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御殿場線
御殿場線(ごてんばせん)は、神奈川県小田原市の国府津駅から静岡県御殿場市の御殿場駅を経て静岡県沼津市の沼津駅に至る東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(幹線)である。 1889年(明治22年)に東京 - 大阪間を結ぶ鉄道(1909年に東海道本線と命名)の一部として開業し複線化も行われていたが、1934年(昭和9年)12月1日の丹那トンネル開通に伴い東海道本線は熱海駅経由に変更され、国府津駅 - 沼津駅間は支線の御殿場線となった。なお鉄道唱歌の歌詞は丹那トンネル開通前に発表されたため、国府津駅 - 沼津駅間が現在の御殿場線経由となっている。 第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)には不要不急線に指定されて単線化され、レールなどの資材は回収されて他の路線の建設に転用された。しかし現在もなおトンネルや橋脚などに複線時代の面影が残っている。また、大幹線である東海道本線から一ローカル線の御殿場線に転じたのちも、1992年に発生した東海道線来宮駅構内列車衝突事故の際などには不通になった東海道本線のバイパスとしての役割を果たし、寝台列車が当路線経由で運行された。 松田駅 - 御殿場駅間においては、JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)時代の1955年(昭和30年)から小田急電鉄小田原線新宿駅方面からの優等列車の乗り入れが行われ、東京都心 - 御殿場地区間のアクセスルートのひとつとなっている。国鉄時代は準急、1968年から急行、JR化後の1991年(平成3年)3月16日には特急に格上げされ、それから2012年3月16日までの間は乗り入れ区間が沼津駅まで延長されていた。 JR東海が管轄する在来線としては最東端の路線であるとともに、唯一関東地方(神奈川県)に乗り入れている路線となっている。前述の歴史的経緯から東日本旅客鉄道(JR東日本)管理の国府津駅から沼津方面に向かう方が下りとなっている。 2010年3月13日から御殿場駅 - 沼津駅間に、2019年3月2日には下曽我駅 - 足柄駅に、2021年3月13日には国府津駅にIC乗車カード「TOICA」が導入された。なお、定期券以外では国府津駅を跨いだICカードの利用はできない(国府津駅はSuicaエリアだが、IC対応券売機での当線の乗車券購入には対応している)。また、松田駅では小田急直通の特急「ふじさん」を利用する旅客専用に、運賃計算上の同一駅扱いである小田急新松田駅の入場・出場としてIC乗車カードを処理できる機器が設置されている。 全線がJR東海静岡支社の管轄だが、国府津駅構内はJR東日本横浜支社の管轄で構内にある第一場内信号機が線路上の会社境界になっている。 国府津駅を出ると東海道本線を左側に離して内陸に入り、やがて右側に曽我梅林を見ながら梅林の最寄り駅となる下曽我駅に到着する。その後も酒匂川沿いの低地を北上し小田急電鉄小田原線の上を通過すると、特急「ふじさん」が運転される同線との連絡線が右側から合流し、松田駅に至る。 ここからは酒匂川との距離が近くなる。国道246号や東名高速道路と並行し、時にはそれらと交差する。カーブと急勾配は神奈川・静岡両県の県境を越えても続き、そのほぼ最高点が御殿場駅となる。同駅は沼津駅を除くと線内最大の駅で、観光客・ビジネス客などで多くの乗降がある。 ここからは黄瀬川に沿い、富士山の東麓斜面を駆け下る。車窓右側(西側)には富士山が広がり、特に御殿場駅近辺では遮るものなく間近に迫る。この辺では丁度宝永火口が正面に見える。25 ‰の勾配の途中に設けられている富士岡駅と岩波駅では、東海道本線時代に使用されていたスイッチバックの跡が残されている。裾野駅の手前で東名高速道路が右側(西側)に離れると徐々に勾配が緩やかになり、下土狩駅の先では東海道新幹線が上を通る。愛鷹山が手前に見える頃に沼津駅に到着する。また、全線で常に左側には箱根山の外輪山を見ることになる。 自社線内運転の普通列車のほか、小田急電鉄から乗り入れる特急がある。 山岳地帯を走行するため、台風や大雨などで運転を見合わせることが多い。特に御殿場駅 - 松田駅間では運転見合わせが多い。 松田駅で小田急小田原線に連絡線経由で連絡しており、この連絡線を経由して特急「ふじさん」号(旧:「あさぎり」号)が新宿駅 - 御殿場駅間で運行されている。この連絡線は小田急や箱根登山鉄道の車両を搬入・搬出する際にも使われ、JR貨物の機関車がこれらの車両を牽引して普段は運用がない御殿場線に乗り入れ、連絡線を介して小田急小田原線の新松田駅まで入線する。 普通列車は国府津駅 - 沼津駅間直通列車がおおむね1時間に1本、その間に朝と夕方は国府津駅 - 御殿場駅間、静岡県側は御殿場駅 - 沼津駅間の区間列車が1 - 2本運行されている。このほか国府津駅 - 山北駅間の区間列車も設定されている。一部列車(列車番号の末尾がGの列車)においてワンマン運転が行われている。 沼津側では、2009年3月14日のダイヤ改正より、東海道新幹線との乗り継ぎを考慮した東海道線三島駅発着列車が朝夕を中心に上下あわせて16本設定された。2023年3月18日改正時点では三島駅発着列車は下り5本・上り7本となっている。また、一部列車は富士・静岡方面と直通しており、下りは朝に浜松(浜松より前3両が豊橋行き)・静岡行き・上りは朝に富士発・夜に御殿場線内における最終列車を兼ねた静岡発として各1本ずつ運行されている。 2012年3月17日のダイヤ改正前は、国府津側よりJR東日本の東海道線東京駅からの直通列車があり、山北駅や御殿場駅まで運行されていた。 2023年現在、普通列車には313系電車または211系電車(いずれも静岡車両区所属)が使用されており、日中の列車ではワンマン運転も行われている。 特急「ふじさん」は、小田急電鉄の60000形電車「MSE」6両編成(喜多見検車区所属、1 - 6号車)で運行される。 特急列車は当初は全てのドアから乗降できたが、小田急線内のホームドア設置計画の進捗に伴い、2022年11月15日以降はホームドアの無い御殿場線内でも4号車がドアカットされ乗降できなくなっている。 東京 - 大阪間の幹線鉄道の一部として1889年に国府津 - 御殿場 - 沼津 - 静岡間が開通した。1896年に線路名称が制定され東海道線と命名、1909年には主な幹線を本線と称するようになり、東海道本線となった。 この間の1891年の小山(現・駿河小山) - 御殿場間を皮切りに現在の御殿場線にあたる区間の複線化が進められ、1901年には国府津 - 沼津間の複線化が完成した。神奈川県側の県境駅になる山北駅には機関区が置かれ、御殿場駅は富士山への登山口として、それぞれ栄えた。また、1896年には日本陸軍初の演習が沿線に当たる富士山の東麓(後の富士岡駅近郊)で行われ、1912年には正式に富士裾野演習場として開設されたため、ここに向けての兵員・物資輸送にも活用された。 しかし、箱根の外輪山の北側を迂回する「函嶺越え」の急勾配は輸送上の大きな障害で、その対策は半世紀近くにわたって大きな課題となっていた。当時の蒸気機関車は非力なため、各列車には山越えのための補助機関車(補機)を、下り列車は国府津駅、上り列車は沼津駅で停車して連結、途中御殿場駅で停車して解放した。この補助機関車には、その時代毎に最強力の機関車があてられた。明治時代には、連結器の容量が不足するため、編成の途中に補助機関車を組み込む運用を行い、急行列車に連結していた食堂車は、運転上の負担になるとして国府津駅・沼津駅で編成から切り離していたほどである。 1930年から東京駅 - 神戸駅間で運転を開始した特急「燕」号は、その停車時間を切り詰めるため、国府津駅・沼津駅での補機連結停車はたった30秒、解放は御殿場駅付近を走行中に無停車で行っていた。なお機関車の走行解放は「燕」に限らず、他の特急列車・急行列車・貨物列車でも行っていた。 この根本的な解決策として、1918年から熱海線の建設が始められ、国府津から小田原・熱海へと路線を延ばしていた。1934年、難工事となった丹那トンネルの完成により熱海 - 沼津間が開通すると、東海道本線は熱海線を編入して国府津 - 小田原 - 熱海 - 沼津間の短絡・平坦ルートとなり、国府津 - 御殿場 - 沼津間は御殿場線となった。この時、従来御殿場線区間にあった「三島駅」は「下土狩駅」と改称され、新規開通区間上に三島駅が設置された。駿豆鉄道(現在の伊豆箱根鉄道駿豆線)も国鉄との接続駅を新たな三島駅へ変更し、下土狩駅までの路線は廃止された。分離され、新たな名称を与えられることになった区間の線名は「箱根支線」・「箱根線」・「函北線」・「富士山線」など様々な候補があったというが、御殿場町(後の御殿場市)の請願によって現在の名称に決定されたといわれている。このルート変更により沿線地域は経済面で大きな打撃を被った。 御殿場線分離後も御殿場駅には軍隊用ホームが設置され、多くの兵士が出征した。沿線の小学校で教師をしていた富原薫はこの光景を見て、童謡『兵隊さんの汽車』を作詞したとされている。この童謡は戦後『汽車ポッポ』と歌詞が改められている。 御殿場線としての分離後もしばらく複線運転を行っていたが、第二次世界大戦時の物資不足から、1944年に山陽本線に編入された柳井線(岩国 - 柳井 - 櫛ケ浜間、この区間の山陽本線は1934年からその時まで現在の岩徳線ルートを採用)の複線化や、横須賀線の横須賀 - 久里浜間の建設、樽見線の橋梁へ転用するため、片方のレールや橋梁が撤去され、1943年には不要不急路線に指定され、単線化された。現在でも各所に旧東海道本線でもあった複線時代の名残をとどめる廃線跡が散在しており、車窓から確認できる。 戦後、小田急電鉄の新松田 - 松田間の連絡線が1955年に開業し、新宿 - 御殿場間直通の準急が気動車で運転開始された。この直通準急には、本格的なものとしては日本初の2基エンジン形気動車(キハ5000形)が用いられた。 また、この時期に複線時代の線路跡を活用して新駅が多く設置され、キハ51形の投入に伴う普通列車の気動車化と合わせて地域内輸送により配慮されるようになった。1968年には全線で電化が完成し、小田急からの直通準急(1968年に急行化)も電車に置き換えられた。電化と同時に東京 - 御殿場間の急行「ごてんば」が運転を開始し、東京や横浜との都市間輸送が行われたが、1985年に廃止され、同線内の定期優等列車は小田急線直通急行「あさぎり」のみとなった。 1987年の国鉄分割民営化では神奈川県内にかかる在来線としては唯一、JR東海の管轄となり、JR東日本の路線となった東海道本線の東京方面とは列車運行の分断が進められた。一方、1991年には「あさぎり」が特急化された上、運転区間も新宿 - 沼津間へと延長され、東京都内や小田急線沿線から伊豆半島西部(西伊豆)への観光輸送ルートとしての役割も期待されるようになった。御殿場以西に関しては御殿場 - 裾野間の各駅の交換設備の新設により、普通列車の増発も行われている。1999年からはワンマン運転が開始された。 2012年3月に実施されたダイヤ改正で「あさぎり」の御殿場 - 沼津間が廃止となり、準急・急行時代と同じく小田急による片乗り入れに戻った。またJR東日本との直通運転が廃止された。2018年3月のダイヤ改正で「あさぎり」は「ふじさん」に改称された。 括弧内は国府津駅起点の営業キロ。 裾野市内にある裾野駅・岩波駅の2駅は、いずれもトヨタ自動車東日本(旧:関東自動車工業)やキヤノンなど大企業が裾野市北部に工場を建設したことにより、通勤客を中心に利用者が大幅に増加した。これを受け、1965年(昭和40年)ごろからは両駅の中間地点にある深良地区に市内で3番目の新駅を設置(駅舎建設費用:20億円)し、新駅周辺地区17ヘクタールの開発を行う計画が浮上した。 期成会は2005年(平成17年)に深良地区の住民5,000人を大幅に上回る21,000人の署名を集めて裾野市に提出したほか、大橋俊二市長(当時)もJR東海への陳情を行ったほか、2006年(平成18年)の4期目の市長選挙で「深良地区の新駅設置に政治生命を賭けて取り組む」と表明した。 JR東海は市に対し「建設に運行の支障がないこと」「地域住民の乗降客が既存の駅利用者を減らすことなく2,000人以上あること」「駅舎建設は全額地元負担であること」の3つの条件を提示したため、市は深良地区の定住人口を増加させるため宅地化などへの開発へ区画整備の検討をしているが、市街化調整区域となっている深良地区を開発するためには「市街化区域」への変更が必要である。それも市の裁量だけで変更することはできず国や静岡県との調節が必要なため、2014年(平成26年)時点で新駅設置に向けた開発は進んでおらず、事実上「凍結状態」にある。
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松田間の連絡線が1955年に開業し、新宿 - 御殿場間直通の準急が気動車で運転開始された。この直通準急には、本格的なものとしては日本初の2基エンジン形気動車(キハ5000形)が用いられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "また、この時期に複線時代の線路跡を活用して新駅が多く設置され、キハ51形の投入に伴う普通列車の気動車化と合わせて地域内輸送により配慮されるようになった。1968年には全線で電化が完成し、小田急からの直通準急(1968年に急行化)も電車に置き換えられた。電化と同時に東京 - 御殿場間の急行「ごてんば」が運転を開始し、東京や横浜との都市間輸送が行われたが、1985年に廃止され、同線内の定期優等列車は小田急線直通急行「あさぎり」のみとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1987年の国鉄分割民営化では神奈川県内にかかる在来線としては唯一、JR東海の管轄となり、JR東日本の路線となった東海道本線の東京方面とは列車運行の分断が進められた。一方、1991年には「あさぎり」が特急化された上、運転区間も新宿 - 沼津間へと延長され、東京都内や小田急線沿線から伊豆半島西部(西伊豆)への観光輸送ルートとしての役割も期待されるようになった。御殿場以西に関しては御殿場 - 裾野間の各駅の交換設備の新設により、普通列車の増発も行われている。1999年からはワンマン運転が開始された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2012年3月に実施されたダイヤ改正で「あさぎり」の御殿場 - 沼津間が廃止となり、準急・急行時代と同じく小田急による片乗り入れに戻った。またJR東日本との直通運転が廃止された。2018年3月のダイヤ改正で「あさぎり」は「ふじさん」に改称された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "括弧内は国府津駅起点の営業キロ。", "title": "駅一覧" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "裾野市内にある裾野駅・岩波駅の2駅は、いずれもトヨタ自動車東日本(旧:関東自動車工業)やキヤノンなど大企業が裾野市北部に工場を建設したことにより、通勤客を中心に利用者が大幅に増加した。これを受け、1965年(昭和40年)ごろからは両駅の中間地点にある深良地区に市内で3番目の新駅を設置(駅舎建設費用:20億円)し、新駅周辺地区17ヘクタールの開発を行う計画が浮上した。", "title": "駅一覧" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "期成会は2005年(平成17年)に深良地区の住民5,000人を大幅に上回る21,000人の署名を集めて裾野市に提出したほか、大橋俊二市長(当時)もJR東海への陳情を行ったほか、2006年(平成18年)の4期目の市長選挙で「深良地区の新駅設置に政治生命を賭けて取り組む」と表明した。", "title": "駅一覧" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "JR東海は市に対し「建設に運行の支障がないこと」「地域住民の乗降客が既存の駅利用者を減らすことなく2,000人以上あること」「駅舎建設は全額地元負担であること」の3つの条件を提示したため、市は深良地区の定住人口を増加させるため宅地化などへの開発へ区画整備の検討をしているが、市街化調整区域となっている深良地区を開発するためには「市街化区域」への変更が必要である。それも市の裁量だけで変更することはできず国や静岡県との調節が必要なため、2014年(平成26年)時点で新駅設置に向けた開発は進んでおらず、事実上「凍結状態」にある。", "title": "駅一覧" } ]
御殿場線(ごてんばせん)は、神奈川県小田原市の国府津駅から静岡県御殿場市の御殿場駅を経て静岡県沼津市の沼津駅に至る東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(幹線)である。
{{Infobox 鉄道路線 |路線名=[[File:JR_logo_(central).svg|35px|link=東海旅客鉄道]] 御殿場線 |ロゴ=File:JR Central Gotemba Line.svg |ロゴサイズ=40px |路線色=#40743c |画像=Gotenba-Line JR313 Mt,Fuji.jpg |画像サイズ=300px |画像説明=[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]をバックに御殿場線を走る[[JR東海313系電車|313系電車]] |通称= |国={{JPN}} |所在地=[[神奈川県]]、[[静岡県]] |種類=[[日本の鉄道|普通鉄道]]([[在来線]]・[[幹線]]) |起点=[[国府津駅]] |終点=[[沼津駅]] |駅数=19駅 |経由路線= |輸送実績= |1日利用者数= |電報略号=コテセ |路線記号={{JR海駅番号|CB}} |開業=[[1889年]][[2月1日]](東海道本線の一部として) |項目1=線名変更 |日付1=[[1934年]][[12月1日]](御殿場線として分離) |所有者=[[東海旅客鉄道]](JR東海) |運営者=東海旅客鉄道(JR東海)<br />(第1種鉄道事業者)<br />[[日本貨物鉄道]](JR貨物)<br />(第2種鉄道事業者) |車両基地= |使用車両=[[#使用車両|使用車両]]を参照 |路線距離=60.2 [[キロメートル|km]] |軌間=1,067 [[ミリメートル|mm]] |線路数=[[単線]] |電化方式=[[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]]<br />[[架空電車線方式]] |最大勾配=25 [[パーミル|‰]] |最小曲線半径= |閉塞方式=自動閉塞式<ref name="heisoku">平成27年度鉄道統計年報 - 国土交通省</ref> |保安装置=[[自動列車停止装置#ATS-PT形 (JR東海ATS-P)|ATS-PT]] |最高速度=110 [[キロメートル毎時|km/h]] |路線図=[[File:Route Map of Gotemba Line.svg|220px]] |路線図名= |路線図表示=<!--collapsed--> }} '''御殿場線'''(ごてんばせん)は、[[神奈川県]][[小田原市]]の[[国府津駅]]から[[静岡県]][[御殿場市]]の[[御殿場駅]]を経て静岡県[[沼津市]]の[[沼津駅]]に至る[[東海旅客鉄道]](JR東海)の[[鉄道路線]]([[幹線]])である。 == 概要 == [[1889年]]([[明治]]22年)に東京 - 大阪間を結ぶ鉄道([[1909年]]に[[東海道本線]]と命名)の一部として開業し[[複線]]化も行われていたが、[[1934年]]([[昭和]]9年)[[12月1日]]の[[丹那トンネル]]開通に伴い東海道本線は[[熱海駅]]経由に変更され、国府津駅 - 沼津駅間は支線の御殿場線となった。なお[[鉄道唱歌]]の歌詞は丹那トンネル開通前に発表されたため、国府津駅 - 沼津駅間が現在の御殿場線経由となっている。 [[第二次世界大戦]]中の[[1944年]](昭和19年)には[[不要不急線]]に指定されて[[単線]]化され、レールなどの資材は回収されて他の路線の建設に転用された。しかし現在もなおトンネルや橋脚などに複線時代の面影が残っている<ref name="JRCburari1998">「新版まるごとJR東海ぶらり沿線の旅」 七賢出版、1998年</ref>。また、大幹線である東海道本線から一ローカル線の御殿場線に転じたのちも、1992年に発生した[[日本の鉄道事故_(1950年から1999年)#東海道線来宮駅構内列車衝突事故|東海道線来宮駅構内列車衝突事故]]の際などには不通になった東海道本線のバイパスとしての役割を果たし、寝台列車が当路線経由で運行された。 [[松田駅]] - [[御殿場駅]]間においては、JRの前身である[[日本国有鉄道]](国鉄)時代の1955年(昭和30年)から[[小田急電鉄]][[小田急小田原線|小田原線]][[新宿駅]]方面からの優等列車<!--国鉄時代は種別・愛称異なる。直後に記述あり。-->の乗り入れが行われ、東京都心 - 御殿場地区間のアクセスルートのひとつとなっている。国鉄時代は準急、1968年から急行、JR化後の[[1991年]]([[平成]]3年)[[3月16日]]には特急に格上げされ、それから[[2012年]][[3月16日]]までの間は乗り入れ区間が沼津駅まで延長されていた。 JR東海が管轄する[[在来線]]としては最東端の路線であるとともに、唯一関東地方([[神奈川県]])に乗り入れている路線となっている。前述の歴史的経緯から[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)管理の国府津駅から沼津方面に向かう方が下りとなっている。<!-- ←起点が他社管理駅だと述べたいのだと思うが、上り・下りの方向については東京へ向かう方が上りという原則に当てはまっているので特殊性は見いだせない気が。 --> [[2010年]]3月13日から御殿場駅 - 沼津駅間に<ref name="jrcentral20091221" />、[[2019年]]3月2日には下曽我駅 - [[足柄駅 (静岡県)|足柄駅]]に<ref name="jrcentral20181212" />、[[2021年]]3月13日には国府津駅に[[ICカード|IC]][[乗車カード]]「[[TOICA]]」が導入された<ref name=":0" />。なお、定期券以外では国府津駅を跨いだICカードの利用はできない(国府津駅は[[Suica]]エリアだが、IC対応券売機での当線の乗車券購入には対応している)。また、松田駅では小田急直通の[[特別急行列車|特急]]「[[ふじさん]]」を利用する旅客専用に、運賃計算上の同一駅扱いである小田急[[新松田駅]]の入場・出場としてIC乗車カードを処理できる機器が設置されている。 === 路線データ === * 管轄(事業種別):東海旅客鉄道([[鉄道事業者|第一種鉄道事業者]])・[[日本貨物鉄道]]([[鉄道事業者|第二種鉄道事業者]]) * 路線距離([[営業キロ]]):60.2 km * [[軌間]]:1,067 mm * 駅数:19(起終点駅含む) ** 御殿場線所属駅に限定した場合、起終点駅(どちらも東海道本線所属)が除外され、17駅となる。 * 複線区間:なし(全線[[単線]]) * 電化区間:全線([[架空電車線方式]]・[[直流電化|直流]]1,500 V) * [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]:自動閉塞式<ref name="heisoku" /> * 保安装置:[[自動列車停止装置#ATS-PT形 (JR東海ATS-P)|ATS-PT]](国府津駅構内のみ[[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P]]) * [[運転指令所]]:静岡総合指令所 * 最高速度:110 km/h 全線が[[東海旅客鉄道静岡支社|JR東海静岡支社]]の管轄だが、国府津駅構内は[[東日本旅客鉄道横浜支社|JR東日本横浜支社]]の管轄で構内にある第一場内信号機が線路上の会社境界になっている。 == 沿線風景 == {| {{Railway line header|collapse=yes}} {{UKrail-header2|停車場・施設・接続路線|#40743c}} {{BS-table}} {{BS|leer|||[[東日本旅客鉄道|JR東]]:[[東海道線 (JR東日本)|東海道本線]]|}} {{BS3|BHFq|ABZq+r||0.0|CB00 [[国府津駅]]||}} {{BS3|kABZq2|KRZo+k3||||JR東:[[東海道貨物線]]|}} {{BS|kABZg+4||||}} {{BS|KRZu|||[[東海道新幹線]]|}} {{BS|SKRZ-Au|||[[小田原厚木道路]]|}} {{BS3||KRWgl|KRW+r||||}} {{BS3||STR|KDSTe|||JR東:[[国府津車両センター]]|}} {{BS|BHF|3.8|CB01 [[下曽我駅]]||}} {{BS|BHF|6.5|CB02 [[上大井駅]]||}} {{BS|BHF|8.3|CB03 [[相模金子駅]]||}} {{BS3|kABZq2|KRZo+k3|STR+r|||[[小田急電鉄|小田急]]:[[小田急小田原線|小田原線]]|}} {{BS3||kABZg+4|BHF|||[[新松田駅]]|}} {{BS3||BHF|STRl|10.2|CB04 [[松田駅]]||}} {{BS|BHF|13.1|CB05 [[東山北駅]]||}} {{BS|BHF|15.9|CB06 [[山北駅]]||}} {{BS|hKRZWae|||[[皆瀬川]]|}} {{BS|TUNNEL1||箱根第一号トンネル|287m|}} {{BS|TUNNEL1||箱根第二号トンネル|579m|}} {{BS3|WASSER+l|hKRZWae|||[[酒匂川橋梁 (御殿場線)|第一酒匂川橋梁]]|84m|[[酒匂川]]}} {{BS3|WASSERl|hKRZWae|WASSER+r||[[酒匂川橋梁 (御殿場線)|第二酒匂川橋梁]]|85m|}} {{BS3||hKRZWae|WASSERr||[[酒匂川橋梁 (御殿場線)|第三酒匂川橋梁]]|90m|}} {{BS|TUNNEL1|O1=RAq||箱根第三・四号トンネル|629m|}} {{BS|STR|||[[東名高速道路]]上り線}} {{BS|BHF|20.0|CB07 [[谷峨駅]]||}} {{BS|TUNNEL1|O1=RAq||箱根第五号トンネル|290m|}} {{BS|STR|||東名高速道路下り線}} {{BS|TUNNEL1||箱根第六号甲トンネル|103m|}} {{BS|TUNNEL1||箱根第六号乙トンネル|244m|}} {{BS3||hKRZWae|WASSER+r||第三相沢川橋梁|61m|[[鮎沢川]]}} {{BS3||hKRZWae|WASSERr||第四相沢川橋梁|61m|}} {{BS|STR+GRZq|||↑[[神奈川県]]/[[静岡県]]↓|}} {{BS|TUNNEL1||箱根第七号トンネル|235m|}} {{BS|BHF|24.6|CB08 [[駿河小山駅]]||}} {{BS|SKRZ-Au|||東名高速道路|}} {{BS3||hKRZWae|WASSER+r||第五相沢川橋梁|44m|鮎沢川}} {{BS3||hKRZWae|WASSERr||第六相沢川橋梁|51m|}} {{BS|BHF|28.9|CB09 [[足柄駅 (静岡県)|足柄駅]]||}} {{BS|SKRZ-Au|||東名高速道路|}} {{BS|hKRZWae|||鮎沢川|}} {{BS3|uexSTR+r|STR||||''[[御殿場馬車鉄道]]''|}} {{BS3|uexKBHFe|BHF||35.5|CB10 [[御殿場駅]]||}} {{BS|hKRZWae|||[[黄瀬川]]|}} {{BS|STR|||''新橋停留場''|}} {{BS|SKRZ-Au|||東名高速道路|}} {{BS|BHF|38.2|CB11 [[南御殿場駅]]||}} {{BS|BHF|40.6|CB12 [[富士岡駅]]||}} {{BS3|WABZg+l|hKRZWae|WABZgr|||黄瀬川|}} {{BS3|WABZg+l|hKRZWae|WASSERr|||黄瀬川|}} {{BS|BHF|45.3|CB13 [[岩波駅]]||}} {{BS|BHF|50.7|CB14 [[裾野駅]]||}} {{BS|BHF|53.5|CB15 [[長泉なめり駅]]||}} {{BS3||BHF|O2=HUBaq|exKBHFa|O3=HUBeq|55.6|CB16 [[下土狩駅]]||}} {{BS3||STR|exSTRl|||''[[伊豆箱根鉄道駿豆線|駿豆鉄道]]''|}} {{BS|KRZu|||東海道新幹線|}} {{BS|hKRZWae||黄瀬川橋梁|49m|黄瀬川}} {{BS|BHF|57.8|CB17 [[大岡駅 (静岡県)|大岡駅]]||}} {{BS3||KRWgl|KRW+r||||}} {{BS3||STR|KDSTe|||[[沼津運輸区]]|}} {{BS3|BHFq|ABZqr||60.2|CB18 [[沼津駅]]||}} {{BS|leer|||[[東海道本線]]|}} |} |} [[国府津駅]]を出ると東海道本線を左側に離して内陸に入り、やがて右側に[[曽我梅林]]を見ながら梅林の最寄り駅となる[[下曽我駅]]に到着する。その後も[[酒匂川]]沿いの低地を北上し[[小田急電鉄]][[小田急小田原線|小田原線]]の上を通過すると、特急「ふじさん」が運転される同線との[[連絡線]]が右側から合流し、[[松田駅]]に至る。 ここからは酒匂川との距離が近くなる。[[国道246号]]や[[東名高速道路]]と並行し、時にはそれらと交差する<ref group="注釈">駿河小山駅 - 南御殿場駅間では国道246号は[[裾野バイパス]]となり、やや北側に離れている。</ref>。カーブと急勾配は神奈川・静岡両県の県境を越えても続き、そのほぼ最高点が[[御殿場駅]]となる。同駅は沼津駅を除くと線内最大の駅で、観光客・ビジネス客などで多くの乗降がある。 ここからは[[黄瀬川]]に沿い、[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]の東麓斜面を駆け下る。車窓右側(西側)には富士山が広がり、特に御殿場駅近辺では遮るものなく間近に迫る。この辺では丁度[[宝永火口]]が正面に見える。25 [[パーミル|‰]]の勾配の途中に設けられている[[富士岡駅]]と[[岩波駅]]では、東海道本線時代に使用されていた[[スイッチバック]]の跡が残されている<ref name="JRCburari1998"/>。[[裾野駅]]の手前で東名高速道路が右側(西側)に離れると徐々に勾配が緩やかになり、[[下土狩駅]]の先では[[東海道新幹線]]が上を通る。[[愛鷹山]]が手前に見える頃に[[沼津駅]]に到着する。また、全線で常に左側には[[箱根山]]の外輪山を見ることになる。 == 運行形態 == 自社線内運転の普通列車のほか、小田急電鉄から乗り入れる特急がある。 山岳地帯を走行するため、[[台風]]や[[大雨]]などで運転を見合わせることが多い。特に御殿場駅 - 松田駅間では運転見合わせが多い。 === 特急列車 === {{See also|ふじさん}} [[松田駅]]で[[小田急小田原線]]に連絡線経由で連絡しており、この連絡線を経由して特急「[[ふじさん]]」号(旧:「あさぎり」号)が[[新宿駅]] - 御殿場駅間で運行されている。この連絡線は小田急や[[箱根登山鉄道]]の車両を搬入・搬出する際にも使われ、JR貨物の機関車がこれらの車両を牽引して普段は運用がない御殿場線に乗り入れ、連絡線を介して小田急小田原線の新松田駅まで入線する。 === 普通列車 === ==== 御殿場線内完結 ==== 普通列車は国府津駅 - 沼津駅間直通列車がおおむね1時間に1本、その間に朝と夕方は国府津駅 - 御殿場駅間、静岡県側は御殿場駅 - 沼津駅間の区間列車が1 - 2本運行されている。このほか国府津駅 - 山北駅間の区間列車も設定されている。一部列車([[列車番号]]の末尾がGの列車)において[[ワンマン運転]]が行われている。 ==== 東海道線直通(JR東海) ==== 沼津側では、2009年3月14日のダイヤ改正より、[[東海道新幹線]]との乗り継ぎを考慮した[[東海道線 (静岡地区)|東海道線]][[三島駅]]発着列車が朝夕を中心に上下あわせて16本設定された<ref>『JR時刻表』2009年3月号(交通新聞社)、{{Cite web|和書|url=http://newdiagram.jr-central.co.jp/conventional/_pdf/shizuoka_eastern.pdf|title= 東部地方ダイヤ改正のご案内|publisher= 東海旅客鉄道|accessdate=2009年4月28日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090408033238/https://newdiagram.jr-central.co.jp/conventional/_pdf/shizuoka_eastern.pdf|archivedate=2009-4-8}}</ref>。2023年3月18日改正時点では三島駅発着列車は下り5本・上り7本となっている。また、一部列車は富士・静岡方面と直通しており、下りは朝に[[浜松駅|浜松]](浜松より前3両が[[豊橋駅|豊橋]]行き)・[[静岡駅|静岡]]行き・上りは朝に[[富士駅|富士]]発・夜に御殿場線内における最終列車を兼ねた静岡発として各1本ずつ運行されている<ref>『JTB時刻表』2023年3月号、JTBパブリッシング、pp.254-255</ref>。 ==== 東海道線直通(JR東日本) ==== 2012年3月17日のダイヤ改正前は、国府津側よりJR東日本の[[東海道線 (JR東日本)|東海道線]][[東京駅]]からの直通列車があり、山北駅や御殿場駅まで運行されていた。 == 使用車両 == 2023年現在、普通列車には[[JR東海313系電車|313系電車]]または[[国鉄211系電車|211系電車]](いずれも[[静岡車両区]]所属)が使用されており、日中の列車では[[ワンマン運転]]も行われている。 特急「[[ふじさん]]」は、小田急電鉄の[[小田急60000形電車|60000形電車「MSE」]]6両編成([[小田急電鉄の車両検修施設#喜多見検車区|喜多見検車区]]所属、1 - 6号車)で運行される<ref group="注釈">土休日運転の11号・12号は[[片瀬江ノ島駅]]発着の「[[えのしま (列車)|えのしま]]」11号・12号の4両(7 - 10号車)と小田急線の新宿駅 - [[相模大野駅]]間で併結運転する。</ref>。 特急列車は当初は全てのドアから乗降できたが、小田急線内の[[ホームドア]]設置計画の進捗に伴い、2022年11月15日以降はホームドアの無い御殿場線内でも4号車<ref group="注釈">小田急線内特急停車駅に設置される開口部の大きい専用ホームドアでも、戸袋部が60000形および[[小田急30000形電車|30000形「EXE」]]の4号車と7号車の乗降口に干渉するため。</ref>が[[ドアカット]]され乗降できなくなっている<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.odakyu.jp/news/d9gsqg0000001iv6-att/d9gsqg0000001ivd.pdf|title=2023年2月供用に向けて、本厚木駅でホームドアの設置を始めます|publisher=小田急電鉄|language=日本語|date=2022-10-14}}</ref>。 === 過去の使用車両 === * 蒸気機関車 ** [[国鉄D52形蒸気機関車|D52形]] - [[1944年]]から[[1968年]]までの約25年間にわたって使用。 * 気動車 ** [[小田急キハ5000形気動車|キハ5000形]] - 小田急電鉄所属で、準急「あさぎり」として乗り入れた。1968年6月30日限りで当路線での運行は終了。 ** [[国鉄キハ10系気動車|キハ51形]] * 電車 **[[国鉄72系電車|72系]] ([[国鉄32系電車|32系]]からの改造車を含む)- 電化から1979年まで使用された。通年半自動ドア扱いであった。4両編成で、中間に入る[[付随車]]には[[列車便所|便所]]が設置されていた。 ** [[国鉄40系電車|クモハ60形]] - 電化当初に72系と混結で使用されたが、後に低屋根化改造され身延線に転じた。 ** [[国鉄165系電車|165系・167系]] - 電化と同時に運行を開始した[[急行列車|急行]]「[[東海 (列車)|ごてんば]]」で乗り入れた。当初は165系3両編成であったが、1981年10月1日からは167系4両編成に変更された。1985年3月13日限りで廃止。 ** [[小田急3000形電車 (初代)|3000形「SSE」]] - 小田急電鉄所属で、急行「あさぎり」として乗り入れた。1991年3月15日限りで当路線での運行は終了。 ** [[国鉄113系電車|113系]] - 電化から2007年まで、東海道線からの乗り入れ列車に使用された。東京駅から御殿場駅までJR東日本所属車が乗り入れていたこともある。 ** [[国鉄115系電車|115系]] - 1979年から2007年まで使用された。導入当初は4両編成であったが、1984年2月のダイヤ改正を機に3両編成となった。 ** [[国鉄119系電車|119系]] - 東海道線からの乗り入れ列車に使用されたが、短期間で撤退した。 ** [[JR東日本E231系電車|E231系]] - JR東日本所属。2012年3月16日まで国府津駅 - 山北駅間の2往復に付属編成(5両編成)が充当されていた。4ドアの同車の乗り入れ撤退に伴い、御殿場線普通列車は3ドア車に統一された。 ** [[JR東海371系電車|371系]] - 特急「あさぎり」に使用されたが、2012年3月16日をもって定期運用から撤退。 ** [[小田急20000形電車|20000形「RSE」]] - 小田急電鉄所属で、特急「あさぎり」として乗り入れた。2012年3月16日をもって定期運用から撤退。 <gallery> ファイル:JRC-EC115-B5.jpg|115系 ファイル:JRE E231 S-01 GotembaLine.jpg|E231系 File:OER RSE20000 Asagiri Matsuda.jpg|20000形「RSE」 </gallery> == 歴史 == {{右| [[ファイル:御殿場線路盤.jpg|thumb|200px|none|現在の線路と複線時代の路盤跡(足柄駅付近)]] [[ファイル:JRC EC313 near Sagami-kaneko.jpg|thumb|200px|none|築堤も複線の幅。築堤右側の空間は路盤跡(相模金子駅付近)]] [[ファイル:Gotemba-Line-Sakawagawa-Bridge-2.jpg|thumb|200px|none|一部の橋梁でも複線時代の橋脚がそのまま使用されている([[酒匂川橋梁 (御殿場線)|第二酒匂川橋梁]])]] [[ファイル:JRC-DC82-Gotemba.jpg|thumb|200px|none|御殿場線60周年記念号]] }} 東京 - 大阪間の幹線鉄道の一部として[[1889年]]に国府津 - 御殿場 - 沼津 - 静岡間が開通した。1896年に線路名称が制定され東海道線と命名、1909年には主な幹線を本線と称するようになり、東海道本線となった。 この間の1891年の小山(現・駿河小山) - 御殿場間を皮切りに現在の御殿場線にあたる区間の複線化が進められ、[[1901年]]には国府津 - 沼津間の複線化が完成した。神奈川県側の県境駅になる山北駅には機関区が置かれ、御殿場駅は富士山への登山口として、それぞれ栄えた。また、[[1896年]]には[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]初の演習が沿線に当たる富士山の東麓(後の富士岡駅近郊)で行われ、[[1912年]]には正式に富士裾野演習場として開設された<ref group="注釈">同地は第二次世界大戦後に日本を占領下に置いた[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国軍]]の1国である[[アメリカ陸軍]]に接収され[[東富士演習場]]とされた後、1968年からは同名のまま[[陸上自衛隊]]の演習場となっている。</ref>ため、ここに向けての兵員・物資輸送にも活用された。 しかし、箱根の外輪山の北側を迂回する「函嶺越え」の急勾配は輸送上の大きな障害で、その対策は半世紀近くにわたって大きな課題となっていた。当時の[[蒸気機関車]]は非力なため、各列車には山越えのための[[補助機関車]](補機)を、下り列車は国府津駅、上り列車は沼津駅で停車して連結、途中御殿場駅で停車して解放した。この補助機関車には、その時代毎に最強力の機関車があてられた。明治時代には、[[連結器]]の容量が不足するため、編成の途中に補助機関車を組み込む運用を行い、[[急行列車]]に連結していた[[食堂車]]は、運転上の負担になるとして国府津駅・沼津駅で編成から切り離していたほどである。 [[1930年]]から東京駅 - 神戸駅間で運転を開始した[[特別急行列車|特急]]「'''[[つばめ (列車)|燕]]'''」号は、その停車時間を切り詰めるため、国府津駅・沼津駅での補機連結停車はたった30秒、解放は御殿場駅付近を走行中に無停車で行っていた。なお機関車の走行解放は「燕」に限らず、他の特急列車・急行列車・[[貨物列車]]でも行っていた。 この根本的な解決策として、[[1918年]]から[[東海道本線#熱海線|熱海線]]の建設が始められ、国府津から小田原・熱海へと路線を延ばしていた。[[1934年]]、難工事となった丹那トンネルの完成により熱海 - 沼津間が開通すると、東海道本線は熱海線を編入して国府津 - 小田原 - 熱海 - 沼津間の短絡・平坦ルートとなり、国府津 - 御殿場 - 沼津間は御殿場線となった。この時、従来御殿場線区間にあった「三島駅」は「下土狩駅」と改称され、新規開通区間上に[[三島駅]]が設置された。[[伊豆箱根鉄道駿豆線|駿豆鉄道]](現在の[[伊豆箱根鉄道]][[伊豆箱根鉄道駿豆線|駿豆線]])も国鉄との接続駅を新たな三島駅へ変更し、下土狩駅までの路線は廃止された。分離され、新たな名称を与えられることになった区間の線名は「箱根支線」・「箱根線」・「函北線」・「富士山線」など様々な候補があったというが、[[御殿場町]](後の[[御殿場市]])の請願によって現在の名称に決定されたといわれている。このルート変更により沿線地域は経済面で大きな打撃を被った。 御殿場線分離後も御殿場駅には軍隊用ホームが設置され、多くの兵士が出征した。沿線の小学校で教師をしていた[[富原薫]]はこの光景を見て、[[童謡]]『兵隊さんの汽車』を作詞したとされている<ref group="注釈">童謡研究家の池田小百合は、自らの著書でこの曲を取り上げ、1937年の[[日中戦争]]勃発時に富原が御殿場駅から出征する兵士を見て作詞したことを明らかにしている[https://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/doyobook/doyo00kusakawa2.htm]。</ref>。この童謡は戦後『[[汽車ポッポ]]』と歌詞が改められている。 御殿場線としての分離後もしばらく複線運転を行っていたが<ref group="注釈">当時の国鉄は複線化率が低く、戦後の[[1960年]]になっても複線化率は全線の12.7%にとどまっていた。出典:[[原田勝正]]『交通・運輸の発達と技術革新:歴史的考察 第8章』([[国際連合大学]]、1986年)([[日本貿易振興機構]](ジェトロ)・[[アジア経済研究所]]デジタルアーカイブス内)[http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/book_unu_jpe6_d09_01.html]</ref>、[[第二次世界大戦]]時の物資不足から、[[1944年]]に[[山陽本線]]に編入された柳井線([[岩国駅|岩国]] - [[柳井駅|柳井]] - [[櫛ケ浜駅|櫛ケ浜]]間、この区間の山陽本線は1934年からその時まで現在の[[岩徳線]]ルートを採用)の複線化や、[[横須賀線]]の[[横須賀駅|横須賀]] - [[久里浜駅|久里浜]]間の建設、[[樽見鉄道樽見線|樽見線]]の橋梁へ転用するため、片方の[[軌条|レール]]や橋梁が撤去され、[[1943年]]には[[不要不急路線]]に指定され、単線化された。現在でも各所に旧東海道本線でもあった複線時代の名残をとどめる[[廃線跡]]が散在しており、車窓から確認できる。 戦後、[[小田急電鉄]]の新松田 - 松田間の連絡線が[[1955年]]に開業し、新宿 - 御殿場間直通の準急が気動車で運転開始された。この直通準急には、本格的なものとしては日本初の2基エンジン形[[気動車]]([[小田急キハ5000形気動車|キハ5000形]])が用いられた。 また、この時期に複線時代の線路跡を活用して新駅が多く設置され、[[国鉄キハ10系気動車|キハ51形]]の投入に伴う普通列車の気動車化と合わせて地域内輸送により配慮されるようになった。[[1968年]]には全線で電化が完成し、小田急からの直通準急(1968年に急行化)も電車に置き換えられた。電化と同時に東京 - 御殿場間の急行「ごてんば」が運転を開始し、東京や横浜との都市間輸送が行われたが、1985年に廃止され、同線内の定期[[優等列車]]は小田急線直通急行「あさぎり」のみとなった。 [[1987年]]の[[国鉄分割民営化]]では神奈川県内にかかる在来線としては唯一、JR東海の管轄となり、JR東日本の路線となった東海道本線の東京方面とは列車運行の分断が進められた。一方、1991年には「あさぎり」が特急化された上、運転区間も新宿 - 沼津間へと延長され、東京都内や小田急線沿線から[[伊豆半島]]西部(西伊豆)への観光輸送ルートとしての役割も期待されるようになった<ref group="注釈">小田急では1992年から「[[西伊豆フリーパス]]」の販売を開始し、小田急線内から沼津までの往路の[[特別急行券|特急券]]と乗車券をその中に組み込んでいる。</ref>。御殿場以西に関しては御殿場 - 裾野間の各駅の[[列車交換|交換設備]]の新設により、普通列車の増発も行われている<ref name="dj199003">{{Cite_journal|和書||year=1990|month=3|title=JR3月ダイヤ改正情報PART3|journal=鉄道ダイヤ情報|issue=71|pages=52-60|publisher=弘済出版社}}</ref>。1999年からは[[ワンマン運転]]が開始された。 2012年3月に実施されたダイヤ改正で「あさぎり」の御殿場 - 沼津間が廃止となり、準急・急行時代と同じく小田急による片乗り入れに戻った。またJR東日本との直通運転が廃止された。2018年3月のダイヤ改正で「あさぎり」は「ふじさん」に改称された。 === 年表 === * [[1889年]]([[明治]]22年)[[2月1日]]:国府津 - 御殿場 - 沼津( - 静岡)間が開業(国府津 - 沼津間は37[[マイル|M]]38[[チェーン (単位)|C]]≒60.31km)<ref name="a">『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 1』 JTB、1998年、155頁</ref>。現在の御殿場線にあたる区間に松田駅、山北駅、小山駅(現在の駿河小山駅)、御殿場駅、佐野駅(現在の裾野駅)、沼津駅開業<ref name="b">『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 2』 JTB、1998年、84-87頁</ref>。 * [[1891年]](明治24年) ** [[1月12日]]:御殿場 - 沼津間が複線化。 ** [[3月1日]]:小山 - 御殿場間が複線化。 * [[1896年]](明治29年) ** 御殿場 - 佐野間に神山ブロック取扱所(後に神山合図所に改称)を開設<ref name="b"/>。 ** [[4月1日]]:線路名称制定により、'''東海道線'''の一部となる。 * [[1898年]](明治31年)[[6月15日]]:三島駅(現在の下土狩駅)開業<ref name="b"/>。 * [[1900年]](明治33年)度:神山合図所を神山信号所に変更<ref name="b"/>。 * [[1901年]](明治34年) ** [[2月5日]]:国府津 - 山北間が複線化。 ** [[6月11日]]:山北 - 小山間が複線化。 * [[1902年]](明治35年)[[11月12日]]:営業距離の単位をマイル・チェーンからマイルのみに簡略化(37M38C→37.4M)<ref name="a"/>。 * [[1903年]](明治36年)[[1月20日]]:小山 - 御殿場間に足柄信号所を開設<ref name="b"/>。 * [[1907年]](明治40年)[[3月15日]]:山北 - 小山間に谷峨信号所を開設<ref name="b"/>。 * [[1909年]](明治42年)[[10月12日]]:線路名称制定により、'''東海道本線'''の一部となる<ref name="a"/>。 * [[1911年]](明治44年)[[5月1日]]:国府津 - 松田間に下曽我信号所を、御殿場 - 佐野間に富士岡信号所・岩浪信号所を開設<ref name="b"/>。神山信号所廃止<ref name="b"/>。 * [[1912年]](明治45年) ** [[7月1日]]:小山駅を駿河駅に改称<ref name="b"/>。 ** [[7月18日]]:岩浪信号所を岩波信号所に改称<ref name="b"/>。 * [[1914年]]([[大正]]3年)[[9月13日]]:駿河 - 御殿場間に竹ノ下仮信号所を開設<ref name="b"/>。 * [[1915年]](大正4年) ** [[2月15日]]:山北 - 谷峨信号所間に酒匂仮信号所(初代)を、谷峨信号所 - 駿河間に相沢仮信号所を開設<ref name="b"/>。 ** [[6月20日]]:酒匂仮信号所(初代)、相沢仮信号所廃止<ref name="b"/>。 ** [[7月10日]]:駿河 - 御殿場間に松沢仮信号所を開設<ref name="b"/>。 ** [[7月15日]]:佐野駅を裾野駅に改称<ref name="b"/>。 ** [[8月30日]]:松沢仮信号所、竹ノ下仮信号所廃止<ref name="b"/>。 * [[1916年]](大正5年) ** [[8月28日]]:酒匂仮信号所(2代目)を開設<ref name="b"/>。 ** [[11月6日]]:酒匂仮信号所(2代目)廃止<ref name="b"/>。 * [[1922年]](大正11年) ** 4月1日:信号所を信号場に変更<ref name="b"/>。 ** [[5月15日]]:下曽我信号場を駅に変更し下曽我駅開業<ref name="b"/>。 * [[1925年]](大正14年)[[4月9日]]:山北 - 谷峨信号場間に酒匂仮信号場を開設(廃止日不詳)<ref name="b"/>。 * [[1930年]]([[昭和]]5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(37.4M→60.2km)<ref name="a"/>。 * [[1934年]](昭和9年) ** [[10月1日]]:三島駅を下土狩駅に改称<ref name="b"/>。 ** [[12月1日]]:丹那トンネル開通に伴い、国府津 - 御殿場 - 沼津間 (60.2km) が'''御殿場線'''となる<ref name="a"/>。 * [[1943年]](昭和18年)[[7月11日]]:国府津 - 沼津間が単線化。 * [[1944年]](昭和19年) ** [[4月1日]]:[[決戦非常措置要綱]]に基づき、御殿場線内の列車の[[二等車]]連結が廃止される<ref>国鉄一等車、寝台車は全廃(昭和19年3月25日 朝日新聞 『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p784 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 ** [[8月1日]]:富士岡信号場を駅に変更し富士岡駅開業<ref name="b"/>。 ** [[12月8日]]:岩波信号場を駅に変更し岩波駅開業<ref name="b"/>。 * [[1946年]](昭和21年)[[1月15日]]:大岡駅開業<ref name="b"/>。 * [[1947年]](昭和22年) ** 7月15日:谷峨信号場を駅に変更し谷峨駅開業<ref name="b"/>。 ** [[9月15日]]:足柄信号場を移転・駅に変更し足柄駅開業<ref name="b"/>。 * [[1948年]](昭和23年)[[6月1日]]:上大井駅開業<ref name="b"/>。 * [[1952年]](昭和27年)[[1月1日]]:駿河駅を駿河小山駅に改称<ref name="b"/>。 * [[1955年]](昭和30年) ** [[9月1日]]:旅客列車に[[気動車]]を導入。 ** 10月1日:小田急電鉄の新松田 - 松田間の連絡線開業。新宿 - 御殿場間直通の準急運転開始。小田急電鉄はキハ5000形気動車を新造し、小田急電鉄の乗務員が全区間を通しで担当。 * [[1956年]](昭和31年)[[12月25日]]:東山北駅、相模金子駅開業<ref name="b"/>。 * [[1962年]](昭和37年)[[7月20日]]:南御殿場駅開業<ref name="b"/>。 * [[1968年]](昭和43年) ** [[4月27日]]:国府津 - 御殿場間が電化。東京 - 御殿場間の電車急行「[[東海 (列車)|ごてんば]]」運転開始。 ** 7月1日:御殿場 - 沼津間が電化<ref>{{Cite news |和書|title=御殿場線 全線電化の開通式 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1968-07-02 |page=1 }}</ref>。小田急電鉄からの乗り入れ車両がキハ5000形気動車から3000形電車「SE」に置き換えられる。 * [[1979年]](昭和54年)[[10月16日]] - [[10月18日|18日]]:[[国鉄72系電車|72系電車]]の[[さよなら運転]]実施。以後線内運転列車は[[国鉄115系電車|115系]]に置き換えられる。 * [[1982年]](昭和57年)[[11月15日]]:下曽我 - 沼津間の貨物営業を廃止<ref name="a"/><ref>{{Cite news |title=日本国有鉄道公示第166号 |newspaper=[[官報]] |date=1982-11-13 }}</ref>。 * [[1985年]](昭和60年)[[3月14日]]:急行「ごてんば」廃止。 * [[1987年]](昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道が承継<ref name="a"/>。日本貨物鉄道が全線の第二種鉄道事業者となる(下曽我 - 沼津間の貨物営業再開)<ref name="a"/>。 * [[1989年]]([[平成]]元年) ** 10月:富士岡駅と岩波駅に交換設備を新設。 ** [[12月16日]]:全線に[[列車集中制御装置]] (CTC) 導入<ref name="JR-C20th134">{{Cite|和書|title=東海旅客鉄道20年史|date=2007|publisher=東海旅客鉄道|pages=134}}</ref>。 * [[1990年]](平成2年)[[3月10日]]:[[自動進路制御装置]] (PRC) 使用開始<ref name="JR-C20th134" />。御殿場駅 - 沼津駅間の普通列車を朝20分間隔、昼夕30分間隔に増発<ref name="dj199003" />。 * [[1991年]](平成3年)[[3月16日]]:小田急電鉄からの乗り入れ急行「あさぎり」を特急へ変更<ref name="交通2001">{{Cite news |title=JR7社14年のあゆみ |newspaper=交通新聞 |publisher=交通新聞社 |date=2001-04-02 |page=9 }}</ref>、運転区間を新宿 - 沼津間に拡大してJR東海との相互乗り入れに(松田駅で乗務員を交代)。JR東海は371系電車を新造、小田急電鉄は3000形電車「SE」から20000形電車「RSE」に置き換え。 * [[1994年]](平成6年) ** [[11月27日]]:御殿場線60周年記念で[[国鉄キハ80系気動車|キハ80系気動車]]を使用した「御殿場線60周年記念号」を、沼津 - 下曽我間で運転<ref name="JR-C20th258">{{Cite|和書|title=東海旅客鉄道20年史|date=2007|publisher=東海旅客鉄道|pages=258}}</ref>。 ** [[12月4日]]:丹那トンネル開通60周年記念で[[国鉄EF58形電気機関車|EF58形]]プッシュプル+[[国鉄14系客車|14系客車]]を使用した「丹那隧道60周年記念号」を函南 - 沼津(函南→沼津→御殿場→国府津→熱海→沼津の経路)間で運転<ref name="JR-C20th258" />。 * [[1999年]](平成11年) ** 6月1日:313系の定期運用を開始。 ** 12月4日:一部列車でワンマン運転開始。 * [[2002年]](平成14年)[[9月7日]]:長泉なめり駅開業<ref>{{Cite|和書|title=東海旅客鉄道20年史|date=2007|publisher=東海旅客鉄道|pages=420}}</ref>。 * [[2004年]](平成16年) ** 10月16日:ダイヤ改正で東京駅直通列車が1往復のみとなる。 ** [[11月20日]]・[[11月21日|21日]]:御殿場線70周年記念でEF58形重連+14系客車を使用した「御殿場線70周年記念号」運転<ref>[https://web.archive.org/web/20040828013332/http://www.jr-central.co.jp/news.nsf/news/2004825-115018 「御殿場線70周年キャンペーン」の実施について](JR東海ニュースリリース・インターネットアーカイブ・2004年時点の版)。</ref><ref>{{Cite|和書|title=東海旅客鉄道20年史|date=2007|publisher=東海旅客鉄道|pages=612}}</ref>。 * [[2007年]](平成19年) ** [[2月14日]]:115系の定期運用を終了。 ** 3月16日:[[国鉄113系電車|113系]]の直通運用を終了。 ** [[3月18日]]:ダイヤ改正で上り東京行きは国府津行きに短縮され、東京からの直通は下りのみとなる<ref>JTB時刻表2007年10月号より。</ref>。 * [[2010年]](平成22年)[[3月13日]]:御殿場駅 - 沼津駅間で[[TOICA]]を導入<ref name="jrcentral20091221">{{Cite press release|和書|title=2010年3月TOICAがますます便利になります!! |publisher=東海旅客鉄道 |date=2019-12-21 |url=https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000006922.pdf |format=PDF |accessdate=2019-03-05}}</ref>。 * [[2012年]](平成24年)[[3月17日]]:特急「あさぎり」の運行区間が特急化前と同様の新宿 - 御殿場間に戻り、371系・20000形「RSE」による相互乗り入れから60000形「MSE」による片乗り入れとなる。同時に東京からの直通列車・JR東日本の車両を使用した列車がそれぞれ廃止。 * [[2018年]](平成30年) ** 3月 : [[駅ナンバリング#JR東海|駅ナンバリング]]及び[[日本の鉄道ラインカラー一覧#東海旅客鉄道(JR東海)|ラインカラー]]を導入。当路線の路線コードは「CB」、ラインカラーはダークグリーン<ref name="jrc-stationnumber">{{PDFlink|[http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000035928.pdf 【社長会見】在来線駅に駅ナンバリングを導入します ]}} - 東海旅客鉄道、2017年12月13日</ref>。 ** 3月17日:特急「あさぎり」を「ふじさん」に改称<ref>[https://news.mynavi.jp/article/20171215-557694/ 特急「あさぎり」は「ふじさん」に! 小田急&JR東海3/17ダイヤ改正] - マイナビニュース、2017年12月15日</ref>。 ** 12月2日:[[小田急トラベル]]の主催する「MSE運行10周年記念ツアー」用団体臨時列車として、[[東京メトロ千代田線]][[綾瀬駅]]発御殿場駅行き「メトロあさぎり号」を運行<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews20181023_107.pdf|title=MSE運行10周年記念ツアーを開催します。2018年12月2日(日)に「メトロあさぎり号」を限定運行|publisher=東京地下鉄|date=2018-10-23|accessdate=2018-10-24}}</ref><ref>[https://railf.jp/news/2018/12/03/172000.html 『メトロあさぎり』運転] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2018年12月3日</ref>。 * [[2019年]](平成31年)[[3月2日]]:下曽我駅 - 足柄駅間の各駅でTOICAを導入<ref name="jrcentral20181212">{{Cite press release|和書|title=「TOICA」のサービス拡充について~2019年3月2日(土)からご利用エリアを拡大します!~ |publisher=東海旅客鉄道 |date=2018-12-12 |url=http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000039002.pdf |format=PDF |accessdate=2018-12-13}}</ref>。 *[[2021年]](令和3年)3月13日:国府津駅でTOICAを導入<ref name=":0">{{Cite press release|和書|title=在来線および新幹線におけるIC定期券のサービス向上について~2021年3月13日(土)からサービスを開始します!~|publisher=東日本旅客鉄道株式会社・東海旅客鉄道株式会社・西日本旅客鉄道株式会社|date=2021-1-19|url=https://www.westjr.co.jp/press/article/2021/01/page_17229.html|format=PDF|accessdate=2021-1-19}}</ref>。 == 駅一覧 == * ◆・◇:貨物取扱駅(◇は定期貨物列車の発着なし) * 普通列車は全駅に停車する。小田急小田原線直通の特急列車については「[[ふじさん]]」を参照 * 線路(全線単線) … ◇・∨・∧:[[列車交換]]可、|:列車交換不可 * 接続路線:JR東海では乗換路線案内時に他社独自路線名称は使用せず、正式路線名で案内しており、本表でもこれに準ずる。また、駅名が異なる場合は⇒印で駅名を記す。 * [[駅ナンバリング|駅番号]]は2018年3月より導入<ref name="jrc-stationnumber"/>。 {| class="wikitable" rules="all" |- !style="width:3.5em; border-bottom:3px solid #40743c;"|駅番号 !style="width:7em; border-bottom:solid 3px #40743c"|駅名 !style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #40743c"|駅間<br>営業キロ !style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #40743c"|累計<br>営業キロ !style="width:2.5em; border-bottom:solid 3px #40743c"|標高 (m) !style="border-bottom:solid 3px #40743c" |接続路線 !style="width:1em; border-bottom:solid 3px #40743c"|{{縦書き|線路}} !style="border-bottom:solid 3px #40743c" colspan="3"|所在地 |- !CB00 |[[国府津駅]] |style="text-align:center;"| - |style="text-align:right;"|0.0 |style="text-align:right;"|20 |[[東日本旅客鉄道]]:[[file:JR_JT_line_symbol.svg|15px|JT]] [[東海道線 (JR東日本)|東海道本線]] (JT 14) |style="text-align:center"|∨ |rowspan="8" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[神奈川県]]}} |rowspan="2" colspan="2"|[[小田原市]] |- !CB01 |[[下曽我駅]]◇ |style="text-align:right;"|3.8 |style="text-align:right;"|3.8 |style="text-align:right;"|24 |&nbsp; |style="text-align:center"|◇ |- !CB02 |[[上大井駅]] |style="text-align:right;"|2.7 |style="text-align:right;"|6.5 |style="text-align:right;"|35 |&nbsp; |style="text-align:center"|◇ |rowspan="6" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[足柄上郡]]}} | rowspan="2" |[[大井町]] |- !CB03 |[[相模金子駅]] |style="text-align:right;"|1.8 |style="text-align:right;"|8.3 |style="text-align:right;"|45 |&nbsp; |style="text-align:center"|| |- !CB04 |[[松田駅]]◇ |style="text-align:right;"|1.9 |style="text-align:right;"|10.2 |style="text-align:right;"|60 | nowrap="nowrap" |[[小田急電鉄]]:[[File:Odakyu odawara.svg|15px|OH]] [[小田急小田原線|小田原線]] ⇒ [[新松田駅]] (OH41) <br />(御殿場方面から特急のみ[[新宿駅]]まで直通運転) |style="text-align:center"|◇ |[[松田町]] |- !CB05 |[[東山北駅]] |style="text-align:right;"|2.9 |style="text-align:right;"|13.1 |style="text-align:right;"|81 |&nbsp; |style="text-align:center"|| | rowspan="3" |[[山北町]] |- !CB06 |[[山北駅]] |style="text-align:right;"|2.8 |style="text-align:right;"|15.9 |style="text-align:right;"|107 |&nbsp; |style="text-align:center"|◇ |- !CB07 |[[谷峨駅]] |style="text-align:right;"|4.1 |style="text-align:right;"|20.0 |style="text-align:right;"|164 |&nbsp; |style="text-align:center"|◇ |- !CB08 |[[駿河小山駅]] |style="text-align:right;"|4.6 |style="text-align:right;"|24.6 |style="text-align:right;"|264 |&nbsp; |style="text-align:center"|◇ |rowspan="11" style="width:1em; text-align:center;"|{{縦書き|[[静岡県]]}} |rowspan="2" colspan="2"|[[駿東郡]]<br />[[小山町]] |- !CB09 |[[足柄駅 (静岡県)|足柄駅]] |style="text-align:right;"|4.3 |style="text-align:right;"|28.9 |style="text-align:right;"|330 |&nbsp; |style="text-align:center"|◇ |- !CB10 |[[御殿場駅]] |style="text-align:right;"|6.6 |style="text-align:right;"|35.5 |style="text-align:right;"|455 |&nbsp; |style="text-align:center"|◇ |rowspan="3" colspan="2"|[[御殿場市]] |- !CB11 |[[南御殿場駅]] |style="text-align:right;"|2.7 |style="text-align:right;"|38.2 |style="text-align:right;"|416 |&nbsp; |style="text-align:center"|| |- !CB12 |[[富士岡駅]] |style="text-align:right;"|2.4 |style="text-align:right;"|40.6 |style="text-align:right;"|365 |&nbsp; |style="text-align:center"|◇ |- !CB13 |[[岩波駅]] |style="text-align:right;"|4.7 |style="text-align:right;"|45.3 |style="text-align:right;"|248 |&nbsp; |style="text-align:center"|◇ |rowspan="2" colspan="2"|[[裾野市]] |- !CB14 |[[裾野駅]] |style="text-align:right;"|5.4 |style="text-align:right;"|50.7 |style="text-align:right;"|123 |&nbsp; |style="text-align:center"|◇ |- !CB15 |[[長泉なめり駅]] |style="text-align:right;"|2.8 |style="text-align:right;"|53.5 |style="text-align:right;"|76 |&nbsp; |style="text-align:center"|| |rowspan="2" colspan="2"|駿東郡<br />[[長泉町]] |- !CB16 |[[下土狩駅]] |style="text-align:right;"|2.1 |style="text-align:right;"|55.6 |style="text-align:right;"|42 |&nbsp; |style="text-align:center"|◇ |- !CB17 |[[大岡駅 (静岡県)|大岡駅]] |style="text-align:right;"|2.2 |style="text-align:right;"|57.8 |style="text-align:right;"|22 |&nbsp; |style="text-align:center"|| |rowspan="2" colspan="2"|[[沼津市]] |- !CB18 |[[沼津駅]]◆ |style="text-align:right;"|2.4 |style="text-align:right;"|60.2 |style="text-align:right;"|7 |[[東海旅客鉄道]]:{{JR海駅番号|CA}} [[東海道線 (静岡地区)|東海道本線]] (CA03) |style="text-align:center"|∧ |} * 国府津から東海道本線主要駅までの営業キロ ** 小田原 6.2km、熱海 26.9km、沼津 48.5km(御殿場線経由より11.7km短い) ** 平塚 13.9km、横浜 48.9km、東京 77.7km * 沼津から東海道本線主要駅までの営業キロ ** 三島 5.5km、熱海 21.6km(丹那トンネルを含む1934年開業の区間) ** 静岡 54.0km、名古屋 239.8km、米原 319.7km、京都 387.4km、大阪 430.2km、神戸 463.3km === 廃止信号場 === 括弧内は国府津駅起点の営業キロ。 * 酒匂仮信号所 : 1916年廃止、山北 - 谷峨間(約18.4km) * 酒匂仮信号場 : 廃止日不詳、山北 - 谷峨間(約18.7km) * 相沢仮信号所 : 1915年廃止、山北 - 谷峨間(約22.2km) * 松沢仮信号所 : 1915年廃止、駿河小山 - 足柄間(約26.4km) * 竹ノ下仮信号所 : 1915年廃止、駿河小山 - 足柄間(約28.3km) * 神山信号所 : 1911年廃止、富士岡 - 岩波間(約42.4km) === 過去の接続路線 === * 御殿場駅:[[御殿場馬車鉄道]](新橋停留場) - 1928年廃止 * 下土狩駅(当時は三島駅):[[伊豆箱根鉄道駿豆線|駿豆鉄道]] - 1934年12月1日廃止 === 新駅構想 === 裾野市内にある裾野駅・岩波駅の2駅は、いずれも[[トヨタ自動車東日本]](旧:[[関東自動車工業]])や[[キヤノン]]など大企業が裾野市北部に工場を建設したことにより、通勤客を中心に利用者が大幅に増加した。これを受け、[[1965年]](昭和40年)ごろからは両駅の中間地点にある[[深良村|深良地区]]に市内で3番目の新駅を設置(駅舎建設費用:20億円)し、新駅周辺地区17ヘクタールの開発を行う計画が浮上した<ref name="tokyo20140119">『[[東京新聞]]』2014年1月19日朝刊静岡版26頁「新駅構想はや半世紀 裾野市長選きょう告示『官民一体で着手を』」([[中日新聞東京本社]])</ref>。 期成会は[[2005年]](平成17年)に深良地区の住民5,000人を大幅に上回る21,000人の署名を集めて裾野市に提出したほか、大橋俊二市長(当時)もJR東海への陳情を行ったほか、[[2006年]](平成18年)の4期目の市長選挙で「深良地区の新駅設置に政治生命を賭けて取り組む」と表明した<ref name="tokyo20140119"/>。 JR東海は市に対し「建設に運行の支障がないこと」「地域住民の乗降客が既存の駅利用者を減らすことなく2,000人以上あること」「駅舎建設は全額地元負担であること」の3つの条件を提示したため、市は深良地区の定住人口を増加させるため宅地化などへの開発へ区画整備の検討をしているが、[[市街化調整区域]]となっている深良地区を開発するためには「[[市街化区域]]」への変更が必要である<ref name="tokyo20140119"/>。それも市の裁量だけで変更することはできず国や静岡県との調節が必要なため、[[2014年]](平成26年)時点で新駅設置に向けた開発は進んでおらず、事実上「凍結状態」にある<ref name="tokyo20140119"/>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注釈}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{cite book | 和書 | author = 今尾恵介 | title = 鉄道車窓絵図 | publisher = [[JTBパブリッシング]] | volume = 西日本編 | pages = 160-161 | year = 2010 | id = ISBN 978-4-533-07723-4 }} == 関連項目 == {{Commonscat|Gotemba Line}} * [[日本の鉄道路線一覧]] * [[線守稲荷神社]] - 当路線の建設にまつわる伝承がある。 * [[東名高速道路]] - ほぼ当路線に並行する。 == 外部リンク == * [https://traininfo.jr-central.co.jp/zairaisen/status_detail.html?line=10013&lang=ja {{JR海駅番号|CB}} 御殿場線] - JR東海 *{{Twitter|JRC_Gotemba}} * [https://www.gotembasen.net/ ごてんばせんネット] - 御殿場線利活用推進協議会 {{東海旅客鉄道の鉄道路線}} {{東海旅客鉄道静岡支社}} {{デフォルトソート:こてんは}} [[Category:関東地方の鉄道路線]] [[Category:中部地方の鉄道路線]] [[Category:東海旅客鉄道の鉄道路線]] [[Category:日本国有鉄道の鉄道路線]] [[Category:神奈川県の交通|こてんはせん]] [[Category:静岡県の交通|こてんはせん]] [[Category:御殿場線|*]]
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低水準言語
低水準言語(ていすいじゅんげんご、low-level programming language、低級言語とも)は、コンピュータ用のプログラミング言語のうち、機械語ないし機械語に近いアセンブリ言語などの言語の総称である。システムの階層構造を考えた場合に、ハードウェア寄りに位置する低レイヤ(低水準)の言語という意味である。対義語は「高水準言語」である。「高級言語」の対は「低級言語」である。実行環境のメモリの容量が少ないか、プロセッサの能力を最大限に引き出す必要がある場合に用いられる事が多い。 次のような特徴がある。
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低水準言語は、コンピュータ用のプログラミング言語のうち、機械語ないし機械語に近いアセンブリ言語などの言語の総称である。システムの階層構造を考えた場合に、ハードウェア寄りに位置する低レイヤ(低水準)の言語という意味である。対義語は「高水準言語」である。「高級言語」の対は「低級言語」である。実行環境のメモリの容量が少ないか、プロセッサの能力を最大限に引き出す必要がある場合に用いられる事が多い。 次のような特徴がある。 コンピュータにとってわかりやすい(機械語とのセマンティックギャップが少ない) 特定プラットフォーム(ハードウェア、ないしプロセッサ)に特有の処理が書ける メモリ操作、IO制御等CPUレベルの操作ができる(専ら、特権モードで動かすようなプログラムを書くのに使われる)
{{出典の明記|date=2023年12月}} '''低水準言語'''(ていすいじゅんげんご、low-level programming language、低級言語とも)は、[[コンピュータ]]用の[[プログラミング言語]]のうち、[[機械語]]ないし機械語に近い[[アセンブリ言語]]などの言語の総称である。システムの階層構造を考えた場合に、ハードウェア寄りに位置する低レイヤ(低水準)の言語という意味である。対義語は「[[高水準言語]]」である。「高級言語」の対は「低級言語」である。実行環境のメモリの容量が少ないか、プロセッサの能力を最大限に引き出す必要がある場合に用いられる事が多い。 次のような特徴がある。 *コンピュータにとってわかりやすい([[機械語]]との[[プログラム意味論|セマンティック]]ギャップが少ない) *特定[[プラットフォーム (コンピューティング)|プラットフォーム]](ハードウェア、ないし[[プロセッサ]])に特有の処理が書ける *[[メモリ操作]]、[[IO制御]]等CPUレベルの操作ができる(専ら、特権モード([[CPUモード]]の記事を参照)で動かすようなプログラムを書くのに使われる) <!-- [[C言語]]は[[オペレーティングシステム]]レベルの操作をかなり行えるので、低級言語と呼ばれることがあるが、C言語の[[ソースコード]]は機械語と1対1で対応しておらず、CPU固有の処理が記述できないので低級言語ではなく折半案として中級言語と呼ぶことがある{{要出典|date=2010年5月}}。 --><!-- アセンブラ言語以外の低級言語の例としては、[[日本電気|NEC]]の[[メインフレーム]]([[ACOS-4]])で、システム部分を記述するために使用されていた、HPLなどがあげられる。HPLでは、C言語風の記述ができるが、レジスタの指定ができたり、インラインでアセンブラコードを書けるなど、CPU固有の記述ができるのが特徴である。 --><!-- ↑HPLは High level Programming Language、すなわち、ずばり「高水準プログラミング言語」の略だそうですが、いったいどういうわけでそれを低水準言語と考えたのか? --> ==関連項目== * [[高水準言語]] * [[プログラミング言語一覧]] {{プログラミング言語の関連項目|state=uncollapsed}} {{プログラミング言語一覧}} {{Computer-stub}} {{DEFAULTSORT:ていすいしゆんけんこ}} [[Category:プログラミング言語の分類]]
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3月5日
3月5日(さんがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から64日目(閏年では65日目)にあたり、年末まであと301日ある。
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3月5日(さんがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から64日目(閏年では65日目)にあたり、年末まであと301日ある。
{{カレンダー 3月}} '''3月5日'''(さんがついつか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から64日目([[閏年]]では65日目)にあたり、年末まであと301日ある。 == できごと == [[File:Kazusa-kokubunniji-ato chuumon.JPG|thumb|180x180px|[[聖武天皇]]、[[国分寺|国分寺・国分尼寺]]建立の詔を出す(741)。画像は[[上総国分尼寺跡|上総国分尼寺]]中門(復元)。]] [[Image:Point Alpha Ostseite.jpg|thumb|180x180px| [[ウィンストン・チャーチル]]英首相、「[[鉄のカーテン]]」の演説を行う(1946)。画像は東西ドイツ国境のフェンス]] * [[363年]] - ローマ皇帝[[フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス]]が[[サーサーン朝]][[ペルシャ]]への遠征を開始。 * [[741年]]([[天平]]13年[[2月14日 (旧暦)|2月14日]]) - [[聖武天皇]]が[[国分寺|国分寺・国分尼寺]]建立の詔を出す<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.ishioka.lg.jp/jgcms/admin68311/data/doc/1470361348_doc_191_0.pdf |title=常陸国分寺 東国の大寺 |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[石岡市]] |pages=2-3 |format=[[PDF]]}}</ref>。 * [[823年]]([[弘仁]]14年[[1月19日 (旧暦)|1月19日]]) - [[空海]]が[[嵯峨天皇]]から[[東寺]]を下賜される。 * [[1770年]] - [[ボストン虐殺事件]]。 * [[1868年]]([[明治]]元年[[2月12日 (旧暦)|2月12日]]) - [[徳川慶喜]]が、朝廷への恭順の意志を示すため[[江戸城]]を出て[[寛永寺|上野寛永寺]]大慈院に蟄居、謹慎した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-harusai.com/harusai_journal/ueno_edo_5/ |title=上野で見つける江戸 第5回 寛永寺から谷中へ 江戸が面で残る希少なエリア |access-date=8 Apr 2023 |publisher=Spring Festival in Tokyo 東京・春・音楽祭 |date=1 Apr 2022}}</ref>。 * [[1872年]] - 米国でウェスティングハウスが空気ブレーキの特許を取得 * [[1876年]] - イタリアの新聞『[[コリエーレ・デラ・セラ]]』が創刊。 * [[1880年]] - [[会計検査院]]設置。 * [[1881年]] - ハワイ国王[[カラカウア]]が来日。史上初めて来日した日本国外の国家元首。 * [[1894年]] - [[アーチボルド・プリムローズ (第5代ローズベリー伯)|ローズベリー伯爵アーチボルド・プリムローズ]]がイギリスの48代首相に就任。 * [[1908年]] - [[時事新報|時事新報社]]が[[シカゴ・トリビューン]]の世界美人コンクールの日本予選として日本初の[[ミス・コンテスト|美人コンテスト]]を開催。 * [[1929年]] - [[治安維持法]]に反対していた[[山本宣治]]・元衆議院議員が[[右翼団体]]「七生義団」の[[黒田保久二]]により刺殺される。 * [[1931年]] - 東京航空輸送が実施した日本初の「エアガール」([[客室乗務員]])の採用試験結果が公表される。 * [[1932年]] - [[三井財閥]]総帥・[[團琢磨]]が[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]][[三井本館]]前で[[血盟団]]員により射殺される<ref>{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/1617 |title=ご存知ですか? 3月5日は血盟団事件、團琢磨が暗殺された日です 白昼の日本橋で起きた昭和のテロ事件 |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[文藝春秋]] |date=5 Mar 2017 |website=文春オンライン}}</ref>。 * [[1933年]] - [[1933年3月ドイツ国会選挙|ドイツ国会1933年選挙]]。[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]・[[ドイツ国家人民党|国家人民党]]の与党が過半数を獲得。 * [[1936年]] - イギリスの戦闘機[[スーパーマリン スピットファイア]]が初飛行<ref>{{Cite web |url=https://www.rafmuseum.org.uk/blog/the-first-flight-of-the-spitfire/ |title=The first flight of the Spitfire |access-date=8 Apr 2023 |publisher=The Royal Air Force Museum |date=5 March 2021}}</ref>。 * [[1938年]] - [[立正佼成会]]創立。 * [[1940年]] - [[米坂線雪崩直撃事故]]: 国鉄[[米坂線]]で荒川橋梁が雪崩に遭い橋桁が落橋。雪崩直後に通過した列車が[[荒川 (羽越)|荒川]]に転落し、乗客15名が死亡、30名が負傷した。 * [[1942年]] - [[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ]]の[[交響曲第7番 (ショスタコーヴィチ)|交響曲第7番]]が初演<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/topic/Leningrad-Symphony-No-7 |title=Leningrad Symphony No. 7 in C Major, Op. 60|symphony by Shostakovich |access-date=8 Apr 2023 |publisher=Britannica}}</ref>。 * 1942年 - 同年1月5日に組織された[[アメリカ海軍]]建設工兵隊[[シービー|Seabee]]が正式に認可され、徽章が交付される<ref>{{Cite web |url=https://www.history.navy.mil/browse-by-topic/communities/seabees1.html |title=Seabees |access-date=8 Apr 2023 |publisher=U.S. Navy |work=Naval History and Heritage Command}}</ref>。 * [[1943年]] - イギリス初のジェット戦闘機[[グロスター ミーティア]]が初飛行。 * [[1946年]] - [[ウィンストン・チャーチル]]英首相が米[[ミズーリ州]]でソ連を非難する「[[鉄のカーテン]]」の演説を行う。[[冷戦]]の始まり。 * [[1953年]] - [[スターリン暴落]]。[[ソビエト連邦|ソ連]]の最高指導者[[ヨシフ・スターリン]]の重体(実際は同日死亡)の報道により、軍需株を中心に世界中の[[株式市場]]が[[株価大暴落|暴落]]。 * 1953年 - [[日本赤十字社]]、[[日中友好協会]]、日本平和連絡会と[[中国紅十字会]]が[[北京市|北京]]で日本人居留民帰国問題に関する共同コミュニケ(北京協定)を発表し、中国大陸からの[[引揚者|引揚げ]]が再開する。 * [[1958年]] - アメリカで人工衛星[[エクスプローラー2号]]が打ち上げられるが、軌道投入に失敗。 * [[1963年]] - [[日本SF作家クラブ]]が発足する。 * [[1966年]] - [[英国海外航空機空中分解事故|BOAC機空中分解事故]]: [[英国海外航空]]911便([[ボーイング707]] G-APFE)が[[富士山_(代表的なトピック)|富士山]]上空で[[山岳波]]により空中分解。乗員・乗客124名全員が死亡した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030509_00000 |title=BOAC機 富士山に墜落 |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]]アーカイブス}}</ref>。 * [[1970年]] - [[核拡散防止条約]]が発効。 * [[1975年]] - [[豪華客船]][[クイーン・エリザベス2号]]が[[神戸港]]の[[神戸ポートターミナル|ポートターミナルQ1バース]]に日本初入港。 * [[1978年]] - [[中華人民共和国憲法]]が改正・交付される<ref>{{Cite web|和書|url=http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/30324/rhg09-4-03.pdf |title=世界の憲法制度概要 (3) |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[駒澤大学]] |format=[[PDF]] |page=4}}</ref>。 * 1978年 - アメリカの[[地球観測衛星]][[ランドサット3号]]が打ち上げられる。 * [[1979年]] - アメリカの無人惑星探査機[[ヴォイジャー1号]]が[[木星]]に最接近する。 * 1979年 - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[ズームイン!!朝!]]』が放送を開始。 * [[1981年]] - [[黒柳徹子]]の『[[窓ぎわのトットちゃん]]』が発刊。 * [[1982年]] - ソ連の金星探査機[[ベネラ14号]]が[[金星]]に到達する。 * [[1992年]] - [[市川一家4人殺害事件]]: [[千葉県]][[市川市]][[行徳]]のマンションに、当時19歳の少年が窃盗目的で侵入する。少年は翌[[3月6日|6日]]に[[逮捕 (日本法)|逮捕]]されるまでの間に、同室の住民である一家4人を殺害した。 * [[1998年]] - [[長野パラリンピック]]が開幕。[[3月14日]]まで。 * [[2006年]] - [[北九州空港|新北九州空港]]と九州本土側([[福岡県]][[苅田町]])を結ぶ新北九州空港連絡橋が開通。通行料無料の橋としては[[伊良部大橋]]に次ぐ、日本第2位の橋長2100mを誇る長大橋<ref>{{Cite web|和書|url=https://tabi-mag.jp/fu0354/ |title=新北九州空港連絡橋 |access-date=10 Sep 2023 |publisher=一般社団法人プレスマンユニオン |website=ニッポン旅マガジン}}</ref>。 * 2006年 - [[長崎市]]と[[佐世保市]]を結ぶ[[西海パールライン有料道路]]途中の新西海橋が開通。 * [[2011年]] - [[東北新幹線]]で[[新幹線E5系電車|E5系]]を使用する「[[はやぶさ (新幹線)|はやぶさ]]」が運行開始<ref>{{Cite web|和書|date=4 Dec 2014 |url=https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kikaku/kotsu/tohokushinkansen_kiroku.html |title=東北新幹線全線開業時及びE5系はやぶさデビュー時の記録 |publisher=[[青森県庁]] |accessdate=8 Apr 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=5 Mar 2011 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2788727/ |title=新幹線「はやぶさ」がデビュー |publisher=[[フランス通信社]] |accessdate=8 Apr 2023 |work=AFP BB NEWS}}</ref>。 * [[2017年]] - 長野県防災ヘリコプター「アルプス」が山岳救助訓練中に墜落。搭乗者9名全員が死亡<ref>{{Cite web|和書|date=6 Mar 2017 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG06H1W_W7A300C1000000/ |title=長野防災ヘリ墜落、死者5人に 心肺停止4人 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=8 Apr 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=6 Sep 2017 |url=https://www.sankei.com/article/20170906-R72B7QNFV5O7NKFV7QTXYJSZTQ/ |title=【長野防災ヘリ墜落】5日で半年…運航再開へ課題山積 県、来春以降に体制再構築(1/2ページ) |publisher=[[産業経済新聞]] |accessdate=8 Apr 2023}}</ref>。 * [[2019年]] - [[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第三小法廷において、[[マンション一括受電]]契約について「区分所有者が有する専有部分の電力契約に、 管理組合の総会決議の効力は及ばない。」とする判決が下される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASM34465NM34UTIL01B.html |title=マンションの全戸電気解約「義務づけられない」 最高裁 |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=5 Mar 2019}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42235220Y9A300C1CC0000/ |title=マンション電力契約変更、544分の2の「抵抗」は適法 |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=10 Mar 2019}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=88462 |title=裁判例結果詳細 平成30(受)234 |access-date=8 Apr 2023 |publisher=最高裁判所}}</ref>。 * [[2022年]] - [[栃木県]][[那須町]]にある「[[殺生石]]」が経年のひびにより2つに割れる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/561829 |title=殺生石 真っ二つ 以前からひび、自然現象か 那須 |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[下野新聞]] |date=6 Mar 2022}}</ref>。 == 誕生日 == === 人物 === [[Image:Gerardus Mercator.jpg|thumb|213x213px|[[メルカトル図法]]で知られる[[地理学者]]、[[ゲラルドゥス・メルカトル]](1512-1594)誕生]] {{multiple image | caption1 = [[シュワルツ超函数|超関数]]の理論を構築した[[数学者]]、[[ローラン・シュヴァルツ]](1915-2002) | image1 = LaurentSchwartz.jpg | width1 = 90 | alt1 = ローラン・シュヴァルツ | caption2 = [[中華人民共和国]]首相[[周恩来]](1898-1976)。画像は若き日の周(1919) | image2 = Premier Zhou 1919.jpg | width2 = 90 | alt2 = 周恩来 }} * [[1324年]] - [[デイヴィッド2世 (スコットランド王)|デイヴィッド2世]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]国王(+ [[1371年]]) * [[1512年]] - [[ジェラール・メルカトル]]、[[地理学者]](+ [[1594年]]) * [[1574年]] - [[ウィリアム・オートレッド]]、[[数学者]](+ [[1660年]]) * [[1696年]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ]]、[[画家]](+ [[1770年]]) * [[1740年]]([[元文]]5年2月8日) - [[片桐貞芳]]、[[小泉藩|小泉藩主]](+ [[1805年]]) * [[1750年]]([[寛延]]3年1月27日) - [[朽木昌綱]]、[[福知山藩|福知山藩主]](+ [[1802年]]) * [[1794年]] - [[ジャック・バビネ]]、[[物理学者]](+ [[1872年]]) * [[1811年]]([[文化 (元号)|文化]]8年2月11日) - [[松平斉承]]、[[福井藩|福井藩主]](+ [[1835年]]) * [[1817年]] - [[オースティン・ヘンリー・レヤード]]、[[考古学者]]、[[外交官]](+ [[1894年]]) * [[1819年]]([[文政]]2年2月10日) - [[毛利敬親]]、[[長州藩|長州藩主]](+ [[1871年]]) * [[1830年]] - [[エティエンヌ=ジュール・マレー]]、[[生理学者]](+ [[1904年]]) * [[1840年]]([[天保]]11年2月2日) - [[織田信民]]、[[柏原藩|柏原藩主]](+ [[1865年]]) * [[1860年]] - [[サム・トンプソン]]、[[プロ野球選手]](+ [[1922年]]) * [[1863年]]([[文久]]3年1月16日) - [[阪谷芳郎]]、[[財政家]](+ [[1941年]]) * [[1871年]] - [[ローザ・ルクセンブルク]]、[[革命家]](+ [[1919年]]) * [[1879年]] - [[ウィリアム・ベヴァリッジ]]、[[経済学者]](+ [[1963年]]) * [[1883年]] - [[塩沢幸一]]、[[海軍軍人]](+ [[1943年]]) * [[1887年]] - [[エイトル・ヴィラ=ロボス]]、[[作曲家]](+ [[1959年]]) * [[1896年]] - [[鈴木康文]]、[[歌人]](+ [[1997年]]) * [[1897年]] - [[宋美齢]]、[[政治家]]、[[蔣介石]]の妻(+ [[2003年]]) * [[1898年]] - [[周恩来]]、政治家、初代[[国務院総理]](+ [[1976年]]) * 1898年 - [[大川ミサヲ]]、[[長寿|最高齢女性]](+ [[2015年]]) * [[1901年]] - [[橋本登美三郎]]、政治家(+ [[1989年]]) * 1901年 - [[渋沢智雄]]、実業家(+ [[1947年]]) * [[1904年]] - [[水谷準]]、[[推理作家]]、[[編集者]](+ [[2001年]]) * 1904年 - [[アレクセイ・コスイギン]]、政治家(+ [[1980年]]) * 1904年 - [[カール・ラーナー]]、[[神学者]](+ [[1984年]]) * [[1906年]] - [[田中清玄]]、政治運動家(+ [[1993年]]) * 1906年 - [[中山素平]]、[[実業家]](+ [[2005年]]) * [[1908年]] - [[レックス・ハリソン]]、[[俳優]](+ [[1990年]]) * [[1909年]] - [[小夜福子]]、[[俳優|女優]]([[宝塚歌劇団]])(+ [[1989年]]) * [[1910年]] - [[安藤百福]]、[[日清食品]]創業者(+ [[2007年]]) * 1910年 - [[植草圭之助]]、[[脚本家]]、[[小説家]](+ [[1993年]]) * 1910年 - [[エンニオ・フライアーノ]]、[[作家]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1972年]]) * [[1913年]] - [[榊米一郎]]、[[工学者]](+ [[2014年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2404W_V20C14A2CC0000/?s=5 |title=榊米一郎氏が死去 豊橋技術科学大初代学長 |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=25 Feb 2014}}</ref>) * [[1915年]] - [[ローラン・シュヴァルツ]]、[[数学者]](+ [[2002年]]) * [[1916年]] - [[会田雄次]]、[[評論家]](+ [[1997年]]) * 1916年 - [[晝間弘]]、[[彫刻家]](+ [[1984年]]) * 1916年 - [[古屋茂]]、数学者(+ [[1996年]]) * [[1918年]] - [[林忠彦]]、[[写真家]](+ [[1990年]]) * 1918年 - [[中村真一郎]]、[[詩人]]、小説家(+ 1997年) * 1918年 - [[ジェームズ・トービン]]、[[経済学者]](+ 2002年) * [[1922年]] - [[ピエル・パオロ・パゾリーニ]]、[[映画監督]](+ [[1975年]]) * [[1926年]] - [[江崎正義]]、元プロ野球選手 * [[1931年]] - [[大津守]]、プロ野球選手(+ [[2007年]]) * 1931年 - [[本山剛]]、銀行家(+ [[2001年]]) * [[1932年]] - 2代目[[露の五郎兵衛]]、[[上方噺家]]、大阪にわかの仁輪加師(+ [[2009年]]) * [[1934年]] - [[ダニエル・カーネマン]]、[[心理学者]]、[[行動経済学|行動経済学者]] * [[1936年]] - [[安原達佳]]、プロ野球選手(+ [[2015年]]) * 1936年 - [[轡田隆史]]、[[ジャーナリスト]](+ [[2022年]]) * 1936年 - [[カナーン・バナナ]]、初代[[ジンバブエの大統領|ジンバブエ大統領]](+ [[2003年]]) * 1936年 - [[ディーン・ストックウェル]]、俳優(+ [[2021年]]) * [[1937年]] - [[オルシェグン・オバサンジョ]]、政治家 * [[1938年]] - [[中島誠之助]]、[[陶磁器]]鑑定家 * 1938年 - [[リン・マーギュリス]]、[[生物学者の一覧|生物学者]] (+ [[2011年]]) * [[1939年]] - [[城戸則文]]、元プロ野球選手 * [[1940年]] - [[藤木孝]]、俳優、[[歌手]] (+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASN9N5HSGN9NUCVL003.html |title=俳優の藤木孝さん、自宅で死亡 「新選組!」などで活躍 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=20 Sep 2020 |accessdate=8 Apr 2023}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/09/20/kiji/20200920s00041000205000c.html |title=俳優・藤木孝さん死去 80歳 大河ドラマ「太平記」「新選組!」