガナイト、スフェーン、クンツァイトについては、色合いやゆかりのある人物の誕生月にちなみ選定されている<ref name="誕生石改訂事業" />。 {| class="wikitable" !月!!名前!!2021年追加分 |- |1月||[[柘榴石|ガーネット]]|| |- |2月||[[アメシスト|アメジスト]]||[[金緑石|クリソベリル・キャッツアイ]] |- |3月||[[アクアマリン]]<br />[[サンゴ]]||[[ブラッドストーン]]<br />[[菫青石#アイオライト|アイオライト]] |- |4月||[[ダイヤモンド]]||[[モルガナイト]] |- |5月||[[エメラルド]]<br />[[ヒスイ]]|| |- |6月||[[真珠]]<br />[[月長石|ムーンストーン]]||[[アレキサンドライト]] |- |7月||[[ルビー]]||[[チタン石|スフェーン]] |- |8月||[[ペリドット]]<br />[[オニキス|サードニクス]]||[[スピネル]] |- |9月||[[サファイア]]||[[クンツァイト]] |- |10月||[[オパール]]<br />[[トルマリン]]|| rowspan="2" |&nbsp; |- |11月||[[トパーズ]]<br />[[石英#色つき水晶|シトリン]] |- |12月||[[トルコ石]]<br />[[ラピスラズリ]]||[[ジルコン]]<br />[[タンザナイト]] |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |title=あなたの宝石 |editor=巽忠春 |publisher=徳間書店 |year=1962 |url={{NDLDC|2496758}} |ref=harv }}<!--国立国会図書館内/図書館・個人送信限定--> * 崎川範行『宝石』[[保育社]]〈[[カラーブックス]]〉、1987年、{{ISBN2|978-4586500208}} * 池田裕『宝石への扉』[[柏書店松原]]、1991年(改訂版2000年)、{{ISBN2|978-4905588382}} * [[近山晶]]監修『図解雑学 鉱物・宝石の不思議』[[ナツメ社]]、2007年(初版2005年)、{{ISBN2|978-4816338588}} * [[岩田裕子 (作家)|岩田裕子]]『21世紀の冷たいジュエリ』柏書店松原、2007年、{{ISBN2|978-4877900717}} == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|鉱物・宝石|[[画像:HVBriljant.PNG|34px|Portal:鉱物・宝石]]}} * [[鉱物]] * [[宝石]] * [[パワーストーン]] * [[誕生花]] * [[イオン銀行]] - 個人向け口座の支店名に誕生石名を用いている。 === 誕生石が公式に設定されている作品 === <!--アニメ、漫画、ゲーム作品を項目に入れる場合は必ず宝石を題材とし、なおかつ誕生石が公式に設定されている作品だけにして下さい。--> * [[プチカラット]] * [[ジュエルペット]] * [[JEWELINCLE じゅえりんくる〜12の妖精とふしぎな宝石箱〜]] == 外部リンク == * [https://www.jewelers.org/ Jewelers of America](英語) * [https://zho.or.jp/ 全国宝石卸商協同組合] * [https://jja.ne.jp/ 日本ジュエリー協会] ** [https://jja.ne.jp/aboutjewellery/aboutjewellery_inner04.html 日本ジュエリー協会 誕生石] * [https://yja.or.jp/ ⼭梨県⽔晶宝飾協同組合] * {{Commons-inline|File:Natal stones; birth stones, sentiments and superstitions associated with precious stones (IA natalstonesbirth00kunz).pdf|誕生石に関する書籍「Natal stones」}} {{DEFAULTSORT:たんしようせき}} [[Category:宝石]] [[Category:誕生日]]
2003-02-27T16:21:53Z
2023-12-02T13:37:24Z
false
false
false
[ "Template:読み仮名", "Template:Notelist", "Template:ウィキポータルリンク", "Template:ISBN2", "Template:Quotation", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite web", "Template:Cite book", "Template:Notice", "Template:仮リンク", "Template:Reflist", "Template:Efn", "Template:Quote", "Template:Commons-inline" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%95%E7%94%9F%E7%9F%B3
3,001
12月11日
12月11日(じゅうにがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から345日目(閏年では346日目)にあたり、年末まであと20日ある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "12月11日(じゅうにがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から345日目(閏年では346日目)にあたり、年末まであと20日ある。", "title": null } ]
12月11日(じゅうにがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から345日目(閏年では346日目)にあたり、年末まであと20日ある。
{{出典の明記|date=2015年12月10日 (木) 14:49 (UTC)}} {{カレンダー 12月}} '''12月11日'''(じゅうにがつじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から345日目([[閏年]]では346日目)にあたり、年末まであと20日ある。 == できごと == * [[969年]] - [[東ローマ皇帝|東ローマ帝国]][[ニケフォロス2世フォカス|ニケフォロス2世]]が暗殺される{{要出典|date=2021-04}}。 * [[1087年]]([[寛治]]元年[[11月14日 (旧暦)|11月14日]]) - [[後三年の役]]が終結。 * [[1282年]] - 最後の[[ウェールズの君主|ウェールズ大公]][[ルウェリン・アプ・グリフィズ]]が戦死。 * [[1637年]]([[寛永]]14年[[10月25日 (旧暦)|10月25日]]) - [[島原の乱]]が勃発。 * [[1806年]] - [[ザクセン選帝侯]][[フリードリヒ・アウグスト1世 (ザクセン王)|フリードリヒ・アウグスト3世]]を王として[[ザクセン公国]]が[[ザクセン王国]]となる。 * [[1816年]] - [[インディアナ準州]]が州に昇格し、[[アメリカ合衆国]]19番目の州・[[インディアナ州]]となる。 * [[1889年]] - 九州初の鉄道が、九州鉄道の手により博多 - 千歳川(仮駅)間で開業。 * [[1913年]] - [[京都法政学校]]が[[立命館大学|私立立命館大学]]に改称。 * [[1927年]] - [[広州起義]]。[[中国共産党]]が[[広州市|広州]]で武装蜂起。 * [[1929年]] - [[南武線|南武鉄道]]線(現JR[[南武線]])が全線開通。 * [[1931年]] - [[ウェストミンスター憲章]]が[[イギリス]]議会で採択され、[[イギリス連邦]]が正式に発足。 * [[1936年]] - [[イギリス]]国王[[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]]が退位。([[エドワード8世の退位]]) * [[1937年]] - [[第二次エチオピア戦争]]: [[イタリア]]が[[国際連盟]]から脱退。 * [[1940年]] - 大分県[[日田市]]が市制施行。 * 1940年 - [[イギリス海軍]]の[[戦艦]][[キング・ジョージ5世 (戦艦)|キング・ジョージ5世]]が竣工。 * [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ドイツ]]・イタリアが[[アメリカ合衆国]]に[[宣戦布告]]。 * [[1944年]] - [[沖縄県営鉄道輸送弾薬爆発事故]] * [[1946年]] - [[国際連合児童基金]](ユニセフ)発足。 * [[1957年]] - [[百円硬貨]]を発行。 * [[1958年]] - [[オートボルタ]](現[[ブルキナファソ]])がフランス共和国内の[[自治共和国]]となる。 * [[1959年]] - [[三井三池鉱山]]で退職勧告に応じない1278人に指名解雇を通告。[[三井三池争議]]が始まる。 * 1959年 - [[神奈川県]][[横浜市]]の[[国道1号]]で[[第二京浜トラック爆発事故]]が発生<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=140|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1961年]] - [[Osaka Metro中央線|大阪市営地下鉄中央線]][[大阪港駅]] - [[弁天町駅]]間が開業。 * [[1962年]] - [[恵庭事件]]。 * [[1964年]] - [[チェ・ゲバラ]]がキューバ主席として[[国際連合総会|国連総会]]で演説。 * [[1967年]] - [[佐藤栄作]]首相が[[非核三原則]]を表明。 * 1967年 - [[北大阪急行電鉄]]設立。 * [[1971年]] - アメリカ合衆国で[[リバタリアン党 (アメリカ)|リバタリアン党]]発足。 * [[1972年]] - アメリカの有人月宇宙船「[[アポロ17号]]」が月面に着陸。 * [[1977年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]][[気仙沼線]]が全線開通。 * [[1981年]] - [[モハメド・アリ]]引退。 * [[1986年]] - 国鉄[[長良川鉄道越美南線|越美南線]]が[[第三セクター鉄道]]・[[長良川鉄道]]に転換。 * [[1983年]] - ローマ教皇[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]がローマの[[ルーテル教会|ルター派教会]]を訪問し、新旧キリスト教の対立が終結。 * [[1990年]] - [[ニューヨーク]]の[[マフィア]]組織「[[ガンビーノ一家]]」のボス、[[ジョン・ゴッティ]]が逮捕。 * [[1993年]] - [[屋久島]]・[[白神山地]]・[[法隆寺地域の仏教建造物]]・[[姫路城]]の4か所が[[世界遺産]]に決定。 * [[1994年]] - [[第一次チェチェン紛争]]勃発。 * 1994年 - [[フィリピン航空434便爆破事件]]。[[南大東島]]沖上空の[[フィリピン航空]]434便内で爆弾が爆発、日本人男性1名が死亡。 * [[1996年]] - [[大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線]][[心斎橋駅]] - [[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]間が延伸開業。ならびに路線名を鶴見緑地線から改称。 * [[1997年]] - [[第3回気候変動枠組条約締約国会議|地球温暖化防止京都会議]] (COP3) が閉幕、[[京都議定書]]が採択される。 * [[1998年]] - [[タイ国際航空]]の[[エアバスA310]]が[[スラートターニー空港]]付近で墜落、101名が死亡。([[タイ国際航空261便墜落事故]]) * [[2000年]] - 男女共同参画審議会、選択的[[夫婦別姓]]制度を5年以内に検討すると表明。 * [[2001年]] - [[中華人民共和国]]が[[世界貿易機関]] (WTO) に加盟。 * [[2005年]] - [[クロナラ暴動]]。 * [[2006年]] - [[テヘラン]]で[[ホロコースト否認]]論者による[[ホロコースト・グローバルヴィジョン検討国際会議]]が開催。 * [[2008年]] - [[連邦捜査局|FBI]]が史上最大級の巨額詐欺事件で[[バーナード・L・マドフ]]を逮捕。 * 2008年 - [[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]][[ハンマー投|ハンマー投げ]]5位[[室伏広治]]が2位・3位選手の[[ドーピング]]による失格のため、繰り上げで銅メダルが決定。 * [[2010年]] - [[2010年ストックホルム爆破事件]]<ref>{{Cite web|和書 |date=2010年12月13日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2778915 |title=スウェーデン爆発事件、容疑者は英大学で学んだイラク系男性か |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-03-15}}</ref>。 == 誕生日 == * [[1465年]]([[寛正]]6年[[11月23日 (旧暦)|11月23日]]) - [[足利義尚]]<ref>{{Kotobank|足利義尚}}</ref>、[[室町幕府]]9代[[征夷大将軍|将軍]](+ [[1489年]]) * [[1571年]]([[元亀]]2年[[11月25日 (旧暦)|11月25日]]) - [[狩野孝信]]、[[絵師]](+ [[1618年]]) * [[1687年]]([[貞享]]4年[[11月7日 (旧暦)|11月7日]]) - [[戸田氏長]]、第5代[[美濃国]][[大垣藩|大垣藩主]](+ [[1735年]]) * [[1690年]]([[元禄]]3年[[11月11日 (旧暦)|11月11日]]) - [[前田利隆]]、第4代[[越中国]][[富山藩|富山藩主]](+ [[1745年]]) * [[1725年]] - [[ジョージ・メイソン (4世)|ジョージ・メイソン]]、[[政治家]](+ [[1792年]]) * [[1735年]]([[元文]]元年[[10月27日 (旧暦)|10月27日]]) - [[榊原政永]]、初代[[越後国]][[高田藩|高田藩主]](+ [[1808年]]) * [[1776年]]([[安永]]5年[[11月1日 (旧暦)|11月1日]]) - [[南部信鄰]]、[[旗本]]、初代[[陸奥国]][[七戸藩|七戸藩主]](+ [[1821年]]) * [[1803年]] - [[エクトル・ベルリオーズ]]、[[作曲家]](+ [[1869年]]) * [[1810年]] - [[アルフレッド・ド・ミュッセ]]、[[作家]](+ [[1857年]]) * [[1835年]] - [[ベンジャミン・スミス・ライマン]]、鉱山学者(+ [[1920年]]) * [[1841年]] - [[アドルフ・チェフ]]、指揮者(+ [[1903年]]) * [[1843年]] - [[ロベルト・コッホ]]、細菌学者(+ [[1910年]]) * [[1854年]] - [[チャールズ・ラドボーン]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1897年]]) * [[1855年]]([[安政]]2年[[11月3日 (旧暦)|11月3日]]) - [[伊東祐帰]]、第14代[[日向国]][[飫肥藩|飫肥藩主]](+ [[1894年]]) * [[1856年]]([[ユリウス暦]]11月29日)- [[ゲオルギー・プレハーノフ]]、[[社会主義|社会主義者]](+ [[1918年]]) <!---* [[1864年]] - [[モーリス・ルブラン]]、[[小説家]](+ [[1941年]])---「[[モーリス・ルブラン]]」では"11月11日"と記載---> * [[1877年]] - [[近藤平三郎]]、[[薬学者]](+ [[1963年]]) * [[1882年]] - [[マックス・ボルン]]、[[理論物理学者]]、[[ノーベル物理学賞]]受賞者(+ [[1970年]]) * [[1890年]] - [[カルロス・ガルデル]]、[[タンゴ]][[歌手]](+ [[1935年]]) * [[1892年]] - [[ジャコモ・ラウリ=ヴォルピ]]、[[テノール]]歌手(+ [[1979年]]) * [[1898年]] - [[東海林太郎]]、[[歌手]](+ [[1972年]]) * [[1900年]] - [[笠信太郎]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1967年]]) * [[1907年]] - [[佐伯千仭]]、[[刑法学者]](+ [[2006年]]) * [[1908年]] - [[マノエル・ド・オリヴェイラ]]、[[映画監督]](+ [[2015年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG02HEX_T00C15A4000000/|title=マノエル・ド・オリベイラ氏が死去 ポルトガルの映画監督 |publisher=日本経済新聞|date=2015-04-03|accessdate=2020-11-17}}</ref>) * [[1911年]] - [[銭学森]]、[[科学者]]、[[航空力学]]研究者(+ [[2009年]]) * [[1912年]] - [[カルロ・ポンティ]]、[[映画プロデューサー]](+ [[2007年]]) * [[1913年]] - [[ジャン・マレー]]、[[俳優]](+ [[1998年]]) * 1913年 - [[奈良本辰也]]、[[歴史家]](+ [[2001年]]) * [[1918年]] - [[アレクサンドル・ソルジェニーツィン]]、小説家(+ [[2008年]]) * [[1920年]] - [[上野義秋]]、元プロ野球選手 * [[1924年]] - [[チャールズ・バックマン]]、[[計算機科学]]者(+ [[2017年]]) * [[1925年]] - [[ポール・グリーンガード]]、[[神経科学者]](+ [[2019年]]) * [[1926年]] - [[加藤万吉]]、政治家(+ [[2008年]]) * [[1928年]] - [[下川辰平]]、俳優(+ [[2004年]]) * [[1929年]] - [[バーナード・クリック]]、[[政治学者]](+ [[2008年]]) * 1929年 - [[川上のぼる]]、[[腹話術師]](+ [[2013年]]) * [[1930年]] - [[佐々淳行]]、初代[[内閣安全保障室]]長、[[評論家]](+ [[2018年]]) * 1930年 - [[ジャン=ルイ・トランティニャン]]、俳優(+ [[2022年]]) * 1930年 - [[松田清]]、元プロ野球選手(+ [[2007年]]) * [[1931年]] - [[バグワン・シュリ・ラジニーシ]]、神秘家(+ [[1990年]]) * 1931年 - [[山本富士子]]、[[俳優|女優]] * [[1934年]] - [[藤木てるみ]]、漫画家 * [[1935年]] - [[フェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ]]、[[インダストリアルデザイナー]](+ [[2012年]]) * [[1936年]] - [[山崎拓]]、[[政治家]] * [[1939年]] - [[小川眞由美]]、女優 * [[1940年]] - [[片山健]]、[[絵本作家]] * 1940年 - [[北見けんいち]]、漫画家 * [[1943年]] - [[加賀まりこ]]、女優 * 1943年 - [[前橋汀子]]、[[ヴァイオリニスト]] * [[1945年]] - [[ヤーノ・サーリネン]]、バイクレーサー(+ [[1973年]]) * [[1947年]] - [[スピリット百瀬]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]](+ [[2020年]]) * [[1948年]] - [[谷村新司]]、歌手(+ [[2023年]]) * [[1949年]] - [[東彩子]]、[[ヴァイオリニスト]] * [[1951年]] - [[コンタロウ]]、漫画家 * [[1952年]] - [[秋本治]]、漫画家 * [[1953年]] - [[松宮一彦]]、[[アナウンサー]](+ [[1999年]]) * 1953年 - [[鎌田英樹]]、[[実業家]] * [[1954年]] - [[北原憲彦]]、[[バスケットボール選手]] * 1954年 - [[西村高司]]、元プロ野球選手 * [[1956年]] - [[原由子]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[サザンオールスターズ]]) * [[1957年]] - [[松井五郎]]、[[作詞家]] * [[1958年]] - [[宮崎美子]]、女優 * [[1959年]] - [[井手らっきょ]]、[[お笑いタレント]]([[たけし軍団]]) * [[1960年]] - [[原めぐみ]]、歌手 * [[1961年]] - [[山岡勝]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[デニス・ビールマン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1963年]] - [[田村直美]]、歌手 * 1963年 - [[中村稔 (プロ野球審判)|中村稔]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[森若香織]]、歌手、女優 * [[1964年]] - [[寺西秀人]]、元プロ野球選手 * 1964年 - TOMMY、歌手([[BLUFF (バンド)|BLUFF]]) * [[1965年]] - [[近田豊年]]、元プロ野球選手 * [[1967年]] - [[保阪尚希]]、俳優 * [[1968年]] - [[榊いずみ]]、ミュージシャン * [[1969年]] - [[町田公二郎]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[ヴァレンティーナ・リシッツァ]]、[[ピアニスト]] * 1969年 - [[朝乃若武彦]]、元[[大相撲]][[力士]]、年寄15代[[若松 (相撲)|若松]] * [[1970年]] - [[林家三平 (2代目)]]、落語家、俳優 * [[1972年]] - [[阿部次男]]、元野球選手 * [[1973年]] - [[小渕優子]]、政治家 * 1973年 - [[石母田史朗]]、俳優、[[声優]] * 1973年 - [[アンディ・トレーシー]]、元プロ野球選手 * 1973年 - 和田友徳、[[漫才師]]([[ヘッドライト (お笑いコンビ)|ヘッドライト]]) * [[1974年]] - [[レイ・ミステリオ・ジュニア|レイ・ミステリオ]]、[[プロレスラー]] * [[1975年]] - [[黒谷友香]]、女優 * 1975年 - [[成底ゆう子]]、[[シンガーソングライター]] * 1975年 - [[箕内拓郎]]、元[[ラグビーユニオン]]選手 * 1975年 - [[岡本かおり (手話キャスター)|岡本かおり]]、手話キャスター * [[1976年]] - [[白川裕二郎]]、俳優、元大相撲力士 * [[1977年]] - [[岩代俊明]]、漫画家 * 1977年 - [[天野勇剛]]、元プロ野球選手 * [[1978年]] - [[TENN]]、[[MC (ヒップホップ)|MC]]([[ET-KING]])(+ [[2014年]]) * 1978年 - [[洋介]]、[[ファッションモデル]] * 1978年 - [[國重友美]]、[[書家]] * [[1979年]] - [[マッシモ・スカリ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1979年 - [[世理奈]]、[[シンガーソングライター]] * [[1981年]] - [[ハビエル・サビオラ]]、サッカー選手 * 1981年 - [[白鳥久美子]]、お笑いタレント([[たんぽぽ (お笑いコンビ)|たんぽぽ]]) * 1981年 - [[原田佳奈]]、女優 * [[1982年]] - [[八重樫南]]、[[イラストレーター]] * [[1983年]] - YOH、ミュージシャン([[ORANGE RANGE]]) * 1983年 - [[島本真衣]]、[[テレビ朝日]][[アナウンサー]] * 1983年 - オン・ジュワン、俳優 * [[1984年]] - [[レイトン・ベインズ]]、サッカー選手 * [[1985年]] - [[田中康平 (1985年生のサッカー選手)|田中康平]]、サッカー選手 * 1985年 - [[かよう愛子]]、歌手 * [[1986年]] - [[末吉秀太]]、歌手([[AAA (音楽グループ)|AAA]]) * 1986年 - [[若山愛美]]、タレント * [[1987年]] - [[津留崎優]]、漫画家 * 1987年 - [[赤西礼保]]、俳優 * [[1988年]] - [[長谷川徹 (サッカー選手)|長谷川徹]]、サッカー選手 * 1988年 - [[アシュリー・ヒンショウ]]、女優 * [[1990年]] - [[土村芳]]、女優 * 1990年 - ヒョリン、アイドル([[SISTAR]]) * 1990年 - ジェイシェン、アイドル([[UNIQ (音楽グループ)|UNIQ]]) * [[1991年]] - [[中村勝]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[白村明弘]]、元プロ野球選手 * 1991年 - [[銀臨]]、歌手 * [[1992年]] - [[ドルトン・ポンペイ]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[昌子源]]、サッカー選手 * [[1993年]] - [[谷内里早]]、[[ファッションモデル]]、女優 * 1993年 - [[城戸愛莉]]、タレント、ファッションモデル * 1993年 - [[青柳晃洋]]、プロ野球選手 * [[1994年]] - [[広瀬アリス]]、女優、ファッションモデル * 1994年 - [[加茂倫明]]、実業家 * 1994年 - ギテク、アイドル(MVP) * [[1995年]] - [[石川祐希]]、バレーボール選手 * 1995年 - シノン、アイドル([[PENTAGON (音楽グループ)|PENTAGON]]) * [[1996年]] - [[ヘイリー・スタインフェルド]]、女優 * [[1997年]] - [[井上苑子]]、シンガーソングライター * 1997年 - [[藤田航生]]、元プロ野球選手 * 1997年 - [[鈴木健矢]]、プロ野球選手 * 1997年 - [[堀島行真]]、[[フリースタイルスキー]]選手 * 1997年 - [[髙部瑛斗]]、プロ野球選手 * 1997年 - [[荻久保寛也]]、[[陸上競技]]選手 * [[1998年]] - [[森若菜]]、野球選手 * [[1999年]] - [[平井美葉]]、アイドル([[BEYOOOOONDS]]) * 1999年 - [[池田来翔]]、プロ野球選手 * [[2000年]] - [[鶴房汐恩]]、[[アイドル]]([[JO1]]) * 2000年 - [[吉田凜音]]、歌手 * 2000年 - 渡辺みさき、[[アイドル]](元[[らじお女子]]) * 2000年 - ハ・ユンビン、アイドル(元[[TREASURE (音楽グループ)|TREASURE]]、元[[MAGNUM]]) * [[2001年]] - [[竹内龍臣]]、プロ野球選手 * 2001年 - [[小林海人]]<ref>[https://web.archive.org/web/20140417014907/http://www.theatre.co.jp/talent/172.html テアトルアカデミーによる公式プロフィール](2014年4月17日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>、元子役 * 生年不明 - [[椿いづみ]]、漫画家 * 生年不明 - 黒沢寿樹、声優 * 生年不明 - [[成田和史]]、声優 == 忌日 == === 人物 === * [[658年]]([[斉明天皇]]4年[[11月11日 (旧暦)|11月11日]]) - [[有間皇子]]、[[孝徳天皇]]の皇子(* [[640年]]) * [[818年]]([[弘仁]]9年[[11月10日 (旧暦)|11月10日]]) - [[藤原葛野麻呂]]、[[奈良時代]]・[[平安時代]]の廷臣(* [[755年]]) * [[1087年]]([[寛治]]元年[[11月14日 (旧暦)|11月14日]]) - [[清原武衡]]、平安時代の[[武将]] * 1087年(寛治元年11月14日) - [[清原家衡]]、平安時代の武将 * [[1241年]] - [[オゴデイ]]、[[モンゴル帝国|モンゴル]]の[[ハーン]](* [[1186年]]) * [[1282年]] - [[ルウェリン・アプ・グリフィズ]]、[[ウェールズ]]・[[グウィネズ (ウェールズ)|グウィネズ]]公(* [[1228年]]頃) * 1282年 - [[ミカエル8世パレオロゴス]]、[[東ローマ帝国]][[パレオロゴス王朝]]初代皇帝(* [[1225年]]) * [[1474年]] - [[エンリケ4世 (カスティーリャ王)|エンリケ4世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]](* [[1425年]]) * [[1552年]] - [[パオロ・ジョヴィオ]]、[[医師]]、[[聖職者]]、[[著作家]](* [[1483年]]) * [[1582年]] - [[フェルナンド・アルバレス・デ・トレド]]、[[アルバ公]](* [[1507年]]) * [[1610年]] - [[アダム・エルスハイマー]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Adam-Elsheimer Adam Elsheimer German artist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[画家]](* [[1578年]]) * [[1628年]]([[寛永]]5年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]]) - [[毛利高政]]、[[佐伯藩|佐伯藩主]](* [[1559年]]) * 1628年 - [[チェーザレ・デステ]]、モデナ公・レッジョ公(* [[1561年]]) * [[1644年]] - [[ジョージ・ジェムソン]]、[[画家]](* [[1587年]]) * [[1686年]] - [[ルイ2世 (コンデ公)|ルイ2世]]、[[コンデ公]](* [[1621年]]) * [[1718年]] - [[カール12世 (スウェーデン王)|カール12世]]、[[スウェーデン|スウェーデン王]](* [[1682年]]) * [[1784年]] - [[アンダース・レクセル]]、[[天文学者]](* [[1740年]]) * [[1796年]] - [[ヨハン・ティティウス]]、[[科学者]](* [[1729年]]) * [[1817年]] - [[マリア・ヴァレフスカ]]、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の愛人として知られる人物(* [[1786年]]) * [[1826年]] - [[マリア・レオポルディナ・デ・アウストリア|マリア・レオポルディナ]]、[[ブラジル帝国]]皇后(* [[1797年]]) * [[1840年]]([[天保]]11年[[11月18日 (旧暦)|11月18日]]) - [[光格天皇]]、第119代天皇(* [[1771年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[11月13日 (旧暦)|11月13日]]) - [[福原元僴]]、[[長州藩]][[家老]](* [[1815年]]) * [[1909年]] - [[ルードウィッヒ・モンド]]、[[化学者]]、[[実業家]](* [[1839年]]) * [[1918年]] - [[イヴァン・ツァンカル]]、[[作家]]、[[詩人]](* [[1876年]]) * [[1932年]] - [[森恪]]、[[立憲政友会]][[国会議員|衆議院議員]](* [[1882年]]) * [[1937年]] - [[岡田春夫 (初代)|岡田春夫]]、政治家、衆議院議員(* [[1887年]]) * [[1945年]] - [[シャルル・ファブリ]]、天文学者(* [[1867年]]) * [[1949年]] - [[堀尾文人]]、[[プロ野球選手]](* [[1911年]]) * [[1950年]] - [[長岡半太郎]]、[[物理学者]](* [[1865年]]) * [[1955年]] - [[渡辺大陸]]、元プロ野球監督(* [[1901年]]) * [[1956年]] - [[宮武三郎]]、元プロ野球選手(* [[1907年]]) * 1956年 - [[シュテフィ・ゲイエル]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1888年]]) * [[1959年]] - [[ジム・ボトムリー]]、元プロ野球選手(* [[1900年]]) * [[1964年]] - [[アルマ・マーラー]]、[[作曲家]](* [[1879年]]) * 1964年 - [[サム・クック]]、[[ソウルミュージック]]・[[リズム・アンド・ブルース|R&B]][[歌手]](* [[1931年]]) * [[1966年]] - [[竹内京治]]、[[政治家]](* [[1887年]]) * [[1967年]] - [[ヴィクトル・デ・サバタ]]、[[指揮者]](* [[1892年]]) * [[1969年]] - [[アルブレヒト・フォン・ウラッハ]]、[[画家]]、[[作家]]、[[ジャーナリスト]]、[[言語学者]]、[[外交官]](* [[1903年]]) * [[1976年]] - [[エルミア・デ・ホーリー]]、[[贋作]][[画家]](* [[1906年]]) * [[1978年]] - [[ヴィンセント・デュ・ヴィニョー]]、[[生化学|生化学者]](* [[1901年]]) * [[1981年]] - [[田辺茂一]]、出版事業家、[[紀伊國屋書店]]創業者(* [[1905年]]) * [[1983年]] - [[斎藤佐次郎]]、[[児童文学]][[雑誌]]出版者、[[金の星社]]創業者(* [[1893年]]) * [[1984年]] - [[中西悟堂]]、[[野鳥]]研究家(* [[1895年]]) * [[1986年]] - [[皆川定之]]、元プロ野球選手(* [[1919年]]) * [[1989年]] - [[森川公也]]、[[俳優]]、[[声優]](* [[1932年]]) * [[1992年]] - [[岸洋子]]、歌手(* [[1935年]]) * 1992年 - [[中村武志 (小説家)|中村武志]]、[[小説家]](* [[1909年]]) * [[1993年]] - [[五来重]]、[[民俗学|民俗学者]](* [[1908年]]) * [[1994年]] - [[レオナルド熊]]、[[コメディアン]](* [[1935年]]) * [[1996年]] - [[江崎真澄]]、[[政治家]](* [[1915年]]) * [[2000年]] - [[白石勝巳]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](* [[1918年]]) * [[2005年]] - [[小柳勇]]、政治家(* [[1912年]]) * 2005年 - [[塩田晋]]、政治家(* [[1926年]]) * 2005年 - [[上村恭生]]、高校野球指導者(* [[1959年]]) * [[2007年]] - [[島岡達三]]、[[陶芸家]](* [[1919年]]) * [[2008年]] - [[ダニエル・カールトン・ガジュセック]]、[[医学者]](* [[1923年]]) * 2008年 - [[ベティ・ペイジ]]、[[モデル (職業)|モデル]](* 1923年) * 2008年 - [[アリー・アラタス]]、政治家、[[インドネシア]]外相(* [[1932年]]) * [[2012年]] - [[三輪壽雪]]、[[陶芸家]](* [[1910年]]) * 2012年 - [[ラヴィ・シャンカル]]、[[シタール]]奏者(* [[1920年]]) * 2012年 - [[ガリーナ・ヴィシネフスカヤ]]、[[ソプラノ]]歌手(* [[1926年]]) * [[2016年]] - [[加藤初]]、元プロ野球選手(* [[1949年]]) * [[2017年]] - [[チャールズ・ジェンキンス]]、軍人(* [[1940年]]) * [[2019年]] - [[醍醐猛夫]]、元プロ野球選手(* [[1938年]]) * [[2020年]] - [[キム・ギドク]]、[[映画監督]]、[[脚本家]]、[[映画プロデューサー]](* [[1960年]]) * [[2022年]] - [[藤山陽子]]、[[俳優#性別での分類|女優]](* [[1941年]]) * [[2023年]] - [[木戸修]]、[[プロレスラー]] === 人物以外(動物など) === * [[2004年]] - [[ノーザンテースト]]、[[競走馬]](* [[1971年]]) == 記念日・年中行事 == * [[国際連合児童基金|ユニセフ]]創立記念日({{UN}}) *: [[1946年]]に国連児童基金(ユニセフ)の前身である国連国際児童緊急基金が創立された<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.unicef.or.jp/osirase/back2018/1812_11.html |title=12月11日はユニセフの創設記念日 |access-date=2022-12-14 |publisher=公益社団法人 日本ユニセフ協会}}</ref>。 * [[国際山岳デー]]({{UN}}) *: [[2003年]]の国連総会で制定された[[国際デー]]。 * [[独立記念日]]({{BFA}}) *: [[1958年]]のこの日、[[オートボルタ]](現在のブルキナファソ)が[[フランス|フランス共和国]]内の[[自治共和国]]アッパーヴォルタ共和国になった<ref>{{Cite web|和書 |url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000066.000034571.html |title=【今日はなんの日?企画】ブルキナファソの独立記念日 |access-date=2022-12-14 |publisher=PR TIMES |date=2022-12-07}}</ref>。なお、国名がブルキナファソになったのは、[[1984年]]。 * [[タンゴ]]の日({{ARG}}) *: アルゼンチンの国民的英雄であるタンゴ歌手、[[カルロス・ガルデル]]の誕生日。元は[[ブエノスアイレス]]のみでの記念日であったが、2005年にアルゼンチン国会で認められ、全国規模で実施されることとなった。 * 百円玉記念日({{JPN}}) *: [[1957年]]12月11日に、[[板垣退助]]100円紙幣に代わって、[[鳳凰]]がデザインされた戦後最初の百円[[硬貨]]が発行されたことに由来する。 * 胃腸の日({{JPN}}) *: 「胃に良い日→いにいい(1211)」の語呂合わせ。胃腸薬の正しい使い方や、胃腸の健康管理の大切さなどをアピールする目的で、[[日本大衆薬工業協会]]が[[2002年]]に制定<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 下|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=242|isbn=978-4422021157 }}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日1211|date=2011年7月}} === 誕生日(フィクション) === * 生年不明 - 端島密、漫画『[[密・リターンズ!]]』の主人公 * 生年不明 - 擬宝珠檸檬、漫画・アニメ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ガイゼル・ジャクソン、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1204416742639853570}}</ref> * 生年不明 - ベルーガ=J=ハード、漫画・アニメ『[[BLACK CAT]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 狂骨、漫画・アニメ『[[ぬらりひょんの孫]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 二ノ宮かすみ、漫画・アニメ『[[貧乏神が!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ディープスノー、漫画・アニメ『[[RAVE (漫画)|RAVE]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 小木高嶺、漫画・アニメ『[[スケッチブック (漫画)|スケッチブック]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 阿部隆也、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.tbs.co.jp/anime/oofuri/1st/04chara/chara.html |title=CHAACTER 阿部隆也 |access-date=2022-11-10 |publisher=ひぐちアサ・[[講談社]]/おお振り製作委員会 TBS |work=『おおきく振りかぶって』}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=PASH!アニメーションファイル01「おおきく振りかぶって」|publisher=[[主婦と生活社]]|year=2008|page=9頁|isbn=978-4-391-62643-8}}</ref> * 生年不明 - 花隈竜之介、ヴォカロ歌唱・アニメ『[[ACTORS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|actors_info|674967053950836736}}</ref> * 生年不明 - 白鳥詩織、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://app.famitsu.com/20130712_190868/ |title=【ガールフレンド(仮)通信79】照れ屋な天使が小悪魔に!? 白鳥詩織ちゃん(CV:高橋美佳子) |access-date=2022-09-26 |publisher=ファミ通App |date=2013-07-12}}</ref> * 生年不明 - 有栖シラユキ、ゲーム『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|t7s_staff|1469230416867516416}}</ref> * 生年不明 - 岩崎弥太郎、ゲーム・アニメ『[[幕末Rock]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://bakumatsu.marv.jp/game/origin/character/yataro.html |title=岩崎弥太郎 |access-date=2022-09-26 |work=幕末Rock |publisher=Marvelous Inc.}}</ref> * 生年不明 - ツバサ、ゲーム『[[消滅都市]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|shoumetsutoshi|807925095930863616}}</ref> * 生年不明 - 久野里澪、ゲーム『[[CHAOS;CHILD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kagakuadv|1204596666164301826}}</ref> * 生年不明 - 佐賀美陣、ゲーム・漫画・アニメ『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://ensemble-stars.jp/characters/sagami_jin/ |title=佐賀美 陣 CV:樋柴智康 |work=あんさんぶるスターズ! |accessdate=2022-09-26 |publisher=Happy Elements}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|11 December}} {{新暦365日|12|10|12|12|[[11月11日]]|[[1月11日]]|[[12月11日 (旧暦)|12月11日]]|1211|12|11}} {{1年の月と日}}
2003-02-27T20:32:56Z
2023-12-14T12:50:43Z
false
false
false
[ "Template:新暦365日", "Template:UN", "Template:フィクションの出典明記", "Template:Cite web", "Template:Kotobank", "Template:Twitter status", "Template:BFA", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:1年の月と日", "Template:要出典", "Template:JPN", "Template:Commonscat", "Template:出典の明記", "Template:カレンダー 12月", "Template:ARG", "Template:Cite book" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8811%E6%97%A5
3,004
国語国字問題
国語国字問題(こくごこくじもんだい)とは、日常で使用する言語・文字をいかに改良し、いかに定めるべきであるかについての問題である。本項では、国語としての日本語の表記法である漢字仮名交じり文とそれを構成する漢字、仮名遣いの在り方、改変に関わる近現代の言語政策(公的決定)など、表記をめぐって議論となる事柄について、第二次世界大戦後の「国語改革」以降のものを中心に取り上げる。 国語国字問題は、言語の伝達において、何らかの抵抗や障害が意識されるところに発生し、外国語との比較による言語に対する文化的意義の自覚によって促進される。識字率引き上げや欧化主義、また逆に国粋主義などの様々な理由から、漢字の制限や表記の表音化について、明治時代から政府の内外で議論されていたのは、その好例である。それは「国語」の成立に大きく関係することであり、日本の近代化において必須不可避ともいえるものであった。 日本語の表記法として漢字を用いることの是非は、少なくとも江戸時代中期における国学の勃興以来、議論の対象となってきた。新井白石は、宣教師シドッティの取り調べで、西洋の文字の少なさに感心した。 漢字廃止論の先駆けとしてしばしば言及されるのが、1866年(慶応2年)、前島来輔(密)が、時の将軍徳川慶喜に提出した「漢字御廃止之議」と呼ばれる建白書(報告・提言)である。その趣旨は「漢字の習得は非効率であるため、漢字を廃止すべきである」というものであった。 後の文部大臣森有礼は1872年 - 1873年に日本における日本語使用を英語に切り換えることを論じたとされた。北一輝は英語と日本語の両方を敵視し、「合理的」なエスペラントの導入を提案した。 漢字廃止論・制限論については他に、次のような論者が知られる。 1900年(明治33年)、感動詞や字音語の長音を長音符「ー」で書き表す「棒引き仮名遣い」を小学校教科書で用いることが、小学校令施行規則に定められた。国語施策や国語教育によって国語国字の改良を行ったのである。しかし、あまり世評がよくなかったので、文部省は1908年(明治41年)に臨時仮名遣調査委員会を設置し、新たな改定案として「字音仮名遣は全て表音式にする」「国語仮名遣は活用語尾と助詞だけそのままで、その他は表音式にする」というものを出したが、結論らしい結論を得ないまま廃止された。 臨時国語調査会(のちの国語審議会の前身)が設置され、1922年(大正11年)11月に常用漢字1962字を選定し可決(戦後の当用漢字表を経て現在の常用漢字に至る)、1923年(大正12年)12月には仮名遣改定案を可決(現代仮名遣いの原型となる)。 漢字の使用を制限する動きとしては、1940年に日本陸軍が「兵器名称用制限漢字表」を決定し、兵器の名に使える漢字を1235字に制限した。 また1942年には国語審議会が、各省庁および一般社会で使用する漢字の標準を示した合計2528字の「標準漢字表」を答申している。 第二次世界大戦後の一時期には、漢字使用を制限し、日本語表記を単純化しようとする動きが強まった。 1946年(昭和21年)3月、連合国軍総司令部 (GHQ/SCAP) が招いた第一次アメリカ教育使節団が3月31日に第一次アメリカ教育使節団報告書を提出、学校教育における漢字の弊害とローマ字の便を指摘した(ローマ字論も参照)。 同年4月、志賀直哉は雑誌『改造』に「国語問題」を発表し、「日本語を廃止し、世界で一番美しい言語であるフランス語を採用することにしたらどうか」という趣旨の提案をした。また1945年11月12日、読売報知(今の読売新聞)は「漢字を廃止せよ」と題した社説を掲載した。 当時の国語審議会委員にも、日本語改革論者が多数就任し、漢字廃止やローマ字化など極論は見送られたものの、彼らが関与した「国語改革」が戦後の日本語に与えた影響は大きい。こうした動きを背景として、戦前から温められてきた常用漢字や仮名遣改定案を流用・修正した上で当用漢字と現代かなづかいが制定された。 なお、同様の漢字簡略化の動きは、識字率の向上に取り組んでいた中国においても見られ、中華人民共和国成立後全ての文字表記をピン音とする動きもあったが、最終的には簡体字が導入された。 当用漢字とは、狭義には1946年(昭和21年)11月16日に内閣から告示された「当用漢字表」に掲載された1850字の漢字を指し、広義にはそれに関連したいくつかの告示を総称する。当用漢字表においては、日常使用しないとされた漢字は使用が制限され、公用文書や一般社会で使用する漢字の範囲が示された。 従来は複雑かつ多様であった字体の簡素化も一部の文字で行われ、新字・新かなが制定された。新字体(新字)制定においては、漢字の構成要素ごとに体系的に変更を行う方式は採らず、慣用を参考に個別の文字を部分的に簡略化するのみにとどめた。 なお、当用漢字表では漢字の読みも制限したが、当初の当用漢字音訓表は「魚」の読みを「ギョ」と「うお」に制限し「さかな」の読みが認められなくなるなどの不合理が散見されたことで、1972年(昭和47年)6月28日に改定されている。 熟語を漢字と平仮名で表記する「交ぜ書き」の問題も、当用漢字表に端を発する。同表によれば、当用漢字で書けない言葉は言い換えて表現することになっていたが、実際には漢字を仮名で書いただけで元の言葉が使われ続け、漢字と仮名の「交ぜ書き」が多数生ずることとなった。顕著な例としては「改ざん」「けん引」「ばい煙」「漏えい」などがある(「交ぜ書き」せずに全て漢字で表記した場合はそれぞれ「改竄」「牽引」「煤煙」「漏洩」〈ろうせつ=漏泄〉となる)。 なお、交ぜ書きは「けん引免許」など官公庁の用語として残っている場合もある。 国語審議会は1956年(昭和31年)7月5日、当用漢字の適用を円滑にするためとして、当用漢字表にない漢字を含む漢語を同音の別字(異体字関係にあるものを含む)に書き換えてもよいとして「同音の漢字による書きかえ」として報告した。 従来は複数の表記が存在した熟語を一本化する方向で例示したものには、次のようなものがある(括弧内が当用漢字表にない漢字を含む書き方)。 一般には複数の書き方があったものの、専門用語として当用漢字表にない漢字を含む書き方をしていたものについて、当用漢字表内の漢字に書き換えることを認めたものには、次のようなものがある(括弧内が当用漢字表実施以前の書き方)。 本来その語においては使われることのなかった当用漢字表内の漢字に書き換えることを認めたものには、次のようなものがある(括弧内が当用漢字表実施以前の書き方)。 これらの「交ぜ書き」「書き換え」には、熟語本来の意味が不明瞭になるという問題点がある。漢字は「音」と「意」で成り立っており、熟語はそれを組み合わせて意味を表したものである。例えば「破綻」を「破たん」と交ぜ書きすると、本来は「破れ綻(ほころ)びる」という意味だが、平仮名の「たん」では意味が不明瞭になる。また「沈澱」から「沈殿」への書き換えでは、本来は「澱(おり)が沈む」という意味だが、「沈殿」では「殿が沈む」と意味が不明瞭になる。「煽動」から「扇動」への書き換えに至っては、「煽り動かす」から「扇を動かす」と全く異なる意味になってしまう。「書き換え」の中には支障の少ないものもあるが(「掩護」→「援護」など)、ただ単に漢字の音を仮借しただけのものも多々ある。 こうしたことから、「交ぜ書き」「書き換え」は、「熟語の成り立ちを破棄し、日本語文化を破壊した」、「行き過ぎた合理主義により日本語の乱れを認めてしまった」などと批判されることがある。 当用漢字のうち881字は、小学校教育期間中に習得すべき漢字として、1948年(昭和23年)2月16日に当用漢字別表という形でまとめられた。いわゆる「教育漢字」である。 人名については、同1948年(昭和23年)施行の戸籍法第50条には「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」とある。この範囲は当初は法務省令によって平仮名、片仮名、当用漢字であるとされており、当用漢字以外の漢字は新生児の戸籍の届出の際に使用することができなかった。1951年(昭和26年)には人名用漢字別表として92字を内閣から告示され、当用漢字外の漢字も一部認められることになった。 この人名用漢字別表は、数度の改定を経て1997年(平成9年)には285字を含むものとなった。札幌高等裁判所において、「常用平易な文字」であるのに人名用漢字別表に含まれないために子供の名として使用できなかったことを不服とした裁判で訴えが認められたことも要因の一つか、2004年(平成16年)9月27日付で488文字が追加された。当初は578文字の追加が見込まれていたが、世論を受けて人名にふさわしくない漢字(怨・痔・屍など)が削除された。 当用漢字は、漢字全廃を目的としたものとしてしばしば批判されている。 1958年(昭和33年)から雑誌『聲』に連載された『私の國語敎室』で福田恆存は、すでに漢字制限は不可能であることが明らかになっていると指摘した。1961年(昭和36年)には表音主義者が多数を占め、毎回同じ委員が選出される構造となっていた国語審議会の総会から、舟橋聖一、塩田良平、宇野精一、山岸徳平ら、改革反対派の委員が退場する事件となった。 1962年(昭和37年)、国語審議会の委員に選出された吉田富三は、審議する立場を「国語は、漢字仮名交りを以て、その表記の正則とする。国語審議会は、この前提の下に、国語の改善を審議するものである」と規定することを提案した。 1965年(昭和40年)、森戸辰男・国語審議会会長は記者会見で、「漢字仮名交じり文が審議の前提。漢字全廃は考えられない」と述べた。 1966年(昭和41年)、総会の際中村梅吉・文部大臣は「当然のことながら国語の表記は、漢字仮名交じり文によることを前提と」すると挨拶した。 歴史的仮名遣を基に、1946年(昭和21年)11月16日に告示され現代の音韻に基づいて改変したのが「現代かなづかい」である。 「現代かなづかい」はもともと、表音式仮名遣いへ移行するまでの繋ぎとして考えられていた。しかし仮名遣いの完全な表音化は不可能であり、「現代かなづかい」はそのまま定着した。1986年(昭和61年)7月1日に内閣から告示された「現代仮名遣い」はそうした状況の追認であるといえる。従って、現在の「現代仮名遣い」は中途半端な形のまま、さまざまな矛盾を抱えている。 常用漢字は、1981年(昭和56年)に内閣から告示された漢字表に掲載された漢字1945字(常用漢字一覧参照)を指す。当用漢字表を基に制定されたものであるが、常用漢字は、当用漢字と比べて制限の緩い「目安」という位置付けになっている。 漢字をめぐるこうした政府の動きと前後して、JIS規格も、コンピュータなどで用いる漢字について、その漢字の種類(文字集合)と、各漢字をデータとして処理する際の数値表現(文字コード)の規格を独自に定める試みを続けてきた。 このうち、前者「文字集合」は常用漢字などと同じく、おびただしい数の漢字の中から一定数の漢字を取り出したもので、俗に「JIS漢字」と呼ばれる。2012年(平成24年)までに4回の改正が行われている。 最初のものは1978年(昭和53年)にJIS C 6226-1978で指定された6802字の文字群である。この規格は「78JIS」などと呼ばれる。1983年(昭和58年)には常用漢字の制定を受けて、JIS C 6226 の大幅改正が行われ、6877字の文字(非漢字を含む)が指定された。「83JIS」などと呼ばれる。1987年(昭和62年)に「JIS X 0208」と改称され、1990年(平成2年)には細かい例示字形変更と2字の追加が行われた。以降、1997年(平成9年)と2010年(平成12年)にもJIS X 0208の細かい改定が行われたが、これは直接「文字集合」の変更をするものではなかった。(以上の内容についてはJIS X 0208に詳しい) 83JISへの移行によって、300字近くもの例示字形が変更された。78JIS準拠の機器で作成された文書が、83JIS移行のJIS準拠の機器で字体が変わってしまうといった問題が指摘された。特に問題とされたのは伝統的字体(いわゆる康熙字典体)から簡略字体に変更されたものであった。78JISで「鷗、蠟」と示された文字が「鴎、蝋」となり、前者の字形は83JIS以降のJIS X 0208の範囲では事実上扱えなくなった。檜と桧、藪と薮など22組の符号位置が交換された。 JISの文字集合では、「包摂」の考え方によって新旧の字体を区別せず、一つの文字として扱っているものがあり、両者を区別したい場合にも区別できないという問題がある。その一方、「剣」「劒」「劍」や「鉄」「鐵」「銕」「鐡」のように、異体字にそれぞれ割り当てられている字もある。 表外漢字字体表の漢字一覧については、別項目「表外漢字字体表の漢字一覧」を参照のこと。 1980年代(昭和55年 - 平成元年)半ば以降、かな漢字変換を実現したワードプロセッサやコンピュータといった情報機器の普及は、それまで専ら手書きに頼っていた日本語の記述に大きな変化をもたらした。手書きと違って情報機器の漢字変換機能においては、画数の少ない漢字も多い漢字も記す手間は同じであり、使用者がその文字を知っていれば使えるようになった。例えば「驚愕」「愕然」「吃驚」「仰天」「びっくり」のいずれも、情報機器で記す手間は手書きほどの違いはない。それにより常用漢字外の漢字の使用環境が改善され、それまで減少の一途をたどっていた漢字の使用率が平衡あるいは増加に転じるようになった。 常用漢字表に示される簡略化された字体を、常用漢字表外の漢字に適用するかどうか、国語審議会答申の常用漢字表前文では「当面、特定の方向を示さず、各分野における慎重な検討にまつこととした」とし、国語審議会としての判断を保留した。前述の「83JIS」は簡略字体を常用漢字表外の漢字へと拡張しており(拡張新字体)、一般の書籍における漢字字体と情報機器の出力字体との間で乖離を生んでいた。また一部には「83JIS」の字体を積極的に採用する動きも出版界にあった。 このため、常用漢字表外の漢字字体に混乱が生じているとして、国語審議会が「字体選択のよりどころ」として一定の方針を示すことになったのが、「表外漢字字体表」(2000年(平成12年)12月最終答申)である。 表外漢字字体表では、実際の印刷物に使われている表外漢字を調査した結果、表外漢字の代表的なものとして1022字を挙げ、それらについておおむねいわゆる康熙字典体に準じた「印刷標準字体」を示した。うち22字については俗字体・略字体等を「簡易慣用字体」とし、示偏・食偏・之繞(しんにょう)の略字体(礻・飠・⻌)を許容字体とした(3部首許容)が、常用漢字表外の漢字については、伝統的な字体(⺬・𩙿・⻍)を本則とする方針が示された。 表外漢字字体表では、常用漢字のほかに2000年(平成12年)時点での人名用漢字についても対象外となっており、その時点の人名用漢字別表の字体を標準とすることになっている。また、1990年(平成2年)に人名用漢字に追加された「(つくりの者に点がない)曙」や「(1点しんにょう〈⻌〉の)蓮」についても同じ理由でそのままの字体が標準となり、「(つくりの者に点がある)曙」や「(2点しんにょう〈⻍〉の)蓮」は標準とはなっていない。これらの漢字は2004年(平成16年)のJIS X 0213改正でもそのままになっている。一方、2004年(平成16年)に人名用漢字に追加された「堵」や「逢」は表外漢字字体表の対象となっている漢字なので、それぞれつくりが者の中に点があるものと2点しんにょうのものが印刷標準字体となっており、2004年(平成16年)のJIS X 0213改正でも例示字形が印刷標準字体に整合するように改正されている。字体を検討する上で注意を要する。 当用漢字制定による熟語の「交ぜ書き」「書き換え」表記については、使用が強制されていたわけではなく、随筆や小説などの文学作品ではほとんど用いられていなかった。しかし新聞社や通信社、放送局などの報道機関は、日本新聞協会の取り決めなどにより、熟語の「交ぜ書き」「書き換え」による代用表記を多用した。新聞社が交ぜ書き表記を使用する主な理由としては、活版印刷ではルビ(振り仮名)を振ると組版コストが増大するため、漢字制限がコスト低減に役立つという理由があった。また、新聞各社は当用漢字の実施と同時にルビを廃止している。漢字の字数も読みも制限されていれば振り仮名は不要という考えからである。 そのため、新聞やテレビなどのニュース報道では「けん銃」「だ捕」「ら致」「破たん」「補てん」などと交ぜ書きの表記が多用されていた。 しかし、「交ぜ書き」は日本語として成立しにくい事や不評がある事により、日本新聞協会加盟社の用語担当者からなる集まりで、新聞紙上における用字用語について懇談する「新聞用語懇談会」では2000年(平成12年)12月の『表外漢字字体表』の答申と前後して、交ぜ書きの減少を検討した。 その後刊行された『記者ハンドブック 新聞用字用語集』では使用する漢字が増やされる傾向にある。それまでは交ぜ書きにされていた「危惧(きぐ)」、「蜂起」、「冥福」などが漢字で表記されるようになった。また、ルビを復活させた新聞もある。この傾向は新聞以外のマスメディアでも同様であり、公共放送のNHKでも『NHK新用字用語辞典』において、交ぜ書きを減らしている。 2020年代に入って新型コロナウイルスの「まん延(蔓延)」や、電力需給ひっ迫警報の「ひっ迫(逼迫)」といった用語が頻出するようになったため、交ぜ書きを減少すべきか再び議論になっている。 児童文学・小学校教科書の世界では強い漢字制限がかけられており、習っていない漢字は見せない、書かないという教育が続いているが、むしろルビを使うべきでありマンガやゲームのほうがよほど漢字の勉強になるという批判もある。 表外漢字字体表は、一部においてJIS漢字の例示字形とはなはだしい異同があったが、2004年(平成16年)にJIS X 0213が改正され、例示字形を表外漢字字体表に整合させた。これによりコンピュータについても、印刷標準字体に沿った字形を標準とする環境に移行しつつある。 2007年(平成19年)には各種オペレーティングシステムで使われるフォントが相次いでJIS X 0213:2004例示字形に対応した。マイクロソフトが発売したWindows Vistaでは、標準搭載日本語フォント(メイリオ・MS ゴシック・MS 明朝)の字形をJIS X 0213:2004の例示字形とした。Vistaと後継のWindows 7には、旧来の字形を採用した「JIS90 互換 MS ゴシック・明朝フォントパッケージ」が用意されている。Appleは、Mac OS X v10.5発売に際して、JIS X 0213:2004の例示字形を標準とした日本語フォントヒラギノ ProN/StdNを新たに追加した。引き続き従来のヒラギノ Pro/Stdも附属する。情報処理推進機構は、無償公開しているIPAフォントの字形をVer.2からJIS X 0213:2004準拠とした。IPAフォントはLinuxなどオープンソースソフトウェアを含めプラットフォームを問わず誰でも無償で利用できる公共フォントと位置付けられている。 上記、JIS X 0213:2004の改正と前後して、法務省が2004年(平成16年)に行った人名用漢字の変更(追加等)も、おおむね印刷標準字体によって行われた(「芦」「阪」「堺」など例外もある)。 2010年(平成22年)に常用漢字が改定された。特徴としては、漢字の廃止や節減という動きと決別するように多くの漢字が追加されたことが挙げられる。一般名詞や代名詞などで幅広く使われていた漢字のみならず、前述の交ぜ書きを防ぐための漢字も追加された。また実生活上では初等教育から読み書きする必要があるにもかかわらず、これまで含まれていなかった都道府県名などに使われる漢字が追加された。 なお、新潟県の「潟」は1981年にすでに常用漢字に追加されている。 字形については、前述の表外漢字字体表の字形を参照し、JIS X 0213:2004の例示字形に合わせた文字を追加した。 在来の国語学においては、明治以来の国語国字問題の種々の論議を学問的領域から尽く除外するものもあれば、領域の一種として音声論や文法論と同列に位置づけて取り扱ったり、「知識の応用部面」として国語学の延長のごとく取り扱ったりなど、利用の仕方は様々であった。そのような中で「国語国字問題を対象とすべき」と明確に位置づけたのが時枝誠記である。時枝の立論は「言語は個人の実践的表現行為ないし理解行為そのものである」とする言語過程説の立場からなされているが、従来の国語学における研究方法に対して反省を促しているともいえるので、どのような立場から論じるにせよ、日本語学者は国語国字問題について無関心でいるわけにはいかない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "国語国字問題(こくごこくじもんだい)とは、日常で使用する言語・文字をいかに改良し、いかに定めるべきであるかについての問題である。本項では、国語としての日本語の表記法である漢字仮名交じり文とそれを構成する漢字、仮名遣いの在り方、改変に関わる近現代の言語政策(公的決定)など、表記をめぐって議論となる事柄について、第二次世界大戦後の「国語改革」以降のものを中心に取り上げる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "国語国字問題は、言語の伝達において、何らかの抵抗や障害が意識されるところに発生し、外国語との比較による言語に対する文化的意義の自覚によって促進される。識字率引き上げや欧化主義、また逆に国粋主義などの様々な理由から、漢字の制限や表記の表音化について、明治時代から政府の内外で議論されていたのは、その好例である。それは「国語」の成立に大きく関係することであり、日本の近代化において必須不可避ともいえるものであった。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "日本語の表記法として漢字を用いることの是非は、少なくとも江戸時代中期における国学の勃興以来、議論の対象となってきた。新井白石は、宣教師シドッティの取り調べで、西洋の文字の少なさに感心した。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "漢字廃止論の先駆けとしてしばしば言及されるのが、1866年(慶応2年)、前島来輔(密)が、時の将軍徳川慶喜に提出した「漢字御廃止之議」と呼ばれる建白書(報告・提言)である。その趣旨は「漢字の習得は非効率であるため、漢字を廃止すべきである」というものであった。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "後の文部大臣森有礼は1872年 - 1873年に日本における日本語使用を英語に切り換えることを論じたとされた。北一輝は英語と日本語の両方を敵視し、「合理的」なエスペラントの導入を提案した。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "漢字廃止論・制限論については他に、次のような論者が知られる。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1900年(明治33年)、感動詞や字音語の長音を長音符「ー」で書き表す「棒引き仮名遣い」を小学校教科書で用いることが、小学校令施行規則に定められた。国語施策や国語教育によって国語国字の改良を行ったのである。しかし、あまり世評がよくなかったので、文部省は1908年(明治41年)に臨時仮名遣調査委員会を設置し、新たな改定案として「字音仮名遣は全て表音式にする」「国語仮名遣は活用語尾と助詞だけそのままで、その他は表音式にする」というものを出したが、結論らしい結論を得ないまま廃止された。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "臨時国語調査会(のちの国語審議会の前身)が設置され、1922年(大正11年)11月に常用漢字1962字を選定し可決(戦後の当用漢字表を経て現在の常用漢字に至る)、1923年(大正12年)12月には仮名遣改定案を可決(現代仮名遣いの原型となる)。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "漢字の使用を制限する動きとしては、1940年に日本陸軍が「兵器名称用制限漢字表」を決定し、兵器の名に使える漢字を1235字に制限した。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "また1942年には国語審議会が、各省庁および一般社会で使用する漢字の標準を示した合計2528字の「標準漢字表」を答申している。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦後の一時期には、漢字使用を制限し、日本語表記を単純化しようとする動きが強まった。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1946年(昭和21年)3月、連合国軍総司令部 (GHQ/SCAP) が招いた第一次アメリカ教育使節団が3月31日に第一次アメリカ教育使節団報告書を提出、学校教育における漢字の弊害とローマ字の便を指摘した(ローマ字論も参照)。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "同年4月、志賀直哉は雑誌『改造』に「国語問題」を発表し、「日本語を廃止し、世界で一番美しい言語であるフランス語を採用することにしたらどうか」という趣旨の提案をした。また1945年11月12日、読売報知(今の読売新聞)は「漢字を廃止せよ」と題した社説を掲載した。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "当時の国語審議会委員にも、日本語改革論者が多数就任し、漢字廃止やローマ字化など極論は見送られたものの、彼らが関与した「国語改革」が戦後の日本語に与えた影響は大きい。こうした動きを背景として、戦前から温められてきた常用漢字や仮名遣改定案を流用・修正した上で当用漢字と現代かなづかいが制定された。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "なお、同様の漢字簡略化の動きは、識字率の向上に取り組んでいた中国においても見られ、中華人民共和国成立後全ての文字表記をピン音とする動きもあったが、最終的には簡体字が導入された。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "当用漢字とは、狭義には1946年(昭和21年)11月16日に内閣から告示された「当用漢字表」に掲載された1850字の漢字を指し、広義にはそれに関連したいくつかの告示を総称する。当用漢字表においては、日常使用しないとされた漢字は使用が制限され、公用文書や一般社会で使用する漢字の範囲が示された。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "従来は複雑かつ多様であった字体の簡素化も一部の文字で行われ、新字・新かなが制定された。新字体(新字)制定においては、漢字の構成要素ごとに体系的に変更を行う方式は採らず、慣用を参考に個別の文字を部分的に簡略化するのみにとどめた。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "なお、当用漢字表では漢字の読みも制限したが、当初の当用漢字音訓表は「魚」の読みを「ギョ」と「うお」に制限し「さかな」の読みが認められなくなるなどの不合理が散見されたことで、1972年(昭和47年)6月28日に改定されている。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "熟語を漢字と平仮名で表記する「交ぜ書き」の問題も、当用漢字表に端を発する。同表によれば、当用漢字で書けない言葉は言い換えて表現することになっていたが、実際には漢字を仮名で書いただけで元の言葉が使われ続け、漢字と仮名の「交ぜ書き」が多数生ずることとなった。顕著な例としては「改ざん」「けん引」「ばい煙」「漏えい」などがある(「交ぜ書き」せずに全て漢字で表記した場合はそれぞれ「改竄」「牽引」「煤煙」「漏洩」〈ろうせつ=漏泄〉となる)。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "なお、交ぜ書きは「けん引免許」など官公庁の用語として残っている場合もある。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "国語審議会は1956年(昭和31年)7月5日、当用漢字の適用を円滑にするためとして、当用漢字表にない漢字を含む漢語を同音の別字(異体字関係にあるものを含む)に書き換えてもよいとして「同音の漢字による書きかえ」として報告した。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "従来は複数の表記が存在した熟語を一本化する方向で例示したものには、次のようなものがある(括弧内が当用漢字表にない漢字を含む書き方)。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "一般には複数の書き方があったものの、専門用語として当用漢字表にない漢字を含む書き方をしていたものについて、当用漢字表内の漢字に書き換えることを認めたものには、次のようなものがある(括弧内が当用漢字表実施以前の書き方)。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "本来その語においては使われることのなかった当用漢字表内の漢字に書き換えることを認めたものには、次のようなものがある(括弧内が当用漢字表実施以前の書き方)。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "これらの「交ぜ書き」「書き換え」には、熟語本来の意味が不明瞭になるという問題点がある。漢字は「音」と「意」で成り立っており、熟語はそれを組み合わせて意味を表したものである。例えば「破綻」を「破たん」と交ぜ書きすると、本来は「破れ綻(ほころ)びる」という意味だが、平仮名の「たん」では意味が不明瞭になる。また「沈澱」から「沈殿」への書き換えでは、本来は「澱(おり)が沈む」という意味だが、「沈殿」では「殿が沈む」と意味が不明瞭になる。「煽動」から「扇動」への書き換えに至っては、「煽り動かす」から「扇を動かす」と全く異なる意味になってしまう。「書き換え」の中には支障の少ないものもあるが(「掩護」→「援護」など)、ただ単に漢字の音を仮借しただけのものも多々ある。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "こうしたことから、「交ぜ書き」「書き換え」は、「熟語の成り立ちを破棄し、日本語文化を破壊した」、「行き過ぎた合理主義により日本語の乱れを認めてしまった」などと批判されることがある。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "当用漢字のうち881字は、小学校教育期間中に習得すべき漢字として、1948年(昭和23年)2月16日に当用漢字別表という形でまとめられた。いわゆる「教育漢字」である。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "人名については、同1948年(昭和23年)施行の戸籍法第50条には「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」とある。この範囲は当初は法務省令によって平仮名、片仮名、当用漢字であるとされており、当用漢字以外の漢字は新生児の戸籍の届出の際に使用することができなかった。1951年(昭和26年)には人名用漢字別表として92字を内閣から告示され、当用漢字外の漢字も一部認められることになった。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "この人名用漢字別表は、数度の改定を経て1997年(平成9年)には285字を含むものとなった。札幌高等裁判所において、「常用平易な文字」であるのに人名用漢字別表に含まれないために子供の名として使用できなかったことを不服とした裁判で訴えが認められたことも要因の一つか、2004年(平成16年)9月27日付で488文字が追加された。当初は578文字の追加が見込まれていたが、世論を受けて人名にふさわしくない漢字(怨・痔・屍など)が削除された。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "当用漢字は、漢字全廃を目的としたものとしてしばしば批判されている。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1958年(昭和33年)から雑誌『聲』に連載された『私の國語敎室』で福田恆存は、すでに漢字制限は不可能であることが明らかになっていると指摘した。1961年(昭和36年)には表音主義者が多数を占め、毎回同じ委員が選出される構造となっていた国語審議会の総会から、舟橋聖一、塩田良平、宇野精一、山岸徳平ら、改革反対派の委員が退場する事件となった。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1962年(昭和37年)、国語審議会の委員に選出された吉田富三は、審議する立場を「国語は、漢字仮名交りを以て、その表記の正則とする。国語審議会は、この前提の下に、国語の改善を審議するものである」と規定することを提案した。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1965年(昭和40年)、森戸辰男・国語審議会会長は記者会見で、「漢字仮名交じり文が審議の前提。漢字全廃は考えられない」と述べた。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1966年(昭和41年)、総会の際中村梅吉・文部大臣は「当然のことながら国語の表記は、漢字仮名交じり文によることを前提と」すると挨拶した。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "歴史的仮名遣を基に、1946年(昭和21年)11月16日に告示され現代の音韻に基づいて改変したのが「現代かなづかい」である。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "「現代かなづかい」はもともと、表音式仮名遣いへ移行するまでの繋ぎとして考えられていた。しかし仮名遣いの完全な表音化は不可能であり、「現代かなづかい」はそのまま定着した。1986年(昭和61年)7月1日に内閣から告示された「現代仮名遣い」はそうした状況の追認であるといえる。従って、現在の「現代仮名遣い」は中途半端な形のまま、さまざまな矛盾を抱えている。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "常用漢字は、1981年(昭和56年)に内閣から告示された漢字表に掲載された漢字1945字(常用漢字一覧参照)を指す。当用漢字表を基に制定されたものであるが、常用漢字は、当用漢字と比べて制限の緩い「目安」という位置付けになっている。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "漢字をめぐるこうした政府の動きと前後して、JIS規格も、コンピュータなどで用いる漢字について、その漢字の種類(文字集合)と、各漢字をデータとして処理する際の数値表現(文字コード)の規格を独自に定める試みを続けてきた。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "このうち、前者「文字集合」は常用漢字などと同じく、おびただしい数の漢字の中から一定数の漢字を取り出したもので、俗に「JIS漢字」と呼ばれる。2012年(平成24年)までに4回の改正が行われている。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "最初のものは1978年(昭和53年)にJIS C 6226-1978で指定された6802字の文字群である。この規格は「78JIS」などと呼ばれる。1983年(昭和58年)には常用漢字の制定を受けて、JIS C 6226 の大幅改正が行われ、6877字の文字(非漢字を含む)が指定された。「83JIS」などと呼ばれる。1987年(昭和62年)に「JIS X 0208」と改称され、1990年(平成2年)には細かい例示字形変更と2字の追加が行われた。以降、1997年(平成9年)と2010年(平成12年)にもJIS X 0208の細かい改定が行われたが、これは直接「文字集合」の変更をするものではなかった。(以上の内容についてはJIS X 0208に詳しい)", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "83JISへの移行によって、300字近くもの例示字形が変更された。78JIS準拠の機器で作成された文書が、83JIS移行のJIS準拠の機器で字体が変わってしまうといった問題が指摘された。特に問題とされたのは伝統的字体(いわゆる康熙字典体)から簡略字体に変更されたものであった。78JISで「鷗、蠟」と示された文字が「鴎、蝋」となり、前者の字形は83JIS以降のJIS X 0208の範囲では事実上扱えなくなった。檜と桧、藪と薮など22組の符号位置が交換された。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "JISの文字集合では、「包摂」の考え方によって新旧の字体を区別せず、一つの文字として扱っているものがあり、両者を区別したい場合にも区別できないという問題がある。その一方、「剣」「劒」「劍」や「鉄」「鐵」「銕」「鐡」のように、異体字にそれぞれ割り当てられている字もある。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "表外漢字字体表の漢字一覧については、別項目「表外漢字字体表の漢字一覧」を参照のこと。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1980年代(昭和55年 - 平成元年)半ば以降、かな漢字変換を実現したワードプロセッサやコンピュータといった情報機器の普及は、それまで専ら手書きに頼っていた日本語の記述に大きな変化をもたらした。手書きと違って情報機器の漢字変換機能においては、画数の少ない漢字も多い漢字も記す手間は同じであり、使用者がその文字を知っていれば使えるようになった。例えば「驚愕」「愕然」「吃驚」「仰天」「びっくり」のいずれも、情報機器で記す手間は手書きほどの違いはない。それにより常用漢字外の漢字の使用環境が改善され、それまで減少の一途をたどっていた漢字の使用率が平衡あるいは増加に転じるようになった。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "常用漢字表に示される簡略化された字体を、常用漢字表外の漢字に適用するかどうか、国語審議会答申の常用漢字表前文では「当面、特定の方向を示さず、各分野における慎重な検討にまつこととした」とし、国語審議会としての判断を保留した。前述の「83JIS」は簡略字体を常用漢字表外の漢字へと拡張しており(拡張新字体)、一般の書籍における漢字字体と情報機器の出力字体との間で乖離を生んでいた。また一部には「83JIS」の字体を積極的に採用する動きも出版界にあった。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "このため、常用漢字表外の漢字字体に混乱が生じているとして、国語審議会が「字体選択のよりどころ」として一定の方針を示すことになったのが、「表外漢字字体表」(2000年(平成12年)12月最終答申)である。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "表外漢字字体表では、実際の印刷物に使われている表外漢字を調査した結果、表外漢字の代表的なものとして1022字を挙げ、それらについておおむねいわゆる康熙字典体に準じた「印刷標準字体」を示した。うち22字については俗字体・略字体等を「簡易慣用字体」とし、示偏・食偏・之繞(しんにょう)の略字体(礻・飠・⻌)を許容字体とした(3部首許容)が、常用漢字表外の漢字については、伝統的な字体(⺬・𩙿・⻍)を本則とする方針が示された。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "表外漢字字体表では、常用漢字のほかに2000年(平成12年)時点での人名用漢字についても対象外となっており、その時点の人名用漢字別表の字体を標準とすることになっている。また、1990年(平成2年)に人名用漢字に追加された「(つくりの者に点がない)曙」や「(1点しんにょう〈⻌〉の)蓮」についても同じ理由でそのままの字体が標準となり、「(つくりの者に点がある)曙」や「(2点しんにょう〈⻍〉の)蓮」は標準とはなっていない。これらの漢字は2004年(平成16年)のJIS X 0213改正でもそのままになっている。一方、2004年(平成16年)に人名用漢字に追加された「堵」や「逢」は表外漢字字体表の対象となっている漢字なので、それぞれつくりが者の中に点があるものと2点しんにょうのものが印刷標準字体となっており、2004年(平成16年)のJIS X 0213改正でも例示字形が印刷標準字体に整合するように改正されている。字体を検討する上で注意を要する。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "当用漢字制定による熟語の「交ぜ書き」「書き換え」表記については、使用が強制されていたわけではなく、随筆や小説などの文学作品ではほとんど用いられていなかった。しかし新聞社や通信社、放送局などの報道機関は、日本新聞協会の取り決めなどにより、熟語の「交ぜ書き」「書き換え」による代用表記を多用した。新聞社が交ぜ書き表記を使用する主な理由としては、活版印刷ではルビ(振り仮名)を振ると組版コストが増大するため、漢字制限がコスト低減に役立つという理由があった。また、新聞各社は当用漢字の実施と同時にルビを廃止している。漢字の字数も読みも制限されていれば振り仮名は不要という考えからである。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "そのため、新聞やテレビなどのニュース報道では「けん銃」「だ捕」「ら致」「破たん」「補てん」などと交ぜ書きの表記が多用されていた。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "しかし、「交ぜ書き」は日本語として成立しにくい事や不評がある事により、日本新聞協会加盟社の用語担当者からなる集まりで、新聞紙上における用字用語について懇談する「新聞用語懇談会」では2000年(平成12年)12月の『表外漢字字体表』の答申と前後して、交ぜ書きの減少を検討した。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "その後刊行された『記者ハンドブック 新聞用字用語集』では使用する漢字が増やされる傾向にある。それまでは交ぜ書きにされていた「危惧(きぐ)」、「蜂起」、「冥福」などが漢字で表記されるようになった。また、ルビを復活させた新聞もある。この傾向は新聞以外のマスメディアでも同様であり、公共放送のNHKでも『NHK新用字用語辞典』において、交ぜ書きを減らしている。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2020年代に入って新型コロナウイルスの「まん延(蔓延)」や、電力需給ひっ迫警報の「ひっ迫(逼迫)」といった用語が頻出するようになったため、交ぜ書きを減少すべきか再び議論になっている。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "児童文学・小学校教科書の世界では強い漢字制限がかけられており、習っていない漢字は見せない、書かないという教育が続いているが、むしろルビを使うべきでありマンガやゲームのほうがよほど漢字の勉強になるという批判もある。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "表外漢字字体表は、一部においてJIS漢字の例示字形とはなはだしい異同があったが、2004年(平成16年)にJIS X 0213が改正され、例示字形を表外漢字字体表に整合させた。これによりコンピュータについても、印刷標準字体に沿った字形を標準とする環境に移行しつつある。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "2007年(平成19年)には各種オペレーティングシステムで使われるフォントが相次いでJIS X 0213:2004例示字形に対応した。マイクロソフトが発売したWindows Vistaでは、標準搭載日本語フォント(メイリオ・MS ゴシック・MS 明朝)の字形をJIS X 0213:2004の例示字形とした。Vistaと後継のWindows 7には、旧来の字形を採用した「JIS90 互換 MS ゴシック・明朝フォントパッケージ」が用意されている。Appleは、Mac OS X v10.5発売に際して、JIS X 0213:2004の例示字形を標準とした日本語フォントヒラギノ ProN/StdNを新たに追加した。引き続き従来のヒラギノ Pro/Stdも附属する。情報処理推進機構は、無償公開しているIPAフォントの字形をVer.2からJIS X 0213:2004準拠とした。IPAフォントはLinuxなどオープンソースソフトウェアを含めプラットフォームを問わず誰でも無償で利用できる公共フォントと位置付けられている。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "上記、JIS X 0213:2004の改正と前後して、法務省が2004年(平成16年)に行った人名用漢字の変更(追加等)も、おおむね印刷標準字体によって行われた(「芦」「阪」「堺」など例外もある)。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "2010年(平成22年)に常用漢字が改定された。特徴としては、漢字の廃止や節減という動きと決別するように多くの漢字が追加されたことが挙げられる。一般名詞や代名詞などで幅広く使われていた漢字のみならず、前述の交ぜ書きを防ぐための漢字も追加された。また実生活上では初等教育から読み書きする必要があるにもかかわらず、これまで含まれていなかった都道府県名などに使われる漢字が追加された。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "なお、新潟県の「潟」は1981年にすでに常用漢字に追加されている。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "字形については、前述の表外漢字字体表の字形を参照し、JIS X 0213:2004の例示字形に合わせた文字を追加した。", "title": "日本における主な政策の歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "在来の国語学においては、明治以来の国語国字問題の種々の論議を学問的領域から尽く除外するものもあれば、領域の一種として音声論や文法論と同列に位置づけて取り扱ったり、「知識の応用部面」として国語学の延長のごとく取り扱ったりなど、利用の仕方は様々であった。そのような中で「国語国字問題を対象とすべき」と明確に位置づけたのが時枝誠記である。時枝の立論は「言語は個人の実践的表現行為ないし理解行為そのものである」とする言語過程説の立場からなされているが、従来の国語学における研究方法に対して反省を促しているともいえるので、どのような立場から論じるにせよ、日本語学者は国語国字問題について無関心でいるわけにはいかない。", "title": "日本語学との関係" } ]
国語国字問題(こくごこくじもんだい)とは、日常で使用する言語・文字をいかに改良し、いかに定めるべきであるかについての問題である。本項では、国語としての日本語の表記法である漢字仮名交じり文とそれを構成する漢字、仮名遣いの在り方、改変に関わる近現代の言語政策(公的決定)など、表記をめぐって議論となる事柄について、第二次世界大戦後の「国語改革」以降のものを中心に取り上げる。
{{redirect|用字|Unicodeにおける用字|用字 (Unicode)}} {{特殊文字}} {{漢字}} {{複数の問題 |出典の明記=2020年12月 |観点=2020年12月 |独自研究=2020年12月 }} '''国語国字問題'''(こくごこくじもんだい)とは、日常で使用する[[言語]]・[[文字]]をいかに改良し、いかに定めるべきであるかについての問題である{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=561}}。本項では、[[国語]]としての[[日本語]]の表記法である[[仮名交じり文|漢字仮名交じり文]]とそれを構成する[[漢字]]、[[仮名遣い]]の在り方、改変に関わる近現代の[[言語政策]](公的決定)など、表記をめぐって[[議論]]となる事柄について、[[第二次世界大戦]]後の「国語改革」以降のものを中心に取り上げる。 == 日本における主な政策の歴史 == === 第二次世界大戦以前 === 国語国字問題は、言語の伝達において、何らかの抵抗や[[障害]]が意識されるところに発生し、[[外国語]]との比較による言語に対する文化的意義の自覚によって促進される。[[識字率]]引き上げや[[欧化主義]]、また逆に[[国粋主義]]などの様々な理由から、漢字の制限や表記の表音化について、[[明治]]時代から政府の内外で議論されていたのは、その好例である{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=561}}。それは「国語」の成立に大きく関係することであり、日本の近代化において必須不可避ともいえるものであった{{Sfnp|山東功|2017|p=61}}。 日本語の表記法として漢字を用いることの是非は、少なくとも[[江戸時代]]中期における[[国学]]の勃興以来、議論の対象となってきた。[[新井白石]]は、宣教師[[シドッティ]]の取り調べで、西洋の文字の少なさに感心した<ref>[http://www.kanamozi.org/hikari701-12et.html 国語国字問題講座] [[カナモジカイ]]</ref>。 漢字廃止論の先駆けとしてしばしば言及されるのが、[[1866年]]([[慶応]]2年)、[[前島密|前島来輔(密)]]が、時の将軍[[徳川慶喜]]に提出した「[[漢字御廃止之議]]」と呼ばれる建白書(報告・提言)である{{Sfnp|加藤彰彦|1961|pp=586}}。その趣旨は「漢字の習得は非効率であるため、漢字を廃止すべきである」というものであった{{Efn2|この建白書の存在をめぐっては、否定的にみる見解や指摘が示され、その再検討を試みたものに{{Harvp|阿久澤佳之|2009}}がある。}}。 後の文部大臣[[森有礼]]は1872年 - 1873年に日本における日本語使用を[[英語]]に切り換えることを論じたとされた{{Efn2|ただし正確には「ローマ字推進と簡易英語を通じた日本語への近代的語彙の導入を指したもの」であったことが、後の研究により明らかになった{{Sfnp|臼井裕之|2007|p=60}}。}}。[[北一輝]]は英語と日本語の両方を敵視し、「合理的」な[[エスペラント]]の導入を提案した{{Sfnp|臼井裕之|2007|pp=61-69}}。 漢字廃止論・制限論については他に、次のような論者が知られる{{Sfnp|加藤彰彦|1961|pp=563-567}}{{Sfnp|山東功|2017|pp=62-64}}。 * [[賀茂真淵]]『[[国意考]]』 ** 漢字の数の多さを批判し、仮名は[[アルファベット]]と似て表音文字であるため便利だと論じた。[[仏典]]が50文字からなる語で書かれていること、[[オランダ語]]は25文字しか用いないことなどを引き合いに出した。 * [[本居宣長]]『[[玉勝間]]』 * [[福澤諭吉]]『[[文字之教]]』及び[[文字之教端書]] 1873年(明治6年) ** 漢字制限論。 * [[西周 (啓蒙家)|西周]]『洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論』([[ローマ字]]推進) * [[近藤真琴]] * [[末松謙澄]]『日本文章論』(明治19年) * [[上田万年]]『国語のため』 * [[南部義籌]](ローマ字推進) * [[馬場辰猪]]『日本語文典』 * [[上野陽一]]『教育能率の根本問題』1930年(昭和5年) {{see also|言文一致運動}} [[1900年]]([[明治]]33年)、感動詞や字音語の長音を[[長音符]]「ー」で書き表す「棒引き仮名遣い」を小学校教科書で用いることが{{Efn2|例えば[[字音仮名遣]]では「かうちやう」となる「校長」は、これに従うと「こーちょー」と表記する。}}、小学校令施行規則に定められた{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=569}}。国語施策や国語教育によって国語国字の改良を行ったのである。しかし、あまり世評がよくなかったので、文部省は[[1908年]](明治41年)に臨時仮名遣調査委員会を設置し、新たな改定案として「字音仮名遣は全て表音式にする」「国語仮名遣は活用語尾と助詞だけそのままで、その他は表音式にする」というものを出したが、結論らしい結論を得ないまま廃止された{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=569}}。 臨時国語調査会(のちの[[国語審議会]]の前身)が設置され、[[1922年]]([[大正]]11年)11月に常用漢字1962字を選定し可決(戦後の[[当用漢字]]表を経て現在の[[常用漢字]]に至る)、[[1923年]](大正12年)12月には仮名遣改定案を可決([[現代仮名遣い]]の原型となる){{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=570}}。 漢字の使用を制限する動きとしては、[[1940年]]に[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]が「兵器名称用制限漢字表」を決定し、[[大日本帝国陸軍兵器一覧|兵器]]の名に使える漢字を1235字に制限した。 また[[1942年]]には[[国語審議会]]が、各省庁および一般社会で使用する漢字の標準を示した合計2528字の「標準漢字表」を答申している<ref>{{Cite web|和書|title=人名用漢字の新字旧字:「鉄」と「鐵」 |url=http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2011/02/24/tetsu/|accessdate=2019-5-8 | publisher=[[三省堂国語辞典]] }}</ref>。 === 戦後の国語改革 === [[第二次世界大戦]]後の一時期には、漢字使用を制限し、日本語表記を単純化しようとする動きが強まった。 [[1946年]](昭和21年)3月、[[連合国軍最高司令官総司令部|連合国軍総司令部]] (GHQ/SCAP) が招いた第一次アメリカ教育使節団が3月31日に[[アメリカ教育使節団報告書#第一次教育使節団報告書|第一次アメリカ教育使節団報告書]]を提出、[[学校教育#日本の学校教育|学校教育]]における漢字の弊害と[[ローマ字]]の便を指摘した([[ローマ字論]]も参照)。 同年4月、[[志賀直哉]]は雑誌『[[改造 (雑誌)|改造]]』に「国語問題」を発表し、「日本語を廃止し、世界で一番美しい言語である[[フランス語]]を採用することにしたらどうか」という趣旨の提案をした。また1945年11月12日、読売報知(今の[[読売新聞]])は「漢字を廃止せよ」と題した[[社説]]を掲載した{{Sfnp|安田敏朗|2016|pp=369-374}}。 当時の[[国語審議会]]委員にも、日本語改革論者が多数就任し、[[日本における漢字|漢字]]廃止やローマ字化など極論は見送られたものの、彼らが関与した「国語改革」が[[戦後#第二次世界大戦後|戦後]]の[[日本語]]に与えた影響は大きい。こうした動きを背景として、[[戦前#日本|戦前]]から温められてきた常用漢字や仮名遣改定案を流用・修正した上で[[当用漢字]]と[[現代仮名遣い|現代かなづかい]]が制定された{{Sfnp|加藤彰彦|1961|pp=571-572}}。 なお、同様の漢字簡略化の動きは、[[識字率]]の向上に取り組んでいた中国においても見られ、[[中華人民共和国]]成立後全ての文字表記を[[ピン音]]とする動きもあったが、最終的には[[簡体字]]が導入された。 ==== 当用漢字表 ==== {{Main|当用漢字}} [[当用漢字]]とは、狭義には[[1946年]](昭和21年)[[11月16日]]に内閣から[[告示]]された「当用漢字表」に掲載された1850字の漢字を指し、広義にはそれに関連したいくつかの告示を総称する{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=571}}。当用漢字表においては、日常使用しないとされた漢字は使用が制限され、公用文書や一般社会で使用する漢字の範囲が示された{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=571}}。 従来は複雑かつ多様であった[[字体]]の簡素化も一部の文字で行われ、[[新字体|新字]]・[[新かな]]が制定された。[[新字体]](新字)制定においては、漢字の構成要素ごとに体系的に変更を行う方式は採らず、慣用を参考に個別の文字を部分的に簡略化するのみにとどめた。 なお、当用漢字表では漢字の読みも制限したが、当初の当用漢字音訓表は「魚」の読みを「ギョ」と「うお」に制限し「さかな」の読みが認められなくなるなどの不合理が散見されたことで、[[1972年]](昭和47年)6月28日に改定されている。 ===== 熟語の交ぜ書き・書き換え ===== 熟語を漢字と平仮名で表記する「[[当用漢字#交ぜ書き|交ぜ書き]]」の問題も、当用漢字表に端を発する。同表によれば、当用漢字で書けない言葉は言い換えて表現することになっていたが、実際には漢字を仮名で書いただけで元の言葉が使われ続け、漢字と仮名の「交ぜ書き」が多数生ずることとなった。顕著な例としては「改ざん」「けん引」「ばい煙」「漏えい」などがある(「交ぜ書き」せずに全て漢字で表記した場合はそれぞれ「改'''竄'''」「'''牽'''引」「'''煤'''煙」「漏'''洩'''」〈ろうせつ<small>=漏泄</small>〉となる)。 なお、交ぜ書きは「[[牽引自動車|けん引免許]]」など[[官公庁]]の用語として残っている場合もある<ref>[https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/menkyo/menkyo/annai/kenin/index.html けん引免許試験] [[警視庁]]公式サイト、2020年12月19日閲覧。</ref>。 [[国語審議会]]は[[1956年]](昭和31年)[[7月5日]]、当用漢字の適用を円滑にするためとして、当用漢字表にない漢字を含む漢語を同音の別字(異体字関係にあるものを含む)に書き換えてもよいとして「[[同音の漢字による書きかえ]]」として報告した。 従来は複数の表記が存在した熟語を一本化する方向で例示したものには、次のようなものがある(括弧内が当用漢字表にない漢字を含む書き方)。 * 注文(註文) * 遺跡(遺蹟) - 「本'''跡'''」のように、'''迹'''から'''跡'''に書き換えるものもある。 * 更生(甦生: 本来の読みは「そせい」→蘇生)- 表記の似た[[同音異義語]]に「更'''正'''」がある。 * 知恵(智慧) * 略奪(掠奪) * 妨害(妨碍、妨礙)- 「障害」も類似例であるが、近年は逆に「害」の文字が[[差別用語|差別的]]であるなどとして「障碍者」の表記が復活する例もある。 * 意向(意嚮) * 講和(媾和) * 格闘(挌闘) * 書簡(書翰) 一般には複数の書き方があったものの、[[専門用語]]として当用漢字表にない漢字を含む書き方をしていたものについて、当用漢字表内の漢字に書き換えることを認めたものには、次のようなものがある(括弧内が当用漢字表実施以前の書き方)。 * 骨格(骨骼) :医学用語 * 奇形(畸形) :医学用語 本来その語においては使われることのなかった当用漢字表内の漢字に書き換えることを認めたものには、次のようなものがある(括弧内が当用漢字表実施以前の書き方)。 * 防御(防禦) * 扇動(煽動) * 英知(叡智) * 混交(混淆) * 激高(激昂) これらの「交ぜ書き」「書き換え」には、熟語本来の意味が不明瞭になるという問題点がある。漢字は「音」と「意」で成り立っており、熟語はそれを組み合わせて意味を表したものである。例えば「破綻」を「破たん」と交ぜ書きすると、本来は「破れ綻(ほころ)びる」という意味だが、平仮名の「たん」では意味が不明瞭になる。また「沈澱」から「沈殿」への書き換えでは、本来は「澱(おり)が沈む」という意味だが、「沈殿」では「[[殿]]が沈む」と意味が不明瞭になる。「煽動」から「扇動」への書き換えに至っては、「煽り動かす」から「扇を動かす」と全く異なる意味になってしまう。「書き換え」の中には支障の少ないものもあるが(「掩護」→「援護」など)、ただ単に漢字の音を[[仮借]]しただけのものも多々ある。 {{誰範囲2|こうしたことから、「交ぜ書き」「書き換え」は、「熟語の成り立ちを破棄し、日本語文化を破壊した」、「行き過ぎた合理主義により[[日本語の乱れ]]を認めてしまった」などと批判されることがある。|date=2020-12-19}} ==== 当用漢字別表と人名用漢字別表 ==== {{Main|教育漢字|人名用漢字}} 当用漢字のうち881字は、[[小学校]]教育期間中に習得すべき漢字として、[[1948年]](昭和23年)2月16日に当用漢字別表という形でまとめられた。いわゆる「[[教育漢字]]」である。 人名については、同1948年(昭和23年)施行の[[戸籍法]]第50条には「子の名には、常用平易な文字を用いなければならない」とある。この範囲は当初は[[法務省]]令によって平仮名、片仮名、当用漢字であるとされており、当用漢字以外の漢字は[[新生児]]の[[戸籍]]の届出の際に使用することができなかった。[[1951年]](昭和26年)には[[人名用漢字別表]]として92字を内閣から告示され、当用漢字外の漢字も一部認められることになった。 この人名用漢字別表は、数度の改定を経て[[1997年]](平成9年)には285字を含むものとなった。[[札幌高等裁判所]]において、「常用平易な文字」であるのに人名用漢字別表に含まれないために子供の名として使用できなかったことを不服とした裁判で訴えが認められた<ref>{{Cite web|和書|url=http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2008/11/06/so/ |title=人名用漢字の新字旧字:「曽」と「曾」|accessdate=2014-10-09 |publisher=Sanseido Word-Wise Web}}</ref>ことも要因の一つか、[[2004年]](平成16年)[[9月27日]]付で488文字が追加された。当初は578文字の追加が見込まれていたが、世論を受けて人名にふさわしくない漢字(怨・痔・屍など)が削除された。 ==== 漢字廃止批判と漢字仮名交じり前提論 ==== {{誰範囲2|当用漢字は、漢字全廃を目的としたものとしてしばしば批判されている。|date=2020-12-19}} [[1958年]](昭和33年)から雑誌『聲』に連載された『[[私の國語敎室]]』で[[福田恆存]]は、すでに漢字制限は不可能であることが明らかになっていると指摘した。[[1961年]](昭和36年)には表音主義者が多数を占め、毎回同じ委員が選出される構造となっていた[[国語審議会]]の総会から、[[舟橋聖一]]、[[塩田良平]]、[[宇野精一]]、[[山岸徳平]]ら、改革反対派の委員が退場する事件となった。 [[1962年]](昭和37年)、国語審議会の委員に選出された[[吉田富三]]は、審議する立場を「国語は、[[仮名交じり文|漢字仮名交り]]を以て、その表記の正則とする。国語審議会は、この前提の下に、国語の改善を審議するものである」と規定することを提案した。 [[1965年]](昭和40年)、[[森戸辰男]]・国語審議会会長は記者会見で、「漢字仮名交じり文が審議の前提。漢字全廃は考えられない」と述べた。 [[1966年]](昭和41年)、総会の際[[中村梅吉]]・[[文部大臣]]は「当然のことながら国語の表記は、漢字仮名交じり文によることを前提と」すると挨拶した。 ==== 現代かなづかい・現代仮名遣い ==== {{Main|歴史的仮名遣|現代仮名遣い}} [[歴史的仮名遣]]を基に、1946年(昭和21年)11月16日に告示され現代の音韻に基づいて改変したのが「[[現代仮名遣い|現代かなづかい]]」である{{Sfnp|加藤彰彦|1961|pp=571-572}}。 「現代かなづかい」はもともと、表音式仮名遣いへ移行するまでの繋ぎとして考えられていた。しかし仮名遣いの完全な表音化は不可能であり、「現代かなづかい」はそのまま定着した。[[1986年]](昭和61年)7月1日に内閣から告示された「[[現代仮名遣い]]」はそうした状況の追認であるといえる。従って、現在の「現代仮名遣い」は中途半端な形のまま、さまざまな矛盾を抱えている。 * [[助詞]]の「[[は]]」「[[へ]]」「[[を]]」においては、発音と表記文字が異なり、歴史的仮名遣いの原則が維持されている。 * [[和語]]においては、「[[鼻血]]」は「はな」と「[[ち]]」の合成語であるので形態素を意識した「はな'''ぢ'''」と表記する。 * [[漢語]]においては、すべて「[[じ]]」「[[ず]]」を用い、「[[ぢ]]」「[[づ]]」は用いない。「融通」を「ゆう'''ず'''う」と表記するのもそのためである。また「地面」を「'''じ'''めん」とするのが正則なのは、「地」は元々濁った「ヂ」(これは呉音、漢音はチ)の音読みを持っていたが、漢語の「ぢ、づ」はすべて「じ、ず」に書き換えることになっているからで、「地(ち)」が[[連濁]]しているわけではない。 === 常用漢字とJIS === {{出典の明記|section=1|date=2020-12-19}} ==== 当用漢字から常用漢字へ ==== {{Main|常用漢字}} [[常用漢字]]は、[[1981年]](昭和56年)に[[内閣 (日本)|内閣]]から告示された漢字表に掲載された漢字1945字([[常用漢字一覧]]参照)を指す。当用漢字表を基に制定されたものであるが、常用漢字は、当用漢字と比べて制限の緩い「目安」という位置付けになっている。 漢字をめぐるこうした政府の動きと前後して、[[日本産業規格|JIS規格]]も、[[コンピュータ]]などで用いる漢字について、その漢字の種類([[文字集合]])と、各漢字をデータとして処理する際の数値表現([[文字コード]])の規格を独自に定める試みを続けてきた。 このうち、前者「文字集合」は常用漢字などと同じく、おびただしい数の漢字の中から一定数の漢字を取り出したもので、俗に「JIS漢字」と呼ばれる。[[2012年]](平成24年)までに4回の改正が行われている。 最初のものは[[1978年]](昭和53年)に[[JIS X 0208|JIS C 6226-1978]]で指定された6802字の文字群である。この規格は「78JIS」などと呼ばれる。[[1983年]](昭和58年)には常用漢字の制定を受けて、JIS C 6226 の大幅改正が行われ、6877字の文字(非漢字を含む)が指定された。「83JIS」などと呼ばれる。[[1987年]](昭和62年)に「JIS X 0208」と改称され、[[1990年]](平成2年)には細かい例示字形変更と2字の追加が行われた。以降、[[1997年]](平成9年)と[[2010年]](平成12年)にもJIS X 0208の細かい改定が行われたが、これは直接「文字集合」の変更をするものではなかった。(以上の内容については[[JIS X 0208]]に詳しい) 83JISへの移行によって、300字近くもの例示字形が変更された。78JIS準拠の機器で作成された文書が、83JIS移行のJIS準拠の機器で字体が変わってしまうといった問題が指摘された。特に問題とされたのは伝統的字体(いわゆる[[康熙字典]]体)から簡略字体に変更されたものであった。78JISで「{{JIS2004フォント|鷗、蠟}}」と示された文字が「鴎、蝋」となり、前者の字形は83JIS以降のJIS X 0208の範囲では事実上扱えなくなった。檜と桧、藪と薮など22組の[[符号点|符号位置]]が交換された。 JISの文字集合では、「[[JIS X 0208#漢字の字体の包摂|包摂]]」の考え方によって新旧の字体を区別せず、一つの文字として扱っているものがあり、両者を区別したい場合にも区別できないという問題がある。その一方、「剣」「劒」「劍」や「鉄」「鐵」「銕」「鐡」のように、異体字にそれぞれ割り当てられている字もある。 ==== 表外漢字字体表 ==== {{wiktionary|Wiktionary:表外漢字字体表の漢字一覧}} 表外漢字字体表の漢字一覧については、別項目「[[表外漢字字体表の漢字一覧]]」を参照のこと。 [[1980年代]](昭和55年 - 平成元年)半ば以降、[[かな漢字変換]]を実現した[[ワードプロセッサ]]や[[コンピュータ]]といった情報機器の普及は、それまで専ら手書きに頼っていた日本語の記述に大きな変化をもたらした。手書きと違って情報機器の漢字変換機能においては、画数の少ない漢字も多い漢字も記す手間は同じであり、使用者がその文字を知っていれば使えるようになった。例えば「驚愕」「愕然」「吃驚」「仰天」「びっくり」のいずれも、情報機器で記す手間は手書きほどの違いはない。それにより常用漢字外の漢字の使用環境が改善され、それまで減少の一途をたどっていた漢字の使用率が平衡あるいは増加に転じるようになった。 常用漢字表に示される簡略化された字体を、常用漢字表外の漢字に適用するかどうか、国語審議会答申の常用漢字表前文では「当面、特定の方向を示さず、各分野における慎重な検討にまつこととした」<ref>{{Cite web|和書|title=各期国語審議会の記録 {{!}} 第22期 {{!}} 表外漢字字体表 {{!}} 前文 {{!}} 表外漢字の字体問題に関する基本的な認識 {{!}} 従来の漢字施策と表外漢字の字体問題|url=https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/22/tosin03/02.html|accessdate=2021-07-19|publisher=文化庁}}</ref>とし、国語審議会としての判断を保留した。前述の「83JIS」は簡略字体を常用漢字表外の漢字へと拡張しており([[拡張新字体]])、一般の書籍における漢字字体と情報機器の出力字体との間で乖離を生んでいた。また一部には「83JIS」の字体を積極的に採用する動きも出版界にあった。 このため、常用漢字表外の漢字字体に混乱が生じているとして、[[国語審議会]]が「字体選択のよりどころ」として一定の方針を示すことになったのが、「表外漢字字体表」([[2000年]](平成12年)12月最終答申)である<ref>{{Cite web|和書|title=各期国語審議会の記録 {{!}} 第22期 {{!}} 表外漢字字体表 {{!}} はじめに|url=https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/22/tosin03/01.html|accessdate=2021-07-19|publisher=文化庁}}</ref>。 表外漢字字体表では、実際の印刷物に使われている表外漢字を調査した結果、表外漢字の代表的なものとして'''1022字'''を挙げ、それらについておおむねいわゆる[[康熙字典]]体に準じた「'''印刷標準字体'''」を示した。うち'''22字'''については俗字体・略字体等を「'''簡易慣用字体'''」とし、[[示部|示偏]]・[[食部|食偏]]・[[辵部|之繞]](しんにょう)の略字体(礻・飠・{{拡張漢字|部首|⻌}})を許容字体とした('''3部首許容''')が、常用漢字表外の漢字については、伝統的な字体({{拡張漢字|部首|⺬}}・{{拡張漢字|B|&#x2967F;}}・{{拡張漢字|部首|⻍}})を本則とする方針が示された。 表外漢字字体表では、常用漢字のほかに[[2000年]](平成12年)時点での人名用漢字についても対象外となっており、その時点の人名用漢字別表の字体を標準とすることになっている。また、[[1990年]](平成2年)に人名用漢字に追加された「(つくりの者に点がない)曙」や「(1点しんにょう〈{{拡張漢字|部首|&#x2ECC;}}〉の)蓮」についても同じ理由でそのままの字体が標準となり、「(つくりの者に点がある){{lang|ko|曙}}」や「(2点しんにょう〈{{拡張漢字|部首|&#x2ECD;}}〉の){{lang|ko|蓮}}」は標準とはなっていない。これらの漢字は[[2004年]](平成16年)の[[JIS X 0213]]改正でもそのままになっている。一方、[[2004年]](平成16年)に人名用漢字に追加された「{{JIS2004フォント|堵}}」や「{{JIS2004フォント|逢}}」は表外漢字字体表の対象となっている漢字なので、それぞれつくりが者の中に点があるものと2点しんにょうのものが印刷標準字体となっており、2004年(平成16年)のJIS X 0213改正でも例示字形が印刷標準字体に整合するように改正されている。字体を検討する上で注意を要する。 ==== マスメディアにおける熟語の交ぜ書き・書き換えの減少 ==== 当用漢字制定による熟語の「交ぜ書き」「書き換え」表記については、使用が強制されていたわけではなく、[[随筆]]や[[小説]]などの[[文学]]作品ではほとんど用いられていなかった。しかし[[新聞社]]や[[通信社]]、[[放送局]]などの[[報道機関]]は、[[日本新聞協会]]の取り決めなどにより、熟語の「交ぜ書き」「書き換え」による代用表記を多用した。新聞社が交ぜ書き表記を使用する主な理由としては、[[活版印刷]]では[[ルビ]](振り仮名)を振ると[[組版]]コストが増大するため、漢字制限がコスト低減に役立つという理由があった。また、新聞各社は当用漢字の実施と同時にルビを廃止している。漢字の字数も読みも制限されていれば[[振り仮名]]は不要という考えからである。 そのため、新聞やテレビなどの[[ニュース]]報道では「けん銃」「だ捕」「ら致」「破たん」「補てん」などと交ぜ書きの表記が多用されていた<ref>[https://mainichi-kotoba.jp/blog-20191019 交ぜ書き、漢字制限…新聞の用語原則はどう決まったか 毎日ことば]</ref>。 しかし、「交ぜ書き」は日本語として成立しにくい事や不評がある事により、日本新聞協会加盟社の用語担当者からなる集まりで、新聞紙上における用字用語について懇談する「新聞用語懇談会」では2000年(平成12年)12月の『[[表外漢字字体表]]』の答申と前後して、交ぜ書きの減少を検討した。 その後刊行された『記者ハンドブック 新聞用字用語集』では使用する漢字が増やされる傾向にある。それまでは交ぜ書きにされていた「危'''惧'''(きぐ)」、「'''蜂'''起」、「'''冥'''福」などが漢字で表記されるようになった。また、[[ルビ]]を復活させた新聞もある。この傾向は[[日本の新聞|新聞]]以外の[[マスメディア]]でも同様であり、[[公共放送]]の[[日本放送協会|NHK]]でも『NHK新用字用語辞典』において、交ぜ書きを減らしている。 2020年代に入って[[コロナ禍|新型コロナウイルス]]の「まん延(蔓延)」や、[[電力需給ひっ迫警報]]の「ひっ迫(逼迫)」といった用語が頻出するようになったため、交ぜ書きを減少すべきか再び議論になっている<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASP855WRQP7WUPQJ007.html まん延・ひっ迫…気になる交ぜ書き 難読漢字ダメですか:朝日新聞デジタル]</ref>。 [[児童文学]]・小学校[[教科書]]の世界では強い漢字制限がかけられており、習っていない漢字は見せない、書かないという教育が続いているが、むしろ[[ルビ]]を使うべきでありマンガやゲームのほうがよほど漢字の勉強になるという批判もある<ref>[[矢玉四郎]]「[http://butagoya.o.oo7.jp/mazegaki.htm まぜがきをなくそう]」「[http://butagoya.o.oo7.jp/gaki.htm#kodomo 子ども教の信者は目をさましましょう]」</ref>。 {{See also|新聞常用漢字表}} ==== JIS X 0213:2004 ==== 表外漢字字体表は、一部においてJIS漢字の例示字形とはなはだしい異同があったが、[[2004年]](平成16年)に[[JIS X 0213]]が改正され、例示字形を表外漢字字体表に整合させた。これによりコンピュータについても、印刷標準字体に沿った字形を標準とする環境に移行しつつある。 [[2007年]](平成19年)には各種[[オペレーティングシステム]]で使われるフォントが相次いでJIS X 0213:2004例示字形に対応した。[[マイクロソフト]]が発売した[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]では、標準搭載日本語フォント([[メイリオ]]・[[MS ゴシック]]・[[MS 明朝]])の字形をJIS X 0213:2004の例示字形とした。Vistaと後継の[[Microsoft Windows 7|Windows 7]]には、旧来の字形を採用した「JIS90 互換 MS ゴシック・明朝フォントパッケージ」が用意されている。[[Apple]]は、[[Mac OS X v10.5]]発売に際して、JIS X 0213:2004の例示字形を標準とした日本語フォント[[ヒラギノ]] ProN/StdNを新たに追加した。引き続き従来のヒラギノ Pro/Stdも附属する。[[情報処理推進機構]]は、無償公開している[[IPAフォント]]の字形をVer.2からJIS X 0213:2004準拠とした。IPAフォントは[[Linux]]など[[オープンソース]]ソフトウェアを含め[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]を問わず誰でも無償で利用できる公共フォントと位置付けられている。 ==== 2004年の人名漢字追加 ==== 上記、JIS X 0213:2004の改正と前後して、[[法務省]]が2004年(平成16年)に行った[[人名用漢字]]の変更(追加等)も、おおむね印刷標準字体によって行われた(「芦」「阪」「堺」など例外もある)。 ==== 2010年の常用漢字改定 ==== [[2010年]](平成22年)に常用漢字が改定された。特徴としては、漢字の廃止や節減という動きと決別するように多くの漢字が追加されたことが挙げられる。一般名詞や[[代名詞]]などで幅広く使われていた漢字のみならず、前述の交ぜ書きを防ぐための漢字も追加された。また実生活上では[[初等教育]]から読み書きする必要があるにもかかわらず、これまで含まれていなかった[[都道府県]]名などに使われる漢字が追加された。 なお、[[新潟県]]の「潟」は1981年にすでに常用漢字に追加されている<ref>[https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kanji_genzai221 コラム 漢字の現在 第221回 新潟の「潟」の略字の今] [[三省堂W]] WORD-WISE WEB 辞書ウェブ編集部によることばの壺、2020年12月19日閲覧。</ref>。 字形については、前述の表外漢字字体表の字形を参照し、JIS X 0213:2004の例示字形に合わせた文字を追加した。 == 日本語学との関係 == 在来の[[日本語学|国語学]]においては、明治以来の国語国字問題の種々の論議を学問的領域から尽く除外するものもあれば、領域の一種として音声論や文法論と同列に位置づけて取り扱ったり、「知識の応用部面」として国語学の延長のごとく取り扱ったりなど、利用の仕方は様々であった{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=561}}。そのような中で「国語国字問題を対象とすべき」と明確に位置づけたのが[[時枝誠記]]である{{Efn2|例えば{{Harvp|時枝誠記|1949}}などにおいて、「言語の実践に関する議論であるならば、それは他の言語現象と共に、それ自体が国語学の対象とならなければならない」「国語における音声や文字や文法が国語学の対象となるのと同じように、国語の主体的意識の問題として考察の対象となる」と述べている{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=562}}。}}。時枝の立論は「言語は個人の実践的表現行為ないし理解行為そのものである」とする[[言語過程説]]の立場からなされているが、従来の国語学における研究方法に対して反省を促しているともいえるので{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=585}}、どのような立場から論じるにせよ、[[日本語学者]]は国語国字問題について無関心でいるわけにはいかない{{Sfnp|加藤彰彦|1961|p=562}}。 == 関連団体 == * [http://www.age.ne.jp/x/nrs/ 公益財団法人日本のローマ字社] * {{ウェブアーカイブ |deadlink= yes |title= 公益財団法人日本ローマ字会 |url= http://www.roomazi.org/{{リンク切れ|date=2023年5月}} |archiveurl= https://web.archive.org/web/20220116213349/http://www.roomazi.org/ |archiveservice= [[ウェイバックマシン]] |archivedate= 2022-01-16 }} * 財団法人[[カナモジカイ]]([http://www.kanamozi.org/ 公式サイト]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|20em}} == 参考文献 == ;図書 *{{Cite book|和書|author=[[時枝誠記]]|title=國語問題と國語教育|date=1949-11|publisher=中教出版|ref=harv}}(増訂版、1961年10月) *{{Cite book|和書|author=[[安田敏朗]]|title=漢字廃止の思想史|date=2016-04|publisher=[[平凡社]]|isbn=9784582833126|ref=harv}} ;論文 *{{Cite book|和書|author=[[加藤彰彦]]|chapter=国語国字問題の歴史|editor=[[佐伯梅友]]・[[中田祝夫]]・[[林大]]|title=国語国文学研究史大成15:国語学|date=1961-02|publisher=[[三省堂]]|pages=561-616|isbn=|ref=harv}}(増補版、1978年7月) *{{Cite journal|和書|author=[[臼井裕之]]|title=北一輝の〈エスペラント採用論〉に見る近代日本の〈英語問題〉〈国語問題〉|url=https://doi.org/10.20698/sce.20.0_59|journal=スピーチ・コミュニケーション教育|volume=20|publisher=[[日本コミュニケーション学会]]|date=2007-03|pages=59-79|ref=harv}} *{{Cite journal|和書|author=方光鋭|url=https://doi.org/10.18999/isslc.10.181 |title=明治期における国語国字問題と日本人の漢学観|journal=言葉と文化 |volume=10|publisher=名古屋大学大学院国際言語文化研究科日本言語文化専攻|date=2009-03|pages=181-196|ref=harv}} *{{Cite journal|和書|author=阿久澤佳之|title=前島来輔『漢字御廃止之議』の成立問題|journal=日本近代語研究|issue=5|publisher=[[ひつじ書房]]|date=2009-10|pages=37-54|ref=harv}} *{{Cite journal|和書|author=山東功|title=国語国字問題の議論|journal=[[日本語学 (雑誌)|日本語学]]|volume=36|issue=12|publisher=[[明治書院]]|date=2017-11|pages=60-68|ref=harv}} === 関連文献 === *[[福田恆存]] 『[[私の國語敎室]]』[[新潮社]]、1960年([[新潮文庫]]、1961年/[[中公文庫]]、1983年。{{ISBN|4122010128}}/[[文春文庫]]、[[2002年]]。{{ISBN|9784167258061}}) *[[鈴木康之]]編 『国語国字問題の理論』[[むぎ書房]]〈教育文庫〉 1977年。{{ISBN|9784838401086}} *[[高島俊男]] 『漢字と日本人』[[文藝春秋]]〈[[文春新書]]〉 2001年。{{ISBN|9784166601981}} *田部井文雄 『「完璧」はなぜ「完ぺき」と書くのか これでいいのか?交ぜ書き語』[[大修館書店]]、2006年。{{ISBN|9784469221794}} == 関連項目 == {{Wiktionary|Wiktionary:表外漢字字体表の漢字一覧}} *[[文部科学省]] *[[国語審議会]] *[[文字コード]] *[[ローマ字論]] *[[日本における漢字]] *[[漢字廃止論]] *[[カナモジカイ]] *[[朝日文字]] *[[山本有三]] *[[高倉輝]] - [[日本共産党]]内での国語国字改革運動を主導し、[[機関紙]]『赤旗』(現・『[[しんぶん赤旗]]』)の題字を片仮名の『アカハタ』とするきっかけを作った。 *[[公用文作成の要領]] *[[言語改革]] *[[正書法]] *[[同形異音語]] == 外部リンク == * [https://www.bunka.go.jp/seisaku/kokugo_nihongo/kokugo_shisaku/index.html 国語施策] 表記のよりどころ等([[文化庁]]) * [https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/03/bukai03/03.html 国語審議会報告「同音の漢字による書きかえ」] * [https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2611605/www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/kokugo/toushin/001218.htm 表外漢字字体表] - 国語審議会 (平成12年12月8日) * [http://www.kokugomondaikyo.sakura.ne.jp/ 國語問題協議會] * [https://www.aozora.gr.jp/kanji_table/ 漢字表一覧]([[青空文庫]]) * [http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/kanjibukuro/japan.html 日本の「漢字表」](京都大学人文科学研究所附属漢字情報研究センター・安岡孝一) * [http://www.horagai.com/www/moji/int/bunka.htm 常用漢字表と83改正に関する文化庁の見解](文芸批評家・[[加藤弘一]]) {{日本語}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こくここくしもんたい}} [[Category:日本の言語改革]] [[Category:文字コード]] [[Category:日本の漢字]] [[Category:日本語の歴史]]
2003-02-27T23:11:47Z
2023-12-20T13:09:51Z
false
false
false
[ "Template:Main", "Template:拡張漢字", "Template:Normdaten", "Template:特殊文字", "Template:Sfnp", "Template:Efn2", "Template:See also", "Template:日本語", "Template:複数の問題", "Template:Wiktionary", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite book", "Template:Lang", "Template:Notelist2", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Redirect", "Template:漢字", "Template:出典の明記", "Template:JIS2004フォント", "Template:Cite journal", "Template:誰範囲2", "Template:ウェブアーカイブ", "Template:ISBN" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%9B%BD%E5%AD%97%E5%95%8F%E9%A1%8C
3,007
品種
品種(ひんしゅ)とは、生物の種以下の生物集団の単位である。 日本語では、異なる意味を持つものが混在して「品種」と呼ばれうる。以下のものが挙げられる。 品種(ひんしゅ、ラテン語: forma フォールマ、英語: form フォーム、省略形: f.)は国際藻類・菌類・植物命名規約(ICN)によって定められた、種より下位の分類階級の一つ、および、その階級に属するタクソンである。専ら植物学のみで使われる。 自然(野生)状態で、形態などにおいてははっきりと区別できるものの、同じ地域の同種個体群とは生殖的に隔離されていない個体群を指す。多くの顕花植物に見られる白花品などはこのように扱われる。 ICNによる品種分類群の学名の例 栽培品種(英語: cultivar、園芸品種とも。また、単に品種と表記されることも多い)は、人にとって有用な植物に価値を付けて利用する際に用いる分類体系で、他のものと識別できる特性を安定して有し、かつ、その特性を保持したまま増殖可能な植物の集合のことで、植物学における分類階級の品種やタクソンとは全く異なる分類体系である。遺伝的に均一か否かは問わない。 栽培品種の命名法は国際栽培植物命名規約(英語版)(ICNCP)で定められている。 特定の種にとどまらず、雑種や接木キメラにも栽培品種名を付けることができる。 ICNCPによる栽培品種名の例 植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV条約)における植物品種(英語: Plant variety)は分類学上の品種や変種ではなく、栽培品種を法的に定義した語である。植物品種は次のように定義される。 種の中で、他の個体と区別できる、人為的に選抜された形質などの特徴が安定しており、それにより他と区別できる、もしくは産業上区別する意味の認められる個体群。クローン個体群も含まれる。品種内で遺伝的に斉一か雑ぱくかは問われない。農業(畜産も含む)上のハイブリッド品種など、ある品種同士の子孫が親と同じ品種とみなされないことも多い。 一般社会で使う場合、種と混同したりする例もある。たとえばシェパードやチワワは種ではなく犬の品種である。植物、動物、菌(キノコ)で認められる。細菌、酵母、カビなどでは系統と言われ、品種とはいわない。 ただし「variety」を「変種」とした場合は、動物分類学においては、種内のあらゆる変異型をさす多義的な概念。色彩多型・季節多型・栽培生物・飼養生物・亜種および非遺伝的な変異などがこれに含まれる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "品種(ひんしゅ)とは、生物の種以下の生物集団の単位である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本語では、異なる意味を持つものが混在して「品種」と呼ばれうる。以下のものが挙げられる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "品種(ひんしゅ、ラテン語: forma フォールマ、英語: form フォーム、省略形: f.)は国際藻類・菌類・植物命名規約(ICN)によって定められた、種より下位の分類階級の一つ、および、その階級に属するタクソンである。専ら植物学のみで使われる。", "title": "植物学における品種" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "自然(野生)状態で、形態などにおいてははっきりと区別できるものの、同じ地域の同種個体群とは生殖的に隔離されていない個体群を指す。多くの顕花植物に見られる白花品などはこのように扱われる。", "title": "植物学における品種" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ICNによる品種分類群の学名の例", "title": "植物学における品種" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "栽培品種(英語: cultivar、園芸品種とも。また、単に品種と表記されることも多い)は、人にとって有用な植物に価値を付けて利用する際に用いる分類体系で、他のものと識別できる特性を安定して有し、かつ、その特性を保持したまま増殖可能な植物の集合のことで、植物学における分類階級の品種やタクソンとは全く異なる分類体系である。遺伝的に均一か否かは問わない。", "title": "栽培品種" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "栽培品種の命名法は国際栽培植物命名規約(英語版)(ICNCP)で定められている。 特定の種にとどまらず、雑種や接木キメラにも栽培品種名を付けることができる。", "title": "栽培品種" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ICNCPによる栽培品種名の例", "title": "栽培品種" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV条約)における植物品種(英語: Plant variety)は分類学上の品種や変種ではなく、栽培品種を法的に定義した語である。植物品種は次のように定義される。", "title": "法律用語としての植物品種" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "種の中で、他の個体と区別できる、人為的に選抜された形質などの特徴が安定しており、それにより他と区別できる、もしくは産業上区別する意味の認められる個体群。クローン個体群も含まれる。品種内で遺伝的に斉一か雑ぱくかは問われない。農業(畜産も含む)上のハイブリッド品種など、ある品種同士の子孫が親と同じ品種とみなされないことも多い。", "title": "varietyの訳として" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "一般社会で使う場合、種と混同したりする例もある。たとえばシェパードやチワワは種ではなく犬の品種である。植物、動物、菌(キノコ)で認められる。細菌、酵母、カビなどでは系統と言われ、品種とはいわない。", "title": "varietyの訳として" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ただし「variety」を「変種」とした場合は、動物分類学においては、種内のあらゆる変異型をさす多義的な概念。色彩多型・季節多型・栽培生物・飼養生物・亜種および非遺伝的な変異などがこれに含まれる。", "title": "varietyの訳として" } ]
品種(ひんしゅ)とは、生物の種以下の生物集団の単位である。 日本語では、異なる意味を持つものが混在して「品種」と呼ばれうる。以下のものが挙げられる。 植物の品種 植物学における品種 栽培品種(園芸品種) 法律用語としての植物品種 動物の品種(血統)(breed)
{{otheruses}} {{正確性|date=2018-08-12}} '''品種'''(ひんしゅ)とは、[[生物]]の[[種 (分類学)|種]]以下の生物集団の[[単位]]である。 [[日本語]]では、異なる意味を持つものが混在して「'''品種'''」と呼ばれうる。以下のものが挙げられる。 *植物の品種 **植物学における品種 **栽培品種(園芸品種) **法律用語としての植物品種 *動物の品種(血統)(breed) ==植物の品種== ===植物学における品種=== {{main|品種 (分類学)}} {{Anchors|form}}'''品種'''(ひんしゅ、{{Lang-la|forma}} フォールマ、{{Lang-en|form}} フォーム、省略形: f.{{sfn|Turland|2018|loc=ARTICLE 5}})は[[国際藻類・菌類・植物命名規約]]('''{{Lang|en|ICN}}''')によって定められた、'''[[種 (分類学)|種]]より下位の[[階級 (生物学)|分類階級]]'''の一つ、および、その階級に属する[[タクソン]]である<ref>[[国際動物命名規約]]・[[国際原核生物命名規約]]では認められていない'''。</ref>。専ら[[植物学]]のみで使われる。 自然(野生)状態で、[[形態]]などにおいてははっきりと区別できるものの、同じ地域の同種個体群とは[[生殖]]的に隔離されていない[[個体群]]を指す。多くの顕花植物に見られる白花品などはこのように扱われる。 {{Lang|en|ICN}}による品種分類群の[[学名]]の例 *{{snamei|Rosa roxburghii}} f. {{snamei|normalis}} (種より下位の階級のため、二名法による種名が必要。接続語"f."が品種階級を表し、その直後が品種の形容語{{sfn|Turland|2018|loc=ARTICLE 24}}) ===栽培品種=== {{main|栽培品種}} '''栽培品種'''({{Lang-en|cultivar||links=no}}、園芸品種とも。また、単に品種と表記されることも多い)は、人にとって有用な植物に価値を付けて利用する際に用いる分類体系で、他のものと識別できる[[形質|特性]]を安定して有し、かつ、その特性を保持したまま[[繁殖|増殖]]可能な植物の集合のことで、'''植物学における分類階級の品種やタクソン'''とは全く異なる分類体系である。[[クローン|遺伝的に均一]]か否かは問わない。 栽培品種の命名法は{{仮リンク|国際栽培植物命名規約|en|International Code of Nomenclature for Cultivated Plants}}('''{{Lang|en|ICNCP}}''')で定められている。 特定の種にとどまらず、[[雑種]]や[[接木キメラ]]にも栽培品種名を付けることができる{{sfn|Brickell|2016|loc=Art. 1.4}}{{sfn|Brickell|2016|loc=Art. 2.11}}。 {{Lang|en|ICNCP}}による栽培品種名の例<ref group="注釈">すべて同じ栽培品種を表すが、利用者に伝わる情報量が異なる。あくまで一例で、その他の表記も可能である。</ref>{{sfn|Brickell|2016|loc=Recommendation 21A.1}} *{{snamei|Cyclamen}} ‘{{lang|en|Artemis}}’ (最小限の表記:{{Lang|en|ICN}}による[[属 (分類学)|属]]名と{{Lang|en|ICNCP}}による栽培品種小名<ref group="注釈">栽培品種を形容する語句</ref>の組み合わせ、栽培品種小名は ‘ ’ で囲む) *{{snamei|Cyclamen hederifolium}} ‘{{lang|en|Artemis}}’ ({{Lang|en|ICN}}による種名と{{Lang|en|ICNCP}}による栽培品種小名の組み合わせ) *{{snamei|Cyclamen hederifolium}} [[変種|var.]] {{snamei|hederifolium}} f. {{snamei|albiflorum}} ({{lang|en|Bowles’s Apollo Group}}) ‘{{lang|en|Artemis}}’ (詳しい表記:{{Lang|en|ICN}}による種より下位の分類群名と{{Lang|en|ICNCP}}による{{仮リンク|栽培品種群|en|Cultivar group}}名を記載) ===法律用語としての植物品種=== [[植物の新品種の保護に関する国際条約]](UPOV条約)における'''植物品種'''({{Lang-en|[[:en:Plant variety (law)|Plant variety]]|links=no}})は分類学上の品種や変種<ref group="注釈">{{Lang-en|variety|links=no}}のため紛らわしい。</ref>ではなく、栽培品種を法的に定義した語である{{sfn|Brickell|2016|loc=Art. 2 Nt. 4}}。植物品種は次のように定義される。{{Quotation|「品種」とは,既に知られている最下位の植物学上の 1 の分類群に属する植物の集合であって,育成者権の付与のための条件をすべて満たしているか否かを問わず,遺伝子型又はその組合せによって生ずる特性の表現によって特定することができ,これらの特性のうち 1 以上の特性の表現により他のすべての植物の集合と区別することができ,かつ変化なく増殖させることが可能であるという点で 1 の単位とみなすことができるものをいう。 |[http://www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/fips/pdf/treaty/upov/new_varieties_of_plants.pdf 植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV条約 1991年法)・日本語訳(特許庁)]}} ==動物の品種== {{main|品種 (家畜)}} =={{lang|en|variety}}の訳として== {{main|変種}} [[種 (分類学)|種]]の中で、他の[[個体]]と区別できる、人為的に選抜された形質などの特徴が安定しており、それにより他と区別できる、もしくは[[産業]]上区別する意味の認められる個体群。[[クローン]]個体群も含まれる。品種内で遺伝的に斉一か雑ぱくかは問われない。[[農業]]([[畜産]]も含む)上の[[ハイブリッド品種]]など、ある品種同士の子孫が親と同じ品種とみなされないことも多い。 一般社会で使う場合、種と混同したりする例もある。たとえば[[シェパード]]や[[チワワ]]は種ではなく[[犬]]の品種である。[[植物]]、[[動物]]、[[菌]]([[キノコ]])で認められる。[[細菌]]、[[酵母]]、[[カビ]]などでは[[系統 (生物学)|系統]]<ref group="注釈">{{lang-en-short|race}}、{{lang|en|line}}</ref>と言われ、品種とはいわない。 ただし「{{lang|en|variety}}」を「変種」とした場合は、動物分類学においては、種内のあらゆる変異型をさす多義的な概念。色彩多型・季節多型・栽培生物・飼養生物・亜種および非遺伝的な変異などがこれに含まれる。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{reflist}} ==参考文献== *{{cite book |ref=harv |last=Turland|first=N. J. |last2=Wiersema |first2=J. H.|last3=Barrie |first3=F. R.|last4=Greuter |first4=W.|last5=Hawksworth |first5=D. L.|last6=Herendeen |first6=P. S. |last7=Knapp |first7=S.|last8=Kusber |first8=W.-H.|last9=Li |first9=D.-Z.|last10=Marhold |first10=K.|last11=May |first11=T. W. |last12=McNeill |first12=J.|last13=Monro |first13=A. M.|last14=Prado |first14=J.|last15=Price |first15=M. J.|last16=Smith |first16=G. F. |title=International Code of Nomenclature for algae, fungi, and plants (Shenzhen Code) adopted by the Nineteenth International Botanical Congress Shenzhen, China, July 2017 |year=2018 |publisher=Glashütten: Koeltz Botanical Books |series=Regnum Vegetabile |volume=159 |url=https://www.iapt-taxon.org/nomen/main.php |doi=10.12705/Code.2018 |isbn=9783946583165 |oclc=1043224136 |language=En}} * {{Cite journal |ref=harv |editor-last=Brickell |editor-first=C.D. |editor2-last=Alexander |editor2-first=C. |editor3-last=Cubey |editor3-first=J.J. |editor4-last=David |editor4-first=J.C. |editor5-last=Hoffman |editor5-first=M.H.A. |editor6-last=Leslie |editor6-first=A.C. |editor7-last=Malécot |editor7-first=V. |editor8-last=Jin |editor8-first=Xiaobai |title=International Code of Nomenclature for Cultivated Plants |edition=9th |date=2016-6 |publisher=International Society of Horticultural Science |journal=Scripta Horticulturae |issn=1813-9205 |volume=18 |isbn=978-94-6261-116-0 |url=https://www.ishs.org/sites/default/files/static/ScriptaHorticulturae_18.pdf |format=PDF |language=En}} ==関連項目== *[[種 (分類学)]] *[[亜種]] *[[変種]] {{Biosci-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひんしゆ}} [[Category:品種|*]] [[Category:生物]] [[Category:分類学 (生物学)]] [[Category:植物学]] [[Category:系図]] [[Category:系統学]]
2003-02-28T00:43:34Z
2023-10-02T19:43:59Z
false
false
false
[ "Template:Sfn", "Template:Reflist", "Template:Cite journal", "Template:仮リンク", "Template:Quotation", "Template:Cite book", "Template:Biosci-stub", "Template:Lang-la", "Template:Lang-en", "Template:Lang", "Template:Snamei", "Template:Otheruses", "Template:Anchors", "Template:Notelist", "Template:Normdaten", "Template:正確性", "Template:Main", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Lang-en-short" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%81%E7%A8%AE
3,008
国際電気通信連合
国際電気通信連合(こくさいでんきつうしんれんごう、フランス語: Union internationale des télécommunications; UIT、英語: International Telecommunication Union; ITU)は、国際連合の専門機関の一つである。 1865年5月17日にフランスのパリで設立された万国電信連合(フランス語: Union internationale du télégraphe、英語: International Telegraph Union)に端を発しているため、ITUは世界最古の国際機関とみなされている。国際電気通信連合憲章に基づき、無線通信と電気通信分野において各国間の標準化と規制の確立を図っている。 2017年10月時点の加盟国は、ほぼ全ての国際連合加盟国にバチカンを加えた193ヶ国、セクターメンバーは2008年4月時点で700社以上である。日本は、1959年から理事国としてITUの管理・運営に参加している。 1834年にアメリカ人サミュエル・モールスによって電信機が発明されたのち、イギリス帝国では1837年に鉄道沿線で有線電信が実用化され、アメリカ合衆国でも1845年にワシントンD.C.とボルティモアの間で電信線路が建設されたが、最初の国際電信は、1849年にプロイセン王国とオーストリア帝国との間で結ばれた電信条約にもとづいて始められた。 1850年、オーストリア・プロイセン・バイエルン・ザクセンの4か国がドイツ=オーストリア電信連合をドレスデンで発足させた。これには、のちにドイツ帝国のほとんどの各邦とオランダが参加した。一方、1851年にはフランスとベルギーの間でも相互接続条約が結ばれ、1855年、両国にサルデーニャ王国・スペイン・スイスを加えた5か国が、パリで西部欧州電信連合を発足させた。2つの組織は1865年に統合され、万国電信連合として設立された。 1894年、イタリアのグリエルモ・マルコーニが自宅で電波による無線通信実験に成功、1897年にはマルコーニ無線電信会社(英語版)が創立されて、無線の時代が訪れた。20世紀、イギリス帝国は植民地と本国を直接結び、第三国への情報漏洩を回避するため、船舶間通信手段として無線を重用するようになった。 イギリスとイタリアの海軍は、マルコーニの仕様だけを利用したが、ドイツでは1903年にシーメンスとAEGが合弁し、無線技術を開発するためベルリンでテレフンケンが設立された。アメリカの発明家・電子工学者のリー・ド・フォレストもまた無線技術の発展に尽力した。両者はのちに提携するが、一方では混信の解決が必要になり、1903年には欧米9か国がベルリンで会議を開いた。1908年、大日本帝国を含む30か国が参加して、国際無線電信連合が発足した。 第二次世界大戦後の1947年、万国電信連合と国際無線電信連合が統合し「国際電気通信連合」として発足した。 主な業務は、第一に標準化である。ITUによる国際標準は「勧告」という形式を採る。国際機関としての歴史も古く、国際連合の専門機関であるということもあって、ITUによってまとめられる標準は『デ・ジュール』(法令上の公式)標準として、フォーラムなど他の機関によって纏められる『デ・ファクト』(事実上)の民間標準よりも、より位置づけの高いものとして扱われる。 他の役割としては、無線周波数帯の割当て(世界無線通信会議)がある。また、国際電話を行うために各国間の接続を調整している。これは、郵便の分野で万国郵便連合の果たしている役割を、電気通信の分野において担うものである。 ITU は、無線通信部門(ITU-R)、電気通信標準化部門(ITU-T)、電気通信開発部門(ITU-D)と事務総局からなる。 無線通信部門と電気通信標準化部門は、国際海底ケーブルについて、参加国間の調整をしている。 ただし、国際衛星通信の調整はインテルサットが担ってきた。 次節に示すよう私企業の立場が強い組織であるので、ITU の標準化・規制は『ざる法』となることもある。その一例が1980年のRecommendation D.6 であり、D.1 の例外規定として国際銀行間通信協会とSITA の存続を許した。そもそもこのD.1 自体が十分ザル規定である。これは通信主管庁の業務を他の者が担ってはならないとする原則である。通信主管庁には次節にいうセクターメンバーを含み、憲章により定義される。日本の場合、NTT、KDDI、日本放送協会(NHK)、日本民間放送連盟が指定されている。 ITUは多くの事項を議論し、決定するため、加盟国、私企業などを交えてさまざまな研究委員会(SG)、作業班(WP)、地域会合(RRC)、全体会合(全権委員会議)などを開催する。 ITUの業務は加盟国の協力により成り立っている。国際連合の系統であることから、一つの国が一つの主体として加盟国となる。私企業や他の組織も、セクターメンバーやそれに準ずるものとして、加盟することが可能である。セクターメンバーなどであれば、私企業であっても国際標準の策定過程に参加することが可能である。この点は、ISOをはじめとする他の標準化機関と異なっている。それら機関においては、標準についての投票権が国家ごとに一票ずつしかなく、私企業は各国家の代表として参加するほかない。また、ITUの多くの取り組みにおいて、他の機関との連絡体制が維持されている。 デジタル・オポチュニティ・プラットフォーム(DOP)の取り組みの一環として、ITUではデジタル・オポチュニティ・インデックス(DOI)という、情報通信技術(ICT)についての指標を開発している。この指標は、「コアICT指標」と称される11の基本的なICT指標を基として算出される。DOIは、世界情報社会サミットにより是認されたものであり、デジタル・オポチュニティを世界的規模で把握するための単一指標として、同サミットの関係文書「チュニス・アジェンダのパラグラフ117」に記されているものである。 DOIは、2005年に180の国または地域についてまとめられ、これは現在において最も広範なICT関連指標であり、世界中のICTの状況を国際的に合意されたベンチマークとして捉えることができるものである。DOIは、ICTについて社会基盤、機会、利用の3つのカテゴリごとに経年変化を追えるようになっている。デジタル・ディバイドを測定し、科学的に有意な証拠に基づき分析することで、とりわけ途上国における政策の決定過程を助け、ICTにより利益を最大化することを目指している。 国際電気通信連合は、2015年5月17日に150周年を迎えた。特別式典がフランスの首都パリで行われ、マドリッドでも式典が行われた。 ITU 150周年賞が、次の5人に与えられた。 ITUの事務総局長は、全加盟国の代表により4年に1度の頻度で組織される「全権委員会議」における選挙によって、加盟国から推挙された候補者の中から選出される。 2014年10月23日、韓国の釜山で開催された全権委員会議において、中華人民共和国出身の趙厚麟が第19代事務総局長に選挙により選出された。趙の任期は2015年1月1日からの4年間で、2015年1月15日に正式に就任した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "国際電気通信連合(こくさいでんきつうしんれんごう、フランス語: Union internationale des télécommunications; UIT、英語: International Telecommunication Union; ITU)は、国際連合の専門機関の一つである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1865年5月17日にフランスのパリで設立された万国電信連合(フランス語: Union internationale du télégraphe、英語: International Telegraph Union)に端を発しているため、ITUは世界最古の国際機関とみなされている。国際電気通信連合憲章に基づき、無線通信と電気通信分野において各国間の標準化と規制の確立を図っている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2017年10月時点の加盟国は、ほぼ全ての国際連合加盟国にバチカンを加えた193ヶ国、セクターメンバーは2008年4月時点で700社以上である。日本は、1959年から理事国としてITUの管理・運営に参加している。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1834年にアメリカ人サミュエル・モールスによって電信機が発明されたのち、イギリス帝国では1837年に鉄道沿線で有線電信が実用化され、アメリカ合衆国でも1845年にワシントンD.C.とボルティモアの間で電信線路が建設されたが、最初の国際電信は、1849年にプロイセン王国とオーストリア帝国との間で結ばれた電信条約にもとづいて始められた。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1850年、オーストリア・プロイセン・バイエルン・ザクセンの4か国がドイツ=オーストリア電信連合をドレスデンで発足させた。これには、のちにドイツ帝国のほとんどの各邦とオランダが参加した。一方、1851年にはフランスとベルギーの間でも相互接続条約が結ばれ、1855年、両国にサルデーニャ王国・スペイン・スイスを加えた5か国が、パリで西部欧州電信連合を発足させた。2つの組織は1865年に統合され、万国電信連合として設立された。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1894年、イタリアのグリエルモ・マルコーニが自宅で電波による無線通信実験に成功、1897年にはマルコーニ無線電信会社(英語版)が創立されて、無線の時代が訪れた。20世紀、イギリス帝国は植民地と本国を直接結び、第三国への情報漏洩を回避するため、船舶間通信手段として無線を重用するようになった。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "イギリスとイタリアの海軍は、マルコーニの仕様だけを利用したが、ドイツでは1903年にシーメンスとAEGが合弁し、無線技術を開発するためベルリンでテレフンケンが設立された。アメリカの発明家・電子工学者のリー・ド・フォレストもまた無線技術の発展に尽力した。両者はのちに提携するが、一方では混信の解決が必要になり、1903年には欧米9か国がベルリンで会議を開いた。1908年、大日本帝国を含む30か国が参加して、国際無線電信連合が発足した。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦後の1947年、万国電信連合と国際無線電信連合が統合し「国際電気通信連合」として発足した。", "title": "沿革" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "主な業務は、第一に標準化である。ITUによる国際標準は「勧告」という形式を採る。国際機関としての歴史も古く、国際連合の専門機関であるということもあって、ITUによってまとめられる標準は『デ・ジュール』(法令上の公式)標準として、フォーラムなど他の機関によって纏められる『デ・ファクト』(事実上)の民間標準よりも、より位置づけの高いものとして扱われる。", "title": "業務" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "他の役割としては、無線周波数帯の割当て(世界無線通信会議)がある。また、国際電話を行うために各国間の接続を調整している。これは、郵便の分野で万国郵便連合の果たしている役割を、電気通信の分野において担うものである。", "title": "業務" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ITU は、無線通信部門(ITU-R)、電気通信標準化部門(ITU-T)、電気通信開発部門(ITU-D)と事務総局からなる。", "title": "業務" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "無線通信部門と電気通信標準化部門は、国際海底ケーブルについて、参加国間の調整をしている。", "title": "業務" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ただし、国際衛星通信の調整はインテルサットが担ってきた。", "title": "業務" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "次節に示すよう私企業の立場が強い組織であるので、ITU の標準化・規制は『ざる法』となることもある。その一例が1980年のRecommendation D.6 であり、D.1 の例外規定として国際銀行間通信協会とSITA の存続を許した。そもそもこのD.1 自体が十分ザル規定である。これは通信主管庁の業務を他の者が担ってはならないとする原則である。通信主管庁には次節にいうセクターメンバーを含み、憲章により定義される。日本の場合、NTT、KDDI、日本放送協会(NHK)、日本民間放送連盟が指定されている。", "title": "業務" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ITUは多くの事項を議論し、決定するため、加盟国、私企業などを交えてさまざまな研究委員会(SG)、作業班(WP)、地域会合(RRC)、全体会合(全権委員会議)などを開催する。", "title": "会合" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ITUの業務は加盟国の協力により成り立っている。国際連合の系統であることから、一つの国が一つの主体として加盟国となる。私企業や他の組織も、セクターメンバーやそれに準ずるものとして、加盟することが可能である。セクターメンバーなどであれば、私企業であっても国際標準の策定過程に参加することが可能である。この点は、ISOをはじめとする他の標準化機関と異なっている。それら機関においては、標準についての投票権が国家ごとに一票ずつしかなく、私企業は各国家の代表として参加するほかない。また、ITUの多くの取り組みにおいて、他の機関との連絡体制が維持されている。", "title": "会合" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "デジタル・オポチュニティ・プラットフォーム(DOP)の取り組みの一環として、ITUではデジタル・オポチュニティ・インデックス(DOI)という、情報通信技術(ICT)についての指標を開発している。この指標は、「コアICT指標」と称される11の基本的なICT指標を基として算出される。DOIは、世界情報社会サミットにより是認されたものであり、デジタル・オポチュニティを世界的規模で把握するための単一指標として、同サミットの関係文書「チュニス・アジェンダのパラグラフ117」に記されているものである。", "title": "DOI" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "DOIは、2005年に180の国または地域についてまとめられ、これは現在において最も広範なICT関連指標であり、世界中のICTの状況を国際的に合意されたベンチマークとして捉えることができるものである。DOIは、ICTについて社会基盤、機会、利用の3つのカテゴリごとに経年変化を追えるようになっている。デジタル・ディバイドを測定し、科学的に有意な証拠に基づき分析することで、とりわけ途上国における政策の決定過程を助け、ICTにより利益を最大化することを目指している。", "title": "DOI" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "国際電気通信連合は、2015年5月17日に150周年を迎えた。特別式典がフランスの首都パリで行われ、マドリッドでも式典が行われた。", "title": "150周年" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ITU 150周年賞が、次の5人に与えられた。", "title": "150周年" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ITUの事務総局長は、全加盟国の代表により4年に1度の頻度で組織される「全権委員会議」における選挙によって、加盟国から推挙された候補者の中から選出される。", "title": "事務総局長" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2014年10月23日、韓国の釜山で開催された全権委員会議において、中華人民共和国出身の趙厚麟が第19代事務総局長に選挙により選出された。趙の任期は2015年1月1日からの4年間で、2015年1月15日に正式に就任した。", "title": "事務総局長" } ]
国際電気通信連合は、国際連合の専門機関の一つである。 1865年5月17日にフランスのパリで設立された万国電信連合に端を発しているため、ITUは世界最古の国際機関とみなされている。国際電気通信連合憲章に基づき、無線通信と電気通信分野において各国間の標準化と規制の確立を図っている。 2017年10月時点の加盟国は、ほぼ全ての国際連合加盟国にバチカンを加えた193ヶ国、セクターメンバーは2008年4月時点で700社以上である。日本は、1959年から理事国としてITUの管理・運営に参加している。
{{Infobox UN |name=国際電気通信連合 |en name=International Telecommunication Union |fr name=Union internationale des télécommunications |zh name=国际电信联盟 |ru name=Международный союз электросвязи |es name=Unión Internacional de Telecomunicaciones |ar name=الاتحاد الدولي للاتصالات |image= International Telecommunication Union logo.svg |image size=200px |caption= |type=[[国際連合の専門機関|専門機関]] |acronyms=ITU, UIT |head={{仮リンク|趙厚麟|en|Houlin Zhao}} |status=活動中 |resolution= |established=1865年5月17日 |ended= |headquarters={{CHE}}・[[ジュネーヴ]] |location= |parent= |subsidiaries= |website=[https://www.itu.int/ International Telecommunication Union] |commons= |footnotes= }} '''国際電気通信連合'''(こくさいでんきつうしんれんごう、{{lang-fr|Union internationale des télécommunications; '''UIT'''}}、{{lang-en|International Telecommunication Union; '''ITU'''}})は、[[国際連合]]の[[専門機関]]の一つである。 [[1865年]][[5月17日]]に[[フランス]]の[[パリ]]で設立された[[万国電信連合]]({{lang-fr|Union internationale du télégraphe}}、{{lang-en|International Telegraph Union}})に端を発しているため、ITUは世界最古の[[国際機関]]とみなされている。[[国際電気通信連合憲章]]に基づき、[[無線通信]]と[[電気通信]]分野において各国間の[[標準化団体 (コンピュータと通信)|標準化]]と規制の確立を図っている<ref group="注釈">憲章は国際電気通信条約とも訳される。ITU の目的は次のとおり。①あらゆる電気通信の改善と合理的利用のため、国際協力を維持増進すること。②電気通信業務の効率化と可及的普及のため、技術の改良とベストな運用を促すこと。</ref>。 2017年10月時点の加盟国は、ほぼ全ての[[国際連合加盟国]]に[[バチカン]]を加えた193ヶ国、セクターメンバーは2008年4月時点で700社以上である。[[日本]]は、[[1959年]]から理事国としてITUの管理・運営に参加している。 == 沿革 == {{See also|万国電信連合|国際無線電信連合}} [[1834年]]にアメリカ人[[サミュエル・モールス]]によって電信機が発明されたのち、[[イギリス帝国]]では[[1837年]]に[[鉄道]]沿線で有線電信が実用化され、[[アメリカ合衆国]]でも[[1845年]]に[[ワシントンD.C.]]と[[ボルティモア]]の間で電信線路が建設されたが、最初の国際電信は、[[1849年]]に[[プロイセン王国]]と[[オーストリア帝国]]との間で結ばれた電信条約にもとづいて始められた<ref name=kotobank>[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%87%E5%9B%BD%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E9%80%A3%E5%90%88-1396283 コトバンク「万国電信連合」]</ref>。 [[1850年]]、オーストリア・プロイセン・[[バイエルン王国|バイエルン]]・[[ザクセン王国|ザクセン]]の4か国が[[ドイツ=オーストリア電信連合]]を[[ドレスデン]]で発足させた。これには、のちに[[ドイツ帝国]]のほとんどの各邦と[[オランダ]]が参加した<ref>George Arthur Codding Jr. ''The International Telecommunication Union: An Experiment in International Cooperation'' Leiden, 1952, pp.13-14.</ref>。一方、[[1851年]]には[[フランス]]と[[ベルギー]]の間でも相互接続条約が結ばれ、[[1855年]]、両国に[[サルデーニャ王国]]・[[スペイン]]・[[スイス]]を加えた5か国が、[[パリ]]で[[西部欧州電信連合]]を発足させた。2つの組織は[[1865年]]に統合され、[[万国電信連合]]として設立された。 [[1894年]]、イタリアの[[グリエルモ・マルコーニ]]が自宅で[[電波]]による[[無線通信]]実験に成功、[[1897年]]には{{仮リンク|マルコーニ無線電信会社|en|Marconi Company}}が創立されて、無線の時代が訪れた。[[20世紀]]、イギリス帝国は[[植民地]]と本国を直接結び、第三国への情報漏洩を回避するため、船舶間通信手段として無線を重用するようになった。 イギリスとイタリアの[[海軍]]は、マルコーニの仕様だけを利用したが、ドイツでは[[1903年]]に[[シーメンス]]と[[AEG]]が合弁し、無線技術を開発するため[[ベルリン]]で[[テレフンケン]]が設立された。アメリカの発明家・電子工学者の[[リー・ド・フォレスト]]もまた無線技術の発展に尽力した。両者はのちに提携するが、一方では[[混信]]の解決が必要になり、1903年には欧米9か国がベルリンで会議を開いた。[[1908年]]、[[大日本帝国]]を含む30か国が参加して、[[国際無線電信連合]]が発足した。 [[第二次世界大戦]]後の[[1947年]]、万国電信連合と国際無線電信連合が統合し「国際電気通信連合」として発足した<ref name=kotobank/>。 == 業務 == 主な業務は、第一に[[標準化]]である。ITUによる国際標準は「勧告<ref group="注釈">{{lang-en|recommendation}}</ref>」という形式を採る。国際機関としての歴史も古く、国際連合の専門機関であるということもあって、ITUによってまとめられる標準は『[[デ・ジュリ|デ・ジュール]]』<ref group="注釈">{{lang-la|de jure}}</ref>(法令上の公式)標準として、フォーラムなど他の機関によって纏められる『[[デ・ファクト]]』<ref group="注釈">{{lang-la|de facto}}</ref>(事実上)の民間標準<ref group="注釈">大半が技術仕様の範疇にとどまる。</ref>よりも、より位置づけの高いものとして扱われる<!--{{要出典}}-->。 他の役割としては、[[無線]][[周波数]]帯の割当て([[世界無線通信会議]])がある。また、[[国際電話]]を行うために各国間の接続を調整している。これは、[[郵便]]の分野で[[万国郵便連合]]の果たしている役割を、電気通信の分野において担うものである。 ITU は、無線通信部門([[ITU-R]])、電気通信標準化部門([[ITU-T]])、電気通信開発部門([[ITU-D]])と事務総局からなる。 無線通信部門と電気通信標準化部門は、国際[[海底ケーブル]]について、参加国間の調整をしている。 ただし、国際衛星通信の調整は[[インテルサット]]が担ってきた。 次節に示すよう私企業の立場が強い組織であるので、ITU の標準化・規制は『[[ざる法]]』となることもある。その一例が1980年の''Recommendation D.6'' であり、''D.1'' の例外規定として[[国際銀行間通信協会]]と[[SITA]] の存続を許した。そもそもこのD.1 自体が十分ザル規定である。これは'''通信主管庁'''の業務を他の者が担ってはならないとする原則である。通信主管庁には次節にいうセクターメンバーを含み、憲章により定義される<ref group="注釈">「国際電気通信業務を行うための電気通信設備'''等'''を運用する私企業のうち、公衆通信業務を運用するもの」</ref>。日本の場合、[[日本電信電話|NTT]]、[[KDDI]]、[[日本放送協会]](NHK)、[[日本民間放送連盟]]が指定されている。 == 会合 == ITUは多くの事項を議論し、決定するため、加盟国、私企業などを交えてさまざまな研究委員会(SG<ref group="注釈">{{lang-en|study group}}</ref>)、作業班(WP<ref group="注釈">{{lang-en|working party}}</ref>)、地域会合(RRC<ref group="注釈">{{lang-en|regional radio conference}}</ref>)、全体会合(全権委員会議)などを開催する。 ITUの業務は加盟国の協力により成り立っている。国際連合の系統であることから、一つの国が一つの主体として加盟国となる。私企業や他の組織も、セクターメンバーやそれに準ずるものとして、加盟することが可能である。セクターメンバーなどであれば、'''私企業であっても国際標準の策定過程に参加することが可能'''である。この点は、[[国際標準化機構|ISO]]をはじめとする他の標準化機関と異なっている。それら機関においては、標準についての投票権が[[国家]]ごとに一票ずつしかなく、私企業は各国家の代表として参加するほかない。また、ITUの多くの取り組みにおいて、他の機関との連絡体制が維持されている。 == DOI == デジタル・オポチュニティ・プラットフォーム(DOP<ref group="注釈">{{lang-en|digital opportunity platform}}</ref>)の取り組みの一環として、ITUではデジタル・オポチュニティ・インデックス(DOI<ref group="注釈">{{lang-en|digital opportunity index}}</ref>)という、[[情報通信技術]](ICT<ref group="注釈">{{lang-en|information and communications technology}}</ref>)についての指標を開発している。この指標は、「コアICT指標」と称される11の基本的なICT指標を基として算出される。DOIは、世界情報社会サミットにより是認されたものであり、デジタル・オポチュニティ<ref group="注釈">情報通信ネットワークに人々が接することができる度合いのこと。</ref>を世界的規模で把握するための単一指標として、同サミットの関係文書「チュニス・アジェンダのパラグラフ117」に記されているものである。 DOIは、2005年に180の国または地域についてまとめられ、これは現在において最も広範なICT関連指標であり、世界中のICTの状況を国際的に合意されたベンチマークとして捉えることができるものである。DOIは、ICTについて社会基盤<ref group="注釈">{{lang-en|infrastructure}}</ref>、機会<ref group="注釈">{{lang-en|opportunity}}</ref>、利用<ref group="注釈">{{lang-en|utilization}}</ref>の3つのカテゴリごとに経年変化を追えるようになっている。[[情報格差|デジタル・ディバイド]]を測定し、科学的に有意な証拠に基づき分析することで、とりわけ途上国における政策の決定過程を助け、ICTにより利益を最大化することを目指している。 == 150周年 == '''国際電気通信連合'''は、[[2015年]][[5月17日]]に150周年を迎えた。特別式典が[[フランス]]の首都[[パリ]]で行われ、[[マドリッド]]でも式典が行われた<ref>[http://www.itu.int/net/pressoffice/press_releases/2015/13.aspx#.VoxKLFLtirI ITU marks 150th anniversary with global celebrations], Newsroom, ITU, 2015-05-18.</ref>。 ITU 150周年賞が、次の5人に与えられた。 * {{仮リンク|マーティン・クーパー|en|Martin Cooper (inventor)}} - [[モトローラ]]在職中の[[1973年]]に、世界初のポータブル[[携帯電話]]を開発するなど、[[移動体通信]]産業のパイオニア。 * [[ロバート・カーン]] - [[ARPANET]]([[インターネット]]の原型)を提唱し、インターネットの基盤となる [[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]] を開発。 * {{仮リンク|マルク・クリヴォシェエフ|ru|Кривошеев, Марк Иосифович}} - [[高精細度ビデオ]]の国際間の交換が可能になるよう[[標準化]]に尽力。 * [[坂村健]] - [[TRONプロジェクト]]のリーダー。リアルタイムカーネル[[ITRON]]を始めとする、各種仕様の制定とメンテナンスの他、後の「ユビキタスコンピューティング」や「[[モノのインターネット|IoT]]」の先駆と評価されているビジョン「HFDS」(Highly Functionally Distributed System)を提示した。 * {{仮リンク|トーマス・ウィーガンド|en|Thomas Wiegand}} - 標準化団体の会議に参画し、[[Moving Picture Experts Group|MPEG]]など[[映像信号]]の[[データ圧縮|圧縮]]方式の標準化に尽力。 == 事務総局長 == ITUの事務総局長は、全加盟国の代表により4年に1度の頻度で組織される「全権委員会議」における選挙によって、加盟国から推挙された候補者の中から選出される。 2014年10月23日、[[大韓民国|韓国]]の[[釜山広域市|釜山]]で開催された全権委員会議において、[[中華人民共和国]]出身の[[趙厚麟]]が第19代事務総局長に選挙により選出された。趙の任期は2015年1月1日からの4年間で、2015年1月15日に正式に就任した<ref>{{cite web|url=http://www.itu.int/en/newsroom/Pages/2015inauguration.aspx|title=ITU Management team inauguration on 15 January 2015|accessdate=25 March 2015}}</ref>。 === 歴代事務総局長 === {|class="wikitable" ! colspan="2"|名前 !! 就任 !! 退任 !! 国 |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||{{仮リンク|ルイ・クルショード|en|Louis Curchod}}||1869年1月1日||1872年5月24日||{{CHE}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||[[カール・レンディ]]||1872年5月24日||1873年1月12日||{{CHE}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||{{仮リンク|ルイ・クルショード|en|Louis Curchod}}||1873年2月23日||1889年10月18日||{{CHE}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||[[オーギュスト・フレイ]]||1890年2月25日||1873年6月28日||{{CHE}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||[[ティモテウス・ロテン]]||1890年11月25日||1897年2月11日||{{CHE}} |- |[[File:Emil Frey.jpg|60px]]||{{仮リンク|エミール・フレイ|en|Emil Frey}}||1897年3月11日||1921年8月1日||{{CHE}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||アンリ・エティエンヌ<!--別人にリンクしないよう生存期間くらいは確認すること。-->||1921年8月2日||1927年12月16日||{{CHE}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||[[ジョセフ・レーダー]]||1928年2月1日||1934年10月30日||{{CHE}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||[[フランツ・フォン・エルンスト]]||1935年1月1日||1949年1月1日||{{CHE}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||[[レオン・ムラティエル]]||1950年1月1日||1953年1月1日||{{FRA}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||[[マルコ・アンドラーダ]]||1954年1月1日||1958年6月18日||{{ARG}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||[[ジェラルド・クロス]]||1964年1月1日||1965年10月29日||{{USA}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||[[マノハル・サルハテ]]||1965年10月30日||1967年2月19日||{{IND}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||{{仮リンク|モハメド・ミリ|en|Mohamed Ezzedine Mili}}||1967年10月20日||1982年12月31日||{{TUN}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||[[リチャード・バトラー]]||1983年1月1日||1989年10月31日||{{AUS}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||[[ペッカ・タリヤンネ]]||1989年11月1日||1999年1月31日||{{FIN}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||[[内海善雄]]||1999年2月1日||2006年12月31日||{{JPN}} |- |[[File:Replace this image JA.svg|60px]]||{{仮リンク|ハマドゥン・トゥーレ|en|Hamadoun Touré}}||2007年1月1日||2014年12月31日||{{MLI}} |- |[[File:Houlin Zhao SG.jpg|60px]]||{{仮リンク|趙厚麟|en|Houlin Zhao}}||2015年1月1日||2022年12月31日||{{CHN}} |- |[[File:ITU_PP-18_Doreen_Bogdan-Martin.jpg|60px]]||{{仮リンク|ドリーン・ボグダン=マーティン|en|Doreen Bogdan-Martin}}|| 2023年1月1日 |(現在)||{{USA}} |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Notelist}} ===出典=== {{reflist|2}} == 関連項目 == *[[世界無線通信会議]] *[[世界情報社会サミット]] *[[標準化団体]] == 外部リンク == *{{Official website|name=ITU: Committed to connecting the world}} {{en icon}} *[https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/page22_000757.html 国際電気通信連合(ITU)] - 外務省 *[https://www.ituaj.jp/ 日本ITU協会] *{{Kotobank}} {{国際連合}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こくさいてんきつうしんれんこう}} [[Category:ITU|*]] [[Category:標準化団体]] [[Category:国際連合専門機関]] [[Category:電気通信に関する組織]] [[Category:アマチュア無線に関する組織]] [[Category:ジュネーヴの組織]] [[Category:1865年設立の組織]]
2003-02-28T01:08:54Z
2023-12-25T13:19:43Z
false
false
false
[ "Template:En icon", "Template:Infobox UN", "Template:Lang-fr", "Template:ARG", "Template:JPN", "Template:Lang-la", "Template:Cite web", "Template:Official website", "Template:IND", "Template:AUS", "Template:CHN", "Template:脚注ヘルプ", "Template:See also", "Template:FRA", "Template:FIN", "Template:Reflist", "Template:Kotobank", "Template:Lang-en", "Template:仮リンク", "Template:CHE", "Template:USA", "Template:TUN", "Template:MLI", "Template:Notelist", "Template:国際連合", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%80%9A%E4%BF%A1%E9%80%A3%E5%90%88
3,009
メスティーソ
メスティーソ(スペイン語: Mestizo、ポルトガル語: Mestiço)は、白人とラテンアメリカや先住民(インディオ)との混血である人々。ポルトガル語ではメスチース、またスペイン語はメスティソ、メスチーソ、メスチソなどとも書く。Mestiçagemなど原語では、人種の違うもの同士での婚姻や交配を意味し、転じて混血児全般を表す言葉になった。特に白人とインディオの混血のことを指すことが多い。 植民地時代にスペイン人とキリスト教に改宗したインディオの結婚は合法だった。中南米のほとんどの地域では16世紀のスペイン侵略以降、キリスト教徒の先住民の人数が増えるにつれてスペイン人とインディオとの結婚が進んでいった。初期にはスペインから来る女性はほとんどいなかったので、スペイン人男性とインディオ女性の結婚は普通のことであった。コンキスタドール(征服者)がインディオの首長の娘と結婚し、その息子が父の後継者になることも可能であった。 しかし、征服が一段落し安定的な社会制度が形成された16世紀後半になると、人種を基準にした身分社会が形成された。メスティーソは、スペイン人を父とする者と母とする者(クリオーリョ)とはっきり区別され、スペイン人の親が持つ特権を受け継ぐことはできなかった。ただしスペイン人を父とする者の場合父親が認知すれば財産の相続も可能であった。(もっともスペイン人を母とする者の数は少数であった。)スペイン政府はインディオとスペイン人の生活を分離しようと努めたので、メスティーソは中間の身分として様々な職業についた。そして、アングロサクソンの社会と違って厳格な人種差別 (One drop rule) というコンセプトはなかったので黒人と白人との結婚も珍しくなかった。なお、黒人と白人の混血児はムラート、黒人とインディオの混血はサンボと呼ばれた。植民地時代には、メスティソ男性と白人女性の子をカスティソというなど、細かな混血にそれぞれ呼び名があった。 メスティーソの比率が高くなり、インディオ旧来の社会が崩れてくると、非特権層としてのインディオとメスティーソの違いは曖昧になってきた。白人は特権を保持するために家系を重視したが、特権を持たないインディオとメスティーソにとって、何代も前の先祖のことはわからない。 植民地時代の終わりごろから、白人の男を父とするメスティーソを父親が引き取って白人として育てれば白人として遇されるようになったので、メスティーソと他人種の違いは、人種というより文化的な違いになった。独立後の中南米諸国には、メスティーソを国民のあるべき形としてたたえる思想が現れた。二つの人種に分かれた分断社会から、一つの国民を作り上げようとするナショナリズムである。19世紀には白人を至上としてヨーロッパ化を唱える思想も根強かったから、メスティーソ性の肯定には民衆文化の擁護創造の側面があったが、先住民の言葉と生活を守る人々にとっては同化圧力の強まりを意味していた。 独立後21世紀に至るまで、各国は移民を積極的に受け入れている。スペイン以外のヨーロッパ諸国からの移民は一世ならば白人だが、上流階級になるとは限らない。日本、中国などアジアからの移民も多いので、人種構成はさらに複雑になった。移民一世の多くはメスティーソではないが、以降は急速に通婚が進んでいく。 20世紀に入って、中南米ではメスティーソなどの人種的用語は一般の人に使われていない。「○○国の人口構成は白人○○%、インディオ○○%、メスティーソ○○%」というような数字が統計として流通しているが、中南米諸国は人種別の公的な家系図を備えていない。現代においては形質的・血脈的特徴でなくスペイン語を母語とする者をメスティソ、インディオの言語を母語とする者をインディオ(先住民)とすることもある。 南米では、エクアドル・ペルー・ボリビアのアンデスの国々では比較的インディオの特徴が強い。これは、スペイン侵略までインカ帝国という強大な国家があり、もともと人口が多かったこと、スペイン人が植民化以前の支配機構をそのまま利用し、その上に乗っかる形で支配したため、長くインディオ社会がそのままの自立性を保っていたことによる。インディオと白人が激烈な戦いを繰り広げたチリ・アルゼンチン・ウルグアイなどの南米南部の国々では、比較的白人の特徴が強い。南米最大の国であるブラジルの場合、ポルトガル人等によってアフリカから奴隷として連れてこられた黒人が多かったことより、黒人の特徴を持つ人も数多くいる。 それとは逆に、パラグアイのメスティーソたちは自分たちのインディオ血統を誇るものが多い。これはスペイン人の征服当時からグアラニー人との友好関係が続いたことと、19世紀パラグアイにおける、国家的混血政策(フランシア博士ら)によるものである。 ペルーやボリビアでは、先住民やメスティーソのうち、インディヘナ的な文化、習俗を強く維持している人のことをチョロ(女性はチョラ)と呼ぶ。特に女性で、スペイン統治時代の名残を残す伝統的な衣装を着た人たちはチョリータ(男性はチョリート)と呼ばれる。なお、チョロ・チョラ・チョリート・チョリータともに侮蔑的な意味を含むことがあるので、これらの言葉の使用には注意が必要である。 スペインの植民地だったフィリピンでは、先住民と中国系の混血者をメスティーソと呼ぶことが多い。これはスペイン本国からフィリピンが遠すぎたため、スペイン人入植者が余り増えなかったためだと考えられる。 北アメリカのカナダでは、主にフランス人とインディアンの混血者はメティと呼ばれる。メティは近年再び一つの民族集団として存在感を増している。 ポルトガル語圏アフリカ(アンゴラ、カーボ・ヴェルデ、モザンビーク、サン=トメ・プリンシペ、ギニア・ビサオなど)では、メスチーソ(mestiço)は黒人と白人の混血、つまりスペイン語でいうムラートを指す言葉である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "メスティーソ(スペイン語: Mestizo、ポルトガル語: Mestiço)は、白人とラテンアメリカや先住民(インディオ)との混血である人々。ポルトガル語ではメスチース、またスペイン語はメスティソ、メスチーソ、メスチソなどとも書く。Mestiçagemなど原語では、人種の違うもの同士での婚姻や交配を意味し、転じて混血児全般を表す言葉になった。特に白人とインディオの混血のことを指すことが多い。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "植民地時代にスペイン人とキリスト教に改宗したインディオの結婚は合法だった。中南米のほとんどの地域では16世紀のスペイン侵略以降、キリスト教徒の先住民の人数が増えるにつれてスペイン人とインディオとの結婚が進んでいった。初期にはスペインから来る女性はほとんどいなかったので、スペイン人男性とインディオ女性の結婚は普通のことであった。コンキスタドール(征服者)がインディオの首長の娘と結婚し、その息子が父の後継者になることも可能であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "しかし、征服が一段落し安定的な社会制度が形成された16世紀後半になると、人種を基準にした身分社会が形成された。メスティーソは、スペイン人を父とする者と母とする者(クリオーリョ)とはっきり区別され、スペイン人の親が持つ特権を受け継ぐことはできなかった。ただしスペイン人を父とする者の場合父親が認知すれば財産の相続も可能であった。(もっともスペイン人を母とする者の数は少数であった。)スペイン政府はインディオとスペイン人の生活を分離しようと努めたので、メスティーソは中間の身分として様々な職業についた。そして、アングロサクソンの社会と違って厳格な人種差別 (One drop rule) というコンセプトはなかったので黒人と白人との結婚も珍しくなかった。なお、黒人と白人の混血児はムラート、黒人とインディオの混血はサンボと呼ばれた。植民地時代には、メスティソ男性と白人女性の子をカスティソというなど、細かな混血にそれぞれ呼び名があった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "メスティーソの比率が高くなり、インディオ旧来の社会が崩れてくると、非特権層としてのインディオとメスティーソの違いは曖昧になってきた。白人は特権を保持するために家系を重視したが、特権を持たないインディオとメスティーソにとって、何代も前の先祖のことはわからない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "植民地時代の終わりごろから、白人の男を父とするメスティーソを父親が引き取って白人として育てれば白人として遇されるようになったので、メスティーソと他人種の違いは、人種というより文化的な違いになった。独立後の中南米諸国には、メスティーソを国民のあるべき形としてたたえる思想が現れた。二つの人種に分かれた分断社会から、一つの国民を作り上げようとするナショナリズムである。19世紀には白人を至上としてヨーロッパ化を唱える思想も根強かったから、メスティーソ性の肯定には民衆文化の擁護創造の側面があったが、先住民の言葉と生活を守る人々にとっては同化圧力の強まりを意味していた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "独立後21世紀に至るまで、各国は移民を積極的に受け入れている。スペイン以外のヨーロッパ諸国からの移民は一世ならば白人だが、上流階級になるとは限らない。日本、中国などアジアからの移民も多いので、人種構成はさらに複雑になった。移民一世の多くはメスティーソではないが、以降は急速に通婚が進んでいく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "20世紀に入って、中南米ではメスティーソなどの人種的用語は一般の人に使われていない。「○○国の人口構成は白人○○%、インディオ○○%、メスティーソ○○%」というような数字が統計として流通しているが、中南米諸国は人種別の公的な家系図を備えていない。現代においては形質的・血脈的特徴でなくスペイン語を母語とする者をメスティソ、インディオの言語を母語とする者をインディオ(先住民)とすることもある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "南米では、エクアドル・ペルー・ボリビアのアンデスの国々では比較的インディオの特徴が強い。これは、スペイン侵略までインカ帝国という強大な国家があり、もともと人口が多かったこと、スペイン人が植民化以前の支配機構をそのまま利用し、その上に乗っかる形で支配したため、長くインディオ社会がそのままの自立性を保っていたことによる。インディオと白人が激烈な戦いを繰り広げたチリ・アルゼンチン・ウルグアイなどの南米南部の国々では、比較的白人の特徴が強い。南米最大の国であるブラジルの場合、ポルトガル人等によってアフリカから奴隷として連れてこられた黒人が多かったことより、黒人の特徴を持つ人も数多くいる。", "title": "地域的な違い" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "それとは逆に、パラグアイのメスティーソたちは自分たちのインディオ血統を誇るものが多い。これはスペイン人の征服当時からグアラニー人との友好関係が続いたことと、19世紀パラグアイにおける、国家的混血政策(フランシア博士ら)によるものである。", "title": "地域的な違い" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ペルーやボリビアでは、先住民やメスティーソのうち、インディヘナ的な文化、習俗を強く維持している人のことをチョロ(女性はチョラ)と呼ぶ。特に女性で、スペイン統治時代の名残を残す伝統的な衣装を着た人たちはチョリータ(男性はチョリート)と呼ばれる。なお、チョロ・チョラ・チョリート・チョリータともに侮蔑的な意味を含むことがあるので、これらの言葉の使用には注意が必要である。", "title": "地域的な違い" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "スペインの植民地だったフィリピンでは、先住民と中国系の混血者をメスティーソと呼ぶことが多い。これはスペイン本国からフィリピンが遠すぎたため、スペイン人入植者が余り増えなかったためだと考えられる。", "title": "中南米以外での類似した存在" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "北アメリカのカナダでは、主にフランス人とインディアンの混血者はメティと呼ばれる。メティは近年再び一つの民族集団として存在感を増している。", "title": "中南米以外での類似した存在" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ポルトガル語圏アフリカ(アンゴラ、カーボ・ヴェルデ、モザンビーク、サン=トメ・プリンシペ、ギニア・ビサオなど)では、メスチーソ(mestiço)は黒人と白人の混血、つまりスペイン語でいうムラートを指す言葉である。", "title": "中南米以外での類似した存在" } ]
メスティーソは、白人とラテンアメリカや先住民(インディオ)との混血である人々。ポルトガル語ではメスチース、またスペイン語はメスティソ、メスチーソ、メスチソなどとも書く。Mestiçagemなど原語では、人種の違うもの同士での婚姻や交配を意味し、転じて混血児全般を表す言葉になった。特に白人とインディオの混血のことを指すことが多い。
[[File:Cabrera 15 Coyote.jpg|thumb|250px|メスティーソの男性とインディオの妻(1763年画)]] [[File:Mestiso 1770.jpg|thumb|300px|スペイン人の男性とインディオの妻、子供はメスティーソ(1770年画)]] [[File:Casta painting all.jpg|thumb|350px|『カースト』(18世紀画、メキシコ)]] '''メスティーソ'''({{lang-es|Mestizo}}、{{lang-pt|Mestiço}})は、[[白人]]と[[ラテンアメリカ]]や[[先住民]]([[インディオ]])との[[混血]]である人々<ref>{{Cite web|和書|url = https://kotobank.jp/word/メスティーソ-141350 |title = ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 |publisher = コトバンク |accessdate = 2018-02-04 }}</ref>。ポルトガル語では'''メスチース'''、またスペイン語は'''メスティソ'''、'''メスチーソ'''、'''メスチソ'''などとも書く。Mestiçagemなど原語では、人種の違うもの同士での婚姻や交配を意味し、転じて混血児全般を表す言葉になった。特に白人とインディオの混血のことを指すことが多い。 == 歴史 == 植民地時代にスペイン人とキリスト教に改宗したインディオの結婚は合法だった。[[中南米]]のほとんどの地域では[[16世紀]]の[[スペイン]]侵略以降、キリスト教徒の先住民の人数が増えるにつれてスペイン人とインディオとの結婚が進んでいった<ref>http://www.juridicas.unam.mx/publica/librev/rev/facdermx/cont/242/art/art10.pdf</ref>。初期にはスペインから来る女性はほとんどいなかったので、スペイン人男性とインディオ女性の結婚は普通のことであった。[[コンキスタドール]](征服者)がインディオの首長の娘と結婚し、その息子が父の後継者になることも可能であった{{sfn|国本|2002|pp=112, 114}}。 しかし、征服が一段落し安定的な社会制度が形成された16世紀後半になると、人種を基準にした身分社会が形成された{{sfn|国本|2002|pp=114&ndash;115}}。メスティーソは、スペイン人を父とする者と母とする者([[クリオーリョ]])とはっきり区別され、スペイン人の親が持つ特権を受け継ぐことはできなかった。ただしスペイン人を父とする者の場合父親が認知すれば財産の相続も可能であった。(もっともスペイン人を母とする者の数は少数であった。)スペイン政府はインディオとスペイン人の生活を分離しようと努めたので、メスティーソは中間の身分として様々な職業についた。そして、アングロサクソンの社会と違って厳格な人種差別 (One drop rule) というコンセプトはなかったので黒人と白人との結婚も珍しくなかった<ref>Sweet, Frank W., Legal History of the Color Line: The Rise and Triumph of the One-drop Rule, Backintyme, 2005</ref>。なお、黒人と白人の混血児は[[ムラート]]、黒人とインディオの混血は[[サンボ]]と呼ばれた。植民地時代には、メスティソ男性と白人女性の子をカスティソというなど、細かな混血にそれぞれ呼び名があった。 メスティーソの比率が高くなり、インディオ旧来の社会が崩れてくると、非特権層としてのインディオとメスティーソの違いは曖昧になってきた。白人は特権を保持するために家系を重視したが、特権を持たないインディオとメスティーソにとって、何代も前の先祖のことはわからない。 植民地時代の終わりごろから、白人の男を父とするメスティーソを父親が引き取って白人として育てれば白人として遇されるようになったので、メスティーソと他人種の違いは、人種というより文化的な違いになった{{sfn|国本|2002|p=115}}。独立後の中南米諸国には、メスティーソを国民のあるべき形としてたたえる思想が現れた。二つの人種に分かれた分断社会から、一つの国民を作り上げようとするナショナリズムである。19世紀には白人を至上としてヨーロッパ化を唱える思想も根強かったから、メスティーソ性の肯定には民衆文化の擁護創造の側面があったが、先住民の言葉と生活を守る人々にとっては同化圧力の強まりを意味していた。 独立後21世紀に至るまで、各国は移民を積極的に受け入れている。スペイン以外のヨーロッパ諸国からの移民は一世ならば白人だが、上流階級になるとは限らない。日本、中国などアジアからの移民も多いので、人種構成はさらに複雑になった。移民一世の多くはメスティーソではないが、以降は急速に通婚が進んでいく。 20世紀に入って、中南米ではメスティーソなどの人種的用語は一般の人に使われていない。「○○国の人口構成は白人○○[[%]]、インディオ○○%、メスティーソ○○%」というような数字が統計として流通しているが、中南米諸国は人種別の公的な家系図{{efn2|[[戸籍制度]]を完備している国は、日本と韓国、台湾のみである。}}を備えていない。現代においては形質的・血脈的特徴でなくスペイン語を母語とする者をメスティソ、インディオの言語を母語とする者をインディオ(先住民)とすることもある。 == 地域的な違い == [[南アメリカ|南米]]では、[[エクアドル]]・[[ペルー]]・[[ボリビア]]の[[アンデス山脈|アンデス]]の国々では比較的インディオの特徴が強い。これは、スペイン侵略まで[[インカ帝国]]という強大な国家があり、もともと人口が多かったこと、スペイン人が植民化以前の支配機構をそのまま利用し、その上に乗っかる形で支配したため、長くインディオ社会がそのままの自立性を保っていたことによる。インディオと白人が激烈な戦いを繰り広げた[[チリ]]・[[アルゼンチン]]・[[ウルグアイ]]などの南米南部の国々では、比較的白人の特徴が強い。南米最大の国である[[ブラジル]]の場合、ポルトガル人等によって[[アフリカ]]から[[奴隷]]として連れてこられた[[黒人]]が多かったことより、黒人の特徴を持つ人も数多くいる。 それとは逆に、[[パラグアイ]]のメスティーソたちは自分たちのインディオ血統を誇るものが多い。これはスペイン人の征服当時から[[グアラニー人]]との友好関係が続いたことと、19世紀パラグアイにおける、国家的混血政策([[ホセ・ガスパル・ロドリゲス・デ・フランシア|フランシア博士]]ら)によるものである。 [[ペルー]]や[[ボリビア]]では、先住民やメスティーソのうち、[[インディヘナ]]的な文化、習俗を強く維持している人のことを[[チョロ]](女性は[[チョラ]])と呼ぶ。特に女性で、スペイン統治時代の名残を残す伝統的な衣装を着た人たちは[[チョリータ]](男性はチョリート)と呼ばれる。なお、チョロ・チョラ・チョリート・チョリータともに侮蔑的な意味を含むことがあるので、これらの言葉の使用には注意が必要である。 == 中南米以外での類似した存在 == === フィリピン === スペインの植民地だった[[フィリピン]]では、先住民と[[中国]]系の混血者をメスティーソと呼ぶことが多い。これはスペイン本国からフィリピンが遠すぎたため、スペイン人入植者が余り増えなかったためだと考えられる。 === カナダ === [[北アメリカ]]の[[カナダ]]では、主に[[フランス人]]と[[インディアン]]の混血者は[[メティ (カナダ)|メティ]]と呼ばれる。メティは近年再び一つの民族集団として存在感を増している。 === アフリカ === [[ポルトガル語圏]]アフリカ([[アンゴラ]]、[[カーボベルデ|カーボ・ヴェルデ]]、[[モザンビーク]]、[[サントメ・プリンシペ|サン=トメ・プリンシペ]]、[[ギニアビサウ|ギニア・ビサオ]]など)では、メスチーソ(mestiço)は[[ネグロイド|黒人]]と白人の混血、つまりスペイン語でいう[[ムラート]]を指す言葉である。 == メスティーソの多い主な国 == [[ファイル:Ecuadorian dress, Carnival del Pueblo 2010, London.jpg|thumb|300px|伝統衣装に身を包んだメスティーソの女性]] * [[ホンジュラス]] 90{{nbsp}}[[%]] * [[エルサルバドル]] 90{{nbsp}}% * [[パラグアイ]] 90{{nbsp}}% * [[ニカラグア]] 69{{nbsp}}% * [[エクアドル]] 67{{nbsp}}% * [[パナマ]] 60{{nbsp}}% * [[メキシコ]] 60{{nbsp}}% == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} '''注釈''' {{notelist2}} '''出典''' {{reflist}} == 参考文献 == * {{citation|和書 | last = 国本 | first = 伊代 | author-link = 国本伊代 | title = メキシコの歴史 | publisher = 新評論 | year = 2002 | id = {{ISBN2|4-7948-0547-0}}、ISBN-13:978-4-7948-0547-8 }} == 関連項目 == {{commonscat|mestizo}} * [[ライトスタッフ]] {{人種}} {{DEFAULTSORT:めすていそ}} [[Category:メスティーソ|*]] [[Category:アルゼンチンの民族]] [[Category:ベリーズの民族]] [[Category:ボリビアの民族]] [[Category:チリの民族]] [[Category:コスタリカの民族]] [[Category:コロンビアの民族]] [[Category:エクアドルの民族]] [[Category:エルサルバドルの民族]] [[Category:グアテマラの民族]] [[Category:ホンジュラスの民族]] [[Category:メキシコの民族]] [[Category:ニカラグアの民族]] [[Category:パナマの民族]] [[Category:パラグアイの民族]] [[Category:ペルーの民族]] [[Category:ベネズエラの民族]] [[Category:フィリピンの民族]] [[Category:中央アメリカの民族]] [[Category:アメリカ合衆国の民族]] [[Category:ラテンアメリカの民族]] [[Category:北アメリカの民族]] [[Category:南アメリカの民族]] [[Category:アメリカ大陸史]] [[Category:アメリカ大陸の植民地化]] [[Category:先住民族のジェノサイド]] [[Category:民族集団]] [[Category:人種]] [[Category:ラテンアメリカの文化]]
2003-02-28T01:10:04Z
2023-10-31T13:53:31Z
false
false
false
[ "Template:Notelist2", "Template:Cite web", "Template:Commonscat", "Template:Sfn", "Template:Efn2", "Template:Nbsp", "Template:脚注ヘルプ", "Template:人種", "Template:Lang-es", "Template:Lang-pt", "Template:Reflist", "Template:Citation" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BD
3,014
コンパクトカセット
コンパクトカセットは、オランダの電機メーカーであるフィリップス社が1962年に開発した、フェライトを素としたオーディオ用磁気記録テープ媒体の規格である。小型かつ安価である事から民生用記録メディアの事実上の標準となり、20世紀後半の音楽市場を支えた。「カセットテープ」、「アナログカセット」、「フィリップスカセット」などとも呼ばれる。また1990年代初頭に登場したDCC(デジタルコンパクトカセット)に対するレトロニムとして、ACC(アナログコンパクトカセット)と表記することもある。 1950年代以降、オープンリール式だった録音テープを扱いやすくするため、1958年にアメリカのRCA社が「カートリッジ」を考案したのを端緒に、世界の各社が「カセット」「マガジン」などの名前と仕様で、磁気テープをケースの中に収納したものを開発し始めた。ソニーでは1957年にリールを2段重ねにしてテープをマガジン状に収納した「ベビーコーダー」を発売しており、これは他社に先駆けてテープのカセット化、レコーダーの小型・軽量化を行ったものだったが、普及するまでには至らなかった。 また、中にはオープンリール式同様に一方向回転でエンドレス構造とした8トラック方式(1965年)のような事例があった一方、同一規格リール2個をカートリッジ内に固定し、テープ上トラックを2セットに分けたうえで、両回転方向で往復(片方向送り専用に比して2倍)の録音・再生ができる構造とし、長時間録音を可能とした製品も見られた。 往復型カートリッジの中でもフィリップスの製品開発部長ルー・オッテンスが主導し開発したコンパクトカセットは小型の割に音質が良かった。 当時ソニー第2製造部長の大賀典雄は「カセットの世界標準をつくりたい」と考えていたが、ソニー1社で行うのは困難であると感じていた。1963年9月のベルリンで開かれたショーの会場で、ドイツのグルンディッヒが大賀に「DCインターナショナル」というカセットの規格化の話を持ち込み、一方でフィリップスのデッカーが来日した際、既に発売されていたコンパクトカセットを一緒に広めようと話を持ち掛けてきた。 大賀はコンパクトカセットを採用することに決め、特許使用料の話になるが、当初フィリップスは日本中の各社に1個につき25円を提示するが、大賀は無料を主張した。その後の話し合いの結果、ソニーには無料ということになったが、独占禁止法や他メーカー間の信頼を考慮した結果、1965年にフィリップスが互換性厳守を条件に基本特許を無償公開したため、多くのメーカーの参入を得て事実上の標準規格となった。このため単に「カセットテープ」の呼称でも通じるようになっている。 日本の磁気テープ産業は1965年のオープンリール当時、約35億円で、輸出もほとんどなかったが、コンパクトカセットが誕生し、音楽にも使用され始めた1969年には100億円を突破、1981年にはオーディオテープだけで約1300億円の産業となり、輸出額も660億円となった。 性能に関しても、当初はテープ幅の狭さやテープ速度の遅さによる制約から会話録音や BGM 程度までのメディアと考えられ、語学学習などへの活用も目立っていたが、1960年代末頃から性能が大きく向上し、1970年代には携帯が容易な音楽用メディアとして広く普及した。メディアが廉価で長時間再生に適することもあって、録音媒体としてレコードのダビング、放送番組を録音するエアチェックなどに幅広く活用された。1980年代まではレコードのダビングとラジオ録音、1990年代まではCDのダビングとラジオ録音に多く用いられた。音楽の交換のため、ステレオやラジカセなどを用いた、カセット同士でのダビングも良く行われていた。 カーオーディオの分野においても、先行する8トラックカートリッジ方式に比べて小さなコンパクトカセットはスペースの限られる自動車のダッシュボードにデッキを配置しやすく、実用上の耐久性にも優れ、1970年代から1980年代にかけ隆盛を極めた。 また、全盛期にはコンパクトカセットはある種のファッションと見做され、デザイン面で大きな変化を遂げた。まず、1979年のウォークマンの発売で、場所を選ばず音楽を聴く事が可能になると、コンパクトカセット自体がファッション化した。1980年代のコンパクトカセットのデザインは、若者が外に持ち出す用途を考慮して徐々にカラフルになって行ったが、あくまで同じ形のプラスチックケースに同じ形のシールを貼り付けた程度の、統一的なデザインであった。しかし、全盛期としては末期の1990年代になると、プラスチックケース自体に画像を印刷したコンパクトカセットがソニー,TDK,マクセル,AXIAを筆頭として多数発売された。例えば、ソニーのCDixシリーズでは、グラフィティやレトロフューチャーのデザインを全面に用いた製品が存在した。 音楽制作の現場では、テープを片面方向のみに使用し、両面それぞれの左右チャンネルの合計4チャンネル、あるいは特殊なヘッドで8チャンネルの再生・録音を可能にしたマルチトラック・レコーダー (MTR) の記録媒体として重宝された。 またコンパクトカセットは、コンピューター分野ではCMT(Cassette Magnetic Tape : カセット磁気テープ)と呼ばれていた。1980年前後を中心に、初期のパーソナルコンピュータの記憶メディアとして個人ユーザーを中心に広く利用され、専用の製品も発売されていた(データレコーダも参照のこと)。しかしその後、本格的なデータ用メディアであるフロッピーディスクの低価格化と普及に伴って利用されなくなった。1980年代前半に人気のあったMSXではカセットテープでのゲーム発売なども行われており、近年の復刻が困難になる一因となっている。 コンパクトカセットは民生用の録音規格として大きく普及したが、1980年代以降は新しく台頭したデジタルメディアのCDと比較されるようになったため、コンパクトカセットのパッケージでも技術的な用語を用いて高音質を謳い、デジタル感を押し出すようになった。こうして日本において1989年には販売数がピークに達し、年間約5億巻を売り上げたとされる。 1990年代初頭にはコンパクトカセットの後継として、音声データをデジタルで記録・再生でき、コンパクトカセットとの再生互換性を持たせたデジタルコンパクトカセット (DCC) とミニディスク (MD) が登場し、結果として1990年代後半から若年層を中心に録音メディアの主流がMDに移行した。 2000年ごろからはポータブルMDプレーヤーなどの小型化、再生時間の長時間・大容量化が進み、発売当初の本体の巨大さや短い電池持続時間が解消され、2000年代後半からはデジタルオーディオプレーヤーやICレコーダー(リニアPCMレコーダー含む)も台頭し、それらデジタルオーディオの安定した高音質やランダムアクセスによる容易な選曲などの使い勝手の良さに慣れたユーザーは次第に新しい媒体へと移行した。 なお、CDやMD対応デッキの普及により、車載用コンパクトカセットデッキの種類は次第に数が少なくなっていった一方で、iPodをはじめとする大容量携帯プレーヤーをカーオーディオで聴くユーザーの間では、FMトランスミッターに比べて音質劣化や電波干渉を受けにくいコンパクトカセット型のカセットアダプターを珍重する傾向があった。しかし2013年に入るとカーオーディオの分野からは自動車メーカー純正品(ただし輸出用は除く)、社外品に関わらず1DIN、2DIN規格ともどもカセット対応カーオーディオはラインナップから消滅している。 このように若年層を中心とした利用者減少のため、1990年代に見られたファッショナブルな製品ラインナップは順次生産終了となった。またJ-POPや洋楽などの国内向けミュージックカセットテープは国内盤だと1990年代末に、アジア圏などへの輸出向けなど逆輸入盤だと2000年代半ばに消滅した。 一方で、小売店では売価2,000 - 5,000円程度のモノラルラジカセ、CDラジカセと録音済音楽テープが引き続き廉売されている。また主にカセットテープで育った高年齢層のカラオケや稽古事用途で使用されている。そのため一番売れているのは10分用テープである。また演歌などでは2014年時点においてもCDとカセットの同時発売が依然として続いている。 主に高齢者世代に根強い支持の理由としては、「巻き直しも楽なのでカラオケの練習に都合がいい」「テープレコーダーも再生ボタンを押すだけのシンプルな操作で手間いらずなので、スマホなどの最新機器に慣れていないシニア世代でも使いやすい」などの理由が挙げられる。 コンパクトカセットに変わり普及していったMDの方が先に衰退していったが、その理由としてコンパクトカセットはハードの技術が容易で新興国でも生産が可能である一方、衰退したメディアはメーカー側に採算が合わなくなったことが挙げられる。 2010年代には、デジタル配信によってCDなどのメディア自体を所有しないで音楽を聴くスタイルが普及する一方、アナログ回帰の一環としてコンパクトカセットが注目され始め、様々なデザインのコンパクトカセットが少量生産されるようになった。また「昭和レトロ」ブームや1970年代から80年代にかけて流行したシティ・ポップの再評価で、カセットテープを知らなかった若い世代にも注目されるようになった。新世代による、アナログ回帰だけに留まらない現代的なファッションとしてのコンパクトカセットの流行も起き、ヴェイパーウェイヴ界隈で特に際立っている。 その後新たにノーブランド(販売網ブランド)のカセットテープの販売が復活した。2019年4月時点では、業界全体で年間約1000万巻が販売されている。ただし安価な無地のノーマルポジションテープのみであり、新機種に関してもクロム(ハイポジション)テープ録再(ただしティアック製の据置き型単品オーディオコンポーネント用カセットデッキを除く)、メタルテープ録再、ドルビーBタイプなどにみられるノイズリダクション録再、オートリバース、倍速ダビングなどの各種機能に非対応(すでに必要なパーツを作れない、いわゆるロストテクノロジー)である。 コンパクトカセットはハーフ、ハブ、テープ、リーダーテープ、スリップシートで構成される。 テープはハーフもしくはシェルと呼ばれるプラスチック製ケースの中に、ハブというリールに巻かれた状態で入っており、ベーステープと呼ばれる薄い強化ポリエステルのテープ上にバインダと呼ばれる接合剤で磁性粉を接着している。また1970年代後半以降はテープの走行性を保ち、ドロップアウトやヘッドの摩耗を防ぐため、テープ表面に鏡面仕上げを施している。 また、テープにはオープンリールと同じように再生開始および終了時の伸びにより劣化することがないよう、リーダーテープと呼ばれる、録音ができない乳白色や無色透明のテープが両端に付属している。リーダーテープには一部のメーカー品ではヘッドクリーニングテープを兼ねている。リーダー部およびクリーニング部の長さは5秒程度から40秒ほどの物までさまざまである。ここには録音ができないので、録音前にはあらかじめリーダーテープ部分を巻き取り、録音テープ部を録音ヘッド接触点直前まで送り出しておく必要がある。一方データレコーダー用の短時間のカセットテープにはリーダーテープがなく、いきなり録音テープ部になっているものもある。 ハーフとテープの間には走行性を維持するためにスリップシートと呼ばれる、長繊維ポリエステル系の素材で出来たシートが挟まっている。またヘッドが押しこまれる部分にはヘッドとのタッチを良好に保ちなおかつテープ裏面に付着した磁性粉を清掃するためにフレッシャーパッドと呼ばれるパッドがつく。またヘッドから巻かれているテープへ磁気の影響が及ばないよう、遮磁板がある場合が多いが、これは省略しても問題はない。 ケース上部には誤消去防止の「ツメ」があり、ここを折ると録音や上書きができなくなる。再び録音する場合はセロハンテープなどでふさげばよいが、この場合クローム・メタルテープではオートテープセレクター用テープポジション検出孔をふさがないようにする。 なお経年劣化によって、リーダーテープと磁気テープのつなぎ目や、リールハブの留め具が劣化して、巻戻しや早送りの終わりで、リーダーテープと磁気テープが分離したり、ハブの留め具が折れてテープが脱落することがある。リーダーテープと磁気テープが分離した場合はスプライシングテープでつなぎ合わせて再使用が可能である。またハブの留め具からテープが脱落した場合は他のハブを転用して再使用が可能である。 録音は電気信号を録音ヘッドで磁気に変換しヘッドギャップから放射させ、そこに磁性体を塗布した磁気テープを接触させ磁気的に記録する。磁気テープを長手方向に一定速度で摺動させることにより信号を連続的に記録する水平磁気記録方式である。再生は録音の逆で、再生ヘッドで磁気を電気信号に変換することで行う。また録音時には消去ヘッドによる既存の録音の消去も行われる。ヘッドがすべて独立している場合、磁気テープは消去ヘッド、録音ヘッド、再生ヘッドの順に通過する。 録音ヘッドと再生ヘッドは兼用できるが最適な設計が異なるので、性能を追求するならばそれぞれ専用が望ましい。しかしコンパクトカセットは本来録再兼用ヘッドの使用を想定しており、その分のスペースしかないので、録音と再生をそれぞれ専用ヘッドとする場合は録再コンビネーションヘッドと呼ばれる、録音ヘッドと再生ヘッドを一体化したヘッドが用いられることが多い。 録音ヘッドに加える電気信号は音声信号のみでは残留磁束の直線性が悪いので、録音バイアス信号が重畳される。オープンリールテープレコーダーと同じく高周波(100 kHz 程度)の交流を録音バイアス信号とする交流バイアス法が標準的である(交流バイアス信号自体は周波数が非常に高いため記録されない)。消去には消去ヘッドに高周波の交流(ほとんどの場合録音バイアス信号と出所は同じもの)を加えて行う交流消去と、安価なレコーダーで用いられる、永久磁石でできた消去ヘッドをテープに当てることで行う直流消去とがある。 トラック構成は通常 2 トラックのモノラルまたは 4 トラックのステレオで、カセットの表と裏にあたる A 面と B 面(A 面をサイド 1, B 面をサイド 2 ともいう)をひっくり返すことにより往復で使用できる(このように往復で使用できるとテープを巻き戻す必要がなく都合が良い)。テープ幅は 3.81 mm(0.15 in.) で、中央の 0.66 mm は A 面 B 面のトラック間のガードバンドとし記録しない。モノラル記録の場合、その両側各 1.54 mm を A 面および B 面のトラックとする。カセットの「A 面」と表示されている側を上にした場合、実際には A 面のトラックはテープの下側、つまり「B 面」と表示されている側になる。ステレオ記録の場合はモノラルの各トラックの中央 0.3 mm にあたる部分を左右チャンネルトラック間のガードバンドとし、その両側各 0.62 mm を左右チャンネルのトラックとする(テープ端側が左チャンネル)。モノラル記録のトラックとステレオ記録のトラックが同じ位置にあるためモノラルとステレオに互換性がある。 録音・再生のテープ速度は 4.76 cm/sと規定されており、カセットハーフに設けられた孔に一定速度で回転するキャプスタンを通し、テープを挟んでゴム製のピンチローラーを押し当てることで、テープ位置により変化するリール巻径にかかわらず一定のテープ速度を得ている。 4.76 cm/s というテープ速度は家庭用オープンリールテープレコーダーに用いられた速度 9.53 cm/sの半速であり、本来、音質より小形と経済性を優先した規格である。 録音時と再生時のテープ速度が異なっていると音の高さや曲のテンポ、演奏時間が変わってしまうので、互換性上テープ速度は重要である。しかし正確に合わせることは難しく、特に録音と再生で別のレコーダーを使用した場合、音の高さや曲のテンポ、演奏時間が明らかに変わることがある。逆にピッチコントロールとして速度を微調整できるようにしたレコーダーもあり(曲のテンポや演奏時間も変わる)、楽器ルート系の機材に多くみられる。ほとんどのものはピッチコントロールが有効なのは再生時だけで、録音時にはあらかじめ調整された速度に固定される。 なお、テープ速度が変動するとワウフラッターが生じる。これを防ぐためキャプスタンは精密に仕上げられており、またほとんどのレコーダーはキャプスタンの根元にフライホイールを備え、その慣性を利用して回転むらを抑えている。しかし可搬型のレコーダーでは本体が揺れると慣性が逆に回転むらを発生させてしまうため、フライホイールを 2 つ持ち、互いに逆回転させて相殺するもの(アンチローリング)や、フライホイールを持たず電子制御によって回転むらを抑えるものもある。 平坦な周波数特性を得るには大幅なイコライゼーションが必要で、互換性を保つため IEC により再生イコライザの時定数が規定されている(高域時定数は IEC Type I テープでは 120 μs, IEC Type II, IEC Type III, IEC Type IV テープでは 70 μs、低域時定数は 3180 μs)。実際には磁束の測定は困難なので、 IEC の時定数に従って記録されたキャリブレーションテープが用意され、それを再生してフラットになるよう再生系が調整され、次いで録再総合特性がフラットになるように録音系が調整される。 特殊な用途向けに独自の録音方式も開発された。 当初は会話録音・ BGM 用程度に手軽に扱えるものだったコンパクトカセットだが、用途が Hi-Fi にも拡がり周波数特性やダイナミックレンジなどが要求されるようになると、さまざまな磁性体を用いたさまざまな特性のテープが現れ、互換性に問題が生じてきた。そのため、テープの録音特性として IEC Type I, IEC Type II, IEC Type III, IEC Type IV の 4 タイプを策定し、それぞれに基準となる IEC リファレンステープを規定して、タイプごとに互換性を保つことになった。 IEC Type I - IEC Type IV は元は磁性体の種類に応じて分けられたものだが、録音特性が同等ならば磁性体の種類は問わない。 コンパクトカセットの性能向上が著しかった時代には市販テープに追随するために IEC リファレンステープはたびたび改訂されたが、1994年に IEC Type I リファレンステープが BASF Y348M に改訂されて以降、改訂は行われていない。 コンパクトカセットの登場当初から使われているテープと同系の、最も基本的なテープである。最初期のものはオープンリール用スタンダードテープを使用したものが少なからず存在する。「ノーマル」テープとも呼ばれ、一部特殊用途のレコーダーを除き、ほぼすべてのレコーダーで使用できる。安価なものが多く高級なテープでないように思われているが、長年の改良でS/N比の改善により低ノイズ化され、CDなどのデジタル音声由来の音声ソースからの録音対応など高性能を謳ったものも数多く登場した。これらはSTD(Standard)ランク、LN(Low Noise)ランク、LLHランク(Low-Class Low-noise High-output)、LH(Low-noise High-output)ランク、SLH(Super Low-noise High-output)のように複数のランクで性能差を判別する。 1990年代以降は低価格化やコストダウンが目立ち、音楽・一般兼用の低級LHと音楽用の標準LHのみの販売にほぼ集約された。TDKのF・LN・D・AE・SD・AD、日立マクセルのLN・UL・UR・UD・UDΙはソニーと日本コロムビア(DENONブランドを含む)を除く数多くの録音機メーカーのリファレンス(基準)テープとして用いられた。 磁性体として当初γ‐酸化鉄 (III) (γ-Fe2O3) が用いられ、またその後も多く用いられたので "Fe2O3" と表記されることがあるが、 IEC Type I テープの磁性体は必ずしも Fe2O3 ではなく、主に高級タイプに用いられた、Type III に倣った発想で、特性の異なるγ酸化鉄を二層塗布したもの(富士写真フイルム/Fx-Duo・Range6、日本コロムビア=DENON/初期DX3・DX4)、例は少ないが四酸化鉄(マグネタイト Fe3O4)のもの (TDK/ED)、そして1980年代に入って開発された、γ酸化鉄の生成時の内部空孔(ポア)をほぼなくして磁気効率を改良した無空孔(ノンポア/ポアレス)酸化鉄(TDK/初期AR、日立マクセル=maxell/初期UDI)およびそれのコバルト被着タイプ(前掲機種の後期型)がある。また、後にType IIの主流になったものの、最初はType Iの高性能タイプ用に用いられたものに、コバルトドープ酸化鉄 (Scotch/HighEnergy) やコバルト被着酸化鉄 (maxell/UD-XL) がある。特にコバルト被着酸化鉄はその調整の容易さと高域特性改善の面からTypeIでも並行して用いられ、1970年代後期から高級タイプ (TDK/AD-X、maxell/XLI-S) の、1980年代中期以降は普及タイプ(富士写真フイルム=AXIA/PS-I、太陽誘電=That's/RX)にも多用された。 再生イコライザの時定数は 120 μs と 3180 μs 。 カセットに IEC I, TYPE I, または単に I の表示がある。 IEC リファレンステープは BASF Y348M (1994年改訂)。 1970年代初期に登場。IEC Type I より保磁力の大きな磁性体を使用するテープである。テープ速度が遅いため高域のダイナミックレンジが狭いコンパクトカセットの欠点を改善するために開発された。「クロム(クローム)」「CrO2」「コバルト」「Co-Fe2O3」テープなどとも呼ばれる。俗に「ハイポジション」とも呼ばれる。 磁性体としては最初期こそ代名詞ともなった二酸化クロム(CrO2; デュポンが発明)が主流だったが、中域以下の MOL が低くヘッド摩耗が激しかったことに加え、日本国内でめっき工場の廃液などの公害問題(六価クロム廃液)の風評の余波で次第にフェードアウトし、特許のライセンス問題もあったので、1970年代後半 - 1980年代初頭に一部で用いられたコバルトドープ酸化鉄(Scotch/Master70、DENON/初期DX7)等を経て、コバルト被着酸化鉄磁性体(Co-γ-Fe2O3;酸化鉄の表層にコバルトフェライトが結晶成長したもの)(TDK/SA、maxell/XL II)へ移行した。これらは中低域の強化や低ヒスノイズ化、高域MOLの向上が図られ、1980年代には音楽用テープの代名詞となった。1980年代終期、この酸化鉄の代わりに前述のマグネタイトを核に用いたものもあり、日立マクセル、日本コロムビア等が採用した(maxell/最終XL II-S、後期UD II)。 ポジションの位置づけとしてはノーマルテープよりも上位だが、性能的には高級ノーマルテープと重なる部分があり、低価格タイプが高級ノーマルテープ、中級タイプが最高級ノーマルテープと同等の性能と評価されている。ただし高級ノーマルテープが得意な高MOL特性と、ハイポジションが得意な低ノイズ特性を相殺した評価であるため、実際の音質特性はそれぞれ異なる。 IEC Type I より録音バイアス量を増やす必要があり(IEC Type I 比 1.5 倍程度)、また保磁力は IEC Type I、および IEC Type III 磁性体の約 1.5〜1.8 倍程度もあり、これらの各ポジション用テープに比較して消去しにくいため、 IEC Type II テープに対応したレコーダーでないと録音できない。再生はできるが高域が強調されるので、基本的には IEC Type II テープに対応したレコーダーでないと使用できないと考えた方がよい。 再生イコライザの時定数は 70 μs と 3180 μs で、再生時に IEC Type I テープより高域を減衰させることで雑音の高域成分を抑えている。 カセットに IEC II, TYPE II, または単に II の表示がある。 IEC リファレンステープは BASF U564W (1986年改訂)。 高域は伸びるが低域に弱いIEC Type IIと、逆に中低域は強いが高域が弱いIEC Type Iの両者を併せることで弱点を補完しようという発想から生まれたものである。 基本的に下層に中低域用のγ-ヘマタイト、上層に高域用の二酸化クロムを塗布するため、「フェリクロム(フェリクローム)」「Fe-Cr」テープとも呼ばれるが、他にも上層をコバルト被着酸化鉄にしたり (DENON/DX5)、特性の異なるコバルト被着酸化鉄の二層塗布とするものも存在する。元々は IEC Type I のみに対応するレコーダーの高域特性を改善するために開発され、1973年にソニーから初の二層塗布テープ「Duad」が発売された。後にIECで正式にTypeIIIとして制定された。 高級音楽用として、1970年代には各社の最高価格帯の製品として君臨したものの、製造工程の複雑さや専用のバイアス・イコライザが必要ではあるが自動ポジション検知は構造上できない等の使用時の煩雑さ等もあり、発売したメーカーは多くない。日本でも大手のTDK、日立マクセル、富士写真フイルム等は採用せず、同価格帯には高級ノーマルポジションを置いていた。 IEC Type III テープが登場した当時(1973年)は IEC Type I のみ対応のレコーダーで使用でき、また初期の IEC Type II テープは中域以下の MOL が低い欠点があったため存在意義があったが、 IEC Type I, IEC Type II テープが改良され、またレコーダーも IEC Type II に対応したものが多くなると存在意義が希薄になり、1978年に3M社よりメタルテープ (Type IV) が発売された後は、最高級音楽用としての役割はそちらに置き換えられて各社とも撤退し、日本で1980年代まで発売を継続していたのは開発元のソニーのみであったが、それも1980年代後期にはカタログ落ちしている。ソニー製カセットデッキでも1984年に発売された「TC-K333ES」を皮切りに手動式テープセレクター仕様であってもIEC Type III対応カセットデッキは順次廃止されている。ただし、1980年に販売開始した可搬型カセットデッキ「TC-D5M」(通称「カセットデンスケ」)は、手動式テープセレクターによるTypeIII対応機として2005年まで生産販売されていた。最高価格帯の製品でもあったためか同時期には1社1グレードのみで、価格帯としては同時期のIEC Type IIと同等かやや上、IEC Type IVよりは下となる。 そのType IIIがほぼ死滅した1980年代中期、松下電器産業が「オングローム」ブランドで投入した蒸着テープが存在した。通常の塗布層の上にさらに金属コバルトを蒸着させるという、発想自体は極めてType III的な製品だった(ポジションは当初Type II、後Type I・IVを追加)。TypeIIIと異なる点は、低域 - 中高域のテープ特性の大部分は下の塗布層に由来しており、上の蒸着層は超高域(スピーカーで言うスーパーツィーター)のみを担当する。そのために高域特性を大幅に改善したものの、塗布層自体の性能が他社の同価格帯と比較して見劣りしていたこと、その強力な高域特性のためデッキによって相性の相違が激しく、また製造コストの高騰からくる価格設定の高さもあり、短命に終わった。この技術は、蒸着層の超高域信号(ビデオの映像信号)への対応能力を買われて、後にビデオカメラ用テープの技術として開花することとなる(Hi8のMEタイプ、その後のテープ式デジタルビデオの規格DV (ビデオ規格)|DVC)。 録音バイアス量は IEC Type I 比 1.1 倍程度。再生イコライザの時定数は IEC Type II と同じく 70 μs と 3180 μs 。 カセットに IEC III, TYPE III, または単に III の表示がある。 IEC リファレンステープはソニー CS301 。 最も後に現れたもので、酸化されていない鉄合金磁性体を使用するテープである。「メタル」テープとも呼ばれる。 磁気テープが実用化された当初から、磁性体としての性能は酸化鉄より純鉄(酸化していない鉄)のほうが優れていることは判っていたものの、酸化しやすい(安定性が悪い)点や製造コストなどの点から実用化は遅れていた。元々はデータレコーダ用高密度記録用磁性体として開発されており、それを音楽用に転用した製品が、1978年、米国3M社から「Metafine」として発売され、後にIECで正式にTypeIVとして制定された。 元々が高価格であったため(後に低価格化されたが)、長らく愛好家(マニア)向けというイメージがあった。ラインナップは当初、各社の最高価格帯に設定され、基本的に1社1品種(TDKのMA-R、およびMA-XGはハーフのみ異なる番外的な製品)であったが、後にメタル磁性体の量産体制が整うと低価格化されて、1990年代にはノーマルやハイポジションの低価格帯と同等までになった。同時にグレードも多岐にわたり、最盛期となる1980年代終盤には国内大手メーカーで高級機から普及機まで3 - 4グレードを擁していた。 主成分はα-Feとコバルトなどの合金であるが、これも酸化に弱いという欠点を克服すべく、各社工夫していた。表面にマグネタイトを形成する方法が一般的だがまったく充分ではない。還元時の焼結防止も兼ねてシリカ、酸化アルミニウムなどを析出、被覆し酸化防止をしている。このメタル磁性体も、1980年代初期よりイコライザーが同じTypeIIへの転用が図られ、極めて高出力な特性を買われて主に高級タイプ (TDK/HX、DENON/DX8) に用いられたが、中には低価格タイプ (That's/EM) も存在する。このメタルパウダーの成分はNiを合金としており、ハイポジションの保磁力に近づけるように設計をしていた。これは言い方を変えればメタル磁性粉をパーマロイ化して保磁力を下げたといってよい。俗にLow Hcメタルとも呼ばれ、ハイポジションの欠点であった低音域のパワー不足を大幅に向上させた。 残留磁束密度は IEC Type I - IEC Type III 磁性体の 2 倍程度、保磁力は IEC Type II 磁性体の 2 倍程度、およびIEC Type I 磁性体の 3 倍程度もあり、結果として全帯域での録音レベル及びMOLが非常に高い。かつてのオープンリールテープに迫るダイナミックレンジを持つと言われた。反面、録音バイアス量を IEC Type II の更に 1.5 倍程度に増やす必要があり、消去も IEC Type II より更にしづらく、一度録音したものの上から直接録音すると前の音が残留してしまうなどの問題もあり、取扱いに注意を要する。テープの能力としては非常に高いといえるが、レコーダー側のヘッドや発振回路などの負担も大きくなる。当然、 IEC Type IV テープに対応したレコーダーでないと使用できない。 再生イコライザの時定数は IEC Type II と同じく 70 μs と 3180 μs 。録音機器、および再生機器側がそれぞれハイ(クロム)ポジションに対応していれば、再生のみは可能。 カセットに IEC IV, TYPE IV, または単に IV の表示がある。 IEC リファレンステープは TDK MJ507A (1991年改訂)。 収録時間は、“Cassette”の頭文字“C”に両面の公称総収録時間を付けて表示される(主に1970年代後期頃からは省略されることが多い)。標準的な製品は、それぞれC-30からC-120と呼ばれる、両面で30分 - 120分(=片面で15分 - 60分)録音できるものである。 収録時間によってテープの厚みが異なり、標準タイプのC-60以下で約17 - 18μm(ベース厚13.5μm)、長時間タイプのC-64 - C-90でその約2/3の11 - 12μm(ベース厚7.5μm)、超長時間タイプのC-120で半分の9μm(ベース厚4.5μm)と段々薄くなる。なお、この数値は磁性層4.5μm(メタルテープは3.5μm)を含んだ厚さであり、テープの長さが変わっても磁性層の厚さは変わらず、ベースフィルムの薄さにのみ影響する。このため、長時間録音になると安定性と耐久性は悪化し、高温下で伸びやすく、又は過剰なテンションによって切れやすくなる。温度変動が大きい高負荷環境にあるカーステレオや、特に緻密な走行制御(安定性)を要するクローズドループ・デュアルキャプスタンを採用した一部のテープデッキ(主に概ね最低5万円台以上のクラスの3ヘッドタイプのものがほとんど)ではC-90以下の使用を推奨している。 規格としてはTDKの輸出モデルなどにC-180やC-240もあるが、耐久性の問題(テープ厚はC-180で6.5μm、C-240で5μm。ベース厚はそれぞれ2μm、0.5μm=物理上の限界値)もあり製品としてはほとんど存在しない。 特殊用途を除く一般的な収録時間は、過去に国内で発売されたものだけでもC-5・C-6・C-8・C-9・C-10・C-12・C-15・C-16・C-18・C-20・C-22・C-30・C-36・C-40・C-42・C-45・C-46・C-48・C-50・C-46+5・C-52・C-54・C-55・C-60・C-62・C-64・C-65・C-60+5・C-70・C-74・C-75・C-76・C-80・C-84・C-90・C-92・C-94・C-90+5・C-100・C-108・C-110・C-120・C-120+5・C-150と多岐にわたる。 テープは磁気の強弱で情報を記録しているため、磁界の影響で内容が消滅する恐れがある。そのため磁石の近くや強い磁界のある場所(大型ブラウン管ディスプレイやスピーカーの上)や高温になる所(自動車のダッシュボード)に保管してはならない。また高熱でテープの伸び(形状から“ワカメ”と呼ばれる)やケースの変形が生じると復元困難になる。 またテープは繰り返し再生および録音を行うことで磁性体劣化、摩耗、テープ伸び、テープ鳴きなどの傷みが生じる。その結果消耗や保存状態などによる経年変化が進むと音質の著しい劣化(雑音、ゆがみなど)が起き、またテープ切れが起こるなどの要因で使用できなくなる。それ以外にも録音したものを使用せずに数年放置しておくと、リールの巻き部分で外側と内側のテープの磁気記録が干渉し、転写や音量低下、音質悪化を招く。 テープのうち、再生時間が概ね70分以上のものはリールへの巻き取り外径を小さくするため、磁気テープ媒体が通常より薄くなっている。磁性層の厚さ(4.5μm)は変わらないので、ベースの厚さは再生時間70~90分タイプの場合で60分タイプ(13.5μm)の約56%(7.5μm)となり、120分タイプでは33%(4.5μm)、150分タイプに至っては20%(2.7μm)の厚さでしかなくなる。このため、特に120分以上再生タイプは強度の面で問題があり、再生時間が概ね90分以下のテープにしか適応していないレコーダーで再生・録音をすると、テープ損傷、カセットテープ全体の作動不良、走行トラブルの恐れがある(再生可能なレコーダーでも早送りや巻き戻し・一時停止などの操作を頻繁に繰り返すと走行トラブルの原因となる)。 以下のような欠点がある。 コンパクトカセットのテープはヘッド接触部周囲で外部に露出しており、ケースから出したままの状態ではテープの損傷やほこりの付着を招くため、カセット本体やインデックスカード、タイトル記入シールを収納するためにケースが付属する。ケースに納めるとリールが固定され、持ち運びなどで振動が加わってもテープのたるみが生じない。 ※2019年(令和元年)7月現在。太字...ハイグレードタイプ、印...ハイポジション。 業務用カセットテープメーカーを除く。 (日本国内での正式販売はないので、輸入問屋などを通じるなどして購入可能) OEM商品も含む。 以下は過去に市販されたものである。 ※無印は音楽録音専用標準(LH)タイプまたは音楽録音・一般録音用途兼用(LLH)タイプ、は一般録音用途用低雑音(LN)タイプまたは最初期に発売された一般録音用途用標準(STD)タイプ、太字は音楽録音専用高級(SLH)タイプ、はエンドレスカセット。 ※は低価格タイプ、太字は高級タイプ。 ※印は低価格タイプ、太字は高級タイプ。 絵文字が Unicode 7.0 にて収録された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "コンパクトカセットは、オランダの電機メーカーであるフィリップス社が1962年に開発した、フェライトを素としたオーディオ用磁気記録テープ媒体の規格である。小型かつ安価である事から民生用記録メディアの事実上の標準となり、20世紀後半の音楽市場を支えた。「カセットテープ」、「アナログカセット」、「フィリップスカセット」などとも呼ばれる。また1990年代初頭に登場したDCC(デジタルコンパクトカセット)に対するレトロニムとして、ACC(アナログコンパクトカセット)と表記することもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1950年代以降、オープンリール式だった録音テープを扱いやすくするため、1958年にアメリカのRCA社が「カートリッジ」を考案したのを端緒に、世界の各社が「カセット」「マガジン」などの名前と仕様で、磁気テープをケースの中に収納したものを開発し始めた。ソニーでは1957年にリールを2段重ねにしてテープをマガジン状に収納した「ベビーコーダー」を発売しており、これは他社に先駆けてテープのカセット化、レコーダーの小型・軽量化を行ったものだったが、普及するまでには至らなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "また、中にはオープンリール式同様に一方向回転でエンドレス構造とした8トラック方式(1965年)のような事例があった一方、同一規格リール2個をカートリッジ内に固定し、テープ上トラックを2セットに分けたうえで、両回転方向で往復(片方向送り専用に比して2倍)の録音・再生ができる構造とし、長時間録音を可能とした製品も見られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "往復型カートリッジの中でもフィリップスの製品開発部長ルー・オッテンスが主導し開発したコンパクトカセットは小型の割に音質が良かった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "当時ソニー第2製造部長の大賀典雄は「カセットの世界標準をつくりたい」と考えていたが、ソニー1社で行うのは困難であると感じていた。1963年9月のベルリンで開かれたショーの会場で、ドイツのグルンディッヒが大賀に「DCインターナショナル」というカセットの規格化の話を持ち込み、一方でフィリップスのデッカーが来日した際、既に発売されていたコンパクトカセットを一緒に広めようと話を持ち掛けてきた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "大賀はコンパクトカセットを採用することに決め、特許使用料の話になるが、当初フィリップスは日本中の各社に1個につき25円を提示するが、大賀は無料を主張した。その後の話し合いの結果、ソニーには無料ということになったが、独占禁止法や他メーカー間の信頼を考慮した結果、1965年にフィリップスが互換性厳守を条件に基本特許を無償公開したため、多くのメーカーの参入を得て事実上の標準規格となった。このため単に「カセットテープ」の呼称でも通じるようになっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本の磁気テープ産業は1965年のオープンリール当時、約35億円で、輸出もほとんどなかったが、コンパクトカセットが誕生し、音楽にも使用され始めた1969年には100億円を突破、1981年にはオーディオテープだけで約1300億円の産業となり、輸出額も660億円となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "性能に関しても、当初はテープ幅の狭さやテープ速度の遅さによる制約から会話録音や BGM 程度までのメディアと考えられ、語学学習などへの活用も目立っていたが、1960年代末頃から性能が大きく向上し、1970年代には携帯が容易な音楽用メディアとして広く普及した。メディアが廉価で長時間再生に適することもあって、録音媒体としてレコードのダビング、放送番組を録音するエアチェックなどに幅広く活用された。1980年代まではレコードのダビングとラジオ録音、1990年代まではCDのダビングとラジオ録音に多く用いられた。音楽の交換のため、ステレオやラジカセなどを用いた、カセット同士でのダビングも良く行われていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "カーオーディオの分野においても、先行する8トラックカートリッジ方式に比べて小さなコンパクトカセットはスペースの限られる自動車のダッシュボードにデッキを配置しやすく、実用上の耐久性にも優れ、1970年代から1980年代にかけ隆盛を極めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "また、全盛期にはコンパクトカセットはある種のファッションと見做され、デザイン面で大きな変化を遂げた。まず、1979年のウォークマンの発売で、場所を選ばず音楽を聴く事が可能になると、コンパクトカセット自体がファッション化した。1980年代のコンパクトカセットのデザインは、若者が外に持ち出す用途を考慮して徐々にカラフルになって行ったが、あくまで同じ形のプラスチックケースに同じ形のシールを貼り付けた程度の、統一的なデザインであった。しかし、全盛期としては末期の1990年代になると、プラスチックケース自体に画像を印刷したコンパクトカセットがソニー,TDK,マクセル,AXIAを筆頭として多数発売された。例えば、ソニーのCDixシリーズでは、グラフィティやレトロフューチャーのデザインを全面に用いた製品が存在した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "音楽制作の現場では、テープを片面方向のみに使用し、両面それぞれの左右チャンネルの合計4チャンネル、あるいは特殊なヘッドで8チャンネルの再生・録音を可能にしたマルチトラック・レコーダー (MTR) の記録媒体として重宝された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "またコンパクトカセットは、コンピューター分野ではCMT(Cassette Magnetic Tape : カセット磁気テープ)と呼ばれていた。1980年前後を中心に、初期のパーソナルコンピュータの記憶メディアとして個人ユーザーを中心に広く利用され、専用の製品も発売されていた(データレコーダも参照のこと)。しかしその後、本格的なデータ用メディアであるフロッピーディスクの低価格化と普及に伴って利用されなくなった。1980年代前半に人気のあったMSXではカセットテープでのゲーム発売なども行われており、近年の復刻が困難になる一因となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "コンパクトカセットは民生用の録音規格として大きく普及したが、1980年代以降は新しく台頭したデジタルメディアのCDと比較されるようになったため、コンパクトカセットのパッケージでも技術的な用語を用いて高音質を謳い、デジタル感を押し出すようになった。こうして日本において1989年には販売数がピークに達し、年間約5億巻を売り上げたとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1990年代初頭にはコンパクトカセットの後継として、音声データをデジタルで記録・再生でき、コンパクトカセットとの再生互換性を持たせたデジタルコンパクトカセット (DCC) とミニディスク (MD) が登場し、結果として1990年代後半から若年層を中心に録音メディアの主流がMDに移行した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "2000年ごろからはポータブルMDプレーヤーなどの小型化、再生時間の長時間・大容量化が進み、発売当初の本体の巨大さや短い電池持続時間が解消され、2000年代後半からはデジタルオーディオプレーヤーやICレコーダー(リニアPCMレコーダー含む)も台頭し、それらデジタルオーディオの安定した高音質やランダムアクセスによる容易な選曲などの使い勝手の良さに慣れたユーザーは次第に新しい媒体へと移行した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "なお、CDやMD対応デッキの普及により、車載用コンパクトカセットデッキの種類は次第に数が少なくなっていった一方で、iPodをはじめとする大容量携帯プレーヤーをカーオーディオで聴くユーザーの間では、FMトランスミッターに比べて音質劣化や電波干渉を受けにくいコンパクトカセット型のカセットアダプターを珍重する傾向があった。しかし2013年に入るとカーオーディオの分野からは自動車メーカー純正品(ただし輸出用は除く)、社外品に関わらず1DIN、2DIN規格ともどもカセット対応カーオーディオはラインナップから消滅している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "このように若年層を中心とした利用者減少のため、1990年代に見られたファッショナブルな製品ラインナップは順次生産終了となった。またJ-POPや洋楽などの国内向けミュージックカセットテープは国内盤だと1990年代末に、アジア圏などへの輸出向けなど逆輸入盤だと2000年代半ばに消滅した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "一方で、小売店では売価2,000 - 5,000円程度のモノラルラジカセ、CDラジカセと録音済音楽テープが引き続き廉売されている。また主にカセットテープで育った高年齢層のカラオケや稽古事用途で使用されている。そのため一番売れているのは10分用テープである。また演歌などでは2014年時点においてもCDとカセットの同時発売が依然として続いている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "主に高齢者世代に根強い支持の理由としては、「巻き直しも楽なのでカラオケの練習に都合がいい」「テープレコーダーも再生ボタンを押すだけのシンプルな操作で手間いらずなので、スマホなどの最新機器に慣れていないシニア世代でも使いやすい」などの理由が挙げられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "コンパクトカセットに変わり普及していったMDの方が先に衰退していったが、その理由としてコンパクトカセットはハードの技術が容易で新興国でも生産が可能である一方、衰退したメディアはメーカー側に採算が合わなくなったことが挙げられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2010年代には、デジタル配信によってCDなどのメディア自体を所有しないで音楽を聴くスタイルが普及する一方、アナログ回帰の一環としてコンパクトカセットが注目され始め、様々なデザインのコンパクトカセットが少量生産されるようになった。また「昭和レトロ」ブームや1970年代から80年代にかけて流行したシティ・ポップの再評価で、カセットテープを知らなかった若い世代にも注目されるようになった。新世代による、アナログ回帰だけに留まらない現代的なファッションとしてのコンパクトカセットの流行も起き、ヴェイパーウェイヴ界隈で特に際立っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "その後新たにノーブランド(販売網ブランド)のカセットテープの販売が復活した。2019年4月時点では、業界全体で年間約1000万巻が販売されている。ただし安価な無地のノーマルポジションテープのみであり、新機種に関してもクロム(ハイポジション)テープ録再(ただしティアック製の据置き型単品オーディオコンポーネント用カセットデッキを除く)、メタルテープ録再、ドルビーBタイプなどにみられるノイズリダクション録再、オートリバース、倍速ダビングなどの各種機能に非対応(すでに必要なパーツを作れない、いわゆるロストテクノロジー)である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "コンパクトカセットはハーフ、ハブ、テープ、リーダーテープ、スリップシートで構成される。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "テープはハーフもしくはシェルと呼ばれるプラスチック製ケースの中に、ハブというリールに巻かれた状態で入っており、ベーステープと呼ばれる薄い強化ポリエステルのテープ上にバインダと呼ばれる接合剤で磁性粉を接着している。また1970年代後半以降はテープの走行性を保ち、ドロップアウトやヘッドの摩耗を防ぐため、テープ表面に鏡面仕上げを施している。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "また、テープにはオープンリールと同じように再生開始および終了時の伸びにより劣化することがないよう、リーダーテープと呼ばれる、録音ができない乳白色や無色透明のテープが両端に付属している。リーダーテープには一部のメーカー品ではヘッドクリーニングテープを兼ねている。リーダー部およびクリーニング部の長さは5秒程度から40秒ほどの物までさまざまである。ここには録音ができないので、録音前にはあらかじめリーダーテープ部分を巻き取り、録音テープ部を録音ヘッド接触点直前まで送り出しておく必要がある。一方データレコーダー用の短時間のカセットテープにはリーダーテープがなく、いきなり録音テープ部になっているものもある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ハーフとテープの間には走行性を維持するためにスリップシートと呼ばれる、長繊維ポリエステル系の素材で出来たシートが挟まっている。またヘッドが押しこまれる部分にはヘッドとのタッチを良好に保ちなおかつテープ裏面に付着した磁性粉を清掃するためにフレッシャーパッドと呼ばれるパッドがつく。またヘッドから巻かれているテープへ磁気の影響が及ばないよう、遮磁板がある場合が多いが、これは省略しても問題はない。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "ケース上部には誤消去防止の「ツメ」があり、ここを折ると録音や上書きができなくなる。再び録音する場合はセロハンテープなどでふさげばよいが、この場合クローム・メタルテープではオートテープセレクター用テープポジション検出孔をふさがないようにする。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "なお経年劣化によって、リーダーテープと磁気テープのつなぎ目や、リールハブの留め具が劣化して、巻戻しや早送りの終わりで、リーダーテープと磁気テープが分離したり、ハブの留め具が折れてテープが脱落することがある。リーダーテープと磁気テープが分離した場合はスプライシングテープでつなぎ合わせて再使用が可能である。またハブの留め具からテープが脱落した場合は他のハブを転用して再使用が可能である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "録音は電気信号を録音ヘッドで磁気に変換しヘッドギャップから放射させ、そこに磁性体を塗布した磁気テープを接触させ磁気的に記録する。磁気テープを長手方向に一定速度で摺動させることにより信号を連続的に記録する水平磁気記録方式である。再生は録音の逆で、再生ヘッドで磁気を電気信号に変換することで行う。また録音時には消去ヘッドによる既存の録音の消去も行われる。ヘッドがすべて独立している場合、磁気テープは消去ヘッド、録音ヘッド、再生ヘッドの順に通過する。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "録音ヘッドと再生ヘッドは兼用できるが最適な設計が異なるので、性能を追求するならばそれぞれ専用が望ましい。しかしコンパクトカセットは本来録再兼用ヘッドの使用を想定しており、その分のスペースしかないので、録音と再生をそれぞれ専用ヘッドとする場合は録再コンビネーションヘッドと呼ばれる、録音ヘッドと再生ヘッドを一体化したヘッドが用いられることが多い。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "録音ヘッドに加える電気信号は音声信号のみでは残留磁束の直線性が悪いので、録音バイアス信号が重畳される。オープンリールテープレコーダーと同じく高周波(100 kHz 程度)の交流を録音バイアス信号とする交流バイアス法が標準的である(交流バイアス信号自体は周波数が非常に高いため記録されない)。消去には消去ヘッドに高周波の交流(ほとんどの場合録音バイアス信号と出所は同じもの)を加えて行う交流消去と、安価なレコーダーで用いられる、永久磁石でできた消去ヘッドをテープに当てることで行う直流消去とがある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "トラック構成は通常 2 トラックのモノラルまたは 4 トラックのステレオで、カセットの表と裏にあたる A 面と B 面(A 面をサイド 1, B 面をサイド 2 ともいう)をひっくり返すことにより往復で使用できる(このように往復で使用できるとテープを巻き戻す必要がなく都合が良い)。テープ幅は 3.81 mm(0.15 in.) で、中央の 0.66 mm は A 面 B 面のトラック間のガードバンドとし記録しない。モノラル記録の場合、その両側各 1.54 mm を A 面および B 面のトラックとする。カセットの「A 面」と表示されている側を上にした場合、実際には A 面のトラックはテープの下側、つまり「B 面」と表示されている側になる。ステレオ記録の場合はモノラルの各トラックの中央 0.3 mm にあたる部分を左右チャンネルトラック間のガードバンドとし、その両側各 0.62 mm を左右チャンネルのトラックとする(テープ端側が左チャンネル)。モノラル記録のトラックとステレオ記録のトラックが同じ位置にあるためモノラルとステレオに互換性がある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "録音・再生のテープ速度は 4.76 cm/sと規定されており、カセットハーフに設けられた孔に一定速度で回転するキャプスタンを通し、テープを挟んでゴム製のピンチローラーを押し当てることで、テープ位置により変化するリール巻径にかかわらず一定のテープ速度を得ている。 4.76 cm/s というテープ速度は家庭用オープンリールテープレコーダーに用いられた速度 9.53 cm/sの半速であり、本来、音質より小形と経済性を優先した規格である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "録音時と再生時のテープ速度が異なっていると音の高さや曲のテンポ、演奏時間が変わってしまうので、互換性上テープ速度は重要である。しかし正確に合わせることは難しく、特に録音と再生で別のレコーダーを使用した場合、音の高さや曲のテンポ、演奏時間が明らかに変わることがある。逆にピッチコントロールとして速度を微調整できるようにしたレコーダーもあり(曲のテンポや演奏時間も変わる)、楽器ルート系の機材に多くみられる。ほとんどのものはピッチコントロールが有効なのは再生時だけで、録音時にはあらかじめ調整された速度に固定される。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "なお、テープ速度が変動するとワウフラッターが生じる。これを防ぐためキャプスタンは精密に仕上げられており、またほとんどのレコーダーはキャプスタンの根元にフライホイールを備え、その慣性を利用して回転むらを抑えている。しかし可搬型のレコーダーでは本体が揺れると慣性が逆に回転むらを発生させてしまうため、フライホイールを 2 つ持ち、互いに逆回転させて相殺するもの(アンチローリング)や、フライホイールを持たず電子制御によって回転むらを抑えるものもある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "平坦な周波数特性を得るには大幅なイコライゼーションが必要で、互換性を保つため IEC により再生イコライザの時定数が規定されている(高域時定数は IEC Type I テープでは 120 μs, IEC Type II, IEC Type III, IEC Type IV テープでは 70 μs、低域時定数は 3180 μs)。実際には磁束の測定は困難なので、 IEC の時定数に従って記録されたキャリブレーションテープが用意され、それを再生してフラットになるよう再生系が調整され、次いで録再総合特性がフラットになるように録音系が調整される。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "特殊な用途向けに独自の録音方式も開発された。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "当初は会話録音・ BGM 用程度に手軽に扱えるものだったコンパクトカセットだが、用途が Hi-Fi にも拡がり周波数特性やダイナミックレンジなどが要求されるようになると、さまざまな磁性体を用いたさまざまな特性のテープが現れ、互換性に問題が生じてきた。そのため、テープの録音特性として IEC Type I, IEC Type II, IEC Type III, IEC Type IV の 4 タイプを策定し、それぞれに基準となる IEC リファレンステープを規定して、タイプごとに互換性を保つことになった。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "IEC Type I - IEC Type IV は元は磁性体の種類に応じて分けられたものだが、録音特性が同等ならば磁性体の種類は問わない。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "コンパクトカセットの性能向上が著しかった時代には市販テープに追随するために IEC リファレンステープはたびたび改訂されたが、1994年に IEC Type I リファレンステープが BASF Y348M に改訂されて以降、改訂は行われていない。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "コンパクトカセットの登場当初から使われているテープと同系の、最も基本的なテープである。最初期のものはオープンリール用スタンダードテープを使用したものが少なからず存在する。「ノーマル」テープとも呼ばれ、一部特殊用途のレコーダーを除き、ほぼすべてのレコーダーで使用できる。安価なものが多く高級なテープでないように思われているが、長年の改良でS/N比の改善により低ノイズ化され、CDなどのデジタル音声由来の音声ソースからの録音対応など高性能を謳ったものも数多く登場した。これらはSTD(Standard)ランク、LN(Low Noise)ランク、LLHランク(Low-Class Low-noise High-output)、LH(Low-noise High-output)ランク、SLH(Super Low-noise High-output)のように複数のランクで性能差を判別する。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "1990年代以降は低価格化やコストダウンが目立ち、音楽・一般兼用の低級LHと音楽用の標準LHのみの販売にほぼ集約された。TDKのF・LN・D・AE・SD・AD、日立マクセルのLN・UL・UR・UD・UDΙはソニーと日本コロムビア(DENONブランドを含む)を除く数多くの録音機メーカーのリファレンス(基準)テープとして用いられた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "磁性体として当初γ‐酸化鉄 (III) (γ-Fe2O3) が用いられ、またその後も多く用いられたので \"Fe2O3\" と表記されることがあるが、 IEC Type I テープの磁性体は必ずしも Fe2O3 ではなく、主に高級タイプに用いられた、Type III に倣った発想で、特性の異なるγ酸化鉄を二層塗布したもの(富士写真フイルム/Fx-Duo・Range6、日本コロムビア=DENON/初期DX3・DX4)、例は少ないが四酸化鉄(マグネタイト Fe3O4)のもの (TDK/ED)、そして1980年代に入って開発された、γ酸化鉄の生成時の内部空孔(ポア)をほぼなくして磁気効率を改良した無空孔(ノンポア/ポアレス)酸化鉄(TDK/初期AR、日立マクセル=maxell/初期UDI)およびそれのコバルト被着タイプ(前掲機種の後期型)がある。また、後にType IIの主流になったものの、最初はType Iの高性能タイプ用に用いられたものに、コバルトドープ酸化鉄 (Scotch/HighEnergy) やコバルト被着酸化鉄 (maxell/UD-XL) がある。特にコバルト被着酸化鉄はその調整の容易さと高域特性改善の面からTypeIでも並行して用いられ、1970年代後期から高級タイプ (TDK/AD-X、maxell/XLI-S) の、1980年代中期以降は普及タイプ(富士写真フイルム=AXIA/PS-I、太陽誘電=That's/RX)にも多用された。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "再生イコライザの時定数は 120 μs と 3180 μs 。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "カセットに IEC I, TYPE I, または単に I の表示がある。 IEC リファレンステープは BASF Y348M (1994年改訂)。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "1970年代初期に登場。IEC Type I より保磁力の大きな磁性体を使用するテープである。テープ速度が遅いため高域のダイナミックレンジが狭いコンパクトカセットの欠点を改善するために開発された。「クロム(クローム)」「CrO2」「コバルト」「Co-Fe2O3」テープなどとも呼ばれる。俗に「ハイポジション」とも呼ばれる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "磁性体としては最初期こそ代名詞ともなった二酸化クロム(CrO2; デュポンが発明)が主流だったが、中域以下の MOL が低くヘッド摩耗が激しかったことに加え、日本国内でめっき工場の廃液などの公害問題(六価クロム廃液)の風評の余波で次第にフェードアウトし、特許のライセンス問題もあったので、1970年代後半 - 1980年代初頭に一部で用いられたコバルトドープ酸化鉄(Scotch/Master70、DENON/初期DX7)等を経て、コバルト被着酸化鉄磁性体(Co-γ-Fe2O3;酸化鉄の表層にコバルトフェライトが結晶成長したもの)(TDK/SA、maxell/XL II)へ移行した。これらは中低域の強化や低ヒスノイズ化、高域MOLの向上が図られ、1980年代には音楽用テープの代名詞となった。1980年代終期、この酸化鉄の代わりに前述のマグネタイトを核に用いたものもあり、日立マクセル、日本コロムビア等が採用した(maxell/最終XL II-S、後期UD II)。 ポジションの位置づけとしてはノーマルテープよりも上位だが、性能的には高級ノーマルテープと重なる部分があり、低価格タイプが高級ノーマルテープ、中級タイプが最高級ノーマルテープと同等の性能と評価されている。ただし高級ノーマルテープが得意な高MOL特性と、ハイポジションが得意な低ノイズ特性を相殺した評価であるため、実際の音質特性はそれぞれ異なる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "IEC Type I より録音バイアス量を増やす必要があり(IEC Type I 比 1.5 倍程度)、また保磁力は IEC Type I、および IEC Type III 磁性体の約 1.5〜1.8 倍程度もあり、これらの各ポジション用テープに比較して消去しにくいため、 IEC Type II テープに対応したレコーダーでないと録音できない。再生はできるが高域が強調されるので、基本的には IEC Type II テープに対応したレコーダーでないと使用できないと考えた方がよい。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "再生イコライザの時定数は 70 μs と 3180 μs で、再生時に IEC Type I テープより高域を減衰させることで雑音の高域成分を抑えている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "カセットに IEC II, TYPE II, または単に II の表示がある。 IEC リファレンステープは BASF U564W (1986年改訂)。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "高域は伸びるが低域に弱いIEC Type IIと、逆に中低域は強いが高域が弱いIEC Type Iの両者を併せることで弱点を補完しようという発想から生まれたものである。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "基本的に下層に中低域用のγ-ヘマタイト、上層に高域用の二酸化クロムを塗布するため、「フェリクロム(フェリクローム)」「Fe-Cr」テープとも呼ばれるが、他にも上層をコバルト被着酸化鉄にしたり (DENON/DX5)、特性の異なるコバルト被着酸化鉄の二層塗布とするものも存在する。元々は IEC Type I のみに対応するレコーダーの高域特性を改善するために開発され、1973年にソニーから初の二層塗布テープ「Duad」が発売された。後にIECで正式にTypeIIIとして制定された。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "高級音楽用として、1970年代には各社の最高価格帯の製品として君臨したものの、製造工程の複雑さや専用のバイアス・イコライザが必要ではあるが自動ポジション検知は構造上できない等の使用時の煩雑さ等もあり、発売したメーカーは多くない。日本でも大手のTDK、日立マクセル、富士写真フイルム等は採用せず、同価格帯には高級ノーマルポジションを置いていた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "IEC Type III テープが登場した当時(1973年)は IEC Type I のみ対応のレコーダーで使用でき、また初期の IEC Type II テープは中域以下の MOL が低い欠点があったため存在意義があったが、 IEC Type I, IEC Type II テープが改良され、またレコーダーも IEC Type II に対応したものが多くなると存在意義が希薄になり、1978年に3M社よりメタルテープ (Type IV) が発売された後は、最高級音楽用としての役割はそちらに置き換えられて各社とも撤退し、日本で1980年代まで発売を継続していたのは開発元のソニーのみであったが、それも1980年代後期にはカタログ落ちしている。ソニー製カセットデッキでも1984年に発売された「TC-K333ES」を皮切りに手動式テープセレクター仕様であってもIEC Type III対応カセットデッキは順次廃止されている。ただし、1980年に販売開始した可搬型カセットデッキ「TC-D5M」(通称「カセットデンスケ」)は、手動式テープセレクターによるTypeIII対応機として2005年まで生産販売されていた。最高価格帯の製品でもあったためか同時期には1社1グレードのみで、価格帯としては同時期のIEC Type IIと同等かやや上、IEC Type IVよりは下となる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "そのType IIIがほぼ死滅した1980年代中期、松下電器産業が「オングローム」ブランドで投入した蒸着テープが存在した。通常の塗布層の上にさらに金属コバルトを蒸着させるという、発想自体は極めてType III的な製品だった(ポジションは当初Type II、後Type I・IVを追加)。TypeIIIと異なる点は、低域 - 中高域のテープ特性の大部分は下の塗布層に由来しており、上の蒸着層は超高域(スピーカーで言うスーパーツィーター)のみを担当する。そのために高域特性を大幅に改善したものの、塗布層自体の性能が他社の同価格帯と比較して見劣りしていたこと、その強力な高域特性のためデッキによって相性の相違が激しく、また製造コストの高騰からくる価格設定の高さもあり、短命に終わった。この技術は、蒸着層の超高域信号(ビデオの映像信号)への対応能力を買われて、後にビデオカメラ用テープの技術として開花することとなる(Hi8のMEタイプ、その後のテープ式デジタルビデオの規格DV (ビデオ規格)|DVC)。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "録音バイアス量は IEC Type I 比 1.1 倍程度。再生イコライザの時定数は IEC Type II と同じく 70 μs と 3180 μs 。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "カセットに IEC III, TYPE III, または単に III の表示がある。 IEC リファレンステープはソニー CS301 。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "最も後に現れたもので、酸化されていない鉄合金磁性体を使用するテープである。「メタル」テープとも呼ばれる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "磁気テープが実用化された当初から、磁性体としての性能は酸化鉄より純鉄(酸化していない鉄)のほうが優れていることは判っていたものの、酸化しやすい(安定性が悪い)点や製造コストなどの点から実用化は遅れていた。元々はデータレコーダ用高密度記録用磁性体として開発されており、それを音楽用に転用した製品が、1978年、米国3M社から「Metafine」として発売され、後にIECで正式にTypeIVとして制定された。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "元々が高価格であったため(後に低価格化されたが)、長らく愛好家(マニア)向けというイメージがあった。ラインナップは当初、各社の最高価格帯に設定され、基本的に1社1品種(TDKのMA-R、およびMA-XGはハーフのみ異なる番外的な製品)であったが、後にメタル磁性体の量産体制が整うと低価格化されて、1990年代にはノーマルやハイポジションの低価格帯と同等までになった。同時にグレードも多岐にわたり、最盛期となる1980年代終盤には国内大手メーカーで高級機から普及機まで3 - 4グレードを擁していた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "主成分はα-Feとコバルトなどの合金であるが、これも酸化に弱いという欠点を克服すべく、各社工夫していた。表面にマグネタイトを形成する方法が一般的だがまったく充分ではない。還元時の焼結防止も兼ねてシリカ、酸化アルミニウムなどを析出、被覆し酸化防止をしている。このメタル磁性体も、1980年代初期よりイコライザーが同じTypeIIへの転用が図られ、極めて高出力な特性を買われて主に高級タイプ (TDK/HX、DENON/DX8) に用いられたが、中には低価格タイプ (That's/EM) も存在する。このメタルパウダーの成分はNiを合金としており、ハイポジションの保磁力に近づけるように設計をしていた。これは言い方を変えればメタル磁性粉をパーマロイ化して保磁力を下げたといってよい。俗にLow Hcメタルとも呼ばれ、ハイポジションの欠点であった低音域のパワー不足を大幅に向上させた。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "残留磁束密度は IEC Type I - IEC Type III 磁性体の 2 倍程度、保磁力は IEC Type II 磁性体の 2 倍程度、およびIEC Type I 磁性体の 3 倍程度もあり、結果として全帯域での録音レベル及びMOLが非常に高い。かつてのオープンリールテープに迫るダイナミックレンジを持つと言われた。反面、録音バイアス量を IEC Type II の更に 1.5 倍程度に増やす必要があり、消去も IEC Type II より更にしづらく、一度録音したものの上から直接録音すると前の音が残留してしまうなどの問題もあり、取扱いに注意を要する。テープの能力としては非常に高いといえるが、レコーダー側のヘッドや発振回路などの負担も大きくなる。当然、 IEC Type IV テープに対応したレコーダーでないと使用できない。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "再生イコライザの時定数は IEC Type II と同じく 70 μs と 3180 μs 。録音機器、および再生機器側がそれぞれハイ(クロム)ポジションに対応していれば、再生のみは可能。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "カセットに IEC IV, TYPE IV, または単に IV の表示がある。 IEC リファレンステープは TDK MJ507A (1991年改訂)。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "収録時間は、“Cassette”の頭文字“C”に両面の公称総収録時間を付けて表示される(主に1970年代後期頃からは省略されることが多い)。標準的な製品は、それぞれC-30からC-120と呼ばれる、両面で30分 - 120分(=片面で15分 - 60分)録音できるものである。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "収録時間によってテープの厚みが異なり、標準タイプのC-60以下で約17 - 18μm(ベース厚13.5μm)、長時間タイプのC-64 - C-90でその約2/3の11 - 12μm(ベース厚7.5μm)、超長時間タイプのC-120で半分の9μm(ベース厚4.5μm)と段々薄くなる。なお、この数値は磁性層4.5μm(メタルテープは3.5μm)を含んだ厚さであり、テープの長さが変わっても磁性層の厚さは変わらず、ベースフィルムの薄さにのみ影響する。このため、長時間録音になると安定性と耐久性は悪化し、高温下で伸びやすく、又は過剰なテンションによって切れやすくなる。温度変動が大きい高負荷環境にあるカーステレオや、特に緻密な走行制御(安定性)を要するクローズドループ・デュアルキャプスタンを採用した一部のテープデッキ(主に概ね最低5万円台以上のクラスの3ヘッドタイプのものがほとんど)ではC-90以下の使用を推奨している。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "規格としてはTDKの輸出モデルなどにC-180やC-240もあるが、耐久性の問題(テープ厚はC-180で6.5μm、C-240で5μm。ベース厚はそれぞれ2μm、0.5μm=物理上の限界値)もあり製品としてはほとんど存在しない。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "特殊用途を除く一般的な収録時間は、過去に国内で発売されたものだけでもC-5・C-6・C-8・C-9・C-10・C-12・C-15・C-16・C-18・C-20・C-22・C-30・C-36・C-40・C-42・C-45・C-46・C-48・C-50・C-46+5・C-52・C-54・C-55・C-60・C-62・C-64・C-65・C-60+5・C-70・C-74・C-75・C-76・C-80・C-84・C-90・C-92・C-94・C-90+5・C-100・C-108・C-110・C-120・C-120+5・C-150と多岐にわたる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "テープは磁気の強弱で情報を記録しているため、磁界の影響で内容が消滅する恐れがある。そのため磁石の近くや強い磁界のある場所(大型ブラウン管ディスプレイやスピーカーの上)や高温になる所(自動車のダッシュボード)に保管してはならない。また高熱でテープの伸び(形状から“ワカメ”と呼ばれる)やケースの変形が生じると復元困難になる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "またテープは繰り返し再生および録音を行うことで磁性体劣化、摩耗、テープ伸び、テープ鳴きなどの傷みが生じる。その結果消耗や保存状態などによる経年変化が進むと音質の著しい劣化(雑音、ゆがみなど)が起き、またテープ切れが起こるなどの要因で使用できなくなる。それ以外にも録音したものを使用せずに数年放置しておくと、リールの巻き部分で外側と内側のテープの磁気記録が干渉し、転写や音量低下、音質悪化を招く。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "テープのうち、再生時間が概ね70分以上のものはリールへの巻き取り外径を小さくするため、磁気テープ媒体が通常より薄くなっている。磁性層の厚さ(4.5μm)は変わらないので、ベースの厚さは再生時間70~90分タイプの場合で60分タイプ(13.5μm)の約56%(7.5μm)となり、120分タイプでは33%(4.5μm)、150分タイプに至っては20%(2.7μm)の厚さでしかなくなる。このため、特に120分以上再生タイプは強度の面で問題があり、再生時間が概ね90分以下のテープにしか適応していないレコーダーで再生・録音をすると、テープ損傷、カセットテープ全体の作動不良、走行トラブルの恐れがある(再生可能なレコーダーでも早送りや巻き戻し・一時停止などの操作を頻繁に繰り返すと走行トラブルの原因となる)。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "以下のような欠点がある。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "コンパクトカセットのテープはヘッド接触部周囲で外部に露出しており、ケースから出したままの状態ではテープの損傷やほこりの付着を招くため、カセット本体やインデックスカード、タイトル記入シールを収納するためにケースが付属する。ケースに納めるとリールが固定され、持ち運びなどで振動が加わってもテープのたるみが生じない。", "title": "収納ケース" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "※2019年(令和元年)7月現在。太字...ハイグレードタイプ、印...ハイポジション。", "title": "製造・販売会社" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "業務用カセットテープメーカーを除く。", "title": "製造・販売会社" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "(日本国内での正式販売はないので、輸入問屋などを通じるなどして購入可能)", "title": "製造・販売会社" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "OEM商品も含む。", "title": "製造・販売会社" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "以下は過去に市販されたものである。", "title": "主な製品" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "※無印は音楽録音専用標準(LH)タイプまたは音楽録音・一般録音用途兼用(LLH)タイプ、は一般録音用途用低雑音(LN)タイプまたは最初期に発売された一般録音用途用標準(STD)タイプ、太字は音楽録音専用高級(SLH)タイプ、はエンドレスカセット。", "title": "主な製品" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "※は低価格タイプ、太字は高級タイプ。", "title": "主な製品" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "※印は低価格タイプ、太字は高級タイプ。", "title": "主な製品" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "絵文字が Unicode 7.0 にて収録された。", "title": "符号位置" } ]
コンパクトカセットは、オランダの電機メーカーであるフィリップス社が1962年に開発した、フェライトを素としたオーディオ用磁気記録テープ媒体の規格である。小型かつ安価である事から民生用記録メディアの事実上の標準となり、20世紀後半の音楽市場を支えた。「カセットテープ」、「アナログカセット」、「フィリップスカセット」などとも呼ばれる。また1990年代初頭に登場したDCC(デジタルコンパクトカセット)に対するレトロニムとして、ACC(アナログコンパクトカセット)と表記することもある。
{{半保護}} {{複数の問題 | Wikify = 2021年1月22日 (金) 03:22 (UTC) | 雑多な内容の箇条書き = 2010年3月 | 出典の明記 = 2019年9月 }} {{ディスクメディア |名称=コンパクトカセット |略称=カセットテープ、カセット |ロゴ=[[ファイル:Compact Cassette Logo.svg|Compact Cassette logo]] |画像=Compactcassette.jpg |画像コメント=[[TDK]] SA90 Type II カセットテープ |種類=磁気テープ |容量=30分<br />60分<br />90分<br />120分 150分 |フォーマット= |コーデック= |読み込み速度= |書き込み速度= |回転速度= |読み取り方法= |書き込み方法= |書き換え= |回転制御= |策定=[[フィリップス]] |用途=音声、データ記録 |ディスク径= |大きさ=約100×60×10mm<br />(テープ幅:3.8mm) |重さ= |上位= |下位= |関連= }} '''コンパクトカセット'''は、[[オランダ]]の電機メーカーである[[フィリップス]]社が[[1962年]]に開発した<ref name=ASCII.jp_20140921_5>{{Cite web|和書|author=四本淑三 |url=https://ascii.jp/elem/000/000/935/935628/5/ |title=:新ダブルカセットでテープ聴き比べ アナログは本当にいい? (5/5) |website=ASCII.jp |publisher=角川アスキー総合研究所 |date=2014-09-21 |accessdate=2023-07-26}}</ref>、[[フェライト (磁性材料)|フェライト]]を素としたオーディオ用磁気記録テープ媒体の規格である。小型かつ安価である事から民生用記録メディアの[[デファクトスタンダード|事実上の標準]]となり、20世紀後半の音楽市場を支えた。「[[カセットテープ]]」、「アナログカセット」、「フィリップスカセット」などとも呼ばれる。また1990年代初頭に登場したDCC([[デジタルコンパクトカセット]])に対する[[レトロニム]]として、ACC(アナログコンパクトカセット)と表記することもある。 == 歴史 == === 前史 === 1950年代以降、[[オープンリール]]式だった録音テープを扱いやすくするため、1958年にアメリカのRCA社が「カートリッジ」を考案したのを端緒に、世界の各社が「カセット」「マガジン」などの名前と仕様で、磁気テープをケースの中に収納したものを開発し始めた<ref name=SonyHistory>{{Cite web|和書|url=https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/2-05.html |title=第5章 コンパクトカセットの世界普及 |publisher=ソニー |access-date=2023-07-27}}</ref>。ソニーでは1957年にリールを2段重ねにしてテープをマガジン状に収納した「ベビーコーダー」を発売しており、これは他社に先駆けてテープのカセット化、レコーダーの小型・軽量化を行ったものだったが、普及するまでには至らなかった{{R|SonyHistory}}。 また、中にはオープンリール式同様に一方向回転でエンドレス構造とした[[8トラック]]方式(1965年)のような事例があった一方、同一規格リール2個をカートリッジ内に固定し、テープ上トラックを2セットに分けたうえで、両回転方向で往復(片方向送り専用に比して2倍)の録音・再生ができる構造とし、長時間録音を可能とした製品も見られた。 === 標準規格化 === 往復型カートリッジの中でもフィリップスの製品開発部長[[ルー・オッテンス]]が主導し開発したコンパクトカセットは小型の割に音質が良かった。 当時ソニー第2製造部長の[[大賀典雄]]は「カセットの世界標準をつくりたい」と考えていたが、ソニー1社で行うのは困難であると感じていた{{R|SonyHistory}}。1963年9月のベルリンで開かれたショーの会場で、ドイツの[[グルンディッヒ]]が大賀に「DCインターナショナル」というカセットの規格化の話を持ち込み、一方でフィリップスのデッカーが来日した際、既に発売されていたコンパクトカセットを一緒に広めようと話を持ち掛けてきた{{R|SonyHistory}}。 大賀はコンパクトカセットを採用することに決め、特許使用料の話になるが、当初フィリップスは日本中の各社に1個につき25円を提示するが、大賀は無料を主張した{{R|SonyHistory}}。その後の話し合いの結果、ソニーには無料ということになったが、[[独占禁止法]]や他メーカー間の信頼を考慮した{{R|SonyHistory}}結果、[[1965年]]にフィリップスが[[互換性]]厳守を条件に基本[[特許]]を[[オープンソース|無償公開]]したため<ref>{{Wayback|title=音楽遺産~ネットワーク社会の音楽革命~ 太下義之 『Arts Policy & Management』No.20 三菱UFJリサーチ&amp;コンサルティング 2003 p. 17|url=http://www.murc.jp/_archives/artspolicy/newsletter/no20/20_08.pdf |date=20161220032916}}</ref>、多くのメーカーの参入を得て[[事実上の標準]]規格となった。このため単に「カセットテープ」の呼称でも通じるようになっている。 === 普及 === {{Multiple image|width=300 |direction=vertical | header =日本の音楽媒体の変遷<br>TAPEが主にコンパクトカセット |image1=JA_music_prod_RIJ.png |caption1=生産金額<br>TAPEは70年代からレコード(SP/LP/EP)を補完するかの如く増加し、90年代のCDの普及に伴い減少した。21世紀に入り物理媒体からデジタル、さらにはダウンロード(買取)からストリーミングへと転移する中で、レコードやカセットの復古の動きも出ている{{Efn|近年の日本の音楽消費形態は外国に比べて非常に稀である。2018年のCD・DVDの販売比率は日本は約75%であるが、米国はCD・LPなどの物理媒体は約12%で75%がストリーミングであった。}}。 |image2=JA_music_prod_share_RIJ.png |caption2=音楽媒体の生産金額のシェア }} 日本の磁気テープ産業は1965年のオープンリール当時、約35億円で、輸出もほとんどなかったが、コンパクトカセットが誕生し、音楽にも使用され始めた1969年には100億円を突破、1981年にはオーディオテープだけで約1300億円の産業となり、輸出額も660億円となった{{R|SonyHistory}}。 性能に関しても、当初はテープ幅の狭さやテープ速度の遅さによる制約から会話録音や BGM 程度までのメディアと考えられ、語学学習などへの活用も目立っていたが、[[1960年代]]末頃から性能が大きく向上し、[[1970年代]]には携帯が容易な音楽用メディアとして広く普及した。メディアが廉価で長時間再生に適することもあって、録音媒体として[[レコード]]の[[ダビング]]、放送番組を録音する[[エアチェック]]などに幅広く活用された。[[1980年代]]まではレコードのダビングとラジオ録音、[[1990年代]]まではCDのダビングとラジオ録音に多く用いられた。音楽の交換のため、ステレオやラジカセなどを用いた、カセット同士でのダビングも良く行われていた。 [[カーオーディオ]]の分野においても、先行する[[8トラック]]カートリッジ方式に比べて小さなコンパクトカセットはスペースの限られる自動車のダッシュボードにデッキを配置しやすく、実用上の耐久性にも優れ、1970年代から1980年代にかけ隆盛を極めた。 また、全盛期にはコンパクトカセットはある種のファッションと見做され、デザイン面で大きな変化を遂げた。まず、[[1979年]]の[[ウォークマン]]の発売で、場所を選ばず音楽を聴く事が可能になると、コンパクトカセット自体がファッション化した。1980年代のコンパクトカセットのデザインは、若者が外に持ち出す用途を考慮して徐々にカラフルになって行ったが、あくまで同じ形のプラスチックケースに同じ形のシールを貼り付けた程度の、統一的なデザインであった。しかし、全盛期としては末期の1990年代になると、プラスチックケース自体に画像を印刷したコンパクトカセットがソニー,TDK,マクセル,AXIAを筆頭として多数発売された。例えば、[[ソニー]]の[[CDix]]シリーズでは、[[グラフィティ]]や[[レトロフューチャー]]のデザインを全面に用いた製品が存在した。 ==== 派生的用途 ==== 音楽制作の現場では、テープを片面方向のみに使用し、両面それぞれの左右チャンネルの合計4チャンネル、あるいは特殊なヘッドで8チャンネルの再生・録音を可能にした[[マルチトラック・レコーダー]] (MTR) の記録媒体として重宝された。 またコンパクトカセットは、[[コンピューター]]分野では'''CMT'''(''Cassette Magnetic Tape'' : カセット磁気テープ)と呼ばれていた。[[1980年]]前後を中心に、初期の[[パーソナルコンピュータ]]の記憶メディアとして個人ユーザーを中心に広く利用され、専用の製品も発売されていた([[データレコーダ]]も参照のこと)。しかしその後、本格的なデータ用メディアである[[フロッピーディスク]]の低価格化と普及に伴って利用されなくなった。1980年代前半に人気のあった[[MSX]]ではカセットテープでのゲーム発売なども行われており、近年の復刻が困難になる一因となっている。 === 利用者の減少 === コンパクトカセットは民生用の録音規格として大きく普及したが、1980年代以降は新しく台頭したデジタルメディアの[[コンパクトディスク|CD]]と比較されるようになったため、コンパクトカセットのパッケージでも技術的な用語を用いて高音質を謳い、デジタル感を押し出すようになった。こうして日本において1989年には販売数がピークに達し、年間約5億巻を売り上げたとされる<ref name=Withnews_20190410>{{Cite web|和書|url=https://withnews.jp/article/f0190410000qq000000000000000W09j10101qq000018777A |title=カセットテープ、絶滅するにはまだ早い?マクセルに聞いてみた |website=withnews |publisher=朝日新聞 |date=2019-04-10 |accessdate=2023-07-26}}</ref>。 1990年代初頭にはコンパクトカセットの後継として、音声データを[[デジタル]]で記録・再生でき、コンパクトカセットとの再生互換性を持たせた[[デジタルコンパクトカセット]] (DCC) と[[ミニディスク]] (MD) が登場し、結果として1990年代後半から若年層を中心に録音メディアの主流がMDに移行した。 [[2000年]]ごろからは[[携帯音楽プレーヤー|ポータブルMDプレーヤー]]などの小型化、再生時間の長時間・大容量化が進み、発売当初の本体の巨大さや短い電池持続時間が解消され、2000年代後半からは[[デジタルオーディオプレーヤー]]や[[ICレコーダー]]([[リニアPCMレコーダー]]含む)も台頭し、それらデジタルオーディオの安定した高音質やランダムアクセスによる容易な選曲などの使い勝手の良さに慣れたユーザーは次第に新しい媒体へと移行した。 なお、CDやMD対応デッキの普及により、車載用コンパクトカセットデッキの種類は次第に数が少なくなっていった一方で、[[iPod]]をはじめとする大容量携帯プレーヤーをカーオーディオで聴くユーザーの間では、[[FMトランスミッター]]に比べて音質劣化や電波干渉を受けにくいコンパクトカセット型の[[カセットアダプター]]を珍重する傾向があった。しかし2013年に入るとカーオーディオの分野からは自動車メーカー純正品(ただし輸出用は除く)、社外品に関わらず1[[ISO 7736|DIN]]、2DIN規格ともどもカセット対応カーオーディオはラインナップから消滅している。 このように若年層を中心とした利用者減少のため、1990年代に見られたファッショナブルな製品ラインナップは順次生産終了となった。また[[J-POP]]や洋楽などの国内向けミュージックカセットテープは国内盤だと1990年代末に、アジア圏などへの輸出向けなど逆輸入盤だと2000年代半ばに消滅した。 === 根強い需要と再評価 === 一方で、小売店では売価2,000 - 5,000円程度の[[ラジオカセットレコーダー|モノラルラジカセ、CDラジカセ]]と録音済音楽テープが引き続き廉売されている。また主に[[高齢者|カセットテープで育った高年齢層]]のカラオケや稽古事用途で使用されている{{R|Withnews_20190410}}。そのため一番売れているのは10分用テープである<ref name=President_20220306>{{Cite web|和書|author=古田島大介 |url=https://president.jp/articles/-/54705?page=2 |title=90分でも60分でもなく…「10分間のカセットテープ」が今一番売れているワケ "ある趣味"で重宝されている (2ページ目) |website=PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) |publisher=プレジデント社 |date=2022-03-06 |accessdate=2023-07-26}}</ref>。また[[演歌]]などでは2014年時点においてもCDとカセットの同時発売が依然として続いている{{R|ASCII.jp_20140921_5}}。 主に高齢者世代に根強い支持の理由としては、「巻き直しも楽なのでカラオケの練習に都合がいい」「テープレコーダーも再生ボタンを押すだけのシンプルな操作で手間いらずなので、スマホなどの最新機器に慣れていないシニア世代でも使いやすい」などの理由が挙げられる{{R|President_20220306}}。 コンパクトカセットに変わり普及していったMDの方が先に衰退していったが、その理由としてコンパクトカセットはハードの技術が容易で新興国でも生産が可能である一方、衰退したメディアはメーカー側に採算が合わなくなったことが挙げられる{{R|Withnews_20190410}}。 [[2010年代]]には、デジタル配信によってCDなどのメディア自体を所有しないで音楽を聴くスタイルが普及する一方、アナログ回帰の一環としてコンパクトカセットが注目され始め、様々なデザインのコンパクトカセットが少量生産されるようになった。また「昭和レトロ」ブームや1970年代から80年代にかけて流行した[[シティ・ポップ]]の再評価で、カセットテープを知らなかった若い世代にも注目されるようになった{{R|President_20220306}}。新世代による、アナログ回帰だけに留まらない現代的なファッションとしてのコンパクトカセットの流行も起き、[[ヴェイパーウェイヴ]]界隈で特に際立っている。 その後新たにノーブランド([[プライベートブランド|販売網ブランド]])のカセットテープの販売が復活した。2019年4月時点では、業界全体で年間約1000万巻が販売されている{{R|Withnews_20190410}}。ただし安価な無地のノーマルポジションテープのみであり、新機種に関してもクロム(ハイポジション)テープ録再(ただし[[ティアック]]製の据置き型単品オーディオコンポーネント用カセットデッキを除く)、メタルテープ録再、[[ドルビーBタイプ]]などにみられるノイズリダクション録再、オートリバース、倍速ダビングなどの各種機能に非対応(すでに必要なパーツを作れない、いわゆる[[ロストテクノロジー]])である。 == 特徴 == === 構造 === [[ファイル:東芝コンパクトカセットC-60TDの構造 20121211.jpg|thumb|コンパクトカセットの構造。乳白色のケースがハーフ、テープが巻かれているのがハブ、テープ端の透明なテープがリーダーテープ、ハブの下の黒シートがスリップシートである。]] コンパクトカセットはハーフ、ハブ、テープ、リーダーテープ、スリップシートで構成される。 テープはハーフもしくはシェルと呼ばれるプラスチック製ケースの中に、ハブというリールに巻かれた状態で入っており、ベーステープと呼ばれる薄い強化[[ポリエステル]]のテープ上にバインダと呼ばれる接合剤で磁性粉を接着している。また1970年代後半以降はテープの走行性を保ち、ドロップアウトやヘッドの摩耗を防ぐため、テープ表面に鏡面仕上げを施している。 また、テープにはオープンリールと同じように再生開始および終了時の伸びにより劣化することがないよう、リーダーテープと呼ばれる、録音ができない乳白色や無色透明のテープが両端に付属している{{Efn|ソニーのカセットテープは1970年頃、厚みを工程上識別するためリーダーテープそのものにも色がついていた。}}。リーダーテープには一部のメーカー品{{Efn|主にOEMを含む2011年以前に製造されたマクセル製、およびOEMやイメーション移管後の製品を含むTDK製、OEMやAXIAブランドを含む富士フイルム製のカセットテープ}}ではヘッドクリーニングテープを兼ねている。リーダー部およびクリーニング部の長さは5秒程度から40秒ほどの物までさまざまである。ここには録音ができないので、録音前にはあらかじめリーダーテープ部分を巻き取り、録音テープ部を録音ヘッド接触点直前まで送り出しておく必要がある。一方[[データレコーダー]]用の短時間のカセットテープにはリーダーテープがなく、いきなり録音テープ部になっているものもある。 ハーフとテープの間には走行性を維持するためにスリップシートと呼ばれる、長繊維ポリエステル系の素材で出来たシートが挟まっている。またヘッドが押しこまれる部分にはヘッドとのタッチを良好に保ちなおかつテープ裏面に付着した磁性粉を清掃するためにフレッシャーパッドと呼ばれるパッドがつく。またヘッドから巻かれているテープへ磁気の影響が及ばないよう、遮磁板がある場合が多いが、これは省略しても問題はない。 ケース上部には誤消去防止の「ツメ」があり、ここを折ると録音や上書きができなくなる。再び録音する場合はセロハンテープなどでふさげばよいが、この場合クローム・メタルテープではオートテープセレクター用テープポジション検出孔をふさがないようにする<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.jp.onkyo.com/support/audiovisual/toriatukai/tape.htm |title=カセットテープの取り扱いについて |website=[[オンキヨー]] |publisher=[[オンキヨー&パイオニア]] |accessdate=2021-03-21}}</ref>。 [[File:コンパクトカセットテープ ハブ故障.JPG|thumb|ハブの止め具が折れて、テープが外れた状態。]] なお経年劣化によって、リーダーテープと磁気テープのつなぎ目や、リールハブの留め具が劣化して、巻戻しや早送りの終わりで、リーダーテープと磁気テープが分離したり、ハブの留め具が折れてテープが脱落することがある。リーダーテープと磁気テープが分離した場合はスプライシングテープでつなぎ合わせて再使用が可能である。またハブの留め具からテープが脱落した場合は他のハブを転用して再使用が可能である。 ; エンドレス・カセット : 摩擦を軽減するための特殊なバックコートを施したテープの両端を同じ面同士で繋ぎ合わせており、一度再生すると終端からそのまま先端に移行し、ループを繰り返すコンパクトカセットである。BGMや繰り返しの再生用として[[スーパーマーケット]]の特売品売り場での特価内容の周知や車載拡声器や宣伝車及び遊説車で小型のカセットプレーヤーとともに用いられる{{Efn|ただし近年ではオートリバースラジカセを利用したり[[SDメモリーカード]]や[[USBメモリ]]、CD等の各種代替メディアをリピート再生する場合が多くなった。}}。[[1972年]]頃にはすでにTDKとフィリップスから発売されていた。<!--他のオーディオテープでは[[4トラック]](フィデリパック)、[[8トラック]](リアジェット)、[[プレーテープ]]、[[ハイパック]]がこのタイプである。-->なお、その特異な構造のためにスペースを取るので長時間タイプは存在せず{{Efn|10秒 - 6分程度(例:TDK「EC」など)。同社海外市場向けは12分の製品が存在する。}}、巻き戻しも不可能なため片面走行のみである。ノーマルポジションのみで、過度の振動や衝撃は内部での巻き込み等の走行不良を起こすことがあるので注意が必要である。後年、音楽用テープを使用した高音質タイプも発売された。 === 録音再生方式 === [[ファイル:カセットテープ説明図1.png|thumb|200px|]] 録音は電気信号を録音ヘッドで磁気に変換しヘッドギャップから放射させ、そこに磁性体を塗布した磁気テープを接触させ磁気的に記録する。磁気テープを長手方向に一定速度で摺動させることにより信号を連続的に記録する[[水平磁気記録方式]]である。再生は録音の逆で、再生ヘッドで磁気を電気信号に変換することで行う。また録音時には消去ヘッドによる既存の録音の消去も行われる。ヘッドがすべて独立している場合、磁気テープは消去ヘッド、録音ヘッド、再生ヘッドの順に通過する。 録音ヘッドと再生ヘッドは兼用できるが最適な設計が異なるので、性能を追求するならばそれぞれ専用が望ましい。しかしコンパクトカセットは本来録再兼用ヘッドの使用を想定しており、その分のスペースしかないので、録音と再生をそれぞれ専用ヘッドとする場合は録再コンビネーションヘッドと呼ばれる、録音ヘッドと再生ヘッドを一体化したヘッドが用いられることが多い。 録音ヘッドに加える電気信号は音声信号のみでは残留磁束の直線性が悪いので、録音バイアス信号が重畳される。オープンリールテープレコーダーと同じく高周波(100 kHz 程度)の交流を録音バイアス信号とする[[交流バイアス法]]が標準的である(交流バイアス信号自体は周波数が非常に高いため記録されない)。消去には消去ヘッドに高周波の交流(ほとんどの場合録音バイアス信号と出所は同じもの)を加えて行う交流消去と、安価なレコーダーで用いられる、永久磁石でできた消去ヘッドをテープに当てることで行う直流消去とがある。 === トラック構成 === [[トラック (記録媒体)|トラック]]構成は通常 2 トラックの[[モノラル]]または 4 トラックの[[ステレオ]]で、カセットの表と裏にあたる A 面と B 面(A 面をサイド 1, B 面をサイド 2 ともいう)をひっくり返すことにより往復で使用できる(このように往復で使用できるとテープを巻き戻す必要がなく都合が良い)。テープ幅は 3.81 mm(0.15 in.) で、中央の 0.66 mm は A 面 B 面のトラック間のガードバンドとし記録しない。モノラル記録の場合、その両側各 1.54 mm を A 面および B 面のトラックとする。カセットの「A 面」と表示されている側を上にした場合、実際には A 面のトラックはテープの下側、つまり「B 面」と表示されている側になる{{Efn|これはカセットの位置決めが見えない側を基準に行われるためである。}}。ステレオ記録の場合はモノラルの各トラックの中央 0.3 mm にあたる部分を左右チャンネルトラック間のガードバンドとし、その両側各 0.62 mm を左右チャンネルのトラックとする(テープ端側が左チャンネル)。モノラル記録のトラックとステレオ記録のトラックが同じ位置にあるためモノラルとステレオに互換性がある{{Efn|オープンリールテープレコーダーでは性能を優先してモノラル記録とステレオ記録でトラック配置が異なっており、一般には互換性がない。ただしコンパクトカセットのようなスペースの制約がないので、モノラル用とステレオ用に別々のヘッドを備えたり、あるいは多トラックのヘッドを備えて、モノラルでもステレオでも使えるようにしたレコーダーもある。}}。 === 録音再生速度 === 録音・再生のテープ速度は 4.76 cm/s{{Efn|これは表記上の値で、正確な値は 15/8 in/s つまり 4.7625 cm/s だが、実際にはそれだけの精度はない。この速度は当初から変わっておらず、かつて 4.75 cm/s とか 4.8 cm/s と表記された製品があったが、表記だけの違いである。}}と規定されており、カセットハーフに設けられた孔に一定速度で回転するキャプスタンを通し、テープを挟んでゴム製のピンチローラーを押し当てることで、テープ位置により変化するリール巻径にかかわらず一定のテープ速度を得ている。 4.76 cm/s というテープ速度は家庭用オープンリールテープレコーダーに用いられた速度 9.53 cm/s{{Efn|正確には 15/4 in/s つまり 9.525 cm/s。}}の半速であり、本来、音質より小形と経済性を優先した規格である。 録音時と再生時のテープ速度が異なっていると音の高さや曲のテンポ、演奏時間が変わってしまうので、互換性上テープ速度は重要である。しかし正確に合わせることは難しく{{Efn|問題はテープ速度であってキャプスタンの回転速度ではなく、テープ速度にはキャプスタン径の精度やピンチローラーの変形具合などが影響するので、キャプスタンの回転速度を水晶制御してもテープ速度は水晶精度にはならない。}}、特に録音と再生で別のレコーダーを使用した場合、音の高さや曲のテンポ、演奏時間が明らかに変わることがある。逆にピッチコントロールとして速度を微調整できるようにしたレコーダーもあり(曲のテンポや演奏時間も変わる)、楽器ルート系の機材に多くみられる。ほとんどのものはピッチコントロールが有効なのは再生時だけで、録音時にはあらかじめ調整された速度に固定される。 なお、テープ速度が変動すると[[ワウフラッター]]が生じる。これを防ぐためキャプスタンは精密に仕上げられており、またほとんどのレコーダーはキャプスタンの根元に[[フライホイール]]を備え、その慣性を利用して回転むらを抑えている。しかし可搬型のレコーダーでは本体が揺れると慣性が逆に回転むらを発生させてしまうため、フライホイールを 2 つ持ち、互いに逆回転させて相殺するもの(アンチローリング)や、フライホイールを持たず電子制御によって回転むらを抑えるものもある。 === 時定数 === 平坦な周波数特性を得るには大幅なイコライゼーションが必要で、互換性を保つため [[国際電気標準会議|IEC]] により再生イコライザの[[時定数]]が規定されている(高域時定数は IEC Type I テープでは 120 µs, IEC Type II, IEC Type III, IEC Type IV テープでは 70 µs、低域時定数は 3180 µs{{Efn|当初の低域時定数は 1590 µs だったが、 1976年頃に 3180 µs に改正された。}})。実際には磁束の測定は困難なので、 IEC の時定数に従って記録されたキャリブレーションテープ{{Efn|この IEC キャリブレーションテープに高域の記録レベルが高すぎるという疑義が生じ、 1981 年の IEC プラハ会議において改正されたものが現在有効である。このキャリブレーションテープには "IEC (Prague) 1981" の表示がある。}}が用意され、それを再生してフラットになるよう再生系が調整され、次いで録再総合特性がフラットになるように録音系が調整される。 === 独自の録音方式 === 特殊な用途向けに独自の録音方式も開発された。 ; LL([[ランゲージ・ラボラトリー]]) : [[英会話]]の学習に用いられた方式で、ステレオの片チャンネルに手本となる音声が録音されており、もう片方の空きチャンネルに自分の声を後追い録音する。テープは通常のものだがレコーダーが特殊なタイプとなる{{Efn|あくまで学習方式の名称であり、テープや録音方式の名称ではない。}}。 ; 4チャンネル : [[マルチトラック・レコーダー#カセットMTR:ミキサー内蔵型|カセット式MTR]]に用いられるチャンネル利用法。両面2チャンネルステレオのトラック規格を片面4チャンネルへ転用したもの。磁気ヘッドはオートリバース用の4チャンネルタイプが流用されている。後述する倍速録音との組み合わせにより6チャンネル、8チャンネルも存在した。 ; 倍速録音 : 2倍速で録音・再生し、音質の向上を目指したもの(1970年代中期頃、[[マランツ]]が[[スーパースコープ (映画)|SUPERSCOPE]]ブランドで発売したラジカセの一部、TEAC社のオーディオ用カセットデッキC-#X、など)。 ; 低速録音 : 倍速録音とは逆に、会議用等に走行速度を1/2・1/3にして録音時間の延長を図ったもの。各社のポータブルレコーダーおよび一部の業務用大型デッキに設定されている([[ソニー]]の「2倍モード」や[[パナソニック]]の「3倍モード」など)。資料としての長期保存性や、文字媒体転記作業でのリピート再生を目的とした強度確保の見地から、メディアには一般にC-90以下のタイプが用いられる。高域周波数特性が著しく劣るので音楽の録音には適していない。その一方で人の会話音声に限定すれば聴き取り可能な実用レベルの音質(マイクロカセットや最初期のカセット程度)が確保されている。なお、[[視覚障害者]]向け[[録音図書]]では1/2が用いられていた。 === テープの種類(電気的特性) === [[ファイル:TDK HCL-11 20050806.jpg|thumb|200px|ヘッドクリーナー]] 当初は会話録音・ BGM 用程度に手軽に扱えるものだったコンパクトカセットだが、用途が [[Hi-Fi]] にも拡がり[[周波数特性]]や[[ダイナミックレンジ]]などが要求されるようになると、さまざまな磁性体を用いたさまざまな特性のテープが現れ、互換性に問題が生じてきた。そのため、テープの録音特性として IEC Type I, IEC Type II, IEC Type III, IEC Type IV の 4 タイプを策定し、それぞれに基準となる IEC リファレンステープを規定して、タイプごとに互換性を保つことになった。 IEC Type I - IEC Type IV は'''元は磁性体の種類に応じて分けられたものだが、録音特性が同等ならば磁性体の種類は問わない'''。 コンパクトカセットの性能向上が著しかった時代には市販テープに追随するために IEC リファレンステープはたびたび改訂されたが、1994年に IEC Type I リファレンステープが BASF Y348M に改訂されて以降、改訂は行われていない。 [[ファイル:CassetteTypes2.jpg|thumb|200px|上: Type IV テープ、中: Type II テープ、下: Type I テープ<br />機器側で種類判別できるように背面の特定位置(Type IIは誤消去防止ツメの隣り、Type IVはそれに加えて中央部)に四角い穴(検出孔)が設けられている。]] ; 検出孔 : IEC Type I, IEC Type II, IEC Type IV には、テープを検出して自動的に切り替えるための'''検出孔'''(検出穴)が規定されている(IEC Type I には実際には検出孔がない)。この検出孔は後から決められたもので、古い IEC Type II, IEC Type IV テープには検出孔がない。また、IECの規定が無かった最初期のType IVにはType IIと同じもの(3M「Metafine」,TDK「MA-R」を除く全社)か、全くないもの(3M「Metafine」,TDK「MA-R」のみ) もあり、これらはテープポジションを手動設定できるデッキでのみ使用可能となる。この検出孔によりデッキはバイアス、イコライザなどを自動設定する。 : なお、IEC Type IIIは発売当初から検出孔がなく{{Efn|ソニー案としてType IVの検出孔(ハーフ中央部)1カ所のみが開口していれば他のTypeと独立して明確な検出が行える案を確認できる(Type Iは検出孔なし、Type IIの検出孔は外側1カ所、Type IIIの検出孔は中央1カ所、Type IVは外側と中央の合計2カ所に検出孔を開けた図示が見られる)<ref>{{Cite book |和書 |author=阿部美春 |title=カセットデッキ |publisher=日本放送協会出版 |year=1980 |page=126 }}</ref>}}、その後JIS C 5568:1997(IEC94-7に適合させるための改正)にてIEC Type IIIテープ用検出孔を規定しないことが明文化された。<!--この2者は基本的に手動の対応ポジションセレクターを持つデッキで使用するのが前提(フェリクロム策定元のソニーが当初IECにハーフ中央部をType III用の検出孔として申請していたものの認可されなかったという噂がよく聞かれるが、虚実は不明。)。-->(検出孔を自動的に読みとる機構が装備される以前のテープセレクトの方法は手動によるスイッチ式が全盛だったため検出孔の必要性があまりなかった。またIEC Type IIIは磁気特性がIEC Type Iに近い(バイアスが+10%)ため、うまく調整すれば高性能ノーマルとしての使用も可能であるむねメーカーも謳っていた。ただしこの場合、補正カーブが異なるために音質のバランスが変わってしまう可能性が高い。そのためか、1970年代にわずかながら存在したバイアスとイコライザーを個別設定できるデッキでは、バイアスをノーマル・イコライザーをクロームに設定することを推奨した例があった。) ==== IEC Type I ==== コンパクトカセットの登場当初から使われているテープと同系の、最も基本的なテープである。最初期のものはオープンリール用スタンダードテープを使用したものが少なからず存在する。「'''[[ノーマルポジション|ノーマル]]'''」テープとも呼ばれ、一部特殊用途のレコーダーを除き、ほぼすべてのレコーダーで使用できる。安価なものが多く高級なテープでないように思われているが、長年の改良で[[S/N比]]の改善により低ノイズ化され、[[コンパクトディスク|CD]]などの[[デジタルオーディオ|デジタル音声]]由来の音声ソースからの録音対応など高性能を謳ったものも数多く登場した。これらはSTD(Standard)ランク、LN(Low Noise)ランク、LLHランク(Low-Class Low-noise High-output)、LH(Low-noise High-output)ランク、SLH(Super Low-noise High-output)のように複数のランクで性能差を判別する。 1990年代以降は低価格化やコストダウンが目立ち、音楽・一般兼用の低級LHと音楽用の標準LHのみの販売にほぼ集約された。TDKのF・LN・D・AE・SD・AD、日立マクセルのLN・UL・UR・UD・UDΙはソニーと日本コロムビア(DENONブランドを含む)を除く数多くの録音機メーカーのリファレンス(基準)テープとして用いられた{{Efn|ただしソニーの場合は自社製のK・HF・CHF・BHF・HF-S・CDixI等が、日本コロムビア(DENON)の場合は自社製のMS・1H・3H・DX1・DX3・RE・RD等がそれぞれ用いられた。}}。 磁性体として当初[[酸化鉄(III)|γ‐酸化鉄 (III)]] (γ-Fe<sub>2</sub>O<sub>3</sub>) が用いられ、またその後も多く用いられたので "Fe<sub>2</sub>O<sub>3</sub>" と表記されることがあるが、 IEC Type I テープの磁性体は必ずしも Fe<sub>2</sub>O<sub>3</sub> ではなく、主に高級タイプに用いられた、Type III に倣った発想で、特性の異なるγ酸化鉄を二層塗布したもの(富士写真フイルム/Fx-Duo・Range6、日本コロムビア=DENON/初期DX3・DX4)、例は少ないが[[酸化鉄(II,III)|四酸化鉄]](マグネタイト Fe<sub>3</sub>O<sub>4</sub>)のもの (TDK/ED)、そして1980年代に入って開発された、γ酸化鉄の生成時の内部空孔(ポア)をほぼなくして磁気効率を改良した無空孔(ノンポア/ポアレス)酸化鉄(TDK/初期AR、日立マクセル=maxell/初期UDI)およびそれのコバルト被着タイプ(前掲機種の後期型)がある。また、後にType IIの主流になったものの、最初はType Iの高性能タイプ用に用いられたものに、[[コバルト]]ドープ酸化鉄 (Scotch/HighEnergy) やコバルト被着酸化鉄 (maxell/UD-XL) がある。特にコバルト被着酸化鉄はその調整の容易さと高域特性改善の面からTypeIでも並行して用いられ、1970年代後期から高級タイプ (TDK/AD-X、maxell/XLI-S) の、1980年代中期以降は普及タイプ(富士写真フイルム=AXIA/PS-I、太陽誘電=That's/RX)にも多用された。 再生イコライザの時定数は 120 µs と 3180 µs 。 カセットに IEC I, TYPE I, または単に I の表示がある。 IEC リファレンステープは BASF Y348M (1994年改訂)。 ==== IEC Type II ==== 1970年代初期に登場。IEC Type I より保磁力の大きな磁性体を使用するテープである。テープ速度が遅いため高域のダイナミックレンジが狭いコンパクトカセットの欠点を改善するために開発された。「クロム(クローム)」「CrO<sub>2</sub>」「コバルト」「Co-Fe<sub>2</sub>O<sub>3</sub>」テープなどとも呼ばれる。俗に「'''[[ハイポジション]]'''」とも呼ばれる<ref>{{Cite web|和書|author=福多利夫 |url=https://tokusengai.com/_ct/17214193 |title=【カセットテープの基礎知識】ノーマル・ハイポジの違いは?録音方法は? |website=特選街WEB |publisher=[[マキノ出版]] |date=2018-11-14 |accessdate=2021-03-21}}</ref>。 磁性体としては最初期こそ代名詞ともなった[[酸化クロム#酸化クロム(IV)|二酸化クロム]](CrO{{sub|2}}; [[デュポン]]が発明)が主流だったが、中域以下の MOL が低くヘッド摩耗が激しかった{{Efn|このことが契機となって、上級機種向けとして特別に耐摩耗性に優れた[[フェライト (磁性材料)|フェライト]]ヘッドのほか、普及・廉価機種向けとして従来の[[パーマロイ]]ヘッドに対し耐摩耗性をより一層向上させた[[ハードパーマロイ]]ヘッド、後述するメタルテープ登場直前にはセンダストヘッドなどが開発された。}}ことに加え、日本国内でめっき工場の廃液などの公害問題([[六価クロム]]廃液)の風評の余波で次第にフェードアウトし、[[特許]]のライセンス問題もあったので<ref>{{Cite web|和書|author=川村俊明 |url=http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/002.pdf |format=PDF |title=VTR産業技術史の考察と現存資料の状況 |series=かはく技術史大系(技術の系統化調査報告書) |website=[[産業技術史資料情報センター]] |publisher=[[国立科学博物館]] |page=19 |date=2001-03 |accessdate=2021-03-21}}</ref>、1970年代後半 - 1980年代初頭に一部で用いられたコバルトドープ酸化鉄(Scotch/Master70、DENON/初期DX7)等を経て、コバルト被着酸化鉄磁性体(Co-γ-Fe<sub>2</sub>O<sub>3</sub>;酸化鉄の表層にコバルトフェライトが結晶成長したもの)(TDK/SA、maxell/XL II)へ移行した。<!--これはコバルトフェライトの被着量をコントロールしやすい、すなわち磁気特性の調整が容易な点が大きく、家庭用[[ビデオカセット]]や[[フロッピーディスク]]など、幅広く使用された。-->これらは中低域の強化や低ヒスノイズ化、高域MOLの向上が図られ、1980年代には音楽用テープの代名詞となった。{{Efn|ただし1990年代前半まではラジカセなどの取り扱い説明書や本体にはCrO2と記載されており2014年時点でもティアックのカセットデッキの説明書にはクローム(クロム)という名称が用いられている。}}1980年代終期、この酸化鉄の代わりに前述のマグネタイトを核に用いたものもあり、日立マクセル、日本コロムビア等が採用した(maxell/最終XL II-S、後期UD II)。 <!-- ※マグネタイトにコバルトを被着したテープはビデオテープの方が先行しており、3M、マクセル、ビクター、コニカ、パナソニック等多くのメーカーが採用していた。マクセルの“ブラック・マグネタイト”の名称などが知られている。VHSテープの場合はテープの磁気特性重視ではなく、おもにコストダウンのために採用された経緯がある。VHSテープではエンドサーチに[[赤外線]]センサーを用いており、透明なリーダーテープがセンサーを通過したときストップをする機構であった。ところが高性能化、すなわち微粒子化に伴い、赤外領域では光透過率が規格を満たさないようになったため核晶が黒色のマグネタイトの磁性粉を採用するに至った。核晶がγ-ヘマタイトより磁気特性が良いのでテープの磁性層も薄くできるのでコストダウンが可能となった。ちなみに初期のVHSテープはT-120換算で磁性粉の使用量は約40g、核晶がマグネタイトの磁性粉を使用して設計した場合、約20gに可能になった。また、磁性層のカーボンを低減して磁性粉の密度を上げることも可能になった影響も大きい。 --> ポジションの位置づけとしてはノーマルテープよりも上位だが、性能的には高級ノーマルテープと重なる部分があり、低価格タイプが高級ノーマルテープ、中級タイプが最高級ノーマルテープと同等の性能と評価されている。ただし高級ノーマルテープが得意な高MOL特性と、ハイポジションが得意な低ノイズ特性を相殺した評価であるため、実際の音質特性はそれぞれ異なる。 IEC Type I より録音バイアス量を増やす必要があり(IEC Type I 比 1.5 倍程度)、また保磁力は IEC Type I、および IEC Type III 磁性体の約 1.5〜1.8 倍程度もあり、これらの各ポジション用テープに比較して消去しにくいため、 IEC Type II テープに対応したレコーダーでないと録音できない。再生はできるが高域が強調されるので、基本的には IEC Type II テープに対応したレコーダーでないと使用できないと考えた方がよい。 再生イコライザの時定数は 70 µs と 3180 µs で、再生時に IEC Type I テープより高域を減衰させることで雑音の高域成分を抑えている。 カセットに IEC II, TYPE II, または単に II の表示がある。 IEC リファレンステープは BASF U564W (1986年改訂)。 ==== IEC Type III ==== 高域は伸びるが低域に弱いIEC Type IIと、逆に中低域は強いが高域が弱いIEC Type Iの両者を併せることで弱点を補完しようという発想から生まれたものである。 基本的に下層に中低域用のγ-ヘマタイト、上層に高域用の二酸化クロムを塗布するため、「'''フェリクロム(フェリクローム)'''」「'''Fe-Cr'''」テープとも呼ばれるが、他にも上層をコバルト被着酸化鉄にしたり (DENON/DX5)、特性の異なるコバルト被着酸化鉄の二層塗布とするものも存在する。元々は IEC Type I のみに対応するレコーダーの高域特性を改善するために開発され、1973年にソニーから初の二層塗布テープ「Duad」が発売された。後にIECで正式にTypeIIIとして制定された。 高級音楽用として、1970年代には各社の最高価格帯の製品として君臨したものの、製造工程の複雑さや専用のバイアス・イコライザが必要ではあるが自動ポジション検知は構造上できない等の使用時の煩雑さ等もあり、発売したメーカーは多くない。日本でも大手のTDK、日立マクセル、富士写真フイルム等は採用せず、同価格帯には高級ノーマルポジションを置いていた。 IEC Type III テープが登場した当時(1973年)は IEC Type I のみ対応のレコーダーで使用でき、また初期の IEC Type II テープは中域以下の MOL が低い欠点があったため存在意義があったが、 IEC Type I, IEC Type II テープが改良され、またレコーダーも IEC Type II に対応したものが多くなると存在意義が希薄になり、1978年に3M社よりメタルテープ (Type IV) が発売された後は、最高級音楽用としての役割はそちらに置き換えられて各社とも撤退し、日本で1980年代まで発売を継続していたのは開発元のソニーのみであったが、それも1980年代後期にはカタログ落ちしている。ソニー製カセットデッキでも1984年に発売された「TC-K333ES」を皮切りに手動式テープセレクター仕様であってもIEC Type III対応カセットデッキは順次廃止されている。ただし、1980年に販売開始した可搬型カセットデッキ「TC-D5M」(通称「[[デンスケ (録音機)|カセットデンスケ]]」)は、手動式テープセレクターによるTypeIII対応機として2005年まで生産販売されていた。最高価格帯の製品でもあったためか同時期には1社1グレードのみで、価格帯としては同時期のIEC Type IIと同等かやや上、IEC Type IVよりは下となる。 そのType IIIがほぼ死滅した1980年代中期、松下電器産業が「オングローム」ブランドで投入した[[蒸着]]テープが存在した。通常の塗布層の上にさらに金属コバルトを蒸着させるという、発想自体は極めてType III的な製品だった(ポジションは当初Type II、後Type I・IVを追加)。TypeIIIと異なる点は、低域 - 中高域のテープ特性の大部分は下の塗布層に由来しており、上の蒸着層は超高域([[スピーカー]]で言うスーパーツィーター)のみを担当する。そのために高域特性を大幅に改善したものの、塗布層自体の性能が他社の同価格帯と比較して見劣りしていたこと、その強力な高域特性のためデッキによって相性の相違が激しく、また製造コストの高騰からくる価格設定の高さもあり、短命に終わった。この技術は、蒸着層の超高域信号(ビデオの映像信号)への対応能力を買われて、後に[[ビデオカメラ]]用テープの技術として開花することとなる([[Hi8]]のMEタイプ、その後のテープ式[[デジタルビデオ]]の規格[[DV (ビデオ規格)]]|[[DVC]])。 録音バイアス量は IEC Type I 比 1.1 倍程度。再生イコライザの時定数は IEC Type II と同じく 70 µs と 3180 µs 。 カセットに IEC III, TYPE III, または単に III の表示がある。 IEC リファレンステープはソニー CS301 。 ==== IEC Type IV ==== 最も後に現れたもので、酸化されていない鉄合金磁性体を使用するテープである。「'''[[メタルポジション|メタル]]'''」テープとも呼ばれる。 磁気テープが実用化された当初から、磁性体としての性能は酸化鉄より純鉄(酸化していない鉄)のほうが優れていることは判っていたものの、酸化しやすい(安定性が悪い)点や製造コストなどの点から実用化は遅れていた。元々はデータレコーダ用高密度記録用磁性体として開発されており、それを音楽用に転用した製品が、1978年、米国3M社から「Metafine」として発売され、後にIECで正式にTypeIVとして制定された。 元々が高価格であったため(後に低価格化されたが)、長らく愛好家(マニア)向けというイメージがあった。ラインナップは当初、各社の最高価格帯に設定され、基本的に1社1品種(TDKのMA-R、およびMA-XGはハーフのみ異なる番外的な製品)であったが、後にメタル磁性体の量産体制が整うと低価格化されて、1990年代にはノーマルやハイポジションの低価格帯と同等までになった。同時にグレードも多岐にわたり、最盛期となる1980年代終盤には国内大手メーカーで高級機から普及機まで3 - 4グレードを擁していた。 主成分はα-Feとコバルトなどの合金であるが、これも酸化に弱いという欠点を克服すべく、各社工夫していた。表面にマグネタイトを形成する方法が一般的だがまったく充分ではない。還元時の焼結防止も兼ねてシリカ、酸化アルミニウムなどを析出、被覆し酸化防止をしている。このメタル磁性体も、1980年代初期よりイコライザーが同じTypeIIへの転用が図られ、極めて高出力な特性を買われて主に高級タイプ (TDK/HX、DENON/DX8) に用いられたが、中には低価格タイプ (That's/EM) も存在する。このメタルパウダーの成分はNiを合金としており、ハイポジションの保磁力に近づけるように設計をしていた。これは言い方を変えればメタル磁性粉をパーマロイ化して保磁力を下げたといってよい。俗にLow Hcメタルとも呼ばれ、ハイポジションの欠点であった低音域のパワー不足を大幅に向上させた。 残留磁束密度は IEC Type I - IEC Type III 磁性体の 2 倍程度、保磁力は IEC Type II 磁性体の 2 倍程度、およびIEC Type I 磁性体の 3 倍程度もあり、結果として全帯域での録音レベル及びMOLが非常に高い。かつてのオープンリールテープに迫るダイナミックレンジを持つと言われた。反面、録音バイアス量を IEC Type II の更に 1.5 倍程度に増やす必要があり、消去も IEC Type II より更にしづらく、一度録音したものの上から直接録音すると前の音が残留してしまうなどの問題もあり、取扱いに注意を要する。テープの能力としては非常に高いといえるが、レコーダー側のヘッドや発振回路などの負担も大きくなる{{Efn|実際、 IEC Type IV テープの登場によりレコーダーのヘッドや回路が一新されることになった。}}。当然、 IEC Type IV テープに対応したレコーダーでないと使用できない。 再生イコライザの時定数は IEC Type II と同じく 70 µs と 3180 µs 。録音機器、および再生機器側がそれぞれハイ(クロム)ポジションに対応していれば、再生のみは可能。{{Efn|東芝(東芝エルイートレーディング)のCUTE BEAT、および[[ハイレゾリューションオーディオ|ハイレゾ]]対応機種の「Aurex TY-AK1」などの各種CDラジカセのフルロジック機ではカセットテープ判別リーフスイッチをメタル孔に設置しているためメタルテープ再生は不可となる。理由としては録再ヘッド保護と思われる。やむをえず再生する場合自己責任にてセロハンテープなどでメタル孔を塞ぐことで再生できる。}} カセットに IEC IV, TYPE IV, または単に IV の表示がある。 IEC リファレンステープは TDK MJ507A (1991年改訂)。 === 収録時間 === 収録時間は、“Cassette”の頭文字“C”に両面の公称総収録時間を付けて表示される(主に1970年代後期頃からは省略されることが多い)。標準的な製品は、それぞれC-30からC-120と呼ばれる、両面で30分 - 120分(=片面で15分 - 60分)録音できるものである。 収録時間によってテープの厚みが異なり、標準タイプのC-60以下で約17 - 18{{Unicode|µ}}m(ベース厚13.5{{Unicode|µ}}m)、長時間タイプのC-64 - C-90でその約2/3の11 - 12{{Unicode|µ}}m(ベース厚7.5{{Unicode|µ}}m)、超長時間タイプのC-120で半分の9{{Unicode|µ}}m(ベース厚4.5{{Unicode|µ}}m)と段々薄くなる。なお、この数値は磁性層4.5{{Unicode|µ}}m(メタルテープは3.5{{Unicode|µ}}m)を含んだ厚さであり、テープの長さが変わっても磁性層の厚さは変わらず、ベースフィルムの薄さにのみ影響する。このため、長時間録音になると安定性と耐久性は悪化し、高温下で伸びやすく、又は過剰なテンションによって切れやすくなる。温度変動が大きい高負荷環境にある[[カーステレオ]]や、特に緻密な走行制御(安定性)を要するクローズドループ・デュアルキャプスタンを採用した一部のテープデッキ(主に概ね最低5万円台以上のクラスの3ヘッドタイプのものがほとんど)ではC-90以下の使用を推奨している。 規格としてはTDKの輸出モデルなどにC-180やC-240もあるが、耐久性の問題(テープ厚はC-180で6.5{{Unicode|µ}}m、C-240で5{{Unicode|µ}}m。ベース厚はそれぞれ2{{Unicode|µ}}m、0.5{{Unicode|µ}}m=物理上の限界値)もあり製品としてはほとんど存在しない。 特殊用途を除く一般的な収録時間は、過去に国内で発売されたものだけでもC-5・C-6・C-8・C-9・C-10・C-12・C-15・C-16・C-18・C-20・C-22・C-30・C-36・C-40・C-42・C-45・C-46・C-48・C-50・C-46+5・C-52・C-54・C-55・C-60・C-62・C-64・C-65・C-60+5・C-70・C-74・C-75・C-76・C-80・C-84・C-90・C-92・C-94・C-90+5・C-100・C-108・C-110・C-120・C-120+5・C-150と多岐にわたる。 ; 1960年代 : 登場当初はC-60から始まり、[[1967年]]には短時間用のC-30と長時間用のC-90が追加され、更に[[1968年]]には超長時間用のC-120が追加された。 ; 1970年代 : 音楽専用タイプが各メーカーから出揃い充実した[[1975年]]頃には、当時の一般的な[[レコード#LP盤|LP]]アルバムを収録するのに丁度良いC-45(C-90の半分、主にTDKとそのOEMがほとんど)が追加されたが、[[1979年]]末までにほぼ全てC-46へ置き換わった。このほか1970年代中期には富士写真フイルムがFXで初採用したC-80、[[日本コロムビア]]([[デノン|DENON]])の、C-45に余裕を持たせたC-50およびやや短めのC-42、[[ナガオカ産業]]による+5minシリーズ(各時間に5分の余裕を持たせたもの)などが現れており、1970年代後期には[[TDK]]のADに追加されたC-54、ソニーが“ジャンル別音楽テープ”と銘打った音楽ジャンルに的を絞った収録時間 (C-54・C-74・C-84) など、後代で一般化する収録時間はこの頃までにほぼ出揃っている。 ; 1980年代 : 1970年代後期からのカラオケブームを受けて、1980年代初頭には各社“カラオケ専用”に適したC-8・C-10・C-15・C-16といった超短時間用も発売された。1980年代初頭までは、音楽専用は主にC-46/60/90、一般用はそれに加えてC-10/30/120が追加、稀にC-54・C-80といった中間型のラインナップが多勢を占めた。 : [[1982年]]10月1日に[[コンパクトディスク|CD]]が順次発売され、やがて音楽ソフトの主流が徐々に[[アナログレコード]]からCDに移行していった1980年代後期にはCDの収録時間に対応するため、ラインナップが増加した。その先駆的な製品として、[[1983年]]に[[太陽誘電|That's]]が“CD専用”と銘打った高級タイプのCDシリーズ (CD, CD II, CD IV) では、当初はC-46/54/70というラインナップであった(後に同価格帯のXシリーズと統合されC-60/90なども追加)。その後他社にも追随の動きが見られ、[[ソニー]]のCDix (C-50/70) を皮切りに、各社“CD**”と銘打った“マルチ・タイム・バリエーション”と称される多様な収録時間(10種 - 15種程度)を持つ廉価な音楽専用シリーズが一般化する。代表的な製品にソニーのCDix、TDKのCDing、マクセルのCDカプセル、やや遅れて富士フイルムアクシアのJ'zなどがある。これらは後代、ラインナップの整理統合に伴い各社の主力モデルへとシフトしていった。 : この時期に、旧来のC-50・C-54・C-74・C-80といった中間の収録時間が一般化していき、さらにC-64・C-70といったCD対応のために新たに加わった収録時間と併せて、各社で様々なラインナップが現れる。一例としてソニーでは、CDixに続くハイポジCDixIIでラインナップ中のC-50からC-80までは全て5分刻みの収録時間(C-50・55・60・65・70・75・80、他にC-20・40・46・90)として、ほぼ全てのCDの収録時間に対応可能と謳った。ただし、次モデルからはC-54・64・74といった他社と同様に偶数の収録時間に改めている。 : また、1980年代末期に発売された8cmサイズのCD([[シングル]])の総収録時間に対応したC-20・C-22といった短時間タイプ、あるいは高級タイプやメタルポジションにもラインナップされたC-100 - C-110{{Efn|ノーマル・ハイポジが100分、メタルが110分。メタルテープの方が録音時間が10分長いのは磁性層の厚さの違いによるもので、ベースの厚さはC-100もC-110も変わらない。}}といった音楽専用の超長時間タイプ等が現れたのもこの頃で、さらには、長くC-46/60/90のみを堅持していた高級タイプにもC-54・74といった中間帯が徐々に加わり始めている。 : 収録時間のバリエーションとしては、この1980年代末の[[コンパクトディスク|CD]]普及期から、記録用音楽メディアの主役が[[ミニディスク|MD]]や[[DAT]]などへシフトする1990年代前期まで(いわゆる[[バブル景気|バブル全盛期]])が最も多彩であった。 : なお、特殊用途として、C-0(補修用のハーフ+リーダーテープ)、[[エンドレステープ]]にC-3/6/10などの製品があった。また、製品自体は通常のものと変わらないが、1980年代中期にはコンピュータプログラム記録用にC-10・15・16などの製品があった。業務用の[[バルク品]]などはそれ以外にもさまざまな長さの製品が存在していた。 : [[珍種|変わり種]]のタイムバリエーションでは、いわゆる“リールタイプ”専用とも言えるC-52がある。1980年代中期に流行したオープンリール状のハブを持つリールタイプでは、リール側面を固定する“のりしろ”のために通常よりハブ中心部が大径となり、C-60のテープ厚ではC-52が収納限界となったためである。なお、大径形のハブは走行安定性の向上という観点から、オープンリールタイプ以外にもおおむねノーマル最高級(SLH相当)・ハイポジ中級クラス以上と全てのメタルテープのC-46で大径ハブが採用されていた時代が長くあり、メーカーによってはC-54以下で大径ハブを使用できるよう、オープンリール状のハブよりも僅かに直径を狭めた大径タイプのリールを採用しているメーカーもあった。また、[[三洋電機|SANYO]]、[[パナソニック|National]]、[[ティアック|TEAC]]等がC-46の2倍ということで採用したC-92、[[太陽誘電|That's]]がハブの小径化によってC-90テープ厚で限界の収録時間を達成したC-108などもあった。 ; 1990年代 : C-150は最も後期になって追加された超長時間タイプで、カセットが音楽用メディアとしての主流を他へと明け渡しつつあった1990年代に発売された。用途は会議録音用などで、当時は他に手軽な長時間録音に適したものがほとんどなかったこともあり、ある程度の需要があった。カセットの生産がほとんど海外へ移行した2000年代以降も、C-150のみ国内生産であった。 === テープの性能 === テープは磁気の強弱で情報を記録しているため、磁界の影響で内容が消滅する恐れがある。そのため[[磁石]]の近くや強い磁界のある場所(大型[[ブラウン管]][[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]や[[スピーカー]]の上)や高温になる所([[自動車]]の[[ダッシュボード (自動車)|ダッシュボード]])に保管してはならない{{Efn|AXIAのPS-S、FUJI/AXIAのGTなど耐熱性を有する製品も存在する。}}。また高熱でテープの伸び(形状から“[[ワカメ]]”と呼ばれる)やケースの変形が生じると復元困難になる。 またテープは繰り返し再生および録音を行うことで磁性体劣化、摩耗、テープ伸び、テープ鳴きなどの傷みが生じる。その結果消耗や保存状態などによる[[経年変化]]が進むと音質の著しい劣化(雑音、ゆがみなど)が起き、またテープ切れが起こるなどの要因で使用できなくなる。それ以外にも録音したものを使用せずに数年放置しておくと、リールの巻き部分で外側と内側のテープの磁気記録が干渉し、転写や音量低下、音質悪化を招く。 テープのうち、再生時間が概ね70分以上のものはリールへの巻き取り外径を小さくするため、磁気テープ媒体が通常より薄くなっている。磁性層の厚さ(4.5µm)は変わらないので、ベースの厚さは再生時間70~90分タイプの場合で60分タイプ(13.5µm)の約56%(7.5µm)となり、120分タイプでは33%(4.5µm)、150分タイプに至っては20%(2.7µm)の厚さでしかなくなる。このため、特に120分以上再生タイプは強度の面で問題があり、再生時間が概ね90分以下のテープにしか適応していないレコーダーで再生・録音をすると、テープ損傷、カセットテープ全体の作動不良、走行トラブルの恐れがある(再生可能なレコーダーでも早送りや巻き戻し・一時停止などの操作を頻繁に繰り返すと走行トラブルの原因となる)<ref name=":1" />。 === 欠点 === 以下のような欠点がある。 * アナログ機器であり、無理をして開発・生産コストをかけて高音質を実現しているため{{Efn|日本製のカセットデッキの中には[[パイオニア]](現・[[オンキヨー&パイオニア]])製の「T-1100S」(1992年9月発売、1996年8月販売終了)のようにメタルテープを使用した場合に限り、高域の周波数特性が最高で'''30kHz'''と、テープ速度が2トラック・38cm/s級の[[オープンリール#アナログ記録方式|オープンリールテープデッキ]]に匹敵する周波数特性を持った機種も存在した。}}レコーダーの性能が音質に大きく影響し、高音質なレコーダーはより高価となった。安価なレコーダーのユーザーは低音質を容認しなければならなかった。 * 音程が波打ったりピッチがずれてしまうことがあった。特にテープやレコーダーが古くなると目立った。 * 録音に使用したレコーダーとは別のレコーダーで再生すると音がこもったり{{Efn|ヘッドの汚れのほか、長期的な経年変化によるヘッドの摩耗や僅かなヘッドのアジマスのずれとテープパスのずれに起因する。}}ピッチがずれてしまうことがあった。 * テープが伸びたり(ワカメ)、テープパスの僅かなずれが原因でテープのエッジ(端)部分が折れ曲がったりして音に影響が出ることがあった。またレコーダーが録音時、および再生時にテープを巻き込んでしまったり、テープが途中で切断してしまうこともあった。 * 基本的にテープ上の録音された位置にあるものを順番に再生していくので、録音してから順番を入れ替えたり、途中に挿入することはできなかった。 * 頭出しやリピートはテープカウンターと早送り・巻戻しを使って手動でできたが、テープカウンターの精度は悪く互換性もなかった{{Efn|テープカウンターは単純にリール軸と連動したものが多く、それも巻取り側のリール軸に連動したものと供給側のリール軸に連動したものとがあった。テープの巻き径が変わるため進む速さは一定でなく、早巻きすると巻きが乱れるためカウンターがずれてしまう。}}。早巻き中にヘッドを接触させ録音の有無を検知して高速頭出しを行う機能をもつレコーダーもあったが、テープを損傷するほかヘッドを摩耗しがちだった(特に安価な[[パーマロイ|パーマロイヘッドやハードパーマロイヘッド]]を採用した録音機、および再生専用機)。 * ダビング(複製)には通常、記録と同じ時間を要した。2倍速・3倍速のダビング機能を備えたものもあったが、特に高速ダビングによる録音時の交流バイアス信号の変動が原因で音質の劣化が大きくなりやすかった。この問題点が契機となり、1980年代中期以降は[[ドルビーHX PRO]]を搭載したカセットデッキ(ただし[[ナカミチ]]製は除く)がシングルデッキタイプ、ダブルデッキタイプに関わらず開発・投入されるようになった。 == 収納ケース == [[ファイル:コンパクトカセットの収納ケース.JPG|thumb|左上から紙ケースとストッパー、Pケース、PPケース、PP(スライドイン)ケース、スリムケース]] [[ファイル:コンパクトカセット収納ケースの厚さ比較.JPG|thumb|紙ケース、Pケース、スリムケースの厚さ比較]] コンパクトカセットのテープはヘッド接触部周囲で外部に露出しており、ケースから出したままの状態ではテープの損傷やほこりの付着を招くため<ref name=":1" />、カセット本体やインデックスカード、タイトル記入シールを収納するためにケースが付属する。ケースに納めるとリールが固定され、持ち運びなどで振動が加わってもテープのたるみが生じない。 ; 紙ケース、ストッパー : プラスチックケースが普及する前およびバルク品には紙製のケースとハブを固定するためのストッパーが付属した。一部の語学練習用テープにもストッパーが付属する。紙ケースにはオープンリールテープと同じような形状も存在する。 ; プラケース : 標準ケースと呼ばれる、厚みがあるタイプ。スリムケース登場前や業務用、ミュージックテープはこのケースが使用される。落下時には他のケースよりも破損しやすいのが欠点である。現在もマクセル他が採用している。 ; PPケース : ポリプロピレン樹脂等を使用したケースである。バルク品に使用される、インデックスカードが収納できないタイプや、ケース側面から収納するSONYのスライドインケースが存在する。厚さはスリムケースと同じである。 ; スリムケース : [[富士マグネテープ]](後の[[富士フイルムアクシア]] → 富士フイルム。以下AXIA)が開発し、1990年代に他社も含めて主流となった、標準プラケースよりも20%程薄いタイプ。メーカーによってさまざまな収納方法があるが、カセットを逆さに収納するタイプ(初期のAXIA・太陽誘電など)はテープがむき出しになるのでケース開閉時には指先がテープに触れないよう注意する必要がある。後にAXIAはカセット本体をどの方向でも収納出来るスリムケース(通称:どっちでもINスリムケース)を採用。 == 製造・販売会社 == === 製造・販売中 === ※[[2023年]]([[令和]]5年)[[11月]]現在。'''太字'''…ハイグレードタイプ、<sup>○</sup>印…ハイポジション。 ==== 電器・音響系 ==== 業務用カセットテープメーカーを除く。 * [[マクセルホールディングス|マクセル(旧・日立マクセル)]] : [[マクセル UR|UR]](UR-10N・UR-20N・UR-60M・UR-90M<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.maxell.jp/consumer/ur.html |title=カセットテープ「UR」 |publisher=マクセル |accessdate=2023-11-06}}</ref>) ** かつては高精度ハーフを核とする高性能な製品群を擁し、[[対共産圏輸出統制委員会|COCOM]]の対東側禁輸品に指定されたという超高級カセット (Metal-Vertex)も製造していた。このこともあってか、日本メーカーでは上級カセットのラインナップが近年まで最も豊富であった。同社の"UL(→UR)"、"UD (→UDI)"、"XLII"、"MX"はTDKと並びデッキメーカーの基準品として採用されており、同じ系列会社の"Lo-D"ブランドを擁する日立家電(当時)や音響メーカーTEACなどが採用、テープのOEMも行っていた。他にも流通系で生協 (Co-op)やツタヤ、ダイエー、イオングループ等のPB製品にもOEMを行っていた。 ** URのテープに使用されている磁性体・ベースフィルムは2017年1月出荷分以前はSKC製のOEMの低級LH用のものが用いられた。その後、[[2017年|同年]]2月出荷分以降よりマクセルのインドネシア工場で磁性体・ベースフィルム共々100%内製化された。また2014年2月の出荷分以降より製造コスト削減の理由で遮磁板が割愛されるようになった。 ** 2016年[[11月25日]]には同社のカセットテープ発売開始50年記念として[[1972年]](昭和47年)発売当時のUDのカセットハーフ、およびラベル、ケース等の意匠を復刻した『'''UD デザイン復刻版'''』が数量限定(全ラインアップ(C10・C46・C60・C90)合計6万巻の限定生産)で発売された{{Efn|「UD デザイン復刻版」の実際の組み立ては日本国内で行われており、実質的に後述するナガオカ CT、およびその先代品となるCC同様、アイディーマグネテックのOEMだった。}}。ただし、テープの中身(磁性体・ベースフィルム)自体は同社の既存のUR相当のものが使用されていた<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.phileweb.com/news/d-av/201610/06/39716.html |title=カセットテープ50周年記念 マクセル、カセットテープ「UD」の復刻版を6万巻限定で販売 |website=Phile-web |publisher=[[音元出版]] |date=2016-10-06 |accessdate=2021-02-05}}</ref>。 ** stereo 2019年11月号(音楽之友社)の付録として、新開発の磁性体を採用した「'''UD60FM'''」が発売された。 ==== 流通系・他 ==== * [[大創産業]](ザ・ダイソー): カセットテープ(品番G134など。ノーマルポジション : C-10・C-20・C-60・C-90) ** 過去の製品 : Daiso, Flower, Zebra,LX, GX(120のみ), QX<sup>○</sup>(以上韓国SKCのOEM)、DS2<sup>○</sup>(TDKのOEM)、ME<sup>o</sup>(SAEHANのOEM)、ハイポジション<sup>○</sup> : C-60・C-120。 ** 2019年現在としては国内販売されるカセットテープではもっともアルバムの録音時間を考慮させたラインナップ群であり製造国もインドネシア製から中国製に移行中であるが、2015年には、韓国製のC-90が新発売されており、この製品はケースが簡略化されている。ハイポジションについては韓国製で、以前はハイポジションと謳っているが、なぜか検出孔及びテープはノーマルと同様となっており、実質的にノーマルテープであったのだが、2013年8月後半頃に流通が開始されたものは検出孔およびテープはハイポジション仕様に改定された。他にテープのハブストッパが赤色から白色となり、テープ直径が大きくなるなどの細かな違いが確認されている。なお、この改定型ハイポジションII 120分テープが、2016年11月現在、現行唯一のハイポジションテープとなっている。{{Efn|店舗によっては改良前(在庫分)と改良後が混在している場合があるので購入時には注意が必要。改良前の末期は、パッケージに「このテープは高密度磁性体を使用した高性能高音域 (10kHz) ハイグレード製品ですが、ノーマル用ケースを使用しておりオーディオデッキの機種によりノーマルポジションと認識されます。ご了承の上お買い求めください」と書かれた注意書きのシールが貼られている。}}また、2013年10月ごろには60分テープが新たにラインナップされた。また、ダイソーのハイポジはSAEHANのOEMである(セハン製のハーフとハブと同じ)。しかし、ハイポジションは流通在庫のみ。 ** 録音時間の長短に関わらず基本的に2本組108円で販売されていたが、C-10を除くハイポジションテープと全てのC-120については1本108円となっていた。2015年中期以降はカセットテープは全て108円の単品販売となる。このほか乾式のクリーニングカセットもある。{{Smaller|※QXは発売当時、ダイソーオリジナルカセットで唯一のハイポジションテープであったが、DS2の発売に伴い絶版となっている。また、Zebraは初期のみ独[[BASF]]のテープ使用。後期のZebraはSKCのOEM。Zebraの組み立ては両方シンガポール。}}このほかに有名メーカーの在庫放出品と思われる商品が売られることもあるが、こちらは一部を除き録音時間の長短にかかわらず1本108円である。これらの有名メーカー品にはソニーのESシリーズのハイポジションやメタルなど本来ならば高額なカセットも販売されていた時期があった。 * [[磁気研究所]]: カセットテープ(ノーマルポジション : 10・60・90・120) ** 「HIDISC」ブランドにより10・60・90でパック売りされている。ディスカウントストアやホームセンター、CDショップで販売されている。[[2016年]]に入って新規に120分テープも発売している<ref>{{Wayback|url=http://www.mag-labo.jp/news/2016/04/120.html|title=カセットテープノーマルポジション120分をリリース致します。|date=20161003002437}}</ref>。2018年現在は4本入りである。 ==== 海外 ==== (日本国内での正式販売はないので、輸入問屋などを通じるなどして購入可能) * [[Quantegy]](米)(旧Ampex) : IRC, AVX, '''472'''<sup>○</sup> * [[Emtec/RMG]](独)(旧BASF) : FEI, CEII<sup>○</sup>, '''CSII'''<sup>○</sup>SHOP99でSOUNDⅠを発売していた時期もあった。 * [[RAKS]](トルコ) : DX, RX, SP1, SP-1S, ED-X, ED-S, '''ED-SX''', SP2<sup>○</sup>, SP-2S<sup>○</sup>, SD-X<sup>○</sup>, SD-S<sup>○</sup>, '''SD-SX'''<sup>○</sup>, '''SP-Metal'''<sup>○</sup>(メタルポジション), Cabrio(ポジション不明、カーステレオ用耐熱タイプ)1980年代末期には国内の一部地域でも販売されていたことがある。 <!-- * 中国、台湾、韓国、インドネシア、タイ等にはまだ数多くのメーカーが存在しているが、大半は品質・性能ともに劣悪なものである。もちろん良質なコンパクトカセットテープも数多く存在するものの例としてはリーダーテープと記録テープの接合が不完全なために接合面が近づいてくるとレコーダーのオートストップ/フルオートストップが起こりやすい。など。 --> * General (シンガポール) : MX(メタルテープ)を2014年7月現在、生産し発売している。 === 製造・販売完了 === [[OEM]]商品も含む。 ==== 国内(電器・音響系) ==== ; [[ソニー]] : [[ファイル:Compact audio cassette 1.jpg|thumb|right|SONY HF(3代目) C60]] : 国内における磁気テープ製造の先駆的存在で、コンパクトカセット規格の世界的普及の立役者。フェリクロムテープの開発元で、IEC/Type IIIの基準テープ (DUAD) は同社製。かつては系列会社の「ソニーマグネプロダクツ」(現・[[ソニーストレージメディアマニュファクチャリング]])で製造されており、同社が略名の"SMP"ブランドを付して直接発売したり、系列会社のCBS・ソニー(現・[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|ソニー・ミュージックエンタテインメント]])ブランドで発売された物もあった。[[2010年]]にHF・CDixなどの全製品は一旦生産完了し、流通在庫のみとなったが後述するTDK(およびイメーション)同様、[[タイ洪水 (2011年)|2011年夏から秋にかけて発生したタイ洪水]]により磁気テープの製造工場が甚大な[[水没]]被害を受けたことがきっかけでそのまま製造停止、および操業停止となりコンパクトカセットなどを含む一部の個人向け磁気メディア製品の製造から完全撤退することとなった。 : その後[[2012年]][[7月20日]]にHFの新製品(同時期のマクセル「UR」のOEM)が発表され、コンパクトカセットの販売を2015年3月まで再開していた。 ; [[TDK]](現・[[イメーション]]) : [[ファイル:TDK MA-R90 Compact Audio Cassette.jpg|thumb|right|TDK MA-R C90]] : 本来はフェライト等の磁性材料や電気部品メーカー。日本でいちはやく[[オープンリール]]テープレコーダー用磁気テープの製造を行い、1966年8月より自社製造を開始したコンパクトカセットでは自社ブランドのみならず、松下(ナショナル・パナソニック・テクニクス)、東芝(オーレックス含む)、トリオ(ケンウッド)、ヤマハ、ナカミチといった多数のメーカーにOEMを行った。また、[[1968年]]に世界初のLH(Low Noise High Output・いわゆる音楽専用)タイプといわれる"SD" (SUPER DYNAMIC)や、[[1970年]]に国産初のクロムテープ"KR"(Krom・O<small>2</small>)、[[1975年]]にクロムテープの代用となる世界初のハイポジションテープ"SA"(SUPER AVILIN)、[[1979年]]に国産初にして世界初の超高級メタルテープ"MA-R" (METAL ALLOY Reference, Type IV)といったHiFi指向の強い製品を他に先駆けて発表・発売するなど、カセットの発展に貢献した役割も大きい。同社の音楽用カセット"AD" (ACOUSTIC DYNAMIC, Type I)、"SA" (SUPER AVILIN, Type II)、"MA" (METAL ALLOY, Type IV) はデッキメーカーの基準品として長く採用されてきた。 : 日本国内における主なコンパクトカセット製造者の中では最後まで残っていたが、2007年8月1日をもってカセットを含む記録メディア関連ブランドは米イメーション社へ譲渡された。[[ブランド]]名としての「TDK」はそのまま使用され、パッケージやハーフのメーカー表記が「TDK」から「'''TDK <small>Life on Record</small>'''」に切り替えられた。なおテープの製造は[[大韓民国|韓国]]・組み立ては[[タイ王国|タイ]]で行っていた。しかし先述のソニー同様、2011年夏から秋にかけて発生したタイ洪水により製造工場が甚大な水没被害を受けそのまま製造停止、および操業停止となった。こうして2011年12月には製造販売から完全撤退した<ref>{{Cite web|和書|author=四本淑三 |url=https://ascii.jp/elem/000/000/935/935628/2/ |title=:新ダブルカセットでテープ聴き比べ アナログは本当にいい? (2/5) |website=ASCII.jp |publisher=角川アスキー総合研究所 |date=2014-09-21 |accessdate=2023-07-26}}</ref>。 : その後、イメーション自体も2015年末をもって記録メディア・[[ゼネラルオーディオ]]機器事業から完全撤退しており、[[1953年]]10月より展開していた記録メディアブランドとしての「TDK」も名実共に'''62年2か月'''の歴史に幕を下ろした。 ; [[富士フイルム]] (FUJI/[[AXIA]])(旧:富士フイルムアクシア←富士マグネテープ←富士オーディオ) : [[ファイル:富士 カセット.JPG|thumb|right|FUJI/AXIAカセットテープ]] : TDK、日立マクセル、ソニー、コロムビアと並ぶ老舗。磁性粉はコバルト被着タイプの“ベリドックス”(その後、改良版のα-ベリドックスへ発展)が有名。自社ブランドのみならず、後述する[[パイオニア]]にも[[1981年]]1月から[[1984年]]12月までOEMを行った。元々は社名の"FUJI"ブランドだったが、1985年"AXIA"ブランドに変更。海外では1985年以降も“FUJI”ブランドにて販売が続けられていた。同時に、写真フィルムの技術を改良し、二層ダイ方式を磁気テープに採用。一度の塗装工程で二層塗りテープの製造を可能とした(後の磁気ディスク関連技術ATOMの源流)。従来技術の二層テープは、下層を一旦乾燥後カレンダーをかけたのちに再び上層を塗るという2度手間をしていた(DUADなど)。この二層ダイ方式の技術を持つテープメーカーは他にコニカしかなかった。"FUJI"ブランドだった頃は、“フジカセット”と呼ばれていた。2006年12月に日本国内における店頭販売は終了、以後在庫のみとなる([http://fujifilm.jp/information/20061201/index.html 一部メディア製品の国内販売終了のご案内])。1990年代中期から販売されていたA1スリムは中国メーカーからのOEMである。なお、初期のA1スリムはニューピュアフェリックスを使用し、韓国で組立をしていた。 ; [[アイワ]] (AIWA)(初代法人 現・[[ソニーマーケティング]]) : ソニーのOEM。自社で発売していた[[マイクロカセット]]レコーダーに付属のテープもソニーからのOEMであった。日本で初めてカセットレコーダーを発売した。 ; [[赤井電機]] (AKAI/[[A&amp;D (オーディオ)|A&amp;D]]) : 日本コロムビアのOEM。三菱電機との合弁で A&amp;D ブランドを設立した。 ; [[朝日コーポレーション]] (Fairmate)(現・[[シー・シー・ピー]]) : 韓SKCのOEM。1980年代に普及価格帯のゼネラルオーディオを発売。 ; エコーソニック (CVS) : 国内最多グレード(ノーマル×3、クロム×1、メタル×1)を誇った多彩なリール型カセットを中心に展開。 ; [[カシオ計算機]] : マクセルのOEM。2000年代前半まで[[カジュアル]]ユースの[[ラジカセ]]、ポータブル機器を発売していた。 ; クラリオン(現・[[フォルシアクラリオン・エレクトロニクス]] ) : 家庭用システムコンポを発売していた。日本初のカセットカーステレオ、および家庭用ステレオダブルカセットデッキを発売したメーカーでもある。 ; [[コニカ]] (Magnax/Konica)(現・[[コニカミノルタ]]) : 米[[アンペックス|Ampex]]と設立した小西六アンペックスからMagnax(マグナックス)ブランドを展開し発売していた。アンペックスのライセンスが終了して以降はコニカマグネティックス製造により、Konicaブランドになる。末期は、中国製や韓国製の[[OEM]]製品を出していた。磁気テープ部門はのちにTDKへ売却。 ; [[三洋電機]] (SANYO/OTTO) : 三洋電機 東京製作所で製造。かつては"OTTO"というオーディオブランドを展開。1980年代以降は“[[U4 (三洋電機)|おしゃれなテレコU4]]”に代表されるカジュアル製品で知られる。低価格ファッションタイプを中心に展開。C-U (LN)、C-W (LH) などを発売していた。 ; [[シチズン時計|シチズン]] : 太陽誘電のOEM。ポータブルプレイヤー等を販売していた。 ; [[シャープ]] (SHARP/OPTONICA) : 後発のメタルポジション用テープを除きほぼマクセルのOEM(メタルポジション用テープのみTDKのOEM)。"Optonica"というオーディオブランドを展開していた。 ; [[太陽誘電]] (That's) : 元は磁性部品メーカー。本業を生かして、他社に先駆けてメタルテープやメタル磁性体のハイポジション用テープを低価格で発売、一方で[[ジョルジェット・ジウジアーロ]]にハーフデザインを依頼したりと、先鋭的なメーカーだった。 ; [[ティアック]] (TEAC/TASCAM) : 業務用を含むテープデッキ・[[光学ドライブ]]などで知られる音響メーカー。機構部は自社製だがテープ本体はマクセル製のリール部交換式カセット“[[オー・カセ]]”を代表とするリール型を中心に展開していた。2018年現在でも'''日本の音響メーカーとしては唯一、ラックマウントタイプの業務用を含むフルサイズ仕様の単品コンポーネント用のアナログカセットデッキを製造している'''(2018年現在はダブルカセットデッキ、およびCDプレーヤー一体型シングルカセットデッキのみ製造)'''。''' ; [[東芝]] ([[Aurex]]/BomBeat/TOSHIBA) (現・[[東芝エルイートレーディング]]) : 主に[[TDK]]のOEM。"Aurex"は同社オーディオの、"BomBeat"はラジカセのブランド。東芝、BomBeatブランドでは低価格のノーマルテープ(F/FS/TD/K いずれもTDK-D相当)を、AurexブランドではLHクラスのノーマルテープ、ハイポジション、メタルポジションを発売していたが1980年代末期に撤退。 ; [[トリオ]]/[[ケンウッド]] (TRIO/KENWOOD)(現・[[JVCケンウッド]]) : TDKのOEM。本来は通信機器メーカーで、かつては[[周波数変調|FM]]/[[振幅変調|AM]][[受信機|チューナー]]で有名。現在も高品質のコンポや[[カーオーディオ]]を中心に展開。 ; [[ナカミチ]] (Nakamichi) : TDKのOEMだが選別品のため稀少。世界初の3ヘッドデッキを発売した高級カセットデッキメーカーだった。 ; [[日本コロムビア]] (Columbia/[[デノン|DENON]]) : 以前は[[栃木県]]の子会社の[[デノン|コロムビアマグネプロダクツ]]([[1999年]]12月を以って清算)で製造。現在は"DENON"ブランドは分離、日本マランツ(現・マランツコンシューマーマーケティング)と合併し"[[ディーアンドエムホールディングス]]"(デノン コンシューマーマーケティング)へとなってからの読みは"デノン"。国内メーカーではソニー以外に唯一フェリクロム (DX5) を発売していた。1980年代初頭には同社のLH級ノーマルポジション用テープ (DX3)を使用したミュージックテープ(ドルビーB NR録音)も「JUST COMPO DENON DX」シリーズとしてジャズ、クラシック、フュージョンを中心に発売していた。 ; [[日本ビクター]] (現・JVCケンウッド)(Victor/JVC(海外市場向け)) : 日本国内で業界初のメタル対応カセットデッキ初号機となる「'''KD-A6'''」(1978年11月発売)を発売。かつては、自社オリジナル製品を出していた(ただし、1983年から1985年にかけて販売されたDA1・DA3・DA7等の一部の製品は日本コロムビア(DENON)のOEMであり、最末期はほぼ中国の磁気記録メディアメーカー製のOEMだった)。なおビクター音楽産業(現・[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント]])からは日本初のメタルミュージックテープ(ドルビーB NR録音)もジャズ、クラシック、フュージョンを中心に発売していた。 ; [[パイオニア]] (Pioneer) (現・[[オンキヨー&パイオニア]]) : 富士写真フイルムのOEMが基本だが、北米向けと南米向けに限り例外的に日本コロムビア(DENON)のOEMだった。1970年代には米[[イメーション#メモレックス|Memorex]](現・[[イメーション]])製品を輸入していた。1990年代後期には世界初のデジタル・プロセッシング・システムを搭載したカセットデッキ「'''T-WD5R'''」(1996年11月発売)、および「'''T-D7'''」(1997年12月発売)などを発売したことで知られる。 ; [[パナソニック]] (National/Panasonic/Technics 旧・松下電器産業) : [[パナソニック_PX|PX/KX]]ほか。過去に音響の[[Technics]]、家電の[[パナソニック|National]]等のブランドでも製造していたが、1989年5月以降より現在の"Panasonic"ブランドになった。細部のデザインを異にするものの基本的にはTDKのOEM。後にイメーションのOEMを経て最末期はマクセルのOEMとなる。ほぼ唯一[[Ångrom]](オングローム)シリーズの蒸着テープは自社開発だった。Ångromは他にも同社のマイクロカセットテープにも起用された。なお現行品のPXおよびKX(カラオケ専用)はいずれもTDKの生産完了に伴い、一時販売から撤退したが、その後マクセルからのOEM供給で復活した。2014年10月にパナソニック系列店の商品照会にてPX-60A等として、代替品扱いで販売されていたがその後ネットカタログからはカットされて販売を終了した。 ; ビデオエイコー (EICO) : ハイポジながらメタル磁性粉を使用したETとオープンリール型のEX、[[阪神タイガース]]柄のノーマルテープがある。 ; [[日立製作所|日立家電]] (HITACHI/[[Lo-D]])(現・[[日立アプライアンス]]) : 当時のグループ企業だったマクセルのOEM。1980年代後期から1990年代初期には独自タイプのハーフもあった。"Lo-D"は同社のオーディオブランド。なお、コンパクトカセットにシェアを奪われて不調に終わり、姿を消した[[エルカセット]]のテープだけ、ソニーからのOEMで販売していた。 ; [[FDK|富士電気化学]] : 富士写真フイルムのOEM。FUJIのテープ(海外向け)とNOVELブランドのカセットテープがある。 ; [[三菱電機]] ([[ダイヤトーン|DIATONE]]) : 日本コロムビアのOEM。カセットデッキも発売していた。 ; [[日本楽器製造]] (YAMAHA) (現 [[ヤマハ]]) : 当初はTDKのOEMだったが末期には先述のティアック同様、オープンリール型のカセットテープ「MUSIC XX」も発売(ただし、テープそのもののベースはティアック同様、マクセルのOEM)。 ; ラックス(LUXMAN) (現・[[ラックスマン]]) : TDKのOEM。一時期は高級カセットデッキも発売していた。 ; ワールド・テープ販売(TACTRON) : プロユース(エンジニア用)、プロモーションテープ用と謳っていたカセットテープを製造、販売。ノーマル、ハイポジション、メタルの3種類で、タイムランクはC-60など。日本製、製品素材の供給元は不明だが1980年前後から暫く市場流通をしていた。 ; [[ナガオカトレーディング|ナガオカ]] : CT(CT-10・CT-20・CT-60・CT-90) : 2019年7月22日に従来品となるCCの後継品として発売された。従来品のCC同様、れっきとした国内組立である(こちらも先述のマクセルの「UD "デザイン復刻版"」同様、テープとハーフ(シェル)はそれぞれ海外生産である)。アイディーマグネテックからのOEMで、[[新星堂]]や[[山野楽器]]を中心にナガオカ製品取扱店やホームセンターなどで販売。このほか、[[タワーレコード]]、[[ヨドバシカメラ]]や[[ビックカメラ]]でも販売されていた。CT-10のみの取り扱い店舗も存在していた。 ==== 海外 ==== [[ファイル:BASFカセット.jpg |thumb|200px|BASF製カセットの包装。メカニズムの概略図が記載されている。]] ; [[住友スリーエム]](現・イメーション) (3M/Scotch) : 米国の大手化学メーカー(日本法人は[[住友化学]]との合弁会社)。世界で最初にメタルテープ (Metafine) を発売。IEC/TypeIVの基準テープは同社製。メタル以降もフェリクロムをラインナップしていた数少ないメーカーのひとつ。 ; [[兼松エレクトロニクス#概要|メモレックス]] (Memorex) : 米国の大手メディアメーカー。最も早期にクロムテープを発売した一社。1970年代初頭にはパイオニアからも同社の製品が発売されていた。 ; [[BASF]](現・Emtec(エムテック)/ RMG) : 旧西独の総合化学メーカー。最も早期に音楽専用ノーマルおよびクロムテープを発売した一社で、IEC/TypeIIの基準テープは同社製。日本に最初投入されたカセットテープは、ハーフ内部の左右に乱巻き防止の大きな爪状のテープガイドが装着されていた(Special Mechanism, 後にSecurity Mechanism)。独自のポップアップギミック付カセットケース(C-BOX)などをアピールし、ソニー以外では数少ないフェリクロムもラインナップ。ハイポジションテープについては、他社がコバルト被着酸化鉄系磁性体にシフトする中、最後まで[[酸化クロム#酸化クロム(IV)|二酸化クロム]]を使い続けたメーカの一つ。 ; [[日本アグフア・ゲバルト]] (AGFA) : 旧西独の大手フィルム・カメラメーカー。基本的にBASFのOEM。 ; [[フィリップス]] (Philips) : [[オランダ]]の大手総合電機メーカー。コンパクトカセットの開発元。IEC/TypeIの基準テープは同社製。 ; SKC : 韓国大手。国内の多様なメーカー(主に流通系)のOEMも手がけていた。LN、LH、ハイポジを2016年末まで生産していた。また、現行のマクセル URも2017年2月製造・出荷分までSKCからテープのみをOEM調達していた。 ; コスモ新素材 旧 SAEHAN MEDIA(セハンメディア) : 韓国。業務用のLN、LHテープ、ハイポジテープを手掛けていた。ミュージックカセットや業務用製品の形で国内でも流通していた。かつてはソニー HF-S並の性能を持ったLHのテープを生産していた。 ; GoldStar(ゴールドスター)(現・[[LGエレクトロニクス]]) : 韓国大手。比較的堅実な造りで安定性・音質ともTDK AR並の水準だった物もあった。 ; KEEP : 韓国。「超高音質」といった大仰なキャッチが多い。実際の作りは安価だが質実剛健であった。一時期、タイ製もあった。 ; SWIRE Magnetics(スワイア・マグネチック) : 香港。林檎マークの「クラスメイト・カセット」等、主にカラフルなファッション系カセットを生産していた。 ; BON、Excellent、Rainbow : 香港製。品質の悪さ、価格の安さなどで一部では有名だった。数種のタイプが確認されている。1980年代中期に国内大手メーカーのC-60普及タイプが実売1本400 - 600円程度の頃、BONは100円程度と驚異的な安さであった。特に品質面の悪さはハーフの貧弱さが目立ち割れやすく、磁性面やベースフィルム自体も極めて耐久性が低く、切れやすかった。電器店などよりもディスカウントショップ(いわゆるバッタ屋)で売られることが多かった。1990年代中頃撤退。 ; ACME : BONと同じく粗悪で有名だったが、後に音質が改善された。SKCから、磁性粉、バインダ、ペーステープの提供を受けている。日本で発売されているACMEのOEM品はダイソーの中国製と磁気研究所、TOPLANDである。ランクはTOPLANDがLN(最下位)、中国製ダイソーと磁気研究所は低級LHである。ACMEは近年ではLHも出ていた。 ACMEは海外(主に欧米)では、ハイポジも発売していた。 ; BKB : 一時期、ケーヨーD2で売られていた中国製カセットはこのメーカーが生産していた。テープはSKC製。 ; パングン社 : インドネシアの会社。1970年代からマクセルと提携している。マクセル UR(およびUL。いずれも現行品)とソニー HF(最末期)、パナソニック PX(最末期)の組み立て先。インドネシア製ダイソーカセットテープはこの会社が生産している。2017年3月以降に出荷された製品よりカセットテープの組み立てのみならず、磁性体・ベースフィルムの製造(低級LH)もようやく内製化された。 ==== 流通系・他 ==== ; [[イオン (企業)|イオン]] : かつて社名が[[ジャスコ]]の頃(1970年代後半)に自社のロゴ付カセットテープを発売。イオングループ全体としては[[2008年]]頃まで、日立マクセル製の「UJ」を発売。[[トップバリュ]]ロゴ付きで音楽再生用途を謳っていた。現在はマクセルの「UR」を売っていてこちらは本家URと同じく会議・レッスン用途に最適としている。 ; [[小田急百貨店]] ; 全家電量販共同仕入機構 (Jems) : '''BARON'''という独自ブランドのカセットテープを、[[1975年]]頃まで販売。 ; [[カメラのキタムラ#キタムラグループ|ジャスフォート]] : 初期はLGのOEMだったが、1997年頃にSKCのOEMに移行、そして中国製のOEMになる。 ; [[新星堂]] : 日本コロムビアからのOEM。現在はマクセル製品およびナガオカ製品を販売している。 ; [[セブン-イレブン]]ジャパン : NaNa(C-46 - 120: 2008年まで)、CV-II(1980年代終期 - 1990年代前期頃)といったTDK製の独自デザインの製品が存在した。2013年にはACMEのOEMと見られる、TOPLANDのカセットテープが発売されていた。 [[File:1990年代後半のダイエー・セービング カセットテープ.JPG|thumb|right|1990年代後半のダイエー・セービング カセットテープ(ノーマルポジション)]] ; [[ダイエー]] (Daiei/Azad) : 主に日立マクセルのOEMだったが末期は韓国製OEMが主で、プライベートブランドである「セービング (Savings)」と「くらしの88」(88円均一商品)の2つのブランドで出していたが、どれも同じ。SAVING版は単品販売ではなく5 - 10巻セットで販売していた。韓国SKC製と思われる製品を「COLTINA」ブランドで出していた時期もあった。「くり返しに強い」と謳っていた時期もある。 ; [[TSUTAYA]] : マクセルのOEM。 [[File:SUPER AC カセットテープ.JPG|thumb|right|AC10、AC46]] ; SUPER : SUPER ACというブランドのノーマルカセットテープが1980年代を中心に販売していた。タイムラインナップはC-10、C-18、C-30、C-46、C-60、C-90が確認されており、ハーフの精度やテープの質から国産と思われる。パッケージはTDK似でハーフはマクセル似である。テープはごく普通のLNテープである。[[バーコード]]の一例(AC60) 4904950010040 ; [[西友]] (Seiyu) ; [[長崎屋]] (SunBird) ; [[生活協同組合|日本生活協同組合連合会]] (Co-op) : 主にマクセルのOEM。 ; [[ミスターマックス]] (Mr.MAX) ; [[良品計画|無印良品]] : 韓国製OEM。 ; [[三越]] ; [[薦田紙工業]](こもだかみこうぎょう): カセットテープ(ノーマルポジション : C-10・C-20・C-60・C-90) : 韓国SKC製の業務用LHテープ(シースルーハーフではない)で、C-10・20・60・90が1本で発売されていた。初期のタイプは白色ハーフだったが、2013年8月頃に再生産されたC-120から順次黒色ハーフに切り替えられた。ただし、C-20については当初から黒色ハーフになっていた。ちなみに、初期のC-120はC-150のテープを流用しているためか、他社のC-120と比べてテープの直径が小さくなっていたのだが、黒ハーフになってからは他社とほぼ同様の直径に改良された。また、黒ハーフのC-90の一部には、C-120のテープを流用していたためか、他社のC-90よりテープの直径が小さくなっているものが混在していた。2016年11月現在の時点でC-30、C-120は流通在庫のみ販売されていたがいずれも2017年末までに終売となった。長らくC-120以外は2本入りで販売されていたが、2015年9月ごろに再生産された物から1本入りに変更され、ケースも簡略化されたものに変更。大創産業以外の100円均一ショップで販売された。 == 主な製品 == 以下は過去に市販されたものである。 === IEC Type I === ※無印は音楽録音専用標準(LH)タイプまたは音楽録音・一般録音用途兼用(LLH)タイプ、<sup>#</sup>は一般録音用途用低雑音(LN)タイプまたは最初期に発売された一般録音用途用標準(STD)タイプ、'''太字'''は音楽録音専用高級(SLH)タイプ、<sup>EC</sup>はエンドレスカセット。 [[ファイル:TDK D C180 cassette.jpg|thumb|200px|[[1970年代]]後期のカセットテープ([[TDK|東京電気化学工業=TDK]]製「Dシリーズ」)]] * TDK ** Synchro Cassette<sup>#</sup>、LOW NOISE(LN)<sup>#</sup>、D<sup>#</sup>、カセット郵便(UC)<sup>#</sup>、ENDLESS(EC)<sup>EC</sup>、'''SD'''、'''ED'''、AD、'''OD'''、'''AD-X'''、AD-S(AD-SPLENDOR)、DS<sup>#</sup>、'''AR'''、'''AR-X'''、JY(実用カセット)<sup>#</sup>、AE、FREDDIE LAND<sup>#</sup>、BRILLIANT(B)、ROKU[録]、'''IF/if'''、AD-X (New)、PLAY TIME8、CDing-I、Super CDing-I、DJ1、CDing1、AD1、'''T1'''(TIME EDIT)、BEAM1 * maxell ** C<sup>#</sup>、Popular<sup>#</sup>、 LOW NOISE(LN)<sup>#</sup>、UD、'''UD-XL'''、'''UD-XLI'''、UL(初代)<sup>#</sup>、'''XLI'''、'''XLI-S'''、[[マクセル UR|UR]]、UDI、UR-F、UDI-R、UDI-S、Cassette Cologne、UDI-N、Capsule Cologne、CD-Capsule I、USI、CD'sI、CD-XLI、'''響ノーマル (HB-1)'''、UN<sup>#</sup>、UD1、My1、CHIME 、We1、MusicGear1、SOUND、'''カラオケ上級者テープ (KJ)'''、COLOR CLUB、Juke Box(カラオケ)、UL(2代目) [[ファイル:compactcassette_sony_01.jpg|thumb|200px|[[1972年]]頃のカセットテープ([[ソニー]]製「Low-Noise」) コンパクトカセットのロゴが見える。A面部分の表示は識別用に[[エンボス]]入り。]] * SONY・CBS/SONY・SMP(SONY MAGNETIC PRODUCTS) ** MAGAZINE TAPE<sup>#</sup>、Compact Cassette<sup>#</sup>、K<sup>#</sup>、[[ソニー HF|HF]](初代最初期のHi-Fi含む)、LL<sup>#</sup>、LOW NOISE(LN)<sup>#</sup>、Sentir(CBS/SONY専売)<sup>#</sup>、CHF<sup>#</sup>、BHF、'''AHF'''、Walkman、Pops、Classic、Vocal、HF-S、HF-X、'''HF-ES'''、'''HF-PRO'''、Gokkigen!!、WalkmanII、What's up?、HipPop、EXIST、Ala?、Pop-li、CDix、CDixI、'''ES・I'''、X-I、G-UP1、GIG1、'''XSI'''、X-Tune1、FX-I、The Basic、Purestyyle XⅠ、With Love、日頃の感謝をこめて * Fuji・AXIA ** T<sup>#</sup>、FL<sup>#</sup>、FM、FX、FX-Jr、'''FX-DUO'''、Range2<sup>#</sup>、Range4、'''Range6'''、DR、ER、FR-I、GT-I、JP、JC、PS-I、'''HD-Master'''、JP-F、PS-Is、'''PS-Ix'''、'''GT-Ix'''、UP、J'z1、AU-I、'''AU-Ix'''、A1、A1 color、A1 SLIM、BOX1、PS1、K1、Be1、'''Z1''' * Columbia・DENON ** TRK<sup>#</sup>、HQ-LN<sup>#</sup>、MS(MASTERSONIC)、SP<sup>#</sup>、1H<sup>#</sup>、3H、LX<sup>#</sup>、DX1、DX3、'''DX4'''、GX-1、DX1F (PastelLive)、DX3F、RD、RD-F、'''RD-X'''、RD-R (Zippy-I)、'''RD-XS'''、RD-Z、RE、RE-X、ZP-I、RS、RG、RG-S、'''RG-X'''、CD/PAL-I、K-RI、GR-I、GR-IS、C'Do1、VD-01 (Lapisia)、The Audition * That's ** '''FX'''、RX、EVE-I、'''FX-XP'''、'''CD'''、PH-I、'''CD-IS'''、Si、Fm、Am、Pas-de-deux、'''CD/IF'''、OW-1 * Victor・JVC(ただしLNとSFは同時期のTDKのOEM、DA1とDA3は同時期の日本コロムビアのOEM) ** LN<sup>#</sup>、SF、DA1、DA3、AF、GF、Root (√)、AF-I、GF-I、J-CLUB、GET'S、Be、RZ-I、RZ * Magnax・Konica ** ML<sup>#</sup>、GMI、JJ、SS、'''XX'''、KX-I、XR-I * Technics・National・Panasonic(細部の仕様は異なるものの自社開発のAngromを除き同時期のTDKのOEM(ただしPXのみ最末期はマクセルのOEM)) ** A<sup>#</sup>、LN<sup>#</sup>、SG、XD、EN<sup>#</sup>、ED、NA、GA、'''Angrom G-DU'''、'''Angrom X-DU'''、'''GA-X'''、NX、GX、PX-I、PX、[[パナソニック PX|KX]]、EP * Lo-D・Hitachi ** LN<sup>#</sup>、UD、'''UDR'''、'''UD-ER'''、DL<sup>#</sup>、'''ER'''、'''SR'''、SoundBrake、UDR、HE_R、UD_R、'''CD_R'''、HE_N、UD_N、DJ-Ⅰ、UD-S、'''CD-S'''、CA、UD-f、SOUND BREAK、Twinkle [[ファイル:TEAC CRC-90 20051120.jpg|thumb|200px|後期の[[オーディオ]]用カセットテープ([[ティアック|TEAC]]製) カセットハーフ([[筐体]])を透明化した上でハブをオープンリール風のものに模し、音楽用途に適することを表している。後に、同じくティアックから[[オー・カセ|リールを交換可能としたものも販売された]]が、普及はしなかった。]] * TEAC(ベースフィルムを含む磁気テープ部分のみマクセルのOEM。リール固定タイプ及びリール交換タイプも存在) ** O-Casse/NT、Sound、Sound-X、MIRROR BOWL * Pioneer(細部の仕様は異なるものの同時期の富士フイルム、および日本コロムビア(北米・南米向けのみ)のOEM) ** N1、N2、N2a、N2x(北米専売)、N2z(南米専売)、'''N3'''、'''N3a''' * 3M・Scotch ** 271<sup>*</sup>、LD (DynaRange)<sup>#</sup>、LH (HighDensity)、'''HE (HighEnergy)'''、'''Master'''、'''Master120{{Unicode|μ}}sEQ'''、Crystal、Tartan<sup>#</sup>、'''XS-I'''、CX、BX、996X-I、S1<sup>#</sup>、SS(いい音長持ち) * BASF ** Low noise(S)<sup>#</sup>、R<sup>#</sup>、LN<sup>#</sup>、LH、'''LH-S'''、'''SLH-I'''、LH-I、ProI、LH-X、LHC * NAKAMICHI(細部の仕様は異なるものの同時期のTDKのOEMの厳選品) ** EX === IEC Type II === ※<sup>#</sup>は低価格タイプ、'''太字'''は高級タイプ。 * TDK ** KR、SA、'''SA-X'''、'''HX'''、SF<sup>#</sup>、CUE<sup>#</sup>、SR<sup>#</sup>、SR-X、CDing-II<sup>#</sup>、Super CDing-II、CDing-II/Walker<sup>#</sup>、SR-Limited<sup>#</sup>、'''T2'''(TIME EDIT)、DJ2<sup>#</sup>、CDing2<sup>#</sup>、AD2<sup>#</sup>、BEAM2<sup>#</sup>、NANA ([[セブンイレブン]]専売)<sup>#</sup>、High Position (DS2、ザ・ダイソー専売)<sup>#</sup> * maxell ** CHROME DIOXIDE、CR、UD-XLII、XLII、'''XLII-S'''、UDII<sup>#</sup>、UDII-U<sup>#</sup>、UDII-S<sup>#</sup>、Capsule-CologneII<sup>#</sup>、GPXII、CD-CapsuleII<sup>#</sup>、USII<sup>#</sup>、CD'sII<sup>#</sup>、CD-XLII、響ハイポジ (HB-2)、UD2<sup>#</sup>、My2<sup>#</sup>、We2<sup>#</sup>、MusicGear2<sup>#</sup> * SONY・CBS/SONY ** CHROME CASSETTE、CR、JHF、Rock、UCX、'''UCX-S'''、Do<sup>#</sup>、UX<sup>#</sup>、UX-S、'''UX-Pro'''、'''UX-Master'''、CDixII<sup>#</sup>、UX-Turbo、'''ES-II'''、X-II<sup>#</sup>、HFII<sup>#</sup>、G-UP2<sup>#</sup>、GIG2<sup>#</sup>、XSII、X-Tune2<sup>#</sup>、FX-II<sup>#</sup> * Fuji・AXIA ** FC、Range4x、UR、FR-II、GT-II、PS-II<sup>#</sup>、'''SD-Master'''、PS-IIs<sup>#</sup>、PS-IIx、GT-IIx、Hi<sup>#</sup>、J'z2<sup>#</sup>、AU-II<sup>#</sup>、AU-IIx、A2<sup>#</sup>、BOX2<sup>#</sup>、PS2<sup>#</sup>、K2、Z2、Be2<sup>#</sup>、HK2(HELLO KITTY)<sup>#</sup>、A2 color<sup>#</sup> * Columbia・DENON ** 5H、DX7、'''DX8'''、HD6<sup>#</sup>、'''HD-S'''、HD<sup>#</sup>、HD-X、HD-L (Zippy-II)<sup>#</sup>、'''HD-XS'''、ZP-2<sup>#</sup>、HG<sup>#</sup>、HG-S、HG-X、CD/PAL-II<sup>#</sup>、'''HG-M'''、K-RII<sup>#</sup>、GX-II、GR-II<sup>#</sup>、GR-IIS、C'Do2<sup>#</sup> * That's ** EM<sup>#</sup>、EM-X、EVEII<sup>#</sup>、'''EM-XP'''、Q<sup>#</sup>、CD-II、PHII<sup>#</sup>、CD-IIS、OW-2<sup>#</sup>、CD/IIF、H2<sup>#</sup> * Victor・JVC(ただしCRとVXは同時期のTDKのOEM、DA7は同時期の日本コロムビアのOEM) ** CR、VX、DA7、UF、UF-II、RZ-II<sup>#</sup> * Magnax・Konica ** GM II、EE * Technics・National・Panasonic(細部の仕様は異なるものの自社開発のAngromを除き同時期のTDKのOEM) ** CR、XA、XA II、EX、HA<sup>#</sup>、'''Angrom DU'''、'''Angrom HG-DU'''、'''HA-X'''、HX<sup>#</sup>、PXII<sup>#</sup> * Lo-D・Hitachi ** CX、UD-EX、EX、'''SX'''、UDX<sup>#</sup>、UD_X<sup>#</sup>、CD_X、DJ-II<sup>#</sup>、UD-E<sup>#</sup>、CD-E、UD-v<sup>#</sup> * TEAC(マクセルのOEM。リール固定タイプ及びリール交換タイプ) ** O-Casse/CT、Cobalt、Cobalt-X * Pioneer(細部の仕様は異なるものの同時期の富士フイルムのOEM) ** C1、C1a * 3M・Scotch ** Chrome、'''Master'''、Master70{{Unicode|μ}}sEQ、Master II、XS-II、996X-II<sup>#</sup> * BASF ** Chromedioxide、SCR、ProII、CR-X<sup>#</sup>、Chrome Super II * NAKAMICHI ** SX === IEC Type III === * SONY・CBS/SONY ** Duad、DUAD(初期は酸化鉄+クロム、後に上層はコバルト被着系) * DENON ** DX5(初期は酸化鉄+コバルトドープ、後に上層はコバルト被着系) * 3M・Scotch ** Classic、MasterIII(酸化鉄+コバルトドープ) * BASF ** Ferrochrome、FCR、ProIII(酸化鉄+クロム) === IEC Type IV === ※<sup>#</sup>印は低価格タイプ、'''太字'''は高級タイプ。 * TDK(ダイカストフレームのMA-Rでコンパクトカセットテープにおける超高級品というジャンルを確立した。日本国内で最後までメタルを発売していた) ** MA、'''MA-R'''、MA-X、'''MA-XG'''、CDing-IV<sup>#</sup>、Super CDing-IV、DJ Metal<sup>#</sup>、CDing-Metal<sup>#</sup>、'''MA-XGFermo'''、MA-EX * maxell(輸出規制品とされた超高級品Metal-Vertexが有名) ** MX、Metal-Capsule<sup>#</sup>、Metal-GPX、'''Metal-Vertex'''、METAL-XS、METAL-UD<sup>#</sup>、Metal-CD's<sup>#</sup>、Metal-Po'z<sup>#</sup> * SONY(初の二層塗布タイプMetal-ES、最エントリークラス(最低価格帯)のメタルテープ普及のきっかけを作ったMetal-XR、およびCDixIVなど他社への影響は大きい) ** METALLIC、'''Metal-ES'''、Metal-S、'''Metal-Master'''、Metal-XR<sup>#</sup>、ES-IV、X-IV<sup>#</sup>、CDixIV<sup>#</sup>、'''SuperMetalMaster'''、Metal-XRS、ES Metal * Fuji・AXIA(1990年代より低価格帯が充実) ** Super-Range、SR、FR-METAL、XD-Master、PS-IVx<sup>#</sup>、Metal slim<sup>#</sup>、AU-IVx、K-METAL、PS-METAL<sup>#</sup>、J'z-METAL<sup>#</sup> * DENON(基本的に1グレードだが、末期に高級品MG-Xを発売) ** DXM、MD、CD-JackIV<sup>#</sup>、'''MG-X'''、GR-IV<sup>#</sup> * That's(最も早期にメタルを低価格化し、当初より普及品・標準品の2グレードを持っていた。後に高級品も発売) ** MG<sup>#</sup>、MR、MG-X<sup>#</sup>、MR-X、EVE IV<sup>#</sup>、MR-XP、CD-IV、'''SUONO'''、CD-IV S、PH IV<sup>#</sup>、CD/IV F、OW-4<sup>#</sup> * Victor・JVC(日本で初めてメタル対応デッキを発売。基本的に自社開発且つ1グレードのみのラインアップ) ** ME、ME-PRO、ME-ProII、ME-NewPro、XF IV * Magnax・Konica(1グレードのみ) ** Metal、MM * Technics・National・Panasonic(細部の仕様は異なるものの同時期のTDKのOEM。Angromのみ自社開発) ** Compos、MX、EM、'''Angrom MX-DU'''、'''Angrom MA-DU''' * Lo-D・Hitachi(同時期のマクセルのOEMだがMTは独自のハーフ) ** ME、MT-X、MT<sup>#</sup> * TEAC(マクセルのOEM。リール固定タイプ及びリール交換タイプ) ** O-Casse/MT、Studio、Studio-X * Pioneer(細部の仕様は異なるものの同時期の富士フイルムのOEM) ** M1、M1a * 3M・Scotch(メタルテープの開発元であるが、日本では後継製品はなく1種のみ) ** Metafine * BASF(海外では製造が続けられていたが、日本では1980年代中期に撤退) ** Metal、ProIV * NAKAMICHI(TDKのOEMであるが、選別(厳選)品のため発売量は少ない) ** ZX == 年表 == {{Main2|レコーダー|テープレコーダー#年表}} * [[1962年]] [[オランダ|蘭]][[フィリップス]]による発売開始。 * [[1965年]] ** 互換性厳守を条件に基本特許が無償公開される。 * [[1966年]] ** [[日立マクセル]](現・[[マクセルホールディングス]])が日本初の国産コンパクトカセット "MAXELL C-60" 発売。(7月。東京電気化学工業(以下、現・ [[TDK]])の "Synchro Cassette" は同年9月発売、ソニーの "MAGAZINE TAPE" は同年12月発売)<ref>{{Cite tweet|author=マクセル - Within, the Future |user=maxcellJP |number=313285503992619008 |title=【史】昭和41年7月「C-60(60分用)」の生産販売を開始。 |date=2013-03-17 |accessdate=2021-03-10}}</ref><ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.maxell.co.jp/news/pdf/maxellnews_20161006.pdf |title=音楽用カセットテープ「UD」デザイン復刻版を限定発売 カセットテープ発売50周年記念の数量限定品 |format=PDF |publisher=日立マクセル |date=2016-10-06 |accessdate=2021-02-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|author=懐かしのカセットテープ博物館 |url=https://radiolife.com/tips/16710/ |title=人気が再燃中のカセットテープの歴史を振り返る |website=ラジオライフ.com |work=知っ得ネタ |publisher=[[ラジオライフ]] |accessdate=2021-03-21}}</ref><ref>{{Wayback|title=テープ録音機物語 その63 カセット(1)阿部美春 JASジャーナル 2012 Vol. 52 No. 3 5月号 p. 21 日本オーディオ協会 |url=https://www.jas-audio.or.jp/jas-cms/wp-content/uploads/2012/05/201205-all2.pdf |date=20160327204425}}</ref> * [[1968年]] ** TDKが世界初の音楽録音用ノーマルテープ "SD" を北米にて先行発売(日本向けは[[1969年|翌年]]より発売)。 * [[1969年]] TDK の音楽録音用(ノーマルポジション)カセットテープ "SD" が[[アポロ11号]]と共に月面へ。 * [[1970年]] ** 独 [[BASF]] 、米[[メモレックス]]等より二酸化クロム磁性体採用の高性能タイプ発売(後のType II)。 ** TDKが日本初の二酸化クロム磁性体を採用したクロムポジション (Type II) 用の "KR" を発売。 * [[1972年]] ** 米 [[3M]] ([[住友スリーエム]]、現・[[スリーエム ジャパン]])、 Type I 音楽専用タイプにコバルトドープ酸化鉄を採用した "HE" を発売(後年 Type II に転用される)。 * [[1973年]] ** ソニーより二酸化クロムと酸化鉄の二層塗布によるフェリクロムテープ "DUAD" を発売(後の Type III)。 * [[1974年]] 日立マクセルよりコバルト被着酸化鉄採用の高性能タイプ "UD-XL" を発売。当初はノーマルバイアス (Type I) 、1976年にハイバイアス (Type II) タイプを追加。 * [[1975年]] TDK よりコバルト被着酸化鉄 "アビリン" を採用したハイ(クロム)ポジション (Type II) 用の "SA" を発売(初代は C-60 のみ)。各社も追随し、後に二酸化クロムの代替として Type II の主流に。 * [[1978年]] ** 米 3M (住友スリーエム)より鉄合金磁性体によるメタルテープ "Metafine" 発売(後の Type IV)。 * [[1979年]] ** TDKより鉄合金磁性体 "ファイナビンクス" を採用した日本初のメタルテープ"MA-R"、および"MA"を発売。 * [[1983年]] ** [[太陽誘電]]、および[[TDK]]より、鉄合金磁性体(いわゆるメタル磁性体)をTypeIIに転用した"EM"(前者)、および"HX"(後者)を発売。 ** 日立マクセルより、無空孔(ポアレス)酸化鉄のType I、"UDI"発売。 * [[1984年]] 松下電器産業より、コバルト蒸着式テープ"オングロームカセット"発売。当初はType IIのみで後にIとIVを追加。 * [[1989年]] 米3M(住友スリーエム)、日本ビクター、日立マクセルなどが[[マグネタイト]]核晶のコバルト被着酸化鉄をビデオテープに採用、日立マクセルや[[日本コロムビア]](現・[[ディーアンドエムホールディングス]])などがオーディオテープに採用する。 * [[2001年]]12月 TDKより[[1999年]]から製造されていた"MA-EX"が生産完了、これにより日本国内でのメタルテープ (Type IV) の製造・出荷が全て完了となり、[[2008年]]9月までに流通在庫分が全て完売となった。 * [[2011年]][[12月]] [[2008年]]にイメーション株式会社に吸収合併されたTDKマーケティングは、(当時)[[タイ王国|タイ]]で製造し、日本国内で販売している一般録音用ノーマルポジション (Type I)である"AE"、および唯一の本格音楽録音用ノーマルポジション (Type I)である"CDing I"、唯一のハイポジション (Type II) である"CDing II"を出荷完了(実際は[[タイ洪水 (2011年)|タイ洪水]]により同年7月中に生産打ち切り)、これにより日本国内でのハイポジションテープ (Type II) の出荷が全て完了となり、[[2015年]]12月までに流通在庫分が全て完売となった。 * [[2019年]][[7月]]現在、日本における現行商品として発売されている[[消費者|一般ユーザー]]用カセットテープは、'''ほぼ低級LH(''Low-class Low Noise High-Output'')タイプのノーマルポジション (Type I) のみ'''となっている。 == 符号位置 == [[絵文字]]が [[Unicode]] 7.0 にて収録された。 {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|128429|1F5AD|-|TAPE CARTRIDGE|font=絵文字フォント}} |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|30em}} === 出典 === {{reflist|30em}} == 関連項目 == {{commonscat|Compact Cassette}} * [[音響機器]] * [[ドルビーノイズリダクションシステム|ドルビーノイズリダクション]] * [[ドルビーHX PRO]] * [[8トラック]]カセット * [[エルカセット]] * [[マイクロカセット]] * [[デジタルマイクロカセット]] (NT) * [[テープレコーダー]] * [[データレコーダ]] * [[フェライト (磁性材料)|フェライト]] * [[ヘッドクリーナー]] == 外部リンク == * [http://vintagecassettes.com/index.htm Vintage Cassettes] - 1963年から2012年まで発売されたカセットを紹介している。 * [http://compactcassettes.jp/index.html 懐かしのカセットテープ博物館] - 1970年代に発売されたカセットを中心に紹介している。 * [http://my.reset.jp/~inu/ProductsDataBase/Products/Clarion/Clarion-ComponentStereo/ComponentStereo1977.htm Product Design Data Base クラリオンコンポーネントステレオ総合カタログ] - クラリオンの1977年当時のステレオのカタログで、下まで下げて行くとカセットテープが二種載っている。 * [http://www.genmag.com.sg/audiobac.html General Magnetics] - IEC Type I, II, IVを製造しているシンガポールの会社。 * [http://www.idmag.co.jp/casette/ アイディーマグネテック] * [http://komoda-paper.com/search/keyword?keyword=%E3%82%AB%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%97 薦田紙工業株式会社のカセットテープ] {{Audio formats}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こんはくとかせつと}} [[Category:オーディオストレージ]] [[Category:オーディオテープ]] [[Category:フィリップスの製品]] [[Category:録音]] [[Category:スタジオ関連機材]]
2003-02-28T01:55:34Z
2023-11-06T05:22:18Z
false
false
false
[ "Template:半保護", "Template:複数の問題", "Template:R", "Template:Cite web", "Template:Cite tweet", "Template:Normdaten", "Template:Smaller", "Template:Main2", "Template:CharCode", "Template:Notelist", "Template:Reflist", "Template:Wayback", "Template:ディスクメディア", "Template:Multiple image", "Template:Efn", "Template:Sub", "Template:Unicode", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Commonscat", "Template:Audio formats" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%AB%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88
3,015
日本語字幕
日本語字幕(にほんごじまく)は、映画・テレビ番組等の音声や文字に付される、日本語の文字を使った翻訳・解説法。 外国語に限らずときには日本国内でも強い方言や古典芸能の音声には字幕が表示されることがある。 バラエティー番組などで、文字にしたほうが面白い台詞、喧噪の中で聞き取りづらかった台詞を補足するため、あるいは笑いどころを強調するために入るテロップも、日本語字幕の一種と言える場合がある。 外国語音声の劇場用映画の場合、通常は台詞1秒に対して4文字以内、一度に表示される字幕は20文字までが基本。1行あたりの文字数は、かつては13字だったが現在では10字(例外もある)。簡単な挨拶程度のセリフの場合、字幕に出さないことが多い。なお、字幕では簡潔さがモットーとされるため、逐語訳にこだわることなく意訳を積極的に取り入れる必要があり、必ずしも原語の台詞に忠実な翻訳がなされないこともある。 1930年ごろにトーキー映画が主流となったハリウッドの映画界は、日本語の吹き替え版を制作して輸出しようしたものの、吹き替え版に広島出身者の日系二世が多く関わったために全編広島弁となってしまい、最終的に諦めて日本で字幕が作られるようになった、これが日本語字幕の始まりとされる。 1931年(昭和6年)に封切られた『モロッコ』が初の日本語字幕映画となった。 日本では海外の映画を劇場公開する場合、日本語の字幕つきで上映されるものが多い。一方、アメリカ、ドイツ、フランス、スペインなど吹き替えでの上映の割合が日本よりも多い国もある。吹き替えが当然という国の俳優が来日した際、自分の出演している映画の字幕上映に接すると、自らの生の声が他人の声に置き換えられてしまわずにそのまま観客に伝えられていることを知って、喜ぶケースが多々あるという。 アメリカで字幕映画はヒットしないといわれたが、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』はネイティブ・アメリカンの翻訳字幕があったにもかかわらずヒットした。外国映画は字幕つきにせず、英語の映画としてリメイクされることも多い(日本映画のリメイクとしては『荒野の七人』『暴行』『ザ・リング』『THE JUON 呪怨』『Shall We Dance?』など)。 日本人が特に劇場公開作品で字幕を好む理由として、日本に於ける外国語映画(主にゴールデンタイムのもの)・ドラマのテレビ放送では吹替えが多いこともあって、「吹き替えはテレビ的である」と感じる人が多い点を指摘する声がある。もっとも近年では、「神戸新聞」の記事にも書かれているように、着実に吹き替えの需要が高まっている。それは2000年以降から場面の展開が早い、つまりカット数の多い映画作品が増えていったことが理由とされている。 上に挙げた国以外の海外では(例:スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、オランダ、ポルトガル、ギリシャ等)、市場規模などから吹き替えでは採算が取れないこともあり、その国で広く使用される言語による字幕で放送・公開されるのが主流である。また中国では広東語映画に標準中国語(普通話)字幕がつけられたり、インド、イスラエル、フィンランド、ベルギー、ヨルダンなどの多言語国家では、二言語以上の字幕がつけられることも多い。 一般に、外国語で発せられる台詞を母国語に正確に翻訳した上で文字に起こそうとすると文章が長くなりがちであるが、日本の字幕翻訳の場合は制限文字数が定められており、1秒あたり或いは1行あたりにつき画面に出せる文字数は限られている。そのため「翻訳とは直訳であるべき」という立場から評価するならば、意訳を多用する字幕の翻訳精度には難があると言わざるを得ない。 それに対して吹き替えを好む人の多くは、やはり、文字数の制約が厳しい字幕スーパーでは吹き替えよりも情報量が少なくなってしまいストーリーが理解し難い、字幕スーパーでは字幕を読んでいると画面に集中出来ない、字幕に書かれた漢字を読むことができない、字幕の表示スピードについていけない、そもそも字幕を読むのが面倒、といった意見を持っていることが多い。 ただし、字幕に限らず、異なる言語を別の言語で完全に表現することはそもそも不可能なことである。訳文が如何に原語の台詞の大意を掴んでいるかという点では、直訳より意訳のほうが相応しい場合もある。また、一定の制約が課せられるという点は吹き替え翻訳に於いても同様であり、字幕か吹き替えかで翻訳の優劣を単純に判断することはできない。 現在、字幕訳への批判は、週刊誌やインターネットなどの民間でのみ行われており、翻訳学等の学問の上で議論されたことはない。その点において、字幕批判は専門家が介在しないアマチュアレベルでの論争であり、翻訳とは何か、正確性とは何かといった根本的な問題まで掘り下げた議論は今後の学者の手にかかっている。 表示される字幕のことを「字幕スーパー」「スーパー字幕」と言ったりするのは、「スーパーインポーズ」のことである。写真の多重焼き付け技術のことで、映像作品においては、画面に重ねて表示される形の字幕を言う。この方式が主流になる以前(無声映画の時代)には、画面が一旦ブラックアウトして字幕のみが表示される「中間字幕」形式があり、それに対して「スーパー字幕」という呼び方をしたのがこの呼称の発祥である。現代の映画界においては、字幕といえばスーパー字幕のことを指すのがほとんどだが、まれにレトロ感を出す演出として中間字幕が使用されることがある。 映画のフィルムは、輸入にあたって他の輸入品同様に通関と呼ばれる政府機関によるチェックを受ける。映画の業界用語で「ツーカン」と呼ぶ。 劇場映画と、ビデオ作品・海外ドキュメンタリーなどでは、翻訳の事情およびプロセス、社会的背景が非常に異なるため、以下で分離して示す。 劇場映画の字幕をつけるにあたっては、現在では推敲の時間はあまり取られていない。最初のチェック・中間調整・最終確認の3回ほどで済ませてしまうことが多いとされる。ビデオテープやDVDに起こせば繰り返し観ることはできるが、輸入のあとの時間的制約(フィルムからディスクやテープに起こす時間がない)や海賊版の作成を避けるため、配給会社がそれを嫌うからである。このため、字幕翻訳には非常な集中力が要求される。原語の台本が手に入ればそれとつき合わせる形で(無い場合は稀にテープ起こしをすることもある)、どの台詞を字幕として訳すか(字数制限の問題もあるため)を検討する。これを「ハコガキ」と呼ぶ。 台詞内容のチェックが終わると、フィルムのオプチカル(35mmフィルムの横に記録されている、光学変調された音声トラック部分)を頼りに、役者のしゃべる台詞の秒数(コマ数×24が秒数:映写用フィルムは毎秒24コマ)を割り出し、日本語字幕に使用できる文字数を決めていく。これらの作業を「スポッティング」、または「スパット」と呼ぶ。その際、フィルムには「ここからここまで字幕を入れる」というマーキングを、ダーマトグラフを用いて施す。 翻訳作業が終わると、これらの台詞に連番を振り、字幕を書く「字幕ライター」にまわす。通称「カキヤ」と呼ばれる字幕ライターは、先端を研いで加工したカラス口を使い専用の用紙にインクで、あの独特のタッチで文字を書いていく。間違えた場合は、紙をカッターナイフで削って修正する。こうして作成された原稿は、映画1本につき約1000枚ほどになる。のち、誤字が無いか校正も行なう。なおその際、字幕を縦書きにするか横書きにするかは、最終的には配給会社の判断による。 この用紙から35mmフィルムサイズに亜鉛の凸版を起こし、フィルム表面にキズを付けていく形で字幕をひとコマずつ“刻んで”いく。その際、凸版がフィルム面から剥がれやすいように「空気穴」と呼ばれる隙間をわざと作ったうえで、字幕文字は書かれるのが通例である。また近年では、データを元にレーザーでフィルム表面を短時間だけ“焼き切る”ことで字幕を刻む技術も開発され、実用化されている。 字幕が入れ終わったフィルムは「初号」(あるいは「ゼロ号」)と呼ばれ、関係者を集めて試写室で上映チェックが行なわれる。ここで初歩的な翻訳ミスが見つかる事もしばしばで、典型的なものとしては「男性の台詞が『女性しゃべり』(あるいはその逆:業界用語では「メスオスが違う」と呼ぶ)」・または「兄弟違い(“brother”を「弟」と訳したら出てきたのが「兄」だった、等)」といったミスが発覚することがある。「初号」フィルムに問題が無ければ、これをマスターとして上映館用の映写用プリントフィルムを複製し、作業は完了である。 映画字幕を本業として現役で活躍している翻訳者は、日本全体で十数人と言われ、そのほとんどが英語の和訳専門である(通訳・書籍の翻訳などを本業とする者が副業的に少数の映画字幕を担当することもしばしばあり、特に英語以外の言語では当該国の研究家など翻訳を専業としない専門家が映画字幕を担当することも多く、これら1度でも映画字幕を担当したことのある者を含めるとずっと多い)。全国のスクリーン数には上限があるので、数日で1本を仕上げてしまえるプロフェッショナルの翻訳家が10人いれば、劇場公開される映画のほとんどが間に合ってしまうということである。また、有名な字幕翻訳家が多数のスタッフを抱えて分業体制で処理している、ということはないとされる。 日本国外の映画の日本語字幕については、常に批判がつきまとう対象となっている。原語のヒアリングができる者が映画を観ていると、「原義と異なることを言っている」ことが分かるケースがままある。また原語のヒアリングはできないが、日本語吹替版と原語音声字幕版を両方を観ている者は「吹替版と異なる事を述べている」ことに気付くケースも少なくない。ただし、これを単純に誤訳だとして糾弾するには、やや問題がある。そもそも、一定時間内に観客が読みきれる字幕の字数には限りがあるため、早口の台詞などはその過半を切って、エッセンスだけを抽出することになる。また語呂合わせやジョークの類いは、そのまま翻訳することが原理的に不可能である。加えて、日本人には知られていないが、映画の製作元の国の人々にはよく知られているローカルなカルチャーに関する台詞の場合、そのまま翻訳しても、日本人の多数には理解ができない。そのためどうしても、その人物の台詞を日本の文化の中でまず置き換え、再構築するという作業が必要になってくる。日本語字幕の第一人者である清水俊二はこれをして、「映画字幕は翻訳ではない」とまで表現している。 ただし、上述のような短期間で仕上げるタイプの仕事が日本語字幕の「やりかた」として定着してしまっているためか、専門的な知識が必要になるような映画ではとんでもない誤訳が見られることがある。もちろん専門家に確認を取る翻訳者も多いが、さりげなく出てくるような用語や慣用句などで見落としと思える例が散見される。また原作つきの映画などでは、映画のシーンだけを見て訳すと、原著の内容からは明らかにあり得ないような事実関係を提示してしまう例もある。このほか、翻訳という特殊技能を必要とする作業を少人数・短期間で行う以上、ケアレスミスが残ってしまうことも珍しくない。 この場合には、映画と異なり繰り返しチェックできる。また、画面の隅に時間経過を示すカウンターが入る。劇場未公開の映画や、海外ドキュメンタリー番組などの翻訳は、劇場映画のそれより遙かに多い。また、近年のレンタルビデオ店の増加や、さらには最近の多チャンネル化によって、こういった翻訳の需要は増大しつつある。このようなタイプの仕事をこなしている字幕翻訳者は、日本全体で約数百名いると考えられる。ただし兼業・在宅翻訳家なども多く、正確な数は分からない。 語学系統の専門学校の中には、字幕翻訳の専門コースを設けているところもあるが、劇場映画の翻訳者として華々しくスクリーンに名を載せることができる人物は上記のように非常に少なく、学校出でその座を占めることは不可能に近い。ただしビデオ作品などの翻訳は、在宅でも行なうことができるという利点もある。 また劇場映画でも共通であるが、インド映画などの場合でも、英語しかできない翻訳者が訳すことがままある。この場合、配給会社が用意した英語訳の台本があり、それを参考にしながら日本語字幕を起こすことになる。映画翻訳が語学力の問題ではなく、国語力の問題であるといわれる所以である。映画字幕翻訳においては、どのシーンでどのようなことを、どういった感情をこめて喋っているかを適切に読み取り、数秒間だけ表示される字幕にいかにして取り込むかが、なによりも肝要である。単に英語の翻訳家の方が安く・簡単に手配できるという面もあるが、日本語字幕特有の表現力を身につけている人を探すのに、英語以外の言語より英語の方が簡単に見つかるという事情もある。ただし、中国映画を日本語に訳すときなどには、中国語に存在する敬語表現が、それをうまく取り入れられない英語などの言語を通過することになり、映画やドラマの雰囲気を伝えきれないなどの問題もある。単に英語で鑑賞するだけであれば問題ないレベルとは言えるが、背景をいくばくか共有する文化圏の映画に親しむに際し、本来の言葉が持ち合わせているニュアンスが失われることは必然とは言えない。そのため、制作費用と期間に余裕がある場合には、両方の言語を習得している人物のチェックが入ることになる。 映画とビデオなどの相違、あるいは制作会社などによってそれぞれ、まったく異なるため注意が必要である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "日本語字幕(にほんごじまく)は、映画・テレビ番組等の音声や文字に付される、日本語の文字を使った翻訳・解説法。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "外国語に限らずときには日本国内でも強い方言や古典芸能の音声には字幕が表示されることがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "バラエティー番組などで、文字にしたほうが面白い台詞、喧噪の中で聞き取りづらかった台詞を補足するため、あるいは笑いどころを強調するために入るテロップも、日本語字幕の一種と言える場合がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "外国語音声の劇場用映画の場合、通常は台詞1秒に対して4文字以内、一度に表示される字幕は20文字までが基本。1行あたりの文字数は、かつては13字だったが現在では10字(例外もある)。簡単な挨拶程度のセリフの場合、字幕に出さないことが多い。なお、字幕では簡潔さがモットーとされるため、逐語訳にこだわることなく意訳を積極的に取り入れる必要があり、必ずしも原語の台詞に忠実な翻訳がなされないこともある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1930年ごろにトーキー映画が主流となったハリウッドの映画界は、日本語の吹き替え版を制作して輸出しようしたものの、吹き替え版に広島出身者の日系二世が多く関わったために全編広島弁となってしまい、最終的に諦めて日本で字幕が作られるようになった、これが日本語字幕の始まりとされる。 1931年(昭和6年)に封切られた『モロッコ』が初の日本語字幕映画となった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "日本では海外の映画を劇場公開する場合、日本語の字幕つきで上映されるものが多い。一方、アメリカ、ドイツ、フランス、スペインなど吹き替えでの上映の割合が日本よりも多い国もある。吹き替えが当然という国の俳優が来日した際、自分の出演している映画の字幕上映に接すると、自らの生の声が他人の声に置き換えられてしまわずにそのまま観客に伝えられていることを知って、喜ぶケースが多々あるという。", "title": "日本および世界各国での字幕の位置づけ" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "アメリカで字幕映画はヒットしないといわれたが、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』はネイティブ・アメリカンの翻訳字幕があったにもかかわらずヒットした。外国映画は字幕つきにせず、英語の映画としてリメイクされることも多い(日本映画のリメイクとしては『荒野の七人』『暴行』『ザ・リング』『THE JUON 呪怨』『Shall We Dance?』など)。", "title": "日本および世界各国での字幕の位置づけ" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本人が特に劇場公開作品で字幕を好む理由として、日本に於ける外国語映画(主にゴールデンタイムのもの)・ドラマのテレビ放送では吹替えが多いこともあって、「吹き替えはテレビ的である」と感じる人が多い点を指摘する声がある。もっとも近年では、「神戸新聞」の記事にも書かれているように、着実に吹き替えの需要が高まっている。それは2000年以降から場面の展開が早い、つまりカット数の多い映画作品が増えていったことが理由とされている。", "title": "日本および世界各国での字幕の位置づけ" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "上に挙げた国以外の海外では(例:スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、オランダ、ポルトガル、ギリシャ等)、市場規模などから吹き替えでは採算が取れないこともあり、その国で広く使用される言語による字幕で放送・公開されるのが主流である。また中国では広東語映画に標準中国語(普通話)字幕がつけられたり、インド、イスラエル、フィンランド、ベルギー、ヨルダンなどの多言語国家では、二言語以上の字幕がつけられることも多い。", "title": "日本および世界各国での字幕の位置づけ" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "一般に、外国語で発せられる台詞を母国語に正確に翻訳した上で文字に起こそうとすると文章が長くなりがちであるが、日本の字幕翻訳の場合は制限文字数が定められており、1秒あたり或いは1行あたりにつき画面に出せる文字数は限られている。そのため「翻訳とは直訳であるべき」という立場から評価するならば、意訳を多用する字幕の翻訳精度には難があると言わざるを得ない。", "title": "日本および世界各国での字幕の位置づけ" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "それに対して吹き替えを好む人の多くは、やはり、文字数の制約が厳しい字幕スーパーでは吹き替えよりも情報量が少なくなってしまいストーリーが理解し難い、字幕スーパーでは字幕を読んでいると画面に集中出来ない、字幕に書かれた漢字を読むことができない、字幕の表示スピードについていけない、そもそも字幕を読むのが面倒、といった意見を持っていることが多い。", "title": "日本および世界各国での字幕の位置づけ" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ただし、字幕に限らず、異なる言語を別の言語で完全に表現することはそもそも不可能なことである。訳文が如何に原語の台詞の大意を掴んでいるかという点では、直訳より意訳のほうが相応しい場合もある。また、一定の制約が課せられるという点は吹き替え翻訳に於いても同様であり、字幕か吹き替えかで翻訳の優劣を単純に判断することはできない。", "title": "日本および世界各国での字幕の位置づけ" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "現在、字幕訳への批判は、週刊誌やインターネットなどの民間でのみ行われており、翻訳学等の学問の上で議論されたことはない。その点において、字幕批判は専門家が介在しないアマチュアレベルでの論争であり、翻訳とは何か、正確性とは何かといった根本的な問題まで掘り下げた議論は今後の学者の手にかかっている。", "title": "日本および世界各国での字幕の位置づけ" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "表示される字幕のことを「字幕スーパー」「スーパー字幕」と言ったりするのは、「スーパーインポーズ」のことである。写真の多重焼き付け技術のことで、映像作品においては、画面に重ねて表示される形の字幕を言う。この方式が主流になる以前(無声映画の時代)には、画面が一旦ブラックアウトして字幕のみが表示される「中間字幕」形式があり、それに対して「スーパー字幕」という呼び方をしたのがこの呼称の発祥である。現代の映画界においては、字幕といえばスーパー字幕のことを指すのがほとんどだが、まれにレトロ感を出す演出として中間字幕が使用されることがある。", "title": "日本および世界各国での字幕の位置づけ" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "映画のフィルムは、輸入にあたって他の輸入品同様に通関と呼ばれる政府機関によるチェックを受ける。映画の業界用語で「ツーカン」と呼ぶ。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "劇場映画と、ビデオ作品・海外ドキュメンタリーなどでは、翻訳の事情およびプロセス、社会的背景が非常に異なるため、以下で分離して示す。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "劇場映画の字幕をつけるにあたっては、現在では推敲の時間はあまり取られていない。最初のチェック・中間調整・最終確認の3回ほどで済ませてしまうことが多いとされる。ビデオテープやDVDに起こせば繰り返し観ることはできるが、輸入のあとの時間的制約(フィルムからディスクやテープに起こす時間がない)や海賊版の作成を避けるため、配給会社がそれを嫌うからである。このため、字幕翻訳には非常な集中力が要求される。原語の台本が手に入ればそれとつき合わせる形で(無い場合は稀にテープ起こしをすることもある)、どの台詞を字幕として訳すか(字数制限の問題もあるため)を検討する。これを「ハコガキ」と呼ぶ。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "台詞内容のチェックが終わると、フィルムのオプチカル(35mmフィルムの横に記録されている、光学変調された音声トラック部分)を頼りに、役者のしゃべる台詞の秒数(コマ数×24が秒数:映写用フィルムは毎秒24コマ)を割り出し、日本語字幕に使用できる文字数を決めていく。これらの作業を「スポッティング」、または「スパット」と呼ぶ。その際、フィルムには「ここからここまで字幕を入れる」というマーキングを、ダーマトグラフを用いて施す。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "翻訳作業が終わると、これらの台詞に連番を振り、字幕を書く「字幕ライター」にまわす。通称「カキヤ」と呼ばれる字幕ライターは、先端を研いで加工したカラス口を使い専用の用紙にインクで、あの独特のタッチで文字を書いていく。間違えた場合は、紙をカッターナイフで削って修正する。こうして作成された原稿は、映画1本につき約1000枚ほどになる。のち、誤字が無いか校正も行なう。なおその際、字幕を縦書きにするか横書きにするかは、最終的には配給会社の判断による。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "この用紙から35mmフィルムサイズに亜鉛の凸版を起こし、フィルム表面にキズを付けていく形で字幕をひとコマずつ“刻んで”いく。その際、凸版がフィルム面から剥がれやすいように「空気穴」と呼ばれる隙間をわざと作ったうえで、字幕文字は書かれるのが通例である。また近年では、データを元にレーザーでフィルム表面を短時間だけ“焼き切る”ことで字幕を刻む技術も開発され、実用化されている。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "字幕が入れ終わったフィルムは「初号」(あるいは「ゼロ号」)と呼ばれ、関係者を集めて試写室で上映チェックが行なわれる。ここで初歩的な翻訳ミスが見つかる事もしばしばで、典型的なものとしては「男性の台詞が『女性しゃべり』(あるいはその逆:業界用語では「メスオスが違う」と呼ぶ)」・または「兄弟違い(“brother”を「弟」と訳したら出てきたのが「兄」だった、等)」といったミスが発覚することがある。「初号」フィルムに問題が無ければ、これをマスターとして上映館用の映写用プリントフィルムを複製し、作業は完了である。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "映画字幕を本業として現役で活躍している翻訳者は、日本全体で十数人と言われ、そのほとんどが英語の和訳専門である(通訳・書籍の翻訳などを本業とする者が副業的に少数の映画字幕を担当することもしばしばあり、特に英語以外の言語では当該国の研究家など翻訳を専業としない専門家が映画字幕を担当することも多く、これら1度でも映画字幕を担当したことのある者を含めるとずっと多い)。全国のスクリーン数には上限があるので、数日で1本を仕上げてしまえるプロフェッショナルの翻訳家が10人いれば、劇場公開される映画のほとんどが間に合ってしまうということである。また、有名な字幕翻訳家が多数のスタッフを抱えて分業体制で処理している、ということはないとされる。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "日本国外の映画の日本語字幕については、常に批判がつきまとう対象となっている。原語のヒアリングができる者が映画を観ていると、「原義と異なることを言っている」ことが分かるケースがままある。また原語のヒアリングはできないが、日本語吹替版と原語音声字幕版を両方を観ている者は「吹替版と異なる事を述べている」ことに気付くケースも少なくない。ただし、これを単純に誤訳だとして糾弾するには、やや問題がある。そもそも、一定時間内に観客が読みきれる字幕の字数には限りがあるため、早口の台詞などはその過半を切って、エッセンスだけを抽出することになる。また語呂合わせやジョークの類いは、そのまま翻訳することが原理的に不可能である。加えて、日本人には知られていないが、映画の製作元の国の人々にはよく知られているローカルなカルチャーに関する台詞の場合、そのまま翻訳しても、日本人の多数には理解ができない。そのためどうしても、その人物の台詞を日本の文化の中でまず置き換え、再構築するという作業が必要になってくる。日本語字幕の第一人者である清水俊二はこれをして、「映画字幕は翻訳ではない」とまで表現している。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ただし、上述のような短期間で仕上げるタイプの仕事が日本語字幕の「やりかた」として定着してしまっているためか、専門的な知識が必要になるような映画ではとんでもない誤訳が見られることがある。もちろん専門家に確認を取る翻訳者も多いが、さりげなく出てくるような用語や慣用句などで見落としと思える例が散見される。また原作つきの映画などでは、映画のシーンだけを見て訳すと、原著の内容からは明らかにあり得ないような事実関係を提示してしまう例もある。このほか、翻訳という特殊技能を必要とする作業を少人数・短期間で行う以上、ケアレスミスが残ってしまうことも珍しくない。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "この場合には、映画と異なり繰り返しチェックできる。また、画面の隅に時間経過を示すカウンターが入る。劇場未公開の映画や、海外ドキュメンタリー番組などの翻訳は、劇場映画のそれより遙かに多い。また、近年のレンタルビデオ店の増加や、さらには最近の多チャンネル化によって、こういった翻訳の需要は増大しつつある。このようなタイプの仕事をこなしている字幕翻訳者は、日本全体で約数百名いると考えられる。ただし兼業・在宅翻訳家なども多く、正確な数は分からない。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "語学系統の専門学校の中には、字幕翻訳の専門コースを設けているところもあるが、劇場映画の翻訳者として華々しくスクリーンに名を載せることができる人物は上記のように非常に少なく、学校出でその座を占めることは不可能に近い。ただしビデオ作品などの翻訳は、在宅でも行なうことができるという利点もある。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "また劇場映画でも共通であるが、インド映画などの場合でも、英語しかできない翻訳者が訳すことがままある。この場合、配給会社が用意した英語訳の台本があり、それを参考にしながら日本語字幕を起こすことになる。映画翻訳が語学力の問題ではなく、国語力の問題であるといわれる所以である。映画字幕翻訳においては、どのシーンでどのようなことを、どういった感情をこめて喋っているかを適切に読み取り、数秒間だけ表示される字幕にいかにして取り込むかが、なによりも肝要である。単に英語の翻訳家の方が安く・簡単に手配できるという面もあるが、日本語字幕特有の表現力を身につけている人を探すのに、英語以外の言語より英語の方が簡単に見つかるという事情もある。ただし、中国映画を日本語に訳すときなどには、中国語に存在する敬語表現が、それをうまく取り入れられない英語などの言語を通過することになり、映画やドラマの雰囲気を伝えきれないなどの問題もある。単に英語で鑑賞するだけであれば問題ないレベルとは言えるが、背景をいくばくか共有する文化圏の映画に親しむに際し、本来の言葉が持ち合わせているニュアンスが失われることは必然とは言えない。そのため、制作費用と期間に余裕がある場合には、両方の言語を習得している人物のチェックが入ることになる。", "title": "映画字幕の制作" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "映画とビデオなどの相違、あるいは制作会社などによってそれぞれ、まったく異なるため注意が必要である。", "title": "映画字幕の制作" } ]
日本語字幕(にほんごじまく)は、映画・テレビ番組等の音声や文字に付される、日本語の文字を使った翻訳・解説法。
{{Pathnavbox| * {{Pathnav|字幕}} * {{Pathnav|[[映画]]|[[テレビ番組]]|[[ビデオグラム]]}} }} {{独自研究|date=2010年3月}} '''日本語字幕'''(にほんごじまく)は、[[映画]]・[[テレビ番組]]等の[[音声]]や[[文字]]に付される、[[日本語]]の文字を使った[[翻訳]]・[[解説]]法。<!-- 主に[[日本語]]以外の[[言語]]を使用している映像作品に用いられる。 --> [[image:Great Dictator speech.jpg|thumb|[[チャールズ・チャップリン]]の映画[[独裁者 (映画)|『独裁者』]]の日本語字幕]] == 概要 == [[外国語]]に限らずときには[[日本]]国内でも強い[[方言]]や[[古典芸能]]<ref>[http://www.ntj.jac.go.jp/about/recruit/message_rijicho.html 独立行政法人日本芸術文化振興会 理事長よりのご挨拶] ([[Adobe Flash]]使用動画、[[茂木賢三郎]]、[[日本芸術文化振興会]]、2012年2月閲覧)</ref>の音声には[[字幕]]が表示されることがある。<!-- また、他の言語を母語とする人物の喋る日本語に対しても字幕がつくことがある。 --> [[バラエティー番組]]などで、文字にしたほうが面白い[[台詞]]、喧噪の中で聞き取りづらかった台詞を補足するため、あるいは笑いどころを強調するために入る[[スーパーインポーズ (映像編集)|テロップ]]も、日本語字幕の一種と言える場合がある。 外国語音声の劇場用[[映画]]の場合、通常は台詞1秒に対して<!-- 3~ -->4文字以内、一度に表示される字幕は20文字までが基本。1行あたりの文字数は、かつては13字だったが現在では10字(例外もある)。<ref>[http://someya-net.com/84-Subtitle_TeachingModel/Rules_Subtitle.pdf 資料 1 字幕の基本ルール (Rev. 09-3)] 2022年5月閲覧</ref>簡単な挨拶程度のセリフの場合、字幕に出さないことが多い。<ref>書籍『字幕翻訳とは何か 1枚の字幕に込められた技能と理論』(日本映像翻訳アカデミー著)2.2 ハコ切りとスポッティング (Kindle版、位置No. 590)</ref>なお、字幕では簡潔さが[[モットー]]とされるため、[[逐語訳]]にこだわることなく意訳を積極的に取り入れる必要があり、必ずしも原語の台詞に忠実な翻訳がなされないこともある。 [[1930年]]ごろに[[トーキー映画]]が主流となった[[アメリカ合衆国の映画|ハリウッドの映画界]]は、日本語の吹き替え版を制作して輸出しようしたものの、吹き替え版に[[広島県|広島]]出身者の[[二世 (日系人)|日系二世]]が多く関わったために全編[[広島弁]]となってしまい、最終的に諦めて日本で字幕が作られるようになった、これが日本語字幕の始まりとされる<ref>{{Cite news|title=北斗星(2月25日付)|newspaper=[[秋田魁新報]]|date=2020-02-25|author=|url=https://www.sakigake.jp/news/article/20200225AK0013/|accessdate=2020-10-04|publisher=秋田魁新報社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200225175117/https://www.sakigake.jp/news/article/20200225AK0013/|archivedate=2020-02-25}}</ref>。 1931年(昭和6年)に封切られた『[[モロッコ (映画)|モロッコ]]』が初の日本語字幕映画となった<ref>最初の邦文字洋画「モロッコ」搭乗『東京日日新聞』昭和6年2月8日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p25 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 == 日本および世界各国での字幕の位置づけ == 日本では海外の映画を劇場公開する場合、日本語の字幕つきで上映されるものが多い。一方、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[ドイツ]]、[[フランス]]、[[スペイン]]など吹き替えでの上映の割合が日本よりも多い国もある<ref>[[戸田奈津子]]『字幕の中に人生』([[白水社]][[1994年]])は「世界の国々で外国映画を上映する場合には、ほとんどが吹き替えで、字幕が主流をしめているのは日本だけである」という。</ref>。吹き替えが当然という国の[[俳優]]が来日した際、自分の出演している映画の字幕上映に接すると、自らの生の声が他人の声に置き換えられてしまわずにそのまま観客に伝えられていることを知って、喜ぶケースが多々あるという{{要出典|date=2011年8月}}。 アメリカで字幕映画はヒットしないといわれたが、『[[ダンス・ウィズ・ウルブズ]]』は[[ネイティブ・アメリカン]]の翻訳字幕があったにもかかわらずヒットした。外国映画は字幕つきにせず、英語の映画として[[リメイク]]されることも多い(日本映画のリメイクとしては『[[荒野の七人]]』『[[暴行 (映画)|暴行]]』『[[ザ・リング]]』『[[THE JUON 呪怨]]』『[[Shall We Dance?]]』など)。 [[日本人]]が特に劇場公開作品で字幕を好む理由として、日本に於ける外国語映画(主に[[ゴールデンタイム]]のもの)・ドラマのテレビ放送では吹替えが{{要出典範囲|date=2012年2月|多い}}こともあって、「吹き替えは[[テレビ]]的である」と感じる人が多い点を指摘する声がある。もっとも近年では、「[[神戸新聞]]」の記事<ref>[http://www.kobe-np.co.jp/news_now/news2-372.html 外国映画の吹き替え版増加 観客動員に追い風](2004.02 [[神戸新聞]])</ref>にも書かれているように、着実に吹き替えの需要が高まっている。それは2000年以降から場面の展開が早い、つまりカット数の多い映画作品が増えていったことが理由とされている。 上に挙げた国以外の海外では(例:[[スウェーデン]]、[[デンマーク]]、[[ノルウェー]]、[[オランダ]]、[[ポルトガル]]、[[ギリシャ]]等)、市場規模などから吹き替えでは採算が取れないこともあり、その国で広く使用される言語による字幕で放送・公開されるのが主流である。また中国では[[広東語]]映画に[[標準中国語]]([[普通話]])字幕がつけられたり、[[インド]]、[[イスラエル]]、[[フィンランド]]、[[ベルギー]]、[[ヨルダン]]などの多言語国家では、二言語以上の字幕がつけられることも多い。 一般に、外国語で発せられる台詞を母国語に正確に翻訳した上で文字に起こそうとすると文章が長くなりがちであるが、日本の字幕翻訳の場合は制限文字数が定められており、1秒あたり或いは1行あたりにつき画面に出せる文字数は限られている。そのため「翻訳とは直訳であるべき」という立場から評価するならば、意訳を多用する字幕の翻訳精度には難があると言わざるを得ない。 それに対して吹き替えを好む人の多くは、やはり、文字数の制約が厳しい[[字幕スーパー]]では吹き替えよりも情報量が少なくなってしまいストーリーが理解し難い、字幕スーパーでは字幕を読んでいると画面に集中出来ない、字幕に書かれた[[漢字]]を読むことができない、字幕の表示スピードについていけない、そもそも字幕を読むのが面倒、といった意見を持っていることが多い。 ただし、字幕に限らず、異なる言語を別の言語で完全に表現することはそもそも不可能なことである。訳文が如何に原語の台詞の大意を掴んでいるかという点では、直訳より意訳のほうが相応しい場合もある。また、一定の制約が課せられるという点は吹き替え翻訳に於いても同様であり、字幕か吹き替えかで翻訳の優劣を単純に判断することはできない。 現在、字幕訳への批判は、週刊誌やインターネットなどの{{要検証範囲|date=2012年2月|民間でのみ行われており、翻訳学等の学問の上で議論されたことはない。その点において、字幕批判は専門家が介在しないアマチュアレベルでの論争であり、}}翻訳とは何か、正確性とは何かといった根本的な問題まで掘り下げた議論は今後の学者の手にかかっている。 表示される字幕のことを「字幕スーパー」「スーパー字幕」と言ったりするのは、「[[スーパーインポーズ (映像編集)|スーパーインポーズ]]」のことである。写真の多重焼き付け技術のことで、映像作品においては、画面に重ねて表示される形の字幕を言う。この方式が主流になる以前(無声映画の時代)には、画面が一旦ブラックアウトして字幕のみが表示される「中間字幕」形式があり、それに対して「スーパー字幕」という呼び方をしたのがこの呼称の発祥である。現代の映画界においては、字幕といえばスーパー字幕のことを指すのがほとんどだが、まれにレトロ感を出す演出として中間字幕が使用されることがある。 == 映画字幕の制作 == === 輸入 === 映画のフィルムは、[[輸入]]にあたって他の輸入品同様に[[通関]]と呼ばれる政府機関によるチェックを受ける。映画の[[業界用語]]で「ツーカン」と呼ぶ。 === 翻訳 === 劇場映画と、ビデオ作品・海外ドキュメンタリーなどでは、翻訳の事情およびプロセス、社会的背景が非常に異なるため、以下で分離して示す。 ==== 劇場映画 ==== 劇場映画の字幕をつけるにあたっては、現在では推敲の時間はあまり取られていない。最初のチェック・中間調整・最終確認の3回ほどで済ませてしまうことが多いとされる。[[ビデオテープ]]や[[DVD]]に起こせば繰り返し観ることはできるが、輸入のあとの時間的制約(フィルムからディスクやテープに起こす時間がない)や[[海賊版]]の作成を避けるため、配給会社がそれを嫌うからである。このため、字幕翻訳には非常な集中力が要求される。原語の台本が手に入ればそれとつき合わせる形で(無い場合は稀に[[テープ起こし]]をすることもある)、どの台詞を字幕として訳すか(字数制限の問題もあるため)を検討する。これを「ハコガキ」と呼ぶ。 台詞内容のチェックが終わると、フィルムのオプチカル(35mmフィルムの横に記録されている、光学変調された音声トラック部分)を頼りに、役者のしゃべる台詞の秒数(コマ数×24が秒数:映写用フィルムは毎秒24コマ)を割り出し、日本語字幕に使用できる文字数を決めていく。これらの作業を「スポッティング」、または「スパット」と呼ぶ。その際、フィルムには「ここからここまで字幕を入れる」というマーキングを、[[ダーマトグラフ]]を用いて施す。 翻訳作業が終わると、これらの台詞に連番を振り、字幕を書く「字幕ライター」にまわす。通称「カキヤ」と呼ばれる字幕ライターは、先端を研いで加工した[[カラス口]]を使い専用の用紙にインクで、あの独特のタッチで文字を書いていく。間違えた場合は、紙をカッターナイフで削って修正する。こうして作成された原稿は、映画1本につき約1000枚ほどになる。のち、誤字が無いか[[校正]]も行なう。なおその際、字幕を縦書きにするか横書きにするかは、最終的には配給会社の判断による。 この用紙から35mmフィルムサイズに[[亜鉛]]の凸版を起こし、フィルム表面にキズを付けていく形で字幕をひとコマずつ“刻んで”いく。その際、凸版がフィルム面から剥がれやすいように「空気穴」と呼ばれる隙間をわざと作ったうえで、字幕文字は書かれるのが通例である。<ref>[http://portal.nifty.com/koneta04/09/20/01/ 実演、シネマ文字ってこう書くの?](2004.9、[[デイリーポータルZ]]、[[@nifty]])</ref>また近年では、データを元に[[レーザー]]でフィルム表面を短時間だけ“焼き切る”ことで字幕を刻む技術も開発され、実用化されている。 字幕が入れ終わったフィルムは「初号」(あるいは「ゼロ号」)と呼ばれ、関係者を集めて試写室で上映チェックが行なわれる。ここで初歩的な翻訳ミスが見つかる事もしばしばで、典型的なものとしては「男性の台詞が『女性しゃべり』(あるいはその逆:業界用語では「'''メスオス'''が違う」と呼ぶ)」・または「兄弟違い(“brother”を「弟」と訳したら出てきたのが「兄」だった、等)」といったミスが発覚することがある。「初号」フィルムに問題が無ければ、これをマスターとして上映館用の映写用プリントフィルムを複製し、作業は完了である。 映画字幕を本業として現役で活躍している翻訳者は、日本全体で十数人と言われ、そのほとんどが英語の和訳専門である(通訳・書籍の翻訳などを本業とする者が副業的に少数の映画字幕を担当することもしばしばあり、特に英語以外の言語では当該国の研究家など翻訳を専業としない専門家が映画字幕を担当することも多く、これら1度でも映画字幕を担当したことのある者を含めるとずっと多い)。全国のスクリーン数には上限があるので、数日で1本を仕上げてしまえるプロフェッショナルの翻訳家が10人いれば、劇場公開される映画のほとんどが間に合ってしまうということである。また、有名な字幕翻訳家が多数のスタッフを抱えて分業体制で処理している、ということはないとされる。<!-- なにぶんにも翻訳作業であり、しかも上述のように独特の省略をこなしていく必要があるため、複数人の手が入ると訳語の不統一が発生してしまうからである。 →下訳としての全訳は、日本語を書くという作業の省略という意味で訳には立つ。--> 日本国外の映画の日本語字幕については、常に批判がつきまとう対象となっている。原語のヒアリングができる者が映画を観ていると、「原義と異なることを言っている」ことが分かるケースがままある。また原語のヒアリングはできないが、日本語吹替版と原語音声字幕版を両方を観ている者は「吹替版と異なる事を述べている」ことに気付くケースも少なくない。ただし、これを単純に誤訳だとして糾弾するには、やや問題がある。そもそも、一定時間内に観客が読みきれる字幕の字数には限りがあるため、早口の台詞などはその過半を切って、エッセンスだけを抽出することになる。また[[語呂合わせ]]やジョークの類いは、そのまま翻訳することが原理的に不可能である。加えて、日本人には知られていないが、映画の製作元の国の人々にはよく知られているローカルなカルチャーに関する台詞の場合、そのまま翻訳しても、日本人の多数には理解ができない。そのためどうしても、その人物の台詞を日本の文化の中でまず置き換え、再構築するという作業が必要になってくる。日本語字幕の第一人者である[[清水俊二]]はこれをして、「'''映画字幕は翻訳ではない'''」とまで表現している。 ただし、上述のような短期間で仕上げるタイプの仕事が日本語字幕の「やりかた」として定着してしまっているためか、専門的な知識が必要になるような映画ではとんでもない誤訳が見られることがある。もちろん専門家に確認を取る翻訳者も多いが、さりげなく出てくるような用語や[[慣用句]]などで見落としと思える例が散見される。また原作つきの映画などでは、映画のシーンだけを見て訳すと、原著の内容からは明らかにあり得ないような事実関係を提示してしまう例もある。このほか、翻訳という特殊技能を必要とする作業を少人数・短期間で行う以上、ケアレスミスが残ってしまうことも珍しくない<ref group="注釈">誤訳に関する問題・背景は、本文後述のビデオ作品の分野とも多くの部分で共通していて、むしろ劇場映画に限られた特有のものは少ない。ただし、ビデオ作品の字幕作成における校正は、劇場映画より一般的には甘い傾向があり、劇場公開版の字幕はさほど問題がないにもかかわらず、ビデオ版の字幕は多くの誤訳があるなどの例が散見される(一例として[[ミッドウェイ (1976年の映画)]] のビデオ版誤訳例を参照)。</ref>。 ==== ビデオ作品など ==== この場合には、映画と異なり繰り返しチェックできる。また、画面の隅に時間経過を示すカウンターが入る。劇場未公開の映画や、海外ドキュメンタリー番組などの翻訳は、劇場映画のそれより遙かに多い。また、近年のレンタルビデオ店の増加や、さらには最近の多チャンネル化によって、こういった翻訳の需要は増大しつつある。このようなタイプの仕事をこなしている字幕翻訳者は、日本全体で約数百名いると考えられる。ただし兼業・在宅翻訳家なども多く、正確な数は分からない。 語学系統の専門学校の中には、字幕翻訳の専門コースを設けているところもあるが、劇場映画の翻訳者として華々しくスクリーンに名を載せることができる人物は上記のように非常に少なく、学校出でその座を占めることは不可能に近い。ただしビデオ作品などの翻訳は、在宅でも行なうことができるという利点もある。 また劇場映画でも共通であるが、[[インド映画]]などの場合でも、英語しかできない翻訳者が訳すことがままある。この場合、配給会社が用意した英語訳の台本があり、それを参考にしながら日本語字幕を起こすことになる。映画翻訳が語学力の問題ではなく、国語力の問題であるといわれる所以である。映画字幕翻訳においては、どのシーンでどのようなことを、どういった感情をこめて喋っているかを適切に読み取り、数秒間だけ表示される字幕にいかにして取り込むかが、なによりも肝要である。<!-- そういった中間台本を経由しても充分翻訳が可能……という、この翻訳作業の特殊性を示す一例と言えよう。→側面として間違いとは言えないが、字幕ではない書籍の翻訳でも原語以外から訳すこともままあるほか、実際に英語からの翻訳が行われる理由としては別の要素が強いと考えられるので、いったんコメントアウト。-->単に英語の翻訳家の方が安く・簡単に手配できるという面もあるが、日本語字幕特有の表現力を身につけている人を探すのに、英語以外の言語より英語の方が簡単に見つかるという事情もある。ただし、中国映画を日本語に訳すときなどには、[[中国語]]に存在する[[敬語]]表現が、それをうまく取り入れられない英語などの言語を通過することになり、映画やドラマの雰囲気を伝えきれないなどの問題もある。単に英語で鑑賞するだけであれば問題ないレベルとは言えるが、背景をいくばくか共有する文化圏の映画に親しむに際し、本来の言葉が持ち合わせているニュアンスが失われることは必然とは言えない。そのため、制作費用と期間に余裕がある場合には、両方の言語を習得している人物のチェックが入ることになる。 ===制作のおおまかな流れ=== {{節スタブ}} 映画とビデオなどの相違、あるいは制作会社などによってそれぞれ、まったく異なるため注意が必要である。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === <references/> == 関連項目 == * [[吹き替え]] * [[文字多重放送]] * [[スーパーインポーズ (映像編集)]] * [[日本語訳]] == 外部リンク == * [http://www.cinearts.co.jp/ 日本シネアーツ社] - 字幕制作および輸入通関代理など。字幕制作の解説も。 {{DEFAULTSORT:にほんこしまく}} [[Category:日本の映画]] [[Category:日本語の文化]] [[Category:日本語訳]] [[Category:字幕]]
2003-02-28T02:14:52Z
2023-10-01T05:19:07Z
false
false
false
[ "Template:要出典", "Template:節スタブ", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist", "Template:Cite news", "Template:Pathnavbox", "Template:独自研究", "Template:要出典範囲", "Template:要検証範囲" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E5%AD%97%E5%B9%95
3,016
MP3
MP3(エムピースリー、英: MPEG-1 Audio Layer-3)は、音響データを圧縮する技術の1つであり、それから作られる音声ファイルフォーマットでもある。ファイルの拡張子は「.mp3」である。 本フォーマットでは、1411.2 kbpsで収録されている音楽CD規格のPCMなどを、後述する範囲内で任意のビットレート・サンプリング周波数等を設定し、圧縮することができる。 狭義のMP3は、ビデオ圧縮規格であるMPEG-1のオーディオ規格として開発された。非可逆圧縮であり、それ以前の規格であるMP1およびMP2を改良したものにあたる。当初は「MPEG-1 Audio Layer-3」の略称だったが、のちに互換性を持つ「MPEG-2 AudioBC (MPEG-2 Audio Layer-3)」が加わったので、合わせて「MPEG-1/2 Audio Layer-3」とすることもある。更に、非公式規格の「MPEG-2.5 Audio Layer-3」を含む場合もある。なお、MPEG-1 Audio Layer-3の仕様はISO 11172-3 (JIS X 4323、ただし2011年1月20日に廃止) で規格化されている。規格書は有料であり、それゆえインターネット上では詳細な仕様は公開されていない。 MP1 (MPEG-1 Audio Layer-1)、MP2 (MPEG-1 Audio Layer-2) は前身規格でありMP3との互換性はない。 また、MP3とMP4の名称が類似していることからMP4が同類のAudio Layer-4と誤解されるケースが見受けられるが、MP4はあくまでMPEG-4の関連規格であり、直接の関連性はない規格である。また逆にMP3がMPEG-3の略称であるとされるケースもあるが、MPEG-3は策定段階でMPEG-2規格に吸収されているため存在せず、これも同様に誤解である。 「MP3」という語は「データ圧縮の規格やそれに基づいて作成されたファイルのフォーマット」を指すが、店頭広告で「MP3が安い」などの表現が使われるために、MP3が携帯型デジタルオーディオプレーヤーそのものであると誤認されることもある。 MP3圧縮アルゴリズムは1991年12月、ドイツのフラウンホーファーIIS(集積回路研究所)で発明された。 これは1970年代後半、フラウンホーファーの「電話回線で音楽信号を送信する」というアイデアを実現させたものである。 1995年、フラウンホーファーはMPEGレイヤー3のファイル拡張子を「.mp3」と命名。その特許権収入は2005年時点で約1億ユーロに上る。 MP3は、音声の周波数帯域では極端な声質の劣化を伴わずに圧縮でき、音声をデジタル化するために用いられた。後に音楽をCDなどの音源媒体からパーソナルコンピュータ (PC) のハードディスクドライブ (HDD) に取り込む用途で広く普及した。 MP3は音の聞こえ易さの違い(周波数ごとの最小可聴値)や大きな音が鳴った際に、その直前直後や近い周波数の小さな音が聞こえにくくなる現象(時間/周波数マスキング)等の人間の聴覚心理を利用した圧縮を行うため、エンコーダの実装(聴覚心理モデルの調整)次第で圧縮後の再生品質は大きく変化する。 音楽用途の評価が高まると、MP3に対応する携帯型音楽プレーヤーが現われ、これらはMP3プレーヤーと呼ばれている。大容量のHDDを内蔵したプレーヤーなら1万曲以上の楽曲が収録可能であり、MP3による音楽ファイルをCD-RやDVD-Rなどに書き込むなら数百曲や数千曲が収まり、対応しているCD/DVDプレーヤーなどで再生可能である。 ボイスレコーダーでも、三洋電機など以前からMP3形式での録音可能な機種が発売されていたメーカー以外にも、今まで独自規格を採用していたパナソニックやソニー製のボイスレコーダーでも、汎用性等の観点からMP3形式での録音可能な機種が出始めている。 圧縮したデータはサイズの減少から取り回しが容易となるため、通信回線上で転送することも容易となり、インターネットラジオなどで広く用いられる一方、著作権者が再配布を認めていない楽曲の不正配布に用いられることもある。これに対し「MP3にデジタル著作権管理機能が付いていないためだ」という主張などがある。最近の音楽携帯にはこのような事態を防ぐべく、いわゆる著作権保護に対応するためのmp3としてセキュアmp3を採用している企業もある。 MP3が広く普及した要因として、無料のエンコーダ・デコーダソフトウェアが入手可能な点が挙げられる。1998年以降にはドイツのフラウンホーファー協会とフランスのトムソン社がライセンスの保有を主張しているが、フリーソフトウェアライセンスで提供されているLAMEなどの無料のエンコーダやWindows Media Playerなどの無料の再生ソフトウェアが入手できたため、普及を妨げることはなかった。Windowsにおいては1999年11月にリリースされたWindows Media Player 6.4でMP3が標準対応になり、爆発的に普及することになった。 MP3の後継規格としては、後発の標準規格「AAC」が「iTunes」・「mora」・「iPod」・「着うた」などで用いられている。また同様にMP3の代替を目的とした後発規格としてマイクロソフトが開発した「WMA」や、特許の制約を受けない完全にフリーなコーデックとして開発された「Vorbis」、可逆圧縮コーデックとして開発された「FLAC」、ソニーが開発した「ATRAC」などがある。 なお、WMAやATRACについては、デジタル著作権管理の機能が備わっているために、ネット上での音楽配信サービスを行う事業者が採用する傾向がある。また、FLACは可逆圧縮のほか、ハイレゾ級のサンプリング周波数(主に96kHz、192kHz)・量子化ビット数(主に24bit)を用いた超高音質の音楽配信などが可能などという利点から採用される機会が広がりつつある。 2017年4月23日、フラウンホーファーIISおよびテクニカラー(旧トムソン)によるMP3ライセンスプログラムが、基本特許の存続期間満了により終了した。これにより、これら特許がカバーしてきたMP3の基本技術はパブリックドメインとなった。 MP3では比較的低ビットレートでのエンコード時に16 kHz付近でLPFを掛けるエンコーダが多い。これはフォーマット上の制約から高周波成分の記録には多くのデータ量を必要とするため、全体の品質を保つためにはビットレートを大きく上げなければならなくなるからである。 LPFを外せばスペクトログラム上での見かけは周波数特性が良くなったように見えるが、聴覚上の品質は低下している事が多い。カットオフ周波数を低くすると、特にビットレートの低い場合で聴覚上の音質が向上する。高ビットレートでのエンコードでは高周波成分の記録にゆとりが出てくるので、ビットレートに応じてLPFのカットオフ周波数を変えるエンコーダがほとんどである。 メタデータはファイルに楽曲情報などを持たせる規格で、ID3タグやXingなどが存在する。 ID3には、ファイルの末尾に付加されるID3v1と、ファイルの先頭に付加されるID3v2が存在する。 なお、ID3v1とID3v2の両方をファイルに埋め込んでもよい。 MP3のデータ情報を持たせる規格。可変ビットレート(VBR)のファイルの再生時間を算出する為に用いられる事が多いことからVBRタグとも呼ばれる。 MPEG-2にもAudio Layer-3が存在し、同様にMP3と呼ばれるが、規格上ではMPEG-2 AudioBC (backward compatible) が正式である。この規格では圧縮方式は同じだが、ビットレートの低いメディアのための高圧縮率対応やマルチチャンネル対応がなされている。この形式はヨーロッパ向けのDVDで採用されている。 通称「MP1」と呼ばれ、拡張子は「.mpa」か「.mp1」。 PCMデータの周波数帯域を帯域分割フィルタを用いて32個のサブバンドに分け、聴覚心理モデルに基づいてサブバンド毎に量子化する。各サブバンドはさらなる帯域分割細分化が行われない(MDCTは使わない)。また、ハフマン符号化による可逆圧縮も行われない。そのためビットレートがかなり高く、約1/4にしか圧縮できないが、エンコードが非常に速い。PASCとしてデジタルコンパクトカセット(以下DCC)で採用されている。基本ビットレートは320 kbps(DCCでは384 kbps)。 通称「MP2」と呼ばれるMP3の前身規格。拡張子は「.mp2」か「.mpc」。比較的普及率の高い音声圧縮フォーマット。 Video-CDやCSデジタル放送(日本国内ではスカパー!)をはじめ、D-VHS、DVD-Video、Blu-rayまで採用され、殆どの規格の基本フォーマットとして使われている。圧縮アルゴリズムはMP1とほぼ同様であり、MDCTを用いた各サブバンドごとのさらなる帯域分割細分化は行われないし、ハフマン符号化による可逆圧縮も行われない。圧縮効率はMP1より高まっているが、約1/7程度に留まっている。基本ビットレートは特に規定は無いがVideo-CDに使われている224 kbps、または256 kbpsが標準として用いられる場合が多い。 通常はMPEG-2 AudioBCと呼ばれることが多い。サンプリング周波数の低いMP3に使われる規格で、主に24 kHzと22.05 kHz、16 kHzで扱われる。他はMPEG-1 Audio Layer-3と変わらない。他にもMPEG-2.5が存在している。 なお24 kHz以下のサンプリング周波数のものはすべてこれと見なせる為、WindowsのWAVに標準で使えるMPEG Layer-3コーデックがこれとなる。 ここで言うMP4は、一般的に言われるMP4とはまったく別である。 MP3からの派生品にMP4 (MPEG-1 Audio Layer-4) がある。これは圧縮技術ではなく著作権保護を目的とした規格として開発され、音声部分の技術はMP3と変わらなかった。 利便性が悪く、更にMP3プレイヤーなどでは再生できないという互換性の問題も生じている。その後、MP3よりも高圧縮、高音質で著作権保護を謳う「WMA」や「AAC」などの登場により、またコンテナ形式の一種であるMP4コンテナ (MPEG-4 Part 14) の登場により普及どころか殆どその名を残さずに終ってしまっている。 2001年に発表された、MP3をベースに圧縮率を向上させた規格。ほとんど普及していない。 MP3を最大5.1チャンネルに拡張したサラウンド音声フォーマット。2004年発表。ほとんど普及していない。 2009年にトムソン社が発表した可逆圧縮音声フォーマット。他のロスレスフォーマット(FLAC、Apple Lossless、WMA Lossless等)と同程度の圧縮率(概ね50パーセント)で可逆圧縮を行う。従来のMP3のストリームも格納されるため、非対応の機器やソフトウェアでもMP3部分が再生可能。ほとんど普及していない。 mp3PRO、AAC、MP2はMP3とほぼ同じような音響心理学モデルを利用している。フラウンホーファーがこれらのフォーマットの多くの基本特許を持っており、ドルビー、ソニー、Thomson Consumer Electronics、AT&Tも同様である。他にオープンソースの圧縮フォーマットであるOpus、Vorbisがあり、フリーで特許の制約がない。新しい音声圧縮フォーマットの一種であるAAC、WMA Pro、VorbisはMP3エンコーダーにあるようなMP3フォーマット固有の制限に縛られない。 フラウンホーファーは2017年4月23日、MP3に関する各種特許の保護期間が終了したと発表し、アメリカの公共ラジオ局ナショナル・パブリック・ラジオが同年5月11日に、フラウンホーファーが所有するmp3技術のライセンス販売のライセンス期限が4月23日に終了した旨を報じている。 非可逆圧縮フォーマットのほかに可逆圧縮コーデックがMP3の意義深い代替になりうる。可逆圧縮は音声の中身を変えないが容量は非可逆圧縮よりも増大する。可逆圧縮にはFLACやApple Losslessなどがある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "MP3(エムピースリー、英: MPEG-1 Audio Layer-3)は、音響データを圧縮する技術の1つであり、それから作られる音声ファイルフォーマットでもある。ファイルの拡張子は「.mp3」である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "本フォーマットでは、1411.2 kbpsで収録されている音楽CD規格のPCMなどを、後述する範囲内で任意のビットレート・サンプリング周波数等を設定し、圧縮することができる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "狭義のMP3は、ビデオ圧縮規格であるMPEG-1のオーディオ規格として開発された。非可逆圧縮であり、それ以前の規格であるMP1およびMP2を改良したものにあたる。当初は「MPEG-1 Audio Layer-3」の略称だったが、のちに互換性を持つ「MPEG-2 AudioBC (MPEG-2 Audio Layer-3)」が加わったので、合わせて「MPEG-1/2 Audio Layer-3」とすることもある。更に、非公式規格の「MPEG-2.5 Audio Layer-3」を含む場合もある。なお、MPEG-1 Audio Layer-3の仕様はISO 11172-3 (JIS X 4323、ただし2011年1月20日に廃止) で規格化されている。規格書は有料であり、それゆえインターネット上では詳細な仕様は公開されていない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "MP1 (MPEG-1 Audio Layer-1)、MP2 (MPEG-1 Audio Layer-2) は前身規格でありMP3との互換性はない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "また、MP3とMP4の名称が類似していることからMP4が同類のAudio Layer-4と誤解されるケースが見受けられるが、MP4はあくまでMPEG-4の関連規格であり、直接の関連性はない規格である。また逆にMP3がMPEG-3の略称であるとされるケースもあるが、MPEG-3は策定段階でMPEG-2規格に吸収されているため存在せず、これも同様に誤解である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "「MP3」という語は「データ圧縮の規格やそれに基づいて作成されたファイルのフォーマット」を指すが、店頭広告で「MP3が安い」などの表現が使われるために、MP3が携帯型デジタルオーディオプレーヤーそのものであると誤認されることもある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "MP3圧縮アルゴリズムは1991年12月、ドイツのフラウンホーファーIIS(集積回路研究所)で発明された。", "title": "特徴・歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "これは1970年代後半、フラウンホーファーの「電話回線で音楽信号を送信する」というアイデアを実現させたものである。", "title": "特徴・歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1995年、フラウンホーファーはMPEGレイヤー3のファイル拡張子を「.mp3」と命名。その特許権収入は2005年時点で約1億ユーロに上る。", "title": "特徴・歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "MP3は、音声の周波数帯域では極端な声質の劣化を伴わずに圧縮でき、音声をデジタル化するために用いられた。後に音楽をCDなどの音源媒体からパーソナルコンピュータ (PC) のハードディスクドライブ (HDD) に取り込む用途で広く普及した。", "title": "特徴・歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "MP3は音の聞こえ易さの違い(周波数ごとの最小可聴値)や大きな音が鳴った際に、その直前直後や近い周波数の小さな音が聞こえにくくなる現象(時間/周波数マスキング)等の人間の聴覚心理を利用した圧縮を行うため、エンコーダの実装(聴覚心理モデルの調整)次第で圧縮後の再生品質は大きく変化する。", "title": "特徴・歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "音楽用途の評価が高まると、MP3に対応する携帯型音楽プレーヤーが現われ、これらはMP3プレーヤーと呼ばれている。大容量のHDDを内蔵したプレーヤーなら1万曲以上の楽曲が収録可能であり、MP3による音楽ファイルをCD-RやDVD-Rなどに書き込むなら数百曲や数千曲が収まり、対応しているCD/DVDプレーヤーなどで再生可能である。", "title": "特徴・歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ボイスレコーダーでも、三洋電機など以前からMP3形式での録音可能な機種が発売されていたメーカー以外にも、今まで独自規格を採用していたパナソニックやソニー製のボイスレコーダーでも、汎用性等の観点からMP3形式での録音可能な機種が出始めている。", "title": "特徴・歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "圧縮したデータはサイズの減少から取り回しが容易となるため、通信回線上で転送することも容易となり、インターネットラジオなどで広く用いられる一方、著作権者が再配布を認めていない楽曲の不正配布に用いられることもある。これに対し「MP3にデジタル著作権管理機能が付いていないためだ」という主張などがある。最近の音楽携帯にはこのような事態を防ぐべく、いわゆる著作権保護に対応するためのmp3としてセキュアmp3を採用している企業もある。", "title": "特徴・歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "MP3が広く普及した要因として、無料のエンコーダ・デコーダソフトウェアが入手可能な点が挙げられる。1998年以降にはドイツのフラウンホーファー協会とフランスのトムソン社がライセンスの保有を主張しているが、フリーソフトウェアライセンスで提供されているLAMEなどの無料のエンコーダやWindows Media Playerなどの無料の再生ソフトウェアが入手できたため、普及を妨げることはなかった。Windowsにおいては1999年11月にリリースされたWindows Media Player 6.4でMP3が標準対応になり、爆発的に普及することになった。", "title": "特徴・歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "MP3の後継規格としては、後発の標準規格「AAC」が「iTunes」・「mora」・「iPod」・「着うた」などで用いられている。また同様にMP3の代替を目的とした後発規格としてマイクロソフトが開発した「WMA」や、特許の制約を受けない完全にフリーなコーデックとして開発された「Vorbis」、可逆圧縮コーデックとして開発された「FLAC」、ソニーが開発した「ATRAC」などがある。", "title": "特徴・歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "なお、WMAやATRACについては、デジタル著作権管理の機能が備わっているために、ネット上での音楽配信サービスを行う事業者が採用する傾向がある。また、FLACは可逆圧縮のほか、ハイレゾ級のサンプリング周波数(主に96kHz、192kHz)・量子化ビット数(主に24bit)を用いた超高音質の音楽配信などが可能などという利点から採用される機会が広がりつつある。", "title": "特徴・歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "2017年4月23日、フラウンホーファーIISおよびテクニカラー(旧トムソン)によるMP3ライセンスプログラムが、基本特許の存続期間満了により終了した。これにより、これら特許がカバーしてきたMP3の基本技術はパブリックドメインとなった。", "title": "特徴・歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "MP3では比較的低ビットレートでのエンコード時に16 kHz付近でLPFを掛けるエンコーダが多い。これはフォーマット上の制約から高周波成分の記録には多くのデータ量を必要とするため、全体の品質を保つためにはビットレートを大きく上げなければならなくなるからである。", "title": "仕様" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "LPFを外せばスペクトログラム上での見かけは周波数特性が良くなったように見えるが、聴覚上の品質は低下している事が多い。カットオフ周波数を低くすると、特にビットレートの低い場合で聴覚上の音質が向上する。高ビットレートでのエンコードでは高周波成分の記録にゆとりが出てくるので、ビットレートに応じてLPFのカットオフ周波数を変えるエンコーダがほとんどである。", "title": "仕様" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "メタデータはファイルに楽曲情報などを持たせる規格で、ID3タグやXingなどが存在する。", "title": "仕様" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ID3には、ファイルの末尾に付加されるID3v1と、ファイルの先頭に付加されるID3v2が存在する。 なお、ID3v1とID3v2の両方をファイルに埋め込んでもよい。", "title": "仕様" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "MP3のデータ情報を持たせる規格。可変ビットレート(VBR)のファイルの再生時間を算出する為に用いられる事が多いことからVBRタグとも呼ばれる。", "title": "仕様" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "MPEG-2にもAudio Layer-3が存在し、同様にMP3と呼ばれるが、規格上ではMPEG-2 AudioBC (backward compatible) が正式である。この規格では圧縮方式は同じだが、ビットレートの低いメディアのための高圧縮率対応やマルチチャンネル対応がなされている。この形式はヨーロッパ向けのDVDで採用されている。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "通称「MP1」と呼ばれ、拡張子は「.mpa」か「.mp1」。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "PCMデータの周波数帯域を帯域分割フィルタを用いて32個のサブバンドに分け、聴覚心理モデルに基づいてサブバンド毎に量子化する。各サブバンドはさらなる帯域分割細分化が行われない(MDCTは使わない)。また、ハフマン符号化による可逆圧縮も行われない。そのためビットレートがかなり高く、約1/4にしか圧縮できないが、エンコードが非常に速い。PASCとしてデジタルコンパクトカセット(以下DCC)で採用されている。基本ビットレートは320 kbps(DCCでは384 kbps)。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "通称「MP2」と呼ばれるMP3の前身規格。拡張子は「.mp2」か「.mpc」。比較的普及率の高い音声圧縮フォーマット。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "Video-CDやCSデジタル放送(日本国内ではスカパー!)をはじめ、D-VHS、DVD-Video、Blu-rayまで採用され、殆どの規格の基本フォーマットとして使われている。圧縮アルゴリズムはMP1とほぼ同様であり、MDCTを用いた各サブバンドごとのさらなる帯域分割細分化は行われないし、ハフマン符号化による可逆圧縮も行われない。圧縮効率はMP1より高まっているが、約1/7程度に留まっている。基本ビットレートは特に規定は無いがVideo-CDに使われている224 kbps、または256 kbpsが標準として用いられる場合が多い。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "通常はMPEG-2 AudioBCと呼ばれることが多い。サンプリング周波数の低いMP3に使われる規格で、主に24 kHzと22.05 kHz、16 kHzで扱われる。他はMPEG-1 Audio Layer-3と変わらない。他にもMPEG-2.5が存在している。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "なお24 kHz以下のサンプリング周波数のものはすべてこれと見なせる為、WindowsのWAVに標準で使えるMPEG Layer-3コーデックがこれとなる。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ここで言うMP4は、一般的に言われるMP4とはまったく別である。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "MP3からの派生品にMP4 (MPEG-1 Audio Layer-4) がある。これは圧縮技術ではなく著作権保護を目的とした規格として開発され、音声部分の技術はMP3と変わらなかった。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "利便性が悪く、更にMP3プレイヤーなどでは再生できないという互換性の問題も生じている。その後、MP3よりも高圧縮、高音質で著作権保護を謳う「WMA」や「AAC」などの登場により、またコンテナ形式の一種であるMP4コンテナ (MPEG-4 Part 14) の登場により普及どころか殆どその名を残さずに終ってしまっている。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2001年に発表された、MP3をベースに圧縮率を向上させた規格。ほとんど普及していない。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "MP3を最大5.1チャンネルに拡張したサラウンド音声フォーマット。2004年発表。ほとんど普及していない。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "2009年にトムソン社が発表した可逆圧縮音声フォーマット。他のロスレスフォーマット(FLAC、Apple Lossless、WMA Lossless等)と同程度の圧縮率(概ね50パーセント)で可逆圧縮を行う。従来のMP3のストリームも格納されるため、非対応の機器やソフトウェアでもMP3部分が再生可能。ほとんど普及していない。", "title": "関連技術" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "mp3PRO、AAC、MP2はMP3とほぼ同じような音響心理学モデルを利用している。フラウンホーファーがこれらのフォーマットの多くの基本特許を持っており、ドルビー、ソニー、Thomson Consumer Electronics、AT&Tも同様である。他にオープンソースの圧縮フォーマットであるOpus、Vorbisがあり、フリーで特許の制約がない。新しい音声圧縮フォーマットの一種であるAAC、WMA Pro、VorbisはMP3エンコーダーにあるようなMP3フォーマット固有の制限に縛られない。", "title": "特許と代替技術" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "フラウンホーファーは2017年4月23日、MP3に関する各種特許の保護期間が終了したと発表し、アメリカの公共ラジオ局ナショナル・パブリック・ラジオが同年5月11日に、フラウンホーファーが所有するmp3技術のライセンス販売のライセンス期限が4月23日に終了した旨を報じている。", "title": "特許と代替技術" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "非可逆圧縮フォーマットのほかに可逆圧縮コーデックがMP3の意義深い代替になりうる。可逆圧縮は音声の中身を変えないが容量は非可逆圧縮よりも増大する。可逆圧縮にはFLACやApple Losslessなどがある。", "title": "特許と代替技術" } ]
MP3は、音響データを圧縮する技術の1つであり、それから作られる音声ファイルフォーマットでもある。ファイルの拡張子は「.mp3」である。
{{Otheruses|音声圧縮技術及び音楽ファイルフォーマット|[[イタリア]]の[[ピアッジオ]]社が販売している[[特定二輪車]]|ピアッジオ・MP3}} {{出典の明記|date=2015年10月4日 (日) 04:45 (UTC)}} {{Infobox file format | name = MP3 | icon = | logo = File:Mp3.svg | screenshot = | caption = | extension = {{code|.mp3}} | mime = {{ublist|{{code|audio/mpeg}}|{{code|audio/MPA}}|{{code|audio/mpa-robust}}}} | type_code = | uniform_type = | magic = {{mono|FF FA}} もしくは {{mono|FF FB}}(16進数) | owner = [[フラウンホーファー研究機構]] | released = {{start date and age|1993}} | latest_release_version = | latest_release_date = <!-- {{Start date and age|yyyy|mm|dd}} --> | genre = [[音声ファイルフォーマット]] | container_for = | contained_by = ほとんどの音声・動画[[コンテナフォーマット|コンテナ]] | extended_from = | extended_to = {{ublist|[[mp3PRO]]|[[MP3 Surround]]}} | standard = {{ublist|[[MPEG-1#オーディオ|ISO/IEC 11172-3]]|[[MPEG-2#オーディオ|ISO/IEC 13818-3]]}} | free = Yes | url = <!-- {{URL|example.org}} --> }} '''MP3'''(エムピースリー、{{lang-en-short|MPEG-1 Audio Layer-3}})は、音響データを[[音声圧縮|圧縮]]する技術の1つであり、それから作られる[[音声ファイルフォーマット]]でもある。ファイルの[[拡張子]]は「<span style="font-family:monospace,monospace;">.mp3</span>」である。 == 概要 == 本フォーマットでは、1411.2 k[[ビット毎秒|bps]]で収録されている[[CD-DA|音楽CD]]規格の[[パルス符号変調|PCM]]などを、後述する範囲内で任意の[[ビットレート]]・[[サンプリング周波数]]等を設定し、圧縮することができる。 狭義のMP3は、ビデオ圧縮規格である[[MPEG-1]]のオーディオ規格として開発された。非可逆圧縮であり、それ以前の規格であるMP1およびMP2を改良したものにあたる。当初は「'''MPEG-1 Audio Layer-3'''」の略称だったが、のちに[[互換性]]を持つ「'''MPEG-2 AudioBC (MPEG-2 Audio Layer-3)'''」が加わったので、合わせて「'''MPEG-1/2 Audio Layer-3'''」とすることもある。更に、非公式規格の「'''MPEG-2.5 Audio Layer-3'''」を含む場合もある。なお、MPEG-1 Audio Layer-3の仕様は[[国際標準化機構|ISO]] 11172-3 (JIS X 4323、ただし2011年1月20日に廃止) で規格化されている。規格書は有料であり、それゆえインターネット上では詳細な仕様は公開されていない。 '''MP1 (MPEG-1 Audio Layer-1)'''、'''MP2 (MPEG-1 Audio Layer-2)''' は前身規格でありMP3との互換性はない。 また、MP3と'''[[MP4]]'''の名称が類似していることからMP4が同類のAudio Layer-4と誤解されるケースが見受けられるが、MP4はあくまで'''[[MPEG-4]]'''の関連規格であり、直接の関連性はない規格である。また逆にMP3がMPEG-3の略称であるとされるケースもあるが、MPEG-3は策定段階で[[MPEG-2]]規格に吸収されているため存在せず、これも同様に誤解である。 「MP3」という語は「'''データ圧縮の規格やそれに基づいて作成されたファイルのフォーマット'''」を指すが、店頭広告で「MP3が安い」などの表現が使われるために、MP3が携帯型[[デジタルオーディオプレーヤー]]そのものであると誤認されることもある。 == 特徴・歴史 == MP3圧縮[[アルゴリズム]]は[[1991年]][[12月]]、[[ドイツ]]の[[フラウンホーファー協会|フラウンホーファー]]IIS([[集積回路]]研究所)で発明された。 これは1970年代後半、[[フラウンホーファー協会|フラウンホーファー]]の「電話回線で音楽信号を送信する」というアイデアを実現させたものである。 1995年、[[フラウンホーファー協会|フラウンホーファー]]はMPEGレイヤー3のファイル拡張子を「<span style="font-family:monospace,monospace;">.mp3</span>」と命名。<ref>{{Cite web|title=What is mp3?|url=https://www.mp3-history.com/en/whatismp3.html|website=Fraunhofer Institute for Integrated Circuits IIS|accessdate=2020-03-20|language=en}}</ref>その特許権収入は[[2005年]]時点で約1億[[ユーロ]]に上る。 MP3は、音声の周波数帯域では極端な声質の劣化を伴わずに圧縮でき{{efn2|ただし圧縮後の周波数特性や[[ダイナミックレンジ]]などは原音のそれらと比較して劣化している。}}、音声をデジタル化するために用いられた。後に音楽を[[CD-DA|CD]]などの音源媒体から[[パーソナルコンピュータ]] (PC) の[[ハードディスクドライブ]] ([[HDD]]) に取り込む用途で広く普及した。 MP3は音の聞こえ易さの違い(周波数ごとの[[最小可聴値]])や大きな音が鳴った際に、その直前直後や近い周波数の小さな音が聞こえにくくなる現象(時間/周波数マスキング)等の人間の聴覚心理を利用した圧縮を行うため、エンコーダの[[実装]](聴覚心理モデルの調整)次第で圧縮後の再生品質は大きく変化する。<!--(これは何処の評価ですか?)音声用途として開発されたため初期には音楽用途に用いるにエンコーダの性能が低く、特に聴覚心理モデルの調整が不十分だったため、一般的に用いられている128 kbpsという圧縮率では無圧縮と比較して{{要出典範囲|date=2012年3月|軽い音になる}}という印象が強く、音楽用途としてはそれほど評価は高くなかった。その後、[[可変ビットレート|VBR]]を採用したエンコーダの登場や聴覚心理モデルの改良が進むにつれ、音楽用途の評価も上昇していった。--> 音楽用途の評価が高まると、MP3に対応する[[携帯型音楽プレーヤー]]が現われ、これらは[[デジタルオーディオプレーヤー|MP3プレーヤー]]と呼ばれている。大容量のHDDを内蔵したプレーヤーなら1万曲以上の楽曲が収録可能であり、MP3による音楽ファイルをCD-RやDVD-Rなどに書き込むなら数百曲や数千曲が収まり、対応しているCD/DVDプレーヤーなどで再生可能である。 ボイスレコーダーでも、[[三洋電機]]など以前からMP3形式での録音可能な機種が発売されていたメーカー以外にも、今まで独自規格を採用していた[[パナソニック]]や[[ソニー]]製のボイスレコーダーでも、汎用性等の観点からMP3形式での録音可能な機種が出始めている。 圧縮したデータはサイズの減少から取り回しが容易となるため、通信回線上で転送することも容易となり、[[インターネットラジオ]]などで広く用いられる一方、[[著作権]]者が再配布を認めていない楽曲の不正配布に用いられることもある。これに対し「MP3に[[デジタル著作権管理]]機能が付いていないためだ」という主張などがある。最近{{いつ|date=2012年3月}}<!--See [[WP:DATED]]-->の[[音楽携帯]]にはこのような事態を防ぐべく、いわゆる著作権保護に対応するためのmp3として[[セキュアmp3]]を採用している企業もある。 MP3が広く普及した要因として、[[無料]]の[[エンコード|エンコーダ]]・[[デコード|デコーダ]]ソフトウェアが入手可能な点が挙げられる。[[1998年]]以降には[[ドイツ]]の[[フラウンホーファー協会]]と[[フランス]]の[[トムソン (企業)|トムソン社]]が[[ライセンス]]の保有を主張しているが、[[フリーソフトウェア]]ライセンスで提供されている[[LAME]]などの無料のエンコーダや[[Windows Media Player]]などの無料の再生ソフトウェアが入手できたため、普及を妨げることはなかった。[[Windows]]においては[[1999年]][[11月]]にリリースされたWindows Media Player 6.4でMP3が標準対応になり、爆発的に普及することになった。 MP3の後継規格としては、後発の標準規格「[[AAC]]」が「[[iTunes]]」・「[[mora]]」・「[[iPod]]」・「[[着うた]]」などで用いられている。また同様にMP3の代替を目的とした後発規格として[[マイクロソフト]]が開発した「[[Windows Media Audio|WMA]]」や、特許の制約を受けない完全にフリーなコーデックとして開発された「[[Vorbis]]」、可逆圧縮コーデックとして開発された「[[FLAC]]」、[[ソニー]]が開発した「[[ATRAC]]」などがある{{efn2|ソニーは[[2004年]]頃まで反MP3の姿勢をとっていたことから、[[ウォークマン]]などの同社製品のシェアを落とすこととなった。}}。 なお、WMAや[[ATRAC]]については、[[デジタル著作権管理]]の機能が備わっているために、ネット上での音楽配信サービスを行う事業者が採用する傾向がある。また、FLACは可逆圧縮のほか、[[ハイレゾリューションオーディオ|ハイレゾ]]級のサンプリング周波数(主に96kHz、192kHz)・量子化ビット数(主に24bit)を用いた超高音質の音楽配信などが可能などという利点から採用される機会が広がりつつある。 [[2017年]][[4月23日]]、フラウンホーファーIISおよびテクニカラー(旧トムソン)によるMP3ライセンスプログラムが、基本特許の存続期間満了により終了した<ref name="itmedia20170529">{{cite news|title = MP3は本当に「死んだ」のか? 特許権消滅が意味するもの |url = https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1705/29/news109.html|publisher = [[ITmedia]]|date = 2017年5月29日| accessdate = 2017年5月29日}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.audioblog.iis.fraunhofer.com/mp3-software-patents-licenses|title=Alive and Kicking – mp3 Software, Patents and Licenses|publisher=Fraunhofer IIS|date=2017-5-18|accessdate=2021-7-2}}</ref>。これにより、これら特許がカバーしてきたMP3の基本技術は[[パブリックドメイン]]となった。 == 仕様 == {|class=wikitable !項目!!規定 |- |アルゴリズム | *帯域分割フィルタと[[MDCT]]([[変形離散コサイン変換]])による[[周波数領域]]データへの変換 *聴覚心理に基づいた周波数領域での適応的ビット割り当て *[[ハフマン符号]]化によるビットストリームの可逆圧縮 |- |サンプリング周波数 | *32 kHz, 44.1 kHz, 48 kHz (MPEG-1 Audio Layer-3) *16 kHz, 22.05 kHz, 24 kHz (MPEG-2 Audio Layer-3) *8 kHz, 11.025 kHz, 12 kHz (MPEG-2.5 Audio Layer-3) |- |入力サンプリング精度||制限なし |- |チャンネル数 | *1ch([[ステレオ#モノラル再生|モノラル]]) *2ch([[ステレオ]]) |- |ビットレート | *32 kbps, 40 kbps, 48 kbps, 56 kbps, 64 kbps, 80 kbps, 96 kbps, 112 kbps, 128 kbps, 160 kbps, 192 kbps, 224 kbps, 256 kbps, 320 kbps (MPEG-1 Audio Layer-3) *8 kbps, 16 kbps, 24 kbps, 32 kbps, 40 kbps, 48 kbps, 56 kbps, 64 kbps, 80 kbps, 96 kbps, 112 kbps, 128 kbps, 144 kbps, 160 kbps (MPEG-2/2.5 Audio Layer-3) |- |チャンネルカップリング | *和差(ミッドサイド)ステレオ *共包絡(インテンシティ)ステレオ |- |ビットレート制限 | *最小32 kbps、最大320 kbps (MPEG-1 Audio Layer-3) *最小8 kbps、最大160 kbps (MPEG-2/2.5 Audio Layer-3) |- |MIME Type | *<code>audio/mpeg</code> <ref>https://datatracker.ietf.org/doc/html/rfc3003</ref> *<code>audio/MPA</code> <ref>https://datatracker.ietf.org/doc/html/rfc3555#page-24</ref> *<code>audio/mpa-robust</code> <ref>https://datatracker.ietf.org/doc/html/rfc5219</ref> 独自拡張として、以下を用いるソフトウェアも存在する *<code>audio/mp3</code> *<code>audio/mpg</code> *<code>audio/x-mp3</code> *<code>audio/x-mpeg</code> *<code>audio/x-mpg</code> *<code>x-audio/mp3</code> *<code>x-audio/mpeg</code> *<code>x-audio/mpg</code> |- |ストリーミング||未対応 |- |チェックサム||オプション |- |コピーガード||未対応 |- |タグ情報||[[ID3タグ]] (ID3v1, ID3v2) |- |コンテナ対応 | *[[Advanced Systems Format|ASF]] *[[AVI]] *[[Ogg]] *[[Ogg Media|OGM]] *[[Matroska]] *[[QuickTime|MOV]] *MP4 *[[MPEG-2システム]] *WAV ([[RIFF]]) |- |[[ギャップレス再生]]||未対応(要MP3 Info (LAME Tag) フレーム対応エンコーダ・プレイヤー) |} === ローパスフィルター (LPF) === [[ファイル:Curoff.PNG|right|thumb|300px|16 kHz LPF処理]] MP3では比較的低ビットレートでのエンコード時に16 kHz付近でLPFを掛けるエンコーダが多い。これはフォーマット上の制約から[[高周波]]成分の記録には多くのデータ量を必要とするため、全体の品質を保つためにはビットレートを大きく上げなければならなくなるからである<ref>[http://www.mp3-tech.org/content/?Mp3%20Limitations Scalefactor band 21 problem]</ref>。 LPFを外せば[[スペクトログラム]]上での見かけは[[周波数特性]]が良くなったように見えるが、聴覚上の品質は低下している事が多い。[[カットオフ周波数]]を低くすると、特にビットレートの低い場合で聴覚上の音質が向上する。高ビットレートでのエンコードでは<!--カットオフ周波数を高くしても(あるいは外しても)←これには語弊があるのでコメントアウト。既に44.1 kHzなどでサンプリングされたデータを通しているからこそ鑑賞に堪えるのである。超高周波までしっかり含むデータをエンコードする場合には、LPFは必須。-->高周波成分の記録にゆとりが出てくるので、ビットレートに応じてLPFのカットオフ周波数を変えるエンコーダがほとんどである。 ===メタデータ=== メタデータはファイルに楽曲情報などを持たせる規格で、[[ID3タグ]]や[[Xing]]などが存在する。 ====ID3==== ID3には、ファイルの末尾に付加されるID3v1と、ファイルの先頭に付加されるID3v2が存在する。 なお、ID3v1とID3v2の両方をファイルに埋め込んでもよい。<ref>{{Cite web|和書|title=mp3ファイルの構造|url=http://www.cactussoft.co.jp/Sarbo/divMPeg3UnmanageFile.html|website=www.cactussoft.co.jp|accessdate=2020-08-08}}</ref> ====Xing==== MP3のデータ情報を持たせる規格。[[可変ビットレート]]([[VBR]])のファイルの再生時間を算出する為に用いられる事が多いことから'''VBRタグ'''とも呼ばれる。 == 関連技術 == MPEG-2にもAudio Layer-3が存在し、同様にMP3と呼ばれるが、規格上では'''MPEG-2 AudioBC''' ({{lang|en|backward compatible}}) が正式である。この規格では圧縮方式は同じだが、ビットレートの低いメディアのための高圧縮率対応やマルチチャンネル対応がなされている。この形式は[[ヨーロッパ]]向けの[[DVD]]で採用されている。 === MPEG-1/2 Audio Layer-1 === <!--最初期に開発されたMPEG Audio。-->通称「[[:en:MPEG-1 Audio Layer I|MP1]]」と呼ばれ、拡張子は「<span style="font-family:monospace,monospace;">.mpa</span>」か「<span style="font-family:monospace,monospace;">.mp1</span>」。 PCMデータの周波数帯域を帯域分割フィルタを用いて32個のサブバンドに分け、聴覚心理モデルに基づいてサブバンド毎に量子化する。各サブバンドはさらなる帯域分割細分化が行われない(MDCTは使わない)。また、ハフマン符号化による可逆圧縮も行われない。そのためビットレートがかなり高く、約1/4にしか圧縮できないが、エンコードが非常に速い。[[PASC]]として[[デジタルコンパクトカセット]](以下DCC)で採用されている。基本ビットレートは320 kbps(DCCでは384 kbps)。 === MPEG-1/2 Audio Layer-2 === {{Anchors|MPEG-1.2F2 Audio Layer-2}}<!--MP1の後に開発された-->通称「[[:en:MPEG-1 Audio Layer II|MP2]]」と呼ばれるMP3の前身規格。拡張子は「<span style="font-family:monospace,monospace;">.mp2</span>」か「<span style="font-family:monospace,monospace;">.mpc</span>」。比較的普及率の高い音声圧縮フォーマット。 [[ビデオCD|Video-CD]]や[[衛星放送|CSデジタル放送]]([[日本]]国内では[[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]])をはじめ、[[D-VHS]]、[[DVD-Video]]、[[Blu-ray Disc|Blu-ray]]まで採用され、殆どの規格の基本フォーマットとして使われている。圧縮アルゴリズムはMP1とほぼ同様であり、MDCTを用いた各サブバンドごとのさらなる帯域分割細分化は行われないし、ハフマン符号化による可逆圧縮も行われない。圧縮効率はMP1より高まっているが、約1/7程度に留まっている。基本ビットレートは特に規定は無いがVideo-CDに使われている224 kbps、または256 kbpsが標準として用いられる場合が多い。 === MPEG-2 Audio Layer-3 === 通常はMPEG-2 AudioBCと呼ばれることが多い。サンプリング周波数の低いMP3に使われる規格で、主に24 [[キロヘルツ|kHz]]と22.05 kHz、16 kHzで扱われる。他はMPEG-1 Audio Layer-3と変わらない。他にもMPEG-2.5が存在している。 なお24 [[キロヘルツ|kHz]]以下の[[サンプリング周波数]]のものはすべてこれと見なせる為、[[Microsoft Windows|Windows]]のWAVに標準で使える'''MPEG Layer-3'''[[コーデック]]がこれとなる。 === MPEG-1 Audio Layer-4 === ここで言うMP4は、一般的に言われる[[MP4]]とはまったく別である。 MP3からの派生品に'''MP4''' (MPEG-1 Audio Layer-4) がある。これは圧縮技術ではなく[[デジタル著作権管理|著作権保護]]を目的とした規格として開発され、音声部分の技術はMP3と変わらなかった<ref>"[http://www.kddi.com/yogo/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2/MP4.html MP4 _ 用語集 _ KDDI株式会社]"(2015年11月16日閲覧)</ref>。 利便性が悪く、更に[[デジタルオーディオプレーヤー|MP3プレイヤー]]などでは再生できないという互換性の問題も生じている。その後、MP3よりも高圧縮、高音質で著作権保護を謳う「WMA」や「AAC」などの登場により、またコンテナ形式の一種である[[MP4|MP4コンテナ (MPEG-4 Part 14)]] の登場により普及どころか殆どその名を残さずに終ってしまっている。 === mp3PRO === {{Main|mp3PRO}} [[2001年]]に発表された、MP3をベースに圧縮率を向上させた規格。ほとんど普及していない。 === MP3 Surround === {{Main|MP3 Surround}} MP3を最大5.1チャンネルに拡張した[[サラウンド]]音声フォーマット。2004年発表。ほとんど普及していない。 === mp3HD === 2009年にトムソン社が発表した[[可逆圧縮]]音声フォーマット。他のロスレスフォーマット(FLAC、Apple Lossless、WMA Lossless等)と同程度の圧縮率(概ね50パーセント)で可逆圧縮を行う。従来のMP3のストリームも格納されるため、非対応の機器やソフトウェアでもMP3部分が再生可能<ref>[https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/079959.html Thomson、MP3のロスレスフォーマット「mp3HD」を発表]、Impress AV Watch、[[2009年]][[3月26日]]</ref>。ほとんど普及していない。 == 特許と代替技術 == {{試聴|filename=Test ogg mp3 48kbps.wav|title=MP3とVorbisの比較|description=最初は無圧縮のWAVEファイルである。次に48 kbpsのVorbisで、最後は[[LAME]]でエンコードされた48 kbps MP3である。}} {{Main|en:List of codecs}} [[mp3PRO]]、[[Advanced Audio Coding|AAC]]、[[MPEG-1 Audio Layer II|MP2]]はMP3とほぼ同じような[[音響心理学|音響心理学モデル]]を利用している。[[フラウンホーファー協会|フラウンホーファー]]がこれらのフォーマットの多くの基本[[特許]]を持っており、[[ドルビーラボラトリーズ|ドルビー]]、[[ソニー]]、[[テクニカラー (企業)|Thomson Consumer Electronics]]、[[AT&T]]も同様である。他にオープンソースの圧縮フォーマットである[[Opus (音声圧縮)|Opus]]、[[Vorbis]]があり、フリーで特許の制約がない。新しい音声圧縮フォーマットの一種であるAAC、WMA Pro、VorbisはMP3エンコーダーにあるようなMP3フォーマット固有の制限に縛られない<ref name="Brandenburg">{{ cite conference | last1 = Brandenburg | first1 = Karlheinz | last2 = Seitzer | first2 = Dieter | title = OCF: Coding High Quality Audio with Data Rates of 64 kbit/s | conference = 85th Convention of Audio Engineering Society | date = 3–6 November 1988 | url = http://www.aes.org/e-lib/browse.cfm?elib=4721 }}</ref>。 フラウンホーファーは2017年4月23日、MP3に関する各種特許の保護期間が終了したと発表し<ref name="licences_ended">{{ cite web | title = mp3 | publisher = [[フラウンホーファー協会|フラウンホーファー]] | date = 2017/04/23 | url = https://www.iis.fraunhofer.de/en/ff/amm/prod/audiocodec/audiocodecs/mp3.html| accessdate = 2017/05/14 }}</ref>、アメリカの公共ラジオ局[[ナショナル・パブリック・ラジオ]]が同年5月11日に、フラウンホーファーが所有するmp3技術のライセンス販売のライセンス期限が4月23日に終了した旨を報じている<ref name="National_Public_Radio">{{Cite web|和書| title = 「MP3は死んだ」海外が報道 えっ、どういうこと? | publisher = The Huffington Post Japan, Ltd. | date = 2017/05/13 | url = https://www.huffingtonpost.jp/2017/05/13/mp3_n_16588264.html| accessdate = 2017/05/14 }}</ref>。 非可逆圧縮フォーマットのほかに[[可逆圧縮|可逆圧縮コーデック]]がMP3の意義深い代替になりうる。可逆圧縮は音声の中身を変えないが容量は非可逆圧縮よりも増大する。可逆圧縮には[[FLAC]]や[[Apple Lossless]]などがある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{reflist|3}} === 関連作品 === * スティーブン・ウィット著、関美和訳『誰が音楽をタダにした?』2016年、早川書房、ISBN 978-4-15-209638-8 == 関連項目 == {{columns-list|colwidth=15em| *[[データ圧縮]] *[[音量正規化]] *[[PASC]] *[[デジタルオーディオプレーヤー]] *[[MP3.com]] *[[ID3タグ]] <!--* [[Winamp]]--> <!--* [[iTunes]]--> *[[mp3PRO]] *[[LAME]] *[[Vorbis]] <!--* [[午後のこ〜だ]]--> *[[フラウンホーファー協会]] *[[トムソン (企業)|トムソン]] <!--* [[CDex]]--> *[[MP3 CD]] }} {{音楽}} {{圧縮フォーマット}} {{Normdaten}} [[Category:MP3|*]] [[Category:コーデック]] [[Category:音声ファイルフォーマット]] [[Category:デジタルオーディオ]] [[Category:MPEG]] [[Category:非可逆圧縮アルゴリズム]] [[Category:日本の発明]]
2003-02-28T02:50:52Z
2023-11-02T16:18:54Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:Cite conference", "Template:Efn2", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist2", "Template:Cite web", "Template:Columns-list", "Template:圧縮フォーマット", "Template:出典の明記", "Template:Infobox file format", "Template:Lang", "Template:試聴", "Template:Otheruses", "Template:Lang-en-short", "Template:Main", "Template:音楽", "Template:Normdaten", "Template:いつ", "Template:Anchors", "Template:Cite news" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/MP3
3,018
経世済民
經世濟民(けいせいさいみん、経世済民)は、中国の古典に登場する語で、文字通りには、「世を經め、民を濟ふ」の意。「経国済民」(けいこくさいみん)もほぼ同義である。 略して「經濟」(けいざい / 経済)とも言うが、主として英語の「Economy」の訳語として使われている今日の「経済」とは異なり、本来はより広く政治・統治・行政全般を指す語であった。以下「經世濟民」および「經濟」の本来の用法と、その変遷について扱う。 中国・東晋の葛洪の著作『抱朴子』内篇(地眞篇)には「經世濟俗」という語が現れ、經世濟民とほぼ同義で用いられている。時代がやや下り、隋代の王通『文中子』礼楽篇には、「皆有經濟之道、謂經世濟民」とあって、「經濟」が經世濟民の略語として用いられていたことがわかる。さらに後代の『晋書』殷浩伝(唐)、『宋史』王安石伝論(元)などにも「經濟」が現れるが、以上はもちろん政治・統治・行政一般を意味する用法である。清末、戊戌の政変後、従来のような儒教的教養によらず学識ある在野の有為な人材を登用するために新設された科挙の新科目「経済特科」も、この用法によるものである。 近世以前の日本では、「経世済民」あるいは「経国済民」が一つの言葉として用いられることはあまりなく、「経国」「済民」などがそれぞれ別個に用いられることが多かった。近世(江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」あるいは「経済」が盛んに用いられるようになった。その背景には、明末清初の中国で発展した考証学者による「経世致用の学」の影響を受け、日本でも儒学者・蘭学者などによる同種の「経世論」(経世済民論)が流行したことが関わっている。この「経世論」の代表的著作の一つで日本で初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」としており、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。 しかし江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになっていった。海保青陵は、自著で専ら現在と同じ意味で用いており、これは「経済」という語の早い例である。ただ青陵によると、当時の大坂で「経済家」といえば、治政一般ではなく「金銀の事」に詳しい者を指したと言い、大坂商人の間では現代的な用法は既に常識的だったようだ。19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた。以上のような用法の変化は、明・清代の中国の俗語において、金銭・財務に関連する(古典的用法と異なる)用法が広まったことの影響とする杉本つとむの見解もある。 幕末期になり、新たに交流が始まったイギリスなどから古典派経済学の文献が輸入されるようになると、「経済」の語は新たに"economy"の訳語として用いられるようになるが、それにはいくつかの段階がある。まず、1862年(文久2年)に刊行された堀達之助らの『英和対訳袖珍辞書』では"economy"を「家事する、倹約する」とし、"political economy"(古典派経済学において「経済学」を意味する語)に「経済学」の訳語を与えている(西周によると後者は津田真道の執筆)。ついで日本における最初の西洋経済学入門書として知られる神田孝平訳の『経済小学』(1867年(慶応3年)刊)では「経済学」を「ポリチャーエコノミー」と読ませており、同年末に刊行された福沢諭吉の『西洋事情 外篇』巻の3でも同様の用法として「経済学」の語が見える(なお前年1866年(慶応2年)刊の『西洋事情 初篇』巻の1には「経済論」の語がある)。 しかし「経済(学)」がエコノミーもしくはポリティカル・エコノミーの訳語として定着するには若干の問題があり、例えば西周は『百学連環』(1870年(明治3年)刊)で、エコノミーとポリティカル・エコノミーの区別を重視して前者に「家政」、後者については国家の「活計」を意味するものであり、津田の訳語「経済学」では活計の意味を尽くしていないとして「制産学」の訳語を与えている。このように個人(もしくは企業)の家計・会計と国家規模の経済運営を分けて考える立場はしばらく影響力を持ち、後者については「理財」の訳語が用いられることもあり(1881年刊『哲学字彙』では"economics"の訳語)明治初期の大学・専門学校の学科名としては「理財学」がしばしば用いられた。しかし国家レベルと個人・企業レベルのエコノミーを包括して「経済」とする用法が次第に普及することになり、現在に至っている。また江戸時代以来の「貨殖興利」という用法も存続したため、本来の「経済」の語に含まれていた「民を済ふ」という規範的な意味は稀薄となった。 また、この新しい用法は本来の意味の「經濟」という語を生み出した中国(清)にも翻訳を通じて逆輸出され、以後東アジア文化圏全域で定着した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "經世濟民(けいせいさいみん、経世済民)は、中国の古典に登場する語で、文字通りには、「世を經め、民を濟ふ」の意。「経国済民」(けいこくさいみん)もほぼ同義である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "略して「經濟」(けいざい / 経済)とも言うが、主として英語の「Economy」の訳語として使われている今日の「経済」とは異なり、本来はより広く政治・統治・行政全般を指す語であった。以下「經世濟民」および「經濟」の本来の用法と、その変遷について扱う。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "中国・東晋の葛洪の著作『抱朴子』内篇(地眞篇)には「經世濟俗」という語が現れ、經世濟民とほぼ同義で用いられている。時代がやや下り、隋代の王通『文中子』礼楽篇には、「皆有經濟之道、謂經世濟民」とあって、「經濟」が經世濟民の略語として用いられていたことがわかる。さらに後代の『晋書』殷浩伝(唐)、『宋史』王安石伝論(元)などにも「經濟」が現れるが、以上はもちろん政治・統治・行政一般を意味する用法である。清末、戊戌の政変後、従来のような儒教的教養によらず学識ある在野の有為な人材を登用するために新設された科挙の新科目「経済特科」も、この用法によるものである。", "title": "典拠" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "近世以前の日本では、「経世済民」あるいは「経国済民」が一つの言葉として用いられることはあまりなく、「経国」「済民」などがそれぞれ別個に用いられることが多かった。近世(江戸時代)になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」あるいは「経済」が盛んに用いられるようになった。その背景には、明末清初の中国で発展した考証学者による「経世致用の学」の影響を受け、日本でも儒学者・蘭学者などによる同種の「経世論」(経世済民論)が流行したことが関わっている。この「経世論」の代表的著作の一つで日本で初めて「經濟」の語を書名とした太宰春台『経済録』(18世紀前半)は、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」としており、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう経済学のみならず政治学・政策学・社会学などきわめて広範な領域をカバーするものであった。", "title": "語義の変遷" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "しかし江戸後期に入って次第に貨幣経済が浸透すると「經濟」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになっていった。海保青陵は、自著で専ら現在と同じ意味で用いており、これは「経済」という語の早い例である。ただ青陵によると、当時の大坂で「経済家」といえば、治政一般ではなく「金銀の事」に詳しい者を指したと言い、大坂商人の間では現代的な用法は既に常識的だったようだ。19世紀前半の正司考祺『経済問答秘録』に「今世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「經濟」が普及していた。以上のような用法の変化は、明・清代の中国の俗語において、金銭・財務に関連する(古典的用法と異なる)用法が広まったことの影響とする杉本つとむの見解もある。", "title": "語義の変遷" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "幕末期になり、新たに交流が始まったイギリスなどから古典派経済学の文献が輸入されるようになると、「経済」の語は新たに\"economy\"の訳語として用いられるようになるが、それにはいくつかの段階がある。まず、1862年(文久2年)に刊行された堀達之助らの『英和対訳袖珍辞書』では\"economy\"を「家事する、倹約する」とし、\"political economy\"(古典派経済学において「経済学」を意味する語)に「経済学」の訳語を与えている(西周によると後者は津田真道の執筆)。ついで日本における最初の西洋経済学入門書として知られる神田孝平訳の『経済小学』(1867年(慶応3年)刊)では「経済学」を「ポリチャーエコノミー」と読ませており、同年末に刊行された福沢諭吉の『西洋事情 外篇』巻の3でも同様の用法として「経済学」の語が見える(なお前年1866年(慶応2年)刊の『西洋事情 初篇』巻の1には「経済論」の語がある)。", "title": "語義の変遷" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "しかし「経済(学)」がエコノミーもしくはポリティカル・エコノミーの訳語として定着するには若干の問題があり、例えば西周は『百学連環』(1870年(明治3年)刊)で、エコノミーとポリティカル・エコノミーの区別を重視して前者に「家政」、後者については国家の「活計」を意味するものであり、津田の訳語「経済学」では活計の意味を尽くしていないとして「制産学」の訳語を与えている。このように個人(もしくは企業)の家計・会計と国家規模の経済運営を分けて考える立場はしばらく影響力を持ち、後者については「理財」の訳語が用いられることもあり(1881年刊『哲学字彙』では\"economics\"の訳語)明治初期の大学・専門学校の学科名としては「理財学」がしばしば用いられた。しかし国家レベルと個人・企業レベルのエコノミーを包括して「経済」とする用法が次第に普及することになり、現在に至っている。また江戸時代以来の「貨殖興利」という用法も存続したため、本来の「経済」の語に含まれていた「民を済ふ」という規範的な意味は稀薄となった。", "title": "語義の変遷" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "また、この新しい用法は本来の意味の「經濟」という語を生み出した中国(清)にも翻訳を通じて逆輸出され、以後東アジア文化圏全域で定着した。", "title": "語義の変遷" } ]
經世濟民(けいせいさいみん、経世済民)は、中国の古典に登場する語で、文字通りには、「世(よ)を經(をさ)め、民(たみ)を濟(すく)ふ」の意。「経国済民」(けいこくさいみん)もほぼ同義である。 略して「經濟」とも言うが、主として英語の「Economy」の訳語として使われている今日の「経済」とは異なり、本来はより広く政治・統治・行政全般を指す語であった。以下「經世濟民」および「經濟」の本来の用法と、その変遷について扱う。
'''經世濟民'''(けいせいさいみん、'''経世済民''')は、[[中国]]の[[中国の古典の時代別一覧|古典]]に登場する語で、文字通りには、'''「<ruby><rb>世</rb><rp>(</rp><rt>よ</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>經</rb><rp>(</rp><rt>をさ</rt><rp>)</rp></ruby>め、<ruby><rb>民</rb><rp>(</rp><rt>たみ</rt><rp>)</rp></ruby>を<ruby><rb>濟</rb><rp>(</rp><rt>すく</rt><rp>)</rp></ruby>ふ」'''の意。「'''経国済民'''」(けいこくさいみん)もほぼ同義である。 略して「經濟」(けいざい / 経済)とも言うが、主として[[英語]]の「Economy」の訳語として使われている今日の「[[経済]]」とは異なり、'''本来はより広く[[政治]]・[[ガバメント|統治]]・[[行政]]全般を指す語'''であった。以下「經世濟民」および「經濟」の本来の用法と、その変遷について扱う。 == 典拠 == {{節スタブ}} 中国・[[東晋]]の[[葛洪]]の著作『[[抱朴子]]』内篇(地真篇)には「経世済俗」という語が現れ、経世済民とほぼ同義で用いられている。<!--平凡社『大百科事典』「経済」の項では「外篇」に初出とありますが典拠は未確認-->時代がやや下り、[[隋|隋代]]の[[王通 (隋)|王通]]『[[文中子中説|文中子]]』礼楽篇には、「皆有経済之道、謂経世済民」とあって、「経済」が経世済民の略語として用いられていたことがわかる。さらに後代の『[[晋書]]』[[殷浩]]伝([[唐]])、『[[宋史]]』[[王安石]]伝論([[元 (王朝)|元]])などにも「経済」が現れるが、以上はもちろん政治・統治・行政一般を意味する用法である<ref>『大漢和辞典』『字通』など。</ref>。清末、[[戊戌の政変]]後、従来のような儒教的教養によらず学識ある在野の有為な人材を登用するために新設された[[科挙]]の新科目「[[経済特科]]」も、この用法によるものである<ref>神田信夫「経済特科」『アジア歴史事典』[[平凡社]]。</ref>。 == 語義の変遷 == === 古典的用法としての「経世済民」「経済」 === [[近世]]以前の日本では、「経世済民」あるいは「経国済民」が一つの言葉として用いられることはあまりなく、「経国」「済民」などがそれぞれ別個に用いられることが多かった。近世([[江戸時代]])になるとこれらを一つにまとめた「経世済民」あるいは「経済」が盛んに用いられるようになった。その背景には、[[明]]末[[清]]初の中国で発展した[[考証学|考証学者]]による「[[経世致用の学]]」の影響を受け、日本でも[[儒学者]]・[[蘭学者]]などによる同種の「[[経世論]]」(経世済民論)が流行したことが関わっている。この「経世論」の代表的著作の一つで日本で初めて「経済」の語を書名とした[[太宰春台]]『[[経済録]]』([[18世紀]]前半)は、「'''凡'''(およそ)'''天下国家を治むるを経済と云、世を経め民を済ふ義なり'''」としており<ref>島崎隆夫「日本経済思想の研究史」、前掲、116頁。</ref>、この頃の「經世濟民(經濟)の學」は今日でいう[[経済学]]のみならず[[政治学]]・[[政策科学|政策学]]・[[社会学]]などきわめて広汎な領域をカバーするものであった。 しかし江戸後期に入って次第に[[貨幣経済]]が浸透すると「経済」のなかでも「社会生活を営むのに必要な生産・消費・売買などの活動」という側面が強調されるようになっていった。[[海保青陵]]は、自著で専ら現在と同じ意味で用いており、これは「経済」という語の早い例である。ただ青陵によると、当時の大坂で「経済家」といえば、治政一般ではなく「金銀の事」に詳しい者を指したと言い、大坂商人の間では現代的な用法は既に常識的だったようだ<ref>徳盛誠 『海保青陵 江戸の自由を生きた儒者』 朝日新聞社、2013年、はじめに(iv)。</ref>。[[19世紀]]前半の[[正司考祺]]『[[経済問答秘録]]』に「'''今世間に貨殖興利を以て経済と云ふ'''は謬なり」とあるように、(考祺は批判的に指摘しているものの)今日の用法に近い「経済」が普及していた<ref>島崎、同上。</ref>。以上のような用法の変化は、[[明]]・[[清]]代の中国の俗語において、金銭・財務に関連する(古典的用法と異なる)用法が広まったことの影響とする[[杉本つとむ]]の見解<ref>杉本つとむ、前掲、参照。</ref>もある。 === economyの訳語としての「経済」の定着 === [[幕末|幕末期]]になり、新たに交流が始まった[[イギリス]]などから[[古典派経済学]]の文献が輸入されるようになると、「経済」の語は新たに"[[:en:economy|economy]]"の訳語として用いられるようになるが、それにはいくつかの段階がある。まず、[[1862年]](文久2年)に刊行された[[堀達之助]]らの『[[英和対訳袖珍辞書]]』では"economy"を「家事する、倹約する」とし、"[[:en:political economy|political economy]]"(古典派経済学において「[[経済学]]」を意味する語)に「経済学」の訳語を与えている([[西周 (啓蒙家)|西周]]によると後者は[[津田真道]]の執筆)。<!--「Economics」という英語を[[福澤諭吉]]が「経世済民」という中国の言葉を使って翻訳し<ref>[http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/2008/pdf/cs20080401.pdf] [[野村證券]]副社長奥田斎</ref>(典拠不明につきコメントアウト)-->ついで日本における最初の西洋経済学入門書として知られる[[神田孝平]]訳の『経済小学』([[1867年]](慶応3年)刊)では「経済学」を「ポリチャーエコノミー」と読ませており、同年末に刊行された[[福澤諭吉|福沢諭吉]]の『[[西洋事情]] 外篇』巻の3でも同様の用法として「経済学」の語が見える(なお前年[[1866年]](慶応2年)刊の『西洋事情 初篇』巻の1には「経済論」の語がある)<ref>なお[[上野戦争]]時、[[福沢諭吉]]が[[芝 (東京都港区)|芝]]にあった[[慶應義塾]]で講義していたのもF・ウェイランド([[:en:Francis Wayland|F.Wayland]])の著書''"The Elements of Political Economy"''([[1837年]])であった。</ref>。 しかし「経済(学)」がエコノミーもしくはポリティカル・エコノミーの訳語として定着するには若干の問題があり、例えば西周は『[[百学連環]]』([[1870年]](明治3年)刊)で、エコノミーとポリティカル・エコノミーの区別を重視して前者に「家政」、後者については国家の「活計」を意味するものであり、津田の訳語「経済学」では活計の意味を尽くしていないとして「制産学」の訳語を与えている。このように個人(もしくは企業)の家計・会計と国家規模の経済運営を分けて考える立場はしばらく影響力を持ち、後者については「[[理財]]」の訳語が用いられることもあり([[1881年]]刊『[[哲学字彙]]』では"[[:en:economics|economics]]"の訳語)明治初期の大学・専門学校の学科名としては「理財学」がしばしば用いられた。しかし国家レベルと個人・企業レベルのエコノミーを包括して「経済」とする用法が次第に普及することになり、現在に至っている<ref>以上、佐藤亨・重田園江、参照。</ref>。また江戸時代以来の「貨殖興利」という用法も存続したため、本来の「経済」の語に含まれていた「民を済ふ」という規範的な意味は稀薄となった。 また、この新しい用法は本来の意味の「經濟」という語を生み出した中国([[清]])にも翻訳を通じて逆輸出され、以後東アジア文化圏全域で定着した。 == 脚注 == {{reflist}} == 参考文献 == === 辞典類 === *佐藤亨『現代に生きる幕末・明治初期漢語辞典』([[明治書院]]、[[2007年]])「経済家」「経済学」の項目 *杉本つとむ『語源海』([[東京書籍]]、[[2005年]])「経済」「経済学」の項目 *『哲学・思想翻訳語辞典』([[論創社]]、[[2003年]])「経済」の項目(重田園江:執筆) *『日本社会経済史用語事典』([[朝倉書店]]、[[1972年]])「経済」の項目(山内邦夫:執筆) === 論文 === *島崎隆夫「日本経済思想の研究史」慶應義塾大学経済学会『日本における経済学の百年』(上)[[日本評論社|日本評論新社]]、[[1959年]] == 関連項目 == *[[経世致用の学]]・[[経世論]] - 前近代の東アジア・日本における「經世濟民」の論。 *[[経世会]] *[[理財]] *[[経済思想史]] *[[官房学]] - 前近代ドイツ独自の学問で現在でいう経済学・行政学・財政学など幅広い分野を包括していた。 {{DEFAULTSORT:けいせいさいみん}} [[Category:経世論|*けいせいさいみん]] [[Category:経済思想の歴史]] [[Category:日本の経済思想]] [[Category:中国の経済思想]] [[Category:哲学の和製漢語]] [[Category:洋学]]<!--「ポリチャーエコノミー」の訳語としての「経済」。--> [[Category:中国の言葉の文化]]
2003-02-28T03:12:34Z
2023-12-28T02:29:40Z
false
false
false
[ "Template:節スタブ", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E4%B8%96%E6%B8%88%E6%B0%91
3,019
流通
流通(りゅうつう、英語:distribution)とは、貨幣や商品などが市場で移転されることを指し、特に商品が生産者から消費者に渡ること、またそれを可能とせしめる社会経済的機能や、商品を消費者(個人だけでなく企業間取引も含む)へ届けるための商業・事業活動全般をいう。元は仏教で仏典や教義を広めることを意味する「流通(るづう)」に由来し、それが転じて広い意味で流れ広まることを指すようになり、さらに現在のような経済用語として使われるに至った。 生産者(メーカー、農民、漁師など) → 一次卸売業者・仲買(大卸とも) → 二次卸業者 → 小売業者 → 消費者 日本の学術団体としては、日本商業学会が1951年4月21日、慶應義塾大学教授の向井鹿松を初代会長として設立された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "流通(りゅうつう、英語:distribution)とは、貨幣や商品などが市場で移転されることを指し、特に商品が生産者から消費者に渡ること、またそれを可能とせしめる社会経済的機能や、商品を消費者(個人だけでなく企業間取引も含む)へ届けるための商業・事業活動全般をいう。元は仏教で仏典や教義を広めることを意味する「流通(るづう)」に由来し、それが転じて広い意味で流れ広まることを指すようになり、さらに現在のような経済用語として使われるに至った。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "生産者(メーカー、農民、漁師など) → 一次卸売業者・仲買(大卸とも) → 二次卸業者 → 小売業者 → 消費者", "title": "一般的な商品の流通経路" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "日本の学術団体としては、日本商業学会が1951年4月21日、慶應義塾大学教授の向井鹿松を初代会長として設立された。", "title": "学術団体" } ]
流通とは、貨幣や商品などが市場で移転されることを指し、特に商品が生産者から消費者に渡ること、またそれを可能とせしめる社会経済的機能や、商品を消費者(個人だけでなく企業間取引も含む)へ届けるための商業・事業活動全般をいう。元は仏教で仏典や教義を広めることを意味する「流通(るづう)」に由来し、それが転じて広い意味で流れ広まることを指すようになり、さらに現在のような経済用語として使われるに至った。
{{複数の問題 |出典の明記=2012年1月 |独自研究=2011年9月 |正確性=2023年6月 |雑多な内容の箇条書き=2023年6月 }} {{国際化|領域=日本|date=2023年6月}} {{Wiktionary|流通}} {{マーケティング}} '''流通'''(りゅうつう、[[英語]]:distribution)とは、[[貨幣]]や[[商品]]などが[[市場]]で移転されることを指し、特に商品が[[生産者]]から[[消費者]]に渡ること、またそれを可能とせしめる[[社会]][[経済的]]機能や、商品を消費者(個人だけでなく[[企業間取引]]も含む)へ届けるための[[商業]]・事業活動全般をいう<ref name="kotobank">{{kotobank|流通}}</ref>。元は[[仏教]]で[[仏典]]や[[教義]]を広めることを意味する「[[流通分|流通]](るづう)」に由来し、それが転じて広い意味で流れ広まることを指すようになり、さらに現在のような[[経済用語]]として使われるに至った<ref name="kotobank" />。 {{See also|物流}} == 一般的な商品の流通経路 == [[生産者]]([[製造業|メーカー]]、[[農民]]、[[漁師]]など) → 一次[[卸売]]業者・仲買(大卸とも) → 二次卸業者 → [[小売]]業者 → [[消費者]] * [[卸]]業者は一次のみの場合もある。 * {{要出典範囲|date= 2020年8月|[[輸入]]商品の場合は、[[外国]]の生産者がある国における正式な独占販売権を与えて便宜を図ることが多く、販売権の与えられた販売業者を「(総)代理店」と称することもある}}。 * [[1980年代]]以降、[[チェーンストア]]のように大規模化・全国化する小売業者が増え、メーカーから直接仕入れる傾向が多い。 * [[製造型小売業]] (SPA) 小売業者主体で商品企画を行い、これに基づいて委託生産した商品を販売する形態も登場している(例・[[ユニクロ]]、[[ギャップ (企業)|GAP]]など)。 * さらに、[[情報技術]]の発達によって、これまでは[[野菜]]など、ごく小規模に限られていた生産者による消費者への直接販売も、品目によっては大規模に行われるようになった(例・[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]など)。 == 学術団体 == [[日本]]の[[学術団体]]としては、[[日本商業学会]]が[[1951年]][[4月21日]]、[[慶應義塾大学]]教授の[[向井鹿松]]を初代会長として設立された<ref name=hp>{{Cite web|和書|url=http://jsmd.jp/|title=学会HP|publisher=日本商業学会|date=|accessdate=2022-01-23}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[物流]] * [[流通戦略]] * [[配給 (物資)]] * [[不定貫]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{economy-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:りゆうつう}} [[Category:流通|*]] [[Category:マーケティング]] [[Category:ビジネス]]
2003-02-28T03:18:59Z
2023-11-27T01:38:55Z
false
false
false
[ "Template:See also", "Template:Reflist", "Template:国際化", "Template:Wiktionary", "Template:マーケティング", "Template:要出典範囲", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Kotobank", "Template:Cite web", "Template:Economy-stub", "Template:複数の問題", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E9%80%9A
3,020
MPEG-2
MPEG-2(エムペグツー、H.222/H.262, ISO/IEC 13818)は1995年7月にISO/IEC JTC 1のMoving Picture Experts Groupによって決められた標準規格。正式名称はGeneric coding of moving pictures and associated audio information。 MPEG2はビデオ、オーディオの他、システム等についても規格化されている。また、様々なメディアでの利用を想定して、複数の解像度、圧縮率がある。なお、復号方式のみが定められており、符号化方式について規格化されていない。よって規格に沿った結果が得られるのであれば、符号化の手順はどのようにしてもよい事になっている。基本的にMPEG-1との下位互換性は無い(MPEG-2の再生装置でMPEG-1の再生は出来るがその逆ではできない)。 なお、元々標準テレビ放送(SDTV)向けにMPEG-2、高精細度テレビジョン放送 (HDTV)向けにMPEG-3が策定される予定であったが、両者は基本技術が同じであったため、最終的にはMPEG-3がMPEG-2に吸収・統合されることが決定し、MPEG-3規格は欠番となっている。現在では標準テレビからHDTVに至るまでMPEG-2が幅広く利用されている。 ビデオ(ISO/IEC 13818-2)については、採用されている基本技術の大部分がMPEG-1ビデオと同等であるため、圧縮効率の側面ではMPEG-1とほとんど変わらない。 ただしネットワーク環境やHDTVなど動画性能の向上を受けて、以下の拡張が行われている。 なお、MPEG-2ビデオはITU-TとISO/IECの合同規格であり、ITU-T勧告H.262としても標準化されている。 一般的にはMPEG-2オーディオと呼ばれるものが定義されており(ISO/IEC 13818-3)、MPEG-1オーディオと同様にLayer-1、Layer-2、Layer-3と分けられて策定された。MPEG-1オーディオとの互換性が考慮されているBC(Backward Compatible)と、互換性を排除して高音質・高圧縮を達成したAAC(Advanced Audio Coding)がある(MPEG-2 Audio Layer-3の正式名称が“MPEG-2 BC”となった。)。 システム(ISO/IEC 13818-1, ITU-T H.222.0)についても、DVD-Videoのような蓄積メディアでの使用に向いたプログラムストリーム(MPEG-2 PS)と、デジタル放送等の放送・通信に向いたトランスポートストリーム(MPEG-2 TS)が規定されている。詳細についてはMPEG-2システムの記事を参照されたい。 パソコン上で扱われる「MPEG-2ファイル」と呼ばれるものはプログラムストリームのデータが記録されているものであることが多く、拡張子として.m2pが使われることが多い。 これに対して、.mp2はMPEG Audio Layer 2の拡張子として使われることが一般的であり、MPEG-2システムのデータを指し示すものではない。 MPEG-2は放送やHDTVなどを想定した規格であり、実際にもデジタル放送や記録メディアなど様々な用途に利用されている。以下に代表的な利用例を挙げる。 DVD-Videoでは映像としてMPEG-2ビデオが使われると共に、プログラムストリームに準じた形式で音声などのデータが混合・記録されている。一方日本国内では、音声としてはPCMやドルビーデジタル(AC-3)といった、MPEG以外の規格・技術が使われている例が大勢を占める。MPEGオーディオもDVD-Videoの規格としては認められているが、日本国内では必須ではなくオプション扱いである。なお、同じくオプション扱いでは、低圧縮(=高音質)なdts方式で収録されているものが多い。 デジタル放送では多重化伝送方式としてMPEG-2 TS、動画像符号化方式としてMPEG-2ビデオが採用されている。(詳細についてはデジタルテレビの記事を参照。) MPEG-2に関する符号化・復号技術などの技術は、電機メーカー各社で開発、特許申請等が行われ、アメリカのMPEG LA社が管理している。2008年6月、アメリカの液晶テレビのトップシェアメーカーであるVIZIO社が、テレビ製造に際しライセンス料の支払いを行っていないとして、各電機メーカーがニューヨーク州連邦地方裁判所に提訴。VIZIO側は、2008年11月17日にライセンス料を支払うことで和解が成立している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "MPEG-2(エムペグツー、H.222/H.262, ISO/IEC 13818)は1995年7月にISO/IEC JTC 1のMoving Picture Experts Groupによって決められた標準規格。正式名称はGeneric coding of moving pictures and associated audio information。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "MPEG2はビデオ、オーディオの他、システム等についても規格化されている。また、様々なメディアでの利用を想定して、複数の解像度、圧縮率がある。なお、復号方式のみが定められており、符号化方式について規格化されていない。よって規格に沿った結果が得られるのであれば、符号化の手順はどのようにしてもよい事になっている。基本的にMPEG-1との下位互換性は無い(MPEG-2の再生装置でMPEG-1の再生は出来るがその逆ではできない)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "なお、元々標準テレビ放送(SDTV)向けにMPEG-2、高精細度テレビジョン放送 (HDTV)向けにMPEG-3が策定される予定であったが、両者は基本技術が同じであったため、最終的にはMPEG-3がMPEG-2に吸収・統合されることが決定し、MPEG-3規格は欠番となっている。現在では標準テレビからHDTVに至るまでMPEG-2が幅広く利用されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ビデオ(ISO/IEC 13818-2)については、採用されている基本技術の大部分がMPEG-1ビデオと同等であるため、圧縮効率の側面ではMPEG-1とほとんど変わらない。 ただしネットワーク環境やHDTVなど動画性能の向上を受けて、以下の拡張が行われている。", "title": "ビデオ" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "なお、MPEG-2ビデオはITU-TとISO/IECの合同規格であり、ITU-T勧告H.262としても標準化されている。", "title": "ビデオ" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "一般的にはMPEG-2オーディオと呼ばれるものが定義されており(ISO/IEC 13818-3)、MPEG-1オーディオと同様にLayer-1、Layer-2、Layer-3と分けられて策定された。MPEG-1オーディオとの互換性が考慮されているBC(Backward Compatible)と、互換性を排除して高音質・高圧縮を達成したAAC(Advanced Audio Coding)がある(MPEG-2 Audio Layer-3の正式名称が“MPEG-2 BC”となった。)。", "title": "オーディオ" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "システム(ISO/IEC 13818-1, ITU-T H.222.0)についても、DVD-Videoのような蓄積メディアでの使用に向いたプログラムストリーム(MPEG-2 PS)と、デジタル放送等の放送・通信に向いたトランスポートストリーム(MPEG-2 TS)が規定されている。詳細についてはMPEG-2システムの記事を参照されたい。", "title": "システム" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "パソコン上で扱われる「MPEG-2ファイル」と呼ばれるものはプログラムストリームのデータが記録されているものであることが多く、拡張子として.m2pが使われることが多い。 これに対して、.mp2はMPEG Audio Layer 2の拡張子として使われることが一般的であり、MPEG-2システムのデータを指し示すものではない。", "title": "システム" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "MPEG-2は放送やHDTVなどを想定した規格であり、実際にもデジタル放送や記録メディアなど様々な用途に利用されている。以下に代表的な利用例を挙げる。", "title": "利用例" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "DVD-Videoでは映像としてMPEG-2ビデオが使われると共に、プログラムストリームに準じた形式で音声などのデータが混合・記録されている。一方日本国内では、音声としてはPCMやドルビーデジタル(AC-3)といった、MPEG以外の規格・技術が使われている例が大勢を占める。MPEGオーディオもDVD-Videoの規格としては認められているが、日本国内では必須ではなくオプション扱いである。なお、同じくオプション扱いでは、低圧縮(=高音質)なdts方式で収録されているものが多い。", "title": "利用例" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "デジタル放送では多重化伝送方式としてMPEG-2 TS、動画像符号化方式としてMPEG-2ビデオが採用されている。(詳細についてはデジタルテレビの記事を参照。)", "title": "利用例" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "MPEG-2に関する符号化・復号技術などの技術は、電機メーカー各社で開発、特許申請等が行われ、アメリカのMPEG LA社が管理している。2008年6月、アメリカの液晶テレビのトップシェアメーカーであるVIZIO社が、テレビ製造に際しライセンス料の支払いを行っていないとして、各電機メーカーがニューヨーク州連邦地方裁判所に提訴。VIZIO側は、2008年11月17日にライセンス料を支払うことで和解が成立している。", "title": "MPEG-2に関わる裁判" } ]
MPEG-2は1995年7月にISO/IEC JTC 1のMoving Picture Experts Groupによって決められた標準規格。正式名称はGeneric coding of moving pictures and associated audio information。
'''MPEG-2'''(エムペグツー、'''H.222/H.262''', '''ISO/IEC 13818''')は[[1995年]]7月に[[ISO/IEC JTC 1]]の[[Moving Picture Experts Group]]によって決められた標準規格。正式名称はGeneric coding of moving pictures and associated audio information。 == 概要 == MPEG2は[[ビデオ]]、[[オーディオ]]の他、システム等についても規格化されている。また、様々なメディアでの利用を想定して、複数の[[解像度]]、[[圧縮率]]がある。なお、復号方式のみが定められており、符号化方式について規格化されていない。よって規格に沿った結果が得られるのであれば、符号化の手順はどのようにしてもよい事になっている。基本的に[[MPEG-1]]との下位互換性は無い(MPEG-2の再生装置でMPEG-1の再生は出来るがその逆ではできない)。 なお、元々[[SDTV|標準テレビ放送]](SDTV)向けにMPEG-2、[[高精細度テレビジョン放送]] (HDTV)向けに'''MPEG-3'''が策定される予定であったが、両者は基本技術が同じであったため、最終的にはMPEG-3がMPEG-2に吸収・統合されることが決定し、MPEG-3規格は'''欠番'''となっている。現在では標準テレビからHDTVに至るまでMPEG-2が幅広く利用されている。 == ビデオ == ビデオ(ISO/IEC 13818-2)については、採用されている基本技術の大部分が[[MPEG-1]]ビデオと同等であるため、[[圧縮効率]]の側面ではMPEG-1とほとんど変わらない。<br> ただしネットワーク環境や[[HDTV]]など動画性能の向上を受けて、以下の拡張が行われている。 ; [[インターレース]]への対応 : 同時にフィールド補完による動画圧縮を追加。 ; [[多重化]]への対応 : データ構造に拡張性が与えられている。具体的な多重化の実現については主にPart1: Systemの項などで定義されている。 ; 色情報フォーマットの拡充 : MPEG-1では'''4:2:0''' ([[YUV|YUV420]])のみ対応だったが、MPEG-2では'''4:4:4'''、'''4:2:2'''、'''4:2:0'''に対応。 ; 圧縮効率の変更 : 約2Mbps以上において、圧縮率が最適になるように調整。 なお、MPEG-2ビデオは[[ITU-T]]とISO/IECの合同規格であり、ITU-T勧告H.262としても標準化されている。 == オーディオ == 一般的には'''MPEG-2オーディオ'''と呼ばれるものが定義されており(ISO/IEC 13818-3)、MPEG-1オーディオと同様にLayer-1、Layer-2、Layer-3と分けられて策定された。[[MPEG-1]]オーディオとの互換性が考慮されているBC(Backward Compatible)と、互換性を排除して高音質・高圧縮を達成した[[AAC]](Advanced Audio Coding)がある(MPEG-2 Audio Layer-3の正式名称が“MPEG-2 BC”となった。)。 == システム == システム(ISO/IEC 13818-1, ITU-T H.222.0)についても、[[DVD-Video]]のような蓄積メディアでの使用に向いたプログラムストリーム(MPEG-2 PS)と、[[デジタル放送の一覧|デジタル放送]]等の放送・通信に向いたトランスポートストリーム(MPEG-2 TS)が規定されている。詳細については[[MPEG-2システム]]の記事を参照されたい。 [[パーソナルコンピュータ|パソコン]]上で扱われる「MPEG-2ファイル」と呼ばれるものはプログラムストリームのデータが記録されているものであることが多く、拡張子として.m2pが使われることが多い。 これに対して、.mp2はMPEG Audio Layer 2の拡張子として使われることが一般的であり、MPEG-2システムのデータを指し示すものではない。 == 利用例 == MPEG-2は放送や[[高精細度テレビジョン放送|HDTV]]などを想定した規格であり、実際にもデジタル放送や記録メディアなど様々な用途に利用されている。以下に代表的な利用例を挙げる。 === DVD-Video === [[DVD-Video]]では映像としてMPEG-2ビデオが使われると共に、プログラムストリームに準じた形式で音声などのデータが混合・記録されている。一方日本国内では、音声としては[[パルス符号変調|PCM]]や[[ドルビーデジタル]](AC-3)といった、MPEG以外の規格・技術が使われている例が大勢を占める。MPEGオーディオも[[DVD-Video]]の規格としては認められているが、日本国内では必須ではなくオプション扱いである。なお、同じくオプション扱いでは、低圧縮(=高音質)な[[デジタル・シアター・システムズ|dts]]方式で収録されているものが多い。 === デジタル放送 === デジタル放送では多重化伝送方式としてMPEG-2 TS、動画像符号化方式としてMPEG-2ビデオが採用されている。(詳細については[[デジタルテレビ放送|デジタルテレビ]]の記事を参照。) === その他の利用例 === *[[DVDレコーダー]] *[[Blu-ray Disc]] *[[HD DVD]] *[[D-VHS]] *[[HDV]] *[[MICROMV]] == MPEG-2に関わる裁判 == MPEG-2に関する符号化・復号技術などの技術は、電機メーカー各社で開発、[[特許]]申請等が行われ、アメリカのMPEG LA社が管理している。[[2008年]]6月、アメリカの[[液晶テレビ]]のトップシェアメーカーである[[VIZIO]]社が、テレビ製造に際しライセンス料の支払いを行っていないとして、各電機メーカーがニューヨーク州連邦地方裁判所に提訴。VIZIO側は、2008年[[11月17日]]にライセンス料を支払うことで和解が成立している。<ref>https://xtech.nikkei.com/dm/article/NEWS/20081118/161403/?ref=RL2 米VIZIO社,MPEG-2特許で米MPEG LAとライセンス契約(日経BP)</ref> == 関連項目 == * [[Moving Picture Experts Group]] * {{仮リンク|MPEG LA|en|MPEG LA}} * [[MPEG-1]] * [[MPEG-4]] * [[MPEG-7]] * [[MPEG-21]] * [[H.261]] * [[H.263]] * [[H.264]] * [[AAC]] * [[TMPGEnc]] == 出典 == <references/> == 外部リンク == *[http://nic.dnsalias.com/ QuEnc] *[http://www.free-codecs.com/download/HC_encoder.htm HC encoder] {{圧縮フォーマット}} {{Video formats}} {{DEFAULTSORT:MPEG-2}} [[Category:コーデック]] [[Category:MPEG]] [[Category:ITU-T勧告]] [[nl:MPEG#MPEG-2]]
2003-02-28T03:28:44Z
2023-10-08T19:22:13Z
false
false
false
[ "Template:仮リンク", "Template:圧縮フォーマット", "Template:Video formats" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/MPEG-2
3,022
あっち向いてホイ
あっち向いてホイ(あっちむいてホイ)は、じゃんけんから派生した遊び。 まず、2人でじゃんけんを行う。その勝敗が決まった直後、「あっち向いてホイ!」の掛け声の後、負けた方は上下左右のいずれか一方へ顔を向け、勝った方は上下左右のいずれか一方を指差す。顔を向けた方向と指を差した方向が一致すると指を差した方の勝ちとなり、一致しなかった場合じゃんけんからやり直しとなる。その派生として「こっち向いてホイ!」もあり、こちらは逆に勝った方は顔と指の方向が一致しなければ指を差した方が勝ちとなり、一致すればじゃんけんからやり直しとなる。 元は祇園のお座敷遊びで、落語家の六代桂文枝(当時三枝)が『ヤングおー!おー!』で紹介して花柳界以外で広まったとされる。1972年頃より萩本欽一が『スター誕生!』の審査決定までの場つなぎコーナーで行い(「こっちむいてホイ!」の掛け声で行われていた)、全国的に有名になった。萩本は「大阪で子供たちがやっていたのを聞いた放送作家が持ってきたもの」と述べている。 その後、『NTV紅白歌のベストテン』の「プール大会」の時にプール上の一本橋の上で行ったり(負けた歌手は即プール落ち)、『プロポーズ大作戦』の中間コーナーで、「スターが挑戦!アッチャムイテホイ」と銘打ち、その回のゲスト歌手が町中で行ったりしており、そして1996年の年末特番『紅白なんてブッ飛ばせ そんなアナタもお祭りちゃん '96大晦日スペシャル』では、前年まで行って批判を浴びた「野球拳」に代わって、5時間15分も丸々あっち向いてホイを行い、しかもやる前には必ず踊りを踊ってから行っていた。またテレビアニメ『おじゃる丸』の2002年度ED「あっち向いてホイおじゃる」にも動きを使っていた。さらにはテレビアニメ『クレヨンしんちゃん』で、2013年10月よりデータ放送を使った「東西南北あっち向いてホイ」(2015年10月からは「東西南北HIPでYO!」)が行われていた。『アイドリング!!!』(2015年放送終了)では「あっち向いてパイ!!!」と題した、負けるとパイをぶつけられるゲームが行われていた。現在はNHK総合テレビ昼前の番組情報番組『どーも、NHK』で、エンディングにNHKのマスコットキャラクター「どーもくん」が視聴者相手に行っている。 あっち向いてホイをテーマにした1時間のテレビ番組が制作されたことがある(NBS長野放送「あっち向いてホイロジー ~脳科学が探る勝利の法則~」 2007年)。また、脳の動きの仕組みとして、相手の指の動きにつられないためには視覚情報に反する運動(衝動性眼球運動)を行うことが必要であるが、これには視床からの命令が重要な役割を果たしているとする研究結果が北海道大学医学研究科准教授の田中真樹らによって2010年に発表されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "あっち向いてホイ(あっちむいてホイ)は、じゃんけんから派生した遊び。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "まず、2人でじゃんけんを行う。その勝敗が決まった直後、「あっち向いてホイ!」の掛け声の後、負けた方は上下左右のいずれか一方へ顔を向け、勝った方は上下左右のいずれか一方を指差す。顔を向けた方向と指を差した方向が一致すると指を差した方の勝ちとなり、一致しなかった場合じゃんけんからやり直しとなる。その派生として「こっち向いてホイ!」もあり、こちらは逆に勝った方は顔と指の方向が一致しなければ指を差した方が勝ちとなり、一致すればじゃんけんからやり直しとなる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "元は祇園のお座敷遊びで、落語家の六代桂文枝(当時三枝)が『ヤングおー!おー!』で紹介して花柳界以外で広まったとされる。1972年頃より萩本欽一が『スター誕生!』の審査決定までの場つなぎコーナーで行い(「こっちむいてホイ!」の掛け声で行われていた)、全国的に有名になった。萩本は「大阪で子供たちがやっていたのを聞いた放送作家が持ってきたもの」と述べている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "その後、『NTV紅白歌のベストテン』の「プール大会」の時にプール上の一本橋の上で行ったり(負けた歌手は即プール落ち)、『プロポーズ大作戦』の中間コーナーで、「スターが挑戦!アッチャムイテホイ」と銘打ち、その回のゲスト歌手が町中で行ったりしており、そして1996年の年末特番『紅白なんてブッ飛ばせ そんなアナタもお祭りちゃん '96大晦日スペシャル』では、前年まで行って批判を浴びた「野球拳」に代わって、5時間15分も丸々あっち向いてホイを行い、しかもやる前には必ず踊りを踊ってから行っていた。またテレビアニメ『おじゃる丸』の2002年度ED「あっち向いてホイおじゃる」にも動きを使っていた。さらにはテレビアニメ『クレヨンしんちゃん』で、2013年10月よりデータ放送を使った「東西南北あっち向いてホイ」(2015年10月からは「東西南北HIPでYO!」)が行われていた。『アイドリング!!!』(2015年放送終了)では「あっち向いてパイ!!!」と題した、負けるとパイをぶつけられるゲームが行われていた。現在はNHK総合テレビ昼前の番組情報番組『どーも、NHK』で、エンディングにNHKのマスコットキャラクター「どーもくん」が視聴者相手に行っている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "あっち向いてホイをテーマにした1時間のテレビ番組が制作されたことがある(NBS長野放送「あっち向いてホイロジー ~脳科学が探る勝利の法則~」 2007年)。また、脳の動きの仕組みとして、相手の指の動きにつられないためには視覚情報に反する運動(衝動性眼球運動)を行うことが必要であるが、これには視床からの命令が重要な役割を果たしているとする研究結果が北海道大学医学研究科准教授の田中真樹らによって2010年に発表されている。", "title": "概要" } ]
あっち向いてホイ(あっちむいてホイ)は、じゃんけんから派生した遊び。
'''あっち向いてホイ'''(あっちむいてホイ)は、[[じゃんけん]]から派生した遊び。 == 概要 == まず、2人でじゃんけんを行う。その勝敗が決まった直後、「あっち向いてホイ!」の掛け声の後、負けた方は上下左右のいずれか一方へ顔を向け、勝った方は上下左右のいずれか一方を指差す。顔を向けた方向と指を差した方向が一致すると指を差した方の勝ちとなり、一致しなかった場合じゃんけんからやり直しとなる。その派生として「こっち向いてホイ!」もあり、こちらは逆に勝った方は顔と指の方向が一致しなければ指を差した方が勝ちとなり、一致すればじゃんけんからやり直しとなる。 元は[[祇園]]のお座敷遊びで、[[落語家]]の[[桂文枝 (6代目)|六代桂文枝(当時三枝)]]が『[[ヤングおー!おー!]]』で紹介して[[花街|花柳界]]以外で広まったとされる。1972年頃より[[萩本欽一]]が『[[スター誕生!]]』の審査決定までの場つなぎコーナーで行い(「こっちむいてホイ!」の掛け声で行われていた)、全国的に有名になった<ref name=":0">集英社「週刊プレイボーイ」2020年3月2日号No.9 155頁</ref>。萩本は「大阪で子供たちがやっていたのを聞いた放送作家が持ってきたもの」と述べている<ref name=":0" />。 その後、『[[NTV紅白歌のベストテン]]』の「プール大会」の時にプール上の一本橋の上で行ったり(負けた歌手は即プール落ち)、『[[プロポーズ大作戦 (バラエティ番組)|プロポーズ大作戦]]』の中間コーナーで、「スターが挑戦!アッチャムイテホイ」と銘打ち、その回のゲスト歌手が町中で行ったりしており、そして[[1996年]]の年末特番『紅白なんてブッ飛ばせ そんなアナタもお祭りちゃん '96大晦日スペシャル』では、前年まで行って批判を浴びた「[[野球拳]]」に代わって、5時間15分も丸々あっち向いてホイを行い、しかもやる前には必ず踊りを踊ってから行っていた。またテレビアニメ『おじゃる丸』の2002年度ED「あっち向いてホイおじゃる」にも動きを使っていた。さらにはテレビアニメ『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』で、2013年10月より[[データ放送]]を使った「東西南北あっち向いてホイ」(2015年10月からは「東西南北HIPでYO!」)が行われていた。『[[アイドリング!!!]]』(2015年放送終了)では「あっち向いてパイ!!!」と題した、負けると[[パイ投げ|パイをぶつけられる]]ゲームが行われていた。現在は[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]昼前の番組[[情報番組]]『[[どーも、NHK]]』で、エンディングにNHKのマスコットキャラクター「[[どーもくん]]」が視聴者相手に行っている。 あっち向いてホイをテーマにした1時間のテレビ番組が制作されたことがある(NBS[[長野放送]]「あっち向いてホイロジー ~脳科学が探る勝利の法則~」 2007年)。また、脳の動きの仕組みとして、相手の指の動きにつられないためには視覚情報に反する運動(衝動性眼球運動)を行うことが必要であるが、これには[[視床]]からの命令が重要な役割を果たしているとする研究結果が[[北海道大学]]医学研究科准教授の田中真樹らによって[[2010年]]に発表されている<ref>{{cite news |url=https://web.archive.org/web/20100410152102/http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20100407-OYT1T00901.htm |title=指と反対向く「あっちむいてホイ」脳の働き解明 |work=YOMIURI ONLINE |publisher=[[読売新聞社]] |date=2010-04-08 |accessdate=2010-04-08 }}</ref>。 == 脚注 == <references /> {{DEFAULTSORT:あつちむいてほい}} [[Category:じゃんけん]] [[Category:子供の遊び]]
2003-02-28T03:35:18Z
2023-12-27T22:47:41Z
false
false
false
[ "Template:Cite news" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%A3%E3%81%A1%E5%90%91%E3%81%84%E3%81%A6%E3%83%9B%E3%82%A4
3,024
ビームフラッシュ
ビームフラッシュはじゃんけんから派生した遊び。 大きく『じゃんけん部』と『ポーズ部』に分けられる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ビームフラッシュはじゃんけんから派生した遊び。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "大きく『じゃんけん部』と『ポーズ部』に分けられる。", "title": "ルール" } ]
ビームフラッシュはじゃんけんから派生した遊び。
{{出典の明記|date=2012年3月}} '''ビームフラッシュ'''は[[じゃんけん]]から派生した遊び。 == ルール == 大きく『じゃんけん部』と『ポーズ部』に分けられる。 *「じゃんけん、ポイ、ポイ、どっち引くの、こっち引くの」という唱和とともに、二度の「ポイ」の掛け声で『手』を2つ出し、「こっち引くの」でどちらかの手を選択してじゃんけんを行う。 *勝ったほうを『親』とし、親は「あんた馬鹿ね」と言い(この時に[[あっち向いてホイ]]を行うルールもある)、ポーズ部に移る。(あいこの時は、「あいこでポイポイ」とじゃんけんをやり直す)「あんた馬鹿ね」を言いながら[[デコピン]]をする地域もある(三重県) *「ビームフラッシュ」あるいは「ビームシュワッチ」の掛け声とともに、[[ウルトラマン]]の光線技のジェスチャーを行う。親と同じポーズを子がとれば親の勝ちとなる。(一部では「グリンピース」という掛け声も存在するが、これは「ビームフラッシュ」を聞き違えたものが、誤ったまま年少児に伝えられたものと推測される) *:(光線技のジェスチャーは、基本的に「スペシウム光線」([[ウルトラマン]])、「エメリウム光線」([[ウルトラセブン]])、「ワイドショット」([[ウルトラセブン]])の3種類を用いるが、他のウルトラ兄弟のものを使用することもある。) **「スペシウム光線」:右肩の前あたりで、右下腕を縦、左下腕を横にして十字に交差させる **「エメリウム光線」:閉じた「チョキ」の手を敬礼の要領で眉間に持っていく **「ワイドショット」:右胸の前あたりで、右下腕を縦、左下腕を横にしてL字にする *一部ではポーズ部で最終的な勝敗を決めるルールもある。この場合、使用するポーズをじゃんけんの各手に見立てて勝敗を決める。 == じゃんけんのバリエーション == *「じゃんけんホイホイ、どっち隠す、こっち隠す」([[関西]]・[[北海道]]・[[福島県]]) *「あいけんちっちー、どっち引くの、こっち引くの」([[三重県]]北部・北海道) *「じゃんけんホイホイ、どっち出すの、こっち出すの」(「ホイ」の掛け声で腕を胸の前でクロスさせ、「こっち出すの」でどちらかの手を前に出す)([[大阪府]]・[[鹿児島県]]・[[富山県]]西部) *「じゃんけんポイポイ、どっち出すの、こっち出すの」(「ポイ」の掛け声で腕を胸の前でクロスさせ、「こっち出すの」でどちらかの手を前に出す)([[東京都]]) *「じゃんけんホイホイ、どっちか替えて、どっちか引いて」(「ホイ」の掛け声で腕をクロスさせ、「どっちか替えて」でどちらかの『手』を任意に変更する)([[山形県]]内陸) *「じゃんけんホイホイ、いっこ変えて、いっこ出して」(長崎?) *「じゃんけんホイホイ、どっち引くの、こっち引くの」([[いわき市|福島県いわき市]]・[[平野区|大阪市平野区]]) *「じゃんけんポイポイ、どっち引くの、こっち引くの」([[兵庫県]]・[[大阪府]]) *「じゃんけんシュッシュッ、どっち隠す、こっち隠す」(北海道) *「じゃんけんぽっぽ、どっちか変えて、どっちか引っ込める」(愛知県西三河南部) == 「あんた馬鹿ね」に続く掛け声 == *「あんたチョット馬鹿ね。あんたよりましよ」 *「あんたチョット馬鹿ね。あんたよりましよ。それなら勝負、ビームフラッシュ!」([[富山県|富山]]) *「あんたチョット馬鹿ね。あんたよりましよ。 ビームシュワッチ!!」([[岐阜]]) *「あんたチョット馬鹿ね、大馬鹿ね。あんたよりましよ」 *「あんたチョット馬鹿ね、ターイムショック!!」(三重) *「あんたチョット馬鹿ね、生まれつき」([[関西]]) *「あんた馬鹿ね。大馬鹿ね。病院で、手術して、お葬式、待ってるわ」句読点の位置であっち向いてホイを行う。子は引っかかった回数だけ親の命令に従わなければならない。([[関西]]?) *「あんた馬鹿ね。大馬鹿ね。くるまにひかれて死んじまえ」([[いわき市|福島県いわき市]]) *「あんた馬鹿ね。ほっといて」([[関西]]) *「あんた馬鹿ね。悪かったね」([[北海道]]) *「あんた馬鹿ね。わたし天才」([[北海道]]) *「あんた馬鹿ね。ぼくみじめ」([[北海道]]) *「あんた馬鹿ね。あんたよりマシよ」([[千葉県]]・[[新潟県]]・兵庫県) *「あんた馬鹿ね。そっちこそ」([[東京都]]) *「あんたちょっと馬鹿ね。ビームフラッシュ」([[東京都]]) *「あんた馬鹿ね。失礼ね」([[徳島県]]) *「あんた馬鹿ね。ホットケーキ!」 *「あんた馬鹿ね。ビームフラッシュ!」([[大阪府]]?) *「あんた馬鹿ね。バカじゃないよ。ビームフラッシュ」([[大分県]]) *「あんた馬鹿ね。あんたよりマシよ。グリンピース」([[埼玉県]]) *「あんた馬鹿ね。ターイムショック!!」([[平野区|大阪市平野区]]) * 「あんたチョット馬鹿ね。そんなことないよ。ビームフラッシュ!」(静岡中部) *「あんた馬鹿ね。馬鹿じゃないわよ。グリーンピース!」(和歌山県北部) * 「あんたちょっと馬鹿ね。あんたよりましよ。グリンピース。」(奈良県北部) {{DEFAULTSORT:ひいむふらつしゆ}} [[Category:じゃんけん]] [[Category:子供の遊び]]
null
2021-11-18T17:28:56Z
false
false
false
[ "Template:出典の明記" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
3,025
MPEG-1
MPEG-1 (エムペグワン)は、ISO/IEC JTC 1のMoving Picture Experts Group(MPEG)によって作られた標準動画規格の一つ。 正式名称:Coding of moving pictures and associated audio for digital storage media at up to about 1.5 Mbit/s コンパクトディスク(CD)に1時間程度の動画を記録する事を目標にNTTとアスキーに由ってISOへ提案された。ビデオCDなどで利用されている。単にMPEG動画というと、MPEG-1で圧縮されたものを指す場合が多い。 ビデオとオーディオ、両者を併せたシステムについて規格化されている。 プログレッシブ信号には対応しているが、インタレース信号には対応していない。 H.261で開発された動画像圧縮技術の流れを汲み、フレーム間予測と離散コサイン変換を用いた技術である。最大4095×4095(12ビット)の解像度と、最大100 Mbit / sのビットレートをサポートする。MPEG-1の特徴は、従来まで1画素(動画像符号化ではフルペルと呼ぶ)単位であった動き補償の精度を、半画素(ハーフペル)単位に拡張した点である。ハーフペル動き補償は、半画素単位での動きベクトル探索が必要で演算量が大きいものの、フルペル単位に比べて圧縮率を大きく向上させることができる。ハーフペル動き補償は、H.262 (MPEG-2)やH.263 (MPEG-4)でも使用されている。 ビデオCDのほかDVD-VideoやDVD-VRの規格に低解像度用として取り入れられている(実際にMPEG-1を使ったDVDは極めて少ない)。2000年代初頭頃まではゲームやインターネットでやり取りされる動画での圧縮形式としても一般的だったが、その後はMPEG-4(DivX・Xvid・3ivx)・H.264・WMVなどに取って代わられた。2009年現在では携帯電話・携帯型プレーヤー・デジタルフォトフレームなどでMPEG-1に対応している製品は少数である。 Layer 1、Layer 2、Layer 3があり、それぞれMP1、MP2、MP3と呼ばれている。Layer 2対応機器はLayer 1の再生もでき、Layer 3対応機器ではLayer 1、Layer 2、Layer 3全て再生できる上位互換性を持つ。ビデオCDではLayer 2が使われる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "MPEG-1 (エムペグワン)は、ISO/IEC JTC 1のMoving Picture Experts Group(MPEG)によって作られた標準動画規格の一つ。 正式名称:Coding of moving pictures and associated audio for digital storage media at up to about 1.5 Mbit/s", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "コンパクトディスク(CD)に1時間程度の動画を記録する事を目標にNTTとアスキーに由ってISOへ提案された。ビデオCDなどで利用されている。単にMPEG動画というと、MPEG-1で圧縮されたものを指す場合が多い。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ビデオとオーディオ、両者を併せたシステムについて規格化されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "プログレッシブ信号には対応しているが、インタレース信号には対応していない。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "H.261で開発された動画像圧縮技術の流れを汲み、フレーム間予測と離散コサイン変換を用いた技術である。最大4095×4095(12ビット)の解像度と、最大100 Mbit / sのビットレートをサポートする。MPEG-1の特徴は、従来まで1画素(動画像符号化ではフルペルと呼ぶ)単位であった動き補償の精度を、半画素(ハーフペル)単位に拡張した点である。ハーフペル動き補償は、半画素単位での動きベクトル探索が必要で演算量が大きいものの、フルペル単位に比べて圧縮率を大きく向上させることができる。ハーフペル動き補償は、H.262 (MPEG-2)やH.263 (MPEG-4)でも使用されている。", "title": "技術の詳細" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ビデオCDのほかDVD-VideoやDVD-VRの規格に低解像度用として取り入れられている(実際にMPEG-1を使ったDVDは極めて少ない)。2000年代初頭頃まではゲームやインターネットでやり取りされる動画での圧縮形式としても一般的だったが、その後はMPEG-4(DivX・Xvid・3ivx)・H.264・WMVなどに取って代わられた。2009年現在では携帯電話・携帯型プレーヤー・デジタルフォトフレームなどでMPEG-1に対応している製品は少数である。", "title": "技術の詳細" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "Layer 1、Layer 2、Layer 3があり、それぞれMP1、MP2、MP3と呼ばれている。Layer 2対応機器はLayer 1の再生もでき、Layer 3対応機器ではLayer 1、Layer 2、Layer 3全て再生できる上位互換性を持つ。ビデオCDではLayer 2が使われる。", "title": "技術の詳細" } ]
MPEG-1 (エムペグワン)は、ISO/IEC JTC 1のMoving Picture Experts Group(MPEG)によって作られた標準動画規格の一つ。 正式名称:Coding of moving pictures and associated audio for digital storage media at up to about 1.5 Mbit/s コンパクトディスク(CD)に1時間程度の動画を記録する事を目標にNTTとアスキーに由ってISOへ提案された。ビデオCDなどで利用されている。単にMPEG動画というと、MPEG-1で圧縮されたものを指す場合が多い。 ビデオとオーディオ、両者を併せたシステムについて規格化されている。 プログレッシブ信号には対応しているが、インタレース信号には対応していない。
{{Infobox file format | name = MPEG-1 | icon = | extension = .dat .mpg .mpeg .m1v | mime = | type code = | uniform type = | owner = | genre = [[動画]]、[[音声]] | container for = | contained by = | extended from = | extended to = | standard = [[国際標準化機構|ISO/IEC]], [[ITU-T]] }} '''MPEG-1''' (エムペグワン)は、[[ISO/IEC JTC 1]]の[[Moving Picture Experts Group]](MPEG)によって作られた標準[[動画]]規格の一つ。 正式名称:Coding of moving pictures and associated audio for digital storage media at up to about 1.5 Mbit/s [[コンパクトディスク]](CD)に1時間程度の動画を記録する事を目標に[[日本電信電話|NTT]]と[[アスキー (企業)|アスキー]]に由ってISOへ提案された<ref>{{Cite web|和書|url=http://research.cesa.or.jp/handbook/handbook2005.pdf |title=テレビゲームのちょっといいおはなし・2 |accessdate=2007-09-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070601000000/http://research.cesa.or.jp/handbook/handbook2005.pdf |archivedate=2007-06-01 |format=PDF |publisher=[[コンピュータエンターテインメント協会]]}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=安田 浩|date=1995-04|title=1. MPEGの経緯と展望|url=https://doi.org/10.3169/itej1978.49.409|journal=テレビジョン学会誌|volume=49|issue=4|page=409|DOI=10.3169/itej1978.49.409|ISSN=03866831|NAID=110003705125}}</ref>。[[ビデオCD]]などで利用されている。単にMPEG動画というと、MPEG-1で圧縮されたものを指す場合が多い。 ビデオとオーディオ、両者を併せたシステムについて規格化されている。 プログレッシブ信号には対応しているが、[[インタレース]]信号には対応していない<ref>電気通信主任技術者 平成25年</ref>。 == 技術の詳細 == === ビデオ(動画像符号化) === [[H.261]]で開発された動画像圧縮技術の流れを汲み、[[フレーム間予測]]と[[離散コサイン変換]]を用いた技術である。最大4095×4095(12ビット)の解像度と、最大100 Mbit / sのビットレートをサポートする。MPEG-1の特徴は、従来まで1画素(動画像符号化ではフルペルと呼ぶ)単位であった[[動き補償]]の精度を、半画素(ハーフペル)単位に拡張した点である。ハーフペル動き補償は、半画素単位での[[動きベクトル]]探索が必要で演算量が大きいものの、フルペル単位に比べて圧縮率を大きく向上させることができる。ハーフペル動き補償は、[[H.262]] (MPEG-2)や[[H.263]] (MPEG-4)でも使用されている。 ビデオCDのほか[[DVD-Video]]や[[DVD-VR]]の規格に低解像度用として取り入れられている(実際にMPEG-1を使ったDVDは極めて少ない)。[[2000年代]]初頭頃まではゲームや[[インターネット]]でやり取りされる動画での圧縮形式としても一般的だったが、その後は[[MPEG-4]]([[DivX]]・[[Xvid]]・[[3ivx]])・[[H.264]]・[[Windows Media Video|WMV]]などに取って代わられた。2009年現在では[[携帯電話]]・[[デジタルオーディオプレーヤー|携帯型プレーヤー]]・[[デジタルフォトフレーム]]などでMPEG-1に対応している製品は少数である。 === オーディオ === {{Main|MP3}} Layer 1、Layer 2、Layer 3があり、それぞれMP1、MP2、[[MP3]]と呼ばれている。Layer 2対応機器はLayer 1の再生もでき、Layer 3対応機器ではLayer 1、Layer 2、Layer 3全て再生できる[[上位互換性]]を持つ。ビデオCDではLayer 2が使われる。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[JPEG]] * [[MPEG-2]] * [[MPEG-4]] * [[MPEG-7]] * [[MPEG-21]] * [[データ圧縮]] * [[符号化方式]] {{圧縮フォーマット}} {{DEFAULTSORT:MPEG-1}} [[Category:コーデック]] [[Category:MPEG]]
2003-02-28T04:00:40Z
2023-09-28T05:20:09Z
false
false
false
[ "Template:Cite journal", "Template:圧縮フォーマット", "Template:Infobox file format", "Template:Main", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/MPEG-1
3,027
たたいて・かぶって・ジャンケンポン
たたいて・かぶって・ジャンケンポンは、2人で行うお座敷遊び(お座敷で行う遊び)の一種である。 プレーヤーはじゃんけんによって攻撃権を取得し、相手が防御を行う前に相手の頭を叩くことを目的とする。 この遊びは落語家の六代桂文枝(当時:桂三枝)がテレビ番組『ヤングおー!おー!』(毎日放送)の1コーナーとして考案したと言われている。この遊びは多くの別名で知られており、そのいずれかは元々、番組の遊びの原形であった可能性もある。 たたいて・かぶって・ジャンケンポンに正式なルールはなく、下記に示すのは慣習的に認められているものである。 たたいて・かぶって・ジャンケンポンは2人で行う。 プレーヤーは50~100cmの間隔を置いて、正対する。互いの間に攻撃用の棒と防御用のヘルメットを配置する。 準備が完了したらじゃんけんを行う。ただし、この時には通常の「じゃんけんぽん」のかけ声に代わって「たたいてかぶってじゃんけんぽん」というかけ声を用いる。あいこになった場合は勝負がつくまで繰り返す。じゃんけんで勝負がつくと、勝者は攻撃権を得る。 じゃんけんの勝者を攻撃側、敗者を防御側と呼ぶことにする。じゃんけんの勝負が決まった瞬間、攻撃側は両者の中央にある棒を持って防御側の頭をたたく。一方、防御側は両者の中央にあるヘルメットを自らの頭にかぶせる。防御側がヘルメットをかぶる前に攻撃側が棒で敗者の頭を叩くことができれば、攻撃側の最終勝利となる。素手やヘルメットを使って防御側の頭を叩いたり、防御側が攻撃したりしたら反則負けである。防御側が完全に頭にヘルメットをかぶせた時点で攻撃側の攻撃権は消滅し、再び攻撃権を争うためじゃんけんを行う。 どちらかが最終勝利をおさめるまで、これを繰り返す。 たたいて・かぶって・ジャンケンポンには以下の用具を使用する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "たたいて・かぶって・ジャンケンポンは、2人で行うお座敷遊び(お座敷で行う遊び)の一種である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "プレーヤーはじゃんけんによって攻撃権を取得し、相手が防御を行う前に相手の頭を叩くことを目的とする。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "この遊びは落語家の六代桂文枝(当時:桂三枝)がテレビ番組『ヤングおー!おー!』(毎日放送)の1コーナーとして考案したと言われている。この遊びは多くの別名で知られており、そのいずれかは元々、番組の遊びの原形であった可能性もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "たたいて・かぶって・ジャンケンポンに正式なルールはなく、下記に示すのは慣習的に認められているものである。", "title": "ルール" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "たたいて・かぶって・ジャンケンポンは2人で行う。", "title": "ルール" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "プレーヤーは50~100cmの間隔を置いて、正対する。互いの間に攻撃用の棒と防御用のヘルメットを配置する。", "title": "ルール" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "準備が完了したらじゃんけんを行う。ただし、この時には通常の「じゃんけんぽん」のかけ声に代わって「たたいてかぶってじゃんけんぽん」というかけ声を用いる。あいこになった場合は勝負がつくまで繰り返す。じゃんけんで勝負がつくと、勝者は攻撃権を得る。", "title": "ルール" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "じゃんけんの勝者を攻撃側、敗者を防御側と呼ぶことにする。じゃんけんの勝負が決まった瞬間、攻撃側は両者の中央にある棒を持って防御側の頭をたたく。一方、防御側は両者の中央にあるヘルメットを自らの頭にかぶせる。防御側がヘルメットをかぶる前に攻撃側が棒で敗者の頭を叩くことができれば、攻撃側の最終勝利となる。素手やヘルメットを使って防御側の頭を叩いたり、防御側が攻撃したりしたら反則負けである。防御側が完全に頭にヘルメットをかぶせた時点で攻撃側の攻撃権は消滅し、再び攻撃権を争うためじゃんけんを行う。", "title": "ルール" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "どちらかが最終勝利をおさめるまで、これを繰り返す。", "title": "ルール" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "たたいて・かぶって・ジャンケンポンには以下の用具を使用する。", "title": "用具" } ]
たたいて・かぶって・ジャンケンポンは、2人で行うお座敷遊び(お座敷で行う遊び)の一種である。
{{出典の明記|date=2018年10月}} '''たたいて・かぶって・ジャンケンポン'''は、2人で行う[[お座敷遊び]]([[お座敷]]で行う[[遊び]])の一種である。 == 概要 == [[File:ピコピコハンマー 洗面器 じゃんけん (24973607639).jpg|thumb|250px|じゃんけんする二人の中間に、攻撃用のピコピコハンマーと防御用の洗面器が置かれる]] [[File:ピコピコハンマー 洗面器 ゲーム (25341281245).jpg|thumb|250px|じゃんけんに負けたほうが防御用の洗面器をかぶってハンマーの攻撃を防ぎ、防御に成功する]] プレーヤーは[[じゃんけん]]によって攻撃権を取得し、相手が防御を行う前に相手の頭を叩くことを目的とする{{sfn|小山混|2020| p=130}}。 この遊びは[[落語家]]の[[桂文枝 (6代目)|六代桂文枝(当時:桂三枝)]]が[[テレビ番組]]『[[ヤングおー!おー!]]』([[毎日放送]])の1コーナーとして考案したと言われている。この遊びは多くの別名で知られており、そのいずれかは元々、番組の遊びの原形であった可能性もある。 == ルール == たたいて・かぶって・ジャンケンポンに正式なルールはなく、下記に示すのは慣習的に認められているものである。 === プレーヤー === たたいて・かぶって・ジャンケンポンは2人で行う。 === 進行 === プレーヤーは50~100cmの間隔を置いて、正対する。互いの間に攻撃用の棒と防御用のヘルメットを配置する。 準備が完了したら[[じゃんけん]]を行う。ただし、この時には通常の「じゃんけんぽん」のかけ声に代わって「たたいてかぶってじゃんけんぽん」というかけ声を用いる。[[引き分け|あいこ]]になった場合は勝負がつくまで繰り返す。じゃんけんで勝負がつくと、勝者は攻撃権を得る。 じゃんけんの勝者を攻撃側、敗者を防御側と呼ぶことにする。じゃんけんの勝負が決まった瞬間、攻撃側は両者の中央にある[[棒]]を持って防御側の頭をたたく。一方、防御側は両者の中央にある[[ヘルメット]]を自らの頭にかぶせる。防御側がヘルメットをかぶる前に攻撃側が棒で敗者の頭を叩くことができれば、攻撃側の最終勝利となる{{sfn|小山混|2020| p=130}}。素手やヘルメットを使って防御側の頭を叩いたり、防御側が攻撃したりしたら反則負けである。防御側が完全に頭にヘルメットをかぶせた時点で攻撃側の攻撃権は消滅し、再び攻撃権を争うためじゃんけんを行う。 どちらかが最終勝利をおさめるまで、これを繰り返す。 ==用具== たたいて・かぶって・ジャンケンポンには以下の用具を使用する。 *[[座布団]]: ルールから言えば[[椅子]]に座ったり、立ったりしながら行うことも可能だが、お座敷遊び的性格から、床の上に座布団を敷いて座ることが多い。各プレーヤーにつき1枚、計2枚を使用する。 *[[棒]](に類するもの): 相手を攻撃するために使用する。攻撃が決まると、相手の頭に全力で当たることになるため、[[木刀]]などの堅いものは危険である。普通、[[新聞]]紙を丸めたもの、[[ハリセン]]、[[ピコピコハンマー]]などが使用される{{sfn|主婦の友社|2020| p=74}}。それぞれに1本ずつ、計2本を使用する。 *[[ヘルメット]](に類するもの): 相手の攻撃から頭を守るのに用いる。「相手の攻撃より速く防御できたか」という記号的意味が重視されるため、実際の衝撃吸収力はあまり問題にされない。ヘルメット型のものであれば、[[ザル]]や[[鍋]]の蓋、[[ボウル]]など、半球形のものを代わりにすることも多い。それぞれに1個ずつ、計2個を使用する。また、勝負が白熱してくると、攻撃手段として使用されることもしばしばである。 *補足:棒(に類するもの)・ヘルメット(に類するもの)に関してはアレンジとしてそれぞれを1つずつに減らすことでゲーム性を高める方法もある{{sfn|主婦の友社|2020| p=74}}。 ==類似する遊戯== *おまわりさん - じゃんけんをして勝った方は太鼓をたたき、負けた方はぐるっと回る(回ることがおまわりさん)ゲーム。芸者との座敷遊びのひとつ。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} ==関連項目== *[[じゃんけん]] *[[ゲーム]] *[[バラエティ番組]] **[[オールスターびっくり新年会]] - 「ヘルコンジャンケン」名義で、ラストに必ず行われていた。 **[[春だヨ!番組対抗オールスター爆笑ゲーム大会]] - [[1978年]][[3月29日]]に[[テレビ朝日]]系列で放送した改編期特番。「ハンマーヘルメット」名義で行った。 **[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!]] - 芸人での実力を争う大会「TKJ(たたいて・かぶって・ジャンケンポンの略)グランプリ」を開催。 **[[クイズ!脳ベルSHOW]]、BSフジ11時間テレビ - 当初「クイズ!脳ベルSHOW」の企画で行われたが、2017年から秋に放送している長時間番組「BSフジ11時間テレビ」で「TKJP(叩いてかぶってジャンケンポン)」と題して、プロレスラーらが行う企画を放送している(2020年は番組放送なし)。 == 参考文献 == *{{Cite book |author1=小山混 |year=2020 |title=脳イキイキ! 手あそび指あそび |page=130 |publisher=[[主婦の友社]] |url=https://books.google.co.jp/books?id=Wkv8DwAAQBAJ&pg=PA130#v=onepage&q&f=false|isbn=9784074444878 | ref = harv }} *{{Cite book |author1=主婦の友社 |year=2020 |title=生きる力が育つ!あそびベスト53 |page=74 |publisher=主婦の友社 |url=https://books.google.co.jp/books?id=BjX4DwAAQBAJ&pg=PA74#v=onepage&q&f=false|isbn=9784074451272 | ref = harv }} {{DEFAULTSORT:たたいてかふつてしやんけんほん}} [[Category:じゃんけん]] [[Category:子供の遊び]]
2003-02-28T04:17:13Z
2023-12-29T06:07:39Z
false
false
false
[ "Template:出典の明記", "Template:Sfn", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite book" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%A6%E3%83%BB%E3%81%8B%E3%81%B6%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%83%B3
3,028
調理
調理(ちょうり、仏: cuisson、英: cooking)とは、食品材料(食材)を洗う、切るなどして、さらに煮る、焼く、炒めるなどの操作をほどこし、食べやすく、また味も良くすることや、その技術のこと。「料理する」という場合の「料理」は、調理よりも広義である(下で説明)。本記事では調理すること、および料理することの両方を扱う。 調理とは食材を洗う、切るなどして、さらに煮る、焼く、炒めるなどの操作をほどこし、食べやすく、また味も良くすることである。「調理」は味作りの技術面に限定される用語である。「料理」のほうは、やや広義で、食事計画を立て、(食材を確保し、調理操作を行い)食卓上の料理を構成するまでの過程全体を指す。 調理は長い歴史を持ち歴史とともに変化してきた。調理は各家庭においても行われている。また料理店などの調理場において職業的調理者によっても行われている。料理店で職業的料理人が提供する料理を「専門料理」と呼ぶ。また専門料理に対し、家庭で日常提供される料理を「家庭料理」という。 調理で用いられる様々な手法や技法は、調理法、調理技術と呼ばれる。 調理に用いる道具を調理器具と言う。キッチンナイフ(包丁)類、鍋類、熱源などが基本中の基本である。調理をする人は広く「調理者」や「調理人」と言う。 家庭料理では母が娘に(また父が息子に、祖母が孫娘に)調理法を教えることで、家庭ごとの調理法や「味」が次世代に継承されている。調理のための教室(「クッキング教室」)なども開催されている。 料理店では職業的な調理者、プロの調理者が調理を行っているわけだが、 職業的に調理を行う人はフランス語では「cuisinier キュイジニエ」と言い、その中でも調理場でキュイジニエたちを統率する料理長(調理場の最高責任者)を「chef シェフ」と言う(「シェフ」は本来は調理に限らず様々な分野で、広く人々に命令し、決定的な影響を与える人物のこと。調理場でその役割を果たすので「シェフ」と呼ばれるようになった。)。英語では「コック」、日本語では和食の調理人は「板前」などと呼ばれ、日本でもフランス料理の調理人は「シェフ」や「キュイジニエ」などと呼ぶ。 プロの調理人を養成する調理師学校もある。 専門料理は技術であり、また特に高度なものは芸術の一種と捉えられることもある。絵画芸術では芸術家による作品は絵画作品であり、創り出された作品そのものが形として後世にまで残るが、調理の場合は、作品は料理でありお客(食べる人)の前に出され、食べられ、形(物体)としては無くなる、という特徴がある。ただし、レシピという形では残り、シェフが開発した優れたレシピは時代を超えた価値を持ち続けている。 なお世界の一般論として言えば、調理に資格は一切必要ない。世界的に見て、料理店などの調理場で調理するのにも免許は必要ない。日本では1958年の調理師法の公布により「調理師」が都道府県知事の免許制として一応法制化されたが、それでも飲食店においても調理は調理師免許を持っていなくても行うことができる。ただ料理店に対して調理師を置くことを「努力義務」としただけで、調理師がいなくても特にとがめられるわけではない。 調理については学問的な研究も行われており、栄養や味覚などについて自然科学的アプローチを行う「調理科学」や、歴史の変遷を追う「調理史」などがある。 そのままでは食べられないものを、加熱により食べられるものへと変化させることができる。加熱することで有害な病原菌が殺菌され、有毒なタンパク質は変質され無毒化される。 また毒のある部位を取り除くことで危険性を低減する。(フグの卵巣除去等)。 切る、刻む、すり潰すなどの操作は歯と顎による咀嚼よりも効率的に食物を消化吸収に適した形状に加工することを可能とした。また、加熱によりタンパク質が変質し消化吸収されやすくなる。 ただし、ビタミンは調理中に失われてしまうものもある。 人類は火を使い食物を加熱することで食べられないものを食べられるようにし、消化吸収のコストを激的に低減した。それにより大量のエネルギー余剰が生まれ、それが脳の発達の一因となったという見方が存在する 調理は包丁のような刃物を用いることがあるため、怪我をする危険がある。 切り傷から感染症に繋がる場合もあるため、注意が必要である。 また、切り傷がある人が調理した生物(なまもの)などは、黄色ブドウ球菌などの食中毒を引き起こす可能性がある。 調理に伴う油煙などは有害であり、吸い込むと肺がんなどの呼吸器疾患を引き起こす。そのため適切な換気装置を使用する必要がある。 韓国では調理場の従業員の内18%が呼吸器疾患を患っており、料理人の呼吸器疾患が労災認定されている。 また火のために薪のような精製されていない燃料を使う場合、大量に煙が発生するため大気汚染の原因となり、環境を汚染する。 発展途上国では調理の際に発生するこれらの有害物質の吸入が全死亡の死因中で1位であり、大きな課題となっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "調理(ちょうり、仏: cuisson、英: cooking)とは、食品材料(食材)を洗う、切るなどして、さらに煮る、焼く、炒めるなどの操作をほどこし、食べやすく、また味も良くすることや、その技術のこと。「料理する」という場合の「料理」は、調理よりも広義である(下で説明)。本記事では調理すること、および料理することの両方を扱う。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "調理とは食材を洗う、切るなどして、さらに煮る、焼く、炒めるなどの操作をほどこし、食べやすく、また味も良くすることである。「調理」は味作りの技術面に限定される用語である。「料理」のほうは、やや広義で、食事計画を立て、(食材を確保し、調理操作を行い)食卓上の料理を構成するまでの過程全体を指す。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "調理は長い歴史を持ち歴史とともに変化してきた。調理は各家庭においても行われている。また料理店などの調理場において職業的調理者によっても行われている。料理店で職業的料理人が提供する料理を「専門料理」と呼ぶ。また専門料理に対し、家庭で日常提供される料理を「家庭料理」という。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "調理で用いられる様々な手法や技法は、調理法、調理技術と呼ばれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "調理に用いる道具を調理器具と言う。キッチンナイフ(包丁)類、鍋類、熱源などが基本中の基本である。調理をする人は広く「調理者」や「調理人」と言う。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "家庭料理では母が娘に(また父が息子に、祖母が孫娘に)調理法を教えることで、家庭ごとの調理法や「味」が次世代に継承されている。調理のための教室(「クッキング教室」)なども開催されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "料理店では職業的な調理者、プロの調理者が調理を行っているわけだが、 職業的に調理を行う人はフランス語では「cuisinier キュイジニエ」と言い、その中でも調理場でキュイジニエたちを統率する料理長(調理場の最高責任者)を「chef シェフ」と言う(「シェフ」は本来は調理に限らず様々な分野で、広く人々に命令し、決定的な影響を与える人物のこと。調理場でその役割を果たすので「シェフ」と呼ばれるようになった。)。英語では「コック」、日本語では和食の調理人は「板前」などと呼ばれ、日本でもフランス料理の調理人は「シェフ」や「キュイジニエ」などと呼ぶ。 プロの調理人を養成する調理師学校もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "専門料理は技術であり、また特に高度なものは芸術の一種と捉えられることもある。絵画芸術では芸術家による作品は絵画作品であり、創り出された作品そのものが形として後世にまで残るが、調理の場合は、作品は料理でありお客(食べる人)の前に出され、食べられ、形(物体)としては無くなる、という特徴がある。ただし、レシピという形では残り、シェフが開発した優れたレシピは時代を超えた価値を持ち続けている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "なお世界の一般論として言えば、調理に資格は一切必要ない。世界的に見て、料理店などの調理場で調理するのにも免許は必要ない。日本では1958年の調理師法の公布により「調理師」が都道府県知事の免許制として一応法制化されたが、それでも飲食店においても調理は調理師免許を持っていなくても行うことができる。ただ料理店に対して調理師を置くことを「努力義務」としただけで、調理師がいなくても特にとがめられるわけではない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "調理については学問的な研究も行われており、栄養や味覚などについて自然科学的アプローチを行う「調理科学」や、歴史の変遷を追う「調理史」などがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "そのままでは食べられないものを、加熱により食べられるものへと変化させることができる。加熱することで有害な病原菌が殺菌され、有毒なタンパク質は変質され無毒化される。 また毒のある部位を取り除くことで危険性を低減する。(フグの卵巣除去等)。", "title": "効果" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "切る、刻む、すり潰すなどの操作は歯と顎による咀嚼よりも効率的に食物を消化吸収に適した形状に加工することを可能とした。また、加熱によりタンパク質が変質し消化吸収されやすくなる。 ただし、ビタミンは調理中に失われてしまうものもある。", "title": "効果" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "人類は火を使い食物を加熱することで食べられないものを食べられるようにし、消化吸収のコストを激的に低減した。それにより大量のエネルギー余剰が生まれ、それが脳の発達の一因となったという見方が存在する", "title": "人類史における意義" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "調理は包丁のような刃物を用いることがあるため、怪我をする危険がある。 切り傷から感染症に繋がる場合もあるため、注意が必要である。 また、切り傷がある人が調理した生物(なまもの)などは、黄色ブドウ球菌などの食中毒を引き起こす可能性がある。", "title": "調理の危険性" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "調理に伴う油煙などは有害であり、吸い込むと肺がんなどの呼吸器疾患を引き起こす。そのため適切な換気装置を使用する必要がある。 韓国では調理場の従業員の内18%が呼吸器疾患を患っており、料理人の呼吸器疾患が労災認定されている。", "title": "調理の危険性" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "また火のために薪のような精製されていない燃料を使う場合、大量に煙が発生するため大気汚染の原因となり、環境を汚染する。 発展途上国では調理の際に発生するこれらの有害物質の吸入が全死亡の死因中で1位であり、大きな課題となっている。", "title": "調理の危険性" } ]
調理とは、食品材料(食材)を洗う、切るなどして、さらに煮る、焼く、炒めるなどの操作をほどこし、食べやすく、また味も良くすることや、その技術のこと。「料理する」という場合の「料理」は、調理よりも広義である(下で説明)。本記事では調理すること、および料理することの両方を扱う。
{{出典の明記|date=2017年3月}} [[File:Agdz-rosino-05.jpg|thumb|調理風景]] '''調理'''(ちょうり、{{Lang-fr-short|cuisson}}、{{Lang-en-short|cooking}})とは、[[食材|食品材料(食材)]]を洗う、切るなどして、さらに[[煮る]]、[[焼き物 (料理)|焼く]]、[[炒める]]などの操作をほどこし、食べやすく、また[[味]]も良くすることや、その[[技術]]のこと<ref name="nihondaihyakka">小学館『日本大百科全書』「調理」</ref>。「料理する」という場合の「料理」は、調理よりも広義である(下で説明)。本記事では'''調理'''すること、および'''料理すること'''の両方を扱う。 == 概要 == [[File:Jb house.jpg|thumb|シェフによる厨房での調理]] 調理とは食材を洗う、切るなどして、さらに煮る、焼く、炒めるなどの操作をほどこし、食べやすく、また味も良くすることである。「調理」は味作りの技術面に限定される用語である。「料理」のほうは、やや広義で、食事計画を立て、(食材を確保し、調理操作を行い)食卓上の料理を構成するまでの過程全体を指す<ref name="nihondaihyakka" />。 調理は長い歴史を持ち歴史とともに変化してきた。調理は各家庭においても行われている。また料理店などの調理場において職業的調理者によっても行われている。料理店で職業的料理人が提供する料理を「専門料理」と呼ぶ。また専門料理に対し、家庭で日常提供される料理を「家庭料理」という。 調理で用いられる様々な手法や技法は、'''[[調理法|調理法、調理技術]]'''と呼ばれる。 調理に用いる道具を[[調理器具]]と言う。[[キッチンナイフ]]([[包丁]])類、[[鍋]]類、熱源などが基本中の基本である。調理をする人は広く「調理者」や「調理人」と言う。 家庭料理では親が子に、または祖父母が孫に、調理法を教えることで、家庭ごとの調理法や「味」が次世代に継承されている。調理のための教室(「クッキング教室」)なども開催されている。 料理店では職業的な調理者、[[プロ]]の調理者が調理を行っているわけだが、職業的に調理を行う人はフランス語では「cuisinier キュイジニエ」と言い、その中でも調理場でキュイジニエたちを統率する料理長(調理場の最高責任者)を「chef [[シェフ]]」と言う(「シェフ」は本来は調理に限らず様々な分野で、広く人々に命令し、決定的な影響を与える人物のこと。調理場でその役割を果たすので「シェフ」と呼ばれるようになった。)。英語では「[[コック (職業)|コック]]」、日本語では和食の調理人は「[[板前]]」などと呼ばれ、日本でもフランス料理の調理人は「シェフ」や「キュイジニエ」などと呼ぶ。プロの調理人を養成する調理師学校もある。 専門料理は[[技術]]であり、また特に高度なものは[[芸術]]の一種と捉えられることもある。絵画芸術では芸術家による作品は絵画作品であり、創り出された作品そのものが形として後世にまで残るが、調理の場合は、作品は料理でありお客(食べる人)の前に出され、食べられ、形(物体)としては無くなる、という特徴がある。ただし、[[レシピ]]という形では残り、シェフが開発した優れたレシピは時代を超えた価値を持ち続けている。 なお世界の一般論として言えば、調理に資格は一切必要ない<ref group="注">注 - 調理は自由である、としておかなければ、自分や家族のために調理して栄養をとり生き延びることすらできなくなってしまうので、そうなっている。生きる基本である「呼吸」することに対して資格試験をまず受けさせて合格しないと呼吸させない、などとは設定しない、設定してはいけない、というのと同じことである。また友人・知人などを家庭に招いて調理して もてなしたりすることすらもできないような、不便きわまり世界になってしまうので、調理に資格者限定は行われない。</ref>。世界的に見て、料理店などの調理場で調理するのにも免許は必要ない。日本では1958年の[[調理師法]]の公布により「調理師」が都道府県知事の免許制として一応法制化されたが、それでも飲食店においても調理は調理師免許を持っていなくても行うことができる。ただ料理店に対して調理師を置くことを「努力義務」としただけで、調理師がいなくても特にとがめられるわけではない<ref group="注">なお調理の仕事は、資格が必要無いからといって、誰でも簡単に続けられるようなものではなく、客の味覚や厳しい判断に認められてようやく続けられる仕事である。世界的に見て、プロの調理人としてやってゆく場合、調理場で実践的に働くことを相当年数続けること(たとえば調理場の脇役的な作業から始めて、少しずつ下準備的な、食材に触れること、食材を切ることなどを許され、長い年月の末に味の最終調整にも関与するようになること)は一定の評価の対象となっており、その中でも、特に名の知れた腕の良い調理人のいる調理場で厳しい修行を積み その優れた技術体系を総合的に会得することは調理人のキャリア形成で有利に働き、一種の「財産」「資産」のような役割を果たす。</ref>。 調理については学問的な研究も行われており、[[栄養]]や[[味覚]]などについて[[自然科学]]的アプローチを行う「調理科学」や、歴史の変遷を追う「調理史」などがある。 == 効果 == [[File:Grilling seitan and sausages.JPG|thumb|火を通すことで雑菌や寄生虫を殺す]] === 殺菌、無毒化 === そのままでは食べられないものを、加熱により食べられるものへと変化させることができる。加熱することで有害な病原菌が殺菌され、有毒なタンパク質は変質され無毒化される。また毒のある部位を取り除くことで危険性を低減する。([[フグ]]の卵巣除去等)。 === 栄養の利用(消化吸収)効率の向上 === 切る、刻む、すり潰すなどの操作は歯と顎による咀嚼よりも効率的に食物を消化吸収に適した形状に加工することを可能とした。また、加熱により[[タンパク質]]が変質し消化吸収されやすくなる。ただし、[[ビタミン]]は調理中に失われてしまうものもある。 === 食味の向上 === == 人類史における意義 == 人類は火を使い食物を加熱することで食べられないものを食べられるようにし、消化吸収のコストを激的に低減した。それにより大量のエネルギー余剰が生まれ、それが脳の発達の一因となったという見方が存在する<ref>{{Cite book|title=火の賜物―ヒトは料理で進化した|date=|year=|publisher=NTT出版}}</ref> == 調理の危険性 == === 切り傷 === [[File:Matlagning (2).jpg|thumb|包丁で玉ねぎを切る]] 調理は[[包丁]]のような刃物を用いることがあるため、怪我をする危険がある。切り傷から感染症に繋がる場合もあるため、注意が必要である。また、切り傷がある人が調理した生物(なまもの)などは、黄色ブドウ球菌などの食中毒を引き起こす可能性がある。 === 排煙による呼吸器疾患 === [[File:調理 左手は腰に (6569581771).jpg|thumb|調理している人]] 調理に伴う[[油煙]]などは有害であり、吸い込むと[[肺がん]]などの呼吸器疾患を引き起こす。そのため適切な[[換気]]装置を使用する必要がある。韓国では調理場の従業員の内18%が呼吸器疾患を患っており、料理人の呼吸器疾患が労災認定されている<ref>[https://news.yahoo.co.jp/articles/2579afe764e2780b162418568f7ae5e5c0fc361e 韓国の学校給食調理従事者、18%が肺疾患(朝鮮日報日本語版) - Yahoo!ニュース ]</ref><ref>[https://joshrc.net/archives/9460 心配になる料理人の呼吸器健康ー肺がん労災認定 2021年4月9日 韓国の労災・安全衛生 | 全国労働安全衛生センター連絡会議 ]</ref>。 また火のために[[薪]]のような精製されていない燃料を使う場合、大量に煙が発生するため大気汚染の原因となり、環境を汚染する。発展途上国では調理の際に発生するこれらの有害物質の吸入が全死亡の死因中で1位であり、大きな課題となっている<ref>[https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9067/ WHO:環境汚染死因1位は料理用燃料 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト ]</ref>。 <gallery> PkGehöft1.jpg|屋内で薪を使った調理をしている人 </gallery> == 調理器具 == * {{仮リンク|調理器具の一覧|en|List of cooking vessels}} も参照。 ; 熱源 {{Col-begin}} {{Col-2}} * [[かまど]] * [[焜炉]](コンロ) * [[オーブン]] * [[オーブンレンジ]] * [[ガスレンジ]] * [[クッキングヒーター]] * [[IH調理器]] {{Col-2}} {{Commons cat multi|Kitchen appliances|Kitchenware}} * [[電子レンジ]] * [[トースター]] * [[炊飯器]] * [[ウォーターオーブン]] * [[スチームコンベクションオーブン]] * [[七輪]] * [[囲炉裏]] {{Col-end}} ; 加熱容器 {{Col-begin}} {{Col-2}} * [[鍋]] * [[釜]] * [[やかん]] * [[フライパン]] * [[土鍋]] * [[蒸し器]] {{Col-2}} * [[飯盒]](はんごう) * {{仮リンク|ビリー缶|en|Billycan}} * {{仮リンク|ケリーケトル|en|Kelly Kettle}} * [[圧力鍋]] * [[巻き焼き鍋]] {{Col-end}} * [[落とし蓋]] - 鍋の蓋と違い、[[食材]]の上に乗せる形で用いる。[[煮物]]や食材の[[下茹で]]に使用されることが多い ; 切る {{Col-begin}} {{Col-2}} * [[包丁]] * [[まな板]] * [[千枚通し|目打ち]] * [[スライサー]] {{Col-2}} * [[エッグスライサー]] * [[ピーラー]] * 料理ばさみ * ゆで卵切り器 {{Col-end}} * [[パイカッター]] - 焼き上がったパイを切り分けるのに用いる。 * [[ジャカード]] - [[ステーキ]]、[[とんかつ]]などの肉料理の[[下拵え]]時に、生肉に穴を開けて繊維を切断し、柔らかくするのに用いる。 ; 砕く * [[ミキサー (調理器具)|ミキサー]] * [[フードプロセッサー]] ; 擦る、すりおろす * [[おろし器]] ** [[おろし器|おろし金]] ** [[おろし器#チーズおろし|チーズおろし]](チーズグレーター) * [[ジューサー]] ; 潰す、すり潰す {{Col-begin}} {{Col-2}} * [[すり鉢]] * [[すりこぎ]] * [[裏漉し器]] {{Col-2}} * [[ムーラン_(調理器具)|ムーラン]] * (トマト,ポテト)[[マッシャー]] * {{仮リンク|にんにく潰し|fr|Presse-ail|es|Prensa de ajos|en|Garlic press}} {{Col-end}} ; 挽く * 肉挽き機(ミンチ機、ミンサー(ミッチャー)) ; 割る * 銀杏割り * [[くるみ割り]] ; 混ぜる {{Col-begin}} {{Col-2}} * [[ボウル]] * [[泡立て器]] * [[ホイッパー]] * [[パイブレンダー]] - パイ生地を作る際に用いる。 {{Col-2}} * [[へら#調理器具|ゴムべら (スパテラ、スパチュラ)]] * [[へら#調理器具|木製へら (スパテラ、スパチュラ)]] * [[しゃもじ]] {{Col-end}} ; ふるう * [[篩]](ふるい) * [[シフター]] ; 漉す * [[シノワ]](スープ漉し器) ; 叩く、伸ばす * [[ミートハンマー]] - 肉を叩いて柔らかくするための道具 * [[麺棒]] ; 塗る * [[刷毛]] - [[タレ]]を塗ったり、製菓などの際に卵黄やシロップを塗るのに用いる。 * [[パレットナイフ]] - 製菓用 * [[油引き]] ; 整える * [[巻き簀]](す) * [[串]] * 型(焼き型、流し型、抜き型) * [[セルクル]] ; 量る、測る * 台秤(だいばかり) * [[計量カップ]] * [[計量スプーン]] * [[タイマー]] * [[温度計]] ; その他 {{Col-begin}} {{Col-2}} * [[おたま]] * [[スキマー(器具)]] ([[w:Skimmer (utensil)|Skimmer (utensil)]]) * [[網杓子]] * [[味噌こし]] * [[笊]](ざる) * [[ばんじゅう]] * [[クッキングペーパー]] * [[クッキングシート]] {{Col-2}} * [[ラッピングフィルム (包装)|ラップフィルム]] * [[アルミ箔|アルミホイル]] * [[缶切り]] * [[ジューサー|レモン搾り器]] * オイルサーバー * [[うろこ引き]] {{Col-end}} * ジャーレン - 中華鍋から揚げ物などを一度に取り出すための穴あきの道具 * [[スクレイパー#調理器具|スケッパー]] - 焼く前のパイ生地を混ぜたり切り分けるのに用いる * [[オメガヴィスペン]] - [[スウェーデン]]発祥の万能調理器具で、調理の際の様々な動作に合わせる形で作られている * パスタメーカー(パスタマシン) - パスタ生地を伸ばしながら切る器具 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * 島田敦子、今井悦子編著『調理とおいしさの科学』(放送大学教材、[[1998年]]3月) == 関連項目 == *[[調理法]] - 調理方法の一覧 *[[料理]] - 世界の料理の一覧 *[[台所]] *[[野外炊具]] *[[栄養学]] *[[厨房]] *[[家庭料理技能検定]] *[[:Category:調理器具]] - 調理器具の一覧 (五十音順) {{Food-stub}} {{料理}} {{キッチン器具}} {{公害}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ちようり}} [[Category:調理|*ちようり]] [[Category:生活]]
2003-02-28T04:31:04Z
2023-11-02T02:16:45Z
false
false
false
[ "Template:Lang-en-short", "Template:Col-2", "Template:Col-end", "Template:Cite book", "Template:Food-stub", "Template:キッチン器具", "Template:公害", "Template:仮リンク", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Col-begin", "Template:Reflist", "Template:料理", "Template:Normdaten", "Template:出典の明記", "Template:Lang-fr-short", "Template:Commons cat multi" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%BF%E7%90%86
3,032
L.M.L.