に出演 |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex |date=20 Sep 2020}}</ref>) * 1941年 - [[谷克二]]、[[小説家]] * 1941年 - [[森光正吉]]、元プロ野球選手 * [[1942年]] - [[フェリペ・ゴンサレス]]、政治家 * 1942年 - [[マイク・レズニック]]、[[SF作家]] (+ [[2020年]]) * [[1944年]] - [[松尾佳子]]、[[声優]] * [[1945年]] - [[大杉勝男]]、プロ野球選手(+ [[1992年]]) * [[1947年]] - [[栗原はるみ]]、[[料理研究家]] * 1947年 - [[湯原昌幸]]、歌手、俳優 * 1947年 - [[ケント・テカルヴ]]、元プロ野球選手 * [[1948年]] - [[花山多佳子]]、[[歌人]] * 1948年 - [[エレイン・ペイジ]]、[[ミュージカル]]女優、歌手 * [[1949年]] - [[ベルナール・アルノー]]、[[実業家]] * [[1950年]] - [[大橋照子]]、[[アナウンサー]] * [[1951年]] - [[阿曽沼慎司]]、[[官僚]] * 1951年 - [[町田公雄]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[榊原るみ]]、女優 * [[1952年]] - [[山下大輔]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]] * 1952年 - [[ロビン・ホブ]]、[[ファンタジー作家]] * 1952年 -[[渋沢田鶴子]]、[[福祉学]]者 * [[1953年]] - [[マイケル・サンデル]]、[[政治哲学|政治哲学者]] * 1953年 - [[安田隆行]]、[[調教師]] * 1953年 - [[守岡茂樹]]、元プロ野球選手 * [[1954年]] - [[吉永泰之]]、実業家 * [[1956年]] - [[山本隆造]]、プロ野球選手(+ [[2012年]]) * [[1959年]] - [[北条司]]、[[漫画家]] * 1959年 - [[大月隆寛]]、[[民俗学|民俗学者]] * [[1960年]] - [[成田美名子]]、漫画家 * 1960年 - [[内田順久]]、[[アニメ監督]] * [[1961年]] - [[安藤ありさ]]、声優 * [[1962年]] - [[笹井芳樹]]、[[医学者]](+ [[2014年]]) * [[1966年]] - [[上野ゆい]]、[[タレント]]、[[フリーアナウンサー]] * [[1967年]] - [[佐宗綾子]]、作曲家 * 1967年 - [[福田達夫]]、政治家 * [[1968年]] - [[広永益隆]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[板谷祐三子]]、女優 * 1968年 - [[松岡由美]]、女優 * 1968年 - [[バイナイ・ゴルドン]]、政治家、[[ハンガリーの首相|ハンガリー首相]] * 1968年 - [[アンブロセ・マンドゥロ・ドラミニ]]、[[政治家]]、[[実業家]](+ [[2020年]]) * [[1970年]] - [[渡瀬悠宇]]、漫画家 * 1970年 - [[桂三若]]、落語家 * 1970年 - [[貝瀬典子]]、[[アイドル]] * 1970年 - [[ジョン・フルシアンテ]]、ミュージシャン([[レッド・ホット・チリ・ペッパーズ]]) * [[1971年]] - [[ユーリ・ローエンタール]]、声優 * 1971年 - [[原西孝幸]]、お笑いタレント([[FUJIWARA]]) * [[1972年]] - [[熊川哲也]]、[[バレエ]]ダンサー * 1972年 - [[菊間千乃]]、[[弁護士]]、元アナウンサー * 1972年 - [[青山高治]]、アナウンサー * 1972年 - [[松島茂]]、アナウンサー(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASN2S6JFSN2SUCLV00F.html |title=文化放送アナウンサーの松島茂さん死去 五輪実況を担当 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=24 Feb 2022 |accessdate=8 Apr 2023}}</ref>) * [[1973年]] - [[フェリペ・クレスポ]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[ライアン・フランクリン]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[阿部英俊]]、[[騎手]] * [[1974年]] - [[イェンス・イェレミース]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]] * 1974年 - [[エヴァ・メンデス]]、女優 * [[1975年]] - [[Asami]]、[[歌手]] * 1975年 - サットン、MC(元[[大田クルー]]) * [[1976年]] - [[瓜生正義]]、競艇選手 * 1976年 - [[シャルーナス・ヤシケヴィチュス]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]] * 1976年 - [[戸田麻衣子]]、女優 * 1976年 - [[宮口治子]]、政治家、元アナウンサー * 1976年 - [[山本禎顕]]、俳優 * [[1977年]] - [[柿沢安耶]]、[[パティシエ]] * [[1978年]] - [[B・N・F]]、投資家 * 1978年 - [[マイク・ヘスマン]]、元プロ野球選手 * [[1979年]] - [[野田正義]]、元[[野球選手]] * 1979年 - [[春山香代子]]、元[[プロレスラー]] * [[1980年]] - [[神宮司治]]、ミュージシャン([[レミオロメン]]) * 1980年 - [[安井佑輝]]、ミュージシャン(元[[CHARCOAL FILTER]]) * 1980年 - [[山田まりや]]、タレント * 1980年 - [[陳坤 (野球)|陳坤]]、元野球選手 * 1980年 - [[アレクセイ・ワシレフスキー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1980年]] - [[逢川まさき]]、[[演歌歌手]] * [[1981年]] - [[忍成修吾]]、俳優 * 1981年 - [[MANAMI]]、[[格闘家]] * 1981年 - [[フランシスリー・ブエノ]]、プロ野球選手 * [[1982年]] - [[柩 (ミュージシャン)|柩]]、ミュージシャン([[ナイトメア (バンド)|ナイトメア]]) * 1982年 - [[小岩智子]]、元アナウンサー * 1982年 - [[ハ・ソクジン]]、俳優 * 1982年 - [[潘威倫]]、プロ野球選手 * 1982年 - [[ダニエル・カーター]]、ラグビー選手 * [[1983年]] - [[佐藤まい]]、[[ヌードモデル]]、[[グラビアアイドル]]、元[[AV女優]] * 1983年 - [[佐久間仁]]、ミュージカル俳優 * [[1985年]] - [[松山ケンイチ]]、俳優 * 1985年 - [[ブラッド・ミルズ (投手)|ブラッド・ミルズ]]、プロ野球選手 * [[1986年]] - [[引田香織]]、歌手 * 1986年 - [[ジョエル・ワトソン]]、フィギュアスケート選手 * 1986年 - [[ジェイク・アリエータ]]、プロ野球選手 * [[1987年]] - [[アンナ・チャクベタゼ]]、[[テニス選手]] * 1987年 - [[川内優輝]]、陸上競技選手 * [[1988年]] - [[ヨバナ・ブラコチェビッチ]]、[[バレーボール]]選手 * 1988年 - [[本田正重]]、騎手 * 1988年 - [[相田紗耶香]]、AV女優 * [[1989年]] - [[ジェイク・ロイド]]、俳優 * 1989年 - [[永井謙佑]]、サッカー選手 * 1990年 - [[松尾篤]]、サッカー選手 * [[1990年]] - [[マティアス・キブルツ]]、[[オリエンテーリング]]選手 * 1990年 - [[アラナ・ブランチャード]]、サーファー * [[1991年]] - [[rionos]]、[[シンガーソングライター]]、[[作曲家]] * 1991年 - [[吉野七宝実]]、グラビアアイドル * 1991年 - [[西村禮]]、グラビアアイドル * [[1992年]] - [[ルーベン・ブロマールト]]、フィギュアスケート選手 * 1992年 - [[清水みさと]]、女優 * [[1993年]] - [[後藤駿太]]、プロ野球選手 * 1993年 - [[高橋佑汰]]、[[空手家]] * [[1994年]] - [[エクトル・メンドーサ]]、プロ野球選手 * [[1995年]] - [[志尊淳]]、俳優([[D2 (ワタナベエンターテインメント)|D2]]) * [[1996年]] - [[遠野ひかる]]、声優 * 1996年 - [[テイラー・マリー・ヒル]]、ファッションモデル * 1996年 - [[エマニュエル・ムディエイ]]、バスケットボール選手 * [[1997年]] - [[今田美桜]]、女優 * 1997年 - [[後藤彩 (アイドル)|後藤彩]]、元アイドル([[SUPER☆GiRLS]]) * 1997年 - 今田美奈、アイドル(元[[HKT48]]) * 1997年 - [[矢野妃菜喜]]、声優([[虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会]])、歌手(DUSTY FRUITS CLUB)、元アイドル(元うたたねこ歌劇団、元[[私立恵比寿中学]]) * [[1998年]] - [[セキユウティン]]、プロゴルファー * [[1999年]] - [[ゆうた (コムドット)|ゆうた]]、[[YouTuber]] ([[コムドット]]) * 1999年 - [[橘二葉]]、アイドル([[東京パフォーマンスドール]]) * 1999年 - [[鈴木絢音]]、アイドル([[乃木坂46]]) * 1999年 - [[中野小次郎]]、サッカー選手 * 1999年 - [[佐伯智恵]]、競輪選手 * 1999年 - キム・イェリム、アイドル ([[Red Velvet]]) * [[2000年]] - [[橘美來]]、声優 * [[2002年]] - [[荒木菜那]]、フィギュアスケーター * [[2003年]] - 大槻拓也、俳優、タレント([[BUDDiiS]]) * [[2004年]] - [[小野光希]]、スノーボード選手 === 人物以外(動物など) === * [[1930年]] - [[カブトヤマ]]、[[競走馬]](+ [[1951年]]) * [[1939年]] - [[サンチャリオット]]、競走馬(+ [[1963年]]) * [[1977年]] - [[オペックホース]]、競走馬(+ [[2005年]]) * 1977年 - [[サクラシンゲキ]]、競走馬(+ [[1994年]]) * [[1985年]] - [[キャロルハウス]]、競走馬 * [[1989年]] - [[ライスシャワー]]、競走馬(+ [[1995年]]) * [[1998年]] - [[マンハッタンカフェ]]、[[種牡馬]]、競走馬(+ [[2015年]]) * [[2002年]] - [[シックスセンス (競走馬)|シックスセンス]]、競走馬(+ [[2010年]]) * [[2004年]] - [[アストンマーチャン]]、競走馬(+ [[2008年]]) * 2004年 - [[アンパサンド (競走馬)|アンパサンド]]、競走馬 * [[2009年]] - [[ヴィルシーナ]]、競走馬 * [[2010年]] - [[キズナ (競走馬)|キズナ]]、競走馬 == 忌日 == [[Image:Cupola Duomo Parma Correggio.jpg|thumb|240x240px|[[ルネサンス]]の画家[[コレッジョ]](1489?-1534)没。画像は[[パルマ大聖堂 (イタリア)|パルマ大聖堂]]の天井画『[[聖母の被昇天]]』(1526-1530)]] [[Image:Alessandro Volta.jpeg|thumb|222x222px|[[電圧]]の単位[[ボルト (単位)|ボルト]]に名を残す物理学者[[アレッサンドロ・ボルタ]](1745-1827)没]] === 人物 === * [[1534年]] - [[コレッジョ]]、[[画家]](* [[1489年]]頃) * [[1535年]] - [[ロレンツォ・コスタ]]、画家(* [[1460年]]) * [[1611年]]([[慶長]]16年[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]) - [[島津義久]]、[[戦国大名]](* [[1533年]]) * [[1633年]]([[寛永]]10年[[1月25日 (旧暦)|1月25日]]) - [[佐竹義宣 (右京大夫)|佐竹義宣]]、[[武将]]、[[大名]](* [[1570年]]) * [[1778年]] - [[トマス・アーン]]、[[作曲家]](* [[1710年]]) * [[1802年]]([[享和]]2年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]) - [[市野上浅右エ門]]、[[力士]](* [[1767年]]) * [[1815年]] - [[フランツ・アントン・メスメル]]、[[医学|医学者]](* [[1734年]]) * [[1827年]] - [[ピエール=シモン・ラプラス]]、[[数学者]](* [[1749年]]) * 1827年 - [[アレッサンドロ・ボルタ]]、[[物理学者]](* [[1745年]]) * [[1829年]] - [[ジョン・アダムズ (バウンティ号)|ジョン・アダムズ]]、[[バウンティ号の反乱]]メンバーの一員(* [[1766年]]) * [[1876年]] - [[マリー・ダグー]]、作家、[[ジャーナリスト]](* [[1805年]]) * 1876年 - [[フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ]]、[[オペラ]]台本作家(* [[1810年]]) * [[1893年]] - [[イポリット・テーヌ]]、[[哲学者]](* [[1828年]]) * [[1895年]] - [[ヘンリー・ローリンソン (初代準男爵)|ヘンリー・ローリンソン]]、[[楔形文字]]を解読(* [[1810年]]) * 1895年 - [[ニコライ・レスコフ]]、作家 (* [[1831年]]) * [[1897年]] - [[デーブ・ファウツ]]、[[プロ野球選手]](* [[1856年]]) * [[1904年]] - [[アルフレート・フォン・ヴァルダーゼー]]、[[ドイツ陸軍]][[参謀本部|参謀総長]](* [[1832年]]) * [[1906年]] - [[壬生基修]]、[[東京都知事一覧|東京府知事]]、[[貴族院 (日本)|貴族院議員]](* [[1835年]]) * [[1917年]] - [[マヌエル・デ・アリアガ]]、初代[[ポルトガルの大統領|ポルトガル大統領]](* [[1840年]]) * [[1918年]] - [[藤岡市助]]、[[技術者]]、[[実業家]](* [[1857年]]) * [[1919年]] - [[福岡孝弟]]、[[土佐藩]][[家老]]、[[文部卿]]、[[枢密院 (日本)|枢密顧問官]](* [[1835年]]) * [[1929年]] - [[山本宣治]]、政治家、生物学者(* [[1889年]]) * [[1932年]] - [[團琢磨]]、[[実業家]](* [[1858年]]) * [[1937年]] - [[和田重次郎]]、[[探検家]](* [[1875年]]) * [[1940年]] - [[蔡元培]]、教育家(* [[1868年]]) * [[1941年]] - [[ドミトリー・パヴロヴィチ]]大公、[[ロシア帝国]]の皇族(* [[1891年]]) * [[1944年]] - [[コンスタン・モンタルド]]、[[美術家]](* [[1862年]]) * [[1947年]] - [[アルフレード・カゼッラ]]、作曲家(* [[1883年]]) * [[1953年]] - [[ヨシフ・スターリン]]、ソビエト指導者(* [[1879年]]) * 1953年 - [[セルゲイ・プロコフィエフ]]、作曲家(* [[1891年]]) * [[1954年]] - [[岸田國士]]、[[劇作家]]、[[小説家]](* [[1890年]]) * [[1955年]] - [[金光庸夫]]、[[政治家]](* [[1877年]]) * 1955年 - [[フェルナン・ポワン]]、[[フランス料理]]の[[シェフ]](* [[1897年]]) * [[1965年]] - [[若林忠志]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督]](* [[1908年]]) * [[1966年]] - [[アンナ・アフマートヴァ]]、[[詩人]](* 1889年) * [[1967年]] - [[モハンマド・モサッデク]]、[[イランの首相の一覧|イラン首相]](* [[1882年]]) * [[1973年]] - [[パウル・クレツキ]]、[[指揮者]](* [[1900年]]) * [[1977年]] - [[トム・プライス]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(* [[1949年]]) * [[1978年]] - [[東久邇聡子]]、[[明治天皇]]第9皇女(* [[1896年]]) * [[1980年]] - [[ヴィニフレート・ヴァーグナー]]、[[バイロイト音楽祭]]主宰者(* [[1897年]]) * [[1982年]] - [[ジョン・ベルーシ]]、[[俳優]](* [[1949年]]) * 1982年 - [[平良幸市]]、[[政治家]](* [[1909年]]) * [[1984年]] - [[ティート・ゴッビ]]、[[バリトン]]歌手(* [[1913年]]) * [[1988年]] - [[池田鴻]]、俳優、[[アニメソング]]歌手(* [[1939年]]) * [[1990年]] - [[エトムント・コーネン]]、[[サッカー選手]](* [[1914年]]) * 1990年 - [[ゲイリー・メリル]]、俳優(* [[1915年]]) * 1990年 - [[ウィリアム・A・ウィリアムズ]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1921年]]) * [[1993年]] - [[ハンス・クリスチャン・ブレヒ]]、俳優(* 1915年) * [[1999年]] - [[リチャード・カイリー]]、俳優(* [[1922年]]) * 1999年 - [[石橋一弥]]、[[政治家]](* 1922年) * [[2003年]] - [[徳永康元]]、[[ハンガリー]]文学者(* [[1912年]]) * [[2005年]] - [[セルジュ・コミッショーナ]]、指揮者(* [[1928年]]) * 2005年 - [[和田崇]]、[[アニメーター]](* [[1966年]]) * [[2006年]] - [[岡田正勝]]、[[政治家]](* [[1922年]]) * [[2008年]] - [[ジョセフ・ワイゼンバウム]]、[[情報工学|情報工学者]](* [[1923年]]) * [[2009年]] - [[山根俊英]]、元プロ野球選手(* [[1928年]]) * [[2013年]] - [[納谷悟朗]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/gossip/obituaries/2013/03/12/0005807848.shtml |title=あばよ銭形のとっつあん納谷悟朗さん死去 |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[デイリースポーツ]] |date=12 Mar 2012}}</ref>、[[声優]]、[[俳優]](* [[1929年]]) * 2013年 - [[ウゴ・チャベス]]、[[ベネズエラの大統領|ベネズエラ大統領]](* [[1954年]]) * [[2014年]] - [[矢入一男]]、[[ギター]]職人(* [[1932年]]) * [[2016年]] - [[ニコラウス・アーノンクール]]、指揮者(* [[1929年]]) * 2016年 - [[レイ・トムリンソン]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3079453?cx_part=txt_topstory |title=電子メール発明のレイ・トムリンソン氏死去 74歳 |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[フランス通信社]] |date=7 Mar 2016 |website=AFP BB News}}</ref>、プログラマ(* [[1941年]]) * [[2022年]] - [[志垣太郎]]、[[俳優]](* [[1951年]]) === 人物以外(動物など) === * [[1978年]] - [[テンポイント]]、[[競走馬]](* [[1973年]]) == 記念日・年中行事 == [[File:Missworld09air.jpg|thumb|180px|[[ミス・コンテスト]]の日。画像は2009年の[[ミス・ワールド]]、Kaiane Aldorino]] * [[啓蟄]]({{JPN}} 2009年・2012年・2013年・2016年・2017年・2020年・2021年・2022年) *: [[二十四節気]]の1つ。太陽の黄経が345度の時で、大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。 * [[サンゴ]]の日({{JPN}}) *: [[世界自然保護基金|世界自然保護基金ジャパン]](WWFジャパン)が[[1996年]]に制定。「さん(3)ご(5)」の[[語呂合わせ]]と、サンゴが3月の[[誕生石]]であることから<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.wwf.or.jp/activities/eventreport/1797.html |title=石垣島サンゴウィーク2012が始まりました! |publisher=WWFジャパン |date=6 Mar 2012 |accessdate=8 Apr 2023}}</ref>。 * [[ミス・コンテスト]]の日({{JPN}}) *: [[シカゴ・トリビューン]]の依頼により[[時事新報]]が「世界美人コンクール」の日本予選として行った「良家の淑女」写真コンテストの入賞者を[[1908年]]のこの日に掲載したのが日本のミス・コンテストの始まりとされていることから。 * [[客室乗務員|スチュワーデス]]の日({{JPN}}) *: [[東京航空輸送社]]が[[1931年]]3月5日に実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果がこの日に発表されたことから。 * [[巫女 (サブカルチャー)|巫女]]の日({{JPN}}) *: 「み(3)こ(5)」の語呂合わせから生まれたネット上でのイベントで、主に巫女を題材の中心とする[[萌え絵師|絵師]]がその日に合わせてイラストを発表する。 * [[雷鋒]]に学ぶ日({{CHN}}) *: [[1963年]]3月5日に[[毛沢東]]が「雷鋒同志に学ぼう」運動として開始。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0305|date=2023年4月}} * 1947年(昭和22年)- 椿英輔[[子爵]]の失踪を[[朝刊]]が報じる。(小説『[[悪魔が来りて笛を吹く]]』第1章) * 約束の日 - [[ペルソナ3]] === 誕生日(フィクション) === * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]27年 - マーヴェル・フローズン、ゲーム『[[スターオーシャン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=38|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * [[1981年]] - 大崎ナナ、漫画・アニメ・映画『[[NANA]]』の主人公<ref>{{Twitter status|nanahachinokoto|970320714275237889}}</ref> * 生年不明 - 麻衣マチコ、漫画・アニメ『[[まいっちんぐマチコ先生]]』の主人公<ref>{{Twitter status|machiko_stage|970480144333733888}}</ref> * 生年不明 - 八女ゆかな、漫画・アニメ『[[はじめてのギャル]]』のヒロイン<ref>{{Cite web|和書|url=http://hajimete-no-gal.jp/character/ |title=CHARACTER 八女 ゆかな |publisher=植野メグル/[[KADOKAWA]]/「はじギャル」製作委員会 |accessdate=8 Apr 2023 |work=『はじめてのギャル』}}</ref> * 生年不明 - 喜多川海夢、漫画・アニメ『[[その着せ替え人形は恋をする]]』のヒロイン<ref>{{Twitter status|kisekoi_anime|1499761824329179143}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://bisquedoll-anime.com/special/birthday0305/ |title=HAPPY BIRTHDAY 海夢! 3月5日は喜多川海夢の誕生日! |publisher=[[福田晋一]]/[[SQUARE ENIX]] ·「着せ恋」製作委員会 |accessdate=8 Apr 2023 |work=『その着せ替え人形は恋をする』}}</ref> * 生年不明 - 岸本薫、漫画・アニメ『[[ヒカルの碁]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=ヒカルの碁 碁ジャス キャラクターズガイド |date=9 Apr 2002 |publisher=[[集英社]] |page=118 |author=[[ほったゆみ]] |author2=[[小畑健|小畑 健]] |author3=[[梅沢由香里]]([[日本棋院]]) |isbn=4-08-873278-2}}</ref> * 生年不明 - サディちゃん、ゲーム『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Ms_Sadie.html |title=サディちゃん |access-date= 8 Apr 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - 幸村精市、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenipuri_staff|1235219710666592258}}</ref> * 生年不明 - 薬師ノノウ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|970313159348236289}}</ref> * 生年不明 - パンダ、漫画・アニメ『[[呪術廻戦]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|jujutsu_pr|1499927679272849408}}</ref> * 生年不明 - 大戸島さんご、漫画・アニメ『[[究極超人あ〜る]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=究極超人あ~る|date=|year=1987|publisher=小学館|author=ゆうきまさみ|page=90|volume=7巻|isbn=4-09-121417-7}}</ref> * 生年不明 - 上原塔子、漫画・アニメ『[[sola (久弥直樹・七尾奈留)|sola]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 三村統、小説・アニメ『[[2.43 清陰高校男子バレー部]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|243anime|1367490016017006592}}</ref> * 生年不明 - 皆城乙姫、アニメ『[[蒼穹のファフナー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 堰代ミコ、[[バーチャルYouTuber|バーチャルユーチューバー]]<ref>{{Twitter status|mico_hnst|1235218556800753664}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=2nrZuZEOgP0 |title=【3D配信】ミコのお誕生日会💚【堰代ミコ / ハニスト】 |work=[[YouTube]] |accessdate=8 Apr 2023}}</ref> * 生年不明 - 千歳さとみ、ゲーム・小説・漫画・CDドラマ『[[お嬢様特急]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 益田西守歌、ゲーム・アニメ『[[Φなる・あぷろーち|Φ(ふぁい)なる・あぷろーち]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 小関麗奈、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20063 |title=小関 麗奈(こせき れいな) |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER™』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - ヒナタ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=126&cate=name&cont=Hinata |title=ヒナタ |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - コライユ、ゲーム・アニメ・小説・漫画『夢王国と眠れる100人の王子様』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=62&cate=name&cont=Corail |title=コライユ |access-date=8 Apr 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 葵ひなた、ゲーム・漫画・アニメ『[[あんさんぶるスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/aoi_hinata/ |title=葵 ひなた |accessdate= 8 Apr 2023 |work=『あんさんぶるスターズ!!』 |publisher=[[Happy Elements]]}}</ref> * 生年不明 - 葵ゆうた、ゲーム・漫画・アニメ『あんさんぶるスターズ!』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ensemble-stars.jp/characters/aoi_yuta/ |title=葵 ゆうた |accessdate= 8 Apr 2023 |work=『あんさんぶるスターズ!!』 |publisher=[[Happy Elements]]}}</ref> * 生年不明 - ライスシャワー、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=riceshower |title=ライスシャワー |publisher=[[Cygames|Cygames, Inc.]] |accessdate=24 Dec 2023 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref> * 生年不明 - マンハッタンカフェ、ゲーム・アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=manhattancafe |title=マンハッタンカフェ |publisher=[[Cygames|Cygames, Inc.]] |accessdate=24 Dec 2023 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref> * 生年不明 - アストンマーチャン、ゲーム・アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=astonmachan |title=アストンマーチャン |publisher=[[Cygames|Cygames, Inc.]] |accessdate=24 Dec 2023 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref> * 生年不明 - ヴィルシーナ、ゲーム・アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=verxina |title=ヴィルシーナ |access-date=24 Dec 2023 |publisher=[[Cygames|Cygames, Inc.]] |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref> === 忌日(フィクション) === * 2005年 - エリー・オズワルド、『[[ドクター・フー]]』に登場するキャラクター == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commons&cat|March 5|5 March}} {{新暦365日|3|4|3|6|[[2月5日]]|[[4月5日]]|[[3月5日 (旧暦)|3月5日]]|0305|3|05}} {{1年の月と日}}
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アセンブラ、アセンブラー アセンブリ言語の処理系 分子アセンブラ - ナノテクノロジーに関するK・エリック・ドレクスラーの用語 漫画『Compiler』のキャラクター
'''アセンブラ'''、'''アセンブラー''' * [[アセンブリ言語]]の処理系 * [[分子アセンブラ]] - ナノテクノロジーに関する[[K・エリック・ドレクスラー]]の用語 * 漫画『[[Compiler]]』のキャラクター ==関連項目== * [[アセンブリ]] {{aimai}} {{DEFAULTSORT:あせんふら}}
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アセンブリ言語
■カテゴリ / ■テンプレート アセンブリ言語(アセンブリげんご、英: assembly language、アセンブリ)はビット列命令に対応した文字列命令を利用する低水準プログラミング言語の総称である。 アセンブラ(英: Assembler)またはアセンブラ言語(英: Assembler Language)とも呼ばれる。 プロセッサは機械語プログラムを直接読み取り実行する。しかし人間にとってビット列は直観的に理解しづらいため、機械語コーディングは容易でない。これを解決するために、ビット列に対応する文字列命令(ニーモニック)を利用するプログラミング言語の総称がアセンブリ言語である。 アセンブリ言語を用いることで、機械語相当の低水準なコードをより直観的に記述できる。高度なアセンブリ言語ではアセンブラに対する命令(疑似命令)やマクロを用いて、より抽象的な記述が可能である。パイプライン処理などを最適化するために命令順序を入れ替えたり、ラベルの位置関係によってアドレッシングモードを最適化するアセンブラもあり、必ずしもソーステキストの記述とアセンブルの結果が直接対応するとは限らない。 アセンブリ言語は機械語と強く結びついているため、各プロセッサ向けに仕様の異なる様々な(具体的な)アセンブリ言語が存在する(「アセンブリ言語」は総称である)。同じ命令セットに対しても複数のアセンブリ言語が存在しうる(例: GNUアセンブラのgasのインテルプロセッサ用)。 アセンブリ言語の基本文法として、1つの命令は1つのニーモニックと0個以上のオペランドからなる。プログラム全体はニーモニック/オペランド列、ディレクティブや擬似命令と呼ばれるメタな文、コメント、データで構成されている。通常の文はオペコードのニーモニックで始まり、パラメータ(データ、引数)のリストがそれに続く。多くのアセンブリ言語はオペランドのアドレスや定数をラベル・シンボルで記述できハードコーディングを避けられる。 アセンブラの開発者によって用語の使い方に大きな差異があり、文の分類などが異なる。例えば、マシンのニーモニックや拡張ニーモニック以外は全て擬似命令と呼ぶ場合もある。典型的なアセンブリ言語は、プログラムの操作の定義に使われる命令文をニーモニック、データセクション、アセンブリディレクティブの3種類に分類する。 ニーモニック(英: mnemonic)は処理内容に応じて各機械語命令に与えられた文字列・命令語である。機械語のオペコードに相当する。 ビット列である機械語はその処理が直観的にわからないため、機械語コーディングは容易でない。人間がより容易に機械語と同等なコードを書くため、ビット列を意味ある文字列で表現するニーモニックが発明された。例えばX64機械語 0x05 は「整数の加算」を意味するのでニーモニック ADD を対応させる。個々の機械語命令には少なくとも1つのニーモニックが対応する。 拡張ニーモニックは命令の特殊な用途をサポートするのに使われることが多く、本来の命令の名称からはその用途が連想できないときに使うことが多い。例えば、多くのCPUは明示的にNOP命令を用意していないが、その用途に使える命令は存在する。8086ではxchg ax,axという命令がnopとして使えるので、アセンブリ言語でnopを記述すると xchg ax,ax という命令に変換される。逆アセンブラにもこのあたりを認識し、xchg ax,axをnopに変換するものがある。同様にIBMのSystem/360とSystem/370のアセンブラでは、拡張ニーモニックNOPとNOPRを使用し、それぞれBCとBCRのマスク0の命令に変換する。SPARCアーキテクチャでは、拡張ニーモニックをsynthetic instructionsと呼んでいる。 命令は一般に「オペコード」と0以上の「オペランド」で構成される。多くの命令は1つまたは2つの値を参照する。オペランドには即値(命令内に置かれる値)、レジスタ(暗黙のうちに使用される場合もある)、記憶装置内のデータの位置を示すアドレスなどがある。「拡張ニーモニック」はオペコードと特定オペランドの組合せを表すのに使われることが多い。例えば、System/360では、BC命令にマスク15を組み合わせたものがB、BC命令にマスク0を組み合わせたものがNOPという拡張ニーモニックで表される。オペランドの順序(例: ソースとディスティネーションの前後)は言語に依る。 オペランド(英: operand、被演算子)は命令の対象・引数である。1つの命令では、ニーモニックに続き0個以上のオペランドが記述される。オペランドにはソースとデスティネーションの二種類があり、データとして読み取られるのがソースで、オペコードで示された命令の実行結果が格納されるのがデスティネーションである。ソースには定数・レジスタ・メモリのいずれか、デスティネーションにはレジスタ・メモリのいずれかを指定する。 データと変数を保持するデータ要素を定義するのに使われる命令文がある。データの型、長さ、境界(アライメント)を定義する。また、そのデータがプログラム外部(別ファイルでアセンブルされたプログラム)からも利用可能なのか、それともデータセクションを定義したプログラム内でのみ使用可能なのかも定義できる。一部のアセンブラはこれを擬似命令に分類している。 アセンブリディレクティブは、擬似命令とも呼ばれ、アセンブラがアセンブリ実施中に実行すべき命令となっている。プログラマが入力するパラメータによって、異なった形でアセンブルが行われるよう指示することができる。また、プログラムの見た目を操作して、可読性と保守性を向上させるのにも使われる。例えば、記憶装置の領域を予約し、その初期内容を指定するディレクティブなどがある。ディレクティブの名称はドットで始まることが多く、それによって通常のニーモニックと区別している。 擬似オペコード(pseudo-opcode)と言った場合、オブジェクトコードを実際に生成するディレクティブのみを指すこともある。 シンボリックアセンブラでは、任意の名前(ラベルまたはシンボル)とメモリ位置を対応付けることができる。通常、定数や変数に名前をつけることができ、命令文ではそれらの位置を名前で参照できる。実行コードではサブルーチンのエントリポイントと名前を関連付け、サブルーチンを名前で呼び出すことができる。サブルーチン内では、分岐命令の分岐先をラベルで示すことができる。一部のアセンブラは「ローカルシンボル」をサポートしており、通常のシンボルとは語彙的に区別する(例えば、"10$"を分岐先に使用する、など)。 一部のアセンブラは柔軟なシンボル管理を提供しており、複数の名前空間を管理したり、データ構造内のオフセットを自動的に計算したり、リテラル値やアセンブラが実施した単純な計算結果を参照するラベルを割り当てたりすることができる。ラベルは定数や変数をリロケータブルなアドレスで初期化するのにも使える。 x86/IA-32プロセッサにおいて8ビット即値をレジスタに入れる命令を例にとる。 この命令のバイナリコードは 10110 で、その後に3ビットのレジスタを指定する識別子が続く。AL レジスタの識別子は 000 なので、次に示す機械語は AL レジスタに 01100001 というデータをロードする。 このバイナリコードを人間が読みやすいように十六進法で表現すると次のようになる。 ここで、B0は「ALに後続の値をコピーする」ことを意味し、61は01100001を十六進法で表したもの(十進法では97)である。インテルのアセンブリ言語では、この種の命令に MOV というニーモニックを割り当てており、セミコロン以下に説明的コメントを添えたアセンブリ言語での表現は次のようになる。 この場合、定数61Hがソース、レジスタALがデスティネーションに該当し、命令が実行されると、定数61Hが、レジスタALに単純に格納される。これが人間にとってはさらに読みやすく覚えやすい。 前述のインテルの MOV のようにデータの転送の多くを同一の命令あるいはニーモニックとする場合もあれば、データのコピー/移動の方向などによって別々の命令あるいはニーモニックとする場合もある(「メモリからレジスタへの移動」を L、「レジスタからメモリへの移動」を ST、「レジスタからレジスタへの移動」を LR、「即値をメモリへ移動」を MVI など)。(この段落では命令セットの設計の話とアセンブリ言語の話を一緒にしている) インテルのオペコード 10110000(B0)は8ビットの値を AL レジスタにコピーするが、10110001(B1)はCLレジスタにコピーし、10110010(B2)は DL レジスタにコピーする。これらをアセンブリ言語で表現すると次のようになる。 MOVの構文には次の例のようにさらに複雑なものもある。 MOVというニーモニックを使った文は、その内容によってアセンブラが88-8E、A0-A3、B0-B8、C6、C7のいずれかのオペコードに変換するので、プログラマはオペコードを知る必要がないし、オペコードを覚える必要もない。 アセンブリ言語は低水準プログラミング言語であり、C言語などの高級言語より抽象度が低い。すなわち言語機能(構文や型)が少ない。次の表は「基本的なアセンブリ言語」と高級言語の間にある言語機能差である。 この差はあくまで言語機能の差である。「高級言語でのみ可能、アセンブリ言語では不可」という意味ではない。例えばアセンブリ言語に関数構文は存在しないが関数に相当するパターンが存在する(関数プロローグ・エピローグ(英語版))。より正確な言い方をすれば、アセンブラで頻出するパターンを1つの機能として言語仕様に組み込んで抽象度を上げていった言語が高級言語である。 より抽象化され少ないコード量でアセンブラを書くために様々な高水準文法がアセンブリ言語に導入されてきた。現在では高水準化のメインストリームは高級言語に移った一方、目的に応じてアセンブリ言語を選択するユーザー向けに高機能なアセンブリ言語の開発も続いている。 アセンブリ言語においてもマクロが利用される。一般的なマクロと同様、高度なアセンブラマクロでは制御構文導入・引数展開・ユーザー定義マクロ適用などが可能である。文字列であるオペコード・ニーモニックはマクロの対象となるため、これを利用して疑似ニーモニックによる記述も可能になる。 例えば、一部のZ80用アセンブラでは、ld hl,bc というマクロ命令を ld l,c と ld h,b という2命令に展開する。メインフレームの時代には、マクロは特定顧客の大規模ソフトウェアシステムのカスタマイズや、メーカーのオペレーティングシステムを顧客の要望に合わせた特注版にするのに使われていた。IBMの VM/CMS、リアルタイムトランザクション処理用アドオン、CICS、ACP(英語版)/TPFなどで使われてきた。 構造化プログラミングの要素を取り入れたアセンブラもある。最初期には "Concept-14 macro set" がSystem/360のマクロアセンブラにIF/ELSE/ENDIFなどの制御構造を導入した。また8080/Z80プロセッサ向けの A-natural ではブロック構造や命令実行順序の制御が採用された。 また構造化プログラミングとは若干異なるが、キャリーラボはBASIC風の文法のアセンブリ言語 BASE を開発した。Z80用のBASE-80とMC6809用のBASE-09がある。BASEの表記例は下記の通り(BASE-09)。 上記の記述は下記のアセンブラ表記に対応する。 アセンブル(英: assemble)はアセンブリ言語で書かれたプログラムから機械語で書かれたオブジェクトコードへの変換である。具体的には、ニーモニックをオペコードに変換しシンボル名をメモリ位置や他の実体に変換する。 アセンブルは比較的単純な規則からなるため、人の手でも実行できる(ハンドアセンブル)。単純な作業を効率良くミス無く行うのはプログラムの得意分野であり、そのようなソフトウェアが開発された。このアセンブリをおこなうプログラムをアセンブラ(英: assembler)という。初期にはアセンブリプログラムとも呼ばれた。 シンボル名による参照の利用はアセンブラの重要な機能であり、面倒な計算やプログラム修正に伴うアドレスの更新の手間を省くことができる。。また、オブジェクトコードを生成する際、ローダ用情報も併せて生成するアセンブラもある。マクロを含むアセンブリ言語に対応している場合、処理系にはm4のような汎用プロセッサあるいはプロセッサ内蔵アセンブラ(マクロアセンブラ)が利用される。ポリモーフィズム、継承などをもつ高水準アセンブリ言語に対応したアセンブラは高水準アセンブラ(英語版)と呼ばれる。 動作プラットフォーム以外のターゲットプラットフォームを選択できるアセンブラはクロスアセンブラとも呼ばれる(参考: クロスコンパイラ)。メタアセンブラは、アセンブリ言語の文法や意味論を記述したものを入力とし、その言語のためのアセンブラを出力するプログラムである。 逆方向の変換、すなわちオブジェクトコードのアセンブリ言語化をおこなうプログラムを逆アセンブラという。 アセンブラは様々な観点から分類できる。パス回数(アセンブル時のソースファイル走査回数)の観点ではワンパスアセンブラとマルチパスアセンブラに分類できる。 ソースコードを1回だけパスするアセンブラ。定義される前にシンボルが使われているとオブジェクトコードの最後に "errata" を置く必要があり、リンカまたはローダが未定義シンボルが使われていた位置にあるプレースホルダーを書き換える。あるいは、未定義なシンボルを使用するとエラーになる。 最初のパスで全シンボルとその値の表を作成し、その表を使ってその後のパスでコードを生成する。 どちらの場合も、アセンブラは最初のパスで各命令のサイズを確定させる必要があり、それによって後に出現するシンボルのアドレスを計算する。命令のサイズは後から定義されるオペランドの型や距離に依存することがあるため、アセンブラは最初のパスでは悲観的な見積もりをし、必要に応じてその後のパスまたは errata にて1つ以上のNOP命令(何もしない命令)を挿入してすき間を埋める必要がある。最適化を行うアセンブラでは、最初の悲観的コードをその後のパスで稠密なコードに書き換えてアドレスの再計算を行うことがある。 もともとワンパスアセンブラは高速であるためよく使われていた。マルチパス動作をするには、磁気テープを巻き戻したりパンチカードのデッキをセットし直して読み込む必要があったためである。現代のコンピュータではマルチパスであってもそのような遅延は生じない。マルチパスアセンブラは errata がないため、リンク処理(アセンブラが直接実行コードを生成する場合はローダの処理)が高速化される。 Unix系システムでは、アセンブラを as と呼ぶのが一般的だが、実体はそれぞれのOSで異なる。GNUアセンブラを使っているものが多い。 同じ系統のプロセッサであっても、複数のアセンブリ言語の方言が存在する。アセンブラによっては他の方言のアセンブリ言語も使用可能な場合がある。例えば、TASMはMASM用コードを入力として受け付け可能だが、逆は不可能である。FASM(英語版)とNASMは文法がほぼ同じだが、サポートしているマクロが異なるため、相互の翻訳は困難である。いずれも基本機能は同じだが、追加機能に差異がある。 アセンブリ言語は、ごく単純なものまで含めれば、プログラム内蔵方式のコンピュータの最初期の1940年代から存在している。世界で最初に実用的に稼働したノイマン型電子計算機とされるEDSAC (1949) の initial orders(現代の用語ではブートローダーに相当するもの)は、テープにパンチされた十進によるアドレスを、内部表現の二進に変換するなどの機能を持っていた(命令については、「1文字のニーモニック」に見えるかもしれないが、それは実際には同機の機械語そのものである)。ナサニエル・ロチェスターは1954年に IBM 701 用アセンブラを書いている。1955年、Stan Poley が IBM 650 用言語アセンブリSOAP (Symbolic Optimal Assembly Program) を開発した。 コンピュータの歴史の初期には、このような、プログラムによって機械語プログラムを生成することを自動プログラミングと呼んだ。 ドナルド・ギリースは、まだ発明されていなかったアセンブラを開発中に、フォン・ノイマンから開発を即座に止めるように言われた、という1950年代初期ならではの逸話がある。当時は、人間が手作業でもできるような瑣末な仕事をコンピュータにさせるような時代が来るとは考えられておらず、単に時間の無駄だとノイマンは考えたのである。 歴史的には多数のプログラム(OSやアプリケーション)がアセンブリ言語だけで書かれてきた。ALGOLの方言であるESPOLで書かれた Burroughs MCP (1961) が登場するまで、オペレーティングシステムはアセンブリ言語で書くのが普通だった。IBMのメインフレーム用ソフトウェアの多くはアセンブリ言語で書かれていた。COBOL、FORTRAN、PL/I などが取って代わっていったが、1990年代になってもアセンブリ言語のコードベースを保守し続けていた大企業も少なくない。 初期のマイクロコンピュータでも同様に広く用いられた。これは、リソースの制約が厳しく、メモリやディスプレイのアーキテクチャが特殊だったからである。また、マイクロコンピュータ向けの高水準言語のコンパイラがなかったという面も重要である。また、初期のマイクロコンピュータのユーザは趣味としての使用が主であり、何でも自前で作るという精神もそれに影響していたと見られる。 1980年代から1990年代にかけて、ホームコンピュータ(ZX Spectrum、コモドール64、Amiga、Atari ST など)でもアセンブリ言語がよく使われていた。というのもそれらのBASICは性能が低く、ハードウェアの全機能を利用できないことが多かったためである。例えば、Amigaにはフリーウェアのアセンブリ言語統合開発環境 ASM-One assembler があり、Microsoft Visual Studio に匹敵する機能を備えていた。 Don French が開発した VIC-20 用アセンブラは 1,639 バイトという小ささで、世界一小さいアセンブラと言われている。アドレスをシンボルで表現でき、各種アドレス計算(四則演算、AND、OR、冪乗など)が可能だった。 1980年代のビジネスソフトでは、例えば表計算ソフト Lotus 1-2-3 などはアセンブリ言語で書かれていた。日本では松などが該当する。 1990年代に入っても、コンシューマーゲームの多くはアセンブリ言語でプログラムが書かれていた。しかしゲーム内容が複雑化し、プログラムの規模が増大するにつれて、アセンブラでは開発が困難となり、高水準言語による開発が主流となっていった。例えばプレイステーションではGCCが公式のSDKに含まれていて、標準の開発言語はC言語であった。この時代のゲーム機は3次元コンピュータグラフィックスの積極的な導入が始まっており、ハードウェア性能も向上したことから、C言語による開発も十分可能となったが、コンパイラの最適化能力が未成熟だったこともあいまって、ハードウェア性能を最大限引き出すにはアセンブリ言語を駆使した手動最適化や細かなチューニングが必要となることも多かった。セガサターンの最高性能を引き出してプレイステーションに対抗するには、アセンブリ言語を使うしかなかったと述べていた業界関係者もいた。ただし一方で、ファミコン時代すでにメタルスレイダーグローリーやスーパーファミコンのMOTHER 2・シムシティ、プレイステーションのクラッシュ・バンディクーで、開発の一部にLISPが使われていたという話もあり、当時のコンシューマーゲームの分野ではアセンブリ言語やC言語が全てだったというわけではない。 2000年代初頭、マイクロソフトは原始的なプログラマブルシェーダーに対応したDirectX (Direct3D) 8.0をリリースした。このDirect3D 8.0におけるシェーダープログラムは、グラフィックスハードウェアに依存しない中間言語(バイトコード)を出力することのできるアセンブリ言語(シェーダーアセンブラ)を使用して記述するものだった。2001年には世界で初めてプログラマブルシェーダーに対応したコンシューマーゲーム機として初代Xboxが登場したが、このXboxに搭載されていたグラフィックスAPIもDirect3D 8.x相当のカスタマイズ版であり、CPU上で実行するホストプログラム(ゲームアプリケーション本体のコード)はC++を使って記述する一方、GPU上で実行するシェーダープログラムの記述にはアセンブラを使用していた。のちにHLSLやCg (C for Graphics) といった高水準シェーディング言語が開発され、HLSLに対応したDirect3D 9.0以降はシェーダープログラムも高水準言語を利用して記述するようになった。Direct3D 10のシェーダーモデル4.0以降は、シェーダーアセンブラではなくHLSLの使用が必須となっている。 現在の最適化コンパイラは人手で書かれたアセンブリ言語のコードと同等の性能を発揮すると言われている(例外もある)。最近のプロセッサやメモリサブシステムは複雑化してきたため、コンパイラでもアセンブリ言語でも効果的な最適化がますます困難になってきている。さらにプロセッサが高性能化し律速が入出力やページングへ移ることで、コーディングが性能向上に貢献するケースは以前より少なくなっている。 一方C++やC#のような、Cよりもさらに高水準の言語が主流になってからも、コンパイラが出力したアセンブリコードを解析して最適化やチューニングの余地を探るといった手法は一般的に行なわれている。 低水準言語であるアセンブラはC言語などの高級言語と異なる領域で利用される。 アセンブラを用いる目的として以下が挙げられる。 アセンブリ言語が用いられる事例として以下が挙げられる。 なお一方で、最近のコンピュータの命令セットはその多くはどれも似ている。したがって、どれか1つのアセンブリ言語を学ぶだけで、基本概念、どんなときにアセンブリ言語を使用するのが適しているか、高水準言語から効率的な実行コードを生成する方法をある程度は学習できる。