L.M.L. ヌ・ヴィルゴスによる2枚目の英語アルバムと5枚目のスタジオアルバムである。 アルバムのタイトルは、「L.M.L。」というタイトルのアルバムの曲に由来している。 このアルバムは、2007年9月13日にロシアでリリースされ、2007年9月19日にアジアでリリースされた。アルバムは数か月にわたってチャートにヒットし、努力の成果を見せた。 リリース後の最初の数か月間、アルバムの発売会社であるMonolithに多くの儲けが入った。 曲の作者はコンスタンティン・メラゼである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "L.M.L. ヌ・ヴィルゴスによる2枚目の英語アルバムと5枚目のスタジオアルバムである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "アルバムのタイトルは、「L.M.L。」というタイトルのアルバムの曲に由来している。", "title": "コンテンツ" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "このアルバムは、2007年9月13日にロシアでリリースされ、2007年9月19日にアジアでリリースされた。アルバムは数か月にわたってチャートにヒットし、努力の成果を見せた。 リリース後の最初の数か月間、アルバムの発売会社であるMonolithに多くの儲けが入った。 曲の作者はコンスタンティン・メラゼである。", "title": "リリース" } ]
L.M.L. ヌ・ヴィルゴスによる2枚目の英語アルバムと5枚目のスタジオアルバムである。
{{複数の問題 | 特筆性 = 2020年5月17日 (日) 05:31 (UTC) | 分野 = 音楽 | 出典の明記 = 2020年5月17日 (日) 05:31 (UTC) }} {{Rough translation}} {{Infobox Album | Name = L.M.L. | Type = studio | Artist = [[ヌ・ヴィルゴス]] | Released = 13日9月2007年 | Recorded = 2006-2007年 | Genre = Dance-pop<br>[[Pop rock]]<br>Teen pop<br>[[Contemporary R&B]] | Length = 37:12 | Label = Monolit Records | Producer = ''Konstantin Meladze''<br>''Dmitry Kostyuk'' | Reviews = | Chart position = | Certification = | Last album = [[解放 (ヌ・ヴィルゴス)|解放]] | This album = '''L.M.L.''' | Next album = [[キス (ヌ・ヴィルゴス)|キス]] }} '''''L.M.L.''''' [[ヌ・ヴィルゴス]]による2枚目の英語アルバムと5枚目のスタジオアルバムである。 ==コンテンツ== アルバムのタイトルは、「L.M.L。」というタイトルのアルバムの曲に由来している。 ==リリース== このアルバムは、2007年9月13日にロシアでリリースされ、2007年9月19日にアジアでリリースされた。アルバムは数か月にわたってチャートにヒットし、努力の成果を見せた。 リリース後の最初の数か月間、アルバムの発売会社であるMonolithに多くの儲けが入った。 曲の作者はコンスタンティン・メラゼである。 == トラックリスト == {{tracklist | headline = 元の2007リリース | title1 = L.M.L. | length1 = 4:09 | title2 = Tell Me Lie | length2 = 4:20 | title3 = Thunderstorm | length3 = 3:22 | title4 = Diamonds | length4 = 3:27 | title5 = Take You Back (album version) | length5 = 4:00 | title6 = HuMENology | length6 = 3:45 | title7 = No Joy & No Sorrow | length7 = 3:00 | title8 = Director | length8 = 3:58 | title9 = My Beloved | length9 = 3:23 | title10 = I don't want a man (feat. [[TNMK]]) | length10 = 3:43 }} == ボーカル == *[[オルガ・ロマノフスキー]] *[[ナディヤ・メイヤー]] *[[アルビナ・ディザナバエワ]] *[[ヴェラ・ブレジネーヴァ]] [[Category:2007年のアルバム]] [[Category:ヌ・ヴィルゴスのアルバム]]
null
2021-09-12T11:37:04Z
false
false
false
[ "Template:Rough translation", "Template:Infobox Album", "Template:Tracklist", "Template:複数の問題" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/L.M.L.
3,033
ヴェラ・ブレジネーヴァ
ビラ・ガルシュカ (ウクライナ語: Віра Вікторівна Галушка; ロシア語: Вера Викторовна Галушка) 、芸名 ヴェラ・ブレジネーヴァ (ロシア語: Вера Брежнева) (1982年2月3日生まれ)は、ウクライナのポップシンガー、テレビ司会者、女優。 ベラは1982年2月3日に生まれました ドニプロツェリンスク ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 ソビエト連邦. 彼女の両親は音楽やエンターテインメントのビジネスには関与していませんでした。 彼女の父、ヴィクターは化学工場で働いていました。 医学部を卒業したベラの母親であるタマラは、ベラの父親と同じ工場で働いていた。 ヴェラには3人の姉妹がいます: 1人は年上(Halyna)、2人は年下(NastyaとVika、双生児)。 彼女はキエフに近い町ボリスピルで両親のためにアパートを購入した。 ベラの娘(ソニア)の父親は、ベラが数年間結婚していたVitaliy Voychenkoです。 彼女はドニプロペトロフスク国立鉄道輸送大学の経済学部から通信によって学位を取得しました。 ヴェラは、ロシア語の映画に数多く出演しています。 彼女は2009年に映画「ラブインザビッグシティ」でカティアを演じ、2010年と2013年にその2つの続編を果たしました。2016年には、8つのベストデイトで演奏しました。 彼女はまた、クリスマスツリー1とクリスマスツリー2で自分自身として主要な役割を果たし、ジャングルに出演しました。 彼女の映画作品のほとんどは、ロマンチックコメディーです。 スタジオアルバム
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ビラ・ガルシュカ (ウクライナ語: Віра Вікторівна Галушка; ロシア語: Вера Викторовна Галушка) 、芸名 ヴェラ・ブレジネーヴァ (ロシア語: Вера Брежнева) (1982年2月3日生まれ)は、ウクライナのポップシンガー、テレビ司会者、女優。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ベラは1982年2月3日に生まれました ドニプロツェリンスク ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 ソビエト連邦. 彼女の両親は音楽やエンターテインメントのビジネスには関与していませんでした。 彼女の父、ヴィクターは化学工場で働いていました。 医学部を卒業したベラの母親であるタマラは、ベラの父親と同じ工場で働いていた。 ヴェラには3人の姉妹がいます: 1人は年上(Halyna)、2人は年下(NastyaとVika、双生児)。 彼女はキエフに近い町ボリスピルで両親のためにアパートを購入した。 ベラの娘(ソニア)の父親は、ベラが数年間結婚していたVitaliy Voychenkoです。 彼女はドニプロペトロフスク国立鉄道輸送大学の経済学部から通信によって学位を取得しました。", "title": "伝記" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ヴェラは、ロシア語の映画に数多く出演しています。 彼女は2009年に映画「ラブインザビッグシティ」でカティアを演じ、2010年と2013年にその2つの続編を果たしました。2016年には、8つのベストデイトで演奏しました。 彼女はまた、クリスマスツリー1とクリスマスツリー2で自分自身として主要な役割を果たし、ジャングルに出演しました。 彼女の映画作品のほとんどは、ロマンチックコメディーです。", "title": "伝記" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "", "title": "伝記" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "", "title": "ディスコグラフィー" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "スタジオアルバム", "title": "ディスコグラフィー" } ]
ビラ・ガルシュカ 、芸名 ヴェラ・ブレジネーヴァ (1982年2月3日生まれ)は、ウクライナのポップシンガー、テレビ司会者、女優。
{{Rough translation}} {{Infobox musical artist |name = ヴェラ・ブレジネーヴァ |background = solo_singer |image = Вера Брежнева.jpg |caption = ベラ・ブレジネワ2017 |birth_name = Galushka Vera Viktorovna |birth_date = {{birth date and age|df=y|1982|2|3}} |birth_place = [[ドニプロツェリンスク]], [[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国]], [[ソビエト連邦]] |genre = Pop, [[Pop rock]], [[Doo-wop]] |occupation = 歌手、プレゼンター、女優 |years_active = 2003–2007 ([[ヌ・ヴィルゴス]])<br>2008–プレゼント (solo) |website ={{url|brezhneva.com}} }} '''ビラ・ガルシュカ''' ({{lang-uk|Віра Вікторівна Галушка}}; {{lang-ru|link=no|Вера Викторовна Галушка}}) 、芸名 '''ヴェラ・ブレジネーヴァ''' ({{lang-ru|link=no|Вера Брежнева}}) (1982年2月3日生まれ)は、ウクライナのポップシンガー、テレビ司会者、女優。<ref name=Bio/> ==伝記== === 家族 === ベラは1982年2月3日に生まれました [[ドニプロツェリンスク]] [[ウクライナ・ソビエト社会主義共和国]] [[ソビエト連邦]].<ref name=Bio>{{Cite web |url=http://www.brezhneva.com/bio |title=brezhneva.com Биография |access-date=10 August 2015 |archive-url=https://web.archive.org/web/20150810201108/http://brezhneva.com/bio |archive-date=10 August 2015 |url-status=dead }}</ref> 彼女の両親は音楽やエンターテインメントのビジネスには関与していませんでした。 彼女の父、ヴィクターは化学工場で働いていました。 医学部を卒業したベラの母親であるタマラは、ベラの父親と同じ工場で働いていた。<ref>[http://x3m-slider.org.ua/blog/content/vera-brezhneva-vera-brezhneva-biografiya-i-fotopodborka Вера Брежнева / Vera Brezhneva (биография и фотоподборка) | Блог X3M-Slider(а)]</ref><ref>[http://news.yandex.ru/people/vojchenko_vitalij.html Виталий Войченко: Пресс-Портрет]</ref> ヴェラには3人の姉妹がいます:<ref name=Bio/> 1人は年上(Halyna)、2人は年下(NastyaとVika、[[双生児]])。 彼女は[[キエフ]]に近い町[[ボリスピル]]で両親のためにアパートを購入した。 ベラの娘(ソニア)の父親は、ベラが数年間結婚していたVitaliy Voychenkoです。<ref name="fakty.ua">[http://fakty.ua/64031-kogda-prodyuser-quot-via-gry-quot-dmitrij-kostyuk-uznal-chto-prinyataya-v-gruppu-vera-galushka-iz-dneprodzerzhinska-rodiny-leonida-ilicha-skazal-quot-budesh-brezhnevoj-quot Когда продюсер «ВИА Гры» Дмитрий Костюк узнал, что принятая в группу вера галушка из… — Газета «ФАКТЫ и комментарии»]</ref> 彼女はドニプロペトロフスク国立鉄道輸送大学の経済学部から通信によって学位を取得しました。<ref name=Bio/> ===フィルム=== ヴェラは、ロシア語の映画に数多く出演しています。 彼女は2009年に映画「ラブインザビッグシティ」でカティアを演じ、2010年と2013年にその2つの続編を果たしました。2016年には、8つのベストデイトで演奏しました。 彼女はまた、クリスマスツリー1とクリスマスツリー2で自分自身として主要な役割を果たし、ジャングルに出演しました。 彼女の映画作品のほとんどは、ロマンチックコメディーです。 ==ディスコグラフィー== ===シングル=== {|class="wikitable" !rowspan="2"| 年 !rowspan="2"| 題名 !colspan="2"| リストに載せる |- !width="50"|<small>[[ウクライナ]]</small> !width="50"|<small>[[ロシア]]</small> |- |rowspan="2"|2008 |''Ya ne igrayu'' |align="center"|— |align="center"|6 |- |''Nirvana'' |align="center"|— |align="center"|80 |- |rowspan="1"|2009 |''Lyubov v bolshon gorode'' |align="center"|— |align="center"|19 |- |rowspan="3"|2010 |''Lyubov spaset mir'' |align="center"|1 |align="center"|1 |- |''Pronto'' (con Potap) |align="center"|— |align="center"|31 |- |''Lepestkami slyoz'' (con [[Dan Balan]]) |align="center"|3 |align="center"|1 |- ||2011 |"Реальная жизнь (Real life)" | style="text-align:center;"|1 | style="text-align:center;"|1 |- |rowspan="4"|2012 |"Sexy Bambina" | style="text-align:center;"|1 | style="text-align:center;"|— |- |"Бессонница (Insomnia)" | style="text-align:center;"|6 | style="text-align:center;"|20 |- |"Ищу тебя (I am looking for you)" | style="text-align:center;"|7 | style="text-align:center;"|— |- |"Любовь на расстоянии (Love from a distance)" (feat. [[DJ Smash (Russian musician)|DJ Smash]]) | style="text-align:center;"|48 | style="text-align:center;"|14 |- |rowspan="2"|2013 |"Хороший день (Nice day)" | style="text-align:center;"|2 | style="text-align:center;"|11 |- |"Дом (Home)" | style="text-align:center;"|— | style="text-align:center;"|— |- |rowspan="2"|2014 |"Доброе утро (Good Morning)" | style="text-align:center;"|1 | style="text-align:center;"|12 |- |"Девочка моя (My baby)" | style="text-align:center;"|— | style="text-align:center;"|— |} ===アルバム=== '''スタジオアルバム''' * ''Lyubov spasyot mir'' (2010) * ''VERVERA'' (2015) ===EP=== * ''TBA'' (2020) ==参考文献== {{Reflist}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふれしねえうあ うえら}} [[Category:ウクライナの歌手]] [[Category:存命人物]] [[Category:1982年生]]
null
2021-10-30T02:42:20Z
false
false
false
[ "Template:Lang-uk", "Template:Lang-ru", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Normdaten", "Template:Rough translation", "Template:Infobox musical artist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A1
3,041
人間
人間(、英: human being)とは、以下の概念を指す。 関係性を重視して「人‐間(あいだ)」という名称があてられたとされている。旧約聖書の『創世記』において、人間はすべて神にかたどってつくられた(「神の似姿」)、とされ、身分や性別に関係なく、人間であれば誰であっても神性を宿している、とされた。アリストテレスは著書『政治学』において、人間とは、自分自身の自然本性の誠意をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(つまり《善く生きること》を目指す人々の共同体)をつくることで完成に至る、という(他の動物とは異なった)独特の自然本性を有する動物である、と説明した。キリスト教では、旧約聖書の創世記で示された「神の似姿」という考え方が継承され、平等が重んじられ、一番大切なのは(自分だけを特別視するような視点ではなく)「神の視点」だとされるようになった。→#人間観の遷移 「人間らしさ」について、説明する方法は幾通りもあるが、「言葉を使うこと」「道具を使うこと」などはしばしば挙げられている。→#性質 旧約聖書では、すべては神というフィルターを通して語られているが、そこでは同時に人間観や世界観が語られている。殺人、不倫、近親相姦、大量殺人、権力抗争といった人間の赤裸々な姿が描かれており、それらの描写やドラマは、数々の芸術作品のモチーフともなってきた歴史がある。 創世記には天地創造がしるされているが、そこには以下のようなくだりがある。 旧約聖書以前の時代、古代エジプトやバビロニアにおいては、あくまで王だけが神にかたどってつくられた、とされていて、人間全体がそうだとはされていなかった。それが創世記においては、人間はすべて神にかたどってつくられた、とされた。つまり、身分や性別に関係なく、人間であれば誰であっても神性を宿している、という人間観が述べられている。また、ここでは人間が自然や動物の支配者とされている。自然や動物を支配したり管理したりしようとする西洋的自然観(人間観)は、この創世記の記述の影響を受けている、とも言われる。 人間については、古くから哲学者らによって考察されていた。 ソクラテス、プラトン、アリストテレスらによって構築された人間観は、人間の普遍的特質に関心を集中させている。古代ギリシャの人間像というのは、近現代に見られるような、具体的な犯すべからざる個人としての人間といったものではない、とビショフベルゲルは指摘した。 アリストテレスは『ポリティカー』の一節において人間を「ζῷον πολιτικόν (zoon politikon ゾーン・ポリティコン)」と呼んだ。(『ポリティカー』 1252b-1253a) アリストテレスはその直前の文で、ポリスというものを「ポリス的 - 政治的 - 共同体」と定義した。アリストテレスの言うポリスとは、単に生きることではなく、《善く生きること》を目的に掲げて互いに結びついた市民(= politai)の共同体のことであり、人間がつくるさまざまな共同体の中で最高最善の共同体だと位置づけられていた。ポリス的共同体においてこそ人間の自然本性が完成されるのだから、とアリストテレスは考えた。そしてポリスというのは、人間にとって究極の目的としての自然本性である。よって、アリストテレスが主張したことは、人間とは自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(=《善く生きること》を目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る、他の動物には見られない自然本性を有する動物である、ということである。 (誤解が流布しているようだが)アリストテレスは、人間が単に社会を形成している、とか、社会生活を営む一個の社会的存在である、などと言ったのではない。 ζῷον πολιτικόνは日本語での訳語は定まっていないが、「ポリス的動物」、「政治的動物」、「社会的動物」などと訳されている。 キリスト教では、旧約聖書の創世記で示された「神の似姿」という考え方が継承された。キリスト教に基づく倫理観では、一番大切なのは(日本人の多くが考えているような「他人の眼」ではなく)創造主である神の眼、神の視点である。さらに、4〜5世紀の神学者アウグスティヌスによって原罪の思想が始められたともされ、これはその後西方教会においては重要な思想となった。キリスト教では、イエス・キリストを媒介として、あらゆる人間の同等の価値と各個人の不可侵性が強調された。中世ヨーロッパにおいては、人間が宇宙の中心的存在であるという人間像が席巻した。 正教会では、神の像と肖として人間が創られたという教えが人間観において強調される。アウグスティヌスの影響は正教会には希薄であった。 1400年代〜1500年代の頃になり、ガリレイやケプラー、ニュートンらの活動によって新たな世界像が提示されるようになると、人間が宇宙の中心であるという図式が揺らぎはじめた。また、デカルトによって人間の身体までも、化学的、物理的組織だとする視点が広く流布されるようになった。ただし、デカルトは心身二元論を採用しつつ、人間と動物をはっきりと区別した。 1700年代になると、ラ・メトリーがデカルトの概念を継承し「人間機械論」を発表。1800年代にはダーウィンが自然選択に基づく進化論を唱え、動物と人間との境界を取り払いはじめた。 人間は(肉体はともかくとして)精神の働きという点であらゆる存在に対して秀でているという考え方から「万物の霊長(英語: The Lord of Creation)」とさかんに呼ばれた(霊長とは、霊すなわち精神的に優れている、の意味)。 現代の生物学ではネオダーウィニズムが主流で、それは「生物の進化」という考え方を基盤として成り立っているため、自然科学者や先進国の知識人などで、現代生物学を受け入れている人々は「人間は猿、ネズミのような姿をしていた祖先生物、さらに遡れば単細胞の微生物から進化してきた」といったように見なしている。。(生物学的な人間像はヒトが参照可) ただし、人類全体ではダーウィン風に考えている人が必ずしも多数派というわけではなく、例えばアメリカ合衆国などでは伝統的なキリスト教の世界観および人間観を保ち続けている人の方がむしろ多数派であることなどが知られている(詳細は「アメリカ合衆国の現代キリスト教」を参照)。 現在、人間の学名は「ホモ・サピエンス」(知恵のあるヒトの意)で、やはり言語や文化などの(生物学的存在以上に多くの)側面を備えているとされている。この学名と同時に作られた名に「ホモ・エレクトゥス(直立するヒト)」「ホモ・ハビリス(器用なヒト)」(以上は生物学用語)というのがあり、後に社会面から捉えられた「ホモ・○○○(〜するヒト)」といった造語の元となった。遊びに目を留めたホイジンガの「ホモ・ルーデンス」といった表現はその典型である。 技術との融合により圧倒的な進化を遂げた人間の姿として、ポストヒューマンというアイデアも出てきている。 『論語』の陽貨篇第十七には右のように書かれている。「子曰く、性、相近きなり。習い、相遠きなり」 (意味:師は言われた。人間は、生まれつきの性質は同じようなものであるが、習い(=教育、しつけ)によって、大きく異なってゆくものだ。) ジャン=ジャック・ルソーは「植物は耕作によりつくられ、人間は教育によってつくられる」と述べた。 イマヌエル・カントは『教育学講義』において「人間が人間となることができるのは、教育によってである」と述べた。 現代でも日常的に「人は教育によって人間になる」「人は教育によってのみ人間となる」「しつけと教育によって人間になる」「教育によってヒトが人間になる」 といったことが多くの人々によって言われ続けている。 「人間らしさ」(人間の特徴)の説明のしかたはいくつかあるが、言葉が使え 言葉でコミュニケーションをすること、文化を持つこと(そしてそれを仲間や子に伝えること)、道具を使い道具を作ること、などが挙げられる。 人間の特徴のひとつは、言語を現在ある様な状態で使用し、自分の心の中で言語を用いて考え、以て互いの意思疎通を図ることにある。 人間は文字や言語を抽象的なシンボル(象徴)として扱ったり、論理思考(論理学)を行い、多様な事象に様々な解釈を行う。多くの研究者の主観では知能は地球上の全ての生物の中で最も高度であると考えられている。 好奇心や知識欲は比較的旺盛で、その多くは少なからず自身の関心事に対して「知ること」と「考えること」を好む性質も見られる。一般的には、様々な意味で人間自身が最も人間の関心を引くようである。 人間は、知識だけでなく、自らの精神や心にも注意を向けることができる。「心のありかた」や感じ方そのものを探求するだけでなく、それを自ら積極的に変革する努力を行うこともあり、例えば瞑想や内観などを行うこともある。宗教体系を持ち、それによって生活様式を整えている人間も多い(例えばアブラハムの宗教の信者だけでも30億人を超えている)。 道具を作り利用する能力が他の生物よりも長けていることも挙げられる。現在では機械装置といった高度化した道具を作り利用する事で、ほぼ他の生物が生存不可能な極限環境でも生活することができるまでになっている。ただし極限環境での生活は一般に負担が大きいため(コストなど)、大抵は着衣のみの調節で生活可能な地域に分布している。 記憶は、多くの点で自分が誰であるかを形作る。それらは内部の伝記、つまり人生で何をしたかについて自身に語る物語を構成している。誰とつながっているのか、人生の中で誰に触れたのか、そして誰が私たちに触れたのかを教えてくれる。要するに、記憶は、人間であるという本質にとって非常に重要である。つまり、加齢に伴う記憶喪失は、自己の喪失を表す可能性がある。したがって、思考力と記憶力の低下に関する懸念が、年齢を重ねるにつれて人々が抱く最大の恐怖の中にランク付けされるのは当然のことである。 現生人類は、アフリカで生まれ、その生息範囲を次第に広げ、中近東を経由してヨーロッパやアジア、さらに氷期などの気候の変動も影響して南アメリカまで到達した。6000-5000年前にもなると、世界の様々な地域で農業が始まり、同時期に文明が発生した。そして、文明は範囲を広げ、現代ではヒトはそのほとんどが文明の下に暮らすようになっている(初期の文明としてはナイル川、ユーフラテス川、インダス川、黄河流域に発生したものが有名ではあるが、これらの地域のみで文明が発生したとする「世界四大文明」という概念はほぼ否定されている)。 生活について言えば、人類史を概観すると、人類は もともと採集・狩猟生活を送り、その後農業を開始し、やがて本格的に工業も行うようになった、ということになる。 生活は、民族ごとに差異が大きく、気候でも生活方法は異なる。 現在、人間が住む地域は、極地を除き、地球上全ての地域である。アジアの人口が過半数を占め,その中でもインドや中国の人口が特に多く、およそ3分の1を占める。インドは2030年ごろ中国の人口を抜かすと考えられている。 人類を他の生物種から際立たせる特徴は幾つかある。最もよくかつ古くから指摘されるものは言語能力の発達、それによる豊かなコミュニケーション、および思考の能力である。知性を持つ生物は人間以外にもあるという指摘はあるが、言語の使用が人間が人間らしい共同体を持つことを可能にしたことは確かであろう。共同体は相互の信頼関係、上下関係など緊密な人間関係によって成り立っている。 言語はコミュニケーションする能力を与え、共同体・社会の基礎を与えるだけではない。また、人間は、言葉を用いて自らについて考える。人間は古来より人間自身について想いを巡らせてきた。人間は自省する。また人間は、人がこの世に生まれ死んでゆく意味についても想いを巡らせてきた。人間の心にあるさまざまな想いが言葉で綴られ、文学作品が生みだされてきた。古代メソポタミア、今からおよそ5000年ほど前に書かれたと推察されている『ギルガメシュ叙事詩』にすでに、深い洞察に満ちた人生哲学、現代人が読んでも感動するような文学作品が書かれている。 また人間は他の人間の心に描かれる、自分の姿や自分の評価などについて考え、喜んだり、悲しんだりしてきた。人間には自我がある。「人間らしさ」には、自我が発達し、他の人間の視点から見た自身を意識するということも挙げられる。日本的な表現で言えば「名を重んじる」あるいは「(生命よりも)名誉を重んじる」というのも、他の動物には無い「人間らしさ」である。 人間は「他の人の心の中で自分が確かに生きている」と感じられると喜びを感じ、「他の人の心の中に自分がいない(死んでしまっている)」と感じると苦しむ。 人間は人間関係の網目の中での自分の場所・位置、「自らの 分」=「自分」を重んじ、それが喜びともなり、また苦しみともなってきた歴史がある。また近代以降の西洋文化では他の人間とは違っていることに存在意義を見出すようになり(一種の「アイデンティティ」)、そうした「アイデンティティ」を追求しようとすることが、たとえば登山の登頂「一番乗り」や未踏の地への一番乗りなど極端な冒険へと駆り立て大きな喜びももたらしたが、その一方で、他と同じような人間、とりたてて特徴の無い人間は苦しんでしまう、という結果も生んだ。 人間は人間自身について考えずにはいられない。そうして人間やその行為に関して研究する学問も生まれ、現在では倫理学、歴史学、考古学、人文地理学、文化人類学、人間学、心理学などがある。 人間はその社会において、生存に必要な消費物を余剰生産する段階にまで入っている。この余剰生産分は、非生産的な活動に従事する人間に供される。これら非生産的な活動は、いわゆる遊びと呼ばれる活動であるが、人間は余暇を遊ぶことで、更なる生産性の維持を可能としている。 この余暇を生み出す生産性によって維持される遊びは、いわゆる文化と呼ばれる人間を人間たらしめている特長の原点であるともされ、また、多くの人間は趣味と呼ばれる非生産的な活動様式をもっており、自身の生活を購う労働とその生産物を消費する活動とは別に、この趣味を行うことを求めている。 動物では遊びを通して自身の能力を開発する様式を持っているが、これは成長の上で実利的な意味を持つのに対して、人間の遊びは、実利的側面が何に結び付けられているかよく分かっていない場合も多い。人間の遊びや趣味は生物的に成熟した後でも続けられ、特に社会的な価値観(→常識)においては、趣味が有る人間の方が尊重される傾向すら見られる。 なお、多くの地域において、人間は貨幣経済によりその生産力を貨幣単位に換算しており、ほとんどの場合、遊ぶためには、この単位を消費する。 人間を活動面から特徴付けている要素として、この遊びに注目する学問も多い。詳しくは遊びの項を参照されたい。 近代以前の言語では、日本語の「人間」に相当する表現が、現在の「自由人」の意で用いられ、筆者自身はそのことを意識さえしていない、ということもあった。つまり、奴隷や農奴などの存在が自明当然のこととして扱われ、人間と言う時に彼らが除外されていたことがある。一部の文献の解読に際しては注意を要する。 また、かつては各国において、他民族を排斥する時など、相手の民族を貶めるため、「彼らは人間ではない」「野生の動物である」などとする発想や表現が存在していた。今日では非常に忌避される発想ではあるが、このような考え方がありふれていた時代もある。近代の日本に於いても、戦時下には敵国の国民を「鬼畜」呼ばわりしたことがあった。その後、人権思想も広まり、このような差別的な考え方、人種差別的な考え方は現在では世界的に嫌悪されることが多くなり、公に表明されることは少なくなった。 日本での問題としては、被差別部落民を指し「非人」と称していた事があった。「人非人」という表現もあったが人であって人に非(あら)ず、と言うのは矛盾しているため人という言葉はここでは2つ、生物学的な人と(自分たちの)社会に入っていない人を使い分けていた事が窺える。 18世紀にフランスで発見されたアヴェロンの野生児などのように、人間の親に育てられなかった人、社会から切り離されて育った人(野生児)が見つかることがあるが、彼らのありさまは、人々が「人間」という言葉で思うそれとは異なっていることが報告されている。 現代では、非人道的なことを行う人、モラルに欠ける人などのことを「人間ではない」「動物にも劣る」と表現することがある。 「知能を備えていれば人間」とする考え方をする者も古くからあったので、今日のようにコンピュータが普及し人工知能も徐々に実現してくると、どこまでが人間でどこまでが機械装置か、というテーマも浮上してきた。それに関する哲学的問答が存在している(→チューリング・テスト)し、そういったテーマを織り込んだSF作品(フィクション)も最近では少なくない。 主としてサイエンス・フィクションなどを引用し、空想を逞しくし、いわゆる「宇宙人」なども絡めた上で人間の線引きを話題にする者もいる。 人間はしばしば人物(じんぶつ)と呼ばれる。短く「人」と言うことで「人間」を意味することも多い。また、特筆すべき著名な活動を行っている人間のことを著名人(ちょめいじん)或いは有名人(ゆうめいじん)と呼ぶ。人間と人間の関係を人間関係という。 人間の心身の本質についての、哲学的考察から近・現代の実証的な研究までを対象として「人間学」と呼ばれる学問分野がある。これはもともと、宇宙、世界の中での人間の位置づけ、人間の身体、気質、精神、魂などの在り方を研究するものである。 人間を「じんかん」と読んだ場合は、「世の中、人間社会」という意味になる。中国語でも、この意味になる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "人間(、英: human being)とは、以下の概念を指す。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "関係性を重視して「人‐間(あいだ)」という名称があてられたとされている。旧約聖書の『創世記』において、人間はすべて神にかたどってつくられた(「神の似姿」)、とされ、身分や性別に関係なく、人間であれば誰であっても神性を宿している、とされた。アリストテレスは著書『政治学』において、人間とは、自分自身の自然本性の誠意をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(つまり《善く生きること》を目指す人々の共同体)をつくることで完成に至る、という(他の動物とは異なった)独特の自然本性を有する動物である、と説明した。キリスト教では、旧約聖書の創世記で示された「神の似姿」という考え方が継承され、平等が重んじられ、一番大切なのは(自分だけを特別視するような視点ではなく)「神の視点」だとされるようになった。→#人間観の遷移", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "「人間らしさ」について、説明する方法は幾通りもあるが、「言葉を使うこと」「道具を使うこと」などはしばしば挙げられている。→#性質", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "旧約聖書では、すべては神というフィルターを通して語られているが、そこでは同時に人間観や世界観が語られている。殺人、不倫、近親相姦、大量殺人、権力抗争といった人間の赤裸々な姿が描かれており、それらの描写やドラマは、数々の芸術作品のモチーフともなってきた歴史がある。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "創世記には天地創造がしるされているが、そこには以下のようなくだりがある。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "旧約聖書以前の時代、古代エジプトやバビロニアにおいては、あくまで王だけが神にかたどってつくられた、とされていて、人間全体がそうだとはされていなかった。それが創世記においては、人間はすべて神にかたどってつくられた、とされた。つまり、身分や性別に関係なく、人間であれば誰であっても神性を宿している、という人間観が述べられている。また、ここでは人間が自然や動物の支配者とされている。自然や動物を支配したり管理したりしようとする西洋的自然観(人間観)は、この創世記の記述の影響を受けている、とも言われる。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "人間については、古くから哲学者らによって考察されていた。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ソクラテス、プラトン、アリストテレスらによって構築された人間観は、人間の普遍的特質に関心を集中させている。古代ギリシャの人間像というのは、近現代に見られるような、具体的な犯すべからざる個人としての人間といったものではない、とビショフベルゲルは指摘した。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "アリストテレスは『ポリティカー』の一節において人間を「ζῷον πολιτικόν (zoon politikon ゾーン・ポリティコン)」と呼んだ。(『ポリティカー』 1252b-1253a)", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "アリストテレスはその直前の文で、ポリスというものを「ポリス的 - 政治的 - 共同体」と定義した。アリストテレスの言うポリスとは、単に生きることではなく、《善く生きること》を目的に掲げて互いに結びついた市民(= politai)の共同体のことであり、人間がつくるさまざまな共同体の中で最高最善の共同体だと位置づけられていた。ポリス的共同体においてこそ人間の自然本性が完成されるのだから、とアリストテレスは考えた。そしてポリスというのは、人間にとって究極の目的としての自然本性である。よって、アリストテレスが主張したことは、人間とは自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(=《善く生きること》を目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る、他の動物には見られない自然本性を有する動物である、ということである。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "(誤解が流布しているようだが)アリストテレスは、人間が単に社会を形成している、とか、社会生活を営む一個の社会的存在である、などと言ったのではない。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ζῷον πολιτικόνは日本語での訳語は定まっていないが、「ポリス的動物」、「政治的動物」、「社会的動物」などと訳されている。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "キリスト教では、旧約聖書の創世記で示された「神の似姿」という考え方が継承された。キリスト教に基づく倫理観では、一番大切なのは(日本人の多くが考えているような「他人の眼」ではなく)創造主である神の眼、神の視点である。さらに、4〜5世紀の神学者アウグスティヌスによって原罪の思想が始められたともされ、これはその後西方教会においては重要な思想となった。キリスト教では、イエス・キリストを媒介として、あらゆる人間の同等の価値と各個人の不可侵性が強調された。中世ヨーロッパにおいては、人間が宇宙の中心的存在であるという人間像が席巻した。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "正教会では、神の像と肖として人間が創られたという教えが人間観において強調される。アウグスティヌスの影響は正教会には希薄であった。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1400年代〜1500年代の頃になり、ガリレイやケプラー、ニュートンらの活動によって新たな世界像が提示されるようになると、人間が宇宙の中心であるという図式が揺らぎはじめた。また、デカルトによって人間の身体までも、化学的、物理的組織だとする視点が広く流布されるようになった。ただし、デカルトは心身二元論を採用しつつ、人間と動物をはっきりと区別した。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1700年代になると、ラ・メトリーがデカルトの概念を継承し「人間機械論」を発表。1800年代にはダーウィンが自然選択に基づく進化論を唱え、動物と人間との境界を取り払いはじめた。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "人間は(肉体はともかくとして)精神の働きという点であらゆる存在に対して秀でているという考え方から「万物の霊長(英語: The Lord of Creation)」とさかんに呼ばれた(霊長とは、霊すなわち精神的に優れている、の意味)。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "現代の生物学ではネオダーウィニズムが主流で、それは「生物の進化」という考え方を基盤として成り立っているため、自然科学者や先進国の知識人などで、現代生物学を受け入れている人々は「人間は猿、ネズミのような姿をしていた祖先生物、さらに遡れば単細胞の微生物から進化してきた」といったように見なしている。。(生物学的な人間像はヒトが参照可)", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ただし、人類全体ではダーウィン風に考えている人が必ずしも多数派というわけではなく、例えばアメリカ合衆国などでは伝統的なキリスト教の世界観および人間観を保ち続けている人の方がむしろ多数派であることなどが知られている(詳細は「アメリカ合衆国の現代キリスト教」を参照)。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "現在、人間の学名は「ホモ・サピエンス」(知恵のあるヒトの意)で、やはり言語や文化などの(生物学的存在以上に多くの)側面を備えているとされている。この学名と同時に作られた名に「ホモ・エレクトゥス(直立するヒト)」「ホモ・ハビリス(器用なヒト)」(以上は生物学用語)というのがあり、後に社会面から捉えられた「ホモ・○○○(〜するヒト)」といった造語の元となった。遊びに目を留めたホイジンガの「ホモ・ルーデンス」といった表現はその典型である。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "技術との融合により圧倒的な進化を遂げた人間の姿として、ポストヒューマンというアイデアも出てきている。", "title": "人間観の遷移" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "『論語』の陽貨篇第十七には右のように書かれている。「子曰く、性、相近きなり。習い、相遠きなり」 (意味:師は言われた。人間は、生まれつきの性質は同じようなものであるが、習い(=教育、しつけ)によって、大きく異なってゆくものだ。)", "title": "教育と人間" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ジャン=ジャック・ルソーは「植物は耕作によりつくられ、人間は教育によってつくられる」と述べた。", "title": "教育と人間" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "イマヌエル・カントは『教育学講義』において「人間が人間となることができるのは、教育によってである」と述べた。", "title": "教育と人間" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "現代でも日常的に「人は教育によって人間になる」「人は教育によってのみ人間となる」「しつけと教育によって人間になる」「教育によってヒトが人間になる」 といったことが多くの人々によって言われ続けている。", "title": "教育と人間" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "「人間らしさ」(人間の特徴)の説明のしかたはいくつかあるが、言葉が使え 言葉でコミュニケーションをすること、文化を持つこと(そしてそれを仲間や子に伝えること)、道具を使い道具を作ること、などが挙げられる。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "人間の特徴のひとつは、言語を現在ある様な状態で使用し、自分の心の中で言語を用いて考え、以て互いの意思疎通を図ることにある。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "人間は文字や言語を抽象的なシンボル(象徴)として扱ったり、論理思考(論理学)を行い、多様な事象に様々な解釈を行う。多くの研究者の主観では知能は地球上の全ての生物の中で最も高度であると考えられている。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "好奇心や知識欲は比較的旺盛で、その多くは少なからず自身の関心事に対して「知ること」と「考えること」を好む性質も見られる。一般的には、様々な意味で人間自身が最も人間の関心を引くようである。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "人間は、知識だけでなく、自らの精神や心にも注意を向けることができる。「心のありかた」や感じ方そのものを探求するだけでなく、それを自ら積極的に変革する努力を行うこともあり、例えば瞑想や内観などを行うこともある。宗教体系を持ち、それによって生活様式を整えている人間も多い(例えばアブラハムの宗教の信者だけでも30億人を超えている)。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "道具を作り利用する能力が他の生物よりも長けていることも挙げられる。現在では機械装置といった高度化した道具を作り利用する事で、ほぼ他の生物が生存不可能な極限環境でも生活することができるまでになっている。ただし極限環境での生活は一般に負担が大きいため(コストなど)、大抵は着衣のみの調節で生活可能な地域に分布している。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "記憶は、多くの点で自分が誰であるかを形作る。それらは内部の伝記、つまり人生で何をしたかについて自身に語る物語を構成している。誰とつながっているのか、人生の中で誰に触れたのか、そして誰が私たちに触れたのかを教えてくれる。要するに、記憶は、人間であるという本質にとって非常に重要である。つまり、加齢に伴う記憶喪失は、自己の喪失を表す可能性がある。したがって、思考力と記憶力の低下に関する懸念が、年齢を重ねるにつれて人々が抱く最大の恐怖の中にランク付けされるのは当然のことである。", "title": "性質" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "現生人類は、アフリカで生まれ、その生息範囲を次第に広げ、中近東を経由してヨーロッパやアジア、さらに氷期などの気候の変動も影響して南アメリカまで到達した。6000-5000年前にもなると、世界の様々な地域で農業が始まり、同時期に文明が発生した。そして、文明は範囲を広げ、現代ではヒトはそのほとんどが文明の下に暮らすようになっている(初期の文明としてはナイル川、ユーフラテス川、インダス川、黄河流域に発生したものが有名ではあるが、これらの地域のみで文明が発生したとする「世界四大文明」という概念はほぼ否定されている)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "生活について言えば、人類史を概観すると、人類は もともと採集・狩猟生活を送り、その後農業を開始し、やがて本格的に工業も行うようになった、ということになる。", "title": "生活" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "生活は、民族ごとに差異が大きく、気候でも生活方法は異なる。 現在、人間が住む地域は、極地を除き、地球上全ての地域である。アジアの人口が過半数を占め,その中でもインドや中国の人口が特に多く、およそ3分の1を占める。インドは2030年ごろ中国の人口を抜かすと考えられている。", "title": "生活" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "人類を他の生物種から際立たせる特徴は幾つかある。最もよくかつ古くから指摘されるものは言語能力の発達、それによる豊かなコミュニケーション、および思考の能力である。知性を持つ生物は人間以外にもあるという指摘はあるが、言語の使用が人間が人間らしい共同体を持つことを可能にしたことは確かであろう。共同体は相互の信頼関係、上下関係など緊密な人間関係によって成り立っている。", "title": "人間の特徴と人間論" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "言語はコミュニケーションする能力を与え、共同体・社会の基礎を与えるだけではない。また、人間は、言葉を用いて自らについて考える。人間は古来より人間自身について想いを巡らせてきた。人間は自省する。また人間は、人がこの世に生まれ死んでゆく意味についても想いを巡らせてきた。人間の心にあるさまざまな想いが言葉で綴られ、文学作品が生みだされてきた。古代メソポタミア、今からおよそ5000年ほど前に書かれたと推察されている『ギルガメシュ叙事詩』にすでに、深い洞察に満ちた人生哲学、現代人が読んでも感動するような文学作品が書かれている。", "title": "人間の特徴と人間論" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "また人間は他の人間の心に描かれる、自分の姿や自分の評価などについて考え、喜んだり、悲しんだりしてきた。人間には自我がある。「人間らしさ」には、自我が発達し、他の人間の視点から見た自身を意識するということも挙げられる。日本的な表現で言えば「名を重んじる」あるいは「(生命よりも)名誉を重んじる」というのも、他の動物には無い「人間らしさ」である。 人間は「他の人の心の中で自分が確かに生きている」と感じられると喜びを感じ、「他の人の心の中に自分がいない(死んでしまっている)」と感じると苦しむ。", "title": "人間の特徴と人間論" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "人間は人間関係の網目の中での自分の場所・位置、「自らの 分」=「自分」を重んじ、それが喜びともなり、また苦しみともなってきた歴史がある。また近代以降の西洋文化では他の人間とは違っていることに存在意義を見出すようになり(一種の「アイデンティティ」)、そうした「アイデンティティ」を追求しようとすることが、たとえば登山の登頂「一番乗り」や未踏の地への一番乗りなど極端な冒険へと駆り立て大きな喜びももたらしたが、その一方で、他と同じような人間、とりたてて特徴の無い人間は苦しんでしまう、という結果も生んだ。", "title": "人間の特徴と人間論" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "人間は人間自身について考えずにはいられない。そうして人間やその行為に関して研究する学問も生まれ、現在では倫理学、歴史学、考古学、人文地理学、文化人類学、人間学、心理学などがある。", "title": "人間の特徴と人間論" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "人間はその社会において、生存に必要な消費物を余剰生産する段階にまで入っている。この余剰生産分は、非生産的な活動に従事する人間に供される。これら非生産的な活動は、いわゆる遊びと呼ばれる活動であるが、人間は余暇を遊ぶことで、更なる生産性の維持を可能としている。", "title": "人間の特徴と人間論" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "この余暇を生み出す生産性によって維持される遊びは、いわゆる文化と呼ばれる人間を人間たらしめている特長の原点であるともされ、また、多くの人間は趣味と呼ばれる非生産的な活動様式をもっており、自身の生活を購う労働とその生産物を消費する活動とは別に、この趣味を行うことを求めている。", "title": "人間の特徴と人間論" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "動物では遊びを通して自身の能力を開発する様式を持っているが、これは成長の上で実利的な意味を持つのに対して、人間の遊びは、実利的側面が何に結び付けられているかよく分かっていない場合も多い。人間の遊びや趣味は生物的に成熟した後でも続けられ、特に社会的な価値観(→常識)においては、趣味が有る人間の方が尊重される傾向すら見られる。", "title": "人間の特徴と人間論" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "なお、多くの地域において、人間は貨幣経済によりその生産力を貨幣単位に換算しており、ほとんどの場合、遊ぶためには、この単位を消費する。", "title": "人間の特徴と人間論" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "人間を活動面から特徴付けている要素として、この遊びに注目する学問も多い。詳しくは遊びの項を参照されたい。", "title": "人間の特徴と人間論" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "近代以前の言語では、日本語の「人間」に相当する表現が、現在の「自由人」の意で用いられ、筆者自身はそのことを意識さえしていない、ということもあった。つまり、奴隷や農奴などの存在が自明当然のこととして扱われ、人間と言う時に彼らが除外されていたことがある。一部の文献の解読に際しては注意を要する。", "title": "人間の線引き" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "また、かつては各国において、他民族を排斥する時など、相手の民族を貶めるため、「彼らは人間ではない」「野生の動物である」などとする発想や表現が存在していた。今日では非常に忌避される発想ではあるが、このような考え方がありふれていた時代もある。近代の日本に於いても、戦時下には敵国の国民を「鬼畜」呼ばわりしたことがあった。その後、人権思想も広まり、このような差別的な考え方、人種差別的な考え方は現在では世界的に嫌悪されることが多くなり、公に表明されることは少なくなった。", "title": "人間の線引き" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "日本での問題としては、被差別部落民を指し「非人」と称していた事があった。「人非人」という表現もあったが人であって人に非(あら)ず、と言うのは矛盾しているため人という言葉はここでは2つ、生物学的な人と(自分たちの)社会に入っていない人を使い分けていた事が窺える。", "title": "人間の線引き" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "18世紀にフランスで発見されたアヴェロンの野生児などのように、人間の親に育てられなかった人、社会から切り離されて育った人(野生児)が見つかることがあるが、彼らのありさまは、人々が「人間」という言葉で思うそれとは異なっていることが報告されている。", "title": "人間の線引き" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "現代では、非人道的なことを行う人、モラルに欠ける人などのことを「人間ではない」「動物にも劣る」と表現することがある。", "title": "人間の線引き" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "「知能を備えていれば人間」とする考え方をする者も古くからあったので、今日のようにコンピュータが普及し人工知能も徐々に実現してくると、どこまでが人間でどこまでが機械装置か、というテーマも浮上してきた。それに関する哲学的問答が存在している(→チューリング・テスト)し、そういったテーマを織り込んだSF作品(フィクション)も最近では少なくない。", "title": "人間の線引き" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "主としてサイエンス・フィクションなどを引用し、空想を逞しくし、いわゆる「宇宙人」なども絡めた上で人間の線引きを話題にする者もいる。", "title": "人間の線引き" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "人間はしばしば人物(じんぶつ)と呼ばれる。短く「人」と言うことで「人間」を意味することも多い。また、特筆すべき著名な活動を行っている人間のことを著名人(ちょめいじん)或いは有名人(ゆうめいじん)と呼ぶ。人間と人間の関係を人間関係という。", "title": "関連語" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "人間の心身の本質についての、哲学的考察から近・現代の実証的な研究までを対象として「人間学」と呼ばれる学問分野がある。これはもともと、宇宙、世界の中での人間の位置づけ、人間の身体、気質、精神、魂などの在り方を研究するものである。", "title": "関連語" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "人間を「じんかん」と読んだ場合は、「世の中、人間社会」という意味になる。中国語でも、この意味になる。", "title": "関連語" } ]
人間(にんげん、とは、以下の概念を指す。 人の住むところ。世の中。世間。人が生きている人と人の関係の世界。またそうした人間社会の中で脆くはかないさまを概念的に表す。仏教用語。 上記から転じて、社会性または人としての人格を中心に捉えたありかたや関係性。また、その全体。 ひとがら。「人物」。
{{Otheruses2|「人間」の概念や概説|その他|人間 (曖昧さ回避)|人|人類}} {{読み仮名|'''人間'''|にんげん|{{lang-en-short|human being}}<ref name='Genius'>ジーニアス和英辞典「人間」</ref>}}とは、以下の概念を指す。 *人の住むところ。世の中<ref name="kouji">[[広辞苑]]第六版「にんげん【人間】」</ref>。世間。人が生きている[[人間関係|人と人の関係]]の世界。またそうした[[人間社会]]の中で脆くはかないさまを概念的に表す。仏教用語。 *上記から転じて、[[社会性]]または[[人]]としての[[人格]]を中心に捉えたありかたや関係性。また、その全体<ref name="kouji" />。 *ひとがら<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E4%BA%BA%E9%96%93_%28%E3%81%AB%E3%82%93%E3%81%92%E3%82%93%29/#jn-168822|title=人間(にんげん)の意味|publisher=goo国語辞書|accessdate=2020-11-05}}</ref>。「人物」<ref name="kouji" />。 == 概説 == [[人間関係|関係性]]を重視して「人‐間(あいだ)」という名称があてられたとされている。[[旧約聖書]]の『[[創世記]]』において、人間はすべて神にかたどってつくられた(「神の似姿」)、とされ、身分や性別に関係なく、人間であれば誰であっても神性を宿している、とされた。[[アリストテレス]]は著書『[[政治学 (アリストテレス)|政治学]]』において、人間とは、自分自身の自然本性の誠意をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(つまり《善く生きること》を目指す人々の共同体)をつくることで完成に至る、という(他の動物とは異なった)独特の自然本性を有する動物である、と説明した。キリスト教では、旧約聖書の創世記で示された「神の似姿」という考え方が継承され、平等が重んじられ、一番大切なのは(自分だけを特別視するような視点ではなく)「神の視点」だとされるようになった。→[[#人間観の遷移]] 「人間らしさ」について、説明する方法は幾通りもあるが、「言葉を使うこと」「道具を使うこと」などはしばしば挙げられている。→[[#性質]] == 人間観の遷移 == === 旧約聖書 === [[旧約聖書]]では、すべては[[神]]というフィルターを通して語られているが、そこでは同時に人間観や[[世界観]]が語られている。[[殺人]]、[[不倫]]、[[近親相姦]]、大量殺人、権力抗争といった人間の赤裸々な姿が描かれており、それらの描写やドラマは、数々の芸術作品のモチーフともなってきた歴史がある<ref>土井かおる『よくわかるキリスト教』p.29, PHP研究所, 2004, ISBN 456963494X</ref>。 [[ファイル:God2-Sistine Chapel.png|right|thumb|250px|[[システィーナ礼拝堂]]の天井画「[[アダム]]の創造」]] [[創世記]]には[[天地創造]]がしるされているが、そこには以下のようなくだりがある。 {{Quotation|'''「我々にかたどり、我々に似せて、人をつくろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うもの全てを支配させよう」神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。'''|([[創世記]] I章26-27)}} 旧約聖書以前の時代、[[古代エジプト]]や[[バビロニア]]においては、あくまで王だけが神にかたどってつくられた、とされていて、人間全体がそうだとはされていなかった。それが創世記においては、人間はすべて神にかたどってつくられた、とされた。つまり、身分や性別に関係なく、人間であれば誰であっても神性を宿している、という人間観が述べられている<ref name="土井かおる『よくわかるキリスト教』p.38">土井かおる『よくわかるキリスト教』p.38</ref>。また、ここでは人間が自然や動物の支配者とされている。自然や動物を支配したり管理したりしようとする西洋的自然観(人間観)は、この創世記の記述の影響を受けている<ref name="土井かおる『よくわかるキリスト教』p.38"/>、とも言われる。 === 古代ギリシャ === 人間については、古くから哲学者らによって考察されていた。 [[ソクラテス]]、[[プラトン]]、[[アリストテレス]]らによって構築された人間観は、人間の普遍的特質に関心を集中させている。古代ギリシャの人間像というのは、近現代に見られるような、具体的な犯すべからざる個人としての人間といったものではない、とビショフベルゲルは指摘した<ref>([[尾崎和彦]]『生と死・極限の医療倫理学』創言社, 2002, p.264)</ref>。 [[file:Aristotle Altemps Inv8575.jpg|thumb|150px|right|アリストテレス]] [[アリストテレス]]は『[[政治学 (アリストテレス)|ポリティカー]]』の一節において人間を「ζῷον πολιτικόν (''zoon politikon'' ゾーン・ポリティコン)」と呼んだ。(『[[政治学 (アリストテレス)|ポリティカー]]』 1252b-1253a<ref>Politika 1252b-1253a</ref>) アリストテレスはその直前の文で、ポリスというものを「ポリス的 - 政治的 - 共同体」と定義した<ref name="hirako">[[平子友長]]「西洋における市民社会概念の歴史」2007</ref>。アリストテレスの言うポリスとは、単に生きることではなく、《善く生きること》を[[目的]]に掲げて互いに結びついた市民(= ''politai'')の[[共同体]]のことであり、人間がつくるさまざまな共同体の中で最高最善の共同体だと位置づけられていた<ref name="hirako" />。ポリス的共同体においてこそ人間の自然本性が完成されるのだから、とアリストテレスは考えた<ref name="hirako" />。そしてポリスというのは、人間にとって究極の目的としての自然本性である<ref name="hirako" />。よって、アリストテレスが主張したことは、人間とは自己の自然本性の完成をめざして努力しつつ、ポリス的共同体(=《善く生きること》を目指す人同士の共同体)をつくることで完成に至る、他の動物には見られない自然本性を有する動物である、ということである<ref name="hirako" />。 (誤解が流布しているようだが)アリストテレスは、人間が単に社会を形成している、とか、社会生活を営む一個の社会的存在である、などと言ったのではない<ref name="hirako" />。 ζῷον πολιτικόνは日本語での訳語は定まっていないが、「ポリス的動物」、「政治的動物<ref group="注釈">政治学科では一般にこう訳している。</ref>」、「社会的動物<ref group="注釈">生物学科の人間などが、こうした翻訳をしたがる傾向がある。ただし、アリストテレスが「ポリス」という言葉に込めた意味をあまり理解していない場合が多く、しかも原著の内容を確認しないまま自己勝手に意味を歪曲していることが多い。</ref>」などと訳されている。 === キリスト教 === [[ファイル:Christ_Pantocrator_Deesis_mosaic_Hagia_Sophia.jpg|thumb|right|150px|[[12世紀]]のモザイク[[イコン]]『[[全能者ハリストス|全能者ハリストス(キリスト)]]』[[アヤソフィア|アギア・ソフィア大聖堂]]]] [[キリスト教]]では、旧約聖書の創世記で示された「神の似姿」という考え方が継承された。キリスト教に基づく倫理観では、一番大切なのは(日本人の多くが考えているような「他人の眼」ではなく)創造主である[[神]]の眼、神の視点である<ref>土井かおる『よくわかるキリスト教』p21</ref>。さらに、4〜5世紀の神学者[[アウグスティヌス]]によって[[原罪]]の思想が始められたともされ、これはその後[[西方教会]]においては重要な思想となった{{efn|アウグスティヌス以前には原罪という思想は明確にはなかった、また[[東方正教会]]にもなかった、とされる<ref>土井かおる『よくわかるキリスト教』p.20</ref>。}}。キリスト教では、[[イエス・キリスト]]を媒介として、あらゆる人間の[[平等|同等の価値]]と各個人の不可侵性が強調された。[[中世]][[ヨーロッパ]]においては、人間が[[コスモス (宇宙観)|宇宙]]の中心的存在であるという人間像が席巻した<ref name="尾崎和彦『生と死・極限の医療倫理学』創言社, 2002, p.264">尾崎和彦『生と死・極限の医療倫理学』創言社, 2002, p.264</ref>。 [[正教会]]では、[[神の像と肖]]として人間が創られたという教えが人間観において強調される。アウグスティヌスの影響は正教会には希薄であった。 === 中世〜近世 === 1400年代〜1500年代の頃になり、[[ガリレオ・ガリレイ|ガリレイ]]や[[ヨハネス・ケプラー|ケプラー]]、[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]らの活動によって新たな世界像が提示されるようになると、人間が宇宙の中心であるという図式が揺らぎはじめた。また、デカルトによって[[人体|人間の身体]]までも、化学的、物理的組織だとする視点が広く流布されるようになった。ただし、デカルトは[[心身二元論]]を採用しつつ、人間と動物をはっきりと区別した<ref name="尾崎和彦『生と死・極限の医療倫理学』創言社, 2002, p.264"/>。 1700年代になると、[[ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー|ラ・メトリー]]がデカルトの概念を継承し「人間機械論」を発表。1800年代には[[チャールズ・ダーウィン|ダーウィン]]が[[自然選択]]に基づく[[進化論]]を唱え、動物と人間との境界を取り払いはじめた<ref name="尾崎和彦『生と死・極限の医療倫理学』創言社, 2002, p.264"/>。 === 近代 === 人間は(肉体はともかくとして)[[精神]]の働きという点であらゆる存在に対して秀でているという考え方から「'''万物の霊長'''({{Lang-en|The Lord of Creation}})」とさかんに呼ばれた(霊長とは、[[霊]]すなわち[[精神]]的に優れている、の意味)<ref>表現自体は「[[書経]]」の泰誓上から来たものである</ref>。 === 現代 === [[ファイル:Nagasakibomb.jpg|right|thumb|150px|[[第二次世界大戦]]時代、人間([[科学者]]、[[技術者]]、[[政治家]]、[[軍人]]ら)は、一瞬にして10万人以上の人々を殺戮するような[[原子爆弾]]([[大量破壊兵器]]、[[核兵器]]の一種)を作り出してしまった(写真:「[[ファットマン]]」のキノコ雲)]] 現代の生物学ではネオダーウィニズムが主流で、それは「[[進化|生物の進化]]」という考え方を基盤として成り立っているため、自然科学者や先進国の知識人などで、現代生物学を受け入れている人々は「人間は猿、ネズミのような姿をしていた祖先生物、さらに遡れば単細胞の微生物から進化してきた」といったように見なしている。<ref group="注釈">こうした観点を端的に表現した概念としては、[[社会生物学]]の「[[利己的遺伝子]]」の概念などが挙げられる[[リチャード・ドーキンス]]の著『利己的な遺伝子』で広く知られるようになった)</ref>。(生物学的な人間像は[[ヒト]]が参照可) ただし、人類全体ではダーウィン風に考えている人が必ずしも多数派というわけではなく、例えば[[アメリカ合衆国]]などでは伝統的なキリスト教の世界観および人間観を保ち続けている人の方がむしろ多数派であることなどが知られている(詳細は「[[アメリカ合衆国の現代キリスト教]]」を参照)。 現在、人間の[[学名]]は「'''[[ホモ・サピエンス]]'''」([[知恵]]のあるヒトの意)で、やはり[[言語]]や[[文化 (代表的なトピック)|文化]]などの(生物学的存在以上に多くの)側面を備えているとされている<ref group="注釈">生物学的観点だけで人間のことを探求し記述したとしても人間のことを把握したことにはならないということである。ただし社会学などの、文化的側面が生物学的側面と独立している、あるいは対比的であるという前提については[[E.O.ウィルソン]]『知の統合』などの批判はある</ref>。この学名と同時に作られた名に「[[ホモ・エレクトゥス]](直立するヒト)」「[[ホモ・ハビリス]](器用なヒト)」(以上は生物学用語)というのがあり、後に社会面から捉えられた「ホモ・○○○(〜するヒト)」といった[[造語]]の元となった。[[遊び]]に目を留めた[[ホイジンガ]]の「ホモ・ルーデンス」といった表現はその典型である<ref>「[[ホモ・エコノミクス]](経済人)」といった表現もある。</ref>。 技術との融合により圧倒的な進化を遂げた人間の姿として、[[ポストヒューマン (人類進化)|ポストヒューマン]]というアイデアも出てきている。 == 教育と人間 == 『[[論語]]』の陽貨篇第十七には右のように書かれている。「子曰く、性、相近きなり。習い、相遠きなり」 (意味:師は言われた。人間は、生まれつきの性質は同じようなものであるが、習い(=[[教育]]、[[しつけ]])によって、大きく異なってゆくものだ。) [[ジャン=ジャック・ルソー]]は「植物は耕作によりつくられ、人間は[[教育]]によってつくられる」と述べた。 [[イマヌエル・カント]]は『教育学講義』において「人間が人間となることができるのは、教育によってである」と述べた。 現代でも日常的に「人は[[教育]]によって人間になる」「人は教育によってのみ人間となる」「しつけと教育によって人間になる」「教育によってヒトが人間になる」 といったことが多くの人々によって言われ続けている。 == 性質 == [[ファイル:Sanzio 01 Plato Aristotle.jpg|thumb|150px|left|[[プラトン]]と[[アリストテレス]]([[ラファエロ・サンティ|ラファエロ]]の絵画)]] 「人間らしさ」(人間の特徴)の説明のしかたはいくつかあるが、[[言葉]]が使え 言葉で[[コミュニケーション]]をすること、[[文化 (代表的なトピック)|文化]]を持つこと(そしてそれを仲間や子に伝えること)、道具を使い道具を作ること、などが挙げられる。 人間の特徴のひとつは、[[言語]]を現在ある様な状態で使用し、[[wikt:自分|自分]]の[[心]]の中で言語を用いて考え、以て[[コミュニケーション|互いの意思疎通を図る]]ことにある。 人間は[[文字]]や[[言語]]を抽象的な[[シンボル]]([[象徴]])として扱ったり、論理思考([[論理学]])を行い、多様な事象に様々な解釈を行う。多くの研究者の主観では[[知能]]は[[地球]]上の全ての生物の中で最も高度であると考えられている。 [[好奇心]]や知識欲は比較的旺盛で、その多くは少なからず自身の関心事に対して「[[学問|知ること]]」と「[[思考|考えること]]」を好む性質も見られる。一般的には、様々な意味で人間自身が最も人間の関心を引くようである。 人間は、知識だけでなく、自らの[[精神]]や[[心]]にも注意を向けることができる。「心のありかた」や感じ方そのものを探求するだけでなく、それを自ら積極的に変革する努力を行うこともあり、例えば[[瞑想]]や[[内観]]などを行うこともある。[[宗教]]体系を持ち、それによって生活様式を整えている人間も多い(例えば[[アブラハムの宗教]]の信者だけでも30億人を超えている)。 [[道具]]を作り利用する能力が他の生物よりも長けていることも挙げられる。現在では[[機械]]装置といった高度化した道具を作り利用する事で、ほぼ他の生物が生存不可能な極限環境でも生活することができるまでになっている。ただし極限環境での生活は一般に負担が大きいため([[コスト]]など)、大抵は着衣のみの調節で生活可能な地域に分布している。 記憶は、多くの点で自分が誰であるかを形作る。それらは内部の伝記、つまり人生で何をしたかについて自身に語る物語を構成している。誰とつながっているのか、人生の中で誰に触れたのか、そして誰が私たちに触れたのかを教えてくれる。要するに、記憶は、人間であるという本質にとって非常に重要である。つまり、加齢に伴う記憶喪失は、自己の喪失を表す可能性がある。したがって、思考力と記憶力の低下に関する懸念が、年齢を重ねるにつれて人々が抱く最大の恐怖の中にランク付けされるのは当然のことである<ref>{{Cite web|title=Harvard Health|url=https://www.health.harvard.edu/topics/memory|website=www.health.harvard.edu|accessdate=2021-10-23|language=en}}</ref>。 <!-- 生物学的記述は[[ヒト]]に記述するとよい。 [[直立二足歩行]]をすることができる、ということを挙げる人もいる。 他には、[[雑食]]性であることを挙げる人もいる。[[農業]]([[農耕]]・[[牧畜]])・[[漁業]]などといった食糧の生産や獲得を組織的に行う事から、[[食物連鎖]]の頂点の一部にいると現在では考えられている。 生活様式は多様で、例えば[[食生活]]に限っても、肉食が多い集団、草食が多い集団、どちらも同程度に食べる集団があり、個々の違いも大きいため一概に言う事は出来ない。活動の時間帯についても、もともとは昼行性動物で暗くなればほとんど何もしなかったが、[[火]]を使えるようになり、灯りを手に入れてからは夜間も活発に活動するようになった、とされている。この傾向は文明の発達と共に加速する傾向にあり、もっぱら夜間に行動する個体も増える傾向にある。 活動範囲は広く、[[熱帯雨林]]などの温暖な地域から、[[シベリア]]等の寒冷地帯、[[砂漠]]などの乾燥地帯など様々な場所に分布する。また道具の補助により、[[海|海中]]、空中、さらには[[宇宙|地球外]]にまで進出している(もっとも21世紀初頭現在では[[月]]が最遠地点である)。 身長は一般的に 140cm から 190cm 程度。ただし[[人種]]によってその傾向は異なる。また体毛は薄く、体温保持の補助などについては、もっぱら[[被服|服]]を着る事で行なっている。<ref>ヒトは恒温動物であるので、体温の調節や保持そのものを[[被服]]の役割とするのは誤りである。 --> == 歴史 == {{main|世界の歴史}} 現生人類は、[[アフリカ]]で生まれ、その生息範囲を次第に広げ、[[中近東]]を経由して[[ヨーロッパ]]や[[アジア]]、さらに[[氷期]]などの気候の変動も影響して[[南アメリカ]]まで到達した。6000-5000年前にもなると、世界の様々な地域で[[農業]]が始まり、同時期に[[文明]]が発生した。そして、文明は範囲を広げ、現代ではヒトはそのほとんどが文明の下に暮らすようになっている(初期の文明としては[[ナイル川]]、[[ユーフラテス川]]、[[インダス川]]、[[黄河]]流域に発生したものが有名ではあるが、これらの地域のみで文明が発生したとする「[[世界四大文明]]」という概念はほぼ否定されている)。 == 生活 == [[ファイル:Inuit women 1907.jpg|thumb|right|[[イヌイット]]の女性 1907年]] [[生活]]について言えば、人類史を概観すると、人類は もともと[[狩猟採集社会|採集・狩猟生活]]を送り、その後[[農業]]を開始し、やがて本格的に[[工業]]も行うようになった、ということになる<ref>岩田好宏『「人間らしさ」の起原と歴史』</ref>。 生活は、[[民族]]ごとに差異が大きく、[[気候]]でも生活方法は異なる。 現在、人間が住む地域は、極地を除き、地球上全ての地域である。アジアの人口が過半数を占め,その中でも[[インド]]や[[中華人民共和国|中国]]の[[人口]]が特に多く、およそ3分の1を占める。インドは2030年ごろ中国の人口を抜かすと考えられている。 == 人間の特徴と人間論 == [[ファイル:Surfacegyri.JPG|thumb|right|150px|言語と関係する[[脳]]のエリア: [[ブローカ野]]、[[ウェルニッケ野]]など]] 人類を他の生物種から際立たせる特徴は幾つかある。最もよくかつ古くから指摘されるものは[[言語]]能力の発達、それによる豊かな[[コミュニケーション]]、および[[思考]]の能力である。知性を持つ生物は人間以外にもあるという指摘はあるが、言語の使用が人間が人間らしい[[共同体]]を持つことを可能にしたことは確か<!--もう少し何か欲しい-->であろう。共同体は相互の[[信頼]]関係、[[上下関係]]など緊密な[[人間関係]]によって成り立っている。 [[File:Cloud_Team.jpg|thumb|right|200px|人間は[[コミュニケーション]]をする。他の人間を大切に思ったり、愛すことがあり、反対にわずらわしく思うこともある。他の人間から自身がどのように思われているのか意識し、時には、自分の肉体的な生命よりも、むしろ「仲間の心の内にいる自分」や「将来の人々の間で語り継がれてゆくであろう自分の姿」のほうを大切に思うことがある。]] 言語は[[コミュニケーション]]する能力を与え、共同体・社会の基礎を与えるだけではない。また、人間は、言葉を用いて自らについて考える。人間は古来より人間自身について想いを巡らせてきた。人間は[[自省]]する。また人間は、[[人生の意味|人がこの世に生まれ死んでゆく意味]]についても想いを巡らせてきた。人間の心にあるさまざまな想いが言葉で綴られ、[[文学作品]]が生みだされてきた。古代メソポタミア、今からおよそ5000年ほど前に書かれたと推察されている『[[ギルガメシュ叙事詩]]』にすでに、深い洞察に満ちた人生哲学、現代人が読んでも感動するような文学作品が書かれている<ref>[[村上恭一]]『哲学史講義』成文堂、2010年 第一章</ref>。 また人間は他の人間の心に描かれる、自分の姿や自分の評価などについて考え、喜んだり、悲しんだりしてきた。人間には[[自我]]がある。「人間らしさ」には、自我が発達し、他の人間の視点から見た自身を意識するということも挙げられる。日本的な表現で言えば「名を重んじる」あるいは「(生命よりも)[[名誉]]を重んじる」というのも、他の動物には無い「人間らしさ」である。 人間は「他の人の心の中で自分が確かに生きている」と感じられると喜びを感じ、「他の人の心の中に自分がいない(死んでしまっている)」と感じると苦しむ。 人間は人間関係の網目の中での自分の場所・位置、「自らの 分」=「自分」を重んじ、それが喜びともなり、また苦しみともなってきた歴史がある。また近代以降の西洋文化では他の人間とは違っていることに存在意義を見出すようになり(一種の「[[アイデンティティ]]」)、そうした「アイデンティティ」を追求しようとすることが、たとえば登山の登頂「一番乗り」や未踏の地への一番乗りなど極端な[[冒険]]へと駆り立て大きな喜びももたらしたが、その一方で、他と同じような人間、とりたてて特徴の無い人間は苦しんでしまう、という結果も生んだ。 人間は人間自身について考えずにはいられない。そうして人間やその行為に関して研究する[[学問]]も生まれ、現在では[[倫理学]]、[[歴史学]]、[[考古学]]、[[人文地理学]]、[[文化人類学]]、[[人間学]]、[[心理学]]などがある。 === 人間と遊び === 人間はその社会において、生存に必要な消費物を余剰生産する段階にまで入っている。この余剰生産分は、非生産的な活動に従事する人間に供される。これら非生産的な活動は、いわゆる[[遊び]]と呼ばれる活動であるが、人間は余暇を遊ぶことで、更なる生産性の維持を可能としている。 この余暇を生み出す生産性によって維持される遊びは、いわゆる文化と呼ばれる人間を人間たらしめている特長の原点であるともされ、また、多くの人間は[[趣味]]と呼ばれる非生産的な活動様式をもっており、自身の生活を購う[[労働]]とその生産物を[[消費]]する活動とは別に、この趣味を行うことを求めている。 動物では遊びを通して自身の能力を開発する様式を持っているが、これは[[成長]]の上で実利的な意味を持つのに対して、人間の遊びは、実利的側面が何に結び付けられているかよく分かっていない場合も多い。人間の遊びや趣味は生物的に成熟した後でも続けられ、特に社会的な価値観(→[[常識]])においては、趣味が有る人間の方が尊重される傾向すら見られる。 なお、多くの地域において、人間は[[貨幣経済]]によりその生産力を[[貨幣]][[単位]]に換算しており、ほとんどの場合、遊ぶためには、この単位を消費する。 人間を活動面から特徴付けている要素として、この遊びに注目する学問も多い。詳しくは[[遊び]]の項を参照されたい。 == 人間の線引き == {{出典の明記|section=1|date=2008年10月}} === 線引き、差別、区別 === 近代以前の言語では、日本語の「人間」に相当する表現が、現在の「自由人」の意で用いられ、筆者自身はそのことを意識さえしていない、ということもあった。つまり、[[奴隷]]や[[農奴]]などの存在が自明当然のこととして扱われ、人間と言う時に彼らが除外されていたことがある。一部の文献の解読に際しては注意を要する。 また、かつては各国において、他民族を排斥する時など、相手の民族を貶めるため、「彼らは人間ではない」「野生の動物である」などとする発想や表現が存在していた。今日では非常に忌避される発想ではあるが、このような考え方がありふれていた時代もある。近代の日本に於いても、戦時下には敵国の国民を「鬼畜」呼ばわりしたことがあった<ref group="注釈">勿論その時代にあっても多くの場合は相手も同じ人間である(理解し合うこともできるし、子供も作れる)ということを理屈の上では理解していたであろう。しかし感情的に同類と見なすことができなかった。</ref>。その後、[[人権]]思想も広まり、このような差別的な考え方、[[人種差別]]的な考え方は現在では世界的に嫌悪されることが多くなり、公に表明されることは少なくなった。 日本での問題としては、[[被差別部落民]]を指し「[[非人]]」と称していた事があった。「人非人」という表現もあったが人であって人に非(あら)ず、と言うのは矛盾しているため人という言葉はここでは2つ、生物学的な人と(自分たちの)社会に入っていない人を使い分けていた事が窺える<ref>[[養老孟司]]『死の壁』新潮社、2004年、90〜94項</ref>。 <!--人間の社会に属さないヒトは一般に[[野人]]とも呼ばれ、人間の範疇の外にあると考えられる{{要出典|date=2011年3月}}。-->18世紀にフランスで発見された[[アヴェロンの野生児]]などのように、人間の親に育てられなかった人、社会から切り離されて育った人([[野生児]])が見つかることがあるが、彼らのありさまは、人々が「人間」という言葉で思うそれとは異なっていることが報告されている。 現代では、非[[人道]]的なことを行う人、[[道徳|モラル]]に欠ける人などのことを「人間ではない」「動物にも劣る」と表現することがある。<!--直ちに差別とはされないものの、注意を要する表現である{{要出典|date=2012年10月}}。--> === 様々な基準と概念的な戯れ === <!-- {{要出典範囲|人間の基準のひとつとして社会性が挙げられることが多いが、他にも文化の継承という観点から人間を把握することもある。一般に「人間」という言葉は生物学的なヒト<ref>ヒト科ヒト属に属するヒト</ref>以外を指すことはまず無い。これは文化を(部分的にではなく、包括的に)継承し得るのはヒト以外には無いためでもある。|date=2012年10月}}{{誰|date=2012年10月}}--> 「知能を備えていれば人間{{要出典|date=2012年10月}}」とする考え方をする者{{誰|date=2012年10月}}も古く{{いつ|date=2012年10月}}からあったので、今日のようにコンピュータが普及し[[人工知能]]も徐々に実現してくると、どこまでが人間でどこまでが機械装置か、というテーマも浮上してきた。それに関する哲学的問答が存在している(→[[チューリング・テスト]])し、そういったテーマを織り込んだSF作品(フィクション)も最近では少なくない。<!-- 英語ではAndroid。おおむねhumanの外見や動きを模したrobot、としている。 また、「[[人造人間]]」という造語および概念も一般に流布している。--> <!--{{要出典範囲|これは「科学技術によって生み出された人間」という概念ではあるが、「精密な[[人工知能]]と[[人体]]そっくりに模して作られた機械とを結合させた創造物」という意味である。|date=2012年10月}}--><!--{{要出典|date=2012年10月}}人工授精で生まれた子供はこの範疇ではない。--> 主として[[サイエンス・フィクション]]などを引用し、空想を逞しくし、いわゆる「宇宙人」なども絡めた上で人間の線引きを話題にする者{{誰|date=2012年10月}}もいる{{要出典|date=2012年10月}}<ref group="注釈">''もしも'' 地球外生命、異人類が存在し、''もしも'' それが独自の文化や社会(いわゆる[[宇宙人]]、[[宇宙文明|地球外文明]])を形成していたとした場合には、「どの段階から人間として尊重すべきか?」「彼らがその形質上において地球上の生物とは異なる存在であろうとも、その何等かの特徴を持って人間として扱うべきではないか?」「ヒトという動物の中の一種族のみが人間と言えるのか?」「文化や知能が一定レベル以上であれば人間と見なしてもよいのではないか?」などということを大真面目に考えたり議論したりしている者たちもいるということである。[[サイエンス・フィクション|SF]]作品(あくまでフィクション)では、我々の考える所の人道と同じ概念を共有出来る生命ならばそれは即ち人間である、などとして物語を展開することなどは多々見受けられる。</ref>。 == 関連語 == {{Main2|人間関係の詳細|人間関係}} 人間はしばしば'''人物'''(じんぶつ)と呼ばれる。短く「人」と言うことで「人間」を意味することも多い<ref group="注釈">俗に、「人」という漢字には、2つの存在が支えあっている様子が描かれている、ともいう。</ref>。また、特筆すべき著名な活動を行っている人間のことを'''[[著名人]]'''(ちょめいじん)或いは'''有名人'''(ゆうめいじん)と呼ぶ。人間と人間の関係を'''人間関係'''という。 人間の心身の本質についての、哲学的考察から近・現代の実証的な研究までを対象として「'''[[人間学]]'''」と呼ばれる学問分野がある。これはもともと、宇宙、世界の中での人間の位置づけ、[[人体|人間の身体]]、気質、[[精神]]、[[魂]]などの在り方を研究するものである。 '''人間'''を「じんかん」と読んだ場合は、「世の中、人間社会」という意味になる。[[中国語]]でも、この意味になる。 : 例: [http://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%88%B0%E3%82%8B%E5%87%A6%E9%9D%92%E5%B1%B1%E3%81%82%E3%82%8A 人間到る処青山あり] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連書 == * 岩田好宏『「人間らしさ」の起原と歴史』ベレ出版、2008 == 関連項目 == {{Commons&cat|Homo sapiens|Homo sapiens}} {{Wiktionary}} * [[特別:検索/intitle:人間|「人間」を含む記事]] * [[人間 (曖昧さ回避)]] * [[人]] * [[人 (法律)|法律上の人]] ** [[自然人]] ** [[法人]] * [[ヒト]](生物学) * [[人類]] <!--** [[人間科学]]--> * 関係性 ** [[人間関係]]、[[友情]]、[[敵]]、[[ライバル]]、[[恋愛]]、[[夫婦]]、[[同性愛]]、[[LGBT]] ** [[人間性]] ** [[恩]]、[[恩送り]] ** [[博愛主義]] * ありかた、ありさま ** [[生活]] ** [[歴史]] ** [[世界の歴史]] ** [[国の一覧]] *学問・学会 ** [[人間学]]、[[人類学]]、[[総合人間学]] ** [[人間行動学]] ** [[人間行動生態学]] ** [[人間学会]]、[[人類学会]]([[米国人類学会]]、[[日本人類学会]])、[[総合人間学会]] * 写真 ** [[:Category:人物画像|人物の画像一覧(ただし、ごく少数)]] *擬似人間 ** [[人造人間]] ** [[ロボット]] ** [[強いAIと弱いAI]] ** [[人形]] *人類進化 **[[ポストヒューマン (人類進化)|ポストヒューマン]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:にんけん}} [[Category:哲学の主題]] [[Category:人間|*]] [[Category:倫理学の概念]]
2003-02-28T06:27:59Z
2023-11-20T04:58:32Z
false
false
false
[ "Template:Notelist", "Template:Reflist", "Template:読み仮名", "Template:Main2", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Otheruses2", "Template:Commons&cat", "Template:Cite web", "Template:Wiktionary", "Template:Quotation", "Template:Lang-en", "Template:誰", "Template:要出典", "Template:いつ", "Template:Normdaten", "Template:Efn", "Template:Main", "Template:出典の明記" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93
3,042
アドレス
アドレス(Address)は、あるものの所在を示す情報である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アドレス(Address)は、あるものの所在を示す情報である。", "title": null } ]
アドレス(Address)は、あるものの所在を示す情報である。 住所のこと。 コンピュータにおいて、アドレス空間における(仮想的な)位置を表すもの。 メモリアドレス。記憶装置におけるデータの格納場所を表す数値。 IPアドレス MACアドレス Uniform Resource Locator(URL)の俗称。 メールアドレス ゴルフ等で打球の準備としての構え。 スズキ・アドレス - スズキが製造販売しているスクータータイプのオートバイ。 ADRES(アドレス) - かつて東芝が開発したノイズリダクション方式。 ADDRESS (アルバム) - 山崎まさよしのアルバム。
'''アドレス'''(Address)は、あるものの所在を示す[[情報]]である。 * [[住所]]のこと。 * コンピュータにおいて、[[アドレス空間]]における(仮想的な)位置を表すもの。 ** [[メモリアドレス]]。[[記憶装置]]におけるデータの格納場所を表す数値。 ** [[IPアドレス]] ** [[MACアドレス]] ** [[Uniform Resource Locator]](URL)の俗称。 ** [[メールアドレス]] * [[ゴルフ]]等で打球の準備としての構え。 ---- * [[スズキ・アドレス]] - [[スズキ (企業)|スズキ]]が製造販売しているスクータータイプの[[オートバイ]]。 * [[ADRES]](アドレス) - かつて[[東芝]]が開発したノイズリダクション方式。 * [[ADDRESS (アルバム)]] - [[山崎まさよし]]のアルバム。 {{Aimai}} {{デフォルトソート:あとれす}}
null
2023-03-17T00:09:26Z
true
false
false
[ "Template:Aimai" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%B9
3,043
海洋深層水
海洋深層水(かいようしんそうすい、deep ocean water:DOW, deep sea water)または単に深層水とは、海洋学の用語でもあるが、それについては本文で詳述する。非学術的・産業利用上の定義では、深度200メートル以深の深海に分布する、表層とは違った特徴を持つ海水のこととされ、海水の95%以上は海洋深層水にあたる。 海洋学上の深層水は大洋の深層に分布する海水で、地球上の2箇所(北大西洋のグリーンランド沖で形成される北大西洋深層水と、南極海で形成される南極底層水)のことを示す。これらの深層水は熱塩循環によっておよそ2000年かけて世界中の海洋を移動しており、千年単位の地球の気候にも重要な関わりを持っている。 これと比べ、産業利用上の深層水は、分布や出自を問わず深度200メートル以深の海水をひとくくりに定義したものである。この定義に当てはめると、単純計算で海水の約95%は海洋深層水である。 以下、この記事では後者の深層水について説明する。 一般的な表層水との違いは、清浄性、低温安定性、栄養塩が豊富という特徴を有することである。 海洋深層水は、表層水との混合が生じにくいため溶存酸素量は少ない。ただし、日本海固有水は太平洋側の海洋深層水とその成り立ち方が異なるため、溶存酸素量が表層水とほとんど同じであることが特徴である。なお、深層水が特定の海域で表層へ上昇する(湧昇)ことがあり、そこでは豊富な無機栄養塩によりプランクトンが豊富に発生するため、非常に生物生産性の高い海域となり好漁場となる。 自然に影響を及ぼすのは、取水よりも利用後の排水の影響の方が問題となる。ノルウェーでは、魚の養殖に深層水を利用しようとしていたが、フィヨルド内の海水の入れ替わりに10年前後かかることから中止した。 日本の取水施設は、11都道県19施設あるが、取水施設の整備コスト面では、陸地から急激に深くなる海底地形の方が、取水管の設置距離が短くなり、初期投資コスト面で有利になることから、取水地は島(新潟県佐渡島、沖縄県久米島、鹿児島県甑島)や半島の先端(高知県室戸、神奈川県三浦、北海道羅臼)に設置される。 例外としては、3000メートル級の立山連峰からの急峻地形が海底1,000メートルまで続いている、富山湾に面した富山県滑川市や同入善町、同じく急峻地形で水深2,500メートルの駿河湾に面した静岡県焼津市では、焼津漁港に取水施設がある。 これらの立地条件は、企業や一般人が取水施設を利用しやすい都市部が後背地としてあるかないか、道路インフラストラクチャーへのアクセスの良否による、製造した深層水製品の消費地への輸送費用の増減といった事柄に影響することから、深層水の産業利用の成否を握ることになると思われる。 海洋学上の海洋深層水は、1930年(昭和5年)ごろにフランスで低温性に着目した研究目的で取水されたのが始まりとされており、1981年(昭和56年)にハワイで石油危機に対応するため低温安定性を利用した温度差発電、冷房への利用研究のために大規模な取水施設が整備された。しかし、豊富なミネラル分、清浄性、富栄養性といった海洋深層水の特性を活かした産業利用では、日本が最先端を行っている。ハワイで生産された深層水飲料は日本企業がハワイのイメージを利用して販売するために製造し、日本へ輸出しているものであることからも日本での海洋深層水の浸透度の高さがわかる。 日本における海洋深層水の利用研究は、科学技術庁(現文部科学省)が実施した「海洋深層資源の有効利用技術の開発に関する研究」(1986~89年実施)の中で、高知県室戸市に陸上型の海洋深層水取水施設が、富山県氷見市沖で洋上型海洋深層水有効利用システム(取水施設・温度差発電施設)が整備されたのが始まりである。水産分野では、富山県と一般社団法人マリノフォーラム21が、1992年(平成4年)度から1994年(平成6年)度に施工費約10億5600万円をかけて、海洋深層水利用研究施設を富山県水産試験場内に整備した。このほか、富山県では、県立大学、食品研究所、衛生研究所、工業試験場、林業試験場等で県立試験研究機関がそれぞれの専門分野で研究テーマを定めて多様な分野で研究を進めてきた。高知県では室戸市に高知県海洋深層水研究所が設置されている。 産業利用については、1995年(平成7年)に高知県が国の補助目的である水産利用に反して、取水した深層水の無償提供を始め、産業利用を行った。富山県では水産庁と協議して許可を得て2000年(平成12年)から非水産分野の企業への分水を始めた。また、水産分野への利活用では水産庁の補助を受けて富山県下新川郡入善町で無機栄養塩に富み雑菌が非常に少ないという特質を利用してアワビなどの養殖業に利用している。 健康増進分野では、1998年(平成10年)に、富山県滑川市に世界で初めての深層水体験施設「タラソピア」がオープンし、多くの人々の健康作りに利用されている。富山医科薬科大学医学部(現:富山大学医学部)と富山県衛生研究所が、タラソピアで共同研究を行い、深層水浴によるリラクゼーション効果の高さを研究し、成果について学会発表を行っている。現在は、深層水浴による皮膚への効果についての共同研究を行っている。静岡県は、日本一深い湾である駿河湾の水を「駿河湾深層水」と呼び、活用のための研究を行っており。2004年(平成16年)には取水地の焼津市に深層水ミュージアムがオープンした。 2006年(平成18年)には、高知県室戸市の「アクアファーム」、静岡県焼津市の「アクアスやいづ」と、タラソテラピー施設が相次いでオープンした。2007年(平成19年)現在では、沖縄県久米島にも海洋深層水を利用した温浴施設が整備されている。 冷熱源としての利用については、富山県入善町が設置した海洋深層水企業団地において、食品製造企業が製造した食品の冷却、工場内の空調に深層水を利用するため2008年(平成20年)12月の操業開始に向けて準備を進めている。これまでも深層水の低温性を活かした飼育槽の水の冷却や空調への利用は、研究機関である富山県水産試験場やサービス産業である深層水体験施設タラソピアで行われてきたが、製造業の民間企業による製造工程への利用実用化はこれが世界で初めてである。これにより二酸化炭素の排出削減が図られることになる。 細菌学的にも化学的にも清浄、ミネラルが豊富な海洋深層水に着目した化粧品、飲料、食品業界などが、これを化粧品、バスグッズ、入浴剤、飲料水、アルコール類、水産加工食品などとして商品化している。 海洋深層水は、人が生きるために不可欠なミネラル分を陸水よりも多種類含むだけでなく、陸水の有害化学物質に汚染されていないという特性を持っており、その利活用方法は単純に飲料水に留まるものではない。 富山県農林水産総合技術センター食品研究所が、大豆や里芋の加工時に出るヌメリが減るという実験結果を発表した。これは、カルシウムやマグネシウムを含むためである。 しかし、魚介類や大豆と比較して、海洋深層水に含まれるカルシウム・カリウム・マグネシウムといったミネラルはごく微量であり、特に健康増進効果は確認されていない。ミネラルウォーターも同様である。例えば1日のカルシウム必要量を補うためには、海洋深層水を数十リットルから数百リットル飲む必要がある。 各取水地では、その特性を活かすべく、産官学の連携により様々な研究開発を行っている。その成果を特許として保護し、他の企業や取水地と差別化を図る努力が行われている。特許の都道府県別の出願件数は、東京、高知、富山の順となっており、他の取水地の企業は、先行したこれらの特許に抵触しない製品開発を迫られている。これは大韓民国でも同様であり、本格取水開始前から特許の取得が競われており、先行した日本の研究開発や特許出願を参考に、短期間で数多くの特許が出願されている。 ただし、深層水の取水が始まり、商品化が流通し始めたころには、一部業者が、海洋学上の海洋深層水の神秘的イメージや、科学的に証明されていない「数千年間かけて熟成された水」等のイメージをPRに利用したり、或いは科学的根拠を用いることなく海洋深層水という名前だけで、健康に良くあたかも病気にも効くというような、薬事法に抵触するような販売手法をとった。 このような反社会的商品の根絶を図るため、2001年(平成13年)12月には公正取引委員会からガイドラインとして「飲用海洋深層水の表示について」が示されほか、良心的な事業者団体では、独自のブランドマークを付与したりして、海洋深層水商品のイメージ保護に努めている。 現在では、一時的な深層水ブームにのって生産されていた、このような製品は淘汰されつつある。これは、飲料以外の深層水利用商品についても同様である。 海外では韓国や台湾(2006年6月設立)で深層水の産業利用を推進するため国立の研究機関を設立し、研究開発を進めている。 台湾では現在、複数の企業が台湾で取水された深層水を用いた深層水飲料の販売を行なっている。一部は中国へ高級飲料として輸出されている。また、飲料だけに留まっている利活用を活性化させようと、日本の深層水を利用した清酒製造技術の導入を図ろうとする取水地もある。 韓国では、2007年7月3日に国会で「海洋深層水の開発及び管理に関する法律」が成立し、2008年2月4日に施行された。これにより韓国で取水された海洋深層水を用いた製品開発が開始された。 アジア以外では、インド洋のモーリシャス共和国でも海洋深層水を活用した産業振興のための調査・研究を進めている。 日本海などの縁海では、特徴的な性質を持った海水が分布する。特に日本海の場合の深層水を日本海固有水と呼び、太平洋側の海洋深層水と異なる特質を持っている。まず、太平洋側の深層水は年間を通じて10°C前後だが、日本海固有水は2°C前後と低温である。また、太平洋側の深層水は深度が深くなるに従って海水中の溶存酸素量が減少するが、日本海固有水は深度が深くなっても溶存酸素量は表層水とほとんど変わらず豊富である。 このように異なる性質となるのは、日本海固有水の起源が日本海北部で冷却された表層水の水塊が底層に沈み込んだものだからである。日本海固有水がこのような起源を持つのは、海峡水深が深い通常の海域の場合には、外洋の深層水が流入するのに対して、日本海の場合は、外洋との通路となる対馬海峡が著しく浅く、外洋の深層水が流入しないためである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "海洋深層水(かいようしんそうすい、deep ocean water:DOW, deep sea water)または単に深層水とは、海洋学の用語でもあるが、それについては本文で詳述する。非学術的・産業利用上の定義では、深度200メートル以深の深海に分布する、表層とは違った特徴を持つ海水のこととされ、海水の95%以上は海洋深層水にあたる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "海洋学上の深層水は大洋の深層に分布する海水で、地球上の2箇所(北大西洋のグリーンランド沖で形成される北大西洋深層水と、南極海で形成される南極底層水)のことを示す。これらの深層水は熱塩循環によっておよそ2000年かけて世界中の海洋を移動しており、千年単位の地球の気候にも重要な関わりを持っている。", "title": "2つの「深層水」" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "これと比べ、産業利用上の深層水は、分布や出自を問わず深度200メートル以深の海水をひとくくりに定義したものである。この定義に当てはめると、単純計算で海水の約95%は海洋深層水である。", "title": "2つの「深層水」" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "以下、この記事では後者の深層水について説明する。", "title": "2つの「深層水」" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "一般的な表層水との違いは、清浄性、低温安定性、栄養塩が豊富という特徴を有することである。", "title": "海洋深層水の特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "海洋深層水は、表層水との混合が生じにくいため溶存酸素量は少ない。ただし、日本海固有水は太平洋側の海洋深層水とその成り立ち方が異なるため、溶存酸素量が表層水とほとんど同じであることが特徴である。なお、深層水が特定の海域で表層へ上昇する(湧昇)ことがあり、そこでは豊富な無機栄養塩によりプランクトンが豊富に発生するため、非常に生物生産性の高い海域となり好漁場となる。", "title": "海洋深層水の特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "自然に影響を及ぼすのは、取水よりも利用後の排水の影響の方が問題となる。ノルウェーでは、魚の養殖に深層水を利用しようとしていたが、フィヨルド内の海水の入れ替わりに10年前後かかることから中止した。", "title": "深層水の取水と影響" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本の取水施設は、11都道県19施設あるが、取水施設の整備コスト面では、陸地から急激に深くなる海底地形の方が、取水管の設置距離が短くなり、初期投資コスト面で有利になることから、取水地は島(新潟県佐渡島、沖縄県久米島、鹿児島県甑島)や半島の先端(高知県室戸、神奈川県三浦、北海道羅臼)に設置される。", "title": "深層水の取水と影響" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "例外としては、3000メートル級の立山連峰からの急峻地形が海底1,000メートルまで続いている、富山湾に面した富山県滑川市や同入善町、同じく急峻地形で水深2,500メートルの駿河湾に面した静岡県焼津市では、焼津漁港に取水施設がある。", "title": "深層水の取水と影響" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "これらの立地条件は、企業や一般人が取水施設を利用しやすい都市部が後背地としてあるかないか、道路インフラストラクチャーへのアクセスの良否による、製造した深層水製品の消費地への輸送費用の増減といった事柄に影響することから、深層水の産業利用の成否を握ることになると思われる。", "title": "深層水の取水と影響" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "海洋学上の海洋深層水は、1930年(昭和5年)ごろにフランスで低温性に着目した研究目的で取水されたのが始まりとされており、1981年(昭和56年)にハワイで石油危機に対応するため低温安定性を利用した温度差発電、冷房への利用研究のために大規模な取水施設が整備された。しかし、豊富なミネラル分、清浄性、富栄養性といった海洋深層水の特性を活かした産業利用では、日本が最先端を行っている。ハワイで生産された深層水飲料は日本企業がハワイのイメージを利用して販売するために製造し、日本へ輸出しているものであることからも日本での海洋深層水の浸透度の高さがわかる。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "日本における海洋深層水の利用研究は、科学技術庁(現文部科学省)が実施した「海洋深層資源の有効利用技術の開発に関する研究」(1986~89年実施)の中で、高知県室戸市に陸上型の海洋深層水取水施設が、富山県氷見市沖で洋上型海洋深層水有効利用システム(取水施設・温度差発電施設)が整備されたのが始まりである。水産分野では、富山県と一般社団法人マリノフォーラム21が、1992年(平成4年)度から1994年(平成6年)度に施工費約10億5600万円をかけて、海洋深層水利用研究施設を富山県水産試験場内に整備した。このほか、富山県では、県立大学、食品研究所、衛生研究所、工業試験場、林業試験場等で県立試験研究機関がそれぞれの専門分野で研究テーマを定めて多様な分野で研究を進めてきた。高知県では室戸市に高知県海洋深層水研究所が設置されている。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "産業利用については、1995年(平成7年)に高知県が国の補助目的である水産利用に反して、取水した深層水の無償提供を始め、産業利用を行った。富山県では水産庁と協議して許可を得て2000年(平成12年)から非水産分野の企業への分水を始めた。また、水産分野への利活用では水産庁の補助を受けて富山県下新川郡入善町で無機栄養塩に富み雑菌が非常に少ないという特質を利用してアワビなどの養殖業に利用している。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "健康増進分野では、1998年(平成10年)に、富山県滑川市に世界で初めての深層水体験施設「タラソピア」がオープンし、多くの人々の健康作りに利用されている。富山医科薬科大学医学部(現:富山大学医学部)と富山県衛生研究所が、タラソピアで共同研究を行い、深層水浴によるリラクゼーション効果の高さを研究し、成果について学会発表を行っている。現在は、深層水浴による皮膚への効果についての共同研究を行っている。静岡県は、日本一深い湾である駿河湾の水を「駿河湾深層水」と呼び、活用のための研究を行っており。2004年(平成16年)には取水地の焼津市に深層水ミュージアムがオープンした。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "2006年(平成18年)には、高知県室戸市の「アクアファーム」、静岡県焼津市の「アクアスやいづ」と、タラソテラピー施設が相次いでオープンした。2007年(平成19年)現在では、沖縄県久米島にも海洋深層水を利用した温浴施設が整備されている。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "冷熱源としての利用については、富山県入善町が設置した海洋深層水企業団地において、食品製造企業が製造した食品の冷却、工場内の空調に深層水を利用するため2008年(平成20年)12月の操業開始に向けて準備を進めている。これまでも深層水の低温性を活かした飼育槽の水の冷却や空調への利用は、研究機関である富山県水産試験場やサービス産業である深層水体験施設タラソピアで行われてきたが、製造業の民間企業による製造工程への利用実用化はこれが世界で初めてである。これにより二酸化炭素の排出削減が図られることになる。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "細菌学的にも化学的にも清浄、ミネラルが豊富な海洋深層水に着目した化粧品、飲料、食品業界などが、これを化粧品、バスグッズ、入浴剤、飲料水、アルコール類、水産加工食品などとして商品化している。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "海洋深層水は、人が生きるために不可欠なミネラル分を陸水よりも多種類含むだけでなく、陸水の有害化学物質に汚染されていないという特性を持っており、その利活用方法は単純に飲料水に留まるものではない。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "富山県農林水産総合技術センター食品研究所が、大豆や里芋の加工時に出るヌメリが減るという実験結果を発表した。これは、カルシウムやマグネシウムを含むためである。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "しかし、魚介類や大豆と比較して、海洋深層水に含まれるカルシウム・カリウム・マグネシウムといったミネラルはごく微量であり、特に健康増進効果は確認されていない。ミネラルウォーターも同様である。例えば1日のカルシウム必要量を補うためには、海洋深層水を数十リットルから数百リットル飲む必要がある。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "各取水地では、その特性を活かすべく、産官学の連携により様々な研究開発を行っている。その成果を特許として保護し、他の企業や取水地と差別化を図る努力が行われている。特許の都道府県別の出願件数は、東京、高知、富山の順となっており、他の取水地の企業は、先行したこれらの特許に抵触しない製品開発を迫られている。これは大韓民国でも同様であり、本格取水開始前から特許の取得が競われており、先行した日本の研究開発や特許出願を参考に、短期間で数多くの特許が出願されている。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ただし、深層水の取水が始まり、商品化が流通し始めたころには、一部業者が、海洋学上の海洋深層水の神秘的イメージや、科学的に証明されていない「数千年間かけて熟成された水」等のイメージをPRに利用したり、或いは科学的根拠を用いることなく海洋深層水という名前だけで、健康に良くあたかも病気にも効くというような、薬事法に抵触するような販売手法をとった。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "このような反社会的商品の根絶を図るため、2001年(平成13年)12月には公正取引委員会からガイドラインとして「飲用海洋深層水の表示について」が示されほか、良心的な事業者団体では、独自のブランドマークを付与したりして、海洋深層水商品のイメージ保護に努めている。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "現在では、一時的な深層水ブームにのって生産されていた、このような製品は淘汰されつつある。これは、飲料以外の深層水利用商品についても同様である。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "海外では韓国や台湾(2006年6月設立)で深層水の産業利用を推進するため国立の研究機関を設立し、研究開発を進めている。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "台湾では現在、複数の企業が台湾で取水された深層水を用いた深層水飲料の販売を行なっている。一部は中国へ高級飲料として輸出されている。また、飲料だけに留まっている利活用を活性化させようと、日本の深層水を利用した清酒製造技術の導入を図ろうとする取水地もある。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "韓国では、2007年7月3日に国会で「海洋深層水の開発及び管理に関する法律」が成立し、2008年2月4日に施行された。これにより韓国で取水された海洋深層水を用いた製品開発が開始された。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "アジア以外では、インド洋のモーリシャス共和国でも海洋深層水を活用した産業振興のための調査・研究を進めている。", "title": "産業への応用" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "日本海などの縁海では、特徴的な性質を持った海水が分布する。特に日本海の場合の深層水を日本海固有水と呼び、太平洋側の海洋深層水と異なる特質を持っている。まず、太平洋側の深層水は年間を通じて10°C前後だが、日本海固有水は2°C前後と低温である。また、太平洋側の深層水は深度が深くなるに従って海水中の溶存酸素量が減少するが、日本海固有水は深度が深くなっても溶存酸素量は表層水とほとんど変わらず豊富である。", "title": "日本海" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "このように異なる性質となるのは、日本海固有水の起源が日本海北部で冷却された表層水の水塊が底層に沈み込んだものだからである。日本海固有水がこのような起源を持つのは、海峡水深が深い通常の海域の場合には、外洋の深層水が流入するのに対して、日本海の場合は、外洋との通路となる対馬海峡が著しく浅く、外洋の深層水が流入しないためである。", "title": "日本海" } ]
海洋深層水または単に深層水とは、海洋学の用語でもあるが、それについては本文で詳述する。非学術的・産業利用上の定義では、深度200メートル以深の深海に分布する、表層とは違った特徴を持つ海水のこととされ、海水の95%以上は海洋深層水にあたる。
{{出典の明記|date=2007年5月}} '''海洋深層水'''(かいようしんそうすい、deep ocean water:DOW, deep sea water)または単に'''深層水'''とは、[[海洋学]]の用語でもあるが、それについては本文で詳述する。{{要出典|範囲=非学術的・産業利用上の定義|date=2019年5月}}では、深度200メートル以深の[[深海]]に分布する、表層とは違った特徴を持つ[[海水]]のこととされ、海水の95%以上は海洋深層水にあたる<ref name="jst">{{Cite web|和書|url=http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0170/main/stmain/contents/01_kaiyou_sigen/15/index.html |title=海洋資源の探査と利用,科学技術振興機構|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304123541/http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0170/main/stmain/contents/01_kaiyou_sigen/15/index.html|archivedate=2016-03-04|accessdate=2019-05-09}}</ref>。 == 2つの「深層水」 == 海洋学上の深層水は[[大洋]]の深層に分布する海水で、地球上の2箇所([[北大西洋]]の[[グリーンランド]]沖で形成される北大西洋深層水と、[[南極海]]で形成される南極底層水)のことを示す。これらの深層水は[[熱塩循環]]によっておよそ2000年かけて世界中の海洋を移動しており、千年単位の地球の[[気候]]にも重要な関わりを持っている。{{main|熱塩循環|環流}} これと比べ、産業利用上の深層水は、分布や出自を問わず深度200メートル以深の海水をひとくくりに定義したものである。この定義に当てはめると、単純計算で海水の約95%は海洋深層水である。 以下、この記事では後者の深層水について説明する。 == 海洋深層水の特徴 == 一般的な表層水との違いは、清浄性、低温安定性、[[栄養塩]]が豊富という特徴を有することである<ref>[https://web.archive.org/web/20181203152221/http://www.jamstec.go.jp/j/museum/30th/part6/page4.html 海洋開発研究機構資料]</ref>。 ; 清浄性 : 陸水の影響を受けにくいため、産業排水等に含まれる人為的な化学物質による汚染がほとんどない。また、太陽光が届かないため[[植物プランクトン]]等が成育できないことに加え、低温であるため、有害な雑菌等も表層水の千分の一以下と少ないことが特徴である。このため、深層水は表層水に比べて細菌学的にも化学的にもはるかに清浄である。ただし、日本の衛生基準と比較すれば「汚れている」ため、飲料水とするためには濾過が必須である。 ; 栄養塩が豊富 : 一般的な暖流(黒潮等)の表層水に比べて、[[植物プランクトン]]の成長に必要な無機[[栄養塩]](NO3-硝酸態[[窒素]]、PO4-リン酸態[[リン]]、Si ケイ素)が豊富である。これは海洋深層水中の植物プランクトンが少ないために、表層から沈降してくるプランクトンや魚類等の死骸が分解されて生じた栄養塩が消費されずに残っているためである。また、水深が深くなるに従って、[[栄養塩]]濃度は増加する傾向がある。 ; 低温安定性 : 水温をはじめ含まれる成分が年間を通して一定であり、水質が安定しているという特徴がある。 海洋深層水は、表層水との混合が生じにくいため[[溶存酸素]]量は少ない。ただし、[[日本海]]固有水は太平洋側の海洋深層水とその成り立ち方が異なるため、溶存酸素量が表層水とほとんど同じであることが特徴である。なお、深層水が特定の海域で表層へ上昇する([[湧昇]])ことがあり、そこでは豊富な無機栄養塩によりプランクトンが豊富に発生するため、非常に生物生産性の高い海域となり好漁場となる。 == 深層水の取水と影響 == 自然に影響を及ぼすのは、取水よりも利用後の排水の影響の方が問題となる。[[ノルウェー]]では、魚の養殖に深層水を利用しようとしていたが、[[フィヨルド]]内の海水の入れ替わりに10年前後かかることから中止した。 日本の取水施設は、11都道県19施設あるが、取水施設の整備コスト面では、陸地から急激に深くなる海底地形の方が、取水管の設置距離が短くなり、初期投資コスト面で有利になることから、取水地は[[島]]([[新潟県]][[佐渡島]]、[[沖縄県]][[久米島]]、[[鹿児島県]][[甑島列島|甑島]])や[[半島]]の先端([[高知県]][[室戸市|室戸]]、[[神奈川県]][[三浦市|三浦]]、[[北海道]][[羅臼町|羅臼]])に設置される。 例外としては、3000メートル級の[[立山連峰]]からの急峻地形が海底1,000メートルまで続いている、[[富山湾]]に面した[[富山県]][[滑川市]]や同[[入善町]]、同じく急峻地形で水深2,500メートルの[[駿河湾]]に面した[[静岡県]][[焼津市]]では、[[焼津漁港]]に取水施設がある<ref name=pref-shizuoka>[http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-420/surugadsw01.html 駿河湾深層水の有効利用(静岡県)]</ref>。 これらの立地条件は、企業や一般人が取水施設を利用しやすい都市部が後背地としてあるかないか、道路[[インフラストラクチャー]]へのアクセスの良否による、製造した深層水製品の消費地への輸送費用の増減といった事柄に影響することから、深層水の産業利用の成否を握ることになると思われる。 == 産業への応用 == 海洋学上の海洋深層水は、1930年(昭和5年)ごろにフランスで低温性に着目した研究目的で取水されたのが始まりとされており、1981年(昭和56年)に[[ハワイ]]で石油危機に対応するため低温安定性を利用した[[海洋温度差発電|温度差発電]]、冷房への利用研究のために大規模な取水施設が整備された。しかし、豊富なミネラル分、清浄性、富栄養性といった海洋深層水の特性を活かした産業利用では、日本が最先端を行っている。ハワイで生産された深層水飲料は日本企業がハワイのイメージを利用して販売するために製造し、日本へ輸出しているものであることからも日本での海洋深層水の浸透度の高さがわかる。 日本における海洋深層水の利用研究は、[[科学技術庁]](現[[文部科学省]])が実施した「海洋深層資源の有効利用技術の開発に関する研究」(1986~89年実施)の中で、高知県室戸市に陸上型の海洋深層水取水施設が、富山県氷見市沖で洋上型海洋深層水有効利用システム(取水施設・温度差発電施設)が整備されたのが始まりである。水産分野では、富山県と[[一般社団法人]]マリノフォーラム21が、1992年(平成4年)度から1994年(平成6年)度に施工費約10億5600万円をかけて、海洋深層水利用研究施設を富山県水産試験場内に整備した。このほか、富山県では、県立大学、食品研究所、衛生研究所、工業試験場、林業試験場等で県立試験研究機関がそれぞれの専門分野で研究テーマを定めて多様な分野で研究を進めてきた。高知県では室戸市に高知県海洋深層水研究所が設置されている。 産業利用については、1995年(平成7年)に高知県が国の補助目的である水産利用に反して、取水した深層水の無償提供を始め、産業利用を行った。富山県では水産庁と協議して許可を得て2000年(平成12年)から非水産分野の企業への分水を始めた。また、水産分野への利活用では水産庁の補助を受けて富山県[[下新川郡]][[入善町]]で無機栄養塩に富み雑菌が非常に少ないという特質を利用して[[アワビ]]などの[[養殖業]]に利用している。 健康増進分野では、[[1998年]](平成10年)に、富山県[[滑川市]]に世界で初めての深層水体験施設「[[深層水体験施設 タラソピア|タラソピア]]」がオープンし、多くの人々の健康作りに利用されている。[[富山医科薬科大学]]医学部(現:[[富山大学]]医学部)と富山県衛生研究所が、タラソピアで共同研究を行い、深層水浴による[[リラクゼーション (心理学)|リラクゼーション]]効果の高さを研究し、成果について学会発表を行っている。現在は、深層水浴による皮膚への効果についての共同研究を行っている。静岡県は、日本一深い[[湾]]である[[駿河湾]]の水を「駿河湾深層水」と呼び、活用のための研究を行っており<ref>[http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-420/surugadsw-index.html 静岡県の駿河湾深層水事業について(静岡県)]</ref>。2004年(平成16年)には取水地の焼津市に[[深層水ミュージアム]]がオープンした。 2006年(平成18年)には、高知県室戸市の「アクアファーム」、静岡県焼津市の「[[アクアスやいづ]]」と、[[タラソテラピー]]施設が相次いでオープンした。2007年(平成19年)現在では、沖縄県[[久米島]]にも海洋深層水を利用した温浴施設が整備されている。 冷熱源としての利用については、富山県入善町が設置した海洋深層水企業団地において、食品製造企業が製造した食品の冷却、工場内の空調に深層水を利用するため2008年(平成20年)12月の操業開始に向けて準備を進めている。これまでも深層水の低温性を活かした飼育槽の水の冷却や空調への利用は、研究機関である富山県水産試験場やサービス産業である深層水体験施設タラソピアで行われてきたが、製造業の民間企業による製造工程への利用実用化はこれが世界で初めてである。これにより[[二酸化炭素]]の排出削減が図られることになる。 === 海洋深層水を利用した商品 === 細菌学的にも化学的にも清浄、ミネラルが豊富な海洋深層水に着目した化粧品、飲料、食品業界などが、これを化粧品、バスグッズ、入浴剤、[[飲料水]]、アルコール類、水産加工食品などとして商品化している。 海洋深層水は、人が生きるために不可欠なミネラル分を陸水よりも多種類含むだけでなく、陸水の有害化学物質に汚染されていないという特性を持っており、その利活用方法は単純に飲料水に留まるものではない。 富山県農林水産総合技術センター食品研究所が、大豆や里芋の加工時に出るヌメリが減るという実験結果を発表した。これは、カルシウムやマグネシウムを含むためである<ref>{{Citation|和書 | url = https://www.jfc.go.jp/n/finance/keiei/pdf/1872.pdf | archiveurl = https://web.archive.org/web/20130219075418/https://www.jfc.go.jp/n/finance/keiei/pdf/1872.pdf | format = PDF | author = 柳本正勝 | title = 海洋深層水利用とその科学的根拠 | publisher = [[日本政策金融公庫]] | series = 技術の窓 No.1872 | date = 2012.9.27 | accessdate = 2014-7-1 | archivedate = 2013-2-19 }}</ref>。 しかし、魚介類や大豆と比較して、海洋深層水に含まれるカルシウム・カリウム・マグネシウムといった'''ミネラルはごく微量'''であり、特に健康増進効果は確認されていない。ミネラルウォーターも同様である。例えば1日のカルシウム必要量を補うためには、海洋深層水を数十リットルから数百リットル飲む必要がある。 各取水地では、その特性を活かすべく、産官学の連携により様々な研究開発を行っている。その成果を特許として保護し、他の企業や取水地と差別化を図る努力が行われている。特許の都道府県別の出願件数は、東京、高知、富山の順となっており、他の取水地の企業は、先行したこれらの特許に抵触しない製品開発を迫られている。これは[[大韓民国]]でも同様であり、本格取水開始前から特許の取得が競われており、先行した日本の研究開発や特許出願を参考に、短期間で数多くの特許が出願されている。 * 注意-1 : 海洋深層水は[[海水]]であるため、食品加工や添加物に用いるのではなく、単純に飲料水に用いる場合は、そのままでは飲用出来ない。飲料水として利用する場合は、塩分を除去したり、ミネラル分を濃縮した上で、陸水を添加したりして製品化している。 ただし、深層水の取水が始まり、商品化が流通し始めたころには、一部業者が、海洋学上の海洋深層水の神秘的イメージや、科学的に証明されていない「数千年間かけて熟成された水」等のイメージをPRに利用したり、或いは科学的根拠を用いることなく海洋深層水という名前だけで、健康に良くあたかも病気にも効くというような、薬事法に抵触するような販売手法をとった。 このような反社会的商品の根絶を図るため、[[2001年]](平成13年)12月には[[公正取引委員会]]から[[ガイドライン]]として「飲用海洋深層水の表示について」が示されほか、良心的な事業者団体では、独自のブランドマークを付与したりして、海洋深層水商品のイメージ保護に努めている。 現在では、一時的な深層水ブームにのって生産されていた、このような製品は淘汰されつつある。これは、飲料以外の深層水利用商品についても同様である。 * 注意-2 : 富山県深層水協議会では専門家による審査を経て、海洋深層水の利用効果が認められた商品にだけ有料で「富山の深層水」ブランドマーク(商標登録済)の使用を許可している。 * 注意-3 : 海洋深層水利用として販売されている飲料水は、[[海水淡水化]]プラント(電気透析やRO膜)により塩分を取り除き、主にそのミネラル分を利用して製造されている。その製造方法は主に次の3種類に分けられる。 *# 海洋深層水から塩分を取り除きミネラル分を濃縮した上で、陸水に添加し商品化したもの。 *# 単純に塩分だけを取り除き、商品化したもの。 *# ニガリ成分だけを取りだし原料とし、陸水に添加したもの。 * 1.の製法により製造される製品は、ダイエット、スポーツ後のミネラル分補給、コーヒー・紅茶の飲用など目的に合わせてミネラル分を調整した製品作りが可能である。富山県の企業では、目的別に5種類の硬度の製品を開発・販売している。 <!-- === 商品開発の例 === 消費者に納得して海洋深層水製品を購入してもらうには、科学的裏付けのある[[商品開発]]が重要であることから各取水地で様々な研究開発が進められている。 飲料関係では、[[富山県立大学]]が化学企業と共同で研究し特許を取得した、深層水を電気分解することにより製造したアルカリイオン深層水飲料を製品化している。 また、富山市の製薬企業が、深層水のミネラル分を用いて、水関係では初めてとなる[[特定保健用食品]](トクホ)を2003年(平成15年)に開発、販売したほか、栄養機能食品の飲料を2007年(平成19年)に開発した。ただしトクホ認定を受けたのは[[オリゴ糖]]を混ぜているためであり、海洋深層水そのものは関係がない。 アルコール類では、大手ビールメーカーが[[発泡酒]]の製造工程に[[富山湾]]の深層水を最適な量使用することにより、豊富な無機栄養塩を活かして酵母の発酵を促進させ、製品作りに活用している。 化粧品類では、大手化粧品メーカーから、深層水の保湿性を活かした化粧品が製造、販売されている。同社は化粧品関係の特許を取得している。 また、[[韓国]]でもハワイの深層水を輸入して化粧品として販売しており、日本でも販売されている。 食品では、富山県[[射水市]]の加工食品メーカーが富山県食品研究所と協同研究を行い、食品添加物に代えて、深層水を用い、そのミネラル分を活かして、大豆、サトイモ、ゼンマイ等の食品加工の工程に深層水を用いることで、煮くずれを防止し、うま味成分を保持する技術を開発し特許を出願するなど、科学的効果を検証した、おいしく、見た目もよいとする製品作りを行っている。これら商品は大手スーパーにより全国で販売されている。 医薬分野では、海洋深層水のミネラルバランスが人の体液に近いことを活かして、富山市の企業が地元大学と臓器保存液として利用する研究を行ない、従来の生理食塩水に比べて遙かに保存効果が高いことを明らかにした。{{要出典|date=2014年6月}}この成果を活かし、国の委託事業で創傷ケア用の薬剤を開発しようとする研究が進められている。{{要出典|date=2014年6月}} --> === 海外での深層水開発 === 海外では[[大韓民国|韓国]]や[[台湾]]([[2006年]]6月設立)で深層水の産業利用を推進するため国立の研究機関を設立し、研究開発を進めている。 台湾では現在、複数の企業が台湾で取水された深層水を用いた深層水飲料の販売を行なっている。一部は中国へ高級飲料として輸出されている。また、飲料だけに留まっている利活用を活性化させようと、日本の深層水を利用した清酒製造技術の導入を図ろうとする取水地もある。 韓国では、2007年7月3日に国会で「海洋深層水の開発及び管理に関する法律」が成立し、2008年2月4日に施行された。これにより韓国で取水された海洋深層水を用いた製品開発が開始された。 アジア以外では、[[インド洋]]の[[モーリシャス|モーリシャス共和国]]でも海洋深層水を活用した産業振興のための調査・研究を進めている。 == 日本海 == [[日本海]]などの[[縁海]]では、特徴的な性質を持った海水が分布する<ref>http://www.dowas.net/water/yogo/08.html</ref>。特に日本海の場合の深層水を[[日本海固有水]]と呼び、太平洋側の海洋深層水と異なる特質を持っている。まず、太平洋側の深層水は年間を通じて10℃前後だが、日本海固有水は2℃前後と低温である。また、太平洋側の深層水は深度が深くなるに従って海水中の溶存酸素量が減少するが、日本海固有水は深度が深くなっても溶存酸素量は表層水とほとんど変わらず豊富である。 このように異なる性質となるのは、日本海固有水の起源が日本海北部で冷却された表層水の[[水塊]]が底層に沈み込んだものだからである。日本海固有水がこのような起源を持つのは、[[海峡]]水深が深い通常の海域の場合には、外洋の深層水が流入するのに対して、日本海の場合は、外洋との通路となる[[対馬海峡]]が著しく浅く、外洋の深層水が流入しないためである。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[硬水]] * [[海洋温度差発電]] == 外部リンク == * [http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/151407/ 高知県海洋深層水研究所] * [http://www.t-deepsea.jp/ 富山県深層水協議会] * [http://www.pref.toyama.jp/branches/1690/1690.htm 富山県水産試験場] * {{コトバンク}} {{DEFAULTSORT:かいようしんそうすい}} [[Category:海洋学]] [[Category:機能水]]
2003-02-28T06:34:06Z
2023-11-27T05:39:17Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Citation", "Template:コトバンク", "Template:出典の明記", "Template:要出典", "Template:Main", "Template:脚注ヘルプ" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E6%B4%8B%E6%B7%B1%E5%B1%A4%E6%B0%B4
3,048
Gecko
Gecko(ゲッコー)は、Netscapeシリーズ 6以降およびMozillaソフトウェアのために開発されたオープンソースのHTMLレンダリングエンジン群の総称である。HTML、CSS、XUL、JavaScriptなどを解釈する。 なお、Geckoは英語でヤモリの意味を持つ。 当初、Mozillaは1998年に公開されたNetscape 5.0へ向けて開発中だったソースコードを元に開発されていたが、軽量化のために当時買収したDigital Style社のエンジンをベースにして新規に書かれた。これがGeckoである。パース部分はW3Cによる勧告に合致することを目標に作成されている。 1.8系列以前ではWeb Standards ProjectがCSS 2.1のテストとして用意したAcid2に合格していなかったが、1.9系列からは合格している。 ウェブブラウザ以外でも、HTMLやCSSなどを表示に用いるソフトウェアでGeckoが採用されている。 XULはアプリケーションのGUIをXMLで記述した形式である。イベントハンドラを用いてJavaScriptを呼び出すことで、HTMLとJavaScriptを組み合わせたWebアプリケーションと同じ感覚でネイティブのGUIに近いアプリケーションを製作することができる。XULはアプリケーションとしてローカルから読み出されるほか、Web上のファイルであっても表示できる。(ただしファイルの読み書きなどの特権は利用できない。) HTML・CSSのレンダリングや通信部分、ファイルの読み書きなどのAPIはC++で記述されており、それぞれコンポーネント化されている。これらのAPIは他のC++コードから(必要なものだけを)呼び出せるほか、XULアプリケーションなどからJavaScriptなどスクリプト言語を通じて呼び出すことができる(XPCOM)。FirefoxなどではXULアプリケーションから実際に呼び出しているほか、XPCOM 対応でビルドされた JavaScript シェルから利用することもできる。 XUL, CSSでスタイルづけされたHTML, MathML, SVGを表示することができる。 HTMLの描画は(複雑な)ペインターアルゴリズムが採用されている。HTMLがCSSの「ボックス」群に変換しレイアウトを決定すると、描画順序を決めたリストを構成し、リストができると実際に描画される。 描画バックエンドにはcairoが使われている。半透明、曲線描画などにその技術が使われている。 スクリプト処理部分はSpiderMonkeyと呼ばれる。ECMAScript 3 に準拠する。Firefoxに組み込まれた状態では、特権管理により、WebページのJavaScriptを実行できるだけでなく、ブラウザ本体や拡張機能をJavaScriptで記述することができる。アプリケーション側からもWebページのJavaScriptオブジェクトに(間接的に)アクセス可能である。2007年ごろからWebアプリケーションの普及によりJavaScriptの性能が話題になり始めたが、Gecko 1.9.1 (2008)以降、JIT方式のJavaScriptコンパイラ/インタプリタが搭載され、性能が向上した(TraceMonkey)。Gecko 2.0 (aka 1.93a) / Firefox 4 (2010) では低速だがコンパイルの早いJITコンパイラ(JägerMonkey)とTraceMonkeyを組み合わせて使う方式になった。Gecko 9 / Firefox 9 (2011) では型推論が導入され、リリース製品に組み込まれた。 このエンジンを使用したユーザーエージェントの多くはユーザーエージェント名で使用環境などを確認できる。 Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.8.1.1) Gecko/20061204 Firefox/2.0.0.1 この例では、Windowsは対象のプラットフォームがMicrosoft Windowsであること、Uは強いセキュリティレベルであること、Windows NT 5.1は使用しているシステムが Windows NT 5.1であること、jaは利用している言語の設定が日本語であること、rv:1.8.1.1はGeckoのリビジョンが1.8.1.1であること、Gecko/20061204はビルドされた日付が2006年12月4日であること、Firefox/2.0.0.1は以上のようなGeckoを搭載したFirefox 2.0.0.1であることを表している。 Microsoft Windows上で動作する プラグイン。Mozilla ActiveX Projectにより開発されている。ActiveX をGeckoのブラウザ上から管理したり、Geckoのレンダリングエンジン部分をコンポーネントとしてWindowsアプリケーションに組み込む目的で開発された。 ActiveXの管理機能は安全性の確認されたインストール済みのActiveXをブラウザから管理するためのもので、ブラウザからActiveXを実行したりインストールしたりするためのものではない。 ブラウザエンジンとしては、XUL上のアプリケーションではなく、Windowsネイティブのアプリケーションとして組み込むことによってより軽量に使用することを可能にした。mozctl.dll をソフトウェアに接続することでコンポーネントとしての Gecko エンジンが利用できる。Webブラウザに使われる場合が多いが、Webページの表示確認など、補助的な機能として用いられた例もある。 Mozilla ActiveX ControlのHTMLレンダリングエンジンとしての機能はXULネイティブなプログラムと同一であり、設定項目なども共通である。ただし、標準ダイアログボックスなどの表示はXULネイティブのものと異なる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Gecko(ゲッコー)は、Netscapeシリーズ 6以降およびMozillaソフトウェアのために開発されたオープンソースのHTMLレンダリングエンジン群の総称である。HTML、CSS、XUL、JavaScriptなどを解釈する。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "なお、Geckoは英語でヤモリの意味を持つ。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "当初、Mozillaは1998年に公開されたNetscape 5.0へ向けて開発中だったソースコードを元に開発されていたが、軽量化のために当時買収したDigital Style社のエンジンをベースにして新規に書かれた。これがGeckoである。パース部分はW3Cによる勧告に合致することを目標に作成されている。 1.8系列以前ではWeb Standards ProjectがCSS 2.1のテストとして用意したAcid2に合格していなかったが、1.9系列からは合格している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ウェブブラウザ以外でも、HTMLやCSSなどを表示に用いるソフトウェアでGeckoが採用されている。", "title": "Geckoを使用するソフトウェア" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "XULはアプリケーションのGUIをXMLで記述した形式である。イベントハンドラを用いてJavaScriptを呼び出すことで、HTMLとJavaScriptを組み合わせたWebアプリケーションと同じ感覚でネイティブのGUIに近いアプリケーションを製作することができる。XULはアプリケーションとしてローカルから読み出されるほか、Web上のファイルであっても表示できる。(ただしファイルの読み書きなどの特権は利用できない。)", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "HTML・CSSのレンダリングや通信部分、ファイルの読み書きなどのAPIはC++で記述されており、それぞれコンポーネント化されている。これらのAPIは他のC++コードから(必要なものだけを)呼び出せるほか、XULアプリケーションなどからJavaScriptなどスクリプト言語を通じて呼び出すことができる(XPCOM)。FirefoxなどではXULアプリケーションから実際に呼び出しているほか、XPCOM 対応でビルドされた JavaScript シェルから利用することもできる。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "XUL, CSSでスタイルづけされたHTML, MathML, SVGを表示することができる。 HTMLの描画は(複雑な)ペインターアルゴリズムが採用されている。HTMLがCSSの「ボックス」群に変換しレイアウトを決定すると、描画順序を決めたリストを構成し、リストができると実際に描画される。 描画バックエンドにはcairoが使われている。半透明、曲線描画などにその技術が使われている。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "スクリプト処理部分はSpiderMonkeyと呼ばれる。ECMAScript 3 に準拠する。Firefoxに組み込まれた状態では、特権管理により、WebページのJavaScriptを実行できるだけでなく、ブラウザ本体や拡張機能をJavaScriptで記述することができる。アプリケーション側からもWebページのJavaScriptオブジェクトに(間接的に)アクセス可能である。2007年ごろからWebアプリケーションの普及によりJavaScriptの性能が話題になり始めたが、Gecko 1.9.1 (2008)以降、JIT方式のJavaScriptコンパイラ/インタプリタが搭載され、性能が向上した(TraceMonkey)。Gecko 2.0 (aka 1.93a) / Firefox 4 (2010) では低速だがコンパイルの早いJITコンパイラ(JägerMonkey)とTraceMonkeyを組み合わせて使う方式になった。Gecko 9 / Firefox 9 (2011) では型推論が導入され、リリース製品に組み込まれた。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "このエンジンを使用したユーザーエージェントの多くはユーザーエージェント名で使用環境などを確認できる。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.8.1.1) Gecko/20061204 Firefox/2.0.0.1", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "この例では、Windowsは対象のプラットフォームがMicrosoft Windowsであること、Uは強いセキュリティレベルであること、Windows NT 5.1は使用しているシステムが Windows NT 5.1であること、jaは利用している言語の設定が日本語であること、rv:1.8.1.1はGeckoのリビジョンが1.8.1.1であること、Gecko/20061204はビルドされた日付が2006年12月4日であること、Firefox/2.0.0.1は以上のようなGeckoを搭載したFirefox 2.0.0.1であることを表している。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "Microsoft Windows上で動作する プラグイン。Mozilla ActiveX Projectにより開発されている。ActiveX をGeckoのブラウザ上から管理したり、Geckoのレンダリングエンジン部分をコンポーネントとしてWindowsアプリケーションに組み込む目的で開発された。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ActiveXの管理機能は安全性の確認されたインストール済みのActiveXをブラウザから管理するためのもので、ブラウザからActiveXを実行したりインストールしたりするためのものではない。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ブラウザエンジンとしては、XUL上のアプリケーションではなく、Windowsネイティブのアプリケーションとして組み込むことによってより軽量に使用することを可能にした。mozctl.dll をソフトウェアに接続することでコンポーネントとしての Gecko エンジンが利用できる。Webブラウザに使われる場合が多いが、Webページの表示確認など、補助的な機能として用いられた例もある。", "title": "技術" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "Mozilla ActiveX ControlのHTMLレンダリングエンジンとしての機能はXULネイティブなプログラムと同一であり、設定項目なども共通である。ただし、標準ダイアログボックスなどの表示はXULネイティブのものと異なる。", "title": "技術" } ]
Gecko(ゲッコー)は、Netscapeシリーズ 6以降およびMozillaソフトウェアのために開発されたオープンソースのHTMLレンダリングエンジン群の総称である。HTML、CSS、XUL、JavaScriptなどを解釈する。 なお、Geckoは英語でヤモリの意味を持つ。
{{Otheruses|HTMLレンダリングエンジン|その他|ゲッコー}} {{Pathnav|レンダリングエンジン|HTMLレンダリングエンジン|frame=1}} {{Infobox Software | name = Gecko | logo = [[File:Mozillagecko-logo.svg|170px]] | latest_release_version = {{Latest stable software release/Mozilla Firefox}} | latest_preview_version = {{Latest preview software release/Mozilla Firefox}} | developer = [[Mozilla Foundation]] / [[Mozilla Corporation]] | programming language = [[C++]]、[[JavaScript]]、[[Rust (プログラミング言語)|Rust]] | operating system = [[クロスプラットフォーム]] | genre = [[レイアウトエンジン]] | license = [[Mozilla Public License]] 2.0 | website = {{URL|https://developer.mozilla.org/ja/docs/Glossary/Gecko}} }} [[ファイル:Mozilla Firefox 2 ja.png|thumb|Geckoを搭載するウェブブラウザ([[Mozilla Firefox]] 2.0)]] '''Gecko'''(ゲッコー)は、[[Netscapeシリーズ]] 6以降および[[Mozilla]]ソフトウェアのために開発された[[オープンソース]]の[[HTMLレンダリングエンジン]]群の総称である。[[HyperText Markup Language|HTML]]、[[Cascading Style Sheets|CSS]]、[[XUL]]、[[JavaScript]]などを解釈する。 なお、Geckoは[[英語]]で[[ヤモリ]]の意味を持つ。 == 歴史 == 当初、Mozillaは[[1998年]]に公開されたNetscape 5.0へ向けて開発中だったソースコードを元に開発されていたが<ref>[https://web.archive.org/web/20000815072323/http://www.netscape.com/ja/browsers/6/faq.html#communicator Communicator 5.0はどうしたのですか? ]</ref>、軽量化のために当時買収したDigital Style社のエンジンをベースにして新規に書かれた。これがGeckoである。[[構文解析|パース]]部分は[[World Wide Web Consortium|W3C]]による勧告に合致することを目標に作成されている。 1.8系列以前では[[Web Standards Project]]がCSS 2.1のテストとして用意した[[Acid2]]に合格していなかったが、1.9系列からは合格している。 === バージョン履歴 === ; 0.6 : [[Netscape (Mozillaベース)|Netscape 6]]に搭載される。 ; 1.8 : CSSなどのエラー検出機能を実装。canvas要素のサポート。 ; 1.8.1 : Firefox / Thunderbird 2.0、SeaMonkey 1.1、[[Netscape Navigator 9]]、Camino 1.5および1.6に搭載。 ; 1.9 : Firefox 3.0、Camino 2.0に搭載。[[Mozilla Sunbird|Sunbird]] 0.3に[[アルファ版]]を搭載。 : [[Acid2]]に合格。[[WSDL]]および[[SOAP (プロトコル)|SOAP]]のネイティブサポートを削除。 ; 1.9.1 : Firefox 3.5、Thunderbird 3.0、SeaMonkey 2.0に搭載。 : CSS 3の一部プロパティやHTML 5の一部要素をサポート。 ; 5.0 : 高速リリースサイクルを採用し、6週間ごとにバージョンアップされるようになった。バージョンの数字はFirefox、Thunderbirdと統一されている。 ; 57 : FirefoxのGeckoのコンポーネントが[[Servo]]のものへと置き換えられ始めた<ref>{{Cite web|和書|last=Keizer |first=Gregg |date=2017-09-29 |url=http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/idg/14/481542/092900421/ |title=Firefoxの新バージョン「Quantum」、エンジン刷新で約2倍に高速化 |publisher=[[Computerworld]] |accessdate=2017-09-30}}</ref>。 == Geckoを使用するソフトウェア == === ウェブブラウザ === * [[Bagel (ウェブブラウザ)|Bagel]] * [[Camino]] - 旧Chimera。Mac OS X専用のGeckoブラウザ。 * [[Web (ウェブブラウザ)|Epiphany]] ([[GNOME]]、2.28.0より[[WebKit]]に移行) * [[Galeon]] (GNOME) * [[Lunascape]] (2以降。IEコンポーネント、[[WebKit]]の利用も可能) * [[Mozilla Firefox]] <ref name=add-on>[[拡張機能 (Mozilla)|拡張機能]]の[[IE Tab]]でIEコンポーネントの利用も可能。</ref>およびそのソースコードを使用したブラウザ ([[Flock]], [[K-Meleon]], [[Pale Moon]],[[Tor Browser]], [[Floorp]] など) * [[Waterfox]] * [[SeaMonkey]] <ref name=add-on /> - [[Mozilla Application Suite]] の後継ソフトウェア。 * [[Sylera]]<ref>バージョン2.1.0からIEコンポーネントも使用可能。</ref> * [[風博士 (ウェブブラウザ)|風博士]] * [[Sleipnir 2]] (プラグインによる拡張。2010年8月現在、当該プラグインは開発停止している) === その他のソフトウェア === ウェブブラウザ以外でも、HTMLやCSSなどを表示に用いるソフトウェアでGeckoが採用されている。 * [[Mozilla Thunderbird]](メールクライアント、旧Minotaur) * [[Correo]](メールクライアント) * [[Mozilla Sunbird]](カレンダー) * [[Nvu]](Web オーサリングツール) * [[KompoZer]](Web オーサリングツール) * [[Songbird (ソフトウェア)|Songbird]](メディアプレーヤー) * [[Wine]] (オープンソースのWindows API実装、Internet Explorerの実装に利用) == 技術 == ===XUL=== XULはアプリケーションのGUIをXMLで記述した形式である。イベントハンドラを用いてJavaScriptを呼び出すことで、HTMLとJavaScriptを組み合わせたWebアプリケーションと同じ感覚でネイティブのGUIに近いアプリケーションを製作することができる。XULはアプリケーションとしてローカルから読み出されるほか、Web上のファイルであっても表示できる。(ただしファイルの読み書きなどの特権は利用できない。) ===構成=== HTML・CSSのレンダリングや通信部分、ファイルの読み書きなどのAPIはC++で記述されており、それぞれコンポーネント化されている。これらのAPIは他のC++コードから(必要なものだけを)呼び出せるほか、XULアプリケーションなどからJavaScriptなどスクリプト言語を通じて呼び出すことができる(XPCOM)。FirefoxなどではXULアプリケーションから実際に呼び出しているほか、XPCOM 対応でビルドされた JavaScript シェルから利用することもできる。 ===描画=== XUL, CSSでスタイルづけされたHTML, MathML, SVGを表示することができる。 HTMLの描画は(複雑な)ペインターアルゴリズムが採用されている。HTMLがCSSの「ボックス」群に変換しレイアウトを決定すると、描画順序を決めたリストを構成し、リストができると実際に描画される。 描画バックエンドには[[cairo]]が使われている。半透明、曲線描画などにその技術が使われている。 ===スクリプトエンジン=== {{main|SpiderMonkey}} スクリプト処理部分はSpiderMonkeyと呼ばれる。ECMAScript 3 に準拠する。Firefoxに組み込まれた状態では、特権管理により、WebページのJavaScriptを実行できるだけでなく、ブラウザ本体や拡張機能をJavaScriptで記述することができる。アプリケーション側からもWebページのJavaScriptオブジェクトに(間接的に)アクセス可能である。2007年ごろからWebアプリケーションの普及によりJavaScriptの性能が話題になり始めたが、Gecko 1.9.1 (2008)以降、[[JIT]]方式のJavaScriptコンパイラ/インタプリタが搭載され、性能が向上した(TraceMonkey)。Gecko 2.0 (aka 1.93a) / Firefox 4 (2010) では低速だがコンパイルの早いJITコンパイラ(JägerMonkey)とTraceMonkeyを組み合わせて使う方式になった。Gecko 9 / Firefox 9 (2011) では[[型推論]]が導入され、リリース製品に組み込まれた。 === ユーザーエージェント情報 === <!--この項は瑣末ではないか? --> このエンジンを使用した[[ユーザーエージェント]]の多くはユーザーエージェント名で使用環境などを確認できる。 {{indent|Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja; rv:1.8.1.1) Gecko/20061204 Firefox/2.0.0.1}} この例では、''Windows''は対象の[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]]が[[Microsoft Windows]]であること、''U''は強い[[コンピュータセキュリティ|セキュリティ]]レベルであること、''Windows NT 5.1''は使用している[[システム]]が [[Microsoft Windows XP|Windows NT 5.1]]であること、''ja''は利用している言語の設定が[[日本語]]であること、''rv:1.8.1.1''はGeckoの[[リビジョン]]が1.8.1.1であること、''Gecko/20061204''はビルドされた日付が[[2006年]][[12月4日]]であること<ref>ただし Firefox 4.0 Beta 5以降のリリース版ではビルドした日付ではなく、''Gecko/20100101''固定となった。詳しくは [https://bugzilla.mozilla.org/show_bug.cgi?id=591537 Bug 591537 - Freeze UA build id for Firefox branded builds] 参照。</ref>、''Firefox/2.0.0.1''は以上のようなGeckoを搭載した[[Mozilla Firefox|Firefox]] 2.0.0.1であることを表している。 === Mozilla ActiveX Control === [[Microsoft Windows]]上で動作する [[プラグイン]]。Mozilla ActiveX Projectにより開発されている。[[ActiveX]] をGeckoのブラウザ上から管理したり、Geckoのレンダリングエンジン部分をコンポーネントとしてWindowsアプリケーションに組み込む目的で開発された。 ActiveXの管理機能は安全性の確認されたインストール済みのActiveXをブラウザから管理するためのもので、ブラウザからActiveXを実行したりインストールしたりするためのものではない。<ref>http://www.mozilla-japan.org/start/1.5/faq/browser.html#active-x</ref> ブラウザエンジンとしては、XUL上のアプリケーションではなく、Windowsネイティブのアプリケーションとして組み込むことによってより軽量に使用することを可能にした。mozctl.dll をソフトウェアに接続することでコンポーネントとしての Gecko エンジンが利用できる。Webブラウザに使われる場合が多いが、Webページの表示確認など、補助的な機能として用いられた例もある。 Mozilla ActiveX ControlのHTMLレンダリングエンジンとしての機能はXULネイティブなプログラムと同一であり、設定項目なども共通である。ただし、標準[[ダイアログボックス]]などの表示はXULネイティブのものと異なる。 == Geckoを利用するソフトウェア == {|class=wikitable style="font-size:small" ! !scope=col|[[Mozilla Firefox|Firefox]] !scope=col|[[Netscapeシリーズ|Netscape]] <ref name="discontinued" group="u" /> !scope=col|[[Mozilla Application Suite|Mozilla]] <ref name="discontinued" group="u" /> !scope=col|[[SeaMonkey]] !scope=col|[[Mozilla Thunderbird|Thunderbird]] !scope=col|[[Flock]] <ref name="discontinued" group="u" /> !scope=col|[[Songbird (ソフトウェア)|Songbird]] / [[Nightingale]] !scope=col|[[Beonex Communicator|Beonex]] <ref name="discontinued" group="u" /> !scope=col|[[Lunascape]] <ref name="webkit_alt" group="u" /><ref name="trident_alt" group="u" /> !scope=col|[[K-Meleon]] !scope=col|[[Pale Moon]] <ref name="palemoon26" group="u">バージョン26以降ではレンダリングエンジンとしてGeckoの代わりに[[Goanna]]を採用</ref> !scope=col|[[Camino]] <ref name="discontinued" group="u" /> !scope=col|[[Galeon]] <ref name="discontinued" group="u" /> !scope=col|[[Web (ウェブブラウザ)|Epiphany]] <ref name="dropped" group="u" /><ref name="webkit_alt" group="u" /> !scope=col|{{nowrap|[[風博士 (ウェブブラウザ)|風博士]]}} <ref name="webkit_alt" group="u" /> !scope=col|[[MicroB]] |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 0.6 | |[[Netscape Navigator (ネットスケープコミュニケーションズ)|6.0]] | 0.6 | | | | | 0.6<ref name="newsarchive" /> | | | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 0.8 | | | 0.8 | | | | | | | 0.3 | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 0.9.2 | | 6.1 | 0.9.2 | | | | | | | | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 0.9.4 | | 6.2 | 0.9.4 | | | | | | | 0.5 | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 0.9.4.1 | | 6.2.2 | 0.9.4.1 | | | | | 0.7<ref name="newsarchive" /> | | | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 0.9.5 | | | 0.9.5 | | | | | | | 0.6 | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 0.9.7 | | | 0.9.7 | | | | | | | | | | 1.0.2 | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.0.1 | | [[Netscape (Mozillaベース)|7.0]] | 1.0.1 | | | | | 0.8.1<ref>{{cite web|url=http://www.beonex.com/communicator/version/0.8/release-notes/security-alert/081.html|title=0.8.1|first=Ben|accessdate=29 January 2011|last=Bucksch}}</ref> | | | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.0.2 | | | 1.0.2 | | | | | 0.8.2<ref>{{cite web|url=http://www.beonex.com/communicator/version/0.8/release-notes/|title=Release-notes|first=Ben|accessdate=29 January 2011|last=Bucksch}}</ref> | | | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.1 | | | 1.1 | | | | | 0.9pre<ref name="newsarchive">{{cite web|url=http://www.beonex.com/support/announce/news.html|title=News|first=Ben|last=Bucksch|accessdate=29 January 2011|date=2003-03-12}}</ref> | | | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.2b | 0.1 - 0.3 | | 1.2b | | | | | | | 0.7 | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.3a | 0.4 - 0.5 | | 1.3a | | | | | | | | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.4 | | 7.1 | 1.4 | | | | | | | | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.4.1 | | | 1.4.1 | | | | | | | | | | 1.0.4 | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.5 | 0.6 - 0.7.1 | | 1.5 | | 0.1 - 0.3 | | | | | 0.8 | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.6 | 0.8 | | 1.6 | | 0.4 - 0.5 | | | | | | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.7 | 0.9 - 1.0 | | 1.7 | | 0.6 - 1.0 | | | | | | | | 2.0 | | 0.2.8 | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.7.2 | | 7.2 | 1.7.2 | | | | | | | | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.7.5 | | [[Netscape Browser|8.0.2]]<ref name="trident_alt" group="u" /> | 1.7.5 | | | | | | | 0.9 | | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.8.0 | 1.5 | | | 1.0 | 1.1 - 1.5 | 0.7 | 0.2 | | | 1.0 | | 1.0 | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.8.1 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 2.0|2.0]] | [[Netscape Navigator 9|9.0]] | | 1.1 | 2.0 | 1.0 | | | 4.8 | 1.1, 1.5 | | 1.5 - 1.6 | | 2.16 | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.9.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 3.0|3.0]] | | | | 3.0a1 - a2 | 2.0 - 2.6 | 0.5 - 1.4 | | | | 2.2 | 2.0 | | 2.22 | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.9.1 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 3.5|3.5]] | | | 2.0 | 3.0a3 - 3.0 | | | | 5.0 | 1.6 | 3.5 | | | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 1.9.2 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 3.6|3.6]] | | | | 3.1 | | 1.9.3 | | 6.3 | 1.7 | 3.6<ref name="continued" group="u" /> | 2.1 | | | | 1.7.4.8 <ref name="MicroB_1748" group="u" /> |} {|class=wikitable style="font-size:small" ! !scope=col|[[Mozilla Firefox|Firefox]] !scope=col|[[SeaMonkey]] !scope=col|[[Mozilla Thunderbird|Thunderbird]] !scope=col|[[Lunascape]] <ref name="webkit_alt" group="u" /><ref name="trident_alt" group="u" /> !scope=col|[[K-Meleon]] !scope=col|[[Pale Moon]] <ref name="palemoon26" group="u">バージョン26以降ではレンダリングエンジンとしてGeckoの代わりに[[Goanna]]を採用</ref> |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 2.0<ref name="gecko_2.0" group="u" /> | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 4|4.0]] | 2.1 | (3.3a) | | | 4.0 |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 5.0<ref name="urm" group="u" /> | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 5|5.0]] | 2.2 | 5.0 | | | 5.0 |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 6.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 6|6.0]] | 2.3 | 6.0 | | | 6.0 |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 7.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 7|7.0]] | 2.4 | 7.0 | | | 7.0 |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 8.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 8|8.0]] | 2.5 | 8.0 | | | 8.0 |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 9.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 9|9.0]] | 2.6 | 9.0 | | | 9.0.1 |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 10.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 10|10.0]], {{nowrap|10.0 ESR}} | 2.7 | 10.0, {{nowrap|10.0 ESR}} | | | 9.1, 9.2 |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 11.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 11|11.0]] | 2.8 | 11.0 | | | 11.0 |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 12.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 12|12.0]] | 2.9 | 12.0 | | | 12.0 - 12.3 |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 13.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 13|13.0]] | 2.10 | 13.0 | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 14.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 14|14.0]] | 2.11 | 14.0 | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 15.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 15|15.0]] | 2.12 | 15.0 | | | 15.0 - 15.4.1 |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 16.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 16|16.0]] | 2.13 | 16.0 | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 17.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 17|17.0]], {{nowrap|17.0 ESR}} | 2.14 | 17.0.x | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 18.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 18|18.0]] | 2.15 | (18.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 19.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 19|19.0]] | 2.16 | (19.0b) | | | 19.0 |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 20.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 20|20.0]] | 2.17 | (20.0b) | | | 20.0.1 - 20.3 |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 21.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 21|21.0]] | (2.18) | (21.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 22.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 22|22.0]] | 2.19 | (22.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 23.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 23|23.0]] | 2.20 | (23.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 24.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 24|24.0]], {{nowrap|24 ESR}} | 2.21 | 24.x | | 74 | 24.x - 25.x |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 25.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 25|25.0]] | 2.22 | (25.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 26.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 26|26.0]] | 2.23 | (26.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 27.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 27|27.0]] | 2.24 | (27.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 28.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 28|28.0]] | 2.25 | (28.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 29.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 29|29.0]] | 2.26 | (29.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 30.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 30|30.0]] | (2.27) | (30.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 31.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 31|31.0]], {{nowrap|31 ESR}} | (2.28) | 31.x | | 75.x | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 32.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 32|32.0]] | 2.29 | (32.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 33.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 33|33.0]] | 2.30 | (33.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 34.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 34|34.0]] | 2.31 | (34.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 35.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 35|35.0]] | 2.32 | (35.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 36.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 36|36.0]] | 2.33 | (36.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 37.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 37|37.0]] | 2.34 | (37.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 38.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 38|38.0]], {{nowrap|38 ESR}} | 2.35 | 38.x | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 39.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 39|39.0]] | (2.36) | (39.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 40.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 40|40.0]] | (2.37) | (40.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 41.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 41|41.0]] | 2.38 | (41.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 42.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 42|42.0]] | 2.39 | (42.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 43.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 43|43.0]] | 2.40 | (43.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 44.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 44|44.0]] | (2.41) | (44.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 45.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 45|45.0]], {{nowrap|45 ESR}} | 2.42 | 45.x | 6.15 | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 46.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 46|46.0]] | (2.43) | (46.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 47.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 47|47.0]] | (2.44) | (47.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 48.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 48|48.0]] | (2.45) | (48.0b) | | | |- !scope=row style="text-align:left;white-space:nowrap"|Gecko 49.0 | [[Mozilla Firefoxのバージョンの変遷#Firefox 49|49.0]] | 2.46 | (49.0b) | | | |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}}{{Reflist|group="u"|refs= <ref name="discontinued">開発停止</ref> <ref name="dropped">Geckoの採用を停止</ref> <ref name="webkit_alt">WebKit も採用</ref> <ref name="trident_alt">Tridentも採用</ref> <ref name="MicroB_1748">[[Maemo 5|Fremantle 1.3]]上でGecko 1.9.2.3preを使用</ref> <ref name="gecko_2.0">2010年6月28日まで Gecko 1.9.3a と Firefox 3.7であった。</ref> <ref name="urm">Firefox 5以降では、Geckoのバージョン番号はFirefoxのバージョン番号と一致する</ref> <ref name="continued">Development of this branch/version actively continued.</ref> }} == 関連項目 == {{Portal|FLOSS|[[ファイル:FLOSS logo.svg|41px]]}} * [[Mozilla Foundation]] - 開発元団体 * [[Mozilla Japan]] - 日本国内でMozilla製品のサポートを行う団体。 * [[HTMLレンダリングエンジン]] * [[XULRunner]] * [[Necko]] * [[Servo]] - Geckoと同様に[[Mozilla Foundation]]が開発する、実験的なウェブブラウザ用レンダリングエンジン == 外部リンク == * [https://developer.mozilla.org/ja/docs/Glossary/Gecko Gecko - Mozilla Developer Center] * [https://wiki.mozilla.org/Gecko:Home_Page Gecko:Home Page - MozillaWiki] * [http://www.adamlock.com/mozilla/index.htm Mozilla ActiveX Project] {{Web browser engines}} {{Mozilla プロジェクト}} {{Netscape プロジェクト}} {{ウェブブラウザ}} {{FOSS}} {{DEFAULTSORT:Gecko}} [[Category:ウェブブラウザ]] [[Category:オープンソースソフトウェア]] [[Category:Mozilla]] [[Category:Netscape]] [[Category:C++でプログラムされたフリーソフトウェア]]
2003-02-28T07:16:09Z
2023-12-24T08:13:39Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:Pathnav", "Template:Infobox Software", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite web", "Template:Netscape プロジェクト", "Template:ウェブブラウザ", "Template:Nowrap", "Template:Portal", "Template:Web browser engines", "Template:Mozilla プロジェクト", "Template:FOSS", "Template:Otheruses", "Template:Main", "Template:Indent" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/Gecko
3,049
欧州連合加盟国
欧州連合加盟国(おうしゅうれんごうかめいこく)とは、1951年署名のパリ条約によって設立された欧州石炭鉄鋼共同体に事実上の起源を持つ欧州連合(EU)に加盟している27の主権国民国家。原加盟国数は6で、その後7度の拡大が繰り返された。その拡大の中でも2004年5月1日のものは10か国が加盟する最大のものであった。欧州連合は21の共和国、5つの王国、1つの大公国で構成されている。 クロアチアは2013年7月1日に加盟しており、最も新しい加盟国である。このほかにも多くの国が欧州連合への加盟協議を続けている。加盟の過程はヨーロッパの統合と表現されることもある。しかしながら、この「ヨーロッパの統合」という表現はヨーロッパ規模の諸機関に権限を段階的に集中させている欧州連合加盟国のそれぞれの国家としての協力の強化という意味としても用いられている。欧州連合に加盟することが認められるまでに、加盟を希望する国家はコペンハーゲン基準と呼ばれる経済的・政治的条件を満たさなければならない。この条件のもとでは、加盟候補国は宗教権力によらない、民主的な体制を持つ政府、またそのような政府に対応する自主性や統治機関、そして法の支配の尊重を備えていなければならない。欧州連合条約の規定では、連合の拡大は欧州議会の同意と既存の加盟各国の合意が必要とされている。 拡大は欧州連合の政治展望において重要な議題である。欧州連合は「インナー6」と呼ばれる、共同体の設立に積極的な諸国によって設立された。当初共同体に対して懐疑的だったインナー6以外のヨーロッパ諸国が加盟に方針転換したのは欧州経済共同体の設立から10年が経過したのちのことであったが、その当時は共同体のほうが拡大に懐疑的な姿勢を見せていた。フランス大統領シャルル・ド・ゴールはイギリスの加盟がアメリカのトロイアの木馬となることを恐れ、イギリスの加盟に拒否権を行使した。ド・ゴールが大統領を退任したことにより、ようやくイギリスは3度目の加盟申請が認められた。 イギリスと同時にアイルランド、デンマーク、ノルウェーが加盟を申請していた。ところがアイルランド、デンマークはイギリスとともに加盟を果たす一方で、ノルウェーは国民投票で反対され、このことは国民によって加盟が拒否された初の事例となった。その後グリーンランドが1985年に共同体から離脱するも、冷戦の終結までにさらに3か国が共同体に加盟した。1987年にはモロッコが加盟を希望し、このとき共同体の対象となる地理的な範囲が検討されたが、モロッコはヨーロッパの国ではないとして加盟が認められなかった。 1990年になると冷戦が終結し、ドイツ再統一により東ドイツの各州が共同体に組み込まれた。また従来中立的な立場であったオーストリア、フィンランド、スウェーデンが新たに発足した欧州連合に加盟した。その一方でスイスは1992年に加盟を申請したが、国民投票で欧州経済領域への参加に反対するという結果を受けて加盟のための協議が凍結され、また再度加盟を申請していたノルウェーも再び加盟の是非を問う国民投票で反対された。その後旧東側諸国や旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成していた諸国が欧州連合への加盟に動き出した。そして2004年5月1日にこれらの10の国々が欧州連合に加わり、東西のヨーロッパの統合を示す出来事となった。 2007年1月にブルガリアとルーマニアが、2013年7月にクロアチアが欧州連合に加盟し、欧州連合は28か国体制となった。その後も欧州連合は西バルカン諸国の加盟を優先的に協議している。アイスランドは2009年7月23日に正式な加盟申請を行い、加盟候補国として承認されたが、2015年3月12日、加盟申請を取り下げた。 コペンハーゲン基準によると欧州連合への加盟は、安定し、自由市場と、法の支配と人権を尊重する民主主義を有するあらゆるヨーロッパの国に対して開かれたものとされている。さらに加盟を希望する国はアキ・コミュノテールの受容やユーロの導入といった加盟国の義務を受け入れなければならない。 2022年12月現在、トルコ、北マケドニア、モンテネグロ、セルビア、アルバニア、ウクライナ、モルドバ及びボスニア・ヘルツェゴビナの8か国は正式な加盟候補国として認定されている。 トルコは1980年代から加盟を希望しており、長く交渉を重ねてきたが、正式な加盟協議に入ったのは2004年のことだった。 北マケドニアは2006年に加盟候補国となっている(当時の国名は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」)。長らく隣国ギリシャとの間で国名改称問題を抱えており加盟に際する課題となっていたが、2018年6月12日に国名を北マケドニア共和国とすることでギリシャと合意し、両国の議会承認等を経て2019年2月12日に改名が発効した。2020年3月26日、EUは北マケドニアとの加盟交渉開始に合意した。 モンテネグロは2011年10月にEUと本格的な加盟交渉が開始された。2020年6月現在、該当するアキ・コミュノテール全33分野中33のすべての分野で交渉を開始しており、そのうちの3分野の交渉は暫定的に終了していることから、加盟候補国8か国のなかで最も交渉が進展している国といえる。 セルビアはボスニア・ヘルツェゴビナ内戦の大物戦犯であるラトコ・ムラディッチとゴラン・ハジッチの拘束が評価され、2011年10月12日欧州委員会から加盟候補国の地位を提言されたものの、2008年にセルビアから一方的に独立を宣言したコソボとの関係改善および政治対話の進展が加盟交渉開始の条件とされ、正式な加盟申請を行った2009年12月22日から2012年2月の段階まで加盟候補国に認定されていなかったが、関係改善を評価され、2012年3月1日のEU首脳会議において正式な加盟候補国に承認された。2014年1月21日から加盟交渉を開始している。 アルバニアは2009年4月28日EUに加盟を申請し、2014年6月27日に加盟候補国として承認された。2020年3月26日、EUはアルバニアとの加盟交渉開始に合意した。 さらに2022年ロシアのウクライナ侵攻を受けて、2022年2月28日にウクライナが、3月3日にモルドバがそれぞれEUに加盟申請し、6月23日、両国はEUの加盟候補国として承認された。 ボスニア・ヘルツェゴビナは、2016年2月15日EUに加盟を申請し、2022年12月15日に加盟候補国として承認された。 ジョージアとコソボはEUの潜在的加盟候補国として見なされているが、正式な加盟候補国としての地位は与えられていない。 ジョージアは2022年3月3日、EUに加盟申請した。6月23日、欧州理事会はジョージアに対し、将来的にEUに加盟する見通しがあると認めた。 コソボは現在、国連に加盟している110ヶ国から独立を承認されているが、EU既存加盟国の間ではコソボの国家承認について対応が分かれている。EU加盟国中23カ国がコソボの独立を承認しているが、一方で、バスクやカタルーニャといった国内地域に民族問題を抱えるスペイン、キプロス、スロバキア、ルーマニア、ギリシャの5カ国は独立を承認していない。このためEUによる機関承認は見送られている。 コソボは2022年12月15日、EUに加盟申請した。 1973年、英国は欧州共同体(EC)に加盟し、1975年の国民投票によって継続的な加盟が支持されたが、2016年6月23日の国民投票の結果、投票者の51.9%がEUを離脱することを選択したことにより、2020年2月1日午前0時(CET)にイギリスはEUを離脱した。 多くの国が加盟国と変わらないほどの欧州連合と密接な関係を持っている。ノルウェーは欧州連合への加盟が実現しなかったことを受けて、同じく欧州連合に加盟していないアイスランドとリヒテンシュタイン、スイスと欧州連合加盟国が参加する欧州経済領域に加わった。欧州経済領域では非加盟4か国に対して欧州連合の域内市場に参入すること、また欧州連合の域内市場における4つの分野での自由を認めている。そのかわりに4か国は負担金の支払や関連する欧州連合の法令の適用を受け入れることが義務づけられている。このように法令を受け入れている状況は、4か国が直接的に立法過程に参加することができず、ブリュッセルから新しい法令がファクシミリで送られてくることから「ファックス民主主義」と揶揄されている。 各加盟国は欧州連合の諸機関に対して代表を出している。正式な加盟国になるとそれぞれの政府は欧州連合理事会や欧州理事会に議席が与えられる。全会一致による決定がなされない場合においては、人口が小さい加盟国よりも人口が大きい加盟国に票数がより多く与えられる多数決方式が適用される(ただしこのときの各国の票の配分は人口に比例しておらず、人口の小さい加盟国が相対的に人口の大きい国よりも多くの票数が与えられている)。 これと同様に各国はそれぞれの人口に基づいて欧州議会の議席数が割り当てられている。ただし欧州議会議員は1979年以降、普通選挙で選出されており(1979年以前は各国議会が選出していた)、政府には任命権が与えられていない。他方で各国政府は委員長の意向に従って欧州委員会に委員を、ほかの加盟国に合わせる形で欧州司法裁判所に判事を、欧州会計監査院に委員をそれぞれ1名ずつ出している。 かつては規模の大きい加盟国からは欧州委員会委員を2名出していた。ところが委員会の組織が肥大化したため、この大国に与えられていた特権は廃止され、各加盟国は平等に委員を出すことになった。しかしながら欧州司法裁判所の法務官が大国から出されるという制度は続けられている。なお、欧州中央銀行の政策理事会は各加盟国の中央銀行総裁で構成されている。 従来より規模の大きい加盟国は交渉にさいして大きな影響力を行使してきたが、規模の小さい加盟国は公平な仲介者としての機能を果たし、またそれらの加盟国の市民は大国との間での競合を回避するような敏感な首脳を選出してきた。 基本条約では、すべての加盟国はそれぞれ主権を有し、その価値は等しいとうたっている。しかし欧州連合は欧州共同体の分野において超国家的な制度に基づいており、各加盟国は連合の諸機関に代表を送って、その主権を一体的なものとして連合の諸機関に委ねている。これらの機関はヨーロッパ規模での立法やその執行についての権限が与えられている。加盟国が連合の法令を遵守しなかった場合には、当該加盟国には制裁金が科されたり、あるいは連合の資金が引き揚げられることになる。さらに極端な事例では、当該加盟国の票決権や加盟国としての資格を停止する規定も存在する。欧州共同体分野以外(外交政策、警察、司法分野)では、主権の移管の程度は低く、これらの分野の問題では政府間の合意や協力によって対応される。 ところがそもそも主権というのはそれぞれの国家に由来するものであり、加盟国は望めば欧州連合を脱退するということもあり得る。そのためある法令がある加盟国にそぐわないものであるとされた場合、当該加盟国は法令の適用を回避するために欧州連合から脱退することがあり得る。しかしながら加盟していることによる利益がその法令による不利な影響を上回ることもある。さらに現実政治において、関係の向上やほかの問題における自らの立場を強化するために、利権や政治的圧力といった要素により加盟国はある分野において利益につながらないものでも受け入れざるを得なくなる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "欧州連合加盟国(おうしゅうれんごうかめいこく)とは、1951年署名のパリ条約によって設立された欧州石炭鉄鋼共同体に事実上の起源を持つ欧州連合(EU)に加盟している27の主権国民国家。原加盟国数は6で、その後7度の拡大が繰り返された。その拡大の中でも2004年5月1日のものは10か国が加盟する最大のものであった。欧州連合は21の共和国、5つの王国、1つの大公国で構成されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "クロアチアは2013年7月1日に加盟しており、最も新しい加盟国である。このほかにも多くの国が欧州連合への加盟協議を続けている。加盟の過程はヨーロッパの統合と表現されることもある。しかしながら、この「ヨーロッパの統合」という表現はヨーロッパ規模の諸機関に権限を段階的に集中させている欧州連合加盟国のそれぞれの国家としての協力の強化という意味としても用いられている。欧州連合に加盟することが認められるまでに、加盟を希望する国家はコペンハーゲン基準と呼ばれる経済的・政治的条件を満たさなければならない。この条件のもとでは、加盟候補国は宗教権力によらない、民主的な体制を持つ政府、またそのような政府に対応する自主性や統治機関、そして法の支配の尊重を備えていなければならない。欧州連合条約の規定では、連合の拡大は欧州議会の同意と既存の加盟各国の合意が必要とされている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "拡大は欧州連合の政治展望において重要な議題である。欧州連合は「インナー6」と呼ばれる、共同体の設立に積極的な諸国によって設立された。当初共同体に対して懐疑的だったインナー6以外のヨーロッパ諸国が加盟に方針転換したのは欧州経済共同体の設立から10年が経過したのちのことであったが、その当時は共同体のほうが拡大に懐疑的な姿勢を見せていた。フランス大統領シャルル・ド・ゴールはイギリスの加盟がアメリカのトロイアの木馬となることを恐れ、イギリスの加盟に拒否権を行使した。ド・ゴールが大統領を退任したことにより、ようやくイギリスは3度目の加盟申請が認められた。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "イギリスと同時にアイルランド、デンマーク、ノルウェーが加盟を申請していた。ところがアイルランド、デンマークはイギリスとともに加盟を果たす一方で、ノルウェーは国民投票で反対され、このことは国民によって加盟が拒否された初の事例となった。その後グリーンランドが1985年に共同体から離脱するも、冷戦の終結までにさらに3か国が共同体に加盟した。1987年にはモロッコが加盟を希望し、このとき共同体の対象となる地理的な範囲が検討されたが、モロッコはヨーロッパの国ではないとして加盟が認められなかった。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1990年になると冷戦が終結し、ドイツ再統一により東ドイツの各州が共同体に組み込まれた。また従来中立的な立場であったオーストリア、フィンランド、スウェーデンが新たに発足した欧州連合に加盟した。その一方でスイスは1992年に加盟を申請したが、国民投票で欧州経済領域への参加に反対するという結果を受けて加盟のための協議が凍結され、また再度加盟を申請していたノルウェーも再び加盟の是非を問う国民投票で反対された。その後旧東側諸国や旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成していた諸国が欧州連合への加盟に動き出した。そして2004年5月1日にこれらの10の国々が欧州連合に加わり、東西のヨーロッパの統合を示す出来事となった。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2007年1月にブルガリアとルーマニアが、2013年7月にクロアチアが欧州連合に加盟し、欧州連合は28か国体制となった。その後も欧州連合は西バルカン諸国の加盟を優先的に協議している。アイスランドは2009年7月23日に正式な加盟申請を行い、加盟候補国として承認されたが、2015年3月12日、加盟申請を取り下げた。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "コペンハーゲン基準によると欧州連合への加盟は、安定し、自由市場と、法の支配と人権を尊重する民主主義を有するあらゆるヨーロッパの国に対して開かれたものとされている。さらに加盟を希望する国はアキ・コミュノテールの受容やユーロの導入といった加盟国の義務を受け入れなければならない。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2022年12月現在、トルコ、北マケドニア、モンテネグロ、セルビア、アルバニア、ウクライナ、モルドバ及びボスニア・ヘルツェゴビナの8か国は正式な加盟候補国として認定されている。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "トルコは1980年代から加盟を希望しており、長く交渉を重ねてきたが、正式な加盟協議に入ったのは2004年のことだった。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "北マケドニアは2006年に加盟候補国となっている(当時の国名は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」)。長らく隣国ギリシャとの間で国名改称問題を抱えており加盟に際する課題となっていたが、2018年6月12日に国名を北マケドニア共和国とすることでギリシャと合意し、両国の議会承認等を経て2019年2月12日に改名が発効した。2020年3月26日、EUは北マケドニアとの加盟交渉開始に合意した。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "モンテネグロは2011年10月にEUと本格的な加盟交渉が開始された。2020年6月現在、該当するアキ・コミュノテール全33分野中33のすべての分野で交渉を開始しており、そのうちの3分野の交渉は暫定的に終了していることから、加盟候補国8か国のなかで最も交渉が進展している国といえる。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "セルビアはボスニア・ヘルツェゴビナ内戦の大物戦犯であるラトコ・ムラディッチとゴラン・ハジッチの拘束が評価され、2011年10月12日欧州委員会から加盟候補国の地位を提言されたものの、2008年にセルビアから一方的に独立を宣言したコソボとの関係改善および政治対話の進展が加盟交渉開始の条件とされ、正式な加盟申請を行った2009年12月22日から2012年2月の段階まで加盟候補国に認定されていなかったが、関係改善を評価され、2012年3月1日のEU首脳会議において正式な加盟候補国に承認された。2014年1月21日から加盟交渉を開始している。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "アルバニアは2009年4月28日EUに加盟を申請し、2014年6月27日に加盟候補国として承認された。2020年3月26日、EUはアルバニアとの加盟交渉開始に合意した。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "さらに2022年ロシアのウクライナ侵攻を受けて、2022年2月28日にウクライナが、3月3日にモルドバがそれぞれEUに加盟申請し、6月23日、両国はEUの加盟候補国として承認された。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ボスニア・ヘルツェゴビナは、2016年2月15日EUに加盟を申請し、2022年12月15日に加盟候補国として承認された。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "ジョージアとコソボはEUの潜在的加盟候補国として見なされているが、正式な加盟候補国としての地位は与えられていない。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ジョージアは2022年3月3日、EUに加盟申請した。6月23日、欧州理事会はジョージアに対し、将来的にEUに加盟する見通しがあると認めた。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "コソボは現在、国連に加盟している110ヶ国から独立を承認されているが、EU既存加盟国の間ではコソボの国家承認について対応が分かれている。EU加盟国中23カ国がコソボの独立を承認しているが、一方で、バスクやカタルーニャといった国内地域に民族問題を抱えるスペイン、キプロス、スロバキア、ルーマニア、ギリシャの5カ国は独立を承認していない。このためEUによる機関承認は見送られている。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "コソボは2022年12月15日、EUに加盟申請した。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1973年、英国は欧州共同体(EC)に加盟し、1975年の国民投票によって継続的な加盟が支持されたが、2016年6月23日の国民投票の結果、投票者の51.9%がEUを離脱することを選択したことにより、2020年2月1日午前0時(CET)にイギリスはEUを離脱した。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "多くの国が加盟国と変わらないほどの欧州連合と密接な関係を持っている。ノルウェーは欧州連合への加盟が実現しなかったことを受けて、同じく欧州連合に加盟していないアイスランドとリヒテンシュタイン、スイスと欧州連合加盟国が参加する欧州経済領域に加わった。欧州経済領域では非加盟4か国に対して欧州連合の域内市場に参入すること、また欧州連合の域内市場における4つの分野での自由を認めている。そのかわりに4か国は負担金の支払や関連する欧州連合の法令の適用を受け入れることが義務づけられている。このように法令を受け入れている状況は、4か国が直接的に立法過程に参加することができず、ブリュッセルから新しい法令がファクシミリで送られてくることから「ファックス民主主義」と揶揄されている。", "title": "構成国の変動" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "各加盟国は欧州連合の諸機関に対して代表を出している。正式な加盟国になるとそれぞれの政府は欧州連合理事会や欧州理事会に議席が与えられる。全会一致による決定がなされない場合においては、人口が小さい加盟国よりも人口が大きい加盟国に票数がより多く与えられる多数決方式が適用される(ただしこのときの各国の票の配分は人口に比例しておらず、人口の小さい加盟国が相対的に人口の大きい国よりも多くの票数が与えられている)。", "title": "加盟国の代表" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "これと同様に各国はそれぞれの人口に基づいて欧州議会の議席数が割り当てられている。ただし欧州議会議員は1979年以降、普通選挙で選出されており(1979年以前は各国議会が選出していた)、政府には任命権が与えられていない。他方で各国政府は委員長の意向に従って欧州委員会に委員を、ほかの加盟国に合わせる形で欧州司法裁判所に判事を、欧州会計監査院に委員をそれぞれ1名ずつ出している。", "title": "加盟国の代表" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "かつては規模の大きい加盟国からは欧州委員会委員を2名出していた。ところが委員会の組織が肥大化したため、この大国に与えられていた特権は廃止され、各加盟国は平等に委員を出すことになった。しかしながら欧州司法裁判所の法務官が大国から出されるという制度は続けられている。なお、欧州中央銀行の政策理事会は各加盟国の中央銀行総裁で構成されている。", "title": "加盟国の代表" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "従来より規模の大きい加盟国は交渉にさいして大きな影響力を行使してきたが、規模の小さい加盟国は公平な仲介者としての機能を果たし、またそれらの加盟国の市民は大国との間での競合を回避するような敏感な首脳を選出してきた。", "title": "加盟国の代表" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "基本条約では、すべての加盟国はそれぞれ主権を有し、その価値は等しいとうたっている。しかし欧州連合は欧州共同体の分野において超国家的な制度に基づいており、各加盟国は連合の諸機関に代表を送って、その主権を一体的なものとして連合の諸機関に委ねている。これらの機関はヨーロッパ規模での立法やその執行についての権限が与えられている。加盟国が連合の法令を遵守しなかった場合には、当該加盟国には制裁金が科されたり、あるいは連合の資金が引き揚げられることになる。さらに極端な事例では、当該加盟国の票決権や加盟国としての資格を停止する規定も存在する。欧州共同体分野以外(外交政策、警察、司法分野)では、主権の移管の程度は低く、これらの分野の問題では政府間の合意や協力によって対応される。", "title": "加盟国の主権" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ところがそもそも主権というのはそれぞれの国家に由来するものであり、加盟国は望めば欧州連合を脱退するということもあり得る。そのためある法令がある加盟国にそぐわないものであるとされた場合、当該加盟国は法令の適用を回避するために欧州連合から脱退することがあり得る。しかしながら加盟していることによる利益がその法令による不利な影響を上回ることもある。さらに現実政治において、関係の向上やほかの問題における自らの立場を強化するために、利権や政治的圧力といった要素により加盟国はある分野において利益につながらないものでも受け入れざるを得なくなる。", "title": "加盟国の主権" } ]
欧州連合加盟国(おうしゅうれんごうかめいこく)とは、1951年署名のパリ条約によって設立された欧州石炭鉄鋼共同体に事実上の起源を持つ欧州連合(EU)に加盟している27の主権国民国家。原加盟国数は6で、その後7度の拡大が繰り返された。その拡大の中でも2004年5月1日のものは10か国が加盟する最大のものであった。欧州連合は21の共和国、5つの王国、1つの大公国で構成されている。 クロアチアは2013年7月1日に加盟しており、最も新しい加盟国である。このほかにも多くの国が欧州連合への加盟協議を続けている。加盟の過程はヨーロッパの統合と表現されることもある。しかしながら、この「ヨーロッパの統合」という表現はヨーロッパ規模の諸機関に権限を段階的に集中させている欧州連合加盟国のそれぞれの国家としての協力の強化という意味としても用いられている。欧州連合に加盟することが認められるまでに、加盟を希望する国家はコペンハーゲン基準と呼ばれる経済的・政治的条件を満たさなければならない。この条件のもとでは、加盟候補国は宗教権力によらない、民主的な体制を持つ政府、またそのような政府に対応する自主性や統治機関、そして法の支配の尊重を備えていなければならない。欧州連合条約の規定では、連合の拡大は欧州議会の同意と既存の加盟各国の合意が必要とされている。
{{Lisbon Treaty update}} {{European Union Labelled Map (brown)}} '''欧州連合加盟国'''(おうしゅうれんごうかめいこく)とは、[[1951年]]署名の[[パリ条約 (1951年)|パリ条約]]によって設立された[[欧州石炭鉄鋼共同体]]に事実上の起源を持つ[[欧州連合]](EU)に加盟している27の[[主権]][[国民国家]]。原加盟国数は6で、その後7度の[[欧州連合の拡大|拡大]]が繰り返された。その拡大の中でも2004年5月1日のものは10か国が加盟する最大のものであった。欧州連合は21の[[共和国]]、5つの[[王国]]、1つの[[大公国]]で構成されている。 [[クロアチア]]は2013年7月1日に加盟しており、最も新しい加盟国である。このほかにも多くの国が欧州連合への加盟協議を続けている。加盟の過程は[[欧州統合|ヨーロッパの統合]]と表現されることもある。しかしながら、この「ヨーロッパの統合」という表現はヨーロッパ規模の諸機関に権限を段階的に集中させている欧州連合加盟国のそれぞれの国家としての協力の強化という意味としても用いられている。欧州連合に加盟することが認められるまでに、加盟を希望する国家は[[コペンハーゲン基準]]と呼ばれる経済的・政治的条件を満たさなければならない。この条件のもとでは、加盟候補国は[[宗教]]権力によらない、民主的な体制を持つ政府、またそのような政府に対応する自主性や統治機関、そして[[法の支配]]の尊重を備えていなければならない。[[マーストリヒト条約|欧州連合条約]]の規定では、連合の拡大は[[欧州議会]]の同意と既存の加盟各国の合意が必要とされている。 == 加盟国 == {| class="wikitable sortable" style="font-size:90%; white-space:nowrap" width="100%" |+ 欧州連合加盟国 |- style="position:sticky;top:0" ! style="line-height:95%" class="unsortable" | [[国旗]]<br /> ! style="line-height:95%" class="unsortable" | [[国章]]<br /> ! style="line-height:95%" | 国名<br /> ! style="line-height:95%" class="unsortable" | 正式国名<br /> ! style="line-height:95%" | 加盟日<br /> ! style="line-height:95%" | 人口<ref group="t">[http://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?qid=1453586863742&uri=CELEX:32015D2393 COUNCIL DECISION (EU, Euratom) 2015/2393 of 8 December 2015 amending the Council's Rules of Procedure] {{en icon}} 2015年12月18日付欧州連合官報。2017年1月16日閲覧。</ref><br /> ! style="line-height:95%" | 面積 <small>(km<sup>2</sup>)</small><br /> ! style="line-height:95%" | 首都<br /> ! width="150" class="unsortable" style="line-height:95%" | [[欧州連合加盟国の特別領域|特別領域]] |- | align="center" | {{Flagicon|AUT}} | [[ファイル:Austria Bundesadler.svg|center|22x15px]] | [[オーストリア]] | オーストリア共和国 | style="text-align:right" | 1995年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|8581500}} | style="text-align:right" | {{Nts|83871}} | [[ウィーン]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|BEL}} | [[ファイル:Great Coat of Arms of Belgium.svg|center|22x15px]] | [[ベルギー]] | ベルギー王国 | style="text-align:right" | 1958年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|11258434}} | style="text-align:right" | {{Nts|30528}} | [[ブリュッセル]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|BUL}} | [[ファイル:Coat of arms of Bulgaria.svg|center|22x15px]] | [[ブルガリア]] | ブルガリア共和国 | style="text-align:right" | 2007年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|7202198}} | style="text-align:right" | {{Nts|110910}} | [[ソフィア (ブルガリア)|ソフィア]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|HRV}} | [[ファイル:Coat of arms of Croatia.svg|center|22x15px]] | [[クロアチア]] | クロアチア共和国 | style="text-align:right" | 2013年7月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|4225316}} | style="text-align:right" | {{Nts|56542}} | [[ザグレブ]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|CYP}} | [[ファイル:Coat of arms of Cyprus (2006).svg|center|22x15px]] | [[キプロス]] | キプロス共和国 | style="text-align:right" | 2004年5月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|847008}} | style="text-align:right" | {{Nts|9251}}<ref group="t" name="cyp"> [[北キプロス・トルコ共和国]]の支配地域 (3,355 km2) を含む。</ref> | [[ニコシア]] | <div class="NavFrame" style="border-style:none; padding:0;"> <div class="NavHead" style="background:none; font-weight:normal">3地域を除く</div><div class="NavContent" style="display:none; line-height: 0.8em; text-align:left"> <div style="background-color: #FFDDDD">除かれる地域: * {{Flagicon|北キプロス}} [[北キプロス]] * {{Flagicon|GBR}} [[アクロティリおよびデケリア]] * {{旗アイコン|UN}} [[グリーンライン (キプロス)|グリーンライン]]</div></div></div> |- | align="center" | {{Flagicon|CZE}} | [[ファイル:Coat of arms of the Czech Republic.svg|center|22x15px]] | [[チェコ]] | チェコ共和国 | style="text-align:right" | 2004年5月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|10419743}} | style="text-align:right" | {{Nts|78866}} | [[プラハ]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|DEN}} | [[ファイル:COA of Denmark.svg|center|22x15px]] | [[デンマーク]] | デンマーク王国 | style="text-align:right" | 1973年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|5653357}} | style="text-align:right" | {{Nts|43094}} | [[コペンハーゲン]] | <div class="NavFrame" style="border-style:none; padding:0;"> <div class="NavHead" style="background:none; font-weight:normal">2地域を除く</div><div class="NavContent" style="display:none; line-height: 0.8em; text-align:left"> <div style="background-color: #FFDDDD">除かれる地域: * {{FRO}} * {{GRL}}<ref group="t">グリーンランドは1985年に欧州連合(当時は欧州諸共同体)を離脱している。</ref></div></div></div> |- | align="center" | {{Flagicon|EST}} | [[ファイル:Coat of arms of Estonia.svg|center|22x15px]] | [[エストニア]] | エストニア共和国 | style="text-align:right" | 2004年5月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|1313271}} | style="text-align:right" | {{Nts|45226}} | [[タリン]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|FIN}} | [[ファイル:Coat of arms of Finland.svg|center|22x15px]] | [[フィンランド]] | フィンランド共和国 | style="text-align:right" | 1995年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|5471753}} | style="text-align:right" | {{Nts|338145}} | [[ヘルシンキ]] | <div class="NavFrame" style="border-style:none; padding:0;"> <div class="NavHead" style="background:none; font-weight:normal">1地域を含む</div><div class="NavContent" style="display:none; line-height: 0.8em; text-align:left"> <div style="background-color: #DDFFDD">含まれる地域 * {{ALA}}</div></div></div> |- | align="center" | {{Flagicon|FRA}} | [[ファイル:Armoiries république française.svg|center|22x15px]] | [[フランス]] | フランス共和国 | style="text-align:right" | 1958年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|66352469}} | style="text-align:right" | {{Nts|674843}} | [[パリ]] | <div class="NavFrame" style="border-style:none; padding:0;"> <div class="NavHead" style="background:none; font-weight:normal; font-weight:normal">6地域を含み6地域を除く</div><div class="NavContent" style="display:none; line-height: 0.8em; text-align:left"> <div style="background-color: #DDFFDD">含まれる地域 * {{GUF}} * {{GLP}} * {{MTQ}} * {{MYT}} * {{REU}} * {{MAF}}</div> ---- <div style="background-color: #FFDDDD">除かれる地域 * {{NCL}} * {{PYF}} * {{BLM}}<ref group="t" name="sbsm">2008年1月に発行された[http://ec.europa.eu/external_relations/kimb/docs/trading_guidelines0108_en.pdf欧州委員会の文書]の8ページでは、「フランス領ポリネシア、ニューカレドニア、ウォリス・フツナ、フランス領南方・南極地域、マヨット、サン・バルテルミー島、サン・マルタン島、サンピエール島・ミクロン島(フランス)、アルバ、オランダ領アンティル(オランダ)、フェロー諸島、グリーンランド(デンマーク)、ガーンジー島、ジャージー島、マン島、主権基地領域アクロティリおよびデケリア、バミューダ諸島、タークス・カイコス諸島、アンギラ、イギリス領ヴァージン諸島、ケイマン諸島、モントセラト、ピトケアン諸島、セントヘレナ、イギリス領インド洋地域、サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島(イギリス)は欧州共同体の領域ではない」と記述されている。 </ref> * {{SPM}} * [[ファイル:Flag of the French Southern and Antarctic Lands.svg|border|25x22px|フランス領南方・南極地域の旗]] [[フランス領南方・南極地域]] * {{WLF}}</div></div></div> |- | align="center" | {{Flagicon|GER}} | [[ファイル:Coat of Arms of Germany.svg|center|22x15px]] | [[ドイツ]] | ドイツ連邦共和国 | style="text-align:right" | 1958年1月1日<ref group="t">1990年10月3日、旧[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]を構成していた州が[[西ドイツ|ドイツ連邦共和国]]に編入されたことによって欧州連合(当時は欧州諸共同体)の領域が拡大した。</ref> | style="text-align:right" | {{Nts|81089331}} | style="text-align:right" | {{Nts|357050}} | [[ベルリン]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|GRE}} | [[ファイル:Coat of arms of Greece.svg|center|22x15px]] | [[ギリシャ]] | ギリシャ共和国 | style="text-align:right" | 1981年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|10846979}} | style="text-align:right" | {{Nts|131990}} | [[アテネ]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|HUN}} | [[ファイル:Coat of Arms of Hungary.svg|center|22x15px]] | [[ハンガリー]] | ハンガリー | style="text-align:right" | 2004年5月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|9855571}} | style="text-align:right" | {{Nts|93030}} | [[ブダペスト]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|IRL}} | [[ファイル:Coat of arms of Ireland.svg|center|22x15px]] | [[アイルランド]] | アイルランド<ref group="t">憲法上の正式名称は「アイルランド」であり、「アイルランド共和国」ではない。</ref> | style="text-align:right" | 1973年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|4625885}} | style="text-align:right" | {{Nts|70273}} | [[ダブリン]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|ITA}} | [[ファイル:Italy-Emblem.svg|center|22x15px]] | [[イタリア]] | イタリア共和国 | style="text-align:right" | 1958年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|61438480}} | style="text-align:right" | {{Nts|301318}} | [[ローマ]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|LAT}} | [[ファイル:Coat of Arms of Latvia.svg|center|22x15px]] | [[ラトビア]] | ラトビア共和国 | style="text-align:right" | 2004年5月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|1986096}} | style="text-align:right" | {{Nts|64589}} | [[リガ]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|LTU}} | [[ファイル:Coat of Arms of Lithuania.svg|center|22x15px]] | [[リトアニア]] | リトアニア共和国 | style="text-align:right" | 2004年5月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|2921262}} | style="text-align:right" | {{Nts|65303}} | [[ヴィリニュス]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|LUX}} | [[ファイル:Coat of arms of Luxembourg.svg|center|22x15px]] | [[ルクセンブルク]] | ルクセンブルク大公国 | style="text-align:right" | 1958年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|562958}} | style="text-align:right" | {{Nts|2586}} | [[ルクセンブルク市|ルクセンブルク]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|MLT}} | [[ファイル:Coat of arms of Malta.svg|center|22x15px]] | [[マルタ]] | マルタ共和国 | style="text-align:right" | 2004年5月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|429344}} | style="text-align:right" | {{Nts|316}} | [[バレッタ]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|NED}} | [[ファイル:Royal Coat of Arms of the Netherlands.svg|center|22x15px]] | [[オランダ]] | オランダ王国 | style="text-align:right" | 1958年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|17155169}} | style="text-align:right" | {{Nts|41526}} | [[アムステルダム]] | <div class="NavFrame" style="border-style:none; padding:0;"> <div class="NavHead" style="background:none; font-weight:normal">6地域を除く</div><div class="NavContent" style="display:none; line-height: 0.8em; text-align:left"> <div style="background-color: #FFDDDD">除かれる地域: * {{ABW}} * {{CUR}} * {{SXM}} * {{Flagicon|ボネール島}} [[ボネール島]] * {{Flagicon|シント・ユースタティウス島}} [[シント・ユースタティウス島]] * {{Flagicon|サバ島}} [[サバ島]]</div></div></div> |- | align="center" | {{Flagicon|POL}} | [[ファイル:Herb Polski.svg|center|22x15px]] | [[ポーランド]] | ポーランド共和国 | style="text-align:right" | 2004年5月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|38005614}} | style="text-align:right" | {{Nts|312683}} | [[ワルシャワ]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|POR}} | [[ファイル:Coat of arms of Portugal.svg|center|22x15px]] | [[ポルトガル]] | ポルトガル共和国 | style="text-align:right" | 1986年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|10374822}} | style="text-align:right" | {{Nts|92391}} | [[リスボン]] | <div class="NavFrame" style="border-style:none; padding:0;"> <div class="NavHead" style="background:none; font-weight:normal">2地域を含む</div><div class="NavContent" style="display:none; line-height: 0.8em; text-align:left"> <div style="background-color: #DDFFDD">含まれる地域 * {{Flagicon|Azores}} [[アゾレス諸島]] * {{Flagicon|Madeira}} [[マデイラ諸島]] </div></div></div> |- | align="center" | {{Flagicon|ROU}} | [[ファイル:Coat of arms of Romania.svg|center|22x15px]] | [[ルーマニア]] | ルーマニア | style="text-align:right" | 2007年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|19861408}} | style="text-align:right" | {{Nts|238391}} | [[ブカレスト]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|SVK}} | [[ファイル:Coat of Arms of Slovakia.svg|center|22x15px]] | [[スロバキア]] | スロバキア共和国 | style="text-align:right" | 2004年5月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|5403134}} | style="text-align:right" | {{Nts|49037}} | [[ブラチスラバ]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|SLO}} | [[ファイル:Coat of Arms of Slovenia.svg|center|22x15px]] | [[スロベニア]] | スロベニア共和国 | style="text-align:right" | 2004年5月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|2062874}} | style="text-align:right" | {{Nts|20273}} | [[リュブリャナ]] | style="text-align:center" | - |- | align="center" | {{Flagicon|ESP}} | [[ファイル:Escudo de España.svg|center|22x15px]] | [[スペイン]] | スペイン王国 | style="text-align:right" | 1986年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|46439864}} | style="text-align:right" | {{Nts|506030}} | [[マドリード]] | <div class="NavFrame" style="border-style:none; padding:0;"> <div class="NavHead" style="background:none; font-weight:normal">3地域を含む</div><div class="NavContent" style="display:none; line-height: 0.8em; text-align:left"> <div style="background-color: #DDFFDD">含まれる地域 * {{Flagicon|Islas Canarias}} [[カナリア諸島]] * {{Flagicon|Ceuta}} [[セウタ]] * {{Flagicon|Melilla}} [[メリリャ]]</div></div></div> |- | align="center" | {{Flagicon|SWE}} | [[ファイル:Great coat of arms of Sweden.svg|center|22x15px]] | [[スウェーデン]] | スウェーデン王国 | style="text-align:right" | 1995年1月1日 | style="text-align:right" | {{Nts|9790000}} | style="text-align:right" | {{Nts|449964}} | [[ストックホルム]] | style="text-align:center" | - |- |- class="sortbottom" style="background:#F2F2F2" | align="center" | {{Flagicon|EU}} | style="text-align:center" | [[ファイル:European stars.svg|center|22x15px]] | 欧州連合27か国 | 欧州連合合計 | style="text-align:center" | - | style="text-align:right" | {{Nts|444173840}} | style="text-align:right" | {{Nts|4268026}} | style="text-align:center" | - | |} === 表註 === <references group="t"/> == 構成国の変動 == {{Main|欧州連合の拡大|イギリスの欧州連合離脱}} [[ファイル:EC-EU-enlargement animation.gif|thumb|250px|欧州連合の変遷<br />{{legend|#0169c9|欧州諸共同体(1957年 - 1993年)}}{{legend|#003399|欧州連合(1993年 - )}}]] === 過去の拡大 === 拡大は欧州連合の政治展望において重要な議題である。欧州連合は「インナー6」と呼ばれる、共同体の設立に積極的な諸国によって設立された。当初共同体に対して懐疑的だったインナー6以外のヨーロッパ諸国が加盟に方針転換したのは[[欧州経済共同体]]の設立から10年が経過したのちのことであったが、その当時は共同体のほうが拡大に懐疑的な姿勢を見せていた。[[共和国大統領 (フランス)|フランス大統領]][[シャルル・ド・ゴール]]はイギリスの加盟がアメリカの[[トロイアの木馬]]となることを恐れ、イギリスの加盟に拒否権を行使した。ド・ゴールが大統領を退任したことにより、ようやくイギリスは3度目の加盟申請が認められた<ref name="eurac history">{{Cite web|url=http://news.bbc.co.uk/hi/english/static/in_depth/uk/2001/uk_and_europe/1958_1969.stm|title=Britain shut out|publisher=BBC News|language=English|accessdate=2009-01-01}}</ref>。 イギリスと同時にアイルランド、デンマーク、[[ノルウェー]]が加盟を申請していた。ところがアイルランド、デンマークはイギリスとともに加盟を果たす一方で、ノルウェーは国民投票で反対され、このことは国民によって加盟が拒否された初の事例となった<ref name="eurac history"/><ref>{{Cite web|url=http://europa.eu/abc/history/1970-1979/1972/index_en.htm|title=The History of the European Union: 1972|publisher=EUROPA|language=English|accessdate=2009-01-01}}</ref>。その後[[グリーンランド]]が1985年に共同体から離脱するも、[[冷戦]]の終結までにさらに3か国が共同体に加盟した<ref name="eurac history"/><ref>{{Cite web|url=http://europa.eu/abc/history/1980-1989/1985/index_en.htm|title=The History of the European Union: 1985|publisher=EUROPA|language=English|accessdate=2009-01-01}}</ref>。1987年には[[モロッコ]]が加盟を希望し、このとき共同体の対象となる地理的な範囲が検討されたが、モロッコはヨーロッパの国ではないとして加盟が認められなかった<ref>{{Cite web|url=http://pqasb.pqarchiver.com/latimes/access/58410310.html?dids=58410310:58410310&FMT=ABS&FMTS=ABS:FT&date=Jul+21%2C+1987&author=&pub=Los+Angeles+Times+(pre-1997+Fulltext)&desc=W.+Europe+Bloc+Bars+Morocco+as+a+Member&pqatl=google|title=W. Europe Bloc Bars Morocco as a Member|publisher=Los Angeles Times|language=English|date=1987-07-21|accessdate=2009-01-01}}</ref>。 1990年になると冷戦が終結し、[[ドイツ再統一]]により東ドイツの各州が共同体に組み込まれた。また従来中立的な立場であったオーストリア、フィンランド、スウェーデンが新たに発足した欧州連合に加盟した<ref name="eurac history"/>。その一方で[[スイス]]は1992年に加盟を申請したが、国民投票で[[欧州経済領域]]への参加に反対するという結果を受けて加盟のための協議が凍結され<ref>{{Cite web|url=http://www.europarl.europa.eu/enlargement/briefings/28a2_en.htm|title=Switzerland and the enlargement of the European Union|publisher=European Parliament|language=English|date=1999-03-08|accessdate=2009-01-01}}</ref>、また再度加盟を申請していたノルウェーも再び加盟の是非を問う国民投票で反対された<ref>{{Cite web|url=http://europa.eu/abc/history/1990-1999/1994/index_en.htm|title=The History of the European Union: 1994|publisher=EUROPA|language=English|accessdate=2009-01-01}}</ref>。その後旧[[東側諸国]]や旧[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国]]を構成していた諸国が欧州連合への加盟に動き出した。そして2004年5月1日にこれらの10の国々が欧州連合に加わり、東西のヨーロッパの統合を示す出来事となった<ref>{{Cite web|url=http://europa.eu/abc/history/index_en.htm|title=The History of the European Union|publisher=EUROPA|language=English|accessdate=2009-01-01}}</ref>。 2007年1月にブルガリアとルーマニアが、2013年7月にクロアチアが欧州連合に加盟し、欧州連合は28か国体制となった<ref>{{Cite web|和書|title=クロアチアがEU加盟、28カ国体制に 6年半ぶり拡大|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK01004_R00C13A7000000/|website=日本経済新聞|date=2013-07-01|accessdate=2019-03-13|language=ja}}</ref>。その後も欧州連合は[[バルカン半島|西バルカン]]諸国の加盟を優先的に協議している。[[アイスランド]]は2009年7月23日に正式な加盟申請を行い、加盟候補国として承認されたが、2015年3月12日、加盟申請を取り下げた<ref>{{Cite web|和書|title=アイスランドがEU加盟を申請|url=http://www.jlgc.org.uk/jp/eu_local_autonomy_memo/%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%89%e3%81%8c%ef%bd%85%ef%bd%95%e5%8a%a0%e7%9b%9f%e3%82%92%e7%94%b3%e8%ab%8b/|website=Japan Local Government Centre (JLGC) : London|accessdate=2019-02-16|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=アイスランド、EU加盟交渉打ち切り 国内経済復調で|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM13H93_T10C15A3FF1000/|website=日本経済新聞|date=2015-03-13|accessdate=2019-02-16|language=ja}}</ref>。 === 今後の拡大 === コペンハーゲン基準によると欧州連合への加盟は、安定し、[[自由市場]]と、[[法の支配]]と[[人権]]を尊重する[[民主主義]]を有するあらゆるヨーロッパの国に対して開かれたものとされている。さらに加盟を希望する国は[[アキ・コミュノテール]]の受容や[[ユーロ]]の導入といった加盟国の義務を受け入れなければならない<ref>{{Cite web|url=http://ec.europa.eu/enlargement/enlargement_process/accession_process/criteria/index_en.htm|title=Accession criteria|publisher=European Commission|language=English|accessdate=2009-01-01}}</ref><ref>{{Cite web|title=Conditions for membership|url=https://ec.europa.eu/neighbourhood-enlargement/policy/conditions-membership_en|website=European Neighbourhood Policy And Enlargement Negotiations - European Commission|date=2016-12-06|accessdate=2019-02-15|language=en|last=Anonymous}}</ref><ref name=":0" />。 ==== 加盟候補国 ==== 2023年12月現在、[[トルコ]]、[[北マケドニア]]、[[モンテネグロ]]、[[セルビア]]、[[アルバニア]]、[[ウクライナ]]、[[モルドバ]]、[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]及び[[ジョージア (国)|ジョージア]]の9か国は正式な加盟候補国として認定されている<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/eu/index.html|title=欧州連合(EU)|accessdate=2018-06-23|website=外務省|language=ja-JP}}</ref><ref name=":3">{{Cite web|和書|title=EU、ウクライナ・モルドバを「加盟候補国」と承認(写真=ロイター) |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR23E5L0T20C22A6000000/ |website=日本経済新聞 |date=2022-06-24 |access-date=2022-06-25 |language=ja}}</ref><ref name=":4">{{Cite web|和書|title=ボスニア、EU候補国に ウクライナ戦争で加盟動き加速 |url=https://jp.reuters.com/article/eu-enlargement-bosnia-idJPKBN2SZ2DG |website=ロイター |date=2022-12-16 |access-date=2022-12-16 |language=ja}}</ref><ref name=":5">{{Cite web |title=ウクライナのEU加盟交渉開始決定、ハンガリーは棄権…ゼレンスキー氏「ウクライナと欧州の勝利」 |url=https://www.yomiuri.co.jp/world/20231215-OYT1T50139/ |website=読売新聞オンライン |date=2023-12-15 |access-date=2023-12-18 |language=ja}}</ref>。 トルコは1980年代から加盟を希望しており、長く交渉を重ねてきたが、正式な加盟協議に入ったのは2004年のことだった<ref>{{Cite web|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4107919.stm|title=Q&A: Turkey's EU entry talks|language=English|publisher=BBC News|date=2006-12-11|accessdate=2009-01-01}}</ref>。 北マケドニアは2006年に加盟候補国となっている(当時の国名は「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」)。長らく隣国ギリシャとの間で[[マケドニア名称論争|国名改称問題]]を抱えており加盟に際する課題となっていたが、2018年6月12日に国名を'''北マケドニア共和国'''とすることでギリシャと合意し<ref>{{Cite web|和書|title=マケドニア国名変更で合意、四半世紀の対立解消へ|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31713600T10C18A6FF1000/|website=日本経済新聞|date=2018-06-13|accessdate=2019-02-15|language=ja}}</ref>、両国の議会承認等を経て2019年2月12日に改名が発効した<ref>{{Cite web|和書|title=「北マケドニア」改名発効|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO41199040T10C19A2000000/|website=日本経済新聞|date=2019-02-13|accessdate=2019-02-15|language=ja}}</ref>。2020年3月26日、EUは北マケドニアとの加盟交渉開始に合意した<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=EU、英抜きで再拡大へ|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO57235840V20C20A3FF2000/|website=日本経済新聞|date=2020-03-26|accessdate=2020-03-29|language=ja}}</ref><ref name=":1">{{Cite web|和書|title=EU 北マケドニア・アルバニアと加盟交渉開始へ|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200325/k10012348631000.html|website=NHKニュース|accessdate=2020-03-29|last=日本放送協会}}</ref>。 モンテネグロは2011年10月にEUと本格的な加盟交渉が開始された<ref name="Montenegro">[http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE3E0E2E5818DE3E1E3E2E0E2E3E39790E3E2E2E2;av=ALL モンテネグロとのEU加盟交渉開始を勧告 欧州委] [[日本経済新聞]] 2011年10月13日</ref>。2020年6月現在、該当する[[アキ・コミュノテール]]全33分野中33のすべての分野で交渉を開始しており、そのうちの3分野の交渉は暫定的に終了している<ref>{{Cite web|title=Fifth meeting of the Accession Conference with Montenegro at Deputy level, Brussels, 30 June 2020|url=http://www.consilium.europa.eu/en/press/press-releases/2020/06/30/fifth-meeting-of-the-accession-conference-with-montenegro-at-deputy-level-brussels-30-june-2020/|website=www.consilium.europa.eu|accessdate=2020-06-30|language=en}}</ref>ことから、加盟候補国8か国のなかで最も交渉が進展している国といえる。 セルビアは[[ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦]]の大物戦犯である[[ラトコ・ムラディッチ]]と[[ゴラン・ハジッチ]]の拘束が評価され、2011年10月12日[[欧州委員会]]から加盟候補国の地位を提言されたものの、2008年にセルビアから一方的に独立を宣言した[[コソボ]]との関係改善および政治対話の進展が加盟交渉開始の条件とされ、正式な加盟申請を行った2009年12月22日から2012年2月の段階まで加盟候補国に認定されていなかった<ref name="Montenegro" />が、関係改善を評価され、2012年3月1日のEU首脳会議において正式な加盟候補国に承認された<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/120302/erp12030209410000-n1.htm セルビアがEU加盟候補国入り 首脳会議が承認] [[産経新聞]] 2012年3月2日</ref>。2014年1月21日から加盟交渉を開始している<ref name=":0" />。 アルバニアは2009年4月28日EUに加盟を申請し、2014年6月27日に加盟候補国として承認された<ref name=":0" />。2020年3月26日、EUはアルバニアとの加盟交渉開始に合意した<ref name=":2" /><ref name=":1" />。 さらに[[2022年ロシアのウクライナ侵攻]]を受けて、[[2022年]][[2月28日]]にウクライナが、[[3月3日]]にモルドバがそれぞれEUに加盟申請し<ref>[https://jp.reuters.com/article/idJPKCN2L109A モルドバもEU加盟申請、ウクライナに続き 旧ソ連圏で広がりも] - ロイター 2022年3月3日</ref>、[[6月23日]]、両国はEUの加盟候補国として承認された<ref name=":3" />。 ボスニア・ヘルツェゴビナは、2016年2月15日EUに加盟を申請し<ref name=":0" />、2022年12月15日に加盟候補国として承認された<ref name=":4" />。 ジョージアは[[2022年]][[3月3日]]、EUに加盟申請した<ref>{{Cite web|和書 |title=モルドバ、EU加盟を正式申請 ジョージアに続き |url=https://www.afpbb.com/articles/amp/3393175 |website=www.afpbb.com |access-date=2022-06-25}}</ref>。[[6月23日]]、欧州理事会はジョージアに対し、将来的にEUに加盟する見通しがあると認めた<ref>{{Cite web |title=European Council grants candidate status to Ukraine and Moldova, recognises Georgia’s “European perspective” |url=https://agenda.ge/en/news/2022/2408 |website=Agenda.ge |access-date=2022-06-25}}</ref>。[[2023年]][[12月14日]]、ジョージアは加盟候補国として承認された<ref name=":5" />。 ==== 潜在的加盟候補国 ==== [[コソボ]]はEUの潜在的加盟候補国として見なされている。 コソボは現在、国連に加盟している110ヶ国から独立を承認されているが、EU既存加盟国の間ではコソボの国家承認について対応が分かれている。EU加盟国中23カ国がコソボの独立を承認しているが、一方で、[[バスク州|バスク]]や[[カタルーニャ州|カタルーニャ]]といった国内地域に民族問題を抱えるスペイン、キプロス、スロバキア、ルーマニア、ギリシャの5カ国は独立を承認していない。このためEUによる機関承認は見送られている。 コソボは[[2022年]][[12月15日]]、EUに加盟申請した<ref>{{Cite web|和書|title=コソボ、EU加盟を申請 隣国セルビアは反発|url=https://jp.reuters.com/article/kosovo-eu-membership-idJPKBN2SZ274|website=jp.reuters.com |access-date=2023-01-06}}</ref>。 === 元加盟国 === {| class="wikitable sortable" style="width:150%" style="font-size:80%" ! class="unsortable" |[[国旗]] ! class="unsortable" |[[国章]] !国名<br /> ! class="unsortable" |正式国名<br /> !加盟日<br /> !離脱日 !人口<ref group="t">[http://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?qid=1453586863742&uri=CELEX:32015D2393 COUNCIL DECISION (EU, Euratom) 2015/2393 of 8 December 2015 amending the Council's Rules of Procedure] {{en icon}} 2015年12月18日付欧州連合官報。2017年1月16日閲覧。</ref><br /> !面積 <small>(km2)</small><br /> !首都<br /> ! class="unsortable" width="150" |EUにあった時の[[欧州連合加盟国の特別領域|特別領域]] |- | align="center" |{{Flagicon|GBR}} |[[ファイル:Royal Coat of Arms of the United Kingdom (1952-2022).svg|中央|15x15ピクセル]] |[[イギリス]] |グレート・ブリテンおよび 北アイルランド連合王国 |1973年1月1日 |2020年2月1日 |{{Nts|64767115}} |{{Nts|244820}} |[[ロンドン]] |<div class="NavFrame"><div class="NavHead">1地域を含み、16地域を除く</div><div class="NavContent"><div>含まれる地域 * {{GIB}} </div> ----<div>除かれる地域 * {{Flagicon|GBR}} [[アクロティリおよびデケリア]] * {{AIA}} * [[ファイル:Flag_of_the_British_Antarctic_Territory.svg|境界|25x25ピクセル|イギリス領南極地域の旗]] [[イギリス領南極地域]] * {{BMU}} * {{CYM}} * {{FLK}} * {{GGY}} * {{Flagicon|IOT}} [[イギリス領インド洋地域]] * {{JEY}} * {{IMN}} * {{MSR}} * {{PCN}} * {{SHN}} * [[ファイル:Flag_of_South_Georgia_and_the_South_Sandwich_Islands.svg|境界|25x25ピクセル|サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島の旗]] [[サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島]] * {{TCA}} * {{VGB}} </div></div></div> |} ==== 表註 ==== <references group="t"/> 1973年、英国は[[欧州共同体]](EC)に加盟し、1975年の国民投票によって継続的な加盟が支持されたが、[[イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票|2016年6月23日の国民投票]]の結果、投票者の51.9%がEUを離脱することを選択したことにより、[[2020年]][[2月1日]]午前0時([[中央ヨーロッパ時間|CET]])にイギリスはEUを離脱した<ref>{{Cite web|和書|title=イギリスがEU離脱へ 日本時間のあす午前8時に|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200131/k10012266561000.html|website=NHKニュース|accessdate=2020-02-01|last=日本放送協会|publisher=|date=2020-01-31}}</ref>。 === その他 === 多くの国が加盟国と変わらないほどの欧州連合と密接な関係を持っている。ノルウェーは欧州連合への加盟が実現しなかったことを受けて、同じく欧州連合に加盟していない[[アイスランド]]と[[リヒテンシュタイン]]、スイスと欧州連合加盟国が参加する欧州経済領域に加わった。欧州経済領域では非加盟4か国に対して欧州連合の域内市場に参入すること、また欧州連合の域内市場における4つの分野での自由を認めている。そのかわりに4か国は負担金の支払や関連する[[EU法|欧州連合の法令]]の適用を受け入れることが義務づけられている。このように法令を受け入れている状況は、4か国が直接的に立法過程に参加することができず、[[ブリュッセル]]から新しい法令がファクシミリで送られてくることから「ファックス民主主義」と揶揄されている<ref>{{Cite web|last=Ekman|first=Ivar|url=http://www.iht.com/articles/2005/10/26/news/norway.php|title=In Norway, EU pros and cons (the cons still win)|publisher=International Herald Tribune|language=English|date=2005-10-26|accessdate=2009-01-01}}</ref>。 == 加盟国の代表 == {{欧州連合}} 各加盟国は[[欧州連合の機構|欧州連合の諸機関]]に対して代表を出している。正式な加盟国になるとそれぞれの政府は[[欧州連合理事会]]や[[欧州理事会]]に議席が与えられる。全会一致による決定がなされない場合においては、人口が小さい加盟国よりも人口が大きい加盟国に票数がより多く与えられる[[特定多数決方式|多数決方式]]が適用される(ただしこのときの各国の票の配分は人口に比例しておらず、人口の小さい加盟国が相対的に人口の大きい国よりも多くの票数が与えられている)。 これと同様に各国はそれぞれの人口に基づいて[[欧州議会]]の議席数が割り当てられている。ただし[[欧州議会議員]]は1979年以降、[[普通選挙]]で選出されており(1979年以前は各国議会が選出していた)、政府には任命権が与えられていない。他方で各国政府は[[欧州委員会委員長|委員長]]の意向に従って[[欧州委員会]]に委員を、ほかの加盟国に合わせる形で[[欧州司法裁判所]]に判事を、[[欧州会計監査院]]に委員をそれぞれ1名ずつ出している。 かつては規模の大きい加盟国からは欧州委員会委員を2名出していた。ところが委員会の組織が肥大化したため、この大国に与えられていた特権は廃止され、各加盟国は平等に委員を出すことになった。しかしながら欧州司法裁判所の法務官が大国から出されるという制度は続けられている。なお、[[欧州中央銀行]]の政策理事会は各加盟国の中央銀行総裁で構成されている。 従来より規模の大きい加盟国は交渉にさいして大きな影響力を行使してきたが、規模の小さい加盟国は公平な仲介者としての機能を果たし、またそれらの加盟国の市民は大国との間での競合を回避するような敏感な首脳を選出してきた。 == 加盟国の主権 == 基本条約では、すべての加盟国はそれぞれ主権を有し、その価値は等しいとうたっている。しかし欧州連合は[[欧州共同体]]の分野において[[スープラナショナリズム|超国家的]]な制度に基づいており、各加盟国は連合の諸機関に代表を送って、その主権を一体的なものとして連合の諸機関に委ねている。これらの機関はヨーロッパ規模での立法やその執行についての権限が与えられている。加盟国が連合の法令を遵守しなかった場合には、当該加盟国には制裁金が科されたり、あるいは連合の資金が引き揚げられることになる。さらに極端な事例では、当該加盟国の票決権や加盟国としての資格を停止する規定も存在する。欧州共同体分野以外(外交政策、警察、司法分野)では、主権の移管の程度は低く、これらの分野の問題では[[政府間主義|政府間の合意や協力]]によって対応される。{{要出典|date=2020年9月}} ところがそもそも主権というのはそれぞれの国家に由来するものであり、加盟国は望めば欧州連合を脱退するということもあり得る。そのためある法令がある加盟国にそぐわないものであるとされた場合、当該加盟国は法令の適用を回避するために欧州連合から脱退することがあり得る。しかしながら加盟していることによる利益がその法令による不利な影響を上回ることもある。さらに[[現実政治]]において、関係の向上やほかの問題における自らの立場を強化するために、[[利権]]や[[圧力政治|政治的圧力]]といった要素により加盟国はある分野において利益につながらないものでも受け入れざるを得なくなる。{{要出典|date=2020年9月}} == 関連項目 == * [[欧州連合加盟国の特別領域]] *[[アメリカ合衆国の州]] == 脚注 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == :『EU(欧州連合)を知るための63章』羽場久美子編、明石書店、2013年。 :『EU拡大とフランス政治』クリスチアン・ルケンヌ、中村雅治訳、芦書房、2012年 :『ロシア・拡大EU』羽場久美子・溝端佐登史編、ミネルヴァ書房、2011年。 :『拡大するユーロ経済圏』田中素香、日本経済新聞出版社、2007年。『EU拡大と新しいヨーロッパ』小林浩二編、原書房、2007年。 :『ヨーロッパの東方拡大』羽場久美子・小森田秋夫・田中素香編、岩波書店、2006年。 :『国際関係の中の拡大EU』森井裕一編、信山社、2005年。 :『拡大ヨーロッパの挑戦―グローバル・パワーとしてのEU』羽場久美子、中公新書、2004年。2014年第2版。 :『グローバリゼーションと欧州拡大』神奈川大学評論ブックレット19、お茶の水書房、2002年。 :『拡大するヨーロッパー中欧の模索』羽場久美子、岩波書店、1998年。 :『拡大EU―東方へ広がるヨーロッパ連合』町田顕、東洋経済新報社、1999年。 :『大欧州圏の形成―EUとその拡大』 神奈川大学経済貿易研究叢書、 島崎 久弥、1996年。 :『統合ヨーロッパの民族問題』講談社現代新書、1994年。 == 外部リンク == * [https://europa.eu/european-union/about-eu/countries_en member countries of the EU] {{en icon}} {{Normdaten}} {{EU}} [[Category:欧州連合加盟国|*]] [[fi:Euroopan unioni#Jäsenvaltiot]]
2003-02-28T07:27:35Z
2023-12-18T15:06:58Z
false
false
false
[ "Template:SXM", "Template:En icon", "Template:GGY", "Template:SHN", "Template:旗アイコン", "Template:Main", "Template:JEY", "Template:要出典", "Template:Cite web", "Template:REU", "Template:PYF", "Template:SPM", "Template:PCN", "Template:NCL", "Template:BLM", "Template:VGB", "Template:Nts", "Template:MAF", "Template:GRL", "Template:MYT", "Template:Legend", "Template:AIA", "Template:欧州連合", "Template:Reflist", "Template:Normdaten", "Template:MSR", "Template:European Union Labelled Map (brown)", "Template:Flagicon", "Template:FRO", "Template:GIB", "Template:BMU", "Template:CYM", "Template:IMN", "Template:EU", "Template:CUR", "Template:Lisbon Treaty update", "Template:ALA", "Template:GUF", "Template:GLP", "Template:MTQ", "Template:WLF", "Template:ABW", "Template:FLK", "Template:TCA" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E9%80%A3%E5%90%88%E5%8A%A0%E7%9B%9F%E5%9B%BD
3,051
トマト
トマト(蕃茄; 英語: tomato; 学名: Solanum lycopersicum)は、南アメリカのアンデス山脈高原地帯原産のナス科ナス属の植物、また、その果実のこと。アカナスなどの別名でもよばれる。多年生植物で、果実は食用として利用される。緑黄色野菜の一種である。リンネの『植物の種』で記載された植物の一つである。 英名のトマトの語源は、メキシコ土語であるナワトル語で「ホオズキの実」「膨らんだ果実」を意味する “tomatl” (トマトゥル)に由来する。 ヨーロッパでは当初ポモ・ドーロ(金色のリンゴ)、ポム・ダムール(愛のリンゴ)とよばれた。イタリア語では現在でもその名残でポモドーロ(pomodoro)とよばれる。リトアニア語のポミドーリ(pomidori)など周辺言語への派生もある。 日本語では唐柿(とうし)、赤茄子(あかなす)、蕃茄(ばんか)、小金瓜(こがねうり)、珊瑚樹茄子(さんごじゅなす)などの異称もある。 小さなトマトの呼称「プチトマト」はタキイ種苗が小さなトマトの品種につけた商品名がはじまりである。 和製外来語であり、日本でしか通じない。プチ(petit)はフランス語に由来するが、フランス語版Wikipediaでは「Tomate cerise」となっている。英語名は「cherry tomato」。 原産地は南米ペルーのアンデス高原とされている。代表的な夏野菜で、真っ赤に実る果実は長期間にわたって収穫ができ、リコピンやβ-カロテン、ビタミンCなどの栄養素を豊富に含む。日本では一部の地域を除き冬に枯死する一年生植物であるが、熱帯地方などでは多年生であり適切な環境の下では長年月にわたって生育し続け、延々と開花と結実を続けることができる。1本仕立てで1年間の長期栽培を行うと、その生長量は8メートル - 10メートルにも達する事となる。 通常の栽培品種(支柱に誘引するタイプ)では発芽後、本葉8葉から9葉目に最初の花房(第一花房)が着き、その後は3葉おきに花房を着ける性質をもつ。地這栽培用の品種では2葉おきに花房を着ける品種も多い。 また、各節位からは側枝が発生する。側枝では5葉目と6葉目に花房が着き、その後は3葉おきに花房を着けるが、側枝は栽培管理上、除去されることもある。株が高温などのストレスを受けると正常な位置に花が着かない(花飛び)現象が発生するため、株が適切に生育しているかどうかを示す指針となる。 トマトは長らく独自の属(トマト属 Lycopersicon)に分類されてきたが、1990年代ごろからの様々な系統解析の結果、最近の分類ではナス属(Solanum)に戻すようになってきている。元々リンネはトマトをナス属に含めて lycopersicum(ギリシャ語 lycos「狼」 + persicos「桃」)という種小名を与えたが、1768年にフィリップ・ミラーがトマト属を設立して付けた Lycopersicon esculentum が学名として広く用いられてきた。この学名は国際藻類・菌類・植物命名規約上不適切な(種小名を変えずに Lycopersicon lycopersicum とすべき)ものであったが、広く普及していたため保存名とされてきた。しかし系統解析によりトマト属に分類されてきた植物がナス属の内部に含まれることが判明した。ナス属を分割するか、トマト属を解消してナス属に戻すかの処置が必要になった。したがってリンネのやり方に戻して、学名も Solanum lycopersicum とした。 植物学において近年、トマトはナス科のモデル植物として注目されている。Micro Tom は矮性で実験室でも育成が可能な系統として利用されている。また、国際的なゲノムプロジェクトも行われ、ゲノム(約3万5千個の遺伝子の位置・構造、7億8千万の塩基配列)を解読した。 トマトにはアルカロイド配糖体(トマチン)が含まれる。その含量は品種や栽培方法によって異なるが、かずさDNA研究所による測定例では、花(1,100 mg/kg)、葉(975 mg/kg)、茎(896 mg/kg)、未熟果実(465 mg/kg)、熟した青い果実・グリーントマト(48 mg/kg)、完熟果実(0.4 mg/kg)という報告がされている。 トマチンには幾つかの菌に対する抗菌性 と昆虫への忌避性があるが、トマトを食害する害虫は存在する。野生種においては、完熟果実においてもトマチンが相当量残留する。通常食用にされている品種の完熟果実のトマチン量はごく微量であり、ヒトへの健康被害は無視できる。 トマトは、原産地である南米のアンデス山脈や、ガラパゴス諸島の雨の降らない乾燥地帯に自生していた。メキシコへは紀元前1600年ごろに伝わり、メキシコのアステカ族がアンデス山脈からもたらされた種からトマトを栽培し始めた。新大陸の中でもトマトを栽培植物として育てていたのは、この地域に限られる。16世紀にアステカに入ったサアグン修道士の記録から、当時から複数種類の栽培種が開発されていたと見られる。 ヨーロッパへは、クリストファー・コロンブスによる南米大陸発見によりもたらされ、1519年にメキシコへ上陸したスペイン人エルナン・コルテスがその種を持ち帰ったのが始まりであるとされている。当時トマトは「poison apple」(毒リンゴ)ともよばれていた。なぜなら裕福な貴族達が使用していたピューター(錫合金)食器には鉛が多く含まれ、トマトの酸味で漏出して鉛中毒になっていたためである。鉛中毒の誤解が解けた後も、有毒植物であるベラドンナに似ていたため、毒であると信じる人も多く、最初は観賞用とされた。 しかし、イタリアの貧困層で食用にしようと考える人が現れ、200年にも及ぶ開発を経て現在の形となった。これがヨーロッパへと広まり、一般的に食用となったのは19世紀以降のことである。南ヨーロッパでは加熱調理用、北ヨーロッパでは生食用の品種が発達していった。 一方、北アメリカではその後もしばらくは食用としては認知されなかった。フロリダ方面に定着したスペイン系入植者やカリブ海経由で連れてこられた黒人奴隷がトマトを食べる習慣をゆっくりと広めていった。実験精神の旺盛なトーマス・ジェファーソンは自らの農園でトマトを栽培し、ディナーに供した。1820年、ニュージャージー州の農業研究家ロバート・ギボン・ジョンソン(英語版)は、セイラムの裁判所前の階段でトマトを食べて人々に毒がないことを証明したとされるが、詳しい資料は残っていない。 1893年当時のアメリカでは輸入の際に果物への関税がなく、野菜には関税が課せられていた。このため、トマトの輸入業者は、税金がかからないように「果物」と主張。これに対して農務省は「野菜」と主張した。米国最高裁判所の判決は「野菜」。判決文には「トマトはキュウリやカボチャと同じように野菜畑で育てられている野菜である。また、食事中に出されるが、デザートにはならない」と書かれていた。 日本には江戸時代の17世紀初め(寛文年間ごろ)に、オランダ人によって長崎へ伝わったのが最初とされる。狩野探幽の『草花写生図巻』(1668年)には観賞用のトマトが描かれ、また貝原益軒の『大和本草』(1709年)にはトマトについての記述があり、そのころまでには伝播していたものと考えられている。ただ、青臭く、また真っ赤な色が敬遠され、当時は観賞用で「唐柿」(とうがき)や、「唐茄子」(とうなすび)とよばれていた。中国では、現在も「西紅柿」(xīhóngshì)と呼んでおり、西紅柿炒鶏蛋(鶏卵との炒め物)などとして料理される。 なお、台湾や香港では「番茄」(fānqié)とよばれ、番茄牛肉通心粉(牛肉とマカロニとの煮物)などの料理がある。 日本で食用として利用されるようになったのは明治以降で、1868年(明治元年)に欧米から9品種が導入され、「赤茄子」(あかなす)とよばれたが、当時はトマト独特の青臭い匂いが強い小型の品種であった。そのトマト臭に日本人はなじめず、野菜として普及したのは19世紀末(1887年ころ)からとされる。さらに日本人の味覚にあった品種の育成が盛んになったのは昭和時代からである。20世紀に入ってから、アメリカから導入された桃色系大玉品種「ポンテローザ」とその改良種「ファーストトマト」が広く受け入れられたことから、トマトの生産は日本各地で普及していき、第二次世界大戦後になってトマトの需要が飛躍的に増大していった。1960年代は生産地が都市から遠くなったことで果実を未成熟で収穫して出荷する「青切り」が定着するようになり、1970年代になると食味向上や着色均一化のニーズが高まった。そこで消費者のニーズに応える形で、1985年(昭和60年)にタキイ種苗の開発によって樹上完熟でも収穫できる「桃太郎」が誕生した。 トマトは米国で最初に認可を受けた遺伝子組み換え作物である。1994年5月、FDA(連邦食品医薬品局)が承認したFlavr Savrというトマトで、長期間の保存に適した品種であった。ただし、開発費用などを回収するために通常のトマトよりも高い価格に設定されたため、商業的にはそれほどの成功を収めなかった。 果皮の色による分類では桃色系・赤系・緑系に大別される。 桃色系トマトの果実は、果肉が赤色、果皮が無色透明のため見た目が桃色を呈する。皮が薄くて香りが弱く甘味があり、酸味や青臭いトマト臭が少なく生食に向いているという特徴がある。 一方の赤系トマトの果実は、果肉が赤色、果皮が黄色で見た目が濃い赤を呈する。皮が厚く酸味や青臭さが強いが加熱調理向きとされる。厚くて丈夫な果皮、酸味と香りが強く、ジュースやケチャップなどの加工用にも使われる。赤系トマトは酸味と甘味が強く、加工用としての需要が多い欧米では主流である。しかし近年になって赤系トマトには、抗酸化作用をもつとされる成分リコピンが多量に含まれていることから、利用が見直されている。 その他に白色、黄色、オレンジ色、緑色、褐色、複色で縞模様のものがある。見た目が黄色いものは、果肉が黄色で果皮が透明な場合になり、見た目がオレンジ色なものは、果肉が黄色で果皮が黄色の場合である。1980年以降に市場に多く出回るようになったミニトマトは、赤色系がほとんどであるが、黄色や桃色種、洋なし型、プラム形など、色や形も様々な品種がある。 世界では、8,000種を超える品種があるとされ、日本では120種を超えるトマトが品種登録されている(農林水産省、2008年5月時点)。これは、野菜類の登録品種数の中でも、目立って多い。一方で一代雑種のF1品種は登録されないことが多く、桃太郎などの有名な品種の登録はない。 世界には日本で多く流通している「桃太郎」に代表される桃色、丸型のトマト以外のトマトが非常に多く、むしろ、桃色以外の品種の方が圧倒的に多い。また、形も日本では見られない、プリーツとよばれるヒダが大きく入ったものが数多くあったり、トマトソースにするための細長い形の品種も各色揃ったりしている。欧米では生食よりも調理用の品種が多く扱われており、加熱調理すると粘りとうまみが出て、それだけでもソースにもなる。 世界のトマトの味は、日本の大玉品種のように甘さに重点を置いたものばかりではない。旨味、香り、酸味、食感、見た目を楽しませてくれる品種が数多く存在する。また、これらの品種は固定種であり、自家採種可能であり、代々種を引き継いで育種することができる。 果実の大きさによる分類では大玉トマト(200 g以上)、ミニトマト(10 - 30 g)、中玉(ミディ)トマト(50 g内外、前2者の中間)、に分類される。ただし、栽培方法によって果重は変化するため、品種とは関係ない分類である。もっとも、それぞれの果実の大きさに適した品種というものは存在し、例えばミニトマトに適した品種としてパキーノ地方原産のパキーノトマト(チェリートマト)も生産されている。マイクロトマトと称して流通しているものはSolanum pimpinellifoliumであり、Solanum lycopersicum(Lycopersicon esculentum)とは別種である。水を極力与えず高糖度化をはかると、大玉に適した品種であっても、果実が小さくなる。 小さく甘みの強いフルーツトマトとは、栽培の工夫によって糖度8以上に高糖度化をはかったトマトの総称のことであり、品種名を示すものではない。産地によっては特産野菜として力を入れており、例えば高知県高知市一宮(いっく)地区の徳谷トマトは、品種を問わず一宮地区の特に徳谷地区の塩分を含む土壌で、あえて成長を遅く、実が小ぶりになるように栽培して糖度を高めたものである。また塩トマトは、熊本県八代地域の干拓地など塩分の多い土壌で育成されたトマトのうち特別に糖度が高いもので、フルーツトマトの元祖といわれ、品種は主に「桃太郎」を使っている。 十分な日照と風通しの良い場所を選び、夏に果実を収穫するため、栽培期は春の種まきから晩春に苗を植えて育てる。収穫は初夏から始まり初秋まで次々と実がなり、1株だけでも長い間収穫できる。芽かきを行うことと、追肥を切らさないことが重要で、栽培難度はやや難しいが、上手に育てれば1株あたり大玉トマトで15 - 20個、ミニトマトであれば100 - 150個ほど収穫が見込める。他のナス科作物と同様に連作は不可で、連作障害を防ぐためには3 - 4年ほど同じ畑を空けなければならない。畑は深く耕して元肥を入れ、根を深く張らせるとよい。施設栽培や早い時期の露地栽培で着果しにくいときは、ホルモン剤処理や振動を与えて受粉を促すか、ハウス栽培ではマルハナバチなどの訪花昆虫を放してを着果を促す。ミニトマトであれば、大型のプランター(コンテナ)や大きめの鉢で栽培することも可能で、鉢に支柱を立てて、日当たりの良い場所で水切れに注意しながら育てていく。トマトは、海水に浸かった土地でも生育できる作物としての特性も知られている。 栽培適温は昼温25 - 30 °C、夜温13 - 13 °Cとされる。気温が32 °C以上の環境では花粉稔性の低下により着果障害や不良果が増加し、最低気温が8 °Cを下回ると幼花の発達が損なわれ障害を受ける。適湿度は65 - 85 %でありこれ以下では生育が劣り、これ以上では病気が発生しやすくなる。果菜の中では強い光を好む性質があり、日照不足になると軟弱・徒長となり、実のつきが悪くなったり生育不良を起こしやすい。 極めて雨量が少ない南米アンデスが原産のトマトは、多雨を嫌う性質がある。潅水量が多すぎると水分を吸収しすぎて果実が割れ(裂果)、少ないと障害果が発生するため、高品質な果実を作るためには潅水量の細かい制御を必要とする作物である。潅水量を減らすことで高糖度な果実を生産することができるが、収量は減少する。雨が少ない原産地の風土と同様に、灌水量を少なくすると甘みを凝縮させることができ、また根の生長の制限や肥料の制限してトマトにストレスを与えると糖分を蓄えさせることができる。水耕栽培では養液の浸透圧を制御することで高糖度化を行うことができる。 種まき時期は早春(3月)で、室内などの暖かい場所でポットなどに2 - 3粒すつ蒔いて、芽が出たら間引いて1本にする。春(4月下旬 - 5月上旬)に苗の植え付けが始まり、支柱を立てて茎が揺れないように紐で縛り付ける。苗が根付くと、茎がどんどん伸びてきて倒れてしまうので、都度支柱に紐で縛り付けるようにするが、茎が太くなるため食い込んだら紐を縛り直す。春から夏にかけて、すべての葉の付け根からわき芽が伸びてくるようになると、栄養が分散して実つきが悪くなることを防ぐため、わき芽が小さなうちに摘んで取り除いて主枝を1本にまとめる。ただし、茎の途中から出るのは果実がつく花房なので、これを摘み取らないように注意する。またトマトは多くの果実を付けながら延々成長が続くため、最初の実がつき始めたら、2 - 3週間に1回ほど追肥を行っていく必要があり、収穫期にカルシウム不足になると尻腐病が発生する場合があるため、カルシウム分の多い肥料を与えるようにする。果実は赤く熟したものから、順次ヘタの上からはさみで切り取って収穫を行っていく。実が熟し始めるころから灌水量を減らして、乾燥気味に育てると味が良くなる。 病虫害としては、幼虫が果実内部を食い荒らすトマトキバガ(2021年に日本国内でも初確認)。 農林水産省の野菜生産出荷統計によれば、トマトの作付け面積は、1985年ごろから減少傾向にあり、ピーク時の75 %程度にまで落ち込んでいる。これは飛躍的な増加を見せた1960年代後半以前のレベル(15,000ha以下)である。収穫量ベースでも、ピーク時の1980年代の80 %程度、700,000トン - 800,000トン程度を推移している。近年、加工用トマトとミニトマトは、作付面積、収穫量ベースでそれぞれ10 %程度を占める。また、生産量のトップは熊本県でありシェアは13.0 %(平成21年度)を占める。続いて、北海道、茨城県が共に7.0 %となっている。 時期別の代表的な産地は、夏秋トマトは北海道、青森県、岩手県、福島県、岐阜県で、冬春トマトは栃木県、愛知県が代表産地であり、夏秋・冬春ともに出荷量が特に多いのが茨城県、千葉県、熊本県である。加工用トマトは長野県と福島県が主産地で、ミニトマトは熊本県と愛知県の出荷量が多い。日本は施設栽培が主流に行われており、年間を通じて安定的に供給されている。外国産は、韓国、オランダ、アメリカ合衆国、ニュージーランドからの輸入が多い。 総務省の2000年家計調査によれば1世帯当たりの年間購入量(重量ベース)では、トマトは生鮮野菜類中5位に位置する。これは一般消費者家庭でダイコン、ジャガイモ、キャベツ、タマネギに次いでトマトが多く消費されることを示唆するものである。出荷量、収穫量ベースで見ても、トマトはこれらの野菜に次いで5位を占めている(平成13年野菜生産出荷統計)。 また、家計調査によれば、野菜の主要品目が10年前と比べて軒並み減少または横ばい傾向にある中、ネギと並んで目立った増加を見せている数少ない野菜類の一つである。 収穫量上位10都道府県(2012年) 冬春トマト収穫量上位10市町村(2012年) 夏秋トマト収穫量上位10市町村(2012年) トマトは世界で最も多く生産されている野菜である。国際連合食糧農業機関 (FAO) によると、生産量の多い国は、中華人民共和国が最大生産国で、続いてインド、アメリカ合衆国、トルコが多い。1人あたりのトマト年間消費量は世界平均で18キログラム (kg)、1人あたりの消費量が最も多い国はトルコで99 kg、日本は10 kgである。 世界のトマトの収穫量上位10か国(2012年) 日本の収穫量は26位で722,300t、作付面積は43位で12,000haである。 日本では生食されるほか、サラダや焼きトマトなど、そのままを味わう料理も数多くある。日本以外では加熱して食べるのが普通で、生食はほとんどしない。当然、加熱に適した品種の栽培が主流で、生食用の品種自体が珍しい。手を加えた料理でよく知られているものにメキシコ料理のサルサ、イタリア料理の各種ピザ、パスタ用ソース、インドのカレーの一部、ヨーロッパのシチューの一部などがある。中華料理でもトマトと卵を合わせた炒め物やスープにされる。中央アジアではラグマンなどに利用されている。 ケチャップ、トマトソース、ピザソースなどに用いられるためトマトの年間消費量は1億2000万トン以上と、野菜の中でも世界1位である。グルタミン酸の濃度が非常に高いためうま味があること、酸味・水分があることなどがその理由として挙げられる。 好きな野菜ランキングでは子供大人ともに1位に挙がることが多く、人気がある一方で苦手な野菜としても上位に挙がることが多く、好みが分かれる一面がある。 品種によって酸味、甘みの度合いがかなり異なり、また皮の硬さも異なるので、用途に適したものを選んで使うのがコツとなる。例えば、酸味が強く皮が厚いイタリアントマトは加熱した料理に向いている。仮に、生食用として売られている品種を加熱調理に利用する場合は種子周辺のゼリー質を捨てずに利用するのがポイントである。 美味しいトマトの見分け方として、ヘタが鮮やかな緑色で張りがあるものが新鮮で、果実の皮全体につや張りがあり、手に持ったときに重くてヘタのそばまで赤いものが、味や栄養価の面においても良品とされる。また、果実の先端から放射状に入る筋は、種が入っている子質と同じ数だけあり、筋の数が多いほど甘味があり、味も良いといわれている。緑色がかった未熟なトマトでも数日ほど常温で追熟させることで少しは美味しくなる。 トマトの加工食品として、トマトジュース、トマトケチャップ、トマトソース、トマトピューレ、ドライトマト(英語版)などがある。また缶詰としてホールやカットやジュースが販売されている。 生でサラダやジュースにするほか、スープやシチューなどの煮込み料理、オムレツや炒め物など幅広い。トマトには甘味、酸味、グルタミン酸などの旨味成分が含まれているので、料理の味わいを深める調味料としても使われる。日本では生食されることが多いトマトであるが、欧米では古くからトマトがもつ食材の旨味を引き出す効果が知られ、料理に加えたり、トマトソースにするなどの調味料的な使われ方のほうが多い。 トマトに含まれる酸味成分のクエン酸・酒石酸や、食物繊維の一種ペクチンは、肉や魚介の臭みを和らげ、料理の味を爽やかにする効果がある。加熱すると旨味成分のグルタミン酸の働きによって特有の旨味が引き出され、グルタミン酸と相性の良いイノシン酸やコハク酸を多く含む肉や魚介類などの食材と合わせて調理すると、相乗効果でより一層旨さが引き立つ。また炒め物やシチューなどのように油で調理したり加熱すると、トマトに含まれるリコピンやβ-カロテンの吸収を高めるのに役立つ。 スープやソースなど、そのままでは口当たりが悪くなる料理では、下ごしらえにトマトの皮をむいたり、種を取り除いたりする。 調理器具にアルミ製の鍋を使用して長時間加熱調理すると、トマトがもつ酸味によりアルミに腐食作用が働いて金属味を帯びることもある。 生の場合、可食部100グラム (g) あたりのエネルギー量は19 kcal (79 kJ)で、水分含有量は94.0 gを占める。栄養素は比率で炭水化物が4.7 gと最も多く、次いで蛋白質0.7 g、灰分0.5 g、脂質0.1 gと続く。食物繊維1.0 gのうち、水溶性は0.3 g、不溶性は0.7 gである。 エネルギーは低めで、トマト1個食べても約40 kcal程度である。他の野菜類と同様に、トマトはビタミンCを多く含み、時間をおいても損失が少ないのが特徴である。さらに、β-カロテン、カリウム、ビタミンE、ルチンなどが豊富で、ヨーロッパでは「トマトが赤くなると医者が青くなる」という格言があるほど栄養価が高いことで知られている。また他の野菜では見られない、赤い色素でポリフェノールの1種であるリコピンが含まれていることでも有名である。ミニトマトは、桃太郎などの大玉トマトに比べて、カロテン、ビタミンC、カリウム、食物繊維などが豊富である。 トマトの栄養的価値の大きな特徴は、なかなか一度にはたくさん食べきれない葉物野菜とは異なり、1回の食事で多くの量を摂ることができる点にある。また、ハウス栽培が盛んに行われているため、1年中を通して食べられる点も大きな特徴である。ただし、トマトの旬の時期といわれている夏場に、ハウス栽培ものよりも栄養価が高い露地栽培ものが多く出回ることから、トマトの栄養的価値は夏場に高くなるといわれている。 トマトに含まれる酸味成分はクエン酸で、食欲を増進させる作用があり、夏場に食欲がないときに冷やしたトマトが食事をおいしくするのに役立つ。またクエン酸は疲労回復の働きが期待でき、血糖値の上昇を抑える作用があるといわれる。日本において、トマトジュースやサプリメントなど一部のトマト製品は血中コレステロールや血圧などの改善効果を謳う機能性表示食品として販売されている。 トマトの赤い色素リコピンの他に、黄色い色素カロテンも多く含む緑黄色野菜である。トマト100 g中に540 μgほどのカロテンを含んでおり、1個食べれば緑黄色野菜の1日推奨摂取量のカロテンを十分摂取できる。カロテンは体内でビタミンAに変わり、目や皮膚、消化器官の粘膜の働きを活発にして免疫機能を助ける働きをすることで知られている。ビタミンC量は葉物野菜ほどではないが、比較的豊富に含まれていることから、トマトのビタミンAとビタミンCが相互に影響し合って、強い抗酸化作用を発揮してがん予防や老化防止に効果を発揮する野菜と認識されている。 リコピンはカロテンと同じカルテノイド色素で、抗酸化力に関してはカロテンよりも強力だとの見方がされており、加熱にも強いため、煮たり焼いたりしても抗酸化力があまり低下しないという長所がある。真っ赤な調理用トマトに特に多く含まれるカロテンとリコピンは、油と一緒に調理したり加熱調理をすると、より効率よく栄養摂取できる。 トマトにはビタミン様物質であるルチン(ビタミンP)とビオチン(ビタミンH)が含まれている。ルチンは高血圧予防や動脈硬化の進行を遅らせる作用が知られ、ビオチンはコラーゲン生成を助けて肌を健康に保つのに役立つといわれている。ミネラルでは体内のナトリウムの排出を促すカリウムを多く含み、過酸化物質を分解するセレンを含んでいるので、生活習慣病予防効果がある野菜ともいわれている。 欧米で多く使われている調理用トマトは、旨み成分のグルタミン酸やアスパラギン酸を豊富に含んでおり、加熱調理することでさらに旨みが強くなる。 トマトに含まれるリコピンは、1995年にがん予防の効果が指摘されて以来、注目を集めるようになったが、有効性に関しては「有効性あり」とするデータと「有効性なし」とする両方のデータがあり、科学的なデータの蓄積が必要である。 これはハーバード大学のギオヴァンヌッキらの研究チームが4万5千人以上の医療関係者を対象に6年間のコホート調査を行った結果から、様々な形態のビタミンAを含む食品の中でも、イチゴと並んでトマト関連食品3種が前立腺癌の罹患率の低さと相関しているとしたもの。その後の様々な関連研究の引き金ともなった。 京都大学大学院の河田照雄教授らの研究グループにより、トマトに含まれる13-オキソ-9,11-オクタデカジエン酸に血液中の脂肪増加を抑える効果があることが発見され、2012年2月10日付けの米科学誌PLoS one上で発表された。研究段階である上、効果を得るには大量のトマトを食べる必要があるとされるが、日本では大きく報道されたことにより、トマトジュースが供給不足になるほどのブームが起きた。 日本において、露地栽培トマトは一般に夏(6月 - 9月)が旬の時期とされる野菜である。トマトは夏の季語。冷涼で強い日差しを好み高温多湿を嫌うトマトの性質からして、夏のトマトは水っぽく、春先のトマトのほうが果肉が詰まって濃厚な味わいがあり美味とされる。ハウス栽培で育てられたトマトは、冬から春が出荷のピークを迎えることから、冬 - 春はトマトのもうひとつの旬だともいわれている。 季節によっても味や食感が変わる。一般的な温室栽培を例に挙げると冬は光が少なく成長に時間がかかるため水っぽく皮が硬い、夏は成長が早すぎて味がのる前に赤くなるが皮は柔らかい。春と秋は旨味が強くなる。家庭菜園の場合は保温用のビニールをかけて秋まで栽培すると皮は硬いがメロン並みの糖度と旨味のあるトマトが得られる。 冷やしすぎると味が落ちるため、室温で保存するのが一般的で、鮮度が良いものは1週間ほど日持ちする。特に、まだ堅くて未熟なトマトであれば、常温でやや日光が当たる場所に置いて追熟することによって、酸味を抑えることができる。よく熟しているトマトは、ポリ袋などに入れて冷やしすぎない程度に冷蔵庫の野菜室(3~8°C程度)などに保存して、早めに使い切るようにする。完熟したトマトをソースや煮込みに使う場合は、丸ごと冷凍庫に入れて冷凍すると、水で洗うだけで皮が簡単にむける。 保存食にもなるドライトマトは、ミニトマトを半分に切ったり、中玉や大玉トマトでも種を取ってスライスして作ることができ、塩をふったあと140度ほどで予熱したオーブンで焼いたあと、風通しのよいところで水分を飛ばして乾燥させて作る。南ヨーロッパの料理には欠かせない保存食と調味料を兼ねたドライトマトは、ミニトマトの「プリンチペ・ポルゲーゼ」という品種が使われている。 果実は糖尿病、のどの渇き、食べ過ぎに薬効がある薬草とされ、蕃茄(ばんか)と称して、輪切りにして天日乾燥して生薬とするか、生のものを薬用にする。民間療法では、1日量5 - 10gの干した番茄を、600 ccの水で煎じて3回に分けて服用する用法が知られている。また、1日1個の生トマトを食べたり、調理しても同様とされる。胃腸の熱を冷ます効果から、食べ過ぎによる消化不良に良いといわれている。 トルコの民間療法ではやけどにスライスしたトマトを皮膚に塗りつけている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "トマト(蕃茄; 英語: tomato; 学名: Solanum lycopersicum)は、南アメリカのアンデス山脈高原地帯原産のナス科ナス属の植物、また、その果実のこと。アカナスなどの別名でもよばれる。多年生植物で、果実は食用として利用される。緑黄色野菜の一種である。リンネの『植物の種』で記載された植物の一つである。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "英名のトマトの語源は、メキシコ土語であるナワトル語で「ホオズキの実」「膨らんだ果実」を意味する “tomatl” (トマトゥル)に由来する。 ヨーロッパでは当初ポモ・ドーロ(金色のリンゴ)、ポム・ダムール(愛のリンゴ)とよばれた。イタリア語では現在でもその名残でポモドーロ(pomodoro)とよばれる。リトアニア語のポミドーリ(pomidori)など周辺言語への派生もある。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "日本語では唐柿(とうし)、赤茄子(あかなす)、蕃茄(ばんか)、小金瓜(こがねうり)、珊瑚樹茄子(さんごじゅなす)などの異称もある。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "小さなトマトの呼称「プチトマト」はタキイ種苗が小さなトマトの品種につけた商品名がはじまりである。 和製外来語であり、日本でしか通じない。プチ(petit)はフランス語に由来するが、フランス語版Wikipediaでは「Tomate cerise」となっている。英語名は「cherry tomato」。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "原産地は南米ペルーのアンデス高原とされている。代表的な夏野菜で、真っ赤に実る果実は長期間にわたって収穫ができ、リコピンやβ-カロテン、ビタミンCなどの栄養素を豊富に含む。日本では一部の地域を除き冬に枯死する一年生植物であるが、熱帯地方などでは多年生であり適切な環境の下では長年月にわたって生育し続け、延々と開花と結実を続けることができる。1本仕立てで1年間の長期栽培を行うと、その生長量は8メートル - 10メートルにも達する事となる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "通常の栽培品種(支柱に誘引するタイプ)では発芽後、本葉8葉から9葉目に最初の花房(第一花房)が着き、その後は3葉おきに花房を着ける性質をもつ。地這栽培用の品種では2葉おきに花房を着ける品種も多い。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "また、各節位からは側枝が発生する。側枝では5葉目と6葉目に花房が着き、その後は3葉おきに花房を着けるが、側枝は栽培管理上、除去されることもある。株が高温などのストレスを受けると正常な位置に花が着かない(花飛び)現象が発生するため、株が適切に生育しているかどうかを示す指針となる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "トマトは長らく独自の属(トマト属 Lycopersicon)に分類されてきたが、1990年代ごろからの様々な系統解析の結果、最近の分類ではナス属(Solanum)に戻すようになってきている。元々リンネはトマトをナス属に含めて lycopersicum(ギリシャ語 lycos「狼」 + persicos「桃」)という種小名を与えたが、1768年にフィリップ・ミラーがトマト属を設立して付けた Lycopersicon esculentum が学名として広く用いられてきた。この学名は国際藻類・菌類・植物命名規約上不適切な(種小名を変えずに Lycopersicon lycopersicum とすべき)ものであったが、広く普及していたため保存名とされてきた。しかし系統解析によりトマト属に分類されてきた植物がナス属の内部に含まれることが判明した。ナス属を分割するか、トマト属を解消してナス属に戻すかの処置が必要になった。したがってリンネのやり方に戻して、学名も Solanum lycopersicum とした。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "植物学において近年、トマトはナス科のモデル植物として注目されている。Micro Tom は矮性で実験室でも育成が可能な系統として利用されている。また、国際的なゲノムプロジェクトも行われ、ゲノム(約3万5千個の遺伝子の位置・構造、7億8千万の塩基配列)を解読した。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "トマトにはアルカロイド配糖体(トマチン)が含まれる。その含量は品種や栽培方法によって異なるが、かずさDNA研究所による測定例では、花(1,100 mg/kg)、葉(975 mg/kg)、茎(896 mg/kg)、未熟果実(465 mg/kg)、熟した青い果実・グリーントマト(48 mg/kg)、完熟果実(0.4 mg/kg)という報告がされている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "トマチンには幾つかの菌に対する抗菌性 と昆虫への忌避性があるが、トマトを食害する害虫は存在する。野生種においては、完熟果実においてもトマチンが相当量残留する。通常食用にされている品種の完熟果実のトマチン量はごく微量であり、ヒトへの健康被害は無視できる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "トマトは、原産地である南米のアンデス山脈や、ガラパゴス諸島の雨の降らない乾燥地帯に自生していた。メキシコへは紀元前1600年ごろに伝わり、メキシコのアステカ族がアンデス山脈からもたらされた種からトマトを栽培し始めた。新大陸の中でもトマトを栽培植物として育てていたのは、この地域に限られる。16世紀にアステカに入ったサアグン修道士の記録から、当時から複数種類の栽培種が開発されていたと見られる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ヨーロッパへは、クリストファー・コロンブスによる南米大陸発見によりもたらされ、1519年にメキシコへ上陸したスペイン人エルナン・コルテスがその種を持ち帰ったのが始まりであるとされている。当時トマトは「poison apple」(毒リンゴ)ともよばれていた。なぜなら裕福な貴族達が使用していたピューター(錫合金)食器には鉛が多く含まれ、トマトの酸味で漏出して鉛中毒になっていたためである。鉛中毒の誤解が解けた後も、有毒植物であるベラドンナに似ていたため、毒であると信じる人も多く、最初は観賞用とされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "しかし、イタリアの貧困層で食用にしようと考える人が現れ、200年にも及ぶ開発を経て現在の形となった。これがヨーロッパへと広まり、一般的に食用となったのは19世紀以降のことである。南ヨーロッパでは加熱調理用、北ヨーロッパでは生食用の品種が発達していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "一方、北アメリカではその後もしばらくは食用としては認知されなかった。フロリダ方面に定着したスペイン系入植者やカリブ海経由で連れてこられた黒人奴隷がトマトを食べる習慣をゆっくりと広めていった。実験精神の旺盛なトーマス・ジェファーソンは自らの農園でトマトを栽培し、ディナーに供した。1820年、ニュージャージー州の農業研究家ロバート・ギボン・ジョンソン(英語版)は、セイラムの裁判所前の階段でトマトを食べて人々に毒がないことを証明したとされるが、詳しい資料は残っていない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1893年当時のアメリカでは輸入の際に果物への関税がなく、野菜には関税が課せられていた。このため、トマトの輸入業者は、税金がかからないように「果物」と主張。これに対して農務省は「野菜」と主張した。米国最高裁判所の判決は「野菜」。判決文には「トマトはキュウリやカボチャと同じように野菜畑で育てられている野菜である。また、食事中に出されるが、デザートにはならない」と書かれていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "日本には江戸時代の17世紀初め(寛文年間ごろ)に、オランダ人によって長崎へ伝わったのが最初とされる。狩野探幽の『草花写生図巻』(1668年)には観賞用のトマトが描かれ、また貝原益軒の『大和本草』(1709年)にはトマトについての記述があり、そのころまでには伝播していたものと考えられている。ただ、青臭く、また真っ赤な色が敬遠され、当時は観賞用で「唐柿」(とうがき)や、「唐茄子」(とうなすび)とよばれていた。中国では、現在も「西紅柿」(xīhóngshì)と呼んでおり、西紅柿炒鶏蛋(鶏卵との炒め物)などとして料理される。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "なお、台湾や香港では「番茄」(fānqié)とよばれ、番茄牛肉通心粉(牛肉とマカロニとの煮物)などの料理がある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "日本で食用として利用されるようになったのは明治以降で、1868年(明治元年)に欧米から9品種が導入され、「赤茄子」(あかなす)とよばれたが、当時はトマト独特の青臭い匂いが強い小型の品種であった。そのトマト臭に日本人はなじめず、野菜として普及したのは19世紀末(1887年ころ)からとされる。さらに日本人の味覚にあった品種の育成が盛んになったのは昭和時代からである。20世紀に入ってから、アメリカから導入された桃色系大玉品種「ポンテローザ」とその改良種「ファーストトマト」が広く受け入れられたことから、トマトの生産は日本各地で普及していき、第二次世界大戦後になってトマトの需要が飛躍的に増大していった。1960年代は生産地が都市から遠くなったことで果実を未成熟で収穫して出荷する「青切り」が定着するようになり、1970年代になると食味向上や着色均一化のニーズが高まった。そこで消費者のニーズに応える形で、1985年(昭和60年)にタキイ種苗の開発によって樹上完熟でも収穫できる「桃太郎」が誕生した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "トマトは米国で最初に認可を受けた遺伝子組み換え作物である。1994年5月、FDA(連邦食品医薬品局)が承認したFlavr Savrというトマトで、長期間の保存に適した品種であった。ただし、開発費用などを回収するために通常のトマトよりも高い価格に設定されたため、商業的にはそれほどの成功を収めなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "果皮の色による分類では桃色系・赤系・緑系に大別される。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "桃色系トマトの果実は、果肉が赤色、果皮が無色透明のため見た目が桃色を呈する。皮が薄くて香りが弱く甘味があり、酸味や青臭いトマト臭が少なく生食に向いているという特徴がある。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "一方の赤系トマトの果実は、果肉が赤色、果皮が黄色で見た目が濃い赤を呈する。皮が厚く酸味や青臭さが強いが加熱調理向きとされる。厚くて丈夫な果皮、酸味と香りが強く、ジュースやケチャップなどの加工用にも使われる。赤系トマトは酸味と甘味が強く、加工用としての需要が多い欧米では主流である。しかし近年になって赤系トマトには、抗酸化作用をもつとされる成分リコピンが多量に含まれていることから、利用が見直されている。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "その他に白色、黄色、オレンジ色、緑色、褐色、複色で縞模様のものがある。見た目が黄色いものは、果肉が黄色で果皮が透明な場合になり、見た目がオレンジ色なものは、果肉が黄色で果皮が黄色の場合である。1980年以降に市場に多く出回るようになったミニトマトは、赤色系がほとんどであるが、黄色や桃色種、洋なし型、プラム形など、色や形も様々な品種がある。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "世界では、8,000種を超える品種があるとされ、日本では120種を超えるトマトが品種登録されている(農林水産省、2008年5月時点)。これは、野菜類の登録品種数の中でも、目立って多い。一方で一代雑種のF1品種は登録されないことが多く、桃太郎などの有名な品種の登録はない。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "世界には日本で多く流通している「桃太郎」に代表される桃色、丸型のトマト以外のトマトが非常に多く、むしろ、桃色以外の品種の方が圧倒的に多い。また、形も日本では見られない、プリーツとよばれるヒダが大きく入ったものが数多くあったり、トマトソースにするための細長い形の品種も各色揃ったりしている。欧米では生食よりも調理用の品種が多く扱われており、加熱調理すると粘りとうまみが出て、それだけでもソースにもなる。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "世界のトマトの味は、日本の大玉品種のように甘さに重点を置いたものばかりではない。旨味、香り、酸味、食感、見た目を楽しませてくれる品種が数多く存在する。また、これらの品種は固定種であり、自家採種可能であり、代々種を引き継いで育種することができる。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "果実の大きさによる分類では大玉トマト(200 g以上)、ミニトマト(10 - 30 g)、中玉(ミディ)トマト(50 g内外、前2者の中間)、に分類される。ただし、栽培方法によって果重は変化するため、品種とは関係ない分類である。もっとも、それぞれの果実の大きさに適した品種というものは存在し、例えばミニトマトに適した品種としてパキーノ地方原産のパキーノトマト(チェリートマト)も生産されている。マイクロトマトと称して流通しているものはSolanum pimpinellifoliumであり、Solanum lycopersicum(Lycopersicon esculentum)とは別種である。水を極力与えず高糖度化をはかると、大玉に適した品種であっても、果実が小さくなる。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "小さく甘みの強いフルーツトマトとは、栽培の工夫によって糖度8以上に高糖度化をはかったトマトの総称のことであり、品種名を示すものではない。産地によっては特産野菜として力を入れており、例えば高知県高知市一宮(いっく)地区の徳谷トマトは、品種を問わず一宮地区の特に徳谷地区の塩分を含む土壌で、あえて成長を遅く、実が小ぶりになるように栽培して糖度を高めたものである。また塩トマトは、熊本県八代地域の干拓地など塩分の多い土壌で育成されたトマトのうち特別に糖度が高いもので、フルーツトマトの元祖といわれ、品種は主に「桃太郎」を使っている。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "十分な日照と風通しの良い場所を選び、夏に果実を収穫するため、栽培期は春の種まきから晩春に苗を植えて育てる。収穫は初夏から始まり初秋まで次々と実がなり、1株だけでも長い間収穫できる。芽かきを行うことと、追肥を切らさないことが重要で、栽培難度はやや難しいが、上手に育てれば1株あたり大玉トマトで15 - 20個、ミニトマトであれば100 - 150個ほど収穫が見込める。他のナス科作物と同様に連作は不可で、連作障害を防ぐためには3 - 4年ほど同じ畑を空けなければならない。畑は深く耕して元肥を入れ、根を深く張らせるとよい。施設栽培や早い時期の露地栽培で着果しにくいときは、ホルモン剤処理や振動を与えて受粉を促すか、ハウス栽培ではマルハナバチなどの訪花昆虫を放してを着果を促す。ミニトマトであれば、大型のプランター(コンテナ)や大きめの鉢で栽培することも可能で、鉢に支柱を立てて、日当たりの良い場所で水切れに注意しながら育てていく。トマトは、海水に浸かった土地でも生育できる作物としての特性も知られている。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "栽培適温は昼温25 - 30 °C、夜温13 - 13 °Cとされる。気温が32 °C以上の環境では花粉稔性の低下により着果障害や不良果が増加し、最低気温が8 °Cを下回ると幼花の発達が損なわれ障害を受ける。適湿度は65 - 85 %でありこれ以下では生育が劣り、これ以上では病気が発生しやすくなる。果菜の中では強い光を好む性質があり、日照不足になると軟弱・徒長となり、実のつきが悪くなったり生育不良を起こしやすい。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "極めて雨量が少ない南米アンデスが原産のトマトは、多雨を嫌う性質がある。潅水量が多すぎると水分を吸収しすぎて果実が割れ(裂果)、少ないと障害果が発生するため、高品質な果実を作るためには潅水量の細かい制御を必要とする作物である。潅水量を減らすことで高糖度な果実を生産することができるが、収量は減少する。雨が少ない原産地の風土と同様に、灌水量を少なくすると甘みを凝縮させることができ、また根の生長の制限や肥料の制限してトマトにストレスを与えると糖分を蓄えさせることができる。水耕栽培では養液の浸透圧を制御することで高糖度化を行うことができる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "種まき時期は早春(3月)で、室内などの暖かい場所でポットなどに2 - 3粒すつ蒔いて、芽が出たら間引いて1本にする。春(4月下旬 - 5月上旬)に苗の植え付けが始まり、支柱を立てて茎が揺れないように紐で縛り付ける。苗が根付くと、茎がどんどん伸びてきて倒れてしまうので、都度支柱に紐で縛り付けるようにするが、茎が太くなるため食い込んだら紐を縛り直す。春から夏にかけて、すべての葉の付け根からわき芽が伸びてくるようになると、栄養が分散して実つきが悪くなることを防ぐため、わき芽が小さなうちに摘んで取り除いて主枝を1本にまとめる。ただし、茎の途中から出るのは果実がつく花房なので、これを摘み取らないように注意する。またトマトは多くの果実を付けながら延々成長が続くため、最初の実がつき始めたら、2 - 3週間に1回ほど追肥を行っていく必要があり、収穫期にカルシウム不足になると尻腐病が発生する場合があるため、カルシウム分の多い肥料を与えるようにする。果実は赤く熟したものから、順次ヘタの上からはさみで切り取って収穫を行っていく。実が熟し始めるころから灌水量を減らして、乾燥気味に育てると味が良くなる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "病虫害としては、幼虫が果実内部を食い荒らすトマトキバガ(2021年に日本国内でも初確認)。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "農林水産省の野菜生産出荷統計によれば、トマトの作付け面積は、1985年ごろから減少傾向にあり、ピーク時の75 %程度にまで落ち込んでいる。これは飛躍的な増加を見せた1960年代後半以前のレベル(15,000ha以下)である。収穫量ベースでも、ピーク時の1980年代の80 %程度、700,000トン - 800,000トン程度を推移している。近年、加工用トマトとミニトマトは、作付面積、収穫量ベースでそれぞれ10 %程度を占める。また、生産量のトップは熊本県でありシェアは13.0 %(平成21年度)を占める。続いて、北海道、茨城県が共に7.0 %となっている。", "title": "生産・需要" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "時期別の代表的な産地は、夏秋トマトは北海道、青森県、岩手県、福島県、岐阜県で、冬春トマトは栃木県、愛知県が代表産地であり、夏秋・冬春ともに出荷量が特に多いのが茨城県、千葉県、熊本県である。加工用トマトは長野県と福島県が主産地で、ミニトマトは熊本県と愛知県の出荷量が多い。日本は施設栽培が主流に行われており、年間を通じて安定的に供給されている。外国産は、韓国、オランダ、アメリカ合衆国、ニュージーランドからの輸入が多い。", "title": "生産・需要" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "総務省の2000年家計調査によれば1世帯当たりの年間購入量(重量ベース)では、トマトは生鮮野菜類中5位に位置する。これは一般消費者家庭でダイコン、ジャガイモ、キャベツ、タマネギに次いでトマトが多く消費されることを示唆するものである。出荷量、収穫量ベースで見ても、トマトはこれらの野菜に次いで5位を占めている(平成13年野菜生産出荷統計)。", "title": "生産・需要" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "また、家計調査によれば、野菜の主要品目が10年前と比べて軒並み減少または横ばい傾向にある中、ネギと並んで目立った増加を見せている数少ない野菜類の一つである。", "title": "生産・需要" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "収穫量上位10都道府県(2012年)", "title": "生産・需要" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "冬春トマト収穫量上位10市町村(2012年)", "title": "生産・需要" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "夏秋トマト収穫量上位10市町村(2012年)", "title": "生産・需要" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "トマトは世界で最も多く生産されている野菜である。国際連合食糧農業機関 (FAO) によると、生産量の多い国は、中華人民共和国が最大生産国で、続いてインド、アメリカ合衆国、トルコが多い。1人あたりのトマト年間消費量は世界平均で18キログラム (kg)、1人あたりの消費量が最も多い国はトルコで99 kg、日本は10 kgである。", "title": "生産・需要" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "世界のトマトの収穫量上位10か国(2012年)", "title": "生産・需要" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "日本の収穫量は26位で722,300t、作付面積は43位で12,000haである。", "title": "生産・需要" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "日本では生食されるほか、サラダや焼きトマトなど、そのままを味わう料理も数多くある。日本以外では加熱して食べるのが普通で、生食はほとんどしない。当然、加熱に適した品種の栽培が主流で、生食用の品種自体が珍しい。手を加えた料理でよく知られているものにメキシコ料理のサルサ、イタリア料理の各種ピザ、パスタ用ソース、インドのカレーの一部、ヨーロッパのシチューの一部などがある。中華料理でもトマトと卵を合わせた炒め物やスープにされる。中央アジアではラグマンなどに利用されている。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "ケチャップ、トマトソース、ピザソースなどに用いられるためトマトの年間消費量は1億2000万トン以上と、野菜の中でも世界1位である。グルタミン酸の濃度が非常に高いためうま味があること、酸味・水分があることなどがその理由として挙げられる。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "好きな野菜ランキングでは子供大人ともに1位に挙がることが多く、人気がある一方で苦手な野菜としても上位に挙がることが多く、好みが分かれる一面がある。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "品種によって酸味、甘みの度合いがかなり異なり、また皮の硬さも異なるので、用途に適したものを選んで使うのがコツとなる。例えば、酸味が強く皮が厚いイタリアントマトは加熱した料理に向いている。仮に、生食用として売られている品種を加熱調理に利用する場合は種子周辺のゼリー質を捨てずに利用するのがポイントである。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "美味しいトマトの見分け方として、ヘタが鮮やかな緑色で張りがあるものが新鮮で、果実の皮全体につや張りがあり、手に持ったときに重くてヘタのそばまで赤いものが、味や栄養価の面においても良品とされる。また、果実の先端から放射状に入る筋は、種が入っている子質と同じ数だけあり、筋の数が多いほど甘味があり、味も良いといわれている。緑色がかった未熟なトマトでも数日ほど常温で追熟させることで少しは美味しくなる。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "トマトの加工食品として、トマトジュース、トマトケチャップ、トマトソース、トマトピューレ、ドライトマト(英語版)などがある。また缶詰としてホールやカットやジュースが販売されている。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "生でサラダやジュースにするほか、スープやシチューなどの煮込み料理、オムレツや炒め物など幅広い。トマトには甘味、酸味、グルタミン酸などの旨味成分が含まれているので、料理の味わいを深める調味料としても使われる。日本では生食されることが多いトマトであるが、欧米では古くからトマトがもつ食材の旨味を引き出す効果が知られ、料理に加えたり、トマトソースにするなどの調味料的な使われ方のほうが多い。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "トマトに含まれる酸味成分のクエン酸・酒石酸や、食物繊維の一種ペクチンは、肉や魚介の臭みを和らげ、料理の味を爽やかにする効果がある。加熱すると旨味成分のグルタミン酸の働きによって特有の旨味が引き出され、グルタミン酸と相性の良いイノシン酸やコハク酸を多く含む肉や魚介類などの食材と合わせて調理すると、相乗効果でより一層旨さが引き立つ。また炒め物やシチューなどのように油で調理したり加熱すると、トマトに含まれるリコピンやβ-カロテンの吸収を高めるのに役立つ。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "スープやソースなど、そのままでは口当たりが悪くなる料理では、下ごしらえにトマトの皮をむいたり、種を取り除いたりする。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "調理器具にアルミ製の鍋を使用して長時間加熱調理すると、トマトがもつ酸味によりアルミに腐食作用が働いて金属味を帯びることもある。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "生の場合、可食部100グラム (g) あたりのエネルギー量は19 kcal (79 kJ)で、水分含有量は94.0 gを占める。栄養素は比率で炭水化物が4.7 gと最も多く、次いで蛋白質0.7 g、灰分0.5 g、脂質0.1 gと続く。食物繊維1.0 gのうち、水溶性は0.3 g、不溶性は0.7 gである。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "エネルギーは低めで、トマト1個食べても約40 kcal程度である。他の野菜類と同様に、トマトはビタミンCを多く含み、時間をおいても損失が少ないのが特徴である。さらに、β-カロテン、カリウム、ビタミンE、ルチンなどが豊富で、ヨーロッパでは「トマトが赤くなると医者が青くなる」という格言があるほど栄養価が高いことで知られている。また他の野菜では見られない、赤い色素でポリフェノールの1種であるリコピンが含まれていることでも有名である。ミニトマトは、桃太郎などの大玉トマトに比べて、カロテン、ビタミンC、カリウム、食物繊維などが豊富である。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "トマトの栄養的価値の大きな特徴は、なかなか一度にはたくさん食べきれない葉物野菜とは異なり、1回の食事で多くの量を摂ることができる点にある。また、ハウス栽培が盛んに行われているため、1年中を通して食べられる点も大きな特徴である。ただし、トマトの旬の時期といわれている夏場に、ハウス栽培ものよりも栄養価が高い露地栽培ものが多く出回ることから、トマトの栄養的価値は夏場に高くなるといわれている。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "トマトに含まれる酸味成分はクエン酸で、食欲を増進させる作用があり、夏場に食欲がないときに冷やしたトマトが食事をおいしくするのに役立つ。またクエン酸は疲労回復の働きが期待でき、血糖値の上昇を抑える作用があるといわれる。日本において、トマトジュースやサプリメントなど一部のトマト製品は血中コレステロールや血圧などの改善効果を謳う機能性表示食品として販売されている。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "トマトの赤い色素リコピンの他に、黄色い色素カロテンも多く含む緑黄色野菜である。トマト100 g中に540 μgほどのカロテンを含んでおり、1個食べれば緑黄色野菜の1日推奨摂取量のカロテンを十分摂取できる。カロテンは体内でビタミンAに変わり、目や皮膚、消化器官の粘膜の働きを活発にして免疫機能を助ける働きをすることで知られている。ビタミンC量は葉物野菜ほどではないが、比較的豊富に含まれていることから、トマトのビタミンAとビタミンCが相互に影響し合って、強い抗酸化作用を発揮してがん予防や老化防止に効果を発揮する野菜と認識されている。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "リコピンはカロテンと同じカルテノイド色素で、抗酸化力に関してはカロテンよりも強力だとの見方がされており、加熱にも強いため、煮たり焼いたりしても抗酸化力があまり低下しないという長所がある。真っ赤な調理用トマトに特に多く含まれるカロテンとリコピンは、油と一緒に調理したり加熱調理をすると、より効率よく栄養摂取できる。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "トマトにはビタミン様物質であるルチン(ビタミンP)とビオチン(ビタミンH)が含まれている。ルチンは高血圧予防や動脈硬化の進行を遅らせる作用が知られ、ビオチンはコラーゲン生成を助けて肌を健康に保つのに役立つといわれている。ミネラルでは体内のナトリウムの排出を促すカリウムを多く含み、過酸化物質を分解するセレンを含んでいるので、生活習慣病予防効果がある野菜ともいわれている。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "欧米で多く使われている調理用トマトは、旨み成分のグルタミン酸やアスパラギン酸を豊富に含んでおり、加熱調理することでさらに旨みが強くなる。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "トマトに含まれるリコピンは、1995年にがん予防の効果が指摘されて以来、注目を集めるようになったが、有効性に関しては「有効性あり」とするデータと「有効性なし」とする両方のデータがあり、科学的なデータの蓄積が必要である。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "これはハーバード大学のギオヴァンヌッキらの研究チームが4万5千人以上の医療関係者を対象に6年間のコホート調査を行った結果から、様々な形態のビタミンAを含む食品の中でも、イチゴと並んでトマト関連食品3種が前立腺癌の罹患率の低さと相関しているとしたもの。その後の様々な関連研究の引き金ともなった。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "京都大学大学院の河田照雄教授らの研究グループにより、トマトに含まれる13-オキソ-9,11-オクタデカジエン酸に血液中の脂肪増加を抑える効果があることが発見され、2012年2月10日付けの米科学誌PLoS one上で発表された。研究段階である上、効果を得るには大量のトマトを食べる必要があるとされるが、日本では大きく報道されたことにより、トマトジュースが供給不足になるほどのブームが起きた。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "日本において、露地栽培トマトは一般に夏(6月 - 9月)が旬の時期とされる野菜である。トマトは夏の季語。冷涼で強い日差しを好み高温多湿を嫌うトマトの性質からして、夏のトマトは水っぽく、春先のトマトのほうが果肉が詰まって濃厚な味わいがあり美味とされる。ハウス栽培で育てられたトマトは、冬から春が出荷のピークを迎えることから、冬 - 春はトマトのもうひとつの旬だともいわれている。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "季節によっても味や食感が変わる。一般的な温室栽培を例に挙げると冬は光が少なく成長に時間がかかるため水っぽく皮が硬い、夏は成長が早すぎて味がのる前に赤くなるが皮は柔らかい。春と秋は旨味が強くなる。家庭菜園の場合は保温用のビニールをかけて秋まで栽培すると皮は硬いがメロン並みの糖度と旨味のあるトマトが得られる。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "冷やしすぎると味が落ちるため、室温で保存するのが一般的で、鮮度が良いものは1週間ほど日持ちする。特に、まだ堅くて未熟なトマトであれば、常温でやや日光が当たる場所に置いて追熟することによって、酸味を抑えることができる。よく熟しているトマトは、ポリ袋などに入れて冷やしすぎない程度に冷蔵庫の野菜室(3~8°C程度)などに保存して、早めに使い切るようにする。完熟したトマトをソースや煮込みに使う場合は、丸ごと冷凍庫に入れて冷凍すると、水で洗うだけで皮が簡単にむける。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "保存食にもなるドライトマトは、ミニトマトを半分に切ったり、中玉や大玉トマトでも種を取ってスライスして作ることができ、塩をふったあと140度ほどで予熱したオーブンで焼いたあと、風通しのよいところで水分を飛ばして乾燥させて作る。南ヨーロッパの料理には欠かせない保存食と調味料を兼ねたドライトマトは、ミニトマトの「プリンチペ・ポルゲーゼ」という品種が使われている。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "果実は糖尿病、のどの渇き、食べ過ぎに薬効がある薬草とされ、蕃茄(ばんか)と称して、輪切りにして天日乾燥して生薬とするか、生のものを薬用にする。民間療法では、1日量5 - 10gの干した番茄を、600 ccの水で煎じて3回に分けて服用する用法が知られている。また、1日1個の生トマトを食べたり、調理しても同様とされる。胃腸の熱を冷ます効果から、食べ過ぎによる消化不良に良いといわれている。", "title": "食材としてのトマト" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "トルコの民間療法ではやけどにスライスしたトマトを皮膚に塗りつけている。", "title": "食材としてのトマト" } ]
トマトは、南アメリカのアンデス山脈高原地帯原産のナス科ナス属の植物、また、その果実のこと。アカナスなどの別名でもよばれる。多年生植物で、果実は食用として利用される。緑黄色野菜の一種である。リンネの『植物の種』で記載された植物の一つである。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Otheruses}} {{出典の明記|date=2021年4月}} {{生物分類表 |名称 = トマト |色 = lightgreen |画像=[[ファイル:Tomatoes-on-the-bush.jpg|250px]] |界 = [[植物界]] [[:en:Plantae|Plantae]] |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||Angiosperms}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||Eudicots}} |亜綱階級なし = [[キク類]] {{Sname||Asterids}} |目 = [[ナス目]] [[:en:Solanales|Solanales]] |科 = [[ナス科]] [[:en:Solanaceae|Solanaceae]] |属 = [[ナス属]] {{Snamei||Solanum}} |種 = '''トマト {{Snamei||Solanum lycopersicum|S. lycopersicum}}''' |学名 = {{Snamei|Solanum lycopersicum}} {{AU|L.}} {{small|([[1753年|1753]])}}<ref name="YList">{{YList|id=4301|taxon=Solanum lycopersicum L. トマト(標準)|accessdate=2023-08-03}}</ref> |シノニム = * {{Snamei|Lycopersicon esculentum}} {{AU|Mill.}} {{small|([[1768年|1768]])}}<ref name="YList2">{{YList|id=47125|taxon=Lycopersicon esculentum Mill. トマト(シノニム)|accessdate=2023-08-03}}</ref> |和名 = トマト<br/>赤茄子<br/>蕃茄<br/>小金瓜 |英名 = [[:en:Tomato|tomato]] }} '''トマト'''(蕃茄<ref>{{Citation|和書|author=落合直文|author-link=落合直文|year=1927|contribution=とまと|others=[[芳賀矢一]]改修|title=言泉:日本大辞典|volume=第四|publisher=[[大倉書店]]|pages=3185}}</ref>; {{Lang-en|tomato}}; [[学名]]: {{snamei|Solanum lycopersicum}})<ref>{{Cite book|last=Linnaeus|first=Carolus|year=1753|title=Species Plantarum|location=Holmia[Stockholm]|publisher=Laurentius Salvius|page=185|url=https://www.biodiversitylibrary.org/page/358204|ref=harv|language=la}}</ref>は、[[南アメリカ]]の[[アンデス山脈]][[高原]]地帯原産の[[ナス科]][[ナス属]]の[[植物]]、また、その果実のこと。'''アカナス'''などの別名でもよばれる。[[多年生植物]]で、果実は食用として利用される。[[緑黄色野菜]]の一種である。[[カール・フォン・リンネ|リンネ]]の『植物の種』で記載された植物の一つである。 == 名称 == [[英名]]の'''トマト'''の語源は、メキシコ土語である[[ナワトル語]]で「[[ホオズキ]]の実」「膨らんだ果実」を意味する “{{lang|nah|tomatl}}” (トマトゥル)に由来する{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。 ヨーロッパでは当初ポモ・ドーロ(金色のリンゴ)、ポム・ダムール(愛のリンゴ)とよばれた。[[イタリア語]]では現在でもその名残でポモドーロ({{lang|it|pomodoro}})とよばれる{{sfn|ジョンソン |1999|pp=96-97}}。[[リトアニア語]]のポミドーリ({{lang|lt|pomidori}})など周辺言語への派生もある。 [[日本語]]では'''[[唐柿]]'''(とうし)<ref>[http://www.takeda.co.jp/kyoto/area/plantno125.html 「トマト」] [[武田薬品工業]]株式会社 京都薬用植物園、2014年10月24日閲覧</ref>、'''赤茄子'''(あかなす)<ref name="YList"/><ref>[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/2163/m0u/ 「赤茄子」] Goo辞書「デジタル大辞泉」2014年10月24日閲覧</ref>、'''蕃茄'''(ばんか)<ref>[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/180863/m0u/ 「蕃茄」] Goo辞書「デジタル大辞泉」2014年10月24日閲覧</ref>、'''小金瓜'''(こがねうり)、'''珊瑚樹茄子'''(さんごじゅなす)<ref>[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/90669/m0u/ 「珊瑚樹茄子」] Goo辞書「デジタル大辞泉」2014年10月24日閲覧</ref>などの異称もある。 小さなトマトの呼称「プチトマト」は[[タキイ種苗]]が小さなトマトの[[品種]]につけた商品名がはじまりである<ref>{{Cite web|和書|title=トマトを毎日食べれば医者いらず⁈脅威の健康効果やおすすめレシピ|url=https://turkish.jp/turkishfood/%e3%83%88%e3%83%9e%e3%83%88/|website=ターキッシュエア&トラベル|date=2021-07-29|accessdate=2021-11-29|language=ja}}</ref>。 [[和製外来語]]であり、日本でしか通じない。プチ({{lang|fr|petit}})は[[フランス語]]に由来するが、<!--フランス語でトマト({{lang|fr|tomate}})は女性名詞であるため形容詞 {{lang|fr|petit}} も女性形 {{lang|fr|petite}} となり、プティト・トマト({{lang|fr|petite tomate}})と呼ぶのが文法的には正しい。-->フランス語版Wikipediaでは「[[:fr:Tomate cerise|Tomate cerise]]」となっている。英語名は「[[:en:Cherry tomato|cherry tomato]]」。 == 特徴 == 原産地は南米[[ペルー]]のアンデス高原{{sfn|講談社編|2013|p=59}}とされている。代表的な夏野菜で、真っ赤に実る果実は長期間にわたって収穫ができ、[[リコピン]]や[[β-カロテン]]、[[ビタミンC]]などの栄養素を豊富に含む。[[日本]]では一部の地域を除き冬に枯死する[[一年生植物]]であるが、[[熱帯]]地方などでは[[多年生]]であり適切な環境の下では長年月にわたって生育し続け、延々と[[開花]]と[[結実]]を続けることができる。1本仕立てで1年間の長期栽培を行うと、その生長量は8メートル - 10メートルにも達する事となる。 通常の[[栽培品種]](支柱に誘引するタイプ)では[[発芽]]後、[[本葉]]8葉から9葉目に最初の[[花房]](第一花房)が着き、その後は3葉おきに花房を着ける性質をもつ。地這栽培用の品種では2葉おきに花房を着ける品種も多い。 また、各節位からは[[側枝]]が発生する<ref name=カゴメ>{{Cite web|和書|url=https://www.kagome.co.jp/vegeday/grow/201705/6769/|accessdate=2022年12月31日|publisher=KAGOME|author=藤田智、KAGOME|title=トマト栽培&育て方[芽かきと着果促進]プランター家庭菜園入門}}</ref>。側枝では5葉目と6葉目に花房が着き、その後は3葉おきに花房を着けるが、側枝は栽培管理上、除去されることもある{{r|カゴメ}}。[[株]]が高温などのストレスを受けると正常な位置に花が着かない(花飛び)現象が発生するため、株が適切に生育しているかどうかを示す指針となる。 <gallery> ファイル:Germinating tomatoes.jpg|芽を出して7日目のトマト ファイル:Fleurtomate.jpg|トマトの花 ファイル:Tomato fruit and flowers at day 52.jpg|実を着け出したトマト(52日目) ファイル:ミニトマトの実の付け方.JPG|'''ミニトマト'''は一度に10個以上実を着けることも珍しくない。地植えにして支柱を立ててやると1本の株から100個以上は収穫できる。 ファイル:Tomaten im Supermarktregal.jpg|ミニトマト。付け合せやお弁当用のトマトとして日本でも広く普及している。 </gallery> === 種としてのトマト === トマトは長らく独自の属(トマト属 {{snamei|Lycopersicon}})に分類されてきたが、[[1990年代]]ごろからの様々な系統解析の結果、最近の分類では[[ナス属]]({{snamei|Solanum}})に戻すようになってきている。元々[[カール・フォン・リンネ|リンネ]]はトマトをナス属に含めて {{snamei|lycopersicum}}(ギリシャ語 {{lang|el-latn|lycos}}「狼」 + {{lang|el-latn|persicos}}「桃」)という種小名を与えたが、[[1768年]]に[[:en:Philip Miller|フィリップ・ミラー]]がトマト属を設立して付けた {{snamei|Lycopersicon esculentum}} が学名として広く用いられてきた。この学名は[[国際藻類・菌類・植物命名規約]]上不適切な(種小名を変えずに {{snamei|Lycopersicon lycopersicum}} とすべき)ものであったが、広く普及していたため保存名とされてきた。しかし系統解析によりトマト属に分類されてきた植物がナス属の内部に含まれることが判明した。ナス属を分割するか、トマト属を解消してナス属に戻すかの処置が必要になった。したがってリンネのやり方に戻して、学名も {{snamei|Solanum lycopersicum}} とした。 [[植物学]]において近年、トマトはナス科のモデル植物として注目されている。Micro Tom は矮性で実験室でも育成が可能な系統として利用されている。また、国際的な[[ゲノムプロジェクト]]も行われ、[[ゲノム]](約3万5千個の遺伝子の位置・構造、7億8千万の[[塩基]]配列)を解読した<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/tk0817448-science-tomato-genome-idJPTYE84U02Z20120531|title=トマト全遺伝情報の解読に成功、新品種の開発に弾み|publisher=ロイター|accessdate=2022年12月31日}}</ref>。 ===含有成分=== トマトには[[アルカロイド]][[配糖体]]([[トマチン]])が含まれる。その含量は品種や栽培方法によって異なるが、[[かずさDNA研究所]]による測定例では、花(1,100 mg/kg)、葉(975 mg/kg)、茎(896 mg/kg)、未熟果実(465 mg/kg)、熟した青い果実・グリーントマト(48 mg/kg)、完熟果実(0.4 mg/kg)という報告がされている。 トマチンには幾つかの菌に対する抗菌性<ref>古井博康, 稲熊隆博, 石黒幸雄, 木曽真、「[https://doi.org/10.1271/nogeikagaku1924.71.777 吸光度法によるトマチンの定量]」 『日本農芸化学会誌』 1997年 71巻 8号 p.777-782, {{doi|10.1271/nogeikagaku1924.71.777}}, 日本農芸化学会</ref><ref>{{Cite thesis| 和書 |degree= 博士(農学)|title= 生理活性アルカロイド及びその配糖体の生物有機化学的研究|author=古井博康|date=2001-9-13|publisher=岐阜大学|major= |id=学位授与番号: 農博乙第56号 |url=https://hdl.handle.net/20.500.12099/2301 |accessdate=2019-11-28|ref=""}}{{hdl|20.500.12099/2301}}</ref> と[[昆虫]]への忌避性<ref name="トマチン">{{Cite web|和書|url=https://jspp.org/hiroba/q_and_a/detail.html?id=803|title=トマチン みんなのひろば|publisher=日本植物生理学会|accessdate=2016年2月8日}}</ref>があるが、トマトを食害する害虫は存在する。野生種においては、完熟果実においてもトマチンが相当量残留する。通常食用にされている品種の完熟果実のトマチン量はごく微量であり、[[ヒト]]への健康被害は無視できる{{r|トマチン}}。 == 歴史 == トマトは、原産地である南米の[[アンデス山脈]]や、[[ガラパゴス諸島]]の雨の降らない乾燥地帯に自生していた{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}。[[メキシコ]]へは紀元前1600年ごろに伝わり{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}、メキシコの[[アステカ族]]がアンデス山脈からもたらされた種からトマトを栽培し始めた。[[新大陸]]の中でもトマトを[[栽培植物]]として育てていたのは、この地域に限られる。16世紀にアステカに入った[[ベルナルディーノ・デ・サアグン|サアグン]]修道士の記録から、当時から複数種類の栽培種が開発されていたと見られる{{sfn|ジョンソン |1999|pp=92-93}}。 [[ヨーロッパ]]へは、[[クリストファー・コロンブス]]による南米大陸発見によりもたらされ{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}、{{要出典|date=2023年8月|[[1519年]]にメキシコへ上陸したスペイン人[[エルナン・コルテス]]がその種を持ち帰ったのが始まりであるとされている}}。当時トマトは「{{lang|en|poison apple}}」([[毒]][[リンゴ]])ともよばれていた。なぜなら裕福な[[貴族]]達が使用していた[[ピューター]]([[錫]]合金)食器には[[鉛]]が多く含まれ、トマトの酸味で漏出して[[鉛中毒]]になっていたためである<ref name=smithsonian>[https://www.smithsonianmag.com/arts-culture/why-the-tomato-was-feared-in-europe-for-more-than-200-years-863735/ Why the Tomato Was Feared in Europe for More Than 200 Years]([[スミソニアン博物館]]ウェブマガジン)</ref>。鉛中毒の誤解が解けた後も、[[有毒植物]]である[[ベラドンナ]]に似ていたため、[[毒]]であると信じる人も多く、最初は観賞用とされた<ref name=smithsonian/>{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。 しかし、[[イタリア]]の[[貧困]]層で食用にしようと考える人が現れ、200年にも及ぶ開発を経て現在の形となった。これがヨーロッパへと広まり、一般的に食用となったのは19世紀以降のことである{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。南ヨーロッパでは加熱調理用、北ヨーロッパでは生食用の品種が発達していった{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}。 一方、[[北アメリカ]]ではその後もしばらくは食用としては認知されなかった。[[フロリダ]]方面に定着した[[スペイン]]系入植者や[[カリブ海]]経由で連れてこられた[[黒人]][[奴隷]]がトマトを食べる習慣をゆっくりと広めていった。実験精神の旺盛な[[トーマス・ジェファーソン]]は自らの農園でトマトを栽培し、ディナーに供した。[[1820年]]、[[ニュージャージー州]]の農業研究家{{ill2|ロバート・ギボン・ジョンソン|en|Robert Gibbon Johnson}}は、[[セイラム郡 (ニュージャージー州)|セイラム]]の裁判所前の階段でトマトを食べて人々に毒がないことを証明したとされるが、詳しい資料は残っていない{{sfn|ジョンソン |1999|pp=100-101}}<ref>{{Cite web |url=https://www.nytimes.com/1993/09/12/nyregion/jerseyana.html |title=JERSEYANA |access-date=2022-12-31 |last=Mappen |first=Marc |date=1993-09-12 |website=The New York Times |language=en-US}}</ref>。 [[1893年]]当時のアメリカでは輸入の際に果物への関税がなく、野菜には関税が課せられていた。このため、トマトの輸入業者は、税金がかからないように「果物」と主張。これに対して[[アメリカ合衆国農務省|農務省]]は「野菜」と主張した。米国最高裁判所の判決は「野菜」。判決文には「トマトはキュウリやカボチャと同じように野菜畑で育てられている野菜である。また、食事中に出されるが、デザートにはならない」と書かれていた<ref>{{cite web|url=http://supreme.justia.com/us/149/304/case.html|title=Nix v. Hedden - 149 U.S. 304 (1893)|publisher=Justia US Supreme Court Center|accessdate=2012-09-04}}</ref>。 [[日本]]には[[江戸時代]]の17世紀初め([[寛文]]年間ごろ)に、オランダ人によって[[出島|長崎]]へ伝わったのが最初とされる{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。狩野探幽の『草花写生図巻』(1668年)には観賞用のトマトが描かれ{{sfn|竹下大学|2022|p=72}}、また[[貝原益軒]]の『[[大和本草]]』(1709年)にはトマトについての記述があり、そのころまでには伝播していたものと考えられている{{sfn|竹下大学|2022|p=72}}<ref name="tabemonotokenkouomoshirozatsugaku_p58"> 落合敏監修 『食べ物と健康おもしろ雑学』 p.58 梧桐書院 1991年</ref>。ただ、青臭く、また真っ赤な色が敬遠され、当時は観賞用で「'''唐柿'''」(とうがき)や、「唐茄子」(とうなすび)とよばれていた{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。[[中華人民共和国|中国]]では、現在も「西紅柿」({{unicode|xīhóngshì}})と呼んでおり、[[西紅柿炒鶏蛋]]([[鶏卵]]との炒め物)などとして料理される。 なお、[[中華民国|台湾]]や[[中華人民共和国香港特別行政区|香港]]では「番茄」({{unicode|fānqié}})とよばれ、[[:zh:番茄牛肉通心粉|番茄牛肉通心粉]](牛肉とマカロニとの煮物)などの料理がある。 日本で食用として利用されるようになったのは[[明治]]以降で<ref>『天下統一めざせ!日本史クイズマスター 歴史クイズ② 安土桃山時代~現代』116頁。</ref>、[[1868年]](明治元年)に欧米から9品種が導入され、「赤茄子」(あかなす)とよばれたが、当時はトマト独特の青臭い匂いが強い小型の品種であった{{sfn|講談社編|2013|p=59}}{{sfn|竹下大学|2022|p=72}}。そのトマト臭に日本人はなじめず、野菜として普及したのは19世紀末(1887年ころ)からとされる<ref>明治世相編年辞典 朝倉治彦・稲村徹元</ref>{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。さらに日本人の[[味覚]]にあった[[品種]]の育成が盛んになったのは[[昭和]]時代からである。20世紀に入ってから、アメリカから導入された桃色系大玉品種「ポンテローザ」とその改良種「ファーストトマト」が広く受け入れられたことから、トマトの生産は日本各地で普及していき{{sfn|竹下大学|2022|p=73}}、第二次世界大戦後になってトマトの需要が飛躍的に増大していった{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。1960年代は生産地が都市から遠くなったことで果実を未成熟で収穫して出荷する「青切り」が定着するようになり、1970年代になると食味向上や着色均一化のニーズが高まった{{sfn|竹下大学|2022|p=73}}。そこで消費者のニーズに応える形で、1985年(昭和60年)に[[タキイ種苗]]の開発によって樹上完熟でも収穫できる「桃太郎」が誕生した{{sfn|竹下大学|2022|p=73}}。 トマトは[[アメリカ合衆国|米国]]で最初に認可を受けた[[遺伝子組み換え作物]]である。[[1994年]][[5月]]、FDA([[連邦食品医薬品局]])が承認した[[Flavr Savr]]というトマトで、長期間の保存に適した品種であった。ただし、開発費用などを回収するために通常のトマトよりも高い価格に設定されたため、商業的にはそれほどの成功を収めなかった。 == 品種 == [[ファイル:Tomatoes_plain_and_sliced.jpg|thumb|right|200px|トマトの実。縦断面と横断面]] {{right|<gallery widths="100px" heights="100px" perrow="3" caption="トマトの果実"> File:Tomato-global.png|トマトの実 File:Tomato-cut vertical.png|縦断面 File:Tomato-cut horizontal.png|横断面 </gallery>}} {{main|{{ill2|トマトの品種一覧|en|List of tomato cultivars}}}} [[画像:NRCSHI07018 - Hawaii (716072)(NRCS Photo Gallery).jpg|thumb|様々な品種のトマト]] [[画像:Capay heirloom tomatoes at Slow Food Nation.jpg|thumb|様々な品種のトマト]] 果皮の色による分類では'''桃色系'''・'''赤系'''・'''緑系'''に大別される。 桃色系トマトの果実は、果肉が赤色、果皮が無色透明のため見た目が桃色を呈する{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}。皮が薄くて香りが弱く甘味があり{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}、酸味や青臭いトマト臭が少なく生食に向いているという特徴がある{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。 一方の赤系トマトの果実は、果肉が赤色、果皮が黄色で見た目が濃い赤を呈する{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}。皮が厚く酸味や青臭さが強いが加熱調理向きとされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=9}}。厚くて丈夫な果皮、酸味と香りが強く、ジュースやケチャップなどの加工用にも使われる{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}。赤系トマトは酸味と甘味が強く、加工用としての需要が多い欧米では主流である{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。しかし近年になって赤系トマトには、[[抗酸化物質|抗酸化作用]]をもつとされる成分[[リコピン]]が多量に含まれていることから、利用が見直されている。 その他に白色、黄色、オレンジ色、緑色、[[褐色]]、複色で[[縞模様]]のものがある。見た目が黄色いものは、果肉が黄色で果皮が透明な場合になり、見た目がオレンジ色なものは、果肉が黄色で果皮が黄色の場合である{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}。1980年以降に市場に多く出回るようになったミニトマトは、赤色系がほとんどであるが、黄色や桃色種、洋なし型、プラム形など、色や形も様々な品種がある{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。 世界では、8,000種を超える品種があるとされ、日本では120種を超えるトマトが品種登録されている([[農林水産省]]、2008年5月時点)<ref>[http://www.hinsyu.maff.go.jp/ 品種登録情報]農林水産省</ref>。これは、野菜類の登録品種数の中でも、目立って多い。一方で[[雑種第一代|一代雑種]]のF1品種は登録されないことが多く、[[桃太郎 (トマト)|桃太郎]]などの有名な品種の登録はない。<!--F1品種は採種した種子を次年の栽培に利用しても元の品種と同じ性質を発揮しないため--> 世界には日本で多く流通している「桃太郎」に代表される桃色、丸型のトマト以外のトマトが非常に多く、むしろ、桃色以外の品種の方が圧倒的に多い。また、形も日本では見られない、プリーツとよばれるヒダが大きく入ったものが数多くあったり、[[トマトソース]]にするための細長い形の品種も各色揃ったりしている。欧米では生食よりも調理用の品種が多く扱われており、加熱調理すると粘りとうまみが出て、それだけでもソースにもなる{{sfn|竹下大学|2022|p=79}}。 世界のトマトの味は、日本の大玉品種のように甘さに重点を置いたものばかりではない。旨味、香り、酸味、食感、見た目を楽しませてくれる品種が数多く存在する。また、これらの品種は固定種であり、自家採種可能であり、代々種を引き継いで育種することができる。 果実の大きさによる分類では'''大玉トマト'''(200 g以上)、'''ミニトマト'''(10 - 30 g)、'''中玉(ミディ)トマト'''(50 g内外、前2者の中間)、に分類される{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=82}}。ただし、栽培方法によって果重は変化するため、品種とは関係ない分類である。もっとも、それぞれの果実の大きさに適した品種というものは存在し、例えばミニトマトに適した品種として[[パキーノ]]地方原産のパキーノトマト(チェリートマト)も生産されている。マイクロトマトと称して流通しているものは[[ソラヌム・ピンピネリフォリウム|''Solanum pimpinellifolium'']]であり、{{snamei|Solanum lycopersicum}}({{snamei|Lycopersicon esculentum}})とは別種である。水を極力与えず高糖度化をはかると、大玉に適した品種であっても、果実が小さくなる。 小さく甘みの強い'''フルーツトマト'''とは、栽培の工夫によって糖度8以上{{efn2|一般のトマトは糖度4 - 6度ほどである{{sfn|竹下大学|2022|p=79}}。}}に高糖度化をはかったトマトの総称のことであり、品種名を示すものではない{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=83}}{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。産地によっては特産野菜として力を入れており{{sfn|講談社編|2013|p=59}}、例えば高知県[[高知市]]一宮(いっく)地区の'''徳谷トマト'''は、品種を問わず一宮地区の特に徳谷地区の塩分を含む土壌で、あえて成長を遅く、実が小ぶりになるように栽培して糖度を高めたものである。また'''[[塩トマト]]'''は、[[熊本県]][[八代]]地域の[[干拓|干拓地]]など塩分の多い土壌で育成されたトマトのうち特別に糖度が高いもので、フルーツトマトの元祖といわれ{{sfn|大竹大学|2022|p=79}}、品種は主に「桃太郎」を使っている。 === 代表種 === ;桃太郎 :[[タキイ種苗]]が開発した、日本で最も一般的に流通している生食用の桃色系大玉トマトの品種。果実の先端は丸く、甘味と適度な酸味があり、完熟しても果実がしっかりしている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=9}}。角張っているものは、中に空洞があったり水分が少ないことが多い{{sfn|講談社編|2013|p=60}}。1960年代に消費者のトマトへの評価が下がったおりに、完熟しても傷まないトマトを追求し、1985年に完成した{{sfn|竹下大学|2022|p=74}}。果実がオレンジ色になる「桃太郎ゴールド」も2008年から登場した{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=82}}{{sfn|竹下大学|2022|p=74}}。 ;強力米寿 :1970年代における日本の代表的なトマト。酸味の効いた食味で、糖度が高いトマトが主流の現代においてはほとんど流通していないが、家庭菜園では根強い人気がある{{sfn|竹下大学|2022|p=74}}。 ;アイコ :[[サカタのタネ]]が2004年に開発した長卵形のミニトマトの品種で、赤・黄・オレンジ・チョコなどカラーバリエーションが豊か{{sfn|竹下大学|2022|p=76}}。糖度が高くて皮が固めでゼリーは少なく、完熟しても崩れにくい{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=83}}。 ;イエロープラム :黄色系のミニトマトで、[[プラム]]のような形をしている。酸味は少なく、皮が厚くて果肉がしっかりしており、生食よりピクルスなどに向いている{{sfn|講談社編|2013|p=61}}。 ;エバーグリーン :緑系で、完熟しても緑色の調理用トマト。シャキシャキした歯ごたえのある食感で、ピクルスや炒め物に向く{{sfn|講談社編|2013|p=61}}。 ;カクテルトマト :鮮赤色の直径4 - 5&nbsp;cmほどになる中玉トマトの品種で、房になって並んで実がつくのが特徴。多くは房ごと市販されている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=83}}。リコピン・グルタミン酸は桃太郎よりも数倍多く含まれる。 ;グリーンゼブラ :緑系の中玉トマトの品種で、完熟すると黄色味を帯びた緑色のゼブラ模様が入る。果肉は固いことから、ソテーにしたりピクルスなどに使われる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=83}}。 ;サンマルツァーノ :古くから栽培されきた赤色系イタリアントマトの代表格として知られ、イタリアのトマト総生産の約1割を占める調理用トマトの中玉品種{{sfn|講談社編|2013|p=61}}{{sfn|竹下大学|2022|p=76}}。果実は長形で、果肉がしっかりしていて、甘味は少なく酸味が強いのが特徴で、生食向きではなく加熱調理すると甘味が引き出されて旨味が増す。水煮缶などにも利用され、日本ではホールトマトの缶詰として流通する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=9}}{{sfn|講談社編|2013|p=61}}。 ;シシリアンルージュ :地中海産の楕円形中玉トマトで、イタリア・シシリア島のブリーダーと日本の種苗会社が作出した品種。細長い楕円形で果皮は濃赤色、果重は20 - 30グラム。かための果皮とやわらかい果肉の食感、甘みと酸味のバランスがよい{{sfn|竹下大学|2022|p=75}}。はかためで加熱調理・加工用向きで、濃厚で水っぽさがない{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=83}}。 ;ズッカ :「サントリー本気野菜」シリーズの大玉の調理用トマト{{sfn|竹下大学|2022|p=76}}。果重150 - 300グラム。ゼリー質は少なく、果肉が厚い。 ;デリシャス金光トマト :黄色系の大きめの丸玉トマトで、鮮やかなオレンジ色をしている。酸味や甘味はともに少ない{{sfn|講談社編|2013|p=60}}。 ;トスカーナバイオレット :シシリアンルージュと同系のイタリア産ミニトマト。濃紫赤色で[[アントシアニン]]を含み、甘味と酸味がある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=83}}。 ;トマトベリー :[[トキタ種苗]]が2006年に開発したイチゴ形をしたミニトマト{{sfn|竹下大学|2022|p=76}}。 ;ピッコラカナリア :橙色系のミニトマトで、糖度が9 - 11度と高く、一般の橙色系トマトよりもカロテンを豊富に含む{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=84}}。 ;ピッコラルージュ :シシリアンルージュと同系の濃赤色のミニトマト。糖度が9 - 11度と高くて濃厚な甘味を持ち、生食・加熱調理ともに向く{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=83}}。 [[ファイル:Aichi First Tomato pair.jpg|thumb|ファーストトマト(愛知県産)]] ;ファースト(別名:ファーストトマト) :早春から作られる冬トマトの一種で、果実の先端が尖った形で、皮が薄く、種の周りにあるゼリー質が少ないのが特徴{{sfn|主婦の友社編|2011|p=9}}{{sfn|講談社編|2013|p=60}}。酸味や青臭さが少なく、果肉は固めで甘味がある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=9}}{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。 ;フルーツルビーEX :[[日本デルモンテ]]が開発したCMV(トマトモザイク病)予防接種苗。病気に強いのが特徴{{sfn|竹下大学|2022|p=76}}。 ;フルティカ :タキイ種苗が開発して2005年から発売された、糖度7 - 8度と甘い中玉トマトの品種。果重は40 - 50グラム。手頃な大きさと食味の良さで、中玉トマトの消費拡大に貢献してきた品種でもある{{sfn|竹下大学|2022|p=74}}。皮は薄く、生食・加熱調理どちらにも向いている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=82}}。 ;ポモロッソ :赤色系で丸玉の調理用トマト。調理しても丸い形が崩れにくく、強い甘味と酸味が料理に奥深い味わいを醸しだす{{sfn|講談社編|2013|p=61}}。 ;ボンジョルノ :サンマルツァーノと同系の調理用イタリアントマト。長型の中大玉で、肉質がしっかりしておりゼリー部分がやや多い{{sfn|講談社編|2013|p=61}}。 ;マウンテンゴールド :黄色い大玉系の完熟トマトで、酸味は少ない方で、果肉がかためでしっかりしている{{sfn|講談社編|2013|p=60}}。 ;プラムトマト :赤色系のミニトマトで、長さ2.5&nbsp;cmほどのプラムのような楕円形をしている。甘味、酸味ともに強く、栄養的に優れている{{sfn|講談社編|2013|p=61}}。 ;麗夏(れいか) :サカタのタネが開発した肉質がしっかりした大玉トマトの品種。裂果しにくいため、赤熟してから収穫できる。果汁が豊富で甘い。{{sfn|板木利隆|2020|p=16}} ;レッドペア(別名:ペアトマト) :赤色系のミニトマトで、果実は直径3 - 4&nbsp;cm、長さ6&nbsp;cmほどの紡錘形で洋梨(ペア)に形が似ている{{sfn|講談社編|2013|p=61}}。 ;レモントマト :黄色系のフルーツトマトで、果実はレモンによく似た形をしている。糖度が高く果肉がしっかりしていて濃厚な味わいがある{{sfn|講談社編|2013|p=60}}。 == 栽培 == [[File:Cultivo comercial de Solanum lycopersicum.JPG|thumb|トマトの温室栽培([[コロンビア]])]] [[File:Freiland Tomaten2.jpg|thumb|寒冷地屋外栽培用トマト([[オーストリア]])]] 十分な日照と風通しの良い場所を選び{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=240}}、夏に果実を収穫するため、栽培期は春の種まきから晩春に[[苗]]を植えて育てる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=12}}。収穫は初夏から始まり初秋まで次々と実がなり、1株だけでも長い間収穫できる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=12}}。芽かきを行うことと、追肥を切らさないことが重要で、栽培難度はやや難しいが、上手に育てれば1株あたり大玉トマトで15 - 20個、ミニトマトであれば100 - 150個ほど収穫が見込める{{sfn|主婦の友社編|2011|p=12}}。他のナス科作物と同様に[[連作]]は不可で、[[連作障害]]を防ぐためには3 - 4年ほど同じ畑を空けなければならない{{sfn|主婦の友社編|2011|p=12}}。畑は深く耕して元肥を入れ、根を深く張らせるとよい{{sfn|板木利隆|2020|p=16}}。施設栽培や早い時期の露地栽培で着果しにくいときは、ホルモン剤処理や振動を与えて受粉を促すか、ハウス栽培では[[マルハナバチ]]などの訪花昆虫を放してを着果を促す{{sfn|板木利隆|2020|p=16}}。ミニトマトであれば、大型の[[プランター]](コンテナ)や大きめの鉢で栽培することも可能で、鉢に支柱を立てて、日当たりの良い場所で水切れに注意しながら育てていく{{sfn|主婦の友社編|2011|p=15}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=240}}。トマトは、海水に浸かった土地でも生育できる作物としての特性も知られている{{sfn|竹下大学|2022|p=79}}。 栽培適温は昼温25 - 30 [[セルシウス度|℃]]{{sfn|主婦の友社編|2011|p=12}}、夜温13 - 13 ℃とされる{{sfn|板木利隆|2020|p=16}}。気温が32 ℃以上の環境では花粉稔性の低下により着果障害や不良果が増加し、最低気温が8 ℃を下回ると幼花の発達が損なわれ障害を受ける{{sfn|板木利隆|2020|p=16}}。適[[湿度]]は65 - 85 %でありこれ以下では生育が劣り、これ以上では病気が発生しやすくなる。果菜の中では強い光を好む性質があり、日照不足になると軟弱・徒長となり、実のつきが悪くなったり生育不良を起こしやすい{{sfn|板木利隆|2020|p=16}}。 極めて雨量が少ない南米アンデスが原産のトマトは、多雨を嫌う性質がある{{sfn|板木利隆|2020|p=21}}。潅水量が多すぎると水分を吸収しすぎて果実が割れ(裂果){{sfn|主婦の友社編|2011|p=14}}、少ないと障害果が発生するため、高品質な果実を作るためには潅水量の細かい制御を必要とする作物である。潅水量を減らすことで高[[糖度]]な果実を生産することができるが、収量は減少する。雨が少ない原産地の風土と同様に、灌水量を少なくすると甘みを凝縮させることができ、また根の生長の制限や肥料の制限してトマトにストレスを与えると糖分を蓄えさせることができる{{sfn|竹下大学|2022|p=79}}。[[水耕栽培]]では養液の[[浸透圧]]を制御することで高糖度化を行うことができる。 種まき時期は早春(3月)で、室内などの暖かい場所でポットなどに2 - 3粒すつ蒔いて、芽が出たら間引いて1本にする{{sfn|主婦の友社編|2011|p=13}}。春(4月下旬 - 5月上旬)に苗の植え付けが始まり、支柱を立てて茎が揺れないように紐で縛り付ける{{sfn|主婦の友社編|2011|p=13}}。苗が根付くと、茎がどんどん伸びてきて倒れてしまうので、都度支柱に紐で縛り付けるようにするが、茎が太くなるため食い込んだら紐を縛り直す{{sfn|主婦の友社編|2011|p=13}}。春から夏にかけて、すべての葉の付け根からわき芽が伸びてくるようになると、栄養が分散して実つきが悪くなることを防ぐため、わき芽が小さなうちに摘んで取り除いて主枝を1本にまとめる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=14}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=240}}。ただし、茎の途中から出るのは果実がつく花房なので、これを摘み取らないように注意する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=14}}。またトマトは多くの果実を付けながら延々成長が続くため、最初の実がつき始めたら、2 - 3週間に1回ほど[[追肥]]を行っていく必要があり、収穫期に[[カルシウム]]不足になると[[尻腐病]]が発生する場合があるため、カルシウム分の多い肥料を与えるようにする{{sfn|主婦の友社編|2011|p=14}}。果実は赤く熟したものから、順次ヘタの上からはさみで切り取って収穫を行っていく{{sfn|主婦の友社編|2011|p=14}}。実が熟し始めるころから灌水量を減らして、乾燥気味に育てると味が良くなる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=14}}。 === 病害 === {{main|{{ill2|トマト病害一覧|en|List of tomato diseases}}}} 病虫害としては、[[幼虫]]が果実内部を食い荒らすトマトキバガ(2021年に日本国内でも初確認)<ref>トマト害虫「トマトキバガ」熊本で国内初確認 幼虫が果実を食害『[[日本農業新聞]]』2021年11月13日1面</ref>。 * {{ill2|トマト黄化葉巻病ウイルス|en|Tomato yellow leaf curl virus}}(略称:TYLCV) == 生産・需要 == === 日本 === [[File:Production Quantity & Area Harvested of Tomatoes in Japan 1973-2012.png|thumb|日本のトマトの収穫量と作付面積の推移(1973-2012年)]] 農林水産省の野菜[[生産出荷]]統計によれば、トマトの作付け面積は、[[1985年]]ごろから減少傾向にあり、ピーク時の75 %程度にまで落ち込んでいる。これは飛躍的な増加を見せた[[1960年代]]後半以前のレベル(15,000ha以下)である。収穫量ベースでも、ピーク時の[[1980年代]]の80 %程度、700,000トン - 800,000トン程度を推移している。近年、加工用トマトとミニトマトは、作付面積、収穫量ベースでそれぞれ10 %程度を占める。また、生産量のトップは[[熊本県]]でありシェアは13.0 %(平成21年度)を占める。続いて、[[北海道]]、[[茨城県]]が共に7.0 %となっている<ref>[https://www.maff.go.jp/j/kids/crops/tomato/farm.html 農林水産省/トマト生産量上位について] - 農林水産省 こどもページ 2014年8月3日閲覧</ref>。 時期別の代表的な産地は、夏秋トマトは北海道、[[青森県]]、[[岩手県]]、[[福島県]]、[[岐阜県]]で、冬春トマトは[[栃木県]]、[[愛知県]]が代表産地であり、夏秋・冬春ともに出荷量が特に多いのが茨城県、[[千葉県]]、熊本県である{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。加工用トマトは[[長野県]]と福島県が主産地で、ミニトマトは熊本県と愛知県の出荷量が多い{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。日本は施設栽培が主流に行われており、年間を通じて安定的に供給されている{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。外国産は、[[韓国]]、[[オランダ]]、[[アメリカ合衆国]]、[[ニュージーランド]]からの輸入が多い{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。 [[総務省]]の[[2000年]][[家計調査]]によれば1世帯当たりの年間購入量(重量ベース)では、トマトは生鮮野菜類中5位に位置する。これは一般消費者家庭で[[ダイコン]]、[[ジャガイモ]]、[[キャベツ]]、[[タマネギ]]に次いでトマトが多く消費されることを示唆するものである。出荷量、収穫量ベースで見ても、トマトはこれらの野菜に次いで5位を占めている(平成13年野菜生産出荷統計)。 また、家計調査によれば、野菜の主要品目が10年前と比べて軒並み減少または横ばい傾向にある中、[[ネギ]]と並んで目立った増加を見せている数少ない野菜類の一つである。 '''収穫量上位10都道府県'''(2012年)<ref name="es">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?lid=000001115571&layout=datalist|title=作物統計調査>作況調査(野菜)>確報>平成24年産野菜生産出荷統計>年次>2012年|work=e-Stat|publisher=総務省[[統計局]]|accessdate=2014-11-08}}</ref> {| class="wikitable sortable" style="text-align:right; font-size:95%" |+ !収穫量順位!!都道府県!!収穫量(t)!!作付面積(ha) |- |1||熊本県||104,300||1,150 |- |2||北海道||58,000||791 |- |3||茨城県||48,700||892 |- |4||愛知県||45,600||529 |- |5||千葉県||44,400||834 |- |6||栃木県||36,300||391 |- |7||岐阜県||26,600||311 |- |8||福島県||26,100||398 |- |9||群馬県||25,500||320 |- |10||長野県||22,700||399 |- |―||全国計||722,400||12,000 |} '''冬春トマト収穫量上位10市町村'''(2012年)<ref name="es"/> {| class="wikitable sortable" style="text-align:right; font-size:95%" |+ !収穫量順位!!市町村!!所属都道府県!!収穫量(t)!!作付面積(ha) |- |1||[[八代市]]||熊本県||38,900||352 |- |2||[[玉名市]]||熊本県||24,400||178 |- |3||[[田原市]]||愛知県||12,800||131 |- |4||[[豊橋市]]||愛知県||11,400||119 |- |5||[[宮崎市]]||宮崎県||6,100||68 |- |6||[[豊川市]]||愛知県||5,280||61 |- |7||[[南島原市]]||長崎県||5,220||48 |- |8||[[都農町]]||宮崎県||5,150||43 |- |9||[[宇城市]]||熊本県||4,790||71 |- |10||[[平取町]]||北海道||4,550||46 |- |―||colspan="2" style="text-align:center"|全国計||369,800||3,920 |} '''夏秋トマト収穫量上位10市町村'''(2012年)<ref name="es"/> {| class="wikitable sortable" style="text-align:right; font-size:95%" |+ !収穫量順位!!市町村!!所属都道府県!!収穫量(t)!!作付面積(ha) |- |1||[[鉾田市]]||茨城県||14,000||313 |- |2||[[高山市]]||岐阜県||12,000||129 |- |3||八代市||熊本県||10,100||106 |- |4||平取町||北海道||7,150||62 |- |5||[[竹田市]]||大分県||4,500||64 |- |6||[[美瑛町]]||北海道||3,730||35 |- |7||[[山都町]]||熊本県||3,580||61 |- |8||[[行方市]]||茨城県||3,500||53 |- |9||[[阿蘇市]]||熊本県||3,410||42 |- |10||[[松本市]]||長野県||3,350||42 |- |―||colspan="2" style="text-align:center"|全国計||352,600||8,100 |} === 世界 === トマトは世界で最も多く生産されている野菜である{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}。[[国際連合食糧農業機関]] (FAO) によると、生産量の多い国は、[[中華人民共和国]]が最大生産国で、続いて[[インド]]、[[アメリカ合衆国]]、トルコが多い{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}。1人あたりのトマト年間消費量は世界平均で18[[キログラム]] (kg)、1人あたりの消費量が最も多い国は[[トルコ]]で99&nbsp;kg、[[日本]]は10&nbsp;kgである{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}。 [[File:Production Quantity & Area Harvested of Tomatoes all of the world 1961-2012.png|thumb|世界のトマトの収穫量と作付面積の推移(1961-2012年)]] '''世界のトマトの収穫量上位10か国'''(2012年)<ref name="fao">{{cite web|url=http://faostat3.fao.org/download/Q/QC/E|title=FAOSTAT>DOWNLOAD DATA|work=FAOSTAT|publisher=[[国際連合食糧農業機関|FAO]]|language=[[英語]]|accessdate=2014-11-08}}</ref> {| class="wikitable sortable" style="text-align:right; font-size:95%" |+ !収穫量順位!!国!!収穫量(t)!!作付面積(ha) |- |1||[[中華人民共和国]]||50,000,000||1,000,000 |- |2||[[インド]]||17,500,000||870,000 |- |3||[[アメリカ合衆国]]||13,206,950||150,140 |- |4||[[トルコ]]||11,350,000||300,000 |- |5||[[エジプト]]||8,625,219||216,395 |- |6||[[イラン]]||6,000,000||160,000 |- |7||[[イタリア]]||5,131,977||91,850 |- |8||[[スペイン]]||4,007,000||48,800 |- |9||[[ブラジル]]||3,873,985||63,859 |- |10||[[メキシコ]]||3,433,567||96,651 |- |―||世界計||161,793,834||4,803,680 |} 日本の収穫量は26位で722,300t、作付面積は43位で12,000haである<ref name="fao"/>。 == 食材としてのトマト == 日本では生食されるほか、[[サラダ]]や焼きトマトなど、そのままを味わう料理も数多くある。日本以外では加熱して食べるのが普通で、生食はほとんどしない。当然、加熱に適した品種の栽培が主流で、生食用の品種自体が珍しい。手を加えた[[料理]]でよく知られているものに[[メキシコ料理]]の[[サルサ (料理)|サルサ]]、[[イタリア料理]]の各種[[ピザ]]、[[パスタ]]用[[ソース (調味料)|ソース]]、[[インド]]の[[カレー_(代表的なトピック)|カレー]]の一部、ヨーロッパの[[シチュー]]の一部などがある。[[中華料理]]でもトマトと[[卵]]を合わせた炒め物や[[スープ]]にされる。[[中央アジア]]では[[ラグマン]]などに利用されている。 [[ケチャップ]]、[[トマトソース]]、ピザソースなどに用いられるためトマトの年間消費量は1億2000万トン以上と、野菜の中でも世界1位である<ref>[http://www.calbee.co.jp/foodcom/oyatsu/support/200909.php カルビーフードコミュニケーション 〜カルビーの食育〜]、Calbee、2012年9月13日閲覧。</ref><ref>[http://faostat.fao.org/site/339/default.aspx]。※Commodities by country をクリックし、Selected area 欄で World を、Sort by で Quantity を選択。サトウキビ、とうもろこし、米、小麦、牛乳、じゃがいも、サトウダイコン、野菜(未分類)、大豆、キャッサバに続いて11位にトマトが来ることがわかる。いわゆる穀類および芋類、それに牛乳と未分類項目を除けば、トマトが首位となる。なお、単位の MTは metric ton の意で、日本語でいう「トン」のこと。</ref>。[[グルタミン酸]]の濃度が非常に高いため[[うま味]]があること、[[酸味]]・[[水分]]があることなどがその理由として挙げられる。 好きな野菜ランキングでは子供大人ともに1位に挙がることが多く、人気がある一方で苦手な野菜としても上位に挙がることが多く、好みが分かれる一面がある<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180922/k00/00e/040/248000c 子供も大人もトマト好き 全国野菜アンケート]毎日新聞 2018年9月22日</ref><ref>[https://news.mynavi.jp/article/20170809-a253/ 子どもの好きな野菜・嫌いな野菜ランキング--定番"ピーマン"はランクダウン]マイナビニュース 2017年8月9日</ref><ref>[https://resemom.jp/article/2018/08/31/46521.html 8/31は野菜の日…子どもの好きな野菜1位は「トマト」、嫌いな野菜は?]リセマム 2018年8月31日</ref>。 品種によって酸味、甘みの度合いがかなり異なり、また皮の硬さも異なるので、用途に適したものを選んで使うのがコツとなる。例えば、酸味が強く皮が厚いイタリアントマトは加熱した料理に向いている。仮に、生食用として売られている品種を加熱調理に利用する場合は種子周辺のゼリー質を捨てずに利用するのがポイントである。 美味しいトマトの見分け方として、ヘタが鮮やかな緑色で張りがあるものが新鮮で、果実の皮全体につや張りがあり、手に持ったときに重くてヘタのそばまで赤いものが、味や栄養価の面においても良品とされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=8}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=83}}。また、果実の先端から放射状に入る筋は、種が入っている子質と同じ数だけあり、筋の数が多いほど甘味があり、味も良いといわれている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=82}}。緑色がかった未熟なトマトでも数日ほど常温で追熟させることで少しは美味しくなる。 トマトの加工食品として、[[トマトジュース]]、[[ケチャップ|トマトケチャップ]]、[[トマトソース]]、[[トマトピューレ]]、{{ill2|ドライトマト|en|Sun-dried tomato}}などがある。また[[缶詰]]としてホールやカットやジュースが販売されている。 <gallery> Mozzarella and tomato with mixed salad.jpg|[[モッツァレラ]]とトマトの[[サラダ]] File:Marinated Tomatoes (3878650079).jpg|トマトの[[マリネ]] File:Pasta al pomodoro.jpg|トマトソースの[[パスタ]] Pizza (5919366693).jpg|トマトのピザ Ketchup and french fries.jpg|フライドポテトに添えられたトマトケチャップ Home-grown & made Tomato Sauce.jpg|トマトソース Fresh_tomato_sandwich.jpg|[[トマトサンドイッチ]] </gallery> === 調理 === [[File:Making tomato sauce for pasta dish.jpg|thumb|パスタのトマトソース作り]] 生でサラダやジュースにするほか、スープやシチューなどの[[トマト煮|煮込み料理]]、オムレツや炒め物など幅広い{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。トマトには甘味、酸味、[[グルタミン酸]]などの旨味成分が含まれているので、料理の味わいを深める[[調味料]]としても使われる{{sfn|講談社編|2013|p=62}}。日本では生食されることが多いトマトであるが{{sfn|主婦の友社編|2011|p=9}}、欧米では古くからトマトがもつ食材の旨味を引き出す効果が知られ、料理に加えたり、トマトソースにするなどの調味料的な使われ方のほうが多い{{sfn|講談社編|2013|p=62}}。 トマトに含まれる酸味成分の[[クエン酸]]・[[酒石酸]]や、食物繊維の一種[[ペクチン]]は、肉や魚介の臭みを和らげ、料理の味を爽やかにする効果がある{{sfn|講談社編|2013|p=62}}。加熱すると旨味成分のグルタミン酸の働きによって特有の旨味が引き出され、グルタミン酸と相性の良い[[イノシン酸]]や[[コハク酸]]を多く含む肉や魚介類などの食材と合わせて調理すると、相乗効果でより一層旨さが引き立つ{{sfn|主婦の友社編|2011|p=9}}{{sfn|講談社編|2013|p=62}}。また炒め物やシチューなどのように油で調理したり加熱すると、トマトに含まれるリコピンやβ-カロテンの吸収を高めるのに役立つ{{sfn|主婦の友社編|2011|p=9}}。 スープやソースなど、そのままでは口当たりが悪くなる料理では、下ごしらえにトマトの皮をむいたり、種を取り除いたりする{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。 * 直火むき - へたのところにフォークを刺し、直火にかさして炙り、刺した部分から皮がはがれてくるので{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=84}}、そのまま冷水につけてもよい。 * 湯むき - 皮に十字の切れ目を入れてから、熱湯にさっとくぐらせ、冷水にとると、皮がうすくきれいにむける{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=84}}。 * 冷凍による方法 調理器具にアルミ製の鍋を使用して長時間加熱調理すると、トマトがもつ酸味によりアルミに腐食作用が働いて金属味を帯びることもある{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。 === 栄養 === {{栄養価 | name=トマト(red, ripe, raw, year round average)| water =94.52 g| kJ =74| protein =0.88 g| fat =0.2 g| carbs =3.89 g| fiber =1.2 g| sugars =2.63 g| calcium_mg =10| iron_mg =0.27| magnesium_mg =11| phosphorus_mg =24| potassium_mg =237| sodium_mg =5| zinc_mg =0.17| manganese_mg =0.114| selenium_μg =0| vitC_mg =13.7| thiamin_mg =0.037| riboflavin_mg =0.019| niacin_mg =0.594| pantothenic_mg =0.089| vitB6_mg=0.08| folate_ug =15| choline_mg =6.7| vitB12_ug =0| vitA_ug =42| betacarotene_ug =449| lutein_ug =123| vitE_mg =0.54| vitD_iu =0| vitK_ug =7.9| satfat =0.028 g| monofat =0.031 g| polyfat =0.083 g| tryptophan =0.006 g| threonine =0.027 g| isoleucine =0.018 g| leucine =0.025 g| lysine =0.027 g| methionine =0.006 g| cystine =0.009 g| phenylalanine =0.027 g| tyrosine =0.014 g| valine =0.018 g| arginine =0.021 g| histidine =0.014 g| alanine =0.027 g| aspartic acid =0.135 g| glutamic acid =0.431 g| glycine =0.019 g| proline =0.015 g| serine =0.026 g| right=1 | source_usda=1 }} 生の場合、可食部100グラム (g) あたりのエネルギー量は19 kcal (79 kJ)で、水分含有量は94.0 gを占める{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。栄養素は比率で炭水化物が4.7 gと最も多く、次いで蛋白質0.7 g、灰分0.5 g、脂質0.1 gと続く{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。食物繊維1.0 gのうち、水溶性は0.3 g、不溶性は0.7 gである{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。 エネルギーは低めで、トマト1個食べても約40&nbsp;[[キロカロリー|kcal]]程度である{{sfn|主婦の友社編|2011|p=8}}。他の野菜類と同様に、トマトは[[ビタミンC]]を多く含み、時間をおいても損失が少ないのが特徴である{{sfn|主婦の友社編|2011|p=8}}。さらに、[[β-カロテン]]、[[カリウム]]、[[ビタミンE]]、[[ルチン]]などが豊富で、ヨーロッパでは「トマトが赤くなると医者が青くなる」という格言があるほど栄養価が高いことで知られている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=8}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=82}}。また他の野菜では見られない、赤い色素で[[ポリフェノール]]の1種である[[リコピン]]が含まれていることでも有名である<ref>{{Cite web|和書|url=https://friday.kodansha.co.jp/article/123056|title=「野菜350g」は本当にカラダにいいの…?食生活のウソホント|publisher=FRIDAYデジタル|date=2020-07-16|accessdate=2020-11-27}}</ref>。ミニトマトは、桃太郎などの大玉トマトに比べて、カロテン、ビタミンC、カリウム、[[食物繊維]]などが豊富である{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。 トマトの栄養的価値の大きな特徴は、なかなか一度にはたくさん食べきれない葉物野菜とは異なり、1回の食事で多くの量を摂ることができる点にある{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。また、ハウス栽培が盛んに行われているため、1年中を通して食べられる点も大きな特徴である{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。ただし、トマトの旬の時期といわれている夏場に、ハウス栽培ものよりも栄養価が高い露地栽培ものが多く出回ることから、トマトの栄養的価値は夏場に高くなるといわれている{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。 トマトに含まれる酸味成分は[[クエン酸]]で、食欲を増進させる作用があり、夏場に食欲がないときに冷やしたトマトが食事をおいしくするのに役立つ{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。またクエン酸は疲労回復の働きが期待でき{{sfn|竹下大学|2022|p=77}}、血糖値の上昇を抑える作用があるといわれる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=9}}。日本において、トマトジュースやサプリメントなど一部のトマト製品は血中[[コレステロール]]や[[血圧]]などの改善効果を謳う機能性表示食品として販売されている<ref>[http://www.kagome.co.jp/tomatojuice/functional-claims/ 改めて、2つの機能性が実証されました。「血中コレステロールが気になる方に」「血圧が高めの方に」機能性表示食品「カゴメトマトジュース」](2018年3月12日閲覧)</ref>。 トマトの赤い色素リコピンの他に、黄色い色素カロテンも多く含む[[緑黄色野菜]]である{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。トマト100&nbsp;g中に540&nbsp;μgほどのカロテンを含んでおり、1個食べれば緑黄色野菜の1日推奨摂取量のカロテンを十分摂取できる{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。カロテンは体内でビタミンAに変わり、目や皮膚、消化器官の粘膜の働きを活発にして免疫機能を助ける働きをすることで知られている{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。ビタミンC量は葉物野菜ほどではないが、比較的豊富に含まれていることから、トマトのビタミンAとビタミンCが相互に影響し合って、強い抗酸化作用を発揮してがん予防や老化防止に効果を発揮する野菜と認識されている{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。 リコピンはカロテンと同じカルテノイド色素で、抗酸化力に関してはカロテンよりも強力だとの見方がされており、加熱にも強いため、煮たり焼いたりしても抗酸化力があまり低下しないという長所がある{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。真っ赤な調理用トマトに特に多く含まれるカロテンとリコピンは、油と一緒に調理したり加熱調理をすると、より効率よく栄養摂取できる。 トマトにはビタミン様物質であるルチン(ビタミンP)と[[ビオチン]](ビタミンH)が含まれている{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。ルチンは高血圧予防や動脈硬化の進行を遅らせる作用が知られ、ビオチンはコラーゲン生成を助けて肌を健康に保つのに役立つといわれている{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。ミネラルでは体内のナトリウムの排出を促す[[カリウム]]を多く含み{{sfn|竹下大学|2022|p=77}}、過酸化物質を分解するセレンを含んでいるので、生活習慣病予防効果がある野菜ともいわれている{{sfn|講談社編|2013|p=63}}。 欧米で多く使われている調理用トマトは、旨み成分の[[グルタミン酸]]や[[アスパラギン酸]]を豊富に含んでおり、加熱調理することでさらに旨みが強くなる{{sfn|竹下大学|2022|p=79}}。 === 栄養価に関する研究 === トマトに含まれるリコピンは、[[1995年]]に[[悪性腫瘍|がん]]予防の効果が指摘されて以来、注目を集めるようになったが、有効性に関しては「有効性あり」とするデータと「有効性なし」とする両方のデータがあり、科学的なデータの蓄積が必要である。 これは[[ハーバード大学]]のギオヴァンヌッキらの研究チームが4万5千人以上の医療関係者を対象に6年間のコホート調査を行った結果から、様々な形態の[[ビタミンA]]を含む食品の中でも、[[イチゴ]]と並んでトマト関連食品3種が[[前立腺癌]]の罹患率の低さと相関しているとしたもの。その後の様々な関連研究の引き金ともなった。 [[京都大学]]大学院の河田照雄教授らの研究グループにより、トマトに含まれる[[13-オキソ-9,11-オクタデカジエン酸]]に[[血液]]中の[[脂肪]]増加を抑える効果があることが発見され<ref name="jiji">{{Cite web|和書|url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/health/545314/ |title=トマトでメタボ改善! 脂肪燃焼の新成分を発見|date=2012-2-10 |publisher=[[産経新聞|イザ!]] |accessdate=2012-09-04}}</ref>、2012年2月10日付けの米科学誌[[PLoS one]]上で発表された<ref name="PLoSone">{{cite journal |url=https://doi.org/10.1371/journal.pone.0031317 |title=Potent PPARα Activator Derived from Tomato Juice, 13-oxo-9,11-Octadecadienoic Acid, Decreases Plasma and Hepatic Triglyceride in Obese Diabetic Mice|date=2012-2-10 |publisher=PLOSone|doi=10.1371/journal.pone.0031317 |accessdate=2012-2-13}}</ref>。研究段階である上、効果を得るには大量のトマトを食べる必要があるとされるが、日本では大きく報道されたことにより、トマトジュースが供給不足になるほどのブームが起きた<ref>{{cite news|url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/other/546318/|title=「トマトにメタボ改善効果」で広がる品薄 販売休止も|publisher=イザ!|date=2012-02-18|accessdate=2012-09-04}}</ref>。 === トマトの旬 === 日本において、露地栽培トマトは一般に夏(6月 - 9月)が旬の時期とされる野菜である{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=84}}。トマトは夏の[[季語]]。冷涼で強い日差しを好み高温多湿を嫌うトマトの性質からして、夏のトマトは水っぽく、春先のトマトのほうが果肉が詰まって濃厚な味わいがあり美味とされる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=84}}。ハウス栽培で育てられたトマトは、冬から春が出荷のピークを迎えることから、冬 - 春はトマトのもうひとつの旬だともいわれている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=84}}。 季節によっても[[味]]や食感が変わる。一般的な温室栽培を例に挙げると冬は光が少なく成長に時間がかかるため水っぽく皮が硬い、夏は成長が早すぎて味がのる前に赤くなるが皮は柔らかい。春と秋は旨味が強くなる。家庭菜園の場合は保温用のビニールをかけて秋まで栽培すると皮は硬いがメロン並みの糖度と旨味のあるトマトが得られる。 === 保存 === 冷やしすぎると味が落ちるため、室温で保存するのが一般的で{{sfn|主婦の友社編|2011|p=9}}、鮮度が良いものは1週間ほど日持ちする{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。特に、まだ堅くて未熟なトマトであれば、常温でやや日光が当たる場所に置いて追熟することによって、酸味を抑えることができる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=9}}。よく熟しているトマトは、ポリ袋などに入れて冷やしすぎない程度に冷蔵庫の野菜室(3~8℃程度)などに保存して、早めに使い切るようにする{{sfn|主婦の友社編|2011|p=9}}{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。完熟したトマトをソースや煮込みに使う場合は、丸ごと冷凍庫に入れて冷凍すると、水で洗うだけで皮が簡単にむける{{sfn|講談社編|2013|p=59}}。 保存食にもなるドライトマトは、ミニトマトを半分に切ったり、中玉や大玉トマトでも種を取ってスライスして作ることができ、塩をふったあと140度ほどで予熱したオーブンで焼いたあと、風通しのよいところで水分を飛ばして乾燥させて作る{{sfn|竹下大学|2022|p=79}}。南ヨーロッパの料理には欠かせない保存食と調味料を兼ねたドライトマトは、ミニトマトの「プリンチペ・ポルゲーゼ」という品種が使われている{{sfn|竹下大学|2022|p=79}}。 === 薬草 === 果実は[[糖尿病]]、のどの渇き、食べ過ぎに薬効がある[[薬草]]とされ、'''蕃茄'''(ばんか)と称して、輪切りにして天日乾燥して[[生薬]]とするか、生のものを薬用にする{{sfn|貝津好孝|1995|p=222}}。[[民間療法]]では、1日量5 - 10gの干した番茄を、600&nbsp;[[立方センチメートル|cc]]の水で煎じて3回に分けて服用する用法が知られている{{sfn|貝津好孝|1995|p=222}}。また、1日1個の生トマトを食べたり、調理しても同様とされる{{sfn|貝津好孝|1995|p=222}}。胃腸の熱を冷ます効果から、食べ過ぎによる消化不良に良いといわれている{{sfn|貝津好孝|1995|p=222}}。 [[トルコ]]の[[民間療法]]では[[やけど]]にスライスしたトマトを皮膚に塗りつけている{{要出典|date=2023年8月}}。 == トマトを題材にした作品 == ;楽曲(曲名または歌詞にトマトが登場するもののみ) {{div col}} * トマト - 童謡(作詞:[[荘司武]]、作曲:[[大中恩]]) * 気まぐれヴィーナス - [[桜田淳子]] * [[トマトジュースで追いかえすのかい]] - [[大塚博堂]]・[[梓みちよ]] * トマト - [[渡辺美里]] * [[そら (國府田マリ子のアルバム)|トマト]] - [[國府田マリ子]] * トマト売りの歌 - [[久保田早紀]] * とけちまいたいのさ - [[BLANKEY JET CITY]] * あなたにサラダ - [[DREAMS COME TRUE]] * おいしい☆トマトのうた - [[Axis powers ヘタリア]] * トマトの家 - [[ヒデとロザンナ]] * トマト - [[NICO Touches the Walls]] * トマト - [[谷村新司]](アルバム『生成』収録) * 夜更けのトマトジュース - [[吉川忠英]] * トマト。- chami * トマト・イッパツ - [[スペクトラム]] * Boku No Atama - [[Paul Gilbert]] * パセリパセリ - [[谷山浩子]] * トマトの森 - [[谷山浩子]] * トマト - [[豊崎愛生]] {{div col end}} ; アニメーション * [[サラダ十勇士トマトマン]] ; コンピュータゲーム * [[サラダの国のトマト姫]] * [[トマトアドベンチャー]] * [[キラートマト]] - 1993年に発売された。[[ゲームボーイ]]用。 ; 映画 * [[アタック・オブ・ザ・キラー・トマト]] * [[フライド・グリーン・トマト]] ; キャラクター * トマッピー - [[三重県]][[木曽岬町]]公式<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.town.kisosaki.lg.jp/contents_detail.php?frmId=744|publisher=木曽岬町役場総務政策課政策部門|title=「トマッピー」グッズ販売のご案内|date=2014-04-01|accessdate=2015-12-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151230023313/http://www.town.kisosaki.lg.jp/contents_detail.php?frmId=744|archivedate=2015年12月30日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref> * 魔法少女トマトちゃん - 木曽岬町コミュニティ団体「ボラ倶楽部」<ref>{{Cite web|和書|url=http://localchara.jp/catalog/4399/|work=ご当地キャラカタログ|title=魔法少女トマトちゃん|date=2014-04-01|accessdate=2015-12-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151230023839/http://localchara.jp/catalog/4399/|archivedate=2015年12月30日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref> == その他 == {{雑多|date=2023年2月|section=1}} * ジャガイモの茎にトマトを接ぎ木したものは「[[ジャガトマ]]」と呼称されることがある。また[[細胞融合]]によって作られた[[ジャガイモ]]とトマトの雑種は[[ポマト]]とよばれる。 * トマト・[[ピーマン]]・[[ナス]]の三種を接ぎ木したものは[[トマピーナ]]と呼称され、[[1990年]]の[[国際花と緑の博覧会]](花博)でも出展された。 * 栄養素が豊富なことから、[[柿]]と同じく「トマトが赤くなると、医者が青くなる」という[[ことわざ]]や、また「トマトを作る家に胃病なし」ということわざがある<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=jfJ3vUV6nocC&pg=PT27&lpg=PT27&dq=%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%88%E3%81%8C%E8%B5%A4%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%80%81%E5%8C%BB%E8%80%85%E3%81%8C%E9%9D%92%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B&source=bl&ots=cBaVQvo9dC&sig=e8pRiMgnHNbCsMX2dpMD1-aRtIo&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiU9OX8_P7NAhUEk5QKHRSHBEA4KBDoAQgsMAM#v=onepage&q=%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%88%E3%81%8C%E8%B5%A4%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%80%81%E5%8C%BB%E8%80%85%E3%81%8C%E9%9D%92%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B&f=false 石原結實『「医者いらず」の食べ物事典』(2006年、PHP研究所)ISBN:978-4569666242]</ref>。 * アメリカの法律では、大さじ2杯のトマト・ペーストが野菜とされているため、トマト・ペーストを使ったピザが「野菜」に分類されている<ref>[http://www.beerstudygroup.com/news/ispizzaavegetable/ “Is pizza a vegetable?”]ロサンゼルスタイムス 2011年11月17日</ref><ref>[http://mogumogunews.com/2014/06/topic_7252/ アメリカで「ピザは野菜」と国家が認定 理由はトマトソース…]もぐもぐニュース 2014年6月28日</ref>。 * 日本では、一般社団法人全国トマト工業会が2005年に10月10日を「トマトの日」に制定した。10月は生活改善普及月間で健康への関心が高まる月であり、トマトの栄養価値やおいしさをアピールし、トマトを使った料理の普及をはかり、人々の健康増進に貢献することを目的として、語呂合わせで「ト (10) マト (10) 」としたのがその理由である{{sfn|竹下大学|2022|p=78}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注"/> === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == * [http://www.toukei.maff.go.jp/dijest/yasai/yasai/yasai.html グラフと絵で見る食料・農業 –統計ダイジェスト- 農林水産省 (平成14年9月)] * [http://www.tdb.maff.go.jp/toukei/toukei 農林水産省統計情報データベース (2003年6月25日閲覧)] * [http://www.agri-exp.pref.shizuoka.jp/mametisiki/tomato.htm 豆知識のコーナー トマト 静岡県農業試験場] * [http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5145/index.html 岬一雨(2002)トマトの博] * {{Cite book|和書|author =板木利隆|title = 決定版 野菜づくり大百科|date=2020-03-16|publisher = [[家の光協会]]|isbn=978-4-259-56650-0|pages =16 - 21|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|title = かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典|date=2012-07-10|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30997-2|pages =82 - 85|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author = 内田洋子|author2 = シルヴィオ・ピエールサンティ|title = トマトとイタリア人|year = 2003|publisher = 文藝春秋|series = 文春新書|isbn = 4166603108}} * {{Cite book|和書|author =貝津好孝|title = 日本の薬草|date=1995-07-20|publisher = [[小学館]]|series = 小学館のフィールド・ガイドシリーズ|isbn=4-09-208016-6|page =222|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =講談社編|title = からだにやさしい旬の食材 野菜の本|date=2013-05-13|publisher = [[講談社]]|isbn=978-4-06-218342-0|pages =56 - 63|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =主婦の友社編|title = 野菜まるごと大図鑑|date=2011-02-20|publisher = [[主婦の友社]]|isbn=978-4-07-273608-1|pages =8 - 15|ref=harv}} * {{Cite book|和書 |author = シルヴィア・ジョンソン |translator = 金原瑞人 |title = 世界を変えた野菜読本 |date = 1999 |publisher = 晶文社 |isbn = 4794964129 |ref = {{SfnRef|ジョンソン|1999}} }} * {{Cite book|和書|author =竹下大学|title = 野菜と果物すごい品種図鑑:知られざるルーツを味わう|date=2022-07-12|publisher = [[エクスナレッジ]]|isbn=978-4-7678-3026-1|pages =72 - 79|ref=harv}} == 関連文献 == * Barndt, Deborah(2002). Tangled Routes: Women, world and globalization on the tomato trail. Lanham, MD: Rowman & Littlefield Publishers. * Giovannucci E, Ascherio A, Rimm EB, Stampfer MJ, Colditz GA, Willett WC (1995). Intake of carotenoids and retinol in relation to risk of prostate cancer. Journal of National Cancer Institute. v. 87, n. 23 (December 6). p.1767-76. ** [http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&dopt=Abstract&list_uids=7473833 PubMed データベースの英文要旨] * Martineau, Belinda (2001). First Fruit: The creation of the Flavr Savr tomato and the birth of genetically engineered foods. New York, McGraw-Hill. * Willcox, Joye K., Catignani, George L.& Lazarus, Sheryl (2003). Tomatoes and cardiovascular health. Critical Reviews in Food Science & Nutrition, v.43, n.1 (January), p.1-19. * {{Cite book|和書|author=クラリッサ・ハイマン|translator=道本美穂|title=トマトの歴史|publisher=原書房|date=2019/10/21|isbn=9784562056576|series=「食」の図書館}} == 関連項目 == {{wiktionary}} {{Commons|Solanum lycopersicum}} {{Wikispecies|Solanum lycopersicum}} * [[トマティーナ]] - [[スペイン]]・[[バレンシア州]]の世界的に有名な「トマト祭り」。 * [[タマリロ]] - 近縁種。ツリートマト、木立ちトマトともよばれる常緑小木。 * [[ブドウホオズキ]] - 同じナス科。ゴールデンベリー、インカベリー、ほおずきトマト、フィサリスともよばれる草本。 * [[アメーラ]] - 高糖度のトマト。 * [[トマト銀行]] - [[岡山県]]にある[[第二地方銀行]]。 * [[Rotten Tomatoes]] - 映画批評のウェブサイト。 * [[ピエトロ・アンドレア・マッティオリ]] - トマトに関する世界最古の文献『博物誌』の著者の[[植物学者]]。 * [[セイヨウオオマルハナバチ]] - ハウス栽培で用いられる。 * [[ポミドル]] - [[ポーランド語]]でトマトを表す。子供の遊びの一種。 == 外部リンク == * [http://tgrc.ucdavis.edu/ Tomato Genetics Resource Center (University of California at Davis)] - トマトの種を保管し、研究者に供給することを目的とした施設。カリフォルニア大学デービス校。 * [http://www.sgn.cornell.edu/about/tomato_sequencing.pl About the International Tomato Sequencing Project (Cornell University)]{{リンク切れ|date=2022年1月}} - トマトゲノムプロジェクト。コーネル大学。 * [https://www.irisplaza.co.jp/media/A13964280954 トマト ~ 水・肥料は少な目がおいしく育てるポイント! ~] - アイリスプラザ * [http://www.cik.co.jp/noubi@home/mame_top.html 「トマトの基本的な栽培方法」]{{リンク切れ|date=2022年1月}} - 農業豆知識 * {{hfnet|710|リコピン}} * [http://www.japan-tomato.or.jp/ 一般社団法人 全国トマト工業会] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:とまと}} [[Category:トマト|*]] [[Category:ナス属]] [[Category:生薬]] [[Category:1753年に記載された植物]]
2003-02-28T07:36:51Z
2023-11-18T04:46:28Z
false
false
false
[ "Template:Unicode", "Template:雑多", "Template:Cite web", "Template:Hdl", "Template:リンク切れ", "Template:Otheruses", "Template:Lang", "Template:Ill2", "Template:Efn2", "Template:栄養価", "Template:Cite book", "Template:Commons", "Template:Normdaten", "Template:出典の明記", "Template:Sfn", "Template:R", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Doi", "Template:Div col", "Template:Citation", "Template:Wiktionary", "Template:Cite news", "Template:Hfnet", "Template:生物分類表", "Template:Lang-en", "Template:Div col end", "Template:Reflist", "Template:Cite journal", "Template:Wikispecies", "Template:Pp-vandalism", "Template:Snamei", "Template:要出典", "Template:Right", "Template:Cite thesis" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%88
3,052
線形合同法
線形合同法(せんけいごうどうほう、英: Linear congruential generators, LCGs)とは、擬似乱数列の生成式の一つ。 漸化式 によって与えられる。A、B、Mは定数で、M>A、M>B、A>0、B≥0である。 上の式で、 X 0 {\displaystyle X_{0}} が、乱数の種であり、これに数を代入すると、 X 1 {\displaystyle X_{1}} が得られる。さらに X 2 {\displaystyle X_{2}} を生成する場合には、 X 1 {\displaystyle X_{1}} を使う。以後、同様に行う。 例えば、定数をそれぞれ、A=3、B=5、M=13、乱数の種 X 0 {\displaystyle X_{0}} =8とすると、(上の式においてはXn+1を左辺に置いたが、今回は便宜上、右辺に置く) 次に乱数を生成する際は前回生成された乱数(今回は3)を使って、 以下、同じように、 となる。 生成される乱数列は周期性を持ち、上の例では8→3→1→8→3→......、を繰り返す。この周期は最大でMであり、以下の条件が満たされたときに最大周期Mをもつ。 A=13、B=5、M=24の組み合わせなどがそれに当たる。 B=0のときは、0→0→0...というループがあるため、周期がMとなるAとMの組合せはない。M-1が、B=0の場合の最大の周期であり、これも最大周期と考えることもある。 暗号論的擬似乱数生成器ではなく、そのまま暗号に使用してはならない。 線形合同法一般の欠点に、多次元で規則的に分布するという性質がある。線形合同法による乱数列r0, r1, r2, r3, ... から(r0, r1), (r1, r2), (r2, r3), ... のように順番に割り当ててプロットすると、それが疎になるのはしょうがないのだが(例として、全部で10000個しかない点を、10000x10000 の矩形にプロットすることになるのだから、稠密にはなりえない)、一定の間隔の平面上に点が並んでしまうのが問題である。印象的にこれを表現したフレーズに Random numbers fall mainly in the planes. (乱数は、主に平面(プレイン)に落ちる)というものがあり、「スペインの雨は主に平野(プレイン)に降る」(The rain in Spain stays mainly in the plain.)のパロディである。科学技術シミュレーションで3次元の点の位置などを生成する場合に問題となる。 下位ビットのランダム性が低い。Mの値によっては、最下位に近いビットはほとんどランダムでなく、完全に規則性を持っていることすらある。たとえばMが偶数の場合(コンピュータでの実装が楽であるために、Mに2の冪を採用した場合はこれに当たる)、最下位ビットは、同じものが出続けるか、0と1が交互にでるかのどちらかである。すなわち、偶数ばかりが出る、奇数ばかりが出る、偶数と奇数が交互に出る、のどれかになるということである(最大周期ならば偶数と奇数が交互に出る)。 大量に乱数列を消費する科学技術シミュレーションなどでは、周期の短さ(たとえば32ビットでは最大周期でも約40億)が問題になる。 プログラミング言語処理系に附属するライブラリの乱数列生成器(たとえばrand(3)やjava.util.Randomなど)が、線形合同法を利用している場合があるため、たとえばサイコロの目を生成する場合はrand() % 6 + 1としてはならない。前述のように周期2で偶数と奇数が循環するような場合、その規則性がそのまま顕れてしまう。rand() / (RAND_MAX / 6 + 1) + 1のようにすればランダムになる(注。このコードは考え方を示すものであり、厳密に1/6の確率になるものではない)。 Stephen K. Park と Keith W. Miller が、彼らのサーベイ中で「最低基準」として示したもので、より良い選択肢が無いのならば、自作などせずにこれを使うべしというもの。 C言語による実装例が「comp.lang.c FAQ list · Question 13.15」の回答中にある。 由来不詳だが、よく実装が見られるもの。 C言語による実装例が、POSIXのrandの解説中(informative扱いのEXAMPLESとして、であるが)にあるためか、2017年現在のウェブコンテンツなどにも時折見られるが(例えばRosetta Codeの線形合同法のサンプルに「BSD formula」という名前で示されている)前節のPark & Millerよりも質が悪い。特に(POSIXにあるコードでは下位桁を捨てて回避しているが)、最下位ビットは周期2、次のビットは周期4、次のビットは周期8、......のように、下位桁に完全な規則性がある。また、由来は不詳だが少なくともBSDよりは古く、Unixバージョン7の /usr/src/libc/gen/rand.c に見られる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "線形合同法(せんけいごうどうほう、英: Linear congruential generators, LCGs)とは、擬似乱数列の生成式の一つ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "漸化式", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "によって与えられる。A、B、Mは定数で、M>A、M>B、A>0、B≥0である。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "上の式で、 X 0 {\\displaystyle X_{0}} が、乱数の種であり、これに数を代入すると、 X 1 {\\displaystyle X_{1}} が得られる。さらに X 2 {\\displaystyle X_{2}} を生成する場合には、 X 1 {\\displaystyle X_{1}} を使う。以後、同様に行う。", "title": "生成" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "例えば、定数をそれぞれ、A=3、B=5、M=13、乱数の種 X 0 {\\displaystyle X_{0}} =8とすると、(上の式においてはXn+1を左辺に置いたが、今回は便宜上、右辺に置く)", "title": "生成" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "次に乱数を生成する際は前回生成された乱数(今回は3)を使って、", "title": "生成" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "以下、同じように、", "title": "生成" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "となる。", "title": "生成" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "生成される乱数列は周期性を持ち、上の例では8→3→1→8→3→......、を繰り返す。この周期は最大でMであり、以下の条件が満たされたときに最大周期Mをもつ。", "title": "生成" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "A=13、B=5、M=24の組み合わせなどがそれに当たる。", "title": "生成" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "B=0のときは、0→0→0...というループがあるため、周期がMとなるAとMの組合せはない。M-1が、B=0の場合の最大の周期であり、これも最大周期と考えることもある。", "title": "生成" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "暗号論的擬似乱数生成器ではなく、そのまま暗号に使用してはならない。", "title": "短所" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "線形合同法一般の欠点に、多次元で規則的に分布するという性質がある。線形合同法による乱数列r0, r1, r2, r3, ... から(r0, r1), (r1, r2), (r2, r3), ... のように順番に割り当ててプロットすると、それが疎になるのはしょうがないのだが(例として、全部で10000個しかない点を、10000x10000 の矩形にプロットすることになるのだから、稠密にはなりえない)、一定の間隔の平面上に点が並んでしまうのが問題である。印象的にこれを表現したフレーズに Random numbers fall mainly in the planes. (乱数は、主に平面(プレイン)に落ちる)というものがあり、「スペインの雨は主に平野(プレイン)に降る」(The rain in Spain stays mainly in the plain.)のパロディである。科学技術シミュレーションで3次元の点の位置などを生成する場合に問題となる。", "title": "短所" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "下位ビットのランダム性が低い。Mの値によっては、最下位に近いビットはほとんどランダムでなく、完全に規則性を持っていることすらある。たとえばMが偶数の場合(コンピュータでの実装が楽であるために、Mに2の冪を採用した場合はこれに当たる)、最下位ビットは、同じものが出続けるか、0と1が交互にでるかのどちらかである。すなわち、偶数ばかりが出る、奇数ばかりが出る、偶数と奇数が交互に出る、のどれかになるということである(最大周期ならば偶数と奇数が交互に出る)。", "title": "短所" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "大量に乱数列を消費する科学技術シミュレーションなどでは、周期の短さ(たとえば32ビットでは最大周期でも約40億)が問題になる。", "title": "短所" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "プログラミング言語処理系に附属するライブラリの乱数列生成器(たとえばrand(3)やjava.util.Randomなど)が、線形合同法を利用している場合があるため、たとえばサイコロの目を生成する場合はrand() % 6 + 1としてはならない。前述のように周期2で偶数と奇数が循環するような場合、その規則性がそのまま顕れてしまう。rand() / (RAND_MAX / 6 + 1) + 1のようにすればランダムになる(注。このコードは考え方を示すものであり、厳密に1/6の確率になるものではない)。", "title": "短所" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "Stephen K. Park と Keith W. Miller が、彼らのサーベイ中で「最低基準」として示したもので、より良い選択肢が無いのならば、自作などせずにこれを使うべしというもの。", "title": "例" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "C言語による実装例が「comp.lang.c FAQ list · Question 13.15」の回答中にある。", "title": "例" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "由来不詳だが、よく実装が見られるもの。", "title": "例" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "C言語による実装例が、POSIXのrandの解説中(informative扱いのEXAMPLESとして、であるが)にあるためか、2017年現在のウェブコンテンツなどにも時折見られるが(例えばRosetta Codeの線形合同法のサンプルに「BSD formula」という名前で示されている)前節のPark & Millerよりも質が悪い。特に(POSIXにあるコードでは下位桁を捨てて回避しているが)、最下位ビットは周期2、次のビットは周期4、次のビットは周期8、......のように、下位桁に完全な規則性がある。また、由来は不詳だが少なくともBSDよりは古く、Unixバージョン7の /usr/src/libc/gen/rand.c に見られる。", "title": "例" } ]
線形合同法とは、擬似乱数列の生成式の一つ。 漸化式 によって与えられる。A、B、Mは定数で、M>A、M>B、A>0、B≥0である。
'''線形合同法'''(せんけいごうどうほう、{{lang-en-short|Linear congruential generators, LCGs}})とは、[[擬似乱数]]列の生成式の一つ。 漸化式 : <math>X_{n+1} = \left( A \times X_n + B \right)\ \bmod\ M</math> によって与えられる。A、B、Mは[[定数]]で、M[[不等式|>]]A、M>B、A>[[0]]、B≥0である。 ==生成== 上の式で、<math>X_0</math>が、乱数の種であり、これに数を代入すると、<math>X_1</math>が得られる。さらに<math>X_2</math>を生成する場合には、<math>X_1</math>を使う。以後、同様に行う。 例えば、定数をそれぞれ、A=3、B=5、M=13、乱数の種<math>X_0</math>=8とすると、(上の式においてはX<sub>n+1</sub>を左辺に置いたが、今回は便宜上、右辺に置く) : <math>\left( 3 \times 8 + 5 \right)\ \bmod\ 13 = 3</math> 次に乱数を生成する際は前回生成された乱数(今回は3)を使って、 : <math>\left( 3 \times 3 + 5 \right)\ \bmod\ 13 = 1</math> 以下、同じように、 : <math>\left( 3 \times 1 + 5 \right)\ \bmod\ 13 = 8</math> となる。 ===周期性=== 生成される乱数列は周期性を持ち、上の例では8→3→1→8→3→……、を繰り返す。この周期は最大でMであり、以下の条件が満たされたときに最大周期Mをもつ。 #BとMが互いに素である。 #A-1が、Mの持つ全ての素因数で割りきれる。 #Mが4の倍数である場合は、A-1も4の倍数である。 A=13、B=5、M=24の組み合わせなどがそれに当たる。 B=0のときは、0→0→0...というループがあるため、周期がMとなるAとMの組合せはない。M-1が、B=0の場合の最大の周期であり、これも最大周期と考えることもある。 ==長所== *状態を記憶するのに必要なメモリの他には、作業用のワーキングメモリをほとんど必要としない。実用的な擬似乱数アルゴリズムでは最少の部類に属する。 *低機能な[[プロセッサ]]にも効率よく実装できる。素朴には[[乗算]]と[[除算]]が必要そうに見えるが、(1)定数による乗算なのでシフトと加減算の組合せにできる (2)除算そのものが必要なのではなく剰余が得られれば良いので[[合同式|合同算術]]による式変形が可能であり、乗算も含めて変形することでより効率化できる (3)剰余算についても、よく使われる 2<sup>n</sup>-1 の形をした値による剰余は特別な場合として効率化ができる、といった特徴のためである。 *そのため、専用回路化すら容易である(ただし、適切な[[M系列]]を[[線形帰還シフトレジスタ|LFSR]]で実装したほうが、回路で計算するにはより効率が良い上に、乱数としての質も良い)。 *問題点は多いが、どのような問題があるか、どうやって回避すればいいかが十分に研究されている(ただし、回避しなければならない使い方を回避していなかった事例を挙げて、悪い結果を生成系のせいにされていることがしばしば見られる)。 ==短所== [[暗号論的擬似乱数生成器]]ではなく、そのまま[[暗号]]に使用してはならない。 線形合同法一般の欠点に、多次元で規則的に分布するという性質がある。線形合同法による乱数列r<sub>0</sub>, r<sub>1</sub>, r<sub>2</sub>, r<sub>3</sub>, ... から(r<sub>0</sub>, r<sub>1</sub>), (r<sub>1</sub>, r<sub>2</sub>), (r<sub>2</sub>, r<sub>3</sub>), ... のように順番に割り当ててプロットすると、それが疎になるのはしょうがないのだが(例として、全部で10000個しかない点を、10000x10000 の矩形にプロットすることになるのだから、稠密にはなりえない)、一定の間隔の平面上に点が並んでしまうのが問題である。印象的にこれを表現したフレーズに ''Random numbers fall mainly in the planes.'' (乱数は、主に平面(プレイン)に落ちる)というものがあり、「スペインの雨は主に平野(プレイン)に降る」(The rain in Spain stays mainly in the plain.)のパロディである<ref>引用元については [[スペインの雨]] を参照。</ref><ref>[http://www.jstor.org/stable/58853 Random Numbers Fall Mainly in the Planes]</ref><ref>このタイトルで書かれた文献の著者は George Marsaglia([[:en:George Marsaglia]])だが、[[ドナルド・クヌース]]はこの表現の出典を([[The Art of Computer Programming|TAoCP]]にて)[[ウォレス・ギヴンス]]としている。</ref>。科学技術シミュレーションで3次元の点の位置などを生成する場合に問題となる。 下位ビットのランダム性が低い。Mの値によっては、最下位に近いビットはほとんどランダムでなく、完全に規則性を持っていることすらある。たとえばMが偶数の場合(コンピュータでの実装が楽であるために、Mに2の冪を採用した場合はこれに当たる)、最下位ビットは、同じものが出続けるか、0と1が交互にでるかのどちらかである。すなわち、偶数ばかりが出る、奇数ばかりが出る、偶数と奇数が交互に出る、のどれかになるということである(最大周期ならば偶数と奇数が交互に出る)。 大量に乱数列を消費する科学技術シミュレーションなどでは、周期の短さ(たとえば32ビットでは最大周期でも約40億)が問題になる。 [[プログラミング言語]]処理系に附属するライブラリの乱数列生成器(たとえば[[rand|rand(3)]]や<code>java.util.Random</code>など)が、線形合同法を利用している場合があるため、たとえばサイコロの目を生成する場合は<code>rand() % 6 + 1</code>としてはならない。前述のように周期2で偶数と奇数が循環するような場合、その規則性がそのまま顕れてしまう。<code>rand() / (RAND_MAX / 6 + 1) + 1</code>のようにすればランダムになる(注。このコードは考え方を示すものであり、厳密に1/6の確率になるものではない)。<!--これは、処理系依存であるRAND_MAXが一般的に6で割り切れない数値のため、%演算では1から6の数字が均等に発生しない事が原因である。RAND_MAXが大きいほど、<code>rand() % 6 + 1</code>のコードは均等な発生確率に収束する。 しかしながら強力なランダム性が必要であれば、そもそも線形合同法ではなく別のアルゴリズムを利用するべきである。--><!-- ←下位桁は均等ではある(規則的なのでむしろ均等過ぎるほど)。これを書いた人物は「ランダム性」=「均等」と誤解しているようだ --> ==例== ==={{Anchors|ParkMiller}}Park & Miller=== Stephen K. Park と Keith W. Miller が、彼らのサーベイ中で「最低基準」として示したもので、より良い選択肢が無いのならば、自作などせずにこれを使うべしというもの。 : <math>X_{n+1} = \left( 48,271 \times X_n \right)\ \bmod\ (2^{31} - 1)</math> C言語による実装例が「comp.lang.c FAQ list · Question 13.15」の回答中にある<ref>[http://c-faq.com/lib/rand.html comp.lang.c FAQ list · Question 13.15] ただしソースコードでは乗数が 16807 になっているので注意すること。48271 を使ったほうが(もしかしたら計算がわずかに重くなるかもしれないが)少し良い乱数列になる。ソースコード中のその数の部分を書き換えるだけでよい。</ref>。 ===由来不詳=== 由来不詳だが、よく実装が見られるもの。 : <math>X_{n+1} = \left( 1,103,515,245 \times X_n + 12,345 \right)\ \bmod\ 2^{32}</math> C言語による実装例が、POSIXのrandの解説中(informative扱いのEXAMPLESとして、であるが)にあるため<ref>http://pubs.opengroup.org/onlinepubs/9699919799/functions/rand.html#tag_16_473_06_02</ref>か、2017年現在のウェブコンテンツなどにも時折見られるが(例えばRosetta Codeの線形合同法のサンプルに「BSD formula」という名前で示されている)前節のPark & Millerよりも質が悪い。特に(POSIXにあるコードでは下位桁を捨てて回避しているが)、最下位ビットは周期2、次のビットは周期4、次のビットは周期8、……のように、下位桁に完全な規則性がある。また、由来は不詳だが少なくともBSDよりは古く、Unixバージョン7の /usr/src/libc/gen/rand.c に見られる。 ==注・出典== <references/> ==参考文献== #Park and Miller, "Random Number Generators: Good Ones are Hard to Find" #結城浩著『暗号技術入門 - 秘密の国のアリス』、ソフトバンク、ISBN 4-7973-2297-7、pp.305-307. ==関連項目== * [[Permuted congruential generator]] - 線形合同法の出力を加工して統計的性質を改善したアルゴリズム。 [[category:乱数|せんけいこうとうほう]] [[category:数学に関する記事|せんけいこうとうほう]]
null
2022-03-08T09:08:01Z
false
false
false
[ "Template:Anchors", "Template:Lang-en-short" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%9A%E5%BD%A2%E5%90%88%E5%90%8C%E6%B3%95
3,053
MPEG-4
MPEG-4(エムペグフォー、ISO/IEC 14496)は、動画・音声全般をデジタルデータとして扱うための規格のことである。MPEG-1やMPEG-2と同様、システム、ビジュアル(MPEG-1/-2ではビデオと呼ぶ)、オーディオ、ファイルフォーマットの各技術から構成される。しかしながら、一般的には「MPEG-4」と呼ぶ場合、動画の符号化方式を記述したビジュアル部分だけを指すことが多い。 規格が広範なことが「MPEG-4とは何か」という説明を難しくさせている上に、ビジュアル、あるいはファイルフォーマットの一部の規格を利用したものも単に「MPEG-4です」と説明されることが多く、使われ方、意味のとられ方が混乱している用語でもある。 なお、規格化を行っているMoving Picture Experts GroupではMPEG-4を最後の動画/音声符号化の規格とする意向であり、現在では3次元コンピュータグラフィクスや音声合成などを含む大変広範な規格になっている。MPEG技術は、各技術毎にパート(Part)と呼ばれる規格が作成され、技術が採用/規格化されるたびにパートが増える。2003年にH.264がMPEG-4 Part 10 Advanced Video Codingとして規格化されるなど、現在もなお追加・拡張が継続されている規格である。 MPEG-4(ISO/IEC 14496)自体は、動画・音声全般を扱う多様なマルチメディア符号化フォーマットを規定している。これらは以下に示す複数の「部(Part)」に分れて標準化されている。MPEG-4の各部は、ISO/IEC 14496を翻訳したJIS X 4332の各部と対応する。なお、第31部以降は現在開発中である。 動画には第2部(1999年制定)と第10部(2003年制定)があることに注意する。一般にMPEG-4動画(またはMPEG-4ビジュアル)といえば第2部を指すことが多く、第10部は第2部と区別するために、MPEG-4 AVC と呼ばれることがある。MPEG-4は動画の符号化規格と呼ばれることもあるが、実際に規定されているのは復号のみであり、符号化は規定していない。 マルチメディアデータをファイルや記録メディアに保存したり、ネットワーク上で伝送するには、動画と音声毎に別々に符号化した符号化データの統合(多重化)と同期のための仕組みが必要となる。この多重化方式を規定するものがシステムである。なお、システムによって多重化される以前の動画像や音声のバイナリデータをエレメンタリストリーム(ES: Elementary Stream)と呼ぶ。 動画像と音声のエレメンタリストリームを多重化するという目的においては、MPEG-1やMPEG-2のシステムに近いといえるが、MPEG-4についてはオブジェクト符号化という概念があるという点で異なる。MPEG-4においては、オーディオ、ビジュアル(ビデオ)のデータは各1つのオブジェクトとして扱われ、これらのオブジェクトを多重化・同期するのがシステムの役割である。なお、MPEG-4の動画像(ビジュアルおよびAVC)や音声のエレメンタリストリームの多重化には、MPEG-4システムの他にMPEG-2トランスポートストリーム(MPEG-2 TS)を用いることも可能であり、地上デジタルテレビジョン放送の1セグメント放送ではAVCとAACの伝送にMPEG-2 TSが用いられる。 さらに、複数のオブジェクトを組み合わせて扱うことを可能にするためのシーン記述のための仕様として、VRML97をベースとしたBIFS(Binary Format for Scenes)が規定されている。例えば、人物や背景の動画および音声をそれぞれ別個のオブジェクトとして符号化し、それらを重ね合わせて表示したり、ユーザが任意にオブジェクトを動かしたりできるようなアプリケーションを作ることが可能である。しかし、このようなオブジェクト符号化は、一般向けに実用化されていないのが現状である。 オブジェクト符号化の概念の導入やBIFSなどにより、MPEG-4システムの内容が肥大化してしまったため、ファイルフォーマット(MP4)に関しては後述のPart 14として独立して規定されている。ちなみに、ネットワーク上での伝送に関しては、Part 8および RFC 3640 で規定されている。 なお、バイナリフォーマットであるBIFSを容易に扱えるようにするため、XML準拠の記述形式として、Extensible MPEG-4 Textual Format in XML (XMT)がPart 11で規定されている。 MPEG-1ではビデオCD、MPEG-2では放送やHDTVでの使用を想定しているのに対して、MPEG-4では低ビットレートでの使用にまで用途を拡大することを目標として規格化が開始された。符号化技術としては先に規格化が進んでいたH.263を基に幾つかのツールを追加した構成になっている。H.263との相違点は、フレーム間予測におけるBフレームの採用、DCT係数のAC/DC予測の導入、などが挙げられる。 このビジュアル技術自体も、エラー耐性技術のほか、任意形状技術やスプライト符号化技術、顔画像の動きを符号化するフェース(Face)符号化技術、スケーラビリティ技術などを盛り込んだ巨大なものであったが、現在ではエラー耐性技術のほかは殆ど使用されていない。 圧縮アルゴリズムの基本原理は、MPEG-1、MPEG-2、H.263などと基本的には同様であり、空間変換やフレーム間予測、量子化、エントロピー符号化を採用している。 MPEG-4では、空間変換に離散コサイン変換が用いられる。8×8画素のブロックを単位として、原画像もしくはフレーム間予測の予測誤差画像のDCT係数を求め、その係数を量子化している。 フレーム間予測において参照フレームとして指定できるフレームは、Iフレーム, Pフレーム、Bフレームが存在する。Pフレームでは時間軸で前方のフレーム1枚の画像を利用して符号化を行うが、Bフレームでは前方・後方2枚の画像を利用して符号化を行う。 動き補償の精度としては1/2画素精度まで基本的に利用可能である。MPEG-4 ASP(Advanced Simple Profile)では、1/4画素精度動き補償も採用している。 空間変換で得られたDCT係数に対して、さらに係数の最上列ないし最左列の係数から予測を行って情報量を削減する技術が導入されている。 DC予測とは、隣接した「左MBと左上MBのDC成分の変化量」と「左上MBと上MBのDC成分の変化量」を比較して、より傾きの小さい方向から現在のMBのDC成分を予測する手法である。この方法を用いることによって、相関の高い画素からの予測を行うことが可能であるため、圧縮率の向上が期待できる。 AC予測とは、フレーム間予測を用いずに符号化される画素ブロックについて、単純に離散コサイン変換(DCT)の係数を量子化して符号化するのではなく、DCT係数行列のうち最上列ないし最左行の値について、上ないし左の隣接ブロックの値との差分を符号化することによって符号量を削減する方式である。予測の方向の決定については、DC予測での予測方向に従う。 この予測方式は、後にH.263でもAnnex Iとして採用された。 DC予測は必ず使用しなければならず、AC予測は使用有無をヘッダで切り替えることが可能である。 ハフマン符号をベースとした可変長符号化(VLC; Variable Length Coding)が採用されている。 MPEG-4の音響符号化技術では、もっとも広く知られているMPEG-4 AACの他にもMPEG-4 CELP、TwinVQ、HVXC(Harmonic Vector eXcitation Coding)、HILN(Harmonic and Individual Lines plus Noise)、TTSI(Text To Speech Interface) など様々な音響符号化技術が規格化されている。 MPEG-4 第3部で採択されたAAC符号化には以下の種類がある。 MPEG-4 第3部 サブパート11において、圧縮時に音響符号が劣化しないMPEG-4 ALS技術が規格化された。 MPEG-4 第3部 サブパート12において、圧縮時にAAC部分の階層と、補完してロスレスになる階層の複数階層で音響を符号化できるMPEG-4 SLSが規格化された。SLS符号化された音響信号は、SLS再生機では劣化せず再生でき、さらにAAC再生機でも再生できるという特徴を持つ。 第2部では、規格範囲が拡散しすぎてしまったという反省のもと、通常の動画像の圧縮効率を追求するという方針のもと開発が進められた(第2部では使用されることがなかったフェース技術やスケーラブル技術は範囲から外されている)。ITU-Tと共同で規格化したものでありH.264と同じもの。H.264/AVCとも呼ばれる。詳細はH.264ページを参照のこと。 マルチメディアデータをファイルに記録するには、動画像と音声のエレメンタリストリームを多重化する必要があるが、後で再生する際に早送りや編集を容易にするためにフレーム単位でアクセスできるように、データを区分けして、さらにアクセス用管理データを付加する方が便利である。MPEG-4では、そのためのファイルフォーマットとしてMP4ファイルフォーマットを規定している。 音声の場合には、ファイルフォーマットに格納せず、符号化データをそのまま使用することもある。MPEG-1などで規定されたMP3はこの例である。 MP4ファイルフォーマットはAppleのQuickTimeのファイルフォーマットをベースに開発されている。QuickTimeファイルフォーマットで採用されているファイル構造は、さまざまな動画像や音声のエレメンタリストリームを柔軟に多重化可能となっており、汎用的なファイルフォーマットとしてISOベースメディアファイルフォーマット(Part 12)に採用された。このPart 12からMPEG-4用のファイルフォーマットとして派生したものがMP4ファイルフォーマットである。詳細は、MP4ページ参照。 ビジュアル、オーディオ共その規格内において、プロファイルとレベルと呼ばれる概念が規定されている。プロファイルとは使用できるツールを示すものであり、レベルとは使用できるパラメータの範囲を規定するものである。例えば、MPEG-4 Part 2では、シンプルプロファイル(SP)、アドバンスドシンプルプロファイル(ASP)、メインプロファイル (MP)などが規定されそれぞれ使用可能なツールが異なる。MPEG-4 AVCでは、ベースラインプロファイル、メインプロファイル、拡張(Extended)プロファイルの3種類が規定されていたが、2004年に高忠実度化規格(FRExt)が策定され、ハイプロファイル、ハイ10プロファイル、ハイ4:2:2プロファイル、ハイ4:4:4プロファイルの4種類が新たに規定された。 1999年に規格化された直後から、動画像を長時間記録する用途でデジタルカメラの一機能として使用された。当初は、ファイルフォーマットが規格化されていなかったため、マイクロソフト社のASFファイルフォーマットが使用された。近年では、第三世代携帯電話の動画フォーマットとして採用され、PDAを含めてモバイルで見る動画フォーマットの主流になりつつある。特にiPodやPSPがこのフォーマットに対応したことを機に爆発的に普及している。これらの動画符号化技術は、現状MPEG-4 Part 2であるが、2005年後半からは、MPEG-4 AVCも使用されることが確実視されている。 放送や通信分野においては、ライセンスの問題もあり主だった利用例も少なかったが、MPEG-4 AVC (H.264)が地上波デジタル放送の携帯端末向け(1セグメント)放送での採用、Blu-ray DiscやHD DVDのビデオ・コーデックとして承認、などされており、応用例は増えていく見込みである。 第三世代携帯電話の業界団体である3GPPと3GPP2は、動画コンテンツにMPEG-4を採用している。なお、同じファイルフォーマットをサポートした第二世代携帯電話端末も存在する。 を使用している。解像度はQCIF(Sub-QCIF)などに限定されているが、一部端末ではQVGAなども利用可能。 2000年代前半にパソコンで動画を扱う際によく使われたDivXやXvidはMPEG-4 Visual (Video) の技術を利用したものである。これらを利用した映像をAVIの箱(コンテナ)に収めたものは一部のDVDプレーヤーやゲーム機等での再生に対応している。 SDメモリーカードのSD-Video規格やメモリースティックのメモリースティックビデオフォーマットにMPEG-4が採用されている。前者はASF形式、後者はMP4を採用している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "MPEG-4(エムペグフォー、ISO/IEC 14496)は、動画・音声全般をデジタルデータとして扱うための規格のことである。MPEG-1やMPEG-2と同様、システム、ビジュアル(MPEG-1/-2ではビデオと呼ぶ)、オーディオ、ファイルフォーマットの各技術から構成される。しかしながら、一般的には「MPEG-4」と呼ぶ場合、動画の符号化方式を記述したビジュアル部分だけを指すことが多い。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "規格が広範なことが「MPEG-4とは何か」という説明を難しくさせている上に、ビジュアル、あるいはファイルフォーマットの一部の規格を利用したものも単に「MPEG-4です」と説明されることが多く、使われ方、意味のとられ方が混乱している用語でもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "なお、規格化を行っているMoving Picture Experts GroupではMPEG-4を最後の動画/音声符号化の規格とする意向であり、現在では3次元コンピュータグラフィクスや音声合成などを含む大変広範な規格になっている。MPEG技術は、各技術毎にパート(Part)と呼ばれる規格が作成され、技術が採用/規格化されるたびにパートが増える。2003年にH.264がMPEG-4 Part 10 Advanced Video Codingとして規格化されるなど、現在もなお追加・拡張が継続されている規格である。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "MPEG-4(ISO/IEC 14496)自体は、動画・音声全般を扱う多様なマルチメディア符号化フォーマットを規定している。これらは以下に示す複数の「部(Part)」に分れて標準化されている。MPEG-4の各部は、ISO/IEC 14496を翻訳したJIS X 4332の各部と対応する。なお、第31部以降は現在開発中である。", "title": "規格の構成" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "動画には第2部(1999年制定)と第10部(2003年制定)があることに注意する。一般にMPEG-4動画(またはMPEG-4ビジュアル)といえば第2部を指すことが多く、第10部は第2部と区別するために、MPEG-4 AVC と呼ばれることがある。MPEG-4は動画の符号化規格と呼ばれることもあるが、実際に規定されているのは復号のみであり、符号化は規定していない。", "title": "規格の構成" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "マルチメディアデータをファイルや記録メディアに保存したり、ネットワーク上で伝送するには、動画と音声毎に別々に符号化した符号化データの統合(多重化)と同期のための仕組みが必要となる。この多重化方式を規定するものがシステムである。なお、システムによって多重化される以前の動画像や音声のバイナリデータをエレメンタリストリーム(ES: Elementary Stream)と呼ぶ。", "title": "MPEG-4 システム(第1部)" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "動画像と音声のエレメンタリストリームを多重化するという目的においては、MPEG-1やMPEG-2のシステムに近いといえるが、MPEG-4についてはオブジェクト符号化という概念があるという点で異なる。MPEG-4においては、オーディオ、ビジュアル(ビデオ)のデータは各1つのオブジェクトとして扱われ、これらのオブジェクトを多重化・同期するのがシステムの役割である。なお、MPEG-4の動画像(ビジュアルおよびAVC)や音声のエレメンタリストリームの多重化には、MPEG-4システムの他にMPEG-2トランスポートストリーム(MPEG-2 TS)を用いることも可能であり、地上デジタルテレビジョン放送の1セグメント放送ではAVCとAACの伝送にMPEG-2 TSが用いられる。", "title": "MPEG-4 システム(第1部)" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "さらに、複数のオブジェクトを組み合わせて扱うことを可能にするためのシーン記述のための仕様として、VRML97をベースとしたBIFS(Binary Format for Scenes)が規定されている。例えば、人物や背景の動画および音声をそれぞれ別個のオブジェクトとして符号化し、それらを重ね合わせて表示したり、ユーザが任意にオブジェクトを動かしたりできるようなアプリケーションを作ることが可能である。しかし、このようなオブジェクト符号化は、一般向けに実用化されていないのが現状である。", "title": "MPEG-4 システム(第1部)" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "オブジェクト符号化の概念の導入やBIFSなどにより、MPEG-4システムの内容が肥大化してしまったため、ファイルフォーマット(MP4)に関しては後述のPart 14として独立して規定されている。ちなみに、ネットワーク上での伝送に関しては、Part 8および RFC 3640 で規定されている。", "title": "MPEG-4 システム(第1部)" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "なお、バイナリフォーマットであるBIFSを容易に扱えるようにするため、XML準拠の記述形式として、Extensible MPEG-4 Textual Format in XML (XMT)がPart 11で規定されている。", "title": "MPEG-4 システム(第1部)" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "MPEG-1ではビデオCD、MPEG-2では放送やHDTVでの使用を想定しているのに対して、MPEG-4では低ビットレートでの使用にまで用途を拡大することを目標として規格化が開始された。符号化技術としては先に規格化が進んでいたH.263を基に幾つかのツールを追加した構成になっている。H.263との相違点は、フレーム間予測におけるBフレームの採用、DCT係数のAC/DC予測の導入、などが挙げられる。", "title": "MPEG-4 動画(第2部)" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "このビジュアル技術自体も、エラー耐性技術のほか、任意形状技術やスプライト符号化技術、顔画像の動きを符号化するフェース(Face)符号化技術、スケーラビリティ技術などを盛り込んだ巨大なものであったが、現在ではエラー耐性技術のほかは殆ど使用されていない。", "title": "MPEG-4 動画(第2部)" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "圧縮アルゴリズムの基本原理は、MPEG-1、MPEG-2、H.263などと基本的には同様であり、空間変換やフレーム間予測、量子化、エントロピー符号化を採用している。", "title": "MPEG-4 動画(第2部)" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "MPEG-4では、空間変換に離散コサイン変換が用いられる。8×8画素のブロックを単位として、原画像もしくはフレーム間予測の予測誤差画像のDCT係数を求め、その係数を量子化している。", "title": "MPEG-4 動画(第2部)" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "フレーム間予測において参照フレームとして指定できるフレームは、Iフレーム, Pフレーム、Bフレームが存在する。Pフレームでは時間軸で前方のフレーム1枚の画像を利用して符号化を行うが、Bフレームでは前方・後方2枚の画像を利用して符号化を行う。", "title": "MPEG-4 動画(第2部)" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "動き補償の精度としては1/2画素精度まで基本的に利用可能である。MPEG-4 ASP(Advanced Simple Profile)では、1/4画素精度動き補償も採用している。", "title": "MPEG-4 動画(第2部)" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "空間変換で得られたDCT係数に対して、さらに係数の最上列ないし最左列の係数から予測を行って情報量を削減する技術が導入されている。", "title": "MPEG-4 動画(第2部)" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "DC予測とは、隣接した「左MBと左上MBのDC成分の変化量」と「左上MBと上MBのDC成分の変化量」を比較して、より傾きの小さい方向から現在のMBのDC成分を予測する手法である。この方法を用いることによって、相関の高い画素からの予測を行うことが可能であるため、圧縮率の向上が期待できる。", "title": "MPEG-4 動画(第2部)" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "AC予測とは、フレーム間予測を用いずに符号化される画素ブロックについて、単純に離散コサイン変換(DCT)の係数を量子化して符号化するのではなく、DCT係数行列のうち最上列ないし最左行の値について、上ないし左の隣接ブロックの値との差分を符号化することによって符号量を削減する方式である。予測の方向の決定については、DC予測での予測方向に従う。 この予測方式は、後にH.263でもAnnex Iとして採用された。", "title": "MPEG-4 動画(第2部)" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "DC予測は必ず使用しなければならず、AC予測は使用有無をヘッダで切り替えることが可能である。", "title": "MPEG-4 動画(第2部)" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ハフマン符号をベースとした可変長符号化(VLC; Variable Length Coding)が採用されている。", "title": "MPEG-4 動画(第2部)" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "MPEG-4の音響符号化技術では、もっとも広く知られているMPEG-4 AACの他にもMPEG-4 CELP、TwinVQ、HVXC(Harmonic Vector eXcitation Coding)、HILN(Harmonic and Individual Lines plus Noise)、TTSI(Text To Speech Interface) など様々な音響符号化技術が規格化されている。", "title": "MPEG-4 音響(第3部)" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "MPEG-4 第3部で採択されたAAC符号化には以下の種類がある。", "title": "MPEG-4 音響(第3部)" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "MPEG-4 第3部 サブパート11において、圧縮時に音響符号が劣化しないMPEG-4 ALS技術が規格化された。", "title": "MPEG-4 音響(第3部)" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "MPEG-4 第3部 サブパート12において、圧縮時にAAC部分の階層と、補完してロスレスになる階層の複数階層で音響を符号化できるMPEG-4 SLSが規格化された。SLS符号化された音響信号は、SLS再生機では劣化せず再生でき、さらにAAC再生機でも再生できるという特徴を持つ。", "title": "MPEG-4 音響(第3部)" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "第2部では、規格範囲が拡散しすぎてしまったという反省のもと、通常の動画像の圧縮効率を追求するという方針のもと開発が進められた(第2部では使用されることがなかったフェース技術やスケーラブル技術は範囲から外されている)。ITU-Tと共同で規格化したものでありH.264と同じもの。H.264/AVCとも呼ばれる。詳細はH.264ページを参照のこと。", "title": "MPEG-4 AVC 動画(第10部)" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "マルチメディアデータをファイルに記録するには、動画像と音声のエレメンタリストリームを多重化する必要があるが、後で再生する際に早送りや編集を容易にするためにフレーム単位でアクセスできるように、データを区分けして、さらにアクセス用管理データを付加する方が便利である。MPEG-4では、そのためのファイルフォーマットとしてMP4ファイルフォーマットを規定している。", "title": "MPEG-4 ファイルフォーマット (第12および14部)" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "音声の場合には、ファイルフォーマットに格納せず、符号化データをそのまま使用することもある。MPEG-1などで規定されたMP3はこの例である。", "title": "MPEG-4 ファイルフォーマット (第12および14部)" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "MP4ファイルフォーマットはAppleのQuickTimeのファイルフォーマットをベースに開発されている。QuickTimeファイルフォーマットで採用されているファイル構造は、さまざまな動画像や音声のエレメンタリストリームを柔軟に多重化可能となっており、汎用的なファイルフォーマットとしてISOベースメディアファイルフォーマット(Part 12)に採用された。このPart 12からMPEG-4用のファイルフォーマットとして派生したものがMP4ファイルフォーマットである。詳細は、MP4ページ参照。", "title": "MPEG-4 ファイルフォーマット (第12および14部)" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "ビジュアル、オーディオ共その規格内において、プロファイルとレベルと呼ばれる概念が規定されている。プロファイルとは使用できるツールを示すものであり、レベルとは使用できるパラメータの範囲を規定するものである。例えば、MPEG-4 Part 2では、シンプルプロファイル(SP)、アドバンスドシンプルプロファイル(ASP)、メインプロファイル (MP)などが規定されそれぞれ使用可能なツールが異なる。MPEG-4 AVCでは、ベースラインプロファイル、メインプロファイル、拡張(Extended)プロファイルの3種類が規定されていたが、2004年に高忠実度化規格(FRExt)が策定され、ハイプロファイル、ハイ10プロファイル、ハイ4:2:2プロファイル、ハイ4:4:4プロファイルの4種類が新たに規定された。", "title": "プロファイルとレベル" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1999年に規格化された直後から、動画像を長時間記録する用途でデジタルカメラの一機能として使用された。当初は、ファイルフォーマットが規格化されていなかったため、マイクロソフト社のASFファイルフォーマットが使用された。近年では、第三世代携帯電話の動画フォーマットとして採用され、PDAを含めてモバイルで見る動画フォーマットの主流になりつつある。特にiPodやPSPがこのフォーマットに対応したことを機に爆発的に普及している。これらの動画符号化技術は、現状MPEG-4 Part 2であるが、2005年後半からは、MPEG-4 AVCも使用されることが確実視されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "放送や通信分野においては、ライセンスの問題もあり主だった利用例も少なかったが、MPEG-4 AVC (H.264)が地上波デジタル放送の携帯端末向け(1セグメント)放送での採用、Blu-ray DiscやHD DVDのビデオ・コーデックとして承認、などされており、応用例は増えていく見込みである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "第三世代携帯電話の業界団体である3GPPと3GPP2は、動画コンテンツにMPEG-4を採用している。なお、同じファイルフォーマットをサポートした第二世代携帯電話端末も存在する。", "title": "利用例" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "を使用している。解像度はQCIF(Sub-QCIF)などに限定されているが、一部端末ではQVGAなども利用可能。", "title": "利用例" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2000年代前半にパソコンで動画を扱う際によく使われたDivXやXvidはMPEG-4 Visual (Video) の技術を利用したものである。これらを利用した映像をAVIの箱(コンテナ)に収めたものは一部のDVDプレーヤーやゲーム機等での再生に対応している。", "title": "利用例" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "SDメモリーカードのSD-Video規格やメモリースティックのメモリースティックビデオフォーマットにMPEG-4が採用されている。前者はASF形式、後者はMP4を採用している。", "title": "利用例" } ]
MPEG-4は、動画・音声全般をデジタルデータとして扱うための規格のことである。MPEG-1やMPEG-2と同様、システム、ビジュアル(MPEG-1/-2ではビデオと呼ぶ)、オーディオ、ファイルフォーマットの各技術から構成される。しかしながら、一般的には「MPEG-4」と呼ぶ場合、動画の符号化方式を記述したビジュアル部分だけを指すことが多い。 規格が広範なことが「MPEG-4とは何か」という説明を難しくさせている上に、ビジュアル、あるいはファイルフォーマットの一部の規格を利用したものも単に「MPEG-4です」と説明されることが多く、使われ方、意味のとられ方が混乱している用語でもある。 なお、規格化を行っているMoving Picture Experts GroupではMPEG-4を最後の動画/音声符号化の規格とする意向であり、現在では3次元コンピュータグラフィクスや音声合成などを含む大変広範な規格になっている。MPEG技術は、各技術毎にパート(Part)と呼ばれる規格が作成され、技術が採用/規格化されるたびにパートが増える。2003年にH.264がMPEG-4 Part 10 Advanced Video Codingとして規格化されるなど、現在もなお追加・拡張が継続されている規格である。
'''MPEG-4'''(エムペグフォー、ISO/IEC 14496)は、動画・音声全般を[[デジタル]][[データ]]として扱うための規格のことである。[[MPEG-1]]や[[MPEG-2]]と同様、システム、ビジュアル(MPEG-1/-2ではビデオと呼ぶ)、オーディオ、ファイルフォーマットの各技術から構成される。しかしながら、一般的には「MPEG-4」と呼ぶ場合、動画の符号化方式を記述したビジュアル部分だけを指すことが多い。 規格が広範なことが「MPEG-4とは何か」という説明を難しくさせている上に、ビジュアル、あるいはファイルフォーマットの一部の規格を利用したものも単に「MPEG-4です」と説明されることが多く、使われ方、意味のとられ方が混乱している用語でもある。 なお、規格化を行っている[[Moving Picture Experts Group]]ではMPEG-4を最後の動画/音声符号化の規格とする意向であり、現在では3次元コンピュータグラフィクスや音声合成などを含む大変広範な規格になっている。MPEG技術は、各技術毎にパート(Part)と呼ばれる規格が作成され、技術が採用/規格化されるたびにパートが増える。[[2003年]]に[[H.264]]が'''MPEG-4 Part 10 Advanced Video Coding'''として規格化されるなど<ref name="soumu060720">{{Cite web|和書|url=https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/policyreports/joho_tsusin/bunkakai/pdf/060720_3_1-2_sa2.pdf|title=情報源符号化部 H.264 | MPEG-4 AVC 規格の概要|publisher=社団法人 電波産業会|date=2006-02-24|accessdate=2014-04-12}}</ref>、現在もなお追加・拡張が継続されている規格である。 <!--正式名称: Coding of audio-visual objects--> == 規格の構成 == MPEG-4(ISO/IEC 14496)自体は、動画・音声全般を扱う多様なマルチメディア符号化フォーマットを規定している。これらは以下に示す複数の「'''部'''(Part)」に分れて標準化されている。MPEG-4の各部は、ISO/IEC 14496を翻訳したJIS X 4332の各部と対応する。なお、第31部以降は現在開発中である。 動画には第2部(1999年制定)と第10部(2003年制定)があることに注意する。一般にMPEG-4動画(またはMPEG-4ビジュアル)といえば第2部を指すことが多く、第10部は第2部と区別するために、MPEG-4 AVC と呼ばれることがある。MPEG-4は動画の符号化規格と呼ばれることもあるが、実際に規定されているのは復号のみであり、符号化は規定していない。 {| class="wikitable" width="100%" ! 部 ! ISO/IEC規格番号 ! width="30%" | 名称 ! 概要 |- ! 1 | [[ISO/IEC 14496-1]] || システム || 各メディアの同期・多重化などを規定。 |- ! 2 | [[ISO/IEC 14496-2]] || 動画 | 動画像の圧縮符号化技術。多数のプロファイルが規定されている。 |- ! 3 | [[ISO/IEC 14496-3]] || 音響 | [[AAC]] や[[音響ロスレス圧縮]]を含む各種音声符号化技術を規定。 |- ! 4 | [[ISO/IEC 14496-4]] || 適合性試験 | MPEG-4の他の部の適合性試験の手続きを規定。 |- ! 5 | [[ISO/IEC 14496-5]] || 参照ソフトウェア | MPEG-4の他の部を明確化するソフトウェアを規定。 |- ! 6 | [[ISO/IEC 14496-6]] || [[Delivery Multimedia Integration Framework]] ([[DMIF]]) | |- ! 7 | [[ISO/IEC TR 14496-7]] || 最適化ソフトウェア | 処理の高速化やエラー耐性などの応用に関する検証に用いられる。 |- ! 8 | [[ISO/IEC 14496-8]] || [[IPネットワーク]]上の伝送 | MPEG-4コンテンツのIPネットワーク上の伝送 |- ! 9 | [[ISO/IEC TR 14496-9]] || 参照ハードウェア | MPEG-4の他の部のハードウェアをデザインする方法を提供。 |- ! 10 | [[H.264|ISO/IEC 14496-10]] || [[先進動画符号化]] (AVC) | [[ITU-T]] [[H.264]] と同一な動画圧縮符号化標準。 |- ! 11 | [[ISO/IEC 14496-11]] || シーン記述とアプリケーションエンジン | |- ! 12 | [[ISO/IEC 14496-12]] || [[MP4#ISOベースメディアファイルフォーマット|ISOベースメディアファイルフォーマット]] | [[MP4]]フォーマット、[[JPEG 2000]]のJP2フォーマットで用いられている、[[QuickTime]]ベースの[[ファイルフォーマット]] |- ! 13 | [[ISO/IEC 14496-13]] || [[知的財産権]]の保護技術に関する規定 | |- ! 14 | [[MP4|ISO/IEC 14496-14]] || [[MP4]]ファイルフォーマット | 第12部に基くMP4のファイルフォーマット |- ! 15 | [[ISO/IEC 14496-15]] || AVCファイルフォーマット | [[H.264|H.264/MPEG-4 AVC]]に関する[[MP4]]ファイルフォーマットの拡張 |- ! 16 | [[ISO/IEC 14496-16]] || アニメーションフレームワーク拡張 (AFX) | 主に3次元グラフィクスに関する規定 |- ! 17 | [[ISO/IEC 14496-17]] || Timed Text subtitle format. | |- ! 18 | [[ISO/IEC 14496-18]] || フォント圧縮とストリーミング | [[OpenType]]フォントの規定 |- ! 19 | [[ISO/IEC 14496-19]] || 合成テクスチャストリーム | |- ! 20 | [[ISO/IEC 14496-20]] || 軽量応用シーン表現 (LASeR). | |- ! 21 | [[ISO/IEC 14496-21]] || MPEG-J グラフィカルフレームワーク拡張 (GFX) | |- ! 22 | [[ISO/IEC 14496-22]] || 公開フォントフォーマット仕様 (OFFS) | [[OpenType]]に基く。 |- ! 23 | [[ISO/IEC 14496-23]] || シンボル音楽表現 (SMR) | |- ! 24 | [[ISO/IEC TR 14496-24]] || Audio and systems interaction | |- ! 25 | [[ISO/IEC 14496-25]] || 3D Graphics Compression Model | |- ! 26 | [[ISO/IEC 14496-26]] || Audio Conformance | |- ! 27 | [[ISO/IEC 14496-27]] || 3D Graphics conformance | |- ! 28 | [[ISO/IEC 14496-28]] || Composite font representation | |- ! 29 | [[ISO/IEC 14496-29]] || Web video coding | |- ! 30 | [[ISO/IEC 14496-30]] || Timed text and other visual overlays in ISO base media file format | |} == MPEG-4 システム(第1部) == マルチメディアデータをファイルや記録メディアに保存したり、ネットワーク上で伝送するには、動画と音声毎に別々に符号化した符号化データの統合(多重化)と同期のための仕組みが必要となる。この多重化方式を規定するものがシステムである。なお、システムによって多重化される以前の動画像や音声のバイナリデータをエレメンタリストリーム(ES: Elementary Stream)と呼ぶ。 動画像と音声のエレメンタリストリームを多重化するという目的においては、[[MPEG-1]]や[[MPEG-2]]のシステムに近いといえるが、MPEG-4についてはオブジェクト符号化という概念があるという点で異なる。MPEG-4においては、オーディオ、ビジュアル(ビデオ)のデータは各1つのオブジェクトとして扱われ、これらのオブジェクトを多重化・同期するのがシステムの役割である。なお、MPEG-4の動画像(ビジュアルおよびAVC)や音声のエレメンタリストリームの多重化には、MPEG-4システムの他に[[MPEG-2 SYSTEMS|MPEG-2トランスポートストリーム]](MPEG-2 TS)を用いることも可能であり、[[地上デジタルテレビジョン放送]]の[[ワンセグ|1セグメント]]放送ではAVCとAACの伝送にMPEG-2 TSが用いられる。 さらに、複数のオブジェクトを組み合わせて扱うことを可能にするためのシーン記述のための仕様として、[[VRML]]97をベースとしたBIFS(Binary Format for Scenes)が規定されている。例えば、人物や背景の動画および音声をそれぞれ別個のオブジェクトとして符号化し、それらを重ね合わせて表示したり、ユーザが任意にオブジェクトを動かしたりできるようなアプリケーションを作ることが可能である。しかし、このようなオブジェクト符号化は、一般向けに実用化されていないのが現状である。 <!--BIFSが使われずにMP4が使われている、というよりは、BIFSを含まないMP4がよく使われる、というのが正しいと思います。--> オブジェクト符号化の概念の導入やBIFSなどにより、MPEG-4システムの内容が肥大化してしまったため、ファイルフォーマット(MP4)に関しては後述のPart 14として独立して規定されている。ちなみに、ネットワーク上での伝送に関しては、Part 8および [http://www.faqs.org/rfcs/rfc3640.html RFC 3640] で規定されている。 なお、バイナリフォーマットであるBIFSを容易に扱えるようにするため、[[Extensible Markup Language|XML]]準拠の記述形式として、Extensible MPEG-4 Textual Format in XML (XMT)がPart 11で規定されている。 == MPEG-4 動画(第2部) == [[MPEG-1]]では[[ビデオCD]]、[[MPEG-2]]では放送や[[高精細度テレビジョン放送|HDTV]]での使用を想定しているのに対して、MPEG-4では低ビットレートでの使用にまで用途を拡大することを目標として規格化が開始された。符号化技術としては先に規格化が進んでいた[[H.263]]を基に幾つかのツールを追加した構成になっている。H.263との相違点は、[[フレーム間予測]]におけるBフレームの採用、DCT係数のAC/DC予測の導入、などが挙げられる。 このビジュアル技術自体も、エラー耐性技術のほか、任意形状技術やスプライト符号化技術、顔画像の動きを符号化するフェース(Face)符号化技術、スケーラビリティ技術などを盛り込んだ巨大なものであったが、現在ではエラー耐性技術のほかは殆ど使用されていない。 <!---また静止画用にウェーブレット符号化も採用されてたような気がする。MPEG-4なのに静止画というのも変だが---> 圧縮アルゴリズムの基本原理は、[[MPEG-1]]、[[MPEG-2]]、[[H.263]]などと基本的には同様であり、[[空間変換]]や[[フレーム間予測]]、[[量子化]]、[[エントロピー符号化]]を採用している。 === 空間変換 === MPEG-4では、空間変換に[[離散コサイン変換]]が用いられる。8×8画素のブロックを単位として、原画像もしくは[[フレーム間予測]]の予測誤差画像のDCT係数を求め、その係数を[[量子化]]している。 === フレーム間予測 === [[フレーム間予測]]において参照フレームとして指定できるフレームは、Iフレーム, Pフレーム、Bフレームが存在する。Pフレームでは時間軸で前方のフレーム1枚の画像を利用して符号化を行うが、Bフレームでは前方・後方2枚の画像を利用して符号化を行う。 === 1/4画素精度動き補償 === 動き補償の精度としては1/2画素精度まで基本的に利用可能である。MPEG-4 ASP(Advanced Simple Profile)では、1/4画素精度動き補償も採用している。 === AC/DC予測 === 空間変換で得られたDCT係数に対して、さらに係数の最上列ないし最左列の係数から予測を行って情報量を削減する技術が導入されている。 DC予測とは、隣接した「左MBと左上MBのDC成分の変化量」と「左上MBと上MBのDC成分の変化量」を比較して、より傾きの小さい方向から現在のMBのDC成分を予測する手法である。この方法を用いることによって、相関の高い画素からの予測を行うことが可能であるため、圧縮率の向上が期待できる。 AC予測とは、フレーム間予測を用いずに符号化される画素ブロックについて、単純に[[離散コサイン変換]](DCT)の係数を量子化して符号化するのではなく、DCT係数行列のうち最上列ないし最左行の値について、上ないし左の隣接ブロックの値との差分を符号化することによって符号量を削減する方式である。予測の方向の決定については、DC予測での予測方向に従う。 この予測方式は、後にH.263でもAnnex Iとして採用された。 DC予測は必ず使用しなければならず、AC予測は使用有無をヘッダで切り替えることが可能である。 === エントロピー符号化 === ハフマン符号をベースとした[[可変長符号化]](VLC; Variable Length Coding)が採用されている。 == MPEG-4 音響(第3部) == {{ main|MPEG-4 Part 3}} MPEG-4の音響符号化技術では、もっとも広く知られている[[AAC|MPEG-4 AAC]]の他にも[[MPEG-4 CELP]]、[[TwinVQ]]、[[Harmonic Vector Excitation Coding|HVXC]](Harmonic Vector eXcitation Coding)、[[HILN]](Harmonic and Individual Lines plus Noise)、[[音声合成|TTSI]](Text To Speech Interface) など様々な音響符号化技術が規格化されている。 === AAC(先進的音響符号化) === MPEG-4 第3部で採択された[[AAC]]符号化には以下の種類がある。 * Low Complexity Advanced Audio Coding (LC-AAC) * High-Efficiency Advanced Audio Coding ([[HE-AAC]]) * Scalable Sample Rate Advanced Audio Coding (AAC-SSR) * Bit Sliced Arithmetic Coding (BSAC) * Long Term Predictor (LTP) === ALS(音響ロスレス圧縮方式) === MPEG-4 第3部 サブパート11において、圧縮時に音響符号が劣化しない[[MPEG-4 ALS]]技術が規格化された。 === SLS(段階化ロスレス圧縮方式) === MPEG-4 第3部 サブパート12において、圧縮時にAAC部分の階層と、補完してロスレスになる階層の複数階層で音響を符号化できる[[MPEG-4 SLS]]が規格化された。SLS符号化された音響信号は、SLS再生機では劣化せず再生でき、さらにAAC再生機でも再生できるという特徴を持つ。 == MPEG-4 AVC 動画(第10部) == 第2部では、規格範囲が拡散しすぎてしまったという反省のもと、通常の動画像の[[圧縮効率]]を追求するという方針のもと開発が進められた(第2部では使用されることがなかったフェース技術やスケーラブル技術は範囲から外されている)。[[ITU-T]]と共同で規格化したものでありH.264と同じもの。H.264/AVCとも呼ばれる。詳細は[[H.264]]ページを参照のこと。 == MPEG-4 ファイルフォーマット (第12および14部) == マルチメディアデータをファイルに記録するには、動画像と音声のエレメンタリストリームを多重化する必要があるが、後で再生する際に早送りや編集を容易にするためにフレーム単位でアクセスできるように、データを区分けして、さらにアクセス用管理データを付加する方が便利である。MPEG-4では、そのための[[ファイルフォーマット]]としてMP4ファイルフォーマットを規定している。 音声の場合には、ファイルフォーマットに格納せず、符号化データをそのまま使用することもある。[[MPEG-1]]などで規定された[[MP3]]はこの例である。 MP4ファイルフォーマットは[[Apple]]の[[QuickTime]]のファイルフォーマットをベースに開発されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/news/0102/27/interview.html|title=米Generic Mediaインタビュー──Peter Hoddie氏|accessdate=2018-12-29|website=www.itmedia.co.jp|publisher=}}</ref>。QuickTimeファイルフォーマットで採用されているファイル構造は、さまざまな動画像や音声のエレメンタリストリームを柔軟に多重化可能となっており、汎用的なファイルフォーマットとしてISOベースメディアファイルフォーマット(Part 12)に採用された。このPart 12からMPEG-4用のファイルフォーマットとして派生したものがMP4ファイルフォーマットである。詳細は、[[MP4]]ページ参照。 == プロファイルとレベル == ビジュアル、オーディオ共その規格内において、[[プロファイル (工学)|プロファイル]]とレベルと呼ばれる概念が規定されている。プロファイルとは使用できるツールを示すものであり、レベルとは使用できるパラメータの範囲を規定するものである。例えば、MPEG-4 Part 2では、シンプルプロファイル(SP)、アドバンスドシンプルプロファイル(ASP)、メインプロファイル (MP)などが規定されそれぞれ使用可能なツールが異なる。[[H.264|MPEG-4 AVC]]では、ベースラインプロファイル、メインプロファイル、拡張(Extended)プロファイルの3種類が規定されていたが、2004年に高忠実度化規格(FRExt)が策定され、ハイプロファイル、ハイ10プロファイル、ハイ4:2:2プロファイル、ハイ4:4:4プロファイルの4種類が新たに規定された。 == 歴史 == [[1999年]]に規格化された直後から、動画像を長時間記録する用途で[[デジタルカメラ]]の一機能として使用された。当初は、ファイルフォーマットが規格化されていなかったため、[[マイクロソフト]]社の[[Advanced Systems Format|ASF]]ファイルフォーマットが使用された。近年では、第三世代[[携帯電話]]の動画フォーマットとして採用され、PDAを含めてモバイルで見る動画フォーマットの主流になりつつある。特に[[iPod]]や[[PlayStation Portable|PSP]]がこのフォーマットに対応したことを機に爆発的に普及している。これらの動画符号化技術は、現状MPEG-4 Part 2であるが、2000年中判からは、MPEG-4 AVCも使用されていった。 当初は放送や通信分野においては、ライセンスの問題もあり主だった利用例も少なかったが、MPEG-4 AVC (H.264)が[[地上デジタルテレビジョン放送|地上波デジタル放送]]の携帯端末向け(1セグメント)放送での採用、[[Blu-ray Disc]]や[[HD DVD]]のビデオ・[[コーデック]]として承認されるなど、2020年代に至るまで幅広く応用された。 2010年代後半ごろから[H.265]のような後継規格や[AV1]のような代替規格による置き換えが徐々に進行しつつある。 == 利用例 == === 3GPP/3GPP2動画フォーマット === [[第三世代携帯電話]]の業界団体である[[3GPP]]と[[3GPP2]]は、動画コンテンツにMPEG-4を採用している。なお、同じファイルフォーマットをサポートした[[第二世代携帯電話]]端末も存在する。 * [[コンテナフォーマット|コンテナ]]に[[MP4]]ファイルフォーマット * 音声に[[Adaptive Multi-Rate|AMR]]又は[[AAC]] * 映像には[[H.263]]又はMPEG-4 Part 2(のSimple Profile) を使用している。[[画面解像度|解像度]]はQCIF(Sub-QCIF)などに限定されているが、一部端末では[[Quarter Video Graphics Array|QVGA]]なども利用可能。 === DivX === 2000年代前半に[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]で動画を扱う際によく使われた[[DivX]]や[[Xvid]]はMPEG-4 Visual (Video) の技術を利用したものである。これらを利用した映像を[[Audio Video Interleave|AVI]]の箱(コンテナ)に収めたものは一部の[[DVDプレーヤー]]や[[ゲーム機]]等での再生に対応している。 *(DivX + MP3).avi === メモリーカード規格 === [[SDメモリーカード]]のSD-Video規格や[[メモリースティック]]の[[メモリースティックビデオ|メモリースティックビデオフォーマット]]にMPEG-4が採用されている。前者は[[Advanced Systems Format|ASF]]形式、後者は[[MP4]]を採用している。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[MPEG-1]] * [[MPEG-2]] * [[MPEG-7]] * [[MPEG-21]] * [[MPEG-4オーディオ]] * [[MP4]] * [[MS-MPEG4]] * [[AAC]] * [[3GPP]] * [[3GPP2]] * [[H.263]] * [[H.264]] == 外部リンク == * [https://mpeg.chiariglione.org/standards/mpeg-4 MPEG-4] - MPEGオフィシャルサイト {{圧縮フォーマット}} {{Video formats}} [[Category:コーデック|MPEG-4]] [[Category:MPEG]]
2003-02-28T08:38:37Z
2023-12-13T05:44:40Z
false
false
false
[ "Template:Main", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:圧縮フォーマット", "Template:Video formats" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/MPEG-4
3,054
胎座
胎座(たいざ、英語: placenta)とは、植物の子房中の胚珠の接する部分のこと。 植物により分布のしかたが異なり、側膜胎座や中軸胎座などの種類に分かれる。 胎座を果実の可食部に発達させる植物もある。アケビ科のアケビは種の周りの胎座が、甘いゼリー状の果肉に発達する。ナス科のトマトは内部のゼリー状果肉と隣接した内側の果肉が胎座で、動物が果実を食べようとすると、種子とともに飛び出して周囲に飛散させ、繁殖に寄与する。トウガラシやピーマンなどナス科トウガラシ属の胎座は判別しやすいため好例である。トウガラシ属の果実の内側にある種子の付着した白い芯のような果肉が胎座である。トウガラシ属の胎座は、果実の中で最も多くカプサイシンを保有している、辛い部位である。 胎座が子房室(ovary)の中でどのように分布するかを分類して、胎座型(placentation)と呼ぶ。植物の種によって異なる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "胎座(たいざ、英語: placenta)とは、植物の子房中の胚珠の接する部分のこと。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "植物により分布のしかたが異なり、側膜胎座や中軸胎座などの種類に分かれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "胎座を果実の可食部に発達させる植物もある。アケビ科のアケビは種の周りの胎座が、甘いゼリー状の果肉に発達する。ナス科のトマトは内部のゼリー状果肉と隣接した内側の果肉が胎座で、動物が果実を食べようとすると、種子とともに飛び出して周囲に飛散させ、繁殖に寄与する。トウガラシやピーマンなどナス科トウガラシ属の胎座は判別しやすいため好例である。トウガラシ属の果実の内側にある種子の付着した白い芯のような果肉が胎座である。トウガラシ属の胎座は、果実の中で最も多くカプサイシンを保有している、辛い部位である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "胎座が子房室(ovary)の中でどのように分布するかを分類して、胎座型(placentation)と呼ぶ。植物の種によって異なる。", "title": "胎座型" } ]
胎座とは、植物の子房中の胚珠の接する部分のこと。
[[Image:Akebia.jpg|thumb|白い箇所がアケビの胎座]] '''胎座'''(たいざ、{{lang-en|'''placenta'''}})とは、[[植物]]の[[子房]]中の[[胚珠]]の接する部分のこと。 == 概要 == 植物により分布のしかたが異なり、側膜胎座や中軸胎座などの種類に分かれる。 胎座を[[果実]]の可食部に発達させる植物もある。[[アケビ科]]の[[アケビ]]は種の周りの胎座が、甘い[[ゼリー]]状の[[果肉]]に発達する。[[ナス科]]の[[トマト]]は内部のゼリー状果肉と隣接した内側の果肉が胎座で、[[動物]]が果実を食べようとすると、種子とともに飛び出して周囲に飛散させ、[[繁殖]]に寄与する。[[トウガラシ]]や[[ピーマン]]などナス科[[トウガラシ属]]の胎座は判別しやすいため好例である。トウガラシ属の果実の内側にある種子の付着した白い芯のような果肉が胎座である。トウガラシ属の胎座は、果実の中で最も多く[[カプサイシン]]を保有している、[[辛味|辛い]]部位である。 == 胎座型 == 胎座が子房室(ovary)の中でどのように分布するかを分類して、胎座型(placentation)と呼ぶ。植物の種によって異なる。 ; 基底胎座 (basal placentation、basifix placentation) :胚珠が子房室の基底部に位置するもの。単一子房と複合子房に分かれる。 :* 単一子房 - [[キンポウゲ科]]、[[バラ科]]など。 :* 複合子房 - [[カヤツリグサ科]]、[[キク科]]、[[コショウ科]]、[[シソ科]]、[[タデ科]]など。 : ;頂生胎座 (apical placentation) : 懸垂胎座 (pendulous placentation)ともいう。少数の胚珠が子房室の頭頂部に位置するもの。単一子房と複合子房に分かれる。 :* 単一子房 - キンポウゲ科([[イチリンソウ属]]、[[カラマツソウ属]]など)など。 :* 複合子房 - [[ウコギ科]]、[[オミナエシ科]]、[[セリ科]]、[[ミズキ科]]など。 : ;側膜胎座 (parietal placentation) : 子房室は分かれておらず、複数が複合した心皮(carpel)の縁に胚珠が位置するもの。[[アブラナ科]]、[[スミレ科]]、[[ハンニチバナ科]]、[[モウセンゴケ科]]、[[ヤナギ科]]など。 ;中軸胎座 (axial placentation、axile placentation) : 子房室が放射状の壁でいくつかに分かれており、その中に一つずつ心皮を持ち、心皮の縁が巻いてできた中軸に胚珠が位置するもの。[[オトギリソウ科]]、[[カタバミ科]]、[[サクラソウ科]]、[[ツツジ科]]、[[ナデシコ科]]、[[ヒガンバナ科]]、[[ヤシ科]]など。 ;独立中央胎座 (free central placentation) : 特立中央胎座ともいう。子房室は分かれておらず、中央に独立した中軸に胚珠が位置するもので、心皮は複数。[[サクラソウ科]]、[[ナデシコ科]]など。 ;縁辺胎座 (marginal placentation) : 子房室は分かれておらず、その片側に伸びた心皮が1枚あり、その縁近くに胚珠が位置するもの。[[キンポウゲ科]]、[[マメ科]]、[[メギ科]]など。 ; 面生胎座 (laminar placentation) : 子房室は分かれておらず、心皮の内面全体に胚珠が位置するもの。[[アケビ科]]、[[スイレン科]]、[[トチカガミ科]]など。 ; 中肋胎座 (median placentation) : 心皮の[[中肋]](ちゅうろく。主脈)に位置するもの。 ==関連項目== *[[種子植物]] {{Plant-stub}} {{デフォルトソート:たいさ}} [[category:植物形態学]] [[Category:植物の生殖]]
null
2021-08-29T11:50:59Z
false
false
false
[ "Template:Lang-en", "Template:Plant-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8E%E5%BA%A7
3,055
一年生植物
一年生植物(いちねんせいしょくぶつ)とは、種子から発芽して一年以内に生長して開花・結実して、種子を残して枯死する植物。普通は草木である。一年生草木・一年草・一年生作物・一年生ともいう。 植物の本来の性質として一年生植物である場合と、本来は原産地で多年生植物であるが生息地の気候条件によって一年生植物になる場合がある。後者は「園芸上は一年生植物」などという言い方をすることがある。 また、秋に発芽し越冬し翌年に枯れる植物を、冬型一年草又は、越年草という。これを「二年生植物」という場合があるので注意を要する。これは、1年目の秋に種を蒔いて発芽させて、年が替わり1月になったことを2年目と考え、2年目に開花~枯死するので「二年生植物」としている。しかし、普通、「二年生植物」とは種子~枯死までが1年を超えて2年以内でのものをいう。 植物はもともとは多年生であったものと思われる。現生の植物でもシダ植物には温帯におけるミズワラビのようなわずかな例外を除くと一年草はほとんどないし、裸子植物には皆無である。いわゆる草本という形態と共に、被子植物の段階より進化したものと思われる。これは、より変化の激しい気候の地域に生活するための適応と考えられる。裸地に出現するパイオニア的な草本も1年草が多い。 たとえば、砂漠のような年間にごく限られた期間のみ水が利用できるような環境では、ウェルウィッチアのように地下水脈まで根を下ろして暮らすとか、サボテンのように極度に乾燥に強い形態で耐えるというやり方もあるが、種子で休眠して過ごす方がはるかに簡単である。ただし、そのためには良好な条件の時期に短時間で成長、繁殖することが必要になる。元来は熱帯植物であるイネが日本では東北・北海道地方でも生育できるのも、冬季を種子で過ごせる(人間が保管するのであるが)ためである。 身近な一年生植物の例をあげる。(但し、品種などにより例外があったり、日本でも地域によっては越冬、越夏ができ多年生植物となる可能性はある。)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "一年生植物(いちねんせいしょくぶつ)とは、種子から発芽して一年以内に生長して開花・結実して、種子を残して枯死する植物。普通は草木である。一年生草木・一年草・一年生作物・一年生ともいう。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "植物の本来の性質として一年生植物である場合と、本来は原産地で多年生植物であるが生息地の気候条件によって一年生植物になる場合がある。後者は「園芸上は一年生植物」などという言い方をすることがある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "また、秋に発芽し越冬し翌年に枯れる植物を、冬型一年草又は、越年草という。これを「二年生植物」という場合があるので注意を要する。これは、1年目の秋に種を蒔いて発芽させて、年が替わり1月になったことを2年目と考え、2年目に開花~枯死するので「二年生植物」としている。しかし、普通、「二年生植物」とは種子~枯死までが1年を超えて2年以内でのものをいう。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "植物はもともとは多年生であったものと思われる。現生の植物でもシダ植物には温帯におけるミズワラビのようなわずかな例外を除くと一年草はほとんどないし、裸子植物には皆無である。いわゆる草本という形態と共に、被子植物の段階より進化したものと思われる。これは、より変化の激しい気候の地域に生活するための適応と考えられる。裸地に出現するパイオニア的な草本も1年草が多い。", "title": "適応的意味" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "たとえば、砂漠のような年間にごく限られた期間のみ水が利用できるような環境では、ウェルウィッチアのように地下水脈まで根を下ろして暮らすとか、サボテンのように極度に乾燥に強い形態で耐えるというやり方もあるが、種子で休眠して過ごす方がはるかに簡単である。ただし、そのためには良好な条件の時期に短時間で成長、繁殖することが必要になる。元来は熱帯植物であるイネが日本では東北・北海道地方でも生育できるのも、冬季を種子で過ごせる(人間が保管するのであるが)ためである。", "title": "適応的意味" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "身近な一年生植物の例をあげる。(但し、品種などにより例外があったり、日本でも地域によっては越冬、越夏ができ多年生植物となる可能性はある。)", "title": "一年生植物" } ]
一年生植物(いちねんせいしょくぶつ)とは、種子から発芽して一年以内に生長して開花・結実して、種子を残して枯死する植物。普通は草木である。一年生草木・一年草・一年生作物・一年生ともいう。 植物の本来の性質として一年生植物である場合と、本来は原産地で多年生植物であるが生息地の気候条件によって一年生植物になる場合がある。後者は「園芸上は一年生植物」などという言い方をすることがある。 また、秋に発芽し越冬し翌年に枯れる植物を、冬型一年草又は、越年草という。これを「二年生植物」という場合があるので注意を要する。これは、1年目の秋に種を蒔いて発芽させて、年が替わり1月になったことを2年目と考え、2年目に開花~枯死するので「二年生植物」としている。しかし、普通、「二年生植物」とは種子~枯死までが1年を超えて2年以内でのものをいう。
{{Redirect|一年草|[[研ナオコ]]の同名楽曲|一年草 (曲)}} {{出典の明記|date=2018年10月}} '''一年生植物'''(いちねんせいしょくぶつ)とは、[[種子]]から[[発芽]]して一年以内に[[生長]]して[[開花]]・結実して、[[種子]]を残して枯死する[[植物]]。普通は[[草木]]である。'''一年生草木'''・'''一年草'''・'''一年生作物'''・'''一年生'''ともいう。 植物の本来の性質として一年生植物である場合と、本来は原産地で多年生植物であるが生息地の気候条件によって一年生植物になる場合がある。後者は「園芸上は一年生植物」などという言い方をすることがある。 また、秋に発芽し越冬し翌年に枯れる植物を、'''冬型一年草'''又は、'''越年草'''という。これを「[[二年生植物]]」という場合があるので注意を要する。これは、1年目の秋に種を蒔いて発芽させて、年が替わり1月になったことを2年目と考え、2年目に開花~枯死するので「二年生植物」としている。しかし、普通、「二年生植物」とは種子~枯死までが1年を超えて2年以内でのものをいう。 == 適応的意味 == 植物はもともとは多年生であったものと思われる。現生の植物でも[[シダ植物]]には温帯における[[ミズワラビ]]のようなわずかな例外を除くと一年草はほとんどないし、[[裸子植物]]には皆無である。いわゆる草本という形態と共に、被子植物の段階より進化したものと思われる。これは、より変化の激しい気候の地域に生活するための[[適応 (生物学)|適応]]と考えられる。裸地に出現するパイオニア的な草本も1年草が多い。 たとえば、砂漠のような年間にごく限られた期間のみ水が利用できるような環境では、[[ウェルウィッチア]]のように[[地下水脈]]まで根を下ろして暮らすとか、[[サボテン]]のように極度に乾燥に強い形態で耐えるというやり方もあるが、[[種子]]で休眠して過ごす方がはるかに簡単である。ただし、そのためには良好な条件の時期に短時間で成長、繁殖することが必要になる。元来は熱帯植物である[[イネ]]が日本では東北・北海道地方でも生育できるのも、冬季を種子で過ごせる(人間が保管するのであるが)ためである。 ==一年生植物== 身近な一年生植物の例をあげる。(但し、品種などにより例外があったり、日本でも地域によっては越冬、越夏ができ多年生植物となる可能性はある。) *本来の性質として一年生植物 **[[アサガオ]] **[[カボチャ]] **[[トウモロコシ]] **[[ヒマワリ]] *本来の性質として多年生植物であるが、日本の気候では一年生植物 **日本では越冬が困難なもの。 ***[[トマト]] ***[[トウガラシ]](沖縄などの温暖な地域では可能、またハウス栽培で温度を保てば可能) ***[[イネ]](条件次第で越冬する場合もあるが、2年目は収穫には使用しない。) ***[[コリウス]] ***[[ニチニチソウ]](沖縄等では越冬し多年生になる) ***[[ペチュニア]]、[[カリブラコア]](日本で越冬させるには室内管理などが必須) ***[[ランタナ]](晩秋に根元付近まで切り戻し、人為的に宿根させると越冬確率が向上する) **日本で越夏が困難なもの。 ***[[ヒナギク]] ***[[パンジー]] ***[[キンギョソウ]](条件次第では越夏することもある。古い茎は木質化し亜灌木になる) ***[[デルフィニウム]](高地などでは越夏することもある) ==冬型一年生植物== *[[アブラナ]] *[[ヒメジョオン]] *[[ハハコグサ]] ==関連項目== *[[二年生植物]] *[[多年生植物]] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:いちねんせいしよくふつ}} [[Category:植物学]]
2003-02-28T09:13:17Z
2023-12-12T01:44:25Z
false
false
false
[ "Template:Redirect", "Template:出典の明記", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%B9%B4%E7%94%9F%E6%A4%8D%E7%89%A9
3,056
食物繊維
食物繊維(しょくもつせんい)とは、人の消化酵素によって消化されにくい、食物に含まれている難消化性成分の総称である。その多くは植物性、藻類性、菌類性食物の細胞壁を構成する成分であるが、植物の貯蔵炭水化物の中にはグルコマンナンやイヌリンの様に栄養学的には食物繊維としてふるまうものも少なくない。化学的には炭水化物のうちの多糖類であることが多い。 従来は、消化されず役に立たないものとされてきた。後に有用性がわかってきたため、日本人の食事摂取基準で摂取する目標量が設定されている。ただし、定義から明らかなように栄養素ではない。 ヒトの消化管は自力ではデンプンやグリコーゲン以外の多くの多糖類を消化できないが、大腸内の腸内細菌が嫌気発酵することによって、短鎖脂肪酸やメタン、二酸化炭素、水素などに分解される。短鎖脂肪酸の83%が酢酸、プロピオン酸、酪酸で占められ、産生比は60:20:20の割合である。産生された短鎖脂肪酸の大部分は大腸から吸収される。酢酸は宿主のエネルギー源となり、プロピオン酸は肝臓で糖新生の原料として利用され、酪酸は結腸細胞に優先的にエネルギー源として利用される。食物繊維の大半がセルロースであり、人間のセルロース利用能力は意外に高く、粉末にしたセルロースであれば腸内細菌を介してほぼ100%分解利用されるとも言われている。デンプンは約4kcal/g のエネルギーを産生するが、食物繊維は腸内細菌による醗酵分解によってエネルギーを産生し、その値は一定でないが、有効エネルギーは0 - 2kcal/gであると考えられている。また、食物繊維の望ましい摂取量は、成人男性で19g/日以上、成人女性で17g/日以上である。食物繊維は、大腸内で腸内細菌によりヒトが吸収できる分解物に転換されることから、食後長時間を経てから体内にエネルギーとして吸収される特徴を持ち、エネルギー吸収の平準化に寄与している。大腸の機能は食物繊維の存在を前提としたものであり、これの不足は大腸の機能不全につながることになる。食物繊維をNSP(non‐starch polysaccharide、非デンプン性多糖類)と呼ぶこともある。 1918年、医師であるジョン・ハーヴェイ・ケロッグは『自家中毒』という著書を出版し、腸内で細菌が未消化タンパク質から作る毒が健康を害するという自家中毒説をもとに、未消化の肉には細菌が繁殖しやすいが、食物繊維は腸を刺激して活発にさせるので毒が作られにくいという理由で菜食をすすめた。 しかし、一方で栄養学では「食べ物のカス」ともされ、長年役に立たないものと認識されていた。たとえば、栄養学の創設者である佐伯矩は、玄米は栄養が多いが未消化物が多いので消化吸収の効率が悪いなどとして、ある程度精白した米である七分搗き米をすすめていた。 1960年代の南アフリカのジョージ・オットル(George Oettle)が、食物繊維と大腸がんの関連の研究をしていた。1967年に、インドのマルホトラは食物繊維の摂取が多い場合、がんのリスクが減るという報告をしている。 1970年前後、バーキットはオットルの研究を発展させランセットなどで研究報告を行い、食物繊維が少ないと腸内の疾患のリスクが上がるだろうという説が広く知られるようになっていった。1975年にバーキットはトロウェル (Hugh Trowell)と共著で『精製炭水化物と病気-食物繊維の影響』を出版し、精白していない穀物である全粒穀物の食物繊維が有益であると述べ、このことは科学的研究によって確認されていった。 日本では2000年の「第6次改定日本人の栄養所要量」から摂取量について目標量が設定されている。 大きく水溶性食物繊維 (SDF : soluble dietary fiber)と不溶性食物繊維 (IDF : insoluble dietary fiber)に分けられる。粘性や発酵性で分類する場合もある。 水溶性食物繊維 (海藻に含まれる水溶性食物繊維) 不溶性食物繊維 不溶性食物繊維と水溶性食物繊維の特性をあわせ持つもの 溶けるとゲル状となり栄養吸収をゆっくりとさせる。 粘性食物繊維 非粘性食物繊維 大腸内のバクテリアにより発酵され短鎖脂肪酸(SCFA)やガス(おなら)が産生される。 発酵性食物繊維 非発酵性食物繊維 熟した果物などに含まれている水溶性食物繊維は、食後の血糖値の急激な上昇の抑制や、コレステロールの吸収を抑制する作用が報告されている。 野菜や穀類、豆類等に含まれている不溶性食物繊維は、大腸の蠕動運動を促す。 食物繊維の効用として、脂質異常症予防、便秘予防、肥満予防、糖尿病予防、脂質代謝を調節して動脈硬化の予防、大腸癌の予防、その他腸内細菌によるビタミンB群の合成、食品中の毒性物質の排除促進等が確認された。長寿地区住民の高齢者の食物繊維摂取量と同一人の腸内細菌叢を分析することによって、食物繊維の摂取量が多いと、働き盛りの青壮年なみに有用菌(ビフィズス菌等)が優勢で老人特有の有害菌(ウエルシュ菌等)は抑えこまれていることが実証された。さらにこの有用菌は腸内腐敗防止、免疫強化、腸内感染の防御、腸管運動の促進といった作用のあることがわかった。 消化管内の必須栄養素であるカルシウムと結合し腸管からの吸収を阻害する働きもある。 日本では、特定保健用食品(トクホ)の表示が認可されている。 2003年、世界保健機関(WHO)と国連食糧農業機関(FAO)による「食事、栄養と生活習慣病の予防」(Diet, Nutrition and the Prevention of Chronic Diseases) では、肥満、2型糖尿病、心臓病のリスクを下げると報告し、野菜や果物や玄米のような全粒穀物からの摂取をすすめている。 リード (N.W. Read) とティムス (J.M. Timms) による「トンネルの向こうに光は見えるか」という1987年の論文では「食物繊維によって重症の便秘が軽減することは少ない」と著されている。 2007年11月1日の世界がん研究基金とアメリカがん研究協会によって7000以上の研究から分析したがん予防の報告書では、結腸や直腸のがんの予防との関連がありうるとしている。 食物繊維摂取量との関連が検討された生活習慣病は多岐に及び、心筋梗塞の発症ならびに死亡、糖尿病の発症との間に負の関連を認めたとする研究報告が数多くある。また、循環器疾患の強い危険因子である血圧並びに血清(または血漿)LDLコレステロールとの間でも負の関連が示唆されている。さらに、肥満との関連を示した疫学研究も多数存在する。一方、がん、特に、大腸(結腸並びに直腸)がんとの関連については、最近の疫学研究の結果は必ずしも一致していない。ハーバード大学公衆衛生学部は、「食物繊維の摂取は、健康効果のある健全な食事としてもてはやされ、心臓病、糖尿病、憩室疾患、便秘を含む様々な疾患のリスクを減少させていた。多くの人が信じていたにもかかわらず、食物繊維には大腸がんのリスクの減少の効果はほとんど認められなかった。」と発表している。 海藻、全粒穀物、豆などに食物繊維が多く含まれる。実際の含有量は、産地、収穫時期、品種等で異なるため代表値である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "食物繊維(しょくもつせんい)とは、人の消化酵素によって消化されにくい、食物に含まれている難消化性成分の総称である。その多くは植物性、藻類性、菌類性食物の細胞壁を構成する成分であるが、植物の貯蔵炭水化物の中にはグルコマンナンやイヌリンの様に栄養学的には食物繊維としてふるまうものも少なくない。化学的には炭水化物のうちの多糖類であることが多い。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "従来は、消化されず役に立たないものとされてきた。後に有用性がわかってきたため、日本人の食事摂取基準で摂取する目標量が設定されている。ただし、定義から明らかなように栄養素ではない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ヒトの消化管は自力ではデンプンやグリコーゲン以外の多くの多糖類を消化できないが、大腸内の腸内細菌が嫌気発酵することによって、短鎖脂肪酸やメタン、二酸化炭素、水素などに分解される。短鎖脂肪酸の83%が酢酸、プロピオン酸、酪酸で占められ、産生比は60:20:20の割合である。産生された短鎖脂肪酸の大部分は大腸から吸収される。酢酸は宿主のエネルギー源となり、プロピオン酸は肝臓で糖新生の原料として利用され、酪酸は結腸細胞に優先的にエネルギー源として利用される。食物繊維の大半がセルロースであり、人間のセルロース利用能力は意外に高く、粉末にしたセルロースであれば腸内細菌を介してほぼ100%分解利用されるとも言われている。デンプンは約4kcal/g のエネルギーを産生するが、食物繊維は腸内細菌による醗酵分解によってエネルギーを産生し、その値は一定でないが、有効エネルギーは0 - 2kcal/gであると考えられている。また、食物繊維の望ましい摂取量は、成人男性で19g/日以上、成人女性で17g/日以上である。食物繊維は、大腸内で腸内細菌によりヒトが吸収できる分解物に転換されることから、食後長時間を経てから体内にエネルギーとして吸収される特徴を持ち、エネルギー吸収の平準化に寄与している。大腸の機能は食物繊維の存在を前提としたものであり、これの不足は大腸の機能不全につながることになる。食物繊維をNSP(non‐starch polysaccharide、非デンプン性多糖類)と呼ぶこともある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1918年、医師であるジョン・ハーヴェイ・ケロッグは『自家中毒』という著書を出版し、腸内で細菌が未消化タンパク質から作る毒が健康を害するという自家中毒説をもとに、未消化の肉には細菌が繁殖しやすいが、食物繊維は腸を刺激して活発にさせるので毒が作られにくいという理由で菜食をすすめた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "しかし、一方で栄養学では「食べ物のカス」ともされ、長年役に立たないものと認識されていた。たとえば、栄養学の創設者である佐伯矩は、玄米は栄養が多いが未消化物が多いので消化吸収の効率が悪いなどとして、ある程度精白した米である七分搗き米をすすめていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1960年代の南アフリカのジョージ・オットル(George Oettle)が、食物繊維と大腸がんの関連の研究をしていた。1967年に、インドのマルホトラは食物繊維の摂取が多い場合、がんのリスクが減るという報告をしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1970年前後、バーキットはオットルの研究を発展させランセットなどで研究報告を行い、食物繊維が少ないと腸内の疾患のリスクが上がるだろうという説が広く知られるようになっていった。1975年にバーキットはトロウェル (Hugh Trowell)と共著で『精製炭水化物と病気-食物繊維の影響』を出版し、精白していない穀物である全粒穀物の食物繊維が有益であると述べ、このことは科学的研究によって確認されていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本では2000年の「第6次改定日本人の栄養所要量」から摂取量について目標量が設定されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "大きく水溶性食物繊維 (SDF : soluble dietary fiber)と不溶性食物繊維 (IDF : insoluble dietary fiber)に分けられる。粘性や発酵性で分類する場合もある。", "title": "分類と種類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "水溶性食物繊維", "title": "分類と種類" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "(海藻に含まれる水溶性食物繊維)", "title": "分類と種類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "不溶性食物繊維", "title": "分類と種類" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "不溶性食物繊維と水溶性食物繊維の特性をあわせ持つもの", "title": "分類と種類" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "溶けるとゲル状となり栄養吸収をゆっくりとさせる。", "title": "分類と種類" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "粘性食物繊維", "title": "分類と種類" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "非粘性食物繊維", "title": "分類と種類" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "大腸内のバクテリアにより発酵され短鎖脂肪酸(SCFA)やガス(おなら)が産生される。", "title": "分類と種類" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "発酵性食物繊維", "title": "分類と種類" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "非発酵性食物繊維", "title": "分類と種類" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "熟した果物などに含まれている水溶性食物繊維は、食後の血糖値の急激な上昇の抑制や、コレステロールの吸収を抑制する作用が報告されている。", "title": "効果" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "野菜や穀類、豆類等に含まれている不溶性食物繊維は、大腸の蠕動運動を促す。", "title": "効果" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "食物繊維の効用として、脂質異常症予防、便秘予防、肥満予防、糖尿病予防、脂質代謝を調節して動脈硬化の予防、大腸癌の予防、その他腸内細菌によるビタミンB群の合成、食品中の毒性物質の排除促進等が確認された。長寿地区住民の高齢者の食物繊維摂取量と同一人の腸内細菌叢を分析することによって、食物繊維の摂取量が多いと、働き盛りの青壮年なみに有用菌(ビフィズス菌等)が優勢で老人特有の有害菌(ウエルシュ菌等)は抑えこまれていることが実証された。さらにこの有用菌は腸内腐敗防止、免疫強化、腸内感染の防御、腸管運動の促進といった作用のあることがわかった。", "title": "効果" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "消化管内の必須栄養素であるカルシウムと結合し腸管からの吸収を阻害する働きもある。", "title": "効果" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "日本では、特定保健用食品(トクホ)の表示が認可されている。", "title": "効果" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2003年、世界保健機関(WHO)と国連食糧農業機関(FAO)による「食事、栄養と生活習慣病の予防」(Diet, Nutrition and the Prevention of Chronic Diseases) では、肥満、2型糖尿病、心臓病のリスクを下げると報告し、野菜や果物や玄米のような全粒穀物からの摂取をすすめている。", "title": "効果" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "リード (N.W. Read) とティムス (J.M. Timms) による「トンネルの向こうに光は見えるか」という1987年の論文では「食物繊維によって重症の便秘が軽減することは少ない」と著されている。", "title": "効果" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "2007年11月1日の世界がん研究基金とアメリカがん研究協会によって7000以上の研究から分析したがん予防の報告書では、結腸や直腸のがんの予防との関連がありうるとしている。", "title": "効果" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "食物繊維摂取量との関連が検討された生活習慣病は多岐に及び、心筋梗塞の発症ならびに死亡、糖尿病の発症との間に負の関連を認めたとする研究報告が数多くある。また、循環器疾患の強い危険因子である血圧並びに血清(または血漿)LDLコレステロールとの間でも負の関連が示唆されている。さらに、肥満との関連を示した疫学研究も多数存在する。一方、がん、特に、大腸(結腸並びに直腸)がんとの関連については、最近の疫学研究の結果は必ずしも一致していない。ハーバード大学公衆衛生学部は、「食物繊維の摂取は、健康効果のある健全な食事としてもてはやされ、心臓病、糖尿病、憩室疾患、便秘を含む様々な疾患のリスクを減少させていた。多くの人が信じていたにもかかわらず、食物繊維には大腸がんのリスクの減少の効果はほとんど認められなかった。」と発表している。", "title": "効果" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "海藻、全粒穀物、豆などに食物繊維が多く含まれる。実際の含有量は、産地、収穫時期、品種等で異なるため代表値である。", "title": "日本でよく知られた食品の食物繊維" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "", "title": "日本でよく知られた食品の食物繊維" } ]
食物繊維(しょくもつせんい)とは、人の消化酵素によって消化されにくい、食物に含まれている難消化性成分の総称である。その多くは植物性、藻類性、菌類性食物の細胞壁を構成する成分であるが、植物の貯蔵炭水化物の中にはグルコマンナンやイヌリンの様に栄養学的には食物繊維としてふるまうものも少なくない。化学的には炭水化物のうちの多糖類であることが多い。
{{混同|植物繊維}} {{読み仮名_ruby不使用|'''食物繊維'''|しょくもつせんい}}とは、人の[[消化酵素]]によって[[消化]]されにくい、[[食物]]に含まれている難消化性成分の総称である。その多くは[[植物]]性、[[藻類]]性、[[菌類]]性食物の[[細胞壁]]を構成する成分であるが、植物の貯蔵炭水化物の中には[[グルコマンナン]]や[[イヌリン]]の様に栄養学的には食物繊維としてふるまうものも少なくない。化学的には炭水化物のうちの多糖類であることが多い。 == 概要 == 従来は、消化されず役に立たないものとされてきた。後に有用性がわかってきたため、[[日本人]]の食事摂取基準で摂取する目標量が設定されている<ref name="摂取基準"/>。ただし、定義から明らかなように[[栄養素]]ではない。 [[ヒト]]の[[消化管]]は自力では[[デンプン]]や[[グリコーゲン]]以外の多くの多糖類を消化できないが、[[大腸]]内の[[腸内細菌]]が嫌気[[発酵]]することによって、[[短鎖脂肪酸]]や[[メタン]]、[[二酸化炭素]]、[[水素]]などに分解される。短鎖脂肪酸の83%が[[酢酸]]、[[プロピオン酸]]、[[酪酸]]で占められ、産生比は60:20:20の割合である。産生された短鎖脂肪酸の大部分は大腸から吸収される。酢酸は宿主のエネルギー源となり、プロピオン酸は肝臓で糖新生の原料として利用され、酪酸は結腸細胞に優先的にエネルギー源として利用される<ref>Keith A. GARLEB, Maureen K. SNOWDEN, Bryan W. WOLF, JoMay CHOW, 田代靖人 訳、「[https://doi.org/10.11209/jim1997.16.43 発酵性食物繊維としてのフラクトオリゴ糖の医療用食品への適用]」『腸内細菌学雑誌』 2002年 16巻 1号 p.43-54, {{doi|10.11209/jim1997.16.43}}</ref>。食物繊維の大半がセルロースであり、人間の[[セルロース]]利用能力は意外に高く、粉末にしたセルロースであれば腸内細菌を介してほぼ100%分解利用されるとも言われている{{要出典|date=2022年12月}}。デンプンは約4kcal/g のエネルギーを産生するが、食物繊維は腸内細菌による醗酵分解によってエネルギーを産生し、その値は一定でないが、有効エネルギーは0 - 2kcal/gであると考えられている。また、食物繊維の望ましい摂取量は、成人男性で19g/日以上、成人女性で17g/日以上である<ref name="摂取基準">厚生労働省、「{{PDFlink|[https://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/05/dl/s0529-4h.pdf 炭水化物]}}」『[https://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/05/s0529-4.html 日本人の食事摂取基準」(2010年版)]』、2016年7月22日閲覧</ref>。食物繊維は、大腸内で腸内細菌によりヒトが吸収できる分解物に転換されることから、食後長時間を経てから体内にエネルギーとして吸収される特徴を持ち、エネルギー吸収の平準化に寄与している。大腸の機能は食物繊維の存在を前提としたものであり、これの不足は大腸の機能不全につながることになる。食物繊維をNSP<ref>食物科学のすべて 第4版 建帛社 P.M.GAMAN/K.B.SHERRINGTON 著 中濱信子 監修 村山篤子/品川弘子 訳 2006年12月</ref>(non‐starch polysaccharide、非デンプン性多糖類)と呼ぶこともある。 == 歴史 == [[1918年]]、医師である[[ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ]]は『自家中毒』<ref>John Harvey Kellogg ''Autointoxication'' ,1918</ref>という著書を出版し、腸内で細菌が未消化タンパク質から作る毒が健康を害するという自家中毒説をもとに、未消化の肉には細菌が繁殖しやすいが、食物繊維は腸を刺激して活発にさせるので毒が作られにくいという理由で[[菜食]]をすすめた<ref>{{Cite book|和書|author=石毛直道, 小林彰夫, 鈴木建夫, 三輪睿太郎, Kenneth F. Kiple, Kriemhild Coneè Ornelas |title=ケンブリッジ世界の食物史大百科事典 |publisher=朝倉書店 |series=4 栄養と健康・現代の課題 |year=2004.9-2005.11 |id={{CRID|1130282271551740928}} |ISBN=4254435312 |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008014120-00 |pages=229-244}} 原著(Cambridge University Press, 2000)2巻本の全訳</ref>。 しかし、一方で栄養学では「食べ物のカス」ともされ、長年役に立たないものと認識されていた。たとえば、栄養学の創設者である[[佐伯矩]]は、[[玄米]]は栄養が多いが未消化物が多いので消化吸収の効率が悪いなどとして、ある程度精白した米である七分搗き米をすすめていた<ref>佐伯矩『栄養之合理化』愛知標準精米普及期成会、1930年。</ref>。 1960年代の南アフリカのジョージ・オットル(George Oettle)が、食物繊維と大腸がんの関連の研究をしていた。1967年に、インドのマルホトラは食物繊維の摂取が多い場合、がんのリスクが減るという報告をしている<ref>{{cite journal |author=Malhotra SL |title=Geographical distribution of gastrointestinal cancers in India with special reference to causation |journal=Gut |volume=8 |issue=4 |pages=361-72 |year=1967-08 |pmid=6039725 |pmc=1552547 |url=https://doi.org/10.1136/gut.8.4.361}}</ref>。 1970年前後、バーキット<ref>[http://understandingscience.ucc.ie/pages/sci_denisburkitt.htm DENIS BURKITT] – A LIFE OF SERVICE by William Reville, University College, Cork</ref>はオットルの研究を発展させ[[ランセット]]などで研究報告<ref>Burkitt DP. "[[doi:10.1016/S0140-6736(69)90757-0|Related disease--related cause?]]" [[ランセット|Lancet]]. 2(7632), 1969 Dec 6, pp1229-31. PMID 4187817, {{doi|10.1016/S0140-6736(69)90757-0}}</ref><ref>Burkitt DP. "[[doi:10.1002/1097-0142(197107)28:1|<3::AID-CNCR2820280104>3.0.CO;2-N Epidemiology of cancer of the colon and rectum.]]" ''Cancer'' 28(1), 1971 Jul, pp3-13. PMID 5165022</ref>を行い、食物繊維が少ないと腸内の疾患のリスクが上がるだろうという説が広く知られるようになっていった。1975年にバーキットはトロウェル (Hugh Trowell)と共著で『精製炭水化物と病気-食物繊維の影響』<ref>BURKITT D.P., TROWELL H.C ''Refined Carbohydrate Foods and Disease: Some Implications of Dietary Fibre'', 1975. ISBN 978-0-12-144750-2</ref>を出版し、精白していない穀物である[[全粒穀物]]の食物繊維が有益であると述べ、このことは科学的研究によって確認されていった<ref>Leonard Marquart et al. [http://www.jacn.org/cgi/content/full/19/suppl_3/289S Whole Grains and Health: An Overview] Journal of the American College of Nutrition, Vol. 19, No. 90003, 289S-290S (2000). PMID 10875599</ref>。 日本では2000年の「第6次改定日本人の栄養所要量<ref>[https://www.mhlw.go.jp/www1/shingi/s9906/s0628-1_11.html 第6次改定日本人の栄養所要量について] (厚生労働省)</ref>」から摂取量について目標量が設定されている。 == 分類と種類 == 大きく[[水溶性食物繊維]] (SDF : soluble dietary fiber)と[[不溶性食物繊維]] (IDF : insoluble dietary fiber)に分けられる。粘性や発酵性で分類する場合もある。 ===水溶性/不溶性=== '''水溶性食物繊維''' * [[ペクチン]] - 植物の細胞壁における細胞間接着物質であり、[[果物]]に多く含まれる * [[グアー豆酵素分解物]] - [[増粘安定剤]]([[食品添加物]])として用いられる * [[グルコマンナン]] - コンニャク芋の貯蔵炭水化物であり、[[こんにゃく]]の原料。なお、固化したこんにゃくは不溶性食物繊維が大半となる * [[βグルカン]] * [[ポリデキストロース]] - 化学的に合成された人工の水溶性食物繊維 * [[フルクタン]] - [[ラッキョウ]]<ref>小林恭一、「[https://doi.org/10.4109/jslab1997.13.53 花らっきょうと乳酸菌]」『日本乳酸菌学会誌』 2002年 13巻 1号 p.53-56, {{doi|10.4109/jslab1997.13.53}}</ref>、[[キクイモ]]、[[アーティチョーク]]などに含まれる[[フルクトース]]分子の重合体である。[[イヌリン]]、[[レバン]]、[[グラミナン]]もフルクタンに含まれる。 * [[イヌリン]] - [[ゴボウ]]や[[キクイモ]]など[[キク科]]植物の根や地下茎に含まれる貯蔵炭水化物 * [[アラビアガム]] - [[アカシア属]]アラビアゴムノキ({{Snamei|[[w:Acacia senegal|Acacia senegal]]}})、またはその同属近縁植物の[[樹皮]]の傷口からの分泌物を乾燥させたもの * [[マルチトール]] * [[エダウチオオバコ|サイリウム]] * 難消化性[[オリゴ糖]] * [[難消化性デキストリン]] (海藻に含まれる水溶性食物繊維) * [[アガロース]] - [[海藻]]のうち[[紅藻]]の細胞壁の主要構成要素であり、紅藻から抽出される[[寒天]]の主成分 * [[アルギン酸ナトリウム]] - [[海藻]]のうち[[褐藻]]の細胞壁の主要構成要素であり、[[コンブ]]などに含まれる * [[カラギーナン]] - [[ヤハズツノマタ]]や[[スギノリ]]などの[[紅藻類]]に多く含まれる多糖 * [[フコイダン]]、[[ポルフィラン]]、[[ラミナラン]]<ref name=suisan>吉江由美子、「[https://doi.org/10.2331/suisan.67.619 海藻の食物繊維に関する食品栄養学的研究]」『日本水産学会誌』 2001年 67巻 4号 p.619-622, {{doi|10.2331/suisan.67.619}}</ref> '''不溶性食物繊維''' * [[セルロース]]、[[ヘミセルロース]]、[[リグニン]] - 植物の[[細胞壁]]の主要構成要素で、[[野菜]]など植物性食品から多く得られる。日本人は平均15g/日の食物繊維を摂取しているが、そのうち12gは不溶性食物繊維で、そのほとんどがセルロースであると推定されている<ref name="tsuji">辻啓介、森文平『食物繊維の科学』 p22、1997年9月5日、朝倉書店、ISBN 4-254-43512-6 C3361</ref>。 * [[キチン]]、[[キトサン]] - [[甲殻類]]の殻や[[菌類]]の細胞壁などの主成分 '''不溶性食物繊維と水溶性食物繊維の特性をあわせ持つもの''' * [[レジスタントスターチ]](難消化性でんぷん) ===粘性/非粘性=== 溶けるとゲル状となり栄養吸収をゆっくりとさせる。<ref name="LPI">{{Cite web|和書|title=繊維/その他の分類体系 |url=https://lpi.oregonstate.edu/jp/mic/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E6%A0%84%E9%A4%8A%E7%B4%A0/%E7%B9%8A%E7%B6%AD#%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%E3%81%AE%E5%88%86%E9%A1%9E%E4%BD%93%E7%B3%BB |publisher=Linus Pauling Institute (微量栄養素情報センター) |accessdate=2018年11月28日 }}</ref> '''粘性食物繊維''' *ペクチン *βグルカン *[[グアーガム]] *サイリウム '''非粘性食物繊維''' *セルロース *リグニン ===発酵性/非発酵性=== 大腸内のバクテリアにより発酵され[[短鎖脂肪酸]](SCFA)やガス(おなら)が産生される。<ref name="LPI"/> '''発酵性食物繊維''' *ペクチン *βグルカン *グアーガム *サイリウム *イヌリン *フラクトオリゴ糖類(FOS) '''非発酵性食物繊維''' *セルロース *リグニン == 効果 == 熟した果物などに含まれている水溶性食物繊維は、食後の[[血糖値]]の急激な上昇の抑制<ref name="名前なし-1"> {{Cite journal|和書|author=大隈一裕 |author2=松田功 |author3=勝田康夫 |author4=岸本由香 |author5=辻啓介 |title=難消化性デキストリンの開発 |date=2006-01-20 |publisher=日本応用糖質科学会 |journal=Journal of applied glycoscience |volume=53 |number=1 |naid=10016738765 |pages=65-69 |ref=harv}}</ref><ref>中山行穂、「[https://doi.org/10.11468/seikatsueisei1957.35.32 食物繊維の構造と機能]」『生活衛生』 1991年 35巻 1号 p.32-37, {{doi|10.11468/seikatsueisei1957.35.32}}</ref>や、[[コレステロール]]の吸収を抑制する作用が報告されている。 野菜や穀類、豆類等に含まれている不溶性食物繊維は、大腸の蠕動運動を促す。 食物繊維の効用として、[[脂質異常症]]予防、[[便秘]]予防、[[肥満]]予防、[[糖尿病]]予防、脂質代謝を調節して[[動脈硬化]]の予防、[[大腸癌]]の予防、その他[[腸内細菌]]による[[ビタミンB]]群の合成、食品中の毒性物質の排除促進等が確認された。長寿地区住民の高齢者の食物繊維摂取量と同一人の腸内細菌叢を分析することによって、食物繊維の摂取量が多いと、働き盛りの青壮年なみに有用菌([[ビフィズス菌]]等)が優勢で老人特有の有害菌([[ウエルシュ菌]]等)は抑えこまれていることが実証された。さらにこの有用菌は腸内腐敗防止、[[免疫]]強化、腸内感染の防御、腸管運動の促進といった作用のあることがわかった。 消化管内の必須栄養素である[[カルシウム]]と結合し腸管からの吸収を阻害する働きもある<ref group="注">健常人の平均として経口摂取した一日必要量600mgのうち、腸管から吸収される分が約350mg/日、腸管から上皮細胞とともに脱落する分が約200mg/日で、尿として約150mg/日、便として約450mg/日が排泄される。'''食物繊維'''以外にも[[ポリフェノール]]も腸管からのカルシウム吸収を阻害する;「清水 誠」、「カルシウムの吸収・代謝と骨の健康」、『食と健康 食品の成分と機能』、放送大学テキスト、p.157、2006年。</ref>。 日本では、[[特定保健用食品]](トクホ)の表示が認可されている<ref>{{国立栄研健康食品|contents/sp_health.php|特定保健用食品の製品情報}}</ref>。 2003年、[[世界保健機関]](WHO)と[[国連食糧農業機関]](FAO)による「食事、栄養と生活習慣病の予防<ref>Report of a Joint WHO/FAO Expert Consultation ''[https://www.fao.org/docrep/005/ac911e/ac911e00.htm Diet, Nutrition and the Prevention of Chronic Diseases]'', 2003</ref>」(''Diet, Nutrition and the Prevention of Chronic Diseases'') では、肥満、2型糖尿病、心臓病のリスクを下げると報告し、野菜や果物や玄米のような[[全粒穀物]]からの摂取をすすめている。 リード (N.W. Read) とティムス (J.M. Timms) による「トンネルの向こうに光は見えるか」という1987年の論文<ref>{{Cite journal |author=Read, NW; Timms, JM |year=1987 |title=Constipation: Is there light at the end of the tunnel? |journal=Scandinavian Journal of Gastroenterology |volume=22 |issue=sup129 |pages=88-96 |publisher=Taylor & Francis |PMID=2820050 |doi=10.3109/00365528709095858 |url=https://doi.org/10.3109/00365528709095858}}</ref>では「食物繊維によって重症の[[便秘]]が軽減することは少ない」と著されている。 2007年11月1日の[[世界がん研究基金]]と[[アメリカがん研究協会]]によって7000以上の研究から分析したがん予防の報告書<ref>{{Cite book|author=World Cancer Research Fund and American Institute for Cancer Research|url=http://wcrf.org/int/research-we-fund/continuous-update-project-cup/second-expert-report |title=Food, Nutrition, Physical Activity, and the Prevention of Cancer: A Global Perspective|year= 2007|publisher=Amer. Inst. for Cancer Research|isbn= 978-0972252225}} 日本語要旨:[http://www.wcrf.org/sites/default/files/SER-SUMMARY-(Japanese).pdf 食べもの、栄養、運動とがん予防]、[[世界がん研究基金]]と[[米国がん研究機構]]</ref>では、結腸や直腸のがんの予防との関連がありうるとしている。 食物繊維摂取量との関連が検討された[[生活習慣病]]は多岐に及び、[[心筋梗塞]]の発症ならびに死亡、[[糖尿病]]の発症との間に負の関連を認めたとする研究報告が数多くある。また、循環器疾患の強い危険因子である[[血圧]]並びに[[血清]](または[[血漿]])[[LDLコレステロール]]との間でも負の関連が示唆されている。さらに、[[肥満]]との関連を示した疫学研究も多数存在する。一方、[[がん]]、特に、大腸([[結腸]]並びに[[直腸]])がんとの関連については、最近の疫学研究の結果は必ずしも一致していない<ref name="摂取基準"/>。ハーバード大学公衆衛生学部は、「食物繊維の摂取は、健康効果のある健全な食事としてもてはやされ、心臓病、糖尿病、憩室疾患、便秘を含む様々な疾患のリスクを減少させていた。多くの人が信じていたにもかかわらず、食物繊維には大腸がんのリスクの減少の効果はほとんど認められなかった。」と発表している<ref>{{cite web|title="Feeling a little lost?" / Health Effects of Eating Fiber |url=http://www.hsph.harvard.edu/nutritionsource/fiber.html |accessdate=2010年6月8日}}{{404|date=2023-04}}</ref>。 ; 肥満防止: 水溶性食物繊維は胃で膨潤することで食塊を大きくし、粘性を上げ、胃内の滞留時間を延ばし満腹感を与え、不溶性食物繊維は食物の咀嚼回数を増加させ唾液や胃液の分泌を促し食塊を大きくすることで効果を現す。 : 18-20歳の女子学生を対象に食事の調査を行ったところ、食事の[[GI値]](炭水化物が消化されて糖に変化する速さを相対的に表す数値)が高い群ほど[[ボディマス指数]](BMI)(肥満の程度を表す値)が高くなり、食物繊維の摂取が多い群ほどBMIの値が低い結果が得られた<ref>村上健太郎、佐々木敏、大久保公美、高橋佳子、細井陽子、板橋真美、「[http://www.nutrepi.m.u-tokyo.ac.jp/publication/ja/2415.pdf 食物繊維摂取量およびグライセミック・インデックス(GI)と肥満度との関連:18~20歳の女子学生3931人の横断研究]」 2008年</ref>。 ; コレステロール上昇抑止 : 水溶性食物繊維が効果的、水溶性食物繊維は食物コレステロールの吸収抑制、コレステロールの異化・代謝・排泄の促進、[[胆汁酸]]の回腸からの再吸収阻害による代謝・排泄の促進などがされる。 ; 血糖値上昇抑制 : 水溶性食物繊維は粘度の高い溶液をつくり、胃から小腸への食物の移行を緩やかにする。また、拡散阻害作用、吸水・膨潤作用、吸着作用などがあり、摂取した食物は胃で消化され、緩やかに移行し、吸着され、吸収速度が緩慢となる結果、グルコースの吸収を緩慢にして血糖値の上昇を抑える<ref>{{Cite journal|和書|author=藤田昌子, 長屋聡美 |date=2003 |title=食品の違いによる食後血糖への影響 |journal=岐阜女子大学紀要 |ISSN=02868644 |publisher=岐阜女子大学 |issue=32 |pages=131-136 |naid=80015987150 |id={{国立国会図書館書誌ID|6602656}} |url=https://gijodai.jp/library/file/kiyo2003/16-2003.pdf |format=PDF}}</ref>。 : 熟した果物などに含まれている水溶性食物繊維(難消化性[[デキストリン]])は、食後の血糖値の急激な上昇の抑制<ref name="名前なし-1"/><ref>中山行穂、「[https://doi.org/10.11468/seikatsueisei1957.35.32 食物繊維の構造と機能 (1) 化学構造と分析法]」『生活衛生』 1991年 35巻 1号 p.32-37, {{doi|10.11468/seikatsueisei1957.35.32}}</ref>作用が報告されている。 : [[ペクチン]]を食事とともに摂取すると、血糖上昇が抑制され、インスリンの分泌も抑制された<ref name="名前なし-2">Jenkins, D.J.A., Lees, A.R., Gassull, M.A.,Cochet, B. and Alberti, G.M.M.: Ann. Intern. Med., 80, 20 (1977)</ref><ref name=jsn/>。ペクチンは、[[サトウダイコン]]、[[ヒマワリ]]、アマダイダイ([[オレンジ]])、[[グレープフルーツ]]、[[ライム]]、[[レモン]]又は[[リンゴ]]などの果物に多く含まれる。{{seealso|ペクチン}} : [[グルコマンナン]]は[[コンニャク]]に多く含まれる水溶性食物繊維であり、グルコマンナンと[[グルコース]]を同時に摂取した場合、グルコマンナンには血糖値上昇抑制効果があった。グルコマンナンの粘性によるグルコースの拡散抑制による可能性がある。[[セルロース]]や[[プルラン]]では効果が認められなかった。なお、プルランは粘性が高いものの人体の消化酵素で消化されてしまう<ref name=jsn>奥恒行、藤田温彦、細谷憲政、[https://doi.org/10.4327/jsnfs.36.301 グルコマンナン、プルランならびにセルロースの血糖上昇抑制効果の比較] 『日本栄養・食糧学会誌』 1983年 36巻 4号 p.301-303, {{doi|10.4327/jsnfs.36.301}}</ref>。 : [[アルギン酸ナトリウム]]は、主に[[褐藻]]に含まれる[[多糖類]]の一種であり、水溶性食物繊維の粘性により[[血糖]]上昇抑制効果があり、また、[[二糖類]]分解酵素の阻害効果による血糖上昇抑制効果も認められたとする研究がある<ref>中村禎子 ほか、「[https://doi.org/10.11217/jjdf2004.12.9 alginolyticus SUN53によるアルギン酸小分子分解物のラット小腸粘膜二糖類水解酵素に対する阻害作用]」『日本食物繊維学会誌』 2008年 12巻 1号 p.9-15, {{doi|10.11217/jjdf2004.12.9}}</ref>。また、米飯に[[寒天]]を添加して摂取したところ米飯のみと比較して食後の最大[[血糖値]]が低下し、[[GI値]]も減少が認められたとする研究がある<ref>森高初恵, 中西由季子, 不破眞佐子 ほか、「[https://doi.org/10.11402/cookeryscience.45.115 米飯の熱特性、感覚特性とグリセミックインデックスに及ぼす寒天の影響]」『日本調理科学会誌』 2012年 45巻 2号 p.115-122, {{naid|110009437800}}, {{doi|10.11402/cookeryscience.45.115}}</ref>。 : 水溶性食物繊維の[[イヌリン]]について、ジャンボリーキ(無臭[[ニンニク]]、[[ジャンボニンニク]])の乾燥粉末([[イヌリン]]60%含有)を糖尿病モデルラットに食餌とともに与えたところ食後血糖値の上昇が抑制された<ref>内田あゆみ ほか、「[https://doi.org/10.3136/nskkk.55.549 ジャンボリーキが病態モデルラットへの血糖値および肝機能に及ぼす影響について]」『日本食品科学工学会誌』 Vol.55 (2008) No.11 P.549-558, {{doi|10.3136/nskkk.55.549}}</ref>。2型糖尿病の女性49人を対象にイヌリンを投与したところ、空腹時血糖値、[[糖化ヘモグロビン]](HbA1c)、[[マロンジアルデヒド]]の低下が認められ、[[スーパーオキシドディスムターゼ]]の活性が高まるなど[[抗酸化物質|抗酸化]]能力の増加が認められた<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/23641355?dopt=Abstract Effects of high performance inulin supplementation on glycemic control and antioxidant status in women with type 2 diabetes.] Pourghassem Gargari B, et. al., Diabetes Metab J. 2013 Apr;37(2):140-8. {{doi| 10.4093/dmj.2013.37.2.140}}. Epub 2013 Apr 16.</ref>。 : 次の植物([[キクイモ]]、[[ダリア]]、[[ゴボウ]]、[[アザミ]]、[[タンポポ]]、[[ヤムイモ]]、[[アーティチョーク]](朝鮮薊)、[[チコリー]]、[[葛芋]]、[[タマネギ]]、[[ニンニク]]、[[リュウゼツラン]](竜舌蘭))は水溶性食物繊維である高濃度のイヌリンを含む。{{seealso|イヌリン}} : [[エンバク]]の水溶性食物繊維の大部分は[[βグルカン]]である。エンバク由来のβグルカンについて血中[[コレステロール]]値上昇抑制作用、[[血糖値]]上昇抑制作用、血圧低下作用、排便促進作用、[[免疫]]機能調節作用などが欧米を中心に多数報告されている<ref name=eiyo>荒木茂樹, 伊藤一敏, 青江誠一郎 ほか、「[https://doi.org/10.5264/eiyogakuzashi.67.235 大麦の生理作用と健康強調表示の現況]」『人間生活文化研究』 2009年 67巻 5号 p.235-251, {{doi|10.5264/eiyogakuzashi.67.235}}</ref>。エンバクは[[オートミール]]に利用されている。 : [[大麦]]には豊富な水溶性食物繊維が含まれており、その大部分は[[βグルカン]]である。大麦の摂取による血中[[コレステロール]]値上昇抑制作用、[[血糖値]]上昇抑制作用、[[BMI]]値低減効果が報告されている<ref name=eiyo/>([[麦飯]]も参照のこと)。βグルカンは、植物、[[キノコ]]類に多く含まれている。 : 水溶性繊維である[[グアーガム]]を食餌とともに摂取すると、血糖上昇が抑制され、[[インスリン]]の分泌も抑制された<ref name="名前なし-2"/><ref name=jsn/>。 ; 水素ガスの産生と抗酸化作用 : 難消化性である食物繊維や[[乳糖]]の摂取と[[腸内細菌]]により呼気や[[おなら]]へのガスの産生と排出が高まる。産生されるガスは水素と[[メタン]]が多いが、メタンは個人差がありメタン産生菌を有していないとメタンは産生されない。おならと呼気の水素量の相関は0.44と高い<ref>辻啓介、「[https://doi.org/10.11209/jim1987.8.125 食物繊維の保健効果]」『ビフィズス』 1995年 8巻 2号 p.125-134, {{doi|10.11209/jim1987.8.125}}</ref>。[[αグルコシダーゼ阻害剤]]である糖尿病治療薬の[[アカルボース]]を服用すると炭水化物の吸収が抑制され大腸の腸内細菌により[[水素]]などが発生するが、アカルボースの服用が心血管事故を抑制する可能性があり、この原因として[[高血糖]]の抑制に加えて、呼気中に水素ガスの増加が認められ、この増加した水素の[[抗酸化物質|抗酸化作用]]により心血管事故を抑制するメカニズムが想定されている<ref>入江潤一郎、伊藤裕、「[https://doi.org/10.11281/shinzo.44.1498 腸管環境と心血管病]」『心臓』 2012年 44巻 12号 p.1498-1503, {{doi|10.11281/shinzo.44.1498}}</ref>。水素による抗酸化作用が各種研究で報告されているところであり、また、腸内細菌は難消化性である食物繊維などから水素を産生している。コンカナバリンAを用いて肝炎を誘導したマウスの実験では、抗生物質を使用して腸内細菌にる水素発生を抑制させたマウスと比較して、通常の腸内細菌が発生させた水素はマウスの肝臓の炎症を抑制することが認められた<ref>{{cite journal|last1=Kajiya|first1=Mikihito|last2=Sato|first2=Kimihiro|last3=Silva|first3=Marcelo J.B.|last4=Ouhara|first4=Kazuhisa|last5=Do|first5=Phi M.|last6=Shanmugam|first6=K.T.|last7=Kawai|first7=Toshihisa|title=Hydrogen from intestinal bacteria is protective for Concanavalin A-induced hepatitis|journal=Biochemical and Biophysical Research Communications|volume=386|issue=2|year=2009|pages=316-321|issn=0006291X|doi=10.1016/j.bbrc.2009.06.024}}</ref>。 ; 排便促進 : 不溶性食物繊維は結腸や直腸で便容積を増大させ、排便を促進する。 ; ダイオキシン類の排出 :[[ダイオキシン類]]を吸着して排泄する効果もあるため、体内からの排出速度を2 - 4倍に高めることで、ダイオキシン類の健康に対する影響が防げると示唆されている<ref>{{Cite journal|和書|date=1999-03 |author=森田邦正 |publisher=厚生科学研究費補助金 健康安全確保総合研究分野 生活安全総合研究事業 |title=ダイオキシン類の排泄促進に関する研究 : 平成10年度厚生科学研究(生活安全総合研究事業)研究報告書 |issue=文献番号:199800565A |url=https://mhlw-grants.niph.go.jp/project/2606}}</ref>。 ==日本でよく知られた食品の食物繊維 == [[海藻]]、[[全粒穀物]]、[[豆]]などに食物繊維が多く含まれる。実際の含有量は、産地、収穫時期、品種等で異なるため代表値である。 {| class="sortable wikitable" style="float:left; clear:right" |+ 主な食品100g中の食物繊維<ref name=mext>[http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/05031802/002.htm 五訂増補日本食品標準成分表]</ref> |- !項目!!状態!!data-sort-type="number"|食物繊維<br>総量!!data-sort-type="number"|水溶性<br>食物繊維!!data-sort-type="number"|不溶性<br>食物繊維 |- |[[ワカメ]]<ref name=suisan/>||乾||68.9 g||9.0 g||59.9 g |- |[[ヒジキ]]<ref name=suisan/>||乾||60.7 g||22.5 g||38.2 g |- |[[キクラゲ]]||乾||57.4 g||0 g||57.4 g |- |[[コンブ]]<ref name=suisan/>||乾||36.5 g||7.4 g||29.1 g |- |[[かんぴょう]]||乾||30.1 g||6.8 g||23.3 g |- |[[海苔]]([[スサビノリ]]<ref name=suisan/>)||乾||26.4 g||10.8 g||15.6 g |- |[[ラッキョウ]]||生||21.0 g||18.6 g||2.4 g |- |[[切り干し大根]]||乾||20.7 g||3.6 g||17.1 g |- |[[アズキ]]||乾||17.8 g||1.2 g||16.6 g |- |[[ダイズ]]||乾||17.1 g||1.8 g||15.3 g |- |[[干し柿]]||乾||14.0 g||1.3 g||12.7 g |- |[[エシャロット]]||生||11.4 g||9.1 g||2.3 g |- |[[コムギ]]||乾||10.8 g||0.7 g||10.1 g |- |[[アーモンド]]||乾||10.1 g||0.8 g||9.3 g |- |[[おから]]||生||9.7 g||0.3 g||9.4 g |- |[[大麦]]||乾||9.6 g||6.0 g||3.6 g |- |[[エンバク]]([[カラスムギ]]、[[オートミール]])||乾||9.4 g||3.2 g||6.2 g |- |[[ポップコーン]]||乾||9.3 g||0.2 g||9.1 g |- |糸引き[[納豆]]||生||6.7 g||2.3 g||4.4 g |- |[[モロヘイヤ]]||生||5.9 g||1.3 g||4.6 g |- |[[ゴボウ]]||生||5.7 g||2.3 g||3.4 g |- |[[オクラ]]||生||5.0 g||1.4 g||3.6 g |- |[[蕎麦]]||乾麺||4.3 g||0.8 g||3.5 g |- |[[シイタケ]]||生||3.5 g||0.5 g||3.0 g |- |[[玄米]]||乾||3 g||0.7 g||2.3 g |- |[[カボチャ]]||生||2.8 g||0.7 g||2.1 g |- |[[タケノコ]]||生||2.8 g||0.3 g||2.5 g |- |[[ニンジン]]||生、皮むき||2.5 g||0.7 g||1.8 g |- |[[サツマイモ]]||生||2.3 g||0.5 g||1.8 g |- |[[キャベツ]]||生||1.8 g||0.4 g||1.4 g |- |[[タマネギ]]||生||1.6 g||0.6 g||1.0 g |- |[[リンゴ]]||生||1.5 g||0.3 g||1.2 g |- |[[ジャガイモ]]||生||1.3 g||0.6 g||0.7 g |- |[[ダイコン]]||生||1.3 g||0.5 g||0.8 g |- |[[白米]]||乾||0.5 g||0 g||0.5 g |} {{clear}} ==脚注== {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == <!-- {{Cite book}}、{{Cite journal}} --> * {{Cite book|和書|author = 青江誠一郎ほか|editor = 日本食物繊維学会編集委員会編|others = [[日本食物繊維学会]]監修|title = 食物繊維 : 基礎と応用|edition = 第3版|year = 2008|publisher = [[第一出版]]|isbn = 978-4-8041-1191-9|oclc =|page =}} == 関連項目 == <!-- {{Commonscat|Dietary fiber}} --> * [[栄養素]] * [[多糖]] == 外部リンク == * {{PaulingInstitute|jp/mic/other-nutrients/fiber|繊維}} * {{Hfnet|583|食物繊維}} * [https://www.nibiohn.go.jp/eiken/info/pdf/k145.pdf 食物繊維] - 「健康食品」の素材情報データベース([[国立健康・栄養研究所]]) * {{Kotobank}} {{炭水化物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しよくもつせんい}} [[Category:栄養学]]
2003-02-28T09:28:04Z
2023-12-04T23:24:28Z
false
false
false
[ "Template:国立栄研健康食品", "Template:404", "Template:Naid", "Template:Cite journal", "Template:Clear", "Template:Notelist2", "Template:Cite book", "Template:Kotobank", "Template:炭水化物", "Template:読み仮名 ruby不使用", "Template:Snamei", "Template:Seealso", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Hfnet", "Template:Normdaten", "Template:要出典", "Template:PDFlink", "Template:Doi", "Template:Cite web", "Template:PaulingInstitute", "Template:混同" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9F%E7%89%A9%E7%B9%8A%E7%B6%AD
3,057
ニンテンドーゲームキューブ
ニンテンドー ゲームキューブ(NINTENDO GAMECUBE)は、任天堂が2001年に発売した家庭用ゲーム機。略称はゲームキューブ、キューブ、GC、NGC、GCN。21世紀最初の任天堂の家庭用ゲーム機に当たる。日本では9月14日、アメリカとカナダでは11月18日、ヨーロッパでは2002年5月3日に発売された。日本での発売当時のメーカー希望小売価格は2万5,000円。 NINTENDO64の後継機として開発された。NINTENDO64では開発の困難さからソフト不足が発売当初から最後まで続いていた。この失敗を生かしソフト開発しやすいことが念頭に置かれた。しかし前世代機から始まったゲーム離れの現象や任天堂以外のソフトの売り上げが伸びなかったことから出荷台数はNINTENDO64よりも少なかった。 なお、任天堂ハードでは国内生産は本機が最後となった。日本発売は2001年(平成13年)9月14日、生産終了は2007年(平成19年)。 開発コードネームは「Dolphin」。 NINTENDO64では開発の困難さからソフト不足が発売当初から最後まで一貫して続いていた。この事に対しての反省や教訓から瞬間最大性能の高さよりも、安定的に高性能を発揮し、ビデオ・ゲームを作りやすいハードウェアとすることを念頭に開発された。2001年当時、任天堂取締役経営企画室室長の岩田聡によると「開発で最初に重要視したのが「数字主義、スペック主義からの決別」」である。いくらスペックが素晴らしくても、実際にソフトを開発してみると使えないスペックが多く、スペックが嘘になってしまう上に、最適化・チューニング作業に開発者が多くの時間を割かざるを得ない状況を踏まえ、「ピーク性能を重要視するのでなく、現実的にゲームづくりで使える実効性能を重要視」している。ニンテンドー ゲームキューブのスペックは、NINTENDO64と比較してCPU速度を10倍、グラフィック処理速度を100倍を念頭に開発されたが、ピーク性能上はそれを満たしていない。しかし、岩田によると「実効性能としてはまさに依頼したCPU10倍、グラフィック100倍が達成できた」としている。絵を描く、音楽を鳴らす、ゲームを動かすというデータ処理の全てをCPUが行うものではなく、キレイに他の部品に分担させるという技術が確立した。 なお、本体内部には3D対応の回路が組み込まれており、『ルイージマンション』では対応していた。また、周辺環境を整えればその機能も使えたが、当時はまだ立体視用の液晶が非常に高価で、実用には至らなかった。 ニンテンドーゲームキューブのハードウェア仕様については任天堂が公開、詳説している。 本体および関連製品の型番にはDOLがつけられている。 2001年9月14日に発売した際の本体色はバイオレット。型番はDOL-S-VTA(JPN)。本体には同色のコントローラー1個が同梱。 限定・非売品を除く本体のカラーバリエーションはバイオレット、オレンジ、ブラック、シルバーの4種類でコントローラーはそれに加えてバイオレット&クリア、エメラルドブルー、ホワイトの6種。 松下電器産業(現・パナソニック)から、DVDプレイヤーと家庭用ゲーム機(ニンテンドー ゲームキューブ互換機)の複合機DVD/ゲームプレイヤー「Q」(SL-GC10)が,2001年12月14日に日本で発売された。コードネームは「マーメイド」。 ニンテンドー ゲームキューブにDVD-Videoの再生機能を追加したものでニンテンドー ゲームキューブ用のディスク開発のために任天堂と松下電器産業が提携した際に製作が発表された「X-21」を元とする。 筐体はキューブデザインが採用され、ニンテンドーゲームキューブのデザインが踏襲された。色はシルバーである。 「GAME」スイッチを押すとゲーム側が起動するが、ゲーム上のメニューでDVD/CD用に拡張された項目などは存在しない。任天堂仕様のデジタル映像出力端子はゲーム側専用で、DVDは汎用のS/コンポジット端子からの出力のみとなっている。この端子はゲーム側の出力と兼用している。任天堂仕様のアナログ出力端子は無い。また、DVD側専用の光デジタル音声出力端子がある。電源は内蔵している。底面のサイズが違うため、拡張機器のうちゲームボーイプレーヤーは専用のもの(SH-GB10)を使う。 任天堂関連商品初のDVD/CD再生対応であり、松下電器産業はデジタルプラットホームの先駆けと期待していたが、すでにPS2が普及していたことなどにより、ほとんど普及しなかった。 Wii発売まで、パナソニックセンター東京にあるニンテンドーゲームフロントにはQが設置されており、新作ゲームを体験することができた。 任天堂が2006年に発売した家庭用ゲーム機Wii(RVL-001)はニンテンドー ゲームキューブと互換性を持つ。オンライン機能は使えず、ニンテンドー ゲームキューブ用の周辺機器が必要となるが、すべてのニンテンドー ゲームキューブ用ソフトを使用できる。ニンテンドーゲームキューブ用ハイスピードポートが廃止されたため、ニンテンドーゲームキューブ用ハイスピードポートをモデムアダプタ及びゲームボーイプレーヤーとして周辺機器を併用していた一部のニンテンドーゲームキューブ用ソフトがプレイ不可能になった。 この他に、NINTENDO64用の「RFモジュレータ」(NUS-003)(別途「RFスイッチ」(HVC-003)または「RFスイッチUV」(NUS-009)が必要)を流用可能。ただし、放熱口を半分塞ぐ難点がある。また、非公式のため保証対象外。 ローンチタイトルは『ウェーブレース ブルーストーム』、『ルイージマンション』、『スーパーモンキーボール』の3タイトルで、最後のタイトルは2006年12月2日にオンライン限定で発売された『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』である。なお、通常販売での新作としての最後になったタイトルは、2006年7月20日に発売された『バトルスタジアム D.O.N』になった。 最も売れたゲームソフトは『大乱闘スマッシュブラザーズDX』で、全世界で740万本超を販売。次いで『マリオカート ダブルダッシュ!!』の同696万本、『スーパーマリオサンシャイン』の同628万本だった。 最終的にニンテンドー ゲームキューブ向けのソフトウェアは、北米で761種 。欧州で472種、日本で272種が販売された。 また、ニンテンドー ゲームキューブには『ファンタシースターオンライン エピソード1&2』など、別売で用意されるモデムアダプタ(DOL-012)およびブロードバンドアダプタ(DOL-015)を使用する、オンラインに対応するゲームソフトが8種類発売された。 2007年4月に米国任天堂はセガのファンタシースターオンラインシリーズは、オンラインプレイでサポートされなくなったと発表した。 発売当初は折しもアメリカ同時多発テロ事件直後であり世界中のメディアに自粛ムードが広まったため、発売直前・直後において特集が組まれることがほとんどなかった。その中でも2001年9月13日にカプコンが「バイオハザード」シリーズをニンテンドー ゲームキューブ向けにのみ供給すると発表したり、2005年1月7日にコナミと任天堂が『Dance Dance Revolution with MARIO』の共同開発、9月8日にバンダイと任天堂が『SDガンダム ガシャポンウォーズ』の共同開発を発表するなどの話題はあった。また『大乱闘スマッシュブラザーズDX』や、『ゼルダの伝説 風のタクト』、『スーパーマリオサンシャイン』など、人気を博したゲームソフトも存在したが、サードパーティのソフトの売上が少なかったため、国内では不振であった前ハードのNINTENDO64よりもさらに販売台数は下落し、好調であった北米市場でも本ハードから優位性を失ってしまった。本ハード販売中に起きたユーザーのゲーム離れは、以後「ゲーム人口の拡大」を根幹とする経営方針の策定、後に次世代機Wiiの開発へと繋がっていった。 しかしゲームキューブのゲームソフトはリメイクや移植が少ないのも相まって今でも一定の人気を集めている。また、ニンテンドー ゲームキューブ向けに新たに開発された、『ピクミン』、『ちびロボ!』、『メトロイドプライム』そして『ルイージマンション』は、次世代機向けにも続編が販売される、新たな人気シリーズとなった。 本体のデザインは評価され、2002年に「グッドデザイン賞」を受賞しており、コントローラも同社の次世代機以降のゲーム機でも引き続き使用でき、ユーザーから評価されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ニンテンドー ゲームキューブ(NINTENDO GAMECUBE)は、任天堂が2001年に発売した家庭用ゲーム機。略称はゲームキューブ、キューブ、GC、NGC、GCN。21世紀最初の任天堂の家庭用ゲーム機に当たる。日本では9月14日、アメリカとカナダでは11月18日、ヨーロッパでは2002年5月3日に発売された。日本での発売当時のメーカー希望小売価格は2万5,000円。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "NINTENDO64の後継機として開発された。NINTENDO64では開発の困難さからソフト不足が発売当初から最後まで続いていた。この失敗を生かしソフト開発しやすいことが念頭に置かれた。しかし前世代機から始まったゲーム離れの現象や任天堂以外のソフトの売り上げが伸びなかったことから出荷台数はNINTENDO64よりも少なかった。 なお、任天堂ハードでは国内生産は本機が最後となった。日本発売は2001年(平成13年)9月14日、生産終了は2007年(平成19年)。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "開発コードネームは「Dolphin」。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "NINTENDO64では開発の困難さからソフト不足が発売当初から最後まで一貫して続いていた。この事に対しての反省や教訓から瞬間最大性能の高さよりも、安定的に高性能を発揮し、ビデオ・ゲームを作りやすいハードウェアとすることを念頭に開発された。2001年当時、任天堂取締役経営企画室室長の岩田聡によると「開発で最初に重要視したのが「数字主義、スペック主義からの決別」」である。いくらスペックが素晴らしくても、実際にソフトを開発してみると使えないスペックが多く、スペックが嘘になってしまう上に、最適化・チューニング作業に開発者が多くの時間を割かざるを得ない状況を踏まえ、「ピーク性能を重要視するのでなく、現実的にゲームづくりで使える実効性能を重要視」している。ニンテンドー ゲームキューブのスペックは、NINTENDO64と比較してCPU速度を10倍、グラフィック処理速度を100倍を念頭に開発されたが、ピーク性能上はそれを満たしていない。しかし、岩田によると「実効性能としてはまさに依頼したCPU10倍、グラフィック100倍が達成できた」としている。絵を描く、音楽を鳴らす、ゲームを動かすというデータ処理の全てをCPUが行うものではなく、キレイに他の部品に分担させるという技術が確立した。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "なお、本体内部には3D対応の回路が組み込まれており、『ルイージマンション』では対応していた。また、周辺環境を整えればその機能も使えたが、当時はまだ立体視用の液晶が非常に高価で、実用には至らなかった。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ニンテンドーゲームキューブのハードウェア仕様については任天堂が公開、詳説している。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "本体および関連製品の型番にはDOLがつけられている。", "title": "本体" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2001年9月14日に発売した際の本体色はバイオレット。型番はDOL-S-VTA(JPN)。本体には同色のコントローラー1個が同梱。", "title": "本体" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "限定・非売品を除く本体のカラーバリエーションはバイオレット、オレンジ、ブラック、シルバーの4種類でコントローラーはそれに加えてバイオレット&クリア、エメラルドブルー、ホワイトの6種。", "title": "本体" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "松下電器産業(現・パナソニック)から、DVDプレイヤーと家庭用ゲーム機(ニンテンドー ゲームキューブ互換機)の複合機DVD/ゲームプレイヤー「Q」(SL-GC10)が,2001年12月14日に日本で発売された。コードネームは「マーメイド」。", "title": "本体" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ニンテンドー ゲームキューブにDVD-Videoの再生機能を追加したものでニンテンドー ゲームキューブ用のディスク開発のために任天堂と松下電器産業が提携した際に製作が発表された「X-21」を元とする。", "title": "本体" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "筐体はキューブデザインが採用され、ニンテンドーゲームキューブのデザインが踏襲された。色はシルバーである。", "title": "本体" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "「GAME」スイッチを押すとゲーム側が起動するが、ゲーム上のメニューでDVD/CD用に拡張された項目などは存在しない。任天堂仕様のデジタル映像出力端子はゲーム側専用で、DVDは汎用のS/コンポジット端子からの出力のみとなっている。この端子はゲーム側の出力と兼用している。任天堂仕様のアナログ出力端子は無い。また、DVD側専用の光デジタル音声出力端子がある。電源は内蔵している。底面のサイズが違うため、拡張機器のうちゲームボーイプレーヤーは専用のもの(SH-GB10)を使う。", "title": "本体" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "任天堂関連商品初のDVD/CD再生対応であり、松下電器産業はデジタルプラットホームの先駆けと期待していたが、すでにPS2が普及していたことなどにより、ほとんど普及しなかった。", "title": "本体" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "Wii発売まで、パナソニックセンター東京にあるニンテンドーゲームフロントにはQが設置されており、新作ゲームを体験することができた。", "title": "本体" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "任天堂が2006年に発売した家庭用ゲーム機Wii(RVL-001)はニンテンドー ゲームキューブと互換性を持つ。オンライン機能は使えず、ニンテンドー ゲームキューブ用の周辺機器が必要となるが、すべてのニンテンドー ゲームキューブ用ソフトを使用できる。ニンテンドーゲームキューブ用ハイスピードポートが廃止されたため、ニンテンドーゲームキューブ用ハイスピードポートをモデムアダプタ及びゲームボーイプレーヤーとして周辺機器を併用していた一部のニンテンドーゲームキューブ用ソフトがプレイ不可能になった。", "title": "本体" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "この他に、NINTENDO64用の「RFモジュレータ」(NUS-003)(別途「RFスイッチ」(HVC-003)または「RFスイッチUV」(NUS-009)が必要)を流用可能。ただし、放熱口を半分塞ぐ難点がある。また、非公式のため保証対象外。", "title": "周辺機器" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ローンチタイトルは『ウェーブレース ブルーストーム』、『ルイージマンション』、『スーパーモンキーボール』の3タイトルで、最後のタイトルは2006年12月2日にオンライン限定で発売された『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』である。なお、通常販売での新作としての最後になったタイトルは、2006年7月20日に発売された『バトルスタジアム D.O.N』になった。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "最も売れたゲームソフトは『大乱闘スマッシュブラザーズDX』で、全世界で740万本超を販売。次いで『マリオカート ダブルダッシュ!!』の同696万本、『スーパーマリオサンシャイン』の同628万本だった。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "最終的にニンテンドー ゲームキューブ向けのソフトウェアは、北米で761種 。欧州で472種、日本で272種が販売された。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "また、ニンテンドー ゲームキューブには『ファンタシースターオンライン エピソード1&2』など、別売で用意されるモデムアダプタ(DOL-012)およびブロードバンドアダプタ(DOL-015)を使用する、オンラインに対応するゲームソフトが8種類発売された。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2007年4月に米国任天堂はセガのファンタシースターオンラインシリーズは、オンラインプレイでサポートされなくなったと発表した。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "発売当初は折しもアメリカ同時多発テロ事件直後であり世界中のメディアに自粛ムードが広まったため、発売直前・直後において特集が組まれることがほとんどなかった。その中でも2001年9月13日にカプコンが「バイオハザード」シリーズをニンテンドー ゲームキューブ向けにのみ供給すると発表したり、2005年1月7日にコナミと任天堂が『Dance Dance Revolution with MARIO』の共同開発、9月8日にバンダイと任天堂が『SDガンダム ガシャポンウォーズ』の共同開発を発表するなどの話題はあった。また『大乱闘スマッシュブラザーズDX』や、『ゼルダの伝説 風のタクト』、『スーパーマリオサンシャイン』など、人気を博したゲームソフトも存在したが、サードパーティのソフトの売上が少なかったため、国内では不振であった前ハードのNINTENDO64よりもさらに販売台数は下落し、好調であった北米市場でも本ハードから優位性を失ってしまった。本ハード販売中に起きたユーザーのゲーム離れは、以後「ゲーム人口の拡大」を根幹とする経営方針の策定、後に次世代機Wiiの開発へと繋がっていった。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "しかしゲームキューブのゲームソフトはリメイクや移植が少ないのも相まって今でも一定の人気を集めている。また、ニンテンドー ゲームキューブ向けに新たに開発された、『ピクミン』、『ちびロボ!』、『メトロイドプライム』そして『ルイージマンション』は、次世代機向けにも続編が販売される、新たな人気シリーズとなった。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "本体のデザインは評価され、2002年に「グッドデザイン賞」を受賞しており、コントローラも同社の次世代機以降のゲーム機でも引き続き使用でき、ユーザーから評価されている。", "title": "その他" } ]
ニンテンドー ゲームキューブは、任天堂が2001年に発売した家庭用ゲーム機。略称はゲームキューブ、キューブ、GC、NGC、GCN。21世紀最初の任天堂の家庭用ゲーム機に当たる。日本では9月14日、アメリカとカナダでは11月18日、ヨーロッパでは2002年5月3日に発売された。日本での発売当時のメーカー希望小売価格は2万5,000円。 NINTENDO64の後継機として開発された。NINTENDO64では開発の困難さからソフト不足が発売当初から最後まで続いていた。この失敗を生かしソフト開発しやすいことが念頭に置かれた。しかし前世代機から始まったゲーム離れの現象や任天堂以外のソフトの売り上げが伸びなかったことから出荷台数はNINTENDO64よりも少なかった。 なお、任天堂ハードでは国内生産は本機が最後となった。日本発売は2001年(平成13年)9月14日、生産終了は2007年(平成19年)。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{独自研究|date = 2012年12月}} {{Infobox コンシューマーゲーム機 |名称 = ニンテンドーゲームキューブ |ロゴ = [[File:Nintendo GameCube-06.svg|300px]] |画像 = [[ファイル:GameCube-Console-Set.png|300px]] |画像コメント = ニンテンドーゲームキューブ本体とコントローラー |メーカー = [[任天堂]] |種別 = [[ゲーム機|据置型ゲーム機]] |世代 = [[ゲーム機#第6世代|第6世代]] |発売日 = {{Flagicon|JPN}} [[2001年]][[9月14日]]<br />{{Flagicon|USA}}{{Flagicon|Canada}} 2001年[[11月18日]]<br />{{Flagicon|EU}} [[2002年]][[5月3日]]<br />{{Flagicon|AUS}} 2002年[[5月17日]]<br />{{Flagicon|BRA}} 2002年[[8月23日]]<br/>{{Flagicon|KOR}}{{Flagicon|Taiwan}}{{Flagicon|Hong Kong}} 2002年[[12月14日]] |CPU = [[PowerPC]] Gekko 485[[メガヘルツ|MHz]] |GPU = [[ATI Technologies|ATI(現AMD)]] Flipper 162MHz |メディア = 8cm光ディスク |ストレージ = [[ニンテンドーゲームキューブメモリーカード]] |コントローラ = 有線コントローラ<br />ウェーブバード |外部接続端子 =シリアルポート1<br />シリアルポート2<br />ハイスピードポート |オンラインサービス = |売上台数 = {{Flagicon|JPN}} 404万台<br />{{Flagicon|USA}} 1,294万台<br />{{Flagicon|EU}} 444万台<br />[[ファイル:Map projection-Eckert IV.png|26px|世界]] 2,174万台<ref name="SALES">{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/ir/library/historical_data/pdf/consolidated_sales1612.pdf |title=連結販売実績数量推移表 |accessdate=2021-01-09 |date=2016-12-31 |format=PDF |website=ヒストリカルデータ |work=IRライブラリー |publisher=任天堂 }}</ref> |最高売上ソフト = {{Flagicon|JPN}} [[大乱闘スマッシュブラザーズDX]] /151万本<ref name="sale">{{Cite web |url=https://www.vgchartz.com/gamedb/games.php?console=GC |title=Video Game Charts |accessdate=2021-01-09 |date= |website=GameCube (GC) |work=Game DB |publisher=VGChartz |language=EN }}</ref><br />[[ファイル:Map projection-Eckert IV.png|26px|世界]] 大乱闘スマッシュブラザーズDX /707万本<ref name="sale"/> |互換ハード = [[ニンテンドーゲームキューブ#Q|Panasonic Q]] |前世代ハード = [[NINTENDO64]] |後方互換 = [[ゲームボーイ]]<br />[[ゲームボーイカラー]]<br />[[ゲームボーイアドバンス]]<br />([[ゲームボーイプレーヤー]]使用時) |次世代ハード = [[Wii]] }} '''ニンテンドー ゲームキューブ'''(''NINTENDO GAMECUBE''){{Refnest|group="注"|name="GCN"|ニンテンドー ゲームキューブの正式名称は「ニンテンドー」と「ゲームキューブ」の間にスペース(字空き)が入る<ref name=ニンテンドーゲームキューブ >{{Cite press release |和書 |title=「ニンテンドー ゲームキューブ」について |publisher=任天堂 |date=2000-08-24 |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2000/000824a.html |accessdate=2021-01-10 }}</ref>。}}は、[[任天堂]]が[[2001年]]に発売した[[ゲーム機|家庭用ゲーム機]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20010914/gc_shin.htm |title=ニンテンドーゲームキューブ発売 徹夜組を含むゲームファン200人前後が新宿に集結! |accessdate=2021-01-15 |author=中村聖司 |date=2001-09-14 |website= |work=GAME Watch |publisher=インプレス }}</ref>。略称は'''ゲームキューブ'''、'''キューブ'''、'''GC'''、'''NGC'''、'''GCN'''<ref>{{Cite web |url=https://www.ign.com/articles/2000/12/13/the-name-game |title=The Name Game |accessdate=2021-01-23 |date=200-12-13 |website= |work=IGN |publisher=IGN Entertainment |language=en }}</ref>。[[21世紀]]最初の任天堂の家庭用ゲーム機に当たる。[[日本]]では[[9月14日]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]と[[カナダ]]では[[11月18日]]、[[ヨーロッパ]]では[[2002年]][[5月3日]]に発売された。日本での発売当時の[[メーカー]][[希望小売価格]]は2万5,000円。 [[NINTENDO64]]の後継機として開発された。NINTENDO64では開発の困難さからソフト不足が発売当初から最後まで続いていた。この失敗を生かしソフト開発しやすいことが念頭に置かれた。しかし前世代機から始まった[[ゲーム離れ]]の現象や任天堂以外のソフトの売り上げが伸びなかったことから出荷台数はNINTENDO64よりも少なかった。 なお、任天堂ハードでは国内生産は本機が最後となった。日本発売は2001年(平成13年)[[9月14日]]、生産終了は[[2007年]](平成19年)。 == 沿革 == * [[1998年]][[5月29日]] - 任天堂、[[ArtX]]と次世代家庭用ゲーム機にチップとグラフィックテクノロジーを提供する契約締結<ref>{{Cite web |url=https://www.telecompaper.com/news/artx-to-provide-technology-to-nintendo--139425 |title=ARTX TO PROVIDE TECHNOLOGY TO NINTENDO |accessdate=2021-01-13 |date=1998-05-29 |website=Telecompaper |work= |publisher=Telecom.paper BV |language=en }}</ref>。 * [[1999年]] ** 3月 - イタリアでの開発者向け会議にて[[ニンテンドー・オブ・アメリカ#連結子会社|NOA]]会長の[[ハワード・リンカーン]](当時)から発表。当初は[[DVD-ROM]]を採用する可能性が高いとしていた<ref>『[[ゲーム批評]]』1999年5月号p.7</ref>。 ** [[5月12日]] - [[松下電器産業]]と任天堂、次世代家庭用ゲーム機を主体とした家電戦略での包括提携したと発表し、あわせて次世代家庭用ゲーム機「Dolphin」の基本仕様を公表<ref>{{Cite press release |和書 |title=松下電器と任天堂、デジタルネットワーク家電戦略で包括提携 |publisher=松下電器産業,任天堂 |date=1999-05-12 |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/1997-99/990512.html |accessdate=2020-01-10 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/990512/dolphin.htm |title=松下電器と任天堂、次世代ゲーム機を主体としたデジタル家電戦略で提携 |accessdate=2021-01-09 |[email protected] |date=1999-05-12 |website=PC Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。米国任天堂、次世代家庭用ゲーム機「Dolphin」用MPUを[[IBM]]が製造するなどの技術契約を締結<ref>{{Cite press release |title=IBM, Nintendo Announce $1 Billion Technology Agreement |publisher=Nintendo of America |date=1999-05-12 |url=http://www.nintendo.com/home/features/e3_99/copper.html |language=en |accessdate=2021-01-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/19991008013903/http://www.nintendo.com/home/features/e3_99/copper.html |archivedate=1999-10-08 }}</ref>。 ** [[9月7日]] - 任天堂、次世代家庭用ゲーム機「Dolphin」にMoSysの1T-SRAM技術を使用すると発表<ref>{{Cite web |url=https://cube.ign.com/news/10184.html |title=: Dolphin Gets MoSys Memory |accessdate=2021-01-23 |date=2002-10-15 |website=IGNcube |work=cube.ign.com |publisher=Snowball.com |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20001209234200/https://cube.ign.com/news/10184.html |archivedate=2000-12-09 }}</ref>。 ** [[9月30日]] - 米国任天堂、S3と次世代家庭用ゲーム機「Dolphin」にS3の画像圧縮技術を使用する契約を結んだことを発表<ref>{{Cite web |url=https://ign64.ign.com/news/10900.html |title=Dolphin Eliminates N64 Blur |accessdate=2021-01-23 |date=1999-09-30 |website=IGN64 |work=n64.ign.com |publisher=Snowball.com |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/19991110104801/https://ign64.ign.com/news/10900.html |archivedate=1999-11-10 }}</ref>。 ** 10月18日 - [[日本電気]](以下NEC)、任天堂から次世代家庭用ゲーム機「Dolphin」向けDRAM混載システムLSIの受注と、その受注に対応するために九州日本電気第8工場に新工場「第9拡散ライン」を建設すると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=任天堂次世代ゲーム機向け半導体の受注と新工場建設について |publisher=日本電気 |date=1999-10-18 |url=http://www.nec.co.jp/press/ja/9910/1802.html |accessdate=2021-01-11 }}</ref>。 * [[2000年]] ** [[8月23日]] - 任天堂、Conexant Systemsと次世代家庭用ゲーム機「Dolphin」用のV90/56Kモデムを供給する契約を締結したと発表<ref>{{Cite web |url=https://cube.ign.com/news/23894.html |title=Nintendo Connects |accessdate=2021-01-23 |date=2000-08-23 |website=IGNcube |work=cube.ign.com |publisher=Snowball.com |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20001210165500/https://cube.ign.com/news/23894.html |archivedate=2000-12-10 }}</ref>。東京ビッグサイトで行われた発表会“the Nintendo difference”で披露<ref>{{Cite web|和書|url=https://ascii.jp/elem/000/000/325/325548/ |title=任天堂、『ニンテンドー ゲームキューブ』発表会を開催 |website=ASCII.jp |publisher=角川アスキー総合研究所 |date=2001-08-23 |accessdate=2023-01-01}}</ref>。 ** [[8月24日]] - 任天堂、商品名をニンテンドー ゲームキューブとすることを正式に発表し<ref name=ニンテンドーゲームキューブ />、日本では2001年7月に、北米では2001年10月に発売、同時発売のゲームソフトは5タイトルだとした<ref>{{Cite web|和書|url=https://ascii.jp/elem/000/000/316/316523/ |title=【詳細】任天堂のキューブ型次世代ゲーム機『ニンテンドー ゲームキューブ」は2001年7月発売、『ゲームボーイアドバンス」は2001年3月 |accessdate=2021-01-10 |author=桑本美鈴 |date=2000-08-24 |website= |work=ASCII.jp |publisher=角川アスキー総合研究所 }}</ref>。ATI Technologies、ニンテンドー ゲームキューブ向けのグラフィックスLSIの供給で,任天堂と独占的契約を締結<ref>{{Cite press release |title=ATI graphics chip technology selected by Nintendo for new video game console |publisher=ATI Technologies |date=2000-08-24 |url=http://www.ati.com/companyinfo/press/2000/4313.html |language=en |accessdate=2021-01-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20021203160655/http://www.ati.com/companyinfo/press/2000/4313.html |archivedate=2002-12-13 }}</ref>。 ** [[8月25日]] - [[幕張メッセ]]で、[[任天堂スペースワールド|ニンテンドウスペースワールド2000]]が開催された。会場で、[[宮本茂]]氏の共同インタビューが行われた<ref name=":0">{{Cite book|和書|title=ファミ通 No.613 「宮本茂氏が"ゲームキューブ"を語った!」|date=2000年9月15日|year=2000|publisher=エンターブレイン|page=11}}</ref>。 * [[2001年]] ** [[1月18日]] - Criterion Software、3Dゲームの開発ツールである「RenderWare 3」が任天堂からニンテンドー ゲームキューブ用のミドルウェア・ソリューションとして認定を受けたと発表した<ref>{{Cite press release |title=Nintendo Authorises RenderWare for Nintendo GameCube |publisher=Criterion Software |date=2001-01-18 |url=http://www.renderware.com/press_releases/pressreleases_gamecube.html |language=en |accessdate=2021-01-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20010127201800/http://www.renderware.com/press_releases/pressreleases_gamecube.html |archivedate=2001-01-27 }}</ref>。 ** [[1月24日]] - メトロワークス、ニンテンドー ゲームキューブ用として初の統合開発環境である「[[CodeWarrior]] for NINTENDO GAMECUBE Release 1.0」を、同年2月1日に発売すると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=メトロワークスがNINTENDO GAMECUBE(TM)に開発ツールセットを提供 |publisher=メトロワークス |date=2001-01-24 |url=http://www.metrowerks.co.jp/PressRelease/GAMECUBE.html |accessdate=2021-01-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20010203120600/http://www.metrowerks.co.jp/PressRelease/GAMECUBE.html |archivedate=2001-02-03 }}</ref>。 ** [[2月26日]] - NEC、ニンテンドー ゲームキューブ向けDRAM混載システムLSIの生産に対応するために九州日本電気第8工場に建設していた新工場「第9拡散ライン」が竣工したと発表<ref name=NEC2001-02-26 />。GAME Watchは、同工場が同年1月からすでに量産体制に入っていると報じた<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20010226/nec.htm |title=NEC、ゲームキューブ用半導体工場を竣工 すでに量産体制に突入 |accessdate=2021-01-10 |author=北村孝和 |date=2000-02-26 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。 ** [[3月23日]] - メガチップス、任天堂および旺宏電子(Macronix)の2社とゲームボーイアドバンスおよびニンテンドー ゲームキューブ向けLSIの生産に関する供給契約を締結したと発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=メガチップスと任天堂、マクロニクスが次世代ゲーム機用LSI メガチップスと任天堂、マクロニクスが次世代ゲーム機用LSIの供給契約を締結 |publisher=メガチップス |date=2001-03-23 |url=http://www.megachips.co.jp/pdf/010322rls.pdf |format=PDF |accessdate=2021-01-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030330120940/http://www.megachips.co.jp:80/pdf/010322rls.pdf |archivedate=2003-03-30 }}</ref>。 ** [[4月18日]] - 任天堂、ニンテンドー ゲームキューブの発売日を日本では同年9月14日に、北米では同年11月中旬に延期すると発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20010418/nintendo.htm |title=任天堂、ゲームキューブ発売を9月14日に延期。北米は11月中旬に |accessdate=2021-01-10 |author=北村孝和 |date=2001-04-18 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。 ** [[5月16日]] - 任天堂、[[Electronic Entertainment Expo]]のカンファレンスセッションで実動機を公開し<ref name=GAMEWatch2001-05-17 >{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20010517/e3_02.htm |title=Electronic Entertainment Expo 2001現地レポート |accessdate=2021-01-10 |author=船津稔 |date=2001-05-17 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>、米国では同年11月5日から、欧州では2002年に発売すると発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.famitsu.com/game/special/e3/2001/2001/05/17/69,990066159,258,0,0.html |title=ゲームキューブ、アメリカでの発売は11月5日 |accessdate=2021-01-10 |author= |date=2001-05-17 |website=E3 2001 スペシャルリポート!! |work=ファミ通.com |publisher=KADOKAWA }}</ref>。また、「[[大乱闘スマッシュブラザーズDX|SUPER SMASH BROS. MELEE]]」など開発中のソフト紹介<ref name=GAMEWatch2001-05-17 />。松下電器産業、ニンテンドー ゲームキューブ互換機「Panasonic DVD Player」を展示<ref>{{Cite web|和書|url=https://ascii.jp/elem/000/000/323/323236/ |title=Electronic Entertainment Expo(E3)開幕! |accessdate=2021-01-10 |author=Duke内田 |date=2001-05-18 |website= |work=ASCII.jp |publisher=角川アスキー総合研究所 }}</ref>。 ** [[5月22日]] - 任天堂、ニンテンドー ゲームキューブの日本国内価格をメーカー希望小売価格25,000円(税別)とし、同時発売のソフトのタイトルは2〜3本と発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20010522/nintendo.htm |title=任天堂「ゲームキューブ」発売価格は25,000円。同発自社タイトルは2〜3本を予定 |accessdate=2021-01-10 |author=北村孝和 |date=2001-05-22 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。 ** [[8月9日]] - ローソン、コンビニエンス・ストアに設置されている端末「Loppi」において、同年8月15日からニンテンドー ゲームキューブの本体・ソフトなどの予約開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20010809/loppi.htm |title=ローソン、Loppiでゲームキューブ8月15日午前10時から予約開始 |accessdate=2021-01-11 |author=船津稔 |date=2001-08-09 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。 ** [[8月23日]] - IBM、グローバル・ブランドをさらに強化する新しい試みとして、IBMのテクノロジー製品が搭載されたコンシューマー向け電子機器を対象に、新しいIBMブランド・マークを導入することとし、その第一弾としてニンテンドー ゲームキューブの梱包箱にピールバック・ロゴが表記されると発表<ref>{{Cite press release |title=IBM launches new logo for consumer products |publisher=International Business Machines |date=2001-08-23 |url=http://www.ibm.com/news/us/2001/08/23.html |language=en |accessdate=2021-01-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20010828222548/http://www.ibm.com/news/us/2001/08/23.html |archivedate=2001-08-28 }}</ref>。米国任天堂、ニンテンドー ゲームキューブの北米での発売日を同年11月18日に延期すると発表<ref>{{Cite web |url=https://www.wired.com/news/business/0,1367,46266,00.html |title=Wait Awhile Longer for GameCube |accessdate=2021-01-13 |date=2001-08-23 |website=Wired News |work= |publisher=Wired Digital |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20010828110201/https://www.wired.com/news/business/0,1367,46266,00.html |archivedate=2001-08-28 }}</ref>。 ** [[8月24日]] - 松下電器産業、[[任天堂スペースワールド]]でニンテンドー ゲームキューブ互換機「SL-GC10」の実動機を展示<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20010824/matsu.htm |title=任天堂スペースワールドレポート 松下版GC「SL-GC10」がサンプル出展 DVDビデオ再生をデモ |accessdate=2021-01-10 |author=佐伯憲司 |date=2001-08-24 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。 ** [[9月14日]] - 日本で発売<ref name=GAMEWatch2001-09-14 />。色はバイオレットのみ(ゲームキューブの発売の機にテキストロゴに[[ゲームボーイアドバンス]]のフォントを流用)。 ** [[9月26日]] - 任天堂、ニンテンドー ゲームキューブ(DOL-001)の新色(オレンジと黒の2色)とコントローラ(DOL-003)の新色(バイオレット&クリア)を11月21日に日本市場に投入すると発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20010926/gamecube.htm |title=ニンテンドーゲームキューブ、オレンジと黒の新色は11月21日に発売 |accessdate=2021-01-11 |author=船津稔 |date=2001-09-26 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。 ** [[10月2日]] - 松下電器産業、[[CEATEC|CEATEC JAPAN]]でニンテンドー ゲームキューブ互換機「SL-GC10」の実動機を展示<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20011002/ceatec.htm |title=パナソニックブランドのゲームキューブ互換マシン「SL-GC10」がCEATEC JAPANのパナソニックブースでプレイアブル出展 |accessdate=2021-01-10 |author=矢作晃 |date=2001-10-02 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。 ** [[10月3日]] - InterAct Accessories、ニンテンドー ゲームキューブにフィットする5.4インチ液晶モニタ「The Mobile Monitor 5.4 for GameCube」を11月中旬のニンテンドー ゲームキューブの北米発売に合わせて、充電式のバッテリ「The battery for GameCube」を12月中旬に全米で発売すると発表<ref>{{Cite press release |title=INTERACT HAS ANOTHER HIT IN MONITOR FOR GAMECUBE |publisher=InterAct Accessories |date=2001-10-03 |url=http://www.interactaccessories.com/news.asp?Entry=76 |format= |language=en |accessdate=2021-01-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20011030164108/http://www.interactaccessories.com/news.asp?Entry=76 |archivedate=2001-10-30 }}</ref>。 ** [[10月12日]] - [[セガ]]、ニンテンドー ゲームキューブ用のキーボードコントローラをアスキーと共同で制作中であることを発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20011012/sega02.htm |title=セガ、「CONSUMER CONFERENCE 2001」でPS2「バーチャファイター4」公開 |accessdate=2021-01-11 |author=船津稔 |date=2001-10-12 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。 ** [[10月19日]] - 松下電器産業、ニンテンドー ゲームキューブの互換機DVD/ゲームプレーヤー「Q」(SL-CG10)を同年12月14日より日本で発売すると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=「ニンテンドーゲームキューブ」のゲームソフトが楽しめるDVD/ゲームプレーヤー Q(キュー)SL-GC10を発売 |publisher=松下電器産業 |date=2001-10-19 |url=http://www.matsushita.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn011019-1/jn011019-1.html |accessdate=2021-01-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20011108184644/http://www.matsushita.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn011019-1/jn011019-1.html |archivedate=2001-11-08 }}</ref>。松下ネットワークマーケティング、ニンテンドーゲームキューブの互換機DVD/ゲームプレーヤー「Q」(SL-CG10)の販売に合わせて、家庭用ゲーム機サイト“DVDGAME.JP”を同日付けで開設すると発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://ascii.jp/elem/000/000/326/326844/ |title=松下ネットワークマーケティング、ゲーム機“Q”のサイト“DVDGAME.JP”を開設 |accessdate=2021-01-12 |author= |date=2001-10-19 |website= |work=ASCII.jp |publisher=角川アスキー総合研究所 }}</ref>。 **[[11月18日]] - 北米での販売開始。 * [[2002年]] ** [[1月28日]] - 任天堂、ニンテンドー ゲームキューブの欧州発売予定日を同年5月3日に決定し、20種のゲームソフトを同時発売すると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=ニンテンドーゲームキューブ欧州発売及びゲームボーイアドバンス価格改定の件 |publisher=任天堂 |date=2002-01-28 |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2002/020128.html |accessdate=2021-01-10 }}</ref>。 ** [[2月18日]] - [[ナムコ]]とセガと任天堂の3社、家庭用ゲーム機ニンテンドー ゲームキューブのアーキテクチャを応用した次世代業務用汎用三次元コンピュータグラフィックスボード「[[トライフォース (アーケードゲーム基板)|トライフォース]]」の共同開発に関する業務提携に合意<ref>{{Cite press release |和書 |title=ナムコ、セガ、任天堂 次世代業務用汎用三次元コンピュータグラフィックスボード「トライフォース」の共同開発に関する業務提携 |publisher=ナムコ,セガ,任天堂 |date=2002-02-18 |url=https://www.nintendo.co.jp/n10/news/020218.html |accessdate=2021-01-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20021217005536/https://www.nintendo.co.jp/n10/news/020218.html |archivedate=2002-12-17 }}</ref>。 ** [[4月22日]] - 任天堂、欧州におけるニンテンドー ゲームキューブのメーカー希望小売価格を199ユーロとすることを発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=ニンテンドーゲームキューブの欧州価格改定の件 |publisher=任天堂 |date=2002-04-22 |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2002/020422.html |accessdate=2021-01-10 }}</ref>。 **[[5月3日]] - 欧州での販売開始。 ** [[5月17日]] - 豪州での販売開始<ref>{{Cite web |url=http://www.nintendo.com.au/gamecube/system/index.php |title=System Specification |trans-title= |accessdate=2021-01-16 |website=GCN |work=nintendo.com.au |publisher=Nintendo Australia |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20020816211458/http://www.nintendo.com.au/gamecube/system/index.php |archivedate=2002-08-16 }}</ref>。 ** [[5月20日]] - 米国任天堂、ニンテンドー ゲームキューブの米国市場におけるメーカー希望小売価格を、同年5月21日から199.95ドルから149.95ドルに改定すると発表<ref name=PR2002-05-21 >{{Cite press release |和書 |title=ニンテンドーゲームキューブの価格改定のお知らせ |publisher=任天堂 |date=2002-05-21 |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2002/020521.html |accessdate=2021-01-10 }}</ref>。 ** [[5月21日]] - 任天堂、ニンテンドー ゲームキューブの日本市場におけるメーカー希望小売価格を、同年6月3日から税別25,000円から税別19,800円に改定すると発表した<ref name=PR2002-05-21 />。 ** [[7月29日]] - マルチタームがニンテンドー ゲームキューブ用のネットワークゲーム用通信ライブラリ「MassplayerSystem for NINTENDO GAMECUBE」ベータ版の提供を開始し、同年9月には製品版のリリースを予定していると報じた<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20020729/multit.htm |title=マルチターム、ニンテンドーゲームキューブ用マルチプレーヤー用ミドルウェアを開発 |accessdate=2021-01-10 |author=船津稔 |date=2002-07-29 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。 **[[8月23日]] - ブラジルでの販売開始。 ** [[8月29日]] - 任天堂、ニンテンドー ゲームキューブ用の周辺機器「モデムアダプタ(DOL-012)」を9月12日に、「ブロードバンドアダプタ(DOL-015)」を10月3日に発売すると発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20020829/nintendo.htm |title=任天堂、GC用モデムアダプタ、ブロードバンドアダプタのオンライン販売を開始 |accessdate=2021-01-11 |author=北村孝和 |date=2002-08-29 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。 ** [[9月20日]] - IBM、ニンテンドー ゲームキューブ用PowerPCプロセッサの累積出荷数が1,000万個を突破したと発表<ref name=IBM2002-09-20 />。 ** [[10月1日]] - 日本の「グッドデザイン賞」を受賞<ref name=グッドデザイン賞受賞対象一覧 /><ref>{{Cite web|和書|url=https://archive.g-mark.org/2002/13sokuhou.html |title=2002年度グッドデザイン賞受賞結果速報 |accessdate=2021-01-22 |date= |year= |month= |website=GOOD DESIGN AWARD 2002 |work=年度別アーカイブ |publisher=日本デザイン振興会 }}</ref>。 ** [[10月15日]] - NEC、ニンテンドー ゲームキューブ向け1T-SRAMユニットの累積出荷数が2,500万個超に達したと発表<ref>{{Cite web |url=https://www.ign.com/articles/2002/10/15/25-million-1t-sram-units-produced |title=25 Million 1T-SRAM Units Produced |accessdate=2021-01-23 |date=2002-10-15 |website= |work=IGN |publisher=IGN Entertainment |language=en }}</ref>。 ** [[10月29日]] - ATI Technologies、ニンテンドー ゲームキューブ向けグラフィックスLSIの累積出荷数が1,200万個に達したと発表<ref>{{Cite press release |title=12 Millionth ATI Graphics Processor 'Flipper' Chip Ships For NINTENDO GAMECUBE™ |publisher=ATI Technologies |date=2002-10-29 |url=http://www.ati.com/companyinfo/press/2002/4559.html |language=en |accessdate=2021-01-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20021105113310/http://www.ati.com/companyinfo/press/2002/4559.html |archivedate=2002-11-05 }}</ref>。 ** [[11月12日]] - 大元C.I.({{lang-ko|대원씨아이}})、ニンテンドー ゲームキューブを韓国市場で12月14日より発売すると発表<ref>{{Cite web |url=http://game.daiwon.co.kr/joy/news_detail.jsp?no=14 |title=〔공지〕 닌텐도 게임 큐브 국내 상륙!! |accessdate=2021-01-11 |date=2002-11-12 |website=최신정보 |work= |publisher=대원씨아이 |language=ko |archiveurl=https://web.archive.org/web/20021215225927/http://game.daiwon.co.kr/joy/game.jsp |archivedate=2002-12-15 }}</ref>。 ** [[11月14日]] - 任天堂、ニンテンドー ゲームキューブを台湾市場で11月21日に発売すると発表<ref>{{Cite web |url=https://www.gamekult.com/actualite/le-gamecube-bientot-a-taiwan-et-en-coree-21923.html |title=Le GameCube bientôt à Taiwan et en Corée |accessdate=2021-01-16 |author=Puyo |date=2002-10-02 |website=Actu |work=Gamekult |publisher=CUP interactive |language=fr }}</ref>。 ** [[11月19日]] - 任天堂、「ニンテンドー ゲームキューブ ゲームボーイプレーヤー(DOL-017)」の発売を日本国内では2003年3月、北米では同年5月に予定していると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=ゲームボーイソフトがTV画面で楽しめる「ニンテンドー ゲームキューブ ゲームボーイプレーヤー」について |publisher=任天堂 |date=2002-11-19 |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2002/021119.html |accessdate=2021-01-10 }}</ref>。 ** [[12月1日]] - 本体のカラーバリエーションにシルバーを追加。 **[[12月14日]] - 韓国・台湾・香港での販売開始。 * [[2003年]] ** [[1月10日]] - メトロワークス、ニンテンドー ゲームキューブ用の開発ハードウェアとソフトウェアをセットにした開発ツールキット「CodeWarrior for NINTENDO GAMECUBE TDEVバンドル版を2月下旬に発売すると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=メトロワークスが任天堂の協力によりニンテンドーゲームキューブ用ゲームソフトウェア開発ツールキットを新発売 |publisher=メトロワークス |date=2003-01-10 |url=http://www.metrowerks.co.jp/PressRelease/2003/TDEV.html |accessdate=2021-01-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030122180959/http:/www.metrowerks.co.jp/PressRelease/2003/TDEV.html |archivedate=2003-01-22 }}</ref>。SN Systems、従来の半額以下の価格となるニンテンドー ゲームキューブ向け開発キットを販売開始したと発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=従来の半額以下の価格でニンテンドーゲームキューブ向け開発キットを販売開始 |publisher=SN Systems |date=2003-01-10 |url=https://www.atpress.ne.jp/news/743 |accessdate=2021-01-13 }}</ref>。 ** [[1月14日]] - 任天堂、「ニンテンドー ゲームキューブ ゲームボーイプレーヤー」を日本国内で同年3月21日に発売することを発表<ref name=GAMEWatch2003-01-14 >{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20030114/nintendo.htm |title=任天堂、ゲームボーイプレーヤーの発売日を決定。3月21日に5,000円で発売。ホリのデジタルコントローラも登場 |accessdate=2021-01-11 |author=船津稔 |date=2003-01-14 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。HORI、「HORI デジタルコントローラ (仮称)」を日本国内で同年2月21日に発売することを発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://dengekionline.com/data/news/2003/1/14/0b120fdd8971eab141683196cb7c9c1d.html |title=ゲームボーイプレイヤーやパズルゲームに最適!GC用デジタルコントローラが登場! |accessdate=2021-01-11 |author= |date=2003-01-14 |website=News |work=電撃オンライン |publisher=KADOKAWA Game Linkage }}</ref>。 ** 4月 - 松下電器産業、ニンテンドー ゲームキューブの互換機DVD/ゲームプレーヤー「Q」(SL-CG10)専用ゲームボーイプレーヤーを開発中であることを発表<ref>{{Cite web|和書|url=http://panasonic.jp/support/dvd/faq/info_slgc10.html |title=SL-CG10専用 ゲームボーイプレーヤー 発売予定のお知らせ |accessdate=2021-01-11 |date= |year=2003 |month= |website= |work=お客様サポート |publisher=松下電器産業 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030416054043/http://panasonic.jp/support/dvd/faq/info_slgc10.html |archivedate=2003-04-16 }}</ref>。 ** [[4月30日]] - 任天堂、「ニンテンドー ゲームキューブ SDカードアダプタ(DOL-019)」を日本国内で同年7月18日に発売すると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=『ニンテンドー ゲームキューブ SDカードアダプタ』の発売に関して |publisher=任天堂 |date=2003-04-30 |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2003/030430b.html |accessdate=2021-01-11 }}</ref>。 ** [[5月21日]] - 任天堂、ニンテンドー ゲームキューブ本体と「ニンテンドー ゲームキューブ ゲームボーイプレーヤー」を同梱した「エンジョイプラスパック」を、同年6月21日より日本国内で発売すると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=ニンテンドーゲームキューブ+ゲームボーイプレーヤー「エンジョイプラスパック」販売についてのお知らせ|publisher=任天堂 |date=2003-05-21 |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2003/030521.html |accessdate=2021-01-11 }}</ref>。希望小売価格は1万9,800円。カラーバリエーションは、既存の4色全てで展開。 ** [[7月15日]] - ロジクール、任天堂のソフト「F-ZERO GX」および「マリオカート GC(仮称)」に対応する、ニンテンドー ゲームキューブ専用ステアリングコントローラ「SPEED FORCE(LGRC-10000)」を同年7月25日に発売すると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=「SPEED FORCE™」(LGRC-10000)を7月25日に発売 |publisher=ロジクール |date=2003-07-15 |url=http://www.logicool.jp/press/press_108.html |accessdate=2021-01-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20031006113812/http://www.logicool.jp/press/press_108.html |archivedate=2003-10-06 }}</ref>。 ** [[7月24日]] - 任天堂、阪神タイガースと共同で阪神タイガースが優勝した場合のみ発売されるニンテンドー ゲームキューブ本体と「ニンテンドー ゲームキューブ ゲームボーイプレーヤー(DOL-017)」を同梱した「エンジョイプラスパック」の阪神タイガース2003年優勝記念モデルを優勝翌日からの日本国内販売を企画していると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=阪神タイガース&任天堂のコラボレーション! 阪神タイガース優勝マジック点灯を記念して、ニンテンドー ゲームキューブエンジョイプラスパック「阪神タイガース2003年優勝記念モデル」(阪神タイガースが優勝した場合のみの販売になります。) |publisher=任天堂 |date=2003-07-24 |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2003/030724.html |accessdate=2021-01-11 }}</ref>。 ** 8月 - 松下電器産業、ニンテンドー ゲームキューブの互換機DVD/ゲームプレーヤー「Q」(SL-CG10)専用ゲームボーイプレーヤー(SH-GB10-H)を同年10月1日より発売することを発表<ref>{{Cite web|和書|url=http://panasonic.jp/support/dvd/faq/info_slgc10.html |title=SL-CG10専用 ゲームボーイプレーヤー 発売予定のお知らせ |accessdate=2021-01-11 |date= |year=2003 |month= |website= |work=お客様サポート |publisher=松下電器産業 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030806033504/http://panasonic.jp/support/dvd/faq/info_slgc10.html |archivedate=2003-08-06 }}</ref>。 ** [[9月22日]] - ニンテンドー ゲームキューブ向けの開発機材を製作しているSN Systemsと米国任天堂、英国の4つの大学に開発機材の「SN-TDEV」を提供し、任天堂の公式のデベロッパーとしてシラバスに組み込めるようにすると発表<ref>{{Cite web |url=http://www.cube-europe.com/news.php?nid=5436 |title=SN Systems and Nintendo Deal |accessdate=2021-01-14 |author=James |date=2003-09-22 |website=News |work= |publisher=GameCube Europe |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040602081406/http://www.cube-europe.com/news.php?nid=5436 |archivedate=2004-06-02 }}</ref>。 ** [[10月3日]] - 任天堂、ニンテンドー ゲームキューブの日本市場におけるメーカー希望小売価格を、同年10月17日から税別14,000円に改定するとともに、同年10月10日から「エンジョイプラスパック」にメモリーカード251(DOL-014)を追加同梱して発売すると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=ニンテンドーゲームキューブの販売について |publisher=任天堂 |date=2003-10-03 |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2003/031003a.html |accessdate=2021-01-11 }}</ref>。 * [[2004年]] ** [[3月19日]] - デジタルAV出力端子をニンテンドー ゲームキューブ本体から取り除いた仕様のDOL-101へ順次切り替えていく予定であることを発表。 ** [[3月22日]] - 同年4月からの総額表示義務化に伴い、価格を税込14,000円に改定。エンジョイプラスパックも同様に価格を税込19,800円に改定。 ** [[7月22日]] - エンジョイプラスパックに、「クリア」色のコントローラをさらに加えた「エンジョイプラスパック プラス」を発売。希望小売価格は税込19,800円。本体色は「シルバー」色のみ。 * [[2005年]][[10月27日]] - 希望小売価格を廃止し、[[オープン価格]]に変更。エンジョイプラスパック、エンジョイプラスパック プラスも同様にオープン価格に変更。 * [[2006年]][[12月2日]] - 日本において、本機と互換性のある次世代機「[[Wii]]」<ref>WiiではGCソフトの互換機能を備えていたが、2012年12月8日発売の[[Wii U]]以降は廃止となった。</ref>発売。 * [[2008年]] ** 3月 - 日本での販売台数404万台、北米で1,294万台、その他477万台で全世界累計販売台数は2,174万台{{R|SALES}}。 ** [[4月24日]] - Wii本体色に合わせたニンテンドー ゲームキューブ コントローラ(ホワイト)が日本で発売<ref name=DOL-003(-01) >{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/wii/controllers/index.html#gc |title=コントローラ |accessdate=2021-01-16 |website=Wii |work= |publisher=任天堂 }}</ref><ref name=Engadget2008-04-10 >{{Cite web|和書|url=https://japanese.engadget.com/jp-2008-04-09-wii-gc-controller-white.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200807042701/https://japanese.engadget.com/jp-2008-04-09-wii-gc-controller-white.html|archivedate=2020-08-07|deadlinkdate=2022-05-01|title=ゲームキューブコントローラに新色ホワイト、新価格2000円 |accessdate=2021-01-16 |author=Ittousai |date=2008-04-10 |website=Engadget 日本版 |work= |publisher=ベライゾンメディア・ジャパン }}</ref>。 * [[2012年]][[7月]] - 任天堂、ニンテンドー ゲームキューブの日本国内での修理サポートを終了<ref>{{Cite web|和書|url=https://weekly.ascii.jp/elem/000/002/617/2617911/ |title=今日は何の日? ニンテンドーゲームキューブ発売(2001) |accessdate=2021-01-09 |author=週アス編集部 |date=2013-09-14 |website=ゲーム |work=週刊アスキー |publisher=角川アスキー総合研究所 }}</ref>。 * [[2014年]][[12月6日]] - [[Wii U]]用ソフト『[[大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo 3DS / Wii U|大乱闘スマッシュブラザーズ for Wii U]]』の日本発売に合わせ、ニンテンドー ゲームキューブ コントローラ(スマブラブラック・スマブラホワイト)を発売<ref name=スマブラブラック >{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/hardware/wiiu/accessories/ |title=周辺機器 |accessdate=2021-01-24 |website= |work=Wii U |publisher=任天堂 }}</ref>。 * [[2018年]][[11月16日]] - [[Nintendo Switch]]用ソフト『[[大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL]]』発売に先立って、ニンテンドー ゲームキューブ コントローラ(スマブラブラック)を発売<ref name=Switch >{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/hardware/switch/accessories/index.html |title=周辺機器 |accessdate=2021-02-04 |website= |work=Nintendo Switch |publisher=任天堂 }}</ref>。 == ハードウェア == [[ファイル:GEKKO.jpg|200px|thumb|CPU(Gekko 45L8926ESD) ]] [[ファイル:FLIPPER.JPG|200px|thumb|システムLSI(FLIPPER uPD8924F2011)]] [[ファイル:1T-SRAM.JPG|200px|thumb|フレームバッファ・テクスチャキャッシュ(1T-SRAM MS3M32B-5)]] [[ファイル:Nintendo-GameCube-Modem-Motherboard.jpg|200px|thumb|<small>Conexantのロゴが印字された半導体を装着するモデムアダプタ(DOL-012)の基板。</small>]] [[ファイル:Gamecube-disk.jpg|200px|thumb|ニンテンドーゲームキューブ用ディスク]] [[ファイル:GameCube controller.png|thumb|200px|<small>ニンテンドー ゲームキューブ コントローラ(DOL-003)。</small>]] [[コードネーム|開発コードネーム]]は「Dolphin」<ref>{{Cite web|和書|url=https://xtech.nikkei.com/dm/article/NEWS/20070828/138365/ |title=任天堂と松下電器の次世代ゲーム機,出荷時期は2000年末に |accessdate=2021-01-20 |author=今井拓司 |date=1999-05-12 |website=エレクトロニクス機器/技術 |work=日経クロステック(xTECH) |publisher=日経BP }}</ref>。 [[NINTENDO64]]では開発の困難さからソフト不足が発売当初から最後まで一貫して続いていた。この事に対しての[[反省]]や[[教訓]]から瞬間最大性能の高さよりも、安定的に高性能を発揮し、ビデオ・ゲームを作りやすい[[ハードウェア]]とすることを念頭に開発された。2001年当時、任天堂取締役経営企画室室長の[[岩田聡]]によると「開発で最初に重要視したのが「数字主義、スペック主義からの決別」」である<ref name="ascii.jp20010914">{{Cite interview |和書|subject=岩田聡 |interviewer=内田幸二 |cointerviewers=大槻眞美子 |url=https://ascii.jp/elem/000/000/326/326085/2/ |title=「次世代ゲーム機の覇者は、ゲームキューブです」 任天堂株式会社 取締役経営企画室室長 岩田聡氏 |accessdate=2021-08-23 |date=2001-09-14 |work=ASCII.jp |publisher=角川アスキー総合研究所 }}</ref>。いくらスペックが素晴らしくても、実際にソフトを開発してみると使えないスペックが多く、スペックが嘘になってしまう上に、最適化・チューニング作業に開発者が多くの時間を割かざるを得ない状況を踏まえ、「ピーク性能を重要視するのでなく、現実的にゲームづくりで使える実効性能を重要視」している{{R|ascii.jp20010914}}。ニンテンドー ゲームキューブのスペックは、NINTENDO64と比較してCPU速度を10倍、グラフィック処理速度を100倍を念頭に開発されたが、ピーク性能上はそれを満たしていない。しかし、岩田によると「実効性能としてはまさに依頼したCPU10倍、グラフィック100倍が達成できた」としている{{R|ascii.jp20010914}}。絵を描く、音楽を鳴らす、ゲームを動かすというデータ処理の全てをCPUが行うものではなく、キレイに他の部品に分担させるという技術が確立した。<ref name=":0" /> ;CPU : [[PowerPC_G3|PowerPC 750CXe]]を基に[[IBM]]が拡張した独自CPU「[[Gekko]]」を使用している<ref name="IGN2001-07-11" /><ref name="IBM2002-09-20">{{Cite press release |title=10 millionth Gamecube processor shipped to Nintendo |website=IBM News |publisher=International Business Machines |date=2002-09-20 |url=http://www.ibm.com/news/us/2002/09/20.html |language=en |accessdate=2021-01-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20021017034809/http://www.ibm.com/news/us/2002/09/20.html |archivedate=2002-10-17 }}</ref>。 : IBMの銅チップ技術は、同じクロック速度でIntelのアルミニウムPentiumチップよりも高速に動作し、低消費電力を特徴とし、低温で動作するとされている<ref>{{Cite web |url=https://www.zdnet.com/article/whats-inside-the-gamecube/ |title=What's inside the GameCube? |accessdate=2021-01-22 |author=Shane Satterfield |date=2001-11-16 |website= |work=ZDNet |publisher=Red Ventures |language=en }}</ref>。 ; メモリ : MoSysの開発した[[1T-SRAM]]を採用し、[[Dynamic Random Access Memory|DRAM]]並のコストで[[Static Random Access Memory|SRAM]]並のアクセス速度を実現している<ref>{{Cite journal|和書|author=Mark-Eric Jones |date=2001-01 |title=1トランジスタ,1キャパシタSRAM開発の軌跡をたどる |journal=デザインウエーブマガジン |volume=6 |issue=1 |page= |pages=119-127 |publisher=CQ出版 |location=東京 |id=通巻38号、{{全国書誌番号|00103442}} |url=https://www.cqpub.co.jp/dwm/contents/0038/dwm003801190.pdf |format=PDF |accessdate=2021-01-24 }}</ref>。 : コストの制約から搭載量は24MBにとどまったが、16MBのシンクロナイズドDRAMで補い、グラフィックチップのダイ上に[[VRAM|グラフィックメモリ]]を混載することによって、高速なアクセスを維持している<ref name=ASCII2001-09-14 />。 ; グラフィックチップ : 「Flipper」は、ArtXが開発した。同社が[[ATI Technologies]]に買収されたことにより「Flipper」はATI Technologiesのものとなり、ニンテンドー ゲームキューブの筐体にはATI Technologiesのロゴが貼付されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20010914/ati.htm |title=ATI、次世代RADEON「RADEON 8500」を国内発表 |accessdate=2021-01-23 |date=2001-09-14 |website=PC Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。 : 製造はNECにより行われた<ref name=NEC2001-02-26 >{{Cite press release |和書 |title=半導体新工場の竣工について |publisher=日本電気 |date=2001-02-26 |url=http://www.nec.co.jp/press/ja/0102/2602.html |accessdate=2021-01-11 }}</ref>。 ; 光ディスク : ゲームソフトのグラフィック向上に伴うの大容量化に対応するため、任天堂の家庭用ゲーム機としては初めて、[[メディア (媒体)|メディア]]として[[光ディスク]]を採用した<ref>{{Cite web |url=http://cube.gamespy.com/articles/500/500516p1.html |title=Beginner's Guide: GameCube |accessdate=2021-01-24 |date=2003-07-30 |website= |work=GameSpy |publisher=IGN Entertainment |language=en }}</ref>。 : 光ディスクは、任天堂と松下電器産業(現・[[パナソニック]])が共同開発した、[[DVD]]をもとにした独自規格で、[[径|直径]]は8センチメートル、データ容量は約1.5[[ギガバイト|GB]]。[[CAV]]方式とすることで高速なデータ読み込みを実現している<ref>{{Cite web|和書|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/20000824/nintendo.htm |title=遂にベールを脱いだ「NINTENDO GAMECUBE」 |accessdate=2021-01-15 |date=2000-08-24 |website= |work=PC Watch |publisher=インプレス }}</ref>。 : データ読み込みの速さ以外にも、普及している一般的な規格と異なるものにすることで、違法コピーを作りにくくするという[[海賊版]]対策もあり、松下電器産業の[[コピーガード|著作権保護技術]]が使われている<ref>{{Cite web |url=https://www.eetimes.com/matsushita-allies-with-nintendo-on-next-generation-game-console/ |title=Matsushita allies with Nintendo on next-generation game console |accessdate=2020-01-24 |author=Yoshiko Hara |date=1999-05-12 |website= |work=EE Times |publisher=AspenCore |language=en }}</ref>。 <!-- 当初は[[ミニディスク|MD]]と同じ[[合成樹脂|プラスチック]]製の[[カートリッジ]]で覆う予定だったが、'''DVDとの互換性が取れなくなる'''と松下電器産業に反対されたため、現在の形になった。 --> : なお、ニンテンドーゲームキューブでは読み込んでいるゲームキューブディスクのソフトをプレイしている時以外なら、電源を切らずにゲームキューブディスクを入れ取り出したり、ディスクカバーを開閉しても認識されるようになった。ニンテンドーゲームキューブメニューをゲームプレイ表示しているときにゲームキューブディスクをセットすると、自動的にこのゲームタイトルのロゴが選択された状態になる。 ; コントローラ : NINTENDO64のコントローラブロスより小さくなり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/ngc/specific/hikaku/index.html |title=他商品とのサイズ比較 |accessdate=2021-01-24 |website=スペック |work=ニンテンドー ゲームキューブ |publisher=任天堂 }}</ref>、グリップを2つに改めた<ref name=コントローラ >{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/ngc/control/index.html |title=コントローラ |accessdate=2021-01-24 |website=スペック |work= ニンテンドー ゲームキューブ|publisher=任天堂 }}</ref>。 : 操作系を左手・右手の2系統にまとめ、Aボタンをホームポジションとすることで、他のボタンの役割を明確にした<ref name=コントローラ />。 : 機能面でも、新たにアナログスティックを1本、アナログトリガーを左右に1つずつ設け<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.denfaminicogamer.jp/gamenewsplus/181116 |title=「ゲームキューブ コントローラ」はなぜここまで愛され続けるのか? 登場から17年が経った今も現役の同機の歴史を振り返る |accessdate=2021-01-23 |author=空山緑郎 |coauthors=ishigenn |date=2018-11-16 |website=ゲームニュースプラス |work=電ファミニコゲーマー |publisher=マレ }}</ref>、振動モーターも内蔵された<ref name=コントローラ />。 : 前身ハード「NINTENDO64」同様、本体の電源を入れたときのコントロールスティックの位置を中心として認識する仕組みである。左側には改良型の'''コントロールスティック'''・左下の[[十字キー|十字ボタン]]に側面の'''Lトリガーボタン'''、右側には一際大きな'''Aボタン'''(緑)を中心にして、周囲に'''Bボタン'''(赤)・'''Xボタン'''(灰)・'''Yボタン'''(灰)が配されている。ほかにはNINTENDO64のCボタンユニットに代わって右下には3Dスティックと同じ構造の'''Cスティック'''(黄)、側面の'''Rトリガーボタン'''・'''Zトリガーボタン'''(青)を配する。中央には'''STARTボタン'''がある。L・Rトリガーボタンは押し込む深さによって強弱がつけられ、最後まで押し込むともう一段階[[クリック]]できるようになっている。[[電動機|モーター]]が内蔵され、ソフトウェアに反応してコントローラが振動する。また、ニンテンドーゲームキューブ本体の電源を切らずにニンテンドーゲームキューブコントローラを抜き差ししても接続されるようになった。ニンテンドーゲームキューブ本体にニンテンドーゲームキューブコントローラを接続すると、自動的にこの操作された状態になる。 ; 内蔵電池 : 本体には時刻などの本体設定を記憶しておくため[[リチウム電池]]を内蔵している。この電池は市販品でないため、任天堂での交換が必要だった。 ; 内蔵機能 : 起動音は3つあり、1PのコントローラのZボタンを押しながら起動させると変化する。1Pから4PのコントローラのすべてのZボタンを押しながら起動でさらに変化する。 : メニュー画面で流れているBGMを16倍速で再生すると、[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]]の起動時の音楽とほぼ同じメロディになる<ref>{{Cite web|和書|url=http://digimaga.net/2010/06/gamecube-main-menu-speed-up-16x |title=ゲームキューブのメニューBGMを16倍速にするとディスクシステムの起動音になる |accessdate=2021-01-29 |author=篠原修司 |date=2010-06-01 |website= |work= |publisher=デジタルマガジン |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110516021613/https://digimaga.net/2010/06/gamecube-main-menu-speed-up-16x |archivedate=2011-05-16 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.inside-games.jp/article/2010/05/31/42345.html |title=ゲームキューブのメニュー音、16倍速で聴くとディスクシステムと同じ曲!? |accessdate=2021-01-09 |date=2010-05-31 |website=任天堂 |work=インサイド |publisher=イード }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://getnews.jp/archives/61490 |title=『ゲームキューブ』のメニュー音は『ディスクシステム』の起動音と同じだった! |accessdate=2021-01-09 |author=ソル |date=2010-06-01 |website=ガジェット通信 |work=GetNews |publisher=東京産業新聞社 }}</ref>。 ;ソフトの終了時動作 :ゲームキューブでは、ゲームキューブソフトの終了時に、ゲームキューブメニューに戻る場合はパワーボタンを押して電源をOFFにする必要があったが、「[[エターナルダークネス 〜招かれた13人〜]]」では、パワーボタンを押さずにゲームキューブメニューに戻れるようになった。 ; 言語設定 : ニンテンドーゲームキューブの本体の表示言語では、欧州発売版以外は各国発売版の言語のみの固定しており{{Refnest|日本発売版では、日本発売通り日本語のみ、北米・豪州発売版では北米・豪州発売通り英語のみ、ブラジル発売版では、ブラジル発売通りポルトガル語のみ、韓国発売版では韓国発売通り韓国語のみ|group=注}}、欧州発売版では、英語・フランス語・イタリア語・スペイン語・ドイツ語・オランダ語に言語を変更することが可能。 ; 言語表示表 : {|class=wikitable style="font-size:smaller" !欧州発売版 |- |English |- |Français |- |Italiano |- |Español |- |Deutsch |- |Nederlands |} {| class="wikitable" style="text-align:center" |+固定言語表 !日本発売版!!北米発売版<br />豪州発売版<br />([[:en:Nintendo Australia|ニンテンドーオーストラリア]]での発売)!!ブラジル発売版!!韓国発売版<br />([[:ko:한국닌텐도|韓国任天堂]]での発売) |- |日本語||English||Português||한국어 |} ; エラー画面 : 起動・メニュー画面中でも画面が強制的に紫・赤のグラデーションの枠に「'''ディスクを読めませんでした。くわしくは本体の取扱説明書をお読みください。'''」・「'''エラーが発生しました。本体のパワーボタンを押して電源をOFFにし 取扱説明書の指示に従ってください。'''」と表示される。 ; リージョンコード : ニンテンドーゲームキューブに'''リージョンロック仕様'''であり、使用するGCソフトと本体の[[リージョンコード]]が一致しないとそのソフトを起動することができない。ただし、GC用ソフト(日本国外版)のように、リージョンコードが設定されているが一致しないGCでも起動できるソフトも存在する(GC用ソフト(日本版)のゲームソフトを認識すると、文字が化ける)。 なお、本体内部には3D対応の回路が組み込まれており、『[[ルイージマンション]]』では対応していた。また、周辺環境を整えればその機能も使えたが、当時はまだ立体視用の液晶が非常に高価で、実用には至らなかった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/3ds/interview/hardware/vol1/index3.html |title=社長が訊く『ニンテンドー3DS』 |accessdate=2021-01-09 |date= |website=社長が訊く |work=ニンテンドー3DS |publisher=任天堂 }}</ref>。 === 本体機能 === ==== ニンテンドーゲームキューブ メニュー ==== ; カレンダー : 新たに日付設定と時計設定を搭載した。 ; メモリーカード : 新たにメモリーカードスロットを搭載した。スロットAとスロットBにメモリーカードを抜き差しても認識する。セーブデータはゲームソフトのアイコンも表示され、コピー・移動・削除することが可能。 ; オプション : 新たにサウンド設定と画面ヨコ位置設定も搭載した。サウンド設定では、[[モノラル]]・[[ステレオ]]にサウンドを変更することが可能。画面ヨコ位置設定では、画面の位置を変更することが可能。 ; ゲームプレイ : ニンテンドーゲームキューブ(以下GC)用ソフトのディスクが入っていない・ディスクカバーが開いた状態の「'''ゲームキューブディスクをセットしてください。'''」のメッセージ表示される。また、GC用ソフトのディスクを読み込むと「'''ディスクを読み込んでいます。'''」のメッセージが表示され、認識すると「'''START/PAUSEボタンでゲームスタート!'''」のメッセージが上に表示される。 === 仕様 === ニンテンドーゲームキューブのハードウェア仕様については任天堂が公開、詳説している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/ngc/specific/index.html |title=スペック |accessdate=2021-01-09 |website=ニンテンドーゲームキューブ |work= |publisher=任天堂 }}</ref>。 * MPU (マイクロ プロセッシング ユニット) ** CPU:IBM PowerPC “Gekko”485 MHz ** CPU性能:1125DMips (Dhrystone2.1) ** 内部データ精度:32 bit 整数 & 64 bit 浮動小数点 ** 外部バス 転送速度:1.3 GB/秒(ピーク)32 bitアドレス・64 bitデータバス 162MHz ** 内部キャッシュ:L1…命令32 KB、データ32 KB (8way) L2…256 KB (2way) * システムLSI:“Flipper”(NEC製DRAM混載)162 MHz ** 混載フレームバッファ:約2 MB、持続レイテンシ性能 6.2 ns (1T-SRAM) ** 混載テクスチャキャッシュ:約1 MB、持続レイテンシ性能 6.2 ns (1T-SRAM) ** テクスチャRead転送速度:10.4 GB/秒 (ピーク) ** メインメモリ 転送速度:2.6 GB/秒 (ピーク) ** ピクセル:カラー & Zバッファ 各々24 bit ** 画像処理機能:フォグ・サブピクセルアンチエイリアス・光源演算ハードx8・アルファブレンド・バーチャルテクスチャ設計・マルチテクスチャ/バンプ/環境マップ・MIPMAP/Bilinear/Tri-linear/Anisotropicフィルタ・テクスチャデータリアルタイム解凍(S3TC)・flicker除去3ラインフィルタ演算ハード・ディスプレイリストリアルタイム解凍 * サウンド(Flipper内蔵):専用16 bit-DSP 81 MHz ** DSP インストラクションメモリ:8 KB RAM+8 KB ROM ** DSP データ メモリ:8 KB RAM+4 KB ROM ** 同時発音数:ADPCM:64 ch ** サンプリング周波数:48 kHz * 表示性能 ** 浮動小数点演算システム性能:10.5GFLOPS(ピーク) ** 実力表示性能:600万 - 1200万ポリゴン/秒 (ピーク)(実際のゲームを想定した複雑さのモデル及びテクスチャ等での表示性能) * システムメモリ(計40 MB) ** メインメモリ“Splash”24 MB ** 持続レイテンシ性能:約10 ns (1T-SRAM) ** A-メモリ:“Auxiliaryメモリ(補助メモリ)”16 MB (81 MHz DRAM) * ディスクドライブ(CAV方式) ** 平均アクセスタイム:128 ms ** データ転送速度:16 Mbps - 25 Mbps ** メディア: 松下製、直径8 cm光ディスク 約1.5 GB * インターフェース ** コントローラポート ×4 ** メモリカード スロット ×2 ** アナログAV出力 ×1 ** デジタルAV出力 ×1 (型番DOL-101にはなし) ***この端子に出力されている信号はデジタルだが、D端子ビデオケーブルまたはコンポーネントビデオケーブルの内部でデジタルからアナログへ変換されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/20011025/key186.htm#AV |title=鈴木直美の「PC Watch先週のキーワード」 |accessdate=2021-01-09 |author=鈴木直美 |date=2001-10-19 |website=PC Watch |work= |publisher=インプレス |archiveurl=https://web.archive.org/web/20011119185308/https://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/20011025/key186.htm#AV |archivedate=2001-11-19 }}</ref>。 ** ハイスピード シリアルポート ×2 ** ハイスピード パラレルポート ×1 * 本体寸法(突起部分を除く) 150 mm(幅)×110 mm(高さ)×161 mm(奥行) * 質量 約1.4 Kg * 使用電源:専用ACアダプタ DC12 V ×3.5 A === 販売台数 === {| class="wikitable" style="text-align:center" |+ 会計年度別推移表<ref name="SALES"/> |- !rowspan="2"| 会計年度!! colspan="4"| ハード(万台) |- ! 国内 !! 米大陸 !! その他 !! 計 |- ! style="white-space:nowrap"|2002年 | 157 || 222 || 1 || 380 |- ! 2003年 | 90 || 291 || 194 || 576 |- ! 2004年 | 99 || 272 || 132 || 502 |- ! 2005年 | 34 || 261 || 98 || 392 |- ! 2006年 | 20 || 172 || 44 || 235 |- ! 2007年 | 2 || 63 || 8 || 73 |- ! 2008年 | 2 || 13 || 1 || 16 |- ! 累計 | 404 || 1,294 || 477 || 2,174 |} == 本体 == 本体および関連[[製品]]の型番には'''DOL'''がつけられている<ref name=MARU-CHANG >{{Cite web|和書|url=https://maru-chang.com/hard/dol/index.htm |title=DOL:ニンテンドーゲームキューブ |accessdate=2021-01-09 |author=まるちゃん(MARU-CHANG) |date= |website=DOL |work=Nintendo HardNumber |publisher=MiragePalece }}</ref>。 2001年9月14日に発売した際の本体色はバイオレット。型番はDOL-S-VTA(JPN)。本体には同色のコントローラー1個が同梱。 *'''DOL-001''','''ニンテンドー ゲームキューブ'''。前期型。 **DOL-001(JPN),L-DOL-JPN,日本向け製品,日本製,2001年9月14日発売。 **DOL-001(JPN),L-DOL-JPN-1,日本向け製品,日本製。 **DOL-001(JPN),C/L-DOL-JPN,日本向け製品,中国製。 **DOL-001(USA),L-DOL-USA,北米向け製品,日本製,2001年11月18日発売。 **DOL-001(USA),C/L-DOL-USA,北米向け製品。中国製。 **DOL-001(EUR),L-DOL-EUR,欧州向け製品,日本製,2002年5月3日発売。 **DOL-001(EUR),C/L-DOL-EUR,欧州向け製品。中国製。 **DOL-00'''2'''(BRA),ブラジル向け製品。ブラジル製,2002年8月23日発売<ref name=nintendoblast />。 *'''DOL-101''','''ニンテンドー ゲームキューブ'''。後期型。DOL-001とほぼ同じでマイナーチェンジ、デジタルAV出力ポート、シリアルポート2が削除され、端子接続ポートがひとつになった。また、ネームプレートの交換が不可能になった。エンジョイプラスパックは2004年[[7月]]ごろから、単体版は2005年[[1月]]ごろから店頭に並び始めた。 **DOL-101(JPN),C/L-DOL-JPN-VA,日本向け製品,中国製。 **DOL-101(USA),C/L-DOL-USA-VA,北米向け製品,中国製。 **DOL-101(EUR),C/L-DOL-EUR-VA,欧州向け製品,中国製。 **DOL-101(EUR),C/L-DOL-EUR-VA-1,欧州向け製品,中国製。 **DOL-101(EUR),C/L-DOL-EUR-VA-2,欧州向け製品,中国製。 === カラーバリエーション === 限定・非売品を除く本体のカラーバリエーションはバイオレット、オレンジ、ブラック、シルバーの4種類でコントローラーはそれに加えてバイオレット&amp;クリア、エメラルドブルー、ホワイトの6種<ref name=カラーバリエーション >{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/ngc/color/index.html |title=ニンテンドー ゲームキューブ/カラーバリエーション |accessdate=2021-01-13 |website=ニンテンドー ゲームキューブ |work= |publisher=任天堂 }}</ref>。 :;日本 :*'''オレンジ''' - 2001年[[11月21日]]発売の「ニンテンドー ゲームキューブ(DOL-S-OA(JPN))」に同梱<ref name=カラーバリエーション />。 :*'''ブラック''' - 2001年11月21日発売の「ニンテンドー ゲームキューブ(DOL-S-KA(JPN))」に同梱<ref name=カラーバリエーション /> :*'''シルバー''' - [[2002年]][[12月1日]]発売の「ニンテンドー ゲームキューブ(DOL-S-PLA(JPN))」に同梱<ref name=カラーバリエーション />。 <gallery> File:Nintendo Gamecube (2001) 1.jpg|オレンジ File:GameCube (Unsplash).jpg|ブラック File:Nintendo Gamecube Silver.JPG|シルバー </gallery> ::; 限定カラー ::*'''シンフォニックグリーン''' - [[2003年]][[8月29日]]発売の「テイルズ オブ シンフォニア+エンジョイプラスパック シンフォニックグリーンエディション」に、「シンフォニックグリーン<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bandainamcoent.co.jp/cs/list/talesofsymphonia/news/index.html |title=GAMECUBE/テイルズ オブ シンフォニア |accessdate=2021-01-16 |website=限定版情報! |work=バンダイナムコゲームス公式サイト |publisher=バンダイナムコエンターテインメント }}</ref>」色の本体(DOL-001(JPN))、コントローラ(DOL-003)及び[[ゲームボーイプレーヤー]](DOL-017)が同梱された。税別28,000円<ref>{{Cite web|和書|url=https://dengekionline.com/data/news/2003/7/11/20aa21dec00c804e12a8be7572779785.html |title=『テイルズオブシンフォニア」限定版は、オリジナルカラーのGC本体を同梱! |accessdate=2021-01-16 |author= |date=2003-07-11 |website=News |work=電撃オンライン |publisher=KADOKAWA Game Linkage }}</ref>。 ::*'''縦縞模様''' - [[2003年]][[8月29日]]発売の「ニンテンドー ゲームキューブエンジョイプラスパック [[阪神タイガース]]2003年優勝記念モデル」に、「縦縞模様<ref name=hanshinv >{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/ngc/hanshinv/index.html |title=ニンテンドー ゲームキューブ/阪神タイガース2003年優勝記念モデル |accessdate=2021-01-16 |website=ニンテンドー ゲームキューブ |work= |publisher=任天堂 }}</ref>」柄のオリジナル・ネームプレート(DOL-018)付きの本体(DOL-001(JPN))、コントローラ(DOL-003)が同梱された<ref name=hanshinv />。希望小売価格は税別27,700円<ref>{{Cite web|和書|url=https://dengekionline.com/data/news/2003/7/24/349d32a0ebd02a5921d6fd0becae31bd.html |title=優勝すれば販売が決定!任天堂が阪神タイガースモデルのGC本体を開発中|accessdate=2021-01-16 |author= |date=2003-07-24 |website=News |work=電撃オンライン |publisher=KADOKAWA Game Linkage }}</ref>。 ::*'''シャア専用カラー''' - 「シャア専用カラー<ref name=電撃オンライン2003-09-26 >{{Cite web|和書|url=https://dengekionline.com/data/news/2003/9/26/1a71d0a612b1a633e3f8e4f207390fab.html |title=【TGS】バンダイブースで発見!シャア専用ゲームキューブ&ゲームボーイアドバンスSP|accessdate=2021-01-16 |author= |date=2003-09-26 |website=News |work=電撃オンライン |publisher=KADOKAWA Game Linkage }}</ref>」のオリジナル・ネームプレート(DOL-018)付きコンソール(DOL-001(JPN))、コントローラ(DOL-003)及び[[ゲームボーイプレーヤー]](DOL-017)が、「ニンテンドー ゲームキューブ [[シャア・アズナブル|シャア]]専用BOX(DOL-S-ZPZRL)」に同梱され、2003年[[11月27日]]から販売された<ref name=電撃オンライン2003-09-26 />。希望小売価格は税別21,000円<ref name=インサイド >{{Cite web|和書|url=https://www.inside-games.jp/article/2003/11/10/12086.html |title=体験版収録の「シャア専用ゲームキューブ」のパッケージ |accessdate=2021-01-16 |date=2003-11-10 |website= |work=インサイド |publisher=イード }}</ref>。 ::*'''スターライトゴールド''' - 「スターライトゴールド」色のコンソール(DOL-101(JPN))、コントローラ(DOL-003)及び[[ゲームボーイプレーヤー]](DOL-017)が、「ニンテンドー ゲームキューブ スターライトゴールド」に同梱され、2004年[[7月15日]]からトイザらスで限定販売された<ref name=電撃オンライン2004-07-21 >{{Cite web|和書|url=https://dengekionline.com/data/news/2004/7/21/cc3a5e2049868f567e985057e7a05a2d.html |title=他では手に入らないトイザらス限定カラーのGC「スターライトゴールド」が発売中 |accessdate=2021-01-16 |author= |date=2004-07-21 |website=News |work=電撃オンライン |publisher=KADOKAWA Game Linkage }}</ref>。価格は税込13,799円<ref name=電撃オンライン2004-07-21 />。 ::; 非売品 ::*'''クリスタルホワイト''' - 雑誌などの懸賞当選者へ2003年に発送された「ニンテンドー ゲームキューブ+ゲームボーイプレーヤー エンジョイプラスパック クリスタルホワイトエディション」に、「クリスタルホワイト」色の本体(DOL-001(JPN))、コントローラ(DOL-003)及びゲームボーイプレーヤー(DOL-017)が同梱された<ref name=インサイド2003-06-23 >{{Cite web|和書|url=https://www.inside-games.jp/article/2003/06/21/10861.html |title=GCに非売品限定版「クリスタルホワイト」登場 |accessdate=2021-01-16 |date=2003-06-23 |website= |work=インサイド |publisher=イード }}</ref>。懸賞は2003年8月8日に発売されたソフトウェア「ファイナルファンタジー クリスタルクロニクル」の関連企画で、当選者数は、集英社の少年3誌合同で150名<ref name=インサイド2003-06-23 />、KADOKAWA Game Linkageの3媒体合同で若干名<ref>{{Cite web|和書|url=https://dengekionline.com/data/news/2003/6/23/fab65d5274f0f0f8a4f8a46f6241d8c8.html |title=非売品カラーのGC本体「クリスタルホワイト」を、電撃3誌でどどーんとプレゼント! |accessdate=2021-01-16 |author= |date=2003-06-23 |website=News |work=電撃オンライン |publisher=KADOKAWA Game Linkage }}</ref>、スクウェア・エニックスのガイドブックで20名<ref>{{Cite web|和書|url=https://magazine.jp.square-enix.com/gamebooks/ff/ffcc_comp/index.html |title=ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル 公式ガイドブック コンプリートエディション 公式ページ |accessdate=2021-01-17 |date= |year=2003 |month= |website=SQUARE ENIX GAME BOOKS ONLINE |work= |publisher=スクウェア・エニックス }}</ref>。 ;北米 *'''Indigo''' - 2001年11月18日発売<ref name=nintendoworldreport2001-11-18 >{{Cite web |url=https://www.nintendoworldreport.com/news/6744/gamecube-has-launched |title=GameCube has LAUNCHED! |trans-title= |accessdate=2021-02-06 |last=Berghammer |first=Billy |author= |date=2001-11-18 |website=News |work=Nintendo World Report |publisher=NINWR |language=en }}</ref>。 *'''Jet Black''' - 2001年11月18日発売<ref name=nintendoworldreport2001-11-18 />。 *'''Platinum''' - 2002年11月3日発売<ref>{{Cite web |url=https://www.gamecubicle.com/news-nintendo_platinum_gamecube.htm |title=Nintendo Platinum GameCube |accessdate=2021-02-06 |last= |first= |author=Rick |authorlink= |coauthors= |date=2002-07-24 |website= |work=GameCubicle.com |publisher=GamingFog |language=en }}</ref>。 ;欧州 *'''Black'''<ref>{{Cite web |url=https://www.nintendo.es/Atencion-al-cliente/Nintendo-GameCube/Informacion-de-la-consola/Detalles-tecnicos/Detalles-tecnicos-619165.html |title=Detalles técnicos |accessdate=2021-01-22 |date= |year= |month= |website=Nintendo GameCube |work=Atención al cliente |publisher=Nintendo of Europe |language=es }}</ref> - 2002年5月3日発売<ref name=Eurogamer2012-05-03 >{{Cite web |url=https://www.eurogamer.net/articles/2012-05-03-gamecube-celebrates-10th-birthday-in-the-uk |title=GameCube celebrates 10th birthday in the UK |accessdate=2021-02-06 |last=Phillips |first=Tom |author= |date=2012-05-03 |website=Eurogamer.net |work=Gamer Network |publisher= ReedPop |language=en }}</ref>。 *'''Purple'''<ref>{{Cite web |url=https://www.nintendo.co.uk/Support/Nintendo-GameCube/Product-Information/Technical-data/Technical-data-619165.html |title=Technical data |accessdate=2021-01-22 |date= |year= |month= |website=Nintendo GameCube |work=Support |publisher=Nintendo of Europe |language=en }}</ref> - 2002年5月3日発売<ref name=Eurogamer2012-05-03 />。 === 互換機 === {{未検証|section=1|date=2021年8月}} ==== Q ==== <!--{{簡易区別|パナソニックの「創風機「Q」」}}--> {{Information appliance |manufacturer=[[松下電器産業]] | 互換ハード = | 後方互換 = | 前世代ハード = [[NINTENDO64]] | 次世代ハード = [[Wii]] |title={{big|Q}} |logo= |image=[[File:Panasonic-Q-Console-Set.png|300px]] |type=[[DVDレコーダー]] / [[ゲーム機]] |releasedate = {{Flagicon|JPN}} [[2001年]][[12月14日]] |media=8cm光ディスク<br />[[DVD-ROM]] [[DVD-R]]<br /> [[DVD-RW]]([[DVD+RW]]) [[DVD-RAM]] |storage=[[メモリーカード]] }} 松下電器産業(現・パナソニック)から、<!-- パナソニック(Panasonic)ブランドとして -->DVDプレイヤーと家庭用ゲーム機(ニンテンドー ゲームキューブ互換機)の複合機DVD/ゲームプレイヤー「Q」(SL-GC10)が,2001年[[12月14日]]に日本で発売された<ref>{{Cite press release |和書 |title=DVDゲームプレーヤー Q(キュー)SL-GC10を発売 |publisher=松下電器産業 |date=2001-10-19 |url=http://www.matsushita.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn011019-1/jn011019-1.html |accessdate=2021-01-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20011108184644/http://www.matsushita.co.jp/corp/news/official.data/data.dir/jn011019-1/jn011019-1.html |archivedate=2001-11-08 }}</ref>。コードネームは「マーメイド」<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20011011/q.htm |title=パナソニック製ゲームキューブ互換機「Q」11月下旬に4万円以下で発売か |website=GAME Watch |publisher=インプレス |date=2001-10-11 |accessdate=2023-01-01}}</ref>。 ニンテンドー ゲームキューブに[[DVD-Video]]の再生機能を追加したものでニンテンドー ゲームキューブ用のディスク開発のために任天堂と松下電器産業が提携した際に製作が発表された「X-21」を元とする{{要出典|date=2023年1月}}。 筐体はキューブデザインが採用され、ニンテンドーゲームキューブのデザインが踏襲された<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20011130/q.htm |title=DVDプレーヤーとゲームキューブが合体 ゲームもできるDVDプレーヤー「Q」ファーストインプレッション |website=GAME Watch |publisher=インプレス |date=2001-11-30 |accessdate=2023-01-01}}</ref>。色はシルバー<ref>{{Cite web|和書|url=https://panasonic.jp/diga/p-db/SL-GC10.html |title=DVD/ゲームプレーヤー SL-GC10 |publisher=パナソニック |accessdate=2023-01-01}}</ref>である。 「GAME」スイッチを押すとゲーム側が起動するが、ゲーム上のメニューでDVD/CD用に拡張された項目などは存在しない。任天堂仕様のデジタル映像出力端子はゲーム側専用で、DVDは汎用のS/コンポジット端子からの出力のみとなっている。この端子はゲーム側の出力と兼用している。任天堂仕様のアナログ出力端子は無い。また、DVD側専用の光デジタル音声出力端子がある。電源は内蔵している。底面のサイズが違うため、拡張機器のうちゲームボーイプレーヤーは専用のもの(SH-GB10)を使う。 任天堂関連商品初のDVD/CD再生対応であり、松下電器産業は{{要出典範囲|デジタルプラットホームの先駆けと期待していた|date=2023年1月}}が、すでにPS2が普及していたことなどにより、ほとんど普及しなかった。 Wii発売まで、[[パナソニックセンター東京]]にある[[ニンテンドーゲームフロント]]にはQが設置されており、新作ゲームを体験することができた{{要出典|date=2023年1月}}。 {{-}} ==== Wii ==== [[ファイル:Wii-gamecube-compatibility.jpg|thumb|right|200px|<small>ニンテンドー ゲームキューブ コントローラを直接接続しているWii(RVL-001)。</small>]] {{main|Wii}} 任天堂が2006年に発売した家庭用ゲーム機Wii(RVL-001)はニンテンドー ゲームキューブと互換性を持つ<ref name=Wii >{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/wii/console/index.html |title=本体 |accessdate=2021-01-26 |date= |year= |month= |format= |website= |work=Wii |publisher=任天堂 }}</ref>。オンライン機能は使えず、ニンテンドー ゲームキューブ用の周辺機器が必要となるが、すべてのニンテンドー ゲームキューブ用ソフトを使用できる<ref name=Wii />。ニンテンドーゲームキューブ用ハイスピードポートが廃止されたため、ニンテンドーゲームキューブ用ハイスピードポートをモデムアダプタ及び[[ゲームボーイプレーヤー]]として周辺機器を併用していた一部のニンテンドーゲームキューブ用ソフトがプレイ不可能になった。 {{-}} == 周辺機器 == === 任天堂製品 === {{Gallery |File:Gamecube-controller.jpg|コントローラ(DOL-003) |File:GameCube-WaveBird-Silver.png|ワイヤレスコントローラ ウェーブバード(DOL-004) |File:Nintendo-GameCube-Modem-Adapter-01.jpg|モデムアダプタ(DOL-012) |File:Nintendo-GameCube-Broadband-Adapter-01.jpg|ブロードバンドアダプタ(DOL-015) |File:GameCube-Game-Boy-Player.jpg|ゲームボーイプレーヤー(DOL-017) |File:GameCube-Microphone.jpg|ゲームキューブマイク(DOL-022) }} {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !型番!!名称!!備考 |- |DOL-002||ACアダプタ||GC用のACアダプタで本体に同梱されている。 |- |DOL-003||[[ニンテンドー ゲームキューブ コントローラ|コントローラ]]||GC用のコントローラ。本体同色のものが1つ同梱されている。通称'''GCコン'''。<br />Wiiでも、バーチャルコンソールや一部のWii専用ソフトで使用可能。また、別売りの接続タップ使用でWii U「大乱闘スマッシュブラザーズ for Wii U」、Nintendo Switch「大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL」でも使える。<br />モーターが内蔵されており、ゲーム内で設定するだけで振動する。<br />2014年12月に発売されたスマブラホワイト・スマブラブラック、2018年11月に発売されたスマブラブラックはケーブルが3メートルに長くなっている。 |- |DOL-003(-01)||コントローラ||2008年4月から製造・販売されているコントローラのモデル。<br />上記のものとほぼ同一仕様だが、ケーブルが3メートルに長くなっている。<br />また、パッケージや配色がWiiを意識した色になっており、Wiiユーザーをターゲットにしていると推測される。<br />本体価格が従来品より安い2,000円で、色はホワイト。 |- |DOL-004||ワイヤレスコントローラ<br />ウェーブバード||アルカリ単三電池2本で約100時間使えるワイヤレスのコントローラ。<br />振動機能は非搭載。ゲームボーイアドバンス用バッテリーパックAGB-003も使える。<br />Wiiでも使用可能であるが、'''[[WiiConnect24]]の設定をONにしている場合に限り'''、電波干渉が起こり通信に支障が出る可能性がある。そうなった場合、使用を控えるかチャンネル設定を変更するようにWii本体の取扱説明書に記載されている。2002年12月5日に発売。 |- |DOL-005||ワイヤレスレシーバー||ウェーブバードの受信機。<br />ほかの機器と干渉しないように16のチャンネルが用意されている。通信可能距離は約6メートル。<br />Wiiでも使用可能。電波干渉による通信障害が起こった場合はチャンネル設定を1、2、13、14、15、16のどれかに優先して変更するようにWii本体の取扱説明書に記載されている。 |- |DOL-006||ゲームキューブディスク||ゲームが収録されているGC専用光ディスク。Wiiでも使用可能。 |- |DOL-007||ディスクケース||ソフトに付属。バリエーションとして2枚組用やGBA用カートリッジが収納可能なものがある。<br />どのタイプもメモリーカードを1枚収納可能。 |- |DOL-008||[[ニンテンドーゲームキューブメモリーカード|メモリーカード59]]||ゲームデータ保存用のメモリーカード。色はライトグレーで、1ブロック64kbit・59ブロック。計4Mbit(512KB)の容量を持つ。<br />また、Wiiでも使用可能。発表当時は「デジカード」という名称だった<ref>[http://maru-chang.com/hard/dol/index.htm DOL: ニンテンドーゲームキューブ]</ref>。WiiのSDカードの代わりとして使用することはできない。 |- |DOL-009||[[D端子]]ビデオケーブル||[[S端子|S映像]]よりさらに鮮明な画質を表示できるようになる。[[プログレッシブ・スキャン|プログレッシブ]]出力対応。<br />GC側のプラグ内にD/Aコンバータを内蔵している。<br />後期型(DOL-101)には使えない。 |- |DOL-010||[[コンポーネント端子|コンポーネント]]<br />ビデオケーブル||画質・規格はD端子ビデオケーブル(DOL-009)と同じ。<br />GC側のプラグ内にD/Aコンバータを内蔵している。<br />後期型(DOL-101)には使えない。 |- |DOL-011||[[GBAケーブル]]||GBAとGCを接続するためのケーブルで、GCとGBAを連携させて遊ぶことができる。GCソフトの約58タイトルがこれに対応しており、Wiiでも使用可能。2001年12月14日に発売。 |- |DOL-012||モデムアダプタ||56kbps,V.90対応モデム(サービスは既に終了)。<br />ゲームキューブ本体のシリアルポート1に装着して使う。 |- |DOL-013||RGBケーブル||ヨーロッパの[[SCART端子]](EuroConector)に接続するためのAVケーブル。<br />ヨーロッパ版GCの「ANALOG AV OUT」に接続する。日本では未発売。 |- |DOL-014||[[ニンテンドーゲームキューブメモリーカード|メモリーカード251]]||ゲームデータ保存用のメモリ。色はブラックで、1ブロック64kbit・251ブロック。計16Mbit(2MB)の容量を持つ。<br />メモリーカード59(DOL-008)よりも容量が大きいが、使用の際はいくつかの制限がある。また、Wiiでも使用可能。<br />『[[ポケモンボックス ルビー&サファイア]]』のみ非対応。2002年7月19日発売。 |- |DOL-015||ブロードバンドアダプタ||[[10メガビット・イーサネット|10BASE-T]]対応。『[[ファンタシースターオンライン]]』『[[ホームランド]]』『マリオカート ダブルダッシュ!!』<br />『[[テン・エイティ シルバーストーム]]』に対応。ゲームキューブ本体のシリアルポート1に装着して使う。2002年10月3日に発売。 |- |DOL-016||モジュラーケーブル||モデムアダプタと壁面のモジュラーポートを繋ぐ長さ4メートルの電話線。<br />モデムアダプタ本体に同梱。市販品でも代用可能。[[ファミリーコンピュータ]]・[[64DD]]用のモジュラーケーブルと同じ規格。 |- |DOL-017||[[ゲームボーイプレーヤー]]||GCで[[ゲームボーイ]](GB)・[[ゲームボーイカラー]](GBC)・ゲームボーイ&カラー共通・ゲームボーイアドバンス(GBA)のソフトが<br />遊べるようになる周辺機器。ゲームキューブ本体下面のハイスピードポートに装着して使う。2003年3月21日発売。 |- |DOL-018||ネームプレート||ディスクカバーにある円盤状のパーツ。後期型(DOL-101)は取り外し不可能となっている<ref>[http://maru-chang.com/hard/dol/018/index.htm ネームプレート (DOL-018)]</ref>。 |- |DOL-019||[[SDカードアダプタ]]||SDカードをGCで読み込むアダプタ。Wiiでも使用可能。<br />『[[どうぶつの森e+]]』『[[ポケモンチャンネル 〜ピカチュウといっしょ!〜]]』に対応。2003年7月18日に発売。 |- |DOL-020||[[ニンテンドーゲームキューブメモリーカード|メモリーカード1019]]||ゲームデータ保存用のメモリ。色はホワイトで、1ブロック64kbit・1019ブロック。計64Mbit(8MB)の容量を持つ。<br />メモリーカード251(DOL-014)よりも制限が多くなり、ソフトによっては不具合が出る。日本では未発売。<br />Wiiでも使用可能。 |- |DOL-021||[[タルコンガ]]||タル太鼓の形をした専用コントローラ。<br />『[[ドンキーコンガ]]』、『[[ドンキーコングジャングルビート]]』に対応。Wiiでも使用可能。2003年12月12日発売。 |- |DOL-022||ゲームキューブマイク||音声認識用のマイク。メモリーカードスロット2に接続して用いる。<br />『[[マリオパーティ6]]』『[[マリオパーティ7]]』『[[ちびロボ!]]』『[[伝説のクイズ王決定戦]]』『大玉』などに対応。<br />Wiiでも使用可能。 |- |DOL-023||月刊任天堂カレンダーカード||[[月刊任天堂店頭デモ]]のゲームキューブ本体メモリーカードスロットに差し込み、<br />ゲーム発売日までのカウントダウンなどを行ったりすることができる周辺機器。 |- |DOL-024||マットコントローラ||『[[Dance Dance Revolution with MARIO]]』用のダンシングマット型コントローラ。<br />Wiiソフト『Dance Dance Revolution HOTTEST PARTY』でも使用可能。 |- |DOL-025||マイクホルダー||『大玉』に同梱。ゲームキューブマイクをコントローラに固定するパーツ。 |- |SHVC-007||モノラルAVケーブル||映像と音声をテレビに出力するケーブル。[[スーパーファミコン]]・NINTENDO64と共用。[[ファミリーコンピュータ#AV仕様ファミリーコンピュータ|AV仕様ファミリーコンピュータ]](NEWファミコン)でも使用可能。 |- |SHVC-008||ステレオAVケーブル||映像と音声をテレビに出力するケーブル。[[スーパーファミコン]]・NINTENDO64と共用(ゲームキューブ用として販売されているものもあるが、その場合はスーパーファミコン・NINTENDO64と共用である旨を表記してある)。 |- |SHVC-009||S端子ケーブル||映像と音声をテレビに出力するS端子のケーブル。スーパーファミコン・NINTENDO64と共用(ゲームキューブ用として販売されているものもあるが、その場合はスーパーファミコン・NINTENDO64と共用である旨を表記してある)。 |- |RVL-020||[[SDメモリーカード]] 512MB||市販されているSDメモリーカードと機能は同じである。Nintendoのロゴが入っている。本来はWiiの周辺機器。 |- |} この他に、NINTENDO64用の「RFモジュレータ」(NUS-003)(別途「RFスイッチ」(HVC-003)または「RFスイッチUV」(NUS-009)が必要)を流用可能<ref>[https://www.nintendo.com/consumer/systems/nintendogamecube/hook_rftotv.jsp | Nintendo - Customer Service | Nintendo GameCube - RF to TV]</ref>。ただし、放熱口を半分塞ぐ難点がある<ref>[http://betareverse.ame-zaiku.com/vb-se_060210-rfmodulator/rfmodulator.html RF接続の世界]</ref>。また、非公式のため保証対象外。 === 社外製品(ライセンス商品) === {{Gallery |File:Panasonic-Q-Controller.png|<small>ゲームキューブコントローラ(SH-TGC10SY-H)</small> |File:GameCube_online_setup.png|<small>アスキー キーボード コントローラ(ASC-1901PO)</small> |File:Hori-Nintendo-GameCube-Controller-FL.png|<small>HORIデジタルコントローラ ブラック(HGC-11)</small> |File:GameCube arcade stick.jpg|<small>ファイティングスティック/キューブ(HGC-31)</small> }} ; 日本 {| class="wikitable" style="font-size:smaller" ! style="width:4.5em" | 発売元 !! style="width:5.5em" | 型番!!style="width:16.5%" | 名称 !! 備考 |- | rowspan="3"|[[パナソニックホールディングス|松下電器産業]] | SH-TGC10SY-H | '''ゲームキューブコントローラ''' | DVD/ゲームプレイヤー「Q」に付属のコントローラ<ref name=RQT6164-S >{{Cite book|和書|title=DVD/ゲームプレイヤー SL-GC10 取扱説明書 |edition=F1001MH0 |date= |year=2001 |publisher=松下電器産業 |location=大阪 |url=https://panasonic.jp/p-db/contents/manualdl/1428052010362.pdf |format=PDF |accessdate=2021-01-16 |id=RQT6164-S |page=7 |pages= |chapter=付属品を確かめよう |chapterurl= }}</ref>。機能や形状は純正のものと違いはないほか、純正の型番であるDOL-003が刻まれているが、NintendoのロゴがPanasonicになっている。 |- | N2QAJB000034 | '''リモコン''' | DVD/ゲームプレイヤー「Q」専用のリモート・コントローラ<ref name=RQT6164-S />。 |- | SH-GB10-H | '''DVD/ゲームプレイヤー「Q」専用ゲームボーイプレーヤー''' | DVD/ゲームプレイヤー「Q」専用のゲームボーイプレイヤー<ref>{{Cite web|和書|url=https://panasonic.jp/diga/p-db/SH-GB10.html |title=DVD/ゲームプレイヤー「Q」専用ゲームボーイプレーヤー SH-GB10 商品概要 |accessdate=2021-01-16 |website=ブルーレイディスク/DVD |work= |publisher=パナソニック }}</ref>。<!-- 大きさや形状が従来のものと異なるが、機能は従来のものと変わらない。DVD/ゲームプレイヤー「Q」専用となっているが、ニンテンドー ゲームキューブにも接続でき、ゲームのプレイも問題なく可能(その逆はそのままでは接続不可)。 --> |- | [[アスキー (企業)|アスキー]] | ASC-1901PO | '''アスキーキーボードコントローラ''' | 2002年9月12日発売<ref>{{Cite web |url=http://segadirect.jp/Catalog/ProductDetail.aspx?SKU=010104-000001&ST=PT&PT=HD&O=S&A=N |title=ASCII KEYBOARD CONTROLLER |accessdate=2021-02-21 |date= |year= |month= |website=ハード・周辺機器 |work=セガダイレクト |publisher=セガ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030115202720/http://segadirect.jp/Catalog/ProductDetail.aspx?SKU=010104-000001&ST=PT&PT=HD&O=S&A=N |archivedate=2003-01-15 }}</ref>。 |- | [[サミー]] | SMY-1901PO | '''サミーキーボードコントローラ GC''' | 2003年11月27日発売<ref>{{Cite web|和書|url=http://segadirect.jp/Catalog/ProductDetail.aspx?SKU=010104-000008&ST=PT&PT=HD&O=S&A=N |title=サミーキーボードコントローラ GC |accessdate=2021-02-21 |date= |year= |month= |website=ハード・周辺機器 |work=セガダイレクト |publisher=セガ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20031017124448/http://segadirect.jp/Catalog/ProductDetail.aspx?SKU=010104-000008&ST=PT&PT=HD&O=S&A=N |archivedate=2003-10-17 }}</ref>。アスキーキーボードコントローラの後継。 |- | rowspan="4"|[[ホリ (ゲーム周辺機器メーカー)|ホリ]] | HGC-06-9,13,15,19(色によって異なる) | '''ホリパッドキューブ''' | 2002年12月26日発売<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hori.ne.jp/cgi-bin/products_detail.cgi?HGC-08 |title=ホリパッドキューブ クリアブラック |accessdate=2021-01-14 |date= |year= |month= |website= |work= |publisher= HORI |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030222184753/http://www.hori.ne.jp/cgi-bin/products_detail.cgi?HGC-08 |archivedate=2003-02-22 }}</ref>。 |- | HGC-11-12 | '''デジタルコントローラ''' | 2003年3月21日発売<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hori.ne.jp/cgi-bin/products_detail.cgi?HGC-11 |title=デジタルコントローラ ブラック |accessdate=2021-01-14 |date= |year= |month= |website= |work= |publisher= HORI |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030210021251/http://www.hori.ne.jp/cgi-bin/products_detail.cgi?HGC-11 |archivedate=2003-02-10 }}</ref>。[[ゲームボーイプレーヤー]]対応。 |- | HGC-25-28(色によって異なる) | '''メモリーカードキューブ251''' | 2003年7月25日発売。 |- | HGC-31 | '''ファイティングスティック/キューブ''' | 2004年11月26日発売。 |- | JESNET | JGC-001-002 | '''ジョイパッドキューブミニ''' | 2004年11月11日発売。 |- | rowspan="2"|ピンチェンジ | OHC-100 | '''牡丹さん''' | 「お遍路さん」専用コントローラ。2003年4月24日発売。 |- | OHH-100 | '''印籠くん''' | 「お遍路さん」専用歩数計。2003年4月24日発売。 |- | [[ロジクール]] | LGRC-10000 | '''SPEED FORCE''' | ステアリングコントローラ。2003年7月25日発売。 |- |} == ソフトウェア == {{main|ニンテンドーゲームキューブのゲームタイトル一覧}} [[ローンチタイトル]]は『[[ウェーブレース#ウェーブレース_ブルーストーム|ウェーブレース ブルーストーム]]』、『[[ルイージマンション]]』、『[[スーパーモンキーボール]]』の3タイトル<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20010629/nintendo.htm |title=任天堂、ゲームキューブタイトルの年内スケジュールを発表 |accessdate=2021-01-11 |author=船津稔 |date=2001-06-29 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://dengekionline.com/data/news/2001/6/25/3f84d90be66a8073d9cb6df746460ff9.html |title=セガ『スーパーモンキーボール」がゲームキューブ本体と同時発売決定! |accessdate=2021-01-10 |author= |date=2001-06-25 |website=News |work=電撃オンライン |publisher=KADOKAWA Game Linkage }}</ref>で、最後のタイトルは2006年12月2日にオンライン限定で発売された『[[ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス]]』である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nintendo.co.jp/wii/rzdj/index.html |title=ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス |accessdate=2021-01-27 |date= |year=2006 |month= ||website= |work=Wii |publisher=任天堂 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20061205225317/http://www.nintendo.co.jp/wii/rzdj/index.html |archivedate=2006-12-05 }}</ref>。なお、通常販売での新作としての最後になったタイトルは、2006年7月20日に発売された『[[バトルスタジアム D.O.N]]』になった。 最も売れたゲームソフトは『[[大乱闘スマッシュブラザーズDX]]』で、全世界で740万本超を販売<ref name=Gizmodo2015-09-11 >{{Cite web |url=http://www.gizmodo.co.uk/2015/09/30-best-selling-super-mario-games-of-all-time-on-the-plumbers-30th-birthday/ |title=30 Best-Selling Super Mario Games of All Time |accessdate=2021-02-03 |author=James O Malley |date=2015-09-11 |website= |work=Gizmodo UK |publisher=Future Publishing |language=en |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150905121725/http://www.gizmodo.co.uk/2012/12/contact-us/ |archivedate=2015-09-05 }}</ref>。次いで『[[マリオカート ダブルダッシュ!!]]』の同696万本、『[[スーパーマリオサンシャイン]]』の同628万本だった<ref name=Gizmodo2015-09-11 />。 最終的にニンテンドー ゲームキューブ向けのソフトウェアは、北米で761種<ref>{{Cite web |url=https://www.pricecharting.com/console/gamecube |title=All Game Cube Games with Prices |accessdate=2021-02-03 |website= |work= |publisher=PriceCharting.com |language=en }}</ref> 。欧州で472種<ref>{{Cite web |url=https://www.pricecharting.com/console/pal-gamecube |title=All PAL Game Cube Games with Prices |accessdate=2021-02-03 |website= |work= |publisher=PriceCharting.com |language=en }}</ref>、日本で272種<ref>{{Cite web |url=https://www.pricecharting.com/console/jp-gamecube |title=All Japan Gamecube Games with Prices |accessdate=2021-02-03 |website= |work= |publisher=PriceCharting.com |language=en }}</ref>が販売された。 また、ニンテンドー ゲームキューブには『ファンタシースターオンライン エピソード1&2』<ref>{{Cite press release |和書 |title=株式会社セガ、ニンテンドーゲームキューブ参入 |publisher=セガ |date=2002-05-22 |url=http://sega.jp/release/nr020522_1.html |accessdate=2021-01-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20020602082051/http://sega.jp/release/nr020522_1.html |archivedate=2001-06-04 }}</ref>など、別売で用意されるモデムアダプタ(DOL-012)およびブロードバンドアダプタ(DOL-015)を使用する、オンラインに対応するゲームソフトが8種類発売された<ref>{{Cite web |url=http://gamecube.onlineconsoles.com/phpBB2/content_gameslist.php |title=Online Game List |accessdate=2021-02-03 |website=Gamecube Online |work=OnlineConsole |publisher=Ben Pekarek |language=en }}</ref>。 2007年4月に米国任天堂はセガのファンタシースターオンラインシリーズは、オンラインプレイでサポートされなくなったと発表した<ref>{{Cite web |url=https://www.nintendo.com/consumer/systems/nintendogamecube/lan_online.jsp |title=Nintendo GameCube - Online/LAN |accessdate=2021-02-01 |website= |work=Customer Service |publisher=Nintendo of America }}</ref>。 == その他 == * 2004年1月21日に任天堂のニンテンドー ゲームキューブ上でリナックスを動作させようというプロジェクト「GameCube Linux」がサンプルプログラムの配布を開始した<ref>{{Cite web|和書|url=https://wired.jp/2004/01/21/%E3%80%8E%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96%E3%80%8F%E7%94%A8%E3%83%AA%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%80%81%E9%85%8D%E5%B8%83%E9%96%8B%E5%A7%8B/ |title=『ゲームキューブ」用リナックス、配布開始 |accessdate=2021-01-13 |author=三好豊 |date=2004-01-21 |website=WIRED.jp |work= |publisher=コンデナスト・ジャパン }}</ref>。 * 2018年2月には有志により拡張ポートの[[3Dプリンター]]用データが公開された<ref>{{Cite web |url=https://www.thingiverse.com/oeli/designs |title=Designs - Thingiverse |accessdate=2021-01-09 |website= |work= |publisher=Thingiverse }}</ref> === 評価 === 発売当初は折しも[[アメリカ同時多発テロ事件]]直後であり世界中のメディアに自粛ムードが広まったため、発売直前・直後において特集が組まれることがほとんどなかった。その中でも2001年9月13日に[[カプコン]]が「バイオハザード」シリーズをニンテンドー ゲームキューブ向けにのみ供給すると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=『バイオハザード』シリーズ、ニンテンドーゲームキューブに独占供給決定! |publisher=カプコン |date=2001-09-13 |url=http://www1.capcom.co.jp/ir/news/pdf/010913.pdf |format=PDF |accessdate=2021-01-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130920202554/http://www1.capcom.co.jp/ir/news/pdf/010913.pdf |archivedate=2013-09-20 }}</ref>したり、2005年1月7日にコナミと任天堂が『[[Dance Dance Revolution with MARIO]]』の共同開発<ref>{{Cite press release |和書 |title=コナミと任天堂が共同開発 ニンテンドーゲームキューブソフト「Dance Dance Revolution with MARIO」 |publisher=任天堂 |date=2005-01-07 |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2005/050107.html |accessdate=2021-01-11 }}</ref>、9月8日にバンダイと任天堂が『[[SDガンダム ガシャポンウォーズ]]』の共同開発<ref>{{Cite press release |和書 |title=バンダイと任天堂 初の共同開発ゲームソフトが登場 「SDガンダム ガシャポンウォーズ」今冬発売 |publisher=任天堂 |date=2005-09-08 |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2005/050908.html |accessdate=2021-01-11 }}</ref>を発表するなどの話題はあった。また『大乱闘スマッシュブラザーズDX』や、『[[ゼルダの伝説 風のタクト]]』、『スーパーマリオサンシャイン』など、人気を博したゲームソフトも存在したが、サードパーティのソフトの売上が少なかったため、国内では不振であった前ハードの[[NINTENDO64]]よりもさらに販売台数は下落し、好調であった北米市場でも本ハードから優位性を失ってしまった。本ハード販売中に起きたユーザーのゲーム離れは、以後「ゲーム人口の拡大」を根幹とする経営方針の策定、後に次世代機[[Wii]]の開発へと繋がっていった。 しかしゲームキューブのゲームソフトはリメイクや移植が少ないのも相まって今でも一定の人気を集めている。また、ニンテンドー ゲームキューブ向けに新たに開発された、『[[ピクミン]]』、『[[ちびロボ!]]』、『[[メトロイドプライム]]』そして『ルイージマンション』は、次世代機向けにも続編が販売される、新たな人気シリーズとなった。 本体のデザインは評価され、2002年に「[[グッドデザイン賞]]」を受賞しており<ref name=グッドデザイン賞受賞対象一覧 >{{Cite web|和書|url=https://www.g-mark.org/award/describe/27472 |title=家庭用テレビゲーム機 〔ニンテンドー ゲームキューブ DOL-001、ニンテンドー ゲームキューブ コントローラ DOL-003〕 |accessdate=2021-01-22 |date= |year= |month= |website=受賞対象一覧 |work=Good Design Award |publisher=日本デザイン振興会 }}</ref>、コントローラも同社の次世代機以降のゲーム機でも引き続き使用でき、ユーザーから評価されている。 === 関連書籍 === * 2001年11月21日 - メディアワークスが、日本で月刊誌「電撃ゲームキューブ」を「新創刊{{Refnest|group="注"|{{Cite journal|和書|date=2001-11-21 |title= |journal=電撃ゲームキューブ |volume=2 |issue=1 |publisher=メディアワークス |location=東京 |issn= |id={{全国書誌番号|00118424}} }}月刊誌「電撃GBアドバンス」の改題という形としたため、「創刊号」は第2巻第1号(通巻9号)となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000402244-00 |title=電撃ゲームキューブ (メディアワークス): 2002 |accessdate=2021-01-18 |website=書誌詳細 |work=国立国会図書館サーチ |publisher=国立国会図書館 }}</ref>。}}」した<ref>{{Cite web|和書|url=https://dengekionline.com/data/news/2001/11/21/426e73cab9edbb044518ba12c3a172b9.html |title=「『スマブラDX」はミリオンを狙う」任天堂の大攻勢開始とともに電撃GC新創刊! |accessdate=2021-01-18 |author= |date=2001-11-21 |website=News |work=電撃オンライン |publisher=KADOKAWA Game Linkage }}</ref>。 * [[2015年]][[10月23日]] - Steven D. Holderが、書籍「The Nintendo GameCube{{Refnest|group="注"|{{Cite book|author=Steven D. Holder |title=The Nintendo GameCube |date=October 23, 2015 |publisher=CreateSpace Independent Publishing Platform |location= |language=en |isbn=9781518738609 }}}}」を自費出版した<ref>{{Cite web |url=https://www.amazon.com/Nintendo-GameCube-Steven-D-Holder/dp/1518738605 |title=The Nintendo GameCube |accessdate=2021-01-19 |website=: Books |work= |publisher=Amazon.com |language=en }}</ref>。 * [[2017年]][[8月16日]] - Geeks-lineが、書籍「GameCube Anthologie{{Refnest|group="注"|{{Cite book|author=MANENT MATHIEU |title=GameCube Anthologie |date=16 août 2017 |publisher=Geeks-line |location=Emerainville, France |language=fr |isbn=9791093752303 }}}}」を出版した<ref>{{Cite web |url=https://www.geeks-line.com/home/88-gamecube-anthologie-classique-9791093752303.html |title=GameCube Anthologie Classique |accessdate=2021-01-18 |website=Histoire du jeu vidéo |work= |publisher=Geeks Line |language=fr }}</ref>。 * [[2020年]][[3月27日]] - ジーウォークが,書籍「ゲームキューブパーフェクトカタログ{{Refnest|group="注"|{{Cite book|和書|author= |coauthors= |translator= |editor= |others=前田尋之 |title=ゲームキューブパーフェクトカタログ |edition= |date=2020-03-27 |year= |publisher=ジーウォーク |location=東京 |series=G-MOOK |volume=191 |isbn=9784867170090 |id={{全国書誌番号|23425242}} }}}}」を出版した<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1238339.html |title=ニンテンドーゲームキューブのすべてが詰まった1冊「ゲームキューブパーフェクトカタログ」がもうすぐ発売 |accessdate=2021-01-10 |author=岩瀬賢斗 |date=2020-03-02 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{Reflist|30em|refs= <ref name=IGN2001-07-11 >{{Cite web |url=https://www.ign.com/articles/2001/07/10/the-ultimate-gamecube-faq |title=The Ultimate Gamecube FAQ |accessdate=2021-01-22 |date=2001-07-11 |website= |work=IGN |publisher=IGN Entertainment |language=en }}</ref> <ref name=nintendoblast >{{Cite web |url=https://www.nintendoblast.com.br/2013/04/especial-as-diferentes-versoes-e.html |title=As diferentes versões e modelos do GameCube: Um quê de beleza ou agregado de valores? |accessdate=2021-01-15 |author=Jaime Ninice |date=2013-04-15 |website= |work= |publisher=Nintendo Blast |language=pt }}</ref> <ref name=GAMEWatch2001-09-14 >{{Cite web|和書|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/20010914/gc_aki.htm |title=ニンテンドーゲームキューブついに発売! |accessdate=2021-01-10 |author=船津稔,矢作晃,佐伯憲司 |date=2001-09-14 |website=GAME Watch |work= |publisher=インプレス }}</ref> <ref name=ASCII2001-09-14 >{{Cite web|和書|url=https://ascii.jp/elem/000/000/326/326085/ |title=「次世代ゲーム機の覇者は、ゲームキューブです」 任天堂株式会社 取締役経営企画室室長 岩田聡氏 |accessdate=2021-01-09 |author=内田幸二,大槻眞美子 |date=2001-09-14 |website= |work=ASCII.jp |publisher=角川アスキー総合研究所 }}</ref> }} == 関連項目 == {{Commonscat|GameCube}} * [[カードe]] * [[Dolphin (エミュレータ)]] * [[ポケモンスタジアム金銀]](任天堂) - GBパックを接続した状態で、ミニゲーム「はこんでデリバード」をプレイすると、運搬対象のプレゼントとしてニンテンドー ゲームキューブが登場する。 * [[大乱闘スマッシュブラザーズDX]](任天堂) -「ターゲットをこわせ!」のルイージのステージの中央にニンテンドー ゲームキューブが浮いている。また、フィギュアとしても登場。 * [[マリオカートダブルダッシュ!!]](任天堂) - バトルモードのステージとして登場する。色はバイオレットで、プレイヤーは上面を走り、端には透明な柵がある。また、ネームプレートがマリオカート版になっている。 * [[絶体絶命でんぢゃらすじーさん]] - アニメ版第29話で「ゲームをするのじゃっ!」ではニンテンドーゲームキューブ・[[ゲームボーイプレーヤー]]が孫がプレイしているシーンである。 * [[タッチ! カービィ]](任天堂) - サブゲームのペイントパニックで描く絵として登場する。 * [[さわるメイドインワリオ]](任天堂) - ニンテンドー ゲームキューブを使用する際の準備作業(コントローラーを接続するなどした)を再現したゲームがある。 * [[スーパーモンキーボール2]](セガ) - 難易度「たつじん」のエクストラステージの最終ステージに「NINTENDO」というステージ名で登場している。スタートするとニンテンドー ゲームキューブがゆっくりと回転し始め、上面が上を向いた時にふたが開いて中からゴールが現れるという仕掛けになっている。また、ニンテンドー ゲームキューブの周りにはニンテンドー ゲームキューブのエンブレムをかたどった黒い棒で覆われている。なお、このゲームでは基本的に給食のトレーのような形をした足場からステージが始まるが、唯一このステージにはこの足場が存在しない(ニンテンドー ゲームキューブの上からスタートする)。 * [[メタルギアソリッド#メタルギアソリッド_ザ・ツインスネークス|メタルギアソリッド ザ・ツインスネークス]](コナミ) - 研究室の机にニンテンドーゲームキューブが置かれている。 * [[テイルズオブシンフォニア]](ナムコ) - ダンジョン「シルヴァラントベース」内にニンテンドー ゲームキューブ型のオブジェクトが存在する。 == 外部リンク == *{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/ngc/ |title=ニンテンドー ゲームキューブ |accessdate=2021-01-10 |date= |year= |month= |website= |work= |publisher=任天堂 }} *{{Cite web|和書|date= |year=2001 |month= |title=任天堂マガジン表紙・2001年9月号(No.38) |website=Nintendo Online Magazine |work= |publisher=任天堂 |url=https://www.nintendo.co.jp/nom/0109/ |accessdate=2021-01-10 }} *{{Cite web|和書|date= |year=2002 |month= |title=任天堂マガジン表紙・2002年11月臨時増刊号02 |website=Nintendo Online Magazine |work= |publisher=任天堂 |url=https://www.nintendo.co.jp/nom/0211_2/ |accessdate=2021-01-10 }} *{{Cite web|和書|url=https://www.1101.com/nintendo/cube/index.htm |title=ニンテンドー ゲームキューブがやって来る! |accessdate=2021-01-10 |date=2001-10-11 |website=樹の上の秘密基地。 |work=ほぼ日刊イトイ新聞 × 任天堂 |publisher=ほぼ日 }} {{Gamecube}} {{任天堂}} {{家庭用ゲーム機/任天堂}} {{デフォルトソート:にんてんとうけえむきゆうふ}} [[Category:2001年のコンピュータゲーム|*]] [[Category:ニンテンドーゲームキューブ|*]] [[Category:任天堂のハードウェア]] [[Category:ゲーム機]] [[Category:パナソニック]] [[Category:8センチディスク]] [[Category:グッドデザイン賞]] [[Category:2000年代の玩具]]
2003-02-28T10:45:56Z
2023-11-16T06:16:29Z
false
false
false
[ "Template:Pp-vandalism", "Template:R", "Template:未検証", "Template:-", "Template:Cite journal", "Template:任天堂", "Template:Cite web", "Template:独自研究", "Template:Infobox コンシューマーゲーム機", "Template:Refnest", "Template:要出典範囲", "Template:Main", "Template:Gallery", "Template:Reflist", "Template:家庭用ゲーム機/任天堂", "Template:Cite book", "Template:Cite interview", "Template:Gamecube", "Template:Lang-ko", "Template:Information appliance", "Template:要出典", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist2", "Template:Cite press release", "Template:Commonscat" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96
3,058
NINTENDO64
NINTENDO64(ニンテンドウろくじゅうよん)は、任天堂が1996年に発売した家庭用ゲーム機。略称は「64(ロクヨン)」、「N64」。キャッチコピーは、「ゲームが変わる。64が変える。」 スーパーファミコンの後継機として開発された。1990年代中期当時「次世代機」と呼ばれたゲームハードの一つで、任天堂としては初めて本格的な3Dゲームに対応し、『スーパーマリオ64』など3次元空間を自由に体感でき、その操作性を売りにするゲームが多数登場した。 ゲーム開発の難しさや参入メーカー不足によるソフト不足およびドラゴンクエストシリーズ、女神転生、ファイナルファンタジーシリーズなど2世代前のファミリーコンピュータから続いている人気シリーズ作品が同世代機のPlayStationで発売されたことなどの理由により、出荷台数は同世代機と比べて低迷した。 1993年(平成5年)の開発発表時のコードネームは「プロジェクト・リアリティ」で正式名が決定する以前の海外名称は「ウルトラ64」(日本国内では当時名称未発表)、ユーザー間の通称は「ウルトラファミコン」だった。ファミリーコンピュータやスーパーファミコン時代は開発第一部や開発第二部がハード開発を行っていたが、NINTENDO64は竹田玄洋が率いる、ROMカートリッジの特殊チップ開発を担当していた開発第三部がハード開発を行った。当時、任天堂はこれと並行して次世代機としてのCD-ROM機を製作。開発第二部部長の上村雅之によるとほぼ完成していたとされるが、それを発売中止にしての正式発売となった。企画立ちあげ当初は社長の山内溥により「ウルトラファミコン」として発表されていた。 ハード設計にあたっては、レア社のクリス・スタンパー (Chris Stamper) が指導・提案役として半年間参加。開発の主導権は任天堂が取っているが、設計提案については大半の75%をSGIが占めた。 デザインに関しては今までにないもの、かつ北米で流行するものを念頭に置き、3次元CADを用いて同社の前世代機までにはなかった曲線を多く用いた。 ボディ色はスーパーファミコンの時はユーザーの好みを反映させたが、本機は全世界で統一した色にするためにどの国でも嫌われない色を採用した。 それまでのファミリーコンピュータ (NES) やスーパーファミコン (SNES) は名称・デザイン・ロゴマーク・内部仕様などが出荷国によってバラバラであったが、本機ではデザイン・配色はもとより、韓国を除く全出荷地で「NINTENDO64」という名称に統一された。韓国のみ当時任天堂製品のライセンス(販売権)を持っていた現代電子産業(現在のハイニックス半導体)により「ヒョンデ・コンボイ64」(현대 컴보이64、Hyundai Comboy64)の名称で発売された。本体の型番はブラジルを除くほとんどの出荷地でNUS-001(XXX)、ピカチュウバージョンはNUS-101(XXX)、ブラジル版はNUSM-001(BRA)となった。N64ロゴや各製品の製品名シールに採用されているフォントはFrutiger。 据え置き型のゲーム機として64ビットCPU・浮動小数点数演算機能・パースペクティブ補正(英語版)・Zバッファを初めて採用した。そのため他の同世代機種に比べて3Dポリゴンの演算能力と描画品質が高く、同世代で唯一ポリゴン描画で擬似的な手法を用いず、理論的に正しい手法で描画を行ったため、CGワークステーションに近い安定した3次元空間を描画できた。 CPUは当時グラフィックスワークステーションメーカーだったシリコングラフィックス (SGI) と提携して開発が行われ、メインにはRISCのMIPS R4300カスタム、32ビットRISCのR3000をコアに持つグラフィックエンジンである「RCP (Reality Co-Processor)」を搭載した。64ビットのR4300カスタムは最高122MIPSの処理能力を発揮することが可能で、競合機種の一つであるPlayStationの搭載するCPUの約4倍の処理能力にあたる。ポリゴン機能は環境マッピングやトライリニアといった本格的なテクスチャ・マッピング処理にも対応し、スーパーファミコンの35倍の性能を発揮する。64ビットCPU搭載を売りにしていたが、64ビットモードでは動作クロックが下がる仕様となっているため、殆どのソフトウエアで32ビットモードを用いていた。 また、「RCP」の描画能力を引き出すためにマイクロコード方式を取り入れた。これはプログラミングによってあらかじめハードウエアに実装された機能に、後からプログラミングコードを追加または書き換えることで、開発するソフトウェアの種類に合わせた演算性能の特化を可能にしたものである。メーカーや開発者が独自に開発することが可能だったが、開発の難易度が上がる弊害もあった。 当初、NINTENDO64のグラフィックスチップの性能をあまり活かせておらず、岩田聡(後の任天堂代表取締役社長)がアメリカへ渡り勉強をすることでその性能を上げていった。 ゲームソフトの供給媒体には、当時主流となりつつあったCD-ROMではなくROMカートリッジを採用している。また、カートリッジにリージョンプロテクトが物理的に施されており、日本国内版ソフトと海外版では背面にあたる形状の一部が異なることで、異なるリージョンのソフトが対応しない本体に刺さらないようになっている。ただし、あくまでもカートリッジに施された物理的なプロテクトであり、接続端子は共通のものであったため、本体とカートリッジの組み合わせが日本版・北米版などのNTSC方式の国で出荷された本体同士(PAL-M出力のブラジル版を含む)の場合は非公式の変換アダプタを使用するか本体のカートリッジコネクタにあるカセット形状を判別する部品を外す等を行えば問題なく動作する。一方でNTSC版の本体でPAL版のソフトを起動する(あるいはその逆)の場合は、そのままではCICチップのプロテクトにより動作しないため、本体の改造かCICチップのプロテクトを突破できる高機能の変換アダプタ(非公式)が必要となる。 なお、ファミリーコンピュータ(HVC-001)・NES(NES-001、NES-PAL-001、NESE-001など)、スーパーファミコン(SHVC-001)・SNES(SNS-001、SNSP-001Aなど)と異なり、本体にはイジェクトボタンが搭載されていないため、カートリッジを本体から外すには上から手でカートリッジを引き抜く必要がある。 データ転送速度を高速にするためにカートリッジ内にはCD-ROMの36倍速に相当する5.3MB/sのROMを採用し、本体には当時主力パソコンの2.5倍相当の250MHzのRDRAMを採用した。 筐体とは異なり、デザインは従来通りのアナログの手法も併用、左右と中央それぞれの下部に安定して保持するためのグリップを設けた三つ又の形状を採用し、3次元空間を体感するため、同社の前世代機までに使用された十字キーに加えて、コントローラ中央に「3Dスティック」という名称のアナログスティックを採用した。 スーパーファミコン用のコントローラーから発展したような形状となっており、LボタンとRボタンはそのまま継承されている。中央のSELECTボタンと右側のX・Yボタンが一旦廃止され、新たにコントローラー右側に上・下・左右の矢印が刻印された4つの「Cボタン」が新たに配置、A・Bボタンと合わせて6つのボタンで構成される。また、中央は前述の3Dスティックと背面に「Zボタン」が配置されており、トリガーを引くような感覚でZボタンを操作可能となっている。 コントローラーの背面には周辺機器を装着できる「拡張コネクタ」が存在する。こちらには本体ROMとは別に記録する個別データを持ち運ぶための媒体や、振動パックなど、ゲーム本体の体感や遊び方を拡張することが可能。 三つ又の棒部分を左右の手のいずれかで握ることで安定して保持できるほか、握る位置によって3つ操作体系持つ。 コントローラーの操作に関しては、小さい子供に対してはコントローラが大きいという難点もあった。また、使用できるボタン数が少ないレフトポジションを採用したソフトは片手で数えられるほどの少数で、アナログ操作を活かせるライトポジションのソフトが大半を占めた。また、それまでは2つが主流だったコントローラ端子は本体に標準で4つ用意されており、多人数プレイを想定した設計となっている。4人対戦対応ソフトも数多く開発された。拡張コネクタと使用した個別データの持ち寄り、といったことを想定したソフトも開発された。 1996年発売の『スーパーマリオ64』や1998年発売の『マリオパーティ』など、3Dスティックをグリグリと回す操作方法を取り入れたソフトが多かったが、この操作はスティックの故障の原因につながるほか、プレイヤーが指や手を痛めることが多く、次第にそういったことを勧めるゲームはなくなっていった。しかし、普通に使っていても使用頻度によってはかなりの短期間で、「操作しているキャラクターがスティックに触れていないのに勝手に動いてしまう」などの誤作動を起こす場合があった。この原因は、コントローラ内部で3Dスティックの動きをX軸、Y軸の回転として変換し、またスティック自体を支えている部品に樹脂素材を使用していた事による。スティックが磨耗すると遊びがかなり大きくなり、指を離しても3Dスティックが正確な中心に戻らなくなる。本体の電源を入れるとそのときの3Dスティックの位置を中心として認識する仕様のため、正確な中心位置が認識できなくなるためである。また3Dスティックの内部では部品の一部が粉末状になり堆積する。NINTENDO64においてはスティックを使用するゲームがソフトの大半を占めていたこともあり、コントローラを修理に出したり買い替えなければならなくなることもしばしばあった。 また、色がライトグレーであるのは、日本国外の市場を意識した本機にあって、スーパーファミコンの名残を残すためである。 発売当時は本体上面にあるメモリー拡張パック用(後述の周辺機器参照)の接続端子(ターミネータパックが刺さっている)に「はがさないでください」という赤い警告シールが貼られていた。メモリー拡張パックを必ず装着しなければならない『ドンキーコング64』のCMでは、3人の子供たちがこのシールに戸惑いながらも、大丈夫だとシールを剥がすシーンを盛り込んで、啓蒙活動を行った。実際、メモリー拡張パックが必要ないソフトも、ターミネータパックを外した状態では起動しない。 スーパーファミコン用RGBケーブルは対応していないが、初期型ではRCPから送られたデジタル信号をアナログRGBに一度D/A変換してからビデオ信号に変換する仕様のため、アナログRGB信号を基板上の映像コネクタまで配線を施すと使う事が可能。中期型以降では、デジタル信号から直接ビデオ信号に変換されているため、この改造を施すことが不可能である。 本体側の電源端子の形状も全世界で統一され、ACアダプタ部分を除く分類ではカラーテレビの規格がNTSC方式(60Hz)を採用する日本・台湾・香港版と韓国版(前述のリージョンプロテクトとしてカートリッジ裏側の切り欠きが内側にある)、同じくNTSC方式を採用する北米版(アメリカ合衆国・カナダ・メキシコ向けで、カートリッジ裏側の切欠きが外側にある)、PAL-M方式(60Hz)を採用するブラジル版(カートリッジは北米版と同じ形状)、PAL方式(50Hz)を採用するヨーロッパ(主にEUの西欧諸国)とオセアニア(オーストラリア、ニュージーランド)向けのPAL版(カートリッジ裏側の切欠きが内側にある)の4種類に絞られている。スーパーファミコンまでは本体に内蔵していたRFユニット(RFモジュレーター)は出荷国の放送規格に合わせるために出荷国によって基板を作り分けしなければならない原因であったが、本機が発売された1996年(平成8年)当時は既にRCAコンポジット端子を備えたテレビが普及していたことやコストダウンの観点から、AV仕様ファミリーコンピュータ(HVC-101)と同様にRFユニットは外付け・別売りとなった。 任天堂公式ホームページより 1996年(平成8年)6月23日に発売された際の本体カラーはブラックで型番はNUS-001。日本国外版も含めてブラジル版を除いて日本で生産され(コントローラの一部ロットは中華人民共和国でも生産)、ブラジル版のみ電子機器の完成品の輸入関税が高額であることから日本や中国から部品を輸入し、現地代理店のPlaytronic Industrial社(後にGradiente Entertainment社)のマナウスにある工場にて現地生産された。 非公式の互換機「Analogue 3D」がAnalogueから2024年に発売予定。ソフトでエミュレーションせず、完全FPGA設計することによって互換性を実現している。 型番の「NUS」は、「Nintendo Ultra Sixty-four」の略とされる。 その他、ファミリーコンピュータ・スーパーファミコン用のRFスイッチ(HVC-003)はNINTENDO64でも使用可能。 この他にも、多くの機器が発売されている。 非ライセンス商品だが、コロンバスサークル製「(N64用)スーパーコンバーターBR」(CC-64SCB-BR)を接続すると、Nintendo Switch Proコントローラー、NINTENDO 64 コントローラー(HAC‐043)が使用できるようになる。 日本におけるローンチタイトルは『スーパーマリオ64』、『パイロットウイングス64』、『最強羽生将棋』。 PlayStationやセガサターンのようなCD-ROM媒体を用いた多くのゲームが動画を多用していく中で、NINTENDO64は全年齢に親しまれるラインナップが多かった。 発売されたソフトは日本では全208タイトルでPlayStationやセガサターンと比べて少ないが、『ゴールデンアイ 007』、『ドンキーコング64』、『バンジョーとカズーイの大冒険』、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』など人気を博したソフトや、『風来のシレン2』など作品として評価されているソフトも存在している。また4人同時プレイに最初から対応していたという事もあり、多人数ゲームで大きな広がりを見せた。そのため、小中学生を中心に一定のシェアを獲得することに成功した。 特に『マリオカート64』、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などは売上も好調だった。また、売り上げこそ劣るものの『実況パワフルプロ野球』や『実況ワールドサッカー』なども3Dスティックでの操作性が独特で、シリーズ屈指の作品として支持されている。 本ハードで初めて登場したマリオパーティシリーズは、NINTENDO64以降のゲーム機でも続編が発売される人気タイトルとなっている。また2001年にはNINTENDO64において任天堂最後のソフトとなる『どうぶつの森』が発売された。発売当時はNINTENDO64市場の終末期であったことから初回生産分はわずかなものであったが、インターネット上の口コミなどによってたちまち品薄状態を生み出した。 新作ソフトの発売は日本国内においては2001年12月発売の『ボンバーマン64』が最後となった。 当時、任天堂ハードでは発売されていなかったリッジレーサーシリーズだが、海外ではNintendo Software Technologyによって開発された「Ridge Racer 64」が発売された。 北米では2003年夏まで新作ソフトが発売された。最後のNINTENDO64用新作タイトルとなった『トニーホークプロスケーター3』である。 当初は次世代ゲーム機戦争の本命として期待されており、「ゲームが変わる、64が変える。」のキャッチコピーとともに登場した。しかし、度重なる延期でライバル機より2年近くも遅れた発売により、登場時には全出荷国でPlayStationが、日本国内ではさらにセガサターンも市場を占拠し始めていた。 ライバル機より普及が進まなかった要因として が挙げられる。 ゲーム機に3Dが導入されたことに伴いソフトの開発環境が変化し開発人員も増大した。開発言語が従来のアセンブリ言語からC言語へ変わり、開発環境には、SGIのグラフィックワークステーション、SGI Onyxが使用された。後にSGI Indyも使用された。日本では、安価なMicrosoft Windowsベースの京都マイクロコンピュータ製インサーキット・エミュレータ「PARTNER-N64」も用意された。 ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)はソフトの開発機材を安価でソフトメーカーに提供し、開発環境の負担を軽減することにより、サードパーティーを数多く取り込んでいた。これは元々ソニーがスーパーファミコンの開発機材を作っていたりなどしたためノウハウがあったことによる。しかし当時の任天堂は従来通りソフト毎に開発者が独自にプログラムを組んでいた。また当初はセカンドパーティの増強を考え、マネージメント会社「マリーガル」を設立して対処していた。 開発環境の変化は任天堂自身にも影響を与えた。岩田は「ハードの能力と自由度が上がったことで、逆にゲームにおけるハードの限界が明確でなくなってしまって、プログラマーにとってはどこまでハードの性能を出せるのかがわかりにくくなってしまった」「“オプティマイズ”や“チューニング”といった(中略)ゲーム制作の本質とは違う仕事が爆発的に増え、つくり手は思ったとおりにゲーム制作ができなくなってしまった」と述べている。そのため、開発が長期化してしまう状態になっていた。ほぼ時期を同じくしてNINTENDO64の発売直後に出るはずだった周辺機器『64DD』も暗礁に乗り上げる。当初はファミリーコンピュータ ディスクシステムと同様のハードになるはずだったが、様々な構想が消えては生まれる状態が起き、そのたびに開発延期が繰り返された。最終的に「製品群構想」となったが、発売が遅れ過ぎたことなどが響き、ほとんど定着しなかった。 こうして、開発の困難さからNINTENDO64は発売初期からすでに参入メーカー不足によりソフト不足に見舞われる。具体的にはローンチタイトル3作品の発売の後3ヵ月以上ソフトが1つも発売されなかった。任天堂は1996年内にセカンドパーティ製のものも含め、16本の自社ソフトを発売する計画だったが、ソフト開発の遅延や64DDの発売延期などにより4本しか発売できず、後に発売できたのも半分ほどで、残りは発売中止となった。また発売当初のキラーソフトの一つ『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の発売が大きく延期したこともハードの普及を妨げた。 参入メーカー不足で致命的だったのはファミコン、スーパーファミコン時代に抱えていた国民的な人気を誇るRPGシリーズが離れたことであり、ファイナルファンタジーシリーズは大容量メディアであることを理由に、ドラゴンクエストシリーズは普及台数の差と64DDの開発遅延をきっかけにいずれもPlayStationに移籍。RPG不足もハードの普及を妨げた。 それ以外にも当時は対戦格闘ゲームの絶頂期であり、セガサターンは『バーチャファイター』、PlayStationは『鉄拳』などの格闘ゲームでハードの売り上げを伸ばしていたが、任天堂は「勝ち負けが付くゲームはマニアックになりやすい」という理由で自社で格闘ゲームを開発しない方針を取っていたことでハードウェア後期になってもあまり発売されなかった。 またこの世代のゲーム機からPlayStationやセガサターンのマルチプラットフォーム作品が登場していたものの、NINTENDO64はディスクメディアを不採用にしたことや、コントローラの形状といった操作体系など、他のハードと異なる面が多いことを理由に、マルチプラットフォームや移植でNINTENDO64に発売された作品がほとんどなかった。 こうした要因により、本体価格を下げて対応したが普及が進まず、最終的なハード出荷台数は同世代のPlayStation・セガサターンに及ばなかった。この結果、任天堂は据え置きゲーム機のトップシェアを失い、その後2世代にわたりその座をSCEに明け渡すことになった。 後年山内は、任天堂はソフト体質の会社だが、NINTENDO64はハード体質の人間によるものであるため、NINTENDO64を当時から不満に思っていたと回顧している。 一方で本体やコントローラのデザインおよび操作性は評価され、1997年にはスポーツ・レジャー用品部門でグッドデザイン金賞を受賞している。 日本市場では上記の原因により苦戦を強いられたが、北米市場においては上記の事態がほとんど起きず、『スーパーマリオ64』や『ゴールデンアイ 007』がNPD調べで500万本以上売り上げるなど有力ソフトがハードを牽引し、累計販売台数2,063万台とSNES(海外版スーパーファミコン)並の市場を築くことに成功した。当時の北米では任天堂と同様に、プログラマが独自でプログラムを組むことが多く、プログラム問題があまり起こらなかった。また、RPG・格闘ゲーム不足については、日本と異なりさほど人気がなかったことにより問題とならなかった。 米国では画像処理能力とコストパフォーマンスなどが評価され、タイム誌による”マシン・オブ・ジ・イヤー’96”を受賞した。 宮本茂は「NINTENDO64はね、とりあえず日本ではすごくトーンが下がっているし、ヨーロッパもけっこう厳しいですし、不安な状態に見えるんですけれども、アメリカの勢いのお蔭で、ビジネスとしては完全に成り立った」と述べている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "NINTENDO64(ニンテンドウろくじゅうよん)は、任天堂が1996年に発売した家庭用ゲーム機。略称は「64(ロクヨン)」、「N64」。キャッチコピーは、「ゲームが変わる。64が変える。」", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "スーパーファミコンの後継機として開発された。1990年代中期当時「次世代機」と呼ばれたゲームハードの一つで、任天堂としては初めて本格的な3Dゲームに対応し、『スーパーマリオ64』など3次元空間を自由に体感でき、その操作性を売りにするゲームが多数登場した。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ゲーム開発の難しさや参入メーカー不足によるソフト不足およびドラゴンクエストシリーズ、女神転生、ファイナルファンタジーシリーズなど2世代前のファミリーコンピュータから続いている人気シリーズ作品が同世代機のPlayStationで発売されたことなどの理由により、出荷台数は同世代機と比べて低迷した。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1993年(平成5年)の開発発表時のコードネームは「プロジェクト・リアリティ」で正式名が決定する以前の海外名称は「ウルトラ64」(日本国内では当時名称未発表)、ユーザー間の通称は「ウルトラファミコン」だった。ファミリーコンピュータやスーパーファミコン時代は開発第一部や開発第二部がハード開発を行っていたが、NINTENDO64は竹田玄洋が率いる、ROMカートリッジの特殊チップ開発を担当していた開発第三部がハード開発を行った。当時、任天堂はこれと並行して次世代機としてのCD-ROM機を製作。開発第二部部長の上村雅之によるとほぼ完成していたとされるが、それを発売中止にしての正式発売となった。企画立ちあげ当初は社長の山内溥により「ウルトラファミコン」として発表されていた。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ハード設計にあたっては、レア社のクリス・スタンパー (Chris Stamper) が指導・提案役として半年間参加。開発の主導権は任天堂が取っているが、設計提案については大半の75%をSGIが占めた。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "デザインに関しては今までにないもの、かつ北米で流行するものを念頭に置き、3次元CADを用いて同社の前世代機までにはなかった曲線を多く用いた。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ボディ色はスーパーファミコンの時はユーザーの好みを反映させたが、本機は全世界で統一した色にするためにどの国でも嫌われない色を採用した。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "それまでのファミリーコンピュータ (NES) やスーパーファミコン (SNES) は名称・デザイン・ロゴマーク・内部仕様などが出荷国によってバラバラであったが、本機ではデザイン・配色はもとより、韓国を除く全出荷地で「NINTENDO64」という名称に統一された。韓国のみ当時任天堂製品のライセンス(販売権)を持っていた現代電子産業(現在のハイニックス半導体)により「ヒョンデ・コンボイ64」(현대 컴보이64、Hyundai Comboy64)の名称で発売された。本体の型番はブラジルを除くほとんどの出荷地でNUS-001(XXX)、ピカチュウバージョンはNUS-101(XXX)、ブラジル版はNUSM-001(BRA)となった。N64ロゴや各製品の製品名シールに採用されているフォントはFrutiger。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "据え置き型のゲーム機として64ビットCPU・浮動小数点数演算機能・パースペクティブ補正(英語版)・Zバッファを初めて採用した。そのため他の同世代機種に比べて3Dポリゴンの演算能力と描画品質が高く、同世代で唯一ポリゴン描画で擬似的な手法を用いず、理論的に正しい手法で描画を行ったため、CGワークステーションに近い安定した3次元空間を描画できた。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "CPUは当時グラフィックスワークステーションメーカーだったシリコングラフィックス (SGI) と提携して開発が行われ、メインにはRISCのMIPS R4300カスタム、32ビットRISCのR3000をコアに持つグラフィックエンジンである「RCP (Reality Co-Processor)」を搭載した。64ビットのR4300カスタムは最高122MIPSの処理能力を発揮することが可能で、競合機種の一つであるPlayStationの搭載するCPUの約4倍の処理能力にあたる。ポリゴン機能は環境マッピングやトライリニアといった本格的なテクスチャ・マッピング処理にも対応し、スーパーファミコンの35倍の性能を発揮する。64ビットCPU搭載を売りにしていたが、64ビットモードでは動作クロックが下がる仕様となっているため、殆どのソフトウエアで32ビットモードを用いていた。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "また、「RCP」の描画能力を引き出すためにマイクロコード方式を取り入れた。これはプログラミングによってあらかじめハードウエアに実装された機能に、後からプログラミングコードを追加または書き換えることで、開発するソフトウェアの種類に合わせた演算性能の特化を可能にしたものである。メーカーや開発者が独自に開発することが可能だったが、開発の難易度が上がる弊害もあった。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "当初、NINTENDO64のグラフィックスチップの性能をあまり活かせておらず、岩田聡(後の任天堂代表取締役社長)がアメリカへ渡り勉強をすることでその性能を上げていった。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ゲームソフトの供給媒体には、当時主流となりつつあったCD-ROMではなくROMカートリッジを採用している。また、カートリッジにリージョンプロテクトが物理的に施されており、日本国内版ソフトと海外版では背面にあたる形状の一部が異なることで、異なるリージョンのソフトが対応しない本体に刺さらないようになっている。ただし、あくまでもカートリッジに施された物理的なプロテクトであり、接続端子は共通のものであったため、本体とカートリッジの組み合わせが日本版・北米版などのNTSC方式の国で出荷された本体同士(PAL-M出力のブラジル版を含む)の場合は非公式の変換アダプタを使用するか本体のカートリッジコネクタにあるカセット形状を判別する部品を外す等を行えば問題なく動作する。一方でNTSC版の本体でPAL版のソフトを起動する(あるいはその逆)の場合は、そのままではCICチップのプロテクトにより動作しないため、本体の改造かCICチップのプロテクトを突破できる高機能の変換アダプタ(非公式)が必要となる。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "なお、ファミリーコンピュータ(HVC-001)・NES(NES-001、NES-PAL-001、NESE-001など)、スーパーファミコン(SHVC-001)・SNES(SNS-001、SNSP-001Aなど)と異なり、本体にはイジェクトボタンが搭載されていないため、カートリッジを本体から外すには上から手でカートリッジを引き抜く必要がある。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "データ転送速度を高速にするためにカートリッジ内にはCD-ROMの36倍速に相当する5.3MB/sのROMを採用し、本体には当時主力パソコンの2.5倍相当の250MHzのRDRAMを採用した。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "筐体とは異なり、デザインは従来通りのアナログの手法も併用、左右と中央それぞれの下部に安定して保持するためのグリップを設けた三つ又の形状を採用し、3次元空間を体感するため、同社の前世代機までに使用された十字キーに加えて、コントローラ中央に「3Dスティック」という名称のアナログスティックを採用した。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "スーパーファミコン用のコントローラーから発展したような形状となっており、LボタンとRボタンはそのまま継承されている。中央のSELECTボタンと右側のX・Yボタンが一旦廃止され、新たにコントローラー右側に上・下・左右の矢印が刻印された4つの「Cボタン」が新たに配置、A・Bボタンと合わせて6つのボタンで構成される。また、中央は前述の3Dスティックと背面に「Zボタン」が配置されており、トリガーを引くような感覚でZボタンを操作可能となっている。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "コントローラーの背面には周辺機器を装着できる「拡張コネクタ」が存在する。こちらには本体ROMとは別に記録する個別データを持ち運ぶための媒体や、振動パックなど、ゲーム本体の体感や遊び方を拡張することが可能。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "三つ又の棒部分を左右の手のいずれかで握ることで安定して保持できるほか、握る位置によって3つ操作体系持つ。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "コントローラーの操作に関しては、小さい子供に対してはコントローラが大きいという難点もあった。また、使用できるボタン数が少ないレフトポジションを採用したソフトは片手で数えられるほどの少数で、アナログ操作を活かせるライトポジションのソフトが大半を占めた。また、それまでは2つが主流だったコントローラ端子は本体に標準で4つ用意されており、多人数プレイを想定した設計となっている。4人対戦対応ソフトも数多く開発された。拡張コネクタと使用した個別データの持ち寄り、といったことを想定したソフトも開発された。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1996年発売の『スーパーマリオ64』や1998年発売の『マリオパーティ』など、3Dスティックをグリグリと回す操作方法を取り入れたソフトが多かったが、この操作はスティックの故障の原因につながるほか、プレイヤーが指や手を痛めることが多く、次第にそういったことを勧めるゲームはなくなっていった。しかし、普通に使っていても使用頻度によってはかなりの短期間で、「操作しているキャラクターがスティックに触れていないのに勝手に動いてしまう」などの誤作動を起こす場合があった。この原因は、コントローラ内部で3Dスティックの動きをX軸、Y軸の回転として変換し、またスティック自体を支えている部品に樹脂素材を使用していた事による。スティックが磨耗すると遊びがかなり大きくなり、指を離しても3Dスティックが正確な中心に戻らなくなる。本体の電源を入れるとそのときの3Dスティックの位置を中心として認識する仕様のため、正確な中心位置が認識できなくなるためである。また3Dスティックの内部では部品の一部が粉末状になり堆積する。NINTENDO64においてはスティックを使用するゲームがソフトの大半を占めていたこともあり、コントローラを修理に出したり買い替えなければならなくなることもしばしばあった。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "また、色がライトグレーであるのは、日本国外の市場を意識した本機にあって、スーパーファミコンの名残を残すためである。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "発売当時は本体上面にあるメモリー拡張パック用(後述の周辺機器参照)の接続端子(ターミネータパックが刺さっている)に「はがさないでください」という赤い警告シールが貼られていた。メモリー拡張パックを必ず装着しなければならない『ドンキーコング64』のCMでは、3人の子供たちがこのシールに戸惑いながらも、大丈夫だとシールを剥がすシーンを盛り込んで、啓蒙活動を行った。実際、メモリー拡張パックが必要ないソフトも、ターミネータパックを外した状態では起動しない。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "スーパーファミコン用RGBケーブルは対応していないが、初期型ではRCPから送られたデジタル信号をアナログRGBに一度D/A変換してからビデオ信号に変換する仕様のため、アナログRGB信号を基板上の映像コネクタまで配線を施すと使う事が可能。中期型以降では、デジタル信号から直接ビデオ信号に変換されているため、この改造を施すことが不可能である。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "本体側の電源端子の形状も全世界で統一され、ACアダプタ部分を除く分類ではカラーテレビの規格がNTSC方式(60Hz)を採用する日本・台湾・香港版と韓国版(前述のリージョンプロテクトとしてカートリッジ裏側の切り欠きが内側にある)、同じくNTSC方式を採用する北米版(アメリカ合衆国・カナダ・メキシコ向けで、カートリッジ裏側の切欠きが外側にある)、PAL-M方式(60Hz)を採用するブラジル版(カートリッジは北米版と同じ形状)、PAL方式(50Hz)を採用するヨーロッパ(主にEUの西欧諸国)とオセアニア(オーストラリア、ニュージーランド)向けのPAL版(カートリッジ裏側の切欠きが内側にある)の4種類に絞られている。スーパーファミコンまでは本体に内蔵していたRFユニット(RFモジュレーター)は出荷国の放送規格に合わせるために出荷国によって基板を作り分けしなければならない原因であったが、本機が発売された1996年(平成8年)当時は既にRCAコンポジット端子を備えたテレビが普及していたことやコストダウンの観点から、AV仕様ファミリーコンピュータ(HVC-101)と同様にRFユニットは外付け・別売りとなった。", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "任天堂公式ホームページより", "title": "ハードウェア" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1996年(平成8年)6月23日に発売された際の本体カラーはブラックで型番はNUS-001。日本国外版も含めてブラジル版を除いて日本で生産され(コントローラの一部ロットは中華人民共和国でも生産)、ブラジル版のみ電子機器の完成品の輸入関税が高額であることから日本や中国から部品を輸入し、現地代理店のPlaytronic Industrial社(後にGradiente Entertainment社)のマナウスにある工場にて現地生産された。", "title": "本体" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "非公式の互換機「Analogue 3D」がAnalogueから2024年に発売予定。ソフトでエミュレーションせず、完全FPGA設計することによって互換性を実現している。", "title": "本体" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "型番の「NUS」は、「Nintendo Ultra Sixty-four」の略とされる。", "title": "周辺機器" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "その他、ファミリーコンピュータ・スーパーファミコン用のRFスイッチ(HVC-003)はNINTENDO64でも使用可能。", "title": "周辺機器" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "この他にも、多くの機器が発売されている。", "title": "周辺機器" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "非ライセンス商品だが、コロンバスサークル製「(N64用)スーパーコンバーターBR」(CC-64SCB-BR)を接続すると、Nintendo Switch Proコントローラー、NINTENDO 64 コントローラー(HAC‐043)が使用できるようになる。", "title": "周辺機器" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "日本におけるローンチタイトルは『スーパーマリオ64』、『パイロットウイングス64』、『最強羽生将棋』。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "PlayStationやセガサターンのようなCD-ROM媒体を用いた多くのゲームが動画を多用していく中で、NINTENDO64は全年齢に親しまれるラインナップが多かった。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "発売されたソフトは日本では全208タイトルでPlayStationやセガサターンと比べて少ないが、『ゴールデンアイ 007』、『ドンキーコング64』、『バンジョーとカズーイの大冒険』、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』など人気を博したソフトや、『風来のシレン2』など作品として評価されているソフトも存在している。また4人同時プレイに最初から対応していたという事もあり、多人数ゲームで大きな広がりを見せた。そのため、小中学生を中心に一定のシェアを獲得することに成功した。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "特に『マリオカート64』、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などは売上も好調だった。また、売り上げこそ劣るものの『実況パワフルプロ野球』や『実況ワールドサッカー』なども3Dスティックでの操作性が独特で、シリーズ屈指の作品として支持されている。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "本ハードで初めて登場したマリオパーティシリーズは、NINTENDO64以降のゲーム機でも続編が発売される人気タイトルとなっている。また2001年にはNINTENDO64において任天堂最後のソフトとなる『どうぶつの森』が発売された。発売当時はNINTENDO64市場の終末期であったことから初回生産分はわずかなものであったが、インターネット上の口コミなどによってたちまち品薄状態を生み出した。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "新作ソフトの発売は日本国内においては2001年12月発売の『ボンバーマン64』が最後となった。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "当時、任天堂ハードでは発売されていなかったリッジレーサーシリーズだが、海外ではNintendo Software Technologyによって開発された「Ridge Racer 64」が発売された。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "北米では2003年夏まで新作ソフトが発売された。最後のNINTENDO64用新作タイトルとなった『トニーホークプロスケーター3』である。", "title": "ソフトウェア" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "当初は次世代ゲーム機戦争の本命として期待されており、「ゲームが変わる、64が変える。」のキャッチコピーとともに登場した。しかし、度重なる延期でライバル機より2年近くも遅れた発売により、登場時には全出荷国でPlayStationが、日本国内ではさらにセガサターンも市場を占拠し始めていた。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ライバル機より普及が進まなかった要因として", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "が挙げられる。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ゲーム機に3Dが導入されたことに伴いソフトの開発環境が変化し開発人員も増大した。開発言語が従来のアセンブリ言語からC言語へ変わり、開発環境には、SGIのグラフィックワークステーション、SGI Onyxが使用された。後にSGI Indyも使用された。日本では、安価なMicrosoft Windowsベースの京都マイクロコンピュータ製インサーキット・エミュレータ「PARTNER-N64」も用意された。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)はソフトの開発機材を安価でソフトメーカーに提供し、開発環境の負担を軽減することにより、サードパーティーを数多く取り込んでいた。これは元々ソニーがスーパーファミコンの開発機材を作っていたりなどしたためノウハウがあったことによる。しかし当時の任天堂は従来通りソフト毎に開発者が独自にプログラムを組んでいた。また当初はセカンドパーティの増強を考え、マネージメント会社「マリーガル」を設立して対処していた。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "開発環境の変化は任天堂自身にも影響を与えた。岩田は「ハードの能力と自由度が上がったことで、逆にゲームにおけるハードの限界が明確でなくなってしまって、プログラマーにとってはどこまでハードの性能を出せるのかがわかりにくくなってしまった」「“オプティマイズ”や“チューニング”といった(中略)ゲーム制作の本質とは違う仕事が爆発的に増え、つくり手は思ったとおりにゲーム制作ができなくなってしまった」と述べている。そのため、開発が長期化してしまう状態になっていた。ほぼ時期を同じくしてNINTENDO64の発売直後に出るはずだった周辺機器『64DD』も暗礁に乗り上げる。当初はファミリーコンピュータ ディスクシステムと同様のハードになるはずだったが、様々な構想が消えては生まれる状態が起き、そのたびに開発延期が繰り返された。最終的に「製品群構想」となったが、発売が遅れ過ぎたことなどが響き、ほとんど定着しなかった。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "こうして、開発の困難さからNINTENDO64は発売初期からすでに参入メーカー不足によりソフト不足に見舞われる。具体的にはローンチタイトル3作品の発売の後3ヵ月以上ソフトが1つも発売されなかった。任天堂は1996年内にセカンドパーティ製のものも含め、16本の自社ソフトを発売する計画だったが、ソフト開発の遅延や64DDの発売延期などにより4本しか発売できず、後に発売できたのも半分ほどで、残りは発売中止となった。また発売当初のキラーソフトの一つ『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の発売が大きく延期したこともハードの普及を妨げた。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "参入メーカー不足で致命的だったのはファミコン、スーパーファミコン時代に抱えていた国民的な人気を誇るRPGシリーズが離れたことであり、ファイナルファンタジーシリーズは大容量メディアであることを理由に、ドラゴンクエストシリーズは普及台数の差と64DDの開発遅延をきっかけにいずれもPlayStationに移籍。RPG不足もハードの普及を妨げた。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "それ以外にも当時は対戦格闘ゲームの絶頂期であり、セガサターンは『バーチャファイター』、PlayStationは『鉄拳』などの格闘ゲームでハードの売り上げを伸ばしていたが、任天堂は「勝ち負けが付くゲームはマニアックになりやすい」という理由で自社で格闘ゲームを開発しない方針を取っていたことでハードウェア後期になってもあまり発売されなかった。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "またこの世代のゲーム機からPlayStationやセガサターンのマルチプラットフォーム作品が登場していたものの、NINTENDO64はディスクメディアを不採用にしたことや、コントローラの形状といった操作体系など、他のハードと異なる面が多いことを理由に、マルチプラットフォームや移植でNINTENDO64に発売された作品がほとんどなかった。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "こうした要因により、本体価格を下げて対応したが普及が進まず、最終的なハード出荷台数は同世代のPlayStation・セガサターンに及ばなかった。この結果、任天堂は据え置きゲーム機のトップシェアを失い、その後2世代にわたりその座をSCEに明け渡すことになった。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "後年山内は、任天堂はソフト体質の会社だが、NINTENDO64はハード体質の人間によるものであるため、NINTENDO64を当時から不満に思っていたと回顧している。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "一方で本体やコントローラのデザインおよび操作性は評価され、1997年にはスポーツ・レジャー用品部門でグッドデザイン金賞を受賞している。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "日本市場では上記の原因により苦戦を強いられたが、北米市場においては上記の事態がほとんど起きず、『スーパーマリオ64』や『ゴールデンアイ 007』がNPD調べで500万本以上売り上げるなど有力ソフトがハードを牽引し、累計販売台数2,063万台とSNES(海外版スーパーファミコン)並の市場を築くことに成功した。当時の北米では任天堂と同様に、プログラマが独自でプログラムを組むことが多く、プログラム問題があまり起こらなかった。また、RPG・格闘ゲーム不足については、日本と異なりさほど人気がなかったことにより問題とならなかった。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "米国では画像処理能力とコストパフォーマンスなどが評価され、タイム誌による”マシン・オブ・ジ・イヤー’96”を受賞した。", "title": "発売後の動向" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "宮本茂は「NINTENDO64はね、とりあえず日本ではすごくトーンが下がっているし、ヨーロッパもけっこう厳しいですし、不安な状態に見えるんですけれども、アメリカの勢いのお蔭で、ビジネスとしては完全に成り立った」と述べている。", "title": "発売後の動向" } ]
NINTENDO64(ニンテンドウろくじゅうよん)は、任天堂が1996年に発売した家庭用ゲーム機。略称は「64(ロクヨン)」、「N64」。キャッチコピーは、「ゲームが変わる。64が変える。」 スーパーファミコンの後継機として開発された。1990年代中期当時「次世代機」と呼ばれたゲームハードの一つで、任天堂としては初めて本格的な3Dゲームに対応し、『スーパーマリオ64』など3次元空間を自由に体感でき、その操作性を売りにするゲームが多数登場した。 ゲーム開発の難しさや参入メーカー不足によるソフト不足およびドラゴンクエストシリーズ、女神転生、ファイナルファンタジーシリーズなど2世代前のファミリーコンピュータから続いている人気シリーズ作品が同世代機のPlayStationで発売されたことなどの理由により、出荷台数は同世代機と比べて低迷した。
{{出典の明記|date = 2021年3月}} {{Infobox_コンシューマーゲーム機 |名称 = NINTENDO64 |ロゴ = [[File:Nintendo 64 logo.png|320px]] |画像 = [[File:Nintendo-64-wController-L.jpg|320px]] |メーカー = [[任天堂]] |種別 = [[ゲーム機|据置型ゲーム機]] |世代 = [[ゲーム機|第5世代]] |発売日 = {{Flagicon|ROC}} [[1996年]][[6月22日]]<br />{{Flagicon|JPN}} [[1996年]][[6月23日]]<br />{{Flagicon|USA}} 1996年[[9月26日]]<ref name="N64's U.S. Launch">{{cite web |url=http://www.pennoaks.net/archive64/Miscellaneous_Articles/N64_US_Launch.htm |last=McCall |title=N64's U.S. Launch |work=Teleparc |first=Scott |date=September 28, 1996 |accessdate=2019-5-23 |language=en}}</ref><br />{{Flagicon|RUS}} 1996年[[10月10日]]<br />{{Flagicon|EU}}{{Flagicon|AU}} [[1997年]][[3月1日]]<br />{{Flagicon|KOR}} 1997年[[7月]]<br />{{Flagicon|FRA}} 1997年[[9月1日]]<br />{{Flagicon|BRA}} 1997年[[12月10日]] |CPU = 64bit 93.75MHz NEC [[R4200|VR4300]]カスタム (MIPS) |GPU = [[シリコングラフィックス|SGI]] Reality Co-Processor 62.5 MHz 64-bit RCP |メディア = [[ロムカセット]] |ストレージ = コントローラパック |コントローラ = ケーブル接続 x 4 |外部接続端子 = 50PIN拡張コネクタ |オンラインサービス = [[64DD]] |売上台数 = {{Flagicon|JPN}} 554万台<ref name="consolidated_sales">{{Cite web|和書|date=|url=https://www.nintendo.co.jp/ir/library/historical_data/pdf/consolidated_sales1406.pdf|format=PDF|title=任天堂株式会社 連結販売実績数量推移表|publisher=任天堂|accessdate=2019-5-23}}</ref><br />{{Flagicon|USA}} 2,063万台<ref name="consolidated_sales"/><br />[[ファイル:Map_projection-Eckert_IV.png|26px|世界]] 3,293万台<ref name="consolidated_sales"/> |最高売上ソフト = {{Flagicon|JPN}} [[マリオカート64]] /223万本<br />[[ファイル:Map_projection-Eckert_IV.png|26px|世界]] [[スーパーマリオ64]] /1,189万本<ref>[http://www.vgchartz.com/platform/10/nintendo-64 Nintendo 64 - VGChartz]</ref> |互換ハード = [[iQue Player]] |後方互換 = |前世代ハード = [[スーパーファミコン]] |次世代ハード = [[ニンテンドーゲームキューブ]] }} '''NINTENDO64'''(ニンテンドウろくじゅうよん{{Efn|[[ニンテンドーゲームキューブ|ニンテンド'''ー'''ゲームキューブ]]、[[ニンテンドーDS|ニンテンド'''ー'''DS]]などと違い、NINTENDO64は「ニンテンド'''ウ'''64」が公式なカタカナ表記である(同時期のサービス「[[ニンテンドウパワー|ニンテンド'''ウ'''パワー]]」も同様)。ただし、当時の雑誌等ではニンテンドー64と誤記しているものも見受けられる<ref name="gamemachine19951215">{{Cite news |和書|title=任天堂64ビット機披露 発売は4月21日に 本体25000円、カートリッジ9800円 |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19951215p.pdf |newspaper=ゲームマシン |issue=509 |agency=[[アミューズメント通信社]] |date=1995-12-15 |page=9}}</ref>。}})は、[[任天堂]]が[[1996年]]に発売した[[ゲーム機|家庭用ゲーム機]]。略称は「'''64(ロクヨン)'''」、「'''N64'''」。キャッチコピーは、「'''ゲームが変わる。64が変える。'''」 [[スーパーファミコン]]の後継機として開発された。[[1990年代]]中期当時「[[ゲーム機#第5世代|次世代機]]」と呼ばれたゲームハードの一つで、任天堂としては初めて本格的な[[3次元コンピュータグラフィックス|3D]]ゲームに対応し、『[[スーパーマリオ64]]』など3次元空間を自由に体感でき、その操作性を売りにするゲームが多数登場した。 ゲーム開発の難しさや参入メーカー不足によるソフト不足および[[ドラゴンクエストシリーズ]]、[[女神転生]]、[[ファイナルファンタジーシリーズ]]など2世代前の[[ファミリーコンピュータ]]から続いている人気シリーズ作品が同世代機の[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]で発売されたことなどの理由により、出荷台数は同世代機と比べて低迷した<ref>{{Cite book|和書|title=Kengaku! Nihon no daikigyō Nintendō|url=https://www.worldcat.org/oclc/819314750|publisher=Horupu Shuppan|date=2012年11月20日|location=Tōkyō|isbn=978-4-593-58669-1|oclc=819314750|others=Kodomo Kurabu Henshūbu, こどもくらぶ編集部.|first=Adam|last=Sutherland|year=2012|page=15}}</ref>。 == 沿革 == * 1993年 ** [[お盆]]頃 - SGIと正式合意。 ** [[8月22日]] - [[任天堂スペースワールド|ファミコンスペースワールド]]'93(第5回初心会ソフト展示会)で任天堂がSGI、[[ミップス・テクノロジーズ]]と共同で64ビット機を開発することを公表(プロジェクト・リアリティ)。価格は250ドル以下、1995年(平成7年)末発売を予定<ref name="名前なし-1">{{Cite news |和書|title=64bit機の開発で任天堂と米SG合意 高速CGチップ含む次世代TVゲーム機 94年業務用で、95年に家庭用250ドルで |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19931001p.pdf |newspaper=ゲームマシン |issue=458 |agency=[[アミューズメント通信社]] |date=1993-10-01 |page=1}}</ref>。 * 1994年 ** [[5月2日]] - 英国の[[Rockstar North|DMAデザイン]]とライセンス契約。1995年秋の本体出荷を目指す<ref>{{Cite news |和書|title=任天堂64ビット機で英国DMA社も ゲームソフト開発に参加 |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19940615p.pdf |newspaper=ゲームマシン |issue=474 |agency=アミューズメント通信社 |date=1994-06-15 |page=7}}</ref>。 ** [[6月23日]] - [[コンシューマー・エレクトロニクス・ショー]]で、アメリカでの正式名称が「Nintendo Ultra64」に決定したと発表、レア社が開発した[[対戦型格闘ゲーム]]の『[[キラーインスティンクト]]』と[[ミッドウェイゲームズ]]が開発した[[レースゲーム]]の『{{仮リンク|クルージンUSA|en|Cruis'n USA}}』を披露<ref>{{Cite news |和書|title=セガ社が出展しなかった夏季CES94 任天堂の64ビット機名称「ウルトラ64」に 制限付きで開発中の2ソフトを内見会で披露 |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19940901p.pdf |newspaper=ゲームマシン |issue=479 |agency=アミューズメント通信社 |date=1994-09-01 |page=19}}</ref>。オープニング画面では、「Nintendo ULTRA64」のロゴが表示されている。 * 1995年 ** [[1月6日]] - コンシューマー・エレクトロニクス・ショーで「DOOM」や「TOP GUN」などのパソコン用ソフトがウルトラ64に移植されることを発表<ref>{{Cite book|title=週刊[[ファミコン通信]] no.367|date=1995年12月29日|publisher=株式会社[[アスキー (企業)|アスキー]]|page=21}}</ref>。 ** [[5月11日]] - 第1回[[Electronic Entertainment Expo]]で、Ultra64の最終モデルのプレス用写真を公開、実物は同年11月の初心会展で披露予定、1996年4月頃に発売延期を発表<ref>{{Cite news |和書 |title=夏季CESに代わる家庭用ゲーム展 初のE3成功 次世代ゲーム機メーカーも揃う |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19950801p.pdf |newspaper=ゲームマシン |format=PDF |issue=500 |agency=アミューズメント通信社 |date=1995-08-01 |page=17}}</ref>。 ** [[8月10日]] - 正式名称が「NINTENDO64」に決定。 ** [[9月27日]] - 同年10月中旬、ディスク{{Efn|のちの64DDで使用される磁気ディスク}}用ソフト向けに[[スクウェア (ゲーム会社)|スクウェア]]、[[ジャストシステム]]と合弁会社を設立することを発表<ref>{{Cite news |和書|title=スクウェアが64ビット機 ディスク用ソフト開発へ 任天堂、ジャストシステムと合弁会社 |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19951101p.pdf |newspaper=ゲームマシン |issue=506 |agency=アミューズメント通信社 |date=1995-11-01 |page=2}}</ref>。 ** [[10月]] - NINTENDO64の試作機を公開。 ** [[11月24日]] - ファミコンスペースワールド'95(第7回初心会ソフト展示会)で、NINTENDO64とコントローラを世界初公開。価格(25,000円)と発売日(1996年4月21日)を発表。『スーパーマリオ64』と『[[カービィボウル]]64』をプレイアブル出展。[[64DD]]の発表{{R|gamemachine19951215}}。 ** [[12月14日]] - 任天堂本社にて、NINTENDO64の説明会を開催。 *1996年 ** [[3月8日]] - ゲームソフト開発の遅れが理由でNINTENDO64の発売日を4月21日から6月23日への延期を発表<ref>{{Cite news |和書|title=任天堂64ビット機 発売6月23日に CPU調達とソフト開発理由 |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19960401p.pdf |newspaper=ゲームマシン |issue=515 |agency=アミューズメント通信社 |date=1996-04-01 |page=1}}</ref>。 ** [[6月23日]] - NINTENDO64を発売。希望小売価格25,000円(税別)。 ** 7月頃 - [[セタ (企業)|セタ]]が業務用基板を開発することを発表<ref>{{Cite news |和書|title=「ニンテンドウ64」を利用 セタが業務用CG機に 低価格で高性能の3タイプを開発、提供 |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19960715p.pdf |newspaper=ゲームマシン |issue=522 |agency=アミューズメント通信社 |date=1996-07-15 |page=1}}</ref>。 ** [[9月29日]] - 米国にて発売。価格は約200ドル。初回出荷35万台は3日で完売<ref>{{Cite news |和書|title=米国任天堂が「N64」を発売 |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19961101p.pdf |newspaper=ゲームマシン |issue=529 |agency=アミューズメント通信社 |date=1996-11-01 |page=15}}</ref>。 ** [[11月22日]] - ニンテンドウ64スペースワールド'96で、64DDの実物を世界初公開、1997年発売を予定<ref>{{Cite news |和書|title=第8回初心会展 N64用新作ソフト展示 サードパーティは半減の27社が出展 |newspaper=ゲームマシン |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19970101p.pdf |format=PDF |agency=アミューズメント通信社 |issue=533 |page=11 |date=1997-01-01}}</ref>。 * 1997年 ** [[2月21日]] - 同年3月14日から本体価格を25,000円から16,800円に値下げすることを発表<ref>{{Cite web|和書|date=1997-02-21 |url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/970221/nintendo.htm |title=任天堂、64ビットゲーム専用機「NINTENDO64」を3月14日から16,800円に値下げ |website=PC Watch |publisher=[[インプレス]] |accessdate=2019-05-23}}</ref>、出荷台数は日本国内185万台、米国214万台、3月1日よりヨーロッパでも出荷開始予定<ref>{{Cite news |和書|title=任天堂、コストダウンで「N64」を値下げ ドル高で経常利益増の修正 |newspaper=ゲームマシン |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19970315p.pdf |format=PDF |agency=アミューズメント通信社 |issue=537 |page=3 |date=1997-03-15}}</ref>。 ** [[3月14日]] - 本体価格を16,800円(税別)に改定。 ** [[3月17日]] - 米国での本体価格を150ドルに値下げ<ref>{{Cite news |和書|title=米国任天堂、「N64」150ドルに値下げ ソニー「PS」と本体価格並ぶ |newspaper=ゲームマシン |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19970415p.pdf |format=PDF |agency=アミューズメント通信社 |issue=539 |page=15 |date=1997-04-15}}</ref>。 ** [[7月19日]] - [[大韓民国]]でHyundai Comboy64を発売。 ** 6月 - 64DDの発売日を1998年3月に延期。 ** 6月中旬 - セタが NINTENDO64互換[[アーケードゲーム基板]]「ALECK64」を開発したことを発表<ref>{{Cite news |和書|title=セタ「ALECK64」業務用CG基板を開発 「ニンテンドウ64」開発ツールでソフトも |newspaper=ゲームマシン |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19970801p.pdf |format=PDF |agency=アミューズメント通信社 |issue=546 |page=4 |date=1997-08-01}}</ref>。 ** 9月末 - 出荷台数が日本で247万台、海外で903万台<ref>{{Cite news |和書|title=任天堂、中間決算 大きく増収増益 海外で「N64」普及進む |newspaper=ゲームマシン |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/199701215p.pdf |format=PDF |agency=アミューズメント通信社 |issue=555 |page=3 |date=1997-12-15}}</ref>。 ** [[11月21日]] - 米国任天堂がNINTENDO64ソフトのコピー機器「{{仮リンク|ドクターV64|en|Doctor V64}}」を販売している会社を著作権・商標権侵害で提訴<ref>{{Cite news |和書|title=米国任天堂が訴える「ドクターV64」 「N64」ソフトを無断コピー |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19980101p.pdf |newspaper=ゲームマシン |format=PDF |issue=556 |agency=アミューズメント通信社 |date=1998-01-01 |page=23}}</ref>。ニンテンドウスペースワールド'97で1998年3月発売予定の64DDをさらに3か月延期することを発表<ref>{{Cite news |和書|title=ニンテンドウスペースワールド97 GB用デジカメも披露 「64DD」の発売はさらに延期に |newspaper=ゲームマシン |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19980201p.pdf |format=PDF |agency=アミューズメント通信社 |issue=557 |page=4 |date=1998-02-01}}</ref>。 ** [[12月2日]] - デジタルカメラで撮影した画像を扱うNINTENDO64用カセット『ふぉとぴー』を[[富士写真フイルム]]・[[東京エレクトロン]]と共同開発することを発表<ref>{{Wayback|url=http://www.nintendo.co.jp/n10/news/971202.html|title=報道資料「NINTENDO64」でデジタルカメラ撮影画像を楽しめる製品(商品名:ふぉとぴー)の共同企画・開発についてのお知らせ|date=19980205081520}}</ref>。 * 1998年 ** [[7月1日]] - 本体価格を14,000円(税別)に改定。 ** [[9月1日]] - 米国で本体価格を150ドルから130ドルに改定<ref>{{Cite news |和書|title=SCE「PS」4千万台を達成 米欧ではさらに値下げも |newspaper=ゲームマシン |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19981001p.pdf |format=PDF |agency=アミューズメント通信社 |issue=573 |page=2 |date=1998-10-01}}</ref>。 ** 9月中 - セタが開発したNINTENDO64互換アーケードゲーム基板「ALECK64」が、ビスコから発売<ref>{{Cite news |和書|title=セタ「ALECK64」ビスコから9月発売に ソフト第1作はハドソンのサッカーゲーム |newspaper=ゲームマシン |url=https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19981001p.pdf |format=PDF |agency=アミューズメント通信社 |issue=573 |page=2 |date=1998-10-01}}</ref>。 ** [[12月2日]] - [[マリオのふぉとぴー]]発売。 *1999年 ** [[10月20日]] - ランドネットディディより、NINTENDO64及びその周辺機器64DDを使用したサービスの[[ランドネット]]を同年11月11日より会員募集開始、12月1日よりサービス開始すると発表<ref>{{Cite press release |和書 |title=12月1日サービス開始、11月11日より会員募集開始 ゲーム業界初の月会費制で大幅価格ダウン |url=https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/1997-99/991020a.html |publisher=任天堂 |date=1999-10-20 |accessdate=2021-05-01}}</ref>。 ** [[12月1日]] - 本体のカラーバリエーションに「クリアブルー」と「クリアレッド」を追加。 ** [[12月11日]] - 64DDを[[ランドネット]]サービス申し込み者に配布。 * 2000年 ** [[2月24日]] - ランドネットサービスが開始される。 ** [[7月21日]] - 本体に「[[ポケットモンスター]]」の人気キャラクター[[ピカチュウ]]をあしらった「ピカチュウNINTENDO64」を発売。価格は据え置き。 ** [[11月22日]] - ランドネットディディが2001年2月28日にランドネットを終了することを発表<ref>{{Wayback|url=http://www.randnetdd.co.jp/|title=ランドネットサービス終了のお知らせ|date=20001110010100}}</ref>。 * 2001年 ** [[2月28日]] - ランドネットサービスが終了。 ** [[12月20日]] - [[ハドソン]]が日本ではNINTENDO64最後のソフトとなる『[[ボンバーマン64]]』を発売。 * 2003年 ** 3月末 - 最終出荷台数は日本で554万台、アメリカで2,064万台、その他の国で675万台の計3,293万台{{R|consolidated_sales}}。 ** [[11月17日]] - [[中華人民共和国|中国]]で[[iQue Player]]{{Efn|当時の中国の法律問題や違法コピーを危惧していたことからNINTENDO64は出荷されなかったが、本機をベースにして携帯型・ダウンロード専用とされた。}}発売。 ** 9月 - ファミリーコンピュータ、スーパーファミコン、ゲームボーイと共に生産終了。 * 2007年 ** [[10月31日]] - 「部品の確保が困難になった」としてNINTENDO64の修理サポートを終了。 == 販売台数 == {| class="wikitable" style="text-align:center" |+ 会計年度別推移表<ref name="consolidated_sales"/> |- !rowspan="2"| 会計年度!! colspan="4"| ハード(万台) |- ! 国内 !! 米大陸 !! その他 !! 計 |- ! style="white-space:nowrap"|1997年 | 203 || colspan="2"| 377 || 580 |- ! 1998年 | 111 || colspan="2"| 831 || 942 |- ! 1999年 | 121 || colspan="2"| 665 || 786 |- ! 2000年 | 94 || 471 || 84 || 649 |- ! 2001年 | 20 || 230 || 34 || 285 |- ! 2002年 | 5 || 30 || 15 || 50 |- ! 2003年 | 0 || 1 || 0 || 1 |- ! 累計 | 554 || 2,063 || 675 || 3,293 |} == ハードウェア == === 開発 === [[1993年]](平成5年)の開発発表時の[[コードネーム]]は「プロジェクト・リアリティ」で正式名が決定する以前の海外名称は「ウルトラ64」(日本国内では当時名称未発表)、ユーザー間の通称は「'''ウルトラファミコン'''」だった。[[ファミリーコンピュータ]]やスーパーファミコン時代は開発第一部や開発第二部がハード開発を行っていたが、NINTENDO64は[[竹田玄洋]]が率いる、ROMカートリッジの特殊チップ開発を担当していた開発第三部がハード開発を行った。当時、任天堂はこれと並行して次世代機としての[[CD-ROM]]機を製作。{{要出典範囲|開発第二部部長の[[上村雅之]]によると|date=2022年12月}}ほぼ完成していたとされるが、それを発売中止にしての正式発売となった。企画立ちあげ当初は社長の[[山内溥]]により「ウルトラファミコン」として発表されていた。 ハード設計にあたっては、[[レア (企業)|レア社]]のクリス・スタンパー ([[:en:Tim and Chris Stamper|Chris Stamper]]) が指導・提案役として半年間参加。開発の主導権は任天堂が取っているが、設計提案については大半の75%をSGIが占めた。 === デザイン === デザインに関しては今までにないもの、かつ北米で流行するものを念頭に置き、3次元CADを用いて同社の前世代機までにはなかった曲線を多く用いた<ref>{{Cite web|和書|work=N.O.M 1999年1月号 No.5 特集『いい仕事してます こだわりの逸品! NINTENDO64』|title=こだわりその1 デザインのコンセプト|url=https://www.nintendo.co.jp/nom/9901/sono1/sono1_01.html|date=1999-01|publisher=任天堂|accessdate=2021-08-02}}</ref>。 ボディ色はスーパーファミコンの時はユーザーの好みを反映させたが、本機は全世界で統一した色にするためにどの国でも嫌われない色を採用した<ref name="nom199901_1">{{Cite web|和書|work=N.O.M 1999年1月号 No.5 特集『いい仕事してます こだわりの逸品! NINTENDO64』|title=こだわりその1 カラーリングへのこだわり|url=https://www.nintendo.co.jp/nom/9901/sono1/sono1_02.html|date=1999-01|publisher=任天堂|accessdate=2021-08-02}}</ref>。 === 名称 === それまでの[[ファミリーコンピュータ]] ([[Nintendo Entertainment System|NES]]) や[[スーパーファミコン]] ([[Super Nintendo Entertainment System|SNES]]) は名称・デザイン・ロゴマーク・内部仕様などが出荷国によってバラバラであったが、本機ではデザイン・配色はもとより、[[大韓民国|韓国]]を除く全出荷地で「NINTENDO64」という名称に統一された。韓国のみ当時任天堂製品のライセンス(販売権)を持っていた現代電子産業(現在の[[ハイニックス半導体]])により「ヒョンデ・コンボイ64」({{lang|ko|현대 컴보이64}}、Hyundai Comboy64)の名称で発売された{{efn|本体正面のロゴは「NINTENDO64」のままであり、36Pinメモリー拡張コネクタの蓋部分に「ヒョンデ・コンボイ」のロゴ、本体の電源ボタンとリセットボタン、コントローラのSTARTボタンに[[朝鮮語]]の[[ハングル]]文字が併記された。}}。本体の型番はブラジルを除くほとんどの出荷地でNUS-001(XXX)、ピカチュウバージョンはNUS-101(XXX){{Efn|XXXには出荷国のコードが入る。日本版・台湾版・香港版は"JPN"、北米版は"USA"、PAL版のうちフランスを除く地域向けは"EUR"、フランス向けは"FRA"、韓国版(コンボイ64)は"KOR"。}}、ブラジル版はNUSM-001(BRA)となった{{efn|ブラジル版のみ電子機器の完成品を輸入するときに掛かる関税が高額であることから日本や中国から部品を輸入し、現地代理店のPlaytronic Industrial社(後にGradiente Entertainment社)の[[マナウス]]にある工場にて現地生産された。}}。N64ロゴや各製品の製品名シールに採用されているフォントは[[Frutiger]]。 === プロセッサ === 据え置き型のゲーム機として[[64ビット]][[CPU]]・[[浮動小数点数]]演算機能・{{仮リンク|パースペクティブ補正|en|Perspective control}}・[[Zバッファ]]{{Efn|本機以降、[[スーパーファミコン#バリエーション|スーパーファミコンジュニア]]や同世代競合機種のマイナーチェンジ機種を除く全ての据置型ゲーム機はZバッファを標準で搭載している。また携帯型ゲーム機でも[[ニンテンドーDS]]以降、[[ゲームボーイミクロ]]を除く全ての機種で搭載している。Zバッファが搭載されて初めて正確な面の交差が描画できるようになり、面のめくれが生じない美しい描画となった。}}を初めて採用した。そのため他の同世代機種に比べて[[3Dポリゴン]]の演算能力と描画品質が高く、同世代で唯一ポリゴン描画で擬似的な手法を用いず、理論的に正しい手法で描画を行ったため、[[ワークステーション|CGワークステーション]]に近い安定した3次元空間を描画できた{{Efn|NINTENDO64と同世代の[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]や[[3DO]]はポリゴンを採用したが、座標計算は固定小数点数演算かつ[[画家のアルゴリズム|Zソート法]]に簡略化されており、[[セガサターン]]に至っては四角形スプライトの変形であったため、どちらも幾何学的に正しい描画方法ではなく表示の破綻が目に付いた。}}。 CPUは当時グラフィックス[[ワークステーション]]メーカーだった[[シリコングラフィックス]] (SGI) と提携して開発が行われ{{sfn|MIPSプロセッサ入門|p=261}}、メインには[[RISC]]の[[MIPSアーキテクチャ|MIPS]] [[R4200|R4300]]{{sfn|MIPSプロセッサ入門|p=261}}カスタム、32ビットRISCの[[R3000]]をコアに持つグラフィックエンジンである「RCP (Reality Co-Processor)」を搭載した。64ビットのR4300カスタムは最高122[[MIPS]]の処理能力を発揮することが可能で、競合機種の一つである[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]の搭載する[[CPU]]の約4倍の処理能力にあたる{{Sfn|井上|2009|p=38}}。[[ポリゴン]]機能は環境マッピングやトライリニアといった本格的なテクスチャ・マッピング処理にも対応し、[[スーパーファミコン]]の35倍の性能を発揮する。64ビットCPU搭載を売りにしていたが、64ビットモードでは動作クロックが下がる仕様となっているため、殆どのソフトウエアで32ビットモードを用いていた。 また、「RCP」の描画能力を引き出すために[[マイクロコード]]方式を取り入れた。これは[[プログラミング]]によってあらかじめハードウエアに実装された機能に、後からプログラミングコードを追加または書き換えることで、開発するソフトウェアの種類に合わせた演算性能の特化を可能にしたものである{{Efn|例えば、3Dポリゴンの描画性能に特化したマイクロコード(『[[ゼルダの伝説 時のオカリナ]]』、『[[ゼルダの伝説 ムジュラの仮面]]』等)や、2Dグラフィックに特化したマイクロコード(『[[ヨッシーストーリー]]』等)、演算処理に長けたマイクロコード(『[[最強羽生将棋]]』、『[[F-ZERO X]]』等)、4人対戦のために4画面同時出力に長けたマイクロコード(『[[マリオカート64]]』等)}}。メーカーや開発者が独自に開発することが可能だったが、開発の難易度が上がる弊害もあった。 当初、NINTENDO64のグラフィックスチップの性能をあまり活かせておらず、[[岩田聡]](後の任天堂代表取締役社長)がアメリカへ渡り勉強をすることでその性能を上げていった<ref>{{Cite web|和書|title=【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編|date=2015-12-29|url=https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20151225009/|website=[[4gamer.net]]|publisher=[[Aetas]]|accessdate=2020-06-14|}}</ref>。 === カートリッジ === ゲームソフトの供給媒体には、当時主流となりつつあった[[CD-ROM]]ではなく[[ロムカセット|ROMカートリッジ]]を採用している。また、カートリッジに[[リージョンコード#テレビゲーム|リージョンプロテクト]]が物理的に施されており、日本国内版ソフトと海外版では背面にあたる形状の一部が異なることで、異なるリージョンのソフトが対応しない本体に刺さらないようになっている。ただし、あくまでもカートリッジに施された物理的なプロテクトであり、接続端子は共通のものであったため、本体とカートリッジの組み合わせが日本版・北米版などのNTSC方式の国で出荷された本体同士(PAL-M出力のブラジル版を含む)の場合は非公式の変換アダプタを使用するか本体のカートリッジコネクタにあるカセット形状を判別する部品を外す等を行えば問題なく動作する。一方でNTSC版の本体でPAL版のソフトを起動する(あるいはその逆)の場合は、そのままではCICチップのプロテクトにより動作しないため、本体の改造かCICチップのプロテクトを突破できる高機能の変換アダプタ(非公式)が必要となる。 なお、ファミリーコンピュータ(HVC-001)・[[Nintendo Entertainment System|NES]](NES-001、NES-PAL-001、NESE-001など)、スーパーファミコン(SHVC-001)・[[Super Nintendo Entertainment System|SNES]](SNS-001、SNSP-001Aなど)と異なり、本体にはイジェクトボタンが搭載されていないため、カートリッジを本体から外すには上から手でカートリッジを引き抜く必要がある。 データ転送速度を高速にするためにカートリッジ内には[[CD-ROM]]の36倍速に相当する5.3MB/sのROMを採用し、本体には当時主力パソコンの2.5倍相当の250MHzの[[RDRAM]]を採用した<ref>{{Cite web|和書|work=N.O.M 1999年1月号 No.5 特集『いい仕事してます こだわりの逸品! NINTENDO64』|title=こだわりその3 シーク時間ゼロを実現|url=https://www.nintendo.co.jp/nom/9901/sono3/sono3_01.html|date=1999-01|publisher=任天堂|accessdate=2021-08-02}}</ref>。 === コントローラ === [[ファイル:N64-Controller-Gray.jpg|thumb|150px|純正コントローラー。中央グリップに3Dスティック。左に十字キー、右にA(青)・B(緑)・4つのCボタン(黄色)が配置。]] [[ファイル:N64-Controller-Gray-Back.jpg|thumb|150px|純正コントローラーの背面。中央グリップの根元にZボタンが配置。コントローラ背面上部に拡張コネクタが併設]] [[ファイル:Nintendo-64-Controller-Pak.jpg|thumb|150px|コントローラーの拡張コネクタに挿入する周辺機器の一つ「コントローラパック(個別データ保存用外部カードリッジ)」]] 筐体とは異なり、デザインは従来通りのアナログの手法も併用<ref name="nom199901_2">{{Cite web|和書|work=N.O.M 1999年1月号 No.5 特集『いい仕事してます こだわりの逸品! NINTENDO64』|title=こだわりその2 デザインのコンセプト|url=https://www.nintendo.co.jp/nom/9901/sono2/sono2_02.html|date=1999-01|publisher=任天堂|accessdate=2021-08-02}}</ref>、左右と中央それぞれの下部に安定して保持するためのグリップを設けた三つ又の形状を採用し、3次元空間を体感するため、同社の前世代機までに使用された十字キーに加えて、コントローラ中央に「3Dスティック」{{Efn|テレビや雑誌等で「スリーディースティック」と呼称する場合があったが、正しくは「サンディスティック」と読む<ref name="nintendo64hardware">{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/n01/n64/hardware/index.html |title=NINTENDO64ハードウェア紹介 |publisher=任天堂 |accessdate=2021-03-09}}</ref>}}という名称のアナログスティックを採用した{{Efn|アナログスティックを搭載したゲームコントローラは[[1989年]]に[[電波新聞社]]から発売されたPCおよび[[メガドライブ]]用のアナログコントローラ「XE-1 AP」が初であり、NINTENDO64のコントローラはそれに次ぐ2例目。}}。 [[スーパーファミコン]]用のコントローラーから発展したような形状となっており、LボタンとRボタンはそのまま継承されている。中央のSELECTボタンと右側のX・Yボタンが一旦廃止され、新たにコントローラー右側に上・下・左右の矢印が刻印された4つの「Cボタン」が新たに配置、A・Bボタンと合わせて6つのボタンで構成される。また、中央は前述の3Dスティックと背面に「Zボタン」が配置されており、トリガーを引くような感覚でZボタンを操作可能となっている。 コントローラーの背面には周辺機器を装着できる「拡張コネクタ」が存在する。こちらには本体ROMとは別に記録する個別データを持ち運ぶための媒体や、振動パックなど、ゲーム本体の体感や遊び方を拡張することが可能。 三つ又の棒部分を左右の手のいずれかで握ることで安定して保持できるほか、握る位置によって3つ操作体系持つ{{R|nom199901_2}}<ref name="nintendo64hardware" />。 ;レフトポジション :左手でコントローラ左側、右手で中央を握るポジション。それぞれの手の親指が十字キーと3Dスティックを自在に操作し、人差指でLボタンとZボタンを操作する。 ;ライトポジション :左手でコントローラ中央、右手で右側を握るポジション。左手で3Dスティックによるアナログ入力ができ、右手で複数のボタンを操作できる。 ;ファミコンポジション :左手でコントローラ左側、右手で右側を握るポジション。従来のSFCコントローラと同じような操作が可能。 コントローラーの操作に関しては、小さい子供に対してはコントローラが大きいという難点もあった。また、使用できるボタン数が少ないレフトポジションを採用したソフトは片手で数えられるほどの少数で、アナログ操作を活かせるライトポジションのソフトが大半を占めた。また、それまでは2つが主流だったコントローラ端子は本体に標準で4つ用意されており、多人数プレイを想定した設計となっている。4人対戦対応ソフトも数多く開発された。拡張コネクタと使用した個別データの持ち寄り、といったことを想定したソフトも開発された。 1996年発売の『[[スーパーマリオ64]]』や1998年発売の『[[マリオパーティ]]』など、3Dスティックをグリグリと回す操作方法を取り入れたソフトが多かったが、この操作はスティックの故障の原因につながるほか、プレイヤーが指や手を痛めることが多く、次第にそういったことを勧めるゲームはなくなっていった。しかし、普通に使っていても使用頻度によってはかなりの短期間で、「操作しているキャラクターがスティックに触れていないのに勝手に動いてしまう」などの誤作動を起こす場合があった。この原因は、コントローラ内部で3Dスティックの動きをX軸、Y軸の回転として変換し、またスティック自体を支えている部品に樹脂素材を使用していた事による。スティックが磨耗すると遊びがかなり大きくなり、指を離しても3Dスティックが正確な中心に戻らなくなる。本体の電源を入れるとそのときの3Dスティックの位置を中心として認識する仕様のため、正確な中心位置が認識できなくなるためである。また3Dスティックの内部では部品の一部が粉末状になり堆積する。NINTENDO64においてはスティックを使用するゲームがソフトの大半を占めていたこともあり、コントローラを修理に出したり買い替えなければならなくなることもしばしばあった。 また、色がライトグレーであるのは、日本国外の市場を意識した本機にあって、スーパーファミコンの名残を残すためである{{R|nom199901_1}}。 === 周辺部 === 発売当時は本体上面にあるメモリー拡張パック用(後述の周辺機器参照)の接続端子(ターミネータパックが刺さっている)に「はがさないでください」という赤い警告シールが貼られていた。メモリー拡張パックを必ず装着しなければならない『[[ドンキーコング64]]』のCMでは、3人の子供たちがこのシールに戸惑いながらも、大丈夫だとシールを剥がすシーンを盛り込んで、啓蒙活動を行った。実際、メモリー拡張パックが必要ないソフトも、ターミネータパックを外した状態では起動しない。 [[スーパーファミコン]]用RGBケーブルは対応していないが、初期型ではRCPから送られたデジタル信号をアナログRGBに一度D/A変換してからビデオ信号に変換する仕様のため、アナログRGB信号を基板上の映像コネクタまで配線を施すと使う事が可能。中期型以降では、デジタル信号から直接ビデオ信号に変換されているため、この改造を施すことが不可能である<ref>[http://rgbcharmer.kt.fc2.com/n64-rgb-con3.htm N64のRGB出力化改造可能本体について]</ref>。 本体側の電源端子の形状も全世界で統一され、ACアダプタ部分を除く分類ではカラーテレビの規格が[[NTSC]]方式(60Hz)を採用する日本・台湾・香港版{{efn|台湾版は外箱に「任天堂64 台湾専用機」、香港版は同じく「任天堂64 香港専用機」と書かれていて、取扱説明書の言語とACアダプターの電圧が日本版と異なる。香港で採用されているカラーテレビの規格はPAL方式(50Hz)であるが、NTSC(60Hz)規格を採用する日本版がベースとなった。}}と韓国版(前述のリージョンプロテクトとしてカートリッジ裏側の切り欠きが内側にある)、同じくNTSC方式を採用する北米版([[アメリカ合衆国]]・[[カナダ]]・[[メキシコ]]向けで、カートリッジ裏側の切欠きが外側にある)、PAL-M方式(60Hz)を採用する[[ブラジル]]版(カートリッジは北米版と同じ形状)、[[PAL]]方式(50Hz)を採用する[[ヨーロッパ]](主に[[欧州連合|EU]]の西欧諸国)と[[オセアニア]]([[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]])向けのPAL版(カートリッジ裏側の切欠きが内側にある)の4種類に絞られている。スーパーファミコンまでは本体に内蔵していたRFユニット(RFモジュレーター)は出荷国の放送規格に合わせるために出荷国によって基板を作り分けしなければならない原因であったが、本機が発売された[[1996年]](平成8年)当時は既にRCAコンポジット端子を備えたテレビが普及していたことやコストダウンの観点から、[[ファミリーコンピュータ#AV仕様ファミリーコンピュータ|AV仕様ファミリーコンピュータ]](HVC-101)と同様にRFユニットは外付け・別売りとなった。 === 仕様詳細 === [[ファイル:CPU-NUS 01.jpg|thumb|150px|CPU]] [[ファイル:RCP-NUS 01.jpg|thumb|150px|RCP]] [[ファイル:RDRAM18-NUS 01.jpg|thumb|150px|RDRAM]] 任天堂公式ホームページより{{R|nintendo64hardware}} * [[CPU]]:[[MIPSアーキテクチャ|MIPS]] 64ビットRISC [[R4200|R4300i]]カスタム 93.75MHz ([[日本電気|NEC]]製VR4300カスタム) ** プロセス幅:350nm ** 外部データバス&外部アドレスバス:各32ビット ** [[浮動小数点数|浮動小数点演算性能]]:93.75[[FLOPS|MFLOPS]] * メディア[[コプロセッサ]]:Reality Co-Processor (RCP) 62.5MHz ** SP(サウンド及びグラフィックス演算プロセッサ: Signal Processor):32bitCPUコア(MIPS4命令のスカラユニット)、16ビットの固定小数点を8列同時実行できる積和演算機(最大500MIPS)を搭載し、ポリゴンの頂点演算(座標変換)や光源、Z値の計算などを行う。さらに、より高精度な頂点座標の算出や色補間データの生成をするためのサブ・ピクセルポジショニングを行う。 ** DP(ピクセル描画プロセッサ: Display Processor):32bitCPUコア *** トライリニアミップマップインターポレーション・テクスチャ *** パースペクティブコレクション *** [[環境マッピング]] *** [[フォグ]] *** [[フラットシェーディング]]/[[グーローシェーディング]]/[[フォンシェーディング]] *** [[Zバッファ]] *** [[アルファブレンディング]] *** LOD(Level-of detail)フィルタ:各詳細度に応じたモデルデータを用意することで(詳細度が低いほどポリゴン数の少ないモデルになる)描画速度の向上を図ることができる。 *** エッジ・[[アンチエイリアシング]] *** シャドウマッピング ** 浮動小数点演算性能:187.5MFLOPS * [[メモリ]]:NEC製RAMBUS DRAM 36Mbit(標準4.5MB、メモリー拡張パック増設時9MB) 最大転送速度: 4500Mbit/秒 (562.5MB/s) * ポリゴン表示能力:最大10万ポリゴン/秒<ref name="名前なし-1"/> * 最大解像度:256×224 - 640×480ドット * 色数:[[色空間|RGBA]]21bitカラー 最大32bitカラー 8bit階調の色混合機能(アルファブレンディング) * サウンド機能:ステレオ[[適応的差分パルス符号変調|ADPCM]]音源 16bit(チャンネル数の概念はなく、RCPの配分で変動する。100%をサウンドに使うと100チャンネルほど出せるとされる) * メディア:[[ロムカセット]] 容量: 4MB - 64MB * 外形寸法:260mm(幅)×190mm(奥行き)×73mm(高さ) * 質量:880g == 本体== 1996年(平成8年)6月23日に発売された際の本体カラーはブラックで型番はNUS-001。日本国外版も含めてブラジル版を除いて日本で生産され(コントローラの一部ロットは中華人民共和国でも生産)、ブラジル版のみ電子機器の完成品の輸入関税が高額であることから日本や中国から部品を輸入し、現地代理店のPlaytronic Industrial社(後にGradiente Entertainment社)の[[マナウス]]にある工場にて現地生産された。 === カラーバリエーション === ; 任天堂オリジナル :* ブラック(1996年6月23日 - ) :* クリアブルー(1999年12月1日 - )<ref name="BodyColor">{{Cite web|和書|title=NINTENDO64ハードウエア紹介/クリアブルー&クリアレッド|url=https://www.nintendo.co.jp/n01/n64/hardware/clear.html|publisher=任天堂|accessdate=2021-08-02}}</ref> :* クリアレッド(1999年12月1日 - ){{R|BodyColor}} :* ピカチュウNINTENDO64 オレンジ&イエロー、ブルー&イエロー(2000年7月21日 - )<ref>{{Cite web|和書|title=ピカチュウNINTENDO64 オレンジ&イエロー、ブルー&イエロー|url=https://www.nintendo.co.jp/n01/n64/hardware/pica64/index.html|publisher=任天堂|accessdate=2021-08-02}}</ref> :**本体に[[ポケットモンスター]]のキャラクター「[[ピカチュウ]]」を大々的にフィーチャーしたモデル。型番はNUS-101。電源ランプの位置が本体正面からピカチュウのほっぺ部分に移動しており、電源を入れると、しばらく点滅してから点灯になる<ref>{{Cite book|和書 |title=電撃王 通巻110号 |date=2000年8月1日 |year=2000 |publisher=[[メディアワークス]] |page=20}}</ref>。従来モデルよりも若干サイズが大きくなった。底面にあったEXTポートがふさがれているため、64DDを使用することが出来なくなっている。「ブルー&イエロー」のカラーリングは発表時はブルー部分がバイオレットに近い色合いだったが、後に青に近い色に変更されている。 ; 限定版 :* ゴールド(1998年11月 - )トイザらス限定カラー :* クリアオレンジ&クリアブラック(1999年9月26日 - )ダイエーホークス優勝記念 ダイエー限定カラー :* ミッドナイトブルー(1999年11月 - )トイザらス限定カラー第二弾 :* クリアブラック(1999年11月 - ) 64DDと本体とのセットでの購入のみ。 :* クリアグレー(1999年12月 - )ジャスコ限定カラー <gallery> File:Nintendo 64 Clear Blue et sa manette.JPG|クリアブルー File:N64-Console-Orange.jpg|クリアオレンジ </gallery> === 海外版 === * Hyundai Comboy64 * [[iQue Player]] {{Gallery |ファイル:Hyundai_Comboy_64.jpg|Hyundai Comboy64 |ファイル:Nintendo-N64-iQue-Player-FL.png|iQue Player }} === 互換機 === 非公式の互換機「Analogue 3D」がAnalogueから2024年に発売予定。ソフトでエミュレーションせず、完全[[FPGA]]設計することによって互換性を実現している。 == 周辺機器 == === 任天堂純正 === 型番の「NUS」は、「'''Nintendo Ultra Sixty-four'''」の略とされる。 <gallery> ファイル:Nintendo-64-RF-Adapter.jpg|RFモジュレータ(NUS-003) ファイル:Nintendo-64-Controller-Pak Front.jpg|コントローラパック(NUS-004) ファイル:N64-Controller-Gray.jpg|コントローラブロス(NUS-005) ファイル:Nintendo-64-Memory-Expansion-Pak Front.jpg|メモリー拡張パック(NUS-007) ファイル:Nintendo-64-Jumper-Pak Front.jpg|ターミネータパック(NUS-008) ファイル:Nintendo-64-Rumble-Pak Front.jpg|振動パック(NUS-013) ファイル:Nintendo-64-Mouse.jpg|マウス(NUS-017) ファイル:Nintendo-64-GB-Transfer-Pak Front.jpg|64GBパック(NUS-019) ファイル:N64 VRU.png|VRSユニット(NUS-020) ファイル:NUS-021.jpg|マイクとカバー(NUS-021) </gallery> {| class="wikitable" style="font-size:smaller" !style="width:5.5em" | 型番!!style="width:16.5%" | 名称!!備考 |- |NUS-002||'''ACアダプタ'''<ref name=Peripheral>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/n01/n64/option/index.html |title=NINTENDO64周辺機器の紹介 |publisher=任天堂 |accessdate=2022-10-01}}</ref>||本体に[[直流]]電源を供給するアダプタ。本体に同梱。 |- |NUS-003||'''RFモジュレータ'''{{R|Peripheral}}||本体をテレビに[[RF接続]]させるための変換器。[[コンポジット映像信号|コンポジットビデオ]]入力に対応していないテレビで必要になる。<br/>[[スーパーファミコン#バリエーション|スーパーファミコンジュニア]](スーパーファミコンの廉価機)、[[ニンテンドーゲームキューブ]]でRF接続する際にもこれが必要。なおAV仕様ファミリーコンピュータ用(HVC-103)で代用すると問題が生じる<ref>[http://betareverse.ame-zaiku.com/vb-se_060210-rfmodulator/rfmodulator.html RF接続の世界]</ref>。 |- |NUS-004||'''コントローラパック'''{{R|Peripheral}}||コントローラの拡張コネクタに接続して対応ソフトのゲームデータを保存することが出来る。データ容量は256Kbit(32KB)。保存領域は全123ページあり、データのページ数はソフト毎に異なる。 |- |NUS-005||'''コントローラブロス'''{{R|Peripheral}}||三つ又の特徴的な外観で、左側には[[十字キー]]と側面のLトリガーボタン、右側に主要操作を担うAボタン(青)・Bボタン(緑)と、補助操作を担うCボタンユニット(黄)、側面のRトリガーボタンを配する。中央にはSTARTボタン(赤)と、3D(サンディー)スティックと呼ばれる入力デバイスがある。3Dスティックは倒す角度によって信号に強弱がつけられ、立体空間での微妙な操作を実現した。<br/>また、背面中央にはZトリガーボタンと拡張用コネクタ(コントローラポート)が装備されている。ゲームの内容によって3種類の使い方ができるのが特長で、左と中央を持つレフトポジション、右と中央を持つライトポジション、左右を持つファミコンポジションがある。一個が本体に同梱。 |- |NUS-006||'''カセット'''||N64のゲームプログラムを格納した専用メディア。<br />本体上部のスロットに挿入する。データ容量は32Mb(4MB) - 512Mb(64MB)で、転送レート5.3MB/sec.。<br />海外版とは下部の切り欠きの形が異なり物理的に挿入できない。 |- |NUS-007||'''[[メモリー拡張パック]]'''{{R|Peripheral}}||旧称「ハイレゾパック」。36Mb(4.5MB)の増設[[主記憶装置|メモリ]]で、本体上部手前の36Pinメモリー拡張コネクタに接続、メモリ容量を倍加できる。上部の放熱口は赤色になっている。<br/>ソフトによってはメモリ拡張が必須となっており、それらソフトには同梱されて発売されることもあった。また、64DDを使用する場合も必要になる。必須ではないが対応しているソフトも存在し、画面解像度の向上等の効果がある。<br/>非対応ソフトでも接続したままで問題は無いので取り外す必要はない。ただし説明書には取り外すことを推奨するものもある。 |- |NUS-008||'''ターミネータパック'''||本体上部手前の36Pinメモリー拡張コネクタに予め接続されている。[[終端抵抗|ターミネーター]]はバスの終端に配置された未接続のコネクタの信号反射などを抑える役目がある。メモリー拡張パックを接続するときには取り外す。 |- |NUS-009||'''RFスイッチUV'''{{R|Peripheral}}||アンテナ線を介してテレビに接続させるための混合器。<br />ビデオ入力に対応していないテレビで必要になる。 |- |NUS-010||'''64DD'''||本体下部の50PIN拡張コネクタに接続するディスクドライブ。64DDが正式名称だが、発売前はNINTENDO64 DISK DRIVEとも呼ばれていた。 |- |NUS-011||'''64DDディスク'''||64DDのゲームプログラムを格納した専用メディア。データ容量は約64MBだが、その内約38MBは追記用の領域になっている。<br />DDD(ダイナミック・データ・ディスク)という呼称もあった。 |- |NUS-012||'''ターミネータパック イジェクタ'''||メモリー拡張パックに同梱。<br />ターミネータパックを「[[てこ]]」の要領で取り出すことができる。 |- |NUS-013||'''[[振動パック]]'''{{R|Peripheral}}||コントローラの拡張コネクタに接続する。<br />内部に[[バイブレータ]]が内蔵されており、その振動によってゲームの臨場感を高めることができる。使用には単4電池が必要となる。最初の対応ソフトは『[[スターフォックス64]]』。 |- |NUS-014||'''クリーニングカセット'''|| 本体のカセット用コネクタをクリーニングするカセット。日本未発売。 |- |NUS-015||'''クリーニングパック'''|| コントローラの拡張コネクタをクリーニングするパック。日本未発売。 |- |NUS-016||'''クリーニングスティック'''||カセットやパックをクリーニングするスティック。日本未発売。 |- |NUS-017||'''マウス'''||ボール式の2ボタンマウス。<br />コントローラポートに接続する。『[[マリオアーティストシリーズ|マリオアーティスト ペイントスタジオ]]』に同梱されたのみであり、[[ランドネット]]会員しか正式に入手することができなかった。<br/>そのためマウス対応と表示されているソフトは64DD関係のソフトに限られるが、『デザエモン3D』のように対応しているカセットソフトも存在する。<br/>なお、非対応ゲームでも使用は可能で、マウスの動きが3Dスティック、左ボタンがAボタン、右ボタンがBボタンの役割を果たす。 |- |NUS-019||'''[[64GBパック]]'''{{R|Peripheral}}||コントローラの拡張コネクタに接続する。<br />[[ゲームボーイ]]や[[ゲームボーイカラー]]のカートリッジを本体に繋げるアダプタ。これが使用できるのは一部の対応ソフトのみであり、使用方法としてはプレイデータをリンクさせるものである。<br/>『ポケモンスタジアム』シリーズと『ポケットモンスター』シリーズの組み合わせのように特別に対応したソフトを除けば、スーパーファミコンにおけるスーパーゲームボーイのように、ゲームボーイソフトをテレビでプレイするための周辺機器としては使用できない。<br/>装着しても存在自体を感知できなかったり、操作中にエラーが出たりすることがある。<br />[[スーパーゲームボーイ]]3(仮)が出る予定もあったが発売されず、次世代機のニンテンドーゲームキューブの[[ゲームボーイプレーヤー]]が出るまでの5年間はゲームボーイカラー専用のゲームは64GBパック対応ゲーム以外テレビではできなかった。 |- |NUS-020||'''VRSユニット'''||Voice Recognition System([[音声認識]]システム)の略。「声」をゲームの操作に利用できる。音声認識エンジンとして[[日本電気|NEC]]製の[[LSI]]「アルトーカー」を搭載した。有限会社アンブレラによる対話ゲームの研究開発の成果が任天堂に認められ製品化されたものである<ref>{{Cite web|和書|title=ピカチュウげんきでちゅう/開発者からのコメント|url=https://www.nintendo.co.jp/n01/n64/software/nus_p_npgj/kaihatsu/index.html|website=www.nintendo.co.jp|accessdate=2021-04-09}}</ref>。<br />発売当時は音声認識をゲームに応用した例がない点で画期的な機器だったが、限られた単語の認識しか行えず、対応ソフトは『[[ピカチュウげんきでちゅう]]』『[[電車でGO!2高速編|電車でGO!64]]』の2本のみに留まった。 |- |NUS-021||'''マイク'''||単一指向性のモノラル[[マイクロフォン#エレクトレットコンデンサマイク|コンデンサマイク]]。'''VRSユニット'''と'''キャプチャーカセット'''に附属。 |- |NUS-022||'''マイクホルダー'''||マイクを固定して首から提げるタイプのホルダー。'''VRSユニット'''に附属。 |- |NUS-023||'''スマートメディア専用カセット'''||汎用メモリーカード「[[スマートメディア]]」を挿入できるカセット。<br />画像編集ソフト『[[マリオのふぉとぴー]]』に同梱。類似した周辺機器に、ゲームキューブ用[[SDメモリーカード|SDカード]]アダプタがある。 |- |NUS-025||'''コントローラ用マイクホルダー'''||マイクをコントローラに固定するタイプのホルダー。'''VRSユニット'''に附属。 |- |NUS-026||'''マイクカバー'''||球状の黄色いスポンジで、マイクに入る風や息などのノイズを軽減する。'''マイク'''に附属。 |- |NUS-028||'''キャプチャーカセット'''||[[RCA端子|RCAジャック]](映像、音声L・R)とマイク用[[フォーンプラグ|ミニジャック]]がついたカセットで、<br />映像や音声を取り込むことが出来る。『[[マリオアーティストシリーズ|マリオアーティスト タレントスタジオ]]』に同梱。<br />ファンタム電源とも異なるプラグインパワー方式<ref> [http://ameblo.jp/shin-aiai/entry-10831218710.html 1119 :ファンタムパワーとプラグインパワーは全く違いますよ|ShinさんのPA工作室]</ref><ref>{{Wayback|url=http://www.geocities.jp/brabecaudio/amp/techinf7.htm|title=プラグイン・パワーとは|date=20190330042335}}</ref>で電源を供給しているため、専用マイクなどのコンデンサマイク以外はミニジャックに接続してはいけない。 |- |NUS-029||'''モデム'''||通信速度28.8kbpsの専用[[モデム]]カセット。[[Registered jack|モジュラジャック]]は背面にある。 |- |NUS-NMSJ||'''通信カートリッジ'''||モジュラーケーブルで電話線を通じて通信をすることができるソフトのカセット。セタから発売された『[[森田将棋#シリーズ|森田将棋64]]』のみ。カートリッジと通信用の機構が一体化しており、接続も容易なため、簡単に扱うことができる。 <!-- |- |不明||'''64GBケーブル'''||ゲームボーイを画面付きコントローラとして使用するためのケーブルが試作されていたが、その機能を活用したゲームの開発は滞り発売には至らなかった。しかしこの構想は後継機のニンテンドーゲームキューブと[[ゲームボーイアドバンス]]で実現することとなる。 --> |- |HVC-053||'''モジュラーケーブル'''||電話線。ニンテンドーゲームキューブ・ファミリーコンピュータでも使用可能。 |- |SHVC-007||'''モノラルAVケーブル'''{{R|Peripheral}}||映像と音声をテレビに出力するケーブル。スーパーファミコンと共用。ニンテンドーゲームキューブ・AV仕様ファミリーコンピュータ(NEWファミコン)でも使用可能。 |- |SHVC-008||'''ステレオAVケーブル'''{{R|Peripheral}}||映像と音声をテレビに出力するケーブル。スーパーファミコンと共用。ニンテンドーゲームキューブ・AV仕様ファミリーコンピュータ(NEWファミコン)でも使用可能。 |- |SHVC-009||'''S端子ケーブル'''{{R|Peripheral}}||映像と音声をテレビに出力するケーブル。ステレオAVケーブルより高い画質で出力できる。スーパーファミコンと共用。ニンテンドーゲームキューブでも使用可能。 |} その他、ファミリーコンピュータ・スーパーファミコン用のRFスイッチ(HVC-003)はNINTENDO64でも使用可能。 {{See also|64DD#周辺機器}} === 他社製品(ライセンス商品) === <gallery> ファイル:DenGO64&NUS-020.JPG|電車でGO!64専用コントローラ ファイル:Nintendo-64-Bio-Sensor.jpg|バイオセンサー(NUS-A-BIO) </gallery> {| class="wikitable" style="font-size:smaller" ! style="width:4.5em" | 発売元 !! style="width:5.5em" | 型番!!style="width:16.5%" | 名称 !! 備考 |- | rowspan="3"|[[アスキー (企業)|アスキー]] | ASC-0901 | '''アスキーパッド64''' | [[連射]]機能付きのコントローラ。外観は純正コントローラと大差ないが、連射スイッチとスタートボタン附近が異なっている。A/B/Z/L/Rボタンに連射が設定できる他、ホールド機能も搭載 <ref name="64LIGHTLAND">{{Wayback|url=http://lightland.hp.infoseek.co.jp/hard/64hard.htm|title=64対応ハード・アクセサリー|date=20080204015420}}</ref>。 |- | ASC-0903MK | '''ハイパーステアリング64''' | ステアリングコントローラ。 |- | ASC-0905 | '''つりコン64''' | 釣り竿型のコントローラその名の通り釣り竿の形をしたコンローラー。 |- | [[コナミデジタルエンタテインメント|コナミ]] | RU030 | '''Dance Dance Revolution専用コントローラ''' | 『[[Dance Dance Revolution|Dance Dance Revolution ディズニーダンシングミュージアム]]』専用のコントローラ。 |- | [[セタ (企業)|セタ]] | NUS-A-BIO | '''バイオセンサー''' | コントローラの拡張コネクタに接続し、センサーがついたクリップを耳たぶに装着して使用する。<br />プレイヤーの脈拍数を測定し、脈拍の変化をゲーム内容に反映させるというもの。対応ソフトは『[[テトリス64]]』のみ |- |- | [[タイトー]] | TCPP-20003 | '''電車でGO!64コントローラ''' | 『[[電車でGO!#電車でGO!64|電車でGO!64]]』専用のコントローラ。コントローラコネクタ3に接続して使用する。{{See also|電車でGO!#電車でGO! 用コントローラ}} |- | [[ハドソン]] | HC-739 | '''ジョイカード64''' | 連射機能付きのコントローラ。純正とグリップの形状が大きく異なる他、連射スイッチ付近が盛り上がっている。3Dスティックのアジャスト機能がある。A/B/Zボタンに連射が設定できる他、スローモーション機能(スタートの連射)を搭載<ref name="64LIGHTLAND" />。 |- | rowspan="2"|[[ホリ (ゲーム周辺機器メーカー)|ホリ電機]] | HN6-02 - 6(カラーにより異なる) | '''ホリコマンダーN64''' | 連射機能付きのコントローラ。左右のグリップが純正と大きく異なり、丸っぽくなっている。A/B/Zボタンに連射が設定できる<ref name="64LIGHTLAND" />。 |- | HN6-07 - 9,12 - 13,19,20,22 - 24(カラーにより異なる) | '''ホリパッドミニ64''' | コンパクトなコントローラ。純正コントローラとニンテンドーゲームキューブコントローラの中間のような形状になっている<ref> {{Wayback|url=http://www.hori.jp/funclub/hch/products/horipad_mini64.html|title=ホリパッドミニ64|date=20160513150719}}</ref>。 |} この他にも、多くの機器が発売されている。 非ライセンス商品だが、コロンバスサークル製「(N64用)スーパーコンバーターBR」(CC-64SCB-BR)を接続すると、[[Nintendo Switch Proコントローラー]]、NINTENDO 64 コントローラー(HAC‐043)が使用できるようになる。 == ソフトウェア == === 日本 === {{Main|[[NINTENDO64のゲームタイトル一覧]]}} 日本における[[ローンチタイトル]]は『スーパーマリオ64』、『[[パイロットウイングス64]]』、『[[最強羽生将棋]]』。 [[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]や[[セガサターン]]のような[[CD-ROM]]媒体を用いた多くのゲームが動画を多用していく中で、NINTENDO64は全年齢に親しまれるラインナップが多かった。 発売されたソフトは日本では全208タイトルでPlayStationやセガサターンと比べて少ないが、『[[ゴールデンアイ 007]]』、『[[ドンキーコング64]]』、『[[バンジョーとカズーイの大冒険]]』、『[[ゼルダの伝説 ムジュラの仮面]]』など人気を博したソフトや、『[[風来のシレン2]]』など作品として評価されているソフトも存在している。また4人同時プレイに最初から対応していたという事もあり、多人数ゲームで大きな広がりを見せた。そのため、小中学生を中心に一定のシェアを獲得することに成功した。 特に『[[マリオカート64]]』、『[[ゼルダの伝説 時のオカリナ]]』、『[[ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ]]』などは売上も好調だった。また、売り上げこそ劣るものの『[[実況パワフルプロ野球]]』や『実況ワールドサッカー』なども3Dスティックでの操作性が独特で、シリーズ屈指の作品として支持されている。 本ハードで初めて登場した[[マリオパーティシリーズ]]は、NINTENDO64以降のゲーム機でも続編が発売される人気タイトルとなっている。また[[2001年]]にはNINTENDO64において任天堂最後のソフトとなる『[[どうぶつの森]]』が発売された。発売当時はNINTENDO64市場の終末期であったことから初回生産分はわずかなものであったが、インターネット上の口コミなどによって[[駆け込み需要|たちまち品薄状態]]を生み出した{{Efn|本作は後にニンテンドーゲームキューブや[[ニンテンドーDS]]、さらには[[スマートフォンアプリ]]にもなり、任天堂の看板タイトルとなった。}}。 新作ソフトの発売は日本国内においては2001年12月発売の『[[ボンバーマン64]]』が最後となった。 === 海外 === 当時、任天堂ハードでは発売されていなかった[[リッジレーサーシリーズ]]だが、海外では[[:en:Nintendo Software Technology|Nintendo Software Technology]]によって開発された「[[:en:Ridge Racer 64|Ridge Racer 64]]」が発売された。 北米では2003年夏まで新作ソフトが発売された。最後のNINTENDO64用新作タイトルとなった『[[トニー・ホーク プロスケーター|トニーホークプロスケーター3]]』である{{Efn|[[PlayStation 2]]、ニンテンドーゲームキューブ、[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]など、次世代ゲーム機とのマルチプラットフォームで展開された。}}。 == 発売後の動向 == {{独自研究|section=1|date=2019年11月}} === 国内 === 当初は次世代ゲーム機戦争の本命として期待されており、「<span style="color:red">ゲーム</span>が変わる、<span style="color:red">64</span>が変える。」の[[キャッチコピー]]とともに登場した。しかし、度重なる延期でライバル機より2年近くも遅れた発売により、登場時には全出荷国でPlayStationが、日本国内ではさらにセガサターンも市場を占拠し始めていた{{Efn|NINTENDO64が発売された1996年6月時点で、PlayStationの累計出荷台数は270万台を超えていた。1997年3月末時点でNINTENDO64の累計販売台数は204万台、1998年3月末時点は315万台。対するPlayStationは1997年月末時点で累計出荷台数650万台、1998年3月末時点で1,151万台だった{{Sfn|滝田|2000|p={{要ページ番号|date=2021年3月}}}}}}。 ライバル機より普及が進まなかった要因として # 開発環境の変化による、ゲームの発売延期・中止 # 参入メーカー不足による、ゲームのジャンル不足・人気シリーズ不在 が挙げられる。 ==== ゲームの発売延期・中止 ==== ゲーム機に[[3次元コンピュータグラフィックス|3D]]が導入されたことに伴いソフトの開発環境が変化し開発人員も増大した。開発言語が従来の[[アセンブリ言語]]から[[C言語]]へ変わり、開発環境には、SGIのグラフィックワークステーション、[[SGI Onyx]]が使用された。後に[[:en:SGI Indy|SGI Indy]]も使用された。日本では、安価な[[Microsoft Windows]]ベースの[[京都マイクロコンピュータ]]製[[インサーキット・エミュレータ]]「PARTNER-N64」も用意された。 [[ソニー・インタラクティブエンタテインメント|ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)]]はソフトの開発機材を安価でソフトメーカーに提供し、開発環境の負担を軽減することにより、サードパーティーを数多く取り込んでいた。これは元々[[ソニー]]がスーパーファミコンの開発機材を作っていたりなどしたためノウハウがあったことによる。しかし当時の任天堂は従来通りソフト毎に開発者が独自にプログラムを組んでいた。また当初はセカンドパーティの増強を考え、マネージメント会社「マリーガル」を設立して対処していた{{Efn|この両者の方向性の違いは、自社タイトルの強さにもよる。ソニーは自身で有力タイトルを持っていなかったため、サードパーティの取り込みは必要不可欠であった。対する任天堂はサードパーティの厳選を考えており、開発についていけないメーカーは振り落とす方針であった{{Sfn|小山|2020|p=266}}}}。 開発環境の変化は任天堂自身にも影響を与えた。岩田は「ハードの能力と自由度が上がったことで、逆にゲームにおけるハードの限界が明確でなくなってしまって、プログラマーにとってはどこまでハードの性能を出せるのかがわかりにくくなってしまった」「“オプティマイズ”や“チューニング”といった(中略)ゲーム制作の本質とは違う仕事が爆発的に増え、つくり手は思ったとおりにゲーム制作ができなくなってしまった」と述べている<ref>{{Cite web|和書|title=「次世代ゲーム機の覇者は、ゲームキューブです」 任天堂株式会社 取締役経営企画室室長 岩田聡氏 (1/5)|url=https://ascii.jp/elem/000/000/326/326085/|website=ASCII.jp|publisher=角川アスキー総合研究所|date=2001-09-14|accessdate=2020-06-04}}</ref>。そのため、開発が長期化してしまう状態になっていた。ほぼ時期を同じくしてNINTENDO64の発売直後に出るはずだった周辺機器『64DD』も暗礁に乗り上げる。当初は[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]]と同様のハードになるはずだったが、様々な構想が消えては生まれる状態が起き、そのたびに開発延期が繰り返された。最終的に「製品群構想」となったが、発売が遅れ過ぎたことなどが響き、ほとんど定着しなかった。 こうして、開発の困難さからNINTENDO64は発売初期からすでに参入メーカー不足によりソフト不足に見舞われる。具体的にはローンチタイトル3作品の発売の後3ヵ月以上ソフトが1つも発売されなかった。任天堂は1996年内にセカンドパーティ製のものも含め、16本の自社ソフトを発売する計画だったが、ソフト開発の遅延や64DDの発売延期などにより4本しか発売できず、後に発売できたのも半分ほどで、残りは発売中止となった。また発売当初のキラーソフトの一つ『[[ゼルダの伝説 時のオカリナ]]』の発売が大きく延期したこともハードの普及を妨げた。 ==== ゲームのジャンル不足 ==== 参入メーカー不足で致命的だったのはファミコン、スーパーファミコン時代に抱えていた国民的な人気を誇る[[コンピュータRPG|RPG]]シリーズが離れたことであり、[[ファイナルファンタジーシリーズ]]は大容量メディアであることを理由に、[[ドラゴンクエストシリーズ]]は普及台数の差と64DDの開発遅延をきっかけに{{要出典|date=2020年6月}}<!-- この要出展は、64DDの開発遅延によってドラクエが移籍した事に対するものです。 当時、64DD向けドラクエを開発していたのは事実だが、これはドラクエ7であるかどうかはっきりと分かっていない。 参考:https://wikiwiki.jp/dqdic3rd/%E3%80%90%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88VII%20%E3%82%A8%E3%83%87%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E5%A3%AB%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%80%91#dev_n64 -->いずれもPlayStationに移籍。RPG不足もハードの普及を妨げた。 それ以外にも当時は[[対戦格闘ゲーム]]の絶頂期であり、セガサターンは『[[バーチャファイター]]』、PlayStationは『[[鉄拳シリーズ|鉄拳]]』などの格闘ゲームでハードの売り上げを伸ばしていたが、任天堂は「勝ち負けが付くゲームはマニアックになりやすい」という理由で自社で格闘ゲームを開発しない{{Sfn|武田|2000|p={{要ページ番号|date=2021年3月}}}}方針を取っていたことでハードウェア後期になってもあまり発売されなかった{{Efn|ただし、後に対戦アクションゲームではあるが『[[ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ]]』などの対戦型ゲームが任天堂から販売された。}}。 またこの世代のゲーム機からPlayStationやセガサターンの[[クロスプラットフォーム|マルチプラットフォーム]]作品が登場していたものの、NINTENDO64はディスクメディアを不採用にしたことや、コントローラの形状といった操作体系など、他のハードと異なる面が多いことを理由に、マルチプラットフォームや移植でNINTENDO64に発売された作品がほとんどなかった。 ==== 評価 ==== こうした要因により、本体価格を下げて対応した{{Efn|[[System-on-a-chip]]化の徹底により、ライバル機よりも高性能ながら25,000円というライバル機よりも低価格を打ち出した{{Sfn|小山|2020|p=262}}(PlayStationは発売時39,800円、セガサターンは44,800円だった)。しかし、NINTENDO64発売時には価格競争によりPlayStationは19,800円、セガサターンは20,000円まで価格を下げており、NINTENDO64は価格優位性を全く活かせなかった。NINTENDO64は1997年3月14日に一度目の値下げが行われ16,800円となり、最終的に1998年7月1日に行われた二度目の値下げで14,000円となった。本体販売価格の値下げは任天堂ハードとして初めての施策であった。}}が普及が進まず、最終的なハード出荷台数は同世代のPlayStation・[[セガサターン]]に及ばなかった。この結果、任天堂は据え置きゲーム機のトップシェアを失い、その後2世代にわたりその座をSCEに明け渡すことになった。 後年山内は、任天堂はソフト体質{{Efn|ハードウェアを利用して娯楽としてのコンテンツの面白さや仕組みを提供する。}}の会社だが、NINTENDO64はハード体質{{Efn|技術や性能面の良さを提供する。}}の人間によるものであるため、NINTENDO64を当時から不満に思っていたと回顧している{{Sfn|井上|2009|pp=235-238}}。 一方で本体やコントローラのデザインおよび操作性は評価され、1997年にはスポーツ・レジャー用品部門で[[グッドデザイン賞|グッドデザイン金賞]]を受賞している<ref>{{Cite web|title=GOOD DESIGN AWARD |work=G-Mark Library |url=https://archive.g-mark.org/1997/97-g/_gold/64.html|publisher=[[日本デザイン振興会]]|year=1997|accessdate=2021-07-22|}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=家庭用テレビゲーム機 [NINTENDO 64 NUS-001(JPN)] |work=G-Mark Library |url=https://www.g-mark.org/award/describe/23428|publisher=日本デザイン振興会|year=1997|accessdate=2021-07-22|}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=家庭用テレビゲーム機コントローラ [NINTENDO 64 コントローラ NUS-005] |work=G-Mark Library |url=https://www.g-mark.org/award/describe/23427|publisher=日本デザイン振興会|year=1997|accessdate=2021-07-22|}}</ref>。 === 北米 === 日本市場では上記の原因により苦戦を強いられたが、北米市場においては上記の事態がほとんど起きず、『スーパーマリオ64』や『ゴールデンアイ 007』がNPD調べで500万本以上売り上げるなど有力ソフトがハードを牽引し、累計販売台数2,063万台とSNES(海外版スーパーファミコン)並の市場を築くことに成功した。当時の北米では任天堂と同様に、プログラマが独自でプログラムを組むことが多く、プログラム問題があまり起こらなかった。また、RPG・格闘ゲーム不足については、日本と異なりさほど人気がなかったことにより問題とならなかった。 米国では画像処理能力とコストパフォーマンスなどが評価され、[[タイム (雑誌)|タイム誌]]による”マシン・オブ・ジ・イヤー’96”を受賞した<ref>{{Cite book|雑誌|title=週刊ファミ通 No.417 表紙[[新山千春]]|date=1996-12-13|publisher=株式会社アスキー|page=12}}</ref><ref>{{Cite web |last=Krantz |first=Michael |url=http://content.time.com/time/subscriber/article/0,33009,985577,00.html |title=64 BITS OF MAGIC TIME 1996 MACHINE OF THE YEAR |date=1996-11-25 |language=en |publisher=TIME USA, LLC. |accessdate=2021-03-09 }}</ref>。 [[宮本茂]]は「NINTENDO64はね、とりあえず日本ではすごくトーンが下がっているし、ヨーロッパもけっこう厳しいですし、不安な状態に見えるんですけれども、アメリカの勢いのお蔭で、ビジネスとしては完全に成り立った」と述べている{{Sfn|武田|2000|p={{要ページ番号|date=2021年3月}}}}。 == 復刻版 == ; バーチャルコンソール : {{Main|バーチャルコンソール}} : 2006年発売の[[Wii]]、2013年発売の[[Wii U]]で、かつて発売された一部のゲームをダウンロード購入し、遊ぶことの出来るサービス。 ; NINTENDO 64 Nintendo Switch Online : {{Main|NINTENDO 64 Nintendo Switch Online}} : [[Nintendo Switch]]ではオンラインサービス「[[Nintendo Switch Online|Nintendo Switch Online+追加パック]]」にて、[[2021年]][[10月26日]]より専用ソフト『NINTENDO 64 Nintendo Switch Online』がオンラインサービスの加入者向けにダウンロード可能となっている。NINTENDO 64用ゲームが収録(サービス開始時は8本)されている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|30em}} === 出典 === {{reflist|30em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=武田亨 |title=It's The NINTENDO |publisher=[[ティーツー出版]] |date=2000-02-01 |isbn=978-4887497160 |oclc=676090757 |ref={{SfnRef|武田|2000}}}} * {{Cite book|和書|author=滝田誠一郎|authorlink=滝田誠一郎|title=ゲーム大国ニッポン 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち |publisher=[[青春出版社]] |date=2000-06-01 |isbn=978-4413032063 |oclc=674763847 |ref={{SfnRef|滝田|2000}}}} * {{Cite book|和書|author=井上理 |title=任天堂 驚きを生む方程式 |publisher=[[日本経済新聞出版社]] |date=2009-05-12 |isbn=978-4532314637 |oclc=754554152 |ref={{SfnRef|井上|2009}}}} * {{Cite book|和書|author=小山友介 |title=日本デジタルゲーム産業史 ファミコン以前からスマホゲームまで |edition=増補改訂版 |publisher=[[人文書院]] |date=2020-4-30 |isbn=978-4409241332 |oclc=1165394423 |ref={{SfnRef|小山|2020}}}} * {{Cite journal|和書 |author=インターフェース編集部 |title=MIPSプロセッサ入門 |year=2008 |month=6 |publisher=[[CQ出版社]] |journal=インターフェース増刊テックアイ |issue= |vol=39 |ref={{sfnref|MIPSプロセッサ入門}} }} == 外部リンク == {{commonscat}} * [https://www.nintendo.co.jp/n01/ NINTENDO64 公式サイト] * [https://web.archive.org/web/20221026122224/https://www.nintendo.co.jp/nom/9901/index.html 特集『いい仕事してます こだわりの逸品! NINTENDO64』] - N.O.M 99年1月号(No.5) {{任天堂}} {{家庭用ゲーム機/任天堂}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:にんてんとうろくしゆうよん}} [[Category:NINTENDO64|*]] [[Category:NINTENDO64用ソフト]] [[Category:任天堂のハードウェア]] [[Category:ゲーム機]] [[Category:1996年のコンピュータゲーム|*NINTENDO64]] [[Category:グッドデザイン賞]] [[Category:1990年代の玩具]]
2003-02-28T11:30:11Z
2023-12-12T06:06:58Z
false
false
false
[ "Template:Cite press release", "Template:仮リンク", "Template:Lang", "Template:Cite news", "Template:Cite web", "Template:Reflist", "Template:Main", "Template:Notelist", "Template:Wayback", "Template:Commonscat", "Template:Infobox コンシューマーゲーム機", "Template:Efn", "Template:R", "Template:要出典範囲", "Template:任天堂", "Template:家庭用ゲーム機/任天堂", "Template:独自研究", "Template:要出典", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite book", "Template:出典の明記", "Template:Sfn", "Template:Gallery", "Template:See also", "Template:Cite journal", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/NINTENDO64
3,059
農業
農業(のうぎょう、英: agriculture)とは、土地の力を利用して有用な植物を栽培する。また、有用な動物を飼養する、有機的な生産業。 農業とは、土地を利用して有用な植物・動物を育成し、生産物を得る活動のことである。広義には、農産加工や林業までも含む。このうち林業については林業を参照。 農業を職業としている人は農家や農民と呼ばれる。 2007年現在、全労働人口の3分の1が農業を中心とする第一次産業に従事している。世界全体では第三次産業に従事する人口が一次産業を凌駕している。 農業は、伝統的な分類では林業・漁業と同じ第一次産業に分類される。農業・林業・水産業・畜産業などに関わる研究は、農学という学問の一分野を成している。 人類はもともとはもっぱら狩猟採集を行って生きていたと考えられており(狩猟採集社会)、どこかの段階で農業を"始めた"と考えられている。農業の起源については諸説あるが、ハーバード大学、テルアビブ大学とハイファ大学の共同チームは、イスラエルのガリラヤ湖岸で、23,000年前の農耕の痕跡(オオムギ、ライムギ、エンバク、エンマーコムギ)を発見したと、ニューヨーク・タイムズなどで報道されている。 また、約10000年ほど前、中国の長江流域で稲作を中心とした農耕が始められていたことが発掘調査で確認されている。またレバント(シリア周辺、肥沃な三日月地帯の西半分)では、テル・アブ・フレイラ遺跡(11050BP, 紀元前9050年頃)で最古級の農耕の跡(ライムギ)が発見されている。イモ類ではパプアニューギニアにて9000年前の農業用灌漑施設の跡「クックの初期農耕遺跡」がオーストラリアの学術調査により発見されている。農耕の開始と同時期に牧畜も開始された。 中緯度の狩猟民が定住化した後に農耕や牧畜を開始したことは「農業革命」と呼ばれており、その後の人類の社会に大きな影響を与えた。 植物を栽培するためには自然の植生を取り払う必要があり、土地を焼いた後に種子をまく方法が行われていた。原始人は意識していたかわからないが草木の灰には養分が含まれており一種の施肥行為になっていた(焼畑)。しかし、これだけでは十分な養分の供給は難しく、完全な定着農業が実現したのはヨーロッパで発達した輪作や積極的な施肥(ヨーロッパでは主に厩肥、日本では主に刈草敷)といった方法が行われるようになったことによってである。 社会の分業化とともに自給自足、物々交換のための農業は商業化された農業へと移行した。 産業分類や生産物分類では耕種農業と畜産農業(このほか農業サービスや園芸サービス)に大別される。耕種部門と畜産部門の連携を耕畜連携という。 耕種農業とは米、麦、野菜等の生産活動を行う農業をいう。 耕作システムは利用可能な資源や制約条件(地形や気候、天候、政府の政策、経済的・社会的・政治的な圧力、農家の経営方針や慣習)によって変化する。 焼畑農業は毎年のように森林を燃やして、解放された栄養素を耕作に利用するシステムで、その後は多年生作物を数年間栽培する。その区画はその後休閑地とされて森林に自然に戻り、10年から20年後に再度焼いて利用する。休閑期間は人口密度が増加すると短くなるため、肥料を導入したり、病害虫管理が必要となってくる。 次の段階は休閑期を設けない耕作システムであり、栄養管理と病害虫管理がさらに必要となる。その後さらに工業化が進展すると、単一作物の大規模栽培システムが登場する。特定の栽培品種だけを作付けすると、生物多様性が低下し、必要な栄養素も均一化し、病害虫も発生しやすくなる。そのため、農薬や化学肥料にさらに頼ることになる。多毛作は1年間に複数種類の作物を次々と栽培するシステムで、間作は複数種類の作物を同時に栽培するシステムである。他にも混作という類似のシステムもある。 熱帯では、これら全ての耕作システムが実際に行われている。亜熱帯や砂漠気候では、農作物の栽培は降雨の時期(雨期)に限定されて1年間に何度も栽培することができないか、さもなくば灌漑を必要とする。それらの環境では多年生作物(コーヒー、チョコレート)が栽培され、アグロフォレストリーのような耕作システムも行われている。温帯では草原やプレーリーが多く、年1回だけ収穫する生産性の高い耕作システムが支配的である。 20世紀は集約農業、農業における集中と分業が進んだ時代であり、農業化学の新技術(化学肥料、農薬)、農業機械、品種改良(交雑や遺伝子組み換え作物)がそれを支えた。ここ数十年間、社会経済学的な公正さと資源保全の考え方や耕作システムにおける環境の考え方と結びついた持続可能な農業への動きもある。この動きから従来の農業とは異なる様々な農業の形態が生まれた。例えば、有機農業、近郊農業、community supported agriculture(地域で支える農業)、エコ農業、integrated farming などがあり、全体として農業の多様化に向かう傾向が明らかとなってきている。 生産物分類は複数あるが、主に耕種農業の生産物は穀物(コムギ、トウモロコシ、コメ、モロコシ、オオムギ、ライムギ、オート麦、雑穀、その他の穀物)、野菜、果実および堅果、脂肪種子および脂肪性果実(ダイズ、ラッカセイ、綿花、オリーブ、ココナツなど)、香辛料植物および香料作物(コーヒー、茶、コショウ、トウガラシ)、豆類、糖料作物(テンサイ、サトウキビなど)、その他の植物原料(飼料用植物、繊維料植物、タバコ)などに分類される。 国際連合食糧農業機関 (FAO) による作物の種類毎の生産量の推定を次に挙げる。 畜産は、基本的に、食肉・鶏卵、乳、ウールなどを得るために動物を飼育することである。 歴史をたどれば、もともとは全て野生の動物であったのだが、その中から比較的飼いやすい種類(人間になついてくれる種類)や利用価値が高いものを見出し、人類が次第に家畜として利用するようになってきたのである。 「畜産システム」には、まず飼料を供給する草原に基づくもの、混合型システム、土地を持たないシステムなどがある。 草原に基づく畜産は、反芻動物の飼料を供給する低木林地、放牧地、牧草地のような草地に依存している。家畜の厩肥を肥料として直接草地に撒いたとしても、それ以外の肥料も使用することもある。畜産というのは、気候や土壌のせいで農作物の栽培が現実的でない地域では特に重要であり、世界には3,000万から4,000万人の牧畜民がいる。混合型システムでは、飼料作物や穀物を生産して、反芻動物や単胃動物(主にニワトリとブタ)の飼料とする。厩肥は農作物の肥料として再利用される。統計的に見ると、実は、農地の約68%は飼料作物栽培地として畜産向けに使われている。人々が食事で食べる食品が、先進国で起きがちな肉食偏重傾向などによって、植物性の食品(穀物・野菜 類)から動物性の食品(肉類)へとシフトすると、結果として、せっかく生産された穀物・野菜類の大部分が(人の口に入らず)肉のための家畜の口に入ってしまう、ということが指摘されている。直接 植物を食べるのと、家畜に食べさせてから肉として食べるのを比較すると、人が同程度の栄養をとる場合を比較すると、肉にしてから口に入れるほうが10倍程度の植物が必要になる、と指摘されている。つまり、わざわざ肉に変換してから口に入れるということをすると、「植物の生産→人間の栄養」という経路の効率は1/10程度まで落ちてしまう、ということである。) 土地を持たないシステムでは、飼料は農場外から供給する。つまり飼料作物の生産と家畜の飼育を別々に行うもので、特に経済協力開発機構 (OECD) 加盟国によく見られる。特に(肉食偏重の)アメリカ合衆国では、生産した穀物の、実に 70%が飼料として消費される(消費されてしまう)。飼料作物の生産には化学肥料が多用されており、厩肥をどうするかも問題となっている。 畜産は基本的に、食肉・鶏卵、乳、ウールなどを得るために動物を飼育することであるが、「畜産」が(広義には)使役するための動物(使役動物)を産ませ育てることまで含めて指すこともある。 ウマ、ラバ、ウシ、ラクダ、リャマ、アルパカ、イヌといった動物は、農地の耕作、作物の収穫、収穫物の運搬、他の家畜の番(牧羊犬など)などに使役されてきた。 1940年代以降、主にエネルギーを多用する機械化、肥料、農薬によって農業の生産性は急激に向上した。それらのエネルギー源のほとんどが化石燃料によるものである。1950年から1984年にかけての緑の革命で世界中の農業が大きく変化し、世界人口が倍増する間に穀物生産量は250%も増加した。現代の農業は石油化学製品と機械化に大きく依存しており、石油不足がコストを増大させて農業生産量を減少させ、食料危機を起こすのではないかという懸念が生じるようになった。 現代の機械化された農業は2つの意味で化石燃料に依存している。1つは農場で燃料として直接使用しており、もう1つは農場で使用するものを製造する過程で間接的に使用している。直接消費としては、農業機械の燃料や潤滑油としての使用だけでなく、乾燥機、ポンプ、ヒーター、冷房などにガスや電力を使っている。2002年の時点でアメリカ合衆国の農家が直接消費したエネルギーは約1.2エクサジュールで、アメリカの全エネルギー消費の1%強程度である。 間接消費は主に肥料と農薬の製造に使われた石油と天然ガスであり、2002年には0.6エクサジュールだった。農業機械の製造に使われたエネルギーも間接消費の一種だが、アメリカ合衆国農務省の統計にはそれは含まれていない。合計すると、アメリカでの農業が直接・間接に消費するエネルギーは全体の約2%を占めている。アメリカでの農業の直接・間接のエネルギー消費量は1979年をピークとして、その後30年間は徐々に減少傾向にある。 食料システムと言った場合、農業生産だけでなく、その後の加工、梱包、輸送、販売、消費、廃棄といった食料にまつわる全てが含まれる。アメリカでは食料システム全体のエネルギー消費に対して農業が占める割合は5分の1以下である。 石油不足が生じた場合、食料供給に影響が生じる。現代的有機農法を採用している農家は、化学肥料や農薬を使わなくとも高い生産量を維持できると報告している。しかし、石油に基づいた技術で可能になった単作栽培で失われた土壌の栄養素の復元には時間がかかる。 2007年、バイオ燃料用作物の栽培が農家をひきつけ、他の要因(輸送コスト上昇、異常気象、中国やインドでの食料需要増、世界的な人口増加など)も加わってアジア、中欧、アフリカ、メキシコなどで食料供給が逼迫し、世界全体で食品価格が高騰した。2007年12月の時点で37カ国で食料危機が発生し、20カ国で何らかの食料価格の統制が行われている。この2007年-2008年の世界食料価格危機で暴動も起きている。 農業に関連して最も化石燃料を消費しているのは、ハーバー・ボッシュ法で化学肥料を作る際に原料の水素を得るのに天然ガスを使っていることである。天然ガスが使われているのは、水素の原料として今のところ最も安価だからである。石油が減少してくれば、天然ガスがその代替として一時的に使われるようになり、需要と供給の関係で天然ガスはさらに高価になる。他の水素の原料が見つからなければハーバー・ボッシュ法による化学肥料の製造は高くつくようになり、化学肥料の入手が困難になることが予想される。そうすると、食品価格が急激に高騰し、世界的な食料危機になる可能性もある。 石油不足対策として有機農業への転換が考えられる。有機農業では、石油化学製品である殺虫剤、除草剤、化学肥料を使わない。現代的有機農法で生産量が減少しないことを実証した農家もある。しかし有機農業は手間がかかるため、労働力の都市から地方へのシフトを必要とする。 農村で廃棄物からバイオ炭や合成燃料を作って燃料として使うという方法も提案されている。合成燃料の場合、その場で作って使用することが可能であるためより効率的であり、新たな有機農業には十分な燃料を供給できる可能性がある。 肥料が少なくても生産量が減らない遺伝子組み換え作物の開発も進められている。しかし遺伝子組み換え作物については生態学者や経済学者から疑問が呈されており、2008年1月には遺伝子組み換え作物が「環境面でも社会面でも経済面でも失敗だ」とする報告がなされた。 モンサントの失敗例のように遺伝子組み換え作物による持続可能性の研究がある一方で、従来からの品種改良による作物の持続可能性の改良が行われている。さらにアフリカの自給自足農家についてのバイオテクノロジー業界による調査によると、農家の抱える問題への対策のほとんどは遺伝子組み換えとは無関係のものだったとしている。それにも関わらず、アフリカのいくつかの政府は遺伝子組み換え技術への投資が持続可能性を高めるのに必須だとしている。 現代社会は貨幣経済であり、農業も自家消費のための生産という側面を残しつつも、ほとんどの農家は農産物の販売によって貨幣で収入を得ている。農家の場合は会社から賃金を得る場合とは異なり、農家自体が経営体で家族労働に依存していることも多く所得の算出がやや複雑になる。 農業所得は、農産物の販売による収入(厳密には農家が自家消費した農産物を含む)から農業経営費を差し引いたものである。農業経営費には、肥料や農薬等の物財費、地代、雇用労働費、農業機械等の減価償却費などがある。農業経営費は家族労働費、自作地地代、自己資本利子などを含む「生産費」とは異なる。また、農産物の販売による収入のほか、政府から受け取る助成金が重要な収入源になっている場合もある。 農業は自然環境のなかで動植物を生産するため自然災害や不作などのリスクがあるほか、短期的な収益最大化を図ろうとすると土地の地力維持ができなくなるなど農業経営には多面的要素がある。 農作物栽培の場合、基本的に自然を対象にするため、日照や気温、降水量などの気象状態に左右されやすく、また需給関係や投資の影響による市場での価格変動もあり、収入面の安定に欠ける面がある。 また、畜産では、市場での価格変動以外にも、飼育する家畜に対する水や飼料の給餌や運動など、早朝から深夜までの世話が毎日必要となり、休日が取り難く、従事者の肉体的負担(過労)・精神的な負担(ストレス)が大きいという問題のほか、家畜の糞尿による悪臭や環境汚染などの問題を有する。 農業経営の規模では農業経済学や農業経営学で古くから大農と小農をめぐる論争がある。小農は賃労働者のいない小規模の家族経営の農家をいい、生産活動は自家労働(家族労働)で行い農産物の一部は自家消費され、家計と生産(経営)が未分離という特徴がある。家族経営と企業的農業経営に分けられることもある。 農業政策は農業生産の目標や手法を扱う。政策レベルでの主な農業の目標として次のものがある。 多くの政府が適正な食品供給を保証するために農業に補助金や助成金を与えてきた。そういった農業補助金は、コムギ、トウモロコシ、米、ダイズ、乳といった特定の食品に対して与えられることが多い。先進国がそのような補助金制度を実施する場合、保護貿易と呼ばれ、非効率で環境に対しても悪影響があると評されることが多い。 近年、集約農業の環境への悪影響(外部性)、特に水質汚染に対する反発から、有機農業を推進する動きが生まれた。例えば欧州連合は1991年に有機農産物の認証を始め、2005年には共通農業政策 (CAP) 改訂で生産量と補助金を段階的に切り離すいわゆる「デカップリング方式」の導入を決めた。 2007年後半、いくつかの要因が重なって穀物の価格が急騰し(コムギは58%上昇、ダイズは32%上昇、トウモロコシは11%上昇)、穀物を飼料としている畜産物の価格も押し上げた。世界中のいくつかの国で暴動まで発生した。高騰の要因は、オーストラリアなどでの干ばつ、中国やインドなどの成長が著しい中流階級の食肉需要増、穀物をバイオ燃料生産に転換し始めたこと、いくつかの国が貿易を制限したことなどである。 近年、Ug99株のコムギに小麦さび病 (en) という伝染病がアフリカやアジアで広まっており、懸念が強まっている。また、全世界の農地の約40%で土壌の荒廃が深刻な問題となっている。国際連合大学のガーナに本拠地のあるアフリカ天然資源研究所は、アフリカでこのまま土壌の荒廃が進めば、2025年にはアフリカの人口の25%にしか食糧が行き渡らなくなる可能性があるとしている。 経済発展、人口密度、文化など世界の農家はそれぞれ全く異なる条件下で働いている。 アメリカの綿花農家は作付面積1エーカー当たり230ドルの補助金を受け取っているが(2003年時点)、一方でマリ共和国などの開発途上国の農家にはそのような補助金は出ていない。価格が下落してもアメリカの綿花農家は補助金があるので生産量を減らす必要がないが、マリの綿花農家は価格下落の影響をもろに被って破産することもある。 大韓民国の畜産農家は政府に保護されており、子牛1頭あたり1300USドルの販売価格を見込むことができる。南米のメルコスール加盟国の農場経営者の場合、子牛の販売価格は120から200USドルである(どちらも2008年の値)。前者は土地の不足と高コストを公的な補助金で補っており、後者は土地の広さと低コストによって補助金がないことを補っている。 中華人民共和国では、農家の平均的耕作地は1ヘクタールと言われている。ブラジルやパラグアイなど海外の人間が土地を自由に購入できる国では、1ヘクタールあたり数百USドルで数千ヘクタールの農地や未開発の土地が国際的に販売されている。 2011年の世界各国の農業生産高を以下に示す。 食の安全や食品表示の問題は、食品の安全性に関わる問題である。国際的にはバイオセーフティーに関するカルタヘナ議定書によって遺伝子組み換え作物の貿易が規制されている。欧州連合では遺伝子組み換え作物を使った食品には表示が義務付けられているが、アメリカ合衆国では必須とされていない。遺伝子組み換え作物の安全性についてはまだ疑問が残るため、遺伝子組み換え作物を使用の有無を食品に表示し、一般大衆が選択できるようにすることが必須だ、と考える者もいる。 国際連合食糧農業機関 (FAO) は「飢餓の根絶」を目標とし、加盟国が平等な立場で集まって食糧政策や農業の規制について話し合い、合意を形成する場を提供している。FAOの家畜生産・衛生部長 Samuel Jutzi は、巨大食品企業によるロビー活動が 健康と環境の改善にむけた改革を妨害してきた、としている。彼は Compassion in World Farming (CIWF) の年次会合で「現実の真の問題は、強大な力を背景にしたロビイストの影響を受ける政治的プロセスでは解決されない」と述べた。例えば、畜産業界の自主規制案として単位面積あたりの家畜の頭数を制限して土地への長期的ダメージを低減するなどの環境対策が提案されたのだが、巨大食品企業の圧力によって廃案となってしまったのである。 アメリカ合衆国では家計における食費に占める農業のコストの割合が低下し、食品加工、流通、マーケティングのコストが増大している。これは農業の生産性が向上しただけでなく、高付加価値の食品が増えていることを意味する。1960年から1980年まで、食費に占める農業コストは40%前後だったが、1990年には30%、1998年には22.2%に低下している。寡占化も進んでおり、1995年には食品企業上位20社の製品が全体の半分を占めるようになっており、1954年に比べると倍増している。流通面でも寡占化が進んでおり、アメリカのスーパーマーケット上位6チェーンが食品販売に占める割合は、1992年には32%だったものが2000年には50%になった。寡占化はある意味で効率向上にもなっているが、農村にとっては悪影響があるかもしれない。 人類は文明の始まった数千年前から品種改良を行ってきた。人間によってよりよい特徴を持つ作物になるよう植物の遺伝構造を変更してきた。例えば、果実や種がより大きくなるようにしたり、干ばつへの耐性を持たせたり、害虫に強くしたりといった改良である。グレゴール・ヨハン・メンデル以降、品種改良技術が著しく進歩した。遺伝形質についてのメンデルの業績により、遺伝について理解が深まり、それによって品種改良の技法が発展したのである。望ましい特徴を持つ植物を選択し、自家受粉および他家受粉を駆使し、最終的には遺伝子組み換えを行うようになった。 植物の品種改良により、徐々に収穫量が増えていき、病害や干ばつへの耐性が改善され、収穫が容易になり、作物の味と栄養価が高まった。慎重な選択と育種によって農作物の特徴は大きく変化していった。例えば1920年代から1930年代にかけて、ニュージーランドで選別と育種によって牧草やクローバーが改良された。1950年代にはX線や紫外線を使って突然変異率を高める原始的な遺伝子工学が生まれ、小麦、トウモロコシ、大麦などの品種改良が行われた。 緑の革命では従来からの交雑技法を使うことが一般化し、生産性の高い品種を栽培することで収穫量が何倍にも高まった。例えば、アメリカでのトウモロコシの収穫量は1900年ごろには1ヘクタール当たり2.5トンだったが、2001年ごろには1ヘクタール当たり9.4トンになっている。同様に小麦の収穫量の世界平均は、1900年ごろには1ヘクタール当たり1トンだったものが、1990年には1ヘクタール当たり2.5トンになっている。南アメリカでの平均小麦収穫量は1ヘクタール当たり2トン、アフリカでは1トン以下だが、エジプトやアラビアの灌漑を行っている地域では3.5トンから4トンの収穫がある。これに対して技術の進んでいるフランスでは1ヘクタール当たり8トン以上の収穫がある。収穫量の地域差は主に気候、品種、耕作技法(肥料、害虫駆除、倒伏防止など)の差が原因である。 遺伝子組み換え作物 (GMO) は遺伝子工学の技法を使って遺伝子に修正を加えた作物(植物)である。遺伝子工学によって新品種の生殖系列を生み出すのに使える遺伝子の幅が広がった。1960年代初めに機械式トマト収穫機が開発されると、農学者は機械による収穫により適した遺伝子組み換えを施したトマトを作り出した。最近では遺伝子組み換え技術は様々な作物の新品種開発に使われている。 Roundup Ready と呼ばれる種は、グリホサート剤にさらされても影響を受けないよう除草剤に抵抗力のある遺伝子を持っている。ラウンドアップはグリホサート剤をベースとした非選択的にあらゆる雑草を殺す除草剤の商品名である。つまり Roundup Ready 種を使えば、グリホサート剤を散布しても作物だけは影響を受けず、あらゆる雑草を殺すことができる。除草剤に耐性のある作物は世界中で栽培されている。アメリカの大豆は作付面積の92%が除草剤に耐性のある品種(遺伝子組み換え作物)になっている。 除草剤に耐性のある作物が多く栽培されるようになると、当然ながらグリホサート剤ベースの除草剤が散布されることが多くなる。中にはグリホサート剤に耐性のある雑草も出てきたため、別の除草剤への切り替えを余儀なくされた地域もある。広範囲なグリホサート剤の使用が収穫量や作物の栄養価に与える影響、さらには経済や健康に与える影響について研究が行われている。 害虫に強い遺伝子組み換え作物も開発されており、昆虫に作用する毒素を産出する土中バクテリアであるバチルス・チューリンゲンシスの遺伝子を組み込んでいる。そのような作物は昆虫に食い荒らされない。例えば、Starlink というトウモロコシがある。また、綿花でも同様の品種が作られており、アメリカでは綿花の63%がそういった品種になっている。 遺伝子組み換えを行わなくとも、従来からの品種改良、特に野生種との交雑または他家受粉によって害虫に強い品種を作ることができるという者もいる。野生種は様々な耐性の源泉となることもある。野生種との交雑によって19の病害に耐性のあるトマトの栽培品種を作った例もある。 遺伝子工学者はいずれ、灌漑や排水や保全などを気にしなくても栽培できる作物を生み出すかもしれない。そのような作物は大規模な灌漑に依存する不毛な地域で重要になるだろう。しかし、遺伝子組み換えには批判も多い。食の安全と環境という2つの面から遺伝子組み換え作物について問題提起されている。例えば、作物の次世代の種が発芽しないようにした「ターミネーター種」は環境学者や経済学者によって疑問を呈されている。ターミネーター種には国際的に反対の声が強く、今のところ実際の作物には適用されていない。 別の問題として、遺伝子組み換え技術で開発された新たな種の特許をどうやって保護するかという問題がある。開発企業がそのような種の知的財産権を所有し、その種を使って栽培した作物について条件を設定する権利を有している。現在10の種苗会社が世界的な種の販売の3分の2を制御している。環境活動家ヴァンダナ・シヴァは、それら企業が生命について特許を取得し、それによって利益を得ようとしており、生物学的窃盗罪(バイオパイラシー)を犯していると主張する。特許で保護された種を使っている農家は、翌年のための種を収穫から得られるとしても、毎年新たな種を購入しなければならない。収穫から翌年の種を得ることは普通に行われてきた習慣だが、特許侵害に問われないようにするためには、その習慣を変える必要がある。 限られた地域に適応した種(土着種)は、品種改良された作物や遺伝子組み換え作物によって絶滅の危機にさらされている。そのような種は長い年月をかけてその地域の気候、土壌、その他の環境条件、田畑の設計、現地の民族の好みに適応してきたという意味で重要である。遺伝子組み換え作物や交雑種を持ち込むと、土着種との交雑が起きる危険性がある。つまり遺伝子組み換え作物は土着種の持続可能性やその地域の文化に対する脅威となりうる。交雑によって土着種が遺伝子組み換え作物の形質を獲得したら、その種は特許を保持している企業の設定する条件の対象となりうる。 農業には単に耕作だけでなく、広い土地を耕作に適した農地にすること(開墾)や水路を作るなどの灌漑といった様々な専門的技法が含まれる。農業の基本は、依然として農地での農作物の栽培と牧草地での牧畜である。 トマス・ロバート・マルサスは、地球は人口増加を支えきれないと予言したが、緑の革命などのテクノロジーが食糧需要増に応えることを可能にした。 20世紀末以降、既存の農業に対する懸念から、持続可能な農業への関心が高まっている。品種改良・農薬・化学肥料などの技術革新によって収穫量は急激に増加したものの、環境への悪影響(環境汚染)や 人体への悪影響 が起きている。畜産においても品種改良や「集約型の」養豚・養鶏によって食肉の生産高が劇的に増加したが、動物虐待の問題、抗生物質や成長ホルモンなどの化学物質を投与することによる人体への悪影響が懸念されている。 バイオ医薬品、(欧米でも)薬剤(生薬)、バイオプラスチック、バイオ燃料、などの原料に使われることも多くなっている。ただしそもそも世界では、食糧が不足していて、飢餓で命を落としている人々・地域も多数ある現状である。植物をわざわざ燃料に変換するため燃やしてしまうと、さらに食糧の総量が不足したり、基礎的な農作物の値をつり上げてしまう結果となる。世界人口で多くの割合を占める、低収入で食べ物が十分に入手できてはいない人々の生命を奪う結果をまねくことが懸念されている。 農業は農薬、栄養流去、水の過剰使用などの問題により、社会に対して外部費用(公害)を課す。2000年に発表された研究で、イギリスにおける総外部費用の見積もりは1996年の時点で23億4300万ポンドで、1ヘクタールあたり208ポンドとなっている。アメリカ合衆国の2005年時点の耕作に関わる外部費用はおよそ50億ドルから160億ドル(1ヘクタールあたり30ドルから96ドル)と見積もられており、畜産に関わる外部費用は7億1400万ドルと見積もられている。どちらの研究も外部費用の内部化が必要だとしているが、補助金については分析しておらず、補助金も社会に対する農業のコストに影響していることを注記している。どちらの研究も純粋に経済的影響のみを述べている。2000年の研究は農薬汚染の報告を含んでいるが農薬の常用が及ぼす影響については考察しておらず、2004年の研究では1992年の農薬の影響見積もりに依存している。 ノーマン・ボーローグは革命的な農業技術を開発し、何十億もの命を救った重要人物である。彼の開発した品種は開発途上国の穀物生産量を大幅に増大させ、「緑の革命の父」と呼ばれるようになった。 国連職員でこの問題に関する国連報告の共著者であるヘニング・スタインフェルドは「畜産は今日の環境問題の最も重要な原因の1つだ」と述べている。畜産は農業が使用する総面積の70%を占めており、地球全体の30%の土地を使っている。温室効果ガスの最大の発生源でもあり、CO2 に換算すると全温室効果ガス発生量の18%が畜産に由来する。ちなみに、交通機関・輸送機関が放出するCO2の総計は全体の13.5%である。人間の活動で排出される亜酸化窒素の65%が畜産によるもので(CO2の296倍もの温室効果がある)、メタンの37%が畜産によるものである(CO2の23倍の温室効果がある)。また、アンモニアの64%が畜産によるもので、酸性雨や生態系の酸性化の原因とされている。畜産は森林伐採の主要因とされており、アマゾンで開墾された土地の70%が牧草地になっている(残りは耕作地)。森林伐採や開墾を通して、畜産が生物多様性を低下させているとも言える。 土地を開墾して農産や畜産に利用することは、地球の生態系に最も大きな影響を与える人類の活動であり、生物多様性を低下させる最大の原動力となっている。人類がこれまでに開墾した土地の見積もりは39%から50%まで様々である。土地荒廃 (en) は生態系機能と生産性の長期低下を意味し、全世界の24%の土地(ほとんどが農地)で起きていると見積もられている。国際連合食糧農業機関 (FAO) は土地荒廃の主要因は土地管理の問題だとし、15億人が荒廃した土地に頼って生きていると報告している。ここでいう荒廃とは、森林破壊、砂漠化、侵食、ミネラル分の枯渇、土壌の酸性化や塩害などを指す。 富栄養化は水中の生態系が過剰な栄養を持つようになることで、藻類が繁茂し水中の酸素濃度が低下する。そのため魚類が生息できなくなり、生物多様性が失われ、その水も飲用や工業用に適さなくなる。耕作地への過剰な栄養(肥料)投与や家畜に過剰な飼料を与えることが窒素やリンといった栄養素の表面流出や浸出を招く。これらの栄養素は水中生態系の富栄養化を引き起こす主要な非特定汚染源負荷である。 全世界での農薬の使用量は1950年以降、毎年250万トンずつ増加しているが、農作物の害虫被害はほぼ一定で推移している。1992年、世界保健機関 (WHO) は毎年300万人が農薬中毒を起こし、およそ22万人がそのために亡くなっているとの見積もりを発表した。農薬を使用し続けることでその農薬に耐性のある害虫だけが生き延び、さらに強力な農薬が必要になるというサイクルが生まれている。 飢饉を防ぎつつ環境を守るために農薬を使用した集中的農法を正当化する論理として、Center for Global Food Issues のウェブサイトの冒頭に引用されていた「1エーカーあたりの収穫を増やすことで、より多くの土地を自然のままに残しておける」という考え方もある。批評家は環境と食料需要のトレードオフは必ずしも必然的ではないとし、農薬を減らして輪作などのよい農業経営の習慣を根付かせればよいと主張している。 農業は気温、降水量や降雨時期、CO2、太陽光、といった要素の変化、あるいはこれらの組み合わせによる気候変動に影響を受ける。農業には地球温暖化を防ぐ面もあるし、悪化させる面もある。大気中のCO2増加の一因として、土壌中での有機物の腐敗があり、大気中に放出されるメタンの大部分は水田などの湿った土壌での有機物の分解によるものである。さらに湿った嫌気性土壌では脱窒によって窒素を失い、温室効果ガスの一種である一酸化窒素の形で大気中に放出する。土壌の管理をうまく行えばこれらの温室効果ガス放出を抑え、土壌に大気中のCO2を貯留させることも可能である。 農業生物については、地球内で数種類いる。 アリやシロアリにも、農耕を行う生物種がいる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "農業(のうぎょう、英: agriculture)とは、土地の力を利用して有用な植物を栽培する。また、有用な動物を飼養する、有機的な生産業。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "農業とは、土地を利用して有用な植物・動物を育成し、生産物を得る活動のことである。広義には、農産加工や林業までも含む。このうち林業については林業を参照。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "農業を職業としている人は農家や農民と呼ばれる。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2007年現在、全労働人口の3分の1が農業を中心とする第一次産業に従事している。世界全体では第三次産業に従事する人口が一次産業を凌駕している。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "農業は、伝統的な分類では林業・漁業と同じ第一次産業に分類される。農業・林業・水産業・畜産業などに関わる研究は、農学という学問の一分野を成している。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "人類はもともとはもっぱら狩猟採集を行って生きていたと考えられており(狩猟採集社会)、どこかの段階で農業を\"始めた\"と考えられている。農業の起源については諸説あるが、ハーバード大学、テルアビブ大学とハイファ大学の共同チームは、イスラエルのガリラヤ湖岸で、23,000年前の農耕の痕跡(オオムギ、ライムギ、エンバク、エンマーコムギ)を発見したと、ニューヨーク・タイムズなどで報道されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "また、約10000年ほど前、中国の長江流域で稲作を中心とした農耕が始められていたことが発掘調査で確認されている。またレバント(シリア周辺、肥沃な三日月地帯の西半分)では、テル・アブ・フレイラ遺跡(11050BP, 紀元前9050年頃)で最古級の農耕の跡(ライムギ)が発見されている。イモ類ではパプアニューギニアにて9000年前の農業用灌漑施設の跡「クックの初期農耕遺跡」がオーストラリアの学術調査により発見されている。農耕の開始と同時期に牧畜も開始された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "中緯度の狩猟民が定住化した後に農耕や牧畜を開始したことは「農業革命」と呼ばれており、その後の人類の社会に大きな影響を与えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "植物を栽培するためには自然の植生を取り払う必要があり、土地を焼いた後に種子をまく方法が行われていた。原始人は意識していたかわからないが草木の灰には養分が含まれており一種の施肥行為になっていた(焼畑)。しかし、これだけでは十分な養分の供給は難しく、完全な定着農業が実現したのはヨーロッパで発達した輪作や積極的な施肥(ヨーロッパでは主に厩肥、日本では主に刈草敷)といった方法が行われるようになったことによってである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "社会の分業化とともに自給自足、物々交換のための農業は商業化された農業へと移行した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "産業分類や生産物分類では耕種農業と畜産農業(このほか農業サービスや園芸サービス)に大別される。耕種部門と畜産部門の連携を耕畜連携という。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "耕種農業とは米、麦、野菜等の生産活動を行う農業をいう。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "耕作システムは利用可能な資源や制約条件(地形や気候、天候、政府の政策、経済的・社会的・政治的な圧力、農家の経営方針や慣習)によって変化する。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "焼畑農業は毎年のように森林を燃やして、解放された栄養素を耕作に利用するシステムで、その後は多年生作物を数年間栽培する。その区画はその後休閑地とされて森林に自然に戻り、10年から20年後に再度焼いて利用する。休閑期間は人口密度が増加すると短くなるため、肥料を導入したり、病害虫管理が必要となってくる。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "次の段階は休閑期を設けない耕作システムであり、栄養管理と病害虫管理がさらに必要となる。その後さらに工業化が進展すると、単一作物の大規模栽培システムが登場する。特定の栽培品種だけを作付けすると、生物多様性が低下し、必要な栄養素も均一化し、病害虫も発生しやすくなる。そのため、農薬や化学肥料にさらに頼ることになる。多毛作は1年間に複数種類の作物を次々と栽培するシステムで、間作は複数種類の作物を同時に栽培するシステムである。他にも混作という類似のシステムもある。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "熱帯では、これら全ての耕作システムが実際に行われている。亜熱帯や砂漠気候では、農作物の栽培は降雨の時期(雨期)に限定されて1年間に何度も栽培することができないか、さもなくば灌漑を必要とする。それらの環境では多年生作物(コーヒー、チョコレート)が栽培され、アグロフォレストリーのような耕作システムも行われている。温帯では草原やプレーリーが多く、年1回だけ収穫する生産性の高い耕作システムが支配的である。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "20世紀は集約農業、農業における集中と分業が進んだ時代であり、農業化学の新技術(化学肥料、農薬)、農業機械、品種改良(交雑や遺伝子組み換え作物)がそれを支えた。ここ数十年間、社会経済学的な公正さと資源保全の考え方や耕作システムにおける環境の考え方と結びついた持続可能な農業への動きもある。この動きから従来の農業とは異なる様々な農業の形態が生まれた。例えば、有機農業、近郊農業、community supported agriculture(地域で支える農業)、エコ農業、integrated farming などがあり、全体として農業の多様化に向かう傾向が明らかとなってきている。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "生産物分類は複数あるが、主に耕種農業の生産物は穀物(コムギ、トウモロコシ、コメ、モロコシ、オオムギ、ライムギ、オート麦、雑穀、その他の穀物)、野菜、果実および堅果、脂肪種子および脂肪性果実(ダイズ、ラッカセイ、綿花、オリーブ、ココナツなど)、香辛料植物および香料作物(コーヒー、茶、コショウ、トウガラシ)、豆類、糖料作物(テンサイ、サトウキビなど)、その他の植物原料(飼料用植物、繊維料植物、タバコ)などに分類される。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "国際連合食糧農業機関 (FAO) による作物の種類毎の生産量の推定を次に挙げる。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "畜産は、基本的に、食肉・鶏卵、乳、ウールなどを得るために動物を飼育することである。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "歴史をたどれば、もともとは全て野生の動物であったのだが、その中から比較的飼いやすい種類(人間になついてくれる種類)や利用価値が高いものを見出し、人類が次第に家畜として利用するようになってきたのである。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "「畜産システム」には、まず飼料を供給する草原に基づくもの、混合型システム、土地を持たないシステムなどがある。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "草原に基づく畜産は、反芻動物の飼料を供給する低木林地、放牧地、牧草地のような草地に依存している。家畜の厩肥を肥料として直接草地に撒いたとしても、それ以外の肥料も使用することもある。畜産というのは、気候や土壌のせいで農作物の栽培が現実的でない地域では特に重要であり、世界には3,000万から4,000万人の牧畜民がいる。混合型システムでは、飼料作物や穀物を生産して、反芻動物や単胃動物(主にニワトリとブタ)の飼料とする。厩肥は農作物の肥料として再利用される。統計的に見ると、実は、農地の約68%は飼料作物栽培地として畜産向けに使われている。人々が食事で食べる食品が、先進国で起きがちな肉食偏重傾向などによって、植物性の食品(穀物・野菜 類)から動物性の食品(肉類)へとシフトすると、結果として、せっかく生産された穀物・野菜類の大部分が(人の口に入らず)肉のための家畜の口に入ってしまう、ということが指摘されている。直接 植物を食べるのと、家畜に食べさせてから肉として食べるのを比較すると、人が同程度の栄養をとる場合を比較すると、肉にしてから口に入れるほうが10倍程度の植物が必要になる、と指摘されている。つまり、わざわざ肉に変換してから口に入れるということをすると、「植物の生産→人間の栄養」という経路の効率は1/10程度まで落ちてしまう、ということである。)", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "土地を持たないシステムでは、飼料は農場外から供給する。つまり飼料作物の生産と家畜の飼育を別々に行うもので、特に経済協力開発機構 (OECD) 加盟国によく見られる。特に(肉食偏重の)アメリカ合衆国では、生産した穀物の、実に 70%が飼料として消費される(消費されてしまう)。飼料作物の生産には化学肥料が多用されており、厩肥をどうするかも問題となっている。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "畜産は基本的に、食肉・鶏卵、乳、ウールなどを得るために動物を飼育することであるが、「畜産」が(広義には)使役するための動物(使役動物)を産ませ育てることまで含めて指すこともある。 ウマ、ラバ、ウシ、ラクダ、リャマ、アルパカ、イヌといった動物は、農地の耕作、作物の収穫、収穫物の運搬、他の家畜の番(牧羊犬など)などに使役されてきた。", "title": "農業分野" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1940年代以降、主にエネルギーを多用する機械化、肥料、農薬によって農業の生産性は急激に向上した。それらのエネルギー源のほとんどが化石燃料によるものである。1950年から1984年にかけての緑の革命で世界中の農業が大きく変化し、世界人口が倍増する間に穀物生産量は250%も増加した。現代の農業は石油化学製品と機械化に大きく依存しており、石油不足がコストを増大させて農業生産量を減少させ、食料危機を起こすのではないかという懸念が生じるようになった。", "title": "農業生産" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "現代の機械化された農業は2つの意味で化石燃料に依存している。1つは農場で燃料として直接使用しており、もう1つは農場で使用するものを製造する過程で間接的に使用している。直接消費としては、農業機械の燃料や潤滑油としての使用だけでなく、乾燥機、ポンプ、ヒーター、冷房などにガスや電力を使っている。2002年の時点でアメリカ合衆国の農家が直接消費したエネルギーは約1.2エクサジュールで、アメリカの全エネルギー消費の1%強程度である。", "title": "農業生産" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "間接消費は主に肥料と農薬の製造に使われた石油と天然ガスであり、2002年には0.6エクサジュールだった。農業機械の製造に使われたエネルギーも間接消費の一種だが、アメリカ合衆国農務省の統計にはそれは含まれていない。合計すると、アメリカでの農業が直接・間接に消費するエネルギーは全体の約2%を占めている。アメリカでの農業の直接・間接のエネルギー消費量は1979年をピークとして、その後30年間は徐々に減少傾向にある。", "title": "農業生産" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "食料システムと言った場合、農業生産だけでなく、その後の加工、梱包、輸送、販売、消費、廃棄といった食料にまつわる全てが含まれる。アメリカでは食料システム全体のエネルギー消費に対して農業が占める割合は5分の1以下である。", "title": "農業生産" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "石油不足が生じた場合、食料供給に影響が生じる。現代的有機農法を採用している農家は、化学肥料や農薬を使わなくとも高い生産量を維持できると報告している。しかし、石油に基づいた技術で可能になった単作栽培で失われた土壌の栄養素の復元には時間がかかる。", "title": "農業生産" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2007年、バイオ燃料用作物の栽培が農家をひきつけ、他の要因(輸送コスト上昇、異常気象、中国やインドでの食料需要増、世界的な人口増加など)も加わってアジア、中欧、アフリカ、メキシコなどで食料供給が逼迫し、世界全体で食品価格が高騰した。2007年12月の時点で37カ国で食料危機が発生し、20カ国で何らかの食料価格の統制が行われている。この2007年-2008年の世界食料価格危機で暴動も起きている。", "title": "農業生産" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "農業に関連して最も化石燃料を消費しているのは、ハーバー・ボッシュ法で化学肥料を作る際に原料の水素を得るのに天然ガスを使っていることである。天然ガスが使われているのは、水素の原料として今のところ最も安価だからである。石油が減少してくれば、天然ガスがその代替として一時的に使われるようになり、需要と供給の関係で天然ガスはさらに高価になる。他の水素の原料が見つからなければハーバー・ボッシュ法による化学肥料の製造は高くつくようになり、化学肥料の入手が困難になることが予想される。そうすると、食品価格が急激に高騰し、世界的な食料危機になる可能性もある。", "title": "農業生産" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "石油不足対策として有機農業への転換が考えられる。有機農業では、石油化学製品である殺虫剤、除草剤、化学肥料を使わない。現代的有機農法で生産量が減少しないことを実証した農家もある。しかし有機農業は手間がかかるため、労働力の都市から地方へのシフトを必要とする。", "title": "農業生産" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "農村で廃棄物からバイオ炭や合成燃料を作って燃料として使うという方法も提案されている。合成燃料の場合、その場で作って使用することが可能であるためより効率的であり、新たな有機農業には十分な燃料を供給できる可能性がある。", "title": "農業生産" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "肥料が少なくても生産量が減らない遺伝子組み換え作物の開発も進められている。しかし遺伝子組み換え作物については生態学者や経済学者から疑問が呈されており、2008年1月には遺伝子組み換え作物が「環境面でも社会面でも経済面でも失敗だ」とする報告がなされた。", "title": "農業生産" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "モンサントの失敗例のように遺伝子組み換え作物による持続可能性の研究がある一方で、従来からの品種改良による作物の持続可能性の改良が行われている。さらにアフリカの自給自足農家についてのバイオテクノロジー業界による調査によると、農家の抱える問題への対策のほとんどは遺伝子組み換えとは無関係のものだったとしている。それにも関わらず、アフリカのいくつかの政府は遺伝子組み換え技術への投資が持続可能性を高めるのに必須だとしている。", "title": "農業生産" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "現代社会は貨幣経済であり、農業も自家消費のための生産という側面を残しつつも、ほとんどの農家は農産物の販売によって貨幣で収入を得ている。農家の場合は会社から賃金を得る場合とは異なり、農家自体が経営体で家族労働に依存していることも多く所得の算出がやや複雑になる。", "title": "農業経営" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "農業所得は、農産物の販売による収入(厳密には農家が自家消費した農産物を含む)から農業経営費を差し引いたものである。農業経営費には、肥料や農薬等の物財費、地代、雇用労働費、農業機械等の減価償却費などがある。農業経営費は家族労働費、自作地地代、自己資本利子などを含む「生産費」とは異なる。また、農産物の販売による収入のほか、政府から受け取る助成金が重要な収入源になっている場合もある。", "title": "農業経営" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "農業は自然環境のなかで動植物を生産するため自然災害や不作などのリスクがあるほか、短期的な収益最大化を図ろうとすると土地の地力維持ができなくなるなど農業経営には多面的要素がある。", "title": "農業経営" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "農作物栽培の場合、基本的に自然を対象にするため、日照や気温、降水量などの気象状態に左右されやすく、また需給関係や投資の影響による市場での価格変動もあり、収入面の安定に欠ける面がある。", "title": "農業経営" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "また、畜産では、市場での価格変動以外にも、飼育する家畜に対する水や飼料の給餌や運動など、早朝から深夜までの世話が毎日必要となり、休日が取り難く、従事者の肉体的負担(過労)・精神的な負担(ストレス)が大きいという問題のほか、家畜の糞尿による悪臭や環境汚染などの問題を有する。", "title": "農業経営" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "農業経営の規模では農業経済学や農業経営学で古くから大農と小農をめぐる論争がある。小農は賃労働者のいない小規模の家族経営の農家をいい、生産活動は自家労働(家族労働)で行い農産物の一部は自家消費され、家計と生産(経営)が未分離という特徴がある。家族経営と企業的農業経営に分けられることもある。", "title": "農業経営" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "農業政策は農業生産の目標や手法を扱う。政策レベルでの主な農業の目標として次のものがある。", "title": "農業政策" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "多くの政府が適正な食品供給を保証するために農業に補助金や助成金を与えてきた。そういった農業補助金は、コムギ、トウモロコシ、米、ダイズ、乳といった特定の食品に対して与えられることが多い。先進国がそのような補助金制度を実施する場合、保護貿易と呼ばれ、非効率で環境に対しても悪影響があると評されることが多い。", "title": "農業政策" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "近年、集約農業の環境への悪影響(外部性)、特に水質汚染に対する反発から、有機農業を推進する動きが生まれた。例えば欧州連合は1991年に有機農産物の認証を始め、2005年には共通農業政策 (CAP) 改訂で生産量と補助金を段階的に切り離すいわゆる「デカップリング方式」の導入を決めた。", "title": "農業政策" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "2007年後半、いくつかの要因が重なって穀物の価格が急騰し(コムギは58%上昇、ダイズは32%上昇、トウモロコシは11%上昇)、穀物を飼料としている畜産物の価格も押し上げた。世界中のいくつかの国で暴動まで発生した。高騰の要因は、オーストラリアなどでの干ばつ、中国やインドなどの成長が著しい中流階級の食肉需要増、穀物をバイオ燃料生産に転換し始めたこと、いくつかの国が貿易を制限したことなどである。", "title": "農業政策" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "近年、Ug99株のコムギに小麦さび病 (en) という伝染病がアフリカやアジアで広まっており、懸念が強まっている。また、全世界の農地の約40%で土壌の荒廃が深刻な問題となっている。国際連合大学のガーナに本拠地のあるアフリカ天然資源研究所は、アフリカでこのまま土壌の荒廃が進めば、2025年にはアフリカの人口の25%にしか食糧が行き渡らなくなる可能性があるとしている。", "title": "農業政策" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "経済発展、人口密度、文化など世界の農家はそれぞれ全く異なる条件下で働いている。", "title": "農業政策" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "アメリカの綿花農家は作付面積1エーカー当たり230ドルの補助金を受け取っているが(2003年時点)、一方でマリ共和国などの開発途上国の農家にはそのような補助金は出ていない。価格が下落してもアメリカの綿花農家は補助金があるので生産量を減らす必要がないが、マリの綿花農家は価格下落の影響をもろに被って破産することもある。", "title": "農業政策" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "大韓民国の畜産農家は政府に保護されており、子牛1頭あたり1300USドルの販売価格を見込むことができる。南米のメルコスール加盟国の農場経営者の場合、子牛の販売価格は120から200USドルである(どちらも2008年の値)。前者は土地の不足と高コストを公的な補助金で補っており、後者は土地の広さと低コストによって補助金がないことを補っている。", "title": "農業政策" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "中華人民共和国では、農家の平均的耕作地は1ヘクタールと言われている。ブラジルやパラグアイなど海外の人間が土地を自由に購入できる国では、1ヘクタールあたり数百USドルで数千ヘクタールの農地や未開発の土地が国際的に販売されている。", "title": "農業政策" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2011年の世界各国の農業生産高を以下に示す。", "title": "農業生産額" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "食の安全や食品表示の問題は、食品の安全性に関わる問題である。国際的にはバイオセーフティーに関するカルタヘナ議定書によって遺伝子組み換え作物の貿易が規制されている。欧州連合では遺伝子組み換え作物を使った食品には表示が義務付けられているが、アメリカ合衆国では必須とされていない。遺伝子組み換え作物の安全性についてはまだ疑問が残るため、遺伝子組み換え作物を使用の有無を食品に表示し、一般大衆が選択できるようにすることが必須だ、と考える者もいる。", "title": "農作物の流通" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "国際連合食糧農業機関 (FAO) は「飢餓の根絶」を目標とし、加盟国が平等な立場で集まって食糧政策や農業の規制について話し合い、合意を形成する場を提供している。FAOの家畜生産・衛生部長 Samuel Jutzi は、巨大食品企業によるロビー活動が 健康と環境の改善にむけた改革を妨害してきた、としている。彼は Compassion in World Farming (CIWF) の年次会合で「現実の真の問題は、強大な力を背景にしたロビイストの影響を受ける政治的プロセスでは解決されない」と述べた。例えば、畜産業界の自主規制案として単位面積あたりの家畜の頭数を制限して土地への長期的ダメージを低減するなどの環境対策が提案されたのだが、巨大食品企業の圧力によって廃案となってしまったのである。", "title": "農作物の流通" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国では家計における食費に占める農業のコストの割合が低下し、食品加工、流通、マーケティングのコストが増大している。これは農業の生産性が向上しただけでなく、高付加価値の食品が増えていることを意味する。1960年から1980年まで、食費に占める農業コストは40%前後だったが、1990年には30%、1998年には22.2%に低下している。寡占化も進んでおり、1995年には食品企業上位20社の製品が全体の半分を占めるようになっており、1954年に比べると倍増している。流通面でも寡占化が進んでおり、アメリカのスーパーマーケット上位6チェーンが食品販売に占める割合は、1992年には32%だったものが2000年には50%になった。寡占化はある意味で効率向上にもなっているが、農村にとっては悪影響があるかもしれない。", "title": "農作物の流通" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "人類は文明の始まった数千年前から品種改良を行ってきた。人間によってよりよい特徴を持つ作物になるよう植物の遺伝構造を変更してきた。例えば、果実や種がより大きくなるようにしたり、干ばつへの耐性を持たせたり、害虫に強くしたりといった改良である。グレゴール・ヨハン・メンデル以降、品種改良技術が著しく進歩した。遺伝形質についてのメンデルの業績により、遺伝について理解が深まり、それによって品種改良の技法が発展したのである。望ましい特徴を持つ植物を選択し、自家受粉および他家受粉を駆使し、最終的には遺伝子組み換えを行うようになった。", "title": "品種改良とバイオテクノロジー" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "植物の品種改良により、徐々に収穫量が増えていき、病害や干ばつへの耐性が改善され、収穫が容易になり、作物の味と栄養価が高まった。慎重な選択と育種によって農作物の特徴は大きく変化していった。例えば1920年代から1930年代にかけて、ニュージーランドで選別と育種によって牧草やクローバーが改良された。1950年代にはX線や紫外線を使って突然変異率を高める原始的な遺伝子工学が生まれ、小麦、トウモロコシ、大麦などの品種改良が行われた。", "title": "品種改良とバイオテクノロジー" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "緑の革命では従来からの交雑技法を使うことが一般化し、生産性の高い品種を栽培することで収穫量が何倍にも高まった。例えば、アメリカでのトウモロコシの収穫量は1900年ごろには1ヘクタール当たり2.5トンだったが、2001年ごろには1ヘクタール当たり9.4トンになっている。同様に小麦の収穫量の世界平均は、1900年ごろには1ヘクタール当たり1トンだったものが、1990年には1ヘクタール当たり2.5トンになっている。南アメリカでの平均小麦収穫量は1ヘクタール当たり2トン、アフリカでは1トン以下だが、エジプトやアラビアの灌漑を行っている地域では3.5トンから4トンの収穫がある。これに対して技術の進んでいるフランスでは1ヘクタール当たり8トン以上の収穫がある。収穫量の地域差は主に気候、品種、耕作技法(肥料、害虫駆除、倒伏防止など)の差が原因である。", "title": "品種改良とバイオテクノロジー" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "遺伝子組み換え作物 (GMO) は遺伝子工学の技法を使って遺伝子に修正を加えた作物(植物)である。遺伝子工学によって新品種の生殖系列を生み出すのに使える遺伝子の幅が広がった。1960年代初めに機械式トマト収穫機が開発されると、農学者は機械による収穫により適した遺伝子組み換えを施したトマトを作り出した。最近では遺伝子組み換え技術は様々な作物の新品種開発に使われている。", "title": "品種改良とバイオテクノロジー" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "Roundup Ready と呼ばれる種は、グリホサート剤にさらされても影響を受けないよう除草剤に抵抗力のある遺伝子を持っている。ラウンドアップはグリホサート剤をベースとした非選択的にあらゆる雑草を殺す除草剤の商品名である。つまり Roundup Ready 種を使えば、グリホサート剤を散布しても作物だけは影響を受けず、あらゆる雑草を殺すことができる。除草剤に耐性のある作物は世界中で栽培されている。アメリカの大豆は作付面積の92%が除草剤に耐性のある品種(遺伝子組み換え作物)になっている。", "title": "品種改良とバイオテクノロジー" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "除草剤に耐性のある作物が多く栽培されるようになると、当然ながらグリホサート剤ベースの除草剤が散布されることが多くなる。中にはグリホサート剤に耐性のある雑草も出てきたため、別の除草剤への切り替えを余儀なくされた地域もある。広範囲なグリホサート剤の使用が収穫量や作物の栄養価に与える影響、さらには経済や健康に与える影響について研究が行われている。", "title": "品種改良とバイオテクノロジー" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "害虫に強い遺伝子組み換え作物も開発されており、昆虫に作用する毒素を産出する土中バクテリアであるバチルス・チューリンゲンシスの遺伝子を組み込んでいる。そのような作物は昆虫に食い荒らされない。例えば、Starlink というトウモロコシがある。また、綿花でも同様の品種が作られており、アメリカでは綿花の63%がそういった品種になっている。", "title": "品種改良とバイオテクノロジー" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "遺伝子組み換えを行わなくとも、従来からの品種改良、特に野生種との交雑または他家受粉によって害虫に強い品種を作ることができるという者もいる。野生種は様々な耐性の源泉となることもある。野生種との交雑によって19の病害に耐性のあるトマトの栽培品種を作った例もある。", "title": "品種改良とバイオテクノロジー" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "遺伝子工学者はいずれ、灌漑や排水や保全などを気にしなくても栽培できる作物を生み出すかもしれない。そのような作物は大規模な灌漑に依存する不毛な地域で重要になるだろう。しかし、遺伝子組み換えには批判も多い。食の安全と環境という2つの面から遺伝子組み換え作物について問題提起されている。例えば、作物の次世代の種が発芽しないようにした「ターミネーター種」は環境学者や経済学者によって疑問を呈されている。ターミネーター種には国際的に反対の声が強く、今のところ実際の作物には適用されていない。", "title": "品種改良とバイオテクノロジー" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "別の問題として、遺伝子組み換え技術で開発された新たな種の特許をどうやって保護するかという問題がある。開発企業がそのような種の知的財産権を所有し、その種を使って栽培した作物について条件を設定する権利を有している。現在10の種苗会社が世界的な種の販売の3分の2を制御している。環境活動家ヴァンダナ・シヴァは、それら企業が生命について特許を取得し、それによって利益を得ようとしており、生物学的窃盗罪(バイオパイラシー)を犯していると主張する。特許で保護された種を使っている農家は、翌年のための種を収穫から得られるとしても、毎年新たな種を購入しなければならない。収穫から翌年の種を得ることは普通に行われてきた習慣だが、特許侵害に問われないようにするためには、その習慣を変える必要がある。", "title": "品種改良とバイオテクノロジー" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "限られた地域に適応した種(土着種)は、品種改良された作物や遺伝子組み換え作物によって絶滅の危機にさらされている。そのような種は長い年月をかけてその地域の気候、土壌、その他の環境条件、田畑の設計、現地の民族の好みに適応してきたという意味で重要である。遺伝子組み換え作物や交雑種を持ち込むと、土着種との交雑が起きる危険性がある。つまり遺伝子組み換え作物は土着種の持続可能性やその地域の文化に対する脅威となりうる。交雑によって土着種が遺伝子組み換え作物の形質を獲得したら、その種は特許を保持している企業の設定する条件の対象となりうる。", "title": "品種改良とバイオテクノロジー" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "農業には単に耕作だけでなく、広い土地を耕作に適した農地にすること(開墾)や水路を作るなどの灌漑といった様々な専門的技法が含まれる。農業の基本は、依然として農地での農作物の栽培と牧草地での牧畜である。", "title": "農業の持続可能性" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "トマス・ロバート・マルサスは、地球は人口増加を支えきれないと予言したが、緑の革命などのテクノロジーが食糧需要増に応えることを可能にした。", "title": "農業の持続可能性" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "20世紀末以降、既存の農業に対する懸念から、持続可能な農業への関心が高まっている。品種改良・農薬・化学肥料などの技術革新によって収穫量は急激に増加したものの、環境への悪影響(環境汚染)や 人体への悪影響 が起きている。畜産においても品種改良や「集約型の」養豚・養鶏によって食肉の生産高が劇的に増加したが、動物虐待の問題、抗生物質や成長ホルモンなどの化学物質を投与することによる人体への悪影響が懸念されている。", "title": "農業の持続可能性" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "バイオ医薬品、(欧米でも)薬剤(生薬)、バイオプラスチック、バイオ燃料、などの原料に使われることも多くなっている。ただしそもそも世界では、食糧が不足していて、飢餓で命を落としている人々・地域も多数ある現状である。植物をわざわざ燃料に変換するため燃やしてしまうと、さらに食糧の総量が不足したり、基礎的な農作物の値をつり上げてしまう結果となる。世界人口で多くの割合を占める、低収入で食べ物が十分に入手できてはいない人々の生命を奪う結果をまねくことが懸念されている。", "title": "農業の持続可能性" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "農業は農薬、栄養流去、水の過剰使用などの問題により、社会に対して外部費用(公害)を課す。2000年に発表された研究で、イギリスにおける総外部費用の見積もりは1996年の時点で23億4300万ポンドで、1ヘクタールあたり208ポンドとなっている。アメリカ合衆国の2005年時点の耕作に関わる外部費用はおよそ50億ドルから160億ドル(1ヘクタールあたり30ドルから96ドル)と見積もられており、畜産に関わる外部費用は7億1400万ドルと見積もられている。どちらの研究も外部費用の内部化が必要だとしているが、補助金については分析しておらず、補助金も社会に対する農業のコストに影響していることを注記している。どちらの研究も純粋に経済的影響のみを述べている。2000年の研究は農薬汚染の報告を含んでいるが農薬の常用が及ぼす影響については考察しておらず、2004年の研究では1992年の農薬の影響見積もりに依存している。", "title": "環境への影響" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "ノーマン・ボーローグは革命的な農業技術を開発し、何十億もの命を救った重要人物である。彼の開発した品種は開発途上国の穀物生産量を大幅に増大させ、「緑の革命の父」と呼ばれるようになった。", "title": "環境への影響" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "国連職員でこの問題に関する国連報告の共著者であるヘニング・スタインフェルドは「畜産は今日の環境問題の最も重要な原因の1つだ」と述べている。畜産は農業が使用する総面積の70%を占めており、地球全体の30%の土地を使っている。温室効果ガスの最大の発生源でもあり、CO2 に換算すると全温室効果ガス発生量の18%が畜産に由来する。ちなみに、交通機関・輸送機関が放出するCO2の総計は全体の13.5%である。人間の活動で排出される亜酸化窒素の65%が畜産によるもので(CO2の296倍もの温室効果がある)、メタンの37%が畜産によるものである(CO2の23倍の温室効果がある)。また、アンモニアの64%が畜産によるもので、酸性雨や生態系の酸性化の原因とされている。畜産は森林伐採の主要因とされており、アマゾンで開墾された土地の70%が牧草地になっている(残りは耕作地)。森林伐採や開墾を通して、畜産が生物多様性を低下させているとも言える。", "title": "環境への影響" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "土地を開墾して農産や畜産に利用することは、地球の生態系に最も大きな影響を与える人類の活動であり、生物多様性を低下させる最大の原動力となっている。人類がこれまでに開墾した土地の見積もりは39%から50%まで様々である。土地荒廃 (en) は生態系機能と生産性の長期低下を意味し、全世界の24%の土地(ほとんどが農地)で起きていると見積もられている。国際連合食糧農業機関 (FAO) は土地荒廃の主要因は土地管理の問題だとし、15億人が荒廃した土地に頼って生きていると報告している。ここでいう荒廃とは、森林破壊、砂漠化、侵食、ミネラル分の枯渇、土壌の酸性化や塩害などを指す。", "title": "環境への影響" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "富栄養化は水中の生態系が過剰な栄養を持つようになることで、藻類が繁茂し水中の酸素濃度が低下する。そのため魚類が生息できなくなり、生物多様性が失われ、その水も飲用や工業用に適さなくなる。耕作地への過剰な栄養(肥料)投与や家畜に過剰な飼料を与えることが窒素やリンといった栄養素の表面流出や浸出を招く。これらの栄養素は水中生態系の富栄養化を引き起こす主要な非特定汚染源負荷である。", "title": "環境への影響" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "全世界での農薬の使用量は1950年以降、毎年250万トンずつ増加しているが、農作物の害虫被害はほぼ一定で推移している。1992年、世界保健機関 (WHO) は毎年300万人が農薬中毒を起こし、およそ22万人がそのために亡くなっているとの見積もりを発表した。農薬を使用し続けることでその農薬に耐性のある害虫だけが生き延び、さらに強力な農薬が必要になるというサイクルが生まれている。", "title": "環境への影響" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "飢饉を防ぎつつ環境を守るために農薬を使用した集中的農法を正当化する論理として、Center for Global Food Issues のウェブサイトの冒頭に引用されていた「1エーカーあたりの収穫を増やすことで、より多くの土地を自然のままに残しておける」という考え方もある。批評家は環境と食料需要のトレードオフは必ずしも必然的ではないとし、農薬を減らして輪作などのよい農業経営の習慣を根付かせればよいと主張している。", "title": "環境への影響" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "農業は気温、降水量や降雨時期、CO2、太陽光、といった要素の変化、あるいはこれらの組み合わせによる気候変動に影響を受ける。農業には地球温暖化を防ぐ面もあるし、悪化させる面もある。大気中のCO2増加の一因として、土壌中での有機物の腐敗があり、大気中に放出されるメタンの大部分は水田などの湿った土壌での有機物の分解によるものである。さらに湿った嫌気性土壌では脱窒によって窒素を失い、温室効果ガスの一種である一酸化窒素の形で大気中に放出する。土壌の管理をうまく行えばこれらの温室効果ガス放出を抑え、土壌に大気中のCO2を貯留させることも可能である。", "title": "環境への影響" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "農業生物については、地球内で数種類いる。", "title": "農業生物" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "アリやシロアリにも、農耕を行う生物種がいる。", "title": "農業生物" } ]
農業とは、土地の力を利用して有用な植物を栽培する。また、有用な動物を飼養する、有機的な生産業。
{{農業}} {{ウィキプロジェクトリンク|農業|[[File:P cow blank.svg|45px|Project:農業]]}} {{ウィキポータルリンク|農業と農学|[[画像:P agriculture blank.svg|45px|Portal:農業と農学]]}} '''農業'''(のうぎょう、{{lang-en-short|agriculture}})とは、[[土地]]の力を利用して有用な[[植物]]を[[栽培]]する。また、有用な[[動物]]を[[飼育|飼養]]する、有機的な[[生産]]業<ref name="koujien">広辞苑 第六版「農業」</ref>。 == 概説 == 農業とは、[[土地]]を利用して有用な[[植物]]・[[動物]]を育成し、[[生産物]]を得る活動のことである<ref name="britanica">ブリタニカ百科事典「農業」</ref>。広義には、農産加工や[[林業]]までも含む<ref name="koujien" />。このうち林業については[[林業]]を参照。 <!-- 出典の英文を読み込んでみたが、ここに書かれているような情報が書かれていないようだが。 {{誰|date=2015年1月}} 農業は耕地等において[[植物]]([[農作物]])を[[栽培]]・[[収穫]]したり([[農耕]])、[[動物]]([[家畜]])を飼育し[[乳製品]]や[[皮革]]、[[肉]]、[[卵]]を得て([[畜産]])、人が生きていくうえで必要な食料、繊維、副産物などを生産する人間の根幹[[産業]]である<ref name="Office1999">{{cite book|author=International Labour Office|title=Safety and health in agriculture|url= https://books.google.co.jp/books?id=GtBa6XIW_aQC&pg=PA77&redir_esc=y&hl=ja|accessdate=2010-09-13|year=1999|publisher=International Labour Organization|isbn=978-92-2-111517-5|pages=77-}}</ref>。--> 農業を職業としている人は[[農家]]や農民と呼ばれる。 2007年現在、全労働人口の3分の1が農業を中心とする[[第一次産業]]に従事している。世界全体では[[第三次産業]]に従事する人口が一次産業を凌駕している<ref>{{cite web |url= http://www.ilo.org/public/english/employment/strat/kilm/index.htm |title=Key Indicators of the Labour Market Programme |date=September 7, 2009 |publisher=International Labour Organization|accessdate=2010-12-26}}</ref>。 農業は、伝統的な分類では[[林業]]・[[漁業]]と同じ[[第一次産業]]に分類される。農業・林業・[[水産業]]・[[畜産業]]などに関わる研究は、[[農学]]という学問の一分野を成している。 == 歴史 == {{see|農業の歴史|農耕#農耕の歴史}} 人類はもともとはもっぱら狩猟採集を行って生きていたと考えられており([[狩猟採集社会]])、どこかの段階で農業を"始めた"と考えられている。農業の起源については諸説あるが、[[ハーバード大学]]、[[テルアビブ大学]]と[[ハイファ大学]]の共同チームは、[[イスラエル]]の[[ガリラヤ湖]]岸で、23,000年前の[[農耕]]の痕跡([[オオムギ]]、[[ライムギ]]、[[エンバク]]、[[エンマーコムギ]])を発見したと、[[ニューヨーク・タイムズ]]などで報道されている<ref>{{Cite news|url =http://www.nytimes.com/2015/07/28/science/farming-had-an-earlier-start-a-study-says.html?_r=0|title = Farming Had an Earlier Start, a Study Says |newspaper = ニューヨーク・タイムズ|date = 2015-07-27|accessdate = 2015-07-27}}</ref><ref>{{Cite news|url =http://www.sciencedaily.com/releases/2015/07/150722144709.htm|title = First evidence of farming in Mideast 23,000 years ago|newspaper =サイエンスデイリー|date = 2015-07-22|accessdate = 2015-07-22}}</ref>。 また、約10000年ほど前、中国の[[長江]]流域で[[稲作]]を中心とした[[農耕]]が始められていたことが発掘調査で確認されている。また[[レバント]]([[歴史的シリア|シリア]]周辺、[[肥沃な三日月地帯]]の西半分)では、[[テル・アブ・フレイラ]]遺跡(11050BP, 紀元前9050年頃)で最古級の農耕の跡([[ライムギ]])が発見されている。イモ類ではパプアニューギニアにて9000年前の農業用灌漑施設の跡「クックの初期農耕遺跡」がオーストラリアの学術調査により発見されている。農耕の開始と同時期に'''[[牧畜]]'''も開始された。 中緯度の狩猟民が定住化した後に農耕や牧畜を開始したことは「農業革命」と呼ばれており、その後の人類の社会に大きな影響を与えた<ref>[https://www.minpaku.ac.jp/sites/default/files/research/activity/publication/periodical/tsushin/pdf/tsushin147-04.pdf 池谷和信「人類にとって定住化とは何か―2014年国際人類学民族学科学連合中間会議の成果から」] 国立民族学博物館、2020年6月29日閲覧。</ref>。 植物を栽培するためには自然の植生を取り払う必要があり、土地を焼いた後に種子をまく方法が行われていた<ref name="takahashi">高橋英一, 「[https://doi.org/10.1271/kagakutoseibutsu1962.22.671 肥料の歴史 : 人間活動とのかかわり合い]」『化学と生物』 1984年 22巻 9号 p.671-673, {{doi|10.1271/kagakutoseibutsu1962.22.671}}、2020年6月29日閲覧。</ref>。原始人は意識していたかわからないが草木の灰には養分が含まれており一種の施肥行為になっていた([[焼畑農業|焼畑]])<ref name="takahashi" />。しかし、これだけでは十分な養分の供給は難しく、完全な定着農業が実現したのはヨーロッパで発達した輪作や積極的な施肥(ヨーロッパでは主に厩肥、日本では主に刈草敷)といった方法が行われるようになったことによってである<ref name="takahashi" />。 社会の分業化とともに自給自足、物々交換のための農業は商業化された農業へと移行した<ref name="takahashi" />。 == 農業分野 == [[画像:Rice Terraces Banaue.jpg|thumb|250px|[[フィリピン・コルディリェーラの棚田群]] [[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録されている世界最大規模の[[棚田]]である。]] [[画像:Crops Kansas AST 20010624.jpg|thumb|250px|[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[カンザス州]]の[[センターピボット]]による耕作地]] [[ファイル:Coffee Plantation.jpg|thumb|300px|right|[[ブラジル]]、[[ミナスジェライス州]]のコーヒー農園]] 産業分類や生産物分類では耕種農業と畜産農業(このほか農業サービスや園芸サービス)に大別される<ref name="naro">[https://www.soumu.go.jp/main_content/000649855.pdf 産業別生産物分類策定参考資料] 総務省、2020年6月29日閲覧。</ref>。耕種部門と畜産部門の連携を耕畜連携という<ref>[https://www.maff.go.jp/j/council/hyoka/seisan/02/pdf/14_2_1.pdf 耕種と畜産の連携強化による農業生産の総合的な振興] 農林水産省、2020年6月29日閲覧。</ref>。 === 耕種農業 === 耕種農業とは米、麦、野菜等の生産活動を行う農業をいう<ref>[https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020300/sangyo/h23/syosai/html/stop_d/fil/s2_2_05.pdf 5 定義と範囲] 和歌山県、2020年6月29日閲覧。</ref>。 ==== 耕作システム ==== 耕作システムは利用可能な資源や制約条件([[地形]]や[[気候]]、[[天候]]、政府の[[政策]]、経済的・社会的・[[政治]]的な圧力、農家の[[経営]]方針や慣習)によって変化する<ref name="FAO FS">U.N. Food and Agriculture Organization. Rome. [http://www.fao.org/farmingsystems/description_en.htm "Analysis of farming systems"]. Retrieved December 7, 2008.</ref><ref name="PCP APS">Acquaah, G. 2002. Agricultural Production Systems. pp. 283-317 in "Principles of Crop Production, Theories, Techniques and Technology". Prentice Hall, Upper Saddle River, NJ.</ref>。 [[焼畑農業]]は毎年のように森林を燃やして、解放された栄養素を耕作に利用するシステムで、その後は[[多年生植物|多年生]]作物を数年間栽培する<ref name="CS"/>。その区画はその後休閑地とされて森林に自然に戻り、10年から20年後に再度焼いて利用する。休閑期間は人口密度が増加すると短くなるため、肥料を導入したり、病害虫管理が必要となってくる。 次の段階は休閑期を設けない耕作システムであり、栄養管理と病害虫管理がさらに必要となる。その後さらに工業化が進展すると、[[モノカルチャー|単一作物]]の大規模栽培システムが登場する。特定の[[栽培品種]]だけを作付けすると、[[生物多様性]]が低下し、必要な栄養素も均一化し、病害虫も発生しやすくなる。そのため、[[農薬]]や化学肥料にさらに頼ることになる<ref name="PCP APS"/>。[[二毛作|多毛作]]は1年間に複数種類の作物を次々と栽培するシステムで、[[間作]]は複数種類の作物を同時に栽培するシステムである。他にも[[混作]]という類似のシステムもある<ref name="CS" />。 [[熱帯]]では、これら全ての耕作システムが実際に行われている。[[亜熱帯]]や[[砂漠気候]]では、農作物の栽培は降雨の時期(雨期)に限定されて1年間に何度も栽培することができないか、さもなくば[[灌漑]]を必要とする。それらの環境では多年生作物([[コーヒー]]、[[チョコレート]])が栽培され、[[アグロフォレストリー]]のような耕作システムも行われている。[[温帯]]では[[草原]]や[[プレーリー]]が多く、年1回だけ収穫する生産性の高い耕作システムが支配的である<ref name="CS"/>。 20世紀は[[集約農業]]、農業における集中と[[分業]]が進んだ時代であり、農業化学の新技術(化学[[肥料]]、[[農薬]])、[[農業機械]]、[[品種改良]]([[交雑]]や[[遺伝子組み換え作物]])がそれを支えた。ここ数十年間、社会経済学的な公正さと資源保全の考え方や耕作システムにおける環境の考え方と結びついた[[持続可能な農業]]への動きもある<ref name="USDA sust">Gold, M.V. 1999. USDA National Agriculture Library. Beltsville, MD. [http://www.nal.usda.gov/afsic/pubs/terms/srb9902.shtml "Sustainable Agriculture: Definitions and Terms"]. Retrieved December 7, 2008.</ref><ref name="ATTRA">Earles, R.; Williams, P. 2005. ATTRA National Sustainable Agriculture Information Service. Fayetville, AR. [http://attra.ncat.org/attra-pub/sustagintro.html "Sustainable Agriculture:An Introduction"]. Retrieved December 7, 2008.</ref>。この動きから従来の農業とは異なる様々な農業の形態が生まれた。例えば、[[有機農業]]、[[近郊農業]]、[[:en:community supported agriculture|community supported agriculture]](地域で支える農業)、エコ農業、[[:en:integrated farming|integrated farming]] などがあり、全体として[[農業の多様化]]に向かう傾向が明らかとなってきている。 ==== 耕種農業による生産物 ==== 生産物分類は複数あるが、主に耕種農業の生産物は[[穀物]](コムギ、トウモロコシ、コメ、モロコシ、オオムギ、ライムギ、オート麦、雑穀、その他の穀物)、[[野菜]]、[[果実]]および[[堅果]]、脂肪種子および脂肪性果実(ダイズ、ラッカセイ、綿花、オリーブ、ココナツなど)、香辛料植物および香料作物(コーヒー、茶、コショウ、トウガラシ)、豆類、糖料作物(テンサイ、サトウキビなど)、その他の植物原料(飼料用植物、繊維料植物、タバコ)などに分類される<ref name="naro" />。 [[国際連合食糧農業機関]] (FAO) による作物の種類毎の生産量の推定を次に挙げる。 {| class="wikitable" style="float:left;" |- ! colspan=2|農作物の種類別生産量<br />(単位百万トン)2004年 |- | [[穀物]] || style="text-align:right;"| 2,263 |- | [[野菜]]と[[ウリ]]類 || style="text-align:right;"| 866 |- | [[根]]と塊茎 || style="text-align:right;"| 715 |- | [[乳]] || style="text-align:right;"| 619 |- | [[果実]] || style="text-align:right;"| 503 |- | [[食肉]] || style="text-align:right;"| 259 |- | [[植物油]] || style="text-align:right;"| 133 |- | [[魚類]](2001年推定量) || style="text-align:right;"| 130 |- | [[鶏卵]] || style="text-align:right;"| 63 |- | [[豆]] || style="text-align:right;"| 60 |- | [[植物繊維]] || style="text-align:right;"| 30 |- |colspan=2|''出典: <br />[[国際連合食糧農業機関]] (FAO)''<ref name="FAO">{{cite web |url= http://faostat.fao.org/ |title=Food and Agriculture Organization of the United Nations (FAOSTAT) |accessdate= 2007-10-11 |work= }}</ref> |} {| class="wikitable" style="float:left; margin-left: 2em" |- ! colspan=2|農作物の作物別生産量<br />(単位百万トン)2004年 |- | [[サトウキビ]] || style="text-align:right;"| 1,324 |- | [[トウモロコシ]] || style="text-align:right;"| 721 |- | [[コムギ]] || style="text-align:right;"| 627 |- | [[米]] || style="text-align:right;"| 605 |- | [[ジャガイモ]] || style="text-align:right;"| 328 |- | [[テンサイ]] || style="text-align:right;"| 249 |- | [[ダイズ]] || style="text-align:right;"| 204 |- | [[アブラヤシ]]の実 || style="text-align:right;"| 162 |- | [[オオムギ]] || style="text-align:right;"| 154 |- | [[トマト]] || style="text-align:right;"| 120 |- |colspan=2|''出典: <br />[[国際連合食糧農業機関]] (FAO)''<ref name="FAO" /> |} {{-}} === 畜産農業 === {{Main|家畜|畜産|酪農}} [[畜産]]は、基本的に、[[食肉]]・[[鶏卵]]、[[乳]]、[[ウール]]などを得るために動物を飼育することである。 歴史をたどれば、もともとは全て[[野生]]の動物であったのだが、その中から比較的飼いやすい種類(人間になついてくれる種類)や利用価値が高いものを見出し、人類が次第に家畜として利用するようになってきたのである。 ==== 畜産システム ==== 「畜産システム」には、まず飼料を供給する[[草原]]に基づくもの、混合型システム、土地を持たないシステムなどがある<ref name="FAO lps">Sere, C.; Steinfeld, H.; Groeneweld, J. 1995. [http://www.fao.org/WAIRDOCS/LEAD/X6101E/x6101e00.htm#Contents "Description of Systems in World Livestock Systems - Current status issues and trends"]. U.N. Food and Agriculture Organization. Rome. Retrieved December 7, 2008.</ref>。 草原に基づく畜産は、[[反芻]]動物の飼料を供給する[[低木林地]]、[[放牧地]]、[[牧草地]]のような[[草地]]に依存している。家畜の[[厩肥]]を肥料として直接草地に撒いたとしても、それ以外の[[肥料]]も使用することもある。畜産というのは、気候や土壌のせいで農作物の栽培が現実的でない地域では特に重要であり、世界には3,000万から4,000万人の[[牧畜民]]がいる<ref name="CS"/>。混合型システムでは、[[飼料]]作物や穀物を生産して、反芻動物や単胃動物(主にニワトリとブタ)の飼料とする。厩肥は農作物の肥料として[[リサイクル|再利用]]される。統計的に見ると、実は、農地の約68%は飼料作物栽培地として畜産向けに使われている<ref>FAO Database, 2003</ref>。人々が[[食事]]で食べる食品が、先進国で起きがちな肉食偏重傾向などによって、植物性の食品(穀物・野菜 類)から動物性の食品(肉類)へとシフトすると、結果として、せっかく生産された穀物・野菜類の大部分が(人の口に入らず)肉のための家畜の口に入ってしまう、ということが指摘されている。直接 植物を食べるのと、家畜に食べさせてから肉として食べるのを比較すると、人が同程度の栄養をとる場合を比較すると、肉にしてから口に入れるほうが10倍程度の植物が必要になる、と指摘されている。つまり、わざわざ肉に変換してから口に入れるということをすると、「植物の生産→人間の栄養」という経路の効率は1/10程度まで落ちてしまう、ということである。) 土地を持たないシステムでは、飼料は農場外から供給する。つまり飼料作物の生産と家畜の飼育を別々に行うもので、特に[[経済協力開発機構]] (OECD) 加盟国によく見られる。特に(肉食偏重の)アメリカ合衆国では、生産した穀物の、実に 70%が飼料として消費される(消費されてしまう)<ref name="CS"/>。飼料作物の生産には化学肥料が多用されており、厩肥をどうするかも問題となっている。 ==== 使役動物の飼育 ==== 畜産は基本的に、[[食肉]]・[[鶏卵]]、[[乳]]、[[ウール]]などを得るために動物を飼育することであるが、「畜産」が(広義には)使役するための動物([[使役動物]])を産ませ育てることまで含めて指すこともある。 [[ウマ]]、[[ラバ]]、[[ウシ]]、[[ラクダ]]、[[リャマ]]、[[アルパカ]]、[[イヌ]]といった動物は、農地の[[耕作]]、作物の[[収穫]]、収穫物の[[運搬]]、他の家畜の番([[牧羊犬]]など)などに使役されてきた。 <gallery> File:Il_pastore_(185479425).jpg|[[羊]]の[[放牧]]([[ウール|羊毛]]や[[羊肉]]などの生産) File:Brickfields_Horse_Centre_-_geograph.org.uk_-_135890.jpg|農家の庭での[[アヒル]]の飼育 File:Avicultura_em_Santa_Catarina.JPG|[[養鶏]]([[鶏卵]]と[[鶏肉]]の生産) File:Cows_on_a_farm_-_by_Eric_Dufresne.jpg|乳牛の飼育([[搾乳]]。[[牛乳]]の生産。この写真の牛の種類は牛乳の生産用だが、別の種類の牛では、専ら[[牛肉]]の生産に使う種類もある。) File:Kerbau Jawa.jpg|広義には、「畜産」は使役に使う家畜を産ませ、育てることも含む。育てた[[スイギュウ]]を使って水田を耕す様子。([[インドネシア]]) </gallery> == 農業生産 == === 農作物の管理 === [[ファイル:Mt Uluguru and Sisal plantations.jpg|thumb|300px|農場内の幹線道路。機械が通れるだけの幅を確保している。(タンザニア)]] ; [[耕作]] : 耕作とは、土壌を耕して作物を植えたり、肥料を土に混合したり、害虫駆除をする作業である。[[不耕起栽培]]のようにほとんど土地を耕さない農法もある。耕すことで土壌が暖まり、肥料を含ませ、雑草を除去することで生産性が改善される場合もあるが、表土が侵食されやすくなり、有機物の分解が促進されてCO<sub>2</sub>が放出され、土中の生物多様性が低下する原因にもなる<ref name="Soil">Brady, N.C. and R.R. Weil. 2002. Elements of the Nature and Properties of Soils. Pearson Prentice Hall, Upper Saddle River, NJ.</ref><ref name="PCP Tillage">Acquaah, G. 2002. "Land Preparation and Farm Energy" pp.318-338 in ''Principles of Crop Production, Theories, Techniques and Technology''. Prentice Hall, Upper Saddle River, NJ.</ref>。 ; 病害虫管理 : [[雑草]]、[[昆虫]]、[[病気]]などを防ぐことを病害虫管理と呼ぶ。化学的駆除([[農薬]])、[[生物的防除]]、機械的駆除(耕作)、農耕慣習などがある<ref>{{cite book | last = Mayer | first = Joachim | title = Gemüse biologisch anbauen: Selbst gezogen, frisch geerntet | publisher = Gräfe und Unzer Verlag GmbH | date= 7. Februar 2015 | isbn = 978-3-83383-803-3}}</ref>。農耕慣習としては、[[輪作]]、[[間引き]]、[[被覆作物]]、[[間作]]、[[堆肥化]]、作物の抵抗力を高めるなどの技法がある<ref>{{cite book | last = Pousset| first = Joseph | coauthors =Bureau, Jean-Marc| title = Assolements et rotations des cultures| publisher = France Agricole| date= 19 novembre 2014| isbn = 978-2-85557-343-4}}</ref>。[[総合的病害虫管理]]ではこれらの技法を駆使して害虫が経済的損失を及ぼさない程度に抑えることを目標とし、農薬の使用は最後の手段としている<ref name="PCP Pest">Acquaah, G. 2002. "Pesticide Use in U.S. Crop Production" pp.240-282 in ''Principles of Crop Production, Theories, Techniques and Technology''. Prentice Hall, Upper Saddle River, NJ.</ref>。 ; 栄養管理(施肥) : 栄養管理は、農作物と畜産物の生産において入力とする栄養素を管理するもので、家畜の生み出す[[厩肥]]の利用法を含む。与える栄養としては、[[肥料]]、[[厩肥]]、[[緑肥]]、[[堆肥化|堆肥]]、[[鉱物|ミネラル]]などがある<ref name="PCP Soil">Acquaah, G. 2002. "Soil and Land" pp.165-210 in ''Principles of Crop Production, Theories, Techniques and Technology''. Prentice Hall, Upper Saddle River, NJ.</ref>。[[輪作]]や休閑期をもうけるといった慣習も栄養管理としての一面がある<ref name="CS nutrient">Chrispeels, M.J.; Sadava, D.E. 1994. "Nutrition from the Soil" pp.187-218 in ''Plants, Genes, and Agriculture''. Jones and Bartlett, Boston, MA.</ref><ref name="Soil nutrient">Brady, N.C.; Weil, R.R. 2002. "Practical Nutrient Management" pp.472-515 in ''Elements of the Nature and Properties of Soils''. Pearson Prentice Hall, Upper Saddle River, NJ.</ref>。厩肥は集中管理によるローテーション放牧 ([[:en:managed intensive rotational grazing|en]]) のように牧草地に家畜を放牧することで利用したり、固形または液状の厩肥を耕作地や[[牧草]]地に撒くことで利用する。 ; 用水管理 : 降水量が不十分な地域や降水量の変動が激しい地域では用水管理が必須であり、世界のほとんどの地域が多少なりとも用水管理を必要とする<ref name="CS"/>。地域によっては降水量を補うために[[灌漑]]を行っている。アメリカやカナダの[[グレートプレーンズ]]では、休閑期をもうけることで土壌に水分を蓄えさせる地域もある<ref name="PCP Water">Acquaah, G. 2002. "Plants and Soil Water" pp.211-239 in ''Principles of Crop Production, Theories, Techniques and Technology''. Prentice Hall, Upper Saddle River, NJ.</ref>。世界の淡水利用の70%は農業用水である<ref name="Pimentel water">Pimentel, D.; Berger, D.; Filberto, D.; Newton, M.; et al. 2004. "Water Resources: Agricultural and Environmental Issues". ''Bioscience'' 54:909-918.</ref>。 === 個別の農法 === * [[有機栽培]] * [[合鴨農法]] * [[自然農法]] * [[バイオダイナミック農法]] * [[不耕起栽培]] * [[養液栽培]] * [[植物工場]] * [[アグロフォレストリー]] * [[無施肥無農薬栽培]] * [[無農薬栽培]] * [[ヤロビ農法]](1950年代に日本で注目されその後廃れた) === エネルギーと農業 === 1940年代以降、主にエネルギーを多用する[[機械化]]、[[肥料]]、[[農薬]]によって農業の生産性は急激に向上した。それらのエネルギー源のほとんどが[[化石燃料]]によるものである<ref>"[http://www.independent.co.uk/news/science/world-oil-supplies-are-set-to-run-out-faster-than-expected-warn-scientists-453068.html World oil supplies are set to run out faster than expected, warn scientists]". ''The Independent''. June 14, 2007.</ref>。1950年から1984年にかけての[[緑の革命]]で世界中の農業が大きく変化し、[[世界人口]]が倍増する間に穀物生産量は250%も増加した<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/6496585.stm The limits of a Green Revolution?]</ref>。現代の農業は石油化学製品と機械化に大きく依存しており、石油不足がコストを増大させて農業生産量を減少させ、食料危機を起こすのではないかという懸念が生じるようになった。 {| class="wikitable" style="float:right; text-align:center; margin-left:1em" |- ! colspan=4|先進国3カ国で農業および食料システムが<br />消費するエネルギーの割合(%) |- ! 国 ! 年 ! 農業<br />(直接&間接) ! 食料<br />システム |- | style="text-align:left;"| [[イギリス]]<ref>Rebecca White (2007). [http://www.eci.ox.ac.uk/research/energy/downloads/eceee07/white.pdf "Carbon governance from a systems perspective: an investigation of food production and consumption in the UK,"] Oxford University Center for the Environment </ref> | 2005年 | 1.9 | 11 |- | style="text-align:left;"| [[アメリカ合衆国]]<ref name="css.snre.umich.edu">Martin Heller and Gregory Keoleian (2000). [http://css.snre.umich.edu/css_doc/CSS00-04.pdf "Life Cycle-Based Sustainability Indicators for Assessment of the U.S. Food System,"] University of Michigan Center for Sustainable Food Systems. </ref> | 1996年 | 2.1 | 10 |- |- | style="text-align:left;"| [[アメリカ合衆国]]<ref name="ers.usda.gov">Patrick Canning, Ainsley Charles, Sonya Huang, Karen R. Polenske, and Arnold Waters (2010). [http://www.ers.usda.gov/Publications/ERR94/ "Energy Use in the U.S. Food System,"] USDA Economic Research Service Report No. ERR-94. </ref> | 2002年 | 2.0 | 14 |- | style="text-align:left;"| [[スウェーデン]]<ref>Christine Wallgren & Mattias Hojer (2009). "Eating energy—Identifying possibilities for reduced energy use in the future." Energy Policy 37: 5803-5813. [https://doi.org/10.1016/j.enpol.2009.08.046 doi:10.1016/j.enpol.2009.08.046]</ref> | 2000年 | 2.5 | 13 |} 現代の機械化された農業は2つの意味で化石燃料に依存している。1つは農場で燃料として直接使用しており、もう1つは農場で使用するものを製造する過程で間接的に使用している。直接消費としては、農業機械の燃料や潤滑油としての使用だけでなく、乾燥機、ポンプ、ヒーター、冷房などにガスや電力を使っている。2002年の時点でアメリカ合衆国の農家が直接消費したエネルギーは約1.2[[エクサ]][[ジュール]]で、アメリカの全エネルギー消費の1%強程度である<ref name="ncseonline.org">Randy Schnepf (2004). [http://ncseonline.org/NLE/CRSreports/04nov/RL32677.pdf "Energy use in Agriculture: Background and Issues,"] CRS Report for Congress. </ref>。 間接消費は主に肥料と農薬の製造に使われた石油と天然ガスであり、2002年には0.6エクサジュールだった<ref name="ncseonline.org"/>。農業機械の製造に使われたエネルギーも間接消費の一種だが、[[アメリカ合衆国農務省]]の統計にはそれは含まれていない。合計すると、アメリカでの農業が直接・間接に消費するエネルギーは全体の約2%を占めている。アメリカでの農業の直接・間接のエネルギー消費量は1979年をピークとして、その後30年間は徐々に減少傾向にある<ref name="ncseonline.org"/>。 食料システムと言った場合、農業生産だけでなく、その後の加工、梱包、輸送、販売、消費、廃棄といった食料にまつわる全てが含まれる。アメリカでは食料システム全体のエネルギー消費に対して農業が占める割合は5分の1以下である<ref name="css.snre.umich.edu"/><ref name="ers.usda.gov"/>。 石油不足が生じた場合、食料供給に影響が生じる。現代的有機農法を採用している農家は、化学肥料や農薬を使わなくとも高い生産量を維持できると報告している。しかし、石油に基づいた技術で可能になった単作栽培で失われた土壌の栄養素の復元には時間がかかる<ref name="Realities of organic farming">[http://www.biotech-info.net/Alex_Avery.html Realities of organic farming]</ref><ref name="extension.agron.iastate.edu">[http://extension.agron.iastate.edu/organicag/researchreports/nk01ltar.pdf Comparison of Organic and Conventional Corn, Soybean, Alfalfa, Oats, and Rye Crops at the Neely-Kinyon LTAR]</ref><ref name="berkeley1">[http://www.cnr.berkeley.edu/~christos/articles/cv_organic_farming.html Organic Farming can Feed The World!]</ref><ref name="terradaily1">[http://www.terradaily.com/news/farm-05c.html Organic Farms Use Less Energy And Water]</ref>。 2007年、[[バイオ燃料]]用作物の栽培が農家をひきつけ<ref>Smith, Kate; Edwards, Rob (March 8, 2008).[http://www.sundayherald.com/news/heraldnews/display.var.2104849.0.2008_the_year_of_global_food_crisis.php "2008: The year of global food crisis"], ''The Herald'' (Glasgow).</ref>、他の要因(輸送コスト上昇、異常気象、中国やインドでの食料需要増、世界的な人口増加など)<ref>[http://www.csmonitor.com/2008/0118/p08s01-comv.html "The global grain bubble"], ''The Christian Science Monitor'' (Boston), January 18, 2008.</ref>も加わってアジア、中欧、アフリカ、メキシコなどで[[食の安全保障|食料供給が逼迫し]]、世界全体で[[食品]]価格が高騰した<ref>[http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/7284196.stm "The cost of food: Facts and figures"], ''BBC News Online'' (London), October 16, 2008.</ref><ref>Walt, Vivienne (February 27, 2008).[http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1717572,00.html "The World's Growing Food-Price Crisis"], ''Time'' (New York).</ref>。2007年12月の時点で37カ国で食料危機が発生し、20カ国で何らかの食料価格の統制が行われている。この[[2007年-2008年の世界食料価格危機]]で暴動も起きている<ref name="guardian.co.uk">Watts, Jonathan (December 4, 2007). [http://www.guardian.co.uk/world/2007/dec/04/china.business "Riots and hunger feared as demand for grain sends food costs soaring"], ''The Guardian'' (London).</ref><ref name="timesonline.co.uk">Mortished, Carl (March 7, 2008).[http://www.timesonline.co.uk/tol/news/environment/article3500975.ece "Already we have riots, hoarding, panic: the sign of things to come?"], ''The Times'' (London).</ref><ref name="ReferenceA">Borger, Julian (February 26, 2008). [http://www.guardian.co.uk/environment/2008/feb/26/food.unitednations "Feed the world? We are fighting a losing battle, UN admits"], ''The Guardian'' (London).</ref>。 農業に関連して最も化石燃料を消費しているのは、[[ハーバー・ボッシュ法]]で化学肥料を作る際に原料の水素を得るのに天然ガスを使っていることである<ref>{{cite web |url=http://www.fertilizer.org/ifa/statistics/indicators/ind_reserves.asp |title=Raw Material Reserves |publisher=International Fertilizer Industry Association |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080630204707/http://www.fertilizer.org/ifa/statistics/indicators/ind_reserves.asp |archivedate=2008-6-30 |accessdate=2015-11-11}}</ref>。天然ガスが使われているのは、水素の原料として今のところ最も安価だからである<ref>Integrated Crop Management-[[アイオワ州立大学|Iowa State University]] January 29, 2001 [http://www.ipm.iastate.edu/ipm/icm/2001/1-29-2001/natgasfert.html]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20071126035318/http://www.physicstoday.org/vol-57/iss-12/p39.html "The Hydrogen Economy"], ''Physics Today'', December 2004.</ref>。石油が減少してくれば、天然ガスがその代替として一時的に使われるようになり、[[需要と供給]]の関係で天然ガスはさらに高価になる。他の水素の原料が見つからなければハーバー・ボッシュ法による化学肥料の製造は高くつくようになり、化学肥料の入手が困難になることが予想される。そうすると、食品価格が急激に高騰し、世界的な食料危機になる可能性もある。 === 石油不足の影響の緩和 === 石油不足対策として[[有機農業]]への転換が考えられる。有機農業では、石油化学製品である殺虫剤、除草剤、化学肥料を使わない。現代的有機農法で生産量が減少しないことを実証した農家もある<ref name="Realities of organic farming"/><ref name="extension.agron.iastate.edu"/><ref name="berkeley1"/><ref name="terradaily1"/>。しかし有機農業は手間がかかるため、労働力の都市から地方へのシフトを必要とする<ref>Strochlic, R.; Sierra, L. (2007). [http://www.cirsinc.org/Documents/Pub0207.1.PDF Conventional, Mixed, and "Deregistered" Organic Farmers: Entry Barriers and Reasons for Exiting Organic Production in California]. California Institute for Rural Studies.</ref>。 農村で廃棄物から[[バイオ炭]]や[[合成燃料]]を作って燃料として使うという方法も提案されている。合成燃料の場合、その場で作って使用することが可能であるためより効率的であり、新たな有機農業には十分な燃料を供給できる可能性がある<ref>{{cite web |url=http://www.rsnz.org/topics/energy/ccmgmt.php#2 |title=Carbon cycle management with increased photo-synthesis and long-term sinks |author=Peter Read |year=2007 |publisher=Royal Society of New Zealand |archivedate=2005-5-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050511152534/http://www.rsnz.org/topics/energy/ccmgmt.php#2 |accessdate=2015-11-11 }}</ref><ref>Greene, Nathanael (December 2004). [http://www.bio.org/ind/GrowingEnergy.pdf How biofuels can help end America's energy dependence].</ref>。 肥料が少なくても生産量が減らない[[遺伝子組み換え作物]]の開発も進められている<ref>{{cite journal|publisher=The Electronic Journal of Environmental, Agricultural and Food Chemistry|volume=7|month=June | year=2008|author=Srinivas et al.|title=Reviewing The Methodologies For Sustainable Living|url= http://ejeafche.uvigo.es/index.php?option=com_docman&task=doc_download&gid=363|pages=2993-3014}}</ref>。しかし遺伝子組み換え作物については生態学者や経済学者から疑問が呈されており<ref>{{cite journal |url= http://www.ecologyandsociety.org/vol4/iss1/art2/#GeneticModificationAndTheSustainabilityOfTheFoodSystem|author=Conway, G.|year=2000|title=Genetically modified crops: risks and promise|publisher=Conservation Ecology|volume=4(1): 2}}</ref><ref>{{cite journal|publisher=Journal of Economic Integration|volume= 19| issue = 2|month=June | year=2004|author= Pillarisetti, R.; Radel, Kylie|title=Economic and Environmental Issues in International Trade and Production of Genetically Modified Foods and Crops and the WTO|url= http://www.jstor.org/stable/23000784?seq=1#page_scan_tab_contents |pages=332-352}}</ref>、2008年1月には遺伝子組み換え作物が「環境面でも社会面でも経済面でも失敗だ」とする報告がなされた<ref>{{cite web|url= http://www.foeeurope.org/GMOs/Who_Benefits/Ex_Summary_Feb08.pdf|publisher=Friends of the Earth International|month=January | year=2008|title=Who Benefits from GM Crops?|author=Lopez Villar, Juan; Freese, Bill|format=PDF|accessdate=2010-12-22}}</ref>。 [[モンサント (企業)|モンサント]]の失敗例のように遺伝子組み換え作物による持続可能性の研究がある一方で、従来からの品種改良による作物の持続可能性の改良が行われている<ref>{{cite news|url= http://www.newscientist.com/article/mg18124330.700-monsanto-failure.html|newspaper=[[ニュー・サイエンティスト|New Scientist]] | location = London|date=February 7, 2004|title=Monsanto failure|accessdate=2008-04-18|volume= 181| issue = 2433}}</ref>。さらにアフリカの自給自足農家についてのバイオテクノロジー業界による調査によると、農家の抱える問題への対策のほとんどは遺伝子組み換えとは無関係のものだったとしている<ref>{{cite web|url= http://www.grain.org/briefings_files/africa-gmo-2002-en.pdf|publisher=Genetic Resources Action International (GRAIN)|month=August | year=2002|title=Genetically Modified Crops in Africa: Implications for Small Farmers|author= Kuyek, Devlin|format=PDF|accessdate=2010-12-22}}</ref>。それにも関わらず、アフリカのいくつかの政府は遺伝子組み換え技術への投資が持続可能性を高めるのに必須だとしている<ref>{{cite news|url= http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/7428789.stm|work =BBC News Online | location = London|date=May 30, 2008|title=Genetically Modified Crops in Africa: Implications for Small Farmers|author= Cooke, Jeremy|accessdate=2008-06-06}}</ref>。 === 経済計算 === ; 農業生産額 : 国内での農業生産活動の結果得られた生産物を生産者価格の評価額に、農業サービス(稲作共同育苗、青果物共同選果等)の売上高等を合計した数値<ref name="tokei">[https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/keizai_keisan/gaiyou/ 農業・食料関連産業の経済計算の概要] 農林水産省、2020年6月29日閲覧。</ref>。広義の農業の国内生産額を表す数値<ref name="tokei" />。 ; 農業総生産 : 農業生産額から中間投入を差し引いたもので付加価値額に相当する<ref name="tokei" />。中間投入とは種苗、肥料、飼料、農薬・医薬品、農機具修繕、農用建物修繕、光熱動力、賃借料など農業生産のために投入された財・サービスの費用である<ref name="tokei" />。 ; 農業純生産 : 農業総生産から固定資本減耗等(固定資本減耗+間接税-経常補助金)を差し引いたもの<ref name="tokei" />。固定資本減耗とは固定資産の通常の使用での価値減耗(減価償却)および資本偶発損の評価額である<ref name="tokei" />。 == 農業経営 == {{main|農家}} === 特徴 === 現代社会は貨幣経済であり、農業も自家消費のための生産という側面を残しつつも、ほとんどの農家は農産物の販売によって貨幣で収入を得ている<ref name="report2013">[https://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n1311re2.pdf 清水 徹朗「農業所得・農家経済と農業経営─その動向と農業構造改革への示唆─」農林金融2013・11] 農林中金総合研究所、2020年6月29日閲覧。</ref>。農家の場合は会社から賃金を得る場合とは異なり、農家自体が経営体で家族労働に依存していることも多く所得の算出がやや複雑になる<ref name="report2013" />。 農業所得は、農産物の販売による収入(厳密には農家が自家消費した農産物を含む)から農業経営費を差し引いたものである<ref name="report2013" />。農業経営費には、肥料や農薬等の物財費、地代、雇用労働費、農業機械等の減価償却費などがある<ref name="report2013" />。農業経営費は家族労働費、自作地地代、自己資本利子などを含む「生産費」とは異なる<ref name="report2013" />。また、農産物の販売による収入のほか、政府から受け取る助成金が重要な収入源になっている場合もある<ref name="report2013" />。 農業は自然環境のなかで動植物を生産するため自然災害や不作などのリスクがあるほか、短期的な収益最大化を図ろうとすると土地の地力維持ができなくなるなど農業経営には多面的要素がある<ref name="report2013" />。 農作物栽培の場合、基本的に[[自然]]を対象にするため、[[日照]]や[[気温]]、[[降水量]]などの[[気象]]状態に左右されやすく、また需給関係や投資の影響による[[市場]]での価格変動もあり、収入面の安定に欠ける面がある。 また、[[畜産]]では、市場での価格変動以外にも、飼育する家畜に対する[[水]]や[[飼料]]の給餌や運動など、早朝から深夜までの世話が毎日必要となり、[[休日]]が取り難く、従事者の肉体的負担([[過労]])・精神的な負担([[ストレス (生体)|ストレス]])が大きいという問題のほか、家畜の糞尿による[[悪臭]]や[[環境汚染]]などの問題を有する<ref name="Umweltverschmutzung">{{cite news |url= http://www.tagesspiegel.de/weltspiegel/streit-um-dung-kuehe-die-in-windeln-machen/10839028.html|newspaper = Der Tagesspiegel|title=Kühe, die in Windeln machen|last= Schümann|first=Helmut|date=14. Oktober 2014}}</ref>。 === 規模 === 農業経営の規模では農業経済学や農業経営学で古くから大農と小農をめぐる論争がある<ref name="report2013" />。小農は賃労働者のいない小規模の家族経営の農家をいい、生産活動は自家労働(家族労働)で行い農産物の一部は自家消費され、家計と生産(経営)が未分離という特徴がある<ref name="report2013" />。家族経営と企業的農業経営に分けられることもある<ref name="report2013" />。 == 農業政策 == [[File:Ambrogio Lorenzetti, The Effects of Bad Government on the Countryside (detail).JPG|thumb|right|240px|「悪しき政府が田舎に及ぼす悪影響」。悪政によって[[田舎]]([[農村]])が荒廃してしまっている図。(14世紀)]] {{Main|農業政策}} [[農業政策]]は農業生産の目標や手法を扱う。政策レベルでの主な農業の目標として次のものがある。 * [[保全生態学|生態系の保全]] * 経済的安定 * [[持続可能性]] * 食の品質: 食糧供給がある一定の品質を保つようにする。 * [[食の安全]]: 食糧供給において汚染などがないようにする。 * [[食料安全保障]]: 人口にみあった食料供給を確保する。<ref name="un warning">[http://www.finfacts.com/irelandbusinessnews/publish/article_1011078.shtml Record rise in wheat price prompts UN official to warn that surge in food prices may trigger social unrest in developing countries]</ref><ref name = "nnxnwc">Trumbull, Mark (July 24, 2007). [http://www.csmonitor.com/2007/0724/p01s01-wogi.html "Rising food prices curb aid to global poor"], ''The Christian Science Monitor'' (Boston).</ref> * [[貧困]]削減 多くの政府が適正な食品供給を保証するために農業に補助金や助成金を与えてきた。そういった農業補助金は、[[コムギ]]、[[トウモロコシ]]、[[米]]、[[ダイズ]]、[[乳]]といった特定の食品に対して与えられることが多い。[[先進国]]がそのような補助金制度を実施する場合、[[保護貿易]]と呼ばれ、非効率で環境に対しても悪影響があると評されることが多い<ref>{{cite news |last=Schneider |first=Keith |date=September 8, 1989 |url= http://www.nytimes.com/1989/09/08/us/science-academy-recommends-resumption-of-natural-farming.html |title=Science Academy Recommends Resumption of Natural Farming |newspaper=The New York Times}}</ref>。 近年、集約農業の環境への悪影響([[外部性]])、特に水質汚染に対する反発から、[[有機農業]]を推進する動きが生まれた。例えば[[欧州連合]]は1991年に[[有機農産物]]の認証を始め、2005年には[[共通農業政策]] (CAP) 改訂<ref>European Commission (2003), [http://ec.europa.eu/agriculture/capreform/index_en.htm CAP Reform].</ref>で生産量と補助金を段階的に切り離すいわゆる「デカップリング方式」の導入を決めた。 2007年後半、いくつかの要因が重なって穀物の価格が急騰し(コムギは58%上昇、ダイズは32%上昇、トウモロコシは11%上昇)、穀物を飼料としている畜産物の価格も押し上げた<ref>{{cite news |url= http://www.nytimes.com/2007/09/06/business/06tyson.html?n=Top/Reference/Times%20Topics/Subjects/W/Wheat |title=At Tyson and Kraft, Grain Costs Limit Profit |date=September 6, 2007 |agency=Bloomberg |newspaper =The New York Times}}</ref><ref>{{cite news |url= http://www.financialpost.com/story.html?id=213343 |title=Forget oil, the new global crisis is food |last=McMullen |first=Alia |date=January 7, 2008 |newspaper=Financial Post |location=Toronto}}</ref>。世界中のいくつかの国で[[暴動]]まで発生した<ref name="guardian.co.uk"/><ref name="timesonline.co.uk"/><ref name="ReferenceA"/>。高騰の要因は、オーストラリアなどでの干ばつ、中国やインドなどの成長が著しい中流階級の食肉需要増、穀物をバイオ燃料生産に転換し始めたこと、いくつかの国が貿易を制限したことなどである。 近年、Ug99株の[[コムギ]]に小麦さび病 ([[:en:stem rust|en]]) という[[伝染病]]がアフリカやアジアで広まっており、懸念が強まっている<ref>McKie, Robin; Rice, Xan (April 22, 2007). [http://www.guardian.co.uk/science/2007/apr/22/food.foodanddrink "Millions face famine as crop disease rages"], ''The Observer' (London).</ref><ref name = NewSci>{{cite journal| url = http://environment.newscientist.com/channel/earth/mg19425983.700-billions-at-risk-from-wheat-superblight.html |journal = New Scientist |location=London |title=Billions at risk from wheat super-blight |date=April 3, 2007 | last = Mackenzie | first = Debora|accessdate = 2007-04-19 |issue= 2598 |pages = 6-7|archivedate=2007-5-9 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070509024241/http://environment.newscientist.com/channel/earth/mg19425983.700-billions-at-risk-from-wheat-superblight.html}}</ref><ref>Leonard, K.J. ''[http://www.ars.usda.gov/Main/docs.htm?docid=10755 Black stem rust biology and threat to wheat growers]'', USDA ARS</ref>。また、全世界の農地の約40%で土壌の荒廃が深刻な問題となっている<ref>Sample, Ian (August 31, 2007). [http://www.guardian.co.uk/environment/2007/aug/31/climatechange.food "Global food crisis looms as climate change and population growth strip fertile land"], ''The Guardian'' (London).</ref>。[[国際連合大学]]のガーナに本拠地のあるアフリカ天然資源研究所は、アフリカでこのまま土壌の荒廃が進めば、2025年にはアフリカの人口の25%にしか食糧が行き渡らなくなる可能性があるとしている<ref>[http://news.mongabay.com/2006/1214-unu.html "Africa may be able to feed only 25% of its population by 2025"], ''mongabay.com'', December 14, 2006.</ref>。 [[ファイル:2005gdpAgricultural.PNG|thumb|right|500px|世界各国の農業生産高概略(2005年)。中華人民共和国を100とした時の各国の農業生産高。緑色の丸は100%(中華人民共和国)、黄色の丸は10%(3個ある場合は30%を示す。以下同じ)、赤色の丸は1%]] 経済発展、人口密度、文化など世界の農家はそれぞれ全く異なる条件下で働いている。 アメリカの[[綿花]]農家は作付面積1エーカー当たり230ドルの補助金を受け取っているが(2003年時点)、一方で[[マリ共和国]]などの開発途上国の農家にはそのような補助金は出ていない<ref name= BBC>{{cite news| title=Cotton subsidies squeeze Mali| work= BBC News Online|last=Baxter |first=Joan| url = http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/3027079.stm | location = London| date = May 19, 2003 | accessdate=2010-01-01}}</ref>。価格が下落してもアメリカの綿花農家は補助金があるので生産量を減らす必要がないが、マリの綿花農家は価格下落の影響をもろに被って破産することもある。 [[大韓民国]]の畜産農家は政府に保護されており、子牛1頭あたり1300USドルの販売価格を見込むことができる。南米の[[メルコスール]]加盟国の農場経営者の場合、子牛の販売価格は120から200USドルである(どちらも2008年の値)<ref name= beefsite>{{cite web | publisher= megaagro.com.uy| url = http://www.megaagro.com.uy/scripts/templates/portada.asp?nota=portada/faena| accessdate = 2009-02-18 |title=socio en su producción | language = Spanish}}</ref>。前者は土地の不足と高コストを公的な補助金で補っており、後者は土地の広さと低コストによって補助金がないことを補っている。 [[中華人民共和国]]では、農家の平均的耕作地は1ヘクタールと言われている<ref name= Kansas>{{cite web | title= China: Feeding a Huge Population| publisher= Kansas-Asia (ONG)| url = http://www.asiakan.org/china/china_ag_intro.shtml|quote= average farming household in China now cultivates about one hectare| accessdate = February 18, 2009| archivedate=2003-12-19| archiveurl=https://web.archive.org/web/20031219222154/http://www.asiakan.org/china/china_ag_intro.shtml}}</ref>。[[ブラジル]]や[[パラグアイ]]など海外の人間が土地を自由に購入できる国では、1ヘクタールあたり数百USドルで数千ヘクタールの農地や未開発の土地が国際的に販売されている<ref name= Paraguay>{{cite web | title= Paraguay farmland real estate| publisher= Peer Voss| url = http://www.ventacamposparaguay.com/farmland.htm |accessdate = 2009-02-18}}</ref><ref name= Brazil>{{cite web | title= Brazil frontier farmland| publisher= AgBrazil| url = http://agbrazil.com/frontier_land_for_sale.htm| accessdate = 2009-02-18}}</ref>。 == 農業生産額 == [[File:Agricultural value map 1970-2008.gif|thumb|right|400px|1970〜2008年にかけての農業生産額。[[緑の革命]]により塗り変わった。]] 2011年の世界各国の農業生産高を以下に示す。 {{-}} {| class="wikitable sortable" border="1" style="font-size:100%" |+2011年の農業生産額 ! width="8%"|順位 ! width="23%"|国 ! width="23%"|生産額(10億米ドル) ! width="23%"|GDP割合 (%) ! width="23%"|世界シェア(%) |- | align="center" | ''—'' | style="text-align:left;" | '''''{{noflag}} 世界全体''''' | align="right" | ''4,249.237'' | align="right" | ''6.1%'' | align="right" | ''100.0%'' |- | align="center" | 1 | style="text-align:left;" | '''{{flag|China}}''' | align="right" | 737.113 | align="right" | 10.1% | align="right" | 17.3% |- | align="center" | ''—'' | style="text-align:left;" | '''''{{flag|European Union}}''''' | align="right" | ''316.398'' | align="right" | ''1.8%'' | align="right" | ''7.4%'' |- | align="center" | 2 | style="text-align:left;" | '''{{flag|India}}''' | align="right" | 303.382 | align="right" | 18.1% | align="right" | 7.1% |- | align="center" | 3 | style="text-align:left;" | '''{{flag|United States}}''' | align="right" | 181.128 | align="right" | 1.2% | align="right" | 4.3% |- | align="center" | 4 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Brazil}}''' | align="right" | 144.589 | align="right" | 5.8% | align="right" | 3.4% |- | align="center" | 5 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Indonesia}}''' | align="right" | 126.006 | align="right" | 14.9% | align="right" | 3.0% |- | align="center" | 6 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Nigeria}}''' | align="right" | 93.179 | align="right" | 39.0% | align="right" | 2.2% |- | align="center" | 7 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Japan}}''' | align="right" | 82.173 | align="right" | 1.4% | align="right" | 1.9% |- | align="center" | 8 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Russia}}''' | align="right" | 77.717 | align="right" | 4.2% | align="right" | 1.9% |- | align="center" | 9 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Turkey}}''' | align="right" | 71.584 | align="right" | 9.2% | align="right" | 1.7% |- | align="center" | 10 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Australia}}''' | align="right" | 59.529 | align="right" | 4.0% | align="right" | 1.4% |- | align="center" | 11 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Iran}}''' | align="right" | 54.034 | align="right" | 11.2% | align="right" | 1.3% |- | align="center" | 12 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Spain}}''' | align="right" | 49.286 | align="right" | 3.3% | align="right" | 1.2% |- | align="center" | 13 | style="text-align:left;" | '''{{flag|France}}''' | align="right" | 47.198 | align="right" | 1.7% | align="right" | 1.1% |- | align="center" | 14 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Thailand}}''' | align="right" | 45.971 | align="right" | 13.3% | align="right" | 1.1% |- | align="center" | 15 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Mexico}}''' | align="right" | 45.037 | align="right" | 3.9% | align="right" | 1.1% |- | align="center" | 16 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Argentina}}''' | align="right" | 44.764 | align="right" | 10.0% | align="right" | 1.1% |- | align="center" | 17 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Pakistan}}''' | align="right" | 44.008 | align="right" | 20.9% | align="right" | 1.0% |- | align="center" | 18 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Italy}}''' | align="right" | 41.776 | align="right" | 1.9% | align="right" | 1.0% |- | align="center" | 19 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Egypt}}''' | align="right" | 33.944 | align="right" | 14.4% | align="right" | 0.8% |- | align="center" | 20 | style="text-align:left;" | '''{{flag|Malaysia}}''' | align="right" | 33.442 | align="right" | 12.0% | align="right" | 0.8% |- | align="center" | - | style="text-align:left;" | '''''その他の国々''''' | align="right" | 1,933.377 | align="right" | | align="right" | 45.5% |- |} == 農作物の流通 == === 食の安全、表示と規制 === [[食の安全]]や[[食品表示]]の問題は、食品の安全性に関わる問題である。国際的には[[生物の多様性に関する条約|バイオセーフティーに関するカルタヘナ議定書]]によって[[遺伝子組み換え作物]]の貿易が規制されている。[[欧州連合]]では遺伝子組み換え作物を使った食品には表示が義務付けられているが、アメリカ合衆国では必須とされていない。遺伝子組み換え作物の安全性についてはまだ疑問が残るため、遺伝子組み換え作物を使用の有無を食品に表示し、一般大衆が選択できるようにすることが必須だ、と考える者もいる<ref>Shiva, Vandana. ''Earth Democracy: Justice, Sustainability, and Peace,'' South End Press, Cambridge, MA, 2005.</ref>。 [[国際連合食糧農業機関]] (FAO) は「飢餓の根絶」を目標とし、加盟国が平等な立場で集まって[[食糧政策]]や農業の規制について話し合い、合意を形成する場を提供している。FAOの家畜生産・衛生部長 Samuel Jutzi は、巨大食品企業によるロビー活動が 健康と環境の改善にむけた改革を妨害してきた、としている。彼は [[:en:Compassion in World Farming|Compassion in World Farming]] (CIWF) の年次会合で「現実の真の問題は、強大な力を背景にした[[ロビイスト]]の影響を受ける政治的プロセスでは解決されない」と述べた。例えば、畜産業界の自主規制案として単位面積あたりの家畜の頭数を制限して土地への長期的ダメージを低減するなどの環境対策が提案されたのだが、巨大[[食品企業]]の[[圧力]]によって廃案となってしまったのである<ref>{{cite news |url= http://www.guardian.co.uk/environment/2010/sep/22/food-firms-lobbying-samuel-jutzi |title=Corporate Lobbying Is Blocking Food Reforms, Senior UN Official Warns: Farming Summit Told of Delaying Tactics by Large Agribusiness and Food Producers on Decisions that Would Improve Human Health and the Environment | location=London | work=The Guardian | first=Juliette | last=Jowit | date=September 22, 2010 |accessdate=2010-12-23}}, The Guardian (UK), 2010 Sept. 22</ref>。 {{Seealso|食の安全}} === 加工・流通・マーケティング === アメリカ合衆国では家計における食費に占める農業のコストの割合が低下し、食品加工、流通、マーケティングのコストが増大している。これは農業の生産性が向上しただけでなく、高付加価値の食品が増えていることを意味する。1960年から1980年まで、食費に占める農業コストは40%前後だったが、1990年には30%、1998年には22.2%に低下している。寡占化も進んでおり、1995年には食品企業上位20社の製品が全体の半分を占めるようになっており、1954年に比べると倍増している。流通面でも寡占化が進んでおり、アメリカの[[スーパーマーケット]]上位6チェーンが食品販売に占める割合は、1992年には32%だったものが2000年には50%になった。寡占化はある意味で効率向上にもなっているが、農村にとっては悪影響があるかもしれない<ref name=Sexton2000>{{cite journal | author = Sexton,R.J.| year = 2000 | title = Industrialization and Consolidation in the US Food Sector: Implications for Competition and Welfare | journal = American Journal of Agricultural Economics | volume = 82 | issue = 5 | pages = 1087-1104 | doi = 10.1111/0002-9092.00106}}</ref>。 == 品種改良とバイオテクノロジー == [[ファイル:Ueberladewagen (jha).jpg|thumb|[[トラクター]]とグレインカート]] 人類は文明の始まった数千年前から[[品種改良]]を行ってきた。人間によってよりよい特徴を持つ作物になるよう植物の遺伝構造を変更してきた。例えば、果実や種がより大きくなるようにしたり、干ばつへの耐性を持たせたり、害虫に強くしたりといった改良である。[[グレゴール・ヨハン・メンデル]]以降、品種改良技術が著しく進歩した。遺伝形質についてのメンデルの業績により、遺伝について理解が深まり、それによって品種改良の技法が発展したのである。望ましい特徴を持つ植物を選択し、自家[[受粉]]および他家受粉を駆使し、最終的には遺伝子組み換えを行うようになった<ref>[http://www.cls.casa.colostate.edu/TransgenicCrops/history.html History of Plant Breeding]. Retrieved December 8, 2008.</ref>。 植物の品種改良により、徐々に収穫量が増えていき、病害や干ばつへの耐性が改善され、収穫が容易になり、作物の味と栄養価が高まった。慎重な選択と育種によって農作物の特徴は大きく変化していった。例えば1920年代から1930年代にかけて、ニュージーランドで選別と育種によって牧草やクローバーが改良された。1950年代には[[X線]]や[[紫外線]]を使って突然変異率を高める原始的な遺伝子工学が生まれ、小麦、トウモロコシ、大麦などの品種改良が行われた<ref>{{cite journal| last = Stadler| first = L. J. | authorlink = | coauthors = Sprague, G.F. | title = Genetic Effects of Ultra-Violet Radiation in Maize. I. Unfiltered Radiation| journal = Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America | volume = 22 | issue = 10 | pages = 572-578 | publisher = US Department of Agriculture and Missouri Agricultural Experiment Station | date= October 15, 1936| url = http://www.pnas.org/cgi/reprint/22/10/579.pdf |format=PDF| doi = 10.1073/pnas.22.10.572|accessdate = October 11, 2007| pmid = 16588111| pmc = 1076819 }}</ref><ref>{{cite book | last = Berg | first = Paul | coauthors =Singer, Maxine| title = George Beadle: An Uncommon Farmer. The Emergence of Genetics in the 20th century| publisher = Cold Springs Harbor Laboratory Press | date= August 15, 2003 | isbn = 978-0-87969-688-7 }}</ref>。 [[緑の革命]]では従来からの[[交雑]]技法を使うことが一般化し、生産性の高い品種を栽培することで収穫量が何倍にも高まった。例えば、アメリカでの[[トウモロコシ]]の収穫量は1900年ごろには1ヘクタール当たり2.5トンだったが、2001年ごろには1ヘクタール当たり9.4トンになっている。同様に小麦の収穫量の世界平均は、1900年ごろには1ヘクタール当たり1トンだったものが、1990年には1ヘクタール当たり2.5トンになっている。南アメリカでの平均小麦収穫量は1ヘクタール当たり2トン、アフリカでは1トン以下だが、[[エジプト]]やアラビアの灌漑を行っている地域では3.5トンから4トンの収穫がある。これに対して技術の進んでいるフランスでは1ヘクタール当たり8トン以上の収穫がある。収穫量の地域差は主に気候、品種、耕作技法(肥料、害虫駆除、倒伏防止など)の差が原因である<ref>{{cite journal | last = Ruttan | first = Vernon W.| title = Biotechnology and Agriculture: A Skeptical Perspective | journal = AgBioForum | volume = 2 | issue = 1 | pages = 54-60 | month = December | year = 1999| url = http://www.mindfully.org/GE/Skeptical-Perspective-VW-Ruttan.htm| accessdate = October 11, 2007 | format = -<sup>[https://scholar.google.co.uk/scholar?hl=en&lr=&q=author%3ARuttan+intitle%3ABiotechnology+and+Agriculture%3A+A+Skeptical+Perspective&as_publication=AgBioForum&as_ylo=1999&as_yhi=1999&btnG=Search Scholar search]</sup> }}</ref><ref>{{cite journal | last = Cassman | first = K.| title = Ecological intensification of cereal production systems: The Challenge of increasing crop yield potential and precision agriculture| journal = Proceedings of a National Academy of Sciences Colloquium, Irvine, California| publisher = University of Nebraska | date= December 5, 1998}}</ref>。 === 遺伝子工学 === {{Main|遺伝子工学}} [[遺伝子組み換え作物]] (GMO) は遺伝子工学の技法を使って遺伝子に修正を加えた作物(植物)である。遺伝子工学によって新品種の生殖系列を生み出すのに使える遺伝子の幅が広がった。1960年代初めに機械式トマト収穫機が開発されると、農学者は機械による収穫により適した遺伝子組み換えを施したトマトを作り出した。最近では遺伝子組み換え技術は様々な作物の新品種開発に使われている。 === 除草剤に耐性のある遺伝子組み換え作物 === [[ラウンドアップ|''Roundup Ready'']] と呼ばれる種は、グリホサート剤にさらされても影響を受けないよう除草剤に抵抗力のある遺伝子を持っている。[[ラウンドアップ]]はグリホサート剤をベースとした非選択的にあらゆる雑草を殺す除草剤の商品名である。つまり ''Roundup Ready'' 種を使えば、グリホサート剤を散布しても作物だけは影響を受けず、あらゆる雑草を殺すことができる。除草剤に耐性のある作物は世界中で栽培されている。アメリカの大豆は作付面積の92%が除草剤に耐性のある品種(遺伝子組み換え作物)になっている<ref name="USDAAdop">[http://www.ers.usda.gov/Data/BiotechCrops/adoption.htm Adoption of Genetically Engineered Crops in the US: Extent of Adoption]. Retrieved December 8, 2008.</ref>。 除草剤に耐性のある作物が多く栽培されるようになると、当然ながらグリホサート剤ベースの除草剤が散布されることが多くなる。中にはグリホサート剤に耐性のある雑草も出てきたため、別の除草剤への切り替えを余儀なくされた地域もある<ref name="Farmers Guide to GMOs">[http://www.rafiusa.org/pubs/Farmers_Guide_to_GMOs.pdf Farmers Guide to GMOs]. Retrieved December 8, 2008.</ref><ref>[http://www.businessweek.com/bwdaily/dnflash/content/feb2008/db20080212_435043.htm Report Raises Alarm over 'Super-weeds']. Retrieved December 9, 2008.</ref>。広範囲なグリホサート剤の使用が収穫量や作物の栄養価に与える影響、さらには経済や健康に与える影響について研究が行われている<ref>Ozturk, et al., "Glyphosate inhibition of ferric reductase activity in iron deficient sunflower roots", ''New Phtologist'', 177:899-906, 2008.</ref>。 === 害虫に強い遺伝子組み換え作物 === 害虫に強い遺伝子組み換え作物も開発されており、昆虫に作用する毒素を産出する土中バクテリアである[[バチルス・チューリンゲンシス]]の遺伝子を組み込んでいる。そのような作物は昆虫に食い荒らされない。例えば、Starlink というトウモロコシがある。また、綿花でも同様の品種が作られており、アメリカでは綿花の63%がそういった品種になっている<ref name="USDAAdop"/>。 遺伝子組み換えを行わなくとも、従来からの品種改良、特に野生種との交雑または他家受粉によって害虫に強い品種を作ることができるという者もいる。野生種は様々な耐性の源泉となることもある。野生種との交雑によって19の病害に耐性のあるトマトの栽培品種を作った例もある<ref>Kimbrell, A. ''Faltal Harvest: The Tragedy of Industrial Agriculture,'' Island Press, Washington, 2002.</ref>。 === 遺伝子組み換え作物のコストと利点 === 遺伝子工学者はいずれ、[[灌漑]]や排水や[[保全生態学|保全]]などを気にしなくても栽培できる作物を生み出すかもしれない。そのような作物は大規模な灌漑に依存する不毛な地域で重要になるだろう。しかし、遺伝子組み換えには批判も多い。食の安全と環境という2つの面から遺伝子組み換え作物について問題提起されている。例えば、作物の次世代の種が発芽しないようにした「ターミネーター種」は環境学者や経済学者によって疑問を呈されている<ref>{{cite journal |url= http://www.ecologyandsociety.org/vol4/iss1/art2/#GeneticModificationAndTheSustainabilityOfTheFoodSystem |author=Conway, G. |year=2000 |volume=4(1): 2 |title=Genetically modified crops: risks and promise |publisher=Conservation Ecology }}</ref><ref>{{cite journal |publisher=Journal of Economic Integration |volume= 19 |issue = 2 |month=June | year=2004 |author=. R. Pillarisetti and Kylie Radel |title=Economic and Environmental Issues in International Trade and Production of Genetically Modified Foods and Crops and the WTO |pages=332-352 }}</ref>。ターミネーター種には国際的に反対の声が強く、今のところ実際の作物には適用されていない<ref>[http://www.twnside.org.sg/title/twr118a.htm UN biodiversity meet fails to address key outstanding issues], Third World Network. Retrieved December 9, 2008.</ref>。 別の問題として、遺伝子組み換え技術で開発された新たな種の特許をどうやって保護するかという問題がある。開発企業がそのような種の知的財産権を所有し、その種を使って栽培した作物について条件を設定する権利を有している。現在10の種苗会社が世界的な種の販売の3分の2を制御している<ref>[http://www.etcgroup.org/en/materials/publications.html?pub_id=706 Who Owns Nature?]. Retrieved December 9, 2008.</ref>。環境活動家[[ヴァンダナ・シヴァ]]は、それら企業が生命について特許を取得し、それによって利益を得ようとしており、生物学的窃盗罪([[:en:Bioprospecting|バイオパイラシー]])を犯していると主張する<ref name="Shiva, Vandana 1997">Shiva, Vandana. ''Biopiracy'', South End Press, Cambridge, MA, 1997.</ref>。特許で保護された種を使っている農家は、翌年のための種を収穫から得られるとしても、毎年新たな種を購入しなければならない。収穫から翌年の種を得ることは普通に行われてきた習慣だが、特許侵害に問われないようにするためには、その習慣を変える必要がある<ref name="Farmers Guide to GMOs"/><ref name="Shiva, Vandana 1997"/>。 限られた地域に適応した種(土着種)は、品種改良された作物や遺伝子組み換え作物によって絶滅の危機にさらされている。そのような種は長い年月をかけてその地域の気候、土壌、その他の環境条件、田畑の設計、現地の民族の好みに適応してきたという意味で重要である<ref>Nabhan, Gary Paul. ''Enduring Seeds,'' The University of Arizona Press, Tucson, 1989.</ref>。遺伝子組み換え作物や交雑種を持ち込むと、土着種との交雑が起きる危険性がある。つまり遺伝子組み換え作物は土着種の持続可能性やその地域の文化に対する脅威となりうる。交雑によって土着種が遺伝子組み換え作物の形質を獲得したら、その種は特許を保持している企業の設定する条件の対象となりうる<ref>Shiva, Vanadana. ''Stolen Harvest: The Hijacking of the Global Food Supply'' South End Press, Cambrdge, MA, 2000, pp. 90-93.</ref>。 == 農業の持続可能性 == 農業には単に[[耕作]]だけでなく、広い土地を耕作に適した[[農地]]にすること([[開墾]])や水路を作るなどの[[灌漑]]といった様々な専門的技法が含まれる。農業の基本は、依然として[[農地]]での農作物の[[栽培]]と[[牧草地]]での[[牧畜]]である。 [[トマス・ロバート・マルサス]]は、地球は人口増加を支えきれないと予言したが、[[緑の革命]]などのテクノロジーが食糧需要増に応えることを可能にした<ref name="BumperCrop">{{cite news |url= http://www.nytimes.com/2005/12/08/business/worldbusiness/08farmers.html |newspaper =The New York Times|title=Sometimes a Bumper Crop Is Too Much of a Good Thing |last=Barrionuevo |first=Alexei |coauthors=Bradsher, Keith |date=December 8, 2005 }}</ref>。 20世紀末以降、既存の農業に対する懸念から、[[持続可能な農業]]への関心が高まっている。[[品種改良]]・[[農薬]]・[[化学肥料]]などの技術革新によって収穫量は急激に増加したものの、環境への悪影響([[環境汚染]])や 人体への悪影響 が起きている<ref>{{cite web|url= http://www.epa.gov/opp00001/health/human.htm |title=Human Health Issues &#124; Pesticides &#124; US EPA |publisher=Epa.gov |date=2006-06-28 |accessdate=2009-11-26}}</ref>。畜産においても[[品種改良]]や「集約型の」養豚・養鶏によって食肉の[[生産高]]が劇的に増加したが、[[動物虐待]]の問題、[[抗生物質]]や[[成長ホルモン]]などの[[化学物質]]を投与することによる[[人体]]への悪影響が懸念されている<ref>{{cite web|url= http://www.organicconsumers.org/toxic/hormone042302.cfm |title=EU Scientists Confirm Health Risks of Growth Hormones in Meat |publisher=Organicconsumers.org |date= |accessdate=2009-11-26}}</ref>。 [[バイオ医薬品]]、(欧米でも)薬剤([[生薬]])、[[バイオプラスチック]]、[[バイオ燃料]]<ref group="注">バイオ燃料には[[バイオマス]]から作られる[[メタン]]、[[エタノール]]、[[バイオディーゼル]]燃料などがある。</ref><ref>{{cite news |url= http://www.marketwatch.com/story/bioengineers-aim-to-cash-in-on-plants-that-make-green-plastics |title=Plastics that are green in more ways than one|last=Brickates Kennedy |first=Val |date=October 16, 2007|work=MarketWatch |newspaper=The Wall Street Journal|location=New York}}</ref>、などの原料に使われることも多くなっている<ref>{{cite web |url= http://www.bio.org/healthcare/pmp/factsheet5.asp |title=Growing Plants for Pharmaceutical Production vs. for Food and Feed Crops |work=bio.org |publisher=Biotechnology Industry Organization |accessdate=2009-10-02 |location=Washington DC}}</ref>。ただしそもそも世界では、食糧が不足していて、飢餓で命を落としている人々・地域も多数ある現状である。植物をわざわざ燃料に変換するため燃やしてしまうと、さらに食糧の総量が不足したり、基礎的な農作物の値をつり上げてしまう結果となる。世界人口で多くの割合を占める、低収入で食べ物が十分に入手できてはいない人々の生命を奪う結果をまねくことが懸念されている<ref name="MenschvorMaschine">{{cite news |url= http://www.sueddeutsche.de/wirtschaft/diskussion-um-biokraftstoff-e-mensch-vor-maschine-1.1447917 |newspaper = Süddeutsche Zeitung|title=Mensch vor Maschine |last=Kuhr |first=Daniela |date=23. August 2012}}</ref><ref name="Plantesprisées">{{cite news |url= http://www.lefigaro.fr/sciences/2014/02/21/01008-20140221ARTFIG00285-des-plantes-de-plus-en-plus-prisees-pour-du-bioplastique.php|newspaper = Le Figaro|title=Des plantes de plus en plus prisées pour du bioplastique|last= Cherki|first=Marc |date=21. Fevrier 2014}}</ref>。 == 環境への影響 == 農業は農薬、栄養流去、水の過剰使用などの問題により、社会に対して[[外部性|外部費用]](公害)を課す。2000年に発表された研究で、イギリスにおける総[[外部性|外部費用]]の見積もりは1996年の時点で23億4300万ポンドで、1ヘクタールあたり208ポンドとなっている<ref name=Pretty2000>{{cite journal | last1 = Pretty et al. | year = 2000 | title = An assessment of the total external costs of UK agriculture | journal = Agricultural Systems | volume = 65 | issue = 2 | pages = 113-136 | doi = 10.1016/S0308-521X(00)00031-7 | first1 = J}}</ref>。アメリカ合衆国の2005年時点の耕作に関わる外部費用はおよそ50億ドルから160億ドル(1ヘクタールあたり30ドルから96ドル)と見積もられており、畜産に関わる外部費用は7億1400万ドルと見積もられている<ref name=Tegtmeier2005>{{cite journal | last1 = Tegtmeier | first1 = E.M. | last2 = Duffy | first2 = M. | year = 2005 | title = External Costs of Agricultural Production in the United States| journal = The Earthscan Reader in Sustainable Agriculture| url = http://www.organicvalley.coop/fileadmin/pdf/ag_costs_IJAS2004.pdf}}</ref>。どちらの研究も外部費用の内部化が必要だとしているが、補助金については分析しておらず、補助金も社会に対する農業のコストに影響していることを注記している。どちらの研究も純粋に経済的影響のみを述べている。2000年の研究は農薬汚染の報告を含んでいるが農薬の常用が及ぼす影響については考察しておらず、2004年の研究では1992年の農薬の影響見積もりに依存している。 [[ノーマン・ボーローグ]]は革命的な農業技術を開発し、何十億もの命を救った重要人物である。彼の開発した品種は開発途上国の穀物生産量を大幅に増大させ、「緑の革命の父」と呼ばれるようになった。 === 畜産の問題 === 国連職員でこの問題に関する国連報告の共著者であるヘニング・スタインフェルドは「畜産は今日の環境問題の最も重要な原因の1つだ」と述べている<ref>{{cite web |url= http://www.fao.org/newsroom/en/news/2006/1000448/index.html |title=Livestock a major threat to environment |publisher=UN Food and Agriculture Organization |date=November 29, 2006 |accessdate=2009-08-07|archiveurl = https://web.archive.org/web/20080328062709/http%3A//www.fao.org/newsroom/en/news/2006/1000448/index.html |archivedate = March 28, 2008|deadurl=yes}}</ref>。畜産は農業が使用する総面積の70%を占めており、地球全体の30%の土地を使っている。温室効果ガスの最大の発生源でもあり、CO<sub>2</sub> に換算すると全温室効果ガス発生量の18%が畜産に由来する。ちなみに、交通機関・輸送機関が放出するCO<sub>2</sub>の総計は全体の13.5%である。人間の活動で排出される[[亜酸化窒素]]の65%が畜産によるもので(CO<sub>2</sub>の296倍もの温室効果がある)、[[メタン]]の37%が畜産によるものである(CO<sub>2</sub>の23倍の温室効果がある)。また、アンモニアの64%が畜産によるもので、[[酸性雨]]や生態系の酸性化の原因とされている。畜産は森林伐採の主要因とされており、アマゾンで開墾された土地の70%が牧草地になっている(残りは耕作地)<ref name="LEAD">Steinfeld, H.; Gerber, P.; Wassenaar, T.; Castel, V.; Rosales, M.; de Haan, C. 2006. U.N. Food and Agriculture Organization. Rome. [http://www.fao.org/docrep/010/a0701e/a0701e00.HTM "Livestock's Long Shadow - Environmental issues and options."]</ref>。森林伐採や開墾を通して、畜産が生物多様性を低下させているとも言える。 === 土地開墾と荒廃 === 土地を開墾して農産や畜産に利用することは、地球の生態系に最も大きな影響を与える人類の活動であり、生物多様性を低下させる最大の原動力となっている。人類がこれまでに開墾した土地の見積もりは39%から50%まで様々である<ref name="Vitousek">Vitousek, P.M.; Mooney, H.A.; Lubchenco, J.; Melillo, J.M. 1997. "Human Domination of Earth's Ecosystems". ''Science'' 277:494-499.</ref>。土地荒廃 ([[:en:Land degradation|en]]) は生態系機能と生産性の長期低下を意味し、全世界の24%の土地(ほとんどが農地)で起きていると見積もられている<ref name="FAO GLADA">Bai, Z.G., D.L. Dent, L. Olsson, and M.E. Schaepman. 2008. Global assessment of land degradation and improvement 1:identification by remote sensing. Report 2008/01, FAO/ISRIC - Rome/Wageningen. Retrieved on December 5, 2008 from [http://www.fao.org/newsroom/en/news/2008/1000874/index.html "Land degradation on the rise"] </ref>。[[国際連合食糧農業機関]] (FAO) は土地荒廃の主要因は土地管理の問題だとし、15億人が荒廃した土地に頼って生きていると報告している。ここでいう荒廃とは、[[森林破壊]]、[[砂漠化]]、[[侵食]]、ミネラル分の枯渇、土壌の酸性化や[[塩害]]などを指す<ref name="CS">Chrispeels, M.J.; Sadava, D.E. 1994. "Farming Systems: Development, Productivity, and Sustainability". pp. 25-57 in ''Plants, Genes, and Agriculture''. Jones and Bartlett, Boston, MA.</ref>。 === 富栄養化 === [[富栄養化]]は水中の生態系が過剰な栄養を持つようになることで、藻類が繁茂し水中の酸素濃度が低下する。そのため魚類が生息できなくなり、生物多様性が失われ、その水も飲用や工業用に適さなくなる。耕作地への過剰な栄養(肥料)投与や家畜に過剰な飼料を与えることが[[窒素]]や[[リン]]といった栄養素の[[表面流出]]や浸出を招く。これらの栄養素は水中生態系の富栄養化を引き起こす主要な[[非特定汚染源負荷]]である<ref name="Eutr">Carpenter, S.R., N.F. Caraco, D.L. Correll, R.W. Howarth, A.N. Sharpley, and V.H. Smith. 1998. "Nonpoint Pollution of Surface Waters with Phosphorus and Nitrogen". ''Ecological Applications'' 8:559-568.</ref>。 === 農薬 === 全世界での農薬の使用量は1950年以降、毎年250万トンずつ増加しているが、農作物の害虫被害はほぼ一定で推移している<ref name="Pimentel pesticide">Pimentel, D. T.W. Culliney, and T. Bashore. 1996. [http://ipmworld.umn.edu/chapters/pimentel.htm "Public health risks associated with pesticides and natural toxins in foods in Radcliffe's IPM World Textbook"]. Retrieved December 7, 2008.</ref>。1992年、[[世界保健機関]] (WHO) は毎年300万人が農薬中毒を起こし、およそ22万人がそのために亡くなっているとの見積もりを発表した<ref name="WHO">WHO. 1992. Our planet, our health: Report of the WHU commission on health and environment. Geneva: World Health Organization.</ref>。農薬を使用し続けることでその農薬に耐性のある害虫だけが生き延び、さらに強力な農薬が必要になるというサイクルが生まれている<ref name="CS Pest">Chrispeels, M.J. and D.E. Sadava. 1994. "Strategies for Pest Control" pp.355-383 in ''Plants, Genes, and Agriculture''. Jones and Bartlett, Boston, MA.</ref>。 飢饉を防ぎつつ環境を守るために農薬を使用した集中的農法を正当化する論理として、Center for Global Food Issues のウェブサイトの冒頭に引用されていた「1エーカーあたりの収穫を増やすことで、より多くの土地を自然のままに残しておける」という考え方もある<ref name="DAvery">Avery, D.T. 2000. ''Saving the Planet with Pesticides and Plastic: The Environmental Triumph of High-Yield Farming''. Hudson Institute, Indianapolis, IN.</ref><ref>Center for Global Food Issues. Churchville, VA. [http://www.cgfi.org/ "Center for Global Food Issues."]. Retrieved December 7, 2008.</ref>。批評家は環境と食料需要のトレードオフは必ずしも必然的ではないとし<ref name="WH">Lappe, F.M., J. Collins, and P. Rosset. 1998. "Myth 4: Food vs. Our Environment" pp. 42-57 in ''World Hunger, Twelve Myths'', Grove Press, New York.</ref>、農薬を減らして輪作などのよい農業経営の習慣を根付かせればよいと主張している<ref name="CS Pest"/>。 === 気候変動 === 農業は[[気温]]、[[降水量]]や降雨時期、[[二酸化炭素|CO<sub>2</sub>]]、[[太陽光]]、といった要素の変化、あるいはこれらの組み合わせによる[[気候変動]]に影響を受ける<ref name="CS"/><ref>Fraser, E.: [http://www.vulnerablefoodsystems.com/ “Crop yield and climate change”], Retrieved on September 14, 2009.</ref>。農業には[[地球温暖化]]を防ぐ面もあるし、悪化させる面もある。[[地球の大気|大気]]中の[[二酸化炭素|CO<sub>2</sub>]]増加の一因として、[[土壌]]中での有機物の[[腐敗]]があり、大気中に放出される[[メタン]]の大部分は水[[田]]などの湿った土壌での有機物の分解によるものである<ref name="Soils OM">Brady, N.C. and R.R. Weil. 2002. "Soil Organic Matter" pp.353-385 in ''Elements of the Nature and Properties of Soils''. Pearson Prentice Hall, Upper Saddle River, NJ.</ref>。さらに湿った[[嫌気呼吸|嫌気性]]土壌では[[脱窒]]によって[[窒素]]を失い、[[温室効果ガス]]の一種である[[一酸化窒素]]の形で大気中に放出する<ref name="Soils N">Brady, N.C. and R.R. Weil. 2002. "Nitrogen and Sulfur Economy of Soils" pp.386-421 in ''Elements of the Nature and Properties of Soils''. Pearson Prentice Hall, Upper Saddle River, NJ.</ref>。土壌の管理をうまく行えばこれらの温室効果ガス放出を抑え、土壌に大気中のCO<sub>2</sub>を[[二酸化炭素貯留|貯留]]させることも可能である<ref name="Soils OM"/>。 == 農業生物 == 農業生物については、地球内で数種類いる。  アリやシロアリにも、[[農耕]]を行う生物種がいる<ref>{{cite web|url= http://www.newscientist.com/article/mg20527481.300-for-sustainable-architecture-think-bug.html?page=1 |title=For sustainable architecture, think bug |publisher=NewScientist |date= |accessdate=2010-02-26}}</ref><ref>{{cite book|author=B. Hölldobler & E.O. Wilson|year=1990|title=The Ants|location=Cambridge MA|publisher=Belknap|isbn=978-0-674-48525-9}}</ref>。 *[[アリ]]の一種[[ハキリアリ]]は[[アリタケ]]と呼ばれる菌類を栽培して食べる。 *[[魚類]]のクロソラスズメダイは[[イトクサ]]という藻類を育てて食べている。この時、他種類の[[海藻]]をむしってなわばりの外に捨てる。そこで、ウニや魚はせっかく育てた藻類を食べてしまおうとする侵入者を追い払う。 *魚類[[ハナナガスズメダイ]]は様々な種類の藻類をクロソラスズメダイに比べて約20倍広いなわばりで育てて食べる。 *粘菌の一種[[キイロタマホコリカビ]]の一部の株は、餌となる細菌が少なくなり移動体を作る際、細菌を取り込んで移動先でばら撒き、移動先で細菌が繁殖する事で、餌に困らない。 == 農業関連イベント == {{main|Category:農業に関するイベント}} * {{ill2|アグリカルチャー・ショー|en|Agricultural show}} * {{ill2|ロイヤルハイランドショー|en|Royal Highland Show}} * {{ill2|ライブストック・ショー|en|Livestock show}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == {{Refbegin}} * Alvarez, Robert A. (2007). [http://caliber.ucpress.net/doi/pdf/10.1525/gfc.2007.7.3.28 "The March of Empire: Mangos, Avocados, and the Politics of Transfer"]. ''Gastronomica'', Vol. 7, No. 3, 28-33. Retrieved on November 12, 2008. * Bolens, L. (1997). "Agriculture" in Selin, Helaine (ed.), ''Encyclopedia of the history of Science, technology, and Medicine in Non Western Cultures''. Kluwer Academic Publishers, Dordrecht/Boston/London, pp.&nbsp;20-22. * Collinson, M. (ed.) ''A History of Farming Systems Research''. CABI Publishing, 2000. ISBN 978-0-85199-405-5 * Crosby, Alfred W.: ''The Columbian Exchange: Biological and Cultural Consequences of 1492''. Praeger Publishers, 2003 (30th Anniversary Edition). ISBN 978-0-275-98073-3 * Davis, Donald R.; Riordan, Hugh D. (2004). "Changes in USDA Food Composition Data for 43 Garden Crops, 1950 to 1999". ''Journal of the American College of Nutrition'', Vol. 23, No. 6, 669-682. * Friedland, William H.; Barton, Amy (1975). "Destalking the Wily Tomato: A Case Study of Social Consequences in California Agricultural Research". Univ. California at Sta. Cruz, Research Monograph 15. * Gay, Jutta; Menkhoff, Inga (2013). ''Das große Buch der Landwirtschaft''. Fackelträger Verlag. ISBN 978-3-771-64541-0 * Mazoyer, Marcel; Roudart, Laurence (2006). ''A history of world agriculture : from the Neolithic Age to the current crisis''. Monthly Review Press, New York. ISBN 978-1-58367-121-4 * Saltini A. ''Storia delle scienze agrarie'', 4 vols, Bologna 1984-89, ISBN 978-88-206-2412-5, ISBN 978-88-206-2413-2, ISBN 978-88-206-2414-9, ISBN 978-88-206-2414-9 * Watson, A.M. (1974). "The Arab agricultural revolution and its diffusion", in ''The Journal of Economic History'', 34. * Watson, A.M. (1983). ''Agricultural Innovation in the Early Islamic World'', Cambridge University Press. * Wells, Spencer (2003). ''The Journey of Man: A Genetic Odyssey''. Princeton University Press. ISBN 978-0-691-11532-0 * Wickens, G.M. (1976). "What the West borrowed from the Middle East", in Savory, R.M. (ed.) ''Introduction to Islamic Civilization''. Cambridge University Press. {{Refend}} == 関連項目 == {{関連項目過剰|date=2022年8月13日 (土) 01:15 (UTC)}} {{col| * [[日本の農業]] * [[農地]]、[[農場]]、[[集団農場]] * {{仮リンク|自給自足型農業|en|Subsistence farmer}} * [[水産業]]、[[林業]] * [[畜産業]]、[[酪農]]、[[牧場]]、[[ファームハウス]]、[[飼料]]  * [[転作]] * [[灌漑]]、[[センターピボット]] * [[農学]]、[[農学部]]、[[農業経済学]]、[[農業工学]] * [[農薬]]、[[肥料]] * [[有機農業]]、[[有機農家]]、[[生物農薬]] * [[農業政策]]、[[ドーハ開発ラウンド]] * [[適正農業規範]]、[[緑の革命]]、[[不耕起栽培]]、[[水耕栽培]] * [[農本思想]] * [[農民党]] * [[小作制度]]、[[分益小作]] * [[農奴制]] ** [[ロシアの農奴制]]  * [[ワット・タイラーの乱]]、[[プガチョフの乱]] * {{仮リンク|バック・トゥー・ランド運動|en|Back-to-the-land movement}} * [[クラーク (農家)]]、[[スメルド]] * [[ファッラーヒーン]] | * [[士農工商]] * [[認定農業者]] * [[農業労働者]] ** [[百姓]] ** [[農家]] ** [[農民]] * {{仮リンク|農民の日|en|Farmers' Day}} * [[帰農]] * [[農業経営者]](雑誌) * [[農林水産省]] * [[農業協同組合]](農協、JA) * [[農業法人]]、[[農業生産法人]] * [[農業公園]] * [[家庭菜園]] * [[自給自足]] * [[食料自給率]] * [[遺伝子組み換え作物]] * [[小正月]] * [[農家レストラン]] * [[家畜一覧]] }} == 外部リンク == {{sisterlinks|commons=Agriculture}} * [https://www.maff.go.jp/j/tokei/index.html 統計情報] - 農林水産省 * [http://ja-kizuna.jp/ JAグループ統一広報ホームページ] * [http://www.nationalaglawcenter.org/ The National Agricultural Law Center]{{en icon}} * [http://ucblibraries.colorado.edu/govpubs/us/agritop.htm Agriculture] from ''UCB Libraries GovPubs''{{en icon}} * [https://www.bundestag.de/ernaehrung Ernährung und Landwirtschaft]{{de icon}} - Ausschuss für Ernährung und Landwirtschaft des Deutschen Bundestages * [http://www.worldbank.org/rural Agriculture and Rural development]{{en icon}} - [[世界銀行]] * [http://www.fao.org/gender/en/ Gender in agriculture and rural development (FAO)]{{en icon}} - [[国際連合食糧農業機関]] * [http://www.nal.usda.gov/speccoll/collectionsguide/collection.php?subject=Plant_Exploration Index to the Manuscript Collections]{{en icon}} - Special Collections, National Agricultural Library * [https://www.agronomy.org/ The American Society of Agronomy (ASA)]{{en icon}} * [http://www.ifap.org/ International Federation of Agricultural Producers] (IFAP){{en icon}} * [http://www.cdc.gov/niosh/topics/agriculture NIOSH Agriculture Page]{{en icon}} - safety laws, tips, and guidelines * [http://www.ukagriculture.com/ UKAgriculture.com]{{en icon}} - Advance the education of the public in all aspects of agriculture, the countryside and the rural economy * [http://www.agriculturalproductsindia.com/ Agricultural Products]{{en icon}} - portal about agro products and agriculture industry. * {{Kotobank}} {{主要産業}} {{森林破壊}} {{庭と庭園、園芸とガーデニング}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:のうきよう}} [[Category:農業|*]] [[Category:産業]]