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"基本文法" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "データと変数を保持するデータ要素を定義するのに使われる命令文がある。データの型、長さ、境界(アライメント)を定義する。また、そのデータがプログラム外部(別ファイルでアセンブルされたプログラム)からも利用可能なのか、それともデータセクションを定義したプログラム内でのみ使用可能なのかも定義できる。一部のアセンブラはこれを擬似命令に分類している。", "title": "基本文法" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "アセンブリディレクティブは、擬似命令とも呼ばれ、アセンブラがアセンブリ実施中に実行すべき命令となっている。プログラマが入力するパラメータによって、異なった形でアセンブルが行われるよう指示することができる。また、プログラムの見た目を操作して、可読性と保守性を向上させるのにも使われる。例えば、記憶装置の領域を予約し、その初期内容を指定するディレクティブなどがある。ディレクティブの名称はドットで始まることが多く、それによって通常のニーモニックと区別している。", "title": "基本文法" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "擬似オペコード(pseudo-opcode)と言った場合、オブジェクトコードを実際に生成するディレクティブのみを指すこともある。", "title": "基本文法" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "シンボリックアセンブラでは、任意の名前(ラベルまたはシンボル)とメモリ位置を対応付けることができる。通常、定数や変数に名前をつけることができ、命令文ではそれらの位置を名前で参照できる。実行コードではサブルーチンのエントリポイントと名前を関連付け、サブルーチンを名前で呼び出すことができる。サブルーチン内では、分岐命令の分岐先をラベルで示すことができる。一部のアセンブラは「ローカルシンボル」をサポートしており、通常のシンボルとは語彙的に区別する(例えば、\"10$\"を分岐先に使用する、など)。", "title": "基本文法" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "一部のアセンブラは柔軟なシンボル管理を提供しており、複数の名前空間を管理したり、データ構造内のオフセットを自動的に計算したり、リテラル値やアセンブラが実施した単純な計算結果を参照するラベルを割り当てたりすることができる。ラベルは定数や変数をリロケータブルなアドレスで初期化するのにも使える。", "title": "基本文法" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "x86/IA-32プロセッサにおいて8ビット即値をレジスタに入れる命令を例にとる。", "title": "例" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "この命令のバイナリコードは 10110 で、その後に3ビットのレジスタを指定する識別子が続く。AL レジスタの識別子は 000 なので、次に示す機械語は AL レジスタに 01100001 というデータをロードする。", "title": "例" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "このバイナリコードを人間が読みやすいように十六進法で表現すると次のようになる。", "title": "例" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ここで、B0は「ALに後続の値をコピーする」ことを意味し、61は01100001を十六進法で表したもの(十進法では97)である。インテルのアセンブリ言語では、この種の命令に MOV というニーモニックを割り当てており、セミコロン以下に説明的コメントを添えたアセンブリ言語での表現は次のようになる。", "title": "例" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "この場合、定数61Hがソース、レジスタALがデスティネーションに該当し、命令が実行されると、定数61Hが、レジスタALに単純に格納される。これが人間にとってはさらに読みやすく覚えやすい。", "title": "例" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "前述のインテルの MOV のようにデータの転送の多くを同一の命令あるいはニーモニックとする場合もあれば、データのコピー/移動の方向などによって別々の命令あるいはニーモニックとする場合もある(「メモリからレジスタへの移動」を L、「レジスタからメモリへの移動」を ST、「レジスタからレジスタへの移動」を LR、「即値をメモリへ移動」を MVI など)。(この段落では命令セットの設計の話とアセンブリ言語の話を一緒にしている)", "title": "例" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "インテルのオペコード 10110000(B0)は8ビットの値を AL レジスタにコピーするが、10110001(B1)はCLレジスタにコピーし、10110010(B2)は DL レジスタにコピーする。これらをアセンブリ言語で表現すると次のようになる。", "title": "例" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "MOVの構文には次の例のようにさらに複雑なものもある。", "title": "例" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "MOVというニーモニックを使った文は、その内容によってアセンブラが88-8E、A0-A3、B0-B8、C6、C7のいずれかのオペコードに変換するので、プログラマはオペコードを知る必要がないし、オペコードを覚える必要もない。", "title": "例" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "アセンブリ言語は低水準プログラミング言語であり、C言語などの高級言語より抽象度が低い。すなわち言語機能(構文や型)が少ない。次の表は「基本的なアセンブリ言語」と高級言語の間にある言語機能差である。", "title": "高級言語との違い" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "この差はあくまで言語機能の差である。「高級言語でのみ可能、アセンブリ言語では不可」という意味ではない。例えばアセンブリ言語に関数構文は存在しないが関数に相当するパターンが存在する(関数プロローグ・エピローグ(英語版))。より正確な言い方をすれば、アセンブラで頻出するパターンを1つの機能として言語仕様に組み込んで抽象度を上げていった言語が高級言語である。", "title": "高級言語との違い" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "より抽象化され少ないコード量でアセンブラを書くために様々な高水準文法がアセンブリ言語に導入されてきた。現在では高水準化のメインストリームは高級言語に移った一方、目的に応じてアセンブリ言語を選択するユーザー向けに高機能なアセンブリ言語の開発も続いている。", "title": "高水準文法" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "アセンブリ言語においてもマクロが利用される。一般的なマクロと同様、高度なアセンブラマクロでは制御構文導入・引数展開・ユーザー定義マクロ適用などが可能である。文字列であるオペコード・ニーモニックはマクロの対象となるため、これを利用して疑似ニーモニックによる記述も可能になる。", "title": "高水準文法" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "例えば、一部のZ80用アセンブラでは、ld hl,bc というマクロ命令を ld l,c と ld h,b という2命令に展開する。メインフレームの時代には、マクロは特定顧客の大規模ソフトウェアシステムのカスタマイズや、メーカーのオペレーティングシステムを顧客の要望に合わせた特注版にするのに使われていた。IBMの VM/CMS、リアルタイムトランザクション処理用アドオン、CICS、ACP(英語版)/TPFなどで使われてきた。", "title": "高水準文法" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "構造化プログラミングの要素を取り入れたアセンブラもある。最初期には \"Concept-14 macro set\" がSystem/360のマクロアセンブラにIF/ELSE/ENDIFなどの制御構造を導入した。また8080/Z80プロセッサ向けの A-natural ではブロック構造や命令実行順序の制御が採用された。", "title": "高水準文法" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "また構造化プログラミングとは若干異なるが、キャリーラボはBASIC風の文法のアセンブリ言語 BASE を開発した。Z80用のBASE-80とMC6809用のBASE-09がある。BASEの表記例は下記の通り(BASE-09)。", "title": "高水準文法" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "上記の記述は下記のアセンブラ表記に対応する。", "title": "高水準文法" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "アセンブル(英: assemble)はアセンブリ言語で書かれたプログラムから機械語で書かれたオブジェクトコードへの変換である。具体的には、ニーモニックをオペコードに変換しシンボル名をメモリ位置や他の実体に変換する。", "title": "アセンブラ" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "アセンブルは比較的単純な規則からなるため、人の手でも実行できる(ハンドアセンブル)。単純な作業を効率良くミス無く行うのはプログラムの得意分野であり、そのようなソフトウェアが開発された。このアセンブリをおこなうプログラムをアセンブラ(英: assembler)という。初期にはアセンブリプログラムとも呼ばれた。", "title": "アセンブラ" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "シンボル名による参照の利用はアセンブラの重要な機能であり、面倒な計算やプログラム修正に伴うアドレスの更新の手間を省くことができる。。また、オブジェクトコードを生成する際、ローダ用情報も併せて生成するアセンブラもある。マクロを含むアセンブリ言語に対応している場合、処理系にはm4のような汎用プロセッサあるいはプロセッサ内蔵アセンブラ(マクロアセンブラ)が利用される。ポリモーフィズム、継承などをもつ高水準アセンブリ言語に対応したアセンブラは高水準アセンブラ(英語版)と呼ばれる。", "title": "アセンブラ" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "動作プラットフォーム以外のターゲットプラットフォームを選択できるアセンブラはクロスアセンブラとも呼ばれる(参考: クロスコンパイラ)。メタアセンブラは、アセンブリ言語の文法や意味論を記述したものを入力とし、その言語のためのアセンブラを出力するプログラムである。", "title": "アセンブラ" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "逆方向の変換、すなわちオブジェクトコードのアセンブリ言語化をおこなうプログラムを逆アセンブラという。", "title": "アセンブラ" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "アセンブラは様々な観点から分類できる。パス回数(アセンブル時のソースファイル走査回数)の観点ではワンパスアセンブラとマルチパスアセンブラに分類できる。", "title": "アセンブラ" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ソースコードを1回だけパスするアセンブラ。定義される前にシンボルが使われているとオブジェクトコードの最後に \"errata\" を置く必要があり、リンカまたはローダが未定義シンボルが使われていた位置にあるプレースホルダーを書き換える。あるいは、未定義なシンボルを使用するとエラーになる。", "title": "アセンブラ" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "最初のパスで全シンボルとその値の表を作成し、その表を使ってその後のパスでコードを生成する。", "title": "アセンブラ" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "どちらの場合も、アセンブラは最初のパスで各命令のサイズを確定させる必要があり、それによって後に出現するシンボルのアドレスを計算する。命令のサイズは後から定義されるオペランドの型や距離に依存することがあるため、アセンブラは最初のパスでは悲観的な見積もりをし、必要に応じてその後のパスまたは errata にて1つ以上のNOP命令(何もしない命令)を挿入してすき間を埋める必要がある。最適化を行うアセンブラでは、最初の悲観的コードをその後のパスで稠密なコードに書き換えてアドレスの再計算を行うことがある。", "title": "アセンブラ" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "もともとワンパスアセンブラは高速であるためよく使われていた。マルチパス動作をするには、磁気テープを巻き戻したりパンチカードのデッキをセットし直して読み込む必要があったためである。現代のコンピュータではマルチパスであってもそのような遅延は生じない。マルチパスアセンブラは errata がないため、リンク処理(アセンブラが直接実行コードを生成する場合はローダの処理)が高速化される。", "title": "アセンブラ" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "Unix系システムでは、アセンブラを as と呼ぶのが一般的だが、実体はそれぞれのOSで異なる。GNUアセンブラを使っているものが多い。", "title": "アセンブラ" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "同じ系統のプロセッサであっても、複数のアセンブリ言語の方言が存在する。アセンブラによっては他の方言のアセンブリ言語も使用可能な場合がある。例えば、TASMはMASM用コードを入力として受け付け可能だが、逆は不可能である。FASM(英語版)とNASMは文法がほぼ同じだが、サポートしているマクロが異なるため、相互の翻訳は困難である。いずれも基本機能は同じだが、追加機能に差異がある。", "title": "アセンブラ" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "アセンブリ言語は、ごく単純なものまで含めれば、プログラム内蔵方式のコンピュータの最初期の1940年代から存在している。世界で最初に実用的に稼働したノイマン型電子計算機とされるEDSAC (1949) の initial orders(現代の用語ではブートローダーに相当するもの)は、テープにパンチされた十進によるアドレスを、内部表現の二進に変換するなどの機能を持っていた(命令については、「1文字のニーモニック」に見えるかもしれないが、それは実際には同機の機械語そのものである)。ナサニエル・ロチェスターは1954年に IBM 701 用アセンブラを書いている。1955年、Stan Poley が IBM 650 用言語アセンブリSOAP (Symbolic Optimal Assembly Program) を開発した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "コンピュータの歴史の初期には、このような、プログラムによって機械語プログラムを生成することを自動プログラミングと呼んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ドナルド・ギリースは、まだ発明されていなかったアセンブラを開発中に、フォン・ノイマンから開発を即座に止めるように言われた、という1950年代初期ならではの逸話がある。当時は、人間が手作業でもできるような瑣末な仕事をコンピュータにさせるような時代が来るとは考えられておらず、単に時間の無駄だとノイマンは考えたのである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "歴史的には多数のプログラム(OSやアプリケーション)がアセンブリ言語だけで書かれてきた。ALGOLの方言であるESPOLで書かれた Burroughs MCP (1961) が登場するまで、オペレーティングシステムはアセンブリ言語で書くのが普通だった。IBMのメインフレーム用ソフトウェアの多くはアセンブリ言語で書かれていた。COBOL、FORTRAN、PL/I などが取って代わっていったが、1990年代になってもアセンブリ言語のコードベースを保守し続けていた大企業も少なくない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "初期のマイクロコンピュータでも同様に広く用いられた。これは、リソースの制約が厳しく、メモリやディスプレイのアーキテクチャが特殊だったからである。また、マイクロコンピュータ向けの高水準言語のコンパイラがなかったという面も重要である。また、初期のマイクロコンピュータのユーザは趣味としての使用が主であり、何でも自前で作るという精神もそれに影響していたと見られる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "1980年代から1990年代にかけて、ホームコンピュータ(ZX Spectrum、コモドール64、Amiga、Atari ST など)でもアセンブリ言語がよく使われていた。というのもそれらのBASICは性能が低く、ハードウェアの全機能を利用できないことが多かったためである。例えば、Amigaにはフリーウェアのアセンブリ言語統合開発環境 ASM-One assembler があり、Microsoft Visual Studio に匹敵する機能を備えていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "Don French が開発した VIC-20 用アセンブラは 1,639 バイトという小ささで、世界一小さいアセンブラと言われている。アドレスをシンボルで表現でき、各種アドレス計算(四則演算、AND、OR、冪乗など)が可能だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "1980年代のビジネスソフトでは、例えば表計算ソフト Lotus 1-2-3 などはアセンブリ言語で書かれていた。日本では松などが該当する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "1990年代に入っても、コンシューマーゲームの多くはアセンブリ言語でプログラムが書かれていた。しかしゲーム内容が複雑化し、プログラムの規模が増大するにつれて、アセンブラでは開発が困難となり、高水準言語による開発が主流となっていった。例えばプレイステーションではGCCが公式のSDKに含まれていて、標準の開発言語はC言語であった。この時代のゲーム機は3次元コンピュータグラフィックスの積極的な導入が始まっており、ハードウェア性能も向上したことから、C言語による開発も十分可能となったが、コンパイラの最適化能力が未成熟だったこともあいまって、ハードウェア性能を最大限引き出すにはアセンブリ言語を駆使した手動最適化や細かなチューニングが必要となることも多かった。セガサターンの最高性能を引き出してプレイステーションに対抗するには、アセンブリ言語を使うしかなかったと述べていた業界関係者もいた。ただし一方で、ファミコン時代すでにメタルスレイダーグローリーやスーパーファミコンのMOTHER 2・シムシティ、プレイステーションのクラッシュ・バンディクーで、開発の一部にLISPが使われていたという話もあり、当時のコンシューマーゲームの分野ではアセンブリ言語やC言語が全てだったというわけではない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "2000年代初頭、マイクロソフトは原始的なプログラマブルシェーダーに対応したDirectX (Direct3D) 8.0をリリースした。このDirect3D 8.0におけるシェーダープログラムは、グラフィックスハードウェアに依存しない中間言語(バイトコード)を出力することのできるアセンブリ言語(シェーダーアセンブラ)を使用して記述するものだった。2001年には世界で初めてプログラマブルシェーダーに対応したコンシューマーゲーム機として初代Xboxが登場したが、このXboxに搭載されていたグラフィックスAPIもDirect3D 8.x相当のカスタマイズ版であり、CPU上で実行するホストプログラム(ゲームアプリケーション本体のコード)はC++を使って記述する一方、GPU上で実行するシェーダープログラムの記述にはアセンブラを使用していた。のちにHLSLやCg (C for Graphics) といった高水準シェーディング言語が開発され、HLSLに対応したDirect3D 9.0以降はシェーダープログラムも高水準言語を利用して記述するようになった。Direct3D 10のシェーダーモデル4.0以降は、シェーダーアセンブラではなくHLSLの使用が必須となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "現在の最適化コンパイラは人手で書かれたアセンブリ言語のコードと同等の性能を発揮すると言われている(例外もある)。最近のプロセッサやメモリサブシステムは複雑化してきたため、コンパイラでもアセンブリ言語でも効果的な最適化がますます困難になってきている。さらにプロセッサが高性能化し律速が入出力やページングへ移ることで、コーディングが性能向上に貢献するケースは以前より少なくなっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "一方C++やC#のような、Cよりもさらに高水準の言語が主流になってからも、コンパイラが出力したアセンブリコードを解析して最適化やチューニングの余地を探るといった手法は一般的に行なわれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "低水準言語であるアセンブラはC言語などの高級言語と異なる領域で利用される。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "アセンブラを用いる目的として以下が挙げられる。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "アセンブリ言語が用いられる事例として以下が挙げられる。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "なお一方で、最近のコンピュータの命令セットはその多くはどれも似ている。したがって、どれか1つのアセンブリ言語を学ぶだけで、基本概念、どんなときにアセンブリ言語を使用するのが適しているか、高水準言語から効率的な実行コードを生成する方法をある程度は学習できる。", "title": "利用" } ]
アセンブリ言語はビット列命令に対応した文字列命令を利用する低水準プログラミング言語の総称である。 アセンブラまたはアセンブラ言語とも呼ばれる。
{{プログラミング言語}} [[ファイル:Motorola 6800 Assembly Language.png|thumb|[[モトローラ]] [[MC6800]] のアセンブリ言語のソースコード]] '''アセンブリ言語'''(アセンブリげんご、{{lang-en-short|assembly language}}、'''アセンブリ''')は[[機械語|ビット列命令]]に対応した文字列命令を利用する[[低水準言語|低水準]][[プログラミング言語]]の総称である<ref name=":0">"ニモニックによって表したプログラムをアセンブリ言語(assembly language)プログラムと呼ぶ。" 伊藤. ''[http://www.elc.ees.saitama-u.ac.jp/ITO/Ex3/asm.html 機械語とアセンブリ言語]''. 埼玉大学, 電気電子物理工学実験III. 2022-12-25閲覧.</ref>。 '''アセンブラ'''({{lang-en-short|Assembler}})または'''アセンブラ言語'''({{lang-en-short|Assembler Language}})とも呼ばれる{{efn2|IBMは[[System/360]]から2011年現在まで一貫してアセンブラ言語 (Assembler Language)と 呼んでいる。例:[http://www-01.ibm.com/software/awdtools/hlasm/ IBM High Level Assembler]}}<ref>Stroustrup, Bjarne, ''The C++ Programming Language'', Addison-Wesley, 1986, ISBN 0-201-12078-X: ''"C++ was primarily designed so that the author and his friends would not have to program in assembler, C, or various modern high-level languages."'' - ''assembler'' を ''assembly language'' の意味で使っている例</ref>。 == 概要 == [[プロセッサ]]は[[機械語]]プログラムを直接読み取り実行する。しかし人間にとってビット列は直観的に理解しづらいため、機械語コーディングは容易でない。これを解決するために、ビット列に対応する文字列命令([[アセンブリ言語#%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF|ニーモニック]])を利用するプログラミング言語の総称が'''アセンブリ言語'''である<ref name=":0" />。 アセンブリ言語を用いることで、機械語相当の[[低水準言語|低水準]]なコードをより直観的に記述できる。高度なアセンブリ言語ではアセンブラに対する命令(疑似命令)や[[マクロ (コンピュータ用語)|マクロ]]を用いて、より抽象的な記述が可能である{{efn2|MIPSのアセンブラの一部など、(分岐命令のターゲットアドレスの先頭にある機械語命令を対象として)その分岐命令の遅延スロットへの移動を(副作用がない場合に)アセンブラ疑似命令 (.set bopt) の指示に応じて行うものもある。OPTASM(SLR社)という最適化アセンブラもあった。}}。[[パイプライン処理]]などを最適化するために命令順序を入れ替えたり、ラベルの位置関係によってアドレッシングモードを最適化するアセンブラもあり、必ずしもソーステキストの記述とアセンブルの結果が直接対応するとは限らない。 アセンブリ言語は機械語と強く結びついているため、各プロセッサ向けに仕様の異なる様々な(具体的な)アセンブリ言語が存在する(「アセンブリ言語」は総称である)。同じ[[命令セット]]に対しても複数のアセンブリ言語が存在しうる(例: [[GNU]]アセンブラのgasの[[インテル]]プロセッサ用)。 アセンブリ言語の基本文法として、1つの命令は1つの[[アセンブリ言語#%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF|ニーモニック]]と0個以上の[[アセンブリ言語#%E3%82%AA%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89|オペランド]]からなる。プログラム全体はニーモニック/オペランド列、ディレクティブや擬似命令と呼ばれるメタな文、コメント、データで構成されている。通常の文はオペコードのニーモニックで始まり、パラメータ(データ、引数)のリストがそれに続く<ref name="intel-1999">{{Cite book|title=Intel Architecture Software Developer’s Manual, Volume 2: Instruction Set Reference|year=1999|publisher=INTEL CORPORATION|url=http://download.intel.com/design/PentiumII/manuals/24319102.PDF|accessdate=2010-11-18}}</ref>。多くのアセンブリ言語はオペランドのアドレスや定数をラベル・シンボルで記述でき[[ハードコーディング]]を避けられる。 == 基本文法 == アセンブラの開発者によって用語の使い方に大きな差異があり、文の分類などが異なる。例えば、マシンのニーモニックや拡張ニーモニック以外は全て擬似命令と呼ぶ場合もある。典型的なアセンブリ言語は、プログラムの操作の定義に使われる命令文をニーモニック、データセクション、アセンブリディレクティブの3種類に分類する。 === ニーモニック === '''ニーモニック'''({{lang-en-short|mnemonic}})は処理内容に応じて各機械語命令に与えられた文字列・命令語である<ref name=":1">"各命令に、人間にとって意味があり、その命令が行う処理を類推できる文字列を対応付ける。この文字列をニモニック(mnemonic)と呼ぶ。" 伊藤. ''[http://www.elc.ees.saitama-u.ac.jp/ITO/Ex3/asm.html 機械語とアセンブリ言語]''. 埼玉大学, 電気電子物理工学実験III. 2022-12-25閲覧.</ref>。機械語の[[オペコード]]に相当する。 ビット列である機械語はその処理が直観的にわからないため、機械語コーディングは容易でない。人間がより容易に機械語と同等なコードを書くため、ビット列を意味ある文字列で表現するニーモニックが発明された<ref name=":1" />。例えば[[X64]]機械語 <code>0x05</code> は「整数の加算」を意味するのでニーモニック <code>ADD</code> を対応させる。個々の機械語命令には少なくとも1つのニーモニックが対応する。 '''拡張ニーモニック'''は命令の特殊な用途をサポートするのに使われることが多く、本来の命令の名称からはその用途が連想できないときに使うことが多い。例えば、多くのCPUは明示的に[[NOP]]命令を用意していないが、その用途に使える命令は存在する。8086では''xchg ax,ax''という命令が''nop''として使えるので、アセンブリ言語で''nop''を記述すると ''xchg ax,ax'' という命令に変換される。逆アセンブラにもこのあたりを認識し、''xchg ax,ax''を''nop''に変換するものがある。同様にIBMの[[System/360]]と[[System/370]]のアセンブラでは、拡張ニーモニック''NOP''と''NOPR''を使用し、それぞれ''BC''と''BCR''のマスク0の命令に変換する。[[SPARC]]アーキテクチャでは、拡張ニーモニックを''synthetic instructions''と呼んでいる<ref>{{Cite web |url=http://www.sparc.com/standards/V8.pdf |publisher=SPARC, International |title=The SPARC Architecture Manual, Version 8 |year=1992 |accessdate=2012-10-27 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20111210201410/http://www.sparc.com/standards/V8.pdf |archivedate=2011年12月10日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。 命令は一般に「オペコード」と0以上の「オペランド」で構成される。多くの命令は1つまたは2つの値を参照する。オペランドには即値(命令内に置かれる値)、レジスタ(暗黙のうちに使用される場合もある)、記憶装置内のデータの位置を示すアドレスなどがある。「拡張ニーモニック」はオペコードと特定オペランドの組合せを表すのに使われることが多い。例えば、System/360では、BC命令にマスク15を組み合わせたものが'''B'''、BC命令にマスク0を組み合わせたものが'''NOP'''という拡張ニーモニックで表される。オペランドの順序(例: ソースとディスティネーションの前後)は言語に依る。 === オペランド === '''オペランド'''({{lang-en-short|operand}}、[[被演算子]])は命令の対象・引数である。1つの命令では、ニーモニックに続き0個以上のオペランドが記述される。オペランドにはソースとデスティネーションの二種類があり、データとして読み取られるのがソースで、オペコードで示された命令の実行結果が格納されるのがデスティネーションである。ソースには定数・レジスタ・メモリのいずれか、デスティネーションにはレジスタ・メモリのいずれかを指定する。 ==== データセクション ==== データと変数を保持するデータ要素を定義するのに使われる命令文がある。データの型、長さ、境界(アライメント)を定義する。また、そのデータがプログラム外部(別ファイルでアセンブルされたプログラム)からも利用可能なのか、それともデータセクションを定義したプログラム内でのみ使用可能なのかも定義できる。一部のアセンブラはこれを擬似命令に分類している。 === アセンブリディレクティブ === {{See also|ディレクティブ}} アセンブリディレクティブは、擬似命令とも呼ばれ、アセンブラがアセンブリ実施中に実行すべき命令となっている<ref name="Salomon">David Salomon (1993). ''[http://www.davidsalomon.name/assem.advertis/asl.pdf Assemblers and Loaders]''</ref>。プログラマが入力するパラメータによって、異なった形でアセンブルが行われるよう指示することができる。また、プログラムの見た目を操作して、[[可読性]]と保守性を向上させるのにも使われる。例えば、記憶装置の領域を予約し、その初期内容を指定するディレクティブなどがある。ディレクティブの名称はドットで始まることが多く、それによって通常のニーモニックと区別している。 擬似オペコード(pseudo-opcode)と言った場合、オブジェクトコードを実際に生成するディレクティブのみを指すこともある<ref>{{Cite web |last=Microsoft Corporation |title=MASM: Directives & Pseudo-Opcodes |url=http://flint.cs.yale.edu/cs422/doc/art-of-asm/pdf/CH08.PDF |accessdate=2011-03-19}}</ref>。 ==== ラベル/シンボル ==== シンボリックアセンブラでは、任意の名前([[ラベル (プログラミング)|ラベル]]またはシンボル)とメモリ位置を対応付けることができる。通常、定数や変数に名前をつけることができ、命令文ではそれらの位置を名前で参照できる。実行コードではサブルーチンのエントリポイントと名前を関連付け、サブルーチンを名前で呼び出すことができる。サブルーチン内では、分岐命令の分岐先をラベルで示すことができる。一部のアセンブラは「ローカルシンボル」をサポートしており、通常のシンボルとは語彙的に区別する(例えば、"10$"を分岐先に使用する、など)。 一部のアセンブラは柔軟なシンボル管理を提供しており、複数の[[名前空間]]を管理したり、[[データ構造]]内のオフセットを自動的に計算したり、リテラル値やアセンブラが実施した単純な計算結果を参照するラベルを割り当てたりすることができる。ラベルは定数や変数を[[リロケータブル]]なアドレスで初期化するのにも使える。 == 例 == [[x86]]/[[IA-32]]プロセッサにおいて[[定数 (プログラミング)|8ビット即値]]を[[レジスタ (コンピュータ)|レジスタ]]に入れる命令を例にとる。 この命令のバイナリコードは 10110 で、その後に3ビットのレジスタを指定する識別子が続く。''AL'' レジスタの識別子は 000 なので、次に示す[[機械語]]は ''AL'' レジスタに 01100001 というデータをロードする<ref name="intel-1999-MOV">{{Cite book|title=Intel Architecture Software Developer’s Manual, Volume 2: Instruction Set Reference|year=1999|publisher=INTEL CORPORATION|pages=442 and 35|url=http://download.intel.com/design/PentiumII/manuals/24319102.PDF|accessdate=2010-11-18}}</ref>。 10110000 01100001 このバイナリコードを人間が読みやすいように[[十六進法]]で表現すると次のようになる。 B0 61 ここで、<code>B0</code>は「''AL''に後続の値をコピーする」ことを意味し、<code>61</code>は01100001を十六進法で表したもの([[十進法]]では97)である。インテルのアセンブリ言語では、この種の命令に MOV というニーモニックを割り当てており、セミコロン以下に説明的コメントを添えたアセンブリ言語での表現は次のようになる。 <syntaxhighlight lang="asm">MOV AL, 61h ; Load AL with 97 decimal (61 hex)</syntaxhighlight> この場合、定数61Hがソース、レジスタALがデスティネーションに該当し、命令が実行されると、定数61Hが、レジスタALに単純に格納される。これが人間にとってはさらに読みやすく覚えやすい。 前述のインテルの MOV のようにデータの転送の多くを同一の命令あるいはニーモニックとする場合もあれば、データのコピー/移動の方向などによって別々の命令あるいはニーモニックとする場合もある(「メモリからレジスタへの移動」を L、「レジスタからメモリへの移動」を ST、「レジスタからレジスタへの移動」を LR、「即値をメモリへ移動」を MVI など)。(この段落では命令セットの設計の話とアセンブリ言語の話を一緒にしている) インテルのオペコード 10110000(<code>B0</code>)は8ビットの値を ''AL'' レジスタにコピーするが、10110001(<code>B1</code>)は''CL''レジスタにコピーし、10110010(<code>B2</code>)は ''DL'' レジスタにコピーする。これらをアセンブリ言語で表現すると次のようになる<ref name="intel-1999-MOV" />。 <syntaxhighlight lang="asm"> MOV AL, 1h ; Load AL with immediate value 1 MOV CL, 2h ; Load CL with immediate value 2 MOV DL, 3h ; Load DL with immediate value 3 </syntaxhighlight> MOVの構文には次の例のようにさらに複雑なものもある<ref>{{Cite web |last=Evans |first=David |title=x86 Assembly Guide |url=http://www.cs.virginia.edu/~evans/cs216/guides/x86.html |publisher=University of Virginia |accessdate=2010-11-18 |year=2006}}</ref>。 <syntaxhighlight lang="asm"> MOV EAX, [EBX] ; Move the 4 bytes in memory at the address contained in EBX into EAX MOV [ESI+EAX], CL ; Move the contents of CL into the byte at address ESI+EAX </syntaxhighlight> MOVというニーモニックを使った文は、その内容によってアセンブラが88-8E、A0-A3、B0-B8、C6、C7のいずれかのオペコードに変換するので、プログラマはオペコードを知る必要がないし、オペコードを覚える必要もない<ref name="intel-1999-MOV" />。 == 高級言語との違い == アセンブリ言語は[[低水準言語|低水準]][[プログラミング言語]]であり、[[C言語]]などの[[高級言語]]より抽象度が低い。すなわち言語機能(構文や型)が少ない。次の表は「基本的なアセンブリ言語」と高級言語の間にある言語機能差である。 {| class="wikitable" |+表. アセンブリ言語と高級言語 ! !アセンブラ !高級言語 |- |[[レジスタ (コンピュータ)|レジスタ]] |✔ | - |- |[[分岐命令|ジャンプ命令]] |✔ |△<ref><code>[[Goto文|goto]]</code>[[Goto文|文]]が存在する言語もあるが、限定利用が推奨される</ref> |- |[[制御構造]] | - |✔ |- |[[構造体]] | - |✔ |- |[[サブルーチン|関数]] | - |✔ |- |[[コメント (コンピュータ)|コメント]] |✔ |✔ |} この差はあくまで言語機能の差である。「高級言語でのみ可能、アセンブリ言語では不可」という意味ではない。例えばアセンブリ言語に関数構文は存在しないが関数に相当するパターンが存在する({{仮リンク|関数プロローグ・エピローグ|en|Function_prologue_and_epilogue}})。より正確な言い方をすれば、アセンブラで頻出するパターンを1つの機能として言語仕様に組み込んで抽象度を上げていった言語が高級言語である。 == 高水準文法 == より抽象化され少ないコード量でアセンブラを書くために様々な高水準文法がアセンブリ言語に導入されてきた。現在では高水準化のメインストリームは[[高級言語]]に移った一方<ref name="assembly-language?cat=technology">{{Cite web |url=http://www.answers.com/topic/assembly-language?cat=technology |title=assembly language: Definition and Much More from Answers.com |accessdate=2008-06-19 |author=Answers.com}}</ref>、目的に応じてアセンブリ言語を選択するユーザー向けに高機能なアセンブリ言語の開発も続いている<ref>[http://neshla.sourceforge.net/ NESHLA: The High Level, Open Source, 6502 Assembler for the Nintendo Entertainment System]</ref>。 === マクロ === {{See also|マクロ (コンピュータ用語)}}アセンブリ言語においても[[マクロ (コンピュータ用語)|マクロ]]が利用される。一般的なマクロと同様、高度なアセンブラマクロでは制御構文導入・引数展開・ユーザー定義マクロ適用などが可能である。文字列であるオペコード・ニーモニックはマクロの対象となるため、これを利用して疑似ニーモニックによる記述も可能になる。 例えば、一部の[[Z80]]用アセンブラでは、''ld hl,bc'' というマクロ命令を ''ld l,c'' と ''ld h,b'' という2命令に展開する<ref>[http://www.z80.de/z80/z80code.htm Z80 Op Codes for ZINT]</ref>。メインフレームの時代には、マクロは特定顧客の大規模ソフトウェアシステムのカスタマイズや、メーカーのオペレーティングシステムを顧客の要望に合わせた特注版にするのに使われていた。[[IBM]]の [[:en:VM (operating system)|VM/CMS]]、リアルタイムトランザクション処理用アドオン、[[CICS]]、{{仮リンク|IBM Airline Control Program|en|IBM Airline Control Program|label=ACP}}/[[Transaction Processing Facility|TPF]]<ref>[[CRS (航空)|コンピュータ予約システム]] (CRS) やクレジットカード会社で使われているトランザクションOS</ref>などで使われてきた。 === 制御構造 === [[構造化プログラミング]]の要素を取り入れたアセンブラもある。最初期には "Concept-14 macro set" がSystem/360のマクロアセンブラにIF/ELSE/ENDIFなどの制御構造を導入した<ref>Dr. H.D. Mills (1970) 提案、Marvin Kessler 実装 in IBM連邦政府システム部門</ref><ref>{{Cite web |url= http://skycoast.us/pscott/software/mvs/concept14.html |title=Concept 14 Macros |publisher=MVS Software |accessdate=2009-05-25}}</ref>。また8080/[[Z80]]プロセッサ向けの A-natural ではブロック構造や命令実行順序の制御が採用された。 また構造化プログラミングとは若干異なるが、[[キャリーラボ]]は[[BASIC]]風の文法のアセンブリ言語 BASE を開発した。[[Z80]]用のBASE-80と[[MC6809]]用のBASE-09がある。BASEの表記例は下記の通り(BASE-09)。 <syntaxhighlight lang="basic"> S[A,B,X,U A=$80 A=A+$C0 S]A,B,X,U,PC </syntaxhighlight> 上記の記述は下記のアセンブラ表記に対応する。 <syntaxhighlight lang="asm"> PSHS A,B,X,U LDA #$80 ADDA #$C0 PULS A,B,X,U,PC </syntaxhighlight> == アセンブラ == '''アセンブル'''({{lang-en-short|assemble}})はアセンブリ言語で書かれたプログラムから機械語で書かれた[[オブジェクトコード]]への変換である。具体的には、ニーモニックを[[オペコード]]に変換し[[識別子|シンボル名]]をメモリ位置や他の実体に変換する<ref name="Salomon" />。 アセンブルは比較的単純な規則からなるため、人の手でも実行できる('''ハンドアセンブル''')。単純な作業を効率良くミス無く行うのはプログラムの得意分野であり、そのようなソフトウェアが開発された。このアセンブリをおこなうプログラムを'''アセンブラ'''({{lang-en-short|assembler}})という。初期にはアセンブリプログラムとも呼ばれた<ref>Saxon, James, and Plette, William, ''Programming the IBM 1401'', Prentice-Hall, 1962, LoC 62-20615. - ''assembly program'' という用語を使っている例</ref>。 シンボル名による参照の利用はアセンブラの重要な機能であり、面倒な計算やプログラム修正に伴うアドレスの更新の手間を省くことができる。。また、オブジェクトコードを生成する際、ローダ用情報も併せて生成するアセンブラもある<ref>{{cite book|title=systems programming|last1=J.DONOVAN|first1=JOHN|isbn=0-07-085175-1|pages=59|year=1972|date=|publisher=}}</ref>。マクロを含むアセンブリ言語に対応している場合、処理系には[[m4 (プログラミング言語)|m4]]のような汎用プロセッサあるいはプロセッサ内蔵アセンブラ('''マクロアセンブラ''')が利用される<ref>{{Cite book|和書|author=bit 編集部|title=bit 単語帳|year=1990|date=1990-8-15|page=8|publisher=[[共立出版]]|isbn=4-320-02526-1}}</ref>。[[ポリモーフィズム]]、[[継承 (プログラミング)|継承]]<ref name="intel-1999-MOV" />などをもつ高水準アセンブリ言語に対応したアセンブラは{{仮リンク|高水準アセンブラ|en|high-level assembler}}と呼ばれる<ref>Hyde, Randall. "Chapter 12 – Classes and Objects". The Art of Assembly Language, 2nd Edition. No Starch Press. © 2010.</ref>。 動作プラットフォーム以外のターゲットプラットフォームを選択できるアセンブラは'''クロスアセンブラ'''とも呼ばれる(参考: [[クロスコンパイラ]])。'''メタアセンブラ'''は、アセンブリ言語の文法や意味論を記述したものを入力とし、その言語のためのアセンブラを出力するプログラムである<ref>[http://www.encyclopedia.com/doc/1O11-metaassembler.html (John Daintith, ed.) A Dictionary of Computing: "meta-assembler"]</ref>。 逆方向の変換、すなわちオブジェクトコードのアセンブリ言語化をおこなうプログラムを[[逆アセンブラ]]という。 === 分類 === アセンブラは様々な観点から分類できる。パス回数(アセンブル時のソースファイル走査回数)の観点では[[アセンブリ言語#%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9|ワンパスアセンブラ]]と[[アセンブリ言語#%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%91%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9|マルチパスアセンブラ]]に分類できる。 ==== ワンパスアセンブラ ==== ソースコードを1回だけパスするアセンブラ。定義される前にシンボルが使われているとオブジェクトコードの最後に "errata" を置く必要があり、[[リンケージエディタ|リンカ]]または[[ローダ]]が未定義シンボルが使われていた位置にあるプレースホルダーを書き換える。あるいは、未定義なシンボルを使用するとエラーになる。 ==== マルチパスアセンブラ ==== 最初のパスで全シンボルとその値の表を作成し、その表を使ってその後のパスでコードを生成する。 どちらの場合も、アセンブラは最初のパスで各命令のサイズを確定させる必要があり、それによって後に出現するシンボルのアドレスを計算する。命令のサイズは後から定義されるオペランドの型や距離に依存することがあるため、アセンブラは最初のパスでは悲観的な見積もりをし、必要に応じてその後のパスまたは errata にて1つ以上の[[NOP]]命令(何もしない命令)を挿入してすき間を埋める必要がある。最適化を行うアセンブラでは、最初の悲観的コードをその後のパスで稠密なコードに書き換えてアドレスの再計算を行うことがある。 もともとワンパスアセンブラは高速であるためよく使われていた。マルチパス動作をするには、[[磁気テープ]]を巻き戻したり[[パンチカード]]のデッキをセットし直して読み込む必要があったためである。現代のコンピュータではマルチパスであってもそのような遅延は生じない。マルチパスアセンブラは errata がないため、[[リンケージエディタ|リンク処理]](アセンブラが直接実行コードを生成する場合は[[ローダ]]の処理)が高速化される<ref>{{Cite book|last=Beck|first=Leland L.|title=System Software: An Introduction to Systems Programming|publisher=Addison Wesley|year=1996|chapter=2}}</ref>。 === 主なアセンブラ === * [[IBM High Level Assembler|IBM High Level Assembler (HLASM)]] - [[IBM]]系[[メインフレーム]]用のアセンブラ。 * [[PDP-8#プログラミング環境|PDP-8のアセンブリ言語]] - PAL-III (Program Assembly Language III) * [[CAP-X]] - CASL 以前に情報処理技術者試験で使われていたアセンブリ言語 * [[CASL]] - [[情報処理技術者試験]]([[基本情報技術者試験]])用に作られたアセンブリ言語。同時に定義されているペーパーマシンCOMET用 * [[:en:As (Unix)|as]] - [[UNIX]]用のアセンブラ * [[GNUアセンブラ|GNUアセンブラ (gas)]] - [[GNUプロジェクト]]が開発する、[[x86]]、[[MC68000|680x0]]、[[SPARC]]、[[VAX]]などの各種CPU用のアセンブラ * [[Microsoft Macro Assembler|Microsoft Macro Assembler (MASM)]] - [[インテル]]のx86 CPU用に[[マイクロソフト]]が開発したアセンブラ * [[Netwide Assembler|Netwide Assembler (nasm)]] - MASMと互換性の高いx86 CPU用アセンブラ * [[Turbo Assembler|Turbo Assembler (TASM)]] - [[ボーランド]]が開発していた、MASMと互換性の高いx86 CPU用アセンブラ * [[MIX (プログラミング)|MIXAL]] - [[ドナルド・クヌース]]が考案したペーパーマシンMIX用。また後継ペーパーマシンMMIX用の[[MMIX|MMIXAL]]も存在する * A-natural - [[:en:Whitesmiths|Whitesmiths Ltd.]] が開発、8080/[[Z80]]プロセッサ向け。ストリーム指向。Cコンパイラが中間コードとしており人間が直接使うものではなかったが、その構文にはファンも存在した [[Unix系]]システムでは、アセンブラを as と呼ぶのが一般的だが、実体はそれぞれのOSで異なる。[[GNUアセンブラ]]を使っているものが多い。 同じ系統のプロセッサであっても、複数のアセンブリ言語の方言が存在する。アセンブラによっては他の方言のアセンブリ言語も使用可能な場合がある。例えば、[[Turbo Assembler|TASM]]は[[Microsoft Macro Assembler|MASM]]用コードを入力として受け付け可能だが、逆は不可能である。{{仮リンク|FASM|en|FASM}}と[[Netwide Assembler|NASM]]は文法がほぼ同じだが、サポートしているマクロが異なるため、相互の翻訳は困難である。いずれも基本機能は同じだが、追加機能に差異がある<ref name="Hyde">{{Cite web |url=http://webster.cs.ucr.edu/AsmTools/WhichAsm.html |title=Which Assembler is the Best? |accessdate=2007-10-19 |author=Randall Hyde |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071018014019/http://webster.cs.ucr.edu/AsmTools/WhichAsm.html |archivedate=2007年10月18日 |deadurl=no |deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。 == 歴史 == アセンブリ言語は、ごく単純なものまで含めれば、[[プログラム内蔵方式]]のコンピュータの最初期の1940年代から存在している。世界で最初に実用的に稼働した[[ノイマン型]]電子計算機とされる[[EDSAC]] (1949) の ''initial orders''(現代の用語では[[ブート]]ローダーに相当するもの)は、テープにパンチされた十進によるアドレスを、内部表現の二進に変換するなどの機能を持っていた(命令については、「1文字のニーモニック」に見えるかもしれないが、それは実際には同機の機械語そのものである)<ref>{{Cite book| last1 = Salomon | title = Assemblers and Loaders | url = http://www.davidsalomon.name/assem.advertis/asl.pdf | accessdate = 2012-01-17 | page = 7 }}</ref>。[[ナサニエル・ロチェスター]]は1954年に [[IBM 701]] 用アセンブラを書いている。1955年、Stan Poley が [[IBM 650]] 用言語アセンブリSOAP (Symbolic Optimal Assembly Program) を開発した<ref>{{Cite web| url = http://www.columbia.edu/cu/computinghistory/650.html | title = The IBM 650 Magnetic Drum Calculator | accessdate = 2012-01-17}}</ref>。 コンピュータの歴史の初期には、このような、プログラムによって機械語プログラムを生成することを[[自動プログラミング]]と呼んだ。 [[ドナルド・ギリース]]は、まだ発明されていなかったアセンブラを開発中に、[[フォン・ノイマン]]から開発を即座に止めるように言われた、という1950年代初期ならではの逸話がある。当時は、人間が手作業でもできるような瑣末な仕事をコンピュータにさせるような時代が来るとは考えられておらず、単に時間の無駄だとノイマンは考えたのである。 歴史的には多数のプログラム(OSやアプリケーション)がアセンブリ言語だけで書かれてきた。[[ALGOL]]の方言である[[:en:Executive Systems Problem Oriented Language|ESPOL]]で書かれた [[:en:Burroughs MCP|Burroughs MCP]] (1961) が登場するまで、オペレーティングシステムはアセンブリ言語で書くのが普通だった。[[IBM]]の[[メインフレーム]]用ソフトウェアの多くはアセンブリ言語で書かれていた。