2003-02-28T11:31:16Z
2023-11-01T04:53:21Z
false
false
false
[ "Template:Flag", "Template:De icon", "Template:Normdaten", "Template:農業", "Template:Lang-en-short", "Template:-", "Template:主要産業", "Template:Seealso", "Template:Reflist", "Template:Cite book", "Template:En icon", "Template:Sisterlinks", "Template:Kotobank", "Template:庭と庭園、園芸とガーデニング", "Template:Main", "Template:Doi", "Template:関連項目過剰", "Template:Col", "Template:Ill2", "Template:ウィキプロジェクトリンク", "Template:Noflag", "Template:Cite journal", "Template:Refend", "Template:See", "Template:森林破壊", "Template:Cite news", "Template:Refbegin", "Template:ウィキポータルリンク", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist2", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E6%A5%AD
3,061
ヒューリスティック
ヒューリスティック(英: heuristic、独: Heuristik)または発見的(手法) とは、必ずしも正しい答えを導けるとは限らないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることができる方法である。発見的手法では、答えの精度が保証されない代わりに、解答に至るまでの時間が短いという特徴がある。 主に計算機科学と心理学の分野で使用される言葉であり、どちらの分野での用法も根本的な意味は同じであるが、指示対象が異なる。すなわち、計算機科学ではプログラミングの方法を指すが、心理学では人間の思考方法を指すものとして使われる。なお、論理学では仮説形成法と呼ばれている。 計算機科学では、コンピューターに計算やシミュレーションを実行させるときに、発見的手法を用いることがある。たいていの計算は、計算結果の正しさが保証されるアルゴリズムか、または計算結果が間違っているかもしれないが誤差がある範囲内に収まっていることが保証されている近似アルゴリズムを用いて計算する。しかし、そのような方法だと、計算時間が爆発的に増加してしまうようなことがある。そのような場合に、妥協策として発見的手法を用いる。発見的手法は、精度の保証はないが、平均的には近似アルゴリズムより解の精度が高い。また、発見的手法の中でも、任意の問題に対応するように設計されたものは、メタヒューリスティックという。 アルゴリズムの近似精度や実行時間を評価したいが、真面目に評価するのが困難な場合、アドホックな仮定(妥当な仮定に見えるものの、その正しさを証明できないような、その場しのぎの仮定)をおいて評価を行うことが多い。こうした仮定のことを「発見的仮定」と呼ぶ。 近年のアンチウイルスソフトウェアでは、ヒューリスティックエンジンを搭載したものが増加してきている。また、フリーソフトにも搭載されており、その進展を見せている。ただし、個々のソフトの発見的機能は同じでも、その仕組みは異なっているものが多い。 心理学における発見的手法は、人が複雑な問題解決などのために、何らかの意思決定を行うときに、暗黙のうちに用いている簡便な解法や法則のことを指す。これらは、経験に基づくため、経験則と同義で扱われる。判断に至る時間は早いが、必ずしもそれが正しいわけではなく、判断結果に一定の偏り(バイアス)を含んでいることが多い。なお、発見的手法の使用によって生まれている認識上の偏りを、「認知バイアス」と呼ぶ。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ヒューリスティック(英: heuristic、独: Heuristik)または発見的(手法) とは、必ずしも正しい答えを導けるとは限らないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることができる方法である。発見的手法では、答えの精度が保証されない代わりに、解答に至るまでの時間が短いという特徴がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "主に計算機科学と心理学の分野で使用される言葉であり、どちらの分野での用法も根本的な意味は同じであるが、指示対象が異なる。すなわち、計算機科学ではプログラミングの方法を指すが、心理学では人間の思考方法を指すものとして使われる。なお、論理学では仮説形成法と呼ばれている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "計算機科学では、コンピューターに計算やシミュレーションを実行させるときに、発見的手法を用いることがある。たいていの計算は、計算結果の正しさが保証されるアルゴリズムか、または計算結果が間違っているかもしれないが誤差がある範囲内に収まっていることが保証されている近似アルゴリズムを用いて計算する。しかし、そのような方法だと、計算時間が爆発的に増加してしまうようなことがある。そのような場合に、妥協策として発見的手法を用いる。発見的手法は、精度の保証はないが、平均的には近似アルゴリズムより解の精度が高い。また、発見的手法の中でも、任意の問題に対応するように設計されたものは、メタヒューリスティックという。", "title": "計算機科学" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "アルゴリズムの近似精度や実行時間を評価したいが、真面目に評価するのが困難な場合、アドホックな仮定(妥当な仮定に見えるものの、その正しさを証明できないような、その場しのぎの仮定)をおいて評価を行うことが多い。こうした仮定のことを「発見的仮定」と呼ぶ。", "title": "計算機科学" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "近年のアンチウイルスソフトウェアでは、ヒューリスティックエンジンを搭載したものが増加してきている。また、フリーソフトにも搭載されており、その進展を見せている。ただし、個々のソフトの発見的機能は同じでも、その仕組みは異なっているものが多い。", "title": "計算機科学" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "心理学における発見的手法は、人が複雑な問題解決などのために、何らかの意思決定を行うときに、暗黙のうちに用いている簡便な解法や法則のことを指す。これらは、経験に基づくため、経験則と同義で扱われる。判断に至る時間は早いが、必ずしもそれが正しいわけではなく、判断結果に一定の偏り(バイアス)を含んでいることが多い。なお、発見的手法の使用によって生まれている認識上の偏りを、「認知バイアス」と呼ぶ。", "title": "心理学" } ]
ヒューリスティックまたは発見的(手法) とは、必ずしも正しい答えを導けるとは限らないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることができる方法である。発見的手法では、答えの精度が保証されない代わりに、解答に至るまでの時間が短いという特徴がある。 主に計算機科学と心理学の分野で使用される言葉であり、どちらの分野での用法も根本的な意味は同じであるが、指示対象が異なる。すなわち、計算機科学ではプログラミングの方法を指すが、心理学では人間の思考方法を指すものとして使われる。なお、論理学では仮説形成法と呼ばれている。
'''ヒューリスティック'''({{lang-en-short|heuristic}}、{{lang-de-short|Heuristik}})または'''発見的(手法)'''{{sfn|萩下|大崎|2008}} {{sfn|竹原|2011}}{{rp|7}} {{sfn|玉置|2007}}{{rp|272}}とは、必ずしも正しい答えを導けるとは限らないが、ある程度のレベルで正解に近い解を得ることができる方法である。発見的手法では、答えの精度が保証されない代わりに、解答に至るまでの時間が短いという特徴がある。 主に[[計算機科学]]と[[心理学]]の分野で使用される言葉であり、どちらの分野での用法も根本的な意味は同じであるが、指示対象が異なる。すなわち、計算機科学ではプログラミングの方法を指すが、心理学では人間の思考方法を指すものとして使われる。なお、[[論理学]]では[[仮説形成]]法と呼ばれている。 == 計算機科学 == [[計算機科学]]では、コンピューターに計算やシミュレーションを実行させるときに、発見的手法を用いることがある。たいていの計算は、計算結果の正しさが保証される[[アルゴリズム]]か、または計算結果が間違っているかもしれないが誤差がある範囲内に収まっていることが保証されている[[近似アルゴリズム]]を用いて計算する。しかし、そのような方法だと、計算時間が爆発的に増加してしまうようなことがある。そのような場合に、妥協策として発見的手法を用いる。発見的手法は、精度の保証はないが、平均的には近似アルゴリズムより解の精度が高い。また、発見的手法の中でも、任意の問題に対応するように設計されたものは、[[メタヒューリスティック]]という。 === 発見的仮定 === アルゴリズムの近似精度や実行時間を評価したいが、真面目に評価するのが困難な場合、[[アドホック]]な仮定(妥当な仮定に見えるものの、その正しさを証明できないような、その場しのぎの仮定)をおいて評価を行うことが多い。こうした仮定のことを「発見的仮定」と呼ぶ{{sfn|洪|高梨|1990}}{{rp|82}}。 === アンチウイルスソフトウェア === 近年の[[アンチウイルスソフトウェア]]では、ヒューリスティックエンジンを搭載したものが増加してきている。また、フリーソフトにも搭載されており、その進展を見せている。ただし、個々のソフトの発見的機能は同じでも、その仕組みは異なっているものが多い。 == 心理学 == [[心理学]]における発見的手法は、人が複雑な問題解決などのために、何らかの[[意思決定]]を行うときに、暗黙のうちに用いている簡便な解法や法則のことを指す。これらは、経験に基づくため、[[経験則]]と同義で扱われる。判断に至る時間は早いが、必ずしもそれが正しいわけではなく、判断結果に一定の偏り(バイアス)を含んでいることが多い。なお、発見的手法の使用によって生まれている認識上の偏りを、「[[認知バイアス]]」と呼ぶ。 === 発見的手法の例 === ;利用可能性発見的手法<ref group="注釈">{{lang-en-short|availability heuristic}}</ref>、想起発見的手法 :想起しやすい事柄や事項を優先して評価しやすい意思決定プロセスのことをいう。 :英語の訳語である検索容易性という言葉の示す通りの発見的手法である。 ;代表性発見的手法<ref group="注釈">{{lang-en-short|representative heuristic}}</ref> :特定のカテゴリーに典型的と思われる事項の確率を過大に評価しやすい意思決定プロセスをいう。 :代表的な例として、「[[合接の誤謬|リンダ問題]]」がある。 ;係留と調整<ref group="注釈">{{lang-en-short|anchoring and adjustment}}</ref> :最初に与えられた情報を基準として、それに調整を加えることで判断し、最初の情報に現れた特定の特徴を極端に重視しやすい意思決定プロセスをいう。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{cite journal |author1 = 萩下敬雄 |author2 = 大崎純 |date=2008-11-30 |title=発見的手法と非線形計画法の統合による離散構造の位相最適化 |journal=日本建築学会構造系論文集|volume=73|issue=633|pages=1959-1965 |publisher=[[日本建築学会]] |doi=10.3130/aijs.73.1959 |accessdate=2019-08-25 |{{sfnref|萩下|大崎|2008}} }} * {{cite journal |author = 竹原有紗 |date=2011-05-01 |title=用語解説:第7回テーマ:ヒューリスティックアプローチ |journal=電気学会論文誌B|volume=131|issue=5|pages=5-7 |publisher=[[電気学会]] |doi=10.1541/ieejpes.131.NL5_7 |accessdate=2019-08-25 |{{sfnref|竹原|2011}} }} * {{cite journal |author = 玉置久 |date=2007-04-10 |title=最適化 |journal=計測と制御|volume=46|issue=4|pages=268-273 |publisher=[[電気学会]] |doi=10.11499/sicejl1962.46.268 |accessdate=2019-08-25 |{{sfnref|玉置|2007}} }} * {{cite journal |author1 = 洪起 |author2 = 高梨晃一 |date=1990-12-30 |title=信頼性理論に基づく最適設計 : 強度の経年劣化を考えた構造物の荷重係数 |journal=日本建築学会構造系論文報告集|volume=418|pages=81-86 |publisher=一般社団法人[[日本建築学会]] |doi=10.3130/aijsx.418.0_81 |accessdate=2019-08-25 |{{sfnref|洪|高梨|1990}} }} {{参照方法|date=2018年8月|section=1}} * {{Cite book|和書|author1=中島秀之|authorlink1=中島秀之|author2=高野陽太郎|author3=伊藤正雄|title=岩波講座 認知科学 8 思考|publisher=岩波書店|year=1994|pages=10,112|isbn=9784000106184|}} * {{Cite book|和書|author=鹿取 廣人・杉本敏夫編|title=心理学|edition=第2版|publisher=東京大学出版会|year=2004|page=174|isbn=9784130120418|}} * {{Cite book|和書|author=市川伸一|authorlink=市川伸一|chapter=第六章 第一節 不確かな状況におけるヒューリスティックス|title=考えることの科学-推論の認知科学への招待|edition=第2版|series=中公新書|publisher=中央公論新社|year=1997 |pages=110-113|isbn=9784121013453|}} * {{Cite book|和書|author=T. ギロビッチ|translator=守一雄・守秀子|title=人間この信じやすきもの-迷信・誤信はどうして生まれるのか|publisher=新曜社|year=1993 |isbn=9784788504486|}} == 関連項目 == * [[仮説形成]] * [[近似アルゴリズム]] == 外部リンク == * {{コトバンク|ヒューリスティック}} {{最適化アルゴリズム}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひゆうりすていつく}} [[Category:ヒューリスティクス|*]] [[Category:アルゴリズム]] [[Category:心理学]] [[Category:認識論]] [[Category:認知バイアス]] [[Category:科学的方法]] [[Category:推論]]
null
2023-06-26T09:18:31Z
false
false
false
[ "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist", "Template:参照方法", "Template:Cite book", "Template:Normdaten", "Template:Lang-en-short", "Template:Sfn", "Template:Rp", "Template:Reflist", "Template:Cite journal", "Template:コトバンク", "Template:最適化アルゴリズム", "Template:Lang-de-short" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF
3,062
肉(にく、英: flesh)とは、 単に「肉」というと、動物の、主に筋肉からなる部分のことである。素朴な表現では身体を「骨と肉と皮」などと言うことも多いが、この場合の「肉」は「骨」や「皮」と対比されている。「肉」は近世に解剖学が発展する以前の、素朴な概念であり、現代の学問では「肉」として研究されるのではなく、もっと細分化した上で研究されている。現代人があえて「肉」と言う場合は大抵、あえて非学術的な、主に古代以来の素朴な概念枠を提示したい時である。 広辞苑では「皮膚におおわれ、骨格に付着する」との説明を載せている。なお素朴な概念では、消化器官・心臓・脳などは「内臓」として区別する方法も一般的である。 (現代的な、古代の概念体系とは異なった概念体系を用いて分析すると)「肉」は主に筋肉ではあるが、細かく見てゆくと、脂肪組織も含んでおり、血管も通っており、神経線維も含まれている。これはあくまで現代の細分化された概念体系、分類体系である。現代の概念枠のほうは解剖学、動物解剖学、人体解剖学、を参照。 動物の肉のうち、食用に供するもの(食肉)を、日常的には単に「肉」と呼んでいる。例えば肉屋やスーパーの「肉売り場」などで販売されている。こうした店や売り場では動物の内臓(モツ)も扱っており、それも広義の食肉に当たる。→食肉、製肉 骨や皮と対比するのでなく、機械と対比する用法である。 工学やDIYなどでは、比喩を用いて、素材を「肉」とたとえる場合があり、例えば「肉厚」は厚みが厚いことを指す。素材が過剰に使われている場合は比喩で「贅肉」と言ってみたり、不要な部分を削ることを「肉抜き」などと言うこともある。 また、機械装置の余分な部分も比喩で「贅肉」と呼ぶこともある。例えばレーシング・カーなどでも、早く走ることには不要な部分を「贅肉」と呼んで、製肉の加工で脂肪を包丁で削るのに喩えて「削り取る」などと表現して、設計図から除去したり、不要な機械部品を取り外す。→比喩
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "肉(にく、英: flesh)とは、", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "単に「肉」というと、動物の、主に筋肉からなる部分のことである。素朴な表現では身体を「骨と肉と皮」などと言うことも多いが、この場合の「肉」は「骨」や「皮」と対比されている。「肉」は近世に解剖学が発展する以前の、素朴な概念であり、現代の学問では「肉」として研究されるのではなく、もっと細分化した上で研究されている。現代人があえて「肉」と言う場合は大抵、あえて非学術的な、主に古代以来の素朴な概念枠を提示したい時である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "広辞苑では「皮膚におおわれ、骨格に付着する」との説明を載せている。なお素朴な概念では、消化器官・心臓・脳などは「内臓」として区別する方法も一般的である。", "title": "一覧" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "(現代的な、古代の概念体系とは異なった概念体系を用いて分析すると)「肉」は主に筋肉ではあるが、細かく見てゆくと、脂肪組織も含んでおり、血管も通っており、神経線維も含まれている。これはあくまで現代の細分化された概念体系、分類体系である。現代の概念枠のほうは解剖学、動物解剖学、人体解剖学、を参照。", "title": "一覧" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "動物の肉のうち、食用に供するもの(食肉)を、日常的には単に「肉」と呼んでいる。例えば肉屋やスーパーの「肉売り場」などで販売されている。こうした店や売り場では動物の内臓(モツ)も扱っており、それも広義の食肉に当たる。→食肉、製肉", "title": "一覧" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "骨や皮と対比するのでなく、機械と対比する用法である。", "title": "一覧" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "工学やDIYなどでは、比喩を用いて、素材を「肉」とたとえる場合があり、例えば「肉厚」は厚みが厚いことを指す。素材が過剰に使われている場合は比喩で「贅肉」と言ってみたり、不要な部分を削ることを「肉抜き」などと言うこともある。", "title": "一覧" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "また、機械装置の余分な部分も比喩で「贅肉」と呼ぶこともある。例えばレーシング・カーなどでも、早く走ることには不要な部分を「贅肉」と呼んで、製肉の加工で脂肪を包丁で削るのに喩えて「削り取る」などと表現して、設計図から除去したり、不要な機械部品を取り外す。→比喩", "title": "一覧" } ]
肉とは、 動物の、主に筋肉からなる部分。 上記の肉のうち、食用となるもの。(日本語では単に「肉」と言うと大抵はもっと狭義に用いて)特に、魚以外のものを指す。 果実の、皮と種子の間にある柔らかい部分。 単に「肉」というと、動物の、主に筋肉からなる部分のことである。素朴な表現では身体を「骨と肉と皮」などと言うことも多いが、この場合の「肉」は「骨」や「皮」と対比されている。「肉」は近世に解剖学が発展する以前の、素朴な概念であり、現代の学問では「肉」として研究されるのではなく、もっと細分化した上で研究されている。現代人があえて「肉」と言う場合は大抵、あえて非学術的な、主に古代以来の素朴な概念枠を提示したい時である。
{{Aimai}} {{未検証|date=2009年6月}} '''肉'''(にく、{{Lang-en-short|flesh}})とは、 *[[動物]]の、主に[[筋肉]]からなる部分<ref name="koujien6">広辞苑第六版「肉」</ref>。 *上記の肉のうち、食用となるもの<ref name="koujien6" />。(動物には[[魚類]]も含まれ、広義には[[魚肉]]も含まれうるもので英語でも fish meat と言うが)([[日本語]]では単に「肉」と言うと大抵はもっと狭義に用いて)特に、魚以外のものを指す<ref name="koujien6" />{{efn2|[[中国語]]では動物全般を「禽獣魚虫」で表すが(「禽」は「鳥」の意味)、日本の古語では鴨などの禽肉を単に「'''トリ'''」、獣肉を「'''シシ'''」、魚肉を「'''ウヲ'''」と呼び、「{{読み仮名|[[イノシシ|猪]]|イ}}」の肉を「イノシシ」、「{{読み仮名|[[シカ|鹿]]|カ}}」の肉を「カノシシ」、また肉だけでなく生体も同じくそのまま呼んだ(このため「禽獣」を「トリシシ」とも読む)。「[[ししおどし]]」の「しし」は肉ではなく獣のことである。後に[[漢語]]の[[呉音]]からきた「ニク」に代わり、「肉」の[[異体字]]の「宍」で「{{読み仮名|宍肉|ししにく}}」、人名での「シシ」などに語が残っている。([[シカ]]も参照)。なお「[[獅子]]」はここでの「シシ」とは訓みが偶然一致しているだけで関係はない。なお「ウヲ」は[[訓読み]]であり、[[大和言葉]]、古代以来の純粋な日本語であり、[[仏教]]による禁忌によって[[タンパク質]]の摂食が獣肉から魚肉に代わり、酒宴で饗されることが多くなって「サカナ(酒菜、肴)」は魚肉のことと一般化され、やがて生体も「サカナ」と呼ぶ慣習が生まれた。}}。 * 果実の、皮と種子の間にある柔らかい部分<ref name="koujien6" />。 単に「肉」というと、動物の、主に[[筋肉]]からなる部分のことである。素朴な表現では身体を「骨と肉と皮」などと言うことも多いが、この場合の「肉」は「[[骨]]」や「皮」と対比されている。「肉」は近世に[[解剖学]]が発展する以前の、素朴な概念であり、現代の学問では「肉」として研究されるのではなく、もっと細分化した上で研究されている。現代人があえて「肉」と言う場合は大抵、あえて非学術的な、主に古代以来の素朴な概念枠を提示したい時である。 == 一覧 == === 動物 === 広辞苑では「[[皮膚]]におおわれ、[[骨格]]に付着する<ref name="koujien6" />」との説明を載せている。なお素朴な概念では、[[消化器官]]・[[心臓]]・[[脳]]などは「[[内臓]]」として区別する方法も一般的である。 (現代的な、古代の概念体系とは異なった概念体系を用いて分析すると)「肉」は主に筋肉ではあるが、細かく見てゆくと、[[脂肪組織]]も含んでおり、[[血管]]も通っており、[[神経線維]]も含まれている。これはあくまで現代の細分化された概念体系、分類体系である。現代の概念枠のほうは'''[[解剖学]]'''、'''[[動物解剖学]]'''、'''[[人体解剖学]]'''、を参照{{efn2|なお筋肉は運動(身体を動かしたり移動させたりすること)にかかわっている。脂肪組織はエネルギーを蓄えたり、外部からの衝撃をやわらげる役割などをになっている。だが、古代の人はそんなことはほとんど知らず、考えてもいなかっただろうことは想像に難くない。}}。 === 食肉 === 動物の肉のうち、食用に供するもの(食肉)を、日常的には単に「肉」と呼んでいる。例えば[[精肉店|肉屋]]やスーパーの「肉売り場」などで販売されている。こうした店や売り場では動物の内臓([[モツ]])も扱っており、それも広義の食肉に当たる。→'''[[食肉]]'''、'''[[製肉]]''' === 植物 === *[[果実]]の、皮と種子の間にある柔らかな部分を「肉」あるいは「[[果肉]]」と言う。→'''[[果肉]]''' *厚みのある[[葉]]の内部組織は肉質とも呼ぶ。→[[肉質]] === 菌類 === * [[キノコ]]の傘や柄の内部組織のことを言う。→[[キノコの部位#肉]] === 機械装置と対比し人間の身体を指す用法 === 骨や皮と対比するのでなく、機械と対比する用法である。 *機械装置を用いずに、直接、人の[[目]]で見ることは「[[肉眼]]」と言う。→[[肉眼]] *ワープロなどの機械を用いずに、人の手で筆やペンを直接持って書くことは肉筆。→[[肉筆]] *マイク・電話・スピーカー・拡声器などの装置を通した声と対比して、人ののどから出て直接耳に届く「生の声」を「肉声」と言う<ref>{{Kotobank|肉声|[[デジタル大辞泉]]}}</ref>{{efn2|「肉声でも聞こえる広さの部屋」などと言う。}}。 === 聖書における「肉」 === * [[聖書]]では「肉」という表現が多用されている。様々な意味で用いられていて、霊([[旧約聖書|ヘブライ語(旧約)聖書]]のルーアハや[[新約聖書|ギリシア語(新約)聖書]]の[[プシュケー]])と対比した人間の物質的な面など、文脈により7通りほどのの用法があると指摘する研究者もいる。→'''[[肉 (神学)]]''' === 漢字の部首 === * [[漢字]]の[[部首]]のひとつを「肉」とも言う。→'''[[肉部]]''' === 比喩 === [[工学]]や[[DIY]]などでは、[[比喩]]を用いて、素材を「肉」とたとえる場合があり、例えば「肉厚」は厚みが厚いことを指す。素材が過剰に使われている場合は比喩で「贅肉」と言ってみたり、不要な部分を削ることを「肉抜き」などと言うこともある。 また、機械装置の余分な部分も比喩で「贅肉」と呼ぶこともある。例えばレーシング・カーなどでも、早く走ることには不要な部分を「贅肉」と呼んで、製肉の加工で脂肪を包丁で削るのに喩えて「削り取る」などと表現して、設計図から除去したり、不要な機械部品を取り外す。→[[比喩]] === 作品タイトル === * [[1976年]]の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ]]の[[ドキュメンタリー映画]]。[[フレデリック・ワイズマン]]監督。原題「''Meat''」→'''[[肉 (1976年の映画)]]''' * [[2013年]]のアメリカの[[ホラー映画]]。{{仮リンク|ジム・ミックル|en|Jim Mickle}}監督。原題「''We Are What We Are''」→'''[[肉 (2013年の映画)]]''' == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} '''注釈''' {{Notelist2}} '''出典''' {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|肉}} {{Wiktionary|肉}} *{{prefix}} *{{intitle}} {{DEFAULTSORT:にく}} [[Category:同名の作品]] <!--[[ファイル:FoodMeat.jpg|thumb|280px|牛、豚、鶏といった代表的な食肉。世界保健機関と[[国際がん研究機関]](IARC)は、[[IARC発がん性リスク一覧]]のおそらく発がん性がある2Aに牛豚羊馬ヤギといった赤肉を追加した<ref name="WHOMeat">{{Cite report |author=国際がん研究機関 |authorlink=国際がん研究機関 |date=2015-10-26 |title=IARC Monographs evaluate consumption of red meat and processed meat |url=http://www.iarc.fr/en/media-centre/pr/2015/pdfs/pr240_E.pdf }} {{Cite web |date=2015-11-13 |url=https://www.hsph.harvard.edu/nutritionsource/2015/11/03/report-says-eating-processed-meat-is-carcinogenic-understanding-the-findings/ |title=WHO report says eating processed meat is carcinogenic: Understanding the findings |publisher={{仮リンク|ハーバード公衆衛生大学院|en|Harvard School of Public Health}} |accessdate=2017-05-06}}</ref>。鶏は含まれず。]]-->
2003-02-28T11:39:55Z
2023-09-11T02:30:44Z
true
false
false
[ "Template:Intitle", "Template:Aimai", "Template:Lang-en-short", "Template:Efn2", "Template:仮リンク", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Prefix", "Template:未検証", "Template:Notelist2", "Template:Kotobank", "Template:Commonscat", "Template:Wiktionary" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%89
3,063
魚類
魚類(ぎょるい)は、脊椎動物亜門 Vertebrataから四肢動物を除外した動物群。日本語の日常語で魚(さかな、うお)と呼ばれる動物である。 基本的に一生の間水中生活を営み、えら(鰓)呼吸を行い、ひれ(鰭)を用いて移動する。体表はうろこ(鱗)で覆われている。 ほとんどの種は外界の温度によって体温を変化させる変温動物である。マグロやカジキ、一部の軟骨魚類は奇網と呼ばれる組織により、体温を海水温よりも高く保つことができる。 魚類は地球上のあらゆる水圏環境に放散し、その生息域は熱帯から極域、海洋の表層から深層、また内陸の淡水域まで多岐におよぶ。その生態や形態も実に様々である。魚類全体の種数は2万5,000 - 3万近くにものぼり、脊椎動物全体の半数以上を占めている。 大きさは種により大きく異なる。現生種で最大のものは体長13.7メートルに達するジンベエザメである。また化石種を含めると、約1億6,500万年前のリードシクティス・プロブレマティカスに、推定の仕方に違いがあるが28メートル以上もしくは16.7メートルの個体が発見されている。一方、現生種で最小のものはパエドキプリス・プロゲネティカであり、成魚でも7.9ミリメートルにしかならない。 冒頭文の定義では煩雑な表現をとったが、これは現在の系統学の立場からこの群を定義する他の方法が無いからである。古くは単に魚と考えればひとくくりに出来る感覚であり、20世紀半ばまではそれらを魚綱として一つにまとめ、その下に無顎類、軟骨魚類と硬骨魚類の三群を置くのが普通であった。これらは脊椎や頭部、脊髄と脳などの脊椎動物の基本構成の体制を持ち、鰓裂を鰓として持ち、鰭があって水中を遊泳するのに都合のいい構造をもっている。だが、これらはすべて、脊椎動物のきわめて祖先的形態にすぎない。 現在の分類学的観点からすると古典的な魚綱という群は単系統群ではなく側系統群であり、互いにかなり異質な系統を包含している。たとえば硬骨魚類は四肢動物とともに軟骨魚類や無顎類と別の単系統群を構成するし、そもそも硬骨魚類と軟骨魚類はともに無顎類とは別の単系統群である顎口上綱を構成する。そのため、最古の魚類であるミロクンミンギア、ハイコウイクチスから現代に生息している種までを一つの概念としてまとめようとした場合、このような表現にならざるを得ないのである。 進化の観点から言えば、ヒトを含む陸上脊椎動物の遠い祖先も魚類である。脊椎動物は水中で多様な群に分化し、その一部から陸上進出が行われ、それらがさらに分岐し多様な進化を遂げた。現在の魚類はこれらのうち、水中段階にとどまっているもの(上陸後に水中に戻ったものを除いて)をまとめたもの、といってもよい。ある意味でやはり陸上進出によって多様化した群の中で原始的構造をとどめたものをまとめたものであるシダ植物という群の位置づけに近い。 なお、定義に関連していえば、日本語の基礎語彙としての「魚(さかな)」と学術用語である「魚類」とは別語である。後者が分類学の手法でしか定義されないのに対し、前者は元来、生物学の知識の全くない人でも扱うことのできる語彙で、それで差し支えない範囲の中において用いられるものであった。たとえばヤツメウナギを「魚」と呼ぶことはあり得るが、その文脈の中においてはそれは誤りではなく、またその用例自体が「魚」という言葉の語義を成り立たせる基礎にもなっているのである。 解剖学的に見ると、魚類の体は水の特徴(空気に比べて粘性が高い、溶存酸素が少ない、光を吸収し透過しにくいなど)に適応したものだと言える。近年まで脳の構造上痛みを感じないといわれたが、魚類の痛覚には諸説あり、ニジマスの痛覚実験で痛覚受容体が存在するとした論文も掲載されている為、魚に痛覚があることも大いに考えられる。 水の抵抗を受けにくい流線型である種が多い。活発に泳ぎ回る種に多い。 体は頭部、胴部、尾部の3つに分けられる。 頭部に含まれるものは、眼から上あごの先端部までの吻部、えら蓋、頬部(眼から前鰓蓋骨まで)および下あごである。頭には長いひげやとげを持つものもいる。鼻孔には様々な形や深さのものがあるが、多くの場合には、前鼻孔と後鼻孔とが皮下で連結したU字型の管になっており、鼻孔と口腔とは繋がらない。吻の前部にある前鼻孔から入った水は、そのまま後部にある後鼻孔から流出するようになっている。 胴部は頭部以降から肛門の位置までで、外見上は臀鰭の前までである。消化器官は全てここまでに含まれる。 尾部は肛門以降、尾びれまでである。背面の筋肉が胴部から尾部へと連続的に発達しているので、外見上は尾の区別がはっきりしない。つまり、胴部から尾部をまとめて運動に使用しているとも言える。尾部の比率は比較的高く、多くの種で3割以上、ウナギ目の魚などは7割以上が尾である。 水中の少ない溶存酸素を利用するために、えら(鰓)という器官を発達させている。魚類の属する脊索動物門の鰓の基本構造は、口から咽頭に吸い込んだ外界水を排出する鰓裂(さいれつ)というスリット、スリット間の鰓弓(さいきゅう)という支柱、鰓弓に生じた鰓弁(さいべん)というガス交換器官から成っている。硬骨魚類では、これらの基本構造のセットが頭部の後方にある1対の鰓蓋骨(さいがいこつ、いわゆるえらぶた)で覆われていて、弓上の骨に支えられた鰓弓が4対存在する。鰓弓からは一次鰓弁が何本も伸び、さらに一次鰓弁上には表面積を拡げるための二次鰓弁が多数存在して、ガス交換に用いられる表面積を著しく拡大している。鰓弁には血管が高密度に通っており、外界(海水、淡水)と直接ガス交換を行う。そのためえらは赤く見える。えらはガス交換の他にも、塩類細胞によるイオンの排出・取り込みや窒素排泄物であるアンモニアの排泄を行っている。鰓弓を挟んで鰓弁の反対側にはしばしば鰓耙(さいは)というくし状の突起が発達し、口から吸いこんだ水や堆積物の中から食物をより分けたり漉し分けて食道へと送る機能を持っている。 ひれ(鰭)は体から突き出した薄膜状の構造である。基部には骨格や筋肉があり、動かせる。泳いだり、海底や地上を這ったり砂に潜ったりするのに使われる。 ひれは体につく位置により次のように分類される。 胸びれと腹びれは左右1対あり、これらを対鰭(ついき)、それ以外を不対鰭(ふついき)と呼ぶ。また背びれの数は1基、2基、3基と数え、前から順に第1背鰭、第2背鰭、第3背鰭と呼ぶ。 ひれの形態は、軟骨魚類、肉鰭類、条鰭類で大きく異なる。 ひれが遊泳以外の目的に進化している場合もある。また進化の過程で、一部のひれが退化していることも多い。 うろこは1つ1つは小さな板や棘(とげ)のような形のもので、これが多数集まって体の表面を覆う。外部の衝撃から皮膚や筋肉、内臓を保護する役割を担う。種によって大きさや形は異なり、うろこを持たない種もいる。硬骨魚類のうろこには樹木の年輪に相当する模様が刻まれており、年齢を知るのに役立つ。 うろこは大きく4種類に分けられる。現存する硬骨魚類の多くは円鱗(えんりん)あるいは櫛鱗(しつりん)を持つ。ヒラメのように体の部分によって円鱗と櫛鱗を有する種類もいる。 鰾は主に条鰭類が持つ器官である。浮き袋とも呼ばれる。 魚類の体は海水より比重が大きく、何もしなければ沈降してしまう。そこで、簡単に浮力を得るために鰾を発達させている。鰾は伸縮性に富む風船のような器官で、ガスを溜めたり抜いたりして浮力調節を行う。 原始的な鰾は消化管から枝分かれしており、水面に口を出して空気を出し入れする開鰾(有気管鰾)である。しかし一部の種は消化管から分離した閉鰾(無気管鰾)を持ち、鰾の周囲にある奇網からガス腺と呼ばれる細胞を介してガスを取り込む。 鰾は四肢動物やハイギョの肺と相同である。かつては鰾が肺に進化したと考えられていたが、現在では肺から鰾が進化したと考えられている。初期の硬骨魚類は、淡水生活の中で空気呼吸の必要から肺を発達させたが、水中生活へ適応した条鰭類では肺が鰾となった。そのため、硬骨魚類が肺を獲得する前に分岐したサメ・エイなどの軟骨魚類には鰾も肺もない。軟骨魚類では鰾の代わりに肝臓に脂質を蓄積することで浮力を得ている。条鰭類が肺を鰓に変化させる前に分岐した肉鰭類は、鰾の代わりに肺を持つ。ただし例外的に、現生シーラカンスのラティメリアは脂肪で満たされた鰾を持つ。 条鰭類でも一部の原始的な種では、鰾は肺の機能を残しており、鰓呼吸とは別に肺呼吸を行う。また、底生魚類や深海魚の中には、鰾を二次的に喪失したか非常に小さくなったものが多い。 魚類の目は哺乳類の目とは異なり、4種類の錐体細胞を持ち、紫外線領域の視覚をも持つ。このため、人の目にはオスとメスの区別がほとんどできない種でも、紫外線の反射率がオスとメスで大きな差があることから、魚自身には両者の視覚上の差は明瞭である可能性がある。 魚類は水中生活である。分布は世界中に渡り、その環境によって異なった種が見られる。 生活している塩分環境によって、海で生活する海水魚と河川や湖沼など内陸の淡水で生活する淡水魚に大別される。しかし、海水と淡水の混じり合う河口などの汽水域で生活する汽水魚や、海水・淡水どちらでも生きられる魚もおり、海水魚と淡水魚の区別は厳密でない。また、海水魚は塩湖に生息する魚も含めて塩水魚と呼ばれることもある。 海では海岸線から外洋、深海まであらゆる所に生息する種がある。特に水深200メートル以深の深海に生息するものを深海魚という。インド洋から太平洋に多くの種があり、大西洋には種数が少ない。これは大西洋が比較的新しく生じた海であるためである(ボトルネック効果)。 陸水では湖や池、川に多くの種があり、洞窟の中だけに見られる魚や地下水に生息するものもいる。陸水は陸と海水によってそれぞれ孤立しているので、淡水魚には地域による種分化が見られることが多い。しかし、上位分類群はごく広い分布域を持つものが多い。これは魚類の進化の多くが大陸移動以前から起こってきたためである。 一部の種は生活史の中で海と河川を往復する(通し回遊)。 ほとんどの魚類は水が無い環境では生活できない。これには陸上で体を支えるしくみを持たないこと、水中でしか呼吸できないことが大きい。一部には、体の下面にあるひれで体を支えて移動したり、肺・腸・皮膚などで空気中でも呼吸できるものもあり、干潟や湿地などの陸上である程度生活できる種もある。しかしこれらの大部分も主な生活は水中であり、トビハゼのように水中より陸にいる時間が長いような種も、皮膚の乾燥には耐えられないし、生殖や仔魚・稚魚(幼魚)の生活は水中である。 乾期に干あがる河川で魚類が生息している事がある。これはほとんどの場合は、水がある時期に外から侵入してくるためである。しかし、一部の種は乾燥期を特殊な方法で乗り切る。たとえば肺魚には泥の中に繭を作ってそこにこもり、水がない季節を耐える。カダヤシ目のノソブランキウスなどは、卵が土の中で生き延び、水が入ると孵化する。しかし、節足動物のアルテミアのように完全に乾燥した状態に耐えるものはない。 繁殖形態は卵生および胎生(卵胎生)である。卵は卵黄(栄養分)の割合が比較的多く、卵割は盤割を行うものが多く、小さな胚が大きな卵黄にくっついたような状態で発生がすすむ。孵化した仔魚は卵黄を抱え、しばらくは卵黄の栄養分を使って成長する。サメ類、エイ類、カダヤシ、カサゴ、ウミタナゴなどの仲間には、体内で卵を孵化させて子供を産む卵胎生のものもいる。 繁殖習性も様々である。卵胎生のものは体内受精だが、大多数は体外受精を行う。その際に多数が集まって抱卵放精を行うものから、雌雄一対によるものまで様々な配偶行動が見られる。 大部分の魚類(無顎類以外)の幼生は、すべて魚類の体制を備えて孵化する。その点では直接発生的である。しかし、種によっては成長するにつれた見かけ上の姿が大きく変わるものもある。 とくに真骨魚類は生まれたばかりの幼生を仔魚(しぎょ)、少し成長した幼生を稚魚(ちぎょ)といって区別する。両者の間には明確な形態的変化があり、これを変態と呼ぶ。稚魚は体の大きさこそ小さいが、成魚と同じ形質を備えている。それに対して仔魚は成魚と形態的にもかなり異なっている場合が多い。いくつかの種では「〜幼生」と名前がついているが、そういうものは、発見時に親とは別の種だと思われて付けられた名前の名残であるもの多い。ただし、全ての種が変態を行うわけではなく、仔魚・稚魚の区別がはっきりしない種もある。 仔魚期に特徴的な形態をとるのは、多くの場合は浮遊生活への適応のためである。まだ十分な遊泳力を持たないため、水平方向に泳げないばかりか、そのままでは海底に沈んでしまう。そこで体に大きな棘や糸状の構造物を生やしたり、ひれを大きくしたりして浮力を得ている。棘は捕食に対する抵抗でもある。また、外見からは分からないが、体液の代わりに比重の軽い水や油、気体を溜めて沈降を防いでいる場合もある。 無顎類であるヤツメウナギは、幼生はより単純なアンモシーテス幼生の時期を持つ。アンモシーテス幼生は両眼を欠き、砂泥の中で生活する。アンモシーテス幼生をナメクジウオに対応させる考えもある。 近年の動物の苦痛の研究は、軟体動物、甲殻類、魚などのさまざまな水生動物が、苦痛を認識している可能性を示している。多くの科学者たちは魚が情感を備えると認めており、魚は不安を経験していると推測されている。例えば、アメリカの海洋生物学者のシルビア・アリス・アール博士は次のように述べている。 また魚は、人間同様「うつ」になるとも考えられている。自然界にはないストレス(過密、他の魚からの攻撃、人間による扱い、ワクチン接種など)にさらされた養殖のサケが、深刻なうつ状態にあることが示唆される研究や、ゼブラフィッシュにエタノールを2週間与え続けたあとでその供給をストップして強制的にうつ状態にさせたあと、抗うつ剤をゼブラフィッシュに与えるという研究では、エタノールの供給を絶たれて動きが緩慢になり底のほうに停滞するゼブラフィッシュが、抗うつ剤投与で水槽の上から下へと泳ぎ回りはじめる様子が観察されている。この研究では「うつ状態」のゼブラフィッシュは、うつの人々と同じように、食べ物、おもちゃ、探検など、ほぼすべてに興味を失う様子を見せた。 魚にとって、生活環境は重要で、小石や植物など飼育環境に工夫を施した水槽か、何もない水槽かのどちらかを選択するように提示されたゼブラフィッシュは、一貫して前者を選択する。水槽に有害な酢酸 (酢) を注入してもこの選択が持続した。 「痛み」についても、情動をつかさどる大脳辺縁系にあたる部分が魚類にもあることがわかっており、ダメージや損傷があった時の魚の行動は、注意散漫になったり、損傷部分をかばったり、異物を取り除こうとしたり、食欲が低下したりする。そして、痛みを和らげるモルヒネを投与すると、注意力を取り戻し、通常の行動を取ることが可能になるといった人間が痛みを感じた時と同じ反応を示す。 認知能力については、ホンソメワケベラという魚は鏡像認知し、メダカは相手の顔を識別し、魚は痛みを感じ、タラは音で会話しているという指摘がある。大阪市立大学の研究によると、「魚は鏡を見て自己認識することができる」という。同研究で、麻酔をした魚ののどに色素を注入すると、魚はその部分を気にするようにそれを取り除こうとのどを水槽の底にこすりつけることが観察された。 魚類の中ではマンタ(オニイトマキエイ、ナンヨウマンタ)が最も脳化指数が高い種類の一つとされ大型の哺乳類と同等の知性を持っているとされており、脳のサイズはジンベエザメの10倍あり脳の対比は魚類の中では最大である。また、マンタは鏡像認知をした可能性が高い生物にも数えられている。また、マンタは少なくとも一種は特定の個体を識別し友情を築くことが判明した。 魚の認知能力や感受性についての世論は一致しており、 9,000 人のヨーロッパ人を対象とした 2018 年の調査では、79% が魚の福祉は他の家畜の福祉と同じくらい保護されるべきだと考えていることがわかった。また、2021年にオーストラリア、バングラデシュ、ブラジル、チリ、中国、インド、マレーシア、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、スーダン、タイ、英国、米国の14か国の市民を対象に行った調査では、いずれの国でも60%以上が「魚が痛みや感情を持っている」ことに同意している。 このような、魚の情感に対する認知の広がりを背景に、イギリス大手のスーパーマーケット セインズベリーが、魚の飼育密度の規定や体の切除の禁止、屠殺方法などの動物福祉基準を設けたり、スロバキアでは生きた鯉の販売はクリスマスの伝統の一部であったが、2021年以降、小売業者Kaufland(ドイツ語版)、テスコ、 Billa(英語版)が、2022年以降スロバキアでの生きたコイの販売を終了することを約束したりするなどの魚に配慮する動きが近年見られる。また、イタリアのモンツァ市、ボローニャ市が球形の金魚鉢での金魚の飼育を禁止し、またベルギーでも「表面積の小さい球形の金魚鉢は魚にストレスを与える」として、丸いボウルの販売禁止法案が検討中である(2022年3月時点)。 2018年(平成30年)現在、魚類の系統仮説は以下の通りである。なお下表では魚類ではない四肢類を太字で表した: 知られている中で最古の脊椎動物であり魚類は、カンブリア紀のミロクンミンギア類である。次のオルドビス紀で無顎類が発達し、シルル紀に汽水域で活動できるようになり、顎を持つ顎口類が登場した。 魚類は世界中で食物として利用される。獣肉を食べることを禁じられていた仏教徒の多い国ではより重視される。 魚類を捕らえる方法として代表的なのは銛()などで突く方法、網ですくう方法、釣りなどであり、それぞれに各国で、あるいは対象によって様々な方法が工夫されている。中には動物を使役する(鵜飼いやカワウソなど)などの特殊な方法もある。それらは食料確保のためでもあるが、趣味としても行なわれている。 魚を取ることをまとめて漁、仕事としては漁業という。また、食用の魚種を飼育することを養殖という。 四方を海に囲まれた日本でもなじみ深い食材である。「不味い魚」「美味しい魚」という実用的な観点から魚の種類への関心が高い。貝類や甲殻類とあわせて魚介類と言うことも多く、それらは魚屋で扱われる。そのような文化もあり、生物の和名には肉の色が採用されることが多い。 焼いたり煮たり、あるいは揚げたりと様々に料理される。日本の刺身などでは生で食べるが少数派である。傷みやすいものが多く、保存のために塩漬けや干物、燻製、あるいは油漬けなど処理される例も多い。直接的な食品でない例としては鰹節や魚醤がある。 食料の他に肥料や飼料・加工品の原料などとして使われる。また、釣りや熱帯魚鑑賞は趣味として広く親しまれている。各地に水族館が建てられ、世界中の魚を見ることができる。日本は周りを海に囲まれていることもあり、世界有数の魚大国である。 魚には、エイコサペンタエン酸 (EPA) やドコサヘキサエン酸 (DHA) などのω-3脂肪酸である多価不飽和脂肪酸が多く含まれる。魚に含まれるDHAの多くは、ラビリンチュラ類の1属であるSchizochytrium属などのような海産の微生物によって生産されたものが、食物連鎖の過程で魚の体内に濃縮されたものである。 ω-3脂肪酸の摂取は心臓病の予防に良いと言われている。脳や網膜など神経系の発達にも関与するといわれている。流行歌のおさかな天国には「魚を食べると頭が良くなる」というフレーズがあるが、上記の健康影響を考えると無根拠とも言えない。 村落単位で見た生活習慣では、労働が激しく、魚又は大豆を十分にとり、野菜や海草を多食する地域は長寿村であり、米と塩の過剰摂取、魚の偏食の見られる地域は短命村が多いことが指摘されている。 魚介類の脂肪酸にて、魚介類100グラム中の主な脂肪酸について解説。 魚は世界の水系に排出される化学物質を取り込み濃縮させる。PCBやダイオキシン、水銀、鉛、DTTなどがある。魚はPCBの最大の摂取源であると指摘される。 脂肪の多い魚は、オメガ3脂肪酸の豊富な供給源であり、アルツハイマー病の人々の脳に有害な塊を形成するタンパク質であるベータアミロイドの血中濃度の低下に関連している。このため、少なくとも週に2回は魚を食べること。ただし、鮭、タラ、ライトマグロの缶詰、ポラックなど、水銀の少ない品種を選択すること。魚に過敏な場合は、オメガ3サプリメントの摂取について医師に相談するか、亜麻仁、アボカド、クルミなどの陸生オメガ3ソースを選択すること。 20世紀半ばまでは、魚類は魚上綱(ぎょじょうこう)として1つの綱に分類されていた。これは日常用語における「魚」に対応する分類群であった。魚上綱には、軟骨魚綱、硬骨魚綱、絶滅した板皮綱および棘魚綱が含まれていた。 現在では、魚綱は単系統群ではなく側系統群であるとされる。例えば、マグロ・メダカなどの典型的な魚を含む条鰭綱は、サメなどの軟骨魚類やヤツメウナギなどの無顎類よりも、ヒトなどの四肢動物(両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類)により近縁である。このような分類は人為的であるため、現在では魚綱は生物の分類としては用いられない。 ただし、漁業などの実用的な分野では、現在でも魚類が用いられる。 本稿では無顎類も示すこととする。また全体の分類体系はNelson の分類に従った。 魚類を分類するにあたって使用される特徴のうち、特に注目されるのが鰭の形態である。背鰭の数、胸鰭と腹鰭の位置、脂鰭の有無などが、分類上の重要な形質となる。例として、系統的に古い魚類(コイ目など)では腹鰭は体の中央付近に位置するが、比較的高等な魚類(スズキ目など)ではずっと前方に移動し、胸鰭のすぐ下であったり喉の位置にあったりする。胸鰭と腹鰭を近づけて連動させることで、より効率の良い運動が行えるようになったものと見られている。また条鰭類の魚類では、各々の鰭が何本の棘条と軟条で構成されているかによって、系統的に近い種類・遠い種類を見分けることができる。これらの鰭の構成は分類上極めて重要な要素であるため、専門的には略号を用いて「D.XII,9; A.III,8; P1.26〜28; P2.I,5」のように表し、これを鰭式(きしき)と呼ぶ。アルファベットは鰭の種類(D:背鰭、A:臀鰭、P1:胸鰭、P2:腹鰭)を、ローマ数字・アラビア数字はそれぞれ棘条・軟条の数を表している。 分類に用いられる形質として、骨格や鱗もまた重要な要素である。より進化した高等な魚類では、骨の癒合・省略が進み、全体の数が少なくなる傾向がある。これは脊椎動物全体に見られる特徴で、ウィリストンの法則と呼ばれる。鱗は上述したような形態の区別の他、側線を基準に計測した鱗の数(側線鱗数や横列鱗数)が分類形質となる。 魚類は様々な体型や体色をしており、これらは見た目にわかりやすい特徴ではあるが、少なくとも目のレベルでの分類に使用されることは少ない。体型や体色は系統よりもむしろ環境への適応を色濃く反映している。科・属・種などの下位分類では、発光器の数と位置(ハダカイワシ類)、交接器の形態(アシロ類)など多種多様な形質が分類に用いられている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "魚類(ぎょるい)は、脊椎動物亜門 Vertebrataから四肢動物を除外した動物群。日本語の日常語で魚(さかな、うお)と呼ばれる動物である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "基本的に一生の間水中生活を営み、えら(鰓)呼吸を行い、ひれ(鰭)を用いて移動する。体表はうろこ(鱗)で覆われている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ほとんどの種は外界の温度によって体温を変化させる変温動物である。マグロやカジキ、一部の軟骨魚類は奇網と呼ばれる組織により、体温を海水温よりも高く保つことができる。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "魚類は地球上のあらゆる水圏環境に放散し、その生息域は熱帯から極域、海洋の表層から深層、また内陸の淡水域まで多岐におよぶ。その生態や形態も実に様々である。魚類全体の種数は2万5,000 - 3万近くにものぼり、脊椎動物全体の半数以上を占めている。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "大きさは種により大きく異なる。現生種で最大のものは体長13.7メートルに達するジンベエザメである。また化石種を含めると、約1億6,500万年前のリードシクティス・プロブレマティカスに、推定の仕方に違いがあるが28メートル以上もしくは16.7メートルの個体が発見されている。一方、現生種で最小のものはパエドキプリス・プロゲネティカであり、成魚でも7.9ミリメートルにしかならない。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "冒頭文の定義では煩雑な表現をとったが、これは現在の系統学の立場からこの群を定義する他の方法が無いからである。古くは単に魚と考えればひとくくりに出来る感覚であり、20世紀半ばまではそれらを魚綱として一つにまとめ、その下に無顎類、軟骨魚類と硬骨魚類の三群を置くのが普通であった。これらは脊椎や頭部、脊髄と脳などの脊椎動物の基本構成の体制を持ち、鰓裂を鰓として持ち、鰭があって水中を遊泳するのに都合のいい構造をもっている。だが、これらはすべて、脊椎動物のきわめて祖先的形態にすぎない。", "title": "定義" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "現在の分類学的観点からすると古典的な魚綱という群は単系統群ではなく側系統群であり、互いにかなり異質な系統を包含している。たとえば硬骨魚類は四肢動物とともに軟骨魚類や無顎類と別の単系統群を構成するし、そもそも硬骨魚類と軟骨魚類はともに無顎類とは別の単系統群である顎口上綱を構成する。そのため、最古の魚類であるミロクンミンギア、ハイコウイクチスから現代に生息している種までを一つの概念としてまとめようとした場合、このような表現にならざるを得ないのである。", "title": "定義" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "進化の観点から言えば、ヒトを含む陸上脊椎動物の遠い祖先も魚類である。脊椎動物は水中で多様な群に分化し、その一部から陸上進出が行われ、それらがさらに分岐し多様な進化を遂げた。現在の魚類はこれらのうち、水中段階にとどまっているもの(上陸後に水中に戻ったものを除いて)をまとめたもの、といってもよい。ある意味でやはり陸上進出によって多様化した群の中で原始的構造をとどめたものをまとめたものであるシダ植物という群の位置づけに近い。", "title": "定義" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "なお、定義に関連していえば、日本語の基礎語彙としての「魚(さかな)」と学術用語である「魚類」とは別語である。後者が分類学の手法でしか定義されないのに対し、前者は元来、生物学の知識の全くない人でも扱うことのできる語彙で、それで差し支えない範囲の中において用いられるものであった。たとえばヤツメウナギを「魚」と呼ぶことはあり得るが、その文脈の中においてはそれは誤りではなく、またその用例自体が「魚」という言葉の語義を成り立たせる基礎にもなっているのである。", "title": "定義" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "解剖学的に見ると、魚類の体は水の特徴(空気に比べて粘性が高い、溶存酸素が少ない、光を吸収し透過しにくいなど)に適応したものだと言える。近年まで脳の構造上痛みを感じないといわれたが、魚類の痛覚には諸説あり、ニジマスの痛覚実験で痛覚受容体が存在するとした論文も掲載されている為、魚に痛覚があることも大いに考えられる。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "水の抵抗を受けにくい流線型である種が多い。活発に泳ぎ回る種に多い。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "体は頭部、胴部、尾部の3つに分けられる。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "頭部に含まれるものは、眼から上あごの先端部までの吻部、えら蓋、頬部(眼から前鰓蓋骨まで)および下あごである。頭には長いひげやとげを持つものもいる。鼻孔には様々な形や深さのものがあるが、多くの場合には、前鼻孔と後鼻孔とが皮下で連結したU字型の管になっており、鼻孔と口腔とは繋がらない。吻の前部にある前鼻孔から入った水は、そのまま後部にある後鼻孔から流出するようになっている。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "胴部は頭部以降から肛門の位置までで、外見上は臀鰭の前までである。消化器官は全てここまでに含まれる。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "尾部は肛門以降、尾びれまでである。背面の筋肉が胴部から尾部へと連続的に発達しているので、外見上は尾の区別がはっきりしない。つまり、胴部から尾部をまとめて運動に使用しているとも言える。尾部の比率は比較的高く、多くの種で3割以上、ウナギ目の魚などは7割以上が尾である。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "水中の少ない溶存酸素を利用するために、えら(鰓)という器官を発達させている。魚類の属する脊索動物門の鰓の基本構造は、口から咽頭に吸い込んだ外界水を排出する鰓裂(さいれつ)というスリット、スリット間の鰓弓(さいきゅう)という支柱、鰓弓に生じた鰓弁(さいべん)というガス交換器官から成っている。硬骨魚類では、これらの基本構造のセットが頭部の後方にある1対の鰓蓋骨(さいがいこつ、いわゆるえらぶた)で覆われていて、弓上の骨に支えられた鰓弓が4対存在する。鰓弓からは一次鰓弁が何本も伸び、さらに一次鰓弁上には表面積を拡げるための二次鰓弁が多数存在して、ガス交換に用いられる表面積を著しく拡大している。鰓弁には血管が高密度に通っており、外界(海水、淡水)と直接ガス交換を行う。そのためえらは赤く見える。えらはガス交換の他にも、塩類細胞によるイオンの排出・取り込みや窒素排泄物であるアンモニアの排泄を行っている。鰓弓を挟んで鰓弁の反対側にはしばしば鰓耙(さいは)というくし状の突起が発達し、口から吸いこんだ水や堆積物の中から食物をより分けたり漉し分けて食道へと送る機能を持っている。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ひれ(鰭)は体から突き出した薄膜状の構造である。基部には骨格や筋肉があり、動かせる。泳いだり、海底や地上を這ったり砂に潜ったりするのに使われる。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ひれは体につく位置により次のように分類される。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "胸びれと腹びれは左右1対あり、これらを対鰭(ついき)、それ以外を不対鰭(ふついき)と呼ぶ。また背びれの数は1基、2基、3基と数え、前から順に第1背鰭、第2背鰭、第3背鰭と呼ぶ。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ひれの形態は、軟骨魚類、肉鰭類、条鰭類で大きく異なる。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ひれが遊泳以外の目的に進化している場合もある。また進化の過程で、一部のひれが退化していることも多い。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "うろこは1つ1つは小さな板や棘(とげ)のような形のもので、これが多数集まって体の表面を覆う。外部の衝撃から皮膚や筋肉、内臓を保護する役割を担う。種によって大きさや形は異なり、うろこを持たない種もいる。硬骨魚類のうろこには樹木の年輪に相当する模様が刻まれており、年齢を知るのに役立つ。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "うろこは大きく4種類に分けられる。現存する硬骨魚類の多くは円鱗(えんりん)あるいは櫛鱗(しつりん)を持つ。ヒラメのように体の部分によって円鱗と櫛鱗を有する種類もいる。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "鰾は主に条鰭類が持つ器官である。浮き袋とも呼ばれる。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "魚類の体は海水より比重が大きく、何もしなければ沈降してしまう。そこで、簡単に浮力を得るために鰾を発達させている。鰾は伸縮性に富む風船のような器官で、ガスを溜めたり抜いたりして浮力調節を行う。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "原始的な鰾は消化管から枝分かれしており、水面に口を出して空気を出し入れする開鰾(有気管鰾)である。しかし一部の種は消化管から分離した閉鰾(無気管鰾)を持ち、鰾の周囲にある奇網からガス腺と呼ばれる細胞を介してガスを取り込む。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "鰾は四肢動物やハイギョの肺と相同である。かつては鰾が肺に進化したと考えられていたが、現在では肺から鰾が進化したと考えられている。初期の硬骨魚類は、淡水生活の中で空気呼吸の必要から肺を発達させたが、水中生活へ適応した条鰭類では肺が鰾となった。そのため、硬骨魚類が肺を獲得する前に分岐したサメ・エイなどの軟骨魚類には鰾も肺もない。軟骨魚類では鰾の代わりに肝臓に脂質を蓄積することで浮力を得ている。条鰭類が肺を鰓に変化させる前に分岐した肉鰭類は、鰾の代わりに肺を持つ。ただし例外的に、現生シーラカンスのラティメリアは脂肪で満たされた鰾を持つ。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "条鰭類でも一部の原始的な種では、鰾は肺の機能を残しており、鰓呼吸とは別に肺呼吸を行う。また、底生魚類や深海魚の中には、鰾を二次的に喪失したか非常に小さくなったものが多い。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "魚類の目は哺乳類の目とは異なり、4種類の錐体細胞を持ち、紫外線領域の視覚をも持つ。このため、人の目にはオスとメスの区別がほとんどできない種でも、紫外線の反射率がオスとメスで大きな差があることから、魚自身には両者の視覚上の差は明瞭である可能性がある。", "title": "体の構造" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "魚類は水中生活である。分布は世界中に渡り、その環境によって異なった種が見られる。", "title": "分布と生息環境" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "生活している塩分環境によって、海で生活する海水魚と河川や湖沼など内陸の淡水で生活する淡水魚に大別される。しかし、海水と淡水の混じり合う河口などの汽水域で生活する汽水魚や、海水・淡水どちらでも生きられる魚もおり、海水魚と淡水魚の区別は厳密でない。また、海水魚は塩湖に生息する魚も含めて塩水魚と呼ばれることもある。", "title": "分布と生息環境" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "海では海岸線から外洋、深海まであらゆる所に生息する種がある。特に水深200メートル以深の深海に生息するものを深海魚という。インド洋から太平洋に多くの種があり、大西洋には種数が少ない。これは大西洋が比較的新しく生じた海であるためである(ボトルネック効果)。", "title": "分布と生息環境" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "陸水では湖や池、川に多くの種があり、洞窟の中だけに見られる魚や地下水に生息するものもいる。陸水は陸と海水によってそれぞれ孤立しているので、淡水魚には地域による種分化が見られることが多い。しかし、上位分類群はごく広い分布域を持つものが多い。これは魚類の進化の多くが大陸移動以前から起こってきたためである。", "title": "分布と生息環境" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "一部の種は生活史の中で海と河川を往復する(通し回遊)。", "title": "分布と生息環境" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "ほとんどの魚類は水が無い環境では生活できない。これには陸上で体を支えるしくみを持たないこと、水中でしか呼吸できないことが大きい。一部には、体の下面にあるひれで体を支えて移動したり、肺・腸・皮膚などで空気中でも呼吸できるものもあり、干潟や湿地などの陸上である程度生活できる種もある。しかしこれらの大部分も主な生活は水中であり、トビハゼのように水中より陸にいる時間が長いような種も、皮膚の乾燥には耐えられないし、生殖や仔魚・稚魚(幼魚)の生活は水中である。", "title": "分布と生息環境" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "乾期に干あがる河川で魚類が生息している事がある。これはほとんどの場合は、水がある時期に外から侵入してくるためである。しかし、一部の種は乾燥期を特殊な方法で乗り切る。たとえば肺魚には泥の中に繭を作ってそこにこもり、水がない季節を耐える。カダヤシ目のノソブランキウスなどは、卵が土の中で生き延び、水が入ると孵化する。しかし、節足動物のアルテミアのように完全に乾燥した状態に耐えるものはない。", "title": "分布と生息環境" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "繁殖形態は卵生および胎生(卵胎生)である。卵は卵黄(栄養分)の割合が比較的多く、卵割は盤割を行うものが多く、小さな胚が大きな卵黄にくっついたような状態で発生がすすむ。孵化した仔魚は卵黄を抱え、しばらくは卵黄の栄養分を使って成長する。サメ類、エイ類、カダヤシ、カサゴ、ウミタナゴなどの仲間には、体内で卵を孵化させて子供を産む卵胎生のものもいる。", "title": "繁殖と発生" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "繁殖習性も様々である。卵胎生のものは体内受精だが、大多数は体外受精を行う。その際に多数が集まって抱卵放精を行うものから、雌雄一対によるものまで様々な配偶行動が見られる。", "title": "繁殖と発生" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "大部分の魚類(無顎類以外)の幼生は、すべて魚類の体制を備えて孵化する。その点では直接発生的である。しかし、種によっては成長するにつれた見かけ上の姿が大きく変わるものもある。", "title": "繁殖と発生" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "とくに真骨魚類は生まれたばかりの幼生を仔魚(しぎょ)、少し成長した幼生を稚魚(ちぎょ)といって区別する。両者の間には明確な形態的変化があり、これを変態と呼ぶ。稚魚は体の大きさこそ小さいが、成魚と同じ形質を備えている。それに対して仔魚は成魚と形態的にもかなり異なっている場合が多い。いくつかの種では「〜幼生」と名前がついているが、そういうものは、発見時に親とは別の種だと思われて付けられた名前の名残であるもの多い。ただし、全ての種が変態を行うわけではなく、仔魚・稚魚の区別がはっきりしない種もある。", "title": "繁殖と発生" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "仔魚期に特徴的な形態をとるのは、多くの場合は浮遊生活への適応のためである。まだ十分な遊泳力を持たないため、水平方向に泳げないばかりか、そのままでは海底に沈んでしまう。そこで体に大きな棘や糸状の構造物を生やしたり、ひれを大きくしたりして浮力を得ている。棘は捕食に対する抵抗でもある。また、外見からは分からないが、体液の代わりに比重の軽い水や油、気体を溜めて沈降を防いでいる場合もある。", "title": "繁殖と発生" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "無顎類であるヤツメウナギは、幼生はより単純なアンモシーテス幼生の時期を持つ。アンモシーテス幼生は両眼を欠き、砂泥の中で生活する。アンモシーテス幼生をナメクジウオに対応させる考えもある。", "title": "繁殖と発生" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "近年の動物の苦痛の研究は、軟体動物、甲殻類、魚などのさまざまな水生動物が、苦痛を認識している可能性を示している。多くの科学者たちは魚が情感を備えると認めており、魚は不安を経験していると推測されている。例えば、アメリカの海洋生物学者のシルビア・アリス・アール博士は次のように述べている。", "title": "認知能力と感受性" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "また魚は、人間同様「うつ」になるとも考えられている。自然界にはないストレス(過密、他の魚からの攻撃、人間による扱い、ワクチン接種など)にさらされた養殖のサケが、深刻なうつ状態にあることが示唆される研究や、ゼブラフィッシュにエタノールを2週間与え続けたあとでその供給をストップして強制的にうつ状態にさせたあと、抗うつ剤をゼブラフィッシュに与えるという研究では、エタノールの供給を絶たれて動きが緩慢になり底のほうに停滞するゼブラフィッシュが、抗うつ剤投与で水槽の上から下へと泳ぎ回りはじめる様子が観察されている。この研究では「うつ状態」のゼブラフィッシュは、うつの人々と同じように、食べ物、おもちゃ、探検など、ほぼすべてに興味を失う様子を見せた。", "title": "認知能力と感受性" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "魚にとって、生活環境は重要で、小石や植物など飼育環境に工夫を施した水槽か、何もない水槽かのどちらかを選択するように提示されたゼブラフィッシュは、一貫して前者を選択する。水槽に有害な酢酸 (酢) を注入してもこの選択が持続した。", "title": "認知能力と感受性" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "「痛み」についても、情動をつかさどる大脳辺縁系にあたる部分が魚類にもあることがわかっており、ダメージや損傷があった時の魚の行動は、注意散漫になったり、損傷部分をかばったり、異物を取り除こうとしたり、食欲が低下したりする。そして、痛みを和らげるモルヒネを投与すると、注意力を取り戻し、通常の行動を取ることが可能になるといった人間が痛みを感じた時と同じ反応を示す。", "title": "認知能力と感受性" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "認知能力については、ホンソメワケベラという魚は鏡像認知し、メダカは相手の顔を識別し、魚は痛みを感じ、タラは音で会話しているという指摘がある。大阪市立大学の研究によると、「魚は鏡を見て自己認識することができる」という。同研究で、麻酔をした魚ののどに色素を注入すると、魚はその部分を気にするようにそれを取り除こうとのどを水槽の底にこすりつけることが観察された。", "title": "認知能力と感受性" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "魚類の中ではマンタ(オニイトマキエイ、ナンヨウマンタ)が最も脳化指数が高い種類の一つとされ大型の哺乳類と同等の知性を持っているとされており、脳のサイズはジンベエザメの10倍あり脳の対比は魚類の中では最大である。また、マンタは鏡像認知をした可能性が高い生物にも数えられている。また、マンタは少なくとも一種は特定の個体を識別し友情を築くことが判明した。", "title": "認知能力と感受性" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "魚の認知能力や感受性についての世論は一致しており、 9,000 人のヨーロッパ人を対象とした 2018 年の調査では、79% が魚の福祉は他の家畜の福祉と同じくらい保護されるべきだと考えていることがわかった。また、2021年にオーストラリア、バングラデシュ、ブラジル、チリ、中国、インド、マレーシア、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、スーダン、タイ、英国、米国の14か国の市民を対象に行った調査では、いずれの国でも60%以上が「魚が痛みや感情を持っている」ことに同意している。", "title": "認知能力と感受性" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "このような、魚の情感に対する認知の広がりを背景に、イギリス大手のスーパーマーケット セインズベリーが、魚の飼育密度の規定や体の切除の禁止、屠殺方法などの動物福祉基準を設けたり、スロバキアでは生きた鯉の販売はクリスマスの伝統の一部であったが、2021年以降、小売業者Kaufland(ドイツ語版)、テスコ、 Billa(英語版)が、2022年以降スロバキアでの生きたコイの販売を終了することを約束したりするなどの魚に配慮する動きが近年見られる。また、イタリアのモンツァ市、ボローニャ市が球形の金魚鉢での金魚の飼育を禁止し、またベルギーでも「表面積の小さい球形の金魚鉢は魚にストレスを与える」として、丸いボウルの販売禁止法案が検討中である(2022年3月時点)。", "title": "認知能力と感受性" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "2018年(平成30年)現在、魚類の系統仮説は以下の通りである。なお下表では魚類ではない四肢類を太字で表した:", "title": "系統樹" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "知られている中で最古の脊椎動物であり魚類は、カンブリア紀のミロクンミンギア類である。次のオルドビス紀で無顎類が発達し、シルル紀に汽水域で活動できるようになり、顎を持つ顎口類が登場した。", "title": "進化" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "魚類は世界中で食物として利用される。獣肉を食べることを禁じられていた仏教徒の多い国ではより重視される。", "title": "人と魚" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "魚類を捕らえる方法として代表的なのは銛()などで突く方法、網ですくう方法、釣りなどであり、それぞれに各国で、あるいは対象によって様々な方法が工夫されている。中には動物を使役する(鵜飼いやカワウソなど)などの特殊な方法もある。それらは食料確保のためでもあるが、趣味としても行なわれている。", "title": "人と魚" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "魚を取ることをまとめて漁、仕事としては漁業という。また、食用の魚種を飼育することを養殖という。", "title": "人と魚" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "四方を海に囲まれた日本でもなじみ深い食材である。「不味い魚」「美味しい魚」という実用的な観点から魚の種類への関心が高い。貝類や甲殻類とあわせて魚介類と言うことも多く、それらは魚屋で扱われる。そのような文化もあり、生物の和名には肉の色が採用されることが多い。", "title": "人と魚" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "焼いたり煮たり、あるいは揚げたりと様々に料理される。日本の刺身などでは生で食べるが少数派である。傷みやすいものが多く、保存のために塩漬けや干物、燻製、あるいは油漬けなど処理される例も多い。直接的な食品でない例としては鰹節や魚醤がある。", "title": "人と魚" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "食料の他に肥料や飼料・加工品の原料などとして使われる。また、釣りや熱帯魚鑑賞は趣味として広く親しまれている。各地に水族館が建てられ、世界中の魚を見ることができる。日本は周りを海に囲まれていることもあり、世界有数の魚大国である。", "title": "人と魚" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "魚には、エイコサペンタエン酸 (EPA) やドコサヘキサエン酸 (DHA) などのω-3脂肪酸である多価不飽和脂肪酸が多く含まれる。魚に含まれるDHAの多くは、ラビリンチュラ類の1属であるSchizochytrium属などのような海産の微生物によって生産されたものが、食物連鎖の過程で魚の体内に濃縮されたものである。", "title": "人と魚" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "ω-3脂肪酸の摂取は心臓病の予防に良いと言われている。脳や網膜など神経系の発達にも関与するといわれている。流行歌のおさかな天国には「魚を食べると頭が良くなる」というフレーズがあるが、上記の健康影響を考えると無根拠とも言えない。", "title": "人と魚" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "村落単位で見た生活習慣では、労働が激しく、魚又は大豆を十分にとり、野菜や海草を多食する地域は長寿村であり、米と塩の過剰摂取、魚の偏食の見られる地域は短命村が多いことが指摘されている。", "title": "人と魚" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "魚介類の脂肪酸にて、魚介類100グラム中の主な脂肪酸について解説。", "title": "人と魚" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "魚は世界の水系に排出される化学物質を取り込み濃縮させる。PCBやダイオキシン、水銀、鉛、DTTなどがある。魚はPCBの最大の摂取源であると指摘される。", "title": "人と魚" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "脂肪の多い魚は、オメガ3脂肪酸の豊富な供給源であり、アルツハイマー病の人々の脳に有害な塊を形成するタンパク質であるベータアミロイドの血中濃度の低下に関連している。このため、少なくとも週に2回は魚を食べること。ただし、鮭、タラ、ライトマグロの缶詰、ポラックなど、水銀の少ない品種を選択すること。魚に過敏な場合は、オメガ3サプリメントの摂取について医師に相談するか、亜麻仁、アボカド、クルミなどの陸生オメガ3ソースを選択すること。", "title": "人と魚" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "20世紀半ばまでは、魚類は魚上綱(ぎょじょうこう)として1つの綱に分類されていた。これは日常用語における「魚」に対応する分類群であった。魚上綱には、軟骨魚綱、硬骨魚綱、絶滅した板皮綱および棘魚綱が含まれていた。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "現在では、魚綱は単系統群ではなく側系統群であるとされる。例えば、マグロ・メダカなどの典型的な魚を含む条鰭綱は、サメなどの軟骨魚類やヤツメウナギなどの無顎類よりも、ヒトなどの四肢動物(両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類)により近縁である。このような分類は人為的であるため、現在では魚綱は生物の分類としては用いられない。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "ただし、漁業などの実用的な分野では、現在でも魚類が用いられる。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "本稿では無顎類も示すこととする。また全体の分類体系はNelson の分類に従った。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "魚類を分類するにあたって使用される特徴のうち、特に注目されるのが鰭の形態である。背鰭の数、胸鰭と腹鰭の位置、脂鰭の有無などが、分類上の重要な形質となる。例として、系統的に古い魚類(コイ目など)では腹鰭は体の中央付近に位置するが、比較的高等な魚類(スズキ目など)ではずっと前方に移動し、胸鰭のすぐ下であったり喉の位置にあったりする。胸鰭と腹鰭を近づけて連動させることで、より効率の良い運動が行えるようになったものと見られている。また条鰭類の魚類では、各々の鰭が何本の棘条と軟条で構成されているかによって、系統的に近い種類・遠い種類を見分けることができる。これらの鰭の構成は分類上極めて重要な要素であるため、専門的には略号を用いて「D.XII,9; A.III,8; P1.26〜28; P2.I,5」のように表し、これを鰭式(きしき)と呼ぶ。アルファベットは鰭の種類(D:背鰭、A:臀鰭、P1:胸鰭、P2:腹鰭)を、ローマ数字・アラビア数字はそれぞれ棘条・軟条の数を表している。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "分類に用いられる形質として、骨格や鱗もまた重要な要素である。より進化した高等な魚類では、骨の癒合・省略が進み、全体の数が少なくなる傾向がある。これは脊椎動物全体に見られる特徴で、ウィリストンの法則と呼ばれる。鱗は上述したような形態の区別の他、側線を基準に計測した鱗の数(側線鱗数や横列鱗数)が分類形質となる。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "魚類は様々な体型や体色をしており、これらは見た目にわかりやすい特徴ではあるが、少なくとも目のレベルでの分類に使用されることは少ない。体型や体色は系統よりもむしろ環境への適応を色濃く反映している。科・属・種などの下位分類では、発光器の数と位置(ハダカイワシ類)、交接器の形態(アシロ類)など多種多様な形質が分類に用いられている。", "title": "分類" } ]
魚類(ぎょるい)は、脊椎動物亜門 Vertebrataから四肢動物を除外した動物群。日本語の日常語で魚(さかな、うお)と呼ばれる動物である。 基本的に一生の間水中生活を営み、えら(鰓)呼吸を行い、ひれ(鰭)を用いて移動する。体表はうろこ(鱗)で覆われている。 ほとんどの種は外界の温度によって体温を変化させる変温動物である。マグロやカジキ、一部の軟骨魚類は奇網と呼ばれる組織により、体温を海水温よりも高く保つことができる。 魚類は地球上のあらゆる水圏環境に放散し、その生息域は熱帯から極域、海洋の表層から深層、また内陸の淡水域まで多岐におよぶ。その生態や形態も実に様々である。魚類全体の種数は2万5,000 - 3万近くにものぼり、脊椎動物全体の半数以上を占めている。 大きさは種により大きく異なる。現生種で最大のものは体長13.7メートルに達するジンベエザメである。また化石種を含めると、約1億6,500万年前のリードシクティス・プロブレマティカスに、推定の仕方に違いがあるが28メートル以上もしくは16.7メートルの個体が発見されている。一方、現生種で最小のものはパエドキプリス・プロゲネティカであり、成魚でも7.9ミリメートルにしかならない。
{{Redirect3list|魚|'''[[動物]]の魚'''|[[漢字]]の[[部首]]|魚部|その他の用法|魚 (曖昧さ回避)}} {{生物分類表 |名称 = 魚類 |色 = 動物界 |fossil_range = {{fossilrange|Mid Cambrian|Recent|latest=0}} |画像= [[ファイル:Pieni 2 0139.jpg|250px]] |画像キャプション = 様々な海水魚 |界 = [[動物界]] {{sname||Animalia}} |門 = [[脊索動物門]] {{sname||Chordata}} |亜門 = [[脊椎動物亜門]] {{sname||Vertebrata}} |上綱 = [[顎口上綱]] [[w:Gnathostomata|Gnathostomata]] |綱 = '''魚綱'''(廃止) {{sname||Pisces}} |学名 = Pisces {{AUY|Linnaeus|1758}} |英名 = fish |下位分類名 = |下位分類 = }} {{Wiktionary|魚類|さかな|うお}} '''魚類'''(ぎょるい)は、脊椎動物亜門 {{sname|Vertebrata}}から[[四肢動物]]を除外した動物群。[[日本語]]の日常語で'''魚'''(さかな、うお){{efn|「さかな」の語源については[[肴]]を参照。}}と呼ばれる[[動物]]である。 基本的に一生の間水中生活を営み、[[えら|えら(鰓)]]呼吸を行い、[[鰭|ひれ(鰭)]]を用いて移動する。体表は[[鱗|うろこ(鱗)]]で覆われている。 ほとんどの種は外界の温度によって体温を変化させる[[変温動物]]である。[[マグロ]]や[[カジキ]]、一部の[[軟骨魚類]]は[[奇網]]と呼ばれる組織により、[[体温]]を[[海水温]]よりも高く保つことができる。 魚類は地球上のあらゆる[[水圏]]環境に放散し、その生息域は熱帯から極域、[[海洋]]の表層から深層、また内陸の淡水域まで多岐におよぶ。その生態や形態も実に様々である。魚類全体の種数は2万5,000 - 3万近くにものぼり、脊椎動物全体の半数以上を占めている。 大きさは種により大きく異なる。現生種で最大のものは体長13.7メートルに達する[[ジンベエザメ]]である。また化石種を含めると、約1億6,500万年前の[[リードシクティス・プロブレマティカス]]に、推定の仕方に違いがあるが28メートル以上もしくは16.7メートルの個体が発見されている。一方、現生種で最小のものは[[パエドキプリス・プロゲネティカ]]であり、成魚でも7.9ミリメートルにしかならない。 == 定義 == 冒頭文の定義では煩雑な表現をとったが、これは現在の系統学の立場からこの群を定義する他の方法が無いからである。古くは単に魚と考えればひとくくりに出来る感覚であり、20世紀半ばまではそれらを魚綱として一つにまとめ、その下に無顎類、軟骨魚類と硬骨魚類の三群を置くのが普通であった。これらは[[脊椎]]や[[頭部]]、[[脊髄]]と脳などの脊椎動物の基本構成の体制を持ち、鰓裂を鰓として持ち、[[鰭]]があって水中を遊泳するのに都合のいい構造をもっている。だが、これらはすべて、脊椎動物のきわめて祖先的形態にすぎない。 現在の[[分類学]]的観点からすると古典的な魚綱という群は[[単系統群]]ではなく[[側系統群]]であり、互いにかなり異質な系統を包含している。たとえば[[硬骨魚類]]は四肢動物とともに[[軟骨魚類]]や[[無顎類]]と別の単系統群を構成するし、そもそも硬骨魚類と軟骨魚類はともに無顎類とは別の単系統群である[[顎口上綱]]を構成する。そのため、最古の魚類である[[ミロクンミンギア]]、ハイコウイクチスから現代に生息している種までを一つの概念としてまとめようとした場合、このような表現にならざるを得ないのである。 進化の観点から言えば、[[ヒト]]を含む陸上脊椎動物の遠い祖先も魚類である。[[脊椎動物]]は水中で多様な群に分化し、その一部から陸上進出が行われ、それらがさらに分岐し多様な進化を遂げた。現在の魚類はこれらのうち、水中段階にとどまっているもの(上陸後に水中に戻ったものを除いて)をまとめたもの、といってもよい。ある意味でやはり陸上進出によって多様化した群の中で原始的構造をとどめたものをまとめたものである[[シダ植物]]という群の位置づけに近い。 なお、定義に関連していえば、日本語の[[基礎語彙]]としての「'''魚'''(さかな)」と学術用語である「'''魚類'''」とは別語である。後者が[[分類学]]の手法でしか定義されないのに対し、前者は元来、生物学の知識の全くない人でも扱うことのできる語彙で、それで差し支えない範囲の中において用いられるものであった。たとえば[[ヤツメウナギ]]を「魚」と呼ぶことはあり得るが、その文脈の中においてはそれは誤りではなく、またその用例自体が「魚」という言葉の語義を成り立たせる基礎にもなっているのである。 == 体の構造 == <!-- この項は英語版Wikipediaの"Fish anatomy"を元にして作成している --> [[解剖学]]的に見ると、魚類の体は[[水]]の特徴([[空気]]に比べて[[粘性]]が高い、[[溶存酸素]]が少ない、[[光]]を吸収し透過しにくいなど)に適応したものだと言える。近年まで[[脳]]の構造上痛みを感じないといわれたが、魚類の痛覚には諸説あり、[[ニジマス]]の痛覚実験で痛覚受容体が存在するとした論文も掲載されている為、魚に痛覚があることも大いに考えられる<ref>{{Cite web|url=https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/17673186/?ordinalpos=4&itool=Entr |title=Nociception in fish: stimulus-response properties of receptors on the head of trout Oncorhynchus mykiss |website=NCBI |accessdate=8 Aug 2021}}</ref>。 === 体 === [[ファイル:Tuna Gills in Situ 01.jpg|thumb|マグロのえら。体の後部から見ており、頭部は裏側にあたる]] [[水]]の抵抗を受けにくい[[流線型]]である種が多い。活発に泳ぎ回る種に多い。 体は頭部、胴部、尾部の3つに分けられる。 頭部に含まれるものは、眼から上あごの先端部までの[[吻]]部、えら蓋、頬部(眼から前鰓蓋骨まで)および下あごである。頭には長い[[髭|ひげ]]やとげを持つものもいる。[[鼻孔]]には様々な形や深さのものがあるが、多くの場合には、前鼻孔と後鼻孔とが皮下で連結した[[U]]字型の管になっており、鼻孔と[[口腔]]とは繋がらない。吻の前部にある前鼻孔から入った水は、そのまま後部にある後鼻孔から流出するようになっている。 胴部は頭部以降から肛門の位置までで、外見上は臀鰭の前までである。消化器官は全てここまでに含まれる。 尾部は[[肛門]]以降、尾びれまでである。背面の[[筋肉]]が胴部から尾部へと連続的に発達しているので、外見上は尾の区別がはっきりしない。つまり、胴部から尾部をまとめて運動に使用しているとも言える。尾部の比率は比較的高く、多くの種で3割以上、[[ウナギ目]]の魚などは7割以上が尾である。 === えら(鰓) === 水中の少ない[[溶存酸素]]を利用するために、[[えら]](鰓)という器官を発達させている。魚類の属する[[脊索動物]]門の鰓の基本構造は、口から咽頭に吸い込んだ外界水を排出する'''鰓裂'''(さいれつ)というスリット、スリット間の'''[[鰓弓]]'''(さいきゅう)という支柱、鰓弓に生じた'''鰓弁'''(さいべん)という[[ガス交換]]器官から成っている。[[硬骨魚類]]では、これらの基本構造のセットが頭部の後方にある1対の'''鰓蓋骨'''(さいがいこつ、いわゆるえらぶた)で覆われていて、弓上の骨に支えられた鰓弓が4対存在する。鰓弓からは一次鰓弁が何本も伸び、さらに一次鰓弁上には表面積を拡げるための二次鰓弁が多数存在して、ガス交換に用いられる表面積を著しく拡大している。鰓弁には血管が高密度に通っており、外界(海水、淡水)と直接ガス交換を行う。そのためえらは赤く見える。えらはガス交換の他にも、[[塩類細胞]]による[[イオン]]の排出・取り込みや窒素排泄物である[[アンモニア]]の排泄を行っている。鰓弓を挟んで鰓弁の反対側にはしばしば'''鰓耙'''(さいは)というくし状の突起が発達し、口から吸いこんだ水や堆積物の中から食物をより分けたり漉し分けて食道へと送る機能を持っている。 === ひれ(鰭) === [[ファイル:魚のひれの説明.png|thumb|250px|魚のひれ(カクレクマノミ)]] [[ファイル:Thunnus obesus (Bigeye tuna) diagram cropped.GIF|thumb|right|小離鰭(finlet)。[[アジ科]]や[[サバ科]]、[[サンマ科]]などの魚類にみられる]] {{main|鰭 (魚類)}} ひれ(鰭)は体から突き出した薄膜状の構造である。基部には骨格や筋肉があり、動かせる。泳いだり、海底や地上を這ったり砂に潜ったりするのに使われる。 ひれは体につく位置により次のように分類される。 * 胸鰭<small>(きょうき・むなびれ)</small> {{interlang|en|Pectoral fins}} - 頭の後方、体の側面に位置する一対のひれ。両生類以降の[[前肢]]に変化したとされる。 * [[背びれ|背鰭]]{{small|(はいき・せびれ)}} {{interlang|en|Dorsal fin}} - 背側にあるひれ。種によって数が異なり、第一背鰭・第二背鰭などと区別する。 * 腹鰭{{small|(ふっき・はらびれ)}} {{interlang|en|Pelvic fins}} (Ventral fins) - 腹側の[[肛門]]より頭側にある一対のひれ。両生類以降の[[後肢]]に変化したとされる。 * 臀鰭{{small|(でんき・しりびれ)}} {{interlang|en|Anal fin}} - 腹側の[[肛門]]より尾側にあるひれ。 * 尾鰭{{small|(びき・おびれ)}} {{interlang|en|Caudal fin}} (Tail fin) - 体の最も後方にあるひれ。 * 脂鰭{{small|(しき・あぶらびれ)}} {{interlang|en|Adipose fin}} - [[サケ]]などに見られる、背びれの後方にある1 つの小さなひれ。 * 小離鰭{{small|(しょうりき・はなれびれ)}} {{interlang|en|Finlets}} - [[サバ]]や[[マグロ]]などの尾部に見られる、多数の小さなひれ。 * 頭鰭{{small|(とうき・あたまびれ)}} -[[トビエイ#イトマキエイ科|イトマキエイ類]]の頭部にある1対の角のようなひれ。 胸びれと腹びれは左右1対あり、これらを[[対鰭]]{{small|(ついき)}}、それ以外を不対鰭{{small|(ふついき)}}と呼ぶ。また背びれの数は1基、2基、3基と数え、前から順に第1背鰭、第2背鰭、第3背鰭と呼ぶ。 ひれの形態は、軟骨魚類、肉鰭類、条鰭類で大きく異なる。 * [[サメ]]・[[エイ]]など[[軟骨魚綱]]では、ひれは厚い皮膚で覆われ、中は輻射軟骨で支えられる。硬骨魚類のようにあまり自由に動かすことはできず、後退などの動作ができない。サメのものは[[鱶鰭]](ふかひれ)と呼ばれ、高級食材として名高い。 * [[シーラカンス]]・[[ハイギョ]]など[[肉鰭綱]]では、ひれの基部が筋肉で覆われる。一部の肉鰭類では、胸びれや腹びれが陸上を這う脚となり、四肢動物へと進化していったと考えられている。 * [[条鰭綱]]ではひれは膜状の構造物であり、体の正中線、あるいはその左右に対になって張り出す。膜を支えるようにひれには多数の筋('''鰭条''')が入っていて、基部では骨と筋肉が接続しているのが普通である。鰭条には'''軟条'''{{small|(なんじょう)}}と'''棘条'''{{small|(きょくじょう)}}の2 種類があり、棘条には[[毒腺]](刺毒装置 {{small|しどくそうち}})を備えているものもある。 ひれが遊泳以外の目的に進化している場合もある。また[[進化]]の過程で、一部のひれが退化していることも多い。 * [[トビウオ]]の仲間は、体に対して非常に大きな胸びれを持ち、空中を滑空することができる。 * [[ハゼ]]や[[ウバウオ]]の仲間では腹びれが[[吸盤]]に変化して、岩や[[海藻]]などにくっつくのに都合が良い。 * [[コバンザメ]]では第一背鰭が吸盤に変化し、大型の魚にくっついて移動する習性を持っている。 * [[アンコウ]]の仲間は、[[背びれ]]が釣竿のような形状に変化(エスカ・擬餌状体)し、先端はルアーになっている。 * [[チョウチンアンコウ]]の仲間は[[ルアー]]の部分に[[発光器]]を備える。 * [[ミノカサゴ]]や[[ゴンズイ]]などは、棘条に毒腺を発達させて身を守っている。 * [[ホウボウ]]は腹びれが脚のようになっており、海底を這って歩くのに適している。 * [[マンボウ]]は尾びれと臀びれがつながって特殊な[[形態]](舵鰭 {{small|かじびれ}})をなしている。 * 遊泳力の強い[[マグロ]]や[[カジキ]]などは2基の背びれを持ち、前方にある第1背鰭は溝に折りたたむことができる。それぞれのひれは極限まで水の抵抗を減らすように設計され、高速遊泳に特化している。 === うろこ(鱗) === うろこは1つ1つは小さな板や棘(とげ)のような形のもので、これが多数集まって体の表面を覆う。外部の衝撃から皮膚や筋肉、内臓を保護する役割を担う。種によって大きさや形は異なり、うろこを持たない種もいる。硬骨魚類のうろこには樹木の年輪に相当する模様が刻まれており、年齢を知るのに役立つ。 うろこは大きく4種類に分けられる。現存する[[硬骨魚類]]の多くは円鱗(えんりん)あるいは櫛鱗(しつりん)を持つ。[[ヒラメ]]のように体の部分によって円鱗と櫛鱗を有する種類もいる。 ; 楯鱗(じゅんりん、{{en|placoid scale}}) : [[軟骨魚類]]にのみ見られる。棘状のうろこで、真皮から伸びた髄の上をエナメル質、[[象牙質]]が覆う。棘は体の後方を向いているため、尾から頭に向かってなでるとざらざらする。いわゆるサメ肌である。 ; 硬鱗(こうりん、{{en|ganoid scale}}) : あまり重なりあわずに体を覆っている平たいうろこ。骨質の外部を[[エナメル質]]が覆う構造になっている。[[チョウザメ]]、[[ガー]]、[[ポリプテルス]]などの原始的な[[硬骨魚類]]に見られる。 ; 円鱗(えんりん、{{en|cycloid scale}}) : [[年輪]]のある小さな楕円状のうろこ。[[アジ]]、[[カツオ]]、[[コバンザメ]]、[[コイ]]など。 ; 櫛鱗(しつりん、{{en|ctenoid scale}}) : 円鱗に似ているが、一端に小棘を有することで区別される。櫛鱗は小棘の違いからさらに {{en|crenate、spinoid、ctenoid}} の3つに分けられる。[[スズキ (魚)|スズキ]]、[[サバ]]、[[マダイ]]などに見られる。 === ひょう(鰾) === [[ファイル:Swim bladder.jpg|thumb|right|コイ科の {{snamei||Scardinius erythrophthalmus}} の浮き袋。前室(左)と後室に分かれ、ウェーバー器官と連続する]] {{main|鰾}} 鰾は主に[[条鰭類]]が持つ器官である。浮き袋とも呼ばれる。 魚類の体は海水より[[比重]]が大きく、何もしなければ沈降してしまう。そこで、簡単に[[浮力]]を得るために鰾を発達させている。鰾は伸縮性に富む風船のような器官で、ガスを溜めたり抜いたりして浮力調節を行う。 原始的な鰾は[[消化管]]から枝分かれしており、水面に口を出して空気を出し入れする開鰾(有気管鰾)である。しかし一部の種は消化管から分離した閉鰾(無気管鰾)を持ち、鰾の周囲にある[[奇網]]からガス腺と呼ばれる細胞を介してガスを取り込む。 鰾は[[四肢動物]]や[[ハイギョ]]の[[肺]]と[[相同]]である。かつては鰾が肺に進化したと考えられていたが、現在では肺から鰾が進化したと考えられている。初期の硬骨魚類は、淡水生活の中で空気呼吸の必要から肺を発達させたが、水中生活へ適応した条鰭類では肺が鰾となった。そのため、硬骨魚類が肺を獲得する前に分岐した[[サメ]]・[[エイ]]などの[[軟骨魚類]]には鰾も肺もない。[[軟骨魚類]]では鰾の代わりに[[肝臓]]に[[脂質]]を蓄積することで浮力を得ている。条鰭類が肺を鰓に変化させる前に分岐した[[肉鰭類]]は、鰾の代わりに肺を持つ。ただし例外的に、現生シーラカンスの[[ラティメリア]]は脂肪で満たされた鰾を持つ。 条鰭類でも一部の原始的な種では、鰾は肺の機能を残しており、鰓呼吸とは別に[[肺呼吸]]を行う。また、[[底生生物|底生]]魚類や[[深海魚]]の中には、鰾を二次的に喪失したか非常に小さくなったものが多い。 === 目 === {{main|魚眼}} 魚類の目は哺乳類の目とは異なり、4種類の[[錐体細胞]]を持ち、[[紫外線]]領域の視覚をも持つ。このため、人の目にはオスとメスの区別がほとんどできない種でも、紫外線の反射率がオスとメスで大きな差があることから、魚自身には両者の視覚上の差は明瞭である可能性がある。 == 分布と生息環境 == 魚類は水中生活である。分布は世界中に渡り、その環境によって異なった種が見られる。 生活している塩分環境によって、海で生活する'''[[海水魚]]'''と河川や湖沼など内陸の[[淡水]]で生活する'''[[淡水魚]]'''に大別される。しかし、海水と淡水の混じり合う河口などの[[汽水域]]で生活する'''[[汽水魚]]'''や、海水・淡水どちらでも生きられる魚もおり、海水魚と淡水魚の区別は厳密でない。また、海水魚は[[塩湖]]に生息する魚も含めて'''塩水魚'''と呼ばれることもある。 [[海]]では[[海岸]]線から外洋、深海まであらゆる所に生息する種がある。特に水深200メートル以深の[[深海]]に生息するものを[[深海魚]]という。インド洋から太平洋に多くの種があり、大西洋には種数が少ない。これは大西洋が比較的新しく生じた海であるためである([[ボトルネック効果]])。 [[陸水]]では[[湖]]や池、[[川]]に多くの種があり、[[洞窟]]の中だけに見られる魚や[[地下水]]に生息するものもいる。陸水は陸と海水によってそれぞれ孤立しているので、淡水魚には地域による[[種分化]]が見られることが多い。しかし、上位分類群はごく広い分布域を持つものが多い。これは魚類の進化の多くが大陸移動以前から起こってきたためである。 一部の種は[[生活史]]の中で海と河川を往復する([[回遊|通し回遊]])。 ほとんどの魚類は水が無い環境では生活できない。これには陸上で体を支えるしくみを持たないこと、水中でしか呼吸できないことが大きい。一部には、体の下面にあるひれで体を支えて移動したり、[[肺]]・[[腸]]・[[皮膚]]などで空気中でも呼吸できるものもあり、[[干潟]]や[[湿地]]などの陸上である程度生活できる種もある。しかしこれらの大部分も主な生活は水中であり、[[トビハゼ]]のように水中より陸にいる時間が長いような種も、[[皮膚]]の乾燥には耐えられないし、[[生殖]]や[[仔魚]]・[[稚魚]](幼魚)の生活は水中である。 乾期に干あがる河川で魚類が生息している事がある。これはほとんどの場合は、水がある時期に外から侵入してくるためである。しかし、一部の種は乾燥期を特殊な方法で乗り切る。たとえば[[肺魚]]には泥の中に[[繭]]を作ってそこにこもり、水がない季節を耐える。[[カダヤシ目]]の[[ノソブランキウス]]などは、卵が土の中で生き延び、水が入ると[[孵化]]する。しかし、節足動物の[[アルテミア]]のように完全に乾燥した状態に耐えるものはない。 == 繁殖と発生 == [[ファイル:Forellen mit Dottersack.JPG|生まれたばかりの仔魚|250px|thumb]] 繁殖形態は卵生および胎生(卵胎生)である。[[卵]]は卵黄(栄養分)の割合が比較的多く、卵割は盤割を行うものが多く、小さな[[胚]]が大きな卵黄にくっついたような状態で[[発生 (生物学)|発生]]がすすむ。孵化した仔魚は卵黄を抱え、しばらくは卵黄の栄養分を使って成長する。[[サメ]]類、[[エイ]]類、[[カダヤシ]]、[[カサゴ]]、[[ウミタナゴ]]などの仲間には、体内で卵を孵化させて子供を産む[[卵胎生]]のものもいる。 繁殖習性も様々である。卵胎生のものは体内受精だが、大多数は体外受精を行う。その際に多数が集まって抱卵放精を行うものから、雌雄一対によるものまで様々な配偶行動が見られる。 === 変態 === 大部分の魚類(無顎類以外)の幼生は、すべて魚類の体制を備えて[[孵化]]する。その点では直接発生的である。しかし、種によっては成長するにつれた見かけ上の姿が大きく変わるものもある。 [[ファイル:Idiacanthus atlanticus (no common name).gif|thumb|ミツマタヤリウオの仲間、一番下が仔魚]] とくに[[真骨魚類]]は生まれたばかりの幼生を[[仔魚]](しぎょ)、少し成長した幼生を[[稚魚]](ちぎょ)といって区別する。両者の間には明確な形態的変化があり、これを[[変態]]と呼ぶ。[[稚魚]]は体の大きさこそ小さいが、成魚と同じ形質を備えている。それに対して[[仔魚]]は[[成魚]]と形態的にもかなり異なっている場合が多い。いくつかの種では「〜幼生」と名前がついているが、そういうものは、発見時に親とは別の種だと思われて付けられた名前の名残であるもの多い。ただし、全ての種が変態を行うわけではなく、仔魚・稚魚の区別がはっきりしない種もある。 * [[ヒラメ]]・[[カレイ]]の仲間 - 仔魚は体の両側に眼を備え、左右対称な普通の魚と同じ姿をしている。[[変態]]を行うことで片方の眼が反対側に移動し、成魚と同じ左右非対称の体になる。[[ウシノシタ]]の仲間では、片眼が顔の中を貫通して移動するものも知られている。 * [[ウナギ]]の仲間 - レプトケファルス幼生 Leptocepharus。仔魚は円筒形の体ではなく、細長く側偏した柳の葉のような体型をしている。体も透明である。この幼生のタイプはウナギに限らず、[[カライワシ上目]]Elopomorpha の魚に共通のものである。 * [[チョウチョウウオ]]の仲間 - トリクティス幼生 Tholichthys。幼生は頭部が大きく、まるで[[兜]]をかぶっているように見える。 * [[アンコウ]]の仲間 - 仔魚は浮遊生活を送る。胸鰭が巨大になり、ひらひらとして浮きやすい。稀種の[[ミノアンコウ]]では、体全体が蓑をまとったように多くの糸状構造物で覆われる。 * [[ミツマタヤリウオ]]の仲間 - 仔魚の両眼は体から離れ、コードのようなものでつながっている。 仔魚期に特徴的な形態をとるのは、多くの場合は浮遊生活への適応のためである。まだ十分な遊泳力を持たないため、水平方向に泳げないばかりか、そのままでは海底に沈んでしまう。そこで体に大きな棘や糸状の構造物を生やしたり、ひれを大きくしたりして浮力を得ている。棘は捕食に対する抵抗でもある。また、外見からは分からないが、体液の代わりに比重の軽い水や油、気体を溜めて沈降を防いでいる場合もある。 無顎類であるヤツメウナギは、幼生はより単純なアンモシーテス幼生の時期を持つ。アンモシーテス幼生は両眼を欠き、砂泥の中で生活する。アンモシーテス幼生を[[ナメクジウオ]]に対応させる考えもある。 == 認知能力と感受性 == 近年の動物の苦痛の研究は、軟体動物、甲殻類、魚などのさまざまな水生動物が、苦痛を認識している可能性を示している<ref>{{Cite web |url=https://www.wellbeingintlstudiesrepository.org/acwp_asie/55/ |title=Pain in Aquatic Animals Lynne U. Sneddon, University of Liverpool |accessdate=20220326}}</ref>。多くの科学者たちは魚が情感を備えると認めており、魚は不安を経験していると推測されている<ref name="フランシオン" />。例えば、アメリカの海洋生物学者の[[シルヴィア・アール|シルビア・アリス・アール]]博士は次のように述べている。 {{Quote|「魚は痛みを感じるか?それは科学者にとっては常識だ。魚には神経系があって脊椎動物としての基本的な機能を持っている。彼らは私たちが考える以上に、感じることができる。人に触覚があるように、魚には側線という器官がある。側線で水の微妙な動きを感知して、群で泳ぐことを可能にしている。『彼らは痛みを感じないから、恐怖を感じないから何をしてもいい』という人は魚のことを分かっていない。罪なき生き物への卑劣な行為を正当化したいだけ。そうでなければ魚をあんなに野蛮に扱う説明がつかない。」|4=映画「SEASPIRACY」}} また魚は、人間同様「[[うつ病|うつ]]」になるとも考えられている。自然界にはないストレス(過密、他の魚からの攻撃、人間による扱い、ワクチン接種など)にさらされた養殖の[[サケ]]が、深刻なうつ状態にあることが示唆される研究<ref>{{Cite web |url=https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsos.160030 |title=Brain serotonergic activation in growth-stunted farmed salmon: adaption versus pathology |accessdate=20220116}}</ref>や、ゼブラフィッシュにエタノールを2週間与え続けたあとでその供給をストップして強制的にうつ状態にさせたあと、抗うつ剤をゼブラフィッシュに与えるという研究では、エタノールの供給を絶たれて動きが緩慢になり底のほうに停滞する[[ゼブラフィッシュ]]が、抗うつ剤投与で水槽の上から下へと泳ぎ回りはじめる様子が観察されている。この研究では「うつ状態」のゼブラフィッシュは、うつの人々と同じように、食べ物、おもちゃ、探検など、ほぼすべてに興味を失う様子を見せた<ref>{{Cite web |url=https://www.nytimes.com/2017/10/16/science/depressed-fish.html |title=Fish Depression Is Not a Joke Trilobites By HEATHER MURPHY |accessdate=20220116}}</ref>。 魚にとって、生活環境は重要で、小石や植物など飼育環境に工夫を施した水槽か、何もない水槽かのどちらかを選択するように提示されたゼブラフィッシュは、一貫して前者を選択する。水槽に有害な酢酸 (酢) を注入してもこの選択が持続した<ref>{{Cite web |url=https://www.vox.com/future-perfect/23639475/pescetarian-eating-fish-ethics-vegetarian-animal-welfare-seafood-fishing-chicken-beef-climate |title=Pescetarians are responsible for many more animal deaths than regular meat eaters |access-date=20230326}}</ref>。 「痛み」についても、情動をつかさどる[[大脳辺縁系]]にあたる部分が魚類にもあることがわかっており、ダメージや損傷があった時の魚の行動は、注意散漫になったり、損傷部分をかばったり、異物を取り除こうとしたり、食欲が低下したりする。そして、痛みを和らげるモルヒネを投与すると、注意力を取り戻し、通常の行動を取ることが可能になる<ref>{{Cite book|洋書|title=魚は痛みを感じるか|year=2012|publisher=紀伊國屋書店|author=ヴィクトリア・ブレイスウェイト}}</ref>といった人間が痛みを感じた時と同じ反応を示す。 認知能力については、[[ホンソメワケベラ]]という魚は[[ミラーテスト|鏡像認知]]し<ref>[https://www.osaka-cu.ac.jp/ja/news/2018/190208-1 「鏡に映る自分」がわかる魚を初めて確認!~世界の常識を覆す大発見〜] - [[大阪市立大学]]([[2019年]]([[平成]]31年)2月8日)[[2020年]]([[令和]]2年)9月23日閲覧。</ref><ref>[https://journals.plos.org/plosbiology/article?id=10.1371/journal.pbio.3000021 If a fish can pass the mark test, what are the implications for consciousness and self-awareness testing in animals?]PLOS BIOLOGY, Published: February 7, 2019(2020年9月23日閲覧)。</ref><ref>{{Cite news|url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/091300402/?P=1|accessdate=2020-9-23|title=「鏡の中の自分」がわかる魚を初確認、大阪市大|newspaper=[[ナショナルジオグラフィック]]日本版|date=2018-9-14|last=Buehler|first=Jake}}</ref>、[[メダカ]]は相手の顔を識別し<ref>{{Cite news|date=2017-7-12|url=http://www.yomiuri.co.jp/science/20170712-OYT1T50045.html|title=メダカのメスは面食い?「顔」でオス認識し交尾|newspaper=[[読売新聞]]|accessdate=2020-9-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170715022845/http://www.yomiuri.co.jp/science/20170712-OYT1T50045.html|archivedate=2017-7-15}}</ref>、魚は痛みを感じ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hokudai.ac.jp/fsc/usujiri/1206gekkan/1206bookreview/1206bookreview.html|title=魚は痛みを感じるか |accessdate=2020-09-23 |publisher=}}</ref>、タラは音で会話している<ref>{{Cite web|和書|url=https://tsuriho.com/p/31117/ |title=そげんことあると?魚同士の会話に方言が使われていることが判明 |accessdate=2020-9-23 |website=釣りの総合情報サイト「釣報」 |publisher=ウミーベ株式会社 |date=2018-5-23 |archive-url=https://web.archive.org/web/20201005153221/https://tsuriho.com/p/31117 |archive-date=2020-10-5 |deadlinkdate=2022-8}}</ref>という指摘がある。大阪市立大学の研究によると、「魚は鏡を見て自己認識することができる」という。同研究で、麻酔をした魚ののどに色素を注入すると、魚はその部分を気にするようにそれを取り除こうとのどを水槽の底にこすりつけることが観察された<ref>{{Cite web |url=https://www.vice.com/en/article/z3nwgw/fish-might-really-be-self-aware-new-study-finds |title=Fish Might Really Be Self-Aware, New Study Finds |accessdate=20220303}}</ref>。 魚類の中では[[オニイトマキエイ|マンタ]](オニイトマキエイ、ナンヨウマンタ)が最も[[脳化指数]]が高い種類の一つとされ大型の哺乳類と同等の知性を持っているとされており、脳のサイズはジンベエザメの10倍あり脳の対比は魚類の中では最大である<ref>[https://oceana.org/blog/manta-ray-brainpower-blows-other-fish-out-water-10 「Manta ray brainpower blows other fish out of the water」]</ref>。また、マンタは[[ミラーテスト|鏡像認知]]をした可能性が高い生物にも数えられている<ref>{{Cite web|url=https://www.researchgate.net/publication/297913466_Contingency_checking_and_self-directed_behaviors_in_giant_manta_rays_Do_elasmobranchs_have_self-awareness |title=Contingency checking and self-directed behaviors in giant manta rays: Do elasmobranchs have self-awareness? |website=researchgate |accessdate=8 Aug 2021}}</ref>。また、マンタは少なくとも一種は特定の個体を識別し友情を築くことが判明した<ref> {{Cite news|title=【動画】マンタも友情を築く、実は海の社交家?|newspaper=ナショナルジオグラフィック日本版|date=2019-9-2|url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/082900500/|access-date=2022-8-29}}</ref><ref> {{Cite news|title=仲良しグループが集まってわいわいガヤガヤ。まるで人間のようなマンタの生態が明らかに(オーストラリア研究)|newspaper=カラパイア|date=2019-9-9|url=https://karapaia.com/archives/52282140.html|access-date=2022-8-29|author=konohazuku}}</ref>。 魚の認知能力や感受性についての世論は一致しており、 9,000 人のヨーロッパ人を対象とした 2018 年の調査では、79% が魚の福祉は他の家畜の福祉と同じくらい保護されるべきだと考えていることがわかった<ref>{{Cite web |url=https://www.politique-animaux.fr/fichiers/fish_welfare_survey_-_comres_pour_eurogroup_for_animals_ciwf_-_2018.pdf |title=Eurogroup for Animals/Compassion in World Farming - Fish Welfare Survey, ALL May 2018 |access-date=20221225}}</ref>。また、2021年にオーストラリア、バングラデシュ、ブラジル、チリ、中国、インド、マレーシア、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、スーダン、タイ、英国、米国の14か国の市民を対象に行った調査では、いずれの国でも60%以上が「魚が痛みや感情を持っている」ことに同意している<ref>{{Cite web |url=https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fanim.2022.960379/full |title=International perceptions of animals and the importance of their welfare |access-date=20220822}}</ref>。 このような、魚の情感に対する認知の広がりを背景に、イギリス大手のスーパーマーケット [[セインズベリーズ|セインズベリー]]が、魚の飼育密度の規定や体の切除の禁止、屠殺方法などの動物福祉基準を設けたり<ref>{{Cite web |url=https://www.about.sainsburys.co.uk/~/media/Files/S/Sainsburys/pdf-downloads/animal-health-and-welfare.pdf |title=Animal Health & Welfare Report |accessdate=20220116}}</ref>、スロバキアでは生きた鯉の販売はクリスマスの伝統の一部であったが、2021年以降、小売業者{{仮リンク|Kaufland|de|Kaufland}}、[[テスコ (チェーンストア)|テスコ]]、 {{仮リンク|Billa|en|Billa}}が、2022年以降[[スロバキア]]での生きたコイの販売を終了することを約束<ref>{{Cite web |url=https://www.eurogroupforanimals.org/news/kaufland-commits-end-sale-live-carp-slovakia |title=Kaufland commits to end the sale of live carp in Slovakia |accessdate=20220116}}</ref>したりするなどの魚に配慮する動きが近年見られる。また、イタリアのモンツァ市、ボローニャ市が球形の金魚鉢での金魚の飼育を禁止し<ref>{{Cite news|title=西洋における文明の転換…「動物権」思想とキリスト教的DNA|newspaper=読売新聞|date=2022-1-6|author=上野景文|authorlink=上野景文|url=https://www.yomiuri.co.jp/choken/kijironko/ckworld/20220105-OYT8T50062/|access-date=2022-8-28}}</ref>、またベルギーでも「表面積の小さい球形の金魚鉢は魚にストレスを与える」として、丸いボウルの販売禁止法案が検討中である(2022年3月時点)<ref>{{Cite web |url=https://www.dailymail.co.uk/news/article-10674181/Belgium-eyes-ban-round-goldfish-bowls-STRESSFUL.html |title=Belgium eyes ban on round goldfish bowls... because they are too STRESSFUL |accessdate=20220402}}</ref>。 == 系統樹 == [[2018年]]([[平成]]30年)現在、魚類の系統仮説は以下の通りである<ref>[[#日本動物学会2018|日本動物学会2018]] pp.92 - 93</ref>。なお下表では魚類ではない四肢類を'''太字'''で表した: {{clade |label1= [[脊椎動物]]|1= {{clade |1= [[ヌタウナギ]]類 |2= [[ヤツメウナギ]]類 |3= {{clade |label1= [[軟骨魚綱]]|1= {{clade |label1= {{仮リンク|真正板鰓|en|Euselachii|label=真正板鰓亜綱}}|1= [[ネズミザメ目]]、[[ガンギエイ目]]など |label2= [[全頭亜綱]]|2=[[ギンザメ目]] }} |label2= [[硬骨魚綱]]|2= {{clade |label1= [[肉鰭亜綱]]|1= {{clade |label1= [[輻鰭下綱]]|1= [[シーラカンス目]] |2= {{clade |label1= [[ハイギョ下綱]]|1= [[ハイギョ目]] |label2= [[四肢動物下綱]]|2= '''[[四肢動物|四肢類]]''' }} }} |label2= [[条鰭亜綱]]|2= {{clade |label1= [[腕鰭下綱]]|1= [[ポリプテルス目]] |2= {{clade |label1= [[軟質下綱]]|1= [[チョウザメ目]] |label2= [[新鰭類]]|2= {{clade |label1= {{仮リンク|全骨類|label=全骨下綱|en|Holostei}}|1= {{clade |1= [[アミア目]] |2= [[ガー目]] }} |label2= [[真骨下綱]]|2= {{clade |label1= [[カライワシ団]]|1=[[カライワシ目]]、[[ソコギス目]]、[[ウナギ目]]など |2= {{clade |label1= [[アロワナ団]]|1=[[アロワナ目]]、[[ヒオドン目]] |2= {{clade |label1= [[ニシン・骨鰾団]]|1=[[ニシン目]]、[[セキトリイワシ目]]、[[ネズミギス目]]、[[コイ目]]、[[ナマズ目]]など |label2= [[正真骨団]]|2=[[原棘鰭上目]]、[[キュウリウオ上目]]、[[シャチブリ上目]]、[[円鱗上目]]、[[ハダカイワシ上目]]、[[アカマンボウ上目]]、[[側棘鰭上目]]、[[棘鰭上目]] }} }} }} }} }} }} }} }} }} }} == 進化 == {{seealso|{{ill2|魚類の進化|en|Evolution of fish}}|脊椎動物}} 知られている中で最古の脊椎動物であり魚類は、[[カンブリア紀]]の[[ミロクンミンギア|ミロクンミンギア類]]である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.gamagori.lg.jp/site/kagakukan/honorarydirector-lecture03.html |title=【生命の海科学館】 講演内容紹介 - 愛知県蒲郡市公式ホームページ |access-date=2023-09-24 |website=www.city.gamagori.lg.jp}}</ref>。次の[[オルドビス紀]]で[[無顎類]]が発達し、シルル紀に汽水域で活動できるようになり、顎を持つ[[顎口上綱|顎口類]]が登場した<ref>{{Cite web|和書|url=https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201102288599518634 |title=顎の初期の放散は,動物相や環境の変化にもかかわらず安定を示した |access-date=2023-09-24 |last=L |first=ANDERSON Philip S. |date=2011 |website=Nature (London) |pages=206–209 |language=ja}}</ref>。 == 人と魚 == {{main|水産業}} '''魚類'''は[[世界|世界中]]で[[食品|食物]]として利用される。[[獣肉]]を食べることを禁じられていた[[仏教]]徒の多い国ではより重視される。 魚類を捕らえる方法として代表的なのは{{読み仮名|[[銛]]|もり}}などで突く方法、[[網]]ですくう方法、[[釣り]]などであり、それぞれに各国で、あるいは対象によって様々な方法が工夫されている。中には動物を使役する([[鵜飼い]]や[[カワウソ]]など)などの特殊な方法もある。それらは食料確保のためでもあるが、趣味としても行なわれている。 魚を取ることをまとめて[[漁]]、仕事としては[[漁業]]という。また、食用の魚種を[[飼育]]することを[[養殖]]という。 四方を海に囲まれた[[日本]]でもなじみ深い[[食材]]である。「不味い魚」「美味しい魚」という実用的な観点から魚の種類への関心が高い。[[貝類]]や[[甲殻類]]とあわせて[[魚介類]]と言うことも多く、それらは[[魚屋]]で扱われる。そのような文化もあり、生物の[[和名]]には肉の色が採用されることが多い。 焼いたり煮たり、あるいは揚げたりと様々に[[料理]]される。日本の[[刺身]]などでは生で食べるが少数派である。傷みやすいものが多く、保存のために[[塩漬け]]や[[干物]]、[[燻製]]、あるいは油漬けなど処理される例も多い。直接的な[[食品]]でない例としては[[鰹節]]や[[魚醤]]がある。 食料の他に[[肥料]]や[[飼料]]・加工品の原料などとして使われる。また、[[釣り]]や[[熱帯魚]]鑑賞は趣味として広く親しまれている。各地に[[水族館]]が建てられ、世界中の魚を見ることができる。日本は周りを海に囲まれていることもあり、世界有数の魚大国である。 === 健康 === {{Main|ω-3脂肪酸}} 魚には、[[エイコサペンタエン酸]] (EPA) や[[ドコサヘキサエン酸]] (DHA) などの[[ω-3脂肪酸]]である[[多価不飽和脂肪酸]]が多く含まれる。[[魚]]に含まれるDHAの多くは、[[ラビリンチュラ]]類の1属である''Schizochytrium''属などのような海産の[[微生物]]によって生産されたものが、[[食物連鎖]]の過程で魚の体内に濃縮されたものである。 ω-3脂肪酸の摂取は心臓病の予防に良いと言われている<ref>{{Cite web |url=http://www.americanheart.org/presenter.jhtml?identifier=851 |title=Diet and Lifestyle Recommendations |publisher=American Heart Association, Inc. |accessdate=2020-09-23 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100625235056/http://www.americanheart.org/presenter.jhtml?identifier=851 |archivedate=2010-01-25}}</ref>。脳や網膜など神経系の発達にも関与するといわれている。流行歌の[[おさかな天国]]には「魚を食べると頭が良くなる」というフレーズがあるが、上記の健康影響を考えると無根拠とも言えない。 村落単位で見た生活習慣では、労働が激しく、[[魚]]又は[[大豆]]を十分にとり、[[野菜]]や[[海草]]を多食する地域は長寿村であり、[[米]]と[[塩]]の過剰摂取、魚の偏食の見られる地域は短命村が多いことが指摘されている<ref>[https://doi.org/10.5264/eiyogakuzashi.34.163 日本の長寿地域の現状 (1976年)]、香川 靖雄ほか ([[1976年]]([[昭和]]51年))『栄養学雑誌』Vol. 34, No. 4.</ref><ref>[[近藤正二]]、第14回 日本医学会総会特別講演、p. 132 ([[1955年]](昭和30年)) 医学出版協会</ref><ref>[[近藤正二]] ([[1954年]](昭和29年))『臨床と研究』33, p684</ref>。 [[魚介類の脂肪酸]]にて、魚介類100グラム中の主な脂肪酸について解説。 魚は世界の水系に排出される化学物質を取り込み濃縮させる。PCBやダイオキシン、水銀、鉛、DTTなどがある。魚はPCBの最大の摂取源であると指摘される<ref name="フランシオン">{{Cite book|和書|author=ゲイリー・L・フランシオン|title=動物の権利入門|date=2018-04|publisher=緑風出版|page=78 |translator=井上太一 |isbn=9784846118044}}</ref>。 脂肪の多い魚は、オメガ3脂肪酸の豊富な供給源であり、アルツハイマー病の人々の脳に有害な塊を形成するタンパク質であるベータアミロイドの血中濃度の低下に関連している。このため、少なくとも週に2回は魚を食べること。ただし、鮭、タラ、ライトマグロの缶詰、ポラックなど、水銀の少ない品種を選択すること。魚に過敏な場合は、オメガ3サプリメントの摂取について医師に相談するか、亜麻仁、アボカド、クルミなどの陸生オメガ3ソースを選択すること<ref>{{Cite web|title=Foods linked to better brainpower|url=https://www.health.harvard.edu/healthbeat/foods-linked-to-better-brainpower|website=Harvard Health|date=2017-05-30|accessdate=2021-12-09|language=en}}</ref>。 === 毒 === {{main|Category:毒をもつ魚類}} * {{ill2|食べると幻覚を起こす魚類|en|Hallucinogenic fish}} * [[水俣病]]、[[シガテラ]]など、環境の毒を[[生物濃縮]]してしまい人間に害をなす場合もある。 == 分類 == [[20世紀]]半ばまでは、魚類は'''魚上綱'''(ぎょじょうこう)として1つの綱に分類されていた。これは日常用語における「魚」に対応する分類群であった。魚上綱には、'''[[軟骨魚綱]]'''、'''[[硬骨魚綱]]'''、[[絶滅]]した'''[[板皮綱]]'''および'''[[棘魚綱]]'''が含まれていた。 現在{{いつ|date= 2020年9月23日 (水) 15:03 (UTC)}}では、魚綱は[[単系統群]]ではなく[[側系統群]]であるとされる。例えば、マグロ・メダカなどの典型的な魚を含む[[条鰭綱]]は、サメなどの[[軟骨魚類]]やヤツメウナギなどの[[無顎類]]よりも、ヒトなどの[[四肢動物]]([[両生類]]、[[爬虫類]]、[[鳥類]]、[[哺乳類]])により近縁である。このような分類は人為的であるため、現在では魚綱は生物の分類としては用いられない。 ただし、漁業などの実用的な分野では、現在{{いつ|date= 2020年9月23日 (水) 15:03 (UTC)}}でも魚類が用いられる。 本稿では無顎類も示すこととする。また全体の分類体系は'''Nelson の分類'''に従った。 === 分類方法 === [[ファイル:PletwyRyb.svg|thumb|right|様々な形態の尾鰭。A:異尾、B:原尾、C:正尾、D:両尾。正尾にはさらに多くのバリエーションがある]] 魚類を分類するにあたって使用される特徴のうち、特に注目されるのが鰭の形態である{{Sfn|上野・坂本|2005年(平成17年)|pp=xviii–xxii}}。背鰭の数、胸鰭と腹鰭の位置、脂鰭の有無などが、分類上の重要な形質となる。例として、系統的に古い魚類([[コイ目]]など)では腹鰭は体の中央付近に位置するが、比較的高等な魚類([[スズキ目]]など)ではずっと前方に移動し、胸鰭のすぐ下であったり喉の位置にあったりする。胸鰭と腹鰭を近づけて連動させることで、より効率の良い運動が行えるようになったものと見られている。また条鰭類の魚類では、各々の鰭が何本の棘条と軟条で構成されているかによって、系統的に近い種類・遠い種類を見分けることができる。これらの鰭の構成は分類上極めて重要な要素であるため、専門的には略号を用いて「D.XII,9; A.III,8; P1.26〜28; P2.I,5」<!--数字は適当、特定の魚類ではありません-->のように表し、これを'''鰭式'''(きしき)と呼ぶ。アルファベットは鰭の種類(D:背鰭、A:臀鰭、P1:胸鰭、P2:腹鰭)を、ローマ数字・アラビア数字はそれぞれ棘条・軟条の数を表している。 分類に用いられる形質として、骨格や鱗もまた重要な要素である。より進化した高等な魚類では、骨の癒合・省略が進み、全体の数が少なくなる傾向がある。これは脊椎動物全体に見られる特徴で、ウィリストンの法則と呼ばれる{{Sfn|上野・坂本|2005年(平成17年)|pp=xxiv–xxxii}}。鱗は上述したような形態の区別の他、側線を基準に計測した鱗の数(側線鱗数や横列鱗数)が分類形質となる。 魚類は様々な体型や体色をしており、これらは見た目にわかりやすい特徴ではあるが、少なくとも目のレベルでの分類に使用されることは少ない。体型や体色は系統よりもむしろ環境への[[適応 (生物学)|適応]]を色濃く反映している。科・属・種などの下位分類では、発光器の数と位置([[ハダカイワシ]]類)、交接器の形態([[アシロ]]類)など多種多様な形質が分類に用いられている。 === 無顎口上綱 Agnatha === {{Main|無顎類|en:Agnatha}} * [[ヌタウナギ綱]] [[:en:Myxini|Myxini]] * †[[翼甲綱]] [[:en:Pteraspidomorphi|Pteraspidomorphi]] (絶滅) * [[頭甲綱]] [[:en:Cephalaspidomorphi|Cephalaspidomorphi]] ** [[アナスピス目]](欠甲目)[[w:Anaspidiformes|Anaspidiformes]] - [[ビルケニア]] (絶滅) ** [[甲骨目]] [[w:Osteostraci|Osteostraci]] - [[トレマタスピス]] (絶滅) ** [[ガレアスピス目]] [[w:Galeaspida|Galeaspida]] (絶滅) ** [[ピトゥリアスピス目]] [[w:Pituriaspida|Pituriaspida]] (絶滅) === 顎口上綱 Gnathostomata === {{Main|顎口類|en:Gnathostomata}} ==== 板皮階 Placodermiomorphi ==== {{Main|板皮類|en:Placodermiomorphi}} * †[[板皮綱]] [[:en:Placodermi|Placodermi]] - [[ダンクルオステウス]] (絶滅) ==== 軟骨魚階 Chondriomorphi ==== {{Main|軟骨魚類|en:Chondriomorphi}} * [[軟骨魚綱]] [[:en:Chondrichthyes|Chondrichthyes]] ** [[全頭亜綱]] [[:en:Holocephali|Holocephali]] *** [[ギンザメ目]] Chimaeriformes - [[ギンザメ]] ** [[板鰓亜綱]] [[:en:Elasmobranchii|Elasmobranchii]] *** [[ネズミザメ上目]] Galeomorpha **** [[ネコザメ目]] Heterodontiformes - [[ネコザメ]] **** [[テンジクザメ目]] Orectolobiformes - [[ジンベエザメ]]、[[トラフザメ]] **** [[ネズミザメ目]] Lamniformes - [[ホホジロザメ]]、[[ネズミザメ]]、[[ミツクリザメ]]、[[メガマウス]]、[[ウバザメ]] **** [[メジロザメ目]] Carcharhiniformes - [[ヨシキリザメ]]、[[シュモクザメ]]、[[メジロザメ]]、[[オオメジロザメ]] *** [[ツノザメ上目]] Squalomorpha **** [[カグラザメ目]] Hexanchiformes - [[カグラザメ]]、[[ラブカ]] **** [[キクザメ目]] Echinorhiniformes - [[キクザメ]] **** [[ツノザメ目]] Squaliformes - [[ツノザメ]] **** [[カスザメ目]] Squatiniformes - [[カスザメ]] **** [[ノコギリザメ目]] Pristiophoriformes - [[ノコギリザメ]] *** [[エイ上目]] Batidoidimorpha **** [[ノコギリエイ目]] Rhynchobatiforme - [[シノノメサカタザメ]]、[[トンガリサカタザメ]] **** [[シビレエイ目]] Torpediniformes - [[シビレエイ]] **** [[ガンギエイ目]] Rajiformes - [[コモンカスベ]]、[[メガネカスベ]] **** [[トビエイ目]] Myliobatiformes -[[アカエイ]]、[[イトマキエイ]] ==== 棘魚綱 Acanthodii ==== * †[[棘魚類|棘魚綱]] [[:en:Acanthodii|Acanthodii]] - [[アカンソーデス]] ('''[[絶滅]]''') ==== 硬骨魚綱 Teleostomi ==== {{Main|硬骨魚類|en:Teleostomi}} * [[肉鰭亜綱]] [[:en:Sarcopterygii|Sarcopterygii]] ** [[シーラカンス|総鰭下綱]] [[:en:Coelacnathimorpha|Coelacnathimorpha]] *** シーラカンス目 Coelacanthiformes - [[シーラカンス]](ラティメリア) ** [[ハイギョ|ハイギョ下綱]] [[:en:Dipnotetrapodomorpha|Dipnotetrapodomorpha]] *** [[オーストラリアハイギョ目]] Ceratodontiformes - [[オーストラリアハイギョ]](ネオケラドトゥス) *** [[ミナミアメリカハイギョ目]] [[w:Lepidosireniformes|Lepidosireniformes]] - [[ミナミアメリカハイギョ]]、[[アフリカハイギョ]] * [[条鰭亜綱]] [[:en:Actinopterygii|Actinopterygii]] ** [[多鰭下綱]] [[:en:Cladistia|Cladistia]] *** [[ポリプテルス目]] Polypteriformes - [[ポリプテルス]]、[[アミメウナギ]] ** [[軟質亜綱|軟質下綱]] [[:en:Chondrostei|Chondrostei]] *** [[チョウザメ目]] Acipenseriformes **** チョウザメ亜目 Acipenseroidei - [[チョウザメ]] ** [[新鰭亜綱|真鰭下綱]] [[:en:Neopterygii|Neopterygii]] *** [[全骨区]] [[:en:Holostei|Holostei]] *** [[w:Halecostomi|Halecostomi]] **** [[ガー目]] Lepisosteiformes - [[ガー]] *** [[w:Halecomorphi|Halecomorphi]] **** [[アミア目]] Amiiformes - [[アミア・カルヴァ|アミア]] *** [[真骨類|真骨区]] [[:en:Teleostei|Teleostei]] *** [[カライワシ上目]] Elopomorpha **** [[カライワシ目]] Elopiformes - [[カライワシ]] **** [[ソトイワシ目]] Albuliformes - [[ソトイワシ]] **** [[ソコギス目]] Notacanthiformes - [[トカゲギス]] **** [[ウナギ目]] Anguilliformes ***** ウナギ亜目 Anguilloidei - [[ウナギ]] ***** ウツボ亜目 Muraenoidei - [[ウツボ]] ***** アナゴ亜目 Congroidei - [[マアナゴ]] **** [[フウセンウナギ目]] Saccopharyngiformes ***** ヤバネウナギ亜目 Cyematoidei - [[ヤバネウナギ]] ***** フウセンウナギ亜目 Saccopharyngoidei - [[フウセンウナギ]] *** [[アロワナ上目]] Osteoglossomorpha **** [[ヒオドン目]] Hiodontiformes - [[ヒオドン]] **** [[アロワナ目]] Osteoglossiformes - [[アロワナ]]、[[ピラルクー]] *** [[ニシン上目]] Clupeomorpha **** [[ニシン目]] Clupeiformes ***** デンティケプス亜目 Denticipitoidei - [[デンティケプス]] ***** ニシン亜目 Clupeoidei - [[マイワシ]]、[[ニシン]]、[[コノシロ]] *** Alepocephali **** [[セキトリイワシ目]] Alepocephalifores *** [[骨鰾上目]] Ostariophysi **** [[ネズミギス目]] Gonorynchiformes ***** サバヒー亜目 Chanidae - [[サバヒー]] ***** ネズミギス亜目 Gonorynchoidei - [[ネズミギス]] ***** クネリア亜目 Knerioidei **** [[コイ目]] Cypriniformes **** [[カラシン目]] Characiformes ***** キタリヌス亜目 Citharionoidei ***** カラシン亜目 Characoidei - [[ピラニア]]、[[テトラ]] **** [[デンキウナギ目]] Gymnotiformes ***** デンキウナギ亜目 Gymnotoidei - [[デンキウナギ]] ***** ステルノピュグス亜目 Sternopygoidei **** [[ナマズ目]] Siluriformes - [[ナマズ]] *** Lepidogalaxii **** [[レピドガラキシアス目]] Lepidogalaxiiformes *** [[原棘鰭上目]] Protacanthopterygii **** [[ニギス目]] Argentiniformes - [[ニギス]] **** [[ガラクシアス目]] Galaxiiformes **** [[サケ目]] Salmoniformes - [[サケ類]] **** [[カワカマス目]] Esociformes - [[カワカマス]](パイク) *** Stomiati **** [[キュウリウオ目]] Osmeriformes - [[アユ]] **** [[ワニトカゲギス目]] Stomiiformes ***** ヨコエソ亜目 Gonostomatoidei - [[オニハダカ]] ***** ギンハダカ亜目 Photichthyoidei - [[ギンハダカ科|ギンハダカ]] *** [[シャチブリ上目]] Ateleopodomorpha **** [[シャチブリ目]] Ateleopodiformes *** [[円鱗上目]] Cyclosquamata **** [[ヒメ目]] Aulopiformes ***** ヒメ亜目 Synodontoidei - [[エソ]]、ヒメ ***** アオメエソ亜目 Chlorophthalmoidei - [[アオメエソ]] ***** ミズウオ亜目 Alepisauroidei - [[ミズウオ]] *** [[ハダカイワシ上目]] Scopelomorpha **** [[ハダカイワシ目]] Myctophiformes - [[ハダカイワシ]] *** [[アカマンボウ上目]] Lampridiomorpha **** [[アカマンボウ目]] Lampriformes - [[アカマンボウ]]、[[リュウグウノツカイ]] *** [[ギンメダイ上目]] Polymiximorpha **** [[ギンメダイ目]] Polymixiiformes - [[ギンメダイ]] *** [[側棘鰭上目]] Paracanthopterygii **** [[サケスズキ目]] Percopsiformes - [[サケスズキ]] **** [[マトウダイ目]] Zeiformes ***** Cyttoidei 亜目 ***** マトウダイ亜目 Zeioidei - [[マトウダイ]] **** [[ステューレポルス目]] Stylephoriformes - [[ステューレポルス]] **** [[タラ目]] Gadiformes - [[マダラ]]、[[スケトウダラ]] *** [[棘鰭上目]] Acanthopterygii **** [[クジラウオ目]] Stephanoberyciformes - クジラウオ **** [[キンメダイ目]] Beryciformes ***** ヒウチダイ亜目 Trachichthyoidei ***** キンメダイ亜目 Berycoidei - [[キンメダイ]] ***** イットウダイ亜目 Holocentroidei - [[イットウダイ]] **** [[アシロ目]] Ophidiiformes ***** アシロ亜目 Ophidioidei - [[イタチウオ]] ***** フサイタチウオ亜目 Bythitoidei **** [[ガマアンコウ目]] Batrachoidiformes **** [[トゲウオ目]] Gasterosteiformes ***** トゲウオ亜目 Gasterosteoidei - [[イトヨ]] ***** ヨウジウオ亜目 Syngnathoidei - [[タツノオトシゴ]]、[[ヨウジウオ]] ***** [[カサゴ目|セミホウボウ亜目]] Dactylopteroidei - [[セミホウボウ]] **** [[タウナギ目]] Synbranchiformes ***** タウナギ亜目 Synbranchoidei - [[タウナギ]] ***** トゲウナギ亜目 Mastacembeloidei - [[スパイニーイール]] **** [[ボラ目]] Mugiliformes - [[ボラ]] **** [[トウゴロウイワシ目]] Atheriniformes ***** アテリノプス亜目 Atherinopsoidei ***** トウゴロウイワシ亜目 Atherinoidei - [[トウゴロウイワシ]] **** [[ダツ目]] Beloniformes ***** メダカ亜目 - [[メダカ]] ***** ダツ亜目 Belonoidei - [[サンマ]]、[[トビウオ]] **** [[カダヤシ目]] Cyprinodontiformes ***** アプロケイルス亜目 Aplocheiloidei ***** キプリノドン亜目 Cyprinodonoidei - [[グッピー]]、[[ヨツメウオ]] **** [[スズキ目]] Perciformes ***** [[カサゴ目|カサゴ亜目]] Scorpaenoidei - [[カサゴ]]、[[メバル]]、[[オコゼ]]、 [[マゴチ]] ***** [[スズキ亜目]] Percoidei - [[スズキ (魚)|スズキ]]、[[マダイ]] ***** [[エラッソマ亜目]] Elassomatoidei ***** [[ベラ亜目]] Labroidei - [[ベラ]]、[[スズメダイ]]、[[クマノミ]] ***** [[カサゴ目|カジカ亜目]] Cottoidei - [[カジカ (魚)|カジカ]]、 [[ハタハタ]]、 [[ギンダラ]]、 [[アイナメ]]、[[ホッケ]] ***** [[ノルマニクテュス亜目]] Normanichthyoidei ***** [[ゲンゲ亜目]] Zoarcoidei - [[ギンポ]]、[[オオカミウオ]] ***** [[ワニギス亜目]] Trachinoidei - [[イカナゴ]] ***** [[ポリディクテュス亜目]] Pholidichthyoidei ***** [[ギンポ亜目]] Blennioidei - [[ナベカ]]、[[ヘビギンポ]] ***** [[イレズミコンニャクアジ亜目]] Icosteoidei - [[イレズミコンニャクアジ]] ***** [[ウバウオ亜目]] Gobiesocoidei - [[ウバウオ]] ***** [[ネズッポ亜目]] Callionymoidei -[[ネズミゴチ]] ***** [[ハゼ亜目]] Gobioidei - [[ハゼ]] ***** [[コモリウオ亜目]] Kurtoidei - [[コモリウオ]] ***** [[ニザダイ亜目]] Acanthuroidei - [[アイゴ]]、[[ニザダイ]] ***** [[ムカシクロタチ亜目]] Scombrolabracoidei - [[ムカシクロタチ]] ***** [[サバ亜目]] Scombroidei - [[マサバ]]、[[カツオ]]、[[クロマグロ]]、 [[マカジキ]] ***** [[イボダイ亜目]] Stromateoidei - [[イボダイ]]、[[マナガツオ]] ***** [[キノボリウオ亜目]] Anabantoidei - [[ベタ]]、[[キノボリウオ]] ***** [[タイワンドジョウ亜目]] Channoidei - [[ライギョ]] ***** [[ヒシダイ亜目]] Caproidei - [[ヒシダイ]] **** [[カレイ目]] Pleuronectiformes ***** ボウズガレイ亜目 Psettodoidei - [[ボウズガレイ]] ***** カレイ亜目 Pleuronectoidei - [[ヒラメ]]、[[マコガレイ]]、[[ササウシノシタ]] **** [[アンコウ目]] Lophiiformes ***** アンコウ亜目 Lophioidei - [[アンコウ]] ***** カエルアンコウ亜目 Antennarioidei - [[カエルアンコウ]] ***** アカグツ亜目 Ogcocephalioidei - [[チョウチンアンコウ]] **** [[フグ目]] Tetraodontiformes ***** ベニカワムキ亜目 Triacanthodoidei - [[ベニカワムキ科|ベニカワムキ]] ***** モンガラカワハギ亜目 Balistoidei - [[カワハギ]]、[[ハコフグ]] ***** フグ亜目 Tetraodontoidei - [[トラフグ]]、[[マンボウ]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{reflist|2}} == 参考文献 == {{参照方法|date=2019年3月19日 (火) 12:01 (UTC)|section=1}} * Joseph S. Nelson, ''Fishes of the world'', 4th edition: Wiley & Sons, Inc., ([[2006年]]、ISBN 0-471-25031-7) * 岩井保 『魚学入門』([[恒星社厚生閣]]、[[2005年]]、ISBN 978-4-7699-1012-1) * {{Cite book |和書 |author1=上野輝彌 |author2=坂本一男 |title=魚の分類の図鑑 |edition=新版 |publisher=[[学校法人東海大学出版会|東海大学出版会]] |date=2005 |isbn=978-4-486-01700-4 |ref={{SfnRef|上野・坂本|2005}} }} * [[岩槻邦男]]・[[馬渡峻輔]]監修;松井正文編集、『脊椎動物の多様性と系統』、バイオディバーシティ・シリーズ7 ([[裳華房]])、2006年、ISBN 978-4-7853-5828-0 * {{Cite book|和書|title=動物学の百科事典|date=2018/9/28|year=|publisher=丸善出版|author=公益社団法人日本動物学会|isbn=978-4621303092|ref=日本動物学会2018}} == 関連項目 == {{関連項目過剰|date= 2018年4月|section= 1}} {{Sisterlinks | commons = Fish | commonscat = Fish | q = カテゴリ:魚類 }} * [[魚類学]] * [[:Category:魚類画像|魚類の画像一覧]] * [[魚の一覧]] * [[化石魚類の一覧]] * {{ill2|歩く魚|en|Walking fish}} - ホウボウやサメの一部が鰓(遊離軟条など)を使用し海底を歩く。 * [[電気魚]] - 電気を利用する魚。 * [[遡河魚]] - 遡上する魚。 ; 構造 : [[輸卵管]] - [[総排出腔]] : {{ill2|魚骨|en|Fish bone}} : [[トリメチルアミン]] - 魚臭の主成分の一つ。 : {{ill2|魚の年齢|en|Age determination in fish}} - 魚の鱗や耳石に刻まれる輪紋から年齢が推測できる(耳石横断薄片法)。 ; 水産業 : [[水産業]] - [[養殖業]] - [[港]] - [[漁業権]] - [[漁業協同組合]] : [[漁場]] - [[漁船]] - [[ソナー]] - [[投網]] - [[梁 (漁具)|梁]] - [[梁漁]] ; 食材・料理 : [[魚料理の一覧]] : [[海鮮料理の一覧]] : [[珍味]] - [[骨なし魚]] : [[調理]] - [[三枚おろし|二枚おろし - 三枚おろし]] - [[五枚下ろし]] - [[ヅケ]] : [[寿司]] - [[から揚げ]] - [[天ぷら]] - [[焼き魚]] -[[蒲焼き]] -[[照り焼き]] - [[煮魚]] -[[フライ (料理)]] - [[マリネ]] - [[ちり鍋]]- [[アクアパッツア]] - [[ゲフィルテ・フィッシュ]] : [[蒲鉾]] - [[竹輪]] - [[半片]] - [[くさや]] : [[栄養素]] - [[アラキドン酸]](ARA) : [[寄生虫]] - [[アニサキス]] ; 趣味・娯楽 : [[ペット]] - [[キンギョ]] : [[釣り]] - [[餌]] - [[釣り針]] - [[釣り糸]] - [[釣り竿]] - [[リール (釣具)|リール]] - [[ルアーフィッシング]] - [[フライ・フィッシング]] - [[魚拓]] - [[出世魚]] - [[根魚]] : [[ダイビング]]{{要曖昧さ回避|date=2023年5月}} - [[フィッシュウォッチング]] - [[水中写真]] ; 生物・環境 : [[プランクトン]] - [[魚つき林]] : [[環境問題]] - [[絶滅危惧種]] - [[絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約|ワシントン条約]] - [[レッドデータブック (環境省)]] : [[モデル生物]] - [[ゼブラフィッシュ]] : [[マウスブルーダー]] : [[大洋]] - [[湾]] - [[海流]] == 外部リンク == * [http://fishpix.kahaku.go.jp/fishimage/index.html 魚類写真資料データベース] - [[国立科学博物館]](魚類研究室:[http://research.kahaku.go.jp/zoology/uodas/index.html UODAS]) * [http://www.fishbase.org/home.htm FishBase]{{en icon}} * {{Archive.today|url=http://homepage2.nifty.com/JAL/IsonagePast8.html |title=明暗刺激の重要性(深海魚が浅瀬に生活圏を作る海域「赤い海」)|date=20130427105232}} {{リンク切れ|date= 2019年3月19日 (火) 12:01 (UTC)}} - 水圧よりも明暗が重要?世界遺産のタスマニア島バサースト湾 * {{Kotobank}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:きよるい}} [[Category:魚類|*]]
2003-02-28T11:43:05Z
2023-12-30T15:11:34Z
false
false
false
[ "Template:読み仮名", "Template:Notelist", "Template:Cite news", "Template:関連項目過剰", "Template:Ill2", "Template:いつ", "Template:Normdaten", "Template:Main", "Template:Sisterlinks", "Template:Seealso", "Template:Efn", "Template:En icon", "Template:Kotobank", "Template:Redirect3list", "Template:生物分類表", "Template:Wiktionary", "Template:En", "Template:Quote", "Template:仮リンク", "Template:Cite book", "Template:リンク切れ", "Template:Sname", "Template:Small", "Template:Snamei", "Template:Clade", "Template:Sfn", "Template:Cite web", "Template:要曖昧さ回避", "Template:Interlang", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:参照方法", "Template:Archive.today" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E9%A1%9E
3,065
5月5日
5月5日(ごがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から125日目(閏年では126日目)にあたり、年末まではあと240日ある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "5月5日(ごがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から125日目(閏年では126日目)にあたり、年末まではあと240日ある。", "title": null } ]
5月5日(ごがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から125日目(閏年では126日目)にあたり、年末まではあと240日ある。
{{カレンダー 5月}} '''5月5日'''(ごがついつか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から125日目([[閏年]]では126日目)にあたり、[[年末]]まではあと240日ある。 == できごと == [[ファイル:Ouverture_des_%C3%89tats_g%C3%A9n%C3%A9raux_%C3%A0_Versailles_aux_Menus-Plaisirs.jpg|thumb|180x180px|フランスで174年ぶりに[[三部会]]が開催される(1789)]] [[ファイル:Carnegie_Hall.jpg|thumb|[[カーネギー・ホール]]開場(1891)|240x240ピクセル]] [[ファイル:Japanese_Saitama_Shintoshin_west_building.jpg|thumb|180x180px|[[さいたま新都心]]街開き(2000)]] * [[553年]] - [[第2コンスタンティノポリス公会議]]が開会<ref>{{Cite web |url=https://www.ccel.org/ccel/schaff/npnf214.xii.ii.html |title=NPNF2–14. The Seven Ecumenical Councils, Introduction |access-date=6 Sep 2023 |publisher=WM. B. EERDMANS PUBLISHING COMPANY GRAND RAPIDS, MICHIGAN |website=Christian Classics Ethereal Library}}</ref>。 * [[1180年]]([[治承]]4年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[以仁王]]が[[以仁王の挙兵|平氏追討の令旨]]を発する。 * [[1260年]] - [[クビライ]]が[[モンゴル帝国]]第5代皇帝([[ハーン]])に即位。 * [[1640年]] - イングランドで[[短期議会]]が閉会。 * [[1789年]] - フランスで、聖職者・貴族への課税を審議する[[三部会]]が[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]臨席の下で開会。 * [[1835年]] - [[ベルギー]]の[[ブリュッセル]] - [[メヘレン]]でヨーロッパ大陸初の鉄道が開通。 * [[1842年]] - [[ハンブルク大火]]発生。 * [[1862年]] - [[メキシコ出兵]]: [[プエブラの会戦]]。メキシコ軍がフランス軍を撃退。([[シンコ・デ・マヨ]]) * [[1864年]] - [[南北戦争]]: [[荒野の戦い]]が始まる。 * [[1891年]] - ニューヨークに[[カーネギー・ホール]]が正式に開場<ref>{{Cite web |url=https://artsandculture.google.com/story/kgXRGVw2XO2JKQ |title=The Birth of Carnegie Hall |access-date=6 Sep 2023 |publisher=Google Art & Culture}}</ref>。 * [[1904年]] - 米大リーグ・レッドソックスの[[サイ・ヤング]]投手が[[アメリカンリーグ]]初の[[完全試合]]を達成。 * [[1911年]] - [[奈良原三次]]が製作した「[[奈良原式2号飛行機]]」が[[所沢飛行場]]で初飛行。国産飛行機による初の飛行となる。 * [[1912年]] - 第5回[[夏季オリンピック]]・[[1912年ストックホルムオリンピック|ストックホルム大会]]が開幕。[[7月22日]]まで。 * 1912年(ユリウス暦[[4月22日]]) - 『[[プラウダ]]』が創刊。 * 1912年 - [[岡山電気軌道]]が駅前〜内山下分岐、内山下分岐〜後楽園口で開業。 * [[1921年]] - [[第一次世界大戦]]戦勝国によるロンドン講和会議で、[[ドイツ]]に対し1,320億マルクの賠償金支払い受諾を要求(ロンドン最後通牒)。 * [[1925年]] - [[普通選挙法|衆議院議員普通選挙法]]改正法が公布され、25歳以上の男子に[[選挙権]]が認められる。 * [[1936年]] - [[第二次エチオピア戦争]]: [[イタリア]]が[[エチオピア]]の首都[[アディスアベバ]]を占領。戦争が終結。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: ドイツに占領されたノルウェー[[亡命政府]]が[[ロンドン]]で発足。 * [[1941年]] - 第二次世界大戦: イタリアの植民地([[イタリア領東アフリカ]])となっていたエチオピアで、エチオピア皇帝[[ハイレ・セラシエ1世]]が首都に再入城。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦: カナダ軍・イギリス軍により、ナチス占領下の[[オランダ]]・[[デンマーク]]が解放される。 * 1945年 - 第二次世界大戦: 日本から飛来した[[風船爆弾]]の不発弾がアメリカ・[[オレゴン州]]で爆発し、民間人6人が死亡。第二次大戦でのアメリカ本土での唯一の死者となる。 * 1945年 - [[熊本県]]・[[大分県]]境に[[B-29 (航空機)|B-29]]が墜落。米兵4人が殺害され、残り6人も[[九州帝国大学]]で生体解剖される。([[九州大学生体解剖事件]]) * [[1947年]] - [[カール・マルクスの生家]]が博物館として開館する。 * [[1949年]] - [[欧州評議会]]創設。(欧州評議会の[[ヨーロッパ・デー]]) * [[1950年]] - [[タイ王国]]国王[[ラーマ9世]]が戴冠。 * [[1951年]] - 日本で「[[児童憲章]]」制定。 * [[1955年]] - [[西ドイツ]]が[[主権]]の完全回復を宣言。 * [[1958年]] - [[多摩動物公園]]開園。 * [[1961年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]初の有人宇宙船「[[マーキュリー・レッドストーン3号]]」打ち上げ。[[アラン・シェパード]]がアメリカ人初の[[宇宙飛行士]]となる。 * [[1965年]] - [[こどもの国 (横浜市)|国立こどもの国]]開園。 * [[1970年]] - [[カンプチア王国民族連合政府]]樹立。 * [[1975年]] - [[阪神北大阪線]]・[[阪神国道線|国道線]]・[[阪神甲子園線|甲子園線]]がこの日限りで廃止される。 * [[1978年]] - [[成田空港問題]]: [[京成スカイライナー放火事件]]が起こる。 * [[1980年]] - [[駐英イラン大使館占拠事件]]: [[イギリス陸軍]]の特殊部隊[[SAS (イギリス陸軍)|SAS]]が大使館に突入し、犯人6人のうち5人を射殺、人質26人を解放。 * [[1983年]] - [[中国民航機韓国着陸事件]]。 * [[1984年]] - [[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#阪急神戸線六甲駅列車衝突事故|阪急神戸線六甲駅列車衝突事故]]。 * [[1988年]] - 日本・中国・ネパール友好登山隊が初の[[エベレスト]]の南北同日登頂と交叉縦走に成功。同時に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]が初のエベレスト山頂からの[[衛星中継]]に成功した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bpcj.or.jp/search/show_detail.php?program=160015 |title=チョモランマがそこにある~みんなが頂上に立った~/日本テレビ開局35年記念特別番組 スーパー・ドキュメント・スペシャル |access-date=6 Sep 2023 |publisher=公益財団法人 放送番組センター}}</ref>。 * [[1992年]] - [[1789年]]に提出された[[アメリカ合衆国憲法修正第27条]]が、38州の承認により202年かかって批准が成立。 * [[1995年]] - [[オウム真理教]]による[[新宿駅青酸ガス事件|新宿駅青酸ガス殺人未遂事件]]が発生。 * [[2000年]] - [[与野市]]・[[浦和市]]・[[大宮市]](現在の[[さいたま市]])で「[[さいたま新都心]]」が街開き。 * [[2001年]] - [[千葉県]][[四街道市]]で工場の従業員宿舎が全焼。11人死亡。 * [[2007年]] - [[大阪府]][[吹田市]]にある[[エキスポランド]]のジェットコースター「風神雷神II」で脱輪事故。1名が死亡、34名が重軽傷<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/kisha/kisha07/07/070506_.html |title=ジェットコースター「風神雷神Ⅱ」の死亡事故について |access-date=6 Sep 2023 |publisher=[[国土交通省]] |date=6 May 2007}}</ref>。 * [[2012年]] - [[北海道電力]][[泊原子力発電所]]の3号機が発電を停止。1970年以来42年ぶりに日本国内全ての[[原子力発電所]]が停止した<ref name="DGXNASFC05007_V00C12A5000000">{{Cite web|和書|title=国内原発、稼働ゼロ 泊3号機の原子炉停止 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFC05007_V00C12A5000000/ |date=6 May 2012 |access-date=6 Sep 2023 |publisher=[[日本経済新聞]]}}</ref>。 * [[2013年]] - [[松井秀喜]]の引退式と、[[長嶋茂雄]]、松井秀喜両氏の[[国民栄誉賞]]授与式が[[東京ドーム]]で行われる<ref>{{Cite web|和書|date=6 May 2013 |url=http://japanese.joins.com/article/239/171239.html |title=安倍首相、国民栄誉賞授与“野球場ショー” |publisher=[[中央日報]] |accessdate=6 Sep 2023}}</ref>。 * [[2018年]] - [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]が、標準時「[[平壌時間]]」を30分繰り上げ日本や韓国と同じ標準時に統一<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/world/news/180505/wor1805050002-n1.html |title=北朝鮮標準時を韓国と統一 和解措置で「平壌時間」、3年弱で元通りに |publisher=[[産経新聞]] |date=5 May 2018 |accessdate=6 Sep 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180505013733/https://www.sankei.com/world/news/180505/wor1805050002-n1.html |archivedate=5 May 2018}}</ref>。 * [[2023年]] - [[世界保健機関]]が[[国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態|2019コロナウイルス感染症(COVID-19)の緊急事態宣言]]終了を発表。事実上の収束宣言。 * 2023年 - [[石川県]][[能登半島|能登地方]]([[能登群発地震]])を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生。1人が死亡、35名が負傷する被害が発生。 <!--=== 日本の自治体改編 === * [[1937年]] - 岩手県[[釜石市]]が市制施行。 * [[1952年]] - 愛知県[[安城市]]が市制施行。 * [[1972年]] - 東京都[[秋川市]](現・[[あきる野市]])が市制施行。--> == 誕生日 == === 人物 === [[ファイル:Leopold_II.jpg|thumb|神聖ローマ皇帝[[レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト2世]](1747-1792)誕生|229x229ピクセル]] [[ファイル:Karl Marx.jpg|thumb|211x211px|[[哲学者]]・[[経済学者]]、[[カール・マルクス]](1818-1883)誕生。]] [[ファイル:Hans_Pfitzner.jpg|thumb|作曲家[[ハンス・プフィッツナー]](1869-1949)|180x180ピクセル]] [[ファイル:Kyosuke_Kindaichi_and_Takuboku_Ishikawa.jpg|thumb|213x213px|[[アイヌ語]]を研究した言語学者、[[金田一京助]](画像左; 1882-1971)。[[石川啄木]](画像右)は金田一を頼り、本郷菊坂町の「赤心館」で共同生活を送った。]] [[ファイル:Nakajima Atsushi.jpg|thumb|200px|小説家、[[中島敦]]。]] [[ファイル:Michael_Palin.jpg|thumb|232x232px|コメディアン、[[マイケル・ペイリン]](1943-)]] [[ファイル:Peter-molyneux-at-university-of-southampton.jpg|thumb|237x237px|[[ゲームデザイナー]]、[[ピーター・モリニュー]](1959-)]] * [[紀元前4世紀]] ‐[[孟嘗君]](+[[紀元前279年]]) * [[1210年]] - [[アフォンソ3世 (ポルトガル王)|アフォンソ3世]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Afonso-III |title=Afonso III|king of Portugal |access-date=5 Sep 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[ポルトガル王]](+ [[1279年]]) * [[1282年]] - [[フアン・マヌエル]]、[[カスティーリャ王国]]の王族で[[アルフォンソ11世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ11世]]の摂政(+ [[1349年]]) * [[1352年]] - [[ループレヒト (神聖ローマ皇帝)]]、[[ローマ王]](ドイツ王、在位:[[1400年]] - 1410年)、[[プファルツ選帝侯領|プファルツ]][[ライン宮中伯|選帝侯]](+ [[1410年]]) * [[1504年]] - [[スタニスワフ・ホジュシュ]]、[[ローマ・カトリック教会]]の[[枢機卿]](+ [[1579年]]) * [[1542年]] - [[トマス・セシル (初代エクセター伯爵)]]、[[イングランド王国|イングランド]]の[[貴族]]、[[政治家]](+ [[1623年]]) * [[1582年]] - [[ヨハン・フリードリヒ (ヴュルテンベルク公)]]、[[ヴュルテンベルク]][[ヴュルテンベルク君主一覧|公]](+ [[1628年]]) * [[1590年]] - [[ヤクプ・ソビェスキ]]、[[ポーランド・リトアニア共和国]]の貴族([[シュラフタ]])、政治家、軍人(+ [[1646年]]) * [[1630年]]([[寛永]]7年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[酒井忠直]]、第2代[[小浜藩|小浜藩主]](+ [[1682年]]) * [[1677年]]([[延宝]]5年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[相馬叙胤]]、第6代[[相馬中村藩|相馬中村藩主]](+ [[1711年]]) * [[1712年]] - [[ヤヌシュ・アレクサンデル・サングシュコ]]、[[ポーランド・リトアニア共和国]]の大貴族、公(+ [[1775年]]) * [[1738年]] - [[アドルフ・フリードリヒ4世 (メクレンブルク公)]]、[[神聖ローマ帝国]]の領邦国家である[[メクレンブルク=シュトレーリッツ]]の君主(+ [[1794年]]) * [[1747年]] - [[レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト2世]]、[[神聖ローマ皇帝]](+ [[1792年]]) * [[1749年]] - [[ジャン・フレデリック・エデルマン]]、[[古典派音楽]]の[[作曲家]](+ [[1845年]]) * [[1764年]]([[宝暦]]14年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]) - [[三宅康友]]、第8代[[田原藩|田原藩主]](+ [[1809年]]) * [[1769年]] - [[フランツィシェク・ムウォコシェヴィチ]]、軍人(+ [[1794年]]) * [[1780年]] - [[ミケーレ・テノーレ]]、[[植物学|植物学者]](+ [[1861年]]) * [[1783年]]([[天明]]3年4月5日) - [[戸田氏庸]]、第8代[[大垣藩|大垣藩主]](+ [[1841年]]) * [[1800年]] - [[ルイ・アシェット]]、出版者(+ [[1864年]]) * [[1805年]] - [[ホセ・バリビアン]]、第11代[[ボリビアの大統領|ボリビア大統領]](+ [[1852年]]) * [[1813年]] - [[セーレン・キェルケゴール]]、[[哲学者]]、[[思想家]](+ [[1855年]]) * [[1818年]] - [[カール・マルクス]]、[[哲学者]]、[[経済学者]](+ [[1883年]]) * [[1819年]] - [[スタニスワフ・モニューシュコ]]、[[指揮者]]、[[作曲家]] * 1819年([[文政]]2年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[久世広周]]、第6代[[関宿藩|関宿藩主]](+ [[1864年]]) * [[1826年]] - [[ウジェニー・ド・モンティジョ]]、[[フランス帝国|フランス]][[皇后]](+ [[1920年]]) * [[1828年]] - [[アルベルト・マルト]]、[[天文学者]](+ [[1897年]]) * [[1829年]] - [[ヨハネス・ポンペ・ファン・メーデルフォールト]]、[[医師]](+ [[1908年]]) * [[1833年]] - [[フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン]]、[[地理学者]]、[[探検家]](+ [[1905年]]) * 1833年 - [[ラザルス・フックス]]、数学者(+ [[1902年]]) * [[1835年]]([[天保]]6年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[松平定安]]、第10代[[松江藩|松江藩主]](+ [[1882年]]) * [[1842年]] - [[ヴィクトル・ハルトマン]]、[[画家]]、[[建築家]](+ [[1873年]]) * [[1846年]] - [[ヘンリク・シェンキェヴィチ]]、[[小説家]](+ [[1916年]]) * 1846年([[弘化]]3年[[4月10日 (旧暦)|4月10日]]) - [[中山信徴]]、初代[[常陸松岡藩|松岡藩主]](+ [[1917年]]) * [[1847年]] - [[ウィリアム・パーカー]]、[[弁護士]]、[[政治家]](+ [[1908年]]) * [[1857年]] - [[リー・リッチモンド]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1929年]]) * [[1858年]] - [[ピエール・アドルフォ・ティリンデッリ]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1937年]]) * [[1862年]] - [[ジークベルト・タラッシュ]]、[[チェス]]プレーヤー(+ [[1934年]]) * [[1864年]] - [[ネリー・ブライ]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1922年]]) * [[1865年]]([[慶応]]元年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]]) - [[石井十次]]、社会事業家(+ [[1914年]]) * 1865年 - [[アルベール・オーリエ]]、[[詩人]]、[[美術評論家]]、[[画家]](+ [[1892年]]) * [[1869年]] - [[ハンス・プフィッツナー]]、[[作曲家]](+ [[1949年]]) * [[1873年]] - [[レオン・チョルゴッシュ]]、[[無政府主義]]者(+ [[1901年]]) * [[1877年]] - [[ゲオルギー・セドフ]]、北極探検家(+ [[1914年]]) * [[1878年]] - [[佐々木隆興]]、[[医学|医学者]](+ [[1966年]]) * [[1882年]] - [[金田一京助]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1971年]]) * 1882年 - [[ダグラス・モーソン]]、[[探検家]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1958年]]) * 1882年 - [[シルビア・パンクハースト]]、婦人参政権活動家([[サフラジェット]])、社会主義者(+ [[1960年]]) * 1882年 - [[マウリス・ペータース]]、[[自転車競技]]([[トラックレース]])選手(+ [[1957年]]) * [[1883年]] - [[アーチボルド・ウェーヴェル (初代ウェーヴェル伯爵)]]、[[軍人]]、[[政治家]]、[[貴族]](+ [[1950年]]) * 1883年 - [[エレアサル・ロペス・コントレーラス]]、政治家、[[ベネズエラの大統領|ベネズエラ大統領]](+ [[1973年]]) * [[1884年]] - [[チーフ・ベンダー]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1954年]]) * 1884年 - [[フランツ・ネルケン]]、画家(+ [[1918年]]) * [[1885年]] - [[アグスティン・バリオス]]、[[ギタリスト]]、[[作曲家]]、[[詩人]](+ [[1944年]]) * [[1892年]] - [[ドロシー・ギャロッド]]、[[考古学者]](+ [[1968年]]) * [[1894年]] - [[オーガスト・ドヴォラック]]、[[教育心理学]]者(+ [[1975年]]) * [[1897年]] - [[ゲオルギー・ザハロフ]]、軍人(+ [[1957年]]) * [[1898年]] - [[ブラインド・ウィリー・マクテル]]、[[ブルース]]歌手、ギター演奏者(+ [[1959年]]) * [[1899年]] - [[ニコライ・ヴォロノフ]]、軍人(+ [[1968年]]) * [[1900年]] - [[平野威馬雄]]、[[詩人]]、[[フランス文学者]](+ [[1986年]]) * 1900年 - [[ハンス・シュミット=イッセルシュテット]]、[[指揮者]](+ [[1973年]]) * 1900年 - [[チャールズ・ジュートロー]]、スピードスケート選手(+ [[1996年]]) * [[1903年]] - [[丸岡秀子]]、[[評論家]](+ [[1990年]]) * [[1905年]] - [[シャルル・エクスブライヤ]]、[[小説家]](+ [[1989年]]) * [[1907年]] - [[松平頼則]]、[[作曲家]](+ [[2001年]]) * 1907年 - [[イリーナ・ヴィルデ]]、[[作家]](+ [[1982年]]) * [[1908年]] - [[クルト・ベーメ]]、[[バス (声域)|バス]][[歌手]](+ [[1989年]]) * 1908年 - [[ジャック・マシュ]]、[[フランス]]の陸軍軍人(+ [[2002年]]) * [[1909年]] - [[中島敦]]、[[小説家]](+ [[1942年]]) * 1909年 - [[ラドノーティ・ミクローシュ]]、詩人(+ [[1944年]]) * [[1910年]] - [[レオ・レオニ]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]]、[[絵本作家]](+ [[1999年]]) * [[1911年]] - [[市古貞次]]、[[日本文学研究者|国文学者]](+ [[2004年]]) * 1911年 - [[ジル・グランジェ]]、[[映画監督]]、[[脚本家]](+ [[1996年]]) * 1911年 - [[アンドール・リリエンタール]]、[[チェス]]選手(+ [[2010年]]) * [[1912年]] - [[清水金一]]、[[コメディアン|喜劇俳優]](+ [[1966年]]) * 1912年 - [[崔太敏]]、[[牧師]]、[[呪術師]]、[[シャーマン]](+ [[1994年]]) * [[1913年]] - [[近藤芳美]]、[[歌人]](+ [[2006年]]) * [[1914年]] - [[タイロン・パワー]]、[[俳優]](+ [[1958年]]) * [[1915年]] - [[アリス・フェイ]]、[[俳優|女優]](+ [[1998年]]) * [[1916年]] - [[山口政信]]、元プロ野球選手(+ [[1976年]]) * [[1917年]] - [[木原太郎 (物理学者)|木原太郎]]、[[物理学者]](+ [[2001年]]) * 1917年 - [[ピオ・レイヴァ]]、[[歌手]](+ [[2006年]]) * [[1919年]] - [[ゲオルギオス・パパドプロス]]、[[ギリシャの大統領|ギリシャ大統領]](+ [[1999年]]) * [[1921年]] - [[ミスワカサ・島ひろし|ミスワカサ]]、[[漫才師]](+ [[1974年]]) * 1921年 - [[アーサー・ショーロー]]、[[物理学者]](+ [[1999年]]) * [[1922年]] - [[山崎竜男]]、[[政治家]](+ [[2009年]]) * [[1923年]] - [[ウィリアム・カマック・キャンベル]]、アマチュアゴルファー(+ [[2013年]]) * [[1924年]] - [[岩崎純三]]、政治家(+ [[2004年]]) * [[1925年]] - [[菊村到]]、[[作家]](+ 1999年) * 1925年 - [[レオ・ライアン]]、政治家(+ [[1978年]]) * 1925年 - [[ウラディーミル・ヴァヴィロフ]]、[[ギタリスト]]、[[リュート]]奏者、[[作曲家]](+ [[1973年]]) * [[1927年]] - [[パット・キャロル]]、女優、[[声優]](+ [[2022年]]) * 1927年 - [[ローベルト・シュペーマン]]、[[哲学者]](+ [[2018年]]) * [[1929年]] - [[斉川一夫]]、俳優 * 1929年 - [[アイリーン・ウッズ]]、声優、歌手、[[画家]](+ [[2010年]]) * [[1930年]] - [[レオニード・アバルキン]]、[[経済学者]]、[[政治家]](+ [[2011年]]) * [[1933年]] - [[ラトナシリ・ウィクラマナカ]]、政治家(+ [[2016年]]) * [[1934年]] - [[海老沢勝二]]、第17代[[日本放送協会|NHK]]会長 * 1934年 - [[坂本盛明]]、元プロ野球選手(+ [[1987年]]) * 1934年 - [[コナン・ベディエ]]、[[コートジボワール]]第2代[[大統領]](+ [[2023年]]) * [[1935年]] - [[岡嶋博治]]、元プロ野球選手 * [[1937年]] - [[チャン・ドゥック・ルオン]]、政治家 * [[1938年]] - [[バーバラ・ワグナー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1938年 - [[マイケル・マーフィー (俳優)|マイケル・マーフィー]]、俳優 * 1938年 - [[イエジー・スコリモフスキ]]、映画監督、脚本家、俳優 * [[1940年]] - [[ランス・ヘンリクセン]]、俳優 * 1940年 - [[マイケル・リンゼイ=ホッグ]]、[[映画監督]] * 1940年 - [[アダム・プシェヴォルスキ]]、[[政治学者]] * [[1941年]] - [[若乃洲敏弥]]、元[[大相撲]][[力士]](+ [[1984年]]) * [[1942年]] - [[嶌信彦]]、[[ジャーナリスト]] * 1942年 - [[地井武男]]、俳優(+ [[2012年]]) * 1942年 - [[船田和英]]、元プロ野球選手(+ [[1992年]]) * 1942年 - [[タミー・ワイネット]]、[[カントリー・ミュージック]]の[[シンガーソングライター]](+ [[1998年]]) * [[1943年]] - [[マイケル・ペイリン]]、[[コメディアン]]、俳優([[モンティ・パイソン]]) * 1943年 - [[イグナシオ・ラモネ]]、[[ジャーナリスト]] * [[1944年]] - [[松岡達英]]、[[絵本作家]]、[[イラストレーター]] * 1944年 - [[高橋善正]]、元プロ野球選手 * 1944年 - [[時葉山敏夫]]、元大相撲力士、[[年寄]]6代[[富士ヶ根]](+ [[1995年]]) * 1944年 - [[橋本勝隆]]、元プロ野球選手 * 1944年 - [[ジョン・リス=デイヴィス]]、俳優 * 1944年 - [[ロジャー・リース]]、俳優(+ [[2015年]]) * 1944年 - [[クリスチャン・ド・ポルザンパルク]]、[[建築家]]、[[都市計画家]] * 1944年 - [[ジャン=ピエール・レオ]]、俳優 * [[1945年]] - [[ジミー・ロザリオ]]、元プロ野球選手 * 1945年 - [[マイク・ベネツィア]]、[[騎手]](+ [[1988年]]) * [[1946年]] - [[坂口尚]]、[[漫画家]](+ [[1995年]]) * 1946年 - [[ウラジーミル・トゥクマコフ]]、[[チェス]]プレーヤー * 1946年 - [[三宅昇]]、元プロ野球選手(+ [[1996年]]) * 1946年 - [[秋山重雄]]、元プロ野球選手 * 1946年 - [[ジム・ケリー (空手)|ジム・ケリー]]、俳優、[[空手家]] * 1946年 - [[エディ・アイカウ]]、サーファー(+ [[1978年]]) * [[1947年]] - [[Dr.コパ]]、[[建築家]]、[[風水|風水師]] * 1947年 - [[伴大介]]、俳優 * 1947年 - [[佐藤道郎]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[矢崎節夫]]、児童文学作 * 1947年 - [[深水三章]]、俳優(+ [[2017年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/01/03/kiji/20180103s00041000040000c.html |title=深水三章さん急死 70歳、映画「楢山節考」「うなぎ」で名脇役 |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=3 Jan 218 |website=Sponichi Annex}}</ref>) * [[1948年]] - [[野口善男]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[桑原隆]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者 * 1948年 - [[根本健]]、元[[ロードレース (オートバイ)|オートバイレーサー]]、書籍[[編集長]] * 1948年 - [[笹岡繁蔵]]、声優(+ [[1998年]]) * 1948年 - [[ザ・テンプターズ|高久昇]]、[[ベーシスト]](元[[ザ・テンプターズ]]) * 1948年 - [[ビル・ワード]]、[[ドラマー]]([[ブラック・サバス]]) * [[1949年]] - [[浮川和宣]]、[[ジャストシステム]]創業者 * 1949年 - [[大村憲司]]、[[ギタリスト]](+ [[1998年]]) * 1949年 - [[桑野議]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[ボブ佐久間]]、作曲家 * [[1951年]] - [[モト冬樹]]、[[タレント]]、[[ミュージシャン]] * 1951年 - [[シプリアン・カツァリス]]、[[ピアニスト]]、作曲家 * [[1952年]] - [[町支寛二]]、[[ギタリスト]] * 1952年 - [[津田弥太郎]]、政治家 * 1952年 - [[エドウィン・リー]]、政治家、弁護士(+ [[2017年]]) * [[1953年]] - [[天野滋]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[2005年]]) * 1953年 - [[金田一秀穂]]、言語学者 * 1953年 - [[笹川博]]、元プロ野球選手 * 1953年 - [[王侠軍]]、白磁陶芸家 * [[1954年]] - [[デーブ・スペクター]]、[[テレビプロデューサー]]、タレント * [[1955年]] - [[近藤雄介]]、[[アナウンサー]] * 1955年 - [[宮田律]]、[[政治学者]] * 1955年 - [[ポール・スモレンスキー]]、言語学者 * [[1956年]] - [[武田光太郎]]、俳優、朗読家 * 1956年 - [[リサ・アイルバッハー]]、女優 * [[1957年]] - [[石橋貢]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[リチャード・E・グラント]]、俳優 * 1957年 - [[ピーター・ハウイット]]、俳優、映画監督、脚本家 * [[1958年]] - [[そうる透]]、ミュージシャン、[[ドラマー]] * 1958年 - [[井上哲士]]、政治家 * 1958年 - [[徐能旭]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]] * [[1959年]] - [[スティーヴ・スティーヴンス]]、ギタリスト * 1959年 - [[イアン・マッカロク]]、ミュージシャン * 1959年 - [[ピーター・モリニュー]]、[[ゲームクリエイター]] * 1959年 - [[ボビー・エルズワース]]、ミュージシャン([[オーヴァーキル (バンド)|オーヴァーキル ]]) * 1959年 - [[ブライアン・ウィリアムズ (ジャーナリスト)|ブライアン・ウィリアムズ]]、ジャーナリスト、ニュースキャスター * [[1960年]] - [[奥山一寸法師]]、[[実業家]] * 1960年 - [[小野寺五典]]、政治家 * 1960年 - [[斎藤茂]]、[[音楽プロデューサー]]、[[ディスクジョッキー]]、独立系ラジオ局経営者 * [[1961年]] - [[渋谷哲平]]、俳優、歌手 * 1961年 - [[馳浩]]、[[プロレスラー]]、政治家 * 1961年 - [[杉永政信]]、元プロ野球選手、[[プロ野球審判員]] * 1961年 - [[春川正明]]、解説委員 * [[1962年]] - [[おのえりこ]]、漫画家 * 1962年 - [[和田薫 (作曲家)|和田薫]]、[[作曲家]] * [[1963年]] - [[工藤公康]]、元プロ野球選手、監督 * 1963年 - [[佐藤竹善]]、ミュージシャン([[SING LIKE TALKING]]) * 1963年 - [[ジェイムズ・ラブリエ]]、ミュージシャン([[Dream Theater]]) * 1963年 - [[長田弘幸]]、パラリンピック・ノルディックスキー選手 * 1963年 - [[スコット・ウエスターフェルド]]、[[SF作家]] * [[1964年]] - [[高山みなみ]]、声優、ミュージシャン([[TWO-MIX]]) * 1964年 - [[真倉翔]]、[[漫画原作者]] * 1964年 - [[ハイケ・ヘンケル]]、元[[陸上競技]]選手 * 1964年 - [[ドン・ペイン]]、[[脚本家]](+ [[2013年]]) * [[1965年]] - [[大橋隆志]]、ミュージシャン * 1965年 - [[岡本三成]]、政治家 * [[1966年]] - [[エリック・サトウ]]、[[バレーボール選手]] * 1966年 - [[ジョン・健・ヌッツォ]]、歌手 * 1966年 - [[テリー山本]]、漫画家 * 1966年 - [[ショーン・ドローヴァー]]、ドラマー * 1966年 - [[セルゲイ・スタニシェフ]]、政治家 * [[1967年]] - [[子安武人]]<ref name="animatetimes">{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=446#02 |title=子安武人のアニメキャラ・最新情報まとめ |work=アニメイトタイムズ |accessdate=5 Sep 2023 |publisher=ANIMATE CORPORATION |date=18 Jul 2023}}</ref>、声優 * 1967年 - [[藤浪智之]]、ゲームデザイナー * 1967年 - [[葛西稔]]、元プロ野球選手 * [[1968年]] - [[森川美穂]]、歌手、女優 * 1968年 - [[渡辺陽子]]、アナウンサー * 1968年 - [[清水忠史]]、政治家 * 1968年 - [[渡部篤郎]]、俳優 * [[1969年]] - [[伊良部秀輝]]、元プロ野球選手(+ [[2011年]]) * 1969年 - [[仙田和吉]]、アナウンサー * 1969年 - [[ソフィー・モニオット]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1969年 - [[崔哲源]]、実業家 * [[1970年]] - [[YOGGY]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]([[EAST END]]) * [[1971年]] - [[マイク・レドモンド]]、元プロ野球選手 * 1971年 - [[ハロルド・マイナー]]、[[バスケットボール]]選手 * [[1972年]] - [[長見賢司]]、元プロ野球選手 * [[1974年]] - [[荒聖治]]、[[自動車競技|レーシング・ドライバー]] * 1974年 - [[小林徹弥]]、[[騎手]] * [[1975年]] - [[ただすけ]]、ミュージシャン * 1975年 - [[井上麻美 (タレント)|井上麻美]]、歌手、タレント * 1975年 - [[メブ・ケフレジギ]]、陸上競技選手 * [[1976年]] - [[フアン・パブロ・ソリン]]、元サッカー選手 * [[1977年]] - [[田中雅興]]、元プロ野球選手 * 1977年 - 押見泰憲、お笑い芸人([[犬の心]]) * 1977年 - [[チェ・ガンヒ (女優)|チェ・ガンヒ]]、女優 * [[1978年]] - [[幕田賢治]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[鳥羽周作]]、料理人 * [[1979年]] - [[中谷仁]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[藤井了]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[大谷未央]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[石松千恵美]]、声優 * 1979年 - [[ヴィンセント・カーシーザー]]、俳優 * [[1980年]] - [[スコット・ヘアストン]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[ヨッシ・ベナユン]]、サッカー選手 * 1980年 - [[松浦宏治]]、元サッカー選手 * 1980年 - [[翁長吾央]]、元プロボクサー * 1980年 - [[マイア・ヒラサワ]]、[[シンガーソングライター]] * 1980年 - [[王傳一]]、俳優、歌手 * [[1981年]] - [[ビートまりお]]、同人歌手 * 1981年 - [[クレイグ・デイヴィッド]]、ミュージシャン、[[DJ]]、[[音楽プロデューサー]] * 1981年 - [[クリス・ダンカン]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[畑中しんじろう]]、お笑いタレント * 1982年 - [[アガスティン・ムリーヨ]]、プロ野球選手 * [[1983年]] - [[白馬毅]]、元大相撲力士 * 1983年 - [[ヘンリー・カヴィル]]、俳優、[[モデル (職業)|モデル]] * [[1984年]] - [[平本真之]]、[[競艇選手]] * 1984年 - [[中川智美]]、アナウンサー * 1984年 - [[金澤岳]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[丹蔵隆浩]]、元大相撲力士 * [[1985年]] - [[中川翔子]]、タレント * 1985年 - [[エマヌエレ・ジャッケリーニ]]、元サッカー選手 * 1985年 - [[ツェポ・マシレラ]]、サッカー選手 * 1985年 - [[P・J・タッカー]]、プロ[[バスケットボール]]選手 * 1985年 - [[キアラ・ディウリオ]]、バレーボール選手 * 1985年 - [[クラーク・デューク]]、俳優 * [[1986年]] - [[吉原夏紀]]、元タレント * 1986年 - [[マルコス・カセレス]]、サッカー選手 * [[1987年]] - [[手塚りえ]]、タレント、[[グラビアアイドル]](元[[桜mint's|桜(もも)mint's]]) * 1987年 - [[グラハム・ドーランズ]]、サッカー選手 * 1987年 - [[レオネル・バンジョーニ]]、サッカー選手 * [[1988年]] - [[アデル (歌手)|アデル]]、歌手 * 1988年 - [[ブルック・ホーガン]]、歌手 * 1988年 - [[スカイ・スウィートナム]]、歌手 * 1988年 - [[孫泰珍]]、[[テコンドー]]選手 * 1988年 - [[ファトス・ベチライ]]、サッカー選手 * 1988年 - [[フリクソン・エラソ]]、サッカー選手 * 1988年 - [[イヴァン・マエウスキ]]、サッカー選手 * [[1989年]] - [[アンナ・ハッセルボリ]]、[[カーリング]]選手 * 1989年 - [[クリス・ブラウン (歌手)|クリス・ブラウン]]、歌手 * 1989年 - [[鈴木裕斗]]、声優 * 1989年 - [[田中杏沙]]、声優 * 1989年 - [[松原江里佳]]、アナウンサー * 1989年 - [[吾峠呼世晴]]、[[漫画家]] * [[1990年]] - [[伊良皆竜一]]、バスケットボール選手 * 1990年 - [[レアンドロ・メジャ]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[ニーナ・ロシッチ]]、バレーボール選手 * 1990年 - [[ソン・ジウン]]、歌手 * 1990年 - [[ヨハン・ラーション]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ハムザ・メンディル]]、サッカー選手 * 1990年 - [[バカリ・サレ]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[ジェームズ・パゾス]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[柳原利香]]、声優 * 1991年 - [[ラウル・ヒメネス]]、サッカー選手 * 1991年 - [[ウカシュ・スコルプスキ]]、サッカー選手 * 1991年 - [[ロビン・デクライフ]]、バレーボール選手 * [[1992年]] - [[大槻瞳]]、アナウンサー * 1992年 - なかがわりょう、お笑いタレント([[フランスピアノ]]) * 1992年 - [[ゴラン・チャウシッチ]]、サッカー選手 * 1992年 - [[深澤辰哉]]、アイドル([[Snow Man]]) * [[1993年]] - [[ヴィクトリア・ヘクト]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1993年 - [[フランシーヌ・ニヨンサバ]]、[[陸上競技]]選手 * [[1994年]] - [[ハビエル・マンキージョ・ガイタン]]、サッカー選手 * 1994年 - [[アダム・ズレリャーク]]、サッカー選手 * [[1995年]] - [[ラマン・プラタセヴィチ]]、[[ジャーナリスト]]、政治活動家 * [[1997年]] - [[田辺大智]]、アナウンサー * 1997年 - [[ハウメ・ムナル]]、テニス選手 * 1997年 - [[ジョーダン・トンプソン (バレーボール)|ジョーダン・トンプソン]]、 バレーボール選手 * [[1998年]] - 松平璃子、元アイドル(元[[櫻坂46]]) * 1998年 - [[アリーナ・サバレンカ]]、プロ[[テニス]]選手 * 1998年 - [[アイザイア・ハーテンシュタイン]]、プロ[[バスケットボール]]選手 * [[1999年]] - [[原大智 (サッカー選手)|原大智]]、サッカー選手 * 1999年 - [[ネイサン・チェン]]、フィギュアスケート選手 * 1999年 - [[ジャスティン・クライファート]]、サッカー選手 * 1999年 - [[イ・ナウン]]、歌手、女優 * [[2000年]] - [[与田祐希]]、アイドル([[乃木坂46]]) * [[2002年]] - [[田邉秀斗]]、サッカー選手 * [[2003年]] - [[鍵山優真]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 2003年 - [[カルロス・アルカラス]]、プロ[[テニス]]選手 * 生年非公表 - [[中川翔子]]、タレント、歌手 * 生年不明 - [[鈴木菜穂子]]、元声優 * 生年不明 - [[金子英彦]]、声優 * 生年不明 - [[上村俊介]]、声優 * 生年不明 - [[虎島貴明]]、声優 * 生年不明 - [[加藤沙織]]、声優 * 生年不明 - [[佐々木健 (漫画家)|佐々木健]]、漫画家 === 人物以外(動物など) === * [[1996年]] - [[ウメノファイバー]]、[[競走馬]](+ [[2021年]]) * [[2005年]] - [[サクセスブロッケン]]、競走馬 (+ [[2022年]]) * [[2010年]] - [[スマートレイアー]]、競走馬 == 忌日 == === 人物 === [[ファイル:Romuliana_Galerius_head.jpg|thumb|247x247px|[[ローマ皇帝]][[ガレリウス]](250-311)没]] [[ファイル:Tumb_of_Napoleon_Bonaparte.jpg|thumb|180px|[[ナポレオン・ボナパルト]](1769-1821)、幽閉先の[[セントヘレナ島]]で没。]] [[ファイル:Peter_Gustav_Lejeune_Dirichlet.jpg|thumb|199x199px|数学者[[ペーター・グスタフ・ディリクレ]](1805-1859)没。]] [[ファイル:Aivazovsky%2C_Ivan_-_The_Ninth_Wave.jpg|thumb|180x180px|海洋画家、[[イヴァン・アイヴァゾフスキー]](1817-1900)。画像は『第9の波濤』(1850)]] * [[200年]] - [[孫策]]、武将(* [[175年]]) * [[311年]] - [[ガレリウス]]、[[ローマ皇帝]](* [[250年]]) * [[969年]] - [[ゲルベルガ・フォン・ザクセン]]、リウドルフィング家出身の西フランク王国の王妃(* [[913年]]) * [[1061年]]([[康平]]4年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[藤原信家]]、[[公卿]](* [[1018年]]) * [[1194年]] - [[カジミェシュ2世]]、[[ポーランド王国]][[ピャスト朝]]国王(* [[1138年]]) * [[1198年]] - [[ソフィヤ・ウラジミロヴナ]]、デンマーク王ヴァルデマー1世の妻(* [[1141年]]頃) * [[1237年]]([[嘉禎]]3年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[藤原家隆 (従二位)|藤原家隆]]、公卿、[[歌人]](* [[1158年]]) * [[1306年]] - [[コンスタンティノス・パレオロゴス・ポルフュロゲネトス]]、東ローマ帝国の皇族(* [[1261年]]) * [[1309年]] - [[カルロ2世 (ナポリ王)|シャルル2世]]、[[ナポリ王国|ナポリ王]](* [[1248年]]?) * [[1316年]] - [[エリザベス・オブ・リズラン]]、王族(* [[1282年]]) * [[1432年]] - [[フランチェスコ・ブッソーネ・ダ・カルマニョーラ]]、傭兵隊長(コンドッティエーレ)(* [[1382年]]) * [[1499年]](明応8年[[3月25日]]) - [[蓮如]]、本願寺第8代門主<ref>{{Cite web|和書|url=https://honganjifoundation.org/rennyosankaruta/about.html |title=蓮如さんの生涯 -ご生涯と伝説- |access-date=25 Sep 2023 |publisher=一般財団法人 本願寺文化興隆財団}}</ref>(* [[1415年]]) * [[1525年]] - [[フリードリヒ3世 (ザクセン選帝侯)]]、ヴェッティン家のザクセン選帝侯(* [[1463年]]) * [[1582年]] - [[シャルロット・ド・ブルボン=ヴァンドーム]]、[[ウィレム1世 (オラニエ公)|オラニエ公ウィレム1世]]の妃(* [[1546年]]?) * [[1671年]] - [[エドワード・モンタギュー (第2代マンチェスター伯爵)]]、貴族・軍人(* [[1602年]]) * [[1682年]]([[天和 (日本)|天和]]2年[[3月28日 (旧暦)|3月28日]]) - [[西山宗因]]、[[俳人]]、[[連歌師]](* [[1605年]]) * [[1705年]] - [[レオポルト1世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト1世]]、[[神聖ローマ皇帝]](* [[1640年]]) * [[1714年]] - [[シャルル・ド・ブルボン (ベリー公)|シャルル・ド・ブルボン]]、[[フランス王国|フランスの王族]]、[[ベリー公]](* [[1686年]]) * [[1717年]] - [[フランソワ・ド・カリエール]]、[[外交官]](* [[1645年]]) * [[1760年]] - [[ローレンス・シャーリー (第4代フェラーズ伯爵)]]、貴族(* [[1720年]]) * [[1782年]]([[天明]]2年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[楫取魚彦]]、[[国学|国学者]]、[[歌人]](* [[1723年]]) * [[1807年]] - [[P. D. Q. バッハ]]、[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]の21番目の息子とされている作曲家(* [[1742年]]) * [[1808年]] - [[ピエール・ジャン・ジョルジュ・カバニス]]、医師、哲学者(* [[1757年]]) * [[1821年]] - [[ナポレオン・ボナパルト]]、[[フランス第一帝政]][[皇帝]](* [[1769年]]) * [[1827年]] - [[フリードリヒ・アウグスト1世 (ザクセン王)|フリードリヒ・アウグスト1世]]、[[ザクセン王国|ザクセン]]王(* [[1750年]]) * [[1839年]] - [[エドゥアルト・ガンス]]、[[法学者]](* [[1797年]]) * [[1859年]] - [[ペーター・グスタフ・ディリクレ]]、[[数学者]](* [[1805年]]) * [[1863年]]([[文久]]3年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[井田磐山]]、[[書家]](* [[1767年]]) * [[1870年]] - [[フランクリン・ピール]]、アメリカ合衆国造幣局フィラデルフィアの第3代貨幣鋳造主任(* [[1795年]]) * [[1892年]] - [[アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン]]、[[化学者]](* [[1818年]]) * [[1900年]] - [[イヴァン・アイヴァゾフスキー]]、[[画家]](* [[1817年]]) * [[1913年]] - [[アンリ・モレ]]、風景画家(* [[1856年]]) * 1900年 - [[デニー・マックナイト]]、メジャーリーグ監督(* [[1848年]]) * [[1921年]] - [[アルフレッド・フリート]]、法学者、[[平和運動|平和運動家]](* [[1864年]]) * [[1928年]] - [[尾上松助 (4代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1843年]]) * [[1934年]] - [[中村憲吉]]、歌人(* [[1889年]]) * [[1942年]] - [[豊國福馬]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1893年]]) * [[1945年]] - [[ルネ・ラリック]]、ガラス工芸家、宝飾デザイナー(* [[1860年]]) * [[1947年]] - [[鹿嶌洋起市]]、大相撲力士(* [[1914年]]) * 1947年 - [[タイ・ラフォレスト]]、元プロ野球選手(* [[1917年]]) * [[1949年]] - [[長田秀雄]]、[[詩人]](* [[1885年]]) * [[1955年]] - [[ルイ・ブレゲー]]、飛行機技師(* [[1880年]]) * [[1956年]] - [[申翼煕]]、朝鮮独立運動家、政治家、元韓国の国会議長(* [[1894年]]) * [[1957年]] - [[ミハイル・グネーシン]]、[[作曲家]](* [[1883年]]) * [[1959年]] - [[カルロス・サアベドラ・ラマス]]、[[アルゼンチン]]外相(* [[1878年]]) * [[1967年]] - [[オーウェン・ジョーンズ]]、[[地質学者]](* 1878年) * [[1969年]] - [[エディ・シーコット]]、元[[プロ野球選手]](* [[1884年]]) * [[1971年]] - [[バイオレット・ジェソップ]]、遠洋定期船の客室乗務員、看護師(* [[1887年]]) * [[1976年]] - [[アリソン・アトリー]]、[[童話]]作家(* [[1884年]]) * [[1977年]] - [[ルートヴィヒ・エアハルト]]、[[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]第2代首相(* [[1897年]]) * [[1981年]] - [[パウル・ヘルビガー]]、[[俳優]](* [[1894年]]) * 1981年 - [[清水多嘉示]]、[[彫刻家]](* [[1897年]]) * [[1983年]] - [[ホルスト・シューマン]]、医師(* [[1906年]]) * 1983年 - [[ジョン・ウィリアムズ (俳優)|ジョン・ウィリアムズ]]、俳優(* [[1903年]]) * [[1984年]] - [[吉岡隆徳]]<ref>{{Kotobank|吉岡隆徳}}</ref>、陸上競技選手(* [[1909年]]) * [[1985年]] - [[ドナルド・ベイリー]]、土木技師(* [[1901年]]) * [[1989年]] - [[カレル・ゼマン]]、[[アニメ監督]](* [[1910年]]) * [[1990年]] - [[レジナルド・グッドオール]]、[[指揮者]](* [[1901年]]) * [[1994年]] - [[沼田恵範]]、[[宗教家]]、[[実業家]]、[[ミツトヨ]]創業者(* [[1897年]]) * [[1995年]] - [[ミハイル・ボトヴィニク]]、第7・9・11代[[チェスの世界チャンピオン一覧|チェスの公式世界チャンピオン]](* [[1911年]]) * [[1996年]] - [[サリー・テリー]]、歌手(* [[1922年]]) * 1996年 - 艾青([[:zh:艾青]])、[[詩人]](* [[1910年]]) * [[1998年]] - [[トミー・マクック]]、[[サクソフォーン]]奏者(* [[1927年]]) * [[1999年]] - [[中島河太郎]]、[[ミステリー]]評論家(* [[1917年]]) * 1999年 - [[上野俊樹]]、[[経済学者]](* [[1942年]]) * [[2000年]] - [[奥野高廣]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1904年]]) * 2000年 - [[ジーノ・バルタリ]]、[[自転車競技]]選手(* [[1914年]]) * [[2001年]] - [[ブーズー・チェイヴィス]]、[[ザディコ]][[音楽家|ミュージシャン]](* [[1930年]]) * [[2002年]] - [[塩谷庄吾]]、俳優(* [[1966年]]) * 2002年 - [[ウゴ・バンセル・スアレス]]、軍人、政治家、独裁者(* [[1926年]]) * 2002年 - [[ジョージ・シドニー]]、映画監督(* [[1916年]]) * [[2003年]] - [[ウォルター・シスル]]、政治家(* [[1912年]]) * [[2004年]] - [[ホセ・マセダ]]、作曲家(* [[1917年]]) * 2004年 - [[コクソン・ドッド]]、音楽[[プロデューサー]](* [[1932年]]) * 2004年 - [[岡崎律子]]、[[シンガーソングライター]](* [[1959年]]) * [[2005年]] - [[遠藤浩]]、法学者(* [[1921年]]) * [[2006年]] - [[金谷治]]、[[思想史家]](* [[1920年]]) * 2006年 - [[岩田順介]]、[[政治家]](* [[1937年]]) * 2006年 - [[上本孝一]]、[[プロ野球審判員]](* [[1963年]]) * [[2007年]] - [[セオドア・メイマン]]、[[物理学者]](* [[1927年]]) * 2007年 - [[今村仁司]]、[[哲学|哲学者]](* [[1942年]]) * [[2008年]] - [[朴景利]]、小説家(* [[1926年]]) * 2008年 - [[ジェリー・ウォレス]]、歌手(* [[1928年]]) * [[2009年]] - [[やまだ紫]]、[[漫画家]](* [[1948年]]) * [[2010年]] - [[田宮謙次郎]]、元[[プロ野球選手]]、[[プロ野球監督|監督]](* [[1928年]]) * 2010年 - [[ジュリエッタ・シミオナート]]、[[メゾソプラノ]]歌手(* [[1910年]]) * 2010年 - [[ウマル・ヤラドゥア]]、[[政治家]]、第13代[[ナイジェリア]][[ナイジェリアの大統領|大統領]](* [[1951年]]) * [[2011年]] - [[アリス・ブリッジス]]、[[競泳]]選手(* [[1916年]]) * 2011年 - [[ダナ・ウィンター]]、女優(* [[1931年]]) * [[2012年]] - [[井上登 (野球)|井上登]]、元プロ野球選手(* [[1934年]]) * [[2013年]] - [[ザラ・キルシュ]]、詩人(* [[1935年]]) * 2013年 - [[ロバート・K・レスラー]]、元FBI捜査官、コンサルタント、司法行動学研究所(FBS)所長(* [[1937年]]) * [[2015年]] - [[高橋二三]]、[[脚本家]](* [[1926年]]) * 2015年 - [[津田清子]]、[[俳句|俳人]](* [[1920年]]) * 2015年 - [[野村孝]]、[[映画監督]](* [[1927年]]) * [[2016年]] - [[冨田勲]]、作曲家(* [[1932年]]) * [[2017年]] - [[西尾慈高]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shikoku-np.co.jp/bl/news/national/okuyami-detail.aspx?kid=20170506000507 |title=西尾慈高氏死去/元阪神、中日投手 |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[四国新聞]] |date=6 May 2017}}</ref>、元プロ野球選手(* [[1934年]]) * [[2021年]] - [[富永一朗]]、[[漫画家]](* [[1925年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2008年]] - [[リンデンリリー]]、競走馬(* [[1988年]]) == 記念日・年中行事 == [[ファイル:Tatibana-park2,katori-city,japan.JPG|thumb|180x180px|[[こどもの日]]、[[端午]]の節句]] [[ファイル:1_May_2004_enlargement_celebration_in_Parc_du_Cinquantenaire.jpg|thumb|180px|[[ヨーロッパ・デー]]。[[1949年]]の[[欧州評議会]]創設にちなむ]] * [[立夏]]({{JPN}}、2010年・2012年・2013年) *: [[二十四節気]]の1つ。太陽の黄経が45度の時で、夏の気配が感じられるころ。 * [[端午]]の節句({{JPN}}ほか[[漢字文化圏]]) * [[こどもの日]]({{JPN}}) *: [[国民の祝日]]の一つ。 * [[ゴールデンウィーク]]({{JPN}}) * [[玩具|おもちゃ]]の日({{JPN}}) *:[[日本玩具協会]]・東京玩具人形問屋協同組合が[[1949年]]に制定。端午の節句にちなみ、おもちゃや人形のPRのために設けられた。 * 子供へ本を贈る日({{JPN}}) *: 書籍取次の[[トーハン]]が制定。 * わかめの日({{JPN}}) *: 日本わかめ協会が[[1983年]]に「こどもの日」にちなんで制定<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nippon-wakame.jp/about/day.html |title=わかめの日 |access-date=5 Sep 2023 |publisher=日本わかめ協会}}</ref>。 * [[手話]]記念日({{JPN}}) *: 日本デフ協会が[[2003年]]に制定。手話が左右の五本指を使うことから。 * [[自転車]]の日({{JPN}}) *:自転車月間推進協議会が[[1998年]]に制定。5月の[[自転車月間]]の中の祝日を自転車の日とした。 * 薬の日({{JPN}}) *:全国医薬品小売商業組合連合会が[[1987年]]に制定。[[611年]](推古天皇19年)のこの日、[[推古天皇]]が大和の[[兎田野]]で薬草を採取する薬狩りを催し、これから毎年この日を「薬日(くすりび)」と定めたという故事にちなむ。 * フットサルの日({{JPN}}) *: [[フットサル]]に関する事業を行う株式会社エフネットスポーツが制定。フットサルが5人対5人で行うスポーツであることから。 * [[レゴ]]の日({{JPN}}) *:[[デンマーク]]の[[合成樹脂|プラスチック]]製[[ブロック]][[玩具]]・レゴの日本法人であるレゴジャパンが制定。「0505(レゴレゴ)」の語呂合わせによるもの。 * キズケアの日({{JPN}}) *:日本創傷外科学会と日本形成外科学会が制定。「こども(キッズ)の日」からの語呂合わせによる。 === 祭礼 === * 桃太郎まつり({{JPN}}) *: [[愛知県]][[犬山市]]で、「桃太郎のように健やかに」との願いを込めた「桃太郎まつり」が開催される。 * 日本童話祭({{JPN}}) *: [[大分県]][[玖珠郡]]玖珠町で日本童話祭が開催される。玖珠町出身で童謡『夕やけ小やけ』の作詞者[[久留島武彦]]の活動功績を称え、[[1950年|昭和25年]]に始まった。 * 鐘供養({{JPN}}) *: [[東京都]][[品川区]]の[[品川寺]](ほんせんじ)で、毎年鐘供養と句会が開催される。[[徳川家綱]]の寄進とされる品川寺の鐘は、幕末に海外へ流出し、パリ万博([[1867年]])・ウィーン万博([[1873年]])に展示されたあと行方がわからなくなっていた。[[1919年|大正8年]]、品川寺住職の仲田順海は、鐘が[[スイス]][[ジュネーヴ]]のアリアナ美術館に所蔵されていることを突き止め、返還交渉を開始。鐘は[[1930年|昭和5年]]に品川寺に返還された。昭和5年5月5日、品川寺で行なわれた鐘の帰還式に出席した[[高浜虚子]]は、「座について 供養の鐘を 見上げけり」と詠んでおり、この句をきっかけに「鐘供養」が晩春の季語の仲間入りを果たした。 * 公時まつり・仙石原湯立獅子舞奉納({{JPN}}) *: [[神奈川県]][[箱根町]]仙石原の[[諏訪神社 (箱根町仙石原)|公時神社]]の祭礼で、国の無形文化財「湯立獅子舞」が奉納される。煮えたぎる釜の回りを巡りながら舞う「釜めぐりの舞」では、獅子が熱い釜の湯を熊笹の束でかき回し、神に献じ、参拝客に湯花を振りかけて悪疫を払う。 * 相良凧初節句神事(相良凧あげ大会)({{JPN}}) *: [[静岡県]][[牧之原市]]で行われる凧あげの神事。端午の節句に男子誕生を祝い凧をあげる風習に基づく[[江戸時代]]から続く伝統行事。相良凧は、[[田沼意次]]の城下町として知られた相良独特の凧。尾が無いホームベース型をしており、糸目が上下2本だけの角凧で、ビードロを練り込んだ凧糸を使用して揚げるのが特徴。 * 大楠祭({{JPN}}) *: [[静岡県]][[熱海市]]の來宮神社(きのみやじんじゃ)で行われる例祭。御神木の大楠は国の天然記念物で、樹高約20m、幹周り約24m、推定樹齢2000年以上の全国第2位の巨樹([[環境省]]の調査)。巫女舞の『大楠の舞』や笛伶会和太鼓演奏などが奉納され、境内では、池田社中の野点が催される。 * 流鏑馬祭({{JPN}}) *: [[静岡県]][[富士宮市]]の[[富士山本宮浅間大社]]で行われる[[流鏑馬]]。建久4([[1193年]])、[[源頼朝]]が富士山麓で「富士の巻狩り」を行なった際、富士山本宮浅間大社に流鏑馬を奉納したことから始まったとされている。祭りは[[5月4日]]から[[5月6日|6日]]にかけて行われ、本祭の5月5日には、境内桜の馬場で、鎌倉武士の装束を纏った騎馬により小笠原流流鏑馬式が行なわれる。 * 武家奴振り({{JPN}}) *: [[滋賀県]][[米原市]]の[[山津照神社]](やまつてるじんじゃ)で行われる、おうみ三奴振りの一つ。神社境内の青木神社の祈祷札(天平泰平、武運長久、宮中安全)を[[京都御所]]へ献納していた当時の道中奴で、江戸時代から明治4年頃まで行なわれていたもの。戦後復活し、現在は毎年春の祭礼に奉納されている。 *すし切り祭り({{JPN}}) *: [[滋賀県]][[守山市]]の下新川神社(しもにいかわじんじゃ)の例祭で行われる神事。祭神の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が湖賊の平定に向かう折、ふなの塩漬けを焼いて献上したところ大変喜ばれたという故事が起源。神事は裃姿に脇差を差した当番の若者二人が古式に則りふなずしを調理していく。その他、国の無形文化財に選定されている「諫鼓(かんこ)の舞い」などが奉納される。 * 長刀振り({{JPN}}) *: [[滋賀県]][[守山市]]の[[小津神社]]の例祭で奉納される踊りで、国の無形民俗文化財。奉納されるのは、手に持った長刀を振る「長刀振り」と、「田楽踊り」を総称して「長刀踊り」と呼んでいる。花笠を被った子どもや大神輿、子供神輿が赤野井の小津若宮神社まで往復する。 === 海外の年中行事 === * [[国際助産師の日]]({{World}}) *: [[1990年]]に日本で開催された[[国際助産師連盟]]国際評議会で制定され、[[1992年]]から実施。 * 子供の日({{KOR}}) * 解放記念日({{NLD}}・{{DNK}}) *: [[1945年]]にドイツ軍の占領から解放されたことを記念。 * [[シンコ・デ・マヨ]]({{MEX}}) *: [[1862年]]のこの日の[[プエブラの会戦]]でメキシコ軍がフランス軍に勝利したことを記念。 * 憲法記念日({{KGZ}}) * [[アマチュア無線]]の日({{PRC}}) * [[ダンス]]の日({{ROC}}) * [[ヨーロッパ・デー]] *: [[1949年]]の[[欧州評議会]]創設にちなむ。 * {{仮リンク|インド人到達の日|en|Indian Arrival Day}}({{GUY}}) *: [[1838年]]のこの日に、奴隷制度廃止後の農園労働者としてインド人移民が初めてガイアナに来たことを記念。 * 愛国者勝利の日({{ETH}}) *: [[1941年]]のこの日、[[イタリア]]の植民地([[イタリア領東アフリカ]])となっていたエチオピアで、エチオピア皇帝[[ハイレ・セラシエ1世]]が首都に再入城したことを記念。この年の11月にエチオピア内の全イタリア軍が降伏した。 * 敬老の日({{PLW}}) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0505|date=Sep 2023}} * [[1989年]] - 「東京テレビ」で、江川洋子・味吉陽一と「2年花組料理隊」の「ちまき・柏もち勝負」が行われる。(アニメ『[[ミスター味っ子]]』第80話「ちまき・柏もち決戦! 5月5日の味くらべ」) * [[2001年]] - 進藤ヒカルに憑依していた藤原佐為の霊が[[成仏]]し、現世を離れる。(漫画・アニメ『[[ヒカルの碁]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1950年]] - [[風見志郎]]、[[仮面ライダーシリーズ]]『[[仮面ライダーV3]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pachimaga.com/ads/b_calendar/detail.php?day=0505006 |title=仮面ライダーV3 |access-date=5 Sep 2023 |publisher=パチマガスロマガ |deadlinkdate=5 Sep 2023}}</ref> * [[1966年]] - [[コンバット越前]]、ゲーム『[[デスクリムゾン]]』の主人公<ref>『デスクリムゾン』取扱説明書10頁</ref> * [[1972年]] - 千堂武士、漫画『[[はじめの一歩]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ippo_fs|1324290365134950401}}</ref> * [[1978年]] - [[魔神英雄伝ワタルシリーズの登場人物#主要人物|戦部ワタル]]、アニメ『[[魔神英雄伝ワタル]]』の主人公<ref>{{Twitter status|wataru_pr|1522048553597947904}}</ref> * [[2283年]] - 闘魂のマミ/星山麻美、ゲーム『[[銀河お嬢様伝説ユナ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/yuna3/char/mami.html|title=銀河お嬢様伝説ユナ:キャラクター紹介:闘魂のマミ|date=20100923091830}}</ref> * 2500年代 - シルヴェスター・アシモフ、漫画『[[テラフォーマーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author1=貴家悠|authorlink1=貴家悠|author2=橘賢一|authorlink2=橘賢一|title= テラフォーマーズ|origyear= 2013|accessdate=5 Sep 2023|publisher= [[集英社]]|isbn= 978-4-08-879523-2|volume= 4巻}}</ref> * 生年不明 - [[モンキー・D・ルフィ]]、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=尾田栄一郎|authorlink=尾田栄一郎|year=2000|title=ONE PIECE|volume=第15巻|chapter=SBS(質問を募集するのだ)コーナー|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=4-08-873009-7}}</ref> * 生年不明 - [[ゴン=フリークス]]、漫画・アニメ『[[HUNTER×HUNTER]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=冨樫義博|authorlink=冨樫義博|year=2004|title=HUNTER×HUNTER ハンター協会 公式発行 ハンターズ・ガイド キャラクター&ワールドオフィシャルデータブック|page=18|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=4-08-873701-6}}</ref> * 生年不明 - 伊藤啓太、ゲーム・アニメ『[[学園ヘヴン BOY'S LOVE SCRAMBLE!]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://gakuenheaven.jp/heaven/keita.html |title=伊藤啓太 |work=『学園ヘヴン』 |publisher=All rights |accessdate=5 Sep 2023}}</ref> * 生年不明 - 春田創一、[[テレビ朝日]][[土曜ナイトドラマ (テレビ朝日)|土曜ナイトドラマ]]『[[おっさんずラブ#連続版|おっさんずラブ]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=監修・テレビ朝日|year=2018|title=土曜ナイトドラマ「おっさんずラブ」公式ブック|page=11|publisher=文藝春秋|isbn=978-4-16-390880-9}}</ref> * 生年不明 - [[しまじろうシリーズの登場キャラクター#しまじろう|縞野しまじろう]]、ベネッセの教材『[[こどもちゃれんじ]]』、アニメ『[[しましまとらのしまじろう]]』『[[はっけん たいけん だいすき! しまじろう]]』『[[しまじろうヘソカ]]』『[[しまじろうのわお!]]』の主人公<ref>{{Twitter status|shimajiroTV|40652253270384640}}</ref><ref>{{Twitter status|shimajiroTV|41014811521191936}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=しまじろう |url=https://kodomo.benesse.ne.jp/open/tv/characters/ |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[Benesse]] |website=しまじろうと ちゃれんじじまの なかまたち}}</ref> * 生年不明 - 花菱テンカ、パチンコ『[[CRフィーバー大夏祭り]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sankyo-fever.co.jp/special/dainatsu/character.html |title=花菱テンカ |work=『フィーバー大夏祭り』 |publisher=[[三共 (パチンコ)|SANKYO]] |accessdate=5 Sep 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150628215554/http://www.sankyo-fever.co.jp/special/dainatsu/character.html |archivedate=28 Jun 2015}}</ref> * 生年不明 - 秋保那菜子、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/akiu_nanako |title=宮城 秋保那菜子 |access-date=5 Sep 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref> * 生年不明 - [[ライナ (埼玉西武ライオンズ)|ライナ]]、日本プロ野球・[[埼玉西武ライオンズ]]のマスコットキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seibulions.jp/performer/mascot/profile.html |title=ライナ Lina |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[埼玉西武ライオンズ]] |website=レオ&ライナプロフィール}}</ref> * 生年不明 - [[ヴィヴィくん]]、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]・[[V・ファーレン長崎]]のマスコットキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.v-varen.com/mascot |title=ヴィヴィくん vivi-kun |access-date=5 Sep 2023 |publisher=V・ファーレン長崎 |website=ヴィヴィくんのぺーじ}}</ref> * 生年不明 - [[岬太郎]]、漫画・アニメ『[[キャプテン翼]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=高橋陽一|authorlink=高橋陽一|year=2003|title=キャプテン翼 3109日全記録|publisher=集英社|isbn=4-08-782789-5|page=38}}</ref> * 生年不明 - [[麻里愛]](マリア)、漫画・アニメ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』に登場するキャラクター<ref name="kamedas">『[[Kamedas]]2』(集英社、2001年)64頁</ref> * 生年不明 - 麻里稟(マリリン)、漫画・アニメ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』に登場するキャラクター<ref name="kamedas" /> * 生年不明 - 大前田希千代、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=久保帯人|authorlink=久保帯人|year = 2006 |title = BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs. |page = 192 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 4-08-874079-3 }}</ref> * 生年不明 - [[真選組|土方十四郎]]、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gintama_kyoto|860358019481182208}}</ref> * 生年不明 - [[ボンゴレファミリー#ボンゴレX世の守護者|雲雀恭弥]]、漫画・アニメ『[[家庭教師ヒットマンREBORN!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=天野明|authorlink=天野明|year=2007|title=家庭教師ヒットマンREBORN!Vongola77|page=56|publisher=[[集英社]]}}</ref> * 生年不明 - 田中冴子、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2014|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-870852-2|quote=|date=|volume=9巻|page=46}}</ref> * 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#宵ノ坂酌人|宵ノ坂酌人]]、漫画・アニメ『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|authorlink=ミウラタダヒロ|year=2020|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=24巻|page=166|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-882496-3}}</ref> * 生年不明 - 天乃リリサ、漫画『[[2.5次元の誘惑]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shonenjump.com/ririsa/question/ |title=『2.5次元の誘惑』Q&A Q013奥村たちの誕生日が知りたいです! |accessdate=5 Sep 2023 |publisher=橋本 悠/[[集英社]] |website=『2.5次元の誘惑』原作公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 中野一花、漫画・アニメ『[[五等分の花嫁]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Twitter status|negi_haruba|1257325723896786944}}</ref> * 生年不明 - 中野二乃、漫画・アニメ『五等分の花嫁』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> * 生年不明 - 中野三玖、漫画・アニメ『五等分の花嫁』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> * 生年不明 - 中野四葉、漫画・アニメ『五等分の花嫁』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> * 生年不明 - 中野五月、漫画・アニメ『五等分の花嫁』に登場するキャラクター<ref name=":0" /><ref group="注釈">コミックス14巻で「日を跨いだ瞬間生まれた」と記載されているが({{Cite book|和書 |author=春場ねぎ |authorlink=春場ねぎ |title=五等分の花嫁 |page=3 |publisher=[[講談社]] |series=[[講談社コミックス]] |isbn=978-4-06-518687-9 |volume=14 |date=17 Apr 2020}})、公式には5月5日生まれ。</ref> * 生年不明 - 桜花あさひ、漫画・アニメ『[[お兄ちゃんはおしまい!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onimai.jp/character/asahi.html |title=桜花あさひ |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[ねことうふ]]・[[一迅社]]/「おにまい」製作委員会 |work=『お兄ちゃんはおしまい!』}}</ref> * 生年不明 - 心崎菊乃、漫画『声がだせない少女は『彼女が優しすぎる』と思っている』に登場するキャラクター * 生年不明 - プリノ・ハーウェル、漫画『わたしの狼さん。 THE OTHER SIDE OF LYCANTHROPE』『[[Dear (漫画)|dear]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=藤原ここあ|authorlink=藤原ここあ|year=2011|title=dear|volume=第6巻|quote=裏表紙カバー下|publisher=スクウェア・エニックス|series=[[月刊ガンガンJOKER#ガンガンコミックスJOKER|ガンガンコミックスJOKER]]|isbn=4-7575-1416-6}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=藤原ここあ|year=2011|title=dear新装版|volume=第3巻|page=359|publisher=スクウェア・エニックス|series=[[月刊ガンガンJOKER#ガンガンコミックスJOKER|ガンガンコミックスJOKER]]|isbn=978-4-7575-3372-1}}</ref> * 生年不明 - 染谷まこ、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=染谷 まこ(そめや まこ) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=5 Sep 2023 |work=『咲-Saki-』 |publisher=[[小林立]]}}</ref> * 生年不明 - 桜ねね、漫画・アニメ『[[NEW GAME!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|work=『NEW GAME!』 |url=http://newgame-anime.com/character/ |title=桜 ねね |accessdate=5 Sep 2023 |publisher=[[得能正太郎]]・[[芳文社]]/NEW GAME!製作委員会}}</ref> * 生年不明 - ディーノ、漫画・アニメ『[[ブレンド・S]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=中山幸|authorlink=中山幸|year=2017|title=ブレンド・S|volume=3巻|page=10|publisher=[[芳文社]]|series=[[まんがタイムKRコミックス]]|isbn=978-4-8322-4798-7}}</ref> * 生年不明 - 関野ロコ、漫画・アニメ『[[おちこぼれフルーツタルト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://ochifuru-anime.com/chara02.html |title=関野ロコ |work=『おちこぼれフルーツタルト』 |accessdate=5 Sep 2023 |publisher=[[浜弓場双]]・[[芳文社]]}}</ref> * 生年不明 - 海老原仁、小説・アニメ『[[ラブオールプレー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|loveallplay2022|1506949002423865344}}</ref> * 生年不明 - 白河千歳、小説・アニメ『[[お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenshisama_pr|1521867247064694785}}</ref> * 生年不明 - 波島出海、ライトノベル・アニメ『[[冴えない彼女の育てかた]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://saenai-movie.com/character/izumi_hashima/ |title=波島出海 |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[丸戸史明]]・[[深崎暮人]]・[[KADOKAWA]] ファンタジア文庫刊/映画も冴えない製作委員会 |work=『冴えない彼女の育てかた Fine』}}</ref> * 生年不明 - 山縣さつき(ジャンパーハニー)、舞台『[[Cutie Honey Emotional]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://cutiehoneystage.com/cast/ |title=山縣さつき / ジャンパーハニー |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[永井豪]]/ダイナミック企画・舞台「Cutie Honey Climax」製作委員会 株式会社キョードーファクトリー / 株式会社SANETTY Produce |work=舞台『Cutie Honey Climax』}}</ref> * 生年不明 - 五箇条さつき、読者参加企画『[[HAPPY★LESSON]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://archive.asciimw.jp/mediamix/happy/chara/ |title=五箇条さつき |work=『HAPPY★LESSON』 |publisher=[[ささきむつみ]]/メディアワークス・ケイエスエス |accessdate=5 Sep 2023 |archiveurl=https://archive.is/20120726091502/http://archive.asciimw.jp/mediamix/happy/chara/ |archivedate=26 Jul 2012}}</ref> * 生年不明 - [[新世紀エヴァンゲリオンの登場人物#特務機関NERV(ネルフ)|青葉シゲル]]、アニメ・漫画『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=特務機関調査プロジェクトチーム|year=1997|title=新世紀エヴァンゲリオン完全解体全書―新たなる謎と伝説|page=206|publisher=[[青春出版社]]|isbn=978-4-413-03073-1}}</ref> * 生年不明 - マッハ ゴウ、アニメ『[[トミカ絆合体 アースグランナー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yk2kinakomochi|1521891447217090562}}</ref> * 生年不明 - アミティ、ゲーム『[[ぷよぷよ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://puyo.sega.jp/puyopuyo!/producer/003/index.html |title=プロデューサーコラム 全22名のキャラクター アミティ |accessdate=5 Sep 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]] |work=ぷよぷよ!}}</ref> * 生年不明 - [[大門五郎]]、ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.snk-corp.co.jp/official/kof-xii/character/daimon.html |title=大門 五郎 |publisher=[[SNKプレイモア]] |accessdate=5 Sep 2023 |work=『THE KING OF FIGHTERS XⅡ』}}</ref> * 生年不明 - 佐藤大介、ゲーム『[[ゲッターラブ!! ちょー恋愛パーティーゲーム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/getterlove/quest7.html|title=ゲッターラブ!!質問コーナー第7回 [004] ゲッターラブ !! 質問コーナー宛 質問者:Sizさん 質問日:99/08/09|date=20040813070908}}</ref> * 生年不明 - ラスク、ゲーム『[[クイズマジックアカデミー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://p.eagate.573.jp/game/qma/17/world/detail.html?c=003 |title=ラスク |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[コナミアミューズメント|Konami Amusement]] |work=『クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界』}}</ref> * 生年不明 - 榊千鶴、ゲーム『[[マブラヴ]]』『[[マブラヴ オルタネイティヴ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|editor=電撃大王編集部|和書|year=2007|title=マブラヴ オルタネイティヴ メモリアルアートブック|page=20|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]|isbn=978-4-04-891212-9}}</ref> * 生年不明 - [[THE IDOLM@STERの登場人物#水瀬 伊織(みなせ いおり)|水瀬伊織]]、ゲーム『[[THE IDOLM@STER]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://starlit-season.idolmaster.jp/idol/idol.php?idol=iori-minase |title=水瀬 伊織 |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|BANDAI NAMCO Entertainment Inc.]] |work=『THE iDOLM@STER STARLITSEASON』}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|date=2010-11|journal=[[電撃G's magazine]]|page=109|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]}}</ref> * 生年不明 - 柊海、ゲーム『[[姉、ちゃんとしようよっ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.candysoft.jp/ohp/01_products/ane2/chara/chara.html#umi |title=柊 海(ひいらぎ うみ) |work=『姉、ちゃんとしようよっ!』 |publisher=[[きゃんでぃそふと]] |accessdate=5 Sep 2023}}</ref> * 生年不明 - 鉢巻先生、ゲーム・アニメ『[[つよきす]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.netrevo.net/products/tsuyokiss2/character/hachimaki.html |title=鉢巻先生 |work=『つよきす2学期』 |publisher=REVONET |accessdate=5 Sep 2023}}</ref> * 生年不明 - 早乙女司、ゲーム『[[Sugar+Spice!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|year=2007|title=Sugar+Spice! ビジュアル・ガイドブック|page=66|publisher=[[ジャイブ]]|isbn=978-4-86176-480-6}}</ref> * 生年不明 - カルル・クローバー、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.blazblue.jp/cf/ac/character/carl.html |title=カルル=クローバー |publisher=[[アークシステムワークス|ARC SYSTEM WORKS]] |accessdate=5 Sep 2023 |work=『BLAZBLUE CENTRALFICTION AC版』}}</ref> * 生年不明 - 有栖川おとめ、ゲーム・アニメ『[[アイカツ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aikatsu.net/02/character/04.html |title=有栖川 おとめ |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP]]/[[バンダイ|BANDAI]], [[電通|DENTSU]], [[テレビ東京|TV TOKYO]] |work=『アイカツ!』}}</ref><ref>[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]](企画・原作)、[[バンダイ]](原案)、サンライズ、バンダイ(監修)『アイカツ! アイドル名鑑』[[小学館]]、2014年、28頁。{{ISBN2|978-4-09-280501-9}}。</ref> * 生年不明 - 鉄勇二、ゲーム『[[学☆王 -THE ROYAL SEVEN STARS-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.lumpofsugar.co.jp/product/gackoh/character/char10.php |title=鉄 勇ニ |work=『学☆王- THE ROYAL SEVEN STARS -』 |publisher=[[ランプオブシュガー|Lump of Sugar]] |accessdate=5 Sep 2023}}</ref> * 生年不明 - リースリング遠山、ゲーム『[[ティンクル☆くるせいだーす]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.lillian.jp/kurukuru/chara_riesz.html |title=リースリング遠山 |work=『ティンクル☆くるせいだーす』 |publisher=Lillian |accessdate=5 Sep 2023}}</ref> * 生年不明 - 桐山優月、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130522_163959/ |title=【ガールフレンド(仮)通信42】宇宙大好きSFガール 桐山優月ちゃん(CV:門脇舞以) |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[KADOKAWA Game Linkage|KADOKAWA Game Linkage Inc.]] |date=22 May 2013 |website=ファミ通App}}</ref> * 生年不明 - 春宮つぐみ、ゲーム・アニメ『ガールフレンド(仮)』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130812_205983/ |title=【ガールフレンド(仮)通信90】元気ハツラツボーイッシュガール 春宮つぐみちゃん(CV:高垣彩陽) |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[KADOKAWA Game Linkage|KADOKAWA Game Linkage Inc.]] |date=12 Aug 2013 |website=ファミ通App}}</ref> * 生年不明 - 八色沙紀、ゲーム『マジカ☆マジカ』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://pc.mj-mj.jp/chara01.html |title=八色沙紀 |work=『マジカ★マジカ』 |publisher=more games |accessdate=5 Sep 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120721160417/http://pc.mj-mj.jp/chara01.html |archivedate=21 Jul 2012}}</ref> * 生年不明 - 木村龍、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/40020 |title=木村 龍(きむら りゅう) |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 月永レオ、ゲーム『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/tsukinaga_leo/ |title=月永 レオ |accessdate=5 Sep 2023 |publisher=[[Happy Elements]] |work=『あんさんぶるスターズ!!』}}</ref> * 生年不明 - メイ、ゲーム・アニメ『[[GUILTY GEAR Xrd -SIGN-|GUILTY GEAR Xrd -REVELATOR-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ggxrd.com/rev/cs/character/may.php |title=MAY メイ |access-date=5 Sep 2023 |publisher=[[アークシステムワークス|ARC SYSTEM WORKS]] |work=『GUILTY GEAR Xrd -REVELATOR-』}}</ref> * 生年不明 - キベラ、ゲーム『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://kings-raid.com/characters/#character-2693 |title=キベラ |publisher=Vespa Inc. |work=『キングスレイド』 |accessdate=5 Sep 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=2693 |archivedate=2 Nov 2021}}</ref> * 生年不明 - 中島敦、ゲーム『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bunal_pr|992418590857936897}}</ref> * 生年不明 - 華風流、ゲーム『[[シノビマスター 閃乱カグラ NEW LINK]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hpgames.jp/shinomas/ |title=キャラクター 巫神楽 華風流 |access-date=5 Sep 2023 |work=『シノビマスター 閃乱カグラ NEW LINK』}}</ref> * 生年不明 - イリヤ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1522033376643158016}}</ref> * 生年不明 - 仁科カヅキ、『[[プリティーリズム・レインボーライブ]]』、『[[KING OF PRISM by PrettyRhythm]]』、『[[KING OF PRISM -PRIDE the HERO-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|PrismRushPR|1257293903293829122}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} === 注釈 === <references group="注釈" /> == 関連項目 == {{Commons&cat|May 5|5 May}} {{新暦365日|5|4|5|6|[[4月5日]]|[[6月5日]]|[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]|0505|5|05}} {{1年の月と日}}
2003-02-28T12:21:44Z
2023-12-17T07:42:10Z
false
false
false
[ "Template:Cite journal", "Template:KGZ", "Template:PRC", "Template:ETH", "Template:Wayback", "Template:Cite book", "Template:NLD", "Template:PLW", "Template:JPN", "Template:仮リンク", "Template:GUY", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Kotobank", "Template:World", "Template:Reflist", "Template:Twitter status", "Template:Commons&cat", "Template:Cite web", "Template:カレンダー 5月", "Template:MEX", "Template:ROC", "Template:フィクションの出典明記", "Template:1年の月と日", "Template:ISBN2", "Template:KOR", "Template:DNK", "Template:新暦365日" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%885%E6%97%A5
3,068
5月28日
5月28日(ごがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から148日目(閏年では149日目)にあたり、年末まではあと217日ある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "5月28日(ごがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から148日目(閏年では149日目)にあたり、年末まではあと217日ある。", "title": null } ]
5月28日(ごがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から148日目(閏年では149日目)にあたり、年末まではあと217日ある。
{{カレンダー 5月}} '''5月28日'''(ごがつにじゅうはちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から148日目([[閏年]]では149日目)にあたり、年末まではあと217日ある。 == できごと == [[ファイル:Desfile de tropas 28 de Maio 1926.jpg|thumb|180x180px|[[ポルトガル]]の[[1926年5月28日クーデター]]]] [[ファイル:Bundesarchiv Bild 146-1974-061-61, Belgien, Kapitulation der belg. Armee.jpg|thumb|180x180px|[[ベルギーの戦い]](1940年)<br />ドイツと降伏交渉を行うベルギー国王[[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]]]] * [[紀元前6世紀|紀元前585年]] - [[日食の戦い]]。[[メディア王国]]が[[リュディア]]に攻め込むが、偶然起こった[[日食]]を不吉に感じて戦争をやめ、戦場となった[[クズルウルマク川|ハリス川]]を国境に定める。 * [[621年]] - [[虎牢の戦い]]。唐の[[李世民]]軍が[[竇建徳]]軍に勝利。 * [[1503年]] - [[スコットランド王国|スコットランド]]王[[ジェームズ4世 (スコットランド王)|ジェームズ4世]]が[[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]の娘[[マーガレット・テューダー]]と結婚。 * [[1588年]] - [[スペイン]]の「[[アルマダの海戦|無敵艦隊]]」がイングランド遠征のため[[リスボン]]を出発。 * [[1830年]] - [[アンドリュー・ジャクソン]]米大統領が[[インディアン移住法]]に署名。[[涙の道]]として知られる地域で、数千人のアメリカ先住民の強制移住が始まった<ref>{{Cite web |url=https://education.nationalgeographic.org/resource/indian-removal-act/ |title=May 28, 1830 CE: Indian Removal Act |access-date=19 Jul 2023 |publisher=National Geographic}}</ref>。 * [[1858年]] - [[ロシア帝国]]と[[清]]が[[アイグン条約|璦琿条約]]に調印。アムール川以北が清からロシアに割譲。 * [[1871年]] - 「血の1週間」の戦闘が終結。[[パリ・コミューン]]が瓦解し、[[パリ]]統治が終了。 * [[1885年]] - 工部省品川硝子製造所払下げ。 * [[1905年]] - [[イルティッシュ号投降事件]] * [[1926年]] - [[ポルトガル王国|ポルトガル]]で[[1926年5月28日クーデター]]が起こる。[[ポルトガル第一共和政]]が終結し、[[エスタド・ノヴォ]]へ移行。 * [[1927年]] - 第1回[[日本オープンゴルフ選手権競技|全日本オープンゴルフ選手権大会]]開催。 * 1927年 - 第1次[[山東出兵]]。中国の[[北伐 (中国国民党)|北伐]]軍に対抗して、日本政府が居留民と権益の保護のために[[山東省]]へ出兵<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.yamanashi.jp/info/76909109745.html |title=山梨の歴史(大正15年・昭和元年(1926)~11年(1936)) |access-date=19 Jul 2023 |date=1 Jul 2022 |publisher=[[山梨県]]}}</ref>。 * 1927年 - 第1回[[日本オープンゴルフ選手権競技]]大会が開催。翌日の決勝にて[[赤星六郎]]が優勝<ref>アマの赤星六郎が初の日本選手権を獲得『時事通信』昭和2年5月30日(昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p165 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1934年]] - 幼児期以降まで成長した世界初の五つ子、[[ディオンヌ家の五つ子姉妹]]が[[カナダ]]の[[オンタリオ州]]において出生。 * [[1937年]] - [[ネヴィル・チェンバレン]]が[[イギリス]]の60代首相に就任し、[[挙国一致内閣|挙国一致]]のチェンバレン内閣が発足。 * [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ベルギーの戦い]]で[[ベルギー]]国王[[レオポルド3世 (ベルギー王)|レオポルド3世]]が[[ナチス・ドイツ]]から要求された[[無条件降伏]]を受諾<ref>ベルギー国王、降伏を受諾『東京日日新聞』昭和15年5月29日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p3705 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1953年]] - [[ソビエト連邦|ソ連]]が[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]管理委員会を廃止し民政に移行。 * [[1960年]] - [[トキ]]が[[国際保護鳥]]に指定される<ref>{{Twitter status|Iwanamishoten|1000542125547753472}}</ref>。 * [[1961年]] - [[ピーター・ベネンソン]]による[[アムネスティ・インターナショナル]]結成のきっかけとなった新聞投稿が掲載される。 * 1961年 - [[岩手県]][[新里村 (岩手県)|新里村]]の山林から出火。[[フェーン現象]]による強風に煽られ[[田老町]]、[[宮古市]]、[[岩泉町]]、[[普代村]]、[[久慈市]]にいたる40万ha以上に延焼する大規模火災([[山火事]])となった。死者5人、負傷119人、全焼住宅1235棟<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=152|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1964年]] - [[パレスチナ解放機構]](PLO)設立。 * [[1965年]] - 経営悪化の[[山一證券]]に対し政府が[[日本銀行法]]25条を発動、無制限・無期限の[[日銀特融]]を決定<ref>{{Cite web|和書|url=https://indexes.nikkei.co.jp/atoz/2016/06/1960s.html |title=1960年代:証券恐慌に対して日銀特融発動 |access-date=19 Jul 2023 |publisher=[[日本経済新聞]]}}</ref>。 * [[1966年]] - [[鹿児島県]]の[[屋久島]]で、[[縄文杉]]が発見される<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/area/kagoshima/articles/MTW20160518470470001.html |title=1966 「大岩杉」発見 |access-date=19 Jul 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]]}}</ref>。 * [[1973年]] - [[第6ポールスタービル火災]]。1名死亡。 * [[1980年]] - [[張本勲]]が日本[[プロ野球]]史上初の通算3000本[[安打]]を達成。 * [[1982年]] - [[教皇|ローマ教皇]][[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]が歴代のローマ教皇史上初めて[[イギリス]]を訪問<ref>{{Cite web |url=https://www.ncregister.com/blog/john-paul-ii-1982-visit-to-britain |title=The Enduring Legacy of John Paul II’s 1982 Visit to Britain |access-date=19 Jul 2023 |publisher=EWTN News, Inc. |date=16 Feb 2022 |website=NATIONAL CATHOLIC REGISTER}}</ref>。教皇は[[エリザベス2世|エリザベス女王2世]]、[[イングランド国教会]]首長らと会談し、[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]とイングランド国教会の和解が450年ぶりに成立した。 * [[1983年]] - 映画『[[戦場のメリークリスマス]]』公開。 * [[1987年]] - 19歳の[[西ドイツ]]人[[マチアス・ルスト]]が操縦するセスナ機が[[モスクワ]]の[[赤の広場]]に強行着陸。 * [[1991年]] - [[エチオピア]]からの独立を目指す[[エリトリア]]の勢力がエチオピアの首都[[アディスアベバ]]に突入し、エチオピアの軍事政権が倒された。 * [[1992年]] - 歌手の[[藤山一郎]]が[[国民栄誉賞]]を受賞(存命中の受賞は[[アスリート|スポーツ選手]]以外では初)。 * [[1993年]] - エリトリアと[[モナコ]]が国連に加盟。 * [[1998年]] - [[パキスタン]]が[[パキスタンの核実験 (1998年)|初の核実験]]を行う。 * [[2001年]] - [[スラッシュドット]]日本語版であるスラッシュドットジャパンが正式オープン。 * [[2002年]] - [[東アジアサッカー連盟]]設立。 * 2002年 - 経済団体連合会(経団連)と日本経営者団体連盟(日経連)が統合され、[[日本経済団体連合会|日本経済団体連合会(日本経団連)]]が発足。 * [[2004年]] - [[イラク統治評議会]]が[[イヤード・アッラーウィー]]を[[イラク暫定政権]]の首相に選出。 * [[2007年]] - [[農林水産大臣]]の[[松岡利勝]]が自殺。現職大臣の自殺は[[阿南惟幾]]([[陸軍大臣]]、[[1945年]][[8月15日]]死亡)以来で、現憲法下では初。 * [[2008年]] - [[ネパール]]で制憲議会召集、[[共和制]]への移行が宣言され、[[ネパール王国]]([[ゴルカ朝]])の治世に終止符が打たれる。 * 2008年 - 高級料亭「[[船場吉兆]]」が廃業。 * [[2010年]] - [[Apple]]がタブレット型コンピュータ「[[iPad]]」を、既に販売しているアメリカを除く全世界で発売。 * 2010年 - 少子化担当大臣の[[福島瑞穂]]が[[普天間基地移設問題]]で県内移設に反対したため、首相の[[鳩山由紀夫]]に[[罷免]]される<ref>{{Cite web|和書|url=http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-15567320100528 |title=普天間問題で福島消費者相を罷免、首相「連立維持したい」 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=28 May 2010 |accessdate=19 Jul 2023}}</ref>。 * [[2015年]] - [[日本年金機構]]の職員が電子メールの添付ファイルを開封して個人情報約125万件が外部に流出したことが判明<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000152638.html |title=日本年金機構における不正アクセスによる情報流出事案について |access-date=19 Jul 2023 |publisher=[[厚生労働省]] |date=12 Jun 2015}}</ref>。 * [[2017年]] - 第101回[[インディ500]]決勝レースにて、[[佐藤琢磨]]([[アンドレッティ・オートスポーツ]])が日本人初の優勝<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.motormagazine.co.jp/_ct/17081376 |title=【ニュース速報】佐藤琢磨がインディ500を制覇 2017年5月28日 |date=29 May 2017 |publisher=Web[[モーターマガジン]] |accessdate=19 Jul 2023}}</ref>。 * [[2019年]] - [[川崎市登戸通り魔事件]]が発生する<ref>{{Cite web|和書|title=川崎殺傷事件 近所の住人が見た犯人「黒のTシャツにスキンヘッド」 「お母さん」叫ぶ女児の声 |url=https://dot.asahi.com/articles/-/128144?page=1 |date=28 May 2019 |accessdate=19 Jul 2023 |publisher=[[朝日新聞出版]] |website=AERAdot.}}</ref>。 {{-}} == 誕生日 == {{multiple image | caption1 = 英国の[[政治家]][[ウィリアム・ピット (小ピット)|ウィリアム・ピット]](1759-1806)誕生 | image1 = Pitt the Younger.jpg | width1 = 90 | alt1 = ウィリアム・ピット | caption2 = 第14代横綱[[境川浪右衛門]](1841-1887)誕生 | image2 = Sakaigawa_Namiemon.JPG | width2 = 90 | alt2 = 境川浪右衛門 }} [[Image:BritaAndI_Selfportrait.jpg|thumb|[[カール・ラーション]](1853-1919)。画像は『ブリッタと私――自画像』(1895)|436x436ピクセル]] [[ファイル:Julaftonen av Carl Larsson 1904.jpg|thumb|180x180px|画家[[カール・ラーション]](1853-1919)誕生。画像は『クリスマスイブ』(1904-05)]] [[ファイル:Senji Yamamoto.JPG|thumb|240x240px|政治家・生物学者、[[山本宣治]](1889-1929)]] [[ファイル:Dionne Quintuplets.jpg|thumb|180x180px|[[世界恐慌]]期に世界的なアイドルとなった「[[ディオンヌ家の五つ子姉妹]]」(1934年出生)]] [[Image:Rudy_Giuliani.jpg|thumb|233x233px|[[アメリカ同時多発テロ事件]]発生時の[[ニューヨーク]]市長、[[ルドルフ・ジュリアーニ]](1944-)]] === 人物 === * [[1371年]] - [[ジャン1世 (ブルゴーニュ公)|ジャン1世]]、[[ブルゴーニュ公一覧|ブルゴーニュ公]](+ [[1419年]]) * [[1514年]]([[永正]]11年[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]) - [[島津貴久]]、[[戦国大名]](+ [[1571年]]) * [[1524年]] - [[セリム2世]]、第11代[[オスマン帝国]][[皇帝]](+ [[1574年]]) * [[1625年]] ([[寛永]]2年[[4月22日 (旧暦)|4月22日]])- [[松平英親]]、初代[[杵築藩|杵築藩主]] (+ [[1706年]]) * [[1662年]] ([[寛文]]2年[[4月11日 (旧暦)|4月11日]])- [[伊東長救]]、第5代[[岡田藩|岡田藩主]] (+ [[1745年]]) * [[1676年]] - [[ヤコポ・リッカチ]]、[[数学者]](+ [[1754年]]) * [[1738年]] - [[ジョゼフ・ギヨタン]]、[[医師]]、政治家(+ [[1814年]]) * [[1759年]] - [[ウィリアム・ピット (小ピット)|ウィリアム・ピット]](小ピット)、[[イギリスの首相]](+ [[1806年]]) * [[1773年]] ([[安永]]2年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]])- [[池田斉政]]、第6代[[岡山藩|岡山藩主]] (+ [[1833年]]) * [[1790年]] ([[寛政]]2年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]])- [[内田正肥]]、第5代[[小見川藩|小見川藩主]] (+ [[1816年]]) * [[1807年]] - [[ルイ・アガシー]]、[[海洋学|海洋学者]]、[[地質学|地質学者]]、[[古生物学|古生物学者]](+ [[1873年]]) * [[1818年]] - [[P・G・T・ボーリガード]]、[[軍人]]、政治家(+ [[1893年]]) * [[1841年]]([[天保]]12年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[境川浪右衛門]]、[[大相撲]]第14代[[横綱]](+ [[1887年]]) * [[1850年]] ([[嘉永]]3年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]])- [[真田幸民]]、第10代[[松代藩|松代藩主]]、[[華族]] (+ [[1903年]]) * [[1853年]] - [[カール・ラーション]]、[[画家]](+ [[1919年]]) * [[1878年]] - [[ポール・ペリオ]]、[[東洋学|東洋学者]]、[[探検家]](+ [[1945年]]) * [[1884年]] - [[エドヴァルド・ベネシュ]]、[[チェコスロバキアの大統領|チェコスロバキア大統領]](+ [[1948年]]) * [[1888年]] - [[ジム・ソープ]]、[[スポーツ選手]](+ [[1953年]]) * [[1889年]] - [[山本宣治]]、[[政治家]](+ [[1929年]]) * [[1905年]] - [[阿部定]]、[[芸妓]](+ 不詳) * [[1908年]] - [[イアン・フレミング]]、[[小説家]](+ [[1964年]]) * [[1910年]] - [[沖ツ海福雄]]、[[大相撲]][[力士]](+ [[1933年]]) * 1910年 - [[T-ボーン・ウォーカー]]、[[ブルース]][[音楽家|ミュージシャン]](+ [[1975年]]) * [[1912年]] - [[パトリック・ホワイト]]、[[小説家]](+ [[1990年]]) * [[1914年]] - [[ジェフリー・ギルバート]]、[[フルート奏者]](+ [[1989年]]) * [[1915年]] - [[ヴォルフガング・シュナイダーハン]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[2002年]]) * 1915年 - [[ジョーゼフ・グリーンバーグ]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[2001年]]) * [[1920年]] - [[北原文枝]]、[[俳優|女優]]、[[声優]](+ [[1980年]]) * [[1923年]] - [[リゲティ・ジェルジュ]]、[[作曲家]](+ [[2006年]]) * [[1924年]] - [[鬼頭勝治]]、元[[プロ野球選手]] * [[1925年]] - [[ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ]]、[[バリトン]]歌手(+ [[2012年]]) * [[1932年]] - [[黒井千次]]、小説家 * [[1934年]] - [[ディオンヌ家の五つ子姉妹]]。うちエミリー(+ [[1954年]])、マリー(+ [[1970年]])、イヴォンヌ(+ [[2001年]]) * [[1936年]] - [[石井眞木]]、作曲家(+ [[2003年]]) * [[1937年]] - [[廣川泰三]]、大相撲力士、年寄9代[[宮城野 (年寄名跡)|宮城野]](+ [[1989年]]) * [[1938年]] - [[ジェリー・ウェスト]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]] * 1938年 - [[プリンス・バスター]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[2016年]]) * [[1940年]] - [[立花隆]]、[[ジャーナリスト]](+ [[2021年]]) * 1940年 - [[筒美京平]]、作曲家(+ [[2020年]]) * 1940年 - [[石弘之]]、ジャーナリスト、[[作家]] * 1940年 - [[片山洋]]、[[サッカー選手]] * [[1942年]] - [[Mr.ボールド]]、[[お笑い芸人]](+ [[2003年]]) * 1942年 - [[スタンリー・B・プルシナー]]、[[生化学|生化学者]] * [[1944年]] - [[ルドルフ・ジュリアーニ]]、[[ニューヨーク市長]] * 1944年 - [[萩原宏久]]、元[[高等学校]][[野球監督]]、元プロ野球球団トレーナー(+ [[2013年]]<ref>{{Cite web|和書|title=元巨人チーフトレーナー 萩原宏久氏死去 甲子園優勝監督 原監督に“おまじない” |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/03/25/kiji/K20130325005473030.html |website=Sponichi Annex |access-date=19 Jul 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=25 Mar 2013}}</ref>) * 1944年 - [[グラディス・ナイト]]、[[歌手]] * 1944年 - [[大石芳野]]、[[報道写真|報道写真家]] * 1944年 - [[後藤和昭]]、元プロ野球選手 * 1944年 - [[枦山智博]]、高校野球指導者 * [[1945年]] - [[姿美千子]]、女優 * [[1947年]] - [[はるき悦巳]]、[[漫画家]] * 1947年 - [[ザヒ・ハワス]]、[[考古学|考古学者]] * [[1950年]] - [[中沢新一]]、[[宗教学者]] * 1950年 - [[宮内淳]]、[[俳優]](+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/09/06/kiji/20200906s00041000284000c.html |title=俳優・宮内淳さん 直腸がんで死去 70歳 「太陽にほえろ!」ボン刑事役 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=6 Sep 2020 |accessdate=19 Jul 2023 |website=Sponichi Annex}}</ref>) * 1950年 - [[内藤洋子 (女優)|内藤洋子]]、女優 * 1950年 - [[カマラ (プロレスラー)|カマラ]](キマラ)、[[プロレスラー]] * [[1952年]] - [[宮本四郎]]、元プロ野球選手(+ [[2006年]]) * [[1953年]] - [[アート・リンゼイ]]、ミュージシャン * [[1955年]] - [[村上ショージ]]、お笑いタレント * [[1956年]] - [[紗ゆり]]、[[声優]](+ [[2012年]]) * [[1959年]] - [[和田洋一 (スクウェア・エニックス)|和田洋一]]、[[経営者]] * [[1960年]] - [[水沼貴史]]、元[[プロサッカー選手]]、指導者 * [[1961年]] - [[辛島美登里]]、[[シンガーソングライター]] * [[1962年]] - [[きくち伸]]、[[テレビプロデューサー]] * 1962年 - [[中尊寺ゆつこ]]、[[漫画家]](+ [[2005年]]) * [[1964年]] - [[堀田あけみ]]、小説家 * 1964年 - [[伊藤達文]](玉川達文)、アニメーター、演出家(+ 2020年) * [[1965年]] - 松田憲幸、[[経営者]]([[ソースネクスト]]創業者・社長) * [[1965年]] - [[福島敬光]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[河井護]]、俳優 * 1966年 - [[鈴木亨]]、[[プロゴルファー]] * [[1968年]] - [[カイリー・ミノーグ]]、歌手 * [[1969年]] - [[三田英津子]]、元プロレスラー * 1969年 - [[柳田聖人]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[エカテリーナ・ゴルデーワ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1971年 - [[川口亘太]]、プロ野球審判員 * 1971年 - [[大谷三穂]]、海上自衛官 * [[1972年]] - [[柚木道義]]、政治家 * [[1974年]] - [[西田幸治]]、お笑いタレント([[笑い飯]]) * 1974年 - [[ハンス=イェルク・ブット]]、元サッカー選手 * [[1976年]] - [[雨宮朋絵]]、タレント、[[ディスクジョッキー|DJ]] * 1976年 - [[リアム・オブライエン]]、声優 * [[1978年]] - [[山本省吾]]、元プロ野球選手 * [[1979年]] - [[五十嵐亮太]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[能見篤史]]、元プロ野球選手 * [[1980年]] - [[佐藤美砂]]、元[[ストリッパー一覧|ストリッパー]] * 1980年 - [[マーク・フィーリー]]、ミュージシャン([[ウエストライフ]]) * [[1981年]] - [[長嶋万記]]、[[競艇選手]] * 1981年 - [[ダニエル・カブレラ]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[佐藤清治]]、元[[陸上競技]]選手 * [[1982年]] - [[アレクシス・キャンデラリオ]]、プロ野球選手 * [[1983年]] - [[オルガ・アキモワ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1984年]] - [[ミカ・タレッサ・トッド|ミカ]]、歌手 * 1984年 - [[若槻千夏]]、タレント * 1984年 - [[愛純もえり]]、女優 * 1984年 - 松下宣夫、お笑いタレント([[デニス (お笑いコンビ)|デニス]]) * [[1985年]] - [[コルビー・キャレイ]]、シンガーソングライター * [[1986年]] - [[シャルル・ヌゾクビア]]、サッカー選手 * [[1987年]] - [[石井めぐる]]、元[[グラビアアイドル]] * 1987年 - [[萱沼千穂]]、声優 * 1987年 - [[渕上舞 (声優)|渕上舞]]、声優 * 1987年 - [[鎌田翔平]]、空手家 * [[1988年]] - 石井誠一、お笑いタレント([[さや香]]) * 1988年 - [[黒木メイサ]]、女優 * 1988年 - [[國吉貴博]]、サッカー選手 * 1988年 - [[クレイグ・キンブレル]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[レスター・オリベロス]]、プロ野球選手 * 1988年 - [[:en:Johnny_Harris_(journalist)|ジョニー・ハリス]]、[[ジャーナリスト]]、[[YouTuber]] * [[1989年]] - [[林明日香]]、歌手 * [[1990年]] - [[高井みほ]]、グラビアアイドル * 1990年 - [[大畑拓也 (サッカー選手)|大畑拓也]]、サッカー選手 * 1990年 - [[島川俊郎]]、サッカー選手 * 1990年 - [[藤本麻子]]、プロゴルファー * 1990年 - [[カイル・ウォーカー]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ロハン・デニス]]、自転車競技選手 * [[1991年]] - [[諒太郎]]、俳優 * [[1992年]] - [[中村奨吾]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[川崎ひかる]]、元野球選手 * 1992年 - [[柴崎岳]]、サッカー選手 * 1992年 - [[平嶋夏海]]、タレント、グラビアアイドル(元[[AKB48]]) * [[1994年]] - [[チョ・ソンジン]]、[[ピアニスト]] * 1994年 - 由良乃ゆの、アイドル([[イケてるハーツ]]) * 1994年 - [[ジョン・ストーンズ]]、サッカー選手 * [[1995年]] - 長屋晴子、ミュージシャン([[緑黄色社会]]) * [[1996年]] - [[工藤綾乃]]、タレント * 1996年 - リクヲ、[[YouTuber]]([[アバンティーズ]]) * 1996年 - [[アリエル・マルティネス]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[ひめか (プロレスラー)|ひめか]]、元プロレスラー * [[1998年]] - [[鞘師里保]]、アイドル(元[[モーニング娘。]]) * 1998年 - [[ダヒョン]]、アイドル([[TWICE (韓国の音楽グループ)|TWICE]]) * 1998年 - 吉川茉優、アイドル(元[[アップアップガールズ(2)]]) * 1998年 - [[佐々野愛美]]、グラビアアイドル * 1998年 - [[宮森智志]]、プロ野球選手 * 1998年 ‐ [[ごには]]、Youtuber * [[1999年]] - [[キャメロン・ボイス]]、俳優(+ [[2019年]]) * 1999年 - [[山口アタル]]、プロ野球選手 * [[2000年]] - [[フィル・フォーデン]]、サッカー選手 * [[2001年]] - [[佐々木莉佳子]]、アイドル([[アンジュルム]]) * 2001年 - 谷口もか、アイドル(元AKB48) * 2001年 - [[上西怜]]、アイドル([[NMB48]]) * [[2002年]] - [[長見玲亜]]<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://www.sweetpower.jp/rea/ |title=長見玲亜 |publisher=Sweet Power |accessdate=19 Jul 2023}}</ref>、女優 * 2002年 - ソク・マシュー(ソク・ウヒョン)、アイドル([[ZEROBASEONE]]) * [[2003年]] - [[咲田ゆな]]、グラビアアイドル * [[2005年]] - はつ恋ぐりん、アイドル([[りんご娘]]) * 生年不明 - [[柳沢テツヤ]]、[[アニメーター]]、[[演出家]] * 生年不明 - [[長洋平]]、声優 === 人物以外(動物など) === * [[1985年]] - [[ブライアンズタイム]]、競走馬(+ [[2013年]]) == 忌日 == {{multiple image | caption1 = 戦国大名[[斎藤道三]](1494-1556)戦死 | image1 = Saito Dosan grave.JPG | width1 = 90 | alt1 = 斎藤道三 | caption2 = [[イヴァン4世]]の息子[[ウグリチのドミトリー]](1582-1591)没 | image2 = Saint Dmitriy icon.jpg | width2 = 90 | alt2 = ウグリチのドミトリー }} [[Image:LBoccherini.jpg|thumb|作曲家[[ルイジ・ボッケリーニ]](1743-1805)没|267x267ピクセル]] [[ファイル:Noah Webster The Schoolmaster of the Republic.jpg|thumb|180x180px|[[辞書]]編纂者[[ノア・ウェブスター]](1758-1843)没]] [[Image:Kustodiev_Merchants_Wife.jpg|thumb|188x188px|画家[[ボリス・クストーディエフ]](1878-1927)。画像は『商人の妻』(1918)]] [[ファイル:Tasuo Hori.jpg|thumb|238x238px|作家[[堀辰雄]](1904-1953)]] * [[1357年]] - [[アフォンソ4世 (ポルトガル王)|アフォンソ4世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](* [[1291年]]) * [[1514年]]([[永正]]11年[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]) - [[伊達尚宗]]、[[陸奥国]]の[[戦国大名]](* [[1453年]]) * [[1556年]]([[弘治 (日本)|弘治]]2年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[斎藤道三]]、[[美濃国]]の戦国大名(* [[1494年]]?) * [[1591年]] - [[ウグリチのドミトリー]]、[[ロシア帝国|ロシア]]の[[ツァレーヴィチ]](* [[1582年]]) * [[1750年]]([[寛延]]3年[[4月23日 (旧暦)|4月23日]]) - [[桜町天皇]]、第115代[[天皇]](* [[1720年]]) * [[1767年]] - [[マリア・ヨーゼファ・フォン・バイエルン]]、[[ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ2世]]の皇后(* [[1739年]]) * [[1787年]] - [[レオポルト・モーツァルト]]、[[作曲家]](* [[1719年]]) * [[1805年]] - [[ルイジ・ボッケリーニ]]、作曲家(* [[1743年]]) * [[1810年]] - [[カール・アウグスト (スウェーデン王太子)|カール・アウグスト]]、[[スウェーデン]]王太子(* [[1768年]]) * [[1818年]]([[文政]]元年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[松平治郷]](不昧)、[[松江藩]]藩主、[[茶道|茶人]](* [[1751年]]<ref>{{Kotobank|松平治郷}}</ref>) * [[1828年]](文政11年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[大黒屋光太夫]]、漂流者(* [[1751年]]) * [[1843年]] - [[ノア・ウェブスター]]、[[辞書]]編纂者(* [[1758年]]) * [[1849年]] - [[アン・ブロンテ]]、[[小説家]](* [[1820年]]) * [[1872年]] - [[ゾフィー (オーストリア大公妃)|ゾフィー]]、[[オーストリア帝国|オーストリア]]の皇族(* [[1805年]]) * [[1878年]] - [[ジョン・ラッセル (初代ラッセル伯爵)]]、政治家、第16代[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1792年]]) * [[1890年]] - [[ヴィクトル・ネスラー]]、作曲家(* [[1841年]]) * [[1900年]] - [[ジョージ・グローヴ]]、[[音楽学|音楽学者]](* [[1820年]]) * [[1902年]] - [[アドルフ・クスマウル]]、[[医学|医学者]](* [[1822年]]) * [[1910年]] - [[エーミール・ツッカーカンドル]]、医学者(* [[1849年]]) * [[1912年]] - [[ポール・ボアボードラン]]、[[化学者]](* [[1838年]]) * [[1913年]] - [[ジョン・ラボック]]、[[銀行家]]、[[政治家]]、[[生物学者の一覧|生物学者]]、[[考古学|考古学者]](* [[1834年]]) * [[1927年]] - [[ボリス・クストーディエフ]]、[[画家]](* [[1878年]]) * [[1933年]] - [[マルガ・フォン・エッツドルフ]]、[[パイロット (航空)|パイロット]](* [[1907年]]) * [[1940年]] - [[フリードリヒ・カール・フォン・ヘッセン|フリードリヒ・カール]]、ヘッセン=カッセル方伯(* [[1868年]]) * [[1943年]] - [[松井栄造]]、[[野球選手]](* [[1918年]]) * [[1945年]] - [[西郷準]]、野球選手(* [[1916年]]) * 1945年 - [[田村忠]]、野球選手(* [[1920年]]) * [[1946年]] - [[カーター・グラス]]、第47代[[アメリカ合衆国財務長官]](* [[1858年]]) * [[1953年]] - [[堀辰雄]]、小説家(* [[1904年]]) * [[1956年]] - 2代目[[稀音家浄観]]、[[長唄]][[三味線]]奏者(* [[1874年]]) * [[1962年]] - [[アッサール・ガブリエルソン]]、[[実業家]]、[[ボルボ・グループ|ボルボ]]の共同創業者(* [[1891年]]) * [[1968年]] - [[フョードル・アフラプコフ]]、[[赤軍]]の[[狙撃手]](* [[1908年]]) * [[1972年]] - [[エドワード8世 (イギリス王)|エドワード8世]](ウィンザー公)、[[イギリス]]王(* [[1894年]]) * 1972年 - [[小汀利得]]、[[ジャーナリスト]]、時事評論家(* [[1889年]]) * [[1973年]] - [[ハンス・シュミット=イッセルシュテット]]、[[指揮者]](* [[1900年]]) * [[1980年]] - [[ロルフ・ネヴァンリンナ]]、[[数学者]](* [[1895年]]) * [[1986年]] - [[テイラー・ドゥーシット]]、野球選手(* [[1901年]]) * 1986年 - [[ルリーン・タトル]]、[[俳優|女優]](* [[1907年]]) * [[1989年]] - [[高田敏子 (詩人)|高田敏子]]、[[詩人]](* [[1914年]]) * [[1990年]] - [[大野耐一]]、[[技術者]](* [[1912年]]) * 1990年 - [[中村竹弥]]、[[俳優]](* [[1918年]]) * 1990年 - [[西田昭市]]、俳優、[[声優]](* [[1928年]]) * [[1992年]] - [[藤村富美男]]、元[[プロ野球選手]]、[[プロ野球監督|監督]](* [[1916年]]) * 1992年 - [[船田和英]]、元プロ野球選手(* [[1942年]]) * [[1994年]] - [[マックス・ワルター・スワンベルク]]、画家(* [[1902年]]) * [[1998年]] - [[平吉毅州]]、作曲家(* [[1936年]]) * 1998年 - [[平山菊二]]、元プロ野球選手(* 1918年) * [[2000年]] - [[ドナルド・ワッツ・デービス|ドナルド・デービス]]、[[計算機科学]]研究者(* [[1924年]]) * [[2001年]] - [[フランシスコ・バレーラ]]、生物学者(* [[1946年]]) * [[2002年]] - [[ウェス・ウエストラム]]、元プロ野球選手(* [[1922年]]) * [[2003年]] - [[イリヤ・プリゴジン]]、化学者、[[物理学者]](* [[1917年]]) * 2003年 - [[藤田省三 (思想史家)|藤田省三]]、[[思想史|思想史家]](* [[1927年]]) * [[2004年]] - [[田中美羽]]、[[タレント]](* [[1963年]]) * [[2007年]] - [[松岡利勝]]、[[政治家]]、[[農林水産大臣]](* [[1945年]]) * [[2008年]] - [[スベン・デビッドソン]]、[[テニス]]選手(* [[1928年]]) * [[2011年]] - [[川田幸夫]]、元プロ野球選手(* [[1936年]]) * [[2013年]] - [[磯野宏夫]]、[[画家]](* [[1945年]]) * [[2015年]] - [[吉川勇一]]、市民運動家(* [[1931年]]) * 2015年 - 今いくよ、お笑い芸人([[今いくよ・くるよ|今いくよくるよ]])(* [[1947年]]) * 2015年 - [[今井雅之]]、俳優(* [[1961年]]) * [[2018年]] - [[小島武夫]]、[[プロ雀士]](* [[1936年]]) * [[2020年]] - [[ロバート・ウェイトン]]<ref>{{Cite web |url=https://www.guinnessworldrecords.com/news/2020/5/worlds-oldest-man-bob-weighton-dies-aged-112 |title=World’s oldest man Bob Weighton dies aged 112 |access-date=19 Jul 2023 |publisher=Guinness World Records Limited |date=28 May 2020}}</ref>、[[スーパーセンテナリアン]]、[[ギネス世界記録]]保持者、世界最高齢男性(* [[1908年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2023年]] - [[スキルヴィング]] 、 [[競走馬]](* [[2020年]]) == 記念日・年中行事 == [[ファイル:Faroe stamp 132 amnesty international.jpg|thumb|241x241px|国際アムネスティ記念日]] * [[在原業平|業平]]忌({{JPN}}) *:旧暦5月28日は、平安時代の歌人で[[平城天皇]]の孫である[[在原業平]]の命日。この日は業平が建立した[[奈良]][[不退寺]]の他、業平ゆかりの地で法要が営まれる<ref>{{Cite web|和書|url=https://narashikanko.or.jp/event/narihiraki/ |title=貴族・歌人の在原業平を偲ぶ。業平忌/不退寺 |access-date=19 Jul 2023 |publisher=公益社団法人 奈良市観光協会 |date=28 May 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kyoto-kankou.or.jp/event/?id=9689&r=1689736838.5467#:~:text=5.%2028(日),長唄舞などがある%E3%80%82 |title=業平忌秘密三弦法要 |access-date=19 Jul 2023 |publisher=公益社団法人 京都府観光連盟}}</ref>。 * [[ゴルフ]]記念日({{JPN}}) *:スポーツ用品メーカー・[[ミズノ]]の直営店・エスポートミズノが[[1994年]]に制定。[[1927年]]のこの日、第1回全日本オープンゴルフ選手権大会が横浜の程ヶ谷カントリー倶楽部で開催されたことを記念。 * 花火の日({{JPN}}) *:[[1733年]](享保18年)のこの日(旧暦)、[[隅田川]]で水神祭りの川開きが行われ、慰霊を兼ねた[[花火]]が打ち上げられたことを記念。 * 国際アムネスティ記念日({{World}}) *:[[1961年]]のこの日、政治的権力による人権侵害を守るための国際民間機関[[アムネスティ・インターナショナル]]が発足したことを記念。 * 軍政終結記念日({{ETH}}) *: [[1991年]]のこの日、エチオピアからの独立を目指す[[エリトリア]]勢力がエチオピアの首都[[アディスアベバ]]に突入し、エチオピアの軍政政権を倒したことを記念。 * [[共和国記念日]]({{NPL}}) *: [[2008年]]のこの日、王政を廃止して共和制に移行したことを記念。 * 共和国記念日({{AZE}}) *: [[1918年]]のこの日の[[アゼルバイジャン民主共和国]]の建国を記念。 * 1918年の共和国の日({{ARM}}) *: 1918年のこの日の[[アルメニア第一共和国]]の建国を記念。 * [[旗の日|国旗の日]]({{PHL}}) == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0528|date=Jul 2023}} * [[1921年]] - 万里小路旭は末延唯月を放課後のお茶に誘うが、成り行きで藤川紡と蜂須賀初野も一緒に行くことになり4人で[[資生堂パーラー|資生堂ソーダファウンテン]]を訪れる。(漫画『 [[紡ぐ乙女と大正の月]]』)<ref>{{Cite book|和書|title=紡ぐ乙女と大正の月 1|date=2020-06-26|publisher=[[芳文社]]|page=58|isbn=978-4832271999|author=ちうね}}作中の日付は同巻の目次より。</ref> === 誕生日(フィクション) === * [[1908年]] - [[エルンスト・スタヴロ・ブロフェルド]]、『[[ジェームズ・ボンド]]』の宿敵・犯罪組織「[[:en:SPECTRE|スペクター]]」 の首領<ref>小説『[[007 サンダーボール作戦#出版|サンダーボール作戦]]』第5章。</ref> * [[1970年]] - ナスティ柳生、アニメ『[[鎧伝サムライトルーパー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |year = 1989 |title = 鎧伝サムライトルーパー大事典 |page = 48 |publisher = [[ラポート]] |series = ラポートデラックス }}</ref> * 生年不明 - 泉こなた、漫画・ゲーム・アニメ『[[らき☆すた]]』の主人公<ref>{{Cite journal |和書 |title = ら・ら・ら らき☆すた ファンブック |date = 2007-09 |publisher = [[角川書店]] |journal = [[月刊コンプエース]](付録) |page = 4 }}</ref> * 生年不明 - 四葉ありす(キュアロゼッタ)、アニメ 『[[ドキドキ!プリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|staffwhy|424933349807759360}}</ref> * 生年不明 - [[地獄先生ぬ〜べ〜の登場人物#童守小学校 5年3組|木村克也]]、漫画・アニメ『[[地獄先生ぬ〜べ〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=週刊少年ジャンプ特別編集|authorlink=週刊少年ジャンプ|year=1997|title=地獄先生ぬ〜べ〜大百科|page=36|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス デラックス]]|isbn=4-08-858883-5}}</ref> * 生年不明 - 源拓馬、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1397931863608602629}}</ref> * 生年不明 - 尾白猿夫、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group01/01-16/ |title=CHARACTER 尾白猿夫 |access-date=19 Jul 2023 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref> * 生年不明 - ランボ、漫画・ゲーム・アニメ『[[家庭教師ヒットマンREBORN!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 霧島関人、漫画・アニメ『[[ALL OUT!!]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/211651 |title=アニメ「ALL OUT!!」嶺蔭学園の双子フランカー役に小林裕介&武内駿輔 |access-date=19 Jul 2023 |publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]] |date=2 Dec 2016}}</ref> * 生年不明 - 霧島国人、漫画・アニメ『ALL OUT!!』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> * 生年不明 - 薄墨初美、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=薄墨 初美(うすずみ はつみ) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=19 Jul 2023 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}} </ref> * 生年不明 - 七瀬晴貴、漫画『迷想区閾』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=|year=2003|title=迷想区閾|volume=第2巻|publisher=[[エニックス]]|series=[[月刊ガンガンWING#ガンガンウイングコミックス|ガンガンウイングコミックス]]|pages=裏表紙カバー下|isbn=4-7575-0878-6}}</ref> * 生年不明 - 石原信子、漫画・アニメ『[[ラブ★コン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/lovecom/characters.html |title=登場人物 石原 信子 |access-date=19 Jul 2023 |publisher=[[中原アヤ]]・[[集英社]]/[[東映アニメーション]] [[TBSテレビ|TBSアニメーション]] |work=『ラブ★コン LOVELY★COMPLEX』}}</ref> * 生年不明 - 一条蛍、漫画・アニメ『[[のんのんびより]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://nonnontv.com/tvanime/character/?individual=hotaru |title=一条 蛍 |publisher=あっと・[[KADOKAWA]]刊/ 旭丘分校管理組合三期 |accessdate=19 Jul 2023 |work=『のんのんびより』}}</ref> * 生年不明 - 納沙幸子、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hai-furi.com/character/01_05/ |title=納沙 幸子 |accessdate=19 Jul 2023 |publisher=AAS/海上安全整備局 AAS/新海上安全整備局 |work=『ハイスクール・フリート』}}</ref> * 生年不明 - 藤猪しずく、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|603860650595463168}}</ref> * 生年不明 - 西園ホノカ、ゲーム・映画『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://t7s.jp/character/chara/19.html |title=西園ホノカ |access-date=19 Jul 2023 |publisher=[[DONUTS (企業)|DONUTS]] |work=『Tokyo 7th シスターズ』}}</ref> * 生年不明 - モニカ・ブルーアッシュ、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX]] |url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/monica.html |title=モニカ・ブルーアッシュ(愛称:モニカ) CV:寿 美菜子 |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=19 Jul 2023}}</ref> * 生年不明 - ジークベルト、ゲーム『[[ファイアーエムブレムif]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ファイアーエムブレム if ファイナルパーフェクトガイド|publisher=KADOKAWA|year=2015|pages=36,344|isbn=978-4-04-869406-3}}</ref> * 生年不明 - 逢坂壮五、ゲーム・アニメ『[[アイドリッシュセブン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idolish7.com/wp-content/themes/idolish/profile/osaka.html |title=逢坂 壮五 |access-date=19 Jul 2023 |publisher=[[バンダイナムコオンライン|Bandai Namco Online Inc.]] |work=『アイドリッシュセブン』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|May 28|28 May}} {{新暦365日|5|27|5|29|[[4月28日]]|[[6月28日]]|[[5月28日 (旧暦)|5月28日]]|0528|5|28}} {{1年の月と日}}
2003-02-28T12:26:53Z
2023-12-23T22:57:02Z
false
false
false
[ "Template:ARM", "Template:フィクションの出典明記", "Template:Twitter status", "Template:Kotobank", "Template:Cite journal", "Template:Multiple image", "Template:ETH", "Template:JPN", "Template:World", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:新暦365日", "Template:カレンダー 5月", "Template:-", "Template:PHL", "Template:NPL", "Template:AZE", "Template:Commons&cat", "Template:1年の月と日", "Template:Cite web", "Template:Cite book" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8828%E6%97%A5
3,070
ガウシアンブロードニング法
ガウシアンブロードニング法(ガウシアンブロードニングほう、Gaussian broadening method)は、バンド計算において、k点の足し上げの際に、バンドにガウス関数による幅を与えることにより、金属系でもk点の足し上げを可能にした方法。 幅の与え方には他にいくつか方法があり、代表的なものとしてフェルミ分布関数を用いる方法があるが、ガウス関数を用いるのが主流である。 ガウス関数やフェルミ分布関数の関数形はテイルの部分を持つので、そのままでは無限遠まで計算しなければならないが、実際は適当なところで切断して足し上げを行う。厳密には、バンド計算において、幅をゼロとした極限の場合の計算結果が正しい結果となる。実際には、ゼロの極限までは計算せず外挿を行う。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ガウシアンブロードニング法(ガウシアンブロードニングほう、Gaussian broadening method)は、バンド計算において、k点の足し上げの際に、バンドにガウス関数による幅を与えることにより、金属系でもk点の足し上げを可能にした方法。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "幅の与え方には他にいくつか方法があり、代表的なものとしてフェルミ分布関数を用いる方法があるが、ガウス関数を用いるのが主流である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ガウス関数やフェルミ分布関数の関数形はテイルの部分を持つので、そのままでは無限遠まで計算しなければならないが、実際は適当なところで切断して足し上げを行う。厳密には、バンド計算において、幅をゼロとした極限の場合の計算結果が正しい結果となる。実際には、ゼロの極限までは計算せず外挿を行う。", "title": null } ]
ガウシアンブロードニング法は、バンド計算において、k点の足し上げの際に、バンドにガウス関数による幅を与えることにより、金属系でもk点の足し上げを可能にした方法。 幅の与え方には他にいくつか方法があり、代表的なものとしてフェルミ分布関数を用いる方法があるが、ガウス関数を用いるのが主流である。 ガウス関数やフェルミ分布関数の関数形はテイルの部分を持つので、そのままでは無限遠まで計算しなければならないが、実際は適当なところで切断して足し上げを行う。厳密には、バンド計算において、幅をゼロとした極限の場合の計算結果が正しい結果となる。実際には、ゼロの極限までは計算せず外挿を行う。
'''ガウシアンブロードニング法'''(ガウシアンブロードニングほう、Gaussian broadening method)は、[[バンド計算]]において、[[ブリュアンゾーン#k点|k点]]の足し上げの際に、バンドに[[ガウス関数]]による幅を与えることにより、[[金属]]系でもk点の足し上げを可能にした方法。 幅の与え方には他にいくつか方法があり、代表的なものとして[[フェルミ分布関数]]を用いる方法があるが、ガウス関数を用いるのが主流である。 ガウス関数やフェルミ分布関数の関数形はテイルの部分を持つので、そのままでは無限遠まで計算しなければならないが、実際は適当なところで切断して足し上げを行う。厳密には、バンド計算において、幅をゼロとした極限の場合の計算結果が正しい結果となる。実際には、ゼロの極限までは計算せず[[外挿]]を行う。 == 関連項目 == *[[テトラヘドロン法]] *[[第一原理バンド計算]] {{DEFAULTSORT:かうしあんふろおとにんくほう}} [[Category:バンド計算]]
null
2015-03-01T16:45:33Z
false
false
false
[]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E6%B3%95
3,071
擬波動関数
擬波動関数(ぎはどうかんすう、Pseudo wave function, Pseudowave function)は、内核電子の影響を擬ポテンシャルとして表現し、そのもとで価電子の波動関数を解いたものである。通常は密度汎関数法の枠内で、Kohn-Sham軌道を作製したものを指す。擬ポテンシャルは、孤立原子の計算によって作製し、これを固体や分子にも適用する場合が多い。ノルム保存型擬ポテンシャルでは、その作成条件(例:ノードレス(節がないこと)など)に基づいて作られる。 通常の擬波動関数は、内核近傍での節(ノード)などをまったく表現しないため、超微細構造や光学応答といった物理量の計算には適さない。ただし、PAW法のように、こうした問題への適用も念頭においた定式化も存在する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "擬波動関数(ぎはどうかんすう、Pseudo wave function, Pseudowave function)は、内核電子の影響を擬ポテンシャルとして表現し、そのもとで価電子の波動関数を解いたものである。通常は密度汎関数法の枠内で、Kohn-Sham軌道を作製したものを指す。擬ポテンシャルは、孤立原子の計算によって作製し、これを固体や分子にも適用する場合が多い。ノルム保存型擬ポテンシャルでは、その作成条件(例:ノードレス(節がないこと)など)に基づいて作られる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "通常の擬波動関数は、内核近傍での節(ノード)などをまったく表現しないため、超微細構造や光学応答といった物理量の計算には適さない。ただし、PAW法のように、こうした問題への適用も念頭においた定式化も存在する。", "title": null } ]
擬波動関数は、内核電子の影響を擬ポテンシャルとして表現し、そのもとで価電子の波動関数を解いたものである。通常は密度汎関数法の枠内で、Kohn-Sham軌道を作製したものを指す。擬ポテンシャルは、孤立原子の計算によって作製し、これを固体や分子にも適用する場合が多い。ノルム保存型擬ポテンシャルでは、その作成条件に基づいて作られる。 通常の擬波動関数は、内核近傍での節(ノード)などをまったく表現しないため、超微細構造や光学応答といった物理量の計算には適さない。ただし、PAW法のように、こうした問題への適用も念頭においた定式化も存在する。
{{出典の明記|date=2021年4月6日 (火) 11:06 (UTC)}} '''擬波動関数'''(ぎはどうかんすう、Pseudo wave function, Pseudowave function)は、内核[[電子]]の影響を[[擬ポテンシャル]]として表現し、そのもとで[[価電子]]の波動関数を解いたものである。通常は[[密度汎関数法]]の枠内で、Kohn-Sham軌道を作製したものを指す。擬ポテンシャルは、孤立原子の計算によって作製し、これを固体や分子にも適用する場合が多い。[[ノルム保存型擬ポテンシャル]]では、その作成条件(例:ノードレス(節がないこと)など)に基づいて作られる。 通常の擬波動関数は、内核近傍での節(ノード)などをまったく表現しないため、超微細構造や光学応答といった物理量の計算には適さない。ただし、PAW法のように、こうした問題への適用も念頭においた定式化も存在する。 == 関連項目 == *[[擬ポテンシャル]] *[[波動関数]] {{DEFAULTSORT:きはとうかんすう}} [[Category:量子力学]] [[Category:バンド計算]]
null
2021-04-06T11:06:25Z
false
false
false
[ "Template:出典の明記" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%93%AC%E6%B3%A2%E5%8B%95%E9%96%A2%E6%95%B0
3,074
メートル
メートル(フランス語: mètre、英: metre 、アメリカ英語: meter、記号: m)は、国際単位系 (SI) およびMKS単位系における長さの計量単位である。 他の量とは関係せず完全に独立して与えられる7つのSI基本単位の一つである。 元々は、「地球の赤道と北極点の間の海抜ゼロにおける子午線弧長を 1/10000000 倍した長さ」を意図し、計量学の技術発展を反映して何度か更新された。 1983年(昭和58年)に基準が見直され、現在は「1秒の 299792458 分の1の時間に光が真空中を伝わる長さ」として定義されている。 なお、CGS単位系ではセンチメートル (cm) が基本単位となる。 • デシメートル ≪ メートル ≪ デカメートル 現在の「メートル」は、以下のように定義される。この定義は第17回国際度量衡総会により1983年10月21日に決定され、第26回国際度量衡総会により改定され、2019年5月20日に施行された。定義の実質は1983年のものと同じである。 ∆νCs は Cs (セシウム)の超微細構造遷移周波数である。 この定義により、真空中の光の速さは正確に 299792458 m/s である。 メートルの単位記号は、小文字・立体の m である。大文字・立体の M と書かれることがあるが、誤りである。大文字・立体の M は、10を表すSI接頭語 メガ (mega) の記号である。ただし、計量法では単位記号の表記揺れに対する罰則はない(これに対して、計量単位の「メートル」を「メーター」と表記することはできない。)が、混乱を防ぐためには標準の表記が推奨される。 メートル (mètre) という名称は、「ものさし」または「測ること」を意味する古代ギリシャ語 μέτρον(メトロン)からの造語であり、計器類を意味するメーター (meterまたはmetre) と語源は同じである。 計量法における表記は、「メートル」である。 日本語の「メートル」はフランス語 mètre からの外来語である。英語の metre / meter からの外来語である「メーター」も特に口頭では使用されることがあるが、計量法上は、「メーター」の表記は用いることはできない(計量法第8条第1項)。 なお、「メーター」は計器の意味で用いられる語である。 日本では1952年(昭和27年)2月29日までは漢字で「米」と書かれていた。 「米」は常用漢字表にあるものの、メートルの読みは常用漢字表にはなく、1952年(昭和27年)3月1日以降の計量法に則した取引・証明においては「米」の字を用いることはできない。 古くは「粁」(キロ)、「糎」(センチ)、「粍」(ミリ)にも漢字があてられ、準常用漢字として位置づけられていたが、1942年(昭和17年)に国語審議会から発表された標準漢字表案の段階において準常用漢字から外され、第二次世界大戦後は使用機会も無くなった。 国際規格ISO/IEC 80000 series Quantities and unitsの規定では、単位記号 m のみが国際的に定められており、単位名称は言語に依存するとしているが、本文には内規によりイギリス英語綴り(オクスフォード式綴り)が用いられ、metre表記が採用されている。 国際度量衡局が発行する国際単位系 (SI) 文書の英語版は上記のISO/IEC 80000 series Quantities and units.の表記に準拠している(meter → metre 以外では、liter → litre、deca → deka がある)。産業技術総合研究所計量標準総合センター (NMIJ) によって翻訳されたSI文書日本語版でも、ISO/IEC 80000に準ずる日本産業規格JIS Z 8000においても、metre表記が採用されている。このため全てのJIS規格において、metre 表記となっている。 国際規格の水平規格であるIEC 60050(国際電気技術用語集(英語版): IEV, electropedia)では各言語での表記を収録し、metreを英語での推奨用語として、meterを米国での同義語として収録している。 国際純正・応用化学連合 (IUPAC) のような国際的な学術団体では、表記が国際的に標準化されていないとして、metre表記に加えてmeter表記を許容する例もある。 国際天文学連合は、単位にはmetreを使うとし、meterは計器を示す文脈に使うよう明記している。 次項のアメリカ合衆国とフィリピン(の一部)における綴り meter は、数少ない例外である。米国では 1977年以降は、公式にmeterと綴られている(後述のメートル#米国における表記の経緯を参照)。 なお、単位の名称ではない、パーキングメータ(ー)やマイクロメータ(ー)、スピードメータ(ー)のような計器の名称には、「meter」の表記が多く使われている。 アメリカでも一時「metre」の綴りを使用していたが、1977年以降は公式に「meter」を用いるようになった。1975年のメートル法転換法 (en:Metric Conversion Act of 1975) によってアメリカ商務省はアメリカ国内においてSIの解釈と変更の責任を与えられ、商務省はアメリカ国立標準技術研究所 (NIST) に対しSIの解釈と変更の裁量権を与えた。2008年にNISTは、BIPMが発表した「Le Système international d'unités (SI)」第8版の英語翻訳書 (BIPM, 2006) に対してアメリカ版を発行した (Taylor and Thompson, 2008a)。この中でNISTは合衆国政府印刷局が定める公文書書式マニュアルに沿い、BIPM版の「metre」を「meter」、「litre」(リットル)を「liter」、「deca」(デカ:10倍の意)を「deka」に置き換えた (Taylor and Thompson, 2008a, p. iii)。NIST所長は、公式にこの変更を表明し、これはアメリカ合衆国におけるSIの「法解釈」の結果であるとした。ただし2017年版のNIST Handbook 44によれば、metre表記も許容されており、これは全米計量会議(英語版)によって支持されている。 フィリピンでも、その計量法の規定においては「metre」の表記である。しかし、その他の法律や標準規格などでは「meter」としばしば表記されているのが実態である。 米国が1971年に、 International System of Units(国際単位系)のフランス語版(仏版が正式文書)を翻訳し、NBS Special Publication 330(現在のNIST SP330)として出版したときには、メートルは公式に、metreと綴り、リットルはlitreと綴られていた。これは、英国がグラムの綴りとして、-grammeではなく-gram を受け入れたこととの取引(「紳士協定」)と理解されていた。 しかしその後、米国内では、meter, literを主張する様々な運動が展開され、1975年には 商務省 (Department of Commerce) が政府機関に -er の綴りとするようにアドバイスし、1977年のNIST SP330の改定時に、ついにmeter、liter、そしてdeca →deka の綴りが採用されるに至った。 -metre ( -meter) で終わる語のアクセントは、その直前にあるのが普通である。例えば speedometer(速度計)のアクセントは、speedo- の第2シラブルに強アクセントがある。しかし、kilometre, millimetre, nanometre などの倍量単位・分量単位の英語発音では、その接頭語 (kilo, milli, nano) の最初のシラブルに強アクセントがある。 なお、オーストラリア政府のメートル法転換局 (Metric Conversion Board) が1975年に、kilometreのアクセントは第1シラブルにあると公式に宣言したにもかかわらず、当時の首相のゴフ・ホイットラムが、第2シラブルにアクセントがあるべきと主張したことがある。 漢字では「米突」の字が宛てられており、ここから「米」一字だけでメートルの意味を表すようになった。日本では明治時代、中央気象台(現:気象庁)が「米」を偏とする以下のような倍量・分量単位の漢字を作り、1891年(明治24年)から各気象台で気象観測の月報などに使用して、一般にも広まった。一部は中国でも取り入れられている。 以上の様々な漢字表記は戦後まもなくまで使われたが、いずれも当用漢字から外されたうえ、1951年(昭和26年)に施行された計量法上その使用は禁止されている。 長さの少数単位の提案は、記録された中では1668年にイングランドの哲学者ジョン・ウィルキンス(英語版)が著作『真性の文字と哲学的言語にむけての試論』提唱した普遍的測定単位 (universal measure) に見られる。 同年ウィルキンスは、クリストファー・レンが提案したクリスティアーン・ホイヘンスが観察した2秒の間隔を刻む時の振り子の長さを標準長とする案を受け入れた。その長さは38ラインランド・インチおよび39.25イギリス・インチ (997mm) に相当した。 1675年にイタリアの科学者ティト・リビオ・ブラッティーニ(英語版)が著作『Misura Universale』の中で、古代ギリシャ語の「μέτρον καθολικόν(メトロン・カトリコン)」から普遍的測定単位を「metro cattolico」と書き表している。 フランス革命の直後の1790年5月に市民オーギュスト・サヴィニアン・ルブロンが長さの基本単位に対して、「メートル」という新たな名称を初めて提案した。彼はメートルという命名は「ひじょうにうまい表現であり、もともとフランス語だったと言ってもいいほどだ」と言っている。これがフランスで正式に採用され(「mètre」)次いで英語の「metre」となった。なお、現代ギリシャ語では μέτρο(メトロ)という。 人類がそれぞれの生活圏の中で過ごしている時代にはさして必要が無かったが、大航海時代を経て地球規模の航海や交流網が発達すると、長さの単位がまちまちな状態では不都合が多くなった。これに最も熱心に取り組んだのは、既に地球測量の実績を持つフランスだった。 1790年にフランスのシャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールが普遍的な物理量基準の必要性を提唱し、これを国民議会が承認して基準づくりへの取組が始まった。当時、長さの標準単位を決める定義には、以下に示す3つの支持を集めた案があった。 この問題はパリ科学学士院で検討され、アントワーヌ・ラヴォアジエ、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ、ジャン=シャルル・ド・ボルダらが議論に加わった。1791年、フランスの科学アカデミーは子午線を基準に置く方法を選択した。その理由は、案1では実際の地球表面とジオイド面との差異によって重力は一定にならないため振り子の振幅は変動する点が問題視され、また案2では海上や熱帯気候に当たる赤道での測定は困難と判断されたためである。 普遍的に受け入れられる基本的な長さの単位を設定するに当たり、当時知られていた子午線の長さよりも更に正確な測定が求められた。イギリスやアメリカの協力が得られず、フランス科学アカデミーは単独でジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブルとピエール・メシャンを派遣して、1792年から子午線弧長の測定を三角測量にて行わせた。パリを起点に、北のダンケルクへはドランブル一行が、南のスペインのバルセロナへはメシャン一行がそれぞれ計測を担当し、緯度差9°39′27′′.81の距離を最新の経緯儀などを携えて測量を開始した。しかし時はフランス革命のさ中にあり、持っていた測定機器から反革命分子のスパイ活動と間違えられたり、フランス革命戦争のためメシャンはスペインで足止めされるなど幾多の困難に直面した。その間にも政府は、暫定的にニコラ・ルイ・ド・ラカーユの測定値を用いて、新しい単位メートルを「パリを通過する北極点と赤道をつなぐ子午線長の10分の1を定める」という法律を1795年に公布した。測量は、1798年に完遂された。 測量から計算された結果、子午線全周の1⁄4に当たる北極点から赤道までの子午線弧長は5130740トワーズという数値が計算された。測定の終了を受けて、1799年にフランスは、これを1千万分の1にした値3ピエ11.296リーニュを1メートルと定めた。これは、1ヤードや2キュービットといった既存の長さ単位を意識して採用された。そして、白金で作られた板状のメートル原器(端度器)を製作し、これをフランス国立中央文書館に保管した。これはアルシーヴ原器 (Mètre des Archives) と呼ばれた。 この新しい長さの単位は、旧来の慣れ親しんだ寸法からすぐには切替わらなかった。フランスは1837年にメートル法以外の単位使用を法律で禁じ、1851年のロンドン万国博覧会や1867年のパリ万国博覧会などで広報活動を行い、普及に努めた。そのうち、蒸気機関車の発明による鉄道敷設や、実験を重視する科学の発達が統一基準の普及を求め、電気単位への採用などを通じてメートルは広まった。 現実には、地球の地殻表面は単純な正球または楕円球ではなく、標準長を設定する際の絶対的な基準とするには馴染まない。これが地球科学の発展で明らかとなってきた事に加え、ふたたび基準値を観測で得ようとすると、また地球を測るという費用と時間および労力をかけなければならないことから再現性が疑問視された。このため、1869年にアルシーヴ原器そのものが副原器の立場からメートルの基準そのものと変更された。 1870年代から、現代的な観点から新しいメートル法の規格を検討する一連の国際会議が開催された。1870年にフランスが主催した第1回国際メートル委員会は普仏戦争の影響で参加国が少なく実効的な決議を得られなかった。1872年には第2回委員会が開かれ、30本の原器を製作することが決まった。これは、アルシーヴの原器を基準に、白金90%とイリジウム10%の合金を用い、氷が融解する温度環境下で原器に刻まれた2本の目盛りの間を1mの基準とする、全長102cm、「X」字型の断面はアンリ・トレスカが考案した形状が採用された)。しかし、この原器は1875年のメートル条約に基づいた国際度量衡局 (Bureau International des Poids et Mesures, BIPM) 設立(フランスのセーヴル)に間に合わなかった。 1889年、国際度量衡総会 (Conférence Générale des Poids et Mesures, CGPM) 第1回大会が開催され、30本のうち最も正確と判断されたNo.6原器を正式な国際メートル原器と認定してこれを保管し、他の原器は国家単位へ配布した。 このオリジナルとなるメートル原器はBIPMによって特別な環境下で1889年まで保存された。しかし、原器は製作当初から精度に対する物理的な限界が指摘され、同時に経時的変化や紛失・焼損のリスクが常につきまとった。また、長さの原器となるものについての議論は続き、さらにアメリカ国立標準技術研究所によってメートル原器には製作時の誤差があることが発見された。 1873年、ジェームズ・クラーク・マクスウェルは著書『電磁気学』にて普遍的で高精度が期待される光の特定波長をメートルの単位にすべきという発想を示した。1893年、メートル原器へ初めての干渉法による計測が、マクスウェルと同じ主張を唱えるアルバート・マイケルソンによって行われた。1925年まで、干渉法はBIPMにて一般的に用いられたが、国際メートル原器は1960年まで長さの基準の地位にあった。しかし、暫定的に 0°C 1気圧の乾燥環境におけるカドミウム赤線の波長 6438.4696×10^ m が使われつつ、色々な同位体元素の電磁スペクトルが検討された。 そして、1960年の第11回CGPMにて国際単位系によってメートルの定義は、クリプトン-86が真空中で発する電磁スペクトルであるオレンジ色‐赤色の発光スペクトルが示す波長の1650763.73倍と等しい長さへと変更された。この「0.73」という半端な小数点以下部分は、あくまでメートル原器の長さに波長数を合わせたためである。その後継続してレーザーの安定放出や測定方法の精度向上が図られたが、クリプトンランプを使う実験では再現性の悪さも問題となっていた。 不確実性の低減を目指し、1983年の第17回CGPMでメートルの定義はさらに変更され、現在用いられている「光速」と「秒」で表す方法になった。これはセシウム原子時計が発明され、正確な「秒」が決められた事と表裏一体を成している。 この定義は、真空中の光速を有効数字9桁という高い精度となる 299792458 m/s と固定して得たものである。さらに、特殊相対性理論によって光は光源の動きや方向に関わりなく、またどんな波長(振動数)でも一定であり、そして不変だという点が重視された。 このように現在採用されるメートルは一定時間における光が進む距離で定義されているが、実験室で現実に再現されるメートルは未だに標準的なレーザーを用いて干渉法で波長の数を数える測定をして得られる「図による表現」である。そして、この方法では3つの大きな制約が精度に課せられている。 メートルの定義には以下の関係式が用いられる。 λ は決定された波長、c は理想的な真空中における光速、n は測定がされる媒体の屈折率、f は周波数を表す。この方法では、長さは最も正確な測定値のひとつである周波数 f に関連づけられる。 第17回CGPMで決定したこの定義では、科学者が行うレーザー波長の測定において不確かさを1/5に抑える副次的効果が意図された。さらに、研究室ごとの再現性も容易にするために、第17回CGPMではヨウ素で安定化したヘリウム - ネオンレーザーを推奨している。これによれば、波長は λHeNe = 632.99139822 nm となり、関連する不確かさ (U) の期待値は 2.5×10 となるこれは秒の定義における不確かさ (U = 5×10) よりも数段劣り、実験室における再現性には限界があることを表している。その結果、現在使われるメートルの実用的な設定は定義と違って真空中のヘリウム - ネオンレーザー波長 1579800.298728(39)個分で叙述される。 1999年から2000年には測定の絶対性を高めるために超短光パルスレーザーを用いる「光周波数コム」を利用した計測がアメリカやドイツを中心に提案され、この成果を受けて開発者のジョン・ホール(アメリカ)とテオドール・ヘンシュ(ドイツ)には2005年のノーベル物理学賞が授与された。日本は2009年(平成21年)7月16日に国家標準を光周波数コム装置へ変更した。 原器を廃した現在の基準では、メートルは計測器(計量器)の測定結果が根底の基準となる。そのための具体的な計量器が指定され、日本の場合は計量法第134条に基づいて「特定標準器」を経済産業大臣が指定し、これが「国家基準」となる。2009年(平成21年)7月16日に日本はメートル計量器指定を更新し、「モード同期ファイバレーザ」を使用する光周波数コムが採用された。これは従来の方法よりも300倍の精度向上を果たしている。 最新の定義は光速を基準にしているが、CIPMは過去のクリプトンスペクトル長を基準としたメートルおよびそれを基にした測定結果を否定した訳ではない。問題は、それぞれの不確かさにある差であり、測定結果を取扱う際にこれを充分念頭に置くことが必要としている。逆に、求める測定誤差範囲によっては光速以外の方法で基準のメートルを求めても良いものとしている。 SI接頭語では、メートルの十進法による倍量単位・分量単位を定めている。定義上あり得る全ての単位を以下の表に示す。実用されているものは太字で示す。 かつてはミクロン (micron) がマイクロメートル (micrometre) の代わりに使われることがあった。しかし、この単位は国際単位系 (SI) でも日本の計量法でも現在は認められておらず、使用することはできない。 フェムトメートルには、フェルミまたはユカワの別名があった 長大な距離ではkmだけでなく、天文単位や光年またはパーセクといった単位が用いられることが多い。kmを超える倍量単位は、実用上ほとんど使われない。またかつては1万倍を表す「ミリア」という接頭語も存在したが、これもあまり用いられることなく、現在では廃止されている。 分量単位では、アトメートル (am) が現代物理学で解明されている最小スケールであり、それより小さいものではプランク長 (∼ 10 m) オーダーまで表すべき長さが現在のところほとんど存在しないため、理論上は考えられるもののほとんど使われない。 メートルはSIの基本単位であり、メートルから派生した単位は多数あるため、ここで全てを挙げることはせず、メートルのみを使用した単位 (整数 n を用いて、"m" と略されるもののみ)を挙げる。 Unicodeには、CJK互換用文字として上記の文字が収録されている。これらは、既存の文字コードに対する後方互換性のために収録されているものであり、使用は推奨されない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "メートル(フランス語: mètre、英: metre 、アメリカ英語: meter、記号: m)は、国際単位系 (SI) およびMKS単位系における長さの計量単位である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "他の量とは関係せず完全に独立して与えられる7つのSI基本単位の一つである。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "元々は、「地球の赤道と北極点の間の海抜ゼロにおける子午線弧長を 1/10000000 倍した長さ」を意図し、計量学の技術発展を反映して何度か更新された。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1983年(昭和58年)に基準が見直され、現在は「1秒の 299792458 分の1の時間に光が真空中を伝わる長さ」として定義されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "なお、CGS単位系ではセンチメートル (cm) が基本単位となる。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "• デシメートル ≪ メートル ≪ デカメートル", "title": null }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "現在の「メートル」は、以下のように定義される。この定義は第17回国際度量衡総会により1983年10月21日に決定され、第26回国際度量衡総会により改定され、2019年5月20日に施行された。定義の実質は1983年のものと同じである。", "title": "定義" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "∆νCs は Cs (セシウム)の超微細構造遷移周波数である。", "title": "定義" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "この定義により、真空中の光の速さは正確に 299792458 m/s である。", "title": "定義" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "メートルの単位記号は、小文字・立体の m である。大文字・立体の M と書かれることがあるが、誤りである。大文字・立体の M は、10を表すSI接頭語 メガ (mega) の記号である。ただし、計量法では単位記号の表記揺れに対する罰則はない(これに対して、計量単位の「メートル」を「メーター」と表記することはできない。)が、混乱を防ぐためには標準の表記が推奨される。", "title": "単位記号" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "メートル (mètre) という名称は、「ものさし」または「測ること」を意味する古代ギリシャ語 μέτρον(メトロン)からの造語であり、計器類を意味するメーター (meterまたはmetre) と語源は同じである。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "計量法における表記は、「メートル」である。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "日本語の「メートル」はフランス語 mètre からの外来語である。英語の metre / meter からの外来語である「メーター」も特に口頭では使用されることがあるが、計量法上は、「メーター」の表記は用いることはできない(計量法第8条第1項)。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "なお、「メーター」は計器の意味で用いられる語である。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "日本では1952年(昭和27年)2月29日までは漢字で「米」と書かれていた。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "「米」は常用漢字表にあるものの、メートルの読みは常用漢字表にはなく、1952年(昭和27年)3月1日以降の計量法に則した取引・証明においては「米」の字を用いることはできない。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "古くは「粁」(キロ)、「糎」(センチ)、「粍」(ミリ)にも漢字があてられ、準常用漢字として位置づけられていたが、1942年(昭和17年)に国語審議会から発表された標準漢字表案の段階において準常用漢字から外され、第二次世界大戦後は使用機会も無くなった。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "国際規格ISO/IEC 80000 series Quantities and unitsの規定では、単位記号 m のみが国際的に定められており、単位名称は言語に依存するとしているが、本文には内規によりイギリス英語綴り(オクスフォード式綴り)が用いられ、metre表記が採用されている。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "国際度量衡局が発行する国際単位系 (SI) 文書の英語版は上記のISO/IEC 80000 series Quantities and units.の表記に準拠している(meter → metre 以外では、liter → litre、deca → deka がある)。産業技術総合研究所計量標準総合センター (NMIJ) によって翻訳されたSI文書日本語版でも、ISO/IEC 80000に準ずる日本産業規格JIS Z 8000においても、metre表記が採用されている。このため全てのJIS規格において、metre 表記となっている。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "国際規格の水平規格であるIEC 60050(国際電気技術用語集(英語版): IEV, electropedia)では各言語での表記を収録し、metreを英語での推奨用語として、meterを米国での同義語として収録している。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "国際純正・応用化学連合 (IUPAC) のような国際的な学術団体では、表記が国際的に標準化されていないとして、metre表記に加えてmeter表記を許容する例もある。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "国際天文学連合は、単位にはmetreを使うとし、meterは計器を示す文脈に使うよう明記している。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "次項のアメリカ合衆国とフィリピン(の一部)における綴り meter は、数少ない例外である。米国では 1977年以降は、公式にmeterと綴られている(後述のメートル#米国における表記の経緯を参照)。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "なお、単位の名称ではない、パーキングメータ(ー)やマイクロメータ(ー)、スピードメータ(ー)のような計器の名称には、「meter」の表記が多く使われている。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "アメリカでも一時「metre」の綴りを使用していたが、1977年以降は公式に「meter」を用いるようになった。1975年のメートル法転換法 (en:Metric Conversion Act of 1975) によってアメリカ商務省はアメリカ国内においてSIの解釈と変更の責任を与えられ、商務省はアメリカ国立標準技術研究所 (NIST) に対しSIの解釈と変更の裁量権を与えた。2008年にNISTは、BIPMが発表した「Le Système international d'unités (SI)」第8版の英語翻訳書 (BIPM, 2006) に対してアメリカ版を発行した (Taylor and Thompson, 2008a)。この中でNISTは合衆国政府印刷局が定める公文書書式マニュアルに沿い、BIPM版の「metre」を「meter」、「litre」(リットル)を「liter」、「deca」(デカ:10倍の意)を「deka」に置き換えた (Taylor and Thompson, 2008a, p. iii)。NIST所長は、公式にこの変更を表明し、これはアメリカ合衆国におけるSIの「法解釈」の結果であるとした。ただし2017年版のNIST Handbook 44によれば、metre表記も許容されており、これは全米計量会議(英語版)によって支持されている。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "フィリピンでも、その計量法の規定においては「metre」の表記である。しかし、その他の法律や標準規格などでは「meter」としばしば表記されているのが実態である。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "米国が1971年に、 International System of Units(国際単位系)のフランス語版(仏版が正式文書)を翻訳し、NBS Special Publication 330(現在のNIST SP330)として出版したときには、メートルは公式に、metreと綴り、リットルはlitreと綴られていた。これは、英国がグラムの綴りとして、-grammeではなく-gram を受け入れたこととの取引(「紳士協定」)と理解されていた。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "しかしその後、米国内では、meter, literを主張する様々な運動が展開され、1975年には 商務省 (Department of Commerce) が政府機関に -er の綴りとするようにアドバイスし、1977年のNIST SP330の改定時に、ついにmeter、liter、そしてdeca →deka の綴りが採用されるに至った。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "-metre ( -meter) で終わる語のアクセントは、その直前にあるのが普通である。例えば speedometer(速度計)のアクセントは、speedo- の第2シラブルに強アクセントがある。しかし、kilometre, millimetre, nanometre などの倍量単位・分量単位の英語発音では、その接頭語 (kilo, milli, nano) の最初のシラブルに強アクセントがある。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "なお、オーストラリア政府のメートル法転換局 (Metric Conversion Board) が1975年に、kilometreのアクセントは第1シラブルにあると公式に宣言したにもかかわらず、当時の首相のゴフ・ホイットラムが、第2シラブルにアクセントがあるべきと主張したことがある。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "漢字では「米突」の字が宛てられており、ここから「米」一字だけでメートルの意味を表すようになった。日本では明治時代、中央気象台(現:気象庁)が「米」を偏とする以下のような倍量・分量単位の漢字を作り、1891年(明治24年)から各気象台で気象観測の月報などに使用して、一般にも広まった。一部は中国でも取り入れられている。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "以上の様々な漢字表記は戦後まもなくまで使われたが、いずれも当用漢字から外されたうえ、1951年(昭和26年)に施行された計量法上その使用は禁止されている。", "title": "表記" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "長さの少数単位の提案は、記録された中では1668年にイングランドの哲学者ジョン・ウィルキンス(英語版)が著作『真性の文字と哲学的言語にむけての試論』提唱した普遍的測定単位 (universal measure) に見られる。 同年ウィルキンスは、クリストファー・レンが提案したクリスティアーン・ホイヘンスが観察した2秒の間隔を刻む時の振り子の長さを標準長とする案を受け入れた。その長さは38ラインランド・インチおよび39.25イギリス・インチ (997mm) に相当した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1675年にイタリアの科学者ティト・リビオ・ブラッティーニ(英語版)が著作『Misura Universale』の中で、古代ギリシャ語の「μέτρον καθολικόν(メトロン・カトリコン)」から普遍的測定単位を「metro cattolico」と書き表している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "フランス革命の直後の1790年5月に市民オーギュスト・サヴィニアン・ルブロンが長さの基本単位に対して、「メートル」という新たな名称を初めて提案した。彼はメートルという命名は「ひじょうにうまい表現であり、もともとフランス語だったと言ってもいいほどだ」と言っている。これがフランスで正式に採用され(「mètre」)次いで英語の「metre」となった。なお、現代ギリシャ語では μέτρο(メトロ)という。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "人類がそれぞれの生活圏の中で過ごしている時代にはさして必要が無かったが、大航海時代を経て地球規模の航海や交流網が発達すると、長さの単位がまちまちな状態では不都合が多くなった。これに最も熱心に取り組んだのは、既に地球測量の実績を持つフランスだった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1790年にフランスのシャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールが普遍的な物理量基準の必要性を提唱し、これを国民議会が承認して基準づくりへの取組が始まった。当時、長さの標準単位を決める定義には、以下に示す3つの支持を集めた案があった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "この問題はパリ科学学士院で検討され、アントワーヌ・ラヴォアジエ、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ、ジャン=シャルル・ド・ボルダらが議論に加わった。1791年、フランスの科学アカデミーは子午線を基準に置く方法を選択した。その理由は、案1では実際の地球表面とジオイド面との差異によって重力は一定にならないため振り子の振幅は変動する点が問題視され、また案2では海上や熱帯気候に当たる赤道での測定は困難と判断されたためである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "普遍的に受け入れられる基本的な長さの単位を設定するに当たり、当時知られていた子午線の長さよりも更に正確な測定が求められた。イギリスやアメリカの協力が得られず、フランス科学アカデミーは単独でジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブルとピエール・メシャンを派遣して、1792年から子午線弧長の測定を三角測量にて行わせた。パリを起点に、北のダンケルクへはドランブル一行が、南のスペインのバルセロナへはメシャン一行がそれぞれ計測を担当し、緯度差9°39′27′′.81の距離を最新の経緯儀などを携えて測量を開始した。しかし時はフランス革命のさ中にあり、持っていた測定機器から反革命分子のスパイ活動と間違えられたり、フランス革命戦争のためメシャンはスペインで足止めされるなど幾多の困難に直面した。その間にも政府は、暫定的にニコラ・ルイ・ド・ラカーユの測定値を用いて、新しい単位メートルを「パリを通過する北極点と赤道をつなぐ子午線長の10分の1を定める」という法律を1795年に公布した。測量は、1798年に完遂された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "測量から計算された結果、子午線全周の1⁄4に当たる北極点から赤道までの子午線弧長は5130740トワーズという数値が計算された。測定の終了を受けて、1799年にフランスは、これを1千万分の1にした値3ピエ11.296リーニュを1メートルと定めた。これは、1ヤードや2キュービットといった既存の長さ単位を意識して採用された。そして、白金で作られた板状のメートル原器(端度器)を製作し、これをフランス国立中央文書館に保管した。これはアルシーヴ原器 (Mètre des Archives) と呼ばれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "この新しい長さの単位は、旧来の慣れ親しんだ寸法からすぐには切替わらなかった。フランスは1837年にメートル法以外の単位使用を法律で禁じ、1851年のロンドン万国博覧会や1867年のパリ万国博覧会などで広報活動を行い、普及に努めた。そのうち、蒸気機関車の発明による鉄道敷設や、実験を重視する科学の発達が統一基準の普及を求め、電気単位への採用などを通じてメートルは広まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "現実には、地球の地殻表面は単純な正球または楕円球ではなく、標準長を設定する際の絶対的な基準とするには馴染まない。これが地球科学の発展で明らかとなってきた事に加え、ふたたび基準値を観測で得ようとすると、また地球を測るという費用と時間および労力をかけなければならないことから再現性が疑問視された。このため、1869年にアルシーヴ原器そのものが副原器の立場からメートルの基準そのものと変更された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "1870年代から、現代的な観点から新しいメートル法の規格を検討する一連の国際会議が開催された。1870年にフランスが主催した第1回国際メートル委員会は普仏戦争の影響で参加国が少なく実効的な決議を得られなかった。1872年には第2回委員会が開かれ、30本の原器を製作することが決まった。これは、アルシーヴの原器を基準に、白金90%とイリジウム10%の合金を用い、氷が融解する温度環境下で原器に刻まれた2本の目盛りの間を1mの基準とする、全長102cm、「X」字型の断面はアンリ・トレスカが考案した形状が採用された)。しかし、この原器は1875年のメートル条約に基づいた国際度量衡局 (Bureau International des Poids et Mesures, BIPM) 設立(フランスのセーヴル)に間に合わなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1889年、国際度量衡総会 (Conférence Générale des Poids et Mesures, CGPM) 第1回大会が開催され、30本のうち最も正確と判断されたNo.6原器を正式な国際メートル原器と認定してこれを保管し、他の原器は国家単位へ配布した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "このオリジナルとなるメートル原器はBIPMによって特別な環境下で1889年まで保存された。しかし、原器は製作当初から精度に対する物理的な限界が指摘され、同時に経時的変化や紛失・焼損のリスクが常につきまとった。また、長さの原器となるものについての議論は続き、さらにアメリカ国立標準技術研究所によってメートル原器には製作時の誤差があることが発見された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "1873年、ジェームズ・クラーク・マクスウェルは著書『電磁気学』にて普遍的で高精度が期待される光の特定波長をメートルの単位にすべきという発想を示した。1893年、メートル原器へ初めての干渉法による計測が、マクスウェルと同じ主張を唱えるアルバート・マイケルソンによって行われた。1925年まで、干渉法はBIPMにて一般的に用いられたが、国際メートル原器は1960年まで長さの基準の地位にあった。しかし、暫定的に 0°C 1気圧の乾燥環境におけるカドミウム赤線の波長 6438.4696×10^ m が使われつつ、色々な同位体元素の電磁スペクトルが検討された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "そして、1960年の第11回CGPMにて国際単位系によってメートルの定義は、クリプトン-86が真空中で発する電磁スペクトルであるオレンジ色‐赤色の発光スペクトルが示す波長の1650763.73倍と等しい長さへと変更された。この「0.73」という半端な小数点以下部分は、あくまでメートル原器の長さに波長数を合わせたためである。その後継続してレーザーの安定放出や測定方法の精度向上が図られたが、クリプトンランプを使う実験では再現性の悪さも問題となっていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "不確実性の低減を目指し、1983年の第17回CGPMでメートルの定義はさらに変更され、現在用いられている「光速」と「秒」で表す方法になった。これはセシウム原子時計が発明され、正確な「秒」が決められた事と表裏一体を成している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "この定義は、真空中の光速を有効数字9桁という高い精度となる 299792458 m/s と固定して得たものである。さらに、特殊相対性理論によって光は光源の動きや方向に関わりなく、またどんな波長(振動数)でも一定であり、そして不変だという点が重視された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "このように現在採用されるメートルは一定時間における光が進む距離で定義されているが、実験室で現実に再現されるメートルは未だに標準的なレーザーを用いて干渉法で波長の数を数える測定をして得られる「図による表現」である。そして、この方法では3つの大きな制約が精度に課せられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "メートルの定義には以下の関係式が用いられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "λ は決定された波長、c は理想的な真空中における光速、n は測定がされる媒体の屈折率、f は周波数を表す。この方法では、長さは最も正確な測定値のひとつである周波数 f に関連づけられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "第17回CGPMで決定したこの定義では、科学者が行うレーザー波長の測定において不確かさを1/5に抑える副次的効果が意図された。さらに、研究室ごとの再現性も容易にするために、第17回CGPMではヨウ素で安定化したヘリウム - ネオンレーザーを推奨している。これによれば、波長は λHeNe = 632.99139822 nm となり、関連する不確かさ (U) の期待値は 2.5×10 となるこれは秒の定義における不確かさ (U = 5×10) よりも数段劣り、実験室における再現性には限界があることを表している。その結果、現在使われるメートルの実用的な設定は定義と違って真空中のヘリウム - ネオンレーザー波長 1579800.298728(39)個分で叙述される。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "1999年から2000年には測定の絶対性を高めるために超短光パルスレーザーを用いる「光周波数コム」を利用した計測がアメリカやドイツを中心に提案され、この成果を受けて開発者のジョン・ホール(アメリカ)とテオドール・ヘンシュ(ドイツ)には2005年のノーベル物理学賞が授与された。日本は2009年(平成21年)7月16日に国家標準を光周波数コム装置へ変更した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "原器を廃した現在の基準では、メートルは計測器(計量器)の測定結果が根底の基準となる。そのための具体的な計量器が指定され、日本の場合は計量法第134条に基づいて「特定標準器」を経済産業大臣が指定し、これが「国家基準」となる。2009年(平成21年)7月16日に日本はメートル計量器指定を更新し、「モード同期ファイバレーザ」を使用する光周波数コムが採用された。これは従来の方法よりも300倍の精度向上を果たしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "最新の定義は光速を基準にしているが、CIPMは過去のクリプトンスペクトル長を基準としたメートルおよびそれを基にした測定結果を否定した訳ではない。問題は、それぞれの不確かさにある差であり、測定結果を取扱う際にこれを充分念頭に置くことが必要としている。逆に、求める測定誤差範囲によっては光速以外の方法で基準のメートルを求めても良いものとしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "SI接頭語では、メートルの十進法による倍量単位・分量単位を定めている。定義上あり得る全ての単位を以下の表に示す。実用されているものは太字で示す。", "title": "倍量単位・分量単位" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "かつてはミクロン (micron) がマイクロメートル (micrometre) の代わりに使われることがあった。しかし、この単位は国際単位系 (SI) でも日本の計量法でも現在は認められておらず、使用することはできない。", "title": "倍量単位・分量単位" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "フェムトメートルには、フェルミまたはユカワの別名があった", "title": "倍量単位・分量単位" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "長大な距離ではkmだけでなく、天文単位や光年またはパーセクといった単位が用いられることが多い。kmを超える倍量単位は、実用上ほとんど使われない。またかつては1万倍を表す「ミリア」という接頭語も存在したが、これもあまり用いられることなく、現在では廃止されている。", "title": "倍量単位・分量単位" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "分量単位では、アトメートル (am) が現代物理学で解明されている最小スケールであり、それより小さいものではプランク長 (∼ 10 m) オーダーまで表すべき長さが現在のところほとんど存在しないため、理論上は考えられるもののほとんど使われない。", "title": "倍量単位・分量単位" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "メートルはSIの基本単位であり、メートルから派生した単位は多数あるため、ここで全てを挙げることはせず、メートルのみを使用した単位 (整数 n を用いて、\"m\" と略されるもののみ)を挙げる。", "title": "派生単位" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "Unicodeには、CJK互換用文字として上記の文字が収録されている。これらは、既存の文字コードに対する後方互換性のために収録されているものであり、使用は推奨されない。", "title": "符号位置" } ]
メートルは、国際単位系 (SI) およびMKS単位系における長さの計量単位である。 他の量とは関係せず完全に独立して与えられる7つのSI基本単位の一つである。 元々は、「地球の赤道と北極点の間の海抜ゼロにおける子午線弧長を 1/10000000 倍した長さ」を意図し、計量学の技術発展を反映して何度か更新された。 1983年(昭和58年)に基準が見直され、現在は「1秒の 299792458 分の1の時間に光が真空中を伝わる長さ」として定義されている。 なお、CGS単位系ではセンチメートル (cm) が基本単位となる。 • デシメートル ≪ メートル ≪ デカメートル
{{WikipediaPage|「メートル(記号'''m''')」の使用|WP:JPE#単位}} {{特殊文字|special=、[[JIS X 0212]]-1990 および [[拡張漢字|CJK統合漢字拡張B]] で規定されている文字}} {{単位 |名称= メートル |画像= [[Image:Platinum-Iridium meter bar.jpg|250px]]<br/>メートル原器(1889 - 1960年) |フランス語=mètre |英語= metre<br />({{ja|米国のみ1977年以降、}}meter) |記号= m |度量衡= [[メートル法]] |単位系= SI |種類= [[SI基本単位|基本単位]] |物理量= [[長さ]] |派生単位= [[平方メートル|m<sup>2</sup>]], [[立方メートル|m<sup>3</sup>]], [[毎メートル|m<sup>−1</sup>]], [[毎平方メートル|m<sup>−2</sup>]] |定義= 真空中で1[[秒]]の {{gaps|299|792|458}} 分の1の時間に[[光]]が進む行程の長さ |由来= [[北極点]]と[[赤道]]の距離の{{gaps|1/10|000|000}} |語源= [[古代ギリシャ語]] {{lang|grc|μέτρον}}(ものさし、測る) }} '''メートル'''({{Lang-fr|mètre}}、{{Lang-en-short|metre}}<ref group="注">SI国際文書の日本語版では、metre としている。例えば、[https://unit.aist.go.jp/nmij/public/report/SI_9th/pdf/SI_9th_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88_r.pdf] p.118欄外注 a 35-millimet'''re''' film (この語は2022年7月14日の正誤表で、a 35-millimet'''er''' film から訂正されている。[https://unit.aist.go.jp/nmij/public/report/SI_9th/pdf/20220714_seigohyo.pdf])</ref> <ref group="注">量・単位に関する[[JIS]]規格では英語表記の規定はないが、参考における表記は met'''re''' である。例えばJIS Z 8000-1:2014 量及び単位 - 第1部:一般, p.27, 7.2.5 例1 newton metre 、例2 metre per second squared</ref>、{{Lang-en-us|meter}}、[[単位記号|記号]]: m)は、[[国際単位系]] (SI) および[[MKS単位系]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.eng.kagawa-u.ac.jp/~miyagawa/misc/physics/MKS_units.pdf|format=PDF |title=MKS単位系について|author=宮川勇人|publisher=[[香川大学]]工学部材料創造工学科|language=日本語|accessdate=2010-11-13}}</ref>における[[長さ]]の[[計量単位]]である。 他の[[量]]とは関係せず完全に独立して与えられる7つの[[SI基本単位]]の一つである<ref name=Ube-k>{{Cite web|和書|url=http://www.ube-k.ac.jp/~oki/class/IE/pre/sec1_note.pdf|format=PDF|title=計測工学 ‐第1回(測定と単位系)‐p.p.1-2‐平成20年4月10日|author=沖俊任|publisher=[[宇部工業高等専門学校]]|language=日本語|accessdate=2010-11-13}}</ref>。 元々は、「[[地球]]の[[赤道]]と[[北極点]]の間の[[海抜]][[ゼロ]]における[[子午線弧]]長を {{gaps|1/10|000|000}} 倍した長さ」を意図し、[[計量学]]の[[技術]]発展を反映して何度か更新された。 [[1983年]]([[昭和]]58年)に基準が見直され、現在は「1[[秒]]の {{gaps|299|792|458}} 分の1の[[時間]]に[[光]]が[[自由空間|真空]]中を伝わる[[長さ]]」として[[定義]]されている<ref name="Res1">{{cite web|url=http://www.bipm.org/en/CGPM/db/17/1/ |author=|title= Resolution 1. of the 17th meeting of the CGPM (1983)、第17回 国際度量衡総会 決議1|publisher=[[国際度量衡局]] (International Bureau of Weights and Measures, BIPM) |date=1983|language=英語|accessdate=2010-11-15}}</ref>。 なお、[[CGS単位系]]ではセンチメートル (cm) が基本単位となる<ref name="BIPM21">{{cite web|title=Official BIPM definition|url=http://www.bipm.org/en/si/si_brochure/chapter2/2-1/second.html|publisher=BIPM|accessdate=2010-11-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://dprpcf.hyd.eng.hokudai.ac.jp/gaku/EBooks/Hydraulics/PdfFile/Ch01a1.pdf|format=PDF |title=独修『水理学』、長谷川和義監修/田中岳著|chapter=第1章 単位と次元 目標:SI単位系・工学単位系の違いを理解する|author=田中岳|publisher=[[北海道大学]]大学院工学研究科環境資源工学・水圏工学|language=日本語|accessdate=2010-11-13}}</ref>。 • [[デシメートル]] ≪ '''メートル''' ≪ [[デカメートル]] == 定義 == {{see also|SI基本単位の再定義 (2019年)}} 現在の「メートル」は、以下のように定義される。この定義は第17回[[国際度量衡総会]]により1983年10月21日に決定され、第26回[[国際度量衡総会]]により改定され、2019年5月20日に施行された。定義の実質は1983年のものと同じである。 {{Quotation|メートル(記号は m)は長さの SI 単位であり、真空中の光の速さ ''c'' を単位 m s{{sup-|1}} で表したときに、その数値を {{val|299792458}} と定めることによって定義される。ここで、[[秒]]は[[セシウム]]周波数 ''∆ν''{{sub|Cs}} によって定義される<ref>[https://unit.aist.go.jp/nmij/public/report/SI_9th/pdf/SI_9th_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88_r.pdf#page=16 国際単位系(SI)第 9 版(2019)] p.99、産業技術総合研究所、計量標準総合センター、2020年3月</ref><ref group="注">国際単位系における正式の言語はフランス語である。ここでの定義は英語及びこれを日本語に翻訳したものである。正式な本文の確認が必要な場合又は文章の解釈に疑義がある場合はフランス語版を確認する必要がある。</ref>。 }} ''∆ν''{{sub|Cs}} は {{sup|133}}Cs ([[セシウム]])の超微細構造遷移周波数である。 この定義により、[[光速|真空中の光の速さ]]は正確に {{gaps|299|792|458}} m/s である。 == 単位記号 == メートルの[[単位記号]]は、小文字・立体の m である<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404M50000400080#91 計量単位規則 別表第2] 長さ・メートルの欄、m</ref>。大文字・立体の M と書かれることがあるが、誤りである。大文字・立体の M は、10<sup>6</sup>を表す[[SI接頭語]] メガ (mega) の記号である。ただし、[[計量法]]では[[単位記号]]の表記揺れに対する罰則はない<ref>計量法第7条 「計量単位の記号による表記において'''標準となるべきもの'''は、経済産業省令で定める。」</ref>(これに対して、計量単位の「メートル」を「メーター」と表記することはできない。)が、混乱を防ぐためには標準の表記が推奨される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.meti.go.jp/policy/economy/hyojun/techno_infra/50_qanda.html|title=計量行政: Q&A(よくある質問と回答)|publisher=経済産業省|accessdate=2020-7-18}}</ref><ref>{{Cite book|chapter=全般-40|title=計量法における商品量目制度Q&A集|url=https://www.meti.go.jp/policy/economy/hyojun/techno_infra/00_download/14_ryoumoku_qa_20190530.pdf|publisher=経済産業省産業技術環境局計量行政室|date=2019-5}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://staff.aist.go.jp/y.fukuyama/unit0001.html|title=計量単位の相談|author=福山康弘|accessdate=2020-7-18}}</ref>。 == 表記 == === 語源 === メートル ({{fr|mètre}}) という名称は、「ものさし」または「測ること」を意味する[[古代ギリシャ語]] {{lang|el|μέτρον}}(メトロン)からの造語であり、計器類を意味する[[メーター]] (meterまたはmetre) と語源は同じである<ref>''American Heritage Dictionary of the English Language''. 3rd ed. (1992). Boston: Houghton Mifflin. s.v. meter.</ref><ref name=Hiroshima2 />。 === 日本語の表記 === [[計量法]]における表記は、「メートル」である<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404AC0000000051#1357 計量法 別表第一] 「長さ」の欄、「メートル」</ref>。 日本語の「メートル」は[[フランス語]] {{fr|mètre}} からの[[外来語]]である<ref>{{Cite journal|和書|title=外来語に関する基礎的研究(I): 基本外来語の語形を中心に|author=戸田利彦|journal=比治山女子短期大学紀要|issue=28|pages=57-68|publisher=比治山学園|date=1993|naid=120005380016}}</ref>。英語の {{en|metre}} / {{en|meter}} からの外来語である「メーター」も特に口頭では使用されることがあるが、計量法上は、「メーター」の表記は用いることはできない(計量法第8条第1項)。 なお、「メーター」は[[計器]]の意味で用いられる語である<ref>{{Cite Kotobank|word=メーター|encyclopedia=デジタル大辞泉|accessdate=2020-7-21}}</ref>。 [[日本]]では[[1952年]]([[昭和]]27年)[[2月29日]]までは[[漢字]]で「'''米'''」と書かれていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/米|title=メートル【米】|publisher=[[コトバンク]]|author=[[大辞泉|デジタル大辞泉]]|accessdate=2016年11月12日|ref={{SfnRef|kotobank-米}}}}</ref>。 「米」は[[常用漢字]]表にあるものの、メートルの読みは常用漢字表にはなく、1952年(昭和27年)3月1日以降の[[計量法]]に則した取引・証明においては「米」の字を用いることはできない。 古くは「'''粁'''」([[キロメートル]])、「'''糎'''」([[センチメートル]])、「'''粍'''」([[ミリメートル]])にも漢字があてられ、準常用漢字として位置づけられていたが、[[1942年]](昭和17年)に[[国語審議会]]から発表された標準漢字表案の段階において準常用漢字から外され<ref>修正加え、二千五百二十八字本決り(昭和17年6月18日 毎日新聞(大阪))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p710 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>、[[戦後|第二次世界大戦後]]は使用機会も無くなった。 === 英語表記 === 国際規格[[ISO/IEC 80000|ISO/IEC 80000 series Quantities and units]]の規定では、[[単位記号]] m のみが国際的に定められており、単位名称は言語に依存するとしているが、本文には内規により[[イギリス英語]]綴り([[オクスフォード式綴り]])が用いられ<ref>{{Cite book|和書|title=ISO規格原案の作成 よくある質問 (FAQ) |url=https://webdesk.jsa.or.jp/pdf/dev/md_2646.pdf|publisher=ISO/日本規格協会|date=2017}}</ref>、met'''re'''表記が採用されている。 [[国際度量衡局]]が発行する国際単位系 (SI) 文書の英語版は上記のISO/IEC 80000 series Quantities and units.の表記に準拠している{{Sfn|BIPM|2019|p=124}}(meter → metre 以外では、liter → litre、deca → deka がある)。[[産業技術総合研究所]]計量標準総合センター (NMIJ) によって翻訳されたSI文書日本語版<ref>[https://unit.aist.go.jp/nmij/public/report/SI_9th/pdf/SI_9th_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88_r.pdf 国際単位系(SI)第9版(2019)日本語版] 産業技術総合研究所、計量標準総合センター、2020年4月</ref>でも、ISO/IEC 80000に準ずる[[日本産業規格]]JIS Z 8000においても、met'''re'''表記が採用されている。このため全てのJIS規格において、met'''re''' 表記となっている。 [[国際規格]]の水平規格である[[国際電気標準会議|IEC]] 60050({{仮リンク|国際電気技術用語集|en|International Electrotechnical Vocabulary|}}: IEV, electropedia)では各言語での表記を収録し、met'''re'''を英語での推奨用語として、met'''er'''を米国での同義語として収録している<ref>{{Cite web|url=http://www.electropedia.org/iev/iev.nsf/display?openform&ievref=112-02-05|title=Details for IEV number 112-02-05: "metre"|work=Electropedia|publisher=IEC|accessdate=2017-09-21}}</ref>。 [[国際純正・応用化学連合]] (IUPAC) のような国際的な学術団体では、表記が国際的に標準化されていないとして<ref>{{Cite journal|first=Antony N.|last=Davies|title=XML in Chemistry|journal=Chemistry International|volume=24|issue=4|publisher=IUPAC|date=2002-07|url=https://www.iupac.org/publications/ci/2002/2404/XML.html}}</ref>、met'''re'''表記に加えてmet'''er'''表記を許容する例もある<ref>{{Cite book|first1=S. E.|last1=Schwartz|first2=P.|last2=Warneck|title=Units for use in atmospheric chemistry (IUPAC Recommendations 1995)|journal=Pure and Applied Chemistry|volume=67|issue=8-9|pages=1377-1406|publisher=IUPAC|date=1995|doi=10.1351/pac199567081377}}</ref>。 [[国際天文学連合]]は、単位にはmet'''re'''を使うとし、met'''er'''は計器を示す文脈に使うよう明記している<ref>{{Cite web|url=https://www.iau.org/publications/proceedings_rules/units/|title=International System (SI) of units|publisher=IAU|accessdate=2017-09-21}}</ref>。 次項のアメリカ合衆国とフィリピン(の一部)における綴り met'''er''' は、数少ない例外である。米国では 1977年以降は、公式にmet'''er'''と綴られている<ref>{{cite web|url= http://www.metricationmatters.com/docs/Spelling_metre_or_meter.pdf |title=Spelling metre or meter|format=PDF|author= Pat Naughtin |date=2008 |publisher= Metrication Matters |language=英語|accessdate=2010-11-13}}</ref>(後述の[[メートル#米国における表記の経緯]]を参照)。 なお、単位の名称ではない、パーキングメータ(ー)やマイクロメータ(ー)、スピードメータ(ー)のような計器の名称には、「met'''er'''」の表記が多く使われている。 ==== 米国・フィリピンでの表記 ==== アメリカでも一時「met'''re'''」の綴りを使用していたが、1977年以降は公式に「met'''er'''」を用いるようになった<ref>[http://www.metricationmatters.com/docs/Spelling_metre_or_meter.pdf Spelling metre or meter] ページ3/15、Pat Naughtin, Metrication Matters, 2008年</ref>。1975年のメートル法転換法 ([[:en:Metric Conversion Act]] of 1975) によってアメリカ商務省はアメリカ国内においてSIの解釈と変更の責任を与えられ、商務省は[[アメリカ国立標準技術研究所]] (NIST) に対しSIの解釈と変更の裁量権を与えた。2008年にNISTは、BIPMが発表した「Le Système international d'unités (SI)」第8版の英語翻訳書 (BIPM, 2006) に対してアメリカ版を発行した (Taylor and Thompson, 2008a)。この中でNISTは[[合衆国政府印刷局]]が定める公文書書式マニュアル<ref>U.S. Government Printing Office Style Manual [https://www.gpo.gov/fdsys/pkg/GPO-STYLEMANUAL-2008/content-detail.html (2008)]</ref>に沿い、BIPM版の「met'''re'''」を「met'''er'''」、「lit'''re'''」([[リットル]])を「lit'''er'''」、「deca」([[デカ]]:10倍の意)を「deka」に置き換えた (Taylor and Thompson, 2008a, p. iii)。NIST所長は、公式にこの変更を表明し、これはアメリカ合衆国におけるSIの「法解釈」の結果であるとした<ref>[https://www.federalregister.gov/articles/2008/05/16/E8-11058/interpretation-of-the-international-system-of-units-the-metric-system-of-measurement-for-the-united Interpretation of the International System of Units (the Metric System of Measurement) for the United States A Notice by the National Institute of Standards and Technology on 05/16/2008] II. Modifications to the SI for Its Use in the United States のa.に次の記述がある。 a. The spelling of English words is in accordance with the United States Government Printing Office Style Manual, which follows Webster's Third New International Dictionary rather than the Oxford Dictionary. Thus, the spellings "meter," "liter," and "deca" are used rather than "metre," "litre," and "deka" as in the original BIPM English text; </ref><ref>{{Cite web| url=https://www.nist.gov/physical-measurement-laboratory/special-publication-811 |title=The NIST Guide for the Use of the International System of Units |accessdate=2017-03-26}} [https://www.nist.gov/pml/nist-guide-si-appendix-c-comments-references-appendix-d-bibliography#C2 付録C2]。</ref>。ただし2017年版の[[NIST#Handbook 44|NIST Handbook 44]]によれば、met'''re'''表記も許容されており、これは{{仮リンク|全米計量会議|en|National Conference on Weights and Measures}}によって支持されている<ref>[https://www.nist.gov/sites/default/files/documents/2016/11/10/02-frwrd-17-hb44-final.pdf Foreword] NIST Handbook 44,2017 "In accord with NIST policy, the meter/liter spellings are used in this document. However, the metre/litre spellings are acceptable, and are preferred by the NCWM." </ref>。 フィリピンでも、その計量法の規定においては「met'''re'''」の表記である<ref>[http://www.chanrobles.com/bataspambansabilang8.htm#.WFlNiPmLRaQ Batas Pambansa Blg. 8: An Act Defining the Metric System and its Units, Providing for its Implementation and for Other Purposes] Republic of the Philippines. (2 December 1978).</ref>。しかし、その他の法律や標準規格などでは「met'''er'''」としばしば表記されているのが実態である<ref>[http://www.bafps.da.gov.ph/images/Approved_Philippine_Standards/PNS-BAFS181-2016AbacaFiberDecorticated.pdf Abaca fiber - Grading and Classification - Decorticated] PHILIPPINE NATIONAL STANDARD PNS/BAFS 181:2016</ref>。 ==== 米国における表記の経緯 ==== 米国が1971年に、 International System of Units(国際単位系)のフランス語版(仏版が正式文書)を翻訳し、NBS Special Publication 330(現在の[[NIST]] SP330[https://www.nist.gov/pml/special-publication-330])として出版したときには、メートルは公式に、met'''re'''と綴り、リットルはlit'''re'''と綴られていた。これは、英国がグラムの綴りとして、-grammeではなく-gram を受け入れたこととの取引(「紳士協定」)と理解されていた。 しかしその後、米国内では、met'''er''', lit'''er'''を主張する様々な運動が展開され、1975年には 商務省 (Department of Commerce) が政府機関に -er の綴りとするようにアドバイスし、1977年のNIST SP330の改定時に、ついにmet'''er'''、lit'''er'''、そしてdeca →deka の綴りが採用されるに至った<ref>[http://www.metricationmatters.com/docs/Spelling_metre_or_meter.pdf Spelling metre or meter] by Pat Naughtin, Metrication Matters, 2008年</ref>。 === 派生語の英語発音 === -metre ( -meter) で終わる語のアクセントは、その直前にあるのが普通である。例えば speedometer(速度計)のアクセントは、speedo- の第2シラブルに強アクセントがある。しかし、kilometre, millimetre, nanometre などの倍量単位・分量単位の英語発音では、その接頭語 (kilo<ref>[https://en.oxforddictionaries.com/definition/kilometre]Usageを参照</ref>, milli, nano) の最初のシラブルに強アクセントがある。 なお、オーストラリア政府のメートル法転換局 (Metric Conversion Board) が1975年に、kilometreのアクセントは第1シラブルにあると公式に宣言したにもかかわらず、当時の首相の[[ゴフ・ホイットラム]]が、第2シラブルにアクセントがあるべきと主張したことがある<ref group="注">英米では、kilometreのアクセントの位置については様々な議論がある。例えば、[http://www.cimms.ou.edu/~doswell/peeves/Discussions.html], [http://not-the-aps.proboards.com/thread/1247/kilometres]</ref>。 === 漢字表記 === [[画像:ラジオ番組表 (1925年).jpg|thumb|400px|[[1925年]]の[[ラジオ]]番組表。『朝日年鑑 大正14年 – 大正15年』より。メートルの[[当て字]]「米突」が見られる。]] [[漢字]]では「米突」の字が宛てられており、ここから「米」一字だけでメートルの意味を表すようになった。日本では[[明治時代]]、中央気象台(現:[[気象庁]])が「米」を[[偏]]とする以下のような倍量・分量単位の漢字を作り、[[1891年]]([[明治]]24年)から各気象台で気象観測の月報などに使用して、一般にも広まった。一部は[[中国]]でも取り入れられている。 * マイクロメートル (&micro;m) - {{補助漢字フォント|粆}}(一微<ref name=Ogawa />)(元の国訓は「ミクロン」) * ミリメートル (mm) - 粍(一毛<ref name=Ogawa />) * センチメートル (cm) - 糎(一厘<ref name=Ogawa />) * デシメートル (dm) - 粉(元々「[[粉|こな]]」の意味の文字だが、デシメートルの意味は日本で作られたもの([[国訓]])である。)(一分<ref name=Ogawa />) * デカメートル (dam) - 籵 * ヘクトメートル (hm) - 粨 * キロメートル (km) - 粁 * ミリアメートル (10<sup>4</sup> m) - 𥸯(⿰米萬) 以上の様々な漢字表記は[[戦後]]まもなくまで使われたが、いずれも[[当用漢字]]<ref group"注">その後[[1981年]]に[[常用漢字]]へ改称</ref>から外されたうえ、[[1951年]]([[昭和]]26年)に施行された[[計量法]]上その使用は禁止されている<ref>[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404AC0000000051 計量法] 第8条第1項(非法定計量単位の使用の禁止)</ref>。 == 歴史 == === 起こり=== 長さの少数単位の提案は、記録された中では[[1668年]]に[[イングランド]]の[[哲学者]]{{仮リンク|ジョン・ウィルキンス|en|John Wilkins}}が著作『[[真性の文字と哲学的言語にむけての試論]]』提唱した普遍的測定単位 (universal measure) に見られる<ref name=Wilk1>{{Cite web|和書|url= http://www.metricationmatters.com/docs/WilkinsTranslationLong.pdf |format=PDF |title= An Essay towards a Real Character and a Philosophical Language (Reproduction)/真性の文字と哲学的言語にむけての試論 |author=ジョン・ウィルキンス|date=1668 |publisher= |language=英語|accessdate=2010-11-13}}</ref><ref name=Wilk2>{{Cite web|和書|url= http://www.metricationmatters.com/docs/WilkinsTranslationShort.pdf |format=PDF |title= An Essay towards a Real Character and a Philosophical Language (Transcription)/真性の文字と哲学的言語にむけての試論|author=ジョン・ウィルキンス|date=1668 |publisher= |language=英語|accessdate=2010-11-13}}</ref>。 同年ウィルキンスは、[[クリストファー・レン]]が提案した[[クリスティアーン・ホイヘンス]]が観察した2[[秒]]の間隔を刻む時の[[振り子]]の長さを標準長とする案を受け入れた。その長さは38ラインランド・インチおよび39.25イギリス・インチ (997mm) に相当した<ref name=Wilk1/><ref name=Wilk2/>。 === 名称=== [[1675年]]に[[イタリア]]の[[科学者]]{{仮リンク|ティト・リビオ・ブラッティーニ|en|Tito Livio Burattini}}が著作『Misura Universale』の中で、[[古代ギリシャ語]]の「{{lang|el|μέτρον καθολικόν}}(メトロン・カトリコン)」から普遍的測定単位を「metro cattolico」と書き表している。 [[フランス革命]]の直後の1790年5月に市民オーギュスト・サヴィニアン・ルブロンが長さの基本単位に対して、「メートル」という新たな名称を初めて提案した。彼はメートルという命名は「ひじょうにうまい表現であり、もともとフランス語だったと言ってもいいほどだ」と言っている<ref>ケン・オールダー、''万物の尺度を求めて''、p.117、早川書房、2006-03-31初版発行、ISBN 4-15-208664-5</ref>。これがフランスで正式に採用され(「mètre」)次いで英語の「metre」となった。なお、[[現代ギリシャ語]]では {{lang|el|μέτρο}}(メトロ)という。 === 子午線長による定義 === [[Image:Dunkerque Belfort.JPG|thumb|right|220px|[[ダンケルク]]の[[鐘楼]]。ドランブルが行った測定の北限。]] [[Image:Castell de Montjuic - Fossat entrada - Barcelona (Catalonia).jpg|thumb|220px|[[バルセロナ]]の[[ムンジュイック]]の丘にある[[要塞]]。メシャンが行った測定の南限。]] 人類がそれぞれの生活圏の中で過ごしている時代にはさして必要が無かったが、[[大航海時代]]を経て地球規模の[[航海]]や[[交流]]網が発達すると、長さの単位がまちまちな状態では不都合が多くなった<ref name=Hiroshima2>{{Cite web|和書|url=http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/Class/ESA00.html |title=授業科目『地球科学A』|chapter=第2回・「メートル」の由来とその定義。引用元『地球をはかる 新版地学教育講座1巻』、地球団体研究会、[[東海大学]]出版会、p15|author=|publisher=[[広島大学]]地球資源研究室|language=日本語|accessdate=2010-11-13}}</ref>。これに最も熱心に取り組んだのは、既に地球[[測量]]の実績を持つ<ref group="注">1736年から10年をかけて、フランスは[[地球]]の形状を把握するため[[ラップランド]]と[[ペルー]]で緯度1度あたりの距離計測を行った。{{Cite book|和書|author=村上陽一郎|date=1996|title=宇宙像の変遷|publisher=[[講談社]]|edition=第一刷|chapter=14.地球を測る|pages=189-201|isbn=4-06-159235-1}}</ref>[[フランス]]だった<ref name=Hiroshima2 />。{{See also|子午線弧#フランス科学アカデミー遠征隊のペルーとラップランドへの派遣|フランス科学アカデミーによる測地遠征|トルネ谷#フランスによる一大測地測量事業}} 1790年に[[フランス]]の[[シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール]]が普遍的な物理量基準の必要性を提唱し<ref>{{Cite book|和書|author=監修:今井秀孝|title=トコトンやさしい計量の本|chapter=第1章 計るって何だろう|pages=24-25|publisher=[[日刊工業新聞社]]|date=2007|edition=第1刷|isbn=978-4-526-05964-3}}</ref>、これを[[憲法制定国民議会|国民議会]]が承認して基準づくりへの取組が始まった<ref name=Keirin>{{Cite web|和書|url= http://www.shinko-keirin.co.jp/kori/science/ayumi/ayumi23.html |title=科学の歩みところどころ 第23回 1メートルはどうして決めた? |author=森一夫、児島昌雄|publisher=[[新興出版社啓林館|啓林館]] |language=日本語|date=1979年|accessdate=2010-11-13}}</ref>。当時、長さの標準単位を決める定義には、以下に示す3つの支持を集めた案があった。 # 北緯45度の[[緯度]]にて<ref>[[#田中館1934|田中館 (1934)、p. 2]]</ref>ウィルキンスの流れを汲んだ{{分数|1|2}}秒の[[周波数]]を持つ振り子の長さ(3ピエ8[[リーニュ (単位)|リーニュ]]{{分数|1|2}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.lib.geidai.ac.jp/MBULL/32Ichise.pdf|format=PDF |title=振子式装置が示す18世紀フランス舞曲のテンポ|page=4 |author=市瀬陽子|publisher=[[東京芸術大学]]附属図書館 |language=日本語|accessdate=2010-11-13}}</ref>) # [[地球]]の[[赤道]]全[[周長]]を4千万分の1にした長さ<ref name=Keirin /> # 同じく地球の[[子午線]]全周長を4千万分の1にした長さ<ref name=Keirin /> この問題はパリ科学学士院で検討され、[[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]、[[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ]]、[[ジャン=シャルル・ド・ボルダ]]らが議論に加わった<ref name=Keirin />。1791年、フランスの[[科学アカデミー (フランス)|科学アカデミー]]は子午線を基準に置く方法を選択した。その理由は、案1では実際の地球表面と[[ジオイド]]面との差異によって[[重力]]は一定にならないため振り子の振幅は変動する点が問題視され、また案2では[[海]]上や[[熱帯気候]]に当たる赤道での測定は困難と判断されたためである<ref name=Keirin />。 普遍的に受け入れられる基本的な長さの単位を設定するに当たり、当時知られていた子午線の長さよりも更に正確な[[測定]]が求められた。イギリスや[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の協力が得られず<ref name=Keirin />、フランス科学アカデミーは単独で<ref name=Keirin />[[ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブル]]と[[ピエール・メシャン]]を派遣して、1792年から[[子午線弧]]長の測定を[[三角測量]]にて<ref>[[#田中館1934|田中館 (1934)、pp. 3–5]]</ref>行わせた。[[パリ]]を起点に、北の[[ダンケルク]]へはドランブル一行が<ref name=Alder1>[[#オールダー2006|オールダー (2006)、pp. 25–57、第1章 北へ向かった天文学者]]</ref>、南の[[スペイン]]の[[バルセロナ]]へはメシャン一行が<ref name=Alder2>[[#オールダー2006|オールダー (2006)、pp. 58–94、第2章 南へ向かった天文学者]]</ref>それぞれ計測を担当し、緯度差9[[度 (角度)|°]]39[[分 (角度)|′]]27[[秒 (角度)|″]].81<ref name=Hiroshima2 />の距離を最新の[[経緯儀]]などを携えて測量を開始した。しかし時は[[フランス革命]]のさ中にあり、持っていた測定機器から反革命分子のスパイ活動と間違えられたり<ref name=Alder1 />、[[フランス革命戦争]]のためメシャンはスペインで足止めされる<ref name=Alder2 />など幾多の困難に直面した<ref name=Keirin />。その間にも政府は、暫定的に[[ニコラ・ルイ・ド・ラカーユ]]の測定値を用いて、新しい単位メートルを「パリを通過する北極点と赤道をつなぐ子午線長の10<sup>7</sup>分の1を定める」という法律を1795年に公布した<ref name=Niigata>{{Cite web|和書|url=http://museum-eng.eng.niigata-u.ac.jp/c/1_metre.html |title=「メートル」の定義と歴史/参考文献『単位の辞典』、小泉袈裟勝、1965年|author=原田修治|publisher=[[新潟大学]]工学部|language=日本語|accessdate=2010-11-13}}</ref>。測量は、1798年に完遂された<ref name=Keirin />。 測量から計算された結果、子午線全周の{{分数|1|4}}に当たる[[北極点]]から赤道までの子午線弧長は{{gaps|5|130|740}}[[トワーズ]]という数値が計算された<ref name=Keirin />。測定の終了を受けて、1799年にフランスは、これを1千万分の1にした値3ピエ11.296リーニュを1メートルと定めた<ref name=Keirin />。これは、1ヤードや2キュービットといった既存の長さ単位を意識して採用された<ref name=Wada30>[[#和田2002|和田 (2002)、第2章 長さ、時間、質量の単位の歴史、pp. 30–31、1. 長さの単位:地球から原器へ]]</ref>。そして、[[白金]]で作られた板状の<ref name=Wada30 />メートル原器(端度器<ref name=Hiroshima>{{Cite web|和書|url=http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/ES_Y_07.html |title=地球科学用語集 |chapter=【ま行】メートル(metre[英]、meter[米])|author=|publisher=[[広島大学]]地球資源研究室|language=日本語|accessdate=2010-11-13}}</ref>)を製作し、これを[[フランス国立中央文書館]]に保管した<ref name=Keirin />。これはアルシーヴ原器 (Mètre des Archives) と呼ばれた<ref name=Keirin />。 この新しい長さの単位は、旧来の慣れ親しんだ[[寸法]]からすぐには切替わらなかった。フランスは1837年にメートル法以外の単位使用を法律で禁じ<ref name=Alder12>[[#オールダー2006|オールダー (2006)、pp. 413 第12章 メートル化された地球]]</ref><ref group="注">書類1枚につき10フラン、公務員の場合20フランの罰金。同時に質量単位のポンドも使用規制の対象となった。[[#田中館1934|田中館 (1934)、pp. 10–11]]</ref>、1851年の[[ロンドン万国博覧会 (1851年)|ロンドン万国博覧会]]や1867年の[[パリ万国博覧会 (1867年)|パリ万国博覧会]]などで[[広報]]活動を行い、普及に努めた<ref name=Keirin />。そのうち、[[蒸気機関車]]の発明による[[鉄道]]敷設や、実験を重視する[[科学]]の発達が統一基準の普及を求め、[[電気]]単位への採用などを通じてメートルは広まった<ref>[[#田中館1934|田中館 (1934)、pp. 10–13]]</ref>。 [[Image:Mètre-étalon Paris.JPG|right|thumb|220px|1796年から1797年にかけて啓蒙のために[[パリ]]の街中に16基設置されたメートル原器 (Mètre-étalon)。写真は[[6区 (パリ)|6区]]の{{仮リンク|ヴォージラール通り|en|Rue de Vaugirard}}36]] === メートル原器 === {{Main|メートル法|メートル条約|メートル原器}} 現実には、地球の[[地殻]]表面は単純な正球または楕円球ではなく、標準長を設定する際の絶対的な基準とするには馴染まない<ref name=Wada30 />。これが地球科学の発展で明らかとなってきた事に加え、ふたたび基準値を観測で得ようとすると、また地球を測るという費用と時間および労力をかけなければならないことから再現性が疑問視された<ref name=Saijyo1-3>[[#西條2009|西條 (2009)、1講.メートル、pp. 4–5. 3. 国際メートル原器を長さの基準に]]</ref>。このため、1869年にアルシーヴ原器そのものが副原器の立場からメートルの基準そのものと変更された<ref name=Wada30 />。 1870年代から、現代的な観点から新しい[[メートル法]]の規格を検討する一連の国際会議が開催された。1870年にフランスが主催した第1回国際メートル委員会は[[普仏戦争]]の影響で参加国が少なく実効的な決議を得られなかった<ref name=Saijyo1-3 />。1872年には第2回委員会が開かれ<ref name=Saijyo1-3 />、30本の原器を製作することが決まった<ref name=Tanaka17>[[#田中館1934|田中館 (1934)、p. 17]]</ref>。これは、アルシーヴの原器を基準に<ref name=Niigata />、白金90%と[[イリジウム]]10%の[[合金]]を用い、[[氷]]が[[融解]]する[[温度]]環境下で原器に刻まれた2本の目盛りの間を1mの基準とする<ref>[[#nistmetre|National Institute of Standards and Technology 2003; Historical context of the SI: Unit of length (meter)]]</ref>、全長102cm、「X」字型の断面は[[アンリ・トレスカ]]が考案した形状が採用された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ruth.chem.yamaguchi-u.ac.jp/tannihan.htm |title=単位のおはなし|author=|publisher=[[山口大学]]工学部|language=日本語|accessdate=2010-11-13}}</ref>)<ref name=Hiroshima />。しかし、この原器は1875年の[[メートル条約]]に基づいた[[国際度量衡局]] (Bureau International des Poids et Mesures, BIPM) 設立(フランスの[[セーヴル]])に間に合わなかった<ref name=Tanaka17 /><ref group="注">当初フランスで製造されたが不純物が規定の2.0%を上回り、改めてイギリスのジョンソン・マシュー社が作り直した。[[#田中館1934|田中館 (1934)、p.17]]</ref>。 1889年、[[国際度量衡総会]] (Conférence Générale des Poids et Mesures, CGPM) 第1回大会が開催され、30本のうち最も正確と判断されたNo.6原器を正式な[[メートル原器|国際メートル原器]]と認定してこれを保管し、他の原器は[[国家]]単位へ配布した<ref>[[#田中館1934|田中館 (1934)、p.22]]</ref><ref group="注">日本へはNo.22原器が割り当てられた。[[#田中館1934|田中館 (1934)、図版-3]]</ref>。 このオリジナルとなるメートル原器はBIPMによって特別な環境下で1889年まで保存された。しかし、原器は製作当初から精度に対する物理的な限界が指摘され<ref name=Niigata />、同時に経時的変化や紛失・焼損のリスク<ref group="注">イギリスのポンド・ヤード原器は1834年に焼損の憂き目に遭った。[http://www.ehdo.go.jp/niigata/npc/kouza/H20/Aug05.pdf 単位のいま・むかし、スライド25、新潟職業能力開発短期大学校、制御技術科、金川明]</ref>が常につきまとった<ref name=Hiroshima />。また、長さの原器となるものについての議論は続き、さらに[[アメリカ国立標準技術研究所]]によってメートル原器には製作時の[[誤差]]があることが発見された<ref name=Beers>[[#beers1992|Beers & Penzes 1992]]</ref>。 === クリプトン-86スペクトル長による定義 === 1873年、[[ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]は著書『電磁気学』にて普遍的で高精度が期待される[[光]]の特定[[波長]]をメートルの単位にすべきという発想を示した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/stfc/stt099j/0906_03_featurearticles/0906fa02/200906_fa02.html |title=電磁気学における混乱とCPT対称性の意義‐対称性に結びつく単位系‐|author=市口恒雄|publisher=科学技術政策研究所|language=日本語|accessdate=2010-11-13}}</ref>。1893年、メートル原器へ初めての[[干渉法]]による計測が、マクスウェルと同じ主張を唱える[[アルバート・マイケルソン]]によって行われた。1925年まで、干渉法はBIPMにて一般的に用いられたが、国際メートル原器は1960年まで長さの基準の地位にあった。しかし、暫定的に 0[[セルシウス度|{{℃}}]] 1[[気圧]]の[[乾燥]]環境における[[カドミウム]][[赤色|赤]]線の波長 {{gaps|6438.4696|e=-10|u=m}} が使われつつ、色々な同位体元素の[[電磁スペクトル]]が検討された<ref name=Hiroshima />。 そして、1960年の第11回CGPMにて[[国際単位系]]によってメートルの定義は、[[クリプトンの同位体|クリプトン-86]]が[[真空]]中で発する電磁スペクトルである[[オレンジ色]]‐赤色の[[放出スペクトル|発光スペクトル]]が示す[[波長]]の{{gaps|1|650|763.73}}倍と等しい長さへと変更された<ref name=Hiroshima /><ref name=Niigata />。この「0.73」という半端な小数点以下部分は、あくまでメートル原器の長さに波長数を合わせたためである<ref name=Wada32>[[#和田2002|和田 (2002)、第2章 長さ、時間、質量の単位の歴史、pp. 30–31、2.長さの単位:原器から光へ]]</ref>。その後継続して[[レーザー]]の安定放出や測定方法の精度向上が図られた<ref name=Hiroshima />が、クリプトンランプを使う実験では再現性の悪さも問題となっていた<ref name=Niigata />。 === 光の速度による定義 === 不確実性の低減を目指し、1983年の第17回CGPMでメートルの定義はさらに変更され、現在用いられている「[[光速]]」と「秒」で表す方法になった。これは[[セシウム]][[原子時計]]が発明され、正確な「秒」が決められた事と表裏一体を成している<ref name=Hiroshima2 />。 この定義は、真空中の光速を[[有効数字]]9桁という高い精度となる {{gaps|299|792|458|u=m/s}} と固定して得たものである<ref name=Saijyo1-5>[[#西條2009|西條 (2009)、1講. メートル、pp. 7–8. 5. 光の速さを長さの標準に]]</ref>。さらに、[[特殊相対性理論]]によって光は[[光源]]の動きや方向に関わりなく、またどんな波長(振動数)でも一定であり、そして不変だという点が重視された<ref name=Saijyo1-5 />。 このように現在採用されるメートルは一定時間における光が進む距離で定義されているが、実験室で現実に再現されるメートルは未だに標準的なレーザー<ref group="注">例えば、国立物理研究所 (National Physical Laboratory) のウェブサイト[http://www.npl.co.uk/science-technology/time-frequency/optical-frequency-standards-and-metrology/research/iodine-stabilised-lasers]では[[ヨウ素]]安定化レーザーを用いている。</ref>を用いて干渉法で波長の数を数える測定をして得られる「図による表現」である。そして、この方法では3つの大きな制約が精度に課せられている<ref name=Webster2>[[#zagar1999|Zagar, 1999, pp. 6-67''ff''.]]</ref>。 * 観測対象の真空下における波長の[[不確かさ (測定)|不確かさ]] * 媒体で生じる[[屈折率]]の不確かさ * 干渉計がレーザーを数える際の解像度 メートルの定義には以下の関係式が用いられる。 :<math> \lambda = \frac{c}{nf} .</math> ''λ'' は決定された波長、''c'' は理想的な真空中における光速、''n'' は測定がされる媒体の屈折率、''f'' は周波数を表す。この方法では、長さは最も正確な測定値のひとつである周波数 ''f'' に関連づけられる<ref name=Webster2/>。 第17回CGPMで決定したこの定義では、科学者が行うレーザー波長の測定において不確かさを1/5に抑える副次的効果が意図された。さらに、研究室ごとの再現性も容易にするために、第17回CGPMでは[[ヨウ素]]で安定化した[[ヘリウム]] - [[ネオン]]レーザーを推奨している。これによれば、波長は {{nowrap|1=λ<sub>HeNe</sub> = {{val|632.99139822|u=nm}}}} となり、関連する不確かさ (U) の期待値は {{val|2.5|e=-11}} となる<ref>[[#penzes2005|Penzes 2005]]</ref><ref group="注">参照[http://search.bipm.org/bipm/en/C=?q=HeNe+metre+632.991&uia=s&setcontext=&x=0&y=0]([[BIPM]]データベース)、[http://inms-ienm.nrc-cnrc.gc.ca/research/optical_frequency_si_e.html Optical Frequency - Maintaining the SI Metre] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20081220062439/http://inms-ienm.nrc-cnrc.gc.ca/research/optical_frequency_si_e.html|date=2008年12月20日}}/{{仮リンク|カナダ国立研究評議会|en|National Research Council of Canada}}(2008年)</ref>これは[[秒]]の定義における不確かさ ({{nowrap|1=''U'' = {{val|5|e=-16}}}}) よりも数段劣り、実験室における再現性には限界があることを表している<ref>{{cite web|url= http://tf.nist.gov/timefreq/cesium/fountain.htm |title= NIST-F1 Cesium Fountain Atomic Clock ;The Primary Time and Frequency Standard for the United States|author=|date=2009 (Last update 2010-10-05) |publisher= NIST, Physical Measurement Laboratory|language=英語|accessdate=2010-11-13}}</ref>。その結果、現在使われるメートルの実用的な設定は定義と違って真空中のヘリウム - ネオンレーザー波長 {{gaps|1|579|800.298|728(39)}}個分で叙述される。 1999年から2000年には測定の絶対性を高めるために[[超短パルス|超短光パルスレーザー]]を用いる「光周波数コム」を利用した計測<ref>広帯域かつ繰り返し周波数で決まる等間隔の櫛状 (comb) のスペクトルを持つ光が超短光パルスレーザーより得られる。[[国際原子時]]と連動している[[協定世界時]]に合わせ正確に繰り返し周波数を同期させることで櫛状の光そのものを光周波数の物差しとすることが出来る。{{Cite web|和書|url=https://unit.aist.go.jp/ripm/freqmeas/measurement.html |title="広帯域光周波数(500-1684 nm)校正/測定サービス" |publisher="独立行政法人 産業技術総合研究所 周波数計測研究グループ" |date=2016-11-18|language=日本語|accessdate=2017-02-24}}</ref>がアメリカや[[ドイツ]]を中心に提案され、この成果を受けて開発者の[[ジョン・ホール (物理学者)|ジョン・ホール]](アメリカ)と[[テオドール・ヘンシュ]](ドイツ)には2005年の[[ノーベル物理学賞]]が授与された<ref name=Sansou>{{Cite web|和書|url=https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2009/pr20090716/pr20090716.html |title=「長さの国家基準」が新方式に|author=|publisher=独立行政法人 産業技術総合研究所 広報部 広報業務室|date=2009-07-16|language=日本語|accessdate=2010-11-13}}</ref>。日本は[[2009年]]([[平成]]21年)[[7月16日]]に国家標準を光周波数コム装置へ変更した<ref name=Sansou />。 === 定義の変遷 === *[[1790年]][[5月8日]] - フランス革命後の国民議会が新たに、周波数が1/2秒となる振り子の長さを1メートルと定義した。 *[[1791年]][[3月30日]] - フランス科学アカデミーが提案したパリを通過する北極点から赤道までの子午線の距離を1千万分の1にした長さを1メートルとする提案を国民議会が承認した。 *[[1795年]] - [[黄銅]]製の暫定的なメートル原器が製作された。 *[[1799年]][[12月10日]] - 国民議会は、1799年[[6月23日]]に製作されフランス国立中央文書館に保管された白金製メートル原器(アルシーヴ原器)を基準に指定した。 *[[1869年]]([[明治]]2年) - アルシーヴ原器そのものが1メートルの基準とされた<ref name=Wada30 />。 *[[1889年]](明治22年)[[9月28日]] - 第1回国際度量衡総会 (CGPM) が開催され、白金と10 %イリジウム合金製メートル原器に刻まれた2本の線が、氷が融ける温度にて示す距離を1メートルと定義された。 *[[1927年]]([[昭和]]2年)[[10月6日]] - 第7回国際度量衡総会にて再定義が施された。温度0 {{℃}}・標準[[気圧]] (1 atm) の環境にて、水平面上に間隔を571 mm開けて平行になるよう設置した直径1 cm以上の円柱(ロール)2本の上に白金 (Pt) - イリジウム (Ir) 合金製メートル原器を置き、原器に刻まれた2つの中心線の軸を挟む距離を1メートルと規定した。 *[[1960年]](昭和35年)[[10月14日]] - 第11回国際度量衡総会にて定義が一新され、[[クリプトン]]86[[原子]]の準位 2p<sup>10</sup> と 5d<sup>5</sup> との間の遷移に対応する光の真空中における波長の {{gaps|1|650|763.73}} 倍に等しい長さを1メートルとした<ref>[http://physics.nist.gov/Pubs/SP447/app6.pdf National Institute of Standards and Technology]</ref>。 *[[1983年]](昭和58年)[[10月21日]] - 第17回国際度量衡総会にて、1メートルは真空中で光が{{gaps|1/299|792|458}}秒に進む距離と再定義された<ref>[[#taylor2008a|Taylor and Thompson (2008a), Appendix 1, p. 70.]]</ref>。 *[[2002年]]([[平成]]14年) - [[国際度量衡委員会]] (International Committee for Weights and Measures, CIPM) は、メートルが[[固有長]]であるべきであり、[[一般相対性理論]]が予測する効果はほとんど影響を及ぼさず、ありうる実測の不確かさは無視してもかまわないとみなした<ref name="taylor2008a77">[[#taylor2008a|Taylor and Thompson (2008a)]], Appendix 1, p. 77.</ref>。 {| class="wikitable" |+1795年以降のメートルの定義と不確かさの変遷 <ref>Cardarelli, Francois ''Encydopaedia of scientific units, weights, and measures: their SI equivalences and origins'', Springer-Verlag London Limited 2003, ISBN 1-85233-682-X, page 5, table 2.1, data from Giacomo, P., ''Du platine a la lumiere'', Bull. Bur. Nat. Metrologie, 102 (1995) 5–14.</ref> ! 年 ! 定義内容 ! 絶対的な不確かさ ! 相対的な不確かさ |- | 1795年 |子午線1/4相当の距離の{{gaps|1/10|000|000}}。<br />ドランブルとメシャンの測定から | 0.5–0.1&nbsp;mm | 10<sup>−4</sup> |- | 1869年<ref name=Wada30 /> | 最初の原器「Metre des Archives」。白金製。<br />フランス国立中央文書館保管。 | 0.05–0.01&nbsp;mm | 10<sup>−5</sup> |- | 1889年 | 白金-イリジウム合金製原器の氷融点温度時の長さ<br />(第1回CGPM) | 0.2–0.1&nbsp;µm | 10<sup>−7</sup> |- | 1960年 | 原子変換;クリプトン86の光の波長の {{gaps|1|650|763.73}} 倍<br />(第11回CGPM) |0.01–0.005&nbsp;µm | 10<sup>−8</sup> |- | 1983年 | 真空中で光が {{gaps|1/299|792|458}} 秒に進む距離<br />(第17回CGPM) | 0.1&nbsp;nm |10<sup>−10</sup> |} === 取扱い === 原器を廃した現在の基準では、メートルは計測器(計量器)の測定結果が根底の基準となる。そのための具体的な計量器が指定され、日本の場合は[[計量法]]第134条に基づいて「特定標準器」を[[経済産業大臣]]が指定し、これが「国家基準」となる<ref name=Sansou />。[[2009年]]([[平成]]21年)[[7月16日]]に日本はメートル計量器指定を更新し、「モード同期ファイバレーザ」を使用する光周波数コムが採用された。これは従来の方法よりも300倍の精度向上を果たしている<ref name=Sansou />。 最新の定義は光速を基準にしているが、CIPMは過去のクリプトンスペクトル長を基準としたメートルおよびそれを基にした測定結果を否定した訳ではない。問題は、それぞれの不確かさにある差であり、測定結果を取扱う際にこれを充分念頭に置くことが必要としている。逆に、求める測定誤差範囲によっては光速以外の方法で基準のメートルを求めても良いものとしている<ref name=Hiroshima />。 == 倍量単位・分量単位 == [[SI接頭語]]では、メートルの[[十進法]]による[[物理単位#倍量単位・分量単位|倍量単位・分量単位]]を定めている<ref>[https://unit.aist.go.jp/nmij/public/report/SI_9th/pdf/SI_9th_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88_r.pdf 国際単位系(SI)第9版(2019)日本語版] p.112、産業技術総合研究所、計量標準総合センター、2020年4月</ref>。定義上あり得る全ての単位を以下の表に示す。実用されているものは太字で示す。 {{SI multiples |symbol=m |unit=メートル |note=実用されている単位を太字で示す |k= |xk = [[キロメートル]] |c= |xc = [[センチメートル]] |m= |xm = [[ミリメートル]] |mc= |xmc = [[マイクロメートル]] |n= |xn = [[ナノメートル]] |p= |xp = [[ピコメートル]] |f= |xf = [[フェムトメートル]] |a= |xa = [[アトメートル]] |xM = [[メガメートル]] |xG = [[ギガメートル]] |xT = [[テラメートル]] |xP = [[ペタメートル]] |xE = [[エクサメートル]] |xZ = [[ゼタメートル]] |xY = [[ヨタメートル]] |xR = [[ロナメートル]] |xQ = [[クエタメートル]] |xz = [[ゼプトメートル]] |xy = [[ヨクトメートル]] |xr = [[ロントメートル]] |xq = [[クエクトメートル]] |xd = [[デシメートル]] |xda = [[デカメートル]] |xh = [[ヘクトメートル]] }} かつてはミクロン (micron) がマイクロメートル (micrometre) の代わりに使われることがあった。しかし、この単位は国際単位系 (SI) でも日本の計量法でも現在は認められておらず、使用することはできない<ref>[http://physics.nist.gov/Pubs/SP811/sec05.html ''NIST Guide to the SI: #5.2.3 Other Unacceptable Units'' - Retrieved 12 March 2010]</ref>。 フェムトメートルには、[[エンリコ・フェルミ|フェルミ]]または[[湯川秀樹|ユカワ]]の別名があった<ref name=Ogawa>{{Cite web|和書|url=http://www2.kobe-u.ac.jp/~lerl2/QPE(I)_04_10_08.pdf |format=PDF |title=量子物理工学I|author=小川真人|publisher=[[神戸大学]]工学部電気電子工学科|language=日本語|accessdate=2010-11-13}}</ref> 長大な距離ではkmだけでなく、[[天文単位]]や[[光年]]または[[パーセク]]といった単位が用いられることが多い。kmを超える倍量単位は、実用上ほとんど使われない。またかつては1万倍を表す「[[ミリア]]」という接頭語も存在したが、これもあまり用いられることなく、現在では廃止されている。 分量単位では、[[アトメートル]] (am) が[[現代物理学]]で解明されている最小スケールであり、それより小さいものでは[[プランク長]] (&sim; 10{{sup|&minus;35}} m) オーダーまで表すべき長さが現在のところほとんど存在しないため、理論上は考えられるもののほとんど使われない。 == 派生単位 == メートルはSIの基本単位であり、メートルから派生した単位は多数あるため、ここで全てを挙げることはせず、メートルのみを使用した単位 (整数 ''n'' を用いて、"m<sup>''n''</sup>" と略されるもののみ)を挙げる。 * m<sup>2</sup> -- [[平方メートル]]。[[面積]]。 * m<sup>3</sup> -- [[立方メートル]]。[[体積]]。 *m<sup>4</sup> --[[四次元空間]]。[[断面二次モーメント]]。 * m<sup>&minus;1</sup> -- [[毎メートル]]。[[波数]]など。 * m<sup>&minus;2</sup> -- [[毎平方メートル]]。[[人口密度]]など。 * m<sup>&minus;3</sup> -- [[毎立方メートル]]。不純物の割合など。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|13209|3399|-|フェムトメートル}} {{CharCode|13210|339A|-|ナノメートル}} {{CharCode|13211|339B|-|マイクロメートル}} {{CharCode|13212|339C|1-13-48|ミリメートル|font=JIS2004フォント}} {{CharCode|13213|339D|1-13-49|センチメートル|font=JIS2004フォント}} {{CharCode|13175|3377|-|デシメートル|font=個別|family='源ノ角ゴシック Normal','源ノ角ゴシック JP Normal','Noto Sans CJK JP DemiLight','メイリオ',Meiryo,'VL ゴシック','VL Gothic','花園明朝A',HanaMinA,'AR PL Ukai CN',Code2000,'和田研中丸ゴシック2004絵文字',WadaLabChuMaruGo2004Emoji,YOzFont,'和田研細丸ゴシック2004絵文字',WadaLabMaruGo2004Emoji,'Nishiki-teki'}} {{CharCode|13214|339E|1-13-50|キロメートル|font=JIS2004フォント}} {{CharCode|13133|334D|1-13-35|全角メートル|font=JIS2004フォント}} {{CharCode|13078|3316|-|全角キロメートル|font=MacJapanese}} |} [[Unicode]]には、[[CJK互換用文字]]として上記の文字が収録されている。これらは、既存の文字コードに対する後方互換性のために収録されているものであり、使用は推奨されない<ref>{{cite web|url=http://www.unicode.org/charts/PDF/U3300.pdf|title=CJK Compatibility|accessdate=2016-02-21|date=2015}}</ref><ref>{{cite web|publisher=The Unicode Consortium|title=The Unicode Standard, Version 8.0.0|location=Mountain View, CA|date=2015|isbn=978-1-936213-10-8|url=http://www.unicode.org/versions/Unicode8.0.0|accessdate=2016-02-21}}</ref>。 == 他の単位との関係 == {{長さの単位 (短)}} {{長さの単位 (長)}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [https://unit.aist.go.jp/nmij/public/report/SI_9th/pdf/SI_9th_%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E7%89%88_r.pdf 国際単位系(SI)第9版(2019)日本語版] 産業技術総合研究所、計量標準総合センター、2020年4月 * {{cite web|url= https://www.bipm.org/utils/common/pdf/si-brochure/SI-Brochure-9.pdf |format=PDF|author= |title= The International System of Units (SI) |publisher=国際度量衡局 (BIPM)|date=2019|language=フランス語、英語|accessdate=2020-7-21|ref={{SfnRef|BIPM|2019}}}} * {{cite web|url= http://ts.nist.gov/MeasurementServices/Calibrations/upload/4998.pdf |format=PDF|author=John S. Beers, William B. Penzes |title= NIST Length Scale Interferometer Measurement Assurance. (NISTIR 4998) |publisher=[[アメリカ国立標準技術研究所]] |date=1992|language=英語|accessdate=2010-11-15|ref=beers1992}} * {{cite web|url=http://www.bipm.fr/en/convention/resolutions.html|author=|title=Resolutions of the CGPM|publisher=国際度量衡局 (BIPM)|date=|language=|accessdate=2010-11-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20060613235309/http://www.bipm.fr/en/convention/resolutions.html|archivedate=2006年6月13日|deadlinkdate=2017年9月}} * {{cite web|url=http://www1.bipm.org/en/si/history-si/evolution_metre.html|author=|title=The BIPM and the evolution of the definition of the metre|publisher=国際度量衡局 (BIPM)|date=|language=|accessdate=2010-11-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20060614012159/http://www1.bipm.org/en/si/history-si/evolution_metre.html|archivedate=2006年6月14日|deadlinkdate=2017年9月}} * {{cite web|url= http://physics.nist.gov/cuu/Constants/codata.pdf |format=PDF|author=Peter J. Mohr, Barry N. Taylor, David B. Newell |title= CODATA Recommended Values of the Fundamental Physical Constants: 2006 |publisher= Gaithersburg, MD: [[アメリカ国立標準技術研究所]] (NIST) |date=2007-12-28|language= 英語|accessdate=2010-11-15}} * {{cite web|url= http://physics.nist.gov/cuu/Units/index.html |author= |title= The NIST Reference on Constants, Units, and Uncertainty: International System of Units (SI) |publisher=アメリカ国立標準技術研究所 (NIST) |date=2003-12|language= 英語|accessdate=2010-11-15}} ** [http://physics.nist.gov/cuu/Units/units.html ''SI base units'']. 2010-11-15閲覧 ** [http://physics.nist.gov/cuu/Units/current.html ''Definitions of the SI base units'']. 2010-11-15閲覧 ** {{Anchors|nistmetre}}nistmetre[http://physics.nist.gov/cuu/Units/meter.html ''Historical context of the SI: Metre'']. 2010-11-15閲覧 * {{cite web|url=http://inms-ienm.nrc-cnrc.gc.ca/research/optical_frequency_si_e.html|author=|title=Optical Frequency - Maintaining the SI Metre|publisher=National Research Council Canada|date=2008-05-16|language=英語|accessdate=2010-11-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081220062439/http://inms-ienm.nrc-cnrc.gc.ca/research/optical_frequency_si_e.html|archivedate=2008年12月20日|deadlinkdate=2017年9月}} * {{Anchors|penzes2005}}penzes2005{{cite web|url= http://www.mel.nist.gov/div821/museum/timeline.htm |format=PDF|author= Penzes, W |title=Time Line for the Definition of the Meter |publisher=アメリカ国立標準技術研究所 (NIST) |date=2009-12-29|language= 英語|accessdate=2010-11-15}} * {{Anchors|taylor2008a}}taylor2008a{{cite web|url= http://physics.nist.gov/Pubs/SP330/sp330.pdf |format=PDF|author=Barry N. Taylor, Ambler Thompson |title= ''The International System of Units (SI)''. United States version of the English text of the eighth edition (2006) of the International Bureau of Weights and Measures publication ''Le Système International d’ Unités (SI)'' (Special Publication 330) |edition=2008|publisher=アメリカ国立標準技術研究所 (NIST)|date=2008-08-18|language= 英語|accessdate=2010-11-15}} * {{Anchors|taylor2008b}}taylor2008b{{cite web|url= http://physics.nist.gov/cuu/pdf/sp811.pdf |format=PDF|author= Barry N. Taylor, Ambler Thompson |title= Guide for the Use of the International System of Units (Special Publication 811) |publisher=アメリカ国立標準技術研究所 (NIST)|date=2008|language= 英語|accessdate=2010-11-15}} * {{cite web|url= http://histoire.du.metre.free.fr/en/ |author= Tibo Qorl (Translated by Sibille Rouzaud)|title= The History of the Meter |publisher=|date=2005|language= 英語|accessdate=2010-11-15}} * {{Anchors|turner}}turner{{cite web|url=http://ts.nist.gov/WeightsAndMeasures/Metric/upload/FRN_Vol_73_No_96_16May2008_SI_Interpretation.pdf|format=PDF|author=James M. Turner (Deputy Director of the National Institute of Standards and Technology)|title=Interpretation of the International System of Units (the Metric System of Measurement) for the United States|publisher=Federal Register|edition=Vol. 73, No. 96, p.&nbsp;28432–28433|date=2008-05-16|language=英語|accessdate=2010-11-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090326162948/http://ts.nist.gov/WeightsAndMeasures/Metric/upload/FRN_Vol_73_No_96_16May2008_SI_Interpretation.pdf|archivedate=2009年3月26日|deadlinkdate=2017年9月}} * {{Cite book|last=Zagar|first= B.G.|coauthors= |date= 1999年|title=The Measurement, Instrumentation, and Sensors Handbook.|publisher= CRC Press |url= https://books.google.co.jp/books?id=VXQdq0B3tnUC&pg=PT164&redir_esc=y&hl=ja#PPT160,M1|isbn = 0849383471|ref=zagar1999}} * {{Cite book|和書|author=田中館愛橘|authorlink=田中館愛橘|date=1934|title=メートル法の歴史と現在の問題|publisher=[[岩波書店]]|edition=第1刷|url=https://books.google.co.jp/books?id=qt8Eew0L9nQC&pg=PA26&dq=%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB+%E5%AE%9A%E7%BE%A9+%E6%AD%B4%E5%8F%B2&hl=ja&ei=xE7aTKacGIXyvQOE7uGkCg&sa=X&oi=book_result&ct=book-preview-link&resnum=4&ved=0CDEQuwUwAw#v=onepage&q&f=false|ref=田中館1934}} * {{Cite book|和書|author=ケン・オールダー|translator=吉田三知世|date=2006|title=万物の尺度を求めて メートル法を定めた子午線大計測|publisher=[[早川書房]] |edition=第1刷|isbn=4-15-208664-5|ref=オールダー2006}} * {{Cite book|和書|author=西條敏美|date=2009|title=単位の成り立ち|publisher=恒星社厚生閣|edition=第1刷|isbn=978-4-7699-1099-2|ref=西條2009}} * {{Cite book|和書|author=和田純夫|coauthors=大上雅史、根本和昭|date=2002|title=単位がわかると物理がわかる|publisher=ベレ出版|edition=初刷|isbn=4-86064-013-6|ref=和田2002}} == 関連項目 == *[[長さの比較]] ** [[1 E0 m]] : 1 m - 10 m *[[長さの単位]] *[[単位]] *[[メーターゲージ]] - [[軌間]]がちょうど1メートルである鉄道。 == 外部リンク == {{Wiktionary|メートル}} {{Commonscat|Metre}} * {{en icon}} [http://www1.bipm.org/en/si/si_brochure/chapter2/2-1/metre.html BIPM - metre] - [[国際度量衡局]]のサイト内のメートルの定義 * {{en icon}} Layer, H.P. (2008). [http://www.mel.nist.gov/div821/museum/length.htm ''Length—Evolution from Measurement Standard to a Fundamental Constant'']. Gaithersburg, MD: National Institute of Standards and Technology. Retrieved 18 August 2008. <!-- Information there not yet included in article --> * {{ja icon}}[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404AC0000000051 計量法]、[https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=404CO0000000358_20150801_000000000000000 計量法附則第三条の計量単位等を定める政令] * {{EoE|Meter|Meter}} * {{Kotobank}} {{Unit of length.(m)}} {{SI units navbox}} {{Good article}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:めえとる}} [[Category:長さの単位]] [[Category:SI基本単位]] [[Category:シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール]] [[Category:アントワーヌ・ラヴォアジエ]] [[Category:ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ]] [[Category:フランス語の語句]]
2003-02-28T14:36:38Z
2023-12-12T06:21:16Z
false
false
false
[ "Template:Wiktionary", "Template:Unit of length.(m)", "Template:Cite book", "Template:Sfn", "Template:仮リンク", "Template:Nowrap", "Template:Webarchive", "Template:Fr", "Template:En", "Template:Val", "Template:長さの単位 (短)", "Template:Cite journal", "Template:Cite Kotobank", "Template:Lang-en-us", "Template:補助漢字フォント", "Template:Notelist2", "Template:Kotobank", "Template:SI units navbox", "Template:特殊文字", "Template:Lang-fr", "Template:Quotation", "Template:Sub", "Template:Lang", "Template:SI multiples", "Template:Commonscat", "Template:En icon", "Template:WikipediaPage", "Template:分数", "Template:脚注ヘルプ", "Template:EoE", "Template:Sup", "Template:See also", "Template:Main", "Template:℃", "Template:CharCode", "Template:Anchors", "Template:Ja icon", "Template:Good article", "Template:単位", "Template:Gaps", "Template:長さの単位 (長)", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Normdaten", "Template:Lang-en-short" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB
3,075
ビデオCD
ビデオCD(VCD)は、コンパクトディスクに動画や音声などを記録し、対応機器で再生するための規格。1993年に登場した。規格書は表紙の色から「ホワイトブック」と呼ばれる。 ビデオCDの登場時期に展開されていた映像メディアとしてはレーザーディスク、VHS、ベータマックス、8ミリビデオなどがある。これらはいずれもアナログ記録である一方ビデオCDはデジタルビデオ規格である。1993年に開発が始まった次世代メディアであるDVDの普及までの間を埋めるべく登場した。 世界的には映像ソフトは普及しなかったが、再生機能自体は様々なプレーヤーに搭載された。 ビデオCDに収録される形式は標準化されている。映像の解像度はNTSCでは352×240ピクセル、PALでは352×288ピクセルとなっており、DVD(480i、576i)と比較した場合、約4分の1の画素数である。再生の際に少ない画素を演算処理で補完する事により、テレビ画面ではNTSCの場合では720×480ピクセル、PALでは720×576ピクセルで出力される。また、SECAMでも画素が補完される。映像の圧縮形式はMPEG-1で、ビットレートは1150kbits/(キロビット毎秒)、オーディオの圧縮形式はMPEG-1 Layer 2で、224kbit/sが割り当てられている。 ビデオCDではシステムストリームがCD-ROMフォーマットに準拠して記録されるが、セクタ長が2048byteであるモード1ではなく、誤り訂正能力が落ちる反面ビットレートや容量を大きく確保できるモード2フォーム2(CD-ROM XAフォーマット)が採用されており、ビットレートはオーディオCD(1411.2 kbps)とほぼ等しい。そのため、容量が650MB(メガバイト)のコンパクトディスクには、オーディオCDと基準時間と同じ長さである74分の映像が収録できる計算となる。 Version 2.0では簡易メニュー機能(プレイバックコントロール)を持たせ、高精細静止画再生には704*480又は704*576画素)の画像を収録できるようになっている。 ビデオCDの映像画質は「VHS(ノーマルVHS)の3倍モードと同程度」とされるが、VHSのアナログ形式と異なりデジタル形式で格納されているため、画像が安定している。具体的には、ジッターと呼ばれる映像の細かい横揺れが無く、輝度ノイズや色ノイズも少ない。また、ビデオテープではわずかな傷やゴミでもドロップアウトが発生するが、ビデオCDはエラー訂正があるためディスクに多少の傷や汚れがあっても正しく再生される。 ただし、ビットレートが低いうえMPEG-1の圧縮効率の悪さもあって、動きの激しいシーンではDCT特有のブロックノイズが発生する。 上記特徴が故に、VHSと比較して画質が見劣りする上に、再生時間が74分であったため、一部映画作品は2,3枚組で発売されたが、映像タイトルでの発売は主にカラオケやアニメが中心となった。既に広く普及していたVHSの牙城を崩すことはできず、その後2000年にPlayStation 2が登場してからはDVDに主流が移ったため、正規品として商業的に活用された期間は数年程度と短かった。 旧来の一般的なDVDプレーヤーには、ビデオCDの再生に対応しているものも多かったが、2000年代半ば以降は記録型DVDや、MPEG-4 AVCフォーマットの普及に伴い対応機器の数は減っている。2009年現在で広く普及しているDVDレコーダーやBDレコーダーなど、録画機能付き機器でその傾向にある。 CDの物理規格を映像記録に転用したものであり、比較的安価に製造できるため、DVDが登場する以前から、レーザーディスクより安くVHSより高品質なメディアとして、香港やフィリピン、台湾などのアジア地域で広く普及した。 DVDが普及した2009年現在でも正規品として供給されるビデオCDの映像作品が極少数存在する一方、海賊版も多い。DVDと違い、ビデオCDにはコピーガードおよびリージョンコードが導入されていないことも海賊版が多い一因となっている。日本の作品での例として、アニメやドラマなどの全話を収録したLD-BOXが数万円で販売されていた時期に、香港や台湾において同じく日本のアニメやドラマを全話収録したビデオCDが数千円程度で販売されており、こういった商品はネットオークションなどを通じて、日本にも出回っていた。香港や台湾への日本人旅行者が、ビデオCDを購入して持ち帰ることもあった。 また1990年代前半の中国においてはVHSレコーダーが他国より普及していなかったことから、これに着目した中国企業が中国市場向けに積極的にビデオCDプレーヤーを展開したことで各家庭に普及、2010年代においても新規タイトルが発売されていた。 日本・海外ともに2010年代後半になり、Blu-ray Discやネット配信が主流になると、コスト面でビデオCDを選択する意味も無くなり、中古市場以外での流通は終焉している。 本規格を改良し、映像をMPEG-2に対応させ、より圧縮率を高めた「スーパービデオCD(SVCD)」も存在するほか、「KVCD」と呼ばれるものも存在する。これらは通常のビデオCDと比較してビットレートがかなり高く(最大2.6Mbps)、一枚あたりの記録時間はそれらの規格より短くなる(30分程度)。NTSC・PALいずれにも対応している。これらの形式は正式に標準化はされていないが、既存技術の組み合わせであるため、ソフトウェアの設定次第でパソコンのCD-ROMドライブで再生できる。また、いくつかのDVDプレーヤーでも再生ができる場合がある。 そのほかにも中華人民共和国だけで普及している形式として、DVCDやダブルビデオCDも存在する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ビデオCD(VCD)は、コンパクトディスクに動画や音声などを記録し、対応機器で再生するための規格。1993年に登場した。規格書は表紙の色から「ホワイトブック」と呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ビデオCDの登場時期に展開されていた映像メディアとしてはレーザーディスク、VHS、ベータマックス、8ミリビデオなどがある。これらはいずれもアナログ記録である一方ビデオCDはデジタルビデオ規格である。1993年に開発が始まった次世代メディアであるDVDの普及までの間を埋めるべく登場した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "世界的には映像ソフトは普及しなかったが、再生機能自体は様々なプレーヤーに搭載された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ビデオCDに収録される形式は標準化されている。映像の解像度はNTSCでは352×240ピクセル、PALでは352×288ピクセルとなっており、DVD(480i、576i)と比較した場合、約4分の1の画素数である。再生の際に少ない画素を演算処理で補完する事により、テレビ画面ではNTSCの場合では720×480ピクセル、PALでは720×576ピクセルで出力される。また、SECAMでも画素が補完される。映像の圧縮形式はMPEG-1で、ビットレートは1150kbits/(キロビット毎秒)、オーディオの圧縮形式はMPEG-1 Layer 2で、224kbit/sが割り当てられている。", "title": "規格仕様" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ビデオCDではシステムストリームがCD-ROMフォーマットに準拠して記録されるが、セクタ長が2048byteであるモード1ではなく、誤り訂正能力が落ちる反面ビットレートや容量を大きく確保できるモード2フォーム2(CD-ROM XAフォーマット)が採用されており、ビットレートはオーディオCD(1411.2 kbps)とほぼ等しい。そのため、容量が650MB(メガバイト)のコンパクトディスクには、オーディオCDと基準時間と同じ長さである74分の映像が収録できる計算となる。", "title": "規格仕様" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "Version 2.0では簡易メニュー機能(プレイバックコントロール)を持たせ、高精細静止画再生には704*480又は704*576画素)の画像を収録できるようになっている。", "title": "規格仕様" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ビデオCDの映像画質は「VHS(ノーマルVHS)の3倍モードと同程度」とされるが、VHSのアナログ形式と異なりデジタル形式で格納されているため、画像が安定している。具体的には、ジッターと呼ばれる映像の細かい横揺れが無く、輝度ノイズや色ノイズも少ない。また、ビデオテープではわずかな傷やゴミでもドロップアウトが発生するが、ビデオCDはエラー訂正があるためディスクに多少の傷や汚れがあっても正しく再生される。 ただし、ビットレートが低いうえMPEG-1の圧縮効率の悪さもあって、動きの激しいシーンではDCT特有のブロックノイズが発生する。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "上記特徴が故に、VHSと比較して画質が見劣りする上に、再生時間が74分であったため、一部映画作品は2,3枚組で発売されたが、映像タイトルでの発売は主にカラオケやアニメが中心となった。既に広く普及していたVHSの牙城を崩すことはできず、その後2000年にPlayStation 2が登場してからはDVDに主流が移ったため、正規品として商業的に活用された期間は数年程度と短かった。", "title": "普及状況" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "旧来の一般的なDVDプレーヤーには、ビデオCDの再生に対応しているものも多かったが、2000年代半ば以降は記録型DVDや、MPEG-4 AVCフォーマットの普及に伴い対応機器の数は減っている。2009年現在で広く普及しているDVDレコーダーやBDレコーダーなど、録画機能付き機器でその傾向にある。", "title": "普及状況" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "CDの物理規格を映像記録に転用したものであり、比較的安価に製造できるため、DVDが登場する以前から、レーザーディスクより安くVHSより高品質なメディアとして、香港やフィリピン、台湾などのアジア地域で広く普及した。", "title": "普及状況" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "DVDが普及した2009年現在でも正規品として供給されるビデオCDの映像作品が極少数存在する一方、海賊版も多い。DVDと違い、ビデオCDにはコピーガードおよびリージョンコードが導入されていないことも海賊版が多い一因となっている。日本の作品での例として、アニメやドラマなどの全話を収録したLD-BOXが数万円で販売されていた時期に、香港や台湾において同じく日本のアニメやドラマを全話収録したビデオCDが数千円程度で販売されており、こういった商品はネットオークションなどを通じて、日本にも出回っていた。香港や台湾への日本人旅行者が、ビデオCDを購入して持ち帰ることもあった。", "title": "普及状況" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "また1990年代前半の中国においてはVHSレコーダーが他国より普及していなかったことから、これに着目した中国企業が中国市場向けに積極的にビデオCDプレーヤーを展開したことで各家庭に普及、2010年代においても新規タイトルが発売されていた。", "title": "普及状況" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "日本・海外ともに2010年代後半になり、Blu-ray Discやネット配信が主流になると、コスト面でビデオCDを選択する意味も無くなり、中古市場以外での流通は終焉している。", "title": "普及状況" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "本規格を改良し、映像をMPEG-2に対応させ、より圧縮率を高めた「スーパービデオCD(SVCD)」も存在するほか、「KVCD」と呼ばれるものも存在する。これらは通常のビデオCDと比較してビットレートがかなり高く(最大2.6Mbps)、一枚あたりの記録時間はそれらの規格より短くなる(30分程度)。NTSC・PALいずれにも対応している。これらの形式は正式に標準化はされていないが、既存技術の組み合わせであるため、ソフトウェアの設定次第でパソコンのCD-ROMドライブで再生できる。また、いくつかのDVDプレーヤーでも再生ができる場合がある。", "title": "類似規格" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "そのほかにも中華人民共和国だけで普及している形式として、DVCDやダブルビデオCDも存在する。", "title": "類似規格" } ]
ビデオCD(VCD)は、コンパクトディスクに動画や音声などを記録し、対応機器で再生するための規格。1993年に登場した。規格書は表紙の色から「ホワイトブック」と呼ばれる。
{{混同|CDビデオ}} {{pathnav|メディア (媒体)|記録媒体|光ディスク|コンパクトディスク|frame=1}} {{ディスクメディア |名称=VIDEO CD |ロゴ=ファイル:VCDlogo.svg|サムネイル|ビデオCDロゴマーク|200px |画像= |画像コメント= |種類=光ディスク |容量=79分58秒 |フォーマット= |コーデック=MPEG-1 |回転速度=200 - 530rpm |読み取り方法=780nm赤外線レーザー |読み込み速度= |回転制御= |策定=[[JVC]]、[[パナソニック]]、[[ソニー]]、[[フィリップス]] |用途=映像 |ディスク径=12cm |大きさ=120×120×1.2mm |重さ= |上位= |下位= |関連=[[コンパクトディスク]] }} '''ビデオCD'''('''VCD''')は、[[コンパクトディスク]]に動画や音声などを記録し、対応機器で再生するための規格。[[1993年]]に登場した。規格書は表紙の色から「ホワイトブック」と呼ばれる<ref>{{Cite web |url=https://www.lscdweb.com/ordering/cd_products.html |title=CD Products |publisher=フィリップス |accessdate=2020-08-08}}</ref>。 == 概要 == ビデオCDの登場時期に展開されていた映像メディアとしては[[レーザーディスク]]、[[VHS]]、[[ベータマックス]]、[[8ミリビデオ]]などがある。これらはいずれもアナログ記録である一方ビデオCDは[[デジタルビデオ]]規格である。1993年に開発が始まった次世代メディアである[[DVD]]の普及までの間を埋めるべく登場した<ref>{{Cite web|和書|date=2018-03 |url=http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/pdf/105.pdf#page=70 |title=技術の系統化調査報告「コンパクトディスク(CD)の開発、実用化技術系統化調査」 |format=PDF |publisher=国立科学博物館産業技術史資料情報センター |accessdate=2020-07-12}}</ref>。 世界的には映像ソフトは普及しなかったが、再生機能自体は様々なプレーヤーに搭載された。 == 規格仕様 == *[[NTSC]] **352×240 *[[PAL]] **352×288 ビデオCDに収録される形式は標準化されている。映像の解像度はNTSCでは352×240[[ピクセル]]、PALでは352×288ピクセルとなっており、DVD([[480i]]、[[576i]])と比較した場合、約4分の1の画素数である。再生の際に少ない[[画素]]を演算処理で[[映像のコンバート#アップコンバート|補完]]する事により、テレビ画面では[[NTSC]]の場合では720×480ピクセル、[[PAL]]では720×576ピクセルで出力される。また、[[SECAM]]でも画素が補完される。映像の圧縮形式は[[MPEG-1]]で、[[ビットレート]]は1150kbits/(キロ[[ビット毎秒]])、オーディオの圧縮形式はMPEG-1 Layer 2で、224kbit/sが割り当てられている。 ビデオCDではシステムストリームがCD-ROMフォーマットに準拠して記録されるが、セクタ長が2048byteであるモード1ではなく、誤り訂正能力が落ちる反面ビットレートや容量を大きく確保できるモード2フォーム2(CD-ROM XAフォーマット)が採用されており、ビットレートはオーディオCD(1411.2 kbps)とほぼ等しい。そのため、容量が650MB([[メガバイト]])のコンパクトディスクには、オーディオCDと基準時間と同じ長さである74分の映像が収録できる計算となる。 Version 2.0では簡易メニュー機能(プレイバックコントロール)を持たせ、高精細静止画再生には704*480又は704*576画素)の画像を収録できるようになっている<ref>{{Cite web|和書| url=https://www.winxdvd.com/blog/vcd.htm | title=VCD又はビデオCDについての豆知識 | work=Digiarty Software | accessdate=2017-04-26}}</ref><ref>{{Cite book|title=週刊ファミコン通信 no.327|date=1995年3月24日|year=1995|publisher=株式会社アスキー|page=89}}</ref>。 == 特徴 == ビデオCDの映像画質は「[[VHS]](ノーマルVHS)の3倍モードと同程度」とされるが、VHSの[[アナログ]]形式と異なり[[デジタル]]形式で格納されているため、画像が安定している。具体的には、[[ジッター]]と呼ばれる映像の細かい横揺れが無く、輝度ノイズや色ノイズも少ない。また、ビデオテープではわずかな傷やゴミでも[[ドロップアウト]]が発生するが、ビデオCDはエラー訂正があるためディスクに多少の傷や汚れがあっても正しく再生される。 ただし、[[ビット毎秒|ビットレート]]が低いうえ[[MPEG-1]]の圧縮効率の悪さもあって、動きの激しいシーンでは[[離散コサイン変換|DCT]]特有の[[ブロックノイズ]]が発生する。 == 普及状況 == === 日本 === 上記特徴が故に、VHSと比較して画質が見劣りする上に、再生時間が74分であったため、一部映画作品は2,3枚組で発売されたが、映像タイトルでの発売は主にカラオケやアニメが中心となった。既に広く普及していたVHSの牙城を崩すことはできず、その後[[2000年]]に[[PlayStation 2]]が登場してからはDVDに主流が移ったため、正規品として商業的に活用された期間は数年程度と短かった。 旧来の一般的な[[DVDプレーヤー]]には、ビデオCDの再生に対応しているものも多かったが、[[2000年代]]半ば以降は記録型DVDや、[[H.264|MPEG-4 AVC]]フォーマットの普及に伴い対応機器の数は減っている。2009年現在で広く普及している[[DVDレコーダー]]や[[BDレコーダー]]など、録画機能付き機器でその傾向にある。 === 海外 === CDの物理規格を映像記録に転用したものであり、比較的安価に製造できるため、DVDが登場する以前から、レーザーディスクより安くVHSより高品質なメディアとして、[[香港]]や[[フィリピン]]、[[台湾]]などの[[アジア]]地域で広く普及した。 DVDが普及した[[2009年]]現在でも正規品として供給されるビデオCDの映像作品が極少数存在する一方、[[海賊版]]も多い<ref>{{Cite web|和書|url=https://megalodon.jp/2009-1113-1438-00/business.nikkeibp.co.jp/article/world/20091112/209619/ |title=海賊版横行でDVDメーカーに打撃 デジタルサービス、キャラクター商品強化で事態の打開を図る |date=2009-11-13|accessdate=2022-01-09}}</ref>。DVDと違い、ビデオCDには[[コピーガード]]および[[リージョンコード]]が導入されていないことも海賊版が多い一因となっている。日本の作品での例として、アニメやドラマなどの全話を収録したLD-BOXが数万円で販売されていた時期に、[[香港]]や[[台湾]]において同じく日本のアニメやドラマを全話収録したビデオCDが数千円程度で販売されており、こういった商品は[[ネットオークション]]などを通じて、日本にも出回っていた。香港や台湾への日本人旅行者が、ビデオCDを購入して持ち帰ることもあった。 また[[1990年代]]前半の中国においてはVHSレコーダーが他国より普及していなかったことから、これに着目した中国企業が中国市場向けに積極的にビデオCDプレーヤーを展開したことで各家庭に普及、2010年代においても新規タイトルが発売されていた<ref>{{Cite web|和書|author=徐 航明|title=VCDを知っていますか|url=https://xtech.nikkei.com/dm/article/COLUMN/20110622/192819/|website=日経クロステック(xTECH)|date=2011-06-23|accessdate=2021-12-21}}</ref>。 日本・海外ともに[[2010年代]]後半になり、[[Blu-ray Disc]]や[[ネット配信]]が主流になると、コスト面でビデオCDを選択する意味も無くなり、中古市場以外での流通は終焉している。 == 類似規格 == 本規格を改良し、映像を[[MPEG-2]]に対応させ、より圧縮率を高めた「[[スーパービデオCD]](SVCD)」も存在するほか、「[[KVCD]]」と呼ばれるものも存在する。これらは通常のビデオCDと比較してビットレートがかなり高く(最大2.6Mbps)、一枚あたりの記録時間はそれらの規格より短くなる(30分程度)。NTSC・PALいずれにも対応している。これらの形式は正式に標準化はされていないが、既存技術の組み合わせであるため、ソフトウェアの設定次第で[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]のCD-ROMドライブで再生できる。また、いくつかのDVDプレーヤーでも再生ができる場合がある。 そのほかにも[[中華人民共和国]][[ガラパゴス化|だけで普及している形式]]として、[[DVCD]]や[[ダブルビデオCD]]も存在する。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == * [[CDビデオ]] - ビデオCDよりも前に策定された規格 * [[miniDVD]] - CDにDVDと同様の形式で収録する規格 * [[DVD-Video]] {{CD規格}} {{Video storage formats}} {{デフォルトソート:ひておしいてい}} [[Category:ビデオディスク]] [[category:コンパクトディスク]]
2003-02-28T14:50:30Z
2023-10-24T08:05:05Z
false
false
false
[ "Template:Cite book", "Template:CD規格", "Template:Video storage formats", "Template:混同", "Template:Pathnav", "Template:ディスクメディア", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AACD
3,076
Linuxディストリビューション
LinuxディストリビューションはLinuxカーネルとその他ソフトウェア群を1つにまとめ、利用者が容易にインストール・利用できるようにしたものである。 Linuxカーネルはプロセスやソケット通信などの機能を提供する。これらは様々なソフトウェアを動作させるうえで基礎となる重要な機能であるが、ユーザーが利用する機能としては非常にプリミティブである。例えばカーネルそのものにはOS起動時のデーモン自動起動機能は存在しないし、Bashのようなインタラクティブコンソール機能も存在しない。これらの機能はすべてLinuxカーネルを利用するGNUなどによって作られた個別のソフトウェアによって実現されている。 ユーザーの利便性を高めるためにLinuxカーネルとこれらソフトウェア群を1つのパッケージにしたものがLinuxディストリビューションである。無償・有償様々なdistribution=配布・流通・頒布形態が存在し、各ディストリビューションはその理念・目的によって派生し、それぞれ異なるソフトウェアをパッケージに含んでいる。ユーザーはLinuxディストリビューションをインストールするだけでシェル機能やパッケージ管理機能、デスクトップ環境などを利用することができる。 カーネルの他、基本的なUNIXのツールやユーティリティ、その他サーバ向けやデスクトップ環境向けのソフトウェアを集め、ビルドしてバイナリパッケージを作成し提供している。その他、最初のインストールの際に必要なインストーラ等といった補助的なシステムが付属する。バイナリパッケージを利用するという形態のために、rpmやdebなど、何らかのバイナリパッケージシステムの採用がほぼ必須であり、どのシステムを採用しているかがディストリビューションの主要な特徴のひとつとなる。aptやyumなどより上位のパッケージ管理システムも、現代ではほぼ必須である。 これらはソフトウェア構成の例であり、他にも様々なソフトウェアをインストールできる。 ディストリビューションは、自由に配布、利用の出来るソフトウェア(フリーソフトウェア)だけを集め、無料で提供されるものと、利用に料金を払う必要のある商用ソフトウェアや企業によるサポートを受けられる権利を含んだ有料のものに分けられる。大抵の場合、前者はFTPなどで公開されており、Torrentを利用した配布をするディストリビューションも存在する。後者はユーザー数などに制限のあるライセンス契約によって提供される。どちらの場合も、CD-ROM等によって入手することができる。GNU/Linuxディストリビューターによっては両方を用意している場合や、サポートのみ有償で受けられる場合もある。 パッケージ管理システムとしてPacmanを使っている。主要なものは以下の通り。 パッケージ管理システムにdeb形式を使っている。主要なものは以下の通り。 パッケージ管理システムとしてRPMを使っている。主要なものは以下の通り。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "LinuxディストリビューションはLinuxカーネルとその他ソフトウェア群を1つにまとめ、利用者が容易にインストール・利用できるようにしたものである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "Linuxカーネルはプロセスやソケット通信などの機能を提供する。これらは様々なソフトウェアを動作させるうえで基礎となる重要な機能であるが、ユーザーが利用する機能としては非常にプリミティブである。例えばカーネルそのものにはOS起動時のデーモン自動起動機能は存在しないし、Bashのようなインタラクティブコンソール機能も存在しない。これらの機能はすべてLinuxカーネルを利用するGNUなどによって作られた個別のソフトウェアによって実現されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ユーザーの利便性を高めるためにLinuxカーネルとこれらソフトウェア群を1つのパッケージにしたものがLinuxディストリビューションである。無償・有償様々なdistribution=配布・流通・頒布形態が存在し、各ディストリビューションはその理念・目的によって派生し、それぞれ異なるソフトウェアをパッケージに含んでいる。ユーザーはLinuxディストリビューションをインストールするだけでシェル機能やパッケージ管理機能、デスクトップ環境などを利用することができる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "カーネルの他、基本的なUNIXのツールやユーティリティ、その他サーバ向けやデスクトップ環境向けのソフトウェアを集め、ビルドしてバイナリパッケージを作成し提供している。その他、最初のインストールの際に必要なインストーラ等といった補助的なシステムが付属する。バイナリパッケージを利用するという形態のために、rpmやdebなど、何らかのバイナリパッケージシステムの採用がほぼ必須であり、どのシステムを採用しているかがディストリビューションの主要な特徴のひとつとなる。aptやyumなどより上位のパッケージ管理システムも、現代ではほぼ必須である。", "title": "コンポーネント" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "これらはソフトウェア構成の例であり、他にも様々なソフトウェアをインストールできる。", "title": "コンポーネント" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ディストリビューションは、自由に配布、利用の出来るソフトウェア(フリーソフトウェア)だけを集め、無料で提供されるものと、利用に料金を払う必要のある商用ソフトウェアや企業によるサポートを受けられる権利を含んだ有料のものに分けられる。大抵の場合、前者はFTPなどで公開されており、Torrentを利用した配布をするディストリビューションも存在する。後者はユーザー数などに制限のあるライセンス契約によって提供される。どちらの場合も、CD-ROM等によって入手することができる。GNU/Linuxディストリビューターによっては両方を用意している場合や、サポートのみ有償で受けられる場合もある。", "title": "配布方法" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "パッケージ管理システムとしてPacmanを使っている。主要なものは以下の通り。", "title": "Arch系" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "パッケージ管理システムにdeb形式を使っている。主要なものは以下の通り。", "title": "Debian系" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "パッケージ管理システムとしてRPMを使っている。主要なものは以下の通り。", "title": "Red Hat系" } ]
LinuxディストリビューションはLinuxカーネルとその他ソフトウェア群を1つにまとめ、利用者が容易にインストール・利用できるようにしたものである。
'''Linuxディストリビューション'''は[[Linux|Linuxカーネル]]とその他ソフトウェア群を1つにまとめ、利用者が容易に[[インストール]]・利用できるようにしたものである。 == 概要 == [[Linux|Linuxカーネル]]は[[プロセス]]や[[ソケット (BSD)|ソケット通信]]などの機能を提供する。これらは様々なソフトウェアを動作させるうえで基礎となる重要な機能であるが、ユーザーが利用する機能としては非常にプリミティブである。例えばカーネルそのものにはOS起動時のデーモン自動起動機能は存在しないし、[[Bash]]のようなインタラクティブコンソール機能も存在しない。これらの機能はすべて[[Linux|Linuxカーネル]]を利用する[[GNUプロジェクト|GNU]]などによって作られた個別のソフトウェアによって実現されている。 ユーザーの利便性を高めるためにLinuxカーネルとこれらソフトウェア群を1つのパッケージにしたものがLinuxディストリビューションである。無償・有償様々な[[ディストリビューション|distribution]]=配布・流通・頒布形態が存在し、各ディストリビューションはその理念・目的によって[[フォーク (ソフトウェア開発)|派生]]し、それぞれ異なるソフトウェアをパッケージに含んでいる。ユーザーはLinuxディストリビューションをインストールするだけでシェル機能やパッケージ管理機能、デスクトップ環境などを利用することができる。 == コンポーネント == [[カーネル]]の他、基本的なUNIXのツールやユーティリティ、その他[[サーバ]]向けや[[デスクトップ環境]]向けの[[ソフトウェア]]を集め、ビルドして[[バイナリパッケージ]]を作成し提供している。その他、最初のインストールの際に必要な[[インストール|インストーラ]]等といった補助的なシステムが付属する。バイナリパッケージを利用するという形態のために、rpmやdebなど、何らかのバイナリパッケージシステムの採用がほぼ必須であり、どのシステムを採用しているかがディストリビューションの主要な特徴のひとつとなる。aptやyumなどより上位の[[パッケージ管理システム]]も、現代ではほぼ必須である。 * [[Linuxカーネル]] ** (Linuxカーネル以外の場合は「Linuxディストリビューション」ではない([[Debian GNU/kFreeBSD]]や[[Debian GNU/Hurd]]など)) ** その他、カーネルモジュール等 * 必須なツールやユーティリティやライブラリ ** util-linux([[:en:Util-linux]]) ** [[GNU Core Utilities]](coreutilsとも。昔のfileutils, shellutils, textutilsは全てcoreutilsに取り込まれた) ** [[Bourne Shell]] 互換シェル(他のシェルと違い /bin/sh として必須である(Debian系では[[Debian Almquist shell|Dash]]が/bin/shに使われることも多い)) ** [[Unixシェル]] ** [[GNU Cライブラリ|glibc]] * 起動に必要なもの **[[init]] ** /etc などの基本的なファイル群 **[[GNU GRUB|GRUB]]や[[LILO]]のようなブートローダー *エディタ **[[Emacs]] **[[Nano (テキストエディタ)|nano]] **[[vim]] * コンパイラ等 ** [[GNU Binutils]] (binutils) ** [[GNUコンパイラコレクション|GCC]] * 各種の設定を行うソフト * [[スクリプト言語]] **[[AWK|awk]] **[[perl]] **[[python]] **[[Sed (コンピュータ)|sed]] * GUI関係 **[[X Window System|X11]]のフリーな実装である[[XFree86]]、[[X.Org Foundation|XOrg]] ***[[デスクトップ環境]]として[[GNOME]]、[[KDE]]、[[Xfce]]、[[LXDE]] *** [[ウィンドウマネージャ]] * デスクトップ向けアプリケーション ** [[ウェブブラウザ]] ** [[電子メールクライアント]] ** [[テキストエディタ]] ** [[オフィススイート]] ** [[マルチメディア]] ** [[ゲーム]] * サーバ向けアプリケーション ** [[メールサーバ]] ** [[Webサーバ]] ** [[データベース管理システム]] * ソフトウェア開発向けアプリケーション ** 多数のコンピュータ言語開発環境 これらはソフトウェア構成の例であり、他にも様々なソフトウェアをインストールできる。 == 配布方法 == ディストリビューションは、自由に配布、利用の出来るソフトウェア([[フリーソフトウェア]])だけを集め、無料で提供されるものと、利用に料金を払う必要のある商用ソフトウェアや企業によるサポートを受けられる権利を含んだ有料のものに分けられる。大抵の場合、前者は[[File Transfer Protocol|FTP]]などで公開されており、[[Torrent]]を利用した配布をするディストリビューション<ref group="注">例えば[http://www.ubuntulinux.jp/download/ja-remix Ubuntu]など。</ref>も存在する。後者はユーザー数などに制限のあるライセンス契約によって提供される。どちらの場合も、[[CD-ROM]]等によって入手することができる。GNU/Linuxディストリビューターによっては両方を用意している場合や、サポートのみ有償で受けられる場合もある。 == Arch系 == [[パッケージ管理システム]]として[[Pacman]]を使っている。主要なものは以下の通り。 * [[Arch Linux]] : 非常にシンプルなディストリビューション。 ** [[Asahi Linux]] : [[Appleシリコン|M1チップ]]搭載[[Macintosh|Mac]]での動作を目指すディストリビューション。 ** [[Audiophile Linux]]<ref>[https://www.ap-linux.com/ AudioPhile Linux | Quality audio on Linux]</ref> : [[Fluxbox]]を採用した、[[オーディオ]]愛好家向けOS。 ** [[BlackArch Linux]] : [[コンピュータセキュリティ|セキュリティ]]テスト用ディストリビューション。 ** [[EndeavourOS]] : 2019年に開発停止となった[[Antergos]]の後継。 ** [[Manjaro]] : Arch Linuxをベースに、プリインストールされたデスクトップ環境、GUIによるインストーラー等を備えたもの。 ** [[Parabola GNU/Linux-libre]] : Arch Linuxからフリーでないソフトウェアを除去し、100%フリーなソフトウェアで構成されたもの。 ** [[SteamOS]] : ゲーム配信サービス[[Steam]]の運営元が開発した[[ゲームパソコン|ゲーミングPC]]用OS。Debian系から移行。 === 開発停止 === * [[Antergos]] : Arch Linuxをベースに、GUIによるインストーラーであるCnchiを備えたもの。 == Debian系 == [[File:Screenshot-debian_wheezy_ja.png|thumb|250px|Debian GNU/Linux 7.5<br />(GNOMEデスクトップ)]] [[File:Screenshot_of_Ubuntu_15.10_Desktop_live_CD.png|thumb|250px|Ubuntu Desktop 15.10]] [[File:Kubuntu-13.10-Saucy-Salamander.png|thumb|250px|Kubuntu 13.10]] [[File:Xubuntu_14.04_LTS.png|thumb|250px|Xubuntu 14.04 LTS]] パッケージ管理システムに[[deb]]形式を使っている。主要なものは以下の通り。 * [[Debian GNU/Linux]] : 100%[[自由ソフトウェア]]であることが理念、コミュニティベース。 **[[ARMA aka Omoikane GNU/Linux]] : [[ファイルシステム]]に[[XFS]]を採用している。 ** {{仮リンク|Astra Linux|en|Astra Linux}}<ref>{{URL|www.astralinux.ru}}</ref>:[[ロシア連邦|ロシアの政府機関]]における[[:ru:Astra Linux|正式のOS]]のひとつ。 ** [[Clonezilla]] - [[補助記憶装置|ディスク]]または[[パーティション]]の複製(クローニング)ならびに[[ディスクドライブ仮想化ソフト|イメージ作成]](イメージング)用。 **{{仮リンク|Freespire|en|Freespire}} : [[Linspire]]の無料版。CDブート/HDDインストール共可能。 ** [[gNewSense]] : [[GNUプロジェクト#GNU FSDG|GNU FSDG]]に適合し、[[フリーソフトウェア財団]]の支援を受ける。[[Linux-libre]]を使用し、ファームウェアのレベルまで100%自由ソフトで構成される。 ** [[Kali Linux]] : Debianベースの1DVDタイプ。[[ペネトレーションテスト]]目的に特化していることが特徴。[[BackTrack]]から[[フォーク (ソフトウェア開発)|派生]]。 ** {{仮リンク|KANOTIX|en|Kanotix}} : DebianベースでCDブート/HDDインストール共可能。 ** [[KNOPPIX]] : DebianをベースにCDブートで利用できるようにしている。 **[[Linspire]] : [[Microsoft Windows|Windows]]のような使い勝手を実現。旧称はLindows。 ** [[MX Linux]] : Debianをベースとした中量級のディストリビューション。 **[[OpenMediaVault]] - [[ネットワークアタッチトストレージ|NAS]]向け[[サーバ]]OS。 ** [[PureOS]] : 完全に自由ソフトウェアだけで構成されている、プライバシーとセキュリティ、利便性に重点を置いているGNU/Linuxディストリビューション。 ** [[Raspberry Pi OS]] : [[Raspberry Pi]]用のdebian。特定の機種用としての配布は、装置が固定しているため使いやすい。Idとパスワードの初期設定が好ましくない。ネットワークに接続する前にrootとID:piのパスワード設定をする必要がある。 ** [[SLAX]] : CDブートで利用できるようにしている。9.xより前のバージョンではSlackwareをベースにしていた。日本語化された[http://hatochan.dyndns.org/slax-ja/index.php? SLAX-ja]も存在する。 **{{仮リンク|SparkyLinux|en|SparkyLinux}} : デスクトップ環境の選択肢が標準で四種類(LXQt, MATE, Xfce, KDE)ある上に他の環境をインストールするツールも用意されている。 ** [[Tails (オペレーティングシステム)|Tails]] : Debianベースでプライバシーと匿名性に特化している。[[Live CD]]・[[Live USB]]に対応している。 === 開発停止 === * [[aptosid]] : Debian sidベースでCDブート/HDDインストール共可能。旧称はsidux。 * [[CrunchBang Linux]] : ウィンドウマネージャとして[[Openbox]]を採用している軽量ディストリビューション。 * {{仮リンク|Corel Linux|en|Corel Linux}} ** [[Xandros]] : Corel Linuxの後継。[[Eee PC]]に搭載されていた。 * [[Ecolinux]] : デスクトップ環境として[[Xfce]]を採用した日本発のディストリビューション。 * [[gOS]] : Googleが提供するWebアプリケーションを活用できるように設定されている。 * [[Damn Small Linux]] : KNOPPIXベース、軽量。 * [[KNOPPIX|Xenoppix]] : KNOPPIXに[[Xen (仮想化ソフトウェア)|Xen]]を搭載した日本のディストリビューション。 * [[Regret (Linuxディストリビューション)|Regret]] : KNOPPIXベースの日本のディストリビューション。 * [[MEPIS]] : 主にデスクトップ向け。CDブート/HDDインストール共可能。 * [[Progeny Debian]] : Red HatのAnacondaインストーラを移植したGNU/Linux。 * [[UserLinux]] : Debianベースの企業向けデスクトップ用GNU/Linux。 == Ubuntu系 == Debian GNU/Linux を母体として開発された派生Linux。主要なものは以下の通り。 * [[Ubuntu]] : 6ヶ月ごとのリリースと商用サポートを掲げる。デスクトップ環境として[[GNOME]]を採用している。 **[[Bodhi Linux]] : [[Enlightenment]]から派生したウィンドウマネージャ、Mokshaを採用した軽量版。 **[[Edubuntu]] : 教育用にカスタマイズされている。 **[[elementary OS]]<ref>[https://elementary.io/ Elementary OS]</ref> : 独自のデスクトップ環境「Pantheon」を採用した[[MacOS]]風の画面。 **{{仮リンク|Gobuntu|en|Gobuntu}} : [[フリーソフトウェア]]のみを利用している。 **[[Goobuntu]]<ref>{{cite web | url=http://www.theregister.co.uk/2006/01/31/google_goes_desktop_linux/ | accessdate=2006-04-25 | title=The Register: Google at work on desktop Linux}}</ref><ref>{{cite web | url=http://slashdot.org/article.pl?sid=06/01/31/1519224 | title=Slashdot: Google working on Desktop Linux | accessdate=2006-04-25}}</ref> : [[Google]]が社内で開発・利用しているとされている。非公開。 **[[Kubuntu]] : デスクトップ環境として[[KDE]]を採用している。 **[[Linux Mint]] : [[MATE (デスクトップ環境)|MATE]]や[[Cinnamon]]の採用でデザインやソフトウェア環境を改善し、[[マルチメディア]]関係の[[コーデック]]を充実させている。 ***[[Peppermint]] : [[Chromium]]を搭載している[[軽量Linuxディストリビューション|軽量のディストリビューション]]。[[ウェブアプリケーション|Webアプリ]]との連携も強い。 **{{仮リンク|Linux Lite|en|Linux Lite}} - Ubuntu LTS(長期サポート版)を基に開発。Xfce採用でアイコンや壁紙が美しい。アプリの追加や削除、[[ウェブブラウザ|WEBブラウザ]]の[[キャッシュ (コンピュータシステム)|キャッシュ]]の削除なども容易。 **[[Lubuntu]] : デスクトップ環境として[[LXQt]]を採用している。 **{{仮リンク|nUbuntu|en|nUbuntu}} : セキュリティツールを多数含んでいる。 **[[Trisquel GNU/Linux]] : GNU FSDGに適合し、フリーソフトウェア財団のサーバーで使用される。ファームウェアのレベルまで100%自由ソフトで構成される。 **[[Ubuntu Budgie]] : デスクトップ環境として[[Budgie]]を採用している。 **[[Ubuntu Studio]] : ハイエンドデスクトップ向け。デジタルコンテンツ制作ツールが多数プリインストールされている。[[リアルタイムオペレーティングシステム|リアルタイムカーネル]]のパッチも当てられている。 **[[Ubuntu Unity]] : デスクトップ環境として[[Unity (ユーザインタフェース)|Unity]]を採用している。 **[[Xubuntu]] : デスクトップ環境として[[Xfce]]を採用している。 ***[[ChaletOS]]<ref>[https://sites.google.com/site/chaletoslinux/home ChaletOS - Google Sites]</ref><ref>[https://distrowatch.com/table.php?distribution=chaletos&pkglist=true&version=16.04.2 ChaletOS - DistroWatch.com]</ref><ref>[https://sourceforge.net/projects/chaletos/ ChaletOS download | SourceForge.net]</ref> : [[Windows]]に似た[[ユーザインタフェース|操作性]]で、Windowsアプリを動かす[[Wine]]も標準搭載。Xubuntuから派生。 ***[[Voyager (オペレーティングシステム)|Voyager]]<ref>[https://voyagerlive.org/ Live Voyager]</ref><ref>[https://distrowatch.com/table.php?distribution=voyager DistroWatch.com: Voyager Live]</ref><ref>[https://ja.osdn.net/projects/sfnet_voyagerlive/ Voyager 日本語情報トップページ - OSDN]</ref> : Xubuntuから派生した[[フランス]]産のOS。Xfce採用であるが、MacOS風の画面が美しい。[[32ビット|32bit]]版と[[64ビット|64bit]]版がある。 **[[Zorin OS]] : Windows風の操作性を提供するディストリビューション。[[Wine]]を追加するとWindowsアプリも動作する。 === 開発停止 === * [[BackTrack]] :Kali Linuxの前身。ペネトレーションテスト目的に特化していることが特徴だった。 * [[Fluxbuntu]] : ウィンドウマネージャとして[[Fluxbox]]を採用している。 == Red Hat系 == [[File:Vine61_desktop.png|thumb|250px|Vine Linux 6.1]] パッケージ管理システムとして[[RPM Package Manager|RPM]]を使っている。主要なものは以下の通り。 * [[Fedora]] : [[Red Hat Linux]] 後継のコミュニティによる実験要素が強い。 ** [[Red Hat Enterprise Linux]] : コミュニティによるテスト済みのFedoraをベースにして安定させた。商用。 *** [[MIRACLE LINUX]] : 無償の国産Red Hat Enterprise Linuxクローン。[[Oracle Database|Oracle]]対応。 *** [[CentOS]] : Red Hat Enterprise Linuxのクローン。 *** [[Scientific Linux]](旧 Fermi Linux) : Red Hat Enterprise Linuxのクローン。 *** [[Rocky Linux]]:CentOSの創設者であるGregory Kurtzerによって創始された、Red Hat Enterprise Linuxのクローン。 *** [[AlmaLinux]]:CentOSの精神的後継。Red Hat Enterprise Linuxのクローン。 *** [[Amazon Linux 2]]: Amazon comが開発した。RHEL7 / CentOS7 をベースとしている。 ** [[Berry Linux]] : 日本人の中田裕一朗が[[Fedora]]をベースに開発。 * [[Mageia]] : [[Mandriva Linux]]をベースに開発。[[オープンソース]]。 * [[PCLinuxOS]] : Mandriva Linuxをベースに開発。デスクトップ指向。 * [[RedHawk Linux]] : [[Red Hat Enterprise Linux|RHEL]]のカーネルをリアルタイムLinuxカーネルに置き換えた。商用。 * [[Oracle Linux]]: [[オラクル (企業)|Oracle]]がOracle製品に最適化したUnbreakable Enterprise Kernel(UEK)を採用。 === 開発停止 === * [[Vine Linux]] : 日本国産のLinuxディストリビューション。 * [[PS2 Linux]] : [[PlayStation 2]]上で動作する。[[Kondara MNU/Linux]]ベース。 * [[HOLON Linux]] : インターチャネル・ホロン社製。 * [[Caldera OpenLinux]] : 商用。 * [[Haansoft Linux]] : 2006 Workstation は Asianuxベース。 * [[Kondara MNU/Linux]] : 開発者の一部が[[Momonga Linux]]を立ち上げ。 * [[Lycoris Desktop/LX]] : Windows に似たユーザーインタフェース。 * [[Momonga Linux]] : [[Kondara MNU/Linux]]の後継。 * [[Red Star OS]] : 北朝鮮の[[:ko:붉은별 (운영 체제)#역사|国策配布版]]。 * {{仮リンク|Red Flag Linux|en|Red Flag Linux}} : [[:zh:紅旗Linux|紅旗Linux]] 是[[中華人民共和国|中国]]製。Asianuxベース。 * [[White Box Enterprise Linux]] : [[Red Hat Enterprise Linux]]のクローン。 * [[Mandriva Linux]] : 旧名称は、Mandrakelinux。商用版と無料版があった。 * [[StartCom Linux]] : Red Hat Enterprise LinuxベースのGNU/Linux。 * [[Yellow Dog Linux]] : [[Fedora]]ベースで[[PowerPC]]専用。[[PlayStation 3]]公式対応。 * [[Asianux]] : アジア5ヵ国の企業が共同開発。Red Hat Enterprise Linuxベース。 * [[Red Hat Linux]] : 商用および個人用 →[[Fedora|Fedora Core]]へ事実上開発を引き継ぎ。 == Slackware系 == * [[Slackware]] : Linux普及初期は有名だったディストリビューション。 ** [[Dragora GNU/Linux-Libre]] : 完全に自由ソフトウェアのみで構成される独自のGNU/Linuxディストリビューション。シンプルであることをコンセプトとしている。 ** [[Plamo Linux]] : Slackwareを日本語化し、[[プラモデル]]のようにいじれることを念頭に置いて開発されている。Version3.3までは[[PC-9800シリーズ]]に対応した。 ** [[Puppy Linux]] : Live CD、HDインストールも可。日本語化も可能<ref>[http://sakurapup.browserloadofcoolness.com/viewtopic.php?t=1937 日本語サポートパッケージ - sakurapup.browserloadofcoolness.com]</ref><ref>[http://shinobar.server-on.net/puppy/opt/ 日本語化ファイル入手先]</ref>。debパッケージ利用可。 *** [[Yara OSX]]<ref>[https://yara-osx.weebly.com/ Yara OSX - Home]</ref><ref>[http://www.murga-linux.com/puppy/viewtopic.php?t=107173 Puppy Linux Discussion Forum :: View topic - Yara OSX 3]</ref> : Puppy Linux派生。[[Xfce]]を採用したMacOS風の画面。 === 開発停止 === * {{仮リンク|Wolvix|fr|Wolvix}}<ref name="Wolvix">{{Cite news|url = http://distrowatch.com/weekly.php?issue=20070319|title = A New Open Source Model?|accessdate = 11 December 2010|last = Linton|first = Susan|authorlink = |year = 2007|month = March| work = [[DistroWatch]]}}</ref> : ウィンドウマネージャとして[[Xfce]]を採用している。 * [[Slamd64]] : [[x64]]版Slackwareである。 == SUSE Linux系 == * [[openSUSE]] : 元々は商用であった[[SUSE Linux]]がオープンソース化されたもの。 ** [[SUSE Linux Enterprise]] : コミュニティによるテスト済みの[[openSUSE]]をベースにして安定させた。商用。 *** [[SUSE Linux Enterprise Desktop]] : SUSE Linux Enterpriseのデスクトップ版。 === 開発停止 === * [[SUSE Linux]] : [[SUSE]]が開発したディストリビューション。[[SUSE]]はドイツの企業であったため、ヨーロッパで強かった。 * [[United Linux]] : SUSE LinuxをベースにTurboLinux、SUSE(現:Novell)、Caldera(現:SCO)、Connectiva(現:Mandriva)の4社にて共同開発。 == 独立系 == * [[Gentoo Linux]] : [[BSDの子孫|BSD系OS]]のportに似た[[Portage]]と呼ばれるパッケージ管理システムを採用。 ** [[ChromeOS]] : [[Google]]が開発しているOS。2010年2月に、ベースとなるOSをubuntuからGentooに変更した。 *** [[Chromium OS]] : ChromeOSのオープンソース版。 ** [[Sabayon Linux]] : GentooベースのライブDVD GNU/Linux。 * [[GoboLinux]] : [[Filesystem Hierarchy Standard]]からの脱却を目指したLinux。 * [[Tiny Core Linux]]:Damn Small Linuxの開発者の1人であったRobert Shingledeckerが中心となって開発が進められている。サイズが10MB程度しかないことが特徴。 * [[Slitaz]]:Damn Small Linuxと共通する目的を多く共有するが、より最新の Linux 2.6 カーネルに基づき、より小さい。 ** [[Tiny SliTaz]]:SliTazの派生で、[[uClibc]]を使用し、[[フロッピーディスク]]からの起動が可能。 * [[Solus]]:キュレーテッド[[ローリングリリース]]を特徴とするOS。 * [[Android_(オペレーティングシステム)|Android]]:Googleが開発運用している商用OS。スマートフォンやスマートTV、[[セットトップボックス]]など多数の機器で利用されている。 * [[CBL-Mariner]]:[[マイクロソフト]]が開発運用している[[FLOSS|フリーでオープンソース]]なOS。 === 開発停止 === * [[Foresight Linux]] : [[Conary]]と呼ばれる次世代パッケージ管理システムを採用。 * [[iPodLinux]] : [[iPod]]用に[[µClinux]]をカーネルとしたもの。 * [[IPnuts]] : ルータ・ファイアウォール構築に使用。 * [[MkLinux]] : [[PowerPC]]搭載機専用、[[Mach]]ベース。 * [[Nature's Linux]] : 無料の開発版とOS監視サポート付きの有料版がある。FreeBSDのjailに似た仮想ファイルシステム、jailを利用したバックアップとリカバリ機能、ファイル改竄検出機能などを持つ。 * [[SLS]] : GNU/Linuxで最も初期のディストリビューション。 * [[Stataboware]] : Slackwareに似た構造で、[[DEC Alpha|Alpha]]搭載機専用。 * [[Splashtop]] : 起動速度を重視して開発されたOS。 * [[Turbolinux]] : パッケージ管理システムとして[[RPM Package Manager|RPM]]を使っている。 * [[:en:Yggdrasil Linux|Yggdrasil Linux]]: Linuxディストリビューション初の[[Live CD]] 1992.8-1995 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === <references /> == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|FLOSS|[[ファイル:FLOSS_logo.svg|41px|ウィキポータル FLOSS]]}} {{ウィキポータルリンク|コンピュータ|[[ファイル:Computer.svg|36px|ウィキポータル コンピュータ]]|break=yes}} {{ウィキポータルリンク|オペレーティングシステム|[[ファイル:Alternative virtual machine host.svg|36px|ウィキポータル オペレーティングシステム]]}} {{Commonscat|Linux distributions}} *[[ディストリビューション]] * [[フォーク (ソフトウェア開発)|派生]] * [[インタフェース]] * [[GNU/Linux]] * [[Linux]] * [[軽量Linuxディストリビューション]] * [[Linuxディストリビューションの比較]] * [[Linuxライブディストリビューションの比較]] * [[組み込みLinux]] * [[Linux Standard Base]] * [[Linux from Scratch]] : 一から環境を構築する手法 * [[DistroWatch]] == 外部リンク == * [https://distrowatch.com/ DistroWatch.com] - GNU/Linux及び[[FreeBSDディストリビューション]]の情報サイト {{Linux-distro}} {{Linux}} [[Category:Linuxディストリビューション|*]] [[Category:Linux|ていすとりひゆうしよん]]
2003-02-28T15:53:47Z
2023-11-17T12:09:47Z
false
false
false
[ "Template:仮リンク", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist2", "Template:ウィキポータルリンク", "Template:Linux-distro", "Template:URL", "Template:Cite web", "Template:Cite news", "Template:Commonscat", "Template:Linux" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/Linux%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
3,077
齧歯目
齧歯目(げっしもく、Rodentia)は、哺乳綱に分類される目。別名ネズミ目。現在のところ地球上で最も繁栄している哺乳類で、南極大陸を除く全ての大陸、およびほぼ全ての島に生息する。2005年時点の分類で現生種は2277種(481属33科)で現生哺乳類の42%を占め、絶滅した化石種も含めると1200属以上、53科にもなる。 齧歯類の動物は、物をかじるのに適した歯と顎を持ち、上顎・下顎の両方に伸び続ける2つの門歯があり、犬歯を持たないことが特徴である。この門歯は物をかじることで次第に削れてゆき、長さを保っている。漢語名齧歯目、および学名「Rodentia」はラテン語で「かじる(齧る)」という意味のrodereから来ている。歯は木を削ったり堅果類の皮をかじったり身を守ったりするために使われる。齧歯目の動物の多くは、種子などの植物質を食料とするが、魚や昆虫を主食とする種もわずかに存在している。なお他の哺乳類とは異なり、齧歯目では嘔吐反射が見られない。 南極大陸とニュージーランドを除く世界各地に自然分布している(ニュージーランドには外来動物として生息するようになっている)。オーストラリアを除く各地域では、種類数・個体数ともに多く、外形・習性変化も多様性に富んでいる。約2400種が知られており、全4千数百種程とされる哺乳類の種数の半分を占める最大のグループである。いわゆる「ねずみ算」という言葉を生んだほど、非常に繁殖力が強い種が多い。 概して小さいものが多く、なかでもアフリカンドワーフマウスは体長6cm、体重7g程度しかない。一方、大きいものでは、現生種最大のカピバラが45kg程度である。 化石種としては、1999年に南米ベネズエラで全身化石が発見された第三紀後期のフォベロミス・パッテルソニ Phoberomys pattersoni が最大で、体高 1.3 m(尾まで含めた体長は3 m)、体重 700 kg程度あったと考えられている。 兎形目の姉妹群と考えられており、現生ではこの2目でグリレス類(Glires)を構成する。以前は兎形目を本目に含めることもあった。 伝統的にはリス形亜目・ネズミ形亜目・ヤマアラシ形亜目の3亜目とする分類や、咬筋の発達の仕方による原齧歯型・リス型・ヤマアラシ型・ネズミ型の4分類、下顎の形態からリス顎亜目Sciurognathi(原齧歯形下目Protrogomorpha・リス形下目Sciuromorphaなどを含む)・ヤマアラシ顎亜目Hystricognathi(デバネズミ形下目Bathyergomorpha・テンジクネズミ形下目Caviomorphaなどを含む)の2亜目とする分類もあったが、2005年に発表された分類体系では以下の5亜目とされた。和名は、川田ほか (2018) に従う。 一方で2019年には、分子系統解析によりウロコオリス形亜目・ビーバー形亜目・ネズミ形亜目が単系統群とすることが支持されたことでこれらが下目相当とされ、Anomaluromorphi・Castorimorphi・Myomorphiの3下目を含める亜目としてSupramyomorphaが提唱された。同年にはリス形亜目に相当する分類群に対してEusciuridaの学名が提唱された。以下の分類は、Flynn et al. (2019) に従う。 系統はFabre et al. (2012)、和名は注記がない限り川田ほか (2018)。 齧歯類は、伝染病の生物学的な媒介者となることがある。ペストの例は、公衆衛生が発達した2000年代においても世界的に年間数千人規模の患者が発生し、時にはアウトブレイクも発生するなど病気の撲滅が達成されていないが、これは野生のネズミ目が広大な地域に分布し、対策が難しいためである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "齧歯目(げっしもく、Rodentia)は、哺乳綱に分類される目。別名ネズミ目。現在のところ地球上で最も繁栄している哺乳類で、南極大陸を除く全ての大陸、およびほぼ全ての島に生息する。2005年時点の分類で現生種は2277種(481属33科)で現生哺乳類の42%を占め、絶滅した化石種も含めると1200属以上、53科にもなる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "齧歯類の動物は、物をかじるのに適した歯と顎を持ち、上顎・下顎の両方に伸び続ける2つの門歯があり、犬歯を持たないことが特徴である。この門歯は物をかじることで次第に削れてゆき、長さを保っている。漢語名齧歯目、および学名「Rodentia」はラテン語で「かじる(齧る)」という意味のrodereから来ている。歯は木を削ったり堅果類の皮をかじったり身を守ったりするために使われる。齧歯目の動物の多くは、種子などの植物質を食料とするが、魚や昆虫を主食とする種もわずかに存在している。なお他の哺乳類とは異なり、齧歯目では嘔吐反射が見られない。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "南極大陸とニュージーランドを除く世界各地に自然分布している(ニュージーランドには外来動物として生息するようになっている)。オーストラリアを除く各地域では、種類数・個体数ともに多く、外形・習性変化も多様性に富んでいる。約2400種が知られており、全4千数百種程とされる哺乳類の種数の半分を占める最大のグループである。いわゆる「ねずみ算」という言葉を生んだほど、非常に繁殖力が強い種が多い。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "概して小さいものが多く、なかでもアフリカンドワーフマウスは体長6cm、体重7g程度しかない。一方、大きいものでは、現生種最大のカピバラが45kg程度である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "化石種としては、1999年に南米ベネズエラで全身化石が発見された第三紀後期のフォベロミス・パッテルソニ Phoberomys pattersoni が最大で、体高 1.3 m(尾まで含めた体長は3 m)、体重 700 kg程度あったと考えられている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "兎形目の姉妹群と考えられており、現生ではこの2目でグリレス類(Glires)を構成する。以前は兎形目を本目に含めることもあった。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "伝統的にはリス形亜目・ネズミ形亜目・ヤマアラシ形亜目の3亜目とする分類や、咬筋の発達の仕方による原齧歯型・リス型・ヤマアラシ型・ネズミ型の4分類、下顎の形態からリス顎亜目Sciurognathi(原齧歯形下目Protrogomorpha・リス形下目Sciuromorphaなどを含む)・ヤマアラシ顎亜目Hystricognathi(デバネズミ形下目Bathyergomorpha・テンジクネズミ形下目Caviomorphaなどを含む)の2亜目とする分類もあったが、2005年に発表された分類体系では以下の5亜目とされた。和名は、川田ほか (2018) に従う。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "一方で2019年には、分子系統解析によりウロコオリス形亜目・ビーバー形亜目・ネズミ形亜目が単系統群とすることが支持されたことでこれらが下目相当とされ、Anomaluromorphi・Castorimorphi・Myomorphiの3下目を含める亜目としてSupramyomorphaが提唱された。同年にはリス形亜目に相当する分類群に対してEusciuridaの学名が提唱された。以下の分類は、Flynn et al. (2019) に従う。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "系統はFabre et al. (2012)、和名は注記がない限り川田ほか (2018)。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "齧歯類は、伝染病の生物学的な媒介者となることがある。ペストの例は、公衆衛生が発達した2000年代においても世界的に年間数千人規模の患者が発生し、時にはアウトブレイクも発生するなど病気の撲滅が達成されていないが、これは野生のネズミ目が広大な地域に分布し、対策が難しいためである。", "title": "齧歯類と伝染病" } ]
齧歯目(げっしもく、Rodentia)は、哺乳綱に分類される目。別名ネズミ目。現在のところ地球上で最も繁栄している哺乳類で、南極大陸を除く全ての大陸、およびほぼ全ての島に生息する。2005年時点の分類で現生種は2277種(481属33科)で現生哺乳類の42%を占め、絶滅した化石種も含めると1200属以上、53科にもなる。
{{出典の明記|date=2011年7月}} {{生物分類表 |名称 = 齧歯目 |画像 =[[File:Rodent collage.jpg|250px]] |画像キャプション = |省略 = 哺乳綱 |下綱=[[有胎盤類]] {{Sname||Placentalia}} |巨目=[[北方真獣類]] {{Sname||Boreoeutheria}} |上目=[[真主齧類]] {{Sname||Euarchontoglires}} |大目=[[グリレス類]] {{Sname||Glires}} |中目=[[単歯類]] {{Sname||Simplicidentata}} |目 = '''齧歯目''' {{Sname||Rodentia}} |学名 = Rodentia Bowdich, 1821<ref name="carleton_musser">Michael D. Carleton and Guy G. Musser, “[http://www.departments.bucknell.edu/biology/resources/msw3/browse.asp?id=12200001 Order Rodentia],” In Don E. Wilson & DeeAnn M. Reeder (eds.), ''[[Mammal Species of the World]]'' (3rd ed.), Volume 2, Johns Hopkins University Press, 2005, Pages 745-752.</ref> |和名 = 齧歯目<ref name="kawada_et_al">[[川田伸一郎]]他 「[https://doi.org/10.11238/mammalianscience.58.S1 世界哺乳類標準和名目録]」『哺乳類科学』第58巻 別冊、日本哺乳類学会、2018年、1-53頁。</ref> }} '''齧歯目'''(げっしもく、{{Sname||Rodentia}})は、[[哺乳類|哺乳綱]]に分類される[[目 (分類学)|目]]。別名'''ネズミ目'''<ref>田隅本生 「[https://doi.org/10.11238/mammalianscience.40.83 哺乳類の日本語分類群名,特に目名の取扱いについて 文部省の“目安”にどう対応するか]」『哺乳類科学』第40巻 1号、日本哺乳類学会、2000年、83-99頁。</ref>。現在のところ地球上で最も繁栄している哺乳類で、[[南極大陸]]を除く全ての大陸、およびほぼ全ての島に生息する。2005年時点の分類で現生種は2277種(481属33科)で現生哺乳類の42%を占め、絶滅した化石種も含めると1200属以上、53科にもなる<ref>[[冨田幸光]]『新版 絶滅哺乳類図鑑』伊藤丙雄・岡本泰子イラスト、丸善出版、2011年、120頁。</ref>。 == 特徴 == [[File:Gnagarnas tandsystem, Nordisk familjebok.png|thumb|right|齧歯類の頭骨断面のスケッチ。切歯は一生伸び続ける。]] [[File:Labeled Rattus Skull.jpg|thumb|齧歯類の頭骨断面。切歯と臼歯の間に歯隙がある。]] '''齧歯類'''の動物は、物をかじるのに適した歯と顎を持ち、上顎・下顎の両方に伸び続ける2つの[[切歯|門歯]]があり、犬歯を持たないことが特徴である<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=齧歯類とは|url=https://kotobank.jp/word/%E9%BD%A7%E6%AD%AF%E9%A1%9E-59642|website=コトバンク|accessdate=2020-12-27|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=齧歯目とは|url=https://kotobank.jp/word/%E9%BD%A7%E6%AD%AF%E7%9B%AE-2034289|website=コトバンク|accessdate=2020-12-27|publisher=}}</ref>。この門歯は物をかじることで次第に削れてゆき、長さを保っている。漢語名齧歯目、および学名「Rodentia」は[[ラテン語]]で「かじる(齧る)」という意味の''rodere''から来ている。歯は木を削ったり[[堅果]]類の皮をかじったり身を守ったりするために使われる。齧歯目の動物の多くは、種子などの植物質を食料とするが、魚や昆虫を主食とする種もわずかに存在している。なお他の哺乳類とは異なり、齧歯目では[[嘔吐|嘔吐反射]]が見られない<ref>Bininda-Emonds OR, Cardillo M, Jones KE, MacPhee RD, Beck RM, et al. (2007) The delayed rise of present-day mammals. Nature 446: 507–512. doi: 10.1038/nature05634</ref>。 [[南極大陸]]と[[ニュージーランド]]を除く世界各地に自然分布している(ニュージーランドには外来動物として生息するようになっている)。[[オーストラリア]]を除く各地域では、種類数・個体数ともに多く、外形・習性変化も多様性に富んでいる。約2400種が知られており、全4千数百種程とされる哺乳類の種数の半分を占める最大のグループである。いわゆる「[[ねずみ算]]」という言葉を生んだほど、非常に繁殖力が強い種が多い<ref name=":0" />。 概して小さいものが多く、なかでも[[アフリカンドワーフマウス]]は体長6cm、体重7g程度しかない。一方、大きいものでは、現生種最大の[[カピバラ]]が45[[キログラム|kg]]程度である。 化石種としては、[[1999年]]に[[南アメリカ|南米]][[ベネズエラ]]で全身化石が発見された[[第三紀]]後期の[[フォベロミス・パッテルソニ]] {{snamei||Phoberomys pattersoni}} が最大で、体高 1.3 m(尾まで含めた体長は3 m)、体重 700 kg程度あったと考えられている<ref name="Sanchez-Villagra_etal2003">{{harvnb| Sanchez-Villagra et al. (2003)|ref="Sanchez-Villagra_etal2003"}}</ref>。 [[ファイル:Capybara-thumbnail.jpg|thumb|現生種最大の齧歯類 [[カピバラ]]]] == 分類 == [[兎形目]]の姉妹群と考えられており、現生ではこの2目で[[グリレス類]]({{Sname||Glires}})を構成する<ref name="nishioka_et_al">西岡佑一郎・楠橋直・高井正成「[https://doi.org/10.11238/mammalianscience.60.251 哺乳類の化石記録と白亜紀/古第三紀境界前後における初期進化]」『哺乳類科学』第60巻 2号、日本哺乳類学会、2020年、251-267頁。</ref>。以前は兎形目を本目に含めることもあった<ref name="carleton_musser" />。 伝統的にはリス形亜目・ネズミ形亜目・ヤマアラシ形亜目の3亜目とする分類や、咬筋の発達の仕方による原齧歯型・リス型・ヤマアラシ型・ネズミ型の4分類<ref>冨田幸光『新版 絶滅哺乳類図鑑』伊藤丙雄・岡本泰子イラスト、丸善出版、2011年、121-123頁。</ref>、下顎の形態から[[リス顎亜目]]Sciurognathi(原齧歯形下目Protrogomorpha・リス形下目Sciuromorphaなどを含む)・ヤマアラシ顎亜目Hystricognathi(デバネズミ形下目Bathyergomorpha・テンジクネズミ形下目Caviomorphaなどを含む)の2亜目とする分類<ref name="endo_sasaki">遠藤秀紀・佐々木基樹「[https://doi.org/10.5686/jjzwm.6.45 哺乳類分類における高次群の和名について]」『日本野生動物医学会誌』第6巻 2号、日本野生動物医学会、2001年、45-53頁。</ref>もあったが、2005年に発表された分類体系では以下の5亜目とされた<ref name="carleton_musser" />。和名は、川田ほか (2018) に従う<ref name="kawada_et_al" />。 * [[ウロコオリス形亜目]] [[w:Anomaluromorpha|Anomaluromorpha]] * [[ビーバー形亜目]] [[w:Castorimorpha|Castorimorpha]] * [[ヤマアラシ亜目|ヤマアラシ形亜目]] [[w:Hystricomorpha|Hystricomorpha]] * [[ネズミ形亜目]] [[w:Myomorpha|Myomorpha]] * [[リス亜目|リス形亜目]] [[w:Sciuromorpha|Sciuromorpha]] 一方で2019年には、分子系統解析によりウロコオリス形亜目・ビーバー形亜目・ネズミ形亜目が単系統群とすることが支持されたことでこれらが下目相当とされ、Anomaluromorphi・Castorimorphi・Myomorphiの3下目を含める亜目としてSupramyomorphaが提唱された<ref name="d'elia_et_al">Guillermo D'Elía, Pierre-Henri Fabre & Enrique P. Lessa, [https://doi.org/10.1093/jmammal/gyy179 Rodent systematics in an age of discovery: recent advances and prospects], ''Journal of Mammalogy'', Volume 100, Issue 3, American Society of Mammalogists, 2019, Pages 852–871.</ref>。同年にはリス形亜目に相当する分類群に対してEusciuridaの学名が提唱された<ref name="flynn_et_al">Lawrence J. Flynn, Louis L. Jacobs, Yuri Kimura & Everett H. Lindsay, “[https://doi.org/10.2478/if-2019-0018 Rodent Suborders],” ''Fossil Imprint'', Volume 75, Issue 3-4, National Museum, 2019, Pages 292–298.</ref>。以下の分類は、Flynn ''et al.'' (2019) に従う<ref name="flynn_et_al" />。 * 亜目 Eusciurida(以前のリス形亜目を含む) * 亜目 Supramyomorpha(以前のウロコオリス形亜目、ビーバー形亜目、ネズミ形亜目を含む) * ヤマアラシ形亜目 Hystricomorpha ===下位系統=== 系統はFabre ''et al.'' (2012)<ref name="Fabre">{{Cite journal|last=Fabre|year=2012|title= A glimpse on the pattern of rodent diversification: a phylogenetic approach|journal=BMC Evolutionary Biology|volume=12|pages=88|display-authors=etal|doi=10.1186/1471-2148-12-88|pmid=22697210|pmc=3532383}}</ref>、和名は注記がない限り川田ほか (2018)<ref name="kawada_et_al" />。 {{clade|style=font-size:80%;line-height:80% |label1='''齧歯目''' |sublabel1={{Sname||Rodentia}} |1={{clade |label1=[[リス形亜目]]|sublabel1={{Sname||Sciuromorpha}} |1={{clade |1=[[ヤマネ科]] {{Sname||Gliridae}}[[File:Dormouse (PSF).png|38px]] |label2=[[リス下目]]<ref name="yokohata">日本哺乳類学会 種名・標本検討委員会 目名問題検討作業部会「[https://doi.org/10.11238/mammalianscience.43.127 哺乳類の高次分類群および分類階級の日本語名称の提案について]」『哺乳類科学』第43巻 2号、日本哺乳類学会、2003年、127-134頁。</ref>|sublabel2={{Sname||Sciurida}} |2={{clade |1=[[ヤマビーバー科]] {{Sname||Aplodontidae}} |2=[[リス科]] {{Sname||Sciuridae}}[[File:Chipmunk (white background).png|50px]] }}}} |2={{clade |label1=[[ヤマアラシ形亜目]]|sublabel1={{Sname||Ctenohystrica}} |1={{clade |label1=[[グンディ形下目]]|sublabel1={{Sname||Ctenodactylomorpha}} |1={{clade |1=[[グンディ科]] {{Sname||Ctenodactylidae}} |2=[[ディアトミス科]]<ref name=A>[[冨田幸光]]『新版 絶滅哺乳類図鑑』伊藤丙雄・岡本泰子イラスト、丸善出版、2011年、127頁</ref> {{Sname||Diatomyidae}} }} |label2=[[ヤマアラシ顎下目]]|sublabel2={{Sname||Hystricognathi}} |2={{clade |1=[[ヤマアラシ科]] {{Sname||Hystricidae}}[[File:Actes de la Socilinnnne de Bordeaux (1883) (white background).jpg|70px]] |2={{clade |label1=<!-- "endo_sasaki"ではデバネズミ形下目 -->{{Sname||Bathyergomorpha}} |1={{clade |1=[[デバネズミ科]] {{Sname||Bathyergidae}}[[File:Bathyergus janetta - Smit white background.jpg|50px]] |2={{clade |1=[[アフリカイワネズミ科]] {{Sname||Petromuridae}} |2=[[ヨシネズミ科]] {{Sname||Thryonomyidae}} }}}} |label2=[[テンジクネズミ型類]]<ref name=A/><!-- "endo_sasaki"ではテンジクネズミ形下目 -->|sublabel2={{Sname||Caviomorpha}} |2={{clade |label1=[[テンジクネズミ上科]]<ref name="endo_sasaki" />|sublabel1={{Sname||Cavioidea}} |1={{clade |1=[[アメリカヤマアラシ科]] {{Sname||Erethizontidae}}[[File:ErethizonRufescensWolf white background.jpg|50px]] |2={{clade |1=[[パカ科]] {{Sname||Cuniculidae}} |2={{clade |1=[[テンジクネズミ科]] {{Sname||Caviidae}}[[File:Carnegie Institution of Washington publication (1914) (white background).jpg|50px]] |2=[[アグーチ科]] {{Snamei||Dasyproctidae}}[[File:Cambridge Natural History Mammalia Fig 242 white background.jpg|50px]] }}}}}} |2={{clade |label1=[[チンチラ上科]]<ref name="endo_sasaki" />|sublabel1={{Sname||Chinchilloidea}} |1={{clade |1=[[パラカナ科]] {{Sname||Dinomyidae}}[[File:Josephoartigasia BW flipped.jpg|50px]] |2=[[チンチラ科]] {{Sname||Chinchillidae}}[[File:Chinchilla white background.jpg|50px]] }} |label2=[[デグー上科]]<ref name="endo_sasaki" />|sublabel2={{Sname||Octodontoidea}} |2={{clade |1=[[チンチラネズミ科]] {{Sname||Abrocomidae}}[[File:Abrocoma bennettii white background.png|50px]] |2={{clade |1=[[アメリカトゲネズミ科]] {{Sname||Echimyidae}}[[File:LoncheresCanicepsMintern white background.jpg|50px]] |2={{clade |1=[[ツコツコ科]] {{Sname||Ctenomyidae}} |2=[[デグー科]] {{Sname||Octodontidae}}[[File:Octodon cumingii TZSL white background.jpg|50px]] }}}}}}}}}}}}}}}} |2={{clade |label1=[[ビーバー形亜目]]|sublabel1={{Sname||Castorimorpha}} |1={{clade |label1={{Sname||Castoroidea}} |1=[[ビーバー科]] {{Sname||Castoridae}} [[File:Die Gartenlaube (1858) b 068 white background.jpg|50px]] |label2=[[ホリネズミ上科]]<ref name="endo_sasaki" />|sublabel2={{Sname||Geomyoidea}} |2={{clade |1=[[ポケットマウス科]] {{Sname||Heteromyidae}} [[File:Image taken from page 108 of 'Report of an expedition down the Zuni and Colorado Rivers by Captain L. Sitgreaves (white background).jpg|50px]] |2=[[ホリネズミ科]] {{Sname||Geomyidae}} [[File:Western pocket gopher.jpg|50px]] }}}} |2={{clade |label1=[[ウロコオリス形亜目]]|sublabel1={{Sname||Anomaluromorpha}} |1={{clade |1=[[ウロコオリス科]] {{Sname||Anomaluridae}} [[File:Aethurus glirinus white background.jpg|50px]] |2=[[トビウサギ科]] {{Sname||Pedetidae}} [[File:Springhase-drawing white background.jpg|50px]] }} |label2=[[ネズミ形亜目]]|sublabel2={{Sname||Myomorpha}} |2={{clade |label1=[[トビネズミ上科]]<ref name="endo_sasaki" />|sublabel1={{Sname||Dipodoidea}} |1=[[トビネズミ科]] {{Sname||Dipodidae}} [[File:Allactaga elater white background.png|50px]] |label2=[[ネズミ上科]]<ref name="endo_sasaki" />|sublabel2={{Sname||Muroidea}} |2={{clade |1=[[トゲヤマネ科]] {{Sname||Platacanthomyidae}} [[File:Platacanthomys white background.png|50px]] |2={{clade |1=[[メクラネズミ科]] {{Sname||Spalacidae}} [[File:Neue Wirbelthiere zu der Fauna von Abyssinien gehörig (1835) Tachyoryctes splendens (white background).png|50px]] |2={{clade |1=[[カンガルーハムスター科]] {{Sname||Calomyscidae}} |2={{clade |1=[[アシナガマウス科]] {{Sname||Nesomyidae}} [[File:DendromysLovatiSmit white background.jpg|50px]] |2={{clade |1=[[キヌゲネズミ科]] {{Sname||Cricetidae}} [[File:FMIB 46816 Hamster ordinaire white background.jpeg|50px]] |2=[[ネズミ科]] {{Sname||Muridae}} [[File:Ruskea rotta.png|50px]] }}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}} ==齧歯類と伝染病== 齧歯類は、[[伝染病]]の生物学的な[[媒介者]]となることがある。[[ペスト]]の例は、[[公衆衛生]]が発達した[[2000年代]]においても世界的に年間数千人規模の患者が発生し、時には[[アウトブレイク]]も発生するなど病気の撲滅が達成されていないが、これは野生のネズミ目が広大な地域に分布し、対策が難しいためである<ref>[https://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/2010/02081741.html ペスト:地域別罹患率・死亡率の検討-2004年~2009年] CDC Travelers' Health, Outbreak Notice(2010年2月18日)2017年3月4日</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{cite journal |author= Marcelo R. S&#225;nchez-Villagra, Orangel Aguilera, In&#233;s Horovitz |title= The Anatomy of the World's Largest Extinct Rodent|year= 2003|month=9|date= |journal= Science |volume= 301 |issue= 5640|pages=1708-1710 |publisher = | location = | language = |doi = 10.1126/science.1089332 | pmid = |issn= | id = |url = | format = | accessdate = |ref="Sanchez-Villagra_etal2003"}} * {{cite | author = Shani Blanga-Kanfi, Hector Miranda, Osnat Penn, Tal Pupko, Ronald W DeBry, and Doroth&#233;e Huchon | title = Rodent phylogeny revised: analysis of six nuclear genes from all major rodent clades | journal = BMC Evolutionary Biology | year = 2009 | volume = 9 | pages = 71 | url = http://www.biomedcentral.com/1471-2148/9/71/ |accessdate=2014-05-03 |ref="Blanga-Kanfi_etal2009"}} == 関連項目 == {{Commonscat|Rodentia}} {{Species|Rodentia}} {{哺乳類}} {{Animal-stub}} {{デフォルトソート:けつしもく}} [[Category:齧歯目|*]]
2003-02-28T15:55:00Z
2023-12-05T22:45:51Z
false
false
false
[ "Template:Sname", "Template:Snamei", "Template:Commonscat", "Template:出典の明記", "Template:脚注ヘルプ", "Template:哺乳類", "Template:Cite", "Template:Animal-stub", "Template:Cite web", "Template:Harvnb", "Template:Cite journal", "Template:Species", "Template:生物分類表", "Template:Clade", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BD%A7%E6%AD%AF%E7%9B%AE
3,079
ネコ科
ネコ科(ネコか、Felidae)は、哺乳綱食肉目に分類される科。イエネコ、ヤマネコ、ライオン、トラ、ヒョウ、チーター、サーベルタイガーなどが含まれる。 耳介は大型で漏斗状をしており、集音効果に優れている。眼は大型で、立体視ができ色覚もある。瞳孔は調節する筋肉が作用し、明るさの変化への順応が早い。網膜の感覚細胞の後部に反射層(輝板、タペタム)があり、これにより光が感覚細胞を透過せず反射することで2回刺激され、暗所でも適応できる。暗所でネコの眼にわずかでも光が当たると光るのは、この輝板の反射による。 歯列は門歯が上下6本、犬歯が上下2本、小臼歯が上顎6本・下顎4本、大臼歯が上下2本と、計30本の種が多い(オオヤマネコ類・マヌルネコなどは上顎の小臼歯が4本のため計28本)。犬歯は大型で(ウンピョウで顕著)、獲物に噛みつき仕留めるのに適している。食物を咀嚼する大臼歯が退化している代わりに、舌に鑢状の突起があり、食物を固定し引き裂いた後、舌で肉を削ぎ落とすことができる。ヒョウ属では舌骨の基部を動かすことができ、これによって吠えることができる。 多くの種で爪をさやに引っ込めることができ、速く走る、木に登る、獲物を捕らえる際など、必要な時にだけ爪を出す。 ネコ科は食肉目のネコ型亜目に属す。従来ニムラブス科もネコ科に含まれていたが、現在は独立した科とされている。最古のネコ科は鮮新世前期~中新世前期のプロアイルルスであるが、現生のネコ科や剣歯虎は中新世前期のスーダエルルス(Pseudaelurus)の子孫である。「サーベルタイガー」(剣歯虎)は名前に虎とつくものの、トラなどとは系統的に離れたマカイロドゥス亜科に属す。 Piras et al. (2013) による絶滅分類群を含む分岐図 以下、Johnson et al. (2006)による現生種の分岐図 2006年に発表された分子系統推定から、以下の系統(順番はこの解析での分岐順)に分かれるという解析結果が得られている。2016年に発表された分子系統解析でもこれらの系統は支持されたが、分岐順は異なる(Panthera lineageに次いでBay cat lineageではなくCaracal lineageが分岐したとされ、Bay cat lineageはLynx lineageに次いで分岐した系統という解析結果が得られている)。 以下の現生種の分類・英名は、IUCN SSC Cat Specialist Group (2017) に従う。和名は付記のないかぎり、川田ら (2018, 2021) に従う。 リンネの『自然の体系』でネコ属 (Felis) とされたものが7種(ライオン・トラ・ヒョウ・ジャガー・オセロット・イエネコ・オオヤマネコ)あり、これは現在の現生ネコ科の範囲におおよそ対応している。19世紀にジョン・エドワード・グレイやニコライ・セヴェルツォフらによって属が多数分割されたあと、1917年にレジナルド・インズ・ポコックがネコ亜科・ヒョウ亜科・チーター亜科の3亜科に分類したものが現在に続く現生ネコ科の下位分類の基本となっている。亜科に関しては、分子系統解析などからチーター亜科の独立性が否定されているほか、化石種の分類体系との均衡から現生種を全てネコ亜科に含めヒョウ亜科を認めない場合もある。属については20世紀中葉にジョージ・ゲイロード・シンプソンの影響で現生種が3属のみにまとめられたこともある オーストラリア大陸・南極大陸・マダガスカルを除く全ての大陸とほとんどの島。 約4分の3以上の種が森林に生息する。夜行性で森や茂みの中で生活する種が多い。主に単独で生活するが、ライオンやチーターは血縁関係のある個体で群れを形成することもある。 主に脊椎動物を食べるが、魚類、昆虫、果実を食べることもある。肉のみを食料とする種も多く、ほとんどの地域で食物連鎖の頂点にいる。 主に2 - 3匹の幼獣を産む。出産間隔は小型種では年に1 - 2回、大型種は2 - 3年に1回。 毛皮目的の狩猟、家畜や人間を襲う害獣としての駆除などにより生息数が減少している種もいる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ネコ科(ネコか、Felidae)は、哺乳綱食肉目に分類される科。イエネコ、ヤマネコ、ライオン、トラ、ヒョウ、チーター、サーベルタイガーなどが含まれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "耳介は大型で漏斗状をしており、集音効果に優れている。眼は大型で、立体視ができ色覚もある。瞳孔は調節する筋肉が作用し、明るさの変化への順応が早い。網膜の感覚細胞の後部に反射層(輝板、タペタム)があり、これにより光が感覚細胞を透過せず反射することで2回刺激され、暗所でも適応できる。暗所でネコの眼にわずかでも光が当たると光るのは、この輝板の反射による。", "title": "形態" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "歯列は門歯が上下6本、犬歯が上下2本、小臼歯が上顎6本・下顎4本、大臼歯が上下2本と、計30本の種が多い(オオヤマネコ類・マヌルネコなどは上顎の小臼歯が4本のため計28本)。犬歯は大型で(ウンピョウで顕著)、獲物に噛みつき仕留めるのに適している。食物を咀嚼する大臼歯が退化している代わりに、舌に鑢状の突起があり、食物を固定し引き裂いた後、舌で肉を削ぎ落とすことができる。ヒョウ属では舌骨の基部を動かすことができ、これによって吠えることができる。", "title": "形態" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "多くの種で爪をさやに引っ込めることができ、速く走る、木に登る、獲物を捕らえる際など、必要な時にだけ爪を出す。", "title": "形態" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ネコ科は食肉目のネコ型亜目に属す。従来ニムラブス科もネコ科に含まれていたが、現在は独立した科とされている。最古のネコ科は鮮新世前期~中新世前期のプロアイルルスであるが、現生のネコ科や剣歯虎は中新世前期のスーダエルルス(Pseudaelurus)の子孫である。「サーベルタイガー」(剣歯虎)は名前に虎とつくものの、トラなどとは系統的に離れたマカイロドゥス亜科に属す。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "Piras et al. (2013) による絶滅分類群を含む分岐図", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "以下、Johnson et al. (2006)による現生種の分岐図", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2006年に発表された分子系統推定から、以下の系統(順番はこの解析での分岐順)に分かれるという解析結果が得られている。2016年に発表された分子系統解析でもこれらの系統は支持されたが、分岐順は異なる(Panthera lineageに次いでBay cat lineageではなくCaracal lineageが分岐したとされ、Bay cat lineageはLynx lineageに次いで分岐した系統という解析結果が得られている)。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "以下の現生種の分類・英名は、IUCN SSC Cat Specialist Group (2017) に従う。和名は付記のないかぎり、川田ら (2018, 2021) に従う。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "リンネの『自然の体系』でネコ属 (Felis) とされたものが7種(ライオン・トラ・ヒョウ・ジャガー・オセロット・イエネコ・オオヤマネコ)あり、これは現在の現生ネコ科の範囲におおよそ対応している。19世紀にジョン・エドワード・グレイやニコライ・セヴェルツォフらによって属が多数分割されたあと、1917年にレジナルド・インズ・ポコックがネコ亜科・ヒョウ亜科・チーター亜科の3亜科に分類したものが現在に続く現生ネコ科の下位分類の基本となっている。亜科に関しては、分子系統解析などからチーター亜科の独立性が否定されているほか、化石種の分類体系との均衡から現生種を全てネコ亜科に含めヒョウ亜科を認めない場合もある。属については20世紀中葉にジョージ・ゲイロード・シンプソンの影響で現生種が3属のみにまとめられたこともある", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "オーストラリア大陸・南極大陸・マダガスカルを除く全ての大陸とほとんどの島。", "title": "分布" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "約4分の3以上の種が森林に生息する。夜行性で森や茂みの中で生活する種が多い。主に単独で生活するが、ライオンやチーターは血縁関係のある個体で群れを形成することもある。", "title": "生態" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "主に脊椎動物を食べるが、魚類、昆虫、果実を食べることもある。肉のみを食料とする種も多く、ほとんどの地域で食物連鎖の頂点にいる。", "title": "生態" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "主に2 - 3匹の幼獣を産む。出産間隔は小型種では年に1 - 2回、大型種は2 - 3年に1回。", "title": "生態" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "毛皮目的の狩猟、家畜や人間を襲う害獣としての駆除などにより生息数が減少している種もいる。", "title": "人間との関係" } ]
ネコ科(ネコか、Felidae)は、哺乳綱食肉目に分類される科。イエネコ、ヤマネコ、ライオン、トラ、ヒョウ、チーター、サーベルタイガーなどが含まれる。
{{生物分類表 ||省略=哺乳綱 |名称 = ネコ科 |画像=<imagemap> File:The_Felidae.jpg|300px rect 0 0 500 334 [[トラ]] rect 500 334 1000 0 [[カナダオオヤマネコ]] rect 0 665 334 334 [[サーバル]] rect 334 334 665 665 [[ピューマ]] rect 665 334 1000 665 [[スナドリネコ]] rect 0 665 334 1000 [[アジアゴールデンキャット]] rect 334 665 665 1000 [[オセロット]] rect 665 665 1000 1000 [[ヨーロッパヤマネコ]] </imagemap> |画像キャプション = |status = [[絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約|ワシントン条約]]附属書II |status_ref = <ref>[https://cites.org/sites/default/files/eng/app/2021/E-Appendices-2021-06-22.pdf I, II and III (valid from 22 June 2021)]<https://cites.org/eng> [Accessed 17/07/2021<!-- dd/mm/yyyy -->]</ref> |目 = [[食肉目]] [[w:Carnivora|Carnivora]] |亜目 = [[ネコ型亜目]] [[w:Feliformia|Feliformia]] |科 = '''ネコ科''' {{Sname||Felidae}} |学名 = Felidae [[w:Gotthelf Fischer von Waldheim|Fischer]], [[1817年|1817]]<ref name="ssc">IUCN SSC Cat Specialist Group, "Species accounts," ''Cat News'', Spacial Issue 11, 2017, Pages 11 - 75.</ref> |和名 = ネコ科<ref name="kawada_et_al">[[川田伸一郎]], 岩佐真宏, 福井大, 新宅勇太, 天野雅男, 下稲葉さやか, 樽創, 姉崎智子, [[横畑泰志]] 「[https://doi.org/10.11238/mammalianscience.58.S1 世界哺乳類標準和名目録]」『哺乳類科学』58巻 別冊、[[日本哺乳類学会]]、2018年、1 - 53頁。</ref><ref name="kerby">Gillian Kerby 「ネコ科」今泉忠明訳『動物大百科 1 食肉類』今泉吉典監修 D.W.マクドナルド編、[[平凡社]]、1986年、35 - 36頁。</ref><ref name="narushima">成島悦雄 「ネコ科の分類」『世界の動物 分類と飼育2 (食肉目)』今泉吉典監修、東京動物園協会、1991年、150 - 171頁。</ref> |下位分類= *†{{Snamei||Hyperailurictis}} *†{{Snamei||Proailurus}} [[プロアイルルス]]属 *†{{Snamei||Pseudaelurus}} *†{{Snamei||Sivaelurus}} *†{{Snamei||Styriofelis}} *†{{Sname||Machairodontinae}} [[マカイロドゥス亜科]]([[剣歯虎]]類) *{{Sname||Felinae}}(広義) **†{{Snamei||Miopanthera}} **{{Sname||Pantherinae}} [[ヒョウ亜科]] **{{Sname||Felinae}}(狭義)[[ネコ亜科]] }} '''ネコ科'''(ネコか、{{Sname||Felidae}})は、[[哺乳類|哺乳綱]][[食肉目]]に分類される[[科 (分類学)|科]]。[[イエネコ]]、[[ヤマネコ]]、[[ライオン]]、[[トラ]]、[[ヒョウ]]、[[チーター]]、[[サーベルタイガー]]などが含まれる。 == 形態 == [[耳介]]は大型で[[漏斗]]状をしており、集音効果に優れている<ref name="kerby" />。眼は大型で、立体視ができ色覚もある<ref name="kerby" />。[[瞳孔]]は調節する筋肉が作用し、明るさの変化への順応が早い<ref name="kerby" />。[[網膜]]の感覚細胞の後部に反射層([[輝板]]、タペタム)があり、これにより光が感覚細胞を透過せず反射することで2回刺激され、暗所でも適応できる。暗所でネコの眼にわずかでも光が当たると光るのは、この輝板の反射による<ref name="kerby" />。 歯列は[[切歯|門歯]]が上下6本、[[犬歯]]が上下2本、[[小臼歯]]が上顎6本・下顎4本、[[大臼歯]]が上下2本と、計30本の種が多い([[オオヤマネコ]]類・[[マヌルネコ]]などは上顎の小臼歯が4本のため計28本)<ref name="kerby" />。犬歯は大型で([[ウンピョウ]]で顕著)、獲物に噛みつき仕留めるのに適している<ref name="kerby" /><ref name="narushima" />。食物を[[咀嚼]]する大臼歯が退化している代わりに、[[舌]]に鑢状の突起があり、食物を固定し引き裂いた後、舌で肉を削ぎ落とすことができる<ref name="kerby" />。ヒョウ属では[[舌骨]]の基部を動かすことができ、これによって吠えることができる<ref name="kerby" /><ref name="narushima" />。 多くの種で[[爪]]をさやに引っ込めることができ、速く走る、木に登る、獲物を捕らえる際など、必要な時にだけ爪を出す<ref name="narushima" />。 == 分類 == ネコ科は[[食肉目]]の[[ネコ型亜目]]に属す。従来[[ニムラブス科]]もネコ科に含まれていたが、現在は独立した科とされている<ref name =Tomida>冨田幸光『新版 絶滅哺乳類図鑑』伊藤丙雄・岡本泰子イラスト、丸善出版、2011年、109頁。</ref>。最古のネコ科は鮮新世前期~中新世前期の[[プロアイルルス]]であるが、現生のネコ科や[[剣歯虎]]は中新世前期の[[スーダエルルス]]({{Snamei||Pseudaelurus}})の子孫である<ref name =Tomida/>。「[[サーベルタイガー]]」(剣歯虎)は名前に虎とつくものの、[[トラ]]などとは系統的に離れた[[マカイロドゥス亜科]]に属す。 ===系統=== Piras et al. (2013) による絶滅分類群を含む分岐図<ref name="PirasMaiorino2013">{{cite journal |author1=Piras, P. |author2=Maiorino, L. |author3=Teresi, L. |author4=Meloro, C. |author5=Lucci, F. |author6=Kotsakis, T. |author7=Raia, P. |title=Bite of the Cats: Relationships between Functional Integration and Mechanical Performance as Revealed by Mandible Geometry |journal=Systematic Biology |volume=62 |issue=6 |year=2013 |pages=878–900 |issn=1063-5157 |doi=10.1093/sysbio/syt053 |pmid=23925509|doi-access=free }}</ref> {{clade |style=font-size:95%;line-height:85%; |label1='''ネコ科'''|sublabel1={{Sname||Felidae}} |1={{clade |1=†{{Snamei||Proailurus}} [[プロアイルルス]]   |label2="{{Snamei||Pseudaelurus}}"<ref name =Tomida/>|sublabel2=(Grade) |2={{clade |1={{clade |1=†{{Snamei||Pseudaelurus|Pseudaelurus quadridentatus}} |2=†'''{{Sname||Machairodontinae}}''' '''[[マカイロドゥス亜科]]'''('''[[剣歯虎]]'''類) [[File:Smilodon_fatalis.jpg|70px]] }} |2=†{{Snamei||Hyperailurictis}}+†{{Snamei||Nimravides}} <!--|3=†{{Snamei||Sivaelurus}} --> |4={{clade |1=†{{Snamei||Styriofelis}} |2={{clade |1='''{{Sname||Felinae}}''' '''[[ネコ亜科]]''' [[File:Anatomie_descriptive_et_comparative_du_chat_(1845)_Pl-I_(white_background_%26_colourised).jpg|50px]] <!--|2={{clade |label1=&nbsp;†{{Snamei||Miopanthera}}''&nbsp;--> |2='''{{Sname||Pantherinae}}''' '''[[ヒョウ亜科]]''' [[File:Stamp-russia2014-save-russian-cats-(snow_leopard).png|70px]] }} }} }} }} }} 以下、Johnson et al. (2006)による現生種の分岐図<ref>Johnson, W. E.; Eizirik, E.; Pecon-Slattery, J.; Murphy, W. J.; Antunes, A.; Teeling, E.; O'Brien, S. J. (2006). «The late miocene radiation of modern Felidae: a genetic assessment». Science 311 (5757): 73-77. {{PMID|16400146}}. [https://www.science.org/doi/10.1126/science.1122277 doi:10.1126/science.1122277].</ref> {{clade |style=font-size:85%;line-height:85%;background-color:#eeeeFF;border:1px solid darkred; |thickness=2 |label1='''ネコ科|sublabel1={{Sname||Felidae}}''' |1={{clade |thickness=2 |caption=Panthera lineage |captionstyle=background-color:#eeccFF;color:#880088;text-align:right;font-weight:bold;padding:2px 10px 1px 1px; |thickness1=2 |label1=[[ヒョウ亜科]]|sublabel1={{Sname||Pantherinae}} |color1=red |style1=background-color:#eeccFF; |1={{clade |thickness=2 |label1=[[ヒョウ属]]|sublabel1={{Snamei||Panthera}} |1={{clade |thickness=2 |color=red |1={{clade |thickness=2 |color=red |1={{clade |thickness=2 |color=red |1=[[ヒョウ]] (''P. pardus'') |2=[[ライオン]] (''P. leo'') }} |2=[[ジャガー]] ''(P. onca)'' }} |2={{clade |thickness=2 |color=red |1=[[ユキヒョウ]] ''(P. uncia)'' |2=[[トラ]] ''(P. tigris)'' }} }} |label2=[[ウンピョウ属]]|sublabel2={{Snamei||Neofelis}}|color=red |2={{clade |thickness=2 |color=red |1=[[ウンピョウ]] (''N. nebulosa'') |2=[[スンダウンピョウ]] ''(N. diardi)'' }} }} |label2=[[ネコ亜科]]|sublabel2={{Sname||Felinae}} |2={{clade |caption=Bay cat lineage |captionstyle=background-color:#ddddFF;color:blue;text-align:right;font-weight:bold;padding:1px 10px 2px 1px; |thickness=2 |style1=background-color:#ddddFF; |color1=blue |newick1x=((Bay cat, Asian golden cat), Marbled cat)Pardofelis |1={{clade |thickness=2 |label1=[[アジアゴールデンキャット属]]|sublabel1={{Snamei||Catopuma}}|color=blue |1={{clade |thickness=2 |color=blue |1=[[ボルネオヤマネコ]] ''(C. badia)'' |2=[[アジアゴールデンキャット]] ''(C. temminckii)'' }} |label2=[[マーブルキャット属]]|sublabel2={{Snamei||Pardofelis}} |2=[[マーブルキャット]] (''P. marmorata'') }} |2={{clade |caption=Caracal lineage |captionstyle=background-color:#eeFFFF;color:darkcyan;text-align:right;font-weight:bold;padding:1px 10px 1px 1px; |thickness=2 |style1=background-color:#eeFFFF; |color1=darkcyan |1={{clade |label1=[[カラカル属]]|sublabel1={{Snamei||Caracal}} |thickness=2 |color=darkcyan |1={{clade |thickness=2 |color=darkcyan |1=[[カラカル]] (''C. caracal'') |2=[[アフリカゴールデンキャット]] (''C. aurata'') }} |label2=[[サーバル属]]|sublabel2={{Snamei||Leptailurus}} |2=[[サーバル]] ''(L. serval)'' }} |2={{clade |caption=Ocelot lineage |captionstyle=background-color:#ccFFcc;color:darkgreen;text-align:right;font-weight:bold;padding:1px 10px 1px 1px; |label1=[[オセロット属]]|sublabel1={{Snamei||Leopardus}} |thickness=2 |color1=green |style1=background-color:#ccFFcc; |1={{clade |thickness=2 |color=green |1={{clade |thickness=2 |color=green |1={{clade |thickness=2 |color=green |1={{clade |thickness=2 |color=green |1=[[ジョフロワネコ]] (''L. geoffroyi'') |2=[[コドコド]] (''L. guigna'') }} |2=[[ジャガーネコ]] (''L. tigrina'') }} |2={{clade |thickness=2 |color=green |1=[[アンデスネコ]] (''L. jacobita'') |2=[[コロコロ (哺乳類)|コロコロ]] (''L. colocola'') }} }} |2={{clade |thickness=2 |color=green |1=[[オセロット]] (''L. pardalis'') |2=[[マーゲイ]] (''L. wiedii'') }} }} |2={{clade |caption=Lynx lineage |captionstyle=background-color:#FFFFaa;color:darkorange;text-align:right;font-weight:bold;padding:1px 10px 1px 1px; |label1=[[オオヤマネコ属]]|sublabel1={{Snamei||Lynx}} |thickness=2 |color1=darkorange |style1=background-color:#ffffaa; |1={{clade |thickness=2 |color=darkorange |1={{clade |thickness=2 |color=darkorange |1={{clade |thickness=2 |color=darkorange |1=[[ユーラシアオオヤマネコ]] (''L. lynx'') |2=[[スペインオオヤマネコ]] (''L. pardinus'') }} |2=[[カナダオオヤマネコ]] (''L. canadensis'') }} |2=[[ボブキャット]] (''L. rufus'') }} |2={{clade |caption=Puma lineage |captionstyle=background-color:#ffdd66;color:#dd4400;text-align:right;font-weight:bold;padding:1px 10px 1px 1px; |thickness=2 |color1=#dd4400 |style1=background-color:#ffdd66; |1={{clade |thickness=2 |color=#dd4400 |1={{clade |thickness=2 |color=#dd4400 |label1=[[ピューマ属]]|sublabel1={{Snamei||Puma}} |1=[[ピューマ]] (''P. concolor'') |label2=[[ジャガランディ属]]|sublabel2={{Snamei||Herpailurus}} |2=[[ジャガランディ]] (''H. yagouaroundi'') }} |label2=[[チーター属]]|sublabel2={{Snamei||Acinonyx}} |2=[[チーター]] (''A. jubatus'') }} |2={{clade |caption=Leopard cat lineage |captionstyle=background-color:#ffdddd;color:#aa3322;text-align:right;font-weight:bold;padding:1px 10px 2px 1px; |thickness=2 |color1=#aa3322 |style1=background-color:#FFdddd; |1={{clade |thickness=2 |color=#aa3322 |label1=[[ベンガルヤマネコ属]]|sublabel1={{Snamei||Prionailurus}} |1={{clade |thickness=2 |color=#aa3322 |1={{clade |thickness=2 |color=#aa3322 |1={{clade |thickness=2 |color=#aa3322 |1=[[ベンガルヤマネコ]] (''P. bengalensis'') |2=[[スナドリネコ]] (''P. viverrinus'') }} |2=[[マレーヤマネコ]] (''P. planiceps'') }} |2=[[サビイロネコ]] (''P. rubiginosus'') }} |label2=[[マヌルネコ属]]|sublabel2={{Snamei||Otocolobus}} |2=[[マヌルネコ]] (''O. manul'') }} |footer=Domestic cat lineage|footerstyle=background-color:#ffbbdd;color:#882277;text-align:right;font-weight:bold;padding:1px 10px 10px 1px; |label2=[[ネコ属]]|sublabel2={{Snamei||Felis}} |color2=#882277 |style2=background-color:#ffbbdd; |2={{clade |thickness=2 |color=#882277 |1=[[ジャングルキャット]] (''F. chaus'') |2={{clade |thickness=2 |color=#882277 |1=[[クロアシネコ]] (''F. nigripes'') |2={{clade |thickness=2 |color=#882277 |1=[[スナネコ]] (''F. margarita'') |label2=[[ヤマネコ]] |2={{clade |thickness=2 |color=#882277 |1={{clade |thickness=2 |color=#882277 |1=[[ハイイロネコ]] (''F. bieti'') |2=[[リビアネコ]] (''F. lybica'') }} |2={{clade |thickness=2 |color=#882277 |1=[[ヨーロッパヤマネコ]] (''F. silvestris'') |2=[[イエネコ]] (''F. catus'') }} }} }} }} }} }} }} }} }} }} }} }} }} ===現生種の分類=== {{Cladogram|caption=Li ''et al''. (2016) より、核DNAを解析した現生種の系統図より(学名は出典に従う<!-- Caracal lineageの構成種は、先取権から本来は''Caracal''属とすべき -->)<ref name="li_et_al">Gang Li, Brian W. Davis, Eduardo Eizirik, William J. Murphy, "[https://doi.org/10.1101/gr.186668.114 Phylogenomic evidence for ancient hybridization in the genomes of living cats (Felidae)]," ''Genome Research'', Volume26, Issue 1, Cold Spring Harbor Laboratory Press, 2016, Pages 1 - 11.</ref>。 |{{Clade|style=font-size:80%; line-height:80%; width:450px; |{{Clade|{{Clade|{{Clade|スンダウンピョウ''Neofelis diardi''|ウンピョウ''N. nebulosa''}} |{{Clade|{{Clade|トラ''Panthera tigris''|ユキヒョウ''Pan. uncia''}} |{{Clade|ジャガー''Pan. onca'' |{{Clade|ライオン''Pan. leo''|ヒョウ''Pan. pardus''}}}}}}}} |{{Clade|{{Clade|サーバル''Profelis serval'' |{{Clade|アフリカゴールデンキャット''Pro. aurata''|カラカル''Pro. caracal''}}}} |{{Clade|{{Clade|{{Clade|アンデスネコ''Leopardus jacobita'' |{{Clade|オセロット''L. pardalis''|マーゲイ''L. wiedii''}}}} |{{Clade|{{Clade|パンパスネコ''L. colocola'' |{{Clade|{{Clade|ジャガーネコ''L. tigrina''(中央アメリカ)|ジャガーネコ''L. tigrina''(南アメリカ)}} |{{Clade|ジョフロワネコ''L. geoffroyi''|コドコド''L. guigna''}}}}}}}}}} |{{Clade|{{Clade|ボブキャット''Lynx rufus'' |{{Clade|カナダオオヤマネコ''L. canadensis'' |{{Clade|オオヤマネコ''L. lynx''|スペインオオヤマネコ''L. pardinus''}}}}}} |{{Clade|{{Clade|マーブルキャット''Pardofelis marmorata'' |{{Clade|ボルネオヤマネコ''Par. badia''|アジアゴールデンキャット''Par. temminckii''}}}} |{{Clade|{{Clade|チーター''Acinonyx jubatus'' |{{Clade|ピューマ''Puma concolor''|ジャガランディ''Pu. yagouaroundi''}}}} |{{Clade|{{Clade|マヌルネコ''Otocolobus manul'' |{{Clade|サビイロネコ''Prionailurus rubiginosus'' |{{Clade|マライヤマネコ''Pri. planiceps'' |{{Clade|スネドリネコ''Pri. viverrinus'' |{{Clade|ベンガルヤマネコ''Pri. bengalensis''(スンダ列島)|ベンガルヤマネコ''Pri. bengalensis''(インドシナ)}}}}}}}}}} |{{Clade|ジャングルキャット''Felis chaus'' |{{Clade|クロアシネコ''F. nigripes'' |{{Clade|スナネコ''F. margarita'' |{{Clade|{{Clade|ハイイロネコ''F. bieti''|リビアネコ''F. lybica''}} |{{Clade|ヨーロッパヤマネコ''F. silvestris''|イエネコ''F. catus''}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}}} 2006年に発表された分子系統推定から、以下の系統(順番はこの解析での分岐順)に分かれるという解析結果が得られている<ref name="ssc" />。2016年に発表された分子系統解析でもこれらの系統は支持されたが、分岐順は異なる(Panthera lineageに次いでBay cat lineageではなくCaracal lineageが分岐したとされ、Bay cat lineageはLynx lineageに次いで分岐した系統という解析結果が得られている)<ref name="li_et_al" />。 # Panthera lineage - ウンピョウ属、ヒョウ属 # Bay cat lineage - アジアゴールデンキャット属、マーブルキャット属 # Caracal lineage - アフリカゴールデンキャット + カラカル、サーバル属 # Ocelot lineage - オセロット属 # Lynx lineage - オオヤマネコ属 # Puma lineage - チーター属、ジャガランディ + ピューマ # Leopard cat lineage - マヌルネコ、ベンガルヤマネコ属 # Domestic cat lineage - ネコ属 以下の現生種の分類・英名は、IUCN SSC Cat Specialist Group (2017) に従う<ref name="ssc" /><!-- 英名が複数挙がっている種は、川田ら(2018)の出典であるMSW3(Wozencraft,2005)と一致するものを挙げた -->。和名は付記のないかぎり、川田ら (2018, 2021) に従う<ref name="kawada_et_al" /><ref>川田伸一郎・岩佐真宏・福井大・新宅勇太・天野雅男・下稲葉さやか・樽創・姉崎智子・鈴木聡・押田龍夫・横畑泰志「[https://www.mammalogy.jp/list/index.html 世界哺乳類標準和名リスト2021年度版]」日本哺乳類学会、2021年12月24日公開、2022年1月13日閲覧。</ref>。 * [[ネコ亜科]] [[w:Felinae|Felinae]] ** [[チーター属]] [[w:Acinonyx|''Acinonyx'']] *** ''Acinonyx jubatus'' [[チーター]] [[:en:Cheetah|Cheetah]] ** [[カラカル属]] <!-- kawada_et_alではカラカルのみのモノタイプだったが、アフリカゴールデンキャット+カラカルの属となった --> [[w:Caracal (genus)|''Caracal'']] *** ''Caracal aurata'' [[アフリカゴールデンキャット]] [[w:African golden cat|African golden cat]](アフリカゴールデンキャット属''Profelis''とする説もあり) *** ''Caracal caracal'' [[カラカル]] [[:en:Caracal|Caracal]] ** [[アジアゴールデンキャット属]] [[w:Catopuma|''Catopuma'']](''Pardofelis''属に含める説もあり) *** ''Catopuma badia'' [[ボルネオヤマネコ]] [[:en:Bay cat|Bay cat]]<!-- msw3と共通の英名採用 --> *** ''Catopuma temminckii'' [[アジアゴールデンキャット]] [[:en:Asian golden cat|Asiatic golden cat]]<!-- msw3と共通の英名採用 英語版が挙がっている出典でも軒並みAsiaticなのに、Asianな意図は不明 --> ** [[ネコ属]] [[w:Felis|''Felis'']] *** ''Felis bieti'' [[ハイイロネコ]] [[:en:Chinese mountain cat|Chinese mountain cat]]<!-- msw3と共通の英名採用 -->(ヨーロッパヤマネコの亜種とする説もあり) *** ''Felis catus'' [[ネコ|イエネコ]] [[:en:Cat|Domestic cat]] *** ''Felis chaus'' [[ジャングルキャット]] [[:en:Jungle cat|Jungle cat]] *** ''Felis lybica'' [[リビアネコ]]<ref name="narushima" /> [[:en:African wildcat|African wildcat]](ヨーロッパヤマネコの亜種とする説もあり)<!-- 独立種として扱っている成島(1991)の和名に従う。英名もnarushimaと共通のものを採用 --> *** ''Felis margarita'' [[スナネコ]] [[:en:Sand cat|Sand cat]] *** ''Felis nigripes'' [[クロアシネコ]] [[:en:Black-footed cat|Black-footed cat]] *** ''Felis silvestris'' [[ヨーロッパヤマネコ]] [[:en:Wildcat|European wildcat]] ** ジャガランディ属<!-- kawada_et_alではピューマ属としていた --> ''Herpailurus''(ピューマ属に含める説もあり) *** ''Herpailurus yagouaroundi'' [[ジャガランディ]] [[:en:Jaguarundi|Jaguarundi]] ** [[オセロット属]] [[w:Leopardus|''Leopardus'']] *** ''Leopardus colocola'' [[コロコロ (哺乳類)|コロコロ]]<!-- narushimaだと''Felis colocolo''、kawada_et_alだと''L. colocolo'' - 本種をパンパスネコとする文献もあるが近年では細分化する傾向(e.g. MDD1.6)があることからコロコロを保持 --> [[:en:Pampas cat|Pampas cat]](パンタナルネコ''L. braccatus''やパンパスネコ''L. pajeros''を分割する説もある) *** ''Leopardus geoffroyi'' [[ジョフロワネコ]] [[:en:Geoffroy's cat|Geffroy's cat]] *** ''Leopardus guigna'' [[コドコド]] [[:en:Kodkod|Guiña, Kod-kod]]<!-- msw3と一致(kodkod)する英名なし --> *** ''Leopardus guttulus'' [[ミナミジャガーネコ]]<ref name="minakuchi_akiyama" /> [[:en:Leopardus guttulus|Southern tigrina]](''L. tigrinus''の南部個体群が分割。ヒガシジャガーネコ''L. emiliae''を分割する説もある<ref name="minakuchi_akiyama" />) *** ''Leopardus jacobita'' [[アンデスネコ]] [[:en:Andean mountain cat|Andean mountain cat]] *** ''Leopardus pardalis'' [[オセロット]] [[:en:Ocelot|Ocelot]] *** ''Leopardus tigrinus'' [[ジャガーネコ]](キタジャガーネコ<ref name="minakuchi_akiyama">水口博也・秋山知伸 編著「ネコ科分類リスト」『世界で一番美しい野生ネコ図鑑』誠文堂新光社、155-157頁。</ref>)<!-- kawada_et_alでジャガーネコ 2種に分割し、英名も変更された iucnだとNorthern tiger cat --> [[:en:Oncilla|Northern tigrina, Oncilla]](南部個体群が''L. guttulus''に分割) *** ''Leopardus wiedii'' [[マーゲイ]] [[:en:Margay|Margay]] ** サーバル属 ''Leptailurus''(カラカル属に含める説もあり) *** ''Leptailurus serval'' [[サーバル]] [[:en:Serval|Serval]] ** [[オオヤマネコ属]] [[w:Lynx|''Lynx'']] *** ''Lynx canadensis'' [[カナダオオヤマネコ]] [[:en:Canada lynx|Canada lynx]] *** ''Lynx lynx'' [[オオヤマネコ]] [[:en:Eurasian lynx|Eurasian lynx]] *** ''Lynx pardinus'' [[スペインオオヤマネコ]] [[:en:Iberian lynx|Iberian lynx]] *** ''Lynx rufus'' [[ボブキャット]] [[:en:Bobcat|Bobcat]] ** マヌルネコ属<!-- kawada_et_alではネコ属としていた --> ''Otocolobus'' *** ''Otocolobus manul'' [[マヌルネコ]] [[:en:Pallas's cat|Pallas's cat]] ** マーブルキャット属 ''Pardofelis''<!-- 英語版では記事があるようだが化石種がいるならともかく1属1種の分類で属と種の記事を別々に作成する意図が不明 --> *** ''Pardofelis marmorata'' [[マーブルキャット]] [[:en:Marbled cat|Marbled cat]] ** [[ベンガルヤマネコ属]] [[w:Prionailurus|''Prionailurus'']] *** ''Prionailurus bengalensis'' [[ベンガルヤマネコ]]<!-- 分割後も英名がLeopard catとされることなどから保持 --> [[:en:Leopard cat|Leopard cat]](亜種イリオモテヤマネコは亜種''P. b. euptilurus''のシノニムとする説もあり) *** ''Prionailurus javanensis'' [[ジャワヤマネコ]]<ref name="minakuchi_akiyama" /> [[:en:Sunda leopard cat|Sunda leopard cat]](ベンガルヤマネコのスンダ列島・フィリピン個体群が分割) *** ''Prionailurus planiceps'' [[マレーヤマネコ|マライヤマネコ]] [[:en:Flat-headed cat|Flat-headed cat]] *** ''Prionailurus rubiginosus'' [[サビイロネコ]] [[:en:Rusty-spotted cat|Rusty-spotted cat]] *** ''Prionailurus viverrinus'' [[スナドリネコ]] [[:en:Fishing cat|Fishing cat]] ** [[ピューマ属]]<!-- kawada_et_alではジャガランディを含めていた --> [[w:Puma (genus)|''Puma'']] *** ''Puma concolor'' [[ピューマ]] [[:en:Cougar|Cougar]]<!-- msw3と共通の英名採用 --> * [[ヒョウ亜科]] [[w:Pantherinae|Pantherinae]] ** [[ヒョウ属]] [[w:Panthera|''Panthera'']] *** ''Panthera leo'' [[ライオン]] [[:en:Lion|Lion]](ユーラシア・アフリカ大陸・北部・西部・中部個体群を基亜種、アフリカ大陸南部・東部個体群を亜種''P. l. melanochaita''のシノニムとして2亜種とする説もあり) *** ''Panthera onca'' [[ジャガー]] [[:en:Jaguar|Jaguar]](亜種を認めない説もあり) *** ''Panthera pardus'' [[ヒョウ]] [[:en:Leopard|Leopard]] *** ''Panthera tigris'' [[トラ]] [[:en:Tiger|Tiger]](大陸産亜種を全て基亜種のシノニムに、スンダ列島亜種を全て1つの亜種にする説もあり) *** ''Panthera uncia'' [[ユキヒョウ]] [[:en:Snow leopard|Snow leopard]] ** [[ウンピョウ属]] [[w:Neofelis|''Neofelis'']] *** ''Neofelis diardi'' [[スンダウンピョウ]]<ref name="minakuchi_akiyama" /> [[:en:Sunda clouded leopard|Sunda clouded leopard]](ウンピョウのスマトラ・ボルネオ島産亜種とされていたが、2006年に分子系統解析から独立種とされた<ref>Valerie A. Buckley-Beason, Warren E. Johnson, Willliam G. Nash, Roscoe Stanyon, Joan C. Menninger, Carlos A. Driscoll, JoGayle Howard, Mitch Bush, John E. Page, Melody E. Roelke, Gary Stone, Paolo P. Martelli, Ci Wen, Lin Ling, Ratna K. Duraisingam, Phan V. Lam, Stephen J. O’Brien, "[https://doi.org/10.1016/j.cub.2006.08.066 Molecular Evidence for Species-Level Distinctions in Clouded Leopards]," ''Current Biology'', Volume 16, Issue 23, 2006, Pages 2371 - 2376.</ref><ref>Andrew C. Kitchener, Mark A. Beaumont, Douglas Richardson, "[https://doi.org/10.1016/j.cub.2006.10.066 Geographical Variation in the Clouded Leopard, ''Neofelis nebulosa'', Reveals Two Species]," ''Current Biology'', Volume 16, Issue 23, 2006, Pages 2377 - 2383.</ref>) *** ''Neofelis nebulosa'' [[ウンピョウ]]<!-- 単に英名がClouded leopardとされることもあること、訳書でも分割後の本種の名称として用いられている例もあることなどから保持 --> [[:en:Clouded leopard|Mainland clouded leopard]] ===分類史=== [[カール・フォン・リンネ|リンネ]]の『[[:en:10th edition of Systema Naturae|自然の体系]]』でネコ属 ({{snamei|Felis}}) とされたものが7種(ライオン・トラ・ヒョウ・ジャガー・オセロット・イエネコ・オオヤマネコ)あり、これは現在の現生ネコ科の範囲におおよそ対応している。19世紀に[[ジョン・エドワード・グレイ]]や[[ニコライ・セヴェルツォフ]]らによって属が多数分割されたあと、1917年に[[レジナルド・インズ・ポコック]]が[[ネコ亜科]]・[[ヒョウ亜科]]・チーター亜科の3亜科に分類したものが現在に続く現生ネコ科の下位分類の基本となっている<ref name=Pocock1917>{{cite journal|author=Pocock, R. I.|year=1917|title=The Classification of existing Felidae|journal=Ann. Mag. N. Hist. Ser. 8|volume=20|pages=329-350|url=https://archive.org/stream/annalsmagazineof8201917lond#page/n359/mode/2up}}</ref>。亜科に関しては、分子系統解析などからチーター亜科の独立性が否定されているほか、化石種の分類体系との均衡から現生種を全てネコ亜科に含めヒョウ亜科を認めない場合もある<ref name="Werdelin2013">{{cite book|author=Lars Werdelin|year=2013|chapter=Family Felidae|editor=Kingdon ''et al.''|title=Mammals of Africa|publisher=Bloomsbury|volume=5|pages=144-147}}</ref>。属については20世紀中葉に[[ジョージ・ゲイロード・シンプソン]]の影響で現生種が3属のみにまとめられたこともある<ref>{{cite book|author=Simpson, G.G.|year=1945|chapter=Felidae|title=The principles of classification and a classification of mammals|series=Bulletin of the American Musium of Natural History|volume=85|pages=230-232|url=https://hdl.handle.net/2246/1104}}</ref> == 分布 == オーストラリア大陸・南極大陸・マダガスカルを除く<ref name="kerby" />全ての大陸とほとんどの島。 == 生態 == 約4分の3以上の種が森林に生息する<ref name="kerby" />。[[夜行性]]で森や茂みの中で生活する種が多い。主に単独で生活するが<ref name="kerby" />、ライオンやチーターは血縁関係のある個体で群れを形成することもある<ref name="narushima" />。 主に脊椎動物を食べるが、魚類、昆虫、果実を食べることもある<ref name="narushima" />。肉のみを食料とする種も多く、ほとんどの地域で[[食物連鎖]]の頂点にいる。 主に2 - 3匹の幼獣を産む<ref name="narushima" />。出産間隔は小型種では年に1 - 2回、大型種は2 - 3年に1回<ref name="narushima" />。 == 人間との関係 == 毛皮目的の狩猟、家畜や人間を襲う害獣としての駆除などにより生息数が減少している種もいる<ref name="narushima" />。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|Felidae}} {{Species|Felidae}} {{デフォルトソート:ねこか}} [[Category:ネコ科|*]] [[Category:ワシントン条約附属書II]]
2003-02-28T16:00:09Z
2023-12-21T15:19:19Z
false
false
false
[ "Template:Clade", "Template:Cladogram", "Template:Reflist", "Template:Cite book", "Template:Commonscat", "Template:Snamei", "Template:Sname", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite journal", "Template:Species", "Template:生物分類表" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%B3%E7%A7%91
3,080
XFree86
XFree86は、1991年よりオープンソースで開発されていたX Window Systemの実装である。名称は、AT&Tによるi386向けX Window Systemの実装であるX386の3 (Three) をFreeに置き換えた点から由来している。 PC向けに広く使われていたフリーソフトウェアであり、OSとしては、Linux、FreeBSD、NetBSD、OpenBSD、Solaris、Mac OS X、Windows NT、OS/2などを対象としている。CPUアーキテクチャとしては、当初i386系CPUだけがサポートされたが、後にPowerPCなどの他のCPUもサポートするようになっている。 現在、2009年5月を最後にコミットされておらず、2011年にはプロジェクトは休止したと確認された。 XFree86のバージョン4.4からはライセンス条項が変わり、Apache Software Licenseの謝辞条項に極めて類似した、いわゆる宣伝条項付きBSDライセンスと似たものになったため、GPLをライセンスとしているソフトウェアを含むディストリビューションではライセンス間の矛盾により使用できなくなった。このライセンス形態の変更と以前からのXFree86の開発プロセスの閉鎖性に不満を持ったXFree86の中核メンバーがXFree86 Projectを離脱し、新たにX.Org Foundationを立ち上げた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "XFree86は、1991年よりオープンソースで開発されていたX Window Systemの実装である。名称は、AT&Tによるi386向けX Window Systemの実装であるX386の3 (Three) をFreeに置き換えた点から由来している。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "PC向けに広く使われていたフリーソフトウェアであり、OSとしては、Linux、FreeBSD、NetBSD、OpenBSD、Solaris、Mac OS X、Windows NT、OS/2などを対象としている。CPUアーキテクチャとしては、当初i386系CPUだけがサポートされたが、後にPowerPCなどの他のCPUもサポートするようになっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "現在、2009年5月を最後にコミットされておらず、2011年にはプロジェクトは休止したと確認された。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "XFree86のバージョン4.4からはライセンス条項が変わり、Apache Software Licenseの謝辞条項に極めて類似した、いわゆる宣伝条項付きBSDライセンスと似たものになったため、GPLをライセンスとしているソフトウェアを含むディストリビューションではライセンス間の矛盾により使用できなくなった。このライセンス形態の変更と以前からのXFree86の開発プロセスの閉鎖性に不満を持ったXFree86の中核メンバーがXFree86 Projectを離脱し、新たにX.Org Foundationを立ち上げた。", "title": "X.Org Foundationの分離" } ]
XFree86は、1991年よりオープンソースで開発されていたX Window Systemの実装である。名称は、AT&Tによるi386向けX Window Systemの実装であるX386の3 (Three) をFreeに置き換えた点から由来している。 PC向けに広く使われていたフリーソフトウェアであり、OSとしては、Linux、FreeBSD、NetBSD、OpenBSD、Solaris、Mac OS X、Windows NT、OS/2などを対象としている。CPUアーキテクチャとしては、当初i386系CPUだけがサポートされたが、後にPowerPCなどの他のCPUもサポートするようになっている。 現在、2009年5月を最後にコミットされておらず、2011年にはプロジェクトは休止したと確認された。
{{Software-stub}} {{Infobox Software|名称 = XFree86 |ロゴ = |開発元 = The XFree86 Project, Inc.&trade; |対応OS = マルチプル |種別 = [[ウィンドウシステム]] |初版 = {{release date and age|1991}} |最新版 = 4.8.0 |最新版発表日 = {{release date and age|2008|12|15}} |サポート状況 = 終了 |ライセンス = [[MIT License|XFree86 License]] 1.1 |公式サイト = [http://www.xfree86.org www.xfree86.org] }} '''XFree86'''は、[[1991年]]より[[オープンソース]]で開発されていた[[X Window System]]の実装である。名称は、[[AT&T]]による[[Intel 80386|i386]]向けX Window Systemの実装であるX386の3 (Three) をFreeに置き換えた点から由来している。 [[パーソナルコンピュータ|PC]]向けに広く使われていた[[フリーソフトウェア]]であり、[[オペレーティングシステム|OS]]としては、[[Linux]]、[[FreeBSD]]、[[NetBSD]]、[[OpenBSD]]、[[Solaris]]、[[macOS|Mac OS X]]、[[Microsoft Windows NT|Windows NT]]、[[OS/2]]などを対象としている。[[CPU]][[コンピュータ・アーキテクチャ|アーキテクチャ]]としては、当初i386系CPUだけがサポートされたが、後に[[PowerPC]]などの他のCPUもサポートするようになっている。 現在、[[2009年]]5月を最後にコミットされておらず、[[2011年]]にはプロジェクトは休止したと確認された。 <!-- == XFree86をデフォルトのGUIに使用しているOS == * Linux(一部のディストリビューション。現在では、多くのディストリビューションが [[X.Org Foundation|X.Org]] を使っている。) * FreeBSD(5.2.1-Releaseまで) --> ==X.Org Foundationの分離== XFree86のバージョン4.4からはライセンス条項が変わり、[[Apache License|Apache Software License]]の謝辞条項に極めて類似した、いわゆる宣伝条項付き[[BSDライセンス]]と似たものになったため、[[GNU General Public License|GPL]]をライセンスとしているソフトウェアを含む[[ディストリビューション]]ではライセンス間の矛盾により使用できなくなった。このライセンス形態の変更と以前からのXFree86の開発プロセスの閉鎖性に不満を持ったXFree86の中核メンバーがXFree86 Projectを離脱し、新たに[[X.Org Foundation]]を立ち上げた。 == 関連項目 == * [[X.Org Server]] == 外部リンク == *[http://www.xfree86.org/ The XFree86 Project, Inc] {{XWinSys}} [[Category:X Window System]] [[Category:オープンソースソフトウェア]]
null
2019-06-18T02:58:50Z
false
false
false
[ "Template:Software-stub", "Template:Infobox Software", "Template:XWinSys" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/XFree86
3,082
兎形目
兎形目(とけいもく、Lagomorpha)は、哺乳綱に分類される目。別名兎目、ウサギ目。 北半球を中心に、南極大陸や離島を除く世界中の陸地に分布している。オーストラリア大陸やマダガスカル島には元々は生息していなかった。 全身は柔らかい体毛で被われる。耳介は大型で、本目内では耳介があまり発達しないナキウサギ科でも他の哺乳綱の分類群と比較すると大型。 眼は頭部の上部側面にあり、広い視野を確保することができる。鼻には縦に割れ目があり、上部の皮膚を動かすことで鼻孔を開閉することができる。門歯は発達し、一生伸びつづける。上顎の門歯の裏側に、楔形の門歯がある。盲腸は長い。尿と糞は、1つの穴(総排泄腔)から排出する。 目名Lagomorphaは、古代ギリシャ語で「ウサギ型」を意味する語に由来する。「(λαγος (lagos) + μορφή (morphē)」からきている。つまり、「ウサギ目」は(たとえばネコ目などと違い)1980年代以前から使われている翻訳語である(ただし古くは兎目と書くこともあった)。 始新世前期の約5千万年前に出現したと考えられている。門歯が伸びつづける事から以前は齧歯目の重歯亜目Duplicidentataに含まれていたが、上顎門歯の裏側にある楔形門歯などの特徴から独立した目として本目が分割された。齧歯目(単歯類)との類似性は収斂進化によるものとされていたが、化石記録からこれらの目がグリレス類という単系統群を構成することが支持されている。 化石群としてはエウリミルス科Eurymylidaeやミモトナ科Mimotonidaeを本目に含める説もあった。エウリミルス科は楔形門歯を持たないという現生群と異なる特徴があり、のちに原始的な単歯類とみなされている。ミモトナ科は重歯類とされるが、独立したミモトナ目Mimotonidaとして本目から分割する説もある。 以下の分類は、Hoffmann & Smith (2005) に従う。和名は川田ら (2018) に従う。 草原、半砂漠地帯、熱帯雨林、雪原、岩場などの様々な環境に生息する。 食性は植物食で、草本、木の葉、樹皮、果実などを食べる。一方で陸棲の巻貝や昆虫を食べる種もいる。一部の栄養素を摂取するため軟便を食物と一緒に胃で攪拌し、再び腸から栄養を摂取する。 繁殖様式は胎生。繁殖力が強く、交尾によって排卵(誘導排卵)する。出産して直後に妊娠する(出産後妊娠)ことが可能で、一部の種では妊娠中に、再び妊娠する(重複妊娠)ことも可能である。妊娠期間も短く、30 - 40日。 生息地では食用とされることもあり、食用に養殖されることもある。 アナウサギはペットとして飼育される事もあり(カイウサギ)、小型種のネザーランド・ドワーフなど、数多くの品種が作り出されている。アナウサギは人為的に世界各地に移入され、各地の植生を破壊したり移入先に分布する動物の競合などが問題となっている。開発による生息地の破壊などにより生息数が減少している種もいる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "兎形目(とけいもく、Lagomorpha)は、哺乳綱に分類される目。別名兎目、ウサギ目。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "北半球を中心に、南極大陸や離島を除く世界中の陸地に分布している。オーストラリア大陸やマダガスカル島には元々は生息していなかった。", "title": "分布" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "全身は柔らかい体毛で被われる。耳介は大型で、本目内では耳介があまり発達しないナキウサギ科でも他の哺乳綱の分類群と比較すると大型。", "title": "形態" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "眼は頭部の上部側面にあり、広い視野を確保することができる。鼻には縦に割れ目があり、上部の皮膚を動かすことで鼻孔を開閉することができる。門歯は発達し、一生伸びつづける。上顎の門歯の裏側に、楔形の門歯がある。盲腸は長い。尿と糞は、1つの穴(総排泄腔)から排出する。", "title": "形態" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "目名Lagomorphaは、古代ギリシャ語で「ウサギ型」を意味する語に由来する。「(λαγος (lagos) + μορφή (morphē)」からきている。つまり、「ウサギ目」は(たとえばネコ目などと違い)1980年代以前から使われている翻訳語である(ただし古くは兎目と書くこともあった)。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "始新世前期の約5千万年前に出現したと考えられている。門歯が伸びつづける事から以前は齧歯目の重歯亜目Duplicidentataに含まれていたが、上顎門歯の裏側にある楔形門歯などの特徴から独立した目として本目が分割された。齧歯目(単歯類)との類似性は収斂進化によるものとされていたが、化石記録からこれらの目がグリレス類という単系統群を構成することが支持されている。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "化石群としてはエウリミルス科Eurymylidaeやミモトナ科Mimotonidaeを本目に含める説もあった。エウリミルス科は楔形門歯を持たないという現生群と異なる特徴があり、のちに原始的な単歯類とみなされている。ミモトナ科は重歯類とされるが、独立したミモトナ目Mimotonidaとして本目から分割する説もある。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "以下の分類は、Hoffmann & Smith (2005) に従う。和名は川田ら (2018) に従う。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "草原、半砂漠地帯、熱帯雨林、雪原、岩場などの様々な環境に生息する。", "title": "生態" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "食性は植物食で、草本、木の葉、樹皮、果実などを食べる。一方で陸棲の巻貝や昆虫を食べる種もいる。一部の栄養素を摂取するため軟便を食物と一緒に胃で攪拌し、再び腸から栄養を摂取する。", "title": "生態" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "繁殖様式は胎生。繁殖力が強く、交尾によって排卵(誘導排卵)する。出産して直後に妊娠する(出産後妊娠)ことが可能で、一部の種では妊娠中に、再び妊娠する(重複妊娠)ことも可能である。妊娠期間も短く、30 - 40日。", "title": "生態" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "生息地では食用とされることもあり、食用に養殖されることもある。", "title": "人間との関係" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "アナウサギはペットとして飼育される事もあり(カイウサギ)、小型種のネザーランド・ドワーフなど、数多くの品種が作り出されている。アナウサギは人為的に世界各地に移入され、各地の植生を破壊したり移入先に分布する動物の競合などが問題となっている。開発による生息地の破壊などにより生息数が減少している種もいる。", "title": "人間との関係" } ]
兎形目(とけいもく、Lagomorpha)は、哺乳綱に分類される目。別名兎目、ウサギ目。
{{出典の明記|date=2021年7月}} {{生物分類表 |省略 = 哺乳綱 |名称 = 兎形目 |画像=[[File:Snowshoe Hare, Shirleys Bay.jpg|220px|カンジキウサギ]]<br />[[File:Lepus brachyurus eating grass.JPG|220px|ニホンノウサギ]]<br />[[File:Ochotona hyperborea yesoensis detail.jpg|220px|エゾナキウサギ]] |画像キャプション = 上:[[カンジキウサギ]] {{Snamei||Lepus americanus}}<br>中:[[ニホンノウサギ]] {{snamei||Lepus brachyurus}}<br>下:[[エゾナキウサギ]] {{Snamei||Ochotona hyperborea}} ''yesoensis'' |地質時代1 = [[始新世]] |地質時代2 = 現代 | 巨目 =[[北方真獣類]] {{Sname||Boreoeutheria}} | 上目 = [[真主齧類]] {{sname||Euarchontoglires}} | 大目 = [[グリレス類]] {{sname||Glires}} | 中目 = 重歯類 {{Sname|Duplicidentata}}<br />Illiger, 1811<ref name="mckenna_bell">Malcolm C. McKenna & Susan K. Bell, “Mirorder Duplicidentata,” ''Classification of Mammals: Above the Species Level'', Columbia University Press, 1997, Pages 108-113.</ref> |目 = '''兎形目''' {{Sname||Lagomorpha}} |学名 = Lagomorpha Brandt, [[1855年|1855]]<ref name="hoffmann_smith">Robert S. Hoffmann & Andrew T. Smith, "[http://www.departments.bucknell.edu/biology/resources/msw3/browse.asp?id=13500001 Order Lagomorpha]". ''Mammal Species of the World'', (3rd ed.), Don E. Wilson & DeeAnn M. Reeder (ed.), Volume 1, Johns Hopkins University Press, 2005, Pages 185 - 211.</ref> |和名 = 兎形目<ref name="colbert_et_al">エドウィン H. コルバート、マイケル モラレス、イーライ C. ミンコフ 「第24章 齧歯類とウサギ類」『コルバート 脊椎動物の進化 原著第5版』田隅本生訳、築地書館、2004年、359 - 372頁。</ref><ref name="kawada_et_al">[[川田伸一郎]]他 「[https://doi.org/10.11238/mammalianscience.58.S1 世界哺乳類標準和名目録]」『哺乳類科学』第58巻 別冊、日本哺乳類学会、2018年、1 - 53頁。</ref> |下位分類名=科 |下位分類= * [[ウサギ科]] [[w:Leporidae|Leporidae]] * [[ナキウサギ科]] [[w:Pika|Ochotonidae]] * †[[サルデーニャウサギ|サルデーニャウサギ科]] [[w:Prolagus|Prolagidae]] }} '''兎形目'''(とけいもく<ref name="colbert_et_al" />、{{Sname||Lagomorpha}})は、哺乳綱に分類される目。別名'''兎目'''、'''ウサギ目'''<ref>田隅本生 「[https://doi.org/10.11238/mammalianscience.40.83 哺乳類の日本語分類群名,特に目名の取扱いについて 文部省の“目安”にどう対応するか]」『哺乳類科学』第40巻 1号、日本哺乳類学会、2000年、83 - 99頁。</ref>。 == 分布 == 北半球を中心に、[[南極大陸]]や[[離島]]を除く世界中の陸地に分布している。[[オーストラリア大陸]]や[[マダガスカル島]]には元々は生息していなかった。 == 形態 == 全身は柔らかい体毛で被われる<ref name="champman_schneider">J. A. Champman、E. Schneider 「ウサギ目総覧」川道武男訳『動物大百科5 小型草食獣』今泉吉典監修 D.W.マクドナルド編、[[平凡社]]、1986年、128 - 129頁。</ref>。耳介は大型で、本目内では耳介があまり発達しないナキウサギ科でも他の哺乳綱の分類群と比較すると大型<ref name="champman_schneider" />。 眼は頭部の上部側面にあり、広い視野を確保することができる<ref name="champman_schneider" />。鼻には縦に割れ目があり、上部の皮膚を動かすことで鼻孔を開閉することができる<ref name="champman_schneider" />。[[切歯|門歯]]は発達し、一生伸びつづける<ref name="champman_schneider" />。上顎の門歯の裏側に、楔形の門歯がある<ref name="champman_schneider" />。盲腸は長い<ref name="champman_schneider" />。尿と糞は、1つの穴([[総排泄腔]])から排出する<ref name="champman_schneider" />。 == 分類 == 目名Lagomorphaは、古代ギリシャ語で「ウサギ型」を意味する語に由来する<ref name="champman_schneider"/>。「({{lang|el|λαγος (lagos)}} + {{lang|el|μορφή (morphē)}}」からきている。つまり、「ウサギ目」は(たとえば[[ネコ目]]などと違い)1980年代以前から使われている[[翻訳]]語である(ただし古くは兎目と書くこともあった)。 [[始新世]]前期の約5千万年前に出現したと考えられている<ref name="champman_schneider" />。門歯が伸びつづける事から以前は[[齧歯目]]の重歯亜目Duplicidentataに含まれていたが<ref name="kawamichi_yamada">川道武男・山田文雄「[https://doi.org/10.11238/mammalianscience.35.193 日本産ウサギ目の分類学的検討]」『哺乳類科学』第35巻 2号、日本哺乳類学会、1996年、193-202頁。</ref>、上顎門歯の裏側にある楔形門歯などの特徴から独立した目として本目が分割された<ref name="champman_schneider" />。齧歯目([[単歯類]])との類似性は[[収斂進化]]によるものとされていたが、化石記録からこれらの目が[[グリレス類]]という[[単系統群]]を構成することが支持されている<ref name="kawamichi_yamada" /><ref name="nishioka_et_al">西岡佑一郎・楠橋直・高井正成「[https://doi.org/10.11238/mammalianscience.60.251 哺乳類の化石記録と白亜紀/古第三紀境界前後における初期進化]」『哺乳類科学』第60巻 2号、日本哺乳類学会、2020年、251-267頁。</ref>。 化石群としてはエウリミルス科Eurymylidaeやミモトナ科Mimotonidaeを本目に含める説もあった<ref>[[遠藤秀紀]]・佐々木基樹「[https://doi.org/10.5686/jjzwm.6.45 哺乳類分類における高次群の和名について]」『日本野生動物医学会誌』第6巻 2号、2001年、45-53頁。</ref>。エウリミルス科は楔形門歯を持たないという現生群と異なる特徴があり<ref name="kawamichi_yamada" />、のちに原始的な単歯類とみなされている<ref name="nishioka_et_al" />。ミモトナ科は重歯類とされるが、独立したミモトナ目Mimotonidaとして本目から分割する説もある<ref name="mckenna_bell" />。 以下の分類は、Hoffmann & Smith (2005) に従う<ref name="hoffmann_smith" />。和名は川田ら (2018) に従う<ref name="kawada_et_al" />。 * [[ウサギ科]] [[w:Leporidae|Leporidae]] * [[ナキウサギ科]] [[w:Pika|Ochotonidae]] * †[[サルデーニャウサギ|サルデーニャウサギ科]] [[w:Prolagus|Prolagidae]] == 生態 == [[草原]]、半砂漠地帯、熱帯雨林、雪原、岩場などの様々な環境に生息する<ref name="champman_schneider" />。 食性は植物食で、[[草本]]、木の葉、樹皮、果実などを食べる<ref name="champman_schneider" />。一方で陸棲の巻貝や昆虫を食べる種もいる<ref name="champman_schneider" />。一部の栄養素を摂取するため軟便を食物と一緒に胃で攪拌し、再び腸から栄養を摂取する<ref name="champman_schneider" />。 繁殖様式は胎生。繁殖力が強く、交尾によって排卵(誘導排卵)する。出産して直後に妊娠する(出産後妊娠)ことが可能で、一部の種では妊娠中に、再び妊娠する(重複妊娠)ことも可能である<ref name="champman_schneider" />。妊娠期間も短く、30 - 40日<ref name="champman_schneider" />。 == 人間との関係 == 生息地では食用とされることもあり、食用に養殖されることもある。 アナウサギはペットとして飼育される事もあり(カイウサギ)、小型種の[[ネザーランド・ドワーフ]]など、数多くの品種が作り出されている。アナウサギは人為的に世界各地に移入され、各地の植生を破壊したり移入先に分布する動物の競合などが問題となっている。開発による生息地の破壊などにより生息数が減少している種もいる。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == *[[ウサギ]] {{Commonscat|Lagomorpha}} {{Species|Lagomorpha}} {{哺乳類}} {{Animal-stub}} {{デフォルトソート:とけいもく}} [[Category:兎形目|*]]
null
2023-06-06T08:36:55Z
false
false
false
[ "Template:Animal-stub", "Template:生物分類表", "Template:Sname", "Template:脚注ヘルプ", "Template:哺乳類", "Template:Species", "Template:出典の明記", "Template:Lang", "Template:Reflist", "Template:Commonscat" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%8E%E5%BD%A2%E7%9B%AE
3,083
有機化学
有機化学(ゆうきかがく、英語: organic chemistry)は、有機化合物の製法、構造、用途、性質についての研究をする化学の部門である。 構造有機化学、反応有機化学(有機反応論)、合成有機化学、生物有機化学などの分野がある。 炭素の酸化物を除き、炭素化合物はすべて有機化合物である。また、生体を構成する物質のうち、タンパク質や核酸、糖、脂質といった化合物は炭素化合物である。ケイ素はいくぶん似た性質を持つが、炭素に比べると Si-Si 結合やSi=Si結合等の安定度が低いために炭素ほどの多様性をもたない。 有機化学が誕生する以前から人類は様々な有機物を利用していた。食料については言うに及ばず、麝香や樟脳等の香料、石鹸やアルコール等がその好例である。石鹸は油脂を植物灰中の金属塩と反応させて作られていた。従って有機化学の始まりを定義するのは異論のあるところである。 1780年頃にカール・ヴィルヘルム・シェーレが生物材料から有機化合物を取りだすことに成功し、以降徐々に有機化学が発展していくが、当時は有機物は人工的には合成することができず、生命の神秘的な力によって生み出されるとされる、いわゆる生気論が主流であった。二酸化炭素などは炭や木を燃やせば作ることができるため、生命力に依らない無機物であるとされた。つまるところ、人によって作ることができず、生物によってのみ作ることができる物質が有機物であると考えられていたのである。 化学における生気論は1828年にドイツのフリードリヒ・ヴェーラーによって打ち破られた。彼は、無機物であるシアン酸アンモニウムの加熱によって有機物である尿素が得られることを示したのである。これによって有機物の定義は変化した。 その後、19世紀後半には有機化学は分野として独立し、様々な有機化合物の性質が調べられ数々の反応が発見されるとともに、様々な有機物が合成されるに至り生気論は崩壊した。その中で特筆すべきものとして芳香族化合物の発見があげられる。最初に見つかった芳香族化合物はベンゼンである。ベンゼンの構造はフリードリヒ・ケクレによって示されたが、二重結合を有する物質の割に反応性が低いことや、置換誘導体の種類が少ないなど奇妙な性質を持っていることが分かった。この奇妙な性質の原因が解明されるのは量子力学が導入されてからである。 1857年にウィリアム・パーキンが紫色染料のモーブを合成することに成功したのを皮切りに、有機化学の成果は続々と工業分野に応用されるようになった。初期の応用は染料工業が中心であったが、やがて19世紀後半には薬品工業にも応用は広がっていった。1869年のセルロイドの開発をきっかけに合成樹脂の研究が進められ、1909年にはアメリカのレオ・ベークランドが初の完全な合成樹脂としてベークライトの工業化に成功した。18世紀末には人造絹糸(レーヨン)の開発も進み、さらに時代が下って1934年、ウォーレス・カロザースによってナイロンが作り出された。やがて有機化学の発展と共にゴムや接着剤、樹脂などが合成されるようになり、靴下から宇宙船まで様々な分野に応用されている。 有機化学は元来生物を構成する物質を扱う学問であり、生化学とごく密接に関連している。有機化学における手法は、生化学における化学反応の理解や、生体物質の解析などに応用される。現在では、有機化学は生化学や高分子化学の基礎として位置づけられている。 有機化学の理論は構造論と反応論に大別できる。 有機化学の基本的な実験操作は、現代ではかなり洗練され、実験の安全性および結果の妥当性を保証するものとしてほぼ確立されているので、実験者はまずそれらをしっかりと身につけることが求められる。 ただし各手順は研究者によって微妙に異なることもあり、時にはそこから流派(出身研究室)を推測することも可能である。 有機化学で化合物の合成方法を考える場合、炭素骨格の構築と官能基の変換に大別することが多い。 一般の有機化合物は、鎖式炭化水素(アルカン、アルケン、アルキン)あるいは環式有機化合物(シクロアルカン、芳香族炭化水素、複素環式化合物など)を骨格とし、そこに官能基(ヒドロキシ基、カルボキシル基など)が結合した構造を持っている。 官能基を変換することは比較的容易である。例えば、アルコールは適当な酸化剤を用いることによって、アルデヒドあるいはカルボン酸に変換でき、カルボン酸からさらにアミドやエステルへと変換することが可能である(官能基については基に詳しい説明がある)。 一方、炭素骨格を構築することはなかなか難しい。古くからアルドール反応やグリニャール反応が用いられてきたが、期待する炭素骨格を効率よく合成することは困難であった。しかし、近年では鈴木カップリングやメタセシス反応など、効率の良い反応が開発され、タキソールやシガトキシンのような複雑で巨大な分子も全合成することが可能となっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "有機化学(ゆうきかがく、英語: organic chemistry)は、有機化合物の製法、構造、用途、性質についての研究をする化学の部門である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "構造有機化学、反応有機化学(有機反応論)、合成有機化学、生物有機化学などの分野がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "炭素の酸化物を除き、炭素化合物はすべて有機化合物である。また、生体を構成する物質のうち、タンパク質や核酸、糖、脂質といった化合物は炭素化合物である。ケイ素はいくぶん似た性質を持つが、炭素に比べると Si-Si 結合やSi=Si結合等の安定度が低いために炭素ほどの多様性をもたない。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "有機化学が誕生する以前から人類は様々な有機物を利用していた。食料については言うに及ばず、麝香や樟脳等の香料、石鹸やアルコール等がその好例である。石鹸は油脂を植物灰中の金属塩と反応させて作られていた。従って有機化学の始まりを定義するのは異論のあるところである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1780年頃にカール・ヴィルヘルム・シェーレが生物材料から有機化合物を取りだすことに成功し、以降徐々に有機化学が発展していくが、当時は有機物は人工的には合成することができず、生命の神秘的な力によって生み出されるとされる、いわゆる生気論が主流であった。二酸化炭素などは炭や木を燃やせば作ることができるため、生命力に依らない無機物であるとされた。つまるところ、人によって作ることができず、生物によってのみ作ることができる物質が有機物であると考えられていたのである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "化学における生気論は1828年にドイツのフリードリヒ・ヴェーラーによって打ち破られた。彼は、無機物であるシアン酸アンモニウムの加熱によって有機物である尿素が得られることを示したのである。これによって有機物の定義は変化した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "その後、19世紀後半には有機化学は分野として独立し、様々な有機化合物の性質が調べられ数々の反応が発見されるとともに、様々な有機物が合成されるに至り生気論は崩壊した。その中で特筆すべきものとして芳香族化合物の発見があげられる。最初に見つかった芳香族化合物はベンゼンである。ベンゼンの構造はフリードリヒ・ケクレによって示されたが、二重結合を有する物質の割に反応性が低いことや、置換誘導体の種類が少ないなど奇妙な性質を持っていることが分かった。この奇妙な性質の原因が解明されるのは量子力学が導入されてからである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1857年にウィリアム・パーキンが紫色染料のモーブを合成することに成功したのを皮切りに、有機化学の成果は続々と工業分野に応用されるようになった。初期の応用は染料工業が中心であったが、やがて19世紀後半には薬品工業にも応用は広がっていった。1869年のセルロイドの開発をきっかけに合成樹脂の研究が進められ、1909年にはアメリカのレオ・ベークランドが初の完全な合成樹脂としてベークライトの工業化に成功した。18世紀末には人造絹糸(レーヨン)の開発も進み、さらに時代が下って1934年、ウォーレス・カロザースによってナイロンが作り出された。やがて有機化学の発展と共にゴムや接着剤、樹脂などが合成されるようになり、靴下から宇宙船まで様々な分野に応用されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "有機化学は元来生物を構成する物質を扱う学問であり、生化学とごく密接に関連している。有機化学における手法は、生化学における化学反応の理解や、生体物質の解析などに応用される。現在では、有機化学は生化学や高分子化学の基礎として位置づけられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "有機化学の理論は構造論と反応論に大別できる。", "title": "理論" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "有機化学の基本的な実験操作は、現代ではかなり洗練され、実験の安全性および結果の妥当性を保証するものとしてほぼ確立されているので、実験者はまずそれらをしっかりと身につけることが求められる。 ただし各手順は研究者によって微妙に異なることもあり、時にはそこから流派(出身研究室)を推測することも可能である。", "title": "実験操作" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "有機化学で化合物の合成方法を考える場合、炭素骨格の構築と官能基の変換に大別することが多い。", "title": "炭素骨格と官能基" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "一般の有機化合物は、鎖式炭化水素(アルカン、アルケン、アルキン)あるいは環式有機化合物(シクロアルカン、芳香族炭化水素、複素環式化合物など)を骨格とし、そこに官能基(ヒドロキシ基、カルボキシル基など)が結合した構造を持っている。", "title": "炭素骨格と官能基" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "官能基を変換することは比較的容易である。例えば、アルコールは適当な酸化剤を用いることによって、アルデヒドあるいはカルボン酸に変換でき、カルボン酸からさらにアミドやエステルへと変換することが可能である(官能基については基に詳しい説明がある)。", "title": "炭素骨格と官能基" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "一方、炭素骨格を構築することはなかなか難しい。古くからアルドール反応やグリニャール反応が用いられてきたが、期待する炭素骨格を効率よく合成することは困難であった。しかし、近年では鈴木カップリングやメタセシス反応など、効率の良い反応が開発され、タキソールやシガトキシンのような複雑で巨大な分子も全合成することが可能となっている。", "title": "炭素骨格と官能基" } ]
有機化学は、有機化合物の製法、構造、用途、性質についての研究をする化学の部門である。 構造有機化学、反応有機化学(有機反応論)、合成有機化学、生物有機化学などの分野がある。 炭素の酸化物を除き、炭素化合物はすべて有機化合物である。また、生体を構成する物質のうち、タンパク質や核酸、糖、脂質といった化合物は炭素化合物である。ケイ素はいくぶん似た性質を持つが、炭素に比べると Si-Si 結合やSi=Si結合等の安定度が低いために炭素ほどの多様性をもたない。
'''有機化学'''(ゆうきかがく、{{lang-en|organic chemistry}}<ref name="rc">Roberts, J. D., & Caserio, M. C. (1977). Basic principles of organic chemistry. WA Benjamin, Inc..</ref>)は、[[有機化合物]]の製法、構造、用途、性質についての研究をする[[化学]]の部門である<ref name="rc"/><ref>『岩波 理化学辞典』[[岩波書店]]</ref><ref>山口良平, 山本行男, & 田村類. (2010). ベーシック有機化学. Kagaku-Dojin Publishing Co.</ref><ref>小尾紀行. (2009). ベーシック薬学教科書シリーズ 5 有機化学, 夏苅英明, 高橋秀依編, 化学同人, B5, 480 頁, 6,300 円.</ref>。 [[構造有機化学]]、<ref>構造有機化学(朝倉化学大系)2016年、戸部義人・豊田真司 著、朝倉書店。</ref><ref>構造有機化学 -基礎から物性へのアプローチまで-、2020年、 中筋一弘・久保孝史・鈴木孝紀・豊田真司 編、東京化学同人。</ref>[[反応有機化学]]([[有機反応]]論<ref>小方芳郎. (1962). 有機反応論. 丸善.</ref>)、[[有機合成化学|合成有機化学]]、<ref>合成有機化学 -反応機構によるアプローチ-、2011年、Rakesh Kumar Parashar 著 柴田高範・小笠原正道・鹿又宣弘・斎藤慎一・庄司満 訳、東京化学同人。</ref>[[生物有機化学]]<ref>Benner, S. A., Ebmeyer, F., Echegoyen, L., Ellington, A. D., Fyles, T. M., Gokel, G. W., ... & Vögtle, F. (2012). Bioorganic Chemistry Frontiers (Vol. 1). Springer Science & Business Media.</ref>などの分野がある。 炭素の酸化物を除き、[[炭素化合物]]はすべて[[有機化合物]]である<ref>「基礎 有機化学」(新・物質科学ライブラリー4)p2 大須賀篤弘・東田卓著 [[サイエンス社]] 2004年4月10日初版発行</ref>。また、生体を構成する物質のうち、[[タンパク質]]や[[核酸]]、[[糖]]、[[脂質]]といった化合物は炭素化合物である{{efn2|存在比からすれば、寧ろ無機化合物が多い。}}。[[ケイ素]]はいくぶん似た性質を持つが、炭素に比べると Si-Si 結合やSi=Si結合等の安定度が低いために炭素ほどの多様性をもたない<ref>「ひとりでマスターする生化学」p15 亀井碩哉 講談社 2015年9月24日第1刷発行</ref>。 == 歴史 == {{see also|有機化合物|生気論|化学の歴史}} 有機化学が誕生する以前から人類は様々な[[有機物]]を利用していた。食料については言うに及ばず、[[麝香]]や[[樟脳]]等の香料、[[石鹸]]や[[アルコール]]等がその好例である。石鹸は油脂を植物灰中の金属塩と反応させて作られていた。従って有機化学の始まりを定義するのは異論のあるところである。 [[1780年]]頃に[[カール・ヴィルヘルム・シェーレ]]が生物材料から有機化合物を取りだすことに成功し、以降徐々に有機化学が発展していくが、当時は有機物は人工的には合成することができず、生命の神秘的な力によって生み出されるとされる、いわゆる[[生気論]]が主流であった<ref>「現代化学史 原子・分子の化学の発展」p54-57 廣田襄 [[京都大学学術出版会]] 2013年10月5日初版第1刷</ref>。[[二酸化炭素]]などは[[炭]]や[[木]]を燃やせば作ることができるため、生命力に依らない[[無機物]]であるとされた。つまるところ、人によって作ることができず、生物によってのみ作ることができる物質が有機物であると考えられていたのである。 化学における生気論は[[1828年]]に[[ドイツ]]の[[フリードリヒ・ヴェーラー]]によって打ち破られた<ref group="注">Wohler, F. (1828). Ueber kunstliche Bildung des Harnstoffs. Ann. Phys. Chem., 37, 330-333.</ref>。彼は、無機物である[[シアン酸アンモニウム]]の加熱によって有機物である[[尿素]]が得られることを示したのである<ref>「はじめて学ぶ科学史」p70 山中康資 [[共立出版]] 2014年9月25日初版1刷</ref>。これによって有機物の定義は変化した。 その後、19世紀後半には有機化学は分野として独立し<ref>「現代化学史 原子・分子の化学の発展」p67 廣田襄 京都大学学術出版会 2013年10月5日初版第1刷</ref>、様々な有機化合物の性質が調べられ数々の反応が発見されるとともに、様々な有機物が合成されるに至り生気論は崩壊した<ref>「現代化学史 原子・分子の化学の発展」p76 廣田襄 京都大学学術出版会 2013年10月5日初版第1刷</ref>。その中で特筆すべきものとして[[芳香族化合物]]の発見があげられる。最初に見つかった[[芳香族化合物]]は[[ベンゼン]]である。ベンゼンの構造は[[フリードリヒ・ケクレ]]によって示された<ref group="注">ただし、「ケクレがベンゼンの構造を示した」というエピソードについては異論も唱えられている。本件の詳細はケクレの項目を参照のこと。ベンゼンの構造として別に[[プリズマン]]や[[デュワーベンゼン]]が提唱されたが、結局却下された。</ref>が、二重結合を有する物質の割に反応性が低いことや、置換誘導体の種類が少ないなど奇妙な性質を持っていることが分かった<ref>「現代化学史 原子・分子の化学の発展」p70-71 廣田襄 京都大学学術出版会 2013年10月5日初版第1刷</ref>。この奇妙な性質の原因が解明されるのは[[量子力学]]が導入されてからである。 [[1857年]]に[[ウィリアム・パーキン]]が紫色染料の[[モーブ]]を合成することに成功したのを皮切りに<ref>Travis, A. S. (1990). Perkin's mauve: ancestor of the organic chemical industry. Technology and Culture, 31(1), 51-82.</ref><ref>Garfield, S. (2002). Mauve: how one man invented a color that changed the world. WW Norton & Company.</ref><ref>Holme, I. (2006). Sir William Henry Perkin: a review of his life, work and legacy. Coloration Technology, 122(5), 235-251.</ref><ref>Nagendrappa, G. (2010). Sir William Henry Perkin: the man and his ‘mauve’. Resonance, 15(9), 779-793.</ref>、有機化学の成果は続々と工業分野に応用されるようになった<ref>「現代化学史 原子・分子の化学の発展」p143-144 廣田襄 京都大学学術出版会 2013年10月5日初版第1刷</ref>。初期の応用は染料工業が中心であったが、やがて19世紀後半には薬品工業にも応用は広がっていった<ref>「現代化学史 原子・分子の化学の発展」p146 廣田襄 京都大学学術出版会 2013年10月5日初版第1刷</ref>。[[1869年]]の[[セルロイド]]の開発をきっかけに合成樹脂の研究が進められ、[[1909年]]にはアメリカの[[レオ・ベークランド]]が初の完全な合成樹脂として[[ベークライト]]の工業化に成功した<ref>「現代化学史 原子・分子の化学の発展」p369-370 廣田襄 京都大学学術出版会 2013年10月5日初版第1刷</ref><ref>Baekeland, L. H. (1909). The synthesis, constitution, and uses of Bakelite. Industrial & Engineering Chemistry, 1(3), 149-161.</ref><ref>Crespy, D., Bozonnet, M., & Meier, M. (2008). 100 Years of Bakelite, the Material of a 1000 Uses. Angewandte Chemie International Edition, 47(18), 3322-3328.</ref>。18世紀末には人造絹糸([[レーヨン]])の開発も進み、さらに時代が下って[[1934年]]、[[ウォーレス・カロザース]]によって[[ナイロン]]が作り出された<ref>「現代化学史 原子・分子の化学の発展」p370-371 廣田襄 京都大学学術出版会 2013年10月5日初版第1刷</ref><ref>Hermes, M. E. (1996). Enough for one lifetime: Wallace Carothers, inventor of nylon. Chemical Heritage Foundation.</ref><ref>Viswanathan, A. (2010). Wallace Carothers: More than the inventor of Nylon and Neoprene. World Patent Information, 32(4), 300-305.</ref>。やがて有機化学の発展と共に[[ゴム]]や[[接着剤]]、[[合成樹脂|樹脂]]などが合成されるようになり、靴下から宇宙船まで様々な分野に応用されている。 有機化学は元来生物を構成する物質を扱う学問であり、[[生化学]]とごく密接に関連している。<ref>Faber, K., & Faber, K. (1992). Biotransformations in organic chemistry (Vol. 4). Berlin: Springer-Verlag.</ref>有機化学における手法は、生化学における化学反応の理解や、生体物質の解析などに応用される。現在では、有機化学は生化学や[[高分子化学]]の基礎として位置づけられている。 == 理論 == 有機化学の理論は'''構造論'''と'''反応論'''に大別できる<ref>山口達明『有機化学の理論 学生の質問に答えるノート 第四版』三共出版、2007年</ref>。 === 構造論 === * 化学結合論<ref>小泉正夫. (1962). 化学結合論. 共立出版.</ref><ref>化学結合論入門 -量子論の基礎から学ぶ-、高塚和夫 著、ISBN 978-4-13-062506-7、2007年09月11日。</ref><ref>化学結合論、東京農工大学教授 理博 中田宗隆 著/2012年9月発行</ref> ** [[孤立電子対]]、共有電子対 ** [[オクテット則]] ** [[電気陰性度]] ** [[極性結合]] * [[共鳴理論]]<ref>共鳴理論 : その有機化学への応用, George W. Wheland 著, 永井芳男 等訳</ref><ref>Wheland, G. W. (1955). Resonance in organic chemistry. John Wiley & Sons.</ref> * [[量子化学]]([[混成軌道]]の概念、[[電子軌道]]の概念、[[原子価結合法]]、[[分子軌道法]]など) === 反応論 === * [[化学反応式]] * [[有機電子論]]による[[反応機構]] * [[量子化学]]、量子有機化学([[フロンティア軌道論]]<ref>Dewar, M. J. (1989). A critique of frontier orbital theory. Journal of Molecular Structure: THEOCHEM, 200, 301-323.</ref>など) == 実験操作 == 有機化学の基本的な実験操作は、現代ではかなり洗練され、実験の安全性および結果の妥当性を保証するものとしてほぼ確立されているので、実験者はまずそれらをしっかりと身につけることが求められる。 ただし各手順は研究者によって微妙に異なることもあり、時にはそこから流派(出身研究室)を推測することも可能である。 * [[実験器具の一覧]] * [[単離]]・[[精製]]([[ろ過]]、[[抽出]]、[[カラムクロマトグラフィー]]、[[再結晶]]/[[再沈殿]]、[[蒸留]]) * [[構造決定]]([[核磁気共鳴]]、[[質量分析]]、[[元素分析]]、[[赤外分光法]]、[[X線構造解析]]) == 炭素骨格と官能基 == '''有機化学'''で[[化合物]]の[[化学合成|合成]]方法を考える場合、'''炭素骨格の構築'''と'''官能基の変換'''に大別することが多い。 一般の有機化合物は、鎖式[[炭化水素]]([[アルカン]]、[[アルケン]]、[[アルキン]])あるいは[[環式有機化合物]]([[シクロアルカン]]、[[芳香族炭化水素]]、[[複素環式化合物]]など)を'''骨格'''とし、そこに'''[[官能基]]'''([[ヒドロキシ基]]、[[カルボキシル基]]など)が結合した構造を持っている。 '''官能基'''を変換することは比較的容易である。例えば、[[アルコール]]は適当な[[酸化剤]]を用いることによって、[[アルデヒド]]あるいは[[カルボン酸]]に変換でき、[[カルボン酸]]からさらに[[アミド]]や[[エステル]]へと変換することが可能である(官能基については[[基]]に詳しい説明がある)。 一方、'''炭素骨格'''を構築することはなかなか難しい。古くから[[アルドール反応]]や[[グリニャール反応]]が用いられてきたが、期待する炭素骨格を効率よく合成することは困難であった。しかし、近年では[[鈴木・宮浦カップリング|鈴木カップリング]]や[[メタセシス反応]]など、効率の良い反応が開発され、[[タキソール]]や[[シガトキシン]]のような複雑で巨大な分子も[[全合成]]することが可能となっている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Wikibooks|有機化学}} {{ウィキポータルリンク|化学|[[ファイル:Nuvola apps edu science.svg|32px|ウィキポータル 化学]]}} ; 全般 : [[IUPAC命名法]] - [[酸]]と[[塩基]] - [[酸化]]と[[還元]] - [[加水分解]] - [[立体化学]]([[化学構造]]、[[投影式]]、[[光学異性体]]、[[不斉炭素原子]]、[[絶対配置]]、[[立体配置]]) ; [[有機化合物]] : [[炭化水素]]([[アルカン]]、[[アルケン]])- [[不飽和炭化水素]] - [[芳香族炭化水素]] - [[複素環式化合物]] : [[置換基]] - [[ハロゲン化アルキル]] - [[カルボン酸]]([[酸アミド]]、[[酸ハライド]]、[[酸無水物]]) ; [[生体物質]] : [[核酸塩基]] - [[ヌクレオシド]] - [[ヌクレオチド]] - [[核酸]] : [[アミノ酸]] - [[ポリペプチド]] - [[タンパク質]] : [[糖]] - [[単糖]] - [[二糖]] - [[多糖]]([[デンプン]]、[[セルロース]]) - [[糖鎖]] : [[脂質]] - [[炭水化物]] ; [[化学工業]] : [[石油]] - [[高分子]]([[生体高分子]]、[[ゴム]]、[[合成樹脂|樹脂]]、[[合成繊維]]) - [[無機化学]] - [[油脂]] ; その他 : [[生物学と有機化学の年表]] == 外部リンク == * [https://web.archive.org/web/20190314215004/http://www.org-chem.org/yuuki/yuuki.html 有機化学美術館] * [https://web.archive.org/web/20011121160430/http://www.geocities.co.jp/Technopolis/2515/index.html おもしろ有機化学ワールド] * {{コトバンク}} {{化学}} {{authority control}} {{DEFAULTSORT:ゆうきかかく}} [[Category:化学の分野]] [[Category:有機化学|*]] [[Category:科学史]]
null
2023-06-06T22:20:30Z
false
false
false
[ "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Authority control", "Template:Lang-en", "Template:Efn2", "Template:See also", "Template:コトバンク", "Template:化学", "Template:Notelist2", "Template:Wikibooks", "Template:ウィキポータルリンク" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E6%A9%9F%E5%8C%96%E5%AD%A6
3,084
モデル生物
モデル生物(モデルせいぶつ、model organism)とは、生物学、特に分子生物学とその周辺分野において、普遍的な生命現象の研究に用いられる生物のこと。 飼育・繁殖や観察がしやすい、世代交代が早い、遺伝子情報の解明が進んでいる種が使われる。微生物では大腸菌や酵母、動物では線虫やショウジョウバエ、マウス(ハツカネズミ)、ゼブラフィッシュ、メダカ、植物ではシロイヌナズナなどがある。 生物は進化の過程で代謝や発生などの機構を再利用してきた。つまり基本的な生命現象は進化的に保存されていると言える。例えば大腸菌の遺伝子発現の概念、出芽酵母の細胞周期の制御機構、ショウジョウバエの発生機構などは、生物一般にもヒトにもおおむね当てはめることができる。これによってモデル生物研究に有効性が与えられている。 研究に適した生物を選択し、多くの人が同一の生物を用いることで、知見の統合が容易になり、全体的な研究の効率を高めることができる。 モデル生物は、研究対象となる生命現象が観察しやすいこと、すなわち生物学的利点を持つことが重要である。飼育・培養が容易であること、つまり実験手法として容易であることも重要である。たとえばウニが発生学でよく使われたのは、入手や実験操作の上で容易であった事とともに、透明で内部が良く見えるためであり、この点でたとえばヒトデは向かないと云う。 目的が生物一般に共通する原理を究明するためであるから、ある意味ではどれを選んでもいいともいえる。その場合、入手の容易さや飼育培養、あるいは実験操作の容易さで選ぶ事になろう。しかし、特定の現象が特によく発達しているものを選ぶ、と云う場合もある。たとえば神経に関してヤリイカが使われるのは、太い神経繊維を持っているからである。 あまりに大きなものや、成長の遅いもの、特殊なエサが必要な生物はモデル生物として適さない。バクテリオファージがウイルスに関するモデルとなったのは、一般のウイルスが生きた細胞でしか増殖せず、細胞培養の技術が未発達な時代には使えなかった中で、培養の簡単な大腸菌で繁殖させることが出来たことも大きい。特殊な生物でも、飼育や培養の方法が確立することでモデル生物となる場合もある。真正粘菌のモジホコリはこの例である。 その生物が実社会において有用で経済的利点を持つことも重視される。これは研究結果がそのまま実用上の役に立つだけでなく、実用上の必要性から情報の蓄積が多いことも重要である。遺伝学の初期の実験がエンドウやハト、あるいはカイコなどで行われたのもこれによる。 分子遺伝学の発展以降はゲノムプロジェクトが発達し、ゲノミクスの観点から研究が行われることが増えているため、ゲノムサイズが小さいことも注目されている。 研究対象として好適な生物が選ばれることにより、研究の進行が格段に変わることは、科学史にはよく見られる現象である。例えば遺伝の研究は、初期にはエンドウやハトなど、有用動植物が使われた。しかしショウジョウバエという人間社会に直接的な利点がないものの、生活環が早く、飼育や系統化が容易である生物を選んだことで格段に進行した。遺伝子の働きの解明の際には、栄養要求が簡単なアカパンカビが選ばれている。また初期の分子生物学には、細菌に感染するウイルス、バクテリオファージを用いることで遺伝暗号の解読などが行われた。 人工癌は日本の山極勝三郎が最初にそれに成功したことで知られる。彼は他の研究者が失敗したのは早くに諦めたためとの判断で、長期の実験でこれに成功したとされるが、モデルの選択もその成功に与っている。彼はウサギを使ってこれに成功したが、それ以前の研究者の多くはラットを使った。後の研究で、ラットではこのタイプの癌の発生率が極めて低いことが確かめられた。ちなみに、ハツカネズミを使えばウサギよりさらに簡単に発生させられることも知られている。 研究テーマやゲノム解読の進展などに伴い、新たにモデル生物として扱われるようになる種もある。たとえばオオヒメグモは採取しやすく、2017年にゲノム解読が完了したことで、体節の研究に使われるようになった。 基礎生物学研究所は「新規モデル生物開発センター」を設けて、飼育ノウハウの研究や遺伝子解析などに取り組んでいる。アブラムシはブクネラ属細菌との細胞内相利共生、セイタカイソギンチャクはサンゴの代用、イベリアトゲイモリは高い再生力から、モデル生物として有望・有用である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "モデル生物(モデルせいぶつ、model organism)とは、生物学、特に分子生物学とその周辺分野において、普遍的な生命現象の研究に用いられる生物のこと。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "飼育・繁殖や観察がしやすい、世代交代が早い、遺伝子情報の解明が進んでいる種が使われる。微生物では大腸菌や酵母、動物では線虫やショウジョウバエ、マウス(ハツカネズミ)、ゼブラフィッシュ、メダカ、植物ではシロイヌナズナなどがある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "生物は進化の過程で代謝や発生などの機構を再利用してきた。つまり基本的な生命現象は進化的に保存されていると言える。例えば大腸菌の遺伝子発現の概念、出芽酵母の細胞周期の制御機構、ショウジョウバエの発生機構などは、生物一般にもヒトにもおおむね当てはめることができる。これによってモデル生物研究に有効性が与えられている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "研究に適した生物を選択し、多くの人が同一の生物を用いることで、知見の統合が容易になり、全体的な研究の効率を高めることができる。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "モデル生物は、研究対象となる生命現象が観察しやすいこと、すなわち生物学的利点を持つことが重要である。飼育・培養が容易であること、つまり実験手法として容易であることも重要である。たとえばウニが発生学でよく使われたのは、入手や実験操作の上で容易であった事とともに、透明で内部が良く見えるためであり、この点でたとえばヒトデは向かないと云う。", "title": "モデル生物の選択" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "目的が生物一般に共通する原理を究明するためであるから、ある意味ではどれを選んでもいいともいえる。その場合、入手の容易さや飼育培養、あるいは実験操作の容易さで選ぶ事になろう。しかし、特定の現象が特によく発達しているものを選ぶ、と云う場合もある。たとえば神経に関してヤリイカが使われるのは、太い神経繊維を持っているからである。", "title": "モデル生物の選択" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "あまりに大きなものや、成長の遅いもの、特殊なエサが必要な生物はモデル生物として適さない。バクテリオファージがウイルスに関するモデルとなったのは、一般のウイルスが生きた細胞でしか増殖せず、細胞培養の技術が未発達な時代には使えなかった中で、培養の簡単な大腸菌で繁殖させることが出来たことも大きい。特殊な生物でも、飼育や培養の方法が確立することでモデル生物となる場合もある。真正粘菌のモジホコリはこの例である。", "title": "モデル生物の選択" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "その生物が実社会において有用で経済的利点を持つことも重視される。これは研究結果がそのまま実用上の役に立つだけでなく、実用上の必要性から情報の蓄積が多いことも重要である。遺伝学の初期の実験がエンドウやハト、あるいはカイコなどで行われたのもこれによる。", "title": "モデル生物の選択" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "分子遺伝学の発展以降はゲノムプロジェクトが発達し、ゲノミクスの観点から研究が行われることが増えているため、ゲノムサイズが小さいことも注目されている。", "title": "モデル生物の選択" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "研究対象として好適な生物が選ばれることにより、研究の進行が格段に変わることは、科学史にはよく見られる現象である。例えば遺伝の研究は、初期にはエンドウやハトなど、有用動植物が使われた。しかしショウジョウバエという人間社会に直接的な利点がないものの、生活環が早く、飼育や系統化が容易である生物を選んだことで格段に進行した。遺伝子の働きの解明の際には、栄養要求が簡単なアカパンカビが選ばれている。また初期の分子生物学には、細菌に感染するウイルス、バクテリオファージを用いることで遺伝暗号の解読などが行われた。", "title": "モデル生物の選択" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "人工癌は日本の山極勝三郎が最初にそれに成功したことで知られる。彼は他の研究者が失敗したのは早くに諦めたためとの判断で、長期の実験でこれに成功したとされるが、モデルの選択もその成功に与っている。彼はウサギを使ってこれに成功したが、それ以前の研究者の多くはラットを使った。後の研究で、ラットではこのタイプの癌の発生率が極めて低いことが確かめられた。ちなみに、ハツカネズミを使えばウサギよりさらに簡単に発生させられることも知られている。", "title": "モデル生物の選択" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "研究テーマやゲノム解読の進展などに伴い、新たにモデル生物として扱われるようになる種もある。たとえばオオヒメグモは採取しやすく、2017年にゲノム解読が完了したことで、体節の研究に使われるようになった。", "title": "新たなモデル生物の開拓" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "基礎生物学研究所は「新規モデル生物開発センター」を設けて、飼育ノウハウの研究や遺伝子解析などに取り組んでいる。アブラムシはブクネラ属細菌との細胞内相利共生、セイタカイソギンチャクはサンゴの代用、イベリアトゲイモリは高い再生力から、モデル生物として有望・有用である。", "title": "新たなモデル生物の開拓" } ]
モデル生物とは、生物学、特に分子生物学とその周辺分野において、普遍的な生命現象の研究に用いられる生物のこと。 飼育・繁殖や観察がしやすい、世代交代が早い、遺伝子情報の解明が進んでいる種が使われる。微生物では大腸菌や酵母、動物では線虫やショウジョウバエ、マウス(ハツカネズミ)、ゼブラフィッシュ、メダカ、植物ではシロイヌナズナなどがある。
'''モデル生物'''(モデルせいぶつ、model organism<ref name="東邦大学"/>)とは、[[生物学]]、特に[[分子生物学]]とその周辺分野において、普遍的な[[生命]]現象の[[研究]]に用いられる[[生物]]のこと。 [[飼育]]・[[繁殖]]や観察がしやすい、[[世代交代]]が早い、[[遺伝子]]情報の解明が進んでいる[[種 (分類学)|種]]が使われる。[[微生物]]では[[大腸菌]]や[[酵母]]、[[動物]]では[[線虫]]や[[ショウジョウバエ]]、[[ハツカネズミ#実験用マウス|マウス(ハツカネズミ)]]、[[ゼブラフィッシュ]]、[[メダカ]]、[[植物]]では[[シロイヌナズナ]]などがある<ref name="毎日新聞20201112">[https://mainichi.jp/articles/20201112/ddm/016/040/010000c 「モデル生物新 規開拓に挑む」]『[[毎日新聞]]』朝刊2020年11月20日(科学面)2021年5月3日閲覧</ref><ref name="東邦大学">[https://www.toho-u.ac.jp/sci/biomol/glossary/bio/model_organism.html#:~:text=%E4%BB%A3%E8%A1%A8%E7%9A%84%E3%81%AA%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB%E7%94%9F%E7%89%A9,%E7%94%A8%E3%81%84%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82 モデル生物(model organism)][[東邦大学]][[理学部]]生物分子科学科(2021年5月3日閲覧)</ref>。 == 概説 == 生物は[[進化]]の過程で[[代謝]]や[[発生_(生物学)|発生]]などの機構を再利用してきた。つまり基本的な生命現象は'''進化的に保存されている'''と言える。例えば大腸菌の遺伝子発現の概念、[[出芽酵母]]の[[細胞周期]]の制御機構、[[ショウジョウバエ]]の発生機構などは、生物一般にも[[ヒト]]にもおおむね当てはめることができる。これによってモデル生物研究に有効性が与えられている。 研究に適した生物を選択し、多くの人が同一の生物を用いることで、知見の統合が容易になり、全体的な研究の効率を高めることができる。 == モデル生物の選択 == モデル生物は、研究対象となる生命現象が観察しやすいこと、すなわち生物学的利点を持つことが重要である。飼育・培養が容易であること、つまり実験手法として容易であることも重要である。たとえば[[ウニ]]が[[発生学]]でよく使われたのは、入手や実験操作の上で容易であった事とともに、透明で内部が良く見えるためであり、この点でたとえば[[ヒトデ]]は向かないと云う。 目的が生物一般に共通する原理を究明するためであるから、ある意味ではどれを選んでもいいともいえる。その場合、入手の容易さや飼育培養、あるいは実験操作の容易さで選ぶ事になろう。しかし、特定の現象が特によく発達しているものを選ぶ、と云う場合もある。たとえば[[神経]]に関して[[ヤリイカ]]が使われるのは、太い[[神経繊維]]を持っているからである。 あまりに大きなものや、成長の遅いもの、特殊なエサが必要な生物はモデル生物として適さない。[[バクテリオファージ]]がウイルスに関するモデルとなったのは、一般の[[ウイルス]]が生きた細胞でしか増殖せず、[[細胞培養]]の技術が未発達な時代には使えなかった中で、[[培養]]の簡単な[[大腸菌]]で繁殖させることが出来たことも大きい。特殊な生物でも、飼育や培養の方法が確立することでモデル生物となる場合もある。[[真正粘菌]]の[[モジホコリ]]はこの例である。 その生物が実社会において有用で経済的利点を持つことも重視される。これは研究結果がそのまま実用上の役に立つだけでなく、実用上の必要性から情報の蓄積が多いことも重要である。遺伝学の初期の実験が[[エンドウ]]や[[ハト]]、あるいは[[カイコ]]などで行われたのもこれによる。 分子遺伝学の発展以降は[[ゲノムプロジェクト]]が発達し、[[ゲノミクス]]の観点から研究が行われることが増えているため、[[ゲノム]]サイズが小さいことも注目されている。 研究対象として好適な生物が選ばれることにより、研究の進行が格段に変わることは、科学史にはよく見られる現象である。例えば[[遺伝]]の研究は、初期にはエンドウやハトなど、有用動植物が使われた。しかし[[ショウジョウバエ]]という人間社会に直接的な利点がないものの、[[生活環]]が早く、飼育や系統化が容易である生物を選んだことで格段に進行した。遺伝子の働きの解明の際には、栄養要求が簡単な[[アカパンカビ]]が選ばれている。また初期の分子生物学には、細菌に感染するウイルス、[[ファージ|バクテリオファージ]]を用いることで[[コドン|遺伝暗号]]の解読などが行われた。 [[人工癌]]は日本の[[山極勝三郎]]が最初にそれに成功したことで知られる。彼は他の研究者が失敗したのは早くに諦めたためとの判断で、長期の実験でこれに成功したとされるが、モデルの選択もその成功に与っている。彼は[[ウサギ]]を使ってこれに成功したが、それ以前の研究者の多くは[[ラット]]を使った。後の研究で、ラットではこのタイプの癌の発生率が極めて低いことが確かめられた。ちなみに、[[ハツカネズミ]]を使えばウサギよりさらに簡単に発生させられることも知られている{{sfn|中原和郎|1955|p=81}}。 == 代表的なモデル生物 == {{main2|[[:Category:モデル生物]]も}} * [[ウイルス]]: [[ファージ]](バクテリオファージ) * [[細菌]]: [[枯草菌]]、[[大腸菌]]、[[藍藻]] * [[古細菌]]: [[ハロバクテリウム・サリナルム|''Halobacterium salinarum'']]、[[ピュロコックス・フリオスス|''Pyrococcus furiosus'']]、[[メタノカルドコックス・ヤンナスキイ|''Methanocaldococcus jannaschii'']]、[[スルフォロブス・ソルファタリクス|''Sulfolobus solfataricus'']] * [[菌類]]: [[アカパンカビ]]、[[出芽酵母]]、[[分裂酵母]]、[[アスペルギルス・ニデュランス|''Aspergillus nidulans'']] * [[単細胞生物|単細胞]][[真核生物]]: [[細胞性粘菌]]、[[テトラヒメナ]]、[[ゾウリムシ]]、[[シアニディオシゾン]] * 多細胞動物: ''[[C. elegans]]''、[[ウニ]]、[[ヒドラ (生物)|ヒドラ]]、[[プラナリア]] ** [[軟体動物]]: [[ヤリイカ]]、[[アメフラシ]] ** [[節足動物]] *** [[昆虫]]: [[ショウジョウバエ]]、[[カイコ]]、[[タバコスズメガ]]、[[ミツバチ]] *** [[甲殻類]]: [[ミジンコ]] *** [[鋏角類]]: [[オオヒメグモ]]<ref name="毎日新聞20201112"/> ** [[脊索動物]]: [[ホヤ]] *** [[魚類]]: [[ゼブラフィッシュ]]、[[メダカ]]、[[トラフグ]]、[[マミチョグ]] *** [[両棲類]]: [[アフリカツメガエル]]、[[ネッタイツメガエル]] *** [[哺乳類]]: [[アカゲザル]]、[[リスザル]]、[[ハツカネズミ|マウス]]、[[ラット]] * 植物: [[ボルボックス]]、[[クラミドモナス]] ** [[被子植物]]: [[シロイヌナズナ]]、[[イネ]]、[[コムギ]]、[[ミナトカモジグサ]]、[[ミヤコグサ]]、[[タバコ]] == 新たなモデル生物の開拓 == 研究テーマやゲノム解読の進展などに伴い、新たにモデル生物として扱われるようになる種もある。たとえばオオヒメグモは採取しやすく、2017年にゲノム解読が完了したことで、[[体節]]の研究に使われるようになった<ref name="毎日新聞20201112"/>。 [[基礎生物学研究所]]は「新規モデル生物開発センター」を設けて、飼育ノウハウの研究や遺伝子解析などに取り組んでいる。[[アブラムシ]]は[[ブクネラ属]][[細菌]]との細胞内[[相利共生]]、セイタカ[[イソギンチャク]]は[[サンゴ]]の代用、[[イベリアトゲイモリ]]は高い[[再生 (生物学)|再生]]力から、モデル生物として有望・有用である<ref>[http://www.nibb.ac.jp/newmodel/ 基礎生物学研究所 新規モデル生物開発センター](2021年5月3日閲覧)</ref><ref name="毎日新聞20201112"/>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === <references /> == 参考文献 == *{{Cite |和書 |author=中原和郎 |authorlink=中原和郎 |series=[[岩波新書]] |title=[[悪性腫瘍|癌]] |publisher=岩波書店 |date=1955 |ASIN=B000JB2GA2 |ref=harv }} *{{Cite |和書 |author1=飯野雄一 |author2=石井直明 |series=Springer reviews |title=線虫: 究極のモデル生物 |publisher=シュプリンガー・フェアラーク東京 |date=2003-10 |isbn=978-4431710295 |ref=harv }} == 関連項目 == * [[実験動物]] * [[培養細胞]] * [[ゲノムプロジェクト]] * [[ナショナルバイオリソースプロジェクト]] {{動物の権利}} {{デフォルトソート:もてるせいふつ}} [[Category:モデル生物|*もてるせいふつ]] [[Category:種類別のモデル]]
null
2022-05-13T23:48:55Z
false
false
false
[ "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite", "Template:動物の権利", "Template:Sfn", "Template:Main2" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB%E7%94%9F%E7%89%A9
3,085
古生物学
古生物学(こせいぶつがく、アメリカ英語: paleontology、イギリス英語: palaeontology)は、地質学の一分野で、過去に生きていた生物(古生物)を研究する学問である。 地質学的時間尺度での過去において地球上に生きてきた生物を対象とし、その生物の分類・生態・歴史・進化を明らかにすることを目的とする。つまり古生物を対象とする生物学である。生物学、生態学の他、層序学や地球化学なども関連する。主に化石標本を用いて研究を行う。 古生物学は、扱う生物の分類により、動物を対象とする古動物学(古脊椎動物学、古無脊椎動物学)、植物を対象とする古植物学、微化石を対象とする微古生物学等に分けられる。他にも、主に古生物とその食性・生活環境との相互関係を研究対象とする古生態学、古生物の地理的分布を研究対象とする古生物地理学といった分野も含む。 地質学の研究においては、離れた地域間でそれぞれ観察される地層が同一時期に形成されたものか、そうでない場合地層間の上下関係について判断する作業が必要となる。19世紀初め、地層に含まれる化石に注目し、これを地層の同定及び新旧の判断に利用すること(地層同定の法則)が提唱され、基本法則として確立した。この法則によりはじめて地質学は近代科学として発展することができた。このように、地質学が発展する上で古生物学の果たした役割は大きく、放射年代測定が登場するまでは、示準化石によって組み立てられた生層序学に基づく地層区分が唯一の時間尺度であった。 現在、古生物の生きていた(または産出した地層の)年代(古さ)を調べるには、示準化石や化石中に含まれる放射性元素を直接測定する、あるいは周囲の放射性元素からの影響を測定する放射年代測定(放射性炭素年代測定やESR法など)、アミノ酸の変化を利用する方法(ラセミ化法)などを用い、生きていた(または堆積した)環境を調べるには示相化石が用いられる。 古生物学は、とにかくも生物を扱うので、ある意味では生物学の一部である。勿論その発展はある程度独立的に進んだ。しかし、両者が深く関わりを持つ側面も多い。 元々、化石は古生物の一部でしかない場合が多い。多くの場合に、軟組織は失われている。またそれが残っている場合でも、今生きている素材のように扱うことは出来ない。そのため、それがどのような生物であったのかは、現在の生物と比較検討して初めて明らかになる場合が大部分である。そもそも古生物学の発展そのものも、比較解剖学の発展によって始まったものであり、ジョルジュ・キュヴィエは現在の生物の研究から、その各部分は互いに深く関連を持っていて、そのある部分からそれ以外の部分が推定できるとの確信を持ったことに始まる。 生物は歴史的に変化したと考えられ、これを進化という。しかし我々が生物を見る場合、現在の状態しか知ることができず、進化の歴史の一断面だけを見ることになる。しかし、古生物は広い時間にわたって出現するものであるから、我々は初めからこれを歴史の流れの中に位置づけて知ることになる。従って、古生物学では進化を流れとして看取ることができる。また、前述のように、古生物は現代の生物と比べながら検討せずにはいられないから、勢い系統を取り扱うことになる。いずれにせよ、進化とは深い関わりを持ちやすい。 そもそも、進化論の始まりの一つは古生物学にある。さらに、定向進化説や幼形成熟などの論も古生物学の分野から起こったものである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "古生物学(こせいぶつがく、アメリカ英語: paleontology、イギリス英語: palaeontology)は、地質学の一分野で、過去に生きていた生物(古生物)を研究する学問である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "地質学的時間尺度での過去において地球上に生きてきた生物を対象とし、その生物の分類・生態・歴史・進化を明らかにすることを目的とする。つまり古生物を対象とする生物学である。生物学、生態学の他、層序学や地球化学なども関連する。主に化石標本を用いて研究を行う。", "title": "呼称される範囲" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "古生物学は、扱う生物の分類により、動物を対象とする古動物学(古脊椎動物学、古無脊椎動物学)、植物を対象とする古植物学、微化石を対象とする微古生物学等に分けられる。他にも、主に古生物とその食性・生活環境との相互関係を研究対象とする古生態学、古生物の地理的分布を研究対象とする古生物地理学といった分野も含む。", "title": "呼称される範囲" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "地質学の研究においては、離れた地域間でそれぞれ観察される地層が同一時期に形成されたものか、そうでない場合地層間の上下関係について判断する作業が必要となる。19世紀初め、地層に含まれる化石に注目し、これを地層の同定及び新旧の判断に利用すること(地層同定の法則)が提唱され、基本法則として確立した。この法則によりはじめて地質学は近代科学として発展することができた。このように、地質学が発展する上で古生物学の果たした役割は大きく、放射年代測定が登場するまでは、示準化石によって組み立てられた生層序学に基づく地層区分が唯一の時間尺度であった。", "title": "年代推定" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "現在、古生物の生きていた(または産出した地層の)年代(古さ)を調べるには、示準化石や化石中に含まれる放射性元素を直接測定する、あるいは周囲の放射性元素からの影響を測定する放射年代測定(放射性炭素年代測定やESR法など)、アミノ酸の変化を利用する方法(ラセミ化法)などを用い、生きていた(または堆積した)環境を調べるには示相化石が用いられる。", "title": "年代推定" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "古生物学は、とにかくも生物を扱うので、ある意味では生物学の一部である。勿論その発展はある程度独立的に進んだ。しかし、両者が深く関わりを持つ側面も多い。", "title": "生物学との関わり" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "元々、化石は古生物の一部でしかない場合が多い。多くの場合に、軟組織は失われている。またそれが残っている場合でも、今生きている素材のように扱うことは出来ない。そのため、それがどのような生物であったのかは、現在の生物と比較検討して初めて明らかになる場合が大部分である。そもそも古生物学の発展そのものも、比較解剖学の発展によって始まったものであり、ジョルジュ・キュヴィエは現在の生物の研究から、その各部分は互いに深く関連を持っていて、そのある部分からそれ以外の部分が推定できるとの確信を持ったことに始まる。", "title": "生物学との関わり" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "生物は歴史的に変化したと考えられ、これを進化という。しかし我々が生物を見る場合、現在の状態しか知ることができず、進化の歴史の一断面だけを見ることになる。しかし、古生物は広い時間にわたって出現するものであるから、我々は初めからこれを歴史の流れの中に位置づけて知ることになる。従って、古生物学では進化を流れとして看取ることができる。また、前述のように、古生物は現代の生物と比べながら検討せずにはいられないから、勢い系統を取り扱うことになる。いずれにせよ、進化とは深い関わりを持ちやすい。", "title": "生物学との関わり" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "そもそも、進化論の始まりの一つは古生物学にある。さらに、定向進化説や幼形成熟などの論も古生物学の分野から起こったものである。", "title": "生物学との関わり" } ]
古生物学は、地質学の一分野で、過去に生きていた生物(古生物)を研究する学問である。
{{出典の明記|date=2011年10月}} {{Expand English|Paleontology|date=2023年6月24日 (土) 18:58 (UTC)}} '''古生物学'''(こせいぶつがく、{{lang-en-us|paleontology|links=no}}、{{lang-en-gb|palaeontology|links=no}})は、[[地質学]]の一分野で、過去に生きていた[[生物]]([[古生物]])を研究する学問である。 == 呼称される範囲 == 地質学的時間尺度での過去において[[地球]]上に生きてきた生物を対象とし、その生物の[[分類学|分類]]・[[生態学|生態]]・歴史・[[進化]]を明らかにすることを目的とする。つまり古生物を対象とする[[生物学]]である。生物学、[[生態学]]の他、[[層序学]]や[[地球化学]]なども関連する。主に[[化石]]標本を用いて研究を行う。 古生物学は、扱う生物の分類により、動物を対象とする[[古動物学]]([[古脊椎動物学]]、[[古無脊椎動物学]])、植物を対象とする[[古植物学]]、[[微化石]]を対象とする[[微古生物学]]等に分けられる。他にも、主に古生物とその食性・生活環境との相互関係を研究対象とする[[古生態学]]、古生物の地理的分布を研究対象とする[[古生物地理学]]といった分野も含む。 == 年代推定 == [[地質学]]の研究においては、離れた地域間でそれぞれ観察される地層が同一時期に形成されたものか、そうでない場合地層間の上下関係について判断する作業が必要となる。19世紀初め、地層に含まれる化石に注目し、これを地層の同定及び新旧の判断に利用すること([[地層同定の法則]])が提唱され、基本法則として確立した。この法則によりはじめて地質学は近代科学として発展することができた。このように、地質学が発展する上で古生物学の果たした役割は大きく、[[放射年代測定]]が登場するまでは、[[示準化石]]によって組み立てられた生層序学に基づく地層区分が唯一の時間尺度であった。 現在、[[古生物]]の生きていた(または産出した[[地層]]の)年代(古さ)を調べるには、[[示準化石]]や化石中に含まれる放射性元素を直接測定する、あるいは周囲の放射性元素からの影響を測定する[[放射年代測定]]([[放射性炭素年代測定]]や[[電子スピン共鳴|ESR法]]など)、[[アミノ酸]]の変化を利用する方法(ラセミ化法)などを用い、生きていた(または[[堆積]]した)環境を調べるには[[示相化石]]が用いられる。 == 生物学との関わり == 古生物学は、とにかくも生物を扱うので、ある意味では生物学の一部である。勿論その発展はある程度独立的に進んだ。しかし、両者が深く関わりを持つ側面も多い。 元々、化石は古生物の一部でしかない場合が多い。多くの場合に、軟組織は失われている。またそれが残っている場合でも、今生きている素材のように扱うことは出来ない。そのため、それがどのような生物であったのかは、現在の生物と比較検討して初めて明らかになる場合が大部分である。そもそも古生物学の発展そのものも、[[比較解剖学]]の発展によって始まったものであり、[[ジョルジュ・キュヴィエ]]は現在の生物の研究から、その各部分は互いに深く関連を持っていて、そのある部分からそれ以外の部分が推定できるとの確信を持ったことに始まる<ref> 矢島(2008)、p.124</ref>。 === 進化学との関連 === 生物は歴史的に変化したと考えられ、これを[[進化]]という。しかし我々が生物を見る場合、現在の状態しか知ることができず、進化の歴史の一断面だけを見ることになる。しかし、古生物は広い時間にわたって出現するものであるから、我々は初めからこれを歴史の流れの中に位置づけて知ることになる。従って、古生物学では進化を流れとして看取ることができる。また、前述のように、古生物は現代の生物と比べながら検討せずにはいられないから、勢い系統を取り扱うことになる。いずれにせよ、進化とは深い関わりを持ちやすい。 そもそも、進化論の始まりの一つは古生物学にある。さらに、[[定向進化説]]や[[幼形成熟]]などの論も古生物学の分野から起こったものである。 == 出典== {{脚注ヘルプ}} <references /> == 参考文献 == *[[矢島道子]]、『化石の記憶 古生物学の歴史をさかのぼる』、(2008)、東京大学出版会 == 関連項目 == * [[古生物]] * [[化石]]、[[生きている化石]] * [[微化石]] * [[絶滅した動物一覧]] * [[進化論]] * [[地球史年表]] * [[古人類学]] * [[古生物学関連人物一覧]] * [[体系学]] * [[ナポレオン・ボナパルト]] * [[レオナルド・ダ・ヴィンチ]] == 外部リンク == {{Commonscat|Paleontology}} * [http://www.palaeo-soc-japan.jp/index.html 日本古生物学会] {{Paleo-stub}} {{地球科学}} {{生物学}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こせいふつかく}} [[Category:古生物学|*]] [[Category:地質学]] [[Category:地球科学の分野]] [[Category:博物学]] [[Category:生物学の分野]]
null
2023-06-24T18:58:21Z
false
false
false
[ "Template:Lang-en-gb", "Template:地球科学", "Template:生物学", "Template:Normdaten", "Template:出典の明記", "Template:Expand English", "Template:Lang-en-us", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Commonscat", "Template:Paleo-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6
3,086
フレデリック・ショパン
フレデリック・フランソワ・ショパン(仏: Frédéric François Chopin 、ポーランド語: Fryderyk Franciszek Chopin 、生年未詳(1810年3月1日または2月22日、1809年説もあり) - 1849年10月17日)は、ポーランド出身の、前期ロマン派音楽を代表する作曲家。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家としても有名だった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるようになった。様々な形式・美しい旋律・半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いていった。夜想曲やワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが多い作曲家の一人である。また、母国ポーランドへの強い愛国心からフランスの作曲家としての側面が強調されることは少ないが、父の出身地で主要な活躍地だった同国の音楽史に占める重要性も無視できない。 1988年からポーランドで発行されていた5,000ズウォティ紙幣に肖像が使用されていた。また、2010年にもショパンの肖像を使用した20ズウォティの記念紙幣が発行されている。2001年、ポーランド最大の空港「オケンチェ空港(Port lotniczy Warszawa-Okęcie)」が「ワルシャワ・ショパン空港」に改名された。 ショパンの父親はニコラ・ショパンといい、ロレーヌから1787年に16歳でポーランドに移住してきたフランス人だった。1794年のコシチュシュコの蜂起で、彼はワルシャワの市民兵として戦いに加わり、副官へ昇格した。彼のフランスで受けた洗礼名はニコラ(Nicholas)だったが、ポーランドではポーランド風の名前を名乗ることにし、ミコワイ(Mikołaj)とした。元来外国人だった彼だが、時とともに完全にポーランドに馴染んだ。ポーランドの歴史家・公文書保管人のワパチンスキ(Łopaciński)によれば、彼は「自分のことをポーランド人と考えて疑うことがなかった」という。 フランス語が堪能だったニコラは知られる存在となり、貴族の家庭教師をするようになった。その中にはスカルベク(Skarbeks)がおり、ニコラはその遠い親戚であるユスティナ・クシジャノフスカ(Justyna Krzyżanowska)と結婚した。彼女はシュラフタ(ポーランド貴族)の娘だったが、地位を失いスカルベク家に住み込んで侍女をしていた。二人の結婚式は16世紀のブロフフの教区の聖ロフ教会で、1806年6月2日に執り行われた。ユスティナの兄弟には、アメリカの南北戦争で北軍の准将を務めることになるヴォジミエシュ・クシジャノフスキ(英語版)がいた。 フレデリック・ショパンは夫妻の2人目の子供として生まれた。彼は当時ワルシャワ公国だったワルシャワから西に46kmの地点にあるジェラゾヴァ・ヴォラ村で生まれた。1892年に発見された教区の洗礼記録によると、彼の生年月日は1810年2月22日となっているがこれは本人やその家族の主張する3月1日という日付より一週間早い。ショパンが1833年1月16日にパリのポーランド文学協会(Polish Literary Society)の議長に宛てた書簡には、彼が「1810年3月1日にマゾフシェ県のジェラゾヴァ・ヴォラ村で生まれた」と記されている。 ショパンは1810年4月23日の復活祭の日曜日、両親が結婚式を挙げたのと同じブロフフの教会で洗礼を受けた。登記簿には彼の名前はラテン語表記でFridericus Franciscus、ポーランド語表記でFryderyk Franciszekと記されている。彼の代父となったフレデリック・スカルベク(Fryderyk Skarbek)は後に監獄を改修する仕事に従事し、第二次世界大戦で悪名をとどろかせたパヴィアク刑務所の設計に携わった。また彼は第二次世界大戦でイギリスの特殊作戦執行部に所属していたクリスティナ・スカルベク(Krystyna Skarbek)の曽祖おじにあたる。代父の息子のヨーゼフ・スカルベクは、かつてショパンと婚約関係にあったマリア・ヴォジンスカ(Maria Wodzińska)と1841年に結婚する。 1810年10月、ショパンが7か月の時、サムエル・リンデ(英語版)が父にワルシャワ中等学校(英語版)でフランス語を教えないかと持ちかけ、承諾した父と共に家族はワルシャワに移住した。中等学校はサスキ宮殿内にあり、ショパン一家は宮殿の庭園に住むことになった。サスキ宮殿は1817年にコンスタンチン・パヴロヴィチによって軍用地として徴収され、中等学校はカジミェシュ宮殿へ移動を余儀なくされた。カジミェシュ宮殿には新たに設立されたワルシャワ大学も入居していた。ショパン一家は隣接する建物の二階で広々と暮らすことになった。ショパンもワルシャワ中等学校に1823年から1826年にかけて通った。 ポーランドの精神・習慣・言葉はショパンの家庭に浸み込んでおり、ショパンはパリに出てからもフランス語を完全には自分のものにできなかった。伝記作家のルイ・エノーはジョルジュ・サンドの言葉を借りて、ショパンは「ポーランドよりもポーランド的」と評している。 ショパンの家族は皆音楽の才能に恵まれていた。父ニコラはフルートとヴァイオリンを演奏できた。母ユスティナはピアノに長けており、一家で切り盛りしていたエリートの寮で寮生の少年たちに指導をしていたので、ショパンは幼い頃から様々な音楽に親しむことができた。 ショパンと同時代の音楽家のユゼフ・シコルスキ(ポーランド語版)の著書『ショパンの想い出 Wspomnienie Chopina』によると、幼いショパンは母が弾くピアノを聴いて感極まって涙を流したという。彼は6歳にして、耳にした旋律を再現しようとしたり、新たなメロディーを作ろうとしたりした。しかし、ショパンに最初にピアノを教えたのは母ではなく、姉のルドヴィカだった。 ショパンが本格的にピアノを習ったのは1816年から1822年、指導者はチェコ人のヴォイチェフ・ジヴヌィだった。若きショパンの実力はあっという間に師匠を超えてしまったが、ショパンは後年ジヴヌィを高く評価していた。わずか7歳の「ショパン少年 Szopenek」は公開演奏を行うようになり、瞬く間に神童モーツァルトやベートーヴェンと比較されるようになっていった。 同年、7歳のショパンはト短調と変ロ長調の2つの『ポロネーズ』を作曲した。前者は老イジドル・ユゼフ・チブルスキの印刷工房で刷られ、出版された。後者は父ニコラが清書した原稿の状態で見つかっている。これらの小品はワルシャワの先導的作曲家たちの人気の『小ポロネーズ』のみならず、ミヒャウ・オジンスキの有名な『大ポロネーズ』にも匹敵する作品と言われた。この後の旋律・和声・ピアノ奏法の創意工夫は、知られている次の『ポロネーズ 変イ長調』に明らかである。この曲は1821年に聖名祝日の贈り物としてジヴヌィに捧げられた。 幼少期の知的好奇心旺盛なショパンは、まるで乾いたスポンジのように何でも吸収し、それを発展させるためならば何でも利用した。彼は早くから観察とスケッチ、鋭いウィットとユーモアの感性に能力を示し、ものまねにも才能を持っていた。 この頃、11歳のショパンは、議会(セイム)の開会のためにワルシャワに来ていたロシアの皇帝アレクサンドル1世の御前で演奏を披露した。また、ポーランド立憲王国の副王だったコンスタンチン・パヴロヴィチ大公の息子の遊び相手としてベルヴェデール宮殿に時々招かれ、ピアノを弾いて怒りっぽい副王を魅了した。 ユリアン・ニームチェヴィツは、劇的エクローグ『我らの交わり Nasze Verkehry』(1818年)の中で、8歳のショパン少年を対話の題材に据えて、その人気の高さについて証言している。 1820年代、ワルシャワ中等学校とワルシャワ音楽院に通っていたショパンは、休暇の度にワルシャワから離れて過ごすようになった。1824年と1825年にはシャファルニャ、1826年にはバート・ライネルツ(現:ドゥシュニキ・ズドルイ)、1827年にはポメラニア、1828年にはサンニキを訪れた。 休暇で訪れたシャファルニャ村やその他の町では、ショパンは民謡に触れた。この経験は後になって彼の作品へと形を変える。シャファルニャから彼の家に送られた長い手紙は、時代を反映した活き活きとしたポーランド語で綴られており、ワルシャワの新聞のパロディとして仕立てられたその手紙は大いに家族を楽しませた。 ショパンは13歳になるまで家庭でジヴヌィから指導を受けており、1823年のワルシャワ学院入学後もその関係は続いた。1825年には演奏会でイグナーツ・モシェレスの曲を弾くとともに即興演奏で聴衆を魅了し、「ワルシャワで最高のピアニスト」と絶賛された。 ショパンは1826年にシレジア出身の作曲家ユゼフ・エルスネル(エルスナーなどと表記されることもある)の指導の下、ワルシャワ音楽院で3年の教育課程に入った。実はショパンが最初にエルスネルに会ったのは1822年であり、1823年にも非公式にアドバイスを受けていたのは間違いない。そして1826年に本格的な師弟関係が始まり、ショパンはエルスネルに付いて音楽理論・通奏低音・作曲の勉強を開始した。 エルスネルはショパンの通知表に「顕著な才能」そして「音楽の天才」と記している。ジヴヌィもそうだったように、エルスネルもまたショパンの才能が開花するのに対して手を施すことはなく、ただ見守るだけだった。エルスネルはショパンを指導するにあたって「偏狭で、権威的、時代遅れな」規則で「押さえつける」ことを嫌い、若い才能を「彼自身の決めたやり方の通りに」成長させていくことにした。 1827年に一家はワルシャワ大学と通りを挟んで丁度向かいにあたる、クラコフスキ区のクラシンスキ宮殿南館に移り住んだ。この場所でもショパンの両親はエリート男子学生のための寄宿塾の経営を続けた。ショパンは1830年にワルシャワを後にするまで、ここに住んだ。1837年から1839年には詩人のツィプリアン・カミル・ノルヴィトが芸術アカデミーで絵画を専攻する間、ここに住んだ。彼は後に1月蜂起でロシア兵がショパンのピアノを投げ捨てたことに関して、『ショパンのピアノFortepian Szopena』という詩を詠んだ。ショパンが通った床屋は現在博物館として公開されている。ショパンはその店で幼少期の作品の多くを初演した。 両親の営む寄宿塾の寮生の中で4人がショパンと親しくなった。ティトゥス・ヴォイチェホフスキ、ヤン・ビャウォブウォツキ、ヤン・マトゥシンスキ、ユリアン・フォンタナである。ショパンは同じジヴヌィ門下だったティトゥスとは特に親しく付き合った。またマトゥシンスキ、フォンタナとはパリに出てからの生活でも交流を続けた。 1829年、ポーランドの肖像画家のアンブロツィ・ミエロシェフスキがショパンの両親、姉のルドヴィカ、妹のイザベラとショパン本人の肖像画を描いた(一番下の妹のエミリアは1827年に亡くなっていた)。この肖像画の原本は第二次世界大戦で消失しており、現在はモノクロの写真が残る。1913年にフランスの音楽学者・ショパンの伝記作家のエドゥアール・ガンシュはこう記した。「(この肖像画からは)この若者が結核に罹っていることがわかる。彼の肌は極端に白く、喉頭隆起が見られ、頬は落ち窪んでいる。また耳も結核に典型的な消耗を呈している」。妹エミリアの14歳での死因も結核であり、また父も1844年に同じ病に倒れることになる。 ポーランドの音楽学者・ショパンの伝記作家のズジスワフ・ヤヒメツキによれば、若いショパンはそれまでのどの作曲家と比べることも困難だという。なぜなら、ショパンが人生の前半に作曲した作品には既に高い独創性が見られるからだ。バッハやモーツァルト、ベートーヴェンですら、同じような年頃には初心者の域を脱しなかったのに対し、ショパンは貴族や聴衆から既に来るべき時代の行方を示す大家として受け入れられていたのである。 ショパンは自作に自ら表題を与えることはせず、単純に曲のジャンルと番号によって個々を区別していた。しかし、彼の作品は感情的・感覚的な人生体験に触発されることもしばしばあった。そのような霊感を与えた最初の人物は、ワルシャワ音楽院の声楽科学生で後にワルシャワ・オペラの歌手となった美しいコンスタンツヤ・グワトコフスカである。親友のティトゥス・ヴォイチェホフスキに宛てた手紙の中で、彼のどの作品のどのパッセージが彼女への恋心から生まれたものであるかを綴っている。彼はティトゥスにだけ自分の気持ちを吐露していた。彼の芸術家としての精神はマウリツィ・モツナツキ、ユゼフ・ザレスキ、ユリアン・フォンタナとの交友で豊かになっていった。 1828年、ショパンはより広い世界に活躍の場を広げていく。家族的な付き合いのあったフェリクス・ヤロツキが 学会に出席するので同行して、ベルリンに赴く。ベルリンでは、ガスパーレ・スポンティーニの指揮する馴染みのないオペラを鑑賞し、演奏会を聴きに行き、またカール・フリードリヒ・ツェルターやメンデルスゾーンなどの著名人らと出会い、ショパンは楽しんで過ごす。また、彼はその2週間ほどの滞在中にウェーバーの歌劇『魔弾の射手』、チマローザの歌劇『秘密の結婚』、ヘンデルの『聖セシリア』を聴いた。その帰途ではポズナン大公国の総督だったラジヴィウ公に客人として招かれた。ラジヴィウ公自身は作曲をたしなみ、チェロを巧みに弾きこなすことができ、またその娘のワンダ(Wanda)もピアノの腕に覚えがあった。そこでショパンは『序奏と華麗なるポロネーズ Op.3』を二人のために作曲した 。 1829年、ワルシャワに戻ったショパンはパガニーニの演奏を聴き、ドイツのピアニスト・作曲家のフンメルと出会った。同年8月には、ワルシャワ音楽院での3年間の修行を終えて、ウィーンで華やかなデビューを果たす。彼は2回の演奏会を行い、多くの好意的な評価を得た。一方、彼のピアノからは小さな音しか出なかったという批判もあった。続くコンサートは12月、ワルシャワの商人たちの会合で、彼はここで『ピアノ協奏曲第2番 Op.21』を初演した。また1830年3月17日にはワルシャワの国立劇場で『ピアノ協奏曲第1番 Op.11』を初演した。この頃には『練習曲集』の作曲に着手していた。 演奏家・作曲家として成功したショパンは、西ヨーロッパへと活躍の場を広げていく。1830年11月2日、指にはコンスタンツィア・グワドコフスカからの指輪、また祖国の土が入った銀の杯を携えショパンは旅立った。ヤヒメツキはこう記している。「広い世界に出ていく。こうでなくてはならないと決まりきった目的は、これからもない」。ショパンはオーストリアに向かったが、その次にはイタリア行きを希望していた。 その後、11月蜂起が起こる。ショパンの友人であり、将来的には実業家・芸術家のパトロンとなる旅の仲間のティトゥス・ヴォイチェホフスキは戦いに加わるためにポーランドに引き返した。ショパンは一人ウィーンで音楽活動をするが活躍できなかった。ヤヒメツキはこう記す。「望郷の念に苦しみ、演奏会を開いたり曲を出版したりする当てがはずれたことで、成長し、精神的な深みを増した。彼はロマン派の詩人だったのが、祖国の過去、現在、未来を感じることができる霊感豊かな国民学派的詩人へと成長したのである。この時、この場所からでこそ、彼はポーランド全体を適切な見通しを持って眺めることができたのであり、祖国の偉大さと真の美しさ、そして悲劇と栄光の移り変わりを理解することができたのである」。この蜂起を受けてウィーンでは反ポーランドの風潮が高まり、また十分な演奏の機会も得られなかったため、ショパンはパリ行きを決断した。 1831年9月、ウィーンからパリに赴く途上、ショパンは蜂起が失敗に終わったことを知る。彼は母語のポーランド語で「コンラッド(Konrad)の最後の即興詩のような、冒涜に冒涜を重ねた言葉」を小さな雑誌に書き込んで、終生それを隠した。彼は家族と市民の安全が脅かされることや、女性がロシア兵に乱暴されることを懸念していた。また「親切だったソヴィンスキ大将」の死を悲しみ(ショパンは大将の妻に作品を献呈したことがあった)、ポーランドの援護に動かなかったフランスを呪った。そして神がロシア軍にポーランドの反乱を鎮圧することを許したことに幻滅した。「それともあなた(神)はロシア人だったのですか」。こうした心の痛みによる叫びは『スケルツォ第1番』『革命のエチュード』などを作曲した。 パリに到着したが、このときはまだこの地に居を構えるか迷っていた。最初は、現在のパリ2区ポワソニエール大通り (Boulevard Poissonnière) 27番地に住み、翌1832年に現在の9区シテ・ベルジェール (Cité Bergère)、1836年に同ショセ=ダンタン通り38番地へ転居したように、実のところ彼は二度とポーランドに帰国することはなかったので、多くの「ポーランドの大移民」の一人となったことになる。1832年2月に開いた演奏会では、誰もがショパンを賞賛した。大きな影響力を持っていた音楽学者・批評家のフェティスは「ルヴュ・ミュジカル誌 Revue musicale」にこう記した。「ここにいる若者は、完全なるピアノ音楽の刷新ではないとしても、とにかく長きに渡って希求されつつも果たされなかったこと、つまり史上かつてないような途方もない独創的発想を、誰かを範とすることなく成し遂げたのである」。その3ヶ月前の1831年12月には、シューマンがショパンの『ラ・チ・ダレム変奏曲 Op.2』を評して「一般音楽新聞 Allgemeine musikalische Zeitung」にこう記している。「諸君、脱帽したまえ、天才だ」 パリでショパンは芸術家や他の著名人と出会い、才能を磨き名士として認められ、ヨーロッパ中から集まる多くの弟子にピアノを教えることで、相当の収入を得た。彼はベルリオーズ、リスト、ベッリーニ、ヒラー、メンデルスゾーン、ハイネ、ドラクロワ、チャルトリスキ公、ヴィニー、アルカンらと交友関係を築いた。 ショパンは熱烈なポーランド愛国主義者だったが、フランスではフランス式の名前を名乗っていた。フランスの旅券で旅行していたが、これはロシア帝国発行の書類に頼るのを避ける必要があったためではないかと思われる。このフランスの旅券が発行されたのは1835年8月1日であり、これを境にショパンはフランスの市民となった。 ショパンがパリで公開演奏会を行うことはほとんどなかった。後年、彼は300席を擁するサル・プレイエルで毎年1回コンサートを行うようになるが、それよりも彼が頻繁に演奏を行ったのはサロンだった。サロンは貴族や芸術・文学のエリートの集まる場だったが、彼はパリの自宅で友人との小さな集まりを開いて演奏するのをより好んでいた。彼の健康状態は思わしくなく、そのためヴィルトゥオーゾとしてあちこち外遊することはできなかった。一度ルーアンで演奏した他には、首都を出て旅をすることはほとんどなかったという。彼は教育・作曲によって高収入を得ていたため、もともと好きではなかった演奏会を開かなければならないという重圧から逃れることができた。アーサー・ヘドレイはこう見ていた。「生涯を通じてわずか30回を少し超えるくらいという、できるだけ公の場に出なかったショパンが、ピアニストとして最大級の名声を獲得していたことは特殊なことである」 1835年、ショパンはカールスバートに行き、そこで生涯最後となる両親との再会を果たした。パリへ戻る途中でザクセン州を通った彼は、ドレスデンでワルシャワ時代に親交のあったポーランド人貴族のヴォジンスキ伯爵(Wodziński)一家に会った。5年前にポーランドで顔見知りだった娘のマリア(英語版)はその時16歳になっていた。その若い彼女の知的で、芸術の才にも優れた魅力的な様子に、彼は恋に落ちてしまう。翌1836年の9月にはヴォジンスキ一家とマリーエンバートでの休暇を取り、ドレスデンに戻るとすぐにショパンは彼女にプロポーズする。彼女は求婚を受け入れ、その母のヴォジンスカ夫人も一応認めたものの、マリアがまだ若かったこととショパンの健康状態の悪さによって結婚は無期限の延期を余儀なくされる。この婚約は世に知らされることはなく、結局ヴォジンスキ家がショパンの健康状態への懸念から破棄したことにより、結婚はついに現実のものとはならなかった。ショパンはマリアからもらったバラの花、そしてマリアとその母からの手紙を1つの大きな紙包みにまとめ、その上に「我が哀しみ Moja bieda」と書いた。 ショパンのマリアに対する想いは、9月のドレスデンを去る朝に書かれた「別れのワルツ」として知られる『ワルツ 変イ長調』に残されている。パリに戻ったショパンはすぐに作品25の『練習曲集』の第2曲ヘ短調を作曲し、これを「マリアの魂の肖像」と述べた。これと同時に、彼はマリアに7つの歌曲を贈った。それらはポーランドロマン派の詩人たち、ステファン・ヴィトフィツキ、ヨゼフ・ザレスキ、アダム・ミツキェヴィチの詩に曲をつけたものだった。 婚約破談後は、ポーランド人のポトツカ伯爵夫人がショパンにとって創作上の、また女性として興味を注ぐ対象となった。彼は伯爵夫人に有名なワルツ作品64-1『子犬のワルツ』を献呈している。 パリにいる間、ショパンはわずかな数の公開演奏会に参加した。そのようなプログラム掲載の参加者目録を見ると、この時期のパリがいかに芸術的に豊かな場所だったかがわかる。例えば、1833年3月23日の演奏会ではショパン、リスト、ヒラーがバッハの『3つの鍵盤楽器のための協奏曲』を演奏し、1838年3月3日にはショパン、その弟子アドルフ・グートマン(英語版)、アルカンとその師のピエール・ジメルマンの4人で、アルカンのピアノ8手用編曲でベートーヴェンの『交響曲第7番』を演奏している。 また、ショパンはリストのベッリーニの主題による『ヘクサメロン変奏曲』の作曲に参加し、最後の第6変奏を担当した。 1836年、友人であり仲間だった作曲家のリストの愛人だったマリー・ダグー伯爵夫人のホームパーティーの場で、ショパンはジョルジュ・サンドとして知られるフランスの文筆家・男女同権運動家のアマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパン(Amandine-Aurore-Lucile Dupin)、デュドヴァン男爵夫人(Baronne Dudevant)と出会った。サンドの過去の恋人にはジュール・サンドー(2人が文学において協力関係にあったことで「ジョルジュ・サンド」というペンネームが誕生した)、プロスペル・メリメ、アルフレッド・ド・ミュッセ、ルイ=クリソストム・ミシェル(Louis-Chrysostome Michel)、作家のシャルル・ディディエール(Charles Didier)、ピエール=フランソワ・ボカージュ(Pierre-François Bocage)、フェリシャン・マルフィーユがいた。 ショパンは当初、サンドに嫌悪感を抱いていた。彼はヒラーにこう宣言している。「なんて不快な女なんだ、サンドというやつは!いや、彼女は本当に女性なんだろうか。疑いたくなってしまうよ」。しかし、サンドは自らとショパンの共通の友人のヴォイチェフ・グジマワ伯爵(Wojciech Grzymała)に32ページにわたる率直な手紙をしたため、そこで彼に対する強い感情を認めている。その手紙の中で、彼女は自分がショパンとの関係を始めるために現在の恋人を捨てるべきか思案しており、またショパンとマリア・ヴォジンスカの以前の関係がいかなるものだったかを知ろうとしていると述べている。マリアとの関係については、万一まだ続いているのであれば彼女は邪魔したくないと考えていた。1838年の夏、ショパンとサンドの関係は公然の秘密となった。 彼らが2人でいた時期の特筆すべきエピソードには、大荒れで悲惨だったマヨルカ島での冬(1838年11月8日 - 1839年2月13日)が挙げられる。彼らとサンドの2人の子供は、ショパンの悪化する健康状態が改善するよう願ってその地へ赴いた。しかし宿泊施設を見つけられず、4人は景色は良いながらも荒れ果てて寒々とした、ヴァルデモッサのかつてカルトジオ会の修道院だった建物の軒を借りざるを得なくなった。 ショパンもまた自分のプレイエルのピアノを輸送するのに問題を抱えていた。ピアノは12月20日にパリから到着していたが、税関で止められてしまったのだ。ショパンは12月28日にこう記している。「私のピアノが税関に引っかかって8日目になる。彼らがピアノを渡すために要求している金額は、信じられないほど高額なのだ」。その間、ショパンはガタガタのピアノを借りて、それで練習をし、作曲を行った。 12月3日、ショパンは体調の悪さとマヨルカ島の医師が無能なことに不満を呈している。「この2週間の間、私は犬のように病にかかっている。3人の医者が往診に来た。1人目は私が死ぬと言い、2人目は今吸っている息が最後になると言い、3人目は私がすでに死んでいると言った」 1839年1月4日にジョルジュ・サンドが300フラン(要求額の半分だった)を払うことを承諾し、プレイエルのピアノは税関を通過することができた。それが届いたのは1月5日だった。その後ショパンは待ちわびた楽器をほぼ5週間にわたって使えるようになり、その十分な時間でいくつかの作品を完成させた。『前奏曲 Op.28』の数曲、『バラード第2番 Op.38』の改定稿、Op.40の『2つのポロネーズ(第3番と第4番)』、『スケルツォ第3番 Op.39』、『マズルカ Op.41』のホ短調、そしておそらく手を入れたであろう『ピアノソナタ第2番 Op.35』である。このマヨルカ島でのひと冬は、ショパンの生涯の中でも最も創造的な期間の1つと考えられている。 冬の間の悪天候はショパンの健康に深刻な影響を及ぼし、慢性的な肺の疾患から彼の生命を救うために一行は島を去らざるを得なくなる。愛用のフランス製のピアノは急な帰国の邪魔になった。そのような状況だったが、サンドはなんとかピアノをフランス人夫婦に売却した。 4人の一行はまずバルセロナへ、次にマルセイユへと向かい、そこで数か月滞在して回復を待った。1839年5月、彼らはサンドの別荘で夏を過ごすためにノアンを目指した。彼らは秋にはパリへ戻り、最初は離れて暮らした。ショパンはすぐに現在のパリ8区トロンシェ通り(rue Tronchet)5番地のアパートを離れ、現在の9区ピガル通り(rue Pigalle)16番地のサンドの家へ移り住んだ。4人はその住所で1839年の10月から1842年の11月まで一緒に暮らしたが、1846年まで夏季のほとんどはノアンで過ごした。彼らは1842年に現在のパリ9区スクワール・ドルレアン(Square d'Orléans)があるテブー通り(rue Taitbout)80番地に移り、隣同士の建物で暮らした。 この時期にショパンがピアノ以外の楽器を演奏したという証拠がある。ナポリで急逝したテノール歌手のアドルフ・ヌリの遺体が埋葬のためにパリへ戻った際、その葬式でショパンはシューベルトのリート『天体 Die Gestirne』のオルガン編曲を演奏した。 ノアンでの夏、特に1839年から1843年にかけてはショパンにとって静かながらも創造的な日々となり、そこで多くの作品を生み出した。ショパン作品の中でも有名な『英雄ポロネーズ Op.53』もそうした作品である。サンドはショパンの騒々しい創作の過程について記している。ショパンは情熱に溢れ、涙を流し、不平を口にしつつ、時には着想そのものまで覆してしまうほど多くの構想の見直しを行った。友人のドラクロワと過ごしていた、ノアンでのある午後のことである。 ショパンの病が進行するにつれて、サンドは彼の恋人というより看護師となっていった。サンドはショパンを自分の「3番目の子ども」と呼んでおり、その後の数年間は彼女はショパンとの交友関係を維持しつつも、しばしば第三者に宛てた手紙の中で彼に対する苛立ちを吐露していた。そうした手紙の中では、彼のことを「子ども」「小さな天使」「受難者」「愛しい小さな死人」などと記していた。 1845年、ショパンの病状が悪化を続ける中、彼とサンドの間に深刻な問題が生じた。1846年には彼女の娘のソランジュ(Solange)と若い彫刻家のオーギュスト・クレサンジェとの関係などの諸問題によって、2人の関係はますます険悪になった。サンドは1847年に小説『ルクレツィア・フロリアーニ Lucrezia Floriani』を出版した。主人公の裕福な女優と身体の弱い王子は、サンドとショパンのことを指すと解釈できる。サンドのゲラ刷りの校正を手伝ったショパンが、彼にとって失礼なこの話の内容を見逃すはずはなかった。1847年、彼はノアンを訪れなかった。共通の友人たちは2人を和解させようと試みたものの、ショパンが応じることはなかった。 そのような友人の1人にメゾ・ソプラノのポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドがいる。サンドは1843年にヴィアルドをモデルに小説『コンシュエロ Consuelo』を執筆しており、三人はノアンで多くの時間を共に過ごした。ヴィアルドは著名なオペラ歌手だったが、元来ピアノで身を立てることを希望しておりリストとレイハに師事する優れたピアニストでもあった。彼女はショパンと互いに尊敬しあい、また気が合ったことから友人として付き合っていた。2人はしばしば共演することもあった。ショパンは彼女にピアノの技術的な助言を与え、彼女がショパンの『マズルカ』の旋律をもとに歌曲を作曲するのを手伝った。彼はお返しとして、ヴィアルドからスペインの音楽を直接知ることができた。 1847年、サンドとショパンの10年に及ぶ関係は静かに終わりを迎えた。なれそめから2人の恋路を見届けたヴォイチェフ・グジマワ伯爵はこう述べている。「もし(ショパンが)G.S. (ジョルジュ・サンド)に出会うという不幸に見舞われず、彼女にその生命を毒されなかったとしたら、彼はケルビーニの歳まで生きていただろうに」 ショパンのヴィルトゥオーゾとしての一般からの人気は翳りを見せ、それに伴って弟子の数も減少した。1848年に彼はパリでの最後の演奏会を開く。パリでは革命が進行中だった4月、彼はロンドンへと旅立ちいくつかのコンサートを行って大規模な会場で大きな喝采を受けた。この演奏旅行は彼のスコットランド人の弟子で、時に秘書もこなしたジェーン・スターリングとその姉のキャサリン・エースキン(Katherine Erskine)の発案によるものだった。また、スターリングは必要な準備をすべて整え、必要経費を提供した。彼女はサンドとの別離の後、脱出できない鬱状態に陥ったショパンの支えとなった。 夏も終わりかけた頃、ショパンはスターリングに招かれて、スターリング家の者が所有するエディンバラ近郊のカルダー邸(Calder House)と居城(グラスゴーに程近いレンフルーシャーのジョンストンにあった)に滞在した。そうしているとスターリング嬢とショパンが間もなく婚約を発表するという噂が国を超えて広がったが、ショパンが彼女に恋愛感情を抱いていないことは明らかだった。エディンバラでは開業医のアダム・ウィシュツジニスキ(? Adam Łyszczyński)医師の住むワリストン街路(Warriston Crescent)10にも滞在しつつ、そこで医師の治療を受けた。ショパンはあまりにも弱っており、階段の上り下りでは医師またはその召使が彼を抱えなければならなかった。ショパンはエディンバラでは1度だけ演奏会を開いている。それはクイーン通りのホープトーン・ルームズ(Hopetoun Rooms 現エースキン邸)においてだった。 1848年10月の暮れ、ウィシュツジニスキ医師の家で、ショパンは最後の遺言をしたためた。「万一私がどこかで急死するようなことになったら、将来私の原稿は処分等がなされるように」と友人のヴォイチェフ・グジマワに宛てて書き送っている。スコットランドの寒い午後、スターリング嬢の城の中でショパンは母や姉と共にいる空想にふけり、祖国の地で民謡を題材とした自作曲を演奏する自分の姿を眼前に思い浮かべていた。1848年11月16日、彼はロンドンのギルドホールの演奏段上で最後の公開演奏を行った。それはポーランドの避難民の慈善演奏会だったが、彼の最後の愛国的行動となった。この時の彼の出演は善意からの失敗となってしまった。ほとんどの参加者はショパンのピアノ芸術よりもダンスや気晴らしを目的としており、ショパンはそれによって多大な労力を割いて身体的不快感を負ってしまったのである。 11月の終わりにショパンはパリへ戻った。イギリス旅行はロンドンでのヴィクトリア女王の御前演奏など成功したものだったが、日程の厳しさから彼は体調を更に悪化させていた。冬の間、彼は絶え間なく病に苦しんでいたが、それでも友人に会うことを続け、病床のアダム・ミツキエヴィチを見舞ってピアノ演奏で彼の神経を和らげた。ショパンにはレッスンを行う体力はもはやなかったが、作曲への熱意は冷めていなかった。生活必要経費の大半と医師の診察代を払う金も不足するようになり、彼は価値のある家具や所有物を売り払わなければならなくなった。 2011年3月24日、ワルシャワのフレデリック・ショパン博物館が長く行方不明だったショパンの手紙を発見した。それらの手紙の日付は1845年から1848年とされており、彼の日常生活と『チェロソナタ』に関する記述がなされている。手紙は博物館で2011年4月25日まで展示されていた。 ショパンは家族と共に居たいという思いを募らせた。1849年6月、姉のルドヴィカにパリへ出てきてもらう約束を取り付けた。同年9月には最後の住居となるヴァンドーム12の陽の当たるきれいなアパートに移り住んだ。それは以前はロシア大使館が入居していた物件で、7部屋を有する2階の賃料はショパンに払えるものではなかったが、ジェーン・スターリングが彼のためにそれを肩代わりした。 10月15日になるとショパンの病状は一層深刻となり、彼を訪ねてくる多くの者は会うことを許されず、一握りの近しい友人のみが病床に寄り添った。この最期の2日間で彼らは2回ほどショパンが事切れたものと思ったが、彼は再び息を吹き返すことができた。ポトツカ夫人が見舞いに訪れており、病床の彼のために歌を歌っている。また、彼はポトツカ夫人にソナタを弾いてくれるよう頼み、神に大きな声で祈りをささげた。もっとも、その数日前には自分は神の存在を信じないからと、信仰告白を拒んでいた。彼はジョルジュ・サンドが自分に「私の腕の中で息を引き取らせあげる」と約束したのに、と不平を口にした。彼は紙片を要求し、そこにこう記した。「Comme cette terre m'étouffera, je vous conjure de faire ouvrir mon corps pour [que] je ne sois pas enterré vif.(土に押しつぶされるから埋葬しないで欲しい。生き埋めになりたくないんだ。)」。10月17日の深夜12時過ぎ、医師がショパンの身体に乗りかかってひどく苦しいかと尋ねた。「もう何も感じない」とショパンは答えた。そして午前2時を回る少し前、ショパンは息を引き取った。 ショパンの病とその死因は明らかになっておらず、そのため医学的な議論の的となってきた。死亡診断書では死因は肺結核とされている。一方でショパンの病気は他の疾患(たとえば遺伝子疾患の嚢胞性線維症など)とする説もある。しかし、現代の呼吸器治療と医療的支えのない19世紀において、嚢胞性線維症を抱えながら39歳まで生き延びることは事実上不可能という検討もさらになされ得る。ショパンが長く苦しんだ病についての総説が2011年に出版されている。文脈から事実を読み解くと、ショパンを苦しめた疾病は肺結核の可能性が高い。 ショパンの最期を看取ることができなかった多くの人が、後になって「ショパンの最後に居合わせた」と主張するようになったと、タッド・シュルツ(? Tad Schulz)は記している。彼らは「歴史の証人になりたがっているようだ」。実際にショパンの死の床に付き添ったのは、姉のルドヴィカ、マルツェリーナ・チャルトリスカ公爵夫人、ソランジュとオーギュスト・クレサンジェ夫妻、ショパンの弟子で友人のアドルフ・グートマン、友人のトーマス・アルブレヒト(Thomas Albrecht)、信頼を置いていたポーランドのカトリック教会司祭のアレクサンダー・イェウォヴィツキ(Aleksander Jełowicki)神父だった。 夜が明けてから、クレサンジェはショパンのデスマスクを作り、また彼が傑作を生み出した左手の型を取った。彼の遺言に従い、葬儀の前に取り出された心臓は姉のルドヴィカによって祖国に持ち帰られ、クラコフスキ区の聖十字架教会のレオナルド・マルコーニ作のエピタフの下の柱に、コニャックと思しきアルコールに浸けられて収められた。そこにはマタイによる福音書6:21「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」が刻まれている。ショパンの心臓は第二次世界大戦中に避難のため持ち出された時を除き、その教会で眠っている。現在の教会は1944年のワルシャワ蜂起で大きく破壊されて再建されたものである。教会はショパンが最後に住んだポーランドの家であるクラコフスキ区5のクラジンスキ宮殿からすぐ近くのところにある。 パリのマドレーヌ寺院で行われることになっていた葬儀は、準備が非常に凝ったものとなったため、ほぼ2週間も遅れて10月30日に行われることになった。予定が遅れたため通常なら出席不可能であるような人びとが大勢ロンドン、ベルリン、ウィーンから集まることができた。招待された参列者には多くのフランスの文学・貴族の名士らが名を連ねたが、音楽上の同胞たちは慎重に外された。 モーツァルトの『レクイエム』が歌われることが、急遽決められた。これはショパンの遺言とも言われたが、友人のグートマンはショパンがそのようなことを頼んだことはなく、報道の自由から生まれた夢物語であるとしている。ショパンの死から葬儀の間までにパリでは彼にまつわる膨大な出版物が出回っており、その中のいくつかの創作が後に事実のように本に記載されていったようである。『レクイエム』は大部分が女声合唱によって歌われるが、マドレーヌ寺院は合唱隊に女性歌手が入ることを許可していなかった。しかし、教会は女性歌手を黒いベルベットのカーテンの奥に置くこととして、好意的に協力した。『レクイエム』のソリストは、ソプラノがジャナネ・カステラン(? Jeanne-Anais Castellan)、メゾソプラノがショパンとサンドの友人だったポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド、テノールがアレクシス・デュポン、バスがハイドンやベートーヴェン、ヴィンチェンツォ・ベッリーニの葬儀でも歌ったルイージ・ラブラーケである。また、ショパンの『前奏曲集』から第4番 ホ短調と第6番 ロ短調が演奏された。葬儀には3,000人近くが参列したが、その中にジョルジュ・サンドの姿はなかった。 葬送の行進は町の中央のオペラ座の隣にある教会から始まり、ショパンが埋葬を希望していた街の東の端のペール・ラシェーズ墓地までの非常に長い距離にわたった。葬列を先導したのはポーランドの大移民の長だった年老いたチャルトリスキ公であり、芸術家たち(ウジェーヌ・ドラクロワやチェリストのオーギュスト・フランショーム、ピアニストのカミーユ・プレイエル(Camille Pleyel)など)が交代で担いだ棺のすぐ後ろには、姉のルドヴィカがいた。 埋葬の際には、その横でナポレオン・アンリ・ルベールの管弦楽編曲によるショパンの『葬送行進曲』が演奏された。このことについて、参列していたジャコモ・マイアベーアは後年、自分が編曲者として選ばれなかったことに失望したと述べている。 ショパンの墓石はオーギュスト・クレサンジェが設計・製作したもので、音楽のムーサのエウテルペーが壊れたリラの上で涙を流す姿をかたどったものである。葬儀と碑の製作にかかった費用は合計5,000フランだったが、姉のルドヴィカがワルシャワへ戻る渡航費用も含めて、全てはジェーン・スターリングが負担した。スターリングはその後長い間、黒衣に身を包み喪に服していた(生涯そうしていたとする文献もある)。 ショパンの墓には多くの人が訪れ、冬場でも捧げられる多くの花が絶えることはない。 生涯を通じて肺結核に悩まされた病弱の芸術家として有名であり、残された肖像画などからも、赤みがかった頬などその徴表が見られる。しかしそうした繊細なイメージとマッチした作風の曲ばかりでなく、自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや、大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、情熱的な作風の曲も多く見られる。 幼少の頃からいろいろな面で才能を発揮し、ユーモアにあふれ、ものまねと漫画を描くのも得意で学校ではクラスの人気者だったという。 後半生は大部分をフランスで過ごしたが、望郷の思いは終生已まず、死後遺言により心臓がポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」(シューマン)と評されることもある。 女性との愛の遍歴も伝説を交えて語られることがあるが、特に年上の女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際の間には『24の前奏曲集』『幻想曲』『バラード第4番』『英雄ポロネーズ』『舟歌』『幻想ポロネーズ』など多くの傑作が生まれた。 ピアノの技術革新の時代に生きたショパンは新しい演奏技術の開拓に果敢に挑み、自身の練習の意味も込めて『練習曲集』(『3つの新練習曲』を除く12曲)を2つ編んだ。一方で古典の作曲家への敬意は強く(実際ショパンは自身がロマン派に属するという考えを否定した)、特にバッハとモーツァルトは彼の作品に影響を及ぼした。例えば『24の前奏曲集』は5度循環で24の全長短調を経る小品集だが、これはバッハの『平均律クラヴィーア曲集・24の前奏曲とフーガ』を意識したものである。また心を落ち着けるためにバッハの平均律をしばしば好んで弾いた。『前奏曲作品28』を作曲したマヨルカ島に持っていった印刷された楽譜は、バッハの平均律クラヴィーア曲集のみだったという。 同時代の有名な作曲家で評論家でもあったシューマンとは違い、批評活動は全く行わず、音楽作品と文筆作品(ことに詩)との融合にもあまり積極的ではなかったという。 性格が激しく、それ故にしばしば欲求不満に陥ることもあったらしい(例えば1830年にウィーンに来た時の、一般の音楽的嗜好が浅薄なものだったことに対して)。 写真は2枚残されており、1846年の写真は損傷が激しい。もう1枚は、死の直前にルイ=オーギュスト・ビソン(英語版)によって撮られたものである。 2011年3月にショパンの死後撮影された写真を発見したとポーランドの写真収集家が発表した。この写真には、ベッドに仰向けに横たわるショパンの横顔が写されており、ビソンの署名がある。しかし、ショパン博物館の学芸員・パリのポーランド図書館の写真専門家・ショパン研究家の3者は、この写真を偽造としている。 2017年1月にスイスの物理学者アラン・コーラーによる新たな写真の発見が発表された。 ショパンの書簡については、作品同様に戦乱によってその大部分が消失していること、ティトゥス・ヴォイチェホフスキ(英語版)ら一部の友人及びモーリッツ・カラソフスキ(ポーランド語版)ら後世のポーランドの伝記作家が国粋主義的な動機から改竄を加えたことなどから、友人による写しなどソースが怪しいものが多く、それらにもとづく虚実不明のエピソードが現在に至るまで流布している。 代表的な事例として、第二次大戦直後にポーランドの音楽研究家パウリーナ・チェルニツカが、ショパンがデルフィヌ・ポトツカ伯爵夫人に書いたという大量の書簡を公表した、というケースがある。これらにはショパンの私生活に対する言及や彼の音楽思想、他の音楽家に対する批評が多く含まれていたため議論を巻き起こした。彼女は原本の公開を拒否したまま謎の自殺を遂げたが、現在では(一部に議論はあるが)少なくとも大部分が彼女による偽作とされている。1950-60年代に書かれた伝記などにはこれらの書簡を引用したものが多い。ちなみに、ショパンがポトツカ伯爵夫人に書いた本物の手紙は一点のみ現存している。 ショパンは、多くのピアノ作品を残したが、その中には未知の作品や、原稿消失作品が複数あることが確認されている。出版されている作品についても、戦乱により自筆譜が失われているものが多い。 ショパンの作品にはいろいろと逸話のあるものが多く、それらの中にはきちんと確証の持てないものも多い。サブタイトルは、ショパンが曲にタイトルを付けることを好まなかったため、ほとんどはショパン自身によるものではない。 ショパンは、遺言で自分の未出版作品の破棄を希望していたが、その希望は受け入れられず、友人でもあったユリアン・フォンタナをはじめとするショパン研究者によって出版された。主な遺作には、『幻想即興曲』『レント・コン・グラン・エスプッレシオーネ 嬰ハ短調(夜想曲 第20番)』などがある。 フォンタナは、ショパンの原稿を整理し、また作曲年代に関係なく作品番号を付けて出版した。遺作にあたる作品66から74は、フォンタナによって付けられた作品番号である。 なおショパンの作品の分類番号は2つある。KK(クリスティナ・コビラィンスカによる作品番号のついていない作品)とBI(モーリス・ブラウンによる作品分類番号)の2つである。ヤン・エキエルは、彼自身が編纂しているナショナル・エディション(ショパン全集)の中で、作品番号の付いていない作品に限って、WN(Wydanie Narodowe = ナショナル・エディション)というエキエル独自の作品分類番号を記している。 有名なものとして、いくつかの楽曲にオーケストレーションを施してまとめた数種のバレエ音楽がある。 ワルシャワ在住時にショパンが作曲と演奏に使っていた楽器は、ブッフホルツ製のピアノであった。この楽器については、2018年にポール・マクナルティが復元楽器を製作し、ワルシャワ大劇場で公開演奏されたほか、ショパン研究所主催の第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで使用されたことが知られている。 ショパンはその後、ワルシャワを離れたパリ在住時に、プレイエルから楽器を購入した。彼はプレイエルのピアノを、「ノン・プルス・ウルトラ」(極致!)と評価している。パリでショパンと交友関係にあったリストは、ショパンのプレイエルの音を「クリスタルと水の結婚」のようだと述べている。 また1848年にロンドンに滞在していたショパンは、自分のピアノ3台について「大きな応接間にはピアノが3台あり、プレイエル1台、ブロードウッド1台、エラール1台がある。」と手紙に記している。 ポーランド音楽出版社(パデレフスキ版およびエキエル版)やヘンレ社やペータース社などの原典版楽譜では、ショパン自筆の楽譜と、フォンタナやその他の編集者による楽譜が掲載されており、比較することができる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "フレデリック・フランソワ・ショパン(仏: Frédéric François Chopin 、ポーランド語: Fryderyk Franciszek Chopin 、生年未詳(1810年3月1日または2月22日、1809年説もあり) - 1849年10月17日)は、ポーランド出身の、前期ロマン派音楽を代表する作曲家。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家としても有名だった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるようになった。様々な形式・美しい旋律・半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いていった。夜想曲やワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが多い作曲家の一人である。また、母国ポーランドへの強い愛国心からフランスの作曲家としての側面が強調されることは少ないが、父の出身地で主要な活躍地だった同国の音楽史に占める重要性も無視できない。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1988年からポーランドで発行されていた5,000ズウォティ紙幣に肖像が使用されていた。また、2010年にもショパンの肖像を使用した20ズウォティの記念紙幣が発行されている。2001年、ポーランド最大の空港「オケンチェ空港(Port lotniczy Warszawa-Okęcie)」が「ワルシャワ・ショパン空港」に改名された。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ショパンの父親はニコラ・ショパンといい、ロレーヌから1787年に16歳でポーランドに移住してきたフランス人だった。1794年のコシチュシュコの蜂起で、彼はワルシャワの市民兵として戦いに加わり、副官へ昇格した。彼のフランスで受けた洗礼名はニコラ(Nicholas)だったが、ポーランドではポーランド風の名前を名乗ることにし、ミコワイ(Mikołaj)とした。元来外国人だった彼だが、時とともに完全にポーランドに馴染んだ。ポーランドの歴史家・公文書保管人のワパチンスキ(Łopaciński)によれば、彼は「自分のことをポーランド人と考えて疑うことがなかった」という。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "フランス語が堪能だったニコラは知られる存在となり、貴族の家庭教師をするようになった。その中にはスカルベク(Skarbeks)がおり、ニコラはその遠い親戚であるユスティナ・クシジャノフスカ(Justyna Krzyżanowska)と結婚した。彼女はシュラフタ(ポーランド貴族)の娘だったが、地位を失いスカルベク家に住み込んで侍女をしていた。二人の結婚式は16世紀のブロフフの教区の聖ロフ教会で、1806年6月2日に執り行われた。ユスティナの兄弟には、アメリカの南北戦争で北軍の准将を務めることになるヴォジミエシュ・クシジャノフスキ(英語版)がいた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "フレデリック・ショパンは夫妻の2人目の子供として生まれた。彼は当時ワルシャワ公国だったワルシャワから西に46kmの地点にあるジェラゾヴァ・ヴォラ村で生まれた。1892年に発見された教区の洗礼記録によると、彼の生年月日は1810年2月22日となっているがこれは本人やその家族の主張する3月1日という日付より一週間早い。ショパンが1833年1月16日にパリのポーランド文学協会(Polish Literary Society)の議長に宛てた書簡には、彼が「1810年3月1日にマゾフシェ県のジェラゾヴァ・ヴォラ村で生まれた」と記されている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ショパンは1810年4月23日の復活祭の日曜日、両親が結婚式を挙げたのと同じブロフフの教会で洗礼を受けた。登記簿には彼の名前はラテン語表記でFridericus Franciscus、ポーランド語表記でFryderyk Franciszekと記されている。彼の代父となったフレデリック・スカルベク(Fryderyk Skarbek)は後に監獄を改修する仕事に従事し、第二次世界大戦で悪名をとどろかせたパヴィアク刑務所の設計に携わった。また彼は第二次世界大戦でイギリスの特殊作戦執行部に所属していたクリスティナ・スカルベク(Krystyna Skarbek)の曽祖おじにあたる。代父の息子のヨーゼフ・スカルベクは、かつてショパンと婚約関係にあったマリア・ヴォジンスカ(Maria Wodzińska)と1841年に結婚する。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1810年10月、ショパンが7か月の時、サムエル・リンデ(英語版)が父にワルシャワ中等学校(英語版)でフランス語を教えないかと持ちかけ、承諾した父と共に家族はワルシャワに移住した。中等学校はサスキ宮殿内にあり、ショパン一家は宮殿の庭園に住むことになった。サスキ宮殿は1817年にコンスタンチン・パヴロヴィチによって軍用地として徴収され、中等学校はカジミェシュ宮殿へ移動を余儀なくされた。カジミェシュ宮殿には新たに設立されたワルシャワ大学も入居していた。ショパン一家は隣接する建物の二階で広々と暮らすことになった。ショパンもワルシャワ中等学校に1823年から1826年にかけて通った。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ポーランドの精神・習慣・言葉はショパンの家庭に浸み込んでおり、ショパンはパリに出てからもフランス語を完全には自分のものにできなかった。伝記作家のルイ・エノーはジョルジュ・サンドの言葉を借りて、ショパンは「ポーランドよりもポーランド的」と評している。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ショパンの家族は皆音楽の才能に恵まれていた。父ニコラはフルートとヴァイオリンを演奏できた。母ユスティナはピアノに長けており、一家で切り盛りしていたエリートの寮で寮生の少年たちに指導をしていたので、ショパンは幼い頃から様々な音楽に親しむことができた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ショパンと同時代の音楽家のユゼフ・シコルスキ(ポーランド語版)の著書『ショパンの想い出 Wspomnienie Chopina』によると、幼いショパンは母が弾くピアノを聴いて感極まって涙を流したという。彼は6歳にして、耳にした旋律を再現しようとしたり、新たなメロディーを作ろうとしたりした。しかし、ショパンに最初にピアノを教えたのは母ではなく、姉のルドヴィカだった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ショパンが本格的にピアノを習ったのは1816年から1822年、指導者はチェコ人のヴォイチェフ・ジヴヌィだった。若きショパンの実力はあっという間に師匠を超えてしまったが、ショパンは後年ジヴヌィを高く評価していた。わずか7歳の「ショパン少年 Szopenek」は公開演奏を行うようになり、瞬く間に神童モーツァルトやベートーヴェンと比較されるようになっていった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "同年、7歳のショパンはト短調と変ロ長調の2つの『ポロネーズ』を作曲した。前者は老イジドル・ユゼフ・チブルスキの印刷工房で刷られ、出版された。後者は父ニコラが清書した原稿の状態で見つかっている。これらの小品はワルシャワの先導的作曲家たちの人気の『小ポロネーズ』のみならず、ミヒャウ・オジンスキの有名な『大ポロネーズ』にも匹敵する作品と言われた。この後の旋律・和声・ピアノ奏法の創意工夫は、知られている次の『ポロネーズ 変イ長調』に明らかである。この曲は1821年に聖名祝日の贈り物としてジヴヌィに捧げられた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "幼少期の知的好奇心旺盛なショパンは、まるで乾いたスポンジのように何でも吸収し、それを発展させるためならば何でも利用した。彼は早くから観察とスケッチ、鋭いウィットとユーモアの感性に能力を示し、ものまねにも才能を持っていた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "この頃、11歳のショパンは、議会(セイム)の開会のためにワルシャワに来ていたロシアの皇帝アレクサンドル1世の御前で演奏を披露した。また、ポーランド立憲王国の副王だったコンスタンチン・パヴロヴィチ大公の息子の遊び相手としてベルヴェデール宮殿に時々招かれ、ピアノを弾いて怒りっぽい副王を魅了した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ユリアン・ニームチェヴィツは、劇的エクローグ『我らの交わり Nasze Verkehry』(1818年)の中で、8歳のショパン少年を対話の題材に据えて、その人気の高さについて証言している。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1820年代、ワルシャワ中等学校とワルシャワ音楽院に通っていたショパンは、休暇の度にワルシャワから離れて過ごすようになった。1824年と1825年にはシャファルニャ、1826年にはバート・ライネルツ(現:ドゥシュニキ・ズドルイ)、1827年にはポメラニア、1828年にはサンニキを訪れた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "休暇で訪れたシャファルニャ村やその他の町では、ショパンは民謡に触れた。この経験は後になって彼の作品へと形を変える。シャファルニャから彼の家に送られた長い手紙は、時代を反映した活き活きとしたポーランド語で綴られており、ワルシャワの新聞のパロディとして仕立てられたその手紙は大いに家族を楽しませた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ショパンは13歳になるまで家庭でジヴヌィから指導を受けており、1823年のワルシャワ学院入学後もその関係は続いた。1825年には演奏会でイグナーツ・モシェレスの曲を弾くとともに即興演奏で聴衆を魅了し、「ワルシャワで最高のピアニスト」と絶賛された。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ショパンは1826年にシレジア出身の作曲家ユゼフ・エルスネル(エルスナーなどと表記されることもある)の指導の下、ワルシャワ音楽院で3年の教育課程に入った。実はショパンが最初にエルスネルに会ったのは1822年であり、1823年にも非公式にアドバイスを受けていたのは間違いない。そして1826年に本格的な師弟関係が始まり、ショパンはエルスネルに付いて音楽理論・通奏低音・作曲の勉強を開始した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "エルスネルはショパンの通知表に「顕著な才能」そして「音楽の天才」と記している。ジヴヌィもそうだったように、エルスネルもまたショパンの才能が開花するのに対して手を施すことはなく、ただ見守るだけだった。エルスネルはショパンを指導するにあたって「偏狭で、権威的、時代遅れな」規則で「押さえつける」ことを嫌い、若い才能を「彼自身の決めたやり方の通りに」成長させていくことにした。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1827年に一家はワルシャワ大学と通りを挟んで丁度向かいにあたる、クラコフスキ区のクラシンスキ宮殿南館に移り住んだ。この場所でもショパンの両親はエリート男子学生のための寄宿塾の経営を続けた。ショパンは1830年にワルシャワを後にするまで、ここに住んだ。1837年から1839年には詩人のツィプリアン・カミル・ノルヴィトが芸術アカデミーで絵画を専攻する間、ここに住んだ。彼は後に1月蜂起でロシア兵がショパンのピアノを投げ捨てたことに関して、『ショパンのピアノFortepian Szopena』という詩を詠んだ。ショパンが通った床屋は現在博物館として公開されている。ショパンはその店で幼少期の作品の多くを初演した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "両親の営む寄宿塾の寮生の中で4人がショパンと親しくなった。ティトゥス・ヴォイチェホフスキ、ヤン・ビャウォブウォツキ、ヤン・マトゥシンスキ、ユリアン・フォンタナである。ショパンは同じジヴヌィ門下だったティトゥスとは特に親しく付き合った。またマトゥシンスキ、フォンタナとはパリに出てからの生活でも交流を続けた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1829年、ポーランドの肖像画家のアンブロツィ・ミエロシェフスキがショパンの両親、姉のルドヴィカ、妹のイザベラとショパン本人の肖像画を描いた(一番下の妹のエミリアは1827年に亡くなっていた)。この肖像画の原本は第二次世界大戦で消失しており、現在はモノクロの写真が残る。1913年にフランスの音楽学者・ショパンの伝記作家のエドゥアール・ガンシュはこう記した。「(この肖像画からは)この若者が結核に罹っていることがわかる。彼の肌は極端に白く、喉頭隆起が見られ、頬は落ち窪んでいる。また耳も結核に典型的な消耗を呈している」。妹エミリアの14歳での死因も結核であり、また父も1844年に同じ病に倒れることになる。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ポーランドの音楽学者・ショパンの伝記作家のズジスワフ・ヤヒメツキによれば、若いショパンはそれまでのどの作曲家と比べることも困難だという。なぜなら、ショパンが人生の前半に作曲した作品には既に高い独創性が見られるからだ。バッハやモーツァルト、ベートーヴェンですら、同じような年頃には初心者の域を脱しなかったのに対し、ショパンは貴族や聴衆から既に来るべき時代の行方を示す大家として受け入れられていたのである。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ショパンは自作に自ら表題を与えることはせず、単純に曲のジャンルと番号によって個々を区別していた。しかし、彼の作品は感情的・感覚的な人生体験に触発されることもしばしばあった。そのような霊感を与えた最初の人物は、ワルシャワ音楽院の声楽科学生で後にワルシャワ・オペラの歌手となった美しいコンスタンツヤ・グワトコフスカである。親友のティトゥス・ヴォイチェホフスキに宛てた手紙の中で、彼のどの作品のどのパッセージが彼女への恋心から生まれたものであるかを綴っている。彼はティトゥスにだけ自分の気持ちを吐露していた。彼の芸術家としての精神はマウリツィ・モツナツキ、ユゼフ・ザレスキ、ユリアン・フォンタナとの交友で豊かになっていった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1828年、ショパンはより広い世界に活躍の場を広げていく。家族的な付き合いのあったフェリクス・ヤロツキが 学会に出席するので同行して、ベルリンに赴く。ベルリンでは、ガスパーレ・スポンティーニの指揮する馴染みのないオペラを鑑賞し、演奏会を聴きに行き、またカール・フリードリヒ・ツェルターやメンデルスゾーンなどの著名人らと出会い、ショパンは楽しんで過ごす。また、彼はその2週間ほどの滞在中にウェーバーの歌劇『魔弾の射手』、チマローザの歌劇『秘密の結婚』、ヘンデルの『聖セシリア』を聴いた。その帰途ではポズナン大公国の総督だったラジヴィウ公に客人として招かれた。ラジヴィウ公自身は作曲をたしなみ、チェロを巧みに弾きこなすことができ、またその娘のワンダ(Wanda)もピアノの腕に覚えがあった。そこでショパンは『序奏と華麗なるポロネーズ Op.3』を二人のために作曲した 。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1829年、ワルシャワに戻ったショパンはパガニーニの演奏を聴き、ドイツのピアニスト・作曲家のフンメルと出会った。同年8月には、ワルシャワ音楽院での3年間の修行を終えて、ウィーンで華やかなデビューを果たす。彼は2回の演奏会を行い、多くの好意的な評価を得た。一方、彼のピアノからは小さな音しか出なかったという批判もあった。続くコンサートは12月、ワルシャワの商人たちの会合で、彼はここで『ピアノ協奏曲第2番 Op.21』を初演した。また1830年3月17日にはワルシャワの国立劇場で『ピアノ協奏曲第1番 Op.11』を初演した。この頃には『練習曲集』の作曲に着手していた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "演奏家・作曲家として成功したショパンは、西ヨーロッパへと活躍の場を広げていく。1830年11月2日、指にはコンスタンツィア・グワドコフスカからの指輪、また祖国の土が入った銀の杯を携えショパンは旅立った。ヤヒメツキはこう記している。「広い世界に出ていく。こうでなくてはならないと決まりきった目的は、これからもない」。ショパンはオーストリアに向かったが、その次にはイタリア行きを希望していた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "その後、11月蜂起が起こる。ショパンの友人であり、将来的には実業家・芸術家のパトロンとなる旅の仲間のティトゥス・ヴォイチェホフスキは戦いに加わるためにポーランドに引き返した。ショパンは一人ウィーンで音楽活動をするが活躍できなかった。ヤヒメツキはこう記す。「望郷の念に苦しみ、演奏会を開いたり曲を出版したりする当てがはずれたことで、成長し、精神的な深みを増した。彼はロマン派の詩人だったのが、祖国の過去、現在、未来を感じることができる霊感豊かな国民学派的詩人へと成長したのである。この時、この場所からでこそ、彼はポーランド全体を適切な見通しを持って眺めることができたのであり、祖国の偉大さと真の美しさ、そして悲劇と栄光の移り変わりを理解することができたのである」。この蜂起を受けてウィーンでは反ポーランドの風潮が高まり、また十分な演奏の機会も得られなかったため、ショパンはパリ行きを決断した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1831年9月、ウィーンからパリに赴く途上、ショパンは蜂起が失敗に終わったことを知る。彼は母語のポーランド語で「コンラッド(Konrad)の最後の即興詩のような、冒涜に冒涜を重ねた言葉」を小さな雑誌に書き込んで、終生それを隠した。彼は家族と市民の安全が脅かされることや、女性がロシア兵に乱暴されることを懸念していた。また「親切だったソヴィンスキ大将」の死を悲しみ(ショパンは大将の妻に作品を献呈したことがあった)、ポーランドの援護に動かなかったフランスを呪った。そして神がロシア軍にポーランドの反乱を鎮圧することを許したことに幻滅した。「それともあなた(神)はロシア人だったのですか」。こうした心の痛みによる叫びは『スケルツォ第1番』『革命のエチュード』などを作曲した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "パリに到着したが、このときはまだこの地に居を構えるか迷っていた。最初は、現在のパリ2区ポワソニエール大通り (Boulevard Poissonnière) 27番地に住み、翌1832年に現在の9区シテ・ベルジェール (Cité Bergère)、1836年に同ショセ=ダンタン通り38番地へ転居したように、実のところ彼は二度とポーランドに帰国することはなかったので、多くの「ポーランドの大移民」の一人となったことになる。1832年2月に開いた演奏会では、誰もがショパンを賞賛した。大きな影響力を持っていた音楽学者・批評家のフェティスは「ルヴュ・ミュジカル誌 Revue musicale」にこう記した。「ここにいる若者は、完全なるピアノ音楽の刷新ではないとしても、とにかく長きに渡って希求されつつも果たされなかったこと、つまり史上かつてないような途方もない独創的発想を、誰かを範とすることなく成し遂げたのである」。その3ヶ月前の1831年12月には、シューマンがショパンの『ラ・チ・ダレム変奏曲 Op.2』を評して「一般音楽新聞 Allgemeine musikalische Zeitung」にこう記している。「諸君、脱帽したまえ、天才だ」", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "パリでショパンは芸術家や他の著名人と出会い、才能を磨き名士として認められ、ヨーロッパ中から集まる多くの弟子にピアノを教えることで、相当の収入を得た。彼はベルリオーズ、リスト、ベッリーニ、ヒラー、メンデルスゾーン、ハイネ、ドラクロワ、チャルトリスキ公、ヴィニー、アルカンらと交友関係を築いた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ショパンは熱烈なポーランド愛国主義者だったが、フランスではフランス式の名前を名乗っていた。フランスの旅券で旅行していたが、これはロシア帝国発行の書類に頼るのを避ける必要があったためではないかと思われる。このフランスの旅券が発行されたのは1835年8月1日であり、これを境にショパンはフランスの市民となった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "ショパンがパリで公開演奏会を行うことはほとんどなかった。後年、彼は300席を擁するサル・プレイエルで毎年1回コンサートを行うようになるが、それよりも彼が頻繁に演奏を行ったのはサロンだった。サロンは貴族や芸術・文学のエリートの集まる場だったが、彼はパリの自宅で友人との小さな集まりを開いて演奏するのをより好んでいた。彼の健康状態は思わしくなく、そのためヴィルトゥオーゾとしてあちこち外遊することはできなかった。一度ルーアンで演奏した他には、首都を出て旅をすることはほとんどなかったという。彼は教育・作曲によって高収入を得ていたため、もともと好きではなかった演奏会を開かなければならないという重圧から逃れることができた。アーサー・ヘドレイはこう見ていた。「生涯を通じてわずか30回を少し超えるくらいという、できるだけ公の場に出なかったショパンが、ピアニストとして最大級の名声を獲得していたことは特殊なことである」", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1835年、ショパンはカールスバートに行き、そこで生涯最後となる両親との再会を果たした。パリへ戻る途中でザクセン州を通った彼は、ドレスデンでワルシャワ時代に親交のあったポーランド人貴族のヴォジンスキ伯爵(Wodziński)一家に会った。5年前にポーランドで顔見知りだった娘のマリア(英語版)はその時16歳になっていた。その若い彼女の知的で、芸術の才にも優れた魅力的な様子に、彼は恋に落ちてしまう。翌1836年の9月にはヴォジンスキ一家とマリーエンバートでの休暇を取り、ドレスデンに戻るとすぐにショパンは彼女にプロポーズする。彼女は求婚を受け入れ、その母のヴォジンスカ夫人も一応認めたものの、マリアがまだ若かったこととショパンの健康状態の悪さによって結婚は無期限の延期を余儀なくされる。この婚約は世に知らされることはなく、結局ヴォジンスキ家がショパンの健康状態への懸念から破棄したことにより、結婚はついに現実のものとはならなかった。ショパンはマリアからもらったバラの花、そしてマリアとその母からの手紙を1つの大きな紙包みにまとめ、その上に「我が哀しみ Moja bieda」と書いた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ショパンのマリアに対する想いは、9月のドレスデンを去る朝に書かれた「別れのワルツ」として知られる『ワルツ 変イ長調』に残されている。パリに戻ったショパンはすぐに作品25の『練習曲集』の第2曲ヘ短調を作曲し、これを「マリアの魂の肖像」と述べた。これと同時に、彼はマリアに7つの歌曲を贈った。それらはポーランドロマン派の詩人たち、ステファン・ヴィトフィツキ、ヨゼフ・ザレスキ、アダム・ミツキェヴィチの詩に曲をつけたものだった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "婚約破談後は、ポーランド人のポトツカ伯爵夫人がショパンにとって創作上の、また女性として興味を注ぐ対象となった。彼は伯爵夫人に有名なワルツ作品64-1『子犬のワルツ』を献呈している。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "パリにいる間、ショパンはわずかな数の公開演奏会に参加した。そのようなプログラム掲載の参加者目録を見ると、この時期のパリがいかに芸術的に豊かな場所だったかがわかる。例えば、1833年3月23日の演奏会ではショパン、リスト、ヒラーがバッハの『3つの鍵盤楽器のための協奏曲』を演奏し、1838年3月3日にはショパン、その弟子アドルフ・グートマン(英語版)、アルカンとその師のピエール・ジメルマンの4人で、アルカンのピアノ8手用編曲でベートーヴェンの『交響曲第7番』を演奏している。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "また、ショパンはリストのベッリーニの主題による『ヘクサメロン変奏曲』の作曲に参加し、最後の第6変奏を担当した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "1836年、友人であり仲間だった作曲家のリストの愛人だったマリー・ダグー伯爵夫人のホームパーティーの場で、ショパンはジョルジュ・サンドとして知られるフランスの文筆家・男女同権運動家のアマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパン(Amandine-Aurore-Lucile Dupin)、デュドヴァン男爵夫人(Baronne Dudevant)と出会った。サンドの過去の恋人にはジュール・サンドー(2人が文学において協力関係にあったことで「ジョルジュ・サンド」というペンネームが誕生した)、プロスペル・メリメ、アルフレッド・ド・ミュッセ、ルイ=クリソストム・ミシェル(Louis-Chrysostome Michel)、作家のシャルル・ディディエール(Charles Didier)、ピエール=フランソワ・ボカージュ(Pierre-François Bocage)、フェリシャン・マルフィーユがいた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "ショパンは当初、サンドに嫌悪感を抱いていた。彼はヒラーにこう宣言している。「なんて不快な女なんだ、サンドというやつは!いや、彼女は本当に女性なんだろうか。疑いたくなってしまうよ」。しかし、サンドは自らとショパンの共通の友人のヴォイチェフ・グジマワ伯爵(Wojciech Grzymała)に32ページにわたる率直な手紙をしたため、そこで彼に対する強い感情を認めている。その手紙の中で、彼女は自分がショパンとの関係を始めるために現在の恋人を捨てるべきか思案しており、またショパンとマリア・ヴォジンスカの以前の関係がいかなるものだったかを知ろうとしていると述べている。マリアとの関係については、万一まだ続いているのであれば彼女は邪魔したくないと考えていた。1838年の夏、ショパンとサンドの関係は公然の秘密となった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "彼らが2人でいた時期の特筆すべきエピソードには、大荒れで悲惨だったマヨルカ島での冬(1838年11月8日 - 1839年2月13日)が挙げられる。彼らとサンドの2人の子供は、ショパンの悪化する健康状態が改善するよう願ってその地へ赴いた。しかし宿泊施設を見つけられず、4人は景色は良いながらも荒れ果てて寒々とした、ヴァルデモッサのかつてカルトジオ会の修道院だった建物の軒を借りざるを得なくなった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ショパンもまた自分のプレイエルのピアノを輸送するのに問題を抱えていた。ピアノは12月20日にパリから到着していたが、税関で止められてしまったのだ。ショパンは12月28日にこう記している。「私のピアノが税関に引っかかって8日目になる。彼らがピアノを渡すために要求している金額は、信じられないほど高額なのだ」。その間、ショパンはガタガタのピアノを借りて、それで練習をし、作曲を行った。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "12月3日、ショパンは体調の悪さとマヨルカ島の医師が無能なことに不満を呈している。「この2週間の間、私は犬のように病にかかっている。3人の医者が往診に来た。1人目は私が死ぬと言い、2人目は今吸っている息が最後になると言い、3人目は私がすでに死んでいると言った」", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "1839年1月4日にジョルジュ・サンドが300フラン(要求額の半分だった)を払うことを承諾し、プレイエルのピアノは税関を通過することができた。それが届いたのは1月5日だった。その後ショパンは待ちわびた楽器をほぼ5週間にわたって使えるようになり、その十分な時間でいくつかの作品を完成させた。『前奏曲 Op.28』の数曲、『バラード第2番 Op.38』の改定稿、Op.40の『2つのポロネーズ(第3番と第4番)』、『スケルツォ第3番 Op.39』、『マズルカ Op.41』のホ短調、そしておそらく手を入れたであろう『ピアノソナタ第2番 Op.35』である。このマヨルカ島でのひと冬は、ショパンの生涯の中でも最も創造的な期間の1つと考えられている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "冬の間の悪天候はショパンの健康に深刻な影響を及ぼし、慢性的な肺の疾患から彼の生命を救うために一行は島を去らざるを得なくなる。愛用のフランス製のピアノは急な帰国の邪魔になった。そのような状況だったが、サンドはなんとかピアノをフランス人夫婦に売却した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "4人の一行はまずバルセロナへ、次にマルセイユへと向かい、そこで数か月滞在して回復を待った。1839年5月、彼らはサンドの別荘で夏を過ごすためにノアンを目指した。彼らは秋にはパリへ戻り、最初は離れて暮らした。ショパンはすぐに現在のパリ8区トロンシェ通り(rue Tronchet)5番地のアパートを離れ、現在の9区ピガル通り(rue Pigalle)16番地のサンドの家へ移り住んだ。4人はその住所で1839年の10月から1842年の11月まで一緒に暮らしたが、1846年まで夏季のほとんどはノアンで過ごした。彼らは1842年に現在のパリ9区スクワール・ドルレアン(Square d'Orléans)があるテブー通り(rue Taitbout)80番地に移り、隣同士の建物で暮らした。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "この時期にショパンがピアノ以外の楽器を演奏したという証拠がある。ナポリで急逝したテノール歌手のアドルフ・ヌリの遺体が埋葬のためにパリへ戻った際、その葬式でショパンはシューベルトのリート『天体 Die Gestirne』のオルガン編曲を演奏した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ノアンでの夏、特に1839年から1843年にかけてはショパンにとって静かながらも創造的な日々となり、そこで多くの作品を生み出した。ショパン作品の中でも有名な『英雄ポロネーズ Op.53』もそうした作品である。サンドはショパンの騒々しい創作の過程について記している。ショパンは情熱に溢れ、涙を流し、不平を口にしつつ、時には着想そのものまで覆してしまうほど多くの構想の見直しを行った。友人のドラクロワと過ごしていた、ノアンでのある午後のことである。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ショパンの病が進行するにつれて、サンドは彼の恋人というより看護師となっていった。サンドはショパンを自分の「3番目の子ども」と呼んでおり、その後の数年間は彼女はショパンとの交友関係を維持しつつも、しばしば第三者に宛てた手紙の中で彼に対する苛立ちを吐露していた。そうした手紙の中では、彼のことを「子ども」「小さな天使」「受難者」「愛しい小さな死人」などと記していた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "1845年、ショパンの病状が悪化を続ける中、彼とサンドの間に深刻な問題が生じた。1846年には彼女の娘のソランジュ(Solange)と若い彫刻家のオーギュスト・クレサンジェとの関係などの諸問題によって、2人の関係はますます険悪になった。サンドは1847年に小説『ルクレツィア・フロリアーニ Lucrezia Floriani』を出版した。主人公の裕福な女優と身体の弱い王子は、サンドとショパンのことを指すと解釈できる。サンドのゲラ刷りの校正を手伝ったショパンが、彼にとって失礼なこの話の内容を見逃すはずはなかった。1847年、彼はノアンを訪れなかった。共通の友人たちは2人を和解させようと試みたものの、ショパンが応じることはなかった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "そのような友人の1人にメゾ・ソプラノのポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルドがいる。サンドは1843年にヴィアルドをモデルに小説『コンシュエロ Consuelo』を執筆しており、三人はノアンで多くの時間を共に過ごした。ヴィアルドは著名なオペラ歌手だったが、元来ピアノで身を立てることを希望しておりリストとレイハに師事する優れたピアニストでもあった。彼女はショパンと互いに尊敬しあい、また気が合ったことから友人として付き合っていた。2人はしばしば共演することもあった。ショパンは彼女にピアノの技術的な助言を与え、彼女がショパンの『マズルカ』の旋律をもとに歌曲を作曲するのを手伝った。彼はお返しとして、ヴィアルドからスペインの音楽を直接知ることができた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "1847年、サンドとショパンの10年に及ぶ関係は静かに終わりを迎えた。なれそめから2人の恋路を見届けたヴォイチェフ・グジマワ伯爵はこう述べている。「もし(ショパンが)G.S. (ジョルジュ・サンド)に出会うという不幸に見舞われず、彼女にその生命を毒されなかったとしたら、彼はケルビーニの歳まで生きていただろうに」", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ショパンのヴィルトゥオーゾとしての一般からの人気は翳りを見せ、それに伴って弟子の数も減少した。1848年に彼はパリでの最後の演奏会を開く。パリでは革命が進行中だった4月、彼はロンドンへと旅立ちいくつかのコンサートを行って大規模な会場で大きな喝采を受けた。この演奏旅行は彼のスコットランド人の弟子で、時に秘書もこなしたジェーン・スターリングとその姉のキャサリン・エースキン(Katherine Erskine)の発案によるものだった。また、スターリングは必要な準備をすべて整え、必要経費を提供した。彼女はサンドとの別離の後、脱出できない鬱状態に陥ったショパンの支えとなった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "夏も終わりかけた頃、ショパンはスターリングに招かれて、スターリング家の者が所有するエディンバラ近郊のカルダー邸(Calder House)と居城(グラスゴーに程近いレンフルーシャーのジョンストンにあった)に滞在した。そうしているとスターリング嬢とショパンが間もなく婚約を発表するという噂が国を超えて広がったが、ショパンが彼女に恋愛感情を抱いていないことは明らかだった。エディンバラでは開業医のアダム・ウィシュツジニスキ(? Adam Łyszczyński)医師の住むワリストン街路(Warriston Crescent)10にも滞在しつつ、そこで医師の治療を受けた。ショパンはあまりにも弱っており、階段の上り下りでは医師またはその召使が彼を抱えなければならなかった。ショパンはエディンバラでは1度だけ演奏会を開いている。それはクイーン通りのホープトーン・ルームズ(Hopetoun Rooms 現エースキン邸)においてだった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "1848年10月の暮れ、ウィシュツジニスキ医師の家で、ショパンは最後の遺言をしたためた。「万一私がどこかで急死するようなことになったら、将来私の原稿は処分等がなされるように」と友人のヴォイチェフ・グジマワに宛てて書き送っている。スコットランドの寒い午後、スターリング嬢の城の中でショパンは母や姉と共にいる空想にふけり、祖国の地で民謡を題材とした自作曲を演奏する自分の姿を眼前に思い浮かべていた。1848年11月16日、彼はロンドンのギルドホールの演奏段上で最後の公開演奏を行った。それはポーランドの避難民の慈善演奏会だったが、彼の最後の愛国的行動となった。この時の彼の出演は善意からの失敗となってしまった。ほとんどの参加者はショパンのピアノ芸術よりもダンスや気晴らしを目的としており、ショパンはそれによって多大な労力を割いて身体的不快感を負ってしまったのである。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "11月の終わりにショパンはパリへ戻った。イギリス旅行はロンドンでのヴィクトリア女王の御前演奏など成功したものだったが、日程の厳しさから彼は体調を更に悪化させていた。冬の間、彼は絶え間なく病に苦しんでいたが、それでも友人に会うことを続け、病床のアダム・ミツキエヴィチを見舞ってピアノ演奏で彼の神経を和らげた。ショパンにはレッスンを行う体力はもはやなかったが、作曲への熱意は冷めていなかった。生活必要経費の大半と医師の診察代を払う金も不足するようになり、彼は価値のある家具や所有物を売り払わなければならなくなった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "2011年3月24日、ワルシャワのフレデリック・ショパン博物館が長く行方不明だったショパンの手紙を発見した。それらの手紙の日付は1845年から1848年とされており、彼の日常生活と『チェロソナタ』に関する記述がなされている。手紙は博物館で2011年4月25日まで展示されていた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ショパンは家族と共に居たいという思いを募らせた。1849年6月、姉のルドヴィカにパリへ出てきてもらう約束を取り付けた。同年9月には最後の住居となるヴァンドーム12の陽の当たるきれいなアパートに移り住んだ。それは以前はロシア大使館が入居していた物件で、7部屋を有する2階の賃料はショパンに払えるものではなかったが、ジェーン・スターリングが彼のためにそれを肩代わりした。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "10月15日になるとショパンの病状は一層深刻となり、彼を訪ねてくる多くの者は会うことを許されず、一握りの近しい友人のみが病床に寄り添った。この最期の2日間で彼らは2回ほどショパンが事切れたものと思ったが、彼は再び息を吹き返すことができた。ポトツカ夫人が見舞いに訪れており、病床の彼のために歌を歌っている。また、彼はポトツカ夫人にソナタを弾いてくれるよう頼み、神に大きな声で祈りをささげた。もっとも、その数日前には自分は神の存在を信じないからと、信仰告白を拒んでいた。彼はジョルジュ・サンドが自分に「私の腕の中で息を引き取らせあげる」と約束したのに、と不平を口にした。彼は紙片を要求し、そこにこう記した。「Comme cette terre m'étouffera, je vous conjure de faire ouvrir mon corps pour [que] je ne sois pas enterré vif.(土に押しつぶされるから埋葬しないで欲しい。生き埋めになりたくないんだ。)」。10月17日の深夜12時過ぎ、医師がショパンの身体に乗りかかってひどく苦しいかと尋ねた。「もう何も感じない」とショパンは答えた。そして午前2時を回る少し前、ショパンは息を引き取った。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ショパンの病とその死因は明らかになっておらず、そのため医学的な議論の的となってきた。死亡診断書では死因は肺結核とされている。一方でショパンの病気は他の疾患(たとえば遺伝子疾患の嚢胞性線維症など)とする説もある。しかし、現代の呼吸器治療と医療的支えのない19世紀において、嚢胞性線維症を抱えながら39歳まで生き延びることは事実上不可能という検討もさらになされ得る。ショパンが長く苦しんだ病についての総説が2011年に出版されている。文脈から事実を読み解くと、ショパンを苦しめた疾病は肺結核の可能性が高い。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "ショパンの最期を看取ることができなかった多くの人が、後になって「ショパンの最後に居合わせた」と主張するようになったと、タッド・シュルツ(? Tad Schulz)は記している。彼らは「歴史の証人になりたがっているようだ」。実際にショパンの死の床に付き添ったのは、姉のルドヴィカ、マルツェリーナ・チャルトリスカ公爵夫人、ソランジュとオーギュスト・クレサンジェ夫妻、ショパンの弟子で友人のアドルフ・グートマン、友人のトーマス・アルブレヒト(Thomas Albrecht)、信頼を置いていたポーランドのカトリック教会司祭のアレクサンダー・イェウォヴィツキ(Aleksander Jełowicki)神父だった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "夜が明けてから、クレサンジェはショパンのデスマスクを作り、また彼が傑作を生み出した左手の型を取った。彼の遺言に従い、葬儀の前に取り出された心臓は姉のルドヴィカによって祖国に持ち帰られ、クラコフスキ区の聖十字架教会のレオナルド・マルコーニ作のエピタフの下の柱に、コニャックと思しきアルコールに浸けられて収められた。そこにはマタイによる福音書6:21「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」が刻まれている。ショパンの心臓は第二次世界大戦中に避難のため持ち出された時を除き、その教会で眠っている。現在の教会は1944年のワルシャワ蜂起で大きく破壊されて再建されたものである。教会はショパンが最後に住んだポーランドの家であるクラコフスキ区5のクラジンスキ宮殿からすぐ近くのところにある。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "パリのマドレーヌ寺院で行われることになっていた葬儀は、準備が非常に凝ったものとなったため、ほぼ2週間も遅れて10月30日に行われることになった。予定が遅れたため通常なら出席不可能であるような人びとが大勢ロンドン、ベルリン、ウィーンから集まることができた。招待された参列者には多くのフランスの文学・貴族の名士らが名を連ねたが、音楽上の同胞たちは慎重に外された。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "モーツァルトの『レクイエム』が歌われることが、急遽決められた。これはショパンの遺言とも言われたが、友人のグートマンはショパンがそのようなことを頼んだことはなく、報道の自由から生まれた夢物語であるとしている。ショパンの死から葬儀の間までにパリでは彼にまつわる膨大な出版物が出回っており、その中のいくつかの創作が後に事実のように本に記載されていったようである。『レクイエム』は大部分が女声合唱によって歌われるが、マドレーヌ寺院は合唱隊に女性歌手が入ることを許可していなかった。しかし、教会は女性歌手を黒いベルベットのカーテンの奥に置くこととして、好意的に協力した。『レクイエム』のソリストは、ソプラノがジャナネ・カステラン(? Jeanne-Anais Castellan)、メゾソプラノがショパンとサンドの友人だったポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド、テノールがアレクシス・デュポン、バスがハイドンやベートーヴェン、ヴィンチェンツォ・ベッリーニの葬儀でも歌ったルイージ・ラブラーケである。また、ショパンの『前奏曲集』から第4番 ホ短調と第6番 ロ短調が演奏された。葬儀には3,000人近くが参列したが、その中にジョルジュ・サンドの姿はなかった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "葬送の行進は町の中央のオペラ座の隣にある教会から始まり、ショパンが埋葬を希望していた街の東の端のペール・ラシェーズ墓地までの非常に長い距離にわたった。葬列を先導したのはポーランドの大移民の長だった年老いたチャルトリスキ公であり、芸術家たち(ウジェーヌ・ドラクロワやチェリストのオーギュスト・フランショーム、ピアニストのカミーユ・プレイエル(Camille Pleyel)など)が交代で担いだ棺のすぐ後ろには、姉のルドヴィカがいた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "埋葬の際には、その横でナポレオン・アンリ・ルベールの管弦楽編曲によるショパンの『葬送行進曲』が演奏された。このことについて、参列していたジャコモ・マイアベーアは後年、自分が編曲者として選ばれなかったことに失望したと述べている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "ショパンの墓石はオーギュスト・クレサンジェが設計・製作したもので、音楽のムーサのエウテルペーが壊れたリラの上で涙を流す姿をかたどったものである。葬儀と碑の製作にかかった費用は合計5,000フランだったが、姉のルドヴィカがワルシャワへ戻る渡航費用も含めて、全てはジェーン・スターリングが負担した。スターリングはその後長い間、黒衣に身を包み喪に服していた(生涯そうしていたとする文献もある)。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "ショパンの墓には多くの人が訪れ、冬場でも捧げられる多くの花が絶えることはない。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "生涯を通じて肺結核に悩まされた病弱の芸術家として有名であり、残された肖像画などからも、赤みがかった頬などその徴表が見られる。しかしそうした繊細なイメージとマッチした作風の曲ばかりでなく、自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや、大国ロシア帝国に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、情熱的な作風の曲も多く見られる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "幼少の頃からいろいろな面で才能を発揮し、ユーモアにあふれ、ものまねと漫画を描くのも得意で学校ではクラスの人気者だったという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "後半生は大部分をフランスで過ごしたが、望郷の思いは終生已まず、死後遺言により心臓がポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」(シューマン)と評されることもある。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "女性との愛の遍歴も伝説を交えて語られることがあるが、特に年上の女流作家ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際の間には『24の前奏曲集』『幻想曲』『バラード第4番』『英雄ポロネーズ』『舟歌』『幻想ポロネーズ』など多くの傑作が生まれた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ピアノの技術革新の時代に生きたショパンは新しい演奏技術の開拓に果敢に挑み、自身の練習の意味も込めて『練習曲集』(『3つの新練習曲』を除く12曲)を2つ編んだ。一方で古典の作曲家への敬意は強く(実際ショパンは自身がロマン派に属するという考えを否定した)、特にバッハとモーツァルトは彼の作品に影響を及ぼした。例えば『24の前奏曲集』は5度循環で24の全長短調を経る小品集だが、これはバッハの『平均律クラヴィーア曲集・24の前奏曲とフーガ』を意識したものである。また心を落ち着けるためにバッハの平均律をしばしば好んで弾いた。『前奏曲作品28』を作曲したマヨルカ島に持っていった印刷された楽譜は、バッハの平均律クラヴィーア曲集のみだったという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "同時代の有名な作曲家で評論家でもあったシューマンとは違い、批評活動は全く行わず、音楽作品と文筆作品(ことに詩)との融合にもあまり積極的ではなかったという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "性格が激しく、それ故にしばしば欲求不満に陥ることもあったらしい(例えば1830年にウィーンに来た時の、一般の音楽的嗜好が浅薄なものだったことに対して)。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "写真は2枚残されており、1846年の写真は損傷が激しい。もう1枚は、死の直前にルイ=オーギュスト・ビソン(英語版)によって撮られたものである。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "2011年3月にショパンの死後撮影された写真を発見したとポーランドの写真収集家が発表した。この写真には、ベッドに仰向けに横たわるショパンの横顔が写されており、ビソンの署名がある。しかし、ショパン博物館の学芸員・パリのポーランド図書館の写真専門家・ショパン研究家の3者は、この写真を偽造としている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "2017年1月にスイスの物理学者アラン・コーラーによる新たな写真の発見が発表された。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "ショパンの書簡については、作品同様に戦乱によってその大部分が消失していること、ティトゥス・ヴォイチェホフスキ(英語版)ら一部の友人及びモーリッツ・カラソフスキ(ポーランド語版)ら後世のポーランドの伝記作家が国粋主義的な動機から改竄を加えたことなどから、友人による写しなどソースが怪しいものが多く、それらにもとづく虚実不明のエピソードが現在に至るまで流布している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "代表的な事例として、第二次大戦直後にポーランドの音楽研究家パウリーナ・チェルニツカが、ショパンがデルフィヌ・ポトツカ伯爵夫人に書いたという大量の書簡を公表した、というケースがある。これらにはショパンの私生活に対する言及や彼の音楽思想、他の音楽家に対する批評が多く含まれていたため議論を巻き起こした。彼女は原本の公開を拒否したまま謎の自殺を遂げたが、現在では(一部に議論はあるが)少なくとも大部分が彼女による偽作とされている。1950-60年代に書かれた伝記などにはこれらの書簡を引用したものが多い。ちなみに、ショパンがポトツカ伯爵夫人に書いた本物の手紙は一点のみ現存している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "ショパンは、多くのピアノ作品を残したが、その中には未知の作品や、原稿消失作品が複数あることが確認されている。出版されている作品についても、戦乱により自筆譜が失われているものが多い。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ショパンの作品にはいろいろと逸話のあるものが多く、それらの中にはきちんと確証の持てないものも多い。サブタイトルは、ショパンが曲にタイトルを付けることを好まなかったため、ほとんどはショパン自身によるものではない。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "ショパンは、遺言で自分の未出版作品の破棄を希望していたが、その希望は受け入れられず、友人でもあったユリアン・フォンタナをはじめとするショパン研究者によって出版された。主な遺作には、『幻想即興曲』『レント・コン・グラン・エスプッレシオーネ 嬰ハ短調(夜想曲 第20番)』などがある。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "フォンタナは、ショパンの原稿を整理し、また作曲年代に関係なく作品番号を付けて出版した。遺作にあたる作品66から74は、フォンタナによって付けられた作品番号である。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "なおショパンの作品の分類番号は2つある。KK(クリスティナ・コビラィンスカによる作品番号のついていない作品)とBI(モーリス・ブラウンによる作品分類番号)の2つである。ヤン・エキエルは、彼自身が編纂しているナショナル・エディション(ショパン全集)の中で、作品番号の付いていない作品に限って、WN(Wydanie Narodowe = ナショナル・エディション)というエキエル独自の作品分類番号を記している。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "有名なものとして、いくつかの楽曲にオーケストレーションを施してまとめた数種のバレエ音楽がある。", "title": "作品" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "ワルシャワ在住時にショパンが作曲と演奏に使っていた楽器は、ブッフホルツ製のピアノであった。この楽器については、2018年にポール・マクナルティが復元楽器を製作し、ワルシャワ大劇場で公開演奏されたほか、ショパン研究所主催の第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで使用されたことが知られている。", "title": "楽器" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "ショパンはその後、ワルシャワを離れたパリ在住時に、プレイエルから楽器を購入した。彼はプレイエルのピアノを、「ノン・プルス・ウルトラ」(極致!)と評価している。パリでショパンと交友関係にあったリストは、ショパンのプレイエルの音を「クリスタルと水の結婚」のようだと述べている。", "title": "楽器" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "また1848年にロンドンに滞在していたショパンは、自分のピアノ3台について「大きな応接間にはピアノが3台あり、プレイエル1台、ブロードウッド1台、エラール1台がある。」と手紙に記している。", "title": "楽器" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "ポーランド音楽出版社(パデレフスキ版およびエキエル版)やヘンレ社やペータース社などの原典版楽譜では、ショパン自筆の楽譜と、フォンタナやその他の編集者による楽譜が掲載されており、比較することができる。", "title": "楽譜" } ]
フレデリック・フランソワ・ショパンは、ポーランド出身の、前期ロマン派音楽を代表する作曲家。当時のヨーロッパにおいてもピアニストとして、また作曲家としても有名だった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、ピアノの詩人とも呼ばれるようになった。様々な形式・美しい旋律・半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いていった。夜想曲やワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが多い作曲家の一人である。また、母国ポーランドへの強い愛国心からフランスの作曲家としての側面が強調されることは少ないが、父の出身地で主要な活躍地だった同国の音楽史に占める重要性も無視できない。 1988年からポーランドで発行されていた5,000ズウォティ紙幣に肖像が使用されていた。また、2010年にもショパンの肖像を使用した20ズウォティの記念紙幣が発行されている。2001年、ポーランド最大の空港「オケンチェ空港」が「ワルシャワ・ショパン空港」に改名された。
{{redirect|ショパン}} {{Infobox Musician <!-- プロジェクト:音楽家を参照 --> | 名前 = フレデリック・ショパン<br>Frédéric Chopin | 画像 = Frédéric Chopin by Bisson, 1849.png | 画像説明 = 1849年に撮影されたショパン([[ダゲレオタイプ]]) | 画像サイズ = 200px | 背景色 = classic | 出生名 = フレデリック・フランソワ・ショパン<br>([[フランス語|仏]]:Frédéric François Chopin)<br>フリデリク・フランチシェク・ショペン<br>([[ポーランド語|波]]:Fryderyk Franciszek Chopin) | 別名 = ピアノの詩人 | 出生 = 1810年3月1日(異説あり)<br>{{POL1807}}、[[ジェラゾヴァ・ヴォラ]] | 死没 = {{死亡年月日と没年齢|1810|3|1|1849|10|17}}<br>{{FRA1870}}、[[パリ]] | 学歴 = ワルシャワ音楽院 | ジャンル = [[ロマン派音楽]] | 職業 = [[作曲家]]<br>[[ピアニスト]] | 担当楽器 = [[ピアノ]] | 活動期間 = [[1817年]] - 1849年 | 時代区分 = [[ロマン派]] }} {{Portal クラシック音楽}} [[Image:Chopins Unterschrift.svg|thumb|right|200px|ショパンの署名]] '''フレデリック・フランソワ・ショパン'''({{lang-fr-short|'''Frédéric François Chopin'''}} 、{{lang-pl|'''Fryderyk Franciszek Chopin'''<ref name="nazwisko" group="注釈">姓のショパンについては、ショパンと同時代のポーランド語文献では {{lang|pl|Szopę}} (Chopin) というポーランド語式発音綴りと仏語式綴りの併記が多く見られ({{lang|pl|ę}} {{IPA|ɛɰ̃}} は鼻母音)[http://pl.chopin.nifc.pl/chopin/places/poland/id/628]、近世以降はポーランド語化が進み[[格変化]]をもつ Szopen という綴りが Chopin と共に一般的だった。</ref>|フリデリク・フランチシェク・ショペン}}<ref name="wymowa" group="注釈">[[国際音声記号]]による発音表記は {{IPA|frɨˈdɛrɨk franˈt͡ɕiʂɛk ʂɔˈpɛn}} 。</ref> 、生年未詳([[1810年]][[3月1日]]または[[2月22日]]、[[1809年]]説もあり<ref group="注釈">[[:pl: Maurycy_Karasowski|モーリッツ・カラソフスキ]]『ショパンの生涯と手紙』の第2章冒頭で述べられている説である。[https://polona.pl/item/friedrich-chopin-sein-leben-seine-werke-und-briefe-bd-1,ODk0MjAxODY/32/#info:metadata ドイツ語版](1877年出版)、[https://polona.pl/item/fryderyk-chopin-zycie-listy-dziela-t-1,ODQ5MTA1MDk/32/#info:metadata ポーランド語版](1882年出版)、[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/981187 日本語版]([[柿沼太郎]]訳、1923年)</ref>) - [[1849年]][[10月17日]])は、[[ポーランド]]出身の、前期[[ロマン派音楽]]を代表する[[作曲家]]。当時のヨーロッパにおいても[[ピアニスト]]として、また作曲家としても有名だった。その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、'''ピアノの詩人'''<ref group="注釈">フランス語 le poète du piano、ポーランド語 poeta fortepianu、英語 the poet of the piano、ドイツ語 der Poet am Klavierなど。</ref>とも呼ばれるようになった。様々な形式・美しい旋律・半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開いていった。[[夜想曲]]や[[ワルツ]]など、今日でも彼の作曲したピアノ曲は[[クラシック音楽]]ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられることが多い作曲家の一人である。また、母国ポーランドへの強い愛国心から[[フランス]]の作曲家としての側面が強調されることは少ないが、父の出身地で主要な活躍地だった同国の音楽史に占める重要性も無視できない。 [[1988年]]からポーランドで発行されていた5,000[[ズウォティ]]紙幣に肖像が使用されていた。また、[[2010年]]にもショパンの肖像を使用した20ズウォティの[[記念貨幣|記念紙幣]]が発行されている。[[2001年]]、ポーランド最大の空港「オケンチェ空港(Port lotniczy Warszawa-Okęcie)」が「[[ワルシャワ・ショパン空港]]」に改名された。 == 略歴 == * [[1810年]] - 0歳:[[ワルシャワ公国]]中央の[[ジェラゾヴァ・ヴォラ]]に生まれる。 * [[1816年]] - 6歳:[[ヴォイチェフ・アダルベルト・ジヴヌィ|ヴォイチェフ・ジヴヌィ]]の指導を受ける。 * [[1817年]] - 7歳:ジヴヌィよりピアノを習う。現存する最初の作品『[[ポロネーズ第11番 (ショパン)|ポロネーズ ト短調]]』を作曲・出版。 * [[1818年]] - 8歳:ワルシャワではじめて公開演奏。 * [[1823年]] - 12歳:[[ユゼフ・エルスネル]]より[[対位法]]・[[和声学]]を学ぶ。 * [[1826年]] - 16歳:父親の勧めでワルシャワ音楽院に入学<ref name=deagostini />。 * [[1828年]] - 18歳:[[ベルリン]]に2週間滞在。 * [[1829年]] - 19歳:ワルシャワ音楽院を首席で卒業。ウィーンで演奏会を開く。 * [[1830年]] - 20歳:ワルシャワを去りウィーンへ向かう。 * [[1831年]] - 21歳:ウィーンを去りパリへ向かう。デルフィヌ(デルフィナ)・ポトツカ夫人と再会。 * [[1832年]] - 22歳:[[2月26日]]、パリでの初の演奏会を開く。 * [[1835年]] - 25歳:[[カルロヴィ・ヴァリ|カールスバート]]で両親と最後の再会。マリア・ヴォジンスカとも再会。 * [[1836年]] - 26歳:マリアに求婚。[[ジョルジュ・サンド]]と出会う。 * [[1837年]] - 27歳:マリアとの婚約が破棄される。 * [[1838年]] - 28歳:サンドとの交際が始まる。[[マヨルカ島]]に滞在。 * [[1839年]] - 29歳:冬はパリ、夏は[[ノアン=ヴィック|ノアン]]のサンドの別荘で暮らす生活が始まる。 * [[1844年]] - 34歳:冬、インフルエンザにかかる。 * [[1847年]] - 37歳:ジョルジュ・サンドとの別れ。 * [[1848年]] - 38歳:2月26日、パリでの最後の演奏会。[[イギリス]]へ演奏旅行。 * [[1849年]] - 39歳:姉、ルトヴィカと最後の再会。[[10月17日]]、永眠。 == 生涯 == === 幼少期 === [[image:Mikołaj Chopin.jpg|thumb|right|100px|父・[[ニコラ・ショパン|ニコラ]]。[[1829年]]。ミエロシェウスキ<ref name=ambrozy group="注釈">[[1802年]]生まれ。ポーランドの画家。ショパンの肖像画で知られる。([[:en: Ambroży Mieroszewski|Ambroży Mieroszewski]])</ref>作。]] [[image:Justyna Chopin.jpg|thumb|right|100px|母・ユスティナ]] ショパンの父親は[[ニコラ・ショパン]]といい、[[ロレーヌ地域圏|ロレーヌ]]から[[1787年]]に16歳で[[ポーランド]]に移住してきたフランス人だった。[[1794年]]の[[コシチュシュコの蜂起]]で、彼はワルシャワの市民兵として戦いに加わり、副官へ昇格した。彼のフランスで受けた洗礼名はニコラ(''Nicholas'')だったが、ポーランドではポーランド風の名前を名乗ることにし、ミコワイ(''Mikołaj'')とした。元来外国人だった彼だが、時とともに完全にポーランドに馴染んだ。ポーランドの歴史家・公文書保管人のワパチンスキ(Łopaciński)によれば、彼は「自分のことをポーランド人と考えて疑うことがなかった」という<ref name="chopin"/>。 フランス語が堪能だったニコラは知られる存在となり、貴族の家庭教師をするようになった<ref>小坂 p7.</ref>。その中にはスカルベク(Skarbeks)がおり、ニコラはその遠い親戚であるユスティナ・クシジャノフスカ(Justyna Krzyżanowska)と結婚した<ref name="biograficzny"/>。彼女は[[シュラフタ]](ポーランド貴族)の娘だったが、地位を失いスカルベク家に住み込んで[[侍女]]をしていた。二人の結婚式は[[16世紀]]のブロフフ<ref group="注釈">ポーランド中央東寄り、[[マゾフシェ県]]、ソハチェフ群の村。ワルシャワより52kmの位置にある。([[:en: Brochów, Masovian Voivodeship|Brochów]])</ref>の教区の聖ロフ教会で、[[1806年]][[6月2日]]に執り行われた。ユスティナの兄弟には、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[南北戦争]]で[[北軍]]の[[准将]]を務めることになる{{仮リンク|ヴォジミエシュ・クシジャノフスキ|en|Włodzimierz Krzyżanowski}}がいた<ref name="Wladimir B. Krzyzanowski"/><ref name="rzeczpospolita"/>。 フレデリック・ショパンは夫妻の2人目の子供として生まれた{{refnest|group="注釈"|name=ludwika|ショパンには3人の姉妹、姉のルドヴィカ、妹のイザベラとエミリアがいた<ref>小坂 p10.</ref>。特に姉のルドヴィカ([[1807年]][[4月6日]] - [[1855年]][[10月29日]])とは仲がよく、読み書きやピアノを彼女から教わった<ref name= pl />。2人は終生仲睦まじく書簡を交わし、ショパンは彼女が『[[ピアノ協奏曲第2番 (ショパン)|ピアノ協奏曲第2番]]』を練習するために『[[夜想曲第20番 (ショパン)|夜想曲第20番]]』を作曲した。ルドヴィカはショパンの臨終に立ち会い<ref name="bio">[[:en: Zdzisław Jachimecki|Zdzisław Jachimecki]], "Chopin, Fryderyk Franciszek", ''[[:en: Polski słownik biograficzny|Polski słownik biograficzny]]'', vol. III, 1937, p. 424.</ref>、遺言に従い彼の心臓をパリからポーランドに持ち帰った。}}。彼は当時[[ワルシャワ公国]]だったワルシャワから西に46kmの地点にある[[ジェラゾヴァ・ヴォラ]]村で生まれた。[[1892年]]に発見された教区の洗礼記録によると、彼の生年月日は[[1810年]][[2月22日]]となっているが<ref name="baptism" group="注釈">ブロフフの聖ロフ教会のショパンの洗礼記録(ラテン語表記、[[4月23日|4月23日付]])では、ショパンの生まれた日は[[2月22日]]とされている。[http://diaph16.free.fr/chopin//actenaissancechopin.png]</ref>これは本人やその家族の主張する[[3月1日]]という日付より一週間早い<ref name="chopin.pl biography" />。ショパンが[[1833年]][[1月16日]]にパリのポーランド文学協会(Polish Literary Society)の議長に宛てた書簡には、彼が「[[1810年]][[3月1日]]にマゾフシェ県のジェラゾヴァ・ヴォラ村で生まれた」と記されている<ref name="hedley"/>。 ショパンは1810年[[4月23日]]の[[イースター|復活祭]]の日曜日、両親が結婚式を挙げたのと同じブロフフの教会で洗礼を受けた。登記簿には彼の名前はラテン語表記で''Fridericus Franciscus''<ref name="baptism" group="注釈"/>、ポーランド語表記で''Fryderyk Franciszek''と記されている。彼の[[代父母|代父]]となったフレデリック・スカルベク([[:en: Fryderyk Skarbek|Fryderyk Skarbek]])は後に監獄を改修する仕事<ref group="注釈">監獄を改修し、より刑罰に適した環境に造り変える仕事。([[:en: Prison reform|Prison Reform]])</ref>に従事し、第二次世界大戦で悪名をとどろかせた[[パヴィアク刑務所]]の設計に携わった。また彼は第二次世界大戦で[[イギリス]]の特殊作戦執行部<ref group="注釈">戦時経済担当大臣([[:en: Minister of Economic Warfare|Minister of Economic Warfare]])のヒュー・ダルトン([[:en: Hugh Dalton|Hugh Dalton]])によって組織された部隊。[[スパイ]]、[[破壊活動|サボタージュ]]、[[枢軸国]]の偵察、各地の抵抗運動への協力を行っていた。</ref>に所属していたクリスティナ・スカルベク([[:en: Krystyna Skarbek|Krystyna Skarbek]])の曽祖おじにあたる。代父の息子のヨーゼフ・スカルベクは、かつてショパンと婚約関係にあったマリア・ヴォジンスカ([[:pl:Maria Wodzińska|Maria Wodzińska]])と[[1841年]]に結婚する。 <gallery widths="100px" heights="80px"> File:Poland Zelazowa Wola.jpg|ショパンの生家<ref group="注釈">[[ジェラゾヴァ・ヴォラ]]村にある[[伯爵]][[マリア・ヴァレフスカ|ウォンチニスキ家]](Łączyński)の[[マナー・ハウス]]。ポーランド国立ショパン博物館分館。</ref> File:Church of Saint Rocha and Saint Jana Chrzciciela in Brochow.jpg|聖ロフ教会<ref group="注釈">ブロフフ村。ここでショパンの両親が結婚し、またショパンが[[幼児洗礼]]と[[堅信礼]]を受けた。</ref> File:Brochow Chopin3.JPG|教会内部<ref group="注釈">「この聖域において、[[ジェラゾヴァ・ヴォラ]]村で[[1810年]][[2月22日]]誕生のフレデリック・ショパンが[[1810年]][[4月23日]]に洗礼を受けた」</ref> File:Brochow Chopin2.JPG|教会内部<ref group="注釈">写真はショパンが[[洗礼]]を受けたときにも使われた[[聖水|聖水盤]]。</ref> File:Fridericus Franciscus Choppen.jpg|ショパンの洗礼記録 </gallery> 1810年10月、ショパンが7か月の時、{{仮リンク|サムエル・リンデ|en|Samuel Linde}}<ref group="注釈">ポーランドの言語学者・司書・辞書編集者。ワルシャワ中等学校の校長だった。</ref>が父に{{仮リンク|ワルシャワ中等学校|en|Warsaw Lyceum}}<ref group="注釈">[[1804年]]開校のワルシャワの[[中高一貫校|セカンダリー・スクール]]。[[1830年]]の[[11月蜂起]]の後、[[ロシア帝国]]に閉鎖された。</ref>で[[フランス語]]を教えないかと持ちかけ、承諾した父と共に家族はワルシャワに移住した。中等学校は[[サスキ宮殿]]<ref group="注釈">[[1666年]]建造。[[1944年]]の[[ワルシャワ蜂起]]の後のドイツ軍による計画破壊([[:en: Planned destruction of Warsaw|Planned destruction of Warsaw]])で[[アーケード (建築物)|アーケード]]のみ残して消滅した。</ref>内にあり、ショパン一家は宮殿の庭園に住むことになった。サスキ宮殿は[[1817年]]に[[コンスタンチン・パヴロヴィチ]]によって軍用地として徴収され、中等学校は[[カジミェシュ宮殿]]<ref group="注釈">[[1660年]]建造。サスキ宮殿同様の経緯で[[1944年]]に破壊されたが、[[2006年]]に[[欧州連合|EU]]の基金などによって再建された。</ref>へ移動を余儀なくされた<ref name="nifc"/>。カジミェシュ宮殿には新たに設立された[[ワルシャワ大学]]も入居していた。ショパン一家は隣接する建物の二階で広々と暮らすことになった。ショパンもワルシャワ中等学校に[[1823年]]から[[1826年]]にかけて通った。 ポーランドの精神・習慣・言葉はショパンの家庭に浸み込んでおり、ショパンはパリに出てからもフランス語を完全には自分のものにできなかった<ref name="wrjnnn"/><ref name="extraordinary" group="注釈">「言葉は父から子に共通していた別の問題である。自らの出自を隠し、自分がポーランド人であることを示そうとしたニコラは、敵の前線に潜入したスパイの如く慎重であった。彼はポーランドで生まれた子どもたちに、自分のフランスの家族のことを1度も話さなかったようである。フランス語は貴族にとっては『[[リングワ・フランカ]]』(共通語)であり、ニコラが他人の子息に教えるものではあったが、自分の子どもには教えなかったのである(中略)結果としてフレデリックのフランス語文法と綴りの把握はおぼつかないものとなった。並外れた『耳』と幼い頃のずば抜けた物真似を褒められていた自分物としては驚くべきことだが、彼の発音もまた貧弱なものであった。より印象的なのは、彼が取り入れた言葉に居心地の悪さを感じていたということだった。フランス人とのハーフで、移民天国であるパリに住みながら、ショパンは常に2重の疎外感を覚えていた。祖国と母語からの疎外感である。外国語という檻の中に閉じ込められたショパンにとって、音楽の持つ表現力が自分を解き放ってくれるものだったのである」Benita Eisler, ''Chopin's Funeral'', Abacus, 2004, p. 29.</ref>。伝記作家のルイ・エノー<ref group="注釈">フランスのジャーナリスト・小説家。[[1824年]]、[[カルヴァドス県]]、イジニ・シュール・メール([[:en: Isigny-sur-Mer|Isigny-sur-Mer]])生まれ。([[:fr: Louis Énault|Louis Énault]])</ref>はジョルジュ・サンドの言葉を借りて、ショパンは「ポーランドよりもポーランド的」と評している<ref name="Music Through the Ages – A Narrative for Student and Layman" group="注釈">「ショパンは半生をパリで過ごしながらもポーランド人の性質を持ち続けており、『孤独な魂』であった。伝記作家のルイ・エノール(Louis Enault)はこう述べている。『スラヴ人は自らを快く貸しはするが、与えはしない。ショパンはポーランドよりもポーランド人的である。』」{{cite book|url=https://books.google.co.jp/books?id=kjJr5JcbH90C&pg=PA248&lpg=PA248&dq=george+sand+chopin+%22more+polish%22&redir_esc=y&hl=ja|title=Music Through the Ages – A Narrative for Student and Layman|publisher=Google Books|page=248|date=March 2007|accessdate=14 February 2010|isbn=978-1-4067-3941-1|author1=Bauer, Marion}}</ref>。 ショパンの家族は皆音楽の才能に恵まれていた。父ニコラは[[フルート]]と[[ヴァイオリン]]を演奏できた。母ユスティナは[[ピアノ]]に長けており、一家で切り盛りしていた[[エリート]]の寮で寮生の少年たちに指導をしていたので、<ref name="wrjnnn" /><ref name="woyciechowski" group="注釈">「両親の寮の下宿生のうち4人が、彼の親友となった。ティトゥス・ヴォイチェホフスキ、ヤン・ビャウォブウォツキ、ヤン・マトゥシンスキと[[ユリアン・フォンタナ]]である。彼は(後に)後者2人とはパリでの生活を共にすることになる」[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]], ''Chopin in Paris'', pp. 41–42.「Tytus Woyciechowskiは最も重要な人物で(中略)[[1827年]]にBiałobłockiが結核で死亡してからは、フレデリックは彼を生涯で唯一の最大の信頼を寄せる腹心の友としたのである」Tad Szulc, ''Chopin in Paris'', p. 42.</ref>ショパンは幼い頃から様々な音楽に親しむことができた<ref name="wrjnnn" />。 [[image:Ludwika Chopin.jpg|thumb|right|100px|姉・ルドヴィカ]] [[image:Izabela Chopin.jpg|thumb|right|100px|妹・イザベラ]] [[image:Wojciech Żywny, Ambroży Mieroszewski.jpg|thumb|right|100px|指導者・[[ヴォイチェフ・アダルベルト・ジヴヌィ|ジヴヌィ]]]] ショパンと同時代の音楽家の{{仮リンク|ユゼフ・シコルスキ|pl|Józef Sikorski}}<ref group="注釈">[[1813年]]生まれ。音楽活動・音楽評論活動などを行った。</ref>の著書『ショパンの想い出 ''Wspomnienie Chopina''』によると、幼いショパンは母が弾くピアノを聴いて感極まって涙を流したという。彼は6歳にして、耳にした旋律を再現しようとしたり、新たなメロディーを作ろうとしたりした<ref name="rjsfih"/>。しかし、ショパンに最初にピアノを教えたのは母ではなく、姉のルドヴィカ<ref name=ludwika group="注釈"/>だった<ref name = "wrjnnn"/>。 ショパンが本格的にピアノを習ったのは[[1816年]]から[[1822年]]、指導者はチェコ人の[[ヴォイチェフ・アダルベルト・ジヴヌィ|ヴォイチェフ・ジヴヌィ]]だった<ref name="polemb"/>。若きショパンの実力はあっという間に師匠を超えてしまったが、ショパンは後年ジヴヌィを高く評価していた。わずか7歳の「ショパン少年 ''Szopenek''」は公開演奏を行うようになり、瞬く間に[[神童]][[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]や[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]と比較されるようになっていった<ref name="wrjnnn" />。 同年、7歳のショパンはト短調と変ロ長調の2つの『[[ポロネーズ]]』を作曲した。前者は老イジドル・ユゼフ・チブルスキ<ref group="注釈">Izydor Józef Cybulski; 彫刻師・作曲家・オルガン学校の校長で、ポーランドで数少ない音楽出版業を営んでいた</ref>の印刷工房で刷られ、出版された。後者は父ニコラが清書した原稿の状態で見つかっている。これらの小品はワルシャワの先導的作曲家たちの人気の『小ポロネーズ』のみならず、ミヒャウ・オジンスキ<ref group="注釈">ポーランドの作曲家・外交官・政治家。[[スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ|スタニスワフ・ポニャトフスキ王]]に仕え、為政を支えた。([[:en: Michał Kleofas Ogiński|Michał Kleofas Ogiński]])</ref>の有名な『大ポロネーズ』にも匹敵する作品と言われた。この後の旋律・和声・ピアノ奏法の創意工夫は、知られている次の『[[ポロネーズ第13番 (ショパン)|ポロネーズ 変イ長調]]』に明らかである。この曲は[[1821年]]に[[聖名祝日]]の贈り物としてジヴヌィに捧げられた<ref name="wrjnnn" />。 幼少期の知的好奇心旺盛なショパンは、まるで乾いたスポンジのように何でも吸収し、それを発展させるためならば何でも利用した。彼は早くから観察とスケッチ、鋭いウィットとユーモアの感性に能力を示し、ものまねにも才能を持っていた<ref name="wrjnnn" />。 この頃、11歳のショパンは、議会(セイム)の開会のためにワルシャワに来ていた[[ロシア帝国|ロシア]]の皇帝[[アレクサンドル1世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル1世]]の御前で演奏を披露した<ref name="rjsfih" />。また、[[ポーランド立憲王国]]の[[副王]]だった[[コンスタンチン・パヴロヴィチ]][[ロシア大公|大公]]の息子の遊び相手としてベルヴェデール宮殿<ref group="注釈">[[1660年]]建造。[[1818年]]以降、パヴロヴィチの住居になっていたが、彼は[[11月蜂起]]で追放される。([[:en: Belweder|Belweder]])</ref>に時々招かれ、ピアノを弾いて怒りっぽい副王を魅了した<ref name="wrjnnn" />。 ユリアン・ニームチェヴィツ<ref group="注釈">[[ベラルーシ]]生まれのポーランドの詩人・劇作家・政治家。中級貴族の御曹司であり、[[アダム・カジミェシュ・チャルトリスキ]]の側近として仕えた。([[:en: Julian Ursyn Niemcewicz|Julian Ursyn Niemcewicz]])</ref>は、劇的[[エクローグ]]『我らの交わり ''Nasze Verkehry''』([[1818年]])の中で、8歳のショパン少年を対話の題材に据えて、その人気の高さについて証言している<ref name="wrjnnn" />。 [[1820年代]]、ワルシャワ中等学校とワルシャワ音楽院に通っていたショパンは、休暇の度にワルシャワから離れて過ごすようになった。[[1824年]]と[[1825年]]にはシャファルニャ{{refnest|group="注釈"|ポーランド中央北寄り[[クヤヴィ=ポモージェ県]]の村([[:en:Szafarnia, Kuyavian-Pomeranian Voivodeship|Szafarnia]])。ショパンは級友のドミニク家に招かれここを訪れた。<ref name="nifc1" />。}}、[[1826年]]にはバート・ライネルツ(現:[[:w:Duszniki-Zdrój|ドゥシュニキ・ズドルイ]])<ref group="注釈">現在のポーランド南西部[[ドルヌィ・シロンスク県]]、[[チェコ]]との国境に位置する、[[19世紀]]初頭にこの地方で栄えた[[温泉]][[リゾート]]の町。当時は[[プロイセン|プロイセン領]]。若きショパンも温泉を目指して訪れた。[[1826年]]には2度の[[チャリティー|チャリティーコンサート]]を開催し、チケット売り上げの全額を孤児支援基金に寄付した。現在では世界最大のショパン祭り[http://www.international.chopin.festival.pl/start.php]が毎年開かれている。([[:en:Duszniki-Zdrój|Duszniki-Zdrój]])</ref>、[[1827年]]には[[ポメラニア]]、[[1828年]]にはサンニキ<ref group="注釈">ポーランド中央、[[マゾフシェ県]]の村。ワルシャワから西に約79km。([[:en: Sanniki, Masovian Voivodeship|Sanniki]])</ref>を訪れた<ref name="muzykowanie"/>。 休暇で訪れたシャファルニャ村やその他の町では、ショパンは民謡に触れた。この経験は後になって彼の作品へと形を変える。シャファルニャから彼の家に送られた長い手紙{{refnest|group="注釈"|これらは「シャファルニャ通信」と題された、新聞形式の手紙である。少なくとも6通が作成されたことがわかっており、うち4通は自筆原本が残っている<ref name=all33>全書簡 p33.</ref>。}}は、時代を反映した活き活きとしたポーランド語で綴られており、ワルシャワの新聞のパロディ{{refnest|group="注釈"|ショパンが想定していたのはクリエル・ヴァウシャフスキ紙であり、その書体・体裁を模して書かれている<ref name=all33 />。}}として仕立てられたその手紙は大いに家族を楽しませた。 <gallery widths="100px" heights="80px"> File:Szafarnia Manor Hause.jpg|シャファルニャ<ref group="注釈">[[1824年]]・[[1825年]]にショパンが滞在した。写真はシャファルニャの[[マナー・ハウス]]。</ref> File:Duszniki - muzeum.JPG|[[ドゥシュニキ・ズドルイ]]村<ref group="注釈">[[温泉]][[リゾート]]。ショパンは[[1826年]]に訪れた。</ref> File:UW Gmach Porektorski bok.JPG|ショパンの住居<ref group="注釈">ショパンがワルシャワに移って最初に住んだ家。[[ワルシャワ大学]]の構内だった。現在はワルシャワ大学東洋学部日本学科が入っている。</ref> </gallery> {{-}} === 教育 === [[File:Józef Elsner.PNG|thumb|right|100px|[[ユゼフ・エルスネル]] [[1853年]]以降]] ショパンは13歳になるまで家庭でジヴヌィから指導を受けており、[[1823年]]のワルシャワ学院入学後もその関係は続いた。[[1825年]]には演奏会で[[イグナーツ・モシェレス]]の曲を弾くとともに[[即興演奏]]で聴衆を魅了し、「ワルシャワで最高のピアニスト」と絶賛された<ref name="wrjnnn" />。 ショパンは[[1826年]]に[[シレジア]]出身の作曲家[[ユゼフ・エルスネル]](エルスナーなどと表記されることもある)の指導の下、ワルシャワ音楽院で3年の教育課程に入った。{{要出典範囲|date=2018年5月|実はショパンが最初にエルスネルに会ったのは[[1822年]]であり、[[1823年]]にも非公式にアドバイスを受けていたのは間違いない}}。そして[[1826年]]に本格的な師弟関係が始まり、ショパンはエルスネルに付いて[[音楽理論]]・[[通奏低音]]・[[作曲]]の勉強を開始した。 エルスネルはショパンの通知表に「顕著な才能」そして「音楽の天才」と記している。ジヴヌィもそうだったように、エルスネルもまたショパンの才能が開花するのに対して手を施すことはなく、ただ見守るだけだった。エルスネルはショパンを指導するにあたって「偏狭で、権威的、時代遅れな」規則で「押さえつける」ことを嫌い、若い才能を「彼自身の決めたやり方の通りに」成長させていくことにした<ref name="pocsct"/>。 [[File:Pałac Czapskich w Warszawie 2020c.jpg|thumb|220px|クラジンスキ宮殿。ショパンは南館(左側)に住んだ。]] [[1827年]]に一家はワルシャワ大学と通りを挟んで丁度向かいにあたる、クラコフスキ区<ref name=krakowskie group="注釈">宮殿や教会などに囲まれた、ワルシャワでも有名かつ誉れ高い一角。([[:en: Krakowskie PrzedmieścieKrakowskie Przedmieście|Krakowskie PrzedmieścieKrakowskie Przedmieście]] {{IPA-pl|kraˈkɔfskʲɛ pʂɛdˈmjɛɕt͡ɕɛ}})</ref>のクラシンスキ宮殿<ref name=czapski group="注釈">チャプスキ宮殿の別名。ポーランドでも優れた[[ロココ|ロココ調建築]]の一つと考えられている。([[:en: Czapski Palace|Czapski Palace]] {{IPA-pl|ˈt͡ʂapskʲix|IPA}})</ref>南館に移り住んだ<ref group="注釈">この場所は現在、ワルシャワ芸術アカデミー([[:en: Academy of Fine Arts in Warsaw|Academy of Fine Arts in Warsaw]])になっている。</ref>。この場所でもショパンの両親はエリート男子学生のための寄宿塾の経営を続けた。ショパンは[[1830年]]にワルシャワを後にするまで、ここに住んだ。[[1837年]]から[[1839年]]には詩人のツィプリアン・カミル・ノルヴィト<ref group="注釈">[[1821年]]生まれ。ポーランドの詩人・劇作家・画家・彫刻家。ポーランド王[[ヤン3世 (ポーランド王)|ヤン3世]]の血筋に当たる。([[:en: Cyprian Norwid|Cyprian Norwid]] ({{IPA-pl|ˈt͡sɨprjan ˈnɔrvid}})</ref>が芸術アカデミーで絵画を専攻する間、ここに住んだ。彼は後に[[1月蜂起]]でロシア兵がショパンのピアノを投げ捨てたことに関して、『ショパンのピアノ''Fortepian Szopena''』という詩を詠んだ<ref name="redniowiecza"/>。ショパンが通った床屋は現在博物館として公開されている。ショパンはその店で幼少期の作品の多くを初演した。 <gallery widths="100px" heights="80px"> File:Piano of Chopin.JPG|ショパンのピアノ File:Rekopis chopin.jpg|『ショパンのピアノ』<br />ノルヴィト作 File:Warszawa, ul. Krakowskie Przedmieście 5 20170516 002.jpg|ショパンの住居<ref group="注釈">ショパンがポーランドを離れる直前まで住んだワルシャワの家。チャプスキ家宮殿(チャプスキ家が購入する前のオーナーの名前を取りクラシンスキ家宮殿とも呼ばれる)。</ref> </gallery> 両親の営む寄宿塾の寮生の中で4人がショパンと親しくなった。ティトゥス・ヴォイチェホフスキ<ref group="注釈">[[1808年]]生まれ。[[実業家]]・芸術家の[[パトロン]]。([[:pl: Tytus Woyciechowski|Tytus Woyciechowski]])</ref>、ヤン・ビャウォブウォツキ、ヤン・マトゥシンスキ<ref group="注釈">[[1809年]]生まれ。医師。([[:pl: Jan Matuszyński|Jan Matuszyński]])</ref>、[[ユリアン・フォンタナ]]である。ショパンは同じジヴヌィ門下だったティトゥスとは特に親しく付き合った<ref>小坂 p27-28.</ref><ref>{{Cite journal|last=Pizà|first=Antoni|date=2022-01-13|title=OVERTURE Love Love is a Pink Cake or Queering Chopin in Times of Homophobia|url=https://ojs.uv.es/index.php/ITAMAR/article/view/23608|journal=Itamar. Revista de investigación musical: territorios para el arte|issue=0|language=es-ES|doi=10.7203/itamar..23608|issn=2386-8260}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Weber|first=Moritz|date=2022-01-13|title=AKT I / ACTO I / ACT I Männer / Hombres / Men Chopins Männer / Los hombres de Chopin / Chopin’s Men|url=https://ojs.uv.es/index.php/ITAMAR/article/view/23609|journal=Itamar. Revista de investigación musical: territorios para el arte|issue=0|language=es-ES|doi=10.7203/itamar..23609|issn=2386-8260}}</ref><ref name=":0" />。またマトゥシンスキ、フォンタナとは[[パリ]]に出てからの生活でも交流を続けた<ref name="chopin1"/>。 [[image:Fryderyk Chopin.jpg|thumb|right|100px|ショパン<br />ミエロシェフスキ作]] [[1829年]]、ポーランドの肖像画家のアンブロツィ・ミエロシェフスキ<ref name=ambrozy group="注釈" />がショパンの両親、姉のルドヴィカ、妹のイザベラとショパン本人の肖像画を描いた(一番下の妹のエミリアは[[1827年]]に亡くなっていた)。この肖像画の原本は第二次世界大戦で消失しており、現在は[[モノクロ]]の写真が残る。[[1913年]]にフランスの音楽学者・ショパンの伝記作家のエドゥアール・ガンシュ<ref group="注釈">[[1880年]]生まれ。ショパン研究家。[[1911年]]には[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]らと共にパリにショパン協会([[:fr: Société Chopin|Société Chopin]])を設立している。([[:fr: Édouard Ganche|Édouard Ganche]])</ref>はこう記した。「(この肖像画からは)この若者が[[結核]]に罹っていることがわかる。彼の肌は極端に白く、[[喉頭隆起]]が見られ、頬は落ち窪んでいる。また耳も結核に典型的な消耗を呈している」。妹エミリアの14歳での死因も結核であり、また父も[[1844年]]に同じ病に倒れることになる<ref name="pocsct" /><ref name="mercure"/>。 ポーランドの音楽学者・ショパンの伝記作家のズジスワフ・ヤヒメツキ<ref name=jachimecki group="注釈">[[1882年]]生まれ。ポーランドの音楽史家・作曲家。[[ヤギェウォ大学]]や[[クラクフ音楽アカデミー]]の教授を務めた。([[:en: Zdzisław Jachimecki|Zdzisław Jachimecki]])</ref>によれば、若いショパンはそれまでのどの作曲家と比べることも困難だという。なぜなら、ショパンが人生の前半に作曲した作品には既に高い独創性が見られるからだ。[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]や[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]ですら、同じような年頃には初心者の域を脱しなかったのに対し、ショパンは貴族や聴衆から既に来るべき時代の行方を示す大家として受け入れられていたのである<ref name="pocsct" />{{refnest|group="注釈"|ヤヒメツキのようなポーランド人作家の記した伝記には、多分にポーランド人としてのショパン、加えてそのナショナリズムを強調する傾向が見られるという指摘がある<ref>{{Cite web|和書|url= http://tomoro.is-mine.net/|title=ショパンの手紙を検証する|accessdate=2012-11-6}}</ref>。本文にはこの後もヤヒメツキの引用がある。参考にする際は注意。}}。 ショパンは自作に自ら表題を与えることはせず、単純に曲のジャンルと番号によって個々を区別していた<ref name="opportunistic" group="注釈">[[:en: Zdzisław Jachimecki|Jachimecki]], p. 421. [[:en: Arthur Hedley|Hedley]], ''[[:en: Encyclopædia Britannica|Encyclopædia Britannica]]'', p. 264:「彼は生涯を通じて、叙述的な表題や『筋書き』を下敷きにするのを嫌悪するのと同様に、(美的な感覚に)重きを置いていた」。彼の作品には内容を表すかのような表題が付つけられているものがあるが、それは出版社などの他人が、彼の意に反して付けたものである。</ref>。しかし、彼の作品は感情的・感覚的な人生体験に触発されることもしばしばあった。そのような霊感を与えた最初の人物は、ワルシャワ音楽院の声楽科学生で後にワルシャワ・オペラの歌手となった美しいコンスタンツヤ・グワトコフスカ<ref group="注釈">[[1810年]]生まれ。ポーランドの[[ソプラノ]]歌手。[[1830年]]にポーランドを後にするショパンの送別会で歌っている。2年後に結婚し、5人の子をもうける。[[1845年]]に失明。[[1889年]]に[[スキェルニェヴィツェ]]で死去。([[:en:Konstancja Gładkowska|Konstancja Gładkowska]])</ref>である。親友のティトゥス・ヴォイチェホフスキに宛てた手紙の中で、彼のどの作品のどのパッセージが彼女への恋心から生まれたものであるかを綴っている。彼はティトゥスにだけ自分の気持ちを吐露していた<ref>小坂 p28.</ref>。彼の芸術家としての精神はマウリツィ・モツナツキ<ref group="注釈">[[1803年]]生まれ。ポーランドの文学・演劇・音楽批評家。また、出版者・記者・ピアニストなどとしても活躍した。([[:en: Maurycy Mochnacki|Maurycy Mochnacki]])</ref>、ユゼフ・ザレスキ<ref name=zaleski group="注釈">[[1802年]]生まれ。ポーランドの詩人。[[アダム・ミツキェヴィチ]]の友人だった。ウクライナ詩作学校([[:en: Ukrainian school|Ukrainian school]])の創設に関わる。([[:en: Józef Bohdan Zaleski|Józef Bohdan Zaleski]])</ref>、ユリアン・フォンタナとの交友で豊かになっていった<ref name="jachimecki"/>。 === 青年期 === [[image:Chopin concert.jpg|thumb|right|180px|[[アントニ・ヘンリク・ラジヴィウ|ラジヴィウ公]]の邸宅での演奏会]] [[1828年]]、ショパンはより広い世界に活躍の場を広げていく。家族的な付き合いのあったフェリクス・ヤロツキ<ref group="注釈">[[1790年]]生まれ。ポーランドの動物学者・昆虫学者。40年以上にわたってワルシャワ大学の動物学科を組織した。([[:en: Feliks Paweł Jarocki|Feliks Jarocki]])</ref>が 学会に出席するので同行して、[[ベルリン]]に赴く。ベルリンでは、[[ガスパーレ・スポンティーニ]]の指揮する馴染みのない[[オペラ]]を鑑賞し、演奏会を聴きに行き、また[[カール・フリードリヒ・ツェルター]]<ref group="注釈">[[1758年]]生まれ。ドイツの作曲家・指揮者・教育者。メンデルスゾーン姉弟や[[ジャコモ・マイアベーア|マイアベーア]]などを教えた。([[:en: Carl Friedrich Zelter|Carl Friedrich Zelter]])</ref>や[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]などの著名人らと出会い、ショパンは楽しんで過ごす。また、彼はその2週間ほどの滞在中に[[カール・マリア・フォン・ウェーバー|ウェーバー]]の[[歌劇]]『[[魔弾の射手]]』、[[ドメニコ・チマローザ|チマローザ]]の[[歌劇]]『[[秘密の結婚]]』、[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]の『[[聖セシリアの祝日のための頌歌|聖セシリア]]』を聴いた。その帰途では[[ポズナン大公国]]の総督だった[[アントニ・ヘンリク・ラジヴィウ|ラジヴィウ公]]に客人として招かれた。ラジヴィウ公自身は作曲をたしなみ、チェロを巧みに弾きこなすことができ、またその娘のワンダ(Wanda)もピアノの腕に覚えがあった。そこでショパンは『[[序奏と華麗なるポロネーズ (ショパン)|序奏と華麗なるポロネーズ Op.3]]』を二人のために作曲した <ref name="zaxpfe"/>。 [[1829年]]、ワルシャワに戻ったショパンは[[ニコロ・パガニーニ|パガニーニ]]の演奏を聴き、ドイツのピアニスト・作曲家の[[ヨハン・ネポムク・フンメル|フンメル]]と出会った。同年8月には、ワルシャワ音楽院での3年間の修行を終えて、[[ウィーン]]で華やかなデビューを果たす。彼は2回の演奏会を行い、多くの好意的な評価を得た。一方、彼のピアノからは小さな音しか出なかったという批判もあった<ref name="rjsfih" />。続くコンサートは12月、ワルシャワの商人たちの会合で、彼はここで『[[ピアノ協奏曲第2番 (ショパン)|ピアノ協奏曲第2番 Op.21]]』を初演した。また[[1830年]][[3月17日]]にはワルシャワの国立劇場で『[[ピアノ協奏曲第1番 (ショパン)|ピアノ協奏曲第1番 Op.11]]』を初演した。この頃には『[[練習曲 (ショパン)|練習曲集]]』の作曲に着手していた<ref name="rjsfih" /><ref group="注釈">初演時期などには異説がある。各曲へのリンクなども参照。</ref>。 <gallery widths="100px" heights="80px"> File:4 Warszawa-Lazienki Krolewskie 092.jpg|ワジェンキ水上王宮<ref group="注釈">ポーランドのワルシャワに位置する。写真は王宮のオランジュリー。ショパンがよく演奏会を行った。</ref> File:4 Warszawa-Lazienki Krolewskie 107.jpg|王宮公園内のショパン像 File:Poland Warsaw Łazienki Park 2.jpg|像のもとでのコンサート<ref group="注釈">初夏から初秋にかけて同ショパン像のもとでは、毎週日曜日の午後に無料ピアノリサイタルが開かれ、ショパンの曲目が演奏されている。</ref> File:SM Antonin pałac myśliwski(3) ID 653820.jpg|[[ラジヴィウ家]]の宮殿<ref group="注釈">ポーランド西部、[[ヴィエルコポルスカ県]][[アントニン]]{{要曖昧さ回避|date=2017年10月}}にある、狩猟用の宮殿・邸宅。[[ラジヴィウ家]]は大貴族([[マグナート]])であり、その当主の[[アントニ・ヘンリク・ラジヴィウ]]に招かれてショパンが頻繁に滞在し演奏会を催した。現在はここでショパン祭りが毎年開催される。</ref> File:6 Antonin 16.jpg|宮殿の内装 </gallery> [[image:Russian attack on Warsaw 1831.PNG|thumb|right|180px|[[11月蜂起]]<br />攻め込むロシア軍]] 演奏家・作曲家として成功したショパンは、西ヨーロッパへと活躍の場を広げていく。[[1830年]][[11月2日]]、指にはコンスタンツィア・グワドコフスカからの指輪、また祖国の土が入った銀の杯を携えショパンは旅立った<ref group="注釈">このあたりのエピソードに関しては、作り話という指摘もある。</ref>。ヤヒメツキ<ref name=jachimecki group="注釈" />はこう記している。「広い世界に出ていく。こうでなくてはならないと決まりきった目的は、これからもない<ref name="zaxpfe" />」。ショパンは[[オーストリア]]に向かったが、その次には[[イタリア]]行きを希望していた。 その後、[[11月蜂起]]が起こる。ショパンの友人であり、将来的には[[実業家]]・芸術家の[[パトロン]]となる旅の仲間のティトゥス・ヴォイチェホフスキは戦いに加わるためにポーランドに引き返した。ショパンは一人[[ウィーン]]で音楽活動をするが活躍できなかった。ヤヒメツキはこう記す。「望郷の念に苦しみ、演奏会を開いたり曲を出版したりする当てがはずれたことで、成長し、精神的な深みを増した。彼はロマン派の詩人だったのが、祖国の過去、現在、未来を感じることができる霊感豊かな国民学派的詩人へと成長したのである。この時、この場所からでこそ、彼はポーランド全体を適切な見通しを持って眺めることができたのであり、祖国の偉大さと真の美しさ、そして悲劇と栄光の移り変わりを理解することができたのである<ref name="zaxpfe" />」。この蜂起を受けてウィーンでは反ポーランドの風潮が高まり、また十分な演奏の機会も得られなかったため、ショパンは[[パリ]]行きを決断した。 [[1831年]]9月、ウィーンからパリに赴く途上、ショパンは蜂起が失敗に終わったことを知る。彼は[[母語]]の[[ポーランド語]]で「コンラッド(Konrad)<ref name="mickiewicz" group="注釈">コンラッドはショパンの友人の[[アダム・ミツキエヴィチ]]の詩に登場するポーランド愛国の英雄。ショパンは後にミツキエヴィチの詩のいくつかに作曲を行う。</ref>の最後の即興詩のような、冒涜に冒涜を重ねた言葉」を小さな雑誌に書き込んで、終生それを隠した<ref name="biograficzny2" group="注釈">「このショパンの志の形になったもの(文章は[[1871年]]に[[:en: Stanisław Tarnowski|Stanisław Tarnowski]]が最初に出版したもの)は、今日([[1937年]]現在)ワルシャワのポーランド国立図書館のショパン記念品類の中にある(もともと雑誌は、ショパンの弟子だった[[:en: Marcelina Czartoryska|Marcelina Czartoryska]]王女が保管していたもの)」[[:en: Zdzisław Jachimecki|Zdzisław Jachimecki]], "Chopin, Fryderyk Franciszek," ''[[:en: Polski słownik biograficzny|Polski słownik biograficzny]]'', vol. III, 1937, p. 422.</ref>。彼は家族と市民の安全が脅かされることや、女性がロシア兵に乱暴されることを懸念していた。また「親切だったソヴィンスキ大将<ref group="注釈">[[1777年]]生まれ。ポーランドの砲兵隊大将。[[1831年]][[9月6日]]にはロシア軍の侵攻からワルシャワを防衛するが、降伏後に[[銃剣]]で殺害されたという。([[:en: Józef Sowiński|Józef Sowiński]])</ref>」の死を悲しみ(ショパンは大将の妻に作品を献呈したことがあった)、ポーランドの援護に動かなかったフランスを呪った。そして神がロシア軍にポーランドの反乱を鎮圧することを許したことに幻滅した。「それともあなた(神)はロシア人だったのですか<ref name="ostrogski" group="注釈" />」。こうした心の痛みによる叫びは『[[スケルツォ第1番 (ショパン)|スケルツォ第1番]]』『[[練習曲作品10-12 (ショパン)|革命のエチュード]]』などを作曲した<ref name="zaxpfe" />。 === パリ時代 === [[File:Kwiatkowski-chopin.jpg|thumb|240px|『ショパンのポロネーズ』<br />テオフィル・クヴィアトコフスキ<ref name=teofil group="注釈">[[1809年]]生まれ。ポーランドの画家。[[11月蜂起]]の後は抑圧を逃れてフランスへ移住した。ショパンに関する絵画作品を残している。([[:en: Teofil Kwiatkowski|Teofil Kwiatkowski]])</ref>作{{refnest|group="注釈"|パリ、[[アダム・イエジィ・チャルトリスキ|チャルトリスキ公]]所有のオテル・ランベール<ref group="注釈">パリ[[サン=ルイ島]]の大邸宅であり、ここに集まったポーランドの政治家たちのあだ名ともなった。([[:en: Hôtel Lambert|Hôtel Lambert]] {{IPA-fr|otɛl lɑ̃bɛːʁ|pron}})</ref>での舞踏会の様子を描いたもの}}。]] [[パリ]]に到着したが、このときはまだこの地に居を構えるか迷っていた<ref name="zaxpfe" />。最初は、現在の[[2区 (パリ)|パリ2区]]ポワソニエール大通り ([[:fr:Boulevard Poissonnière|Boulevard Poissonnière]]) 27番地に住み<ref>[http://m.fayard.fr/regard-sur-chopin-9782213597294 André Boucourechliev 「''Regard sur Chopin''」Fayard, collection. « Les Chemins de la musique », 1996.] p61 フランス語</ref>、翌[[1832年]]に現在の[[9区 (パリ)|9区]]シテ・ベルジェール ([[:fr:cité Bergère|Cité Bergère]])、[[1836年]]に同[[ショセ=ダンタン通り]]38番地へ転居したように<ref>Marie-Paule Rambeau 「''Chopin : l'enchanteur autoritaire''」 L'Harmattan,collection. « Univers musical », 2005. p269, p307 フランス語</ref>、実のところ彼は二度とポーランドに帰国することはなかったので、多くの「ポーランドの大移民<ref group="注釈">[[1831年]]から[[1870年]]の間に、ポーランドから国外へ移住した知的階層を指す。これは当時ポーランドが[[ロシア帝国]]・[[プロイセン王国]]・[[ハプスブルク君主国]]の3国に分割されていたことに起因する。([[:en: Great Emigration|Great Emigration]])</ref>」の一人となったことになる<ref name="chopin.pl biography"/>。[[1832年]]2月に開いた演奏会では、誰もがショパンを賞賛した。大きな影響力を持っていた音楽学者・批評家の[[フランソワ=ジョゼフ・フェティス|フェティス]]は「ルヴュ・ミュジカル誌 ''Revue musicale''」にこう記した。「ここにいる若者は、完全なるピアノ音楽の刷新ではないとしても、とにかく長きに渡って希求されつつも果たされなかったこと、つまり史上かつてないような途方もない独創的発想を、誰かを範とすることなく成し遂げたのである<ref name="jachimecki3"/>」。その3ヶ月前の[[1831年]]12月には、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]がショパンの『[[ラ・チ・ダレム変奏曲]] Op.2』を評して「一般音楽新聞 ''Allgemeine musikalische Zeitung''」にこう記している。「諸君、脱帽したまえ、天才だ<ref name="publishing"/>」 パリでショパンは芸術家や他の著名人と出会い、才能を磨き名士として認められ、ヨーロッパ中から集まる多くの弟子にピアノを教えることで、相当の収入を得た<ref name="xjsgfg"/>。彼は[[エクトール・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]、[[フランツ・リスト|リスト]]、[[ヴィンチェンツォ・ベッリーニ|ベッリーニ]]、[[フェルディナント・ヒラー|ヒラー]]、[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]、[[ハインリヒ・ハイネ|ハイネ]]、[[ウジェーヌ・ドラクロワ|ドラクロワ]]、[[アダム・イエジィ・チャルトリスキ|チャルトリスキ公]]、[[アルフレッド・ド・ヴィニー|ヴィニー]]、[[シャルル=ヴァランタン・アルカン|アルカン]]らと交友関係を築いた<ref name="xjsgfg" />。 ショパンは熱烈なポーランド愛国主義者だったが<ref name="chopin12"/><ref name="yjfiuq"/>、フランスではフランス式の名前を名乗っていた。フランスの[[パスポート|旅券]]で旅行していたが、これはロシア帝国発行の書類に頼るのを避ける必要があったためではないかと思われる<ref name="free" group="注釈">ショパンのフランスの[http://diaph16.free.fr/chopin//chopin7.htm パスポート]。[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]]はこう記している。「(略)フランスが彼にパリでの無期限の滞在資格を与えたのは『彼の芸術を完成させるため』である。4年後、フレデリックはフランス国民となり、[[1835年]][[8月1日]]付けでフランスのパスポートが交付された。彼が国籍を変更することに関して、父を含め誰かに相談したという事実は知られていない。彼が国籍を変更したのは、ロシア大使館に赴いてロシアのパスポートを更新するのを愛国的な理由から避けたいがためだったのか、それとも単に日常の利便性の問題だったのか、定かではない」Tad Szulc ''Chopin in Paris'', p. 69</ref>。このフランスの旅券が発行されたのは[[1835年]][[8月1日]]であり、これを境にショパンはフランスの市民となった<ref name="citizenship"/>。 ショパンがパリで公開演奏会を行うことはほとんどなかった。後年、彼は300席を擁するサル・プレイエルで毎年1回コンサートを行うようになるが、それよりも彼が頻繁に演奏を行ったのは[[サロン]]だった。サロンは貴族や芸術・文学の[[エリート]]の集まる場だったが、彼はパリの自宅で友人との小さな集まりを開いて演奏するのをより好んでいた。彼の健康状態は思わしくなく、そのため[[ヴィルトゥオーゾ]]としてあちこち外遊することはできなかった。一度[[ルーアン]]で演奏した他には、首都を出て旅をすることはほとんどなかったという<ref name="xjsgfg" />。彼は教育・作曲によって高収入を得ていたため、もともと好きではなかった演奏会を開かなければならないという重圧から逃れることができた<ref name="rjsfih" />。アーサー・ヘドレイ<ref group="注釈">[[1905年]]生まれ。[[イギリス]]の音楽学者。ショパンの伝記を著した。([[:en: Arthur Hedley|Arthur Hedley]])</ref>はこう見ていた。「生涯を通じてわずか30回を少し超えるくらいという、できるだけ公の場に出なかったショパンが、ピアニストとして最大級の名声を獲得していたことは特殊なことである<ref name="ReferenceA"/>」 [[1835年]]、ショパンは[[カルロヴィ・ヴァリ|カールスバート]]に行き、そこで生涯最後となる両親との再会を果たした。パリへ戻る途中で[[ザクセン州]]を通った彼は、[[ドレスデン]]でワルシャワ時代に親交のあったポーランド人貴族のヴォジンスキ伯爵(Wodziński)一家に会った。5年前にポーランドで顔見知りだった娘の{{仮リンク|マリア・ヴォジンスカ|label=マリア|en|Maria Wodzińska}}はその時16歳になっていた。その若い彼女の知的で、芸術の才にも優れた魅力的な様子に、彼は恋に落ちてしまう<ref name="demonstrated" group="注釈">彼女は「ショパンがピアノを弾き、喋っている間に彼の頭部をスケッチし、次に彼を肘掛け椅子に座らせて[[水彩]]で肖像を描いた。これは現存する中でドラクロワの作品に次いでよく出来た肖像画である。ショパンはリラックスし、哀愁を帯び、平和そうに見える」[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]], ''Chopin in Paris'', p. 137. ヴォジンスカの肖像画が正確だったことは、彼女の[[1830年代]]の自画像と[[:pl:Maria Wodzińska|後年に撮られた写真]]を比べることで想像がつく。</ref>。翌[[1836年]]の9月にはヴォジンスキ一家と[[マリアーンスケー・ラーズニェ|マリーエンバート]]での休暇を取り、ドレスデンに戻るとすぐにショパンは彼女にプロポーズする。彼女は求婚を受け入れ、その母のヴォジンスカ夫人も一応認めたものの、マリアがまだ若かったこととショパンの健康状態の悪さ<ref group="注釈">[[1835年]]から[[1836年]]にかけての冬には彼の病状は非常に悪く、ワルシャワではショパンは死んだという噂が囁かれたほどだった</ref>によって結婚は無期限の延期を余儀なくされる。この婚約は世に知らされることはなく、結局ヴォジンスキ家がショパンの健康状態への懸念から破棄したことにより<ref name=deagostini />、結婚はついに現実のものとはならなかった<ref name="orpiszewski" group="注釈">[[1841年]][[7月24日]]、マリア・ヴォジンスカはショパンの名付け親である[[:en: Fryderyk Florian Skarbek|Fryderyk Florian Skarbek]]の息子のJózef Skarbek伯爵と結婚した。2人は7年後に離婚し、マリアは[[1848年]]に1人目の夫の土地の賃借人だったWładysław Orpiszewskiと再婚している。</ref>。ショパンはマリアからもらったバラの花、そしてマリアとその母からの手紙を1つの大きな紙包みにまとめ、その上に「我が哀しみ ''Moja bieda''」と書いた<ref name="xjsgfg" />。 ショパンのマリアに対する想いは、9月のドレスデンを去る朝に書かれた「別れのワルツ」として知られる『[[ワルツ第9番 (ショパン)|ワルツ 変イ長調]]』に残されている。パリに戻ったショパンはすぐに作品25の『[[練習曲 (ショパン)|練習曲集]]』の第2曲ヘ短調を作曲し、これを「マリアの魂の肖像」と述べた。これと同時に、彼はマリアに7つの歌曲を贈った。それらはポーランドロマン派<ref group="注釈">[[1820年]]頃からのポーランドの知的・芸術的文化の栄えた時期をいう。[[1864年]]の[[1月蜂起]]に伴う抑圧により終了した。([[:en: Romanticism in Poland|Romanticism in Poland]])</ref>の詩人たち、ステファン・ヴィトフィツキ<ref group="注釈">[[1801年]]生まれ。ポーランドの詩人。ショパンは彼に『[[マズルカ作品41 (ショパン)|マズルカ Op.41]]』を献呈し、また10編の詩に曲をつけている。([[:en: Stefan Witwicki|Stefan Witwicki]])</ref>、ヨゼフ・ザレスキ<ref name=zaleski group="注釈" />、[[アダム・ミツキェヴィチ]]の詩に曲をつけたものだった<ref name="jachimecki4"/>。 婚約破談後は、ポーランド人の[[デルフィナ・ポトツカ|ポトツカ伯爵夫人]]がショパンにとって創作上の、また女性として興味を注ぐ対象となった。彼は伯爵夫人に有名なワルツ作品64-1『[[子犬のワルツ]]』を献呈している<ref name="xjsgfg" />。 パリにいる間、ショパンはわずかな数の公開演奏会に参加した。そのような[[予定|プログラム]]掲載の参加者目録を見ると、この時期のパリがいかに芸術的に豊かな場所だったかがわかる。例えば、[[1833年]][[3月23日]]の演奏会ではショパン、[[フランツ・リスト|リスト]]、[[フェルディナント・ヒラー|ヒラー]]が[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の『[[チェンバロ協奏曲 (バッハ)#3台のチェンバロのための協奏曲|3つの鍵盤楽器のための協奏曲]]』を演奏し、[[1838年]][[3月3日]]にはショパン、その弟子{{仮リンク|アドルフ・グートマン|en|Adolphe Gutmann}}、[[シャルル=ヴァランタン・アルカン|アルカン]]とその師の[[ピエール・ジメルマン]]<ref group="注釈">[[1785年]]生まれ。フランスのピアニスト・作曲家・音楽教師。作曲に関しては[[シャルル・グノー]]、[[セザール・フランク]]、[[ジョルジュ・ビゼー]]、[[アンブロワーズ・トマ]]らの師だった。グノーは彼の娘と結婚している。([[:en: Pierre-Joseph-Guillaume Zimmermann|Pierre-Joseph-Guillaume Zimmermann]])</ref>の4人で、アルカンのピアノ8手用編曲で[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の『[[交響曲第7番 (ベートーヴェン)|交響曲第7番]]』を演奏している。 また、ショパンはリストの[[ヴィンチェンツォ・ベッリーニ|ベッリーニ]]の主題による『[[ヘクサメロン (ピアノ曲)|ヘクサメロン変奏曲]]』の作曲に参加し、最後の第6変奏を担当した。 === ジョルジュ・サンドとの生活 === [[image:Franz Xaver Winterhalter-Frédéric Chopin.png|thumb|right|100px|ショパン]] [[1836年]]、友人であり仲間だった作曲家の[[フランツ・リスト|リスト]]の愛人だった[[マリー・ダグー|マリー・ダグー伯爵夫人]]のホームパーティーの場で、ショパンは[[ジョルジュ・サンド]]として知られるフランスの文筆家・男女同権運動家のアマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパン(Amandine-Aurore-Lucile Dupin)、デュドヴァン男爵夫人(Baronne Dudevant)と出会った。サンドの過去の恋人にはジュール・サンドー<ref group="注釈">[[1811年]]生まれ。フランスの小説家。[[1858年]]に[[アカデミー・フランセーズ]]の会員に選ばれている。([[:en: Jules Sandeau|Jules Sandeau]])</ref>(2人が文学において協力関係にあったことで「ジョルジュ・サンド」という[[ペンネーム]]が誕生した)、[[プロスペル・メリメ]]、[[アルフレッド・ド・ミュッセ]]、ルイ=クリソストム・ミシェル(Louis-Chrysostome Michel)、作家のシャルル・ディディエール(Charles Didier)、ピエール=フランソワ・ボカージュ(Pierre-François Bocage)、フェリシャン・マルフィーユ<ref group="注釈">[[1813年]]生まれ。フランスの小説家・劇作家。リストの未完のオペラ『{{仮リンク|サルダナパール|en|Sardanapale}}』の台本を書いた。([[:en: Félicien Mallefille|Félicien Mallefille]])</ref>がいた<ref name="chopin5" />。 ショパンは当初、サンドに嫌悪感を抱いていた<ref name="xjsgfg" />。彼は[[フェルディナント・ヒラー|ヒラー]]にこう宣言している。「なんて不快な女なんだ、サンドというやつは!いや、彼女は本当に女性なんだろうか。疑いたくなってしまうよ<ref name="chopin6" />」。しかし、サンドは自らとショパンの共通の友人のヴォイチェフ・グジマワ伯爵(Wojciech Grzymała)に32ページにわたる率直な手紙をしたため、そこで彼に対する強い感情を認めている。その手紙の中で、彼女は自分がショパンとの関係を始めるために現在の恋人を捨てるべきか思案しており、またショパンとマリア・ヴォジンスカの以前の関係がいかなるものだったかを知ろうとしていると述べている。マリアとの関係については、万一まだ続いているのであれば彼女は邪魔したくないと考えていた<ref name="hopkins" />。[[1838年]]の夏、ショパンとサンドの関係は公然の秘密となった<ref name="xjsgfg" />。 彼らが2人でいた時期の特筆すべきエピソードには、大荒れで悲惨だった[[マヨルカ島]]での冬([[1838年]][[11月8日]] - [[1839年]][[2月13日]])が挙げられる。彼らとサンドの2人の子供は、ショパンの悪化する健康状態が改善するよう願ってその地へ赴いた。しかし宿泊施設を見つけられず、4人は景色は良いながらも荒れ果てて寒々とした、ヴァルデモッサ<ref group="注釈">マヨルカ島内の村。彼らが泊まった修道院([[:en: Valldemossa Charterhouse|Valldemossa Charterhouse]])は[[14世紀]]([[1399年]])の建築。([[:en: Valldemossa|Valldemossa]])</ref>のかつて[[カルトジオ会]]の[[修道院]]だった建物の軒を借りざるを得なくなった<ref>[http://www.telegraph.co.uk/travel/destinations/europe/spain/majorca/6905136/Majorca-sun-sand-and-Chopin.html Majorca: sun, sand and Chopin] [[デイリーテレグラフ]] [[2009年]][[12月29日]]付け記事 英語</ref>。 ショパンもまた自分の[[プレイエル]]のピアノを輸送するのに問題を抱えていた。ピアノは[[12月20日]]にパリから到着していたが、[[税関]]で止められてしまったのだ。ショパンは[[12月28日]]にこう記している。「私のピアノが税関に引っかかって8日目になる。彼らがピアノを渡すために要求している金額は、信じられないほど高額なのだ」。その間、ショパンはガタガタのピアノを借りて、それで練習をし、作曲を行った。 [[12月3日]]、ショパンは体調の悪さとマヨルカ島の医師が無能なことに不満を呈している。「この2週間の間、私は犬のように病にかかっている。3人の医者が往診に来た。1人目は私が死ぬと言い、2人目は今吸っている息が最後になると言い、3人目は私がすでに死んでいると言った」 [[1839年]][[1月4日]]にジョルジュ・サンドが300[[フラン]](要求額の半分だった)を払うことを承諾し、プレイエルのピアノは税関を通過することができた。それが届いたのは[[1月5日]]だった。その後ショパンは待ちわびた楽器をほぼ5週間にわたって使えるようになり、その十分な時間でいくつかの作品を完成させた。『[[前奏曲 (ショパン)|前奏曲 Op.28]]』の数曲、『[[バラード第2番 (ショパン)|バラード第2番 Op.38]]』の改定稿、Op.40の『2つのポロネーズ([[軍隊ポロネーズ|第3番]]と[[ポロネーズ第4番 (ショパン)|第4番]])』、『[[スケルツォ第3番 (ショパン)|スケルツォ第3番 Op.39]]』、『[[マズルカ作品41 (ショパン)|マズルカ Op.41]]』のホ短調、{{要出典範囲|date=2018年5月|そしておそらく手を入れたであろう『[[ピアノソナタ第2番 (ショパン)|ピアノソナタ第2番 Op.35]]』である}}。このマヨルカ島でのひと冬は、ショパンの生涯の中でも最も創造的な期間の1つと考えられている。 冬の間の悪天候はショパンの健康に深刻な影響を及ぼし、慢性的な肺の疾患から彼の生命を救うために一行は島を去らざるを得なくなる。愛用のフランス製のピアノは急な帰国の邪魔になった。そのような状況だったが、サンドはなんとかピアノをフランス人夫婦に売却した<ref group="注釈">カヌ夫妻 Canutである。カヌ夫妻の子孫は、マヨルカ島のショパンの遺産とショパンが使用したファルデモッサの一人部屋の博物館の管理人をしている。</ref>。 4人の一行はまず[[バルセロナ]]へ、次に[[マルセイユ]]へと向かい、そこで数か月滞在して回復を待った。[[1839年]]5月、彼らはサンドの別荘で夏を過ごすために[[ノアン=ヴィック|ノアン]]<ref group="注釈">フランス中央部、[[アンドル県]]の[[コミューン]]。[[シャトールー]]から南東へ約36キロ。([[:en: Nohant-Vic|Nohant]])</ref>を目指した。彼らは秋にはパリへ戻り、最初は離れて暮らした。ショパンはすぐに現在の[[8区 (パリ)|パリ8区]]トロンシェ通り([[:fr: Rue Tronchet|rue Tronchet]])5番地のアパートを離れ、現在の[[9区 (パリ)|9区]]ピガル通り([[:fr: Rue Jean-Baptiste-Pigalle|rue Pigalle]])16番地のサンドの家へ移り住んだ。4人はその住所で[[1839年]]の10月から[[1842年]]の11月まで一緒に暮らしたが、[[1846年]]まで夏季のほとんどはノアンで過ごした<ref name="maurois" />。彼らは[[1842年]]に現在のパリ9区スクワール・ドルレアン([[:fr: Square d'Orléans|Square d'Orléans]])があるテブー通り([[:fr: Rue Taitbout|rue Taitbout]])80番地に移り、隣同士の建物で暮らした<ref name="gredxn" />。 <gallery widths="100px" heights="80px"> File:02001 Church of the Valldemossa Charterhouse - Charterhouse.jpg|マヨルカ島の修道院 File:Valldemossa 021.JPG|マヨルカ島に遺されたショパンのピアノ File:Square d'Orléans, 9 plaque.jpg|ショパンの住居の銘板 File:Square d'Orléans, 5 plaque.jpg|サンドの住居の銘板 </gallery> この時期にショパンがピアノ以外の楽器を演奏したという証拠がある。[[ナポリ]]で急逝した[[テノール]]歌手のアドルフ・ヌリ<ref group="注釈">[[1802年]]生まれ。フランスの歌手・台本作家・作曲家。歌手としては特に[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]の作品を得意とした。([[:en: Adolphe Nourrit|Adolphe Nourrit]])</ref>の遺体が埋葬のためにパリへ戻った際、その葬式でショパンは[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]の[[歌曲|リート]]『天体 ''Die Gestirne''』の[[オルガン]]編曲を演奏した<ref name="acquaintance" />。 ノアンでの夏、特に[[1839年]]から[[1843年]]にかけてはショパンにとって静かながらも創造的な日々となり、そこで多くの作品を生み出した。ショパン作品の中でも有名な『[[英雄ポロネーズ|英雄ポロネーズ Op.53]]』もそうした作品である。サンドはショパンの騒々しい創作の過程について記している。ショパンは情熱に溢れ、涙を流し、不平を口にしつつ、時には着想そのものまで覆してしまうほど多くの構想の見直しを行った。友人の[[ウジェーヌ・ドラクロワ|ドラクロワ]]と過ごしていた、ノアンでのある午後のことである。 {{blockquote|ショパンはピアノに向かっており、誰もがあからさまに耳を傾けている。彼は気ままな[[即興演奏]]を始めたが、止めてしまった。ドラクロワが声を上げた。「続けて、続けて!まだ終わってないよ!」「始まってもいないよ。何も思い浮かばないんだ……ただ反射と影、形の定まらないものだけしか出てこない。ちゃんとした色を見つけようとしてるんだけど、形すら決まらないんじゃ……」ドラクロワはこう声をかける。「どっちか片方だけ見つかるっていうことはないだろうさ。二つは一緒に現れるものだから。」「もし月明かりしか見つからなかったらどう?」「ということは反射の反射を見つけたということだろう」。この言葉がショパンの腑に落ちたらしい。彼は再び演奏をはじめ、今度は形に不安そうな様子は見せなかった。次第に静かな色が姿を現し、それに伴ってまろやかな音の抑揚が我々の耳に届いてくる。突如青色の音が歌い始めたかと思うと、夜が我々をすっぽり包む。それは真っ青に透き通った夜だ。明るい雲が素敵な形となって空を覆う。雲は月と一体となり、大きな朧げな円を描く。そして眠っていた色が目を覚ますのだ。我々は夏の夜を思い描きつつ、そこに座って[[サヨナキドリ|ナイチンゲール]]が歌うのを待つのである……<ref name="impressions" />。}} ショパンの病が進行するにつれて、サンドは彼の恋人というより看護師となっていった。サンドはショパンを自分の「3番目の子ども」と呼んでおり、その後の数年間は彼女はショパンとの交友関係を維持しつつも、しばしば第三者に宛てた手紙の中で彼に対する苛立ちを吐露していた。そうした手紙の中では、彼のことを「子ども」「小さな天使」「受難者」「愛しい小さな死人」などと記していた<ref name="gredxn" />。 [[1845年]]、ショパンの病状が悪化を続ける中、彼とサンドの間に深刻な問題が生じた。[[1846年]]には彼女の娘のソランジュ(Solange)と若い彫刻家の[[オーギュスト・クレサンジェ]]との関係などの諸問題によって、2人の関係はますます険悪になった。サンドは[[1847年]]に小説『ルクレツィア・フロリアーニ ''Lucrezia Floriani''』を出版した。主人公の裕福な女優と身体の弱い王子は、サンドとショパンのことを指すと解釈できる。サンドのゲラ刷りの校正を手伝ったショパンが、彼にとって失礼なこの話の内容を見逃すはずはなかった。[[1847年]]、彼はノアンを訪れなかった。共通の友人たちは2人を和解させようと試みたものの、ショパンが応じることはなかった<ref name="gredxn" />。 そのような友人の1人に[[メゾ・ソプラノ]]の[[ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド]]がいる。サンドは[[1843年]]にヴィアルドをモデルに小説『コンシュエロ ''Consuelo''』を執筆しており、三人はノアンで多くの時間を共に過ごした。ヴィアルドは著名なオペラ歌手だったが、元来ピアノで身を立てることを希望しており[[フランツ・リスト|リスト]]と[[アントニーン・レイハ|レイハ]]に師事する優れたピアニストでもあった。彼女はショパンと互いに尊敬しあい、また気が合ったことから友人として付き合っていた<ref name=harris/>。2人はしばしば共演することもあった。ショパンは彼女にピアノの技術的な助言を与え、彼女がショパンの『[[マズルカ (ショパン)|マズルカ]]』の旋律をもとに歌曲を作曲するのを手伝った。彼はお返しとして、ヴィアルドから{{仮リンク|スペインの音楽|en|Music of Spain}}を直接知ることができた<ref name="harris" />。 [[1847年]]、サンドとショパンの10年に及ぶ関係は静かに終わりを迎えた<ref name="gredxn" />。なれそめから2人の恋路を見届けたヴォイチェフ・グジマワ伯爵はこう述べている。「もし(ショパンが)G.S. (ジョルジュ・サンド)に出会うという不幸に見舞われず、彼女にその生命を毒されなかったとしたら、彼は[[ルイジ・ケルビーニ|ケルビーニ]]の歳まで生きていただろうに{{refnest|group="注釈"|ショパンは39歳で生涯を閉じたが、その友人のケルビーニは1842年にパリで81歳で亡くなっている<ref name="chopin7" />。両者の墓は[[ペール・ラシェーズ墓地]]で4メートルの距離に位置している。}}」 <gallery widths="100px" heights="80px"> File:Eugène Ferdinand Victor Delacroix 043.jpg|ショパン<br />[[ウジェーヌ・ドラクロワ|ドラクロワ]]画<ref group="注釈">当初はジョルジュ・サンドと二人で一枚に書かれた絵だったが、彼らの交際の破局から二枚に分割され、ショパンの部分は[[ルーヴル美術館]]に、サンドの部分は[[オードロップゴー美術館]]に所蔵されている。</ref> File:Sand big.jpg|ジョルジュ・サンド File:ChopinSandDelacroix.jpg|左2枚の下書き </gallery> === 晩年 === [[File:Jane stirling par deveria.jpg|thumb|right|130px|[[ジェーン・スターリング|スターリング]] [[1830年]]頃<br/>ドゥヴェリア<ref group="注釈">[[1800年]]生まれ。フランスの画家・[[リトグラフ]]作家。多くの作家・芸術家の肖像画を描いた[[アシル・ドゥヴェリア]])</ref>作の肖像画]] ショパンの[[ヴィルトゥオーゾ]]としての一般からの人気は翳りを見せ、それに伴って弟子の数も減少した。[[1848年]]に彼はパリでの最後の演奏会を開く。パリでは[[1848年のフランス革命|革命]]が進行中だった4月<ref name="political" group="注釈">ショパンが幻滅したことに、これによってサンドの急進的・政治的な友人たちが適宜権力を得ていった。[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]], ''Chopin in Paris'', pp. 366–73.</ref>、彼は[[ロンドン]]へと旅立ちいくつかのコンサートを行って大規模な会場で大きな喝采を受けた<ref name="gredxn" />。この演奏旅行は彼のスコットランド人の弟子で、時に秘書もこなした[[ジェーン・スターリング]]とその姉のキャサリン・エースキン(Katherine Erskine)の発案によるものだった。また、スターリングは必要な準備をすべて整え、必要経費を提供した。彼女はサンドとの別離の後、脱出できない鬱状態に陥ったショパンの支えとなった<ref name=deagostini />。 夏も終わりかけた頃、ショパンはスターリングに招かれて、スターリング家の者が所有する[[エディンバラ]]近郊のカルダー邸(Calder House)と居城([[グラスゴー]]に程近い[[レンフルーシャー]]のジョンストン<ref group="注釈">[[ペイズリー (イギリス)|ペイズリー]]より3[[マイル]]、グラスゴー中心街からは12マイル西に位置し、スコットランドでも最大の[[コナベーション]]の一角をなす。([[:en: Johnstone|Johnstone]])</ref><ref name="Chopin's Scottish autumn – Frederick Chopin" />にあった)に滞在した。そうしているとスターリング嬢とショパンが間もなく婚約を発表するという噂が国を超えて広がったが、ショパンが彼女に恋愛感情を抱いていないことは明らかだった。エディンバラでは[[開業医]]のアダム・ウィシュツジニスキ(? Adam Łyszczyński)医師の住むワリストン街路(Warriston Crescent)10にも滞在しつつ、そこで医師の治療を受けた。ショパンはあまりにも弱っており、階段の上り下りでは医師またはその召使が彼を抱えなければならなかった。ショパンはエディンバラでは1度だけ演奏会を開いている。それはクイーン通りのホープトーン・ルームズ(Hopetoun Rooms 現エースキン邸)においてだった<ref name="monuments" />。 [[1848年]]10月の暮れ、ウィシュツジニスキ医師の家で<ref name="particularly" group="注釈">ショパンはこの医師と過ごした数日間を非常に心地よく思っていた。というのも、彼は常に[[ポーランド語]]で会話できる人間を探していたが、この時は特に彼は全く[[英語]]が出来なかったということも大きかった。[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]], ''Chopin in Paris'', p. 382 and ''passim''.</ref>、ショパンは最後の遺言をしたためた。「万一私がどこかで急死するようなことになったら、将来私の原稿は処分等がなされるように」と友人のヴォイチェフ・グジマワに宛てて書き送っている。スコットランドの寒い午後、スターリング嬢の城の中でショパンは母や姉と共にいる空想にふけり、祖国の地で民謡を題材とした自作曲を演奏する自分の姿を眼前に思い浮かべていた<ref name="gredxn" />。[[1848年]][[11月16日]]、彼はロンドンのギルドホール<ref group="注釈">ロンドンで数百年にわたり市民ホールと使用されてきた建物。現在は[[シティ・オブ・ロンドン]]とその地方公共団体([[:en: City of London Corporation|City of London Corporation]])の行政の中心となっている。([[:en: Guildhall, London|Guildhall, London]])</ref>の演奏段上で最後の公開演奏を行った。それはポーランドの避難民の慈善演奏会だったが、彼の最後の愛国的行動となった<ref name="rjsfih" />。この時の彼の出演は善意からの失敗となってしまった。ほとんどの参加者はショパンのピアノ芸術よりもダンスや気晴らしを目的としており、ショパンはそれによって多大な労力を割いて身体的不快感を負ってしまったのである<ref name="chopin8" />。 11月の終わりにショパンはパリへ戻った<ref name="gredxn" />。イギリス旅行はロンドンでの[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]の御前演奏など成功したものだったが、日程の厳しさから彼は体調を更に悪化させていた<ref name=deagostini>DEAGOSTINI刊、The Classic Collection 第3巻</ref>。冬の間、彼は絶え間なく病に苦しんでいたが、それでも友人に会うことを続け、病床の[[アダム・ミツキエヴィチ]]を見舞ってピアノ演奏で彼の神経を和らげた。ショパンにはレッスンを行う体力はもはやなかったが、作曲への熱意は冷めていなかった。生活必要経費の大半と医師の診察代を払う金も不足するようになり、彼は価値のある家具や所有物を売り払わなければならなくなった<ref name="gredxn" />。 [[2011年]][[3月24日]]、ワルシャワのフレデリック・ショパン博物館が長く行方不明だったショパンの手紙を発見した。それらの手紙の日付は[[1845年]]から[[1848年]]とされており、彼の日常生活と『[[チェロソナタ (ショパン)|チェロソナタ]]』に関する記述がなされている。手紙は博物館で[[2011年]][[4月25日]]まで展示されていた<ref name="Long-lost Chopin letters revealed by Polish museum" />。 === 最期 === [[File:Ostatnie chwile Fryderyka Chopina.jpg|thumb|200px|『死の床にあるショパン』 [[1849年]]<br/>テオフィル・クヴィアトコフスキ<ref name=teofil group="注釈" />作 <ref group="注釈">スターリングの委嘱で描かれた作品。ショパンがベッドで起き上がっており、左からアレクサンダー・イェオヴィツキ、姉のルドヴィカ、チャルトリスカ公爵夫人、ヴォイチェフ・グジマワ、クヴィアトコフスキ本人の姿が描かれている。</ref>]] ショパンは家族と共に居たいという思いを募らせた。[[1849年]]6月、姉のルドヴィカにパリへ出てきてもらう約束を取り付けた<ref name="gredxn" />。同年9月には最後の住居となる[[ヴァンドーム広場|ヴァンドーム12]]の陽の当たるきれいなアパートに移り住んだ<ref>{{Cite web|和書|url=https://research.piano.or.jp/series/paris_chopin2019/2020/11/9_-1_12.html |title=第9章-1 ヴァンドーム広場 12 番地 |access-date=2023-10-17 |publisher=一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会(ピティナ) |date=2020-11-24}}</ref>。それは以前はロシア大使館が入居していた物件で、7部屋を有する2階の賃料はショパンに払えるものではなかったが、ジェーン・スターリングが彼のためにそれを肩代わりした<ref name="Maria Barcz 2010 p. 16" />。 [[10月15日]]になるとショパンの病状は一層深刻となり、彼を訪ねてくる多くの者は会うことを許されず、一握りの近しい友人のみが病床に寄り添った。この最期の2日間で彼らは2回ほどショパンが事切れたものと思ったが、彼は再び息を吹き返すことができた。ポトツカ夫人が見舞いに訪れており、病床の彼のために歌を歌っている。また、彼はポトツカ夫人にソナタを弾いてくれるよう頼み、神に大きな声で祈りをささげた。もっとも、その数日前には自分は神の存在を信じないからと、信仰告白を拒んでいた。彼はジョルジュ・サンドが自分に「私の腕の中で息を引き取らせあげる」と約束したのに、と不平を口にした。彼は紙片を要求し、そこにこう記した。「''Comme cette terre m'étouffera, je vous conjure de faire ouvrir mon corps pour [que] je ne sois pas enterré vif.''(土に押しつぶされるから埋葬しないで欲しい。生き埋めになりたくないんだ。)<ref name="Maria Barcz 2010 p. 16" />」。[[10月17日]]の深夜12時過ぎ、医師がショパンの身体に乗りかかってひどく苦しいかと尋ねた。「もう何も感じない」とショパンは答えた<ref name="Maria Barcz 2010 p. 16" />。そして午前2時を回る少し前、ショパンは息を引き取った<ref name="Paris p. 400" />。 {{multiple image |align= right |footer=ショパンの[[デスマスク]]<br/>[[オーギュスト・クレサンジェ|クレサンジェ]]作<br/>(写真: [[ジャック・ギボンズ]]) |width=130 |direction=vertical |image1=Chopin death mask (collection of Jack Gibbons).jpg |image2=Chopin death mask, side view (collection of Jack Gibbons).jpg}} ショパンの病とその死因は明らかになっておらず、そのため医学的な議論の的となってきた。死亡診断書では死因は[[肺結核]]とされている。一方でショパンの病気は他の疾患(たとえば[[遺伝子疾患]]の[[嚢胞性線維症]]など)とする説もある<ref>ジョン・オシエー『音楽と病 病歴に見る大作曲家の姿』([[法政大学出版局]]、[[2007年]]11月、〈改装版〉[[2017年]]1月)</ref><ref>{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20051025102333/http://jay.au.poznan.pl/html1/JAG/pdfy/2003_Volume_44/2003_Volume_44_1-77-84.pdf Cystic fibrosis – a probable cause of Frédéric Chopin’s suffering and death]}}([[2005年]][[10月25日]]時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref><ref name="heart.news24" /><ref name="heart.47news" /><ref name="afpbb.2008-07-26" />。しかし、現代の呼吸器治療と医療的支えのない[[19世紀]]において、嚢胞性線維症を抱えながら39歳まで生き延びることは事実上不可能という検討もさらになされ得る<ref name="afpbb.2008-07-26" /><ref name="fibrosis" />。ショパンが長く苦しんだ病についての総説が[[2011年]]に出版されている<ref name="mysterious" />。文脈から事実を読み解くと、ショパンを苦しめた疾病は肺結核の可能性が高い<ref name="disease" group="注釈">[[:en: Chopin's disease|ショパンの病(英文記事)]]も参照。</ref>。 ショパンの最期を看取ることができなかった多くの人が、後になって「ショパンの最後に居合わせた」と主張するようになったと、タッド・シュルツ(? Tad Schulz)は記している。彼らは「歴史の証人になりたがっているようだ<ref name="chopin9" />」。実際にショパンの死の床に付き添ったのは、姉のルドヴィカ、マルツェリーナ・チャルトリスカ公爵夫人<ref group="注釈">[[1817年]]生まれ。ポーランドの貴族・ピアニスト。チェルニーに学んだあとショパン門下となる。[[フランツ・リスト]]、[[ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド]]、[[アンリ・ヴュータン]]などとともにヨーロッパを演奏旅行するなど、ピアニストとして成功した。([[:en: Marcelina Czartoryska|Marcelina Czartoryska]])</ref>、ソランジュと[[オーギュスト・クレサンジェ]]夫妻、ショパンの弟子で友人のアドルフ・グートマン、友人のトーマス・アルブレヒト(Thomas Albrecht)、信頼を置いていたポーランドの[[カトリック教会]][[司祭]]のアレクサンダー・イェウォヴィツキ(Aleksander Jełowicki)神父だった<ref name="Paris p. 400" />。 夜が明けてから、クレサンジェはショパンの[[デスマスク]]を作り、また彼が傑作を生み出した左手の型を取った。彼の遺言に従い、葬儀の前に取り出された心臓は姉のルドヴィカによって祖国に持ち帰られ、クラコフスキ区<ref name=krakowskie group="注釈" />の聖十字架教会<ref group="注釈">[[ワルシャワ大学]]のキャンパス正面にある[[カトリック教会]]で、ワルシャワにおいて名高い[[バロック|バロック様式]]の建築。([[:en: Holy Cross Church, Warsaw|Holy Cross Church]])</ref>のレオナルド・マルコーニ<ref group="注釈">[[1835年]]生まれ。ポーランド及び[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の彫刻家。([[:en: Leonard Marconi|Leonard Marconi]])</ref>作の[[エピタフ]]の下の柱に、[[コニャック]]と思しきアルコールに浸けられて収められた<ref name="heart.news24" /><ref name=heart.47news /><ref name="afpbb.2008-07-26" />。そこには[[マタイによる福音書]]6:21「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」が刻まれている。ショパンの心臓は第二次世界大戦中に避難のため持ち出された時を除き、その教会で眠っている。現在の教会は[[1944年]]の[[ワルシャワ蜂起]]で大きく破壊されて再建されたものである。教会はショパンが最後に住んだポーランドの家であるクラコフスキ区5のクラジンスキ宮殿<ref name=czapski group="注釈" />からすぐ近くのところにある。 <gallery widths="100px" heights="80px"> File:PL Warsaw Stare Powązki rodzice chopina.jpg|ショパンの両親の墓<ref group="注釈">ポーランド、ワルシャワのポヴォンズキ墓地。</ref> File:Warszawa bazylika św. Krzyża 2010.jpg|ワルシャワの聖十字架教会 File:Epitaph for heart of Frédéric Chopin in Holy Cross Church in Warsaw.PNG|ショパンの心臓が埋め込まれている柱 </gallery> === 葬儀 === {{multiple image |align= right |footer=ショパンの墓<ref group="注釈">[[エウテルペー]]が壊れた[[リラ (楽器)|]]の上で涙を流す姿がモチーフ。4つ左隣には[[ルイジ・ケルビーニ|ケルビーニ]]が眠る。</ref> |width=130 |direction=vertical |image1=Pere-Lachaise Chopin grave.jpg |image2=Perelachaise-Chopin-p1000352.jpg}} パリの[[マドレーヌ寺院]]で行われることになっていた葬儀は、準備が非常に凝ったものとなったため、ほぼ2週間も遅れて[[10月30日]]に行われることになった。予定が遅れたため通常なら出席不可能であるような人びとが大勢ロンドン、ベルリン、ウィーンから集まることができた<ref name=niecks />。招待された参列者には多くのフランスの文学・貴族の名士らが名を連ねたが、音楽上の同胞たちは慎重に外された<ref name=niecks/>。 [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の『[[レクイエム (モーツァルト)|レクイエム]]』が歌われることが、急遽決められた。これはショパンの遺言とも言われたが、友人のグートマンはショパンがそのようなことを頼んだことはなく、報道の自由から生まれた夢物語であるとしている。ショパンの死から葬儀の間までにパリでは彼にまつわる膨大な出版物が出回っており、その中のいくつかの創作が後に事実のように本に記載されていったようである<ref name=niecks />。『レクイエム』は大部分が[[女声合唱]]によって歌われるが、マドレーヌ寺院は合唱隊に女性歌手が入ることを許可していなかった。しかし、教会は女性歌手を黒い[[ベルベット]]のカーテンの奥に置くこととして、好意的に協力した。『レクイエム』の[[ソロ (音楽)|ソリスト]]は、[[ソプラノ]]がジャナネ・カステラン(? Jeanne-Anais Castellan)<ref name=niecks/>、[[メゾソプラノ]]がショパンとサンドの友人だった[[ポーリーヌ・ガルシア=ヴィアルド]]<ref name="frederick" />、[[テノール]]がアレクシス・デュポン<ref group="注釈">[[1796年]]もしくは[[1798年]]生まれ。フランスの歌手。[[オペラ=コミック座]]や[[パリ国立オペラ]]などで歌っていた。([[:en: Alexis Dupont|Alexis Dupont]])</ref><ref name=niecks />、[[バス (声域)|バス]]が[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]や[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]、[[ヴィンチェンツォ・ベッリーニ]]の葬儀でも歌ったルイージ・ラブラーケ<ref group="注釈">[[1794年]]生まれ。フランスと[[アイルランド]]の血を引く歌手。『[[ドン・ジョヴァンニ]]』のレポレッロは適役だった。([[:en: Luigi Lablache|Luigi Lablache]])</ref>である。また、ショパンの『[[前奏曲 (ショパン)|前奏曲集]]』から第4番 ホ短調と第6番 ロ短調が演奏された。葬儀には3,000人近くが参列したが、その中にジョルジュ・サンドの姿はなかった。 葬送の行進は町の中央の[[パリ国立オペラ|オペラ座]]の隣にある教会から始まり、ショパンが埋葬を希望していた街の東の端の[[ペール・ラシェーズ墓地]]までの非常に長い距離にわたった。葬列を先導したのはポーランドの大移民の長だった年老いた[[アダム・イエジィ・チャルトリスキ|チャルトリスキ公]]であり、芸術家たち([[ウジェーヌ・ドラクロワ]]や[[チェリスト]]の[[オーギュスト・フランショーム]]、ピアニストのカミーユ・プレイエル(Camille Pleyel)など)が交代で担いだ棺のすぐ後ろには、姉のルドヴィカがいた<ref name="Maria Barcz 2010 p. 16" />。 埋葬の際には、その横でナポレオン・アンリ・ルベール<ref group="注釈">[[1807年]]生まれ。フランスの作曲家。[[バレエ]]・[[喜劇]]・4曲の[[交響曲]]などを遺している。([[:en: Napoléon Henri Reber|Napoléon Henri Reber]])</ref>の[[管弦楽法|管弦楽編曲]]によるショパンの『[[ピアノソナタ第2番 (ショパン)|葬送行進曲]]』が演奏された<ref name="Fryderyk Chopin 1810–1849: A Chronological Biography" />。このことについて、参列していた[[ジャコモ・マイアベーア]]は後年、自分が編曲者として選ばれなかったことに失望したと述べている<ref name="niecks" />。 ショパンの墓石はオーギュスト・クレサンジェが設計・製作したもので、音楽の[[ムーサ]]の[[エウテルペー]]が壊れた[[リラ (楽器)|リラ]]の上で涙を流す姿をかたどったものである。葬儀と碑の製作にかかった費用は合計5,000[[フラン (通貨)|フラン]]だったが、姉のルドヴィカがワルシャワへ戻る渡航費用も含めて、全ては[[ジェーン・スターリング]]が負担した<ref name="Maria Barcz 2010 p. 16" />。スターリングはその後長い間、黒衣に身を包み喪に服していた(生涯そうしていたとする文献もある{{要出典|date=2018年5月}})。 ショパンの墓には多くの人が訪れ、冬場でも捧げられる多くの花が絶えることはない。 {{-}} == 人物 == 生涯を通じて[[肺結核]]に悩まされた病弱の芸術家として有名であり、残された肖像画などからも、赤みがかった頬などその徴表が見られる。しかしそうした繊細なイメージとマッチした作風の曲ばかりでなく、自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや、大国[[ロシア帝国]]に蹂躙される故国ポーランドへの想いからか、情熱的な作風の曲も多く見られる。 幼少の頃からいろいろな面で才能を発揮し、ユーモアにあふれ、ものまねと漫画を描くのも得意で学校ではクラスの人気者だったという。 後半生は大部分をフランスで過ごしたが、望郷の思いは終生已まず、死後遺言により心臓がポーランドに持ち帰られ、ワルシャワの聖十字架教会に埋葬された。故郷を支配する列強への反発心は若い頃から強く、「美しい花畑の中に大砲が隠されている音楽」([[ロベルト・シューマン|シューマン]])と評されることもある。 女性との愛の遍歴も伝説を交えて語られることがあるが、特に年上の女流作家[[ジョルジュ・サンド]]との9年におよぶ交際の間には『24の前奏曲集』『幻想曲』『バラード第4番』『英雄ポロネーズ』『舟歌』『幻想ポロネーズ』など多くの傑作が生まれた。 ピアノの技術革新の時代に生きたショパンは新しい演奏技術の開拓に果敢に挑み、自身の練習の意味も込めて『練習曲集』(『3つの新練習曲』を除く12曲)を2つ編んだ。一方で古典の作曲家への敬意は強く(実際ショパンは自身がロマン派に属するという考えを否定した)、特に[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]と[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]は彼の作品に影響を及ぼした。例えば『24の前奏曲集』は5度循環で24の全長短調を経る小品集だが、これはバッハの『[[平均律クラヴィーア曲集]]・24の前奏曲とフーガ』を意識したものである。また心を落ち着けるためにバッハの平均律をしばしば好んで弾いた。『前奏曲作品28』を作曲したマヨルカ島に持っていった印刷された楽譜は、バッハの平均律クラヴィーア曲集のみだったという。 同時代の有名な作曲家で評論家でもあったシューマンとは違い、批評活動は全く行わず、音楽作品と文筆作品(ことに詩)との融合にもあまり積極的ではなかったという。 性格が激しく、それ故にしばしば欲求不満に陥ることもあったらしい(例えば[[1830年]]に[[ウィーン]]に来た時の、一般の音楽的嗜好が浅薄なものだったことに対して<ref name=deagostini />)。 [[写真]]は2枚残されており<ref name="third photo authenticity" />、[http://www.zwoje-scrolls.com/zwoje19/text01.htm 1846年の写真]は損傷が激しい。もう1枚は、死の直前に{{仮リンク|ルイ=オーギュスト・ビソン|en|Louis-Auguste Bisson}}によって撮られたものである。 [[File:ルイ=オーギュスト・ビソンによる晩年のショパン.jpg|thumb|ルイ=オーギュスト・ビソンによる晩年のショパン]] [[2011年]]3月にショパンの死後撮影された写真を発見したとポーランドの写真収集家が発表した<ref name="third photo authenticity" /><ref name="afpbb.2011-03-11" />。この写真には、ベッドに仰向けに横たわるショパンの横顔が写されており、ビソンの署名がある。しかし、ショパン博物館の学芸員・パリのポーランド図書館の写真専門家・ショパン研究家の3者は、この写真を偽造としている<ref name="skeptic experts" group="注釈">■ショパン博物館の学芸員「死後に写真撮影された記録がない」 ■パリにあるポーランド図書館の写真専門家「写真とデスマスクとは似ておらず、またビソンが自分の名前や日時を写真に添えたことは一度もなく、むしろ偽作と明らかにされている写真に見られるものである」 ■ショパンの研究家「写真はショパンに似ておらず、またショパンの死後三日間遺体に付き添った人々は、数時間を要する撮影に気づきもしなかった」{{cite web|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2011/03/10/AR2011031001937.html |title=Chopin experts debate photo's authenticity |accessdate=2014-01-06 |date=2011-03-10 |publisher=[[ワシントン・ポスト]] }}</ref>。 [[2017年]]1月にスイスの物理学者アラン・コーラーによる新たな写真の発見が発表された<ref name="unpublished photograph" />。 <gallery widths="200px" heights="120px"> File:Chopin Intl Piano Competition 2005.jpg|[[ショパン国際ピアノコンクール]]の会場風景<br>(ポーランド、ワルシャワ、[[2005年]]) File:Zamek Ostrogskich w Warszawie 2022.jpg|フレデリック・ショパン博物館(オストログスキ家宮殿)。ポーランド、ワルシャワ<ref group="注釈">[[ヤヌシュ・オストログスキ]]が[[1681年]]より建築、のちに[[アンジェイ・ザモイスキ|ザモイスキ家]]が購入してワルシャワでの[[下屋敷]]として使用し、その後は学生寮、陸軍病院、音楽大学として使われ、第二次世界大戦後にフレデリック・ショパン協会に渡って本部事務局および博物館となった。撮影は[[2007年]]のものだが、その後全面改装し[[2010年]][[3月]]に再開館している。</ref> </gallery> === ショパンの書簡に関する問題 === ショパンの書簡については、作品同様に戦乱によってその大部分が消失していること、{{仮リンク|ティトゥス・ヴォイチェホフスキ|en|Tytus Woyciechowski}}ら一部の友人及び{{仮リンク|マウリツィ・カラソフスキ|label=モーリッツ・カラソフスキ|pl|Maurycy Karasowski}}ら後世のポーランドの伝記作家が[[ナショナリズム|国粋主義的]]な動機から改竄を加えたことなどから、友人による写しなどソースが怪しいものが多く、それらにもとづく虚実不明のエピソードが現在に至るまで流布している<ref>{{Cite web |title=ショパンは同性愛者だった? LGBTQに風当たりの強いポーランドで物議 |url=https://www.cnn.co.jp/world/35163130.html |website=CNN.co.jp |access-date=2022-04-19 |language=ja}}</ref><ref name=":0">{{Cite web |title=Late Outing - Chopin was Homosexual – and Nobody should Know - Kultur - SRF |url=https://www.srf.ch/article/19333924/amp |website=www.srf.ch |access-date=2022-04-19}}</ref>。 代表的な事例として、第二次大戦直後にポーランドの音楽研究家パウリーナ・チェルニツカが、ショパンが[[デルフィナ・ポトツカ|デルフィヌ・ポトツカ]]伯爵夫人に書いたという大量の書簡を公表した、というケースがある。これらにはショパンの私生活に対する言及や彼の音楽思想、他の音楽家に対する批評が多く含まれていたため議論を巻き起こした。彼女は原本の公開を拒否したまま謎の自殺を遂げたが、現在では(一部に議論はあるが)少なくとも大部分が彼女による偽作とされている。[[1950年代|1950]]-[[1960年代|60年代]]に書かれた伝記などにはこれらの書簡を引用したものが多い。ちなみに、ショパンがポトツカ伯爵夫人に書いた本物の手紙は一点のみ現存している<ref>スモテル [[1985年]]</ref>。 == 作品 == {{main|ショパンの楽曲一覧}} ショパンは、多くのピアノ作品を残したが、その中には未知の作品や、原稿消失作品が複数あることが確認されている。出版されている作品についても、戦乱により自筆譜が失われているものが多い。 ショパンの作品にはいろいろと逸話のあるものが多く、それらの中にはきちんと確証の持てないものも多い。サブタイトルは、ショパンが曲にタイトルを付けることを好まなかったため、ほとんどはショパン自身によるものではない。 ショパンは、遺言で自分の未出版作品の破棄を希望していたが、その希望は受け入れられず、友人でもあった[[ユリアン・フォンタナ]]をはじめとするショパン研究者によって出版された。主な遺作には、『[[幻想即興曲]]』『[[夜想曲第20番 (ショパン)|レント・コン・グラン・エスプッレシオーネ 嬰ハ短調(夜想曲 第20番)]]』などがある。 フォンタナは、ショパンの原稿を整理し、また作曲年代に関係なく作品番号を付けて出版した。遺作にあたる作品66から74は、フォンタナによって付けられた作品番号である。 なおショパンの作品の分類番号は2つある。KK(クリスティナ・コビラィンスカによる作品番号のついていない作品)とBI(モーリス・ブラウンによる作品分類番号)の2つである。ヤン・エキエルは、彼自身が編纂しているナショナル・エディション(ショパン全集)の中で、作品番号の付いていない作品に限って、WN(''Wydanie Narodowe'' = ナショナル・エディション)というエキエル独自の作品分類番号を記している。 === 編曲 === ==== オーケストラ曲 ==== 有名なものとして、いくつかの楽曲に[[管弦楽法|オーケストレーション]]を施してまとめた数種のバレエ音楽がある。 * [[レ・シルフィード]](Les Sylphides) - [[1909年]]初演のバレエ曲目。バレエ演目としてのショパンの編曲では最も有名なもの。編曲者は多数にわたるが、次項のグラズノフを含む。[[ラ・シルフィード]](La Sylphide) - [[1835年]]初演のバレエ曲目と混同される事があるが、こちらはショパンとは関係ない。 * [[ショピニアーナ]](Chopiniana) - [[アレクサンドル・グラズノフ|グラズノフ]]編曲によるもの。バレエ音楽としての『レ・シルフィード』そのものを指す場合と、『レ・シルフィード』からグラズノフの編曲によるものをさらに抜粋した演奏会用組曲を指す場合がある。英雄ポロネーズや軍隊ポロネーズ、ノクターンやマズルカなどにオーケストレーションが施されている。 ==== ピアノ曲 ==== *[[フランツ・リスト]] 『ポーランド歌曲集』 - ショパンの歌曲集作品74をピアノ独奏用に編曲。 *[[ステファン・ヘラー]] 『エレジーと葬送行進曲 作品71』 - 前奏曲作品28-4と作品28-6の編曲。 *[[ミリイ・バラキレフ]] 『ショパンの2つの前奏曲の主題による即興曲』 - 前奏曲作品28-11と作品28-14の合体編曲。 *[[レオポルド・ゴドフスキー]] 『[[ショパンのエチュードによる練習曲|ショパンの練習曲に基づく53の練習曲]]』 *[[マックス・レーガー]] 『ピアノのための5つの特別練習曲』 - 第1番(作品64-1の編曲)・第2番(作品42)・第3番(作品29)・第4番(作品25-6)・第5番(作品64-2)。 ==== 歌曲 ==== *[[ポーリーヌ・ヴィアルド]] 『6つのマズルカ』 - ルイ・ポメ(Louis Pomey)のフランス語の詞による歌曲への編曲。ショパンの面前でも演奏された<ref>Urszula Kryger (mezzo), Charles Spencer (piano) "Chopin Polish Songs" Hyperion CDH55270 のMieczyslaw Tomaszewskiによる[[ライナーノーツ]]</ref>。 **第1集([[1864年]]出版)作品6-1・作品7-1・作品24-1・作品33-3・作品50-2・作品68-2の編曲。 **第2集([[1888年]]頃出版)作品6-4・作品7-3・作品24-2・作品33-3・作品50-1・作品67-1の編曲。 == 楽器 == ワルシャワ在住時にショパンが作曲と演奏に使っていた楽器は、[[フリデリク・ブッフホルツ|ブッフホルツ]]製のピアノであった<ref>Majorek, Czeslaw; Zasztoft, Leszek (1991). "[https://doi.org/10.2307/368794 Popularyzacja nauki w Krolestwie Polskim w latach 1864–1905]". ''[[:en:History_of_Education_Quarterly|History of Education Quarterly]]''. '''31''' (1): 109. [[デジタルオブジェクト識別子|doi]]:[[doi:10.2307/368794|10.2307/368794]]. [[ISSN]] [[issn:0018-2680|0018-2680]]. [[JSTOR]] [https://www.jstor.org/stable/368794 368794].</ref>。この楽器については、2018年に[[ポール・マクナルティ]]が復元楽器を製作し、[[ワルシャワ大劇場]]で公開演奏されたほか<ref>"[https://muzeum.nifc.pl/pl/muzeum/aktualnosci/955 Narodowy Instytut Fryderyka Chopina]". ''muzeum.nifc.pl''. Retrieved 24 June 2021.</ref>、[[:en:Fryderyk_Chopin_Institute|ショパン研究所]]主催の第1回[[ショパン国際ピリオド楽器コンクール]]で使用されたことが知られている<ref>Moran, Michael (31 January 2018). "[https://michael-moran.org/2018/01/31/1st-international-chopin-competition-on-period-instruments/ 1st International Chopin Competition on Period Instruments. 2–14 September 2018]". ''Classical Music Festivals and Competitions in Poland and Germany - with occasional unrelated detours''. Retrieved 24 June2021.</ref>。 ショパンはその後、ワルシャワを離れたパリ在住時に、[[プレイエル]]から楽器を購入した。彼はプレイエルのピアノを、「ノン・プルス・ウルトラ」(極致!)と評価している<ref>Audéon, Hervé (2016). "L'œuvre de Frédéric Kalkbrenner (1785–1849) et ses rapports avec Frédéric Chopin (1810–1849)". In Hug, Vanya (ed.). ''[https://www.peterlang.com/view/9783035108637/9783035108637.00007.xml Chopin et son temps / Chopin and his time]'' (in French). [[ISBN]] [[特別:BookSources/978-3-0343-2000-9|<bdi>978-3-0343-2000-9</bdi>]].</ref>。パリでショパンと交友関係にあった[[フランツ・リスト|リスト]]は、ショパンのプレイエルの音を「クリスタルと水の結婚」のようだと述べている<ref>Liszt, Franz; Cook, M. Walker (1 April 1877). "[https://doi.org/10.2307/3351980 Life of Chopin]". ''[[:en:The_Musical_Times_and_Singing_Class_Circular|The Musical Times and Singing Class Circular]]''. '''18''' (410): 184. [[デジタルオブジェクト識別子|doi]]:[[doi:10.2307/3351980|10.2307/3351980]]. [[ISSN]] [[issn:0958-8434|0958-8434]]. [[JSTOR]] [https://www.jstor.org/stable/3351980 3351980].</ref>。 また1848年にロンドンに滞在していたショパンは、自分のピアノ3台について''「大きな応接間にはピアノが3台あり、プレイエル1台、[[ジョン・ブロードウッド・アンド・サンズ|ブロードウッド]]1台、[[セバスチャン・エラール|エラール]]1台がある。」''と手紙に記している<ref>[https://archive.org/details/chopinsletters00chop/page/368/mode/2up?q=broadwood Chopin's letters. By Chopin, Frédéric, 1810-1849; Voynich, E. L. (Ethel Lillian), 1864-1960; Opienski, Henryk, 1870-1942]</ref>。 == 楽譜 == ポーランド音楽出版社(パデレフスキ版およびエキエル版)や[[ヘンレ (出版社)|ヘンレ社]]やペータース社などの[[原典版]]楽譜では、ショパン自筆の楽譜と、フォンタナやその他の編集者による楽譜が掲載されており、比較することができる。 ; パデレフスキ版 : ショパン旧全集(全27巻)イグナツィ・パデレフスキ編集。クラクフ版と呼ばれることもある。 全27巻の中から1曲または数曲を収めたピース版と作品選集も刊行されている。 ; [[:en:Chopin National Edition|エキエル版]] : ショパン・ナショナル・エディション財団(FWN = Fundacja Wydania Narodowego Dziel Fryderyka Chopina)ショパン新全集(全37巻)ヤン・エキエル編集。通称「エキエル版」または「ナショナル・エディション」(補遺作品集以外は、2010年に完結)1995年に装丁デザインが変更された。要約及び校訂報告がポーランド語版だけでなく英語版も出版された。一部の楽譜ではフランス語版とドイツ語版も出版されている。2021年5月からは全音楽譜出版社より日本語版が順次出版されている。 ; [[ペータース (出版社)|ペータース社]]版 : ブロニスラウ・フォン・ポツニアク(ブロニスワフ・プズニャク)とヘルマン・ショルツ編集 : ショパン全集・新校訂による原典版(ロンドン・ペータース社から現在刊行中) ; ウィーン原典版 : ヤン・エキエル編集。ただし、エチュード集が[[パウル・バドゥラ=スコダ]]編集、24の前奏曲作品28がコンラート・ハンゼン編集、ポロネーズ集<ref group="注釈">これとは別に、ポロネーズ変イ長調 《英雄》 作品53が単独でも出版されている。</ref>とアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ作品22がクリスティアン・ウーバー編集。 ; ヘンレ社原典版 (通称「ヘンレ版」) : 旧ショパン集・Ewald Zimmermann校訂による旧原典版 1980年代の校訂。 : 新ショパン集・Norbert Müllemann校訂による新原典版 2010年代以降の校訂。 ; [[サラベール|サラベール社]]版([[アルフレッド・コルトー]]による校訂。通称 「コルトー版」) ; [[デュラン (出版社)|デュラン社]]版([[クロード・ドビュッシー]]による校訂) ; [[音楽之友社]]版 ; [[春秋社]]版([[井口基成]]による校訂) ; [[全音楽譜出版社]]版 : エチュードのみ原典版に基づく山崎孝校訂版もある。 == メディア == {{multi-listen start}} {{multi-listen item|filename=Chopin Liszt Zyczenie (The Maiden's Wish) Brian E Young.ogg|title=17の歌曲作品74第1番『乙女の願い』|description=ショパンははじめこの曲をピアノと声楽のために書いたが、[[フランツ・リスト|リスト]]によってピアノ独奏曲に編曲された。|format=[[Ogg]]}} {{multi-listen item|filename=Chopin-Berceuse.ogg|title=子守唄|description=[[子守歌 (ショパン)|作品57]]。Veronica van der Knaapによる演奏。|format=[[Ogg]]}} {{multi-listen item|filename=Frederic Chopin - ballade no. 3 in a flat major, op. 47.ogg|title=バラード第3番|description=[[バラード第3番 (ショパン)|バラード第3番]]。Paul Pitmanによる演奏。|format=[[Ogg]]}} {{multi-listen end}} === ピリオド楽器による録音 === * Alexei Lubimov. [https://publikacje.nifc.pl/en/wydawnictwa-plytowe/artykul/200_nifccd-071-chopin-bach-mozart-beethoven Chopin, Bach, Mozart, Beethoven. At Chopin’s Home Piano]. Played on the 1843 Pleyel piano. * Krzysztof Książek. Fryderyk Chopin, Karol Kurpiński. [https://www.music-island.pl/opisplyty-NIFCCD+056.html Piano Concerto No.2 f-moll (solo version), Mazurkas, Ballade]; Fugue & Coda B-dur. Played on a copy of a Buchholtz piano made by Paul McNulty. * Viviana Sofronitsky, Sergei Istomin. Fryderyk Chopin. [https://www.discogs.com/Chopin-Viviana-Sofronitsky-Sergei-Istomin-Fryderyk-Chopin-Complete-Works-For-Cello-And-Piano/release/10100649 Complete works for cello and piano]. Played on a copy of the 1830 Pleyel and the 1819 Graf instruments  made by Paul McNulty. * Dina Yoffe. Fryderyk Chopin. [https://www.challengerecords.com/products/15368331867324 Piano Concertos No. 1 & 2, version for one piano]. Played on the1848 Pleyel and the 1838 Erard pianos. * Riko Fukuda, Tomias Koch. [https://www.fnac.com/a8757127/Frederic-Chopin-Grand-duo-%C5%92uvres-pour-duo-de-pianofortes-CD-album Chopin, Mendelssohn, Moscheles, Hiller, Liszt. Grand duo Œuvres pour duo de pianofortes].  Played on the 1830 and 1845 Graf pianos. * Tomasz Ritter. Fryderyk Chopin. [https://publikacje.nifc.pl/en/wydawnictwa-plytowe/artykul/70_nifccd-634-chopin-kurpinski-tomasz-ritter/ Sonata in B Minor, Ballade in F minor, Polonaises, Mazurkas. Karol Kurpinski. Polonaise in D minor]. Played on the 1842 Pleyel piano, the 1837 Erard piano and a copy of Buchholtz piano from ca 1825-1826 made by Paul McNulty. == フレデリック・ショパンを扱った作品 == === 題名及び歌詞に出てくる楽曲 === * 『[[謝肉祭_(シューマン)|謝肉祭]]』作品9 - [[ロベルト・シューマン]] ** [[クララ・シューマン|クララ・ヴィーク]](第11曲の「キアリーナ」)や[[ニコロ・パガニーニ|パガニーニ]](第16曲の途中にある間奏曲)と共に第12曲のタイトルとして現れている。 * 『[[月に憑かれたピエロ]]』作品21 - [[アルノルト・シェーンベルク]] ** 第1部第5曲が『ショパンのワルツ』と題されている。 * 『[[スティーヴ・ライヒ|ライヒ]]と[[テリー・ライリー|ライリー]]のいる自画像、背景にショパンもいる』 - [[ジェルジ・リゲティ]] ** 繰り返しを基調とするリゲティ自身の1970年代以降の音楽について、アメリカ発の[[ミニマル・ミュージック]]との共通性を題名で告白しているが、同時にその源流をショパンにも見いだしている。 * 18の小品『15.ショパン風に』Op.72-15 - [[ピョートル・チャイコフスキー]] * 『気分』第5曲 練習曲「ショパンへのオマージュ」Op.73-5 - [[エドヴァルド・グリーグ]] * 『ショパンの主題による変奏曲』- [[フェデリコ・モンポウ]](ショパンの『24の前奏曲』第7番イ長調による。第10変奏には幻想即興曲のメロディも使われている) * [[雨音はショパンの調べ]] - [[1983年]]に[[イタリア]]の男性歌手[[ガゼボ (歌手)|ガゼボ]]が発表した楽曲。英語で歌われており、原題は『[[:en: I like Chopin|I like Chopin]]』。日本でも[[小林麻美]] with C-POINTのほか日本語カバーが複数存在する。 === 映画 === * [[別れの曲 (映画)|別れの曲]] - [[1934年]]公開のドイツ映画。ショパンの伝記映画であり、『12の練習曲 作品10』の第3番が「[[練習曲作品10-3 (ショパン)|別れの曲]]」と呼ばれる所以となった作品。 * [[楽聖ショパン]] - ショパンの伝記映画。[[1945年]]公開のアメリカ映画。 * [[ソフィー・マルソーの愛人日記]] - サンドとショパン、娘ソランジュらを描いた[[1991年]]のフランス映画。 * [[ショパン 愛と哀しみの旋律]] - ショパンとサンドの恋愛を描いた[[2002年]]公開のポーランド映画。 * [[戦場のピアニスト]] - [[2002年]]公開。ショパンを扱った作品ではないが、ショパンのピアノ曲が多数演奏される。 === 小説・漫画 === * "Życie Chopina(ショパンの生涯)" - ポーランドの詩人[[カジミェシュ・ヴィエジンスキ]]が1949年にニューヨークで出版。 * [[葬送 (小説)|葬送]] - ショパンを主人公とした[[平野啓一郎]]の長篇小説。 * [[虹のプレリュード]] - ポーランド時代のショパンが登場する[[手塚治虫]]の漫画。 * [[僕のショパン]] - ショパンとリストの友情を描いた[[桃雪琴梨]]の漫画。 * [[君のために弾くショパン]] - ショパンの精霊が現代の日本で現れる[[長江朋美]]の漫画。 === ゲーム === * [[トラスティベル 〜ショパンの夢〜]] - [[トライクレッシェンド]]が開発し、バンダイナムコゲームス(現・[[バンダイナムコエンターテインメント]])より発売された[[ロールプレイングゲーム]]。ショパンが今際に病床で見た最後の夢の世界を彼とは違う夢の世界の住人の少年を主人公に付き添う形で冒険する。 * [[モンスターストライク]] - 株式会社[[MIXI]]から配信されている[[iOS]]・[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]用[[ゲーム]][[アプリ]]。使用キャラクターとしてショパンが登場する。 * ラヴヘブン - 株式会社アンビションから配信されている[[iOS]]・[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]用[[ゲーム]][[アプリ]]。使用キャラクターとしてショパンが登場する。 === アニメ === * [[クラシカロイド]] - [[日本放送協会|NHK]]制作のアニメーション。登場人物としてショパンが登場する。 * [[ルパン三世 グッバイ・パートナー]] - [[金曜ロードSHOW!]]で放送された[[ルパン三世]]のテレビスペシャルシリーズ。過去の登場人物としてショパンが登場する。 === 舞台 === * [[ザ・クラシック-I LOVE CHOPIN]] - [[宝塚歌劇団]]宙組によるショー。ショパンの楽曲や生涯を題材にした華麗なレヴュー作品。 * [[巡礼の年~リスト・フェレンツ、魂の彷徨~]] - [[宝塚歌劇団]]花組によるミュージカル。作曲家リストの若き日の苦悩と情熱を描いた。ショパンは、リストの盟友であり好敵手として登場する。演:[[水美舞斗]]。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist|2|refs= <ref name="ostrogski">ショパンの言葉に関する解釈はワルシャワ、[[:en: Ostrogski Palace|Ostrogski Palace]]のショパン博物館で聞くことができる。</ref> }} === 出典 === {{reflist|colwidth=30em|refs= <ref name=pl>{{cite web|url=http://en.chopin.nifc.pl/chopin/persons/detail/id/616 |title=Fryderyk Chopin - Information Centre - Ludwika Jędrzejewiczowa - Biography |publisher=The Fryderyk Chopin Institute |date= |accessdate=2011-06-08}}</ref> <ref name="chopin">Łopaciński, "Chopin, Mikołaj," p. 427.</ref> <ref name="Wladimir B. Krzyzanowski">{{cite web|author=Michael Robert Patterson |url=http://www.arlingtoncemetery.net/wbkrzyzanowski.htm |title=Wladimir B. Krzyzanowski |publisher=Arlingtoncemetery.net |accessdate=14 February 2010}}</ref> <ref name="biograficzny">[[:en: Zdzisław Jachimecki|Zdzisław Jachimecki]], "Chopin, Fryderyk Franciszek," ''[[:en: Polski słownik biograficzny|Polski słownik biograficzny]]'', vol. III, 1937, p. 420.</ref> <ref name="chopin.pl biography">{{cite web |title=Life / Biography – general outline |last=Smolenska-Zielinska |first=Barbara |url=http://www.chopin.pl/biography_chopin.en.html |publisher=Fryderyk Chopin Society |accessdate=26 February 2010}}</ref> <ref name="hedley">ショパンの書簡の縮約版「フレデリック・ショパンの書簡選集 ''Selected Correspondence of Fryderyk Chopin''」 収集、注釈Bronislaw Edward Sydow、翻訳 translated by Arthur Hedley、 McGraw-Hill, 1963, p. 116</ref> <ref name="mercure">[[:fr:Édouard Ganche|Édouard Ganche]], ''Frédéric Chopin: sa vie et ses œuvres'' (Frédéric Chopin: His Life and Works), [[:en: Mercure de France|Mercure de France]], 1913.</ref> <ref name="muzykowanie">Artur Szklener, "''Fryckowe lato: czyli wakacyjne muzykowanie Chopina''" ("Fritz's Summers: Chopin's Musical Vacations"), ''Magazyn Chopin: Miesięcznik Narodowego Instytutu Fryderyka Chopina'' (Chopin Magazine: Monthly of the Fryderyk Chopin National Institute), no. 4, 2010, p. 8.</ref> <ref name="nifc">[http://en.chopin.nifc.pl/chopin/places/poland/id/612] Fryderyk Chopin Information Centre.</ref> <ref name="nifc1">{{cite web|url=http://en.chopin.nifc.pl/chopin/persons/detail/id/6608 |title=Fryderyk Chopin - Information Centre - Dominik Dziewanowski - Biography |publisher=En.chopin.nifc.pl |date= |accessdate=24 October 2011}}</ref> <ref name="polemb">[http://www.washington.polemb.net/sites/LostART/259.htm Ambroży Mieroszewski's portrait [[:en: Wojciech Żywny|of Wojciech Żywny]], 1829] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090903140119/http://www.washington.polemb.net/sites/LostART/259.htm |date=2009年9月3日 }}.</ref> <ref name="redniowiecza">Jan Zygmunt Jakubowski, ed., ''Literatura polska od średniowiecza do pozytywizmu'' (Polish Literature from the Middle Ages to Positivism), pp. 514–15.</ref> <ref name="rzeczpospolita">Jarosław Krawczyk, "''Wielkie odkrycia ludzkości. Nr 17''," ''[[:en: Rzeczpospolita (newspaper)|Rzeczpospolita]]'', 12 June 2008.</ref> <ref name="publishing">Sheppard, Linda. "Frédéric Chopin's Résumé". Musical overview (1600–2000): from the History à la carte series. Canada: Longbow Publishing Ltd, 2006.</ref> <ref name="yjfiuq">David Ewen, p. 164.</ref> <ref name="citizenship">{{cite book |title=Chopin in Paris: The Life and Times of the Romantic Composer|url=https://books.google.com/?id=dyGlBVqYFjwC&pg=PA69&dq=%22chopin+in+paris%22++%22Fryderyk+became+a+French+citizen%22&cd=1#v=onepage&q=%22chopin%20in%20paris%22%20%20%22Fryderyk%20became%20a%20French%20citizen%22&f=false|publisher=Da Capo Press|page=69|accessdate=7 May 2010|author=Tad Szulc |isbn=978-0-306-80933-0 |date=30 December 1999}}</ref> <ref name="harris">{{cite web|url=http://etd.lsu.edu/docs/available/etd-04082005-095548/unrestricted/Harris_dis.pdf|title=The Music Salon of Pauline Viardot|author=Rachel M. Harris|format=PDF|accessdate=14 February 2010}}{{リンク切れ|date=2017年9月 |bot=InternetArchiveBot }}</ref> <ref name="acquaintance">Krzysztof Rottermund, "Chopin and Hesse: New Facts About Their Artistic Acquaintance," translation in ''The American Organist'', March 2008.</ref> <ref name="Fryderyk Chopin 1810–1849: A Chronological Biography">{{cite web |url=http://www.dobrowolski.com/joeandpam/famouspols/chopin-bio.html |title=Fryderyk Chopin 1810–1849: A Chronological Biography |publisher=Dobrowolski.com |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090205063232/http://www.dobrowolski.com/joeandpam/famouspols/chopin-bio.html |archivedate=2009年2月5日 |accessdate=14 February 2010 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref> <ref name="frederick">[[:en: Frederick Niecks|Frederick Niecks]], ''The Life of Chopin'', vol. II, London, Novello, Ewers & Co., 1888, p. 325.</ref> <ref name="niecks">[http://www.globusz.com/ebooks/FrederickChopin/00000046.htm Frederick Niecks, ''Frédéric Chopin'']</ref> <ref name="mysterious">Lagerberg, Steven. ''Chopin's Heart – The Quest to Identify the Mysterious Illness of the World's Most Beloved Composer.'' Lagerberg, 2011, ISBN 1-4564-0296-X.</ref> <ref name="fibrosis">D.J. Mantle, A.P. Norman, "Life-table for Cystic Fibrosis," ''[[British Medical Journal]]'', issue 5524, pp. 1238–41.</ref> <ref name="afpbb.2008-07-26">{{Cite web|和書|url=http://www.afpbb.com/articles/-/2410675 |title=ショパンの死因は?心臓のDNA鑑定求める研究者ら |accessdate=2014-01-05 |date=2008-07-26 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140105131901/http://www.afpbb.com/articles/-/2410675 |archivedate=2014-01-05 }}</ref> <ref name="heart.news24">{{cite web|url=http://www.news24.com/SciTech/News/Home-is-where-the-heartll-stay-20080726 |title=Home is where the heart'll stay |accessdate=2014-01-05 |date=2008-07-26 |publisher=[[:en:News24]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140105110002/http://www.news24.com/SciTech/News/Home-is-where-the-heartll-stay-20080726 |archivedate=2014-01-05 }}</ref> <ref name="heart.47news">{{Cite web|和書|url=http://www.47news.jp/CN/200807/CN2008072601000356.html |title=ショパンの心臓鑑定だめ ポーランド政府が決定 |accessdate=2014-01-05 |date=2008-07-26 |publisher=[[47NEWS]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140105111116/http://www.47news.jp/CN/200807/CN2008072601000356.html |archivedate=2014-01-05 }}</ref> <ref name="Maria Barcz 2010 p. 16">Maria Barcz, "''Etiuda paryska''" ("Paris Étude"), ''Gwiazda Polarna'' (The Pole Star), vol. 101, no. 17 (14 August 2010), p. 16.</ref> <ref name="Long-lost Chopin letters revealed by Polish museum">{{cite news|title=Long-lost Chopin letters revealed by Polish museum|url=https://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5iXk-FI8qDObmo-ABKXwYZyCaz_7w?docId=CNG.f562d238b750a565f6cd658dfd177857.2d1|accessdate=24 March 2011|date=24 March 2011}}</ref> <ref name="monuments">Michael T.R.B. Turnbull, ''Monuments and Statues of Edinburgh'', Chambers, p. 53.</ref> <ref name="Chopin's Scottish autumn – Frederick Chopin">{{cite news|url=http://findarticles.com/p/articles/mi_m2242/is_n1530_v263/ai_14234524/pg_2/|date=2 June 2009|accessdate=14 February 2010|first=Iwo|last=Zaluski|title=Chopin's Scottish autumn – Frederick Chopin|work=Contemporary Review|archiveurl=https://archive.is/20120529020307/http://findarticles.com/p/articles/mi_m2242/is_n1530_v263/ai_14234524/pg_2/|archivedate=2012年5月29日|deadurldate=2017年9月}}</ref> <ref name="ReferenceA">[[:en: Arthur Hedley|Hedley]], ''[[:en: Encyclopædia Britannica]]'', p. 264.</ref> <ref name = "rjsfih">[[:en: Arthur Hedley|Hedley]], ''[[:en: Encyclopædia Britannica|Encyclopædia Britannica]]'', p. 263.</ref> <ref name="impressions">[[:en: George Sand|George Sand]], ''Impressions et souvenirs'', chapter V, p. 86, quoted in [[:en: André Maurois|André Maurois]], ''Léila'', pp. 338–9.</ref> <ref name="maurois">[[:en: André Maurois|André Maurois]], ''Léila'', pp. 333, 337–8.</ref> <ref name="hopkins">[[:en: André Maurois|André Maurois]], ''Léila: the Life of George Sand'', trans. by Gerard Hopkins, Penguin, 1980 (c 1953), pp. 317–20.</ref> <ref name="jachimecki4">[[:en: Zdzisław Jachimecki|Jachimecki]], p 423.</ref> <ref name="jachimecki">[[:en: Zdzisław Jachimecki|Jachimecki]], pp. 421–22.</ref> <ref name="pocsct">[[:en: Zdzisław Jachimecki|Jachimecki]], p. 421.</ref> <ref name="jachimecki3">[[:en: Zdzisław Jachimecki|Jachimecki]], pp. 422–23.</ref> <ref name="xjsgfg">[[:en: Zdzisław Jachimecki|Jachimecki]], p. 423.</ref> <ref name="zaxpfe">[[:en: Zdzisław Jachimecki|Jachimecki]], p. 422.</ref> <ref name="gredxn">[[:en: Zdzisław Jachimecki|Jachimecki]], p. 424.</ref> <ref name ="wrjnnn">[[:en: Zdzisław Jachimecki|Jachimecki]], p. 420.</ref> <ref name="chopin12">[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]], ''Chopin in Paris'', p. 12, 404.</ref> <ref name="chopin7">[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]], ''Chopin in Paris'', p. 403.</ref> <ref name="chopin9">[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]], ''Chopin in Paris'', p. 399.</ref> <ref name="chopin5">[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]], ''Chopin in Paris'', pp. 160, 165, 194–95.</ref> <ref name="chopin6">[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]], ''Chopin in Paris'', p. 146.</ref> <ref name="chopin1">[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]], "Chopin in Paris," pp. 41-42.</ref> <ref name="Paris p. 400">[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]], ''Chopin in Paris'', p. 400.</ref> <ref name="chopin8">[[:en: Tad Szulc|Tad Szulc]], ''Chopin in Paris'', p. 383.</ref> <ref name="third photo authenticity">{{cite web|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2011/03/10/AR2011031001937.html |title=Chopin experts debate photo's authenticity |accessdate=2014-01-06 |date=2011-03-10 |publisher=[[ワシントン・ポスト]] }}</ref> <ref name="afpbb.2011-03-11">{{Cite web|和書|url=http://www.afpbb.com/articles/-/2789866 |title=ショパンの死後の写真発見か、ポーランド |accessdate=2014-01-06 |date=2011-03-11 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140106081912/http://www.afpbb.com/articles/-/2789866 |archivedate=2014-01-06 }}</ref> <ref name="unpublished photograph">{{cite web|url=http://poland.pl/arts/music/unpublished-photograph-chopin-believed-have-been-discovered |title=Unpublished photograph of Chopin believed to have been discovered |accessdate=2017-10-29 |date=2017-01-18 }}</ref> }} == 書簡訳書 == *『ショパンの手紙』アーサー・ヘドレイ編、[[小松雄一郎]]訳、[[白水社]]、1965年、新装版1980年、2003年 *『ショパン全書簡 1816~1831年 ポーランド時代』[[岩波書店]]、2012年 *『ショパン全書簡 1831~1835年 パリ時代 上』岩波書店、2019年10月 *『ショパン全書簡 1836~1839年 パリ時代 下』岩波書店、2020年12月 *:各・ゾフィア・ヘルマン/ズビグニェフ・スコヴロン/ハンナ・ヴルブレフスカ=ストラウス編 *:各・[[関口時正]]/重川真紀/平岩理恵/西田論子/木原槙子 訳 == 参考文献 == * {{cite book|author=下田幸二|title=聴くために 弾くために ショパン全曲解説|publisher=ハンナ|year=1997|ISBN=978-4883640225}} * {{cite book|author=小坂裕子|title=作曲家 人と作品 ショパン|publisher=[[音楽之友社]]|year=2004|ISBN=978-4-276-22178-9}} * {{cite book|title=ショパン 全書簡 1816 - 1831 ポーランド時代|publisher=岩波書店|ISBN=978-4-00-025839-5}} * {{cite book|author=イェージー・マリア・スモテル|translator=足達和子|title=贋作ショパンの手紙|publisher=音楽之友社|year=1985|ISBN=4-276-22433-0}} * {{cite book|last=Szulc|first=Tad|authorlink=:en: Tad Szulc|title=Chopin in Paris: the Life and Times of the Romantic Composer|location=New York|publisher=Scribner|year=1998|ISBN=0-684-82458-2}} * {{cite encyclopedia |last=Jachimecki|first=Zdzisław|authorlink=:en: Zdzisław Jachimecki|title=Chopin, Fryderyk Franciszek|encyclopedia=[[:en: Polski słownik biograficzny|Polski słownik biograficzny]]|volume=3|location=Kraków|publisher=[[:en: Polish Academy of Learning|Polska Akademia Umiejętności]]|year=1937|pages=420–26|language=Polish}} * [[:en: Arthur Hedley|Arthur Hedley]] ''[[:en: et al.|et al.]]'', "Chopin, Frédéric (François)," ''[[:en: Encyclopædia Britannica|Encyclopædia Britannica]]'', 15th ed., 2005, vol. 3, pp.&nbsp;263–64. * {{cite encyclopedia|first=Wincenty|last=Łopaciński|title=[[:en: Nicolas Chopin|Chopin, Mikołaj]]|encyclopedia=[[:en: Polski słownik biograficzny|Polski słownik biograficzny]]|volume=3|location=[[:en: Kraków|Kraków]]|publisher=[[:en: Polish Academy of Learning|Polska Akademia Umiejętnosści]]|year=1937|pages=426–27|language=Polish}} * [[:fr: Édouard Ganche|Édouard Ganche]], ''Frédéric Chopin: sa vie et ses œuvres'' (Frédéric Chopin: His Life and Works), [[:en: Mercure de France|Mercure de France]], 1913. * [[:it: Gastone Belotti|Gastone Belotti]], ''Chopin, l'uomo'' (Chopin the Man), 3 vols., Milan, Sapere, 1974. * Gastone Belotti, ''Chopin'', Turin, [[:en: EDT (editore)|EDT]], 1984, ISBN 88-7063-033-1. * {{cite encyclopedia |last=Abraham |first=Gerald |authorlink=:en: Gerald Abraham |title=Chopin Frédéric |year=1986 |volume=6 |pages=627–28 |encyclopedia=[[アメリカ大百科事典|Encyclopedia Americana]]}} * {{cite book|last=Zamoyski|first=Adam|authorlink=:en: Adam Zamoyski|title=Chopin: a Biography|location=New York|publisher=Doubleday|year=1980|ISBN=0-385-13597-1}} **アダム・ザモイスキ『ショパン-プリンス・オブ・ザ・ロマンティックス』[[大西直樹]]・楠原祥子 訳、[[音楽之友社]], 2022.ISBN 978-4-276-21007-3 * Michałowski, Kornel, and Jim Samson, ''Chopin, Fryderyk Franciszek'', Grove Music Online, edited by L. Macy (Retrieved 31 October 2006) [http://www.grovemusic.com (subscription access)] * {{cite book|last=Eisler|first=Benita|title=Chopin's Funeral|url=https://books.google.co.jp/books/about/Chopin_s_Funeral.html?id=nSvdHAAACAAJ&redir_esc=y&hl=ja|location=London|publisher=Abacus|isbn=0349116873|OCLC=53392670}} * {{cite book |last=Wuest |first=Hans Werner |year=2001 |title=Frédéric Chopin, Briefe und Zeitzeugnisse |location=Cologne |isbn=3-8311-0066-7 |publisher=Classic-Concerts-Verlag|language=German}} * ''[The Book of the Second International Musicological Congress, Warsaw, 10–17 October 1999:] Chopin and His Work in the Context of Culture'', studies edited by Irena Poniatowska, vols. 1–2, Warsaw, 2003. * {{cite book |last=Bastet |first=Frédéric L. |year=1997 |title=Helse liefde: Biografisch essay over Marie d'Agoult, Frédéric Chopin, Franz Liszt, George Sand | location=Amsterdam| publisher=[[:en: Querido|Querido]] |isbn=90-214-5157-3|language=Dutch}} * {{Cite book |last=Samson |first=Jim |year=1996 |title=Chopin |location=Oxford |publisher=Oxford University Press |isbn=0-19-816495-5 }} * {{Cite book |last=Siepmann |first=Jeremy |year=1995 |title=Chopin: The Reluctant Romantic |location=London |publisher=Victor Gollancz |isbn=0-575-05692-4 }} * {{cite book|last=Samson|first=Jim|title=The Cambridge Companion to Chopin|url=https://books.google.co.jp/books?id=spdmAgb78xwC&redir_esc=y&hl=ja|year=1994|publisher=Cambridge University Press|location=New York|isbn=978-0-521-47752-9}} * {{cite book|last=Eigeldinger|first=Jean-Jacques|title=Chopin: Pianist and Teacher: As Seen by his Pupils|url=https://books.google.co.jp/books?id=g8S4nY9LQ8MC&redir_esc=y&hl=ja|year=1988|publisher=Cambridge University Press|location=Cambridge|isbn=978-0-521-36709-7}} * {{cite book|last=Samson|first=Jim|title=The Music of Chopin|url=https://books.google.co.jp/books?id=9rWhvvT336cC&redir_esc=y&hl=ja|year=1994|publisher=Oxford University Press, USA|isbn=978-0-19-816402-9}} * [[:en: André Maurois|André Maurois]], ''Leila: the Life of George Sand'', translated by Gerard Hopkins, Penguin, 1980 (c 1953). * {{cite book|editor-last=Jakubowski|editor-first=Jan Zygmunt|title=Literatura polska od średniowiecza to pozytywizmu|trans-title=Polish Literature from the Middle Ages to Positivism|language=Polish|location=Warsaw|publisher=[[:en: Państwowe Wydawnictwo Naukowe|Państwowe Wydawnictwo Naukowe]]|year=1979|ISBN=83-01-00201-8}} * [[:en: George Richard Marek|George Richard Marek]] and Maria Gordon-Smith, ''Chopin: A Biography'', New York, Harper & Row, 1978. * ''Chopin's Letters'', collected by [[:en: Henryk Opieński|Henryk Opieński]], translated by [[:en: E. L. Voynich|E. L. Voynich]], New York, 1973. * ''The Book of the First International Musicological Congress Devoted [to] the Works of Frederick Chopin, Warsaw, 16–22 February 1960'', edited by Zofia Lissa, Warsaw, PWN, 1963. * ''Selected Correspondence of Fryderyk Chopin'', collected and annotated by B.E. Sydow, translated and edited by [[:en: Arthur Hedley|Arthur Hedley]], London, 1962. * Krystyna Kobylańska, ''Chopin in His Own Land: Documents and Souvenirs'', Kraków, P.W.M., 1955. * [[:en: James Huneker|James Huneker]], ''Chopin: The Man and His Music'', 1900. * {{cite encyclopedia|first=David|last=Ewen|title=Ewen's Musical Masterworks: The Encyclopedia of Musical Masterpieces|edition=2|location=New York|publisher=ARCO Publishing Company|year=1954}} * {{cite magazine|first=Artur|last=Szklener|title=Fryckowe lato: czyli wakacyjne muzykowanie Chopina| trans-title =Fritz's Summers: Chopin's Musical Vacations|work=Magazyn Chopin: Miesięcznik Narodowego Instytutu Fryderyka Chopina|number=4|year=2010| pages=8–9|language=Polish}} * {{cite news|first=Maria|last=Barcz|title=Etiuda paryska|trans-title=Paris Étude|language=Polish|work=[[:en: Gwiazda Polarna|Gwiazda Polarna]]|volume=101|number=17 |date=14 August 2010|pages=15–16}} * [http://www.gutenberg.org/etext/18560 Chopin and Other Musical Essays] (1889) by [[:en: Henry Theophilus Finck|Henry T. Finck]] * Jeffrey Kallberg, "Chopin in the Marketplace: Aspects of the International Music Publishing Industry in the First Half of the Nineteenth Century," Notes 39, no. 3 (March 1983): 539. * [[:en: Kazimierz Wierzyński|Kazimierz Wierzyński]], ''The Life and Death of Chopin'', translated from the Polish by [[:en: Norbert Guterman|Norbert Guterman]], foreword by [[:en: Arthur Rubinstein|Arthur Rubinstein]], New York, Simon and Schuster, 1949. * [[:pl:Mieczysław Tomaszewski|Mieczysław Tomaszewki]], "Chopin. Człowiek, dzieło, rezonans", [http://www.pwm.com.pl/lista.php?grupa_p=1&change_lang=1&change_skin=103374 Polskie Wydawnictwo Muzyczne], 2005, ISBN 83-224-0857-9. (English version: Chopin, ISBN 978-83-7576-075-0). * Piotr Mysłakowski, Andrzej Sikorski, ''Fryderyk Chopin: The Origins'', Narodowy Instytut Fryderyka Chopina (The Fryderyk Chopin Institute [http://en.chopin.nifc.pl/institute/ The Fryderyk Chopin Institute]), Warsaw, 2010. * [[:en: Zdzisław Najder|Zdzisław Najder]], ''Joseph Conrad: a Life'', translated by Halina Najder, Rochester, Camden House, 2007, ISBN 1-57113-347-X. * Cecilia Jorgensen and Jens Jorgensen, ''Chopin and the Swedish Nightingale'', Brussels, Icons of Europe, 2003, ISBN 2-9600385-0-9. == 関連項目 == * [[ショパンの楽曲一覧]] * [[マズルカ (ショパン)]] * [[ショパン国際ピアノコンクール]] * [[ジョルジュ・サンド]] * [[カール・チェルニー]] * [[エクトル・ベルリオーズ]] * [[ロベルト・シューマン]] * [[フランツ・リスト]] - 友人で伝記『フレデリック・ショパン』(八隅裕樹訳、彩流社、2021年)を著した。 * [[シャルル=ヴァランタン・アルカン]] - ショパンと親交があったことで知られる同年代の作曲家。 * [[ウジェーヌ・ドラクロワ]] - ショパンの肖像画を手がけた画家。 * [[カール・ミクリ]] - ショパンの弟子。 * [[ジョルジュ・マティアス]] - ショパンの弟子。 * [[トマス・テレフセン]] - ショパンの弟子。 * {{仮リンク|アドルフ・グートマン|fr|Adolf Gutmann}} - ショパンの弟子。 * {{仮リンク|マルツェリーナ・チャルトリスカ|en|Marcelina_Czartoryska}} - ショパンの弟子。 * {{仮リンク|カール・フィルチ|en|Carl Filtsch}} - ショパンに師事した神童。 * {{仮リンク|ショパン (小惑星)|en|3784 Chopin}} - 小惑星番号3784の[[小惑星]]。 * [[ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港]] - ショパンにちなみ命名された。 * [[フリデリク・ブッフホルツ]] - ワルシャワのピアノ製作者。 == 外部リンク == {{Commonscat|Frederic Chopin}} * {{IMSLP|id=Chopin,_Frédéric}} * [http://www.classiccat.net/chopin_f/index.htm Classic Cat - Chopin mp3s]{{en icon}} * <!--* [http://www.classicalmusicdb.com/composers/view/1 ショパンの楽曲一覧] 警告を検出-->[http://chopin-society-japan.com 日本ショパン協会] * [https://enc.piano.or.jp/persons/135 ショパン / Chopin, Frederic - ピティナ・ピアノ曲事典] * {{Kotobank|ショパン}} * [https://nifc.pl/pl ポーランド国立ショパン研究所]{{pl icon}}(Narodowy Instytut Fryderyka Chopina) {{ロマン主義}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しよはん ふれてりつく}} [[Category:フレデリック・ショパン|*]] [[Category:ポーランドの作曲家]] [[Category:フランスの作曲家]] [[Category:ロマン派の作曲家]] [[Category:ポーランドのクラシック音楽のピアニスト]] [[Category:フランスのクラシック音楽のピアニスト]] [[Category:19世紀フランスの音楽家]] [[Category:ポーランド・ズウォティ紙幣の人物]] [[Category:19世紀に結核で死亡した人物]] [[Category:ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された人物]] [[Category:ショパン音楽アカデミー出身の人物]] [[Category:フランス系ポーランド人]] [[Category:ポーランド系フランス人]] [[Category:マゾフシェ県出身の人物]] [[Category:19世紀ポーランドの人物]] [[Category:1810年生]] [[Category:1849年没]]
2003-02-28T19:54:27Z
2023-12-22T11:02:53Z
false
false
false
[ "Template:Commonscat", "Template:ロマン主義", "Template:-", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite web", "Template:Cite journal", "Template:Cite news", "Template:Infobox Musician", "Template:Main", "Template:Reflist", "Template:IMSLP", "Template:Normdaten", "Template:Portal クラシック音楽", "Template:Multi-listen end", "Template:Cite book", "Template:IPA-pl", "Template:Kotobank", "Template:Multi-listen item", "Template:Notelist", "Template:PDFlink", "Template:Cite magazine", "Template:Lang-fr-short", "Template:Multi-listen start", "Template:要曖昧さ回避", "Template:En icon", "Template:Refnest", "Template:要出典範囲", "Template:Multiple image", "Template:要出典", "Template:IPA", "Template:Pl icon", "Template:Lang-pl", "Template:Blockquote", "Template:Cite encyclopedia", "Template:Redirect", "Template:仮リンク" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3
3,087
電気泳動
電気泳動(でんきえいどう、英: electrophoresis)は、荷電粒子あるいは分子が電場(電界)中を移動する現象。あるいは、その現象を利用した解析手法。特に分子生物学や生化学ではDNAやタンパク質を分離する手法としてなくてはならないものである。 19世紀初めにロシアの物理学者フェルディナント・フリードリヒ・ロイスが水中の粘土粒子で発見したのに始まる。19世紀終わりからタンパク質やアミノ酸などの研究に用いられ、1930年代にティセリウスによってタンパク質の移動度を調べる方法として確立された。これは水溶液を用いる「無担体電気泳動」であったが、第2次大戦後、濾紙やデンプンゲルなどの担体を用いた電気泳動が発展した。濾紙電気泳動(現在は主としてセルロースアセテート膜を使う)は臨床検査で血清タンパク質を分析する方法として用いられている。一方ゲルとしては、その後 アガロース がよく用いられるようになり、現在でもDNA断片の分離・分析に用いられる。また1960年代に ポリアクリルアミドゲルが開発され、これはタンパク質の分析やDNAの塩基配列決定に用いられる。ポリアクリルアミドゲルを用いたタンパク質分析法の一種として等電点電気泳動や二次元電気泳動がある。最近では無担体電気泳動であるキャピラリー電気泳動が自動塩基配列決定に用いられている。 荷電粒子や分子はその荷電と反対の極に向かって移動する。移動中にpH 勾配があると、荷電が0となる点(等電点)で停止する。これが等電点電気泳動であり、タンパク質の分析に用いられる。 担体を用いる場合には、DNAやタンパク質などの高分子が担体分子に遮られ分子量の大きいものほど移動しにくくなる「分子ふるい効果」が働く。つまり、分子量の低い分子はゲルの網目をスムーズに通過でき、逆に分子量の高い分子はゲルの網目にひっかかり移動がしにくくなる。特にアガロースやポリアクリルアミドなどのゲルではこの効果が顕著なのでよく用いられる。核酸は一様にマイナスに荷電しているので一定方向(陰極→陽極)に泳動して分子量による分離が容易に行える。ただし、RNAはDNAと違い、1本鎖の分子内で高次構造を形成し分子量の特定ができなくなるので、ゲルに変性剤(尿素、ホルムアミド)を混ぜる。結果、RNAが高次構造を形成しなくなるので、分子量の解析が可能となる。ちなみに、核酸の分子量を特定する際、電気泳動時の別のレーンに分子量ラダー(階段状)マーカーと呼ばれる、分子量既知の核酸が数十種類含まれたマーカーを一緒に流し、その移動度と試料の移動度を比較することで試料の分子量を特定する。なお別の原理に基づいて大分子量のDNAを分離するパルスフィールド電気泳動もある。 タンパク質の荷電は種類によって大きく異なるが、陰イオン系界面活性剤であるドデシル硫酸ナトリウム (SDS) 存在下ではSDS分子がタンパク質分子に付着するため、タンパク質分子は陽極に向かって移動する。この方法がSDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動(SDS-PAGEと略す)で、核酸の場合と同様に分子量による分離が行える。 担体を用いた電気泳動では各種の染色法で核酸やタンパク質の位置を検出することができる。例えば臭化エチジウムなど蛍光色素による核酸の検出、染料(クーマシー・ブリリアントブルーなど)や銀染色法によるタンパク質の検出がよく使われる。 泳動には直流電流を用いる。一般的な電源では交流電流であるので、AC-DCコンバータ(あるいは整流器ともいう)を用いて直流電流に変換してから電流を流す。 詳しくは関連各項目を参照されたい。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "電気泳動(でんきえいどう、英: electrophoresis)は、荷電粒子あるいは分子が電場(電界)中を移動する現象。あるいは、その現象を利用した解析手法。特に分子生物学や生化学ではDNAやタンパク質を分離する手法としてなくてはならないものである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "19世紀初めにロシアの物理学者フェルディナント・フリードリヒ・ロイスが水中の粘土粒子で発見したのに始まる。19世紀終わりからタンパク質やアミノ酸などの研究に用いられ、1930年代にティセリウスによってタンパク質の移動度を調べる方法として確立された。これは水溶液を用いる「無担体電気泳動」であったが、第2次大戦後、濾紙やデンプンゲルなどの担体を用いた電気泳動が発展した。濾紙電気泳動(現在は主としてセルロースアセテート膜を使う)は臨床検査で血清タンパク質を分析する方法として用いられている。一方ゲルとしては、その後 アガロース がよく用いられるようになり、現在でもDNA断片の分離・分析に用いられる。また1960年代に ポリアクリルアミドゲルが開発され、これはタンパク質の分析やDNAの塩基配列決定に用いられる。ポリアクリルアミドゲルを用いたタンパク質分析法の一種として等電点電気泳動や二次元電気泳動がある。最近では無担体電気泳動であるキャピラリー電気泳動が自動塩基配列決定に用いられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "荷電粒子や分子はその荷電と反対の極に向かって移動する。移動中にpH 勾配があると、荷電が0となる点(等電点)で停止する。これが等電点電気泳動であり、タンパク質の分析に用いられる。", "title": "原理" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "担体を用いる場合には、DNAやタンパク質などの高分子が担体分子に遮られ分子量の大きいものほど移動しにくくなる「分子ふるい効果」が働く。つまり、分子量の低い分子はゲルの網目をスムーズに通過でき、逆に分子量の高い分子はゲルの網目にひっかかり移動がしにくくなる。特にアガロースやポリアクリルアミドなどのゲルではこの効果が顕著なのでよく用いられる。核酸は一様にマイナスに荷電しているので一定方向(陰極→陽極)に泳動して分子量による分離が容易に行える。ただし、RNAはDNAと違い、1本鎖の分子内で高次構造を形成し分子量の特定ができなくなるので、ゲルに変性剤(尿素、ホルムアミド)を混ぜる。結果、RNAが高次構造を形成しなくなるので、分子量の解析が可能となる。ちなみに、核酸の分子量を特定する際、電気泳動時の別のレーンに分子量ラダー(階段状)マーカーと呼ばれる、分子量既知の核酸が数十種類含まれたマーカーを一緒に流し、その移動度と試料の移動度を比較することで試料の分子量を特定する。なお別の原理に基づいて大分子量のDNAを分離するパルスフィールド電気泳動もある。", "title": "原理" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "タンパク質の荷電は種類によって大きく異なるが、陰イオン系界面活性剤であるドデシル硫酸ナトリウム (SDS) 存在下ではSDS分子がタンパク質分子に付着するため、タンパク質分子は陽極に向かって移動する。この方法がSDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動(SDS-PAGEと略す)で、核酸の場合と同様に分子量による分離が行える。", "title": "原理" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "担体を用いた電気泳動では各種の染色法で核酸やタンパク質の位置を検出することができる。例えば臭化エチジウムなど蛍光色素による核酸の検出、染料(クーマシー・ブリリアントブルーなど)や銀染色法によるタンパク質の検出がよく使われる。", "title": "原理" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "泳動には直流電流を用いる。一般的な電源では交流電流であるので、AC-DCコンバータ(あるいは整流器ともいう)を用いて直流電流に変換してから電流を流す。", "title": "原理" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "詳しくは関連各項目を参照されたい。", "title": "原理" } ]
電気泳動は、荷電粒子あるいは分子が電場(電界)中を移動する現象。あるいは、その現象を利用した解析手法。特に分子生物学や生化学ではDNAやタンパク質を分離する手法としてなくてはならないものである。
{{出典の明記| date = 2021年2月12日 (金) 12:23 (UTC)}} [[ファイル:Gel elecro.JPG|thumb|電気泳動装置]] '''電気泳動'''(でんきえいどう、{{lang-en-short|electrophoresis}})は、[[荷電粒子]]あるいは[[分子]]が[[電場]](電界)中を移動する現象。あるいは、その現象を利用した解析手法。特に[[分子生物学]]や[[生化学]]では[[デオキシリボ核酸|DNA]]や[[タンパク質]]を分離する手法としてなくてはならないものである。 ==歴史== [[19世紀]]初めに[[ロシア]]の[[物理学者]][[フェルディナント・フリードリヒ・ロイス]]が水中の[[粘土]]粒子で発見したのに始まる。19世紀終わりからタンパク質や[[アミノ酸]]などの研究に用いられ、[[1930年代]]に[[ティセリウス]]によってタンパク質の移動度を調べる方法として確立された。これは水溶液を用いる「無担体電気泳動」であったが、第2次大戦後、濾紙や[[デンプン]][[ゲル]]などの担体を用いた電気泳動が発展した。濾紙電気泳動(現在は主としてセルロースアセテート膜を使う)は[[臨床検査]]で[[血清]]タンパク質を分析する方法として用いられている。一方ゲルとしては、その後''' [[アガロース]] '''がよく用いられるようになり、現在でもDNA断片の分離・分析に用いられる。また[[1960年代]]に''' [[アクリルアミド|ポリアクリルアミド]]ゲル'''が開発され、これはタンパク質の分析やDNAの[[塩基配列]]決定に用いられる。ポリアクリルアミドゲルを用いたタンパク質分析法の一種として'''等電点電気泳動'''や'''二次元電気泳動'''がある。最近では無担体電気泳動である'''[[キャピラリー電気泳動]]'''が自動[[塩基配列]]決定に用いられている。 ==原理== 荷電粒子や分子はその荷電と反対の極に向かって移動する。移動中に[[水素イオン指数|pH ]]勾配があると、荷電が0となる点([[等電点]])で停止する。これが等電点電気泳動であり、タンパク質の分析に用いられる。 担体を用いる場合には、DNAやタンパク質などの[[高分子]]が担体分子に遮られ[[分子量]]の大きいものほど移動しにくくなる「[[分子ふるい]]効果」が働く。つまり、分子量の低い分子はゲルの網目をスムーズに通過でき、逆に分子量の高い分子はゲルの網目にひっかかり移動がしにくくなる。特にアガロースやポリアクリルアミドなどのゲルではこの効果が顕著なのでよく用いられる。[[核酸]]は一様にマイナスに荷電しているので一定方向(陰極→陽極)に泳動して分子量による分離が容易に行える。ただし、RNAはDNAと違い、1本鎖の分子内で高次構造を形成し分子量の特定ができなくなるので、ゲルに変性剤(尿素、ホルムアミド)を混ぜる。結果、RNAが高次構造を形成しなくなるので、分子量の解析が可能となる。ちなみに、核酸の分子量を特定する際、電気泳動時の別のレーンに分子量ラダー(階段状)マーカーと呼ばれる、分子量既知の核酸が数十種類含まれたマーカーを一緒に流し、その移動度と試料の移動度を比較することで試料の分子量を特定する。なお別の原理に基づいて大分子量のDNAを分離する'''パルスフィールド電気泳動'''もある。 タンパク質の荷電は種類によって大きく異なるが、陰イオン系[[界面活性剤]]であるドデシル硫酸ナトリウム (SDS) 存在下ではSDS分子がタンパク質分子に付着するため、タンパク質分子は陽極に向かって移動する。この方法がSDS-ポリアクリルアミドゲル電気泳動(SDS-PAGEと略す)で、核酸の場合と同様に分子量による分離が行える。 担体を用いた電気泳動では各種の染色法で核酸やタンパク質の位置を検出することができる。例えば[[臭化エチジウム]]など蛍光色素による核酸の検出、染料([[クーマシー・ブリリアントブルー]]など)や[[銀染色法]]によるタンパク質の検出がよく使われる。 泳動には[[直流]]電流を用いる。一般的な[[電源]]では[[交流]]電流であるので、AC-DCコンバータ(あるいは[[整流器]]ともいう)を用いて直流電流に変換してから電流を流す。 詳しくは関連各項目を参照されたい。 ==関連項目== {{columns-list|2| *[[アガロースゲル電気泳動]] *[[パルスフィールド電気泳動]] *[[ポリアクリルアミドゲル電気泳動]] *[[キャピラリー電気泳動]] *[[二次元電気泳動]] *[[等電点電気泳動]] *[[DGGE]] *[[ゲル電気泳動]] *[[ゲルシフトアッセイ]] *[[サザンブロッティング]] *[[ノーザンブロッティング]] *[[ウェスタンブロッティング]] *[[電気浸透]] }} {{電気泳動|state=collapsed}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:てんきえいとう}} [[Category:電気泳動|*]] [[Category:電磁気学]] [[Category:界面化学]] [[Category:分析化学]]
null
2021-06-20T03:00:52Z
false
false
false
[ "Template:電気泳動", "Template:Normdaten", "Template:出典の明記", "Template:Lang-en-short", "Template:Columns-list" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B0%97%E6%B3%B3%E5%8B%95
3,088
Linuxカーネル
Linuxカーネルは、Unix系オペレーティングシステムであるLinuxのカーネル。リーナス・トーバルズによって開発が開始された。ライセンスにGPL(バージョン2)を採用する自由なソフトウェアである。 通常、Linuxカーネルと言えばリーナスが管理・公開している公式版(メインライン・カーネル)を指すが、Linuxディストリビューションで使用されているカーネルは、バージョンが古かったり、ベンダーが独自の改造を施してあることが多い。例えば、Androidで使用されているカーネルもそのひとつである。このような非公式のカーネルは、ベンダー側が対応すべきとしているため、Linux Kernel Mailing Listなどでは基本的に対応対象外となっている。 開発の初期には、MINIXを参考としており、影響を受けてもいるが、MINIXのコードは使用せず、ゼロから書かれた(IBM PCを端末エミュレータとして動かすためのコードから成長させたものと言われている)。 GPLを採用したことがLinuxを共有の物として開発することを推進させた、とされている。また、Linuxの開発とインターネットの発展が時期的に一致したことも、Linuxの開発コミュニティ形成に寄与した。 また、開発に際して、よりオープンな開発体制をとり、現在バザール方式と呼ばれている、誰でもLinux Kernel Mailing Listへのバグ報告や修正、機能拡張パッチを公開でき、その中から最終的にリーナスと彼が任命したメインテナーがコーディネータとなって、公式版のLinuxカーネルの質を保っている。 Linuxカーネルは各種命令セット (ISA) に対応している。各アーキテクチャで共有されているコードが多いため、CPUに依存した部分を変更すれば移植できるようになっている。 バージョン5.11.11(2021年3月30日)時点。括弧書きはarchディレクトリ内の名称。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Linuxカーネルは、Unix系オペレーティングシステムであるLinuxのカーネル。リーナス・トーバルズによって開発が開始された。ライセンスにGPL(バージョン2)を採用する自由なソフトウェアである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "通常、Linuxカーネルと言えばリーナスが管理・公開している公式版(メインライン・カーネル)を指すが、Linuxディストリビューションで使用されているカーネルは、バージョンが古かったり、ベンダーが独自の改造を施してあることが多い。例えば、Androidで使用されているカーネルもそのひとつである。このような非公式のカーネルは、ベンダー側が対応すべきとしているため、Linux Kernel Mailing Listなどでは基本的に対応対象外となっている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "開発の初期には、MINIXを参考としており、影響を受けてもいるが、MINIXのコードは使用せず、ゼロから書かれた(IBM PCを端末エミュレータとして動かすためのコードから成長させたものと言われている)。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "GPLを採用したことがLinuxを共有の物として開発することを推進させた、とされている。また、Linuxの開発とインターネットの発展が時期的に一致したことも、Linuxの開発コミュニティ形成に寄与した。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "また、開発に際して、よりオープンな開発体制をとり、現在バザール方式と呼ばれている、誰でもLinux Kernel Mailing Listへのバグ報告や修正、機能拡張パッチを公開でき、その中から最終的にリーナスと彼が任命したメインテナーがコーディネータとなって、公式版のLinuxカーネルの質を保っている。", "title": null }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "Linuxカーネルは各種命令セット (ISA) に対応している。各アーキテクチャで共有されているコードが多いため、CPUに依存した部分を変更すれば移植できるようになっている。", "title": "対応アーキテクチャ" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "バージョン5.11.11(2021年3月30日)時点。括弧書きはarchディレクトリ内の名称。", "title": "対応アーキテクチャ" } ]
Linuxカーネルは、Unix系オペレーティングシステムであるLinuxのカーネル。リーナス・トーバルズによって開発が開始された。ライセンスにGPL(バージョン2)を採用する自由なソフトウェアである。 通常、Linuxカーネルと言えばリーナスが管理・公開している公式版(メインライン・カーネル)を指すが、Linuxディストリビューションで使用されているカーネルは、バージョンが古かったり、ベンダーが独自の改造を施してあることが多い。例えば、Androidで使用されているカーネルもそのひとつである。このような非公式のカーネルは、ベンダー側が対応すべきとしているため、Linux Kernel Mailing Listなどでは基本的に対応対象外となっている。 開発の初期には、MINIXを参考としており、影響を受けてもいるが、MINIXのコードは使用せず、ゼロから書かれた。 GPLを採用したことがLinuxを共有の物として開発することを推進させた、とされている。また、Linuxの開発とインターネットの発展が時期的に一致したことも、Linuxの開発コミュニティ形成に寄与した。 また、開発に際して、よりオープンな開発体制をとり、現在バザール方式と呼ばれている、誰でもLinux Kernel Mailing Listへのバグ報告や修正、機能拡張パッチを公開でき、その中から最終的にリーナスと彼が任命したメインテナーがコーディネータとなって、公式版のLinuxカーネルの質を保っている。
{{複数の問題 | 出典の明記 = 2021年3月 | 更新 = 2021年3月 }} {{Infobox Software | name = Linux<!-- バージョン表示部分を記事[[Linux]]と共有するために必要なので変えないこと --> | logo = [[ファイル:Tux.svg|100px|Tux]] | screenshot = [[ファイル:Linux 3.0.0 boot.png|280px]] | caption = Linuxカーネルの起動画面(バージョン 3.0.0) | author = [[リーナス・トーバルズ]] | developer = リーナス・トーバルズ, および多数のコミュニティーメンバー | released = {{start date and age|1991|9|17}} | programming language = [[C言語]]、[[アセンブリ言語]]<ref>{{cite web|title=The linux-kernel mailing list FAQ - Why is the Linux kernel written in C/assembly?|url=http://www.tux.org/lkml/#s15-1|publisher=tux.org|accessdate=2013-06-20}}</ref>、[[Rust (プログラミング言語)|Rust]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://codezine.jp/article/detail/17038|title=Linuxカーネルのバージョン6.1が公開、カーネル記述にRust言語を一部採用した最初のバージョン|accessdate=2023-06-10|publisher=CodeZine}}</ref> | operating system = Linux | genre = [[カーネル]] ([[モノリシックカーネル]]) | license = [[GNU General Public License]] v2 | website = {{URL|https://www.kernel.org/}} | frequently_updated = yes }} '''Linuxカーネル'''は、[[Unix系]][[オペレーティングシステム]]である[[Linux]]の[[カーネル]]。[[リーナス・トーバルズ]]によって開発が開始された。ライセンスに[[GNU General Public License|GPL]](バージョン2)を採用する[[フリーソフトウェア|自由なソフトウェア]]である。 通常、Linuxカーネルと言えばリーナスが管理・公開している公式版(メインライン・カーネル)を指すが、[[Linuxディストリビューション]]で使用されているカーネルは、バージョンが古かったり、ベンダーが独自の改造を施してあることが多い。例えば、[[Android (オペレーティングシステム)|Android]]で使用されているカーネルもそのひとつである。このような非公式のカーネルは、ベンダー側が対応すべきとしているため、Linux Kernel Mailing Listなどでは基本的に対応対象外となっている。 開発の初期には、[[MINIX]]を参考としており、影響を受けてもいるが、MINIXのコードは使用せず、ゼロから書かれた([[IBM PC]]を[[端末エミュレータ]]として動かすためのコードから成長させたものと言われている)。 GPLを採用したことがLinuxを共有の物として開発することを推進させた、とされている。{{要出典|date=2019年7月}}また、Linuxの開発と[[インターネット]]の発展が時期的に一致したことも、Linuxの開発コミュニティ形成に寄与した。 また、開発に際して、よりオープンな開発体制をとり、現在[[バザール方式]]と呼ばれている、誰でもLinux Kernel Mailing Listへのバグ報告や修正、機能拡張パッチを公開でき、その中から最終的にリーナスと彼が任命したメインテナーがコーディネータとなって、公式版のLinuxカーネルの質を保っている。 ==対応アーキテクチャ== [[File:Linux kernel ubiquity.svg|thumb|300px|Ubiquity of the Linux kernel]] {{main|w:List of Linux-supported computer architectures}} Linuxカーネルは各種[[命令セット]] (ISA) に対応している。各アーキテクチャで共有されているコードが多いため、CPUに依存した部分を変更すれば移植できるようになっている。 ===公式サポート=== バージョン5.11.11(2021年3月30日)時点。括弧書きはarchディレクトリ内の名称。 {{Colbegin|2}} <!-- アルファベット順 --> *[[DEC Alpha]] (<code>alpha</code>) *{{仮リンク|ARC(プロセッサ)|label=ARC|en|ARC (processor)}} (<code>arc</code>) *[[ARMアーキテクチャ|ARM]] (<code>arm</code>/<code>arm64</code>) *[[x64|AMD64]] (<code>x86</code>) *{{仮リンク|テキサス・インスツルメンツ TMS320|label=C6x|en|Texas Instruments TMS320#C6000 series}} (<code>c6x</code>) *[[H8]] (<code>h8300</code>) *{{仮リンク|Qualcomm Hexagon|en|Qualcomm Hexagon}} (<code>hexagon</code>) *[[IA-64]] (<code>ia64</code>) *[[MC68000]] (<code>m68k</code>) *[[MicroBlaze]] (<code>microblaze</code>) *[[MIPSアーキテクチャ|MIPS]] (<code>mips</code>) *[[Nios II]] (<code>nios2</code>) *[[Andes NDS32]] (<code>nds32</code>) *[[OpenRISC]] (<code>openrisc</code>) *[[PA-RISC]] (<code>parisc</code>) *[[PowerPC]] (<code>powerpc</code>) *[[RISC-V]] (<code>riscv</code>) *[[SuperH]] (<code>sh</code>) *[[SPARC]] (<code>sparc</code>) *[[x86]](<code>x86</code>、[[i486]]以降) *[[Xtensa]] (<code>xtensa</code>) *[[z/Architecture]] (<code>s390x</code>) {{Colend|2}} ===サポート終了=== ;バージョン2.6.26まで *Sun-4 ;バージョン3.4まで *SPARCstation/SPARCserver series ;バージョン3.7まで *[[i386]] ;バージョン4.11まで *{{仮リンク|AVR32|en|AVR32}} ;バージョン4.16まで *[[Blackfin]] *{{仮リンク|ETRAX CRIS|en|ETRAX CRIS}} *[[FR-V]] *[[M32R]] *{{仮リンク|Imagination META|label=Metag|en|Imagination META}} *[[POWER4]] *{{仮リンク|S+core|en|S+core}} *{{仮リンク|Tilera|en|Tilera}} ;バージョン5.9まで *{{仮リンク|Unicore|label=unicore32|en|Unicore}} ==出典== <references /> ==関連項目== *[[Linux-libre]] - Linuxカーネルから[[バイナリ・ブロブ]]を取り除いたカーネル。 *[[Native POSIX Thread Library]] *[[Cooperative Linux]] - coLinuxとも呼ばれる。Windows上でLinuxカーネルが動作するようにしたもの。 *[[ローダブル・カーネル・モジュール]] (LKM) *[[vmlinux]] - カーネル本体のコードを含む「カーネルイメージ」と呼ばれる特殊なファイル(その特殊性により、単なる実行ファイルではない)の慣習的な名前 ==外部リンク== *[https://www.kernel.org/ The Linux Kernel Archives] *[https://github.com/torvalds/linux GitHub tovalds/linux Linux kernel source tree] *[https://makelinux.github.io/kernel/map/ Interactive map of Linux kernel] *[https://lkml.org/ LKML.ORG the Linux Kernel Mailing List Archive] {{Linux}} {{DEFAULTSORT:LINUXかあねる}} [[Category:Linux]] [[Category:オープンソースソフトウェア]] [[Category:OSのカーネル]] [[Category:1991年のソフトウェア]] [[Category:リーナス・トーバルズ]]
2003-02-28T20:11:39Z
2023-09-28T02:32:25Z
false
false
false
[ "Template:複数の問題", "Template:Infobox Software", "Template:要出典", "Template:Main", "Template:Colbegin", "Template:仮リンク", "Template:Colend", "Template:Linux" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/Linux%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%AB
3,090
JPEG
JPEG(ジェイペグ、Joint Photographic Experts Group)は、コンピュータなどで扱われる静止画像のデジタルデータを圧縮する方式のひとつ。またはそれをつくった組織 (ISO/IEC JTC 1/SC 29/WG 1, Joint Photographic Experts Group) の略称であり、アクロニムである。JPEG方式による画像ファイルにつけられる拡張子は jpg が多く使われるほか、jpeg 等が使われる場合もある。 一般的に非可逆圧縮の画像フォーマットとして知られている。可逆圧縮形式もサポートしているが、可逆圧縮は特許などの関係でほとんど利用されていない。1992年9月18日に最初のリリースが行われた比較的古いフォーマットである。JPEGの欠点を克服すべく数々の後継規格が提案されてきたが、いずれも主流になるには至らず、JPEGが現在も静止画像規格の主流である。 標準では、特定の種類の画像の正式なフォーマットがなく、JFIF(英語版)形式(マジックナンバー上は、6バイト目から始まる形式部分にJFIFと記されているもの)が事実上の標準ファイルフォーマットとなっている。動画を記録可能にしたものにMotion JPEGがある。立体視 (3D) 用には、ステレオJPEG(英語版)(JPS) フォーマット、JPEG Multi-Picture Format(英語版)(MPO) がある。 デジタルカメラの記録方式としてもよく利用されているが、デジタルカメラでは様々なオプション機能を使い、JFIFを拡張したExchangeable image file format (EXIF) などのフォーマットとしてまとめられている。 ここでは、一般に用いられる非可逆圧縮の方式について説明する。なお、JPEGの可逆圧縮には非可逆圧縮とは全く別の技術が用いられている。JPEG 2000ではどちらにも同じ技術を用いる。 JPEGでは、画像を固定サイズ(8×8画素)のブロックに分割し、そのブロック単位で、離散コサイン変換 (DCT: discrete cosine transform) を用いて、空間領域から周波数領域へ変換する。この変換自体では情報量は削減されない。変換されたデータは、量子化ビット数の低減によって情報量を落としてから、ハフマン符号によるエントロピー符号化がなされ圧縮が行われる。エントロピー符号化とは、データの生起確率の高低に応じて異なる長さの符号を割り当てることで圧縮を行うものである。 DCTによる周波数領域への変換では、変換そのものでは情報量は削減されないが、低周波数成分にエネルギーが集まることを利用して、量子化ビット数の低減による情報量削減と、エントロピー符号化での圧縮率向上を図っている。普通の画像をそのまま量子化ビット数を低減してしまうと大きな画質劣化が生じるが、重要な成分が局所的に集められた後では元の画像の性質を残したまま量子化が可能である。また、低周波数成分に集中するという形で、データに偏りが生じると、エントロピー符号化の圧縮率も向上する。なお、JPEGでは、量子化マトリックスと呼ばれる係数表を用いて、低周波数成分に比べて高周波数成分でより粗い量子化を行うのが一般的である。 エントロピー符号化ではハフマン符号を用いる。ハフマン符号は処理が単純であるため演算量が少なく、さらにその符号セットが想定する、理想的なデータが入力された場合には極めて高い圧縮率を実現する。符号セットにあわないデータが入力された場合、逆に圧縮率は下がってしまう。この問題を解消するため後継のJPEG 2000では算術符号が採用された。 なお、周波数領域への変換前の画像フォーマットの色成分の数は1–4の間で選択でき、各色成分が何であるかを決める表色系も自由に選択することができる。そのため色成分が1つのグレースケール、色成分が3つのRGBおよびYCbCr、色成分が4つのYMCKなどのデータのどれも用いることができる。しかし、表色系の規定がない上にどの表色系であるかを示す情報もないことは互換性に大きな問題となる。そのためJFIF形式では、YCbCr表色系を用いること、さらに成分の順序はY、Cb、Crの順であることを規定している。各色成分の空間的な間引きをあらわすサンプリングファクタについては、各々の色成分について水平方向、垂直方向独立に定めることができ、一般的な形式の4:4:4、4:2:2、4:2:0、4:1:1のいずれもが選択可能である。 JPEGではブロック単位で変換を行うため、圧縮率を上げるとブロックの境界にブロックノイズと呼ばれるノイズが生じる。 また、周波数領域への変換においては、低周波成分に画像のエネルギーが集中するため、高周波成分のエネルギーは小さくなる。このため量子化を行うと高周波成分はゼロに落ち、無くなってしまう。すると画像の急峻な変化を十分に表現できないため、エッジ周辺では、ある一点に集まる蚊にたとえモスキートノイズと呼ばれるノイズが生じる。 色差を間引くため、特に赤には弱く、赤の部分でノイズが発生しやすい。 規格は合同のグループで作られたため、国際標準化機構 (ISO)、国際電気標準会議 (IEC) と国際電気通信連合 (ITU) の双方から出されている。それにならい、日本産業規格 (JIS) でも規格化されている。 JPEGは、Webの普及黎明期において、Webブラウザ標準の画像フォーマットとして、GIFと双璧を成していた。 JPEGの符号化方式の特性から、同じ色が広い範囲に広がることの多い絵画であっても、画像そのもののサイズに比例してファイルサイズが大きくなる。このため、ダイヤルアップ接続等、一般ユーザーの末端接続がナローバンドだった時代には、データ転送量を少なくするという観点から、絵画はGIF、デジタルスチル写真にはJPEG、という使い分けが存在していた。 1999年、GIFの特許問題によって起こったGIF排斥運動(当該項目を参照)で、GIFから、JPEGや、新たにフリーのフォーマットとして開発されたPNGに移行する流れになった。PNGは当時のブラウザではプラグインを導入しないと表示できないなどの問題を抱えているケースが多かったため、GIF画像をJPEGによって置き換えられるケースが多かった。 現在は、GIFのLZWの特許が失効し、フリーな画像フォーマットとして再び使えるようになり、PNGもほぼ全てのブラウザでサポートされるようになった。この2つの画像フォーマットは現在もインターネット上でよく使われている。 Independent JPEG Group によるフリーのライブラリ libjpeg は、jpeg コーデックの実装として大変重要である。これは1991年に初版がリリースされ、jpeg が標準技術として採用され成功を収める鍵となった 。libjpeg やその派生版は数えきれないほどのソフトウェアから利用されている。 2017年3月には Google が Guetzli というオープンソースの jpeg エンコーダを発表した。これは同じく Google が発表した画質評価アルゴリズム Butteraugli に特化したエンコーダであり、既存のエンコーダと比較してエンコードに莫大な時間を費やす代わりに、Butteraugli の評価値と圧縮率においてバランスの取れた画像を出力する。Google は既存の方式と比較して Guetzli は高品質な jpeg 画像のファイルサイズを35%削減できると主張している。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "JPEG(ジェイペグ、Joint Photographic Experts Group)は、コンピュータなどで扱われる静止画像のデジタルデータを圧縮する方式のひとつ。またはそれをつくった組織 (ISO/IEC JTC 1/SC 29/WG 1, Joint Photographic Experts Group) の略称であり、アクロニムである。JPEG方式による画像ファイルにつけられる拡張子は jpg が多く使われるほか、jpeg 等が使われる場合もある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "一般的に非可逆圧縮の画像フォーマットとして知られている。可逆圧縮形式もサポートしているが、可逆圧縮は特許などの関係でほとんど利用されていない。1992年9月18日に最初のリリースが行われた比較的古いフォーマットである。JPEGの欠点を克服すべく数々の後継規格が提案されてきたが、いずれも主流になるには至らず、JPEGが現在も静止画像規格の主流である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "標準では、特定の種類の画像の正式なフォーマットがなく、JFIF(英語版)形式(マジックナンバー上は、6バイト目から始まる形式部分にJFIFと記されているもの)が事実上の標準ファイルフォーマットとなっている。動画を記録可能にしたものにMotion JPEGがある。立体視 (3D) 用には、ステレオJPEG(英語版)(JPS) フォーマット、JPEG Multi-Picture Format(英語版)(MPO) がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "デジタルカメラの記録方式としてもよく利用されているが、デジタルカメラでは様々なオプション機能を使い、JFIFを拡張したExchangeable image file format (EXIF) などのフォーマットとしてまとめられている。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ここでは、一般に用いられる非可逆圧縮の方式について説明する。なお、JPEGの可逆圧縮には非可逆圧縮とは全く別の技術が用いられている。JPEG 2000ではどちらにも同じ技術を用いる。", "title": "技術の詳細" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "JPEGでは、画像を固定サイズ(8×8画素)のブロックに分割し、そのブロック単位で、離散コサイン変換 (DCT: discrete cosine transform) を用いて、空間領域から周波数領域へ変換する。この変換自体では情報量は削減されない。変換されたデータは、量子化ビット数の低減によって情報量を落としてから、ハフマン符号によるエントロピー符号化がなされ圧縮が行われる。エントロピー符号化とは、データの生起確率の高低に応じて異なる長さの符号を割り当てることで圧縮を行うものである。", "title": "技術の詳細" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "DCTによる周波数領域への変換では、変換そのものでは情報量は削減されないが、低周波数成分にエネルギーが集まることを利用して、量子化ビット数の低減による情報量削減と、エントロピー符号化での圧縮率向上を図っている。普通の画像をそのまま量子化ビット数を低減してしまうと大きな画質劣化が生じるが、重要な成分が局所的に集められた後では元の画像の性質を残したまま量子化が可能である。また、低周波数成分に集中するという形で、データに偏りが生じると、エントロピー符号化の圧縮率も向上する。なお、JPEGでは、量子化マトリックスと呼ばれる係数表を用いて、低周波数成分に比べて高周波数成分でより粗い量子化を行うのが一般的である。", "title": "技術の詳細" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "エントロピー符号化ではハフマン符号を用いる。ハフマン符号は処理が単純であるため演算量が少なく、さらにその符号セットが想定する、理想的なデータが入力された場合には極めて高い圧縮率を実現する。符号セットにあわないデータが入力された場合、逆に圧縮率は下がってしまう。この問題を解消するため後継のJPEG 2000では算術符号が採用された。", "title": "技術の詳細" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "なお、周波数領域への変換前の画像フォーマットの色成分の数は1–4の間で選択でき、各色成分が何であるかを決める表色系も自由に選択することができる。そのため色成分が1つのグレースケール、色成分が3つのRGBおよびYCbCr、色成分が4つのYMCKなどのデータのどれも用いることができる。しかし、表色系の規定がない上にどの表色系であるかを示す情報もないことは互換性に大きな問題となる。そのためJFIF形式では、YCbCr表色系を用いること、さらに成分の順序はY、Cb、Crの順であることを規定している。各色成分の空間的な間引きをあらわすサンプリングファクタについては、各々の色成分について水平方向、垂直方向独立に定めることができ、一般的な形式の4:4:4、4:2:2、4:2:0、4:1:1のいずれもが選択可能である。", "title": "技術の詳細" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "JPEGではブロック単位で変換を行うため、圧縮率を上げるとブロックの境界にブロックノイズと呼ばれるノイズが生じる。", "title": "技術の詳細" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "また、周波数領域への変換においては、低周波成分に画像のエネルギーが集中するため、高周波成分のエネルギーは小さくなる。このため量子化を行うと高周波成分はゼロに落ち、無くなってしまう。すると画像の急峻な変化を十分に表現できないため、エッジ周辺では、ある一点に集まる蚊にたとえモスキートノイズと呼ばれるノイズが生じる。", "title": "技術の詳細" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "色差を間引くため、特に赤には弱く、赤の部分でノイズが発生しやすい。", "title": "技術の詳細" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "規格は合同のグループで作られたため、国際標準化機構 (ISO)、国際電気標準会議 (IEC) と国際電気通信連合 (ITU) の双方から出されている。それにならい、日本産業規格 (JIS) でも規格化されている。", "title": "規格書" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "JPEGは、Webの普及黎明期において、Webブラウザ標準の画像フォーマットとして、GIFと双璧を成していた。", "title": "インターネットでの普及とその背景" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "JPEGの符号化方式の特性から、同じ色が広い範囲に広がることの多い絵画であっても、画像そのもののサイズに比例してファイルサイズが大きくなる。このため、ダイヤルアップ接続等、一般ユーザーの末端接続がナローバンドだった時代には、データ転送量を少なくするという観点から、絵画はGIF、デジタルスチル写真にはJPEG、という使い分けが存在していた。", "title": "インターネットでの普及とその背景" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1999年、GIFの特許問題によって起こったGIF排斥運動(当該項目を参照)で、GIFから、JPEGや、新たにフリーのフォーマットとして開発されたPNGに移行する流れになった。PNGは当時のブラウザではプラグインを導入しないと表示できないなどの問題を抱えているケースが多かったため、GIF画像をJPEGによって置き換えられるケースが多かった。", "title": "インターネットでの普及とその背景" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "現在は、GIFのLZWの特許が失効し、フリーな画像フォーマットとして再び使えるようになり、PNGもほぼ全てのブラウザでサポートされるようになった。この2つの画像フォーマットは現在もインターネット上でよく使われている。", "title": "インターネットでの普及とその背景" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "Independent JPEG Group によるフリーのライブラリ libjpeg は、jpeg コーデックの実装として大変重要である。これは1991年に初版がリリースされ、jpeg が標準技術として採用され成功を収める鍵となった 。libjpeg やその派生版は数えきれないほどのソフトウェアから利用されている。", "title": "実装" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "2017年3月には Google が Guetzli というオープンソースの jpeg エンコーダを発表した。これは同じく Google が発表した画質評価アルゴリズム Butteraugli に特化したエンコーダであり、既存のエンコーダと比較してエンコードに莫大な時間を費やす代わりに、Butteraugli の評価値と圧縮率においてバランスの取れた画像を出力する。Google は既存の方式と比較して Guetzli は高品質な jpeg 画像のファイルサイズを35%削減できると主張している。", "title": "実装" } ]
JPEGは、コンピュータなどで扱われる静止画像のデジタルデータを圧縮する方式のひとつ。またはそれをつくった組織 の略称であり、アクロニムである。JPEG方式による画像ファイルにつけられる拡張子は jpg が多く使われるほか、jpeg 等が使われる場合もある。 一般的に非可逆圧縮の画像フォーマットとして知られている。可逆圧縮形式もサポートしているが、可逆圧縮は特許などの関係でほとんど利用されていない。1992年9月18日に最初のリリースが行われた比較的古いフォーマットである。JPEGの欠点を克服すべく数々の後継規格が提案されてきたが、いずれも主流になるには至らず、JPEGが現在も静止画像規格の主流である。 標準では、特定の種類の画像の正式なフォーマットがなく、JFIF形式(マジックナンバー上は、6バイト目から始まる形式部分にJFIFと記されているもの)が事実上の標準ファイルフォーマットとなっている。動画を記録可能にしたものにMotion JPEGがある。立体視 (3D) 用には、ステレオJPEG(JPS) フォーマット、JPEG Multi-Picture Format(MPO) がある。 デジタルカメラの記録方式としてもよく利用されているが、デジタルカメラでは様々なオプション機能を使い、JFIFを拡張したExchangeable image file format (EXIF) などのフォーマットとしてまとめられている。
{{Infobox file format | name = Joint Photographic Experts Group | icon = JPEG format logo.svg | logo = | screenshot = [[ファイル:Phalaenopsis 5kB.jpg]] | caption = 花の写真をJPEGで圧縮したもの。左から右にいくに従って損失率が大きくなるようにしてある。 | extension = <tt>.jpeg</tt>, <tt>.jpg</tt>, <tt>.jpe</tt><br /><tt>.jfif</tt>, <tt>.jfi</tt>, <tt>.jif</tt> (containers) | mime = <tt>image/jpeg</tt> | type_code = <tt>JPEG</tt> | uniform_type = public.jpeg | magic = \xff\xd8 | owner = Joint Photographic Experts Group | released = <!-- {{Start date and age|yyyy|mm|dd}} --> | latest_release_version = | latest_release_date = <!-- {{Start date and age|yyyy|mm|dd}} --> | genre = | container_for = [[画像|静止画像]]、[[テキスト]] | contained_by = | extended_from = | extended_to = | standard = | free = | url = <!-- {{URL|example.org}} --> }} '''JPEG'''(ジェイペグ、Joint Photographic Experts Group)は、[[コンピュータ]]などで扱われる[[画像|静止画像]]の[[デジタル]][[データ]]を[[データ圧縮|圧縮]]する方式のひとつ。またはそれをつくった組織 ([[ISO/IEC JTC 1]]/SC 29/WG 1, [[Joint Photographic Experts Group]]) の略称であり、[[頭字語|アクロニム]]である。JPEG方式による画像ファイルにつけられる[[拡張子]]は ''jpg'' が多く使われるほか、''jpeg'' 等が使われる場合もある。 一般的に[[非可逆圧縮]]の画像フォーマットとして知られている。[[可逆圧縮]]形式もサポートしているが、可逆圧縮は[[特許]]などの関係でほとんど利用されていない。1992年9月18日に最初のリリースが行われた比較的古いフォーマットである。JPEGの欠点を克服すべく数々の後継規格が提案されてきたが、いずれも主流になるには至らず、JPEGが現在も静止画像規格の主流である。 標準では、特定の種類の画像の正式なフォーマットがなく、{{仮リンク|JPEG File Interchange Format|en|JPEG File Interchange Format|label=JFIF}}形式([[マジックナンバー (フォーマット識別子)|マジックナンバー]]上は、6バイト目から始まる形式部分にJFIFと記されているもの)が事実上の標準[[ファイルフォーマット]]となっている。[[動画]]を記録可能にしたものに[[Motion JPEG]]がある。[[立体視]] (3D) 用には、{{仮リンク|ステレオJPEG|en|JPEG#JPEG Stereoscopic}}(JPS) フォーマット<ref>http://www.nvidia.co.jp/object/3d-vision-3d-pictures-jp-old.html</ref>、{{仮リンク|JPEG Multi-Picture Format|en|JPEG#JPEG_Multi-Picture_Format}}(MPO) がある。 [[デジタルカメラ]]の記録方式としてもよく利用されているが、デジタルカメラでは様々なオプション機能を使い、JFIFを拡張した[[Exchangeable image file format]] ('''EXIF''') などのフォーマットとしてまとめられている。 == 技術の詳細 == ここでは、一般に用いられる非可逆圧縮の方式について説明する。なお、JPEGの可逆圧縮には非可逆圧縮とは全く別の技術が用いられている。[[JPEG 2000]]ではどちらにも同じ技術を用いる。 === 符号化方式 === JPEGでは、画像を固定サイズ(8×8画素)のブロックに分割し、そのブロック単位で、[[離散コサイン変換]] (DCT: discrete cosine transform) を用いて、空間領域から[[周波数領域]]へ変換する。この変換自体では情報量は削減されない。変換されたデータは、[[量子化 (情報科学)|量子化]]ビット数の低減によって情報量を落としてから、[[ハフマン符号]]による[[エントロピー符号]]化がなされ圧縮が行われる。エントロピー符号化とは、データの生起確率の高低に応じて異なる長さの符号を割り当てることで圧縮を行うものである。 DCTによる周波数領域への変換では、変換そのものでは情報量は削減されないが、低周波数成分にエネルギーが集まることを利用して、量子化ビット数の低減による情報量削減と、エントロピー符号化での圧縮率向上を図っている。普通の画像をそのまま量子化ビット数を低減してしまうと大きな画質劣化が生じるが、重要な成分が局所的に集められた後では元の画像の性質を残したまま量子化が可能である。また、低周波数成分に集中するという形で、データに偏りが生じると、エントロピー符号化の圧縮率も向上する。なお、JPEGでは、量子化マトリックスと呼ばれる係数表を用いて、低周波数成分に比べて高周波数成分でより粗い量子化を行うのが一般的である。 エントロピー符号化ではハフマン符号を用いる。ハフマン符号は処理が単純であるため演算量が少なく、さらにその符号セットが想定する、理想的なデータが入力された場合には極めて高い圧縮率を実現する。符号セットにあわないデータが入力された場合、逆に圧縮率は下がってしまう。この問題を解消するため後継のJPEG 2000では[[算術符号]]が採用された。 なお、周波数領域への変換前の画像フォーマットの色成分の数は1{{En dash}}4の間で選択でき、各色成分が何であるかを決める[[色空間|表色系]]も自由に選択することができる。そのため色成分が1つのグレースケール、色成分が3つの[[RGB]]および[[YUV|YCbCr]]、色成分が4つの[[CMYK|YMCK]]などのデータのどれも用いることができる。しかし、表色系の規定がない上にどの表色系であるかを示す情報もないことは互換性に大きな問題となる。そのためJFIF形式では、YCbCr表色系を用いること、さらに成分の順序はY、Cb、Crの順であることを規定している。各色成分の空間的な間引きをあらわすサンプリングファクタについては、各々の色成分について水平方向、垂直方向独立に定めることができ、一般的な形式の4:4:4、4:2:2、4:2:0、4:1:1のいずれもが選択可能である。 === ノイズ === JPEGではブロック単位で変換を行うため、圧縮率を上げるとブロックの境界に[[ブロックノイズ]]と呼ばれるノイズが生じる。 また、周波数領域への変換においては、低周波成分に画像のエネルギーが集中するため、高周波成分のエネルギーは小さくなる。このため量子化を行うと高周波成分はゼロに落ち、無くなってしまう。すると画像の急峻な変化を十分に表現できないため、エッジ周辺では、ある一点に集まる蚊にたとえ[[モスキートノイズ]]と呼ばれるノイズが生じる。 色差を間引くため、特に[[赤]]には弱く、赤の部分でノイズが発生しやすい。 == 規格書 == 規格は合同のグループで作られたため、[[国際標準化機構]] (ISO)、[[国際電気標準会議]] (IEC) と[[国際電気通信連合]] (ITU) の双方から出されている。それにならい、[[日本産業規格]] (JIS) でも規格化されている。 * [[ITU-T]]勧告 T.81 * ISO/IEC 10918-1:1994 * JIS X 4301:1995<ref>{{cite jis|X|4301|1995|name=連続階調静止画像のディジタル圧縮及び符号処理}}</ref> == インターネットでの普及とその背景 == JPEGは、[[World Wide Web|Web]]の普及黎明期において、[[ウェブブラウザ|Webブラウザ]]標準の画像フォーマットとして、[[Graphics Interchange Format|GIF]]と双璧を成していた。 JPEGの符号化方式の特性から、同じ色が広い範囲に広がることの多い[[絵画]]であっても、画像そのもののサイズに比例してファイルサイズが大きくなる。このため、[[ダイヤルアップ接続]]等、一般ユーザーの末端接続が[[ナローバンド]]だった時代には、データ転送量を少なくするという観点から、絵画はGIF、[[デジタルカメラ|デジタルスチル写真]]にはJPEG、という使い分けが存在していた。 [[1999年]]、GIFの特許問題によって起こったGIF排斥運動([[Graphics Interchange Format#特許問題とその顛末|当該項目]]を参照)で、GIFから、JPEGや、新たにフリーのフォーマットとして開発された[[Portable Network Graphics|PNG]]に移行する流れになった。PNGは当時のブラウザでは[[プラグイン]]を導入しないと表示できないなどの問題を抱えているケースが多かったため、GIF画像をJPEGによって置き換えられるケースが多かった。 現在は、GIFの[[Lempel–Ziv–Welch|LZW]]の特許が失効し、フリーな画像フォーマットとして再び使えるようになり、PNGもほぼ全てのブラウザでサポートされるようになった。この2つの画像フォーマットは現在もインターネット上でよく使われている。 == 実装 == Independent JPEG Group によるフリーのライブラリ [[libjpeg]] は、jpeg [[コーデック]]の実装として大変重要である。これは1991年に初版がリリースされ、jpeg が標準技術として採用され成功を収める鍵となった<ref name="JPEG-homepage">[http://jpeg.org/jpeg Jpeg.org]</ref> 。libjpeg やその派生版は数えきれないほどのソフトウェアから利用されている。 2017年3月には [[Google]] が Guetzli というオープンソースの jpeg エンコーダを発表した。これは同じく Google が発表した画質評価アルゴリズム Butteraugli に特化したエンコーダであり、既存のエンコーダと比較してエンコードに莫大な時間を費やす代わりに、Butteraugli の評価値と圧縮率においてバランスの取れた画像を出力する。Google は既存の方式と比較して Guetzli は高品質な jpeg 画像のファイルサイズを35%削減できると主張している<ref>[https://research.googleblog.com/2017/03/announcing-guetzli-new-open-source-jpeg.html Announcing Guetzli: A New Open Source JPEG Encoder - Google Research Blog]</ref>。 == 注釈・出典 == <references /> == 関連項目 == {{columns-list|20em| *派生規格 **[[CPKTフォーマット]] **{{仮リンク|JPEG-HDR|en|JPEG XT#JPEG-HDR}} **[[Lossless JPEG]] *3D画像向け規格 **{{仮リンク|JPEG Stereoscopic|en|JPEG Stereoscopic}} (.jps) **{{仮リンク|JPEG Multi-Picture Format|en|JPEG#JPEG_Multi-Picture_Format}} (.mpo) *ポストJPEG規格 **[[JPEG 2000]] **[[JPEG XL]] **[[JPEG XR]] ([[HD Photo]]) **[[WebP]] *[[データ圧縮]] *[[JBIG]] *[[安田浩]] *[[インターレース#静止画のインターレース|プログレッシブJPEG]] *[[Portable Network Graphics]] (PNG) *[[Graphics Interchange Format]] (GIF) *[[libjpeg]] <!-- *[[ジェイペグ]] - ただし、名前の音が同じではあるが、当競走馬が馬名の由来としているかどうかは不明。 --> }} == 外部リンク == *[http://www.jpeg.org/jpeg/ JPEG公式サイト] {{en icon}} *[http://www.w3.org/Graphics/JPEG/ W3C Overview of JPEG] {{en icon}}(JPEGおよびJFIFの仕様書あり) {{圧縮フォーマット}} {{Normdaten}} [[Category:データ圧縮規格]] [[Category:ラスターグラフィックス・ファイルフォーマット]] [[Category:オープンフォーマット]] [[Category:ISO/IEC標準]] [[Category:ITU-T勧告]] [[Category:アクロニム]] [[Category:非可逆圧縮アルゴリズム]]
2003-02-28T20:50:45Z
2023-10-26T07:43:36Z
false
false
false
[ "Template:圧縮フォーマット", "Template:Normdaten", "Template:Infobox file format", "Template:仮リンク", "Template:En dash", "Template:Cite jis", "Template:Columns-list", "Template:En icon" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/JPEG