[[COBOL]]、[[FORTRAN]]、[[PL/I]] などが取って代わっていったが、1990年代になってもアセンブリ言語のコードベースを保守し続けていた大企業も少なくない。 初期の[[マイクロコンピュータ]]でも同様に広く用いられた。これは、リソースの制約が厳しく、メモリやディスプレイのアーキテクチャが特殊だったからである。また、マイクロコンピュータ向けの高水準言語のコンパイラがなかったという面も重要である。また、初期のマイクロコンピュータのユーザは趣味としての使用が主であり、何でも自前で作るという精神もそれに影響していたと見られる。 1980年代から1990年代にかけて、[[ホームコンピュータ]]([[ZX Spectrum]]、[[コモドール64]]、[[Amiga]]、[[Atari ST]] など)でもアセンブリ言語がよく使われていた。というのもそれらのBASICは性能が低く、ハードウェアの全機能を利用できないことが多かったためである。例えば、Amigaには[[フリーウェア]]のアセンブリ言語[[統合開発環境]] [http://www.theflamearrows.info/homepage.html ASM-One assembler] があり、[[Microsoft Visual Studio]] に匹敵する機能を備えていた。 Don French が開発した [[VIC-1001|VIC-20]] 用アセンブラは 1,639 バイトという小ささで、世界一小さいアセンブラと言われている。アドレスをシンボルで表現でき、各種アドレス計算(四則演算、AND、OR、冪乗など)が可能だった<ref>{{Cite web |url=http://www.radiks.net/~jimbo/art/int7.htm |title=Speaking with Don French : The Man Behind the French Silk Assembler Tools |date=2004-05-21 |accessdate=2008-07-25 |author=Jim Lawless |publisher= |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080821105848/http://www.radiks.net/~jimbo/art/int7.htm |archivedate=2008年8月21日 |deadurl=no |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。 1980年代のビジネスソフトでは、例えば[[表計算ソフト]] [[Lotus 1-2-3]] などはアセンブリ言語で書かれていた。日本では[[松 (ワープロ)|松]]などが該当<ref>[https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20060609/240537/ 松 --- 事実上最初のパソコン用日本語ワープロソフト]</ref>する。 1990年代に入っても、[[コンシューマーゲーム]]の多くはアセンブリ言語でプログラムが書かれていた。しかしゲーム内容が複雑化し、プログラムの規模が増大するにつれて、アセンブラでは開発が困難となり、高水準言語による開発が主流となっていった。例えば[[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]では[[GNUコンパイラコレクション|GCC]]が公式のSDKに含まれていて、標準の開発言語は[[C言語]]であった<ref>[http://www.psxdev.net/forum/viewtopic.php?t=1245 Toolchain, libraries and headers relationship - PlayStation Development Network]</ref><ref>[https://www.reddit.com/r/gamedev/comments/8wf7e0/what_were_ps1_and_n64_games_written_in/ What were PS1 and N64 games written in? : gamedev]</ref>。この時代のゲーム機は[[3次元コンピュータグラフィックス]]の積極的な導入が始まっており、ハードウェア性能も向上したことから、C言語による開発も十分可能となったが、コンパイラの最適化能力が未成熟だったこともあいまって、ハードウェア性能を最大限引き出すにはアセンブリ言語を駆使した手動最適化や細かなチューニングが必要となることも多かった。[[セガサターン]]の最高性能を引き出して[[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]に対抗するには、アセンブリ言語を使うしかなかったと述べていた業界関係者もいた<ref>{{Cite web|url=http://www.eidolons-inn.net/tiki-index.php?page=SegaBase+Saturn|website=Eidolon's Inn|title=SegaBase Volume 6 - Saturn|date=2008-01-10|accessdate=2013-06-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140702151706/http://www.eidolons-inn.net/tiki-index.php?page=SegaBase+Saturn|archivedate=2014-07-02|deadlinkdate=2021-04-09}}</ref><!-- accessdate は oldid=48307467 の日付から推測。本来は出典を追加した人間が自分で記述しておくべき内容。 -->。ただし一方で、[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]時代すでに[[メタルスレイダーグローリー]]や[[スーパーファミコン]]の[[MOTHERシリーズ|MOTHER 2]]・[[シムシティ#スーパーファミコン版|シムシティ]]<ref>[http://jp.franz.com/base/seminar/2005-11-18/SeminarNov2005-Abe.pdf Lispによるリターゲッタブルコードジェネレータの実装 (PDF)] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080820015317/http://jp.franz.com/base/seminar/2005-11-18/SeminarNov2005-Abe.pdf |date=2008年8月20日 }}</ref>、プレイステーションの[[クラッシュ・バンディクー (ゲーム)|クラッシュ・バンディクー]]で<ref>[https://www.ogis-ri.co.jp/otc/hiroba/others/OORing/interview21.html OOエンジニアの輪! ~ 第 21 回 川合史朗 さんの巻 ~ | オブジェクトの広場]</ref>、開発の一部に[[LISP]]が使われていたという話もあり、当時のコンシューマーゲームの分野ではアセンブリ言語やC言語が全てだったというわけではない。 2000年代初頭、[[マイクロソフト]]は原始的な[[プログラマブルシェーダー]]に対応した[[DirectX]] ([[Direct3D]]) 8.0をリリースした。このDirect3D 8.0におけるシェーダープログラムは、グラフィックスハードウェアに依存しない中間言語(バイトコード)を出力することのできるアセンブリ言語(シェーダーアセンブラ)を使用して記述するものだった。2001年には世界で初めてプログラマブルシェーダーに対応したコンシューマーゲーム機として[[Xbox (ゲーム機)|初代Xbox]]が登場したが、このXboxに搭載されていたグラフィックスAPIもDirect3D 8.x相当のカスタマイズ版<ref>[https://www.techpowerup.com/gpu-specs/xbox-gpu.c1866 NVIDIA Xbox GPU Specs | TechPowerUp GPU Database]</ref>であり、CPU上で実行するホストプログラム(ゲームアプリケーション本体のコード)は[[C++]]を使って記述する一方、[[Graphics Processing Unit|GPU]]上で実行するシェーダープログラムの記述にはアセンブラを使用していた。のちに[[HLSL]]や[[Cg (プログラミング言語)|Cg]] (C for Graphics) といった高水準シェーディング言語が開発され、HLSLに対応したDirect3D 9.0以降はシェーダープログラムも高水準言語を利用して記述するようになった。Direct3D 10のシェーダーモデル4.0以降は、シェーダーアセンブラではなくHLSLの使用が必須となっている<ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/windows/win32/direct3dhlsl/dx-graphics-hlsl-using-shaders-10 Using Shaders in Direct3D 10 - Win32 apps | Microsoft Docs]</ref>。 現在の[[コンパイラ最適化|最適化コンパイラ]]は人手で書かれたアセンブリ言語のコードと同等の性能を発揮すると言われている<ref>{{Cite web |last=Rusling |first=David A. |title=The Linux Kernel |url=http://tldp.org/LDP/tlk/basics/sw.html |accessdate=2012-03-11}}</ref>(例外もある<ref name="goto">{{Cite web |url=http://www.nytimes.com/2005/11/28/technology/28super.html?_r=1 |title=Writing the Fastest Code, by Hand, for Fun: A Human Computer Keeps Speeding Up Chips |publisher=New York Times, John Markoff |date=2005-11-28 |accessdate=2010-03-04}}</ref><ref name="bit-fild">{{Cite web |url=http://hardwarebug.org/2010/01/30/bit-field-badness/ |title=Bit-field-badness |publisher=hardwarebug.org |date=2010-01-30 |accessdate=2010-03-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100205120952/http://hardwarebug.org/2010/01/30/bit-field-badness/ |archivedate=2010年2月5日 |deadurl=no |deadlinkdate=2018年3月}}</ref><ref name="gcc-mess">{{Cite web |url=http://hardwarebug.org/2009/05/13/gcc-makes-a-mess/ |title=GCC makes a mess |publisher=hardwarebug.org |date=2009-05-13 |accessdate=2010-03-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100316212040/http://hardwarebug.org/2009/05/13/gcc-makes-a-mess/ |archivedate=2010年3月16日 |deadurl=no |deadlinkdate=2018年3月}}</ref>)。{{いつ範囲|date=2020-11|最近}}のプロセッサやメモリサブシステムは複雑化してきたため、コンパイラでもアセンブリ言語でも効果的な最適化がますます困難になってきている<ref name="GreatDebate1">{{Cite web |url=http://webster.cs.ucr.edu/Page_TechDocs/GreatDebate/debate1.html |title=The Great Debate |date= |accessdate=2008-07-03 |author=Randall Hyde |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080616110102/http://webster.cs.ucr.edu/Page_TechDocs/GreatDebate/debate1.html |archivedate=2008年6月16日 |deadurl=no |deadlinkdate=2018年3月}}</ref><ref name="compiler-fails1">{{Cite web |url=http://hardwarebug.org/2008/11/28/codesourcery-fails-again/ |title=Code sourcery fails again |publisher=hardwarebug.org |date=2010-01-30 |accessdate=2010-03-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100402221204/http://hardwarebug.org/2008/11/28/codesourcery-fails-again/ |archivedate=2010年4月2日 |deadurl=no |deadlinkdate=2018年3月}}</ref>。さらにプロセッサが高性能化し律速が[[入出力]]や[[ページング方式|ページング]]へ移ることで、コーディングが性能向上に貢献するケースは以前より少なくなっている。 一方[[C++]]や[[C Sharp|C#]]のような、Cよりもさらに高水準の言語が主流になってからも、コンパイラが出力したアセンブリコードを解析して最適化やチューニングの余地を探るといった手法は一般的に行なわれている<ref>[https://jp.gamesindustry.biz/article/1609/16090501/ [CEDEC]「FINAL FANTASY XV」の最適化はこうして行われた - GamesIndustry.biz Japan Edition]</ref>。 == 利用 == [[低水準言語|低水準]][[プログラミング言語|言語]]であるアセンブラは[[C言語]]などの[[高級言語]]と異なる領域で利用される。 === 目的 === アセンブラを用いる目的として以下が挙げられる。 * 高速: レジスタ利用やループ展開の最適化 * 省フットプリント: ランタイムや標準ライブラリの排除 * リアルタイム(時間的正確性): [[ガベージコレクション|GC]]スパイク、[[ページフォルト]]、[[プリエンプション]]の排除 * ハードウェア操作 * 高級言語非対応命令の利用 * 挙動理解 === 事例 === アセンブリ言語が用いられる事例として以下が挙げられる。 * [[組み込みシステム]]: 省フットプリントでのハードウェア操作が目的 ** 電話機のファームウェア ** 自動車の燃料・点火システム ** センサー * [[デバイスドライバ]]や[[割り込みハンドラ]]、[[ブート#ブートローダ|ブートコード]]、[[Basic Input/Output System|BIOS]]、[[Power On Self Test|POST]] ** ハードウェアないしはファームウェアの呼び出し規約をアセンブリ言語によりカーネルやドライバにて使用している高級言語の規約へ変換することにより、主要な機能を高級言語で実装することができる。 * [[暗号]]化: 高級言語非対応命令の使用が目的 ** [[ビット演算#(キャリーなし)ローテート|ビット単位ローテート]]命令 * 数値計算: 高速化が目的 ** [[コンピュータゲーム]] ** ライブラリ: 例 - [[Basic Linear Algebra Subprograms|BLAS]], [[離散コサイン変換]]([[x264]]のSIMDアセンブリ版<ref>{{Cite web |url=http://git.videolan.org/?p=x264.git;a=tree;f=common/x86;hb=HEAD |title=x264.git/common/x86/dct-32.asm |publisher=git.videolan.org |date=2010-09-29 |accessdate=2010-09-29 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120304083653/http://git.videolan.org/?p=x264.git%3Ba%3Dtree%3Bf%3Dcommon%2Fx86%3Bhb%3DHEAD |archivedate=2012年3月4日 |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>) * [[リアルタイムシステム]]: リアルタイム性が目的 ** [[フライ・バイ・ワイヤ]]システム: 航空航法システムの一種。[[遠隔測定法|テレメトリ]]を厳密な制限時間内に解釈して対応する必要 ** 医療装置 * 暗号アルゴリズムは常に厳密に同じ時間で実行することで、[[タイミング攻撃]]を防ぐ。 * 高度なセキュリティが要求され、環境を完全に制御する必要がある場合。 * 監視・トレース・[[デバッグ]]のための[[命令セットシミュレータ]]で、追加のオーバーヘッドを最小に保ちたい場合。 * [[リバースエンジニアリング]]: 挙動理解が目的 ** デバッグ: 例 - コンパイラ最適化の確認 ** ソフトウェア改造: 例 - 商用[[コンピュータゲーム]]の改造 ** ハッキング: 例 - [[コピープロテクト]]解除 ** 学習: コンピュータの理解 * [[自己書き換えコード]] * コードサイズの上限に制限がある環境 ** [[ブートセクタ]]に格納する[[ブート#ブートローダ|ブートローダ]]。例として、[[マスターブートレコード|MBR]]では最大446バイト。 ** トラップ処理や[[シグナル (Unix)|シグナル]]ハンドラ起動などのために、カーネルがプロセスのアドレス空間へ見せるコード。[[vDSO]]を用い、プロセスからはシェアードオブジェクトを読み込んだように見せる実装が多い。 *** 見せるコードの範囲を正確に把握する必要があるため、コードのエントリだけでなく終了部にもラベルを与える。アセンブリ言語では容易だが、高級言語では一般に不要な機能なのでサポートされていない。 *** 元来はユーザモード用のスタック上にカーネルからコードをコピーして実行していた。欠点として、スタックはユーザモードでの書き込みが禁止できず、スタック上でのコード実行がセキュリティホールとしてしばしば利用されたことから、実装方法の変更が進められている。 * [[オブジェクトファイル]]に依存した機能 ** コンパイラが通常は使用しないセクション等にシンボルを定義することができる。例として、[[Linuxカーネル]]では[[ローダブル・カーネル・モジュール#Linux|モジュール]]へ公開するシンボルをマクロ<code>EXPORT_SYMBOL</code>(ないしはその派生)<ref>{{Cite web|url=https://github.com/torvalds/linux/blob/master/include/linux/export.h|title=GitHub, torvalds / linux, include/linux/export.h|accessdate=2023-10-08}}</ref>へ与える。このマクロは、インラインアセンブリを用いてオブジェクトファイルのセクション<code>.export_symbol</code>へシンボルの情報を追加し、モジュールローダがシンボル解決にて使用できるようにする。マクロの内容はCPUアーキテクチャには依存せず、その定義もCPUアーキテクチャに依存しないヘッダファイル(<code>include/linux/export.h</code>){{efn2|厳密にはCPUのビット幅に依存するが、マクロ定義はこれを条件付きコンパイルによりカバーしている。}}にあるが、C言語を含め高級言語のみでの実装が難しく、アセンブリが適している。{{efn2|GCC等、C言語への拡張によりシンボルへのセクション指定が可能なコンパイラはあるが、コンパイラへの強い依存性が生じる。アセンブリ言語であれば、およそセクションをサポートしたオブジェクトファイルが出力できるならばセクションの指定は何らかの手段で実装可能となる。}} なお一方で、{{いつ範囲|date=2020-11|最近}}のコンピュータの命令セットはその多くはどれも似ている。したがって、どれか1つのアセンブリ言語を学ぶだけで、基本概念、どんなときにアセンブリ言語を使用するのが適しているか、高水準言語から効率的な実行コードを生成する方法をある程度は学習できる<ref>{{Cite web |url=http://www.arl.wustl.edu/~lockwood/class/cs306/books/artofasm/fwd.html |title=Foreword ("Why would anyone learn this stuff?"), ''op. cit.'' |date=1996-09-30 |accessdate=2010-03-05 |author=Hyde, Randall |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100325155048/http://www.arl.wustl.edu/~lockwood/class/cs306/books/artofasm/fwd.html |archivedate=2010年3月25日 |deadurl=no |deadlinkdate=2018年3月 }}</ref>。 === 高水準言語との連携 === * 高水準言語の処理系の[[呼出規約]](言語処理系ではなくOSやハードウェアベンダ側で共通化している場合もある)に従うことで、高水準言語と相互にコードを呼び出すことができる。後述の[[インラインアセンブラ]]などにより同一のモジュールに埋め込むこともできれば、別モジュールとして[[リンケージエディタ]]でリンクすることもある。 * 多くのコンパイラは、機械語を直接生成するのではなく、アセンブリ言語のコードを生成し、それをアセンブラに通している。人間による[[デバッグ]]や最適化などに便利である(機械による最適化には、内部表現を使ったほうが便利なので、あまり意味がない)。その意味ではアセンブリ言語は、目に見えない形ではあるが最も利用頻度の高いプログラミング言語といえるという主張もあるが、その意味では機械語が絶対的に最も利用頻度の高いプログラミング言語である。 * [[インラインアセンブラ]]のある言語ないし処理系では、ソース中にアセンブリ言語による記述を含めることができる。例えば[[Linuxカーネル]]ではその利用が多い。アセンブリ言語と同様の利点が得られるかわりに、やはりアセンブリ言語と同様にプログラミング言語を使う利点(移植性など)が失われる。 == 注釈 == {{notelist2}} == 出典 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * Jonathan Bartlett: ''[https://programminggroundup.blogspot.com/ Programming from the Ground Up]''. Bartlett Publishing, 2004. ISBN 0-9752838-4-7<br />Also available online [http://download.savannah.gnu.org/releases-noredirect/pgubook/ProgrammingGroundUp-1-0-booksize.pdf as PDF]{{リンク切れ|date=2018年3月 |bot=InternetArchiveBot }} * Robert Britton: ''MIPS Assembly Language Programming''. Prentice Hall, 2003. ISBN 0-13-142044-5 * Paul Carter: ''PC Assembly Language''. Free ebook, 2001.<br />[http://drpaulcarter.com/pcasm/ Website] * Jeff Duntemann: ''Assembly Language Step-by-Step''. Wiley, 2000. ISBN 0-471-37523-3 * Randall Hyde: ''The Art of Assembly Language''. No Starch Press, 2003. ISBN 1-886411-97-2 * Peter Norton, John Socha, ''Peter Norton's Assembly Language Book for the IBM PC'', Brady Books, NY: 1986. * Michael Singer, ''PDP-11. Assembler Language Programming and Machine Organization'', John Wiley & Sons, NY: 1980. * Dominic Sweetman: ''See MIPS Run''. Morgan Kaufmann Publishers, 1999. ISBN 1-55860-410-3 * John Waldron: ''Introduction to RISC Assembly Language Programming''. Addison Wesley, 1998. ISBN 0-201-39828-1 == 関連項目 == * [[逆アセンブラ]] * [[コンパイラ|コンパイル]] * [[マクロ (コンピュータ用語)]] * [[命令セット]] == 外部リンク == * [http://www.atariarchives.org/mlb/introduction.php Machine language for beginners] * [http://www.int80h.org/ Unix Assembly Language Programming] * [http://www-03.ibm.com/systems/z/os/zos/bkserv/r8pdf/index.html#hlasm IBM High Level Assembler] IBMのメインフレーム用アセンブリ言語のマニュアル * [http://c2.com/cgi/wiki?LearningAssemblyLanguage PPR: Learning Assembly Language] * [http://www.azillionmonkeys.com/qed/asmexample.html Assembly Language Programming Examples] * [http://www.grc.com/smgassembly.htm Authoring Windows Applications In Assembly Language] * [http://mark.masmcode.com/ Assembly Optimization Tips] by Mark Larson * [http://nasm.sourceforge.net/doc/nasmdoc0.html NASM Manual] * [http://www.softools.com/sasmzilog.htm Z80/Z180/8085 Assembler] {{プログラミング言語の関連項目|state=uncollapsed}} {{プログラミング言語一覧}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あせんふりけんこ}} [[Category:プログラミング言語の分類]] [[Category:プログラミング言語]] [[Category:プログラミング言語の実装]] [[Category:アセンブリ言語|*]] [[Category:アセンブラ|*]] [[pl:Asembler#Język asemblera]]
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3月7日(さんがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から66日目(閏年では67日目)にあたり、年末まであと299日ある。
{{カレンダー 3月}} '''3月7日'''(さんがつなのか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から66日目([[閏年]]では67日目)にあたり、年末まであと299日ある。 == できごと == [[Image:Actor_portraying_Alexander_Graham_Bell_in_an_AT&T_promotional_film_(1926).jpg|thumb|180x180px|[[アレクサンダー・グラハム・ベル]]が[[電話機]]の特許権を獲得(1876)]] * [[161年]] - [[ローマ皇帝]][[アントニヌス・ピウス]]が死去。養子の[[マルクス・アウレリウス・アントニヌス]]と[[ルキウス・ウェルス]]が即位。 * [[1778年]] - [[イギリス]]の探検家[[ジェームズ・クック]](キャップテン・クック)が、[[ハワイ]]諸島の一つ[[カウアイ島]]に到達。 * [[1788年]]([[天明]]8年[[1月30日]]) - [[天明の大火]]: 東山の団栗辻子から出火し、2日間にわたって京都市街を焼き尽くした京都最大の火災。3万7000軒の家屋が焼失し、[[御所]]や[[二条城]]、東西の本願寺も焼失<ref>{{Cite web |url=http://www.archives.kyoto.jp/?p=4631 |title=京都を襲った大火の記録 |access-date=4 Oct 2023 |publisher=[[京都府立京都学・歴彩館]]}}</ref>。[[後桜町天皇|後桜町上皇]]は[[青蓮院]]を仮御所として避難される<ref>{{Cite web |url=http://www.shorenin.com/info/ |title=粟田御所 仮御所としての青蓮院 |access-date=4 Oct 2023 |publisher=天台宗 青蓮院門跡}}</ref>。 * [[1866年]]([[慶応]]2年[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]) - [[薩摩藩]]と[[長州藩]]との間で[[薩長同盟]]が成立する。 * [[1873年]] - [[神武天皇]]即位日を「[[紀元節]]」と称することを決定<ref>{{Cite web |url=https://www.nichibun-g.co.jp/data/web-magazine/manabito/archive/history/012.html |title=“建国記念の日” 「国家祝祭日」誕生物語 |access-date=4 Oct 2023 |publisher=[[日本文教出版]]}}</ref>。 * [[1876年]] - [[アレクサンダー・グラハム・ベル]]が[[電話機]]の特許権を獲得する。 * [[1900年]] - 未成年者喫煙禁止法(現・[[二十歳未満ノ者ノ喫煙ノ禁止ニ関スル法律]])公布。 * [[1908年]] - [[青函連絡船]]運航開始。[[1988年]][[3月13日]]、[[青函トンネル]]の開通に伴い廃止されるまで80年間運行された。 * [[1914年]] - [[ヴィルヘルム・フリードリヒ・ツー・ヴィート]]が[[アルバニア公国|アルバニア公]]に即位。 * [[1918年]] - [[松下幸之助]]が[[大阪市]]に松下電気器具製作所(現・[[パナソニック]])を創業。 * [[1919年]] - 東京・[[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]のデパート[[白木屋 (デパート)|白木屋]]を会社化し、株式会社白木屋呉服店(現・[[東急百貨店]])を設立。 * [[1921年]] - [[クロンシュタットの反乱]]勃発。[[クロンシュタット]]の水兵が[[ボリシェヴィキ]]の独裁に対して反乱を起こす。 * [[1927年]] - [[北丹後地震]]発生。 * [[1932年]] - [[東京都]][[墨田区]]玉の井の「お歯黒どぶ」から男のバラバラ死体発見([[玉の井バラバラ殺人事件]])。「[[バラバラ殺人]]」の表現の嚆矢。 * [[1936年]] - [[ドイツ]]が[[ロカルノ条約]]の破棄を宣言して[[ラインラント進駐|ラインラントに進駐]]。 * [[1940年]] - 戦争政策批判により衆議院が民政党[[斎藤隆夫]]を除名処分 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: アメリカ軍が[[ライン川]]に残った2つの橋のうちの一つ・[[ルーデンドルフ橋]]を確保。 * 1945年 - [[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国|ユーゴスラビア]]で[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]を首班とする人民政府が成立。 * [[1947年]] - アメリカ施政下の沖縄県で[[平良市]]が市制施行。 * [[1948年]] - [[警察法]]・[[消防組織法]]施行。 * [[1949年]] - [[ドッジ・ライン]]発表。 * [[1951年]] - [[王子朝鮮人学校事件]]発生。 * [[1965年]] - [[公民権運動]]: [[血の日曜日事件 (1965年)|血の日曜日事件]]。アメリカ合衆国[[アラバマ州]][[セルマ (アラバマ州)|セルマ]]で公民権運動のデモ隊が、州知事の命令により武力で鎮圧される。 * [[1968年]] - [[石川テレビ放送]]設立。 * [[1970年]] - [[湘南モノレール江の島線]]が、大船駅〜西鎌倉駅間で開業。 * [[1971年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]]が[[山手線]]の読み方を「やまのてせん」に統一。 * 1971年 - 国鉄長野原線を[[吾妻線]]に改称、長野原(現在の[[長野原草津口駅|長野原草津口]]) - [[大前駅|大前]]が延伸開業し全通。 * [[1972年]] - [[連合赤軍]][[山岳ベース事件]]で警官隊により最初の遺体が発見される。 * [[1977年]] - 第1回アラブ・アフリカ首脳会議が[[カイロ]]で開催される。 * [[1983年]] - [[新潟テレビ21]]設立。 * [[2001年]] - [[アリエル・シャロン]]が[[イスラエルの首相]]就任。 * [[2007年]] - イギリス[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]で、[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]に選挙制導入を求める決議案を可決。 * [[2013年]] - [[沖縄県]][[石垣市]]に[[新石垣空港]]が開港<ref>{{Cite web|和書 |date=8 Mar 2013 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNZO52545380X00C13A3LX0000/ |title=新石垣空港が開港 観光100万人 2~3年早く、市長が意欲 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=4 Oct 2023}}</ref>。 * [[2014年]] - 日本一の高層ビルである[[あべのハルカス]]が全面開業<ref>{{Cite web |url=https://www.kintetsu-g-hd.co.jp/corporate/topics/topics_02.html |title=地域と共生する「あべのハルカス」 |publisher=[[近鉄グループホールディングス|近鉄グループホールディングス株式会社]] |accessdate=4 Oct 2023}}</ref>。 == 誕生日 == === 人物 === [[Image:Kanou Tanyu.jpg|thumb|249x249px|[[狩野派]]を代表する[[絵師]]、[[狩野探幽]](1602-1674)誕生。画像は[[桃田柳栄]]画]] [[Image:Nishi Amane.jpg|thumb|180px|明治時代の教育者、[[西周 (啓蒙家)|西周]](1829-1897)]] [[Image:Mondriaan.jpg|thumb|180px|[[抽象絵画]]の画家[[ピエト・モンドリアン]](1872-1944)]] * [[189年]] - [[プブリウス・セプティミウス・ゲタ]]、[[ローマ皇帝]](+ [[211年]]) * [[1547年]]([[天文 (元号)|天文]]16年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]) - [[佐竹義重 (十八代当主)|佐竹義重]]、[[戦国大名]](+ [[1612年]]) * [[1602年]]([[慶長]]7年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]]) - [[狩野探幽]]、[[狩野派]]絵師(+ [[1674年]]) * [[1663年]] - [[トマソ・アントニオ・ヴィターリ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](+ [[1745年]]) * [[1678年]] - [[フィリッポ・ユヴァラ]]、[[建築家]](+ [[1736年]]) * [[1693年]] - [[クレメンス13世 (ローマ教皇)|クレメンス13世]]、[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1769年]]) * [[1743年]]([[寛保]]3年[[2月12日 (旧暦)|2月12日]]) - [[小出英常]]、第6代[[園部藩|園部藩主]](+ [[1775年]]) * [[1760年]]([[宝暦]]10年[[1月20日 (旧暦)|1月20日]]) - [[松浦静山]]、第9代[[平戸藩|平戸藩主]](+ [[1841年]]) * [[1765年]] - [[ニセフォール・ニエプス]]、[[発明家]](+ [[1833年]]) * [[1780年]] - [[アレクサンドル・デシャペル]]、非公式の[[チェスの世界チャンピオン一覧|チェスの世界チャンピオン]](+ [[1847年]]) * [[1785年]] - [[アレッサンドロ・マンゾーニ]]、[[詩人]]、[[小説家]]、[[劇作家]](+ [[1873年]]) * [[1788年]] - [[アントワーヌ・セザール・ベクレル]] 、[[科学者]](+ [[1878年]]) * [[1792年]] - [[ジョン・ハーシェル]] 、[[天文学者]](+ [[1871年]]) * [[1802年]] - [[エドウィン・ランドシーア]]、[[画家]](+ [[1873年]]) * [[1827年]]([[文政]]10年[[2月10日 (旧暦)|2月10日]]) - [[本多正訥]]、第7代[[田中藩|田中藩主]](+ [[1885年]]) * [[1829年]]([[文政]]12年[[2月3日 (旧暦)|2月3日]]) - [[西周 (啓蒙家)|西周]]、啓蒙家、教育者(+ [[1897年]]) * [[1837年]]([[天保]]8年[[2月1日 (旧暦)|2月1日]]) - [[児島惟謙]]、[[裁判官]](+ [[1908年]]) * 1837年 - [[ヘンリー・ドレイパー]]、天文学者(+ [[1882年]]) * [[1842年]](天保13年[[1月26日 (旧暦)|1月26日]]) - [[松平武聰]]、第4代[[浜田藩|浜田藩主]]、[[鶴田藩|鶴田藩主]](+ [[1882年]]) * [[1843年]](天保14年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]) - [[稲葉久通]]、第15代[[臼杵藩|臼杵藩主]](+ [[1893年]]) * [[1849年]] - [[ルーサー・バーバンク]]、[[植物学者]]、[[園芸家]](+ [[1926年]]) * [[1850年]] - [[トマーシュ・マサリク]]、[[哲学者]]、[[政治家]]、初代[[チェコスロバキアの大統領|チェコスロバキア大統領]](+ [[1937年]]) * [[1857年]] - [[ユリウス・ワーグナー=ヤウレック]] 、[[内科医]](+ [[1940年]]) * [[1872年]] - [[ピエト・モンドリアン]]、[[画家]]、[[芸術家]](+ [[1944年]]) * [[1873年]] - [[川上秋月]]、[[俳優]]、[[噺家]]、[[講釈師]]、[[寄席]][[芸人]](+ [[1943年]]) * [[1875年]] - [[モーリス・ラヴェル]]、[[作曲家]](+ [[1937年]]) * [[1878年]] - [[ボリス・クストーディエフ]]、画家、[[舞台美術家]](+ [[1927年]]) * [[1884年]] - [[後藤文夫]]、[[政治家]](+ [[1980年]]) * 1884年 - [[小宮豊隆]]、[[ドイツ文学者]]、[[文芸評論家]]、[[演劇]][[評論家]](+ [[1966年]]) * [[1889年]] - [[堤康次郎]]、[[実業家]]、[[政治家]]、第44代[[衆議院議長]](+ [[1964年]]) * [[1893年]] - [[影佐禎昭]]、[[陸軍軍人]](+ [[1948年]]) * [[1898年]] - [[稲村隆一]]、政治家、農民運動家(+ [[1990年]]) * [[1899年]] - [[石川淳]]、[[小説家]](+ [[1987年]]) * 1899年 - [[チャールズ・ソーンスウェイト]]、[[地理学者]](+ [[1963年]]) * [[1900年]] - [[フリッツ・ロンドン]]、[[物理学者]](+ [[1954年]]) * 1900年 - [[英百合子]]、[[俳優|女優]](+ [[1970年]]) * 1900年 - [[ハーバート・ジョージ・ブルーマー]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[1987年]]) * [[1903年]] - [[岩谷直治]]、[[実業家]](+ [[2005年]]) * [[1904年]] - [[ラインハルト・ハイドリヒ]]、[[ナチス・ドイツ]][[国家保安本部]]長官(+ [[1942年]]) * 1904年 - [[築地俊龍]]、[[野球選手]](+ [[1972年]]) * [[1908年]] - [[アンナ・マニャーニ]]、女優(+ [[1973年]]) * [[1909年]] - [[大森義夫]]、[[俳優]](+ [[1983年]]) <!-- 出典が不明 * 1912年 - [[陳世驤 (文学者)|陳世驤]]、[[文学]]者(+ [[1971年]]) --> * [[1915年]] - [[松田トシ]]、[[歌手]] (+ [[2011年]]) * 1915年 - [[ジャック・シャバン=デルマス]]、元[[フランスの首相|フランス首相]](+ [[2000年]]) * [[1918年]] - [[花柳壽楽 (2代目)]]、[[日本舞踊家]](+ [[2007年]]) * [[1919年]] - [[佐古純一郎]]、文芸評論家(+ [[2014年]]) * [[1921年]] - [[藤原審爾]]、小説家(+ [[1984年]]) * [[1924年]] - [[安部公房]]、小説家(+ [[1993年]]) * 1924年 - [[エドゥアルド・パオロッツィ]]、[[彫刻家]]、[[美術家]](+ [[2005年]]) * [[1925年]] - [[野口正明]]、[[プロ野球選手]](+ [[2004年]]) * [[1926年]] - [[萩原延壽]]、[[歴史家]](+ [[2001年]]) * [[1927年]] - [[重兼芳子]]、小説家(+ [[1993年]]) * [[1928年]] - [[仁木悦子]]、小説家(+ [[1986年]]) * 1928年 - [[角梨枝子]]、女優(+ [[2005年]]) * 1928年 - [[天津羽衣]]、[[浪曲師]](+ [[1982年]]) * [[1930年]] - [[山下毅雄]]、[[作曲家]](+ [[2005年]]) * 1930年 - [[萩元晴彦]]、[[テレビプロデューサー]](+ [[2001年]]) * 1930年 - [[スタンリー・ミラー]]、[[化学者]](+ [[2007年]]) * [[1931年]] - [[井上洋介]]、[[絵本作家]]、[[イラストレーター]](+ [[2016年]]) * [[1932年]] - [[河内桃子]]、[[俳優|女優]](+ [[1998年]]) * [[1933年]] - 池葉宏、元アナウンサー * [[1936年]] - [[種村直樹]]、[[鉄道]]研究家(+ [[2014年]]) * 1936年 - [[ジョルジュ・ペレック]]、[[作家]](+ [[1982年]]) * [[1937年]] - [[岸本重陳]]、[[経済学者]](+ [[1999年]]) * [[1938年]] - [[デビッド・ボルティモア]]、[[分子生物学|分子生物学者]] * [[1940年]] - [[ハンナ・ウィルケ]]、[[フェミニズム]][[美術]]の[[芸術家|アーティスト]](+ [[1993年]]) * 1940年 - [[ルディ・ドゥチュケ]]、[[政治活動家]]、[[ドイツ]][[学生運動]]の指導者(+ [[1979年]]) * 1940年 - [[上條恒彦]]、[[俳優]]、[[歌手]] * 1940年 - [[上村一夫]]、[[漫画家]](+ [[1986年]]) * [[1942年]] - [[マイケル・アイズナー]]、[[テレビ]]・[[映画]][[プロデューサー]]、実業家 * [[1945年]] - [[谷垣禎一]]、政治家、[[衆議院議員]] * 1945年 - [[林静一]]、[[イラストレーター]]、漫画家 * [[1946年]] - [[松井孝典]]、[[惑星科学|惑星科学者]](+ [[2023年]]) * 1946年 - [[マシュー・フィッシャー]]、[[ミュージシャン]]([[プロコル・ハルム]]) * [[1947年]] - [[牧田吉明]]、[[新左翼]]活動家(+ [[2010年]]) * 1947年 - [[槇みちる|まきみちる]]、歌手、元[[アイドル]] * 1947年 - [[佐々木力]]、[[科学史学者]](+ [[2020年]]) * [[1950年]] - [[J.R.リチャード]]、元プロ野球選手(+ [[2021年]]) * [[1951年]] - [[ジェフ・バロウズ]]、元プロ野球選手 * [[1954年]] - [[福島知春]]、元プロ野球選手(+ [[1995年]]) * [[1955年]] - [[佐藤準]]、作曲家、[[編曲家]] * 1955年 - [[片岡功]]、俳優 * [[1956年]] - [[吉田忠智]]、政治家 * 1956年 - [[岡まゆみ]]、女優 * 1956年 - [[ブライアン・クランストン]]、俳優 * [[1957年]] - [[オール阪神]]、[[漫才師]]([[オール阪神・巨人]]) * 1957年 - [[多田哲哉]]、団体役員、元自動車技術者 * 1957年 - [[レダ・コスミデス]]、[[心理学者]] * [[1958年]] - [[高山文彦 (作家)|高山文彦]]、[[ノンフィクション作家]] * 1958年 - [[アラン・ヘール (天文学者)|アラン・ヘール]]、天文学者 * 1958年 - [[井上倫宏]]、俳優、[[声優]] (+ [[2022年]]) * [[1959年]] - [[トム・レーマン]]、[[ゴルファー]] * 1959年 - [[竹原信一]]、政治家、元[[阿久根市|阿久根]][[市町村長|市長]] * [[1960年]] - [[イワン・レンドル]]、[[テニス]]選手 * 1960年 - [[ジョー・カーター]]、元プロ野球選手 * 1960年 - [[尾崎加寿夫]]、[[サッカー選手]] * [[1961年]] - [[高市早苗]]、政治家 * 1961年 - [[北野明仁]]、元プロ野球選手 * [[1963年]] - [[広田レオナ]]、女優 * [[1964年]] - [[ブレット・イーストン・エリス]]、小説家 * [[1965年]] - [[宮里太]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[清水吉昌]]、[[音楽プロデューサー]] * [[1966年]] - [[櫻井敦司]]、ミュージシャン([[BUCK-TICK]])(+ [[2023年]]) * 1966年 - [[桂木麻也子]]、元[[AV女優]]、[[ロマンポルノ]][[俳優|女優]] * [[1967年]] - [[笹木彰人]]、[[映画監督]]、[[俳優]] * 1967年 - [[神谷悠]]、[[漫画家]] * 1967年 - [[矢沢あい]]、漫画家 * 1967年 - [[柳沢超]]、タレント(元[[忍者 (グループ)|忍者]]) * 1967年 - [[ケヴィン・マニング]]、元騎手 * [[1968年]] - [[沙羅樹]]、AV女優 * 1968年 - [[ジェフ・ケント]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[デニス・ブーシェ]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[里匠]]、NHKアナウンサー * [[1969年]] - [[野田英樹]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]] * 1969年 - [[ゆうきとも]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]] * [[1970年]] - [[王理恵]]、[[スポーツキャスター]] * 1970年 - [[川原奈穂樹]]、空手家 * 1970年 - [[ヤンネ・トルサ]]、音楽家 * [[1971年]] - [[ピーター・サースガード]]、俳優 * 1971年 - [[レイチェル・ワイズ]]、女優 * [[1972年]] - [[チャン・ドンゴン]]、俳優 * [[1973年]] - [[上原茂行]]、元野球選手 * 1973年 - [[川越達也]]、料理人 * 1973年 - [[竹本英史]]、[[声優]] * 1973年 - [[巴千草]]、女優 * 1973年 - [[はねだえりか]]、[[タレント]](元[[CoCo (アイドルグループ)|CoCo]]) * [[1975年]] - [[菊地原毅]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[高井陽子]]、[[プロゴルファー]] * 1976年 - [[熊谷明美]]、[[アナウンサー]] * [[1977年]] - [[長谷川博己]]、俳優 * [[1978年]] - [[須田都古]]、[[バスケットボール]]選手 * [[1979年]] - [[中山由起枝]]、[[射撃選手]] * 1979年 - [[馬渕英里何]]、女優 * [[1980年]] - [[ローラ・プレポン]]、女優 * 1980年 - [[大島秀夫]]、元[[サッカー]]選手 * 1980年 - [[劉国正]]、[[卓球]]選手 * [[1982年]] - [[山川恵里佳]]、タレント * [[1983年]] - [[岡部紘樹]]、俳優、ミュージシャン([[HIROZ]]、劇団OUH、[[HIROZ SEVEN+]]) * 1983年 - [[古舘春一]]、漫画家 * [[1984年]] - [[二瓶拓也]]、俳優 * 1984年 - [[石崎ひゅーい]]、[[シンガーソングライター]] * 1984年 - [[マチュー・フラミニ]]、サッカー選手 * [[1986年]] - [[宇野弥生]]、[[競艇選手]] * [[1987年]] - [[照井春佳]]、声優 * [[1988年]] - [[守崎哲平]]、俳優 * [[1989年]] - [[SATOMI']]、[[歌手]] * 1989年 - [[朝川ことみ]]、[[グラビアアイドル]] * 1989年 - [[七海なな]]、タレント、女優、元AV女優 * 1989年 - [[永山絢斗]]、俳優 * [[1990年]] - [[佐藤美弥]]、バレーボール選手 * 1990年 - [[奥井諒]]、サッカー選手 * 1990年 - [[チェ・ジョンフン]]、元歌手、元俳優(元[[FTISLAND]]) * 1990年 - [[朴相赫]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[丁東浩]]、サッカー選手 * 1990年 - [[アビゲイル&ブリタニー・ヘンゼル姉妹]]、[[結合双生児]] * 1990年 - さすけ、[[お笑いタレント|お笑い芸人]]([[滝音]]) * [[1991年]] - [[福田太郎]]、アナウンサー * [[1992年]] - [[ベル・パウリー]]、女優 * 1992年 - [[ヒョンシク (BTOB)|ヒョンシク]]、アイドル([[BTOB]]) * [[1994年]] - [[月野もあ]]、アイドル([[仮面女子]]) * [[1994年]] - [[平川亮]]、[[レーシングドライバー]] * 1994年 - [[湯山せいか]]、アイスホッケー選手 * 1994年 - [[長谷川竜也]]、サッカー選手 * 1994年 - [[榊原梨奈]]、野球選手 * [[1995年]] - [[菊池風磨]]、[[アイドル]]、俳優([[Sexy Zone]]) * 1995年 - [[横山涼]]、俳優 * [[1996年]] - [[セレイナ・アン]]、シンガーソングライター * [[1997年]] - [[矢作穂香]]、女優、ファッションモデル * 1997年 - [[田野優花]]、女優、元アイドル(元[[AKB48]]) * 1997年 - [[UraN]]、[[YouTuber]] ([[くれいじーまぐねっと]]) * [[1998年]] - [[伊勢大夢]]、プロ野球選手 * [[2002年]] - [[羽賀朱音]]、歌手([[モーニング娘。]]) * [[2003年]] - [[内村颯太]]、アイドル(ジャニーズJr.