3,094
軍艦じゃんけん
軍艦じゃんけん(ぐんかんじゃんけん)は、じゃんけんから派生した遊び。別名「軍艦」、「戦争」など。 様々なローカルルールが存在するが、以下は基本的なルールの紹介である。 もし、2回目であいこでは無くなってしまったら、その時点で勝っている側が「軍艦、軍艦、ハワイ!」などのように声をかけ、続ける。 声を掛けている側がまた、相手とあいこになった場合は「一本とって〇〇」という掛け声で3回連続であいこになるまで続ける。 以下は代表的な遊び方のバリエーションの一つである。 地域によって以下の例のようなバリエーションがある。 戦時中に始まった遊びと思われるが、始まりの由来については不明である。 2010年代中頃にも、一部の子供達の間で遊ばれているのが確認されている。現在では主に一部の小学校の児童の間などで遊ばれている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "軍艦じゃんけん(ぐんかんじゃんけん)は、じゃんけんから派生した遊び。別名「軍艦」、「戦争」など。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "様々なローカルルールが存在するが、以下は基本的なルールの紹介である。", "title": "ルール" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "もし、2回目であいこでは無くなってしまったら、その時点で勝っている側が「軍艦、軍艦、ハワイ!」などのように声をかけ、続ける。 声を掛けている側がまた、相手とあいこになった場合は「一本とって〇〇」という掛け声で3回連続であいこになるまで続ける。", "title": "ルール" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "以下は代表的な遊び方のバリエーションの一つである。", "title": "ルール" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "地域によって以下の例のようなバリエーションがある。", "title": "バリエーション" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "戦時中に始まった遊びと思われるが、始まりの由来については不明である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2010年代中頃にも、一部の子供達の間で遊ばれているのが確認されている。現在では主に一部の小学校の児童の間などで遊ばれている。", "title": "歴史" } ]
軍艦じゃんけん(ぐんかんじゃんけん)は、じゃんけんから派生した遊び。別名「軍艦」、「戦争」など。
{{出典の明記|date=2012年3月}} '''軍艦じゃんけん'''(ぐんかんじゃんけん)は、[[じゃんけん]]から派生した[[遊び]]。別名「'''軍艦'''」、「'''戦争'''」など。 ==ルール== ===基本ルール=== 様々なローカルルールが存在するが、以下は基本的なルールの紹介である。 *二人で遊ぶ。 *手の構成は[[じゃんけん]]と同じ。ただし、グーは「[[軍艦]]」、チョキは「[[朝鮮]]」、パーは「[[ハワイ]]」と呼ぶ([[軍艦じゃんけん#バリエーション|ローカルバリエーション]]多数)。 *まずは親決めのじゃんけん。「せーんーそ!([[戦争]])」「ぐーんーかん!(軍艦)」のかけ声(ローカルバリエーション多数)とともに、じゃんけんを行う。どちらかが勝つまで行い(あいこでもかけ声は変わらない)、勝った方が親となる。親はかけ声を担当する。 *親は「軍艦」「朝鮮」「ハワイ」のうち任意の手をかけ声とともに3回出す。子も親のかけ声に合わせて任意の手を3回出す。これが1セットであり、以降繰り返される。ただし、1セット内の1回目と2回目の手は同じ。また、2セット目以降の1・2回目の手は、一つ前のセットの3回目の手と同じ。 *:'''かけ声の例1''':「せーんーそ!」→「軍艦、軍艦、朝鮮!」→「朝鮮、朝鮮、ハワイ!」→…… **1セット内の1・2回目の手が異なることを認めるバリエーションもある。 **:'''かけ声の例2''':「せーんーそ!」→「軍艦、軍艦、朝鮮!」→「朝鮮、ハワイ、軍艦!」→…… *1セット内の3回目の手で勝敗を競う。 *勝敗のつけかたには様々なバリエーションが存在する。下記はその例。 *:'''例1''':親が3回目の手で子に勝つと、そのまま続行。親が3回目の手で子に負けると、次セットから親子が交代。3回目の手で親と子が同じ手を出すと、親の勝利でゲーム終了(点数先取制の場合、親が1得点)。 *:'''例2''':親が3回目の手で子と同じ手を出すと、そのまま続行。親が3回目の手で子に負けると、次セットから親子が交代。3回目の手で親が子に勝つと、親の勝利でゲーム終了(点数先取制の場合、親が1得点)。 *:'''例3''':親が3回目の手で子に負けると、次セットから親子が交代。親が3回目の手で子に勝つか同じ手を出すと、親が1得点(このルールの場合、点数先取制にしないとすぐにゲームが終了してしまう)。 *上記の内容以外にも、「せーんーそ」の掛け声で、どちらかが勝つまでじゃんけんをし、勝った側が掛け声をかけ、3連続であいこになれば勝ち(あいこになった際の掛け声は、1回目が「一本取って◯◯」◯には軍艦、朝鮮、ハワイ、のどれかを入れる。2回目が「にー本とって◯◯」。3回目が「3本とって勝利」という。)というものもある。 もし、2回目であいこでは無くなってしまったら、その時点で勝っている側が「軍艦、軍艦、ハワイ!」などのように声をかけ、続ける。 声を掛けている側がまた、相手とあいこになった場合は「一本とって〇〇」という掛け声で3回連続であいこになるまで続ける。 ===遊び方=== 以下は代表的な遊び方のバリエーションの一つである。 *二人で向かい合い、互いにじゃんけんをしない方の手を繋ぐ。 *親が1セット取ると、次のセットで親は「一本とって…」と言いながら、相手の繋いでいる方の手の甲を自分の繋いでいない方の手で平手打ちする。かけ声は「一本とって(任意の手)!」となり、そのまま次のセットへと続く。 *平手打ちではなく、手を繋がずに握手のような形で、お互いにハイタッチする様なルールもある。 *:'''かけ声の例3''':……→「朝鮮、朝鮮、ハワイ!」→「一本とって軍艦!」→「軍艦、軍艦、ハワイ!」→…… *:'''かけ声の例4''':……→「朝鮮、朝鮮、ハワイ!」→「一本とって軍艦!」→「一本とって朝鮮!」→…… **2得点目以降のかけ声が次のようになる場合もある。 **:'''かけ声の例5''':……→「朝鮮、朝鮮、ハワイ!」→「一本とって軍艦!」→「二本とって朝鮮!」→…… *勝敗のつけ方はいろいろあるが、以下は3点先取制として上記'''例3'''を応用して遊んだ場合。 *:'''例4''':親が3回目の手で子に負けると、次セットから親子が交代。親が3回目の手で子に勝つか同じ手を出すと、親が「一本とって」と言いながら子の手を叩きつつ1得点。どちらかが3点先取するとゲーム終了。 **どちらかが痛くなって降参するまで続ける方法もある。 **チョキ→チョップかしっぺ グー→げんこつだが軽く パー→軽く張り手 **このルールを使った「'''[[父親|おやじ]]'''」と呼ばれるものもある。 ***グーは「[[拳骨|ゲンコ]]」、チョキは「目潰し」、パーは「[[平手打ち|ビンタ]]」と呼ぶ ==バリエーション== 地域によって以下の例のようなバリエーションがある。 ===手の呼び名=== *'''グー'''→[[軍艦]]、[[グアム]] *'''チョキ'''→[[朝鮮]]、[[沈没]]、[[チェス]]、[[艦長]]、チビス、チョビス、チマ、[[ピストル]]、[[ピストン]] *'''パー'''→[[ハワイ州|ハワイ]]、[[破裂]]、[[パラグアイ]] ===最初のじゃんけんのかけ声=== *「軍艦じゃんけんほーい」 *「軍艦おおたらええのにな」(大阪府松原市) *「せーんーそ(戦争)」(千葉県、茨城県、神奈川県、宮城県) *「ぐーんーかん(軍艦)」 *「戦争しーましょ」 *「ぽーちけた」※北関東で標準的 *「にっしんちょいな」 *「ちっけった」 *「ちーけーた」 *「ちっけった、あーれっしょ」 *「ちーけたほい」 *「ちーらっせ」 *「じっけった」 *「じーげっぴ」 *「おっちゃんちっ」(朝鮮語の「オッチョンジー(どんな訳だ)」が変化していった可能性あり) *「ハーワーイ」 *「デンジャラス」 *「ハワイじゃーんけん」 *「朝鮮行ってパン買って軍艦乗って帰ってきた」 *「朝鮮人がパン食って軍艦乗って ホイッ」 *「朝鮮人が軍艦乗ってハワイ行って沈没」 *「にっちゅうーだー(日中だぁ?)」 *「ドンじゃんけんぽい」 *「ポンジャケ ポン」 *「ポンスケ ポン」(埼玉県浦和市) *「ポンチキポン」 *「ポンチケポン」 *「日清 チャイナ」 *「いっすんしょ」 *「軍艦ジャス」 *「ドラドラ生の!ぱんちんけラス浦二A」 *「ドンチョ」 *「ドンシャ」 *「インジャーホイ」 *「ハイキング」 *「ポークじゃんけん」 *「とんでけほい」(埼玉県) ==歴史== 戦時中に始まった遊びと思われるが、始まりの由来については不明である<ref name="jcast">{{Cite web|和書|url=https://www.j-cast.com/2014/09/19216374.html?p=all |title=「軍艦、朝鮮、ハワイ」のかけ声で遊ぶ 「軍艦じゃんけん」に突如注目が集まる : J-CASTニュース |date=2014-09-19 |accessdate=2018-06-23 }}</ref>。 2010年代中頃にも、一部の子供達の間で遊ばれているのが確認されている<ref name="jcast"/>。現在では主に一部の小学校の児童の間などで遊ばれている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == {{参照方法|date=2022年7月23日 (土) 12:08 (UTC)}} *加古里子『じゃんけん遊び考』 小峰書店, 2008年7月 394, 3p ; ISBN 978-4-338-22604-2 ==関連項目== *[[じゃんけん]] *[[ドンパッパ]] *[[水雷艦長]] {{DEFAULTSORT:くんかんしやんけん}} [[Category:じゃんけん]] [[Category:子供の遊び]] {{game-stub}}
2003-02-28T21:32:18Z
2023-12-22T07:18:38Z
false
false
false
[ "Template:出典の明記", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:参照方法", "Template:Game-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E8%89%A6%E3%81%98%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%91%E3%82%93
3,096
罫線表
罫線表(けいせんひょう)あるいはチャートとは、主に株式、商品取引、為替等の相場を観測する目的で、価格等の情報を示した図表である。図示する情報の種類・作成手法により様々な種類が存在する。 罫線表は図表だけでなく、その様相を分析することにより将来の相場の値動きを予測する解釈論を伴っていることが通例である。 過去の相場の値動きから将来を予測することをテクニカル分析というが、罫線表を利用すると図解による分析が可能である。 価格の動きだけではなく、出来高、移動平均線など他の指標を同時に観測し、将来の株価を予測する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "罫線表(けいせんひょう)あるいはチャートとは、主に株式、商品取引、為替等の相場を観測する目的で、価格等の情報を示した図表である。図示する情報の種類・作成手法により様々な種類が存在する。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "罫線表は図表だけでなく、その様相を分析することにより将来の相場の値動きを予測する解釈論を伴っていることが通例である。 過去の相場の値動きから将来を予測することをテクニカル分析というが、罫線表を利用すると図解による分析が可能である。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "価格の動きだけではなく、出来高、移動平均線など他の指標を同時に観測し、将来の株価を予測する。", "title": "利用" } ]
罫線表(けいせんひょう)あるいはチャートとは、主に株式、商品取引、為替等の相場を観測する目的で、価格等の情報を示した図表である。図示する情報の種類・作成手法により様々な種類が存在する。
{{出典の明記|date=2021年11月}} [[File:Chart日経平均.png|thumb|260px|right|[[三尊天井]]を打った[[日経平均株価]]チャート(2002年8月 - 2008年7月)]] '''罫線表'''(けいせんひょう)あるいは'''チャート'''とは、主に[[株式]]、[[商品取引]]、[[為替]]等の相場を観測する目的で、価格等の情報を示した図表である。図示する情報の種類・作成手法により様々な種類が存在する。 == 利用 == 罫線表は図表だけでなく、その様相を分析することにより将来の相場の値動きを予測する解釈論を伴っていることが通例である。 過去の相場の値動きから将来を予測することを[[テクニカル分析]]というが、罫線表を利用すると図解による分析が可能である。 価格の動きだけではなく、[[出来高]]、[[移動平均線]]など他の指標を同時に観測し、将来の株価を予測する。 == 関連項目 == *[[株式]] *[[株価]] *[[三尊天井]] *[[罫線素片]] *[[テクニカル分析]] *[[テクニカル指標一覧]] *[[ローソク足チャート|ローソク足]] {{罫線表の種類}} {{DEFAULTSORT:けいせんひよう}} [[Category:株式市場]] [[Category:グラフ]]
null
2023-04-16T00:53:59Z
false
false
false
[ "Template:出典の明記", "Template:罫線表の種類" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BD%AB%E7%B7%9A%E8%A1%A8
3,097
タカアシガニ
タカアシガニ(高脚蟹・学名Macrocheira kaempferi)は、十脚目・短尾下目・クモガニ科に分類される蟹。日本近海の深海に生息する巨大な蟹で、現生の節足動物では世界最大になる。 カニ類の中では系統的に古い種で、生きた化石とよばれる。現生のタカアシガニ属(Macrocheira属)は1属1種だけだが、他に化石種が4種類(日本国内に2種、アメリカ合衆国ワシントン州に2種)報告されている。 脚には白色のまだら模様が入る。脚は非常に細長いが、さらに成体のオスでは鋏脚が脚よりも長くなり、大きなオスが鋏脚を広げると3.8メートルに達する。甲羅は最大で甲幅40センチメートルになり、甲長の方が長く楕円形で、盛りあがっていて丸っこい。体重は最大で19キログラムに達する。複眼は甲羅の前方に並び、複眼の間には斜めの棘が左右に突き出す。若い個体は甲羅に毛や棘があり、複眼の間の棘も長いが、成熟すると毛は短くなり、棘も目立たなくなる。 生息域は岩手県沖から九州までの太平洋岸で、東シナ海、駿河湾、土佐湾である。まれに三河湾や伊勢湾で漁獲されたこともある。 日本近海の固有種と言われていたが、1989年に台湾の東方沖で見つかっている。水深150 - 800メートルほどの深海砂泥底に生息し(特に水深200 - 300メートルに多い)、春の産卵期には、水深50メートル程度の浅いところまで移動して産卵する。学名はエンゲルベルト・ケンペル (Engelbert Kaempfer) にちなんで名づけられたもので、彼の生誕350年の折には剥製がドイツに送られた。 食性は動物食の強い雑食性で、貝などを鋏で潰し割って食べることが多い。(鋏の内側に球状の突起が多数並んでおり、くるみ割り器のように、固い物を潰して割る構造になっている。) 近縁種4種は全て絶滅種で、1926年にメアリー・ラスバンによってアメリカ合衆国ワシントン州のオリンピック半島の東ツイン川(ワシントン州)(英語版)で確認された Macrocheira teglandi、1957年に今泉力蔵によって長野県下伊那郡千代村米川(現在の同県飯田市大字千代)の千代小学校の校庭の地層で確認された「チヨガニ」(Macrocheira yabei)、同じく今泉によって1965年に山形県尾花沢市の薬師沢支流の砂岩層から確認された Macrocheira ginzanensis、1999年にキャリー・シュバイツァー (Carrie E. Schweitzer) とロドニー・フェルドマン (Rodney M. Feldmann) の研究チームによってワシントン州オリンピック半島の地層から確認された Macrocheira longirostra である。 産地以外では食材としての評価は低い。水揚げして放置すると身が溶けて液体化してしまうため、扱いが難しいといったことが挙げられる。 味は水っぽく大味で、それゆえ大正初期の頃から底引き網漁でタカアシガニが水揚げされるも見向きもされていなかった。しかし今日では漁獲される地元の名物料理の一つになっている。巷説では、1960年(昭和35年)に戸田村 (現在の沼津市戸田地区) の地元旅館主人が「タカアシガニ料理」を始めたとされている。 小型底引き網(トロール網)などで漁獲され、塩茹でや蒸しガニなどにして食用にされる。メスの方が美味しいという話もあるが、巨体の割にはあまり肉が多くない。漁場は相模灘、伊豆七島周辺、駿河湾、熊野灘、土佐湾などだが、産卵期の春は禁漁となっている。特に漁が盛んな駿河湾ではタカアシガニを観光の名物にしているが、近年は漁獲が減少しているため、種苗放流など資源保護の動きもある。和歌山県では産卵期の春に浅瀬に移動するものを漁獲している。 食用の他に研究用や装飾用の剥製、魔よけにもされる。性質はおとなしく、また飼育のし易さ、目を引く点、個体の補充しやすさから水族館などでも飼育される。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "タカアシガニ(高脚蟹・学名Macrocheira kaempferi)は、十脚目・短尾下目・クモガニ科に分類される蟹。日本近海の深海に生息する巨大な蟹で、現生の節足動物では世界最大になる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "カニ類の中では系統的に古い種で、生きた化石とよばれる。現生のタカアシガニ属(Macrocheira属)は1属1種だけだが、他に化石種が4種類(日本国内に2種、アメリカ合衆国ワシントン州に2種)報告されている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "脚には白色のまだら模様が入る。脚は非常に細長いが、さらに成体のオスでは鋏脚が脚よりも長くなり、大きなオスが鋏脚を広げると3.8メートルに達する。甲羅は最大で甲幅40センチメートルになり、甲長の方が長く楕円形で、盛りあがっていて丸っこい。体重は最大で19キログラムに達する。複眼は甲羅の前方に並び、複眼の間には斜めの棘が左右に突き出す。若い個体は甲羅に毛や棘があり、複眼の間の棘も長いが、成熟すると毛は短くなり、棘も目立たなくなる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "生息域は岩手県沖から九州までの太平洋岸で、東シナ海、駿河湾、土佐湾である。まれに三河湾や伊勢湾で漁獲されたこともある。 日本近海の固有種と言われていたが、1989年に台湾の東方沖で見つかっている。水深150 - 800メートルほどの深海砂泥底に生息し(特に水深200 - 300メートルに多い)、春の産卵期には、水深50メートル程度の浅いところまで移動して産卵する。学名はエンゲルベルト・ケンペル (Engelbert Kaempfer) にちなんで名づけられたもので、彼の生誕350年の折には剥製がドイツに送られた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "食性は動物食の強い雑食性で、貝などを鋏で潰し割って食べることが多い。(鋏の内側に球状の突起が多数並んでおり、くるみ割り器のように、固い物を潰して割る構造になっている。)", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "近縁種4種は全て絶滅種で、1926年にメアリー・ラスバンによってアメリカ合衆国ワシントン州のオリンピック半島の東ツイン川(ワシントン州)(英語版)で確認された Macrocheira teglandi、1957年に今泉力蔵によって長野県下伊那郡千代村米川(現在の同県飯田市大字千代)の千代小学校の校庭の地層で確認された「チヨガニ」(Macrocheira yabei)、同じく今泉によって1965年に山形県尾花沢市の薬師沢支流の砂岩層から確認された Macrocheira ginzanensis、1999年にキャリー・シュバイツァー (Carrie E. Schweitzer) とロドニー・フェルドマン (Rodney M. Feldmann) の研究チームによってワシントン州オリンピック半島の地層から確認された Macrocheira longirostra である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "産地以外では食材としての評価は低い。水揚げして放置すると身が溶けて液体化してしまうため、扱いが難しいといったことが挙げられる。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "味は水っぽく大味で、それゆえ大正初期の頃から底引き網漁でタカアシガニが水揚げされるも見向きもされていなかった。しかし今日では漁獲される地元の名物料理の一つになっている。巷説では、1960年(昭和35年)に戸田村 (現在の沼津市戸田地区) の地元旅館主人が「タカアシガニ料理」を始めたとされている。 小型底引き網(トロール網)などで漁獲され、塩茹でや蒸しガニなどにして食用にされる。メスの方が美味しいという話もあるが、巨体の割にはあまり肉が多くない。漁場は相模灘、伊豆七島周辺、駿河湾、熊野灘、土佐湾などだが、産卵期の春は禁漁となっている。特に漁が盛んな駿河湾ではタカアシガニを観光の名物にしているが、近年は漁獲が減少しているため、種苗放流など資源保護の動きもある。和歌山県では産卵期の春に浅瀬に移動するものを漁獲している。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "食用の他に研究用や装飾用の剥製、魔よけにもされる。性質はおとなしく、また飼育のし易さ、目を引く点、個体の補充しやすさから水族館などでも飼育される。", "title": "利用" } ]
タカアシガニは、十脚目・短尾下目・クモガニ科に分類される蟹。日本近海の深海に生息する巨大な蟹で、現生の節足動物では世界最大になる。 カニ類の中では系統的に古い種で、生きた化石とよばれる。現生のタカアシガニ属(Macrocheira属)は1属1種だけだが、他に化石種が4種類(日本国内に2種、アメリカ合衆国ワシントン州に2種)報告されている。
{{生物分類表 |名称 = タカアシガニ |色 = 動物界 |画像= [[File:Spider crab at manila ocean park.jpg|250px|タカアシガニ]] |界 = [[動物|動物界]] [[:w:Animal|Animalia]] |門 = [[節足動物|節足動物門]] [[:w:Arthropod|Arthropoda]] |亜門 = [[甲殻類|甲殻亜門]] [[:w:Crustacean|Crustacea]] |綱 = [[軟甲綱]] [[:w:Malacostraca|Malacostraca]] |亜綱 = [[真軟甲亜綱]] [[:w:Eumalacostraca|Eumalacostraca]] |上目 = [[ホンエビ上目]] [[:w:Eucarida|Eucarida]] |目 = [[エビ|十脚目]] [[:w:Decapoda|Decapoda]] |亜目 = 抱卵亜目 [[:w:Pleocyemata|Pleocyemata]] |下目 = [[カニ|短尾下目]] [[:w:Crab|Brachyura]] |科 = [[クモガニ科]] [[:w:Majidae|Majidae]] |属 = タカアシガニ属 ''[[:w:Macrocheira|Macrocheira]]'' |種 = '''タカアシガニ''' ''[[:w:Japanese spider crab|M. kaempferi]]'' |学名 = ''[[Wikispecies:Macrocheira kaempferi|Macrocheira kaempferi]]''<br/><span style="font-size:90%;">[[コンラート・ヤコブ・テミンク|Temminck]] [[1836年|1836]]</span> |和名 = タカアシガニ |英名 = [[:en:Japanese spider crab|Japanese spider crab]] }} '''タカアシガニ'''(高脚蟹・学名''[[Wikispecies:Macrocheira kaempferi|Macrocheira kaempferi]]'')は、[[十脚目]]・[[短尾下目]]・[[クモガニ科]]に分類される[[カニ|蟹]]。日本近海の深海に生息する巨大な蟹で、現生の[[節足動物]]では[[生物に関する世界一の一覧|世界最大]]である<ref>{{Cite web|和書|url=https://aquarium.co.jp/topics/id=588/|title=大きなタカアシガニが入館しました|publisher=鳥羽水族館|accessdate=2018-03-16}}</ref>。 カニ類の中では系統的に古い種で、[[生きている化石|生きた化石]]とよばれる。現生のタカアシガニ属(''Macrocheira''属)は1属1種だけだが、他に[[化石]]種が4種類(日本国内に2種、[[アメリカ合衆国]][[ワシントン州]]に2種)報告されている。 == 概要 == {{出典の明記|date=2020-12|section=1}} [[脚]]には白色の[[まだら|まだら模様]]が入る。脚は非常に細長いが、さらに成体のオスでは鋏脚が脚よりも長くなり、大きなオスが鋏脚を広げると3.8[[メートル]]に達する。[[甲羅]]は最大で甲幅40[[センチメートル]]になり、甲長の方が長く楕円形で、盛りあがっていて丸っこい。体重は最大で19[[キログラム]]に達する。複眼は甲羅の前方に並び、複眼の間には斜めの[[棘]]が左右に突き出す。若い個体は甲羅に[[毛 (動物)|毛]]や棘があり、複眼の間の棘も長いが、成熟すると毛は短くなり、棘も目立たなくなる。 生息域は[[岩手県]]沖から[[九州]]までの[[太平洋]]岸で、[[東シナ海]]、[[駿河湾]]、[[土佐湾]]である。まれに[[三河湾]]や[[伊勢湾]]で漁獲されたこともある。 日本近海の[[固有種]]と言われていたが、[[1989年]]に[[台湾]]の東方沖で見つかっている。水深150 - 800メートルほどの深海砂泥底に生息し(特に水深200 - 300メートルに多い)、春の産卵期には、水深50メートル程度の浅いところまで移動して産卵する。[[学名]]は[[エンゲルベルト・ケンペル]] (Engelbert Kaempfer) にちなんで名づけられたもので、彼の生誕350年の折には剥製が[[ドイツ]]に送られた。 食性は動物食の強い雑食性で、貝などを鋏で潰し割って食べることが多い。(鋏の内側に球状の突起が多数並んでおり、くるみ割り器のように、固い物を潰して割る構造になっている。) 近縁種4種は全て[[絶滅種]]で、[[1926年]]に[[メアリー・ラスバン]]によってアメリカ合衆国ワシントン州の[[オリンピック半島]]の{{仮リンク|東ツイン川(ワシントン州)|en|East Twin River (Washington)}}で確認された ''[[:en:Macrocheira teglandi|Macrocheira teglandi]]''、[[1957年]]に[[今泉力蔵]]によって[[長野県]][[下伊那郡]][[千代村]]米川(現在の同県[[飯田市]][[大字]]千代)の[[飯田市立千代小学校|千代小学校]]の校庭の地層で確認された「[[チヨガニ]]」(''[[:en:Macrocheira yabei|Macrocheira yabei]]'')、同じく今泉によって[[1965年]]に[[山形県]][[尾花沢市]]の薬師沢支流の砂岩層から確認された ''[[:en:Macrocheira ginzanensis|Macrocheira ginzanensis]]''、[[1999年]]にキャリー・シュバイツァー (Carrie E. Schweitzer) とロドニー・フェルドマン (Rodney M. Feldmann) の研究チームによってワシントン州オリンピック半島の地層から確認された ''[[:en:Macrocheira longirostra|Macrocheira longirostra]]'' である。 == 利用 == [[File:Japanese spider crab Stuffed specimen.jpg|thumb|250px|タカアシガニの剥製。[[国立科学博物館]]の展示。]] [[ファイル:茹でガニ.jpg|サムネイル|300x300ピクセル|新鮮なうちに茹でられたものは美味である。]] 産地以外では食材としての評価は低い。水揚げして放置すると身が溶けて液体化してしまうため、扱いが難しいといったことが挙げられる。 味は水っぽく大味で、それゆえ[[大正]]初期の頃から底引き網漁でタカアシガニが水揚げされるも見向きもされていなかった。しかし今日では漁獲される地元の名物料理の一つになっている。巷説では、[[1960年]](昭和35年)に[[戸田村 (静岡県)|戸田村]] (現在の[[沼津市]]戸田地区) の地元旅館主人が「タカアシガニ料理」を始めたとされている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shizuoka.info.maff.go.jp/12jirei/04santi/numazu/08_guide_01.html |title=西伊豆戸田のタカアシガニ |accessdate=2007-12-05 |deadlinkdate=2020-12-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071027171402/http://www.shizuoka.info.maff.go.jp/12jirei/04santi/numazu/08_guide_01.html |archivedate=2007-10-27}}</ref>。 小型底引き網([[トロール網]])などで漁獲され、塩茹でや蒸しガニなどにして食用にされる。メスの方が美味しいという話もあるが、巨体の割にはあまり肉が多くない。漁場は[[相模灘]]、[[伊豆七島]]周辺、[[駿河湾]]、[[熊野灘]]、[[土佐湾]]などだが、産卵期の春は禁漁となっている。特に漁が盛んな駿河湾ではタカアシガニを観光の名物にしているが、近年は漁獲が減少しているため、種苗放流など資源保護の動きもある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fra.affrc.go.jp/kseika/nrifs/nrifs01013.html |title=タカアシガニの種苗生産と稚ガニの長期飼育 |publisher=独立行政法人水産総合研究センター |accessdate=2007-12-05}}</ref>。[[和歌山県]]では産卵期の春に浅瀬に移動するものを漁獲している。 * 伊豆での漁法と漁期 **[[戸田漁港]] 小型底曳き網(9月 - 翌年5月15日)、[[田子漁港]] かご(12月 - 翌年2月)<ref>出典: 静岡県海区漁業調整委員会資料{{Full citation needed|date=2020年12月}}</ref> 食用の他に研究用や装飾用の[[剥製]]、魔よけ<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20180101/k00/00m/040/022000c|title=沼津港深海水族館でっかいタカアシガニ 祭る神社を展示|publisher=毎日新聞|accessdate=2017-12-31}}</ref>にもされる。性質はおとなしく、また飼育のし易さ、目を引く点、個体の補充しやすさから[[水族館]]などでも飼育される。 == ギャラリー == <gallery> File:Japanese spider crab.jpg File:Spider crab in SPb aquarium.jpg </gallery> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} ==関連項目== * {{Commons-inline|Category:Macrocheira_kaempferi}} * {{Wikispecies-inline|Macrocheira kaempferi}} == 外部リンク == * [http://fish-exp.pref.shizuoka.jp/04library/4-7-5.html タカアシガニ]静岡県水産技術研究所:水技研デジタルアーカイブス {{デフォルトソート:たかあしかに}} [[Category:カニ|たかあしかに]] [[Category:食用甲殻類|たかあしかに]] [[Category:生きている化石|たかあしかに]] [[Category:静岡県の食文化]]
2003-02-28T23:15:00Z
2023-10-19T09:35:37Z
false
false
false
[ "Template:Wikispecies-inline", "Template:生物分類表", "Template:出典の明記", "Template:仮リンク", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Full citation needed", "Template:Cite web", "Template:Commons-inline" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%AC%E3%83%8B
3,098
大阪環状線
大阪環状線(おおさかかんじょうせん、英: Osaka Loop Line)は、大阪府大阪市内の天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 新今宮駅間を結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。 「大阪環状線」の呼称が指す区間は典拠や目的により、次のように使い分けられている。 以下、特記がない限りは 1. (運行系統としては3.)に従って記述する。なお、大阪をはじめとする近畿圏においては、当路線を単に「環状線」と呼称する場合も多く、本項でも一部でそのように表記している。 大阪環状線は、大阪市の都心部外周を環状運転している環状線であり、JR西日本のアーバンネットワークの中心路線として機能している。ラインカラーは赤(■)で、大阪のダイナミズムをイメージしている。駅ナンバリングで使われる路線記号はO。当路線で運行された101系・103系・201系電車の車体色はオレンジバーミリオン(■ 朱色1号)で、現用車両の323系電車でもドア横のアクセントカラーや黒とともに帯色で使用されている。 多くの駅で各方面へのJR・私鉄各線および都心部を走る大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の地下鉄各路線と連絡している。また、大阪環状線では線内で環状運転や区間運転を行なっている普通列車以外に、大和路線(関西本線)と阪和線、JRゆめ咲線(桜島線)、JR京都線(東海道本線)といったJR他路線と直通運転している普通列車や快速列車、及び特急列車が走行する。 大阪環状線は、南側の関西本線の一部区間、関西本線と東海道本線を連絡する東側の城東線、安治川の右岸を走る北西側の西成線の一部区間、南西側の関西本線貨物支線の一部区間を、第二次世界大戦後の高度経済成長期に西側の未成区間に新線を造って接続したものである。発足時の大阪市域のほぼ全域を取り囲んでおり、大阪環状線内を横断・縦断する地上路線は存在しないものの、地上区間により大阪環状線内に入り込む路線は9路線(天王寺駅阪和線ホームを含めると10路線)ある。地下路線ではOsaka Metro(旧大阪市営地下鉄)線が従来から大阪環状線内を横断・縦断しているが、地下鉄以外でもJR・私鉄ともに地下区間により横断・縦断路線を建設する計画が何度か立てられ、2009年までにJRではJR東西線、私鉄では阪神なんば線・近鉄奈良線(難波線・大阪線)の西九条駅 - 鶴橋駅間の2つの横断路線が実現しているほか、2031年度には縦断路線のなにわ筋線(JR西日本、南海電鉄)が開通する予定となっている。 堂島・中之島・船場(本町など)・島之内(心斎橋など)といった都心部(旧来の中心市街)およびミナミの玄関口である難波が大阪環状線の内側に位置するため、前述の通り元私鉄を含む多数の路線が大阪環状線内に入り込んでいる。加えて新幹線接続駅がないため、新大阪駅 - 梅田駅(大阪駅直下) - 難波駅 - 天王寺駅間を直線的に通るOsaka Metro御堂筋線が市内交通の大動脈として都心部への移動の主力を担い、大阪環状線や他のOsaka Metro各線および大阪シティバスがそれを補完する形になっている。これらは他路線との直通列車が存在することとともに、同じく環状運転を行なっている東京の山手線と大きく異なる点である。 南側と東側は特に都心部から離れて敷設されたため、南海、京阪、近鉄(かつての大軌)がそれぞれ大阪環状線の内側に難波駅、天満橋駅、大阪上本町駅を構えた一方、比較的都心部に近接して敷設された北側では阪神、阪急とも大阪駅付近に大阪梅田駅 (阪神)、大阪梅田駅 (阪急)を構え、南側でも後発の近鉄(かつての大鉄)が天王寺駅付近に大阪阿部野橋駅を構えた経緯から、梅田、天王寺・阿倍野の副都心が形成された。大阪駅一帯の梅田は大規模な再開発の進展によって旧来の中心市街の相対的な地位を低下させるまでに発展している。また、河川が集中して土地の制約が大きかった京橋駅の周辺も大阪ビジネスパーク(OBP)と一体となった副都心が形成されている。 また、東側の大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間では、全列車が各駅に停車するのに対し、西側の大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間では、特急や快速は大阪環状線内で通過運転を行っているため、日中時間帯では特急・快速が全て停車する駅に1時間に15本が停車する一方で、特急や快速が通過する野田駅、芦原橋駅と今宮駅は1時間に4本しか停車する列車がない。これも日中は各駅とも1時間12本以上が停車する山手線と異なる点である。 路線の大半は高架であるが、天王寺駅付近と大阪城公園駅付近だけは地平を走っている。故にこの2駅だけは地上駅となっている。ただし、天王寺駅は掘割式の地下駅に分類される場合もある。また内回り線の新今宮駅 - 天王寺駅間には大阪環状線で最後まで残った踏切である一ツ家踏切があった。 大阪都心部を走る路線でありながら、他の私鉄・地下鉄線と直接競合していないこともあり、2013年に「大阪環状線改造プロジェクト」が開始されるまでは環状運転の大半の普通列車が国鉄時代の車両で占められ、新車導入や駅の美装化といった設備投資が、私鉄と競合し看板列車の新快速が運転されているJR神戸線やJR京都線などの主要路線と比べるとかなり遅れた。 JR線で唯一、全列車が掲載されている紙の時刻表が存在しない路線である(他路線に直通する列車の時刻はすべて掲載されている)。ただし、八峰出版がかつて発行していた『KATT 関西圏JR線私鉄線時刻表』では大阪環状線が特集として、また『携帯全国時刻表』特別付録として2017年4月号に別冊付録として大阪環状線の快速も含む全列車の時刻が掲載された。なお、『携帯全国時刻表』2018年4月号にも別冊付録で大阪環状線全列車時刻表(こちらは特急列車も含む)が掲載された。 全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「大阪近郊区間」、電車特定区間、およびIC乗車カード「ICOCA」エリアに含まれており、JR西日本近畿統括本部の管轄である。 なお、平均駅間距離は1.15 km(新今宮駅 - 天王寺駅間を含む場合は約1.14 km)で、JR西日本管内の路線では最も短い。 以下に示す記述はすべて内回り(反時計回り、左回り)の沿線概況であり、外回り(時計回り、右回り)の場合は風景の順番が逆で、大阪駅の発着ホームも2番のりばとなる。 天王寺駅は関西本線・阪和線が分岐しているほか、近鉄南大阪線、Osaka Metro御堂筋線・谷町線、阪堺電気軌道上町線との接続駅で、天王寺は南大阪の玄関口であるとともに、ミナミ・キタなどと並ぶ大阪市の都市核の一つである。駅周辺には天王寺ミオやあべのキューズモール、日本一の高さ300 mの駅ビルあべのハルカス(あべのハルカス近鉄本店)などの商業施設が多く、JR西日本の駅別乗車人員数では第3位である。 天王寺駅を出ると左にカーブして、天王寺駅の北側にある阪和線をくぐって北上する。寺田町駅を出て桃谷駅に向かう間は、マンションの立ち並ぶ天王寺区、下町情緒豊かな生野区を分けるように高架の線路を北上し、鶴橋駅に到着する。近鉄大阪線・奈良線、Osaka Metro千日前線との接続駅で、ホームには近鉄との連絡改札口があり、乗り換え客も非常に多い。駅前は在日コリアンによって造られたコリア・タウンが中核を担っている。周辺に焼肉店や朝鮮料理店が多く、駅周辺の賑わいは環境省のかおり風景100選にも選ばれている。 鶴橋駅からは引き続き住宅街を北上し、玉造駅を過ぎると今度は京セラドキュメントソリューションズや森下仁丹、サクラクレパスなどの本社建物が立ち並ぶ区域を通り、Osaka Metro中央線・長堀鶴見緑地線との連絡駅、森ノ宮駅に至る。森ノ宮駅を過ぎると左手に大阪城がある大阪城公園、右手に吹田総合車両所森ノ宮支所やOsaka Metroの森之宮検車場が見える。線路は高架から地上へ下り大阪城公園駅に着く。さらに進むと同支所の入出区線が右手から接近し、左手に多数のビル群が林立する大阪ビジネスパークを過ぎると京橋駅に着く。京橋駅には 片町線(学研都市線)・JR東西線と京阪本線のほか、Osaka Metro長堀鶴見緑地線が乗り入れ、飲食店街や歓楽街も発展していることから、「キタ」「ミナミ」に対して「ヒガシ」と呼ばれることもある。 京橋駅を出ると正面にはかつての淀川電車区・淀川駅に至る連絡線があった空き地が広がるが、大阪環状線は左にカーブする。桜の名所、桜ノ宮駅を過ぎ、旧淀川(大川)を渡って右にカーブすると、阪神高速12号守口線をくぐり大阪環状線の最も北に位置する天満駅と続く。天満駅を出てすぐ天神橋筋商店街を高架で跨ぎ、住宅街やビルの合間をかいくぐって行き、右手から東海道本線(JR京都線)が合流してくると大阪駅に着く。 大阪駅では最も南側(サウスゲートビルディング寄り)の1番のりばから発車する。大阪駅を出ると、東海道本線(JR神戸線・JR宝塚線)と並走し、やがて東海道本線は右に分かれていく。大阪環状線はそのまま直進して福島駅に着く。福島駅付近で東海道本線貨物支線が合流しているが、貨物線は地平線を走り、福島駅を出ると右手から貨物線が地平線から高架橋へ上ってくる。阪神本線を越えると、野田駅である。野田駅からはかつて、大阪環状線の北側から高架を下って直進方向に進んで三菱製紙などに至る専用鉄道と、大阪環状線をくぐって大阪市中央卸売市場本場にあった大阪市場駅へと至る貨物支線(1984年〈昭和59年〉2月1日廃止)が分岐しており、野田駅ホームからはその地上への分岐部の跡が確認できる。現在は、専用鉄道の線路跡には住宅などが建っており当時を偲ばせるものはないが、大阪市場駅への貨物支線跡は遊歩道として整備されている。 続く西九条駅は島式2面5線であるが、このうちホームがあるのは内側の3線のみである。桜島線(JRゆめ咲線)・梅田貨物線が分岐しており、大阪方面から桜島線に乗り入れているほか、梅田貨物線を経由して新大阪方面から特急列車も大阪環状線に直通している。西九条駅の真上に位置している阪神なんば線をくぐり、内・外回り線に挟まれて桜島線が地平に降りて西進して分かれていく。安治川を渡って大きく左にカーブすると、右手から阪神高速17号西大阪線・国道43号が寄り添い始め、ORC200などの高層ビルが建ち並ぶ弁天町駅に着く。弁天町駅は大阪環状線の最も西部に位置しており、Osaka Metro中央線との接続駅で、大阪ベイエリアの入口に当たる。高架下にはかつて交通科学博物館があり、内回りホームからは保存車両の一部を見ることができた。駅前は中央大通と国道43号が交差して車の交通量も多く、大阪環状線と直角に阪神高速16号大阪港線が交差している。 弁天町駅を出て一度左にカーブして東に向くと内回り・外回りの間に空き地があるが、これがかつての境川信号場跡で、大阪臨港線が分岐していた。正面から左手に京セラドーム大阪とガスタンクのモニュメントのある大阪ガスのドームシティ(岩崎地区)が見えると、その最寄り駅である大正駅に着く。大正駅はOsaka Metro長堀鶴見緑地線との連絡駅であるとともに大正区の最北端に位置しており、鉄軌道網がない同区内の大阪環状線以南の各方面に多数の大阪シティバスが運行されており、ラッシュ時には急行バスも運行されている。 大正駅の先で南海汐見橋線と交差すると芦原橋駅・今宮駅と続く。今宮駅は関西本線(大和路線)を越えるために内回り線のホームは3階となっているが、外回り線はその必要がないため2階にホームがあり、関西本線の下り線と同一ホームで乗り換えることができる。なお、1997年までは今宮駅には大阪環状線のホームがなく、当時地上にあった関西本線の両側の築堤上を内回り・外回りに分かれて走行していた。 新今宮駅は南海本線・高野線、Osaka Metro御堂筋線・堺筋線および、阪堺線との接続駅である。島式2面4線のうち、外側2線を大阪環状線の列車が、内側2線を関西本線および大阪環状線と直通運転する列車が使用している。新今宮駅を出ると、左手に通天閣や大阪市天王寺動物園といった主要ランドマークが立ち並び、天王寺駅に着く。この間、外回り線は高架橋で関西本線を越えるが、2012年6月まで、この交点付近に大阪環状線で最後の踏切となる一ツ家踏切があった。その踏切跡付近から天王寺駅にかけては、1993年に廃止された南海天王寺支線の廃線跡が南側に並行して残っている。 新今宮駅 - 天王寺駅間にあった一ツ家踏切は、大阪環状線に最後まで残った踏切で、内回り線(外回り線の同区間は関西本線を乗り越すため高架線になっている)・関西本線(大和路線)の列車のほかに、阪和線との直通列車も通過するため、朝ラッシュ時は1時間で最大54分踏切が閉まる開かずの踏切であった。JR西日本が所有する踏切の中でも線路内に立ち入るトラブルが多く、人身事故につながるケースもあったことから、2012年7月1日をもって廃止された。 この踏切で人身事故が発生するとその影響が広範囲に波及することから、JR西日本ではその対策として、最末期には踏切照明灯を青色にするなどの対策を取っていた。鉄道会社で青色の照明灯をいち早く導入したのはJR西日本で、実際に人身事故や踏切事故の抑止に効果があるとされたことから、青色の踏切照明灯は他線区にも導入され、その後、他社にも広がっている。 沿線では、民家の屋根上を作品展示の場所としたルーフアートが行われている。すべての作品は、車内や駅ホームから見える所にあり、堺市の芸術家である余田卓也が1994年から設置し始めたもので、2010年まで「家庭のパスワード」として、その家の住人が選んだ4桁の数字がシンボルカラーと共にそれぞれに数字と異なる色が掲げられていた。 大阪環状線内相互発着の普通のほか、桜島線(JRゆめ咲線)に直通する普通、関西本線(大和路線)・阪和線へ直通する快速列車が運転されている。快速列車は、区間快速・直通快速を除いて、大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間で快速運転が行われている。また、東海道本線(JR京都線)・紀勢本線(きのくに線)方面から特急が、大阪駅 - 天王寺駅間を走行している。 日中は、全線にわたり1時間に12本の運転で、内訳は環状運転の「普通」、大和路線直通の「大和路快速」、阪和線・関西空港線直通の「関空快速・紀州路快速」がそれぞれ4本である。大阪駅 - 天王寺駅間は特急「くろしお」1本、「はるか」2本が加わり、1時間に15本の運転となる。午前中と夜間は、JRゆめ咲線直通の普通(天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 桜島駅間)が4本入るため、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅間は1時間に16本、特急「くろしお」「はるか」を含めると大阪駅 - 西九条駅間は1時間に19 - 20本の運転となる。平日の朝夕は大和路快速に代わって区間快速が、朝ラッシュ時は関空・紀州路快速に代わって直通快速(外回りのみ)が運転されている。なお、特急は天王寺駅と2023年3月17日まで一部が西九条駅にしか停車せず、大和路快速と関空快速・紀州路快速は野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過するため、この3駅は日中は1時間あたり4本のみの停車となる。 国鉄時代から終電時刻はほとんど変わらなかったが、2009年3月14日のダイヤ改正で、乗務員の睡眠時間確保のために大幅な繰り上げが行われ、大阪環状線では最大21分繰り上がった。 平日の朝夕ラッシュ時は約3分間隔で運転されており、ほとんどが環状運転列車であるが、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間の区間運転列車(朝ラッシュ時のみ)またはJRゆめ咲線直通列車も運転されている。この時間帯の前後には吹田総合車両所森ノ宮支所への入出区の関係から、京橋駅発着(内回り・外回り)・大阪城公園発(外回りのみ)となる列車がある。夕方ラッシュ時は2015年3月14日の改正で京橋駅発着を天王寺駅発着に延長して区間が統一された。 日中は環状運転列車が1時間に4本(15分間隔)運転されている。午前中と夜は、JRゆめ咲線直通列車が天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 桜島駅間で1時間に4本(15分間隔)運転されている。時間調整のため、大阪駅・京橋駅・森ノ宮駅・新今宮駅で1 - 2分ほど停車するほか、新今宮駅で快速を待ち合わせる列車もあるため、先発先着の平行ダイヤにはなっていない。 車両は全て3ドア車で、原則としてロングシートの323系が使用されているが、ラッシュ時の一部の列車は転換クロスシートのある223系・225系や221系も使用されている。 環状運転を行っているため、運転取り扱い上や旅客案内上は「上り・下り」という概念はなく、「外回り・内回り」という表現が用いられている。列車番号は内回りを奇数(大和路線直通列車を除く)としているが、奇数だから「下り」という意味ではなく、起点である大阪駅で、東海道本線と列車の方向と列車番号の奇数・偶数を合わせて内回りを奇数としただけである。 環状運転する電車の各駅での行き先案内は、主要6駅(大阪駅、西九条駅、新今宮駅、天王寺駅、鶴橋駅、京橋駅)から直近の2駅を挙げて「○○・△△方面行き」としている(たとえば、天満駅での外回り電車は京橋・鶴橋方面行きと案内する)。 列車番号は、引き続き環状運転列車となる列車は1000番台を使用し、天王寺駅で列車番号が変わる。途中駅が終点となる列車は2000番台が使用されている。なお、大阪環状線内のみを走行する列車には、JRの客車列車と同様に列車番号の末尾にアルファベットが付かない。JRゆめ咲線に直通する列車は、列車番号の末尾にEがつく。 大阪環状線と大和路線(関西本線)を直通する列車として、大和路快速・区間快速が運転されている。大和路快速は大阪環状線内の野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過するが、区間快速は大阪環状線内は各駅に停車する。日中および土・休日の朝と夜間に、大和路快速が1時間に4本(15分間隔)運転されている。朝と平日の夕方・夜間は大和路快速の代わりに区間快速が運転されている。 関西本線に直通する快速列車は1973年から113系で運転を開始し、1989年3月11日の221系導入と同時に大和路快速の愛称が付けられた。日中時間帯を中心に、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅 - 奈良駅 - 加茂駅間で運転(JR時刻表では大阪駅発着で案内)されているが、土休日ダイヤでは和歌山線高田駅・五条駅へ直通する列車がある。ラッシュ時間帯には大阪環状線内で各駅に停車する区間快速が運転されていて、京橋駅までの列車や和歌山線高田駅・五条駅へ直通する列車も設定されている。また天理教祭典(「こどもおぢばがえり」やお節会含む)開催時や土曜・休日ダイヤには臨時列車として桜井線(万葉まほろば線)に直通する列車もある。 夕方・夜間の一部の奈良駅・加茂駅発の区間快速は新今宮駅で阪和線方面からの特急列車の通過待ちを行う。 車両は全列車221系の8両編成で、区間快速には2016年9月まで103系・201系の8両編成が運用されていた。 また、2011年3月11日までの平日ダイヤの夜間には「やまとじライナー」が大阪駅 - 加茂駅間で運転されていた。大阪環状線内の停車駅は新今宮駅・天王寺駅であるが、大阪駅では両駅に停車する案内はされていなかった。 JR西日本は2023年8月24日に、同年10月23日より平日朝ラッシュ時間帯の加茂駅発大和路線区間快速2本に、有料座席サービス「快速 うれしート」(指定席)を導入すると発表した。なお、当該座席は天王寺駅からは無料開放(自由席)となる。 大和路快速は、大阪環状線の東半分(天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間)では列車番号は数字だけだが、西半分(大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間)および大和路線内では末尾にKがつく。区間快速は列車番号の末尾にYがつく。 天王寺始発で大阪環状線の内回りを1周し、再度天王寺駅を経由してから大和路線(関西本線)に直通する列車は、始発である天王寺駅の環状線ホームでは本来の種別及び行先を案内・表示せず、あたかも大阪環状線の内回りの普通列車であるかのように「普通 鶴橋・京橋方面」と案内されており、次駅の寺田町駅から本来の種別及び行先(「大和路快速 奈良」等)での案内・表示に変わる。 大阪環状線と阪和線を直通運転する列車として、関空快速・紀州路快速・快速・直通快速が運転されている。関空快速・紀州路快速・快速は大阪環状線内の野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過し、直通快速は大阪環状線内は各駅に停車する。 日中と夜間は関空快速・紀州路快速が1時間に4本(15分間隔)運転されている。朝ラッシュ時の外回りは関空快速・紀州路快速の代わりに直通快速が運転される。 阪和線との直通運転は、1990年3月10日から新大阪発新宮行きの夜行快速列車が運転されたのが最初で、その後1994年9月4日に関西国際空港が開港したことにより、関西空港線直通列車として京橋駅 - 大阪駅 - 関西空港駅間で関空快速の運転が開始された。当時の大阪環状線内の停車駅は、京橋駅・大阪駅・西九条駅・弁天町駅・新今宮駅・天王寺駅であったが、翌1995年4月20日から1999年5月9日まで、関空快速の停車駅のうち西九条駅・弁天町駅・新今宮駅を通過する「関空特快ウイング」が運転されていた。和歌山方面では新大阪駅発着の快速のみであったが、1999年5月10日から京橋駅 - 日根野駅間で関空快速と併結する紀州路快速の運転を開始し、大阪環状線に乗り入れることとなる。 大阪環状線の天王寺駅発着の列車は、2008年3月14日までは早朝・深夜にのみ設定され、内回りでは京橋駅 → 大阪駅間でも快速運転も行っていたが、翌15日のダイヤ改正で天王寺駅の阪和線への連絡線が複線化されたことにより、朝ラッシュ時間帯に大阪環状線へ直通する列車が増発されて直通快速として運転されるようになると、大阪環状線を一周する列車が増加するとともに、関空快速・紀州路快速・快速は大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間で各駅に停車するようになり、快速通過駅での停車時刻の間隔が所々で広がっていた問題が解決された。さらに、2012年3月17日のダイヤ改正では日中のJRゆめ咲線直通列車が削減され、この時間帯の大半の列車が大阪環状線天王寺駅発着に変更されたため、京橋駅で折り返す列車は午前中・夕方の一部列車と深夜時間帯のみになっている。また夜間時間帯には日根野駅までの列車もある(種別上は快速)。 また、2003年10月4日から2006年3月12日までの土曜・休日ダイヤの朝に、鳳駅 - 天王寺駅 - 大阪駅 - 天王寺駅間では直通快速と同じ停車駅で、区間快速が運転されていた。車両は日根野電車区(当時)の103系8両編成が使用されていた。 紀州路快速は一部の列車を除き、列車番号の末尾にHがつくが、関空快速と併結する大阪環状線内および阪和線天王寺駅 - 日根野駅間での列車番号末尾はMとなる。 天王寺始発で大阪環状線の内回りを1周し、再度天王寺駅を経由してから阪和線に直通する列車は、始発駅となる天王寺駅から次駅の寺田町駅まで大和路線(関西本線)直通列車と同様の案内体制が取られている。 1989年7月22日から、特急「くろしお」が大阪環状線に乗り入れて新大阪駅または京都駅へと直通運転されるようになった。関西国際空港が開港した1994年9月4日からは、関西空港線直通の特急「はるか」も運転されている。過去には、1990年に臨時特急「エキスポ雷鳥」が、2000年代に臨時特急「ユニバーサルエクスプレス」が、2010年に臨時特急「まほろば」が、それぞれ運転された。 「くろしお」が直通運転を開始する前年の1988年に奈良市内で開催された「なら・シルクロード博覧会」会場への東海道・山陽新幹線(新大阪駅)からのアクセス向上のため、西九条駅構内の配線を変更(大阪環状線と梅田貨物線との間に渡り線を設置)した上で加茂駅・奈良駅 - 湊町駅(現在のJR難波駅)間の快速の一部を新大阪駅発着に変更して大阪環状線から梅田貨物線の直通運転を行ったが、翌1989年には天王寺駅構内における大阪環状線と阪和線との連絡線設置工事が完了したことにより、阪和線・紀勢本線に直通する特急列車の運転も可能となった。 ただし、大阪環状線内での特急列車の運行区間は、西半分側にある大阪駅 - 天王寺駅間のみであり、2023年2月13日に梅田貨物線が地下新線に切り換えられるまで大阪駅を経由せず、切り換え後も同年3月17日までは大阪駅には停車しなかったためや、天王寺駅に全列車が停車する以外は同日まで一部の「くろしお」が西九条駅に停車するのみであったため、大阪環状線内において特急列車を利用できる機会は僅かであった。同年3月18日からは特急列車が大阪駅(うめきたエリア)に停車するようになり、大阪駅では地下ホーム発着になるものの大阪駅 - 天王寺駅間で特急列車が利用可能になったが、すべての特急列車が通過するようになった西九条駅は利用できなくなっている。 アーバンネットワークエリアでは一部の線区・区間を除いて大晦日から元日にかけての終夜運転が実施されているが、ここ最近では環状運転列車およびJRゆめ咲線との直通列車(いずれも普通)を両者合わせて10 - 30分間隔で運転し、大晦日から元日にかけて特別営業を行うユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ) へのアクセスなどに活用されている。 2001年(平成13年)3月の USJ の開業前、つまり2000年(平成12年)12月31日から翌2001年1月1日にかけての終夜運転までは、普通が奈良駅 - 天王寺駅 - 西九条駅 - 大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間(いわば大和路快速のような運行形態)の形でおおむね30分間隔で運転されていた(大和路線の項も参照)。 福島駅 - 西九条駅間では、梅田貨物線を経由して毎日運転の列車が1日2往復と、特定曜日運休の列車が1日3往復運転されている。全列車が桜島線安治川口駅発着である。 かつて弁天町駅 - 大正駅間にあった境川信号場からは大阪臨港線と呼ばれる非電化単線の貨物支線が分岐していた。大阪港からの貨物輸送を担っていたが、大阪臨港線のうち最後まで残っていた境川信号場 - 浪速駅間は、貨物運送の衰退により2004年11月から休止となり、2006年4月1日に廃止された。末期は1日2往復のダイヤが組まれていたが、扱い貨物がないため運休する日も多かった。 このほかにも、浪速駅から大阪港駅(地下鉄中央線の大阪港駅とは別)・大阪東港駅および、野田駅から大阪市場駅までの貨物支線を有していたが、いずれも1984年2月1日に廃止されている。 かつて大阪駅・西九条駅・新今宮駅・天王寺駅以外の駅において、環状線ホームの発車標に発車時刻・乗車位置を表示する機能がないものが使用されてきたが、2009年10月4日の大阪環状・大和路線運行管理システム導入に伴い、発車時刻・乗車位置などのほかに列車の遅延表示を行う機能を持つ旅客案内情報処理装置 (PIC) 対応の発車標が設置された。ただし、大阪駅の一部の発車標では関西本線・阪和線・関西空港線方面へ直通する快速列車のみ案内されている。 なお運行形態上、環状運転から区間運転へ移行する列車や、前述の通り他線区との直通列車が数多くあるため、途中で行先を変更する列車が存在する。 また、これまで島式ホームである野田駅・福島駅・西九条駅・新今宮駅・天王寺駅と過去に島式ホームだった天満駅(現在は単式2本の2面2線ホーム)のみホーム番号が振り当てられていて、相対式ホームにはホーム番号が振り当てられていなかった。大阪駅では環状線ホームのみ「環状内回りのりば」「環状外回りのりば」という名称であり番号ではなかったが、大阪駅改良工事に伴い、のりば番号が割り当てられたのをはじめ、2006年9月ごろから相対式ホームの駅にも順次のりば番号が割り当てられ、2008年3月に京橋駅を最後にすべての駅で完了した。 環状運転を行う電車の場合は、発車標では行先が「環状」と表示されていたが、2019年3月のダイヤ改正以降は323系電車と同じように、天王寺駅・鶴橋駅・京橋駅・大阪駅・西九条駅・新今宮駅の主要6駅から直近の2駅を使って「○○・△△方面」と表示するようになっている(例:大阪駅では内回りが「西九条・新今宮方面」、外回りが「京橋・鶴橋方面」と表示される)。この方式は山手線でも古くから用いられている。 乗車位置は、JR西日本の標準として、3ドア車が△印、4ドア車が○印で案内されており、201系が運行を終了した2019年6月以降は△印のみで案内されていたが、2021年2月6日より、大阪環状線とJRゆめ咲線(桜島線)に限り、323系で運行される列車(女性専用車両設定あり・ロングシート車)は○印、221系・223系・225系で運行される列車(トイレ付き・クロスシート車)は△印で案内されるように変更された。 各駅の環状線ホームには、車掌が扱う押ボタンスイッチがあり、発車直前に車掌がボタンを押すと内回り・外回りともに「ドアが閉まります。ドアが閉まります。ご注意ください」と放送されている。かつてはこのボタンを押すと、発車ベル(1999年 - 2003年の間は発車メロディ)の後に放送されていた。 1999年5月に発車メロディと接近メロディ、入線メロディが各駅に順次導入された。これらは、「さわやかでシンプル」「八百八橋と川の流れ」をコンセプトとしたメロディであったが、2003年12月下旬から速達化による停車時間短縮のため、発車メロディの使用が各駅で順次停止された。 その後2014年3月から、JR西日本では「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、駅ごとに異なるメロディを導入することになった。導入された駅と曲は下表の通り。2014年3月15日のダイヤ改正から森ノ宮駅・京橋駅・西九条駅で、5月1日から大阪駅で使用開始し、残りの駅も2015年3月22日に使用開始した。 2014年度の路線記号導入に合わせて、2015年3月14日のダイヤ改正から大阪環状線に直通する大和路快速・関空快速・紀州路快速に路線記号を活用した種別表示が行われている。大阪環状線に直通する列車は、赤色のラインカラーに大阪環状線の路線記号 O を表示した種別幕が、関西空港行きの列車は、青色のラインカラーに関西空港線の路線記号 S と飛行機マークを表示した種別幕が、和歌山方面行きの列車は、橙色のラインカラーに阪和線の路線記号 R を表示した種別幕が、奈良方面行きの列車は、緑色のラインカラーに大和路線の路線記号 Q を表示した種別幕が、JRゆめ咲線方面行きの列車には紺色のラインカラーにJRゆめ咲線の路線記号 P が入った種別幕が使用されている。 平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで、323系8両編成の4号車に女性専用車が設定されている。対象車両および乗車位置には、女性専用車の案内表示が設置されている。なお阪和線・大和路線直通列車には設定はない。 大阪環状線では2002年7月1日より平日の始発から9時まで、大阪環状線を周回運転する列車に限って試験的に導入し、同年10月1日から本格的に導入した。その後、同年12月2日からは平日の17時から21時までの時間帯についても女性専用車の設定を行った。 2011年4月18日からは、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった。 1995年では136万人の利用があったが、2012年では108万人に減少している。2019年度の1日の平均通過人員は292,574人である。並行するOsaka Metro御堂筋線の260,840人、Osaka Metro谷町線の100,723人と比べて多い。 旧城東線区間となる天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間(以下、東半分)と大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間(以下、西半分)とで性格に大きな違いが見られ、利用者の多くは京阪本線や片町線(学研都市線)の京橋駅、近鉄奈良線・大阪線の鶴橋駅といった郊外路線と連絡する東半分に集中する。そのため、東半分を折り返し運転する区間列車が環状線成立後も多く設定されており、運転密度も高く近隣も商業地・住宅地として開発が進んでいる。 他方、西半分は運転密度が低く、利用者数も伸び悩んでいたが、1973年から関西本線(大和路線)との直通列車、1989年から特急「くろしお」などの阪和線との直通列車、1994年の関西国際空港開港後は関空特急「はるか」や関空・紀州路快速などの快速列車が天王寺駅東方から大阪環状線に乗り入れるようになり、運転密度は上昇した。ただし、優先運行される特急や快速列車が通過する駅では逆に不便なダイヤとなり、西半分の駅 - 東半分の駅間の天王寺駅経由での移動も不便になった。その一方、快速停車駅では利便性が向上し、弁天町駅付近には高層ビルやタワーマンションが立ち並ぶようになり、大正駅と西九条駅は大阪ドームとユニバーサル・スタジオ・ジャパンのオープン以来土曜・休日の利用者が増加傾向にある。また、大和路・関空・紀州路などの快速列車の増発による西半分の高速化は、乗り換え不要で運賃が安いこともあって、大阪駅 - 天王寺駅間の移動における環状線利用増に貢献している。 2013年3月13日に発表されたJR西日本の中期経営計画において、線区価値の向上、都市の魅力向上の重点線区に選定され、2017年度までの5年間で、駅の改良・美化、車両の新製、高架下・駅周辺の開発などが計画され、2013年12月24日から「大阪環状線改造プロジェクト」がスタートした。 このプロジェクトでは、大阪環状線を「行ってみたい」「乗ってみたい」線区に改造し、ハード面とソフト面の取り組みでイメージアップを図り、大阪環状線の利用を拡大し、大阪の活性化を目指す取り組みである。大阪環状線の駅19駅を19の点でシンボル化し、赤(線区カラー)とオレンジ(車両カラー)で表現した円をイメージしたロゴマークと、お客様満足度二重丸を目指すという思いを込めた「みんなの◎に」というキャッチコピーも制定されている。 このプロジェクトは、以下の重点施策によって行われている。 このほかにも、全駅へ発車メロディが順次導入されたほか、沿線風景や名所・祭事などをモチーフにデザインしたラッピング列車「OSAKA POWER LOOP」が2014年6月1日から2017年9月7日まで運転された。デザインは、FM802が主催しているアーティスト発掘プロジェクトに参加しているうち8名が携わった。また、2014年9月28日には天満音楽祭とコラボレーションした音楽列車「TEN-ON ぐるKAN LIVE」が運転された。2017年10月15日には323系初の車内イベント列車として天満音楽祭とコラボレーションしたイベント列車「ぐるKANブラス」が運行される。2019年4月1日からはサンリオのキャラクター「ハローキティ」とのコラボレーションイベント「HELLO! LOOP PROJECT」が、当プロジェクトの一環として実施されている。期間中は「ハローキティ 環状線トレイン」の運行や、主要駅へのフォトスポットの設置などが行われる。 このプロジェクトが「323系と大阪環状線改造プロジェクト」として、2016年9月29日に2016年度グッドデザイン賞(移動用機器・設備部門)を受賞している。 本節では、大阪環状線で使用される、または使用された車両について記述する。なお、貨物列車については、牽引機関車(貨物電車のM250系を含む)のみを記述する。 以下はすべて電車である。 すべて3ドア車で運行されている。座席は323系がロングシート、それ以外の車両はクロスシートである。 吹田総合車両所森ノ宮支所(旧・森ノ宮電車区)所属車両が使用される。 また、車内広告を1社で独占して掲出している広告貸切列車として使用されている車両もある。8両編成の広告貸切列車は Loopack(ルーパック)と呼ばれ、過去にはヘッドマークを掲出していた時期もあり、特に毎年10月には8020推進財団が広告主となっている列車について、8020運動の普及啓発を行う「8020号」の特製ヘッドマークが掲出されている。 吹田総合車両所奈良支所(旧・奈良電車区)所属車両が使用される。 吹田総合車両所日根野支所(旧・日根野電車区)所属車両が使用される。 吹田総合車両所日根野支所(旧・日根野電車区)および吹田総合車両所京都支所(旧・京都総合運転所)所属車両が使用される。本節で特に記述なければ日根野支所所属。 福島駅付近から西九条駅までを併走する梅田貨物線を経由し、桜島線(JRゆめ咲線)安治川口駅貨物ヤードを結ぶ貨物列車の牽引機として運用される。 大阪環状線は、大阪鉄道(初代)により建設された関西本線の今宮駅 - 天王寺駅間、同じく大阪鉄道(初代)により建設された天王寺駅 - 玉造駅 - 大阪駅間の城東線、西成鉄道により建設された西成線の大阪駅 - 西九条駅間、鉄道省により建設された関西本線貨物支線(大阪臨港線)の境川信号場 - 今宮駅間を元に、未成区間の西九条駅 - 境川信号場間を日本国有鉄道(国鉄)が繋いで成立した環状路線である。その関係で、国鉄時代は境川信号場 - 天王寺駅間は天王寺鉄道管理局の管内で、残りが大阪鉄道管理局の管内とされた。 関西本線・城東線・西成線の開業当時、関西本線は木津村・今宮村・天王寺村の集落を迂回する必要があり、市街地からやや南へ離れてしまい、城東線は四天王寺・大坂城址といった建造物や天王寺村・清堀村・玉造町の集落を迂回するため、市街地から大きく東へ離れてしまった。西成線は比較的市街地に近接していたが、船舶の出入が多いため橋が1本もない安治川右岸を通っており、基本的には臨港路線だった。 もともとの市街地が海に面していない大阪では、もとから海に面した市街地である東京と比べて海側への鉄道敷設が容易でありそうなものだが、大阪湾と大阪市街を結ぶ二大水路の安治川および木津川への架橋が、船舶の出入の多さから事実上不可能という問題があり、大阪鉄道(初代)の大阪駅乗り入れが城東線ルートになったのも、この問題に一因があった。1897年に大阪港(築港)の埋立造成が開始され、その完工を目前に控えた1928年の大阪臨港線開業時に木津川への架橋は実現したが、安治川への架橋は1961年の大阪環状線開業まで実現することはなかった。 このように、大阪市街の東半分を取り囲む関西本線および城東線がどちらも市街地から離れたところに敷設されたため、現在の私鉄各社に加えて片町線や当の関西本線ですら現在の大阪環状線の内側(それらは明治期、市街地の端でもあった)にターミナルを設置することとなり、環状線の構想に至るには市街地の拡張を待つ必要があった。大正初期までに開業した私鉄(元私鉄を含む)の大阪側ターミナルは難波駅・湊町駅(現・JR難波駅)・片町駅・汐見橋駅・天王寺西門前駅・阪神梅田駅・天満橋駅・恵美須町駅・大阪上本町駅など、ほとんどが現在の大阪環状線の内側に位置するもので、阪急梅田駅も当初は内側(現在の阪急百貨店うめだ本店の位置)にあった。当時は城東線も西成線もまだ電化されておらず、それらのターミナルと大阪市の中心市街地との間の輸送は専ら大阪市電が担っていた。 大正末期に至って城東線・西成線の内側は一部を除いて市街化され(時期を同じくして城東線・西成線が通る地域はすべて大阪市に編入された)、大阪鉄道(2代目、現・近鉄南大阪線)と阪和電気鉄道(現・JR阪和線)は天王寺駅にターミナルを構えるに至った。環状線の構想も戦前には持ち上がったが、上述のとおり船舶の出入が多い安治川への架橋に対して反対運動があり、計画が具体的に進むことはなかった。また、日本橋・銀座といったオフィス街・繁華街に近接し、東京駅が開業するなど、発足時の東京市域を縦断する経路で未成区間が解消された東京市(当時)の海側と異なり、一部レジャー施設と新興住宅地を除いて工業地帯・港湾施設が広がる大阪市の海側に十分な利用者数が見込めるのかという疑問も残った。 しかし、戦災復興都市計画によって環状線建設が立案施行されることになった。第二次世界大戦直後と高度経済成長期の2度にわたって大阪市長を務めた中井光次は、海側の未成区間への新線敷設と港区・大正区における旅客駅の開設に尽力し、1953年に大阪環状線建設促進協議委員会が発足、1956年3月20日には大阪市内環状線として起工式が挙行された。それでもなお、安治川橋梁の架橋に対して反対運動があったため、1960年に開業予定が1年遅れることになった。大阪環状線という名称に決定したのは1961年4月3日で、1960年12月26日の国鉄関西支社が調査役会議で本社に上申したものである。 大阪環状線となったのは、西九条駅から大阪臨港線の今宮駅 - 浪速駅間に設けられた境川信号場までが開通した1961年である。なおこの時、西成線のうち西九条駅 - 桜島駅間が桜島線として分離され、大阪臨港線は起点を大正駅に変更され大阪環状線貨物支線として扱われるようになった。当初は西九条駅で線路がつながっていなかったため、桜島駅 - 大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅 - 西九条駅の逆「の」の字運転を行っていたが、1964年に西九条駅の高架化が完成して線路がつながり、環状運転を開始した。 1973年に関西本線(1988年に大和路線の愛称がつく)の快速列車、1989年に阪和線・紀勢本線の特急、1990年に阪和線快速列車の大阪環状線直通運転が開始された。2012年現在では日中の3分の2が大和路線や阪和線直通列車(快速)であり、これらの運行形態は逆「の」の字運転である(大和路快速・関空快速・紀州路快速の各項も参照)。 なお、鉄道国有法の公布に伴い主要鉄道の国有化が実施されるまで、城東線は大阪鉄道 - 関西鉄道の保有路線であったが、南海電気鉄道の前身である南海鉄道の列車が、1993年に全廃された南海天王寺支線を経由してここに乗り入れ、大阪駅まで直通していたこともあった。 天王寺駅から内回り方向に記述する。 ( ) 内は起点からの営業キロ ( ) 内は大阪駅起点・環状線内回り経由の営業キロ
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "大阪環状線(おおさかかんじょうせん、英: Osaka Loop Line)は、大阪府大阪市内の天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 新今宮駅間を結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "「大阪環状線」の呼称が指す区間は典拠や目的により、次のように使い分けられている。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "以下、特記がない限りは 1. (運行系統としては3.)に従って記述する。なお、大阪をはじめとする近畿圏においては、当路線を単に「環状線」と呼称する場合も多く、本項でも一部でそのように表記している。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "大阪環状線は、大阪市の都心部外周を環状運転している環状線であり、JR西日本のアーバンネットワークの中心路線として機能している。ラインカラーは赤(■)で、大阪のダイナミズムをイメージしている。駅ナンバリングで使われる路線記号はO。当路線で運行された101系・103系・201系電車の車体色はオレンジバーミリオン(■ 朱色1号)で、現用車両の323系電車でもドア横のアクセントカラーや黒とともに帯色で使用されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "多くの駅で各方面へのJR・私鉄各線および都心部を走る大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の地下鉄各路線と連絡している。また、大阪環状線では線内で環状運転や区間運転を行なっている普通列車以外に、大和路線(関西本線)と阪和線、JRゆめ咲線(桜島線)、JR京都線(東海道本線)といったJR他路線と直通運転している普通列車や快速列車、及び特急列車が走行する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "大阪環状線は、南側の関西本線の一部区間、関西本線と東海道本線を連絡する東側の城東線、安治川の右岸を走る北西側の西成線の一部区間、南西側の関西本線貨物支線の一部区間を、第二次世界大戦後の高度経済成長期に西側の未成区間に新線を造って接続したものである。発足時の大阪市域のほぼ全域を取り囲んでおり、大阪環状線内を横断・縦断する地上路線は存在しないものの、地上区間により大阪環状線内に入り込む路線は9路線(天王寺駅阪和線ホームを含めると10路線)ある。地下路線ではOsaka Metro(旧大阪市営地下鉄)線が従来から大阪環状線内を横断・縦断しているが、地下鉄以外でもJR・私鉄ともに地下区間により横断・縦断路線を建設する計画が何度か立てられ、2009年までにJRではJR東西線、私鉄では阪神なんば線・近鉄奈良線(難波線・大阪線)の西九条駅 - 鶴橋駅間の2つの横断路線が実現しているほか、2031年度には縦断路線のなにわ筋線(JR西日本、南海電鉄)が開通する予定となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "堂島・中之島・船場(本町など)・島之内(心斎橋など)といった都心部(旧来の中心市街)およびミナミの玄関口である難波が大阪環状線の内側に位置するため、前述の通り元私鉄を含む多数の路線が大阪環状線内に入り込んでいる。加えて新幹線接続駅がないため、新大阪駅 - 梅田駅(大阪駅直下) - 難波駅 - 天王寺駅間を直線的に通るOsaka Metro御堂筋線が市内交通の大動脈として都心部への移動の主力を担い、大阪環状線や他のOsaka Metro各線および大阪シティバスがそれを補完する形になっている。これらは他路線との直通列車が存在することとともに、同じく環状運転を行なっている東京の山手線と大きく異なる点である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "南側と東側は特に都心部から離れて敷設されたため、南海、京阪、近鉄(かつての大軌)がそれぞれ大阪環状線の内側に難波駅、天満橋駅、大阪上本町駅を構えた一方、比較的都心部に近接して敷設された北側では阪神、阪急とも大阪駅付近に大阪梅田駅 (阪神)、大阪梅田駅 (阪急)を構え、南側でも後発の近鉄(かつての大鉄)が天王寺駅付近に大阪阿部野橋駅を構えた経緯から、梅田、天王寺・阿倍野の副都心が形成された。大阪駅一帯の梅田は大規模な再開発の進展によって旧来の中心市街の相対的な地位を低下させるまでに発展している。また、河川が集中して土地の制約が大きかった京橋駅の周辺も大阪ビジネスパーク(OBP)と一体となった副都心が形成されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "また、東側の大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間では、全列車が各駅に停車するのに対し、西側の大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間では、特急や快速は大阪環状線内で通過運転を行っているため、日中時間帯では特急・快速が全て停車する駅に1時間に15本が停車する一方で、特急や快速が通過する野田駅、芦原橋駅と今宮駅は1時間に4本しか停車する列車がない。これも日中は各駅とも1時間12本以上が停車する山手線と異なる点である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "路線の大半は高架であるが、天王寺駅付近と大阪城公園駅付近だけは地平を走っている。故にこの2駅だけは地上駅となっている。ただし、天王寺駅は掘割式の地下駅に分類される場合もある。また内回り線の新今宮駅 - 天王寺駅間には大阪環状線で最後まで残った踏切である一ツ家踏切があった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "大阪都心部を走る路線でありながら、他の私鉄・地下鉄線と直接競合していないこともあり、2013年に「大阪環状線改造プロジェクト」が開始されるまでは環状運転の大半の普通列車が国鉄時代の車両で占められ、新車導入や駅の美装化といった設備投資が、私鉄と競合し看板列車の新快速が運転されているJR神戸線やJR京都線などの主要路線と比べるとかなり遅れた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "JR線で唯一、全列車が掲載されている紙の時刻表が存在しない路線である(他路線に直通する列車の時刻はすべて掲載されている)。ただし、八峰出版がかつて発行していた『KATT 関西圏JR線私鉄線時刻表』では大阪環状線が特集として、また『携帯全国時刻表』特別付録として2017年4月号に別冊付録として大阪環状線の快速も含む全列車の時刻が掲載された。なお、『携帯全国時刻表』2018年4月号にも別冊付録で大阪環状線全列車時刻表(こちらは特急列車も含む)が掲載された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「大阪近郊区間」、電車特定区間、およびIC乗車カード「ICOCA」エリアに含まれており、JR西日本近畿統括本部の管轄である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "なお、平均駅間距離は1.15 km(新今宮駅 - 天王寺駅間を含む場合は約1.14 km)で、JR西日本管内の路線では最も短い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "以下に示す記述はすべて内回り(反時計回り、左回り)の沿線概況であり、外回り(時計回り、右回り)の場合は風景の順番が逆で、大阪駅の発着ホームも2番のりばとなる。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "天王寺駅は関西本線・阪和線が分岐しているほか、近鉄南大阪線、Osaka Metro御堂筋線・谷町線、阪堺電気軌道上町線との接続駅で、天王寺は南大阪の玄関口であるとともに、ミナミ・キタなどと並ぶ大阪市の都市核の一つである。駅周辺には天王寺ミオやあべのキューズモール、日本一の高さ300 mの駅ビルあべのハルカス(あべのハルカス近鉄本店)などの商業施設が多く、JR西日本の駅別乗車人員数では第3位である。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "天王寺駅を出ると左にカーブして、天王寺駅の北側にある阪和線をくぐって北上する。寺田町駅を出て桃谷駅に向かう間は、マンションの立ち並ぶ天王寺区、下町情緒豊かな生野区を分けるように高架の線路を北上し、鶴橋駅に到着する。近鉄大阪線・奈良線、Osaka Metro千日前線との接続駅で、ホームには近鉄との連絡改札口があり、乗り換え客も非常に多い。駅前は在日コリアンによって造られたコリア・タウンが中核を担っている。周辺に焼肉店や朝鮮料理店が多く、駅周辺の賑わいは環境省のかおり風景100選にも選ばれている。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "鶴橋駅からは引き続き住宅街を北上し、玉造駅を過ぎると今度は京セラドキュメントソリューションズや森下仁丹、サクラクレパスなどの本社建物が立ち並ぶ区域を通り、Osaka Metro中央線・長堀鶴見緑地線との連絡駅、森ノ宮駅に至る。森ノ宮駅を過ぎると左手に大阪城がある大阪城公園、右手に吹田総合車両所森ノ宮支所やOsaka Metroの森之宮検車場が見える。線路は高架から地上へ下り大阪城公園駅に着く。さらに進むと同支所の入出区線が右手から接近し、左手に多数のビル群が林立する大阪ビジネスパークを過ぎると京橋駅に着く。京橋駅には 片町線(学研都市線)・JR東西線と京阪本線のほか、Osaka Metro長堀鶴見緑地線が乗り入れ、飲食店街や歓楽街も発展していることから、「キタ」「ミナミ」に対して「ヒガシ」と呼ばれることもある。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "京橋駅を出ると正面にはかつての淀川電車区・淀川駅に至る連絡線があった空き地が広がるが、大阪環状線は左にカーブする。桜の名所、桜ノ宮駅を過ぎ、旧淀川(大川)を渡って右にカーブすると、阪神高速12号守口線をくぐり大阪環状線の最も北に位置する天満駅と続く。天満駅を出てすぐ天神橋筋商店街を高架で跨ぎ、住宅街やビルの合間をかいくぐって行き、右手から東海道本線(JR京都線)が合流してくると大阪駅に着く。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "大阪駅では最も南側(サウスゲートビルディング寄り)の1番のりばから発車する。大阪駅を出ると、東海道本線(JR神戸線・JR宝塚線)と並走し、やがて東海道本線は右に分かれていく。大阪環状線はそのまま直進して福島駅に着く。福島駅付近で東海道本線貨物支線が合流しているが、貨物線は地平線を走り、福島駅を出ると右手から貨物線が地平線から高架橋へ上ってくる。阪神本線を越えると、野田駅である。野田駅からはかつて、大阪環状線の北側から高架を下って直進方向に進んで三菱製紙などに至る専用鉄道と、大阪環状線をくぐって大阪市中央卸売市場本場にあった大阪市場駅へと至る貨物支線(1984年〈昭和59年〉2月1日廃止)が分岐しており、野田駅ホームからはその地上への分岐部の跡が確認できる。現在は、専用鉄道の線路跡には住宅などが建っており当時を偲ばせるものはないが、大阪市場駅への貨物支線跡は遊歩道として整備されている。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "続く西九条駅は島式2面5線であるが、このうちホームがあるのは内側の3線のみである。桜島線(JRゆめ咲線)・梅田貨物線が分岐しており、大阪方面から桜島線に乗り入れているほか、梅田貨物線を経由して新大阪方面から特急列車も大阪環状線に直通している。西九条駅の真上に位置している阪神なんば線をくぐり、内・外回り線に挟まれて桜島線が地平に降りて西進して分かれていく。安治川を渡って大きく左にカーブすると、右手から阪神高速17号西大阪線・国道43号が寄り添い始め、ORC200などの高層ビルが建ち並ぶ弁天町駅に着く。弁天町駅は大阪環状線の最も西部に位置しており、Osaka Metro中央線との接続駅で、大阪ベイエリアの入口に当たる。高架下にはかつて交通科学博物館があり、内回りホームからは保存車両の一部を見ることができた。駅前は中央大通と国道43号が交差して車の交通量も多く、大阪環状線と直角に阪神高速16号大阪港線が交差している。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "弁天町駅を出て一度左にカーブして東に向くと内回り・外回りの間に空き地があるが、これがかつての境川信号場跡で、大阪臨港線が分岐していた。正面から左手に京セラドーム大阪とガスタンクのモニュメントのある大阪ガスのドームシティ(岩崎地区)が見えると、その最寄り駅である大正駅に着く。大正駅はOsaka Metro長堀鶴見緑地線との連絡駅であるとともに大正区の最北端に位置しており、鉄軌道網がない同区内の大阪環状線以南の各方面に多数の大阪シティバスが運行されており、ラッシュ時には急行バスも運行されている。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "大正駅の先で南海汐見橋線と交差すると芦原橋駅・今宮駅と続く。今宮駅は関西本線(大和路線)を越えるために内回り線のホームは3階となっているが、外回り線はその必要がないため2階にホームがあり、関西本線の下り線と同一ホームで乗り換えることができる。なお、1997年までは今宮駅には大阪環状線のホームがなく、当時地上にあった関西本線の両側の築堤上を内回り・外回りに分かれて走行していた。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "新今宮駅は南海本線・高野線、Osaka Metro御堂筋線・堺筋線および、阪堺線との接続駅である。島式2面4線のうち、外側2線を大阪環状線の列車が、内側2線を関西本線および大阪環状線と直通運転する列車が使用している。新今宮駅を出ると、左手に通天閣や大阪市天王寺動物園といった主要ランドマークが立ち並び、天王寺駅に着く。この間、外回り線は高架橋で関西本線を越えるが、2012年6月まで、この交点付近に大阪環状線で最後の踏切となる一ツ家踏切があった。その踏切跡付近から天王寺駅にかけては、1993年に廃止された南海天王寺支線の廃線跡が南側に並行して残っている。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "新今宮駅 - 天王寺駅間にあった一ツ家踏切は、大阪環状線に最後まで残った踏切で、内回り線(外回り線の同区間は関西本線を乗り越すため高架線になっている)・関西本線(大和路線)の列車のほかに、阪和線との直通列車も通過するため、朝ラッシュ時は1時間で最大54分踏切が閉まる開かずの踏切であった。JR西日本が所有する踏切の中でも線路内に立ち入るトラブルが多く、人身事故につながるケースもあったことから、2012年7月1日をもって廃止された。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "この踏切で人身事故が発生するとその影響が広範囲に波及することから、JR西日本ではその対策として、最末期には踏切照明灯を青色にするなどの対策を取っていた。鉄道会社で青色の照明灯をいち早く導入したのはJR西日本で、実際に人身事故や踏切事故の抑止に効果があるとされたことから、青色の踏切照明灯は他線区にも導入され、その後、他社にも広がっている。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "沿線では、民家の屋根上を作品展示の場所としたルーフアートが行われている。すべての作品は、車内や駅ホームから見える所にあり、堺市の芸術家である余田卓也が1994年から設置し始めたもので、2010年まで「家庭のパスワード」として、その家の住人が選んだ4桁の数字がシンボルカラーと共にそれぞれに数字と異なる色が掲げられていた。", "title": "沿線概況" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "大阪環状線内相互発着の普通のほか、桜島線(JRゆめ咲線)に直通する普通、関西本線(大和路線)・阪和線へ直通する快速列車が運転されている。快速列車は、区間快速・直通快速を除いて、大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間で快速運転が行われている。また、東海道本線(JR京都線)・紀勢本線(きのくに線)方面から特急が、大阪駅 - 天王寺駅間を走行している。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "日中は、全線にわたり1時間に12本の運転で、内訳は環状運転の「普通」、大和路線直通の「大和路快速」、阪和線・関西空港線直通の「関空快速・紀州路快速」がそれぞれ4本である。大阪駅 - 天王寺駅間は特急「くろしお」1本、「はるか」2本が加わり、1時間に15本の運転となる。午前中と夜間は、JRゆめ咲線直通の普通(天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 桜島駅間)が4本入るため、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅間は1時間に16本、特急「くろしお」「はるか」を含めると大阪駅 - 西九条駅間は1時間に19 - 20本の運転となる。平日の朝夕は大和路快速に代わって区間快速が、朝ラッシュ時は関空・紀州路快速に代わって直通快速(外回りのみ)が運転されている。なお、特急は天王寺駅と2023年3月17日まで一部が西九条駅にしか停車せず、大和路快速と関空快速・紀州路快速は野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過するため、この3駅は日中は1時間あたり4本のみの停車となる。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "国鉄時代から終電時刻はほとんど変わらなかったが、2009年3月14日のダイヤ改正で、乗務員の睡眠時間確保のために大幅な繰り上げが行われ、大阪環状線では最大21分繰り上がった。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "平日の朝夕ラッシュ時は約3分間隔で運転されており、ほとんどが環状運転列車であるが、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間の区間運転列車(朝ラッシュ時のみ)またはJRゆめ咲線直通列車も運転されている。この時間帯の前後には吹田総合車両所森ノ宮支所への入出区の関係から、京橋駅発着(内回り・外回り)・大阪城公園発(外回りのみ)となる列車がある。夕方ラッシュ時は2015年3月14日の改正で京橋駅発着を天王寺駅発着に延長して区間が統一された。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "日中は環状運転列車が1時間に4本(15分間隔)運転されている。午前中と夜は、JRゆめ咲線直通列車が天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 桜島駅間で1時間に4本(15分間隔)運転されている。時間調整のため、大阪駅・京橋駅・森ノ宮駅・新今宮駅で1 - 2分ほど停車するほか、新今宮駅で快速を待ち合わせる列車もあるため、先発先着の平行ダイヤにはなっていない。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "車両は全て3ドア車で、原則としてロングシートの323系が使用されているが、ラッシュ時の一部の列車は転換クロスシートのある223系・225系や221系も使用されている。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "環状運転を行っているため、運転取り扱い上や旅客案内上は「上り・下り」という概念はなく、「外回り・内回り」という表現が用いられている。列車番号は内回りを奇数(大和路線直通列車を除く)としているが、奇数だから「下り」という意味ではなく、起点である大阪駅で、東海道本線と列車の方向と列車番号の奇数・偶数を合わせて内回りを奇数としただけである。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "環状運転する電車の各駅での行き先案内は、主要6駅(大阪駅、西九条駅、新今宮駅、天王寺駅、鶴橋駅、京橋駅)から直近の2駅を挙げて「○○・△△方面行き」としている(たとえば、天満駅での外回り電車は京橋・鶴橋方面行きと案内する)。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "列車番号は、引き続き環状運転列車となる列車は1000番台を使用し、天王寺駅で列車番号が変わる。途中駅が終点となる列車は2000番台が使用されている。なお、大阪環状線内のみを走行する列車には、JRの客車列車と同様に列車番号の末尾にアルファベットが付かない。JRゆめ咲線に直通する列車は、列車番号の末尾にEがつく。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "大阪環状線と大和路線(関西本線)を直通する列車として、大和路快速・区間快速が運転されている。大和路快速は大阪環状線内の野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過するが、区間快速は大阪環状線内は各駅に停車する。日中および土・休日の朝と夜間に、大和路快速が1時間に4本(15分間隔)運転されている。朝と平日の夕方・夜間は大和路快速の代わりに区間快速が運転されている。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "関西本線に直通する快速列車は1973年から113系で運転を開始し、1989年3月11日の221系導入と同時に大和路快速の愛称が付けられた。日中時間帯を中心に、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅 - 奈良駅 - 加茂駅間で運転(JR時刻表では大阪駅発着で案内)されているが、土休日ダイヤでは和歌山線高田駅・五条駅へ直通する列車がある。ラッシュ時間帯には大阪環状線内で各駅に停車する区間快速が運転されていて、京橋駅までの列車や和歌山線高田駅・五条駅へ直通する列車も設定されている。また天理教祭典(「こどもおぢばがえり」やお節会含む)開催時や土曜・休日ダイヤには臨時列車として桜井線(万葉まほろば線)に直通する列車もある。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "夕方・夜間の一部の奈良駅・加茂駅発の区間快速は新今宮駅で阪和線方面からの特急列車の通過待ちを行う。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "車両は全列車221系の8両編成で、区間快速には2016年9月まで103系・201系の8両編成が運用されていた。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "また、2011年3月11日までの平日ダイヤの夜間には「やまとじライナー」が大阪駅 - 加茂駅間で運転されていた。大阪環状線内の停車駅は新今宮駅・天王寺駅であるが、大阪駅では両駅に停車する案内はされていなかった。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "JR西日本は2023年8月24日に、同年10月23日より平日朝ラッシュ時間帯の加茂駅発大和路線区間快速2本に、有料座席サービス「快速 うれしート」(指定席)を導入すると発表した。なお、当該座席は天王寺駅からは無料開放(自由席)となる。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "大和路快速は、大阪環状線の東半分(天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間)では列車番号は数字だけだが、西半分(大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間)および大和路線内では末尾にKがつく。区間快速は列車番号の末尾にYがつく。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "天王寺始発で大阪環状線の内回りを1周し、再度天王寺駅を経由してから大和路線(関西本線)に直通する列車は、始発である天王寺駅の環状線ホームでは本来の種別及び行先を案内・表示せず、あたかも大阪環状線の内回りの普通列車であるかのように「普通 鶴橋・京橋方面」と案内されており、次駅の寺田町駅から本来の種別及び行先(「大和路快速 奈良」等)での案内・表示に変わる。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "大阪環状線と阪和線を直通運転する列車として、関空快速・紀州路快速・快速・直通快速が運転されている。関空快速・紀州路快速・快速は大阪環状線内の野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過し、直通快速は大阪環状線内は各駅に停車する。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "日中と夜間は関空快速・紀州路快速が1時間に4本(15分間隔)運転されている。朝ラッシュ時の外回りは関空快速・紀州路快速の代わりに直通快速が運転される。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "阪和線との直通運転は、1990年3月10日から新大阪発新宮行きの夜行快速列車が運転されたのが最初で、その後1994年9月4日に関西国際空港が開港したことにより、関西空港線直通列車として京橋駅 - 大阪駅 - 関西空港駅間で関空快速の運転が開始された。当時の大阪環状線内の停車駅は、京橋駅・大阪駅・西九条駅・弁天町駅・新今宮駅・天王寺駅であったが、翌1995年4月20日から1999年5月9日まで、関空快速の停車駅のうち西九条駅・弁天町駅・新今宮駅を通過する「関空特快ウイング」が運転されていた。和歌山方面では新大阪駅発着の快速のみであったが、1999年5月10日から京橋駅 - 日根野駅間で関空快速と併結する紀州路快速の運転を開始し、大阪環状線に乗り入れることとなる。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "大阪環状線の天王寺駅発着の列車は、2008年3月14日までは早朝・深夜にのみ設定され、内回りでは京橋駅 → 大阪駅間でも快速運転も行っていたが、翌15日のダイヤ改正で天王寺駅の阪和線への連絡線が複線化されたことにより、朝ラッシュ時間帯に大阪環状線へ直通する列車が増発されて直通快速として運転されるようになると、大阪環状線を一周する列車が増加するとともに、関空快速・紀州路快速・快速は大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間で各駅に停車するようになり、快速通過駅での停車時刻の間隔が所々で広がっていた問題が解決された。さらに、2012年3月17日のダイヤ改正では日中のJRゆめ咲線直通列車が削減され、この時間帯の大半の列車が大阪環状線天王寺駅発着に変更されたため、京橋駅で折り返す列車は午前中・夕方の一部列車と深夜時間帯のみになっている。また夜間時間帯には日根野駅までの列車もある(種別上は快速)。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "また、2003年10月4日から2006年3月12日までの土曜・休日ダイヤの朝に、鳳駅 - 天王寺駅 - 大阪駅 - 天王寺駅間では直通快速と同じ停車駅で、区間快速が運転されていた。車両は日根野電車区(当時)の103系8両編成が使用されていた。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "紀州路快速は一部の列車を除き、列車番号の末尾にHがつくが、関空快速と併結する大阪環状線内および阪和線天王寺駅 - 日根野駅間での列車番号末尾はMとなる。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "天王寺始発で大阪環状線の内回りを1周し、再度天王寺駅を経由してから阪和線に直通する列車は、始発駅となる天王寺駅から次駅の寺田町駅まで大和路線(関西本線)直通列車と同様の案内体制が取られている。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1989年7月22日から、特急「くろしお」が大阪環状線に乗り入れて新大阪駅または京都駅へと直通運転されるようになった。関西国際空港が開港した1994年9月4日からは、関西空港線直通の特急「はるか」も運転されている。過去には、1990年に臨時特急「エキスポ雷鳥」が、2000年代に臨時特急「ユニバーサルエクスプレス」が、2010年に臨時特急「まほろば」が、それぞれ運転された。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "「くろしお」が直通運転を開始する前年の1988年に奈良市内で開催された「なら・シルクロード博覧会」会場への東海道・山陽新幹線(新大阪駅)からのアクセス向上のため、西九条駅構内の配線を変更(大阪環状線と梅田貨物線との間に渡り線を設置)した上で加茂駅・奈良駅 - 湊町駅(現在のJR難波駅)間の快速の一部を新大阪駅発着に変更して大阪環状線から梅田貨物線の直通運転を行ったが、翌1989年には天王寺駅構内における大阪環状線と阪和線との連絡線設置工事が完了したことにより、阪和線・紀勢本線に直通する特急列車の運転も可能となった。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ただし、大阪環状線内での特急列車の運行区間は、西半分側にある大阪駅 - 天王寺駅間のみであり、2023年2月13日に梅田貨物線が地下新線に切り換えられるまで大阪駅を経由せず、切り換え後も同年3月17日までは大阪駅には停車しなかったためや、天王寺駅に全列車が停車する以外は同日まで一部の「くろしお」が西九条駅に停車するのみであったため、大阪環状線内において特急列車を利用できる機会は僅かであった。同年3月18日からは特急列車が大阪駅(うめきたエリア)に停車するようになり、大阪駅では地下ホーム発着になるものの大阪駅 - 天王寺駅間で特急列車が利用可能になったが、すべての特急列車が通過するようになった西九条駅は利用できなくなっている。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "アーバンネットワークエリアでは一部の線区・区間を除いて大晦日から元日にかけての終夜運転が実施されているが、ここ最近では環状運転列車およびJRゆめ咲線との直通列車(いずれも普通)を両者合わせて10 - 30分間隔で運転し、大晦日から元日にかけて特別営業を行うユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ) へのアクセスなどに活用されている。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "2001年(平成13年)3月の USJ の開業前、つまり2000年(平成12年)12月31日から翌2001年1月1日にかけての終夜運転までは、普通が奈良駅 - 天王寺駅 - 西九条駅 - 大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間(いわば大和路快速のような運行形態)の形でおおむね30分間隔で運転されていた(大和路線の項も参照)。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "福島駅 - 西九条駅間では、梅田貨物線を経由して毎日運転の列車が1日2往復と、特定曜日運休の列車が1日3往復運転されている。全列車が桜島線安治川口駅発着である。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "かつて弁天町駅 - 大正駅間にあった境川信号場からは大阪臨港線と呼ばれる非電化単線の貨物支線が分岐していた。大阪港からの貨物輸送を担っていたが、大阪臨港線のうち最後まで残っていた境川信号場 - 浪速駅間は、貨物運送の衰退により2004年11月から休止となり、2006年4月1日に廃止された。末期は1日2往復のダイヤが組まれていたが、扱い貨物がないため運休する日も多かった。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "このほかにも、浪速駅から大阪港駅(地下鉄中央線の大阪港駅とは別)・大阪東港駅および、野田駅から大阪市場駅までの貨物支線を有していたが、いずれも1984年2月1日に廃止されている。", "title": "運行形態" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "かつて大阪駅・西九条駅・新今宮駅・天王寺駅以外の駅において、環状線ホームの発車標に発車時刻・乗車位置を表示する機能がないものが使用されてきたが、2009年10月4日の大阪環状・大和路線運行管理システム導入に伴い、発車時刻・乗車位置などのほかに列車の遅延表示を行う機能を持つ旅客案内情報処理装置 (PIC) 対応の発車標が設置された。ただし、大阪駅の一部の発車標では関西本線・阪和線・関西空港線方面へ直通する快速列車のみ案内されている。", "title": "旅客案内" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "なお運行形態上、環状運転から区間運転へ移行する列車や、前述の通り他線区との直通列車が数多くあるため、途中で行先を変更する列車が存在する。", "title": "旅客案内" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "また、これまで島式ホームである野田駅・福島駅・西九条駅・新今宮駅・天王寺駅と過去に島式ホームだった天満駅(現在は単式2本の2面2線ホーム)のみホーム番号が振り当てられていて、相対式ホームにはホーム番号が振り当てられていなかった。大阪駅では環状線ホームのみ「環状内回りのりば」「環状外回りのりば」という名称であり番号ではなかったが、大阪駅改良工事に伴い、のりば番号が割り当てられたのをはじめ、2006年9月ごろから相対式ホームの駅にも順次のりば番号が割り当てられ、2008年3月に京橋駅を最後にすべての駅で完了した。", "title": "旅客案内" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "環状運転を行う電車の場合は、発車標では行先が「環状」と表示されていたが、2019年3月のダイヤ改正以降は323系電車と同じように、天王寺駅・鶴橋駅・京橋駅・大阪駅・西九条駅・新今宮駅の主要6駅から直近の2駅を使って「○○・△△方面」と表示するようになっている(例:大阪駅では内回りが「西九条・新今宮方面」、外回りが「京橋・鶴橋方面」と表示される)。この方式は山手線でも古くから用いられている。", "title": "旅客案内" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "乗車位置は、JR西日本の標準として、3ドア車が△印、4ドア車が○印で案内されており、201系が運行を終了した2019年6月以降は△印のみで案内されていたが、2021年2月6日より、大阪環状線とJRゆめ咲線(桜島線)に限り、323系で運行される列車(女性専用車両設定あり・ロングシート車)は○印、221系・223系・225系で運行される列車(トイレ付き・クロスシート車)は△印で案内されるように変更された。", "title": "旅客案内" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "各駅の環状線ホームには、車掌が扱う押ボタンスイッチがあり、発車直前に車掌がボタンを押すと内回り・外回りともに「ドアが閉まります。ドアが閉まります。ご注意ください」と放送されている。かつてはこのボタンを押すと、発車ベル(1999年 - 2003年の間は発車メロディ)の後に放送されていた。", "title": "旅客案内" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "1999年5月に発車メロディと接近メロディ、入線メロディが各駅に順次導入された。これらは、「さわやかでシンプル」「八百八橋と川の流れ」をコンセプトとしたメロディであったが、2003年12月下旬から速達化による停車時間短縮のため、発車メロディの使用が各駅で順次停止された。", "title": "旅客案内" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "その後2014年3月から、JR西日本では「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、駅ごとに異なるメロディを導入することになった。導入された駅と曲は下表の通り。2014年3月15日のダイヤ改正から森ノ宮駅・京橋駅・西九条駅で、5月1日から大阪駅で使用開始し、残りの駅も2015年3月22日に使用開始した。", "title": "旅客案内" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "2014年度の路線記号導入に合わせて、2015年3月14日のダイヤ改正から大阪環状線に直通する大和路快速・関空快速・紀州路快速に路線記号を活用した種別表示が行われている。大阪環状線に直通する列車は、赤色のラインカラーに大阪環状線の路線記号 O を表示した種別幕が、関西空港行きの列車は、青色のラインカラーに関西空港線の路線記号 S と飛行機マークを表示した種別幕が、和歌山方面行きの列車は、橙色のラインカラーに阪和線の路線記号 R を表示した種別幕が、奈良方面行きの列車は、緑色のラインカラーに大和路線の路線記号 Q を表示した種別幕が、JRゆめ咲線方面行きの列車には紺色のラインカラーにJRゆめ咲線の路線記号 P が入った種別幕が使用されている。", "title": "旅客案内" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで、323系8両編成の4号車に女性専用車が設定されている。対象車両および乗車位置には、女性専用車の案内表示が設置されている。なお阪和線・大和路線直通列車には設定はない。", "title": "旅客案内" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "大阪環状線では2002年7月1日より平日の始発から9時まで、大阪環状線を周回運転する列車に限って試験的に導入し、同年10月1日から本格的に導入した。その後、同年12月2日からは平日の17時から21時までの時間帯についても女性専用車の設定を行った。", "title": "旅客案内" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "2011年4月18日からは、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった。", "title": "旅客案内" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "1995年では136万人の利用があったが、2012年では108万人に減少している。2019年度の1日の平均通過人員は292,574人である。並行するOsaka Metro御堂筋線の260,840人、Osaka Metro谷町線の100,723人と比べて多い。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "旧城東線区間となる天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間(以下、東半分)と大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間(以下、西半分)とで性格に大きな違いが見られ、利用者の多くは京阪本線や片町線(学研都市線)の京橋駅、近鉄奈良線・大阪線の鶴橋駅といった郊外路線と連絡する東半分に集中する。そのため、東半分を折り返し運転する区間列車が環状線成立後も多く設定されており、運転密度も高く近隣も商業地・住宅地として開発が進んでいる。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "他方、西半分は運転密度が低く、利用者数も伸び悩んでいたが、1973年から関西本線(大和路線)との直通列車、1989年から特急「くろしお」などの阪和線との直通列車、1994年の関西国際空港開港後は関空特急「はるか」や関空・紀州路快速などの快速列車が天王寺駅東方から大阪環状線に乗り入れるようになり、運転密度は上昇した。ただし、優先運行される特急や快速列車が通過する駅では逆に不便なダイヤとなり、西半分の駅 - 東半分の駅間の天王寺駅経由での移動も不便になった。その一方、快速停車駅では利便性が向上し、弁天町駅付近には高層ビルやタワーマンションが立ち並ぶようになり、大正駅と西九条駅は大阪ドームとユニバーサル・スタジオ・ジャパンのオープン以来土曜・休日の利用者が増加傾向にある。また、大和路・関空・紀州路などの快速列車の増発による西半分の高速化は、乗り換え不要で運賃が安いこともあって、大阪駅 - 天王寺駅間の移動における環状線利用増に貢献している。", "title": "利用状況" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "2013年3月13日に発表されたJR西日本の中期経営計画において、線区価値の向上、都市の魅力向上の重点線区に選定され、2017年度までの5年間で、駅の改良・美化、車両の新製、高架下・駅周辺の開発などが計画され、2013年12月24日から「大阪環状線改造プロジェクト」がスタートした。", "title": "大阪環状線改造プロジェクト" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "このプロジェクトでは、大阪環状線を「行ってみたい」「乗ってみたい」線区に改造し、ハード面とソフト面の取り組みでイメージアップを図り、大阪環状線の利用を拡大し、大阪の活性化を目指す取り組みである。大阪環状線の駅19駅を19の点でシンボル化し、赤(線区カラー)とオレンジ(車両カラー)で表現した円をイメージしたロゴマークと、お客様満足度二重丸を目指すという思いを込めた「みんなの◎に」というキャッチコピーも制定されている。", "title": "大阪環状線改造プロジェクト" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "このプロジェクトは、以下の重点施策によって行われている。", "title": "大阪環状線改造プロジェクト" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "このほかにも、全駅へ発車メロディが順次導入されたほか、沿線風景や名所・祭事などをモチーフにデザインしたラッピング列車「OSAKA POWER LOOP」が2014年6月1日から2017年9月7日まで運転された。デザインは、FM802が主催しているアーティスト発掘プロジェクトに参加しているうち8名が携わった。また、2014年9月28日には天満音楽祭とコラボレーションした音楽列車「TEN-ON ぐるKAN LIVE」が運転された。2017年10月15日には323系初の車内イベント列車として天満音楽祭とコラボレーションしたイベント列車「ぐるKANブラス」が運行される。2019年4月1日からはサンリオのキャラクター「ハローキティ」とのコラボレーションイベント「HELLO! LOOP PROJECT」が、当プロジェクトの一環として実施されている。期間中は「ハローキティ 環状線トレイン」の運行や、主要駅へのフォトスポットの設置などが行われる。", "title": "大阪環状線改造プロジェクト" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "このプロジェクトが「323系と大阪環状線改造プロジェクト」として、2016年9月29日に2016年度グッドデザイン賞(移動用機器・設備部門)を受賞している。", "title": "大阪環状線改造プロジェクト" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "本節では、大阪環状線で使用される、または使用された車両について記述する。なお、貨物列車については、牽引機関車(貨物電車のM250系を含む)のみを記述する。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "以下はすべて電車である。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "すべて3ドア車で運行されている。座席は323系がロングシート、それ以外の車両はクロスシートである。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "吹田総合車両所森ノ宮支所(旧・森ノ宮電車区)所属車両が使用される。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "また、車内広告を1社で独占して掲出している広告貸切列車として使用されている車両もある。8両編成の広告貸切列車は Loopack(ルーパック)と呼ばれ、過去にはヘッドマークを掲出していた時期もあり、特に毎年10月には8020推進財団が広告主となっている列車について、8020運動の普及啓発を行う「8020号」の特製ヘッドマークが掲出されている。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "吹田総合車両所奈良支所(旧・奈良電車区)所属車両が使用される。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "吹田総合車両所日根野支所(旧・日根野電車区)所属車両が使用される。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "吹田総合車両所日根野支所(旧・日根野電車区)および吹田総合車両所京都支所(旧・京都総合運転所)所属車両が使用される。本節で特に記述なければ日根野支所所属。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "福島駅付近から西九条駅までを併走する梅田貨物線を経由し、桜島線(JRゆめ咲線)安治川口駅貨物ヤードを結ぶ貨物列車の牽引機として運用される。", "title": "使用車両" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "大阪環状線は、大阪鉄道(初代)により建設された関西本線の今宮駅 - 天王寺駅間、同じく大阪鉄道(初代)により建設された天王寺駅 - 玉造駅 - 大阪駅間の城東線、西成鉄道により建設された西成線の大阪駅 - 西九条駅間、鉄道省により建設された関西本線貨物支線(大阪臨港線)の境川信号場 - 今宮駅間を元に、未成区間の西九条駅 - 境川信号場間を日本国有鉄道(国鉄)が繋いで成立した環状路線である。その関係で、国鉄時代は境川信号場 - 天王寺駅間は天王寺鉄道管理局の管内で、残りが大阪鉄道管理局の管内とされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "関西本線・城東線・西成線の開業当時、関西本線は木津村・今宮村・天王寺村の集落を迂回する必要があり、市街地からやや南へ離れてしまい、城東線は四天王寺・大坂城址といった建造物や天王寺村・清堀村・玉造町の集落を迂回するため、市街地から大きく東へ離れてしまった。西成線は比較的市街地に近接していたが、船舶の出入が多いため橋が1本もない安治川右岸を通っており、基本的には臨港路線だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "もともとの市街地が海に面していない大阪では、もとから海に面した市街地である東京と比べて海側への鉄道敷設が容易でありそうなものだが、大阪湾と大阪市街を結ぶ二大水路の安治川および木津川への架橋が、船舶の出入の多さから事実上不可能という問題があり、大阪鉄道(初代)の大阪駅乗り入れが城東線ルートになったのも、この問題に一因があった。1897年に大阪港(築港)の埋立造成が開始され、その完工を目前に控えた1928年の大阪臨港線開業時に木津川への架橋は実現したが、安治川への架橋は1961年の大阪環状線開業まで実現することはなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "このように、大阪市街の東半分を取り囲む関西本線および城東線がどちらも市街地から離れたところに敷設されたため、現在の私鉄各社に加えて片町線や当の関西本線ですら現在の大阪環状線の内側(それらは明治期、市街地の端でもあった)にターミナルを設置することとなり、環状線の構想に至るには市街地の拡張を待つ必要があった。大正初期までに開業した私鉄(元私鉄を含む)の大阪側ターミナルは難波駅・湊町駅(現・JR難波駅)・片町駅・汐見橋駅・天王寺西門前駅・阪神梅田駅・天満橋駅・恵美須町駅・大阪上本町駅など、ほとんどが現在の大阪環状線の内側に位置するもので、阪急梅田駅も当初は内側(現在の阪急百貨店うめだ本店の位置)にあった。当時は城東線も西成線もまだ電化されておらず、それらのターミナルと大阪市の中心市街地との間の輸送は専ら大阪市電が担っていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "大正末期に至って城東線・西成線の内側は一部を除いて市街化され(時期を同じくして城東線・西成線が通る地域はすべて大阪市に編入された)、大阪鉄道(2代目、現・近鉄南大阪線)と阪和電気鉄道(現・JR阪和線)は天王寺駅にターミナルを構えるに至った。環状線の構想も戦前には持ち上がったが、上述のとおり船舶の出入が多い安治川への架橋に対して反対運動があり、計画が具体的に進むことはなかった。また、日本橋・銀座といったオフィス街・繁華街に近接し、東京駅が開業するなど、発足時の東京市域を縦断する経路で未成区間が解消された東京市(当時)の海側と異なり、一部レジャー施設と新興住宅地を除いて工業地帯・港湾施設が広がる大阪市の海側に十分な利用者数が見込めるのかという疑問も残った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "しかし、戦災復興都市計画によって環状線建設が立案施行されることになった。第二次世界大戦直後と高度経済成長期の2度にわたって大阪市長を務めた中井光次は、海側の未成区間への新線敷設と港区・大正区における旅客駅の開設に尽力し、1953年に大阪環状線建設促進協議委員会が発足、1956年3月20日には大阪市内環状線として起工式が挙行された。それでもなお、安治川橋梁の架橋に対して反対運動があったため、1960年に開業予定が1年遅れることになった。大阪環状線という名称に決定したのは1961年4月3日で、1960年12月26日の国鉄関西支社が調査役会議で本社に上申したものである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "大阪環状線となったのは、西九条駅から大阪臨港線の今宮駅 - 浪速駅間に設けられた境川信号場までが開通した1961年である。なおこの時、西成線のうち西九条駅 - 桜島駅間が桜島線として分離され、大阪臨港線は起点を大正駅に変更され大阪環状線貨物支線として扱われるようになった。当初は西九条駅で線路がつながっていなかったため、桜島駅 - 大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅 - 西九条駅の逆「の」の字運転を行っていたが、1964年に西九条駅の高架化が完成して線路がつながり、環状運転を開始した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "1973年に関西本線(1988年に大和路線の愛称がつく)の快速列車、1989年に阪和線・紀勢本線の特急、1990年に阪和線快速列車の大阪環状線直通運転が開始された。2012年現在では日中の3分の2が大和路線や阪和線直通列車(快速)であり、これらの運行形態は逆「の」の字運転である(大和路快速・関空快速・紀州路快速の各項も参照)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "なお、鉄道国有法の公布に伴い主要鉄道の国有化が実施されるまで、城東線は大阪鉄道 - 関西鉄道の保有路線であったが、南海電気鉄道の前身である南海鉄道の列車が、1993年に全廃された南海天王寺支線を経由してここに乗り入れ、大阪駅まで直通していたこともあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "天王寺駅から内回り方向に記述する。", "title": "駅一覧" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "( ) 内は起点からの営業キロ", "title": "駅一覧" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "( ) 内は大阪駅起点・環状線内回り経由の営業キロ", "title": "駅一覧" } ]
大阪環状線は、大阪府大阪市内の天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 新今宮駅間を結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。 「大阪環状線」の呼称が指す区間は典拠や目的により、次のように使い分けられている。 国鉄分割民営化時に当時の運輸省に提出された事業基本計画、国土交通省監修の『鉄道要覧』および、JR西日本が発行している『データで見るJR西日本』では、大阪環状線は天王寺駅 - 新今宮駅間20.7 kmの路線で、新今宮駅 - 天王寺駅間1.0 kmは関西本線であり、今宮駅 - 新今宮駅間1.2 kmは関西本線との重複区間となっている。 『JR 線路名称公告』では、大阪環状線は大阪駅を起点・終点とする21.7 kmの路線であり、今宮駅 - 天王寺駅間2.2 kmは関西本線との重複区間となっている。 運行管理や旅客案内、『JR時刻表』、『JTB時刻表』(2023年3月号)での大阪環状線は、天王寺駅 - 大阪駅 - 天王寺駅となっている。 JRが旅客営業規則第78条第1項第1号に規定され、同第86条第5号の図中の太線区間で示される電車特定区間の「大阪環状線内」は、大阪環状線のほか、桜島線(JRゆめ咲線)全線と関西本線(大和路線)天王寺駅 - JR難波駅間が含まれる。この区間内を相互発着する場合は運賃計算などに関する特例が適用される。 以下、特記がない限りは 1. (運行系統としては3.)に従って記述する。なお、大阪をはじめとする近畿圏においては、当路線を単に「環状線」と呼称する場合も多く、本項でも一部でそのように表記している。
{{Otheruseslist|鉄道路線|大阪市の主要地方道の「大阪環状線」|大阪市道大阪環状線|テレビドラマの「大阪環状線」|大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語|「大阪環状線」を通称に持つ高速道路|阪神高速1号環状線}} {{Redirectlist|城東線|城東貨物線|おおさか東線|中央西線の計画ルート案|瀬戸線}} {{Infobox 鉄道路線 |路線名 = [[File:JR logo (west).svg|35px|link=西日本旅客鉄道]] 大阪環状線 |路線色 = #e80000 |ロゴ = File:JRW kinki-O.svg |ロゴサイズ = 40px |画像 = File:323系電車(大阪城公園駅).jpg |画像サイズ = 300px |画像説明 = 大阪環状線を走行する[[JR西日本323系電車|323系電車]]<br>(2019年7月23日 [[大阪城公園駅]]) |国 = {{JPN}} |所在地 = [[大阪府]] |種類 = [[日本の鉄道|普通鉄道]]([[在来線]]・[[幹線]]) |起点 = 天王寺駅<ref name="鉄道要覧" >{{Cite book |和書 |author=国土交通省鉄道局(監修)|title=鉄道要覧 |chapter=西日本旅客鉄道株式会社 |publisher=電気車研究会・鉄道図書刊行会 |volume=各年度 |page=大阪環状線掲載頁 }}</ref><ref name="データで見るJR西日本">{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2020_07.pdf データで見るJR西日本 - 営業線区]}} - 西日本旅客鉄道</ref>{{refnest|group="†"|name="起点駅"|鉄道要覧およびJR西日本発行『データで見るJR西日本』上の正式起点駅<ref name="鉄道要覧" /><ref name="データで見るJR西日本" />。}} |終点 = 新今宮駅<ref name="鉄道要覧" /><ref name="データで見るJR西日本" />{{refnest|group="†"|name="終点駅"|鉄道要覧およびJR西日本発行『データで見るJR西日本』上の正式終点駅<ref name="鉄道要覧" /><ref name="データで見るJR西日本" />。}} |駅数 = 19駅 |電報略号 = シトセ(城東線時代)<ref name="tetsudoudenpouryakugou-p22">{{Cite book |和書 |author=日本国有鉄道電気局 |date=1959-09-17 |title=鉄道電報略号 |url= |format= |publisher= |volume= |page=22}}</ref><br />ニナセ(西成線時代)<ref name="tetsudoudenpouryakugou-p21">{{Cite book |和書 |author=日本国有鉄道電気局 |date=1959-09-17 |title=鉄道電報略号 |url= |format= |publisher= |volume= |page=21}}</ref> |路線記号 = {{JR西路線記号|K|O}} |開業 = [[1895年]][[5月28日]](城東線)<br />[[1898年]][[4月5日]](西成線) |全通 = [[1961年]][[4月25日]] |廃止 = |所有者 = [[西日本旅客鉄道]] |運営者 = 西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)<br />[[日本貨物鉄道]](第二種鉄道事業者) |車両基地 = [[吹田総合車両所]][[森ノ宮電車区|森ノ宮支所]] |使用車両 = [[#使用車両|使用車両]]の節を参照 |路線構造 = [[放射線・環状線|環状線]] |路線距離 = 20.7 [[キロメートル|km]](新今宮駅 - 天王寺駅間1.0 kmは含まない) |軌間 = 1,067 [[ミリメートル|mm]]([[狭軌]]) |線路数 = [[複線]] |閉塞方式 = 自動閉塞式 |電化方式 = [[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]] [[架空電車線方式]] |保安装置 = [[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P]](全線P<ref name="zensen">{{PDFlink|[https://www.mlit.go.jp/jtsb/railway/fukuchiyama/RA07-3-1-1.pdf 鉄道事故調査報告書]}} - 航空・鉄道事故調査委員会</ref>) |最高速度 = 100 [[キロメートル毎時|km/h]]<ref name="speed">[https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2018_05.pdf データで見るJR西日本2018] - JR西日本</ref> |路線図 = JRwest-Osaka-Loop-Line-MAP.jpg }} '''大阪環状線'''(おおさかかんじょうせん、{{Lang-en-short|''Osaka Loop Line''}})は、[[大阪府]][[大阪市]]内の[[天王寺駅]] - [[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]] - [[大阪駅]] - [[西九条駅]] - [[新今宮駅]]間を結ぶ[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)の[[鉄道路線]]([[幹線]])である。 「大阪環状線」の呼称が指す区間は典拠や目的により、次のように使い分けられている。<!--これは目次より上(定義部の真下)に書いたほうがいいかと--> # [[国鉄分割民営化]]時に当時の[[運輸省]]に提出された事業基本計画、[[国土交通省]]監修の『[[鉄道要覧]]』および、JR西日本が発行している『データで見るJR西日本』<ref name="データで見るJR西日本" />では、大阪環状線は天王寺駅 - 新今宮駅間20.7 [[キロメートル|km]]の路線で、新今宮駅 - 天王寺駅間1.0 kmは[[関西本線]]であり、[[今宮駅]] - 新今宮駅間1.2 kmは関西本線との重複区間となっている。 # 『JR 線路名称公告』<!--や『JTB時刻表』(2023年2月号まで)-->では、大阪環状線は大阪駅を起点・終点とする21.7 kmの路線であり、今宮駅 - 天王寺駅間2.2 kmは関西本線との重複区間となっている。 # 運行管理や旅客案内、『JR時刻表』、『JTB時刻表』(2023年3月号)での大阪環状線は、天王寺駅 - 大阪駅 - 天王寺駅となっている。 # [[JR]]が[[旅客営業規則]]第78条第1項第1号に規定され、同第86条第5号の図中の太線区間で示される[[電車特定区間]]の「'''大阪環状線内'''」は、大阪環状線(大阪駅 - 天王寺駅 - 大阪駅)のほか、[[桜島線]](JRゆめ咲線)全線と関西本線([[大和路線]])天王寺駅 - [[JR難波駅]]間が含まれる。この区間内を相互発着する場合は[[運賃]]計算などに関する特例が適用される。 以下、特記がない限りは 1. (運行系統としては3.)に従って記述する。なお、大阪をはじめとする[[近畿地方|近畿圏]]においては、当路線を単に「'''環状線'''」と呼称する場合も多く、本項でも一部でそのように表記している。 == 概要 == 大阪環状線は、[[大阪市]]の[[都心]]部外周を[[環状運転]]している[[放射線・環状線|環状線]]であり、JR西日本の[[アーバンネットワーク]]の中心路線として機能している。[[日本の鉄道ラインカラー一覧|ラインカラー]]は'''赤'''({{Color|#e80000|■}})<!-- 車体色バーミリオンオレンジはラインカラーではない-->で、大阪のダイナミズムをイメージしている。[[駅ナンバリング]]で使われる路線記号は'''O'''<ref name="jrw20140806">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/08/page_5993.html 近畿エリア・広島エリアに「路線記号」を導入します] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース(2014年8月6日)2020年2月19日閲覧</ref>。当路線で運行された[[国鉄101系電車|101系]]・[[国鉄103系電車|103系]]・[[国鉄201系電車|201系]]電車の車体色は'''オレンジバーミリオン'''({{Color|#C16543|■}} [[朱色1号]])<!-- バーミリオンオレンジはラインカラーではない-->で、現用車両の[[JR西日本323系電車|323系]]電車でもドア横のアクセントカラーや黒とともに帯色で使用されている。 [[ファイル:Kyobashi Station Sign (Osaka Loop Line) 3.jpg|サムネイル|[[ラインカラー]]を用いた[[駅名標]]]] 多くの駅で各方面へのJR・私鉄各線および都心部を走る[[大阪市高速電気軌道]] (Osaka Metro) の地下鉄各路線と連絡している。また、大阪環状線では線内で環状運転や区間運転を行なっている[[普通列車]]以外に、[[大和路線]]([[関西本線]])と[[阪和線]]、JRゆめ咲線([[桜島線]])、[[JR京都線]](東海道本線)といったJR他路線と直通運転している普通列車や[[快速列車]]、及び[[特別急行列車|特急列車]]が走行する。 大阪環状線は、南側の関西本線の一部区間、関西本線と[[東海道本線]]を連絡する東側の'''城東線'''、[[旧淀川|安治川]]の右岸を走る北西側の'''西成線'''の一部区間、南西側の関西本線貨物支線の一部区間を、[[第二次世界大戦]]後の[[高度経済成長|高度経済成長期]]に西側の未成区間に新線を造って接続したものである。発足時の大阪市域のほぼ全域を取り囲んでおり、大阪環状線内を横断・縦断する地上路線は存在しないものの、地上区間により大阪環状線内に入り込む路線は9路線(天王寺駅阪和線ホームを含めると10路線)ある。地下路線ではOsaka Metro(旧[[大阪市営地下鉄]])線が従来から大阪環状線内を横断・縦断しているが、地下鉄以外でもJR・私鉄ともに地下区間により横断・縦断路線を建設する計画が何度か立てられ、[[2009年]]までにJRでは[[JR東西線]]、私鉄では[[阪神なんば線]]・[[近鉄奈良線]]([[近鉄難波線|難波線]]・[[近鉄大阪線|大阪線]])の西九条駅 - [[鶴橋駅]]間<ref group="†">大阪環状線と交差する駅付近は地上区間で、前述の地上区間により大阪環状線内に入り込む路線にも数えている。</ref>の2つの横断路線が実現しているほか、[[2031年]]度には縦断路線の[[なにわ筋線]](JR西日本、南海電鉄)が開通する予定となっている。 [[堂島]]・[[中之島 (大阪府)|中之島]]・[[船場 (大阪市)|船場]]([[本町 (大阪市)|本町]]など)・[[島之内]]([[心斎橋]]など)といった都心部(旧来の中心市街)および[[ミナミ]]の玄関口である[[難波]]が大阪環状線の内側に位置するため、前述の通り元私鉄を含む多数の路線が大阪環状線内に入り込んでいる。加えて[[新幹線]]接続駅がないため<ref group="†">他の日本の鉄道の完全環状運転路線では新幹線接続駅がある。</ref>、[[新大阪駅]] - [[梅田駅 (Osaka Metro)|梅田駅]](大阪駅直下) - [[難波駅 (Osaka Metro)|難波駅]] - [[天王寺駅]]間を直線的に通る[[Osaka Metro御堂筋線]]が市内交通の大動脈として都心部への移動の主力を担い、大阪環状線や他のOsaka Metro各線および[[大阪シティバス]]がそれを補完する形になっている。これらは他路線との直通列車が存在することとともに、同じく環状運転を行なっている東京の[[山手線]]と大きく異なる点である。 南側と東側は特に都心部から離れて敷設されたため、[[南海電気鉄道|南海]]、[[京阪電気鉄道|京阪]]、[[近畿日本鉄道|近鉄]](かつての[[大阪電気軌道|大軌]])がそれぞれ大阪環状線の内側に[[難波駅 (南海)|難波駅]]、[[天満橋駅]]、[[大阪上本町駅]]を構えた一方、比較的都心部に近接して敷設された北側では[[阪神電気鉄道|阪神]]、[[阪急電鉄|阪急]]とも大阪駅付近に[[大阪梅田駅 (阪神)]]、[[大阪梅田駅 (阪急)]]を構え、南側でも後発の近鉄(かつての[[大阪鉄道 (2代目)|大鉄]])が天王寺駅付近に[[大阪阿部野橋駅]]を構えた経緯から、[[梅田]]、[[天王寺|天王寺・阿倍野]]の[[副都心]]が形成された。大阪駅一帯の梅田は大規模な[[都市再開発|再開発]]の進展によって旧来の中心市街の相対的な地位を低下させるまでに発展している。また、河川が集中して土地の制約が大きかった京橋駅の周辺も[[大阪ビジネスパーク]](OBP)と一体となった副都心が形成されている。 また、東側の大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間では、全列車が各駅に停車するのに対し、西側の大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間では、特急や快速は大阪環状線内で通過運転を行っているため、日中時間帯では特急・快速が全て停車する駅に1時間に15本が停車する一方で、特急や快速が通過する野田駅、芦原橋駅と今宮駅は1時間に4本しか停車する列車がない。これも日中は各駅とも1時間12本以上が停車する山手線と異なる点である。 路線の大半は高架であるが、天王寺駅付近と[[大阪城公園駅]]付近だけは地平を走っている。故にこの2駅だけは[[地上駅]]となっている。ただし、天王寺駅は掘割式の[[地下駅]]に分類される場合もある。また内回り線の新今宮駅 - 天王寺駅間には大阪環状線で最後まで<ref group="†" name="hitotsuya">一ツ家踏切は、冒頭の定義1.の区間には含まれない。</ref>残った[[踏切]]である[[#一ツ家踏切|一ツ家踏切]]があった。 大阪都心部を走る路線でありながら、他の私鉄・地下鉄線と直接競合していないこともあり、[[2013年]]に「[[#大阪環状線改造プロジェクト|大阪環状線改造プロジェクト]]」が開始されるまでは環状運転の大半の普通列車が[[日本国有鉄道|国鉄]]時代の車両で占められ、新車導入や駅の美装化といった設備投資が、私鉄と競合し看板列車の[[新快速]]が運転されている[[JR神戸線]]や[[JR京都線]]などの主要路線と比べるとかなり遅れた。 JR線で唯一、全列車が掲載されている紙の[[時刻表]]が存在しない路線である(他路線に直通する列車の時刻はすべて掲載されている)。ただし、八峰出版がかつて発行していた『KATT 関西圏JR線私鉄線時刻表』では大阪環状線が特集として、また『携帯全国時刻表』特別付録として2017年4月号に別冊付録として大阪環状線の快速も含む全列車の時刻が掲載された。なお、『携帯全国時刻表』2018年4月号にも別冊付録で大阪環状線全列車時刻表(こちらは特急列車も含む)が掲載された。 全線が[[旅客営業規則]]の定める[[大都市近郊区間 (JR)|大都市近郊区間]]の「大阪近郊区間」、電車特定区間、および[[ICカード|IC]][[乗車カード]]「[[ICOCA]]」エリアに含まれており、JR西日本[[西日本旅客鉄道近畿統括本部|近畿統括本部]]の管轄である。 なお、平均駅間距離は1.15 km(新今宮駅 - 天王寺駅間を含む場合は約1.14 km)で、JR西日本管内の路線では最も短い<ref group="†">JRグループ他社で大阪環状線より平均駅間距離が短い路線は、JR東日本の[[鶴見線]](本線のみで0.7 km。支線含めて約0.8 km)がある。<!--JR最短かは未確認--></ref>。 === 路線データ === * 管轄・路線距離([[営業キロ]]):全長 20.7 km ** 西日本旅客鉄道([[鉄道事業者#第一種鉄道事業者|第一種鉄道事業者]]): *** 天王寺駅 - 大阪駅 - 新今宮駅間 20.7 km ** [[日本貨物鉄道]]([[鉄道事業者#第二種鉄道事業者|第二種鉄道事業者]]): *** 福島駅 - 西九条駅間 (2.6 km) * [[軌間]]:1067 mm * 駅数:19(起終点駅を含む) ** 大阪環状線所属駅に限定した場合、上記の駅数から東海道本線所属の大阪駅、関西本線所属の今宮駅・天王寺駅<ref name="teisya">『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』[[JTB]]、1998年。ISBN 978-4-533-02980-6。</ref>の3駅が除外され、16駅となる。なお、新今宮駅は大阪環状線所属<ref name="teisya" />と扱われる。 * 複線区間: ** 3線:福島駅 - 西九条駅間 ** 複線:大阪駅 - 福島駅間、西九条駅 - 今宮駅間、天王寺駅 - 鶴橋駅 - 大阪駅間<ref group="†">大阪環状線の定義を冒頭に記したうちの1.とした場合、新今宮駅 - 天王寺駅間は(大阪環状線ではなく)関西本線の複々線である。大阪駅を起点として大阪駅に戻る2.の定義とするなら、(関西本線の複線と並行する)新今宮駅 - 天王寺駅間も大阪環状線の複線区間である。</ref> * [[鉄道の電化|電化]]区間:全線電化([[直流電化|直流]]1500[[ボルト (単位)|V]]) * [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式 * 保安装置:[[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P(全線P)]]<ref name="zensen" /> * [[運転指令所]]:[[大阪総合指令所]] * [[列車運行管理システム]]:[[運行管理システム (JR西日本)|大阪環状・大和路線運行管理システム]] * 最高速度:100 km/h<ref name="speed" /> * [[ICカード|IC]][[乗車カード]]対応区間: ** [[ICOCA]]エリア:全線(全線[[PiTaPa|PiTaPaポストペイサービス]]対象区間) * 2020年度の混雑率:外回り109%(鶴橋→玉造 7:40-8:40)、内回り73%(玉造→鶴橋 7:25-8:25)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001413544.pdf|archiveurl=|title=最混雑区間における混雑率(令和2年度)|date=2021-07-09|accessdate=2021-08-21|publisher=国土交通省|page=2|format=PDF}}</ref> == 沿線概況 == {{大阪環状線路線図}} 以下に示す記述はすべて[[内回り・外回り|内回り]](反時計回り、左回り)の沿線概況であり、[[内回り・外回り|外回り]](時計回り、右回り)の場合は風景の順番が逆で、大阪駅の発着ホームも2番のりばとなる。 [[天王寺駅]]は関西本線・[[阪和線]]が分岐しているほか、[[近鉄南大阪線]]、Osaka Metro御堂筋線・[[Osaka Metro谷町線|谷町線]]、[[阪堺電気軌道]][[阪堺電気軌道上町線|上町線]]との接続駅で、[[天王寺]]は[[南大阪]]の玄関口であるとともに、[[ミナミ]]・[[キタ]]などと並ぶ大阪市の都市核の一つである。駅周辺には[[天王寺ミオ]]や[[あべのキューズタウン|あべのキューズモール]]、日本一の高さ300 mの駅ビル[[あべのハルカス]]([[あべのハルカス近鉄本店]])などの商業施設が多く、JR西日本の駅別乗車人員数では第3位である<ref>[http://www.westjr.co.jp/railroad/digest/ 鉄道事業ダイジェスト:JR西日本] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20140314194736/http://www.westjr.co.jp/railroad/digest/ |date=2014-03-14}} - 西日本旅客鉄道</ref>。 天王寺駅を出ると左にカーブして、天王寺駅の北側にある阪和線をくぐって北上する。[[寺田町駅]]を出て[[桃谷駅]]に向かう間は、マンションの立ち並ぶ天王寺区、下町情緒豊かな生野区を分けるように高架の線路を北上し、[[鶴橋駅]]に到着する。[[近鉄大阪線]]・[[近鉄奈良線|奈良線]]、[[Osaka Metro千日前線]]との接続駅で、ホームには近鉄との連絡改札口があり、乗り換え客も非常に多い。駅前は[[在日韓国・朝鮮人|在日コリアン]]によって造られた[[コリア・タウン]]が中核を担っている。周辺に[[焼肉]]店や[[朝鮮料理]]店が多く、駅周辺の賑わいは[[環境省]]の[[かおり風景100選]]にも選ばれている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.env.go.jp/press/files/jp/2930.html |title=かおり風景100選一覧表 |publisher=環境省 |accessdate=2020-02-20 |quote=61 大阪市 鶴橋駅周辺のにぎわい }}</ref>。 鶴橋駅からは引き続き住宅街を北上し、[[玉造駅]]を過ぎると今度は[[京セラドキュメントソリューションズ]]や[[森下仁丹]]、[[サクラクレパス]]などの本社建物が立ち並ぶ区域を通り、Osaka Metro中央線・長堀鶴見緑地線との連絡駅、[[森ノ宮駅]]に至る。森ノ宮駅を過ぎると左手に[[大坂城|大阪城]]がある[[大阪城公園]]、右手に[[吹田総合車両所#森ノ宮支所|吹田総合車両所森ノ宮支所]]やOsaka Metroの[[森之宮検車場]]が見える。線路は高架から地上へ下り[[大阪城公園駅]]に着く。さらに進むと同支所の入出区線が右手から接近し、左手に多数のビル群が林立する[[大阪ビジネスパーク]]を過ぎると[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]]に着く。京橋駅には [[片町線]](学研都市線)・[[JR東西線]]と[[京阪本線]]のほか、Osaka Metro長堀鶴見緑地線が乗り入れ、飲食店街や[[歓楽街]]も発展していることから、「キタ」「ミナミ」に対して「ヒガシ」と呼ばれることもある。 京橋駅を出ると正面にはかつての[[淀川電車区]]・[[淀川駅 (国鉄)|淀川駅]]に至る連絡線があった空き地が広がるが、大阪環状線は左にカーブする。桜の名所、[[桜ノ宮駅]]を過ぎ、[[旧淀川]](大川)を渡って右にカーブすると、[[阪神高速12号守口線]]をくぐり大阪環状線の最も北に位置する[[天満駅]]と続く。天満駅を出てすぐ[[天神橋筋商店街]]を高架で跨ぎ、住宅街やビルの合間をかいくぐって行き、右手から東海道本線([[JR京都線]])が合流してくると[[大阪駅]]に着く。 大阪駅では最も南側([[大阪ターミナルビル|サウスゲートビルディング]]寄り)の1番のりばから発車する。大阪駅を出ると、東海道本線([[JR神戸線]]・[[福知山線|JR宝塚線]])と並走し、やがて東海道本線は右に分かれていく。大阪環状線はそのまま直進して[[福島駅 (JR西日本)|福島駅]]に着く。福島駅付近で東海道本線貨物支線が合流しているが、貨物線は地平線を走り、福島駅を出ると右手から貨物線が地平線から高架橋へ上ってくる。[[阪神本線]]を越えると、[[野田駅 (JR西日本)|野田駅]]である。野田駅からはかつて、大阪環状線の北側から高架を下って直進方向に進んで[[三菱製紙]]などに至る[[専用鉄道]]と、大阪環状線をくぐって[[大阪市中央卸売市場本場]]にあった[[大阪市場駅]]へと至る貨物支線(1984年〈[[昭和]]59年〉2月1日廃止)が分岐しており、野田駅ホームからはその地上への分岐部の跡が確認できる。現在は、専用鉄道の線路跡には住宅などが建っており当時を偲ばせるものはないが、大阪市場駅への貨物支線跡は[[遊歩道]]として整備されている。 続く[[西九条駅]]は島式2面5線であるが、このうちホームがあるのは内側の3線のみである。[[桜島線]](JRゆめ咲線)・[[梅田貨物線]]が分岐しており、大阪方面から桜島線に乗り入れているほか、梅田貨物線を経由して[[新大阪駅|新大阪]]方面から特急列車も大阪環状線に直通している。西九条駅の真上に位置している[[阪神なんば線]]をくぐり、内・外回り線に挟まれて桜島線が地平に降りて西進して分かれていく。[[旧淀川|安治川]]を渡って大きく左にカーブすると、右手から[[阪神高速17号西大阪線]]・[[国道43号]]が寄り添い始め、[[ORC200]]などの高層ビルが建ち並ぶ[[弁天町駅]]に着く。弁天町駅は大阪環状線の最も西部に位置しており、[[Osaka Metro中央線]]との接続駅で、大阪ベイエリアの入口に当たる。高架下にはかつて[[交通科学博物館]]があり、内回りホームからは保存車両の一部を見ることができた。駅前は[[中央大通]]と国道43号が交差して車の交通量も多く、大阪環状線と直角に[[阪神高速16号大阪港線]]が交差している。 弁天町駅を出て一度左にカーブして東に向くと内回り・外回りの間に空き地があるが、これがかつての[[境川信号場]]跡で、[[大阪臨港線]]が分岐していた。正面から左手に[[大阪ドーム|京セラドーム大阪]]と[[ガスタンク]]の[[モニュメント]]のある[[大阪ガス]]のドームシティ(岩崎地区)が見えると、その最寄り駅である[[大正駅 (大阪府)|大正駅]]に着く。大正駅は[[Osaka Metro長堀鶴見緑地線]]との連絡駅であるとともに[[大正区]]の最北端に位置しており、鉄軌道網がない同区内の大阪環状線以南の各方面に多数の[[大阪シティバス]]が運行されており、[[ラッシュ時]]には急行バスも運行されている<ref>{{Cite web|和書|date=2020-02-01 |url=https://kensaku.osakametro.co.jp/timetable/bus/dia/stop/0820/32#01 |title=大正橋[ 大正駅前] |work=時刻表検索 |publisher=Osaka Metro |accessdate=2020-02-20 }}</ref>。 大正駅の先で[[南海電気鉄道|南海]][[南海高野線|汐見橋線]]と交差すると[[芦原橋駅]]・[[今宮駅]]と続く。今宮駅は関西本線([[大和路線]])を越えるために内回り線のホームは3階となっているが、外回り線はその必要がないため2階にホームがあり、関西本線の下り線と同一ホームで乗り換えることができる。なお、[[1997年]]までは今宮駅には大阪環状線のホームがなく、当時地上にあった関西本線の両側の築堤上を内回り・外回りに分かれて走行していた。 [[新今宮駅]]は[[南海本線]]・[[南海高野線|高野線]]、[[Osaka Metro御堂筋線]]・[[Osaka Metro堺筋線|堺筋線]]および、[[阪堺電気軌道阪堺線|阪堺線]]との接続駅である。島式2面4線のうち、外側2線を大阪環状線の列車が、内側2線を関西本線および大阪環状線と直通運転する列車が使用している。新今宮駅を出ると、左手に[[通天閣]]や[[大阪市天王寺動物園]]といった主要ランドマークが立ち並び、天王寺駅に着く。この間、外回り線は高架橋で関西本線を越えるが、[[2012年]]6月まで、この交点付近に大阪環状線で最後の踏切となる[[#一ツ家踏切|一ツ家踏切]]があった<ref group="†" name="hitotsuya" />。その踏切跡付近から天王寺駅にかけては、[[1993年]]に廃止された[[南海天王寺支線]]の廃線跡が南側に並行して残っている。 <gallery> Osaka Loop Line view-02.jpg|平野川橋梁を渡る大阪環状線の列車と大坂城天守および大阪城ホール。 JR Osaka loop line-freight branch line (1).JPG|野田駅 - 大阪市場駅貨物支線跡。野田駅西側にある、高架線へのアプローチ部分跡。現在は雑草などは刈り取られ[[アスファルト]]で固められている。 JR Osaka loop line-freight branch line (2).JPG|野田駅 - 大阪市場駅貨物支線跡。現在は遊歩道(左側)。 JR Osaka loop line-freight branch line (3).JPG|野田駅 - 大阪市場駅貨物支線跡(2009年当時。現在は遊歩道として整備されている)。突き当たりが大阪市中央卸売市場本場(旧大阪市場駅)。 Osaka Loop Line view-01.jpg|岩崎運河橋梁を渡る大和路快速と大阪ガスのガスタンク。左端にはもう尻無川橋梁が見える。 大正駅ホーム.JPG|大正駅ホーム。線内の架線吊架方式は一部区間を除いて[[架空電車線方式#ツインシンプルカテナリー式|ツインシンプルカテナリー式]]を採用。 JRW shinima-tennoji.jpg|新今宮駅 - 天王寺駅間の複々線区間。 Osaka Loop Line view-03.JPG|ジャンジャン横丁地下道および阪神高速14号松原線交差部を走る大阪環状線の列車とあべのハルカス。 </gallery> === 一ツ家踏切 === [[ファイル:一ツ家踏切 (大阪府).jpg|thumb|2012年7月1日に廃止された一ツ家踏切。手前から内回り、関西本線上り・下り。高架線は外回り。]] 新今宮駅 - 天王寺駅間にあった一ツ家踏切は、大阪環状線に最後まで残った踏切で、内回り線(外回り線の同区間は関西本線を乗り越すため高架線になっている)・関西本線(大和路線)の列車のほかに、阪和線との直通列車も通過するため、朝ラッシュ時は1時間で最大54分踏切が閉まる[[開かずの踏切]]であった。JR西日本が所有する踏切の中でも線路内に立ち入るトラブルが多く、[[鉄道人身障害事故|人身事故]]につながるケースもあったことから、[[2012年]][[7月1日]]をもって廃止された<ref name="sponichi_20120625">{{Cite web|和書|date=2012-06-25 |url=http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/06/25/kiji/K20120625003543990.html |title=大阪環状線 来週閉鎖予定の開かずの踏切で男性死亡 |website=[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]] |publisher=[[スポーツニッポン|スポーツニッポン新聞社]] |accessdate=2020-02-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120630123412/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/06/25/kiji/K20120625003543990.html |archivedate=2012-06-30}}</ref><ref name="yomiuri_20120630">[http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120630-OYO1T00333.htm 大阪・天王寺区の「開かずの踏切」あす廃止]{{リンク切れ|date=2020年2月}}『[[読売新聞]]』2012年6月30日</ref>。 この踏切で人身事故が発生するとその影響が広範囲に波及することから、JR西日本ではその対策として、最末期には踏切照明灯を青色にするなどの対策を取っていた。鉄道会社で青色の照明灯をいち早く導入したのはJR西日本で、実際に人身事故や踏切事故の抑止に効果があるとされたことから、青色の踏切照明灯は他線区にも導入され、その後、他社にも広がっている<ref>[http://www.asahi.com/travel/rail/news/SEB201006290027.html 「青色照明で自殺を防げ JR九州、別府の13踏切に設置」] [[朝日新聞デジタル]](2010年6月30日)2020年2月19日閲覧</ref>。 {{-}} === ルーフアート === [[ファイル:Roofart Osaka Loop.jpg|thumb|大阪環状線の7箇所で見ることができたルーフアート。現在は2箇所で見ることができる。]] 沿線では、民家の[[屋根]]上を作品展示の場所としたルーフアートが行われている。すべての作品は、車内や駅ホームから見える所にあり、堺市の芸術家である余田卓也が1994年から設置し始めたもので、2010年まで「家庭のパスワード」として、その家の住人が選んだ4桁の数字がシンボルカラーと共にそれぞれに数字と異なる色が掲げられていた。 {{-}} == 運行形態 == 大阪環状線内相互発着の普通のほか、桜島線(JRゆめ咲線)に直通する普通、関西本線(大和路線)・阪和線へ直通する快速列車が運転されている。快速列車は、区間快速・直通快速を除いて、大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間で快速運転が行われている。また、東海道本線(JR京都線)・[[紀勢本線]](きのくに線)方面から特急が、大阪駅 - 天王寺駅間を走行している<ref group="†" name="umedakamotsu" />。 日中は、全線にわたり1時間に12本の運転で、内訳は環状運転の「普通」、大和路線直通の「[[大和路快速]]」、阪和線・関西空港線直通の「[[関空快速・紀州路快速]]」がそれぞれ4本である。大阪駅 - 天王寺駅間は特急「くろしお」1本、「はるか」2本が加わり、1時間に15本の運転となる。午前中と夜間は、JRゆめ咲線直通の普通(天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - [[桜島駅]]間)が4本入るため、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅間は1時間に16本、特急「くろしお」「はるか」を含めると大阪駅 - 西九条駅間は1時間に19 - 20本の運転となる。平日の朝夕は大和路快速に代わって区間快速が、朝ラッシュ時は関空・紀州路快速に代わって直通快速(外回りのみ)が運転されている。なお、特急は天王寺駅と2023年3月17日まで一部が西九条駅にしか停車せず、大和路快速と関空快速・紀州路快速は野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過するため、この3駅は日中は1時間あたり4本のみの停車となる。 国鉄時代から終電時刻はほとんど変わらなかったが、[[2009年]][[3月14日]]のダイヤ改正で、乗務員の睡眠時間確保のために大幅な繰り上げが行われ、大阪環状線では最大21分繰り上がった<ref>{{Cite web|和書|date=2009-03-15 |url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090128-945707/news/20090315-OYT1T00072.htm |title=終電気い付けてや! 京阪神のJRダイヤ改正、乗り遅れ懸念 |website=[[読売新聞|YOMIURI ONLINE]] |publisher=読売新聞社 |accessdate=2020-02-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090317014030/http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090128-945707/news/20090315-OYT1T00072.htm |archivedate=2009-03-17}}</ref>。 === 旅客列車 === ==== 普通 ==== {{See also|桜島線#運行形態}} 平日の朝夕ラッシュ時は約3分間隔で運転されており、ほとんどが環状運転列車であるが、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間の区間運転列車(朝ラッシュ時のみ)またはJRゆめ咲線直通列車も運転されている。この時間帯の前後には吹田総合車両所森ノ宮支所への入出区の関係から、京橋駅発着(内回り・外回り)・大阪城公園発(外回りのみ)となる列車がある。夕方ラッシュ時は2015年3月14日の改正で京橋駅発着を天王寺駅発着に延長して区間が統一された。 日中は環状運転列車が1時間に4本(15分間隔)運転されている。午前中と夜は、JRゆめ咲線直通列車が天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 桜島駅間で1時間に4本(15分間隔)運転されている。時間調整のため、大阪駅・京橋駅・森ノ宮駅・新今宮駅で1 - 2分ほど停車するほか、新今宮駅で快速を待ち合わせる列車もあるため、先発先着の平行ダイヤにはなっていない。 車両は全て3ドア車で、原則としてロングシートの[[JR西日本323系電車|323系]]が使用されているが、ラッシュ時の一部の列車は転換クロスシートのある[[JR西日本223系電車|223系]]・[[JR西日本225系電車|225系]]や[[JR西日本221系電車|221系]]も使用されている。 環状運転を行っているため、運転取り扱い上や旅客案内上は「上り・下り」という概念はなく、「'''[[内回り・外回り|外回り・内回り]]'''」という表現が用いられている。[[列車番号]]は内回りを[[奇数]](大和路線直通列車を除く)としているが、奇数だから「下り」という意味ではなく、起点である大阪駅で、東海道本線と列車の方向と列車番号の奇数・[[偶数]]を合わせて内回りを奇数としただけである。 環状運転する電車の各駅での行き先案内は、主要6駅(大阪駅、西九条駅、新今宮駅、天王寺駅、鶴橋駅、京橋駅)から直近の2駅を挙げて「○○・△△方面行き」としている(たとえば、天満駅での外回り電車は京橋・鶴橋方面行きと案内する)。 列車番号は、引き続き環状運転列車となる列車は1000番台を使用し、天王寺駅で列車番号が変わる。途中駅が終点となる列車は2000番台が使用されている。なお、大阪環状線内のみを走行する列車には、JRの[[客車]]列車と同様に列車番号の末尾にアルファベットが付かない。JRゆめ咲線に直通する列車は、列車番号の末尾にEがつく。 ==== 大和路線(関西本線)直通列車 ==== {{See also|大和路快速}} 大阪環状線と大和路線(関西本線)を直通する列車として、[[大和路快速]]・区間快速が運転されている。大和路快速は大阪環状線内の野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過するが、区間快速は大阪環状線内は各駅に停車する。日中および土・休日の朝と夜間に、大和路快速が1時間に4本(15分間隔)運転されている。朝と平日の夕方・夜間は大和路快速の代わりに区間快速が運転されている。 関西本線に直通する快速列車は[[1973年]]から[[国鉄113系電車|113系]]で運転を開始し、[[1989年]]3月11日の221系導入と同時に大和路快速の愛称が付けられた。日中時間帯を中心に、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅 - [[奈良駅]] - [[加茂駅 (京都府)|加茂駅]]間で運転(JR時刻表では大阪駅発着で案内)されているが、土休日ダイヤでは[[和歌山線]][[高田駅 (奈良県)|高田駅]]・[[五条駅 (奈良県)|五条駅]]へ直通する列車がある。ラッシュ時間帯には大阪環状線内で各駅に停車する[[大和路線#区間快速|区間快速]]が運転されていて、京橋駅までの列車や和歌山線高田駅・五条駅へ直通する列車も設定されている。また[[天理教]]祭典(「こどもおぢばがえり」やお節会含む)開催時や土曜・休日ダイヤには[[臨時列車]]として[[桜井線]](万葉まほろば線)に直通する列車もある。 夕方・夜間の一部の奈良駅・加茂駅発の区間快速は新今宮駅で[[阪和線]]方面からの特急列車の通過待ちを行う。 車両は全列車221系の8両編成で、区間快速には2016年9月まで103系・201系の8両編成が運用されていた。 また、2011年3月11日までの平日ダイヤの夜間には「[[大和路線#やまとじライナー|やまとじライナー]]」が大阪駅 - 加茂駅間で運転されていた。大阪環状線内の停車駅は新今宮駅・天王寺駅であるが、大阪駅では両駅に停車する案内はされていなかった。 JR西日本は2023年8月24日に、同年10月23日より平日朝ラッシュ時間帯の加茂駅発大和路線区間快速2本に、有料座席サービス「快速 うれしート」(指定席)を導入すると発表した<ref name="ureseat">[https://www.westjr.co.jp/press/article/items/230824_00_press_uresheet.pdf 有料座席サービス「快速 うれしート」導入のお知らせ] - JR西日本ニュースリリース 2023年8月24日</ref>。なお、当該座席は天王寺駅から<!--「当線内」の表現では誤り。区間快速が大阪環状線を走行するのは新今宮駅からなので-->は無料開放(自由席)となる。 大和路快速は、大阪環状線の東半分(天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間)では列車番号は数字だけだが、西半分(大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間)および大和路線内では末尾にKがつく。区間快速は列車番号の末尾にYがつく。 天王寺始発で大阪環状線の内回りを1周し、再度天王寺駅を経由してから大和路線(関西本線)に直通する列車は、始発である天王寺駅の環状線ホームでは本来の種別及び行先を案内・表示せず<ref group="†">天王寺駅において本来の種別及び行先のまま案内をすると「環状線を1周してから大和路線に向かう列車」と「すぐに大和路線に向かう列車」が発車ホームの違いでしか区別をつけられない。</ref>、あたかも大阪環状線の内回りの普通列車であるかのように「'''普通 鶴橋・京橋方面'''」と案内されており、次駅の寺田町駅から本来の種別及び行先(「'''大和路快速 奈良'''」等)での案内・表示に変わる<ref>「大阪ステーションシティに集う転換式クロスシートの快速電車」『鉄道ジャーナル』2011年7月号、[[鉄道ジャーナル社]]、p.53。</ref>。 ==== 阪和線・関西空港線直通列車 ==== {{See also|関空快速・紀州路快速}} 大阪環状線と阪和線を直通運転する列車として、[[関空快速・紀州路快速]]・快速・[[阪和線#直通快速|直通快速]]が運転されている。関空快速・紀州路快速・快速は大阪環状線内の野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過し、直通快速は大阪環状線内は各駅に停車する。 日中と夜間は関空快速・紀州路快速が1時間に4本(15分間隔)運転されている。朝ラッシュ時の外回りは関空快速・紀州路快速の代わりに直通快速が運転される。 阪和線との直通運転は、[[1990年]][[3月10日]]から新大阪発[[新宮駅|新宮]]行きの[[紀勢本線#阪和線との直通運転|夜行快速列車]]が運転されたのが最初で、その後[[1994年]]9月4日に[[関西国際空港]]が開港したことにより、[[関西空港線]]直通列車として京橋駅 - 大阪駅 - [[関西空港駅]]間で[[関空快速・紀州路快速|関空快速]]の運転が開始された。当時の大阪環状線内の停車駅は、京橋駅・大阪駅・西九条駅・弁天町駅・新今宮駅・天王寺駅であったが、翌1995年4月20日から1999年5月9日まで、関空快速の停車駅のうち西九条駅・弁天町駅・新今宮駅を通過する「[[関空快速・紀州路快速#関空特快「ウイング」|関空特快ウイング]]」が運転されていた。和歌山方面では新大阪駅発着の快速のみであったが、1999年5月10日から京橋駅 - 日根野駅間で関空快速と併結する[[関空快速・紀州路快速|紀州路快速]]の運転を開始し、大阪環状線に乗り入れることとなる。 大阪環状線の天王寺駅発着の列車は、2008年3月14日までは早朝・深夜にのみ設定され、内回りでは京橋駅 → 大阪駅間でも快速運転も行っていたが、翌15日のダイヤ改正で天王寺駅の阪和線への連絡線が複線化されたことにより、朝ラッシュ時間帯に大阪環状線へ直通する列車が増発されて直通快速として運転されるようになると、大阪環状線を一周する列車が増加するとともに、関空快速・紀州路快速・快速は大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間で各駅に停車するようになり、快速通過駅での停車時刻の間隔が所々で広がっていた問題が解決された。さらに、2012年3月17日のダイヤ改正では日中のJRゆめ咲線直通列車が削減され、この時間帯の大半の列車が大阪環状線天王寺駅発着に変更されたため、京橋駅で折り返す列車は午前中・夕方の一部列車と深夜時間帯のみになっている。また夜間時間帯には[[日根野駅]]までの列車もある(種別上は快速)。 また、2003年10月4日から2006年3月12日までの土曜・休日ダイヤの朝に、鳳駅 - 天王寺駅 - 大阪駅 - 天王寺駅間では直通快速と同じ停車駅で、区間快速が運転されていた。車両は[[日根野電車区]](当時)の103系8両編成が使用されていた。 紀州路快速は一部の列車を除き、列車番号の末尾にHがつくが、関空快速と併結する大阪環状線内および阪和線天王寺駅 - 日根野駅間での列車番号末尾はMとなる。 天王寺始発で大阪環状線の内回りを1周し、再度天王寺駅を経由してから阪和線に直通する列車は、始発駅となる天王寺駅から次駅の寺田町駅まで[[#大和路線(関西本線)直通列車|大和路線(関西本線)直通列車]]と同様の案内体制が取られている。 ==== 特急列車 ==== [[1989年]]7月22日から、特急「[[くろしお (列車)|くろしお]]」が大阪環状線に乗り入れて[[新大阪駅]]または[[京都駅]]へと直通運転されるようになった。[[関西国際空港]]が開港した1994年9月4日からは、関西空港線直通の特急「[[はるか (列車)|はるか]]」も運転されている。過去には、[[1990年]]に臨時特急「[[サンダーバード (列車)#エキスポ雷鳥|エキスポ雷鳥]]」が、[[2000年代]]に臨時特急「[[サンダーバード (列車)#ユニバーサルエクスプレス|ユニバーサルエクスプレス]]」が、[[2010年]]に臨時特急「[[まほろば (列車)|まほろば]]」が、それぞれ運転された。 「くろしお」が直通運転を開始する前年の[[1988年]]に[[奈良市]]内で開催された「[[なら・シルクロード博覧会]]」会場への[[東海道新幹線|東海道]]・[[山陽新幹線]](新大阪駅)からのアクセス向上のため、西九条駅構内の配線を変更(大阪環状線と梅田貨物線との間に[[分岐器#形状による分類|渡り線]]を設置)した上で加茂駅・[[奈良駅]] - 湊町駅(現在の[[JR難波駅]])間の快速の一部を新大阪駅発着に変更して大阪環状線から梅田貨物線の直通運転を行ったが、翌1989年には天王寺駅構内における大阪環状線と阪和線との[[連絡線]]設置工事が完了したことにより、阪和線・紀勢本線に直通する特急列車の運転も可能となった。 ただし、大阪環状線内での特急列車の運行区間は、西半分側にある大阪駅 - 天王寺駅間のみ<ref group="†" name="umedakamotsu">このうち大阪駅 - 西九条駅間は並行する梅田貨物線、天王寺駅 - 新今宮駅間は関西本線の線路を経由し、環状運転の普通と同じ旅客線を走行するのは西九条駅 - 新今宮駅間のみである。臨時特急「ユニバーサルエクスプレス」は西九条駅を通過して桜島線に乗り入れたため、大阪環状線内は停車せず、また旅客線を走行していなかった。</ref>であり、2023年2月13日に梅田貨物線が地下新線に切り換えられるまで大阪駅を経由せず、切り換え後も同年3月17日までは大阪駅には停車しなかったためや、天王寺駅に全列車が停車する以外は同日まで一部の「くろしお」が西九条駅に停車するのみであったため、大阪環状線内において特急列車を利用できる機会は僅かであった<ref group="†">一時期、「はるか」も一部が西九条駅に停車していたが、現在は取り止められている。</ref>。同年3月18日からは特急列車が大阪駅(うめきたエリア)に停車するようになり、大阪駅では地下ホーム発着になるものの大阪駅 - 天王寺駅間で特急列車が利用可能になったが、すべての特急列車が通過するようになった西九条駅は利用できなくなっている。 ==== 大晦日終夜運転 ==== アーバンネットワークエリアでは一部の線区・区間を除いて[[大晦日]]から[[元日]]にかけての[[終夜運転]]が実施されているが、ここ最近では環状運転列車およびJRゆめ咲線との直通列車(いずれも普通)を両者合わせて10 - 30分間隔で運転し、大晦日から元日にかけて特別営業を行う[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]] (USJ) へのアクセスなどに活用されている。 [[2001年]]([[平成]]13年)3月の USJ の開業前、つまり[[2000年]](平成12年)[[12月31日]]から翌2001年[[1月1日]]にかけての終夜運転までは、普通が奈良駅 - 天王寺駅 - 西九条駅 - 大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間(いわば大和路快速のような運行形態)の形でおおむね30分間隔で運転されていた([[大和路線]]の項も参照)。 === 貨物列車 === [[ファイル:JRF seriesEF210 Umeda-freight.jpg|thumb|福島駅 - 西九条駅間を走行する貨物列車]] 福島駅 - 西九条駅間では、[[梅田貨物線]]を経由して毎日運転の列車が1日2往復と、特定曜日運休の列車が1日3往復運転されている。全列車が[[桜島線]][[安治川口駅]]発着である<ref>『貨物時刻表』2014 鉄道貨物協会</ref>。 かつて弁天町駅 - 大正駅間にあった境川信号場からは[[大阪臨港線]]と呼ばれる[[非電化]][[単線]]の貨物支線が分岐していた。[[大阪港]]からの貨物輸送を担っていたが、大阪臨港線のうち最後まで残っていた境川信号場 - [[浪速駅]]間は、貨物運送の衰退により[[2004年]]11月から休止となり、[[2006年]][[4月1日]]に廃止された。末期は1日2往復のダイヤが組まれていたが、扱い貨物がないため運休する日も多かった。 このほかにも、浪速駅から[[大阪港駅 (国鉄)|大阪港駅]]([[Osaka Metro中央線|地下鉄中央線]]の[[大阪港駅]]とは別)・[[大阪東港駅]]および、野田駅から[[大阪市場駅]]までの貨物支線を有していたが、いずれも[[1984年]]2月1日に廃止されている。 == 旅客案内 == [[File:JRW Kyobashi NewInfoBoard Testing.JPG|thumb|左側が運行管理システムに対応する試験稼働中の発車標、右側が旧式の発車標(京橋駅)]] かつて大阪駅・西九条駅・新今宮駅・天王寺駅以外の駅において、環状線ホームの[[発車標]]に発車時刻・乗車位置を表示する機能がないものが使用されてきたが、2009年10月4日の[[運行管理システム (JR西日本)|大阪環状・大和路線運行管理システム]]導入に伴い、発車時刻・乗車位置などのほかに列車の遅延表示を行う機能を持つ[[列車運行管理システム#概要|旅客案内情報処理装置]] (PIC) 対応の発車標が設置された。ただし、大阪駅の一部の発車標では関西本線・阪和線・関西空港線方面へ直通する快速列車のみ案内されている。 なお運行形態上、環状運転から区間運転へ移行する列車や、前述の通り他線区との直通列車が数多くあるため、途中で行先を変更する列車が存在する。 また、これまで[[島式ホーム]]である野田駅・福島駅・西九条駅・新今宮駅・天王寺駅と過去に島式ホームだった天満駅(現在は単式2本の2面2線ホーム)のみホーム番号が振り当てられていて、[[相対式ホーム]]にはホーム番号が振り当てられていなかった。大阪駅では環状線ホームのみ「環状内回りのりば」「環状外回りのりば」という名称であり番号ではなかったが、大阪駅改良工事に伴い、のりば番号が割り当てられたのをはじめ、2006年9月ごろから相対式ホームの駅にも順次のりば番号が割り当てられ、2008年3月に京橋駅を最後にすべての駅で完了した。 環状運転を行う電車の場合は、発車標では行先が「環状」と表示されていたが、2019年3月のダイヤ改正以降は323系電車と同じように、天王寺駅・鶴橋駅・京橋駅・大阪駅・西九条駅・新今宮駅の主要6駅から直近の2駅を使って「○○・△△方面」と表示するようになっている(例:大阪駅では内回りが「西九条・新今宮方面」、外回りが「京橋・鶴橋方面」と表示される)。この方式は[[山手線]]でも古くから用いられている。 乗車位置は、JR西日本の標準として、3ドア車が△印、4ドア車が○印で案内されており、201系が運行を終了した2019年6月以降は△印のみで案内されていたが、2021年2月6日より、大阪環状線とJRゆめ咲線(桜島線)に限り、323系で運行される列車(女性専用車両設定あり・ロングシート車)は○印、221系・223系・225系で運行される列車(トイレ付き・クロスシート車)は△印で案内されるように変更された<ref name="mynavi20210204">{{Cite web|和書|date=2021-02-04 |url=https://news.mynavi.jp/article/20210204-1694106/ |title=JR西日本、大阪環状線など発車標の「○」「△」表示変更 - 2/6から |website=マイナビニュース |publisher=マイナビ |accessdate=2021-02-13 }}</ref>。 === 発車メロディ === 各駅の環状線ホームには、[[車掌]]が扱う押ボタンスイッチがあり、発車直前に車掌がボタンを押すと内回り・外回りともに「ドアが閉まります。ドアが閉まります。ご注意ください」と放送されている。かつてはこのボタンを押すと、発車ベル(1999年 - 2003年の間は発車メロディ)の後に放送されていた。 [[1999年]]5月に[[発車メロディ]]と接近メロディ、入線メロディが各駅に順次導入された。これらは、「さわやかでシンプル」「八百八橋と川の流れ」をコンセプトとしたメロディであったが<ref>読売新聞大阪本社社会部『大阪環状線めぐり ひと駅ひと物語』東方出版、2003年、p.41。ISBN 978-4-88591-842-1。</ref>、[[2003年]]12月下旬から速達化による停車時間短縮のため、発車メロディの使用が各駅で順次停止された。 その後[[2014年]]3月から、JR西日本では「[[#大阪環状線改造プロジェクト|大阪環状線改造プロジェクト]]」の一環として、駅ごとに異なるメロディを導入することになった<ref name="jrw20140307">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/03/page_5302.html 平成26年3月15日(土曜日)ダイヤ改正に合わせて森ノ宮駅・京橋駅・西九条駅に発車メロディを導入し、賑わいを創出します!] - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2014年3月7日</ref><ref name="jrw20140331">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/03/page_5467.html 大阪駅の発車メロディ やしきたかじんさん「やっぱ好きやねん」に決定!] - 西日本旅客鉄道プレスリリース(2014年3月31日)2020年2月19日閲覧</ref>。導入された駅と曲は下表の通り。2014年3月15日のダイヤ改正から森ノ宮駅・京橋駅・西九条駅で、5月1日から大阪駅で使用開始し、残りの駅も2015年3月22日に使用開始した<ref name="jrw20150316">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/03/page_6940.html 『大阪環状線改造プロジェクト』進行中 大阪環状線発車メロディ全駅曲目決定!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース(2015年3月16日)2020年2月19日閲覧</ref>。 {|class="wikitable" style="font-size:90%" |+発車メロディ一覧<ref name="jrw20140331" /><ref name="mynavi20140310">[https://news.mynavi.jp/article/20140310-a406/ 「JR西日本、大阪環状線の京橋駅・森ノ宮駅・西九条駅に発車メロディを導入!」][[マイナビニュース]](2014年3月10日)2020年2月19日閲覧</ref><ref name="jrw20140307" /> |- !駅名 !使用曲 !備考 |-style="border-top:3px solid #e80000" ![[天王寺駅]] |[[あの鐘を鳴らすのはあなた]] |近くにある[[四天王寺]]の鐘にちなむ。地元天王寺区出身の歌手、[[和田アキ子]]の代表曲。 |- ![[寺田町駅]] |Life Goes On |大阪を拠点に活動するヒップホップグループ、[[韻シスト]]による書き下ろし曲。大阪環状線のイメージソング。 |- ![[桃谷駅]] |[[酒と泪と男と女]] |桃谷にゆかりのある[[河島英五]]の代表曲。 |- ![[鶴橋駅]] |[[ヨーデル食べ放題]] |駅周辺のイメージとして[[焼肉]]が定着していることにちなむ。[[桂雀三郎]]withまんぷくブラザーズの曲。 |- ![[玉造駅]] |[[メリーさんのひつじ]]<br />(アメリカ民謡) |高架下の商業施設「ビエラ玉造」で、窓枠を[[音階]]に見立てて同曲を表現していることにちなむ。 |- ![[森ノ宮駅]] |[[森のくまさん (曲)|森のくまさん]]<br />(アメリカ民謡) |駅名の「森」にちなむ。 |- !style="white-space:nowrap;"|[[大阪城公園駅]] |法螺貝<br />(オリジナル曲) |[[大坂の陣]]にちなむ。 |- ![[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]] |style="white-space:nowrap;"|[[大阪うまいもんの歌]]<br />(原曲:[[ゆかいな牧場]]〈アメリカ民謡〉) |駅周辺の「うまい」「賑やかさ」といったイメージにちなむ。 |- ![[桜ノ宮駅]] |[[さくらんぼ (曲)|さくらんぼ]] |大川の[[サクラ|桜]]や駅名の「桜」にちなむ。大阪出身の[[大塚愛]]の代表曲。 |- ![[天満駅]] |[[花火 (aikoの曲)|花火]] |[[大阪天満宮]]で夏に開かれる[[天神祭]]にちなむ。大阪出身の[[aiko]]の曲。 |- ![[大阪駅]] |[[やっぱ好きやねん]] |大阪を心から愛していた[[やしきたかじん]]の代表曲。 |- ![[福島駅 (JR西日本)|福島駅]] |[[夢想花]] |大阪環状線が周回運転することと、歌詞の「回って回って…」にちなむ。大阪出身の歌手兼タレント、[[円広志]]の代表曲。 |- ![[野田駅 (JR西日本)|野田駅]] |[[一週間 (ロシア民謡)|一週間]]<br />([[ロシア民謡]]) |近くにある[[大阪市中央卸売市場]]と、歌詞の「日曜日に市場へ出かけ」にちなむ。 |- ![[西九条駅]] |[[アメリカン・パトロール]]<br />([[フランク・W・ミーチャム|ミーチャム]]〈作曲〉) |[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン|USJ]]への乗換駅であることにちなむ。 |- ![[弁天町駅]] |[[線路は続くよどこまでも]]<br />([[アメリカ合衆国|アメリカ]]民謡) |かつて駅前に[[交通科学博物館]]があったことにちなむ。 |- ![[大正駅 (大阪府)|大正駅]] |[[てぃんさぐぬ花]]<br />([[沖縄音楽|沖縄県民謡]]) |沖縄文化色の濃いまちのイメージにちなむ。 |- ![[芦原橋駅]] |祭<br />(芦原橋太鼓集団「怒」〈作曲〉) |[[太鼓]]が盛んな駅周辺にちなむ。 |- ![[今宮駅]] |大黒様<br />([[文部省唱歌]]) |近くにある[[敷津松之宮|大国主神社]]にちなむ。 |- ![[新今宮駅]] |[[交響曲第9番 (ドヴォルザーク)|交響曲第9番「新世界より」]]<br />([[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]〈作曲〉) |近くにある[[新世界 (大阪)|新世界]]にちなむ。 |} === 路線記号を活用した案内 === 2014年度の[[駅ナンバリング|路線記号]]導入に合わせて、2015年3月14日のダイヤ改正から大阪環状線に直通する大和路快速・関空快速・紀州路快速に路線記号を活用した種別表示が行われている<ref>[http://railf.jp/news/2015/03/16/153000.html 「JR西日本で路線記号の本格使用が始まる」]『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』交友社 railf.jp鉄道ニュース、2015年3月15日。</ref>。大阪環状線に直通する列車は、赤色のラインカラーに大阪環状線の路線記号 '''O''' を表示した種別幕が、関西空港行きの列車は、青色のラインカラーに関西空港線の路線記号 '''S''' と飛行機マークを表示した種別幕が、和歌山方面行きの列車は、橙色のラインカラーに阪和線の路線記号 '''R''' を表示した種別幕が、奈良方面行きの列車は、緑色のラインカラーに大和路線の路線記号 '''Q''' を表示した種別幕が、JRゆめ咲線方面行きの列車には紺色のラインカラーにJRゆめ咲線の路線記号 '''P''' が入った種別幕が使用されている<ref name="jrw20140806" />。 <gallery> File:Osaka Loop Line Syubetsu Maku.jpg|大阪環状線の種別幕「O」 File:Yumesaki Line LED 201 Houkomaku.jpg|ゆめ咲線の行先表示「P」 File:-_Q_-_Yamatoji_Rapid_Service.jpg|大和路快速の種別幕「Q」 File:Hanwa Line Houkoumaku.jpg|阪和線の種別幕「R」 File:-_S_-_Kansai Airport Rapid Service.jpg|関空快速の種別幕「S」 </gallery> === 女性専用車 === {|style="width:15em;float:right;margin:0em 0em 0em 1em;border:1px solid #999;font-size:85%" |style="background-color:#eee;text-align:center;border-bottom:solid 4px #e80000"|女性専用車 |- |{{TrainDirection|外回り先頭|内回り先頭}} |- | {|class="wikitable" style="border:1px;font-size:85%;text-align:center;margin:0em 0em 0em 0.5em" |- |style="width:2em"|8 |style="width:2em"|7 |style="width:2em"|6 |style="width:2em"|5 |style="width:2em; background:#fcf"|4 |style="width:2em"|3 |style="width:2em"|2 |style="width:2em"|1 |} |} 平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで、323系8両編成の4号車に[[女性専用車両|女性専用車]]が設定されている。対象車両および乗車位置には、女性専用車の案内表示が設置されている。なお阪和線・大和路線直通列車には設定はない<ref group="†">設定のある列車(普通・区間快速・快速)は大阪環状線に直通せず、設定区間も阪和線・大和路線内のみ。</ref>。 大阪環状線では2002年7月1日より平日の始発から9時まで、大阪環状線を周回運転する列車に限って試験的に導入し<ref name="jrw_20020515">[https://web.archive.org/web/20020808071511/http://www.westjr.co.jp/news/k020515.html 2002年5月定例会見](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2002年5月15日</ref>、同年10月1日から本格的に導入した。その後、同年12月2日からは平日の17時から21時までの時間帯についても女性専用車の設定を行った<ref name="jrw_20021007">[https://web.archive.org/web/20021203004309/http://www.westjr.co.jp/news/021017a.html 〜より快適な車内環境をめざして〜「女性専用車」を拡大します](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2002年10月7日</ref>。 2011年4月18日からは、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった<ref name="jrw_20110304">[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175252_799.html 女性専用車の全日化・終日化について] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20110918003636/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175252_799.html |date=2011-09-18}}・[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175270_799.html 車両保守部品の不足に伴う列車運転計画の見直しについて] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20111216182135/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175270_799.html |date=2011-12-16}} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2011年3月4日・2011年4月6日</ref>。 == 利用状況 == 1995年では136万人の利用があったが、<!--その後[[大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線]]や[[JR東西線]]、[[阪神なんば線]]といった新規路線が開業したこともあり、→出典に要因まで書いていない。-->2012年では108万人に減少している<ref>[https://www.sankei.com/article/20140408-M3OBSFMV3ZJ4FMQLFFEU73ARD4/3/ 「暗い・汚い・ボロい」大阪環状線“改造プロジェクト”で「山手線」になれるか]『[[産経新聞]]』2014年4月8日</ref>。2019年度の1日の平均通過人員は292,574人である<ref>{{PDFlink|[https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2020_08.pdf データで見るJR西日本2020 - 区間平均通過人員および旅客運輸収入(2019年度)]}} - 西日本旅客鉄道</ref>。並行するOsaka Metro御堂筋線の260,840人、Osaka Metro谷町線の100,723人と比べて多い。 旧城東線区間となる天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間(以下、東半分)と大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間(以下、西半分)とで性格に大きな違いが見られ、利用者の多くは京阪本線や片町線(学研都市線)の京橋駅、近鉄奈良線・大阪線の鶴橋駅といった郊外路線と連絡する東半分に集中する。そのため、東半分を折り返し運転する区間列車が環状線成立後も多く設定されており、運転密度も高く近隣も商業地・住宅地として開発が進んでいる。 他方、西半分は運転密度が低く、利用者数も伸び悩んでいたが、[[1973年]]から関西本線(大和路線)との直通列車、[[1989年]]から特急「くろしお」などの阪和線との直通列車、[[1994年]]の関西国際空港開港後は関空特急「[[はるか (列車)|はるか]]」や[[関空快速・紀州路快速|関空・紀州路快速]]などの快速列車が天王寺駅東方から大阪環状線に乗り入れるようになり、運転密度は上昇した。ただし、優先運行される[[特別急行列車|特急]]や快速列車が通過する駅では逆に不便なダイヤとなり、西半分の駅 - 東半分の駅間の天王寺駅経由での移動も不便になった。その一方、快速停車駅では利便性が向上し、弁天町駅付近には[[高層ビル]]や[[超高層マンション|タワーマンション]]が立ち並ぶようになり、大正駅と西九条駅は[[大阪ドーム]]と[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]のオープン以来土曜・休日の利用者が増加傾向にある。また、大和路・関空・紀州路などの快速列車の増発による西半分の高速化は、乗り換え不要で運賃が安いこともあって、大阪駅 - 天王寺駅間の移動における環状線利用増に貢献している。 == 大阪環状線改造プロジェクト == 2013年3月13日に発表されたJR西日本の中期経営計画において、線区価値の向上、都市の魅力向上の重点線区に選定され、2017年度までの5年間で、駅の改良・美化、車両の新製<!--中期経営計画での表現ママ。辞書にも掲載されている語のようですが http://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E8%A3%BD-->、高架下・駅周辺の開発などが計画され<ref name="jrw_plan_2017">{{PDFlink|1=[http://www.westjr.co.jp/company/info/plan/pdf/plan_2017.pdf#page=12 JR西日本グループ中期経営計画2017]}} - 西日本旅客鉄道、2013年3月13日。</ref><ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2013/03/page_3464.html 3月定例社長会見] - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2013年3月13日。</ref>、2013年12月24日から「大阪環状線改造プロジェクト」がスタートした<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2013/12/page_4978.html 「大阪環状線改造プロジェクト」スタート!] - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2013年12月24日。</ref>。 このプロジェクトでは、大阪環状線を「行ってみたい」「乗ってみたい」線区に改造し、ハード面とソフト面の取り組みでイメージアップを図り、大阪環状線の利用を拡大し、大阪の活性化を目指す取り組みである。大阪環状線の駅19駅を19の点でシンボル化し、赤(線区カラー)とオレンジ(車両カラー)で表現した円をイメージしたロゴマークと、お客様満足度二重丸を目指すという思いを込めた「みんなの◎に」というキャッチコピーも制定されている。 このプロジェクトは、以下の重点施策によって行われている。 # 安全快適な駅づくり(駅美装・改良) #* 「明るい、きれい、わかりやすい」を基本コンセプトに、全駅の美装・改良(森ノ宮駅から順次実施<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/07/page_5951.html 「大阪環状線改造プロジェクト」進行中! 大阪環状線 森ノ宮駅改良 ホーム上の「コミュニケーションスペース」完成・駅舎外観イメージ決定] - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2014年7月28日。</ref>) #** 美装・改良された駅には、[[駅名標]]、時刻表、路線図、乗り換え・出口案内を集約させたインフォメーションボードを設置しているほか、縦型の駅名標の上にロゴマークが表記されている。 #* トイレを集中的に改良<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/09/page_6215.html 「大阪環状線改造プロジェクト」大阪環状線トイレ改良計画進行中!! 9月27日、大阪城公園駅のトイレがリニューアルオープン] - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2014年9月24日。</ref> # 駅構内及び高架下の開発・リニューアル #* 駅構内・高架下・駅周辺の魅力向上を目指して、生活基盤の充実や、周辺地域の活性化に向けた開発を実施(玉造駅周辺の開発<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/02/page_5189.html 「大阪環状線改造プロジェクト」進行中! JR玉造駅に「ビエラ玉造」が平成26年3月18日(火曜日)オープン!] - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2014年2月18日。</ref>、弁天町駅交通科学博物館跡地の開発) # 車両新製 #* 「安全・安心の向上」「機器の信頼性向上(安定輸送)」「情報提供の充実」「人に優しい快適な車内空間」などを重視し、2017年度までに投入 #** プロジェクト発表時点では形式が未定だったが、2014年12月8日に[[JR西日本323系電車|323系]]として車両の概要と、2016年度から2018年度にかけて順次投入し、[[国鉄103系電車|103系]]と[[国鉄201系電車|201系]]を置き換える計画が発表された<ref name="jrw_20141208">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/12/page_6517.html 『大阪環状線改造プロジェクト』進行中! 大阪環状線に新型車両「323系」を投入! 安全性とサービス水準を高めた新しい車両が登場します] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2014年12月8日</ref>。 #**なお、プロジェクト発表時、大阪環状線では103系や201系といった4ドア車と[[JR西日本221系電車|221系]]・[[JR西日本223系電車|223系]]・[[JR西日本225系電車|225系]]といった3ドア車が混在していたが、新型車両投入にあたっては、ドア数も検討項目に挙がっていたことから、2014年2月17日から21日までの朝通勤時間帯に3ドアの車両が集中運用された(17日・18日は外回り、19・20日は内回り、21日は両方向で実施)<ref name="jrw_20140207">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/02/page_5142.html 大阪環状線 朝通勤時間帯の使用車両変更のお知らせ] - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2014年2月7日。</ref><ref>[https://news.mynavi.jp/article/20140208-a019/ JR西日本、大阪環状線で3ドア車両を集中運用 - 新型車両投入の検討項目に] - マイナビニュース、2014年2月8日。</ref>。この集中運用により、223系や225系が営業列車として桜島線(JRゆめ咲線)直通列車にも使用された<ref>[http://railf.jp/news/2014/02/22/121000.html 「223系・225系が桜島線に入線」]『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2014年2月22日</ref>。この実験の結果、3ドア車で検討が進められていると報道され<ref>[http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140511/waf14051114330014-n1.htm 「乗車位置△・◯が一つに、JR大阪環状線3ドア車で統一へ 平成29年度着手」]『産経新聞』2014年5月11日</ref>、新型車両は3ドア車で製造すると発表された。 # 地域や他交通事業者との連携 #* 鉄道施設の美化による街の美観促進・魅力発信を実施し、自治体や他交通事業者との連携強化、地域住民との連携により線区価値の向上を目指す<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/07/page_5953.html 「大阪環状線改造プロジェクト」大阪環状線高架下アート計画 進行中!] - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2014年7月29日。</ref>。 このほかにも、全駅へ[[#発車メロディ|発車メロディ]]が順次導入されたほか<ref name="jrw20140307" /><ref name="jrw20150316" />、沿線風景や名所・祭事などをモチーフにデザインした[[ラッピング車両|ラッピング列車]]「OSAKA POWER LOOP」が2014年6月1日から2017年9月7日まで運転された<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/05/page_5659.html 「大阪環状線改造プロジェクト」進行中! ラッピング列車「OSAKA POWER LOOP」が登場します!] - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2014年5月20日。</ref><ref name="railf2017-09-07">[http://railf.jp/news/2017/09/08/163000.html 大阪環状線で103系「OSAKA POWER LOOP」の運転終了] - 『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』[[交友社]] railf.jp鉄道ニュース、2017年9月8日。</ref>。デザインは、[[FM802]]が主催しているアーティスト発掘プロジェクトに参加しているうち8名が携わった<ref>[http://response.jp/article/2014/05/21/223654.html JR西日本とFM802、大阪環状線でコラボラッピング列車運転] - Response.、2014年5月21日。</ref>。また、2014年9月28日には天満音楽祭とコラボレーションした音楽列車「TEN-ON ぐるKAN LIVE」が運転された<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2014/04/page_5603.html 「大阪環状線改造プロジェクト」進行中! 環状線「初」の音楽列車 「天満音楽祭」環状線ぐるっとライヴ開催決定!] - 西日本旅客鉄道プレスリリース、2014年4月28日。</ref><ref>[http://railf.jp/news/2014/09/29/150000.html 「大阪環状線でライヴ列車運転」]『鉄道ファン』[[交友社]] railf.jp鉄道ニュース、2014年9月29日。</ref>。2017年10月15日には323系初の車内イベント列車として天満音楽祭とコラボレーションしたイベント列車「ぐるKANブラス」が運行される<ref>[https://www.westjr.co.jp/press/article/2017/07/page_10831.html 「天満音楽祭」×「大阪環状線改造プロジェクト」 新型車両323系「初」の車内イベント 車内吹奏楽ライヴ「ぐるKANブラス」開催決定!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2017年7月21日</ref>。2019年4月1日からは[[サンリオ]]のキャラクター「[[ハローキティ]]」とのコラボレーションイベント「HELLO! LOOP PROJECT」が、当プロジェクトの一環として実施されている。期間中は「ハローキティ 環状線トレイン」の運行や、主要駅へのフォトスポットの設置などが行われる<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2019/03/page_14075.html 「大阪環状線改造プロジェクト」進行中 ハローキティといっしょにめぐる、大阪環状線の旅] - 西日本旅客鉄道・サンリオ 2019年3月26日</ref>。 このプロジェクトが「323系と大阪環状線改造プロジェクト」として、2016年9月29日に2016年度[[グッドデザイン賞]](移動用機器・設備部門)を受賞している<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/09/page_9309.html 「323系と大阪環状線改造プロジェクト」が2016年度グッドデザイン賞を受賞!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2016年9月29日</ref><ref>[http://www.g-mark.org/award/describe/43917 鉄道車両 [323系と大阪環状線改造プロジェクト]|受賞対象一覧] - 日本産業デザイン振興会</ref>。 <gallery> 大阪環状線323系電車および103系電車.jpg|323系電車(左)と103系電車(右) JRW series103 Osaka Loop-OSAKA POWER LOOP.jpg|2014年6月から2017年9月まで運行された「OSAKA POWER LOOP」ラッピング車 JRW Infomationboard.jpg|新設されたインフォメーションボード(森ノ宮駅) JRW series225 OsakaLoop.jpg|3ドア集中運用の影響で桜島線に直通する225系5000番台 JRW VIERRA Tamatsukuri.jpg|玉造駅の電車形の商業施設「ビエラ玉造」 </gallery> == 使用車両 == 本節では、大阪環状線で使用される、または使用された車両について記述する。なお、貨物列車については、牽引機関車([[JR貨物M250系電車|貨物電車のM250系]]を含む)のみを記述する。 === 現在の使用車両 === ==== 旅客列車 ==== 以下はすべて[[電車]]である。 ===== 普通・快速列車用 ===== すべて3ドア車で運行されている。座席は323系がロングシート、それ以外の車両はクロスシートである。 ====== 大阪環状線・桜島線内用 ====== [[吹田総合車両所]]森ノ宮支所(旧・[[森ノ宮電車区]])所属車両が使用される。 ; [[JR西日本323系電車|323系]] : 8両固定編成であり、大阪環状線・桜島線内の普通に使用される。[[#大阪環状線改造プロジェクト|大阪環状線改造プロジェクト]]の一環で投入された車両で、2016年12月24日に営業運転を開始した<ref name="raifjp20161225">[http://railf.jp/news/2016/12/25/201500.html 323系が営業運転を開始] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2016年12月25日</ref><ref>[https://news.mynavi.jp/article/20161225-a146/ 「大阪環状線新型車両323系、日中3編成で活躍 - JRゆめ咲線(桜島線)も初運行」] マイナビニュース、2016年12月25日</ref>。以後、順次103系と201系をすべて置き換え、2019年6月8日に8両編成22本176両<ref group="†">当初は21本投入予定だったが、桜島線の輸送力増強のため1本追加された。</ref>の投入が完了した<ref name="jrwest20190510" />。 <gallery> Series323-LS05.jpg|323系 </gallery> また、車内広告を1社で独占して掲出している[[広告貸切列車]]として使用されている車両もある。8両編成の広告貸切列車は '''Loopack'''(ルーパック)と呼ばれ、過去にはヘッドマークを掲出していた時期もあり、特に毎年10月には8020推進財団が広告主となっている列車について、[[8020運動]]の普及啓発を行う「8020号」の特製ヘッドマークが掲出されている。 ====== 大和路線直通列車用 ====== 吹田総合車両所奈良支所(旧・[[奈良電車区]])所属車両が使用される。 ; [[JR西日本221系電車|221系]] : 8両編成(一部は4両編成を2編成連結)が用いられる。主に大和路線直通の大和路快速・区間快速で使用される。 : また、朝ラッシュ時に大阪環状線の普通列車の運用にも就いている。 : 2000年3月から2010年12月まで深夜の新大阪駅発快速[[御坊駅]]行き(2010年3月までは[[紀伊田辺駅]]行き)として、阪和線・[[紀勢本線]]に直通する列車にも使用されていた。この列車は前4両が御坊行き、後ろ4両が[[日根野駅]]で切り離されていた<ref group="†">2010年のダイヤ改正前(即ち紀伊田辺駅行きだった頃)は、後ろ4両は日根野駅ではなく[[和歌山駅]]で切り離していた。</ref>。 <gallery> Series221-NB806.jpg|221系 </gallery> ====== 阪和線・関西空港線直通列車用 ====== 吹田総合車両所日根野支所(旧・[[日根野電車区]])所属車両が使用される。 ; [[JR西日本223系電車|223系]](0、2500番台)・[[JR西日本225系電車|225系]](5000、5100番台) : 8両編成(4両編成を2編成連結)が用いられる。主に阪和線直通の関空快速・紀州路快速・直通快速で使用される。なお、この2系式は共通運用となっている。 : 223系の運用開始当初は大阪環状線内を6両で運転(朝や昼間に天王寺駅でJR難波発着の2両編成と分割併合)されていたが、1999年5月の紀州路快速の設定時に5両+3両の8両編成となり、2008年3月14日から現行の編成となっている。 <gallery> Series223-102.jpg|223系0番台 Series223-2504.jpg|223系2500番台 Series225-5006.jpg|225系5000番台 JRW 225-5100 set HF435 + 223-2500 set HE416 Kishuji Rapid.jpg|225系5100番台 </gallery> ===== 特急列車 ===== 吹田総合車両所日根野支所(旧・[[日根野電車区]])および吹田総合車両所京都支所(旧・[[京都総合運転所]])所属車両が使用される。本節で特に記述なければ日根野支所所属。 ; [[JR西日本281系電車|281系]]・[[JR西日本271系電車|271系]] : 基本6両・増結3両編成が阪和線・関西空港線直通の特急「[[はるか (列車)|はるか]]」に使用される。 ; [[JR西日本283系電車|283系]]・[[JR西日本287系電車|287系]] : 基本6両・増結3両編成が阪和線・紀勢線直通の特急「[[くろしお (列車)|くろしお]]」に使用される。 ; [[JR西日本683系電車#289系|289系]] : 京都支所所属の基本6両・増結3両編成が阪和線・紀勢線直通の特急「くろしお」に使用される<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2015/04/page_7100.html |title=「くろしお」「こうのとり」「きのさき」「はしだて」へ289系(683系)車両を投入します |publisher=西日本旅客鉄道株式会社 |date=2015-04-28 |accessdate=2016-09-17}}</ref>。 <gallery> JRW series271-4 Hanwa Haruka.jpg|271系 Series281 Hanwa Line.jpg|281系 283系オーシャンアロー.jpg|283系 JRW series287 Kinokuni.jpg|287系 JR-Series289-Hanwa-Line.jpg|289系 </gallery> ==== 貨物列車 ==== 福島駅付近から西九条駅までを併走する[[梅田貨物線]]を経由し、桜島線(JRゆめ咲線)[[安治川口駅]]貨物ヤードを結ぶ貨物列車の牽引機として運用される。 * 電車 ** [[JR貨物M250系電車|M250系]]「スーパーレールカーゴ」(Super Rail Cargo) * 電気機関車 ** [[国鉄EF65形電気機関車|EF65形]](不定期のみ) ** [[国鉄EF66形電気機関車|EF66形]] ** [[JR貨物EF210形電気機関車|EF210形]] === 過去の使用車両 === ==== 旅客列車 ==== * 電車 ** [[国鉄72系電車|72系]] ** [[国鉄101系電車|101系]] **: 大阪環状線全通の1961年4月25日から1985年3月、1989年6月から1991年3月16日まで使用されていた。車体色は橙色({{Legend2|#C16543|[[朱色1号]]}}、オレンジバーミリオン)。末期は森ノ宮電車区に桜島線用の6両2本のみ配置されており、車両送り込みのための京橋駅 - 桜島駅および、森ノ宮駅 - 天王寺駅(折り返し) - 大阪駅 - 桜島駅の運用で大阪環状線を走った。末期の編成は6両オール電動車であるが、中間のユニットはパンタを降ろして付随車代用で使用されていた。また、2編成とも前後の2両ずつ4両のみ冷房車であった<ref group="†">101系の冷房編成は1977年に冷房改造された当初は全車冷房車だったが、1986年に中間の冷房付サハ101形がサハ103形750番台に改造されたため、代わりに首都圏から廃車予定の非冷房モハユニットを転属させて組み込み、付随車代用として使用された(その車両は廃車されるまで冷房改造は一切行われなかった)。</ref>。1991年のATS-P設置に際して引退が決まり、同年4月28日の大阪環状線全通30周年イベントで、動く[[パビリオン]]「歴史電車」として運用されて運転を終了した<ref name="yomiuri_19910429">「『101系』"最終電車" /大阪・JR天王寺駅」『読売新聞』1991年4月29日</ref>。 ** [[国鉄103系電車|103系]] **: 森ノ宮支所所属の8両固定編成が用いられていた。車体色は橙色({{Legend2|#C16543|[[朱色1号]]}}、オレンジバーミリオン)。大阪環状線・桜島線内の普通に使用されていた。 **: 1969年に投入され、長きにわたって大阪環状線の主力車両であったが、2005年 - 2007年の網干総合車両所からの201系転入、2007年の体質改善車転入で日根野電車区(当時)へ多数の車両が転出した。このため2011年には[[MT比]]4M4Tの8両編成は5編成にまで減少している<ref>「大阪中心部のJR線事情」『鉄道ダイヤ情報』2011年5月号、交通新聞社</ref>。 **: 2014年6月1日から2017年9月7日まで「OSAKA POWER LOOP」[[ラッピング車両|ラッピング編成]]が運行されていた<ref>[http://railf.jp/news/2014/06/02/110000.html 103系に「OSAKA POWER LOOP」ラッピング]『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2014年6月2日</ref><ref name="railf2017-09-07"></ref>。また大和路線直通の区間快速としての運用も存在したが、2016年10月3日より奈良支所所属の221系に置き換えられて、廃止されている。 **: 桜島線内への送り込み運用は6両編成(USJ開業直前は一時4両編成)であったが、2012年3月17日のダイヤ改正から、8両編成で運転されている<ref name="jrw_20111216k">{{PDFlink|[https://web.archive.org/web/20120104110534/http://www.westjr.co.jp/press/article/items/20111216_kinki.pdf 平成24年春ダイヤ改正について]}} - 西日本旅客鉄道近畿統括本部プレスリリース 2011年12月16日(2012年1月4日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])</ref>。 **: 車両の老朽化が進んだことやドア数の統一目的のため、2016年からは323系に順次置き換えられ、2017年9月の時点ではLA4編成の8両1本のみが残る状況となり、形式名に因んで同年10月3日をもって大阪環状線での運用を終了した<ref name="jrwest20170905">{{Cite web|和書|date=2017-09-05 |url=http://www.jr-odekake.net/railroad/osakaloop_kaizou/detail.php?id=36 |title=大阪で48年間走ったオレンジ色の電車 大阪環状線103系勇退 |publisher=JRおでかけネット |accessdate=2017-10-03}}</ref><ref name="asahi2017-09-05">{{Cite news |url=http://www.asahi.com/sp/articles/ASK955143K95PTIL00J.html |title=大阪環状線「103系」、引退は10月3日 新型と交代 |newspaper=朝日新聞 |date=2017-09-05 |accessdate=2017-09-05}}</ref><ref name="raifjp20171003">[http://railf.jp/news/2017/10/03/202000.html 大阪環状線での103系の運用が終了] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2017年10月3日</ref>。 **: かつては奈良支所所属で車体色が黄緑色({{Legend2|#7BAB4F|[[黄緑6号]]}}、ウグイス)の8両編成(4両編成を2本連結)が大和路線直通の区間快速として運用されていたが、2016年10月3日より221系に置き換えられている<ref>[http://railf.jp/news/2016/10/01/201500.html 奈良支所所属の103系による大阪環状線の乗り入れが運用終了] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース、2016年10月1日。</ref>。 ** [[国鉄201系電車|201系]] **: 森ノ宮支所所属の8両固定編成が用いられていた。車体色は橙色({{Legend2|#C16543|[[朱色1号]]}}、オレンジバーミリオン)。大阪環状線・桜島線内の普通に使用されていた。 **: JR京都線・神戸線で2005年12月1日から[[JR西日本321系電車|321系]]の投入が開始された際に転入したもので、同年12月15日から大阪環状線で運用を開始した。最初に運用を開始した[[網干総合車両所]]のC2編成は車体色が水色({{Legend2|#00859E|[[青22号]]}}、スカイブルー)のままで運用されたが、のちに橙色となった編成も運用されるようになり、2008年末からすべて橙色に変更された<ref>[https://railf.jp/news/2008/12/26/184000.html 「スカイブルーの201系が関西から消滅」]『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2008年12月26日</ref>。 **: 103系のUSJ[[ラッピング車両|ラッピング]]を引き継いで、2012年10月17日にLB6編成が<ref>[http://railf.jp/news/2012/10/18/150000.html 201系LB6編成が「ユニバーサル・ワンダーランド号」に]『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2012年10月18日</ref>、2013年2月1日にLB15編成が<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2013/01/page_3192.html ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに2014年後半オープン予定「ハリー・ポッター」のテーマパークをモチーフにデザインされた新ラッピング列車2013年2月1日(金曜日)よりJRゆめ咲線で運行スタート]- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2013年1月31日</ref><ref>[https://railf.jp/news/2013/02/02/165500.html 201系LB15編成に「ハリーポッター」のラッピング]『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2013年2月2日</ref>それぞれUSJラッピングとなっていた。 **: 103系同様大和路線直通の区間快速運用が存在したが、2016年9月30日をもって廃止された。 **: 車両の老朽化が進んだことやドア数の統一目的のため、2016年からは323系に順次置き換えられ、2017年度から廃車や6両編成に減車した上で奈良支所への転属が発生している。 **: 2019年3月16日のダイヤ改正から桜島線内運用と直通運転のみとなり、2019年6月7日限りで営業運転を終了した<ref name="jrwest20190510" /><ref name="mynavi20190607">[https://news.mynavi.jp/article/20190607-osakaloopline201/ JR西日本、大阪環状線201系ラストラン - 京橋行で無事に運行終える] - マイナビニュース、2019年6月7日</ref><ref name="railfjp20190608">[https://railf.jp/news/2019/06/08/200000.html 大阪環状線・桜島線からオレンジ色の201系が引退] - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2019年6月8日</ref>。 ** [[国鉄113系電車|113系]](奈良電車区・日根野電車区) **: 奈良電車区所属車両は1973年の関西本線奈良駅 - 湊町駅(現在の[[JR難波駅]])間が電化された際に、同線へ直通する快速として運用を開始。1989年3月13日のダイヤ改正で大和路快速が設定されてからは221系への置き換えが始まり、1989年7月20日に大和路線の運用を終了した。 **: 日根野電車区所属の車両は早朝、新大阪駅発着の[[梅田貨物線]]経由阪和線・紀勢本線直通の快速列車として、大阪環状線では西九条駅 - 新今宮駅間を4両編成で運行していた。2011年12月10日までに運用を終了した<ref>[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2011/12/jr1134_1.html 「日根野電車区113系4連が定期運用終了」]鉄道ホビダス [[ネコ・パブリッシング]] RMニュース 2011年12月12日 </ref>。 ** [[国鉄165系電車|165系]] **: 1990年3月から2002年3月まで、深夜の新大阪駅発の梅田貨物線経由阪和線・紀勢本線直通の快速列車新宮駅行き(2000年10月からは紀伊田辺駅行き)で使用されていたが、老朽化のため221系に置き換えられた。 ** [[国鉄485系電車|485系]] **: 1990年4月から9月まで、[[国際花と緑の博覧会|花の万博]]アクセスのため梅田貨物線・大阪環状線経由で京橋駅へ乗り入れた臨時特急「[[サンダーバード (列車)#エキスポ雷鳥|エキスポ雷鳥]]」で使用。 ** [[国鉄381系電車|381系]] **: 1989年7月22日から大阪環状線に乗り入れた特急「くろしお」「スーパーくろしお」で2015年10月30日まで使用されたほか、2011年3月12日のダイヤ改正で廃止された「[[やまとじライナー]]」や、2010年4月から6月まで運行された臨時特急「[[まほろば (列車)|まほろば]]」としても運用された。 <gallery> 1991-4-28-osakaloopline-30th.jpg|101系 大阪環状線30周年「歴史電車」 Series103 LA4.jpg|103系 Sakurajima line Series201.jpg|201系 </gallery> ==== 貨物列車 ==== * 電気機関車 ** [[国鉄EF81形電気機関車|EF81形]] ** [[JR貨物EF200形電気機関車|EF200形]] * ディーゼル機関車 ** [[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10形]] == 歴史 == [[File:JNR201 Osaka-Loop's 50th anniversary celebration.JPG|thumb|大阪環状線開業50周年を記念して、ヘッドマークが付けられた201系。大阪駅にて撮影。]] 大阪環状線は、[[大阪鉄道 (初代)|大阪鉄道]](初代)により建設された[[関西本線]]の今宮駅 - 天王寺駅間、同じく大阪鉄道(初代)により建設された天王寺駅 - 玉造駅 - 大阪駅間の城東線、[[西成鉄道]]により建設された西成線の大阪駅 - 西九条駅間、[[鉄道省]]により建設された関西本線貨物支線([[大阪臨港線]])の境川信号場 - 今宮駅間を元に、未成区間の西九条駅 - 境川信号場間を[[日本国有鉄道]](国鉄)が繋いで成立した環状路線である。その関係で、国鉄時代は境川信号場 - 天王寺駅間は天王寺鉄道管理局の管内で、残りが大阪鉄道管理局の管内とされた。 関西本線・城東線・西成線の開業当時、関西本線は[[木津村 (大阪府)|木津村]]・[[今宮町|今宮村]]・[[天王寺村]]の集落を迂回する必要があり、市街地からやや南へ離れてしまい、城東線は[[四天王寺]]・[[大坂城|大坂城址]]といった建造物や天王寺村・[[清堀村]]・[[玉造 (大阪市)|玉造町]]の集落を迂回するため、市街地から大きく東へ離れてしまった。西成線は比較的市街地に近接していたが、船舶の出入が多いため橋が1本もない[[旧淀川|安治川]]右岸を通っており、基本的には臨港路線だった。 もともとの市街地が海に面していない大阪では、もとから海に面した市街地である東京と比べて海側への鉄道敷設が容易でありそうなものだが、[[大阪湾]]と大阪市街を結ぶ二大水路の安治川および[[木津川 (大阪府)|木津川]]への架橋が、船舶の出入の多さから事実上不可能という問題があり、大阪鉄道(初代)の大阪駅乗り入れが城東線ルートになったのも、この問題に一因があった。1897年に[[大阪港#築港|大阪港(築港)]]の埋立造成が開始され、その完工を目前に控えた1928年の大阪臨港線開業時に木津川への架橋は実現したが、安治川への架橋は1961年の大阪環状線開業まで実現することはなかった。 このように、大阪市街の東半分を取り囲む関西本線および城東線がどちらも市街地から離れたところに敷設されたため、現在の私鉄各社に加えて[[片町線]]や当の関西本線ですら現在の大阪環状線の内側(それらは明治期、市街地の端でもあった)にターミナルを設置することとなり、環状線の構想に至るには市街地の拡張を待つ必要があった。[[大正]]初期までに開業した私鉄(元私鉄を含む)の大阪側ターミナルは[[難波駅 (南海)|難波駅]]・[[JR難波駅|湊町駅]](現・JR難波駅)・[[片町駅]]・[[汐見橋駅]]・[[天王寺西門前駅]]・[[大阪梅田駅 (阪神)|阪神梅田駅]]・[[天満橋駅]]・[[恵美須町駅]]・[[大阪上本町駅]]など、ほとんどが現在の大阪環状線の内側に位置するもので、[[大阪梅田駅 (阪急)|阪急梅田駅]]も当初は内側(現在の[[阪急百貨店うめだ本店]]の位置)にあった。当時は城東線も西成線もまだ電化されておらず、それらのターミナルと大阪市の中心市街地との間の輸送は専ら[[大阪市電]]が担っていた。 大正末期に至って城東線・西成線の内側は一部を除いて市街化され(時期を同じくして城東線・西成線が通る地域はすべて大阪市に編入された)、[[大阪鉄道 (2代目)|大阪鉄道]](2代目、現・近鉄南大阪線)と[[阪和電気鉄道]](現・JR阪和線)は天王寺駅にターミナルを構えるに至った。環状線の構想も戦前には持ち上がったが、上述のとおり船舶の出入が多い安治川への架橋に対して反対運動があり、計画が具体的に進むことはなかった。また、[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]・[[銀座]]といった[[オフィス街]]・[[繁華街]]に近接し、[[東京駅]]が開業するなど、発足時の東京市域を縦断する経路で未成区間が解消された東京市(当時)の海側と異なり、一部レジャー施設と新興住宅地を除いて工業地帯・港湾施設が広がる大阪市の海側に十分な利用者数が見込めるのかという疑問も残った。 しかし、[[戦災復興都市計画]]によって環状線建設が立案施行されることになった。第二次世界大戦直後と高度経済成長期の2度にわたって大阪市長を務めた[[中井光次]]は、海側の未成区間への新線敷設と港区・大正区における旅客駅の開設に尽力し、1953年に大阪環状線建設促進協議委員会が発足、1956年3月20日には大阪市内環状線として起工式が挙行された。それでもなお、[[安治川橋梁 (大阪環状線)|安治川橋梁]]の架橋に対して反対運動があったため、1960年に開業予定が1年遅れることになった。大阪環状線という名称に決定したのは1961年4月3日で、1960年12月26日の国鉄関西支社が調査役会議で本社に上申したものである。 大阪環状線となったのは、西九条駅から大阪臨港線の今宮駅 - [[浪速駅]]間に設けられた境川信号場までが開通した1961年である。なおこの時、西成線のうち西九条駅 - [[桜島駅]]間が桜島線として分離され、大阪臨港線は起点を大正駅に変更され大阪環状線貨物支線として扱われるようになった。当初は西九条駅で線路がつながっていなかったため、桜島駅 - 大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅 - 西九条駅の逆「の」の字運転を行っていたが、1964年に西九条駅の高架化が完成して線路がつながり、環状運転を開始した。 1973年に関西本線(1988年に大和路線の愛称がつく)の快速列車、1989年に阪和線・紀勢本線の特急、1990年に阪和線快速列車<!--朝の新大阪発着快速と新宮夜行-->の大阪環状線直通運転が開始された。2012年現在では日中の3分の2が大和路線や阪和線直通列車(快速)であり、これらの運行形態は逆「の」の字運転である([[大和路快速]]・[[関空快速・紀州路快速]]の各項も参照)。 なお、[[鉄道国有法]]の公布に伴い主要鉄道の国有化が実施されるまで、城東線は大阪鉄道 - [[関西鉄道]]の保有路線であったが、[[南海電気鉄道]]の前身である南海鉄道の列車が、[[1993年]]に全廃された南海[[南海天王寺支線|天王寺支線]]を経由してここに乗り入れ、大阪駅まで直通していたこともあった。 === 年表 === ==== 関西本線 ==== * [[1889年]]([[明治]]22年)[[5月14日]]:'''大阪鉄道''' 柏原駅 - 天王寺駅 - 湊町駅(現在のJR難波駅)間が開業<ref name="RJ233">{{Cite journal|和書 |date = 1986-06 |title= 大阪市街と環状線の建設 |author= [[原田勝正]] |journal = [[鉄道ジャーナル]] |volume = 20 |issue = 6 |pages = 50-57 |publisher = 鉄道ジャーナル社 }}</ref>。天王寺駅開業<ref name="RJ233"/>。 * [[1899年]](明治32年)[[3月1日]]:今宮駅が開業。 * [[1900年]](明治33年)[[6月6日]]:大阪鉄道が'''関西鉄道'''に合併<ref name="RJ233"/>。 * [[1907年]](明治40年)[[10月1日]]:関西鉄道が国有化<ref name="RJ233"/>。 * [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:[[国鉄・JR線路名称一覧|国有鉄道線路名称]]制定により、[[名古屋駅]] - 奈良駅 - 湊町駅間が'''関西本線'''となる<ref name="RJ233"/>。 * [[1928年]]([[昭和]]3年)[[12月1日]]:関西本線貨物支線(大阪臨港線) 今宮駅 - 浪速駅 - 大阪港駅間 (5.2 M≒8.37 km) が開業。浪速駅・大阪港駅が開業。 * [[1930年]](昭和5年)[[4月1日]]:営業距離の単位を[[マイル]]からメートルに変更 (5.2 M→8.2 km)。 * [[1956年]](昭和31年)[[3月15日]]:貨物支線の浪速駅 - 大阪東港駅間 (3.0 km) が開業。大阪東港駅が開業。 ==== 城東線 ==== * [[1895年]](明治28年) ** [[5月28日]]:'''大阪鉄道''' 天王寺駅 - 玉造駅間 (2 [[マイル|M]] 28 [[チェーン (単位)|C]]≒3.78 km) が開業<ref name="RJ233"/>。桃山駅・玉造駅が開業。 ** [[10月17日]]:玉造駅 - 梅田駅間 (4 M 29 C≒7.02 km) が延伸開業<ref name="RJ233"/>。京橋駅・天満駅・梅田駅開業。 * [[1896年]](明治29年)[[12月10日]]:玉造駅 - [[大阪砲兵工廠]](後の大阪陸軍造兵廠)間の側線開業。 * [[1898年]](明治31年)[[4月27日]]:桜ノ宮駅が開業。 * [[1900年]](明治33年)[[6月6日]]:大阪鉄道が'''関西鉄道'''に合併<ref name="RJ233"/>。梅田駅を官営鉄道の大阪駅に統合。 * [[1901年]](明治34年)[[1月25日]]:天王寺駅 - 大阪駅間改マイルで10 C (≒0.20 km) 短縮。 * [[1902年]](明治35年)[[11月12日]]:営業距離の単位をマイル・チェーンからマイルのみに簡略化 (6 M 47 C→6.6 M)。 * [[1905年]](明治38年)[[3月1日]]:桃山駅を桃谷駅に改称。 * [[1907年]](明治40年)[[10月1日]]:関西鉄道が国有化<ref name="RJ233"/>。 * [[1908年]](明治41年)[[3月30日]]:寺田町駅 - 玉造駅間が複線化。 * [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:国有鉄道線路名称制定により、天王寺駅 - 大阪駅間が'''城東線'''となる<ref name="RJ233"/>。 * [[1913年]]([[大正]]2年) ** [[6月30日]]:天満駅 - 大阪駅間が複線化。 ** [[11月15日]]:桃谷駅 - 玉造駅間に鶴橋仮聯絡所、京橋駅 - 桜ノ宮駅間に中野町信号所が開設。 * [[1914年]](大正3年) ** [[2月14日]]:鶴橋仮聯絡所が廃止。 ** [[3月10日]]:玉造駅 - 天満駅間が複線化。 * [[1922年]](大正11年)[[4月1日]]:中野町信号所が中野町信号場に改称。 * [[1927年]](昭和2年)12月10日:中野町信号場が廃止。 * [[1930年]](昭和5年)4月1日:京橋駅 - 大阪駅間の貨物営業が廃止。営業距離の単位をマイルからメートルに変更 (6.6 M→10.7 km)。 * [[1931年]](昭和6年)[[6月1日]]:玉造駅 - 京橋駅間に猫間信号場が開設<ref name="RJ233"/>。 * [[1932年]](昭和7年) ** [[3月29日]]:桃谷駅 - 猫間信号場間が高架化<ref name="history1950" />。玉造駅 - 猫間信号場間に貨物用別線を敷設し3線化。 ** [[4月21日]]:森ノ宮駅が開業<ref name="history1950" />。 ** [[7月16日]]:寺田町駅が開業<ref name="history1950" />。 ** [[9月21日]]:鶴橋駅が開業<ref name="history1950" />。 * [[1933年]](昭和8年)[[2月16日]]:天王寺駅 - 大阪駅間が電化。桜ノ宮駅 - 大阪駅間が高架化<ref name="RJ233"/>。電車運転開始<ref name="history1950">[{{NDLDC|3453292/1}} 「第二編 輸送 九.旅客設備」『大阪鉄道局史』、大阪鉄道局、1950年 400ページ]</ref>。 * [[1943年]](昭和18年)10月1日:西成線と城東線の直通運転開始<ref name="RJ233"/><ref name="history1950" />。 * [[1945年]](昭和20年) ** [[8月14日]]:[[太平洋戦争]]下、京橋駅 - 森ノ宮駅付近で[[大阪大空襲|空襲]]<ref name="RJ233"/>。線路や橋脚が破壊されたため桜ノ宮駅 - 鶴橋駅間が運休<ref name="RJ233"/>。 ** [[8月23日]]:空襲で被害を受けた区間が復旧<ref name="RJ233"/>。 * [[1947年]](昭和22年):猫間信号場 - 大阪陸軍造兵廠間の側線が廃止。 * [[1953年]](昭和28年)[[2月1日]]:土曜、休日ダイヤが設定される<ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.360。</ref>。 * [[1954年]](昭和29年)4月1日:天王寺駅 - 寺田町駅間が複線化<ref name="kinki-jnr_361">『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.361。</ref>。 * [[1955年]](昭和30年)6月12日:日曜、祝日ダイヤが設定される<ref>『天王寺鉄道管理局三十年写真史』天王寺鉄道管理局、1981年、p.195。</ref><ref name="kinki-jnr_361" />。 * [[1957年]](昭和32年)4月1日:天王寺駅 - 玉造駅間の貨物営業が廃止。 * [[1958年]](昭和33年)7月15日:全列車の6両運転開始。 * [[1960年]](昭和35年)10月1日:101系電車運転開始。 * [[1961年]](昭和36年)[[4月20日]]:猫間信号場が廃止<ref name="nekoma">『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』(大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.366)によれば、1962年3月27日廃止。</ref>。玉造駅 - 猫間信号場間の貨物用別線が廃止。玉造駅 - 京橋駅間の貨物営業が廃止。 ==== 西成線 ==== {{See also|桜島線#歴史}} * [[1898年]](明治31年) **[[4月5日]]:'''西成鉄道''' 大阪駅 - 安治川口駅間が開業。現在の大阪環状線にあたる区間に福島駅・野田駅が開業。大阪駅 - 福島駅間は貨物営業のみ<ref group="†">三宅俊彦『日本鉄道史年表』(グランプリ出版、2005年、p.23。ISBN 4-87687-275-9)では、『[[官報]]』明治31年4月6日を典拠に「福島-安治川口間旅客営業。大阪-福島間貨物営業」と記載。</ref><ref>[{{NDLDC|2947715/7}} 「運輸開業免許状下付」『官報』1898年4月6日]([[国立国会図書館]]デジタルコレクション)</ref>。 ** [[10月1日]]:西九条駅が開業。 * [[1899年]](明治32年)[[5月1日]]:大阪駅 - 福島駅間旅客営業開始<ref group="†">三宅俊彦『日本鉄道史年表』(グランプリ出版、2005年、p.25。ISBN 4-87687-275-9)では、『官報』明治32年5月2日を典拠に「西成鉄道大阪 - 福島間旅客営業開始」と記載。</ref><ref>[{{NDLDC|2948038/5}} 「運輸開業免許状下付」『官報』1899年5月2日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。 * [[1904年]](明治37年)[[12月1日]]:鉄道作業局が西成鉄道の路線を借上げ。 * [[1906年]](明治39年)12月1日:西成鉄道が国有化<ref name="RJ233" />。 * [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:国有鉄道線路名称制定により、大阪駅 - 西九条駅 - 天保山駅間が'''西成線'''となる<ref name="RJ233"/>。 * [[1912年]](明治45年)[[7月17日]]:福島駅 - 西九条駅 - 安治川口駅間が複線化<ref name="history1950" />。 * [[1931年]](昭和6年)[[11月8日]]:貨物支線の野田駅 - 大阪市場駅間 (1.3 km) が開業。大阪市場駅が開業。 * [[1941年]](昭和16年)5月1日:大阪駅 - 西九条駅 - 桜島駅間が電化<ref name="RJ233"/><ref name="history1950" />。 * [[1943年]](昭和18年)10月1日:西成線と城東線の直通運転開始<ref name="RJ233"/><ref name="history1950" />。 * [[1950年]](昭和25年) ** 2月23日:電力消費規制により、節電ダイヤが実施される<ref name="kinkijnr_358">『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.358。</ref>。 ** 3月6日:節電ダイヤが解消<ref name="kinkijnr_358" />。 * [[1961年]](昭和36年)[[4月6日]]:大阪駅 - 福島駅間の貨物営業が廃止。 ==== 大阪環状線成立以後 ==== * [[1961年]](昭和36年) ** [[4月25日]]:西九条駅 - 大正駅 - 天王寺駅間 (7.4 km) が開業。城東線 (10.7 km)、西成線 大阪駅 - 西九条駅間 (3.7 km)、野田駅 - 大阪市場駅間 (1.3 km) を合わせて'''大阪環状線'''に、西成線 西九条駅 - 桜島駅間は'''桜島線'''になる。関西本線の貨物支線であった今宮駅 - 浪速駅 - 大阪港駅間 (8.3 km)および浪速駅 - 大阪東港駅間 (3.0 km) を大阪環状線に編入し、貨物支線の起点を今宮駅から大正駅に変更 (-1.8 km)。野田駅 - 西九条駅間改キロ (-0.1 km)。弁天町駅・大正駅が開業。境川信号場が開設。 ** [[11月6日]]:101系が運用開始<ref name="kinki-jnr_366">『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.366。</ref>。 * [[1962年]](昭和37年)[[3月1日]]:運用車両が101系に統一される<ref name="kinki-jnr_366" />。 * [[1964年]](昭和39年)[[3月22日]]:西九条駅が高架化。大阪駅 - 福島駅間の複線化により全線複線化が完成し、環状運転開始。新今宮駅が開業。 * [[1965年]](昭和40年)[[3月18日]]:野田駅 - 西九条駅間が3線化、野田駅が福島寄りに0.1 km移転。貨物支線の野田駅 - 大阪市場駅間改キロ (+0.2 km)。 * [[1966年]](昭和41年)[[4月1日]]:芦原橋駅が開業。 * [[1968年]](昭和43年)[[3月25日]]:天王寺駅 - 新今宮駅間が複々線化され、関西本線と分離運転開始。桜島線との直通運転が入出庫時を除き廃止<ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.100、p.370。</ref>。 * [[1969年]](昭和44年)[[12月10日]]:103系電車運転開始<ref name="RJ233"/>。 * [[1970年]](昭和45年)[[8月10日]]:一部の列車で8両編成で運転開始<ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.372。</ref>。 * [[1972年]](昭和47年)3月15日:ダイヤ改正により、休日のみ大阪駅 - 弁天町駅 - 天王寺駅間で快速が運転開始<ref name="RJ233"/>。<!-- ダイヤ改正が3月15日で最初の運転日は3月19日 --> * [[1973年]](昭和48年)5月:103系電車に冷房車が投入される。 * [[1973年]](昭和48年)10月7日:関西本線の快速が日曜・祝日のみ大阪環状線への直通運転開始<ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.374。</ref>。 * [[1974年]](昭和49年)7月20日:関西本線の快速が平日にも大阪環状線に直通するようになる<ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.375。</ref>。 * [[1976年]](昭和51年)3月1日:全列車が8両[[編成 (鉄道)|編成]]に統一<ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.376。</ref>。 * [[1983年]](昭和58年) ** 10月1日:大阪城公園駅が開業。 ** 10月20日:乗車促進ベルが設置される<ref>『近畿地方の日本国有鉄道-大阪・天王寺・福知山鉄道局史』大阪・天王寺・福知山鉄道局史編集委員会、2004年、p.380。</ref>。 * [[1984年]](昭和59年)[[2月1日]]:貨物支線の野田駅 - 大阪市場駅間 (1.5 km)、浪速駅 - 大阪港駅間 (3.4 km)、浪速駅 - 大阪東港駅間 (3.0 km) が廃止。大阪市場駅・大阪港駅・大阪東港駅が廃止。 ==== 国鉄分割民営化以後 ==== * [[1987年]](昭和62年)4月1日:[[国鉄分割民営化]]により西日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が境川信号場 - 浪速駅間の第一種鉄道事業者に、福島駅 - 西九条駅間、新今宮駅 - 境川信号場間の第二種鉄道事業者となる。貨物支線の起点が大正駅から境川信号場に変更 (-0.8 km)。 * [[1988年]](昭和63年) ** [[3月13日]]:「やまとじライナー」が運転開始<ref>『写真で見る80年史』天王寺車掌区、1989年、p.167。</ref>。 ** 4月:西九条駅構内の配線を変更、大阪環状線から梅田貨物線へのルートが開通し、「[[なら・シルクロード博覧会]]」開催に伴う臨時快速を、湊町駅(現在のJR難波駅)発着の快速を行先変更する形で、加茂駅・奈良駅 - 新大阪駅間で運転。 {|class="wikitable floatright" style="text-align:center; font-size:80%;" |+日中1時間あたりの運転本数<br />(1989年7月22日時点) |- !種別\駅名 !style="width:1em"|天王寺 !… !colspan="2" style="width:1em"|京橋 !… !colspan="2" style="width:1em"|大阪 !… !colspan="2" style="width:1em"|西九条 !… !style="width:1em"|天王寺 |-style="text-align:center" |特急||colspan="9"| ||colspan="3" style="background:#ff0000"|{{Color|#ffffff|1}} |- |大和路快速||colspan="12" style="background:#ada"|3 |- |普通||colspan="6" style="background:#ff8080"|9||colspan="6" style="background:#ff8080"|6 |} * [[1989年]]([[平成]]元年) ** [[3月11日]]:関西本線直通の区間快速を夕方以降に新設して関西本線との直通運転を拡大。 ** [[4月10日]]:関西本線への221系電車導入に伴い、関西本線に直通する快速が大和路快速に改称。 ** [[7月22日]]:天王寺駅構内の関西本線から阪和線への連絡線が開通し、特急「くろしお」が大阪環状線を介して新大阪駅・[[京都駅]]まで直通運転を開始。特急「スーパーくろしお」の運転開始。 * [[1990年]](平成2年) **[[3月10日]]:関西本線直通の区間快速を朝方にも拡大。朝と夜に新大阪駅発着の阪和線直通列車を設定。 * [[1991年]](平成3年) ** 4月1日:全線でATS-P使用開始<ref>{{Cite news |title=ATS-P使用開始 JR西日本 まず環状、阪和線で |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1991-04-04 |page=1 }}<!-->設備完成式の写真付き記事<--></ref>。 ** 4月28日:101系電車の最終運転が行われる<ref name="yomiuri_19910429" />。 * [[1993年]](平成5年)4月1日:全駅で分煙化が実施され、喫煙コーナーを除いて終日禁煙になる<ref>{{Cite book|和書 |date=1993-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '93年版 |chapter=JR年表 |page=185 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-114-7}}</ref><ref>{{Cite news |title=大阪環状線全駅 来月から終日禁煙 JR西日本 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1993-03-25 |page=2 }}</ref>。 * [[1994年]](平成6年)[[9月4日]]:関西国際空港が開港し、特急「はるか」および、大阪環状線で関空快速が運転を開始。 * [[1995年]](平成7年)[[4月20日]]:関空特快「ウイング」が運転開始。 * [[1996年]](平成8年) **[[7月31日]]:283系電車による特急「スーパーくろしお オーシャンアロー」が運転開始。 ** [[10月5日]]:平日ダイヤで運転されていた土曜日が、休日ダイヤで運転されるようになる<ref>[[#JRR1997|『JR気動車客車編成表 97年版』 186頁]]</ref>。 * [[1997年]](平成9年)[[3月8日]]:大阪環状線の今宮駅が開業<ref>{{Cite news |title=今宮駅開業 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=1997-03-11 |page=3 }}</ref>。特急「スーパーくろしお オーシャンアロー」が「オーシャンアロー」に改称。京橋駅・大正駅を皮切りに[[Jスルー]]が導入される<ref>[[#JRR1997|『JR気動車客車編成表 97年版』 187頁]]</ref>。 * [[1999年]](平成11年)[[5月10日]]:各駅に[[発車メロディ]]と接近メロディと入線メロディが順次導入される。紀州路快速が運転開始(関空快速に併結)。関空特快「ウイング」が廃止。 {|class="wikitable floatright" style="text-align:center; font-size:80%;" |+日中1時間あたりの運転本数<br />(2001年3月3日時点) |- !種別\駅名 !style="width:1em"|天王寺 !… !colspan="2" style="width:1em"|京橋 !… !colspan="2" style="width:1em"|大阪 !… !colspan="2" style="width:1em"|西九条 !style="width:4em"|… !style="width:1em"|天王寺 |-style="text-align:center" |特急||colspan="9"| ||colspan="3" style="background:#ff0000"|{{Color|white|3}} |- |大和路快速||colspan="12" style="background:#ada"|3 |- |関空・紀州路快速||colspan="3"| ||colspan="9" style="background:#fd9"|2 |- |rowspan="2" |普通||colspan="12" style="background:#ff8080"|6 |- |colspan="9" style="background:#ff8080"|3||colspan="3" style="text-align:left"|→桜島線直通 |} * [[2001年]](平成13年)[[3月3日]]:USJ開業による旅客利便性向上のため桜島線直通運転が再開。特急「はるか」が朝の一部を除いて西九条駅にも停車するようになる<ref>[https://web.archive.org/web/20010417125918/http://www.westjr.co.jp/kou/press/4press/n001208c2.html 〜平成13年3月 ダイヤ改正について〜(別紙詳細)](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2000年12月8日</ref>。 * [[2002年]](平成14年) ** [[7月1日]]:女性専用車が試験導入される<ref name="jrw_20020515" />。 ** [[7月20日]]:USJへのアクセス向上のため、特急「くろしお」「スーパーくろしお」「オーシャンアロー」の一部が西九条駅にも停車<ref>[https://web.archive.org/web/20021006024725/http://www.westjr.co.jp/news/020517k.html 平成14年度【 夏 】の臨時列車の運転について](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2002年5月17日</ref>。 ** 12月2日:女性専用車が本格導入される<ref name="jrw_20021007" />。 * [[2003年]](平成15年) ** 10月1日:[[コンコース]]の喫煙コーナーが廃止<ref>[https://web.archive.org/web/20031001173208/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/030829a.html 駅コンコースを終日全面禁煙にします](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月29日</ref>。 ** 12月下旬:発車メロディの使用が各駅で順次停止。 * [[2004年]](平成16年)[[11月9日]]:貨物支線の境川信号場 - 浪速駅間の運行休止。 * [[2005年]](平成17年)[[12月15日]]:201系電車が運転開始。 * [[2006年]](平成18年)4月1日:貨物支線の境川信号場 - 浪速駅間 (2.3 km) および浪速駅が廃止。また新今宮駅 - 境川信号場間の日本貨物鉄道の第二種鉄道事業 (3.8 km) が廃止<ref>令和四年度『鉄道要覧』(電気車研究会・鉄道図書刊行会) p.58</ref>。 * [[2007年]](平成19年)[[5月20日]]:境川信号場が廃止。 * [[2008年]](平成20年) ** [[3月15日]]:天王寺駅構内の関西本線から阪和線への連絡線が複線化。関空快速・紀州路快速の環状線直通列車を増発、平日ラッシュ時に阪和線と直通する直通快速が運転開始。 ** 10月1日:ホーム上の喫煙コーナーが廃止され、全面禁煙化(大阪駅・京橋駅・天王寺駅は大阪環状線ホームのみ)<ref>[https://web.archive.org/web/20080916183021/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1173814_799.html 大阪環状線・JRゆめ咲線ホームの全面禁煙化について](インターネット・アーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2008年9月16日</ref>。 * [[2009年]](平成21年) ** 10月4日:大阪環状・大和路線運行管理システムが導入<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1174388_799.html 大阪環状・大和路線運行管理システムの使用開始について] - 西日本旅客鉄道プレスリリース</ref>。 * [[2010年]](平成22年) ** 3月13日:特急「はるか」の西九条駅の停車を取り止め、日中の6往復を毎日運転の臨時列車に変更<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/pdf/20091218_kaisei.pdf 平成22年春ダイヤ改正について]}} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年12月18日</ref>。 ** [[12月1日]]:組織改正により、[[西日本旅客鉄道大阪支社|大阪支社]]の管轄から近畿統括本部の管轄に変更<ref>[http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175068_799.html 組織改正などについて] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20101204082729/http://www.westjr.co.jp/news/newslist/article/1175068_799.html |date=2010-12-04}} - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2010年11月16日</ref>。 {|class="wikitable floatright" style="text-align:center; font-size:80%;" |+日中1時間あたりの運転本数<br />(2011年3月12日時点) |- !種別\駅名 !style="width:1em"|天王寺 !… !colspan="2" style="width:1em"|京橋 !… !colspan="2" style="width:1em"|大阪 !… !colspan="2" style="width:1em"|西九条 !style="width:4em"|… !style="width:1em"|天王寺 |-style="text-align:center" |特急||colspan="9"| ||colspan="3" style="background:#ff0000"|{{Color|white|3}} |- |大和路快速||colspan="12" style="background:#ada"|4 |- |関空・紀州路快速||colspan="12" style="background:#fd9"|4 |- |rowspan="2" |普通||colspan="12" style="background:#ff8080"|4 |- |colspan="9" style="background:#ff8080"|4||colspan="3" style="text-align:left"|→桜島線直通 |} * [[2011年]](平成23年) ** [[3月12日]]:ダイヤ改正により次の通り変更<ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/ICSFiles/afieldfile/2010/12/17/20101217_kinki.pdf 平成23年春ダイヤ改正について]}} - 西日本旅客鉄道近畿統括本部プレスリリース 2010年12月17日</ref>。 *** 日中の運行形態が大きく変更され、普通8本・快速列車8本(いずれも最大本数)に変更。 *** 快速列車の停車駅に大正駅が追加。 *** 「やまとじライナー」が廃止。 ** 4月18日:女性専用車が毎日、終日設定される<ref name="jrw_20110304" />。 * [[2012年]](平成24年) ** [[3月17日]]:ダイヤ改正により次の通り変更<ref name="jrw_20111216k" /><ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/20111216_wakayama.pdf 平成24年春ダイヤ改正について]}} - 西日本旅客鉄道和歌山支社プレスリリース 2011年12月16日</ref>。 *** 日中の桜島線との直通運転が取り止め。 *** 快速列車の停車駅に福島駅が追加。 *** 特急「オーシャンアロー」「スーパーくろしお」「くろしお」がすべて「くろしお」に統一される。 ** 7月1日:一ツ家踏切が廃止され、大阪環状線の踏切が全廃<ref name="yomiuri_20120630" />。 * [[2014年]](平成26年) ** [[2月17日]] - [[2月21日|21日]]:新型車両のドア数検討のため、実験的に朝ラッシュ時間帯に3ドア車両(221系・223系・225系)を集中運用<ref name="jrw_20140207" />。 ** 3月15日:京橋駅・森ノ宮駅・西九条駅で発車メロディを復活<ref name="res20140331">[http://response.jp/article/2014/03/31/220196.html たかじん「やっぱ好きやねん」、大阪駅の発メロに] - Response 2014年3月31日。</ref>。 ** [[5月1日]]:大阪駅で発車メロディを復活<ref name="res20140331" />。 * [[2015年]](平成27年) ** 3月22日:すべての駅で発車メロディを復活<ref name="jrw20150316" />。 ** 11月22日:[[いい夫婦の日]]の企画として、車内で[[結婚式]]を挙げる「ブライダルトレイン」を103系電車で特別運行。大阪駅発着で、約32分間で一周<ref>[https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/731857.html 11月22日は“いい夫婦の日”。JR西日本が大阪環状線で「ブライダルトレイン」を運行 大阪環状線を1周する約32分間の結婚式] - Impress トラベルWatch、2015年11月22日</ref>。 * [[2016年]](平成28年)[[12月24日]]:[[JR西日本323系電車|323系]]電車の営業運転を開始<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/11/page_9589.html 「大阪環状線改造プロジェクト」進行中 初の大阪環状線専用新型車両323系がいよいよデビュー!〜12月24日、営業運転を開始します〜] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2016年11月28日</ref><ref name="raifjp20161225" />。 * [[2017年]](平成29年)10月3日:103系電車の営業運転を終了<ref name="jrwest20170905" /><ref name="asahi2017-09-05" /><ref name="raifjp20171003" />。営業運転で使用される車両が全車空気ばね台車装備となる。 * [[2018年]](平成30年) ** 3月4日:車内で結婚式を挙げる「ブライダルトレイン」を323系電車で特別運行。大阪駅発着で、約40分間で一周<ref>[http://www.sankei.com/west/news/180304/wst1803040039-n1.html 「1周があっという間」ブライダルトレイン、大阪環状線を特別運行] - [[産経新聞]]WEST(2018年3月4日)2018年3月14日閲覧</ref>。 ** 3月17日:各駅に[[駅ナンバリング|駅ナンバー]]が導入され、使用を開始する。 * [[2019年]]([[令和]]元年) ** [[6月7日]]:201系電車の営業運転を終了<ref name="jrwest20190510">[http://www.westjr.co.jp/press/article/2019/05/page_14241.html 新型車両323系の全編成の投入がついに完了!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2019年5月10日</ref><ref name="mynavi20190607" /><ref name="railfjp20190608" />。 ** [[6月8日]]:323系電車の投入が完了<ref name="jrwest20190510" />。 * [[2020年]](令和2年) ** 2月:自動運転列車の試験走行を開始<ref>[https://mainichi.jp/articles/20200207/k00/00m/040/130000c 「JR西、大阪環状線で自動運転電車の走行試験 運転士不足見据え」]『毎日新聞』2020年2月7日(2020年2月19日閲覧)</ref>。 ** [[3月14日]]:すべての普通・快速が8両編成となる<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/items/191213_00_keihanshin-kaku%20%28NXPowerLite%20Copy%29.pdf|title=2020年3月14日にダイヤ改正を実施します|publisher=西日本旅客鉄道|date=2019-12-13|accessdate=2020-3-15}}</ref>。 * [[2021年]](令和3年)[[2月6日]]:乗車位置案内が、4ドア車(既に運行終了)=○印、3ドア車(特急列車以外の全列車)=△印から、323系(女性専用車両設定あり・トイレなし・ロングシート車)=○印、221系・223系・225系(女性専用車両設定なし・トイレ付き・クロスシート車)=△印に変更<ref name="mynavi20210204" />。 == 駅一覧 == 天王寺駅から内回り方向に記述する。 * '''内回り''':天王寺駅→鶴橋駅→京橋駅→大阪駅→西九条駅→新今宮駅→天王寺駅方面 * '''外回り''':天王寺駅→新今宮駅→西九条駅→大阪駅→京橋駅→鶴橋駅→天王寺駅方面 * 全駅[[大阪府]][[大阪市]]内に所在し、[[特定都区市内]]制度における「大阪市内」({{JR特定都区市内|阪}})エリアに属している。 * 駅シンボルフラワーは各駅ホーム上の大型駅名標や案内サインなどのデザインに採り入れられている花<ref name="flower">{{Cite web|和書|url=http://www.jr-odekake.net/railroad/osakaloop_kaizou/category8.php |title=駅シンボルフラワー |date=2015-10-01 |accessdate=2016-01-03 |work=JRおでかけネット}}</ref>。 * [[駅ナンバリング|駅ナンバー]]は2018年3月より導入<ref>[http://www.westjr.co.jp/press/article/2016/07/page_8973.html 近畿エリアの12路線 のべ300駅に「駅ナンバー」を導入します!] - 西日本旅客鉄道ニュースリリース 2016年7月20日</ref>。 {|class="wikitable" rules="all" style="font-size:88%;" |- !style="width:1em; border-bottom:3px solid #e80000;"|{{縦書き|正式路線名|height=6em}} !style="width:5em; border-bottom:solid 3px #e80000"|駅ナンバー<br /><ref>{{PDFlink|[http://www.westjr.co.jp/press/article/items/160720_01_ekinumber.pdf 「駅ナンバー」一覧表]}} - 西日本旅客鉄道、2016年7月20日</ref> !style="width:6em; border-bottom:solid 3px #e80000"|駅名 !style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #e80000"|駅間<br />営業キロ !style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #e80000"|累計<br />営業キロ !style="border-bottom:solid 3px #e80000"|接続路線 !style="border-bottom:solid 3px #e80000"|所在地 !style="width:6em; border-bottom:solid 3px #e80000"|駅シンボル<br />フラワー |- |rowspan="19" style="width:1em; text-align:center; text-align:center; letter-spacing:0.5em;"|{{縦書き|大阪環状線|height=10em}} !JR-O01 |[[天王寺駅]] |style="text-align:center"|- |style="text-align:right"|0.0 |{{anchors|top-of-table}}[[西日本旅客鉄道]]:[[ファイル:JRW kinki-Q.svg|17px|Q]] [[関西本線]]([[大和路線]]) (JR-Q20)(一部直通運転)・[[ファイル:JRW kinki-R.svg|17px|R]] [[阪和線]] (JR-R20) (一部直通運転)<br />[[大阪市高速電気軌道]]:[[File:Osaka Metro Midosuji line symbol.svg|15px|M]] [[Osaka Metro御堂筋線|御堂筋線]] (M23)・[[File:Osaka Metro Tanimachi line symbol.svg|15px|T]] [[Osaka Metro谷町線|谷町線]] (T27)<br />[[近畿日本鉄道]]:{{近鉄駅番号|F}} [[近鉄南大阪線|南大阪線]]([[大阪阿部野橋駅]]: F01)<br />[[阪堺電気軌道]]:[[File:Number prefix Hankai Tramway line.png|15px|HN]]{{Color|orange|■}} [[阪堺電気軌道上町線|上町線]]([[天王寺駅|天王寺駅前駅]]: HN01) |rowspan="5" style="white-space:nowrap;"|[[天王寺区]] |[[ペチュニア]] |- !JR-O02 |[[寺田町駅]] |style="text-align:right"|1.0 |style="text-align:right"|1.0 |&nbsp; |[[カモミール]] |- !JR-O03 |[[桃谷駅]] |style="text-align:right"|1.2 |style="text-align:right"|2.2 |&nbsp; |[[モモ|桃の花]] |- !JR-O04 |[[鶴橋駅]] |style="text-align:right"|0.8 |style="text-align:right"|3.0 |近畿日本鉄道:{{近鉄駅番号|D}} [[近鉄大阪線|大阪線]] (D04)・{{近鉄駅番号|A}} [[近鉄奈良線|奈良線]] (A04)<ref group="*">近鉄の鶴橋駅は書類上は大阪線の駅だが、運転系統としての「奈良線」も大阪線経由で乗り入れる。</ref><br />大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka Metro Sennichimae line symbol.svg|15px|S]] [[Osaka Metro千日前線|千日前線]] (S19) |[[アジサイ]] |- !JR-O05 |[[玉造駅]] |style="text-align:right"|0.9 |style="text-align:right"|3.9 |大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka Metro Nagahori Tsurumi-ryokuchi line symbol.svg|15px|N]] [[Osaka Metro長堀鶴見緑地線|長堀鶴見緑地線]] (N19) |[[イネ|稲穂]] |- !JR-O06 |[[森ノ宮駅]] |style="text-align:right"|0.9 |style="text-align:right"|4.8 |大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka Metro Chuo line symbol.svg|15px|C]] [[Osaka Metro中央線|中央線]] (C19)・[[File:Osaka Metro Nagahori Tsurumi-ryokuchi line symbol.svg|15px|N]] 長堀鶴見緑地線 (N20) |rowspan="2"|[[中央区 (大阪市)|中央区]] |[[パンジー]] |- !JR-O07 |[[大阪城公園駅]] |style="text-align:right"|0.9 |style="text-align:right"|5.7 |&nbsp; |[[ヒョウタン|瓢箪]] |- !JR-O08 |[[京橋駅 (大阪府)|京橋駅]] |style="text-align:right"|0.8 |style="text-align:right"|6.5 |西日本旅客鉄道:[[ファイル:JRW kinki-H.svg|17px|H]] [[片町線]](学研都市線)・[[ファイル:JRW kinki-H.svg|17px|H]] [[JR東西線]](JR-H41・両線共通)<br />[[京阪電気鉄道]]:[[File:Number prefix Keihan lines.png|20px|KH]] [[京阪本線]] (KH04)<br />大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka Metro Nagahori Tsurumi-ryokuchi line symbol.svg|15px|N]] 長堀鶴見緑地線 (N22) |[[城東区]] |[[コスモス]] |- !JR-O09 |[[桜ノ宮駅]] |style="text-align:right"|1.8 |style="text-align:right"|8.3 |&nbsp; |[[都島区]] |[[サクラ|桜]] |- !JR-O10 |[[天満駅]] |style="text-align:right"|0.8 |style="text-align:right"|9.1 |大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka Metro Sakaisuji line symbol.svg|15px|K]] [[Osaka Metro堺筋線|堺筋線]]([[扇町駅 (大阪府)|扇町駅]]: K12) |rowspan="2"|[[北区 (大阪市)|北区]] |[[ウメ|梅の花]] |- !JR-O11 |[[大阪駅]] |style="text-align:right"|1.6 |style="text-align:right"|10.7 |西日本旅客鉄道:[[ファイル:JRW kinki-A.svg|17px|A]] [[東海道本線]]([[JR京都線]]・[[JR神戸線]]) (JR-A47)・[[ファイル:JRW kinki-G.svg|17px|G]] [[福知山線]](JR宝塚線) (JR-G47)<ref group="*">福知山線の正式な起点は[[尼崎駅 (JR西日本)|尼崎駅]]だが、運転系統上の「JR宝塚線」は東海道本線経由で大阪駅に乗り入れる。</ref>・[[ファイル:JRW_kinki-F.svg|17px|F]] [[おおさか東線]] (JR-F01)<ref group="*">おおさか東線の正式な起点は[[新大阪駅]]だが、運転系統上の「おおさか東線」は全列車が東海道本線貨物支線(梅田貨物線)経由で大阪駅に乗り入れる。</ref>・東海道本線貨物支線([[梅田貨物線]])・[[ファイル:JRW kinki-H.svg|17px|H]] JR東西線([[北新地駅]]<ref group="*">大阪駅と北新地駅の間は徒歩連絡の特例がある([[JR東西線#乗車制度]]を参照)。</ref>: JR-H44)<br />[[阪急電鉄]]:[[File:Number_prefix_Hankyu_Kōbe_line.svg|15px|HK]] [[阪急神戸本線|神戸本線]]・[[File:Number_prefix_Hankyu_Takarazuka_line.svg|15px|HK]] [[阪急宝塚本線|宝塚本線]]・[[File:Number_prefix_Hankyu_Kyōto_line.svg|15px|HK]] [[阪急京都本線|京都本線]]<ref group="*">京都本線の正式な起点は[[十三駅]]だが、運転系統としての「京都本線」は宝塚本線経由で大阪梅田駅に乗り入れる。</ref>([[大阪梅田駅 (阪急)|大阪梅田駅]]: HK-01)<br />[[阪神電気鉄道]]:[[File:Number prefix Hanshin line.svg|15px|HS]] [[阪神本線|本線]]([[大阪梅田駅 (阪神)|大阪梅田駅]]: HS 01)<br />大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka Metro Midosuji line symbol.svg|15px|M]] 御堂筋線([[梅田駅 (Osaka Metro)|梅田駅]]: M16)・[[File:Osaka Metro Tanimachi line symbol.svg|15px|T]] 谷町線([[東梅田駅]]: T20)・[[File:Osaka Metro Yotsubashi_line symbol.svg|15px|Y]] [[Osaka Metro四つ橋線|四つ橋線]]([[西梅田駅]]: Y11) |[[バラ]] |- !JR-O12 |[[福島駅 (JR西日本)|福島駅]] |style="text-align:right"|1.0 |style="text-align:right"|11.7 |西日本旅客鉄道:東海道本線貨物支線(梅田貨物線)<ref group="*">梅田貨物線の書類上の路線分岐駅は福島駅だが、同駅と野田駅にはホームがない。実際に大阪環状線本線から線路が分岐しているのは西九条駅である。大阪駅 - 西九条駅間を梅田貨物線経由で運行する定期旅客列車は特急「はるか」・「くろしお」のみであり、いずれも大阪駅・ 天王寺駅以外の駅は全て通過するため梅田貨物線経由の旅客列車とは乗り換えできない。</ref><br />阪神電気鉄道:[[File:Number prefix Hanshin line.svg|15px|HS]] 本線([[福島駅 (阪神)|福島駅]]: HS 02)<br />西日本旅客鉄道:[[ファイル:JRW kinki-H.svg|17px|H]] JR東西線([[新福島駅]]: JR-H45) |rowspan="2"|[[福島区]] |[[カキツバタ]] |- !JR-O13 |[[野田駅 (JR西日本)|野田駅]] |style="text-align:right"|1.4 |style="text-align:right"|13.1 |大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka Metro Sennichimae line symbol.svg|15px|S]] 千日前線([[玉川駅 (大阪府)|玉川駅]]: S12) |[[フジ (植物)|野田藤]] |- !JR-O14 |[[西九条駅]] |style="text-align:right"|1.2 |style="text-align:right"|14.3 |西日本旅客鉄道:[[ファイル:JRW kinki-P.svg|17px|P]] [[桜島線]](JRゆめ咲線) (JR-P14)([[桜島駅]]まで一部直通運転)<br />阪神電気鉄道:[[File:Number prefix Hanshin line.svg|15px|HS]] [[阪神なんば線]] (HS 45) |[[此花区]] |style="white-space:nowrap;"|[[チューリップ]] |- !JR-O15 |[[弁天町駅]] |style="text-align:right"|1.6 |style="text-align:right"|15.9 |大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka Metro Chuo line symbol.svg|15px|C]] 中央線 (C13) |[[港区 (大阪市)|港区]] |[[向日葵]] |- !JR-O16 |[[大正駅 (大阪府)|大正駅]] |style="text-align:right"|1.8 |style="text-align:right"|17.7 |大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka Metro Nagahori Tsurumi-ryokuchi line symbol.svg|15px|N]] 長堀鶴見緑地線 (N11) |[[大正区]] |[[ヤマツツジ|山つつじ]] |- !JR-O17 |[[芦原橋駅]] |style="text-align:right"|1.2 |style="text-align:right"|18.9 |[[南海電気鉄道]]:[[File:Nankai koya line simbole.svg|15px|NK]] [[南海高野線|高野線]](汐見橋線)([[芦原町駅]]: NK06-4) |rowspan="4"|[[浪速区]] |[[ナデシコ|なでしこ]] |- !JR-O18 |[[今宮駅]] |style="text-align:right"|0.6 |style="text-align:right"|19.5 |西日本旅客鉄道:[[ファイル:JRW kinki-Q.svg|17px|Q]] 関西本線(大和路線) (JR-Q18) |[[ボダイジュ|菩提樹]] |- style="height:3em;" !rowspan="2"|JR-O19 |rowspan="2"|[[新今宮駅]] |rowspan="2" style="text-align:right"|1.2 |rowspan="2" style="text-align:right"|20.7 |rowspan="2"|西日本旅客鉄道:[[ファイル:JRW kinki-Q.svg|17px|Q]] 関西本線(大和路線) (JR-Q19)<br />南海電気鉄道:[[File:Nankai mainline simbole.svg|15px|NK]] [[南海本線]]・[[File:Nankai koya line simbole.svg|15px|NK]] [[南海高野線|高野線]]<ref group="*">南海電鉄の新今宮駅は正式には南海本線の単独駅だが、運転系統上の「南海高野線」も[[岸里玉出駅]]から南海本線経由で乗り入れる。</ref> (NK03)<br />大阪市高速電気軌道:[[File:Osaka Metro Midosuji line symbol.svg|15px|M]] 御堂筋線・[[File:Osaka Metro Sakaisuji line symbol.svg|15px|K]] 堺筋線([[動物園前駅]]: M22・K19)<br />阪堺電気軌道:[[File:Number prefix Hankai Tramway line.png|15px|HN]]{{Color|green|■}} [[阪堺電気軌道阪堺線|阪堺線]]([[新今宮駅前停留場]]: HN52) |rowspan="2"|[[ハギ]] |- |rowspan="2" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|関西本線|height=5em}} |- !JR-O01 |天王寺駅 |style="text-align:right"|1.0 |style="text-align:right"|21.7 |colspan="3"|(本表の[[#top-of-table|最上欄]]を参照) |} {{Reflist|group="*"}} * 寺田町駅・桃谷駅・玉造駅・福島駅・野田駅は[[JR西日本交通サービス]]による業務委託駅であり、その他の駅はJR西日本の直営駅である。 === 停車パターン === * ●:全列車停車、▲:外回りのみ停車、、▼:内回りのみ停車、|:全列車通過、↓:内回りのみ通過 * 外回り列車は2018年10月28日のダイヤ改正以降、大和路快速・関空快速・紀州路快速・快速は大阪駅以東で、直通快速・区間快速は全線において「普通」に種別変更して運転される。 * 特急「[[はるか (列車)|はるか]]」・「[[くろしお (列車)|くろしお]]」の停車駅は列車記事を参照 {|class="wikitable" rules="all" style="text-align:center" |- style="color:white;" !style="white-space:nowrap; color:#000;"|内回り路線記号 !style="background-color:#e80000;"|O !style="background-color:#0a318e;"|P !style="background-color:#093;"|Q !style="color:black;background-color:#f79fba;"|T !style="background-color:#093;"|Q !style="color:black;background-color:#f79fba;"|T !style="color:black;background-color:white;"|- !style="background-color:#f60;"|R !style="background-color:#00a6b4;"|W !style="background-color:#0072ba;"|S !style="background-color:#f60;"|R !style="background-color:#f60;"|R !rowspan="3" style="color:#000;"|備考 |- style="color:white;" !style="color:#000;"|外回り路線記号 !style="background-color:#e80000;"|O !style="background-color:#e80000;"|O !colspan="2" style="background-color:#e80000;"|O !colspan="2" style="background-color:#e80000;"|O !style="background-color:#e80000;"|O !colspan="2" style="background-color:#e80000;"|O !colspan="2" style="background-color:#e80000;"|O !style="color:black;background-color:white;"|- |- !style="color:#000"|駅名 !style="background-color:#ddd; width:2em; border-bottom:solid 3px black;" |{{縦書き|普通|height=4em}} !style="background-color:#ddd; width:2em; border-bottom:solid 3px black;" |{{縦書き|普通|height=4em}} !colspan="2" style="background-color:#cfc; width:2em; border-bottom:solid 3px #093;" |{{縦書き|区間快速|height=5em}} !colspan="2" style="background-color:#ada; width:2em; border-bottom:solid 3px #093;" |{{縦書き|大和路快速|height=6em}} !style="background-color:#feb; width:2em; border-bottom:solid 3px #f60;" |{{縦書き|直通快速|height=5em}} !colspan="2" style="background-color:#feb; width:2em; border-bottom:solid 3px #f60;" |{{縦書き|紀州路快速|height=6em}} !colspan="2" style="background-color:#feb; width:2em; border-bottom:solid 3px #f60;" |{{縦書き|関空快速|height=5em}} !style="background-color:#feb; width:2em; border-bottom:solid 3px #f60;" |{{縦書き|快速|height=4em}} |- |天王寺駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |style="text-align:left"|大阪環状線ホームに発着 |- |寺田町駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |桃谷駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |鶴橋駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |玉造駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |森ノ宮駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |大阪城公園駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |京橋駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |桜ノ宮駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |天満駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |大阪駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |福島駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |野田駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|| |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|| |colspan="2" style="background-color:#feb"|| |style="background-color:#feb"|↓ |&nbsp; |- |西九条駅 |style="background-color:#ddd"|● |style="background-color:#ddd"|● |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |弁天町駅 |style="background-color:#ddd"|● | |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |大正駅 |style="background-color:#ddd"|● | |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |&nbsp; |- |芦原橋駅 |style="background-color:#ddd"|● | |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|| |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|| |colspan="2" style="background-color:#feb"|| |style="background-color:#feb"|↓ |&nbsp; |- |今宮駅 |style="background-color:#ddd"|● | |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|| |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|| |colspan="2" style="background-color:#feb"|| |style="background-color:#feb"|↓ |style="text-align:left"|大阪環状線ホームに発着 |- |新今宮駅 |style="background-color:#ddd"|● | |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |style="text-align:left"|直通列車は2 - 4番のりばに発着 |- |天王寺駅 |style="background-color:#ddd"|● | |colspan="2" style="background-color:#cfc"|● |colspan="2" style="background-color:#ada"|● |style="background-color:#feb"|▲ |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |colspan="2" style="background-color:#feb"|● |style="background-color:#feb"|▼ |style="text-align:left;white-space:nowrap;"|直通列車は関西本線ホーム(15 - 18番のりば)に発着 |-style="font-size:80%" |直通先 | |style="white-space:nowrap;"|桜島線 |colspan="4"|関西本線<br />(大和路線) |colspan="6"|阪和線・関西空港線 | |} === 廃止区間 === ( ) 内は起点からの営業キロ ; 貨物支線([[大阪臨港線]]) : 境川信号場 (0.0) - [[浪速駅]] (2.3) - [[大阪港駅 (国鉄)|大阪港駅]] (5.7) : 浪速駅 (0.0) - [[大阪東港駅]] (3.0) ; 貨物支線 : 野田駅 (0.0) - [[大阪市場駅]] (1.5) === 廃止信号場 === ( ) 内は大阪駅起点・環状線内回り経由の営業キロ * 境川信号場:2007年5月20日廃止、弁天町駅 - 大正駅間 (6.2) * 鶴橋仮聯絡所:1914年2月14日廃止、桃谷駅 - 玉造駅間 * 猫間信号場:1961年4月20日廃止<ref name="nekoma" />、森ノ宮駅 - 京橋駅間 (16.2) * 中野町信号場:1927年12月10日廃止、京橋駅 - 桜ノ宮駅間 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=†}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * 『[[JR時刻表]]』各号([[交通新聞社]]) * 『携帯全国時刻表』各号(交通新聞社西日本支社) * 『鉄道ダイヤ情報』各号(交通新聞社) * 今尾恵介『[[日本鉄道旅行地図帳]] - 全線・全駅・全廃線』10 大阪([[新潮社]]、2009年。ISBN 978-4-10-790028-9) * 宮脇俊三・原田勝正『全線全駅鉄道の旅』8 近畿JR私鉄1300キロ([[小学館]]、1991年、ISBN 4-09-395308-2) * 『[[鉄道ピクトリアル]]』1989年12月号・2009年6月号([[電気車研究会]]) * 『[[鉄道ジャーナル]]』2005年2月号([[鉄道ジャーナル社]])p.18 - p.35 * 『関西の鉄道』1999年陽春号(関西鉄道研究会) * 読売新聞大阪本社社会部『大阪環状線めぐり ひと駅ひと物語』(東方出版、2003年。ISBN 978-4-88591-842-1) * {{Cite book |和書 |date=1997-07-01 |title=JR気動車客車編成表 '97年版 |chapter=JR年表 |publisher=ジェー・アール・アール |ISBN=4-88283-118-X|ref=JRR1997}} == 関連項目 == {{Commons|Category:Osaka Loop Line}} * [[日本の鉄道路線一覧]] * [[おおさか東線]](大阪外環状線として計画) * [[環状運転]] * [[山手線]] * [[大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語]](本路線を主題としたドラマ) == 外部リンク == * [http://www.jr-odekake.net/railroad/osakaloop_kaizou/ 大阪環状線改造プロジェクト進行中!] - 西日本旅客鉄道 * {{YouTube |channel=UCqypn0Bk3rVnEfgbVt9b4-A}} * {{Facebook|osakaloop}} {{アーバンネットワーク}} {{西日本旅客鉄道近畿エリア}} {{西日本旅客鉄道近畿統括本部}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=大阪環状線改造プロジェクト |1-1=グッドデザイン賞 }} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:おおさかかんしようせん}} [[Category:大阪環状線|*]] [[Category:近畿地方の鉄道路線]] [[Category:西日本旅客鉄道の鉄道路線]] [[Category:日本国有鉄道の鉄道路線]] [[Category:西成鉄道|路おおさかかんしよう]] [[Category:関西鉄道|路おおさかかんしよう]] [[Category:大阪鉄道(初代)|路おおさかかんしよう]] [[Category:大阪府の交通]]
2003-03-01T00:21:35Z
2023-12-13T13:35:45Z
false
false
false
[ "Template:Otheruseslist", "Template:TrainDirection", "Template:西日本旅客鉄道近畿統括本部", "Template:Redirectlist", "Template:Commons", "Template:Facebook", "Template:Normdaten", "Template:Infobox 鉄道路線", "Template:JR特定都区市内", "Template:Cite web", "Template:リンク切れ", "Template:Color", "Template:See also", "Template:Legend2", "Template:西日本旅客鉄道近畿エリア", "Template:Cite press release", "Template:Lang-en-short", "Template:大阪環状線路線図", "Template:-", "Template:Reflist", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite news", "Template:Cite journal", "Template:アーバンネットワーク", "Template:PDFlink", "Template:Cite book", "Template:YouTube", "Template:リダイレクトの所属カテゴリ", "Template:縦書き", "Template:近鉄駅番号", "Template:Webarchive" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E7%92%B0%E7%8A%B6%E7%B7%9A
3,101
青春映画
青春映画(せいしゅんえいが)は、若者特有の夢や挫折、友情や初恋、冒険と旅立ちを描いた映画のジャンルである。 ベストセラーになった文学作品を映画化したものも多い。このジャンルでは、往々にして1作で映画の新しいスターを生み出してきた。 スポーツ、悲恋、仲間との友情、試練とその克服などテーマはほとんどこのジャンルでは一定のものである。それを時代の流行などでアレンジし、繰り返し焼きなおしては製作されているが、いつの時代にもそれなりに共感と賛同を集められるのが、このジャンルである。 ただ、それぞれの作品は、その舞台となった時代の社会階級間の対立、家族や宗教、エスニック集団同士の間の抗争などを背景にして若者の恋愛の悲劇を描いたりすることが多い。古典的な作品としては、『ロミオとジュリエット』がある。この作品自体が何度も映画化されたばかりでなく、『ウエスト・サイド物語』を始めとする、時代・国などの設定を変えた多くの翻案作品を派生した。 1990年代頃からは、より多様な問題を扱うようになり、思春期の性、女子高生、いじめ、レイプ、おたく、アルコール依存症、薬物乱用、妊娠、中絶、貧困、殺人、精神障害、性的少数者など、それまで比較的タブーだった事案を直接的に表現する作品が増えている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "青春映画(せいしゅんえいが)は、若者特有の夢や挫折、友情や初恋、冒険と旅立ちを描いた映画のジャンルである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ベストセラーになった文学作品を映画化したものも多い。このジャンルでは、往々にして1作で映画の新しいスターを生み出してきた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "スポーツ、悲恋、仲間との友情、試練とその克服などテーマはほとんどこのジャンルでは一定のものである。それを時代の流行などでアレンジし、繰り返し焼きなおしては製作されているが、いつの時代にもそれなりに共感と賛同を集められるのが、このジャンルである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ただ、それぞれの作品は、その舞台となった時代の社会階級間の対立、家族や宗教、エスニック集団同士の間の抗争などを背景にして若者の恋愛の悲劇を描いたりすることが多い。古典的な作品としては、『ロミオとジュリエット』がある。この作品自体が何度も映画化されたばかりでなく、『ウエスト・サイド物語』を始めとする、時代・国などの設定を変えた多くの翻案作品を派生した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1990年代頃からは、より多様な問題を扱うようになり、思春期の性、女子高生、いじめ、レイプ、おたく、アルコール依存症、薬物乱用、妊娠、中絶、貧困、殺人、精神障害、性的少数者など、それまで比較的タブーだった事案を直接的に表現する作品が増えている。", "title": "概要" } ]
青春映画(せいしゅんえいが)は、若者特有の夢や挫折、友情や初恋、冒険と旅立ちを描いた映画のジャンルである。
'''青春映画'''(せいしゅんえいが)は、[[若者]]特有の夢や挫折、[[友情]]や[[恋愛|初恋]]、[[冒険]]と旅立ちを描いた[[映画のジャンル]]である<ref>{{Cite web|url=https://www.definitions.net/definition/teen+film |title=Definitions for teen film |publisher=Definitions |accessdate=2022-06-03}}</ref>。 == 概要 == {{ external media| video1 = [https://www.youtube.com/watch?v=3snLiEL3Pzw 『幕が上がる』映画予告編] - YouTube<br />[[高校演劇]]を舞台にした青春映画。文学作品を著名な[[映画監督|監督]]([[本広克行]])が映画化した例である。}} [[ベストセラー]]になった[[文学]]作品を[[映画化]]したものも多い。このジャンルでは、往々にして1作で[[映画]]の新しいスターを生み出してきた。 [[スポーツ]]、悲恋、仲間との友情、試練とその克服などテーマはほとんどこのジャンルでは一定のものである。それを時代の流行などでアレンジし、繰り返し焼きなおしては製作されているが、いつの時代にもそれなりに共感と賛同を集められるのが、このジャンルである。 ただ、それぞれの作品は、その舞台となった時代の[[社会階級]]間の対立、[[家族]]や[[宗教]]、[[民族|エスニック]]集団同士の間の抗争などを背景にして若者の恋愛の悲劇を描いたりすることが多い。古典的な作品としては、『[[ロミオとジュリエット#映画|ロミオとジュリエット]]』がある。この作品自体が何度も映画化されたばかりでなく、『[[ウエスト・サイド物語 (映画)|ウエスト・サイド物語]]』を始めとする、時代・国などの[[設定 (物語)|設定]]を変えた多くの翻案作品を派生した。 [[1990年代]]頃からは、より多様な問題を扱うようになり、[[思春期]]の[[性欲|性]]、[[女子高生]]、[[いじめ]]、[[レイプ]]、[[おたく]]、[[アルコール依存症]]、[[薬物乱用]]、[[妊娠]]、[[人工妊娠中絶|中絶]]、[[貧困]]、[[殺人]]、[[精神障害]]、[[性的少数者]]など、それまで比較的[[タブー]]だった事案を直接的に表現する作品が増えている<ref>{{cite book|last=Driscoll|first=Catherine|title=Teen Film: A Critical Introduction|url=https://books.google.com/books?id=9qIlX7DcSusC|date=2011-06-15|publisher=Berg|isbn=9781847886866}}</ref>。 == 代表的な作品 == <!-- 50音順 --> {{columns-list|3| * [[藍色夏恋]] * [[愛と青春の旅だち]] * [[アウトサイダー (1983年の映画)|アウトサイダー]] * [[青い山脈 (映画)|青い山脈]] * [[遊び (映画)|遊び]] * [[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]]<!-- 冒険者の振り仮名は「アドベンチャー」 --> * [[あの夏、いちばん静かな海。]] * [[アメリカン・グラフィティ]] * [[いまを生きる]] * [[ウエスト・サイド物語 (映画)|ウエスト・サイド物語]] * [[エデンの東 (映画)|エデンの東]] * [[エドワード・ヤンの恋愛時代]] * [[大人は判ってくれない]] * [[カップルズ]] * [[キッズ・リターン]] * [[きっと、うまくいく]] * [[狂った果実 (小説)#映画|狂った果実]] * [[グローイング・アップ (映画)|グローイング・アップ]] * [[けんかえれじい]] * [[恋する惑星]] * [[子供たちの城]] * [[サタデー・ナイト・フィーバー]] * [[さよなら、僕らの夏]] * [[さらば青春の光 (映画)|さらば青春の光]] * [[JKエレジー]] * [[少年の君]] * [[深呼吸の必要 (映画)|深呼吸の必要]] * [[ジャック・ニコルソンの嵐の青春]] * [[スタンド・バイ・ミー]] * [[ストリート・オブ・ファイヤー]] * [[青春残酷物語]] * [[青春デンデケデケデケ#映画版|青春デンデケデケデケ]] * [[草原の輝き (映画)|草原の輝き]] * [[ソウルメイト/七月と安生]] * [[卒業 (1967年の映画)|卒業]] * [[ダイナー (映画)|ダイナー]] * [[太陽に突っ走れ]] * [[太陽の季節]] * [[小さな恋のメロディ]] * [[デュー あの時の君とボク]] * [[転校生 (映画)|転校生]] * [[天国の口、終りの楽園。]] * [[同級生 (1998年の映画)|同級生]] * [[時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女]] * [[突然炎のごとく]] * [[トレインスポッティング]] * [[渚のシンドバッド (映画)|渚のシンドバッド]] * [[波の数だけ抱きしめて]] * [[バスケットボール・ダイアリーズ]] * [[二十才の微熱]] * [[初体験/リッジモント・ハイ]] * [[八月の濡れた砂]] * [[はちどり (映画)|はちどり]] * [[花とアリス]] * [[ビッグ・ウェンズデー (映画)|ビッグ・ウェンズデー]] * [[福井青春物語]] * [[ブレックファスト・クラブ]] * [[風櫃の少年]] * [[冒険者たち]] * [[ボーイ・ミーツ・ガール (映画)|ボーイ・ミーツ・ガール]] * [[マイ・プライベート・アイダホ]] * [[幕が上がる]] * [[マレーナ]] * [[無聲 The Silent Forest]] * [[メイド・イン・ホンコン]] * [[野性の葦]] * [[ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー]] * [[ラブ&ポップ#映画|ラブ&ポップ]] * [[リアリティ・バイツ]] * [[リバース・エッジ (1986年の映画)|リバース・エッジ]] * [[理由なき反抗]] * [[ロミオ+ジュリエット]] * [[若草物語#映画|若草物語]] * [[若大将シリーズ]] * [[若者のすべて (映画)|若者のすべて]] }} == 出典 == {{reflist}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:せいしゆんえいか}} [[Category:青春映画]] [[Category:各国の青春映画]]
null
2022-08-22T05:59:50Z
false
false
false
[ "Template:Cite book", "Template:Normdaten", "Template:External media", "Template:Columns-list", "Template:Reflist", "Template:Cite web" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%98%A5%E6%98%A0%E7%94%BB
3,102
ホラー映画
ホラー映画(ホラーえいが)または恐怖映画(きょうふえいが)は、映画のジャンルの一つ。観る者が恐怖感(英語でいうところのHorror、Fear、Terrorなど)を味わって楽しむことを想定して制作されているものを広く指す。また、ゾンビ、殺人鬼、幽霊、吸血鬼、悪魔、怪物、精神疾患、非行少年、性的逸脱など、観客に恐怖感を与えるためにホラー映画で用いられる素材や題材を含むものを(それが恐怖感を与えるためのものかにかかわらず)、ホラー映画とする場合もある。ホラー映画は日本、韓国、イタリア、タイなどで特に普及している。 ホラーの他に、ジャンルの名前がそのまま感情の名前でもあるものにサスペンス映画とスリラー映画があるが、これらはホラーと密接に関連している。あえて分けて呼ぶ場合は、ゾンビやオカルトなど超自然的要素を扱うものをホラー映画として狭義に括り、現実世界の殺人鬼や犯罪者を描くものをサスペンス映画、スリラー映画と呼ぶ場合も多いが、厳密な定義はない。 また、スプラッター映画は、典型的には血しぶきや惨殺死体などの直接的な描写(スラッシャーとも呼ばれる)によって定義されるジャンルだが、これも恐怖感を引き起こす手段として多用されるため、基本的にはホラーのサブジャンルと見なされる。サスペンスと同様、性行為などのエロティシズムなども内包されているものが多い。 また、サブジャンルとして、ホラーとは対照的な存在であるコメディをひとつの要素として取り入れたコメディ・ホラーや、祝祭日を題材としたホリデイ・ホラーなどが挙げられる。 映画黎明期の19世紀末より、ホラー作品の製作記録は多くある。1891年にエジソンが「キネトスコープ」を発明し、リュミエール兄弟がそれを改良した「シネマトグラフ」を発表した1895年、アメリカのアルフレッド・クラークによって発表された『メアリー女王の処刑』(『The Execution of Mary, Queen of Scots』あるいは『The Execution of Mary Stuart』)は世界初のホラー映画として名を挙げられる。ただし本作は14秒と非常に短いものであり、のぞき窓から映像を見てひとりで楽しむという、現代の「暗所で鑑賞する大衆娯楽」という映画のスタイルとはまるで異なるものであった。 後のホラー映画に大きな影響を与えた始祖的存在としては、1920年のドイツ映画『カリガリ博士』が知られている。1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』も著作権者の許可を得ない非公式作ながら、重要な映画と位置づけられている。 1925年のアメリカ映画『オペラの怪人』は、千の顔を持つ男と称された名優ロン・チェイニーが髑髏のような恐ろしいメイクでファントムを演じ、サイレントホラーの伝説的作品となった。ゴシック・ロマンスを題材とし、強力な個性を持った怪奇スターが看板となるホラー映画のスタイルを決定付けた。 トーキーの時代を迎えた1931年、アメリカのユニバーサル映画は『魔人ドラキュラ』と『フランケンシュタイン』を大ヒットさせ、ホラーのリーディングカンパニーとなった。1930年に早世したチェイニーに替わり、ドラキュラを演じたベラ・ルゴシと、フランケンシュタイン・モンスターを演じたボリス・カーロフが2大怪奇スターとなった。他社も追随し、吸血鬼、ミイラ、狼男ら怪物達や、エドガー・アラン・ポー作品、『ジキル博士とハイド氏』等を題材としたホラーの名作が多く作られた。 1940年代に入るとチェイニーの息子で『狼男』を代表作とするロン・チェイニー・ジュニアが怪奇スターとして台頭した。40年代半ばにはユニバーサル・ホラーは一作に複数の怪物が登場するエンターテインメント色の強い作品が主流となるが、結果としてこの路線はホラーの衰退を招いた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ホラー映画(ホラーえいが)または恐怖映画(きょうふえいが)は、映画のジャンルの一つ。観る者が恐怖感(英語でいうところのHorror、Fear、Terrorなど)を味わって楽しむことを想定して制作されているものを広く指す。また、ゾンビ、殺人鬼、幽霊、吸血鬼、悪魔、怪物、精神疾患、非行少年、性的逸脱など、観客に恐怖感を与えるためにホラー映画で用いられる素材や題材を含むものを(それが恐怖感を与えるためのものかにかかわらず)、ホラー映画とする場合もある。ホラー映画は日本、韓国、イタリア、タイなどで特に普及している。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ホラーの他に、ジャンルの名前がそのまま感情の名前でもあるものにサスペンス映画とスリラー映画があるが、これらはホラーと密接に関連している。あえて分けて呼ぶ場合は、ゾンビやオカルトなど超自然的要素を扱うものをホラー映画として狭義に括り、現実世界の殺人鬼や犯罪者を描くものをサスペンス映画、スリラー映画と呼ぶ場合も多いが、厳密な定義はない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "また、スプラッター映画は、典型的には血しぶきや惨殺死体などの直接的な描写(スラッシャーとも呼ばれる)によって定義されるジャンルだが、これも恐怖感を引き起こす手段として多用されるため、基本的にはホラーのサブジャンルと見なされる。サスペンスと同様、性行為などのエロティシズムなども内包されているものが多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "また、サブジャンルとして、ホラーとは対照的な存在であるコメディをひとつの要素として取り入れたコメディ・ホラーや、祝祭日を題材としたホリデイ・ホラーなどが挙げられる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "映画黎明期の19世紀末より、ホラー作品の製作記録は多くある。1891年にエジソンが「キネトスコープ」を発明し、リュミエール兄弟がそれを改良した「シネマトグラフ」を発表した1895年、アメリカのアルフレッド・クラークによって発表された『メアリー女王の処刑』(『The Execution of Mary, Queen of Scots』あるいは『The Execution of Mary Stuart』)は世界初のホラー映画として名を挙げられる。ただし本作は14秒と非常に短いものであり、のぞき窓から映像を見てひとりで楽しむという、現代の「暗所で鑑賞する大衆娯楽」という映画のスタイルとはまるで異なるものであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "後のホラー映画に大きな影響を与えた始祖的存在としては、1920年のドイツ映画『カリガリ博士』が知られている。1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』も著作権者の許可を得ない非公式作ながら、重要な映画と位置づけられている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1925年のアメリカ映画『オペラの怪人』は、千の顔を持つ男と称された名優ロン・チェイニーが髑髏のような恐ろしいメイクでファントムを演じ、サイレントホラーの伝説的作品となった。ゴシック・ロマンスを題材とし、強力な個性を持った怪奇スターが看板となるホラー映画のスタイルを決定付けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "トーキーの時代を迎えた1931年、アメリカのユニバーサル映画は『魔人ドラキュラ』と『フランケンシュタイン』を大ヒットさせ、ホラーのリーディングカンパニーとなった。1930年に早世したチェイニーに替わり、ドラキュラを演じたベラ・ルゴシと、フランケンシュタイン・モンスターを演じたボリス・カーロフが2大怪奇スターとなった。他社も追随し、吸血鬼、ミイラ、狼男ら怪物達や、エドガー・アラン・ポー作品、『ジキル博士とハイド氏』等を題材としたホラーの名作が多く作られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1940年代に入るとチェイニーの息子で『狼男』を代表作とするロン・チェイニー・ジュニアが怪奇スターとして台頭した。40年代半ばにはユニバーサル・ホラーは一作に複数の怪物が登場するエンターテインメント色の強い作品が主流となるが、結果としてこの路線はホラーの衰退を招いた。", "title": "歴史" } ]
ホラー映画(ホラーえいが)または恐怖映画(きょうふえいが)は、映画のジャンルの一つ。観る者が恐怖感(英語でいうところのHorror、Fear、Terrorなど)を味わって楽しむことを想定して制作されているものを広く指す。また、ゾンビ、殺人鬼、幽霊、吸血鬼、悪魔、怪物、精神疾患、非行少年、性的逸脱など、観客に恐怖感を与えるためにホラー映画で用いられる素材や題材を含むものを(それが恐怖感を与えるためのものかにかかわらず)、ホラー映画とする場合もある。ホラー映画は日本、韓国、イタリア、タイなどで特に普及している。
{{出典の明記|date=2014年2月}} [[File:Horrorfilm.svg|thumb|200px|ホラー映画の[[アイコン]]]] '''ホラー映画'''(ホラーえいが)または'''恐怖映画'''(きょうふえいが)は、[[映画]]の[[ジャンル]]の一つ。観る者が[[恐怖感]](英語でいうところのHorror、Fear、Terrorなど)を味わって楽しむことを想定して制作されているものを広く指す。また、[[ゾンビ]]、[[シリアルキラー|殺人鬼]]、[[幽霊]]、[[吸血鬼]]、[[悪魔]]、[[怪物]]、[[精神疾患]]、[[少年犯罪|非行少年]]、[[性的倒錯|性的逸脱]]など、観客に恐怖感を与えるためにホラー映画で用いられる[[素材]]や[[題材]]を含むものを(それが恐怖感を与えるためのものかにかかわらず)、ホラー映画とする場合もある。ホラー映画は[[日本映画|日本]]、[[韓国の映画|韓国]]、[[イタリアの映画|イタリア]]、[[タイの映画|タイ]]などで特に普及している。 {{Main2|日本のホラー映画|:en:Japanese horror}} ==概要== ホラーの他に、ジャンルの名前がそのまま感情の名前でもあるものに[[サスペンス映画]]と[[スリラー映画]]があるが、これらはホラーと密接に関連している。あえて分けて呼ぶ場合は、ゾンビやオカルトなど超自然的要素を扱うものをホラー映画として狭義に括り、現実世界の殺人鬼や犯罪者を描くものをサスペンス映画、スリラー映画と呼ぶ場合も多いが、厳密な[[定義]]はない。 また、[[スプラッター映画]]は、典型的には血しぶきや惨殺死体などの直接的な描写([[スラッシャー映画|スラッシャー]]とも呼ばれる)によって定義されるジャンルだが、これも恐怖感を引き起こす手段として多用されるため、基本的にはホラーの[[サブジャンル]]と見なされる。サスペンスと同様、[[性行為]]などの[[エロティシズム]]なども内包されているものが多い。 また、サブジャンルとして、ホラーとは対照的な存在である[[コメディ]]をひとつの要素として取り入れた{{仮リンク|コメディ・ホラー|en|Comedy horror}}や、祝祭日を題材とした[[ホリデイ・ホラー]]などが挙げられる。 ==歴史== ===ホラー映画の誕生=== 映画黎明期の[[19世紀]]末より、ホラー作品の製作記録は多くある。1891年に[[トーマス・エジソン|エジソン]]が「[[キネトスコープ]]」を発明し、[[リュミエール兄弟]]がそれを改良した「[[シネマトグラフ]]」を発表した1895年、アメリカのアルフレッド・クラークによって発表された『[[メアリー女王の処刑]]』(『The Execution of Mary, Queen of Scots』あるいは『The Execution of Mary Stuart』)は世界初のホラー映画として名を挙げられる。ただし本作は14秒と非常に短いものであり、のぞき窓から映像を見てひとりで楽しむという、現代の「暗所で鑑賞する大衆娯楽」という映画のスタイルとはまるで異なるものであった。 後のホラー映画に大きな影響を与えた始祖的存在としては、[[1920年]]の[[ドイツ映画]]『[[カリガリ博士]]』が知られている。[[1922年]]の『[[吸血鬼ノスフェラトゥ]]』も著作権者の許可を得ない非公式作ながら、重要な映画と位置づけられている。 [[1925年]]のアメリカ映画『[[オペラの怪人 (1925年の映画)|オペラの怪人]]』は、千の顔を持つ男と称された名優[[ロン・チェイニー]]が髑髏のような恐ろしいメイクでファントムを演じ、'''サイレントホラー'''の伝説的作品となった。[[ゴシック#ゴシック・ロマンス|ゴシック・ロマンス]]を題材とし、強力な個性を持った怪奇スターが看板となるホラー映画のスタイルを決定付けた。 ===トーキー時代のホラー映画=== [[トーキー]]の時代を迎えた[[1931年]]、アメリカの[[ユニバーサル映画]]は『[[魔人ドラキュラ]]』と『[[フランケンシュタイン (1931年の映画)|フランケンシュタイン]]』を大ヒットさせ、ホラーのリーディングカンパニーとなった。[[1930年]]に早世したチェイニーに替わり、[[ドラキュラ伯爵]]を演じた[[ベラ・ルゴシ]]と、[[フランケンシュタイン]]・モンスターを演じた[[ボリス・カーロフ]]が2大怪奇スターとなった。他社も追随し、[[吸血鬼]]、[[ミイラ]]、[[狼男]]ら怪物達や、[[エドガー・アラン・ポー]]作品、『[[ジキル博士とハイド氏]]』等を題材としたホラーの名作が多く作られた。 [[1940年代]]に入るとチェイニーの息子で『[[狼男 (1941年の映画)|狼男]]』を代表作とする[[ロン・チェイニー・ジュニア]]が怪奇スターとして台頭した。40年代半ばには[[ユニバーサル・モンスターズ|'''ユニバーサル・ホラー''']]は一作に複数の怪物が登場する[[エンターテインメント]]色の強い作品が主流となるが、結果としてこの路線はホラーの衰退を招いた。 === 1960年代 === [[File:Zombies NightoftheLivingDead.jpg|thumb|300px|ホラー映画の『[[ナイト・オブ・ザ・リビングデッド]]』の一場面。]] ; モンスター映画のリメイク : [[第二次世界大戦]]後、[[ファンタジー]]映画の主流は[[サイエンス・フィクション|SF]]に移り、ホラーは低迷する。それを復興させたのは[[イギリス]]の[[ハマー・フィルム・プロダクション]]であった。ユニバーサル・ホラーのカラーフィルムによる[[リメイク]]と位置づけられる『[[フランケンシュタインの逆襲 (1957年の映画)|フランケンシュタインの逆襲]]』(1957年)と『[[吸血鬼ドラキュラ (1958年の映画)|吸血鬼ドラキュラ]]』(1958年)は世界的にヒットし、両作に出演した[[ピーター・カッシング]]と[[クリストファー・リー]]が新たなスターとなった。続いてミイラ、狼男ら[[ユニバーサル・モンスターズ]]も続々復活した。 : ハマーの隆盛に対し、アメリカの映画製作会社[[アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ|AIP]]は、[[1960年]]より[[ヴィンセント・プライス]]主演の[[エドガー・アラン・ポー]]作品を原作とするホラーの名作を連続ヒットさせた。 ; スプラッター映画の誕生 : 一方で、独立プロの[[ハーシェル・ゴードン・ルイス]]監督が、ストーリー性よりも過激な残酷描写による視覚的衝撃を重視する猟奇的な映画を製作。[[特殊メイク]]による過激な流血描写を強調した'''[[スプラッター映画]]'''の誕生であった。1963年の『血の祝祭日』(1963年)以降、1970年代までルイスはこの種の「血みどろ映画」を量産するが、それらの作品は俗悪なキワモノ映画としか世間からは認識されなかった。 === 1970年代 === ; スプラッター映画の浸透 : しかし、[[1970年代]]に入ると、それまで『[[血ぬられた墓標]]』(1960年)などの古典的なゴシック怪奇映画で知られていたイタリアの[[マリオ・バーヴァ]]監督が、特殊メイクによる過激な残酷描写を取り入れた『血みどろの入江』(1971年)を発表。素人俳優をキャスティングして作りもアマチュア臭ただようH・G・ルイス作品とは異なり国際的な知名度を持つ名優の出演と一流の技術によって制作された初のスプラッター映画として世界に衝撃を与えた。 : バーヴァの『血みどろの入江』を皮切りに、当時イタリアで流行していた'''[[ジャッロ]]'''とよばれる推理サスペンス映画が、生々しい残酷描写を積極的に取り入れ始める。セルジオ・マルティーノ監督による『影なき淫獣』(1973年)や[[ダリオ・アルジェント]]監督による『[[サスペリアPART2]]』(1975年)といった70年代のイタリア製スリラーでは、犯人捜しの推理ミステリーの体裁を取りながら、血みどろのスプラッター描写を露骨に表現したことで刺激に飢えた若い観客からの支持を得た。 : さらに、アメリカの[[トビー・フーパー]]監督による『[[悪魔のいけにえ]]』(1974年)、イギリスの[[ピート・ウォーカー (映画監督)|ピート・ウォーカー]]監督による『フライトメア』(1974年)、カナダの[[デヴィッド・クローネンバーグ]]監督による『[[ラビッド]]』(1977年)や[[ボブ・クラーク]]監督による『[[暗闇にベルが鳴る]]』(1974年)といった、高い技術と緻密な脚本・演出に支えられた現代的な残酷ホラーが多く製作される。これらの作品はH・G・ルイスが狙ったような単なる表面的な血みどろ描写による刺激だけではなく、残酷シーンの痛々しさを通して人間心理にひそむ狂気や異常性の恐ろしさを描き上げたという点で、当時としてはリアルで現代的な感覚を持った恐怖映画だったと言える。 ; 動物パニック映画ブーム : また、[[アルフレッド・ヒッチコック]]監督の『[[鳥 (1963年の映画)|鳥]]』(1963年)のヒットを経て、70年代中盤には'''[[動物パニック映画]]'''ブームが巻き起こる。中でも大ヒット作である『[[ジョーズ]]』(1975年)を筆頭に、巨大クマの恐怖を描いた『[[グリズリー (映画)|グリズリー]]』(1976年)、シャチの襲撃を描いた『[[オルカ (映画)|オルカ]]』(1977年)、殺人蜂の襲来を描いた『[[スウォーム]]』(1978年)など、さまざまな動物や昆虫が人間を襲う作品が次々と公開された。 ; オカルト映画ブーム : 一方で、1970年代には『[[ローズマリーの赤ちゃん]]』(1968年)を起源として、[[ウィリアム・フリードキン]]監督による『[[エクソシスト (映画)|エクソシスト]]』(1973年)が爆発的なヒット。それを皮切りに、[[オカルト|'''オカルト映画''']]の大ブームが巻き起こる。かねてから注目を集めていた[[占い]]や自称[[超能力]]者の[[ユリ・ゲラー]]が仕掛けた超能力ブームに後押しされる形で、悪魔や心霊現象や超能力と言った神秘的な事柄に対する人々の関心が高まり、世界各国の映画会社は積極的にオカルト映画を発表。 : ハリウッドは『[[ヘルハウス (映画)|ヘルハウス]]』(1973年)、『[[オーメン]]』(1976年)、『[[キャリー (1976年の映画)|キャリー]]』(1976年)、『[[家 (1976年の映画)|家]]』(1976年)、『[[オードリー・ローズ]]』(1977年)などの心霊現象や悪魔や超能力などを扱ったオカルト映画を量産し、興業面でも批評面でも大いなる成果を得た。 : 娯楽[[映画産業]]に勢いがあったイタリア映画界もブームに乗じて、悪魔や魔女の恐怖を描いたオカルト映画を量産。特にダリオ・アルジェント監督の『[[サスペリア]]』(1976年)はハリウッドの大作に匹敵するほどの大成功を収めた。 : イタリアほど話題作は多くなかったが、スペイン映画界からは『[[ザ・チャイルド (1976年の映画)|ザ・チャイルド]]』(1976年)が発表されて話題を呼んだ。オカルト映画の体裁を取りながらも不条理な風刺劇といった趣の映画だが、子供たちが突然大人を殺し始めると言った寓話的でショッキングなストーリーが世界に大きな衝撃を与えた。 : スプラッター映画とオカルト映画の流行に押される形で、クラシカルなハマーやAIP作品は衰退していく。ホラー映画も新しい時代を迎えつつあった。 === 1980年代 === ; スラッシャー映画の黄金期 : [[1980年代]] には[[レンタルビデオ|ビデオレンタル]]・バブルを追い風に、ホラー映画の需要は増加した。中でも[[ジョン・カーペンター]]の『[[ハロウィン (1978年の映画)|ハロウィン]]』(1978年)が大ヒットしたことで、殺人鬼が若者を襲うという[[フォーマット]]を模倣した'''[[スラッシャー映画]]'''が黄金時代を迎えることになる。『[[13日の金曜日シリーズ#13日の金曜日(1980年)|13日の金曜日]]』(1980)、『[[エルム街の悪夢]]』(1984)、『[[チャイルド・プレイ (1988年の映画)|チャイルド・プレイ]]』(1988)、『[[キャンディマン (1992年の映画)|キャンディマン]]』(1992)など様々な形のスラッシャー映画が量産された。 : 特に『13日の金曜日』は1980年代の映画シリーズの中では最も影響力の大きいシリーズの一つと言われており、11本の映画、[[ノベライズ]]、[[コミカライズ]]そして様々な収集価値の高い[[グッズ]]の生産で伝説的なシリーズであった。 ; SFホラーの確立 : 1979年には[[リドリー・スコット]]監督による『[[エイリアン (映画)|エイリアン]]』が大ヒットし、'''SFホラー'''という新たなジャンルを確立する。続いて『[[遊星からの物体X]]』(1982年)や『[[グレムリン (映画)|グレムリン]]』(1984年)、ホラー要素も強かった<ref>{{Cite web|和書|url=https://cinemore.jp/jp/erudition/1030/article_1032_p2.html |title=『ターミネーター』はなぜ古びない?時代を超越する「恐怖」と「構成力」 |publisher =CINEMORE |accessdate=2023-10-27}}</ref>[[ジェームズ・キャメロン]]監督の『[[ターミネーター (映画)|ターミネーター]]』(1984年)、『[[クリッター (映画)|クリッター]]』(1986年)などがヒットした。また『[[スキャナーズ]]』(1981年)や『[[ヴィデオドローム]]』(1982年)『[[ザ・フライ]]』(1986年)など[[デヴィッド・クローネンバーグ]]作品が[[カルト映画|カルト的な人気を博す]]も、『エイリアン』の続編である『[[エイリアン2]]』(1986年)ではホラー要素が薄れてアクション要素が大幅に強まり、その後も『[[プレデター (映画)|プレデター]]』(1987年)などのヒットでSFホラーはすぐにSFアクションへと吸収され、衰退していくことになる。 : 一方で、1997年には後に「[[バイオハザード (映画シリーズ)|バイオハザードシリーズ]]」を手掛ける[[ポール・W・S・アンダーソン]]監督作で、「[[宇宙船]]内の恐怖」を描いたSFホラー映画『[[イベント・ホライゾン]]』が公開される。興行的には失敗したが、[[ビデオソフト]]がリリースされるとカルト的な人気を博し、以降同じく宇宙船が舞台のSFホラー映画である『[[サンシャイン 2057]]』(2007年)と『[[ライフ (2017年の映画)|ライフ]]』(2017年)が10年毎に公開されるという現象も起こった。 ; ファウンド・フッテージの登場 : 1980年には[[セクスプロイテーション|セクスプロイテーション映画]]であり、[[モキュメンタリー|モキュメンタリー映画]]の先駆けでもある『[[食人族]]』が公開される。本作は、本物の殺人映像('''[[スナッフフィルム]]''')のように見せかけた宣伝方法などで注目を浴び、[[動物虐待]]、[[人肉食]]、[[強姦]]シーンが盛り込まれた映画でありながら、10億円近い配給収入を上げる大ヒットを記録した。第三者によって映像が流出した設定で展開される'''[[ファウンド・フッテージ]]'''と呼ばれる手法は、後に『[[ブレア・ウィッチ・プロジェクト]]』(1999年)で再び注目されることとなる。 === 1990年代 === ; サイコスリラーの流行 : [[1990年代]]には『[[危険な情事]]』(1987年)のヒットを皮切りに、『[[ミザリー (映画) |ミザリー]]』(1990年)や『[[セブン (映画)|セブン]]』(1995年)といった'''サイコスリラー'''へと流行が移り変わる。1991年には、[[ジョディ・フォスター]]や[[アンソニー・ホプキンス]]が主演のホラー映画『[[羊たちの沈黙 (映画)|羊たちの沈黙]]』が、[[第64回アカデミー賞]]で[[アカデミー賞主要5部門候補作品の一覧|主要5部門]]を受賞し、ホラー映画史上初の[[アカデミー作品賞]]という快挙を果たした。 ; 青春学園ホラー : 青春・学園物とホラーをミックスさせた映画は、古くは『[[キャリー (1976年の映画)|キャリー]]』(1976年)や『[[プロムナイト]]』(1980年)、『[[フライトナイト]]』(1985年)などが挙げられる。 : 同ジャンルから暫くはヒット作が出なかったが、1996年に『[[エルム街の悪夢]]』で知られる[[ウェス・クレイヴン]]監督の青春学園ホラー『[[スクリーム (1996年の映画)|スクリーム]]』が公開。ホラー映画のお決まりパターンを風刺しながら若者が殺されていくという斬新な設定が話題を呼び、当時のスラッシャー映画として最高の興行収入を記録。これによりマンネリ化していたスラッシャー映画に新たな風が吹く。派生作品として『[[ラストサマー]]』(1997年)や『[[ルール (映画)|ルール]]』(1998年)『[[バレンタイン (映画)|バレンタイン]]』(2001年)など『[[スクリーム (1996年の映画)|スクリーム]]』同様にミステリー要素の強いものや、エイリアンによる寄生を描いたSF要素の強い『[[パラサイト (1998年の映画)|パラサイト]]』(1998年)、「死の運命」という目に見えない存在に襲われる『[[ファイナル・デスティネーション]]』(2000年)などが人気を博した。 ; ホラーアクションの確立 : 1990年代後半に入ると、[[アメコミ]]を[[スーパーヒーロー映画|実写映画化]]した『[[スポーン (映画)|スポーン]]』(1997年)と『[[ブレイド (映画)|ブレイド]]』(1998年)が公開され、ホラーアクションという新たなジャンルを開拓させた。以降『[[エンド・オブ・デイズ]]』(1999年)、『[[バイオハザード (映画)|バイオハザード]]』(2001年)、『[[アンダーワールド (2003年の映画)|アンダーワールド]]』(2003年)、『[[ヴァン・ヘルシング (映画)|ヴァン・ヘルシング]]』(2004年)、『[[コンスタンティン (映画)|コンスタンティン]]』(2005年)、『[[デス・プルーフ in グラインドハウス]]』(2007年)など、ホラーとアクションを融合させた映画が多く製作されるようになった。一般的なアクション映画と同様に、怖さよりもアクションの迫力を見せ場としている点が特徴。 === 2000年代 === ; ソリッド・シチュエーション・ホラー : [[1997年]]の『[[キューブ (映画)|キューブ]]』のヒットを経て、2000年代には限られた空間でストーリーが展開する'''[[ワンシチュエーション|ソリッド・シチュエーション・ホラー]]'''が大きなブームとなる。中でも『[[ソウ (映画)|ソウ]]』がホラー映画界において異例の大ヒットを記録した。人間による人間の恐怖を徹底的に表現し、残酷なシーンの多様化、究極の苦痛を求めた映画として話題を呼んだ。また 『[[ホステル (映画)|ホステル]]』(2005年)や『[[ウルフクリーク/猟奇殺人谷]]』(2005年)などを皮切りに、'''トーチャーポルノ'''(拷問ポルノ)と呼ばれる残酷シーンに特化したジャンルのホラー映画が勢いを付けた。 ; フレンチ・ホラー : また21世紀に入るまではホラー映画のイメージが薄かったフランス映画界だったが<ref>{{Cite web|和書|title=トラウマ必至!不快指数120%のフレンチ・ホラー映画の旗手たちによる3選!|url=https://cinema.ne.jp/article/detail/45211?page=1 |website=CINEMAS+ |access-date=2023-07-25 |language=ja}}</ref>、1990年代後期からフランスを中心に過剰な性描写や暴力表現などを使用した{{仮リンク|ニューエクストリミティ|en|New Extremity}}と呼ばれる映画運動が起きたことで、2003年にその意図を汲んだ『[[ハイテンション (映画)|ハイテンション]]』(2003年)が公開される。本作のヒットを皮切りに、過激なゴア描写やスタイリッシュさを基調とした'''フレンチ・ホラー'''というジャンルが確立し、後に公開される『[[屋敷女]]』(2007年)『[[フロンティア (映画)|フロンティア]]』(2007年)『[[マーターズ]]』(2008年)の3作品を含めて、4大フレンチホラー(フレンチホラー四天王)と呼ばれるようになった。これらの一連のブームを総称して、ニュー・ウェイブ・オブ・フレンチ・ホラー(New Wave of French Horror)<ref>{{Cite web|和書|title=BEYOND BLOOD (字幕版)|url=https://www.amazon.co.jp/BEYOND-BLOOD-字幕版-アレクサンドル・アジャ/dp/B084F14K69|website=Amazon prime video |access-date=2023-07-25 |language=ja}}</ref>、またはフランス新過激主義(New French Extremity)と言う。 ;ホーム・インベージョン : また『[[ファニーゲーム]]』(1998年)の登場、そしてフレンチ・ホラーとソリッド・シチュエーション・ホラーの流行によって、自宅に何者かが侵入、もしくは襲撃される'''ホーム・インベージョン'''と呼ばれるジャンルも定着する。上記のフレンチホラー四天王と呼ばれる作品から、『[[正体不明 THEM -ゼム‐]]』(2006年)や『[[ゴーストランドの惨劇]]』(2015年)など、多くのフレンチ・ホラーはホーム・インベージョンの形式をとっている。アメリカ映画では『[[ワナオトコ]]』(2009年)や『[[サプライズ (2011年の映画)|サプライズ]]』(2011年)『[[アス (映画)|アス]]』(2019年)などが該当する。 ; ジャパニーズホラーの大ブーム : <!--日本では、1990年代まで「ホラー」という言葉はほとんど知られておらず、'''怪奇映画'''の名称が一般的であった。 1989年の宮崎事件の報道で既にホラーという言葉が普通に使われています-->[[1998年]]に『[[リング (1998年の映画)|リング]]』がヒットすると後に続く'''ジャパニーズホラー'''ブームの火付け役となり、以降『[[仄暗い水の底から]]』(2002年)、『[[呪怨]]』(2003年)、『[[着信アリ]]』(2003年)なども立て続けに成功した。Jホラーブームが世界中で巻き起こると、その後『[[ザ・リング]]』(2002年)や『[[THE JUON 呪怨|呪怨]]』(2004年)、『[[ダーク・ウォーター]]』(2005年)『[[ワン・ミス・コール]]』(2008年)などのJホラーのリメイク作品がアメリカで次々に製作された。『ザ・リング』は4800万ドルの低予算の制作費に対して興行成績が約1億2900万ドルと、予想以上の高回収率で成功を収め、『THE JUON 呪怨』も1,000万ドルの制作費に対して興行収入が1億1000万ドルと、低予算であることを考慮するとビジネス的には成功した。また、『ザ・リング』の[[DVD]]はアメリカでは、初日のみで200万枚売れたことも話題になった。 : 『リング』をはじめとするジャパニーズホラーは[[香港]]を席巻したが<ref name="ニューズウィーク1107">{{Cite news |author=|url=https://www.newsweek.com/cute-power-164150 |title=Cute Power! |newspaper=[[ニューズウィーク]] |publisher= |date=1999-11-07 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190509023151/https://www.newsweek.com/cute-power-164150 |archivedate=2019-05-09 }}</ref>、その理由として、日本と香港の文化的同一性があげられており、登場人物が[[ヒトの髪の色|黒髪]]ではなく[[金髪]]で、アーモンド色の目をしていたら、「信憑性がない」「私たちが彼らに夢中になるのは難しい」という意見がある<ref name="ニューズウィーク1107"/>。 : 日本映画研究者で[[ハーバード大学]][[准教授]]のアレクサンダー・ザルテンは、こうしたJホラーが誕生した背景には1989年に発覚した[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]の影響が大きいと分析している<ref>『[[世界サブカルチャー史 欲望の系譜]]』2023年10月24日放送回</ref>。1980年代当時の日本では、『[[死霊の罠]]』(1988年)や『[[スウィートホーム (映画)|スウィートホーム]]』(1989年)、[[オリジナルビデオ]]作品の『[[ギニーピッグ]]』(1985年)、テレビドラマ『[[魔夏少女]]』(1987年)など、海外のスプラッター映画と同様の[[グロテスク]]な残酷描写を描いた作品が徐々に製作され始めていた時代であったが、前述の事件を[[マスメディア]]が「犯人は[[オタク]]・ホラー[[マニア]]で現実と空想の区別が付かずに犯行に及んだ」「ホラー映画を犯行の手本にした」などと盛んに報道したことで残酷描写が[[タブー]]視されるようになり、自主規制が強化されメジャーシーンではスプラッター作品が製作されなくなってしまい、直接的な残酷描写ではなく雰囲気や心理的に怖がらせるJホラーが副産物的、偶発的に誕生したとされる。このため、Jホラーというジャンルは日本人の感性から生まれたというよりも、そうした歴史的な背景の基に生まれたのものだと指摘している。 ; モキュメンタリー作品の流行 : 一方、1999年に公開された『[[ブレア・ウィッチ・プロジェクト]]』のヒットを経て、2000年代には全編ビデオカメラを用いた[[POV|P.O.V]]方式による'''[[モキュメンタリー]]'''、もしくは'''[[ファウンド・フッテージ]]'''作品が増える。2007年には『[[パラノーマル・アクティビティ]]』が超低予算ながらも[[口コミ]]で話題となり、[[社会現象]]とも言える大ヒットを記録した。他に『[[REC/レック]]』(2007年)、『[[クローバーフィールド/HAKAISHA]]』(2008年)、『[[THE 4TH KIND フォース・カインド]]』(2009年)、『[[グレイヴ・エンカウンターズ]]』(2011年)などがある。 ; クロスオーバー作品のヒット : 2003年には『[[フレディvsジェイソン]]』のような[[クロスオーバー作品]]も登場し、世界中で反響を呼んだ。この作品は映画界において一つの新しい型を生み出し、本作を皮切に以降『[[エイリアンVSプレデター (映画)|エイリアンVSプレデター]]』(2004年)のような他の作品同士のキャラクターを対決させるという映画会社の垣根を超えた作品が製作されている。 ; 往年の名作のリメイク : 洋画においては『[[悪魔のいけにえ]]』、『[[ハロウィン (1978年の映画)|ハロウィン]]』、『[[13日の金曜日シリーズ#13日の金曜日(1980年)|13日の金曜日]]』、『[[エルム街の悪夢]]』など、70年代~80年代にかけての有名なホラー作品が相次いでリメイクされ、いずれの作品もおおむね好意的な評価を得た。 : 特に、『[[IT/イット (テレビドラマ)|IT]]』(1990年)のリメイクである『[[IT/イット “それ”が見えたら、終わり。]]』(2017年)は、ホラー映画史上No.1の興行収入を記録する大ヒットとなった。 === 2010年代~現在 === ; 超自然的ホラーの復権 : 1970年代から1980年代にかけて、『[[家 (1976年の映画)|家]]』(1976年)や『[[チェンジリング (1980年の映画)|チェンジリング]]』(1980年)、特に『[[悪魔の棲む家]]』(1979年)や『[[ポルターガイスト (1982年の映画)|ポルターガイスト]]』(1982年)はシリーズ化もされるなど、「[[一軒家]]での[[超常現象]]・[[心霊現象]]」を描いた[[超自然的ホラー映画]]が人気を博したが、1990年代以降はサイコスリラーやシチュエーションスリラー等の人気に押されて製作本数が激減していた。2010年代に入ると、2010年の『[[インシディアス]]』と2013年の『[[死霊館]]』の二作が久々にヒットしたことで衰退していた超自然的ホラーが復権し始め、その二作に続けとばかりに『[[オキュラス/怨霊鏡]]』(2013年)、『[[MAMA (映画)|MAMA]]』(2013年)、『[[呪い襲い殺す]]』(2014年)、『死霊館』の[[スピンオフ]]である『[[アナベル 死霊館の人形]]』(2014年)、『[[ババドック 暗闇の魔物]]』(2014年)、『[[ラリー スマホの中に棲むモノ]]』(2020年)、『[[ブギーマン (2023年の映画)|ブギーマン]]』(2023年)など、多数の超自然的ホラー映画が公開されるようになった。 ; 新感覚ホラー : [[2010年代]]には『[[ドント・ブリーズ]]』(2016年)や『[[クワイエット・プレイス]]』(2018年)といった“音を立ててはいけない”や、『[[ライト/オフ]]』(2016年)の“電気を消してはいけない”、『[[バイバイマン]]』(2017年)の“名前を口にしたり考えてはいけない”など、これまでにない斬新なアイデアに着目し、全く新しい手法やアプローチを用いる'''新感覚ホラー'''と称される作品が多くなる。また、“誰かと性行為をしなければいけない”という新感覚ホラーでありながら、一種の甘酸っぱい青春映画でもある『[[イット・フォローズ]]』(2014年)や、新感覚ホラーにしてブラックムービーと高い評価を得た『[[ゲット・アウト]]』(2017年)、ミステリー要素とスタイリッシュ・アクションを融合した『[[マリグナント 狂暴な悪夢]]』(2021年)など、ワンアイデアをプラスしたことでホラー映画の域を超えたジャンルレスな作品も多く現れた。特に遺伝性による恐怖を描いた『[[ヘレディタリー/継承]]』(2018年)は「直近50年のホラー映画の中の最高傑作<ref>{{Cite web|url=https://theplaylist.net/hereditary-sundance-review-20180126/|title=‘Hereditary’ Is A Game Changing Horror Masterpiece|accessdate=2018-06-08}}</ref>」「21世紀最高のホラー映画<ref>{{Cite web|url=https://www.flicks.com.au/reviews/hereditary-review-toni-collette-dazzles-in-horror-movie-masterpiece/|title=Hereditary review: Toni Collette dazzles in horror movie masterpiece|accessdate=2018-06-08}}</ref>」と評されている。このようなホラー映画郡が台頭したきっかけとして、[[ブラムハウス・プロダクションズ]]や[[A24 (企業) |A24]]のように、ホラー映画の製作に力を入れる新興スタジオの登場が挙げられる。これらのスタジオは新人、もしくは無名の映画監督を発掘することで、冒険的な作品を生み出すことが可能となった。 ;村ホラー :『[[ウィッチ (映画)|ウィッチ]]』(2016年)と『[[ミッドサマー (映画)|ミッドサマー]]』(2019年)の高評価を皮切りに、世間と隔絶された村で[[宗教|異様宗教]]や[[伝承|民間伝承]]、[[信仰|土着信仰]]、[[カルト|カルト集団]]による恐怖を描く'''村ホラー'''が人気を博す。 アジア圏では『[[哭声/コクソン]]』(2016年)や『[[女神の継承]]』(2021年)『[[呪詛]]』(2022年)などがヒットし、日本でも『[[犬鳴村 (映画)|犬鳴村]]』(2020年)や『[[樹海村]]』(2021年)『[[牛首村]]』(2022年)など恐怖の村シリーズとしてシリーズ化された。 ==代表的なホラー映画== <!-- ● 基本的に、記事ページのある作品のみを記載するものとします。 --> <!-- ● 記事ページのない作品は削除される可能性がありますので、必要と思われる方は記事ページの執筆をお願いします。 --> {{main|Category:各国のホラー映画}} === 海外 === ; 1900年代前半 *[[巨人ゴーレム]](1920年) - [[パウル・ヴェゲナー]]、[[カール・ベーゼ]]監督 *[[カリガリ博士]](1920年) - ローベルト・ヴィーネ監督 *[[狂へる悪魔]](1920年) - [[ジョン・S・ロバートソン]]監督/[[ロバート・ルイス・スティーヴンソン]](原作) *[[吸血鬼ノスフェラトゥ]](1922年) - [[F・W・ムルナウ]]監督 *[[魔女]](1922年) - [[ベンヤミン・クリステンセン]]監督 *[[裏町の怪老窟]](1924年) - [[パウル・レニ]]監督 *[[オペラ座の怪人#1925年版|オペラの怪人]]シリーズ(1925年) - [[ルパート・ジュリアン]]監督/[[ガストン・ルルー]](原作) *[[魔人ドラキュラ]]シリーズ(1931年) - [[トッド・ブラウニング]]監督・カール・フロイント監督/[[ブラム・ストーカー]](原作) *[[フランケンシュタイン (1931年の映画)|フランケンシュタイン]]シリーズ(1931年) - [[ジェイムズ・ホエール]]監督/[[メアリー・シェリー]](原作) *[[ミイラ再生]]シリーズ(1932年) - カール・フロイント + *[[ミイラ再生]]シリーズ(1932年) - カール・フロイント監督 *[[モロー博士の島|獣人島]](1932年) - [[アール・C・ケントン]]監督/[[H・G・ウェルズ]](原作) *[[吸血鬼 (1932年の映画)|吸血鬼]](1932年) - [[カール・テオドア・ドライヤー]]監督 *[[透明人間 (1933年の映画)|透明人間]](1933年) - [[ジェイムズ・ホエール]]監督/[[H・G・ウェルズ]](原作) *[[狼男 (1941年の映画)|狼男]]シリーズ(1941年) - ジョージ・ワグナー監督 *[[キャット・ピープル]](1942年) - [[ジャック・ターナー (映画監督)|ジャック・ターナー]]監督 *[[死体を売る男]](1945年) - [[ロバート・ワイズ]]監督 *[[夢の中の恐怖]](1945年) - [[アルベルト・カヴァルカンティ]]、[[チャールズ・クライトン]]、[[バジル・ディアデン]]、[[ロバート・ハーメル]]監督 ; 1950年代 *[[遊星よりの物体X]](1951年) - [[クリスティアン・ナイビイ]]監督/[[ジョン・W・キャンベル Jr.]](原作) *[[大アマゾンの半魚人]](1954年) - [[ジャック・アーノルド]]監督 *[[ボディ・スナッチャー/恐怖の街]](1956年) - [[ドン・シーゲル]]監督 *[[悪魔の呪い]](1957年) - [[ジャック・ターナー (映画監督)|ジャック・ターナー]]監督 *[[フランケンシュタインの逆襲 (1957年の映画)|フランケンシュタインの逆襲]]シリーズ(1957年) - [[テレンス・フィッシャー]]監督/メアリー・シェリー(原作) *[[吸血鬼ドラキュラ (1958年の映画)|吸血鬼ドラキュラ]]シリーズ(1958年) - テレンス・フィッシャー監督/ブラム・ストーカー(原作) *[[ハエ男の恐怖]](1958年) - [[カート・ニューマン]]監督/[[ジョルジュ・ランジュラン]](原作) *[[顔のない眼]](1959年) - [[ジョルジュ・フランジュ]]監督 *[[ザ・ティングラー 背筋に潜む恐怖]](1959年) - [[ウィリアム・キャッスル]]監督 *[[地獄へつゞく部屋]](1959年) - [[ウィリアム・キャッスル]]監督 ; 1960年代 *[[血を吸うカメラ]](1960年) - [[マイケル・パウエル (映画監督)|マイケル・パウエル]]監督 *[[血ぬられた墓標]](1960年) - [[マリオ・バーヴァ]]監督 *[[未知空間の恐怖/光る眼]](1960年) - [[ウルフ・ リラ]]監督 *[[リトル・ショップ・オブ・ホラーズ]](1960年) - [[ロジャー・コーマン]]監督 *[[サイコ (1960年の映画)|サイコ]]シリーズ(1960年) - [[アルフレッド・ヒッチコック]]監督/[[ロバート・ブロック]](原作) *[[ヘラクレス 魔界の死闘]](1961年) - [[マリオ・バーヴァ]]監督 *[[血の祝祭日]](1963年) - [[ハーシェル・ゴードン・ルイス]]監督 *[[サディスト]](1963年) - [[ジェームズ・ランディス]]監督 *[[シェラ・デ・コブレの幽霊]](1964年) - [[ジョセフ・ステファノ]]、ロバート・スティーヴンス監督 *[[2000人の狂人]](1964年) - [[ハーシェル・ゴードン・ルイス]]監督 *[[反撥]](1965年) - [[ロマン・ポランスキー]]監督 *[[ナイト・オブ・ザ・リビングデッド|リビングデッド]]シリーズ(1968年) - [[ジョージ・A・ロメロ]]監督/ジョン・A・ラッソ(原作) *[[ローズマリーの赤ちゃん]](1968年) - [[ロマン・ポランスキー]]監督 ; 1970年代 *[[血みどろの入江]](1971年) - [[マリオ・バーヴァ]]監督 *[[鮮血の美学]](1972年) - [[ウェス・クレイヴン]]監督 *[[ゾンビ特急"地獄"行]](1972年) - [[ユージニオ・マーティン]]監督 *[[ウィッカーマン (1973年の映画)|ウィッカーマン]](1973年) - [[ロビン・ハーディ]]監督 *[[エクソシスト (映画)|エクソシスト]]シリーズ(1974年) - [[ウィリアム・フリードキン]]監督/[[ウィリアム・ピーター・ブラッティ]](原作) *[[悪魔のいけにえ]]シリーズ(1974年) - [[トビー・フーパー]]監督 *[[拷問の魔人館]](1974年) - [[ピート・ウォーカー (映画監督)|ピート・ウォーカー]]監督 *[[フライトメア]](1974年) - [[ピート・ウォーカー (映画監督)|ピート・ウォーカー]]監督 *[[暗闇にベルが鳴る]](1974年) - [[ボブ・クラーク]]監督 *[[ロッキー・ホラー・ショー]](1975年) - [[ジム・シャーマン]]監督 *[[ジョーズ]]シリーズ(1975年) - [[スティーヴン・スピルバーグ]]監督/[[ピーター・ベンチリー]](原作) *[[家 (1976年の映画)|家]](1976年) - [[ダン・カーティス]]監督 *[[オーメン]]シリーズ(1976年) - [[リチャード・ドナー]]監督 *[[ザ・チャイルド]](1976年) - [[ナルシソ・イバニェス・セラドール]]監督 *[[悪魔のしたたり]](1976年) - [[ジョエル・M・リード]]監督 *[[スナッフ/SNUFF]](1976年) - [[マイケル・フィンドレイ]]、[[ロベルタ・フィンドレイ]]監督 *[[キャリー (1976年の映画)|キャリー]](1976年) - [[ブライアン・デ・パルマ]]監督/[[スティーヴン・キング]](原作) *[[サスペリア]](1977年) - [[ダリオ・アルジェント]]監督/[[トマス・ド・クインシー]](原作) *[[ラビッド]](1977年) - [[デヴィッド・クローネンバーグ]]監督 *[[イレイザーヘッド]](1977年) - [[デヴィッド・リンチ]]監督 *[[ハロウィン_(1978年の映画)|ハロウィン]]シリーズ(1978年) - [[ジョン・カーペンター]]監督 *[[エイリアン (映画)|エイリアン]]シリーズ(1979年) - [[リドリー・スコット]]監督 ; 1980年代 *[[13日の金曜日 (1980年の映画)|13日の金曜日]]シリーズ(1980年) - [[ショーン・S・カニンガム]]監督 *[[シャイニング (映画)|シャイニング]](1980年) - [[スタンリー・キューブリック]]監督/[[スティーヴン・キング]](原作) *[[死霊のはらわた]]シリーズ(1981年) - [[サム・ライミ]]監督 *[[スキャナーズ]](1981年) - [[デヴィッド・クローネンバーグ]]監督 *[[狼男アメリカン]](1981年) - [[ジョン・ランディス]]監督 *[[遊星からの物体X]](1982年) - [[ジョン・カーペンター]]監督/[[ジョン・W・キャンベル Jr.]](原作) *[[バスケットケース]]シリーズ(1982年) - [[フランク・ヘネンロッター]]監督 *バイオニック・マーダラー(1982年) - マイケル・ミラー監督 *[[エルム街の悪夢]]シリーズ(1984年) - [[ウェス・クレイヴン]]監督 *[[グレムリン (映画)|グレムリン]]シリーズ(1984年) - [[ジョー・ダンテ]]監督 *[[レイザーバック]](1984年) - [[ラッセル・マルケイ]]監督/[[ピーター・ブレナン]](原作) *[[フライトナイト]](1985年) - [[トム・ホランド (映画監督)|トム・ホランド]]監督 *[[ザ・フライ]](1986年) - [[デヴィッド・クローネンバーグ]]監督/[[ジョルジュ・ランジュラン]](原作) *[[チャイニーズ・ゴースト・ストーリー]](1987年) - [[チン・シウトン]]監督 *[[ヘル・レイザー]]シリーズ(1987年) - [[クライヴ・バーカー]]監督 *[[ニア・ダーク/月夜の出来事]](1987年) - [[キャスリン・ビグロー]]監督 *[[チャイルド・プレイ]]シリーズ(1988年) - [[トム・ホランド (映画監督)|トム・ホランド]]監督 ; 1990年代 *[[ミザリー (映画)|ミザリー]](1990年) - [[ロブ・ライナー]]監督/[[スティーヴン・キング]](原作) *[[羊たちの沈黙 (映画)|ハンニバル]]シリーズ(1991年) - [[ジョナサン・デミ]]監督/[[トマス・ハリス]](原作) *[[アダムス・ファミリー (1991年の映画)|アダムス・ファミリー]]シリーズ(1991年) - [[バリー・ソネンフェルド]]監督 *[[キャンディマン (1992年の映画)|キャンディマン]]シリーズ(1992年) - [[バーナード・ローズ]]監督 *[[チャック・ノリス in ヘルバウンド/地獄のヒーロー5]](1994年) - アーロン・ノリス監督 *[[インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア]](1994年) - [[ニール・ジョーダン]]監督 *[[セブン (映画)|セブン]](1995年) - [[デヴィッド・フィンチャー]]監督 *[[スクリーム (1996年の映画)|スクリーム]]シリーズ(1996年) - ウェス・クレイヴン監督 *[[ラストサマー]]シリーズ(1997年) - ジム・ギレスピー監督/ロイス・ダンガン(原作) *[[キューブ (映画)|キューブ]]シリーズ(1997年) - [[ヴィンチェンゾ・ナタリ]]監督 *[[ブレイド (映画)|ブレイド]]シリーズ(1998年) - [[スティーヴン・ノリントン]]監督/[[マーヴ・ウォルフマン]]、[[ジーン・コーラン]](原作) *{{仮リンク|レザー・ブレイド|en|Razor Blade Smile}}(1998年) - {{仮リンク|ジェイク・ウエスト|en|Jake West}}監督(劇場未公開・ビデオ発売) *[[ブレア・ウィッチ・プロジェクト]]シリーズ(1999年) - [[ダニエル・マイリック]]、[[エドゥアルド・サンチェス]]監督 ; 2000年代 *[[ファイナル・デスティネーション]]シリーズ(2000年) - [[ジェームズ・ウォン]]監督 *[[バイオハザード (映画)|バイオハザード]]シリーズ(2002年) - [[ポール・W・S・アンダーソン]]監督/[[カプコン]](原作) *[[28日後...]]シリーズ(2002年) - [[ダニー・ボイル]]監督 *[[アンダーワールド (2003年の映画)|アンダーワールド]]シリーズ(2003年) - [[レン・ワイズマン]]監督/[[ケビン・グレヴィオー]](原作) *[[ソウ (映画)|ソウ]]シリーズ(2003年) - [[ジェームズ・ワン]]監督 *[[クライモリ]](2003年) - [[ロブ・シュミット]]監督 *[[マーダー・ライド・ショー]]シリーズ(2004年) - [[ロブ・ゾンビ]]監督 *[[ショーン・オブ・ザ・デッド]](2004年) - [[エドガー・ライト]]監督 *[[ホステル (映画)|ホステル]]シリーズ(2006年) - [[イーライ・ロス]]監督 *[[サイレントヒル (映画)|サイレントヒル]](2006年) - [[クリストフ・ガンズ]]監督 *[[グラインドハウス]](2007年) - [[ロバート・ロドリゲス]]、[[クエンティン・タランティーノ]]監督 *[[REC/レック]](2007年) - [[ジャウマ・バラゲロ]]監督・パコ・プラサ監督 *[[パラノーマル・アクティビティ]]シリーズ(2009年) - [[オーレン・ペリ]]監督 *{{仮リンク|ドッグハウス|en|Doghouse (film)}}(2009年) - ジェイク・ウエスト監督 *[[ゾンビランド]]シリーズ(2009年) - [[ルーベン・フライシャー]]監督 ; 2010年代 *[[ムカデ人間]]シリーズ(2010年) - トム・シックス監督 *[[死霊館シリーズ|死霊館]]シリーズ (2013年) - ジェームズ・ワン監督 *[[IT/イット “それ”が見えたら、終わり。|IT/イット]]シリーズ(2017年)- [[アンディ・ムスキエティ]]監督/[[スティーヴン・キング]](原作) *[[ハッピー・デス・デイ]]シリーズ(2017年)- [[クリストファー・B・ランドン]]監督 *[[クワイエット・プレイス]]シリーズ(2018年)- [[ジョン・クラシンスキー]]監督 === 日本 === ; 1900年代 * [[有馬猫]](1937年) - [[木藤茂]]監督 *[[東海道四谷怪談 (1959年の映画)|東海道四谷怪談]](1959年) - [[中川信夫]]監督/[[鶴屋南北]](原作) *[[地獄 (1960年の映画)|地獄]](1960年) - [[中川信夫]]監督 *[[マタンゴ]](1963年) - [[本多猪四郎]]監督/[[ウィリアム・H・ホジスン]](原作) *[[鬼婆 (映画)|鬼婆]](1964年) - [[新藤兼人]]監督 *[[怪談 (1965年の映画)|怪談]](1965年) - [[小林正樹]]監督/[[小泉八雲]](原作) *[[藪の中の黒猫]](1968年) - [[新藤兼人]]監督 *[[吸血鬼ゴケミドロ]](1968年) - [[佐藤肇]]監督 *[[江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間]](1969年) - [[石井輝男]]監督/[[江戸川乱歩]](原作) *[[幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形|血を吸う]]シリーズ(1970年) - [[山本迪夫]]監督 *[[ハウス (映画)|HOUSE ハウス]](1977年) - [[大林宣彦]]監督 *[[犬神の悪霊]](1977年) - [[伊藤俊也]]監督 *[[震える舌]](1980年) - [[野村芳太郎]]監督/[[三木卓]](原作) *[[ギニーピッグ]]シリーズ(1985年) *[[妖獣都市]](1987年) - [[川尻善昭]]監督/[[菊地秀行]](原作) *[[死霊の罠]](1988年) - [[池田敏春]]監督 *[[スウィートホーム (映画)|スウィートホーム]](1989年) - [[黒沢清]]監督 *[[妖怪ハンター|ヒルコ 妖怪ハンター]](1991年) - [[塚本晋也]]監督/[[諸星大二郎]](原作) *[[オールナイトロング (映画)|オールナイトロング]]シリーズ(1992年) - [[松村克弥]]監督 *[[女優霊]](1996年) - [[中田秀夫]]監督 *[[リング (1998年の映画)|リング]]シリーズ(1998年) - [[中田秀夫]]監督/[[鶴田法男]]監督/[[鈴木光司]](原作) *[[呪怨]]シリーズ(1999年) - [[清水崇]]監督 *[[富江]]シリーズ(1999年) - [[及川中]]監督/[[光石冨士朗]]監督/[[伊藤潤二]](原作) ; 2000年代 *[[オーディション (映画)|オーディション]](2000年) - [[三池崇史]]監督/[[村上龍]](原作) *[[バンパイアハンターD]](2000年) - [[川尻善昭]]監督/[[菊地秀行]](原作) *[[BLOOD THE LAST VAMPIRE]](2000年) - [[北久保弘之]]監督 *[[回路 (映画)|回路]](2001年) - [[黒沢清]]監督 *[[仄暗い水の底から]](2002年)- [[中田秀夫]]監督 *[[極道恐怖大劇場 牛頭 GOZU]](2003年) - [[三池崇史]]監督 *[[着信アリ]]シリーズ(2004年) - [[三池崇史]]監督/[[秋元康]](原作) *[[インプリント〜ぼっけえ、きょうてえ〜]](2006年) - [[三池崇史]]監督/[[岩井志麻子]](原作) *[[片腕マシンガール]](2007年) - [[井口昇]]監督 *[[おろち (漫画)|おろち]](2008年) - [[鶴田法男]]監督/[[楳図かずお]](原作) *[[ひぐらしのなく頃に]]シリーズ(2008年)[[及川中]]監督/[[竜騎士07]](原作) *[[リアル鬼ごっこ]](2008年) - [[柴田一成 (映画監督)|柴田一成]]監督/[[山田悠介]](原作) *[[喰女-クイメ-]](2014年) - [[三池崇史]]監督/[[山岸きくみ]](原作) *[[コープスパーティー]]シリーズ(2015年) - [[山田雅史]]監督/[[祁答院慎]](原作) *[[残穢#映画|残穢]](2016年)- [[中村義洋]]監督/[[小野不由美]](原作) *[[犬鳴村]](2020年)- [[清水崇]]監督 *[[事故物件怪談 恐い間取り#映画|事故物件怪談 恐い間取り]](2020年)- 中田秀夫監督/[[松原タニシ]](原作) == ホラー映画研究書 == *[[小中千昭]] 『ホラー映画の魅力』([[岩波書店]]、2003年) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} ==関連項目== * [[ホラー漫画]] * [[ホラーアニメ]] * [[ホラー小説]] * [[ホラーゲーム]] * [[ファイナル・ガール]] * [[ホラー映画の悪役の一覧]] {{Normdaten}} {{Portal bar|スペキュレイティブ・フィクション|映画}} {{DEFAULTSORT:ほらあえいか}} [[Category:ホラー映画|*]]
2003-03-01T03:18:07Z
2023-12-25T14:54:25Z
false
false
false
[ "Template:仮リンク", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Cite news", "Template:Main2", "Template:Main", "Template:Normdaten", "Template:Portal bar", "Template:出典の明記" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%98%A0%E7%94%BB
3,103
戦争映画
戦争映画(せんそうえいが)は、映画の一種で、歴史上の戦争を題材としたものを指す。 実際にあった戦闘を再現するアクションによる興奮を描くものが人気を集めてきた。近年は圧倒的多数がアメリカ製であり、アメリカが関係した20世紀以降の近代戦争が題材となっている。ほとんどの場合、扱われる戦争は過去に実際にあったものか、それに似せたものである。国家間の戦争ではなく内乱や民族紛争を扱った場合でも戦争映画と呼ばれることが多い。ただし、軍人または元軍人の主人公が単身、または少人数で架空の戦闘行為を行う場合は、アクション映画と呼ばれることが多いが、戦争映画との境界は曖昧である。また、未来の戦争を題材としたものはSF映画と呼ばれる。日本の近代以前の歴史上の戦争を題材とした場合は通常時代劇と呼ばれる。 戦闘以外の題材では、軍隊の訓練や内部抗争、戦争に至る政治的経緯や戦後の軍事裁判、戦場・占領地での様々な物語、戦争中の国内(銃後)の戦争への姿勢、戦後の国民の戦争への思いを題材としたものなどがあげられる。登場人物は、前線の兵士、戦場から離れた場所にいる将校や政府関係者、戦場となった土地に生きる市民などが登場することが多い。舞台には戦場が登場する場合が多い。 また、戦争映画はその性格上、軍や政府による政治宣伝、世論誘導、戦意高揚、プロパガンダの手段としても制作される。そのため、戦争映画を鑑賞する際には創られた時代背景や制作者、協力団体などを考慮せずに無批判にその内容を受け入れると、制作者の術中に嵌ることもある。 日本では第二次世界大戦後も多くの戦争映画を製作しており、いくつかは大変な人気を博した。内容は戦争に至る政府及び軍部の苦悩や、困難な作戦に臨む将兵を描いた作品、戦争を否定されるべきものとして捉えた作品など多岐にわたる。 中国でも多くの戦争映画が製作されており、2007年には南京事件を扱った映画が多数製作された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "戦争映画(せんそうえいが)は、映画の一種で、歴史上の戦争を題材としたものを指す。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "実際にあった戦闘を再現するアクションによる興奮を描くものが人気を集めてきた。近年は圧倒的多数がアメリカ製であり、アメリカが関係した20世紀以降の近代戦争が題材となっている。ほとんどの場合、扱われる戦争は過去に実際にあったものか、それに似せたものである。国家間の戦争ではなく内乱や民族紛争を扱った場合でも戦争映画と呼ばれることが多い。ただし、軍人または元軍人の主人公が単身、または少人数で架空の戦闘行為を行う場合は、アクション映画と呼ばれることが多いが、戦争映画との境界は曖昧である。また、未来の戦争を題材としたものはSF映画と呼ばれる。日本の近代以前の歴史上の戦争を題材とした場合は通常時代劇と呼ばれる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "戦闘以外の題材では、軍隊の訓練や内部抗争、戦争に至る政治的経緯や戦後の軍事裁判、戦場・占領地での様々な物語、戦争中の国内(銃後)の戦争への姿勢、戦後の国民の戦争への思いを題材としたものなどがあげられる。登場人物は、前線の兵士、戦場から離れた場所にいる将校や政府関係者、戦場となった土地に生きる市民などが登場することが多い。舞台には戦場が登場する場合が多い。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "また、戦争映画はその性格上、軍や政府による政治宣伝、世論誘導、戦意高揚、プロパガンダの手段としても制作される。そのため、戦争映画を鑑賞する際には創られた時代背景や制作者、協力団体などを考慮せずに無批判にその内容を受け入れると、制作者の術中に嵌ることもある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "日本では第二次世界大戦後も多くの戦争映画を製作しており、いくつかは大変な人気を博した。内容は戦争に至る政府及び軍部の苦悩や、困難な作戦に臨む将兵を描いた作品、戦争を否定されるべきものとして捉えた作品など多岐にわたる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "中国でも多くの戦争映画が製作されており、2007年には南京事件を扱った映画が多数製作された。", "title": "概要" } ]
戦争映画(せんそうえいが)は、映画の一種で、歴史上の戦争を題材としたものを指す。
{{Pathnav|映画|映画の一覧|frame=1}} '''戦争映画'''(せんそうえいが)は、[[映画]]の一種で、[[歴史]]上の[[戦争]]を題材としたものを指す。 == 概要 == [[File:Hawai_Mare_oki_kaisen_poster.jpg|thumb|230px|[[ハワイ・マレー沖海戦]](1942年)]] 実際にあった戦闘を再現するアクションによる興奮を描くものが人気を集めてきた。近年は圧倒的多数がアメリカ製であり、アメリカが関係した[[20世紀]]以降の近代戦争が題材となっている。ほとんどの場合、扱われる戦争は過去に実際にあったものか、それに似せたものである。国家間の戦争ではなく[[内乱]]や[[民族紛争]]を扱った場合でも戦争映画と呼ばれることが多い。ただし、軍人または元軍人の主人公が単身、または少人数で架空の戦闘行為を行う場合は、[[アクション映画]]と呼ばれることが多いが、戦争映画との境界は曖昧である。また、未来の戦争を題材としたものは[[SF映画]]と呼ばれる。日本の[[近代]]以前の歴史上の戦争を題材とした場合は通常[[時代劇]]と呼ばれる。 戦闘以外の題材では、軍隊の訓練や内部抗争、戦争に至る政治的経緯や戦後の軍事裁判、戦場・占領地での様々な物語、戦争中の国内(銃後)の戦争への姿勢、戦後の国民の戦争への思いを題材としたものなどがあげられる。登場人物は、前線の兵士、戦場から離れた場所にいる将校や政府関係者、戦場となった土地に生きる市民などが登場することが多い。舞台には戦場が登場する場合が多い。 また、戦争映画はその性格上、軍や政府による政治宣伝、世論誘導、戦意高揚、[[プロパガンダ]]の手段としても制作される。そのため、戦争映画を鑑賞する際には創られた時代背景や制作者、協力団体などを考慮せずに無批判にその内容を受け入れると、制作者の術中に嵌ることもある。 日本では[[戦後|第二次世界大戦後]]も多くの戦争映画を製作しており、いくつかは大変な人気を博した。内容は戦争に至る政府及び軍部の苦悩や、困難な作戦に臨む将兵を描いた作品、戦争を否定されるべきものとして捉えた作品など多岐にわたる。 中国でも多くの戦争映画が製作されており、2007年には[[南京事件]]を扱った映画が多数製作された。 == 戦争映画の一覧 == === 日露戦争 === * [[ラ・バタイユ (1923年の映画)|ラ・バタイユ]]([[早川雪洲]]、[[エドゥアール=エミール・ヴィオレ]]監督、[[1923年]]) * [[撃滅]]([[小笠原明峰]]監督、[[1930年]]) * [[明治天皇と日露大戦争]]([[渡辺邦男]]監督、[[1957年]]) * [[日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里]]([[森一生]]監督、1957年) * [[明治大帝と乃木将軍]]([[小森白]]監督、[[1959年]]) * [[明治大帝御一代記]]([[大蔵貢]]監督、[[1964年]]) * [[日本海大海戦]]([[丸山誠治]]監督、[[1969年]]) * [[二百三高地]]([[舛田利雄]]監督、[[1980年]]) * [[日本海大海戦 海ゆかば]]([[舛田利雄]]監督、[[1983年]]) === 第一次世界大戦 === * [[担へ銃]]([[チャーリー・チャップリン]]監督、[[1918年]]) * [[つばさ (映画)|つばさ]]([[ウィリアム・A・ウェルマン]]監督、1927年) * [[西部戦線異状なし (1930年の映画)|西部戦線異状なし]]([[ルイス・マイルストン]]監督、[[1930年]]) * [[西部戦線一九一八年]]([[ゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト]]監督、1930年) * [[海の底 (映画)|海の底]]([[ジョン・フォード]]監督、1931年) * [[戦場よさらば]]([[フランク・ボーゼイジ]]監督、1932年) * [[大いなる幻影]]([[ジャン・ルノワール]]監督、[[1937年]]) * [[ヨーク軍曹]]([[ハワード・ホークス]]監督、1941年) * [[武器よさらば (映画)|武器よさらば]]([[チャールズ・ヴィダー]]監督、[[1957年]]) * [[突撃 (1957年の映画)|突撃]]([[スタンリー・キューブリック]]監督、1957年) * [[アラビアのロレンス]]([[デヴィッド・リーン]]監督、[[1962年]]) * [[青島要塞爆撃命令]]([[古沢憲吾]]監督、[[1963年]]) * [[銃殺 (映画)|銃殺]]([[ジョゼフ・ロージー]]監督、[[1964年]]) * [[まぼろしの市街戦]]([[フィリップ・ド・ブロカ]]監督、[[1966年]]) * [[ブルー・マックス (映画)|ブルー・マックス]]([[ジョン・ギラーミン]]監督、1966年) * [[総進撃]]([[フランチェスコ・ロージ]]監督、[[1970年]]) * [[ジョニーは戦場へ行った]]([[ダルトン・トランボ]]監督、[[1971年]]) * [[レッド・バロン (1971年の映画)|レッド・バロン]] ([[ロジャー・コーマン]]監督、1971年) * [[スカイエース]]([[ジャック・ゴールド]]監督、[[1976年]]) * [[誓い (映画)|誓い]]([[ピーター・ウィアー]]監督、[[1981年]]) * [[ザ・トレンチ(塹壕)]]([[ウィリアム・ボイド]]監督、[[1999年]]) * [[ファイブ・デイズ・ウォー]]([[ラッセル・マルケイ]]監督、[[2001年]]) * [[ロング・エンゲージメント]]([[ジャン=ピエール・ジュネ]]監督、[[2004年]]) * [[戦場のアリア]]([[クリスチャン・カリオン]]監督、[[2005年]]) * [[フライボーイズ]]([[トニー・ビル]]監督、[[2006年]]) * [[A TIME OF WAR タイム・オブ・ウォー 戦場の十字架]]([[ポール・グロス]]監督、[[2008年]]) * [[レッド・バロン (2008年の映画)|レッド・バロン]]([[ニコライ・ミュラーション]]監督、2008年) * [[戦火の馬 (映画)|戦火の馬]]([[スティーヴン・スピルバーグ]]監督、[[2011年]]) * [[シー・バトル 戦艦クイーン・エリザベスを追え!!]]([[イェスィム・セズギン]]監督、2012年) * [[兵士ピースフル]]([[パット・オコナー]]監督、2012年) * [[サイレント・マウンテン 巌壁の戦場]]([[エルンスト・ゴスナー]]監督、2013年) * [[バタリオン ロシア婦人決死隊VSドイツ軍]]([[ドミトリー・メスヒエフ]]監督、2015年) * [[セルビア・クライシス]]([[ペータル・リストフスキー]]監督、2018年) * [[1917 命をかけた伝令]]([[サム・メンデス]]監督、[[2019年]]) * [[グレート・ウォー]]([[スティーヴン・ルーク]]監督、2019年) * [[1916 自由をかけた戦い]]([[ダリウシュ・ガイェフスキ]]監督、2019年) * [[西部戦線異状なし (2022年の映画)|西部戦線異状なし]]([[エドワード・ベルガー]]監督、[[2022年]]) === ロシア内戦 === * {{仮リンク|女狙撃兵マリュートカ|ru|Сорок_первый_(фильм,_1956)|en|The_Forty-First_(1956_film)}}([[グリゴーリ・チュフライ]]監督、1956年) * {{仮リンク|静かなるドン (ソ連映画)|label=静かなるドン(黎明編・憂愁編)|ru|Тихий_Дон_(фильм,_1958)|en|And_Quiet_Flows_the_Don_(1958_film)}}({{仮リンク|セルゲイ・ゲラーシモフ|ru|Герасимов,_Сергей_Аполлинариевич|en|Sergei_Gerasimov_(film_director)}}監督、1957~1958年) * [[ドクトル・ジバゴ_(1965年の映画)|ドクトル・ジバゴ]]([[デヴィッド・リーン]]監督、1965年)※アメリカ合衆国・イタリア合作 * [[提督の戦艦]]([[アンドレイ・クラフチュク]]監督、2008年) === アイルランド独立戦争・アイルランド内戦 === * [[マイケル・コリンズ (映画)|マイケル・コリンズ]]([[ニール・ジョーダン]]監督、[[1996年]]) * [[麦の穂をゆらす風]]([[ケン・ローチ]]監督、[[2006年]]) === 日中戦争(支那事変) === * [[五人の斥候兵]]([[田坂具隆]]監督、[[1938年]]) * [[上海陸戦隊]]([[熊谷久虎]]監督、[[1939年]]) * [[土と兵隊]]([[田坂具隆]]監督、1939年) * [[燃ゆる大空]] ([[阿部豊]]監督、[[1940年]]) * [[将軍と参謀と兵]]([[田口哲 (映画監督)|田口哲]]監督、[[1942年]]) * [[フライング・タイガー (映画)|フライング・タイガー]]([[デイヴィッド・ミラー (映画監督)|デヴィッド・ミラー]]監督、1942年) * [[春の河、東へ流る]]([[蔡楚生]]、[[鄭君里]]監督、[[1947年]]) * [[赤い天使]]([[増村保造]]監督、[[1966年]]) * [[戦争と人間 (映画)|戦争と人間]] 第二部・第三部([[山本薩夫]]監督、[[1971年]]・[[1973年]]) * [[従軍慰安婦 (1974年の映画)|従軍慰安婦]]([[鷹森立一]]監督、[[1974年]]) * [[一人と八人]]([[張軍釗]]監督、[[1984年]]) * [[沈黙の鉄橋]]([[李前寛]]、[[蕭桂雲]]監督、[[1995年]]) * [[南京1937]]([[呉子牛]]監督、1995年) * [[黒い太陽・南京]]([[ムー・トンフェイ]]監督、1995年) * [[チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道]]([[ロジャー・スポティスウッド]]監督、[[2008年]]) * [[南京!南京!]]([[陸川]]監督、[[2009年]]) * [[ジョン・ラーベ 〜南京のシンドラー〜]]([[フローリアン・ガレンベルガー]]監督、2009年) * [[エア・ストライク (2018年の映画)|エア・ストライク]]([[蕭鋒 (映画監督)|シャオ・フェン]]監督、2018年) * [[エイト・ハンドレッド 戦場の英雄たち]]([[管虎|グアン・フー]]監督、2020年) === スペイン内戦 === * [[誰が為に鐘は鳴る]]([[サム・ウッド]]監督、[[1943年]]) * [[死よ、万歳]]([[フェルナンド・アラバール]]監督、[[1971年]]) * [[ミツバチのささやき]]([[ビクトル・エリセ]]監督、1973年) * [[鏡 (映画)|鏡]]([[アンドレイ・タルコフスキー]]監督、[[1975年]]) * [[ゲルニカの木 (映画)|ゲルニカの木]]([[フェルナンド・アラバール]]監督、1975年) * [[歌姫カルメーラ]]([[カルロス・サウラ]]監督、[[1990年]]) * [[大地と自由]]([[ケン・ローチ]]監督、[[1995年]]) * [[蝶の舌]]([[ホセ・ルイス・クエルダ]]監督、[[1999年]]) * [[ゲルニカ (映画)|ゲルニカ]]([[コルド・セラ]]監督、2016年) === ノモンハン事件 === * [[戦争と人間 (映画)|戦争と人間]] 第三部([[山本薩夫]]監督、[[1973年]]) * [[マイウェイ 12,000キロの真実]]([[カン・ジェギュ]]監督、[[2011年]]) === 第二次世界大戦 === {{See also|[[第二次世界大戦に関する映画の一覧]]}} ==== 欧州戦線 ==== ;ポーランド侵攻 * [[リュッツォ爆撃隊]]([[ハンス・ベルトラム]]監督、1941年) * [[戦場のピアニスト]]([[ロマン・ポランスキー]]監督、2002年) * [[カティンの森]]([[アンジェイ・ワイダ]]監督、2007年) ;ソ・フィン戦争(冬戦争・継続戦争) * [[ウィンター・ウォー 厳寒の攻防戦]]([[ペッカ・パリッカ]]監督、1990年) * [[アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場]]([[アク・ロウヒミエス]]監督、2017年) ;北方・西方電撃戦 * [[急降下爆撃隊]]([[カール・リッター]]監督、1941年) * [[禁じられた遊び]]([[ルネ・クレマン]]監督、1952年) * [[激戦ダンケルク]]([[レスリー・ノーマン]]監督、1958年) * [[ダンケルク (1964年の映画)|ダンケルク]]([[アンリ・ヴェルヌイユ]]監督、1964年) * [[エイプリル・ソルジャーズ ナチス・北欧大侵略]]([[ロニ・エズラ]]監督、2015年) * [[ヒトラーに屈しなかった国王]]([[エリック・ポッペ]]監督、2016年) * [[ダンケルク (2017年の映画)|ダンケルク]]([[クリストファー・ノーラン]]監督、2017年) ;大西洋の戦い * [[潜水艦轟沈す]]([[マイケル・パウエル (映画監督)|マイケル・パウエル]]監督、1941年) * [[潜水艦西へ!!]]([[ギュンター・リター]]監督、1941年) * [[戦艦シュペー号の最後]]([[マイケル・パウエル (映画監督)|マイケル・パウエル]]、[[エメリック・プレスバーガー]]監督、1956年) * [[眼下の敵]]([[ディック・パウエル]]監督、1957年) * [[鮫と小魚]]([[フランク・ヴィスバール]]監督、1957年)圧倒的な連合軍(鮫)を相手に苦闘するドイツ海軍の若者たち(小魚)。 * [[U47出撃せよ]]([[ハラルト・ラインル]]監督、1958年)イギリス海軍基地[[スカパフロー]]に潜入し英戦艦を撃沈した[[Uボート]][[U47]]と[[ギュンター・プリーン]]艦長。 * [[ビスマルク号を撃沈せよ!]]([[ルイス・ギルバート]]監督、1960年) * [[マーフィの戦い]]([[ピーター・イエーツ]]監督、1971年) * [[U・ボート (映画)|U・ボート]]([[ウォルフガング・ペーターゼン]]監督、1981年) * [[U-571]]([[ジョナサン・モストウ]]監督、2000年) ;バトル・オブ・ブリテン * [[スピットファイアー (映画)|スピットファイアー]](イギリス映画、[[レスリー・ハワード]]監督、1942年)原題:Spitfire、別邦題『迎撃戦闘機スピットファイア』 * [[壮烈303戦斗機隊]](ポーランド映画、[[フーベルト・ドラペラ]]監督、1960年)[[第303コシチュシコ戦闘機中隊 (イギリス空軍)|ポーランド人戦闘機中隊]]の活躍、原題:Historia Jedego Myrliwca * [[空軍大戦略]] ([[ガイ・ハミルトン]]監督、1969年) * [[戦場の小さな天使たち]] ([[ジョン・ブアマン]]監督、1987年) * [[ダーク・ブルー]](チェコ・イギリス合作、[[ヤン・スヴェラーク]]監督、2001年) ;アフリカ戦線 * [[砂漠の鬼将軍]]([[ヘンリー・ハサウェイ]]監督、1951年) * [[空挺部隊 (映画)|空挺部隊]]([[ドゥイリオ・コレッティ]]監督、1956年)[[エル・アラメインの戦い|エル・アラメイン]]における伊空挺師団 Folgore の戦い、原題:Divisione Folgore * [[撃墜王 アフリカの星]]([[アルフレート・ヴァイデマン]]監督、1957年) * [[カイロのロンメル]]([[ヴォルフガング・シュライフ]]監督、1959年)別邦題『ロンメル将軍の密使』 * [[トブルク戦線]]([[アーサー・ヒラー]]監督、1967年) * [[パットン大戦車軍団]]([[フランクリン・J・シャフナー]]監督、1970年) * [[ロンメル軍団を叩け]]([[ヘンリー・ハサウェイ]]監督、1971年) * [[炎の戦線エル・アラメイン]]([[エンツォ・モンテレオーネ]]監督、2002年) ;独ソ戦 * [[ベルリン陥落]]([[ミハイル・チアウレリ]]監督、1949年) * [[08/15]]三部作([[パウル・マイ]]監督、1955年-1956年) * [[戦争と貞操 (1957年の映画)|戦争と貞操]]([[ミハイル・カラトーゾフ]]監督、1957年)別邦題『鶴は翔んでゆく』 * [[誓いの休暇]]([[グリゴーリ・チュフライ]]監督、1959年) * [[人間の運命#映画|人間の運命]]([[セルゲイ・ボンダルチュク]]監督、1959年) * [[壮烈第六軍!最後の戦線]]([[ヘルムート・アシュライ]]監督、1959年)[[スターリングラード攻防戦|スターリングラード]]で壊滅するドイツ第六軍。 * [[僕の村は戦場だった]]([[アンドレイ・タルコフスキー]]監督、1962年) * [[ヨーロッパの解放]]([[ユーリー・オーゼロフ]]監督、1970年-1971年)- 『続ヨーロッパの解放』は「対独抵抗運動」節に配置。 * [[白銀の戦場 スターリングラード大攻防戦]]([[ガブリール・エキアザーロフ]]監督、1972年) * [[レニングラード攻防戦 (映画)|レニングラード攻防戦]]([[ユーリー・ソローミン]]監督、1974年) * [[祖国のために]]([[セルゲイ・ボンダルチュク]]監督、1975年) * [[戦争のはらわた]]([[サム・ペキンパー]]監督、1977年) * [[対独爆撃部隊ナイトウィッチ]]([[エフゲニア・ジグレンコ]]監督、1981年) * [[モスクワ大攻防戦]]([[ユーリー・オーゼロフ]]監督、1985年) * [[炎628]]([[エレム・クリモフ]]監督、1985年) * [[僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ]]([[アニエスカ・ホランド]]監督、1990年) * [[スターリングラード (1993年の映画)|スターリングラード]]([[ヨゼフ・フィルスマイアー]]監督、1993年) * [[スターリングラード (2001年の映画)|スターリングラード]]([[ジャン=ジャック・アノー]]監督、2001年) * [[ソビエト侵攻 〜バルバロッサ作戦1941〜]]([[ミハイル・プタシェク]]監督、2003年)原題:Burning Land * [[戦火のナージャ]]([[ニキータ・ミハルコフ]]監督、2010年) * [[マイウェイ 12,000キロの真実]]([[カン・ジェギュ]]監督、2011年) * [[遥かなる勝利へ]]([[ニキータ・ミハルコフ]]監督、2011年) * [[1944 独ソ・エストニア戦線]]({{仮リンク|エルモ・ニュカネン|en|Elmo Nüganen}}監督、2015年) * [[戦争と女の顔]]([[カンテミール・バラーゴフ]]監督、2019年) ;対独抵抗運動 * [[死刑執行人もまた死す]]([[フリッツ・ラング]]監督、1943年) * [[無防備都市]]([[ロベルト・ロッセリーニ]]監督、1945年) * [[地下水道 (映画)|地下水道]]([[アンジェイ・ワイダ]]監督、1956年) * [[パリは燃えているか]]([[ルネ・クレマン]]監督、1966年) * [[ネレトバの戦い (映画)|ネレトバの戦い]]([[ヴェリコ・ブライーチ]]監督、1969年) * [[影の軍隊]]([[ジャン=ピエール・メルヴィル]]監督、1969年) * [[ルシアンの青春]]([[ルイ・マル]]監督、1973年) * [[続ヨーロッパの解放]]([[ユーリー・オーゼロフ]]監督、1977年)- 『ヨーロッパの解放』は「独ソ戦」節に配置。 * [[UPRISING アップライジング]]([[ジョン・アヴネット]]監督、2001年) * [[デイズ・オブ・グローリー]]([[ラシッド・ブシャール]]監督、2006年) * [[ブラックブック]]([[ポール・バーホーベン|ポール・ヴァーホーヴェン]]監督、2006年) * [[誰がため]]([[オーレ・クリスチャン・マセン]]監督、2008年) * [[ナチスが最も恐れた男]]([[ヨアヒム・ローニング]]、[[エスペン・サンドベリ]]監督、2008年) * [[ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦]]([[ショーン・エリス]]監督、2016年) ;ヒトラー暗殺計画 * [[誰が祖国を売ったか!]]([[アルフレート・ヴァイデマン]]監督、1955年)[[アプヴェーア|国防軍情報部]]の[[ヴィルヘルム・カナリス|カナリス]]提督を描く。DVD邦題『誰が祖国を売ったか?』 * [[ヒトラー暗殺 (映画)|ヒトラー暗殺]]([[ゲオルク・ヴィルヘルム・パープスト]]監督、1955年) * [[暗殺計画7・20]]([[ファルク・ハルナック]]監督、1955年)DVD邦題『総統爆破計画』 * [[オペレーション・ワルキューレ (テレビ映画)|オペレーション・ワルキューレ]]([[ヨ・バイアー]]監督、2004年) * [[ワルキューレ (映画)|ワルキューレ]]([[ブライアン・シンガー]]監督、2008年) * [[ヒトラー暗殺、13分の誤算]]([[オリヴァー・ヒルシュビーゲル]]監督、2015年) ;ノルマンディー上陸作戦 * [[史上最大の作戦]]([[ケン・アナキン]]、[[アンドリュー・マートン]]、[[ベルンハルト・ヴィッキ]]監督、1962年) * [[特攻大作戦]]([[ロバート・アルドリッチ]]監督、1967年) * [[地獄のノルマンディ]]([[アル・ブラッドレイ]]監督、1968年) * [[激戦地]]([[ウンベルト・レンツィ]]監督、1969年) * [[針の眼]]([[リチャード・マーカンド]]監督、1981年) * [[プライベート・ライアン]]([[スティーヴン・スピルバーグ]]監督、1998年) * [[マイウェイ 12,000キロの真実]]([[カン・ジェギュ]]監督、2011年) ;地中海周辺の戦い * [[戦火のかなた]]([[ロベルト・ロッセリーニ]]監督、1946年) * [[マルタ島攻防戦]]([[ブライアン・デズモンド・ハースト]]監督、1953年) * [[将軍月光に消ゆ]]([[マイケル・パウエル (映画監督)|マイケル・パウエル]]、[[エメリック・プレスバーガー]]監督、1957年) * [[ナバロンの要塞 (映画)|ナバロンの要塞]]([[J・リー・トンプソン]]監督、1961年) * [[アンツィオ大作戦]]([[エドワード・ドミトリク]]監督、1968年) * [[コレリ大尉のマンドリン]]([[ジョン・マッデン (映画監督)|ジョン・マッデン]]監督、2001年) * [[セントアンナの奇跡]]([[スパイク・リー]]監督、2008年) ;特殊部隊 * [[テレマークの要塞]]([[アンソニー・マン]]監督、1965年) * [[荒鷲の要塞]]([[ブライアン・G・ハットン]]監督、1968年) * [[コマンド戦略]]([[アンドリュー・V・マクラグレン]]監督、1968年) * [[鷲は舞いおりた (映画)|鷲は舞いおりた]]([[ジョン・スタージェス]]監督、1976年) * [[ナバロンの嵐]]([[ガイ・ハミルトン]]監督、1978年) ;マーケット・ガーデン作戦 * [[遠すぎた橋]]([[リチャード・アッテンボロー]]監督、1977年) * [[ラストフロント -1944英米連合軍マーケット・ガーデン作戦-]]([[コリン・ティーグ]]監督、2005年) ;バルジの戦い以降の西部戦線 * [[若き獅子たち (映画)|若き獅子たち]]([[エドワード・ドミトリク]]監督、1958年) * [[橋 (1959年の西ドイツ映画)|橋]]([[ベルンハルト・ヴィッキ]]監督、1959年) * [[バルジ大作戦]]([[ケン・アナキン]]監督、1965年) * [[アルデンヌの戦い (映画)|アルデンヌの戦い]]([[アルベルト・デ・マルチーノ]]監督、1967年) * [[大反撃]]([[シドニー・ポラック]]監督、1969年) * [[レマゲン鉄橋]]([[ジョン・ギラーミン]]監督、1969年) * [[パンツァー鋼鉄師団]]([[ボブ・カールスハー]]監督、1999年) * [[極寒激戦地アルデンヌ 〜西部戦線1944〜]]([[ライアン・リトル]]監督、2003年) * [[ザ・ブレイブ・ウォー 第442部隊]]([[レイン・ニシカワ]]監督、2006年) ;ベルリンの戦い(総統官邸地下壕) * [[アドルフ・ヒトラー 最後の10日間]]([[エンニオ・デ・コンチーニ]]監督、1973年) * [[ヒトラー最期の日]]([[ジョージ・シェーファー (映画監督)|ジョージ・シェーファー]]監督、1981年) 原題:Le Bunker(総統地下壕) * [[ヒトラー 〜最期の12日間〜]]([[オリヴァー・ヒルシュビーゲル]]監督、2004年) * [[ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア]]([[ハインリッヒ・ブレロアー]]監督、2005年) ;捕虜収容所 * [[第十七捕虜収容所]]([[ビリー・ワイルダー]]監督、1953年) * [[脱走4万キロ]]([[ロイ・ベーカー]]監督、1957年)イギリス軍の捕虜になったドイツ空軍大尉が脱走し、ドイツに帰還する実話を題材にした映画、原題:The one that got away、DVD邦題『脱走四万キロ』 * [[大脱走]]([[ジョン・スタージェス]]監督、1963年) * [[鬼戦車T-34]]([[ニキータ・クリーヒン]]、[[レオニード・メナケル]]監督、1965年) * [[脱走特急]]([[マーク・ロブソン]]監督、1965年) * [[脱走山脈]] ([[マイケル・ウィナー]]監督、1969年) * [[マッケンジー脱出作戦]] ([[ラモント・ジョンソン]]監督、1970年) * [[勝利への脱出]]([[ジョン・ヒューストン]]監督、1981年) * [[9000マイルの約束]]([[ハーディ・マーティンス]]監督、2001年) ;ホロコースト * [[夜と霧 (映画)|夜と霧]]([[アラン・レネ]]監督、1956年) * [[悲しみの青春]]([[ヴィットリオ・デ・シーカ]]監督、1970年) * [[愛の嵐 (映画)|愛の嵐]]([[リリアーナ・カヴァーニ]]監督、1974年) * [[パリの灯は遠く]]([[ジョセフ・ロージー]]監督、1976年) * [[ソフィーの選択]]([[アラン・J・パクラ]]監督、1982年) * [[SHOAH ショア]]([[クロード・ランズマン]]監督、1985年) * [[さよなら子供たち]]([[ルイ・マル]]監督、1987年) * [[コルチャック先生]]([[アンジェイ・ワイダ]]監督、1990年) * [[シンドラーのリスト]]([[スティーヴン・スピルバーグ]]監督、1993年) * [[ライフ・イズ・ビューティフル]]([[ロベルト・ベニーニ]]監督、1997年) * [[灰の記憶]]([[ティム・ブレイク・ネルソン]]監督、2001年) * [[ホロコースト -アドルフ・ヒトラーの洗礼-]]([[コスタ=ガヴラス]]監督、2002年) * [[ディファイアンス]]([[エドワード・ズウィック]]監督、2008年) * [[サウルの息子]]([[ネメシュ・ラースロー]]監督、2015年) * [[杉原千畝 スギハラチウネ]]([[チェリン・グラック]]監督、2015年) ;ドイツ爆撃 * [[頭上の敵機]]([[ヘンリー・キング]]監督、1949年) * [[暁の出撃 (1955年の映画)|暁の出撃]]([[マイケル・アンダーソン]]監督、1955年) * [[633爆撃隊]]([[ウォルター・E・グローマン]]監督、1964年) * [[モスキート爆撃隊]]([[ボリス・セイガル]]監督、1969年) * [[スローターハウス5]]([[ジョージ・ロイ・ヒル]]監督、1972年) * [[メンフィス・ベル (1990年の映画)|メンフィス・ベル]]([[マイケル・ケイトン=ジョーンズ]]監督、1990年) * [[ドレスデン、運命の日]]([[ローランド・ズゾ・リヒター]]監督、2006年) ;原子爆弾開発舞台裏が主題 * [[デイワン/最終兵器の覚醒|デイワン/最終兵器の覚醒(めざめ)]]([[ジョセフ・サージェント]]監督、1989年) * [[シャドー・メーカーズ]]([[ローランド・ジョフィ]]監督、1989年) ;その他 * [[イングロリアス・バスターズ]]([[クエンティン・タランティーノ]]監督、2009年) ==== 太平洋戦争(大東亜戦争) ==== ;戦争の経緯・展開 * [[太平洋の鷲]] ([[本多猪四郎]]監督、[[1953年]]) * [[軍神山本元帥と連合艦隊]]([[志村敏夫]]監督、[[1956年]]) * [[連合艦隊司令長官 山本五十六]]([[丸山誠治]]監督、[[1968年]]) * [[激動の昭和史 軍閥]]([[堀川弘通]]監督、[[1970年]]) * [[連合艦隊 (映画)|連合艦隊]]([[松林宗恵]]監督、[[1981年]]) * [[大日本帝国 (映画)|大日本帝国]]([[舛田利雄]]監督、[[1982年]]) * [[スパイ・ゾルゲ]]([[篠田正浩]]監督、[[2003年]]) * [[聯合艦隊司令長官 山本五十六]]([[成島出]]監督、[[2011年]]) ;海戦 * [[ハワイ・マレー沖海戦]]([[山本嘉次郎]]監督、[[1942年]]) * [[海軍 (映画)|海軍]]([[田坂具隆]]監督、1943年/[[村山新治]]監督、1963年) * [[ミッドウェイ囮作戦]]([[ヘンリー・ハサウェイ]]監督、1944年) * [[第七機動部隊]]([[レスリー・セランダー]]監督、[[1952年]]) * [[ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐]] ([[松林宗恵]]監督、[[1960年]]) * [[太平洋奇跡の作戦 キスカ]]([[丸山誠治]]監督、[[1965年]]) * [[トラ・トラ・トラ!]]([[リチャード・フライシャー|リチャード・O・フライシャー]]、[[舛田利雄]]、[[深作欣二]]監督、[[1970年]]) * [[ミッドウェイ (1976年の映画)|ミッドウェイ]]([[ジャック・スマイト]]監督、[[1976年]]) * [[パール・ハーバー (映画)|パール・ハーバー]]([[マイケル・ベイ]]監督、[[2001年]]) * [[ミッドウェイ (2019年の映画)|ミッドウェイ]]([[ローランド・エメリッヒ]]監督、[[2019年]]) ;軍艦(潜水艦以外) * [[戦艦大和 (映画)|戦艦大和]] ([[阿部豊]]監督、[[1953年]]) * [[太平洋戦争 謎の戦艦陸奥]] ([[小森白]]監督、[[1960年]]) * [[駆逐艦雪風 (映画)|駆逐艦雪風]]([[山田達雄]]監督、[[1964年]]) * [[男たちの大和/YAMATO]]([[佐藤純彌]]監督、[[2005年]]) * [[アルキメデスの大戦]]([[山崎貴]]監督、[[2019年]]) ;潜水艦 * [[潜水艦ろ号 未だ浮上せず]]([[野村浩将]]監督、[[1954年]]) * [[深く静かに潜航せよ]]([[ロバート・ワイズ]]監督、[[1958年]]) * [[潜水艦イ-57降伏せず]]([[松林宗恵]]監督、[[1959年]]) * [[ローレライ (映画)|ローレライ]]([[樋口真嗣]]監督、[[2004年]]) * [[真夏のオリオン]]([[篠原哲雄]]監督、[[2009年]]) ;陸戦 * [[香港攻略 英國崩るゝの日]]([[田中重雄]]監督、1942年) * [[シンガポール總攻撃]]([[島耕二]]監督、1943年) * [[ガダルカナル・ダイアリー]]([[ルイス・セイラー]]監督、1943年) * [[あの旗を撃て コレヒドールの最後]]([[阿部豊]]監督、1944年) * [[肉弾挺身隊]]([[田中重雄]]監督、1944年) * [[バターンを奪回せよ]]([[エドワード・ドミトリク]]監督、1944年) * [[後に続くを信ず]]([[渡邊邦男]]監督、1945年) * [[コレヒドール戦記]]([[ジョン・フォード]]監督、1945年) * [[硫黄島の砂]]([[アラン・ドワン]]監督、1949年) * [[パレンバン奇襲作戦]]([[小林恒夫 (映画監督)|小林恒夫]]監督、[[1963年]]) * [[大突撃]]([[アンドリュー・マートン]]監督、[[1964年]]) * [[勇者のみ (1965年の映画)|勇者のみ]]([[フランク・シナトラ]]監督、[[1965年]]) * [[燃える戦場]]([[ロバート・アルドリッチ]]監督、[[1970年]]) * [[シン・レッド・ライン]]([[テレンス・マリック]]監督、[[1998年]]) * [[少年義勇兵]]([[ユッタナー・ムクダーサニット]]監督、[[2000年]]) * [[ウインドトーカーズ]]([[ジョン・ウー]]監督、[[2002年]]) * [[父親たちの星条旗]]([[クリント・イーストウッド]]監督、[[2006年]]) * [[硫黄島からの手紙]]([[クリント・イーストウッド]]監督、2006年) * [[太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-]]([[平山秀幸]]監督、[[2011年]]) ;航空戦 * [[翼の凱歌]]([[山本薩夫]]監督、[[1942年]]) * [[空軍/エア・フォース]]([[ハワード・ホークス]]監督、1943年) * [[加藤隼戦闘隊 (映画)|加藤隼戦闘隊]]([[山本嘉次郎]]監督、[[1944年]]) * [[雷撃隊出動]]([[山本嘉次郎]]監督、1944年) * [[太平洋作戦]]([[ニコラス・レイ]]監督、1951年) * [[さらばラバウル]] ([[本多猪四郎]]監督、[[1954年]]) * [[零戦黒雲一家]]([[舛田利雄]]監督、[[1962年]]、[[日活]]) * [[太平洋の翼]]([[松林宗恵]]監督、[[1963年]]) * [[ゼロ・ファイター 大空戦]]([[森谷司郎]]監督、[[1966年]]) * [[あゝ陸軍隼戦闘隊]]([[村山三男]]監督、[[1969年]]) * [[大空のサムライ]]([[丸山誠治]]監督、[[1976年]]) * [[零戦燃ゆ]]([[舛田利雄]]監督、[[1984年]]) ;中国戦線 * [[暁の脱走]]([[谷口千吉]]監督、[[1950年]]) * [[人間の條件 (映画)|人間の條件]]([[小林正樹]]監督、[[1959年]]〜[[1961年]]) * [[独立愚連隊]]([[岡本喜八]]監督、1959年) * [[春婦伝]]([[鈴木清順]]監督、[[1965年]]) * [[満州帝国崩壊 〜ソビエト進軍1945〜]]([[ユーリ・イヴァンチュク]]監督、[[1982年]]) * [[晩鐘 (映画)|晩鐘]]([[呉子牛]]監督、[[1987年]]) * [[鬼が来た!]]([[姜文]]監督、[[2000年]]) * [[戦場に咲く花]]([[蒋欽民]]監督、2000年) * [[デスティニー・イン・ザ・ウォー]]([[ビレ・アウグスト]]監督、2017年) ;捕虜・敗残兵 * [[日の果て]]([[山本薩夫]]監督、[[1954年]]) * [[ビルマの竪琴]]([[市川崑]]監督、[[1956年]]/[[1985年]]) * [[戦場にかける橋]]([[デヴィッド・リーン]]監督、[[1957年]]) * [[野火 (小説)|野火]]([[市川崑]]監督、[[1959年]]/[[塚本晋也]]監督、[[2015年]]) * [[私は貝になりたい]]([[橋本忍]]監督、1959年/[[福澤克雄]]監督、[[2008年]]) * [[軍旗はためく下に]]([[深作欣二]]監督、[[1972年]]) * [[南十字星 (映画)|南十字星]]([[丸山誠治]]、[[ピーター・マックスウェル]]監督、[[1982年]]) * [[戦場のメリークリスマス]]([[大島渚]]監督、[[1983年]]) * [[海と毒薬 (映画)|海と毒薬]]([[熊井啓]]監督、[[1986年]]) * [[フィリピン陥落 -バターン半島1942]]([[バズ・キューリック]]監督、1986年) * [[黒い太陽七三一 戦慄!石井七三一細菌部隊の全貌]]([[牟敦芾]]監督、[[1988年]]) * [[戦場にかける橋2 クワイ河からの生還]]([[アンドリュー・V・マクラグレン]]監督、[[1989年]]) * [[アンボンで何が裁かれたか]]([[スティーヴン・ウォーレス]]監督、[[1990年]]) * [[WAR OF THE SUN カウラ事件-太陽への脱出]]([[ブラッド・ヘインズ]]監督、[[2010年]]) * [[不屈の男 アンブロークン]]([[アンジェリーナ・ジョリー]]監督、[[2014年]]) ;学徒出陣・学童疎開・空襲 * [[東京上空三十秒]]([[マーヴィン・ルロイ]]監督、[[1944年]]) * [[また逢う日まで (1950年の映画)|また逢う日まで]]([[今井正]]監督、[[1950年]]) * [[日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声]]([[関川秀雄]]監督、1950年) * [[海軍特別年少兵]]([[今井正]]監督、[[1972年]]) * [[英霊たちの応援歌 最後の早慶戦]]([[岡本喜八]]監督、[[1979年]]) * [[東京大空襲 ガラスのうさぎ]]([[橘祐典]]監督、1979年) * [[対馬丸 —さようなら沖繩—]](アニメーション作品、[[小林治 (1945年生のアニメ演出家)|小林治]]監督、[[1982年]]) * [[火垂るの墓]](アニメーション作品、[[高畑勲]]監督、[[1988年]]/実写作品、[[日向寺太郎]]監督、2008年) * [[戦争と青春]]([[今井正]]監督、[[1991年]]) * [[きけ、わだつみの声 Last Friends]]([[出目昌伸]]監督、[[1995年]]) * [[美しい夏キリシマ]]([[黒木和雄]]監督、[[2003年]]) * [[少年H]]([[降旗康男]]監督、[[2013年]]) ;特攻隊 * [[雲ながるる果てに]]([[家城巳代治]]監督、[[1953年]]) * [[人間魚雷回天 (映画)|人間魚雷回天]]([[松林宗恵]]監督、[[1955年]]) * [[カミカゼ (映画)|カミカゼ]]([[アンリ・ディアマン・ベルジェ]]監督、[[1961年]]) * [[あゝ同期の桜]]([[中島貞夫]]監督、[[1967年]]) * [[肉弾 (映画)|肉弾]]([[岡本喜八]]監督、[[1968年]]) * [[人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊]]([[小沢茂弘]]監督、1968年) * [[月光の夏]]([[神山征二郎]]監督、[[1993年]]) * [[君を忘れない (映画)|君を忘れない]]([[渡邊孝好]]監督、[[1995年]]) * [[WINDS OF GOD]]([[奈良橋陽子]]監督、1995年) * [[出口のない海]]([[佐々部清]]監督、[[2006年]]) * [[俺は、君のためにこそ死ににいく]]([[新城卓]]監督、[[2007年]]) * [[永遠の0]]([[山崎貴]]監督、[[2013年]]) ;沖縄戦 * [[ひめゆりの塔 (1953年の映画)|ひめゆりの塔]]([[今井正]]監督、[[1953年]]) * [[太平洋戦争と姫ゆり部隊]]([[小森白]]監督、[[1962年]]) * [[あゝひめゆりの塔]]([[舛田利雄]]監督、[[1968年]]) * [[激動の昭和史 沖縄決戦]]([[岡本喜八]]監督、[[1971年]]) * [[ひめゆりの塔 (1982年の映画)|ひめゆりの塔]]([[今井正]]監督、[[1982年]]) * [[ひめゆりの塔 (1995年の映画)|ひめゆりの塔]]([[神山征二郎]]監督、[[1995年]]) * [[ハクソー・リッジ]]([[メル・ギブソン]]監督、[[2016年]]) * [[島守の塔]]([[五十嵐匠]]監督、2022年) ;原爆 * [[原爆の子 (映画)|原爆の子]]([[新藤兼人]]監督、[[1952年]]) * [[ひろしま]]([[関川秀雄]]監督、[[1953年]]) * [[二十四時間の情事]]([[アラン・レネ]]監督、[[1959年]]) * [[はだしのゲン]]([[山田典吾]]監督、[[1976年]]) * [[TOMORROW 明日]]([[黒木和雄]]監督、[[1988年]]) * [[黒い雨 (映画)|黒い雨]]([[今村昌平]]監督、[[1989年]]) * [[父と暮せば]]([[黒木和雄]]監督、[[2004年]]) * [[夕凪の街 桜の国]]([[佐々部清]]監督、[[2007年]]) ;軍隊・戦争の不条理 * [[マライの虎]]([[古賀聖人]]監督、1943年) * [[真空地帯]]([[山本薩夫]]監督、[[1952年]]) * [[地上より永遠に]]([[フレッド・ジンネマン]]監督、[[1953年]]) * [[玄海灘は知っている]]([[キム・ギヨン]]監督、[[1961年]]) * [[太平洋の地獄]]([[ジョン・ブアマン]]監督、[[1968年]]) * [[樺太1945年夏 氷雪の門]]([[村山三男]]監督、[[1974年]]) * [[風の輝く朝に]]([[レオン・ポーチ]]監督、[[1984年]]) * [[太陽の帝国]]([[スティーヴン・スピルバーグ]]監督、[[1987年]]) * [[メナムの残照]]([[ルット・ロンナポップ]]監督、1988年/[[キッティコーン・リアウシリクン]]監督、2013年) * [[ハリマオ (映画)|ハリマオ]]([[和田勉]]監督、[[1989年]]) * [[北緯15°のデュオ]]([[根本順善]]監督、[[1991年]]) * [[三たびの海峡]]([[神山征二郎]]監督、[[1995年]]) * [[紙屋悦子の青春]]([[黒木和雄]]監督、[[2006年]]) * [[キャタピラー (映画)|キャタピラー]]([[若松孝二]]監督、[[2010年]]) * [[スパイの妻|スパイの妻〈劇場版〉]]([[黒沢清]]監督、[[2020年]]) ;戦争の終結 * [[大東亜戦争と国際裁判]]([[小森白]]監督、[[1959年]]) * [[日本のいちばん長い日]]([[岡本喜八]]監督、[[1967年]]/[[原田眞人]]監督、[[2015年]]) * [[アナザー・ウェイ ―D機関情報―]]([[山下耕作]]監督、[[1988年]]) * [[プライド・運命の瞬間]]([[伊藤俊也]]監督、[[1998年]]) * [[太陽 (映画)|太陽]]([[アレクサンドル・ソクーロフ]]監督、[[2005年]]) === 第一次中東戦争 === * [[巨大なる戦場]]([[メルヴィル・シェイヴルソン]]監督、1966年) * [[ケドマ 戦禍の起源]]([[アモス・ギタイ]]監督、2002年) === 朝鮮戦争 === * [[トコリの橋]]([[マーク・ロブソン]]監督、1954年) * [[勝利なき戦い]]([[ルイス・マイルストーン]]監督、1959年) * [[M★A★S★H マッシュ]]([[ロバート・アルトマン]]監督、1970年) * [[インチョン!]]([[テレンス・ヤング]]監督、1981年) * [[38度線 (映画)|38度線]]([[ハンス・シープメーカー]]監督、1986年) * [[南部軍 愛と幻想のパルチザン]]([[チョン・ジヨン]]監督、1990年) * [[銀馬将軍は来なかった]]([[チャン・ギルス]]監督、1991年) * [[太白山脈 (趙廷来)|太白山脈]]([[イム・グォンテク]]監督、1994年) * [[ブラザーフッド (映画)|ブラザーフッド]]([[カン・ジェギュ]]監督、2004年) * [[トンマッコルへようこそ]]([[パク・クァンヒョン]]監督、2005年) * [[戦火の中へ]]([[イ・ジェハン]]監督、2010年) * [[小さな池 1950年・ノグンリ虐殺事件]]([[イ・サンウ (映画監督)|イ・サンウ]]監督、2010年) * [[高地戦]]([[チャン・フン]]監督、2011年) * [[オペレーション・クロマイト]]([[イ・ジェハン]]監督、2016年) * [[長沙里9.15]]([[クァク・キョンテク]]、[[キム・テフン]]監督、2019年) * [[1950 鋼の第7中隊]]([[チェン・カイコー]]、[[ツイ・ハーク]]、[[ダンテ・ラム]]監督、2021年) === アルジェリア戦争 === * [[小さな兵隊]]([[ジャン=リュック・ゴダール]]監督、[[1963年]]) * [[アルジェの戦い]]([[ジッロ・ポンテコルヴォ]]監督、[[1966年]]) * [[自由、夜]]([[フィリップ・ガレル]]監督、[[1983年]]) * [[いのちの戦場 -アルジェリア1959-]]([[フローラン=エミリオ・シリ]]監督、[[2007年]]) === ベトナム戦争 === {{See also|[[ベトナム戦争を扱った映画]]}} * [[ベトナム最前線]]([[ホアン・ビン・ロク]]監督、1965年) * [[グリーン・ベレー (映画)|グリーン・ベレー]]([[ジョン・ウェイン]]、[[レイ・ケロッグ]]監督、[[1968年]]) * [[ローリング・サンダー (映画)|ローリング・サンダー]]([[ジョン・フリン]]監督、[[1977年]]) * [[ディア・ハンター]]([[マイケル・チミノ]]監督、[[1978年]]) * [[地獄の黙示録]]([[フランシス・フォード・コッポラ]]監督、[[1979年]]) * [[無人の野]]([[グェン・ホン・セン]]監督、[[1980年]]) * [[十月になれば]]([[ダン・ニャット・ミン]]監督、1984年) * [[プラトーン]]([[オリバー・ストーン]]監督、[[1986年]]) * [[ハンバーガー・ヒル]]([[ジョン・アーヴィン]]監督、[[1987年]]) * [[フルメタル・ジャケット]]([[スタンリー・キューブリック]]監督、1987年) * [[グッドモーニング, ベトナム]]([[バリー・レビンソン]]監督、1987年) * [[河の女 (1987年の映画)|河の女]]([[ダン・ニャット・ミン]]監督、1987年) * [[7月4日に生まれて]]([[オリバー・ストーン]]監督、[[1989年]]) * [[カジュアリティーズ]]([[ブライアン・デ・パルマ]]監督、1989年) * [[エア★アメリカ]]([[ロジャー・スポティスウッド]]監督、[[1990年]]) * [[ホワイト・バッジ]]([[チョン・ジヨン]]監督、[[1992年]]) * [[天と地]]([[オリバー・ストーン]]監督、[[1993年]]) * [[ナイフ (映画)|ナイフ]]([[レ・ホアン]]監督、1995年) * [[サイゴンからの旅人]]([[レ・ホアン]]監督、1996年)別邦題『遥かな旅』 * [[ロイテ 誓い]]([[グエン・トゥオン・フォン]]監督、1996年) * [[タイガーランド (映画)|タイガーランド]]([[ジョエル・シュマッカー]]監督、[[2000年]]) * [[コウノトリの歌]]([[ジョナサン・フー]]、[[グエン・ファン・クアン・ビン]]監督、[[2001年]]) * [[ワンス・アンド・フォーエバー]]([[ランダル・ウォレス]]監督、[[2002年]]) * [[ベトナム激戦史1967 攻防ケサン基地]]([[ドアン・ミン・トゥアン]]監督、2005年) * [[きのう、平和の夢を見た]]([[ダン・ニャット・ミン]]監督、2009年)別邦題『焼いてはいけない』 * [[ザ・ファイブ・ブラッズ]]([[スパイク・リー]]監督、2020年) === カンボジア内戦 === * [[キリング・フィールド (映画)|キリング・フィールド]]([[ローランド・ジョフィ]]監督、[[1985年]]) * [[地雷を踏んだらサヨウナラ]]([[五十嵐匠]]監督、[[1999年]]) === レバノン内戦 === * [[戦場でワルツを]]([[アリ・フォルマン]]監督、2008年) * [[レバノン (映画)|レバノン]]([[サミュエル・マオス]]監督、2009年) * [[灼熱の魂]]([[ドゥニ・ヴィルヌーヴ]]監督、2010年) === アフガニスタン紛争(1978年-1989年) === * [[レッド・アフガン]]([[ケヴィン・レイノルズ (映画監督)|ケヴィン・レイノルズ]]監督、1988年) * [[アフガン (映画)|アフガン]]([[フョードル・ボンダルチュク]]監督、2005年) === エルサルバドル内戦 === * [[サルバドル/遥かなる日々]]([[オリバー・ストーン]]監督、[[1986年]]) * [[イノセント・ボイス 12歳の戦場]]([[ルイス・マンドーキ]]監督、[[2004年]]) === 湾岸戦争 === * [[戦火の勇気]]([[エドワード・ズウィック]]監督、[[1996年]]) * [[ガルフ・ウォー (映画)|ガルフ・ウォー]]([[ロッド・ホルコム]]監督、[[1998年]]) * [[スリー・キングス]]([[デヴィッド・O・ラッセル]]監督、[[1999年]]) * [[ライブ・フロム・バグダッド 湾岸戦争最前線]]([[ミック・ジャクソン]]監督、[[2002年]]) * [[クライシス・オブ・アメリカ]]([[ジョナサン・デミ]]監督、[[2004年]]) * [[ジャーヘッド (映画)|ジャーヘッド]]([[サム・メンデス]]監督、[[2005年]]) === ルワンダ紛争 === * [[ホテル・ルワンダ]]([[テリー・ジョージ]]監督、[[2004年]]) * [[ルワンダの涙]]([[マイケル・ケイトン=ジョーンズ]]監督、[[2005年]]) === ユーゴスラビア紛争 === * [[ブコバルに手紙は届かない]]([[ポーラ・ドラシュコヴィッチ]]監督、[[1994年]]) * [[アンダーグラウンド (映画)|アンダーグラウンド]]([[エミール・クストリッツァ]]監督、[[1995年]]) * [[ウェルカム・トゥ・サラエボ]]([[マイケル・ウィンターボトム]]監督、1997年) * [[セイヴィア]]([[ピーター・アントニエヴィッチ]]監督、1998年) * [[戦場のジャーナリスト]]([[エリ・シュラキ]]監督、[[2000年]]) * [[ノー・マンズ・ランド]]([[ダニス・タノヴィッチ]]監督、2001年) * [[エネミー・ライン]]([[ジョン・ムーア (映画監督)|ジョン・ムーア]]監督、2001年) * [[ブラックバード・ライジング]]([[クラウディオ・ボニヴェント]]監督、2003年) * [[サラエボの花]]([[ヤスミラ・ジュバニッチ]]監督、2006年) * [[U.N.エージェント]]([[ジャコモ・バティアート]]監督、2008年) * [[最愛の大地]]([[アンジェリーナ・ジョリー]]監督、2011年) * [[ある愛へと続く旅]]([[セルジオ・カステリット]]監督、2012年) === チェチェン紛争 === * [[コーカサスの虜 (映画)|コーカサスの虜]]([[セルゲイ・ボドロフ]]監督、[[1996年]]) * [[チェチェン・ウォー]]([[アレクセイ・パラパーノフ]]監督、[[2002年]]) * [[大統領のカウントダウン]]([[エヴゲニー・ラヴレンティエフ]]監督、[[2004年]]) * [[ストームゲート]]([[アンドレイ・マリュコフ]]監督、[[2006年]]) * [[チェチェンへ アレクサンドラの旅]]([[アレクサンドル・ソクーロフ]]監督、[[2007年]]) === アフガニスタン紛争(2001年-2021年) === * [[グアンタナモ、僕達が見た真実]] ([[マイケル・ウィンターボトム]]監督、[[2006年]]) * [[ローン・サバイバー]]([[ピーター・バーグ]]監督、[[2013年]]) * [[ウォー・マシーン: 戦争は話術だ!]]([[デヴィッド・ミショッド]] 監督、[[2017年]]) * [[ホース・ソルジャー]]([[ニコライ・フルシー]] 監督、[[2018年]]) === イラク戦争 === * [[イラク -狼の谷-]]([[セルダル・アカル]]監督、[[2006年]]) * [[勇者たちの戦場]]([[アーウィン・ウィンクラー]]監督、[[2006年]]) * [[告発のとき]]([[ポール・ハギス]]監督、[[2007年]]) * [[リダクテッド 真実の価値]]([[ブライアン・デ・パルマ]]監督、[[2007年]]) * [[ハート・ロッカー]]([[キャスリン・ビグロー]]監督、[[2008年]]) * [[ルート・アイリッシュ]]([[ケン・ローチ]]、2010年) * [[グリーン・ゾーン]]([[ポール・グリーングラス]]監督、2010年) * [[フェア・ゲーム (2010年の映画)|フェア・ゲーム]]([[ダグ・リーマン]]監督、2010年) * [[アメリカン・スナイパー]]([[クリント・イーストウッド]]監督、[[2014年]]) === ウクライナ紛争 === *[[ソルジャーズ ヒーロー・ネバー・ダイ]]([[アーテム・セイタブラエフ]]監督、2017年) *[[ドンバス (映画)|ドンバス]]([[セルゲイ・ロズニツァ]]監督、2018年) *[[バンデラス ウクライナの英雄]]([[ザザ・ブアヅェ]]監督、2018年) *[[ウクライナ・クライシス]]([[イバン・ティムチェンコ]]監督、2019年) *[[リフレクション (2021年の映画)|リフレクション]]([[ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ]]監督、2021年) *[[スナイパー コードネーム:レイブン]]([[マリアン・ブーシャン]]監督、2022年) *[[世界が引き裂かれる時]]([[マリナ・エル・ゴルバチ]]監督、2022年) === その他の戦争 === ;日清戦争 * [[天皇・皇后と日清戦争]]([[並木鏡太郎]]監督、1958年) ;フィンランド内戦 * [[4月の涙]]([[アク・ロウヒミエス]]監督、2008年) ;ラトビア独立戦争 * [[バトル・オブ・リガ]]([[アイガース・グラウバ]]監督、2007年) ;エストニア独立戦争 * [[バルト大攻防戦]]([[エルモ・ヌガネン]]監督、2002年) ;第二次希土戦争 * [[ディバイナー 戦禍に光を求めて]]([[ラッセル・クロウ]]監督、2014年) ;満州事変 * [[戦争と人間 (映画)|戦争と人間]] 第一部・第二部([[山本薩夫]]監督、1970年・1971年) ;インドネシア独立戦争 * [[ムルデカ17805]]([[藤由紀夫]]監督、2001年) ;国共内戦 * [[戦場のレクイエム]]([[馮小剛]]監督、2007年) ;ビアフラ戦争 * [[ティアーズ・オブ・ザ・サン]]([[アントワーン・フークア]]監督、2003年) ;第三次印パ戦争 * [[インパクト・クラッシュ]]([[サンカルプ・レッディ]]監督、2017年) ;第四次中東戦争 * [[キプールの記憶]]([[アモス・ギタイ]]監督、2000年) ;イラン・イラク戦争 * [[ロスト・ストレイト]]([[バラム・タバコリ]]監督、2018年) ;フォークランド紛争 * [[ステイト・オブ・ウォー]]([[トリスタン・バウアー]]監督、2005年) ;グレナダ侵攻 * [[ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場]]([[クリント・イーストウッド]]監督、1986年) ;ソマリア内戦 * [[ブラックホーク・ダウン]]([[リドリー・スコット]]監督、2001年) ;シエラレオネ内戦 * [[ブラッド・ダイヤモンド]]([[エドワード・ズウィック]]監督、2006年) ;リベリア内戦 * [[ジョニー・マッド・ドッグ]]([[ジャン=ステファーヌ・ソヴェール]]監督、2008年) == 参考文献 == * キネマ旬報社編集部:『ヨーロッパ映画作品全集(1945-1971):キネマ旬報増刊 12.10号』、[[キネマ旬報社]]、1972年 * KK World Photo Press 編集部:『戦争映画大カタログ:戦後公開された戦争映画全リスト(洋画のみ)』、[[KK World Photo Press]]、1980年 * 岩波書店編集部:『戦争と日本映画』、[[岩波書店]]、1986年 * キネマ旬報社編集部:『戦争映画大作戦』、キネマ旬報社、1995年 * [[柳澤一博]]:『戦争映画名作選:第2次大戦映画ガイド』、[[集英社]]、1995年、ISBN 4087483665 * [[瀬戸川宗太]]:『戦争映画館』、[[社会思想社]]、1998年、ISBN 4390116150 * [[川北紘一]]監修: 『東宝戦争映画編 特撮映画大全集』、[[星雲社]]、2000年、ISBN 4434007254 * 映画秘宝編集部編:『(洋泉社mook) 秘宝特選 戦争映画ベスト50』 [[洋泉社]]、2001年、ISBN 4896915402 * [[大久保義信]]:『(徹底分析) 戦争映画100!:バトル&ウエポン』 [[光人社]]、2003年、ISBN 476981156X == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[戦争]] * [[映画]] ** [[歴史映画]] ** [[ナチズム・ファシズムの台頭を主題とした映画の一覧]] ** [[共産主義の台頭を主題とした映画の一覧]] ** [[アクション映画]] ** [[スパイ映画]] ** [[ドキュメンタリー映画]] * [[架空戦記]] * [[ミリタリーSF]] * [[スペースオペラ]] == 外部リンク == * [http://www.warmovie.com/ CROSS OF IRON -戦争映画専門サイト] * [http://www.enpitu.ne.jp/usr4/47402/ ATFの戦争映画観戦記] * {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/bqaga/mv/senso.html |title=戦争映画 @B級映画館 |date=20071008175704}} (日本映画中心) * [http://www.classic1st.net/information/info_otokotachihe.html 戦士映画音楽コンサート「男たちへ・・・アゲイン」] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:せんそうえいか}} [[Category:戦争映画|*]]
2003-03-01T03:20:28Z
2023-09-27T16:59:22Z
false
false
false
[ "Template:Reflist", "Template:Wayback", "Template:Normdaten", "Template:Pathnav", "Template:仮リンク", "Template:See also" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E6%98%A0%E7%94%BB
3,104
アクション映画
アクション映画(アクションえいが)とは、格闘・戦闘などで主人公が何らかの障壁を乗り越えようと行う物理的な活動を主な見せ場とした映画を指す。活劇。 映画作品は複数の要素が組み合わされているものであり、アクション映画を画一的に定義することは難しい。アクションは各ジャンルに存在しているものである。 アメリカ合衆国では西部劇や刑事ドラマ、イタリアではいわゆるマカロニ・ウェスタン、イギリスではスパイ・アクション、日本では時代劇(チャンバラ)、ヤクザ映画、B級アクション映画などを量産した歴史がある。 映画の分類としては西部劇・ヤクザ映画・時代劇・スパイ映画・ギャング映画・冒険映画などを含めたくくりでアクション映画とする見方もある。製作した国名や地名をつけた「香港アクション」といった呼び方もある。 ドラマとしての構造はアクション映画も他のドラマと変わる点はない。時代や場所が明確であり、導入部から解決部までのシークエンス(段落)で主人公とその内面に葛藤を引き起こす多くの環境(敵)の対比が説明され、最後のクライマックス(山場)で最終目標が達成される。正義感や職業的倫理観からなる主人公の行動原理は「現実離れしている」場合も多く、観客に分かりやすいキャラクターである。 このため設定や人間関係にテーマとしての味付けをする。前述の『アクション・ムービー究極大鑑』はアクション映画を「ポリス・アクション」「ミリタリー・アクション」「ライド・アクション」「エスケープ・アクション」「SF・アクション」「クライム・アクション」「カンフー・アクション」「アドベンチャー・アクション」「チャンバラ・アクション」「ガン・アクション」に分けている。 ポリス・アクションであれば法治国家や人権尊重の建前から犯罪者を充分取り締まることができず、警官としての職務を遂行したい主人公を阻む管理社会との対決(『ダーティー・ハリー』など)があげられる。また、クライム・アクションの場合は主人公が犯罪者の場合最後に死ぬか、生き延びても「観客の不当な抗議」が原因で未来に暗雲がたちこめる文字解説が後でつけられる(『ゲッタウェイ』)のが製作側の不文律として長く存在していた。男同士の友情(『さらば友よ』、『ストリートファイター』1975年)や大義への献身もアクションのテーマとして存在してきた。 シリーズが長期化するにつれてアクション要素が強くなり、本来のジャンルとはかけ離れた作品となっていくシリーズも多い。例として初代『エイリアン』はホラー要素の強いSF映画であったが、続編の『エイリアン2』ではホラー要素が排除されミリタリーSFアクション映画となり、「ワイルドスピードシリーズ」は当初は車やストリートレースが題材のカーアクション映画だったが現在では車やレース要素はほとんど排除されて一般的なアクション映画となっている。 1930年代から1960年代には西部劇が流行し、多数のヒット作が生まれた。 1960年代のアメリカンニューシネマの登場により勧善懲悪の娯楽作品は色あせたが、そのニューシネマが1970年代の半ばから1970年代末には終焉を迎え、『スター・ウォーズ』や『ロッキー』などといった娯楽映画が増加し、CG、SFX、VFXを導入したアクション映画を大規模な予算で製作するようになった。 西部劇が衰退した1970年代には、『ダーティハリー』シリーズや『フレンチ・コネクション』等のアクション要素のある刑事ドラマがヒットした。同時期にはブルース・リーによるカンフー映画もヒットしている。 1982年に『コナン・ザ・グレート』がヒットすると、「ソード&サンダル」映画が復活し、大剣を持った上半身裸の主人公が活躍するコナンのZ級亜流コピー映画が多数作られた。 1980年代の中盤に入ると、シルベスター・スタローンの『ランボー』、アーノルド・シュワルツェネッガーの『コマンドー』、チャック・ノリスの『地獄のヒーロー』等といった、「ワンマンアーミー」と呼ばれるスタイルの主人公が活躍するアクション映画が多数ヒットするようになった。こうしたワンマンアーミー映画の主人公は、ほとんどダメージを受けずに一人で大勢の敵を倒すなど、圧倒的な強さで描かれることが特徴として挙げられる。特に1985年の『ランボー/怒りの脱出』のヒットにより、ランボーのZ級亜流コピー映画が多数生まれた。 また、同時期には『48時間』『リーサルウェポン』シリーズなどのバディものの刑事ドラマも多数ヒットしている。 1988年のブルース・ウィリス主演の『ダイハード』が「劣勢の状況下に置かれた主人公が頭脳で挑んでいく」という要素を取り入れてヒットし、従来のワンマンアーミー映画とは違う新しいスタイルのアクション映画を生み出したとされる。 1990年代にはダイハードと同じフォーマットの『スピード』や『ザ・ロック』等もヒットしたが、いずれも肉体派のアクション俳優ではなくアクションのイメージが無かった一般俳優を起用していたため、従来型の肉体派アクション俳優とアクション映画は人気に陰りが見え始め、長い間下火となった。 1999年にCGとワイヤーを使用したキアヌ・リーブス主演の『マトリックス』が大ヒットして以降、CGの普及により大がかりなワイヤーアクションやグリーンバック合成によるスタントなど多様な表現のアクション映画が増加した。 現在ではCGの普及などでアクション映画出演へのハードルが下がったため、女優やアクション専門ではない一般俳優のアクション映画への出演が増加している。 現在では製作本数、配給規模、予算等からアクション映画の製作はアメリカが飛び抜けた存在だが、同国の映像産業における顕彰ではゴールデン・グローブ賞、エミー賞でコメディ部門が創設されている反面、アクション部門はない。しかし、プロのスタントマン、スタント団体に所属するメンバーによって投票される“Taurus World Stunt Awards(英語版)”といった賞はある。アメリカでは2016年にスタント・パーソン100名以上がビバリーヒルズの映画芸術科学アカデミー前で、アカデミー賞に「スタント・コーディネーター部門」を新たに加えるように訴えるデモを行い、すでに5万人の署名を集めたという報道があった。 一方、日本では映画だけではなくテレビドラマなども含んだ映像作品を対象とした、「ジャパンアクションアワード」というものもある。中国大陸では上海国際映画祭にて、ジャッキー・チェンの冠の付いた「成龍動作電影周之夜(ジャッキー・チェン・アクション映画ウィーク)」が創設され、アクション作品・俳優・アクション監督を表彰している。 アクション俳優のカテゴリを参照。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アクション映画(アクションえいが)とは、格闘・戦闘などで主人公が何らかの障壁を乗り越えようと行う物理的な活動を主な見せ場とした映画を指す。活劇。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "映画作品は複数の要素が組み合わされているものであり、アクション映画を画一的に定義することは難しい。アクションは各ジャンルに存在しているものである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国では西部劇や刑事ドラマ、イタリアではいわゆるマカロニ・ウェスタン、イギリスではスパイ・アクション、日本では時代劇(チャンバラ)、ヤクザ映画、B級アクション映画などを量産した歴史がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "映画の分類としては西部劇・ヤクザ映画・時代劇・スパイ映画・ギャング映画・冒険映画などを含めたくくりでアクション映画とする見方もある。製作した国名や地名をつけた「香港アクション」といった呼び方もある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ドラマとしての構造はアクション映画も他のドラマと変わる点はない。時代や場所が明確であり、導入部から解決部までのシークエンス(段落)で主人公とその内面に葛藤を引き起こす多くの環境(敵)の対比が説明され、最後のクライマックス(山場)で最終目標が達成される。正義感や職業的倫理観からなる主人公の行動原理は「現実離れしている」場合も多く、観客に分かりやすいキャラクターである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "このため設定や人間関係にテーマとしての味付けをする。前述の『アクション・ムービー究極大鑑』はアクション映画を「ポリス・アクション」「ミリタリー・アクション」「ライド・アクション」「エスケープ・アクション」「SF・アクション」「クライム・アクション」「カンフー・アクション」「アドベンチャー・アクション」「チャンバラ・アクション」「ガン・アクション」に分けている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ポリス・アクションであれば法治国家や人権尊重の建前から犯罪者を充分取り締まることができず、警官としての職務を遂行したい主人公を阻む管理社会との対決(『ダーティー・ハリー』など)があげられる。また、クライム・アクションの場合は主人公が犯罪者の場合最後に死ぬか、生き延びても「観客の不当な抗議」が原因で未来に暗雲がたちこめる文字解説が後でつけられる(『ゲッタウェイ』)のが製作側の不文律として長く存在していた。男同士の友情(『さらば友よ』、『ストリートファイター』1975年)や大義への献身もアクションのテーマとして存在してきた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "シリーズが長期化するにつれてアクション要素が強くなり、本来のジャンルとはかけ離れた作品となっていくシリーズも多い。例として初代『エイリアン』はホラー要素の強いSF映画であったが、続編の『エイリアン2』ではホラー要素が排除されミリタリーSFアクション映画となり、「ワイルドスピードシリーズ」は当初は車やストリートレースが題材のカーアクション映画だったが現在では車やレース要素はほとんど排除されて一般的なアクション映画となっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1930年代から1960年代には西部劇が流行し、多数のヒット作が生まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1960年代のアメリカンニューシネマの登場により勧善懲悪の娯楽作品は色あせたが、そのニューシネマが1970年代の半ばから1970年代末には終焉を迎え、『スター・ウォーズ』や『ロッキー』などといった娯楽映画が増加し、CG、SFX、VFXを導入したアクション映画を大規模な予算で製作するようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "西部劇が衰退した1970年代には、『ダーティハリー』シリーズや『フレンチ・コネクション』等のアクション要素のある刑事ドラマがヒットした。同時期にはブルース・リーによるカンフー映画もヒットしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1982年に『コナン・ザ・グレート』がヒットすると、「ソード&サンダル」映画が復活し、大剣を持った上半身裸の主人公が活躍するコナンのZ級亜流コピー映画が多数作られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1980年代の中盤に入ると、シルベスター・スタローンの『ランボー』、アーノルド・シュワルツェネッガーの『コマンドー』、チャック・ノリスの『地獄のヒーロー』等といった、「ワンマンアーミー」と呼ばれるスタイルの主人公が活躍するアクション映画が多数ヒットするようになった。こうしたワンマンアーミー映画の主人公は、ほとんどダメージを受けずに一人で大勢の敵を倒すなど、圧倒的な強さで描かれることが特徴として挙げられる。特に1985年の『ランボー/怒りの脱出』のヒットにより、ランボーのZ級亜流コピー映画が多数生まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "また、同時期には『48時間』『リーサルウェポン』シリーズなどのバディものの刑事ドラマも多数ヒットしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1988年のブルース・ウィリス主演の『ダイハード』が「劣勢の状況下に置かれた主人公が頭脳で挑んでいく」という要素を取り入れてヒットし、従来のワンマンアーミー映画とは違う新しいスタイルのアクション映画を生み出したとされる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1990年代にはダイハードと同じフォーマットの『スピード』や『ザ・ロック』等もヒットしたが、いずれも肉体派のアクション俳優ではなくアクションのイメージが無かった一般俳優を起用していたため、従来型の肉体派アクション俳優とアクション映画は人気に陰りが見え始め、長い間下火となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1999年にCGとワイヤーを使用したキアヌ・リーブス主演の『マトリックス』が大ヒットして以降、CGの普及により大がかりなワイヤーアクションやグリーンバック合成によるスタントなど多様な表現のアクション映画が増加した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "現在ではCGの普及などでアクション映画出演へのハードルが下がったため、女優やアクション専門ではない一般俳優のアクション映画への出演が増加している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "現在では製作本数、配給規模、予算等からアクション映画の製作はアメリカが飛び抜けた存在だが、同国の映像産業における顕彰ではゴールデン・グローブ賞、エミー賞でコメディ部門が創設されている反面、アクション部門はない。しかし、プロのスタントマン、スタント団体に所属するメンバーによって投票される“Taurus World Stunt Awards(英語版)”といった賞はある。アメリカでは2016年にスタント・パーソン100名以上がビバリーヒルズの映画芸術科学アカデミー前で、アカデミー賞に「スタント・コーディネーター部門」を新たに加えるように訴えるデモを行い、すでに5万人の署名を集めたという報道があった。 一方、日本では映画だけではなくテレビドラマなども含んだ映像作品を対象とした、「ジャパンアクションアワード」というものもある。中国大陸では上海国際映画祭にて、ジャッキー・チェンの冠の付いた「成龍動作電影周之夜(ジャッキー・チェン・アクション映画ウィーク)」が創設され、アクション作品・俳優・アクション監督を表彰している。", "title": "アクションに対する顕彰" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "アクション俳優のカテゴリを参照。", "title": "アクション俳優" } ]
アクション映画(アクションえいが)とは、格闘・戦闘などで主人公が何らかの障壁を乗り越えようと行う物理的な活動を主な見せ場とした映画を指す。活劇。
[[File:Action film clapperboard.svg|140px|右]] '''アクション映画'''(アクションえいが)とは、[[格闘]]・[[戦闘]]などで主人公が何らかの障壁を乗り越えようと行う物理的な活動を主な見せ場とした映画を指す。'''活劇'''。 == 概要 == 映画作品は複数の要素が組み合わされているものであり、アクション映画を画一的に定義することは難しい<ref>『アクション・ムービー究極大鑑』 - [[ぴあ]]</ref><ref>[[ジル・ドゥルーズ]]『シネマ1 運動イメージ』</ref>。アクションは各ジャンルに存在しているものである<ref>[[田山力哉]]『映画小辞典』</ref>。 アメリカ合衆国では[[西部劇]]や[[刑事ドラマ]]、イタリアではいわゆる[[マカロニ・ウェスタン]]、イギリスでは[[スパイ映画|スパイ・アクション]]、日本では[[時代劇]]([[チャンバラ]])、[[ヤクザ映画]]、[[B級映画|B級アクション映画]]などを量産した歴史がある。 === 分類 === 映画の分類としては[[西部劇]]<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=7gy2Kz_xtNAC 『アメリカ文化入門』杉野健太郎編 三修社]p36</ref>・[[ヤクザ映画]]・[[時代劇]]・スパイ映画・[[ギャング映画]]・[[冒険映画]]などを含めたくくりでアクション映画とする見方もある。製作した国名や地名をつけた「香港アクション」といった呼び方もある。 ドラマとしての構造はアクション映画も他のドラマと変わる点はない。時代や場所が明確であり、導入部から解決部までのシークエンス(段落)で主人公とその内面に葛藤を引き起こす多くの環境(敵)の対比が説明され、最後のクライマックス(山場)で最終目標が達成される。正義感や職業的倫理観からなる主人公の行動原理は「現実離れしている」場合も多く、観客に分かりやすいキャラクターである。 このため設定や人間関係にテーマとしての味付けをする。前述の『アクション・ムービー究極大鑑』はアクション映画を「ポリス・アクション」「ミリタリー・アクション」「ライド・アクション」「エスケープ・アクション」「SF・アクション」「クライム・アクション」「カンフー・アクション」「アドベンチャー・アクション」「チャンバラ・アクション」「ガン・アクション」に分けている。 ポリス・アクションであれば法治国家や人権尊重の建前から[[犯罪者]]を充分取り締まることができず、[[警官]]としての職務を遂行したい主人公を阻む管理社会との対決(『[[ダーティー・ハリー]]』など)があげられる。また、クライム・アクションの場合は主人公が犯罪者の場合最後に死ぬか、生き延びても「観客の不当な抗議」が原因で未来に暗雲がたちこめる文字解説が後でつけられる(『[[ゲッタウェイ]]』)のが製作側の不文律として長く存在していた。男同士の友情(『[[さらば友よ (映画)|さらば友よ]]』、『[[ストリートファイター (1975年の映画)|ストリートファイター]]』1975年)や大義への献身もアクションのテーマとして存在してきた。 シリーズが長期化するにつれてアクション要素が強くなり、本来のジャンルとはかけ離れた作品となっていくシリーズも多い。例として初代『[[エイリアン (映画)|エイリアン]]』は[[ホラー]]要素の強い[[SF映画]]であったが、続編の『[[エイリアン2]]』ではホラー要素が排除され[[ミリタリー]]SFアクション映画となり、「[[ワイルドスピードシリーズ]]」は当初は[[自動車|車]]や[[ストリートレース]]が題材の[[カーアクション映画]]だったが現在では車やレース要素はほとんど排除されて一般的なアクション映画となっている。 == 歴史 == 1930年代から1960年代には[[西部劇]]が流行し、多数のヒット作が生まれた。 1960年代の[[アメリカンニューシネマ]]の登場により[[勧善懲悪]]の娯楽作品は色あせたが、そのニューシネマが1970年代の半ばから1970年代末には終焉を迎え、『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]]』や『[[ロッキー (映画)|ロッキー]]』などといった娯楽映画が増加し、[[コンピュータグラフィックス|CG]]、[[SFX]]、[[VFX]]を導入したアクション映画を大規模な予算で製作するようになった。 西部劇が衰退した1970年代には、『[[ダーティハリー]]』シリーズや『[[フレンチ・コネクション]]』等のアクション要素のある刑事ドラマがヒットした。同時期には[[ブルース・リー]]による[[カンフー映画]]もヒットしている。 1982年に『[[コナン・ザ・グレート]]』がヒットすると、「[[ソード&サンダル]]」映画が復活し、[[大剣]]を持った上半身[[裸]]の主人公が活躍するコナンのZ級亜流コピー映画が多数作られた。 1980年代の中盤に入ると、[[シルベスター・スタローン]]の『[[ランボー]]』、[[アーノルド・シュワルツェネッガー]]の『[[コマンドー]]』、[[チャック・ノリス]]の『[[地獄のヒーロー]]』等といった、「ワンマンアーミー」と呼ばれるスタイルの主人公が活躍するアクション映画が多数ヒットするようになった。こうしたワンマンアーミー映画の主人公は、ほとんどダメージを受けずに一人で大勢の敵を倒すなど、圧倒的な強さで描かれることが特徴として挙げられる。特に1985年の『[[ランボー/怒りの脱出]]』のヒットにより、ランボーのZ級亜流コピー映画が多数生まれた。 また、同時期には『[[48時間]]』『[[リーサルウェポン]]』シリーズなどの[[二人組|バディ]]ものの刑事ドラマも多数ヒットしている。 1988年の[[ブルース・ウィリス]]主演の『[[ダイハード]]』が「劣勢の状況下に置かれた主人公が頭脳で挑んでいく」という要素を取り入れてヒットし、従来のワンマンアーミー映画とは違う新しいスタイルのアクション映画を生み出したとされる。 1990年代にはダイハードと同じ[[フォーマット]]の『[[スピード (映画)|スピード]]』や『[[ザ・ロック (映画)|ザ・ロック]]』等もヒットしたが、いずれも肉体派のアクション俳優ではなくアクションのイメージが無かった一般俳優を起用していたため、従来型の肉体派アクション俳優とアクション映画は人気に陰りが見え始め、長い間下火となった。 1999年にCGと[[ワイヤー]]を使用した[[キアヌ・リーブス]]主演の『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』が大ヒットして以降、[[コンピュータグラフィックス|CG]]の普及により大がかりな[[ワイヤーアクション]]や[[グリーンバック]][[デジタル合成|合成]]による[[スタント]]など多様な表現のアクション映画が増加した。 現在ではCGの普及などでアクション映画出演へのハードルが下がったため、[[俳優#性別での分類|女優]]やアクション専門ではない一般俳優のアクション映画への出演が増加している。 == アクションに対する顕彰 == 現在では製作本数、配給規模、予算等からアクション映画の製作はアメリカが飛び抜けた存在だが、同国の映像産業における顕彰では[[ゴールデン・グローブ賞]]、[[エミー賞]]で[[コメディ]]部門が創設されている反面、アクション部門はない。しかし、プロのスタントマン、スタント団体に所属するメンバーによって投票される“{{仮リンク|Taurus World Stunt Awards|en|Taurus World Stunt Awards}}”といった賞はある。アメリカでは2016年に[[スタント・パーソン]]100名以上がビバリーヒルズの[[映画芸術科学アカデミー]]前で、[[アカデミー賞]]に「スタント・コーディネーター部門」を新たに加えるように訴えるデモを行い、すでに5万人の署名を集めたという報道があった<ref> {{Cite web |url =http://deadline.com/2016/02/oscars-stunt-performers-protest-academy-1201708811/ |title =Stunt Performers Rally For Inclusion At Oscars |publisher =deadline.com |accessdate = 2016-2 -24 | archiveurl=https://archive.is/TubqK |archivedate=2016 -2-28 <!--DASHBot--> | deadurl= no }} </ref>。 一方、日本では映画だけではなくテレビドラマなども含んだ映像作品を対象とした、「[[ジャパンアクションアワード]]」というものもある。中国大陸では[[上海国際映画祭]]にて、[[ジャッキー・チェン]]の冠の付いた「成龍動作電影周之夜(ジャッキー・チェン・アクション映画ウィーク)」が創設され、アクション作品・俳優・[[アクション監督]]を表彰している。 == 代表的な作品(モチーフ別) == {{Div col}} ;[[ギャング]] :*[[デリンジャー (映画)|デリンジャー]](1973年) :*[[アンタッチャブル (映画)|アンタッチャブル]](1987年) :*[[ギャング・オブ・ニューヨーク]](2002年) :*[[パブリック・エネミーズ]](2009年) ;[[マフィア]] :*[[バラキ (映画)|バラキ]](1972年) :*[[コーザ・ノストラ (映画)|コーザ・ノストラ]](1973年) :*[[Mr.ノーバディ]](2021年) ;[[ヤンキー]]・[[不良]] :*[[ビー・バップ・ハイスクール (1985年の映画)|ビー・バップ・ハイスクール]]シリーズ :*[[ろくでなしBLUES#実写映画|ろくでなしブルース]]シリーズ :*[[クローズZERO]]シリーズ :*[[HiGH&LOW〜THE STORY OF S.W.O.R.D.〜|HiGH&LOW]]シリーズ :*[[東京卍リベンジャーズ#実写映画|東京リベンジャーズ]]シリーズ :*[[ドロップ (小説)#映画|ドロップ]](2009年) :*[[今日から俺は!! (テレビドラマ)#劇場版|今日から俺は!!劇場版]](2020年) :*[[OUT (井口達也・みずたまことの漫画)#実写映画|OUT]](2023年) :*[[Gメン (漫画)#映画|Gメン]](2023年) ;[[クライム映画|犯罪]] :*[[俺たちに明日はない]](1967年) :*[[明日に向って撃て!]](1969年) :*[[狼やくざ 殺しは俺がやる|狼やくざ]]シリーズ :**[[狼やくざ 殺しは俺がやる]](1971年) :*[[エントラップメント]](1999年) :*[[ソードフィッシュ (映画)|ソードフィッシュ]](2001年) :*[[オーシャンズ11|オーシャンズ]]シリーズ(2001年 - 2018年) :*[[ザ・タウン]](2010年) :*[[イコライザー (映画)|イコライザー]]シリーズ(2014年、2018年、2023年) :*[[キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン]](2023年) ;[[バイオレンス]] :*[[ワイルドバンチ (映画)|ワイルドバンチ]] :*[[ガルシアの首]] :*[[わらの犬]] :*[[ゲッタウェイ]] :*[[GONIN]]シリーズ :*[[アドレナリン (映画)|アドレナリン]]シリーズ :*[[ザ・テロリスト]] ;[[スパイ映画|スパイ]] :*[[ジェームズ・ボンド|007]]シリーズ :*[[ミッション:インポッシブルシリーズ|ミッション:インポッシブル]]シリーズ :*[[ボーンシリーズ]] :*[[キングスマン]]シリーズ :*[[ジャック・ライアン]]シリーズ :*[[トリプルX]]シリーズ :*[[トゥルーライズ]](1994年) :*[[コードネーム U.N.C.L.E.]](2015年) :*[[ジョーカー・ゲーム#映画|ジョーカー・ゲーム]](2015年) :*[[奥様は、取り扱い注意]](2021年) :*[[リボルバー・リリー]](2023年) :*[[オペレーション・フォーチュン]](2023年) :*[[ハート・オブ・ストーン]](2023年) ;[[狙撃手#狙撃手をテーマにした作品|スナイパー]] :*[[山猫は眠らない]]シリーズ(1993年 - 2022年) :*[[ゴルゴ13 (1973年の映画)|ゴルゴ13]](1973年) :*[[ゴルゴ13 九竜の首]](1977年) :*[[ザ・シューター/極大射程]](2007年) :*[[アメリカン・スナイパー]](2014年) :*[[ジェミニマン]](2019年) :*[[マークスマン (映画)|マークスマン]](2021年) ;[[殺し屋]] :*[[メカニック (1972年の映画)|メカニック]](1972年) :*[[ニキータ]](1990年) :*[[レオン (映画)|レオン]](1994年) :*[[処刑人]](1999年) :*[[コラテラル]](2004年) :*[[Mr.&Mrs. スミス]](2005年) :*[[ヒットマン (2007年の映画)|ヒットマン]](2007年) :*[[ウォンテッド (映画)|ウォンテッド]](2008年) :*[[メカニック (2011年の映画)|メカニック]](2011年) :*[[アメリカン・アサシン]](2017年) :*[[ザ・ファブル#映画|ザ・ファブル]]シリーズ :*[[シティーハンター (映画)|シティーハンター]]シリーズ :*[[ブレット・トレイン]](2022年) :*[[バイオレンスアクション]](2022年) ;[[ヴィジランテ映画|復讐]]・[[敵討ち]] :*[[狼よさらば]]シリーズ(1974年 - 1994年) :*[[キル・ビル]]シリーズ(2003年、2004年) :*[[96時間]]シリーズ(2008年、2012年、2014年) :*[[ジョン・ウィック]]シリーズ(2014年 - 2023年) :*[[ストリート・オブ・ファイヤー]](1984年) :*[[コマンドー]](1985年) :*[[トカレフ (1994年の映画)|トカレフ]](1994年) :*[[コラテラル・ダメージ]](2002年) :*[[Vフォー・ヴェンデッタ (映画)|Vフォー・ヴェンデッタ]](2005年) :*[[トカレフ (2014年の映画)|トカレフ]](2014年) :*[[キャッシュトラック]](2021年) ;[[特殊部隊]] :*[[デルタ・フォース (映画)|デルタ・フォース]]シリーズ(1986年、1990年、1991年) :*[[S.W.A.T.]]シリーズ :*[[ネイビー・シールズ (1990年の映画)|ネイビー・シールズ]](1990年) :*[[ネイビーシールズ (2012年の映画)|ネイビーシールズ]](2012年) :*[[特攻野郎Aチーム THE MOVIE]](2010年) :*[[G.I.ジョー (映画)|G.I.ジョー]]シリーズ(2009年、2013年、2021年) :*[[ザ・レイド]]シリーズ(2012年、2014年) :*[[ネイビーシールズ ナチスの金塊を奪還せよ!]](2017年) :*[[マイル22]](2018年) ;[[傭兵]] :*[[ワイルド・ギース (映画)|ワイルド・ギース]](1978年) :*[[エクスペンダブルズ]]シリーズ(2010年 - 2023年) :*[[タイラー・レイク -命の奪還-]]シリーズ(2020年 - 2023年) ;[[ボディーガード]] :*[[SP THE MOTION PICTURE]](2010年、2011年) :*[[エンド・オブ・ホワイトハウス]](2013年) :**[[エンド・オブ・ステイツ]](2019年) :*[[ホワイトハウス・ダウン]](2013年) :*[[藁の楯]](2013年) ;[[ガンアクション]] :*[[エル・マリアッチ]]シリーズ :*[[イレイザー (映画)|イレイザー]](1996年) :*[[フェイス/オフ]](1997年) :*[[リベリオン]](2002年) :*[[シューテム・アップ]](2007年) :*[[ハードコア (2015年の映画)|ハードコア]](2015年) ;[[戦争映画|戦争]] :*[[ナヴァロンの要塞]](1961年) :*[[特攻大作戦]](1967年) :*[[戦略大作戦]](1970年) :*[[戦争のはらわた]](1977年) :*[[戦国自衛隊 (映画)|戦国自衛隊]](1979年) - [[タイムスリップ]]・[[戦国時代 (日本)|戦国時代]] :*[[ランボー]]シリーズ(1982年 - 2019年) :*[[地獄のヒーロー]]シリーズ(1984年、1985年、1988年) :*[[プラトーン]](1986年) :*[[ラスト・オブ・モヒカン]](1992年) :*[[スターリングラード (1993年の映画)|スターリングラード]](1993年) :*[[プライベート・ライアン]](1998年) :*[[エネミーライン]](2001年) :*[[ブラックホーク・ダウン]](2001年) :*[[マスター・アンド・コマンダー]](2003年) :*[[ブラザーフッド (映画)|ブラザーフッド]](2004年) :*[[トロイ (映画)|トロイ]](2004年) :*[[マイウェイ 12,000キロの真実]](2011年) :*[[フューリー (2014年の映画)|フューリー]](2014年) :*[[13時間 ベンガジの秘密の兵士]](2016年) :*[[ダンケルク (2017年の映画)|ダンケルク]](2017年) :*[[ホース・ソルジャー]](2018年) :*[[1917 命をかけた伝令]](2019年) ;[[麻薬戦争]] :*[[エリート・スクワッド]]シリーズ :*[[ボーダーライン (2015年の映画)|ボーダーライン]]シリーズ :*[[ラストスタンド]](2013年) :*[[バトルフロント]](2013年) :*[[サボタージュ (2014年の映画)|サボタージュ]](2014年) ;[[脱獄#脱獄をテーマにした主な作品|脱獄]]・[[脱走#映画|脱走]] :*[[大脱走]](1963年) :*[[脱走遊戯]](1976年) :*[[勝利への脱出]](1981年) :*[[ロックアップ (映画)|ロックアップ]](1989年) :*[[大脱出]]シリーズ :*ロスト・フライト(2023年) ;[[パニック映画|パニック]] :*[[タワーリング・インフェルノ]](1974年) :*[[新幹線大爆破]](1975年) :*[[スピード (映画)|スピード]](1994年) :*[[MEG ザ・モンスター]]シリーズ(2018年、2023年) ;[[航空戦]]・[[ドッグファイト#主題にした作品|ドッグファイト]] :*[[トップガン (映画)|トップガン]]シリーズ(1986年、2022年) :*[[アイアン・イーグル]]シリーズ(1986年 - 1995年) :*[[空軍大戦略]](1969年) :*[[ファイヤーフォックス (映画)|ファイヤーフォックス]](1982年) :*[[BEST GUY]](1990年) :*[[イントルーダー 怒りの翼]](1991年) :*[[ステルス (映画)|ステルス]](2005年) :*[[ナイト・オブ・ザ・スカイ]](2005年) :*[[リターン・トゥ・ベース]](2012年) ;[[ハイジャック#ハイジャックを扱った作品|ハイジャック]] :*[[エグゼクティブ・デシジョン]](1996年) :*[[コン・エアー]](1997年) :*[[エアフォース・ワン]](1997年) ;[[海洋映画|海洋]] :*[[パイレーツ・オブ・カリビアン]]シリーズ :*[[ポセイドン・アドベンチャー (映画)|ポセイドン・アドベンチャー]](1972年) :*[[ファイナル・カウントダウン (映画)|ファイナル・カウントダウン]](1980年) :*[[カットスロート・アイランド]](1995年) :*[[ウォーターワールド]](1995年) :*[[男たちの大和/YAMATO]](2005年) :*[[亡国のイージス#メディアミックス|亡国のイージス]](2005年) :*[[バトルシップ (映画)|バトルシップ]](2012年) :*[[ミッドウェイ (2019年の映画)|ミッドウェイ]](2019年) :*[[空母いぶき#映画|空母いぶき]](2019年) :*[[沈黙の艦隊#映画|沈黙の艦隊]](2023年) ;[[潜水艦を題材とした作品#映画|潜水艦]] :*[[眼下の敵]](1957年) :*[[レッド・オクトーバーを追え!]](1990年) :*[[クリムゾン・タイド]](1995年) :*[[U-571]](2000年) :*[[ハンターキラー 潜航せよ]](2018年) ;[[ホラー映画|ホラー]] :*[[エンド・オブ・デイズ]](1999年) :*[[インビジブル (2000年の映画)|インビジブル]](2000年) :*[[フレディVSジェイソン]](2003年) :*[[アンダーワールド (2003年の映画)|アンダーワールド]]シリーズ ;[[ゾンビ映画|ゾンビ]] :* [[バイオハザード (映画シリーズ)|バイオハザード]]シリーズ :* [[ウォーキング・デッド (テレビドラマ)|ウォーキング・デッド]] :* [[ワールド・ウォーZ]](2013年) ;[[モンスター]]系 :*[[ザ・グリード]](1998年) :*[[ヴァン・ヘルシング (映画)|ヴァン・ヘルシング]](2004年) :*[[モンスターハンター (映画)|モンスターハンター]](2021年) ;[[怪獣映画|怪獣]]・[[恐竜が登場する映画の一覧|恐竜]] :*[[キングコング]]シリーズ :*[[ゴジラシリーズ]] :**[[GODZILLA]](1998年) :**[[シン・ゴジラ]](2016年) :**[[ゴジラ-1.0]](2023年) :*[[ジュラシック・パーク]]シリーズ :*[[モンスター・ヴァース]] :*[[サウンド・オブ・サンダー]](2005年) :*[[パシフィック・リム]]シリーズ(2013年、2018年) :*[[ランペイジ 巨獣大乱闘]](2018年) :*[[65/シックスティ・ファイブ]](2023年) ;[[変身 (ヒーロー)|変身ヒーロー]] :*[[パワーレンジャー (映画)|パワーレンジャー]](2017年) :*[[シン・ウルトラマン]](2022年) :*[[シン・仮面ライダー]](2023年) ;[[スーパーヒーロー映画|スーパーヒーロー]] :*[[DCコミックス#映画|DCコミックス]] :**[[スーパーマンの映画作品|スーパーマン]]シリーズ :**[[バットマンの映画作品|バットマン]]シリーズ :**[[ワンダーウーマン (映画)|ワンダーウーマン]]シリーズ :**[[アクアマン (映画)|アクアマン]]シリーズ :**[[ザ・フラッシュ (映画)|ザ・フラッシュ]] :**[[シャザム! (映画)|シャザム!]]シリーズ :**[[ブラックアダム (映画)|ブラックアダム]] :**[[ブルービートル (映画)|ブルービートル]] :**[[コンスタンティン (映画)|コンスタンティン]] :**[[グリーン・ランタン (映画)|グリーン・ランタン]] :**[[スーサイド・スクワッド (映画)|スーサイド・スクワッド]]シリーズ :**[[ジャスティス・リーグ (映画)|ジャスティス・リーグ]] :*[[マーベル・シネマティック・ユニバース]] :**[[X-MEN (映画シリーズ)|X-MEN]]シリーズ :**[[ファンタスティック・フォー]]シリーズ :**[[ブレイド (映画)|ブレイド]]シリーズ :**[[パニッシャー#映像化作品|パニッシャー]]シリーズ :**[[スパイダーマンの映画作品|スパイダーマン]]シリーズ :**[[ゴーストライダー (映画)|ゴーストライダー]]シリーズ :**[[ハルク (映画)|ハルク]]シリーズ :**[[アイアンマン (映画)|アイアンマン]]シリーズ :**[[マイティ・ソー (映画)|マイティ・ソー]]シリーズ :**[[キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー|キャプテン・アメリカ]]シリーズ :**[[ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー (映画)|ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー]]シリーズ :**[[アントマン (映画)|アントマン]]シリーズ :**[[デッドプール (映画)|デッドプール]]シリーズ :**[[ドクター・ストレンジ (映画)|ドクター・ストレンジ]]シリーズ :**[[ブラックパンサー (映画)|ブラック・パンサー]]シリーズ :**[[キャプテン・マーベル (映画)|キャプテン・マーベル]]シリーズ :**[[ブラック・ウィドウ (映画)|ブラック・ウィドウ]] :**[[エターナルズ (映画)|エターナルズ]] :**[[シャン・チー/テン・リングスの伝説|シャン・チー]] :**[[デアデビル (映画)|デアデビル]] :**[[アベンジャーズ (2012年の映画)|アベンジャーズ]]シリーズ :*[[ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース]] :**[[ヴェノム (映画)|ヴェノム]]シリーズ :**[[モービウス]] :**[[クレイヴン・ザ・ハンター (映画)|クレイヴン・ザ・ハンター]] :**[[マダム・ウェブ]] :**[[エル・ムエルト]] :*[[トランスフォーマー (映画シリーズ)|トランスフォーマー]]シリーズ :*[[ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ (映画)|ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ]]シリーズ :*[[ヘルボーイ (映画)|ヘルボーイ]]シリーズ :*[[スポーン (映画)|スポーン]] :*[[ハンコック (映画)|ハンコック]] :*[[ジャッジ・ドレッド]] :*[[ジャッジ・ドレッド (2012年の映画)|ジャッジ・ドレッド]](2012年) :*[[キック・アス]]シリーズ ;[[SF映画|SF]] :*[[スター・ウォーズシリーズ]] :*[[ターミネーターシリーズ]] :*[[猿の惑星シリーズ]] :*[[ロボコップ]]シリーズ :*[[マトリックス (映画シリーズ)|マトリックス]]シリーズ :*[[プレデター (映画)|プレデター]]シリーズ :*[[インデペンデンス・デイ]]シリーズ :*[[メン・イン・ブラックシリーズ]] :*[[スターシップ・トゥルーパーズ]]シリーズ :*[[ユニバーサル・ソルジャー]]シリーズ :*[[ピッチブラック|リディック]]シリーズ :*[[ダイバージェント]]シリーズ :*[[ニューヨーク1997]](1981年) :*[[エイリアン2]](1986年) :*[[トータルリコール]](1990年) :*[[デモリションマン]](1993年) :*[[フィフス・エレメント]](1997年) :*[[リターナー]](2002年) :*[[マイノリティ・リポート]](2002年) :*[[アイ,ロボット]](2004年) :*[[エイリアンVSプレデター]](2004年) :*[[宇宙戦争 (2005年の映画)|宇宙戦争]](2005年) :*[[アイ・アム・レジェンド]](2007年) :*[[GAMER]](2009年) :*[[サロゲート (映画)|サロゲート]](2009年) :*[[アバターシリーズ]](2009年、2022年) :*[[インセプション]](2010年) :*[[アジャストメント (映画)|アジャストメント]](2011年) :*[[TIME/タイム]](2011年) :*[[LOOPER/ルーパー]](2012年) :*[[オブリビオン (2013年の映画)|オブリビオン]](2013年) :*[[オール・ユー・ニード・イズ・キル]](2014年) :*[[ライフ (2017年の映画)|ライフ]](2017年) :*[[レディ・プレイヤー1]](2018年) :*[[TENET テネット]](2020年) :*[[フリー・ガイ]](2021年) :*[[DUNE/デューン 砂の惑星]](2021年) :*[[ザ・クリエイター]](2023年) :*[[ドミノ (2023年の映画)|ドミノ]](2023年) :*[[REBEL MOON: パート1 炎の子]](2023年) ;[[冒険映画|冒険]] :*[[インディ・ジョーンズ シリーズ]] :*[[ハムナプトラ/失われた砂漠の都|ハムナプトラ]]シリーズ :*[[トゥームレイダー (映画)|トゥームレイダー]]シリーズ :*[[ナショナル・トレジャー]]シリーズ :*[[カミカゼ野郎 真昼の決斗]](1966年) :*[[冒険者たち]](1967年) :*[[東京-ソウル-バンコック 実録麻薬地帯]](1973年) :*[[冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-]](1981年) :*[[ザ・マミー/呪われた砂漠の王女]](2017年) :*[[フッド: ザ・ビギニング]](2018年) :*[[アンチャーテッド (映画)|アンチャーテッド]](2022年) ;[[ファンタジー映画|ファンタジー]] :*[[ハリー・ポッター (映画シリーズ)|ハリー・ポッター]]シリーズ([[魔法ワールド]]) :*[[ロード・オブ・ザ・リング (映画シリーズ)|ロード・オブ・ザ・リング]]シリーズ :*[[コナン・ザ・グレート]]シリーズ(1982年、1984年) :*[[ダンジョンズ&ドラゴンズ#映画|ダンジョンズ&ドラゴンズ]]シリーズ :*[[ハイランダー 悪魔の戦士|ハイランダー]]シリーズ :*[[レッドソニア]](1985年) :*[[ラスト・アクション・ヒーロー]](1993年) :*[[魔法使いの弟子 (映画)|魔法使いの弟子]](2010年) :*[[聖闘士星矢 The Beginning]](2023年) ;[[デスゲーム]] :*[[バトルランナー (映画)|バトルランナー]](1987年) :*[[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]]シリーズ(2000年、2003年) :*[[GANTZ (映画)|GANTZ]](2011年) :*[[ハンガー・ゲーム (映画)|ハンガー・ゲーム]]シリーズ ;[[ヤクザ映画|ヤクザ]] :*[[日本侠客伝]] シリーズ :*[[昭和残侠伝]]シリーズ :*[[博奕打ち 総長賭博]] :*[[仁義なき戦い]]シリーズ :*[[アウトレイジ]]シリーズ :*[[孤狼の血 (映画)|孤狼の血]]シリーズ :*[[日本統一]]シリーズ :*[[龍が如く 劇場版]] ;[[歴史映画|歴史]]・[[時代劇#時代劇の分類|時代劇]] :*[[七人の侍]](1954年) :*[[蜘蛛巣城]](1957年) :*[[用心棒]](1961年) :*[[十三人の刺客]](1963年) :*[[柳生一族の陰謀]](1978年) :*[[赤穂城断絶]](1978年) :*[[影武者 (映画)|影武者]](1980年) :*[[魔界転生#映画|魔界転生]](1981年) :*[[里見八犬伝 (1983年の映画)|里見八犬伝]](1983年) :*[[将軍家光の乱心 激突]](1989年) :*[[新・影の軍団]]シリーズ (2003年) :*[[座頭市 (2003年の映画)|座頭市]](2003年) :*[[るろうに剣心 (実写映画)|るろうに剣心]]シリーズ (2012年、2014年、2021年) :*[[キングダム (映画)|キングダム]]シリーズ(2019年、2022年、2023年) :*[[グラディエーター]](2000年) :*[[ラスト サムライ]](2003年) :*[[キング・アーサー (2004年の映画)|キングアーサー]](2004年) :*[[キング・アーサー (2017年の映画)|キング・アーサー]](2017年) :*[[キング・アーサー 英雄転生]](2017年) :*[[ICHI (映画)|ICHI]](2008年) :*[[あずみ (映画)|あずみ]]シリーズ(2003年、2005年) :*[[レジェンド&バタフライ]](2023年) :*[[300 〈スリーハンドレッド〉]](2003年) :*[[レッドクリフ]](2008年) ;[[西部劇]] :*[[荒野の七人]](1960年) :*[[スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ]](2007年) :*[[マグニフィセント・セブン]](2016年) ;[[刑事ドラマ|刑事]]・[[警察官]] :*[[フレンチ・コネクション]]シリーズ :*[[ダーティハリー]]シリーズ :*[[ダイ・ハード]]シリーズ - いわゆる「巻き込まれ型」アクション映画の典型例でもある :*[[48時間 (映画)|48時間]]シリーズ :*[[ビバリーヒルズ・コップ]]シリーズ :*[[リーサル・ウェポン]]シリーズ :*[[バッドボーイズ (1995年の映画)|バッドボーイズ]]シリーズ :*[[ラッシュアワー (映画)|ラッシュアワー]]シリーズ :*[[あぶない刑事]]シリーズ :*[[踊る大捜査線]]シリーズ :*[[やくざ刑事]]シリーズ :*[[麻薬売春Gメン]]シリーズ :*[[ブリット]](1968年) :*[[ドーベルマン刑事#映画|ドーベルマン刑事]](1977年) :*[[野獣捜査線]](1985年) :*[[デッドフォール]](1989年) :*[[リゾート・トゥ・キル]](1994年) :*[[ザ・サイレンサー MAGNUM357]](1995年) :*[[ヒート (1995年の映画)|ヒート]](1995年) :*[[トレーニング デイ]](2001年) :*[[マイアミ・バイス (映画)|マイアミ・バイス]](2006年) :*[[エンド・オブ・ウォッチ]](2012年) :*[[ファースト・キル]](2017年) :*[[レッド・ノーティス]](2021年) ;[[探偵]] :*[[チャーリーズ・エンジェル]]シリーズ :*[[シャーロック・ホームズ (2009年の映画)|シャーロック・ホームズ]]シリーズ :*[[風来坊探偵シリーズ]](1961年) :**[[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]] :*[[ファンキーハットの快男児シリーズ]](1961年) :**[[ファンキーハットの快男児]] :**[[ファンキーハットの快男児 二千万円の腕]] :*[[探偵物語 (1983年の映画)|探偵物語]](1983年) ;[[カンフー映画|カンフー]] :*[[ドラゴン危機一発]] :*[[ドラゴン怒りの鉄拳]] :*[[ドラゴンへの道]] :*[[燃えよドラゴン]] :*[[ブラッド・ブラザース 刺馬]] :*[[燃えよデブゴン]]シリーズ :*[[少林寺三十六房]]シリーズ :*[[スネーキーモンキー 蛇拳]] :*酔拳 シリーズ - [[ドランクモンキー 酔拳]]、[[酔拳2]]、[[酔拳3]] :*[[ヤングマスター 師弟出馬]] :*[[少林寺 (映画)|少林寺]] :*[[プロジェクトA]]シリーズ :*[[ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ]]シリーズ :*[[レディ・ファイター 詠春拳伝説]] :*[[格闘飛龍 方世玉]] :*[[電光飛龍 方世玉2]] :*[[マスター・オブ・リアル・カンフー 大地無限]] :*[[フィスト・オブ・レジェンド 怒りの鉄拳]] :*[[ザ・ワン (映画)|ザ・ワン]] :*[[少林サッカー]] :*[[カンフーハッスル]] :*[[SPIRIT (2006年の映画)|SPIRIT]] :*[[イップ・マン 序章]] :*[[イップ・マン 葉問]] :*[[新少林寺/SHAOLIN]] :*[[捜査官X]] :*[[カンフー・ジャングル]] :*[[ロミオ・マスト・ダイ]] :*[[ベスト・キッド (2010年の映画)|ベスト・キッド]] ;[[武術]]・[[格闘技]]([[日本]]) :*[[姿三四郎 (1943年の映画)|姿三四郎]](1943年) :*[[柔道一代]]シリーズ :*[[ボディガード牙#映画|ボディガード牙]](1973年) :*[[殺人拳シリーズ]] :**[[激突! 殺人拳]](1974年) :**[[子連れ殺人拳]](1976年) :*[[直撃! 地獄拳]]シリーズ :**[[直撃! 地獄拳]](1974年) :*[[春に散る#映画|春に散る]](2023年) ;武術・格闘技([[アメリカ]]) :*[[ロッキー (映画)|ロッキー]]シリーズ :*[[モータル・コンバット (映画)|モータル・コンバット]]シリーズ :*[[デッドロック (2002年の映画)|デッドロック]]シリーズ :*[[ストリートファイター (1975年の映画)|ストリートファイター]](1975年) :*[[ブラッド・スポーツ (映画)|ブラッド・スポーツ]](1988年) :*[[キックボクサー (映画)|キックボクサー]](1989年) :*[[ライオンハート (映画)|ライオンハート]](1990年) :*[[ストリートファイター (1994年の映画)|ストリートファイター]](1994年) :*[[DOA/デッド・オア・アライブ]](2006年) :*[[TEKKEN -鉄拳-]](2009年) :*[[ザ・キング・オブ・ファイターズ#映像作品|ザ・キング・オブ・ファイターズ]](2009年) :*[[DRAGONBALL EVOLUTION]](2009年) ;武術・格闘技([[タイの映画|タイ]]) :*[[マッハ!!!!!!!!]](2003年) :*[[トム・ヤム・クン!]](2005年) :*[[チョコレート・ファイター]](2008年) :*トリプル・スレット :*ドラゴン×マッハ! ;[[香港映画|香港アクション]] :*[[スパルタンX]] :*[[ポリス・ストーリー/香港国際警察|ポリス・ストーリー]]シリーズ :*[[クライム・キーパー 香港捜査官]] :*[[タイガー・コネクション]] :*[[男たちの挽歌]]シリーズ :*[[サンダーアーム/龍兄虎弟]] :*[[レッド・ブロンクス]] :*[[チャイニーズ・ウォリアーズ]] :*[[プロジェクトS]] :*[[ワンダー・ガールズ 東方三侠]]シリーズ :*[[パープルストーム 紫雨風暴]] :*[[ファイナル・プロジェクト]] :*[[WHO AM I?]] :*[[ザ・ミッション 非情の掟]] :*[[クローサー (2002年の映画)|クローサー]] :*[[ツインズ・エフェクト]] :*[[柔道龍虎房]] :*[[SPL/狼よ静かに死ね]] :*[[かちこみ!ドラゴン・タイガー・ゲート]] :*[[導火線 FLASH POINT]] :*[[インビジブル・ターゲット]] :*[[レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳]] :*[[密告・者]] :*[[スペシャルID 特殊身分]] :*[[インファナル・アフェア]]シリーズ ;[[韓国映画|韓国アクション]] :*[[シュリ]] :*[[アジョシ]] :*[[悪女/AKUJO]] :*[[The Witch 魔女]]シリーズ :*[[10人の泥棒たち]] :*[[犯罪都市 (2017年の映画)|犯罪都市]]シリーズ :*[[エクストリーム・ジョブ]] ;[[武侠]] :*[[大酔侠]] :*[[侠女]] :*[[マジック・ブレード]] :*[[蜀山奇傅 天空の剣]] :*[[チャイニーズ・ゴースト・ストーリー]]シリーズ :*[[スウォーズマン]]シリーズ :*[[シスター・オブ・ドラゴン 天女武闘伝]] :*[[ドラゴン・イン/新龍門客棧]] :*[[新流星蝴蝶剣]] :*[[ブレード/刀]] :*[[グリーン・デスティニー]] :*[[風雲 ストームライダーズ]] :*[[HERO (2002年の映画)|HERO]](2002年) :*[[LOVERS (映画)|LOVERS]] :*[[セブンソード]] :*[[レイン・オブ・アサシン]] :*[[ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝]] :*[[王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件]] :*[[Crouching Tiger Hidden Dragon: ソード・オブ・デスティニー]] ;[[カーアクション]] :*[[マッドマックス]]シリーズ :*[[ワイルド・スピードシリーズ]] :*[[トランスポーター (映画)|トランスポーター]]シリーズ :*[[TAXi]]シリーズ :*[[キャノンボール (映画)|キャノンボール]]シリーズ :*[[デス・レース]]シリーズ :*[[ミニミニ大作戦 (1969年の映画)|ミニミニ大作戦]](1969年) :*[[バニシング・ポイント (映画)|バニシング・ポイント]](1971年) :*[[バニシングin60″]](1974年) :*[[ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー]](1974年) :*[[デス・レース2000]](1975年) :*[[トランザム7000]](1977年) :*[[ザ・ドライバー]](1978年) :*[[処刑ライダー]](1986年) :*[[ブラックライダー]](1986年) :*[[ノーマンズ・ランド]](1987年) :*[[バニシング・レッド]](1993年) :*[[ザ・チェイス]](1994年) :*[[60セカンズ]](2000年) :*[[ミニミニ大作戦 (2003年の映画)|ミニミニ大作戦]](2003年) :*[[デス・プルーフ in グラインドハウス]](2007年) :*[[スピード・レーサー]](2008年) :*[[リアル・スピード]](2011年) :*[[ゲッタウェイ スーパースネーク]](2013年) :*[[ニード・フォー・スピード (映画)|ニード・フォー・スピード]](2014年) :*[[アウトバーン (映画)|アウトバーン]](2016年) :*[[ベイビー・ドライバー]](2017年) :*[[プロジェクトX-トラクション]](2023年) ;[[エクストリームスポーツ]] :*[[ハートブルー]](1991年) :*[[ターミナル・ベロシティ]](1994年) :*[[YAMAKASI]](2001年) :*[[EX エックス]](2002年) :*[[アルティメット (映画)|アルティメット]]シリーズ(2004年、2009年) :**[[フルスロットル (映画)|フルスロットル]](2014年) :*[[アンリミテッド (映画)|アンリミテッド]](2015年) :*[[X-ミッション]](2015年) ;アクションコメディ :*[[裸の銃を持つ男]]シリーズ(1988年、1991年、1994年) :*[[ホット・ショット (映画)|ホット・ショット]]シリーズ(1991年、1993年) :*[[スパイキッズ]]シリーズ(2001年 - 2023年) :*[[ジョニー・イングリッシュ]]シリーズ(2003年、2011年、2018年) :*[[ソニック・ザ・ムービー]]シリーズ(2020年、2022年) :*[[ローデッド・ウェポン1]](1993年) :*[[ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-]](2007年) :*[[ゲット スマート]](2008年) :*[[アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!]](2010年) :*[[デート & ナイト]](2010年) :*[[21ジャンプストリート (映画)|21ジャンプストリート]](2012年) ;その他 :*[[狂い咲きサンダーロード]](1980年) :*[[リメインズ 美しき勇者たち]](1990年) - [[熊]]との戦い :*[[沈黙シリーズ]](1992年 - 2019年) :*[[ライオンキング]]シリーズ(1994年 - 2019年) :*Miss.Agent :*ハードペイン :*[[ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金]](2013年) :*アクション!! :*MILE22 :*BLACK RAIN {{Div col end}} == アクション俳優 == [[:Category:アクション俳優|アクション俳優のカテゴリ]]を参照。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Refbegin}} <references /> {{Refend}} == 関連項目 == {{Portal 映画}} {{Div col}} * [[スパイ映画]] * [[戦争映画]] * [[冒険映画]] * [[ハードボイルド]] * [[フィルム・ノワール]] * [[西部劇]] * [[マカロニ・ウエスタン]] * [[アクション俳優]] * [[アクション監督]] * [[映画のジャンル]] * [[映画用語]] * [[スーパーヒーロー映画]] * [[スタントマン]]/[[スタントダブル]] {{Div col end}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あくしよんえいか}} [[Category:アクション映画|*]] [[Category:アクションのジャンル|えいか]] [[Category:映画のジャンル]]
2003-03-01T03:22:52Z
2023-12-31T08:09:56Z
false
false
false
[ "Template:Refbegin", "Template:Refend", "Template:Cite web", "Template:Normdaten", "Template:仮リンク", "Template:Div col", "Template:Div col end", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Portal 映画" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E6%98%A0%E7%94%BB
3,107
ファイルシステム
ファイルシステム(英: file system、filesystem)は、コンピュータのリソースを操作するための、オペレーティングシステム (OS) が持つ機能の一つ。ファイルとは、主に補助記憶装置に格納されたデータを指すが、デバイスやプロセス、カーネル内の情報といったものもファイルとして提供するファイルシステムもある。 より正確に定義すれば、ファイルシステムは抽象データ型の集まりであり、ストレージ、階層構造、データの操作/アクセス/検索のために実装されたものである。ファイルシステムを特殊用途のデータベース管理システム (DBMS) と見なせるかどうかは議論があるが、ファイルシステムとデータベース管理システムには多くの共通点がある。 最も身近なファイルシステムは補助記憶装置上のもので、「セクタ」などと呼ばれる通常512バイトの固定サイズの「ブロック」の配列にアクセスするものである。ファイルシステムはこのセクタ群を使用してファイルやディレクトリを構成し、各セクタがどのファイルに使用され、使用されていないセクターはどれなのかを把握する必要がある。 しかし、ファイルシステム自体は記憶装置を利用する必要はない。ファイルシステムはデータへの操作とアクセスを提供するものであり、対象データが記憶装置に格納されているか (例えば、ネットワーク接続経由で) 動的に生成させるかは問題ではない。 ファイルシステムがストレージ上にあるかどうかに関わらず、一般的なファイルシステムはファイルのファイル名を束ねるディレクトリを持つ。通常、ファイル名は何らかのファイル・アロケーション・テーブルのインデックスと対応しており、それはMS-DOSのファイルシステムであるFATでも、Unix系ファイルシステムでのinodeでもそのようになっている。ディレクトリ構造は平坦な場合もあるし、ディレクトリの下にサブディレクトリのある階層構造の場合もある。いくつかのファイルシステムではファイル名も構造化されていて、拡張子やバージョン番号の文法が存在する。そうでない場合、ファイル名は単なる文字列であり、ファイル毎のメタデータは適当な場所に格納される。 階層型ファイルシステムはUNIXで有名なデニス・リッチーの初期の研究対象であった。それまでの実装では階層はあまり深くできなかった。例えばIBMの初期に生まれたデータベース管理システムであるIMSなどがそうである。UNIXの成功により、リッチーはその後のOS開発 (Plan 9やInferno) でもファイルシステムのコンセプトを様々な対象に広げていった。 初期のファイルシステムはファイルとディレクトリの生成、移動、削除といった機能を提供していた。ディレクトリへの追加リンクを生成する機能 (UNIXにおけるハードリンク)、親リンク (Unix系OSにおける..) の名称変更、ファイル間の双方向リンクの生成といった機能は当初は存在しなかった。 初期のファイルシステムはファイルの切捨て (内容を一部削除すること)、ファイルとファイルの連結、ファイルの生成、ファイルの移動、ファイルの削除、ファイルの更新などの機能を提供していた。ファイルの先頭へのデータ挿入 (prepend)、ファイルの先頭からの内容切捨て、任意の位置の内容の削除や挿入などといった機能は提供されていなかった。提供された操作は対称性に乏しく、どんな状況でも便利というものではない。例えばUNIXにおけるプロセス間のパイプはファイルシステム上には実装できない。というのもパイプはファイル先頭からの切捨てに対応できないためである。 ファイルシステムの基本操作への安全なアクセスはアクセス制御リストまたはケーパビリティに基づいて行われる。研究によれば、アクセス制御リストは完全なセキュリティを確保するのが困難といわれており、研究中の最新のOSではケーパビリティが使われる傾向にある。商用ファイルシステムはまだアクセス制御リストを使用している (コンピュータセキュリティ参照)。 また、アプリケーションソフトウェアの中にも、独自のファイルシステムを採用しているものがある。(FMRシリーズ・FM TOWNS用のワープロソフトウェアである「FM-OASYS」など) ファイルシステムはディスクファイルシステム、分散ファイルシステム、特殊用途のファイルシステムに分類できる。 「ディスクファイルシステム」は、直接的か間接的かに関わらずコンピュータシステムに接続された補助記憶装置、特にハードディスク上にファイルを格納するためのものである。ディスクファイルシステムとしては、FAT、NTFS、HFS、ext2、ext3、ext4、WAFL(英語版)、ISO 9660、ODS-5(英語版)、UDF、HPFS、JFS、UFS、VTOC、XFSなどがある。ディスクファイルシステムの一部はジャーナルファイルシステムまたはバージョニングファイルシステムでもある。 データベースに基づいたファイルシステムである。メインフレームにあったVSAMのように以前からあるものであり、何ら新しいコンセプトではない。通常のファイルシステムでは、設計の時点でその情報構造が決め打ちで決定されている、ファイルの型、内容、作者などといったメタデータの代わりに、各データベース毎に設定されるメタデータに基づいた管理するが、従来のファイルシステムをその上にマップすることもできる。操作はデータベース操作言語 (例えばSQL) で行われる。データベース管理システムが通常のファイルにアクセスしてデータベースを操作するのに比べオーバーヘッドの削減による性能向上などが期待される。BFS、GnomeVFS、HFS+、WinFSなどがある。 ファイル操作により引き起こされる、ディスク上のデータ構造を操作するイベントやトランザクションを、それ用に確保してある領域にまず記録してから行うものである。多くの場合データ構造の操作は相互に関連しているため、「どれも全く行われていない」か「全て成功裏に完了した」のどちらかでなければ、壊れた状態ということになってしまう。例として銀行から銀行へ電子送金する場合を考えてみよう。銀行のコンピュータは、もう一方の銀行へ転送命令を「送信」し、自身の記録として転送開始したことを保持しておく。もし、コンピュータが記録を更新する前に何らかの原因でクラッシュしてしまった場合、転送したという記録が残っていないし、お金だけが失われる。トランザクションシステムは、このような間違いを、事前の記録と照合することにより検出して、切り戻すか再実行し、健全な状態を保とうとするシステムである。各トランザクションは記録され、どこで何をしたのかという完全な記録を残す。この種のファイルシステムはフォールトトレラント設計であることを意図して設計されているため、オーバーヘッドが大きくなる。 ネットワークに対応したOSの多くが、ファイル共有のためのプロトコルを備えている。これを分散ファイルシステムと呼ぶ。 Windowsで標準的なSMB/CIFS、あるいはMacintoshのAFP、UNIXのNFSなどが有名である。 こういったネットワークファイルシステムは、共有元のファイルシステムを抽象化した、別の一種のファイルシステムとして扱われる。 個々のOSが標準とするNTFS、UFS、HFS+、ext3、HPFS、BFSなどの差異も、Sambaなどを使ったファイル共有では実用上の問題はほとんど無くなる。ただし、ファイル名制限自体は存在し、また拡張属性等が利用できないなどの問題はあり得る。 なお、WindowsやmacOSを対象にしたNAS装置でも、内部のハードディスクドライブ (HDD) ではReiserFSやXFSなどが使われている場合が少なくない。 特殊用途のファイルシステムとは、ディスクファイルシステムでも分散ファイルシステムでもないものを意味する。ソフトウェアが動的にファイルを用意するようなシステムがこれに当たる。用途としてはプロセス間の通信のためだったり、一時的なファイル空間のためだったりする。 特殊用途のファイルシステムはUNIXのようなファイル中心のOSで主に使用されている。例えば一部のUNIX系システムで使用されている procfs (/proc) ファイルシステムは、プロセスや他のOS機能の情報へのアクセスを提供している。 ボイジャー計画などの深宇宙探査機ではデジタルテープに基づいた特殊なファイルシステムが使われた。最近の探査機カッシーニはリアルタイムオペレーティングシステム (RTOS) のファイルシステム (あるいはRTOSに影響されたファイルシステム) を使用している。マーズ・パスファインダーのローバーもそのようなRTOSファイルシステムを使用しているが、これらはフラッシュメモリに実装されている点が重要である。 ほとんどのオペレーティングシステム (OS) はファイルシステムを提供しており、ファイルシステムは最近のOSの重要な部分となっている。初期のマイクロコンピュータのOSではファイル管理がほとんど唯一の仕事であり、「DOS」というその名前にも現われている。初期のOSにはディスクオペレーティングシステムと呼ばれるファイルシステム相当の部分が存在していた。マイクロコンピュータによっては、その部分だけをロードして使用することができた。初期のOSでは、唯一の名前のないファイルシステムがサポートされていた。例えば、CP/Mにも独自のファイルシステムがあるが、改めて名前を付けるほどの機能は持っていない。 一般に、OSはファイルシステムに関する次の2種類のインタフェースを提供する。1種類目はプログラムのためにカーネルが提供するシステムコール群であり、2種類目はユーザによるファイル操作のための、コマンド群やグラフィカルユーザインタフェースによるツール (いわゆるファイルマネージャ等) などである。真に重要なのは前者である。なぜなら後者はOSによって提供される以外のプログラムを使っても何ら問題ないからである。しかし後者だけがインタフェースの全てであるかのように思われていることもまた、多いようである。 組み込み用途向けや、特定用途向けのOSでは、ファイルシステムをサポートしていなかったり、ファイルシステムをサポートしていても、実際の利用時にファイルシステムを使用しないこともある。このようなケースでは、コンピュータは外部記憶装置を持っていないか、持っていてもOSからは単なるデータストリームとして認識し、直接アドレスを指定することでアクセスされる。このように、ファイルシステムはコンピュータやOSにとって必須の機能ではない。 平坦なファイルシステムでは、ディレクトリが存在せず、ハードディスクドライブ (HDD) であれフロッピーディスクであれ、全てが唯一の階層に格納される。単純なシステムだが、ファイルの数が増えるにつれてユーザーがデータを分類して管理することが非常に困難となり、非能率的になった。 他の初期の小規模システムと同様、Mac OSは当初、平坦なファイルシステム、Macintosh File System(英語版) (MFS) を採用していた。そのバージョンのMac OSでは、Finderがあたかも階層があるかのようにファイルシステムを見せかけていた。MFSは即座に本当のディレクトリをサポートしたHierarchical File Systemに置き換えられた。 UNIXとUnix系OSは、各デバイスにデバイス名を設定するが、デバイス上のファイルにそれを使ってアクセスするわけではない。UNIXは仮想ファイルシステムを生成し、全てのデバイス上の全てのファイルがひとつの階層構造内にあるように見せかける。従って、UNIXにはひとつのルートディレクトリがあり、全てのファイルはその下のどこかに配置されるのである。さらにUNIXのルートディレクトリは物理的にデバイス上に存在している必要がない。それはそのシステムの1台目のディスクにあるとは限らず、そのシステム内にあるとも限らない。UNIXではルートディレクトリをネットワーク経由で共有することができる。 別のデバイス上のファイルにアクセスするため、最初にOSにそのデバイスのファイル群をディレクトリツリー上のどこに置くか (見せるか) を指示しなければならない。この処理をファイルシステムのマウント (英: mount) と呼ぶ。例えば、CD-ROM内のファイルにアクセスするには、OSに対して「このCD-ROMのファイルシステムを、このディレクトリの下にツリーとして見せろ」と指示しなければならない。このときに指定するディレクトリを「マウントポイント」と呼ぶ。Unix系システムには/mediaや/mntディレクトリがあることが多く、フロッピーディスクやCDといった媒体を一時的にマウントするのに使われる。マウントされるデバイスは何も格納されていないこともあるし、サブディレクトリがあるかもしれない。一般に、システムアドミニストレータ (すなわちスーパーユーザー)だけがファイルシステムのマウントを行うことができる。 Unix系OSにはマウント処理のためのソフトウェアやツールがあり、新たな機能も提供されている。そのひとつとして「自動マウント (英: auto-mount)」がある。 多くの場合、ルート以外のファイルシステムもブート直後からOSにとって必要とされる。全てのUnix系システムはブート時にファイルシステムをマウントする機能を提供している。システムアドミニストレータは、それらのファイルシステムをfstab(英語版)ファイルに定義しておく。fstabにはオプションやマウントポイントが記述される。 場合によっては、後で必要とされるとしてもブート時にファイルシステムをマウントする必要がないこともある。Unix系システムには要求されたときに初めてファイルシステムを自動的にマウントする機能もある。 可搬記憶媒体は非常に一般化してきた。可搬媒体は物理的に接続されていないコンピュータ間でプログラムやデータを転送することを可能とする。最も一般的なものとしてCD-ROMとDVDがある。それらが機器に挿入されたことを自動的に検知し、その中身がファイルシステムとして使用可能であることをチェックし、自動的にマウントするユーティリティも開発されてきた。 最新のUnix系システムでは「スーパーマウント (英: supermount)」と呼ばれる機能が登場している。実例としてthe Linux supermount-ng projectを参照されたい。例えば、スーパーマウントされたフロッピーディスクはシステムから物理的に取り去ることができる。通常、補助記憶装置は内容の同期を取る必要があり、その後にアンマウント (unmount) 処理をしてから取り去らなければならない。これに対して、スーパーマウントではアンマウントする必要が無く、続いて次の媒体を挿入することができる。システムは自動的にそれを検知しマウントポイント以下の内容を新たな媒体のものに変更する。 同様の機能として一部ユーザーが好んで使うのはautofsである。このシステムはスーパーマウントに似ていて、マウントコマンドを手で入力する必要がない。異なるのは、分散ファイルシステムなどを経由して使用する際の互換性に優れていて、媒体の挿入を検知するのではなく、アプリケーションがそのファイルシステムの中身にアクセスしようとしたときにマウントするようになっている点である。従って、ネットワークサーバなどで使われている。 Unix系OSではMS-DOS系のOSとは違い、仮想メモリのためのHDD利用に、仮想メモリファイルのほかにスワップファイルシステムも利用する。 MS-DOS系OSでは、HDDのパーティション内 (OSからドライブとして認識されるFATやNTFSのファイルシステム内) に、スワップ用の隠しシステムファイルを作成する。 Unix系OSでは、たとえばLinuxではスワップ用パーティションを用意し、mkswap、swaponコマンドで利用可能とする。 FreeBSDなどの場合は、BIOSから扱われるパーティションをスライスと呼称し、その中にさらに独自に管理する複数のパーティションとしてスワップファイルシステムを構築する。 macOSのファイルシステムはClassic Mac OSから継承したHFSX (HFS+) である。HFSXはメタデータが豊富で大文字/小文字保護をするファイルシステムである。macOSはPOSIXに準拠しているが、HFSXにもPOSIX ACL準拠のパーミッション情報が追加されている。HFSXにはジャーナルが追加されてファイルシステム構造の破損を防ぐようになり、自動的にフラグメント化したファイルを正規ブロックにするなどのアロケーション機能の最適化もいくつか導入されている。 ファイル名は最大255文字である。HFS+はファイル名の格納に独自のルールで正規分解したUnicodeを使用している。macOSではファイルフォーマットはファイル名のタイプコードや拡張子等から総合的に判断している。Mac OS X v10.5からはUTIを用いてより柔軟にフォーマットを判断する。 POSIX系のファイルシステムとは異なり、ファイルをディレクトリの相対位置でアクセスするため、理論上パス長に制限がない。ただ、基盤となるDarwinがUNIX互換を保つため、システムの多くの部分で1024文字を限界としている。Carbonを経由し、HFSXを直接アクセスする場合はこの限りではない。 HFSXには3種類のリンクがある。ハードリンクとシンボリックリンクとエイリアス(英語版)である。エイリアスはリンク先のファイルが移動されたり改名されたりしてもリンクし続けるようになっている。 Plan 9 from Bell Labs (Plan 9) はUNIXの長所を拡張して新たなアイデアを導入し、UNIXの欠点を修正したものとして計画された。 ファイルシステムの観点から言えば、UNIX的に何でもファイルとして扱うという思想は変わっていないが、Plan 9では本当に「すべて」がファイルとして扱われ、アクセスされる (つまりioctlもmmapもない)。ファイルインターフェイスを汎用化すると同時にそれを大幅に単純化している。例えば、シンボリックリンクもハードリンクもsuidも古い機能とされ (obsolete)、アトミックなcreate/open操作が導入された。重要な点はファイル操作がうまく定義されているためにioctlなどを排除できたことである。 また、9Pプロトコルによってローカルとリモートのファイルの違いが無くなっている (時間的な遅延だけは残っている)。このため、ネットワーク経由で別のコンピュータシステム上のデバイス (これもファイルとして表される) をローカルにあるデバイスと全く同じように操作することが可能となっている。従ってPlan 9の元では、複数のファイルサーバをひとつのファイルシステムに見せることができる。この「合成」ファイルシステムのサーバ群は、システムの単純さを保ちながらマイクロカーネルの利点を生かしてユーザー空間で動作することもできる。 Plan 9では全てのものがファイルとして抽象化されている。ネットワーク、グラフィックス、認証、暗号化など様々なサービスをファイル識別子経由の入出力で扱える。例えば、NATなしでIPスタックのゲートウェイシステムを構築したり、追加コードなしでネットワーク透過なウィンドウシステムを提供したりできる。 Plan 9のアプリケーションはFTPサイトからFTPサービスを受けることもできる。ftpfsサーバによってリモートのFTPサイトをローカルのファイルシステムにマウントすることができ、普通のファイルシステムとして扱えるのである。仮想的なファイルやディレクトリを合成するファイルサーバで /mail/fs/mbox をユーザーのメールボックスとするような電子メールシステムもある。wikifsはwikiへのファイルシステムインターフェイスを提供する。 これらのファイルシステムは、プロセス毎のプライベートな名前空間によって構成される。そのため、各プロセスは分散システムに存在する数々のファイルシステムを固有の観点で見ることができる。 Infernoは、これらの概念をPlan 9から受け継いでいる。 Windowsは、CP/M、次いでMS-DOSを継承して開発されており、MS-DOSのファイルシステムであったFATはWindowsでも用いられている。FATファイルシステムの古い版では、ファイル名に強い制限があり、FATでフォーマットできるディスクやパーティションのサイズにも強い制限があった。 MS-DOSがUnix的なファイル管理を導入した事から、以降のマイクロソフト製OSでは同様の方針が継承されている。 また、IBMとマイクロソフトで共同開発していたOS/2には、FATに加え、FATの欠点を補ったHPFSというファイルシステムが用意された。Windows NTでも、NT 4.0までHPFSをサポートした。 Windows NTにはその後、OS/2のHPFSをより進化させたNTFSが用意された。その結果、Windowsでは FATとNTFSという2種類のファイルシステムが存在することとなった。 WindowsはGUIを通してユーザーと対話するため、ディレクトリを「フォルダの一種」として扱い、フォルダアイコンでグラフィカルに表示している。 NTFSはACLベースのパーミッション制御を可能とした。ハードリンク、代替データストリーム、属性索引、クオータ管理、圧縮、ファイルシステム間のマウントポイント (ジャンクションと呼ばれる)、不良セクタの動的ホットフィックスなどがサポートされている。ただし、一部の仕様は未公開である。 Windowsでは、UNIX系のファイルシステムとは異なり、「ドライブレター」によってディスクやパーティションをユーザーに見せている。例えば C:\WINDOWS\ というパスはCドライブにある WINDOWS ディレクトリを意味している。 Cドライブは1台目のハードディスクパーティションを表すものとして使われることが多く、そこにブート時に起動されるWindowsが格納される。この「伝統」は非常に堅固に植えつけられているため、一時期のWindowsには必ずCドライブにインストールされるという仕様が存在することもあった。これは、MS-DOSから受け継がれた伝統で、AとBがフロッピーディスクドライブ用に予約されていたために Cドライブ以降がハードディスクとなったものである。ネットワークドライブにも同様のドライブ文字がマップされる。ただし、PC-9800シリーズおよびその互換機では、HDD上のWindowsをOSとして起動したときAドライブがHDDに割り当てられた。 Windows NT系OSでは、NTエグゼクティブレベルではドライブレターそのものは実体として存在しなくなった。従前のドライブレターは例えばC:ならば、デバイスオブジェクト\??\C:から\Device\HarddiskVolume1などのボリュームデバイスオブジェクトへのシンボリックリンクで、従来のWindowsと互換性を持たせている。Windows NT系でも見かけ上ドライブレターに縛られていると誤解される場合があるが、例えばボリュームにドライブレターを与えず、ジャンクションによって特定のディレクトリにボリュームを割り当てた場合、ドライブレターを介する事なくボリュームにアクセスできるといった形でNT系ではドライブレターが必須の要素で無くなった事を知ることが出来る。ただし、Win32サブシステムの制約により、Win32アプリはNTエグゼクティブレベルのディレクトリを起点にパス名を指定する事はできない。例えば、Win32サブシステムの制約を受けないInterixサブシステムでは可能。また、WAIK (Automated Installation Kit) を利用する事でC:\以外にもインストールする事も可能。 パーソナルコンピュータ (パソコン) ではハイバネーションという機能が使える場合がある。この機能を使うとメモリー内容をHDD等に保存して電源を落とし、再度電源投入した際に速やかに作業を再開できる。この為にはハイバネーションファイルを利用するものと、ハイバネーション用パーティションを作成するものが存在する。 ハイバネーション用パーティションを作成する場合は、特殊なファイルシステムとも考えられるが、実際には単にメモリーをベタ複製しているだけとも言える。 市販パソコンでは、リカバリー領域と呼ばれる隠しパーティションをもつものがある。 リカバリー領域のファイルシステムについての情報は通常、公開されていない。リカバリー領域をもつパソコンは実質すべてがWindows付属のため、Windows用のNTFSやFAT32等でフォーマットされていると推測される。 これについては、Files-11で解説する。 これについては、MVSファイルシステムで解説する。 IBM PC/ATやPC-9800シリーズ等ではHDDのパーティションごとの利用目的を判別しやすくするため、パーティションごとに番号を与えている。 この番号により、OSの起動時の、利用すべきパーティションの自動判別が速やかに行なわれる。 ただし、正常な設定が行なわれていない場合も考えて、実際のファイルシステム状況を分析して認識する処理が一般的。 具体的には、HPFSと同じパーティション番号を引き継いで開発されたNTFSのような計画上の問題もあった。 また、開発組織がまったく違うために、Linux用のスワップファイルシステムとサン・マイクロシステムズのSolarisのファイルシステムが同じ番号を持ってしまったような例もある。 こういった状況では、誤った認識でデータ破壊が起きる可能性がある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ファイルシステム(英: file system、filesystem)は、コンピュータのリソースを操作するための、オペレーティングシステム (OS) が持つ機能の一つ。ファイルとは、主に補助記憶装置に格納されたデータを指すが、デバイスやプロセス、カーネル内の情報といったものもファイルとして提供するファイルシステムもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "より正確に定義すれば、ファイルシステムは抽象データ型の集まりであり、ストレージ、階層構造、データの操作/アクセス/検索のために実装されたものである。ファイルシステムを特殊用途のデータベース管理システム (DBMS) と見なせるかどうかは議論があるが、ファイルシステムとデータベース管理システムには多くの共通点がある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "最も身近なファイルシステムは補助記憶装置上のもので、「セクタ」などと呼ばれる通常512バイトの固定サイズの「ブロック」の配列にアクセスするものである。ファイルシステムはこのセクタ群を使用してファイルやディレクトリを構成し、各セクタがどのファイルに使用され、使用されていないセクターはどれなのかを把握する必要がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "しかし、ファイルシステム自体は記憶装置を利用する必要はない。ファイルシステムはデータへの操作とアクセスを提供するものであり、対象データが記憶装置に格納されているか (例えば、ネットワーク接続経由で) 動的に生成させるかは問題ではない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ファイルシステムがストレージ上にあるかどうかに関わらず、一般的なファイルシステムはファイルのファイル名を束ねるディレクトリを持つ。通常、ファイル名は何らかのファイル・アロケーション・テーブルのインデックスと対応しており、それはMS-DOSのファイルシステムであるFATでも、Unix系ファイルシステムでのinodeでもそのようになっている。ディレクトリ構造は平坦な場合もあるし、ディレクトリの下にサブディレクトリのある階層構造の場合もある。いくつかのファイルシステムではファイル名も構造化されていて、拡張子やバージョン番号の文法が存在する。そうでない場合、ファイル名は単なる文字列であり、ファイル毎のメタデータは適当な場所に格納される。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "階層型ファイルシステムはUNIXで有名なデニス・リッチーの初期の研究対象であった。それまでの実装では階層はあまり深くできなかった。例えばIBMの初期に生まれたデータベース管理システムであるIMSなどがそうである。UNIXの成功により、リッチーはその後のOS開発 (Plan 9やInferno) でもファイルシステムのコンセプトを様々な対象に広げていった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "初期のファイルシステムはファイルとディレクトリの生成、移動、削除といった機能を提供していた。ディレクトリへの追加リンクを生成する機能 (UNIXにおけるハードリンク)、親リンク (Unix系OSにおける..) の名称変更、ファイル間の双方向リンクの生成といった機能は当初は存在しなかった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "初期のファイルシステムはファイルの切捨て (内容を一部削除すること)、ファイルとファイルの連結、ファイルの生成、ファイルの移動、ファイルの削除、ファイルの更新などの機能を提供していた。ファイルの先頭へのデータ挿入 (prepend)、ファイルの先頭からの内容切捨て、任意の位置の内容の削除や挿入などといった機能は提供されていなかった。提供された操作は対称性に乏しく、どんな状況でも便利というものではない。例えばUNIXにおけるプロセス間のパイプはファイルシステム上には実装できない。というのもパイプはファイル先頭からの切捨てに対応できないためである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "ファイルシステムの基本操作への安全なアクセスはアクセス制御リストまたはケーパビリティに基づいて行われる。研究によれば、アクセス制御リストは完全なセキュリティを確保するのが困難といわれており、研究中の最新のOSではケーパビリティが使われる傾向にある。商用ファイルシステムはまだアクセス制御リストを使用している (コンピュータセキュリティ参照)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "また、アプリケーションソフトウェアの中にも、独自のファイルシステムを採用しているものがある。(FMRシリーズ・FM TOWNS用のワープロソフトウェアである「FM-OASYS」など)", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ファイルシステムはディスクファイルシステム、分散ファイルシステム、特殊用途のファイルシステムに分類できる。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "「ディスクファイルシステム」は、直接的か間接的かに関わらずコンピュータシステムに接続された補助記憶装置、特にハードディスク上にファイルを格納するためのものである。ディスクファイルシステムとしては、FAT、NTFS、HFS、ext2、ext3、ext4、WAFL(英語版)、ISO 9660、ODS-5(英語版)、UDF、HPFS、JFS、UFS、VTOC、XFSなどがある。ディスクファイルシステムの一部はジャーナルファイルシステムまたはバージョニングファイルシステムでもある。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "データベースに基づいたファイルシステムである。メインフレームにあったVSAMのように以前からあるものであり、何ら新しいコンセプトではない。通常のファイルシステムでは、設計の時点でその情報構造が決め打ちで決定されている、ファイルの型、内容、作者などといったメタデータの代わりに、各データベース毎に設定されるメタデータに基づいた管理するが、従来のファイルシステムをその上にマップすることもできる。操作はデータベース操作言語 (例えばSQL) で行われる。データベース管理システムが通常のファイルにアクセスしてデータベースを操作するのに比べオーバーヘッドの削減による性能向上などが期待される。BFS、GnomeVFS、HFS+、WinFSなどがある。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ファイル操作により引き起こされる、ディスク上のデータ構造を操作するイベントやトランザクションを、それ用に確保してある領域にまず記録してから行うものである。多くの場合データ構造の操作は相互に関連しているため、「どれも全く行われていない」か「全て成功裏に完了した」のどちらかでなければ、壊れた状態ということになってしまう。例として銀行から銀行へ電子送金する場合を考えてみよう。銀行のコンピュータは、もう一方の銀行へ転送命令を「送信」し、自身の記録として転送開始したことを保持しておく。もし、コンピュータが記録を更新する前に何らかの原因でクラッシュしてしまった場合、転送したという記録が残っていないし、お金だけが失われる。トランザクションシステムは、このような間違いを、事前の記録と照合することにより検出して、切り戻すか再実行し、健全な状態を保とうとするシステムである。各トランザクションは記録され、どこで何をしたのかという完全な記録を残す。この種のファイルシステムはフォールトトレラント設計であることを意図して設計されているため、オーバーヘッドが大きくなる。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ネットワークに対応したOSの多くが、ファイル共有のためのプロトコルを備えている。これを分散ファイルシステムと呼ぶ。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "Windowsで標準的なSMB/CIFS、あるいはMacintoshのAFP、UNIXのNFSなどが有名である。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "こういったネットワークファイルシステムは、共有元のファイルシステムを抽象化した、別の一種のファイルシステムとして扱われる。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "個々のOSが標準とするNTFS、UFS、HFS+、ext3、HPFS、BFSなどの差異も、Sambaなどを使ったファイル共有では実用上の問題はほとんど無くなる。ただし、ファイル名制限自体は存在し、また拡張属性等が利用できないなどの問題はあり得る。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "なお、WindowsやmacOSを対象にしたNAS装置でも、内部のハードディスクドライブ (HDD) ではReiserFSやXFSなどが使われている場合が少なくない。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "特殊用途のファイルシステムとは、ディスクファイルシステムでも分散ファイルシステムでもないものを意味する。ソフトウェアが動的にファイルを用意するようなシステムがこれに当たる。用途としてはプロセス間の通信のためだったり、一時的なファイル空間のためだったりする。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "特殊用途のファイルシステムはUNIXのようなファイル中心のOSで主に使用されている。例えば一部のUNIX系システムで使用されている procfs (/proc) ファイルシステムは、プロセスや他のOS機能の情報へのアクセスを提供している。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ボイジャー計画などの深宇宙探査機ではデジタルテープに基づいた特殊なファイルシステムが使われた。最近の探査機カッシーニはリアルタイムオペレーティングシステム (RTOS) のファイルシステム (あるいはRTOSに影響されたファイルシステム) を使用している。マーズ・パスファインダーのローバーもそのようなRTOSファイルシステムを使用しているが、これらはフラッシュメモリに実装されている点が重要である。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ほとんどのオペレーティングシステム (OS) はファイルシステムを提供しており、ファイルシステムは最近のOSの重要な部分となっている。初期のマイクロコンピュータのOSではファイル管理がほとんど唯一の仕事であり、「DOS」というその名前にも現われている。初期のOSにはディスクオペレーティングシステムと呼ばれるファイルシステム相当の部分が存在していた。マイクロコンピュータによっては、その部分だけをロードして使用することができた。初期のOSでは、唯一の名前のないファイルシステムがサポートされていた。例えば、CP/Mにも独自のファイルシステムがあるが、改めて名前を付けるほどの機能は持っていない。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "一般に、OSはファイルシステムに関する次の2種類のインタフェースを提供する。1種類目はプログラムのためにカーネルが提供するシステムコール群であり、2種類目はユーザによるファイル操作のための、コマンド群やグラフィカルユーザインタフェースによるツール (いわゆるファイルマネージャ等) などである。真に重要なのは前者である。なぜなら後者はOSによって提供される以外のプログラムを使っても何ら問題ないからである。しかし後者だけがインタフェースの全てであるかのように思われていることもまた、多いようである。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "組み込み用途向けや、特定用途向けのOSでは、ファイルシステムをサポートしていなかったり、ファイルシステムをサポートしていても、実際の利用時にファイルシステムを使用しないこともある。このようなケースでは、コンピュータは外部記憶装置を持っていないか、持っていてもOSからは単なるデータストリームとして認識し、直接アドレスを指定することでアクセスされる。このように、ファイルシステムはコンピュータやOSにとって必須の機能ではない。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "平坦なファイルシステムでは、ディレクトリが存在せず、ハードディスクドライブ (HDD) であれフロッピーディスクであれ、全てが唯一の階層に格納される。単純なシステムだが、ファイルの数が増えるにつれてユーザーがデータを分類して管理することが非常に困難となり、非能率的になった。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "他の初期の小規模システムと同様、Mac OSは当初、平坦なファイルシステム、Macintosh File System(英語版) (MFS) を採用していた。そのバージョンのMac OSでは、Finderがあたかも階層があるかのようにファイルシステムを見せかけていた。MFSは即座に本当のディレクトリをサポートしたHierarchical File Systemに置き換えられた。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "UNIXとUnix系OSは、各デバイスにデバイス名を設定するが、デバイス上のファイルにそれを使ってアクセスするわけではない。UNIXは仮想ファイルシステムを生成し、全てのデバイス上の全てのファイルがひとつの階層構造内にあるように見せかける。従って、UNIXにはひとつのルートディレクトリがあり、全てのファイルはその下のどこかに配置されるのである。さらにUNIXのルートディレクトリは物理的にデバイス上に存在している必要がない。それはそのシステムの1台目のディスクにあるとは限らず、そのシステム内にあるとも限らない。UNIXではルートディレクトリをネットワーク経由で共有することができる。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "別のデバイス上のファイルにアクセスするため、最初にOSにそのデバイスのファイル群をディレクトリツリー上のどこに置くか (見せるか) を指示しなければならない。この処理をファイルシステムのマウント (英: mount) と呼ぶ。例えば、CD-ROM内のファイルにアクセスするには、OSに対して「このCD-ROMのファイルシステムを、このディレクトリの下にツリーとして見せろ」と指示しなければならない。このときに指定するディレクトリを「マウントポイント」と呼ぶ。Unix系システムには/mediaや/mntディレクトリがあることが多く、フロッピーディスクやCDといった媒体を一時的にマウントするのに使われる。マウントされるデバイスは何も格納されていないこともあるし、サブディレクトリがあるかもしれない。一般に、システムアドミニストレータ (すなわちスーパーユーザー)だけがファイルシステムのマウントを行うことができる。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "Unix系OSにはマウント処理のためのソフトウェアやツールがあり、新たな機能も提供されている。そのひとつとして「自動マウント (英: auto-mount)」がある。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "多くの場合、ルート以外のファイルシステムもブート直後からOSにとって必要とされる。全てのUnix系システムはブート時にファイルシステムをマウントする機能を提供している。システムアドミニストレータは、それらのファイルシステムをfstab(英語版)ファイルに定義しておく。fstabにはオプションやマウントポイントが記述される。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "場合によっては、後で必要とされるとしてもブート時にファイルシステムをマウントする必要がないこともある。Unix系システムには要求されたときに初めてファイルシステムを自動的にマウントする機能もある。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "可搬記憶媒体は非常に一般化してきた。可搬媒体は物理的に接続されていないコンピュータ間でプログラムやデータを転送することを可能とする。最も一般的なものとしてCD-ROMとDVDがある。それらが機器に挿入されたことを自動的に検知し、その中身がファイルシステムとして使用可能であることをチェックし、自動的にマウントするユーティリティも開発されてきた。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "最新のUnix系システムでは「スーパーマウント (英: supermount)」と呼ばれる機能が登場している。実例としてthe Linux supermount-ng projectを参照されたい。例えば、スーパーマウントされたフロッピーディスクはシステムから物理的に取り去ることができる。通常、補助記憶装置は内容の同期を取る必要があり、その後にアンマウント (unmount) 処理をしてから取り去らなければならない。これに対して、スーパーマウントではアンマウントする必要が無く、続いて次の媒体を挿入することができる。システムは自動的にそれを検知しマウントポイント以下の内容を新たな媒体のものに変更する。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "同様の機能として一部ユーザーが好んで使うのはautofsである。このシステムはスーパーマウントに似ていて、マウントコマンドを手で入力する必要がない。異なるのは、分散ファイルシステムなどを経由して使用する際の互換性に優れていて、媒体の挿入を検知するのではなく、アプリケーションがそのファイルシステムの中身にアクセスしようとしたときにマウントするようになっている点である。従って、ネットワークサーバなどで使われている。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "Unix系OSではMS-DOS系のOSとは違い、仮想メモリのためのHDD利用に、仮想メモリファイルのほかにスワップファイルシステムも利用する。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "MS-DOS系OSでは、HDDのパーティション内 (OSからドライブとして認識されるFATやNTFSのファイルシステム内) に、スワップ用の隠しシステムファイルを作成する。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "Unix系OSでは、たとえばLinuxではスワップ用パーティションを用意し、mkswap、swaponコマンドで利用可能とする。 FreeBSDなどの場合は、BIOSから扱われるパーティションをスライスと呼称し、その中にさらに独自に管理する複数のパーティションとしてスワップファイルシステムを構築する。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "macOSのファイルシステムはClassic Mac OSから継承したHFSX (HFS+) である。HFSXはメタデータが豊富で大文字/小文字保護をするファイルシステムである。macOSはPOSIXに準拠しているが、HFSXにもPOSIX ACL準拠のパーミッション情報が追加されている。HFSXにはジャーナルが追加されてファイルシステム構造の破損を防ぐようになり、自動的にフラグメント化したファイルを正規ブロックにするなどのアロケーション機能の最適化もいくつか導入されている。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ファイル名は最大255文字である。HFS+はファイル名の格納に独自のルールで正規分解したUnicodeを使用している。macOSではファイルフォーマットはファイル名のタイプコードや拡張子等から総合的に判断している。Mac OS X v10.5からはUTIを用いてより柔軟にフォーマットを判断する。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "POSIX系のファイルシステムとは異なり、ファイルをディレクトリの相対位置でアクセスするため、理論上パス長に制限がない。ただ、基盤となるDarwinがUNIX互換を保つため、システムの多くの部分で1024文字を限界としている。Carbonを経由し、HFSXを直接アクセスする場合はこの限りではない。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "HFSXには3種類のリンクがある。ハードリンクとシンボリックリンクとエイリアス(英語版)である。エイリアスはリンク先のファイルが移動されたり改名されたりしてもリンクし続けるようになっている。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "Plan 9 from Bell Labs (Plan 9) はUNIXの長所を拡張して新たなアイデアを導入し、UNIXの欠点を修正したものとして計画された。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ファイルシステムの観点から言えば、UNIX的に何でもファイルとして扱うという思想は変わっていないが、Plan 9では本当に「すべて」がファイルとして扱われ、アクセスされる (つまりioctlもmmapもない)。ファイルインターフェイスを汎用化すると同時にそれを大幅に単純化している。例えば、シンボリックリンクもハードリンクもsuidも古い機能とされ (obsolete)、アトミックなcreate/open操作が導入された。重要な点はファイル操作がうまく定義されているためにioctlなどを排除できたことである。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "また、9Pプロトコルによってローカルとリモートのファイルの違いが無くなっている (時間的な遅延だけは残っている)。このため、ネットワーク経由で別のコンピュータシステム上のデバイス (これもファイルとして表される) をローカルにあるデバイスと全く同じように操作することが可能となっている。従ってPlan 9の元では、複数のファイルサーバをひとつのファイルシステムに見せることができる。この「合成」ファイルシステムのサーバ群は、システムの単純さを保ちながらマイクロカーネルの利点を生かしてユーザー空間で動作することもできる。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "Plan 9では全てのものがファイルとして抽象化されている。ネットワーク、グラフィックス、認証、暗号化など様々なサービスをファイル識別子経由の入出力で扱える。例えば、NATなしでIPスタックのゲートウェイシステムを構築したり、追加コードなしでネットワーク透過なウィンドウシステムを提供したりできる。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "Plan 9のアプリケーションはFTPサイトからFTPサービスを受けることもできる。ftpfsサーバによってリモートのFTPサイトをローカルのファイルシステムにマウントすることができ、普通のファイルシステムとして扱えるのである。仮想的なファイルやディレクトリを合成するファイルサーバで /mail/fs/mbox をユーザーのメールボックスとするような電子メールシステムもある。wikifsはwikiへのファイルシステムインターフェイスを提供する。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "これらのファイルシステムは、プロセス毎のプライベートな名前空間によって構成される。そのため、各プロセスは分散システムに存在する数々のファイルシステムを固有の観点で見ることができる。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "Infernoは、これらの概念をPlan 9から受け継いでいる。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "Windowsは、CP/M、次いでMS-DOSを継承して開発されており、MS-DOSのファイルシステムであったFATはWindowsでも用いられている。FATファイルシステムの古い版では、ファイル名に強い制限があり、FATでフォーマットできるディスクやパーティションのサイズにも強い制限があった。 MS-DOSがUnix的なファイル管理を導入した事から、以降のマイクロソフト製OSでは同様の方針が継承されている。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "また、IBMとマイクロソフトで共同開発していたOS/2には、FATに加え、FATの欠点を補ったHPFSというファイルシステムが用意された。Windows NTでも、NT 4.0までHPFSをサポートした。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "Windows NTにはその後、OS/2のHPFSをより進化させたNTFSが用意された。その結果、Windowsでは FATとNTFSという2種類のファイルシステムが存在することとなった。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "WindowsはGUIを通してユーザーと対話するため、ディレクトリを「フォルダの一種」として扱い、フォルダアイコンでグラフィカルに表示している。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "NTFSはACLベースのパーミッション制御を可能とした。ハードリンク、代替データストリーム、属性索引、クオータ管理、圧縮、ファイルシステム間のマウントポイント (ジャンクションと呼ばれる)、不良セクタの動的ホットフィックスなどがサポートされている。ただし、一部の仕様は未公開である。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "Windowsでは、UNIX系のファイルシステムとは異なり、「ドライブレター」によってディスクやパーティションをユーザーに見せている。例えば C:\\WINDOWS\\ というパスはCドライブにある WINDOWS ディレクトリを意味している。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "Cドライブは1台目のハードディスクパーティションを表すものとして使われることが多く、そこにブート時に起動されるWindowsが格納される。この「伝統」は非常に堅固に植えつけられているため、一時期のWindowsには必ずCドライブにインストールされるという仕様が存在することもあった。これは、MS-DOSから受け継がれた伝統で、AとBがフロッピーディスクドライブ用に予約されていたために Cドライブ以降がハードディスクとなったものである。ネットワークドライブにも同様のドライブ文字がマップされる。ただし、PC-9800シリーズおよびその互換機では、HDD上のWindowsをOSとして起動したときAドライブがHDDに割り当てられた。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "Windows NT系OSでは、NTエグゼクティブレベルではドライブレターそのものは実体として存在しなくなった。従前のドライブレターは例えばC:ならば、デバイスオブジェクト\\??\\C:から\\Device\\HarddiskVolume1などのボリュームデバイスオブジェクトへのシンボリックリンクで、従来のWindowsと互換性を持たせている。Windows NT系でも見かけ上ドライブレターに縛られていると誤解される場合があるが、例えばボリュームにドライブレターを与えず、ジャンクションによって特定のディレクトリにボリュームを割り当てた場合、ドライブレターを介する事なくボリュームにアクセスできるといった形でNT系ではドライブレターが必須の要素で無くなった事を知ることが出来る。ただし、Win32サブシステムの制約により、Win32アプリはNTエグゼクティブレベルのディレクトリを起点にパス名を指定する事はできない。例えば、Win32サブシステムの制約を受けないInterixサブシステムでは可能。また、WAIK (Automated Installation Kit) を利用する事でC:\\以外にもインストールする事も可能。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "パーソナルコンピュータ (パソコン) ではハイバネーションという機能が使える場合がある。この機能を使うとメモリー内容をHDD等に保存して電源を落とし、再度電源投入した際に速やかに作業を再開できる。この為にはハイバネーションファイルを利用するものと、ハイバネーション用パーティションを作成するものが存在する。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ハイバネーション用パーティションを作成する場合は、特殊なファイルシステムとも考えられるが、実際には単にメモリーをベタ複製しているだけとも言える。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "市販パソコンでは、リカバリー領域と呼ばれる隠しパーティションをもつものがある。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "リカバリー領域のファイルシステムについての情報は通常、公開されていない。リカバリー領域をもつパソコンは実質すべてがWindows付属のため、Windows用のNTFSやFAT32等でフォーマットされていると推測される。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "これについては、Files-11で解説する。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "これについては、MVSファイルシステムで解説する。", "title": "ファイルシステムとオペレーティングシステム" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "IBM PC/ATやPC-9800シリーズ等ではHDDのパーティションごとの利用目的を判別しやすくするため、パーティションごとに番号を与えている。", "title": "ファイルシステムと対応するパーティション番号" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "この番号により、OSの起動時の、利用すべきパーティションの自動判別が速やかに行なわれる。", "title": "ファイルシステムと対応するパーティション番号" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "ただし、正常な設定が行なわれていない場合も考えて、実際のファイルシステム状況を分析して認識する処理が一般的。 具体的には、HPFSと同じパーティション番号を引き継いで開発されたNTFSのような計画上の問題もあった。", "title": "ファイルシステムと対応するパーティション番号" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "また、開発組織がまったく違うために、Linux用のスワップファイルシステムとサン・マイクロシステムズのSolarisのファイルシステムが同じ番号を持ってしまったような例もある。", "title": "ファイルシステムと対応するパーティション番号" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "こういった状況では、誤った認識でデータ破壊が起きる可能性がある。", "title": "ファイルシステムと対応するパーティション番号" } ]