、少年忍者) * [[2005年]] - [[信太真妃]]、元子役、元タレント * 生年不明 - ばぁう、歌い手([[KnightA-騎士A-]]) * 生年不明 - [[飯沼ゆうき]]、[[漫画家]] * 生年不明 - [[富山智帆]]、女優、リングアナウンサー * 生年不明 - [[宮崎智栄子]]、声優 * 生年不明 - [[山本祥太]]、声優 * 生年不明 - [[大久保英恵]]、元声優 === 人物以外(動物など) === * [[1986年]] - [[カコイーシーズ]]、[[競走馬]](+ [[2009年]]) * [[1987年]] - [[キョウエイタップ]]、競走馬 * [[1990年]] - [[マイシンザン]]、競走馬 * [[1991年]] - [[アワエンブレム]]、競走馬 * [[1992年]] - [[ワンダーパヒューム]]、競走馬 * [[1993年]] - [[ビワハイジ]]、競走馬 * [[1995年]] - [[ミラクルタイム]]、競走馬 * [[1998年]] - [[ウインラディウス]]、競走馬 * [[2001年]] - [[アドマイヤホープ]]、競走馬 * [[2003年]] - [[メイショウサムソン]]、競走馬 * [[2004年]] - [[アブソリュート]]、競走馬 * [[2005年]] - [[カジノドライヴ]]、競走馬 == 忌日 == [[Image:Aristotle Altemps Inv8575.jpg|thumb|241x241px|[[古代ギリシア]]の[[哲学者]][[アリストテレス]](BC384-BC322)没]] [[Image:Xuanzang w.jpg|thumb|403x403px|『[[西遊記]]』のモデルともなった[[三蔵法師]]、[[玄奘三蔵]](602-664)]] [[Image:Ichiro Hatoyama with two grandsons.jpg|thumb|218x218px|第52~54代[[内閣総理大臣]][[鳩山一郎]](1883-1959)没。写真は左から一郎、孫の[[鳩山由紀夫|由紀夫]]、[[鳩山邦夫|邦夫]]]] * [[紀元前322年]] - [[アリストテレス]]、[[古代ギリシア]]の[[哲学|哲学者]](* [[紀元前384年]]) * [[161年]] - [[アントニヌス・ピウス]]、[[ローマ皇帝]](* [[86年]]) * [[664年]]([[麟徳]]元年[[2月5日 (旧暦)|2月5日]]) - [[玄奘三蔵]]、[[三蔵法師]]、四大訳経家の1人(* [[602年]]) * [[744年]]([[天平]]16年[[閏]][[1月13日 (旧暦)|1月13日]]) - [[安積親王]]、[[聖武天皇]]第二皇子(* [[728年]]) * [[1274年]] - [[トマス・アクィナス]]、哲学者、神学者(* [[1225年]]頃) * [[1619年]]([[元和 (日本)|元和]]5年[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]) - [[中井正清]]、[[大工]]頭(* [[1565年]]) * [[1625年]] - [[ヨハン・バイエル]]、[[天文学者]](* [[1572年]]) * [[1645年]]([[正保]]2年[[2月10日 (旧暦)|2月10日]]) - [[本多忠利 (岡崎藩主)|本多忠利]]、第3代[[岡崎藩|岡崎藩主]](* [[1600年]]) * [[1657年]]([[明暦]]3年[[1月23日 (旧暦)|1月23日]]) - [[林羅山]]、[[儒教|儒学者]](* [[1583年]]) * [[1724年]] - [[インノケンティウス13世 (ローマ教皇)|インノケンティウス13世]]、第244代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1655年]]) * [[1748年]] - [[ピエトロ・ジャンノーネ]]、[[歴史家]](* [[1676年]]) * [[1786年]] - [[フランツ・ベンダ]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1709年]]) * [[1811年]]([[文化 (元号)|文化]]年[[2月13日 (旧暦)|2月13日]]) - [[村田春海]]、[[国学|国学者]]、[[歌人]](* [[1746年]]) * [[1817年]](文化14年[[1月20日 (旧暦)|1月20日]]) - [[柳沢保光]]、第3代[[郡山藩|大和郡山藩主]](* [[1753年]]) * [[1842年]] - [[パウル・フリードリヒ (メクレンブルク=シュヴェリーン大公)|パウル・フリードリヒ]]、[[メクレンブルク=シュヴェリーン|メクレンブルク=シュヴェリーン大公]](* [[1800年]]) * [[1873年]] - [[サーモン・チェイス]]、[[政治家]]、[[オハイオ州]]知事(* [[1808年]]) * [[1875年]] - [[ジョン・エドワード・グレイ]]、[[動物学|動物学者]](* [[1800年]]) * [[1881年]] - [[フランツ・ミクロシッチ]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](* [[1813年]]) * [[1887年]] - [[黒田長溥]]、第11代[[福岡藩|福岡藩主]](* [[1811年]]) * [[1888年]] - [[クリストファー・メミンジャー]]、政治家(* [[1803年]]) * [[1902年]] - [[パッド・ガルヴィン]]、元プロ野球選手(* [[1856年]]) * [[1919年]] - [[三島彌太郎]]、第8代[[日本銀行総裁]](* [[1867年]]) * [[1925年]] - [[ゲオルギー・リヴォフ]]、[[ロシア臨時政府]]首相(* [[1861年]]) * [[1931年]] - [[テオ・ファン・ドースブルフ]]、[[画家]](* [[1883年]]) * [[1932年]] - [[アリスティード・ブリアン]]、[[フランスの首相|フランス首相]](* [[1862年]]) * [[1934年]] - [[三島霜川]]、[[小説家]](* [[1876年]]) * [[1937年]] - [[レディ・ボールドウィン]]、元プロ野球選手(* [[1859年]]) * [[1940年]] - [[エドウィン・マーカム]]、[[詩人]](* [[1852年]]) * [[1945年]] - [[アルブレヒト・ペンク]]、[[地理学者]]、[[地質学|地質学者]](* [[1858年]]) * [[1954年]] - [[オットー・ディールス]]、[[化学者]](* [[1876年]]) * [[1957年]] - [[パーシー・ウインダム・ルイス]]、[[画家]](* [[1882年]]) * [[1959年]] - [[鳩山一郎]]、第52~54代[[内閣総理大臣]](* [[1883年]]) * [[1971年]] - [[西川辰美]]、[[漫画家]](* [[1916年]]) * 1971年 - [[リチャード・モンタギュー]]、[[論理学者]]、[[数学者]](* [[1930年]]) * [[1975年]] - [[ミハイル・バフチン]]、[[思想家]](* [[1895年]]) * [[1977年]] - [[平沢和重]]、[[外交官]]、[[日本放送協会|NHK]]解説委員(* [[1909年]]) * [[1979年]] - [[雷震]]、政治家、[[評論家]](* [[1897年]]) * 1979年 - [[ギオマール・ノヴァエス]]、[[ピアニスト]](* [[1895年]]) * [[1981年]] - [[出光佐三]]、[[実業家]]、[[出光興産]]創業者(* [[1885年]]) * 1981年 - [[ボズレー・クラウザー]]、[[映画評論家一覧|映画評論家]](* [[1905年]]) * 1981年 - [[ヒルデ・スパーリング]]、[[テニス]]選手(* [[1908年]]) * 1981年 - [[キリル・コンドラシン]]、[[指揮者]](* [[1914年]]) * [[1982年]] - [[竹中郁]]、[[詩人]](* [[1904年]]) * [[1983年]] - [[イーゴリ・マルケヴィチ]]、[[作曲家]]、指揮者(* [[1912年]]) * 1983年 - [[ドナルド・マクリーン]]、[[イギリス]]の[[外交官]]、[[ソビエト連邦]]の[[スパイ|諜報員]](* [[1913年]]) * [[1986年]] - [[ジェイコブ・ジャヴィッツ]]、[[政治家]](* [[1904年]]) * [[1988年]] - [[ディヴァイン]]、俳優、[[歌手]](* [[1945年]]) * 1988年 - [[有沢広巳]]、[[統計学者]]、[[経済学者]](* [[1896年]]) * [[1989年]] - [[石原幹市郎]]、[[政治家]](* [[1903年]]) * [[1991年]] - [[森類]]、[[随筆家]](* [[1911年]]) * [[1995年]] - [[土井勝]]、[[料理研究家]](* [[1921年]]) * [[1996年]] - [[佐藤守良]]、[[政治家]](* [[1922年]]) * [[1997年]] - [[エドワード・ミルズ・パーセル]]、[[物理学者]](* [[1912年]]) * [[1999年]] - [[スタンリー・キューブリック]]、映画作家(* [[1928年]]) * [[2000年]] - [[鶴岡一人]]、元[[プロ野球選手]]、[[プロ野球監督|監督]](* [[1916年]]) * 2000年 - [[二宮洋一]]、元[[サッカー]]選手、監督(* [[1917年]]) * 2000年 - [[チャールズ・グレイ (俳優)|チャールズ・グレイ]]、[[俳優]](* [[1928年]]) * 2000年 - [[ウィリアム・ドナルド・ハミルトン]]、[[生物学者の一覧|生物学者]](* [[1936年]]) * [[2001年]] - [[三原朝雄]]、政治家(* [[1909年]]) * 2001年 - [[花沢徳衛]]、俳優(* [[1911年]]) * 2001年 - [[岩垂寿喜男]]、[[政治家]](* [[1929年]]) * [[2003年]] - [[黒岩重吾]]、作家(* [[1924年]]) * [[2007年]] - [[ヒダシュ・フリジェシュ]]、作曲家(* [[1928年]]) * 2007年 - [[ピノ・ランチェッティ]]、[[ファッションデザイナー]](* [[1928年]]) * [[2008年]] - [[上田トシコ]]、[[漫画家]](* [[1917年]]) * 2008年 - [[フランシス・ピム]]、[[イギリス]]の[[外務英連邦大臣]](* [[1922年]]) * [[2009年]]、[[チャン・ジャヨン]]、女優(* [[1980年]]) * [[2012年]] - [[山口美江]]、[[実業家]]、[[タレント]](* [[1960年]]) * [[2013年]] - [[ピーター・バンクス]]、[[音楽家]](* [[1947年]]) * [[2014年]] - [[松原由昌]]、元プロ野球選手(* [[1955年]]) * [[2015年]] - [[辰巳ヨシヒロ]]、[[漫画家]](* [[1935年]]) * 2015年 - [[小川真司]]、俳優、声優(* [[1941年]]) * 2015年 - [[三笑亭夢丸 (初代)|初代三笑亭夢丸]]、[[落語家]](* [[1945年]]) * [[2017年]] - [[宮部行範]]、元[[スピードスケート]]選手(* [[1968年]]) * [[2018年]] - [[赤木俊夫]]、財務官僚(* [[1963年]]) * [[2019年]] - [[ザ・デストロイヤー]]、[[プロレスラー]](* [[1930年]]) * [[2020年]] - [[渡辺文雄 (政治家)|渡辺文雄]]、政治家、元[[栃木県知事]](* [[1929年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Hiroshige hikeshi.jpg|thumb|270x270px|[[消防]]の日。画像は明治9年の警視庁火消]] * [[消防記念日]]({{JPN}}) *: [[1950年]]に国家消防庁(現在の[[消防庁]])が制定。[[1948年]]のこの日、[[消防組織法]]が施行され、明治以来[[日本の警察|警察]]の所管とされていた[[日本の消防|消防]]が警察から独立して消防庁の所管となった。 * 警察制度改正記念日({{JPN}}) **[[1948年]]のこの日、内務省が解体され、自治体警察と[[国家地方警察]]に分ける旧警察法(1954年の現行[[警察法]]の一つ前の法典)が制定された事にちなむ。 * [[教師の日]]({{ALB}}) * 女生の日 ({{PRC}}) * [[サウナ風呂|サウナ]]の日({{JPN}}) *:公益社団法人日本サウナ・スパ協会が制定。日付は3と7で「サウナ」と読む語呂合わせから。 {{Clear}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0307|date=Oct 2023}} === 誕生日(フィクション) === * [[1989年]] - 佐々木まき絵、漫画・アニメ『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://king-cr.jp/special/negima/16.html |title=16.佐々木まき絵 |access-date=4 Oct 2023 |publisher=[[赤松健]]・[[講談社]]・関東魔法協会 [[キングレコード|King Record.Co.,Ltd.]] |work=『魔法先生ネギま!麻帆良学園中等部2-A』}}</ref> * [[1992年]] - 水野愛、アニメ『[[ゾンビランドサガ]] 』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://zombielandsaga.com/character/4.php |title=水野 愛 |access-date=4 Oct 2023 |publisher=ゾンビランドサガ リベンジ製作委員会 |work=『ゾンビランドサガ』}}</ref> * [[2001年]] - 乙骨憂太、漫画・アニメ『[[呪術廻戦]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|jujutsu_PR|1236118056775995393}}</ref> * 生年不明 - 小野田坂道、漫画・アニメ『[[弱虫ペダル]]』の主人公<ref>{{Twitter status|yowapeda_anime|706496256982450177}}</ref> * 生年不明 - 嬉野六香、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onsen-musume.jp/character/ureshino_rikka |title=佐賀 嬉野 六香 |access-date=4 Oct 2023 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=『温泉むすめ』}}</ref> * 生年不明 - 金角、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1500486382774816768}}</ref> * 生年不明 - バックドラフト、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group05/05-04/ |title=バックドラフト |access-date=4 Oct 2023 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref> * 生年不明 - 幕澤桜花、漫画・アニメ『[[女神のカフェテラス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|goddess_cafe_PR|1632757933326110720}}</ref> * 生年不明 - [[咲-Saki-の登場人物#妹尾佳織|妹尾佳織]]、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://sciasta.com/characters.html |title=妹尾 佳織(せのお かおり) |access-date=4 Oct 2023 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}}</ref> * 生年不明 - 白咲花、漫画・アニメ『[[私に天使が舞い降りた!|私に天使が舞い降りた!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=白咲花 |url=http://watatentv.com/chara02.html |accessdate=4 Oct 2023 |publisher=[[椋木ななつ]]・[[一迅社]]/わたてん製作委員会 |work=『私に天使が舞い降りた!』}}</ref> * 生年不明 - 吉野カズキ、漫画・アニメ『[[神クズ☆アイドル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kamikuzu_PR|1500486367654125573}}</ref> * 生年不明 - 佐々木梓、小説・アニメ『[[響け! ユーフォニアム|響け!ユーフォニアム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_eupho|1500667553173151746}}</ref> * 生年不明 - ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ、小説・漫画・アニメ『[[ロード・エルメロイII世の事件簿]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite|和書|title=ロード・エルメロイII世の事件簿 material|author=三田誠 / 坂本みねぢ|date=2020|publisher=TYPE-MOON|pages=44}}</ref> * 生年不明 - 白菊乃愛、小説・アニメ『[[ツルネ -風舞高校弓道部-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tsurune_anime|1368395983306977280}}</ref> * 生年不明 - みお、ゲーム『[[ドリームクラブ]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=|editor=エンタテインメント書籍編集部|title=ドリームクラブ ビジュアルファンブック|page=20|publisher=[[ソフトバンク クリエイティブ]]|isbn=978-4-7973-5652-6|date=2009-11-04}}</ref> * 生年不明 - [[THE IDOLM@STERの登場人物#水谷絵理|水谷絵理]]、ゲーム『[[THE IDOLM@STER Dearly Stars]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/210002 |title=水谷 絵理(みずたに えり) |website=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑 |accessdate=4 Oct 2023|publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物|片桐早苗]]、ゲーム・アニメ『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20040 |title=片桐 早苗(かたぎり さなえ) |access-date=4 Oct 2023 |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - 三善かなえ、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』シリーズに登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|838970240553738240}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター SideM#握野英雄|握野英雄]]、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://idolmaster-official.jp/sidem/idol/hideo |title=握野 英雄 |access-date=4 Oct 2023 |work=『THE iDOLM@STER SideM』 |publisher=[[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]]}}</ref> * 生年不明 - トール、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=106&cate=name&cont=Thor |title=トール |access-date=4 Oct 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - ミツキ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1632924025453412352}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commons&cat|March 7|7 March}} {{新暦365日|3|6|3|8|[[2月7日]]|[[4月7日]]|[[3月7日 (旧暦)|3月7日]]|0307|3|07}} {{1年の月と日}}
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自動列車制御装置
自動列車制御装置(じどうれっしゃせいぎょそうち、ATC : Automatic Train Control)とは、鉄道における信号保安装置の一種である。 制限速度を運転士に現示で表示しながら、一定の速度を超えた場合に自動的にブレーキを制御して速度を落とすシステムであり、発進から加速して停止するまでを自動化した自動列車運転装置(ATO)とはシステムが異なる。ただし、鉄道の自動運転では自動列車運転装置(ATO)と組み合わせた一体化したシステムになっている場合もある。また、諸外国では、信号保安システムのATP(Automatic Train Protection)、自動運転システムのATO(Automatic Train Operation)、運行管理システムのATS(Automatic Train Supervision)をサブシステムとするシステムの総称を指すこともある。 自動列車制御装置(ATC)は、他の列車との衝突や速度の超過を防ぐための保安装置として設置される。ATCは、最高速度を運転士に現示しながら、一定の制限速度を超えた場合に自動的にブレーキを制御して速度を落とすシステムである。 運転安全規範には、「先行列車との間隔及び進路の条件に応じて、車内に列車の許容運転速度を示す信号を現示し、その信号の現示に従って、列車の速度を自動作用により低下する機能を持った装置をいう」と定義されている。 地上信号機による信号確認が困難であり、見落としの可能性がある新幹線などの高速鉄道、地下鉄、長大トンネル線区、普通鉄道での稠密線区などで使用されている信号システムである。 ATCの基本的なシステムは、以下の通り。 日本の鉄道において、自動的にブレーキ制御を行うATCを最初に採用した鉄道は、1961年に開業した帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)日比谷線である。この日比谷線で採用されたATCは、それまでに開発された新技術をベースに連続照査や機械優先制御などの多くのATCが有する特徴を有する一方で、地上信号方式、確認(ブレーキ緩解)スイッチ、最高速度制限なしなど、当時の自動列車停止装置 (ATS) の特徴を引きずる折衷仕様となった。 ATCの標準的仕様である車内信号方式等を確立したのは、1964年(昭和39年)に開業した東海道新幹線である。新幹線は最高速度210km/hでの営業運転を行うにあたり、高い安全性を備えた運転保安システムが要求された。高速運転中は地上に建植された信号機では確実な現認は難しく、また高速走行中に運転士が異常や錯誤に気づいて非常ブレーキをかけても、ブレーキを掛けてから完全停止するまでに走ってしまう「制動距離」は数kmとなる。当時在来線で採用されていたATSのように、速度照査は行われず信号冒進などの異常事態が発生してから動作するというバックアップ装置では、高速走行かつ安全な運行を行うためには極めて不十分なシステムであった。 以上の理由により採用された自動列車保安装置はスピードシグナル の概念を基本として、車内信号閉塞方式 (CS-ATC : CabSignal-ATC) による速度信号現示を行い、信号現示より高い速度で運転されている場合には、自動的に速度を信号現示以下に減速させるシステムとなった。この思想がATCの基本となっている。またATCの車上装置の受信器の受信部と制御器の速度照査部の間は3重系となっており、3重系多数決論理により制御され、列車がある許容速度を超えてブレーキが掛かる場合には、その許容速度の信号電流が受信器の3つの受信部に送られ、そこで判別されたその許容速度の信号がリレー部 を介して制御器にある速度照査部の独立した3つのチャンネル に送られて、その3つのチャンネルが同じブレーキ指令を出した場合のみ ブレーキが掛かるようになっている。またATCの地上装置は各軌道回路に信号電流を流す機能の他に、列車位置検知機能も兼ねており、検知した位置情報を地上側の列車位置表示装置に送るとともに、その情報と各駅の連動装置とその他の外部条件を元に、地上装置により、列車が在線する軌道回路の後方区間に許容速度のATC信号を送信する。 運転台に現示(表示)される車内信号は、速度計の周囲に刻まれた車内信号機に速度表示を点灯させることで、列車がいる閉塞区間(軌道回路)の最高運転速度を運転士に表示する。その中で0と×の停止現示があるが、前者の方は許容信号あり、条件により停止現示を超えて列車を進行させることができるが、後者の方は絶対信号であり停止現示を超えて列車を進行させることができない。 地下鉄などに採用されたATC機能は当初、高速走行をしないため地上信号方式 (WS-ATC : WaysideSignal-ATC) が採用されたが、最近はこれらの鉄道でもCS-ATCに切り替わりつつある。またATCの軌道回路は鉄道の閉塞と同じく1つの軌道回路(閉塞区間)に1つの列車しか進入できないため、閉塞区間を識別する閉塞境界標識が線路脇に設置されており、鉄道信号機と同じく出発・場内・閉塞に分別され、さらに番号で区分して表示されている。閉塞区間での閉塞境界標識の表示は、閉塞信号機の表示と同じように、停車場の外方から第一閉塞、第二閉塞、第三閉塞...と続き、場内区間での閉塞境界標識の表示は、場内信号機の表示と同じように、停車場場内の最も遠い所から停車場に向かって第一場内、第二場内、第三場内...と続き、出発区間での閉塞境界標識の表示は、出発信号機の表示と同じように、停車場に最も近い所から外方に向かって第一出発、第二出発、第三出発...と区別されている。また、鉄道信号機のように、運転進路を表示する機能が無いため、普通鉄道においては、分岐の線路がある停車場の手前には、進路方向を表示する進路予告機、停車場の場内には、進路方向を表示する進路表示機が設置されており、その他にも、前方の信号機を視認しての予測運転ができないため、先行の閉塞区間の許容速度が現時点での許容速度より下位の場合には、軌道回路に流れる信号電流にその情報を付加して、車内信号機にその情報を予告として表示する前方制御予告情報がある。 車内信号の現示変化の切替え音は当初、1音のチンベル(仏具でいう鈴(りん)やボクシング・プロレスでの試合開始合図であるゴングに似た音)であったが、近年の車両では電子音で「ピンポーン」という音が流れるタイプも存在する。 従来形のATCは、先行列車に後続列車が接近した際に、走行速度の下位の現示速度区間に進入した場合に常用最大ブレーキ(通常使うブレーキで最も効きが強いブレーキ)をかけ、走行速度が現示速度以下になると、自動的にブレーキを緩解(緩めること)することを繰り返して列車を停止させる多段ブレーキ制御方式であり、この方式では、停止すべき地点までに数回の常用最大ブレーキとブレーキ緩解が繰り返されしまう結果になる。このような動作は乗り心地悪化の原因であり、運転間隔短縮を実現する上での障害となってしまう。そこで現示速度区間(軌道回路)の長さを短くし、2周波組み合わせ方式により現示速度表示を多現示化して、列車が走行速度の下位の現示速度区間に進入し、走行速度がその現示速度以下になる前に、さらに下位の現示速度区間に列車が進入することを繰り返すことで、スムーズに列車を停止すべき地点に停止させる、1段ブレーキ制御方式のCS-ATCが東京急行電鉄の田園都市線で初めて導入された。その後、東横線や東京地下鉄の一部路線などでさらに改良されたATC(ATC-P、東京地下鉄は営団新CS-ATC)が使用され、JRグループでは同じ理由でデジタルATCが使用されはじめている。 日本国有鉄道(国鉄)・JRグループの路線・車両にて採用されたATCには下記のような種類がある。呼び名は車上装置の形式であり、地上装置の形式とは異なる。他の鉄道事業者では呼び名が異なるので注意。 東海道新幹線開業時1964年に採用されたATCで、東海道新幹線は地上装置がATC-1A型とし、最高運転速度210km/hとして設計され、続く山陽新幹線はATC-1B型とし、東海道より最高速度を上げた。信号現示は0・30・70・110・160・210で、すべて現示速度は抑止速度(実際に速度超過でブレーキが作動する速度)であった。このうち0信号は3つあり、軌道回路が30信号を発信し、先行区間に列車が存在する場合において、各軌道回路の境目から、約150m手前に設置された地点検知の地上子 から発信されるP点信号を受信することにより作動する01(ゼロイチ)、先行区間進入などの無信号区間や各種機器の故障時等による02(ゼロニ)、ループコイルによる03(ゼロサン)があり、車上現示では区別が分からないが、01と02では確認扱いにより進行することができるが、03信号は絶対停止信号とも呼ばれ信号現示が変わらない限り進行することはできない。また、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、地上側で先行列車までの速度信号を160・30・0 (01) で発信させ、停車での駅進入の場合には、同様に列車から駅までの速度信号を160・70・30・0 (03) で発信させることにより、ATCによる多段ブレーキ制御によって列車を自動的に減速させ、車両側の信号現示が30信号になり30km/h以下になった場合、運転席にある確認ボタン押して確認扱いをすることにより、ATCのブレーキが緩解して、その後、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させる。もし、この確認ボタンの操作を怠るとATCのブレーキが作動したまま列車は停止する。また、ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合、先行列車に接近している時は、地点検知のP点の地上子から発信される01信号によって停止し、駅停車時では、出発進路の始端の外方(前方)に設置された、添線式停止制御軌道回路(ループコイル)が発信される03信号によって停止する。東海道新幹線大阪運転所脱線事故や品川基地出入場線本線合流部・新大阪駅構内の異常信号現示により、無信号時の混信における意図しない信号現示が問題になり保安度向上の必要性に迫られた。その後、保安度向上および最高速度アップに伴う現示追加のため、信号波を2周波組み合わせる方式に改良された(ATC-1D型、山陽ATC-1W)。東海道新幹線での最高現示速度は1986年の11月に220km/h に1992年の300系登場後より270km/hとなり、山陽新幹線では1997年の500系登場後より300km/hとなり、信号現示は0・30・70・120・170・220・230・255・270・275・285・300となっていた。なお、220信号以上での抑止速度は現示速度+5 km/h(300のみ+3 km/h)であり、東北・上越・北陸新幹線とは考え方が異なる。東海道新幹線では2006年3月18日にデジタルATC (ATC-NS) へ更新され、山陽新幹線でも2017年2月19日にATC-NSへ更新された。これにより、新幹線からアナログATCは姿を消した。 東北・上越新幹線開業時には、東海道・山陽新幹線で実績のあるATC-1型をベースに、2周波組み合わせ方式化して保安度を向上するとともに将来の最高速度アップに伴う現示追加や電源周波数の50/60Hz両用化で全国新幹線網に対応した上位互換の地上装置ATC-1D型が採用された。しかし車両形式が異なることから、車上装置はATC-2型とされ、以後は、車両形式にかかわらず、東海道・山陽新幹線用をATC-1 (D・W) 型、東北・上越新幹線・北陸新幹線用をATC-2型と呼称しているが、北陸新幹線用の地上装置はME(マイクロエレクトロニクス)技術を使用して装置の小型化を図ったATC-HS型が採用されている。当初の信号現示は、0・30・70・110・160・210・240で、後に260(北陸)、275(東北・上越)が追加された。また、0信号は4つになり、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、地上側で先行列車までの速度信号を210・160・110・30・0 (01) で発信させ、停車での駅進入の場合には、同様に列車から駅までの速度信号を210・160・70・30・0 (03) で発信させることにより、ATCによる多段ブレーキ制御によって列車を自動的に減速させ、車両側の信号現示が30信号になり30km/h以下になった場合、運転席にある確認ボタンを押して確認扱いをすることにより、ATCのブレーキが緩解して、その後、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させる。ATC-1型と同じく、確認ボタンの操作を怠るとATCのブレーキが作動したまま列車は停止する。ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合でも、先行列車に接近している時は、地点検知のP点の地上子から発信される01信号によって停止し、駅停車時では、出発進路の始端の外方(前方)に設置された、添線式停止制御軌道回路(ループコイル)が発信される03信号よって停止する。また、当初は200系の一部編成、その後E2系J編成・E3系にも拡大した高速対応車両は、一部区間において、トランスポンダを使用して240信号を読み替えることで275信号を現示する。なお、東北・上越・北陸新幹線においては、すべて現示速度=抑止速度である。現在は、東北・上越・北陸新幹線全線において既にデジタルATC (DS-ATC) へ更新されている。 営団地下鉄東西線(当時)乗り入れ用の地上信号方式ATC(営団WS-ATC)で国鉄形式ではATC-3型と呼ばれる。1961年の営団地下鉄日比谷線(当時)開業に伴い日本初のATCとして採用されたものと同型である(日比谷線は2003年に新CS-ATCに切り替え)。乗り入れ相手先の部分でのみ使用され国鉄区間では採用・使用されていない。同線に過去に乗り入れをしていた301系、103系1000・1200番台、E231系800番台にはATC-3型車上装置が搭載されていた。乗り入れ先の東京メトロ東西線が2007年3月にデジタルCS-ATC へ切り替えられたため、既にJRではこの形式のATCは使用されていないが、2021年8月現在、大阪メトロのうち5路線(御堂筋線へ乗り入れる北大阪急行電鉄、中央線へ乗り入れる近鉄けいはんな線も)、東京メトロ東西線に乗り入れをしている東葉高速鉄道東葉高速線でこの方式を使用している。 常磐緩行線と営団地下鉄千代田線(当時)用で国鉄形式ではATC-4型と呼ばれ、地上装置はATC-1J型と呼ばれている、信号現示は0・25・40・55・75・90である。常磐線増強のため複々線化による緩急分離と、それに伴い千代田線と直通運転するため採用されたのが営団に合わせた車内信号方式であるATC-4型(営団CS-ATC)であった。使用開始は1971年。複々線化による緩急分離営業運転開始と相互直通運転開始は同時である。その後、1999年に千代田線、2000年に常磐緩行線の運転間隔短縮実現のため、ATC-4型からATC-10型へ変更され、既にJRではこの形式のATCは使用されていない。2012年8月に東京メトロ有楽町線の新木場 - 新富町間で新CS-ATCへ切り替えが行われたため、4型は同線に直通する西武鉄道西武有楽町線を除き消滅している。 横須賀・総武快速線地下ルート用で、国鉄形式ではATC-5型と呼ばれ、地上装置はATC-1C型と呼ばれている、1972年 - 1976年に開通した総武快速線・横須賀線は、信号見通し距離の確保が困難であったためATC-4型と同等のCS-ATCを採用することになったが、信号現示が0・25・45・65・75・90で異なり、車上装置には使用線区両端部である錦糸町駅・品川駅でのATS切替機能を追加したため、ATC-5型と呼称される。地上装置はATC-1C型である。なお、2004年に総武快速線・横須賀線の地上部で使用されていた地上信号方式のATS-Pへ切替統一されたため、以降この形式のATCを使用している区間はない。 1972年に発生した日暮里駅追突事故を契機に、地下線区でない国電線区に保安度の高いATCを導入することとなり、標準ATCとして開発された。すなわち、ATC-5型をベースとしながら現示段数を細分化して既設線路条件に適合しやすくし、信号現示は0・15・25・45・55・65・75・90・100・110・120となった。国鉄形式ではATC-6型と呼ばれ、ATC-5型に対して上位互換性がある。地上装置としてはATC-1E型で、山手線、京浜東北線は最高速度90km/hだが、コードとしては埼京線と同じく120km/hまで割り当てられている。 第一期工事で1981年に山手線、京浜東北線(大宮 - 蒲田間)が、第二期工事で1984年に赤羽線、京浜東北線(蒲田 - 横浜間)、根岸線が使用開始となる。翌1985年に赤羽線の延長ともいえる通勤新線の大宮 - 赤羽区間が新規開通、赤羽線を吸収した形の埼京線全線で使用開始となる。また、1986年には埼京線が乗り入れることになった山手貨物線の一部区間でも使用開始となる。上記のうち山手貨物線と根岸線の一部区間はバックアップATC区間といい、貨物列車などのATC非搭載車両が入線できるよう地上側にATC-6型とATSを併設してあった。ATC非搭載車はATSを使用するが、ATC搭載車は地上信号機を視認しながら保安装置としてATC機能をそのまま活用するものである。 その後、山手貨物線(埼京線新宿駅 - 池袋駅間)のバックアップATC区間は、2003年5月25日に実施された線路切替工事の際ATS-Pに変更した。京浜東北・根岸線(南浦和駅 - 鶴見駅間)は2003年12月21日に、山手線は2006年7月30日に、京浜東北・根岸線の残存区間は2009年8月14日にD-ATCに切り替えた。最後まで使用されていた埼京線池袋駅 - 大宮駅も2017年11月4日にATACSに切替られた。 筑肥線と直通運転する福岡市交通局(福岡市地下鉄)のATCは、国鉄形式がATC-9型となった。 一段ブレーキ制御方式ATC(アナログ形)で、地上装置としては正式な略称は無い、ATC現示の多現示化に対応しており、東京地下鉄新CS-ATCと同じである。常磐緩行線および直通運転を実施している東京メトロ千代田線に採用されている。東京地下鉄各線も、2012年8月までにこの方式に変更されている。信号現示は0・10 - 90は5km/h刻み。新CS-ATCの項も参照のこと。 1987年に開業した海峡線(新中小国信号場 - 木古内駅間)に採用されていた。将来の北海道新幹線延伸計画を考慮し、当時の東北新幹線のATC-1D型(ATC-2型)との互換性を意識した方式である。地上装置はATC-1F型と呼ばれていて、ATCの信号波は2周波組合わせ方式を使用し、常時送信ではなく踏込送信方式となっている。開業時は、ほとんどの列車がED79形電気機関車に牽引される自動ブレーキのみの方式であり、ATCブレーキ動作後の自動緩解(弛め動作)が難しく、込め不足の危険があるため、制限速度が変化する進路の1進路手前で予告現示を行い、ブレーキハンドル位置を指定し、進路境界までに運転士の操作で減速させる方式とした。考え方としてはフランス国鉄のTGVで採用されている方式と類似している。もちろん、運転士による減速が行われないまま進路境界を越えると、自動的に常用最大ブレーキが作動する。自動緩解が行われないため、当初はATCのハードを使ったATSとしてATS-L型と称していたが、車内信号閉塞式であることから制度上ATSとしては認められずATCの一種という整理がなされ、正式開業時にはATC-L型となった。ちなみにLはLocomotive(機関車)の意味である。信号現示は0・45R・45・110Y・110で、45R・110Yがそれぞれ0・45の予告となっている。電車列車(485系、781系、789系、785系(クハ784-303))は、機能上通常のATCであり、信号現示は0・55・105・140となっている。 直通先の東北新幹線は2007年までに全線がDS-ATCに切り替えられており、それに合わせる形で北海道新幹線開通の直前の2016年3月22日の設備切り替え工事により、ATC-LからDS-ATCに切替られ、現存形式としては消滅した。在来線車両(EH500形およびED79形・485系・789系・785系)のDS-ATCと25000V対応は実施されなかったので海峡線(青函トンネル区間)が走行できなくなったため、貨物列車の牽引機はEH800形に置き換えられ、EH500形は本州内へ、789系は道内へと運用場所を移した。そして用途が失われたED79形・785系は引退した。 デジタルATCは車上主体型のシステムであり、「閉塞区間」という概念を持たないため、閉塞方式に含まれない。鉄道に関する技術上の基準を定める省令においては、「列車間の間隔を確保する装置による方法」に該当する。 JR化後に開発・採用されたデジタルATCは以下のような種類がある。 東日本旅客鉄道(JR東日本)の在来線で採用されており、D-ATC (Digital-ATC) と呼称する。 従来のアナログATCでは軌道回路による地上装置から許容速度を直接指示して、停止時には、それによる多段ブレーキ制御によって列車を停止させていた地上主体型のシステム(ゆえにアナログATCは閉塞方式に含まれる)であったが、D-ATCでは車上装置から許容速度を直接指示して、停止時には、一段ブレーキにより列車を停止させる車上主体型のシステムである。地上装置 の送受信部から、列車検知の電文信号(TD電文と呼ばれるデジタル信号)を各軌道回路に送信して、列車の在線の有無をレベル変化により検知し、検知した列車位置情報を光ケーブルのATC-LANを介して地上装置の論理部に送り、論理部は送られた列車位置情報、連動装置からの路線の進路情報、架線のエアセクション等の情報を元に、列車を停止すべき停止点 の情報を作成して、その情報をD-ATC電文信号 としてATC-LANと送受信部を介して列車が在線する軌道回路の後方区間に送信する。列車側の車上装置には、路線情報と速度照査パターンが記録されたデータベースが搭載されており、車両に付けられている速度発電機のパルス出力により算出される移動距離、一定距離で設置した位置補正用トランスポンダ地上子 による補正、線区全体の路線情報を記録した車上装置のデータベースを併せることにより、常に自列車位置を把握している。車上装置の受信器がD-ATC電文信号の情報を受信すると、該当する速度照査パターンをデータベースの中から検索して、該当する速度照査パターンと自列車位置を元に求めた許容速度を車内信号で表示するとともに、停止時にはATS-Pと同じく、車上主体型の速度照査パターン制御による自列車の速度と求めた許容速度と比較して停止点まで停止させる。車上装置のデータベースを使用しているため、車両性能に応じたブレーキ扱いが可能となり、車両性能に応じて軌道回路の長さの変更などの地上設備の改修を行うことなく、列車運転間隔と運転所要時分の短縮を図ることができる。乗り心地の向上 や保安性の向上、スピードアップによる運転密度の向上が図られている。また、列車の現在地が車上のデータベースの路線情報に無く現在地が把握できない場合、ATC信号の消失、装置自体の故障や速度発電機の故障または異常検知、列車の後退やATCによるブレーキ不足を検知した場合は直ちに非常ブレーキが作動する。D-ATCは本線運転と入換運転とで制御方式を変えているため、本線モードと入換モードを設けており、モードの切替は、切替区間でD-ATC電文を受信 することにより自動で切替えられる。 車内信号の速度表示は5km/h刻み、減速パターン部分は無段階(ただし表示機の都合上E233系・E235系は1km/h刻み、他の車両は5km/h刻みでの速度表示)で、速度計を取り囲むように緑の▼(0 km/hのみ赤の▼)で表示するほか、走行速度がATCの速度照査パターンに近づくとパターン接近を表示する。またデジタル電文による通信で扱える情報量が増えたため、先行列車の位置や踏切の非常ボタンが押された等の付帯情報も列車に送信し運転台に表示できる。 京浜東北線は、同線で運用されている209系に順次D-ATC車上装置取付改造を実施したうえで、2003年12月21日に南浦和駅 - 鶴見駅間がD-ATCへ変更された。 山手線は2005年4月をもって、205系からD-ATC車上装置が搭載されたE231系500番台への置き換えが完了した。地上装置側の整備を待ち、2006年7月30日に全線がD-ATCへ変更された。これに伴い2007年3月18日のダイヤ改正で、1周59分で運転される。 京浜東北線の残存区間および根岸線についても、直通する横浜線車両205系のD-ATC対応化や地上設備の更新が終了し2009年8月14日にD-ATC化された。 なお、2005年5月14日より使用を開始した東京都交通局(都営地下鉄)新宿線の新ATCもD-ATCのシステムをほぼ踏襲している。 台湾高速鉄道も700系ベースではあるが、700T形のD-ATCとしている。 東日本旅客鉄道(JR東日本)の東北・上越・北陸新幹線で採用されており、DS-ATC (Digital communication & control for Shinkansen-ATC) と呼称する。 2002年12月の東北新幹線盛岡~八戸間延伸開業で使用が開始され、2013年までに東北・上越・北陸新幹線の全線で、アナログ型のATC-2型からDS-ATCへ更新された。 基本的なシステムはD-ATCと同じであるもの、列車側では車上装置 には、走行路線の線路情報と速度照査パターン をデータベースとして記録しており、車上装置では速度発電機のパルス出力より算出した移動距離、トランスポンダ地上子から受信した位置情報、データベースで記録されている路線情報を元に、列車の位置と速度を常に把握している。一方、地上側では、日立製作所勝田事業所で製作されたとみられるSAINT-LAN (Shinkansen ATC and INTerlorcking) と呼ばれる地上装置があり、そこで軌道回路による列車の検知、列車の停止位置の決定、伝送する信号電文の作成を行い、作成された列車の停止すべき点の情報をデジタルATC信号として列車が在線する軌道回路の後方区間に送信する。それを車上装置が受信することにより、車上装置のデータベースから速度照査パターンを検索し、該当した速度照査パターンと列車の位置から、その時点での許容速度を算出し、ブレーキが掛かる際には、列車速度と比較しながら最適なブレーキ力を算出して、一段ブレーキにより減速する。高速走行等を考慮し、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、列車の最高速度から停止まで、ATCの速度照査パターンによる一段ブレーキになるが、停車での駅進入の場合には、列車の最高速度から75km/h まで、75 km/hから停車までの、ATCの速度照査パターンによる二段ブレーキとなっており、75 km/h以下からは、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させ、従来のATC-2型で行われていた確認ボタンによる確認扱いは行わない。ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合には、ATCのブレーキパターンにより、進路終端までに列車を自動的に停止させる。また、速度照査パターンにより列車を自動的に減速させる時には、ATCのブレーキの強弱を行うことにより、そのパターンに沿った滑らかな減速を行えるようになっている(ただしEH800はATCブレーキの自動減速はできない為、警告から非常制動までの猶予が大きい)。車庫線での車両入換については、進入番線を地上信号機ではなく運転台の表示で確認できるようになっている。これらの関係でATC信号から受信した電文には、誤りがないことを検定するチェック用電文が含まれており、電文の正当性チェックを行うため、認識するのに多少時間がかかることから、非常ブレーキについては、動作応答を速めるため特定のビットを連続して受信すると即座に動作するよう設定している。D-ATC・DS-ATCは、下記ATC-NS・KS-ATCとは異なり、速度照査パターンデータはあらかじめ作成済みのものをデータベースとして所持し、地上からの停止点情報を元にそのパターンデータを「検索」するという方式を採用しているため、速度照査パターンを都度演算するATC-NSで導入当初に頻発した演算エラー等での停止信号現示などの現象は起きにくいとされている。着眼点は地震の規模からあらかじめ津波予測を計算・データ化し保存しておき、地震発生時はそのなかから最適データを引き出すだけとする津波予報システムと同様の考え方といえる。 海峡線のうち、新中小国信号場から木古内駅の間は、北海道新幹線の開業に合わせて設備(交流25,000V、DS-ATC、三線軌条)が更新された。そのため、同区間を通過する在来線列車は、対応する車上装置を搭載した形式に限定されることとなった。客貨車による列車は、すべてJR貨物EH800形電気機関車の牽引によって同区間を通過する。また、TRAIN SUITE 四季島に使用されるE001形も、前述の仕様を満たしており、自力走行で同区間を通過する。 日本で初めてとなる無線を使用したATCであるが、同路線ではすでにDS-ATCが運用されており、当面はDS-ATCが使用できない時に使用する代用保安方式の一種(無線代用保安装置)として使用する。 無線設備はデジタル列車無線のうち、使用していないチャンネルをRS-ATCの制御に使用する。列車の停止点の設定、現在地の把握方法、車上データベースはDS-ATCと同じ仕組みとし、車上の一部のシステムをDS-ATCと共用している。列車とは当該の列車番号・現在地などを常時通信するもので、逆方向への運転も可能になっているほか、従来の代用保安方式に比べて安全性が向上されている。ただし、軌道回路を使用しないため最高速度は110km/hに制限されるほか、1駅間に1列車のみの走行に限定している。 東海旅客鉄道(JR東海)で開発が進められたデジタルATCで、ATC-NS(JR東海の英語サイトではnew ATC systemと表記)と呼称する。 当初は新ATCという名で開発が進められていたが、実用化を前に、後述する九州新幹線でKS-ATCとして先行導入し、その後、東海道新幹線への導入の際に、仕様の一部を変更したものである。東日本旅客鉄道(JR東日本)の東北・上越・北陸新幹線で採用しているDS-ATCと同様の一段ブレーキ方式であるが、多段式ブレーキ方式を用いたアナログ信号によるATC-1D型の機能も備えており、多段式ブレーキ方式から一段ブレーキ方式への切り替えを容易にしている。車上側の車上装置では、路線データと車両性能データが予め記録されており、速度発電機のパルス出力から算出した移動距離、トランスポンダ地上子から受信した位置情報を元に、自列車の位置を把握しており、地上側の地上装置 で、軌道回路による列車検知を行い、それにより検知した列車位置情報を元に作成されたデジタル電文を、列車が在線する軌道回路の後方区間に送信する方式はDS-ATCと同じだが、DS-ATCは停止点情報を送信するのに対して、ATC-NSは進行できる区間(閉塞に相当する)の数と軌道回路IDと経路コードと臨時速度制限などの情報を送信しており、それを受信した車上装置が最適な速度照査パターンを随時算出し作成して、ブレーキが掛かる際には、列車速度と比較しながらブレーキ力を随時算出して、一段ブレーキにより減速する。DS-ATCとは違い停止点情報までは車上側には送信しないため、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、列車の最高速度から手動による頭打ち速度である 30 km/hまで、ATCの速度照査パターンによる一段ブレーキになるが、停車での駅進入の場合には、列車の最高速度から分岐器制限速度まで、分岐器制限速度から手動による頭打ち速度である30km/hまでの、ATCの速度照査パターンによる二段ブレーキとなっており、両者とも、30 km/h以下になった場合には、確認ボタンによる確認扱いを行ない、その後、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させる。ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合や先行列車に接近している時には、設置された停止制御用のトランスポンダ地上子から発信される信号を受信することにより、ATC-1型の0信号の01と同じATCのブレーキが掛かり、駅停車時では、出発進路の始端の外方(前方)に設置された添線式停止制御軌道回路(ループコイル)が発信する03信号により停止する。2006年3月18日より本導入となり、300系・500系・700系については、順次ATC-NS車上装置取付改造を実施した。なお、鳥飼車両基地への回送のために鳥飼車両基地 - 新大阪駅間で東海道新幹線に乗り入れる0系・100系および700系7000番台についてはATC-NS対応改造は行われず、代替としてこの区間にATC-1型を併設することで対応した。地上設備については、静岡駅 - 浜松駅間が1段制御走行試験区間として先行導入され、同区間の更新切替が2001年12月 - 2002年1月にかけて行われた。山陽新幹線・博多南線 において2017年2月19日から運用を開始し、前述の700系7000番台もATC-NS対応改造が行われた。 九州旅客鉄道(JR九州)の九州新幹線と西九州新幹線で採用されており、KS-ATC (Kyushu Shinkansen-ATC) と呼称する。 JR東海で開発が進められていたATC-NSを実用化する前の先行導入であったため、前述のATC-NSとほぼ同じシステムであるが、KS-ATCでは、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、列車の最高速度から停止まで、ATCの速度照査パターンによる一段ブレーキになり、停車での駅進入の場合には、列車の最高速度から分岐器制限速度まで、分岐器制限速度から手動による頭打ち速度である15km/hまで、手動による頭打ち速度である15km/hから停止までの、ATCの速度照査パターンによる三段ブレーキとなっており、15 km/h以下からは、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させ、ATC-NSで行われている確認ボタンによる確認扱いは行わない。ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合には、ATCの速度照査パターンにより、進路終端までに列車を自動的に停止させる。 ATACS(アタックス、英語: Advanced Train Administration and Communications System)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が開発した列車保安装置である。 従来、軌道回路で行っていた列車位置検知を車上検知に変更し、地上と車上の通信をデジタル無線で行うのが大きな特徴である。また既存の信号システムにおける自動列車保安装置(ATSやATC)、連動装置、踏切の制御装置を全て内包している保安装置である。また日本初の移動閉塞(クロージング・イン)システムである。 2020年(令和2年)10月現在、仙石線(あおば通駅 - 東塩釜駅間)と埼京線(池袋駅 - 大宮駅間)において使用しているほか、ATACSを応用した地方交通線向け無線式列車制御システムを小海線(小諸駅 - 小淵沢駅間)で使用している。 総合車両製作所の製品紹介によれば、ATACSについて、R-ATCとの表記がみられる。 一般的に地下鉄は、カーブが多くトンネルのため見通しが効かないという特性上、より安全性の高い保安設備が要求される。直通運転をしている地上鉄道との整合性からC-ATSを採用している都営地下鉄浅草線を除いて、すべての社局・路線でATCを採用している。 おおむね車内信号式 (CS-ATC) を採用しているのが、福岡市交通局、神戸市営地下鉄の西神・山手線、北神線および海岸線、京都市営地下鉄の烏丸線および東西線、大阪市高速電気軌道(旧大阪市営地下鉄)の千日前線・長堀鶴見緑地線・今里筋線、名古屋市営地下鉄の名古屋市営地下鉄名城線・名港線・鶴舞線・桜通線・上飯田線、横浜市営地下鉄ブルーライン、仙台市地下鉄南北線、札幌市営地下鉄である。 東京地下鉄(東京メトロ、旧帝都高速度交通営団)は、1969年(昭和44年)12月以降に新規開業した千代田線・有楽町線・半蔵門線・南北線が、東京都交通局(都営地下鉄)は1978年(昭和53年)12月以降に新規開業した新宿線・大江戸線が開業当初からCS-ATCを使用している。 比較的古くから営業している大阪市高速電気軌道の前記以外の各線では、昭和40年代以降地上信号式 (WS-ATC) を採用している。 打子式ATSを使用していた銀座線・丸ノ内線、名古屋市営地下鉄東山線、T形ATS(東武鉄道と共同開発)を使用していた都営地下鉄三田線、WS-ATCを使用していた日比谷線・東西線、CS-ATCを使っていた千代田線・有楽町線、半蔵門線・都営地下鉄大江戸線は新CS-ATCに置き換えられている。2005年5月14日から都営地下鉄新宿線ではデジタルATC (D-ATC) へと移行している。 ATC-3 と構造的にはほぼ同じ。 ATC-4 と構造的にはほぼ同じ。段数が少ないことから段数の多い新CS-ATCに置き換えられている。 ATC-10と構造的にはほぼ同じで、従来のCS-ATCに代わって導入が進められている。一段ブレーキ制御では従来の方式より閉塞数を多くできるため、増発が可能になる。信号現示は0・10と10 - 80の間が5km/h刻みが基本だが、路線・会社によって若干異なる。ATCブレーキは緩和ブレーキ方式を採用しており、鉄道会社によって細部は多少異なるが、作動直後に常用最大ブレーキの半分のブレーキ力を作用させることで急減速によるショックを和らげている。この制御により、運転士が信号予告情報によりあらかじめ手動ブレーキを掛けてATCブレーキのショックを緩和する操作を行わなくても乗り心地を損なわないようになっている。信号現示が増えたため、運転台の速度計では許容速度を橙の三角形▼で示すほか、速度計の上部に、進行現示の場合は緑のランプ●を、停止現示の場合は赤のランプ●を表示する機能も追加した(入換の際はどちらも点灯しない)。また、前方の軌道回路が下位の許容速度を指示している際には、その情報を運転士に知せるために、運転台に設置された前方予告灯が点灯して、列車の無駄な力行(加速)を避け、ブレーキオフでの乗り心地の悪化を防ぐことできる。 一段ブレーキ制御にはデジタルATC (D-ATC) があるが、新CS-ATCは地上装置から直接速度現示を行い(D-ATCは列車が停止すべき位置情報を受信し車上装置が最適速度を判定して速度現示する)、最初の現示変更による制動が緩解しないうちに速度現示を変更させ、最終的な速度まで1回の制動で減速できるように許容速度が設定されている。多くの路線ではアナログ信号で伝送するほか、旧型のCS-ATCとの互換性もある。ただ、最高速度などは導入段階で一番ブレーキ性能の悪い列車に合わせているため、ブレーキ性能の異なる列車が走る路線には向いていない。また、デジタルATCとは互換性はないほか、主たるブレーキ制御はパターン制御ではないため、速度現示の変更を受けた時の速度によっては、必ずしも一段ブレーキ制御とはならず数回の制動となる場合がある。 同方式は東急田園都市線で初めて採用されたが、銀座線への導入に当たっては車上パターン式過走防護 (ORP : Over Run Protector) 機能を追加した。これは過走余裕が取れない駅での高速進入を可能にするもので、終端や分岐器直前の02信号(非常制動を指示する停止信号)の手前から15・20・25・35 km/hからの減速パターンによる速度照査を行う。この際、赤のP表示が点滅し、速度計にある赤色の針でパターン速度を表示する(滑走を検知した場合は滑走用の速度パターンになる)が、赤色の針が無いものは、線路内に設置されたORP専用の速度表示によりパターン速度を表示する。なお、東京メトロ南北線においては、赤針・ORP専用の速度表示で許容速度の表示はされず[P]の点灯と警音が鳴動する。両者ともパターン速度を超過すると非常ブレーキが作動する。同機能は後の新CS-ATC導入路線にも採用された。 一部私鉄では地下区間であったり、乗り入れ先地下鉄線と整合させたりするなどの理由により、ATCを採用している。 東急田園都市線では1968年からATSが導入され、1977年に開業した渋谷から二子玉川までの地下区間(2000年までは新玉川線と呼ばれた)は、開業当時よりCS-ATCが導入されていた。しかし、乗客の増加にともなう運転間隔の短縮に対応できないため、多現示・一段ブレーキ制御機能を持つ新CS-ATCが1991年3月16日より導入された。 従来のATCは、停止に至るまで例えば90・75・55・0km(01信号)と段階的に低位の信号が現示される。これらの信号は各段階内で速度が落ちきるように設計されているため、毎回ブレーキの制動・緩解が繰り返され乗り心地が悪いばかりでなく、必要以上に速度が落ち運転間隔短縮のネックとなっていた。 そこで、新CS-ATCでは停止信号区間の終端までに停止できることを条件に、各段階内で速度が落ちきらない内にさらに低位の信号を現示することによって、ブレーキの制動、緩解の繰り返しを解消した。この方式は一段ブレーキ制御と呼ばれ、対して従来の方式は多段ブレーキ制御と呼ばれる。 信号現示は従来の7段階から、110km/h、100km/hから10kmまでを5km/h刻み、そして0km/h、×(絶対停止または無信号)とした25段階へ増やし、きめ細かな速度制限を実現した。これは、従来のCS-ATCと同一の主信号と、新CS-ATCで追加した副信号の組み合わせを用いて指示され、従来のCS-ATCと互換性を持つ。 田園都市線では、速度制限のためのATCの機構だけでなく、途中の曲線・勾配・ポイントでの速度制限にも対応しており、その他にも、駅停車制御(停止位置超過防止 : この制御区間でATC指示速度を走行速度が超えた場合は非常停止)・後方防護(停止位置超過して列車をバックする際、通常は1閉塞以上が空いてしまうが、一定区間を停止とすることで安全にバックできる)・ORS(地上側で列車速度を検知して過速度の場合は01信号として常用ブレーキで停止)・前方予告機能(前方の軌道回路が下位の許容速度を指示している際、運転台に設置された前方予告が点灯して、無駄な力行(加速)の回避とブレーキオフによる乗り心地の悪化を防止する機能)を持ち合わせている。 また、ATCによるブレーキの動作は、作動直後に常用最大の半分のブレーキが作用し、0.5秒後常用最大になる。緩解の際は、01信号では速度8km/h以下でハーフブレーキとして停止時のショックを低減しているが、それ以外ではハーフブレーキは行われないので、運転士がハーフブレーキを行うことになる。 新CS-ATCによる一段ブレーキ制御を行い、かつ停車時間の長い駅付近の軌道回路の長さを60m程度とすることにより、2分間隔での運転を可能とした。実際のダイヤでは、1991年の導入当初2分25秒間隔からスタートしたが、1992年9月には2分15秒間隔、2004年10月には2分5秒間隔まで短縮されている。その後、2003年の営団半蔵門線延伸開業の際にトランスポンダ関連を除きATC-Pに変更となっている。 その後導入された東横線、目黒線、大井町線、東急新横浜線、みなとみらい線では、田園都市線の新CS-ATCを元に改良したATCが導入され、ATC-Pとも呼ばれる。パターン制御は行うが、緩和ブレーキ制御、ORP、駅停車制御がパターン制御の主体となる点がATS-PやデジタルATCとの違いである。 緩和ブレーキ制御は、次の軌道回路までの間に、ハーフブレーキのみで走行速度が指示速度に下がりきるかを車上側で照査パターンを発生させて計算する機構を加え乗り心地向上を実現している。これは、たとえば走行速度が80km/hで指示速度が75km/hと下がった場合、列車の速度が照査パターンを超過しない場合には、常時最大ブレーキは作動せず緩和ブレーキが作動する、これはブレーキ初速が走行速度と近い場合に有効である。 ORPは過走防護装置と呼ばれており、駅の停止線手前のレールにORP添線を敷設して、P25またはP35信号を発信している。その区間へ列車が進入して、その信号を検知した時点から残距離をカウントし、25または35km/hから7.5km/hまで降下するパターンを発生させ、その後、PEP信号を受信して、7.5km/hから5.5km/hまで降下するパターンに切替わる過走防護パターンを車上側で発生させる。運転台では、速度計の脇に「P」が点灯し、ORPゲージのある車両は、速度計の赤指針で発生パターンを表示して、列車の速度が発生したパターンを超過すると非常ブレーキが動作する。また、ORP区間に列車が入っている時、列車は自位置を把握しているわけではないので、ORP添線の長さは一定に敷設されており(P25信号で約60m、P35信号で約80m)、これにより、駅への進入速度の向上と運転時分の短縮が可能になる。通常のATCは常用ブレーキ主体だが、過走防護パターンはATCの非常ブレーキのみのバックアップという位置づけである。 駅停車制御は、田園都市線ではCS-ATCより出発進路を停止現示にして制御していたが、ATC-Pでは停車制御装置を列車に搭載して、停車駅500m手前に設置されたトランスポンダ地上子から送信される情報により、車上側で種別ごとに駅停車パターンを発生させてオーバーランを防止するとともに、列車がオーバーランしても、停車駅の出発進路の直下に設置された地上子を列車が通過するので、それにより列車が駅停車パターンを超えたことを地上側が受信して、自動的に場内進路の発信情報を停止として後方防護がなされる。なお、このトランスポンダ地上子からは臨時速度制限情報も送信されるほか、列車からは運行番号や種別などの情報が受信され指令所へ伝送する。 他にも踏切制御(トランスポンダ地上子により、車上側から地上側に種別などの情報を送信して、踏切の閉まるタイミングを変えるほか、踏切が閉まるまでは踏切の手前までに停止するように指示するほか、踏切支障の場合は一段ブレーキではなく階段状に減速するよう速度現示し、踏切付近は15km/h信号で通過できるようにする)なども導入された。 なおATC-Pは、田園都市線の新CS-ATCとは上位互換となっているため、同装置を取り付けている車両は田園都市線へも入線可能である。2003年にATC-Pに切り替わったため互換性の関係なくATC設置路線全線に車両が入線可能となった。 首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線では、東京メトロ東西線向けに準ずるデジタル伝送式新CS-ATCを採用した。最高速度160km/hでの走行を想定し、5 – 160 km/hを5km刻みで制御する。また前方予告機能のほか、終端駅など過走距離が取れない場所ではORP方式 による停止パターン制御を採用している。交流電化区間を走行する観点から、デジタル伝送を採用し、その利点を生かして場内進路情報や停止が必要な位置までの前方距離などが運転台のモニタ装置に表示される。 ATC信号は常時送信ではなく踏込送信方式となっている。列車が軌道回路に進入した際には、TD装置が列車の検知と在線を判定して在線軌道回路に信号を送信する。検知によって信号を送信するため、列車進行により次の軌道回路に列車が入った場合には、送信点の変化時において、車上側にごく僅かなタイムラグ(無信号状態)が発生するが、車上装置側に許容値内の時素を持たせて対応している。もちろん許容値を超える無信号があった場合は無信号絶対停止のためEB(非常ブレーキ)が動作する。 ただし、停車場構内の場内・出発進路のあるところは各進路設定により関係進路上の軌道回路が常時送信で送信する。 京王形ATS(多変周式点制御連続照査型ATS)からの置き換えを目的に、2010年3月より相模原線を皮切りに導入され、2011年10月2日には相模原線以外の京王線系統(京王新線・競馬場線・動物園線・高尾線を含む)全区間、2013年3月には井の頭線でも使用が開始された。京三製作所製で、京王線系統が相互乗り入れを行っている都営新宿線で導入された、日立製作所製D-ATCとは互換性を持たない。 先行列車や進路開通条件および曲線区間などによる速度制限情報に基づいて常時ブレーキパターンを演算する「車上演算式一段ブレーキATC」を採用。線路終端に接近した際の過走防止機能を搭載し、低速走行時の過走防止対策として専用地上子も設置されている。このほか停車駅誤通過防止機能も搭載し、列車種別・停車駅の表示器が設置されている。停車駅が接近すると駅の停止位置目標に合わせたブレーキパターンが演算され、停車後に7ステップ又は非常を指令することでパターンは消去される。なお誤通過防止は臨時停車にも対応する。 運転台には照査速度を示す緑の▼(0 km/hのみ赤の▼)と進行・停止を示す●・●、非常停止を示す赤×が表示される。フラット部分の照査速度は5km/h刻み、パターン部分は無段階(ただし表示器の都合上5km/hでの表示)。パターンが発生していない場合は最高速度のみ▼で表示し、パターンが発生すると制限速度まで▼が連続して表示され、パターンに沿って▼が順次消える設計となっている。停車駅で停止する際は停止位置目標に接近したところで最高5km/hの速度照査となる。なお場内停止や先行列車との接近で停止した場合はATCによる常用最大ブレーキが動作し進路開通まで緩解されない。 東武鉄道では東上線の池袋駅 - 小川町駅間でATCを導入している。2015年2月時点では、伊勢崎線・日光線・野田線(本線/野田線)系統へのATC導入は発表されていない。 なお東武鉄道のATCは、「T-DATC」 と称するが、文献等によっては「東武(型)デジタルATC」や「東武(型)ATC」とも称していることもある。 計画当初は2012年までに導入することが予定されていたが、後の計画の見直しにより約3年延期され、池袋 - 小川町間を2期に分けて整備されることとなり、第1期整備区間として2014年度に川越市 - 小川町間に、第2期整備区間として2015年度に川越市 - 池袋間にATCを導入する計画に変更された。 その後、2014年4月12日から2014年12月30日までの間、T-DATCの各種試験及び乗務員運転訓練のため、第1期整備区間の川越市 - 小川町間でT-DATCによる終電後の夜間試運転が実施され、2015年1月31日に第1期整備区間の川越市 - 小川町間に、続いて2015年6月13日には第2期整備区間のうち川越市 - 和光市間が、2015年9月26日には、和光市 - 池袋間にT-DATCが導入され、当初の計画通り池袋 - 小川町間の全線でのT-DATCの導入が完了した。 JRで採用されているデジタルATCと同様の車上演算方式であるが、東上線は東京メトロ有楽町線・副都心線、東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線と相互直通を行っており、車上装置にデータベースを持たせた場合、構内の改良工事などで線路情報の更新が必要になった際には、直通他社の車両についても更新を要請する必要が生じるため、JR方式では車上装置に線路情報データベースを持たせているところを、代わりに地上子(トランスポンダ)から線路情報を与えることで車上データベースを不要としている。また、東京メトロ新CS-ATCや東急ATC-Pなど従来のATCを改良したタイプのものと比較して、現状の閉塞軌道回路の割合を大幅に変更することなく一段ブレーキ制御を行うことができるというメリットがある。その他、速度制限がある曲線や分岐器での通過の際には、自動的にブレーキを掛けて列車の速度を制限速度に落とす機能のほか、踏切支障時の防護機能や停車駅での定位置停止・誤通過防止などの拡張性も持たせている。 運転台の速度計では新CS-ATCと同様に信号現示を5km/h刻みとしており、現示速度を橙の三角形▼で示すほか、速度計の上部に、進行現示の場合は緑のランプ●を、停止現示の場合は赤のランプ●を表示する。また、ORP機能を持っており、新CS-ATCが35km/h以下で作動するのに対して、T-DATCでは60km/h以下で作動するようになっている。速度計の赤色の針でパターン速度を表示するが、それ以外では、進行現示でも許容最高速度を赤色の針で表示する。 曲線や分岐器での速度制限区間に接近する場合には、地上子から送られた速度制限情報を基に、現示速度を示す橙の三角形▼がその速度制限まで移動して、車上側で演算された減速パターンにより、速度計の赤色の針がその現示速度までそのパターンに沿って動くようになっており、速度計の針が赤色の針を超えずに速度を減速させた場合には問題ないが、速度計の針が赤色の針を超えた場合には、制限速度以下まで常用最大ブレーキが掛かる仕組みとなっている。 先行の閉塞区間が停止現示や駅停車時でのORPが機能する場合には、60 km/h以下になると、現示速度を示す橙の三角形▼が0km/hまで移動するとともに、停止現示の赤のランプ●とオレンジのP表示が点灯して、車上側で演算された減速パターンにより、速度計の赤色の針がそのパターンに沿って0km/hまで動くようになっており、速度計の針が赤色の針を超えずに速度を減速させた場合には問題ないが、速度計の針が赤色の針を超えた場合には、制限速度以下までブレーキが掛かる仕組みとなっている。また、速度現示アップ時には、基本的に速度現示表示とともに許容最高速度の赤針も動いて表示が変わるが、速度制限解除地点付近などでトランスポンダの設置位置と閉塞軌道回路の境界の位置が若干離れているなどパターン速度の更新のタイミングによっては、速度現示表示より先に速度計のパターン速度の赤針が動くことがある。 なお、JRのD-ATCと同様に、速度計の黒針(走行速度)が赤針(ATCの許容最高速度またはパターン速度)に近づくとブザー音(「ピーッ、ピーッ」)とともにパターン接近が点灯する。 分岐器の手前の軌道回路においては、進路予告機や進路表示器の代わりに、T-DATCの車内信号による進路予告表示がおこなわれ、表示灯の←(左分岐)・↑(直進)・→(右分岐)のいずれかの表示が点滅し進路予告が表示される。 新幹線のATC設備のうち駅構内の場内進路・出発進路の始端の外方(前方)には添線式停止制御軌道回路(ループコイル)が敷設されており、敷設箇所を示す停止限界標識が近接して建植されている。各進路が設定されていないときは絶対停止信号(03信号)が送信される、また、駅で本線と合流する副本線の出発進路や車両基地の回送線と本線と合流地点の出発進路には、進入検知器が設置されており、列車が過走して停止限界標識やループコイルを超えて隣接線の進路に入った場合には、進入検知器が列車を検知して、隣接線の列車に緊急停止信号を送信して列車を防護する。終着駅での過走余裕(停止目標 - 車止め間)が無い所では、列車の終端防護のために速度照査停止制御装置が設置されている。これはJR各社によって仕組みやシステムが違うが、東海道新幹線では、終端に向かって、レールの両側に2基一対の車軸検出子を6つとループコイルを3つ設置して、列車が所定停止標識に停止するまでの速度を車軸検出子が速度照査し、決められた速度以下を検知した場合は、車軸検出子から所定停止標識までの1つのループコイルに03信号を送信しないが、決められた速度以上を検知した場合は、そのループコイルに03信号を送信して、列車を停止させる。また、列車が所定停止標識を超えた場合には、そこに設置された車軸検出子がそれを検知して、所定停止標識から停止限界標識までに設置されたもう1つのループコイルに03信号を送信する。さらにその奥に、停止限界標識から車止標識までにループコイルが設置されているが、これは列車の速度や接近に関係なく、常に03信号が送信されている。 東北・上越新幹線のDS-ATCでは入換信号もATCによって現示される。東海道・山陽新幹線は新旧どちらのATCでも地上信号機によって現示され、九州新幹線も同様である。ただし、手信号代用器は、駅の出発進路地点に設けられた地上信号機(入換信号器)の上に設置されており、駅間でATCによる運転ができない場合による代用保安方式 での運転の際に使用される。 台湾桃園国際空港(台湾中正空港から2006年改称)の新交通システムでは、ATC(Automatic Train Control)は信号保安システムのATP(Automatic Train Protection)、自動運転システムのATO(Automatic Train Operation)、運行管理システムのATS(Automatic Train Supervision)をサブシステムとするシステム全体をいう。 香港国際空港の新交通システムである香港国際空港新交通システム(The Hong Kong International Airport Automated People Mover)でも、ATCのシステムはATP、ATO、ATSをサブシステムとするシステムとなっている。香港国際空港新交通システムのATCでは、ATPは車内信号現時方式でチェックイン・チェックアウト方式の信号保安機能、ATOは車上演算方式での自動運転や定位置停止機能、ATCは運行監視や運行記録を管理する機能をもつ。 マカオAGTシステムは、全自動無人運転のゴムタイヤ車両を使用したマカオLRT(Macau Light Rapid Transit)のタイパ線(2019年供用開始)で使用されているシステムである。マカオAGTシステムは全自動無人運転の中量輸送システムで自動列車制御(ATC)信号システムが利用されている。自動列車制御システムの信号システムには無線式列車制御システム(Communications-Based Train Control-CBTC)が採用されており双方向で連続的な通信が可能な通信方式になっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "自動列車制御装置(じどうれっしゃせいぎょそうち、ATC : Automatic Train Control)とは、鉄道における信号保安装置の一種である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "制限速度を運転士に現示で表示しながら、一定の速度を超えた場合に自動的にブレーキを制御して速度を落とすシステムであり、発進から加速して停止するまでを自動化した自動列車運転装置(ATO)とはシステムが異なる。ただし、鉄道の自動運転では自動列車運転装置(ATO)と組み合わせた一体化したシステムになっている場合もある。また、諸外国では、信号保安システムのATP(Automatic Train Protection)、自動運転システムのATO(Automatic Train Operation)、運行管理システムのATS(Automatic Train Supervision)をサブシステムとするシステムの総称を指すこともある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "自動列車制御装置(ATC)は、他の列車との衝突や速度の超過を防ぐための保安装置として設置される。ATCは、最高速度を運転士に現示しながら、一定の制限速度を超えた場合に自動的にブレーキを制御して速度を落とすシステムである。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "運転安全規範には、「先行列車との間隔及び進路の条件に応じて、車内に列車の許容運転速度を示す信号を現示し、その信号の現示に従って、列車の速度を自動作用により低下する機能を持った装置をいう」と定義されている。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "地上信号機による信号確認が困難であり、見落としの可能性がある新幹線などの高速鉄道、地下鉄、長大トンネル線区、普通鉄道での稠密線区などで使用されている信号システムである。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ATCの基本的なシステムは、以下の通り。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "日本の鉄道において、自動的にブレーキ制御を行うATCを最初に採用した鉄道は、1961年に開業した帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)日比谷線である。この日比谷線で採用されたATCは、それまでに開発された新技術をベースに連続照査や機械優先制御などの多くのATCが有する特徴を有する一方で、地上信号方式、確認(ブレーキ緩解)スイッチ、最高速度制限なしなど、当時の自動列車停止装置 (ATS) の特徴を引きずる折衷仕様となった。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ATCの標準的仕様である車内信号方式等を確立したのは、1964年(昭和39年)に開業した東海道新幹線である。新幹線は最高速度210km/hでの営業運転を行うにあたり、高い安全性を備えた運転保安システムが要求された。高速運転中は地上に建植された信号機では確実な現認は難しく、また高速走行中に運転士が異常や錯誤に気づいて非常ブレーキをかけても、ブレーキを掛けてから完全停止するまでに走ってしまう「制動距離」は数kmとなる。当時在来線で採用されていたATSのように、速度照査は行われず信号冒進などの異常事態が発生してから動作するというバックアップ装置では、高速走行かつ安全な運行を行うためには極めて不十分なシステムであった。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "以上の理由により採用された自動列車保安装置はスピードシグナル の概念を基本として、車内信号閉塞方式 (CS-ATC : CabSignal-ATC) による速度信号現示を行い、信号現示より高い速度で運転されている場合には、自動的に速度を信号現示以下に減速させるシステムとなった。この思想がATCの基本となっている。またATCの車上装置の受信器の受信部と制御器の速度照査部の間は3重系となっており、3重系多数決論理により制御され、列車がある許容速度を超えてブレーキが掛かる場合には、その許容速度の信号電流が受信器の3つの受信部に送られ、そこで判別されたその許容速度の信号がリレー部 を介して制御器にある速度照査部の独立した3つのチャンネル に送られて、その3つのチャンネルが同じブレーキ指令を出した場合のみ ブレーキが掛かるようになっている。またATCの地上装置は各軌道回路に信号電流を流す機能の他に、列車位置検知機能も兼ねており、検知した位置情報を地上側の列車位置表示装置に送るとともに、その情報と各駅の連動装置とその他の外部条件を元に、地上装置により、列車が在線する軌道回路の後方区間に許容速度のATC信号を送信する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "運転台に現示(表示)される車内信号は、速度計の周囲に刻まれた車内信号機に速度表示を点灯させることで、列車がいる閉塞区間(軌道回路)の最高運転速度を運転士に表示する。その中で0と×の停止現示があるが、前者の方は許容信号あり、条件により停止現示を超えて列車を進行させることができるが、後者の方は絶対信号であり停止現示を超えて列車を進行させることができない。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "地下鉄などに採用されたATC機能は当初、高速走行をしないため地上信号方式 (WS-ATC : WaysideSignal-ATC) が採用されたが、最近はこれらの鉄道でもCS-ATCに切り替わりつつある。またATCの軌道回路は鉄道の閉塞と同じく1つの軌道回路(閉塞区間)に1つの列車しか進入できないため、閉塞区間を識別する閉塞境界標識が線路脇に設置されており、鉄道信号機と同じく出発・場内・閉塞に分別され、さらに番号で区分して表示されている。閉塞区間での閉塞境界標識の表示は、閉塞信号機の表示と同じように、停車場の外方から第一閉塞、第二閉塞、第三閉塞...と続き、場内区間での閉塞境界標識の表示は、場内信号機の表示と同じように、停車場場内の最も遠い所から停車場に向かって第一場内、第二場内、第三場内...と続き、出発区間での閉塞境界標識の表示は、出発信号機の表示と同じように、停車場に最も近い所から外方に向かって第一出発、第二出発、第三出発...と区別されている。また、鉄道信号機のように、運転進路を表示する機能が無いため、普通鉄道においては、分岐の線路がある停車場の手前には、進路方向を表示する進路予告機、停車場の場内には、進路方向を表示する進路表示機が設置されており、その他にも、前方の信号機を視認しての予測運転ができないため、先行の閉塞区間の許容速度が現時点での許容速度より下位の場合には、軌道回路に流れる信号電流にその情報を付加して、車内信号機にその情報を予告として表示する前方制御予告情報がある。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "車内信号の現示変化の切替え音は当初、1音のチンベル(仏具でいう鈴(りん)やボクシング・プロレスでの試合開始合図であるゴングに似た音)であったが、近年の車両では電子音で「ピンポーン」という音が流れるタイプも存在する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "従来形のATCは、先行列車に後続列車が接近した際に、走行速度の下位の現示速度区間に進入した場合に常用最大ブレーキ(通常使うブレーキで最も効きが強いブレーキ)をかけ、走行速度が現示速度以下になると、自動的にブレーキを緩解(緩めること)することを繰り返して列車を停止させる多段ブレーキ制御方式であり、この方式では、停止すべき地点までに数回の常用最大ブレーキとブレーキ緩解が繰り返されしまう結果になる。このような動作は乗り心地悪化の原因であり、運転間隔短縮を実現する上での障害となってしまう。そこで現示速度区間(軌道回路)の長さを短くし、2周波組み合わせ方式により現示速度表示を多現示化して、列車が走行速度の下位の現示速度区間に進入し、走行速度がその現示速度以下になる前に、さらに下位の現示速度区間に列車が進入することを繰り返すことで、スムーズに列車を停止すべき地点に停止させる、1段ブレーキ制御方式のCS-ATCが東京急行電鉄の田園都市線で初めて導入された。その後、東横線や東京地下鉄の一部路線などでさらに改良されたATC(ATC-P、東京地下鉄は営団新CS-ATC)が使用され、JRグループでは同じ理由でデジタルATCが使用されはじめている。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "日本国有鉄道(国鉄)・JRグループの路線・車両にて採用されたATCには下記のような種類がある。呼び名は車上装置の形式であり、地上装置の形式とは異なる。他の鉄道事業者では呼び名が異なるので注意。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "東海道新幹線開業時1964年に採用されたATCで、東海道新幹線は地上装置がATC-1A型とし、最高運転速度210km/hとして設計され、続く山陽新幹線はATC-1B型とし、東海道より最高速度を上げた。信号現示は0・30・70・110・160・210で、すべて現示速度は抑止速度(実際に速度超過でブレーキが作動する速度)であった。このうち0信号は3つあり、軌道回路が30信号を発信し、先行区間に列車が存在する場合において、各軌道回路の境目から、約150m手前に設置された地点検知の地上子 から発信されるP点信号を受信することにより作動する01(ゼロイチ)、先行区間進入などの無信号区間や各種機器の故障時等による02(ゼロニ)、ループコイルによる03(ゼロサン)があり、車上現示では区別が分からないが、01と02では確認扱いにより進行することができるが、03信号は絶対停止信号とも呼ばれ信号現示が変わらない限り進行することはできない。また、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、地上側で先行列車までの速度信号を160・30・0 (01) で発信させ、停車での駅進入の場合には、同様に列車から駅までの速度信号を160・70・30・0 (03) で発信させることにより、ATCによる多段ブレーキ制御によって列車を自動的に減速させ、車両側の信号現示が30信号になり30km/h以下になった場合、運転席にある確認ボタン押して確認扱いをすることにより、ATCのブレーキが緩解して、その後、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させる。もし、この確認ボタンの操作を怠るとATCのブレーキが作動したまま列車は停止する。また、ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合、先行列車に接近している時は、地点検知のP点の地上子から発信される01信号によって停止し、駅停車時では、出発進路の始端の外方(前方)に設置された、添線式停止制御軌道回路(ループコイル)が発信される03信号によって停止する。東海道新幹線大阪運転所脱線事故や品川基地出入場線本線合流部・新大阪駅構内の異常信号現示により、無信号時の混信における意図しない信号現示が問題になり保安度向上の必要性に迫られた。その後、保安度向上および最高速度アップに伴う現示追加のため、信号波を2周波組み合わせる方式に改良された(ATC-1D型、山陽ATC-1W)。東海道新幹線での最高現示速度は1986年の11月に220km/h に1992年の300系登場後より270km/hとなり、山陽新幹線では1997年の500系登場後より300km/hとなり、信号現示は0・30・70・120・170・220・230・255・270・275・285・300となっていた。なお、220信号以上での抑止速度は現示速度+5 km/h(300のみ+3 km/h)であり、東北・上越・北陸新幹線とは考え方が異なる。東海道新幹線では2006年3月18日にデジタルATC (ATC-NS) へ更新され、山陽新幹線でも2017年2月19日にATC-NSへ更新された。これにより、新幹線からアナログATCは姿を消した。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "東北・上越新幹線開業時には、東海道・山陽新幹線で実績のあるATC-1型をベースに、2周波組み合わせ方式化して保安度を向上するとともに将来の最高速度アップに伴う現示追加や電源周波数の50/60Hz両用化で全国新幹線網に対応した上位互換の地上装置ATC-1D型が採用された。しかし車両形式が異なることから、車上装置はATC-2型とされ、以後は、車両形式にかかわらず、東海道・山陽新幹線用をATC-1 (D・W) 型、東北・上越新幹線・北陸新幹線用をATC-2型と呼称しているが、北陸新幹線用の地上装置はME(マイクロエレクトロニクス)技術を使用して装置の小型化を図ったATC-HS型が採用されている。当初の信号現示は、0・30・70・110・160・210・240で、後に260(北陸)、275(東北・上越)が追加された。また、0信号は4つになり、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、地上側で先行列車までの速度信号を210・160・110・30・0 (01) で発信させ、停車での駅進入の場合には、同様に列車から駅までの速度信号を210・160・70・30・0 (03) で発信させることにより、ATCによる多段ブレーキ制御によって列車を自動的に減速させ、車両側の信号現示が30信号になり30km/h以下になった場合、運転席にある確認ボタンを押して確認扱いをすることにより、ATCのブレーキが緩解して、その後、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させる。ATC-1型と同じく、確認ボタンの操作を怠るとATCのブレーキが作動したまま列車は停止する。ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合でも、先行列車に接近している時は、地点検知のP点の地上子から発信される01信号によって停止し、駅停車時では、出発進路の始端の外方(前方)に設置された、添線式停止制御軌道回路(ループコイル)が発信される03信号よって停止する。また、当初は200系の一部編成、その後E2系J編成・E3系にも拡大した高速対応車両は、一部区間において、トランスポンダを使用して240信号を読み替えることで275信号を現示する。なお、東北・上越・北陸新幹線においては、すべて現示速度=抑止速度である。現在は、東北・上越・北陸新幹線全線において既にデジタルATC (DS-ATC) へ更新されている。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "営団地下鉄東西線(当時)乗り入れ用の地上信号方式ATC(営団WS-ATC)で国鉄形式ではATC-3型と呼ばれる。1961年の営団地下鉄日比谷線(当時)開業に伴い日本初のATCとして採用されたものと同型である(日比谷線は2003年に新CS-ATCに切り替え)。乗り入れ相手先の部分でのみ使用され国鉄区間では採用・使用されていない。同線に過去に乗り入れをしていた301系、103系1000・1200番台、E231系800番台にはATC-3型車上装置が搭載されていた。乗り入れ先の東京メトロ東西線が2007年3月にデジタルCS-ATC へ切り替えられたため、既にJRではこの形式のATCは使用されていないが、2021年8月現在、大阪メトロのうち5路線(御堂筋線へ乗り入れる北大阪急行電鉄、中央線へ乗り入れる近鉄けいはんな線も)、東京メトロ東西線に乗り入れをしている東葉高速鉄道東葉高速線でこの方式を使用している。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "常磐緩行線と営団地下鉄千代田線(当時)用で国鉄形式ではATC-4型と呼ばれ、地上装置はATC-1J型と呼ばれている、信号現示は0・25・40・55・75・90である。常磐線増強のため複々線化による緩急分離と、それに伴い千代田線と直通運転するため採用されたのが営団に合わせた車内信号方式であるATC-4型(営団CS-ATC)であった。使用開始は1971年。複々線化による緩急分離営業運転開始と相互直通運転開始は同時である。その後、1999年に千代田線、2000年に常磐緩行線の運転間隔短縮実現のため、ATC-4型からATC-10型へ変更され、既にJRではこの形式のATCは使用されていない。2012年8月に東京メトロ有楽町線の新木場 - 新富町間で新CS-ATCへ切り替えが行われたため、4型は同線に直通する西武鉄道西武有楽町線を除き消滅している。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "横須賀・総武快速線地下ルート用で、国鉄形式ではATC-5型と呼ばれ、地上装置はATC-1C型と呼ばれている、1972年 - 1976年に開通した総武快速線・横須賀線は、信号見通し距離の確保が困難であったためATC-4型と同等のCS-ATCを採用することになったが、信号現示が0・25・45・65・75・90で異なり、車上装置には使用線区両端部である錦糸町駅・品川駅でのATS切替機能を追加したため、ATC-5型と呼称される。地上装置はATC-1C型である。なお、2004年に総武快速線・横須賀線の地上部で使用されていた地上信号方式のATS-Pへ切替統一されたため、以降この形式のATCを使用している区間はない。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1972年に発生した日暮里駅追突事故を契機に、地下線区でない国電線区に保安度の高いATCを導入することとなり、標準ATCとして開発された。すなわち、ATC-5型をベースとしながら現示段数を細分化して既設線路条件に適合しやすくし、信号現示は0・15・25・45・55・65・75・90・100・110・120となった。国鉄形式ではATC-6型と呼ばれ、ATC-5型に対して上位互換性がある。地上装置としてはATC-1E型で、山手線、京浜東北線は最高速度90km/hだが、コードとしては埼京線と同じく120km/hまで割り当てられている。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "第一期工事で1981年に山手線、京浜東北線(大宮 - 蒲田間)が、第二期工事で1984年に赤羽線、京浜東北線(蒲田 - 横浜間)、根岸線が使用開始となる。翌1985年に赤羽線の延長ともいえる通勤新線の大宮 - 赤羽区間が新規開通、赤羽線を吸収した形の埼京線全線で使用開始となる。また、1986年には埼京線が乗り入れることになった山手貨物線の一部区間でも使用開始となる。上記のうち山手貨物線と根岸線の一部区間はバックアップATC区間といい、貨物列車などのATC非搭載車両が入線できるよう地上側にATC-6型とATSを併設してあった。ATC非搭載車はATSを使用するが、ATC搭載車は地上信号機を視認しながら保安装置としてATC機能をそのまま活用するものである。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "その後、山手貨物線(埼京線新宿駅 - 池袋駅間)のバックアップATC区間は、2003年5月25日に実施された線路切替工事の際ATS-Pに変更した。京浜東北・根岸線(南浦和駅 - 鶴見駅間)は2003年12月21日に、山手線は2006年7月30日に、京浜東北・根岸線の残存区間は2009年8月14日にD-ATCに切り替えた。最後まで使用されていた埼京線池袋駅 - 大宮駅も2017年11月4日にATACSに切替られた。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "筑肥線と直通運転する福岡市交通局(福岡市地下鉄)のATCは、国鉄形式がATC-9型となった。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "一段ブレーキ制御方式ATC(アナログ形)で、地上装置としては正式な略称は無い、ATC現示の多現示化に対応しており、東京地下鉄新CS-ATCと同じである。常磐緩行線および直通運転を実施している東京メトロ千代田線に採用されている。東京地下鉄各線も、2012年8月までにこの方式に変更されている。信号現示は0・10 - 90は5km/h刻み。新CS-ATCの項も参照のこと。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1987年に開業した海峡線(新中小国信号場 - 木古内駅間)に採用されていた。将来の北海道新幹線延伸計画を考慮し、当時の東北新幹線のATC-1D型(ATC-2型)との互換性を意識した方式である。地上装置はATC-1F型と呼ばれていて、ATCの信号波は2周波組合わせ方式を使用し、常時送信ではなく踏込送信方式となっている。開業時は、ほとんどの列車がED79形電気機関車に牽引される自動ブレーキのみの方式であり、ATCブレーキ動作後の自動緩解(弛め動作)が難しく、込め不足の危険があるため、制限速度が変化する進路の1進路手前で予告現示を行い、ブレーキハンドル位置を指定し、進路境界までに運転士の操作で減速させる方式とした。考え方としてはフランス国鉄のTGVで採用されている方式と類似している。もちろん、運転士による減速が行われないまま進路境界を越えると、自動的に常用最大ブレーキが作動する。自動緩解が行われないため、当初はATCのハードを使ったATSとしてATS-L型と称していたが、車内信号閉塞式であることから制度上ATSとしては認められずATCの一種という整理がなされ、正式開業時にはATC-L型となった。ちなみにLはLocomotive(機関車)の意味である。信号現示は0・45R・45・110Y・110で、45R・110Yがそれぞれ0・45の予告となっている。電車列車(485系、781系、789系、785系(クハ784-303))は、機能上通常のATCであり、信号現示は0・55・105・140となっている。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "直通先の東北新幹線は2007年までに全線がDS-ATCに切り替えられており、それに合わせる形で北海道新幹線開通の直前の2016年3月22日の設備切り替え工事により、ATC-LからDS-ATCに切替られ、現存形式としては消滅した。在来線車両(EH500形およびED79形・485系・789系・785系)のDS-ATCと25000V対応は実施されなかったので海峡線(青函トンネル区間)が走行できなくなったため、貨物列車の牽引機はEH800形に置き換えられ、EH500形は本州内へ、789系は道内へと運用場所を移した。そして用途が失われたED79形・785系は引退した。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "デジタルATCは車上主体型のシステムであり、「閉塞区間」という概念を持たないため、閉塞方式に含まれない。鉄道に関する技術上の基準を定める省令においては、「列車間の間隔を確保する装置による方法」に該当する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "JR化後に開発・採用されたデジタルATCは以下のような種類がある。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "東日本旅客鉄道(JR東日本)の在来線で採用されており、D-ATC (Digital-ATC) と呼称する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "従来のアナログATCでは軌道回路による地上装置から許容速度を直接指示して、停止時には、それによる多段ブレーキ制御によって列車を停止させていた地上主体型のシステム(ゆえにアナログATCは閉塞方式に含まれる)であったが、D-ATCでは車上装置から許容速度を直接指示して、停止時には、一段ブレーキにより列車を停止させる車上主体型のシステムである。地上装置 の送受信部から、列車検知の電文信号(TD電文と呼ばれるデジタル信号)を各軌道回路に送信して、列車の在線の有無をレベル変化により検知し、検知した列車位置情報を光ケーブルのATC-LANを介して地上装置の論理部に送り、論理部は送られた列車位置情報、連動装置からの路線の進路情報、架線のエアセクション等の情報を元に、列車を停止すべき停止点 の情報を作成して、その情報をD-ATC電文信号 としてATC-LANと送受信部を介して列車が在線する軌道回路の後方区間に送信する。列車側の車上装置には、路線情報と速度照査パターンが記録されたデータベースが搭載されており、車両に付けられている速度発電機のパルス出力により算出される移動距離、一定距離で設置した位置補正用トランスポンダ地上子 による補正、線区全体の路線情報を記録した車上装置のデータベースを併せることにより、常に自列車位置を把握している。車上装置の受信器がD-ATC電文信号の情報を受信すると、該当する速度照査パターンをデータベースの中から検索して、該当する速度照査パターンと自列車位置を元に求めた許容速度を車内信号で表示するとともに、停止時にはATS-Pと同じく、車上主体型の速度照査パターン制御による自列車の速度と求めた許容速度と比較して停止点まで停止させる。車上装置のデータベースを使用しているため、車両性能に応じたブレーキ扱いが可能となり、車両性能に応じて軌道回路の長さの変更などの地上設備の改修を行うことなく、列車運転間隔と運転所要時分の短縮を図ることができる。乗り心地の向上 や保安性の向上、スピードアップによる運転密度の向上が図られている。また、列車の現在地が車上のデータベースの路線情報に無く現在地が把握できない場合、ATC信号の消失、装置自体の故障や速度発電機の故障または異常検知、列車の後退やATCによるブレーキ不足を検知した場合は直ちに非常ブレーキが作動する。D-ATCは本線運転と入換運転とで制御方式を変えているため、本線モードと入換モードを設けており、モードの切替は、切替区間でD-ATC電文を受信 することにより自動で切替えられる。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "車内信号の速度表示は5km/h刻み、減速パターン部分は無段階(ただし表示機の都合上E233系・E235系は1km/h刻み、他の車両は5km/h刻みでの速度表示)で、速度計を取り囲むように緑の▼(0 km/hのみ赤の▼)で表示するほか、走行速度がATCの速度照査パターンに近づくとパターン接近を表示する。またデジタル電文による通信で扱える情報量が増えたため、先行列車の位置や踏切の非常ボタンが押された等の付帯情報も列車に送信し運転台に表示できる。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "京浜東北線は、同線で運用されている209系に順次D-ATC車上装置取付改造を実施したうえで、2003年12月21日に南浦和駅 - 鶴見駅間がD-ATCへ変更された。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "山手線は2005年4月をもって、205系からD-ATC車上装置が搭載されたE231系500番台への置き換えが完了した。地上装置側の整備を待ち、2006年7月30日に全線がD-ATCへ変更された。これに伴い2007年3月18日のダイヤ改正で、1周59分で運転される。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "京浜東北線の残存区間および根岸線についても、直通する横浜線車両205系のD-ATC対応化や地上設備の更新が終了し2009年8月14日にD-ATC化された。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "なお、2005年5月14日より使用を開始した東京都交通局(都営地下鉄)新宿線の新ATCもD-ATCのシステムをほぼ踏襲している。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "台湾高速鉄道も700系ベースではあるが、700T形のD-ATCとしている。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "東日本旅客鉄道(JR東日本)の東北・上越・北陸新幹線で採用されており、DS-ATC (Digital communication & control for Shinkansen-ATC) と呼称する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2002年12月の東北新幹線盛岡~八戸間延伸開業で使用が開始され、2013年までに東北・上越・北陸新幹線の全線で、アナログ型のATC-2型からDS-ATCへ更新された。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "基本的なシステムはD-ATCと同じであるもの、列車側では車上装置 には、走行路線の線路情報と速度照査パターン をデータベースとして記録しており、車上装置では速度発電機のパルス出力より算出した移動距離、トランスポンダ地上子から受信した位置情報、データベースで記録されている路線情報を元に、列車の位置と速度を常に把握している。一方、地上側では、日立製作所勝田事業所で製作されたとみられるSAINT-LAN (Shinkansen ATC and INTerlorcking) と呼ばれる地上装置があり、そこで軌道回路による列車の検知、列車の停止位置の決定、伝送する信号電文の作成を行い、作成された列車の停止すべき点の情報をデジタルATC信号として列車が在線する軌道回路の後方区間に送信する。それを車上装置が受信することにより、車上装置のデータベースから速度照査パターンを検索し、該当した速度照査パターンと列車の位置から、その時点での許容速度を算出し、ブレーキが掛かる際には、列車速度と比較しながら最適なブレーキ力を算出して、一段ブレーキにより減速する。高速走行等を考慮し、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、列車の最高速度から停止まで、ATCの速度照査パターンによる一段ブレーキになるが、停車での駅進入の場合には、列車の最高速度から75km/h まで、75 km/hから停車までの、ATCの速度照査パターンによる二段ブレーキとなっており、75 km/h以下からは、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させ、従来のATC-2型で行われていた確認ボタンによる確認扱いは行わない。ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合には、ATCのブレーキパターンにより、進路終端までに列車を自動的に停止させる。また、速度照査パターンにより列車を自動的に減速させる時には、ATCのブレーキの強弱を行うことにより、そのパターンに沿った滑らかな減速を行えるようになっている(ただしEH800はATCブレーキの自動減速はできない為、警告から非常制動までの猶予が大きい)。車庫線での車両入換については、進入番線を地上信号機ではなく運転台の表示で確認できるようになっている。これらの関係でATC信号から受信した電文には、誤りがないことを検定するチェック用電文が含まれており、電文の正当性チェックを行うため、認識するのに多少時間がかかることから、非常ブレーキについては、動作応答を速めるため特定のビットを連続して受信すると即座に動作するよう設定している。D-ATC・DS-ATCは、下記ATC-NS・KS-ATCとは異なり、速度照査パターンデータはあらかじめ作成済みのものをデータベースとして所持し、地上からの停止点情報を元にそのパターンデータを「検索」するという方式を採用しているため、速度照査パターンを都度演算するATC-NSで導入当初に頻発した演算エラー等での停止信号現示などの現象は起きにくいとされている。着眼点は地震の規模からあらかじめ津波予測を計算・データ化し保存しておき、地震発生時はそのなかから最適データを引き出すだけとする津波予報システムと同様の考え方といえる。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "海峡線のうち、新中小国信号場から木古内駅の間は、北海道新幹線の開業に合わせて設備(交流25,000V、DS-ATC、三線軌条)が更新された。そのため、同区間を通過する在来線列車は、対応する車上装置を搭載した形式に限定されることとなった。客貨車による列車は、すべてJR貨物EH800形電気機関車の牽引によって同区間を通過する。また、TRAIN SUITE 四季島に使用されるE001形も、前述の仕様を満たしており、自力走行で同区間を通過する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "日本で初めてとなる無線を使用したATCであるが、同路線ではすでにDS-ATCが運用されており、当面はDS-ATCが使用できない時に使用する代用保安方式の一種(無線代用保安装置)として使用する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "無線設備はデジタル列車無線のうち、使用していないチャンネルをRS-ATCの制御に使用する。列車の停止点の設定、現在地の把握方法、車上データベースはDS-ATCと同じ仕組みとし、車上の一部のシステムをDS-ATCと共用している。列車とは当該の列車番号・現在地などを常時通信するもので、逆方向への運転も可能になっているほか、従来の代用保安方式に比べて安全性が向上されている。ただし、軌道回路を使用しないため最高速度は110km/hに制限されるほか、1駅間に1列車のみの走行に限定している。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "東海旅客鉄道(JR東海)で開発が進められたデジタルATCで、ATC-NS(JR東海の英語サイトではnew ATC systemと表記)と呼称する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "当初は新ATCという名で開発が進められていたが、実用化を前に、後述する九州新幹線でKS-ATCとして先行導入し、その後、東海道新幹線への導入の際に、仕様の一部を変更したものである。