ファイルシステムは、コンピュータのリソースを操作するための、オペレーティングシステム (OS) が持つ機能の一つ。ファイルとは、主に補助記憶装置に格納されたデータを指すが、デバイスやプロセス、カーネル内の情報といったものもファイルとして提供するファイルシステムもある。 より正確に定義すれば、ファイルシステムは抽象データ型の集まりであり、ストレージ、階層構造、データの操作/アクセス/検索のために実装されたものである。ファイルシステムを特殊用途のデータベース管理システム (DBMS) と見なせるかどうかは議論があるが、ファイルシステムとデータベース管理システムには多くの共通点がある。
{{簡易区別|「紙の文書を[[ファイル (文具)]]などで整理すること」}} {{出典の明記|date=2021年5月}} {{OS}} '''ファイルシステム'''({{Lang-en-short|file system、filesystem}})は、[[コンピュータ]]の[[計算資源|リソース]]を操作するための、[[オペレーティングシステム]] (OS) が持つ機能の一つ。[[ファイル (コンピュータ)|ファイル]]とは、主に[[補助記憶装置]]に格納された[[データ]]を指すが、[[デバイス]]や[[プロセス]]、カーネル内の情報といったものもファイルとして提供するファイルシステムもある。 より正確に定義すれば、ファイルシステムは[[抽象データ型]]の集まりであり、[[補助記憶装置#分類|ストレージ]]、[[階層構造]]、[[データ]]の操作/アクセス/検索のために実装されたものである。ファイルシステムを特殊用途の[[データベース管理システム]] (DBMS) と見なせるかどうかは議論があるが、ファイルシステムとデータベース管理システムには多くの共通点がある。 == 概要 == 最も身近なファイルシステムは補助記憶装置上のもので、「[[ディスクセクタ|セクタ]]」などと呼ばれる通常512バイトの固定サイズの「[[ブロック (データ)|ブロック]]」の配列にアクセスするものである。ファイルシステムはこのセクタ群を使用してファイルや[[ディレクトリ]]を構成し、各セクタがどのファイルに使用され、使用されていないセクターはどれなのかを把握する必要がある。 しかし、ファイルシステム自体は[[記憶装置]]を利用する必要はない。ファイルシステムはデータへの操作とアクセスを提供するものであり、対象データが記憶装置に格納されているか (例えば、[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]接続経由で) 動的に生成させるかは問題ではない<ref>"file operations can be performed on a logical file-system which may be local, structured data store or some remote service" [https://filesystem-spec.readthedocs.io/en/latest/intro.html#background fsspec]</ref>。 ファイルシステムがストレージ上にあるかどうかに関わらず、一般的なファイルシステムはファイルの'''[[ファイル名]]'''を束ねるディレクトリを持つ。通常、ファイル名は何らかのファイル・アロケーション・テーブルのインデックスと対応しており、それは[[MS-DOS]]のファイルシステムである[[File Allocation Table|FAT]]でも、[[Unix系]]ファイルシステムでの[[inode]]でもそのようになっている。ディレクトリ構造は平坦な場合もあるし、ディレクトリの下にサブディレクトリのある階層構造の場合もある。いくつかのファイルシステムではファイル名も構造化されていて、[[拡張子]]やバージョン番号の文法が存在する。そうでない場合、ファイル名は単なる文字列であり、ファイル毎の[[メタデータ]]は適当な場所に格納される。 階層型ファイルシステムは[[UNIX]]で有名な[[デニス・リッチー]]の初期の研究対象であった。それまでの実装では階層はあまり深くできなかった。例えば[[IBM]]の初期に生まれたデータベース管理システムである[[IMS]]などがそうである。UNIXの成功により、リッチーはその後のOS開発 ([[Plan 9 from Bell Labs|Plan 9]]や[[Inferno (オペレーティングシステム)|Inferno]]) でもファイルシステムのコンセプトを様々な対象に広げていった。 初期のファイルシステムはファイルとディレクトリの生成、移動、削除といった機能を提供していた。ディレクトリへの追加リンクを生成する機能 (UNIXにおける[[ハードリンク]])、親リンク (Unix系OSにおける{{Code|..}}) の名称変更、ファイル間の双方向リンクの生成といった機能は当初は存在しなかった。 初期のファイルシステムはファイルの切捨て (内容を一部削除すること)、ファイルとファイルの連結、ファイルの生成、ファイルの移動、ファイルの削除、ファイルの更新などの機能を提供していた。ファイルの先頭へのデータ挿入 (prepend)、ファイルの先頭からの内容切捨て、任意の位置の内容の削除や挿入などといった機能は提供されていなかった。提供された操作は対称性に乏しく、どんな状況でも便利というものではない。例えばUNIXにおけるプロセス間の[[パイプ (コンピュータ)|パイプ]]はファイルシステム上には実装できない。というのもパイプはファイル先頭からの切捨てに対応できないためである。 ファイルシステムの基本操作への安全なアクセスは[[アクセス制御リスト]]または[[Capability-based security|ケーパビリティ]]に基づいて行われる。研究によれば、アクセス制御リストは完全なセキュリティを確保するのが困難といわれており、研究中の最新のOSではケーパビリティが使われる傾向にある。商用ファイルシステムはまだアクセス制御リストを使用している ([[コンピュータセキュリティ]]参照)。 また、[[アプリケーションソフトウェア]]の中にも、独自のファイルシステムを採用しているものがある。([[FMRシリーズ]]・[[FM TOWNS]]用の[[ワードプロセッサ|ワープロ]]ソフトウェアである「[[FM-OASYS]]」など) == 分類 == ファイルシステムはディスクファイルシステム、[[分散ファイルシステム]]、特殊用途のファイルシステムに分類できる。 === ディスクファイルシステム === 「ディスクファイルシステム」は、直接的か間接的かに関わらずコンピュータシステムに接続された補助記憶装置、特に[[ハードディスク]]上にファイルを格納するためのものである。ディスクファイルシステムとしては、[[File Allocation Table|FAT]]、[[NT File System|NTFS]]、[[Hierarchical File System|HFS]]、[[ext2]]、[[ext3]]、[[ext4]]、{{仮リンク|WAFL|en|Write Anywhere File Layout}}、[[ISO 9660]]、{{仮リンク|ODS-5|en|Files-11}}、[[ユニバーサルディスクフォーマット|UDF]]、[[HPFS]]、[[Journaled File System|JFS]]、[[Unix File System|UFS]]、[[VTOC]]、[[XFS]]などがある。ディスクファイルシステムの一部は[[ジャーナルファイルシステム]]または[[バージョニングファイルシステム]]でもある。 === データベースファイルシステム === [[データベース]]に基づいたファイルシステムである。メインフレームにあった[[Virtual Storage Access Method|VSAM]]のように以前からあるものであり、何ら新しいコンセプトではない。通常のファイルシステムでは、設計の時点でその情報構造が決め打ちで決定されている、ファイルの型、内容、作者などといった[[メタデータ]]の代わりに、各データベース毎に設定されるメタデータに基づいた管理するが、従来のファイルシステムをその上にマップすることもできる。操作はデータベース操作言語 (例えば[[SQL]]) で行われる。[[データベース管理システム]]が通常のファイルにアクセスしてデータベースを操作するのに比べ[[オーバーヘッド]]の削減による性能向上などが期待される。[[BeOS|BFS]]、[[GnomeVFS]]、[[HFS|HFS+]]、[[WinFS]]などがある。 === トランザクションファイルシステム === ファイル操作により引き起こされる、ディスク上のデータ構造を操作する[[イベント (プログラミング)|イベント]]や[[トランザクション]]を、それ用に確保してある領域にまず記録してから行うものである。多くの場合データ構造の操作は相互に関連しているため、「どれも全く行われていない」か「全て成功裏に完了した」のどちらかでなければ、壊れた状態ということになってしまう。例として銀行から銀行へ電子送金する場合を考えてみよう。銀行のコンピュータは、もう一方の銀行へ転送命令を「送信」し、自身の記録として転送開始したことを保持しておく。もし、コンピュータが記録を更新する前に何らかの原因で[[クラッシュ]]してしまった場合、転送したという記録が残っていないし、お金だけが失われる。トランザクションシステムは、このような間違いを、事前の記録と照合することにより検出して、切り戻すか再実行し、健全な状態を保とうとする[[システム]]である。各トランザクションは記録され、どこで何をしたのかという完全な記録を残す。この種のファイルシステムは[[フォールトトレラント設計]]であることを意図して設計されているため、オーバーヘッドが大きくなる。 === ネットワークファイル共有とファイルシステム === [[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]に対応したOSの多くが、ファイル共有のための[[プロトコル]]を備えている。これを[[分散ファイルシステム]]と呼ぶ。 [[Microsoft Windows|Windows]]で標準的な[[Server Message Block|SMB/CIFS]]、あるいは[[Macintosh]]の[[Apple Filing Protocol|AFP]]、UNIXの[[Network File System|NFS]]などが有名である。 こういったネットワークファイルシステムは、共有元のファイルシステムを抽象化した、別の一種のファイルシステムとして扱われる。 個々のOSが標準とするNTFS、UFS、HFS+、ext3、HPFS、BFSなどの差異も、[[Samba]]などを使ったファイル共有では実用上の問題はほとんど無くなる。ただし、ファイル名制限自体は存在し、また[[拡張ファイル属性|拡張属性]]等が利用できないなどの問題はあり得る。 なお、Windowsや[[macOS]]を対象にした[[ネットワークアタッチトストレージ|NAS]]装置でも、内部の[[ハードディスクドライブ]] (HDD) ではReiserFSやXFSなどが使われている場合が少なくない。 === 特殊用途のファイルシステム === 特殊用途のファイルシステムとは、ディスクファイルシステムでも分散ファイルシステムでもないものを意味する。[[ソフトウェア]]が動的にファイルを用意するようなシステムがこれに当たる。用途としてはプロセス間の通信のためだったり、一時的なファイル空間のためだったりする。 特殊用途のファイルシステムはUNIXのようなファイル中心のOSで主に使用されている。例えば一部のUNIX系システムで使用されている [[procfs]] ({{Code|/proc}}) ファイルシステムは、[[プロセス]]や他のOS機能の情報へのアクセスを提供している。 [[ボイジャー計画]]などの深宇宙探査機ではデジタルテープに基づいた特殊なファイルシステムが使われた。最近の探査機[[カッシーニ (探査機)|カッシーニ]]は[[リアルタイムオペレーティングシステム]] (RTOS) のファイルシステム (あるいはRTOSに影響されたファイルシステム) を使用している。[[マーズ・パスファインダー]]のローバーもそのようなRTOSファイルシステムを使用しているが、これらはフラッシュメモリに実装されている点が重要である。 == ファイルシステムとオペレーティングシステム == ほとんどのオペレーティングシステム (OS) はファイルシステムを提供しており、ファイルシステムは最近のOSの重要な部分となっている。初期の[[マイクロコンピュータ]]のOSではファイル管理がほとんど唯一の仕事であり、「[[DOS (OS)|DOS]]」というその名前にも現われている。初期のOSにはディスクオペレーティングシステムと呼ばれるファイルシステム相当の部分が存在していた。マイクロコンピュータによっては、その部分だけをロードして使用することができた。初期のOSでは、唯一の名前のないファイルシステムがサポートされていた。例えば、[[CP/M]]にも独自のファイルシステムがあるが、改めて名前を付けるほどの機能は持っていない。 一般に、OSはファイルシステムに関する次の2種類の[[インタフェース (情報技術)|インタフェース]]を提供する。1種類目はプログラムのためにカーネルが提供するシステムコール群であり、2種類目はユーザによるファイル操作のための、コマンド群や[[グラフィカルユーザインタフェース]]によるツール (いわゆる[[ファイルマネージャ]]等) などである。真に重要なのは前者である。なぜなら後者はOSによって提供される以外のプログラムを使っても何ら問題ないからである。しかし後者だけがインタフェースの全てであるかのように思われていることもまた、多いようである。 [[組み込みシステム|組み込み]]用途向けや、特定用途向けのOSでは、ファイルシステムをサポートしていなかったり、ファイルシステムをサポートしていても、実際の利用時にファイルシステムを使用しないこともある。このようなケースでは、コンピュータは[[補助記憶装置|外部記憶装置]]を持っていないか、持っていてもOSからは単なるデータ[[ストリーム (プログラミング)|ストリーム]]として認識し、直接アドレスを指定することでアクセスされる。このように、ファイルシステムはコンピュータやOSにとって必須の機能ではない。 === 平坦なファイルシステム === 平坦なファイルシステムでは、ディレクトリが存在せず、[[ハードディスクドライブ]] (HDD) であれ[[フロッピーディスク]]であれ、全てが唯一の階層に格納される。単純なシステムだが、ファイルの数が増えるにつれてユーザーがデータを分類して管理することが非常に困難となり、非能率的になった。 他の初期の小規模システムと同様、[[Mac OS]]は当初、平坦なファイルシステム、{{仮リンク|Macintosh File System|en|Macintosh File System}} (MFS) を採用していた。そのバージョンのMac OSでは、[[Finder]]があたかも階層があるかのようにファイルシステムを見せかけていた。MFSは即座に本当の[[ディレクトリ]]をサポートした[[Hierarchical File System]]に置き換えられた。 === UNIXとUnix系システムのファイルシステム === UNIXとUnix系OSは、各デバイスにデバイス名を設定するが、デバイス上のファイルにそれを使ってアクセスするわけではない。UNIXは仮想ファイルシステムを生成し、全てのデバイス上の全てのファイルがひとつの階層構造内にあるように見せかける。従って、UNIXにはひとつのルートディレクトリがあり、全てのファイルはその下のどこかに配置されるのである。さらにUNIXのルートディレクトリは物理的にデバイス上に存在している必要がない。それはそのシステムの1台目のディスクにあるとは限らず、そのシステム内にあるとも限らない。UNIXではルートディレクトリをネットワーク経由で共有することができる。 別のデバイス上のファイルにアクセスするため、最初にOSにそのデバイスのファイル群をディレクトリツリー上のどこに置くか (見せるか) を指示しなければならない。この処理をファイルシステムの[[mount (UNIX)|マウント]] ({{Lang-en-short|mount}}) と呼ぶ。例えば、[[CD-ROM]]内のファイルにアクセスするには、OSに対して「このCD-ROMのファイルシステムを、このディレクトリの下にツリーとして見せろ」と指示しなければならない。このときに指定するディレクトリを「マウントポイント」と呼ぶ。Unix系システムには{{Code|/media}}や{{Code|/mnt}}ディレクトリがあることが多く、フロッピーディスクや[[コンパクトディスク|CD]]といった媒体を一時的にマウントするのに使われる。マウントされるデバイスは何も格納されていないこともあるし、サブディレクトリがあるかもしれない。一般に、[[システムアドミニストレータ]] (すなわち[[スーパーユーザー]])だけがファイルシステムのマウントを行うことができる。 Unix系OSにはマウント処理のためのソフトウェアやツールがあり、新たな機能も提供されている。そのひとつとして「自動マウント ({{Lang-en-short|auto-mount}})」がある。 多くの場合、ルート以外のファイルシステムも[[ブート]]直後からOSにとって必要とされる。全てのUnix系システムはブート時にファイルシステムをマウントする機能を提供している。[[システムアドミニストレータ]]は、それらのファイルシステムを{{仮リンク|fstab|en|fstab}}ファイルに定義しておく。fstabにはオプションやマウントポイントが記述される。 場合によっては、後で必要とされるとしてもブート時にファイルシステムをマウントする必要がないこともある。Unix系システムには要求されたときに初めてファイルシステムを自動的にマウントする機能もある。 可搬記憶媒体は非常に一般化してきた。可搬媒体は物理的に接続されていないコンピュータ間でプログラムやデータを転送することを可能とする。最も一般的なものとしてCD-ROMと[[DVD]]がある。それらが機器に挿入されたことを自動的に検知し、その中身がファイルシステムとして使用可能であることをチェックし、自動的にマウントするユーティリティも開発されてきた。 最新のUnix系システムでは「スーパーマウント ({{Lang-en-short|supermount}})」と呼ばれる機能が登場している。実例として[http://sourceforge.net/projects/supermount-ng the Linux supermount-ng project]を参照されたい。例えば、スーパーマウントされたフロッピーディスクはシステムから物理的に取り去ることができる。通常、補助記憶装置は内容の同期を取る必要があり、その後にアンマウント (unmount) 処理をしてから取り去らなければならない。これに対して、スーパーマウントではアンマウントする必要が無く、続いて次の媒体を挿入することができる。システムは自動的にそれを検知しマウントポイント以下の内容を新たな媒体のものに変更する。 同様の機能として一部ユーザーが好んで使うのは[http://freshmeat.net/projects/autofs/ autofs]である。このシステムはスーパーマウントに似ていて、マウントコマンドを手で入力する必要がない。異なるのは、[[分散ファイルシステム]]などを経由して使用する際の互換性に優れていて、媒体の挿入を検知するのではなく、アプリケーションがそのファイルシステムの中身にアクセスしようとしたときにマウントするようになっている点である。従って、ネットワークサーバなどで使われている。 ==== スワップファイルシステム ==== Unix系OSではMS-DOS系のOSとは違い、[[仮想記憶|仮想メモリ]]のためのHDD利用に、仮想メモリファイルのほかに[[スワップファイルシステム]]も利用する。 MS-DOS系OSでは、HDDの[[パーティション]]内 (OSから[[ドライブ]]として認識されるFATやNTFSのファイルシステム内) に、スワップ用の隠しシステムファイルを作成する。 Unix系OSでは、たとえば[[Linux]]ではスワップ用パーティションを用意し、mkswap、swaponコマンドで利用可能とする。 [[FreeBSD]]などの場合は、[[Basic Input/Output System|BIOS]]から扱われるパーティションを[[スライス]]と呼称し、その中にさらに独自に管理する複数のパーティションとしてスワップファイルシステムを構築する。 ==== macOSのファイルシステム ==== [[macOS]]のファイルシステムは[[Classic Mac OS]]から継承した[[HFS Plus|HFSX]] (HFS+) である。HFSXはメタデータが豊富で[[大文字/小文字保護]]をするファイルシステムである。macOSは[[POSIX]]に準拠しているが、HFSXにも[[アクセス制御リスト|POSIX ACL]]準拠のパーミッション情報が追加されている。HFSXには[[ジャーナルファイルシステム|ジャーナル]]が追加されてファイルシステム構造の破損を防ぐようになり、自動的にフラグメント化したファイルを正規ブロックにするなどのアロケーション機能の最適化もいくつか導入されている。 ファイル名は最大255文字である。HFS+はファイル名の格納に独自のルールで[[Unicode正規化|正規分解]]した[[Unicode]]を使用している。macOSでは[[ファイルフォーマット]]はファイル名のタイプコードや[[拡張子]]等から総合的に判断している。[[Mac OS X v10.5]]からは[[Uniform Type Identifier|UTI]]を用いてより柔軟にフォーマットを判断する。 POSIX系のファイルシステムとは異なり、ファイルをディレクトリの相対位置でアクセスするため、理論上{{仮リンク|パス (コンピュータ)|label=パス|en|Path (computing)}}長に制限がない。ただ、基盤となる[[Darwin (オペレーティングシステム)|Darwin]]がUNIX互換を保つため、システムの多くの部分で1024文字を限界としている。[[Carbon]]を経由し、HFSXを直接アクセスする場合はこの限りではない。 HFSXには3種類のリンクがある。[[ハードリンク]]と[[シンボリックリンク]]と{{仮リンク|エイリアス (Mac OS)|label=エイリアス|en|Alias (Mac OS)}}である。エイリアスはリンク先のファイルが移動されたり改名されたりしてもリンクし続けるようになっている。 === ベル研究所のPlan 9のファイルシステム === [[Plan 9 from Bell Labs]] (Plan 9) はUNIXの長所を拡張して新たなアイデアを導入し、UNIXの欠点を修正したものとして計画された。 ファイルシステムの観点から言えば、UNIX的に何でもファイルとして扱うという思想は変わっていないが、Plan 9では本当に「すべて」がファイルとして扱われ、アクセスされる (つまりioctlもmmapもない)。ファイルインターフェイスを汎用化すると同時にそれを大幅に単純化している。例えば、シンボリックリンクもハードリンクも[[setuid|suid]]も古い機能とされ (obsolete)、アトミックなcreate/open操作が導入された。重要な点はファイル操作がうまく定義されているためにioctlなどを排除できたことである。 また、[[9P]]プロトコルによってローカルとリモートのファイルの違いが無くなっている (時間的な遅延だけは残っている)。このため、ネットワーク経由で別のコンピュータシステム上のデバイス (これもファイルとして表される) をローカルにあるデバイスと全く同じように操作することが可能となっている。従ってPlan 9の元では、複数のファイルサーバをひとつのファイルシステムに見せることができる。この「合成」ファイルシステムのサーバ群は、システムの単純さを保ちながら[[マイクロカーネル]]の利点を生かしてユーザー空間で動作することもできる。 Plan 9では全てのものがファイルとして抽象化されている。ネットワーク、グラフィックス、認証、暗号化など様々なサービスをファイル識別子経由の入出力で扱える。例えば、[[ネットワークアドレス変換|NAT]]なしでIPスタックのゲートウェイシステムを構築したり、追加コードなしでネットワーク透過なウィンドウシステムを提供したりできる。 Plan 9のアプリケーションは[[File Transfer Protocol|FTP]]サイトからFTPサービスを受けることもできる。ftpfsサーバによってリモートのFTPサイトをローカルのファイルシステムにマウントすることができ、普通のファイルシステムとして扱えるのである。仮想的なファイルやディレクトリを合成するファイルサーバで {{Code|/mail/fs/mbox}} をユーザーのメールボックスとするような電子メールシステムもある。[[wikifs]]はwikiへのファイルシステムインターフェイスを提供する。 これらのファイルシステムは、プロセス毎のプライベートな名前空間によって構成される。そのため、各プロセスは分散システムに存在する数々のファイルシステムを固有の観点で見ることができる。 [[Inferno (オペレーティングシステム)|Inferno]]は、これらの概念をPlan 9から受け継いでいる。 === Windowsのファイルシステム === ==== Windowsのファイルシステムの歴史 ==== [[Microsoft Windows|Windows]]は、[[CP/M]]、次いで[[MS-DOS]]を継承して開発されており、MS-DOSのファイルシステムであった[[File Allocation Table|FAT]]はWindowsでも用いられている。FATファイルシステムの古い版では、ファイル名に強い制限があり、FATでフォーマットできるディスクや[[パーティション]]のサイズにも強い制限があった。 MS-DOSがUnix的なファイル管理を導入した事から、以降のマイクロソフト製OSでは同様の方針が継承されている。 また、[[IBM]]とマイクロソフトで共同開発していた[[OS/2]]には、FATに加え、FATの欠点を補った[[HPFS]]というファイルシステムが用意された。[[Microsoft Windows NT|Windows NT]]でも、NT 4.0までHPFSをサポートした。 Windows NTにはその後、OS/2のHPFSをより進化させた[[NT File System|NTFS]]が用意された。その結果、Windowsでは FATとNTFSという2種類のファイルシステムが存在することとなった。 Windowsは[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]を通してユーザーと対話するため、ディレクトリを「フォルダの一種」として扱い、フォルダアイコンでグラフィカルに表示している。 ==== NTFSの仕様 ==== NTFSは[[アクセス制御リスト|ACL]]ベースのパーミッション制御を可能とした。ハードリンク、[[フォーク (ファイルシステム)|代替データストリーム]]、属性索引、クオータ管理、圧縮、ファイルシステム間のマウントポイント (ジャンクションと呼ばれる)、不良セクタの動的[[ホットフィックス]]などがサポートされている。ただし、一部の仕様は未公開である。 ==== ドライブレター ==== Windowsでは、UNIX系のファイルシステムとは異なり、「ドライブレター」によってディスクやパーティションをユーザーに見せている。例えば {{Code|C:\WINDOWS\}} という{{仮リンク|パス (コンピュータ)|label=パス|en|Path (computing)}}はCドライブにある {{Code|WINDOWS}} ディレクトリを意味している。 {{main|ドライブレター}} Cドライブは1台目のハードディスクパーティションを表すものとして使われることが多く、そこにブート時に起動されるWindowsが格納される。この「伝統」は非常に堅固に植えつけられているため、一時期のWindowsには必ずCドライブにインストールされるという仕様が存在することもあった。これは、MS-DOSから受け継がれた伝統で、AとBがフロッピーディスクドライブ用に予約されていたために Cドライブ以降がハードディスクとなったものである。ネットワークドライブにも同様のドライブ文字がマップされる。ただし、[[PC-9800シリーズ]]および[[EPSON PCシリーズ|その互換機]]では、HDD上のWindowsをOSとして起動したときAドライブがHDDに割り当てられた。 [[Windows NT系]]OSでは、NTエグゼクティブレベルではドライブレターそのものは実体として存在しなくなった。従前のドライブレターは例えば{{Code|C:}}ならば、デバイスオブジェクト{{Code|\??\C:}}から{{Code|\Device\HarddiskVolume1}}などのボリュームデバイスオブジェクトへのシンボリックリンクで、従来のWindowsと互換性を持たせている。Windows NT系でも見かけ上ドライブレターに縛られていると誤解される場合があるが、例えばボリュームにドライブレターを与えず、ジャンクションによって特定のディレクトリにボリュームを割り当てた場合、ドライブレターを介する事なくボリュームにアクセスできるといった形でNT系ではドライブレターが必須の要素で無くなった事を知ることが出来る。ただし、Win32サブシステムの制約により、Win32アプリはNTエグゼクティブレベルのディレクトリを起点にパス名を指定する事はできない。例えば、Win32サブシステムの制約を受けない[[Interix]]サブシステムでは可能。また、WAIK (Automated Installation Kit) を利用する事でC:\以外にもインストールする事も可能。 ==== ハイバネーション領域 ==== [[パーソナルコンピュータ]] (パソコン) では[[ハイバネーション]]という機能が使える場合がある。この機能を使うとメモリー内容をHDD等に保存して電源を落とし、再度電源投入した際に速やかに作業を再開できる。この為にはハイバネーションファイルを利用するものと、ハイバネーション用パーティションを作成するものが存在する。 ハイバネーション用パーティションを作成する場合は、特殊なファイルシステムとも考えられるが、実際には単にメモリーをベタ複製しているだけとも言える。<!--どっかに仕様を説明している文書はあるのだろうか?--> ==== リカバリー領域 ==== 市販パソコンでは、[[リカバリー領域]]と呼ばれる隠しパーティションをもつものがある。 リカバリー領域のファイルシステムについての情報は通常、公開されていない。リカバリー領域をもつパソコンは実質すべてがWindows付属のため、Windows用のNTFSやFAT32等でフォーマットされていると推測される。 === OpenVMSのファイルシステム === これについては、[[Files-11]]で解説する。 === MVS (IBM汎用コンピュータ) のファイルシステム === これについては、[[Multiple Virtual Storage#MVSファイルシステム|MVSファイルシステム]]で解説する。 == ファイルシステムと対応するパーティション番号 == IBM [[PC/AT]]やPC-9800シリーズ等ではHDDのパーティションごとの利用目的を判別しやすくするため、パーティションごとに番号を与えている。 この番号により、OSの起動時の、利用すべきパーティションの自動判別が速やかに行なわれる。 ただし、正常な設定が行なわれていない場合も考えて、実際のファイルシステム状況を分析して認識する処理が一般的。 具体的には、HPFSと同じパーティション番号を引き継いで開発されたNTFSのような計画上の問題もあった。 また、開発組織がまったく違うために、Linux用のスワップファイルシステムと[[サン・マイクロシステムズ]]の[[Solaris]]のファイルシステムが同じ番号を持ってしまったような例もある。 こういった状況では、誤った認識でデータ破壊が起きる可能性がある。 == 比較 == === 一般情報 === {| class="wikitable" style="width: 100%; text-align: center; font-size: smaller; table-layout: fixed;" |-style="position:sticky; top:0px" ! ファイルシステム名 ! 開発者 ! 登場年 ! 最初にサポートした[[オペレーティングシステム|OS]] |- ! [[RT-11]] | DEC | [[1973年]] | [[RT-11]] |- ! [[File Allocation Table|FAT12]] | [[マイクロソフト]] | [[1977年]] | [[Microsoft BASIC|Microsoft Disk BASIC]] |- ! [[Files-11|ODS-2]] | DEC | 1979年 | [[OpenVMS|VMS]] |- ! [[Unix File System|UFS (FFS)]] | [[マーシャル・カーク・マキュージック|カーク・マキュージック]] | [[1983年]] | [[Berkeley Software Distribution|4.2BSD]] |- ! [[Hierarchical File System|HFS]] | [[Apple]] | [[1985年]] | [[Classic Mac OS#System 1 - 4|Macintosh System 2.1]] |- ! [[File Allocation Table|FAT16]] | マイクロソフト | [[1987年]] | [[MS-DOS]] 3.31 |- ! [[HPFS]] | [[IBM]] & マイクロソフト | [[1988年]] | [[OS/2]] |- ! [[Journaled File System|JFS]] | IBM | [[1990年]] | [[AIX]]{{Efn|IBMは[[1990年]]に[[AIX]] 3.1 リリース時に JFS を導入。これは現在 JFS1 と呼ばれている。新たなJFS (JFS2などと呼ばれる) はLinux移植版がベースで、[[1999年]]に[[OS/2]] Warp Server for e-Business で最初に出荷された。}} |- ! [[VxFS]] | [[VERITAS]] | [[1991年]] | [[UNIX System V|SVR4.0]] |- ! [[NT File System|NTFS]] | マイクロソフト | [[1993年]] | [[Windows NT]] |- ! [[ext2]] | [[レミ・カール]] | 1993年 | [[Linux]] |- ! [[Unix File System|UFS (FFFS)]] | カーク・マキュージック | [[1994年]] | [[Berkeley Software Distribution|4.4BSD]] |- ! [[XFS]] | [[シリコングラフィックス|SGI]] | 1994年 | [[IRIX]] |- ! [[ユニバーサルディスクフォーマット|UDF]] | [[国際標準化機構|ISO]]/[[Ecma International]]/OSTA | [[1995年]] | - |- ! [[File Allocation Table|FAT32]] | マイクロソフト | [[1996年]] | [[Microsoft Windows 95|Windows 95]] OSR2{{Efn|[[マイクロソフト]]は[[Microsoft Windows 95|Windows 95]] OSR2で最初に FAT32 を導入し、[[Microsoft Windows98|Windows 98]]で本格的に採用した。}} |- ! [[HFS Plus]] | Apple | [[1998年]] | [[Mac OS 8|Mac OS 8.1]] |- ! [[ext3]] | [[スティーブン・トウィーディ]] | [[1999年]] | Linux |- ! [[VMFS]] | [[VMware]] | [[2000年]] | [[VMware ESX]] |- ! [[ReiserFS]] | Namesys | [[2001年]] | Linux |- ! [[Unix File System|UFS2]] | カーク・マキュージック | [[2002年]] | [[FreeBSD]] 5.0 |- ! [[HFS Plus#HFS+の特徴|HFSX]] | Apple | [[2003年]] | [[Mac OS X v10.3#テクノロジー|Mac OS X v10.3]] |- ! [[Zettabyte File System|ZFS]] | [[サン・マイクロシステムズ]] | [[2004年]] | [[Solaris]] |- ! [[Reiser4]] | Namesys | 2004年 | Linux |- ! [[NILFS]] | [[日本電信電話|NTT]] | [[2005年]] | Linux |- ! [[ext4]] | Mingming Cao, Dave Kleikamp, Alex Tomas, [[アンドリュー・モートン (プログラマ)|Andrew Morton]]他 | [[2006年]] | Linux |- ! [[exFAT]] | マイクロソフト | 2006年 | [[Microsoft Windows CE|Windows Embedded CE]] 6.0 |- ! [[btrfs]] | [[オラクル (企業)|オラクル]] | [[2007年]] | Linux |- ! [[HAMMER]]-FS | Matthew Dillon{{enlink|Matthew Dillon||en}} | [[2008年]] | [[DragonFly BSD]] 2.0 |- ! [[ReFS]] | マイクロソフト | [[2012年]] | [[Microsoft Windows Server 2012]] |- ! [[Apple File System|APFS]] | Apple | [[2017年]] | [[macOS High Sierra]] |} === 諸元 === {| class="wikitable" style="width: 100%; text-align: center; font-size: smaller; table-layout: fixed;" |-style="position:sticky; top:0px" ! ! 最大ファイル名長 ! ディレクトリ名に使える文字種{{Efn|name=dirnm|ディスク上のディレクトリ構造自体に制限がある。特に{{仮リンク|Installable File System|en|Installable File System}}のドライバはファイル名とディレクトリ名に制限がある。また、OSがファイルシステムの種類に寄らず全体に制限を加えていることもある。[[MS-DOS]], [[Microsoft Windows]], [[OS/2]]は全ファイルシステムについて <nowiki>\ / : ? * " &gt; &lt; | NUL</nowiki> といった文字をファイル名やディレクトリ名に使えない。[[UNIX]]および[[Linux]]は全ファイルシステムについて <nowiki>/ NUL</nowiki> という文字をファイル名やディレクトリ名に使えない。}} ! 最大パス名長 ! 最大ファイルサイズ ! 最大ボリュームサイズ{{Efn|name=volsz|ブロックサイズや[[クラスタ (記憶媒体)|クラスタ]]サイズが可変なファイルシステムについては、ブロックサイズの最大と最小のときのボリュームサイズの範囲を示す。例えば、FATではディスク上のクラスタサイズが512{{Nbsp}}B{{Ndash}}128{{Nbsp}}KBである。しかし、{{仮リンク|Installable File System|en|Installable File System}}の一部のドライバやOSによっては32{{Nbsp}}KBより大きいクラスタサイズをサポートしていない。}} |- ! [[Btrfs]] | 255[[バイト_(情報)|バイト]] | NUL 以外の任意のバイト{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 16{{Ndash}}[[エクスビバイト|EiB]] | 16{{Nbsp}}EiB |- ! [[ext2]] | 255バイト | NUL 以外の任意のバイト{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 16{{Ndash}}[[ギビバイト|GiB]]{{Ndash}}2{{Ndash}}[[テビバイト|TiB]]{{Efn|name=volsz}} | 2{{Nbsp}}TiB{{Ndash}}32{{Nbsp}}TiB |- ! [[ext3]] | 255バイト | NUL 以外の任意のバイト{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 16{{Nbsp}}GiB{{Ndash}}2{{Nbsp}}TiB{{Efn|name=volsz}} | 2{{Nbsp}}TiB{{Ndash}}32{{Nbsp}}TiB |- ! [[ext4]] | 255バイト | NUL 以外の任意のバイト{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 16{{Nbsp}}GiB{{Ndash}}16{{Nbsp}}TiB | 1{{Nbsp}}EiB |- ! [[File Allocation Table|FAT12]] | 8.3形式 (または255文字){{Efn|name=fatres|FAT12、FAT16、FAT32の実装が、[[長いファイル名]] (LFN) をサポートしているかどうかに依存する。[[OS/2]], [[MS-DOS]], [[Microsoft Windows 95|Windows 95]], [[Microsoft Windows 98|Windows 98]] のDOSモードやLinuxの msdosドライバではLFNをサポートしていないので、ファイル名は8.3形式に制限される (制限を越えるとベース名も拡張子も空白で埋められる)。また、NUL (ディレクトリ終端マーカー) を含むこともできず、文字5 (削除済みファイルマーカーとして使われる文字229の代用) も含むことができない。短い名前では小文字も含まれない。}} | NUL 以外の全[[Unicode]]{{Efn|name=fatres}}{{Efn|name=dotdot|これらのファイルシステムでは、{{Code|.}} と {{Code|..}} というディレクトリエントリ名は特別な意味を持つ。そのような名前のディレクトリエントリは禁じられておらず、むしろ普通のディレクトリエントリ名として存在している。しかし、これらはある意味で固定のエントリで固定の値を持ち、ディレクトリ生成時に自動的に生成される。これらのエントリがないディレクトリは壊れていると見なされる。}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef|ディスク上の構造としては制限はないが、一部のInstallable File SystemのドライバやOSによっては制限している場合がある。MS-DOSはFAT12やFAT16に関して260バイト以上のパス名をサポートしていない。Windows NTはNTFSに関して32767文字 (UTF-16) 以上のパス名をサポートしていない。POSIXの規定では「NULL終端で1024バイトを保証すること」とされているが、上限についての記述はない。}} | 32{{Ndash}}[[メビバイト|MiB]] | 1{{Nbsp}}MiB{{Ndash}}128{{Nbsp}}MiB |- ! [[File Allocation Table|FAT16]] | 8.3形式 (または255文字){{Efn|name=fatres}} | NUL 以外の全Unicode{{Efn|name=fatres}}{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 2{{Nbsp}}GiB | 16{{Nbsp}}MiB{{Ndash}}4{{Nbsp}}GiB |- ! [[File Allocation Table|FAT32]] | 8.3形式 (または255文字){{Efn|name=fatres}} | NUL 以外の全Unicode{{Efn|name=fatres}}{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 4{{Nbsp}}GiB | 512{{Nbsp}}MiB{{Ndash}}2{{Nbsp}}TiB{{Efn|FAT32の[[パーティション]]をこのサイズで作成して使用することは可能だが、ソフトウェアによっては 32{{Nbsp}}GiB以上のFAT32用パーティションを作成できない。有名なのは、[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]のインストールプログラムである (これはNTFSの利用を促すための意図的な制限であると思われる)。これを回避するには [[Microsoft Windows Me|Windows Me]]の緊急用[[ブートディスク]]のFDISKを使う必要がある。}} |- ! [[HFS+]] | 255文字 (UTF-16){{Efn|Mac OSはHFS+のボリューム上のファイル名を扱う関数群を2種類用意している。ひとつは完全なUnicodeの名前を返し、もうひとつは従来互換を保つために31バイトまでの名前を返すものである。}} | 任意の正しいUnicode{{Efn|HFS+は任意のUnicode文字を許すために[[エスケープシーケンス]]をサポートしている。古いソフトウェアからはそのエスケープシーケンスがそのまま見える。}}{{Efn|name=dotdot}} | 無制限 | 8{{Nbsp}}EiB | 8{{Nbsp}}EiB{{Efn|HFS+のボリュームサイズはほぼ無制限であるが、Mac OSには以下のような制限がある。[[Classic Mac OS|Mac OS]] 8, 9:2{{Nbsp}}TiB。[[macOS|Mac OS X]] 10、10.1:2{{Nbsp}}TiB。Mac OS X 10.2:8{{Nbsp}}TiB。Mac OS X 10.3、10.4:16{{Nbsp}}TiB。ファイルサイズの最大はこれより若干小さい (Mac OS 8では2{{Nbsp}}GB)。フォルダ内の最大ファイル数 (フォルダ数) は以下の通り。 Mac OS 8, 9:2^15 (32767)。macOS:2^31。しかし、通常最大ボリュームサイズをブロックサイズで割った値で制限される。}} |- ! [[Hierarchical File System|HFS]] | 31バイト | {{Code|:}} 以外の任意のバイト | 無制限 | 2{{Nbsp}}GiB | 2{{Nbsp}}TiB |- ! [[JFS]] | 255バイト | NUL以外の任意のバイト{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 8{{Nbsp}}EiB | 512{{Nbsp}}TiB{{Ndash}}4[[ペビバイト|PiB]] |- ! [[NILFS]] | 255文字 | NUL 以外の任意のバイト{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 8{{Nbsp}}EiB | 8{{Nbsp}}EiB |- ! [[NT File System|NTFS]] | 255文字 | NUL 以外の全Unicode | Unicodeで32,767文字 (ファイル名やディレクトリ名はそれぞれ255文字まで){{Efn|name=limdef}} | 16{{Nbsp}}EiB{{Efn|name=ntfslim|これはディスク上の構造による制限である。[[Microsoft Windows NT|Windows NT]]用NTFSドライバはボリュームサイズを256{{Nbsp}}TiB、ファイルサイズを16{{Nbsp}}TiB に制限している。}} | 16{{Nbsp}}EiB{{Efn|name=ntfslim}} |- ! [[ReFS]] | 255文字 (UTF-16) | NUL 以外の全Unicode | Unicodeで32,767文字 (ファイル名やディレクトリ名はそれぞれ255文字まで){{Efn|name=limdef}} | 16{{Nbsp}}EiB | 3.76[[ゼビバイト|ZiB]] |- ! [[Reiser4]] | {{Unknown}} | {{Unknown}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | x86では 8{{Nbsp}}TiB | {{Unknown}} |- ! [[ReiserFS]] | 4032バイト/255バイト (VFSによる制限) | NUL 以外の任意のバイト{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 8{{Nbsp}}TiB{{Efn|ReiserFSの理論上の最大ファイルサイズは1{{Nbsp}}EiBだが、[http://www.namesys.com/faq.html#reiserfsspecs]によれば、「ページキャッシュの制限により、32ビット int のアーキテクチャでは 8{{Nbsp}}TiB に制限される」}} | 16{{Nbsp}}TiB |- ! [[RT-11]] | 12バイト | A-Z, 0-9, $ | 16バイト | 33,554,432バイト (65536 * 512) | 33,554,432バイト |- ! [[ユニバーサルディスクフォーマット|UDF]] | 255バイト | NUL 以外の全Unicode | 1023バイト{{Efn|この制限は新しい版では大きくなるかもしれない。}} | 16{{Nbsp}}EiB | {{Unknown}} |- ! [[Unix File System|UFS (FFS)]] | 255バイト | NUL 以外の任意のバイト{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 4{{Nbsp}}GiB | 256{{Nbsp}}TiB |- ! [[Unix File System|UFS (FFFS)]] | 255バイト | NUL 以外の任意のバイト{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 4{{Nbsp}}GiB{{Ndash}}256{{Nbsp}}TiB | 256{{Nbsp}}TiB |- ! [[Unix File System|UFS2]] | 255バイト | NUL 以外の任意のバイト{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 512{{Nbsp}}GiB{{Ndash}}32{{Nbsp}}PiB | 1{{Nbsp}}[[ヨビバイト|YiB]] |- ! [[VxFS]] | 255バイト | NUL以外の任意のバイト{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 16{{Nbsp}}EiB | {{Unknown}} |- ! [[XFS]] | 255バイト | NUL以外の任意のバイト{{Efn|name=dotdot}} | 制限の定義無し{{Efn|name=limdef}} | 8{{Nbsp}}EiB{{Efn|name=xfslim|Linux 2.4 では XFS の最大ファイルサイズは 64{{Nbsp}}TiB だが、Linux 2.4 自体が最大 2{{Nbsp}}TiB までしかサポートしていない。[[IRIX]]にはこの制限はない。}} | 8{{Nbsp}}EiB{{Efn|name=xfslim}} |} === メタデータ === {| class="wikitable" style="width: 100%; text-align: center; font-size: smaller; table-layout: fixed;" |-style="position:sticky; top:0px" ! ! ファイル所有者名を保持 ! [[POSIX]]式ファイルパーミッション ! 作成時[[タイムスタンプ]] (TS) ! 最新アクセス時TS ! 最新メタデータ更新TS ! 最新アーカイブTS ! [[アクセス制御リスト|ACL]] ! セキュリティ/[[アクセス制御リスト|MAC]]ラベル ! [[拡張ファイル属性]]/[[フォーク (ファイルシステム)|フォーク]] ! チェックサム/[[誤り検出|ECC]] |- ! [[RT-11]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[File Allocation Table|FAT12]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}}{{Efn|name=fatefp|一部のInstallable File SystemドライバやOSによってはFAT12やFAT16で拡張ファイル属性をサポートしていない。OS/2とWindows NTはFAT12/FAT16向けに拡張ファイル属性をサポートしている ("EA&nbsp;DATA.&nbsp;SF"擬似ファイルを使ってそのためにアロケートされた[[クラスタ (記憶媒体)|クラスタ]]を予約している)。他のOSのファイルシステムドライバではサポートしていない。}} | {{no2|×}} |- ! [[File Allocation Table|FAT16]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}}{{Efn|name=fatefp}} | {{no2|×}} |- ! [[File Allocation Table|FAT32]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[HPFS]] | {{yes2|○}}{{Efn|''f-node''にはユーザー識別子用フィールドがあるが、[[OS/2]] Warp Server 以外では使われていない。}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{Unknown}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[NT File System|NTFS]] | {{yes2|○}} | {{no2|×}}{{Efn|NTFSの[[アクセス制御リスト]]は単純なPOSIX式ファイルパーミッションで表せることは表現できるが、[[Services for UNIX]] や [[Cygwin]] を使わないとPOSIXのインターフェイスがサポートされない。}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{Unknown}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[ReFS]] | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{Unknown}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} |- ! [[Hierarchical File System|HFS]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[HFS+]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{Unknown}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[Unix File System|UFS (FFS)]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[Unix File System|UFS (FFFS)]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=ufsacl|アクセス制御リストとMACラベルは拡張属性として実装される。}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=ufsacl}} | {{no2|×}}{{Efn|FreeBSD 4.XなどのOSでは拡張属性をparallel backing fileを使って実装している。}} | {{no2|×}} |- ! [[Unix File System|UFS2]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=ufsacl}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=ufsacl}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[ext2]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=lnxefa|一部のInstallable File SystemドライバやOSによっては、これらのファイルシステムについて拡張属性、ACL、セキュリティラベルをサポートしていない。2.6.x以前のLinuxはこれらをサポートしていないか、パッチが必要である。}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=lnxefa}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[ext3]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=lnxefa}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=lnxefa}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[ext4]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} |- ! [[NILFS]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} |- ! [[ReiserFS]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=lnxefa}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=lnxefa}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[Reiser4]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[XFS]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=lnxefa}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[JFS]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[VxFS]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{Unknown}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=lnxefa}} | {{no2|×}} |- ! [[ユニバーサルディスクフォーマット|UDF]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |} === 機能 === {| class="wikitable" style="width: 100%; text-align: center; font-size: smaller; table-layout: fixed;" |-style="position:sticky; top:0px" ! ! [[ハードリンク]] ! [[ソフトリンク]] ! [[ジャーナルファイルシステム|ブロック・ジャーナリング]] または ! [[ジャーナルファイルシステム|メタデータのみのジャーナリング]] ! [[大文字/小文字区別]] ! [[大文字/小文字保護]] ! [[ファイル更新ログ]] ! インクリメンタル・スナップショット ! [[Execute in place|XIP]] |- ! [[RT-11]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[File Allocation Table|FAT12]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[File Allocation Table|FAT16]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{partial|△}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[File Allocation Table|FAT32]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{partial|△}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[HPFS]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{Unknown}} | {{no2|×}} |- ! [[NT File System|NTFS]] | {{yes2|○}} | {{partial|△}}{{Efn|NTFS 5.0 以降では、''junctions'' を生成でき、(個々のファイルではなく) ディレクトリ全体をローカルに管理するドライブのいずれかのディレクトリツリーにマップすることができる。これは ''reparse points'' と呼ばれる機能で実現されており、ファイル名解析部分を柔軟に拡張可能となっている。}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|NTFS自体は大文字/小文字を区別するが、Windowsサブシステムは互換性を維持するため大文字/小文字の差異しかないファイル名を生成できないようになっている。新しいファイルを書き込みのためにオープンしたとき、大文字/小文字の差異を無視したときに同じ名前となるファイルが既に存在すると、その既存のファイルの内容が消されて書き込みに使われてしまう。[[Services for UNIX]]を使うと、完全な大文字/小文字の区別が行われる。}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{Unknown}} |- ! [[ReFS]] | {{no2|×}} | {{partial|△}} | {{Unknown}} | {{Unknown}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{Unknown}} | {{Unknown}} | {{Unknown}} |- ! [[HFS+]] | {{partial|△}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}}{{Efn|メタデータのみのジャーナリングは、Max OS X v10.2.2 の HFS+ドライバから導入された。デフォルト値でジャーナリングが有効となったのはMac OS X v10.3以降である。}} | {{partial|△}}{{Efn|一般に大文字/小文字を区別していると思われがちであるが、HFS+は基本的には区別していない。単に大文字/小文字の違いを保護しているだけである。Mac OS X v10.3のコマンド [http://developer.apple.com/documentation/Darwin/Reference/ManPages/man8/newfs_hfs.8.html ''newfs_hfs -s''] で大文字/小文字を区別するファイルシステムを作成できる。HFSXという別のファイルシステムは、HFS+を改良したもので、こちらは大文字/小文字を区別する。[http://developer.apple.com/technotes/tn/tn1150.html Technical Note TN1150: HFS Plus Volume Format]ではHFS+とHFSXについて技術的詳細を論じている。}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|Mac OS X v10.4とMac OS X v10.3はファイル変更ログを提供している (ファイルシステムソフトウェアの機能であり、ボリューム形式自体がサポートしているわけではない)。[http://www.kernelthread.com/software/fslogger/ fslogger]を参照されたい。}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[Unix File System|UFS (FFS)]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[Unix File System|UFS (FFFS)]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[Unix File System|UFS2]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}}{{Efn|[[NetBSD]]の"Soft dependencies" (softdep) および[[FreeBSD]]の"[[soft updates]]"はジャーナリングせずにメタデータの一貫性を常に保つ機能がある。}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{Unknown}} |- ! [[ext2]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}}{{Efn|Linux 2.6.12 以降。}} |- ! [[ext3]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|デフォルトでは無効になっている。}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{Unknown}} |- ! [[ext4]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|デフォルトでは無効になっている。}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{Unknown}} |- ! [[NILFS]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|ログ構造化ファイルシステムであり,メタデータだけでなく全てのファイルデータの更新がインクリメンタルに記録される。}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{Unknown}} |- ! [[ReiserFS]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|ReiserFSの完全なブロック・ジャーナリングは Linux 2.6.8 で追加された。}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{Unknown}} |- ! [[Reiser4]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{Unknown}} | {{Unknown}} |- ! [[XFS]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{Unknown}} |- ! [[Journaled File System|JFS]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|一部のInstall File SystemドライバやOSによってはJFSでの大文字/小文字区別をサポートしていない。OS/2はサポートしておらず、Linux はマウント時のオプションで指定できる。}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{Unknown}} | {{Unknown}} |- ! [[Files-11|ODS-2]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|"aliases"と呼ばれている。}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[ユニバーサルディスクフォーマット|UDF]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=udflog|UDFは[[ログ構造ファイルシステム]]であり、ファイルシステム全体がジャーナルであるかのように振舞う。}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=udflog}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} |- ! [[VxFS]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|VxFSはオプションとして「ストレージ・チェックポイント」と呼ばれる機能を提供している。これは高機能のファイルシステム・スナップショット機能である。}} | {{Unknown}} |- ! [[Zettabyte File System|ZFS]] | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|name=zfsjnl|ZFSはトランザクション・ファイルシステムであり、コピー・オン・ライト方式であるため、ジャーナルを使わなくてもディスク上の状態は常に正常である。しかし、同期書き込みを指定されたときなどの性能向上のため、ログを実装している。}} | {{no2|×}}{{Efn|name=zfsjnl}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |} === アロケーションとレイアウト === {| class="wikitable" style="width: 100%; text-align: center; font-size: smaller; table-layout: fixed;" |-style="position:sticky; top:0px" ! ! Tail Packing ! 透過的圧縮 ! ブロックの分割割り当て ! 遅延アロケーション ! {{仮リンク|エクステント|en|Extent (file systems)}} ! 可変ファイルブロックサイズ{{Efn|name=vbsize|ここで言う可変ブロックサイズとは、ファイル毎にブロックサイズを変更できるシステムである。{{仮リンク|エクステント|en|Extent (file systems)}}と似ているが実装方針が微妙に異なる。UFS2の現状の実装はリードオンリーのみである。}} |- ! [[File Allocation Table|FAT12]] | {{no2|×}} | {{no2|×}}{{Efn|name=windrvsp|DOS 6 の DoubleSpace や [[Windows 95]]および[[Windows 98]]の DriveSpace は [[File Allocation Table|FAT]] における[[データ圧縮]]機能だが、マイクロソフトが既にサポートしていない。}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[File Allocation Table|FAT16]] | {{no2|×}} | {{no2|×}}{{Efn|name=windrvsp}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[File Allocation Table|FAT32]] | {{no2|×}} | {{no2|×}}{{Efn|name=windrvsp}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[HPFS]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[NT File System|NTFS]] | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{partial|△}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- |- ! [[ReFS]] | {{Unknown}} | {{no2|×}} | {{Unknown}} | {{Unknown}} | {{Unknown}} | {{no2|×}} |- ! [[HFS+]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{Unknown}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[Unix File System|UFS (FFS)]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|● 8:1}}{{Efn|name=ufsfrg|8:1以外の「ブロック:フラグメント」のサイズ比もサポートしているが、8:1が最も一般的で多くの実装で推奨されている。}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[Unix File System|UFS (FFFS)]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|● 8:1}}{{Efn|name=ufsfrg}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[Unix File System|UFS2]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|● 8:1}}{{Efn|name=ufsfrg}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} |- ! [[ext2]] | {{no2|×}} | {{no2|×}}{{Efn|1997年から利用可能なe2comprという[[パッチ]]のセットでext2でのブロック単位の[[データ圧縮]]が可能となる。しかし、これがLinuxカーネルのメインラインにマージされたことはない。}} | {{no2|×}}{{Efn|name=extfrg|フラグメントは計画されていたが、ext2とext3に実装されたことはない。}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[ext3]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}}{{Efn|name=extfrg}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[ext4]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[NILFS]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[ReiserFS]] | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} |- ! [[Reiser4]] | {{yes2|○}} | {{no2|×}}{{Efn|Reiser4は[[データ圧縮]]を実装しているが、そのためのVFS APIが提供されていない。}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}}{{Efn|"extents"モードで実現。}} | {{no2|×}} |- ! [[XFS]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[Journaled File System|JFS]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[VxFS]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{Unknown}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[ユニバーサルディスクフォーマット|UDF]] | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{no2|×}} | {{Unknown}}{{Efn|UDFの実装に依存する。}} | {{yes2|○}} | {{no2|×}} |- ! [[Zettabyte File System|ZFS]] | {{no2|×}}{{Efn|ZFSの論理ブロックベースの圧縮を有効にすると、ファイルの最後尾ブロックに対してTail-Packingのように働く。}} | {{yes2|○}} | {{Unknown}} | {{yes2|○}}{{Efn|[[コピーオンライト]]であるため、ZFSは全ての書き込みについて遅延アロケーションを行う。}} | {{no2|×}} | {{yes2|○}} |} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == *ファイルシステム **[[ジャーナリングファイルシステム]] **[[バージョニングファイルシステム]] **[[仮想ファイルシステム]] **[[分散ファイルシステム]] *[[ファイルシステムAPI]] *[[ファイル編成法]] *[[ファイルフォーマット]] *[[拡張子]] *[[記憶装置]] *[[パーティション]] {{ファイル (コンピュータ)}} {{ファイルシステム}} [[Category:OSのファイルシステム|*]] [[Category:オペレーティングシステムの仕組み|ふあいるしすてむ]]
2003-03-01T03:26:38Z
2023-09-24T14:12:21Z
false
false
false
[ "Template:Code", "Template:Efn", "Template:Ndash", "Template:Yes2", "Template:Reflist", "Template:出典の明記", "Template:Lang-en-short", "Template:仮リンク", "Template:Unknown", "Template:Partial", "Template:OS", "Template:Main", "Template:No2", "Template:脚注ヘルプ", "Template:ファイル (コンピュータ)", "Template:簡易区別", "Template:Nbsp", "Template:Notelist", "Template:ファイルシステム", "Template:Enlink" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0
3,108
ギャング映画
ギャング映画(ギャングえいが、英語:gangster film)は戦前から戦後にかけて暗躍した、アメリカやヨーロッパのギャングやマフィアを描いた犯罪映画である。 日本のヤクザや暴力団を描いた作品はヤクザ映画と呼ばれる。 ギャングが登場した映画の歴史は古く、1912年にはD・W・グリフィスの「ピッグ横丁のならず者(英語版)」、1915年にラオール・ウォルシュの「Regeneration」が早くも撮影、上映されている。1930年代には、ジェームズ・キャグニー、エドワード・G・ロビンソンなどを主役にしたギャング映画がハリウッドで多く作られた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ギャング映画(ギャングえいが、英語:gangster film)は戦前から戦後にかけて暗躍した、アメリカやヨーロッパのギャングやマフィアを描いた犯罪映画である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本のヤクザや暴力団を描いた作品はヤクザ映画と呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ギャングが登場した映画の歴史は古く、1912年にはD・W・グリフィスの「ピッグ横丁のならず者(英語版)」、1915年にラオール・ウォルシュの「Regeneration」が早くも撮影、上映されている。1930年代には、ジェームズ・キャグニー、エドワード・G・ロビンソンなどを主役にしたギャング映画がハリウッドで多く作られた。", "title": "歴史" } ]
ギャング映画は戦前から戦後にかけて暗躍した、アメリカやヨーロッパのギャングやマフィアを描いた犯罪映画である。 日本のヤクザや暴力団を描いた作品はヤクザ映画と呼ばれる。
'''ギャング映画'''(ギャングえいが、英語:gangster film<ref>{{Cite Kotobank|word=ギャング映画|encyclopedia=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典|accessdate=2023-02-01}}</ref>)は戦前から戦後にかけて暗躍した、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]やヨーロッパの[[ギャング]]や[[マフィア]]を描いた[[犯罪#犯罪とフィクション|犯罪映画]]である。 日本の[[ヤクザ]]や暴力団を描いた作品は[[ヤクザ映画]]と呼ばれる。 == 歴史 == ギャングが登場した映画の歴史は古く、1912年には[[D・W・グリフィス]]の「{{仮リンク|ピッグ横丁のならず者|en|The Musketeers of Pig Alley}}」、1915年に[[ラオール・ウォルシュ]]の「Regeneration」が早くも撮影、上映されている<ref>『Kotoba 2022年春号』。ゴッドファーザー特集 p・116</ref>。1930年代には、[[ジェームズ・キャグニー]]、[[エドワード・G・ロビンソン]]などを主役にしたギャング映画が[[ハリウッド]]で多く作られた。 == 代表的な作品 == * [[暗黒街 (1927年の映画)|暗黒街]](1927) * [[犯罪王リコ]]<ref group="注">アル・カポネをモデルにしている。</ref>(1930) * 民衆の敵 * [[暗黒街の顔役 (1932年の映画)|暗黒街の顔役]] * [[汚れた顔の天使]] * [[彼奴は顔役だ!]] * [[白熱 (映画)|白熱]] * 暗黒街のふたり * シシリアン<ref group="注">アラン・ドロン、ジャン・ギャバン、リノ・バンチュラ出演。</ref> * ル・ギャング * [[ゴッドファーザー]](1972) * バラキ(1972)<ref group="注">チャールズ・ブロンソン主演で、実在のマフィア、ジョーゼフ・バラキの生涯を描いた人気作品。</ref> * コーサ・ノストラ * [[ゴッドファーザー PART II]](1974) * 暗黒街の顔役 (1975) * [[ゴッドファーザー PART III]] * [[グッドフェローズ]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{reflist}} == 関連項目 == * [[フィルム・ノワール]] * [[ヤクザ映画]] {{movie-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:きやんくえいか}} [[category:犯罪映画|*きやんく]] [[category:ギャング映画|*きやんく]]
null
2023-05-04T09:55:11Z
false
false
false
[ "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist2", "Template:Reflist", "Template:Cite Kotobank", "Template:Movie-stub", "Template:Normdaten", "Template:仮リンク" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E6%98%A0%E7%94%BB
3,109
交換・相関項
交換・相関項(こうかん・そうかんこう Exchange-correlation term)は、バンド計算において、電子の交換相互作用、および、電子の相関を担う部分。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "交換・相関項(こうかん・そうかんこう Exchange-correlation term)は、バンド計算において、電子の交換相互作用、および、電子の相関を担う部分。", "title": null } ]
交換・相関項は、バンド計算において、電子の交換相互作用、および、電子の相関を担う部分。
{{notability|date=July 2020}} '''交換・相関項'''(こうかん・そうかんこう Exchange-correlation term<ref>{{Cite web|title=The Exchange-Correlation Term|url=http://cmt.dur.ac.uk/sjc/thesis_prt/node25.html|website=cmt.dur.ac.uk|accessdate=2021-06-23}}</ref>)は、[[バンド計算]]において、[[電子]]の[[交換相互作用]]、および、[[電子]]の[[電子相関|相関]]を担う部分。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == *[[局所密度近似]] *[[第一原理バンド計算]] *[[エバルト項]] *[[交換相関エネルギー]] {{DEFAULTSORT:こうかんそうかんこう}} [[Category:バンド計算]] {{physics-stub}}
null
2022-05-09T13:22:12Z
false
false
false
[ "Template:Cite web", "Template:Physics-stub", "Template:Notability", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E6%8F%9B%E3%83%BB%E7%9B%B8%E9%96%A2%E9%A0%85
3,110
時代劇
時代劇(じだいげき)は、日本の演劇や映画・テレビドラマなどで現代劇と大別されるジャンルとして、主に明治維新以前の時代の日本を舞台とした作品の総称である。 時代劇というジャンルは、その作品の数から、主に平安時代から明治維新までを扱った作品が「時代劇」とも解釈されている。しかしあくまで解釈であって、厳密に定義があるわけではない。奈良時代以前の古代も含まれるという解釈も存在する。キネマ旬報社2012年発行の『現代映画用語事典』では「明治維新以前の時代を扱う日本映画で、特に戦国時代から江戸末期までを題材とした剣戟映画(チャンバラを含む映画)が時代劇映画の主軸として捉えられ、一般に"時代劇"とのみ称される」と説明され、日本図書センター2008年発行の『世界映画大事典』では「明治維新の頃より以前の時代を扱った劇映画の呼称で、現代劇に対するジャンルとして多様な広がりを持っている」と書かれており、また「髷(マゲ)を結んだ人物が主な登場人物であれば全て時代劇映画と定義する」とするもの、など解釈は多様である。英米では「period drama」もしくは「costume drama」と訳されたが、近年はそのまま「Jidaigeki」と呼ぶ例も増えている。時代劇で数多く製作されているのは、江戸時代を舞台にした作品である。 時代劇は一方でチャンバラとも呼ばれる。これはクライマックスに剣戟シーンがある時代劇を指し、時代劇の中のサブジャンルでもあり、時代劇が即チャンバラではない。語源は新国劇からの剣劇の影響を受けた剣戟映画で、立ち回り(殺陣)で両者の刀がぶつかった時に、刀の発する音を擬音で「ちゃんちゃんばらばら」と表現したことからそれを略して使われた言葉である。 またこれとは別に時代劇は俗に髷物(まげもの)、丁髷物(ちょんまげもの)とも言われ、英語では「Samurai cinema」「Samurai film」あるいは「Samurai drama」と表記されている。 時代劇に対して「歴史劇(史劇)」というものも存在するが、フィクションに近いかノンフィクションに近いかで区別する時代小説と歴史小説とは違い、日本国内のものを「時代劇」、日本以外のものを「歴史劇」或いは「史劇」と呼び分けている。 時代劇は、実際にあった歴史上の事件や歴史に残る人物を登場させることも多いが、登場する人物像を始め、その時代の慣習、風俗、効果音、台詞などが大胆にフィクション化され、その時代劇が制作された年代の大衆に受け入れやすいようになっている。 一般論として、時代劇で描かれる歴史はあくまでフィクションであり、同じ題材を扱っていても全く解釈の異なる作品が生み出されている。 「時代劇」という用語はもともと活動写真から誕生した言葉であり、映画の歴史と共に歩んできたジャンルである。そして映画が活動写真と呼ばれていた最初の頃には、厳密に時代劇と呼ばれるジャンルは無かった。 1899年(明治32年)に当時の歌舞伎の九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の「紅葉狩」の演目を撮影した「紅葉狩」が現存する日本最古の映画として一部フィルムが残っているが、これは映画興行を目的としたものではなく、あくまで記録として残されたものである。そして映画興行の目的で撮影された最初の時代劇映画は1908年(明治41年)に牧野省三(後のマキノ省三)が製作した『本能寺合戦』をもって嚆矢とするものである。ただしこの初の時代劇は、当時は旧劇と呼ばれていた。 明治から大正時代の半ば過ぎまでの時代物全般は旧劇であった。講談・歌舞伎からの題材が多く、人物造形・衣装・化粧・演技・立ち回り・女形など、舞台の名残を強く留め、声色弁士と邦楽器による鳴り物・囃子の伴奏が多かったと言われる。 1920年代に入った頃に当時「映画劇」と呼ばれる日本映画の革新運動が起こり、欧米を模範にシナリオの重視、映画技法の活用と表現の工夫、弁士に依存しない字幕の利用、そして女優の採用などこの時期までの活動写真とは違う、撮影や編集までの映画全般に及ぶ内容の新しさを求めた運動が起こった。それに刺激を受けた形で、旧劇映画についても「旧劇の映画劇化」「旧劇映画改造論」「映画劇的な旧劇」といった言葉が活動写真の論評に使われていた。 『本能寺合戦』以降に映画の題名と共に宣伝に使われた呼称を列挙すると、旧劇、革新旧派映画、純映画劇、新映画劇、旧派純映画劇、新時代劇および新時代映画、時代劇および時代映画となる。革新旧派映画は旧劇様式ではあるがロケ撮影を生かした自然描写、細かいカット割りがあり、しかし女形を採用していた。映画劇は欧米風の映画様式に近づけたもので、脚本と撮影技法を重視し字幕を使い、そして女優を採用した。純映画劇も新映画劇も同じで、マキノ省三監督の『実録忠臣蔵』は新映画劇と呼ばれたが女形の採用は残っていた。旧劇をいくらかでも映画劇に近づけたものだが、女優を採用したのは旧派純映画劇であった。そして旧劇の映画劇化をさらに進めたのが新時代劇および新時代映画と呼ばれたもので、新しい解釈、新しい視点を入れて、演技も新劇系を導入し、女優を採用している。 旧劇映画の芝居臭さ、荒唐無稽の非現実性、女優不在の不自然さに対して、やがてそれらに対して作られていったのが「新時代劇」という呼称の新しい時代劇であった。 初めて時代劇と呼ばれた映画は、『本能寺合戦』から14年後の1922年(大正11年)に松竹蒲田撮影所で製作された『清水の次郎長』の宣伝文句に「新時代劇」と名称がつけられていたことから、この映画が「時代劇」と称する映画の始まりであるとされている。監督は野村芳亭(野村芳太郎監督の父)でこの映画の脚本を書いた伊藤大輔がそれまで「旧劇」と呼称されていた髷物映画を、宣伝に「新時代劇」と名付けて公開した。ゆえに「時代劇という呼称は松竹蒲田撮影所で製作された映画に冠されたものである」、とされている。 ただ岩本憲児は著書『「時代映画」の誕生』の中で、1922年(大正11年)から1923年(大正12年)にかけて松竹キネマが「新時代劇」「新時代映画」と呼び、同時期のマキノ映画は「時代劇」「時代映画」と呼んでいたとして混在していたとしている。そして簡略化して「時代劇」が定着していったという。 歌舞伎の分野では、江戸時代よりも過去の時代を扱った演目を「時代物」(武士・貴族や僧侶など上層社会を題材としたもの)と呼び、江戸時代当時の現代劇を「世話物」と呼んでいた。そして鶴屋南北らの「生世話」は庶民の暮らしを描いた江戸時代のものであるが、江戸時代の武士などの上層社会を題材とすることは不可能であったので、過去の時代に遡って武士・貴族・僧侶を描いて当代の現実を投影させていた。また過去の時代の庶民の姿を題材としたものを「時代世話」とも呼んでいた。もともと「時代物」という呼称は人形浄瑠璃から始まって歌舞伎へ移り、そこでの「時代」は江戸時代以前の奈良・平安・鎌倉・室町時代など7世紀から15世紀までが時代背景となっていた。そして実は江戸時代の世相や世論が強く反映されて、人物造形も同時代的であり、故に今日でも時代劇は現代劇の裏返しという一面が大きい。 明治維新以降の日本の演劇は、1888年(明治21年)、自由党の壮士角藤定憲らが大阪で創始、川上音二郎らが発展させた壮士芝居を、1890年代後半(明治30年代)の日本のジャーナリズムが、歌舞伎との差別化を図るため、便宜的に歌舞伎を「旧派劇」、壮士芝居を「新派劇」と呼び、さらに、1906年(明治39年)に坪内逍遥・島村抱月らの文芸協会、1909年(明治42年)に小山内薫・二代目市川左團次らの自由劇場のヨーロッパ近代劇の影響下にある演劇を、歌舞伎(旧派)、新派との差別化を図り、「新劇」と名乗った。 そして坪内逍遥の門下生で新劇出身であった澤田正二郎が1917年(大正6年)に劇団「新国劇」を結成し、歌舞伎から導入した「剣劇」を発展させて、旧派でも新派でも新劇でもない大衆演劇を目指し人気を博した。新国劇の主な演目である『月形半平太』と『国定忠治』は、好まれて映画化された。 このようにして、現在の「時代劇」と「現代劇」の二分法は、江戸時代の「時代物」と「世話物」を源流にもち、明治時代に演劇の発展とともに「旧劇」「新劇」とされ、大正時代に活動写真から「時代劇」「現代劇」と呼ばれたもので、このジャンルは、「明治維新以前の時代」を扱ったものである。ただしこの「時代劇」という呼び方は映画が発祥であり、そもそも多くの影響を受けていた歌舞伎では使われていない。そして新国劇や大衆演劇の世界でも芝居やチャンバラ劇という言葉が使われており、「時代劇」の歴史は主に映画とテレビの中で歩んだことになる。 最初の時代劇は、前述の通り1908年(明治41年)に牧野省三(マキノ省三)が撮った京都の横田商会での当時「旧劇」と呼ばれた『本能寺合戦』である。この当時、横田商会を設立した横田永之助が活動写真の製作に当たり、演劇関係者に協力を求めて京都西陣にあった千本座という芝居小屋を経営するマキノ省三に協力を依頼し、マキノが真如堂の境内で千本座の舞台で常打ち一座が演じていた狂言「本能寺合戦」の「森蘭丸奮戦の場」を野外で演じさせ、それをワンシーンワンカットで撮影する方法で作った活動写真が『本能寺合戦』であった。マキノ省三は以後『本能寺合戦』を含めて6本ほど映画を作っているが興行成績は芳しいものでなく、ほどなくして映画から撤退を考え始めていたが、その翌年1909年(明治36年)に千本座座頭になっていた尾上松之助を主演にした映画が人気を呼んで、それ以降マキノ省三と尾上松之助は明治末から大正末まで時代劇映画の主流を歩むことになった。 このように時代劇は歌舞伎の模倣から始まったものである。この時代の活動写真はズームの技法もなく、旧派・旧劇と呼ばれた歌舞伎の演目芝居をそのまま屋外で撮ったフィルムを小屋で見せる、というのが上映形態であり、「檜舞台で芝居をする」歌舞伎役者は、活動写真の役者を「土の上で芝居をする連中」として「泥芝居」と蔑んだのであった。ただし時代劇が歌舞伎の模倣から始まったのは事実だが、ここでいう歌舞伎とは「大歌舞伎」だけでなく、旅回り一座の劇や小さな小屋で上演される劇も明治期までは全て歌舞伎であった。映画評論家の佐藤忠男は「京都で時代劇を作り始めていたのは、主に二流級の歌舞伎の人々であった」と述べている。 時代劇映画の最初のスターは、尾上松之助である。1909年(明治42年)にマキノ省三と組んで『碁盤忠信 源氏礎』で映画デビューを果たし、以後1926年(大正15年)の『侠骨三日月』まで17年間で1003本の時代劇映画に出演した。「目玉の松ちゃん」と愛称された彼は、歌舞伎や講談、立川文庫のヒーローを繰り返し演じて日活の看板スターとして活躍した。特に特撮の先駆けであるトリック撮影による「忍術映画」が十八番であり、それは歌舞伎から題材を取り、「子ども相手の荒唐無稽なもの」ではあったが、17年間にわたって時代劇の歴史に足跡を刻み、尾上松之助は映画を広く一般の人に広めるうえで大きく貢献した。しかし大正時代の末になると観客は松之助の殺陣に飽き、よりスピーディーでリアル、激しい調子を持った殺陣を求めるようになっていった。またこれとは別にほぼ同時期に澤村四郎五郎 が吉野二郎監督らの忍術映画で人気を呼び、200本を超す映画に出演している。 1912年(大正元年)にそれまでの横田商会、福宝堂、M・パテー商会、吉沢商会の4つの映画会社が合同して「日本活動写真(株)」(日活)が誕生した。日本で初めての本格的な映画会社であった。日活は東京向島と京都二条城に撮影所を設け、向島では新派を、京都二条では旧劇を製作することとなった。そしてマキノ省三と尾上松之助は日活に所属した。これとは別に1914年(大正3年)に「天然色活動写真(株)」(天活)が設立されて吉野二郎と澤村四郎五郎らが所属した。 そして1920年(大正9年)頃までは旧派であった歌舞伎の影響下にあり、女性の役柄は女形が演じていて、後に時代劇の監督になった衣笠貞之助はこの時期は日活向島撮影所の女形であった。 その一方で帰山教正が1919年(大正8年)に新劇を映画に導入した現代劇である『生の輝き』、『深山の乙女』を発表し、その翌年1920年(大正9年)にそれまで歌舞伎の興行しか手掛けてこなかった松竹が松竹キネマを興し、新劇の小山内薫が、同年松竹キネマに招かれて活動写真を撮り始めると、松竹は初めから女形を使わず、女優を映画に起用した。その中から川田芳子、柳さく子、飯塚敏子らが松竹時代劇のスターとなった。 この頃に松竹が映画事業に乗り出したのは、自社が経営する劇場よりも松竹が当時日活に貸していた大阪道頓堀朝日座での客の入りが良く、白井竹次郎が映画に乗り出すべきとの提唱から大谷竹次郎が末弟の信太郎を渡米させ、アメリカの映画事業を調査させてから参入したのであるが、大谷竹次郎はその時に「日本映画の俳優は一流の舞台では用いられない落伍者の集まりであり、このままでは世界の映画界に肩を並べることはできない」として「世界に恥ずかしくないものを作り、映画を輸出する」ことを視野に置いていた。そのためには女形は最初から使わないと決めていた。また旧劇については日活の尾上松之助の歌舞伎的な殺陣に対して新国劇を専属にしてリアリズムな殺陣を打ち立てようとしていた。 1922年(大正11年)頃までは日活は現代劇でも新派の影響で女形を起用していたが、その年の暮れに女形を交えた新派役者十数人が国際活映(国活)に移籍したため、それまでの女形起用を止めて女優を起用し、新劇的な現代劇を製作し始める。その時に日活における名称が、時代劇は「日活旧劇部」、現代劇が「日活新劇部」であった。その当時は東京でも、巣鴨の国際活映(国活)等で時代劇映画は盛んに製作されていたが、新劇の発展と映画への導入が東京主導で行なわれ、やがて国活が倒産し、人材が京都に流出したことでその後の「時代劇の京都」と「現代劇の東京」との棲み分けの源流となった。またマキノ省三は尾上松之助の映画で女形を使って、女優は使っていなかったが、日活は1924年(大正13年)に尾上松之助主演『渡し守と武士』で初めて女優を使っている。 日活向島撮影所でも1923年(大正12年)に松竹に刺激され女優の採用を始めて「第三部」というセクションを設け、女優起用の映画を製作した。この年の現代劇『朝日さす前』がその第一作で、後に日活時代劇の大スター酒井米子を輩出している。同年9月、東京を関東大震災が襲い、日活向島撮影所は閉鎖される。女優やスタッフは日活京都に移り、以後、京都が時代劇映画の本場となった。 マキノ省三が1921年(大正10年)に日活から独立し、牧野教育映画製作所を設立した。これはマキノ省三が尾上松之助や旧劇と袂を分かつことでもあった。当時忍術映画で尾上松之助が人気役者になった一方、青少年に悪影響を与えているという批判があり、それを教育映画ということでかわす狙いがあったとも、単純な勧善懲悪で「幼稚なチャンバラ映画」であった松之助映画を脱却する方向を模索していたとも言われている。そして1922年(大正11年)に『実録忠臣蔵』を製作して新国劇が生んだ新しい殺陣である写実的な立ち回りを使った当時としては斬新な動きの映画を作った。この映画を見て寿々喜多呂九平がマキノの下に参じ、やがて1925年(大正14年)にこの寿々喜多呂九平が脚本、二川文太郎が監督、阪東妻三郎が主演して製作されたのが『雄呂血』であった。ラストでの主人公が大勢の捕り方に囲まれて大剣戟シーンとなる場面は迫力のあるもので、阪妻の激しい立ち回りが、それまでの歌舞伎調の優雅さとは全く違うリアルな殺陣を見せて時代劇映画に新風を吹き込んだ。以後彼は剣戟映画の大スターとなった。新国劇で展開された立ち回りが映画の殺陣に取り込まれて、それまで旧劇と呼ばれていたものが時代劇と呼ばれる新しいジャンルになったのである。 この頃にマキノ省三は1924年(大正13年)に東亜キネマと合併して翌1925年(大正14年)に聯合映画芸術家協会を設立し、そして同年6月にマキノ・プロダクションを設立した。ここでマキノは、阪東妻三郎、市川右太衛門、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、月形龍之介らのスターを生み出した。彼らは時代劇に「剣戟」の見せ場を持ち込んだ「チャンバラスター」であり、以後「チャンバラ映画」は時代劇の主流を占めるようになった。またマキノが去った後の日活に新劇の小山内薫の門下でもあった伊藤大輔監督と第二新国劇から日活に来た大河内傅次郎主演のコンビが登場し、このコンビで『幕末剣史 長恨』『忠次旅日記』『下郎』『新版大岡政談』と次々と傑作を生み出し、そして『丹下左膳』シリーズが始まりヒットした。この伊藤大輔監督は後に市川右太衛門主演で『一殺多生剣』、月形龍之介主演で『斬人斬馬剣』を製作している。それはおよそ「松之助映画」とは違った「反逆的ヒーロー」の映画であった。 やがて1925年(大正14年)に設立された阪東妻三郎プロダクション(阪妻プロ)を筆頭に、彼ら「チャンバラスター」は次々と独立してスタープロダクションを設立し、チャンバラのスター映画を量産した。阪東妻三郎は、竹薮だった京都郊外の太秦村の地に初めて撮影所を建設した人物であり、この撮影所はその後東映京都撮影所となり太秦映画村となった。 そして大正時代が終わろうとしていた1926年(大正15年)9月、日本映画最初の時代劇スター尾上松之助が世を去った。寿々喜多呂九平と阪東妻三郎、伊藤大輔と大河内傅次郎のコンビが台頭し、松之助自身が自分のこれまでの映画が時代にすでに適応できていないことを感じ取っていたという。全盛期であった1917年(大正6年)には月9本、3日に1本の割合で量産されて「低級な観客相手の粗製濫造品」「何等奥行も巾もない駄作ものばかり」と批評されても映画を作り続けた松之助だが、田中純一郎はその著「日本映画発達史」の中で「他の映画が舞台劇的で動作が少なく科白による内容発展に一切を委ねていたのに対して、松之助自身の軽快な動作、映画的本質の一つとして掴んだマキノ省三の演出方針を基盤として....退屈感はなく視覚を満足させるだけの動きと変化を持っていた」として「他の映画よりは映画的本質に適っていた」と評価している。 1927年(昭和2年)、松竹が林長二郎(長谷川一夫)を時代劇スターとして売り出し、女形出身の林の美貌は日本全国の女性を虜とする。林長二郎の登場は彼以外のスターは圧倒的に男性ファンが多い中で、時代劇映画に女性むエポックとなったのである。 この頃にマキノ省三は大作『忠魂義烈 実録忠臣蔵』の製作を開始した。しかし撮影中の度重なるトラブルで片岡千恵蔵や嵐寛寿郎が離反し、しかも精魂込めて製作した『忠魂義烈 実録忠臣蔵』のフィルムを編集中に火災を起こして焼失する不運に見舞われて、1929年(昭和4年)に失意のうちに世を去った。しかし息子のマキノ正博(後のマキノ雅広)が前年に『浪人街』を監督し、その後長く戦前・戦後の時期に時代劇を作り続けて1972年(昭和47年)までに261本の映画を製作してその大半は時代劇であった。 一方、片岡千恵蔵はマキノプロから独立後に千恵蔵プロを設立したが、その際に伊藤大輔監督に相談に行き、「自分のところにいる若い2人を提供するから、今までとは違う時代劇を作ればいい」という趣旨のアドバイスを受けた。その若い2人とは伊丹万作(伊丹十三の父)と稲垣浩であった。そしてやがて伊丹万作は千恵蔵プロで『國士無双』『戦国奇譚 気まぐれ冠者』『赤西蠣太』などの新しく知的で明るい時代劇を作り、「明朗時代劇」と呼ばれた。ユーモアもナンセンスさもあり、それまでの陰惨な大剣戟や暗い傾向のある映画に嫌気がさした観客に支持された。また稲垣浩は千恵蔵プロで『瞼の母』『一本刀土俵入り』などの秀作を製作した。 1934年(昭和9年)、京都の鳴滝に映画監督の滝沢英輔、稲垣浩、鈴木桃作、脚本の三村伸太郎、八尋不二、藤井滋司ら有志が集まり、さらに山中貞雄、萩原遼らが加わって合計8人が集まり共同ペンネーム「梶原金八」の名前でシナリオを作り、そして製作された時代劇映画には現代語を採り入れて新風を巻き起こし、一大勢力となった。このグループは鳴滝組と呼ばれて、片岡千恵蔵の千恵蔵プロの流れを受けて、ユーモアのある明るい時代劇を製作していった。この鳴滝組が製作した映画の代表作が山中貞雄監督、大河内傅次郎主演の『丹下左膳余話 百万両の壺』である。これらの時代劇はその明るさとセリフの分かりやすさ、そのテンポの良さで「髷(マゲ)をつけた現代劇」と言われた。そしてこの頃が戦前における時代劇の頂点であった。 また山中貞雄はその後応召して戦病死したため、わずか5年間の活動で全26本の作品であったが、『丹下左膳余話 百万両の壺』の他に『河内山宗俊』『人情紙風船』のたった3本のフィルムしか現存していない。しかし現在でも山中作品は高い評価を受けている。 1930年代半ばからは、トーキーが導入され、時代劇にも、映画館ごとの活動弁士と生演奏ではない、俳優のセリフと音楽がもたらされ、当時唄う映画スターと呼ばれた高田浩吉が現れ、そこで製作された映画が大曾根辰夫監督『大江戸出世小唄』で、これが最初の時代劇ミュージカルであり、その後マキノ正博監督の『鴛鴦歌合戦』が製作された。 この昭和初期の映画製作会社は、日活、帝国キネマ(後の新興キネマ)、松竹、東亜キネマ、PCL(後の東宝)、右太衛門プロ、千恵蔵プロ、阪妻プロ、マキノプロ、大都映画などで、年間で各社10本前後から100本前後の製作本数を記録して、時代劇も大きなジャンルとして人気があった。 またトーキー以後もサイレント映画による剣戟にこだわる俳優やスタッフ、観客は存在し、1935年(昭和10年)に西宮の東亜キネマ跡地に設立された極東映画、翌1936年(昭和11年)に奈良の市川右太衛門プロダクション跡地に設立された全勝キネマは、それぞれが解散するまでサイレントの剣戟映画を量産しつづけた。 1930年代、時代劇の製作本数が現代劇を上回る年もあり、時代劇は質量ともに戦前の黄金期を支えていた。 松之助の忍者映画から始まって、やがて『雄呂血』のようなニヒルな反逆的ヒーローが出たり、その後は『一殺多生剣』『斬人斬馬剣』のような反体制的な傾向を持つ映画が出て、世の中が暗くなっていくと千恵蔵プロや鳴滝組などから明朗時代劇と呼ばれる『國士無双』『赤西蠣太』『丹下左膳余話 百万両の壺』のような明るい時代劇が生まれ、「髷をつけた現代劇」と揶揄され、この鳴滝組的な映画に対抗する形で今度は真面目に歴史ものを描くべきとの声があがり、昭和10年代に入ると『阿部一族』『海援隊』『元禄忠臣蔵』『江戸最後の日』など歴史映画と呼ばれる作品が製作された。やがて国策映画として『海賊旗吹っ飛ぶ』『狼火は上海に揚る』『かくて神風が吹く』などが作られ、映画人が自由に映画が作れない時代となった。そして国策として映画会社の統合が進められて日活の製作部門と新興キネマ・大都映画が合併して大日本映画(大映)が設立され、その第1回作品として阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、嵐寛寿郎が揃っての初共演で『維新の曲』が製作された。 敗戦までの日本映画では流血や博打、接吻などの場面は当局によって禁止された。時代劇も例外ではなく、チャンバラでいくら人が斬られても、また切腹の場面でも流血があると検閲でカットされた。阪東妻三郎は相手を斬る際に、刃を当てた後もう一回引く「二段引き」という殺陣を使ったが、これも「骨まで斬った感じが出るから」とカットされたことがある。全般に「リアルな殺陣」はすべて検閲でカットされたのである。 また、剣戟で人を斬る際の効果音を初めて使ったのは1935年(昭和10年)の『大菩薩峠』で、稲垣浩監督のアイディアで、カチンコの音を逆回転した効果音が使われた。しかしこの効果音も「検閲保留」扱いにされている 。 1945年(昭和20年)の太平洋戦争終結後、日本が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ))の占領統治下に置かれると、GHQは教育文化政策を担当する民間情報教育局(CIE)を設置し、さらに民間検閲支隊(CCD)を置いて、日本映画は二重の検閲を受けることとなった。その政策により、CIEから日本映画に対して13の規制項目が出されて(これが俗にチャンバラ禁止令と呼ばれている)、日本刀を振り回す剣劇(チャンバラ時代劇)は軍国主義的として、敵討ちなど復讐の賛美はアメリカ合衆国に対する敵対心を喚起するとして、こうした要素がある映画は一時製作が制限された。チャンバラ場面が禁止されたため、阪東妻三郎や片岡千恵蔵などの時代劇スターは現代劇に主演し、戦前『鞍馬天狗』をヒットさせた嵐寛寿郎の場合は剣戟のない推理物の時代劇『右門捕物帳』でしか、舞台も映画もできなかったと語っている。しかしそんな時代でも時代劇は製作されていた。戦後最初に作られた時代劇は丸根賛太郎監督の『狐の呉れた赤ん坊』で終戦の年の10月に公開されている。 この数々の制約を受けた特定の時期に撮影が出来た時代劇の傾向として次の4つが挙げられる。1番目は俗に「戦争反省映画」と言われているもので、例として嵐寛寿郎主演で稲垣弘監督『最後の攘夷党』が挙げられる。これは、幕末の攘夷運動に加わった浪士が西洋人に助けられて排外主義の愚かさに気づくストーリーであった。2番目は「既成のヒーロー像の破壊」であり、あるいはそれまでの任侠のイメージを変えるものとして松田定次監督『国定忠治』や吉村公三郎監督『森の石松』があり、特に『国定忠治』は正義感の強い民主主義的な人物として描かれていた。3番目は「剣戟や立ち回りシーンの無いもの」で市川右太衛門主演『お夏清十郎』などの恋愛ものがその例であり、4番目はその「剣戟や立ち回りシーンを回避した映画」で前述の『右門捕物帳』や伊藤大輔監督、阪東妻三郎主演『素浪人罷通る』などであった。しかし戦前からの時代劇を見慣れた観客にとっては「肝心なところが欠けている」と見なされていた。 そして1951年(昭和26年)9月の講和条約成立で自由に時代劇が作れる時代に入ると、それまで蓄積されていたエネルギーが爆発したようにどっと時代劇映画が溢れ、時代劇映画の歴史で最も輝く時代の始まりであった。 それは占領時代に作られた黒澤明監督『羅生門』の受賞からスタートした。そしてこの『羅生門』はベネチア映画祭でグランプリを獲得した。1952年(昭和27年)に占領体制が終わると、どっと時代劇映画の量産が始まった。溝口健二の『西鶴一代女』『雨月物語』『山椒大夫』『近松物語』、黒澤明の『七人の侍』、衣笠貞之助の『地獄門』が製作されて時代劇映画の黄金時代の幕開けであった。嵐寛寿郎は再び『鞍馬天狗』に出演していった。 戦後の時代劇映画の製作会社は、松竹、東宝、大映、東映、新東宝、日活、宝塚映画(東宝の傍系会社)などである。 終戦直後に東宝が内紛と労働争議で分裂して1947年3月に新東宝ができ、しばらくは製作は新東宝、配給は東宝の形態がとられたが、やがて新東宝は東宝に配給を断られたことから自主配給に踏み切った。 その一方で戦前の1938年に設立され興行会社としてスタートした東横映画が、戦後1947年から映画製作に進出して当時大映が所有していた京都太秦の大映第二撮影所(後の東映京都撮影所)を借りて製作活動に入った。東横映画は自前の配給網を持たないので当初大映に配給する関係であったが、しかし大映の傘下では経営が成り立たないとして、大映に配給を頼る下請け会社から脱却するため、東急グループの支援を受けて自前の配給会社東京映画配給を1949年10月に作った。しかし赤字が増大し、そこで東急グループは同じ赤字の太泉映画と東横映画と東京映画配給を合併させて1951年(昭和26年)4月に東映と改称して、配給を東宝に委ねた。この当時東宝は分裂騒動の余波で自前での製作能力が無かったので、宝塚映画や東京映画の作品を配給し、そこへ東映作品も配給して、1951年頃は東映製作で東宝配給という提携関係であった。しかしわずか1年で東映と東宝の提携は終了した。東宝が東映を傘下に収めようとしたことで東映が反発したとされている。そして1950年の朝鮮戦争の勃発とともにGHQの方針が大きく転換して時代劇の製作が可能となり、やがて東映は自前の配給網を確保し拡大するために、二本立て興行を打ち立て、そこに東映娯楽版として中村錦之助や東千代之介をデビューさせて大人気となったことで一気に業界トップに躍り出ることになった。 それは時代劇を中心としたプログラムピクチャーによって、映画の中心が時代劇になった時代でもあった。 東横映画は大映との提携を解消する頃に、当時大映に所属していて永田雅一社長と衝突していた片岡千恵蔵と市川右太衛門を引き抜き、やがて千恵蔵と右太衛門は東映となった後に取締役に就任した。全くスターがいなかった東横映画にとってはそれこそ観客を呼べる看板スターを持ったことになり、その後の東映においてスター中心のシステムを作るきっかけとなった。 戦後のそれまで千恵蔵は『多羅尾伴内』や『金田一耕助』などの現代劇シリーズに出演し、右太衛門は時代劇だが『お夏清十郎』『お艶殺し』などのいわゆる艶ものに出演していた。1950年に千恵蔵はいち早く従来の時代劇を復活させて渡辺邦男監督で初めて『いれずみ判官』の『桜花乱舞の巻』『落花対決の巻』を出し、翌1951年にはマキノ雅弘監督で『女賊と判官』を出した。右太衛門は松田定次・萩原遼監督で『旗本退屈男』の『旗本退屈男捕物控七人の花嫁』『旗本退屈男捕物控毒殺魔殿』を出し、それぞれが後の東映のドル箱シリーズとなった。1954年に二本立て興行に移り、毎週新作二本の製作体制になり、長編と東映娯楽版と言われる中編の連続物を組み合わせて、それに日舞出身の東千代之介、歌舞伎出身の中村錦之助をデビューさせて『笛吹童子』が大ヒットし、翌年には同じ歌舞伎から大川橋蔵がデビューした。 そして1956年(昭和31年)に松田定次監督『赤穂浪士』が大ヒットして、この年から業界トップに躍り出た東映は、マキノ雅弘監督が『次郎長三国志』『仇討崇禅寺馬場』、伊藤大輔監督が中村錦之助主演『反逆児』および『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』、内田吐夢監督が片岡千恵蔵主演『血槍富士』および『大菩薩峠』三部作、そして中村錦之助主演『宮本武蔵』五部作、松田定次監督はオールスターで『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』などが製作されて、時代劇スター中心のプログラムを組んで多数の時代劇映画を量産した。 東映は片岡千恵蔵、市川右太衛門の両者を重役にして、ベテランの月形龍之介、大友柳太朗、そして若手の中村錦之助(のち萬屋錦之介)、東千代之介、大川橋蔵らが育ち、きらびやかで豪快な東映時代劇を築いていく。片岡千恵蔵と市川右太衛門は御大と呼ばれ、千恵蔵が『いれずみ判官』(遠山の金さん)を、右太衛門が『旗本退屈男』といったそれぞれシリーズを持ち、月形龍之介は『水戸黄門』、大友柳太朗は『快傑黒頭巾』『丹下左膳』『右門捕物帖』、中村錦之助は『一心太助』『殿様弥次喜多』『宮本武蔵』、東千代之介は『鞍馬天狗』『雪之丞変化』、大川橋蔵は『若さま侍捕物手帖』『新吾十番勝負』の各シリーズを持ち、加えて正月には『忠臣蔵』や『任侠清水港』『任侠東海道』『任侠中仙道』、お盆には『旗本退屈男』(1958年)、『水戸黄門』(1960年)など歌舞伎の顔見世のようにオールスターキャストの時代劇を製作して、1950年代後半(昭和30年代前半)は東映時代劇の黄金期であった。時代劇王国を謳歌し、"東映城"の名をほしいままにした。この量産時代の東映にあって作品を作り続けた監督には伊藤大輔、マキノ雅弘、松田定次、内田吐夢以外には田坂具隆、佐々木康、沢島忠、加藤泰、河野寿一、工藤栄一、などがいた。 戦争中の1942年(昭和17年)に当時の日活の製作部門と新興キネマと大都映画が合併して設立された大映は、戦後も溝口健二監督『雨月物語』『山椒大夫』を製作して、その後同じ溝口健二監督『近松物語』、衣笠貞之助監督『地獄門』で主演した戦前からの大スター長谷川一夫の『銭形平次捕物控』シリーズを中心にして時代劇を量産し、やがて若い市川雷蔵、勝新太郎が育って、雷蔵は『新・平家物語』から『大菩薩峠』三部作、そして『眠狂四郎』シリーズを自身の代表作とし、勝新は『座頭市』シリーズでその後長く日本映画界を牽引することとなった。東映時代劇の華やかさと優雅さに全く無縁で全く異質な『眠狂四郎』『座頭市』というダーティーなヒーローを二人が演じて独自の大映時代劇を築いていく。監督には最初の時期には黒澤明、伊藤大輔、渡辺邦男もいたが、溝口健二、衣笠貞之助、森一生、三隅研次、安田公義、田中徳三、池広一夫らがいた。 戦後の東宝争議の後に設立した新東宝は、1950年3月から自主配給で大手会社となり、初期には佐伯清監督で嵐寛寿郎主演『中山安兵衛』、溝口健二監督『西鶴一代女』、伊藤大輔監督『下郎の首』、山田達雄監督で嵐寛寿郎主演『危し 伊達六十二万石』、渡辺邦男監督で美空ひばり主演『ひばり三役 競艶雪之丞変化』などの秀作があるが、後期に入って大蔵貢が社長に就任すると怪談ものを作り始めて、渡辺邦男監督『怨霊佐倉大騒動』、中川信夫監督『怪談累が淵』『東海道四谷怪談』などを製作し、1961年に経営不振から映画製作を中止した。 しかし新東宝から丹波哲郎、天知茂などがデビューして、新東宝倒産後に五社協定に拘束されずにテレビに移っていった。 日活は1942年に製作部門が大映に吸収されて、戦後はずっと映画興行会社であったが1954年に製作部門を再開し、それと同時に時代劇で、鳴滝組であった滝沢英輔監督で新国劇の辰巳柳太郎主演『国定忠治』『地獄の剣豪 平手造酒』を製作し、また同じ滝沢英輔監督で島田正吾主演『六人の暗殺者』、三國連太郎主演『江戸一寸の虫』を出したが、その後石原裕次郎の人気沸騰で現代劇の活劇路線を中心としたプログラムピクチャーを組み、やがて時代劇は製作しなくなった。しかし1957年(昭和32年)に当時の自社のスターを総出演させた川島雄三監督『幕末太陽伝』という異色時代劇を製作している。 文藝路線の松竹は時代劇が少なく、大船での現代劇が主で京都の撮影所では思うようには時代劇の製作は出来なかった。1951年に創立30周年記念映画でオールスターキャストの『大江戸五人男』(伊藤大輔監督)を、また1953年に八代目松本幸四郎(後の松本白鸚)の井伊大老役で大作『花の生涯』(大曾根辰夫監督)を、1954年も同じ八代目松本幸四郎が大石内蔵助を演じた『忠臣蔵花の巻・雪の巻』(大曾根辰夫監督)を、そして3年後の1957年に再び大曾根辰夫監督で『大忠臣蔵』を製作したりしたが、シリーズものとしては唄う映画スターと呼ばれた高田浩吉主演の『伝七捕物帳』シリーズぐらいで、松竹が抱える歌舞伎俳優を中核に新劇やフリーの俳優で脇を固め、これに近衛十四郎と高田浩吉を絡めてそこへ新人の森美樹を次代の時代劇スターに育てる予定であった。しかし1960年から61年にかけて森美樹が事故死し、高田浩吉と近衛十四郎は東映に移籍し、また歌舞伎界の八代目松本幸四郎ら多数が東宝へ移籍する事態となり、この時期から急速に松竹時代劇は衰退していった。1962年には忠臣蔵を製作しようにもキャストが組めず旧作の『大忠臣蔵』を再編集した『仮名手本忠臣蔵』とその後日談の『義士始末記』を新国劇の島田正吾を起用して製作する始末であった。 この他に歌舞伎座製作で松竹が配給した山本薩夫監督『赤い陣羽織』、木下恵介監督『笛吹川』、『楢山節考』、今井正監督で三國連太郎主演『夜の鼓』、小林正樹監督で仲代逹矢主演『切腹』など異色作を出しているが、やがて京都では時代劇を撮らないことを決めて、1964年に篠田正浩監督で丹波哲郎主演『暗殺』を最後に1965年に京都太秦撮影所は閉鎖された。 戦後に新東宝や東映との提携関係が消滅して以後、宝塚映画や東京映画製作の作品を配給していた東宝は自前の製作体制を整えることに力を注ぎ、やがて1954年に特撮で『ゴジラ』がヒットした同じ年に黒澤明監督『七人の侍』、稲垣浩監督『宮本武蔵』もヒットしたことで成果があがった。 その後特撮と喜劇路線の東宝にとって時代劇に黒澤明監督がいて『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』を作り、やがて『用心棒』『椿三十郎』を製作した。この2つの映画で、東映時代劇のように様式美にこだわり、あくまでスター俳優を中心にカッコ良く決めるスタイルで、その美しさを前面に出す殺陣とは違って、黒澤明はリアルで迫力のある、そして残酷な描写を厭わない斬り合いを表現して話題となった。しかし黒澤明は1965年の『赤ひげ』を最後に東宝を去った。鳴滝組であった稲垣弘は1950年に東宝に加わり、『佐々木小次郎』三部作、そして三船敏郎主演『宮本武蔵』三部作を作り、後に『柳生武芸帳』『大坂城物語』そして1962年に東宝創立30周年記念映画として『忠臣蔵 花の巻 雪の巻』を撮っている。なお戦後の初期には後に東映に移ったマキノ雅弘監督が『次郎長三国志』全九部作を製作している。 1962年の正月映画で東宝『椿三十郎』が東映『東海道のつむじ風』を圧倒して、東映の華麗な様式美の世界から時代劇は生々しい迫力の世界へと変わっていった。そのリアルな殺陣が、東映時代劇の華やかさと所作の優雅さとが次第に観客に飽きられていき、またこの直前に「第二東映」の出現で多数の時代劇を粗製乱造したことも加えて、東映時代劇の衰退を招くこととなった。 これ以降東映は時代劇の不振に悩まされて、その後に集団抗争時代劇として『十七人の忍者』『十三人の刺客』『大殺陣』などを製作したが時代劇の退潮を食い止められず、やがて任侠路線に転換してヤクザ映画が主流を占め、東映の本来の時代劇は消えて、セクシー路線の時代劇へ移っていった。任侠路線転換を実施した岡田茂東映企画本部長は、『日刊スポーツ』1969年1月16日付けの取材に対して「時代劇の客はテレビに吸い取られた」と断言し、「お客の減ったものに大金をかけることは出来ない」と、東映で正統時代劇を作らなくなった理由を明言した。また「私は、時代劇は、必ず映画館にお客をこさせうる素材だと思う。但し、映画館用の時代劇は、テレビでは出来ないもの、つまり"不良性感度"の高いものでないとお客は呼び込めないと思う」等と話した。従来、映画の時代劇のヒーローは"きれいで腕が立って女にもてて"という男性だったが、そっくりブラウン管に取られた。岡田は先を見越してこのとき、時代劇は全てテレビに移していた。 こうした風潮に対して「大型時代劇こそ日本映画復興のエネルギーだ」と意気上がったのが独立プロ・三船プロダクションを主宰する三船敏郎と勝プロダクションを主宰する勝新太郎で、三船プロの自主作品として、1960年代後半の『侍』以降、『上意討ち 拝領妻始末』『風林火山』と、2年ペースで時代劇映画を作り、特に1969年3月1日封切りの『風林火山』は大当たりを取った。日本映画界にはそれまで「ヨロイものは当たらない」というジンクスがあったが、それは吹き飛ばされ、映画関係者からは「洋画のアクションものに対抗出来るのは、やっぱり"時代劇"」などという声も飛び起こった。勝新太郎は「"座頭市"の大型化を狙う」と表明した。また大手映画会社に頼らず製作した『祇園祭』も1968年11月に封切られ大ヒットした。『日刊スポーツ』1969年1月16日付けの記事で興味深いのが、フジテレビが劇場用映画第一作として『御用金』の製作を伝えていることである。フジは第2作として『人斬り』も製作しヒットはしたが、劇場を持たないテレビ局や独立プロは、よっぽど大当たりを取らないと儲からないと判断し、映画製作から撤退した。1980年代に入り、鹿内春雄体制になって、再び映画製作を活発化させ、日本映画の歴史を塗り替えたが、時代劇映画はほとんど作らなかった。 1955年(昭和30年)には当時の大手映画会社6社で年間174本の時代劇が製作され、1960年(昭和35年)で合計168本の製作本数を数えたが、わずか2年後の1962年(昭和37年)には77本に半減し、中村錦之助が東映を退社した1966年(昭和41年)の翌年には15本となり、1973年以降は年間5本程度を製作する状況となった。時代劇の軸は映画界からテレビに移行、この時期からテレビ時代劇が急増する。 映画の世界では、時代劇王国と言われた東映が1964年頃から任侠路線に切り替えて1966年(昭和41年)で時代劇を打ち切り、時代劇の中心は大映に移った。しかし勝新太郎との二枚看板で『眠狂四郎』シリーズをヒットさせた市川雷蔵が1969年(昭和44年)に若くして死去して、急速に精彩を失った大映も1971年(昭和46年)に倒産してしまった。その後は1970年代に入って勝プロが製作した若山富三郎主演の『子連れ狼』シリーズがヒットして、松竹が高橋英樹主演で『宮本武蔵』さらにオールスターキャストで『狼よ落日を斬れ』『雲霧仁左衛門』『闇の狩人』を出し、東映が1978年(昭和53年)に12年ぶりに時代劇を復活させて『柳生一族の陰謀』が大ヒットして以後『赤穂城断絶』『真田幸村の謀略』『徳川一族の崩壊』『影の軍団服部半蔵』を出し、1980年代に入ると『魔界転生』『里見八犬伝』を角川春樹と提携して深作欣二監督で製作している。しかし、その後は特に話題となるような時代劇はなく、もはや映画のジャンルとしては過去のものになりつつある。時代劇映画は50年近く長期低迷であり、そして時代劇の主な舞台はすでにテレビに変わり、これ以降、テレビが時代劇を産業として支えていった。 1953年(昭和28年)2月、NHKテレビが開局してTV放送スタートと同時にテレビ時代劇の歴史も始まった。ただし当時はテレビカメラによる30分のスタジオドラマで生放送であり、同年7月に放送された笈川武夫主演『半七捕物帳』がテレビ初の時代劇であり、翌年1954年6月に日本テレビが放送した『エノケンの水戸黄門漫遊記』が民放初の時代劇とされている。また初期には子ども向け時代劇として夕方に『赤胴鈴之助』『猿飛佐助』『孫悟空』などの番組が放送された。 テレビ創成期の最初の時代劇スターは中村竹弥で最初の『江戸の影法師』(1955年)で認められて当時のラジオ東京テレビ(現在のTBS)と専属契約を結び、『半七捕物帳』(1956年)、『右門捕物帳』(1957年)、『又四郎行状記』(1958年)、そして『旗本退屈男』(1959年)から『新選組始末記』などに出演した。この他に大人にも楽しめる時代劇として『鞍馬天狗』『快傑黒頭巾』『丹下左膳』『銭形平次捕物控』『眠狂四郎』『鳴門秘帖』『新吾十番勝負』などが放送された。 また民放テレビ局の開局と同時にそのテレビ局に資本参加している映画会社が独自に製作した時代劇を放映している。代表作が『風小僧』『白馬童子』『源義経』『若さま侍捕物帳』である。そして国産テレビ映画が増加した1962年秋から4年前に『月光仮面』をヒットさせた宣弘社が、同じ船床定男監督で主演も同じ大瀬康一で『隠密剣士』が放映を開始してヒットした。この番組で初めて忍者の世界を描き、その忍者の殺陣は以後の時代劇作品の忍者の描写の元になっている。 そして1963年4月から、NHKが現在まで続く長寿時代劇シリーズとなる大河ドラマの放送を開始した。その第1作『花の生涯』は井伊大老役に歌舞伎界から尾上松緑、長野主膳役に映画界から佐田啓二(中井貴一の父)を起用し、2作目の『赤穂浪士』には映画界から長谷川一夫、民芸から滝沢修、宇野重吉、歌舞伎界から尾上梅幸など当時豪華な顔ぶれが揃い、テレビ時代劇の1つのエポックとなった。3作目は『太閤記』で新国劇から緒形拳が主演、文学座から高橋幸治、俳優座から佐藤慶など若い人材が出演して、4作目が『源義経』で歌舞伎界から尾上菊之助(現尾上菊五郎)が主演。毎年1作ずつ膨大な時代劇が制作されている。 その後も映画の世界では時代劇が衰退していく中で、テレビ界では各局とも時代劇を制作して、『三匹の侍』『新選組血風録』『素浪人月影兵庫』『銭形平次』『水戸黄門』『大岡越前』『遠山の金さん』『木枯らし紋次郎』『必殺仕掛人』『必殺仕置人』『必殺仕事人』『子連れ狼』『影の軍団』『鬼平犯科帳』などのシリーズを生んだ。 時代劇制作を映画からテレビに移した先鞭をつけたのは、やはり東映である。もともとテレビ局の開局時から子ども向けテレビ映画を製作して他社に比べてテレビに対して積極的であった東映は、映画での時代劇衰退で早くに見切り、1964年(昭和39年)に東映京都テレビプロダクションを設立すると時代劇のスタッフを移してそこから数々のヒット作を生み出すこととなった。そしてかつての銀幕スターがテレビ時代劇に主演し、大川橋蔵『銭形平次』、片岡千恵蔵『軍兵衛目安箱』、市川右太衛門『旗本退屈男』、萬屋錦之介『子連れ狼』など番組が並び1970年代半ばのゴールデンタイムの人気ジャンルであった。また、三船敏郎『荒野の素浪人』、勝新太郎『座頭市物語』のように銀幕スターが独立プロダクションを設立して制作に携わったり、『大江戸捜査網』のようにテレビ時代劇制作のノウハウに乏しかった日活が制作に携わったりした。 そして東映時代劇で育った松方弘樹は1965年にNHK時代劇『人形佐七捕物帳』でテレビに出演し、北大路欣也は1968年に大河ドラマ『竜馬がゆく』で主役に抜擢され、里見浩太朗は1971年に『水戸黄門』で助さん役を演じてから時代劇スターの座を確保した。また日活の現代劇で育った高橋英樹は大河ドラマ『竜馬がゆく』からテレビ時代劇で頭角を現わし、1967年のNHK時代劇『文五捕物絵図』で時代劇にデビューした杉良太郎、1978年にテレビ朝日『暴れん坊将軍』から人気俳優となった松平健などテレビから時代劇スターが生まれていった。 一方、1980年代に入ると、若者向け文化を重視する風潮が時代劇にもあり、若手俳優を起用した時代劇を製作したが軒並み視聴率が不振で、やがて時代劇の不人気が浮き彫りとなり、テレビ局は時代劇番組を減らしていった。そして長期シリーズであった『影の軍団』や『必殺』シリーズの放送終了によって、テレビの世界でも時代劇の退潮が言われるようになったものの、1980年代後半になると、日本テレビが大晦日に紅白歌合戦に対抗して制作した1985年(昭和60年)の『忠臣蔵』、翌1986年(昭和61年)の『白虎隊』が高視聴率を上げ、1987年(昭和62年)にNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が高視聴率を記録し、1989年(平成元年)にはフジテレビの『女ねずみ小僧』『鬼平犯科帳』が始まり、そしてテレビ東京の新春ワイド時代劇が1981年以来続いていて、1991年の1月2日のゴールデンタイムには4番組が並んで、時代劇復活の雰囲気となり、1986年の日光を皮切りに4ヶ所に開設の時代村のように時代劇制作ノウハウが取り入れられたテーマパークも建設された。 しかしバブル崩壊を迎え、1990年代後半になると、再び状況は一変して1996年(平成8年)以降に少しずつレギュラー枠が減らされていった。 1990年代のトレンディドラマの出現以降、テレビの主たるターゲットである若者層の視聴率が時代劇では取りにくいこと、時代考証や資料引用に関する許諾および大道具・小道具等の制作や調達並びに化粧・鬘・衣装等に製作費用や手間がかかること、都市化が進み国内では自然のままのロケ地の確保が難しくなってきたこと、製作関係者の後継者不足や人材育成の不足、勧善懲悪の作風が多くマンネリ化し、視聴者に受け入れられなくなったなどの理由により、テレビ向けに製作・放映されることが大幅に減少した。 新作テレビ時代劇の制作は減少傾向が続き(現状については#主なテレビ時代劇放送枠の各項目などを参照)、2011年12月19日、長らく月曜夜8時の時代劇として親しまれてきた『水戸黄門』(TBS系)が最終回スペシャルを迎え、42年の歴史に幕を閉じるという出来事があった。時代劇存亡の危機が囁かれる中、デジタル放送の普及が本格化した2010年代からは、地上波よりもシニア層の視聴者が多いとされるBSデジタル・CS放送などで時代劇の放送が増加。既存作品の再放送が多いものの、後述するように新作の放送数も増えている。 地上波民放では、翌年(2012年)3月にテレビ東京で深夜帯に1クール放送された『逃亡者おりん2』が終了すると、2012年10月にTBS系の『金曜ドラマ・大奥〜誕生[有功・家光篇]』が放送されるまでの半年間、新作テレビ時代劇のレギュラー放送が途絶えた。2014年には、フジテレビが開局55周年プロジェクトの一つとして、月9枠で初の時代劇作品『信長協奏曲』を放送し、2016年には映画化された。地上波民放でレギュラー放送された新作テレビ時代劇は2018年現在、2016年10-12月にテレビ東京が金曜日20時枠に『石川五右衛門』を放送したのが最後である。また、2010年代中盤以降はHuluやNetflixに代表される動画ストリーミングサービスが多数登場しているが、過去作品の配信は少なく、サイトオリジナルの時代劇は現時点で制作されていない。 一方、1997年に、東映の岡田茂とC.A.Lの加地隆雄を中心に「時代劇コンテンツ推進協議会」が立ち上がり、時代劇専門チャンネルでの放送などで時代劇の維持と再発展を目指してきたCS放送では、スカパー!で日本映画衛星放送(現・日本映画放送)と共同で、2011年の正月にCS初の完全新作時代劇・『鬼平外伝 夜兎の角右衛門』を放送、これが好評を博したことにより、2012年2月には企画第2弾となる『鬼平外伝 熊五郎の顔』を放映した。以降も年に1~2作ペースで新作を制作・放送している。 BSデジタル放送では当初NHKでの新作放送が中心だったが、2015年中盤以降、WOWOWを除くBS民放でも単発やレギュラー放送の新作時代劇が制作・放送されており、前述の水戸黄門も2017年にBS-TBSでキャスティングを改めた新シリーズが放送された。 他方、2000年代中期から2010年代以降、往年とは及ぶべくもないが時代劇映画の製作・公開が微増傾向にあり、新作時代劇はテレビから映画へと再びシフトしつつある。2010年には映画会社5社による共同企画“サムライ・シネマ キャンペーン”が行われ、同年同時期に公開される5作品(『十三人の刺客』『桜田門外ノ変』『雷桜』『武士の家計簿』『最後の忠臣蔵』)が連携してプロモーションキャンペーンを実施した。 なお、本稿ではもっぱら実写時代劇を扱っているが,日本では古くから時代劇アニメも多数制作されている。映像表現やロケ地等の制約がなく、若年層への訴求力が期待できるとあって、近年はアニメによる時代劇の制作がむしろ盛んである。また『鬼平犯科帳』『仕掛人 藤枝梅安』の漫画版を看板とした時代劇漫画専門誌(『コミック乱』・『コミック乱ツインズ』)がリイド社の軸となるなど2000年代に入ってからは安定した人気を保っている。 また、製作関係者からは日本独自の映像文化や技術が途絶えるとの危機感や現場における製作技術の維持継承の観点から、東映京都撮影所の契約社員組合などで作られた「時代劇復興委員会」が立ち上げられ、有名ではない時代劇俳優(いわゆる大部屋俳優)たちは太秦映画村で殺陣アトラクションを行ったりするなど、様々な方法で時代劇生存の道を探っている。 2020年代から、グリーンバックステージで人物を撮影しリアルタイムで人物とCG背景・美術をVFX合成する「バーチャルプロダクション」技術が発達しているが、東映太秦・松竹京都が京都府の支援で、時代劇のバーチャルプロダクション化の研究を始めている。歴史建造物や風景を3Dデータ化してVFX撮影に生かすことで建物の経年劣化消滅や撮影プロセスの問題を克服するための試みとなっている。 時代考証については、多くの時代劇作品で専門のスタッフが配置されるものの、年を経る毎に様々な事情から省略されたり、本来のものと異なる部分が増えており、それは文学的要素の色濃い作品であっても例外ではない。 1960年代までは相当する役柄にお歯黒や引眉を行う場合が多かったが、すでに明治時代に廃れた遠い過去の習慣であり、また、お歯黒、引眉が不気味と思われる、等、現代人に受け入れられにくいことから、現在ではお歯黒、引眉に該当する役柄でもお歯黒、引眉をすることは一部の役を除きないといって良い。また、本来ならふんどしであるべき男性の下着が猿股になったり、元禄年間の物語なのに服装や髪型が幕末仕様だったりするなど、雑な部分も多い。その一方で、女性の日本髪の鬘は以前は全鬘が一般的だったがハイビジョン収録の一般化に伴い生え際が自然に見える部分鬘を使うようになった。また代官・目明し・同心・小者などの端役の服飾や、屋台・建築物などの部分については、撮影現場で使い回しがなされたりセット・道具類にまつわる事情から厳密な考証が省略されているものが多い。 人物像においては、伊達政宗の刀鍔型の眼帯は時代劇による創作であるが、眼帯が無いと「誰だか分からない」として白い包帯などの妥協案を採用する例もある。 日本刀の打刀では斬撃、抜刀、納刀など元来ほとんど音がしないため、当初のそれは無音であったものが、60年代に『用心棒』と『三匹の侍』の登場により徐々に様々な効果音が入れられるようになった。 馬については、実際には江戸期以前の日本では皆無に等しかったはずのサラブレッドやクォーターホースなど西洋で品種改良がなされた体高160cm以上の現代日本で主流の乗用馬で代用されている。時代考証を厳密に行うならば体高(肩までの高さ)130-135cm程度の日本在来馬を使用するべきところであるが、大型化した現代の日本人俳優の体格に日本在来馬では釣り合いが取れず映像的な見栄えに劣ること、そして、乗用馬に比べ頭数が少なくまとまった数を確保することが困難を極めることなどが要因となっている。時代考証の厳格さで定評のある黒沢明監督でさえ、馬に関しては西洋馬を用いている。 陶器・漆器類を始めとする日用品や調度品も、当時の実物やかつての技法のまま現代の職人が創りだした工芸品的な物を使うことや、その撮影のために当時の技法で現在に必要量だけ製造することは予算面などから難しいことが多く、江戸時代のそれに近い表現技法を再現した現代の製品などを限られた時間と予算の中で探してきて代用した結果として、技巧・表現・流行などの面において時代設定と合わないことが多々起きている。 テレビ用時代劇は他のテレビ番組が急速にビデオ撮影による収録に切り替わっていく中、1990年代後半までは映画用フィルムによる撮影を主流とし、「ドラマ」というよりは「映画」的なコンテンツとして特異な地位を確立していた。これは時代劇と刑事ドラマと特撮ヒーロー番組に言える特徴であった。当時時代劇ドラマにおいては、ビデオ映像にあえて映画フィルム風の映像補正をかけることが良く行われていた。これはVTR撮影が常識となった時代においても、フィルム画像ならではの“味”を愛好する人が製作者にも視聴者にも多いためであるといわれているが、これは役者のカツラと素肌の境目がくっきりと見えたり、室内のセットが明瞭すぎて現実感が乏しくなることを避けるためとされている。また、下級武士や農民の生活などその時代の雰囲気を出すために最近でもハイビジョン映像で撮影したものをあえて画像を落として放送する場合がある。 フィルム撮影はVTR撮影よりも多額の費用が発生することから1990年代以降減ってきたが、フジテレビは1998年以降のフィルム作品において「スーパー16」規格で撮影している。スタンダードサイズの画角ではなくビスタサイズの画角で撮影し、劇場公開やHDTV放送などの「ワンソフト・マルチユース」に対応することで長期的な費用回収を可能にし、フィルム撮影の存続の可能性を確保している。 テレビドラマ 参考資料:『実録テレビ時代劇史』(能村庸一著) 巻末の時代劇放送記録 漫画・アニメ作品 漫画には上記の映画やテレビドラマ作品の原作となり、実写化された作品が多いが、ここではそうした形で実写映像化していないものを主に挙げる。実写映画化やドラマ化された作品でも、主となる読者・視聴者が低年齢層となる作品はここに含む。 NHK 日本テレビ系 テレビ朝日系 TBS系 テレビ東京系 フジテレビ系 時代劇の撮影が可能なパーマネントセットを有するスタジオ、その他の場所。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "時代劇(じだいげき)は、日本の演劇や映画・テレビドラマなどで現代劇と大別されるジャンルとして、主に明治維新以前の時代の日本を舞台とした作品の総称である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "時代劇というジャンルは、その作品の数から、主に平安時代から明治維新までを扱った作品が「時代劇」とも解釈されている。しかしあくまで解釈であって、厳密に定義があるわけではない。奈良時代以前の古代も含まれるという解釈も存在する。キネマ旬報社2012年発行の『現代映画用語事典』では「明治維新以前の時代を扱う日本映画で、特に戦国時代から江戸末期までを題材とした剣戟映画(チャンバラを含む映画)が時代劇映画の主軸として捉えられ、一般に\"時代劇\"とのみ称される」と説明され、日本図書センター2008年発行の『世界映画大事典』では「明治維新の頃より以前の時代を扱った劇映画の呼称で、現代劇に対するジャンルとして多様な広がりを持っている」と書かれており、また「髷(マゲ)を結んだ人物が主な登場人物であれば全て時代劇映画と定義する」とするもの、など解釈は多様である。英米では「period drama」もしくは「costume drama」と訳されたが、近年はそのまま「Jidaigeki」と呼ぶ例も増えている。時代劇で数多く製作されているのは、江戸時代を舞台にした作品である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "時代劇は一方でチャンバラとも呼ばれる。これはクライマックスに剣戟シーンがある時代劇を指し、時代劇の中のサブジャンルでもあり、時代劇が即チャンバラではない。語源は新国劇からの剣劇の影響を受けた剣戟映画で、立ち回り(殺陣)で両者の刀がぶつかった時に、刀の発する音を擬音で「ちゃんちゃんばらばら」と表現したことからそれを略して使われた言葉である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "またこれとは別に時代劇は俗に髷物(まげもの)、丁髷物(ちょんまげもの)とも言われ、英語では「Samurai cinema」「Samurai film」あるいは「Samurai drama」と表記されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "時代劇に対して「歴史劇(史劇)」というものも存在するが、フィクションに近いかノンフィクションに近いかで区別する時代小説と歴史小説とは違い、日本国内のものを「時代劇」、日本以外のものを「歴史劇」或いは「史劇」と呼び分けている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "時代劇は、実際にあった歴史上の事件や歴史に残る人物を登場させることも多いが、登場する人物像を始め、その時代の慣習、風俗、効果音、台詞などが大胆にフィクション化され、その時代劇が制作された年代の大衆に受け入れやすいようになっている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "一般論として、時代劇で描かれる歴史はあくまでフィクションであり、同じ題材を扱っていても全く解釈の異なる作品が生み出されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "「時代劇」という用語はもともと活動写真から誕生した言葉であり、映画の歴史と共に歩んできたジャンルである。そして映画が活動写真と呼ばれていた最初の頃には、厳密に時代劇と呼ばれるジャンルは無かった。", "title": "時代劇の誕生" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1899年(明治32年)に当時の歌舞伎の九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の「紅葉狩」の演目を撮影した「紅葉狩」が現存する日本最古の映画として一部フィルムが残っているが、これは映画興行を目的としたものではなく、あくまで記録として残されたものである。そして映画興行の目的で撮影された最初の時代劇映画は1908年(明治41年)に牧野省三(後のマキノ省三)が製作した『本能寺合戦』をもって嚆矢とするものである。ただしこの初の時代劇は、当時は旧劇と呼ばれていた。", "title": "時代劇の誕生" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "明治から大正時代の半ば過ぎまでの時代物全般は旧劇であった。講談・歌舞伎からの題材が多く、人物造形・衣装・化粧・演技・立ち回り・女形など、舞台の名残を強く留め、声色弁士と邦楽器による鳴り物・囃子の伴奏が多かったと言われる。", "title": "時代劇の誕生" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1920年代に入った頃に当時「映画劇」と呼ばれる日本映画の革新運動が起こり、欧米を模範にシナリオの重視、映画技法の活用と表現の工夫、弁士に依存しない字幕の利用、そして女優の採用などこの時期までの活動写真とは違う、撮影や編集までの映画全般に及ぶ内容の新しさを求めた運動が起こった。それに刺激を受けた形で、旧劇映画についても「旧劇の映画劇化」「旧劇映画改造論」「映画劇的な旧劇」といった言葉が活動写真の論評に使われていた。", "title": "時代劇の誕生" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "『本能寺合戦』以降に映画の題名と共に宣伝に使われた呼称を列挙すると、旧劇、革新旧派映画、純映画劇、新映画劇、旧派純映画劇、新時代劇および新時代映画、時代劇および時代映画となる。革新旧派映画は旧劇様式ではあるがロケ撮影を生かした自然描写、細かいカット割りがあり、しかし女形を採用していた。映画劇は欧米風の映画様式に近づけたもので、脚本と撮影技法を重視し字幕を使い、そして女優を採用した。純映画劇も新映画劇も同じで、マキノ省三監督の『実録忠臣蔵』は新映画劇と呼ばれたが女形の採用は残っていた。旧劇をいくらかでも映画劇に近づけたものだが、女優を採用したのは旧派純映画劇であった。そして旧劇の映画劇化をさらに進めたのが新時代劇および新時代映画と呼ばれたもので、新しい解釈、新しい視点を入れて、演技も新劇系を導入し、女優を採用している。", "title": "時代劇の誕生" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "旧劇映画の芝居臭さ、荒唐無稽の非現実性、女優不在の不自然さに対して、やがてそれらに対して作られていったのが「新時代劇」という呼称の新しい時代劇であった。", "title": "時代劇の誕生" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "初めて時代劇と呼ばれた映画は、『本能寺合戦』から14年後の1922年(大正11年)に松竹蒲田撮影所で製作された『清水の次郎長』の宣伝文句に「新時代劇」と名称がつけられていたことから、この映画が「時代劇」と称する映画の始まりであるとされている。監督は野村芳亭(野村芳太郎監督の父)でこの映画の脚本を書いた伊藤大輔がそれまで「旧劇」と呼称されていた髷物映画を、宣伝に「新時代劇」と名付けて公開した。ゆえに「時代劇という呼称は松竹蒲田撮影所で製作された映画に冠されたものである」、とされている。", "title": "時代劇の誕生" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ただ岩本憲児は著書『「時代映画」の誕生』の中で、1922年(大正11年)から1923年(大正12年)にかけて松竹キネマが「新時代劇」「新時代映画」と呼び、同時期のマキノ映画は「時代劇」「時代映画」と呼んでいたとして混在していたとしている。そして簡略化して「時代劇」が定着していったという。", "title": "時代劇の誕生" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "歌舞伎の分野では、江戸時代よりも過去の時代を扱った演目を「時代物」(武士・貴族や僧侶など上層社会を題材としたもの)と呼び、江戸時代当時の現代劇を「世話物」と呼んでいた。そして鶴屋南北らの「生世話」は庶民の暮らしを描いた江戸時代のものであるが、江戸時代の武士などの上層社会を題材とすることは不可能であったので、過去の時代に遡って武士・貴族・僧侶を描いて当代の現実を投影させていた。また過去の時代の庶民の姿を題材としたものを「時代世話」とも呼んでいた。もともと「時代物」という呼称は人形浄瑠璃から始まって歌舞伎へ移り、そこでの「時代」は江戸時代以前の奈良・平安・鎌倉・室町時代など7世紀から15世紀までが時代背景となっていた。そして実は江戸時代の世相や世論が強く反映されて、人物造形も同時代的であり、故に今日でも時代劇は現代劇の裏返しという一面が大きい。", "title": "時代劇の誕生" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "明治維新以降の日本の演劇は、1888年(明治21年)、自由党の壮士角藤定憲らが大阪で創始、川上音二郎らが発展させた壮士芝居を、1890年代後半(明治30年代)の日本のジャーナリズムが、歌舞伎との差別化を図るため、便宜的に歌舞伎を「旧派劇」、壮士芝居を「新派劇」と呼び、さらに、1906年(明治39年)に坪内逍遥・島村抱月らの文芸協会、1909年(明治42年)に小山内薫・二代目市川左團次らの自由劇場のヨーロッパ近代劇の影響下にある演劇を、歌舞伎(旧派)、新派との差別化を図り、「新劇」と名乗った。", "title": "時代劇の誕生" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "そして坪内逍遥の門下生で新劇出身であった澤田正二郎が1917年(大正6年)に劇団「新国劇」を結成し、歌舞伎から導入した「剣劇」を発展させて、旧派でも新派でも新劇でもない大衆演劇を目指し人気を博した。新国劇の主な演目である『月形半平太』と『国定忠治』は、好まれて映画化された。", "title": "時代劇の誕生" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "このようにして、現在の「時代劇」と「現代劇」の二分法は、江戸時代の「時代物」と「世話物」を源流にもち、明治時代に演劇の発展とともに「旧劇」「新劇」とされ、大正時代に活動写真から「時代劇」「現代劇」と呼ばれたもので、このジャンルは、「明治維新以前の時代」を扱ったものである。ただしこの「時代劇」という呼び方は映画が発祥であり、そもそも多くの影響を受けていた歌舞伎では使われていない。そして新国劇や大衆演劇の世界でも芝居やチャンバラ劇という言葉が使われており、「時代劇」の歴史は主に映画とテレビの中で歩んだことになる。", "title": "時代劇の誕生" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "最初の時代劇は、前述の通り1908年(明治41年)に牧野省三(マキノ省三)が撮った京都の横田商会での当時「旧劇」と呼ばれた『本能寺合戦』である。この当時、横田商会を設立した横田永之助が活動写真の製作に当たり、演劇関係者に協力を求めて京都西陣にあった千本座という芝居小屋を経営するマキノ省三に協力を依頼し、マキノが真如堂の境内で千本座の舞台で常打ち一座が演じていた狂言「本能寺合戦」の「森蘭丸奮戦の場」を野外で演じさせ、それをワンシーンワンカットで撮影する方法で作った活動写真が『本能寺合戦』であった。マキノ省三は以後『本能寺合戦』を含めて6本ほど映画を作っているが興行成績は芳しいものでなく、ほどなくして映画から撤退を考え始めていたが、その翌年1909年(明治36年)に千本座座頭になっていた尾上松之助を主演にした映画が人気を呼んで、それ以降マキノ省三と尾上松之助は明治末から大正末まで時代劇映画の主流を歩むことになった。", "title": "活動写真の時代劇" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "このように時代劇は歌舞伎の模倣から始まったものである。この時代の活動写真はズームの技法もなく、旧派・旧劇と呼ばれた歌舞伎の演目芝居をそのまま屋外で撮ったフィルムを小屋で見せる、というのが上映形態であり、「檜舞台で芝居をする」歌舞伎役者は、活動写真の役者を「土の上で芝居をする連中」として「泥芝居」と蔑んだのであった。ただし時代劇が歌舞伎の模倣から始まったのは事実だが、ここでいう歌舞伎とは「大歌舞伎」だけでなく、旅回り一座の劇や小さな小屋で上演される劇も明治期までは全て歌舞伎であった。映画評論家の佐藤忠男は「京都で時代劇を作り始めていたのは、主に二流級の歌舞伎の人々であった」と述べている。", "title": "活動写真の時代劇" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "時代劇映画の最初のスターは、尾上松之助である。1909年(明治42年)にマキノ省三と組んで『碁盤忠信 源氏礎』で映画デビューを果たし、以後1926年(大正15年)の『侠骨三日月』まで17年間で1003本の時代劇映画に出演した。「目玉の松ちゃん」と愛称された彼は、歌舞伎や講談、立川文庫のヒーローを繰り返し演じて日活の看板スターとして活躍した。特に特撮の先駆けであるトリック撮影による「忍術映画」が十八番であり、それは歌舞伎から題材を取り、「子ども相手の荒唐無稽なもの」ではあったが、17年間にわたって時代劇の歴史に足跡を刻み、尾上松之助は映画を広く一般の人に広めるうえで大きく貢献した。しかし大正時代の末になると観客は松之助の殺陣に飽き、よりスピーディーでリアル、激しい調子を持った殺陣を求めるようになっていった。またこれとは別にほぼ同時期に澤村四郎五郎 が吉野二郎監督らの忍術映画で人気を呼び、200本を超す映画に出演している。", "title": "活動写真の時代劇" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1912年(大正元年)にそれまでの横田商会、福宝堂、M・パテー商会、吉沢商会の4つの映画会社が合同して「日本活動写真(株)」(日活)が誕生した。日本で初めての本格的な映画会社であった。日活は東京向島と京都二条城に撮影所を設け、向島では新派を、京都二条では旧劇を製作することとなった。そしてマキノ省三と尾上松之助は日活に所属した。これとは別に1914年(大正3年)に「天然色活動写真(株)」(天活)が設立されて吉野二郎と澤村四郎五郎らが所属した。", "title": "大正時代の時代劇" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "そして1920年(大正9年)頃までは旧派であった歌舞伎の影響下にあり、女性の役柄は女形が演じていて、後に時代劇の監督になった衣笠貞之助はこの時期は日活向島撮影所の女形であった。", "title": "大正時代の時代劇" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "その一方で帰山教正が1919年(大正8年)に新劇を映画に導入した現代劇である『生の輝き』、『深山の乙女』を発表し、その翌年1920年(大正9年)にそれまで歌舞伎の興行しか手掛けてこなかった松竹が松竹キネマを興し、新劇の小山内薫が、同年松竹キネマに招かれて活動写真を撮り始めると、松竹は初めから女形を使わず、女優を映画に起用した。その中から川田芳子、柳さく子、飯塚敏子らが松竹時代劇のスターとなった。", "title": "大正時代の時代劇" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "この頃に松竹が映画事業に乗り出したのは、自社が経営する劇場よりも松竹が当時日活に貸していた大阪道頓堀朝日座での客の入りが良く、白井竹次郎が映画に乗り出すべきとの提唱から大谷竹次郎が末弟の信太郎を渡米させ、アメリカの映画事業を調査させてから参入したのであるが、大谷竹次郎はその時に「日本映画の俳優は一流の舞台では用いられない落伍者の集まりであり、このままでは世界の映画界に肩を並べることはできない」として「世界に恥ずかしくないものを作り、映画を輸出する」ことを視野に置いていた。そのためには女形は最初から使わないと決めていた。また旧劇については日活の尾上松之助の歌舞伎的な殺陣に対して新国劇を専属にしてリアリズムな殺陣を打ち立てようとしていた。", "title": "大正時代の時代劇" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1922年(大正11年)頃までは日活は現代劇でも新派の影響で女形を起用していたが、その年の暮れに女形を交えた新派役者十数人が国際活映(国活)に移籍したため、それまでの女形起用を止めて女優を起用し、新劇的な現代劇を製作し始める。その時に日活における名称が、時代劇は「日活旧劇部」、現代劇が「日活新劇部」であった。その当時は東京でも、巣鴨の国際活映(国活)等で時代劇映画は盛んに製作されていたが、新劇の発展と映画への導入が東京主導で行なわれ、やがて国活が倒産し、人材が京都に流出したことでその後の「時代劇の京都」と「現代劇の東京」との棲み分けの源流となった。またマキノ省三は尾上松之助の映画で女形を使って、女優は使っていなかったが、日活は1924年(大正13年)に尾上松之助主演『渡し守と武士』で初めて女優を使っている。", "title": "大正時代の時代劇" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "日活向島撮影所でも1923年(大正12年)に松竹に刺激され女優の採用を始めて「第三部」というセクションを設け、女優起用の映画を製作した。この年の現代劇『朝日さす前』がその第一作で、後に日活時代劇の大スター酒井米子を輩出している。同年9月、東京を関東大震災が襲い、日活向島撮影所は閉鎖される。女優やスタッフは日活京都に移り、以後、京都が時代劇映画の本場となった。", "title": "大正時代の時代劇" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "マキノ省三が1921年(大正10年)に日活から独立し、牧野教育映画製作所を設立した。これはマキノ省三が尾上松之助や旧劇と袂を分かつことでもあった。当時忍術映画で尾上松之助が人気役者になった一方、青少年に悪影響を与えているという批判があり、それを教育映画ということでかわす狙いがあったとも、単純な勧善懲悪で「幼稚なチャンバラ映画」であった松之助映画を脱却する方向を模索していたとも言われている。そして1922年(大正11年)に『実録忠臣蔵』を製作して新国劇が生んだ新しい殺陣である写実的な立ち回りを使った当時としては斬新な動きの映画を作った。この映画を見て寿々喜多呂九平がマキノの下に参じ、やがて1925年(大正14年)にこの寿々喜多呂九平が脚本、二川文太郎が監督、阪東妻三郎が主演して製作されたのが『雄呂血』であった。ラストでの主人公が大勢の捕り方に囲まれて大剣戟シーンとなる場面は迫力のあるもので、阪妻の激しい立ち回りが、それまでの歌舞伎調の優雅さとは全く違うリアルな殺陣を見せて時代劇映画に新風を吹き込んだ。以後彼は剣戟映画の大スターとなった。新国劇で展開された立ち回りが映画の殺陣に取り込まれて、それまで旧劇と呼ばれていたものが時代劇と呼ばれる新しいジャンルになったのである。", "title": "大正時代の時代劇" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "この頃にマキノ省三は1924年(大正13年)に東亜キネマと合併して翌1925年(大正14年)に聯合映画芸術家協会を設立し、そして同年6月にマキノ・プロダクションを設立した。ここでマキノは、阪東妻三郎、市川右太衛門、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、月形龍之介らのスターを生み出した。彼らは時代劇に「剣戟」の見せ場を持ち込んだ「チャンバラスター」であり、以後「チャンバラ映画」は時代劇の主流を占めるようになった。またマキノが去った後の日活に新劇の小山内薫の門下でもあった伊藤大輔監督と第二新国劇から日活に来た大河内傅次郎主演のコンビが登場し、このコンビで『幕末剣史 長恨』『忠次旅日記』『下郎』『新版大岡政談』と次々と傑作を生み出し、そして『丹下左膳』シリーズが始まりヒットした。この伊藤大輔監督は後に市川右太衛門主演で『一殺多生剣』、月形龍之介主演で『斬人斬馬剣』を製作している。それはおよそ「松之助映画」とは違った「反逆的ヒーロー」の映画であった。", "title": "大正時代の時代劇" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "やがて1925年(大正14年)に設立された阪東妻三郎プロダクション(阪妻プロ)を筆頭に、彼ら「チャンバラスター」は次々と独立してスタープロダクションを設立し、チャンバラのスター映画を量産した。阪東妻三郎は、竹薮だった京都郊外の太秦村の地に初めて撮影所を建設した人物であり、この撮影所はその後東映京都撮影所となり太秦映画村となった。", "title": "大正時代の時代劇" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "そして大正時代が終わろうとしていた1926年(大正15年)9月、日本映画最初の時代劇スター尾上松之助が世を去った。寿々喜多呂九平と阪東妻三郎、伊藤大輔と大河内傅次郎のコンビが台頭し、松之助自身が自分のこれまでの映画が時代にすでに適応できていないことを感じ取っていたという。全盛期であった1917年(大正6年)には月9本、3日に1本の割合で量産されて「低級な観客相手の粗製濫造品」「何等奥行も巾もない駄作ものばかり」と批評されても映画を作り続けた松之助だが、田中純一郎はその著「日本映画発達史」の中で「他の映画が舞台劇的で動作が少なく科白による内容発展に一切を委ねていたのに対して、松之助自身の軽快な動作、映画的本質の一つとして掴んだマキノ省三の演出方針を基盤として....退屈感はなく視覚を満足させるだけの動きと変化を持っていた」として「他の映画よりは映画的本質に適っていた」と評価している。", "title": "大正時代の時代劇" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "1927年(昭和2年)、松竹が林長二郎(長谷川一夫)を時代劇スターとして売り出し、女形出身の林の美貌は日本全国の女性を虜とする。林長二郎の登場は彼以外のスターは圧倒的に男性ファンが多い中で、時代劇映画に女性むエポックとなったのである。", "title": "戦前の時代劇" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "この頃にマキノ省三は大作『忠魂義烈 実録忠臣蔵』の製作を開始した。しかし撮影中の度重なるトラブルで片岡千恵蔵や嵐寛寿郎が離反し、しかも精魂込めて製作した『忠魂義烈 実録忠臣蔵』のフィルムを編集中に火災を起こして焼失する不運に見舞われて、1929年(昭和4年)に失意のうちに世を去った。しかし息子のマキノ正博(後のマキノ雅広)が前年に『浪人街』を監督し、その後長く戦前・戦後の時期に時代劇を作り続けて1972年(昭和47年)までに261本の映画を製作してその大半は時代劇であった。", "title": "戦前の時代劇" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "一方、片岡千恵蔵はマキノプロから独立後に千恵蔵プロを設立したが、その際に伊藤大輔監督に相談に行き、「自分のところにいる若い2人を提供するから、今までとは違う時代劇を作ればいい」という趣旨のアドバイスを受けた。その若い2人とは伊丹万作(伊丹十三の父)と稲垣浩であった。そしてやがて伊丹万作は千恵蔵プロで『國士無双』『戦国奇譚 気まぐれ冠者』『赤西蠣太』などの新しく知的で明るい時代劇を作り、「明朗時代劇」と呼ばれた。ユーモアもナンセンスさもあり、それまでの陰惨な大剣戟や暗い傾向のある映画に嫌気がさした観客に支持された。また稲垣浩は千恵蔵プロで『瞼の母』『一本刀土俵入り』などの秀作を製作した。", "title": "戦前の時代劇" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "1934年(昭和9年)、京都の鳴滝に映画監督の滝沢英輔、稲垣浩、鈴木桃作、脚本の三村伸太郎、八尋不二、藤井滋司ら有志が集まり、さらに山中貞雄、萩原遼らが加わって合計8人が集まり共同ペンネーム「梶原金八」の名前でシナリオを作り、そして製作された時代劇映画には現代語を採り入れて新風を巻き起こし、一大勢力となった。このグループは鳴滝組と呼ばれて、片岡千恵蔵の千恵蔵プロの流れを受けて、ユーモアのある明るい時代劇を製作していった。この鳴滝組が製作した映画の代表作が山中貞雄監督、大河内傅次郎主演の『丹下左膳余話 百万両の壺』である。これらの時代劇はその明るさとセリフの分かりやすさ、そのテンポの良さで「髷(マゲ)をつけた現代劇」と言われた。そしてこの頃が戦前における時代劇の頂点であった。", "title": "戦前の時代劇" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "また山中貞雄はその後応召して戦病死したため、わずか5年間の活動で全26本の作品であったが、『丹下左膳余話 百万両の壺』の他に『河内山宗俊』『人情紙風船』のたった3本のフィルムしか現存していない。しかし現在でも山中作品は高い評価を受けている。", "title": "戦前の時代劇" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1930年代半ばからは、トーキーが導入され、時代劇にも、映画館ごとの活動弁士と生演奏ではない、俳優のセリフと音楽がもたらされ、当時唄う映画スターと呼ばれた高田浩吉が現れ、そこで製作された映画が大曾根辰夫監督『大江戸出世小唄』で、これが最初の時代劇ミュージカルであり、その後マキノ正博監督の『鴛鴦歌合戦』が製作された。", "title": "戦前の時代劇" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "この昭和初期の映画製作会社は、日活、帝国キネマ(後の新興キネマ)、松竹、東亜キネマ、PCL(後の東宝)、右太衛門プロ、千恵蔵プロ、阪妻プロ、マキノプロ、大都映画などで、年間で各社10本前後から100本前後の製作本数を記録して、時代劇も大きなジャンルとして人気があった。", "title": "戦前の時代劇" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "またトーキー以後もサイレント映画による剣戟にこだわる俳優やスタッフ、観客は存在し、1935年(昭和10年)に西宮の東亜キネマ跡地に設立された極東映画、翌1936年(昭和11年)に奈良の市川右太衛門プロダクション跡地に設立された全勝キネマは、それぞれが解散するまでサイレントの剣戟映画を量産しつづけた。", "title": "戦前の時代劇" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1930年代、時代劇の製作本数が現代劇を上回る年もあり、時代劇は質量ともに戦前の黄金期を支えていた。", "title": "戦前の時代劇" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "松之助の忍者映画から始まって、やがて『雄呂血』のようなニヒルな反逆的ヒーローが出たり、その後は『一殺多生剣』『斬人斬馬剣』のような反体制的な傾向を持つ映画が出て、世の中が暗くなっていくと千恵蔵プロや鳴滝組などから明朗時代劇と呼ばれる『國士無双』『赤西蠣太』『丹下左膳余話 百万両の壺』のような明るい時代劇が生まれ、「髷をつけた現代劇」と揶揄され、この鳴滝組的な映画に対抗する形で今度は真面目に歴史ものを描くべきとの声があがり、昭和10年代に入ると『阿部一族』『海援隊』『元禄忠臣蔵』『江戸最後の日』など歴史映画と呼ばれる作品が製作された。やがて国策映画として『海賊旗吹っ飛ぶ』『狼火は上海に揚る』『かくて神風が吹く』などが作られ、映画人が自由に映画が作れない時代となった。そして国策として映画会社の統合が進められて日活の製作部門と新興キネマ・大都映画が合併して大日本映画(大映)が設立され、その第1回作品として阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、嵐寛寿郎が揃っての初共演で『維新の曲』が製作された。", "title": "戦前の時代劇" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "敗戦までの日本映画では流血や博打、接吻などの場面は当局によって禁止された。時代劇も例外ではなく、チャンバラでいくら人が斬られても、また切腹の場面でも流血があると検閲でカットされた。阪東妻三郎は相手を斬る際に、刃を当てた後もう一回引く「二段引き」という殺陣を使ったが、これも「骨まで斬った感じが出るから」とカットされたことがある。全般に「リアルな殺陣」はすべて検閲でカットされたのである。", "title": "戦前の時代劇" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "また、剣戟で人を斬る際の効果音を初めて使ったのは1935年(昭和10年)の『大菩薩峠』で、稲垣浩監督のアイディアで、カチンコの音を逆回転した効果音が使われた。しかしこの効果音も「検閲保留」扱いにされている 。", "title": "戦前の時代劇" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "1945年(昭和20年)の太平洋戦争終結後、日本が連合国軍最高司令官総司令部(GHQ))の占領統治下に置かれると、GHQは教育文化政策を担当する民間情報教育局(CIE)を設置し、さらに民間検閲支隊(CCD)を置いて、日本映画は二重の検閲を受けることとなった。その政策により、CIEから日本映画に対して13の規制項目が出されて(これが俗にチャンバラ禁止令と呼ばれている)、日本刀を振り回す剣劇(チャンバラ時代劇)は軍国主義的として、敵討ちなど復讐の賛美はアメリカ合衆国に対する敵対心を喚起するとして、こうした要素がある映画は一時製作が制限された。チャンバラ場面が禁止されたため、阪東妻三郎や片岡千恵蔵などの時代劇スターは現代劇に主演し、戦前『鞍馬天狗』をヒットさせた嵐寛寿郎の場合は剣戟のない推理物の時代劇『右門捕物帳』でしか、舞台も映画もできなかったと語っている。しかしそんな時代でも時代劇は製作されていた。戦後最初に作られた時代劇は丸根賛太郎監督の『狐の呉れた赤ん坊』で終戦の年の10月に公開されている。", "title": "終戦直後" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "この数々の制約を受けた特定の時期に撮影が出来た時代劇の傾向として次の4つが挙げられる。1番目は俗に「戦争反省映画」と言われているもので、例として嵐寛寿郎主演で稲垣弘監督『最後の攘夷党』が挙げられる。これは、幕末の攘夷運動に加わった浪士が西洋人に助けられて排外主義の愚かさに気づくストーリーであった。2番目は「既成のヒーロー像の破壊」であり、あるいはそれまでの任侠のイメージを変えるものとして松田定次監督『国定忠治』や吉村公三郎監督『森の石松』があり、特に『国定忠治』は正義感の強い民主主義的な人物として描かれていた。3番目は「剣戟や立ち回りシーンの無いもの」で市川右太衛門主演『お夏清十郎』などの恋愛ものがその例であり、4番目はその「剣戟や立ち回りシーンを回避した映画」で前述の『右門捕物帳』や伊藤大輔監督、阪東妻三郎主演『素浪人罷通る』などであった。しかし戦前からの時代劇を見慣れた観客にとっては「肝心なところが欠けている」と見なされていた。", "title": "終戦直後" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "そして1951年(昭和26年)9月の講和条約成立で自由に時代劇が作れる時代に入ると、それまで蓄積されていたエネルギーが爆発したようにどっと時代劇映画が溢れ、時代劇映画の歴史で最も輝く時代の始まりであった。", "title": "終戦直後" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "それは占領時代に作られた黒澤明監督『羅生門』の受賞からスタートした。そしてこの『羅生門』はベネチア映画祭でグランプリを獲得した。1952年(昭和27年)に占領体制が終わると、どっと時代劇映画の量産が始まった。溝口健二の『西鶴一代女』『雨月物語』『山椒大夫』『近松物語』、黒澤明の『七人の侍』、衣笠貞之助の『地獄門』が製作されて時代劇映画の黄金時代の幕開けであった。嵐寛寿郎は再び『鞍馬天狗』に出演していった。", "title": "終戦直後" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "戦後の時代劇映画の製作会社は、松竹、東宝、大映、東映、新東宝、日活、宝塚映画(東宝の傍系会社)などである。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "終戦直後に東宝が内紛と労働争議で分裂して1947年3月に新東宝ができ、しばらくは製作は新東宝、配給は東宝の形態がとられたが、やがて新東宝は東宝に配給を断られたことから自主配給に踏み切った。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "その一方で戦前の1938年に設立され興行会社としてスタートした東横映画が、戦後1947年から映画製作に進出して当時大映が所有していた京都太秦の大映第二撮影所(後の東映京都撮影所)を借りて製作活動に入った。東横映画は自前の配給網を持たないので当初大映に配給する関係であったが、しかし大映の傘下では経営が成り立たないとして、大映に配給を頼る下請け会社から脱却するため、東急グループの支援を受けて自前の配給会社東京映画配給を1949年10月に作った。しかし赤字が増大し、そこで東急グループは同じ赤字の太泉映画と東横映画と東京映画配給を合併させて1951年(昭和26年)4月に東映と改称して、配給を東宝に委ねた。この当時東宝は分裂騒動の余波で自前での製作能力が無かったので、宝塚映画や東京映画の作品を配給し、そこへ東映作品も配給して、1951年頃は東映製作で東宝配給という提携関係であった。しかしわずか1年で東映と東宝の提携は終了した。東宝が東映を傘下に収めようとしたことで東映が反発したとされている。そして1950年の朝鮮戦争の勃発とともにGHQの方針が大きく転換して時代劇の製作が可能となり、やがて東映は自前の配給網を確保し拡大するために、二本立て興行を打ち立て、そこに東映娯楽版として中村錦之助や東千代之介をデビューさせて大人気となったことで一気に業界トップに躍り出ることになった。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "それは時代劇を中心としたプログラムピクチャーによって、映画の中心が時代劇になった時代でもあった。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "東横映画は大映との提携を解消する頃に、当時大映に所属していて永田雅一社長と衝突していた片岡千恵蔵と市川右太衛門を引き抜き、やがて千恵蔵と右太衛門は東映となった後に取締役に就任した。全くスターがいなかった東横映画にとってはそれこそ観客を呼べる看板スターを持ったことになり、その後の東映においてスター中心のシステムを作るきっかけとなった。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "戦後のそれまで千恵蔵は『多羅尾伴内』や『金田一耕助』などの現代劇シリーズに出演し、右太衛門は時代劇だが『お夏清十郎』『お艶殺し』などのいわゆる艶ものに出演していた。1950年に千恵蔵はいち早く従来の時代劇を復活させて渡辺邦男監督で初めて『いれずみ判官』の『桜花乱舞の巻』『落花対決の巻』を出し、翌1951年にはマキノ雅弘監督で『女賊と判官』を出した。右太衛門は松田定次・萩原遼監督で『旗本退屈男』の『旗本退屈男捕物控七人の花嫁』『旗本退屈男捕物控毒殺魔殿』を出し、それぞれが後の東映のドル箱シリーズとなった。1954年に二本立て興行に移り、毎週新作二本の製作体制になり、長編と東映娯楽版と言われる中編の連続物を組み合わせて、それに日舞出身の東千代之介、歌舞伎出身の中村錦之助をデビューさせて『笛吹童子』が大ヒットし、翌年には同じ歌舞伎から大川橋蔵がデビューした。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "そして1956年(昭和31年)に松田定次監督『赤穂浪士』が大ヒットして、この年から業界トップに躍り出た東映は、マキノ雅弘監督が『次郎長三国志』『仇討崇禅寺馬場』、伊藤大輔監督が中村錦之助主演『反逆児』および『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』、内田吐夢監督が片岡千恵蔵主演『血槍富士』および『大菩薩峠』三部作、そして中村錦之助主演『宮本武蔵』五部作、松田定次監督はオールスターで『忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻』などが製作されて、時代劇スター中心のプログラムを組んで多数の時代劇映画を量産した。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "東映は片岡千恵蔵、市川右太衛門の両者を重役にして、ベテランの月形龍之介、大友柳太朗、そして若手の中村錦之助(のち萬屋錦之介)、東千代之介、大川橋蔵らが育ち、きらびやかで豪快な東映時代劇を築いていく。片岡千恵蔵と市川右太衛門は御大と呼ばれ、千恵蔵が『いれずみ判官』(遠山の金さん)を、右太衛門が『旗本退屈男』といったそれぞれシリーズを持ち、月形龍之介は『水戸黄門』、大友柳太朗は『快傑黒頭巾』『丹下左膳』『右門捕物帖』、中村錦之助は『一心太助』『殿様弥次喜多』『宮本武蔵』、東千代之介は『鞍馬天狗』『雪之丞変化』、大川橋蔵は『若さま侍捕物手帖』『新吾十番勝負』の各シリーズを持ち、加えて正月には『忠臣蔵』や『任侠清水港』『任侠東海道』『任侠中仙道』、お盆には『旗本退屈男』(1958年)、『水戸黄門』(1960年)など歌舞伎の顔見世のようにオールスターキャストの時代劇を製作して、1950年代後半(昭和30年代前半)は東映時代劇の黄金期であった。時代劇王国を謳歌し、\"東映城\"の名をほしいままにした。この量産時代の東映にあって作品を作り続けた監督には伊藤大輔、マキノ雅弘、松田定次、内田吐夢以外には田坂具隆、佐々木康、沢島忠、加藤泰、河野寿一、工藤栄一、などがいた。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "戦争中の1942年(昭和17年)に当時の日活の製作部門と新興キネマと大都映画が合併して設立された大映は、戦後も溝口健二監督『雨月物語』『山椒大夫』を製作して、その後同じ溝口健二監督『近松物語』、衣笠貞之助監督『地獄門』で主演した戦前からの大スター長谷川一夫の『銭形平次捕物控』シリーズを中心にして時代劇を量産し、やがて若い市川雷蔵、勝新太郎が育って、雷蔵は『新・平家物語』から『大菩薩峠』三部作、そして『眠狂四郎』シリーズを自身の代表作とし、勝新は『座頭市』シリーズでその後長く日本映画界を牽引することとなった。東映時代劇の華やかさと優雅さに全く無縁で全く異質な『眠狂四郎』『座頭市』というダーティーなヒーローを二人が演じて独自の大映時代劇を築いていく。監督には最初の時期には黒澤明、伊藤大輔、渡辺邦男もいたが、溝口健二、衣笠貞之助、森一生、三隅研次、安田公義、田中徳三、池広一夫らがいた。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "戦後の東宝争議の後に設立した新東宝は、1950年3月から自主配給で大手会社となり、初期には佐伯清監督で嵐寛寿郎主演『中山安兵衛』、溝口健二監督『西鶴一代女』、伊藤大輔監督『下郎の首』、山田達雄監督で嵐寛寿郎主演『危し 伊達六十二万石』、渡辺邦男監督で美空ひばり主演『ひばり三役 競艶雪之丞変化』などの秀作があるが、後期に入って大蔵貢が社長に就任すると怪談ものを作り始めて、渡辺邦男監督『怨霊佐倉大騒動』、中川信夫監督『怪談累が淵』『東海道四谷怪談』などを製作し、1961年に経営不振から映画製作を中止した。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "しかし新東宝から丹波哲郎、天知茂などがデビューして、新東宝倒産後に五社協定に拘束されずにテレビに移っていった。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "日活は1942年に製作部門が大映に吸収されて、戦後はずっと映画興行会社であったが1954年に製作部門を再開し、それと同時に時代劇で、鳴滝組であった滝沢英輔監督で新国劇の辰巳柳太郎主演『国定忠治』『地獄の剣豪 平手造酒』を製作し、また同じ滝沢英輔監督で島田正吾主演『六人の暗殺者』、三國連太郎主演『江戸一寸の虫』を出したが、その後石原裕次郎の人気沸騰で現代劇の活劇路線を中心としたプログラムピクチャーを組み、やがて時代劇は製作しなくなった。しかし1957年(昭和32年)に当時の自社のスターを総出演させた川島雄三監督『幕末太陽伝』という異色時代劇を製作している。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "文藝路線の松竹は時代劇が少なく、大船での現代劇が主で京都の撮影所では思うようには時代劇の製作は出来なかった。1951年に創立30周年記念映画でオールスターキャストの『大江戸五人男』(伊藤大輔監督)を、また1953年に八代目松本幸四郎(後の松本白鸚)の井伊大老役で大作『花の生涯』(大曾根辰夫監督)を、1954年も同じ八代目松本幸四郎が大石内蔵助を演じた『忠臣蔵花の巻・雪の巻』(大曾根辰夫監督)を、そして3年後の1957年に再び大曾根辰夫監督で『大忠臣蔵』を製作したりしたが、シリーズものとしては唄う映画スターと呼ばれた高田浩吉主演の『伝七捕物帳』シリーズぐらいで、松竹が抱える歌舞伎俳優を中核に新劇やフリーの俳優で脇を固め、これに近衛十四郎と高田浩吉を絡めてそこへ新人の森美樹を次代の時代劇スターに育てる予定であった。しかし1960年から61年にかけて森美樹が事故死し、高田浩吉と近衛十四郎は東映に移籍し、また歌舞伎界の八代目松本幸四郎ら多数が東宝へ移籍する事態となり、この時期から急速に松竹時代劇は衰退していった。1962年には忠臣蔵を製作しようにもキャストが組めず旧作の『大忠臣蔵』を再編集した『仮名手本忠臣蔵』とその後日談の『義士始末記』を新国劇の島田正吾を起用して製作する始末であった。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "この他に歌舞伎座製作で松竹が配給した山本薩夫監督『赤い陣羽織』、木下恵介監督『笛吹川』、『楢山節考』、今井正監督で三國連太郎主演『夜の鼓』、小林正樹監督で仲代逹矢主演『切腹』など異色作を出しているが、やがて京都では時代劇を撮らないことを決めて、1964年に篠田正浩監督で丹波哲郎主演『暗殺』を最後に1965年に京都太秦撮影所は閉鎖された。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "戦後に新東宝や東映との提携関係が消滅して以後、宝塚映画や東京映画製作の作品を配給していた東宝は自前の製作体制を整えることに力を注ぎ、やがて1954年に特撮で『ゴジラ』がヒットした同じ年に黒澤明監督『七人の侍』、稲垣浩監督『宮本武蔵』もヒットしたことで成果があがった。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "その後特撮と喜劇路線の東宝にとって時代劇に黒澤明監督がいて『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』を作り、やがて『用心棒』『椿三十郎』を製作した。この2つの映画で、東映時代劇のように様式美にこだわり、あくまでスター俳優を中心にカッコ良く決めるスタイルで、その美しさを前面に出す殺陣とは違って、黒澤明はリアルで迫力のある、そして残酷な描写を厭わない斬り合いを表現して話題となった。しかし黒澤明は1965年の『赤ひげ』を最後に東宝を去った。鳴滝組であった稲垣弘は1950年に東宝に加わり、『佐々木小次郎』三部作、そして三船敏郎主演『宮本武蔵』三部作を作り、後に『柳生武芸帳』『大坂城物語』そして1962年に東宝創立30周年記念映画として『忠臣蔵 花の巻 雪の巻』を撮っている。なお戦後の初期には後に東映に移ったマキノ雅弘監督が『次郎長三国志』全九部作を製作している。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "1962年の正月映画で東宝『椿三十郎』が東映『東海道のつむじ風』を圧倒して、東映の華麗な様式美の世界から時代劇は生々しい迫力の世界へと変わっていった。そのリアルな殺陣が、東映時代劇の華やかさと所作の優雅さとが次第に観客に飽きられていき、またこの直前に「第二東映」の出現で多数の時代劇を粗製乱造したことも加えて、東映時代劇の衰退を招くこととなった。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "これ以降東映は時代劇の不振に悩まされて、その後に集団抗争時代劇として『十七人の忍者』『十三人の刺客』『大殺陣』などを製作したが時代劇の退潮を食い止められず、やがて任侠路線に転換してヤクザ映画が主流を占め、東映の本来の時代劇は消えて、セクシー路線の時代劇へ移っていった。任侠路線転換を実施した岡田茂東映企画本部長は、『日刊スポーツ』1969年1月16日付けの取材に対して「時代劇の客はテレビに吸い取られた」と断言し、「お客の減ったものに大金をかけることは出来ない」と、東映で正統時代劇を作らなくなった理由を明言した。また「私は、時代劇は、必ず映画館にお客をこさせうる素材だと思う。但し、映画館用の時代劇は、テレビでは出来ないもの、つまり\"不良性感度\"の高いものでないとお客は呼び込めないと思う」等と話した。従来、映画の時代劇のヒーローは\"きれいで腕が立って女にもてて\"という男性だったが、そっくりブラウン管に取られた。岡田は先を見越してこのとき、時代劇は全てテレビに移していた。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "こうした風潮に対して「大型時代劇こそ日本映画復興のエネルギーだ」と意気上がったのが独立プロ・三船プロダクションを主宰する三船敏郎と勝プロダクションを主宰する勝新太郎で、三船プロの自主作品として、1960年代後半の『侍』以降、『上意討ち 拝領妻始末』『風林火山』と、2年ペースで時代劇映画を作り、特に1969年3月1日封切りの『風林火山』は大当たりを取った。日本映画界にはそれまで「ヨロイものは当たらない」というジンクスがあったが、それは吹き飛ばされ、映画関係者からは「洋画のアクションものに対抗出来るのは、やっぱり\"時代劇\"」などという声も飛び起こった。勝新太郎は「\"座頭市\"の大型化を狙う」と表明した。また大手映画会社に頼らず製作した『祇園祭』も1968年11月に封切られ大ヒットした。『日刊スポーツ』1969年1月16日付けの記事で興味深いのが、フジテレビが劇場用映画第一作として『御用金』の製作を伝えていることである。フジは第2作として『人斬り』も製作しヒットはしたが、劇場を持たないテレビ局や独立プロは、よっぽど大当たりを取らないと儲からないと判断し、映画製作から撤退した。1980年代に入り、鹿内春雄体制になって、再び映画製作を活発化させ、日本映画の歴史を塗り替えたが、時代劇映画はほとんど作らなかった。", "title": "各社時代劇の興亡" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "1955年(昭和30年)には当時の大手映画会社6社で年間174本の時代劇が製作され、1960年(昭和35年)で合計168本の製作本数を数えたが、わずか2年後の1962年(昭和37年)には77本に半減し、中村錦之助が東映を退社した1966年(昭和41年)の翌年には15本となり、1973年以降は年間5本程度を製作する状況となった。時代劇の軸は映画界からテレビに移行、この時期からテレビ時代劇が急増する。", "title": "時代劇映画の消滅" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "映画の世界では、時代劇王国と言われた東映が1964年頃から任侠路線に切り替えて1966年(昭和41年)で時代劇を打ち切り、時代劇の中心は大映に移った。しかし勝新太郎との二枚看板で『眠狂四郎』シリーズをヒットさせた市川雷蔵が1969年(昭和44年)に若くして死去して、急速に精彩を失った大映も1971年(昭和46年)に倒産してしまった。その後は1970年代に入って勝プロが製作した若山富三郎主演の『子連れ狼』シリーズがヒットして、松竹が高橋英樹主演で『宮本武蔵』さらにオールスターキャストで『狼よ落日を斬れ』『雲霧仁左衛門』『闇の狩人』を出し、東映が1978年(昭和53年)に12年ぶりに時代劇を復活させて『柳生一族の陰謀』が大ヒットして以後『赤穂城断絶』『真田幸村の謀略』『徳川一族の崩壊』『影の軍団服部半蔵』を出し、1980年代に入ると『魔界転生』『里見八犬伝』を角川春樹と提携して深作欣二監督で製作している。しかし、その後は特に話題となるような時代劇はなく、もはや映画のジャンルとしては過去のものになりつつある。時代劇映画は50年近く長期低迷であり、そして時代劇の主な舞台はすでにテレビに変わり、これ以降、テレビが時代劇を産業として支えていった。", "title": "時代劇映画の消滅" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "1953年(昭和28年)2月、NHKテレビが開局してTV放送スタートと同時にテレビ時代劇の歴史も始まった。ただし当時はテレビカメラによる30分のスタジオドラマで生放送であり、同年7月に放送された笈川武夫主演『半七捕物帳』がテレビ初の時代劇であり、翌年1954年6月に日本テレビが放送した『エノケンの水戸黄門漫遊記』が民放初の時代劇とされている。また初期には子ども向け時代劇として夕方に『赤胴鈴之助』『猿飛佐助』『孫悟空』などの番組が放送された。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "テレビ創成期の最初の時代劇スターは中村竹弥で最初の『江戸の影法師』(1955年)で認められて当時のラジオ東京テレビ(現在のTBS)と専属契約を結び、『半七捕物帳』(1956年)、『右門捕物帳』(1957年)、『又四郎行状記』(1958年)、そして『旗本退屈男』(1959年)から『新選組始末記』などに出演した。この他に大人にも楽しめる時代劇として『鞍馬天狗』『快傑黒頭巾』『丹下左膳』『銭形平次捕物控』『眠狂四郎』『鳴門秘帖』『新吾十番勝負』などが放送された。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "また民放テレビ局の開局と同時にそのテレビ局に資本参加している映画会社が独自に製作した時代劇を放映している。代表作が『風小僧』『白馬童子』『源義経』『若さま侍捕物帳』である。そして国産テレビ映画が増加した1962年秋から4年前に『月光仮面』をヒットさせた宣弘社が、同じ船床定男監督で主演も同じ大瀬康一で『隠密剣士』が放映を開始してヒットした。この番組で初めて忍者の世界を描き、その忍者の殺陣は以後の時代劇作品の忍者の描写の元になっている。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "そして1963年4月から、NHKが現在まで続く長寿時代劇シリーズとなる大河ドラマの放送を開始した。その第1作『花の生涯』は井伊大老役に歌舞伎界から尾上松緑、長野主膳役に映画界から佐田啓二(中井貴一の父)を起用し、2作目の『赤穂浪士』には映画界から長谷川一夫、民芸から滝沢修、宇野重吉、歌舞伎界から尾上梅幸など当時豪華な顔ぶれが揃い、テレビ時代劇の1つのエポックとなった。3作目は『太閤記』で新国劇から緒形拳が主演、文学座から高橋幸治、俳優座から佐藤慶など若い人材が出演して、4作目が『源義経』で歌舞伎界から尾上菊之助(現尾上菊五郎)が主演。毎年1作ずつ膨大な時代劇が制作されている。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "その後も映画の世界では時代劇が衰退していく中で、テレビ界では各局とも時代劇を制作して、『三匹の侍』『新選組血風録』『素浪人月影兵庫』『銭形平次』『水戸黄門』『大岡越前』『遠山の金さん』『木枯らし紋次郎』『必殺仕掛人』『必殺仕置人』『必殺仕事人』『子連れ狼』『影の軍団』『鬼平犯科帳』などのシリーズを生んだ。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "時代劇制作を映画からテレビに移した先鞭をつけたのは、やはり東映である。もともとテレビ局の開局時から子ども向けテレビ映画を製作して他社に比べてテレビに対して積極的であった東映は、映画での時代劇衰退で早くに見切り、1964年(昭和39年)に東映京都テレビプロダクションを設立すると時代劇のスタッフを移してそこから数々のヒット作を生み出すこととなった。そしてかつての銀幕スターがテレビ時代劇に主演し、大川橋蔵『銭形平次』、片岡千恵蔵『軍兵衛目安箱』、市川右太衛門『旗本退屈男』、萬屋錦之介『子連れ狼』など番組が並び1970年代半ばのゴールデンタイムの人気ジャンルであった。また、三船敏郎『荒野の素浪人』、勝新太郎『座頭市物語』のように銀幕スターが独立プロダクションを設立して制作に携わったり、『大江戸捜査網』のようにテレビ時代劇制作のノウハウに乏しかった日活が制作に携わったりした。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "そして東映時代劇で育った松方弘樹は1965年にNHK時代劇『人形佐七捕物帳』でテレビに出演し、北大路欣也は1968年に大河ドラマ『竜馬がゆく』で主役に抜擢され、里見浩太朗は1971年に『水戸黄門』で助さん役を演じてから時代劇スターの座を確保した。また日活の現代劇で育った高橋英樹は大河ドラマ『竜馬がゆく』からテレビ時代劇で頭角を現わし、1967年のNHK時代劇『文五捕物絵図』で時代劇にデビューした杉良太郎、1978年にテレビ朝日『暴れん坊将軍』から人気俳優となった松平健などテレビから時代劇スターが生まれていった。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "一方、1980年代に入ると、若者向け文化を重視する風潮が時代劇にもあり、若手俳優を起用した時代劇を製作したが軒並み視聴率が不振で、やがて時代劇の不人気が浮き彫りとなり、テレビ局は時代劇番組を減らしていった。そして長期シリーズであった『影の軍団』や『必殺』シリーズの放送終了によって、テレビの世界でも時代劇の退潮が言われるようになったものの、1980年代後半になると、日本テレビが大晦日に紅白歌合戦に対抗して制作した1985年(昭和60年)の『忠臣蔵』、翌1986年(昭和61年)の『白虎隊』が高視聴率を上げ、1987年(昭和62年)にNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が高視聴率を記録し、1989年(平成元年)にはフジテレビの『女ねずみ小僧』『鬼平犯科帳』が始まり、そしてテレビ東京の新春ワイド時代劇が1981年以来続いていて、1991年の1月2日のゴールデンタイムには4番組が並んで、時代劇復活の雰囲気となり、1986年の日光を皮切りに4ヶ所に開設の時代村のように時代劇制作ノウハウが取り入れられたテーマパークも建設された。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "しかしバブル崩壊を迎え、1990年代後半になると、再び状況は一変して1996年(平成8年)以降に少しずつレギュラー枠が減らされていった。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "1990年代のトレンディドラマの出現以降、テレビの主たるターゲットである若者層の視聴率が時代劇では取りにくいこと、時代考証や資料引用に関する許諾および大道具・小道具等の制作や調達並びに化粧・鬘・衣装等に製作費用や手間がかかること、都市化が進み国内では自然のままのロケ地の確保が難しくなってきたこと、製作関係者の後継者不足や人材育成の不足、勧善懲悪の作風が多くマンネリ化し、視聴者に受け入れられなくなったなどの理由により、テレビ向けに製作・放映されることが大幅に減少した。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "新作テレビ時代劇の制作は減少傾向が続き(現状については#主なテレビ時代劇放送枠の各項目などを参照)、2011年12月19日、長らく月曜夜8時の時代劇として親しまれてきた『水戸黄門』(TBS系)が最終回スペシャルを迎え、42年の歴史に幕を閉じるという出来事があった。時代劇存亡の危機が囁かれる中、デジタル放送の普及が本格化した2010年代からは、地上波よりもシニア層の視聴者が多いとされるBSデジタル・CS放送などで時代劇の放送が増加。既存作品の再放送が多いものの、後述するように新作の放送数も増えている。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "地上波民放では、翌年(2012年)3月にテレビ東京で深夜帯に1クール放送された『逃亡者おりん2』が終了すると、2012年10月にTBS系の『金曜ドラマ・大奥〜誕生[有功・家光篇]』が放送されるまでの半年間、新作テレビ時代劇のレギュラー放送が途絶えた。2014年には、フジテレビが開局55周年プロジェクトの一つとして、月9枠で初の時代劇作品『信長協奏曲』を放送し、2016年には映画化された。地上波民放でレギュラー放送された新作テレビ時代劇は2018年現在、2016年10-12月にテレビ東京が金曜日20時枠に『石川五右衛門』を放送したのが最後である。また、2010年代中盤以降はHuluやNetflixに代表される動画ストリーミングサービスが多数登場しているが、過去作品の配信は少なく、サイトオリジナルの時代劇は現時点で制作されていない。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "一方、1997年に、東映の岡田茂とC.A.Lの加地隆雄を中心に「時代劇コンテンツ推進協議会」が立ち上がり、時代劇専門チャンネルでの放送などで時代劇の維持と再発展を目指してきたCS放送では、スカパー!で日本映画衛星放送(現・日本映画放送)と共同で、2011年の正月にCS初の完全新作時代劇・『鬼平外伝 夜兎の角右衛門』を放送、これが好評を博したことにより、2012年2月には企画第2弾となる『鬼平外伝 熊五郎の顔』を放映した。以降も年に1~2作ペースで新作を制作・放送している。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "BSデジタル放送では当初NHKでの新作放送が中心だったが、2015年中盤以降、WOWOWを除くBS民放でも単発やレギュラー放送の新作時代劇が制作・放送されており、前述の水戸黄門も2017年にBS-TBSでキャスティングを改めた新シリーズが放送された。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "他方、2000年代中期から2010年代以降、往年とは及ぶべくもないが時代劇映画の製作・公開が微増傾向にあり、新作時代劇はテレビから映画へと再びシフトしつつある。2010年には映画会社5社による共同企画“サムライ・シネマ キャンペーン”が行われ、同年同時期に公開される5作品(『十三人の刺客』『桜田門外ノ変』『雷桜』『武士の家計簿』『最後の忠臣蔵』)が連携してプロモーションキャンペーンを実施した。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "なお、本稿ではもっぱら実写時代劇を扱っているが,日本では古くから時代劇アニメも多数制作されている。映像表現やロケ地等の制約がなく、若年層への訴求力が期待できるとあって、近年はアニメによる時代劇の制作がむしろ盛んである。また『鬼平犯科帳』『仕掛人 藤枝梅安』の漫画版を看板とした時代劇漫画専門誌(『コミック乱』・『コミック乱ツインズ』)がリイド社の軸となるなど2000年代に入ってからは安定した人気を保っている。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "また、製作関係者からは日本独自の映像文化や技術が途絶えるとの危機感や現場における製作技術の維持継承の観点から、東映京都撮影所の契約社員組合などで作られた「時代劇復興委員会」が立ち上げられ、有名ではない時代劇俳優(いわゆる大部屋俳優)たちは太秦映画村で殺陣アトラクションを行ったりするなど、様々な方法で時代劇生存の道を探っている。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "2020年代から、グリーンバックステージで人物を撮影しリアルタイムで人物とCG背景・美術をVFX合成する「バーチャルプロダクション」技術が発達しているが、東映太秦・松竹京都が京都府の支援で、時代劇のバーチャルプロダクション化の研究を始めている。歴史建造物や風景を3Dデータ化してVFX撮影に生かすことで建物の経年劣化消滅や撮影プロセスの問題を克服するための試みとなっている。", "title": "テレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "時代考証については、多くの時代劇作品で専門のスタッフが配置されるものの、年を経る毎に様々な事情から省略されたり、本来のものと異なる部分が増えており、それは文学的要素の色濃い作品であっても例外ではない。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "1960年代までは相当する役柄にお歯黒や引眉を行う場合が多かったが、すでに明治時代に廃れた遠い過去の習慣であり、また、お歯黒、引眉が不気味と思われる、等、現代人に受け入れられにくいことから、現在ではお歯黒、引眉に該当する役柄でもお歯黒、引眉をすることは一部の役を除きないといって良い。また、本来ならふんどしであるべき男性の下着が猿股になったり、元禄年間の物語なのに服装や髪型が幕末仕様だったりするなど、雑な部分も多い。その一方で、女性の日本髪の鬘は以前は全鬘が一般的だったがハイビジョン収録の一般化に伴い生え際が自然に見える部分鬘を使うようになった。また代官・目明し・同心・小者などの端役の服飾や、屋台・建築物などの部分については、撮影現場で使い回しがなされたりセット・道具類にまつわる事情から厳密な考証が省略されているものが多い。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "人物像においては、伊達政宗の刀鍔型の眼帯は時代劇による創作であるが、眼帯が無いと「誰だか分からない」として白い包帯などの妥協案を採用する例もある。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "日本刀の打刀では斬撃、抜刀、納刀など元来ほとんど音がしないため、当初のそれは無音であったものが、60年代に『用心棒』と『三匹の侍』の登場により徐々に様々な効果音が入れられるようになった。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "馬については、実際には江戸期以前の日本では皆無に等しかったはずのサラブレッドやクォーターホースなど西洋で品種改良がなされた体高160cm以上の現代日本で主流の乗用馬で代用されている。時代考証を厳密に行うならば体高(肩までの高さ)130-135cm程度の日本在来馬を使用するべきところであるが、大型化した現代の日本人俳優の体格に日本在来馬では釣り合いが取れず映像的な見栄えに劣ること、そして、乗用馬に比べ頭数が少なくまとまった数を確保することが困難を極めることなどが要因となっている。時代考証の厳格さで定評のある黒沢明監督でさえ、馬に関しては西洋馬を用いている。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "陶器・漆器類を始めとする日用品や調度品も、当時の実物やかつての技法のまま現代の職人が創りだした工芸品的な物を使うことや、その撮影のために当時の技法で現在に必要量だけ製造することは予算面などから難しいことが多く、江戸時代のそれに近い表現技法を再現した現代の製品などを限られた時間と予算の中で探してきて代用した結果として、技巧・表現・流行などの面において時代設定と合わないことが多々起きている。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "テレビ用時代劇は他のテレビ番組が急速にビデオ撮影による収録に切り替わっていく中、1990年代後半までは映画用フィルムによる撮影を主流とし、「ドラマ」というよりは「映画」的なコンテンツとして特異な地位を確立していた。これは時代劇と刑事ドラマと特撮ヒーロー番組に言える特徴であった。当時時代劇ドラマにおいては、ビデオ映像にあえて映画フィルム風の映像補正をかけることが良く行われていた。これはVTR撮影が常識となった時代においても、フィルム画像ならではの“味”を愛好する人が製作者にも視聴者にも多いためであるといわれているが、これは役者のカツラと素肌の境目がくっきりと見えたり、室内のセットが明瞭すぎて現実感が乏しくなることを避けるためとされている。また、下級武士や農民の生活などその時代の雰囲気を出すために最近でもハイビジョン映像で撮影したものをあえて画像を落として放送する場合がある。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "フィルム撮影はVTR撮影よりも多額の費用が発生することから1990年代以降減ってきたが、フジテレビは1998年以降のフィルム作品において「スーパー16」規格で撮影している。スタンダードサイズの画角ではなくビスタサイズの画角で撮影し、劇場公開やHDTV放送などの「ワンソフト・マルチユース」に対応することで長期的な費用回収を可能にし、フィルム撮影の存続の可能性を確保している。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "テレビドラマ 参考資料:『実録テレビ時代劇史』(能村庸一著) 巻末の時代劇放送記録", "title": "主なテレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "漫画・アニメ作品", "title": "主なテレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "漫画には上記の映画やテレビドラマ作品の原作となり、実写化された作品が多いが、ここではそうした形で実写映像化していないものを主に挙げる。実写映画化やドラマ化された作品でも、主となる読者・視聴者が低年齢層となる作品はここに含む。", "title": "主なテレビ時代劇" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "NHK", "title": "主なテレビ時代劇放送枠" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "日本テレビ系", "title": "主なテレビ時代劇放送枠" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "テレビ朝日系", "title": "主なテレビ時代劇放送枠" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "TBS系", "title": "主なテレビ時代劇放送枠" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "テレビ東京系", "title": "主なテレビ時代劇放送枠" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "フジテレビ系", "title": "主なテレビ時代劇放送枠" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "時代劇の撮影が可能なパーマネントセットを有するスタジオ、その他の場所。", "title": "時代劇スタジオ" } ]
時代劇(じだいげき)は、日本の演劇や映画・テレビドラマなどで現代劇と大別されるジャンルとして、主に明治維新以前の時代の日本を舞台とした作品の総称である。
'''時代劇'''(じだいげき)は、日本の[[演劇]]や[[映画]]・[[テレビドラマ]]などで[[現代劇]]と大別されるジャンルとして、主に[[明治維新]]以前の時代の日本を舞台とした作品の総称である<ref name="コトバンク 時代劇">[https://kotobank.jp/word/%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%8A%87-520322 時代劇]、[[コトバンク]]、2009年10月24日閲覧。</ref><ref name="コトバンク 時代劇映画">[https://kotobank.jp/word/%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%8A%87%E6%98%A0%E7%94%BB-73706 時代劇映画]、コトバンク、2009年10月24日閲覧。</ref>。 == 概要 == ===時代劇の定義=== 時代劇というジャンルは、その作品の数から、主に[[平安時代]]から[[明治維新]]までを扱った作品が「時代劇」とも解釈されている。しかしあくまで解釈であって、厳密に定義があるわけではない。[[奈良時代]]以前の[[古代#日本史|古代]]も含まれるという解釈も存在する<ref group="注釈">「明治維新以前の[[江戸時代]]、あるいはそれ以前の時代」といっても、[[神代]]や[[卑弥呼]]を扱った[[弥生時代]]など、遠い時代を遡ったテーマであると、衣装・大道具・小道具の様式やストーリーにおいて、一般的な「時代劇」の様式とは大きく異なる内容が含まれてくる。しかしCS放送の[[時代劇専門チャンネル]]ではこうした時代を扱った作品も放送している。</ref>。[[キネマ旬報社]]2012年発行の『現代映画用語事典』では「明治維新以前の時代を扱う日本映画で、特に[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代|江戸末期]]までを題材とした[[剣戟映画]]([[チャンバラ]]を含む映画)が時代劇映画の主軸として捉えられ、一般に"時代劇"とのみ称される」と説明され{{Sfn|映画用語事典|2012|pp=60–61}}、[[日本図書センター]]2008年発行の『世界映画大事典』では「明治維新の頃より以前の時代を扱った劇映画の呼称で、現代劇に対するジャンルとして多様な広がりを持っている」<ref>「世界映画大事典」379P 時代劇映画の項</ref>と書かれており、また「髷(マゲ)を結んだ人物が主な登場人物であれば全て時代劇映画と定義する」<ref>「日本映画は生きている」第2巻 「映画史を見直す」181P 参照 中部大学人文学部准教授 小川順子</ref>とするもの、など解釈は多様である。英米では「''period drama''」もしくは「''costume drama''」と訳されたが、近年はそのまま「''Jidaigeki''」と呼ぶ例も増えている{{Sfn|映画用語事典|2012|pp=60–61}}。時代劇で数多く製作されているのは、江戸時代を舞台にした作品である。 ===チャンバラ=== 時代劇は一方で'''[[チャンバラ]]'''とも呼ばれる。これはクライマックスに[[剣戟]]シーンがある時代劇を指し、時代劇の中のサブジャンルでもあり、時代劇が即チャンバラではない。語源は[[新国劇]]からの剣劇<ref name="コトバンク 剣劇">[https://kotobank.jp/word/%E5%89%A3%E5%8A%87-60405 剣劇]、[[コトバンク]]、2009年10月24日閲覧。</ref>の影響を受けた[[剣戟映画]]で、立ち回り(殺陣)で両者の刀がぶつかった時に、刀の発する音を擬音で「ちゃんちゃんばらばら」と表現したことからそれを略して使われた言葉である<ref name="コトバンク ちゃんばら">[https://kotobank.jp/word/%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89-567053 ちゃんばら]、[[コトバンク]]、2009年10月24日閲覧。</ref>。 またこれとは別に時代劇は俗に'''髷物'''(まげもの)、'''丁髷物'''(ちょんまげもの)とも言われ<ref name="コトバンク 時代劇映画" />、英語では「'''Samurai cinema'''」「'''Samurai film'''」あるいは「'''Samurai drama'''」<ref group="注釈">英字新聞のテレビ欄における表示に基づく。</ref>と表記されている<ref group="注釈">[[英語]]圏では、自国の歴史劇を [[:en:Period piece|period piece]] または period drama と呼ばれ、日本の時代劇は「''{{lang|en|Samurai drama}}''」と呼んで区別している。</ref>。 ===歴史劇=== 時代劇に対して「'''[[歴史劇]]'''('''史劇''')」というものも存在するが、フィクションに近いかノンフィクションに近いかで区別する[[時代小説]]と[[歴史小説]]とは違い、日本国内のものを「時代劇」、日本以外のものを「歴史劇」或いは「史劇」と呼び分けている。 ===フィクションとしての時代劇=== 時代劇は、実際にあった歴史上の事件や歴史に残る人物を登場させることも多いが、登場する人物像を始め、その時代の慣習、風俗、効果音、台詞などが大胆に[[フィクション]]化され、その時代劇が制作された年代の大衆に受け入れやすいようになっている。 一般論として、時代劇で描かれる歴史はあくまでフィクションであり、同じ題材を扱っていても全く解釈の異なる作品が生み出されている<ref group="注釈">伊達騒動の原田甲斐の描き方は、歌舞伎の世界では逆臣で戦前の映画も逆臣の悪役だが、戦後の『樅の木は残った』では正反対に忠臣として主役となった。また忠臣蔵や赤穂浪士は史実としての元禄赤穂事件とは「刃傷」「討ち入り」は同じでも、それ以外のエピソードは後世の創作であり、肝心の四十七士の個人の名前さえも「徳利の別れ」の「赤垣源蔵」は実在しているのは「赤埴源蔵」の名である。</ref>。 == 時代劇の誕生== 「時代劇」という用語はもともと[[活動写真]]から誕生した言葉であり、映画の歴史と共に歩んできたジャンルである。そして映画が活動写真と呼ばれていた最初の頃には、厳密に時代劇と呼ばれるジャンルは無かった。 ===旧劇映画=== 1899年(明治32年)に当時の歌舞伎の九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の「紅葉狩」の演目を撮影した「紅葉狩」が現存する日本最古の映画として一部フィルムが残っているが、これは映画興行を目的としたものではなく、あくまで記録として残されたものである<ref name="名前なし-1">「日本映画は生きている」第2巻「映画史を見直す」162P参照</ref><ref group="注釈">この活動写真は当時の歌舞伎座の裏の野天で撮影され、の歌舞伎興行で團十郎休演に際し上映され、團十郎と菊五郎が死去した翌年の1909年に歌舞伎座で公開されている。「日本映画は生きている」第2巻「映画史を見直す」182P参照</ref>。そして映画興行の目的で撮影された最初の時代劇映画は1908年(明治41年)に牧野省三(後の[[マキノ省三]])が製作した『[[本能寺合戦]]』をもって嚆矢とするものである。ただしこの初の時代劇は、当時は旧劇と呼ばれていた<ref name="名前なし-2">「日本映画は生きている」第2巻「映画史を見直す」163P参照</ref>。 明治から大正時代の半ば過ぎまでの時代物全般は旧劇であった。講談・歌舞伎からの題材が多く、人物造形・衣装・化粧・演技・立ち回り・女形など、舞台の名残を強く留め、声色弁士と邦楽器による鳴り物・囃子の伴奏が多かったと言われる<ref>岩本憲児 著『「時代映画」の誕生』204P参照</ref>。 ===時代劇映画以前の呼称=== 1920年代に入った頃に当時「映画劇」と呼ばれる日本映画の革新運動が起こり、欧米を模範にシナリオの重視、映画技法の活用と表現の工夫、弁士に依存しない字幕の利用、そして女優の採用などこの時期までの活動写真とは違う、撮影や編集までの映画全般に及ぶ内容の新しさを求めた運動が起こった。それに刺激を受けた形で、旧劇映画についても「旧劇の映画劇化」「旧劇映画改造論」「映画劇的な旧劇」といった言葉が活動写真の論評に使われていた<ref>岩本憲児 著『「時代映画」の誕生』48-52P参照</ref>。 『[[本能寺合戦]]』以降に映画の題名と共に宣伝に使われた呼称を列挙すると、旧劇、革新旧派映画、純映画劇、新映画劇、旧派純映画劇、新時代劇および新時代映画、時代劇および時代映画となる<ref name="名前なし-3">岩本憲児 著『「時代映画」の誕生』204-205P参照</ref>。革新旧派映画は旧劇様式ではあるがロケ撮影を生かした自然描写、細かいカット割りがあり、しかし女形を採用していた。映画劇は欧米風の映画様式に近づけたもので、脚本と撮影技法を重視し字幕を使い、そして女優を採用した。純映画劇も新映画劇も同じで、マキノ省三監督の『実録忠臣蔵』は新映画劇と呼ばれたが女形の採用は残っていた。旧劇をいくらかでも映画劇に近づけたものだが、女優を採用したのは旧派純映画劇であった。そして旧劇の映画劇化をさらに進めたのが新時代劇および新時代映画と呼ばれたもので、新しい解釈、新しい視点を入れて、演技も新劇系を導入し、女優を採用している<ref name="名前なし-3"/>。 旧劇映画の芝居臭さ、荒唐無稽の非現実性、女優不在の不自然さに対して、やがてそれらに対して作られていったのが「新時代劇」という呼称の新しい時代劇であった<ref>岩本憲児 著『「時代映画」の誕生』69P参照</ref>。 ===最初の時代劇映画=== 初めて時代劇と呼ばれた映画は、『[[本能寺合戦]]』から14年後の1922年(大正11年)に松竹蒲田撮影所で製作された『清水の次郎長』<ref group="注釈">1922年7月31日封切り。野村芳亭監督。伊藤大輔脚本。勝見庸太郎、川田芳子、柳さく子出演。サイレント映画。</ref>の宣伝文句に「新時代劇」と名称がつけられていたことから、この映画が「時代劇」と称する映画の始まりであるとされている<ref group="注釈">これより1年後の1923年(大正12年)に同じ松竹蒲田撮影所で製作された『女と海賊』(1923年7月1日封切り。野村芳亭監督。伊藤大輔脚本。勝見庸太郎、川田芳子、柳さく子出演。サイレント映画)を最初に時代劇映画と名付けられた映画とする資料は多い([[稲垣浩]] 著『ひげとちょんまげ』毎日新聞社 など多数)が、早稲田大学文学学術院の小松弘教授はその前年1922年(大正11年)製作の『清水の次郎長』の宣伝文句に「新時代劇」と名称がつけられていた、としている(小松弘 著「旧劇革新と歴史的意義」170P参照 これは「日本映画は生きている」第2巻「映画史を見直す」の注釈より引用)。そして最近出版された『「時代映画」の誕生』(岩本憲児 著 吉川弘文館 2016年7月発行)では、明らかに1922年(大正11年)の雑誌に載せられた「新時代劇」「純映画劇」として『清水の次郎長』の広告を写真付きで説明しており、1923年(大正12年)に製作された『女と海賊』とする説は誤りである。一方で岩本憲児は、時代劇および時代映画という言葉が広がるのは大正末期頃(1920年代半ばあたり)として、この呼称を意図的に使ったのは『女と海賊』である、としている。</ref>。監督は[[野村芳亭]]([[野村芳太郎]]監督の父)でこの映画の脚本を書いた[[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]]がそれまで「旧劇」と呼称されていた髷物映画を、宣伝に「'''新時代劇'''」と名付けて公開した。ゆえに「時代劇という呼称は松竹蒲田撮影所で製作された映画に冠されたものである」<ref name="名前なし-2"/>、とされている。 ただ岩本憲児は著書『「時代映画」の誕生』の中で、1922年(大正11年)から1923年(大正12年)にかけて松竹キネマが「新時代劇」「新時代映画」と呼び、同時期のマキノ映画は「時代劇」「時代映画」と呼んでいたとして混在していたとしている。そして簡略化して「時代劇」が定着していったという<ref>岩本憲児 著『「時代映画」の誕生』205P参照</ref>。 ===歌舞伎の時代物=== [[歌舞伎]]の分野では、江戸時代よりも過去の時代を扱った演目を「[[時代物]]」(武士・貴族や僧侶など上層社会を題材としたもの)と呼び、江戸時代当時の現代劇を「世話物」と呼んでいた<ref name="コトバンク 時代物">[https://kotobank.jp/word/%E6%99%82%E4%BB%A3%E7%89%A9-73717 時代物]、[[コトバンク]]、2015年8月6日閲覧。</ref>。そして[[鶴屋南北]]らの「生世話」は庶民の暮らしを描いた江戸時代のものであるが、江戸時代の武士などの上層社会を題材とすることは不可能であったので、過去の時代に遡って武士・貴族・僧侶を描いて当代の現実を投影させていた。また過去の時代の庶民の姿を題材としたものを「時代世話」とも呼んでいた。もともと「時代物」という呼称は人形浄瑠璃から始まって歌舞伎へ移り、そこでの「時代」は江戸時代以前の奈良・平安・鎌倉・室町時代など7世紀から15世紀までが時代背景となっていた<ref>「時代劇伝説ーチャンバラ映画の輝き」10P 参照</ref>。そして実は江戸時代の世相や世論が強く反映されて、人物造形も同時代的であり、故に今日でも時代劇は現代劇の裏返しという一面が大きい<ref>「時代劇伝説ーチャンバラ映画の輝き」11P 参照</ref>。 ===演劇での旧派劇=== 明治維新以降の日本の演劇は、1888年(明治21年)、[[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]の壮士[[角藤定憲]]らが[[大阪]]で創始、[[川上音二郎]]らが発展させた壮士芝居を、1890年代後半(明治30年代)の日本のジャーナリズムが、歌舞伎との差別化を図るため、便宜的に歌舞伎を「旧派劇」、壮士芝居を「[[新派劇]]」<ref name="コトバンク 新派劇">[https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E6%B4%BE%E5%8A%87-538751 新派劇]、[[コトバンク]]、2009年10月24日閲覧。</ref>と呼び、さらに、1906年(明治39年)に[[坪内逍遥]]・[[島村抱月]]らの文芸協会、1909年(明治42年)に[[小山内薫]]・[[市川左團次 (2代目)|二代目市川左團次]]らの[[自由劇場]]のヨーロッパ近代劇の影響下にある演劇を、歌舞伎(旧派)、[[新派]]との差別化を図り、「[[新劇]]」と名乗った<ref name="コトバンク 新劇">[https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E5%8A%87-81622 新劇]、[[コトバンク]]、2009年10月24日閲覧。</ref>。 ===新国劇と剣劇=== そして[[坪内逍遥]]の門下生で新劇出身であった[[澤田正二郎]]が1917年(大正6年)に劇団「[[新国劇]]」<ref name="コトバンク 新国劇">[https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E5%9B%BD%E5%8A%87-81762 新国劇]、[[コトバンク]]、2009年10月24日閲覧。</ref>を結成し、歌舞伎から導入した「剣劇」<ref name="コトバンク 剣劇" />を発展させて、旧派でも新派でも新劇でもない大衆演劇を目指し人気を博した<ref group="注釈">歌舞伎にも立ち回り、すなわち殺陣があって、さまざまな工夫が行われてきたが、その本質は写実ではなく、様式美、形式美、舞踊美である。[[澤田正二郎]]はこの剣戟を刷新して大衆の人気を得た。それには当時アメリカで大人気であったダグラス・フェアバンクスの剣戟映画「三銃士」を見て、そのスピード感と躍動感が日本の時代劇にも殺陣の革新を呼び起こしたと言われている。「時代劇伝説ーチャンバラ映画の輝き」14-15P 参照</ref>。新国劇の主な演目である『[[月形半平太]]』と『[[国定忠治]]』は、好まれて映画化された。 このようにして、現在の「時代劇」と「現代劇」の二分法は、江戸時代の「時代物」と「世話物」を源流にもち、明治時代に演劇の発展とともに「旧劇」「新劇」とされ、大正時代に活動写真から「時代劇」「現代劇」と呼ばれたもので、このジャンルは、「明治維新以前の時代」を扱ったものである。ただしこの「時代劇」という呼び方は映画が発祥であり、そもそも多くの影響を受けていた歌舞伎では使われていない。そして新国劇や大衆演劇の世界でも芝居やチャンバラ劇という言葉が使われており、「時代劇」の歴史は主に映画とテレビの中で歩んだことになる。 == 活動写真の時代劇 == 最初の時代劇は、前述の通り1908年(明治41年)に牧野省三([[マキノ省三]])が撮った京都の[[横田商会]]での当時「旧劇」と呼ばれた『[[本能寺合戦]]』である。この当時、横田商会を設立した横田永之助<ref group="注釈">映画を発明したのはエジソンで、それをスクリーンに投射して映す方法を考案しその機械であるシネマトグラフを発明したのがフランスのリュミエール兄弟で、そのシネマトグラフを日本に持ち帰ったのが稲畑勝太郎で、その稲畑勝太郎から映画興行の事業を託されたのが横田永之助であった。</ref>が活動写真の製作に当たり、演劇関係者に協力を求めて京都西陣にあった千本座という芝居小屋を経営するマキノ省三に協力を依頼し、マキノが真如堂の境内で千本座の舞台で常打ち一座が演じていた狂言「本能寺合戦」の「森蘭丸奮戦の場」を野外で演じさせ、それをワンシーンワンカットで撮影する方法で作った活動写真が『[[本能寺合戦]]』であった<ref name="名前なし-1"/>。マキノ省三は以後『本能寺合戦』を含めて6本ほど映画を作っているが興行成績は芳しいものでなく、ほどなくして映画から撤退を考え始めていたが、その翌年1909年(明治36年)に千本座座頭になっていた[[尾上松之助]]を主演にした映画が人気を呼んで、それ以降マキノ省三と尾上松之助は明治末から大正末まで時代劇映画の主流を歩むことになった<ref>『時代劇映画の思想』12-15P</ref>。 ===泥芝居=== このように時代劇は歌舞伎の模倣から始まったものである<ref>「日本映画は生きている」第2巻「映画史を見直す」チャンバラと歌舞伎 162P 参照 </ref>。この時代の活動写真はズームの技法もなく、旧派・旧劇と呼ばれた歌舞伎の演目芝居をそのまま屋外で撮ったフィルムを小屋で見せる、というのが上映形態であり、「檜舞台で芝居をする」歌舞伎役者は、活動写真の役者を「土の上で芝居をする連中」として「泥芝居」と蔑んだのであった<ref>『日本映画史110年」48P参照 </ref>。ただし時代劇が歌舞伎の模倣から始まったのは事実だが、ここでいう歌舞伎とは「大歌舞伎」だけでなく、旅回り一座の劇や小さな小屋で上演される劇も明治期までは全て歌舞伎であった<ref>「日本映画は生きている」第2巻「映画史を見直す」162P 参照 </ref>。映画評論家の[[佐藤忠男]]は「京都で時代劇を作り始めていたのは、主に二流級の歌舞伎の人々であった」と述べている<ref>「映画100物語〜日本映画編〜」10P ≪日本映画の伝統を築いた人々≫参照 </ref>。 === 時代劇スターの登場 === 時代劇映画の最初のスターは、[[尾上松之助]]である。1909年(明治42年)に[[マキノ省三]]と組んで『[[碁盤忠信 源氏礎]]』<ref group="注釈">京都千本座に近い大超寺の境内で、歌舞伎の「千歳曽我源氏礎」から「吉野山雪中」と「小柴入道宅」の二場を舞台そのままに撮影されたものである。「時代劇伝説ーチャンバラ映画の輝き」63P 参照</ref>で映画デビューを果たし、以後1926年(大正15年)の『侠骨三日月』<ref group="注釈">この映画の撮影中に松之助は倒れて死去した。</ref>まで17年間で1003本の時代劇映画に出演した。「目玉の松ちゃん」と愛称された彼は、歌舞伎や講談、立川文庫<ref group="注釈">1911年(明治44年)から出版された小型の講談本で、文庫の主人公は英雄や豪傑あるいは忍者で当時の大衆文化を代表するものであり、それが松之助映画のヒーローであった。「時代劇映画の思想」15-16P</ref>のヒーローを繰り返し演じて日活の看板スターとして活躍した。特に[[特撮]]の先駆けであるトリック撮影による「忍術映画」が十八番であり、それは歌舞伎から題材を取り、「子ども相手の荒唐無稽なもの」<ref>『日本映画史110年』74P参照</ref>ではあったが、17年間にわたって時代劇の歴史に足跡を刻み、尾上松之助は映画を広く一般の人に広めるうえで大きく貢献した<ref>「時代劇映画の思想」16P参照</ref>。しかし大正時代の末になると観客は松之助の殺陣<ref group="注釈">尾上松之助の立ち回りは基本的に歌舞伎の型を踏襲したもので要所要所で見得を切るものであった。ただし松之助はそれにケレン味を加えて、それを生かした動きの軽快さやテンポの良さを持っていた。「日本映画は生きている」第2巻「映画史を見直す」163P 参照</ref>に飽き、よりスピーディーでリアル、激しい調子を持った殺陣を求めるようになっていった<ref>『日本映画史110年」75P参照 </ref>。またこれとは別にほぼ同時期に[[澤村四郎五郎 (5代目)|澤村四郎五郎]] が吉野二郎監督らの忍術映画で人気を呼び、200本を超す映画に出演している。 == 大正時代の時代劇 == 1912年(大正元年)にそれまでの[[横田商会]]、[[福宝堂]]、[[M・パテー商会]]、[[吉沢商会]]の4つの映画会社が合同して「日本活動写真(株)」([[日活]])が誕生した。日本で初めての本格的な映画会社であった。日活は東京向島と京都二条城に撮影所を設け、向島では新派を、京都二条では旧劇を製作することとなった<ref>『日本映画史110年」54P参照 </ref>。そしてマキノ省三と尾上松之助は日活に所属した。これとは別に1914年(大正3年)に「天然色活動写真(株)」([[天活]])が設立されて吉野二郎と澤村四郎五郎らが所属した。 そして1920年(大正9年)頃までは旧派であった歌舞伎の影響下にあり、女性の役柄は[[女形]]が演じていて、後に時代劇の監督になった[[衣笠貞之助]]はこの時期は日活向島撮影所の女形であった<ref group="注釈">当時日活向島撮影所だけで[[東猛夫]]、小栗武雄、[[衣笠貞之助]]、[[立花貞二郎]]、[[木藤茂]]、土方勝三郎、[[五月操]]、大井吉弥といった女形がいたが、日活向島撮影所は現代劇を撮影しており、これらの女形役者は当時の旧劇(時代劇)には出演していない。しかし衣笠貞之助と同じく木藤茂も後に新興キネマで時代劇の監督となった。</ref>。 その一方で[[帰山教正]]が1919年(大正8年)に[[新劇]]を映画に導入した現代劇である『生の輝き』、『[[深山の乙女 (1919年の映画)|深山の乙女]]』を発表し、その翌年1920年(大正9年)にそれまで歌舞伎の興行しか手掛けてこなかった松竹が[[松竹キネマ]]を興し、新劇の小山内薫が、同年[[松竹キネマ]]に招かれて活動写真を撮り始めると、松竹は初めから女形を使わず、女優を映画に起用した。その中から[[川田芳子]]、[[柳さく子]]、[[飯塚敏子]]らが松竹時代劇のスターとなった<ref group="注釈">この松竹発足時の最初に登場した女優にはこのほか、主に現代劇に出演した[[栗島すみ子]]、[[五月信子]]、[[松井千枝子]]、[[筑波雪子]]、東栄子、[[英百合子]]、[[沢村春子]]などがいた。</ref>。 この頃に松竹が映画事業に乗り出したのは、自社が経営する劇場よりも松竹が当時日活に貸していた大阪道頓堀朝日座での客の入りが良く、白井竹次郎が映画に乗り出すべきとの提唱から大谷竹次郎が末弟の信太郎を渡米させ、アメリカの映画事業を調査させてから参入したのであるが、大谷竹次郎はその時に「日本映画の俳優は一流の舞台では用いられない落伍者の集まりであり、このままでは世界の映画界に肩を並べることはできない」として「世界に恥ずかしくないものを作り、映画を輸出する」ことを視野に置いていた。そのためには女形は最初から使わないと決めていた<ref>「秘録 日本の活動写真」田中純一郎著 200-202P 参照 2004年11月発行 ワイズ出版</ref><ref group="注釈">しかしこの当初の理想はすぐに崩れて、思うように国内での上映ができず、いわゆるブロックブッキングで他社製作を受けつけない興行者と妥協して低俗な内容で国内市場を確保する必要に迫られることになった。そして国内市場開拓のために設立して1年も経たずに経営合理化をして、そのためせっかく招いた新劇の小山内薫の怒りをかった。「秘録 日本の活動写真」田中純一郎著 210-211P 参照 2004年11月発行 ワイズ出版</ref>。また旧劇については日活の尾上松之助の歌舞伎的な殺陣に対して新国劇を専属にしてリアリズムな殺陣を打ち立てようとしていた<ref>「日本映画は生きている」第2巻 「映画史を見直す」164-165P 参照</ref>。 1922年(大正11年)頃までは[[日活]]は現代劇でも新派の影響で女形を起用していたが、その年の暮れに女形を交えた新派役者十数人が[[国際活映]](国活)<ref group="注釈">「天活」の流れを継承している会社である。</ref>に移籍したため、それまでの女形起用を止めて女優を起用し、新劇的な現代劇を製作し始める。その時に日活における名称が、時代劇は「日活旧劇部」、現代劇が「日活新劇部」であった。その当時は東京でも、巣鴨の[[国際活映]](国活)等で時代劇映画は盛んに製作されていたが、新劇の発展と映画への導入が東京主導で行なわれ、やがて国活が倒産し、人材が京都に流出したことでその後の「時代劇の京都」と「現代劇の東京」との棲み分けの源流となった。またマキノ省三は尾上松之助の映画で女形を使って、女優は使っていなかったが、日活は1924年(大正13年)に尾上松之助主演『[[渡し守と武士]]』で初めて女優を使っている<ref group="注釈">松之助は愛人の芸者を女優に仕立てて相手役にしようとしたことがあったが、まだ歌舞伎の影響の強かった時代であり、映画館主の反対でとりやめている。『日本映画の若き日々』([[稲垣浩]]、毎日新聞社刊)</ref>。 日活向島撮影所でも1923年(大正12年)に松竹に刺激され女優の採用を始めて「第三部」というセクションを設け、女優起用の映画を製作した。この年の現代劇『[[朝日さす前]]』がその第一作で、後に日活時代劇の大スター[[酒井米子]]を輩出している。同年9月、東京を[[関東大震災]]が襲い、日活向島撮影所は閉鎖される。女優やスタッフは日活京都に移り、以後、京都が時代劇映画の本場となった<ref group="注釈">時代劇の撮影所が戦前のマキノ、戦後の東映のイメージから京都が主であるのは確かではあるが、昭和に入ってからも大都映画の巣鴨、PCL(東宝)の砧、日活の調布でも時代劇の撮影が行われており、特に東宝の黒澤明は東京で時代劇を撮影しており、必ずしも京都だけで行われていたわけではない。</ref>。 === マキノ時代劇 === マキノ省三が1921年(大正10年)に日活から独立し、[[牧野教育映画製作所]]を設立した。これはマキノ省三が尾上松之助や旧劇と袂を分かつことでもあった<ref group="注釈">横田永之助は、これを自分に対する反抗と見なしていた。「日本映画史」第1巻 202P 参照。また増長した松之助との不和もあるがこの頃に横田永之助とのトラブルがあったという説もある。「秘録 日本の活動写真」田中純一郎著 222-224P 参照 2004年11月発行 ワイズ出版</ref>。当時忍術映画で尾上松之助が人気役者になった一方、青少年に悪影響を与えているという批判があり、それを教育映画ということでかわす狙いがあったとも、単純な勧善懲悪で「幼稚なチャンバラ映画」であった松之助映画を脱却する方向を模索していたとも言われている<ref>「時代劇映画の思想」16-17P参照</ref>。そして1922年(大正11年)に『[[実録忠臣蔵]]』を製作して新国劇が生んだ新しい殺陣である写実的な立ち回りを使った当時としては斬新な動きの映画を作った。この映画を見て[[寿々喜多呂九平]]<ref group="注釈">当時アメリカ映画の活劇の手法を時代劇に取り入れて革新的な作品を次々と生み出し、この彼を境に映画は旧劇から時代劇と呼ばれる段階に入ったという説がある。「日本映画は生きている」第2巻 「映画史を見直す」166P 参照</ref>がマキノの下に参じ、やがて1925年(大正14年)にこの[[寿々喜多呂九平]]が脚本、[[二川文太郎]]が監督、[[阪東妻三郎]]が主演して製作されたのが『[[雄呂血]]』であった。ラストでの主人公が大勢の捕り方に囲まれて大剣戟シーンとなる場面は迫力のあるもので、阪妻の激しい立ち回りが、それまでの歌舞伎調の優雅さとは全く違うリアルな殺陣を見せて時代劇映画に新風を吹き込んだ。以後彼は剣戟映画の大スターとなった。新国劇で展開された立ち回りが映画の殺陣に取り込まれて、それまで旧劇と呼ばれていたものが時代劇と呼ばれる新しいジャンルになったのである<ref>「日本映画は生きている」第2巻 「映画史を見直す」 164P 参照</ref>。 === チャンバラスターの登場 === この頃にマキノ省三は1924年(大正13年)に[[東亜キネマ]]と合併して翌1925年(大正14年)に[[聯合映画芸術家協会]]を設立し、そして同年6月に[[マキノ・プロダクション]]を設立した。ここでマキノは、[[阪東妻三郎]]、[[市川右太衛門]]、[[片岡千恵蔵]]、[[嵐寛寿郎]]、[[月形龍之介]]らのスターを生み出した。彼らは時代劇に「剣戟」の見せ場を持ち込んだ「チャンバラスター」であり、以後「チャンバラ映画」は時代劇の主流を占めるようになった。またマキノが去った後の[[日活]]に新劇の小山内薫の門下でもあった[[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]]監督と第二新国劇から日活に来た[[大河内傅次郎]]主演のコンビが登場し、このコンビで『幕末剣史 長恨』『[[忠次旅日記]]』『[[下郎_(映画)|下郎]]』『[[新版大岡政談_(1928年の日活の映画)|新版大岡政談]]』と次々と傑作を生み出し、そして『[[丹下左膳]]』シリーズが始まりヒットした<ref>『時代劇映画の思想』23P参照</ref>。この[[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]]監督は後に[[市川右太衛門]]主演で『[[一殺多生剣]]』、[[月形龍之介]]主演で『[[斬人斬馬剣]]』を製作している。それはおよそ「松之助映画」とは違った「反逆的ヒーロー」の映画であった<ref>『時代劇映画の思想』26-28P参照</ref>。 やがて1925年(大正14年)に設立された[[阪東妻三郎プロダクション]](阪妻プロ)を筆頭に、彼ら「チャンバラスター」は次々と独立してスタープロダクションを設立し、チャンバラのスター映画を量産した。阪東妻三郎は、竹薮だった京都郊外の[[太秦|太秦村]]の地に初めて撮影所を建設した人物であり、この撮影所はその後[[東映京都撮影所]]となり太秦映画村となった。 そして大正時代が終わろうとしていた1926年(大正15年)9月、日本映画最初の時代劇スター[[尾上松之助]]が世を去った。[[寿々喜多呂九平]]と[[阪東妻三郎]]、[[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]]と[[大河内傅次郎]]のコンビが台頭し、松之助自身が自分のこれまでの映画が時代にすでに適応できていないことを感じ取っていたという<ref>「時代劇映画の思想」25P参照</ref>。全盛期であった1917年(大正6年)には月9本、3日に1本の割合で量産されて「低級な観客相手の粗製濫造品」「何等奥行も巾もない駄作ものばかり」と批評されても映画を作り続けた松之助だが、田中純一郎はその著「日本映画発達史」の中で「他の映画が舞台劇的で動作が少なく科白による内容発展に一切を委ねていたのに対して、松之助自身の軽快な動作、映画的本質の一つとして掴んだマキノ省三の演出方針を基盤として‥‥退屈感はなく視覚を満足させるだけの動きと変化を持っていた」として「他の映画よりは映画的本質に適っていた」と評価している<ref>「時代劇伝説ーチャンバラ映画の輝き」67P 参照 ただし元は田中純一郎著「日本映画発達史1」中公文庫 1975年発行 231P からの引用である。</ref>。 == 戦前の時代劇 == 1927年(昭和2年)、松竹が林長二郎([[長谷川一夫]])を時代劇スターとして売り出し、[[女形]]出身の林の美貌は日本全国の女性を虜とする<ref group="注釈">翌年には林長二郎の人気は社会現象となり、1928年(昭和3年)正月、林が挨拶のため上京すると、東京駅では一万人余りの女性ファンが詰めかけ、雪崩を打ってもみ合い黄色い声援を送った。この過熱ぶりに、「[[ミーハー]]」(女性の好きな'''み'''つまめと'''は'''やしをかけた言葉)という用語までが生まれることとなった『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)</ref>。林長二郎の登場は彼以外のスターは圧倒的に男性ファンが多い中で、時代劇映画に女性むエポックとなったのである。 この頃に[[マキノ省三]]は大作『[[忠魂義烈 実録忠臣蔵]]』の製作を開始した。しかし撮影中の度重なるトラブルで片岡千恵蔵や嵐寛寿郎が離反し、しかも精魂込めて製作した『[[忠魂義烈 実録忠臣蔵]]』のフィルムを編集中に火災を起こして焼失する不運に見舞われて、1929年(昭和4年)に失意のうちに世を去った。しかし息子の[[マキノ正博]](後のマキノ雅広)が前年に『[[浪人街]]』を監督し、その後長く戦前・戦後の時期に時代劇を作り続けて1972年(昭和47年)までに261本の映画を製作してその大半は時代劇であった。 ===千恵蔵プロ=== 一方、片岡千恵蔵はマキノプロから独立後に[[片岡千恵蔵プロダクション|千恵蔵プロ]]を設立したが、その際に[[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]]監督に相談に行き、「自分のところにいる若い2人を提供するから、今までとは違う時代劇を作ればいい」という趣旨のアドバイスを受けた。その若い2人とは[[伊丹万作]]([[伊丹十三]]の父)と[[稲垣浩]]であった。そしてやがて伊丹万作は千恵蔵プロで『[[國士無双]]』<ref group="注釈">サイレント映画ではあるが、有名な剣豪の名を語った贋者が本物の剣豪に出会ってしまい、勝負する羽目に陥ったが、そこで「偽者が本物に勝ってしまう」物語である。「権威というものはそれほど大したものではない」というメッセージが込められている。「時代劇映画の思想」30P参照。なお当時旧制中学生で後に映画監督となった市川崑がこの映画を映画館で見て、映画を志すきっかけになった映画でもある。</ref>『[[戦国奇譚 気まぐれ冠者]]』『[[赤西蠣太]]』などの新しく知的で明るい時代劇を作り、「明朗時代劇」と呼ばれた。ユーモアもナンセンスさもあり、それまでの陰惨な大剣戟や暗い傾向のある映画に嫌気がさした観客に支持された<ref>「時代劇映画の思想」29-31P参照</ref>。また[[稲垣浩]]は千恵蔵プロで『[[瞼の母]]』『一本刀土俵入り』などの秀作を製作した。 ===鳴滝組=== 1934年(昭和9年)、京都の鳴滝に映画監督の[[滝沢英輔]]、[[稲垣浩]]、[[鈴木桃作]]、脚本の[[三村伸太郎]]、[[八尋不二]]、[[藤井滋司]]ら有志が集まり、さらに[[山中貞雄]]、[[萩原遼 (映画監督)|萩原遼]]らが加わって合計8人が集まり共同ペンネーム「[[梶原金八]]」<ref group="注釈">この名前は当時の六大学野球の有名選手からとったと言われている。『時代劇映画の思想』31P参照</ref>の名前でシナリオを作り、そして製作された時代劇映画には現代語を採り入れて新風を巻き起こし、一大勢力となった。このグループは[[鳴滝組]]と呼ばれて、片岡千恵蔵の千恵蔵プロの流れを受けて、ユーモアのある明るい時代劇を製作していった。この鳴滝組が製作した映画の代表作が[[山中貞雄]]監督、[[大河内傅次郎]]主演の『[[丹下左膳余話 百万両の壺]]』である。これらの時代劇はその明るさとセリフの分かりやすさ、そのテンポの良さで「髷(マゲ)をつけた現代劇」<ref>「時代劇映画の思想」33P参照。</ref>と言われた。そしてこの頃が戦前における時代劇の頂点であった<ref group="注釈">「日本映画で最も好まれたジャンルの時代劇は、大正末・昭和初期に一つの頂点を迎え、昭和10年代に様々なヴァリエーションを見せながら発展していった」『時代劇映画の思想』55P参照</ref>。 また[[山中貞雄]]はその後応召して戦病死したため、わずか5年間の活動で全26本の作品であったが、『[[丹下左膳余話 百万両の壺]]』の他に『[[河内山宗俊]]』『[[人情紙風船]]』のたった3本のフィルムしか現存していない。しかし現在でも山中作品は高い評価を受けている。 1930年代半ばからは、[[トーキー]]が導入され、時代劇にも、映画館ごとの活動弁士と生演奏ではない、俳優のセリフと音楽がもたらされ、当時唄う映画スターと呼ばれた[[高田浩吉]]が現れ、そこで製作された映画が大曾根辰夫監督『大江戸出世小唄』<ref group="注釈">1935年、松竹製作。</ref>で、これが最初の時代劇ミュージカルであり、その後[[マキノ正博]]監督の『[[鴛鴦歌合戦]]』<ref group="注釈">1939年、マキノ製作。片岡千恵蔵の急病から急遽製作されたものでほとんど数日で完成させたと言われている。</ref>が製作された<ref group="注釈">「大江戸出世小唄」は時代劇ミュージカルの始原であり、「鴛鴦歌合戦」はその一つの頂点であった。「時代劇映画の思想」46P参照</ref>。 ===各映画製作会社=== この昭和初期の映画製作会社は、[[日活]]、[[帝国キネマ]](後の[[新興キネマ]])、[[松竹]]、[[東亜キネマ]]、PCL(後の[[東宝]])、右太衛門プロ、千恵蔵プロ、阪妻プロ、マキノプロ、[[大都映画]]<ref group="注釈">1927年に河合徳三郎が設立した河合商会が後に河合映画となり、1933年に大都映画に発展改称し、その後1942年に日活、新興キネマ(帝国キネマの後進)と合併して大映となり、大都映画は消滅した。15年間に1,294本の映画を製作した会社(1,325本製作したという資料もある)でいわゆるB級の三流映画を専門に製作した会社であった。後にプログラムピクチャーと呼ばれた週2本立てで年間100本の製作体制を取ったが、今日そのフィルムは戦災で焼失してほとんど残っていない。1937年には年間110本製作した記録が残っている。所属していた俳優は、阿部九洲夫、松山宗三郎、杉山昌三九、大乗寺八郎、そして後に戦後時代劇スターとなった近衛十四郎、また伴淳三郎も一時所属していた。『幻のB級 大都映画がゆく』65P・77Pおよび151P参照</ref>などで、年間で各社10本前後から100本前後の製作本数を記録して、時代劇も大きなジャンルとして人気があった<ref>『幻のB級 大都映画がゆく』77P参照</ref><ref group="注釈">嵐寛寿郎もこの時期に二度プロダクションを興しているが、いずれも短期間に終わっている。</ref>。 またトーキー以後も[[サイレント映画]]による剣戟にこだわる俳優やスタッフ、観客は存在し、1935年(昭和10年)に[[西宮市|西宮]]の[[東亜キネマ]]跡地に設立された[[極東映画]]、翌1936年(昭和11年)に[[奈良県|奈良]]の[[市川右太衛門プロダクション]]跡地に設立された[[全勝キネマ]]は、それぞれが解散するまでサイレントの剣戟映画を量産しつづけた<ref>『チャンバラ王国極東』、赤井祐男・円尾敏郎編、[[ワイズ出版]]、1998年 ISBN 4948735914.</ref>。 1930年代、時代劇の製作本数が現代劇を上回る年もあり、時代劇は質量ともに戦前の黄金期を支えていた<ref>「世界映画大事典」380P 時代劇映画の項</ref>。 ===歴史映画と国策映画=== 松之助の忍者映画から始まって、やがて『[[雄呂血]]』のようなニヒルな反逆的ヒーローが出たり、その後は『[[一殺多生剣]]』『[[斬人斬馬剣]]』のような反体制的な傾向を持つ映画が出て、世の中が暗くなっていくと千恵蔵プロや鳴滝組などから明朗時代劇と呼ばれる『[[國士無双]]』『[[赤西蠣太]]』『[[丹下左膳余話 百万両の壺]]』のような明るい時代劇が生まれ、「髷をつけた現代劇」と揶揄され、この鳴滝組的な映画に対抗する形で今度は真面目に歴史ものを描くべきとの声があがり、昭和10年代に入ると『阿部一族』『海援隊』『[[元禄忠臣蔵]]』『江戸最後の日』など歴史映画と呼ばれる作品が製作された。やがて国策映画として『海賊旗吹っ飛ぶ』『狼火は上海に揚る』『かくて神風が吹く』などが作られ、映画人が自由に映画が作れない時代となった<ref>「時代劇映画の思想」39-43P参照</ref>。そして国策として映画会社の統合が進められて日活の製作部門と新興キネマ・大都映画が合併して大日本映画(大映)が設立され、その第1回作品として阪東妻三郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、嵐寛寿郎が揃っての初共演で『[[維新の曲]]』が製作された。 ===検閲=== 敗戦までの日本映画では流血や博打、接吻などの場面は当局によって禁止された。時代劇も例外ではなく、チャンバラでいくら人が斬られても、また切腹の場面でも流血があると検閲でカットされた<ref group="注釈">ただし、少なくとも1920年代以降の映画には血糊を使った流血の描写があることは確認されており、戦意高揚が叫ばれ始めた1938年の稲垣浩監督の作品で「晒しの上に血が滲む描写が検閲に引っかかった」と言われている。「日本映画は生きている」第2巻 「映画史を見直す」 171P 参照</ref>。[[阪東妻三郎]]は相手を斬る際に、刃を当てた後もう一回引く「二段引き」という殺陣を使ったが、これも「骨まで斬った感じが出るから」とカットされたことがある。全般に「リアルな殺陣」はすべて検閲でカットされたのである。 また、剣戟で人を斬る際の効果音を初めて使ったのは1935年(昭和10年)の『[[大菩薩峠 (1935年の映画)|大菩薩峠]]』で、[[稲垣浩]]監督のアイディアで、カチンコの音を逆回転した効果音が使われた。しかしこの効果音も「検閲保留」扱いにされている <ref>『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)</ref>。 == 終戦直後 == ===GHQの検閲と時代劇製作の制限=== [[1945年]](昭和20年)の[[日本の降伏|太平洋戦争終結]]後、日本が[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ))の占領統治下に置かれると、GHQは教育文化政策を担当する[[民間情報教育局]](CIE)を設置し、さらに[[民間検閲支隊]](CCD)を置いて、日本映画は二重の検閲を受けることとなった<ref>「日本映画は生きている」第2巻 「映画史を見直す」172P 参照</ref>。その政策により、CIEから日本映画に対して13の規制項目が出されて(これが俗にチャンバラ禁止令と呼ばれている)、[[日本刀]]を振り回す剣劇(チャンバラ時代劇)は[[軍国主義]]的として、[[敵討ち]]など復讐の賛美はアメリカ合衆国に対する敵対心を喚起するとして、こうした要素がある映画は一時製作が制限された。チャンバラ場面が禁止されたため、阪東妻三郎や片岡千恵蔵などの時代劇スターは現代劇に主演<ref group="注釈">この時期には、阪東妻三郎には『王将』、片岡千恵蔵には『多羅尾伴内』シリーズが製作された。</ref>し、戦前『[[鞍馬天狗_(小説)|鞍馬天狗]]』をヒットさせた[[嵐寛寿郎]]の場合は剣戟のない推理物の時代劇『右門捕物帳』でしか、舞台も映画もできなかったと語っている<ref>『聞書アラカン一代 - 鞍馬天狗のおじさんは』(竹中労、白川書院)</ref>。しかしそんな時代でも時代劇は製作されていた。戦後最初に作られた時代劇は丸根賛太郎監督の『狐の呉れた赤ん坊』で終戦の年の10月に公開されている。 この数々の制約を受けた特定の時期に撮影が出来た時代劇の傾向として次の4つが挙げられる。1番目は俗に「戦争反省映画」と言われているもので、例として[[嵐寛寿郎]]主演で稲垣弘監督『最後の攘夷党』が挙げられる。これは、幕末の攘夷運動に加わった浪士が西洋人に助けられて[[排外主義]]の愚かさに気づくストーリーであった。2番目は「既成のヒーロー像の破壊」であり、あるいはそれまでの任侠のイメージを変えるものとして松田定次監督『[[国定忠治]]』や吉村公三郎監督『森の石松』があり、特に『[[国定忠治]]』は正義感の強い民主主義的な人物として描かれていた。3番目は「剣戟や立ち回りシーンの無いもの」で市川右太衛門主演『お夏清十郎』などの恋愛ものがその例であり、4番目はその「剣戟や立ち回りシーンを回避した映画」で前述の『[[右門捕物帳]]』や伊藤大輔監督、阪東妻三郎主演『[[素浪人罷通る]]』などであった。しかし戦前からの時代劇を見慣れた観客にとっては「肝心なところが欠けている」と見なされていた<ref>『時代劇映画の思想』51-54P参照</ref>。 ===講和条約以後=== そして1951年(昭和26年)9月の講和条約成立で自由に時代劇が作れる時代に入ると、それまで蓄積されていたエネルギーが爆発したようにどっと時代劇映画が溢れ、時代劇映画の歴史で最も輝く時代の始まりであった。 それは占領時代に作られた黒澤明監督『[[羅生門_(1950年の映画)|羅生門]]』の受賞からスタートした。そしてこの『[[羅生門_(1950年の映画)|羅生門]]』はベネチア映画祭でグランプリを獲得した。1952年(昭和27年)に占領体制が終わると、どっと時代劇映画の量産が始まった。溝口健二の『[[西鶴一代女]]』『[[雨月物語_(映画)|雨月物語]]』『[[山椒大夫]]』『[[近松物語]]』、黒澤明の『[[七人の侍]]』、衣笠貞之助の『[[地獄門]]』が製作されて時代劇映画の黄金時代の幕開けであった。嵐寛寿郎は再び『[[鞍馬天狗 (小説)|鞍馬天狗]]』に出演していった。 ==各社時代劇の興亡== 戦後の時代劇映画の製作会社は、[[松竹]]、[[東宝]]、[[大映]]、[[東映]]、[[新東宝]]、[[日活]]、[[宝塚映画]]<ref group="注釈">戦前から存在した会社で戦後には東宝に作品を供給して、1968年まで続き、その間に製作した作品は177本にのぼる。嵐寛寿郎の[[鞍馬天狗 (小説)|鞍馬天狗]]シリーズや「右門捕物帖」シリーズも戦後の最初の時期には宝塚映画で製作されて東宝が配給していた。この時に共演した女優には宝塚歌劇の鳳八千代、寿美花代、扇千景らがいた。</ref>(東宝の傍系会社)などである。 終戦直後に東宝が内紛と労働争議で分裂して1947年3月に新東宝ができ、しばらくは製作は新東宝、配給は東宝の形態がとられたが、やがて新東宝は東宝に配給を断られたことから自主配給に踏み切った。 その一方で戦前の1938年に設立され興行会社としてスタートした[[東横映画]]が、戦後1947年から映画製作に進出して当時大映が所有していた京都太秦の大映第二撮影所(後の東映京都撮影所)を借りて製作活動に入った。[[東横映画]]は自前の配給網を持たないので当初大映に配給する関係であったが、しかし大映の傘下では経営が成り立たないとして、大映に配給を頼る下請け会社から脱却するため、東急グループの支援を受けて自前の配給会社[[東京映画配給]]を1949年10月に作った。しかし赤字が増大し、そこで東急グループは同じ赤字の[[太泉映画]]<ref group="注釈">戦前の新興キネマ撮影所を戦後買収して貸しスタジオとして「大泉スタジオ」として設立されて、その後映画製作に乗り出したが赤字であった。後の東映東京撮影所である。</ref>と[[東横映画]]と[[東京映画配給]]<ref group="注釈">後発の「東京映画配給」を存続会社として他の2社を吸収合併させる形となったため、「東映」の設立月日は「東京映画配給」の設立日の1949年10月1日となっている。</ref>を合併させて1951年(昭和26年)4月に[[東映]]と改称して、配給を東宝に委ねた。この当時東宝は分裂騒動の余波で自前での製作能力が無かったので、宝塚映画や東京映画の作品を配給し、そこへ東映作品も配給して、1951年頃は東映製作で東宝配給という提携関係であった<ref>「仁義なき日本沈没」52-53P参照</ref>。しかしわずか1年で東映と東宝の提携は終了した。東宝が東映を傘下に収めようとしたことで東映が反発したとされている<ref>「仁義なき日本沈没」54P参照</ref>。そして1950年の朝鮮戦争の勃発とともにGHQの方針が大きく転換して時代劇の製作が可能となり、やがて東映は自前の配給網を確保し拡大するために、二本立て興行を打ち立て、そこに東映娯楽版として中村錦之助や東千代之介をデビューさせて大人気となったことで一気に業界トップに躍り出ることになった。 それは時代劇を中心としたプログラムピクチャーによって、映画の中心が時代劇になった時代でもあった。 ===東映=== [[東横映画]]は[[大映]]との提携を解消する頃に、当時大映に所属していて[[永田雅一]]社長と衝突していた[[片岡千恵蔵]]と[[市川右太衛門]]を引き抜き、やがて千恵蔵と右太衛門は[[東映]]となった後に取締役に就任した。全くスターがいなかった[[東横映画]]にとってはそれこそ観客を呼べる看板スターを持ったことになり、その後の[[東映]]においてスター中心のシステムを作るきっかけとなった。 戦後のそれまで千恵蔵は『多羅尾伴内』や『金田一耕助』などの現代劇シリーズに出演し、右太衛門は時代劇だが『お夏清十郎』『お艶殺し』などのいわゆる艶ものに出演していた。1950年に千恵蔵はいち早く従来の時代劇を復活させて渡辺邦男監督で初めて『いれずみ判官』の『桜花乱舞の巻』『落花対決の巻』を出し、翌1951年にはマキノ雅弘監督で『[[女賊と判官]]』を出した<ref>「千恵蔵一代」146-147P 参照</ref>。右太衛門は松田定次・萩原遼監督で『[[旗本退屈男]]』の『旗本退屈男捕物控七人の花嫁』『旗本退屈男捕物控毒殺魔殿』を出し、それぞれが後の東映のドル箱シリーズとなった。1954年に二本立て興行に移り、毎週新作二本の製作体制になり、長編と東映娯楽版と言われる中編の連続物を組み合わせて、それに日舞出身の[[東千代之介]]、歌舞伎出身の[[萬屋錦之介|中村錦之助]]をデビューさせて『笛吹童子』が大ヒットし、翌年には同じ[[歌舞伎]]から[[大川橋蔵 (2代目)|大川橋蔵]]が[[デビュー]]した。 そして1956年(昭和31年)に松田定次監督『[[赤穂浪士_(小説)#1956.E5.B9.B4.E3.81.AE.E6.98.A0.E7.94.BB|赤穂浪士]]』が大ヒットして、この年から業界トップに躍り出た東映は、マキノ雅弘監督が『[[次郎長三国志]]』<ref group="注釈">1950年代に東宝で全9作、1960年代に東映で同じ監督で全4作が製作された。</ref>『仇討崇禅寺馬場』、[[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]]監督が中村錦之助主演『[[反逆児_(1961年の映画)|反逆児]]』および『源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶』、[[内田吐夢]]監督が片岡千恵蔵主演『[[血槍富士]]』および『[[大菩薩峠_(小説)|大菩薩峠]]』三部作、そして中村錦之助主演『[[宮本武蔵_(1961年の映画)|宮本武蔵]]』五部作、[[松田定次]]監督はオールスターで『[[忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻]]』などが製作されて、時代劇スター中心のプログラムを組んで多数の時代劇映画を量産した。 東映は[[片岡千恵蔵]]、[[市川右太衛門]]の両者を重役にして、ベテランの[[月形龍之介]]、[[大友柳太朗]]、そして若手の[[萬屋錦之介|中村錦之助]](のち萬屋錦之介)、[[東千代之介]]、大川橋蔵らが育ち、きらびやかで豪快な東映時代劇を築いていく。[[片岡千恵蔵]]と[[市川右太衛門]]は御大<ref group="注釈">千恵蔵は京都太秦の高台に自宅があったので≪お山の御大≫と呼ばれ、右太衛門は同じ京都の北大路に住んでいたので≪北大路の御大≫と呼ばれた。「千恵蔵一代」154P参照</ref>と呼ばれ、千恵蔵が『[[いれずみ判官]]』(遠山の金さん)を、右太衛門が『[[旗本退屈男]]』といったそれぞれシリーズを持ち、月形龍之介は『[[水戸黄門]]』、大友柳太朗は『快傑黒頭巾』『[[丹下左膳]]』『[[右門捕物帖]]』、中村錦之助は『[[一心太助]]』『殿様弥次喜多』『[[宮本武蔵_(1961年の映画)|宮本武蔵]]』、東千代之介は『[[鞍馬天狗 (小説)|鞍馬天狗]]』『[[雪之丞変化]]』、大川橋蔵は『[[若さま侍捕物手帖]]』『[[新吾十番勝負]]』の各シリーズを持ち、加えて正月には『[[忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻|忠臣蔵]]』や『[[任侠清水港]]』『[[任侠東海道]]』『[[任侠中仙道]]』、お盆には『[[旗本退屈男_(1958年の映画)|旗本退屈男]]』(1958年)、『[[水戸黄門_(1960年の映画)|水戸黄門]]』(1960年)など歌舞伎の顔見世のようにオールスターキャストの時代劇を製作して、1950年代後半(昭和30年代前半)は東映時代劇の黄金期であった。時代劇王国を謳歌し<ref name="日刊スポ690116">{{Cite news |title = 《芸能トピック》 斜陽化吹き飛ばす大型時代劇 ブーム再来へ続々 勝プロも"座頭市"で進出 |date = 1969年1月16日 |newspaper = [[日刊スポーツ]] |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |page = 11 }}</ref>、"東映城"の名をほしいままにした<ref name="日刊スポ690116"/>。この量産時代の東映にあって作品を作り続けた監督には[[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]]、[[マキノ雅弘]]、[[松田定次]]<ref group="注釈">あらゆる意味で東映を代表する監督。戦後すぐに東横映画で片岡千恵蔵と金田一耕介シリーズと多羅尾伴内シリーズを手掛け、その後『退屈男』『左膳』『黄門』『右門』『新吾』シリーズの何作かメガホンをとり、『忠臣蔵』も3回監督している。父はマキノ省三でマキノ雅弘の異母兄にあたる。</ref>、[[内田吐夢]]以外には[[田坂具隆]]<ref group="注釈">代表作は『ちいさこべ』『親鸞』『冷飯とおさんとちゃん』</ref>、[[佐々木康]]<ref group="注釈">代表作は『修羅八荒』</ref>、[[沢島忠]]<ref group="注釈">代表作は『一心太助天下の一大事』『暴れん坊兄弟』</ref>、[[加藤泰]]<ref group="注釈">代表作は『瞼の母』『沓掛時次郎遊侠一匹』</ref>、[[河野寿一]]<ref group="注釈">代表作は『白扇みだれ黒髪』</ref>、[[工藤栄一]]<ref group="注釈">代表作は『十三人の刺客』</ref>、などがいた<ref>『時代劇映画の思想』88-96P参照</ref>。 ===大映=== 戦争中の1942年(昭和17年)に当時の[[日活]]の製作部門と[[新興キネマ]]と[[大都映画]]が合併して設立された[[大映]]は、戦後も溝口健二監督『[[雨月物語_(映画)|雨月物語]]』『[[山椒大夫]]』を製作して、その後同じ溝口健二監督『[[近松物語]]』<ref group="注釈">この溝口監督の三作品とも撮影が宮川一夫であった。</ref>、衣笠貞之助監督『[[地獄門]]』で主演した戦前からの大スター長谷川一夫の『[[銭形平次捕物控]]』シリーズを中心にして時代劇を量産し、やがて若い市川雷蔵、勝新太郎が育って、雷蔵は『[[新・平家物語_(映画)|新・平家物語]]』から『[[大菩薩峠_(1960年の映画)|大菩薩峠]]』三部作、そして『[[眠狂四郎]]』シリーズを自身の代表作とし、勝新は『[[座頭市]]』シリーズでその後長く日本映画界を牽引することとなった。東映時代劇の華やかさと優雅さに全く無縁で全く異質な『眠狂四郎』『座頭市』というダーティーなヒーローを二人が演じて独自の大映時代劇を築いていく。監督には最初の時期には黒澤明<ref group="注釈">戦後すぐに起きた東宝争議で一旦東宝を離れて大映で製作したただ一作の作品。それがベネチア映画祭グランプリ受賞の『[[羅生門_(1950年の映画)|羅生門]]』だった。この後に東宝に復帰している。</ref>、伊藤大輔<ref group="注釈">伊藤大輔は大正時代から各社でメガホンを取っていたが、大映では市川雷蔵主演『切られ与三郎』が代表作。後に東映に移る。</ref>、[[渡辺邦男]]<ref group="注釈">戦前から長い期間にわたって各社でメガホンを取っている。大映では1958年に長谷川一夫主演オールスターキャストの『[[忠臣蔵_(1958年の映画)|忠臣蔵]]』を作っている。</ref>もいたが、[[溝口健二]]、[[衣笠貞之助]]、[[森一生]]<ref group="注釈">雷蔵と勝新の共演『薄桜記』、勝新の『不知火検校』、雷蔵の『大菩薩峠・第三部』が代表作である。</ref>、[[三隅研次]]<ref group="注釈">山本富士子主演『千姫御殿』、雷蔵主演『斬る』および『[[大菩薩峠_(1960年の映画)|大菩薩峠]]』第一部と第二部、勝新主演『座頭市物語』が代表作である。</ref>、[[安田公義]]、[[田中徳三]]、[[池広一夫]]らがいた<ref>『時代劇映画の思想』77-87P参照</ref>。 ===新東宝=== 戦後の東宝争議の後に設立した新東宝は、1950年3月から自主配給で大手会社となり、初期には佐伯清監督で嵐寛寿郎主演『中山安兵衛』<ref group="注釈">嵐寛寿郎と花柳小菊が共演して佐藤忠男はこの映画を「戦前戦後を通じて中山安兵衛の作品のうち最高の作品である」と述べている。「嵐寛寿郎と100人のスター〜女優編〜」142P 荷村寛夫 著 </ref>、溝口健二監督『[[西鶴一代女]]』、伊藤大輔監督『[[下郎_(映画)|下郎の首]]』<ref group="注釈">1955年製作。新東宝。伊藤大輔監督。田崎潤、嵯峨美智子主演。愚かな主人に忠義を尽くす家来の悲劇を描いている。</ref>、山田達雄監督で嵐寛寿郎主演『危し 伊達六十二万石』<ref group="注釈">1957年製作。新東宝。山田達雄監督。嵐寛寿郎主演。アラカンの原田甲斐が悪役で最後は大立ち回りとなる。</ref>、渡辺邦男監督で美空ひばり主演『ひばり三役 競艶雪之丞変化』などの秀作があるが、後期に入って大蔵貢<ref>もとは活動弁士から映画界に入り、興行主となり、映画会社社長となった。新東宝倒産後は大蔵映画を設立してピンク映画の製作に乗り出した。</ref>が社長に就任すると怪談ものを作り始めて、渡辺邦男監督<ref group="注釈">早撮りの名人としても有名で各社を渡り歩いた監督だが、この新東宝では時代劇ではないが新東宝唯一の大ヒット作『明治天皇と日露大戦争』を作っている。</ref>『怨霊佐倉大騒動』、中川信夫監督『[[怪談累が淵]]』『[[東海道四谷怪談_(1959年の映画)|東海道四谷怪談]]』などを製作し、1961年に経営不振から映画製作を中止した<ref>『時代劇映画の思想』65-69P参照</ref>。 しかし新東宝から丹波哲郎、天知茂などがデビューして、新東宝倒産後に五社協定に拘束されずにテレビに移っていった。 ===日活=== 日活は1942年に製作部門が大映に吸収されて、戦後はずっと映画興行会社であったが1954年に製作部門を再開し、それと同時に時代劇で、鳴滝組であった滝沢英輔監督で新国劇の辰巳柳太郎主演『国定忠治』『地獄の剣豪 平手造酒』を製作し、また同じ滝沢英輔監督で島田正吾主演『六人の暗殺者』、三國連太郎主演『江戸一寸の虫』<ref group="注釈">この両作品とも脚本は菊島隆三である。</ref>を出したが、その後石原裕次郎の人気沸騰で現代劇の活劇路線を中心としたプログラムピクチャーを組み、やがて時代劇は製作しなくなった。しかし1957年(昭和32年)に当時の自社のスターを総出演させた川島雄三監督『[[幕末太陽伝]]』<ref group="注釈">日活製作再開3周年記念映画として製作。フランキー堺主演。しかし石原裕次郎、小林旭、二谷英明など当時の日活スターが脇役で総出演してオールスターキャストである。古典落語の「居残り佐平次」「品川心中」を原案にした品川遊郭での人間模様を描いている。今ではコメディ時代劇としても評価が高い作品である。</ref>という異色時代劇を製作している<ref>『時代劇映画の思想』71-73P参照</ref>。 ===松竹=== 文藝路線の松竹は時代劇が少なく、大船での現代劇が主で京都の撮影所では思うようには時代劇の製作は出来なかった。1951年に創立30周年記念映画でオールスターキャストの『[[大江戸五人男]]』(伊藤大輔監督)を、また1953年に八代目松本幸四郎(後の松本白鸚)の井伊大老役で大作『[[花の生涯_彦根篇_江戸篇|花の生涯]]』(大曾根辰夫監督)を、1954年も同じ八代目松本幸四郎が大石内蔵助を演じた『忠臣蔵花の巻・雪の巻』(大曾根辰夫監督)を、そして3年後の1957年に再び大曾根辰夫監督で『[[大忠臣蔵_(1957年の映画)|大忠臣蔵]]』<ref group="注釈">1957年製作。松竹。大石内蔵助役に歌舞伎界から二代目市川猿之助(初代市川猿翁)、大石主税に市川団子(後の三代目市川猿之助、二代目初代市川猿翁)、早野勘平に高田浩吉、他に坂東蓑助、先代松本幸四郎、市川染五郎(現松本幸四郎)など歌舞伎界と映画界のスターを集めた。脚本は井手雅人。</ref>を製作したりしたが、シリーズものとしては唄う映画スターと呼ばれた[[高田浩吉]]主演の『[[伝七捕物帳]]』シリーズぐらいで、松竹が抱える歌舞伎俳優を中核に新劇やフリーの俳優で脇を固め、これに近衛十四郎と高田浩吉を絡めてそこへ新人の[[森美樹]]を次代の時代劇スターに育てる予定であった。しかし1960年から61年にかけて森美樹が事故死し、高田浩吉と近衛十四郎は東映に移籍し、また歌舞伎界の八代目松本幸四郎ら多数が東宝へ移籍する事態となり、この時期から急速に松竹時代劇は衰退していった。1962年には忠臣蔵を製作しようにもキャストが組めず旧作の『[[大忠臣蔵_(1957年の映画)|大忠臣蔵]]』を再編集した『仮名手本忠臣蔵』とその後日談の『義士始末記』を新国劇の島田正吾を起用して製作する始末であった<ref>谷川健司 著「戦後忠臣蔵映画の全貌」165P参照</ref>。 この他に歌舞伎座製作で松竹が配給した山本薩夫監督『[[赤い陣羽織]]』<ref group="注釈">木下順二が書いた戯曲を高岩肇が脚本化したもので、もとはスペインの作家が書いた「三角帽子」を翻案したもの。1958年製作。歌舞伎座製作、松竹配給。中村勘三郎、伊藤雄之助、有馬稲子、香川京子出演。村祭りの夜の夜這いを滑稽に描いたもので、この原作はその後に歌舞伎、テレビドラマ、オペラにも使われている。</ref>、木下恵介監督『[[笛吹川_(映画)|笛吹川]]』<ref group="注釈">1960年製作。松竹。甲斐の武田三代(信虎・信玄・勝頼)の武将に仕えた足軽一家の悲劇を描いている。田村高広、市川染五郎(現松本幸四郎)、高峰秀子、岩下志麻らが出演。木下監督の数少ない時代劇作品。</ref>、『[[楢山節考_(1958年の映画)|楢山節考]]』、今井正監督で三國連太郎主演『夜の鼓』、小林正樹監督で仲代逹矢主演『[[切腹_(映画)|切腹]]』など異色作を出しているが、やがて京都では時代劇を撮らないことを決めて、1964年に篠田正浩監督で丹波哲郎主演『[[暗殺_(映画)|暗殺]]』を最後に1965年に京都太秦撮影所は閉鎖された<ref>『時代劇映画の思想』74-76P参照</ref>。 ===東宝=== 戦後に新東宝や東映との提携関係が消滅して以後、宝塚映画や東京映画製作の作品を配給していた東宝は自前の製作体制を整えることに力を注ぎ、やがて1954年に特撮で『ゴジラ』がヒットした同じ年に黒澤明監督『[[七人の侍]]』、稲垣浩監督『[[宮本武蔵_(1954年の映画)|宮本武蔵]]』もヒットしたことで成果があがった<ref>「仁義なき日本沈没」73P参照</ref>。 その後特撮と喜劇路線の東宝にとって時代劇に黒澤明監督がいて『[[蜘蛛巣城]]』『[[隠し砦の三悪人]]』を作り、やがて『[[用心棒]]』<ref group="注釈">この当時東映では殺陣師の扱いは大きく、立ち回りシーンの演出を任されることが多かったが、東宝では専門職としては認められていなかった。黒澤明は『用心棒』の撮影に当って久世竜を東宝としては初めて殺陣師として起用して、東映時代劇に対抗する新しい殺陣を模索していた。東映流の形をカッコ良く決めることにこだわるのではなく、あくまで斬ることのリアルなアクションを求め、主役の三船敏郎が並みでない体力と身体能力で斬りかかり、斬られ役がこれにどう攻め込むかまで考えて斬りかかり、結果は殺陣にリアルな迫力が生まれ、ラストの三船の「十二人斬り」は話題となった。東映時代劇のエースである松田定次監督は後に「自分の撮った『赤穂浪士』が作品密度の点で『用心棒』に及ばない」と語っていた。「仁義なき日本沈没」80-84Pおよび97P 参照</ref>『[[椿三十郎]]』を製作した。この2つの映画で、東映時代劇のように様式美にこだわり、あくまでスター俳優を中心にカッコ良く決めるスタイルで、その美しさを前面に出す殺陣とは違って、黒澤明はリアルで迫力のある、そして残酷な描写を厭わない斬り合いを表現して話題となった。しかし黒澤明は1965年の『[[赤ひげ]]』を最後に東宝を去った。鳴滝組であった稲垣弘は1950年に東宝に加わり、『佐々木小次郎』三部作、そして三船敏郎主演『[[宮本武蔵_(1954年の映画)|宮本武蔵]]』<ref group="注釈">稲垣浩監督は宮本武蔵を戦前に5本、戦後は東宝で三船敏郎主演で3本、計8本メガホンを取っている。</ref>三部作を作り、後に『[[柳生武芸帳]]』『[[大坂城物語]]』そして1962年に東宝創立30周年記念映画として『[[忠臣蔵_花の巻・雪の巻|忠臣蔵 花の巻 雪の巻]]』を撮っている。なお戦後の初期には後に東映に移ったマキノ雅弘監督が『[[次郎長三国志]]』全九部作<ref group="注釈">マキノ監督は後に《僕にとってこの『次郎長三国志』は楽しい仕事でした。今日の東宝の基礎を作ったのはこの『次郎長三国志』です。これを撮らなかったら会社は潰れてましたよ。》と語っている。</ref>を製作している<ref>『時代劇映画の思想』57-65P参照</ref>。 ===東映時代劇の衰退=== 1962年の正月映画で東宝『[[椿三十郎]]』が東映『東海道のつむじ風』<ref group="注釈">中村錦之助主演で清水次郎長を主人公の東海道シリーズの1作。この時に『[[椿三十郎]]』は配給収入18億円、対するこの錦之助主演のオールスター時代劇は11億円で倍近くの差がついた。「仁義なき日本沈没」95P参照</ref>を圧倒して、東映の華麗な様式美の世界から時代劇は生々しい迫力の世界へと変わっていった<ref group="注釈">「椿三十郎」を見て、ある東映関係者は「これは敵わん」と言い、鈴木則文は「ラストの仲代の身体から血がパーッと噴き出た時に東映の時代劇の様式美が音を立てて崩れていった。」と語っている。「あかんやつら 東映京都撮影所血風録」153P参照 </ref>。そのリアルな殺陣が、東映時代劇の華やかさと所作の優雅さとが次第に観客に飽きられていき、またこの直前に「第二東映」の出現で多数の時代劇を粗製乱造したことも加えて、東映時代劇の衰退を招くこととなった<ref group="注釈">それまで1系統だけで年間80本は製作されていたが、本来現代劇路線のはずの第二東映も映画館側からの強い要請で時代劇を作らざるを得なくなり、年間に直すと2系統で100本は遥かに超えて時代劇を製作していた。そのためにスター不足となり、松竹から[[高田浩吉]]と[[近衛十四郎]]を呼んでいた。近衛十四郎は戦前の大都、戦後の松竹、そして東映と移り、その後テレビ時代劇『[[素浪人 月影兵庫]]』で人気スターの座を不動にした。</ref>。 これ以降東映は時代劇の不振に悩まされて、その後に[[十七人の忍者#東映集団抗争時代劇|集団抗争時代劇]]として『[[十七人の忍者]]』『[[十三人の刺客]]』『[[大殺陣]]』などを製作したが時代劇の退潮を食い止められず、やがて[[ヤクザ映画#東映任侠路線|任侠路線]]に転換してヤクザ映画が主流を占め、東映の本来の時代劇は消えて、セクシー路線の時代劇へ移っていった。任侠路線転換を実施した[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]東映企画本部長は<ref>[https://web.archive.org/web/20110523082316/https://toei.co.jp/annai/brand/ninkyo/index.html 歴史|東映株式会社〔任侠・実録〕](Internet Archive){{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/05/10/kiji/K20110510000789400.html|title=「日本映画界のドン」岡田茂氏逝く|work=[[スポーツニッポン]]|publisher=スポーツニッポン新聞社|date=2011–05–10|accessdate=2022年12月12日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110513090859/https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/05/10/kiji/K20110510000789400.html|archivedate=2011年5月13日}}{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG09011_Z00C11A5CC0000/|title=岡田茂・東映名誉会長が死去|work=[[日本経済新聞]]|publisher=[[日本経済新聞社]]|date=2011–05–09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150927124006/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG09011_Z00C11A5CC0000/|accessdate=2022年12月12日|archivedate=2015-09-27}}{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110514/ent11051402560000-n1.htm|title=【産経抄】5月14日|publisher=[[産経新聞]]|date=2011年5月14日1面、[[産経新聞#コラム『産経抄』|産経抄]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110518131744/http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110514/ent11051402560000-n1.htm|accessdate=2022年12月12日|archivedate=2011年5月18日}}{{Cite web|和書|author=早見俊|authorlink=早見俊|title=「ヤクザ映画」抜きに東映の成功は語れない理由「仁義なき戦い」を世に出した岡田茂の慧眼|url=https://toyokeizai.net/articles/-/396351?page=2|website=[[東洋経済新報社#「東洋経済オンライン」|東洋経済オンライン]]|date=2021-01-23|accessdate=2022年12月12日|publisher=[[東洋経済新報社]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210123043401/https://toyokeizai.net/articles/-/396351?page=2|archivedate=2021年1月23日}}</ref>、『[[日刊スポーツ]]』1969年1月16日付けの取材に対して「時代劇の客はテレビに吸い取られた」と断言し<ref name="日刊スポ690116"/>、「お客の減ったものに大金をかけることは出来ない」と<ref name="日刊スポ690116"/>、東映で正統時代劇を作らなくなった理由を明言した<ref name="日刊スポ690116"/>。また「私は、時代劇は、必ず映画館にお客をこさせうる素材だと思う。但し、映画館用の時代劇は、テレビでは出来ないもの、つまり"不良性感度"の高いものでないとお客は呼び込めないと思う」等と話した<ref name="日刊スポ690116"/>。従来、映画の時代劇のヒーローは"きれいで腕が立って女にもてて"という男性だったが、そっくりブラウン管に取られた<ref name="日刊スポ690116"/>。岡田は先を見越してこのとき、時代劇は全てテレビに移していた<ref>{{Cite book |和書 |editor = 東映株式会社総務部社史編纂 |year = 2016 |title = 東映の軌跡 |publisher = 東映 |page = 564 }}{{Cite book |和書 |editor=佐藤忠男|editor-link=佐藤忠男 |title = 日本の映画人 日本映画の創造者たち |publisher = [[日外アソシエーツ]] |year = 2007 |id = ISBN 978-4-8169-2035-6 |page = 122 }}{{Cite news |author = |title =【戦後史開封】(290) チャンバラ映画(5) 時代劇撤退次々去った東映スター |newspaper = [[産業経済新聞]] |publisher = [[産業経済新聞社]] |date=1995-3-18 |page= 朝刊特集}}{{Cite journal|和書 |author = [[高岩淡]](東映京都撮影所所長代理) | title = 才能と個性の発見で新路線を開発 |journal = 映画時報 |issue = 1971年2月号 |publisher = 映画時報社 |pages = 17 }}[https://m.facebook.com/nt/screen/?params=%7B%22note_id%22%3A999107373915840%7D&path=%2Fnotes%2Fnote%2F&refsrc=deprecated&_rdr 『私と東映』× 神先頌尚氏インタビュー(第3回 / 全4回)]、{{Cite book |和書 |author = 金田信一郎 |year = 2006 |title = テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡史 |chapter = 岡田茂・東映相談役インタビュー |publisher = [[日経BP]] |isbn=4-8222-0158-9 |pages = 211-215 }}([https://web.archive.org/web/20060724085318/https://business.nikkeibp.co.jp/free/tvwars/interview/20060203005275_print.shtml NBonlineプレミアム : 【岡田茂・東映相談役】テレビとXヤクザ、2つの映画で復活した](Internet Archive){{Cite web|和書|author=早見俊|title=「ヤクザ映画」抜きに東映の成功は語れない理由「仁義なき戦い」を世に出した岡田茂の慧眼|url=https://toyokeizai.net/articles/-/396351?page=3|website=東洋経済オンライン|date=2021-01-23|accessdate=2022年12月12日|publisher=東洋経済新報社|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210123043703/https://toyokeizai.net/articles/-/396351?page=3|archivedate=2021年1月23日}}</ref>。 ===独立系の頑張りとテレビ局の進出=== こうした風潮に対して「大型時代劇こそ日本映画復興のエネルギーだ」と意気上がったのが[[制作プロダクション|独立プロ]]・[[三船プロダクション]]を主宰する[[三船敏郎]]と勝プロダクションを主宰する[[勝新太郎]]で<ref name="日刊スポ690116"/>、三船プロの自主作品として<ref name="日刊スポ690116"/>、1960年代後半の『[[侍 (映画)|侍]]』以降、『[[上意討ち 拝領妻始末]]』『[[風林火山 (映画)|風林火山]]』と、2年ペースで時代劇映画を作り、特に1969年3月1日封切りの『風林火山』は大当たりを取った<ref name="日刊スポ690116"/><ref name="日刊スポ690501">{{Cite news |title = 日本映画復興は時代劇から 『風林火山]』成功が刺激 大映 勝、雷蔵らで大攻勢 |date = 1969年5月1日 |newspaper = 日刊スポーツ |publisher = 日刊スポーツ新聞社 |page = 15 }}</ref>。日本映画界にはそれまで「ヨロイものは当たらない」という[[ジンクス]]があったが<ref name="日刊スポ690501"/>、それは吹き飛ばされ、映画関係者からは「洋画の[[アクション映画|アクションもの]]に対抗出来るのは、やっぱり"時代劇"」などという声も飛び起こった<ref name="日刊スポ690501"/><ref name="報知690901">{{Cite news |title = 芸能ワイド 映画界は時代劇ブーム 大作軒なみヒット 早くもスターの争奪戦 |date = 1969年5月1日 |newspaper = [[スポーツ報知|報知新聞]] |publisher = [[報知新聞社]] |page = 14 }}</ref>。勝新太郎は「"[[座頭市物語|座頭市]]"の大型化を狙う」と表明した<ref name="日刊スポ690116"/>。また[[日本映画製作者連盟|大手映画会社]]に頼らず製作した『[[祇園祭 (1968年の映画)|祇園祭]]』も1968年11月に封切られ大ヒットした。『日刊スポーツ』1969年1月16日付けの記事で興味深いのが、[[フジテレビ]]が劇場用映画第一作として『[[御用金 (映画)|御用金]]』の製作を伝えていることである<ref name="日刊スポ690116"/>。フジは第2作として『[[人斬り (映画)|人斬り]]』も製作しヒットはしたが<ref name="報知690901"/>、劇場を持たない[[テレビ局]]や独立プロは、よっぽど大当たりを取らないと儲からないと判断し、映画製作から撤退した<ref name="キネ旬8606">{{Cite journal|和書 |author = |title = 映画・トピック・ジャーナル 映画界にも多大な功績を残したフジサンケイグループ議会議長の鹿内春雄氏が急逝。氏の足跡と今後について―。 |journal = [[キネマ旬報]] |issue = 1986年6月上旬号 |publisher = [[キネマ旬報社]] |pages = 132-133頁 }}{{Cite journal|和書 |author = 渡部明夫 |title = 『子猫物語』 民放の雄から外部プロの雄へ ―フジTV映画の映画界における今日までの歩み― |journal = キネマ旬報 |issue = 1986年6月下旬号 |publisher = キネマ旬報社 |pages = 52-53頁 }}</ref><ref name="moviecolle">{{Cite web|和書|author=相良智弘|title=テレビ局と映画製作の歴史(その1)/映画製作に最も熱心だったのはフジテレビ!|url=https://www.moviecollection.jp/news/16858/|website=[[ムービーコレクション]]|date=2015-06-12|accessdate=2022年12月12日|publisher=キッチュ|archiveurl=https://archive.md/zwoaN|archivedate=2022年12月12日}}</ref>。[[1980年代]]に入り、[[鹿内春雄]]体制になって、再び映画製作を活発化させ、日本映画の歴史を塗り替えたが<ref name="キネ旬8606"/><ref name="moviecolle"/>、時代劇映画はほとんど作らなかった<ref name="キネ旬8606"/>。 ==時代劇映画の消滅== 1955年(昭和30年)には当時の大手映画会社6社で年間174本の時代劇が製作され、1960年(昭和35年)で合計168本の製作本数を数えたが、わずか2年後の1962年(昭和37年)には77本に半減し、中村錦之助が東映を退社した1966年(昭和41年)の翌年には15本となり、1973年以降は年間5本程度を製作する状況となった<ref>『なぜ時代劇は滅びるのか』14-16P参照</ref>。時代劇の軸は映画界からテレビに移行、この時期からテレビ時代劇が急増する。 映画の世界では、時代劇王国と言われた東映が1964年頃から任侠路線に切り替えて1966年(昭和41年)で時代劇を打ち切り、時代劇の中心は大映に移った<ref name="日刊スポ690501"/>。しかし勝新太郎との二枚看板で『[[眠狂四郎]]』シリーズをヒットさせた市川雷蔵が1969年(昭和44年)に若くして死去して、急速に精彩を失った大映も1971年(昭和46年)に倒産してしまった<ref>『なぜ時代劇は滅びるのか』16P参照</ref>。その後は1970年代に入って勝プロが製作した若山富三郎主演の『[[子連れ狼_(若山富三郎版)|子連れ狼]]』シリーズがヒットして、松竹が高橋英樹主演で『[[宮本武蔵_(1973年の映画)|宮本武蔵]]』さらにオールスターキャストで『[[狼よ落日を斬れ]]』『[[雲霧仁左衛門_(映画)|雲霧仁左衛門]]』『[[闇の狩人]]』を出し、東映が1978年(昭和53年)に12年ぶりに時代劇を復活させて『[[柳生一族の陰謀]]』が大ヒットして以後『[[赤穂城断絶]]』『[[真田幸村の謀略]]』『[[徳川一族の崩壊]]』『[[影の軍団_服部半蔵|影の軍団服部半蔵]]』を出し、1980年代に入ると『[[魔界転生]]』『[[里見八犬伝_(1983年の映画)|里見八犬伝]]』を角川春樹と提携して深作欣二監督で製作している<ref>『なぜ時代劇は滅びるのか』17P参照</ref>。しかし、その後は特に話題となるような時代劇はなく、もはや映画のジャンルとしては過去のものになりつつある。時代劇映画は50年近く長期低迷であり<ref>『なぜ時代劇は滅びるのか』18P参照</ref>、そして時代劇の主な舞台はすでにテレビに変わり、これ以降、テレビが時代劇を産業として支えていった<ref>『なぜ時代劇は滅びるのか』19P参照</ref>。 == テレビ時代劇 == 1953年(昭和28年)2月、NHKテレビが開局してTV放送スタートと同時にテレビ時代劇の歴史も始まった。ただし当時はテレビカメラによる30分のスタジオドラマで生放送であり、同年7月に放送された笈川武夫主演『半七捕物帳』がテレビ初の時代劇であり、翌年1954年6月に日本テレビが放送した『エノケンの水戸黄門漫遊記』が民放初の時代劇とされている<ref group="注釈">しかし内容はミュージカル調講談でバラエティー番組でもあった。</ref>。また初期には子ども向け時代劇として夕方に『赤胴鈴之助』<ref group="注釈">1957年にKRラジオからラジオ番組として始まり、その後ラジオ東京テレビよりテレビ番組となった。主演は尾上緑也。共演者にはラジオで吉永さゆり、藤田弓子、山東昭子(ナレーション)、テレビでは同じ役で吉永さゆり、他に五月みどりが出演していた。また当時ほぼ同時に大阪の大阪テレビ(後に朝日放送と毎日放送に分かれる)が同じ番組を別に製作している。</ref>『猿飛佐助』『孫悟空』などの番組が放送された。 テレビ創成期の最初の時代劇スターは[[中村竹弥]]で最初の『江戸の影法師』(1955年)で認められて当時のラジオ東京テレビ(現在のTBS)と専属契約を結び、『半七捕物帳』(1956年)、『右門捕物帳』(1957年)、『又四郎行状記』(1958年)、そして『旗本退屈男』(1959年)から『新選組始末記』<ref group="注釈">1961年10月から1962年12月まで、毎週火曜日夜に放送され、近藤勇を中村竹弥、土方歳三を戸浦六宏が演じた。スタジオドラマで、池田屋襲撃を当時としては珍しくフィルム撮影ではなく、テレビカメラによる屋外中継を入れた、テレビ時代劇の歴史に残る番組であった。</ref>などに出演した。この他に大人にも楽しめる時代劇として『[[鞍馬天狗 (小説)|鞍馬天狗]]』<ref group="注釈">ラジオ東京テレビ・TBS系で何度か主演を変えて放送されており、1956年11月から始まった最初の放送には市川高麗蔵、その後市川団子(後の市川猿之助)、そして中村竹弥が1963年に主演している。</ref>『快傑黒頭巾』<ref group="注釈">1958年に日本テレビ系で放送され、当初は若柳敏三郎、途中から外山高士主演。共演で松島トモ子。映画で大友柳太郎のシリーズがある。</ref>『丹下左膳』<ref group="注釈">1958年日本テレビ系で丹波哲郎が主演。</ref>『銭形平次捕物控』<ref group="注釈">1958年にラジオ東京テレビ系で(若山富三郎主演)、その後1962年に同じTBS系で(安井昌二主演)、後にフジテレビ系で(大川橋蔵主演)、それぞれ放送された長期シリーズとなった。</ref>『眠狂四郎』<ref group="注釈">1957年、日本テレビ系で江見俊太郎主演。池内淳子共演。柴田錬三郎原作の初のテレビドラマ化であった。</ref>『鳴門秘帖』<ref group="注釈">1959年、ラジオ東京テレビ系で水島道太郎主演。</ref>『新吾十番勝負』<ref group="注釈">1958年、日本テレビ系で細川俊夫主演。その後『新吾二十番勝負』がフジテレビ系で夏目俊二主演で放送された。</ref>などが放送された。 また民放テレビ局の開局と同時にそのテレビ局に資本参加している映画会社が独自に製作した時代劇を放映している。代表作が『風小僧』『白馬童子』<ref group="注釈">風小僧は1959年、白馬童子は1960年で両作とも東映製作で当時資本参加していたNET(現テレビ朝日)系。主演は山城新吾。</ref>『源義経』<ref group="注釈">『風小僧』と同じ1959年に製作された東映作品。南郷京之助主演。その少年時代の牛若丸を演じたのが当時13歳だった北大路欣也である。</ref>『若さま侍捕物帳』<ref group="注釈">1959年、関西テレビ系で夏目俊二主演。製作は関西テレビに資本参加していた東宝系の宝塚映画。劇場用映画では大川橋蔵主演のシリーズがある。</ref>である。そして国産テレビ映画が増加した[[1962年]]秋から4年前に『月光仮面』をヒットさせた宣弘社が、同じ船床定男監督で主演も同じ大瀬康一で『[[隠密剣士]]』が放映を開始してヒットした。この番組で初めて忍者の世界を描き、その忍者の殺陣は以後の時代劇作品の忍者の描写の元になっている<ref group="注釈">元来は隠密もののジャンルに入るが、第2部でテコ入れして忍者路線に切り替えたことが成功につながった。そしてここでの忍者の行動や所作はプロデューサーのオリジナルであり、忍者が刀を逆手に持つポーズや卍型の手裏剣などは、その後の忍者ものに影響を与えた。樋口尚文「月光仮面を創った男たち」165P参照。平凡社新書、2008年9月</ref>。 そして[[1963年]]4月から、[[日本放送協会|NHK]]が現在まで続く長寿時代劇シリーズとなる[[大河ドラマ]]の放送を開始した。その第1作『[[花の生涯 (NHK大河ドラマ)|花の生涯]]』は井伊大老役に歌舞伎界から[[尾上松緑 (2代目)|尾上松緑]]、長野主膳役に映画界から[[佐田啓二]]([[中井貴一]]の父)を起用し、2作目の『[[赤穂浪士 (NHK大河ドラマ)|赤穂浪士]]』には映画界から[[長谷川一夫]]、民芸から[[滝沢修]]、[[宇野重吉]]、歌舞伎界から[[尾上梅幸 (7代目)|尾上梅幸]]など当時豪華な顔ぶれが揃い、テレビ時代劇の1つのエポックとなった。3作目は『[[太閤記 (NHK大河ドラマ)|太閤記]]』で新国劇から[[緒形拳]]が主演、文学座から[[高橋幸治]]、俳優座から[[佐藤慶]]など若い人材が出演して、4作目が『[[源義経 (NHK大河ドラマ)|源義経]]』で歌舞伎界から尾上菊之助(現[[尾上菊五郎 (7代目)|尾上菊五郎]])が主演。毎年1作ずつ膨大な時代劇が制作されている<ref group="注釈">1993年と1994年は1年間ではなく『[[琉球の風 (NHK大河ドラマ)|琉球の風]]』『[[炎立つ (NHK大河ドラマ)|炎立つ]]』『[[花の乱]]』の3作品が半年と9か月間の放送であった。</ref>。 その後も映画の世界では時代劇が衰退していく中で、テレビ界では各局とも時代劇を制作して、『[[三匹の侍]]』<ref group="注釈">1963年から1969年にかけてフジテレビ系で放送。五社英雄演出、丹波哲郎・平幹二朗・長門勇の3人の浪人が主人公で、凄まじい殺陣の演出、また刀で人を斬るシーンでは音を発していたのが当時話題となった。なお第2部以降は丹波哲郎に代わり加藤剛が出演していた。</ref>『[[新選組血風録_(テレビドラマ)|新選組血風録]]』<ref group="注釈">1965年、NET系。栗塚旭主演(土方歳三役)。近藤勇役は舟橋元。</ref>『[[素浪人 月影兵庫|素浪人月影兵庫]]』<ref group="注釈">1965年、NET系。近藤十四郎と品川隆司が繰り広げる道中記スタイルの時代劇であった。</ref>『[[銭形平次 (大川橋蔵)|銭形平次]]』<ref group="注釈">1966年から1984年までフジテレビ系で大川橋蔵主演。足かけ18年の長期シリーズとなった。18年間で全888話。</ref>『[[水戸黄門]]』<ref group="注釈">テレビ創成期の1954年に榎本健一主演で日本テレビ系で放送されたが、その後1957年に十朱久雄主演でラジオ東京テレビ系、1960年には花柳寛主演でフジテレビ系、市川左團次主演で日本テレビ系、古川緑波主演で毎日放送製作でNET系で放送された。その後東京五輪終了後の1964年秋に東映映画の重鎮月形龍之介主演でTBS系で翌1965年暮れまで放送されたが、代表作は東野英治郎らの主演で1969年からTBS系で始まり、2011年まで続いた超長期シリーズである。水戸黄門を演じたのは5名、全43部、全製作本数1,227話。記録的なテレビシリーズであった。</ref>『[[大岡越前]]』<ref group="注釈">1970年から1999年まで続いた超長期シリーズ。全15部、全製作本数402話。水戸黄門は5人が演じたが、この大岡越前は加藤剛が足かけ30年間演じ続けた。なお初回は1970年3月16日で、大阪での日本万国博の開会式の翌々日であった。</ref>『[[遠山の金さん]]』<ref group="注釈">1957年に坂東好太郎主演でNHK、1960年に夏目俊二主演でフジテレビ系、1962年に坂東鶴之助でNHK、1967年に市川新之助(後の市川團十郎)主演で日本テレビ系で放送された。しかし記憶に残るのはNETが1970年からスタートしたシリーズで、中村梅之助、市川段四郎、橋幸夫、杉良太郎、高橋英樹、松方弘樹、松平健らが歴代主演している。</ref>『[[木枯らし紋次郎]]』<ref group="注釈">笹沢佐保原作、市川昆、森一生、池広一夫らが監督、中村敦夫主演で1972年1月からフジテレビ系で放送された。</ref>『[[必殺仕掛人]]』『[[必殺仕置人]]』『[[必殺仕事人]]』『[[子連れ狼]]』『[[影の軍団]]』『[[鬼平犯科帳]]』などのシリーズを生んだ。 時代劇制作を映画からテレビに移した先鞭をつけたのは、やはり東映である。もともとテレビ局の開局時から子ども向けテレビ映画を製作して他社に比べてテレビに対して積極的であった東映は、映画での時代劇衰退で早くに見切り、1964年(昭和39年)に[[東映京都テレビ・プロダクション|東映京都テレビプロダクション]]を設立すると時代劇のスタッフを移してそこから数々のヒット作を生み出すこととなった。そしてかつての銀幕スターがテレビ時代劇に主演し、大川橋蔵『[[銭形平次_(大川橋蔵)|銭形平次]]』、片岡千恵蔵『[[軍兵衛目安箱]]』、市川右太衛門『[[旗本退屈男_(1973年のテレビドラマ)|旗本退屈男]]』、萬屋錦之介『[[子連れ狼_(萬屋錦之介版)|子連れ狼]]』など番組が並び1970年代半ばのゴールデンタイムの人気ジャンルであった<ref>『なぜ時代劇は滅びるのか』、p.20-21.</ref>。また、三船敏郎『[[荒野の素浪人]]』、勝新太郎『[[座頭市物語 (テレビドラマ)|座頭市物語]]』のように銀幕スターが独立プロダクションを設立して制作に携わったり、『[[大江戸捜査網]]』のようにテレビ時代劇制作のノウハウに乏しかった日活が制作に携わったりした。 そして東映時代劇で育った[[松方弘樹]]は1965年にNHK時代劇『[[人形佐七捕物帳]]』でテレビに出演し、[[北大路欣也]]は1968年に大河ドラマ『[[竜馬がゆく (NHK大河ドラマ)|竜馬がゆく]]』で主役に抜擢され、[[里見浩太朗]]は1971年に『[[水戸黄門 (第1-13部)|水戸黄門]]』で助さん役を演じてから時代劇スターの座を確保した。また日活の現代劇で育った[[高橋英樹_(俳優)|高橋英樹]]は大河ドラマ『竜馬がゆく』からテレビ時代劇で頭角を現わし、1967年のNHK時代劇『[[文五捕物絵図]]』で時代劇にデビューした[[杉良太郎]]、1978年にテレビ朝日『[[暴れん坊将軍]]』から人気俳優となった[[松平健]]などテレビから時代劇スターが生まれていった。 === 1980年 - 2000年のテレビ時代劇 === 一方、1980年代に入ると、若者向け文化を重視する風潮が時代劇にもあり、若手俳優を起用した時代劇を製作したが軒並み視聴率が不振で、やがて時代劇の不人気が浮き彫りとなり、テレビ局は時代劇番組を減らしていった。そして長期シリーズであった『影の軍団』や『必殺』シリーズの放送終了によって、テレビの世界でも時代劇の退潮が言われるようになったものの<ref>『なぜ時代劇は滅びるのか』、p.22-23.</ref>、1980年代後半になると、日本テレビが大晦日に紅白歌合戦に対抗して制作した1985年(昭和60年)の『[[忠臣蔵 (1985年のテレビドラマ)|忠臣蔵]]』、翌1986年(昭和61年)の『[[白虎隊 (1986年のテレビドラマ)|白虎隊]]』が高視聴率を上げ、1987年(昭和62年)にNHK大河ドラマ『[[独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)|独眼竜政宗]]』が高視聴率を記録し、1989年(平成元年)にはフジテレビの『[[女ねずみ小僧]]』『[[鬼平犯科帳 (中村吉右衛門)|鬼平犯科帳]]』が始まり、そしてテレビ東京の新春ワイド時代劇が1981年以来続いていて、1991年の1月2日のゴールデンタイムには4番組が並んで、時代劇復活の雰囲気となり、1986年の日光を皮切りに4ヶ所に開設の[[時代村]]のように時代劇制作ノウハウが取り入れられた[[テーマパーク]]も建設された。 しかし[[バブル崩壊]]を迎え、1990年代後半になると、再び状況は一変して1996年(平成8年)以降に少しずつレギュラー枠が減らされていった<ref>『なぜ時代劇は滅びるのか』、p.24-25.</ref>。 [[1990年代]]の[[トレンディドラマ]]の出現以降、テレビの主たるターゲットである若者層の[[視聴率]]が時代劇では取りにくいこと、時代考証や資料引用に関する許諾および[[大道具]]・[[小道具]]等の制作や調達並びに化粧・鬘・衣装等に製作費用や手間がかかること、都市化が進み国内では自然のままのロケ地の確保が難しくなってきたこと<ref group="注釈">ただし現在では[[CG]]などのデジタル技術により、電信柱や現代の建築物を画面上から消すことが可能であり、かつてよりはロケ地を選ぶ必要は無くなったといえる。それは大道具など一部の美術にも応用できる半面、予算がかかるという根本的な問題もまた抱えている。</ref>、製作関係者の後継者不足や人材育成の不足、[[勧善懲悪]]の作風が多くマンネリ化し、視聴者に受け入れられなくなったなどの理由により、テレビ向けに製作・放映されることが大幅に減少した<ref group="注釈">しかし映像コンテンツとしての需要は高く、再放送枠や[[日本における衛星放送#CSデジタル放送|CS]]系有料放送、[[DVD]]・[[磁気テープ|ビデオ]]販売の分野においては今なお重宝されている。2009年4月9日の[[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)]]の再放送は同日放送された[[TBSテレビ|TBS]]の番組のうち、最高視聴率を出している[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20090411-481494.html]</ref>。 ===2001年以降の状況=== 新作テレビ時代劇の制作は減少傾向が続き(現状については[[#主なテレビ時代劇放送枠]]の各項目などを参照)、2011年12月19日、長らく月曜夜8時の時代劇として親しまれてきた『[[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)|水戸黄門]]』(TBS系)が最終回スペシャルを迎え、42年の歴史に幕を閉じるという出来事があった。時代劇存亡の危機が囁かれる中、デジタル放送の普及が本格化した2010年代からは、地上波よりもシニア層の視聴者が多いとされるBSデジタル・CS放送などで時代劇の放送が増加。既存作品の再放送が多いものの、後述するように新作の放送数も増えている。 地上波民放では、翌年(2012年)3月にテレビ東京で深夜帯に1クール放送された『[[逃亡者 おりん|逃亡者おりん2]]』が終了すると、2012年10月にTBS系の『[[金曜ドラマ (TBS)|金曜ドラマ]]・[[大奥〜誕生[有功・家光篇]]]』が放送されるまでの半年間、新作テレビ時代劇のレギュラー放送が途絶えた<ref>{{Cite web|和書|author= 鈴木嘉一 |date=2012-10-16 |url=http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/watch/20121015-OYT8T00726.htm |title=TVウォッチング:テレビ時代劇に「新しい酒」を |work=[[YOMIURI ONLINE]] |publisher=[[読売新聞社]] |accessdate=2012-11-02}}</ref><ref group="注釈">それ以外の時代劇ドラマは2020年現在、NHKの「大河ドラマ」と時代劇枠二つ(「土曜時代ドラマ」「BS時代劇」)の計3枠のみであり、民放では前述した通り、時代劇の放送自体が年数回 - 数年に一回・単発での放送に縮小されている。<!--[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]では1997年以降新作の放送は全く行われていない。長らく東映時代劇レギュラー放送をしていた[[テレビ朝日系列]]も2007年9月で時代劇のレギュラー放送を終了している(2009年1月より[[必殺仕事人2009]]で連続シリーズを単発復活。その後もスペシャル番組形式で単発放送している)。--></ref>。2014年には、フジテレビが開局55周年プロジェクトの一つとして、[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|月9枠]]で初の時代劇作品『[[信長協奏曲#テレビドラマ|信長協奏曲]]』を放送し、2016年には映画化された<ref>{{Cite web|和書|date=2014-09-05 |url=https://www.sanspo.com/article/20140905-DBW3RCR5MZIMTICT4DVVEPI7FE/ |title=キムタクからバトン!小栗「信長」×ミスチルで月9初時代劇!! |publisher=[[サンケイスポーツ]] |accessdate=2014-09-04}}</ref>。地上波民放でレギュラー放送された新作テレビ時代劇は2018年現在、2016年10-12月にテレビ東京が金曜日20時枠に『[[石川五右衛門 (テレビドラマ)|石川五右衛門]]』を放送したのが最後である。また、2010年代中盤以降は[[Hulu]]や[[Netflix]]に代表される動画ストリーミングサービスが多数登場しているが、過去作品の配信は少なく、サイトオリジナルの時代劇は現時点で制作されていない。 一方、1997年に、東映の岡田茂と[[C.A.L]]の[[加地隆雄]]を中心に「[[岡田茂 (東映)#時代劇復興|時代劇コンテンツ推進協議会]]」が立ち上がり、[[時代劇専門チャンネル]]での放送などで時代劇の維持と再発展を目指してきたCS放送では、[[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]]で日本映画衛星放送(現・[[日本映画放送]])と共同で、2011年の正月にCS初の完全新作時代劇・『[[鬼平外伝 夜兎の角右衛門]]』を放送、これが好評を博したことにより、2012年2月には企画第2弾となる『[[鬼平外伝 熊五郎の顔]]』を放映した。以降も年に1~2作ペースで新作を制作・放送している。 BSデジタル放送では当初NHKでの新作放送が中心だったが、2015年中盤以降、[[WOWOW]]を除くBS民放でも単発やレギュラー放送の新作時代劇が制作・放送されており、前述の水戸黄門も2017年に[[BS-TBS]]でキャスティングを改めた[[水戸黄門 (BS-TBS版)|新シリーズ]]が放送された。 他方、2000年代中期から2010年代以降、往年とは及ぶべくもないが時代劇映画の製作・公開が微増傾向にあり、新作時代劇はテレビから映画へと再びシフトしつつある。2010年には映画会社5社による共同企画“サムライ・シネマ キャンペーン”が行われ、同年同時期に公開される5作品(『[[十三人の刺客 (2010年の映画)|十三人の刺客]]』『[[桜田門外ノ変#映画|桜田門外ノ変]]』『[[雷桜]]』『[[武士の家計簿]]』『[[最後の忠臣蔵 (映画)|最後の忠臣蔵]]』)が連携してプロモーションキャンペーンを実施した。 なお、本稿ではもっぱら実写時代劇を扱っているが,日本では古くから[[:Category:時代劇アニメ|時代劇アニメ]]も多数制作されている。映像表現やロケ地等の制約がなく、若年層への訴求力が期待できるとあって、近年はアニメによる時代劇の制作がむしろ盛んである。また『鬼平犯科帳』『[[仕掛人・藤枝梅安|仕掛人 藤枝梅安]]』の漫画版を看板とした時代劇漫画専門誌(『[[コミック乱]]』・『[[コミック乱ツインズ]]』)が[[リイド社]]の軸となるなど2000年代に入ってからは安定した人気を保っている。 また、製作関係者からは日本独自の映像文化や技術が途絶えるとの危機感や現場における製作技術の維持継承の観点から、[[東映太秦映画村|東映京都撮影所]]の契約社員組合などで作られた「時代劇復興委員会」が立ち上げられ、有名ではない時代劇俳優(いわゆる[[大部屋俳優]])たちは太秦映画村で殺陣アトラクションを行ったりするなど、様々な方法で時代劇生存の道を探っている。 2020年代から、グリーンバックステージで人物を撮影しリアルタイムで人物とCG背景・美術をVFX合成する「バーチャルプロダクション」技術が発達しているが、東映太秦・松竹京都が京都府の支援で、時代劇のバーチャルプロダクション化の研究を始めている<ref>[https://www.pref.kyoto.jp/sangyo-sien/company/virtualproduction.html LED バーチャルプロダクション@けいはんなロボット技術センター]京都府公式HP内「京都府の産業支援について」</ref>。歴史建造物や風景を3Dデータ化してVFX撮影に生かすことで建物の経年劣化消滅や撮影プロセスの問題を克服するための試みとなっている。 ==その他== === 時代考証 === [[時代考証]]については、多くの時代劇作品で専門のスタッフが配置されるものの、年を経る毎に様々な事情から省略されたり、本来のものと異なる部分が増えており、それは文学的要素の色濃い作品であっても例外ではない。 1960年代までは相当する役柄に[[お歯黒]]や[[引眉]]を行う場合が多かったが、すでに明治時代に廃れた遠い過去の習慣であり、また、お歯黒、引眉が不気味と思われる、等、現代人に受け入れられにくいことから、現在ではお歯黒、引眉に該当する役柄でもお歯黒、引眉をすることは一部の役を除きないといって良い。また、本来なら[[ふんどし]]であるべき男性の下着が[[ステテコ|猿股]]になったり、元禄年間の物語なのに服装や髪型が幕末仕様だったりするなど、雑な部分も多い。その一方で、女性の[[日本髪]]の[[鬘]]は以前は全鬘が一般的だったが[[ハイビジョン]]収録の一般化に伴い生え際が自然に見える部分鬘を使うようになった。また[[代官]]・[[目明し]]・[[同心]]・[[小者]]などの端役の服飾や、屋台・建築物などの部分については、撮影現場で使い回しがなされたりセット・道具類にまつわる事情から厳密な考証が省略されているものが多い。 人物像においては、[[伊達政宗]]の刀鍔型の眼帯は時代劇による創作であるが、眼帯が無いと「誰だか分からない」として白い包帯などの妥協案を採用する例もある<ref>{{Cite web|和書|date=2016年 |url=https://twitter.com/kazumaru_cf/status/741985511166742529 |title=時代考証を務めた歴史学者丸島和洋のTwitterでの投稿:「伊達政宗。眼を隠すかどうかは議論になりました。刀の鍔を眼帯にしたというのは、たぶん「独眼竜政宗」かそれに先立つ映像作品の創作です。同時代に近い史料をみると、眼を覆っていた様子がないので、何もなしという案もあったのですが、「誰だか分からない」という実に的確な意見でああなりました。」 |accessdate=2016年6月21日}}</ref>。 [[日本刀]]の[[打刀]]では斬撃、抜刀、納刀など元来ほとんど音がしないため、当初のそれは無音であったものが、60年代に『[[用心棒]]』と『[[三匹の侍]]』の登場により徐々に様々な[[効果音]]が入れられるようになった。 馬については、実際には江戸期以前の日本では皆無に等しかったはずの[[サラブレッド]]や[[クォーターホース]]など西洋で品種改良がなされた体高160cm以上の現代日本で主流の乗用馬で代用されている。時代考証を厳密に行うならば体高(肩までの高さ)130-135cm程度の[[日本在来馬]]を使用するべきところであるが、大型化した現代の日本人俳優の体格に日本在来馬では釣り合いが取れず映像的な見栄えに劣ること、そして、乗用馬に比べ頭数が少なくまとまった数を確保することが困難を極めることなどが要因となっている。時代考証の厳格さで定評のある[[黒澤明|黒沢明]]監督でさえ、馬に関しては西洋馬を用いている<ref>[http://nichiju.lin.gr.jp/mag/06406/a6.pdf 「日本在来馬と西洋馬---—獣医療の進展と日欧獣医学交流史」(日本獣医師会)]</ref><ref>[http://www5.hokkaido-np.co.jp/bunka/movie/no7.html 「大作に町全体協力「長篠の合戦」再現・北海道新聞] </ref>。 陶器・漆器類を始めとする日用品や調度品も、当時の実物やかつての技法のまま現代の職人が創りだした工芸品的な物を使うことや、その撮影のために当時の技法で現在に必要量だけ製造することは予算面などから難しいことが多く、江戸時代のそれに近い表現技法を再現した現代の製品などを限られた時間と予算の中で探してきて代用した結果として、技巧・表現・流行などの面において時代設定と合わないことが多々起きている。 ===テレビ時代劇におけるフィルム撮影 === テレビ用時代劇は他のテレビ番組が急速にビデオ撮影による収録に切り替わっていく中、1990年代後半までは映画用[[写真フィルム|フィルム]]による撮影を主流とし、「ドラマ」というよりは「映画」的なコンテンツとして特異な地位を確立していた。これは時代劇と[[刑事ドラマ]]と特撮ヒーロー番組に言える特徴であった。当時時代劇ドラマにおいては、ビデオ映像にあえて映画フィルム風の映像補正をかけることが良く行われていた。これはVTR撮影が常識となった時代においても、フィルム画像ならではの“味”を愛好する人が製作者にも視聴者にも多いためであるといわれているが、これは役者のカツラと素肌の境目がくっきりと見えたり、室内のセットが明瞭すぎて現実感が乏しくなることを避けるためとされている。また、下級武士や農民の生活などその時代の雰囲気を出すために最近でもハイビジョン映像で撮影したものをあえて画像を落として放送する場合がある。 フィルム撮影はVTR撮影よりも多額の費用が発生することから1990年代以降減ってきたが、フジテレビは[[1998年]]以降のフィルム作品において「スーパー16」規格で撮影している。スタンダードサイズの画角ではなくビスタサイズの画角で撮影し、劇場公開や[[HDTV]]放送などの「ワンソフト・マルチユース」に対応することで長期的な費用回収を可能にし、フィルム撮影の存続の可能性を確保している。 ==時代劇の分類== ===メディアによる分類=== *'''[[演劇]]''' - [[歌舞伎]]、剣劇、女剣劇 *'''時代劇映画''' - ''[[:Category:時代劇映画]]'' *'''テレビ時代劇''' - ''[[:Category:テレビ時代劇]]'' ===内容・定型による分類=== *'''剣劇<ref group="注釈">クライマックスは剣([[日本刀]])による[[殺陣]]を主軸とするもの。時代劇の大多数を占めるもので、多くは興行的な観点から文学的要素よりも娯楽性が重んじられた内容になっている。テレビドラマの現代劇では刀剣類を使った殺傷場面を直接描くことは視聴者に対し犯罪を助長するとの判断から自粛されつつあるのに対し、時代劇では剣劇は非常に形式的な身体技法と、制作者と視聴者側の“[[暗黙の了解]]”たとえば黒澤明の作品などに代表される映像文学的要素や写実性などを追求した劇場作品では、斬殺の瞬間、殺害された側の衣類が裂けて肌が露出し、血液が数メートルにわたって迸ったり、腕が切り落とされ血が噴き出す場面を設定することがある。対して、娯楽性が重視されるお茶の間に向けて放送されるテレビの時代劇ではそのようなリアルで直接的な殺害描写はほとんど無く、主人公の優美かつ華麗な立ち回りの挙措と、一定のストーリー定型の元で最終的に悪者をばったばったと斬って捨てて断罪する[[カタルシス]]の昇華に重きが置かれた、ある種の様式美によって作品自体が構成されている。この暗黙の了解によって表現されており、このため短時間に多数の人間が刃物によって殺傷されている場面にもかかわらず批判の対象とされることはない。</ref>'''('''チャンバラ時代劇''') **'''[[剣術]]および[[武士道]]''' ***「[[宮本武蔵_(1961年の映画)|宮本武蔵]]」「[[佐々木小次郎]]」「[[柳生三厳|柳生十兵衛]]」「[[荒木又右衛門]]」「[[新吾十番勝負]]」「[[侍ニッポン]]」「[[隠し砦の三悪人]]」「[[武士の一分]]」「[[隠し剣 鬼の爪]]」「[[山桜_(藤沢周平の小説)|山桜]]」など **'''剣客''' ***「[[月形半平太]]」「[[大菩薩峠_(小説)|大菩薩峠]]」「[[塚原卜伝_(テレビドラマ)|塚原卜伝]]」「[[平手造酒]]」「[[剣客商売 (テレビドラマ)|剣客商売]]」「[[國士無双]]」「秘剣」「斬る」「[[薄桜記]]」など **'''忠義''' ***「[[下郎_(映画)|下郎の首]]」「[[切腹 (映画)|切腹]]」「[[十三人の刺客]]」「[[上意討ち 拝領妻始末]]」「[[蟬しぐれ]]」「[[たそがれ清兵衛]]」「[[風の果て]]」「[[武士の家計簿]]」など **'''[[任侠]]''' ***「[[清水次郎長_(1971年のテレビドラマ)|清水次郎長]]」「[[次郎長三国志]]」「[[国定忠治]]」「[[忠次旅日記]]」「天保水滸伝」「[[任侠清水港]]」「[[任侠東海道]]」「[[任侠中仙道]]」「[[沓掛時次郎]]」「[[新門辰五郎]]」「[[大前田英五郎]]」「[[関の弥太っぺ]]」「[[木枯らし紋次郎]]」など **'''股旅''' ***「[[水戸黄門]]」「[[弥次㐂夛道中記]]」「[[磯の源太 抱寝の長脇差]]」「一本刀土俵入り」「[[瞼の母]]」「[[番場の忠太郎_(映画)|番場の忠太郎]]」「股旅」「股旅三人やくざ」<ref group="注釈">1965年東映製作。沢島忠監督。仲代達矢、志村喬と松方弘樹、中村錦之助の渡世人の3つの話をオムニバス形式にしてヤクザの世界を描いた秀作。中村錦之助が強そうで実は弱いヤクザを好演。</ref>など **'''捕物帖、[[同心]]、[[岡っ引]]、[[目明し]]、[[十手]]''' ***「[[銭形平次捕物控]]」「[[半七捕物帳]]」「[[人形佐七捕物帳]]」「[[伝七捕物帳]]」「[[弐十手物語]]」「[[文五捕物絵図]]」「[[神谷玄次郎捕物控]]」「[[影同心]]」「[[そば屋梅吉捕物帳]]」「[[茂七の事件簿 ふしぎ草紙]]」「[[御宿かわせみ]]」など **'''[[奉行]]''' ***「[[鬼平犯科帳]]」「[[大岡越前_(2013年のテレビドラマ)|大岡越前]]」「[[遠山の金さん]]」「[[右門捕物帖]]」「[[若さま侍捕物手帖]]」「[[どら平太]]」など **'''[[義賊]]''' ***「[[鞍馬天狗 (小説)|鞍馬天狗]]」「[[快傑黒頭巾_(1966年のテレビドラマ)|快傑黒頭巾]]」「[[紫頭巾]]」「[[鼠小僧次郎吉_(大佛次郎)|鼠小僧次郎吉]]」「[[御誂次郎吉格子]]」など **'''[[隠密]]''' ***「[[薩摩飛脚]]」「[[影狩り#映画|影狩り]]」「[[柳生一族の陰謀]]」「[[大江戸捜査網]]」「[[隠密剣士]]」<ref group="注釈">忍者ものでヒットしたが、それは途中第2部から忍者路線にしたためで、もとのお話は徳川将軍の弟君が身を隠して各藩を探索するのが本筋のお話であった。</ref>など **'''[[浪人]]''' ***「[[丹下左膳]]」「[[雄呂血]]」「[[浪人街]]」「[[盤嶽の一生]]」「[[七人の侍]]」「[[用心棒]]」「[[椿三十郎]]」「[[三匹の侍]]」「[[御用金 (映画)|御用金]]」「[[素浪人 月影兵庫|素浪人月影兵庫]]」「[[人斬り (映画)|人斬り]]」「[[腕におぼえあり]]」「[[陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜]]」など **'''[[将軍]]''' ***「[[暴れん坊将軍]]」「[[八代将軍吉宗]]」「[[葵 徳川三代]]」「[[将軍家光の乱心 激突]]」など **'''[[忍者]]<ref group="注釈">忍者映画(忍者もの)を時代劇に含めるかどうかで、基本的には分けて扱うことが多いという向きがあるが、もともと時代劇が始まった時から忍者は1つのジャンルであり(歌舞伎の演目でも入っている)、尾上松之助の映画からいつの時代でも人気のあるジャンルであった。広義の解釈では入るということではなく、映画そのものの面白さを追求すれば非現実的な内容を入れることは至極当然であり、時代劇はあくまで舞台設定が日本が近代化する以前であることで成り立っている。 </ref>''' ***「豪傑児雷也」<ref group="注釈">1921年製作。日活。マキノ省三監督、尾上松之助主演。サイレント映画。歌舞伎から題材をとった忍術のトリックで、フィルムが現存している。</ref>「[[忍びの者]]」「[[柳生武芸帳]]」「忍者狩り」「[[影の軍団_服部半蔵|影の軍団服部半蔵]]」「無宿侍」「[[風神の門]]」「十七人の忍者」など **'''アウトロー''' ***「不知火検校」<ref group="注釈">1960年製作。大映。森一生監督。勝新太郎主演。勝新が演じる按摩で全盲のワル役が悪事を重ねながら不知火検校になるお話で、この映画のヒットが座頭市シリーズに繋がった。</ref>「[[眠狂四郎]]」「[[座頭市]]」「[[雲霧仁左衛門_(映画)|雲霧仁左衛門]]」「[[子連れ狼]]」「[[必殺仕掛人]]」「[[必殺仕置人]]」「[[必殺仕事人]]」など **'''僧侶''' ***「[[親鸞_(映画)|親鸞]]」「[[日蓮_(映画)|日蓮]]」「[[空海_(映画)|空海]]」など **'''仇討ち・決闘''' ***「[[曽我兄弟 富士の夜襲]]」「[[鍵屋の辻の決闘|決闘鍵屋の辻]]」「[[血煙高田の馬場]]」「[[仇討_(1964年の映画)|仇討]]」「[[崇禅寺馬場の仇討|仇討崇禅寺馬場]]」「[[赤穂浪士 (小説)|赤穂浪士]]」など *'''歴史もの''' **'''歴史上の人物''' ***源義経「[[源九郎義経_(1962年の映画)|源九郎義経]]」、弁慶「[[武蔵坊弁慶_(テレビドラマ)|武蔵坊弁慶]]」、織田信長「[[風雲児_織田信長|風雲児織田信長]]」、豊臣秀吉「[[太閤記_(1987年のテレビドラマ)|太閤記]]」、徳川家康「[[徳川家康_(1965年の映画)|徳川家康]]」、伊達政宗「[[独眼竜政宗_(NHK大河ドラマ)|独眼竜政宗]]」、武田信玄「[[風林火山_(映画)|風林火山]]」、武田信虎「[[信虎 (映画)|信虎]]」、上杉謙信「[[天と地と]]」、千利休「[[千利休_本覺坊遺文|千利休本覺坊遺文]]」、中山安兵衛「[[堀部安兵衛_(テレビドラマ)|堀部安兵衛]]」、井伊直弼「[[花の生涯 彦根篇 江戸篇]]」、近藤勇「[[新選組血風録 近藤勇]]」など **'''蒙古襲来''' ***「かくて神風は吹く」「[[日蓮と蒙古大襲来]]」「[[北条時宗_(NHK大河ドラマ)|北条時宗]]」 **'''戦国乱世''' ***「[[影武者 (映画)|影武者]]」「[[乱_(映画)|乱]]」「[[国盗り物語]]」「[[反逆児_(1961年の映画)|反逆児]]」「[[敵は本能寺にあり (映画)|敵は本能寺にあり]]」「[[清須会議_(小説)|清須会議]]」「[[真田太平記_(テレビドラマ)|真田太平記]]」「[[笛吹川_(映画)|笛吹川]]」「[[関ヶ原 (テレビドラマ)|関ヶ原]]」「[[のぼうの城]]」など **'''伊達騒動''' ***「伊達騒動」「危うし伊達六十二万石」「[[樅の木は残った]]」「[[赤西蠣太]]」など **'''赤穂事件''' ***「[[忠臣蔵]]」「[[実録忠臣蔵|実録忠臣蔵(日活・牧野)]]」「[[忠魂義烈 実録忠臣蔵|忠魂義烈 実録忠臣蔵(マキノ)]]」「[[元禄快挙 大忠臣蔵 天変の巻・地動の巻|元禄快挙 大忠臣蔵 天変の巻・地動の巻(日活)]]」「[[忠臣蔵 (1932年の映画)|忠臣蔵 赤穂京の巻・江戸の巻(松竹)]]」「[[忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇|忠臣蔵 刃傷篇 復讐篇(日活)]]」「[[忠臣蔵_天の巻・地の巻|忠臣蔵 天の巻 地の巻(日活)]]」「[[元禄忠臣蔵|元禄忠臣蔵(松竹)]]」「赤穂城(東映)」<ref group="注釈">1952年製作。東映 萩原遼監督。戦後最初の本格的な忠臣蔵映画。片岡千恵蔵が浅野内匠頭・大石内蔵助の二役を演じている。ただし続編の「続赤穂城」までのお話は城明け渡しであり、吉良邸討ち入りの場面はない。</ref>「赤穂義士(大映・東映)」<ref group="注釈">同名で2つ作品があり、最初は1954年9月公開の大映作品。荒井良平監督。黒川弥太郎の浅野内匠頭、進藤英太郎の大石内蔵助。4つのエピソードを当時の人気浪曲師が名調子で唸る浪曲版忠臣蔵。二度目は1957年12月公開の東映作品。伊賀山正光監督。月形龍之介が演じる天野屋利兵衛を主役にした映画で、忠臣蔵の外伝物である。大石内蔵助には大河内伝次郎が扮し、またこの作品も浪曲が入っている。</ref>「[[忠臣蔵 花の巻・雪の巻]](松竹)」<ref group="注釈">1954年10月公開。戦後初めて「忠臣蔵」のタイトルで製作された作品。公開当時の資料では第1部(花の巻)104分、第2部(雪の巻)137分の合計4時間1分の上映時間であったとされるが、現存する版は3時間8分である。これは戦後の忠臣蔵映画では最も長い作品で、単独公開としては最長尺作品と見られている。大石内蔵助には八代目松本幸四郎、浅野内匠頭には高田幸吉、吉良上野介には滝沢修が演じ、監督は大曾根辰夫。大曾根辰夫はこの3年後にも同じ松竹の「大忠臣蔵」も監督している。そして八代目松本幸四郎はこの後に東宝に移り、8年後の東宝創立30周年記念映画の「忠臣蔵」で再び大石内蔵助を演じている。</ref>「[[赤穂浪士 天の巻 地の巻|赤穂浪士 天の巻 地の巻(東映)]]」「[[大忠臣蔵 (1957年の映画)|大忠臣蔵(松竹)]]」「[[忠臣蔵 (1958年の映画)|忠臣蔵(大映)]]」「[[忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻|忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻(東映)]]」 「[[赤穂浪士 (映画)|赤穂浪士(東映)]]」「仮名手本忠臣蔵(松竹)」<ref group="注釈">1962年9月9日公開。5年前に製作した「大忠臣蔵」を再編集して、もともと155分の映画を108分に縮尺した作品。そして後述の「義士始末記」との二本立てで公開された。</ref>「義士始末記(松竹)」<ref group="注釈">1962年製作。松竹、大曾根辰夫監督。その5年前に製作された「大忠臣蔵」を「仮名手本忠臣蔵」に改題してリバイバル上映し、合わせて併映作品として、討ち入り後の赤穂浪士の処分に苦慮し最後は武士の本懐として切腹させるまでを描いている。市川新之助、島田正吾、岡田茉莉子、岩下志麻が出演している。</ref>「[[忠臣蔵 花の巻・雪の巻]](東宝)」「[[赤穂城断絶|赤穂城断絶(東映)]]」「[[四十七人の刺客|四十七人の刺客(東宝)]]」「[[忠臣蔵外伝 四谷怪談|忠臣蔵外伝 四谷怪談(松竹)]]」「[[最後の忠臣蔵 (映画)|最後の忠臣蔵]]」「[[峠の群像]]」「[[元禄太平記]]」「[[元禄繚乱]]」「[[堀田隼人]]」など **'''桜田門外の変''' ***「[[侍ニッポン]]」「[[侍_(映画)|侍]]」「[[花の生涯_彦根篇_江戸篇|花の生涯]]」「[[花の生涯 井伊大老と桜田門]]」「[[柘榴坂の仇討]]」「[[桜田門外ノ変]]」など **'''[[新選組]]''' ***「[[新選組_(1969年の映画)|新選組]]」「[[維新の京洛 竜の巻 虎の巻]]」「[[新選組始末記]]」「[[新選組血風録]]」「[[壮烈新選組 幕末の動乱]]」「[[幕末残酷物語]]」「祇園の暗殺者」「[[壬生義士伝]]」「[[壬生の恋歌]]」「[[燃えよ剣]]」「[[幕末純情伝]]」「[[御法度_(映画)|御法度]]」など **'''幕末''' ***「[[建国史 尊王攘夷]]」「江戸最後の日」「最後の攘夷党」「六人の暗殺者」「江戸一寸の虫」「[[人斬り (映画)|人斬り]]」「[[竜馬がゆく]]」「[[武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新|武士の家計簿]]」「[[竜馬を斬った男]]」「[[白虎隊〜敗れざる者たち|白虎隊]]」など *'''[[文芸]]もの''':[[小説]]などの[[文学]]作品を脚色したもの。 **'''江戸時代の文学''' ***「[[西鶴一代女]]」「[[近松物語]]」<ref group="注釈">1954年製作。大映。溝口健二監督。長谷川一夫と香川京子主演。井原西鶴の「好色五人女」の中の「おさん茂兵衛」の実話を基にしてほぼ30年後に近松門左衛門が書いた歌舞伎の演目「大経師昔暦」をベースにした川口松太郎の戯曲「おさん茂兵衛」を映画化したものである。</ref>「[[好色一代男]]」「[[女殺油地獄]]」「夜の鼓」<ref group="注釈">1958年製作。松竹。今井正監督。三國連太郎と有馬稲子主演。近松門左衛門の戯曲から橋本忍、新藤兼人が脚本。武士の妻の不義密通を描いている。</ref>「浪速の恋の物語」<ref group="注釈">1959年製作。東映。内田吐夢監督、中村錦之助と有馬稲子主演。近松門左衛門の「冥途の飛脚」などを基にした心中物。片岡千恵蔵が近松門左衛門役で出演している。</ref>「[[心中天網島_(映画)|心中天網島]]」<ref group="注釈">1969年製作。表現社およびATG。篠田正浩監督。中村吉右衛門と岩下志麻主演。歌舞伎の様式を大胆に取り入れて黒子が登場する異色作。</ref> **'''江戸庶民もの''' ***「[[一心太助]]」「[[雪之丞変化]]」「[[人情紙風船]]」「[[赤ひげ]]」「[[破れ傘刀舟悪人狩り]]」「[[天下御免]]」など **'''明治以降の文学''' ***芥川龍之介「[[羅生門_(1950年の映画)|羅生門]]」<ref group="注釈">ただし映画の原作は同じ芥川の「藪の中」である。</ref>、森鴎外「[[阿部一族]]」、吉川英治「[[新・平家物語]]」「[[宮本武蔵]]」「[[鳴門秘帖]]」、海音寺潮五郎「[[天と地と]]」、中里介山「[[大菩薩峠 (小説)|大菩薩峠]]」、舟橋聖一「[[花の生涯]]」、大仏次郎「[[赤穂浪士 (NHK大河ドラマ)|赤穂浪士]]」、司馬遼太郎「[[竜馬がゆく]]」「[[国盗り物語]]」、山本周五郎「[[樅の木は残った]]」「[[赤ひげ]]」、木下順二「[[赤い陣羽織]]」など **'''戦国および江戸時代以外を舞台とするもの''' ***「[[祇園祭_(1968年の映画)|祇園祭]]」「[[花の乱]]」「[[太平記_(NHK大河ドラマ)|太平記]]」「[[源義経]]」「[[羅生門 (1950年の映画)|羅生門]]」「[[源氏物語_(1951年の映画)|源氏物語]]」「[[源氏物語 千年の謎]]」「[[雨月物語_(映画)|雨月物語]]」「[[山椒大夫]]」「[[楢山節考_(1983年の映画)|楢山節考]]」「[[大佛開眼]]」「[[聖徳太子 (テレビドラマ)|聖徳太子]]」「[[大化改新 (テレビドラマ)|大化改新]]」「[[卑弥呼]]」「[[日本誕生]]」など *'''女性を主役としたもの''' **'''女性の生き方''' ***「徳川の夫人たち」「[[三姉妹]]」「[[女人平家_(テレビドラマ)|女人平家]]」「[[女たちの忠臣蔵]]」「[[功名が辻]]」「[[花のあと]]」など **'''市井もの''' ***「[[八百屋お七]]」「[[五瓣の椿]]」「[[浮世絵 女ねずみ小僧]]」「[[旅がらすくれないお仙]]」など **'''姫もの''' ***「千姫御殿」「[[琴姫七変化]]」「[[お江戸捕物日記_照姫七変化|照姫七変化]]」「[[あんみつ姫]]」など **'''[[大奥]]もの''' ***「[[大奥_(2006年の映画)|大奥]]」「[[絵島生島]]」「[[篤姫 (NHK大河ドラマ)|篤姫]]」など *'''その他''' **'''コメディ''' ***「[[エノケンの近藤勇]]」「エンタツ・アチャコの忍術道中記」「珍説忠臣蔵」<ref group="注釈">1953年1月3日公開。新東宝製作。斎藤寅次郎監督。古川緑波の大石内蔵助、エンタツ・アチャコ、柳家金語楼、伴淳三郎などが出演。</ref>「[[鳳城の花嫁]]」<ref group="注釈">日本初のシネマスコープ作品。大友柳太朗主演。若殿さまの嫁探しをユーモラスに描いた時代劇。1957年4月2日公開。</ref>「[[幕末太陽伝]]」「[[ダイラケのびっくり捕物帖|びっくり捕物帖]]」<ref group="注釈">1957年から大阪OTVで制作された上方コメディ番組。当時漫才で一世を風靡した中田ダイマル・ラケットが目明しで、それを指導する与力が藤田まこと、その妹で武芸達者な女を森光子が演じていた。藤田まことと森光子はこの番組から全国に顔が知られるようになり、2人にとって出世作となった番組である。</ref>「[[頓馬天狗|とんま天狗]]」「[[てなもんや三度笠]]」「[[志村けんのバカ殿様]]」など ** '''時代劇[[ミュージカル]]''' ***「大江戸出世小唄」「[[鴛鴦歌合戦]]」「[[大当り狸御殿]]」「[[オペレッタ狸御殿]]」「ひばり捕物帖かんざし小判」「ひばりチエミの弥次喜多道中」など。 **'''[[サイエンス・フィクション|SF]]・[[ファンタジー]]・伝奇ロマン''' ***「渋川伴五郎」<ref group="注釈">1922年製作。尾上松之助主演。全編64分のサイレント映画で「目玉の松ちゃん」の映画では唯一全編のフィルムが残っている映画と言われる。渋川伴五郎は実在の人物で江戸時代前期の柔術家。映画では力自慢のヒーローとして松之助が演じて妖怪と父の仇を討つストーリーである。監督はマキノ省三ではなく築山幸吉である。</ref>「恋や恋なすな恋」<ref group="注釈">1962年製作。東映。内田吐夢監督、大川橋蔵主演。人形浄瑠璃の「芦屋道満大内鑑」、清元の古典「保名狂乱」をもとに宮廷陰陽師の安部保名を主人公にした平安時代のファンタジー時代劇。他の時代劇には見られない独特の映像表現の異色作である。因みに主人公は陰陽師安部清明の父であり、この映画のラストシーンは清明の誕生で終わっている。</ref>「風の武士」<ref group="注釈">1964年製作。東映。加藤泰監督。大川橋蔵主演。原作は司馬遼太郎。</ref>「[[大江山酒天童子]]」「[[大魔神]]」」「[[里見八犬伝_(1983年の映画)|里見八犬伝]]」「[[魔界転生]]」「[[戦国自衛隊]]」など **'''ホラー''' ***「[[牡丹燈籠]]」「番町皿屋敷」「[[東海道四谷怪談_(1959年の映画)|東海道四谷怪談]]」「[[怪談_(1965年の映画)|怪談]]」「[[鬼婆 (映画)|鬼婆]]」「[[藪の中の黒猫]]」など。 **'''セクシー時代劇''' ***「[[大奥(秘)物語|大奥㊙物語]]」「[[徳川女系図]]」「[[徳川女刑罰史]]」「[[吉原炎上]]」など **'''子供向けのヒーロー''' ***「[[鞍馬天狗 (小説)|鞍馬天狗]]」「[[赤胴鈴之助]]」「矢車剣之助」<ref group="注釈">1959年にラジオ東京テレビ系の「赤胴鈴之助」に対抗して日本テレビ系で放映された少年剣劇もの。主演は手塚しげお。彼はその後ボーカルグループ「スリーファンキーズ」に加入し歌手となった。その時に入れ替わりにこのグループを退団したのが高橋元太郎で彼は後に「水戸黄門」シリーズで「うっかり八兵衛」を30年間演じた。</ref>「[[白馬童子]]」「[[仮面の忍者赤影]]」「[[隠密剣士]]」「白馬の剣士」など **'''変身もの''' ***「[[快傑ライオン丸]]」「[[変身忍者 嵐]]」など **'''ハイパー時代劇<ref group="注釈">文化風俗・服飾をはじめとする設定について厳密な時代考証や再現性は重要視せず、[[西部劇]]・[[サイエンス・フィクション|SF]]など、あらゆるジャンルの要素をミックスした[[アバンギャルド]]な内容。上記の“活劇もの”にも通じる要素の色濃い作品も含む。</ref>''' ***「[[五条霊戦記]]」「[[ZIPANG]]」「[[妻は、くノ一]]」など。 **'''アメリカ製作の時代劇''' ***「[[将軍 SHŌGUN]]」「[[武士道ブレード]]」「[[ラストサムライ]]」 ===監督や時代による分類=== *'''マキノ時代劇''':初期には尾上松之助を主人公に[[歌舞伎]]調の殺陣を中心にケレン味を加えた松之助独特の立ち回りが特色の時代劇であったが荒唐無稽な子ども向けの内容とされた。やがて尾上松之助と袂を分かち、新国劇の澤田正二郎の影響を受けて「実録忠臣蔵」のように写実的な立ち回りを描いた。 *'''明朗時代劇''':[[片岡千恵蔵プロダクション|千恵蔵プロ]]の作品からそれまでの陰惨で暗いイメージを払拭するために、ユーモラスな明るいストーリーとして、後の鳴滝組にも影響を与えた。荒唐無稽さを売り物にしたナンセンス時代劇もこの範疇に入る。 *'''東映時代劇''':昭和戦後を一世風靡した東映の時代劇群。明るさと煌びやかさを持ち、徹底したスター主演の映画作りであった。 *'''大映時代劇''':初期は剣劇だけでなく文芸作品や江戸時代以外を舞台とするものも多い。[[お歯黒]]、[[引眉]]、等、時代考証を重視した。しかし後期には「眠狂四郎」「座頭市」などのアウトロー主体の時代劇が中心となった。 *'''黒澤時代劇''':[[黒澤明]]監督の作品群。リアルな殺陣とヒューマニズム溢れる物語が特徴。 ==スタッフ== === 映画監督 === <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[マキノ省三]] *[[吉野二郎]] *[[小林弥六]] *高橋寿康 *[[辻吉朗]] *[[重宗務]] *[[金森万象]] *[[二川文太郎]] *[[野村芳亭]] *[[伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔]] *[[沼田紅緑]] *[[井上金太郎]] *[[伊丹万作]] *[[山中貞雄]] *丸根賛太郎<ref group="注釈">鳴滝組の影響を受けて、京都大学に入学したが太秦撮影所に入り浸り、その後大学を中退して日活京都撮影所の監督となる。「春秋一刀流」「うぐいす侍」「仇討交響楽」「狐の呉れた赤ん坊」「天狗飛脚」「蛇姫道中」などの作品を残した。因みに、名前の丸根は女優マレーネ・ディートリヒから、賛太郎は「三太郎の日記」からとったとされている。 </ref> *[[仁科熊彦]] *[[マキノ雅弘]] *[[松田定次]] *[[今井正]] *[[佐伯清]] </td> <td> *[[衣笠貞之助]] *[[滝沢英輔]] *[[稲垣浩]] *[[鈴木桃作]] *大曾根辰夫<ref group="注釈">「忠臣蔵」を1954年と1957年、そして1962年にその続編「義士始末記」を作り、この他に嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」、市川右太衛門の「旗本退屈男」、美空ひばりの「ひばり姫初雲道中」などの多彩なスター映画を松竹で撮って、松竹時代劇を代表する映画監督である。</ref> *[[曾根純三]] *[[並木鏡太郎]] *後藤岱山 *[[池田富保]] *[[黒澤明]] *[[溝口健二]] *[[三隅研次]] *[[森一生]] *安達伸生<ref group="注釈">1949年から1953年の期間で大映と東宝で大河内傅次郎の「水戸黄門」、嵐寛十郎の「鞍馬天狗」のシリーズや「緋牡丹盗賊」「あばれ熨斗」「万花地獄」などを撮っていたが、1953年12月25日に「鞍馬天狗斬りこむ」(宝塚映画)の撮影終了後に宝塚の宿舎でガス中毒のため死去した。</ref> *[[池広一夫]] *[[田中徳三]] *[[中川信夫]] *[[萩原遼 (映画監督)|萩原遼]] *[[山田達雄]] *[[渡辺邦男]] </td> <td> *[[田坂具隆]] *[[加藤泰]] *[[篠田正浩]] *[[市川崑]] *[[内田吐夢]] *[[岡本喜八]] *[[山下耕作]] *[[石井輝男]] *[[河野寿一]] *[[佐々木康]] *[[沢島忠]] *[[深作欣二]] *[[工藤栄一]] *[[安田公義]] *[[鈴木則文]] *[[五社英雄]] *[[長谷川安人]] *[[中島貞夫]] *[[黒木和雄]] </td></tr> </table> ===テレビ・プロデューサー(製作)=== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *合川明 - 「花の生涯」「赤穂浪士」「源義経」(NHK) *遠藤利男 - 「国盗り物語」(NHK) *近藤晋 - 「黄金の日々」「獅子の時代」(NHK) *村上慧-「武田信玄」「武蔵坊弁慶」「女殺油地獄」「御宿かわせみ」(NHK) *古賀龍二 - 「新・平家物語」「元禄太平記」(NHK) *澁谷康生 - 「徳川家康」「春日局」(NHK) *松本常保 - 「矢車剣之助」「天馬天平」「琴姫七変化」(日本テレビ) *[[西村俊一]] - 「隠密剣士」「水戸黄門」「大岡越前」(TBS) *逸見稔- 「水戸黄門」「大岡越前」「江戸を斬る」(TBS) *岡本愛彦-「剣」「お庭番」(日本テレビ)「浮世絵女ねずみ小僧」(フジテレビ) *上月信二 - 「素浪人月影兵庫」「新選組血風録」(NET) </td> <td> *市川久夫 -「鬼平犯科帳」「剣客商売」「江戸の旋風」(フジテレビ) *大垣三郎 - 「徳川家康」※市川右太衛門主演(NET) *橋本信也 - 「真田幸村」※中村錦之助主演(TBS) *高橋久仁男 - 「銭形平次」※大川橋蔵主演(フジテレビ) *[[山内久司]]-「助左衛門四代記」「必殺」シリーズ(朝日放送) *元村武 - 「大江戸捜査網」(東京12チャンネル) *加藤教夫 - 「子連れ狼」「桃太郎侍」(日本テレビ) *野崎元晴 - 「伝七捕物帳」(日本テレビ) *角谷優 - 「座頭市物語」(フジテレビ) *中本逸郎 -「江戸の旋風」(フジテレビ) *加藤哲夫 -「大奥」(関西テレビ) </td></tr> </table> ===テレビ・ディレクター(演出)=== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *永山弘 - 「半七捕物帳」※笈川武夫主演、初のテレビ時代劇(NHK) *河野和平 - 「エノケンの水戸黄門漫遊記」※民放初の時代劇(日本テレビ)「浮浪雲」(NET) *宮本裕 - 「鞍馬天狗」※市川高麗蔵主演(ラジオ東京テレビ) *石川甫 - 「江戸の影法師」「又四郎行状記」※中村竹弥主演(ラジオ東京テレビ) *山本和夫 - 「新選組始末記」※中村竹弥主演(TBS)「幕末」(TBS) *飯島敏宏 - 「鳴門秘帖」※水島道太郎主演(ラジオ東京テレビ)「赤西蠣太」「大江戸の鷹」(TBS) *井上博 - 「花の生涯」「赤穂浪士」(NHK) *[[吉田直哉]] - 「太閤記」「源義経」(NHK) *[[和田勉]] - 「竜馬がゆく」「文吾捕物絵図」(NHK) *岡崎栄 - 「天と地と」「天下御免」「天下堂々」(NHK) *[[大原誠]] - 「樅の木は残った」「風と雲と虹と」「徳川家康」「八代将軍吉宗」「真田太平記」(NHK) *村上佑二 - 「国盗り物語」「花神」「清左衛門残日録」(NHK) *斉藤暁 - 「国盗り物語」「元禄太平記」「花神」「文吾捕物絵図」(NHK) *[[佐藤幹夫 (演出家)|佐藤幹夫]] - 「太平記」「蝉しぐれ」「御宿かわせみ」(NHK) *[[清水一彦]] - 「新選組」「風林火山」(NHK) *[[田中健二]] - 「風林火山」「軍師官兵衛」(NHK) </td> <td> *大友圭史 - 「龍馬伝」(NHK) *加藤哲夫 - 「風の武士」「風の三度笠」※夏目俊二主演(関西テレビ) *[[五社英雄]] - 「三匹の侍」(フジテレビ) *吉田央 - 「荒野の素浪人」「次郎長三国志」(フジテレビ) *大山勝美 - 「真田幸村」※中村錦之助主演(TBS) *小山秀夫 - 「落城」※片岡千恵蔵初のテレビ出演(フジテレビ) *河野密 - 「徳川家康」※市川右太衛門主演(NET) *[[山内鉄也]] - 「水戸黄門」※東野英治郎主演(TBS) *[[矢田清巳]] - 「水戸黄門」※西村晃主演(TBS) *奈良井仁一 - 「徳川の夫人たち」(NET)「華岡青洲の妻」(日本テレビ) *[[小野田嘉幹]] - 「はぐれ狼」「鬼平犯科帳」(フジテレビ) *[[井上昭]] - 「剣客商売」「神谷玄次郎捕物控」(フジテレビ) *[[斉藤光正]] - 「大江戸捜査網」(東京12チャンネル)「子連れ狼」(日本テレビ)「御家人斬九郎」(フジテレビ) *[[澤田隆治]] - 「てなもんや三度笠」(朝日放送) *荒井岱志 - 「矢車剣之助」(日本テレビ)「旅がらすくれないお仙」「暴れん坊将軍」(NET) *勝田康三 - 「大忠臣蔵」※三船敏郎主演(NET) </td></tr> </table> ===脚本=== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[寿々喜多呂九平]] *[[八尋不二]] *[[三村伸太郎]] *[[藤井滋司]] *[[山上伊太郎]] *[[橋本忍]] *[[小国英雄]] *[[菊島隆三]] *[[比佐芳武]] *[[結束信二]] *[[小川記正]] *鈴木尚也 *[[池上金男]] *松浦健郎 </td> <td> *[[杉山義法]] *[[成沢昌茂]] *[[高田宏治]] *[[依田義賢]] *[[和田夏十]] *[[小池一夫]] *[[小島剛夕]] *[[金子成人]] *[[田坂啓]] *[[笠原和夫 (脚本家)|笠原和夫]] *[[山田隆之]] *[[犬塚稔]] *[[星川清司]] *[[野上竜雄]] </td> <td> *[[国弘威雄]] *[[早坂暁]] *[[鈴木尚之]] *[[中島丈博]] *[[安倍徹郎]] *[[古田求]] *[[宮川一郎]] *[[竹山洋]] *井手雅人 *[[鎌田敏夫]] *[[池田一朗]] *[[高岩肇]] *下井坂菊馬 *[[黒土三男]] </td></tr> </table> ===殺陣=== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *足立伶二郎 *湯浅謙太郎 *[[久世竜]] *大内竜生 *[[林邦史朗]] *谷明憲 *菊池竜志 *菅原俊夫 *二階堂武 *久世浩 </td> <td> *宇仁貫三 *上西弘次 *宮内昌平 *[[国井正広]] *上野隆三 *美山晋八 *尾田義男 *近江雄二郎 *土井淳之祐 *尾型伸之介 </td> <td> *高倉英二 *山口博義 *竹田寿郎 *中瀬博文 *大内貴仁 *清家三彦 *高槻祐士 *楠本栄一 </td></tr> </table> ==時代劇俳優・女優== ===大正時代のスター=== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[尾上松之助]](1875-1926) </td> <td> *[[澤村四郎五郎 (5代目)|澤村四郎五郎]](1877-1932) </td></tr> </table> ===時代劇六大スタア=== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[大河内傳次郎]](1898-1962) *[[阪東妻三郎]](1901-1953) *[[片岡千恵蔵]](1903-1983) </td> <td> *[[嵐寛寿郎]](1903-1980) *[[市川右太衛門]](1907-1999) *[[長谷川一夫]](1908-1984) </td></tr> </table> ===明治以降の主演俳優=== ====明治生まれ==== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[月形龍之介]](1902-1970) *[[志村喬]](1905-1982) *[[島田正吾]](1905-2004) *[[辰巳柳太郎]](1905-1989) </td> <td> *[[市川百々之助]](1906-1978) *[[松本白鸚 (初代)|松本白鸚]](1910-1982) *[[高田浩吉]](1911-1998) *[[大友柳太朗]](1912-1985) </td></tr> </table> ====大正生まれ==== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[尾上松緑]](1913-1989) *[[近衛十四郎]](1914-1977) *[[三船敏郎]](1920-1997) </td> <td> *[[鶴田浩二]](1924-1987) *[[東千代之介]](1926-2000) </td></tr> </table> ====昭和生まれ==== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[大川橋蔵 (2代目)|大川橋蔵]](1929-1984) *[[若山富三郎]](1929-1992) *[[中村梅之助 (4代目)|中村梅之助]](1930-2016) *[[市川雷蔵 (8代目)|市川雷蔵]](1931-1969) *[[勝新太郎]](1931-1997) *[[萬屋錦之介]](1932-1997) *[[仲代達矢]](1932- ) *[[平幹二朗]](1933-2016) *[[藤田まこと]](1933-2010) *[[高橋幸治]](1935- ) *[[里見浩太朗]](1936- ) *[[緒形拳]](1937-2008) *[[加藤剛]](1938-2018) </td> <td> *[[千葉真一]](1939-2021) *[[松本幸四郎 (9代目)|松本幸四郎]](1942- ) *[[松方弘樹]](1942-2017) *[[北大路欣也]](1943-) *[[田村正和]](1943-2021) *[[杉良太郎]](1944- ) *[[中村吉右衛門 (2代目)|中村吉右衛門]](1944- ) *[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]](1944- ) *[[西郷輝彦]](1947-2022) *[[西田敏行]](1947-) *[[風間杜夫]](1949-) *[[滝田栄]](1950- ) </td> <td> *[[松平健]](1953- ) *[[村上弘明]](1956- ) *[[役所広司]](1956- ) *[[渡辺謙]](1959- ) *[[真田広之]](1960- ) *[[中井貴一]](1961- ) *[[中村芝翫 (8代目)|中村芝翫]](1965-) *[[東山紀之]](1966-) *[[大沢たかお]](1968-) *[[堺雅人]](1973-) *[[岡田准一]](1980-) *[[小栗旬]](1982-) </td></tr> </table> ===長年活躍した俳優=== ====明治生まれ==== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[横山運平]](1881-1967) *[[河部五郎]](1888-1976) *[[勝見庸太郎]](1893-1962) *[[柳永二郎]](1895-1984) *[[香川良介]](1896-1987) *[[高勢実乗]](1897-1947) *[[薄田研二]](1898-1972) *[[佐々木孝丸]](1898-1986) *[[進藤英太郎]](1899-1977) *[[羅門光三郎]](1901-1976) </td> <td> * [[中村翫右衛門 (3代目)|中村翫右衛門]](1901-1982) *[[河原崎長十郎 (4代目)|河原崎長十郎]](1902-1981) *[[團徳麿]](1902-1987) *[[上田吉二郎]](1904-1972) *[[榎本健一]](1904-1970) *[[鳥羽陽之助]](1905-1958) *[[藤原釜足]](1905-1985) *[[沢村国太郎]](1905-1974) *[[原健策 ]](1905-2002) *[[滝沢修]](1906-2000) </td> <td> *[[三島雅夫]](1906-1973) *[[東野英治郎]](1907-1994) *[[河津清三郎]](1908-1983) *[[小沢栄太郎]](1909-1988) *[[徳大寺伸]](1910-1995) *[[阿部九州男]](1910-1965) *[[山村聰]](1910-2000) *[[坂東好太郎]](1911-1981) *[[加東大介]](1911-1975) *[[水島道太郎]](1912-1999) </td></tr> </table> ====大正生まれ==== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[加賀邦男]](1913-2002) *[[堺駿二]](1913-1968) *[[田崎潤]](1913-1985) *[[宮口精二]](1913-1985) *[[森繁久彌]](1913-2009) *[[加藤嘉]](1913-1988) *[[山形勲]](1915-1996) </td> <td> *[[千秋実]](1917-1999) *[[中村竹弥]](1918-1990) *[[伊藤雄之助]](1919-1980) *[[浜田寅彦]](1919-2009) *[[稲葉義男]](1920-1998) *[[天津敏]](1921-1979) *[[丹波哲郎]](1922-2006) </td> <td> *[[江見俊太郎]](1923-2003) *[[木村功]](1923-1981) *[[小林桂樹]](1923-2010) *[[西村晃]](1923-1997) *[[三國連太郎]](1923-2013) *[[佐野浅夫]](1925-2022) *[[加藤武]](1925-2015) </td> <td> *[[内藤武敏]](1926-2012) </td></tr> </table> ====昭和生まれ==== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[土屋嘉男]](1927-2017) *[[鈴木瑞穂]](1927-2023) *[[田村高廣]](1928-2006) *[[佐藤慶]](1928-2010) *[[遠藤太津朗]](1928-2012) *[[高松英郎]](1929-2007) *[[神山繁]](1929-2017) *[[外山高士]](1930-2022) *[[牧冬吉]](1930-1998) *[[中谷一郎]](1930-2004) *[[御木本伸介]](1931-2002) *[[天知茂]](1931-1985) *[[田口計]](1933-) *[[品川隆二]](1933-) *[[小峰隆司]](1933-2021) *[[近藤洋介 (俳優)|近藤洋介]](1933-) *[[菅貫太郎]](1934-1994) *[[長門裕之]](1934-2011) *[[大月ウルフ]](1934-2020) *[[石浜朗]](1935-) </td> <td> *[[山﨑努]](1936-) *[[山口崇]](1936-) *[[早川保]](1936-) *[[柳生博]](1937-2022) *[[唐沢民賢]](1937-) *[[栗塚旭]](1937- ) *[[瑳川哲朗]](1937-2021) *[[伊東四朗]](1937-) *[[山本學]](1937-) *[[中村嘉葎雄]](1938- ) *[[山城新伍]](1938-2009) *[[和崎俊哉]](1938-2011) *[[亀石征一郎]](1938-2021) *[[夏八木勲]](1939-2013) *[[河原崎長一郎]](1939-2003) *[[若林豪]](1939-) *[[中村敦夫]](1940- ) *[[津川雅彦]](1940-2018) *[[細川俊之]](1940-2011) *[[山本圭]](1940-) </td> <td> *[[石坂浩二]](1941- ) *[[渡哲也]](1941-2020) *[[小林稔侍]](1941-) *[[浜田晃]](1941-) *[[住吉正博]](1942-2017) *[[小松政夫]](1942-2020) *[[松山英太郎]](1942-1991) *[[林与一]](1942-) *[[近藤正臣]](1942-) *[[中尾彬]](1942-) *[[寺田農]](1942-) *[[ささきいさお]](1942-) *[[福本清三]](1943-2021) *[[秋野太作]](1943-) *[[森次晃嗣]](1943-) *[[河原崎建三]](1943-) *[[山本亘]](1943-) *[[竹脇無我]](1944-2011) *[[江守徹]](1944-) *[[前田吟]](1944-) </td> <td> *[[蟹江敬三]](1944-2014) *[[片岡仁左衛門 (15代目)|片岡仁左衛門]](1944-) *[[平泉成]](1944-) *[[古谷一行]](1944-2022) *[[原田大二郎]](1944-) *[[内田勝正]](1944-2020) *[[田中泯]](1945-) *[[堀田真三]](1945-) *[[西田健]](1945-) *[[伊吹吾郎]](1946-) *[[田村亮 (俳優)|田村亮]](1946-) *[[岡本富士太]](1946-) *[[苅谷俊介]](1946-) *[[松山政路]](1947-) *[[宮内洋]](1947-) *[[あおい輝彦]](1948-) *[[草薙良一]](1948-) *[[峰蘭太郎]](1948-) *[[火野正平]](1949-) *[[池田秀一]](1949-) </td> <td> *[[勝野洋]](1949-) *[[堀内正美]](1950-) *[[小林薫]](1951-) *[[三田村邦彦]](1953-) *[[山内としお]](1954-) *[[片岡鶴太郎]](1954-) *[[中村梅雀 (2代目)|中村梅雀]](1955-) *[[郷ひろみ]](1955-) *[[内藤剛志]](1955-) *[[榎木孝明]](1956-) *[[竹中直人]](1956-) *[[隆大介]](1957-2021) *[[京本政樹]](1959-) *[[佐藤浩市]](1960-) *[[阿部寛]](1964-) *[[上川隆也]](1965-) *[[髙嶋政宏]](1965-) *[[香川照之]](1965-) *[[杉本哲太]](1965-) *[[髙嶋政伸]](1966-) </td> <td> *[[緒形直人]](1967-) *[[内野聖陽]](1968-) *[[原田龍二]](1970-) *[[谷原章介]](1972-) *[[山口馬木也]](1973-) *[[市川猿之助 (4代目)|市川猿之助]](1975-) *[[山本耕史]](1976-) *[[市川海老蔵 (11代目)|市川海老蔵]](1977-) </td></tr> </table> ===長年活躍した女優=== ====明治生まれ==== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[川田芳子]](1895-1970) *[[酒井米子]](1898-1958) *[[澤村春子]](1901-1989) *[[柳さく子]](1902-1963) *[[梅村蓉子]](1903-1944) *[[喜代三]](1903-1963) *[[鈴木澄子]](1904-1985) </td> <td> *[[伏見直江]](1908-1982) *[[河原崎しづ江|山岸しづ江]](1908-2002) *[[田中絹代]](1909-1977) *[[森静子]](1909-2004) *[[原駒子]](1910-1968) *[[琴糸路]](1911-1956) </td></tr> </table> ====大正生まれ==== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[市川春代]](1913-2004) *[[飯塚敏子]](1914-1991) *[[三城輝子]](1917-1980) *[[轟夕起子]](1917-1967) *[[山田五十鈴]](1917-2012) *[[木暮実千代]](1918-1990) *[[花井蘭子]](1918-1961) *[[原節子]](1920-2015) *[[森光子]](1920-2012) </td> <td> *[[橘公子]](1921-不詳) *[[花柳小菊]](1921-2011) *[[山根寿子]](1921-1990) *[[宮城千賀子]](1922-1996) *[[淡島千景]](1924-2012) *[[京マチ子]](1924-2019) *[[長谷川裕見子]](1924-2010) *[[津島恵子]](1926-2012) *[[山岡久乃]](1926-1999) </td></tr> </table> ====昭和生まれ==== <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> *[[喜多川千鶴]](1930-1997) *[[八千草薫]](1931-2019) *[[千原しのぶ]](1931-2009) *[[河内桃子]](1932-1998) *[[宇治みさ子]](1932-2012) *[[左幸子]](1932-2001) *[[高千穂ひづる]](1932-2016) *[[池内淳子]](1933-2010) *[[草笛光子]](1933-) *[[淡路恵子]](1933-2014) *[[丘さとみ]](1935-) *[[野際陽子]](1936-2017) *[[市原悦子]](1936-2018) *[[白木万理]](1937-) *[[桜町弘子]](1937-) </td> <td> *[[万里昌代]](1937-不明) *[[松山容子]](1937-) *[[美空ひばり]](1937-1989) *[[北沢典子]](1938-) *[[小川眞由美]](1939-) *[[佐久間良子]](1939-) *[[藤村志保]](1939-) *[[中村玉緒]](1939-) *[[花園ひろみ]](1940-) *[[三島ゆり子]](1940-) *[[江波杏子]](1942-2018) *[[星由里子]](1943-2018) *[[野川由美子]](1944-) *[[栗原小巻]](1945-) *[[富司純子]](1945-) </td> <td> *[[大原麗子]](1946-2009) *[[梶芽衣子]](1947-) *[[大信田礼子]](1948-) *[[佐野アツ子]](1948-) *[[土田早苗]](1949-) *[[松本留美]](1949-) *[[由美かおる]](1950-) *[[市毛良枝]](1950-) *[[鮎川いずみ]](1951-) *[[三林京子]](1951-) *[[真野響子]](1952-) *[[松坂慶子]](1952-) *[[朝比奈順子]](1953-2021) *[[坂口良子]](1955-2013) *[[大地真央]](1956-) </td> <td> *[[かたせ梨乃]](1957-) *[[萬田久子]](1958-) *[[池上季実子]](1959-) *[[西崎緑]](1960-) *[[高島礼子]](1964-) *[[沢口靖子]](1965-) *[[若村麻由美]](1967-) *[[和久井映見]](1970-) *[[木村佳乃]](1976-) *[[竹内結子]](1980-2020) *[[柴咲コウ]](1981-) </td></tr> </table> == 主なテレビ時代劇 == テレビドラマ 参考資料:『実録テレビ時代劇史』(能村庸一著) 巻末の時代劇放送記録 <table cellpadding="3"> <tr valign="top"><td> <!--50音順--> <!--あ行--> * 赤頭巾快刀乱麻(野村宏伸) (NHK 1991年) * [[暁に斬る!]](北大路欣也)(関西テレビ 1982年) * [[赤胴鈴之助]](尾上緑也・吉永小百合)(ラジオ東京テレビ 1957年) * [[赤胴鈴之助]](吉田豊明)(大阪テレビ 1957年) * [[赤西蠣太]](田崎潤)(日本テレビ 1958年) * 赤ひげ(小林桂樹・あおい輝彦)(NHK 1972年) * 悪一代(勝新太郎)(朝日放送 1969年) * [[あさきゆめみし 〜八百屋お七異聞|あさきゆめみし]](前田敦子)(NHK 2013年) * [[天晴れ夜十郎]](阿部寛)(NHK、1996年) * [[あばれ医者嵐山]](西郷輝彦)(テレビ東京 1995年) * [[暴れ九庵]](風間杜夫) (関西テレビ 1984年) * あばれ頭巾(河原崎権三郎)(NHK 1954年) * [[あばれ八州御用旅]](西郷輝彦)(テレビ東京 1990年) * [[暴れん坊将軍]]シリーズ(松平健)(テレビ朝日1978年-2003年) * [[編笠十兵衛]](高橋英樹)(フジテレビ 1974年) * [[編笠十兵衛]](村上弘明)(テレビ東京 1997年) * [[あんみつ姫]](中原美紗緒) (ラジオ東京テレビ 1958年) * 池田大助捕物帳(尾上松緑・尾上辰之助)(NHK 1966年) * [[池田大助捕物日記]](中村勘九郎)(フジテレビ 1974年) * 維新風雲録(水島道太郎・服部哲治) (ラジオ東京テレビ 1958年) * [[出雲の阿国]] ** [[出雲の阿国 (小説)|出雲の阿国]](佐久間良子)(NET 1973年) ** [[出雲の阿国 (小説)|出雲の阿国]](菊川怜)(NHK 2006年) * [[一路]](永山絢斗)(NHK 2015年) * [[一心太助]]と[[大久保忠教|大久保彦左衛門]] ** 一心太助(鈴木やすし)(日本テレビ 1968年) ** [[彦左と一心太助]](山田太郎)(TBS 1969年-1970年) ** [[一心太助_(テレビドラマ)|一心太助]](杉良太郎)(フジテレビ 1971年-1972年) ** [[大久保彦左衛門_(テレビドラマ)|大久保彦左衛門]](進藤英太郎)(関西テレビ 1973年) ** [[一心太助|スキッと一心太助]](緒形直人)(NHK 1999年) * 一心茶助(茶川一郎)(関西テレビ 1960年)<ref group="注釈">一心太助をもじった上方コメディー。大阪ミナミの南街会館での劇場公開番組で毎週日曜夜6時からの30分の劇場生中継であった。脇役に漫才のいとし・こいし、女性3人ボーカルの「トリオこいさんず」等が出演。なおこの劇場は普段は映画館で、当日も夕方まで映画上映であった。</ref> * [[腕におぼえあり]](村上弘明)(NHK 1992年) * [[ゆうれい船|海の次郎丸]](中村光輝)(朝日放送 1968年) * [[右門捕物帖]] ** 右門捕物帖(中村竹弥) (ラジオ東京テレビ 1957年-1958年) ** 右門捕物帖(黒川弥太郎) (関西テレビ 1962年) ** [[右門捕物帖 (1969年のテレビドラマ)|右門捕物帖(中村吉右衛門)]](日本テレビ 1969年-1970年) ** [[右門捕物帖 (1974年のテレビドラマ)|右門捕物帖(杉良太郎)]](NET 1974年-1975年) ** [[右門捕物帖 (1982年のテレビドラマ)|右門捕物帖(杉良太郎)]](日本テレビ 1982年-1983年) * 運命峠(田村正和)(関西テレビ 1974年) * 江戸シリーズ(フジテレビ1975年-1981年) ** [[江戸の旋風]](加山雄三)(1975年-1980年) ** [[江戸の渦潮]](古谷一行・小林桂樹)(1978年) ** [[江戸の激斗]](小林桂樹・露口茂)(1979年) ** [[江戸の朝焼け]](沖雅也・小林桂樹)(1980年-1981年) ** [[江戸の用心棒 (1981年のテレビドラマ)|江戸の用心棒]](古谷一行・夏八木勲)(1981年) * [[江戸特捜指令]](中村敦夫) (毎日放送 1976年) * [[江戸中町奉行所]](古谷一行)(テレビ東京 1990年) * 江戸の影法師(中村竹弥)(ラジオ東京テレビ 1955年) * 江戸の影法師(月田昌也)(フジテレビ 1960年) * [[江戸の牙]](天知茂)(テレビ朝日 1979年) * [[江戸の鷹 御用部屋犯科帖]](三船敏郎)(テレビ朝日 1978年) * [[江戸の紅葵]](松方弘樹)(関西テレビ 1970年) * [[江戸の用心棒_(1994年のテレビドラマ)|江戸の用心棒]](高橋英樹)(日本テレビ 1994年) * [[江戸を斬る]](TBS 1973年-1981年 1987年 1994年) ** [[江戸を斬る 梓右近隠密帳|江戸を斬る梓右近隠密帳]](竹脇無我)(TBS 1973年-1974年) ** [[江戸を斬る (西郷輝彦)]](TBS 1975年-1981年) ** [[江戸を斬る (里見浩太朗)]](TBS 1987年) ** [[江戸を斬る (里見浩太朗)]](TBS 1994年) * [[黄金の日日]](市川染五郎)(NHK 1978年) * [[大江戸捜査網]](テレビ東京 1970年-1984年 1990年-1992年) ** 大江戸捜査網 (杉良太郎)(1970年-1974年) ** 大江戸捜査網 (里見浩太朗)(1974年-1979年) ** 大江戸捜査網 (松方弘樹)(1979年-1984年) ** 新・大江戸捜査網 (並木史朗)(1984年) ** 新・大江戸捜査網 (橋爪淳)(1990年-1992年) * 大江戸弁護人・走る!(高島政宏)(テレビ朝日 1996年) * [[南町奉行捕物帖 怒れ!求馬|大江戸を駈ける!]] (原田龍二)(TBS 2000年) * [[大岡越前]] ** [[大岡越前 (テレビドラマ)|大岡越前]](加藤剛)(TBS 1970年-1999年) ** [[名奉行! 大岡越前]](北大路欣也) (テレビ朝日 2005年) ** [[大岡越前 (2013年のテレビドラマ)|大岡越前]](東山紀之)(NHK 2013年) * [[大奥]] ** 徳川の夫人たち(佐久間良子) (NET 1967年) ** [[大奥 (1968年のテレビドラマ)|大奥]](関西テレビ 1968年) ** [[大坂城の女]](三益愛子・三田佳子)(関西テレビ 1970年) ** [[徳川おんな絵巻]](藤純子)(関西テレビ 1970年) ** 大奥の女たち(御影京子・喜多川千鶴)(関西テレビ 1971年) ** [[絵島生島]](有馬稲子・片岡孝夫)(東京12チャンネル 1971年) ** 大奥(中山仁・三益愛子)(関西テレビ 1972年) ** 徳川の夫人たち(生田悦子) (フジテレビ 1974年) ** [[徳川の女たち]] (フジテレビ 1980年) ** [[大奥 (1983年のテレビドラマ)|大奥]](栗原小巻)(関西テレビ 1983年) ** [[春日局_(NHK大河ドラマ)|春日局]](大原麗子) (NHK 1989年) ** [[大奥 (フジテレビの時代劇)|大奥]](菅野美穂)(フジテレビ、2003年) ** [[大奥 (フジテレビの時代劇)#2004年版『大奥〜第一章〜』|大奥〜第一章〜]](松下由樹) (フジテレビ 2004年) ** [[大奥 (フジテレビの時代劇)#2005年版『大奥〜華の乱〜』|大奥〜華の乱〜]](内山理名) (フジテレビ 2005年) ** [[篤姫_(NHK大河ドラマ)|篤姫]](宮崎あおい)(NHK 2008年) ** [[大奥〜誕生[有功・家光篇]]](多部未華子)(TBS 2012年) ** [[大奥 (2023年のテレビドラマ)|大奥]](オムニバス形式,徳川吉宗:冨永愛ほか)(NHK 2023年) * [[狼・無頼控]](村野武範)(毎日放送 1973年) * [[岡っ引どぶ]](山崎努)(フジテレビ 1972年) * [[岡っ引どぶ]](田中邦衛)(フジテレビ 1991年) * [[唖侍鬼一法眼|唖侍・鬼一法眼]](若山冨三郎)(日本テレビ 1973年) * [[おしどり右京捕物車]](中村敦夫)(朝日放送 1974年) * [[お助け同心が行く!]](小林稔侍)(テレビ東京 1993年) * [[織田信長]] ** [[織田信長_(1962年のテレビドラマ)|織田信長]](林真一郎)(朝日放送 1962年) ** [[若き日の信長]](市川猿之助)(フジテレビ 1964年) ** [[国盗り物語_(NHK大河ドラマ)|国盗り物語]](平幹二朗・高橋英樹)(NHK 1973年) ** [[信長_KING_OF_ZIPANGU|信長]](緒形直人)(NHK 1992年) ** [[信長のシェフ]](玉森裕太)(テレビ朝日 2013年) ** [[信長協奏曲]](小栗旬)(フジテレビ 2014年) * 男は度胸(浜畑賢吉)(NHK 1970年) * [[鬼平犯科帳]] ** [[鬼平犯科帳 (テレビドラマ)|鬼平犯科帳(松本幸四郎)]](NET 1969年-1972年) ** [[鬼平犯科帳 (丹波哲郎)|鬼平犯科帳(丹波哲郎)]](NET 1975年) ** [[鬼平犯科帳 (萬屋錦之介)|鬼平犯科帳(萬屋錦之介)]](テレビ朝日1980年-1982年) ** [[鬼平犯科帳 (中村吉右衛門)|鬼平犯科帳(中村吉右衛門)]](フジテレビ1989年-2001年) * [[お祭り銀次捕物帳]](あおい輝彦)(フジテレビ、1972年) * [[お耳役秘帳]](伊吹吾郎)(関西テレビ 1976年) * [[父子鷹]] ** 父子鷹(中村竹弥)(TBS 1964年) ** [[父子鷹 (1972年のテレビドラマ)|父子鷹]](島田正吾・若林豪)(関西テレビ 1972年) ** [[父子鷹 (1994年のテレビドラマ)|父子鷹]](松本幸四郎・市川染五郎)(日本テレビ 1994年) * [[おらんだ左近事件帖]](高橋英樹)(フジテレビ 1971年) * おらんだ左近秘剣帳(テレビ東京 1991年) * 俺はども安(砂塚秀夫・青島幸男)(フジテレビ 1965年) * [[おんな浮世絵・紅之介参る!]](小川真由美)(日本テレビ 1974年) * [[女殺し屋 花笠お竜]](久保菜穂子)(NET 1969年) * 女ねずみ小僧 ** [[浮世絵 女ねずみ小僧]](小川真由美)(フジテレビ1971年-1974年) ** [[ご存知!女ねずみ小僧]](小川真由美)(フジテレビ1977年) ** 女ねずみ小僧(中原理恵) (フジテレビ 1984年) ** [[女ねずみ小僧]](大地真央)(フジテレビ 1989年) ** [[名奉行 遠山の金さん#遠山の金さんVS女ねずみ|遠山の金さんVS女ねずみ]](水野真紀)(テレビ朝日 1997年) ** [[名奉行 遠山の金さん#金さんVS女ねずみ|金さんVS女ねずみ]](水野真紀)(テレビ朝日 1998年) * [[女無宿人 半身のお紺]](かたせ梨乃)(テレビ東京 1991年) * [[隠密・奥の細道]](佐藤浩市)(テレビ東京 1988年) * [[隠密剣士]] ** [[隠密剣士]](大瀬康一)(TBS 1962年) ** 新・隠密剣士(林真一郎) (TBS 1965年) ** 隠密剣士(萩島真一) (TBS 1973年) * [[隠密奉行朝比奈]](北大路欣也)(フジテレビ 1998年) * [[陰陽師 (2001年のテレビドラマ)|陰陽師]](稲垣吾郎)(NHK 2001年) * [[陰陽師☆安倍晴明〜王都妖奇譚〜]](三上博史)(フジテレビ 2002年) * [[御宿かわせみ]] ** [[御宿かわせみ]](真野響子)(NHK 1980年) ** [[御宿かわせみ|新・御宿かわせみ]](沢口靖子)(テレビ朝日 1997年) ** [[御宿かわせみ]](高島礼子)(NHK 2003年) <!--か行--> * [[快傑黒頭巾]] ** 快傑黒頭巾(若柳敏三郎)(日本テレビ 1958年) ** [[快傑黒頭巾 (1966年のテレビドラマ)|快傑黒頭巾(加島潤)]](フジテレビ1966年) ** 快傑黒頭巾(坂東八十助)(NHK 1976年) * [[快傑ライオン丸]](潮哲也)(フジテレビ 1972年) * [[快刀!夢一座七変化]](三田村邦彦)(テレビ朝日 1996年) * [[火怨・北の英雄 アテルイ伝]](大沢たかお)(NHK 2013年) * [[隠し目付参上]](江守徹)(毎日放送 1976年) * [[影同心]](山口崇)(毎日放送 1975年) * [[服部半蔵 影の軍団|影の軍団]](千葉真一)(関西テレビ 1980年-1985年) * [[陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜|陽炎の辻]](山本耕史)(NHK 2007年) * [[花神 (NHK大河ドラマ)|花神]](中村梅之助)(NHK 1977年) * 風(栗塚旭)(TBS 1967年) * [[風小僧]](山城新伍)(NET 1959年) * [[風と雲と虹と]](加藤剛)(NHK 1976年) * 風の三度笠(夏目俊二)(関西テレビ 1961年) * [[風の果て]](佐藤浩市)(NHK 2007年) * [[風の隼人]](勝野洋)(NHK 1979年) * 風の武士(夏目俊二)(関西テレビ 1960年) * [[勝海舟]] ** 勝海舟(坂東好太郎)(日本テレビ 1958年) ** 勝海舟(江原真二郎)(NET 1965年) ** [[勝海舟_(NHK大河ドラマ)|勝海舟]](渡哲也・松方弘樹)(NHK 1974年) * [[鎌倉幕府]] ** 風雲児時宗(松本錦四郎)(フジテレビ 1961年) ** 北条政子(佐久間良子)(NET 1970年) ** [[草燃える]](石坂浩二・岩下志麻)(NHK 1979年) ** [[北条時宗_(NHK大河ドラマ)|北条時宗]](和泉元弥)(NHK 2001年) * 上方武士道(早川恭二)(関西テレビ 1961年) * 上方武士道(鶴田浩二)(日本テレビ 1969年) * [[神谷玄次郎捕物控]] ** [[悪党狩り]](尾上菊五郎)(東京12チャンネル 1980年)<ref group="注釈">原作は「神谷玄次郎捕物控」(藤沢周平)で、尾上菊五郎が神谷玄次郎を演じている。</ref> ** [[神谷玄次郎捕物控]](古谷一行)(フジテレビ 1990年) ** [[神谷玄次郎捕物控]](高橋光臣)(NHK 2014年) * [[髪結い伊三次]](中村橋之助)(フジテレビ 1999年) * [[仮面の忍者 赤影]](坂口祐三郎)(関西テレビ 1967年) * [[乾いて候]](田村正和)(フジテレビ 1984年) * [[川中島の戦い]] ** 風林火山(原保美)(NET 1959年) ** [[武田信玄_(1966年のテレビドラマ)|武田信玄]](倉丘伸太郎)(読売テレビ 1966年) ** [[天と地と_(NHK大河ドラマ)|天と地と]](石坂浩二)(NHK 1969年) ** 風林火山(東野英治郎)(NET 1969年) ** [[武田信玄_(NHK大河ドラマ)|武田信玄]](中井貴一)(NHK 1988年) ** [[風林火山 (NHK大河ドラマ)|風林火山]](内野聖陽)(NHK 2007年) * [[木曽街道いそぎ旅]](山口崇)(フジテレビ1973年) * [[騎馬奉行]](市川染五郎) (関西テレビ 1979年) * [[斬り捨て御免!]](中村吉右衛門)(東京12チャンネル 1980年) * [[斬り抜ける]] (近藤正臣)(朝日放送 1974年) * [[雲霧仁左衛門]] ** [[雲霧仁左衛門 (1979年のテレビドラマ)|雲霧仁左衛門]](天知茂)(フジテレビ 1979年) ** [[雲霧仁左衛門 (1995年のテレビドラマ)|雲霧仁左衛門]](山崎努)(フジテレビ 1995年-1996年) ** [[雲霧仁左衛門 (2013年のテレビドラマ)|雲霧仁左衛門]](中井貴一)(NHK 2013年・2015年) * [[鞍馬天狗 (小説)|鞍馬天狗]] ** 鞍馬天狗(市川高麗蔵) (ラジオ東京テレビ 1956年) ** 鞍馬天狗(市川団子) (ラジオ東京テレビ 1960年) ** 鞍馬天狗(中村竹弥) (TBS 1963年) ** 鞍馬天狗(大瀬康一) (毎日放送 1967年) ** [[鞍馬天狗 (1969年のテレビドラマ)|鞍馬天狗(高橋英樹)]](NHK 1969年) ** [[鞍馬天狗 (1974年のテレビドラマ)|鞍馬天狗(竹脇無我)]](日本テレビ 1974年) ** [[鞍馬天狗 (1990年のテレビドラマ)|鞍馬天狗(目黒祐樹)]](テレビ東京 1990年) ** [[鞍馬天狗 (2008年のテレビドラマ)|鞍馬天狗(野村萬齋)]](NHK 2008年) * [[黒い編笠]](大瀬康一)(朝日放送 1968年) * [[軍師官兵衛]](岡田准一)(NHK 2014年) * [[軍兵衛目安箱]](片岡千恵蔵) (NET 1971年) * [[慶次郎縁側日記]](高橋英樹)(NHK 2004年) * 剣・天下一の剣豪 (丹波哲郎)(日本テレビ 1967年) * [[喧嘩屋右近]](杉良太郎)(テレビ東京 1992年) * [[けんか安兵衛]](松方弘樹) (関西テレビ 1975年) * [[剣客商売 (テレビドラマ)|剣客商売]] ** [[剣客商売 (テレビドラマ)|剣客商売]](加藤剛)(フジテレビ1973年) ** [[剣客商売 (テレビドラマ)|剣客商売]](中村又五郎)(フジテレビ1983年) ** [[剣客商売 (テレビドラマ)|剣客商売]](藤田まこと)(フジテレビ1998年) ** [[剣客商売 (テレビドラマ)|剣客商売]](北大路欣也)(フジテレビ2012年-) * [[源九郎旅日記 葵の暴れん坊]](西郷輝彦)(テレビ朝日1982年) * 源氏物語(伊丹十三)(毎日放送 1965年) * [[幻十郎必殺剣]](北大路欣也)(テレビ東京 2008年) * [[剣と風と子守唄]](三船敏郎) (日本テレビ 1975年) * 幻之介世直し帖(小林旭)(日本テレビ 1981年) * 剣は知っていた(早川恭二)(関西テレビ 1965年) * [[江〜姫たちの戦国〜]](上野樹里)(NNK 2011年) * [[功名が辻]] ** [[功名が辻]](団令子・三橋達也)(NET 1966年) ** 功名が辻(檀ふみ・宅麻伸)(テレビ朝日1997年) ** [[功名が辻 (NHK大河ドラマ)|功名が辻]](仲間由紀恵・上川隆也)(NNK 2006年) * [[荒野の素浪人]](三船敏郎)(NET 1972年) * [[荒野の用心棒 (テレビドラマ)|荒野の用心棒]](夏木陽介)(NET 1973年) * 五街道まっしぐら(村野武範)(NET 1976年) * [[木枯し紋次郎]](1972年-1973年 1977年-1978年) ** [[木枯し紋次郎]](中村敦夫)(フジテレビ 1972年) ** 新・木枯し紋次郎(中村敦夫)(東京12チャンネル 1977年) * [[御家人斬九郎]](渡辺謙)(フジテレビ1995年) * ご存じからす堂(三橋達也)(フジテレビ 1967年) * [[子連れ狼]] ** [[子連れ狼 (萬屋錦之介版)|子連れ狼]](萬屋錦之介)(日本テレビ 1973年) ** [[子連れ狼_(北大路欣也版)|子連れ狼]](北大路欣也)(テレビ朝日 2002年) * [[琴姫七変化]](松山容子)(大阪YTV 1960年) * [[五人の野武士]](三船敏郎・宝田明)(日本テレビ 1968年) * [[五瓣の椿]](藤純子)(フジテレビ 1969年) * [[五瓣の椿]](国仲涼子)(NHK 2001年) <!--さ行--> * [[坂本龍馬]] ** 幕末物語 坂本龍馬篇(和崎俊哉)(毎日放送 1959年) ** 青年 維新編 渦潮 坂本龍馬伝(戸浦六宏)(NHK 1961年) ** [[竜馬がゆく (1965年のテレビドラマ)|竜馬がゆく]](中野誠也)(毎日放送 1965年) ** [[竜馬がゆく (NHK大河ドラマ)|竜馬がゆく]](北大路欣也) (NHK 1968年) ** [[竜馬におまかせ!]] (浜田雅功)(日本テレビ 1996年) ** [[龍馬伝]](福山雅治)(NHK 2010年) * 左近右近(立花伸介)(ラジオ東京テレビ 1959年) * [[佐々木小次郎]] ** [[佐々木小次郎]](入川保則) (読売テレビ 1962年) ** [[佐々木小次郎]](東千代之介)(毎日放送 1965年) * 薩摩飛脚(坂東吉弥)(日本テレビ 1958年) * [[座頭市]] ** [[座頭市物語 (テレビドラマ)|座頭市物語]](勝新太郎) (フジテレビ1974年) ** [[新・座頭市]](勝新太郎) (フジテレビ1976年) * [[里見八犬伝 (1964年のフジテレビのテレビドラマ)|里見八犬伝]](倉丘伸太郎)(フジテレビ 1964-1965年) * [[真田氏|真田一族]]および[[真田十勇士]](猿飛佐助を含む) ** 猿飛佐助旅日記(千葉栄)(ラジオ東京テレビ 1955年) ** 忍術真田城(小林重四郎)(日本テレビ 1957年) ** 無敵真田十勇士(谷本さとし)(日本テレビ 1961年) ** 天下の暴れん坊・猿飛佐助(沢村精四郎)(NET 1961年) ** 真田三銃士(高峰圭二)(関西テレビ 1962年) ** [[忍びの者]](品川隆二)(NET 1964年) ** [[風雲真田城]](高田浩吉)(朝日放送 1964年) ** 真田幸村(中村錦之助)(TBS 1966年) ** 熱血・猿飛佐助(桜木健一)(TBS 1972年) ** [[猿飛佐助 (1980年のテレビドラマ)|猿飛佐助]](太川陽介)(日本テレビ 1980年) ** [[風神の門]](三浦浩一)(NHK 1980年) ** [[真田太平記_(テレビドラマ)|真田太平記]](渡瀬恒彦)(NHK 1985年) ** [[風雲!真田幸村]](北大路欣也)(テレビ東京 1989年) ** [[猿飛三世]](伊藤淳史)(NHK 2012年) ** [[真田丸 (NHK大河ドラマ)|真田丸]](堺稚人)(NHK 2016年) * さむらい飛脚(大友柳太朗)(NET 1971年) * さすらいの狼(萬屋錦之介)(NET 1972年) * [[三姉妹]](岡田茉莉子・藤村志保・栗原小巻)(NHK 1967年) * [[参上! 天空剣士]](目黒祐樹)(テレビ東京 1990年) * [[三匹が斬る!]](テレビ朝日 1987年-1995年 2002年) ** [[三匹が斬る!]](高橋英樹)(テレビ朝日 1987年) ** [[三匹が斬る!]](高嶋政伸)(テレビ朝日 2002年) * [[三匹の侍]](フジテレビ 1963年-1969年 1970年) ** [[三匹の侍]](丹波哲郎・平幹二朗・長門勇)<ref group="注釈">第6シーズンまで制作したが、丹波哲郎は第1シーズンのみで途中降板して、第2シーズンから加藤剛が加わった。</ref> ** [[三匹の侍|新・三匹の侍]](安藤昇・高森玄・長門勇) * [[地獄の辰捕物控]](北大路欣也)(NET 1972年) * [[清水次郎長]] ** 次郎長売り出す(早川恭二)(関西テレビ 1961年) ** 俺ら次郎長(橋幸夫) (TBS 1961年) ** 次郎長三国志(安井昌二・天知茂)(フジテレビ 1964年) ** [[次郎長三国志]](中野誠也)(NET 1968年) ** [[清水次郎長_(1971年のテレビドラマ)|清水次郎長]](竹脇無我)(フジテレビ 1971年) ** [[次郎長三国志]](鶴田浩二)(NET 1974年) ** [[次郎長背負い富士]](中村雅俊)(NHK 2006年) * しゃっくり寛太(藤山寛美)(朝日放送 1960年) * 十手人(高嶋政伸)(テレビ朝日 2001年) * [[十手無用 九丁堀事件帖]](高橋英樹)(日本テレビ 1975年) * [[佐武と市捕物控|十手野郎捕物控]](なべおさみ・藤岡琢也)(TBS 1971年)<ref group="注釈">原作は石ノ森章太郎の漫画「佐武と市捕物控」。TBS版は題名が「十手野郎捕物控」と改題されている。1981年にフジテレビで「佐武と市捕物控」の題名でスペシャル時代劇として制作されている。またアニメ版も1968年に毎日放送制作で放送されている。</ref> * [[賞金稼ぎ (テレビドラマ)|賞金稼ぎ]](若山富三郎) (NET 1975年) * [[将軍家光忍び旅]](三田村邦彦)(テレビ朝日 1990年) * [[将軍の隠密!影十八]](三田村邦彦)(テレビ朝日 1996年) * [[白獅子仮面]](三ツ木清隆)(日本テレビ 1973年) * [[白頭巾参上]](大瀬康一)(朝日放送 1969年) * [[JIN-仁-]](大沢たかお)(TBS、2009年 2011年) * [[新吾十番勝負]] ** [[新吾十番勝負]](細川俊夫)(日本テレビ 1958年) ** 新吾二十番勝負(夏目俊二)(関西テレビ 1961年) ** [[新吾十番勝負]](田村正和)(TBS 1966年) ** [[新吾十番勝負]](松方弘樹)(関西テレビ 1970年) * [[新五捕物帳]](杉良太郎)(日本テレビ 1977年-1982年) * 新釈諸国ばなし(伊藤雄之助)(日本テレビ 1958年) </td> <td> * [[新選組]] ** 幕末物語 近藤勇と桂小五郎篇(小柴幹治)(毎日放送 1959年) ** 風雲新選組(嵐寛寿郎)(フジテレビ 1961年) ** [[新選組始末記]](中村竹弥)(TBS 1961年) ** [[新選組血風録 (テレビドラマ)|新選組血風録]](栗塚旭)(NET 1965年) ** [[燃えよ剣]](内田良平)(東京12チャンネル 1966年) ** [[燃えよ剣]](栗塚旭)(NET 1970年) ** [[新選組_(テレビドラマ)|新選組]](鶴田浩二)(フジテレビ1973年) ** [[新選組始末記]](平幹二朗)(TBS 1977年) ** [[壬生の恋歌]](高橋幸治)(NHK 1983年) ** [[新選組血風録 (テレビドラマ)|新選組血風録]](渡哲也)(テレビ朝日 1998年) ** [[新撰組!]](香取慎吾)(NHK、2004年) ** [[新選組血風録 (テレビドラマ)|新選組血風録]](永井大)(NHK 2011年) * 助左衛門四代記(宇野重吉) (朝日放送 1968年) * 素浪人シリーズ(NET 1965年-1974年) ** [[素浪人 月影兵庫|素浪人月影兵庫]](近衛十四郎・品川隆二)(NET 1965年) ** [[素浪人 花山大吉|素浪人花山大吉]](近衛十四郎・品川隆二)(NET 1969年) ** [[素浪人 天下太平|素浪人天下太平]](近衛十四郎)(NET 1973年) ** [[いただき勘兵衛 旅を行く|いただき勘兵衛旅を行く]](近衛十四郎)(NET 1973年) * [[清左衛門残日録]](仲代達矢) (NHK 1993年) * [[銭形平次捕物控|銭形平次]] ** 銭形平次捕物控(若山富三郎)(ラジオ東京テレビ 1958年) ** 銭形平次捕物控(安井昌二)(TBS 1962年) ** [[銭形平次 (大川橋蔵)|銭形平次(大川橋蔵)]](フジテレビ1966年-1984年 ) ** [[銭形平次 (風間杜夫)|銭形平次(風間杜夫)]](日本テレビ 1987年) ** [[銭形平次 (北大路欣也)|銭形平次(北大路欣也)]](フジテレビ1998年) ** 銭形平次(村上弘明)(テレビ朝日 2004年) * [[戦国艶物語]](若尾文子・岩下志麻・星由里子)(TBS 1969年) * 戦国無宿(夏八木勲)(大阪YTV 1967年) * [[戦国ロック はぐれ牙]](梶芽衣子)(フジテレビ 1973年) * 千姫(藤村志保)(NET 1966年) * [[そば屋梅吉捕物帳]](中村梅之助) (東京12チャンネル 1979年) <!--た行--> * 大助捕物帖(市川染五郎)(日本テレビ 1958年) * 大盗賊(丹波哲郎)(フジテレビ 1974年) * [[大菩薩峠_(小説)|大菩薩峠]](平幹二朗)(ラジオ東京テレビ 1961年) * [[高杉晋作_(テレビドラマ)|高杉晋作]](宗方勝巳)(朝日放送 1963年) * 竜巻小天狗(高峰圭二)(関西テレビ 1960年) * 旅がらすシリーズ(NET 1968年-1971年) ** [[旅がらすくれないお仙]](松山容子)(NET 1968年) ** [[緋剣流れ星お蘭]](花園ひろみ)(NET 1969年) ** [[紅つばめお雪]](宮園純子)(NET 1970年) * [[旅がらす事件帖]](小林旭)(関西テレビ 1980年) * [[旅人異三郎]](杉良太郎)(東京12チャンネル 1973年) * [[達磨大助事件帳]](中村梅之助)(テレビ朝日 1977年) * [[丹下左膳]] ** 丹下左膳(丹波哲郎)(日本テレビ 1958年) ** 丹下左膳(辰巳柳太郎)(フジテレビ 1960年) ** [[丹下左膳 (1965年のテレビドラマ)|丹下左膳(中村竹弥)]](TBS 1965年) ** [[丹下左膳 (1967年のテレビドラマ)|丹下左膳(松山英太郎)]](TBS 1967年) ** [[丹下左膳 (1970年のテレビドラマ)|丹下左膳(緒形拳)]](NET 1970年) ** 丹下左膳(高橋幸治)(日本テレビ 1974年) * [[忠臣蔵]]([[赤穂浪士]]) ** 忠臣蔵の人々(市川段四郎)(ラジオ東京テレビ 1956年) ** 赤穂浪士(柳永二郎)(NET 1959年) ** [[赤穂浪士 (NHK大河ドラマ)|赤穂浪士]](長谷川一夫)(NHK 1964年)<ref group="注釈">長谷川一夫テレビ初登場。大河ドラマ史上最高視聴率53%を記録。</ref> ** [[あゝ忠臣蔵]](山村總)(関西テレビ 1969年) ** [[大忠臣蔵 (1971年のテレビドラマ)|大忠臣蔵]](三船敏郎)(NET 1971年) ** [[元禄太平記]](石坂浩二)(NHK 1975年) ** [[赤穂浪士 (1979年のテレビドラマ)|赤穂浪士(萬屋錦之助)]](テレビ朝日1979年) ** [[峠の群像]](緒形拳)(NHK 1982年) ** [[忠臣蔵_(1996年のテレビドラマ)|忠臣蔵]](北大路欣也)(フジテレビ 1996年) ** [[元禄繚乱]](中村勘九郎)(NHK 1999年) ** [[忠臣蔵]](松平健)(テレビ朝日2004年) ** [[最後の忠臣蔵]](北大路欣也)(NHK 2004年) ** [[四十八人目の忠臣|忠臣蔵の恋]](武井咲)(NHK 2016年) * [[長七郎天下ご免!]](里見浩太朗)(テレビ朝日 1979年) * [[長七郎江戸日記]]シリーズ(里見浩太朗)(日本テレビ 1983年) * 痛快 河内山宗俊(勝新太郎)(フジテレビ 1975年) * [[塚原卜伝 (テレビドラマ)|塚原卜伝]](堺雅人)(NHK 2011年) * [[付き馬屋おえん事件帳]](山本陽子)(テレビ東京 1990年) * 月影剣法(江見俊太郎)(日本テレビ 1958年) * [[月影兵庫あばれ旅]](村上弘明)(テレビ東京 1989年) * [[てなもんや三度笠]](藤田まこと)(朝日放送 1962年-1968年) * [[お江戸捕物日記 照姫七変化|照姫七変化]](沢口靖子)(フジテレビ 1990年) * [[天下御免]](山口崇)(NHK 1971年) * [[天下堂々]](篠田三郎)(NHK 1973年) * [[伝七捕物帳]] ** [[伝七捕物帳 (1968年のテレビドラマ)|伝七捕物帳]](高田浩吉)(朝日放送 1968年) ** [[伝七捕物帳]](中村梅之助)(日本テレビ 1973年) ** [[伝七捕物帳]](中村梅之助)(テレビ朝日 1979年) * [[天地人 (NHK大河ドラマ)|天地人]](妻夫木聡)(NHK 2009年) * [[天皇の世紀]] (朝日放送 1971年) * [[天罰屋くれない 闇の始末帖]](片平なぎさ)(テレビ朝日 2003年) * [[天を斬る]](栗塚旭)(NET 1969年) * [[同心暁蘭之介]](杉良太郎)(フジテレビ 1981年) * [[遠山の金さん]]<ref group="注釈">「江戸を斬る」(西郷輝彦および里見浩太朗)シリーズは別掲参照。</ref> ** [[遠山の金さん|金四郎江戸桜]](坂東好太郎)(NHK 1957年) ** [[遠山の金さん捕物帳 (夏目俊二)|遠山の金さん捕物帳(夏目俊二)]](関西テレビ 1960年) ** 噂の金四郎 (松本錦四郎) (日本テレビ 1963年) ** [[遠山の金さん (1967年のテレビドラマ)|遠山の金さん(市川新之助)]](日本テレビ 1967年) ** [[遠山の金さん捕物帳|遠山の金さん捕物帳(中村梅之助)]](NET 1970年) ** [[ご存知遠山の金さん|ご存じ遠山の金さん(市川段四郎)]](NET 1973年) ** [[ご存じ金さん捕物帳|ご存じ金さん捕物帳(橋幸夫)]](NET 1974年) ** [[遠山の金さん (テレビ朝日)|遠山の金さん(杉良太郎)]](NET 1975年) ** [[遠山の金さん (高橋英樹)|遠山の金さん(高橋英樹)]](テレビ朝日1982年) ** [[名奉行 遠山の金さん|名奉行 遠山の金さん(松方弘樹)]](テレビ朝日1988年) ** [[遠山の金さん (2007年のテレビドラマ)|遠山の金さん(松平健)]](テレビ朝日2007年) * [[度胸時代]](山口崇)(名古屋CBC 1974年) * [[徳川家康]] ** [[徳川家康 (山岡荘八)|徳川家康]](市川右太衛門)(NET 1964年) ** [[関ヶ原_(テレビドラマ)|関ヶ原]](森繁久弥)(TBS 1981年) ** [[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]](滝田栄)(NHK 1983年) ** [[影武者徳川家康]](高橋英樹)(テレビ朝日 1998年) ** [[葵 徳川三代]](津川雅彦・西田敏行・尾上辰之助)(NHK 2000年) * [[徳川三国志 (テレビドラマ)|徳川三国志]](松方弘樹)(NET 1975年) * [[徳川無頼帳]](西城秀樹・千葉真一)(テレビ東京 1992年) * [[徳川慶喜 (NHK大河ドラマ)|徳川慶喜]](本木雅弘)(NHK 1998年) * [[独眼竜政宗_(NHK大河ドラマ)|独眼竜政宗]] (渡辺謙)(NHK 1987年) * [[利家とまつ〜加賀百万石物語〜]](唐沢寿明・松嶋菜々子)(NHK 2002年) * [[殿さま風来坊隠れ旅]](三田村邦彦・西岡徳馬)(テレビ朝日 1994年) * [[豊臣秀吉]] ** 太閤記・日吉丸編(森健二)(日本テレビ 1956年) ** 太閤記・藤吉郎編(大川太郎)(日本テレビ 1958年) ** [[新書太閤記]](花房錦一) (毎日放送 1959年) ** [[戦国大統領]](伏見扇太郎)(NET 1963年) ** [[太閤記_(NHK大河ドラマ)|太閤記]](緒形拳)(NHK 1965年) ** [[新書太閤記]](山口崇) (NET 1973年) ** [[おんな太閤記]](西田敏行)(NHK 1981年) ** [[秀吉_(NHK大河ドラマ)|秀吉]](竹中直人)(NHK 1996年) ** [[太閤記〜天下を獲った男・秀吉]](中村橋之助)(テレビ朝日2006年) * [[翔んでる!平賀源内]](西田敏行)(TBS 1989年) <!--な行--> * ながい坂(中村吉右衛門・星由里子)(NET 1969年) * [[長崎犯科帳]](萬屋錦之介)(日本テレビ 1975年) * [[流れ星佐吉]](郷ひろみ) (関西テレビ 1984年) * [[菜の花の沖]](竹中直人)(NHK 2000年) * [[鳴門秘帖]] ** [[鳴門秘帖]](水島道太郎)(ラジオ東京テレビ 1959年) ** [[鳴門秘帖]](高橋悦史)(毎日放送 1966年) ** [[鳴門秘帖]](田村正和)(NHK 1977年) * 日本巌窟王(草刈正雄)(NHK 1979年) * [[人形佐七捕物帳]] ** 人形佐七捕物帳(若柳敏三郎)(NET 1960年) ** [[人形佐七捕物帳 (1965年のテレビドラマ)|人形佐七捕物帳]](松方弘樹)(NHK 1965年) ** [[人形佐七捕物帳 (1971年のテレビドラマ)|人形佐七捕物帳]](林与一)(NET 1971年) ** [[人形佐七捕物帳 (1977年のテレビドラマ)|人形佐七捕物帳]](松方弘樹)(テレビ朝日1977年) * 人魚亭異聞 無法街の素浪人(三船敏郎)(NET 1976年) * 人情とどけます〜江戸娘飛脚〜(本上まなみ)(NHK 2003年) * [[忍法かげろう斬り]](渡哲也)(関西テレビ 1972年) * [[眠狂四郎]] ** [[眠狂四郎無頼控 (1957年のテレビドラマ)|眠狂四郎無頼控]](江見渉)(日本テレビ 1957年) ** [[眠狂四郎 (1961年のテレビドラマ)|眠狂四郎]](江見俊太郎)(日本テレビ 1961年) ** [[眠狂四郎 (1967年のテレビドラマ)|眠狂四郎]](平幹二朗)(フジテレビ 1967年) ** [[眠狂四郎 (1972年のテレビドラマ)|眠狂四郎]](田村正和)(関西テレビ 1972年) ** [[眠狂四郎円月殺法 (1982年のテレビドラマ)|眠狂四郎円月殺法]](片岡孝夫)(テレビ東京1982年) ** [[眠狂四郎無頼控 (1983年のテレビドラマ)|眠狂四郎無頼控]](片岡孝夫)(テレビ東京1983年) <!--は行--> * [[薄桜記]](山本耕史)(NHK 2012年) * [[白馬童子]](山城新伍)(NET 1960年) * 白馬の剣士(林真一郎・山城新伍)(TBS 1964年) * 幕府お耳役檜十三郎(永島敏行)(テレビ東京 1991年) * 幕末(田村高広・山村總)(TBS 1964年) * [[はぐれ医者 お命預かります!]](藤田まこと)(テレビ朝日 1995年) * [[浮浪雲]](渡哲也) (テレビ朝日 1978年) * [[浮浪雲]](ビートたけし)(TBS 1990年) * [[旗本退屈男]] ** 旗本退屈男(中村竹弥)(ラジオ東京テレビ 1959年) ** 旗本退屈男(高橋英樹)(フジテレビ 1970年) ** [[旗本退屈男 (1973年のテレビドラマ)|旗本退屈男]](市川右太衛門)(NET 1973年) ** [[ご存知!旗本退屈男]](北大路欣也)(テレビ朝日 1988年) ** [[旗本退屈男 (2001年のテレビドラマ)|旗本退屈男]](北大路欣也)(フジテレビ2001年) * [[八代将軍吉宗]](西田敏行)(NHK 1995年) * 八州犯科帳(緒形拳)(フジテレビ 1974年) * [[八州廻り桑山十兵衛〜捕物控ぶらり旅|八州廻り桑山十兵衛]](北大路欣也)(テレビ朝日 2007年) * [[八丁堀捕物ばなし]](役所広司)(フジテレビ 1993年) * [[八丁堀の七人]](片岡鶴太郎)(テレビ朝日 2000年) * [[八百八町夢日記]](里見浩太朗)(日本テレビ 1989年) * [[花の生涯 (NHK大河ドラマ)|花の生涯]](尾上松緑)(NHK 1963年)<ref group="注釈">NHK大河ドラマ第1作。</ref> * [[疾風同心]](和田浩二)(東京12チャンネル 1978年) * [[疾風同心|八丁堀暴れ軍団]](和田浩二)(東京12チャンネル 1979年) * [[隼人が来る]](高橋英樹)(フジテレビ 1972年) * [[盤嶽の一生]](嵐寛寿郎)(NHK 1963年) * [[盤嶽の一生]](役所広司)(フジテレビ 2002年) * [[半七捕物帳]] ** 半七捕物帳(笈川武夫)(NHK 1953年)<ref group="注釈">テレビドラマ史上初の時代劇。</ref> ** 半七捕物帳(中村竹弥)(ラジオ東京テレビ 1956年) ** 半七捕物帳(尾上松緑)(日本テレビ 1961年) ** 半七捕物帳(長谷川一夫)(TBS 1966年) ** 半七捕物帳(平幹二朗)(NET 1971年) ** [[半七捕物帳 (1979年のテレビドラマ)|半七捕物帳(尾上菊五郎)]](テレビ朝日 1979年) ** 半七捕物帳(里見浩太朗)(日本テレビ 1992年) ** [[新・半七捕物帳]](真田広之)(NHK 1997年) * 幡髄院長兵衛(坂東好太郎) (日本テレビ 1958年) * [[幡随院長兵衛お待ちなせえ]](平幹二朗)(毎日放送 1974年) * [[はんなり菊太郎]](内藤剛志)(NHK 2002年) * ピカ助捕物帳(頭師孝雄) (関西テレビ 1958年) * [[陽だまりの樹]](市原隼人)(NHK 2012年) * [[必殺シリーズ]](朝日放送、1972年-1987年) * [[姫将軍大あばれ]](本倉さつき)(テレビ東京、1995年) * [[風雲ライオン丸]](渡哲也)(フジテレビ 1973年) * [[夫婦旅日記 さらば浪人]](藤田まこと・中村玉緒)(フジテレビ 1976年) * 風流あばれ奉行(中村竹弥)(ラジオ東京テレビ 1960年) * 風鈴捕物帳(西郷輝彦)(TBS 1978年) * 笛吹童子(北大路欣也)(NET 1960年) * 笛吹童子(岡村清太郎)(TBS 1972年) * 二人の素浪人(平幹二朗・浜畑賢吉)(フジテレビ1972年) * [[ぶらり信兵衛 道場破り]](高橋英樹)(フジテレビ1973年) * [[ふりむくな鶴吉]](沖雅也)(NHK 1974年) * [[文五捕物絵図]](杉良太郎)(NHK 1967年) * [[文吾捕物帳]](滝田栄)(テレビ朝日 1981年) * [[平家]] ** [[女人平家_(テレビドラマ)|女人平家]](吉永小百合)(朝日放送 1971年) ** [[新・平家物語_(NHK大河ドラマ)|新・平家物語]](仲代達矢)(NHK 1972年) ** [[平清盛_(NHK大河ドラマ)|平清盛]](松山ケンイチ)(NHK 2012年) * [[武蔵坊弁慶|弁慶]] ** 弁慶(丹波哲郎) (日本テレビ 1965年) ** [[武蔵坊弁慶_(テレビドラマ)|武蔵坊弁慶]](中村吉右衛門) (NHK 1986年) * [[変身忍者 嵐]](南城竜也)(毎日放送 1972年) * [[北斗の人]](加藤剛)(NET 1967年) * [[北斗の人]](伊吹吾郎)(関西テレビ 1974年) * [[炎立つ (NHK大河ドラマ)|炎立つ]](渡辺謙・村上弘明)(NHK 1993-1994年) <!--ま行--> * 魔像 十七の首(田村高広・田村正和)(TBS 1970年) * 又四郎行状記(中村竹弥)(ラジオ東京テレビ 1958年) * 松平右近 ** [[松平右近事件帳]](里見浩太朗)(日本テレビ 1982年) ** 新・松平右近事件帳(里見浩太朗)(日本テレビ 1983年) * [[水戸黄門]] ** エノケンの水戸黄門漫遊記(榎本健一)(日本テレビ 1954年) ** 水戸黄門漫遊記(十朱幸雄)(ラジオ東京テレビ 1957年) ** 新説水戸黄門(花柳寛)(フジテレビ1960年) ** 水戸黄門漫遊記(市川左団次)(日本テレビ 1960年) ** [[水戸黄門 (ブラザー劇場)|水戸黄門(月形龍之介)]](TBS1964年) ** [[水戸黄門 (第1-13部)|水戸黄門(東野英治郎)]](TBS1969-1983年) ** [[水戸黄門 (第14-21部)|水戸黄門(西村晃)]](TBS1983-1992年) ** [[水戸黄門 (第22-28部)|水戸黄門(佐野浅夫)]](TBS1993-2000年) ** [[水戸黄門 (第29-30部)|水戸黄門(石坂浩二)]](TBS2000-2001年) ** [[水戸黄門 (第39-43部)|水戸黄門(里見浩太朗)]](TBS2002-2011年) * [[水戸黄門外伝 かげろう忍法帖]](由美かおる)(TBS 1995年) * [[南町奉行捕物帖 怒れ!求馬]](原田龍二)(TBS 1997年) * [[源義経]] ** 源義経(南郷京之助)(NET 1959年) ** [[源義経_(NHK大河ドラマ)|源義経]](尾上菊之助)(NHK 1966年) ** [[義経_(NHK大河ドラマ)|義経]](滝沢秀明)(NHK 2005年) * [[宮本武蔵]] ** 宮本武蔵(安井昌二)(日本テレビ 1958年) ** 宮本武蔵(丹波哲郎)(フジテレビ 1961年) ** それからの武蔵(月形龍之介)(毎日放送 1964年) ** 宮本武蔵(北大路欣也)(日本テレビ 1965年) ** 宮本武蔵(高橋幸治)(NET 1970年) ** [[宮本武蔵 (1975年のテレビドラマ)|宮本武蔵(市川海老蔵)]](関西テレビ 1975年) ** [[宮本武蔵 (NHK新大型時代劇)|宮本武蔵(役所広司)]](NHK 1984年) ** [[武蔵 MUSASHI|武蔵MUSASHI (市川新之助)]](NHK 2003年) * 無宿侍(天知茂)(フジテレビ 1973年) * [[無用ノ介]](伊吹吾郎)(日本テレビ 1969年) * [[紫頭巾]](夏目俊二)(関西テレビ 1961年) * [[紫頭巾]](浜畑賢吉)(東京12チャンネル 1972年) * [[室町幕府]] ** 幻花(中野良子)(NET 1977年) ** [[太平記_(NHK大河ドラマ)|太平記]](真田広之)(NHK 1991年) ** [[花の乱]](三田佳子)(NHK 1994年) * [[毛利元就 (NHK大河ドラマ)|毛利元就]](中村橋之助)(NHK 1997年) * [[茂七の事件簿_ふしぎ草紙|茂七の事件簿]](高橋英樹)(NHK 2001年) * [[樅の木は残った]](実川延若)(東京12チャンネル 1964年) * [[樅ノ木は残った (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った]](平幹二朗)(NHK 1970年) * [[桃太郎侍]] ** [[桃太郎侍]](若杉恵之介)(NET 1962年) ** [[桃太郎侍]](尾上菊之助)(日本テレビ 1967年) ** [[桃太郎侍]](高橋英樹)(テレビ朝日1976年) ** [[新・桃太郎侍]](高島政宏)(テレビ朝日2006年) * 燃ゆる白虎隊(中村竹弥)(TBS 1965年) <!--や行--> * [[柳生氏|柳生一族]]および[[柳生三厳|柳生十兵衛]] ** 柳生十兵衛 独眼流参上(外山高士) (日本テレビ 1960年) ** 柳生武芸帳(近衛十四郎)(NET 1965年) ** [[柳生十兵衛 (1970年のテレビドラマ)|柳生十兵衛]](山口崇)(フジテレビ 1970年) ** [[春の坂道]](中村錦之助)(NHK 1971年) ** [[柳生一族の陰謀]](千葉真一)(関西テレビ 1978年) ** 柳生十兵衛(原田大二郎)(東京12チャンネル 1978年) ** [[柳生あばれ旅]](千葉真一)(テレビ朝日 1980年) ** [[柳生十兵衛あばれ旅]](千葉真一)(テレビ朝日 1982年) ** [[柳生新陰流 (テレビドラマ)|柳生新陰流]](萬屋錦之介)(テレビ東京 1982年) ** 柳生武芸帳(松方弘樹)(日本テレビ 1990年) ** [[柳生十兵衛七番勝負]](村上弘明)(NHK 2005年) * 矢車剣之助(手塚しげお)(日本テレビ 1959年) * 弥次喜多隠密道中(尾上菊之助)(日本テレビ 1971年) * 破れシリーズ(テレビ朝日 1974年-1979年) ** [[破れ傘刀舟悪人狩り]](萬屋錦之介)(NET 1974年) ** [[破れ奉行]](萬屋錦之介)(テレビ朝日 1977年) ** [[破れ新九郎]](萬屋錦之介)(テレビ朝日 1978年) * [[闇を斬る!大江戸犯科帳]](里見浩太朗)(日本テレビ 1993年) * [[闇を斬れ]](天知茂)(関西テレビ 1981年) * 雪之丞変化 ** [[雪之丞変化]](江畑絢子)(NET 1959年) ** [[雪之丞変化]](丸山明宏)(フジテレビ 1970年) * [[雪姫隠密道中記]](片平なぎさ)(毎日放送 1980年) * [[妖術武芸帳]](佐々木功)(TBS 1969年) * 用心棒シリーズ ** [[俺は用心棒]](栗塚旭)(NET 1967年) ** [[待っていた用心棒]](伊藤雄之助)(NET 1968年) ** [[帰って来た用心棒]](栗塚旭)(NET 1968年) ** [[俺は用心棒]](栗塚旭)(NET 1969年) * [[夜桜お染]](若村麻由美)(フジテレビ 2003年) * [[吉田松陰]](高橋幸治) (関西テレビ 1969年) * [[世直し順庵!人情剣]](藤田まこと)(テレビ朝日 2005年) * [[世なおし奉行]](片岡千恵蔵) (NET 1972年) <!--ら行--> * [[琉球王国]] ** [[琉球の風 (NHK大河ドラマ)|琉球の風]](東山紀之)(NHK 1993年) ** [[テンペスト (池上永一)|テンペスト]](仲間由紀恵)(NHK 2011年) * 浪人街(江見渉)(日本テレビ 1958年) <!--わ行--> * [[若き日の北條早雲]](北大路欣也)(テレビ朝日 1980年) * [[若さま侍捕物手帖]] ** [[若さま侍捕物手帖]](夏目俊二)(関西テレビ 1959年) ** [[若さま侍捕物帖]](市川新之助)(日本テレビ 1967年) ** [[若さま侍捕物手帖]](林与一)(関西テレビ 1973年) ** [[若さま侍捕物帳|若さま侍捕物帳(田村正和)]](テレビ朝日1978年) * [[若大将天下ご免!]](橋爪淳)(テレビ朝日 1987年) その他多数(TVシリーズのみ。特別編、スペシャル版などは除く) ※単発ドラマ、一話完結のドラマは除く。 </td></tr> </table> {{Visible anchor|漫画・アニメ作品}} 漫画には上記の映画やテレビドラマ作品の原作となり、実写化された作品が多いが、ここではそうした形で実写映像化していないものを主に挙げる。実写映画化やドラマ化された作品でも、主となる読者・視聴者が低年齢層となる作品はここに含む。 {{columns-list|2| <!--50音順--> * [[赤胴鈴之助]] * [[アフロサムライ]]([[岡崎能士]])<ref group="注釈">「アメリカ人が考えるような間違った日本観」がテーマであり、内容的には「ハイパー時代劇」の部類に入る。</ref> * [[あんみつ姫]]([[倉金章介]]) * [[一休さん (テレビアニメ)|一休さん]](テレビ朝日・東映アニメーション) * [[伊賀の影丸]]([[横山光輝]]) * [[お〜い!竜馬]] * [[影狩り]]シリーズ * [[カムイ伝]]([[白土三平]]) * [[カムイの剣]] * [[鴉天狗カブト]]([[寺沢武一]])<ref group="注釈">内容的には「ハイパー時代劇」の部類に入る。</ref> * 古代幻想ロマンシリーズ([[長岡良子]]) * [[サスケ (漫画)|サスケ]](白土三平) * [[佐武と市捕物控]] (石ノ森章太郎) * [[サムライチャンプルー]](フジテレビ・[[マングローブ (アニメ制作会社)|マングローブ]]) * [[さらい屋 五葉]]([[オノ・ナツメ]]) * [[獣兵衛忍風帖]]([[川尻善昭]]監督・マッドハウス制作によるアニメ映画) * [[修羅雪姫]] (小池一夫) * [[シグルイ]]([[山口貴由]])<ref group="注釈">原作は南條範夫の『駿河城御前試合』だが、山口による大幅な脚色がなされている。</ref> * [[少年徳川家康]](テレビ朝日・東映アニメーション) * [[少年忍者風のフジ丸]] * [[ストレンヂア 無皇刃譚]]([[ボンズ (アニメ制作会社)|ボンズ]]製作の劇場アニメ作品) * [[血だるま剣法/おのれらに告ぐ]]([[平田弘史]]) * [[どろろ]] (手塚治虫) * [[虹色とうがらし]]([[あだち充]]) * [[信長協奏曲]]([[石井あゆみ]]) * [[浮浪雲]]([[ジョージ秋山]]) * [[花の慶次]]([[原哲夫]])<ref group="注釈">[[隆慶一郎]]の時代小説の漫画化。</ref> * [[バジリスク 〜甲賀忍法帖〜]]<ref group="注釈">[[山田風太郎]]原作の時代小説の漫画化。</ref> * [[バガボンド]]([[井上雄彦]]) * [[まんが水戸黄門]]<ref group="注釈">テレビ東京 [[水戸黄門]]のアニメ。</ref> * [[陸奥圓明流外伝 修羅の刻]]([[川原正敏]]) * 夢語りシリーズ([[湯口聖子]]) * [[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]](和月伸宏) * [[ワタリ (漫画)|ワタリ]](白土三平)}} == 主なテレビ時代劇放送枠 == === 通年で本放送 === {{columns-list|2| *[[土曜時代劇 (NHK)|土曜時代ドラマ]]([[日本放送協会|NHK]]) *[[大河ドラマ|NHK大河ドラマ]](NHK) *[[BS時代劇]](NHK)}} === 例年単発で放送 === {{columns-list|2| *[[NHK正月時代劇]](NHK)<ref group="注釈">例年、1月の三箇日のいずれかに放送。</ref>}} === 主な再放送枠 === *[[おはよう!時代劇]]([[テレビ朝日]]) *名作時代劇([[BS-TBS]]) === 過去の本放送 === '''NHK''' {{columns-list|2| *[[木曜時代劇 (NHK)|大衆名作座]] *[[木曜時代劇 (NHK)|金曜時代劇]] *[[木曜時代劇 (NHK)|水曜時代劇]] *[[木曜時代劇 (NHK)|時代劇ロマン]] *[[土曜時代劇 (NHK)|木曜時代劇]] *[[大河ドラマ#新大型時代劇|新大型時代劇]]}} '''日本テレビ系''' *[[日本テレビ火曜8時枠時代劇|日本テレビ火曜時代劇]] *[[日本テレビ日曜9時連続ドラマ|日本テレビ日曜時代劇]] *[[年末時代劇スペシャル]](日本テレビ)<ref group="注釈">1985年から1993年にかけて、12月30日・31日の2夜連続(1991年以降は31日のみ)で放送され、1993年をもって終了した。「[[忠臣蔵 (1985年のテレビドラマ)|忠臣蔵]]」・「[[白虎隊 (1986年のテレビドラマ)|白虎隊]]」・「[[田原坂 (テレビドラマ)|田原坂]]」などを放送した。</ref> *[[時代劇シリーズ]](再放送枠) '''テレビ朝日系''' {{columns-list|2| *[[テレビ朝日水曜夜9時枠時代劇]] *[[テレビ朝日木曜時代劇|木曜時代劇(テレビ朝日)20時枠]] *[[テレビ朝日土曜時代劇]]→[[テレビ朝日木曜時代劇|木曜時代劇(テレビ朝日)19時枠]]→[[月曜時代劇|月曜時代劇(テレビ朝日)]]→[[テレビ朝日火曜時代劇|火曜時代劇(テレビ朝日)19時枠]] *[[テレビ朝日日曜夜8時枠時代劇|テレビ朝日日曜時代劇]] *[[テレビ朝日火曜9時枠の連続ドラマ|テレビ朝日火曜21時枠時代劇]] *[[必殺シリーズ]]([[朝日放送テレビ|朝日放送]])<ref group="注釈">シリーズ終了後も単発で放送されたほか、2009年に久々の連続作品として[[必殺仕事人2009]]を放送。</ref> *[[朝日放送・テレビ朝日金曜9時枠の連続ドラマ]]([[朝日放送テレビ|朝日放送]]・[[テレビ朝日]])<ref group="注釈">2009年1月開始の[[必殺仕事人2009]]が該当。</ref>}} *アンコールF<ref group="注釈">最近はこの枠に現代劇が割り当てられる場合がある。かつては「時代劇の殿堂」という再放送枠を名乗っていた。</ref> '''TBS系''' {{columns-list|2| *[[ナショナル劇場]]→[[パナソニック ドラマシアター]] <ref group="注釈">月曜20時-20時54分,1969年-2001年迄は原則時代劇、それ以降は[[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)|水戸黄門]]と現代劇を交互に放送。</ref> *[[TBS土曜10時枠の連続ドラマ|毎日放送制作土曜時代劇]]([[毎日放送]]) *[[TBSテレビ|TBS]]平日16時台枠(再放送枠) *[[TBS大型時代劇スペシャル]]}} '''テレビ東京系''' {{columns-list|2| *[[新春ワイド時代劇]]([[テレビ東京]])<ref group="注釈">例年[[1月2日]]に放送。</ref> *[[時代劇アワー]](再放送枠) *[[テレビ東京金曜夜8時枠時代劇|テレビ東京月曜19時枠時代劇]] *[[テレビ東京月曜9時枠の連続ドラマ|テレビ東京月曜21時枠時代劇]] *[[テレビ東京水曜夜9時枠時代劇|テレビ東京水曜時代劇]] *[[テレビ東京金曜夜8時枠時代劇|セガサミーシアター→テレビ東京金曜20時枠時代劇]] *[[テレビ東京金曜夜9時枠時代劇|テレビ東京金曜21時枠時代劇]] *[[テレビ東京土曜9時枠の連続ドラマ|テレビ東京土曜時代劇]] *[[テレビ東京日曜9時連続ドラマ|テレビ東京日曜時代劇]]}} '''フジテレビ系''' {{columns-list|2| *[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|フジテレビ月曜時代劇]] *[[白雪劇場]]<ref group="注釈">時代劇。関西テレビ放送で1973年10月-1975年3月の1年半日曜21時で放送。終了後、「関西テレビ制作連続時代劇」へ受け継ぐ。</ref> *[[関西テレビ制作・火曜夜10時枠の連続ドラマ|関西テレビ制作火曜22時枠時代劇]]([[関西テレビ放送]]) *[[フジテレビ月曜夜10時枠時代劇|フジテレビ月曜22時枠時代劇]] *[[フジテレビ水曜夜8時枠時代劇|フジテレビ水曜時代劇]]→[[火曜時代劇 (フジテレビ)|火曜時代劇]] *[[時代劇スペシャル (フジテレビ)]] *[[フジテレビ土曜8時枠の連続ドラマ|フジテレビ土曜20時枠時代劇]] *[[フジテレビ土曜夜10時枠時代劇|フジテレビ土曜22時枠時代劇]] *[[フジテレビ木曜夜8時枠時代劇|フジテレビ木曜20時枠時代劇]] *[[フジテレビ木曜夜9時枠時代劇|フジテレビ木曜21時枠時代劇]] *[[フジテレビ木曜夜10時枠時代劇|フジテレビ木曜22時枠時代劇]]}} ==時代劇スタジオ== === 現行 === 時代劇の撮影が可能なパーマネントセットを有する[[スタジオ (映像撮影)|スタジオ]]、その他の場所。 {{columns-list|2| * [[東映京都撮影所]]、[[東映太秦映画村]] * [[松竹京都撮影所 (企業)|松竹京都撮影所]] * [[みろくの里]] * [[日光江戸村]] * [[ワープステーション江戸]] * [[庄内映画村]]}} ===かつて存在したスタジオ=== ;戦前 {{columns-list|2| * [[横田商会|二条城撮影所]] * [[天然色活動写真|日暮里撮影所]] * [[帝国キネマ|小阪撮影所]] * [[大都映画|巣鴨撮影所]] * [[国際活映|角筈撮影所]] * [[甲陽撮影所]] * [[マキノ・プロダクション|御室撮影所]] * [[マキノ映画製作所|等持院撮影所]] * [[アシヤ映画製作所|蘆屋撮影所]] * [[帝国キネマ|長瀬撮影所]] * [[大映嵯峨野撮影所|嵯峨野撮影所]] * [[吾嬬撮影所]] * [[ツキガタプロダクション|ツキガタプロダクション撮影所]] * [[嵐寛寿郎プロダクション|嵐寛寿郎プロダクション太秦撮影所]] * [[阪東妻三郎プロダクション|阪東関東撮影所]] * [[入江ぷろだくしょん|入江ぷろだくしょん撮影所]] * [[片岡千恵蔵プロダクション|片岡千恵蔵プロダクション撮影所]] * [[市川右太衛門プロダクション|市川右太衛門プロダクションあやめ池撮影所]] * [[J.O.スタヂオ|東宝映画京都撮影所]]}} ;戦後 {{columns-list|2| *[[国際放映]] - [[東京メディアシティ]]へ改築される前に存在した。 *[[三船プロダクション]] *[[生田スタジオ]] - オープンセットを有していた。美術監督の鳥居塚誠一がデザイン。 *[[松竹京都撮影所]] *[[松竹大船撮影所]] - 簡易オープン *[[日本京映撮影所]] *[[大映京都撮影所]] *[[日本電波映画|日本電波映画撮影所]]}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist|3}} == 参考文献 == *『時代劇ここにあり』[[川本三郎]]、[[平凡社]]、2005年10月、ISBN 978-4-582-83269-3 *『時代劇(チャンバラ)への招待』 [[逢坂剛]]、川本三郎、[[菊地秀行]]、永田哲朗、[[縄田一男]]、[[宮本昌孝]] ::[[PHP研究所]]「PHPエル新書」2004年1月 ISBN 978-4569632704 *『圧巻!無頼派時代劇 - ハードボイルド・ヒーローを斬る! 』歴史群像シリーズ、学研、2004年4月、ISBN 978-4-05-603268-0 *『時代劇映画の思想〜ノスタルジーのゆくえ〜』 [[筒井清忠]]、[[PHP新書]]、2000年11月、ISBN 978-4569613383 *『時代劇ベスト100』[[春日太一]]、光文社新書、2014年10月、ISBN 978-4-334-03822-9 *『なぜ時代劇は滅びるのか』春日太一、新潮新書、2014年9月、ISBN 978-4106105869 *『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』 春日太一、文藝春秋、2013年11月、ISBN 978-4-16-376810-6 *『仁義なき日本沈没〜東宝VS東映の戦後サバイバル〜』春日太一、新潮新書、2012年3月、ISBN 978-4-10-610459-6 *『実録テレビ時代劇史』 [[能村庸一]]、ちくま文庫、2014年1月、ISBN 978-4-480-43125-7 *『幻のB級 大都映画がゆく』[[本庄慧一郎]]、集英社新書、2009年1月、ISBN 978-4087204780 *『戦後忠臣蔵映画の全貌』[[谷川建司]]、集英社、2013年11月、ISBN 978-4-420-31068-0 *『「時代映画」の誕生』岩本憲児、吉川弘文館、2016年7月、ISBN 978-4-642-01654-4 *『日本映画史110年』 [[四方田犬彦]]、集英社新書、2014年8月、ISBN 978-4087207521 *『時代劇伝説 チャンバラ映画の輝き』[[岩本憲児]]編著、森話社、2005年10月、ISBN 978-4916087560 *『映画100物語〜日本映画編〜1921-1995』岡野敏之 編、読売新聞社、1995年8月、ISBN 978-4643950694 *『嵐寛寿郎と100人のスター〜女優編〜』荷村寛夫、ワイズ出版、1997年4月、ISBN 978-4948735644 *『千恵蔵一代』[[田山力哉]]、社会思想社、1987年4月、ISBN 978-4390602952 *『日本映画史 Ⅰ 1896-1940』[[佐藤忠男]]、岩波書店、1995年3月、ISBN 978-4000037853 *『日本映画史 Ⅱ 1941-1959』佐藤忠男、岩波書店、1995年4月、ISBN 978-4000037860 *『日本映画は生きている 第2巻』「「映画史を見直す」〜チャンバラにおける身体表現の変容〜(pp.161-184)」小川順子(中部大学人文学部准教授)、岩波書店、2010年8月、ISBN 978-4-00-028392-2 *『NHK大河ドラマ50作パーフェクトガイド―〈花の生涯〉から〈江~姫たちの戦国~〉まで』NHKサービスセンター、2010年12月、ISBN 978-4871080972 *『世界映画大事典』 379-380P「時代劇映画の項」 ::監修 岩本憲児 [[高村倉太郎]]/岩本憲児 奥村賢 佐崎順昭 宮澤誠一編、日本図書センター 2008年6月 * {{cite book|和書 |author1=山下慧|author2=井上健一|author3=松崎健夫|title=現代映画用語事典|date=2012-05|publisher=[[キネマ旬報社]]|isbn=978-4-87376-367-5|ref={{sfnRef|映画用語事典|2012}}}} == 関連項目 == *[[歴史小説]]・[[時代小説]] *[[講談]] *[[時代劇アワー]] *[[時代劇専門チャンネル]] *[[時代劇漫画]] *[[歴史ドラマ]] *[[西部劇]] *[[韓国の時代劇]] *[[ジェダイ]] - 「時代劇」が語源になっているとされる。 == 外部リンク == *[http://jidaigekirp.com/ 時代劇ルネサンスプロジェクト](時代劇 国際PRプロジェクト) *[http://nch.toei.co.jp/ 東映ニュースチャンネル](動画サイト) *[http://www.toei-eigamura.com/ 東映太秦映画村](撮影所/イベント/扮装体験/アクション) *[https://web.archive.org/web/20081120000834/http://www.takenosuke.net/Contents/Link/Link_jidaigeki.aspx 上原半兵衛道場 時代劇関連リンク] *{{Kotobank}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:したいけき}} [[Category:時代劇|*]] [[Category:演劇のジャンル]] [[Category:映画のジャンル]] [[Category:テレビドラマのジャンル]] [[Category:漫画のジャンル]] [[Category:日本の演劇]]
2003-03-01T03:29:15Z
2023-12-31T08:39:47Z
false
false
false
[ "Template:Cite book", "Template:Normdaten", "Template:Sfn", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist", "Template:Cite news", "Template:Cite web", "Template:Cite journal", "Template:Kotobank", "Template:Visible anchor", "Template:Columns-list", "Template:Lang", "Template:Reflist" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%8A%87
3,111
西部劇
西部劇(せいぶげき)は、19世紀後半のアメリカ合衆国の西部開拓時代に当時フロンティアと呼ばれた主にアメリカ西部の未開拓地を舞台にした映画(テレビ映画を含む)や小説である。英語のWestern(ウェスタン)の訳語である。 1860年代後半・南北戦争後のアメリカ西部を舞台に、開拓者魂を持つ白人を主人公に無法者や先住民と対決するというプロットが、白人がフロンティアを開拓したという開拓者精神と合致し、大きな人気を得て、20世紀前半のアメリカ映画の興隆とともに映画の1つのジャンルとして形成された。 それ故に「19世紀後半のアメリカ西部開拓期を撮った映画」が西部劇であり、「新興の気に満ち満ちていた若きパイオニア精神が壮烈なアクションとともに展開するのが特徴」であるが、「現在西部劇は殆ど滅び去ったと言ってよく、パイオニア精神の失われた今のアメリカで成り立ち得ないジャンル」であるとされている。 なお19世紀後半(特に1860年代から1890年代にかけて)のアメリカ西部を舞台とするとした西部劇の定義は必ずしも厳密なものではなく、ゲイリー・クーパー主演『征服されざる人々』の舞台は独立宣言前の東部のペンシルベニア州ピッツバーグであり、ジョン・フォード監督ヘンリー・フォンダ主演『モホークの太鼓』は独立戦争時のニューヨーク州が舞台で、セシル・B・デミル監督『北西騎馬警官隊』は時代は1880年代だが舞台はカナダで、いずれも未開拓の地を切り開いていく物語であり西部劇と見なされている。また『明日に向って撃て!』『アラスカ魂』『ワイルドバンチ』は、20世紀初頭の物語であり、「明日に向って撃て!」は最後は南米ボリビア、『アラスカ魂』はアラスカ、『ワイルドバンチ』や他に『荒野の七人』などはメキシコが舞台だが西部劇のジャンルとされている。 そして最後は第一次世界大戦時になる『シマロン』は西部劇に入るが、同じ作家が書いた『ジャイアンツ』はテキサスを舞台にした20世紀の物語で西部劇とはされていない。また南部アトランタを舞台に南北戦争時のストーリーである『風と共に去りぬ』も西部劇のジャンルには入っていない。 西部劇は映画とともに歴史を歩んできた。そして西部劇はハリウッドが築き上げた独自のジャンルであり、西部開拓の歴史を持つアメリカだからこそ生まれたとも言える。厳しい自然の中で多くの困難と闘いながら逞しく生きてきた開拓者の物語はアメリカ人の誇りとするものであり、フロンティア精神と夢を含み、アメリカンドリームそのものであった。 西部を舞台とする発想は映画史のごく初期から存在しており、1898年には、エジソンのキネトスコープ(覗き眼鏡方式)による活動写真において最初の西部劇が作られている。1895年にリュミエール兄弟が初めてシネマトグラフ(スクリーン投影方式)を生み出し、やがてサイレント映画が登場すると、最初の本格的な西部劇映画である1903年のエドウィン・S・ポーター監督『大列車強盗』がつくられた。列車を襲った強盗を自警団が追跡して討ち取る簡単なストーリーだが、走る列車の上での立ち回り、殺人と金庫の爆破、追跡と撃ち合いなど動きのある映像を編集した画面によって観客は興奮を味わい、やがて西部劇はアクションを売り物に盛んに製作された。この「大列車強盗」はその後の西部劇映画の基本となる骨格を整えた画期的な作品で、映画の歴史に大きな影響を与えた。ただし、この映画の撮影はエジソン社に近い東部のニュージャージー州であり、西部の自然はスクリーンに映されていなかった。当時は撮影は東部でしか出来ず、物語は西部でも、撮影は全て東部で行われていた。1910年代に入るとエジソン社による特許権紛争が起こり、トラストによってエジソン社の特許を持たない映画関係者の強制排除が行われ(後に裁判でエジソン社は敗れる)、特許料の支払いから逃れるように遠い西部に移った人々はカリフォルニア州ロサンゼルス郊外に西部劇を製作するのに好条件の土地を見出した。豊かな太陽、美しく雄大な景観をバックに、ロケーションに事欠くことなく西部劇の撮影が進められ、ここが映画製作の中心地となった。それがハリウッドであった。 西部の荒野で、逆境に立ち向かい、悪をやっつけて、弱者(女性や子供)には優しいガンマンを主人公に、懸賞金が掛けられたお尋ね者と決闘したり、駅馬車を追っかけたり、銀行強盗があったり、騎兵隊が来たり、そして先住のインディアンと争ったりするのがパターンであった。実在した保安官(ワイアット・アープやワイルド・ビル・ヒコック)やガンマン(バット・マスターソン、ビリー・ザ・キッド、ジェシー・ジェームス)を題材にして、アメリカ西部の大自然を背景に開拓者魂(フロンティア精神)を詩情豊かに描く西部劇は多くの人々を魅了し、西部開拓時代へのノスタルジーを掻き立てられた。それは19世紀後半の西部開拓時代での開拓者精神を称え、アメリカを発展させたものとして賛美するものであった。 こうした西部劇の基本は強く勇敢なヒーローの存在であり、そのヒーローを演じる俳優は西部劇スターとなった。最初の頃に登場したブロンコ・ビリー・アンダーソンは「ブロンコ・ビリー」シリーズで主演し、毎週1本ずつ一巻物(上映時間12分まで)で製作された連続活劇に7年間出演した。 ブロンコ・ビリーの後にはブロードウエイの舞台俳優であったウィリアム・S・ハートが二挺拳銃の颯爽とした姿で登場し「西部の騎士」のようなスタイルで多くの観客を魅了した。ハートはそれまでの西部劇役者とは全く異質で、騎士道精神を前面に出しながらも孤独で悲劇的立場に追い込まれる場面が多く、そこが観客の心を強く打つものであった。彼は俳優のみならず製作・監督にもたずさわり、「曠野の志士」(1925年)などのサイレント作品が日本でも上映されて西部劇映画に大きな足跡を残した。 そしてほぼ同時期にハリー・ケリーが登場して1917年から1919年にかけて「シャイアン・ハリー」シリーズで人気を呼んだ。ハリー・ケリーは後年は脇役に回って、戦後は「白昼の決闘」「赤い河」にも出演していたがサイレント期の西部劇スターとしてその名は記憶されている。この「シャイアン・ハリー」シリーズの殆どを製作・監督したのが当時ジャック・フォードと名乗っていた後のジョン・フォードであり、ハリー・ケリーはフォード一家とは親しい関係で、息子のハリー・ケリー・ジュニアは後にジョン・フォード西部劇の貴重なバイプレイヤーとなり、ハリー・ケリーの妻は後年のフォード西部劇の傑作『捜索者』に出演している。 ジョン・フォードは兄のフランシス・フォードによって映画界に入り、フランシスの助手を務めながらやがて映画監督になったが、そのフランシスはサイレント時代の西部劇の製作に多く関わり、『Custer`s Last Fight』(1912年)「旋風児」(1921年)「Western Yesterday」(1924年)などの作品を製作している。このサイレント期には、前述のエドウィン・S・ポーター、フランシス・フォード、ウィリアム・S・ハート以外にスチュアート・ペイトン、リン・F・レイノルズなどの映画監督が西部劇に多数の映画を残していた。また他の西部劇スターとしてはウイリアム・ファーナムやトム・ミックスらがいた。 第一次世界大戦後にはジェームズ・クルーズ監督『幌馬車』(1923年)が製作された。この映画はスターによるヒーロー物語ではなく、自然の猛威や先住民と戦いながら西部の荒野を西へ西へと進む集団の物語で、それまでの西部劇とは全く違う新しい西部劇を作った。ジョン・フォードは1924年に大陸横断鉄道の建設を軸にした西部開拓叙事詩「アイアンホース」、1926年に『三悪人』を製作していた。 そして1927年に「ジャズシンガー」でトーキーが普及すると、後に「風と共に去りぬ」「オズの魔法使い」を作ったヴィクター・フレミング監督が1929年「ヴァージニアン」を製作して主演に抜擢されたゲイリー・クーパーはこの作品で西部劇スターの座を獲得した。その後1936年にセシル・B・デミル監督の『平原児』で主役ワイルド・ビル・ヒコックを演じ、ジーン・アーサー演じるカラミティ・ジェーンとの悲恋を絡めながら巧みなガンさばきを見せて大スターとなった。 一方1930年ラオール・ウォルシュ監督の「ビッグ・トレイル」でジョン・フォードは当時無名だったジョン・ウェインを推薦して主役に抜擢させたが不評に終わったので、ジョン・ウェインはその後B級西部劇に10年近く出演を続けた。そして1939年になってB級映画で俳優として経験を積んだジョン・ウェインを再び抜擢してジョン・フォードは『駅馬車』を製作し、ジョン・ウェインは主役リンゴー・キッドを演じた。この映画は駅馬車の走行にインディアンの襲撃及びガンマンの決闘、そして駅馬車に乗り合わせた乗客のそれぞれの人生模様を描き、たんなる娯楽活劇ではなく西部劇の評価を一気に高めて、今日でも戦前の西部劇の最高峰と評価されている。 この時期にはサイレント映画の名作「ビッグ・パレード」を作ったキング・ヴィダー監督が西部劇の「ビリーザ・キッド」(1930年)、「テキサス決死隊」(1936年)を製作し、同じくサイレントで「スコオ・マン」を作り、トーキー以後の1931年にも再映画化をしたセシル・B・デミル監督が「平原児」の後に1939年に大陸横断鉄道の建設、列車転覆、襲撃、悪との対決、恋を絡ませたジョエル・マクリー主演『大平原』、その翌年1940年にゲイリー・クーパー主演『北西騎馬警官隊』を製作し、同じ1939年にヘンリー・キング監督でタイロン・パワーがジェシー・ジェームスを演じた『地獄への道』、ジョージ・マーシャル監督でジェームズ・スチュアートとマレーネ・ディートリヒ主演『砂塵』、1940年にウィリアム・ワイラー監督で西部開拓史にその名を残すロイ・ビーン判事を描いたゲイリー・クーパー主演『西部の男』など西部劇の傑作と呼ばれる作品が次々と発表された。 第二次大戦の戦時下でもハワード・ヒューズ監督でジェーン・ラッセルの妖艶な姿が話題となった『ならず者』(1943年)、ラオール・ウォルシュ監督の史上に名高いリトル・ビッグホーンでの第七騎兵隊の全滅とカスター将軍の最後を描いたエロール・フリン主演『壮烈第七騎兵隊』(1943年)、ウィリアム・A・ウェルマン監督でヘンリー・フォンダ主演の『牛泥棒』(1943年)、ジョエル・マクリー主演でバッファロー・ビル・コディを描いた『西部の王者』(1944年)などの作品が作られている。 そして第二次大戦が終わって後に西部劇は黄金時代を迎えて、1960年頃まで多数の名作を生んだ。また多くの俳優が西部劇で主演を演じて、その中からゲイリー・クーパー、ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、グレゴリー・ペック、ジェームズ・スチュアートらの大スターが西部劇から育っていった。 ジョン・フォード監督のヘンリー・フォンダ主演でワイアット・アープとクラントン一家との対決を描いた『荒野の決闘』(1946年)、そしてジョン・ウェイン主演で後に騎兵隊三部作と言われた『アパッチ砦』(1948年)・『黄色いリボン』(1949年)・『リオ・グランデの砦』(1950年)、今日では最高傑作とされる『捜索者』(1956年)、そしてウィリアム・ホールデンと共演した『騎兵隊』(1959年)、ハワード・ホークス監督のジョン・ウェイン主演『赤い河』(1948年)、ジョン・ウェインとディーン・マーティン主演『リオ・ブラボー』(1958年)、ヘンリー・キング監督のグレゴリー・ペック主演「拳銃王」(1950年)、デルマー・デイヴィス監督のジェームズ・スチュアート主演『折れた矢』(1950年)、そしてフレッド・ジンネマン監督のゲイリー・クーパー主演『真昼の決闘』(1952年)、ジョージ・スティーブンス監督のアラン・ラッド主演『シェーン』(1953年)、ジョン・スタージェス監督のバート・ランカスターとカーク・ダグラス主演で「荒野の決闘」と同じく西部開拓史上最も有名な決闘を描いた『OK牧場の決斗』(1957年)などの名作が世に送り出された。 この時期の『捜索者』・『真昼の決闘』・『シェーン』の3作品は、戦前の『駅馬車』と合わせてアメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)が1998年と2008年に行った「偉大なアメリカ映画ベスト100」で西部劇部門の最上位を占め、1998年は『真昼の決闘』が、2008年は『捜索者』が西部劇映画のトップとして評価されている。 またこの時期にジョン・スタージェス監督の「ブラボー砦の脱出」、『ガンヒルの決斗』、ロバート・テイラー主演『ゴーストタウンの決斗』そして「六番目の男」、キング・ヴィダー監督のグレゴリー・ペック主演『白昼の決闘』そして「星のない男」、ラオール・ウォルシュ監督の『死の谷』「追跡」「決闘一対三」、ヘンリー・キング監督の「無頼の群」、ロバート・アルドリッチ監督の「アパッチ」『ヴェラクルス』「ガンファイター」、ウィリアム・ワイラー監督でグレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストン主演の『大いなる西部』とゲイリー・クーパー主演の『友情ある説得』、デルマー・デイヴィス監督でグレン・フォードとヴァン・ヘフリン主演『決断の3時10分』、リチャード・ウィドマーク主演「襲われた幌馬車」、グレン・フォード主演「カウボーイ」そしてゲイリー・クーパー主演『縛り首の木』、アンソニー・マン監督の『ウインチェスター銃73』『裸の拍車』『ララミーから来た男』『怒りの河』『遠い国』『胸に輝く星』『西部の人』、エドワード・ドミトリク監督でヘンリー・フォンダとリチャード・ウィドマークとアンソニー・クイン主演の『ワーロック』そして「折れた槍」、スチュアート・ギルモア監督の「落日の決闘」、フランク・ロイド監督の「アラモの砦」、ロバート・ワイズ監督でロバート・ミッチャム主演の「月下の銃声」、ニコラス・レイ監督の『大砂塵』『無法の王者ジェシイ・ジェイムス』、ジョージ・マーシャル監督の「燃える幌馬車」、オットー・プレミンジャー監督のロバート・ミッチャムとマリリン・モンロー主演で初のシネマスコープ作品『帰らざる河』、ジョン・ヒューストン監督のバート・ランカスターとオードリー・ヘプバーン主演『許されざる者』、ロバート・D・ウエッブ監督のロバート・ライアン主演「誇り高き男」、ヘンリー・ハサウェイ監督の「狙われた駅馬車」「向こう見ずの男」そしてゲイリー・クーパー主演『悪の花園』、アーサー・ペン監督ポール・ニューマン主演でビリー・ザ・キッドを描いた「左ききの拳銃」などが製作された。 そして1960年代に入るとジョン・スタージェス監督のユル・ブリンナーとスティーブ・マックイーン主演『荒野の七人』、マイケル・カーティス監督の『コマンチェロ』、ジョン・フォード監督の『バファロー大隊』『リバティ・バランスを射った男』『シャイアン』、また西部劇スターが製作監督してジョン・ウエイン監督で初の70ミリ作品『アラモ』、マーロン・ブランド監督の「片目のジャック」、そして西部開拓の歴史を家族の一代記としてオムニバスで描いたヘンリー・ハサウェイとジョン・フォードとジョージ・マーシャル監督の初のシネラマ作品『西部開拓史』などの作品が続々と製作された。 第二次世界大戦が終わる頃まで、アメリカ映画の大きなジャンルとして西部劇は確固としたもので人気は高かった。1930年代に西部劇の製作本数は100本を超えて、1935年には150本、戦争を挟んで1950年頃も140本近くを記録した。この製作本数の増加は、30年代から始まった二本立て興行の添え物としてB級映画が製作されて、西部劇もB級作品として50〜70分程度のB級西部劇が多数製作されたことによるものである。単純明快な活劇であり、善悪がはっきりして勧善懲悪なストーリーで、当時は西部劇なら必ず当たると言われたほどであった。この粗製乱造と言われるほど大量に作られた時期に、その試行錯誤から映像表現の技術と可能性を発展させ、また西部劇の売上げ増による資本の蓄積が映画を産業として発展させる基礎を構築し、映画王国を築く活力源となった。 B級西部劇からジョン・ウェインは育ってきたスターであり、ランドルフ・スコットやジョエル・マクリー或いはオーディ・マーフィなどもB級西部劇スターと呼ばれた。この他にはチャールズ・スターレット、フート・ギブスン、バック・ジョーンズ、ケン・メイナード、ジョニー・マック・ブラウンや『ホパロング・キャシディ』で有名なウイリアム・ボイド、そしてB級西部劇のサブジャンルとしてミュージカル西部劇が第二次大戦前後に人気となり、歌うカウボーイとしてジーン・オートリーやロイ・ロジャースがその歴史に刻まれている。 またB級西部劇の監督としてレイ・エンライト、ジョセフ・ケーン、アンドレ・ド・トス、ジョージ・シャーマン、ルドルフ・マテ、バッド・ベティカー、アラン・ドワン、ラッセル・ラウズなどが活躍し、やがてB級映画の監督から後に大作のメガホンをとる監督も現れてきた。レイ・エンライト監督のランドルフ・スコットとジョン・ウェインとマレーネ・ディートリヒ主演『スポイラース』や「西部の裁き」、ジョセフ・ケーン監督の「無法の道」「最後の駅馬車」、アンドレ・ド・トス監督の「スプリングフィールド銃」「平原の落雷」「賞金を追う男」、ジョージ・シャーマン監督の「戦いの矢」「生まれながらの無宿者」、ルドルフ・マテ監督の「欲望の谷」「三人の荒くれ者」、バッド・ベティカー監督の「平原の待ち伏せ」「決闘コマンチ砦」、アラン・ドワン監督の「私刑される女」「バファロウ平原」、ラッセル・ラウズ監督の「必殺の一弾」「バスク決死隊」などがある。 そしてB級西部劇が衰退した頃からテレビ西部劇が盛んに製作されて、テレビからスターが生まれ、西部劇映画の監督が生まれた。「拳銃無宿」のスティーブ・マックイーン、「マーベリック」のジェームズ・ガーナー、『ローハイド』のクリント・イーストウッド、そしてジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、リー・マーヴィンがその例であり、テレビ出身の監督からサム・ペキンパー監督でランドルフ・スコットとジョエル・マクリー主演「昼下がりの決闘」、ゴードン・ダグラス監督の「駅馬車」、アンドリュー・V・マクラグレン監督の「シェナンドー河」、ドン・シーゲル監督でオーディ・マーフィ主演「抜き射ち二挺拳銃」、エルビス・プレスリー主演「燃える平原児」などの作品が生まれた。 そして、1960年代に入った頃から西部劇の人気は下降していった。ほぼ同時にテレビ西部劇も衰退して当時日本でも人気番組であった「ローハイド」もアメリカで製作中止となり出演していたクリント・イーストウッドはイタリアに渡り、セルジオ・レオーネ監督『荒野の用心棒』(1964年)で一躍マカロニ・ウエスタンが注目されると同時に彼は一気に西部劇スターの座を獲得した。クリント・イーストウッドはやがて西部劇衰退の時代に活躍することとなった。 西部劇が描く人物像は基本的に主人公は白人で、強く正しくて『勧善懲悪』をストーリーの骨子とし、そこへ応援に来たりする(陸軍の)騎兵隊は「善役」であり、それに刃向う先住民インディアンを「悪役」としたものが多い。そして劇中で描かれた白人とインディアンとの戦いには史実も多いが、戦いの原因(土地の領有権)に触れたものはほとんどなかった。 しかし、やがて史実とは違う(白人に都合のいい)内容に対する反発や反省が西部劇を衰退させる強い動因となった。戦後、多様化する価値観や倫理観の変化に勧善懲悪のドラマがついていけなくなったのである。 1940年代の半ば頃から、フロンティア精神を肯定してそこに主人公(ヒーロー)がいて無法者や先住民を倒す「西部劇」という一つの図式が崩れ始めた。1950年のデルマー・デイヴィス監督『折れた矢』は先住民は他者で白人コミュニティを脅かす存在という図式ではなく、先住民の側から描き、戦いを好むのではなく平和を求める彼らの姿を描いた。それは、当時黒人の地位向上を目指す公民権運動が次第に激しくなる時代に入り、人権意識が高まる中でインディアンや黒人の描き方が批判されるようになって、単なる勧善懲悪では有り得ない現実を浮かび上がらせ、それまでの西部劇が捨象してきた問題に対して向き合わざるを得なくなったことであった。 そしてもう一つの図式である勧善懲悪で、開拓者精神を肯定する強いヒーローがいて悪を倒すそれまでの図式も崩れていった。自分の名誉のためだけにインディアンを見下し、結果自身の連隊を壊滅させてしまう騎兵中佐(『アパッチ砦』でヘンリー・フォンダが演じたサースデイ)、町の誰からも助けてもらえない連邦保安官(『真昼の決闘』でゲイリー・クーパーが演じたケイン)、復讐に執念を燃やす男(『捜索者』でジョン・ウェインが演じたエドワーズ)、農園を取り戻すだけのために賞金稼ぎとなり人を殺す農園主(『裸の拍車』でジェームズ・スチュアートが演じたケンプ)が主人公の西部劇が40年代から50年代にかけ多数製作されて、それまでの映画にあった悪に立ち向かうヒーロー像がもはや存在せず、何が正しくて何が悪いか、明らかにしないままにただ主人公の人間らしさが主になって、そこではもはやヒーローが描きにくくなったのである。 この時期になると、善悪の区別が曖昧で複雑な作品が多くなった。痛快で豪快なアクション、ヒーローと悪役との対決、派手なガンさばきを見せたりして見せ場はあっても全体としての雰囲気は重く暗いものになった。ラオール・ウォルシュ監督の『死の谷』「追跡」、アンソニー・マン監督の『裸の拍車』、キング・ヴィダー監督の「白昼の決闘」、ヘンリー・キング監督の「拳銃王」「無頼の群」、ジョン・スタージェス監督の「六番目の男」、ジョージ・シャーマン監督の「生まれながらの無宿者」、デルマー・デイヴィス監督の『縛り首の木』、ニコラス・レイ監督の『大砂塵』、エドワード・ドミトリク監督の『ワーロック』、そしてフレッド・ジンネマン監督の『真昼の決闘』などの主人公は誰からも信用されない、心にトラウマがあったり、死にたいと願ったり、孤立無援の戦いに追い込まれたりしている。それは第二次大戦が終わって未曽有の戦争を体験したアメリカ社会が、それまであった「強く正しいヒーローが大活躍する単純明快な西部劇が作りにくくなったことを示している」と川本三郎は述べている。 そしてそれはまた、この当時ハリウッドを襲った「赤狩り」という暗い空気の中で、アンソニー・マンやフレッド・ジンネマンが描いた世界が西部劇の変貌をもたらしたとも言われている。 これが1960年代に入ると、公民権運動が高まると同時に西部劇の衰退を招くこととなった。1960年にジョン・F・ケネディが大統領に就任し人種差別の撤廃に強い姿勢で臨み、これに伴い従来の製作コードが通用しなくなり製作本数も激減した。そしてイタリアなどでいわゆるマカロニ・ウェスタンと呼ばれる多くの西部劇が作られ始めると、サム・ペキンパー監督『ワイルドバンチ』のようにマカロニウエスタンに逆に影響を受けた作品も数多く生まれた。 こうした状況から西部劇はそれまでの単純な善悪二元論では立ち行かなくなり、1950年代初頭には年間100本ほどの製作本数が、四半世紀後の1970年代後半にはわずか1ケタの製作本数に激減していく。 やがてニューシネマの台頭でジョージ・ロイ・ヒル監督ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演の『明日に向って撃て!』のような秀作も生まれ、またアーサー・ペン監督『小さな巨人』とラルフ・ネルソン監督『ソルジャー・ブルー』が1970年に公開され、『ソルジャー・ブルー』は1864年のサンドクリークの虐殺を基に、被害者である先住民の立場に立って虐殺事件を描き、当時話題になった作品である。 1960年代から1970年代になるとマカロニ・ウエスタンの影響を受けながらも、バート・ケネディ監督の「続・荒野の七人」「夕陽に立つ保安官」、リチャード・ブルックス監督の「プロフェッショナル」「弾丸を噛め」、ドン・シーゲル監督でクリント・イーストウッド主演の「真昼の死闘」とジョン・ウェイン主演の『ラスト・シューティスト』、ラルフ・ネルソン監督の「砦の29人」、マーク・ライデル監督でジョン・ウェイン主演の「11人のカウボーイ」、ロバート・シオドマク監督の「カスター将軍」、マイケル・ウイナー監督でバート・ランカスター主演の「追跡者」、サム・ペキンパー監督でチャールトン・ヘストンとジェームズ・コバーン主演「ダンディー少佐」、ウィリアム・ホールデンとロバート・ライアン主演「ワイルド・バンチ」、アンドリュー・V・マクラグレン監督でチャールトン・ヘストン主演の『大いなる決闘』、ベテランのハワード・ホークス監督の『エル・ドラド』『リオ・ロボ』、ジョン・スタージェス監督でワイアット・アープの決闘後を描いたジェームズ・ガーナー主演の「墓石と決闘」、ヘンリー・ハサウェイ監督でスティーブ・マックイーン主演「ネバダ・スミス」とジョン・ウェイン主演の『エルダー兄弟』そして『勇気ある追跡』などの西部劇が製作された。 1970年代以後になると、クリント・イーストウッド主演・監督の『荒野のストレンジャー』(1973年)・『アウトロー』(1976年)・『ペイルライダー』(1985年)・『許されざる者』(1992年)、ローレンス・カスダン監督の『シルバラード』(1985年)、ケビン・コスナー主演の『ワイアット・アープ』(1994年)、ケビン・コスナー主演・監督の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)・『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』(2003年)などの秀作が生まれている。しかしかつて活劇映画として人気のあった頃の西部劇の魅力はすでに失われている。 現在において西部劇は製作されているが数少なく、過去の作品と肩を並べるような傑作を世に送り出していない。物語りとしての図式が出来ず、西部劇としてのジャンルが確立されていないからである。その一方で、時代考証や衣装設定、ガン・アクションは過去の作品とは比較できないほどの正確さで表現されており、『トゥームストーン』のような娯楽性に富んだアクション映画も作られている。 フランク・グルーバー(英語版)は、西部劇の基本的なプロットとして以下の7系統を挙げている。彼によると、優秀な脚本家はこれらの基本系統をキャラクターの台詞とストーリー開発によって、もっともらしいストーリーを作り上げていくという。1960年代から1970年代にかけて、西部劇は修正主義西部劇(英語版)の台頭によって新たな展開を見せた。 歴史上初めて製作された西部劇映画として、1899年にミッチェルとケニョン(英語版)が製作した短編映画『Kidnapping by Indians』が知られている。しばしばエドウィン・S・ポーターが1903年に製作した『大列車強盗』が「最初の西部劇映画」と誤って紹介されることがあるが、ジョージ・N・フェニンとウィリアム・K・エヴァーソン(英語版)は「『大列車強盗』製作の数年前から、エジソン社は西部劇を題材としていた」と指摘している。『大列車強盗』のヒットにより、出演者のブロンチョ・ビリー・アンダーソン(英語版)は映画史上初のカウボーイ・スターとなり、その後数百本の短編西部劇映画を手掛けたものの、すぐに西部劇スターの座をトム・ミックス(英語版)やウィリアム・S・ハート(英語版)と争うようになった。 西部劇映画黄金時代の代表作として、以下の監督と作品が挙げられている。 ジョナサン・ローゼンバウム(英語版)は1960年代から1970年代にかけて流行したアシッド・ウェスタンについて分析し、同ジャンルはデニス・ホッパー、ジム・マクブライド(英語版)、ルディ・ワーリッツァー(英語版)などの俳優や、『銃撃(英語版)』『エル・トポ』『グリーサーズ・パレス(英語版)』などの作品と関連付けられている。『エル・トポ』はアレハンドロ・ホドロフスキーが製作し、同名の主人公のガンマンが悟りの境地にいたるまでを描いた寓話的作品としてカルト映画、アンダーグラウンド映画に位置付けられており、キリスト教や東洋哲学の要素が盛り込まれている。 1980年代以降のアシッド・ウェスタンには『ウォーカー』『デッドマン』が挙げられる。ローゼンバウムはアシッド・ウェスタンについて「妄想的なアジェンダを正当化するために、冷酷で野蛮なフロンティア詩情を定式化している」と指摘し、最終的には資本主義を批判し、その代替様式を取り入れたカウンターカルチャーを表現していると結論付けている。 1960年代初頭以降、アメリカの映画製作者たちは西部劇の伝統的な要素に疑問を抱くようになり、西部劇映画は「ヒーロー対悪役」という善悪二元論からの脱却を目指し、登場人物が暴力的手段で物事の解決を図ることに観客が疑問を抱くような内容に変化していった。また、従来「野蛮人」として描写されていたネイティブ・アメリカンを積極的に題材にするようになったことも修正主義西部劇の大きな特徴の一つであり、『シャイアン』『ワイルドバンチ』『昼下りの決斗』『馬と呼ばれた男(英語版)』『砦のガンベルト』『小さな巨人』『ソルジャー・ブルー』『荒野に生きる』『アウトロー』『ダンス・ウィズ・ウルブズ』『許されざる者』『クイック&デッド』『デッドマン』が代表的な修正主義西部劇映画に挙げられる。1960年代以前に製作された作品で修正主義西部劇に該当する作品として、女性キャラクターに焦点を当てた『女群西部へ!(英語版)』や、コマンチに育てられた白人ガンマンやリーダー的立場にいる女性キャラクターが登場する『襲われた幌馬車』がある。 ブラックスプロイテーション映画の多くが西部劇要素を取り入れており、特にフレッド・ウィリアムソンが出演した作品にこの傾向が見られる。ブラックスプロイテーション・ウェスタンの代表作として『Soul Soldier』『ブラック・ライダー』『ブラック・サンダー(英語版)』『荒野の襲撃・人質救出大作戦(英語版)』『Thomasine & Bushrod』『Boss Nigger』『Adios Amigo』『黒豹のバラード』などが挙げられる。 コメディ西部劇では「西部劇」として確立された様式や題材、作家のスタイルなどをユーモア、風刺、皮肉という側面からパロディ化している。典型例が『腰抜け二丁拳銃』であり、同作では「オーウェン・ウィスター(英語版)の小説『The Virginian』や勇猛果敢なヒーロー、メインストリートでの最後の銃撃戦など、西部劇のあらゆる要素」を風刺の対象としている。 ドキュメンタリー西部劇では、アメリカ西部の歴史的な側面を描き出している。テレビシリーズの『The West』は歴史的事実に基づいた描写がされており、『Cowboys: A Documentary Portrait』では現代のアメリカ西部に生きるカウボーイをノンフィクションで描写している。 ジョン・ルービンスタイン、ドン・ジョンソン、パトリツィア・クイン(英語版)が出演した『ウェスタン・ロック ザカライヤ(英語版)』は、「最初のエレクトリック西部劇」と呼ばれている。このジャンルはアメリカ西部を舞台にロックバンドを題材にしており、『ウェスタン・ロック ザカライヤ』では1970年代に活動したジェイムス・ギャング、カントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュ(英語版)などのロックバンドがクラッカーバンドとして出演し、音楽を提供していた。また、ダグ・カーショウ(英語版)とエルヴィン・ジョーンズがカメオ出演している。 ドミニク・スウェイン、ロン・トンプソン(英語版)、ポール・ドゥーリイが出演した『Hate Horses』は「第2のエレクトリック西部劇」を謳っている。 叙事詩的西部劇では、西部開拓時代を壮大なスケールで描くことを軸にしており、南北戦争を舞台とした『続・夕陽のガンマン』やメキシコ革命を舞台とした『ワイルドバンチ』のように時代の転換期や戦争を舞台とすることが多い。セルジオ・レオーネの『ウエスタン』は代表作の一つに挙げられ、同作ではモニュメント・バレーをワイドスケールで撮影し、様々な人間模様を描いている。この他に『アイアン・ホース』『白昼の決闘』『捜索者』『ジャイアンツ』『大いなる西部』『シマロン』『西部開拓史』『夕陽のギャングたち』『天国の門』『ダンス・ウィズ・ウルブズ』『ジェシー・ジェームズの暗殺』『ジャンゴ 繋がれざる者』『レヴェナント: 蘇えりし者』が知られている。 ネオウェスタンは、現代のアメリカを舞台に従来の西部劇の要素・価値観(秩序に反抗するアンチヒーロー、舞台が砂漠、銃撃戦)を反映した作品を指す。2007年にコーエン兄弟が製作した『ノーカントリー』がネオウェスタン映画の始まりと言われている。これらの作品はアメリカ合衆国西部が主な舞台となっており、従来の西部劇的価値観を持つ主人公が、自分たちの時代遅れの正義を否定する「文明」の中で居場所を失い苦悩する姿が描かれることが多い。ネオウェスタン映画はテイラー・シェリダンの作品から以下の3つの基本的なテーマを見出すことができる 。 「クラッカー・ウェスタン(Cracker Westerns)」とも呼ばれ、フロリダ州を舞台に第二次セミノール戦争(英語版)を題材としている。代表作として『遠い太鼓』が挙げられる。 アラスカ州やカナダ西部を舞台とした西部劇を指し、『北西騎馬警官隊』『The Spoilers』『スポイラース』『遠い国』『アラスカ魂』『デス・ハント』『The Grey Fox』が挙げられる。 ウィアード・ウェストは古典的西部劇に他の要素(ファンタジー、SF、ホラー(英語版))を組み合わせた作品を指す。『0088/ワイルド・ウエスト』『ワイルド・ワイルド・ウエスト』では西部劇にスチームパンクの要素を組み合わせており、『ジョナ・ヘックスシリーズ』では西部劇にスーパーヒーローの要素を組み合わせている。『Western Religion』では従来の西部劇の世界に悪魔が登場し、オールドマン・ローガンのグラフィックノベルでは西部劇にスーパーヒーローと終末世界の要素が取り入れられている。 1960年代から1970年代にかけて、イタリアでは「スパゲッティ・ウェスタン(Spaghetti Westerns)」「イタロウェスタン(Italo-Westerns)」と呼ばれる西部劇映画が製作された。最も有名な作品としてドル箱三部作の第3作『続・夕陽のガンマン』が挙げられる。マカロニ・ウェスタンの多くは低予算で、アメリカ合衆国南西部の風景に酷似しているスペインのアルメリア、メキシコのデュランゴなどで撮影された。また、ハリウッド西部劇よりもアクションや暴力描写が多く、主人公は正義感よりも金銭や復讐など利己的な動機で行動することが大半だった。マカロニ・ウェスタンの中には西部劇の伝統的様式を否定する作品も見られ、そうした作品は修正主義西部劇に含まれる。 マカロニ・ウェスタンの代表的な監督であるセルジオ・レオーネの作品は、ハリウッド西部劇映画とは異なる様式で製作されている。マカロニ・ウェスタンで成功した俳優にはチャールズ・ブロンソン、リー・ヴァン・クリーフ、クリント・イーストウッドがおり、この他にもジェームズ・コバーン、ヘンリー・フォンダ、ロッド・スタイガー、クラウス・キンスキー、ジェイソン・ロバーズ、ジャン・マリア・ヴォロンテ、イーライ・ウォラックが知られている。テレビシリーズ『ローハイド』以外のヒット作に恵まれていなかったイーストウッドは、レオーネ監督作品『荒野の用心棒』への出演をきっかけにスター俳優の地位を手にすることになった。 オーストラリアの西部劇映画は「ミートパイ・ウェスタン(Meat pie western)」と呼ばれ、アウトバックやブッシュ(英語版)が主な舞台となっている。これらの作品はアメリカの西部劇のスタイルを踏襲し、オーストラリア先住民がインディアン役を演じることが多い。 『トラッカー(英語版)』はオーストラリアン・ウェスタンの典型的な作品に挙げられ、過酷な砂漠地帯を舞台にアボリジニの搾取、正義への渇望がテーマとして描かれている。この他に『Rangle River』『Kangaroo』『The Kangaroo Kid』『サンダウナーズ』『ブラッディ・ガン(英語版)』『Ned Kelly』『スノーリバー/輝く大地の果てに(英語版)』『プロポジション -血の誓約-(英語版)』『Lucky Country』『スウィート・カントリー(英語版)』が知られている。 ボリウッドの『炎(英語版)』は、しばしば「カレー・ウェスタン(curry Western)」と呼ばれる。同作は『マザー・インディア(英語版)』『Gunga Jumna』などのダコイト映画とマカロニ・ウェスタンの要素を組み合わせた作品であり、「ダコイト・ウェスタン」と称される独自のジャンルを確立した。 チャーロ・ウェスタン(英語版)はアクション俳優だけではなくミュージカル俳優が多く出演し、1930年代以降にメキシコ映画で主流となった。1930年代から1940年代にかけてはメキシコ農村部の騎手を主人公とした作品が多く、ハリウッドの主流西部劇映画とは一線を画した作風となっていたが、1950年代から1970年代にかけてはハリウッド西部劇との文化的融合が進んでいった。この時期の代表作としてイスマイル・ロドリゲス(英語版)の『Los Hermanos Del Hierro』、ホルヘ・フォンス(英語版)の『Cinco Mil Dólares de Recompensa』、アルトゥーロ・リプスタインの『Tiempo de morir』がある。チャーロ・ウェスタンの最も著名な映画製作者としてアルベルト・マリスカル(英語版)が知られている。 西ヨーロッパで製作された西部劇であり、マカロニ・ウェスタンを含める場合がある。代表作として『荒野の愚連隊(英語版)』が挙げられる。ドイツが製作した西部劇映画は「ザワークラウト・ウェスタン(Sauerkraut Westerns)」と呼ばれ、主にカール・マイの小説を原作としてユーゴスラビアで撮影された。ドイツではアメリカ人俳優のレックス・パーカー主演で、1961年から1965年にかけて『アパッチ』『大酋長ウイネットー』『シルバーレークの待ち伏せ』などが製作された。これらの映画には、アメリカの俳優でハリウッドでは作品に恵まれず、ドイツやイタリアに行った俳優が多かった。ザワークラウト・ウェスタンで最も人気があったのは、アパッチを主人公とした『Winnetouシリーズ』だった。この他に『The Unhanged』『悪党に粛清を』『ブリムストーン(英語版)』『The Dark Valley』が知られている。 「ファソラーダ・ウェスタン(Fasolada Westerns)」(ファソラーダ(英語版):ギリシャの国民食)と呼ばれ、アカデミー国際長編映画賞ギリシャ代表作品(英語版)に選出された『Blood on the Land』が知られている。 ソビエト連邦や東ヨーロッパが製作した作品を指し、「イースタン(Eastern)」「レッド・ウェスタン(Red Western)」と呼ばれる2つのジャンルが存在する。冷戦時代の東側諸国では人気のジャンルで、特にヨシフ・スターリンのお気に入りだった。レッド・ウェスタンではハリウッド西部劇とは対照的に、インディアンを「虐げられた弱い者が、自分の権利のために立ち上がる」という形で描写することが多く、ジプシーやトルコ系人種がインディアン役を演じていた。イースタンではコーカサスのステップが舞台になることが多く、「カウボーイとインディアン」に代わる存在として「盗賊とハレム」が登場する。代表作として『砂漠の白い太陽(英語版)』が挙げられる。 「ラーメン・ウェスタン(Ramen Western)」はアジアを舞台とした西部劇映画を指し、『タンポポ』で初めて使用された。代表作として『荒野の渡世人』『冒険活劇 上海エクスプレス』『EAST MEETS WEST』『Tears of the Black Tiger』『ロケットマン!』『さらば復讐の狼たちよ』『許されざる者』『マルリナの明日(英語版)』『バッファロー・ボーイズ(英語版)』『グッド・バッド・ウィアード』『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』が挙げられる。 日本では戦前から西部劇の人気は高く、戦後特に1960年前後にはガン・ブームと呼ばれる現象が生まれ、当時日活が無国籍映画と言われる西部劇のような活劇を作ったりしたが特筆されるほどではなかった。ただ時代劇の分野で黒澤明監督「七人の侍」がアメリカでリメイクされてジョン・スタージェス監督「荒野の七人」となり、「用心棒」が「荒野の用心棒」となり、西部劇の世界に影響を与えることとなった。 コロンブスがアメリカ大陸に到達した時には、北米大陸にもすでに先住の民族がいた。北米大陸に着いた時にインドに着いたと勘違いして先住民をインディアンと呼んだ話は有名だが、17世紀初めにイギリス人が最初の植民地を作った頃に北米にはおよそ人口100万人、部族の数では約500余りが暮らしていたと言われている。しかし西部開拓が進む頃から白人との戦いが始まった。西部開拓の歴史はまた先住民迫害そして虐殺の歴史でもあった。そして西部開拓時代の1870年には人口がわずか2万5千人に激減している。 20世紀初頭の黎明期の西部劇では、インディアンをヒーローとして扱ったものもあったが、西部劇がアクション中心の娯楽映画に移行するとインディアンは『フロンティア』を害する悪役となり、白人開拓者にとっては邪悪と凶暴さの象徴であった。 西部劇は、インディアンのイメージを決定付けた。劇中に登場するインディアン達は、決まって馬にまたがって派手な羽飾りをつけ、手斧を振り回し、「アワワワワ」と鬨の声を挙げて襲ってくる。これらは馬にまたがり、羽飾りをつけること以外は出鱈目なものである。彼らの衣装も、撮影所のデザイナーが考えたものであり、またそのほとんどが、白人たちが演じており、資料的価値は皆無である。 また、西部劇には「号令一下、全インディアン戦士を従わせる大酋長(Grand Chief)や戦争酋長(War chief)」が登場するが、これはインディアン文化に対する白人の誤解から生まれたものである。基本的にインディアンの社会は合議制民主主義社会であり、このような絶対権力者は存在しない。「大酋長」も「戦争酋長」もまったくのフィクションであり、現実には存在しない西部劇の中のキャラクターなのにも関わらず、これが全世界で公開されることで、「酋長は部族長である」といった、誤ったインディアンに対する認識をさらに広めることとなってしまった。 平原の部族の風俗である羽飾りをつけ、無表情に片言の英語を喋る(日本語の台詞では「インディアン、ウソツカナイ」はこの典型である)このステレオタイプは、その後世界中の人々が「インディアン」と聞いて真っ先に頭に思い浮かぶイメージとなった。ラジオやTVのシリーズ『ローン・レンジャー』に出てくる、主人公の相棒であるインディアンの「トント」は、インディアンの間では「白人にへつらうインディアン」の代名詞となっている。 1950年代に入って、このようなインディアンの描き方に対する反省から『折れた矢』「アパッチ」が製作され、1960年代に入ると、『モホークの太鼓』(1939)で典型的なインディアンの描き方をして以後も悪役としてのインディアンしか描いてこなかったジョン・フォードが「シャイアン」(1964)でシャイアン族の悲劇を描くようになり、1970年には『ソルジャー・ブルー』で騎兵隊がインディアンを虐殺する場面が描かれている。 1960年に「片目のジャック」を監督・主演したマーロン・ブランドは、インディアン権利団体『アメリカインディアン運動』(AIM)に賛同し、同団体設立当初から助言と運動をともにしていたが、1973年に映画『ゴッド・ファーザー』でアカデミー賞を受賞した際、授賞式に「インディアン女性」を代理出席させ、ハリウッド西部劇において、いかにインディアンが理不尽な扱いを受けているかメッセージを代読させた。 映画俳優でAIMの運動家でスポークスマンをも務めるラッセル・ミーンズはハリウッド映画についてのインタビューに答え、こう述べている。 1940年代のある土曜日の午後に、私は弟のデイスと二人でカリフォルニアのバレーホにあるエスクァイア映画劇場へ映画を観に行ったことがあります。その映画にはカウボーイとインディアンが出てきて、満場の観客たちが大喝采する中、進軍ラッパが鳴り響き、騎兵隊が撃ちまくり、否も応もなしにインディアンがぶち殺されるんです。デイスは、とても見ていられない様子でした。彼は、顔を手で覆っていました。あなたが8歳か9歳だった頃、私たちはそんなふうだったんです。あなたは多分、今度の映画(『ラスト・オブ・モヒカン』)はそれと違ってインディアンが勝つかもしれないなと思うでしょうね。まあそれからその後で、私たちは映画館を出るわけです。 ガンマンが題材となることの多い西部劇には、正確な考証に基づくものから近現代の銃器を手直ししてそれらしく見せかけたものまで、様々の銃器が小道具として登場した。中でも象徴的なのがコルト・シングル・アクション・アーミー(SAA)リボルバー、通称「ピースメーカー」や、コルトM1851のようなシングルアクション回転式拳銃である。SAAはコルト社の最高傑作と言われる名銃で1873〜1940年までの67年間に35万挺が製造されている。 腰の、ベルト付きホルスターにシングルアクションの回転式拳銃を収めたカウボーイスタイルは、映画に登場する西部ガンマンの定番であった。日本においても、西部劇人気の高まりと共にコルト45のようなシングルアクション拳銃の知名度は上昇し、多くのメーカーからトイガン製品が販売された。 この時代のシングルアクション拳銃には様々なバリエーションが存在するが、特にマカロニ・ウェスタンにおいて、主役は5.5インチの金属薬莢式、悪役のボスは7.5インチなどの長銃身で大型、その他大勢は4.75インチの金属薬莢式拳銃や、パーカッション式リボルバーという具合に、持ち主の役どころにより銃の種類が決められている場合が多かった。 目にも止まらぬ抜き撃ち連射、華麗なスピンといったガンプレイに習熟することが主演スターには要求され、ゲイリー・クーパーは『平原児』(1936)でセシル・B・デミルと話し合った結果、二丁拳銃の抜き撃ちを2週間猛練習し、名場面を作りあげた。 映画がカラーになり、やがてワイド化して横長画面になった頃、1950年代中期以降は朝鮮戦争の帰還兵士であったレッド・ロッドウィングが銃器類の取り扱い指導者になり多くのスターに拳銃の技を伝授した。このガン・プレイの指導にはアルヴァ・オジャラやドイル・ブルックスなどの名前が伝わっているが、遡ると映画がサイレントからトーキーになった頃に、まだデビュー前のジョン・ウェインにガン・プレイを指導したのはあのワイアット・アープ本人であったという話がある。 引き金を引いたままで拳銃を抜き、撃鉄をもう一方の手で連打することで高速に連射する「ファニング」と呼ばれるテクニックは、『荒野の決闘』で名バイプレーヤーワード・ボンドが初めて披露した技である。 なお、ジョン・ウェインはコルト6連発銃によるガンプレイが実は巧かった(「捜索者」でその片鱗を披露している)が大柄(やや太めのウェスト)過ぎて似合わないのでジョン・フォード監督のアドバイスでウィンチェスター銃(ライフル)を愛用したと伝えられる。そして後にライフル銃を持つとこれほど似合う俳優はいないと言われた。 そのウィンチェスター銃はオリバー・ウィンチェスターが考案したライフルで、最初は6連発のライフル銃であったが、SAAが売り出された同じ1873年に17連発の「73年型ウィンチェスター銃」(M1873通称ウィンチェスター銃73))が登場して、このウィンチェスター73も1873〜1932年の59年間に72万挺製造され当時の西部に広く普及したと言われている。ただし当時のアメリカ陸軍には不評で、19世紀に騎兵隊などの軍関係にはウインチェスター銃は使われていない。したがって歴史的には騎兵隊がライフル銃を使う場合はウインチェスター銃ではなく単発のスプリングフィールド銃が使われており、1876年にカスター将軍以下の第七騎兵隊がリトルビッグホーンでインディアンに全滅したのはインディアン側は連発のウインチェスター銃で、騎兵隊側は単発のスプリングフィールド銃を使っていたからという「まことしやかな説がある」と言われている。しかし西部劇映画では騎兵隊がウインチェスター銃で射ちまくる場面がよく見られるという。またテレビ「拳銃無宿」に主演したスティーブ・マックイーンが愛用していた銃は、このウインチェスター銃の銃身を短くした通称ランダルカスタムと呼ばれる銃である。ちなみに映画やテレビで使われるウインチェスター銃は有名なM1873ではなく後継のM1892が使用されている。 この「シングル・アクション・アーミー」と「ウィンチェスターM1873」の2つの銃が後に「西部を征服した銃」と呼ばれている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "西部劇(せいぶげき)は、19世紀後半のアメリカ合衆国の西部開拓時代に当時フロンティアと呼ばれた主にアメリカ西部の未開拓地を舞台にした映画(テレビ映画を含む)や小説である。英語のWestern(ウェスタン)の訳語である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1860年代後半・南北戦争後のアメリカ西部を舞台に、開拓者魂を持つ白人を主人公に無法者や先住民と対決するというプロットが、白人がフロンティアを開拓したという開拓者精神と合致し、大きな人気を得て、20世紀前半のアメリカ映画の興隆とともに映画の1つのジャンルとして形成された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "それ故に「19世紀後半のアメリカ西部開拓期を撮った映画」が西部劇であり、「新興の気に満ち満ちていた若きパイオニア精神が壮烈なアクションとともに展開するのが特徴」であるが、「現在西部劇は殆ど滅び去ったと言ってよく、パイオニア精神の失われた今のアメリカで成り立ち得ないジャンル」であるとされている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "なお19世紀後半(特に1860年代から1890年代にかけて)のアメリカ西部を舞台とするとした西部劇の定義は必ずしも厳密なものではなく、ゲイリー・クーパー主演『征服されざる人々』の舞台は独立宣言前の東部のペンシルベニア州ピッツバーグであり、ジョン・フォード監督ヘンリー・フォンダ主演『モホークの太鼓』は独立戦争時のニューヨーク州が舞台で、セシル・B・デミル監督『北西騎馬警官隊』は時代は1880年代だが舞台はカナダで、いずれも未開拓の地を切り開いていく物語であり西部劇と見なされている。また『明日に向って撃て!』『アラスカ魂』『ワイルドバンチ』は、20世紀初頭の物語であり、「明日に向って撃て!」は最後は南米ボリビア、『アラスカ魂』はアラスカ、『ワイルドバンチ』や他に『荒野の七人』などはメキシコが舞台だが西部劇のジャンルとされている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "そして最後は第一次世界大戦時になる『シマロン』は西部劇に入るが、同じ作家が書いた『ジャイアンツ』はテキサスを舞台にした20世紀の物語で西部劇とはされていない。また南部アトランタを舞台に南北戦争時のストーリーである『風と共に去りぬ』も西部劇のジャンルには入っていない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "西部劇は映画とともに歴史を歩んできた。そして西部劇はハリウッドが築き上げた独自のジャンルであり、西部開拓の歴史を持つアメリカだからこそ生まれたとも言える。厳しい自然の中で多くの困難と闘いながら逞しく生きてきた開拓者の物語はアメリカ人の誇りとするものであり、フロンティア精神と夢を含み、アメリカンドリームそのものであった。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "西部を舞台とする発想は映画史のごく初期から存在しており、1898年には、エジソンのキネトスコープ(覗き眼鏡方式)による活動写真において最初の西部劇が作られている。1895年にリュミエール兄弟が初めてシネマトグラフ(スクリーン投影方式)を生み出し、やがてサイレント映画が登場すると、最初の本格的な西部劇映画である1903年のエドウィン・S・ポーター監督『大列車強盗』がつくられた。列車を襲った強盗を自警団が追跡して討ち取る簡単なストーリーだが、走る列車の上での立ち回り、殺人と金庫の爆破、追跡と撃ち合いなど動きのある映像を編集した画面によって観客は興奮を味わい、やがて西部劇はアクションを売り物に盛んに製作された。この「大列車強盗」はその後の西部劇映画の基本となる骨格を整えた画期的な作品で、映画の歴史に大きな影響を与えた。ただし、この映画の撮影はエジソン社に近い東部のニュージャージー州であり、西部の自然はスクリーンに映されていなかった。当時は撮影は東部でしか出来ず、物語は西部でも、撮影は全て東部で行われていた。1910年代に入るとエジソン社による特許権紛争が起こり、トラストによってエジソン社の特許を持たない映画関係者の強制排除が行われ(後に裁判でエジソン社は敗れる)、特許料の支払いから逃れるように遠い西部に移った人々はカリフォルニア州ロサンゼルス郊外に西部劇を製作するのに好条件の土地を見出した。豊かな太陽、美しく雄大な景観をバックに、ロケーションに事欠くことなく西部劇の撮影が進められ、ここが映画製作の中心地となった。それがハリウッドであった。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "西部の荒野で、逆境に立ち向かい、悪をやっつけて、弱者(女性や子供)には優しいガンマンを主人公に、懸賞金が掛けられたお尋ね者と決闘したり、駅馬車を追っかけたり、銀行強盗があったり、騎兵隊が来たり、そして先住のインディアンと争ったりするのがパターンであった。実在した保安官(ワイアット・アープやワイルド・ビル・ヒコック)やガンマン(バット・マスターソン、ビリー・ザ・キッド、ジェシー・ジェームス)を題材にして、アメリカ西部の大自然を背景に開拓者魂(フロンティア精神)を詩情豊かに描く西部劇は多くの人々を魅了し、西部開拓時代へのノスタルジーを掻き立てられた。それは19世紀後半の西部開拓時代での開拓者精神を称え、アメリカを発展させたものとして賛美するものであった。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "こうした西部劇の基本は強く勇敢なヒーローの存在であり、そのヒーローを演じる俳優は西部劇スターとなった。最初の頃に登場したブロンコ・ビリー・アンダーソンは「ブロンコ・ビリー」シリーズで主演し、毎週1本ずつ一巻物(上映時間12分まで)で製作された連続活劇に7年間出演した。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ブロンコ・ビリーの後にはブロードウエイの舞台俳優であったウィリアム・S・ハートが二挺拳銃の颯爽とした姿で登場し「西部の騎士」のようなスタイルで多くの観客を魅了した。ハートはそれまでの西部劇役者とは全く異質で、騎士道精神を前面に出しながらも孤独で悲劇的立場に追い込まれる場面が多く、そこが観客の心を強く打つものであった。彼は俳優のみならず製作・監督にもたずさわり、「曠野の志士」(1925年)などのサイレント作品が日本でも上映されて西部劇映画に大きな足跡を残した。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "そしてほぼ同時期にハリー・ケリーが登場して1917年から1919年にかけて「シャイアン・ハリー」シリーズで人気を呼んだ。ハリー・ケリーは後年は脇役に回って、戦後は「白昼の決闘」「赤い河」にも出演していたがサイレント期の西部劇スターとしてその名は記憶されている。この「シャイアン・ハリー」シリーズの殆どを製作・監督したのが当時ジャック・フォードと名乗っていた後のジョン・フォードであり、ハリー・ケリーはフォード一家とは親しい関係で、息子のハリー・ケリー・ジュニアは後にジョン・フォード西部劇の貴重なバイプレイヤーとなり、ハリー・ケリーの妻は後年のフォード西部劇の傑作『捜索者』に出演している。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ジョン・フォードは兄のフランシス・フォードによって映画界に入り、フランシスの助手を務めながらやがて映画監督になったが、そのフランシスはサイレント時代の西部劇の製作に多く関わり、『Custer`s Last Fight』(1912年)「旋風児」(1921年)「Western Yesterday」(1924年)などの作品を製作している。このサイレント期には、前述のエドウィン・S・ポーター、フランシス・フォード、ウィリアム・S・ハート以外にスチュアート・ペイトン、リン・F・レイノルズなどの映画監督が西部劇に多数の映画を残していた。また他の西部劇スターとしてはウイリアム・ファーナムやトム・ミックスらがいた。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "第一次世界大戦後にはジェームズ・クルーズ監督『幌馬車』(1923年)が製作された。この映画はスターによるヒーロー物語ではなく、自然の猛威や先住民と戦いながら西部の荒野を西へ西へと進む集団の物語で、それまでの西部劇とは全く違う新しい西部劇を作った。ジョン・フォードは1924年に大陸横断鉄道の建設を軸にした西部開拓叙事詩「アイアンホース」、1926年に『三悪人』を製作していた。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "そして1927年に「ジャズシンガー」でトーキーが普及すると、後に「風と共に去りぬ」「オズの魔法使い」を作ったヴィクター・フレミング監督が1929年「ヴァージニアン」を製作して主演に抜擢されたゲイリー・クーパーはこの作品で西部劇スターの座を獲得した。その後1936年にセシル・B・デミル監督の『平原児』で主役ワイルド・ビル・ヒコックを演じ、ジーン・アーサー演じるカラミティ・ジェーンとの悲恋を絡めながら巧みなガンさばきを見せて大スターとなった。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "一方1930年ラオール・ウォルシュ監督の「ビッグ・トレイル」でジョン・フォードは当時無名だったジョン・ウェインを推薦して主役に抜擢させたが不評に終わったので、ジョン・ウェインはその後B級西部劇に10年近く出演を続けた。そして1939年になってB級映画で俳優として経験を積んだジョン・ウェインを再び抜擢してジョン・フォードは『駅馬車』を製作し、ジョン・ウェインは主役リンゴー・キッドを演じた。この映画は駅馬車の走行にインディアンの襲撃及びガンマンの決闘、そして駅馬車に乗り合わせた乗客のそれぞれの人生模様を描き、たんなる娯楽活劇ではなく西部劇の評価を一気に高めて、今日でも戦前の西部劇の最高峰と評価されている。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "この時期にはサイレント映画の名作「ビッグ・パレード」を作ったキング・ヴィダー監督が西部劇の「ビリーザ・キッド」(1930年)、「テキサス決死隊」(1936年)を製作し、同じくサイレントで「スコオ・マン」を作り、トーキー以後の1931年にも再映画化をしたセシル・B・デミル監督が「平原児」の後に1939年に大陸横断鉄道の建設、列車転覆、襲撃、悪との対決、恋を絡ませたジョエル・マクリー主演『大平原』、その翌年1940年にゲイリー・クーパー主演『北西騎馬警官隊』を製作し、同じ1939年にヘンリー・キング監督でタイロン・パワーがジェシー・ジェームスを演じた『地獄への道』、ジョージ・マーシャル監督でジェームズ・スチュアートとマレーネ・ディートリヒ主演『砂塵』、1940年にウィリアム・ワイラー監督で西部開拓史にその名を残すロイ・ビーン判事を描いたゲイリー・クーパー主演『西部の男』など西部劇の傑作と呼ばれる作品が次々と発表された。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "第二次大戦の戦時下でもハワード・ヒューズ監督でジェーン・ラッセルの妖艶な姿が話題となった『ならず者』(1943年)、ラオール・ウォルシュ監督の史上に名高いリトル・ビッグホーンでの第七騎兵隊の全滅とカスター将軍の最後を描いたエロール・フリン主演『壮烈第七騎兵隊』(1943年)、ウィリアム・A・ウェルマン監督でヘンリー・フォンダ主演の『牛泥棒』(1943年)、ジョエル・マクリー主演でバッファロー・ビル・コディを描いた『西部の王者』(1944年)などの作品が作られている。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "そして第二次大戦が終わって後に西部劇は黄金時代を迎えて、1960年頃まで多数の名作を生んだ。また多くの俳優が西部劇で主演を演じて、その中からゲイリー・クーパー、ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、グレゴリー・ペック、ジェームズ・スチュアートらの大スターが西部劇から育っていった。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ジョン・フォード監督のヘンリー・フォンダ主演でワイアット・アープとクラントン一家との対決を描いた『荒野の決闘』(1946年)、そしてジョン・ウェイン主演で後に騎兵隊三部作と言われた『アパッチ砦』(1948年)・『黄色いリボン』(1949年)・『リオ・グランデの砦』(1950年)、今日では最高傑作とされる『捜索者』(1956年)、そしてウィリアム・ホールデンと共演した『騎兵隊』(1959年)、ハワード・ホークス監督のジョン・ウェイン主演『赤い河』(1948年)、ジョン・ウェインとディーン・マーティン主演『リオ・ブラボー』(1958年)、ヘンリー・キング監督のグレゴリー・ペック主演「拳銃王」(1950年)、デルマー・デイヴィス監督のジェームズ・スチュアート主演『折れた矢』(1950年)、そしてフレッド・ジンネマン監督のゲイリー・クーパー主演『真昼の決闘』(1952年)、ジョージ・スティーブンス監督のアラン・ラッド主演『シェーン』(1953年)、ジョン・スタージェス監督のバート・ランカスターとカーク・ダグラス主演で「荒野の決闘」と同じく西部開拓史上最も有名な決闘を描いた『OK牧場の決斗』(1957年)などの名作が世に送り出された。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "この時期の『捜索者』・『真昼の決闘』・『シェーン』の3作品は、戦前の『駅馬車』と合わせてアメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)が1998年と2008年に行った「偉大なアメリカ映画ベスト100」で西部劇部門の最上位を占め、1998年は『真昼の決闘』が、2008年は『捜索者』が西部劇映画のトップとして評価されている。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "またこの時期にジョン・スタージェス監督の「ブラボー砦の脱出」、『ガンヒルの決斗』、ロバート・テイラー主演『ゴーストタウンの決斗』そして「六番目の男」、キング・ヴィダー監督のグレゴリー・ペック主演『白昼の決闘』そして「星のない男」、ラオール・ウォルシュ監督の『死の谷』「追跡」「決闘一対三」、ヘンリー・キング監督の「無頼の群」、ロバート・アルドリッチ監督の「アパッチ」『ヴェラクルス』「ガンファイター」、ウィリアム・ワイラー監督でグレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストン主演の『大いなる西部』とゲイリー・クーパー主演の『友情ある説得』、デルマー・デイヴィス監督でグレン・フォードとヴァン・ヘフリン主演『決断の3時10分』、リチャード・ウィドマーク主演「襲われた幌馬車」、グレン・フォード主演「カウボーイ」そしてゲイリー・クーパー主演『縛り首の木』、アンソニー・マン監督の『ウインチェスター銃73』『裸の拍車』『ララミーから来た男』『怒りの河』『遠い国』『胸に輝く星』『西部の人』、エドワード・ドミトリク監督でヘンリー・フォンダとリチャード・ウィドマークとアンソニー・クイン主演の『ワーロック』そして「折れた槍」、スチュアート・ギルモア監督の「落日の決闘」、フランク・ロイド監督の「アラモの砦」、ロバート・ワイズ監督でロバート・ミッチャム主演の「月下の銃声」、ニコラス・レイ監督の『大砂塵』『無法の王者ジェシイ・ジェイムス』、ジョージ・マーシャル監督の「燃える幌馬車」、オットー・プレミンジャー監督のロバート・ミッチャムとマリリン・モンロー主演で初のシネマスコープ作品『帰らざる河』、ジョン・ヒューストン監督のバート・ランカスターとオードリー・ヘプバーン主演『許されざる者』、ロバート・D・ウエッブ監督のロバート・ライアン主演「誇り高き男」、ヘンリー・ハサウェイ監督の「狙われた駅馬車」「向こう見ずの男」そしてゲイリー・クーパー主演『悪の花園』、アーサー・ペン監督ポール・ニューマン主演でビリー・ザ・キッドを描いた「左ききの拳銃」などが製作された。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "そして1960年代に入るとジョン・スタージェス監督のユル・ブリンナーとスティーブ・マックイーン主演『荒野の七人』、マイケル・カーティス監督の『コマンチェロ』、ジョン・フォード監督の『バファロー大隊』『リバティ・バランスを射った男』『シャイアン』、また西部劇スターが製作監督してジョン・ウエイン監督で初の70ミリ作品『アラモ』、マーロン・ブランド監督の「片目のジャック」、そして西部開拓の歴史を家族の一代記としてオムニバスで描いたヘンリー・ハサウェイとジョン・フォードとジョージ・マーシャル監督の初のシネラマ作品『西部開拓史』などの作品が続々と製作された。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦が終わる頃まで、アメリカ映画の大きなジャンルとして西部劇は確固としたもので人気は高かった。1930年代に西部劇の製作本数は100本を超えて、1935年には150本、戦争を挟んで1950年頃も140本近くを記録した。この製作本数の増加は、30年代から始まった二本立て興行の添え物としてB級映画が製作されて、西部劇もB級作品として50〜70分程度のB級西部劇が多数製作されたことによるものである。単純明快な活劇であり、善悪がはっきりして勧善懲悪なストーリーで、当時は西部劇なら必ず当たると言われたほどであった。この粗製乱造と言われるほど大量に作られた時期に、その試行錯誤から映像表現の技術と可能性を発展させ、また西部劇の売上げ増による資本の蓄積が映画を産業として発展させる基礎を構築し、映画王国を築く活力源となった。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "B級西部劇からジョン・ウェインは育ってきたスターであり、ランドルフ・スコットやジョエル・マクリー或いはオーディ・マーフィなどもB級西部劇スターと呼ばれた。この他にはチャールズ・スターレット、フート・ギブスン、バック・ジョーンズ、ケン・メイナード、ジョニー・マック・ブラウンや『ホパロング・キャシディ』で有名なウイリアム・ボイド、そしてB級西部劇のサブジャンルとしてミュージカル西部劇が第二次大戦前後に人気となり、歌うカウボーイとしてジーン・オートリーやロイ・ロジャースがその歴史に刻まれている。 またB級西部劇の監督としてレイ・エンライト、ジョセフ・ケーン、アンドレ・ド・トス、ジョージ・シャーマン、ルドルフ・マテ、バッド・ベティカー、アラン・ドワン、ラッセル・ラウズなどが活躍し、やがてB級映画の監督から後に大作のメガホンをとる監督も現れてきた。レイ・エンライト監督のランドルフ・スコットとジョン・ウェインとマレーネ・ディートリヒ主演『スポイラース』や「西部の裁き」、ジョセフ・ケーン監督の「無法の道」「最後の駅馬車」、アンドレ・ド・トス監督の「スプリングフィールド銃」「平原の落雷」「賞金を追う男」、ジョージ・シャーマン監督の「戦いの矢」「生まれながらの無宿者」、ルドルフ・マテ監督の「欲望の谷」「三人の荒くれ者」、バッド・ベティカー監督の「平原の待ち伏せ」「決闘コマンチ砦」、アラン・ドワン監督の「私刑される女」「バファロウ平原」、ラッセル・ラウズ監督の「必殺の一弾」「バスク決死隊」などがある。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "そしてB級西部劇が衰退した頃からテレビ西部劇が盛んに製作されて、テレビからスターが生まれ、西部劇映画の監督が生まれた。「拳銃無宿」のスティーブ・マックイーン、「マーベリック」のジェームズ・ガーナー、『ローハイド』のクリント・イーストウッド、そしてジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、リー・マーヴィンがその例であり、テレビ出身の監督からサム・ペキンパー監督でランドルフ・スコットとジョエル・マクリー主演「昼下がりの決闘」、ゴードン・ダグラス監督の「駅馬車」、アンドリュー・V・マクラグレン監督の「シェナンドー河」、ドン・シーゲル監督でオーディ・マーフィ主演「抜き射ち二挺拳銃」、エルビス・プレスリー主演「燃える平原児」などの作品が生まれた。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "そして、1960年代に入った頃から西部劇の人気は下降していった。ほぼ同時にテレビ西部劇も衰退して当時日本でも人気番組であった「ローハイド」もアメリカで製作中止となり出演していたクリント・イーストウッドはイタリアに渡り、セルジオ・レオーネ監督『荒野の用心棒』(1964年)で一躍マカロニ・ウエスタンが注目されると同時に彼は一気に西部劇スターの座を獲得した。クリント・イーストウッドはやがて西部劇衰退の時代に活躍することとなった。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "西部劇が描く人物像は基本的に主人公は白人で、強く正しくて『勧善懲悪』をストーリーの骨子とし、そこへ応援に来たりする(陸軍の)騎兵隊は「善役」であり、それに刃向う先住民インディアンを「悪役」としたものが多い。そして劇中で描かれた白人とインディアンとの戦いには史実も多いが、戦いの原因(土地の領有権)に触れたものはほとんどなかった。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "しかし、やがて史実とは違う(白人に都合のいい)内容に対する反発や反省が西部劇を衰退させる強い動因となった。戦後、多様化する価値観や倫理観の変化に勧善懲悪のドラマがついていけなくなったのである。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1940年代の半ば頃から、フロンティア精神を肯定してそこに主人公(ヒーロー)がいて無法者や先住民を倒す「西部劇」という一つの図式が崩れ始めた。1950年のデルマー・デイヴィス監督『折れた矢』は先住民は他者で白人コミュニティを脅かす存在という図式ではなく、先住民の側から描き、戦いを好むのではなく平和を求める彼らの姿を描いた。それは、当時黒人の地位向上を目指す公民権運動が次第に激しくなる時代に入り、人権意識が高まる中でインディアンや黒人の描き方が批判されるようになって、単なる勧善懲悪では有り得ない現実を浮かび上がらせ、それまでの西部劇が捨象してきた問題に対して向き合わざるを得なくなったことであった。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "そしてもう一つの図式である勧善懲悪で、開拓者精神を肯定する強いヒーローがいて悪を倒すそれまでの図式も崩れていった。自分の名誉のためだけにインディアンを見下し、結果自身の連隊を壊滅させてしまう騎兵中佐(『アパッチ砦』でヘンリー・フォンダが演じたサースデイ)、町の誰からも助けてもらえない連邦保安官(『真昼の決闘』でゲイリー・クーパーが演じたケイン)、復讐に執念を燃やす男(『捜索者』でジョン・ウェインが演じたエドワーズ)、農園を取り戻すだけのために賞金稼ぎとなり人を殺す農園主(『裸の拍車』でジェームズ・スチュアートが演じたケンプ)が主人公の西部劇が40年代から50年代にかけ多数製作されて、それまでの映画にあった悪に立ち向かうヒーロー像がもはや存在せず、何が正しくて何が悪いか、明らかにしないままにただ主人公の人間らしさが主になって、そこではもはやヒーローが描きにくくなったのである。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "この時期になると、善悪の区別が曖昧で複雑な作品が多くなった。痛快で豪快なアクション、ヒーローと悪役との対決、派手なガンさばきを見せたりして見せ場はあっても全体としての雰囲気は重く暗いものになった。ラオール・ウォルシュ監督の『死の谷』「追跡」、アンソニー・マン監督の『裸の拍車』、キング・ヴィダー監督の「白昼の決闘」、ヘンリー・キング監督の「拳銃王」「無頼の群」、ジョン・スタージェス監督の「六番目の男」、ジョージ・シャーマン監督の「生まれながらの無宿者」、デルマー・デイヴィス監督の『縛り首の木』、ニコラス・レイ監督の『大砂塵』、エドワード・ドミトリク監督の『ワーロック』、そしてフレッド・ジンネマン監督の『真昼の決闘』などの主人公は誰からも信用されない、心にトラウマがあったり、死にたいと願ったり、孤立無援の戦いに追い込まれたりしている。それは第二次大戦が終わって未曽有の戦争を体験したアメリカ社会が、それまであった「強く正しいヒーローが大活躍する単純明快な西部劇が作りにくくなったことを示している」と川本三郎は述べている。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "そしてそれはまた、この当時ハリウッドを襲った「赤狩り」という暗い空気の中で、アンソニー・マンやフレッド・ジンネマンが描いた世界が西部劇の変貌をもたらしたとも言われている。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "これが1960年代に入ると、公民権運動が高まると同時に西部劇の衰退を招くこととなった。1960年にジョン・F・ケネディが大統領に就任し人種差別の撤廃に強い姿勢で臨み、これに伴い従来の製作コードが通用しなくなり製作本数も激減した。そしてイタリアなどでいわゆるマカロニ・ウェスタンと呼ばれる多くの西部劇が作られ始めると、サム・ペキンパー監督『ワイルドバンチ』のようにマカロニウエスタンに逆に影響を受けた作品も数多く生まれた。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "こうした状況から西部劇はそれまでの単純な善悪二元論では立ち行かなくなり、1950年代初頭には年間100本ほどの製作本数が、四半世紀後の1970年代後半にはわずか1ケタの製作本数に激減していく。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "やがてニューシネマの台頭でジョージ・ロイ・ヒル監督ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード主演の『明日に向って撃て!』のような秀作も生まれ、またアーサー・ペン監督『小さな巨人』とラルフ・ネルソン監督『ソルジャー・ブルー』が1970年に公開され、『ソルジャー・ブルー』は1864年のサンドクリークの虐殺を基に、被害者である先住民の立場に立って虐殺事件を描き、当時話題になった作品である。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "1960年代から1970年代になるとマカロニ・ウエスタンの影響を受けながらも、バート・ケネディ監督の「続・荒野の七人」「夕陽に立つ保安官」、リチャード・ブルックス監督の「プロフェッショナル」「弾丸を噛め」、ドン・シーゲル監督でクリント・イーストウッド主演の「真昼の死闘」とジョン・ウェイン主演の『ラスト・シューティスト』、ラルフ・ネルソン監督の「砦の29人」、マーク・ライデル監督でジョン・ウェイン主演の「11人のカウボーイ」、ロバート・シオドマク監督の「カスター将軍」、マイケル・ウイナー監督でバート・ランカスター主演の「追跡者」、サム・ペキンパー監督でチャールトン・ヘストンとジェームズ・コバーン主演「ダンディー少佐」、ウィリアム・ホールデンとロバート・ライアン主演「ワイルド・バンチ」、アンドリュー・V・マクラグレン監督でチャールトン・ヘストン主演の『大いなる決闘』、ベテランのハワード・ホークス監督の『エル・ドラド』『リオ・ロボ』、ジョン・スタージェス監督でワイアット・アープの決闘後を描いたジェームズ・ガーナー主演の「墓石と決闘」、ヘンリー・ハサウェイ監督でスティーブ・マックイーン主演「ネバダ・スミス」とジョン・ウェイン主演の『エルダー兄弟』そして『勇気ある追跡』などの西部劇が製作された。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1970年代以後になると、クリント・イーストウッド主演・監督の『荒野のストレンジャー』(1973年)・『アウトロー』(1976年)・『ペイルライダー』(1985年)・『許されざる者』(1992年)、ローレンス・カスダン監督の『シルバラード』(1985年)、ケビン・コスナー主演の『ワイアット・アープ』(1994年)、ケビン・コスナー主演・監督の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990年)・『ワイルド・レンジ 最後の銃撃』(2003年)などの秀作が生まれている。しかしかつて活劇映画として人気のあった頃の西部劇の魅力はすでに失われている。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "現在において西部劇は製作されているが数少なく、過去の作品と肩を並べるような傑作を世に送り出していない。物語りとしての図式が出来ず、西部劇としてのジャンルが確立されていないからである。その一方で、時代考証や衣装設定、ガン・アクションは過去の作品とは比較できないほどの正確さで表現されており、『トゥームストーン』のような娯楽性に富んだアクション映画も作られている。", "title": "西部劇の歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "フランク・グルーバー(英語版)は、西部劇の基本的なプロットとして以下の7系統を挙げている。彼によると、優秀な脚本家はこれらの基本系統をキャラクターの台詞とストーリー開発によって、もっともらしいストーリーを作り上げていくという。1960年代から1970年代にかけて、西部劇は修正主義西部劇(英語版)の台頭によって新たな展開を見せた。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "歴史上初めて製作された西部劇映画として、1899年にミッチェルとケニョン(英語版)が製作した短編映画『Kidnapping by Indians』が知られている。しばしばエドウィン・S・ポーターが1903年に製作した『大列車強盗』が「最初の西部劇映画」と誤って紹介されることがあるが、ジョージ・N・フェニンとウィリアム・K・エヴァーソン(英語版)は「『大列車強盗』製作の数年前から、エジソン社は西部劇を題材としていた」と指摘している。『大列車強盗』のヒットにより、出演者のブロンチョ・ビリー・アンダーソン(英語版)は映画史上初のカウボーイ・スターとなり、その後数百本の短編西部劇映画を手掛けたものの、すぐに西部劇スターの座をトム・ミックス(英語版)やウィリアム・S・ハート(英語版)と争うようになった。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "西部劇映画黄金時代の代表作として、以下の監督と作品が挙げられている。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ジョナサン・ローゼンバウム(英語版)は1960年代から1970年代にかけて流行したアシッド・ウェスタンについて分析し、同ジャンルはデニス・ホッパー、ジム・マクブライド(英語版)、ルディ・ワーリッツァー(英語版)などの俳優や、『銃撃(英語版)』『エル・トポ』『グリーサーズ・パレス(英語版)』などの作品と関連付けられている。『エル・トポ』はアレハンドロ・ホドロフスキーが製作し、同名の主人公のガンマンが悟りの境地にいたるまでを描いた寓話的作品としてカルト映画、アンダーグラウンド映画に位置付けられており、キリスト教や東洋哲学の要素が盛り込まれている。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "1980年代以降のアシッド・ウェスタンには『ウォーカー』『デッドマン』が挙げられる。ローゼンバウムはアシッド・ウェスタンについて「妄想的なアジェンダを正当化するために、冷酷で野蛮なフロンティア詩情を定式化している」と指摘し、最終的には資本主義を批判し、その代替様式を取り入れたカウンターカルチャーを表現していると結論付けている。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1960年代初頭以降、アメリカの映画製作者たちは西部劇の伝統的な要素に疑問を抱くようになり、西部劇映画は「ヒーロー対悪役」という善悪二元論からの脱却を目指し、登場人物が暴力的手段で物事の解決を図ることに観客が疑問を抱くような内容に変化していった。また、従来「野蛮人」として描写されていたネイティブ・アメリカンを積極的に題材にするようになったことも修正主義西部劇の大きな特徴の一つであり、『シャイアン』『ワイルドバンチ』『昼下りの決斗』『馬と呼ばれた男(英語版)』『砦のガンベルト』『小さな巨人』『ソルジャー・ブルー』『荒野に生きる』『アウトロー』『ダンス・ウィズ・ウルブズ』『許されざる者』『クイック&デッド』『デッドマン』が代表的な修正主義西部劇映画に挙げられる。1960年代以前に製作された作品で修正主義西部劇に該当する作品として、女性キャラクターに焦点を当てた『女群西部へ!(英語版)』や、コマンチに育てられた白人ガンマンやリーダー的立場にいる女性キャラクターが登場する『襲われた幌馬車』がある。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ブラックスプロイテーション映画の多くが西部劇要素を取り入れており、特にフレッド・ウィリアムソンが出演した作品にこの傾向が見られる。ブラックスプロイテーション・ウェスタンの代表作として『Soul Soldier』『ブラック・ライダー』『ブラック・サンダー(英語版)』『荒野の襲撃・人質救出大作戦(英語版)』『Thomasine & Bushrod』『Boss Nigger』『Adios Amigo』『黒豹のバラード』などが挙げられる。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "コメディ西部劇では「西部劇」として確立された様式や題材、作家のスタイルなどをユーモア、風刺、皮肉という側面からパロディ化している。典型例が『腰抜け二丁拳銃』であり、同作では「オーウェン・ウィスター(英語版)の小説『The Virginian』や勇猛果敢なヒーロー、メインストリートでの最後の銃撃戦など、西部劇のあらゆる要素」を風刺の対象としている。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "ドキュメンタリー西部劇では、アメリカ西部の歴史的な側面を描き出している。テレビシリーズの『The West』は歴史的事実に基づいた描写がされており、『Cowboys: A Documentary Portrait』では現代のアメリカ西部に生きるカウボーイをノンフィクションで描写している。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "ジョン・ルービンスタイン、ドン・ジョンソン、パトリツィア・クイン(英語版)が出演した『ウェスタン・ロック ザカライヤ(英語版)』は、「最初のエレクトリック西部劇」と呼ばれている。このジャンルはアメリカ西部を舞台にロックバンドを題材にしており、『ウェスタン・ロック ザカライヤ』では1970年代に活動したジェイムス・ギャング、カントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュ(英語版)などのロックバンドがクラッカーバンドとして出演し、音楽を提供していた。また、ダグ・カーショウ(英語版)とエルヴィン・ジョーンズがカメオ出演している。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ドミニク・スウェイン、ロン・トンプソン(英語版)、ポール・ドゥーリイが出演した『Hate Horses』は「第2のエレクトリック西部劇」を謳っている。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "叙事詩的西部劇では、西部開拓時代を壮大なスケールで描くことを軸にしており、南北戦争を舞台とした『続・夕陽のガンマン』やメキシコ革命を舞台とした『ワイルドバンチ』のように時代の転換期や戦争を舞台とすることが多い。セルジオ・レオーネの『ウエスタン』は代表作の一つに挙げられ、同作ではモニュメント・バレーをワイドスケールで撮影し、様々な人間模様を描いている。この他に『アイアン・ホース』『白昼の決闘』『捜索者』『ジャイアンツ』『大いなる西部』『シマロン』『西部開拓史』『夕陽のギャングたち』『天国の門』『ダンス・ウィズ・ウルブズ』『ジェシー・ジェームズの暗殺』『ジャンゴ 繋がれざる者』『レヴェナント: 蘇えりし者』が知られている。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "ネオウェスタンは、現代のアメリカを舞台に従来の西部劇の要素・価値観(秩序に反抗するアンチヒーロー、舞台が砂漠、銃撃戦)を反映した作品を指す。2007年にコーエン兄弟が製作した『ノーカントリー』がネオウェスタン映画の始まりと言われている。これらの作品はアメリカ合衆国西部が主な舞台となっており、従来の西部劇的価値観を持つ主人公が、自分たちの時代遅れの正義を否定する「文明」の中で居場所を失い苦悩する姿が描かれることが多い。ネオウェスタン映画はテイラー・シェリダンの作品から以下の3つの基本的なテーマを見出すことができる 。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "「クラッカー・ウェスタン(Cracker Westerns)」とも呼ばれ、フロリダ州を舞台に第二次セミノール戦争(英語版)を題材としている。代表作として『遠い太鼓』が挙げられる。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "アラスカ州やカナダ西部を舞台とした西部劇を指し、『北西騎馬警官隊』『The Spoilers』『スポイラース』『遠い国』『アラスカ魂』『デス・ハント』『The Grey Fox』が挙げられる。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "ウィアード・ウェストは古典的西部劇に他の要素(ファンタジー、SF、ホラー(英語版))を組み合わせた作品を指す。『0088/ワイルド・ウエスト』『ワイルド・ワイルド・ウエスト』では西部劇にスチームパンクの要素を組み合わせており、『ジョナ・ヘックスシリーズ』では西部劇にスーパーヒーローの要素を組み合わせている。『Western Religion』では従来の西部劇の世界に悪魔が登場し、オールドマン・ローガンのグラフィックノベルでは西部劇にスーパーヒーローと終末世界の要素が取り入れられている。", "title": "サブジャンル" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "1960年代から1970年代にかけて、イタリアでは「スパゲッティ・ウェスタン(Spaghetti Westerns)」「イタロウェスタン(Italo-Westerns)」と呼ばれる西部劇映画が製作された。最も有名な作品としてドル箱三部作の第3作『続・夕陽のガンマン』が挙げられる。マカロニ・ウェスタンの多くは低予算で、アメリカ合衆国南西部の風景に酷似しているスペインのアルメリア、メキシコのデュランゴなどで撮影された。また、ハリウッド西部劇よりもアクションや暴力描写が多く、主人公は正義感よりも金銭や復讐など利己的な動機で行動することが大半だった。マカロニ・ウェスタンの中には西部劇の伝統的様式を否定する作品も見られ、そうした作品は修正主義西部劇に含まれる。", "title": "諸外国の西部劇映画" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "マカロニ・ウェスタンの代表的な監督であるセルジオ・レオーネの作品は、ハリウッド西部劇映画とは異なる様式で製作されている。マカロニ・ウェスタンで成功した俳優にはチャールズ・ブロンソン、リー・ヴァン・クリーフ、クリント・イーストウッドがおり、この他にもジェームズ・コバーン、ヘンリー・フォンダ、ロッド・スタイガー、クラウス・キンスキー、ジェイソン・ロバーズ、ジャン・マリア・ヴォロンテ、イーライ・ウォラックが知られている。テレビシリーズ『ローハイド』以外のヒット作に恵まれていなかったイーストウッドは、レオーネ監督作品『荒野の用心棒』への出演をきっかけにスター俳優の地位を手にすることになった。", "title": "諸外国の西部劇映画" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "オーストラリアの西部劇映画は「ミートパイ・ウェスタン(Meat pie western)」と呼ばれ、アウトバックやブッシュ(英語版)が主な舞台となっている。これらの作品はアメリカの西部劇のスタイルを踏襲し、オーストラリア先住民がインディアン役を演じることが多い。", "title": "諸外国の西部劇映画" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "『トラッカー(英語版)』はオーストラリアン・ウェスタンの典型的な作品に挙げられ、過酷な砂漠地帯を舞台にアボリジニの搾取、正義への渇望がテーマとして描かれている。この他に『Rangle River』『Kangaroo』『The Kangaroo Kid』『サンダウナーズ』『ブラッディ・ガン(英語版)』『Ned Kelly』『スノーリバー/輝く大地の果てに(英語版)』『プロポジション -血の誓約-(英語版)』『Lucky Country』『スウィート・カントリー(英語版)』が知られている。", "title": "諸外国の西部劇映画" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ボリウッドの『炎(英語版)』は、しばしば「カレー・ウェスタン(curry Western)」と呼ばれる。同作は『マザー・インディア(英語版)』『Gunga Jumna』などのダコイト映画とマカロニ・ウェスタンの要素を組み合わせた作品であり、「ダコイト・ウェスタン」と称される独自のジャンルを確立した。", "title": "諸外国の西部劇映画" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "チャーロ・ウェスタン(英語版)はアクション俳優だけではなくミュージカル俳優が多く出演し、1930年代以降にメキシコ映画で主流となった。1930年代から1940年代にかけてはメキシコ農村部の騎手を主人公とした作品が多く、ハリウッドの主流西部劇映画とは一線を画した作風となっていたが、1950年代から1970年代にかけてはハリウッド西部劇との文化的融合が進んでいった。この時期の代表作としてイスマイル・ロドリゲス(英語版)の『Los Hermanos Del Hierro』、ホルヘ・フォンス(英語版)の『Cinco Mil Dólares de Recompensa』、アルトゥーロ・リプスタインの『Tiempo de morir』がある。チャーロ・ウェスタンの最も著名な映画製作者としてアルベルト・マリスカル(英語版)が知られている。", "title": "諸外国の西部劇映画" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "西ヨーロッパで製作された西部劇であり、マカロニ・ウェスタンを含める場合がある。代表作として『荒野の愚連隊(英語版)』が挙げられる。ドイツが製作した西部劇映画は「ザワークラウト・ウェスタン(Sauerkraut Westerns)」と呼ばれ、主にカール・マイの小説を原作としてユーゴスラビアで撮影された。ドイツではアメリカ人俳優のレックス・パーカー主演で、1961年から1965年にかけて『アパッチ』『大酋長ウイネットー』『シルバーレークの待ち伏せ』などが製作された。これらの映画には、アメリカの俳優でハリウッドでは作品に恵まれず、ドイツやイタリアに行った俳優が多かった。ザワークラウト・ウェスタンで最も人気があったのは、アパッチを主人公とした『Winnetouシリーズ』だった。この他に『The Unhanged』『悪党に粛清を』『ブリムストーン(英語版)』『The Dark Valley』が知られている。", "title": "諸外国の西部劇映画" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "「ファソラーダ・ウェスタン(Fasolada Westerns)」(ファソラーダ(英語版):ギリシャの国民食)と呼ばれ、アカデミー国際長編映画賞ギリシャ代表作品(英語版)に選出された『Blood on the Land』が知られている。", "title": "諸外国の西部劇映画" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "ソビエト連邦や東ヨーロッパが製作した作品を指し、「イースタン(Eastern)」「レッド・ウェスタン(Red Western)」と呼ばれる2つのジャンルが存在する。冷戦時代の東側諸国では人気のジャンルで、特にヨシフ・スターリンのお気に入りだった。レッド・ウェスタンではハリウッド西部劇とは対照的に、インディアンを「虐げられた弱い者が、自分の権利のために立ち上がる」という形で描写することが多く、ジプシーやトルコ系人種がインディアン役を演じていた。イースタンではコーカサスのステップが舞台になることが多く、「カウボーイとインディアン」に代わる存在として「盗賊とハレム」が登場する。代表作として『砂漠の白い太陽(英語版)』が挙げられる。", "title": "諸外国の西部劇映画" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "「ラーメン・ウェスタン(Ramen Western)」はアジアを舞台とした西部劇映画を指し、『タンポポ』で初めて使用された。代表作として『荒野の渡世人』『冒険活劇 上海エクスプレス』『EAST MEETS WEST』『Tears of the Black Tiger』『ロケットマン!』『さらば復讐の狼たちよ』『許されざる者』『マルリナの明日(英語版)』『バッファロー・ボーイズ(英語版)』『グッド・バッド・ウィアード』『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』が挙げられる。", "title": "諸外国の西部劇映画" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "日本では戦前から西部劇の人気は高く、戦後特に1960年前後にはガン・ブームと呼ばれる現象が生まれ、当時日活が無国籍映画と言われる西部劇のような活劇を作ったりしたが特筆されるほどではなかった。ただ時代劇の分野で黒澤明監督「七人の侍」がアメリカでリメイクされてジョン・スタージェス監督「荒野の七人」となり、「用心棒」が「荒野の用心棒」となり、西部劇の世界に影響を与えることとなった。", "title": "諸外国の西部劇映画" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "コロンブスがアメリカ大陸に到達した時には、北米大陸にもすでに先住の民族がいた。北米大陸に着いた時にインドに着いたと勘違いして先住民をインディアンと呼んだ話は有名だが、17世紀初めにイギリス人が最初の植民地を作った頃に北米にはおよそ人口100万人、部族の数では約500余りが暮らしていたと言われている。しかし西部開拓が進む頃から白人との戦いが始まった。西部開拓の歴史はまた先住民迫害そして虐殺の歴史でもあった。そして西部開拓時代の1870年には人口がわずか2万5千人に激減している。", "title": "西部劇における先住民の描写" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "20世紀初頭の黎明期の西部劇では、インディアンをヒーローとして扱ったものもあったが、西部劇がアクション中心の娯楽映画に移行するとインディアンは『フロンティア』を害する悪役となり、白人開拓者にとっては邪悪と凶暴さの象徴であった。", "title": "西部劇における先住民の描写" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "西部劇は、インディアンのイメージを決定付けた。劇中に登場するインディアン達は、決まって馬にまたがって派手な羽飾りをつけ、手斧を振り回し、「アワワワワ」と鬨の声を挙げて襲ってくる。これらは馬にまたがり、羽飾りをつけること以外は出鱈目なものである。彼らの衣装も、撮影所のデザイナーが考えたものであり、またそのほとんどが、白人たちが演じており、資料的価値は皆無である。", "title": "西部劇における先住民の描写" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "また、西部劇には「号令一下、全インディアン戦士を従わせる大酋長(Grand Chief)や戦争酋長(War chief)」が登場するが、これはインディアン文化に対する白人の誤解から生まれたものである。基本的にインディアンの社会は合議制民主主義社会であり、このような絶対権力者は存在しない。「大酋長」も「戦争酋長」もまったくのフィクションであり、現実には存在しない西部劇の中のキャラクターなのにも関わらず、これが全世界で公開されることで、「酋長は部族長である」といった、誤ったインディアンに対する認識をさらに広めることとなってしまった。", "title": "西部劇における先住民の描写" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "平原の部族の風俗である羽飾りをつけ、無表情に片言の英語を喋る(日本語の台詞では「インディアン、ウソツカナイ」はこの典型である)このステレオタイプは、その後世界中の人々が「インディアン」と聞いて真っ先に頭に思い浮かぶイメージとなった。ラジオやTVのシリーズ『ローン・レンジャー』に出てくる、主人公の相棒であるインディアンの「トント」は、インディアンの間では「白人にへつらうインディアン」の代名詞となっている。", "title": "西部劇における先住民の描写" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "1950年代に入って、このようなインディアンの描き方に対する反省から『折れた矢』「アパッチ」が製作され、1960年代に入ると、『モホークの太鼓』(1939)で典型的なインディアンの描き方をして以後も悪役としてのインディアンしか描いてこなかったジョン・フォードが「シャイアン」(1964)でシャイアン族の悲劇を描くようになり、1970年には『ソルジャー・ブルー』で騎兵隊がインディアンを虐殺する場面が描かれている。", "title": "西部劇における先住民の描写" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "1960年に「片目のジャック」を監督・主演したマーロン・ブランドは、インディアン権利団体『アメリカインディアン運動』(AIM)に賛同し、同団体設立当初から助言と運動をともにしていたが、1973年に映画『ゴッド・ファーザー』でアカデミー賞を受賞した際、授賞式に「インディアン女性」を代理出席させ、ハリウッド西部劇において、いかにインディアンが理不尽な扱いを受けているかメッセージを代読させた。 映画俳優でAIMの運動家でスポークスマンをも務めるラッセル・ミーンズはハリウッド映画についてのインタビューに答え、こう述べている。", "title": "西部劇における先住民の描写" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "1940年代のある土曜日の午後に、私は弟のデイスと二人でカリフォルニアのバレーホにあるエスクァイア映画劇場へ映画を観に行ったことがあります。その映画にはカウボーイとインディアンが出てきて、満場の観客たちが大喝采する中、進軍ラッパが鳴り響き、騎兵隊が撃ちまくり、否も応もなしにインディアンがぶち殺されるんです。デイスは、とても見ていられない様子でした。彼は、顔を手で覆っていました。あなたが8歳か9歳だった頃、私たちはそんなふうだったんです。あなたは多分、今度の映画(『ラスト・オブ・モヒカン』)はそれと違ってインディアンが勝つかもしれないなと思うでしょうね。まあそれからその後で、私たちは映画館を出るわけです。", "title": "西部劇における先住民の描写" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ガンマンが題材となることの多い西部劇には、正確な考証に基づくものから近現代の銃器を手直ししてそれらしく見せかけたものまで、様々の銃器が小道具として登場した。中でも象徴的なのがコルト・シングル・アクション・アーミー(SAA)リボルバー、通称「ピースメーカー」や、コルトM1851のようなシングルアクション回転式拳銃である。SAAはコルト社の最高傑作と言われる名銃で1873〜1940年までの67年間に35万挺が製造されている。", "title": "西部劇に登場する銃器" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "腰の、ベルト付きホルスターにシングルアクションの回転式拳銃を収めたカウボーイスタイルは、映画に登場する西部ガンマンの定番であった。日本においても、西部劇人気の高まりと共にコルト45のようなシングルアクション拳銃の知名度は上昇し、多くのメーカーからトイガン製品が販売された。", "title": "西部劇に登場する銃器" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "この時代のシングルアクション拳銃には様々なバリエーションが存在するが、特にマカロニ・ウェスタンにおいて、主役は5.5インチの金属薬莢式、悪役のボスは7.5インチなどの長銃身で大型、その他大勢は4.75インチの金属薬莢式拳銃や、パーカッション式リボルバーという具合に、持ち主の役どころにより銃の種類が決められている場合が多かった。", "title": "西部劇に登場する銃器" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "目にも止まらぬ抜き撃ち連射、華麗なスピンといったガンプレイに習熟することが主演スターには要求され、ゲイリー・クーパーは『平原児』(1936)でセシル・B・デミルと話し合った結果、二丁拳銃の抜き撃ちを2週間猛練習し、名場面を作りあげた。", "title": "西部劇に登場する銃器" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "映画がカラーになり、やがてワイド化して横長画面になった頃、1950年代中期以降は朝鮮戦争の帰還兵士であったレッド・ロッドウィングが銃器類の取り扱い指導者になり多くのスターに拳銃の技を伝授した。このガン・プレイの指導にはアルヴァ・オジャラやドイル・ブルックスなどの名前が伝わっているが、遡ると映画がサイレントからトーキーになった頃に、まだデビュー前のジョン・ウェインにガン・プレイを指導したのはあのワイアット・アープ本人であったという話がある。", "title": "西部劇に登場する銃器" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "引き金を引いたままで拳銃を抜き、撃鉄をもう一方の手で連打することで高速に連射する「ファニング」と呼ばれるテクニックは、『荒野の決闘』で名バイプレーヤーワード・ボンドが初めて披露した技である。", "title": "西部劇に登場する銃器" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "なお、ジョン・ウェインはコルト6連発銃によるガンプレイが実は巧かった(「捜索者」でその片鱗を披露している)が大柄(やや太めのウェスト)過ぎて似合わないのでジョン・フォード監督のアドバイスでウィンチェスター銃(ライフル)を愛用したと伝えられる。そして後にライフル銃を持つとこれほど似合う俳優はいないと言われた。", "title": "西部劇に登場する銃器" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "そのウィンチェスター銃はオリバー・ウィンチェスターが考案したライフルで、最初は6連発のライフル銃であったが、SAAが売り出された同じ1873年に17連発の「73年型ウィンチェスター銃」(M1873通称ウィンチェスター銃73))が登場して、このウィンチェスター73も1873〜1932年の59年間に72万挺製造され当時の西部に広く普及したと言われている。ただし当時のアメリカ陸軍には不評で、19世紀に騎兵隊などの軍関係にはウインチェスター銃は使われていない。したがって歴史的には騎兵隊がライフル銃を使う場合はウインチェスター銃ではなく単発のスプリングフィールド銃が使われており、1876年にカスター将軍以下の第七騎兵隊がリトルビッグホーンでインディアンに全滅したのはインディアン側は連発のウインチェスター銃で、騎兵隊側は単発のスプリングフィールド銃を使っていたからという「まことしやかな説がある」と言われている。しかし西部劇映画では騎兵隊がウインチェスター銃で射ちまくる場面がよく見られるという。またテレビ「拳銃無宿」に主演したスティーブ・マックイーンが愛用していた銃は、このウインチェスター銃の銃身を短くした通称ランダルカスタムと呼ばれる銃である。ちなみに映画やテレビで使われるウインチェスター銃は有名なM1873ではなく後継のM1892が使用されている。", "title": "西部劇に登場する銃器" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "この「シングル・アクション・アーミー」と「ウィンチェスターM1873」の2つの銃が後に「西部を征服した銃」と呼ばれている。", "title": "西部劇に登場する銃器" } ]
西部劇(せいぶげき)は、19世紀後半のアメリカ合衆国の西部開拓時代に当時フロンティアと呼ばれた主にアメリカ西部の未開拓地を舞台にした映画(テレビ映画を含む)や小説である。英語のWestern(ウェスタン)の訳語である。
<!--写真を追加される場合は、編集の際に問題になるので、より適切と思われる節に入れて下さい--> [[ファイル:Stagecoach-1939.jpg|thumb|right|300px|『[[駅馬車 (1939年の映画)|駅馬車]]』より]] [[File:High Noon1.JPG|thumb|right|300px|『[[真昼の決闘]]』より]] [[画像: Alan Ladd in Shane.jpg|thumb|right|300px|『[[シェーン]]』より]] [[File:The searchers Ford Trailer screenshot (9).jpg|right|thumb|300px|『捜索者』より]] '''西部劇'''(せいぶげき)は、[[19世紀]]後半の[[アメリカ合衆国]]の[[西部開拓時代]]に当時[[フロンティア]]と呼ばれた主に[[アメリカ合衆国西部|アメリカ西部]]の未開拓地を舞台にした[[映画]](テレビ映画を含む)や[[小説]]である。英語のWestern(ウェスタン)の訳語である。 == 概要 == [[1860年代]]後半・[[南北戦争]]後の[[アメリカ合衆国西部|アメリカ西部]]を舞台に、開拓者魂を持つ白人を主人公に無法者や先住民と対決するというプロットが、白人がフロンティアを開拓したという開拓者精神と合致し<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=7gy2Kz_xtNAC 『アメリカ文化入門』杉野健太郎編 三修社] p36</ref>、大きな人気を得て、20世紀前半のアメリカ映画の興隆とともに映画の1つのジャンルとして形成された。 それ故に「19世紀後半のアメリカ西部開拓期を撮った映画」が西部劇であり、「新興の気に満ち満ちていた若きパイオニア精神が壮烈なアクションとともに展開するのが特徴」であるが、「現在西部劇は殆ど滅び去ったと言ってよく、パイオニア精神の失われた今のアメリカで成り立ち得ないジャンル」であるとされている<ref>「映画小辞典」188P 「西部劇」の項 田山力哉著 ダヴィッド社 1987年9月発行</ref>。 なお19世紀後半(特に1860年代から1890年代にかけて)のアメリカ西部を舞台とするとした西部劇の定義は必ずしも厳密なものではなく、[[ゲイリー・クーパー]]主演『征服されざる人々』の舞台は独立宣言前の東部のペンシルベニア州ピッツバーグであり、[[ジョン・フォード]]監督[[ヘンリー・フォンダ]]主演『[[モホークの太鼓]]』は独立戦争時のニューヨーク州が舞台で、[[セシル・B・デミル]]監督『[[北西騎馬警官隊]]』は時代は1880年代だが舞台はカナダで、いずれも未開拓の地を切り開いていく物語であり西部劇と見なされている。また『[[明日に向って撃て!]]』『[[アラスカ魂]]』『[[ワイルドバンチ (映画)|ワイルドバンチ]]』は、20世紀初頭の物語であり、「明日に向って撃て!」は最後は南米ボリビア、『[[アラスカ魂]]』はアラスカ、『[[ワイルドバンチ (映画)|ワイルドバンチ]]』や他に『[[荒野の七人]]』などはメキシコが舞台だが西部劇のジャンルとされている。 そして最後は第一次世界大戦時になる『[[シマロン (1960年の映画)|シマロン]]』は西部劇に入るが、同じ作家が書いた『[[ジャイアンツ (映画)|ジャイアンツ]]』はテキサスを舞台にした20世紀の物語で西部劇とはされていない。また南部アトランタを舞台に南北戦争時のストーリーである『[[風と共に去りぬ (映画)|風と共に去りぬ]]』も西部劇のジャンルには入っていない。 == 西部劇の歴史 == [[画像:Great train robbery still.jpg|thumb|left|200px|『[[大列車強盗 (1903年の映画)|大列車強盗]]』より。]] [[File:Paramount Movie Ranch February 2003.JPG|thumb|right|200px|ハリウッドにある米国パラマウント社の西部劇セット。]] 西部劇は映画とともに歴史を歩んできた。そして西部劇はハリウッドが築き上げた独自のジャンルであり、西部開拓の歴史を持つアメリカだからこそ生まれたとも言える。厳しい自然の中で多くの困難と闘いながら逞しく生きてきた開拓者の物語はアメリカ人の誇りとするものであり、フロンティア精神と夢を含み、アメリカンドリームそのものであった<ref>「映画この百年ー地方からの視点」第9章 西部劇 206P</ref>。 === ハリウッド === [[File:Western Set Universal Studio.jpg|thumb|200px|ハリウッドにある[[ユニバーサル・ピクチャーズ]]の西部劇セット。]] 西部を舞台とする発想は映画史のごく初期から存在しており、1898年には、エジソンのキネトスコープ(覗き眼鏡方式)による活動写真において最初の西部劇が作られている。1895年にリュミエール兄弟が初めてシネマトグラフ(スクリーン投影方式)を生み出し、やがて[[サイレント映画]]が登場すると、最初の本格的な西部劇映画である1903年の[[エドウィン・S・ポーター]]監督『[[大列車強盗 (1903年の映画)|大列車強盗]]』がつくられた。列車を襲った強盗を自警団が追跡して討ち取る簡単なストーリーだが、走る列車の上での立ち回り、殺人と金庫の爆破、追跡と撃ち合いなど動きのある映像を編集した画面によって観客は興奮を味わい、やがて西部劇はアクションを売り物に盛んに製作された。この「大列車強盗」はその後の西部劇映画の基本となる骨格を整えた画期的な作品で、映画の歴史に大きな影響を与えた<ref>「映画この百年ー地方からの視点」第9章 西部劇 207P</ref>。ただし、この映画の撮影はエジソン社に近い東部のニュージャージー州であり、西部の自然はスクリーンに映されていなかった。当時は撮影は東部でしか出来ず、物語は西部でも、撮影は全て東部で行われていた。1910年代に入るとエジソン社による特許権紛争が起こり、トラストによってエジソン社の特許を持たない映画関係者の強制排除が行われ(後に裁判でエジソン社は敗れる)、特許料の支払いから逃れるように遠い西部に移った人々はカリフォルニア州ロサンゼルス郊外に西部劇を製作するのに好条件の土地を見出した。豊かな太陽、美しく雄大な景観をバックに、ロケーションに事欠くことなく西部劇の撮影が進められ、ここが映画製作の中心地となった。それがハリウッドであった。 === 西部劇スターと監督 === [[画像:Hart-TheGunFighter.jpg|thumb|left|200px|[[:w:William S. Hart|ウィリアム・S・ハート]]。(『ガンファイター』(1917年)より)]] [[ファイル: HarryCarey1919.jpg|thumb|left|150px|[[ハリー・ケリー]]。(1919年)]] 西部の荒野で、逆境に立ち向かい、悪をやっつけて、弱者(女性や子供)には優しいガンマンを主人公に、[[懸賞金]]が掛けられたお尋ね者と決闘したり、駅馬車を追っかけたり、銀行強盗があったり、騎兵隊が来たり、そして先住のインディアンと争ったりするのがパターンであった。実在した[[保安官]]([[ワイアット・アープ]]や[[ワイルド・ビル・ヒコック]])や[[ガンマン]]([[バット・マスターソン]]、[[ビリー・ザ・キッド]]、[[ジェシー・ジェームス]])を題材にして、アメリカ西部の大自然を背景に開拓者魂(フロンティア精神)を詩情豊かに描く西部劇は多くの人々を魅了し、西部開拓時代への[[ノスタルジー]]を掻き立てられた{{efn2|[[カウボーイ]]には黒人も多かったし、町には中国人など外国人も多かった。中国人が西部劇に出たものとしてはジェフ・ブリッジス主演『ワイルド・ビル』(1995年)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ&アメリカ/天地風雲』([[1997年]])、[[ジャッキー・チェン]]主演の『[[シャンハイ・ヌーン]]』([[2000年]])がある。『[[戦う幌馬車]]』([[1967年]])には[[カーク・ダグラス]]が箸で中華料理を食べる場面もある。}}。それは19世紀後半の西部開拓時代での開拓者精神を称え、アメリカを発展させたものとして賛美するものであった。 こうした西部劇の基本は強く勇敢なヒーローの存在であり、そのヒーローを演じる俳優は西部劇スターとなった。最初の頃に登場したブロンコ・ビリー・アンダーソン{{efn2|本名ギルバート・M・アンダーソン。1882年〜1971年。もとはボードビリアンで、最初の本格的西部劇の「大列車強盗」では1人3役をこなしている。この最初の西部劇スターは乗馬も射撃も全くダメですべて代役が演じていたと言われている。なお後にクリント・イーストウッド主演で「ブロンコ・ビリー」が製作されたが、「大列車強盗」に出演したブロンコ・ビリー・アンダーソン本人とは直接の関係はない。}}は「ブロンコ・ビリー」{{efn2|「ブロンコ・ビリー」シリーズで1907年から1914年まで合計375本製作された。なお別の資料では1908年から1915年までで500本に及んだという説もある。}}シリーズで主演し、毎週1本ずつ一巻物(上映時間12分まで)で製作された連続活劇に7年間出演した。 ブロンコ・ビリーの後にはブロードウエイの舞台俳優であった[[:w:William S. Hart|ウィリアム・S・ハート]]が二挺拳銃の颯爽とした姿で登場し「西部の騎士」のようなスタイルで多くの観客を魅了した。ハートはそれまでの西部劇役者とは全く異質で、騎士道精神を前面に出しながらも孤独で悲劇的立場に追い込まれる場面が多く、そこが観客の心を強く打つものであった<ref>「映画この百年ー地方からの視点」第9章 西部劇 209〜211P</ref>。彼は俳優のみならず製作・監督にもたずさわり、「曠野の志士」(1925年)などのサイレント作品が日本でも上映されて西部劇映画に大きな足跡を残した。 そしてほぼ同時期に[[ハリー・ケリー]]が登場して1917年から1919年にかけて「シャイアン・ハリー」シリーズで人気を呼んだ。[[ハリー・ケリー]]は後年は脇役に回って、戦後は「白昼の決闘」「赤い河」にも出演していたがサイレント期の西部劇スターとしてその名は記憶されている。この「シャイアン・ハリー」シリーズの殆どを製作・監督したのが当時ジャック・フォードと名乗っていた後の[[ジョン・フォード]]であり、ハリー・ケリーはフォード一家とは親しい関係で、息子のハリー・ケリー・ジュニアは後にジョン・フォード西部劇の貴重なバイプレイヤーとなり、ハリー・ケリーの妻は後年のフォード西部劇の傑作『捜索者』に出演している。 [[ジョン・フォード]]は兄の[[フランシス・フォード]]によって映画界に入り、フランシスの助手を務めながらやがて映画監督になったが、そのフランシスはサイレント時代の西部劇の製作に多く関わり、『[[:w:Custer's Last Fight|Custer`s Last Fight]]』{{efn2|その題名の通り、カスター将軍と第七騎兵隊のリトルビッグホーンでの全滅を描いた30分ほどのサイレント映画。フランシス・フォードは主演・監督で[[ジョージ・アームストロング・カスター|カスター将軍]]をも演じている。なお西部劇映画でこのカスター将軍の最期を描いた初めての作品とされている。}}(1912年)「旋風児」(1921年)「Western Yesterday」(1924年)などの作品を製作している。このサイレント期には、前述の[[エドウィン・S・ポーター]]、[[フランシス・フォード]]、[[:w:William S. Hart|ウィリアム・S・ハート]]以外に[[スチュアート・ペイトン]]、[[リン・F・レイノルズ]]などの映画監督が西部劇に多数の映画を残していた。また他の西部劇スターとしてはウイリアム・ファーナムやトム・ミックスらがいた。 [[File:Gary Cooper 2.jpg|thumb|250px|[[ゲイリー・クーパー]]。映画''『[[ベラクルス (映画)|ヴェラクルス]]』''(1954年)より]] [[File:John Wayne - 1961.JPG|thumb|250px|[[ジョン・ウェイン]]。映画『[[コマンチェロ]]』(1961年)より]] 第一次世界大戦後にはジェームズ・クルーズ監督『[[幌馬車 (1923年の映画)|幌馬車]]』(1923年)が製作された。この映画はスターによるヒーロー物語ではなく、自然の猛威や先住民と戦いながら西部の荒野を西へ西へと進む集団の物語で、それまでの西部劇とは全く違う新しい西部劇を作った。[[ジョン・フォード]]は1924年に大陸横断鉄道の建設を軸にした西部開拓叙事詩「アイアンホース」、1926年に『[[三悪人]]』を製作していた。 そして1927年に「ジャズシンガー」で[[トーキー]]が普及すると、後に「風と共に去りぬ」「オズの魔法使い」を作った[[ヴィクター・フレミング]]監督が1929年「ヴァージニアン」を製作して主演に抜擢された[[ゲイリー・クーパー]]はこの作品で西部劇スターの座を獲得した。その後1936年に[[セシル・B・デミル]]監督の『[[平原児]]』で主役ワイルド・ビル・ヒコックを演じ、ジーン・アーサー演じるカラミティ・ジェーンとの悲恋を絡めながら巧みなガンさばきを見せて大スターとなった。 一方1930年[[ラオール・ウォルシュ]]監督の「ビッグ・トレイル」で[[ジョン・フォード]]は当時無名だった[[ジョン・ウェイン]]を推薦して主役に抜擢させたが不評に終わったので、[[ジョン・ウェイン]]はその後B級西部劇に10年近く出演を続けた。そして1939年になってB級映画で俳優として経験を積んだ[[ジョン・ウェイン]]を再び抜擢して[[ジョン・フォード]]は『[[駅馬車 (1939年の映画)|駅馬車]]』を製作し、[[ジョン・ウェイン]]は主役リンゴー・キッドを演じた。この映画は駅馬車の走行にインディアンの襲撃及びガンマンの決闘、そして駅馬車に乗り合わせた乗客のそれぞれの人生模様を描き、たんなる娯楽活劇ではなく西部劇の評価を一気に高めて、今日でも戦前の西部劇の最高峰と評価されている<ref name=hyakunen215>「映画この百年ー地方からの視点」第9章 西部劇 215P</ref>。 この時期にはサイレント映画の名作「ビッグ・パレード」を作った[[キング・ヴィダー]]監督が西部劇の「ビリーザ・キッド」(1930年)、「テキサス決死隊」(1936年)を製作し、同じくサイレントで「スコオ・マン」を作り、トーキー以後の1931年にも再映画化をした[[セシル・B・デミル]]監督が「平原児」の後に1939年に大陸横断鉄道の建設、列車転覆、襲撃、悪との対決、恋を絡ませた[[ジョエル・マクリー]]主演『[[大平原 (映画)|大平原]]』、その翌年1940年に[[ゲイリー・クーパー]]主演『[[北西騎馬警官隊]]』を製作し、同じ1939年に[[ヘンリー・キング]]監督で[[タイロン・パワー]]がジェシー・ジェームスを演じた『[[地獄への道]]』、ジョージ・マーシャル監督で[[ジェームズ・ステュアート (俳優)|ジェームズ・スチュアート]]とマレーネ・ディートリヒ主演『[[砂塵 (映画)|砂塵]]』、1940年に[[ウィリアム・ワイラー]]監督で西部開拓史にその名を残すロイ・ビーン判事を描いた[[ゲイリー・クーパー]]主演『[[西部の男]]』など西部劇の傑作と呼ばれる作品が次々と発表された。 第二次大戦の戦時下でもハワード・ヒューズ監督でジェーン・ラッセルの妖艶な姿が話題となった『[[ならず者 (1943年の映画)|ならず者]]』(1943年)、[[ラオール・ウォルシュ]]監督の史上に名高いリトル・ビッグホーンでの第七騎兵隊の全滅とカスター将軍の最後を描いた[[エロール・フリン]]主演『[[壮烈第七騎兵隊]]』(1943年)、[[ウィリアム・A・ウェルマン]]監督で[[ヘンリー・フォンダ]]主演の『[[牛泥棒]]』(1943年)、[[ジョエル・マクリー]]主演でバッファロー・ビル・コディを描いた『[[西部の王者]]』(1944年)などの作品が作られている。 === 西部劇の黄金期 === そして第二次大戦が終わって後に西部劇は黄金時代を迎えて、1960年頃まで多数の名作を生んだ{{efn2|戦後の1946年から1951年までが西部劇の黄金時代といわれ、量的な発展だけでなく、質的にも優れた作品が多く作られている<ref>「映画この百年ー地方からの視点」第9章 西部劇 222P</ref>。ただしこの説は西部劇の製作本数が大きく伸びて、1950年にピークを迎えて、その後に急減したことを前提にしているが、1952年以後に急減したのはB級西部劇が廃れたことが減少の原因であり、量的には減少したけれど、質的にはむしろ1952年以降に傑作が多い。}}。また多くの俳優が西部劇で主演を演じて、その中から[[ゲイリー・クーパー]]、[[ジョン・ウェイン]]、[[ヘンリー・フォンダ]]、[[グレゴリー・ペック]]、[[ジェームズ・ステュアート (俳優)|ジェームズ・スチュアート]]らの大スターが西部劇から育っていった<ref name=hyakunen215/>。 [[ジョン・フォード]]監督の[[ヘンリー・フォンダ]]主演でワイアット・アープとクラントン一家との対決を描いた『[[荒野の決闘]]』(1946年)、そして[[ジョン・ウェイン]]主演で後に騎兵隊三部作と言われた『[[アパッチ砦]]』(1948年)・『[[黄色いリボン (映画)|黄色いリボン]]』(1949年)・『[[リオ・グランデの砦]]』(1950年)、今日では最高傑作とされる『[[捜索者]]』(1956年)、そして[[ウィリアム・ホールデン]]と共演した『[[騎兵隊 (映画)|騎兵隊]]』(1959年)、[[ハワード・ホークス]]監督の[[ジョン・ウェイン]]主演『[[赤い河]]』(1948年)、[[ジョン・ウェイン]]と[[ディーン・マーティン]]主演『[[リオ・ブラボー]]』(1958年)、[[ヘンリー・キング]]監督の[[グレゴリー・ペック]]主演「拳銃王」(1950年)、[[デルマー・デイヴィス]]監督の[[ジェームズ・ステュアート (俳優)|ジェームズ・スチュアート]]主演『[[折れた矢 (1950年の映画)|折れた矢]]』(1950年)、そして[[フレッド・ジンネマン]]監督の[[ゲイリー・クーパー]]主演『[[真昼の決闘]]』(1952年)、[[ジョージ・スティーブンス]]監督の[[アラン・ラッド]]主演『[[シェーン]]』(1953年)、[[ジョン・スタージェス]]監督の[[バート・ランカスター]]と[[カーク・ダグラス]]主演で「荒野の決闘」と同じく西部開拓史上最も有名な決闘を描いた『[[OK牧場の決斗]]』(1957年)などの名作が世に送り出された。 この時期の『[[捜索者]]』・『[[真昼の決闘]]』・『[[シェーン]]』の3作品は、戦前の『[[駅馬車 (1939年の映画)|駅馬車]]』と合わせて[[アメリカン・フィルム・インスティチュート]](AFI)が1998年と2008年に行った「偉大なアメリカ映画ベスト100」で西部劇部門の最上位を占め、1998年は『[[真昼の決闘]]』が、2008年は『[[捜索者]]』が西部劇映画のトップとして評価されている<ref>『NewsWeek 日本版』 2009年5月6・13日号 42〜91P 【The Greatest Movies 100】(映画ザ・ベスト100) 参照</ref>。  またこの時期に[[ジョン・スタージェス]]監督の「ブラボー砦の脱出」、『[[ガンヒルの決斗]]』、[[ロバート・テイラー (俳優)|ロバート・テイラー]]主演『[[ゴーストタウンの決斗]]』{{efn2|前述の「OK牧場の決斗」と『[[ガンヒルの決斗]]』『[[ゴーストタウンの決斗]]』を合わせてスタージェスの決闘三部作と言われている。}}そして「六番目の男」、[[キング・ヴィダー]]監督の[[グレゴリー・ペック]]主演『[[白昼の決闘]]』そして「星のない男」、[[ラオール・ウォルシュ]]監督の『[[死の谷 (映画)|死の谷]]』「追跡」「決闘一対三」、[[ヘンリー・キング]]監督の「無頼の群」、[[ロバート・アルドリッチ]]監督の「アパッチ」『[[ベラクルス (映画)|ヴェラクルス]]』「ガンファイター」、[[ウィリアム・ワイラー]]監督で[[グレゴリー・ペック]]と[[チャールトン・ヘストン]]主演の『[[大いなる西部]]』と[[ゲイリー・クーパー]]主演の『[[友情ある説得]]』、[[デルマー・デイヴィス]]監督で[[グレン・フォード]]と[[ヴァン・ヘフリン]]主演『[[決断の3時10分]]』、[[リチャード・ウィドマーク]]主演「[[襲われた幌馬車]]」、[[グレン・フォード]]主演「カウボーイ」そして[[ゲイリー・クーパー]]主演『[[縛り首の木 (1959年の映画)|縛り首の木]]』、[[アンソニー・マン]]監督の『[[ウィンチェスター銃'73|ウインチェスター銃73]]』『[[裸の拍車]]』『[[ララミーから来た男]]』『[[怒りの河]]』『[[遠い国]]』『[[胸に輝く星]]』『[[西部の人]]』、[[エドワード・ドミトリク]]監督で[[ヘンリー・フォンダ]]と[[リチャード・ウィドマーク]]と[[アンソニー・クイン]]主演の『[[ワーロック (1959年の映画)|ワーロック]]』そして「折れた槍」、スチュアート・ギルモア監督の「落日の決闘」、フランク・ロイド監督の「アラモの砦」、[[ロバート・ワイズ]]監督で[[ロバート・ミッチャム]]主演の「月下の銃声」、ニコラス・レイ監督の『[[大砂塵]]』『[[無法の王者ジェシイ・ジェイムス]]』、ジョージ・マーシャル監督の「燃える幌馬車」、オットー・プレミンジャー監督の[[ロバート・ミッチャム]]とマリリン・モンロー主演で初のシネマスコープ作品『[[帰らざる河]]』、ジョン・ヒューストン監督の[[バート・ランカスター]]とオードリー・ヘプバーン主演『[[許されざる者 (1960年の映画)|許されざる者]]』、ロバート・D・ウエッブ監督のロバート・ライアン主演「誇り高き男」、[[ヘンリー・ハサウェイ]]監督の「狙われた駅馬車」「向こう見ずの男」そして[[ゲイリー・クーパー]]主演『[[悪の花園]]』、[[アーサー・ペン]]監督[[ポール・ニューマン]]主演で[[ビリー・ザ・キッド]]を描いた「左ききの拳銃」などが製作された。 そして1960年代に入ると[[ジョン・スタージェス]]監督の[[ユル・ブリンナー]]と[[スティーブ・マックイーン]]主演『[[荒野の七人]]』、[[マイケル・カーティス]]監督の『[[コマンチェロ]]』、[[ジョン・フォード]]監督の『[[バファロー大隊]]』『[[リバティ・バランスを射った男]]』『[[シャイアン (映画)|シャイアン]]』、また西部劇スターが製作監督してジョン・ウエイン監督で初の70ミリ作品『[[アラモ (1960年の映画)|アラモ]]』、マーロン・ブランド監督の「片目のジャック」、そして西部開拓の歴史を家族の一代記としてオムニバスで描いた[[ヘンリー・ハサウェイ]]と[[ジョン・フォード]]とジョージ・マーシャル監督の初のシネラマ作品『[[西部開拓史 (1962年の映画)|西部開拓史]]』などの作品が続々と製作された。 === B級西部劇とテレビ西部劇 === [[第二次世界大戦]]が終わる頃まで、アメリカ映画の大きなジャンルとして西部劇は確固としたもので人気は高かった。1930年代に西部劇の製作本数は100本を超えて、1935年には150本、戦争を挟んで1950年頃も140本近くを記録した<ref>「映画この百年ー地方からの視点」第9章 西部劇 221P</ref>。この製作本数の増加は、30年代から始まった二本立て興行の添え物としてB級映画が製作されて、西部劇もB級作品として50〜70分程度のB級西部劇が多数製作されたことによるものである。単純明快な活劇であり、善悪がはっきりして勧善懲悪なストーリーで、当時は西部劇なら必ず当たると言われたほどであった。この粗製乱造と言われるほど大量に作られた時期に、その試行錯誤から映像表現の技術と可能性を発展させ、また西部劇の売上げ増による資本の蓄積が映画を産業として発展させる基礎を構築し、映画王国を築く活力源となった<ref>「映画この百年ー地方からの視点」第9章 西部劇 213〜214P</ref>。 B級西部劇から[[ジョン・ウェイン]]は育ってきたスターであり、[[ランドルフ・スコット]]や[[ジョエル・マクリー]]或いは[[オーディ・マーフィ]]などもB級西部劇スターと呼ばれた{{efn2|後の第40代アメリカ大統領となった[[ロナルド・レーガン]]もB級映画のスターであった。}}。この他にはチャールズ・スターレット{{efn2|デュランゴ・キッドのシリーズが知られている。}}、フート・ギブスン、バック・ジョーンズ、ケン・メイナード、ジョニー・マック・ブラウンや『[[ホパロング・キャシディ]]』{{efn2|戦後になって主演したウイリアム・ボイドが[[ホパロング・キャシディ]]シリーズのフィルムを買い取り、テレビの登場とともにテレビ版に再編集して放映され、関連商品が人気になって巨万の冨を築いた話はよく知られている。日本でもテレビ創世期に「我らがキャシディ」の題名でこのB級西部劇作品のテレビ編集版が放送されている。}}で有名なウイリアム・ボイド、そしてB級西部劇のサブジャンルとしてミュージカル西部劇が第二次大戦前後に人気となり、歌うカウボーイとしてジーン・オートリーや[[ロイ・ロジャース]]がその歴史に刻まれている<ref>「B級映画ーフィルムの裏まで」91〜92P 94〜98P参照  [[増淵健|増渕健]] 著 平凡社  1986年8月発行</ref>。 またB級西部劇の監督としてレイ・エンライト、ジョセフ・ケーン、アンドレ・ド・トス、ジョージ・シャーマン、[[ルドルフ・マテ]]、[[バッド・ベティカー]]、アラン・ドワン、ラッセル・ラウズなどが活躍し、やがてB級映画の監督から後に大作のメガホンをとる監督も現れてきた。レイ・エンライト監督の[[ランドルフ・スコット]]と[[ジョン・ウェイン]]と[[マレーネ・ディートリヒ]]主演『[[スポイラース (1942年の映画)|スポイラース]]』や「西部の裁き」、ジョセフ・ケーン監督の「無法の道」「最後の駅馬車」、アンドレ・ド・トス監督の「[[スプリングフィールド銃]]」「平原の落雷」「賞金を追う男」、ジョージ・シャーマン監督の「戦いの矢」「生まれながらの無宿者」、[[ルドルフ・マテ]]監督の「欲望の谷」「三人の荒くれ者」、[[バッド・ベティカー]]監督の「平原の待ち伏せ」「[[決闘コマンチ砦]]」、アラン・ドワン監督の「[[私刑される女]]」「バファロウ平原」、ラッセル・ラウズ監督の「必殺の一弾」「バスク決死隊」などがある。 そしてB級西部劇が衰退した頃からテレビ西部劇が盛んに製作されて、テレビからスターが生まれ、西部劇映画の監督が生まれた。「[[拳銃無宿 (テレビドラマ)|拳銃無宿]]」の[[スティーブ・マックイーン]]、「[[マーベリック (テレビドラマ)|マーベリック]]」の[[ジェームズ・ガーナー]]、『[[ローハイド]]』の[[クリント・イーストウッド]]、そして[[ジェームズ・コバーン]]、[[チャールズ・ブロンソン]]、[[リー・マーヴィン]]がその例であり、テレビ出身の監督から[[サム・ペキンパー]]監督で[[ランドルフ・スコット]]と[[ジョエル・マクリー]]主演「[[昼下がりの決闘]]」、[[ゴードン・ダグラス]]監督の「[[駅馬車 (1966年の映画)|駅馬車]]」{{efn2|ジョン・フォード監督の1939年作品のリメイクである。}}、[[アンドリュー・V・マクラグレン]]監督の「[[シェナンドー河 (映画)|シェナンドー河]]」、[[ドン・シーゲル]]監督で[[オーディ・マーフィ]]主演「抜き射ち二挺拳銃」、エルビス・プレスリー主演「[[燃える平原児]]」などの作品が生まれた<ref>各西部劇映画の題名・監督・主演俳優は、『大いなる西部劇』・『西部劇(ウエスタン)への招待』・『西部劇を見て男を学んだ』・『ハリウッド映画史講義』の著書の中の各資料・索引を引用。</ref>。 そして、1960年代に入った頃から西部劇の人気は下降していった。ほぼ同時にテレビ西部劇も衰退して当時日本でも人気番組であった「ローハイド」もアメリカで製作中止となり出演していた[[クリント・イーストウッド]]はイタリアに渡り、[[セルジオ・レオーネ]]監督『[[荒野の用心棒]]』(1964年)で一躍マカロニ・ウエスタンが注目されると同時に彼は一気に西部劇スターの座を獲得した。[[クリント・イーストウッド]]はやがて西部劇衰退の時代に活躍することとなった。 === 西部劇の変貌 === 西部劇が描く人物像は基本的に主人公は[[白人]]で、強く正しくて『[[勧善懲悪]]』をストーリーの骨子とし、そこへ応援に来たりする(陸軍の)[[騎兵]]隊は「善役」であり、それに刃向う先住民[[インディアン]]を「悪役」としたものが多い。そして劇中で描かれた白人とインディアンとの戦いには史実も多いが、戦いの原因(土地の領有権)に触れたものはほとんどなかった。 しかし、やがて史実とは違う(白人に都合のいい)内容に対する反発や反省が西部劇を衰退させる強い動因となった。戦後、多様化する価値観や倫理観の変化に勧善懲悪のドラマがついていけなくなったのである<ref>「大いなる西部劇」12〜13P 逢坂剛 川本三郎 著 2001年5月発行 新書館</ref>。 [[1940年代]]の半ば頃から、フロンティア精神を肯定してそこに主人公(ヒーロー)がいて無法者や先住民を倒す「西部劇」という一つの図式が崩れ始めた。1950年の[[デルマー・デイヴィス]]監督『[[折れた矢 (1950年の映画)|折れた矢]]』は先住民は他者で白人コミュニティを脅かす存在という図式ではなく、先住民の側から描き、戦いを好むのではなく平和を求める彼らの姿を描いた。それは、当時黒人の地位向上を目指す公民権運動が次第に激しくなる時代に入り、[[人権]]意識が高まる中で[[インディアン]]や[[アフリカ系アメリカ人|黒人]]の描き方が批判されるようになって、単なる勧善懲悪では有り得ない現実を浮かび上がらせ、それまでの西部劇が捨象してきた問題に対して向き合わざるを得なくなったことであった<ref>『インディアンの声を聞け』(ワールドフォトプレス社)特集記事「映画の中のアメリカインディアン」</ref>。 そしてもう一つの図式である勧善懲悪で、開拓者精神を肯定する強いヒーローがいて悪を倒すそれまでの図式も崩れていった。自分の名誉のためだけにインディアンを見下し、結果自身の連隊を壊滅させてしまう騎兵中佐(『[[アパッチ砦]]』でヘンリー・フォンダが演じたサースデイ)、町の誰からも助けてもらえない[[連邦保安官]](『[[真昼の決闘]]』でゲイリー・クーパーが演じたケイン)、復讐に執念を燃やす男(『[[捜索者]]』でジョン・ウェインが演じたエドワーズ)、農園を取り戻すだけのために賞金稼ぎとなり人を殺す農園主(『[[裸の拍車]]』でジェームズ・スチュアートが演じたケンプ)が主人公の西部劇が40年代から50年代にかけ多数製作されて、それまでの映画にあった悪に立ち向かうヒーロー像がもはや存在せず、何が正しくて何が悪いか、明らかにしないままにただ主人公の人間らしさが主になって、そこではもはやヒーローが描きにくくなったのである<ref>「アメリカ映画主義」166〜167P 大場正明 編著 フィルムアート社 2002年10月発行</ref>。 この時期になると、善悪の区別が曖昧で複雑な作品が多くなった。痛快で豪快なアクション、ヒーローと悪役との対決、派手なガンさばきを見せたりして見せ場はあっても全体としての雰囲気は重く暗いものになった<ref>「西部劇(ウエスタン)への招待」182P ダーク・ウエスタンの暗い魅力  川本三郎著</ref>。[[ラオール・ウォルシュ]]監督の『[[死の谷 (映画)|死の谷]]』「追跡」、[[アンソニー・マン]]監督の『裸の拍車』、[[キング・ヴィダー]]監督の「白昼の決闘」、[[ヘンリー・キング]]監督の「拳銃王」「無頼の群」、[[ジョン・スタージェス]]監督の「六番目の男」、ジョージ・シャーマン監督の「生まれながらの無宿者」、[[デルマー・デイヴィス]]監督の『[[縛り首の木 (1959年の映画)|縛り首の木]]』、ニコラス・レイ監督の『[[大砂塵]]』、[[エドワード・ドミトリク]]監督の『[[ワーロック (1959年の映画)|ワーロック]]』、そして[[フレッド・ジンネマン]]監督の『真昼の決闘』などの主人公は誰からも信用されない、心にトラウマがあったり、死にたいと願ったり、孤立無援の戦いに追い込まれたりしている。それは第二次大戦が終わって未曽有の戦争を体験したアメリカ社会が、それまであった「強く正しいヒーローが大活躍する単純明快な西部劇が作りにくくなったことを示している」と川本三郎は述べている<ref>「西部劇(ウエスタン)への招待」185P ダーク・ウエスタンの暗い魅力 川本三郎著</ref>。 そしてそれはまた、この当時ハリウッドを襲った「赤狩り」という暗い空気の中で、[[アンソニー・マン]]や[[フレッド・ジンネマン]]が描いた世界が西部劇の変貌をもたらしたとも言われている<ref>「ハリウッド映画史講義」68P 西部劇の変貌 蓮実重彦著 筑摩書房 1993年9月発行</ref>。 これが[[1960年代]]に入ると、[[公民権運動]]が高まると同時に西部劇の衰退を招くこととなった。[[1960年]]に[[ジョン・F・ケネディ]]が大統領に就任し人種差別の撤廃に強い姿勢で臨み、これに伴い従来の製作コードが通用しなくなり製作本数も激減した。そしてイタリアなどでいわゆる[[マカロニ・ウェスタン]]と呼ばれる多くの西部劇が作られ始めると、[[サム・ペキンパー]]監督『[[ワイルドバンチ (映画)|ワイルドバンチ]]』のようにマカロニウエスタンに逆に影響を受けた作品も数多く生まれた。 こうした状況から西部劇はそれまでの単純な善悪二元論では立ち行かなくなり、1950年代初頭には年間100本ほどの製作本数が、四半世紀後の1970年代後半にはわずか1ケタの製作本数に激減していく<ref>「ユリイカ」2010年5月号 90P クリント・イーストウッド特集 青土社 2010年3月発行</ref>。 やがてニューシネマの台頭でジョージ・ロイ・ヒル監督[[ポール・ニューマン]]と[[ロバート・レッドフォード]]主演の『[[明日に向って撃て!]]』のような秀作も生まれ、またアーサー・ペン監督『[[小さな巨人 (映画)|小さな巨人]]』とラルフ・ネルソン監督『[[ソルジャー・ブルー (映画)|ソルジャー・ブルー]]』が1970年に公開され、『[[ソルジャー・ブルー (映画)|ソルジャー・ブルー]]』は1864年の[[サンドクリークの虐殺]]を基に、被害者である先住民の立場に立って虐殺事件を描き、当時話題になった作品である。 1960年代から1970年代になるとマカロニ・ウエスタンの影響を受けながらも、バート・ケネディ監督の「続・荒野の七人」「夕陽に立つ保安官」、リチャード・ブルックス監督の「プロフェッショナル」「弾丸を噛め」、ドン・シーゲル監督で[[クリント・イーストウッド]]主演の「真昼の死闘」と[[ジョン・ウェイン]]主演の『[[ラスト・シューティスト]]』、ラルフ・ネルソン監督の「砦の29人」、[[マーク・ライデル]]監督で[[ジョン・ウェイン]]主演の「11人のカウボーイ」、ロバート・シオドマク監督の「カスター将軍」、マイケル・ウイナー監督で[[バート・ランカスター]]主演の「追跡者」、[[サム・ペキンパー]]監督で[[チャールトン・ヘストン]]と[[ジェームズ・コバーン]]主演「ダンディー少佐」、[[ウィリアム・ホールデン]]と[[ロバート・ライアン]]主演「ワイルド・バンチ」、[[アンドリュー・V・マクラグレン]]監督で[[チャールトン・ヘストン]]主演の『[[大いなる決闘]]』、ベテランの[[ハワード・ホークス]]監督の『[[エル・ドラド (1966年の映画)|エル・ドラド]]』『[[リオ・ロボ]]』、[[ジョン・スタージェス]]監督でワイアット・アープの決闘後を描いた[[ジェームズ・ガーナー]]主演の「墓石と決闘」、[[ヘンリー・ハサウェイ]]監督で[[スティーブ・マックイーン]]主演「ネバダ・スミス」と[[ジョン・ウェイン]]主演の『[[エルダー兄弟]]』そして『[[勇気ある追跡]]』などの西部劇が製作された。 1970年代以後になると、[[クリント・イーストウッド]]主演・監督の『[[荒野のストレンジャー]]』(1973年)・『[[アウトロー (1976年の映画)|アウトロー]]』(1976年)・『[[ペイルライダー]]』(1985年)・『[[許されざる者 (1992年の映画)|許されざる者]]』(1992年)、[[ローレンス・カスダン]]監督の『[[シルバラード]]』(1985年)、[[ケビン・コスナー]]主演の『[[ワイアット・アープ (1994年の映画)|ワイアット・アープ]]』(1994年)、[[ケビン・コスナー]]主演・監督の『[[ダンス・ウィズ・ウルブズ]]』(1990年)・『[[ワイルド・レンジ 最後の銃撃]]』(2003年)などの秀作が生まれている。しかしかつて活劇映画として人気のあった頃の西部劇の魅力はすでに失われている。 現在において西部劇は製作されているが数少なく、過去の作品と肩を並べるような傑作を世に送り出していない。物語りとしての図式が出来ず、西部劇としてのジャンルが確立されていないからである。その一方で、時代考証や衣装設定、ガン・アクションは過去の作品とは比較できないほどの正確さで表現されており、『トゥームストーン』のような娯楽性に富んだアクション映画も作られている。 == サブジャンル == {{仮リンク|フランク・グルーバー|en|Frank Gruber}}は、西部劇の基本的なプロットとして以下の7系統を挙げている<ref>Gruber, Frank ''The Pulp Jungle'' Sherbourne Press, 1967</ref><ref name="cgw199010">{{cite news|url=http://www.cgwmuseum.org/galleries/index.php?year=1990&pub=2&id=75 |title=No Soft Soap About New And Improved Computer Games |work=Computer Gaming World |date=October 1990 |accessdate=16 November 2013 |page=80 |type=editorial |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131202233126/http://www.cgwmuseum.org/galleries/index.php?year=1990&pub=2&id=75 |archivedate=2 December 2013 }}</ref>。彼によると、優秀な脚本家はこれらの基本系統をキャラクターの台詞とストーリー開発によって、もっともらしいストーリーを作り上げていくという{{r|cgw199010}}。1960年代から1970年代にかけて、西部劇は{{仮リンク|修正主義西部劇|en|Revisionist Western}}の台頭によって新たな展開を見せた<ref>{{cite book|last=Bandy|first=Mary Lea|title=Ride, Boldly Ride: The Evolution of the American Western|year=2012|publisher=University of California Press|location=Berkeley/Los Angeles/London|isbn=978-0-520-25866-2|page=234|author2=Kevin Stoehr }}</ref>。 # ユニオン・パシフィック(Union Pacific story):近代的な技術・交通設備(鉄道や電信設備)の敷設などを描いた作品。1862年創業の[[ユニオン・パシフィック鉄道]]にちなむ。 # 牧場(Ranch story):牧場主を主人公とし、家畜や牧場を奪おうとする泥棒や大地主との対決を描いた作品。 # 帝国(Empire story):無一文の主人公が大牧場や大油田を獲得して成功者となるサクセスストーリーを描いた作品。 # 復讐(Revenge story):復讐を題材とした作品。主に冤罪によって貶められた主人公が緻密な計算の元で仇を追い詰める展開が多いが、古典的なミステリ小説の要素が盛り込まれることがある。 # 騎兵隊とインディアン(Cavalry and Indian story):白人入植者のために荒野を「押さえつける」ことを描いた作品。 # アウトロー(Outlaw story):アウトローを主人公とし、アクションを軸に展開する物語を描いた作品。 # マーシャル(Marshal story):保安官などの秩序を守る立場の人物を主人公とした作品。 === 古典的西部劇 === 歴史上初めて製作された西部劇映画として、1899年に{{仮リンク|ミッチェルとケニョン|en|Mitchell and Kenyon}}が製作した短編映画『[[:en:Kidnapping by Indians|Kidnapping by Indians]]』が知られている<ref>{{cite news|url=https://www.bbc.co.uk/news/uk-england-lancashire-50211023 |title=World's first Western movie 'filmed in Blackburn' |newspaper=BBC News |accessdate=1 November 2019|date=2019-10-31 }}</ref><ref>{{cite web|url=https://player.bfi.org.uk/free/film/watch-kidnapping-by-indians-1899-1899-online |title=Kidnapping by Indians |work=BFI |accessdate=1 November 2019}}</ref>。しばしば[[エドウィン・S・ポーター]]が1903年に製作した『[[大列車強盗 (1903年の映画)|大列車強盗]]』が「最初の西部劇映画」と誤って紹介されることがあるが、ジョージ・N・フェニンと{{仮リンク|ウィリアム・K・エヴァーソン|en|William K. Everson}}は「『大列車強盗』製作の数年前から、{{仮リンク|エジソン社|en|Edison Studios}}は西部劇を題材としていた」と指摘している<ref>{{cite book|last=Fenin|first=George N.|title=The Western: From Silents to Cinerama|year=1962|publisher=Bonanza Books|location=New York|page=47|author2=William K. Everson }}</ref>。『大列車強盗』のヒットにより、出演者の{{仮リンク|ブロンチョ・ビリー・アンダーソン|en|Broncho Billy Anderson}}は映画史上初のカウボーイ・スターとなり、その後数百本の短編西部劇映画を手掛けたものの、すぐに西部劇スターの座を{{仮リンク|トム・ミックス|en|Tom Mix}}や{{仮リンク|ウィリアム・S・ハート|en|William S. Hart}}と争うようになった<ref>{{Cite news|url=https://www.nytimes.com/1971/01/21/archives/bronco-billy-anderson-is-dead-at-88j.html|title=Bronco Billy Anderson Is Dead at 88|date=1971-01-21|work=The New York Times|access-date=2019-10-15|language=en-US|issn=0362-4331}}</ref>。 西部劇映画黄金時代の代表作として、以下の監督と作品が挙げられている<ref>{{cite web |url=http://oncamera.net.au/genres/drama/western-film/classical-western/ |last=Battam |first=Robbie |title=Classical Western |publisher=OnCamera Studio |accessdate=November 26, 2018 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20181127023945/http://oncamera.net.au/genres/drama/western-film/classical-western/|archivedate=2018-11-27 |url-status=dead}}</ref>。 * [[ロバート・アルドリッチ]] - 『[[アパッチ (1954年の映画)|アパッチ]]』『[[ベラクルス (映画)|ベラクルス]]』 * [[バッド・ベティカー]] - 『[[反撃の銃弾]]』『[[決闘コマンチ砦]]』 * [[デルマー・デイヴィス]] - 『[[折れた矢 (1950年の映画)|折れた矢]]』『[[襲われた幌馬車]]』『[[決断の3時10分]]』 * [[アラン・ドワン]] - 『{{仮リンク|逮捕命令|en|Silver Lode (film)}}』『{{仮リンク|バファロウ平原|en|Cattle Queen of Montana}}』 * [[ジョン・フォード]] - 『[[駅馬車 (1939年の映画)|駅馬車]]』『[[荒野の決闘]]』『[[捜索者]]』『[[リバティ・バランスを射った男]]』 * [[サミュエル・フラー]] - 『[[赤い矢]]』『[[四十挺の拳銃]]』 * [[ハワード・ホークス]] - 『[[赤い河]]』『[[リオ・ブラボー]]』『[[エル・ドラド (1966年の映画)|エル・ドラド]]』 * [[ヘンリー・キング]] - 『[[拳銃王]]』『[[無頼の群]]』 * [[アンソニー・マン]] - 『[[ウィンチェスター銃'73]]』『[[ララミーから来た男]]』『[[胸に輝く星]]』 * [[ニコラス・レイ]] - 『[[大砂塵]]』 * [[ジョージ・スティーヴンス]] - 『{{仮リンク|愛の弾丸 (映画)|en|Annie Oakley (1935 film)|label=愛の弾丸}}』『[[シェーン]]』 * [[ジョン・スタージェス]] - 『[[OK牧場の決斗]]』『[[荒野の七人]]』 * [[ジャック・ターナー (映画監督)|ジャック・ターナー]] - 『{{仮リンク|インディアン渓谷|en|Canyon Passage}}』『[[:en:Wichita (1955 film)|Wichita]]』 * [[キング・ヴィダー]] - 『[[白昼の決闘]]』『[[星のない男]]』 * [[ウィリアム・A・ウェルマン]] - 『[[牛泥棒]]』『[[廃墟の群盗]]』 === アシッド・ウェスタン === {{main|{{仮リンク|アシッド・ウェスタン|en|Acid Western}}}} {{仮リンク|ジョナサン・ローゼンバウム|en|Jonathan Rosenbaum}}は1960年代から1970年代にかけて流行したアシッド・ウェスタンについて分析し<ref name=J>{{cite web|website=Jonathanrosenbaum.net|url=https://www.jonathanrosenbaum.net/2013/04/responding-to-some-questions-about-acid-westerns-and-dead-man/|author=Rosenbaum, Jonathan|author-link=Jonathan Rosenbaum|title=Responding to some questions about "Acid Westerns" and DEAD MAN|date=April 25, 2013|accessdate=2018-04-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180418161440/https://www.jonathanrosenbaum.net/2013/04/responding-to-some-questions-about-acid-westerns-and-dead-man/|archivedate=2018-04-18|url-status=dead}}</ref>、同ジャンルは[[デニス・ホッパー]]、{{仮リンク|ジム・マクブライド|en|Jim McBride}}、{{仮リンク|ルディ・ワーリッツァー|en|Rudy Wurlitzer}}などの俳優や、『{{仮リンク|銃撃 (1966年の映画)|en|The Shooting|label=銃撃}}』『[[エル・トポ]]』『{{仮リンク|グリーサーズ・パレス|en|Greaser's Palace}}』などの作品と関連付けられている<ref name=J/>。『エル・トポ』は[[アレハンドロ・ホドロフスキー]]が製作し、同名の主人公のガンマンが悟りの境地にいたるまでを描いた寓話的作品として[[カルト映画]]、[[アンダーグラウンド映画]]に位置付けられており、[[キリスト教]]や[[東洋哲学]]の要素が盛り込まれている。 1980年代以降のアシッド・ウェスタンには『[[ウォーカー (映画)|ウォーカー]]』『[[デッドマン]]』が挙げられる。ローゼンバウムはアシッド・ウェスタンについて「妄想的なアジェンダを正当化するために、冷酷で野蛮なフロンティア詩情を定式化している」と指摘し、最終的には資本主義を批判し、その代替様式を取り入れた[[カウンターカルチャー]]を表現していると結論付けている<ref name="Chicago Reader">{{cite web|url=http://www.chicagoreader.com/movies/archives/0696/06286.html |title=''Acid Western: Dead Man'' |work=Chicago Reader |date=June 26, 1996 |first=Jonathan |last=Rosenbaum |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070929104355/http://www.chicagoreader.com/movies/archives/0696/06286.html |archivedate=September 29, 2007 |accessdate=2022-01-07}}</ref>。 === 修正主義西部劇 === {{main|{{仮リンク|修正主義西部劇|en|Revisionist Western}}}} 1960年代初頭以降、アメリカの映画製作者たちは西部劇の伝統的な要素に疑問を抱くようになり、西部劇映画は「ヒーロー対悪役」という善悪二元論からの脱却を目指し、登場人物が暴力的手段で物事の解決を図ることに観客が疑問を抱くような内容に変化していった。また、従来「野蛮人」として描写されていた[[ネイティブ・アメリカン]]を積極的に題材にするようになったことも修正主義西部劇の大きな特徴の一つであり、『[[シャイアン (映画)|シャイアン]]』『[[ワイルドバンチ (映画)|ワイルドバンチ]]』『[[昼下りの決斗]]』『{{仮リンク|馬と呼ばれた男|en|A Man Called Horse (film)}}』『[[砦のガンベルト]]』『[[小さな巨人 (映画)|小さな巨人]]』『[[ソルジャー・ブルー (映画)|ソルジャー・ブルー]]』『[[荒野に生きる]]』『[[アウトロー (1976年の映画)|アウトロー]]』『[[ダンス・ウィズ・ウルブズ]]』『[[許されざる者 (1992年の映画)|許されざる者]]』『[[クイック&デッド]]』『[[デッドマン]]』が代表的な修正主義西部劇映画に挙げられる。1960年代以前に製作された作品で修正主義西部劇に該当する作品として、女性キャラクターに焦点を当てた『{{仮リンク|女群西部へ!|en|Westward the Women}}』や、[[コマンチ]]に育てられた白人ガンマンやリーダー的立場にいる女性キャラクターが登場する『襲われた幌馬車』がある。 === ブラックスプロイテーション・ウェスタン === [[ブラックスプロイテーション]]映画の多くが西部劇要素を取り入れており、特に[[フレッド・ウィリアムソン]]が出演した作品にこの傾向が見られる。ブラックスプロイテーション・ウェスタンの代表作として『[[:en:Soul Soldier|Soul Soldier]]』『[[ブラック・ライダー]]』『{{仮リンク|ブラック・サンダー (映画)|en|The Legend of Nigger Charley|label=ブラック・サンダー}}』『{{仮リンク|荒野の襲撃・人質救出大作戦|en|The Soul of Nigger Charley}}』『[[:en:Thomasine & Bushrod|Thomasine & Bushrod]]』『[[:en:Boss Nigger|Boss Nigger]]』『[[:en:Adios Amigo|Adios Amigo]]』『[[黒豹のバラード]]』などが挙げられる。 === コメディ西部劇 === コメディ西部劇では「西部劇」として確立された様式や題材、作家のスタイルなどをユーモア、風刺、皮肉という側面からパロディ化している。典型例が『[[腰抜け二丁拳銃]]』であり、同作では「{{仮リンク|オーウェン・ウィスター|en|Owen Wister}}の小説『The Virginian』や勇猛果敢なヒーロー、メインストリートでの最後の銃撃戦など、西部劇のあらゆる要素」を風刺の対象としている<ref>{{cite web |last1=Stafford |first1=Jeff |title=The Paleface (1948) |url=http://www.tcm.com/this-month/article/88935%7C0/The-Paleface.html |publisher=Turner Classic Movies |accessdate=25 September 2018}}</ref>。 === ドキュメンタリー西部劇 === ドキュメンタリー西部劇では、アメリカ西部の歴史的な側面を描き出している。テレビシリーズの『[[:en:The West (miniseries)|The West]]』は歴史的事実に基づいた描写がされており、『[[:en:Cowboys: A Documentary Portrait|Cowboys: A Documentary Portrait]]』では現代のアメリカ西部に生きるカウボーイをノンフィクションで描写している。 === エレクトリック西部劇 === [[ジョン・ルービンスタイン]]、[[ドン・ジョンソン]]、{{仮リンク|パトリツィア・クイン|en|Patricia Quinn (American actress)}}が出演した『{{仮リンク|ウェスタン・ロック ザカライヤ|en|Zachariah (film)}}』は、「最初のエレクトリック西部劇」と呼ばれている<ref name=NYT/>。このジャンルはアメリカ西部を舞台にロックバンドを題材にしており<ref name=NYT>{{cite news|work=[[The New York Times]]|url=https://www.nytimes.com/movie/review?res=9D05E3DE163BE53BBC4D51DFB766838A669EDE|title=Zachariah (1970) Screen: 'Zachariah,' an Odd Western|author-link=Roger Greenspun|author=Greenspun, Roger|date=January 25, 1971}}</ref>、『ウェスタン・ロック ザカライヤ』では1970年代に活動した[[ジェイムス・ギャング]]、{{仮リンク|カントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュ|en|Country Joe and the Fish}}などのロックバンドがクラッカーバンドとして出演し、音楽を提供していた<ref name=NYT/>。また、{{仮リンク|ダグ・カーショウ|en|Doug Kershaw}}と[[エルヴィン・ジョーンズ]]がカメオ出演している<ref name=NYT/>。 [[ドミニク・スウェイン]]、{{仮リンク|ロン・トンプソン|en|Ron Thompson (actor)}}、[[ポール・ドゥーリイ]]が出演した『Hate Horses』は「第2のエレクトリック西部劇」を謳っている<ref>{{cite video|work=[[YouTube]]|date=2015|url=https://www.youtube.com/watch?v=zgTXHXiP7lk| archiveurl=https://ghostarchive.org/varchive/youtube/20211028/zgTXHXiP7lk| archivedate=2021-10-28|title=Hate Horses – Official Trailer|accessdate=2022-01-08}}{{cbignore}}</ref>。 === 叙事詩的西部劇 === 叙事詩的西部劇では、西部開拓時代を壮大なスケールで描くことを軸にしており、[[南北戦争]]を舞台とした『[[続・夕陽のガンマン]]』や[[メキシコ革命]]を舞台とした『ワイルドバンチ』のように時代の転換期や戦争を舞台とすることが多い。[[セルジオ・レオーネ]]の『[[ウエスタン (映画)|ウエスタン]]』は代表作の一つに挙げられ、同作では[[モニュメント・バレー]]をワイドスケールで撮影し、様々な人間模様を描いている。この他に『[[アイアン・ホース]]』『白昼の決闘』『捜索者』『[[ジャイアンツ (映画)|ジャイアンツ]]』『[[大いなる西部]]』『[[シマロン (1960年の映画)|シマロン]]』『[[西部開拓史 (1962年の映画)|西部開拓史]]』『[[夕陽のギャングたち]]』『[[天国の門]]』『[[ダンス・ウィズ・ウルブズ]]』『[[ジェシー・ジェームズの暗殺]]』『[[ジャンゴ 繋がれざる者]]』『[[レヴェナント: 蘇えりし者]]』が知られている。 === ネオウェスタン === ネオウェスタンは、現代のアメリカを舞台に従来の西部劇の要素・価値観(秩序に反抗するアンチヒーロー、舞台が砂漠、銃撃戦)を反映した作品を指す。2007年に[[コーエン兄弟]]が製作した『[[ノーカントリー]]』がネオウェスタン映画の始まりと言われている<ref name=":0">{{Cite web|url=https://theplaylist.net/taylor-sheridan-neo-western-20180102/|title=How Taylor Sheridan's Films Define The Neo-Western|last=Teti|first=Julia|date=January 2, 2018|website=The Playlist|url-status=dead|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200412150608/https://theplaylist.net/taylor-sheridan-neo-western-20180102/|archivedate=April 12, 2020|accessdate=April 12, 2020}}</ref>。これらの作品は[[アメリカ合衆国西部]]が主な舞台となっており、従来の西部劇的価値観を持つ主人公が、自分たちの時代遅れの正義を否定する「文明」の中で居場所を失い苦悩する姿が描かれることが多い。ネオウェスタン映画は[[テイラー・シェリダン]]の作品から以下の3つの基本的なテーマを見出すことができる<ref name=":0" /> 。 # いわゆる法秩序が存在せず、暴力的な背景を持つキャラクター([[アウトロー]])たちが独自のモラルを有している。 # 主人公が正義を探求している。 # 主人公が後悔の念を抱き、それによって従来の西部劇との繋がりを見せている。 === フロリダ・ウェスタン === {{main|{{仮リンク|フロリダ・ウェスタン|en|Florida Western}}}} 「クラッカー・ウェスタン(Cracker Westerns)」とも呼ばれ、[[フロリダ州]]を舞台に{{仮リンク|第二次セミノール戦争|en|Second Seminole War}}を題材としている。代表作として『[[遠い太鼓 (映画)|遠い太鼓]]』が挙げられる。 === 北部劇 === {{main|{{仮リンク|北部劇|en|Northern (genre)}}}} [[アラスカ州]]や[[カナダ]]西部を舞台とした西部劇を指し、『[[北西騎馬警官隊]]』『[[:en:The Spoilers (1930 film)|The Spoilers]]』『[[スポイラース (1942年の映画)|スポイラース]]』『[[遠い国]]』『[[アラスカ魂]]』『[[デス・ハント]]』『[[:en:The Grey Fox|The Grey Fox]]』が挙げられる。 === ウィアード・ウェスト === {{main|{{仮リンク|ウィアード・ウェスト|en|Weird West}}}} ウィアード・ウェストは古典的西部劇に他の要素([[ファンタジー]]、[[サイエンス・フィクション|SF]]、{{仮リンク|ホラー・ウェスタン|en|Horror Western|label=ホラー}})を組み合わせた作品を指す。『[[0088/ワイルド・ウエスト]]』『[[ワイルド・ワイルド・ウエスト]]』では西部劇に[[スチームパンク]]の要素を組み合わせており、『[[ジョナ・ヘックス]]シリーズ』では西部劇に[[スーパーヒーロー]]の要素を組み合わせている。『[[:en:Western Religion (film)|Western Religion]]』では従来の西部劇の世界に悪魔が登場し、[[オールドマン・ローガン]]のグラフィックノベルでは西部劇にスーパーヒーローと終末世界の要素が取り入れられている。 == 諸外国の西部劇映画 == === マカロニ・ウェスタン === {{main|マカロニ・ウェスタン}} 1960年代から1970年代にかけて、[[イタリアの映画|イタリア]]では「スパゲッティ・ウェスタン(Spaghetti Westerns)」「イタロウェスタン(Italo-Westerns)」と呼ばれる西部劇映画が製作された{{efn2|アメリカでは「スパゲティ・ウェスタン」と呼ばれたが、日本では語感と呼びやすさを重視して「マカロニ・ウェスタン」と呼ばれた。}}。最も有名な作品として[[ドル箱三部作]]の第3作『[[続・夕陽のガンマン]]』が挙げられる。マカロニ・ウェスタンの多くは低予算で、[[アメリカ合衆国南西部]]の風景に酷似している[[スペイン]]の[[アルメリア]]、メキシコのデュランゴなどで撮影された。また、ハリウッド西部劇よりもアクションや暴力描写が多く、主人公は正義感よりも金銭や復讐など利己的な動機で行動することが大半だった<ref>{{cite book|author=Frayling, Christopher |title=Spaghetti Westerns: Cowboys and Europeans from Karl May to Sergio Leone|publisher=IB Tauris|date= 1998}}</ref>。マカロニ・ウェスタンの中には西部劇の伝統的様式を否定する作品も見られ、そうした作品は修正主義西部劇に含まれる。 マカロニ・ウェスタンの代表的な監督である[[セルジオ・レオーネ]]の作品は、ハリウッド西部劇映画とは異なる様式で製作されている<ref name=TG/>。マカロニ・ウェスタンで成功した俳優には[[チャールズ・ブロンソン]]、[[リー・ヴァン・クリーフ]]、[[クリント・イーストウッド]]がおり<ref name=TG/>、この他にも[[ジェームズ・コバーン]]、[[ヘンリー・フォンダ]]、[[ロッド・スタイガー]]、[[クラウス・キンスキー]]、[[ジェイソン・ロバーズ]]、[[ジャン・マリア・ヴォロンテ]]、[[イーライ・ウォラック]]が知られている。テレビシリーズ『[[ローハイド]]』以外のヒット作に恵まれていなかったイーストウッドは、レオーネ監督作品『[[荒野の用心棒]]』への出演をきっかけにスター俳優の地位を手にすることになった<ref name=TG>{{cite news |url=https://www.telegraph.co.uk/culture/film/11096814/Forget-the-Spaghetti-Western-try-a-Curry-Western-or-a-Sauerkraut-one.html |last=Billson |first=Anne |title=Forget the Spaghetti Western – try a Curry Western or a Sauerkraut one |work=Daily Telegraph |date=September 15, 2014 |accessdate=September 21, 2021}}</ref>。 === オーストラリアン・ウェスタン === {{main|{{仮リンク|オーストラリアン・ウェスタン|en|Australian Western}}}} [[オーストラリアの映画|オーストラリア]]の西部劇映画は「ミートパイ・ウェスタン(Meat pie western)」と呼ばれ、[[アウトバック]]や{{仮リンク|ザ・ブッシュ|en|The bush|label=ブッシュ}}が主な舞台となっている<ref name=AusF>{{cite book|last=Ross Cooper|first=Andrew Pike|title=Australian Film 1900–1977: A Guide to Feature Film Production|year=1998|publisher=Oxford University Press|location=Melbourne|isbn=978-0195507843|page=310}}</ref>。これらの作品はアメリカの西部劇のスタイルを踏襲し、[[オーストラリア先住民]]がインディアン役を演じることが多い。 『{{仮リンク|トラッカー (2002年の映画)|en|The Tracker (2002 film)|label=トラッカー}}』はオーストラリアン・ウェスタンの典型的な作品に挙げられ、過酷な砂漠地帯を舞台に[[アボリジニ]]の搾取、正義への渇望がテーマとして描かれている。この他に『[[:en:Rangle River|Rangle River]]』『[[:en:Kangaroo (1952 film)|Kangaroo]]』『[[:en:The Kangaroo Kid (film)|The Kangaroo Kid]]』『[[サンダウナーズ]]』『{{仮リンク|ブラッディ・ガン|en|Quigley Down Under}}』『[[:en:Ned Kelly (1970 film)|Ned Kelly]]』『{{仮リンク|スノーリバー/輝く大地の果てに|en|The Man from Snowy River (1982 film)}}』『{{仮リンク|プロポジション -血の誓約-|en|The Proposition (2005 film)}}』『[[:en:Lucky Country (film)|Lucky Country]]』『{{仮リンク|スウィート・カントリー|en|Sweet Country (2017 film)}}』が知られている<ref name=DT2018>{{cite news|url=https://www.dailytelegraph.com.au/news/australian-meat-pie-westerns-have-been-around-for-more-than-a-century/news-story/220b01591983bdbc46fef9cacd5fa925?nk=d2a04456400b3ffd92de3375f1b5fc9e-1558436137|publisher=Daily Telegraph|work=Daily Telegraph|date=21 January 2018|title=Australian 'meat pie' westerns have been around for more than a century|first=Troy|last=Lennon|accessdate=21 May 2019}}</ref>。 === ダコイト・ウェスタン === {{main|{{仮リンク|ダコイティー|en|Dacoity|label=ダコイト・ウェスタン}}}} [[ボリウッド]]の『{{仮リンク|炎 (1975年の映画)|en|Sholay|label=炎}}』は、しばしば「カレー・ウェスタン(curry Western)」と呼ばれる<ref>{{cite web|url=http://www.dawn.com/news/689776/weekly-classics-bollywoods-ultimate-curry-western|title=Weekly Classics: Bollywood's Curry Western|date=January 21, 2012|publisher=dawn.com|url-status=live|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140605053244/http://www.dawn.com/news/689776/weekly-classics-bollywoods-ultimate-curry-western|archivedate=2014-06-05|accessdate=2022-01-06}}</ref>。同作は『{{仮リンク|マザー・インディア|en|Mother India}}』『[[:en:Gunga Jumna|Gunga Jumna]]』などのダコイト映画とマカロニ・ウェスタンの要素を組み合わせた作品であり、「ダコイト・ウェスタン」と称される独自のジャンルを確立した<ref name="Teo">{{cite book|last=Teo|first=Stephen|title=Eastern Westerns: Film and Genre Outside and Inside Hollywood|date=2017|publisher=[[Taylor & Francis]]|isbn=9781317592266|page=122|url=https://books.google.com/books?id=pi8lDwAAQBAJ&pg=PA122}}</ref>。 === チャーロ・ウェスタン === {{仮リンク|チャーロ (騎手)|en|Charro|label=チャーロ・ウェスタン}}はアクション俳優だけではなくミュージカル俳優が多く出演し、1930年代以降に[[メキシコの映画|メキシコ映画]]で主流となった。1930年代から1940年代にかけてはメキシコ農村部の騎手を主人公とした作品が多く、ハリウッドの主流西部劇映画とは一線を画した作風となっていたが、1950年代から1970年代にかけてはハリウッド西部劇との文化的融合が進んでいった。この時期の代表作として{{仮リンク|イスマイル・ロドリゲス|en|Ismael Rodríguez}}の『Los Hermanos Del Hierro』、{{仮リンク|ホルヘ・フォンス|en|Jorge Fons}}の『Cinco Mil Dólares de Recompensa』、[[アルトゥーロ・リプスタイン]]の『[[:en:Tiempo de morir|Tiempo de morir]]』がある。チャーロ・ウェスタンの最も著名な映画製作者として{{仮リンク|アルベルト・マリスカル|en|Alberto Mariscal}}が知られている<ref>Rashotte, Ryan ''Narco Cinema: Sex, Drugs, and Banda Music in Mexico's B-Filmography'' Palgrave Macmillan, 23 April 2015</ref><ref>p. 6 Figueredo, Danilo H. ''Revolvers and Pistolas, Vaqueros and Caballeros: Debunking the Old West'' ABC-CLIO, 9 Dec 2014</ref>。 === ユーロ・ウェスタン === [[西ヨーロッパ]]で製作された西部劇であり、マカロニ・ウェスタンを含める場合がある。代表作として『{{仮リンク|荒野の愚連隊|en|Savage Guns (1961 film)}}』が挙げられる。[[ドイツの映画|ドイツ]]が製作した西部劇映画は「ザワークラウト・ウェスタン(Sauerkraut Westerns)」と呼ばれ<ref>{{cite book|page= 118 |authors=Brookeman, Christopher & British Film Institute |title=The BFI Companion to the Western|publisher= A. Deutsch|date= 1993}}</ref>、主に[[カール・マイ]]の小説を原作として[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国|ユーゴスラビア]]で撮影された。ドイツではアメリカ人俳優のレックス・パーカー主演で、1961年から1965年にかけて『アパッチ』{{efn2|バート・ランカスター主演の「アパッチ」(1954年)とは別の映画で、ハラルト・ラインル監督作品。}}『大酋長ウイネットー』『シルバーレークの待ち伏せ』などが製作された。これらの映画には、アメリカの俳優でハリウッドでは作品に恵まれず、ドイツやイタリアに行った俳優が多かった<ref>「大いなる西部劇」172〜173P 逢坂剛 川本三郎 著 2001年5月発行 新書館</ref>。ザワークラウト・ウェスタンで最も人気があったのは、アパッチを主人公とした『[[:en:Winnetou|Winnetou]]シリーズ』だった。この他に『[[:en:The Unhanged|The Unhanged]]』『[[悪党に粛清を]]』『{{仮リンク|ブリムストーン|en|Brimstone (2016 film)}}』『[[:en:The Dark Valley|The Dark Valley]]』が知られている。 === ギリシャ西部劇 === 「ファソラーダ・ウェスタン(Fasolada Westerns)」({{仮リンク|ファソラーダ|en|Fasolada}}:ギリシャの国民食)と呼ばれ、{{仮リンク|アカデミー国際長編映画賞ギリシャ代表作品の一覧|en|List of Greek submissions for the Academy Award for Best International Feature Film|label=アカデミー国際長編映画賞ギリシャ代表作品}}に選出された『[[:en:Blood on the Land|Blood on the Land]]』が知られている<ref>{{cite web |url=http://ellinikoskinimatografos.gr/%CF%84%CE%BF-%CE%B5%CE%BB%CE%BB%CE%B7%CE%BD%CE%B9%CE%BA%CF%8C-%CE%B3%CE%BF%CF%85%CE%AD%CF%83%CF%84%CE%B5%CF%81%CE%BD-%CE%BA%CE%B1%CE%B9-%CE%B7-%CF%85%CF%80%CE%BF%CF%88%CE%B7%CF%86%CE%B9%CF%8C%CF%84/ |title=Το ελληνικό γουέστερν και η υποψηφιότητα στο Hollywood για όσκαρ, στην κατηγορία καλύτερης ξενόγλωσσης ταινίας! |trans-title=The Greek Western and its Hollywood nomination for Oscar, in Best Foreign Language Film category! |date=April 14, 2016 |website=ellinikoskinimatografos.gr |accessdate=October 11, 2019 |language=el |archivedate=December 21, 2016 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161221055959/http://ellinikoskinimatografos.gr/%CF%84%CE%BF-%CE%B5%CE%BB%CE%BB%CE%B7%CE%BD%CE%B9%CE%BA%CF%8C-%CE%B3%CE%BF%CF%85%CE%AD%CF%83%CF%84%CE%B5%CF%81%CE%BD-%CE%BA%CE%B1%CE%B9-%CE%B7-%CF%85%CF%80%CE%BF%CF%88%CE%B7%CF%86%CE%B9%CF%8C%CF%84/ |url-status=dead }}</ref>。 === 東部劇 === {{main|東部劇}} [[ソビエト連邦]]や[[東ヨーロッパ]]が製作した作品を指し、「イースタン(Eastern)」「レッド・ウェスタン(Red Western)」と呼ばれる2つのジャンルが存在する。[[冷戦]]時代の東側諸国では人気のジャンルで、特に[[ヨシフ・スターリン]]のお気に入りだった。レッド・ウェスタンではハリウッド西部劇とは対照的に、インディアンを「虐げられた弱い者が、自分の権利のために立ち上がる」という形で描写することが多く、[[ジプシー]]やトルコ系人種がインディアン役を演じていた。イースタンでは[[コーカサス]]の[[ステップ (植生)|ステップ]]が舞台になることが多く、「カウボーイとインディアン」に代わる存在として「盗賊と[[ハレム]]」が登場する。代表作として『{{仮リンク|砂漠の白い太陽|en|White Sun of the Desert}}』が挙げられる<ref>{{cite web |last1=Wright |first1=Esmee |title=Untold Stories: Bollywood and the Soviet Union |url=https://www.varsity.co.uk/film-and-tv/17664 |website=[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|Varsity]] |accessdate=31 May 2020 |date=June 19, 2019}}</ref>。 === ラーメン・ウェスタン === 「ラーメン・ウェスタン(Ramen Western)」は[[アジア]]を舞台とした西部劇映画を指し、『[[タンポポ (映画)|タンポポ]]』で初めて使用された。代表作として『[[荒野の渡世人]]』『[[冒険活劇 上海エクスプレス]]』『[[EAST MEETS WEST]]』『[[:en:Tears of the Black Tiger|Tears of the Black Tiger]]』『[[ロケットマン!]]』『[[さらば復讐の狼たちよ]]』『[[許されざる者 (2013年の映画)|許されざる者]]』『{{仮リンク|マルリナの明日|en|Marlina the Murderer in Four Acts}}』『{{仮リンク|バッファロー・ボーイズ|en|Buffalo Boys (2018 film)}}』『[[グッド・バッド・ウィアード]]』『[[スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ]]』が挙げられる<ref>{{cite web|title=Ramen Western|url=http://www.criminalelement.com/ramen-westerns-far-east-meets-old-west/|website=criminalelement.com|date=2011-08-16|accessdate=2022-01-08}}</ref>。 日本では戦前から西部劇の人気は高く、戦後特に1960年前後にはガン・ブームと呼ばれる現象が生まれ、当時日活が無国籍映画と言われる西部劇のような活劇を作ったりした<ref>{{Cite web |title=DVD LINEUPS |url=https://www.nikkatsu.com/dig/DVDLINEUPS/dvd_line_HEROS01.html |website=www.nikkatsu.com |access-date=2023-11-03}}</ref>が特筆されるほどではなかった{{efn2|1961年4月封切りの「早射ち野郎」。日活製作、野村孝監督、宍戸錠主演。公開時に「日本製ウエスタン」と呼ばれたが、キネマ旬報に「日本映画にこれほどの愚作はない」と書かれた。しかし映画興行としてはヒットしている。大下英治は和製の「みそ汁ウエスタン」と述べている<ref>「みんな日活アクションが好きだった」153P参照 大下英治 著 廣済堂出版 1999年発行</ref>。}}。ただ時代劇の分野で黒澤明監督「七人の侍」がアメリカでリメイクされてジョン・スタージェス監督「荒野の七人」となり、「用心棒」が「荒野の用心棒」となり、西部劇の世界に影響を与えることとなった。 ==西部劇における先住民の描写== [[File:Buffalo Bills Wild West Show, 1890.jpg|thumb|left|200px|西部劇映画の原型となったバッファロー・ビル主宰の見世物『野生の西部ショー』。カウボーイとインディアンの捕り物や曲芸を演目とし、欧米を巡業して人気を博した。写真は1890年の巡業の際のもの]] [[File:The Squaw Man adv.jpg|thumb|200px|最初期の西部劇『スコウマン』(1914年)。インディアン女性{{efn2|「スコウ(Squaw)」はインディアン女性のことだが、現在は蔑称としてインディアン団体から強い抗議を受けている単語である。}}と結婚した白人を描く。]] [[画像:Gatling.png|thumb|180px|西部劇で虐殺の道具として多用された[[ガトリング砲]]。]] コロンブスがアメリカ大陸に到達した時には、北米大陸にもすでに先住の民族がいた。北米大陸に着いた時にインドに着いたと勘違いして先住民を[[インディアン]]と呼んだ話は有名だが、17世紀初めにイギリス人が最初の植民地を作った頃に北米にはおよそ人口100万人、部族の数では約500余りが暮らしていたと言われている<ref>「西部劇を見て男を学んだ」56〜57P 先住民族の悲史 参照 芦原伸 著 祥伝社新書 2006年3月発行</ref>。しかし西部開拓が進む頃から白人との戦いが始まった。西部開拓の歴史はまた先住民迫害そして虐殺の歴史でもあった。そして西部開拓時代の1870年には人口がわずか2万5千人に激減している。 20世紀初頭の黎明期の西部劇では、[[インディアン]]をヒーローとして扱ったものもあったが、西部劇がアクション中心の娯楽映画に移行するとインディアンは『[[フロンティア]]』を害する悪役となり、白人開拓者にとっては邪悪と凶暴さの象徴であった。 西部劇は、インディアンのイメージを決定付けた。劇中に登場するインディアン達は、決まって馬にまたがって派手な羽飾りをつけ、手斧を振り回し、「アワワワワ」と[[鬨]]の声を挙げて襲ってくる。これらは馬にまたがり、羽飾りをつけること以外は出鱈目なものである。彼らの衣装も、撮影所のデザイナーが考えたものであり、またそのほとんどが、白人たちが演じており、資料的価値は皆無である。 また、西部劇には「号令一下、全インディアン戦士を従わせる大酋長(Grand Chief)や戦争酋長(War chief)」が登場するが、これはインディアン文化に対する白人の誤解から生まれたものである。基本的にインディアンの社会は[[合議制]][[民主主義]]社会であり、このような絶対権力者は存在しない<ref>『Crazy Horse』(Larry Mcmurtry著、Penguin LIVES)</ref>。「大酋長」も「戦争酋長」もまったくのフィクションであり、現実には存在しない西部劇の中のキャラクターなのにも関わらず、これが全世界で公開されることで、「[[酋長]]は部族長である」といった、誤ったインディアンに対する認識をさらに広めることとなってしまった。 平原の部族の風俗である羽飾りをつけ、無表情に片言の英語を喋る(日本語の台詞では「インディアン、ウソツカナイ」はこの典型である)この[[ステレオタイプ]]は、その後世界中の人々が「インディアン」と聞いて真っ先に頭に思い浮かぶイメージとなった。ラジオやTVのシリーズ『[[ローン・レンジャー]]』に出てくる、主人公の相棒であるインディアンの「トント」は、インディアンの間では「白人にへつらうインディアン」の代名詞となっている。 1950年代に入って、このようなインディアンの描き方に対する反省から『[[折れた矢 (1950年の映画)|折れた矢]]』「アパッチ」が製作され、1960年代に入ると、『[[モホークの太鼓]]』(1939)で典型的なインディアンの描き方をして以後も悪役としてのインディアンしか描いてこなかったジョン・フォードが「シャイアン」(1964)でシャイアン族の悲劇を描くようになり、1970年には『[[ソルジャー・ブルー (映画)|ソルジャー・ブルー]]』で騎兵隊がインディアンを虐殺する場面が描かれている。 1960年に「片目のジャック」を監督・主演した[[マーロン・ブランド]]は、インディアン権利団体『[[アメリカインディアン運動]]』(AIM)に賛同し、同団体設立当初から助言と運動をともにしていたが、[[1973年]]に映画『[[ゴッドファーザー (映画)|ゴッド・ファーザー]]』でアカデミー賞を受賞した際、授賞式に「インディアン女性」を代理出席させ、ハリウッド西部劇において、いかにインディアンが理不尽な扱いを受けているかメッセージを代読させた{{efn2|ただしこの「インディアン女性」は実は非インディアンのフィリピン系女性だった(彼女は俳優組合から名前を抹消される処分を受けた)。これ自体が上記のようなデタラメな白人が演じるインディアンのパロディーであり、ハリウッドに対するブランドが一矢報いたのだが、この行為によって彼は自らの輝かしいキャリアに泥を塗る失態を犯し、映画界での信頼を失った。}}。 映画俳優でAIMの運動家でスポークスマンをも務める[[ラッセル・ミーンズ]]はハリウッド映画についてのインタビューに答え、こう述べている。 {{quotation|ハリウッドが映画の中でインディアンの人々に求める姿として、私たちは、2種類の姿でいさえすればよいのです。私たちは夏の間、革服で盛装します。あるいは、我々は『[[:w:Skins (film)|スキンズ]]』(2002年)だとか、『[[:w:Smoke Signals (film)|スモーク・シグナルズ]]』(1998年)のような映画のように、酔っぱらいの社会不適格者でないといけないのです<ref>ラッセル・ミーンズの公式サイト『Russell Means Freedom』でのインタビュー記事“Russell Means Interview with Dan Skye of High Times”(2009年5月20日)より</ref>。 1940年代のある土曜日の午後に、私は弟のデイスと二人でカリフォルニアのバレーホにあるエスクァイア映画劇場へ映画を観に行ったことがあります。その映画にはカウボーイとインディアンが出てきて、満場の観客たちが大喝采する中、進軍ラッパが鳴り響き、騎兵隊が撃ちまくり、否も応もなしにインディアンがぶち殺されるんです。デイスは、とても見ていられない様子でした。彼は、顔を手で覆っていました。あなたが8歳か9歳だった頃、私たちはそんなふうだったんです。あなたは多分、今度の映画(『[[ラスト・オブ・モヒカン]]』)はそれと違ってインディアンが勝つかもしれないなと思うでしょうね。まあそれからその後で、私たちは映画館を出るわけです。 それから、これはホントの話なんですが、そのあと私たち兄弟は、メキシコ人とかフィリピン人、中国人や黒人に対して、ちょうど映画の中でインディアンが白人と戦うのと同じようにして、背中合わせに戦わなければなりませんでした。こういう近所の子供たち全員が、私たちに言うわけです。「おいインディアン、思いっきりケツひっぱたいてやるぞ!」とね<ref>『[[Entertainment Weekly]]』誌でのインタビュー記事“Acting Against Racism”(1995年10月23日)より</ref>。}} == 西部劇に登場する銃器 == [[File:SAA 5773 oN.JPG|thumb|right|250px|コルト・シングル・アクション・アーミー(回転式拳銃)]] [[File:Winchester Carbines Model 73, 73, 94, 92 and 92Trapper.JPG|thumb|right|250px|[[ウィンチェスターライフル]]。左からM73、M73、M94、M92、M92Trapper]] ガンマンが題材となることの多い西部劇には、正確な考証に基づくものから近現代の銃器を手直ししてそれらしく見せかけたものまで、様々の[[銃器]]が小道具として登場した。中でも象徴的なのが[[コルト・シングル・アクション・アーミー]](SAA)リボルバー、通称「ピースメーカー」{{efn2|「コルト45」の名前でも有名である。この拳銃名をそのまま題名にしたテレビ映画がある。}}や、[[コルトM1851]]のような[[シングルアクション]][[回転式拳銃]]である。SAAはコルト社の最高傑作と言われる名銃で1873〜1940年までの67年間に35万挺が製造されている。 腰の、ベルト付き[[ホルスター]]にシングルアクションの回転式拳銃を収めたカウボーイスタイルは、映画に登場する西部ガンマンの定番であった。日本においても、西部劇人気の高まりと共にコルト45のようなシングルアクション拳銃の知名度は上昇し、多くのメーカーから[[遊戯銃|トイガン]]製品が販売された。 この時代のシングルアクション拳銃には様々なバリエーションが存在するが、特にマカロニ・ウェスタンにおいて、主役は5.5インチの金属薬莢式、悪役のボスは7.5インチなどの長銃身で大型、その他大勢は4.75インチの金属薬莢式拳銃や、パーカッション式リボルバーという具合に、持ち主の役どころにより銃の種類が決められている場合が多かった。 目にも止まらぬ抜き撃ち連射、華麗なスピンといったガンプレイに習熟することが主演スターには要求され、[[ゲイリー・クーパー]]は『[[平原児]]』(1936)で[[セシル・B・デミル]]と話し合った結果、[[二丁拳銃]]の抜き撃ちを2週間猛練習し、名場面を作りあげた。 映画がカラーになり、やがてワイド化して横長画面になった頃、1950年代中期以降は朝鮮戦争の帰還兵士であったレッド・ロッドウィングが銃器類の取り扱い指導者になり多くのスターに拳銃の技を伝授した。このガン・プレイの指導にはアルヴァ・オジャラやドイル・ブルックスなどの名前が伝わっているが、遡ると映画がサイレントからトーキーになった頃に、まだデビュー前の[[ジョン・ウェイン]]にガン・プレイを指導したのはあの[[ワイアット・アープ]]本人であったという話がある。 引き金を引いたままで拳銃を抜き、撃鉄をもう一方の手で連打することで高速に連射する「ファニング{{efn2|シングルアクションのリボルバーでは、撃鉄を起こさなければ引き金を引いても撃つことができない。ファニングとは、引き金を引いたまま手のひらで撃鉄を上から叩いて起こし、高速で連射する方法である。扇いでいるように見えることからこのように呼ばれる。なお19世紀末には、撃鉄を起こさなくとも引き金を引くだけで撃てる「[[ダブルアクション]]」が出現している。}}」と呼ばれるテクニックは、『[[荒野の決闘]]』で名バイプレーヤー[[ワード・ボンド]]が初めて披露した技である。 なお、[[ジョン・ウェイン]]はコルト6連発銃によるガンプレイが実は巧かった(「捜索者」でその片鱗を披露している)が大柄(やや太めのウェスト)過ぎて似合わないのでジョン・フォード監督のアドバイスで[[ウィンチェスター・リピーティングアームズ|ウィンチェスター]]銃(ライフル)を愛用したと伝えられる。そして後にライフル銃を持つとこれほど似合う俳優はいないと言われた。 そのウィンチェスター銃はオリバー・ウィンチェスターが考案したライフルで、最初は6連発のライフル銃であったが、SAAが売り出された同じ1873年に17連発の「[[ウィンチェスターライフル|73年型ウィンチェスター銃]]」(M1873通称ウィンチェスター銃73){{efn2|ジェームス・スチュアート主演で同名の映画『[[ウィンチェスター銃'73]]』がある。}})が登場して、このウィンチェスター73も1873〜1932年の59年間に72万挺製造され当時の西部に広く普及したと言われている。ただし当時のアメリカ陸軍には不評で、19世紀に騎兵隊などの軍関係にはウインチェスター銃は使われていない。したがって歴史的には騎兵隊がライフル銃を使う場合はウインチェスター銃ではなく単発のスプリングフィールド銃が使われており、1876年にカスター将軍以下の第七騎兵隊がリトルビッグホーンでインディアンに全滅したのはインディアン側は連発のウインチェスター銃で、騎兵隊側は単発のスプリングフィールド銃を使っていたからという「まことしやかな説がある」と言われている<ref>「西部劇(ウエスタン)への招待」14〜17P 参照</ref>。しかし西部劇映画では騎兵隊がウインチェスター銃で射ちまくる場面がよく見られるという。またテレビ「拳銃無宿」に主演したスティーブ・マックイーンが愛用していた銃は、このウインチェスター銃の銃身を短くした通称ランダルカスタムと呼ばれる銃である。ちなみに映画やテレビで使われるウインチェスター銃は有名なM1873ではなく後継のM1892が使用されている。 この「シングル・アクション・アーミー」と「ウィンチェスターM1873」の2つの銃が後に「西部を征服した銃」と呼ばれている<ref>「西部劇を見て男を学んだ」102〜103P 参照 芦原伸 著 祥伝社新書 2006年3月発行</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2|2}} === 出典 === {{reflist|3}} == 参考文献 == *『大いなる西部劇』 [[逢坂剛]] 川本三郎 著 新書館  2001年5月発行  *『西部劇(ウエスタン)への招待』 [[逢坂剛]] 川本三郎 [[菊地秀行]] 永田哲朗 [[縄田一男]] 宮本昌孝 著 PHPエル新書 [[PHP研究所]] 2004年9月発行 *『西部劇を見て男を学んだ』 芦原伸 著 祥伝社新書 2006年3月発行 *『アメリカ映画主義』ジャンル映画の隆盛  大場正明 編著 フィルムアート社 2002年10月発行 *『ハリウッド映画史講義』 西部劇の変貌 蓮実重彦著 筑摩書房 1993年9月発行 *『文藝春秋SPECIAL・映画が人生を教えてくれた』ジャンル別ベスト10「西部劇」逢坂剛 著 2009年7月発行 *『映画この百年ー地方からの視点』第9章 西部劇  熊本大学・映画文化史講座 1995年6月発行 *『B級映画ーフィルムの裏まで』 増渕健 著 平凡社  1986年8月発行 *『思い出のアメリカテレビ映画』 瀬戸川宗太著 平凡社新書  2014年4月発行 *『SCREEN特編版「なつかしの外国TVシリーズ」』 近代映画社  2006年5月発行 *『週刊TVガイド別冊「テレビ30年」』 東京ニュース通信社 1982年2月8日発行 *『キネマ旬報臨時増刊「テレビの黄金伝説〜外国テレビドラマの50年〜 」』1997年7月2日号 *『テレビドラマ全史」1953〜1994 TVガイド 東京ニュース通信社 1994年5月発行 *『別冊暮らしの手帖「シネマの手帖〜250本の名作ガイド〜」』 2009年12月発行 暮しの手帖社 == 関連項目 == {{Portal 映画}} *[[カウボーイ]] *[[荒野の少年イサム]] *[[ガンスモーク]] *[[西部警察]] *[[時代劇]] *[[レッド・デッド・リデンプション]]シリーズ * {{ill2|カウボーイ・アクション・シューティング|en|Cowboy action shooting}} - 1980年台からカリフォルニア州で行われている西部劇をテーマにした射撃競技会 {{Normdaten}} {{デフォルトソート:せいふけき}} [[Category:西部劇|*]] [[Category:アメリカ合衆国の歴史 (1865-1918)]]
2003-03-01T03:32:34Z
2023-11-03T06:18:56Z
false
false
false
[ "Template:Efn2", "Template:R", "Template:Main", "Template:Normdaten", "Template:仮リンク", "Template:Cite video", "Template:Portal 映画", "Template:Ill2", "Template:Notelist2", "Template:Reflist", "Template:Cite news", "Template:Cite book", "Template:Quotation", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite web", "Template:Cbignore" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%A8%E5%8A%87
3,112
恋愛映画
恋愛映画(れんあいえいが)は、ロマンス映画やラブ・ロマンスともいわれる映画のジャンルで恋愛を主題に描く映画のジャンル。楽しい恋、コメディタッチなロマンティック・コメディや悲劇の恋、三角関係、不倫と様々な範囲にわたる。既存の文芸作品をベースにしたものとオリジナルストーリーによるものとがある。また、恋人との別離や死別を扱ったものの中には、歴史的な事件、戦争を背景にしたものも少なくなく、その多くは映画史に残る名作となっているものも多い。同性同士の恋愛を扱ったものは、レズビアン・ゲイ映画に区分されるものもある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "恋愛映画(れんあいえいが)は、ロマンス映画やラブ・ロマンスともいわれる映画のジャンルで恋愛を主題に描く映画のジャンル。楽しい恋、コメディタッチなロマンティック・コメディや悲劇の恋、三角関係、不倫と様々な範囲にわたる。既存の文芸作品をベースにしたものとオリジナルストーリーによるものとがある。また、恋人との別離や死別を扱ったものの中には、歴史的な事件、戦争を背景にしたものも少なくなく、その多くは映画史に残る名作となっているものも多い。同性同士の恋愛を扱ったものは、レズビアン・ゲイ映画に区分されるものもある。", "title": null } ]
恋愛映画(れんあいえいが)は、ロマンス映画やラブ・ロマンスともいわれる映画のジャンルで恋愛を主題に描く映画のジャンル。楽しい恋、コメディタッチなロマンティック・コメディや悲劇の恋、三角関係、不倫と様々な範囲にわたる。既存の文芸作品をベースにしたものとオリジナルストーリーによるものとがある。また、恋人との別離や死別を扱ったものの中には、歴史的な事件、戦争を背景にしたものも少なくなく、その多くは映画史に残る名作となっているものも多い。同性同士の恋愛を扱ったものは、レズビアン・ゲイ映画に区分されるものもある。
{{出典の明記|date=2011年1月}} [[ファイル:Tyrone power alice faye ragtime6.jpg|thumb|270px|恋愛映画『[[世紀の楽団]]』(1938年)の一場面、[[タイロン・パワー]]と[[アリス・フェイ]]]] '''恋愛映画'''(れんあいえいが)は、'''ロマンス映画'''や'''ラブ・ロマンス'''ともいわれる[[映画]]のジャンルで[[恋愛]]を主題に描く映画のジャンル。楽しい恋、コメディタッチな[[ロマンティック・コメディ]]や悲劇の恋、[[三角関係]]、[[不倫]]と様々な範囲にわたる。既存の文芸作品をベースにしたものとオリジナルストーリーによるものとがある。また、恋人との別離や死別を扱ったものの中には、歴史的な事件、戦争を背景にしたものも少なくなく、その多くは映画史に残る名作となっているものも多い。同性同士の恋愛を扱ったものは、[[レズビアン・ゲイ映画]]に区分されるものもある。 == 代表的な作品 == * [[風と共に去りぬ (映画)|風と共に去りぬ]] - 1939年のアメリカ映画。[[南北戦争]]時代を背景に、[[ヴィヴィアン・リー]]扮するスカーレット・オハラと、[[クラーク・ゲーブル]]扮するレット・バトラーの恋愛を軸にしている。 * [[逢びき]] - 1945年のイギリス映画。セリア・ジョンソン扮するローラと[[トレヴァー・ハワード]]扮する医師アレックの中年男女の恋を描く。 * [[ローマの休日]] - 1953年のアメリカ映画。ヨーロッパ小国の王女([[オードリー・ヘプバーン]])と、アメリカ人新聞記者([[グレゴリー・ペック]])の[[ローマ]]でのつかの間の恋を描く。 * [[終着駅 (映画)|終着駅]] - 1954年のイタリア・アメリカ合作映画。[[ジェニファー・ジョーンズ]]扮するアメリカ人メアリーと、[[モンゴメリー・クリフト]]扮する英語教師との恋を描く。 * [[慕情]] - 1955年のアメリカ映画。ジェニファー・ジョーンズ演じる中国人女医と[[ウィリアム・ホールデン]]演ずる新聞記者の戦争によって引き裂かれる恋愛を描く。 * [[旅情]] - 1955年のイギリス・アメリカ合作映画。長期休暇を取って[[ヴェネツィア|ヴェニス]]に来た[[キャサリン・ヘプバーン]]演じる中年アメリカ人女性と[[ロッサノ・ブラッツィ]]演ずるイタリア人男性との一時の恋愛を描く。 * [[ウエスト・サイド物語 (映画)|ウエスト・サイド物語]] - 1961年の米ミュージカル映画。 『[[ロミオとジュリエット]]』を下敷きにしたマリア([[ナタリー・ウッド]])とトニー([[リチャード・ベイマー]])の悲恋。 * [[噂の二人]] - 1961年のアメリカ映画。原作はリリアン・へルマン。主演はオードリー・ヘップバーンと[[シャーリー・マクレーン]]。 * [[伊豆の踊子 (1963年の映画)|伊豆の踊子]] - 1963年の日本映画。原作は[[川端康成]]。[[吉永小百合]]、[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]主演。[[山口百恵]]、[[三浦友和]]主演の[[伊豆の踊子 (1974年の映画)|1974年の作品]]も有名。 * [[ドクトル・ジバゴ (1965年の映画)|ドクトル・ジバゴ]] - 1965年のアメリカ・イタリア合作映画。[[ロシア革命|革命期のロシア]]を舞台にした[[ボリス・パステルナーク|パステルナーク]]の小説の映画化。 * [[男と女]] - 1966年のフランス映画。配偶者を亡くした者同士の恋愛を描く。 * [[卒業 (1967年の映画)|卒業]] - 1967年のアメリカ映画。[[ダスティン・ホフマン]]、[[キャサリン・ロス]]主演。主題歌「[[サウンド・オブ・サイレンス]]」は大ヒットとなった。 * [[ある愛の詩]] - 1970年のアメリカ映画。富豪の息子([[ライアン・オニール]])と庶民の娘([[アリ・マッグロー]])との悲恋。 * [[ひまわり (1970年の映画)|ひまわり]] - 1970年のイタリア・フランス・ソ連・アメリカ映画。戦争によって引き裂かれた夫婦の行く末を悲哀たっぷりに描く作品。 * [[追憶 (1973年の映画)|追憶]] - 1973年のアメリカ映画。 [[ロバート・レッドフォード]]、[[バーバラ・ストライサンド]]主演。 * [[恋におちて (映画)|恋におちて]] - 1984年のアメリカ映画。 [[ロバート・デ・ニーロ]]と[[メリル・ストリープ]]が不倫の恋に落ちるニューヨーカーを演じた。 * [[プリティ・ウーマン]] - 1990年のアメリカ映画。 [[ジュリア・ロバーツ]]扮する娼婦と実業家([[リチャード・ギア]])の恋。 * [[ゴースト/ニューヨークの幻]] - 1990年のアメリカ映画。[[デミ・ムーア]]と死んだ恋人[[パトリック・スウェイジ]]の話。 * [[ポンヌフの恋人]] - 1991年のフランス映画。ホームレスの男([[ドニ・ラヴァン]])と視力を失いかけた少女([[ジュリエット・ビノシュ]])の恋愛。 * [[恋する惑星]] - 1994年の香港映画。軽快な恋愛を描き、[[香港ニューウェイブ]]の先駆けと言われた。 * [[耳をすませば]] - 1995年の日本のアニメ映画。 * [[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]] - 1997年のアメリカ映画。貧しい青年ジャック([[レオナルド・ディカプリオ]])と上流階級の娘ローズ([[ケイト・ウィンスレット]])の運命を描く。 * [[ブロークバック・マウンテン]] - 2005年のアメリカ映画。[[アメリカ中西部]]を舞台に男同士の悲劇的な恋愛を描く。 * [[世界の中心で愛を叫ぶ]] - 2005年のに日本映画。白血病にかかった高校生の少女と同級生の少年の恋愛。 * [[キャロル (映画)|キャロル]] - 2015年のアメリカ・イギリス映画。1950年代の[[ニューヨーク]]を舞台に女性同士による禁断の恋愛を描く。 * [[君の名は。]] - 2016年のアニメ映画。遠く離れた場所で暮らす少年と少女が入れ替わったことをきっかけに出会うまでを描く。 * [[君の膵臓をたべたい]] - 2017年の日本映画及び2018年のアニメ映画。不治の病にかかった少女と同級生の少年恋愛模様を描く。 * [[フォルトゥナの瞳]] - 2019年日本映画。 * [[天気の子]] - 2019年日本のアニメ映画。 == 関連項目 == *[[ロマンティック・コメディ]] == 外部リンク == *[http://www.imdb.com/Sections/Genres/Romance/ Genre Browser: Romance] — [[Internet Movie Database]]の恋愛映画ガイド(英語) *[https://www.boxofficemojo.com/ Romantic Drama Movies] — 恋愛ドラマ映画の[[アメリカ合衆国|全米]][[興行成績]](1980年-現在)(英語) *[https://www.boxofficemojo.com/ Romantic Fantasy Movies] — 恋愛ファンタジー映画の全米興行成績(1980年-現在)(英語) {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:れんあいえいか}} [[Category:映画のジャンル]] [[Category:恋愛映画|*]] [[Category:ロマンス]]
2003-03-01T03:33:32Z
2023-12-09T08:25:59Z
false
false
false
[ "Template:出典の明記", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%8B%E6%84%9B%E6%98%A0%E7%94%BB
3,113
サスペンス映画
サスペンス映画(サスペンスえいが)は、観客の緊張感を煽ることを狙いの一つにしている映画のジャンル。サスペンスの語源は、人の心を宙吊りにするという意味で、ズボンのサスペンダーと同源である。項目サスペンスを参照。 連続殺人や真犯人との心理戦、猟奇性の濃厚な犯行などが特徴。 心霊や超能力等の超自然現象的要素が、一切絡まないのが大前提条件とされる。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "サスペンス映画(サスペンスえいが)は、観客の緊張感を煽ることを狙いの一つにしている映画のジャンル。サスペンスの語源は、人の心を宙吊りにするという意味で、ズボンのサスペンダーと同源である。項目サスペンスを参照。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "連続殺人や真犯人との心理戦、猟奇性の濃厚な犯行などが特徴。", "title": "代表的なサスペンス映画作品" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "心霊や超能力等の超自然現象的要素が、一切絡まないのが大前提条件とされる。", "title": "代表的なサスペンス映画作品" } ]
サスペンス映画(サスペンスえいが)は、観客の緊張感を煽ることを狙いの一つにしている映画のジャンル。サスペンスの語源は、人の心を宙吊りにするという意味で、ズボンのサスペンダーと同源である。項目サスペンスを参照。
{{出典の明記|date=2011年1月}} '''サスペンス映画'''(サスペンスえいが)は、観客の緊張感を煽ることを狙いの一つにしている[[映画のジャンル]]。サスペンスの語源は、人の心を宙吊りにするという意味で、ズボンのサスペンダーと同源である。項目[[サスペンス]]を参照。 == 代表的なサスペンス映画作品 == <!-- 50音順 --> === 推理系 === 連続殺人や真犯人との心理戦、猟奇性の濃厚な犯行などが特徴。 * [[殺人鬼の誘惑]] (1963年) * [[シャレード (1963年の映画)|シャレード]] (1963年) * [[第三の男]] * [[カンバセーション…盗聴…]] * [[薔薇の名前 (映画)|薔薇の名前]] * [[メメント (映画)|メメント]] * [[羊たちの沈黙 (映画)|羊たちの沈黙]] * [[氷の微笑]] * [[エンゼル・ハート]] * [[シャドー (1982年の映画)|シャドー]] * [[レイクサイド マーダーケース]] * [[マークスの山]] * [[アガサ・クリスティー]]原作物 ** [[オリエント急行殺人事件 (1974年の映画)|オリエント急行殺人事件]] ** [[ナイル殺人事件 (1978年の映画)]] ** [[死海殺人事件]] ** [[地中海殺人事件]] ** [[ドーバー海峡殺人事件]] ** [[そして誰もいなくなった]](※5度にわたり映画化されている。) *** And Then There Were None(そして誰もいなくなった) アメリカ [[1945年]] *** Ten Little Indians(姿なき殺人者) イギリス [[1965年]] *** Ten Little Indians(そして誰もいなくなった) [[1975年]] *** Десятъ нергритят ソ連 [[1987年]] *** Ten Little Indians([[アガサ・クリスティー/サファリ殺人事件]]) イギリス [[1989年]] * [[横溝正史]]原作物 ** [[犬神家の一族]](※3度にわたり映画化されている。) ** [[八つ墓村]] ** [[悪魔が来りて笛を吹く]] ** [[女王蜂 (横溝正史)|女王蜂]] ** [[悪魔の手毬唄]] ** [[病院坂の首縊りの家]] ** [[悪霊島]] === サイコ・ホラー系 === [[心霊]]や[[超能力]]等の超自然現象的要素が、一切絡まないのが大前提条件とされる。 * [[悪魔のような女]] * [[サイコ (1960年の映画)|サイコ]] * [[激突!]] * [[ミザリー (映画)|ミザリー]] * [[サスペリアPART2]] * [[黒い家]] * [[オーディション (映画)|オーディション]] * [[悪魔の追跡]] * [[シッター]] * [[ルームメイト (1992年の映画)|ルームメイト]] * [[愛がこわれるとき]] * [[ゆりかごを揺らす手]] * [[危険な遊び]] * [[ヒッチャー]] * [[パシフィック・ハイツ]] * [[グラスハウス]] * [[太陽がいっぱい (映画)|太陽がいっぱい]] * [[リプリー (映画)|リプリー]](※「太陽がいっぱい」リメイク作品) * [[ストーカー (映画)|ストーカー]] * [[異常性愛記録 ハレンチ]] * [[告白 (2010年の映画)|告白]] *[[ミスト (映画)]] === その他 === <!-- 50音順 --> * [[網走番外地 (東映)|網走番外地]] * [[ウイラード (1971年の映画)|ウイラード]] * [[ウォリアーズ (1979年の映画)|ウォリアーズ]] * [[裏窓]] * [[ガス燈 (映画)|ガス燈]] * [[暗くなるまで待って (映画)|暗くなるまで待って]] * [[黒線地帯]] * [[死刑台のエレベーター]] * [[セブン (映画)|セブン]] * [[十二人の怒れる男]] * [[情婦 (映画)|情婦]] * [[第十七捕虜収容所]] * [[東海道四谷怪談 (1959年の映画)|東海道四谷怪談]] * [[ファンキーハットの快男児シリーズ]] ** [[ファンキーハットの快男児]] ** [[ファンキーハットの快男児 二千万円の腕]] * [[風来坊探偵シリーズ]] ** [[風来坊探偵 赤い谷の惨劇]] * [[北北西に進路を取れ]] * [[ユージュアル・サスペクツ]] * [[L.A.コンフィデンシャル]] * [[パラサイト 半地下の家族]] * [[ジョーカー (映画)|ジョーカー]] == 関連項目 == * [[アルフレッド・ヒッチコック]] - 「サスペンスの神様」とも称される人物。 {{movie-stub}} {{デフォルトソート:さすへんすえいか}} [[Category:サスペンス映画|*]] [[Category:映画のジャンル]]
null
2023-07-11T02:29:52Z
false
false
false
[ "Template:出典の明記", "Template:Movie-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B9%E6%98%A0%E7%94%BB
3,114
高水準言語
高水準言語(こうすいじゅんげんご、high-level programming language、高級言語とも)とは、記述の抽象度が高いプログラミング言語のことである。対義語は機械語やアセンブリ言語を指す「低水準言語」である。「高級言語」の対は「低級言語」である。 抽象度が特に高いプログラミング言語という意味で代表的な言語としては、C言語やJavaがある。 高水準言語は、低水準言語と比べ、 といったことが特徴である。 高水準言語とハードウェアとの間には、大きなセマンティックギャップがある。そのギャップを埋めるのがコンパイラやインタプリタといったプログラミング言語処理系であるわけだが、これを効率化するため、過去いろいろな努力がおこなわれてきた。 ひとつめは、ハードウェアを高水準言語の側に寄せる努力である。古くは1961年のバロース B5000という例があり、LISPマシンや、近年でもメインフレームにはCOBOLの1命令(MOVEやADD等)をほぼ1つの機械語に変換できるアーキテクチャを持つものや、ARMアーキテクチャのJazelleのように中間表現を実行できる、といったものがある。(高水準言語マシン) ふたつめは、コンパイラが生成するプログラムやインタプリタが、高性能になるようにする、という努力である。RISCは、あえてハードウェアを単純にし、コンパイラに高性能なプログラムを生成させよう、という方向であった。一方で、コンパイラが利用しやすいような複雑な命令を用意したTRONCHIPのような例もある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "高水準言語(こうすいじゅんげんご、high-level programming language、高級言語とも)とは、記述の抽象度が高いプログラミング言語のことである。対義語は機械語やアセンブリ言語を指す「低水準言語」である。「高級言語」の対は「低級言語」である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "抽象度が特に高いプログラミング言語という意味で代表的な言語としては、C言語やJavaがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "高水準言語は、低水準言語と比べ、", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "といったことが特徴である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "高水準言語とハードウェアとの間には、大きなセマンティックギャップがある。そのギャップを埋めるのがコンパイラやインタプリタといったプログラミング言語処理系であるわけだが、これを効率化するため、過去いろいろな努力がおこなわれてきた。", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ひとつめは、ハードウェアを高水準言語の側に寄せる努力である。古くは1961年のバロース B5000という例があり、LISPマシンや、近年でもメインフレームにはCOBOLの1命令(MOVEやADD等)をほぼ1つの機械語に変換できるアーキテクチャを持つものや、ARMアーキテクチャのJazelleのように中間表現を実行できる、といったものがある。(高水準言語マシン)", "title": "その他" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ふたつめは、コンパイラが生成するプログラムやインタプリタが、高性能になるようにする、という努力である。RISCは、あえてハードウェアを単純にし、コンパイラに高性能なプログラムを生成させよう、という方向であった。一方で、コンパイラが利用しやすいような複雑な命令を用意したTRONCHIPのような例もある。", "title": "その他" } ]
高水準言語とは、記述の抽象度が高いプログラミング言語のことである。対義語は機械語やアセンブリ言語を指す「低水準言語」である。「高級言語」の対は「低級言語」である。
{{出典の明記|date=2015年12月}} '''高水準言語'''(こうすいじゅんげんご、high-level programming language、高級言語とも)とは、記述の抽象度が高い[[プログラミング言語]]のことである。対義語は[[機械語]]や[[アセンブリ言語]]を指す「[[低水準言語]]」である。「高級言語」の対は「低級言語」である。 == 概要 == 抽象度が特に高いプログラミング言語という意味で代表的な言語としては、[[C言語]]や[[Java]]がある。 高水準言語は、低水準言語と比べ、 * 人間にとってわかりやすい * [[プロセッサ]]に依存した処理を書かなくてよい * メモリ制御、IO制御等、低水準の操作を意識しなくてよい といったことが特徴である。 == その他 == 高水準言語とハードウェアとの間には、大きな[[プログラム意味論|セマンティック]]ギャップがある。そのギャップを埋めるのが[[コンパイラ]]や[[インタプリタ]]といったプログラミング言語処理系であるわけだが、これを効率化するため、過去いろいろな努力がおこなわれてきた。 ひとつめは、ハードウェアを高水準言語の側に寄せる努力である。古くは1961年の[[バロース B5000]]という例があり、[[LISPマシン]]や、近年でも[[メインフレーム]]には[[COBOL]]の1命令(MOVEやADD等)をほぼ1つの機械語に変換できるアーキテクチャを持つものや、[[ARMアーキテクチャ]]のJazelleのように[[中間表現]]を実行できる、といったものがある。([[高級言語計算機|高水準言語マシン]]) ふたつめは、コンパイラが生成するプログラムやインタプリタが、高性能になるようにする、という努力である。[[RISC]]は、あえてハードウェアを単純にし、コンパイラに高性能なプログラムを生成させよう、という方向であった。一方で、コンパイラが利用しやすいような複雑な命令を用意した[[TRONCHIP]]のような例もある。 <!-- [[C言語]]は、[[ポインタ (プログラミング)|ポインタ]]を使って[[メモリアドレス]]を直接操ることができること、標準化はされていないがたいていの実装で[[インラインアセンブラ]]によりシームレスにアセンブリ言語と連繋できることなどから「中級言語」と呼ばれることがある{{要出典|date=2010年5月}}。 --> == 関連項目 == * [[低水準言語]] * [[プログラミング言語一覧]] {{プログラミング言語の関連項目|state=uncollapsed}} {{プログラミング言語一覧}} {{Normdaten}} {{Computer-stub}} {{DEFAULTSORT:こうすいしゆんけんこ}} [[Category:プログラミング言語の分類]]
2003-03-01T03:56:55Z
2023-07-29T16:05:45Z
false
false
false
[ "Template:出典の明記", "Template:プログラミング言語の関連項目", "Template:プログラミング言語一覧", "Template:Normdaten", "Template:Computer-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%B0%B4%E6%BA%96%E8%A8%80%E8%AA%9E
3,116
ナイアガラ・レーベル
ナイアガラ・レーベルは、かつて大滝詠一が主宰していたレコードレーベル。現在は坂口修(女婿・音楽評論家)ら大瀧家の親族が継承し、生前の作品の原盤管理を行っている。 ナイアガラという名前は、大滝=「大きい滝」の代表格であるナイアガラの滝にちなんで付けられた。レコード盤(CD)のレーベル面には"Fussa Tokyo Niagara Records"と表記されている。 大滝が自身の1stソロ・アルバム『大瀧詠一』の原盤管理に関して、ベルウッド(キングレコード)に疑問を抱いたことが発端。同社ではマスターテープ以外のレコード製作過程のマルチテープの音源が廃棄され、未発表の原盤のほとんどが失われてしまっていた。大滝は「全ての音源を守るには自分で原盤権を持たなければならない」と自身の作成する原盤すべてを管理・保存することを目的に、1974年にザ・ナイアガラ・エンタープライズという会社を設立。パシフィック音楽出版(PMP、現・フジパシフィックミュージック)も出資し、PMPが制作費を出す代わりに出版権を持つことになった。 なお『大瀧詠一』の原盤は、マスターテープ以外はキングレコードには残されておらず、ボーナストラックに収録された楽曲は、大滝が個人的に所有していたものである(『大瀧詠一』ソニー再発盤の解説より)。 1975年4月にその会社から発売された初の作品が、シュガー・ベイブのシングル「DOWN TOWN」、およびアルバム『SONGS』である。大滝自身がナイアガラ・レーベルからアルバムを発売するのは、翌月の『NIAGARA MOON』が最初となる。 70年代は、大滝にとっては不遇の時代であり、彼の世間での知名度は皆無であった。 1973年より担当していた「三ツ矢サイダー」のCMソングをレコードにしてくれる会社はないかと1974年頃に、各レコード会社を回るが「CMをレコードにするなんて、バカなことを言うな」と断られる。しかしエレックレコードにいた後藤由多加が、唯一「面白いじゃない」と言ってくれ、「どうせやるならCMレコードだけじゃなくレーベルを作ってやってみようか」と言われエレックレコードと契約し、プライベート・レーベル「ナイアガラ・レコード」を設立した。また、レコード会社の原盤管理に疑問を抱き、個人事務所「ザ・ナイアガラ・エンタープライズ」を設立し、自分の作品の原盤権を当該会社で管理するようになる。所属第1号アーティストはシュガー・ベイブであった。ところが、始まった途端、エレックレコードは倒産する。 シュガー・ベイブのシングル「DOWN TOWN」、アルバム『SONGS』を発売。 大滝詠一のソロ・アルバム『NIAGARA MOON』を発売。 前年のエレックレコード倒産に伴い日本コロムビアに移籍。16チャンネルテープレコーダを貰うことを条件に、3年で12枚のアルバム制作契約を結ぶ。アルバムは制作されたが当時の世間の大滝の作品への評価は皆無に等しく、大滝周辺やナイアガラ・レーベル作品の愛好者にしか受けなかった。因みに大滝作品およびナイアガラレーベル作品の愛好家は「ナイアガラー」と呼ばれている。大滝作品は制作作品数が多い割りに売れなかったため、会社に経営の危機をもたらすことになり(『NIAGARA CALENDAR』収録の「名月赤坂マンション」はこの会社存続の危機を歌にしたノンフィクションソングである。)、その後会社はCBSソニー移籍まで休眠状態となり、運営をPMPに委託する状態となる(1978年頃のコンサートのパンフレットでは、会社の所在地が当時PMPの本社があったニッポン放送内となっている)。 大滝詠一のソロ・アルバム『GO! GO! NIAGARA』を発売。 山下達郎、伊藤銀次とのアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』を発売。 レーベル設立の当初の目的であったCMソング集アルバム『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1』を発売。 大滝のプロデュースによるシリア・ポールのソロ・アルバム『夢で逢えたら』を発売。 インストゥルメンタル・アルバム『多羅尾伴内楽團 Vol.1』を発売。 大滝詠一のソロ・アルバム『NIAGARA CALENDAR』を発売。 インストゥルメンタル・アルバム『多羅尾伴内楽團 Vol.2』を発売。 雑誌の読者投票により選曲した大滝詠一のベスト・アルバム『DEBUT』を発売。 アルバム『LET'S ONDO AGAIN』を発売。 前年に発売されたアルバム『LET'S ONDO AGAIN』の制作を最後にコロムビアとの「3年間でアルバム12枚」という、レーベルとしての契約を終了。 前述の契約にアルバムが1枚足りていなかったこともあり、ナイアガラ・レーベル非公認カタログとしてコンピレーション・アルバム『TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA』が発売される。 アルバム『A LONG VACATION』の大ヒットや、松田聖子の「風立ちぬ」などを手掛けたことにより徐々に名が知られ始める。セールス面などで見ると大滝の絶頂期といえる。 CBS・ソニーレコード(後のソニーレコード、現在のソニー・ミュージックレコーズ)に移籍。当時PMPの常務だった朝妻一郎は、本来ならPMPの元上司であった羽佐間重彰が社長を務めるキャニオンレコード(現ポニーキャニオン。PMP、キャニオンともニッポン放送の子会社だった)に移籍させるのが筋だが、大滝の音楽はキャニオンには合わないと考え、CBS・ソニーに移籍させた。一方大滝はコロムビアとの契約終了後、楽曲提供でCBS・ソニーのディレクターからの発注が多かったことから移籍先を決めたと語っていた。 3月21日に発売されたアルバム『A LONG VACATION』のヒットがきっかけで大滝の名が世に広く知られるようになる。このヒットは「5年間も売れなかったアーティストが突如売れ出すことは奇跡」ということを言った業界人もいたほどの出来事だった。 コロムビアで制作したアルバムのうち6作品をCBSソニーから再発売。コロムビアで制作した音源のうち、上記6作品に収録されていない楽曲の一部を集めて再構成したオムニバスアルバム『NIAGARA FALL STARS』を発売。 インストゥルメンタル・アルバム『Sing ALONG VACATION』を発売。 佐野元春、杉真理とのアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を発売。 井上鑑アレンジのインストゥルメンタル・アルバム『NIAGARA SONG BOOK』を発売。 CMソング集続編および、大滝歌唱楽曲コマーシャルスポットなどを収録した『NIAGARA CM SPECIAL Vol.2』を発売。 映像作品『NIAGARA SONG BOOK』の映像版をサブレーベルのKeg-onより発売(後年DVDで再発売)。 アルバム『EACH TIME』を発売。大滝詠一名義では最後のオリジナル・アルバムとなる。 1981年の再発売から漏れたコロムビアでの制作アルバム5作品をセットにした『NIAGARA BLACK VOX』を発売。 井上鑑アレンジのインストゥルメンタル・アルバム『NIAGARA SONG BOOK 2』を発売。 コンピレーション・アルバムとして『B-EACH TIME L-ONG』を発売。 プロモーション・オンリー・アルバム『SNOW TIME』(非売品)を制作する。当時最新メディアだったCDに加え、その後カセットテープとアナログレコードも制作された。 大滝自身の全てのアナログ・シングルを廃盤にする。これは本人曰く「邦楽第一号のCDがアルバム『A LONG VACATION』であったため、人一倍レコードに思い入れのある自分がCDの普及を早めた」とのことである。これにより大滝の歌手活動は、長期休業にはいる。 『NIAGARA BLACK VOX』をリマスタリングの上、ボーナストラックを追加したCD-BOXセット『NIAGARA BLACK BOOK』を発売。 過去の作品のリマスターを活発に行う。1990年代半ばにプロデューサー業を一時再開し、大滝自身も12年ぶりのシングル「幸せな結末」を発売。 1980年代のカタログを「CD選書」シリーズにてリイシュー。 山下達郎「パレード」がeast west japanよりシングルカットされる際にナイアガラレーベル(青レーベル)を使用。シュガー・ベイブ『SONGS』もリイシューされ、再発盤としては異例の大ヒットを記録。 大滝がダブル・オーレコード取締役に就任。ダブル・オーではサブレーベルのYoo-Looを使用。 1970年代のカタログを「CD選書」シリーズでリイシュー開始。1997年まで続けられる。 渡辺満里奈のアルバム『Ring-a-Bell』のプロデュースを担当。 『SNOW TIME』がリマスタリングおよび、ボーナス・トラック追加にてCD化。一般発売される。 ダブル・オーレコード解散。大滝が12年ぶりのシングル「幸せな結末」をリリース。ミリオン・ヒットを記録。 2005年からは「ナイアガラ30周年事業」と題して、1970年代から80年代にかけての作品をリマスター盤で再発している。また、2003年には最後の新曲である「恋するふたり」を発売している。しかし2013年12月30日の大滝の死去により、2014年以降は親族が過去作品の原盤管理を行い、リマスタリング・再編集・未発表作品の発掘などを監修する形でレーベルの活動を継続している。 1980年代のカタログを「20th Anniversary Edition」としてリマスター開始。 初のトリビュート・アルバム『ナイアガラで恋をして』が発売される。 大滝が6年ぶりのシングル「恋するふたり」をリリース。事実上最後のシングルとなった。 1970年代のカタログを「30th Anniversary Edition」としてリマスター開始。 これまでナイアガラ・レーベル非公認カタログ扱いだった『TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA』を、『TATSURO FROM NIAGARA』としてナイアガラ・レーベルよりオフィシャル・リリース。 1980年代のカタログを「30th Edition」としてリマスター開始。 12月30日午後5時30分ごろ主宰の大滝詠一が東京都西多摩郡瑞穂町の自宅で倒れ、病院に搬送されたが、午後7時ごろ、解離性動脈瘤でこの世を去る。享年65。 12月3日、葬儀で流され、マスターテープの存在を家族にのみ知らせていたという「夢で逢えたら」のセルフカバーを収録した初のオールタイム・ベスト『Best Always』を発売。このアルバムでは、娘婿で音楽プロデューサー・音楽評論家の坂口修がナイアガラ・エンタープライズを継承していることが、スタッフ・クレジットで明らかになっている。 同日、大滝詠一が生前に自宅で愛用していたジューク・ボックスに収められていた洋楽オールディーズ楽曲を集めたコンピレーション・アルバム『大瀧詠一のジュークボックス』が、3タイトル(ワーナーミュージック編、ユニバーサルミュージック編、エルヴィス・プレスリー編)同時発売。いずれも"Niagara Records"のロゴが入り、ナイアガラのカタログとして発売された。 3月21日、CDのみでの『SNOW TIME』で世に出ていた森進一に楽曲提供した「冬のリヴィエラ」のセルフカバー「夏のリビエラ」、ベストアルバム『Best Always』に収録した「夢で逢えたら」のベストアルバム『Best Always』とボックスセット『NIAGARA CD BOOK II』の同時購入者特典として抽選で300名にのみプレゼントされた、「夢で逢えたら」のレコードB面に収録されていた大滝の歌声とストリングスのみのバージョンの「夢で逢えたら (Strings Mix) 」を含めた、大滝の死後にスタッフがスタジオの遺品整理中に発見した提供曲のセルフカバーを収録した新作とも言われているアルバム『DEBUT AGAIN』を発売。アルバムには1981年12月の「ヘットホーンコンサート」で「二度と歌わない」と前置きして歌われた松田聖子への提供曲「風立ちぬ」のライブ音源も収録された。 3月21日、シリア・ポールの『夢で逢えたらVOX』と同時に、「夢で逢えたら」のオリジナル及びカヴァー作品として、その当時存在が確認された86曲を収録したコンピレーションアルバム『EIICHI OHTAKI Song Book III 大瀧詠一作品集Vol.3「夢で逢えたら」(1976~2018)』を発売。 11月3日、インディーズ系アーティストたちが大瀧の楽曲をカバーしたトリビュート・アルバム『大瀧詠一 Cover Book -ネクスト・ジェネレーション編-「GO! GO! ARAGAIN」』がアナログ盤で発売される(12月3日にCD盤も発売される)。ナイアガラ・エンタープライズの坂口修がプロデューサーとなり、ザ・ナイアガラ・エンタープライズの楽曲管理部門「ARAGAIN」(NIAGARAの逆読み)名義を使っている。 3月21日、1983年7月24日、森進一に楽曲提供した「冬のリヴィエラ」のセルフカバー「夏のリビエラ」、薬師丸ひろ子に楽曲提供した「探偵物語」、「すこしだけやさしく」を大滝自ら歌唱披露した西武ライオンズ球場(現:メットライフドーム)のライブ音源(当日、マルチトラックレコーダーで録音していたライブ素材をCD化に際してミックスダウンした。)の初CD化となるライブアルバム『NIAGARA CONCERT '83』が発売。初回版限定生産盤はCD枚とDVD1枚の構成で、CD2枚目は大滝が生前ライブでオールディーズナンバーを歌ったライブ音源のみを様々なライブの残されたテープから集めた『EACH Sings Oldies from NIAGARA CONCERT』、DVDは1977年6月20日のナイアガラレーベル最初のライブ映像を収録した『THE FIRST NIAGARA TOUR 1977/6/20 渋谷公会堂』である。ソロになってから大滝はエレック~コロムビア時代の歌唱を伴わない数回の取材対応を除き顔出しでのテレビ出演を拒否していたため、歌番組での歌唱映像がなく、動く大滝の姿が見られるのは、この時点ではDVD化されたあがた森魚が監督を務めた映画『僕は天使ぢゃないよ』とこのライブDVDのみで、歌唱姿だけだとこのライブDVDのみである。同ライブDVDには同ライブで披露された布谷文夫の『ナイアガラ音頭』も収録されており、貴重な布谷の歌唱姿も見られる。なお、CDに収録されている83年のライブに関しては、同時に出演したラッツ&スターとサザンオールスターズに関してはテレビ放送もされた映像が残っているが、大滝パートではカメラを反対向きにさせるなど徹底して如何なる記録映像も拒否する事を条件に出演したため、数枚の写真以外は残されていない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ナイアガラ・レーベルは、かつて大滝詠一が主宰していたレコードレーベル。現在は坂口修(女婿・音楽評論家)ら大瀧家の親族が継承し、生前の作品の原盤管理を行っている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ナイアガラという名前は、大滝=「大きい滝」の代表格であるナイアガラの滝にちなんで付けられた。レコード盤(CD)のレーベル面には\"Fussa Tokyo Niagara Records\"と表記されている。", "title": "名前の由来" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "大滝が自身の1stソロ・アルバム『大瀧詠一』の原盤管理に関して、ベルウッド(キングレコード)に疑問を抱いたことが発端。同社ではマスターテープ以外のレコード製作過程のマルチテープの音源が廃棄され、未発表の原盤のほとんどが失われてしまっていた。大滝は「全ての音源を守るには自分で原盤権を持たなければならない」と自身の作成する原盤すべてを管理・保存することを目的に、1974年にザ・ナイアガラ・エンタープライズという会社を設立。パシフィック音楽出版(PMP、現・フジパシフィックミュージック)も出資し、PMPが制作費を出す代わりに出版権を持つことになった。", "title": "設立の経緯" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "なお『大瀧詠一』の原盤は、マスターテープ以外はキングレコードには残されておらず、ボーナストラックに収録された楽曲は、大滝が個人的に所有していたものである(『大瀧詠一』ソニー再発盤の解説より)。", "title": "設立の経緯" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1975年4月にその会社から発売された初の作品が、シュガー・ベイブのシングル「DOWN TOWN」、およびアルバム『SONGS』である。大滝自身がナイアガラ・レーベルからアルバムを発売するのは、翌月の『NIAGARA MOON』が最初となる。", "title": "設立の経緯" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "70年代は、大滝にとっては不遇の時代であり、彼の世間での知名度は皆無であった。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1973年より担当していた「三ツ矢サイダー」のCMソングをレコードにしてくれる会社はないかと1974年頃に、各レコード会社を回るが「CMをレコードにするなんて、バカなことを言うな」と断られる。しかしエレックレコードにいた後藤由多加が、唯一「面白いじゃない」と言ってくれ、「どうせやるならCMレコードだけじゃなくレーベルを作ってやってみようか」と言われエレックレコードと契約し、プライベート・レーベル「ナイアガラ・レコード」を設立した。また、レコード会社の原盤管理に疑問を抱き、個人事務所「ザ・ナイアガラ・エンタープライズ」を設立し、自分の作品の原盤権を当該会社で管理するようになる。所属第1号アーティストはシュガー・ベイブであった。ところが、始まった途端、エレックレコードは倒産する。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "シュガー・ベイブのシングル「DOWN TOWN」、アルバム『SONGS』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "大滝詠一のソロ・アルバム『NIAGARA MOON』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "前年のエレックレコード倒産に伴い日本コロムビアに移籍。16チャンネルテープレコーダを貰うことを条件に、3年で12枚のアルバム制作契約を結ぶ。アルバムは制作されたが当時の世間の大滝の作品への評価は皆無に等しく、大滝周辺やナイアガラ・レーベル作品の愛好者にしか受けなかった。因みに大滝作品およびナイアガラレーベル作品の愛好家は「ナイアガラー」と呼ばれている。大滝作品は制作作品数が多い割りに売れなかったため、会社に経営の危機をもたらすことになり(『NIAGARA CALENDAR』収録の「名月赤坂マンション」はこの会社存続の危機を歌にしたノンフィクションソングである。)、その後会社はCBSソニー移籍まで休眠状態となり、運営をPMPに委託する状態となる(1978年頃のコンサートのパンフレットでは、会社の所在地が当時PMPの本社があったニッポン放送内となっている)。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "大滝詠一のソロ・アルバム『GO! GO! NIAGARA』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "山下達郎、伊藤銀次とのアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "レーベル設立の当初の目的であったCMソング集アルバム『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "大滝のプロデュースによるシリア・ポールのソロ・アルバム『夢で逢えたら』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "インストゥルメンタル・アルバム『多羅尾伴内楽團 Vol.1』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "大滝詠一のソロ・アルバム『NIAGARA CALENDAR』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "インストゥルメンタル・アルバム『多羅尾伴内楽團 Vol.2』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "雑誌の読者投票により選曲した大滝詠一のベスト・アルバム『DEBUT』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "アルバム『LET'S ONDO AGAIN』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "前年に発売されたアルバム『LET'S ONDO AGAIN』の制作を最後にコロムビアとの「3年間でアルバム12枚」という、レーベルとしての契約を終了。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "前述の契約にアルバムが1枚足りていなかったこともあり、ナイアガラ・レーベル非公認カタログとしてコンピレーション・アルバム『TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA』が発売される。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "アルバム『A LONG VACATION』の大ヒットや、松田聖子の「風立ちぬ」などを手掛けたことにより徐々に名が知られ始める。セールス面などで見ると大滝の絶頂期といえる。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "CBS・ソニーレコード(後のソニーレコード、現在のソニー・ミュージックレコーズ)に移籍。当時PMPの常務だった朝妻一郎は、本来ならPMPの元上司であった羽佐間重彰が社長を務めるキャニオンレコード(現ポニーキャニオン。PMP、キャニオンともニッポン放送の子会社だった)に移籍させるのが筋だが、大滝の音楽はキャニオンには合わないと考え、CBS・ソニーに移籍させた。一方大滝はコロムビアとの契約終了後、楽曲提供でCBS・ソニーのディレクターからの発注が多かったことから移籍先を決めたと語っていた。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "3月21日に発売されたアルバム『A LONG VACATION』のヒットがきっかけで大滝の名が世に広く知られるようになる。このヒットは「5年間も売れなかったアーティストが突如売れ出すことは奇跡」ということを言った業界人もいたほどの出来事だった。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "コロムビアで制作したアルバムのうち6作品をCBSソニーから再発売。コロムビアで制作した音源のうち、上記6作品に収録されていない楽曲の一部を集めて再構成したオムニバスアルバム『NIAGARA FALL STARS』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "インストゥルメンタル・アルバム『Sing ALONG VACATION』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "佐野元春、杉真理とのアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "井上鑑アレンジのインストゥルメンタル・アルバム『NIAGARA SONG BOOK』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "CMソング集続編および、大滝歌唱楽曲コマーシャルスポットなどを収録した『NIAGARA CM SPECIAL Vol.2』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "映像作品『NIAGARA SONG BOOK』の映像版をサブレーベルのKeg-onより発売(後年DVDで再発売)。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "アルバム『EACH TIME』を発売。大滝詠一名義では最後のオリジナル・アルバムとなる。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1981年の再発売から漏れたコロムビアでの制作アルバム5作品をセットにした『NIAGARA BLACK VOX』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "井上鑑アレンジのインストゥルメンタル・アルバム『NIAGARA SONG BOOK 2』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "コンピレーション・アルバムとして『B-EACH TIME L-ONG』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "プロモーション・オンリー・アルバム『SNOW TIME』(非売品)を制作する。当時最新メディアだったCDに加え、その後カセットテープとアナログレコードも制作された。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "大滝自身の全てのアナログ・シングルを廃盤にする。これは本人曰く「邦楽第一号のCDがアルバム『A LONG VACATION』であったため、人一倍レコードに思い入れのある自分がCDの普及を早めた」とのことである。これにより大滝の歌手活動は、長期休業にはいる。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "『NIAGARA BLACK VOX』をリマスタリングの上、ボーナストラックを追加したCD-BOXセット『NIAGARA BLACK BOOK』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "過去の作品のリマスターを活発に行う。1990年代半ばにプロデューサー業を一時再開し、大滝自身も12年ぶりのシングル「幸せな結末」を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1980年代のカタログを「CD選書」シリーズにてリイシュー。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "山下達郎「パレード」がeast west japanよりシングルカットされる際にナイアガラレーベル(青レーベル)を使用。シュガー・ベイブ『SONGS』もリイシューされ、再発盤としては異例の大ヒットを記録。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "大滝がダブル・オーレコード取締役に就任。ダブル・オーではサブレーベルのYoo-Looを使用。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "1970年代のカタログを「CD選書」シリーズでリイシュー開始。1997年まで続けられる。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "渡辺満里奈のアルバム『Ring-a-Bell』のプロデュースを担当。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "『SNOW TIME』がリマスタリングおよび、ボーナス・トラック追加にてCD化。一般発売される。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ダブル・オーレコード解散。大滝が12年ぶりのシングル「幸せな結末」をリリース。ミリオン・ヒットを記録。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "2005年からは「ナイアガラ30周年事業」と題して、1970年代から80年代にかけての作品をリマスター盤で再発している。また、2003年には最後の新曲である「恋するふたり」を発売している。しかし2013年12月30日の大滝の死去により、2014年以降は親族が過去作品の原盤管理を行い、リマスタリング・再編集・未発表作品の発掘などを監修する形でレーベルの活動を継続している。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "1980年代のカタログを「20th Anniversary Edition」としてリマスター開始。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "初のトリビュート・アルバム『ナイアガラで恋をして』が発売される。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "大滝が6年ぶりのシングル「恋するふたり」をリリース。事実上最後のシングルとなった。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "1970年代のカタログを「30th Anniversary Edition」としてリマスター開始。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "これまでナイアガラ・レーベル非公認カタログ扱いだった『TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA』を、『TATSURO FROM NIAGARA』としてナイアガラ・レーベルよりオフィシャル・リリース。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1980年代のカタログを「30th Edition」としてリマスター開始。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "12月30日午後5時30分ごろ主宰の大滝詠一が東京都西多摩郡瑞穂町の自宅で倒れ、病院に搬送されたが、午後7時ごろ、解離性動脈瘤でこの世を去る。享年65。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "12月3日、葬儀で流され、マスターテープの存在を家族にのみ知らせていたという「夢で逢えたら」のセルフカバーを収録した初のオールタイム・ベスト『Best Always』を発売。このアルバムでは、娘婿で音楽プロデューサー・音楽評論家の坂口修がナイアガラ・エンタープライズを継承していることが、スタッフ・クレジットで明らかになっている。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "同日、大滝詠一が生前に自宅で愛用していたジューク・ボックスに収められていた洋楽オールディーズ楽曲を集めたコンピレーション・アルバム『大瀧詠一のジュークボックス』が、3タイトル(ワーナーミュージック編、ユニバーサルミュージック編、エルヴィス・プレスリー編)同時発売。いずれも\"Niagara Records\"のロゴが入り、ナイアガラのカタログとして発売された。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "3月21日、CDのみでの『SNOW TIME』で世に出ていた森進一に楽曲提供した「冬のリヴィエラ」のセルフカバー「夏のリビエラ」、ベストアルバム『Best Always』に収録した「夢で逢えたら」のベストアルバム『Best Always』とボックスセット『NIAGARA CD BOOK II』の同時購入者特典として抽選で300名にのみプレゼントされた、「夢で逢えたら」のレコードB面に収録されていた大滝の歌声とストリングスのみのバージョンの「夢で逢えたら (Strings Mix) 」を含めた、大滝の死後にスタッフがスタジオの遺品整理中に発見した提供曲のセルフカバーを収録した新作とも言われているアルバム『DEBUT AGAIN』を発売。アルバムには1981年12月の「ヘットホーンコンサート」で「二度と歌わない」と前置きして歌われた松田聖子への提供曲「風立ちぬ」のライブ音源も収録された。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "3月21日、シリア・ポールの『夢で逢えたらVOX』と同時に、「夢で逢えたら」のオリジナル及びカヴァー作品として、その当時存在が確認された86曲を収録したコンピレーションアルバム『EIICHI OHTAKI Song Book III 大瀧詠一作品集Vol.3「夢で逢えたら」(1976~2018)』を発売。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "11月3日、インディーズ系アーティストたちが大瀧の楽曲をカバーしたトリビュート・アルバム『大瀧詠一 Cover Book -ネクスト・ジェネレーション編-「GO! GO! ARAGAIN」』がアナログ盤で発売される(12月3日にCD盤も発売される)。ナイアガラ・エンタープライズの坂口修がプロデューサーとなり、ザ・ナイアガラ・エンタープライズの楽曲管理部門「ARAGAIN」(NIAGARAの逆読み)名義を使っている。", "title": "略歴" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "3月21日、1983年7月24日、森進一に楽曲提供した「冬のリヴィエラ」のセルフカバー「夏のリビエラ」、薬師丸ひろ子に楽曲提供した「探偵物語」、「すこしだけやさしく」を大滝自ら歌唱披露した西武ライオンズ球場(現:メットライフドーム)のライブ音源(当日、マルチトラックレコーダーで録音していたライブ素材をCD化に際してミックスダウンした。)の初CD化となるライブアルバム『NIAGARA CONCERT '83』が発売。初回版限定生産盤はCD枚とDVD1枚の構成で、CD2枚目は大滝が生前ライブでオールディーズナンバーを歌ったライブ音源のみを様々なライブの残されたテープから集めた『EACH Sings Oldies from NIAGARA CONCERT』、DVDは1977年6月20日のナイアガラレーベル最初のライブ映像を収録した『THE FIRST NIAGARA TOUR 1977/6/20 渋谷公会堂』である。ソロになってから大滝はエレック~コロムビア時代の歌唱を伴わない数回の取材対応を除き顔出しでのテレビ出演を拒否していたため、歌番組での歌唱映像がなく、動く大滝の姿が見られるのは、この時点ではDVD化されたあがた森魚が監督を務めた映画『僕は天使ぢゃないよ』とこのライブDVDのみで、歌唱姿だけだとこのライブDVDのみである。同ライブDVDには同ライブで披露された布谷文夫の『ナイアガラ音頭』も収録されており、貴重な布谷の歌唱姿も見られる。なお、CDに収録されている83年のライブに関しては、同時に出演したラッツ&スターとサザンオールスターズに関してはテレビ放送もされた映像が残っているが、大滝パートではカメラを反対向きにさせるなど徹底して如何なる記録映像も拒否する事を条件に出演したため、数枚の写真以外は残されていない。", "title": "略歴" } ]
ナイアガラ・レーベルは、かつて大滝詠一が主宰していたレコードレーベル。現在は坂口修(女婿・音楽評論家)ら大瀧家の親族が継承し、生前の作品の原盤管理を行っている。
{{Pathnavbox| {{Pathnav|大瀧詠一}} {{Pathnav|エレックレコード}} {{Pathnav|日本コロムビア}} {{Pathnav|ソニー・ミュージックレコーズ}} }} '''ナイアガラ・レーベル'''は、かつて[[大滝詠一]]が主宰していた[[レコードレーベル]]。現在は[[坂口修]](女婿・音楽評論家)ら大瀧家の親族が継承し、生前の作品の原盤管理を行っている。 == 名前の由来 == ナイアガラという名前は、大滝=「大きい滝」の代表格である[[ナイアガラの滝]]にちなんで付けられた。レコード盤(CD)のレーベル面には"[[福生市|Fussa]] [[東京都|Tokyo]] Niagara Records"と表記されている。 == サブレーベル == *'''Yoo-Loo''' - [[養老の滝]]から? 読みは「ユールー」である。ナイアガラ・レーベルと性格の異なる作品に使われたが、当初はナイアガラ傘下で大滝以外がプロデュースした作品で使用することも想定していた。 *'''Keg-on''' - [[華厳滝]]から? 読みは「ケグ・オン」である。映像を伴った作品で使用された。 **大滝自身、レーベル創設当時に度々ナイアガラの由来を聞かれ、上述の理由を述べた後、「華厳でも養老でも良かったんですけどね」とオチを付けた内容をインタビューで語っている。 **日本国内における実在の地名を商標として使用することに問題があったことから、読みを変えていた。 == 設立の経緯 == 大滝が自身の1stソロ・アルバム『[[大瀧詠一 (アルバム)|大瀧詠一]]』の[[原盤権|原盤]]管理に関して、[[ベルウッド]]([[キングレコード]])に疑問を抱いたことが発端。同社では[[マスターテープ]]以外のレコード製作過程のマルチテープの音源が廃棄され、未発表の原盤のほとんどが失われてしまっていた。大滝は「全ての音源を守るには自分で原盤権を持たなければならない」と自身の作成する原盤すべてを管理・保存することを目的に、[[1974年]]に[[ザ・ナイアガラ・エンタープライズ]]という会社を設立。パシフィック音楽出版(PMP、現・[[フジパシフィックミュージック]])も出資し、PMPが制作費を出す代わりに出版権を持つことになった<ref>朝妻一郎『ヒットこそすべて オール・アバウト・ミュージック・ビジネス』([[白夜書房]])p.257</ref>。 なお『大瀧詠一』の原盤は、マスターテープ以外はキングレコードには残されておらず、ボーナストラックに収録された楽曲は、大滝が個人的に所有していたものである(『大瀧詠一』ソニー再発盤の解説より)。 [[1975年]]4月にその会社から発売された初の作品が、[[シュガー・ベイブ]]のシングル「[[DOWN TOWN]]」、およびアルバム『[[SONGS (シュガー・ベイブのアルバム)|SONGS]]』である。大滝自身がナイアガラ・レーベルからアルバムを発売するのは、翌月の『[[NIAGARA MOON]]』が最初となる。 == 略歴 == === 1970年代 === 70年代は、大滝にとっては不遇の時代であり、彼の世間での知名度は皆無であった<ref name="rc20114"> {{Cite journal|和書|author=[[北中正和]]|authorlink=|year=2011|month=4|title=大滝詠一・再掲載インタビュー~『ロング・バケイション』でリターンマッチ|journal=[[レコード・コレクターズ]]|volume=|issue=|pages=pp. 60-66|publisher=ミュージックマガジン|issn=}}</ref>。 ==== 1975年 ==== 1973年より担当していた「[[三ツ矢サイダー]]」のCMソングをレコードにしてくれる会社はないかと1974年頃に、各レコード会社を回るが「CMをレコードにするなんて、バカなことを言うな」と断られる<ref name="rc20114"/>。しかし[[エレックレコード (オリジナル)|エレックレコード]]にいた後藤由多加が、唯一「面白いじゃない」と言ってくれ<ref name="rc20114"/>、「どうせやるならCMレコードだけじゃなくレーベルを作ってやってみようか」と言われエレックレコードと契約し、プライベート・レーベル「ナイアガラ・レコード」を設立した<ref name="rc20114"/>。また、レコード会社の原盤管理に疑問を抱き、個人事務所「ザ・ナイアガラ・エンタープライズ」を設立し、自分の作品の原盤権を当該会社で管理するようになる。所属第1号アーティストはシュガー・ベイブであった。ところが、始まった途端、エレックレコードは倒産する<ref name="rc20114"/>。 [[シュガー・ベイブ]]のシングル「DOWN TOWN」、アルバム『SONGS』を発売。 [[大瀧詠一|大滝詠一]]のソロ・アルバム『[[NIAGARA MOON]]』を発売。 ==== 1976年 ==== 前年のエレックレコード倒産に伴い[[日本コロムビア]]に移籍<ref name="rc20114"/>。16チャンネルテープレコーダを貰うことを条件に、3年で12枚のアルバム制作契約を結ぶ。アルバムは制作されたが当時の世間の大滝の作品への評価は皆無に等しく、大滝周辺やナイアガラ・レーベル作品の愛好者にしか受けなかった。因みに大滝作品およびナイアガラレーベル作品の愛好家は「'''ナイアガラー'''」と呼ばれている。大滝作品は制作作品数が多い割りに売れなかったため、会社に経営の危機をもたらすことになり(『[[NIAGARA CALENDAR]]』収録の「名月赤坂マンション」はこの会社存続の危機を歌にしたノンフィクションソングである。)、その後会社は[[CBSソニー]]移籍まで休眠状態となり、運営をPMPに委託する状態となる(1978年頃のコンサートのパンフレットでは、会社の所在地が当時PMPの本社があった[[ニッポン放送]]内となっている)。 大滝詠一のソロ・アルバム『[[GO! GO! NIAGARA]]』を発売。 [[山下達郎]]、[[伊藤銀次]]とのアルバム『[[NIAGARA TRIANGLE Vol.1]]』を発売。 ==== 1977年 ==== レーベル設立の当初の目的であったCMソング集アルバム『[[NIAGARA CM SPECIAL Vol.1]]』を発売。 大滝のプロデュースによる[[シリア・ポール]]のソロ・アルバム『夢で逢えたら』を発売。 インストゥルメンタル・アルバム『多羅尾伴内楽團 Vol.1』を発売。 大滝詠一のソロ・アルバム『[[NIAGARA CALENDAR]]』を発売。 ==== 1978年 ==== インストゥルメンタル・アルバム『多羅尾伴内楽團 Vol.2』を発売。 雑誌の読者投票により選曲した大滝詠一の[[ベスト・アルバム]]『[[DEBUT (大滝詠一のアルバム)|DEBUT]]』を発売。 アルバム『[[LET'S ONDO AGAIN]]』を発売。 ==== 1979年 ==== 前年に発売されたアルバム『[[LET'S ONDO AGAIN]]』の制作を最後にコロムビアとの「3年間でアルバム12枚」という、レーベルとしての契約を終了。 ==== 1980年 ==== 前述の契約にアルバムが1枚足りていなかったこともあり、ナイアガラ・レーベル非公認カタログとして[[コンピレーション・アルバム]]『[[TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA]]』が発売される。 === 1980年代 === アルバム『[[A LONG VACATION]]』の大ヒットや、[[松田聖子]]の「[[風立ちぬ (松田聖子の曲)|風立ちぬ]]」などを手掛けたことにより徐々に名が知られ始める。セールス面などで見ると大滝の絶頂期といえる。 ==== 1981年 ==== CBS・ソニーレコード(後のソニーレコード、現在の[[ソニー・ミュージックレコーズ]])に移籍。当時PMPの常務だった[[朝妻一郎]]は、本来ならPMPの元上司であった[[羽佐間重彰]]が社長を務めるキャニオンレコード(現[[ポニーキャニオン]]。PMP、キャニオンともニッポン放送の子会社だった)に移籍させるのが筋だが、大滝の音楽はキャニオンには合わないと考え、CBS・ソニーに移籍させた<ref>『ヒットこそすべて オール・アバウト・ミュージック・ビジネス』p.326</ref>。一方大滝はコロムビアとの契約終了後、楽曲提供でCBS・ソニーのディレクターからの発注が多かったことから移籍先を決めたと語っていた<ref>『EIICHI OHTAKI Song Book I 大瀧詠一作品集 (1980-1985)』のライナーノートでの大瀧自身の解説より。</ref>。 3月21日に発売されたアルバム『[[A LONG VACATION]]』のヒットがきっかけで大滝の名が世に広く知られるようになる。このヒットは「5年間も売れなかったアーティストが突如売れ出すことは奇跡」ということを言った業界人もいたほどの出来事だった。 コロムビアで制作したアルバムのうち6作品をCBSソニーから再発売。コロムビアで制作した音源のうち、上記6作品に収録されていない楽曲の一部を集めて再構成したオムニバスアルバム『[[NIAGARA FALL STARS]]』を発売。 インストゥルメンタル・アルバム『[[Sing A LONG VACATION|Sing ALONG VACATION]]』を発売。 ==== 1982年 ==== [[佐野元春]]、[[杉真理]]とのアルバム『[[NIAGARA TRIANGLE Vol.2]]』を発売。 [[井上鑑]]アレンジのインストゥルメンタル・アルバム『[[NIAGARA SONG BOOK]]』を発売。 CMソング集続編および、大滝歌唱楽曲コマーシャルスポットなどを収録した『[[NIAGARA CM SPECIAL Vol.2]]』を発売。 ==== 1983年 ==== 映像作品『[[NIAGARA SONG BOOK]]』の映像版をサブレーベルの'''Keg-on'''より発売(後年DVDで再発売)。 ==== 1984年 ==== アルバム『[[EACH TIME]]』を発売。大滝詠一名義では最後のオリジナル・アルバムとなる。 1981年の再発売から漏れたコロムビアでの制作アルバム5作品をセットにした『NIAGARA BLACK VOX』を発売。 [[井上鑑]]アレンジのインストゥルメンタル・アルバム『NIAGARA SONG BOOK 2』を発売。 ==== 1985年 ==== コンピレーション・アルバムとして『[[B-EACH TIME L-ONG]]』を発売。 プロモーション・オンリー・アルバム『[[SNOW TIME]]』(非売品)を制作する。当時最新メディアだったCDに加え、その後カセットテープとアナログレコードも制作された。 ==== 1986年 ==== 大滝自身の全てのアナログ・シングルを廃盤にする。これは本人曰く「邦楽第一号のCDがアルバム『A LONG VACATION』であったため、人一倍レコードに思い入れのある自分がCDの普及を早めた」とのことである。これにより大滝の歌手活動は、長期休業にはいる。 ==== 1987年 ==== 『NIAGARA BLACK VOX』をリマスタリングの上、ボーナストラックを追加したCD-BOXセット『NIAGARA BLACK BOOK』を発売。 === 1990年代 === 過去の作品のリマスターを活発に行う。1990年代半ばにプロデューサー業を一時再開し、大滝自身も12年ぶりのシングル「[[幸せな結末]]」を発売。 ==== 1991年 ==== 1980年代のカタログを「[[CD選書]]」シリーズにてリイシュー。 ==== 1994年 ==== 山下達郎「[[パレード (山下達郎の曲)|パレード]]」が[[ワーナーミュージック・ジャパン|east west japan]]よりシングルカットされる際にナイアガラレーベル(青レーベル)を使用。[[シュガー・ベイブ]]『[[SONGS (シュガー・ベイブのアルバム)|SONGS]]』もリイシューされ、再発盤としては異例の大ヒットを記録。 大滝が[[ダブル・オーレコード]]取締役に就任。ダブル・オーではサブレーベルの'''Yoo-Loo'''を使用。 ==== 1995年 ==== 1970年代のカタログを「CD選書」シリーズでリイシュー開始。1997年まで続けられる。 ==== 1996年 ==== [[渡辺満里奈]]のアルバム『[[Ring-a-Bell]]』のプロデュースを担当。 『[[SNOW TIME]]』がリマスタリングおよび、ボーナス・トラック追加にてCD化。一般発売される。 ==== 1997年 ==== ダブル・オーレコード解散。大滝が12年ぶりのシングル「[[幸せな結末]]」をリリース。ミリオン・ヒットを記録。 === 2000年代以降 === 2005年からは「ナイアガラ30周年事業」と題して、1970年代から80年代にかけての作品をリマスター盤で再発している。また、2003年には最後の新曲である「[[恋するふたり (大滝詠一の曲)|恋するふたり]]」を発売している。しかし2013年12月30日の大滝の死去により、2014年以降は親族が過去作品の原盤管理を行い、リマスタリング・再編集・未発表作品の発掘などを監修する形でレーベルの活動を継続している。 ==== 2001年 ==== 1980年代のカタログを「20th Anniversary Edition」としてリマスター開始。 ==== 2002年 ==== 初の[[トリビュート・アルバム]]『[[ナイアガラで恋をして Tribute to EIICHI OHTAKI|ナイアガラで恋をして]]』が発売される。 ==== 2003年 ==== 大滝が6年ぶりのシングル「[[恋するふたり (大滝詠一の曲)|恋するふたり]]」をリリース。事実上最後のシングルとなった。 ==== 2005年 ==== 1970年代のカタログを「30th Anniversary Edition」としてリマスター開始。 ==== 2009年 ==== これまでナイアガラ・レーベル非公認カタログ扱いだった『[[TATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA]]』を、『[[TATSURO FROM NIAGARA]]』としてナイアガラ・レーベルよりオフィシャル・リリース。 ==== 2011年 ==== 1980年代のカタログを「30th Edition」としてリマスター開始。 ==== 2013年 ==== 12月30日午後5時30分ごろ主宰の大滝詠一が[[東京都]][[西多摩郡]][[瑞穂町]]の自宅で倒れ、病院に搬送されたが、午後7時ごろ、解離性動脈瘤でこの世を去る。享年65。 ==== 2014年 ==== 12月3日、葬儀で流され、マスターテープの存在を家族にのみ知らせていたという「[[夢で逢えたら (大瀧詠一の曲)|夢で逢えたら]]」の[[セルフカバー]]を収録した初の[[オールタイム・ベスト]]『[[Best Always]]』を発売。このアルバムでは、娘婿で音楽プロデューサー・音楽評論家の[[坂口修]]がナイアガラ・エンタープライズを継承していることが、スタッフ・クレジットで明らかになっている。 同日、大滝詠一が生前に自宅で愛用していた[[ジューク・ボックス]]に収められていた洋楽オールディーズ楽曲を集めたコンピレーション・アルバム『大瀧詠一のジュークボックス』が、3タイトル(ワーナーミュージック編、ユニバーサルミュージック編、エルヴィス・プレスリー編)同時発売。いずれも"Niagara Records"のロゴが入り、ナイアガラのカタログとして発売された。 ==== 2016年 ==== 3月21日、CDのみでの『SNOW TIME』で世に出ていた[[森進一]]に楽曲提供した「[[冬のリヴィエラ]]」のセルフカバー「夏のリビエラ」、ベストアルバム『Best Always』に収録した「夢で逢えたら」のベストアルバム『Best Always』とボックスセット『NIAGARA CD BOOK II』の同時購入者特典として抽選で300名にのみプレゼントされた、「夢で逢えたら」のレコードB面に収録されていた大滝の歌声とストリングスのみのバージョンの「夢で逢えたら (Strings Mix) 」を含めた、大滝の死後にスタッフがスタジオの遺品整理中に発見した提供曲のセルフカバーを収録した新作とも言われているアルバム『[[DEBUT AGAIN]]』を発売。アルバムには1981年12月の「ヘットホーンコンサート」で「二度と歌わない」と前置きして歌われた松田聖子への提供曲「風立ちぬ」のライブ音源も収録された。 ==== 2018年 ==== 3月21日、[[シリア・ポール]]の『[[夢で逢えたらVOX]]』と同時に、「[[夢で逢えたら (大瀧詠一の曲)|夢で逢えたら]]」のオリジナル及びカヴァー作品として、その当時存在が確認された86曲を収録したコンピレーションアルバム『[[EIICHI OHTAKI Song Book Ⅲ 大瀧詠一作品集Vol.3「夢で逢えたら」(1976~2018)]]』を発売。 11月3日、インディーズ系アーティストたちが大瀧の楽曲をカバーした[[トリビュート・アルバム]]『大瀧詠一 Cover Book -ネクスト・ジェネレーション編-「GO! GO! ARAGAIN」』がアナログ盤で発売される(12月3日にCD盤も発売される)。ナイアガラ・エンタープライズの坂口修がプロデューサーとなり、ザ・ナイアガラ・エンタープライズの楽曲管理部門「ARAGAIN」(NIAGARAの逆読み)名義を使っている。 ==== 2019年 ==== 3月21日、1983年7月24日、森進一に楽曲提供した「冬のリヴィエラ」のセルフカバー「夏のリビエラ」、[[薬師丸ひろ子]]に楽曲提供した「[[探偵物語/すこしだけやさしく|探偵物語]]」、「すこしだけやさしく」を大滝自ら歌唱披露した西武ライオンズ球場(現:[[西武ドーム|メットライフドーム]])のライブ音源(当日、マルチトラックレコーダーで録音していたライブ素材をCD化に際してミックスダウンした。)の初CD化となるライブアルバム『[[NIAGARA CONCERT '83]]』が発売。初回版限定生産盤はCD枚とDVD1枚の構成で、CD2枚目は大滝が生前ライブでオールディーズナンバーを歌ったライブ音源のみを様々なライブの残されたテープから集めた『EACH Sings Oldies from NIAGARA CONCERT』、DVDは1977年6月20日のナイアガラレーベル最初のライブ映像を収録した『THE FIRST NIAGARA TOUR 1977/6/20 渋谷公会堂』である。ソロになってから大滝はエレック~コロムビア時代の歌唱を伴わない数回の取材対応を除き顔出しでのテレビ出演を拒否していたため、歌番組での歌唱映像がなく、動く大滝の姿が見られるのは、この時点ではDVD化された[[あがた森魚]]が監督を務めた映画『[[僕は天使ぢゃないよ]]』とこのライブDVDのみで<ref>この他に、演奏参加では、はっぴいえんどを1度限り再結成した1985年の『[[国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW]]』の模様を収録した映像もあるが、市販ソフト化されていない。</ref>、歌唱姿だけだとこのライブDVDのみである。同ライブDVDには同ライブで披露された[[布谷文夫]]の『[[ナイアガラ音頭]]』も収録されており、貴重な布谷の歌唱姿も見られる。なお、CDに収録されている83年のライブに関しては、同時に出演した[[ラッツ&スター]]と[[サザンオールスターズ]]に関してはテレビ放送もされた映像が残っているが、大滝パートではカメラを反対向きにさせるなど徹底して如何なる記録映像も拒否する事を条件に出演したため、数枚の写真以外は残されていない。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} {{大瀧詠一}} {{music-stub}} {{デフォルトソート:ないあかられえへる}} [[Category:ナイアガラ|*]] [[Category:かつて存在した日本のレコード・レーベル]] [[Category:ソニー・ミュージックレコーズ]]
2003-03-01T04:23:20Z
2023-07-31T07:05:13Z
false
false
false
[ "Template:Pathnavbox", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Reflist", "Template:Cite journal", "Template:大瀧詠一", "Template:Music-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB
3,117
白浜
白浜(しらはま、はくひん) 日本人の姓のひとつ。 海岸名は白浜海岸参照。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "白浜(しらはま、はくひん)", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本人の姓のひとつ。", "title": "人名" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "海岸名は白浜海岸参照。", "title": "地名" } ]
白浜(しらはま、はくひん)
{{TOCright}} '''白浜'''(しらはま、はくひん) == 音楽 == * [[白浜 (雅楽)]] - 雅楽の曲。 == 人名 == [[日本人]]の[[姓]]のひとつ。 * [[白浜あや]] (2008 - ) – [[B.O.L.T]]のメンバー == 自治体 == * [[白浜町]] - [[和歌山県]] [[西牟婁郡]] 白浜町(しらはまちょう)。南紀白浜の呼称で有名。 === 過去の自治体 === * [[白浜町 (千葉県)]] - [[千葉県]] [[安房郡]] 白浜町(しらはままち、現[[南房総市]]) * [[白浜町 (兵庫県)]] - [[兵庫県]] [[飾磨郡]] 白浜町(しらはまちょう、現[[姫路市]]) * [[白浜村 (千葉県)]] - [[千葉県]] [[匝瑳郡]] 白浜村(しらはまそん、現[[匝瑳市]]) * 白浜村 (静岡県) - [[静岡県]] [[賀茂郡]] 白浜村(現[[下田市]]) → [[白浜 (下田市)]] * [[白浜村 (熊本県)]] - [[熊本県]] [[飽託郡]] 白浜村(現[[熊本市]]西区[[河内町白浜]]) == 地名 == 海岸名は[[白浜海岸]]参照。 * [[白浜 (厚岸町)]] - [[北海道]][[厚岸郡]][[厚岸町]]の地名。 * [[白浜 (宮古市)]] - [[岩手県]][[宮古市]]の地名。 * [[白浜 (行方市)]] - [[茨城県]][[行方市]]の地名。 * [[白浜 (越前町)]] - [[福井県]][[丹生郡]][[越前町]]の地名。 * [[白浜 (下田市)]] - [[静岡県]][[下田市]]の地名。 * [[白浜 (田原市)]] - [[愛知県]][[田原市]]の地名。 * [[白浜 (宇和島市)]] - [[愛媛県]][[宇和島市]]の地名。 * [[白浜 (東洋町)]] - [[高知県]][[安芸郡 (高知県)|安芸郡]][[東洋町]]の地名。 * [[白浜 (黒潮町)]] - 高知県[[幡多郡]][[黒潮町]]の地名。 * [[白浜 (大宜味村)]] - [[沖縄県]][[国頭郡]][[大宜味村]]の地名。 * [[白浜 (竹富町)]] - 沖縄県[[八重山郡]][[竹富町]][[西表]]の地名。[[西表島]]西部に位置する。[[白浜港]]参照。 * [[熊本県]][[熊本市]]の大字。[[河内町白浜]]参照。 == 町名 == * [[神奈川県]][[茅ヶ崎市]]白浜町 * [[石川県]][[七尾市]]白浜町 * [[福井県]][[福井市]]白浜町 * [[愛知県]][[津島市]][[白浜町 (津島市)|白浜町]] * 愛知県[[豊田市]]白浜町 * [[兵庫県]][[姫路市]][[白浜町 (兵庫県)|白浜町]] * [[和歌山県]][[西牟婁郡]]白浜町 * [[福岡県]][[遠賀郡]][[芦屋町]]白浜町 * [[長崎県]][[諫早市]]白浜町 * 熊本県[[水俣市]]白浜町 * [[鹿児島県]][[鹿児島市]]の町名。[[桜島白浜町]]を参照。 * [[鹿児島県]][[薩摩川内市]]の大字。[[白浜町 (薩摩川内市)]]を参照。 == 駅名 == * [[白浜駅 (曖昧さ回避)]]を参照 == 関連項目 == * {{Prefix}} * {{Prefix|白濱}} {{Aimai}} [[Category:日本語の姓|しらはま]]
null
2023-03-27T11:42:15Z
true
false
false
[ "Template:TOCright", "Template:Prefix", "Template:Aimai" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B5%9C
3,119
枝豆
枝豆(えだまめ)は、大豆を未成熟で緑色のうちに枝ごと収穫し、ゆでて食用にするもの。そのため豆類に分類されず、緑黄色野菜に分類される。 ダイズ(大豆)の未成熟の果実を若採りしたものを枝豆という。ダイズには日長が短くなると花芽ができる短日性の秋ダイズと、日長には影響を受けない夏ダイズがあり、枝豆は夏ダイズに属する。品種としては、実りが秋までかかる晩生種を成熟させて大豆として収穫するのに対し、早生種の未成熟な果実を夏場に枝豆として収穫する。日本においては主力品種である「錦秋」などに加えて、収量が多い、豆の粒が大きい、食味が良いといった方向性で新しい品種の開発が行われている(秋田県農業試験場「あきたのほのか」、サカタのタネ「とびきり」など)。枝豆向きの品種を成熟させて大豆として収穫することは、種子を得る場合を除き、通常は行われない。 大豆の起源は東アジアといわれ、日本や中国では大豆の代表的な食べ方の一つである。日本で枝豆が食べられるようになったのは17世紀ごろといわれている。主な旬は夏6 - 9月で、大豆と野菜の両方の栄養をあわせて摂ることができ、大豆にはないビタミンCを多く含んでいるのが特徴である。サヤの緑色が濃く、ふっくらとして産毛が密生しているものが良品とされる。サヤの膨らみがないものは実が未熟で、サヤが黄色いものは熟しすぎで食味は落ちる。種子(豆)が成熟すると特有の風味をもたらす香気成分や甘みの成分である還元糖、アミノ酸、アスコルビン酸などが減少することが報告されている。収穫後の品質保持には低温貯蔵が有効とされている。 原産地は東アジア、中国といわれている。『日本書紀』(693年)に、大豆(豆)が五穀の一つとして書かれている。奈良・平安時代には既に現在の形で食されていたとされている。鎌倉時代の僧、日蓮が寄進を受けた信徒に宛てた礼状「松野殿女房御返事」には「(略)、枝大豆・ゑびね、旁の物給び候ひぬ」とある。戦国時代にずんだ餅が生まれたといわれ、発案者を伊達政宗として太刀で枝豆を砕いて食べたという説がある。江戸時代に書かれた『俗事百工起源』(1771年)には、夏になると路上に枝豆売りの姿があったという。現在のように枝から鞘を外した状態ではなく、枝についたままの状態で茹でたものが売られており、当時はその状態で食べ歩いていることから現代のファストフードのような存在だった。この状態のものを「枝付き豆」または「枝成り豆」と呼び、それが「枝豆」の名前の由来とされている。 明治初期(19世紀末)、庄内藩でだだちゃ豆の元になった「小真木」が育成されたと伝えられている。昭和期(1974年)に、雪印種苗が早生でさやの大きな品種を配合させる研究を重ねた枝豆専用品種「サッポロミドリ」を発売し、ヒット商品となった。冷凍技術が大きく発達するようになると、2003年(平成15年)にJA鶴岡が「殿様のだだちゃ豆」フリーズドライを発売、2005年(平成17年)には北海道中札内村の大規模瞬間冷凍施設で作った「大袖の舞」が人気となった。 生の枝豆には可食部100グラム (g) あたり、熱量は135キロカロリー (kcal) 、水分は約71%含まれ、残りはタンパク質11.7 g、炭水化物8.8 g、脂質6.2 g、灰分1.6 gが含まれる。大豆と同様に栄養価が高く、植物性タンパク質や脂質、ビタミンE、食物繊維、カルシウム、鉄分に富むことに加え、ビタミンB1・B2は野菜の中では特に多く、大豆にはないカロテン、ビタミンC、カリウムも豊富に含まれている。サヤごと茹でることによって、これら栄養素の流出を防ぐことができる。新鮮なうちにサヤごと塩ゆでにしておけば、枝豆が本来持つ旨さや栄養を維持できる。ビタミンB1を多く含んでいるため、新陳代謝を活発にして夏バテを防ぎ、アルコールの分解を促進して悪酔いを軽減して肝臓を守る働きもする。枝豆に含まれるアミノ酸の一種であるメオチニンもアルコールから肝臓や腎臓を守る働きがある。 大豆の未熟果には、他の野菜ではあまり見られないサポニンやレシチン、イソフラボンなどの大豆特有の成分を持っている。サポニンは血液中のコレステロール値を下げ、レシチンは細胞の活性化に役立ち、内臓や神経を若々しく保つのに必要な成分といわれている。イソフラボンは女性ホルモンに似た働きをすることが知られている。 元々枝豆は、ダイズの未熟果を食べていたが、現在では大豆と枝豆専用種に分けられている。ダイズから枝豆として栽培されているものは、色の違いから白毛豆(別名:青豆)、茶豆、黒豆の3系統に大別される。 日本には、各地で在来種が栽培されており、枝豆の品種が400以上あるといわれている。特に東北地方では、地方ごとに独自の品種が栽培されており、有名なところでは山形県の「だだちゃ豆」、福島県の「かおり枝豆」、岩手県の「におい豆」、新潟県の「くろさき茶豆」「いうなよ」などが知られる。変わったものでは、丹波地方の黒豆の枝豆や、10月ごろに収穫される秋田県の「十月豆」などがある。品種によって味わいが多少異なり、だだちゃ豆や茶豆はゆでるととうもろこしに似た香りが強くなる。 日本国内の主な生産地は、北海道、山形県、群馬県、千葉県、埼玉県で多く、5月ごろから徐々に出荷量が増えて、7 - 8月にピークを迎える。 春(4 - 6月)から種を播き、夏から秋にかけて収穫する。枝豆として収穫する場合は、春に種を播いて80日前後で収穫できる早生種、初夏に播いて秋に収穫する晩生種がある。種蒔きの時期を数回に分けてずらして栽培すると、収穫時期もずれて新鮮な枝豆を長い間楽しめる。栽培適温は20 - 25度とされ、インゲンマメなどよりも低温に強く、やや早蒔きすることができる。連作は不可で、2 - 3年ほどマメ科作物を作っていない日当たりの良い畑で育てる。家庭でも作りやすく、深いコンテナ(プランター)などを使って鉢植えでも育てられる。他のマメ科同様に直根が発達するので、移植は行わない。なお、枝豆(未熟果)を収穫せずにサヤが枯れるまで待つと、大豆として収穫できる。 枝豆にするダイズは、夏の暑さを感じると花を咲かせて結実する夏ダイズで、葉は3枚の丸形の小葉からなる複葉で、花は白色から紫色のごく小さな蝶形をしている。多くのマメ科同様に自家受粉で結実する。開花期が高温すぎても開花しにくく、30度以上になると受精できず、開花しても花が落ちてしまう。開花期から結実期は十分な水分や強い光が必要で、足りないとサヤがついても実がスカスカになる。 畑は深く耕して堆肥をすき込み、根粒菌が共生するため元肥は窒素肥料を控えめにする。種は株間を25 - 30 cmほどあけて1か所に3 - 4粒ずつ播き、軽く覆土する。覆土が浅すぎたり押さえ方が足りなかったりすると、芽が正常に展開できない。発芽までの間は、ハトやカラスなどの鳥に播いた種が食べられてしまう鳥害があるため、芽が出るまでは不織布などをかけて保護すると良い。本葉が5 - 6枚になったところで、生長が悪い芽を抜き取らずに根元から切り取って1本だけ残し、芽の先端を摘芯してわき芽を出させて育てていく。種まきから80 - 90日で花が咲くまでに、チッソ分控えめの追肥と、倒伏防止のため土寄せを数回行い、開花後1か月ほどでサヤが膨らみ収穫期となる。早生種では6月ごろから収穫が始まる。サヤを軽く押して実が入っていることを確かめ、豆がやわらかいうちに株ごと引き抜いて収穫する。 枝豆の害虫にはカメムシがあり、サヤがつくころに実の養分が吸われてしまうことがある。 一般に塩ゆでにして食べられている。塩ゆで以外でも、かき揚げ、炒め物、煮物にするほか、産地では潰して和え物にしたり、サヤごと甘辛く煮て食べたりしている。 枝豆は、収穫後は鮮度とともに味が落ちるのが早い。袋入りで売られているものもあるが、枝つきで売られているもののほうが鮮度が良く、茹でる前にサヤを傷つけないようにヘタの先端で枝から外す。サヤに傷がついてしまうと、茹でるときにサヤの中に水が入って、茹で上がりが水っぽくなり、風味を損ねる原因となる。収穫の翌日までに食べきることが望ましいが、保存するときは生で保存せずに、できるだけ早くかために茹でて、よく冷ましてから冷凍する。冷凍品を食べるときは、熱湯にくぐらせて解凍してから食べる。 最も典型的な調理法である。枝豆本来の風味が引き出される調理法であるが、実の大きさや収穫時期によって茹で時間は異なる。ふつう2 - 5分ほど茹でてから1つ取り出して、食べてゆで加減を確認してみて、実がかたかったらさらに1 - 2分ほど茹でる。旬の終わりごろや、実が大きく育っている枝豆は、より長い時間をかけてやわらかく茹で上げる。 調理は極めて簡単で、枝豆のサヤをボウルに入れて塩揉みして、表面の産毛を落としてから水洗いして水気を切り、塩少々が入ったたっぷりの熱湯で茹で上げ、ザルに上げて湯を切り、好みの加減で塩を振り、広げて冷ます。 また、1980年代からは調理後冷凍した商品も出回っており、小売店の冷凍食品売り場などで目にすることができる。 枝豆の塩ゆでは、酒、特にビールのつまみの定番として知られる。大豆に豊富に含まれる蛋白質などはアルコールの分解を助ける働きがあり、「枝豆をつまみにするのは理にかなっている」と言われる。また、冷凍食品としては鞘から取り出した豆の部分だけのものもみられる。 生のままでは硬い枝豆を食べやすくする調理法としては、焙ったり煎ったりした「焼き枝豆」や漬物などもある。 茹でた枝豆をすり潰して餡状にしたもの。ずんだを餅にまぶした「ずんだ餅」は主に宮城県・山形県・秋田県・岩手県など東北地方の名物の一つになっている。 子供にも人気のある食材であることからスナック菓子の材料としても用いられるほか、すり潰してスープにしたり、餅に入れたり、煮物などの具材として利用されたりすることもある。また地域おこしの題材として枝豆を使ったお酒が作られた例もある。 兵庫県丹波篠山市や三田市、和歌山県紀の川市鞆渕地区においては、黒豆の未熟なものを「黒枝豆」として食べることがある。茹でる前も茹でた後も、一般の枝豆ではお馴染みな鮮やかな緑色ではなく、茹で上がり後ですら鞘の中の豆は黒みがかった緑色である。 異質な見た目に反して味は極めて良い。その見た目の異質さと味の良さから様々なメディアで取り上げられたこともあり、枝豆愛好者などへの知名度も高い。ただし同地域のものは毎年10月第2週前後に出荷されており、流通する期間が限られることもあって入手は比較的難しく、それ以前に流通しているものは別品種の可能性がある。 近年の健康志向にともなう日本料理ブームの影響もあり、枝豆でも特に塩茹でなど簡単な調理法のものは、2000年頃から次第に北米・ヨーロッパなどの日本以外でも食べられるようになっている。 イギリスなど英語圏では枝豆は「green soy beans」または「edamame」と呼ばれ、ニューヨークなどの日本風の居酒屋では、定番のアペタイザーとして振る舞われ、オーガニックフード店やアジア食材を置く店でも気軽に入手することが出来る。 また、アメリカンフットボールやメジャーリーグベースボールを観戦しながらつまむ食べ物として、競技場内の売店でも買うことが出来るところもある。中華料理では「毛豆」と呼ばれ、豆干毛豆炒黄瓜などの食材としても広く使われている。 観光や仕事などで来日した外国人が好んで食べる傾向にある。 豆自体が世界各国で食されており、親しみやすい味であること、自ら皮を剥くという変わった食べ方、皮自体も柔らかく食べやすいという理由から食されている。また、子供の食育の一環としても注目されている。野菜を食べたがらない子供が、枝豆が飛び出る姿を面白がり、「遊びながら食べられる」「小さいサイズで口に入れやすい」「軟らかく食べやすい」という利点がある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "枝豆(えだまめ)は、大豆を未成熟で緑色のうちに枝ごと収穫し、ゆでて食用にするもの。そのため豆類に分類されず、緑黄色野菜に分類される。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ダイズ(大豆)の未成熟の果実を若採りしたものを枝豆という。ダイズには日長が短くなると花芽ができる短日性の秋ダイズと、日長には影響を受けない夏ダイズがあり、枝豆は夏ダイズに属する。品種としては、実りが秋までかかる晩生種を成熟させて大豆として収穫するのに対し、早生種の未成熟な果実を夏場に枝豆として収穫する。日本においては主力品種である「錦秋」などに加えて、収量が多い、豆の粒が大きい、食味が良いといった方向性で新しい品種の開発が行われている(秋田県農業試験場「あきたのほのか」、サカタのタネ「とびきり」など)。枝豆向きの品種を成熟させて大豆として収穫することは、種子を得る場合を除き、通常は行われない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "大豆の起源は東アジアといわれ、日本や中国では大豆の代表的な食べ方の一つである。日本で枝豆が食べられるようになったのは17世紀ごろといわれている。主な旬は夏6 - 9月で、大豆と野菜の両方の栄養をあわせて摂ることができ、大豆にはないビタミンCを多く含んでいるのが特徴である。サヤの緑色が濃く、ふっくらとして産毛が密生しているものが良品とされる。サヤの膨らみがないものは実が未熟で、サヤが黄色いものは熟しすぎで食味は落ちる。種子(豆)が成熟すると特有の風味をもたらす香気成分や甘みの成分である還元糖、アミノ酸、アスコルビン酸などが減少することが報告されている。収穫後の品質保持には低温貯蔵が有効とされている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "原産地は東アジア、中国といわれている。『日本書紀』(693年)に、大豆(豆)が五穀の一つとして書かれている。奈良・平安時代には既に現在の形で食されていたとされている。鎌倉時代の僧、日蓮が寄進を受けた信徒に宛てた礼状「松野殿女房御返事」には「(略)、枝大豆・ゑびね、旁の物給び候ひぬ」とある。戦国時代にずんだ餅が生まれたといわれ、発案者を伊達政宗として太刀で枝豆を砕いて食べたという説がある。江戸時代に書かれた『俗事百工起源』(1771年)には、夏になると路上に枝豆売りの姿があったという。現在のように枝から鞘を外した状態ではなく、枝についたままの状態で茹でたものが売られており、当時はその状態で食べ歩いていることから現代のファストフードのような存在だった。この状態のものを「枝付き豆」または「枝成り豆」と呼び、それが「枝豆」の名前の由来とされている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "明治初期(19世紀末)、庄内藩でだだちゃ豆の元になった「小真木」が育成されたと伝えられている。昭和期(1974年)に、雪印種苗が早生でさやの大きな品種を配合させる研究を重ねた枝豆専用品種「サッポロミドリ」を発売し、ヒット商品となった。冷凍技術が大きく発達するようになると、2003年(平成15年)にJA鶴岡が「殿様のだだちゃ豆」フリーズドライを発売、2005年(平成17年)には北海道中札内村の大規模瞬間冷凍施設で作った「大袖の舞」が人気となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "生の枝豆には可食部100グラム (g) あたり、熱量は135キロカロリー (kcal) 、水分は約71%含まれ、残りはタンパク質11.7 g、炭水化物8.8 g、脂質6.2 g、灰分1.6 gが含まれる。大豆と同様に栄養価が高く、植物性タンパク質や脂質、ビタミンE、食物繊維、カルシウム、鉄分に富むことに加え、ビタミンB1・B2は野菜の中では特に多く、大豆にはないカロテン、ビタミンC、カリウムも豊富に含まれている。サヤごと茹でることによって、これら栄養素の流出を防ぐことができる。新鮮なうちにサヤごと塩ゆでにしておけば、枝豆が本来持つ旨さや栄養を維持できる。ビタミンB1を多く含んでいるため、新陳代謝を活発にして夏バテを防ぎ、アルコールの分解を促進して悪酔いを軽減して肝臓を守る働きもする。枝豆に含まれるアミノ酸の一種であるメオチニンもアルコールから肝臓や腎臓を守る働きがある。", "title": "栄養素" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "大豆の未熟果には、他の野菜ではあまり見られないサポニンやレシチン、イソフラボンなどの大豆特有の成分を持っている。サポニンは血液中のコレステロール値を下げ、レシチンは細胞の活性化に役立ち、内臓や神経を若々しく保つのに必要な成分といわれている。イソフラボンは女性ホルモンに似た働きをすることが知られている。", "title": "栄養素" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "元々枝豆は、ダイズの未熟果を食べていたが、現在では大豆と枝豆専用種に分けられている。ダイズから枝豆として栽培されているものは、色の違いから白毛豆(別名:青豆)、茶豆、黒豆の3系統に大別される。", "title": "代表的な種類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "日本には、各地で在来種が栽培されており、枝豆の品種が400以上あるといわれている。特に東北地方では、地方ごとに独自の品種が栽培されており、有名なところでは山形県の「だだちゃ豆」、福島県の「かおり枝豆」、岩手県の「におい豆」、新潟県の「くろさき茶豆」「いうなよ」などが知られる。変わったものでは、丹波地方の黒豆の枝豆や、10月ごろに収穫される秋田県の「十月豆」などがある。品種によって味わいが多少異なり、だだちゃ豆や茶豆はゆでるととうもろこしに似た香りが強くなる。", "title": "代表的な種類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "日本国内の主な生産地は、北海道、山形県、群馬県、千葉県、埼玉県で多く、5月ごろから徐々に出荷量が増えて、7 - 8月にピークを迎える。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "春(4 - 6月)から種を播き、夏から秋にかけて収穫する。枝豆として収穫する場合は、春に種を播いて80日前後で収穫できる早生種、初夏に播いて秋に収穫する晩生種がある。種蒔きの時期を数回に分けてずらして栽培すると、収穫時期もずれて新鮮な枝豆を長い間楽しめる。栽培適温は20 - 25度とされ、インゲンマメなどよりも低温に強く、やや早蒔きすることができる。連作は不可で、2 - 3年ほどマメ科作物を作っていない日当たりの良い畑で育てる。家庭でも作りやすく、深いコンテナ(プランター)などを使って鉢植えでも育てられる。他のマメ科同様に直根が発達するので、移植は行わない。なお、枝豆(未熟果)を収穫せずにサヤが枯れるまで待つと、大豆として収穫できる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "枝豆にするダイズは、夏の暑さを感じると花を咲かせて結実する夏ダイズで、葉は3枚の丸形の小葉からなる複葉で、花は白色から紫色のごく小さな蝶形をしている。多くのマメ科同様に自家受粉で結実する。開花期が高温すぎても開花しにくく、30度以上になると受精できず、開花しても花が落ちてしまう。開花期から結実期は十分な水分や強い光が必要で、足りないとサヤがついても実がスカスカになる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "畑は深く耕して堆肥をすき込み、根粒菌が共生するため元肥は窒素肥料を控えめにする。種は株間を25 - 30 cmほどあけて1か所に3 - 4粒ずつ播き、軽く覆土する。覆土が浅すぎたり押さえ方が足りなかったりすると、芽が正常に展開できない。発芽までの間は、ハトやカラスなどの鳥に播いた種が食べられてしまう鳥害があるため、芽が出るまでは不織布などをかけて保護すると良い。本葉が5 - 6枚になったところで、生長が悪い芽を抜き取らずに根元から切り取って1本だけ残し、芽の先端を摘芯してわき芽を出させて育てていく。種まきから80 - 90日で花が咲くまでに、チッソ分控えめの追肥と、倒伏防止のため土寄せを数回行い、開花後1か月ほどでサヤが膨らみ収穫期となる。早生種では6月ごろから収穫が始まる。サヤを軽く押して実が入っていることを確かめ、豆がやわらかいうちに株ごと引き抜いて収穫する。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "枝豆の害虫にはカメムシがあり、サヤがつくころに実の養分が吸われてしまうことがある。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "一般に塩ゆでにして食べられている。塩ゆで以外でも、かき揚げ、炒め物、煮物にするほか、産地では潰して和え物にしたり、サヤごと甘辛く煮て食べたりしている。", "title": "枝豆の食べ方の例" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "枝豆は、収穫後は鮮度とともに味が落ちるのが早い。袋入りで売られているものもあるが、枝つきで売られているもののほうが鮮度が良く、茹でる前にサヤを傷つけないようにヘタの先端で枝から外す。サヤに傷がついてしまうと、茹でるときにサヤの中に水が入って、茹で上がりが水っぽくなり、風味を損ねる原因となる。収穫の翌日までに食べきることが望ましいが、保存するときは生で保存せずに、できるだけ早くかために茹でて、よく冷ましてから冷凍する。冷凍品を食べるときは、熱湯にくぐらせて解凍してから食べる。", "title": "枝豆の食べ方の例" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "最も典型的な調理法である。枝豆本来の風味が引き出される調理法であるが、実の大きさや収穫時期によって茹で時間は異なる。ふつう2 - 5分ほど茹でてから1つ取り出して、食べてゆで加減を確認してみて、実がかたかったらさらに1 - 2分ほど茹でる。旬の終わりごろや、実が大きく育っている枝豆は、より長い時間をかけてやわらかく茹で上げる。", "title": "枝豆の食べ方の例" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "調理は極めて簡単で、枝豆のサヤをボウルに入れて塩揉みして、表面の産毛を落としてから水洗いして水気を切り、塩少々が入ったたっぷりの熱湯で茹で上げ、ザルに上げて湯を切り、好みの加減で塩を振り、広げて冷ます。", "title": "枝豆の食べ方の例" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "また、1980年代からは調理後冷凍した商品も出回っており、小売店の冷凍食品売り場などで目にすることができる。", "title": "枝豆の食べ方の例" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "枝豆の塩ゆでは、酒、特にビールのつまみの定番として知られる。大豆に豊富に含まれる蛋白質などはアルコールの分解を助ける働きがあり、「枝豆をつまみにするのは理にかなっている」と言われる。また、冷凍食品としては鞘から取り出した豆の部分だけのものもみられる。", "title": "枝豆の食べ方の例" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "生のままでは硬い枝豆を食べやすくする調理法としては、焙ったり煎ったりした「焼き枝豆」や漬物などもある。", "title": "枝豆の食べ方の例" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "茹でた枝豆をすり潰して餡状にしたもの。ずんだを餅にまぶした「ずんだ餅」は主に宮城県・山形県・秋田県・岩手県など東北地方の名物の一つになっている。", "title": "枝豆の食べ方の例" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "子供にも人気のある食材であることからスナック菓子の材料としても用いられるほか、すり潰してスープにしたり、餅に入れたり、煮物などの具材として利用されたりすることもある。また地域おこしの題材として枝豆を使ったお酒が作られた例もある。", "title": "枝豆の食べ方の例" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "兵庫県丹波篠山市や三田市、和歌山県紀の川市鞆渕地区においては、黒豆の未熟なものを「黒枝豆」として食べることがある。茹でる前も茹でた後も、一般の枝豆ではお馴染みな鮮やかな緑色ではなく、茹で上がり後ですら鞘の中の豆は黒みがかった緑色である。", "title": "郷土料理" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "異質な見た目に反して味は極めて良い。その見た目の異質さと味の良さから様々なメディアで取り上げられたこともあり、枝豆愛好者などへの知名度も高い。ただし同地域のものは毎年10月第2週前後に出荷されており、流通する期間が限られることもあって入手は比較的難しく、それ以前に流通しているものは別品種の可能性がある。", "title": "郷土料理" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "近年の健康志向にともなう日本料理ブームの影響もあり、枝豆でも特に塩茹でなど簡単な調理法のものは、2000年頃から次第に北米・ヨーロッパなどの日本以外でも食べられるようになっている。", "title": "日本以外" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "イギリスなど英語圏では枝豆は「green soy beans」または「edamame」と呼ばれ、ニューヨークなどの日本風の居酒屋では、定番のアペタイザーとして振る舞われ、オーガニックフード店やアジア食材を置く店でも気軽に入手することが出来る。", "title": "日本以外" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "また、アメリカンフットボールやメジャーリーグベースボールを観戦しながらつまむ食べ物として、競技場内の売店でも買うことが出来るところもある。中華料理では「毛豆」と呼ばれ、豆干毛豆炒黄瓜などの食材としても広く使われている。", "title": "日本以外" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "観光や仕事などで来日した外国人が好んで食べる傾向にある。 豆自体が世界各国で食されており、親しみやすい味であること、自ら皮を剥くという変わった食べ方、皮自体も柔らかく食べやすいという理由から食されている。また、子供の食育の一環としても注目されている。野菜を食べたがらない子供が、枝豆が飛び出る姿を面白がり、「遊びながら食べられる」「小さいサイズで口に入れやすい」「軟らかく食べやすい」という利点がある。", "title": "日本以外" } ]
枝豆(えだまめ)は、大豆を未成熟で緑色のうちに枝ごと収穫し、ゆでて食用にするもの。そのため豆類に分類されず、緑黄色野菜に分類される。
'''枝豆'''(えだまめ)は、[[ダイズ|大豆]]を未成熟で緑色のうちに枝ごと収穫し、ゆでて食用にするもの。そのため[[豆類]]に分類されず、[[緑黄色野菜]]に分類される。 [[ファイル:Edamame by Zesmerelda in Chicago.jpg|thumb|250px|塩茹でした枝豆]] == 概要 == [[ファイル:未成熟の大豆.JPG|thumb|250px|未成熟の大豆]] [[ダイズ]](大豆)の未成熟の果実を若採りしたものを枝豆という{{sfn|市川啓一郎|2021|p=82}}。ダイズには日長が短くなると花芽ができる短日性の秋ダイズと、日長には影響を受けない夏ダイズがあり、枝豆は夏ダイズに属する{{sfn|市川啓一郎|2021|p=82}}。[[品種]]としては、実りが秋までかかる晩生種を成熟させて大豆として収穫するのに対し、早生種の未成熟な果実を夏場に枝豆として収穫する{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=132}}。日本においては主力品種である「錦秋」などに加えて、収量が多い、[[豆]]の粒が大きい、食味が良いといった方向性で[[品種改良|新しい品種の開発]]が行われている(秋田県農業試験場「あきたのほのか」、[[サカタのタネ]]「とびきり」など)<ref>【食材ノート】エダマメに新顔続々 多収量・大粒の品種も『[[日経MJ]]』2018年4月30日(フード面)</ref>。枝豆向きの品種を成熟させて大豆として収穫することは、[[種子]]を得る場合を除き、通常は行われない。 大豆の起源は東アジアといわれ{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}、日本や[[中国]]では大豆の代表的な食べ方の一つである。日本で枝豆が食べられるようになったのは17世紀ごろといわれている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}。主な[[旬]]は夏6 - 9月で、大豆と野菜の両方の栄養をあわせて摂ることができ、大豆にはない[[ビタミンC]]を多く含んでいるのが特徴である{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}。サヤの緑色が濃く、ふっくらとして産毛が密生しているものが良品とされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=132}}。サヤの膨らみがないものは実が未熟で、サヤが黄色いものは熟しすぎで食味は落ちる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}。種子([[豆]])が成熟すると特有の風味をもたらす香気成分や甘みの成分である[[還元糖]]、[[アミノ酸]]、[[アスコルビン酸]]などが減少することが報告されている<ref>菅原悦子, 伊東哲雄, 小田切敏 ほか、「[https://doi.org/10.1271/nogeikagaku1924.62.149 枝豆香気成分の成熟に伴う変化]」『日本農芸化学会誌』 1988年 62巻 2号 p.149-155, 日本農芸化学会, {{doi|10.1271/nogeikagaku1924.62.149}}。</ref><ref name="AN00062300">南出隆久, 畑明美, 「[http://id.nii.ac.jp/1122/00005455/ 枝豆の品質に及ぼす収穫時期と貯蔵温度の影響(B. 生活科学)]」『京都府立大学学術報告. 理学・生活科学』 41巻 p.23-28, 1990-11-19, {{naid|110000058143}}, {{NCID|AN00062300}}</ref>。収穫後の品質保持には低温貯蔵が有効とされている<ref name="AN00062300"/>。 == 歴史 == 原産地は[[東アジア]]{{sfn|市川啓一郎|2021|p=82}}、[[中国]]といわれている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=132}}。『[[日本書紀]]』(693年)に、大豆(豆)が五穀の一つとして書かれている{{sfn|竹下大学|2022|p=14}}。[[奈良時代|奈良]]・[[平安時代]]には既に現在の形で食されていたとされている{{要出典|date=2022年6月}}。[[鎌倉時代]]の僧、[[日蓮]]が寄進を受けた信徒に宛てた礼状「松野殿女房御返事」には「(略)、'''枝大豆'''・ゑびね、旁の物給び候ひぬ」とある{{sfn|竹下大学|2022|p=14}}。[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に[[ずんだ餅]]が生まれたといわれ、発案者を[[伊達政宗]]として太刀で枝豆を砕いて食べたという説がある{{sfn|竹下大学|2022|p=14}}。[[江戸時代]]に書かれた『俗事百工起源』(1771年)には、夏になると路上に枝豆売りの姿があったという{{sfn|竹下大学|2022|p=14}}。現在のように枝から鞘を外した状態ではなく、枝についたままの状態で茹でたものが売られており、当時はその状態で食べ歩いていることから現代の[[ファストフード]]のような存在だった。この状態のものを「枝付き豆」または「枝成り豆」と呼び、それが「枝豆」の名前の由来とされている。 明治初期(19世紀末)、庄内藩で[[だだちゃ豆]]の元になった「小真木」が育成されたと伝えられている{{sfn|竹下大学|2022|p=14}}。昭和期(1974年)に、[[雪印種苗]]が早生でさやの大きな品種を配合させる研究を重ねた枝豆専用品種「サッポロミドリ」を発売し、ヒット商品となった{{sfn|竹下大学|2022|p=14}}。冷凍技術が大きく発達するようになると、2003年(平成15年)にJA鶴岡が「殿様のだだちゃ豆」フリーズドライを発売、2005年(平成17年)には北海道中札内村の大規模瞬間冷凍施設で作った「大袖の舞」が人気となった{{sfn|竹下大学|2022|p=15}}。 == 栄養素 == {{栄養価 |name=枝豆 {{lang|ja-Latn|Edamame}} {{lang|en|Green soy beans}}|water=75.17 g|kcal=110|kJ=460|protein=10.25 g|fat=4.73 g|carbs=8.58 g|fiber=4.8 g|sugars=2.48 g|calcium_mg=60|iron_mg=2.11|magnesium_mg=61|phosphorus_mg=161|potassium_mg=482|sodium_mg=6|zinc_mg=1.32|manganese_mg=1.01|vitC_mg=9.7|thiamin_mg=0.15|riboflavin_mg=0.265|niacin_mg=0.925|pantothenic_mg=0.535|vitB6_mg=0.135|folate_ug=303|choline_mg=56|vitE_mg=0.72|vitK_ug=31.4|tryptophan=0.115 g|threonine=0.305 g|isoleucine=0.27 g|leucine=0.68 g|lysine=0.69 g|methionine=0.13 g|cystine=0.105 g|phenylalanine=0.445 g|tyrosine=0.305 g|valine=0.295 g|arginine=0.66 g|histidine=0.25 g|alanine=0.42 g|aspartic acid=1.235 g|glutamic acid=1.835 g|glycine=0.4 g|proline=0.605 g|serine=0.61 g|right=1 |source_usda=1}} 生の枝豆には可食部100[[グラム]] (g) あたり、[[熱量]]は135[[キロカロリー]] (kcal) 、水分は約71%含まれ、残りは[[タンパク質]]11.7&nbsp;g、[[炭水化物]]8.8&nbsp;g、[[脂質]]6.2&nbsp;g、[[灰分]]1.6&nbsp;gが含まれる{{sfn|講談社編|2013|p=55}}。大豆と同様に栄養価が高く、植物性[[タンパク質]]や[[脂質]]、[[ビタミンE]]、[[食物繊維]]、[[カルシウム]]、[[鉄分]]に富むことに加え、[[ビタミンB1]]・[[ビタミンB2|B2]]は野菜の中では特に多く、大豆にはない[[カロテン]]、[[ビタミンC]]、[[カリウム]]も豊富に含まれている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}{{sfn|講談社編|2013|p=55}}。サヤごと茹でることによって、これら栄養素の流出を防ぐことができる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}。新鮮なうちにサヤごと塩ゆでにしておけば、枝豆が本来持つ旨さや栄養を維持できる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=115}}。ビタミンB1を多く含んでいるため、新陳代謝を活発にして[[夏バテ]]を防ぎ、アルコールの分解を促進して悪酔いを軽減して[[肝臓]]を守る働きもする{{sfn|講談社編|2013|p=55}}。枝豆に含まれるアミノ酸の一種である[[メオチニン]]もアルコールから肝臓や[[腎臓]]を守る働きがある{{sfn|講談社編|2013|p=55}}。 大豆の未熟果には、他の野菜ではあまり見られない[[サポニン]]や[[レシチン]]、[[イソフラボン]]などの大豆特有の成分を持っている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}{{sfn|講談社編|2013|p=55}}。サポニンは血液中のコレステロール値を下げ、レシチンは細胞の活性化に役立ち、内臓や神経を若々しく保つのに必要な成分といわれている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}{{sfn|講談社編|2013|p=55}}。イソフラボンは女性ホルモンに似た働きをすることが知られている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}{{sfn|講談社編|2013|p=55}}。 == 代表的な種類 == 元々枝豆は、ダイズの未熟果を食べていたが、現在では大豆と枝豆専用種に分けられている{{sfn|竹下大学|2022|p=17}}。ダイズから枝豆として栽培されているものは、色の違いから白毛豆(別名:青豆)、茶豆、黒豆の3系統に大別される{{sfn|竹下大学|2022|p=16}}。 日本には、各地で在来種が栽培されており、枝豆の品種が400以上あるといわれている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=132}}。特に東北地方では、地方ごとに独自の品種が栽培されており、有名なところでは[[山形県]]の「[[だだちゃ豆]]」、[[福島県]]の「かおり枝豆」、[[岩手県]]の「におい豆」、[[新潟県]]の「[[くろさき茶豆]]」「いうなよ」などが知られる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}{{sfn|講談社編|2013|p=55}}。変わったものでは、[[丹波国|丹波地方]]の[[黒豆]]の枝豆や、10月ごろに収穫される[[秋田県]]の「十月豆」などがある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}。品種によって味わいが多少異なり、だだちゃ豆や茶豆はゆでると[[とうもろこし]]に似た香りが強くなる{{sfn|講談社編|2013|p=55}}。 * '''大袖の舞''' - 北海道の十勝や網走などで栽培されている甘みが強い青大豆の品種。枝豆以外でも、製菓用、炒り豆用、煮豆用としての加工性に優れ、[[豆腐]]の原料としても適している{{sfn|竹下大学|2022|p=17}}。 * '''おつな姫''' - [[サカタのタネ]]が育成した青豆の早生種。収穫までの日数は80日ほどで、全体にまんべんなく着莢し、3粒莢になる率が高い。茶豆に似た風味で、甘みとうまみに優れる{{sfn|竹下大学|2022|p=18}}。 * '''[[くろさき茶豆]]''' - 新潟県で多く栽培されている茶豆の品種。豆の薄皮が茶色っぽく、香りと甘味が強い{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=132}}。8月の盆のころが収穫期{{sfn|竹下大学|2022|p=18}}。 * '''[[黒豆|黒大豆]]''' - 丹波地方で栽培されている完熟すると豆が黒くなる大豆。未熟果を早どりして枝豆として利用し、味が濃く甘味に富む{{sfn|講談社編|2013|p=55}}。熟すると豆が黒くなり、黒豆として利用される{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=132}}。丹波地方で栽培される「丹波黒」という品種は、大豆の中でも最も粒が大きくて、煮ても皮が破けないという特徴があり、枝豆にするともちっとした食感になる{{sfn|竹下大学|2022|p=17}}。 * '''毛豆''' - 青森県津軽地方の伝わる在来種の青大豆。茎葉や莢に金茶色の毛があつことから「毛豆」とよばれる。大粒でコクがあり、甘みが強い{{sfn|竹下大学|2022|p=17}}。 * '''肴豆'''(さかなまめ) - 新潟県長岡市で栽培される青豆品種。1970年ごろに長岡市の農家が関原方面の在来種を導入して定着させたのがはじまりで、1983年に長岡市農協が「ビールの肴にぴったり」とのことから命名した。9月下旬が収穫期で、強い甘みと風味が特徴{{sfn|竹下大学|2022|p=18}}。 * '''サッポロミドリ''' - 白毛(青豆)系の定番となっている早生種。「札幌伝統野菜」の一つに数えられ、さやには大粒の豆が3粒入る{{sfn|竹下大学|2022|p=16}}。 * '''[[だだちゃ豆]]''' - 山形県[[鶴岡市]]特産の茶豆。香りが強く甘味がある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=132}}。「だだちゃ」は家長、父親を意味する庄内地方の方言{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=93}}。「小真木」「白山」などの8品種の総称と定義され、他地域産のものは「だだちゃ豆」とは名乗れない{{sfn|竹下大学|2022|p=16}}。 * '''たんくろう''' - [[丸種]]が育成した黒豆の早生種。収穫までの日数は80 - 85日で、着莢率が極めて高く、3粒莢になる率が高いうえ、分枝数も比較的多いため収量性が高い。黒豆特有の芳香と甘みがある{{sfn|竹下大学|2022|p=18}}。 * '''秘伝''' - 佐藤政行種苗は育成した青豆の晩生種。青豆種としては最大級で、うまみが強く、山形県では「だだちゃ豆」に次ぐ知名度を誇る{{sfn|竹下大学|2022|p=18}}。 * '''湯上がり娘''' - 茶豆風味の濃い味わいがある青豆で、香りもよく、枝豆の美味しさの指標である、[[ショ糖]]・[[果糖]]・[[ブドウ糖]]は多品種の2倍ほど含まれている{{sfn|竹下大学|2022|p=16}}。 == 栽培 == 日本国内の主な生産地は、[[北海道]]、[[山形県]]、[[群馬県]]、[[千葉県]]、[[埼玉県]]で多く、5月ごろから徐々に出荷量が増えて、7 - 8月にピークを迎える{{sfn|竹下大学|2022|p=15}}。 春(4 - 6月)から種を播き、夏から秋にかけて収穫する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=116}}。枝豆として収穫する場合は、春に種を播いて80日前後で収穫できる早生種、初夏に播いて秋に収穫する晩生種がある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=234}}。種蒔きの時期を数回に分けてずらして栽培すると、収穫時期もずれて新鮮な枝豆を長い間楽しめる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=116}}。栽培適温は20 - 25度とされ{{sfn|主婦の友社編|2011|p=116}}、[[インゲンマメ]]などよりも低温に強く、やや早蒔きすることができる{{sfn|市川啓一郎|2021|p=82}}。[[連作]]は不可で、2 - 3年ほどマメ科作物を作っていない日当たりの良い畑で育てる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=116}}。家庭でも作りやすく、深いコンテナ([[プランター]])などを使って鉢植えでも育てられる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=116}}。他のマメ科同様に直根が発達するので、移植は行わない{{sfn|市川啓一郎|2021|p=82}}。なお、枝豆(未熟果)を収穫せずにサヤが枯れるまで待つと、大豆として収穫できる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=234}}。 枝豆にするダイズは、夏の暑さを感じると花を咲かせて結実する夏ダイズで、葉は3枚の丸形の[[小葉]]からなる[[複葉]]で、花は白色から紫色のごく小さな蝶形をしている{{sfn|市川啓一郎|2021|p=82}}。多くのマメ科同様に自家受粉で結実する{{sfn|市川啓一郎|2021|p=82}}。開花期が高温すぎても開花しにくく、30度以上になると受精できず、開花しても花が落ちてしまう{{sfn|市川啓一郎|2021|p=82}}。開花期から結実期は十分な水分や強い光が必要で、足りないとサヤがついても実がスカスカになる{{sfn|市川啓一郎|2021|p=82}}。 畑は深く耕して[[堆肥]]をすき込み、[[根粒菌]]が共生するため元肥は[[窒素]]肥料を控えめにする{{sfn|主婦の友社編|2011|p=116}}{{sfn|市川啓一郎|2021|p=82}}。種は株間を25 - 30&nbsp;cmほどあけて1か所に3 - 4粒ずつ播き、軽く[[覆土]]する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=116}}{{sfn|市川啓一郎|2021|p=83}}。覆土が浅すぎたり押さえ方が足りなかったりすると、芽が正常に展開できない{{sfn|市川啓一郎|2021|p=82}}。[[発芽]]までの間は、ハトやカラスなどの鳥に播いた種が食べられてしまう鳥害があるため、芽が出るまでは[[不織布]]などをかけて保護すると良い{{sfn|主婦の友社編|2011|p=116}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=234}}。[[本葉]]が5 - 6枚になったところで、生長が悪い芽を抜き取らずに根元から切り取って1本だけ残し、芽の先端を[[摘芯]]してわき芽を出させて育てていく{{sfn|主婦の友社編|2011|p=116}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=234}}。種まきから80 - 90日で花が咲くまでに、[[窒素|チッソ]]分控えめの[[追肥]]と、倒伏防止のため[[土寄せ]]を数回行い、開花後1か月ほどでサヤが膨らみ収穫期となる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=116}}。早生種では6月ごろから収穫が始まる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=116}}。サヤを軽く押して実が入っていることを確かめ、豆がやわらかいうちに株ごと引き抜いて収穫する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=116}}。 枝豆の害虫には[[カメムシ]]があり、サヤがつくころに実の養分が吸われてしまうことがある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=234}}。 == 枝豆の食べ方の例 == 一般に塩ゆでにして食べられている{{sfn|講談社編|2013|p=55}}。塩ゆで以外でも、[[かき揚げ]]、[[炒め物]]、[[煮物]]にするほか{{sfn|講談社編|2013|p=55}}、産地では潰して[[和え物]]にしたり、サヤごと甘辛く煮て食べたりしている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=114}}。 枝豆は、収穫後は鮮度とともに味が落ちるのが早い{{sfn|主婦の友社編|2011|p=115}}。袋入りで売られているものもあるが、枝つきで売られているもののほうが鮮度が良く、茹でる前にサヤを傷つけないようにヘタの先端で枝から外す{{sfn|主婦の友社編|2011|p=115}}。サヤに傷がついてしまうと、茹でるときにサヤの中に水が入って、茹で上がりが水っぽくなり、風味を損ねる原因となる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=115}}。収穫の翌日までに食べきることが望ましいが、保存するときは生で保存せずに、できるだけ早くかために茹でて、よく冷ましてから冷凍する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=115}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=132}}。冷凍品を食べるときは、熱湯にくぐらせて解凍してから食べる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=115}}。 === 塩茹で === 最も典型的な調理法である。枝豆本来の風味が引き出される調理法であるが、実の大きさや収穫時期によって茹で時間は異なる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=115}}。ふつう2 - 5分ほど茹でてから1つ取り出して、食べてゆで加減を確認してみて、実がかたかったらさらに1 - 2分ほど茹でる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=115}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=132}}。旬の終わりごろや、実が大きく育っている枝豆は、より長い時間をかけてやわらかく茹で上げる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=115}}。 調理は極めて簡単で、枝豆のサヤをボウルに入れて塩揉みして、表面の産毛を落としてから水洗いして水気を切り、塩少々が入ったたっぷりの熱湯で茹で上げ、ザルに上げて湯を切り、好みの加減で塩を振り、広げて冷ます{{sfn|主婦の友社編|2011|p=115}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=132}}。 また、1980年代からは調理後冷凍した商品も出回っており<ref>増田亮一, 橋詰和宗, 金子勝芳, 「[https://doi.org/10.3136/nskkk1962.35.11_763 冷凍枝豆の食味に及ぼす収穫後の貯蔵時間の影響]」『日本食品工業学会誌』 1988年 35巻 11号 p.763-770, {{doi|10.3136/nskkk1962.35.11_763}}。</ref>、小売店の[[冷凍食品]]売り場などで目にすることができる。 枝豆の塩ゆでは、[[酒]]、特に[[ビール]]の[[肴|つまみ]]の定番として知られる。大豆に豊富に含まれる[[蛋白質]]などは[[アルコール]]の分解を助ける働きがあり、「枝豆をつまみにするのは理にかなっている」と言われる。また、冷凍食品としては鞘から取り出した豆の部分だけのものもみられる。 === 焼き枝豆や漬物 === 生のままでは硬い枝豆を食べやすくする調理法としては、焙ったり[[煎る|煎ったり]]した「焼き枝豆」<ref>[https://mainichi.jp/articles/20170818/ckp/00m/100/001000c 【クックパッドニュース】フライパンで焼くのが新常識!?「焼き枝豆」の美味しさに、この夏こそ目覚めよう!]『毎日新聞』2017年8月18日(2018年5月15日閲覧)</ref>や[[漬物]]<ref>[https://style.nikkei.com/article/DGXMZO21073810T10C17A9000000?channel=DF080420167220 【食べ物新日本奇行classic】欧米人も豆が好き フィッシュ&チップスやカレーにも]『日本経済新聞』電子版(2017年9月24日)2018年5月15日閲覧</ref>などもある。 === ずんだ === 茹でた枝豆をすり潰して[[餡]]状にしたもの。ずんだを[[餅]]にまぶした「[[ずんだ餅]]」は主に宮城県・山形県・秋田県・岩手県など[[東北地方]]の名物の一つになっている。{{main|ずんだ}} === その他の加工品 === 子供にも人気のある食材であることから[[スナック菓子]]の材料としても用いられるほか、すり潰して[[スープ]]にしたり、[[餅]]に入れたり、[[煮物]]などの具材として利用されたりすることもある。また地域おこしの題材として枝豆を使ったお酒が作られた例もある。 == 郷土料理 == 兵庫県[[丹波篠山市]]や[[三田市]]、和歌山県[[紀の川市]]鞆渕地区においては、[[黒豆]]の未熟なものを「黒枝豆」として食べることがある。茹でる前も茹でた後も、一般の枝豆ではお馴染みな鮮やかな[[緑色]]ではなく、茹で上がり後ですら鞘の中の豆は黒みがかった緑色である。 異質な見た目に反して味は極めて良い。その見た目の異質さと味の良さから様々なメディアで取り上げられたこともあり、枝豆愛好者などへの知名度も高い。ただし同地域のものは毎年10月第2週前後に出荷されており、流通する期間が限られることもあって入手は比較的難しく、それ以前に流通しているものは別品種の可能性がある。 == 日本以外 == [[ファイル:Beer and edamame (boild green soybeans).jpg|thumb|ビールのおつまみとして]] 近年の健康志向にともなう[[日本料理]]ブームの影響もあり、枝豆でも特に塩茹でなど簡単な調理法のものは、2000年頃から次第に北米・ヨーロッパなどの日本以外でも食べられるようになっている。 [[イギリス]]など英語圏では枝豆は「{{lang|en|green soy beans}}」または「{{lang|ja-Latn|edamame}}」<ref>『[[笑顔がごちそう ウチゴハン]]』[http://www.tv-asahi.co.jp/uchigohan/info.html 食のアレコレ](2009年7月19日放送)より。</ref>と呼ばれ、[[ニューヨーク]]などの日本風の[[居酒屋]]では、定番の[[オードブル|アペタイザー]]として振る舞われ、オーガニックフード店やアジア食材を置く店でも気軽に入手することが出来る。 また、[[アメリカンフットボール]]や[[メジャーリーグベースボール]]を観戦しながらつまむ食べ物として、競技場内の売店でも買うことが出来るところもある。[[中華料理]]では「毛豆」と呼ばれ<ref>鞘に生えている微細な毛から、[[青森県]][[津軽地方]]で栽培されているブランド枝豆も「毛豆」を名乗っている。[http://www.kemame.com/about.html 毛豆ドットコム](2018年5月15日閲覧)参照。</ref>、豆干毛豆炒黄瓜などの食材としても広く使われている。 観光や仕事などで来日した外国人が好んで食べる傾向にある。 豆自体が世界各国で食されており、親しみやすい味であること、自ら皮を剥くという変わった食べ方、皮自体も柔らかく食べやすいという理由から食されている。また、子供の[[食育]]の一環としても注目されている。[[野菜]]を食べたがらない子供が、枝豆が飛び出る姿を面白がり、「遊びながら食べられる」「小さいサイズで口に入れやすい」「軟らかく食べやすい」という利点がある。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author =市川啓一郎|title =タネ屋がこっそり教える 野菜づくりの極意|date=2021-10-30|publisher =[[農山漁村文化協会]]|isbn=978-4-540-21109-6|pages =82 - 83|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|title = かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典|date=2012-07-10|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30997-2|pages =132 - 133|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =講談社編|title = からだにやさしい旬の食材 野菜の本|date=2013-05-13|publisher = [[講談社]]|isbn=978-4-06-218342-0|page =55|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =主婦の友社編|title = 野菜まるごと大図鑑|date=2011-02-20|publisher = [[主婦の友社]]|isbn=978-4-07-273608-1|pages =114 - 116|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =竹下大学|title = 野菜と果物すごい品種図鑑:知られざるルーツを味わう|date=2022-07-12|publisher = [[エクスナレッジ]]|isbn=978-4-7678-3026-1|pages =14 - 19|ref=harv}} == 関連項目 == {{Commonscat|Edamame}} *[[だだちゃ豆]] *[[マクドナルド]] - 日本国内では、2021年1月からサイドメニューに枝豆を使用したメニュー(えだまめコーン)の提供を開始した(対象年齢は4歳から)。 {{大豆加工食品}} {{デフォルトソート:えたまめ}} [[Category:大豆]] [[Category:野菜]]
2003-03-01T04:40:19Z
2023-12-31T16:38:28Z
false
false
false
[ "Template:Lang", "Template:Reflist", "Template:Naid", "Template:大豆加工食品", "Template:Sfn", "Template:栄養価", "Template:Main", "Template:Doi", "Template:NCID", "Template:Cite book", "Template:Commonscat", "Template:要出典" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9D%E8%B1%86
3,120
3月3日
3月3日(さんがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から62日目(閏年では63日目)にあたり、年末まであと303日ある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "3月3日(さんがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から62日目(閏年では63日目)にあたり、年末まであと303日ある。", "title": null } ]
3月3日(さんがつみっか)は、グレゴリオ暦で年始から62日目(閏年では63日目)にあたり、年末まであと303日ある。
{{カレンダー 3月}} '''3月3日'''(さんがつみっか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から62日目([[閏年]]では63日目)にあたり、年末まであと303日ある。 == できごと == [[Image:Konjikido-Ooido.jpg|thumb|180x180px|[[藤原清衡]]、[[平泉町|平泉]]に[[中尊寺]]を建立(1105年)。写真は[[中尊寺金色堂]](1124)]] [[Image:Prudent-Louis Leray - Poster for the première of Georges Bizet's Carmen.jpg|thumb|180px|[[ジョルジュ・ビゼー]]の[[オペラ]]『[[カルメン (オペラ)|カルメン]]』初演。画像は初演時の[[ポスター]]]] [[Image:Time Magazine - first cover.jpg|thumb|『[[タイム (雑誌)|タイム]]』創刊号(1923年)の表紙。肖像は元[[アメリカ合衆国下院議長|米下院議長]]{{仮リンク|ジョセフ・ガーニー・キャノン|en|Joseph Gurney Cannon}}|237x237ピクセル]] [[Image:1958 Subaru 360 01.jpg|thumb|富士重工業、[[スバル・360]]を発表(1958年)|180x180ピクセル]] * [[1105年]]([[長治]]2年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]) - [[藤原清衡]]が[[平泉]]に最初院多宝寺([[中尊寺]])を建立する。 * [[1573年]]([[元亀]]4年[[1月30日 (旧暦)|1月30日]]) - [[足利義昭]]が[[織田信長]]討伐のために挙兵する。 * [[1803年]] - [[スペイン]]の軍事学校・[[コレジオ・ミリタール]]が創立。 * [[1842年]] - [[フェリックス・メンデルスゾーン]]の[[交響曲第3番 (メンデルスゾーン)|交響曲第3番『スコットランド』]]が作曲者指揮の[[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団]]によって初演。 * [[1845年]] - フロリダが州に昇格し、[[アメリカ合衆国]]27番目の州・[[フロリダ州]]となる。 * 1845年 - [[アメリカ合衆国議会|アメリカ議会]]が初めて[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]の[[拒否権]]に優越して法律を制定。 * [[1849年]] - [[ミネソタ準州]]が州に昇格して、アメリカ合衆国32番目の州・[[ミネソタ州]]となる。 * 1849年 - [[アメリカ合衆国内務省]]設置。 * [[1857年]] - [[アロー戦争]]: [[フランス]]と[[イギリス]]が[[清]]に宣戦布告。 * [[1861年]]([[ユリウス暦]][[2月19日]]) - [[ロシア帝国|ロシア皇帝]][[アレクサンドル2世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル2世]]が[[農奴制|農奴]]解放令を発布、5日から施行。 * [[1865年]] - [[香港上海銀行]](HSBC)設立。 * [[1875年]] - オペラ『[[カルメン (オペラ)|カルメン]]』がパリの[[オペラ=コミック座]]で初演<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chopin.co.jp/media/opera217/a2202 |title=カルメン[全4幕]ビゼー作曲 |access-date=25 Aug 2023 |publisher=ハンナ |date=20 Jun 2019}}</ref>。 * [[1878年]] - [[オスマン帝国]]と[[ロシア帝国]]が[[サン・ステファノ条約]]を結び、[[ブルガリア王国_(近代)|ブルガリア王国]]が独立。 * [[1879年]] - [[アメリカ地質調査所]]設置。 * [[1885年]] - [[AT&T|アメリカ電信電話]](AT&T)設立。 * [[1901年]] - 日比谷大神宮(現在の[[東京大神宮]])で民間初の神前結婚式が行なわれる。 * [[1904年]] - ドイツ皇帝[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]が世界で初めて政治演説を[[レコード]]に録音する。 * [[1909年]] - [[博多駅]]駅舎完成(明治42年駅舎)。 * [[1915年]] - アメリカで[[国家航空諮問委員会]](NACA、[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]の前身)設置。 * [[1918年]] - [[ロシア]]・[[ウクライナ]]の[[ボリシェヴィキ]]政府が[[ドイツ帝国]]・[[オーストリア=ハンガリー帝国]]・[[オスマン帝国]]・[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア王国]]と[[ブレスト=リトフスク条約]]を結ぶ。 * [[1919年]] - 日本の[[大審院]]で[[信玄公旗掛松事件]]の判決が言い渡され、原告の勝訴が確定。 * [[1921年]] - 日本の皇太子裕仁親王(後の[[昭和天皇]])がヨーロッパ歴訪に出発([[皇太子裕仁親王の欧州訪問]])。 * [[1922年]] - [[全国水平社]]結成、[[日本]]で初めての[[人権宣言]]である「[[水平社宣言]]」が宣言される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASQ2V0NYCQ2SPTIL03G.html |title=部落差別とは 自由と平等求めた全国水平社の歩み |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=27 Feb 2022}}</ref>。 * [[1923年]] - アメリカ初の週刊ニュース雑誌『[[タイム (雑誌)|タイム]]』が創刊。 * [[1924年]] - [[トルコ]]で1400年続いた[[カリフ]]制が{{仮リンク|カリフ制の廃止|en|Abolition of the Caliphate|label=廃止}}され、最後のカリフ・[[アブデュルメジト2世]]ら[[オスマン家|オスマン王家]]の全成員が国外追放される。 * [[1927年]] - アメリカから日本へ親善のために贈られたいわゆる「[[青い目の人形]]」の歓迎式典が[[日本青年館]]などで催される。 * [[1931年]] - [[ハーバート・フーヴァー|フーバー大統領]]が法律に署名し、「[[星条旗 (国歌)|星条旗]]」が[[アメリカ合衆国]]の[[国歌]]として制定される<ref>{{Cite web |url=https://www.history.com/this-day-in-history/the-star-spangled-banner-becomes-official |title=“The Star-Spangled Banner” becomes official U.S. national anthem |access-date=25 Aug 2023 |publisher=A&E Television Networks, LLC. |website=This Day In History}}</ref>。 * [[1933年]] - [[昭和三陸地震]]が発生、死者、行方不明者3,064人、約6,800棟の家屋が流出する被害を出す<ref>{{Cite web|和書|url=https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/16/ |title=昭和三陸地震(1933年) |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[Yahoo! JAPAN]] 天気・災害}}</ref>。 * 1933年 - [[健行科技大学]]の前身・三極電信学校が[[上海市]]で開校。 * [[1938年]] - 衆議院委員会審議において「黙れ」事件([[国家総動員法#「黙れ」事件]])。 * 1938年 - 衆議院議員[[安部磯雄襲撃事件]]。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: アメリカ軍・[[フィリピン軍]]が、日本が占領していた[[マニラ]]を奪還。 * [[1946年]] - [[物価統制令]]公布。 * [[1950年]] - [[田中耕太郎]]が[[最高裁判所長官]]に就任。1960年まで。 * [[1955年]] - [[カンボジア]]国王[[ノロドム・シハヌーク]]が政治家になるために退位。父の[[ノロドム・スラマリット]]が後継国王に即位。 * [[1958年]] - 富士重工業(現・[[SUBARU]])が初の[[軽自動車]]、[[スバル・360]]を発表。 * [[1959年]] - [[NHK鳥取放送局|NHK鳥取]]テレビジョン放送、[[日本海テレビジョン放送]](NKT)開局。 * [[1961年]] - [[ハサン2世 (モロッコ王)|ハサン2世]]が[[モロッコ]]国王に即位。 * [[1969年]] - [[アポロ計画]]: アメリカの有人宇宙船「[[アポロ9号]]」が打ち上げられる。[[アポロ月着陸船|月着陸船]]による初の有人飛行。 * [[カリフォルニア州]]ミラマー海軍航空基地に[[アメリカ海軍戦闘機兵器学校]](NFWS)が開設された。 * [[1973年]] - [[絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約]](ワシントン条約)調印。 * [[1974年]] - [[トルコ航空DC-10パリ墜落事故]]が発生。 * [[1985年]] - [[福岡市地下鉄空港線]]延長部([[博多駅]][仮駅舎]〜博多駅間)が開業。 * [[1986年]] - [[京葉線]]・[[西船橋駅|西船橋]] - [[南船橋駅|南船橋]]および南船橋 - 千葉港(現在の[[千葉みなと駅|千葉みなと]])が開業し、[[武蔵野線]]に乗入れ。 * 1986年 - [[愛媛県]]の[[予讃線|予讃本線]]・[[向井原駅|向井原]] - [[内子駅|内子]]・[[伊予大洲駅|伊予大洲]] - [[新谷駅|新谷]]が開業し、[[内子線]]経由の短絡ルートが完成。 * 1986年 - [[全日本空輸]](ANA)の初の国際定期便、成田-グアム線が就航<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20160304/k00/00m/020/002000c |title=ANA 国際定期便就航30年 CAが振り返る |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[毎日新聞]] |date=3 Mar 2016}}</ref>。 * [[1991年]] - [[ユナイテッド航空585便墜落事故]]が発生。 * 1991年 - [[ラトビア]]と[[エストニア]]で[[ソビエト連邦]]からの独立を問う[[国民投票]]が行われ、ラトビアで国民の74%、エストニアで83%が独立に賛成。 * [[1993年]] - [[福岡市地下鉄空港線]]延長部([[博多駅]] - [[福岡空港駅]]間)が開業し全通。 * 1993年 - [[CHAGE&ASKA]]の『[[YAH YAH YAH]]』のCDシングルが発売。242万枚の爆発的なヒットに。 * [[1995年]] - [[ソマリア]]から最後の[[国際連合平和維持活動|PKO]]部隊が撤退。 * [[1997年]] - [[ニュージーランド]]の[[オークランド (ニュージーランド)|オークランド]]に、[[南半球]]で最も高い塔「[[スカイタワー]]」がオープン。 * [[1999年]] - [[日本銀行]]が、[[短期金利]]の指標である[[無担保コール翌日物]]金利を史上最低の0.15%に誘導することを決定。[[ゼロ金利政策]]を開始する。 * 1999年 - 『[[だんご3兄弟]]』のCDが発売。爆発的なヒットに。 * [[2001年]] - [[スポーツ振興くじ]](toto)が全国発売開始。 * [[2005年]] - [[西武鉄道]]の[[証券取引法]]違反事件で、西武鉄道前会長の[[堤義明]]が[[東京地方検察庁]]特捜部に逮捕される。 * [[2006年]] - [[高知県]]にて、[[高知白バイ衝突死事故]]が発生。 * 2006年 - [[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)]]が開幕。[[3月20日]]まで。 * [[2008年]] - [[薬害エイズ事件]]: [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が[[厚生省]]元生物製剤課長の[[上告]]を棄却し、有罪が確定。 * [[2009年]] - [[ケルン市歴史文書館]]が倒壊。 * [[2011年]] - 延床面積約20万平方メートルの日本最大級の駅ビル、[[JR博多シティ]]が開業<ref>{{Cite web|和書|title=JR博多シティ開業 大型駅ビル、福岡に新たな「顔」 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASJC03008_T00C11A3000000/ |website=[[日本経済新聞]] |date=3 Mar 2011 |access-date=25 Aug 2023 |language=ja}}</ref>。 * [[2017年]] - [[任天堂]]の[[ゲーム機|家庭用ゲーム機]]「[[Nintendo Switch]]」が日本、[[北アメリカ|北米]]、[[ヨーロッパ|欧州]]、[[オーストラリア]]、[[香港]]などで同時発売<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKASDZ13H2T_T10C17A1MM0000/ |title=「スイッチ」3月3日発売 任天堂、2万9980円 |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=13 Jan 2017}}</ref>。 * [[2023年]] - [[警視庁]]は、[[楽天モバイル]]の携帯電話基地局整備事業をめぐり、約300億円を不正に水増しして楽天モバイル社に支払わせたとして、同社の元部長ら3人を詐欺の疑いで逮捕した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASR335HL6R33UTIL019.html |title=楽天モバイル元部長ら逮捕 携帯電話基地局めぐり不正300億円か |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=3 Mar 2023}}</ref>。 == 誕生日 == [[Image:William Godwin by Henry William Pickersgill.jpg|thumb|197x197px|[[無政府主義]]の先駆者[[ウィリアム・ゴドウィン]]誕生(1756年 - 1836年)]] [[ファイル:Tedros Adhanom Ghebreyesus - AI for Good Global Summit 2018 (40316994230) (cropped).jpg|代替文=|サムネイル|238x238px|[[世界保健機関|WHO]]事務局長[[テドロス・アダノム]](1965年-)]] * [[1279年]] - [[イスマーイール1世 (ナスル朝)|イスマーイール1世]]、[[ナスル朝]][[スルターン]](+ [[1325年]]) * [[1439年]]([[永享]]11年閏[[1月18日 (旧暦)|1月18日]]) - [[足利義視]]<ref>{{Kotobank|足利義視}}</ref>、[[室町幕府]]の[[武将]](+ [[1491年]]) * [[1455年]] - [[ジョアン2世 (ポルトガル王)|ジョアン2世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](+ [[1495年]]) * [[1520年]] - [[マティアス・フラキウス・イリリクス]]、[[神学者]]、[[歴史家]](+ [[1575年]]) * [[1622年]]([[元和 (日本)|元和]]8年[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]) - [[鍋島直朝]]、第3代[[鹿島藩|鹿島藩主]](+ [[1709年]]) * [[1668年]]([[寛文]]8年1月21日) - [[毛利吉就]]、第4代[[長州藩|長州藩主]](+ [[1694年]]) * [[1702年]]([[元禄]]15年[[2月5日 (旧暦)|2月5日]]) - [[吉益東洞]]、[[漢方|漢方医]](+ [[1773年]]) * [[1756年]] - [[ウィリアム・ゴドウィン]]、[[政治評論家]]、[[無政府主義]]の先駆者(+ [[1836年]]) * [[1803年]] - [[アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン]]、[[画家]](+ [[1860年]]) * [[1838年]] - [[ジョージ・ウィリアム・ヒル]]、[[天文学者]]、[[数学者]](+ [[1914年]]) * [[1844年]]([[弘化]]元年[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]) - [[青木周蔵]]、外交官(+ [[1914年]]) * [[1845年]] - [[ゲオルク・カントール]]、数学者(+ [[1918年]]) * [[1847年]] - [[アレクサンダー・グラハム・ベル]]、[[電話機]]発明者(+ [[1922年]]) * [[1860年]] - [[モンテ・ウォード]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1925年]]) * [[1863年]] - [[アーサー・マッケン]]、[[小説家]](+ [[1947年]]) * [[1868年]] - アラン([[エミール=オーギュスト・シャルティエ]])、[[哲学|哲学者]]、[[著述家]](+ [[1951年]]) * 1868年([[慶応]]4年[[2月10日 (旧暦)|2月10日]]) - [[新海竹太郎]]、[[彫刻家]](+ [[1927年]]) * [[1869年]] - [[ヘンリー・ウッド]]、[[指揮者]](+ [[1944年]]) * [[1871年]] - [[モリス・ガラン]]、[[自転車競技]]選手(+ [[1957年]]) * [[1872年]] - [[ウィリー・キーラー]]、元プロ野球選手(+ [[1923年]]) * [[1879年]] - [[正宗白鳥]]、小説家 (+ [[1962年]]) * [[1880年]] - [[三淵忠彦]]、[[裁判官]](+ [[1950年]]) * [[1882年]] - [[伊藤晴雨]]、[[画家]](+ [[1961年]]) * [[1883年]] - [[和田三造]]、画家(+ [[1967年]]) * [[1890年]] - [[坪田譲治 (作家)|坪田譲治]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](+ [[1982年]]) * [[1891年]] - [[フェデリコ・モレーノ・トローバ]]、[[作曲家]]、指揮者(+ [[1982年]]) * [[1893年]] - [[高野素十]]、[[俳人]](+ [[1976年]]) * [[1894年]] - [[古海卓二]]、[[映画監督]](+ [[1961年]]) * 1894年 - [[山田午郎]]、[[サッカー選手]]、指導者(+ [[1958年]]) * [[1895年]] - [[ラグナル・フリッシュ]]、[[経済学者]](+ [[1973年]]) * 1895年 - [[マシュー・リッジウェイ]]、[[アメリカ陸軍]]の[[大将]](+ [[1993年]]) * [[1898年]] - [[エミール・アルティン]]、数学者(+ [[1962年]]) * [[1904年]] - [[鈴木安蔵]]、[[憲法|憲法学者]](+ [[1983年]]) * [[1909年]] - [[北山茂夫]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[1984年]]) * [[1911年]] - [[ジーン・ハーロウ]]、[[俳優|女優]](+ [[1937年]]) * [[1912年]] - [[福家俊一]]、[[政治家]] (+ [[1987年]]) * 1912年 - [[石原俊]]、[[実業家]](+ [[2003年]]) * [[1913年]] - [[ロジェ・カイヨワ]]、[[社会学者の一覧|社会学者]]、[[哲学|哲学者]] (+ [[1978年]]) * [[1914年]] - [[加藤正二 (野球)|加藤正二]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1958年]]) * [[1917年]] - [[ウィル・アイズナー]]、[[漫画家]](+ [[2005年]]) * [[1918年]] - [[アーサー・コーンバーグ]]、[[生化学者]](+ [[2007年]]) * 1918年 - [[稲葉誠一]]、政治家 (+ [[1998年]]) * [[1920年]] - 中田ラケット、[[漫才師一覧|漫才師]]([[中田ダイマル・ラケット]])(+ [[1997年]]) * 1920年 - [[ジェームズ・ドゥーアン]]、俳優(+ [[2005年]]) * [[1921年]] - [[福井英一]]、漫画家(+ [[1954年]]) * [[1922年]] - [[ヒデクチ・ナーンドル]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者(+ [[2002年]]) * [[1923年]] - [[ドク・ワトソン|ドック・ワトソン]]、[[ギタリスト]]、[[フォークシンガー]](+ [[2012年]]) * [[1924年]] - [[村山富市]]、元政治家、第81代[[内閣総理大臣]] * 1924年 - [[いぬいとみこ]]、児童文学作家(+ [[2002年]]) * [[1925年]] - [[ハーブ・ハーデスティ]]、ミュージシャン(+ [[2016年]]) * [[1926年]] - [[今泉正隆]]、警察官僚(+ [[2022年]]) * [[1927年]] - [[茶川一郎]]、俳優(+ [[2000年]]) * [[1928年]] - [[小島功]]、漫画家(+ [[2015年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20150417-VZND4N6L7BOH3FZMWVQAECJVS4/ |title=エロチックナンセンス、「現代の浮世絵師」 漫画家の小島功氏が死去 |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[産経新聞]] |date=17 Apr 2015}}</ref>) * 1928年 - [[グードルン・パウゼヴァング]]、[[作家]] * [[1929年]] - [[佐藤肇]]、映画監督(+ [[1995年]]) * [[1930年]] - [[高石邦男]]、[[官僚]](+ [[2021年]]) * 1930年 - [[イオン・イリエスク]]、政治家 * [[1931年]] - [[ヴェルナー・ハース]]、[[ピアニスト]](+ [[1976年]]) * [[1933年]] - [[森川敏雄]]、実業家 * 1933年 - [[ジミー・ギャリソン]]、[[ジャズ]][[ベーシスト]](+ [[1976年]]) * [[1935年]] - [[法元英明]]、元プロ野球選手 * 1935年 - [[高田敏江]]、女優 * 1935年 - [[マイケル・ウォルツァー]]、[[政治哲学|政治哲学者]] * [[1936年]] - [[池田啓一]]、元プロ野球選手 * [[1937年]] - [[野田実]]、政治家 * [[1938年]] - [[米田哲也]]、元プロ野球選手 * [[1939年]] - [[三橋節子]]、画家(+ [[1975年]]) * 1939年 - [[エディト・パイネマン]]、[[ヴァイオリニスト]] * [[1941年]] - [[徳光和夫]]、[[フリーアナウンサー]](戸籍上は[[3月10日]]) * 1941年 - [[西田利貞]]、[[霊長類学|霊長類学者]](+ [[2011年]]) * [[1944年]] - [[南正人]]、[[歌手]](+ [[2021年]]) * [[1945年]] - [[吉川碧堂]]、[[書家]] * 1945年 - [[ジョージ・ミラー (プロデューサー)|ジョージ・ミラー]]、映画監督、[[映画プロデューサー]] * [[1946年]] - [[エユプ・ガニッチ]]、[[政治家]]、[[工学者]] * [[1947年]] - [[長谷川信彦]]、[[卓球]]選手(+ [[2005年]]) * 1947年 - [[黒土三男]]、[[脚本家]]、映画監督(+ [[2023年]]) * [[1948年]] - [[藤原敏男]]、元[[キックボクサー]] * 1948年 - [[スノウィー・ホワイト]]、ギタリスト * [[1949年]] - [[土屋博映]]、[[日本文学研究者|国文学者]]、予備校講師 * 1949年 - [[梶川博]]、アーチェリー選手 * [[1950年]] - [[林義勝]]、写真家 * [[1951年]] - [[竹中平蔵]]、[[慶應義塾大学]]教授、政治家 * 1951年 - [[伊達泰司]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[瀬戸弘幸]]、政治活動家 * 1952年 - [[大森一樹]]、映画監督(+ [[2022年]]) * [[1953年]] - [[ジーコ]]、サッカー選手、指導者 * [[1954年]] - [[手間本北栄]]、[[彩書|彩書家]] * [[1955年]] - [[是方博邦]]、ギタリスト * 1955年 - [[ケント・デリカット]]、[[タレント]] * [[1956年]] - [[ズビグニェフ・ボニエク]]、元サッカー選手、指導者 * [[1958年]] - [[栗田貫一]]、タレント、[[声優]] * 1958年 - [[ミランダ・リチャードソン]]、女優 * [[1959年]] - [[マッハ文朱]]、[[プロレスラー]]、タレント * 1959年 - [[宮台真司]]、社会学者 * [[1960年]] - [[チャック・ケアリー]]、元プロ野球選手 * 1960年 - [[平川雅敏]]、元プロ野球選手 * [[1961年]] - [[上田現]]、[[シンガーソングライター]]、作曲家、[[音楽プロデューサー]](+ [[2008年]]) * 1961年 - [[金チョル鎬|金喆鎬]]、[[プロボクサー]] * [[1962年]] - [[ジャッキー・ジョイナー・カーシー]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]] * 1962年 - [[刀根麻理子]]、[[ミュージシャン]] * [[1963年]] - [[織田央]]、[[農林水産省|農林水産]][[技官]] * 1963年 - [[小松節夫]]、[[ラグビーユニオン]]指導者 * [[1964年]] - [[河井リツ子]]、漫画家 * 1964年 - [[米川英之]]、ミュージシャン、ギタリスト(元[[C-C-B]]) * 1964年 - [[池田大介 (編曲家)|池田大介]]、[[キーボーディスト]]、[[編曲家]] * 1964年 - [[江嘉良]]、[[卓球]]選手 * 1964年 - [[小島啓民]]、[[野球選手]] * 1964年 - [[ローラ・ハリング]]、女優 * [[1965年]] - [[池田恵 (漫画家)|池田恵]]、漫画家 * [[1965年]] - [[ドラガン・ストイコビッチ]]、元サッカー選手、指導者 * 1965年 - [[テドロス・アダノム]]、[[世界保健機関|WHO]]事務局長 * [[1966年]] - [[小出広美]]、[[歌手]] * 1966年 - [[ティモ・トルキ]]、ミュージシャン、ギタリスト * [[1967年]] - [[島崎毅]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[木幡美子]]、元[[アナウンサー]] * 1967年 - [[米美知子]]、[[写真家]] * [[1968年]] - [[デニス・ペトロフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1968年 - [[柳生真吾]]、タレント、園芸家(+ [[2015年]]) * [[1970年]] - [[原田喧太]]、ミュージシャン、ギタリスト * 1970年 - [[サイモン・ビウォット]]、[[マラソン]]選手 * [[1971年]] - [[小林聖太郎]]、映画監督 * [[1972年]] - [[武智健二]]、俳優 * 1972年 - [[桂りょうば]]、落語家、ミュージシャン * 1972年 - [[マイク・ロマノ]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[あいざわかおり]]、元タレント * 1973年 - chiho、ミュージシャン([[MOTOCOMPO]]) * [[1974年]] - [[高畠俊]]、ミュージシャン、ベーシスト * [[1975年]] - [[氷高小夜]]、元[[AV女優]] * [[1977年]] - [[岡部誠]]、[[騎手]] * 1977年 - [[ローナン・キーティング]]、シンガーソングライター * [[1978年]] - [[徐懐鈺]]、歌手 * 1978年 - [[田代杏子]]、アナウンサー * [[1979年]] - [[いときん]]、[[MC (ヒップホップ)|MC]]、[[トラックメイカー]]([[ET-KING]])(+[[2018年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/02/01/kiji/20180131s00041000370000c.html |title=「ET-KING」いときんさん死去 38歳 昨年8月肺線がん公表 |accessdate=25 Aug 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex |date=1 Feb 2018}}</ref>) * 1979年 - [[ホルヘ・フリオ]]、元プロ野球選手 * 1979年 - [[アルベルト・ジョルケラ]]、サッカー選手 * 1979年 - [[櫛野亮]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[流石矢一]]、俳優 * 1979年 - [[西尾祐里]]、タレント * [[1980年]] - [[こしじまとしこ]]、歌手([[capsule]]) * 1980年 - [[佐藤克樹]]、アナウンサー * [[1981年]] - [[永井裕子]]、演歌歌手 * 1981年 - [[折笠奈緒美]]、元声優 * 1981年 - [[沈鈺傑]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[ナジ・ラースロー (ハンドボール)|ナジ・ラースロー]]、ハンドボール選手 * 1981年 - [[ポール・ロイド・ジュニア|ジャスティン・ガブリエル]]、[[プロレスラー]] * 1981年 - [[ムラタメグミ]]、元歌手(元[[メロン記念日]]) * [[1982年]] - [[桜井美紀]]、[[ミュージカル]]女優、[[ダンサー]] * 1982年 - [[川上ゆう]]、AV女優 * 1982年 - [[ジェシカ・ビール]]、女優 * [[1983年]] - [[橋本崇載]]、元[[棋士 (将棋)|将棋棋士]] * 1983年 - [[梅津智弘]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[渡辺雅弘]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[奥田麻衣]]、アナウンサー * [[1984年]] - [[吉沢明歩]]、タレント、元AV女優 * 1984年 - [[東條加那子]]、声優 * [[1985年]] - [[さいとう真央]]、AV女優、ストリッパー * 1985年 - [[渡辺結花]]、[[グラビアアイドル]]、[[レースクイーン]] * 1985年 - [[紗那]]、グラビアアイドル * 1985年 - [[河中あい]]、タレント * [[1986年]] - [[原田祐希]]、元AV女優 * 1986年 - [[ステイシー・オリコ]]、歌手 * 1986年 - 篠栗たかし、お笑いタレント([[エイトブリッジ]]) * [[1987年]] - ひぃたん、ボーカリスト([[ジン (バンド)|ジン]]) * 1987年 - 重松謙太、ミュージシャン(元[[チュール (バンド) |チュール]]) * 1987年 - [[青山玲子]]、元[[モデル (職業)|モデル]]、女優、[[タレント]] * [[1988年]] - [[美沢将]]、元プロ野球選手 * [[1989年]] - [[権田修一]]、サッカー選手 * 1989年 - [[並木優]]、元AV女優 * 1989年 - [[桜木凛]]、元AV女優 * 1989年 - [[水玉レモン]]、AV女優 * 1989年 - [[武藤なみ]]、[[グラビアアイドル]] * 1989年 - [[藤本那菜]]、アイスホッケー選手 * [[1990年]] - [[牧野くるみ]]、AV女優 * 1990年 - [[エマニュエル・リヴィエール]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[坂口杏里]]、元タレント * 1991年 - [[パク・チョロン]]、歌手、女優 * [[1992年]] - [[原口文仁]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[市川まほ]]、AV女優 * 1992年 - [[大村晟]]、元アナウンサー * 1993年 - [[村元哉中]]、フィギュアスケート選手 * [[1994年]] - [[川島海荷]]、女優(元[[9nine]]) * 1994年 - [[猶本光]]、サッカー選手 * 1994年 - [[八代弥]]、将棋棋士 * 1994年 - [[ディルソン・ヘレーラ]]、プロ野球選手 * [[1995年]] - [[あらい美生]]、ファッションモデル、女優 * [[1996年]] - [[堀琴音]]、プロゴルファー * 1996年 - [[上田智輝]]、サッカー選手 * [[1997年]] - [[村岡桃佳]]、[[チェアスキー]]選手 * 1997年 - [[カミラ・カベロ]]、歌手 * [[1998年]] - [[出口匠]]、元プロ野球選手 * [[1999年]] - [[武田雛歩]]、グラビアアイドル、[[雀士]]([[たけやま3.5]]) * 1999年 - [[恋渕ももな]]、AV女優 * [[2003年]] - [[柴田柚菜]]、アイドル([[乃木坂46]]) * 2003年 - [[岡崎百々子]]、元アイドル、モデル([[BABYMETAL]]) * 2003年 - [[斎藤愛莉]]、グラビアアイドル * [[2004年]] - [[一宮希帆]]、AV女優 * 生年不明 - [[小木曽佳成]]、声優 * 生年不明 - [[緒田マリ]]、声優 * 生年不明 - 桃丸ねくと、元アイドル([[GEMS COMPANY]]) == 忌日 == [[Image:Hooke Microscope-03000276-FIG-4.jpg|thumb|277x277px|[[フックの法則]]など発見した物理学者・生物学者[[ロバート・フック]](1635 - 1703)没。画像はフック自作の顕微鏡]] [[File:Aurangzeb in old age.jpg|thumb|240x240px|[[アウラングゼーブ]](1618 - 1707)。[[ムガル帝国]]の版図は没年までに最大となったが、死後に帝国は崩壊した。]] [[Image:Robert and James Adam. Details for Derby House in Grosvenor Square. Published 1777.jpg|thumb|236x236px|建築家[[ロバート・アダム]](1728 - 1792)没。[[グロテスク]]様式を洗練させた{{仮リンク|アダムスタイル|en|Adam style}}で知られる]] * [[1040年]] - [[クニグンデ・フォン・ルクセンブルク]]、[[ハインリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)|神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世]]の皇后(* [[975年]]頃) * [[1108年]]([[天仁]]元年[[1月19日 (旧暦)|1月19日]]) - [[源義親]]、[[平安時代]]の[[武将]] * [[1111年]] - [[ボエモン1世 (アンティオキア公)|ボエモン1世]]、[[アンティオキア公国|アンティオキア公]](* [[1068年]]頃) * [[1554年]] - [[ヨハン・フリードリヒ (ザクセン選帝侯)|ヨハン・フリードリヒ]]、[[ザクセン公国|ザクセン公]](* [[1503年]]) * [[1615年]]([[慶長]]20年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]) - [[督姫]]、[[徳川家康]]の次女(* [[1565年]]) * [[1703年]] - [[ロバート・フック]]、[[物理学者]]、[[生物学者]](* [[1635年]]) * [[1706年]] - [[ヨハン・パッヘルベル]]、[[作曲家]](* [[1653年]]) * [[1707年]] - [[アウラングゼーブ]]、[[ムガル帝国]][[皇帝]](* [[1618年]]) * [[1768年]] - [[ニコラ・ポルポラ]]、作曲家(* [[1686年]]) * [[1792年]] - [[ロバート・アダム]]、[[建築家]](* [[1728年]]) * [[1824年]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ]]、作曲家、[[ヴァイオリニスト]](* [[1755年]]) * [[1833年]] - [[ハインリッヒ・ヴェルナー]]、[[音楽]][[教員|教師]] (* [[1800年]]) * [[1850年]]([[嘉永]]3年[[1月20日 (旧暦)|1月20日]]) - [[松平斉典]]、[[川越藩|川越藩主]](* [[1797年]]) * [[1854年]] - [[ハリエット・スミスソン]]、[[俳優|女優]](* [[1800年]]) * [[1855年]] - [[ジャック=シャルル・デュポンドルール]]、[[フランス]]臨時政府議長(* [[1767年]]) * [[1869年]] - [[ジェイムズ・ガスリー (政治家)|ジェイムズ・ガスリー]]、第21代[[アメリカ合衆国財務長官]](* [[1792年]]) * [[1882年]] - [[ホーレス・メイナード]]、第31代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1814年]]) * [[1914年]] - [[下岡蓮杖]]、[[写真家]]、[[画家]](* [[1823年]]) * [[1926年]] - [[ユリウス・エプシュタイン]]、[[ピアニスト]](* [[1832年]]) * [[1928年]] - [[ヤン・トーロップ]]、画家(* [[1858年]]) * [[1932年]] - [[オイゲン・ダルベール]]、作曲家(* [[1864年]]) * [[1943年]] - [[小錦八十吉 (2代)]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1887年]]) * [[1954年]] - [[岩田巌]]、[[経済学者]](* [[1905年]]) * [[1961年]] - [[パウル・ウィトゲンシュタイン]]、ピアニスト(* [[1887年]]) * [[1970年]] - [[佐藤観次郎]]、[[ジャーナリスト]]、[[日本社会党]][[衆議院議員]](* [[1901年]]) * [[1974年]] - [[ジョン・クーパー (陸上選手)|ジョン・クーパー]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]](* [[1940年]]) * [[1975年]] - [[オットー・ウィンツァー]]、[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)外相(* [[1902年]]) * [[1977年]] - [[竹内好]]、[[中国文学者]](* [[1910年]]) * [[1982年]] - [[ジョルジュ・ペレック]]、[[小説家]](* [[1936年]]) * [[1983年]] - [[安東聖空]]、[[書道|書家]](* [[1893年]]) * 1983年 - [[アーサー・ケストラー]]、小説家、[[思想家]](* [[1905年]]) * 1983年 - [[エルジェ]]、[[漫画家]](* [[1907年]]) * [[1987年]] - [[ダニー・ケイ]]、[[俳優]]、[[歌手]]、[[コメディアン]](* [[1913年]]) * [[1989年]] - [[大坂志郎]]、俳優(* [[1920年]]) * [[1990年]] - [[シャーロット・ムーア=シタリー]]、[[天文学者]](* [[1898年]]) * [[1992年]] - [[レラ・ロンバルディ]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(* [[1941年]]) * [[1993年]] - [[カルロス・マルセロ]]、[[マフィア]]のボス(* [[1910年]]) * [[1996年]] - [[マルグリット・デュラス]]、[[作家]](* [[1914年]]) * [[1997年]] - [[スタニスラフ・シャターリン]]、経済学者(* [[1934年]]) * [[1999年]] - [[ゲルハルト・ヘルツベルク]]、[[化学者]](* [[1904年]]) * 1999年 - [[藤原弘達]]、政治評論家(* [[1921年]]) * [[2002年]] - [[今井俊満]]、画家(* [[1928年]]) * [[2003年]] - [[ゴッフレド・ペトラッシ]]、作曲家(* [[1904年]]) * 2003年 - [[ホルスト・ブッフホルツ]]、俳優(* [[1933年]]) * [[2005年]] - [[リヌス・ミケルス]]、[[サッカー選手]]・監督(* [[1928年]]) * [[2007年]] - [[オズヴァルド・カヴァンドーリ]]、[[カートゥーン]]作家(* [[1920年]]) * [[2008年]] - [[ジュゼッペ・ディ・ステファーノ]]、[[テノール]]歌手(* [[1921年]]) * 2008年 - [[松永伍一]]、[[詩人]](* [[1930年]]) * 2008年 - [[広川太一郎]]、[[声優]]、[[ナレーター]](* [[1939年]]) * 2008年 - [[マルコム・マッケナ]]、[[古生物学者]](* [[1930年]]) * [[2012年]] - [[杉岡華邨]]、[[書家]](* [[1913年]]) * [[2014年]] - [[安井昌二]]、[[俳優]](* [[1928年]]) * [[2015年]] - [[三五十五]]、パフォーマー、[[ミュージシャン]]([[電撃ネットワーク]])(* [[1962年]]) * [[2016年]] - [[寺田文行]]、[[数学者]](* [[1927年]]) * [[2017年]] - [[清水房雄]]、歌人(* [[1915年]]) * 2017年 - [[レイモン・コパ]]、元サッカー選手(* [[1931年]]) * [[2020年]] - [[勝目梓]]、小説家(* [[1932年]]) * 2020年 - [[別役実]]、[[劇作家]](* [[1937年]]) * [[2021年]] - [[小笠原直樹]]、[[実業家]](* [[1951年]]) * 2021年 - [[三宅秀史]]、元プロ野球選手(* [[1934年]]) * [[2022年]] - [[西村京太郎]]、小説家(* [[1930年]]) * 2022年 - [[三沢淳]]、元プロ野球選手(* [[1952年]]) * [[2023年]] - [[大江健三郎]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230313/k10014006861000.html |title=ノーベル文学賞 大江健三郞さん 死去 88歳 |accessdate=25 Aug 2023 |date=13 Mar 2023 |website=[[日本放送協会|NHK]] NEWS WEB}}</ref>、小説家(* [[1935年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Hina matsuri display.jpg|thumb|180x180px|[[雛祭り]]]] * [[上巳]](じょうし/じょうみ)、桃の節句([[雛祭り]])({{JPN}}) *: 五[[節句]]の一つ。各国では[[3月3日 (旧暦)|旧暦3月3日]]だが日本では新暦で祝う。 *: [[旧暦]]の[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]は、[[五節句]]の一つである桃の節句・雛祭り([[上巳]])。[[グレゴリオ暦]]が[[新暦]]として施行されて以降、[[五節句]]の一つであった桃の節句([[上巳]])が、[[新暦]]に換算されることなく[[グレゴリオ暦]]の'''3月3日'''に行われている。 *平和の日({{World}}) *: [[1984年]]の[[国際ペンクラブ]]東京大会で、[[日本ペンクラブ]]の発案により制定され、[[1985年]]から世界中で実施。「女の子の健やかな成長を祝う雛祭りは平和の象徴である」との考えから。 * [[クニグンデ・フォン・ルクセンブルク|聖クニグンデ]]の日 ({{World}}) *: 聖クニグンデの命日。 * [[キャサリン・ドレクセル|聖キャサリン・ドレクセル]]の日 ({{World}}) *: 聖キャサリン・ドレクセルの命日。 * [[世界野生生物の日]] ({{UN}}) *: [[絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約|ワシントン条約]]が[[1973年]]3月3日に採択されたことを記念して、[[2013年]]、国連が3月3日を「世界野生生物の日」に制定。 * [[建国記念日|解放記念日]]({{BGR}}) *: [[1878年]]のこの日、[[オスマン帝国]]から独立して[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア王国]]が成立した。 * [[サムギョプサル]]の日({{KOR}}) *: [[農業協同組合_(韓国)|韓国の農業協同組合]]が[[2003年]]に制定。サムが数字の3を意味し、3が重なることから。 * [[耳の日]]({{JPN}}) *: [[日本耳鼻咽喉科学会]]が[[1956年]]に制定。3月3日の「33」が「みみ」と読めることに由来する。「3」が耳の形に似ているから、また、電話の発明者[[グラハム・ベル|ベル]]の誕生日であったからとも言われる。 * [[民間放送|民放]][[ラジオ]]の日({{JPN}}) *: [[日本民間放送連盟]]ラジオ委員会が[[2008年]]に制定。「耳の日」にちなむ。 * [[オーディオブック]]の日({{JPN}}) *: オーディオブックは耳で聴くことから、3と3の語呂合わせに由来する。 * [[金魚]]の日({{JPN}}) *: 江戸時代後期頃、3月3日に雛壇に金魚を飾る風習があったことに由来する。 * [[三十三観音]]の日({{JPN}}) *: 三十三観音ネットワーク会議が2010年に制定。 * 織田信秀忌({{JPN}}) *: [[織田信長]]の父で、尾張の虎と怖れられた[[織田信秀]]は、天文20年3月3日([[1551年]][[4月8日]])、末森城で死去。墓所は[[名古屋市]][[大須 (名古屋市)|大須]]の[[萬松寺|万松寺]]と名古屋市[[千種区]]の[[桃巌寺]]にある。織田信秀の葬儀の際に信長が位牌に抹香を投げつけた事件は、万松寺が舞台。その万松寺では、毎年3月3日に信秀公の追善法要が執り行なわれる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.banshoji.or.jp/keidai_info/keidai/ |title=信秀公墓碑 |access-date=26 Aug 2023 |publisher=亀岳林 万松寺}}</ref>。 * 木内神楽({{JPN}}) *: [[千葉県]][[香取市]]の[[木内大神 (香取市)|木内大神]]で、江戸時代の文化年間(1804~1818)には既に行われていたという神楽が奉納される。地元の有志で組織する木内神楽保存会によって十二座神楽が継承され、氏子の安泰と五穀豊穣・商売繁盛が祈願される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.katori.lg.jp/smph/sightseeing/gyoji/haru/o_kagura.html |title=木内神楽 |access-date=26 Aug 2023 |publisher=香取市役所 |date=1 Feb 2016}}</ref>。 *三十三間堂 春桃会({{JPN}}) *: [[京都府]]の[[三十三間堂]]で「三十三間堂」の名前にちなんだ「三」の重なる桃の節句に行われる法会。華道家元[[池坊]]が桃のいけばなを奉納するほか、千体観音像を特設の高壇から遥拝するなど、縁日(無料公開)のみの慶祝行事が催される。また、この日限定の女性専用「桃のお守り」も授与される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kyoto-np.co.jp/ud/events/61f7663a776561d368000000 |title=「春桃会」三十三間堂 |access-date=26 Aug 2023 |publisher=[[京都新聞]] |date=3 Mar 2022}}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0303|date=Aug 2023}} === 誕生日(フィクション) === * [[1906年]] - 李紅蘭、ゲーム『[[サクラ大戦シリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://sakura-taisen.com/archives/game/psp/chara_kohran.html |title=李 紅蘭 |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]] [[レッド・エンタテインメント|RED]] |work=『サクラ大戦 1&2』}}</ref> * [[1989年]] - 釘宮円、漫画・アニメ『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://king-cr.jp/special/negima/11.html |title=11.釘宮 円(くぎみや まどか) |access-date=25 Aug 2023 |work=『魔法先生ネギま!麻帆良学園中等部2-A』 |publisher=[[キングレコード|KING RECORD CO., LTD.]]}}</ref> * 1989年 - [[桂ヒナギク]]、漫画・アニメ『[[ハヤテのごとく!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=畑健二郎|authorlink=畑健二郎|date=2005-11-18|title = ハヤテのごとく! |volume=4巻|series=少年サンデーコミックススペシャル|publisher = [[小学館]] |isbn=978-4091272744}}</ref> * [[1991年]] - [[瀬川おんぷ]]、アニメ『[[おジャ魔女どれみ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1583143169 |title=【アニメ今日は何の日?】3月3日は『おジャ魔女どれみ』より、超人気チャイドルであり、史上最高の天才魔女見習「瀬川おんぷ」の誕生日! 努力家でもある彼女はどれみたちとも次第に打ち解けていく! |access-date=25 Aug 2023 |publisher=animateTimes |date=3 Mar 2020}}</ref> * [[2000年]] - [[太鼓の達人の登場人物一覧#キャラクター一覧|和田どん]]、ゲーム『[[太鼓の達人]]』に登場するキャラクター<ref name="taiko">{{Cite web|和書|url=http://taiko-ch.net/chara/donkatsu.php |title=キャラクター どんちゃん・かっちゃん |work=『太鼓の達人』 |accessdate=25 Aug 2023 |publisher=[[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]]}}</ref> * [[2000年]] - [[太鼓の達人の登場人物一覧#キャラクター一覧|和田かつ]]、ゲーム『太鼓の達人』に登場するキャラクター<ref name="taiko" /> * [[2005年]] - 滅田駄作、アニメ『[[あはれ!名作くん|あはれ!名作くん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aware_meisaku|1234630102006157313}}</ref> * 2137年 - 水鏡美三香、アニメ『[[蒼穹のファフナー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://fafner-exodus.jp/special/character/mimika.html |title=水鏡 美三香 |work=『蒼穹のファフナーEXODUS』 |accessdate=25 Aug 2023 |publisher=[[XEBEC]]・FAFNER EXODUS PROJECT [[キングレコード|KING RECORD CO., LTD.]]}}</ref> * 2163年 - 七姫一明、ゲーム『[[はーとふる彼氏]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=高橋和希|authorlink=高橋和希|date=2012-09-27|title =はーとふる彼氏 公式ファンブック|publisher =[[一迅社]] |isbn = 978-4758012805 }}</ref> * 2283年 - [[ロックオン・ストラトス]]、アニメ『[[機動戦士ガンダム00]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1583125103 |title=【アニメ今日は何の日?】3月3日は『機動戦士ガンダム00』に登場する『ロックオン・ストラトス』の誕生日です!世界の歪みを正すため、守りたいもののために狙い撃った男たち! |access-date=25 Aug 2023 |publisher=animateTimes |date=3 Mar 2020}}</ref> * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]755年 - ソフィア・エスティード、ゲーム『[[スターオーシャン Till the End of Time]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=52|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - [[両津勘吉]]、漫画・アニメ・舞台・ドラマ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』の主人公<ref name="kochikame">『こちら葛飾区亀有公園前派出所』8巻 [[集英社]]</ref> * 生年不明 - 龍咲海、漫画・アニメ『[[魔法騎士レイアース]]』の主人公のひとり * 生年不明 - [[イエロー (ポケットモンスターSPECIAL)|イエロー]](イエロー・デ・トキワグローブ)、漫画『[[ポケットモンスターSPECIAL]]』の主人公のひとり<ref>{{Twitter status|poke_times|1102010748769849346}}</ref> * 生年不明 - 守東桃香、ゲーム・アニメ『[[桃華月憚]]』の主人公 * 生年不明 - 瀬名泉水、漫画・小説・アニメ『[[LOVE STAGE!!]]』の主人公<ref>{{Twitter status|lovestage_tv|572604564622331904}}</ref> * 生年不明 - 芹沼花依、漫画・アニメ『[[私がモテてどうすんだ]]』の主人公 * 生年不明 - 橋本駿、小説・アニメ『[[エトランゼシリーズ|海辺のエトランゼ]]』の主人公<ref>{{Twitter status|etranger_anime|1234785676098297857}}</ref> * 生年不明 - [[リノア・ハーティリー]]、ゲーム『[[ファイナルファンタジーVIII]]』のヒロイン<ref>{{Twitter status|finalfantasyjp|1499225551919190018}}</ref> * 生年不明 - 水野遥、漫画・アニメ『[[東京大学物語]]』のヒロイン * 生年不明 - 物部深月、小説・アニメ『[[銃皇無尽のファフニール]]』のヒロインのひとり<ref>{{Twitter status|fafnir_anime|705362968456769541}}</ref> * 生年不明 - 水上凛心、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/minakami_riko |title=群馬 水上 凛心 |access-date=25 Aug 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref> * 生年不明 - 香山かこ、人形玩具『[[リカちゃん]]』に登場するキャラクター<ref name="licca">{{Cite web|和書|url=http://licca.takaratomy.co.jp/profile/index.html |title=リカちゃん プロフィール |publisher=[[タカラトミー]] |accessdate=25 Aug 2023 |work=『リカちゃん』}}</ref> * 生年不明 - 香山みく、人形玩具『リカちゃん』に登場するキャラクター<ref name="licca" /> * 生年不明 - 香山げん、人形玩具『リカちゃん』に登場するキャラクター<ref name="licca" /> * 生年不明 - 牧場らむりん、ベネッセの教材『[[こどもちゃれんじ]]』、アニメ『[[しましまとらのしまじろう]]』『[[はっけん たいけん だいすき! しまじろう]]』『[[しまじろうヘソカ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|shimajiroTV|37405962671226881}}</ref> * 生年不明 - こいぬまさくらこ、ベネッセの教材『こどもちゃれんじ』、アニメ『しまじろうヘソカ』『[[しまじろうのわお!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kodomochallenge|307022442960941056}}</ref> * 生年不明 - 兵藤たまさぶろう、ベネッセの教材『こどもちゃれんじ』、アニメ『しまじろうヘソカ』『しまじろうのわお!』に登場するキャラクター * 生年不明 - 佐々木洋子、漫画・アニメ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』に登場するキャラクター<ref name="kochikame" /> * 生年不明 - [[HUNTER×HUNTERの登場人物#レオリオ=パラディナイト|レオリオ=パラディナイト]]、漫画・アニメ『[[HUNTER×HUNTER]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=冨樫義博|authorlink=冨樫義博|date=2004-06-04 |title =HUNTER×HUNTERハンター協会公式発行ハンターズ・ガイド|page = 54 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn=978-4088737010}}</ref> * 生年不明 - アンドリュー・ナンセン、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|authorlink=星野桂|date=2008-06-04|title=D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃|page=105|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088742489}}</ref> * 生年不明 - キレドリ、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 愛丸、漫画・アニメ『[[トリコ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 三虎、漫画・アニメ『トリコ』に登場するキャラクター * 生年不明 - ヒメちゃん、漫画・アニメ『[[戦勇。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im2998883?manga_user |title=戦勇キャラの誕生日 |accessdate=25 Aug 2023 |author=[[春原ロビンソン]] |date=6 Apr 2013 |work=[[ニコニコ静画]] |publisher=[[ドワンゴ|DWANGO Co., Ltd.]]}}</ref> * 生年不明 - 橘万里花、漫画・アニメ『[[ニセコイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|nisekoi_k|837646324929437696}}</ref> * 生年不明 - 田中龍之介、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|date=2012-06-04|title=ハイキュー!!|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088704531|volume=1巻|page=130}}</ref> * 生年不明 - 月山習(MM)、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 結束夏凛、漫画・アニメ『[[ワールドトリガー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|w_trigger_off|1499038066312241155}}</ref> * 生年不明 - 石上優、漫画『[[かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜|かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~]]』に登場するキャラクター<ref name="kaguya">『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』190話(「[[週刊ヤングジャンプ]]」2020年41号掲載)</ref> * 生年不明 - 藤原千花、漫画『かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~』に登場するキャラクター<ref name="kaguya" /> * 生年不明 - 神戸弥生、漫画『[[A・Iが止まらない!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 雨流俊樹、漫画・アニメ『[[GetBackers-奪還屋-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 姉ヶ崎妙、漫画・アニメ『[[スクールランブル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=小林尽|authorlink=小林尽|date=2006-03-17|title=School Rumble Treasure File|page=84|publisher=[[講談社]]|isbn=978-4063721379}}</ref> * 生年不明 - 百目鬼静、漫画・アニメ・映画『[[XXXHOLiC]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|xxxholic_movie|1499218005028442120}}</ref> * 生年不明 - 栄村茜、漫画・アニメ『[[アホガール]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ヒロユキ|authorlink=ヒロユキ|title=アホガール|series=[[講談社コミックス]]|date=2015-05-15|publisher=[[講談社]]|page=151|volume=6巻|isbn=978-4063953930}}</ref> * 生年不明 - 橋本美波、漫画『[[りぶねす]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=堂本裕貴|authorlink=堂本裕貴|date=2018-04-09|title=りぶねす|volume=10巻|page=193|publisher=[[講談社]]|series=[[講談社コミックス]]|isbn=978-4065112724}}</ref> * 生年不明 - プリンセス火華、漫画・アニメ『[[炎炎ノ消防隊]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|fireforce_pr|1102043500101611521}}</ref> * 生年不明 - 古賀春華、漫画・アニメ『[[H2 (漫画)|H2]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 久賀舘要、漫画・アニメ『[[史上最強の弟子ケンイチ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=松江名俊|authorlink=松江名俊|title=史上最強の弟子ケンイチ 公式ガイドブック 史上最強の秘伝書|series=少年サンデーコミックススペシャル|page=112|publisher=[[小学館]]|date=2014-05-16|isbn=978-4091250162}}</ref> * 生年不明 - 中川かのん、漫画・アニメ『[[神のみぞ知るセカイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=神のみぞ知るセカイ |date=22 Oct 2008 |publisher=[[小学館]] |page=186 |volume=2 |isbn=978-4-09-121497-3 |author=[[若木民喜]]}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=若木民喜|authorlink=若木民喜|editor=キャラメル・ママ|date=2013-09-18|title=神のみぞ知るセカイ公式ガイドブック|page=32|publisher=[[小学館]]|series=少年サンデーコミックススペシャル|isbn=978-4091244512}}</ref> * 生年不明 - 緒川結衣、漫画・アニメ『[[鉄のラインバレル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 神崎川夜梨子、漫画『[[サード・ガール]]』に登場するキャラクター<ref>コミックス(注:何巻のどこ?)掲載のプロフィールより。なお、当初は[[1970年]]と明記されていた。</ref> * 生年不明 - マリポワ、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ|authorlink=東まゆみ|date=2009-03-10|title=EREMENTAR GERADアルティメットガイド|series=BLADE COMICS|page=63|publisher=[[マッグガーデン]]|isbn=978-4861276163}}</ref> * 生年不明 - 瀬戸燦、漫画・アニメ『[[瀬戸の花嫁 (漫画)|瀬戸の花嫁]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|gonzo_bb|1499271604336939008}}</ref> * 生年不明 - 宇佐見秋彦、漫画・アニメ『[[純情ロマンチカ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 三色翠、漫画・アニメ『[[流星戦隊ムスメット]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 若宮ひかる、漫画・ドラマCD『[[萌えカレ!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 小鳥桃葉、漫画・アニメ『[[がくえんゆーとぴあ まなびストレート!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 矢野あやね、漫画・アニメ『[[君に届け]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 祇堂鞠也、漫画・アニメ『[[まりあ†ほりっく]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 百木るん、漫画・アニメ『[[Aチャンネル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=黒田bb|authorlink=黒田bb|titleAチャンネル.zip 「Aチャンネル」ビジュアルファンブック|series=まんがタイムKRコミックス|date=2011-07-27|publisher=[[芳文社]]|page=50|isbn=978-4832240506}}</ref> * 生年不明 - 成瀬優、漫画『[[私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=谷川ニコ|authorlink=谷川ニコ|title=私の友達がモテないのはどう考えてもお前らが悪い。|series=ガンガンコミックスONLINE|date=2015-08-22|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|page=14|isbn=978-4757547148}}</ref> * 生年不明 - 白雪ななみ、漫画『[[シュガー*ソルジャー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 恋塚小夢、漫画・アニメ『[[こみっくがーるず]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|comiga_anime|1102095982961946625}}</ref> * 生年不明 - 藤ヶ崎コニー、漫画『[[オリーブ! Believe,"Olive"?]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|author=文月ふうろ|date=2016-11-26|volume=2巻|title=オリーブ! Believe,"Olive"?|quote=2(CHARACTERS)|publisher=[[芳文社]]|series=[[まんがタイムKRコミックス]]|isbn=978-4832247710}}</ref> * 生年不明 - 武蔵和歌、漫画・アニメ『[[おちこぼれフルーツタルト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=[[浜弓場双]] |date=2019-10-27 |title=おちこぼれフルーツタルト |page=2 |volume=4巻 |publisher=[[芳文社]] |series=[[まんがタイムKRコミックス]] |isbn=978-4832271302}}</ref> * 生年不明 - ラブピョコ、特撮『[[ポリス×戦士 ラブパトリーナ!]]』に登場するキャラクター<ref>第5話のラブパトてちょーのプロフィールページより</ref> * 生年不明 - 小桜ののか、漫画『[[素敵な彼氏]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|betsuma_info|1102092155990892544}}</ref> * 生年不明 - 兎原跳吉、漫画・アニメ『[[うらみちお兄さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|uramichi_anime|1366947735534886917}}</ref> * 生年不明 - 森山良春、漫画『[[おじさまと猫]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sakurai_umi_|1499225033604239360}}</ref> * 生年不明 - 桃崎ひな、キャラクターCD・アニメ『[[ツキウタ。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://tsukino-pro.com/tsukiuta/character/hina |title=03 桃崎 ひな |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[ムービック]] TSUKIUTA |work=『ツキウタ。』}}</ref> * 生年不明 - 平泉あおば、キャラクターコンテンツ『[[鉄道むすめ]]』に登場するキャラクター<ref name=":0">{{Twitter status|tateishi_aoba|1499157607680032770}}</ref> * 生年不明 - 平泉つばさ、キャラクターコンテンツ『鉄道むすめ』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> * 生年不明 - [[ハイスクールD×Dの登場人物#ルフェイ・ペンドラゴン|ルフェイ・ペンドラゴン]]、小説・アニメ『[[ハイスクールD×D]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ishibumi_ddd|572601235922026496}}</ref> * 生年不明 - 比企谷小町、小説・アニメ『[[やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|watariwataru|1499037664443789318}}</ref> * 生年不明 - 三世院やよい、読者参加企画・アニメ『[[HAPPY★LESSON]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://archive.asciimw.jp/mediamix/happy/chara/index.php |title=キャラクター紹介 三世院やよい |work=『HAPPY★LESSON』 |publisher=[[アスキー・メディアワークス]] |accessdate=25 Aug 2023 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090304013826/http://archive.asciimw.jp/mediamix/happy/chara/index.php |archivedate=4 Mar 2009}}</ref> * 生年不明 - 玉城真一郎、アニメ『[[コードギアス 反逆のルルーシュ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|geass_gr|1499036824072818688}}</ref> * 生年不明 - 万里小路楓、アニメ『[[ハイスクール・フリート]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|work=『ハイスクール・フリート』 |url=https://www.hai-furi.com/character/02_06/ |title=万里小路 楓 |accessdate=25 Aug 2023 |publisher=AAS/海上安全整備局 AAS/新海上安全整備局}}</ref> * 生年不明 - 燕結芽、アニメ・漫画「[[刀使ノ巫女]]」に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://tojinomiko.jp/chara/11.html |title=燕 結芽 |accessdate=25 Aug 2023 |work=『刀使ノ巫女』 |publisher=伍箇伝計画/刀使ノ巫女製作委員会}}</ref><ref>{{Twitter status|tojitomo|969781083851038726}}</ref> * 生年不明 - 岩戸高志、アニメ『[[イナズマイレブン アレスの天秤]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=25 Aug 2023}}</ref> * 生年不明 - ラビリン、アニメ『[[ヒーリングっど♥プリキュア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/healingood_precure/character/chara4.php |title=ラビリン |work=『ヒーリングっど♥プリキュア』 |publisher=[[朝日放送テレビ|ABC-A]]・[[東映アニメーション]] |accessdate=25 Aug 2023}}</ref> * 生年不明 - 館林見晴、ゲーム・アニメ『[[ときめきメモリアル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[四条雛子]]、ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]]』のキャラクター<ref name=":1">{{Twitter status|kof98umol|969739284340232192}}</ref> * 生年不明 - サンマン、ゲーム『[[ファイティングバイパーズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 風間アキラ、ゲーム『[[ジャスティス学園]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|StreetFighterJA|1366916235707830274}}</ref> * 生年不明 - 本郷桃香、ゲーム・アニメ『[[東京魔人學園剣風帖]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 伊東なつき、ゲーム『[[ゲッターラブ!! ちょー恋愛パーティーゲーム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/getterlove/quest7.html|title=ゲッターラブ!!質問コーナー第7回|date=2004-08-13-070908|accessdate=25 Aug 2023}}</ref> * 生年不明 - ユーリス、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 小牧郁乃、ゲーム・アニメ『[[ToHeart2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|AQUAPLUS_JP|969588146076762113}}</ref> * 生年不明 - ラグナ=ザ=ブラッドエッジ、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.blazblue.jp/cf/ac/character/ragna.html |title=ラグナ=ザ=ブラッドエッジ |publisher=[[アークシステムワークス|ARC SYSTEM WORKS]] |accessdate=25 Aug 2023 |work=『BLAZBLUE CENTRALFICTION AC版』}}</ref> * 生年不明 - 周防天音、ゲーム・アニメ『[[グリザイアシリーズ|グイリザイアの果実]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|grisaia_fw|1499036812551020546}}</ref> * 生年不明 - [[天ヶ瀬冬馬]]、ゲーム『[[THE IDOLM@STER 2|アイドルマスター2]]』、『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/40008 |title=天ヶ瀬 冬馬(あまがせ とうま) |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 今井加奈、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20021 |title=今井 加奈(いまい かな) |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 円城寺小菊、ゲーム『[[ガールフレンド(仮)|ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130515_163226/ |title=【ガールフレンド(仮)通信37】華麗に舞う和服美少女 円城寺小菊ちゃん(CV:吉岡沙知) |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[KADOKAWA Game Linkage|KADOKAWA Game Linkage Inc.]] |website=ファミ通App |date=15 May 2013}}</ref> * 生年不明 - 麻生三月、ゲーム『[[Berry's]]』に登場するキャラクー<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cuffs-sphere.jp/products/berrys/char/mitsuki/ |title=麻生三月 |work=『Berry's』 |accessdate=25 Aug 2023 |publisher=[[Sphere]]}}</ref> * 生年不明 - 桜沢瑠風、ゲーム『[[ボーイフレンド(仮)|ボーイフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|boyfriend_kari|969588151919378432}}</ref><ref>{{Twitter status|boykiraofficial|969739130941988864}}</ref> * 生年不明 - カイネ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=35&cate=name&cont=Kaine |title=カイネ |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[ジークレスト| GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 鳴上嵐、ゲーム・漫画・アニメ『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/narukami_arashi/ |title=鳴上 嵐 |accessdate=25 Aug 2023 |publisher=[[Happy Elements]] |work=『あんさんぶるスターズ!!』}}</ref> * 生年不明 - 虹野ゆめ、ゲーム・アニメ『[[アイカツスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aikatsu.net/aikatsuonparade/character/yume.html |title=虹野ゆめ |access-date=25 Aug 2023 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP]]/[[バンダイ|BANDAI]], [[電通|DENTSU]], [[テレビ東京|TV TOKYO]] |work=『アイカツオンパレード!』}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=バンダイナムコピクチャーズ(監修)|authorlink=バンダイナムコピクチャーズ|date=2016-09-14|title=アイカツスターズ! アイドル名かん|publisher=[[小学館]]|series=テレビ超ひゃっか|pages=8,9|isbn=978-4097504184}}</ref> * 生年不明 - 槙慶太、ゲーム・アニメ『[[スタンドマイヒーローズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.standmyheroes.tv/character/detail_revel.html |title=Revel - 槙 慶太 |accessdate=25 Aug 2023 |publisher=[[coly]]/SMHP |website=『スタンドマイヒーローズ PIECE OF TRUTH』}}</ref> * 生年不明 - 正宗白鳥、ゲーム・アニメ『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|bunal_pr|969588226397622272}}</ref> * 生年不明 - 有原翼、ゲーム・アニメ『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/arihara |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatsuki Inc.]] |title=有原 翼 |accessdate=25 Aug 2023 |work=『八月のシンデレラナイン』}}</ref> * 生年不明 - マヒル、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1631474477681786881}}</ref> * 生年不明 - 柏木咲姫、アーケード音楽ゲーム『[[オンゲキ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ongeki.sega.jp/character/1100/ |title=柏木 咲姫 |work=『オンゲキ』 |accessdate=25 Aug 2023 |publisher=[[セガ|SEGA]]}}</ref> * 生年不明 - [[若草あおい]]、ゲーム・アニメ『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://argo-bdp.com/character/fujin-rizing/#wakakusa |title=若草あおい |access-date=25 Aug 2023 |publisher=ARGONAVIS project. [[ブシロード|bushiroad]] |work=『from ARGONAVIS』}}</ref> * 生年不明 - [[少女☆歌劇 レヴュースタァライト#花柳香子|花柳香子]]、メディアミックス作品『[[少女☆歌劇 レヴュースタァライト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|starlightrelive|1102010701424422914}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commons&cat|March 3|3 March}} {{新暦365日|3|2|3|4|[[2月3日]]|[[4月3日]]|[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]|0303|3|03}} {{1年の月と日}}
2003-03-01T04:41:58Z
2023-12-30T16:41:29Z
false
false
false
[ "Template:カレンダー 3月", "Template:Reflist", "Template:Cite book", "Template:Twitter status", "Template:Wayback", "Template:1年の月と日", "Template:JPN", "Template:BGR", "Template:KOR", "Template:Cite web", "Template:Commons&cat", "Template:仮リンク", "Template:World", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Kotobank", "Template:新暦365日", "Template:UN", "Template:フィクションの出典明記" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%883%E6%97%A5
3,121
白浜町
白浜町(しらはまちょう)は、和歌山県西牟婁郡にある町。千葉県などにも存在する白浜という地名と区別する意味で、紀伊半島あるいは旧紀伊国(和歌山県)の南を意味する「南紀」を冠して南紀白浜と呼ばれることもある。古くは奈良時代から、温泉街として有名である。 和歌山県南西部の太平洋岸に位置する。北側は2か所に分かれて田辺市と境を接し、間に挟まれるように西牟婁郡上富田町がある。南側は西牟婁郡すさみ町がある。町の東部はわずかに東牟婁郡古座川町と隣接する。 観光業と農業、水産業が経済を支えている。夏の海では小さな熱帯魚と共に泳ぐこともできるほか、沖合いに黒潮が流れているという恩恵もあり、一年を通じて温暖な気候で知られる。南紀白浜温泉(白浜温泉)や椿温泉(古くから白浜温泉の奥座敷として知られる)など温泉が多く湧出し(旧日置川町内にもある)、年間を通じて近畿を中心に観光客が訪れる。南紀白浜空港が所在し、近年は台湾などからのチャーター便が直行している。白良浜などの海水浴場付近を中心に、リゾート施設ほか企業・各種団体などの別荘や保養所が多数集まっている。 また、世界遺産にも登録された熊野古道の大辺路ルートが2本(富田坂・仏坂)通っており、こちらも観光の対象となっている。 なお、白浜町には全国でも珍しい、行政区画上の字がない住所がある。これは白浜町の中心部に存在し、役場・温泉街などの旧瀬戸鉛山村地区にある。この場合の住所は「白浜町****番地」である(白浜町役場の住所の項を参照)。住民らは慣れた地区名(湯崎、瀬戸、三段、綱不知などがある)で呼んでいるが、観光客からは場所がわかりづらいという声もある(湯崎、三段あたりは温泉旅館、ホテル密集地帯でもある)。 2010年(平成22年)の町長選は3月7日に出直し選挙が行われて現職の町長(当時)が再選されたが、公職選挙法259条の2の規定によって前回の町長選挙から2週間あまりしか経たない同年3月22日に再び任期満了の選挙が行われて新人が町長に当選し、半月の間に2度も町長選挙が実施されるという異例の事態が発生した。 厳しい財政状況の中、選挙に税金が使われることに町民からは批判の声もあった。 なお、後述するアメリカ合衆国ハワイ州との提携関係があることから、夏期は南国ムードを演出する目的もあり、主要交通機関や自治体・観光業などの職員らの制服の多くがアロハシャツとなる(概ね6月初頭から9月末まで)。 2011年(平成23年)12月5日、水本雄三町長と熊崎訓自副町長が「精神的苦痛を受けた」などとして、ごみ焼却場の使用期間延長交渉の当時の担当課長と副課長、区との協議に立ち会った町議会議長、区長、副区長ら6人を相手に慰謝料を求める訴訟を和歌山地裁田辺支部に起こしていたことが分かった。 2012年(平成24年)3月23日、辞意を表明していた水本雄三町長が、町議会の西尾智朗議長に辞表を提出した。その後開かれた町議会定例会で報告され、全会一致で同意された。 隣接する田辺市の経済圏である。 町の主要な産業は観光業である。町内には多くの温泉が湧出することもあり、多数のホテルが林立している。さらさらとした白い砂が特徴的な白良浜(しららはま)海水浴場は、夏になると近畿一円から海水浴客が訪れる。隣接する上富田町にまたがって、ゴルフ場がいくつか存在する。パンダ飼育で知られる複合型娯楽施設・アドベンチャーワールドもテレビCMを放映していることもあり、観光地としての知名度は高い。旧日置川町エリアでは、夏は日置川流域でのアユ釣り(友釣り)が風物詩である。 観光業以外では、旧白浜町域では温室による花卉栽培、そのうち町南部の富田地区はトウモロコシ栽培が盛んである。旧日置川町域ではウメや茶(川添茶)が名産品。また、堅田地区などの臨海地区には漁港もあり、エビ、タイなどが獲れる。 白浜町は政府(内閣府)や和歌山県、在京大手企業(三菱地所など)の協力を得て、休暇(バケーション)に向いた行楽地の環境を楽しみつつ、仕事(ワーク)をする「ワーケーション」に対応したサテライト・オフィスやビジネスパーソンの誘致を行っている。情報技術 (IT) の普及によって出勤しなくても業務ができるテレワークの範囲が広がった上、南紀白浜空港から首都圏を簡単に往復できる立地を生かした。町内のネットワークを相互に結び、外部と接続する出入口を制限することで、災害やサイバー攻撃に強い構造にしている。 こうしたテレワークの取り組みは、白浜町に近い田辺市内に設置されている「和歌山県立情報交流センター ビッグ・ユー」(ビッグU)が支援している。 集配郵便局 無集配郵便局 ゆうちょ銀行 ※白浜町内の郵便番号は以下のとおり。 2000年(平成12年)に米国ハワイ州ホノルル市のワイキキビーチと、「友好姉妹浜」(Goodwill Beach City Relationship) 提携を結ぶ。 大韓民国・果川市 2010年(平成22年)国勢調査(速報値)より前回調査からの人口増減をみると、4.00%減の22,697人であり、増減率は県内30市町村中8位。 和歌山県立南紀高等学校の白浜分校(1983年 閉校)と富田分校(1982年 閉校)がかつてあったが、現在は町内に高等学校はない。 町内に大学はないが、京都大学の実習施設兼水族館「京都大学フィールド科学教育研究センター瀬戸臨海実験所水族館」がある。 また近畿大学が水産研究所の本部および白浜実験場や大学発ベンチャー企業「アーマリン近大」の本社を置いている。近大マグロを含めた養殖魚の研究や商品化では、世界でもトップレベルの実績を残している 特急が停車する中心駅である西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線白浜駅が町への玄関口であるが、所在地としては温泉街中心部から約5kmほど離れた富田(とんだ)地区にある。このため、白浜半島西部に多い温泉地・ホテルまでの交通手段としては、駅前から発着する路線バス(明光バス)・タクシーや、旅館・ホテルによる送迎車を利用することが一般的である。 かつては道路事情があまり良くなく、鉄道が比較的便利であった。大阪まで直通する高速道路の阪和自動車道・南紀田辺ICから延伸する紀勢自動車道が、まず南紀白浜ICまでの区間が2015年7月12日に開通。さらに白浜町の日置川IC、またさらに南のすさみ南ICまで延長されたことにより、鉄道より自動車のほうが大阪や和歌山への利便性が高くなった。JR西日本の特急列車は、白浜駅始発・終着列車も含めて多数設定されている。 東京国際空港(羽田)まで、日本航空(JAL)が1日3往復運航。田辺市や新宮市などにもバスを運行している。 高速バスは大阪市(梅田・なんば地区)から多数の便がある。横浜・東京方面行きの夜行バスも運行されている。 特に、大阪便(白浜エクスプレス大阪号)は往復5,580円(2020年7月現在)と安いことや、みなべICまで阪和道が延長されたことなどにより利便性が増し、人気を得て増便された。明光バスと西日本JRバスの共同運行となっている。2015年(平成27年)7月12日に、紀勢道が南紀田辺ICから南紀白浜ICまで延伸されたが、阪和道みなべIC以南は一般道を走行している。 ※旧・日置川町域の名所などに関しては、日置川町#観光スポットを参照。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "白浜町(しらはまちょう)は、和歌山県西牟婁郡にある町。千葉県などにも存在する白浜という地名と区別する意味で、紀伊半島あるいは旧紀伊国(和歌山県)の南を意味する「南紀」を冠して南紀白浜と呼ばれることもある。古くは奈良時代から、温泉街として有名である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "和歌山県南西部の太平洋岸に位置する。北側は2か所に分かれて田辺市と境を接し、間に挟まれるように西牟婁郡上富田町がある。南側は西牟婁郡すさみ町がある。町の東部はわずかに東牟婁郡古座川町と隣接する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "観光業と農業、水産業が経済を支えている。夏の海では小さな熱帯魚と共に泳ぐこともできるほか、沖合いに黒潮が流れているという恩恵もあり、一年を通じて温暖な気候で知られる。南紀白浜温泉(白浜温泉)や椿温泉(古くから白浜温泉の奥座敷として知られる)など温泉が多く湧出し(旧日置川町内にもある)、年間を通じて近畿を中心に観光客が訪れる。南紀白浜空港が所在し、近年は台湾などからのチャーター便が直行している。白良浜などの海水浴場付近を中心に、リゾート施設ほか企業・各種団体などの別荘や保養所が多数集まっている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "また、世界遺産にも登録された熊野古道の大辺路ルートが2本(富田坂・仏坂)通っており、こちらも観光の対象となっている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "なお、白浜町には全国でも珍しい、行政区画上の字がない住所がある。これは白浜町の中心部に存在し、役場・温泉街などの旧瀬戸鉛山村地区にある。この場合の住所は「白浜町****番地」である(白浜町役場の住所の項を参照)。住民らは慣れた地区名(湯崎、瀬戸、三段、綱不知などがある)で呼んでいるが、観光客からは場所がわかりづらいという声もある(湯崎、三段あたりは温泉旅館、ホテル密集地帯でもある)。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2010年(平成22年)の町長選は3月7日に出直し選挙が行われて現職の町長(当時)が再選されたが、公職選挙法259条の2の規定によって前回の町長選挙から2週間あまりしか経たない同年3月22日に再び任期満了の選挙が行われて新人が町長に当選し、半月の間に2度も町長選挙が実施されるという異例の事態が発生した。 厳しい財政状況の中、選挙に税金が使われることに町民からは批判の声もあった。", "title": "行政" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "なお、後述するアメリカ合衆国ハワイ州との提携関係があることから、夏期は南国ムードを演出する目的もあり、主要交通機関や自治体・観光業などの職員らの制服の多くがアロハシャツとなる(概ね6月初頭から9月末まで)。", "title": "行政" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2011年(平成23年)12月5日、水本雄三町長と熊崎訓自副町長が「精神的苦痛を受けた」などとして、ごみ焼却場の使用期間延長交渉の当時の担当課長と副課長、区との協議に立ち会った町議会議長、区長、副区長ら6人を相手に慰謝料を求める訴訟を和歌山地裁田辺支部に起こしていたことが分かった。", "title": "行政" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "2012年(平成24年)3月23日、辞意を表明していた水本雄三町長が、町議会の西尾智朗議長に辞表を提出した。その後開かれた町議会定例会で報告され、全会一致で同意された。", "title": "行政" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "隣接する田辺市の経済圏である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "町の主要な産業は観光業である。町内には多くの温泉が湧出することもあり、多数のホテルが林立している。さらさらとした白い砂が特徴的な白良浜(しららはま)海水浴場は、夏になると近畿一円から海水浴客が訪れる。隣接する上富田町にまたがって、ゴルフ場がいくつか存在する。パンダ飼育で知られる複合型娯楽施設・アドベンチャーワールドもテレビCMを放映していることもあり、観光地としての知名度は高い。旧日置川町エリアでは、夏は日置川流域でのアユ釣り(友釣り)が風物詩である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "観光業以外では、旧白浜町域では温室による花卉栽培、そのうち町南部の富田地区はトウモロコシ栽培が盛んである。旧日置川町域ではウメや茶(川添茶)が名産品。また、堅田地区などの臨海地区には漁港もあり、エビ、タイなどが獲れる。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "白浜町は政府(内閣府)や和歌山県、在京大手企業(三菱地所など)の協力を得て、休暇(バケーション)に向いた行楽地の環境を楽しみつつ、仕事(ワーク)をする「ワーケーション」に対応したサテライト・オフィスやビジネスパーソンの誘致を行っている。情報技術 (IT) の普及によって出勤しなくても業務ができるテレワークの範囲が広がった上、南紀白浜空港から首都圏を簡単に往復できる立地を生かした。町内のネットワークを相互に結び、外部と接続する出入口を制限することで、災害やサイバー攻撃に強い構造にしている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "こうしたテレワークの取り組みは、白浜町に近い田辺市内に設置されている「和歌山県立情報交流センター ビッグ・ユー」(ビッグU)が支援している。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "集配郵便局", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "無集配郵便局", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ゆうちょ銀行", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "※白浜町内の郵便番号は以下のとおり。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2000年(平成12年)に米国ハワイ州ホノルル市のワイキキビーチと、「友好姉妹浜」(Goodwill Beach City Relationship) 提携を結ぶ。", "title": "姉妹都市・提携都市" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "大韓民国・果川市", "title": "姉妹都市・提携都市" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2010年(平成22年)国勢調査(速報値)より前回調査からの人口増減をみると、4.00%減の22,697人であり、増減率は県内30市町村中8位。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "和歌山県立南紀高等学校の白浜分校(1983年 閉校)と富田分校(1982年 閉校)がかつてあったが、現在は町内に高等学校はない。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "町内に大学はないが、京都大学の実習施設兼水族館「京都大学フィールド科学教育研究センター瀬戸臨海実験所水族館」がある。", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "また近畿大学が水産研究所の本部および白浜実験場や大学発ベンチャー企業「アーマリン近大」の本社を置いている。近大マグロを含めた養殖魚の研究や商品化では、世界でもトップレベルの実績を残している", "title": "地域" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "特急が停車する中心駅である西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線白浜駅が町への玄関口であるが、所在地としては温泉街中心部から約5kmほど離れた富田(とんだ)地区にある。このため、白浜半島西部に多い温泉地・ホテルまでの交通手段としては、駅前から発着する路線バス(明光バス)・タクシーや、旅館・ホテルによる送迎車を利用することが一般的である。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "かつては道路事情があまり良くなく、鉄道が比較的便利であった。大阪まで直通する高速道路の阪和自動車道・南紀田辺ICから延伸する紀勢自動車道が、まず南紀白浜ICまでの区間が2015年7月12日に開通。さらに白浜町の日置川IC、またさらに南のすさみ南ICまで延長されたことにより、鉄道より自動車のほうが大阪や和歌山への利便性が高くなった。JR西日本の特急列車は、白浜駅始発・終着列車も含めて多数設定されている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "東京国際空港(羽田)まで、日本航空(JAL)が1日3往復運航。田辺市や新宮市などにもバスを運行している。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "高速バスは大阪市(梅田・なんば地区)から多数の便がある。横浜・東京方面行きの夜行バスも運行されている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "特に、大阪便(白浜エクスプレス大阪号)は往復5,580円(2020年7月現在)と安いことや、みなべICまで阪和道が延長されたことなどにより利便性が増し、人気を得て増便された。明光バスと西日本JRバスの共同運行となっている。2015年(平成27年)7月12日に、紀勢道が南紀田辺ICから南紀白浜ICまで延伸されたが、阪和道みなべIC以南は一般道を走行している。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "※旧・日置川町域の名所などに関しては、日置川町#観光スポットを参照。", "title": "名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事" } ]
白浜町(しらはまちょう)は、和歌山県西牟婁郡にある町。千葉県などにも存在する白浜という地名と区別する意味で、紀伊半島あるいは旧紀伊国(和歌山県)の南を意味する「南紀」を冠して南紀白浜と呼ばれることもある。古くは奈良時代から、温泉街として有名である。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{Otheruses|[[和歌山県]]にある町|その他|白浜}} {{日本の町村 | 画像 = Shirahama montages.JPG | 画像の説明 = <table style="width:280px;margin:2px auto; border-collapse: collapse"> <tr><td>[[南紀白浜温泉]]<td>[[白良浜]]</tr> <tr><td>[[三段壁]]<td>[[高嶋 (和歌山県)|円月島]]</tr> <tr><td colspan="2">[[アドベンチャーワールド]]</tr> <tr><td>[[椿温泉]]<td>[[南方熊楠記念館]]</tr> </table><br />{{Maplink2|zoom=10|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=270|frame-height=180|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|frame-latitude=33.64|frame-longitude=135.48|text=町庁舎位置}} | 旗 = [[ファイル:Flag of Shirahama Wakayama.svg|75px|白浜町旗]] | 旗の説明 = 白浜町旗 | 紋章 = [[ファイル:Emblem of Shirahama, Wakayama.svg|75px|白浜町章]] | 紋章の説明 = 白浜町章<br />[[1950年]][[12月20日]]制定 | 自治体名 = 白浜町 | 区分 = 町 | 都道府県 = 和歌山県 | 郡 = [[西牟婁郡]] | コード = 30401-8 | 隣接自治体 = [[田辺市]]、[[西牟婁郡]][[上富田町]]、[[すさみ町]]、[[東牟婁郡]][[古座川町]] | 木 = [[さくら]] | 花 = [[はまゆう]] | シンボル名 = 町の鳥 | 鳥など = [[シラサギ]] | 郵便番号 = 649-2211 | 所在地 = 西牟婁郡白浜町1600番地<br />{{Coord|format=dms|type:adm3rd_region:JP-30|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Shirahama town hall.jpg|250px|center]] | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = {{基礎自治体位置図|30|401|image=Shirahama in Wakayama Prefecture Ja.svg|村の色分け=no}} | 特記事項 = |}} [[ファイル:20101130南紀白浜空港.jpg|thumb|upright|白浜町上空俯瞰。滑走路延長線上の弧を描く白い浜が地名由来の白良浜。]] '''白浜町'''(しらはまちょう)は、[[和歌山県]][[西牟婁郡]]にある町。[[千葉県]]などにも存在する白浜という地名と区別する意味で、[[紀伊半島]]あるいは旧[[紀伊国]](和歌山県)の南を意味する「南紀」を冠して'''南紀白浜'''と呼ばれることもある。古くは[[奈良時代]]から、[[温泉地|温泉街]]として有名である。 == 地理 == 和歌山県南西部の[[太平洋]]岸に位置する。北側は2か所に分かれて[[田辺市]]と境を接し、間に挟まれるように西牟婁郡[[上富田町]]がある。南側は西牟婁郡[[すさみ町]]がある。町の東部はわずかに[[東牟婁郡]][[古座川町]]と隣接する。 [[観光業]]と農業、水産業が経済を支えている。夏の海では小さな[[熱帯魚]]と共に泳ぐこともできるほか、沖合いに[[黒潮]]が流れているという恩恵もあり、一年を通じて温暖な気候で知られる。[[南紀白浜温泉]](白浜温泉)や[[椿温泉]](古くから白浜温泉の奥座敷として知られる)など[[温泉]]が多く湧出し(旧[[日置川町]]内にもある)、年間を通じて近畿を中心に観光客が訪れる。[[南紀白浜空港]]が所在し、近年は[[中華民国|台湾]]などからのチャーター便が直行している。白良浜などの[[海水浴]]場付近を中心に、リゾート施設ほか企業・各種団体などの別荘や保養所が多数集まっている。 また、[[世界遺産]]にも登録された[[熊野古道]]の[[大辺路]]ルートが2本(富田坂・仏坂)通っており、こちらも観光の対象となっている。 なお、白浜町には全国でも珍しい、行政区画上の字がない住所がある。これは白浜町の中心部に存在し、役場・温泉街などの旧瀬戸鉛山村地区にある。この場合の住所は「白浜町****番地」である(白浜町役場の住所の項を参照)。住民らは慣れた地区名(湯崎、瀬戸、三段、綱不知などがある)で呼んでいるが、観光客からは場所がわかりづらいという声もある(湯崎、三段あたりは温泉旅館、ホテル密集地帯でもある)<ref>[https://www.sankei.com/article/20230206-LMSIT2V42BIQVOOQIMFIALU2OI/ 番地しかない住所はわかりくい? 変更求める声も 和歌山県白浜町]</ref>。 === 地区 === ;白浜地区([[1958年]]~[[2006年]]の旧白浜町域) *白浜地区(旧瀬戸鉛山村) - 大字なし *西富田地区(旧[[西富田村]]) - 堅田、才野 *北富田地区(旧[[北富田村]]) - 平、保呂、内ノ川、庄川 *南白浜地区(旧[[南富田村]]) - 栄、中 *富田地区(旧[[東富田村]]) - 十九渕、富田、椿 ;日置川地区(旧[[日置川町]]域) *日置地区(旧[[日置町 (和歌山県)|日置町]]) - 日置、塩野、大古、安宅、矢田 *三舞地区(旧[[三舞村]]) - 田野井、口ケ谷、安居、寺山、中嶋、神宮寺、向平、久木 *川添地区(旧[[川添村 (和歌山県)|川添村]]) - 宇津木、小川、城、大、玉伝、小房、市鹿野、里谷、上露、大瀬、北谷、竹垣内 === 気候 === {{Weather box|location=南紀白浜(2006年 - 2020年)|single line=Y|metric first=Y|Jan record high C=19.0|Feb record high C=21.4|Mar record high C=23.7|Apr record high C=26.1|May record high C=29.1|Jun record high C=30.9|Jul record high C=36.3|Aug record high C=37.5|Sep record high C=33.3|Oct record high C=30.7|Nov record high C=25.0|Dec record high C=23.1|year record high C=37.5|Jan high C=10.7|Feb high C=11.9|Mar high C=15.1|Apr high C=19.1|May high C=23.4|Jun high C=25.9|Jul high C=29.3|Aug high C=31.3|Sep high C=28.5|Oct high C=24.0|Nov high C=18.6|Dec high C=13.3|year high C=20.9|Jan mean C=7.1|Feb mean C=7.9|Mar mean C=11.0|Apr mean C=15.1|May mean C=19.4|Jun mean C=22.5|Jul mean C=26.1|Aug mean C=27.6|Sep mean C=24.7|Oct mean C=20.0|Nov mean C=14.6|Dec mean C=9.5|year mean C=17.1|Jan low C=3.6|Feb low C=4.0|Mar low C=6.6|Apr low C=10.8|May low C=15.4|Jun low C=19.5|Jul low C=23.5|Aug low C=24.7|Sep low C=21.5|Oct low C=16.5|Nov low C=10.8|Dec low C=5.8|year low C=13.6|Jan record low C=-3.7|Feb record low C=-3.1|Mar record low C=-0.1|Apr record low C=2.0|May record low C=7.4|Jun record low C=13.4|Jul record low C=18.0|Aug record low C=18.4|Sep record low C=13.7|Oct record low C=6.4|Nov record low C=3.2|Dec record low C=-1.2|year record low C=-3.7|Jan precipitation mm=60.6|Feb precipitation mm=99.9|Mar precipitation mm=138.0|Apr precipitation mm=136.5|May precipitation mm=167.0|Jun precipitation mm=264.9|Jul precipitation mm=279.6|Aug precipitation mm=188.3|Sep precipitation mm=259.8|Oct precipitation mm=231.3|Nov precipitation mm=115.3|Dec precipitation mm=81.4|year precipitation mm=2025.1|unit precipitation days=1.0 mm|Jan precipitation days=5.5|Feb precipitation days=7.6|Mar precipitation days=9.3|Apr precipitation days=9.5|May precipitation days=9.1|Jun precipitation days=12.7|Jul precipitation days=11.1|Aug precipitation days=7.7|Sep precipitation days=10.8|Oct precipitation days=9.7|Nov precipitation days=7.5|Dec precipitation days=6.1|year precipitation days=105.9|source 1=[https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php Japan Meteorological Agency ]|source 2=[[気象庁]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php?prec_no=65&block_no=1589&year=&month=&day=&view= |title=南紀白浜 過去の気象データ検索 |accessdate=2023-10-07 |publisher=気象庁}}</ref>}} == 歴史 == * [[1889年]]([[明治]]22年)[[4月1日]] - [[町村制]]の施行により、瀬戸鉛山村の区域をもって、'''瀬戸鉛山村'''(せとかなやまむら)が発足する。 * [[1940年]]([[昭和]]15年)[[3月1日]] - 瀬戸鉛山村が町制施行及び名称を変更して、'''白浜町'''となる。 * [[1955年]](昭和30年)[[3月15日]] - [[南富田村]]を編入する(他に先んじて白浜町と合併したため南白浜地区を称し、富田地区の小学校で白浜を称するのは南白浜小学校だけである)。 * [[1958年]](昭和33年)[[7月1日]] - [[富田村 (和歌山県)|富田村]]、[[田辺市]]堅田町及び才野町の区域(旧[[西富田村]]の区域)を編入する。 * [[2006年]]([[平成]]18年)3月1日 - 白浜町及び[[日置川町]]が合併して、改めて'''白浜町'''が発足する。 == 行政 == * 町長:[[井澗誠]]([[2012年]][[5月13日]]就任<ref>[http://www.wck.jp/ct04/t05_01.html 和歌山県町村会 白浜町]</ref>、3期目) [[2010年]](平成22年)の町長選は3月7日に[[出直し選挙]]が行われて現職の町長(当時)が再選されたが、公職選挙法259条の2の規定によって前回の町長選挙から2週間あまりしか経たない同年3月22日に再び任期満了の選挙が行われて新人が町長に当選し、半月の間に2度も町長選挙が実施されるという異例の事態が発生した。 厳しい財政状況の中、選挙に税金が使われることに町民からは批判の声もあった。 なお、後述する[[アメリカ合衆国]][[ハワイ州]]との提携関係があることから、夏期は南国ムードを演出する目的もあり、主要交通機関や自治体・観光業などの職員らの[[制服]]の多くが[[アロハシャツ]]となる(概ね6月初頭から9月末まで)。 [[2011年]](平成23年)12月5日、水本雄三町長と熊崎訓自副町長が「精神的苦痛を受けた」などとして、ごみ焼却場の使用期間延長交渉の当時の担当課長と副課長、区との協議に立ち会った町議会議長、区長、副区長ら6人を相手に慰謝料を求める訴訟を和歌山地裁田辺支部に起こしていたことが分かった<ref>{{Cite news| url = http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=222436 | title = 白浜町長が職員ら6人提訴 「精神的苦痛」で慰謝料請求 | newspaper =紀伊民報 | date= 2011-12-05 | accessdate= 2011-12-05}}</ref>。 [[2012年]](平成24年)3月23日、辞意を表明していた水本雄三町長が、町議会の西尾智朗議長に辞表を提出した。その後開かれた町議会定例会で報告され、全会一致で同意された。 == 議会 == === 町議会 === {{main|白浜町議会}} === 衆議院 === * 選挙区:[[和歌山県第3区|和歌山3区]]([[御坊市]]、[[田辺市]]、[[新宮市]]、[[有田郡]]、[[日高郡 (和歌山県)|日高郡]]、[[西牟婁郡]]、[[東牟婁郡]]) * 任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日 * 投票日:2021年10月31日 * 当日有権者数:250,261人 * 投票率:62.32% {| class="wikitable" ! 当落 !! 候補者名 !! 年齢 !! 所属党派 !! 新旧別 !! 得票数 !! 重複 |- | style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 当 || style="background-color:#ffc0cb;" | [[二階俊博]] || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 82 || style="background-color:#ffc0cb;" | [[自由民主党 (日本)|自由民主党]] || style="background-color:#ffc0cb; text-align:center;" | 前 || style="background-color:#ffc0cb;" | 102,834票 || style="background-color:#ffc0cb;| |- | || 畑野良弘 || style="text-align:center;" | 61 || [[日本共産党]] || style="text-align:center;" | 新 || style="text-align:right;" | 20,692票 || |- | || 本間奈々 || style="text-align:center;" | 52 || [[頑張れ日本!全国行動委員会#国守衆_全国評議会|新党くにもり]] || style="text-align:center;" | 新 || style="text-align:right;" | 19,034票 || |- | || 根来英樹 || style="text-align:center;" | 51 || [[無所属]] || style="text-align:center;" | 新 || style="text-align:right;" | 5,745票 || |} == 経済 == 隣接する[[田辺市]]の経済圏である。 === 産業 === 町の主要な産業は観光業である。町内には多くの温泉が湧出することもあり、多数のホテルが林立している。さらさらとした白い砂が特徴的な白良浜(しららはま)[[海水浴場]]は、夏になると近畿一円から[[海水浴]]客が訪れる。隣接する[[上富田町]]にまたがって、[[ゴルフ場]]がいくつか存在する。[[ジャイアントパンダ|パンダ]]飼育で知られる複合型娯楽施設・[[アドベンチャーワールド]]もテレビCMを放映していることもあり、観光地としての知名度は高い。旧[[日置川町]]エリアでは、夏は[[日置川]]流域での[[アユ]][[釣り]]([[友釣り]])が[[風物詩]]である。 観光業以外では、旧白浜町域では[[温室]]による[[花卉]]栽培、そのうち町南部の富田地区は[[トウモロコシ]]栽培が盛んである。旧日置川町域では[[ウメ]]や[[茶]](川添茶)が名産品。また、堅田地区などの臨海地区には漁港もあり、エビ、タイなどが獲れる。 === ITとワーケーション === 白浜町は政府([[内閣府]])や和歌山県、在京大手企業([[三菱地所]]など)の協力を得て、休暇(バケーション)に向いた行楽地の環境を楽しみつつ、仕事(ワーク)をする「[[ワーケーション]]」に対応した[[サテライト・オフィス]]やビジネスパーソンの誘致を行っている<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33951060Y8A800C1XXA000/ リゾート地で仕事しませんか、三菱地所がオフィス][[日本経済新聞]]ニュースサイト(2018年8月8日)2018年10月8日閲覧。</ref><ref>[https://www.sankei.com/article/20180929-VNEHYCLPTNJ47N3TVNJZ6L65HQ/ 和歌山・白浜町に内閣府のサテライトオフィス開設][[産経新聞|産経WEST]](2018年9月29日)2018年10月8日閲覧。</ref>。[[情報技術]] (IT) の普及によって出勤しなくても業務ができる[[テレワーク]]の範囲が広がった上、[[南紀白浜空港]]から[[首都圏 (日本)|首都圏]]を簡単に往復できる立地を生かした。町内のネットワークを相互に結び、外部と接続する出入口を制限することで、災害や[[サイバー攻撃]]に強い構造にしている<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28178590V10C18A3X11000/ 【STARTupX】鉄壁 海辺のIoTタウン/外部ネットの「門」1つに 情報守る/ウフル、英アームと/南紀白浜 テレワーク天国]『[[日経産業新聞]]』2018年3月16日(1面)2018年10月8日閲覧。</ref>。 こうしたテレワークの取り組みは、白浜町に近い田辺市内に設置されている「[http://www.big-u.jp/index.html 和歌山県立情報交流センター ビッグ・ユー]」(ビッグU)が支援している。 === 町内で事業を営む主な事業者 === * [[明光バス|明光バス株式会社]] * 福原ニードル株式会社(福原産業貿易株式会社傘下) * 株式会社アワーズ - [[アドベンチャーワールド]]を運営 * 堅田漁業協同組合 - [[とれとれ市場]]を運営 * [[アーマリン近大]] - [[近大マグロ]]の養殖、販売を行う。 === 金融機関 === *[[紀陽銀行]] 白浜支店(大字なし)、日置支店(日置) *[[きのくに信用金庫]] 白浜支店(大字なし) *[[紀南農業協同組合|JA紀南]]([[JAバンク]]) 白浜支所(大字なし)、とんだ支所(栄)、日置支所(日置) === 日本郵政グループ === '''[[集配郵便局]]''' *白浜郵便局(大字無し) *富田郵便局(十九渕=つづらふち) *市鹿野郵便局(市鹿野) *日置川郵便局(日置) '''無集配郵便局''' *白浜温泉郵便局(大字なし) *白浜駅前郵便局(堅田) *椿郵便局(椿) *安居(あご)郵便局(安居) '''[[ゆうちょ銀行]]''' *大阪支店 とれとれ市場南紀白浜内出張所(堅田)(ATMのみ/ホリデーサービス実施) :その他、各郵便局にATMが設置されており、白浜・日置川の各郵便局ではホリデーサービスを実施([[2012年]](平成24年)現在)。 ※白浜町内の郵便番号は以下のとおり。 *「'''646-03xx'''」=旧日置川町域北部(市鹿野地区など)。市鹿野郵便局の管轄。 *「'''649-22xx'''」=合併前からの白浜町域(堅田および大字無し地域)。白浜郵便局の管轄。 *「'''649-23xx'''」=合併前からの白浜町域(上記以外の地域)。富田郵便局の管轄。 *「'''649-25xx'''」=旧日置川町域南部(日置川・安居地区など)。日置川郵便局の管轄。 == 姉妹都市・提携都市 == [[2000年]](平成12年)に米国ハワイ州[[ホノルル市]]の[[ワイキキビーチ]]と、「友好姉妹浜」(Goodwill Beach City Relationship) 提携を結ぶ。 === 友好都市 === [[大韓民国]]・[[果川市]] == 地域 == === 人口 === [[2010年]](平成22年)[[国勢調査 (日本)|国勢調査]](速報値)より前回調査からの人口増減をみると、4.00%減の22,697人であり、増減率は県内30市町村中8位。 {{人口統計|code=30401|name=白浜町|image=Population distribution of Shirahama, Wakayama, Japan.svg}} === 学校教育 === ==== 小学校 ==== ; 旧白浜町立 * 白浜町立白浜第一小学校 * 白浜町立白浜第二小学校 * 白浜町立西富田小学校(にしとんだしょうがっこう) * 白浜町立富田小学校(とんだしょうがっこう) * 白浜町立北富田小学校 * 白浜町立南白浜小学校 * 白浜町立椿小学校(つばきしょうがっこう)2019年3月31日 閉校 ; 旧日置川町立 * 白浜町立日置小学校(ひきしょうがっこう) * 白浜町立安宅小学校(あたぎしょうがっこう) * 白浜町立安居小学校(あごしょうがっこう) * 白浜町立市鹿野小学校(いちかのしょうがっこう)2017年3月31日 閉校 ==== 中学校 ==== ; 旧白浜町立 * 白浜町立白浜中学校 * [[白浜町立富田中学校]](とんだちゅうがっこう) ; 旧日置川町立 * 白浜町立日置中学校(ひきちゅうがっこう) * 白浜町立三舞中学校(みまいちゅうがっこう) ==== 高等学校 ==== [[和歌山県立南紀高等学校]]の白浜分校(1983年 閉校)と富田分校(1982年 閉校)がかつてあったが、現在は町内に[[高等学校]]はない。 ===== 大学 ===== 町内に大学はないが、[[京都大学]]の実習施設兼水族館「[[京都大学フィールド科学教育研究センター瀬戸臨海実験所水族館]]」がある。 また[[近畿大学]]が水産研究所の本部および白浜実験場<ref>[https://www.flku.jp/info/sirahama/index.html 白浜実験場(水産研究所本部)] 近畿大学(2018年10月8日閲覧)。</ref>や大学発[[ベンチャー]]企業「[[アーマリン近大]]」の本社を置いている。[[近大マグロ]]を含めた養殖魚の研究や商品化では、世界でもトップレベルの実績を残している === 社会教育 === ==== ホール・集会場 ==== * 町立総合体育館(坂田会館) ==== 博物館・美術館 ==== * [[南方熊楠記念館]] * [[紀州博物館]] == 交通 == === 鉄道 === 特急が停車する中心駅である[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[紀勢本線]][[白浜駅]]が町への玄関口であるが、所在地としては温泉街中心部から約5kmほど離れた富田(とんだ)地区にある。このため、白浜半島西部に多い温泉地・ホテルまでの交通手段としては、駅前から発着する[[路線バス]]([[明光バス]])・タクシーや、旅館・ホテルによる送迎車を利用することが一般的である。 ;西日本旅客鉄道(JR西日本) * [[紀勢本線]](きのくに線) : ([[すさみ町]]) - [[紀伊日置駅]] - [[椿駅]] - [[紀伊富田駅]] - '''[[白浜駅]]''' - ([[上富田町]]) * 中心となる駅:[[白浜駅]] かつては道路事情があまり良くなく、鉄道が比較的便利であった。大阪まで直通する[[高速道路]]の[[阪和自動車道]]・[[南紀田辺インターチェンジ|南紀田辺IC]]から延伸する[[紀勢自動車道]]が、まず[[南紀白浜インターチェンジ|南紀白浜IC]]までの区間が[[2015年]]7月12日に開通。さらに白浜町の[[日置川インターチェンジ|日置川IC]]、またさらに南の[[すさみ南インターチェンジ|すさみ南IC]]まで延長されたことにより、鉄道より自動車のほうが大阪や和歌山への利便性が高くなった。[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の[[くろしお (列車)|特急列車]]は、白浜駅始発・終着列車も含めて多数設定されている。 === 路線バス === *[[明光バス]] *[[白浜町コミュニティバス]] === 空路 === * [[南紀白浜空港]] [[東京国際空港]](羽田)まで、[[日本航空]](JAL)<ref group="注釈">需要に応じて[[ジェイエア]]による運航便もある。</ref>が1日3往復運航。田辺市や[[新宮市]]などにもバスを運行している。 === 都市間バス === [[高速バス]]は[[大阪市]]([[梅田]]・[[難波|なんば]]地区)から多数の便がある。[[横浜駅|横浜]]・[[東京]]方面行きの夜行バスも運行されている。 特に、大阪便([[白浜エクスプレス大阪号]])は往復5,580円(2020年7月現在)と安いことや、みなべICまで阪和道が延長されたことなどにより利便性が増し、人気を得て増便された。[[明光バス]]と[[西日本ジェイアールバス|西日本JRバス]]の共同運行となっている。[[2015年]](平成27年)[[7月12日]]に、紀勢道が[[南紀田辺インターチェンジ|南紀田辺IC]]から[[南紀白浜インターチェンジ|南紀白浜IC]]まで延伸されたが、阪和道みなべIC以南は一般道を走行している。 === 道路 === ==== 高速道路 ==== * [[紀勢自動車道]]:([[上富田町]]) - (36) [[南紀白浜インターチェンジ|南紀白浜IC]] - (37) [[日置川インターチェンジ|日置川IC]] - ([[すさみ町]]) ==== 国道 ==== * [[国道42号]] ==== 県道 ==== * 主要地方道 ** [[和歌山県道31号田辺白浜線]] ** [[和歌山県道33号南紀白浜空港線]] ** [[和歌山県道34号白浜温泉線]] ** [[和歌山県道36号上富田すさみ線]] ** [[和歌山県道37号日置川大塔線]] * 一般県道 ** [[和歌山県道212号栄岩崎線]] ** [[和歌山県道213号白浜久木線]] ** [[和歌山県道214号白浜停車場線]] ** [[和歌山県道215号椿停車場線]] ** [[和歌山県道220号岩田保呂線]] ** [[和歌山県道221号市鹿野鮎川線]] ** [[和歌山県道223号日置港線]] ** [[和歌山県道243号日置川すさみ線]] ** [[和歌山県道801号白浜日置川自転車道線]] ==== 道の駅 ==== * [[道の駅椿はなの湯|椿はなの湯]] * [[道の駅志原海岸|志原海岸]] == 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 == [[ファイル:崎の湯.JPG|thumb|right|[[南紀白浜温泉]]「崎の湯」(奥に見える海岸が白良浜)]] [[ファイル:131221 Shirarahama Beach Shirahama Wakayama pref Japan07s3bs.jpg|thumb|[[白良浜]]]] [[ファイル:131221 Sandanbeki Shirahama Wakayama pref Japan01bs5.jpg|thumb|[[三段壁]]]] [[ファイル:131221 Engetsu Island Shirahama Wakayama pref Japan01s3.jpg|thumb|[[高嶋 (和歌山県)|円月島]]]] ※旧・日置川町域の名所などに関しては、[[日置川町#観光スポット]]を参照。 === 景勝地・自然・公園 === * [[白良浜]] * [[熊野古道]]([[大辺路]]・富田坂・仏坂) * [[千畳敷 (和歌山県)|千畳敷]] - 国の[[名勝]] * [[三段壁]](さんだんべき)<ref group="注釈">「さんだんへき」と読む者もいるが、誤り。</ref> * [[三段壁洞窟]] * [[高嶋 (和歌山県)|円月島]] - 国の名勝。[[春分]]・[[秋分]]の時期の夕方には、島に空いた穴から沈む[[夕日]]が見える。 * [[平草原公園]] {{日本の都市公園100選}} === 温泉 === * [[南紀白浜温泉]](外湯めぐり) ** [http://www.town.shirahama.wakayama.jp/kanko/onsen/1454046714439.html 崎の湯] ** [http://www.town.shirahama.wakayama.jp/kanko/onsen/1454046683492.html 牟婁の湯] ** [http://www.town.shirahama.wakayama.jp/kanko/onsen/1454045443064.html 白良湯] ** [http://www.town.shirahama.wakayama.jp/kanko/onsen/1454046592467.html 白良浜露天風呂しらすな] ** [http://www.town.shirahama.wakayama.jp/kanko/onsen/1454046543937.html 松乃湯] ** 大自然の湯 ** 綱の湯 ** 白浜温泉公園草原の湯(温泉) ** 白浜銀座足湯横丁 ** 千畳の湯 ** 長生の湯 ** とれとれの湯 ** 渚の湯 * [[椿温泉]] === 社寺 === * [[熊野三所神社]] * [[歓喜神社]] * [[本覚寺 (白浜町)|本覚寺]](貝寺) === 博物館・資料館など === * [[南方熊楠記念館]] * [[京都大学白浜水族館]] * [[白浜美術館]] * [[白浜民俗温泉資料館]] === スポーツ施設 === * 白浜球場 * 白浜町立武道館 * 白浜町立体育館(しらとり) * 白浜町民プール * しままえテニスコート * テニス白浜 * 阪田テニスコート * [http://www.town.shirahama.wakayama.jp/soshiki/somu/kikaku/shisetsu/supotsu/1450428594511.html 白浜町テニスコート] * [[白浜ゴルフ倶楽部]] * 白浜ビーチゴルフ倶楽部(閉鎖) * ラビーム白浜ゴルフ倶楽部(閉鎖) * 朝日ゴルフクラブ白浜コース === テーマパーク・娯楽 === [[ファイル:Japan Wakayama-prefecture Shirahama-town AdventureWorld GiantPanda Kaihin and Youhin.JPG|thumb|[[アドベンチャーワールド]]]] * [[アドベンチャーワールド]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20211225-7FDGJYCEUJLDBG42QIHD2WOUWQ/|title=3歳パンダにクリスマス  和歌山・白浜でプレゼント|publisher=産経ニュース|date=2021-12-25|accessdate=2021-12-25}}</ref> * [[白浜エネルギーランド]] * [[白浜海中展望塔]] * [[白浜海底観光船グラスボート]] * [https://rafune.jp/ ラフネ] * オートキャンプ場グランパス * アクアマリンシラハマ * ミス・オーシャン * 南紀白浜ガーデンハウス === その他 === * [[堅田漁業協同組合 (和歌山県)#事業内容|とれとれ市場]] - [[堅田漁業協同組合 (和歌山県)|堅田漁業協同組合]]直営の海鮮マーケット。 * [[ハマブランカ]](閉鎖) <!--* [[洗心園]]--> == 著名な出身者 == * [[溝口和洋]] - [[陸上競技]][[やり投]]選手。日本記録保持者(2021年4月現在) * [[井澗誠]] - 白浜町長 * [[篠岡美佳]] - 元[[歌手]]・[[タレント]]。[[伊集院光]]夫人。 == メディア == * [[南紀白浜コミュニティ放送|ビーチステーション]] - 町内にある[[コミュニティ放送|コミュニティFM]]局。自社製作部分以外は[[J-WAVE]]の再送信を行う。[[超短波放送#周波数|周波数]]は76.4&nbsp;MHz。 == 脚注 == {{osm box|r|3341935}} {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Notelist}} ===出典=== {{reflist}} == 外部リンク == {{Commonscat}} * {{Official website}} * [http://www.nanki-shirahama.com/ 南紀白浜温泉(和歌山県)] - 白浜観光協会 * {{Googlemap|白浜町}} * {{ウィキトラベル インライン|白浜町|白浜町}} {{和歌山県の自治体}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しらはまちよう}} [[Category:西牟婁郡]] [[Category:和歌山県の市町村]] [[Category:白浜町|*]] [[Category:2006年設置の日本の市町村]]
2003-03-01T04:47:10Z
2023-12-25T06:58:03Z
false
false
false
[ "Template:Otheruses", "Template:日本の町村", "Template:日本の都市公園100選", "Template:Cite web", "Template:Googlemap", "Template:Weather box", "Template:Osm box", "Template:Cite news", "Template:Official website", "Template:Pp-vandalism", "Template:人口統計", "Template:Reflist", "Template:和歌山県の自治体", "Template:Main", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Notelist", "Template:Commonscat", "Template:ウィキトラベル インライン", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B5%9C%E7%94%BA
3,122
3月4日
3月4日(さんがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から63日目(閏年では64日目)にあたり、年末まであと302日ある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "3月4日(さんがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から63日目(閏年では64日目)にあたり、年末まであと302日ある。", "title": null } ]
3月4日(さんがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から63日目(閏年では64日目)にあたり、年末まであと302日ある。
{{カレンダー 3月}} '''3月4日'''(さんがつよっか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から63日目([[閏年]]では64日目)にあたり、年末まであと302日ある。 == できごと == [[ファイル:Kasadera Ichirizuka.jpg|thumb|240px|[[江戸幕府]]が[[東海道]]・[[東山道]]・[[北陸道]]に[[一里塚]]を設置(1604)。写真は東海道笠寺の一里塚]] * [[1152年]] - [[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]が[[神聖ローマ皇帝]]に即位。 * [[1167年]]([[仁安 (日本)|仁安]]2年[[2月11日 (旧暦)|2月11日]]) - [[平清盛]]が[[太政大臣]]に就任する。 * [[1351年]] - [[ラーマーティボーディー1世]](ウートーン王)が[[アユタヤ王朝]]を創始。 * [[1386年]] - [[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ2世]]が[[ポーランド王国|ポーランド王]]として戴冠。 * [[1474年]]([[文明 (日本)|文明]]6年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]) - [[一休宗純]]が[[大徳寺]]の住持に就任する。 * [[1582年]] - パリのレストラン・[[トゥール・ダルジャン]]が開業。 * [[1604年]]([[慶長]]9年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]) - [[江戸幕府]]が[[東海道]]・[[東山道]]・[[北陸道]]に[[一里塚]]を設置する。 * [[1657年]]([[明暦]]3年[[1月18日 (旧暦)|1月18日]]) - [[明暦の大火]]が記録上鎮火する。 * [[1665年]] - [[イギリス]]が[[オランダ]]に宣戦布告し、[[英蘭戦争#第二次英蘭戦争|第二次英蘭戦争]]が勃発。 * [[1675年]] - [[ジョン・フラムスティード]]がイギリスの初代[[王室天文官]]に任命される。 * [[1791年]] - [[バーモント共和国]]が[[アメリカ合衆国]]に加入し、14番目の州・[[バーモント州]]となる。 * 1791年 - イギリスの北米植民地を[[アッパー・カナダ]]と[[ローワー・カナダ]]に分割する{{仮リンク|植民地統治法|en|Constitutional Act of 1791}}がイギリス議会を通過。 * [[1794年]] - [[アメリカ合衆国憲法修正第11条]]が[[アメリカ合衆国議会|議会]]で可決。 * [[1797年]] - [[ジョージ・ワシントン]]が退職。 * [[1798年]]([[寛政]]9年[[1月17日 (旧暦)|1月17日]]) - [[湯島聖堂]]を「昌平坂学問所」と改称し、同時に幕府の直轄とする。 * [[1824年]] - 国立難破船救命協会(現 [[王立救命艇協会]])設立。 * [[1863年]] - [[アイダホ準州]]設置。 * [[1877年]] - [[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]作曲のバレエ作品『[[白鳥の湖]]』が[[ボリショイ劇場]]バレエ団により初演。 * [[1882年]] - [[ロンドン]]でイギリス初の[[路面電車]]が走る。 * [[1890年]] - イギリス最長の橋・[[フォース鉄道橋]]が開通。 * [[1899年]] - 日本で(旧)[[著作権法]]公布。 * [[1902年]] - [[シカゴ]]で[[アメリカ自動車協会]]設立。 * [[1917年]] - [[モンタナ州]]選出の[[ジャネット・ランキン]][[アメリカ合衆国下院|下院]]議員が初登院。アメリカ初の女性下院議員。 * [[1929年]] - [[ハーバート・フーヴァー]]が第31代[[アメリカ合衆国大統領]]に就任。 * [[1931年]] - [[マハトマ・ガンディー]]と[[インドの総督|インド総督]][[エドワード・ウッド (初代ハリファックス伯爵)|エドワード・ウッド]]が、[[市民的不服従|不服従運動]]の中止などを定めたデリー協定に調印。 * [[1933年]] - [[フランクリン・ルーズベルト]]が第32代アメリカ合衆国大統領に就任。 * 1933年 - ルーズベルト米大統領が{{仮リンク|フランシス・パーキンス|en|Frances Perkins}}を[[アメリカ合衆国労働長官|労働長官]]に任命。アメリカ初の女性閣僚。 * [[1935年]] - [[天皇機関説事件]]: [[岡田啓介]]首相が議会で[[天皇機関説]]への反対を表明。 * 1935年 - 特高警察が[[日本共産党]]中央委員・[[袴田里見]]を逮捕。 * [[1944年]] - [[宝塚歌劇団|宝塚歌劇]]が戦時下不適とされ休演となり、最後の公演が行われる。 * [[1948年]] - [[高知県]][[大正町]]で大火。家屋456棟と山林49.6haが全焼<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部編 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010 |page=69 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1951年]] - インド・ニューデリーで[[1951年アジア競技大会|第1回アジア競技大会]]開幕。[[3月11日]]まで。 * [[1952年]] - [[十勝沖地震]]。 * [[1966年]] - [[カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故]]。[[東京国際空港]]で[[カナダ太平洋航空]]の[[ダグラス DC-8|DC-8]]が着陸に失敗し墜落。64名死亡。 * [[1967年]] - [[高見山大五郎|高見山]]が外国人初の[[関取]]に昇進。 * [[1976年]] - [[スーパーコンピュータ]][[Cray-1]]の1号機が[[ロスアラモス国立研究所]]に納入される。 * [[1977年]] - [[ルーマニア地震]]。首都ブカレストを中心に死者1,578名、負傷者11,300名、35,000棟以上の建物倒壊の被害が発生。 * [[1979年]] - [[中央競馬]]で9年連続[[リーディングジョッキー|首位騎手]]の[[福永洋一]]が落馬。[[脳挫傷]]を負い騎手生命が絶たれる。 * [[1978年]] - [[長谷川恒男]]が[[アイガー]]北壁の冬季単独登頂に成功。[[アルプス山脈|ヨーロッパアルプス]]の3大北壁の冬期単独初登攀の成功は世界初。 * [[1994年]] - 衆院選の[[小選挙区比例代表並立制]]導入などの政治改革関連4法案が成立。 * [[2000年]] - [[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]が家庭用ゲーム機[[PlayStation 2]]を日本国内で発売。 * [[2004年]] - [[読売ジャイアンツ]]の[[長嶋茂雄]][[終身名誉監督]]が[[脳梗塞]]で倒れる。 * [[2006年]] - アメリカの[[惑星探査機]]「[[パイオニア10号]]」に対し最後の信号送信確認を行い、運用終了。 * [[2009年]] - [[国際刑事裁判所]]が[[スーダンの大統領一覧|スーダン大統領]][[オマル・アル=バシール]]に対し[[ダルフール紛争]]における[[人道に対する罪]]、[[ジェノサイド]]罪で逮捕状を発行。国際刑事裁判所の現職の国家元首の起訴は初。 * [[2012年]] - [[2012年ロシア大統領選挙]]が行われ、[[ウラジーミル・プーチン]]が当選<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM05006_V00C12A3000000/ |title=プーチン氏勝利、得票6割超す ロシア大統領選 |publisher=[[日本経済新聞社]]|date=2012-03-05|accessdate=2020-08-12}}</ref>。 *[[2017年]] [[可部線]]、[[可部駅]]ー[[あき亀山駅]]間延伸開業。 * [[2018年]] - [[イギリス]]に亡命していた元[[ロシア連邦軍参謀本部情報総局]]大佐、[[セルゲイ・スクリパリ]]が娘とともに意識不明の状態で発見される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3183053 |title=元スパイ毒殺未遂、英警察が容疑者特定し「ロシア人と確信」|publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News|date=2018-07-19|accessdate=2020-08-12}}</ref>。 == 誕生日 == [[Image:Conquistador's monument in Lisbon.jpg|thumb|240px|大航海時代の幕を開いた[[エンリケ航海王子]](1394-1460)誕生。写真の「[[発見のモニュメント]]」(1960)先頭がエンリケ]] [[Image:Antonio Vivaldi.jpg|thumb|200px|協奏曲集『[[四季 (ヴィヴァルディ)|四季]]』(1723)で知られる[[バロック]]の作曲家[[アントニオ・ヴィヴァルディ]](1678-1741)]] [[Image:Yōsuke Matsuoka.jpg|thumb|180px|[[第二次世界大戦]]前夜の代表的な[[外交官]]、[[松岡洋右]](1880-1946)]] [[Image:Arishima Takeo.jpg|thumb|180px|[[白樺派]]の中心人物の一人、作家[[有島武郎]](1878-1923)]] * [[1188年]] - [[ブランシュ・ド・カスティーユ]]、[[フランス王国|フランス]][[王妃]](+ [[1252年]]) * [[1394年]] - [[エンリケ航海王子]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]の王族(+ [[1460年]]) * [[1533年]]([[天文 (元号)|天文]]2年[[2月9日 (旧暦)|2月9日]]) - [[島津義久]]、[[薩摩国]]の[[戦国大名]](+ [[1611年]]) * [[1561年]]([[永禄]]4年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]]) - [[井伊直政]]、[[武将|戦国武将]]、初代[[彦根藩|彦根藩主]](+ [[1602年]]) * [[1670年]]([[寛文]]10年[[1月13日 (旧暦)|1月13日]]) - [[大村純庸]]、第6代[[大村藩|大村藩主]](+ [[1738年]]) * [[1678年]] - [[アントニオ・ヴィヴァルディ]]、[[作曲家]](+ [[1741年]]) * [[1741年]] - [[カシミーロ・ゴメス・オルテガ]]、医師、植物学者、薬物学者 (+ [[1818年]]) * [[1760年]]([[宝暦]]10年[[1月17日 (旧暦)|1月17日]]) - [[前田利物]]、第7代[[大聖寺藩|大聖寺藩主]](+ [[1788年]]) * [[1782年]] - [[ヨハン・ルドルフ・ウィース]]、[[編集者]](+ [[1830年]]) * [[1793年]]([[寛政]]5年[[1月22日 (旧暦)|1月22日]]) - [[大塩平八郎]]、[[儒教|儒学者]]、大坂町奉行所[[与力]](+ [[1837年]]) * [[1803年]]([[享和]]3年[[1月11日 (旧暦)|閏1月11日]]) - [[高木正明 (丹南藩主)|高木正明]]、第11代[[丹南藩|丹南藩主]](+ [[1869年]]) * [[1816年]]([[享和]]3年[[2月6日 (旧暦)|2月6日]]) - [[堀田正義]]、第7代[[近江宮川藩|宮川藩主]](+ [[1841年]]) * [[1817年]] - [[エドワーズ・ピアポント]]、第33代[[アメリカ合衆国司法長官]](+ [[1892年]]) * [[1822年]] - ジュール・アントワーヌ・リサジュー ([[:en:Jules Antoine Lissajous|Jules Antoine Lissajous]])、[[数学者]]、[[物理学者]](+ [[1880年]]) * [[1851年]]([[寛文]]10年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]) - [[竹腰正旧]]、初代[[今尾藩|今尾藩主]](+ [[1910年]]) * [[1863年]] - [[レジナルド・インズ・ポコック]]、[[動物学|動物学者]](+ [[1947年]]) * [[1874年]] - [[稀音家浄観]]、[[長唄]][[三味線]]奏者(+ [[1956年]]) * [[1878年]] - [[有島武郎]]、[[小説家]](+ [[1923年]]) * 1878年 - [[ピョートル・ウスペンスキー]]、[[神秘思想|神秘思想家]](+ [[1947年]]) * [[1880年]] - [[松岡洋右]]、[[外交官]]、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]](+ [[1946年]]) * [[1889年]] - [[洪思翊]]、[[陸軍軍人]](+ [[1946年]]) * [[1890年]] - [[ノーマン・ベチューン]]、[[医師]](+ [[1939年]]) * [[1891年]] - [[ホセ・アコスタ (1891年生の投手)|ホセ・アコスタ]]、元プロ野球選手(+ [[1977年]]) * 1891年 - [[ダジー・ヴァンス]]、元プロ野球選手(+ [[1961年]]) * [[1892年]] - [[ニコライ・コンドラチエフ]]、[[経済学者]](+ [[1938年]]) * [[1897年]] - [[フランク・オドール]]、元プロ野球選手(+ [[1969年]]) * [[1898年]] - [[ハンス・クレープス]]、[[軍人]](+ [[1945年]]) * 1898年 - [[ジョルジュ・デュメジル]]、[[比較神話学|比較神話学者]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1986年]]) * [[1904年]] - [[ジョージ・ガモフ]]、[[理論物理学|理論物理学者]](+ [[1968年]]) * 1904年 - [[ルイス・カレロ・ブランコ]]、元[[スペインの首相|スペイン首相]](+ [[1973年]]) * [[1906年]] - [[瀧花久子]]、[[俳優|女優]](+ [[1985年]]) * [[1907年]] - [[マリア・ブラニャス・モレラ]]、世界最高齢者 * [[1909年]] - [[赤松啓介]]、[[民俗学|民俗学者]](+ [[2000年]]) * [[1913年]] - [[ジョン・ガーフィールド]]、[[俳優]](+ [[1952年]]) * 1913年 - [[栗原貞子]]、[[詩人]](+ [[2005年]]) * [[1914年]] - [[佐藤晃一 (ドイツ文学者)|佐藤晃一]]、[[ドイツ文学者]](+ [[1967年]]) * [[1915年]] - [[緑川洋一]]、[[写真家]]、医師(+ [[2001年]]) * [[1916年]] - [[ハンス・アイゼンク]]、[[心理学者]](+ [[1997年]]) * [[1917年]] - [[砂田重民]]、[[政治家]](+ [[1990年]]) * [[1918年]] - [[小桜葉子]]、女優(+ [[1970年]]) * 1918年 - [[マーガレット・オズボーン・デュポン]]、[[テニス選手一覧|テニス選手]](+ [[2012年]]) * [[1920年]] - [[荒金天倫]]、[[僧侶]](+ [[1990年]]) * [[1921年]] - [[槇枝元文]]、[[教育者]]、[[労働運動|労働運動家]]、[[日本労働組合総評議会|総評]]議長(+ [[2010年]]) * [[1922年]] - [[古川清蔵]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2018年]]) * [[1923年]] - [[永井道雄]]、[[教育社会学|教育社会学者]](+ [[2000年]]) * [[1925年]] - [[ポール・モーリア]]、[[作曲家]](+ [[2006年]]) * [[1926年]] - [[遠藤幸吉]]、[[柔道家]]、[[プロレスラー]] * 1926年 - [[パスカル・ペレス (ボクサー)|パスカル・ペレス]]、[[プロボクサー]](+ [[1977年]]) * [[1928年]] - [[黒田義之]]、[[映画監督]](+ [[2015年]]) * 1928年 - [[アラン・シリトー]]、[[作家]](+ [[2010年]]) * [[1929年]] - [[香椎くに子]]、[[俳優|女優]]、[[声優]](+ [[2008年]]) * 1929年 - [[ベルナルト・ハイティンク]]、[[指揮者]](+ [[2021年]]) * 1929年 - [[ジュゼプ・メストレス・クアドレニ]]、作曲家(+ [[2021年]]) * [[1931年]] - [[天知茂]]、[[俳優]]、[[歌手]](+ [[1985年]]) * [[1932年]] - [[リシャルト・カプシチンスキ]]、[[ジャーナリスト]]、作家(+ [[2007年]]) * [[1934年]] - [[森岡賢一郎]]、作曲家(+ [[2018年]]) * [[1935年]] - [[ベント・ラーセン]]、[[チェス]]プレーヤー(+ [[2010年]]) * [[1936年]] - [[ジム・クラーク (レーサー)|ジム・クラーク]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]](+ [[1968年]]) * [[1938年]] - [[伊藤豪]]、俳優 * [[1940年]] - [[岩下光一]]、元プロ野球選手 * [[1941年]] - [[ユーリ・シモノフ]]、指揮者 * 1941年 - [[エイドリアン・ライン]]、映画監督 * 1941年 - [[デヴィッド・ダーリング]]、[[チェリスト]]、[[作曲家]](+ [[2021年]]) * [[1942年]] - [[山田宏臣]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]](+ [[1981年]]) * 1942年 - [[田村奈巳]]、女優 * [[1943年]] - [[立花照人]]、元プロ野球選手 * [[1944年]] - [[三田一郎]]、[[素粒子物理学|素粒子物理学者]] * 1944年 - [[藤原新也]]、写真家 * 1944年 - [[ボビー・ウーマック]]、シンガーソングライター、ギタリスト(+ [[2014年]]) * [[1945年]] - [[村井邦彦]]、作曲家 * [[1946年]] - [[桜井浩子]]、女優 * 1946年 - [[中条きよし]]、俳優、歌手、政治家 * 1946年 - [[エディ・アイカウ]]、サーファー(+ [[1978年]]) * [[1947年]] - [[ヤン・ガルバレク]]、[[ジャズ]][[サクソフォーン|サックス]]奏者 * [[1948年]] - [[順みつき]]、女優 * 1948年 - [[レロン・リー]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[ジェイムズ・エルロイ]]、小説家 * 1948年 - [[クリス・スクワイア]]、[[ミュージシャン]]([[イエス (バンド)|イエス]])(+ [[2015年]]) * [[1949年]] - [[黒川博行]]、小説家 * [[1951年]] - [[山本リンダ]]、歌手 * 1951年 - [[クリス・レア]]、[[シンガーソングライター]] * 1951年 - [[ケニー・ダルグリッシュ]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者 * 1951年 - [[サム・パラーゾ]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[魔夜峰央]]、[[漫画家]] * [[1954年]] - [[フランソワ・フィヨン]]、政治家、19代[[フランスの首相|フランス首相]] * 1954年 - [[山本達彦]]、シンガーソングライター * 1955年 - [[佐野史郎]]、俳優 * [[1956年]] - [[加藤和宏 (JRA)|加藤和宏]]、[[調教師]]、元[[騎手]] * 1956年 - [[大森章督]]、声優、[[ナレーター]] * [[1957年]] - [[五十嵐浩晃]]、シンガーソングライター * [[1958年]] - [[戸田誠司]]、ミュージシャン、[[音楽プロデューサー]] * [[1959年]] - [[山田貴敏]]、漫画家 * 1959年 - [[マイク・ブラウン (投手)|マイク・ブラウン]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[大野和士]]、指揮者 * 1960年 - [[柴柳二郎]]、[[アナウンサー]] * [[1961年]] - [[大場真人]]、[[声優]]、[[ナレーター]] * 1961年 - [[浅野温子]]、女優 * 1961年 - [[金子柱憲]]、[[プロゴルファー]] * [[1962年]] - [[冨家規政]]、俳優 * [[1963年]] - [[坪倉唯子]]、歌手([[B.B.クィーンズ]]) * 1963年 - [[野島伸司]]、[[脚本家]] * [[1964年]] - [[MORRIE]]、歌手 * [[1965年]] - [[小谷真生子]]、[[アナウンサー|キャスター]] * 1965年 - [[丸山敬太]]、ファッションデザイナー * [[1966年]] - [[シャーリーン・ウォン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1967年]] - [[ふじいあきら]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]] * 1967年 - [[大塚裕子]]、[[新体操]]選手 * [[1968年]] - [[ジョバンニ・カラーラ]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[パッツィ・ケンジット]]、女優、歌手 * [[1969年]] - [[白井康勝]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[まねだ聖子]]、[[ものまねタレント]] * [[1970年]] - [[アレックス・クリビーレ]]、[[オートバイ競技|オートバイレーサー]] * 1970年 - [[河本忍]]、俳優 * [[1971年]] - [[本山哲]]、レーシングドライバー * 1971年 - [[ネリオ・ロドリゲス]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[ヨス・フェルスタッペン]]、レーシングドライバー * 1972年 - [[片岡愛之助 (6代目)]]、歌舞伎役者 * [[1973年]] - [[緒方かな子]]、[[タレント]] * 1973年 - [[きよこ]]、タレント * [[1974年]] - [[安井順平]]、[[お笑い芸人]] * 1974年 - [[アリエル・オルテガ]]、元サッカー選手 * [[1975年]] - [[キルステン・ボルム]]、陸上競技選手 * 1975年 - [[クラウディオ・リベルジャーニ]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[ヒラム・ボカチカ]]、元プロ野球選手 * [[1977年]] - [[星野卓也]]、[[お笑い芸人]]、[[ラジオパーソナリティ]]、[[司会者]] * 1977年 - [[今野忠成]]、[[騎手]] * 1977年 - [[氏原ワタル]]、シンガーソングライター([[DOES]]) * [[1979年]] - [[ヴィアチェスラフ・マラフェエフ]]、元サッカー選手 * [[1981年]] - [[酒井順也]]、元プロ野球選手 * [[1982年]] - [[ランドン・ドノバン]]、サッカー選手 * 1982年 - [[倉田大誠]]、アナウンサー * 1982年 - [[前田けゑ]]、タレント、実業家 * [[1983年]] - [[サミュエル・コンテスティ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1985年]] - [[KONAN]]、タレント、[[グラビアアイドル]](元[[SDN48]]) * 1985年 - [[マイケル・マッケンリー]]、元プロ野球選手 * [[1986年]] - [[真崎ゆか]]、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]シンガー * 1986年 - [[マルティン・シュナイダー (野球)|マルティン・シュナイデル]]、野球選手 * [[1987年]] - [[大田明奈]]、タレント、元グラビアアイドル * 1987年 - [[國保陽平]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[テオドル・ビャルナソン]]、サッカー選手 * [[1988年]] - [[細田善彦]]、俳優 * 1988年 - [[内野未来]]、元グラビアアイドル * 1988年 - [[ダイスケ]]、シンガーソングライター * 1988年 - [[ホセ・デポーラ]]、プロ野球選手 * [[1989年]] - [[エリン・ヘザートン]]、ファッションモデル * 1989年 - [[ルビー・デラロサ]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[蓮沼藍]]、元タレント * 1990年 - [[佐藤詩織 (バスケットボール)|佐藤詩織]]、元バスケットボール選手 * 1990年 - [[アンドレア・ボーウェン]]、女優 * 1990年 - [[マクシミリアーノ・オリバ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[フラン・メリダ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[アリアナ・ヴァンダープール=ウォレス]]、競泳選手 * [[1991年]] - [[中村蒼]]、[[俳優]] * 1991年 - [[川満寛弥]]、元プロ野球選手 * 1991年 - [[古田ひろこ]]、タレント * 1991年 - [[恵若琪|惠若琪]]、元バレーボール選手 * [[1992年]] - [[公文克彦]]、プロ野球選手 * 1992年 - [[定方俊樹]]、陸上選手 * [[1993年]] - [[八木沢元樹]]、陸上選手 * [[1994年]] - [[沼田拓巳]]、元プロ野球選手 * [[1995年]] - [[相楽樹]]、女優 * [[1996年]] - [[ティモ・バウムガルトル]]、サッカー選手 * 1996年 - [[大竹彩加]]、アナウンサー * [[1997年]] - [[原大智 (モーグル選手)|原大智]]、[[フリースタイルスキー]][[モーグル]]選手 * 1997年 - [[中村ゆりか]]、女優 * [[1998年]] - 原正和、[[棋士 (囲碁)]] * [[1999年]] - [[藤井梨央]]、元アイドル(元[[こぶしファクトリー]]) * [[2000年]] - [[田口華]]、女優、アイドル(元[[さくら学院]]) * 2000年 - [[鈴木励和]]、俳優 * 2000年 - [[唯井まひろ]]、[[AV女優]] * [[2003年]] - [[小山璃奈]]、ファッションモデル、アイドル(元[[マジカル・パンチライン]]) * [[2004年]] - [[ブランドン・バリエラ]]、プロ野球選手 * [[2006年]] - 石田悠佳、女優、アイドル([[LINKL PLANET]]) * 生年不明 - [[葵海人]]、声優 * 生年不明 - [[堀内美里]]、[[北海道放送]]アナウンサー == 忌日 == [[Image:Minamoto no Yoshinaka.jpg|thumb|200px|[[源義仲]](1154-1184)、[[粟津の戦い]]で討死。『[[平家物語]]』の「木曾最期」も名高い]] [[Image:Saladin the Victorious.jpg|thumb|200px|[[アイユーブ朝]]の創始者、[[サラーフッディーン]](1137もしくは1138-1193)病没]] [[Image:Aachen Allegory.jpg|thumb|200px|[[マニエリスム]]の画家[[ハンス・フォン・アーヘン]](1552-1615)没。画像は『寓話または正義の勝利』(1598)]] {{multiple image | image1 = Портрет Гоголя.jpg | width1 = 100 | caption1 = ロシアの作家[[ニコライ・ゴーゴリ]](1809-1852)没 | alt1 = ニコライ・ゴーゴリ | image2 = Commodore Matthew Calbraith Perry.jpg | width2 = 100 | caption2 = 日本を開国させた[[マシュー・ペリー]](1794-1858)没 | alt2 = マシュー・ペリー }} * [[1160年]]([[永暦]]元年[[1月25日 (旧暦)|1月25日]]) - [[源義平]]、[[平安時代]]の[[武将]](* [[1141年]]) * [[1172年]] - [[イシュトヴァーン3世 (ハンガリー王)|イシュトヴァーン3世]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー王]](* [[1147年]]) * [[1184年]]([[元暦]]元年[[1月20日 (旧暦)|1月20日]]) - [[源義仲]]、平安時代末期の[[武将]](* [[1154年]]) * [[1193年]] - [[サラーフッディーン]]、[[アイユーブ朝]]創始者(* [[1137年]]または[[1138年]]) * [[1303年]] - [[ダニール・アレクサンドロヴィチ]]、[[モスクワ大公国|モスクワ公]](* [[1261年]]) * [[1576年]]([[天正]]4年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]) - [[畠山義隆]]、[[能登国]]の[[戦国大名]](* [[1556年]]?) * [[1615年]] - [[ハンス・フォン・アーヘン]]、[[画家]](* [[1552年]]) * [[1701年]]([[元禄]]14年[[1月25日 (旧暦)|1月25日]]) - [[契沖]]、[[国学|国学者]]、[[僧|僧侶]](* [[1640年]]) * [[1710年]] - [[ルイ3世 (コンデ公)|ルイ3世]]、[[コンデ公]](* [[1668年]]) * [[1805年]] - [[ジャン=バティスト・グルーズ]]、画家(* [[1725年]]) * [[1832年]] - [[ジャン=フランソワ・シャンポリオン]]、[[考古学者]](* [[1790年]]) * [[1852年]] - [[ニコライ・ゴーゴリ]]、[[小説家]](* [[1809年]]) * [[1855年]]([[安政]]2年[[1月16日 (旧暦)|1月16日]]) - [[江川英龍]]、[[伊豆国]]韮山[[代官]](* [[1801年]]) * [[1858年]] - [[マシュー・ペリー]]、軍人、[[日米和親条約]]を締結(* [[1794年]]) * [[1883年]] - [[アレクサンダー・スティーヴンズ]]、[[アメリカ連合国]]副大統領(* [[1812年]]) * [[1893年]] - [[池田慶政]]、第8代[[岡山藩|岡山藩主]](* [[1823年]]) * [[1906年]] - [[ジョン・マカリスター・スコフィールド]]、[[アメリカ陸軍総司令官]](* [[1831年]]) * [[1910年]] - [[クヌート・オングストローム]]、[[物理学者]](* [[1857年]]) * [[1916年]] - [[フランツ・マルク]]、画家(* [[1880年]]) * [[1925年]] - [[モーリッツ・モシュコフスキ]]、[[作曲家]](* [[1854年]]) * 1925年 - [[モンテ・ウォード]]、元プロ野球選手(* [[1860年]]) * [[1935年]] - [[久邇邦久]]、[[華族]]、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍人]](* [[1902年]]) * [[1944年]] - [[ルイス・バカルター]]、[[ギャング|ギャングスタ]](* [[1897年]]) * [[1948年]] - [[アントナン・アルトー]]、[[俳優]]、作家(* [[1896年]]) * 1948年 - [[千家元麿]]、[[詩人]](* [[1888年]]) * [[1952年]] - [[チャールズ・シェリントン]]、[[生理学|生理学者]](* [[1857年]]) * [[1960年]] - [[レナード・ウォーレン]]、[[バリトン]][[歌手]](* [[1911年]]) * [[1963年]] - [[ベン・ブルース・ブレイクニー]]、[[弁護士]] (* [[1908年]] ) * [[1965年]] - [[有田八郎]]、[[政治家]](* [[1884年]]) * [[1972年]] - [["スカーフェイス"・ジョン・ウィリアムズ]]、R&Bシンガー([[1972年]]) * [[1976年]] - [[ヴァルター・ショットキー]]、[[物理学者]](* [[1886年]]) * [[1977年]] - [[ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク]]、[[ドイツの首相|ドイツ首相代行]](* [[1887年]]) * [[1979年]] - [[保利茂]]、政治家、第59代[[衆議院議長]](* [[1901年]]) * [[1980年]] - [[ルーキー新一]]、[[コメディアン]](* [[1935年]]) * [[1982年]] - [[人生幸朗]]<ref>{{コトバンク|人生 幸朗}} - [[日外アソシエーツ]]編『20世紀日本人名事典』(日外アソシエーツ、2004年)および日外アソシエーツ編『新撰 芸能人物事典 明治~平成』(日外アソシエーツ、2010年)より引用。なお、読みについては「じんせい '''こうろう'''」としている。</ref>、[[漫才師]](* [[1907年]]) * [[1986年]] - [[リチャード・マニュエル]]、[[ミュージシャン]]([[ザ・バンド]])(* [[1943年]]) * [[1987年]] - [[北村西望]]、[[彫刻家]](* [[1884年]]) * [[1991年]] - [[石井順一]]、高校野球指導者(* [[1899年]]) * [[1993年]] - [[岩本章]]、元[[プロ野球選手]](* [[1921年]]) * [[1994年]] - [[ジョン・キャンディ]]、俳優(* [[1950年]]) * [[1997年]] - [[ロバート・H・ディッケ]]、物理学者(* [[1916年]]) * [[1999年]] - [[桜井長一郎]]、[[物真似|声帯模写]]芸人(* [[1917年]]) * [[2001年]] - [[大和田明]]、元プロ野球選手(* [[1934年]]) * [[2002年]] - [[半村良]]、[[小説家]](* [[1933年]]) * [[2003年]] - [[セバスチアン・ジャプリゾ]]、小説家(* [[1931年]]) * [[2004年]] - [[中野弘彦]]、[[日本画家]](* [[1927年]]) * [[2005年]] - [[木川かえる]]、[[漫画家]]、ジャズ漫画家(* [[1922年]]) * [[2008年]] - [[レナード・ローゼンマン]]、作曲家(* [[1924年]]) * 2008年 - [[小島朋之]]、[[政治学者]](* [[1943年]]) * 2008年 - [[柳原和子]]、[[ノンフィクション作家]](* [[1950年]]) * 2008年 - [[ゲイリー・ガイギャックス]]、作家、[[ゲームデザイナー]](* [[1938年]]) * [[2009年]] - [[ホートン・フート]]、[[劇作家]]、[[脚本家]](* [[1916年]]) * [[2010年]] - [[近藤鉄雄]]、元[[政治家]]、元[[労働大臣]]、元[[衆議院議員]](* [[1929年]]) * [[2012年]] - [[東出康博]]、元プロ野球選手(* [[1950年]]) * [[2014年]] - [[呉天明]]、[[映画監督]]、[[映画プロデューサー]](* [[1939年]]) * [[2017年]] - [[津雲むつみ]]、漫画家(* [[1952年]]) * 2017年 - [[井之上隆志]]<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2087162/full/?ref_cd=tw 俳優の井之上隆志さん死去 56歳 『ドクターX』『相棒』などに出演]Oricon</ref>、俳優(* [[1960年]]) * [[2021年]] - [[東郷哲也]]、政治家、元衆議院議員(*[[1971年]]) * [[2023年]] - [[中真千子]]、女優(*[[1936年]]) == 記念日・年中行事 == [[ファイル:Baumkuchen,dresden,Deutschland.JPG|thumb|200px|[[バウムクーヘン]]の日]] [[Image:Elias Howe sewing machine.png|thumb|200px|[[ミシン]]の日。画像は[[エリアス・ハウ]]の発明した二重縫いミシン]] * [[バウムクーヘン]]の日({{JPN}}) *: [[1919年]]3月4日に広島県物産陳列館(現在の[[原爆ドーム]])で行われた「ドイツ作品展示会」で、[[カール・ユーハイム]]が日本で初めてドイツの伝統菓子のバウムクーヘンの製造販売をしたことに由来し、カール・ユーハイムが創業した製菓会社[[ユーハイム]]が2010年に制定。 * [[ミシン]]の日({{JPN}}) *: 日本家庭用ミシン工業会が[[1990年]]に制定。「ミ(3)シ(4)ン」の語呂合わせ。 * [[サッシ]]の日({{JPN}}) *: 吉田工業(現[[YKK AP]]株式会社)が制定。「サッ(3)シ(4)」の語呂合わせ。 * スカーフの日 ({{JPN}}) *: 日本スカーフ協会が制定。スカーフの魅力をさらに多くの人に知ってもらうのが目的。日付は、ヨーロッパではカトリックのミサの際に女性が三角形や四角形のベールを頭から被るのが礼儀とされ、ベールを忘れないように首に巻いたのがスカーフの始まりと言われていることから三角形と四角形の3と4で3月4日とした。 * 差し入れの日({{JPN}}) *: 日本残業協会が制定(残業の是非を問う団体ではない)。「差し入れ」を啓蒙することで、社内コミュニケーションの活性化を促し、業務効率のアップやモチベーションアップなどを図ることが目的。日付は「サ(3)シ(4)入れ」の語呂合わせから。 * 三[[姉妹]]の日({{JPN}}) *: 女性ばかりの姉妹の中でもひときわ華やかで絆が強いとされる長女・次女・三女の三姉妹。その調査・研究を行っている三姉妹総合研究所が制定。3と4で「三姉妹」と読む語呂合わせから。 * [[雑誌]]の日({{JPN}}) *: [[富士山マガジンサービス]]が[[2008年]]に制定。「ざっ(3)し(4)」の語呂合わせ。 * [[三線|さんしん]]の日({{JPN}}) *: [[琉球放送]](RBCiラジオ)パーソナリティ[[上原直彦]]が[[1993年]]に提唱、琉球放送が[[2005年]]に制定。毎年この日に[[民謡で今日拝なびら#ゆかる日 まさる日 さんしんの日|長時間の特別番組]]がRBC iラジオで放送される。沖縄楽器の三線=「さん(3)しん(4)」の語呂合わせ。 * [[酸蝕症|酸蝕歯]]の日({{JPN}}) *: [[グラクソ・スミスクライン]]の日本法人が制定。「さんしょく(3)し(4)」の語呂合わせ。 * [[円 (通貨)|円]]の日({{JPN}}) *: [[1869年]](明治2年)のこの日、明治政府が貨幣を円形として金銀銅の貨幣を鋳造する円貨の制度を定めた。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0304|date=2011年6月}} * [[1995年]] - 遠野貴樹、篠原明里に会うため[[岩舟駅]]に向かう。(映画『[[秒速5センチメートル]]』) * [[2000年]] - 突如ネットに出現した[[デジタマ]]から生まれた新種[[デジタルモンスター|デジモン]]が、[[インターネット]]に繋がる[[コンピュータ]]の[[データ]]を食い荒らし、様々な機関を暴走させながら急速に進化。世界を混乱に陥らせる謎の新種デジモンを止めるため、事態に気づいた八神太一、泉光子郎の二人は再び選ばれし子供たちを集めるべく奔走する。(映画『[[デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!]]』 * [[2007年]] - オリバー・リークが亀裂調査センターに攻撃、センター側はリークの生物収容施設を逆探知し乗り込む。(ドラマ『[[プライミーバル]]』) * 2620年 - アネックス1号が地球を発ち、火星に出発する。(漫画『[[テラフォーマーズ]]』) * [[宇宙世紀|U.C.]]0079年 - [[ジオン公国|ジオン軍]]が[[オデッサ]]に降下し制圧。第一次降下作戦が完了。(アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』シリーズ) === 誕生日(フィクション) === * [[1995年]] - 伊禮瑞榎、ゲーム・漫画・アニメ『[[ROBOTICS;NOTES]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |year = 2012 |title = ROBOTICS;NOTES 【ロボティクス・ノーツ】 公式設定資料集:Childhood Dreams |page = 90 |publisher = [[アスキー・メディアワークス]] |isbn = 978-4-04-886756-6 }}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=浅川圭司(漫画)|author2=5pb.(原作)|authorlink2=5pb.|title=ROBOTICS;NOTES|volume=2巻|publisher=[[マッグガーデン]]|series=ブレイドコミックス|year=2012|page=67|isbn=978-4-8000-0062-0}}</ref> * 生年不明 - 各務原なでしこ、漫画・アニメ『[[ゆるキャン△]]』の主人公<ref name=":0">{{Twitter status|yurucamp_anime|1499399195983179790}}</ref> * 生年不明 -大治小夜、特撮テレビドラマ『[[魔進戦隊キラメイジャー]]』の登場人物 * 生年不明 - マシラ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Mashira.html |title=マシラ |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-11-05 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - Q・P、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1499400469461962764}}</ref> * 生年不明 - ムンドック、漫画・アニメ『[[BLACK CAT]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - チーノン・ポウ、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-bleach.com/chara/03/choeneng.html |title=チーノン・ポウ |access-date=2022-11-05 |publisher=[[久保帯人]]/[[集英社]] |work=BLEACH.com}}</ref> * 生年不明 - 笹川京子、漫画・アニメ『[[家庭教師ヒットマンREBORN!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 照橋信、漫画・アニメ『[[斉木楠雄のΨ難]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1499660974667804673}}</ref> * 生年不明 - 天喰環、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=天喰環 |url=https://mhaoj2.bn-ent.net/character/tamaki.php |work=『僕のヒーローアカデミア』 |accessdate=2022-11-05 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 [[バンダイナムコエンターテインメント|BANDAI NAMCO Entertainment Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - 二ノ宮亜美、漫画・アニメ『[[ラフ (漫画)|ラフ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - リィエン、漫画・アニメ『[[金色のガッシュ!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ディア=シーナ、漫画・アニメ『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ|authorlink=東まゆみ|date=2009-03-10|title=EREMENTAR GERADアルティメットガイド|series=BLADE COMICS|page=39|publisher=[[マッグガーデン]]|isbn=978-4-86127-616-3}}</ref> * 生年不明 - 太田川好美、漫画・アニメ『[[おおきく振りかぶって]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 祇堂静珠、漫画・アニメ『[[まりあ†ほりっく]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1367434768527347715}}</ref> * 生年不明 - 虎雪、漫画・アニメ『[[SERVAMP-サーヴァンプ-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 久保田陽菜、漫画・アニメ『[[ばらかもん]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 周防久志、漫画・アニメ・映画『[[ちはやふる]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yuyu2000_0908|1367458211670847489}}</ref> * 生年不明 - 犬山あおい、漫画・アニメ『[[ゆるキャン△]]』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> * 生年不明 - 桜田麻陽、漫画『[[青葉くんに聞きたいこと]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ノエル・オンス・ワーデルセラム、漫画・アニメ『王宮のトリニティ』に登場するキャラクター * 生年不明 - 橘高冬琉、小説・漫画・アニメ『[[アスラクライン]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 佐治原銀呼、小説・アニメ『[[クオリディア・コード]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 箕作沙々芽、キャラクターCD・映画・アニメ『[[音楽少女]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://ongaku-shoujo.jp/#character |title=Character 箕作沙々芽 |access-date=2022-11-05 |publisher=音楽少女製作委員会 |work=『音楽少女』}}</ref> * 生年不明 - わたわたっち、ゲーム・アニメ『[[たまごっち]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書|date=2011-11-01|title=テレビ超ひゃっか たまごっち!たまともプロフずかん|page=23|publisher=[[小学館]]|series=テレビ超ひゃっか|editor1-first=|editor1-last=ウィズ|editor1-link=ウィズ (玩具)|editor2-first=|editor2-last=バンダイ|editor2-link=バンダイ|isbn=978-4-09-751048-2}}</ref> * 生年不明 - 彰紋、ゲーム・アニメ『[[遙かなる時空の中で]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 外薗綸花、ゲーム・アニメ『[[Gift 〜ギフト〜|Gift ~ギフト~ eternal rainbow]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 砂賀みどり、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|837860153512902656}}</ref> * 生年不明 - 鷹司千歳、ゲーム・アニメ『[[ワガママハイスペック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://wagahigh.com/character_sub.php |title=Sub Character 鷹司 千歳 |access-date=2022-11-05 |publisher=まどそふと |work=『ワガママハイスペック』}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シャイニーカラーズ#風野灯織|風野灯織]]、ゲーム『[[アイドルマスター シャイニーカラーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://shinycolors.idolmaster.jp/idol/unit1/hiori.html |title=風野 灯織 (かざの ひおり) |website=アイドルマスター シャイニーカラーズ(シャニマス) |work=[[バンダイナムコエンターテインメント]] |accessdate=2022-11-05}}</ref> * 生年不明 - [[ラブライブ!サンシャイン!!#国木田花丸|国木田花丸]]、メディアミックス『[[ラブライブ!サンシャイン!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.lovelive-anime.jp/uranohoshi/member.php |title=メンバー紹介 国木田 花丸 |publisher=プロジェクトラブライブ!サンシャイン!! |accessdate=2022-11-05}}</ref> === 忌日(フィクション) === * [[2007年]] - オリバー・リーク、『[[プライミーバル]]』に登場するキャラクター * 2007年 - スティーブン・ハート、『プライミーバル』に登場するキャラクター == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commons&cat|March 4|4 March}} {{新暦365日|3|3|3|5|[[2月4日]]|[[4月4日]]|[[3月4日 (旧暦)|3月4日]]|0304|3|04}} {{1年の月と日}}
2003-03-01T04:54:23Z
2023-10-24T01:31:47Z
false
false
false
[ "Template:コトバンク", "Template:新暦365日", "Template:仮リンク", "Template:Reflist", "Template:カレンダー 3月", "Template:脚注ヘルプ", "Template:JPN", "Template:フィクションの出典明記", "Template:Cite web", "Template:Twitter status", "Template:Commons&cat", "Template:1年の月と日", "Template:Multiple image", "Template:Cite book" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%884%E6%97%A5
3,123
調味料
調味料(ちょうみりょう、英: Seasoning)は、料理の調味に使う材料。主なものに、砂糖、塩、酢、醤油、味噌(さしすせそ)などがある。 料理への味付けを目的としたもの。和食の味付け手順では、「さしすせそ」と称される。調味料は、それ自身が食品であったり、化学調味料などの食品添加物であったりと多種にわたる。 調味料には多くの種類があり、代表的なものは別個に名を持つ。 味の種類では甘さを加えるものを甘味料、旨味を与えるものを出汁などという。特別な香り・辛さをつけるものを香辛料という。 その由来や製法は次のように様々である。 物質の状態による分類では、固形タイプ、粉末タイプ、液体タイプ、ペーストタイプ、半固体状のもの(マヨネーズなど)、他にジュレなどもある。 調味料を加えることは、料理の重要な要素であり、その加え方も様々である。完成したものに加える場合、加えた後にその他の処理をする場合があり、またそのタイミングや順番も重要である。 日本では家庭料理において調味料を使うタイミングとして、「さしすせそ」というものがある。これは、素材に味が染み込ませるのに好適な順序として挙げられるもので、「砂糖」「塩(食塩)」「酢」「せうゆ(しょうゆ)」「みそ」の順である。 食べる直前に使う例もある。そのため、醤油差しや食塩は食卓に常備するのが普通である。 塩はしょっぱさを与えるものであるが、甘いものに混ぜて甘味を増加させるためにも使用される。例えば、スイカに食塩を少量かけて食べることで甘味をより強く感じられる。このように異なる味があるときに一方の味がもう一方の味を強めることを、「味の対比効果(あじのたいひこうか)」という。 前近代における伝統的な日本料理は、「醤油」と「味噌」といった二大万能調味料があったことで新しい味付けをする試みはあまり成されなかった(味噌を万能とする表現は『本朝食鑑』にもある)。これは日本料理の特徴が、四季の多様な食材に頼っていたことにもより、食材に手を加えない(食材本来の味を包丁の切り方でいかに引き出すか)といったこだわりも、豊富な食材がある大前提で成立したものとされる(日本料理の海外進出が難しいのも、旬の食材頼りにある)。こうした日本料理の気風から調味料による人工的味付けはあまり好まれなかった。 料理店で出された料理に対し、持参の調味料をかける行為はマナー違反であり、北大路魯山人はフランス料理店で口に合わないとしてわさび醤油をかけた逸話がある(当該項目を参照)。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "調味料(ちょうみりょう、英: Seasoning)は、料理の調味に使う材料。主なものに、砂糖、塩、酢、醤油、味噌(さしすせそ)などがある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "料理への味付けを目的としたもの。和食の味付け手順では、「さしすせそ」と称される。調味料は、それ自身が食品であったり、化学調味料などの食品添加物であったりと多種にわたる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "調味料には多くの種類があり、代表的なものは別個に名を持つ。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "味の種類では甘さを加えるものを甘味料、旨味を与えるものを出汁などという。特別な香り・辛さをつけるものを香辛料という。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "その由来や製法は次のように様々である。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "物質の状態による分類では、固形タイプ、粉末タイプ、液体タイプ、ペーストタイプ、半固体状のもの(マヨネーズなど)、他にジュレなどもある。", "title": "分類" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "調味料を加えることは、料理の重要な要素であり、その加え方も様々である。完成したものに加える場合、加えた後にその他の処理をする場合があり、またそのタイミングや順番も重要である。", "title": "加え方" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本では家庭料理において調味料を使うタイミングとして、「さしすせそ」というものがある。これは、素材に味が染み込ませるのに好適な順序として挙げられるもので、「砂糖」「塩(食塩)」「酢」「せうゆ(しょうゆ)」「みそ」の順である。", "title": "加え方" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "食べる直前に使う例もある。そのため、醤油差しや食塩は食卓に常備するのが普通である。", "title": "加え方" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "塩はしょっぱさを与えるものであるが、甘いものに混ぜて甘味を増加させるためにも使用される。例えば、スイカに食塩を少量かけて食べることで甘味をより強く感じられる。このように異なる味があるときに一方の味がもう一方の味を強めることを、「味の対比効果(あじのたいひこうか)」という。", "title": "加え方" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "前近代における伝統的な日本料理は、「醤油」と「味噌」といった二大万能調味料があったことで新しい味付けをする試みはあまり成されなかった(味噌を万能とする表現は『本朝食鑑』にもある)。これは日本料理の特徴が、四季の多様な食材に頼っていたことにもより、食材に手を加えない(食材本来の味を包丁の切り方でいかに引き出すか)といったこだわりも、豊富な食材がある大前提で成立したものとされる(日本料理の海外進出が難しいのも、旬の食材頼りにある)。こうした日本料理の気風から調味料による人工的味付けはあまり好まれなかった。", "title": "日本料理における調味料の位置付け" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "料理店で出された料理に対し、持参の調味料をかける行為はマナー違反であり、北大路魯山人はフランス料理店で口に合わないとしてわさび醤油をかけた逸話がある(当該項目を参照)。", "title": "日本料理における調味料の位置付け" } ]
調味料は、料理の調味に使う材料。主なものに、砂糖、塩、酢、醤油、味噌(さしすせそ)などがある。
{{出典の明記|date=2011年8月}} [[File:Typical Polish set of spices.jpg|thumb|280px|right|各種調味料]] '''調味料'''(ちょうみりょう、[[英語|英]]: Seasoning<ref>[https://kotobank.jp/jeword/%E3%82%8A%E3%82%87%E3%81%86%E3%82%8A プログレッシブ和英辞典(コトバンク)]</ref>)は、[[料理]]の調味に使う材料。主なものに、[[砂糖]]、[[塩]]、[[酢]]、[[醤油]]、[[味噌]]([[さしすせそ (調味料)|さしすせそ]])などがある。 == 概要 == {{main|さしすせそ (調味料)}} [[料理]]への'''味付け'''を目的としたもの。[[和食]]の味付け手順では、「[[さしすせそ (調味料)|さしすせそ]]」と称される。調味料は、それ自身が[[食品]]であったり、化学調味料などの[[食品添加物]]であったりと多種にわたる。 == 分類 == 調味料には多くの種類があり、代表的なものは別個に名を持つ。 味の種類では[[甘さ]]を加えるものを[[甘味料]]、[[旨味]]を与えるものを[[出汁]]などという。特別な香り・辛さをつけるものを[[香辛料]]という。 その由来や製法は次のように様々である。 * 味の成分を抽出し、より純化・精製したもの。[[砂糖]]、[[食塩]]はこの例である。 * [[醤油]]・[[味噌]]などの[[発酵食品]]。[[発酵]]により素材を味付けに適したものとする。 * 様々な材料成分を煮出したもの。[[ウスターソース]]や[[ケチャップ]]は、煮詰めて味成分を濃縮させる。 * 香辛料などの素材を粉砕したもの。胡椒や七味唐辛子がこの例である。 [[物質の状態]]による分類では、[[固体|固形]]タイプ{{Refnest|固形ブイヨンは[[日本農林規格]]では「乾燥コンソメ」という名称になっている<ref name="mext_0317r10" />。}}、[[粉|粉末]]タイプ、[[液体]]タイプ、[[ペースト]]タイプ、半固体状のもの([[マヨネーズ]]など)<ref name="mext_0317r10">[http://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2017/06/22/1365346_1-0317r10.pdf [PDF] 1-0317 調味料及び香辛料類] - [[文部科学省]]</ref>、他に[[ジュレ]]などもある。 == 加え方 == 調味料を加えることは、料理の重要な要素であり、その加え方も様々である。完成したものに加える場合、加えた後にその他の処理をする場合があり、またそのタイミングや順番も重要である。 日本では家庭料理において調味料を使うタイミングとして、「[[さしすせそ (調味料)|さしすせそ]]」というものがある。これは、素材に味が染み込ませるのに好適な順序として挙げられるもので、「[[砂糖]]」「塩([[食塩]])」「[[酢]]」「せうゆ([[しょうゆ]])」「[[みそ]]」の順である<ref group="注釈">しかし現代では、[[めんつゆ]]・[[ポン酢]]などを一度に加えることが多い。</ref>。{{main|さしすせそ (調味料)}} 食べる直前に使う例もある。そのため、[[醤油差し]]や食塩は[[家庭料理|食卓]]に常備するのが普通である。 塩はしょっぱさを与えるものであるが、甘いものに混ぜて甘味を増加させるためにも使用される。例えば、[[スイカ]]に食塩を少量かけて食べることで[[甘味]]をより強く感じられる。このように異なる味があるときに一方の味がもう一方の味を強めることを、「[[味の対比効果]](あじのたいひこうか)」という<ref>『大人も知らない?続ふしぎ現象事典』2023年、マイクロマガジン社、p.92</ref>。 == 日本料理における調味料の位置付け == 前近代における伝統的な[[日本料理]]は、「醤油」と「味噌」といった二大万能調味料があったことで新しい味付けをする試みはあまり成されなかった<ref>[[石毛直道]] 他共著 『文化と人類』 [[朝日新聞社]] 1973年 pp.208 - 209</ref>(味噌を万能とする表現は『[[本朝食鑑]]』にもある)。これは日本料理の特徴が、四季の多様な食材に頼っていたことにもより、食材に手を加えない(食材本来の味を[[包丁]]の切り方でいかに引き出すか)といったこだわりも、豊富な食材がある大前提で成立したものとされる<ref name="ishige_209">[[石毛直道]] 他共著 『文化と人類』 p.209</ref>(日本料理の海外進出が難しいのも、[[旬]]の食材頼りにある<ref name="ishige_209"/>)。こうした日本料理の気風から調味料による人工的味付けはあまり好まれなかった<!-- 砂糖については、近世では琉球国や南蛮から取り入れられ、まだ高級調味料 -->。 料理店で出された料理に対し、持参の調味料をかける行為はマナー違反であり、[[北大路魯山人]]はフランス料理店で口に合わないとしてわさび醤油をかけた逸話がある(当該項目を参照)<!-- 西洋料理や日本料理とは異なり、中華料理店では許されるとされる。 -->。 == 食品 == * [[砂糖]] - [[黒砂糖]] * [[塩]] - 海塩、[[岩塩]] * [[酢]] - [[柚子]] * [[醤油]] * [[魚醤]]([[しょっつる]]、[[いしる]]、[[ナンプラー]]、[[ヌクマム|ニョクマム]]⇒柑橘類・酢・砂糖・ニンニク・唐辛子を加えてた[[ヌクチャム]]) * [[味噌]] - (米味噌、豆味噌、麦味噌) * [[醤]]・[[ひしお]]- [[豆板醤]]、[[XO醤]]、[[芝麻醤]]、[[豆豉|豆豉醤]]、[[甜面醤]]、[[沙茶醤]]、[[コチュジャン]] * [[タレ]]、垂味噌 * [[めんつゆ]]([[醤油]]+[[みりん]]+[[出汁]]) * [[土佐酢]]([[醤油]]+[[柚子]]+[[みりん]]+[[出汁]]、[[ポン酢]]([[醤油]]+[[みりん]]+[[出汁]]+[[柑橘類]]+[[お酢]]) * [[割下]] * [[出汁]] * [[酒]] - [[日本酒]]、[[煎り酒]]、[[料理酒]] * [[みりん]] * [[コショウ]] * [[七味唐辛子]] * [[ウスターソース]](中濃ソース、濃厚ソース、とんかつソース) * [[ケチャップ]] * [[オイスターソース]] * [[サンバル]]ソース * [[チリソース]]([[タバスコ]]) * [[チャツネ]]([[インド]]など) * [[マスタード]] * [[マヨネーズ]] * [[油脂]]、[[ラー油]] * [[香辛料]]、[[ハーブ]] * [[カレー粉]] == 地方独特の調味料 == <!--* めんみ([[北海道]]・[[北海道キッコーマン]])--><!--めんつゆの商品名--> <!--* 八方汁([[青森県]]・[[ワダカン]])--><!--めんつゆの商品名--> * しょっつる([[秋田県]]) * いしる([[石川県]]) * [[南蛮味噌]]([[東北地方|東北]]・[[北陸地方|北陸]]) <!--* ビミサン([[山梨県]]など・[[テンヨ武田]])--><!--めんつゆの商品名--> * [[どろソース]]([[近畿地方]]・[[オリバーソース]]他) * [[柚子胡椒]]([[大分県]]など) * [[マキシマム]](宮崎県) * [[コーレーグス]]([[沖縄県]]) == 食品添加物 == * [[化学調味料]] * [[タンパク加水分解物]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} ==関連文献== *{{Cite journal |和書|author =大久保洋子|title =江戸の調味料|date =2010|publisher =日本調理科学会|journal =日本調理科学会誌|volume =47|issue =4|doi=10.11402/cookeryscience.47.233|pages =233-235|ref = }} == 関連項目 == * [[合わせ調味料]] * [[さしすせそ (調味料)]] * [[隠し味]] * [[香辛料]] * [[ガラムマサラ]] * [[ハーブ]] * [[加薬]] * [[香料]] * [[薬味]] * [[ディップ (調味料)|ディップ]] * {{仮リンク|ソース調味料の一覧|en|List of sauces}} ;容器 * {{ill2|カスター (調味料入れ)|en|Cruet}} * {{ill2|ソルトセラー|en|Salt cellar}} * {{ill2|ソルトピッグ|en|Salt pig}} * {{ill2|調味料シェーカー|en|Salt and pepper shakers}} * {{ill2|マサラ・ダバ|en|Masala dabba}} == 外部リンク == {{Commonscat|Condiments}} * {{Kotobank}} {{料理}} {{food-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:ちようみりよう}} [[Category:調味料|*]] [[Category:食文化関連の一覧]]
2003-03-01T05:03:20Z
2023-12-11T06:55:48Z
false
false
false
[ "Template:Main", "Template:Reflist", "Template:Cite journal", "Template:料理", "Template:Refnest", "Template:Commonscat", "Template:Normdaten", "Template:出典の明記", "Template:Notelist", "Template:仮リンク", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Ill2", "Template:Kotobank", "Template:Food-stub" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%BF%E5%91%B3%E6%96%99
3,124
穀物
穀物(こくもつ、英: cerealsあるいはgrain)は、植物から得られる食材の総称の一つで、澱粉質を主体とする種子を食用とするもの。狭義にはイネ科作物の種子(米や麦やトウモロコシなど)のみを指し、広義にはこれにマメ科作物の種子(豆)や他科の作物の種子を含む。 イネ科作物の種子を禾穀類(かこくるい、Cereals、シリアル)といい、マメ科作物の種子を菽穀類(しゅこくるい、Pulses)という。広義の穀物のうち、禾穀類の種子(単子葉植物であるイネ科作物の種子)と似ていることから穀物として利用される双子葉植物の種子をまとめて擬禾穀類あるいは擬穀類(疑似穀類、Pseudocereals)と呼ぶ。擬穀類には、ソバ(タデ科)、アマランサス(ヒユ科)、キヌア(キノア、アカザ科)などが含まれる。 国連食糧農業機関では禾穀類に擬穀類を加えシリアルとまとめている。豆は別集計、大豆はさらに油糧作物として集計している。 生産量ではトウモロコシ、小麦、米が突出しており、これら3種は世界三大穀物と呼ばれている。 穀物が含む栄養素は主に炭水化物である。タンパク質や脂肪も含まれるものの穀物の摂取だけでは不足しがちなため、多くの文化圏において穀物はタンパク質を補うための豆類とセットで栽培され、消費されてきた。たとえば、アジア地域における「米と豆」、中近東における「小麦と豆」、アメリカ州における「トウモロコシと豆」の組み合わせである。 現代において世界で栽培される穀物は、ほぼ7地域(近東、アフリカ(サヘル地帯及びエチオピア高原)、中央アジア、中国雲南省~東南アジア~インド北部、中国北部、中央アメリカ、南米のアンデス山脈)を起源としている。これらの地域は農耕文明の発祥地と重なっている。 近東地域(中近東)は穀物の栽培化が世界で最も早かった地域であり、コムギ、オオムギ、ライムギ、エンバクといった世界でも重要な地位を占める穀物が栽培化された地域である。アフリカのサヘルからエチオピア高原にかけては、世界に広まったモロコシをはじめ、シコクビエやトウジンビエ、フォニオやテフなどが栽培化された。中央アジアではソラマメ、ヒヨコマメ、レンズマメが栽培化され、中国雲南省~東南アジア~インド北部においてはイネを筆頭としてソバやハトムギが、中国北部においてはキビ、ヒエ、ダイズ、アズキが栽培化された。中央アメリカにおいてはトウモロコシが栽培化された。南アメリカ・アンデスにおいては、アマランサスやキノアの栽培化が行われた。 栽培化される前は、穀物の多くは播種のために熟すると種子が穂から脱落する性質(脱粒性)を持っていた。人類が野生の穀物を利用し始めた際には逆にそれを利用し、穂の下に容器を置いて穂をゆすり身を振るい落としたり、種子がまだ固定している未熟なうちに刈り取ったりするなどの手段を取っていた。しかしこうした方法には限界があり、やがて人類は穂が熟しても種子の脱落しない個体を選抜して栽培するようになり、穀物は非脱粒性を獲得していった。このほかにも可食部分の肥大化など、選抜によってより利用しやすい形へと植物自体の性質が変化していった。 野生の穀物の粒は小さく、収穫しにくく、さらに加工しなければ消化もしにくいため、広く穀物を利用するようになるには石器の登場が必要であった。石を原料とした器は旧石器時代のうち、4万年から1万2千年ほど前の間に出現したが、定期的な穀物の収穫は1万2千年前のナトゥフ文化にみられる。ナトゥフ文化では野生の小麦、大麦、ライ麦を収穫し、ヤンガードリアス期に畑を作り穀物を蔵に保管するようになると、穀物を守るようにして野生の猫もそこに集まるネズミを狙った。 なお穀物の栽培化においては、もともと栽培化されていた穀物とは別に、それらの穀物の栽培の過程において畑に紛れ込んだ雑草が、本来の穀物に紛れて、または押しのけて成長する中で穀物として栽培されるようになっていったものがある。これらは二次作物と呼ばれ、コムギの栽培過程で作物化していったライムギやエンバクなどがあてはまる。 栽培化後も、農法の進歩は続いていた。たとえば上記のとおり穀物が非脱落性を獲得したばかりの場合、穀物の成熟度はその穂ごとに異なるため、熟した穂を選んで収穫する穂刈りが行われていた。しかしやがて農法の進歩によって同じ農地の穀物の成熟度をほぼ同じに調整することが可能となると、穂ではなく茎を根元から収穫する根刈りが主流となっていった。 栽培化された穀物はやがて起源地から広がっていくが、この過程において、コムギ、イネ、トウモロコシの三種の穀物が突出して栽培されるようになっていった。コムギは栽培化当初は加工のしやすいオオムギに比べ二義的な穀物だったと考えられているが、やがて粥ではなくパンを製造するようになると、グルテンを持つコムギは他の穀物のパンよりはるかに美味なパンを作ることができ、また加工の幅もほかの穀物とは比べ物にならないくらい広がったため、旧大陸のパン食文化圏においてはほぼどこでもコムギが第一の穀物とされるようになっていった。 穀物は多くの国家において食糧生産の根幹であり、そのため栽培化以降も各地で品種改良の努力が続けられてきた。19世紀以降には農法の改善によって農業革命が起き、またこの頃から科学的な品種改良の理論が確立して各地で近代的な育種が行われるようになり、穀物の収量は激増した。特に20世紀後半に入ると、肥料の多用に耐えられる穀物品種の開発などによっていわゆる緑の革命が起き、穀物の反収は激増して世界人口の急増を支えることに成功した。 工業革命以前は小麦粉などを粉にするには石臼が使われ、手で選別処理をしなければふすま(表皮)や胚芽を完全に除去することは不可能であった。19世紀後半には、そうした処理が自動化され高度に精製された穀物が広く消費されるようになった。しかし工業の発達は穀物の精製技術を向上させる一方で、食物繊維、ビタミンやミネラルを損失させることで摂取量を減少させており、健康に影響を及ぼしていることが考えられる。 1970年代後半には、クロマトグラフィー果糖濃縮技術の出現で異性化糖(高果糖コーンシロップ、HFCS)の大量生産を可能とした。 国連食糧農業機関(FAO)の穀物の世界需給予測によると、2021年度の生産量は30億0663万トンと初めて30億トン台に乗り、貿易量は5億7959万トン、13.6憶トンが食用、9.9憶トンが飼料であった。以下に1961年(FAO統計が利用可能な最初の年)以降の穀物生産量とその推移を示す。2003年にはトウモロコシ、コメ、コムギの3大穀物で世界の穀物生産の87%、世界の食物カロリーの43%を占めていた。緑の革命の影響を受けた3大穀物の生産量が爆発的に増加しているのに対し、ライムギとエンバクの生産量は1960年代に比べて大幅に減少している。 雑穀とみなされる穀物は全般に需要が低調であり、換金性もそれに伴って低いために栽培が減少する傾向が目立つが、雑穀のなかでも例えばエチオピア高原におけるテフのように地元のアムハラ人などによって強く嗜好され、主食の座を保っている穀物も存在する。このためテフの換金性は高く高価で取引されている。 穀物は世界の人口のかなりを支えており、その生産様式は多岐にわたる。東アジアから東南アジア、南アジアにかけては集約型の穀物生産が行われ、ヨーロッパにおいては年単位で耕地を移動させ輪作を行い、地力の消耗を防ぎながら食用となる穀物と飼料作物を栽培する混合農業が主流である。こうした土地生産性の高い諸国に対し、アメリカのグレートプレーンズやオーストラリア、アルゼンチンのパンパなどでは、広大な土地で穀物を大規模に栽培する企業的穀物農業が行われている。こうした企業的穀物農業においては土地生産性が低く、例えばコムギにおいてはアメリカでは290kg、オーストラリアでは190kgと反収が低くなっているかわりに、少ない労働力で大規模に生産できるために労働生産性が非常に高くなっていることが特徴である。またこうしたことから、穀物の反収は先進国と発展途上国の間には必ずしも明確な差はなく、また穀物の種類によっても大きく左右される。例えばコムギの反収においてはもっとも高いのは西ヨーロッパ諸国であるが、ナイル川沿いの肥沃な土地を擁するエジプトや、ロバート・ムガベ政権によって穀物生産が崩壊する以前のジンバブエなどもそれに劣らない反収を誇っていた。また、日本においてはコメの反収は世界最高レベルにあるが、コムギの反収は384kgと世界中位レベルであり、労働集約型農業としては低いレベルにとどまっている。 農業革命や緑の革命によって品種改良や農法の改善が進んだコメ、コムギ、トウモロコシの三大穀物の収量は激増したが、雑穀などはそれらが進んでおらず、収量も低いレベルにとどまっているものがほとんどである。また、品種改良の進んだ穀物においても、たとえばトウモロコシやソルガムのように世界中で需要の多い飼料用としての改良は大幅に進んだものの、主食用としての改良が進んでいない穀物もあり、これらの穀物を飼料用として栽培するアメリカなどの企業的穀物農業の諸国と、アフリカや中南米などの自給用としてトウモロコシやソルガムの生産を行う諸国との反収の差の一因となっている。 穀物農業は、一年生植物である小麦栽培による表土流出など自然環境に負荷をかける面もあり、アメリカ合衆国のランド研究所が小麦代替穀物として開発した多年草「カーンザ」のように、品種改良で新たに作出される穀物もある。 穀物は、人類の多種ある主食のひとつとして使われてもいるが、実際には人類全体に穀物は届いておらず、世界で生産される穀物の3分の1は主に食肉用の家畜の餌として使われている。 穀物は必需品であり、古くから重要な交易品の一つだった。現代においても穀物交易の重要性は変わらず、北アメリカ・南アメリカ・オーストラリアなどから大量の穀物が輸出され、世界各国に販売されている。なかでも世界最大の穀物輸出国はアメリカであり、主にコムギやトウモロコシの輸出を行っている。逆に穀物輸入額が多いのは、日本をはじめとする東アジア諸国や、アフリカ諸国である。この穀物流通においては、カーギルやアーチャー・ダニエルズ・ミッドランドといった穀物メジャーと呼ばれる商社群が大きな割合を占めている。 穀物の国際価格は変動しやすく、経済や人々の生活にに大きな影響をもたらす。2007年から2008年にかけては飼料用需要の増加や人口増加、穀物在庫の減少、バイオエタノール需要の増加、そして当年の主要産地での不作によって穀物価格が暴騰し、2007年-2008年の世界食料価格危機が発生して、特に発展途上国において都市部貧困層の生活水準悪化と、それにともなう暴動を引き起こした。 穀物は、その種類によって用途の割合が異なっている。(生産量1位の)トウモロコシは、6割が飼料用で、4割が食用である。(生産量2位の)小麦は8割が食用で、2割が飼料用である。(生産量3位の)コメはほぼ全量が食用として使われる。 穀物は、主にエネルギー源となる炭水化物を供給するための主食の材料として用いられており、イモ類などの根菜類やバナナなどを主食とする地域を除く、世界中の大半の地域において食糧の中心部分を占めている。一日のカロリー摂取量に占める穀物の割合は発展途上国におけるほど高くなり、低所得国では70%を超えることすら珍しくない。経済が成長するにつれて食生活が多様化し、脂質や肉類の消費が増加することで穀物の食卓に占める割合も低下していったが、もっとも食卓に穀類の占める割合の少ない北アメリカや西ヨーロッパでも一日のカロリー摂取量の20%程度は穀物から供給されている。 穀物は、脱稃をして外皮を取り除かないと食べることができない。脱稃をしたあと、通常は果皮、種皮、胚、胚乳表層部といった糠やふすま部分を取り除く精白を行う。また、精白しない全粒穀物を食べることもある。全粒穀物の例としては、玄米やオートミール、全粒粉の加工品などが挙げられる。精白する場合と比べてビタミンやミネラル、食物繊維が豊富に含まれているため、健康に良いとされる。精白の際に取り除かれた糠やふすまは通常食用とせず、飼料など様々な形で直接の食用以外に使用されることが多い。 穀物を製粉した場合は、たいていは次に何らかの形で粉をまとめ成形してから食べることになる。ほとんどは、まず水を加えて練り上げ、必要に応じ塩などを混ぜて生地を作る。この生地をそのまま、あるいは発酵させて火を通したものがパンである。パンはコムギから作るものがもっとも一般的であるが、トウモロコシやライムギなどから作られるパンも根強い人気がある。また、この生地を細長く切って成形したものを麺と呼び、これも世界中で広く食される。麺もやはりコムギから作るものが最も一般的であるが、コムギの出来ない東南アジアにおいては麺はコメから作られるものが多い。また日本ではソバを麺にして食べるが、ソバ単体の場合麺状にした場合ちぎれやすくなるため、つなぎとしてコムギを使用することも多い。ただし麺は作るのに手間がかかるため、近代において製麺機が実用化されるまではどの文化圏においてもかなりのごちそうとされていた。こうした伝統的な調理法のほか、19世紀後半に穀物をローラーで圧搾しフレーク状にする技術が開発されたため、これ以後、穀物を加熱加工して長期保存に適するようにした、いわゆるシリアル食品が開発され、朝食を中心に広く利用されている。 また、多めの水で穀物を煮た粥も調理が簡単であり、古くから広く世界で利用されてきた穀物調理法である。粥はそのまま煮るだけなので粒食もできるが、アフリカのウガリのように一度粉にしたものを粥にして食することもある。この場合、水分が多ければ普通の粥となるが、水分が少なければ粥というより粘りの強いペースト状の固体となる。 一部の穀物には、アミロースを含む粳(うるち)性のものと、アミロースを全く、あるいはほとんど含まない糯(もち)性のものの二つに分かれているものがある。本来、穀物は粳性であり、糯性のものはそこから変異して誕生したため、なかには糯性の品種が存在しない穀物も存在する。また、糯性はうるち性に比べて劣性遺伝であるうえ交雑しやすいため、自然状態では存続が難しく、糯性を好む人々が品種維持の努力を継続して初めて品種として継続するものである。糯性品種が存在するものとしては、コメ(もち米)を筆頭に、トウモロコシ、オオムギ(もち麦)、アワ(もち粟)、キビ、モロコシ、アマランサスなどがある。糯性の穀物は調理すると粘性が高くなるため、これを利用して、蒸したもち米をついて作る餅のような様々な食品が生み出された。 また、トウモロコシやソルガムなど一部の穀物には、火を通すと大きくはじける爆裂種(ポップ種)が存在し、ポップコーンなどに加工される。 穀物は飼料としても古くから盛んに使用されてきた。穀物は飼料としては、牧草などの粗飼料と対比して濃厚飼料と呼ばれ、栄養価が高く近代的な畜産には不可欠なものである。飼料用としてもっとも重要な穀物はトウモロコシである。トウモロコシは中南米やアフリカにおいては主食としても使用されるものの、主な用途は消費の64%を占める飼料用である。この他、かつてはウマの飼料としてエンバクが非常に重要な飼料用作物であったが、第一次世界大戦後に軍用や輸送用のウマの需要が激減し、これにともなって飼料作物としてのエンバクの需要も激減して、栽培も少なくなった。ただし、現代においてもウマの飼育においてはエンバクはもっとも重要な飼料の一つである。この他、オオムギの飼料向け割合も高い。また、モロコシもアフリカや南アジアを除いては飼料用の利用がほとんどを占める。 穀物はそのまま食料として用いるほか、様々な食品に加工されても使用される。主食用以外の穀物用途で最も重要なものは、穀物を発酵させて醸造し、酒を造ることである。穀物は果実と並び醸造酒の原料として広く用いられるものである。たとえば、オオムギを原料としてビール、コメを原料として日本酒が造られている。様々な種類の酒が各民族によって作られてきた。穀物の中で醸造用としての用途が特に大きな割合を占める穀物としては、ビールの原料であるオオムギが挙げられる。 穀物は酢酸の原料として用いることも可能であり、例えば米酢のように実際に穀物から作られている酢も存在する。このように、穀物は調味料の原料として用いられることもある。 コーン油や米糠から取る米油などのように、一部の穀物は食用油の生産にも使われている。 2000年代には、穀物を醸造して得られるエタノールをアルコール燃料(バイオマスエタノール)として、機械装置の動力に利用する研究と実用化も進んでいたが、このバイオマスエタノール生産の急成長は穀物価格の急上昇を招き、2007年-2008年の世界食料価格危機の主因の一つとなるなど問題が発生したことから、2015年頃からバイオマスエタノール利用は大きく鈍化している。なお穀物由来のバイオエタノールの主要生産国はアメリカで、主にトウモロコシから生産を行っている。 種を収穫した後の残部も広く使用され、たとえば米の茎部分である藁は工芸材料として広く利用されるほか、籾殻も充填材として利用される。コムギの藁は敷き藁などに利用され、またトウモロコシの茎は燃料や製紙原料として利用される。 特に生産量が多く主食として扱われることも多いイネ、ムギ類、トウモロコシを除く、その他の穀物を雑穀と呼んで区別することもある。中国や日本においては、特に主要な五種の穀物を五穀と呼び重視してきた。この五穀の内容は時代や書物によって様々であり、主要穀物の総称としての意味合いが強かった。現代日本においては、コメ、ムギ、アワ、マメ、キビまたはヒエを指して五穀と呼ぶことが多い。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "穀物(こくもつ、英: cerealsあるいはgrain)は、植物から得られる食材の総称の一つで、澱粉質を主体とする種子を食用とするもの。狭義にはイネ科作物の種子(米や麦やトウモロコシなど)のみを指し、広義にはこれにマメ科作物の種子(豆)や他科の作物の種子を含む。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "イネ科作物の種子を禾穀類(かこくるい、Cereals、シリアル)といい、マメ科作物の種子を菽穀類(しゅこくるい、Pulses)という。広義の穀物のうち、禾穀類の種子(単子葉植物であるイネ科作物の種子)と似ていることから穀物として利用される双子葉植物の種子をまとめて擬禾穀類あるいは擬穀類(疑似穀類、Pseudocereals)と呼ぶ。擬穀類には、ソバ(タデ科)、アマランサス(ヒユ科)、キヌア(キノア、アカザ科)などが含まれる。 国連食糧農業機関では禾穀類に擬穀類を加えシリアルとまとめている。豆は別集計、大豆はさらに油糧作物として集計している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "生産量ではトウモロコシ、小麦、米が突出しており、これら3種は世界三大穀物と呼ばれている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "穀物が含む栄養素は主に炭水化物である。タンパク質や脂肪も含まれるものの穀物の摂取だけでは不足しがちなため、多くの文化圏において穀物はタンパク質を補うための豆類とセットで栽培され、消費されてきた。たとえば、アジア地域における「米と豆」、中近東における「小麦と豆」、アメリカ州における「トウモロコシと豆」の組み合わせである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "現代において世界で栽培される穀物は、ほぼ7地域(近東、アフリカ(サヘル地帯及びエチオピア高原)、中央アジア、中国雲南省~東南アジア~インド北部、中国北部、中央アメリカ、南米のアンデス山脈)を起源としている。これらの地域は農耕文明の発祥地と重なっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "近東地域(中近東)は穀物の栽培化が世界で最も早かった地域であり、コムギ、オオムギ、ライムギ、エンバクといった世界でも重要な地位を占める穀物が栽培化された地域である。アフリカのサヘルからエチオピア高原にかけては、世界に広まったモロコシをはじめ、シコクビエやトウジンビエ、フォニオやテフなどが栽培化された。中央アジアではソラマメ、ヒヨコマメ、レンズマメが栽培化され、中国雲南省~東南アジア~インド北部においてはイネを筆頭としてソバやハトムギが、中国北部においてはキビ、ヒエ、ダイズ、アズキが栽培化された。中央アメリカにおいてはトウモロコシが栽培化された。南アメリカ・アンデスにおいては、アマランサスやキノアの栽培化が行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "栽培化される前は、穀物の多くは播種のために熟すると種子が穂から脱落する性質(脱粒性)を持っていた。人類が野生の穀物を利用し始めた際には逆にそれを利用し、穂の下に容器を置いて穂をゆすり身を振るい落としたり、種子がまだ固定している未熟なうちに刈り取ったりするなどの手段を取っていた。しかしこうした方法には限界があり、やがて人類は穂が熟しても種子の脱落しない個体を選抜して栽培するようになり、穀物は非脱粒性を獲得していった。このほかにも可食部分の肥大化など、選抜によってより利用しやすい形へと植物自体の性質が変化していった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "野生の穀物の粒は小さく、収穫しにくく、さらに加工しなければ消化もしにくいため、広く穀物を利用するようになるには石器の登場が必要であった。石を原料とした器は旧石器時代のうち、4万年から1万2千年ほど前の間に出現したが、定期的な穀物の収穫は1万2千年前のナトゥフ文化にみられる。ナトゥフ文化では野生の小麦、大麦、ライ麦を収穫し、ヤンガードリアス期に畑を作り穀物を蔵に保管するようになると、穀物を守るようにして野生の猫もそこに集まるネズミを狙った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "なお穀物の栽培化においては、もともと栽培化されていた穀物とは別に、それらの穀物の栽培の過程において畑に紛れ込んだ雑草が、本来の穀物に紛れて、または押しのけて成長する中で穀物として栽培されるようになっていったものがある。これらは二次作物と呼ばれ、コムギの栽培過程で作物化していったライムギやエンバクなどがあてはまる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "栽培化後も、農法の進歩は続いていた。たとえば上記のとおり穀物が非脱落性を獲得したばかりの場合、穀物の成熟度はその穂ごとに異なるため、熟した穂を選んで収穫する穂刈りが行われていた。しかしやがて農法の進歩によって同じ農地の穀物の成熟度をほぼ同じに調整することが可能となると、穂ではなく茎を根元から収穫する根刈りが主流となっていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "栽培化された穀物はやがて起源地から広がっていくが、この過程において、コムギ、イネ、トウモロコシの三種の穀物が突出して栽培されるようになっていった。コムギは栽培化当初は加工のしやすいオオムギに比べ二義的な穀物だったと考えられているが、やがて粥ではなくパンを製造するようになると、グルテンを持つコムギは他の穀物のパンよりはるかに美味なパンを作ることができ、また加工の幅もほかの穀物とは比べ物にならないくらい広がったため、旧大陸のパン食文化圏においてはほぼどこでもコムギが第一の穀物とされるようになっていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "穀物は多くの国家において食糧生産の根幹であり、そのため栽培化以降も各地で品種改良の努力が続けられてきた。19世紀以降には農法の改善によって農業革命が起き、またこの頃から科学的な品種改良の理論が確立して各地で近代的な育種が行われるようになり、穀物の収量は激増した。特に20世紀後半に入ると、肥料の多用に耐えられる穀物品種の開発などによっていわゆる緑の革命が起き、穀物の反収は激増して世界人口の急増を支えることに成功した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "工業革命以前は小麦粉などを粉にするには石臼が使われ、手で選別処理をしなければふすま(表皮)や胚芽を完全に除去することは不可能であった。19世紀後半には、そうした処理が自動化され高度に精製された穀物が広く消費されるようになった。しかし工業の発達は穀物の精製技術を向上させる一方で、食物繊維、ビタミンやミネラルを損失させることで摂取量を減少させており、健康に影響を及ぼしていることが考えられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1970年代後半には、クロマトグラフィー果糖濃縮技術の出現で異性化糖(高果糖コーンシロップ、HFCS)の大量生産を可能とした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "国連食糧農業機関(FAO)の穀物の世界需給予測によると、2021年度の生産量は30億0663万トンと初めて30億トン台に乗り、貿易量は5億7959万トン、13.6憶トンが食用、9.9憶トンが飼料であった。以下に1961年(FAO統計が利用可能な最初の年)以降の穀物生産量とその推移を示す。2003年にはトウモロコシ、コメ、コムギの3大穀物で世界の穀物生産の87%、世界の食物カロリーの43%を占めていた。緑の革命の影響を受けた3大穀物の生産量が爆発的に増加しているのに対し、ライムギとエンバクの生産量は1960年代に比べて大幅に減少している。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "雑穀とみなされる穀物は全般に需要が低調であり、換金性もそれに伴って低いために栽培が減少する傾向が目立つが、雑穀のなかでも例えばエチオピア高原におけるテフのように地元のアムハラ人などによって強く嗜好され、主食の座を保っている穀物も存在する。このためテフの換金性は高く高価で取引されている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "穀物は世界の人口のかなりを支えており、その生産様式は多岐にわたる。東アジアから東南アジア、南アジアにかけては集約型の穀物生産が行われ、ヨーロッパにおいては年単位で耕地を移動させ輪作を行い、地力の消耗を防ぎながら食用となる穀物と飼料作物を栽培する混合農業が主流である。こうした土地生産性の高い諸国に対し、アメリカのグレートプレーンズやオーストラリア、アルゼンチンのパンパなどでは、広大な土地で穀物を大規模に栽培する企業的穀物農業が行われている。こうした企業的穀物農業においては土地生産性が低く、例えばコムギにおいてはアメリカでは290kg、オーストラリアでは190kgと反収が低くなっているかわりに、少ない労働力で大規模に生産できるために労働生産性が非常に高くなっていることが特徴である。またこうしたことから、穀物の反収は先進国と発展途上国の間には必ずしも明確な差はなく、また穀物の種類によっても大きく左右される。例えばコムギの反収においてはもっとも高いのは西ヨーロッパ諸国であるが、ナイル川沿いの肥沃な土地を擁するエジプトや、ロバート・ムガベ政権によって穀物生産が崩壊する以前のジンバブエなどもそれに劣らない反収を誇っていた。また、日本においてはコメの反収は世界最高レベルにあるが、コムギの反収は384kgと世界中位レベルであり、労働集約型農業としては低いレベルにとどまっている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "農業革命や緑の革命によって品種改良や農法の改善が進んだコメ、コムギ、トウモロコシの三大穀物の収量は激増したが、雑穀などはそれらが進んでおらず、収量も低いレベルにとどまっているものがほとんどである。また、品種改良の進んだ穀物においても、たとえばトウモロコシやソルガムのように世界中で需要の多い飼料用としての改良は大幅に進んだものの、主食用としての改良が進んでいない穀物もあり、これらの穀物を飼料用として栽培するアメリカなどの企業的穀物農業の諸国と、アフリカや中南米などの自給用としてトウモロコシやソルガムの生産を行う諸国との反収の差の一因となっている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "穀物農業は、一年生植物である小麦栽培による表土流出など自然環境に負荷をかける面もあり、アメリカ合衆国のランド研究所が小麦代替穀物として開発した多年草「カーンザ」のように、品種改良で新たに作出される穀物もある。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "穀物は、人類の多種ある主食のひとつとして使われてもいるが、実際には人類全体に穀物は届いておらず、世界で生産される穀物の3分の1は主に食肉用の家畜の餌として使われている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "穀物は必需品であり、古くから重要な交易品の一つだった。現代においても穀物交易の重要性は変わらず、北アメリカ・南アメリカ・オーストラリアなどから大量の穀物が輸出され、世界各国に販売されている。なかでも世界最大の穀物輸出国はアメリカであり、主にコムギやトウモロコシの輸出を行っている。逆に穀物輸入額が多いのは、日本をはじめとする東アジア諸国や、アフリカ諸国である。この穀物流通においては、カーギルやアーチャー・ダニエルズ・ミッドランドといった穀物メジャーと呼ばれる商社群が大きな割合を占めている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "穀物の国際価格は変動しやすく、経済や人々の生活にに大きな影響をもたらす。2007年から2008年にかけては飼料用需要の増加や人口増加、穀物在庫の減少、バイオエタノール需要の増加、そして当年の主要産地での不作によって穀物価格が暴騰し、2007年-2008年の世界食料価格危機が発生して、特に発展途上国において都市部貧困層の生活水準悪化と、それにともなう暴動を引き起こした。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "穀物は、その種類によって用途の割合が異なっている。(生産量1位の)トウモロコシは、6割が飼料用で、4割が食用である。(生産量2位の)小麦は8割が食用で、2割が飼料用である。(生産量3位の)コメはほぼ全量が食用として使われる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "穀物は、主にエネルギー源となる炭水化物を供給するための主食の材料として用いられており、イモ類などの根菜類やバナナなどを主食とする地域を除く、世界中の大半の地域において食糧の中心部分を占めている。一日のカロリー摂取量に占める穀物の割合は発展途上国におけるほど高くなり、低所得国では70%を超えることすら珍しくない。経済が成長するにつれて食生活が多様化し、脂質や肉類の消費が増加することで穀物の食卓に占める割合も低下していったが、もっとも食卓に穀類の占める割合の少ない北アメリカや西ヨーロッパでも一日のカロリー摂取量の20%程度は穀物から供給されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "穀物は、脱稃をして外皮を取り除かないと食べることができない。脱稃をしたあと、通常は果皮、種皮、胚、胚乳表層部といった糠やふすま部分を取り除く精白を行う。また、精白しない全粒穀物を食べることもある。全粒穀物の例としては、玄米やオートミール、全粒粉の加工品などが挙げられる。精白する場合と比べてビタミンやミネラル、食物繊維が豊富に含まれているため、健康に良いとされる。精白の際に取り除かれた糠やふすまは通常食用とせず、飼料など様々な形で直接の食用以外に使用されることが多い。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "穀物を製粉した場合は、たいていは次に何らかの形で粉をまとめ成形してから食べることになる。ほとんどは、まず水を加えて練り上げ、必要に応じ塩などを混ぜて生地を作る。この生地をそのまま、あるいは発酵させて火を通したものがパンである。パンはコムギから作るものがもっとも一般的であるが、トウモロコシやライムギなどから作られるパンも根強い人気がある。また、この生地を細長く切って成形したものを麺と呼び、これも世界中で広く食される。麺もやはりコムギから作るものが最も一般的であるが、コムギの出来ない東南アジアにおいては麺はコメから作られるものが多い。また日本ではソバを麺にして食べるが、ソバ単体の場合麺状にした場合ちぎれやすくなるため、つなぎとしてコムギを使用することも多い。ただし麺は作るのに手間がかかるため、近代において製麺機が実用化されるまではどの文化圏においてもかなりのごちそうとされていた。こうした伝統的な調理法のほか、19世紀後半に穀物をローラーで圧搾しフレーク状にする技術が開発されたため、これ以後、穀物を加熱加工して長期保存に適するようにした、いわゆるシリアル食品が開発され、朝食を中心に広く利用されている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "また、多めの水で穀物を煮た粥も調理が簡単であり、古くから広く世界で利用されてきた穀物調理法である。粥はそのまま煮るだけなので粒食もできるが、アフリカのウガリのように一度粉にしたものを粥にして食することもある。この場合、水分が多ければ普通の粥となるが、水分が少なければ粥というより粘りの強いペースト状の固体となる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "一部の穀物には、アミロースを含む粳(うるち)性のものと、アミロースを全く、あるいはほとんど含まない糯(もち)性のものの二つに分かれているものがある。本来、穀物は粳性であり、糯性のものはそこから変異して誕生したため、なかには糯性の品種が存在しない穀物も存在する。また、糯性はうるち性に比べて劣性遺伝であるうえ交雑しやすいため、自然状態では存続が難しく、糯性を好む人々が品種維持の努力を継続して初めて品種として継続するものである。糯性品種が存在するものとしては、コメ(もち米)を筆頭に、トウモロコシ、オオムギ(もち麦)、アワ(もち粟)、キビ、モロコシ、アマランサスなどがある。糯性の穀物は調理すると粘性が高くなるため、これを利用して、蒸したもち米をついて作る餅のような様々な食品が生み出された。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "また、トウモロコシやソルガムなど一部の穀物には、火を通すと大きくはじける爆裂種(ポップ種)が存在し、ポップコーンなどに加工される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "穀物は飼料としても古くから盛んに使用されてきた。穀物は飼料としては、牧草などの粗飼料と対比して濃厚飼料と呼ばれ、栄養価が高く近代的な畜産には不可欠なものである。飼料用としてもっとも重要な穀物はトウモロコシである。トウモロコシは中南米やアフリカにおいては主食としても使用されるものの、主な用途は消費の64%を占める飼料用である。この他、かつてはウマの飼料としてエンバクが非常に重要な飼料用作物であったが、第一次世界大戦後に軍用や輸送用のウマの需要が激減し、これにともなって飼料作物としてのエンバクの需要も激減して、栽培も少なくなった。ただし、現代においてもウマの飼育においてはエンバクはもっとも重要な飼料の一つである。この他、オオムギの飼料向け割合も高い。また、モロコシもアフリカや南アジアを除いては飼料用の利用がほとんどを占める。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "穀物はそのまま食料として用いるほか、様々な食品に加工されても使用される。主食用以外の穀物用途で最も重要なものは、穀物を発酵させて醸造し、酒を造ることである。穀物は果実と並び醸造酒の原料として広く用いられるものである。たとえば、オオムギを原料としてビール、コメを原料として日本酒が造られている。様々な種類の酒が各民族によって作られてきた。穀物の中で醸造用としての用途が特に大きな割合を占める穀物としては、ビールの原料であるオオムギが挙げられる。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "穀物は酢酸の原料として用いることも可能であり、例えば米酢のように実際に穀物から作られている酢も存在する。このように、穀物は調味料の原料として用いられることもある。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "コーン油や米糠から取る米油などのように、一部の穀物は食用油の生産にも使われている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2000年代には、穀物を醸造して得られるエタノールをアルコール燃料(バイオマスエタノール)として、機械装置の動力に利用する研究と実用化も進んでいたが、このバイオマスエタノール生産の急成長は穀物価格の急上昇を招き、2007年-2008年の世界食料価格危機の主因の一つとなるなど問題が発生したことから、2015年頃からバイオマスエタノール利用は大きく鈍化している。なお穀物由来のバイオエタノールの主要生産国はアメリカで、主にトウモロコシから生産を行っている。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "種を収穫した後の残部も広く使用され、たとえば米の茎部分である藁は工芸材料として広く利用されるほか、籾殻も充填材として利用される。コムギの藁は敷き藁などに利用され、またトウモロコシの茎は燃料や製紙原料として利用される。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "特に生産量が多く主食として扱われることも多いイネ、ムギ類、トウモロコシを除く、その他の穀物を雑穀と呼んで区別することもある。中国や日本においては、特に主要な五種の穀物を五穀と呼び重視してきた。この五穀の内容は時代や書物によって様々であり、主要穀物の総称としての意味合いが強かった。現代日本においては、コメ、ムギ、アワ、マメ、キビまたはヒエを指して五穀と呼ぶことが多い。", "title": "日本と穀物" } ]
穀物は、植物から得られる食材の総称の一つで、澱粉質を主体とする種子を食用とするもの。狭義にはイネ科作物の種子(米や麦やトウモロコシなど)のみを指し、広義にはこれにマメ科作物の種子(豆)や他科の作物の種子を含む。
'''穀物'''(こくもつ、{{Lang-en-short|cerealsあるいはgrain}})は、[[植物]]から得られる[[食材]]の総称の一つで、[[デンプン|澱粉]]質を主体とする[[種子]]を[[食品|食用]]とするもの。狭義には[[イネ科]]作物の種子([[米]]や[[麦]]や[[トウモロコシ]]など)のみを指し、広義にはこれに[[マメ科]]作物の種子([[豆]])や他科の作物の種子を含む<ref name="sakumotsugakuyougojiten_p241"/><ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p393">『丸善食品総合辞典』([[丸善雄松堂|丸善]] 1998年)p.393</ref>。 == 概要 == [[イネ科]]作物の種子を'''禾穀類'''(かこくるい、''Cereals''、'''シリアル''')<ref name="sakumotsugakuyougojiten_p241">日本作物学会編『作物学用語事典』([[農山漁村文化協会]] 2010年)p.241</ref>といい、マメ科作物の種子を'''菽穀類'''(しゅこくるい、''Pulses'')<ref name="sakumotsugakuyougojiten_p241"/>という。広義の穀物のうち、禾穀類の種子([[単子葉植物]]であるイネ科作物の種子)と似ていることから穀物として利用される[[双子葉植物]]の種子をまとめて[[擬穀類|'''擬禾穀類'''あるいは'''擬穀類''']](疑似穀類、''Pseudocereals'')と呼ぶ<ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p393"/><ref name="sakumotsugakuyougojiten_p242">日本作物学会編『作物学用語事典』(農山漁村文化協会 2010年)p.242</ref><ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p268">『丸善食品総合辞典』(丸善 1998年)p.268</ref>。擬穀類には、[[ソバ]]([[タデ科]])、[[アマランサス]]([[ヒユ科]])、[[キヌア]](キノア、[[アカザ科]])などが含まれる<ref name="maruzensyokuhinsougoujiten_p393"/><ref name="syokuryounohyakkajiten_p18">『食料の百科事典』(丸善 2001年)p.18</ref>。 [[国連食糧農業機関]]では禾穀類に擬穀類を加えシリアルとまとめている。[[豆類|豆]]は別集計、大豆はさらに油糧作物として集計している。 生産量では[[トウモロコシ]]、[[小麦]]、[[米]]が突出しており<ref>[https://www.maff.go.jp/j/heya/kodomo_sodan/0112/05.html#:~:text=%E4%B8%BB%E9%A3%9F%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E4%BA%BA%E3%80%85%E3%81%8C,%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%A2%EF%BC%883.8%E5%84%84%E3%83%88%E3%83%B3%EF%BC%89%E3%80%82 世界各国の主食は何ですか。]農林水産省(2021年6月27日閲覧)</ref>、これら3種は[[世界三大穀物]]と呼ばれている<ref name="saishinnougyougijutsujiten_p105">農業・生物系特定産業技術研究機構編『最新農業技術事典』(農山漁村文化協会 2006年)p.105</ref>。 穀物が含む[[栄養素]]は主に[[炭水化物]]である。[[タンパク質]]や[[脂肪]]も含まれるものの穀物の摂取だけでは不足しがちなため、多くの文化圏において穀物はタンパク質を補うための豆類とセットで栽培され、消費されてきた<ref>「世界の食用植物文化図鑑 起源・歴史・分布・栽培・料理」p24-25 バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント著 山本紀夫監訳 柊風舎 2010年1月20日第1刷</ref>。たとえば、[[アジア]]地域における「[[米]]と[[豆]]」、[[中近東]]における「[[小麦]]と豆」、[[アメリカ州]]における「[[トウモロコシ]]と豆」の組み合わせである<ref>国際連合食糧農業機関、国際食糧農業協会訳・編集『たんぱく質の品質評価 : FAO/WHO合同専門家協議報告』国際食糧農業協会、1992年。 ''[http://apps.who.int/iris/handle/10665/38133Protein Quality Evaluation, Report of the Joint FAO/Who Expert Consultation]'', 1991 ISBN 978-9251030974</ref>。 {{Gallery |width=200px |ファイル:Kisoroszi, zrající kukuřice.JPG|[[トウモロコシ]]([[ハンガリー]]で撮影) |ファイル:Champ de blé Seine-et-Marne.jpg|[[フランス]]の[[コムギ|小麦]]畑 |ファイル:Lemont rice.jpg|[[イネ]]の穂 |ファイル:Kathmandu Durbar Square beans.jpg|様々な[[豆]]類([[カトマンズ]]にて) }} == 歴史 == [[File:Trilla del trigo en el Antiguo Egipto.jpg|thumb|right|220px|[[古代エジプト]]で描かれた小麦の収穫]] {{Multiple image |direction = vertical |width = 220 |image1 = Setaria viridis 1.jpg |caption1 = アワの原種である[[エノコログサ]]の穂。栽培種であるアワに比べ、種子の脱落性があり実が小さく数も少ない。 |alt1 = エノコログサ(猫じゃらし)の穂の画像 |image2 = Foxtailmillet.jpg |caption2 = アワの穂。原種のエノコログサに比べ、実が大きく数も多い。 |alt2 = アワの穂の画像 }} 現代において世界で栽培される穀物は、ほぼ7地域([[近東]]、[[アフリカ]]([[サヘル]]地帯及び[[エチオピア高原]])、[[中央アジア]]、中国[[雲南省]]~[[東南アジア]]~[[北インド|インド北部]]、[[華北|中国北部]]、[[中央アメリカ]]、南米の[[アンデス]]山脈)を起源としている。これらの地域は[[農耕]]文明の発祥地と重なっている<ref name="Shokuyousakumotu">国分牧衛『新訂 食用作物』(養賢堂 2010年8月10日第1版)p.3</ref>。 ;栽培化 [[近東]]地域([[中近東]])は穀物の[[栽培]]化が世界で最も早かった地域であり、コムギ、[[オオムギ]]、[[ライムギ]]、[[エンバク]]といった世界でも重要な地位を占める穀物が栽培化された地域である。アフリカの[[サヘル]]から[[エチオピア高原]]にかけては、世界に広まったモロコシをはじめ、[[シコクビエ]]や[[トウジンビエ]]、[[フォニオ]]や[[テフ]]などが栽培化された。中央アジアでは[[ソラマメ]]、[[ヒヨコマメ]]、[[レンズマメ]]が栽培化され、中国雲南省~東南アジア~インド北部においてはイネを筆頭として[[ソバ]]や[[ハトムギ]]が、中国北部においては[[キビ]]、[[ヒエ]]、[[ダイズ]]、[[アズキ]]が栽培化された。中央アメリカにおいてはトウモロコシが栽培化された。南アメリカ・[[アンデス]]においては、[[アマランサス]]や[[キノア]]の栽培化が行われた<ref name="Shokuyousakumotu" />。 栽培化される前は、穀物の多くは[[播種]]のために熟すると種子が穂から脱落する性質([[脱粒性]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E8%84%B1%E7%B2%92%E6%80%A7-1183354 【脱粒性】]</ref>)を持っていた。人類が野生の穀物を利用し始めた際には逆にそれを利用し、穂の下に容器を置いて穂をゆすり身を振るい落としたり、種子がまだ固定している未熟なうちに刈り取ったりするなどの手段を取っていた。しかしこうした方法には限界があり、やがて人類は穂が熟しても種子の脱落しない[[個体]]を選抜して栽培するようになり、穀物は[[非脱粒性]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E9%9D%9E%E8%84%B1%E7%B2%92%E6%80%A7-1399083 【非脱粒性】]</ref>を獲得していった。このほかにも可食部分の肥大化など、選抜によってより利用しやすい形へと植物自体の性質が変化していった<ref>国分牧衛『新訂 食用作物』(養賢堂 2010年8月10日第1版)p.5</ref>。 野生の穀物の粒は小さく、収穫しにくく、さらに加工しなければ消化もしにくいため、広く穀物を利用するようになるには[[石器]]の登場が必要であった<ref name="pmid15699220">{{cite journal |authors=Cordain L, [[:en:Stanley Boyd Eaton|Eaton SB]], Sebastian A, et al. |title=Origins and evolution of the Western diet: health implications for the 21st century |journal=Am. J. Clin. Nutr. |volume=81 |issue=2 |pages=341–54 |year=2005 |pmid=15699220 |doi= |url=http://ajcn.nutrition.org/content/81/2/341.long}}</ref>。石を原料とした器は[[旧石器時代]]のうち、4万年から1万2千年ほど前の間に出現したが、定期的な穀物の収穫は1万2千年前の[[ナトゥーフ文化|ナトゥフ文化]]にみられる<ref name="pmid15699220"/>。ナトゥフ文化では野生の小麦、大麦、ライ麦を収穫し、[[ヤンガードリアス]]期に畑を作り穀物を蔵に保管するようになると、穀物を守るようにして野生の[[猫]]もそこに集まる[[ネズミ]]を狙った<ref>ジョン・ブラッドショー『猫的感覚―動物行動学が教えるネコの心理』[[早川書房]]、2014年</ref>。 なお穀物の[[栽培]]化においては、もともと栽培化されていた穀物とは別に、それらの穀物の栽培の過程において畑に紛れ込んだ[[雑草]]が、本来の穀物に紛れて、または押しのけて成長する中で穀物として栽培されるようになっていったものがある。これらは二次作物と呼ばれ、コムギの栽培過程で作物化していったライムギやエンバクなどがあてはまる<ref>[[中尾佐助]]『栽培植物と農耕の起源』([[岩波書店]] 1966年1月25日第1刷)154頁</ref>。{{Efn|強勢雑草として忌み嫌われるものもあり、日本では、イネの水田におけるヒエはその例として知られる。}} 栽培化後も、農法の進歩は続いていた。たとえば上記のとおり穀物が非脱落性を獲得したばかりの場合、穀物の成熟度はその穂ごとに異なるため、熟した穂を選んで収穫する穂刈りが行われていた。しかしやがて農法の進歩によって同じ農地の穀物の成熟度をほぼ同じに調整することが可能となると、穂ではなく[[茎]]を根元から収穫する根刈りが主流となっていった<ref>[[中尾佐助]]『栽培植物と農耕の起源』p10-11([[岩波書店]] 1966年1月25日第1刷)</ref>。 栽培化された穀物はやがて起源地から広がっていくが、この過程において、コムギ、イネ、トウモロコシの三種の穀物が突出して栽培されるようになっていった。コムギは栽培化当初は加工のしやすいオオムギに比べ二義的な穀物だったと考えられているが、やがて[[粥]]ではなく[[パン]]を製造するようになると、[[グルテン]]を持つコムギは他の穀物のパンよりはるかに美味なパンを作ることができ、また加工の幅もほかの穀物とは比べ物にならないくらい広がったため、[[旧大陸]]のパン食文化圏においてはほぼどこでもコムギが第一の穀物とされるようになっていった<ref>「小麦の機能と科学」(食物と健康の科学シリーズ)p2-3 長尾精一 朝倉書店 2014年9月10日初版第1刷</ref>。 穀物は多くの国家において食糧生産の根幹であり、そのため栽培化以降も各地で[[品種改良]]の努力が続けられてきた。[[19世紀]]以降には農法の改善によって[[農業革命]]が起き、またこの頃から科学的な[[品種改良]]の理論が確立して各地で近代的な育種が行われるようになり、穀物の収量は激増した<ref>国分牧衛『新訂 食用作物』(養賢堂 2010年8月10日第1版)p.6</ref>。特に20世紀後半に入ると、肥料の多用に耐えられる穀物品種の開発などによっていわゆる[[緑の革命]]が起き、穀物の反収は激増して世界人口の急増を支えることに成功した<ref>「食 90億人が食べていくために」(サイエンス・パレット025)p144-147 John Krebs著 伊藤佑子・伊藤俊洋訳 丸善出版 平成27年6月25日発行</ref>。 === 精製加工 === [[ファイル:PeiligangStoneRollerAndQuern.JPG|サムネイル|右|サドルカーンと呼ばれる石で作られた[[臼]]]] 工業革命以前は小麦粉などを粉にするには石臼が使われ、手で選別処理をしなければ[[ふすま]](表皮)や[[胚芽]]を完全に除去することは不可能であった<ref name="pmid15699220"/>。19世紀後半には、そうした処理が自動化され高度に精製された穀物が広く消費されるようになった<ref name="pmid15699220"/>。しかし工業の発達は穀物の精製技術を向上させる一方で、[[食物繊維]]、[[ビタミン]]や[[ミネラル]]を損失させることで摂取量を減少させており、健康に影響を及ぼしていることが考えられる<ref name="pmid15699220"/>。 1970年代後半には、[[クロマトグラフィー]][[果糖]]濃縮技術の出現で[[異性化糖]](高果糖コーンシロップ、HFCS)の大量生産を可能とした<ref name="pmid15699220"/>。 == 生産 == [[国連食糧農業機関]](FAO)の穀物の世界需給予測によると、2021年度の生産量は30億0663万トンと初めて30億トン台に乗り、貿易量は5億7959万トン、13.6憶トンが食用、9.9憶トンが飼料であった<ref name="FAOSTATprod"/><ref>「穀物生産28億トン 過去最高見通し」『[[日本農業新聞]]』2021年6月9日2面</ref>。以下に[[1961年]](FAO統計が利用可能な最初の年)以降の穀物生産量とその推移を示す<ref name="prodstat">{{cite web | url=http://faostat.fao.org/site/567/DesktopDefault.aspx | title=ProdSTAT | work=FAOSTAT | accessdate=2006-12-26}}</ref>。[[2003年]]にはトウモロコシ、コメ、コムギの3大穀物で世界の穀物生産の87%、世界の食物カロリーの43%を占めていた<ref name="prodstat"/>。[[緑の革命]]の影響を受けた3大穀物の生産量が爆発的に増加しているのに対し、ライムギとエンバクの生産量は1960年代に比べて大幅に減少している。 {{Gallery |width=260px |File:Maize yields, OWID.svg|世界のトウモロコシ生産量 |File:RiceYield.png|世界の米生産量 |File:WheatYield.png|世界の小麦生産量 }} {|class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small" |+ 穀物生産の推移(百万トン)<ref name="FAOSTATprod">国連食糧農業機関 [https://www.fao.org/faostat/en/#data/QCL Crops and Livestock Products] </ref><ref>FAOSTAT [https://www.fao.org/faostat/en/#data/FBS Food Balances (2010-)] </ref> |- ! !1961 !1981 !2001 !2020 !2021 !2001年比 !備考 |- |トウモロコシ |205.03 |446.77 |615.14 |1,163.00 |1,210.24 |1.97 |総生産の58%飼料、食用13%<ref>20年、飼料6.7億トン、食用1.5億トン、非食用2.2億トン。輸出2.0億トン</ref> |- |米 |215.65 |410.08 |600.25 |769.23 |787.29 |1.31 |大半81%食用<ref>20年、飼料4111万トン、食用6.1億トン、非食用2087万トン。輸出6850万トン</ref> |- |小麦 |222.36 |449.63 |588.24 |756.95 |770.88 |1.31 |68%が食用、飼料16%<ref>20年、飼料1.2億トン、食用5.2億トン、非食用4532万トン。輸出2.4億トン</ref> |- |オオムギ |72.41 |149.60 |140.59 |157.71 |145.62 |1.04 |58%が飼料、加工19%(麦酒など)<ref>20年、飼料9137万トン、食用838万トン、非食用173万トン。輸出3007万トン</ref> |- |モロコシ |40.93 |73.28 |59.79 |58.92 |61.36 |1.03 |50%が食用、飼料34% |- |キビ亜科 |25.71 |26.96 |28.90 |30.83 |30.09 |1.04 |77%が食用、飼料12% |- |エンバク |49.59 |40.29 |26.94 |25.32 |22.57 |0.84 |58%飼料、食用24% |- |ライコムギ |0.00 |0.10 |10.83 |15.34 |14.85 |1.37 | |- |ライ |35.11 |24.85 |23.38 |15.04 |13.22 |0.57 | |- |ソバ |2.48 |3.40 |2.59 |1.81 |1.88 |0.72 | |- |フォニオ |0.18 |0.17 |0.31 |0.66 |0.66 |2.13 | |- |カナリーシード |0.06 |0.09 |0.15 |0.26 |0.22 |1.45 | |- |キノア |0.03 |0.03 |0.05 |0.18 |0.15 |3.20 | |- |その他 |1.35 |1.56 |2.49 |8.34 |8.36 |3.35 | |- |複合 |5.98 |5.58 |5.18 |3.07 |3.26 |0.63 | |- | | | | | | | | |- |大豆 |26.88 |88.53 |177.02 |355.37 |371.69 |2.10 |88%が脱脂/搾油加工、飼料9.5%、食用3.4%<ref>20年、食用1033万トン、飼料3362万ト、主に脱脂/搾油加工3.11億トン。輸出1.73億トン</ref> |- |} 雑穀とみなされる穀物は全般に需要が低調であり、換金性もそれに伴って低いために栽培が減少する傾向が目立つが、雑穀のなかでも例えば[[エチオピア高原]]における[[テフ (穀物)|テフ]]のように地元の[[アムハラ人]]などによって強く嗜好され、主食の座を保っている穀物も存在する<ref>「熱帯作物学」p23 志和地弘信・遠城道雄編 朝倉書店 2022年4月5日初版第1刷</ref>。このためテフの換金性は高く高価で取引されている<ref>三輪睿太郎監訳『ケンブリッジ世界の食物史大百科事典2 主要食物:栽培作物と飼養動物』(朝倉書店 2004年9月10日第2版第1刷)p.61</ref>。 穀物は世界の人口のかなりを支えており、その生産様式は多岐にわたる。東アジアから東南アジア、南アジアにかけては集約型の穀物生産が行われ、ヨーロッパにおいては年単位で耕地を移動させ[[輪作]]を行い、地力の消耗を防ぎながら食用となる穀物と飼料作物を栽培する[[混合農業]]が主流である<ref>「史上最強カラー図解 最新 世界の農業と食料問題のすべてがわかる本」p30 八木宏典監修 ナツメ社 2013年6月7日初版発行</ref>。こうした土地生産性の高い諸国に対し、アメリカの[[グレートプレーンズ]]やオーストラリア、アルゼンチンの[[パンパ]]などでは、広大な土地で穀物を大規模に栽培する企業的穀物農業が行われている<ref>「史上最強カラー図解 最新 世界の農業と食料問題のすべてがわかる本」p31 八木宏典監修 ナツメ社 2013年6月7日初版発行</ref>。こうした企業的穀物農業においては土地生産性が低く、例えばコムギにおいてはアメリカでは290㎏、オーストラリアでは190㎏と反収が低くなっている<ref name="affrc_6">[http://www.s.affrc.go.jp/docs/report/report22/no22_p6.htm 農林水産技術会議/売れる麦に向けた新技術]、6ページ。2016年8月6日閲覧{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>かわりに、少ない労働力で大規模に生産できるために労働生産性が非常に高くなっていることが特徴である。またこうしたことから、穀物の反収は先進国と発展途上国の間には必ずしも明確な差はなく、また穀物の種類によっても大きく左右される。例えばコムギの反収においてはもっとも高いのは西ヨーロッパ諸国であるが、[[ナイル川]]沿いの肥沃な土地を擁する[[エジプト]]や、[[ロバート・ムガベ]]政権によって穀物生産が崩壊する以前の[[ジンバブエ]]などもそれに劣らない反収を誇っていた<ref>平野克己『図説アフリカ経済』([[日本評論社]]、2002年4月)46-48頁</ref>。また、日本においてはコメの反収は世界最高レベルにあるが、コムギの反収は384㎏<ref name="affrc_6"/>と世界中位レベルであり、労働集約型農業としては低いレベルにとどまっている。 農業革命や緑の革命によって品種改良や農法の改善が進んだコメ、コムギ、トウモロコシの三大穀物の収量は激増したが、雑穀などはそれらが進んでおらず、収量も低いレベルにとどまっているものがほとんどである。また、品種改良の進んだ穀物においても、たとえばトウモロコシや[[ソルガム]]のように世界中で需要の多い飼料用としての改良は大幅に進んだものの、主食用としての改良が進んでいない穀物もあり、これらの穀物を飼料用として栽培するアメリカなどの企業的穀物農業の諸国と、アフリカや中南米などの自給用としてトウモロコシやソルガムの生産を行う諸国との反収の差の一因となっている<ref>平野克己 『図説アフリカ経済』(日本評論社、2002年4月 ISBN 978-4-535-55230-2)42-43頁</ref>。 穀物農業は、[[一年生植物]]である小麦栽培による[[表土]]流出など自然環境に負荷をかける面もあり、アメリカ合衆国の[[ランド研究所]]が小麦代替穀物として開発した[[多年草]]「カーンザ」のように、[[品種改良]]で新たに作出される穀物もある<ref>[https://www.asahi.com/articles/DA3S15432287.html 小麦に危機感「カーンザ」に期待 代替作物、米国で注目「持続的な農業を」土壌や水保持に高い能力 気候変動に対応]『[[朝日新聞]]』夕刊2022年9月30日1面(2022年10月8日閲覧)</ref>。 穀物は、人類の多種ある主食のひとつとして使われてもいるが、実際には人類全体に穀物は届いておらず、世界で生産される穀物の3分の1は主に[[食肉]]用の[[家畜]]の[[餌]]として使われている<ref name="NHK_bangumi">[https://www2.nhk.or.jp/school/movie/outline.cgi?das_id=D0005180479_00000# NHK, 「放置しないで!飢えのない世界へ」]</ref>。 穀物は必需品であり、古くから重要な交易品の一つだった。現代においても穀物交易の重要性は変わらず、北アメリカ・南アメリカ・オーストラリアなどから大量の穀物が輸出され、世界各国に販売されている<ref>「新版 キーワードで読みとく現代農業と食料・環境」p13 「農業と経済」編集委員会監修 小池恒男・新山陽子・秋津元輝編 昭和堂 2017年3月31日新版第1刷発行</ref>。なかでも世界最大の穀物輸出国はアメリカであり、主にコムギやトウモロコシの輸出を行っている<ref>「新版 キーワードで読みとく現代農業と食料・環境」p38 「農業と経済」編集委員会監修 小池恒男・新山陽子・秋津元輝編 昭和堂 2017年3月31日新版第1刷発行</ref>。逆に穀物輸入額が多いのは、日本をはじめとする[[東アジア]]諸国や、アフリカ諸国である<ref>『図説アフリカ経済』p35 平野克己 日本評論社 2002年4月4月30日第1版第1刷発行</ref>。この穀物流通においては、[[カーギル]]や[[アーチャー・ダニエルズ・ミッドランド]]といった[[穀物メジャー]]と呼ばれる[[商社]]群が大きな割合を占めている<ref>「新版 キーワードで読みとく現代農業と食料・環境」p12-13 「農業と経済」編集委員会監修 小池恒男・新山陽子・秋津元輝編 昭和堂 2017年3月31日新版第1刷発行</ref>。 穀物の国際価格は変動しやすく、経済や人々の生活にに大きな影響をもたらす。2007年から2008年にかけては飼料用需要の増加や人口増加、穀物在庫の減少、バイオエタノール需要の増加、そして当年の主要産地での不作によって穀物価格が暴騰し<ref>「地図とデータで見る農業の世界ハンドブック」p81-82 ジャン・ポール・シャルヴェ著 太田佐絵子訳 原書房 2020年11月1日第1刷</ref>、[[2007年-2008年の世界食料価格危機]]が発生して、特に発展途上国において都市部貧困層の生活水準悪化と、それにともなう暴動を引き起こした<ref>「地図とデータで見る農業の世界ハンドブック」p13 ジャン・ポール・シャルヴェ著 太田佐絵子訳 原書房 2020年11月1日第1刷</ref>。 == 用途 == 穀物は、その種類によって用途の割合が異なっている<ref name="mitsui_nozaki">[https://www.mitsui.com/mgssi/ja/report/detail/__icsFiles/afieldfile/2017/12/22/171225x_nozaki.pdf]</ref>。(生産量1位の)トウモロコシは、6割が[[飼料]]用で、4割が食用である<ref name="mitsui_nozaki" />。(生産量2位の)小麦は8割が食用で、2割が飼料用である<ref name="mitsui_nozaki" />。(生産量3位の)コメはほぼ全量が食用として使われる<ref name="mitsui_nozaki" />。 === 食用 === 穀物は、主に[[エネルギー]]源となる[[炭水化物]]を供給するための[[主食]]の材料として用いられており、[[イモ]]類などの根菜類や[[バナナ]]などを主食とする地域を除く、世界中の大半の地域において食糧の中心部分を占めている<ref name="名前なし-20230316131051">「食料の世界地図」p78-79 エリック・ミルストーン、ティム・ラング著 大賀圭治監訳 中山里美・高田直也訳 丸善 平成17年10月30日発行</ref>。一日のカロリー摂取量に占める穀物の割合は発展途上国におけるほど高くなり、低所得国では70%を超えることすら珍しくない<ref name="名前なし-20230316131051"/>。経済が成長するにつれて食生活が多様化し、脂質や肉類の消費が増加することで穀物の食卓に占める割合も低下していったが、もっとも食卓に穀類の占める割合の少ない北アメリカや西ヨーロッパでも一日のカロリー摂取量の20%程度は穀物から供給されている<ref>「食料の世界地図」p78-81 エリック・ミルストーン、ティム・ラング著 大賀圭治監訳 中山里美・高田直也訳 丸善 平成17年10月30日発行</ref>。 穀物は、[[脱稃]]をして外皮を取り除かないと食べることができない<ref>「おいしい穀物の科学 コメ、ムギ、トウモロコシからソバ、雑穀まで」p81 井上直人 講談社 2014年6月20日第1刷発行</ref>。脱稃をしたあと、通常は[[果皮]]、[[種皮]]、[[胚]]、[[胚乳]]表層部といった[[糠]]やふすま部分を取り除く[[精白]]を行う<ref>「おいしい穀物の科学 コメ、ムギ、トウモロコシからソバ、雑穀まで」p94-96 井上直人 講談社 2014年6月20日第1刷発行</ref>。また、精白しない[[全粒穀物]]を食べることもある。全粒穀物の例としては、[[玄米]]や[[オートミール]]、[[全粒粉]]の加工品などが挙げられる。精白する場合と比べて[[ビタミン]]や[[ミネラル]]、[[食物繊維]]が豊富に含まれているため、健康に良いとされる<ref>[https://dm-net.co.jp/calendar/2020/029891.php 糖尿病ネットワーク、全粒穀物]</ref>。精白の際に取り除かれた糠やふすまは通常食用とせず、飼料など様々な形で直接の食用以外に使用されることが多い<ref>「おいしい穀物の科学 コメ、ムギ、トウモロコシからソバ、雑穀まで」p162-163 井上直人 講談社 2014年6月20日第1刷発行</ref>。 穀物を製粉した場合は、たいていは次に何らかの形で粉をまとめ成形してから食べることになる。ほとんどは、まず水を加えて練り上げ、必要に応じ[[塩]]などを混ぜて[[生地 (食品)|生地]]を作る。この生地をそのまま、あるいは発酵させて火を通したものが[[パン]]である<ref>舟田詠子『パンの文化史』(講談社学術文庫 2013年12月10日第1刷発行)pp.37-38</ref>。パンはコムギから作るものがもっとも一般的であるが、トウモロコシやライムギなどから作られるパンも根強い人気がある。また、この生地を細長く切って成形したものを[[麺]]と呼び、これも世界中で広く食される。麺もやはりコムギから作るものが最も一般的であるが、コムギの出来ない東南アジアにおいては麺はコメから作られるものが多い。また日本ではソバを麺にして食べるが、ソバ単体の場合麺状にした場合ちぎれやすくなるため、[[つなぎ]]としてコムギを使用することも多い。ただし麺は作るのに手間がかかるため、近代において製麺機が実用化されるまではどの文化圏においてもかなりのごちそうとされていた<ref>石毛直道『世界の食べもの 食の文化地理』(講談社学術文庫 2013年5月9日第1刷)p.234</ref>。こうした伝統的な調理法のほか、19世紀後半に穀物をローラーで圧搾しフレーク状にする技術が開発されたため<ref>バーバラ・サンティッチ、ジェフ・ブライアント著 山本紀夫監訳『世界の食用植物文化図鑑』(柊風舎 2010年1月20日第1刷)p.217</ref>、これ以後、穀物を加熱加工して長期保存に適するようにした、いわゆる[[シリアル食品]]が開発され、朝食を中心に広く利用されている。 また、多めの水で穀物を煮た[[粥]]も調理が簡単であり、古くから広く世界で利用されてきた穀物調理法である。粥はそのまま煮るだけなので粒食もできるが、アフリカの[[ウガリ]]のように一度粉にしたものを粥にして食することもある。この場合、水分が多ければ普通の粥となるが、水分が少なければ粥というより粘りの強いペースト状の固体となる<ref>「おいしい穀物の科学 コメ、ムギ、トウモロコシからソバ、雑穀まで」p126-128 井上直人 講談社 2014年6月20日第1刷発行</ref>。 一部の穀物には、[[アミロース]]を含む[[粳]](うるち)性のものと、アミロースを全く、あるいはほとんど含まない[[糯]](もち)性のものの二つに分かれているものがある。本来、穀物は粳性であり、糯性のものはそこから変異して誕生したため、なかには糯性の品種が存在しない穀物も存在する。また、糯性はうるち性に比べて劣性遺伝であるうえ交雑しやすいため、自然状態では存続が難しく、糯性を好む人々が品種維持の努力を継続して初めて品種として継続するものである<ref>井上直人『おいしい穀物の科学 コメ、ムギ、トウモロコシからソバ、雑穀まで』([[講談社]][[ブルーバックス]] 2014年6月20日第1刷)pp.34-35</ref>。糯性品種が存在するものとしては、コメ([[もち米]])を筆頭に、トウモロコシ、オオムギ(もち麦)、アワ(もち粟)、キビ、モロコシ、[[アマランサス]]などがある。糯性の穀物は調理すると粘性が高くなるため、これを利用して、蒸したもち米をついて作る[[餅]]のような様々な食品が生み出された。 また、トウモロコシやソルガムなど一部の穀物には、火を通すと大きくはじける爆裂種(ポップ種)が存在し、[[ポップコーン]]などに加工される<ref>『FOOD'S FOOD 新版 食材図典 生鮮食材編』([[小学館]] 2003年3月20日初版第1刷)p.313</ref>。 <gallery> ファイル:Various grains.jpg|[[パン]] ファイル:Bulgur on plate.jpg|[[ブルグル]]。コムギの挽き割り(1/2程度などに割ったもの)。[[レバノン]]、[[パレスチナ]]、[[シリア]]、[[トルコ]]などでは主食。 File:General Mills Total cereal – Crunchy Whole Grain Wheat Flakes with vitamins and minerals.jpg|朝食のシリアル類。 File:Chinese rice congee.jpg|中国の[[粥]]。 ファイル:Meshi.JPG|日本の[[米飯]]。 File:Bihun goreng.JPG|[[ビーフン]]。コメを粉にしてから麺にしたもの。中国南部、台湾、東南アジアなどで広く食べられている。 File:Pasta with eggplant and tomatoes.jpg|[[パスタ]] File:Northern Chinese Lamb Noodle Soup from Peking Garden.jpg|中国北部の[[麺類]] File:釜玉うどん feat. 桃屋きざみしょうが.jpg|日本の[[うどん]] File:Tortillas de maiz blanco (México) 01.jpg|トウモロコシの[[トルティーヤ]]。メキシコでは主食。 File:Ugali & Sukuma Wiki.jpg|トウモロコシから作った[[ウガリ]] File:Boiled Corn.jpg|茹でトウモロコシ。世界各地で食されている。 File:Popcorn 9.jpg|[[ポップコーン]] </gallery> === 飼料 === 穀物は[[飼料]]としても古くから盛んに使用されてきた。穀物は飼料としては、[[牧草]]などの[[粗飼料]]と対比して[[濃厚飼料]]と呼ばれ、栄養価が高く近代的な畜産には不可欠なものである。飼料用としてもっとも重要な穀物はトウモロコシである。トウモロコシは中南米やアフリカにおいては主食としても使用されるものの、主な用途は消費の64%を占める飼料用である<ref>榎本裕洋、安部直樹『絵でみる食糧ビジネスのしくみ』(柴田明夫監修、日本能率協会マネジメントセンター〈絵でみるシリーズ〉、2008年8月。ISBN 978-4-8207-4525-9)pp. 24-25</ref>。この他、かつては[[ウマ]]の飼料としてエンバクが非常に重要な飼料用作物であったが、第一次世界大戦後に軍用や輸送用のウマの需要が激減し、これにともなって飼料作物としてのエンバクの需要も激減して、栽培も少なくなった。ただし、現代においてもウマの飼育においてはエンバクはもっとも重要な飼料の一つである<ref>[[日本中央競馬会]]{{PDFlink|[http://company.jra.jp/bajikouen/health/kaiyou.pdf 「馬の飼養管理について」p.6]}}(2016年6月17日閲覧)</ref>。この他、オオムギの飼料向け割合も高い<ref>国分牧衛『新訂 食用作物』(養賢堂 2010年8月10日第1版)p.204</ref>。また、モロコシもアフリカや南アジアを除いては飼料用の利用がほとんどを占める。 === 醸造 === 穀物はそのまま食料として用いるほか、様々な食品に加工されても使用される。主食用以外の穀物用途で最も重要なものは、穀物を[[発酵]]させて[[醸造]]し、[[酒]]を造ることである。穀物は[[果実]]と並び醸造酒の原料として広く用いられるものである。<ref>「食の人類史」p66-68 佐藤洋一郎 中公新書 2016年3月25日初版</ref>たとえば、オオムギを原料として[[ビール]]、コメを原料として[[日本酒]]が造られている。様々な種類の酒が各民族によって作られてきた。穀物の中で醸造用としての用途が特に大きな割合を占める穀物としては、ビールの原料であるオオムギが挙げられる<ref>「世界の食文化百科事典」p123 野林厚志編 丸善出版 令和3年1月30日発行</ref>。 穀物は[[酢酸]]の原料として用いることも可能であり、例えば[[酢|米酢]]のように実際に穀物から作られている酢も存在する<ref name="名前なし-20230316131051-2">国分牧衛『新訂 食用作物』(養賢堂 2010年8月10日第1版)p.116</ref>。このように、穀物は[[調味料]]の原料として用いられることもある。 <gallery> File:Ayinger Bräuweisse at restaurant Jano.jpg|[[ビール]]。主に大麦を原料とする。 File:Glass of whisky.jpg|[[ウイスキー]]。大麦、ライ麦、トウモロコシなどを原料とする。 画像:Sake set.jpg|[[日本酒]]。コメを原料とする。 </gallery> === その他 === [[コーン油]]<ref>国分牧衛『新訂 食用作物』(養賢堂 2010年8月10日第1版)p.248-249</ref>や[[米糠]]から取る[[米油]]<ref name="名前なし-20230316131051-2"/>などのように、一部の穀物は[[食用油]]の生産にも使われている。 2000年代には、穀物を醸造して得られる[[エタノール]]を[[アルコール燃料]]([[バイオマスエタノール]])として、機械装置の[[動力]]に利用する研究と実用化も進んでいた<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol2/ 「わかる!国際情勢 食料価格高騰~世界の食料安全保障~」][[日本国外務省]](2008年7月17日)2016年8月6日閲覧</ref>が、このバイオマスエタノール生産の急成長は穀物価格の急上昇を招き、[[2007年-2008年の世界食料価格危機]]の主因の一つとなる<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol2/ 「わかる!国際情勢 食料価格高騰~世界の食料安全保障~」][[日本国外務省]](2008年7月17日)2023年1月17日閲覧</ref>など問題が発生したことから、2015年頃からバイオマスエタノール利用は大きく鈍化している<ref>「地図とデータで見る農業の世界ハンドブック」p46-47 ジャン・ポール・シャルヴェ著 太田佐絵子訳 原書房 2020年11月1日第1刷</ref>。なお穀物由来のバイオエタノールの主要生産国はアメリカで、主にトウモロコシから生産を行っている<ref>「地図とデータで見る農業の世界ハンドブック」p47-49 ジャン・ポール・シャルヴェ著 太田佐絵子訳 原書房 2020年11月1日第1刷</ref>。 種を収穫した後の残部も広く使用され、たとえば米の茎部分である[[藁]]は工芸材料として広く利用されるほか、[[籾殻]]も[[充填材]]として利用される<ref name="名前なし-20230316131051-2"/>。コムギの藁は敷き藁などに利用され<ref>国分牧衛『新訂 食用作物』(養賢堂 2010年8月10日第1版)p.187</ref>、またトウモロコシの茎は燃料や製紙原料として利用される<ref>国分牧衛『新訂 食用作物』(養賢堂 2010年8月10日第1版)p.249</ref>。 == 日本と穀物 == 特に生産量が多く主食として扱われることも多いイネ、ムギ類、トウモロコシを除く、その他の穀物を[[雑穀]]と呼んで区別することもある<ref>「食の人類史」p60-61 佐藤洋一郎 中公新書 2016年3月25日初版</ref>。[[中国]]や[[日本]]においては、特に主要な五種の穀物を[[五穀]]と呼び重視してきた。この五穀の内容は時代や書物によって様々であり、主要穀物の総称としての意味合いが強かった。現代日本においては、コメ、ムギ、[[アワ]]、[[豆|マメ]]、[[キビ]]または[[ヒエ]]を指して五穀と呼ぶことが多い<ref>[[本山荻舟]]『飲食事典』([[平凡社]] 昭和33年12月25日発行)p.197</ref>。 == 種類 == === 禾穀類(イネ科) === * [[米]]([[イネ]]) ** [[米#イネの系統と米|サティバ種]]([[米#イネの系統と米|アジアイネ]]) *** [[ジャポニカ種]](日本型、温帯[[島嶼]]型、短粒種) *** [[ジャバニカ種]]([[ジャワ]]型、[[熱帯]]島嶼形、大粒種) *** [[インディカ種]](インド型、大陸型、長粒種) ** [[アフリカイネ|グラベリマ種]]([[アフリカイネ]]) ** [[ネリカ]](アジアイネとアフリカイネの種間雑種) * [[トウモロコシ]](トウキビ) * [[ムギ|麦類]] ** [[オオムギ]](大麦) *** [[ハダカムギ#もち麦|モチムギ]](オオムギのモチ種) *** [[ハダカムギ]](オオムギの変種) ** [[コムギ]](小麦) ** [[ライムギ]](ライ麦) ** [[カラスムギ]] ** [[エンバク]](カラス麦の栽培品種、オーツ麦とも) ** [[ハトムギ]](種子ではなく果実である) * [[キビ]] * [[アワ]] * [[ヒエ]] * [[モロコシ]](タカキビ、コウリャン、ソルガム) * [[シコクビエ]] * [[トウジンビエ]] * [[テフ (穀物)|テフ]] * [[フォニオ]] * [[コドラ]](コードンビエ) * [[マコモ]](野生植物と栽培植物の中間) === 菽穀類(マメ科) === * [[ダイズ]] * [[アズキ]] * [[リョクトウ]] * [[ササゲ]] * [[インゲンマメ]] * [[ライマメ]] * [[ラッカセイ]] * [[エンドウ]] * [[ソラマメ]] * [[レンズマメ]] * [[ヒヨコマメ]] * [[レンズマメ]](ヘントウ) * [[ベニバナインゲン]] * [[ケツルアズキ]] * [[モスビーン]] * [[テパリービーン]] * [[タケアズキ]] * [[フジマメ]] * [[ホースグラム]]({{Lang-en-short|[[w:Macrotyloma uniflorum|Macrotyloma uniflorum]]}}) * [[バンバラマメ]] * [[ゼオカルパマメ]] * [[キマメ]] * [[ナタマメ]] * [[タチナタマメ]] * [[グラスピー]]({{Lang-en-short|[[w:Lathyrus sativus|Lathyrus sativus]]}}) * [[クラスタマメ]] * [[シカクマメ]] * [[ハッショウマメ]]({{Lang-en-short|[[w:Mucuna pruriens|Mucuna pruriens]]}}) * [[イナゴマメ]] * [[ルピナス]] * [[タマリンド]] === その他擬似穀類 === * [[ソバ]] * [[ダッタンソバ]] * [[アマランサス|アマランス]]([[アマランサス]]、[[アマランサス|センニンコク]]) * [[キヌア]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注釈"/> === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[穀物メジャー]] * [[全粒穀物]] * [[五穀]] * [[玄米]] * [[発芽玄米]] * [[赤米]](古代米) * [[雑穀]] * [[フスマ]] * [[小麦胚芽]] * [[シリアル食品]] * [[穀物菜食]] * [[農業]]、[[田]]・[[畑]]、[[脱穀]]、[[製粉]] * [[グレインベルト]] * {{ill2|穀物乾燥貯蔵施設|de|Darre}} - 新石器時代には、穀物は乾燥させないと品質が低下し、カビなどが生えることが知られていた。 == 外部リンク == {{Commonscat}} {{Wiktionary|穀物}} *{{Kotobank|2=日本大百科全書(ニッポニカ)}} {{穀物}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こくもつ}} [[category:穀物|*こくもつ]] [[category:食養]] [[Category:資源]]
2003-03-01T05:07:35Z
2023-09-29T08:05:34Z
false
false
false
[ "Template:Lang-en-short", "Template:Multiple image", "Template:リンク切れ", "Template:Commonscat", "Template:穀物", "Template:Kotobank", "Template:Gallery", "Template:Reflist", "Template:PDFlink", "Template:Ill2", "Template:Wiktionary", "Template:Efn", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Cite journal", "Template:Cite web", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%80%E7%89%A9