東日本旅客鉄道(JR東日本)の東北・上越・北陸新幹線で採用しているDS-ATCと同様の一段ブレーキ方式であるが、多段式ブレーキ方式を用いたアナログ信号によるATC-1D型の機能も備えており、多段式ブレーキ方式から一段ブレーキ方式への切り替えを容易にしている。車上側の車上装置では、路線データと車両性能データが予め記録されており、速度発電機のパルス出力から算出した移動距離、トランスポンダ地上子から受信した位置情報を元に、自列車の位置を把握しており、地上側の地上装置 で、軌道回路による列車検知を行い、それにより検知した列車位置情報を元に作成されたデジタル電文を、列車が在線する軌道回路の後方区間に送信する方式はDS-ATCと同じだが、DS-ATCは停止点情報を送信するのに対して、ATC-NSは進行できる区間(閉塞に相当する)の数と軌道回路IDと経路コードと臨時速度制限などの情報を送信しており、それを受信した車上装置が最適な速度照査パターンを随時算出し作成して、ブレーキが掛かる際には、列車速度と比較しながらブレーキ力を随時算出して、一段ブレーキにより減速する。DS-ATCとは違い停止点情報までは車上側には送信しないため、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、列車の最高速度から手動による頭打ち速度である 30 km/hまで、ATCの速度照査パターンによる一段ブレーキになるが、停車での駅進入の場合には、列車の最高速度から分岐器制限速度まで、分岐器制限速度から手動による頭打ち速度である30km/hまでの、ATCの速度照査パターンによる二段ブレーキとなっており、両者とも、30 km/h以下になった場合には、確認ボタンによる確認扱いを行ない、その後、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させる。ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合や先行列車に接近している時には、設置された停止制御用のトランスポンダ地上子から発信される信号を受信することにより、ATC-1型の0信号の01と同じATCのブレーキが掛かり、駅停車時では、出発進路の始端の外方(前方)に設置された添線式停止制御軌道回路(ループコイル)が発信する03信号により停止する。2006年3月18日より本導入となり、300系・500系・700系については、順次ATC-NS車上装置取付改造を実施した。なお、鳥飼車両基地への回送のために鳥飼車両基地 - 新大阪駅間で東海道新幹線に乗り入れる0系・100系および700系7000番台についてはATC-NS対応改造は行われず、代替としてこの区間にATC-1型を併設することで対応した。地上設備については、静岡駅 - 浜松駅間が1段制御走行試験区間として先行導入され、同区間の更新切替が2001年12月 - 2002年1月にかけて行われた。山陽新幹線・博多南線 において2017年2月19日から運用を開始し、前述の700系7000番台もATC-NS対応改造が行われた。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "九州旅客鉄道(JR九州)の九州新幹線と西九州新幹線で採用されており、KS-ATC (Kyushu Shinkansen-ATC) と呼称する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "JR東海で開発が進められていたATC-NSを実用化する前の先行導入であったため、前述のATC-NSとほぼ同じシステムであるが、KS-ATCでは、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、列車の最高速度から停止まで、ATCの速度照査パターンによる一段ブレーキになり、停車での駅進入の場合には、列車の最高速度から分岐器制限速度まで、分岐器制限速度から手動による頭打ち速度である15km/hまで、手動による頭打ち速度である15km/hから停止までの、ATCの速度照査パターンによる三段ブレーキとなっており、15 km/h以下からは、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させ、ATC-NSで行われている確認ボタンによる確認扱いは行わない。ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合には、ATCの速度照査パターンにより、進路終端までに列車を自動的に停止させる。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "ATACS(アタックス、英語: Advanced Train Administration and Communications System)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が開発した列車保安装置である。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "従来、軌道回路で行っていた列車位置検知を車上検知に変更し、地上と車上の通信をデジタル無線で行うのが大きな特徴である。また既存の信号システムにおける自動列車保安装置(ATSやATC)、連動装置、踏切の制御装置を全て内包している保安装置である。また日本初の移動閉塞(クロージング・イン)システムである。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2020年(令和2年)10月現在、仙石線(あおば通駅 - 東塩釜駅間)と埼京線(池袋駅 - 大宮駅間)において使用しているほか、ATACSを応用した地方交通線向け無線式列車制御システムを小海線(小諸駅 - 小淵沢駅間)で使用している。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "総合車両製作所の製品紹介によれば、ATACSについて、R-ATCとの表記がみられる。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "一般的に地下鉄は、カーブが多くトンネルのため見通しが効かないという特性上、より安全性の高い保安設備が要求される。直通運転をしている地上鉄道との整合性からC-ATSを採用している都営地下鉄浅草線を除いて、すべての社局・路線でATCを採用している。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "おおむね車内信号式 (CS-ATC) を採用しているのが、福岡市交通局、神戸市営地下鉄の西神・山手線、北神線および海岸線、京都市営地下鉄の烏丸線および東西線、大阪市高速電気軌道(旧大阪市営地下鉄)の千日前線・長堀鶴見緑地線・今里筋線、名古屋市営地下鉄の名古屋市営地下鉄名城線・名港線・鶴舞線・桜通線・上飯田線、横浜市営地下鉄ブルーライン、仙台市地下鉄南北線、札幌市営地下鉄である。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "東京地下鉄(東京メトロ、旧帝都高速度交通営団)は、1969年(昭和44年)12月以降に新規開業した千代田線・有楽町線・半蔵門線・南北線が、東京都交通局(都営地下鉄)は1978年(昭和53年)12月以降に新規開業した新宿線・大江戸線が開業当初からCS-ATCを使用している。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "比較的古くから営業している大阪市高速電気軌道の前記以外の各線では、昭和40年代以降地上信号式 (WS-ATC) を採用している。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "打子式ATSを使用していた銀座線・丸ノ内線、名古屋市営地下鉄東山線、T形ATS(東武鉄道と共同開発)を使用していた都営地下鉄三田線、WS-ATCを使用していた日比谷線・東西線、CS-ATCを使っていた千代田線・有楽町線、半蔵門線・都営地下鉄大江戸線は新CS-ATCに置き換えられている。2005年5月14日から都営地下鉄新宿線ではデジタルATC (D-ATC) へと移行している。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "ATC-3 と構造的にはほぼ同じ。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ATC-4 と構造的にはほぼ同じ。段数が少ないことから段数の多い新CS-ATCに置き換えられている。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "ATC-10と構造的にはほぼ同じで、従来のCS-ATCに代わって導入が進められている。一段ブレーキ制御では従来の方式より閉塞数を多くできるため、増発が可能になる。信号現示は0・10と10 - 80の間が5km/h刻みが基本だが、路線・会社によって若干異なる。ATCブレーキは緩和ブレーキ方式を採用しており、鉄道会社によって細部は多少異なるが、作動直後に常用最大ブレーキの半分のブレーキ力を作用させることで急減速によるショックを和らげている。この制御により、運転士が信号予告情報によりあらかじめ手動ブレーキを掛けてATCブレーキのショックを緩和する操作を行わなくても乗り心地を損なわないようになっている。信号現示が増えたため、運転台の速度計では許容速度を橙の三角形▼で示すほか、速度計の上部に、進行現示の場合は緑のランプ●を、停止現示の場合は赤のランプ●を表示する機能も追加した(入換の際はどちらも点灯しない)。また、前方の軌道回路が下位の許容速度を指示している際には、その情報を運転士に知せるために、運転台に設置された前方予告灯が点灯して、列車の無駄な力行(加速)を避け、ブレーキオフでの乗り心地の悪化を防ぐことできる。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "一段ブレーキ制御にはデジタルATC (D-ATC) があるが、新CS-ATCは地上装置から直接速度現示を行い(D-ATCは列車が停止すべき位置情報を受信し車上装置が最適速度を判定して速度現示する)、最初の現示変更による制動が緩解しないうちに速度現示を変更させ、最終的な速度まで1回の制動で減速できるように許容速度が設定されている。多くの路線ではアナログ信号で伝送するほか、旧型のCS-ATCとの互換性もある。ただ、最高速度などは導入段階で一番ブレーキ性能の悪い列車に合わせているため、ブレーキ性能の異なる列車が走る路線には向いていない。また、デジタルATCとは互換性はないほか、主たるブレーキ制御はパターン制御ではないため、速度現示の変更を受けた時の速度によっては、必ずしも一段ブレーキ制御とはならず数回の制動となる場合がある。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "同方式は東急田園都市線で初めて採用されたが、銀座線への導入に当たっては車上パターン式過走防護 (ORP : Over Run Protector) 機能を追加した。これは過走余裕が取れない駅での高速進入を可能にするもので、終端や分岐器直前の02信号(非常制動を指示する停止信号)の手前から15・20・25・35 km/hからの減速パターンによる速度照査を行う。この際、赤のP表示が点滅し、速度計にある赤色の針でパターン速度を表示する(滑走を検知した場合は滑走用の速度パターンになる)が、赤色の針が無いものは、線路内に設置されたORP専用の速度表示によりパターン速度を表示する。なお、東京メトロ南北線においては、赤針・ORP専用の速度表示で許容速度の表示はされず[P]の点灯と警音が鳴動する。両者ともパターン速度を超過すると非常ブレーキが作動する。同機能は後の新CS-ATC導入路線にも採用された。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "一部私鉄では地下区間であったり、乗り入れ先地下鉄線と整合させたりするなどの理由により、ATCを採用している。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "東急田園都市線では1968年からATSが導入され、1977年に開業した渋谷から二子玉川までの地下区間(2000年までは新玉川線と呼ばれた)は、開業当時よりCS-ATCが導入されていた。しかし、乗客の増加にともなう運転間隔の短縮に対応できないため、多現示・一段ブレーキ制御機能を持つ新CS-ATCが1991年3月16日より導入された。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "従来のATCは、停止に至るまで例えば90・75・55・0km(01信号)と段階的に低位の信号が現示される。これらの信号は各段階内で速度が落ちきるように設計されているため、毎回ブレーキの制動・緩解が繰り返され乗り心地が悪いばかりでなく、必要以上に速度が落ち運転間隔短縮のネックとなっていた。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "そこで、新CS-ATCでは停止信号区間の終端までに停止できることを条件に、各段階内で速度が落ちきらない内にさらに低位の信号を現示することによって、ブレーキの制動、緩解の繰り返しを解消した。この方式は一段ブレーキ制御と呼ばれ、対して従来の方式は多段ブレーキ制御と呼ばれる。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "信号現示は従来の7段階から、110km/h、100km/hから10kmまでを5km/h刻み、そして0km/h、×(絶対停止または無信号)とした25段階へ増やし、きめ細かな速度制限を実現した。これは、従来のCS-ATCと同一の主信号と、新CS-ATCで追加した副信号の組み合わせを用いて指示され、従来のCS-ATCと互換性を持つ。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "田園都市線では、速度制限のためのATCの機構だけでなく、途中の曲線・勾配・ポイントでの速度制限にも対応しており、その他にも、駅停車制御(停止位置超過防止 : この制御区間でATC指示速度を走行速度が超えた場合は非常停止)・後方防護(停止位置超過して列車をバックする際、通常は1閉塞以上が空いてしまうが、一定区間を停止とすることで安全にバックできる)・ORS(地上側で列車速度を検知して過速度の場合は01信号として常用ブレーキで停止)・前方予告機能(前方の軌道回路が下位の許容速度を指示している際、運転台に設置された前方予告が点灯して、無駄な力行(加速)の回避とブレーキオフによる乗り心地の悪化を防止する機能)を持ち合わせている。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "また、ATCによるブレーキの動作は、作動直後に常用最大の半分のブレーキが作用し、0.5秒後常用最大になる。緩解の際は、01信号では速度8km/h以下でハーフブレーキとして停止時のショックを低減しているが、それ以外ではハーフブレーキは行われないので、運転士がハーフブレーキを行うことになる。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "新CS-ATCによる一段ブレーキ制御を行い、かつ停車時間の長い駅付近の軌道回路の長さを60m程度とすることにより、2分間隔での運転を可能とした。実際のダイヤでは、1991年の導入当初2分25秒間隔からスタートしたが、1992年9月には2分15秒間隔、2004年10月には2分5秒間隔まで短縮されている。その後、2003年の営団半蔵門線延伸開業の際にトランスポンダ関連を除きATC-Pに変更となっている。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "その後導入された東横線、目黒線、大井町線、東急新横浜線、みなとみらい線では、田園都市線の新CS-ATCを元に改良したATCが導入され、ATC-Pとも呼ばれる。パターン制御は行うが、緩和ブレーキ制御、ORP、駅停車制御がパターン制御の主体となる点がATS-PやデジタルATCとの違いである。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "緩和ブレーキ制御は、次の軌道回路までの間に、ハーフブレーキのみで走行速度が指示速度に下がりきるかを車上側で照査パターンを発生させて計算する機構を加え乗り心地向上を実現している。これは、たとえば走行速度が80km/hで指示速度が75km/hと下がった場合、列車の速度が照査パターンを超過しない場合には、常時最大ブレーキは作動せず緩和ブレーキが作動する、これはブレーキ初速が走行速度と近い場合に有効である。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "ORPは過走防護装置と呼ばれており、駅の停止線手前のレールにORP添線を敷設して、P25またはP35信号を発信している。その区間へ列車が進入して、その信号を検知した時点から残距離をカウントし、25または35km/hから7.5km/hまで降下するパターンを発生させ、その後、PEP信号を受信して、7.5km/hから5.5km/hまで降下するパターンに切替わる過走防護パターンを車上側で発生させる。運転台では、速度計の脇に「P」が点灯し、ORPゲージのある車両は、速度計の赤指針で発生パターンを表示して、列車の速度が発生したパターンを超過すると非常ブレーキが動作する。また、ORP区間に列車が入っている時、列車は自位置を把握しているわけではないので、ORP添線の長さは一定に敷設されており(P25信号で約60m、P35信号で約80m)、これにより、駅への進入速度の向上と運転時分の短縮が可能になる。通常のATCは常用ブレーキ主体だが、過走防護パターンはATCの非常ブレーキのみのバックアップという位置づけである。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "駅停車制御は、田園都市線ではCS-ATCより出発進路を停止現示にして制御していたが、ATC-Pでは停車制御装置を列車に搭載して、停車駅500m手前に設置されたトランスポンダ地上子から送信される情報により、車上側で種別ごとに駅停車パターンを発生させてオーバーランを防止するとともに、列車がオーバーランしても、停車駅の出発進路の直下に設置された地上子を列車が通過するので、それにより列車が駅停車パターンを超えたことを地上側が受信して、自動的に場内進路の発信情報を停止として後方防護がなされる。なお、このトランスポンダ地上子からは臨時速度制限情報も送信されるほか、列車からは運行番号や種別などの情報が受信され指令所へ伝送する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "他にも踏切制御(トランスポンダ地上子により、車上側から地上側に種別などの情報を送信して、踏切の閉まるタイミングを変えるほか、踏切が閉まるまでは踏切の手前までに停止するように指示するほか、踏切支障の場合は一段ブレーキではなく階段状に減速するよう速度現示し、踏切付近は15km/h信号で通過できるようにする)なども導入された。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "なおATC-Pは、田園都市線の新CS-ATCとは上位互換となっているため、同装置を取り付けている車両は田園都市線へも入線可能である。2003年にATC-Pに切り替わったため互換性の関係なくATC設置路線全線に車両が入線可能となった。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線では、東京メトロ東西線向けに準ずるデジタル伝送式新CS-ATCを採用した。最高速度160km/hでの走行を想定し、5 – 160 km/hを5km刻みで制御する。また前方予告機能のほか、終端駅など過走距離が取れない場所ではORP方式 による停止パターン制御を採用している。交流電化区間を走行する観点から、デジタル伝送を採用し、その利点を生かして場内進路情報や停止が必要な位置までの前方距離などが運転台のモニタ装置に表示される。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "ATC信号は常時送信ではなく踏込送信方式となっている。列車が軌道回路に進入した際には、TD装置が列車の検知と在線を判定して在線軌道回路に信号を送信する。検知によって信号を送信するため、列車進行により次の軌道回路に列車が入った場合には、送信点の変化時において、車上側にごく僅かなタイムラグ(無信号状態)が発生するが、車上装置側に許容値内の時素を持たせて対応している。もちろん許容値を超える無信号があった場合は無信号絶対停止のためEB(非常ブレーキ)が動作する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "ただし、停車場構内の場内・出発進路のあるところは各進路設定により関係進路上の軌道回路が常時送信で送信する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "京王形ATS(多変周式点制御連続照査型ATS)からの置き換えを目的に、2010年3月より相模原線を皮切りに導入され、2011年10月2日には相模原線以外の京王線系統(京王新線・競馬場線・動物園線・高尾線を含む)全区間、2013年3月には井の頭線でも使用が開始された。京三製作所製で、京王線系統が相互乗り入れを行っている都営新宿線で導入された、日立製作所製D-ATCとは互換性を持たない。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "先行列車や進路開通条件および曲線区間などによる速度制限情報に基づいて常時ブレーキパターンを演算する「車上演算式一段ブレーキATC」を採用。線路終端に接近した際の過走防止機能を搭載し、低速走行時の過走防止対策として専用地上子も設置されている。このほか停車駅誤通過防止機能も搭載し、列車種別・停車駅の表示器が設置されている。停車駅が接近すると駅の停止位置目標に合わせたブレーキパターンが演算され、停車後に7ステップ又は非常を指令することでパターンは消去される。なお誤通過防止は臨時停車にも対応する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "運転台には照査速度を示す緑の▼(0 km/hのみ赤の▼)と進行・停止を示す●・●、非常停止を示す赤×が表示される。フラット部分の照査速度は5km/h刻み、パターン部分は無段階(ただし表示器の都合上5km/hでの表示)。パターンが発生していない場合は最高速度のみ▼で表示し、パターンが発生すると制限速度まで▼が連続して表示され、パターンに沿って▼が順次消える設計となっている。停車駅で停止する際は停止位置目標に接近したところで最高5km/hの速度照査となる。なお場内停止や先行列車との接近で停止した場合はATCによる常用最大ブレーキが動作し進路開通まで緩解されない。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "東武鉄道では東上線の池袋駅 - 小川町駅間でATCを導入している。2015年2月時点では、伊勢崎線・日光線・野田線(本線/野田線)系統へのATC導入は発表されていない。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "なお東武鉄道のATCは、「T-DATC」 と称するが、文献等によっては「東武(型)デジタルATC」や「東武(型)ATC」とも称していることもある。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "計画当初は2012年までに導入することが予定されていたが、後の計画の見直しにより約3年延期され、池袋 - 小川町間を2期に分けて整備されることとなり、第1期整備区間として2014年度に川越市 - 小川町間に、第2期整備区間として2015年度に川越市 - 池袋間にATCを導入する計画に変更された。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "その後、2014年4月12日から2014年12月30日までの間、T-DATCの各種試験及び乗務員運転訓練のため、第1期整備区間の川越市 - 小川町間でT-DATCによる終電後の夜間試運転が実施され、2015年1月31日に第1期整備区間の川越市 - 小川町間に、続いて2015年6月13日には第2期整備区間のうち川越市 - 和光市間が、2015年9月26日には、和光市 - 池袋間にT-DATCが導入され、当初の計画通り池袋 - 小川町間の全線でのT-DATCの導入が完了した。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "JRで採用されているデジタルATCと同様の車上演算方式であるが、東上線は東京メトロ有楽町線・副都心線、東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線と相互直通を行っており、車上装置にデータベースを持たせた場合、構内の改良工事などで線路情報の更新が必要になった際には、直通他社の車両についても更新を要請する必要が生じるため、JR方式では車上装置に線路情報データベースを持たせているところを、代わりに地上子(トランスポンダ)から線路情報を与えることで車上データベースを不要としている。また、東京メトロ新CS-ATCや東急ATC-Pなど従来のATCを改良したタイプのものと比較して、現状の閉塞軌道回路の割合を大幅に変更することなく一段ブレーキ制御を行うことができるというメリットがある。その他、速度制限がある曲線や分岐器での通過の際には、自動的にブレーキを掛けて列車の速度を制限速度に落とす機能のほか、踏切支障時の防護機能や停車駅での定位置停止・誤通過防止などの拡張性も持たせている。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "運転台の速度計では新CS-ATCと同様に信号現示を5km/h刻みとしており、現示速度を橙の三角形▼で示すほか、速度計の上部に、進行現示の場合は緑のランプ●を、停止現示の場合は赤のランプ●を表示する。また、ORP機能を持っており、新CS-ATCが35km/h以下で作動するのに対して、T-DATCでは60km/h以下で作動するようになっている。速度計の赤色の針でパターン速度を表示するが、それ以外では、進行現示でも許容最高速度を赤色の針で表示する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "曲線や分岐器での速度制限区間に接近する場合には、地上子から送られた速度制限情報を基に、現示速度を示す橙の三角形▼がその速度制限まで移動して、車上側で演算された減速パターンにより、速度計の赤色の針がその現示速度までそのパターンに沿って動くようになっており、速度計の針が赤色の針を超えずに速度を減速させた場合には問題ないが、速度計の針が赤色の針を超えた場合には、制限速度以下まで常用最大ブレーキが掛かる仕組みとなっている。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "先行の閉塞区間が停止現示や駅停車時でのORPが機能する場合には、60 km/h以下になると、現示速度を示す橙の三角形▼が0km/hまで移動するとともに、停止現示の赤のランプ●とオレンジのP表示が点灯して、車上側で演算された減速パターンにより、速度計の赤色の針がそのパターンに沿って0km/hまで動くようになっており、速度計の針が赤色の針を超えずに速度を減速させた場合には問題ないが、速度計の針が赤色の針を超えた場合には、制限速度以下までブレーキが掛かる仕組みとなっている。また、速度現示アップ時には、基本的に速度現示表示とともに許容最高速度の赤針も動いて表示が変わるが、速度制限解除地点付近などでトランスポンダの設置位置と閉塞軌道回路の境界の位置が若干離れているなどパターン速度の更新のタイミングによっては、速度現示表示より先に速度計のパターン速度の赤針が動くことがある。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "なお、JRのD-ATCと同様に、速度計の黒針(走行速度)が赤針(ATCの許容最高速度またはパターン速度)に近づくとブザー音(「ピーッ、ピーッ」)とともにパターン接近が点灯する。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "分岐器の手前の軌道回路においては、進路予告機や進路表示器の代わりに、T-DATCの車内信号による進路予告表示がおこなわれ、表示灯の←(左分岐)・↑(直進)・→(右分岐)のいずれかの表示が点滅し進路予告が表示される。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "新幹線のATC設備のうち駅構内の場内進路・出発進路の始端の外方(前方)には添線式停止制御軌道回路(ループコイル)が敷設されており、敷設箇所を示す停止限界標識が近接して建植されている。各進路が設定されていないときは絶対停止信号(03信号)が送信される、また、駅で本線と合流する副本線の出発進路や車両基地の回送線と本線と合流地点の出発進路には、進入検知器が設置されており、列車が過走して停止限界標識やループコイルを超えて隣接線の進路に入った場合には、進入検知器が列車を検知して、隣接線の列車に緊急停止信号を送信して列車を防護する。終着駅での過走余裕(停止目標 - 車止め間)が無い所では、列車の終端防護のために速度照査停止制御装置が設置されている。これはJR各社によって仕組みやシステムが違うが、東海道新幹線では、終端に向かって、レールの両側に2基一対の車軸検出子を6つとループコイルを3つ設置して、列車が所定停止標識に停止するまでの速度を車軸検出子が速度照査し、決められた速度以下を検知した場合は、車軸検出子から所定停止標識までの1つのループコイルに03信号を送信しないが、決められた速度以上を検知した場合は、そのループコイルに03信号を送信して、列車を停止させる。また、列車が所定停止標識を超えた場合には、そこに設置された車軸検出子がそれを検知して、所定停止標識から停止限界標識までに設置されたもう1つのループコイルに03信号を送信する。さらにその奥に、停止限界標識から車止標識までにループコイルが設置されているが、これは列車の速度や接近に関係なく、常に03信号が送信されている。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "東北・上越新幹線のDS-ATCでは入換信号もATCによって現示される。東海道・山陽新幹線は新旧どちらのATCでも地上信号機によって現示され、九州新幹線も同様である。ただし、手信号代用器は、駅の出発進路地点に設けられた地上信号機(入換信号器)の上に設置されており、駅間でATCによる運転ができない場合による代用保安方式 での運転の際に使用される。", "title": "保安装置としての自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "台湾桃園国際空港(台湾中正空港から2006年改称)の新交通システムでは、ATC(Automatic Train Control)は信号保安システムのATP(Automatic Train Protection)、自動運転システムのATO(Automatic Train Operation)、運行管理システムのATS(Automatic Train Supervision)をサブシステムとするシステム全体をいう。", "title": "新交通システムの自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "香港国際空港の新交通システムである香港国際空港新交通システム(The Hong Kong International Airport Automated People Mover)でも、ATCのシステムはATP、ATO、ATSをサブシステムとするシステムとなっている。香港国際空港新交通システムのATCでは、ATPは車内信号現時方式でチェックイン・チェックアウト方式の信号保安機能、ATOは車上演算方式での自動運転や定位置停止機能、ATCは運行監視や運行記録を管理する機能をもつ。", "title": "新交通システムの自動列車制御装置" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "マカオAGTシステムは、全自動無人運転のゴムタイヤ車両を使用したマカオLRT(Macau Light Rapid Transit)のタイパ線(2019年供用開始)で使用されているシステムである。マカオAGTシステムは全自動無人運転の中量輸送システムで自動列車制御(ATC)信号システムが利用されている。自動列車制御システムの信号システムには無線式列車制御システム(Communications-Based Train Control-CBTC)が採用されており双方向で連続的な通信が可能な通信方式になっている。", "title": "新交通システムの自動列車制御装置" } ]
自動列車制御装置とは、鉄道における信号保安装置の一種である。 制限速度を運転士に現示で表示しながら、一定の速度を超えた場合に自動的にブレーキを制御して速度を落とすシステムであり、発進から加速して停止するまでを自動化した自動列車運転装置(ATO)とはシステムが異なる。ただし、鉄道の自動運転では自動列車運転装置(ATO)と組み合わせた一体化したシステムになっている場合もある。また、諸外国では、信号保安システムのATP、自動運転システムのATO、運行管理システムのATSをサブシステムとするシステムの総称を指すこともある。
{{複数の問題 |出典の明記=2014年11月29日 (土) 07:57 (UTC) |参照方法=2015年11月19日 }} '''自動列車制御装置'''(じどうれっしゃせいぎょそうち、'''ATC''' : Automatic Train Control)とは、[[鉄道]]における信号保安装置の一種である。 制限速度を運転士に現示で表示しながら、一定の速度を超えた場合に自動的にブレーキを制御して速度を落とすシステムであり、発進から加速して停止するまでを自動化した[[自動列車運転装置]](ATO)とはシステムが異なる<ref name="itmedia2015" />。ただし、鉄道の自動運転では自動列車運転装置(ATO)と組み合わせた一体化したシステムになっている場合もある<ref name="toyokeizai20200114" />。また、諸外国では、信号保安システムのATP(Automatic Train Protection)、自動運転システムのATO(Automatic Train Operation)、運行管理システムのATS(Automatic Train Supervision)をサブシステムとするシステムの総称を指すこともある<ref name="kobelco2004" />。 == 保安装置としての自動列車制御装置 == 自動列車制御装置(ATC)は、他の列車との衝突や速度の超過を防ぐための保安装置として設置される<ref name="toyokeizai20200114">{{Cite web|和書|url=https://toyokeizai.net/articles/-/323973 |title=乗務するのは誰だ? JRが挑む「自動運転」の成否 |publisher=東洋経済オンライン |accessdate=2020-11-29}}</ref>。ATCは、最高速度を運転士に現示しながら、一定の制限速度を超えた場合に自動的にブレーキを制御して速度を落とすシステムである<ref name="itmedia2015">{{Cite web|和書|url=https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1506/19/news017_2.html |title=ITmedia ビジネスオンライン 電車の運転が、つまらないんです|publisher=itmedia |accessdate=2020-11-29}}</ref>。 運転安全規範には、「先行列車との間隔及び進路の条件に応じて、車内に列車の許容運転速度を示す信号を現示し、その信号の現示に従って、列車の速度を自動作用により低下する機能を持った装置をいう」と定義されている。 === 開発の経緯 === [[ファイル:ATC jyudenki.JPG|thumb|250px|ATC受電器(首都圏新都市鉄道TX-1000系)]] [[日本の鉄道信号|地上信号機]]による信号確認が困難であり、見落としの可能性がある新幹線などの高速鉄道、地下鉄、長大トンネル線区、普通鉄道での稠密線区などで使用されている信号システムである。 ATCの基本的なシステムは、以下の通り。 # 各[[軌道回路]](閉塞区間)<ref group="注釈">ATCの軌道回路には、軌道回路境界を[[絶縁 (電気)|絶縁]]する有絶縁軌道回路と軌道回路境界を絶縁しない無絶縁軌道回路の2つがある。</ref> においてレールに、現時点での許容速度のATC信号電流(ATC信号波の変調周波数に変調<ref group="注釈">アナログ信号の場合は[[AM変調]]を使用。</ref> された[[搬送波]]の電流、ATC信号波の変調周波数と搬送波<ref group="注釈">10 - 90Hzを使用しており、コードと呼ばれている。</ref> はともに低い周波数 ([[低周波|AF]]) を使用している)を流す # その信号電流が発生する磁界([[右ねじの法則]])を車上側のATC受電器で連続受信([[電磁誘導]])する # 受信した許容速度の信号電流が接続箱<ref group="注釈">信号電流は加極して送られるが、架線からモーターと車輪を経由してレールに流れる電車電流が発生する磁界の電流成分は、そこで打ち消し合って送られないようになっている。</ref> を経由してATC受信器に送られ、その許容速度を判別する # ATC受信器から、判別された最高速度の情報が運転台の速度計とATC制御器に送られる # 運転台の速度計にある車内信号機に、その時点の許容運転速度を示す車内信号が表示される # ATC制御器で、速度発電機<ref group="注釈">速度発電機は2個を使用する。</ref> からの速度信号とATC受信器からの許容速度の情報が比較され、列車が車内信号の許容速度以上になると常用ブレーキが自動的に作動して、列車が車内信号の許容速度以下に戻れば常用ブレーキが自動的に解除される [[ファイル:ATC_Saitama_New_Urban_Transit.JPG|thumb|180px|埼玉新都市交通伊奈線で使用されている多段ブレーキ制御方式のATCの車内信号機の表示。速度計の周囲に刻まれた信号現示が20km/h信号を現示しているが、その他にも、表示されてはいないが×・0・30・40・60の表示が薄く見える。]] 日本の鉄道において、自動的にブレーキ制御を行うATCを最初に採用した鉄道は、[[1961年]]に開業した[[帝都高速度交通営団]](現・[[東京地下鉄]])[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]である。この日比谷線で採用されたATCは、それまでに開発された新技術をベースに連続照査や機械優先制御などの多くのATCが有する特徴を有する一方で、地上信号方式、確認(ブレーキ緩解)スイッチ、最高速度制限なしなど、当時の[[自動列車停止装置]] (ATS) の特徴を引きずる折衷仕様となった。 ATCの標準的仕様である車内信号方式等を確立したのは、[[1964年]]([[昭和]]39年)に開業した[[東海道新幹線]]である<ref group="注釈">車内信号方式のもので、最初に普通鉄道で使用されたのは、1965年(昭和40年)に開業した名古屋市交通局の地下鉄2号線で、鉄道以外で最初に使用されたのは、1964年(昭和39年)に開業した東京モノレールである。</ref>。[[新幹線]]は最高速度210km/hでの営業運転を行うにあたり、高い安全性を備えた運転保安システムが要求された。高速運転中は地上に建植された信号機では確実な現認は難しく、また高速走行中に運転士が異常や錯誤に気づいて非常ブレーキをかけても、ブレーキを掛けてから完全停止するまでに走ってしまう「制動距離」は数kmとなる。当時在来線で採用されていたATSのように、[[速度照査]]は行われず信号[[冒進]]などの異常事態が発生してから動作するというバックアップ装置では、高速走行かつ安全な運行を行うためには極めて不十分なシステムであった。 以上の理由により採用された[[自動列車保安装置]]は[[スピードシグナル]]<ref group="注釈">スピードシグナルの対義語:[[ルートシグナル]]</ref> の概念を基本として、[[車内信号]]閉塞方式 (CS-ATC : CabSignal-ATC) による速度信号現示を行い、信号現示より高い速度で運転されている場合には、自動的に速度を信号現示以下に減速させるシステムとなった。この思想がATCの基本となっている。またATCの車上装置の受信器の受信部と制御器の速度照査部の間は3重系となっており、3重系多数決論理により制御され、列車がある許容速度を超えてブレーキが掛かる場合には、その許容速度の信号電流が受信器の3つの受信部に送られ、そこで判別されたその許容速度の信号がリレー部<ref group="注釈">速度計にある車内信号機と現示変化ベルを作動させるとともに、その許容速度の信号を、制御器にある各許容速度の速度照査部の中から、その許容速度で速度照査を行う速度照査部の3つのチャンネルに送る制御を行う。</ref> を介して制御器にある速度照査部の独立した3つのチャンネル<ref group="注釈">チャンネルでは、許容速度の信号と速度発電機からの現在の速度信号と車輪径の情報を元に速度照査を行ない、ブレーキ指令のON・OFFの判別を行う。</ref> に送られて、その3つのチャンネルが同じブレーキ指令を出した場合のみ<ref group="注釈">3つのチャンネルの指令の中で、1つが違う指令を出した場合はそのチャンネルは故障と判断され、回路から切り離されるが、故障でもないチャンネルが故障として切り離される不具合が発生するため、3つのチャンネルの指令を同期(シンクロナイズ)にできるように速度照査での許容速度を若干調節できる回路を設けている。</ref> ブレーキが掛かるようになっている。またATCの地上装置は各軌道回路に信号電流を流す機能の他に、列車位置検知機能も兼ねており<ref group="注釈">多段ブレーキ制御方式で列車位置検知が同期復調式の場合、軌道回路に列車がいる場合は、軌道回路のレールに流れている信号電流を、列車の輪軸がそれを短絡することで地上装置が列車を検知し、軌道回路に列車がいない場合は、信号電流をそのまま地上装置が受信して、[[検波]]されて信号周波数 (Fl) を取り出し、受信搬送波 (Fo) を[[変調]]した中間周波 (Fi) を、取り出した信号周波数 (Fl) を用いて[[ヘテロダイン]]方式で中間周波から受信搬送波を取り出す(復調)ことにより、列車がいないことを検知する。また、最近のATCは、列車を検知するためだけのTD信号波を軌道回路に流し、そのレベルを検知することにより列車を検知する。</ref>、検知した位置情報を地上側の列車位置表示装置に送るとともに、その情報と各駅の[[連動装置]]とその他の外部条件を元に、地上装置により、列車が在線する軌道回路の後方区間に許容速度のATC信号を送信する。 運転台に現示(表示)される車内信号は、速度計の周囲に刻まれた車内信号機に速度表示を点灯させることで、列車がいる閉塞区間(軌道回路)の最高運転速度を運転士に表示する。その中で0と×の停止現示があるが、前者の方は許容信号あり、条件により停止現示を超えて列車を進行させることができるが、後者の方は絶対信号であり停止現示を超えて列車を進行させることができない。 地下鉄などに採用されたATC機能は当初、高速走行をしないため地上信号方式 (WS-ATC : WaysideSignal-ATC) が採用されたが、最近はこれらの鉄道でもCS-ATCに切り替わりつつある。またATCの軌道回路は鉄道の[[閉塞 (鉄道)|閉塞]]と同じく1つの軌道回路(閉塞区間)に1つの列車しか進入できないため、閉塞区間を識別する閉塞境界標識が線路脇に設置されており、鉄道信号機と同じく出発・場内・閉塞に分別され、さらに番号で区分して表示されている。閉塞区間での閉塞境界標識の表示は、閉塞信号機の表示と同じように、停車場の外方から第一閉塞、第二閉塞、第三閉塞…と続き、場内区間での閉塞境界標識の表示は、場内信号機の表示と同じように、停車場場内の最も遠い所から停車場に向かって第一場内、第二場内、第三場内…と続き、出発区間での閉塞境界標識の表示は、出発信号機の表示と同じように、停車場に最も近い所から外方に向かって第一出発、第二出発、第三出発…と区別されている。また、鉄道信号機のように、運転進路を表示する機能が無いため、普通鉄道においては、分岐の線路がある停車場の手前には、進路方向を表示する進路予告機、停車場の場内には、進路方向を表示する進路表示機が設置されており、その他にも、前方の信号機を視認しての予測運転ができないため、先行の閉塞区間の許容速度が現時点での許容速度より下位の場合には、軌道回路に流れる信号電流にその情報を付加して、車内信号機にその情報を予告として表示する前方制御予告情報がある。 <gallery widths="150" style="font-size:90%;"> ファイル:ATC number.JPG|停車場間の閉塞区間での閉塞境界標識(先の停車場から七番目の軌道回路を示す) ファイル:ATC number no1.JPG|停車場の出発区間での閉塞境界標識(第一出発軌道回路を示す) ファイル:ATC number no2.JPG|停車場の場内区間での閉塞境界標識(第五場内軌道回路を示す) ファイル:Shinro signal .JPG|停車場の場内にある進路表示機、上にある標示板は閉塞境界標識(場内軌道回路を示す) ファイル:Shinro yokoku signal.JPG|停車場の場内近くにある進路予告機 </gallery> [[ファイル:東京メトロ10000系現示ベル.ogg|サムネイル|[[東京地下鉄|東京メトロ]][[東京メトロ10000系電車|10000系]]のATC現示ベル]] 車内信号の現示変化の切替え音は当初、1音のチンベル([[仏具]]でいう[[鈴 (仏具)|鈴]](りん)や[[ボクシング]]・[[プロレス]]での試合開始合図である[[ゴング]]に似た音)であったが、近年の車両では電子音で「ピンポーン」という音が流れるタイプも存在する。 === 新しいATC === 従来形のATCは、先行列車に後続列車が接近した際に、走行速度の下位の現示速度区間に進入した場合に常用最大ブレーキ(通常使うブレーキで最も効きが強いブレーキ)をかけ、走行速度が現示速度以下になると、自動的にブレーキを緩解(緩めること)することを繰り返して列車を停止させる多段ブレーキ制御方式であり、この方式では、停止すべき地点までに数回の常用最大ブレーキとブレーキ緩解が繰り返されしまう結果になる。このような動作は乗り心地悪化の原因であり、運転間隔短縮を実現する上での障害となってしまう。そこで現示速度区間(軌道回路)の長さを短くし、2周波組み合わせ方式により現示速度表示を多現示化して<ref group="注釈">ATC信号波を主信号の周波数と副信号の周波数に分けて、この2つを主信号用の搬送周波数と副信号用の搬送周波数でそれぞれ変調することにより、主信号変調周波数と副信号変調周波数の2つを発生させて、それを組み合わせることにより、従来のATCより多くの現示速度表示が可能になり、現示速度の多現示化が可能となった。</ref>、列車が走行速度の下位の現示速度区間に進入し、走行速度がその現示速度以下になる前に、さらに下位の現示速度区間に列車が進入することを繰り返すことで、スムーズに列車を停止すべき地点に停止させる、1段ブレーキ制御方式のCS-ATCが[[東京急行電鉄]]の[[東急田園都市線|田園都市線]]で初めて導入された。その後、[[東急東横線|東横線]]や東京地下鉄の一部路線などでさらに改良されたATC(ATC-P、東京地下鉄は営団新CS-ATC)が使用され、[[JR|JRグループ]]では同じ理由でデジタルATCが使用されはじめている。 {{Double image aside|left|ATC-1E pattern.png|410|ATC-CS pattern.png|410|多段式ブレーキ制御方式ATCのATCブレーキ動作のグラフ図<br/>縦軸は列車速度、横軸は距離、横軸下の数字は各軌道回路から発信される現示速度、黒の太線は現示速度による速度段、黒の細線はATCのブレーキによる列車の運転パターン、停止すべき地点までに、数回の常用最大ブレーキとブレーキ緩解が繰り返される。|一段式ブレーキ制御方式ATCのATCブレーキ動作のグラフ図<br/>現示速度区間(軌道回路)の長さを短くし、軌道回路から発信される現示速度を多現示化して、速度段を細かくすることにより、スムーズに列車を停止すべき地点に停止させる。}} {{-}} === 国鉄形ATC(アナログ) {{Anchors|国鉄形ATC|アナログATC}}=== [[日本国有鉄道]](国鉄)・JRグループの路線・車両にて採用されたATCには下記のような種類がある。呼び名は車上装置の形式であり、地上装置の形式とは異なる。他の[[鉄道事業者]]では呼び名が異なるので注意。 <!-- "(消滅)" と書くことによる[[◯◯#ATC-x型]]のリンク切れ防止のため、アンカーを別名で貼りました。よろしくお願いします。 --> ==== ATC-1型(東海道・山陽型)(消滅) {{Anchors|ATC-1|ATC-1型|ATC-1型(東海道・山陽型)}}==== [[ファイル:Shinkansen 0 kei ATC signal.jpg|thumb|[[リニア・鉄道館]]で展示されている[[0系新幹線電車]]の運転席に設置されていた主速度計。<br/>ATCの車内信号装置と一体化されており、下に速度計、上にATCの車内信号の指示速度が点灯する。<br/>下の速度計は指示速度がATCの各車内信号の指示速度の間にある時には、その範囲が点灯するようになっている。]] 東海道新幹線開業時[[1964年]]に採用されたATCで、東海道新幹線は地上装置がATC-1A型とし、最高運転速度210km/hとして設計され、続く山陽新幹線はATC-1B型とし、東海道より最高速度を上げた。信号現示は0・30・70・110・160・210で、すべて現示速度は抑止速度(実際に速度超過でブレーキが作動する速度)であった。このうち0信号は3つあり、軌道回路が30信号を発信し、先行区間に列車が存在する場合において、各軌道回路の境目から、約150m手前に設置された地点検知の地上子<ref group="注釈">軌道中心に地上子2個を21mの間隔で設置されている。</ref> から発信されるP点信号を受信することにより作動する01(ゼロイチ)、先行区間進入などの無信号区間や各種機器の故障時等による02(ゼロニ)、ループコイルによる03(ゼロサン)があり、車上現示では区別が分からないが、01と02では確認扱いにより進行することができるが、03信号は絶対停止信号とも呼ばれ信号現示が変わらない限り進行することはできない。また、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、地上側で先行列車までの速度信号を160・30・0 (01) で発信させ、停車での駅進入の場合には、同様に列車から駅までの速度信号を160・70<ref group="注釈">分岐により線路が分かれている駅の場合は、分岐器の手前までに、ATCのブレーキにより、70km/hまで減速する。</ref>・30・0 (03) で発信させることにより、ATCによる多段ブレーキ制御によって列車を自動的に減速させ、車両側の信号現示が30信号になり30km/h以下になった場合、運転席にある確認ボタン押して確認扱いをすることにより、ATCのブレーキが緩解して、その後、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させる<ref name="Kubota1995p145"/>。もし、この確認ボタンの操作を怠るとATCのブレーキが作動したまま列車は停止する。また、ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合、先行列車に接近している時は、地点検知のP点の地上子から発信される01信号によって停止し、駅停車時では、出発進路の始端の外方(前方)に設置された、添線式停止制御軌道回路(ループコイル)が発信される03信号によって停止する。[[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#東海道新幹線大阪運転所脱線事故|東海道新幹線大阪運転所脱線事故]]や品川基地出入場線本線合流部・新大阪駅構内の異常信号現示により、無信号時の混信における意図しない信号現示が問題になり保安度向上の必要性に迫られた。その後、保安度向上および最高速度アップに伴う現示追加のため、信号波を2周波組み合わせる方式に改良された(ATC-1D型、山陽ATC-1W)。東海道新幹線での最高現示速度は1986年の11月に220km/h<ref group="注釈">信号現示は0・30・70・120・170・220に変更になった。</ref> に1992年の300系登場後より270km/hとなり、[[山陽新幹線]]では1997年の500系登場後より300km/hとなり、信号現示は0・30・70・120・170・220・230・255・270・275・285・300となっていた。なお、220信号以上での抑止速度は現示速度+5&nbsp;km/h(300のみ+3&nbsp;km/h)であり、東北・上越・北陸新幹線とは考え方が異なる。東海道新幹線では2006年3月18日にデジタルATC (ATC-NS) へ更新され、山陽新幹線でも2017年2月19日にATC-NSへ更新された<ref name="JW20170215">{{Cite press release |和書 |title=山陽新幹線における新ATCの使用開始について |publisher=西日本旅客鉄道株式会社 |date=2017-02-15 |url=http://www.westjr.co.jp/press/article/2017/02/page_9944.html |accessdate=2017-02-15}}</ref>。これにより、新幹線からアナログATCは姿を消した。 {{Double image aside|left|ATC TEC.png|410|ATC TEC 2.png|410|先行列車に接近時におけるATC-1型のATCブレーキ動作のグラフ図(210km/h運転時)。 縦軸は列車速度、横軸は距離、横軸下の数字は各軌道回路から発信される現示速度、黒の太線は現示速度による速度段、黒の細線はATCのブレーキによる列車の運転パターン、AはP点信号を発信する地点検知の地上子、Bは先行列車。赤の細線は、確認を扱わない場合のATCのブレーキによる列車の運転パターン。 この図では、確認扱い後、手動によるブレーキが行われなかった場合、地点検知の地上子のP点信号を受信してATCのブレーキが掛かった状態を表している。|駅に停車するまでにおけるATC-1型のATCブレーキ動作のグラフ図(210km/h運転時)。 縦軸は列車速度、横軸は距離、横軸下の数字は各軌道回路から発信される現示速度、黒の太線は現示速度による速度段、黒の細線はATCのブレーキによる列車の運転パターン、Aが添線式停止制御軌道回路(ループコイル)、赤の細線は、確認を扱わない場合のATCのブレーキによる列車の運転パターン。 この図では、確認扱い後、手動によるブレーキ操作により、ループコイル手前の車両停止標識までに停車した状態を表している。}}{{-}} ==== ATC-2型(東北・上越型)(消滅) {{Anchors|ATC-2|ATC-2型|ATC-2型(東北・上越型)}}==== [[東北新幹線|東北]]・[[上越新幹線]]開業時には、東海道・山陽新幹線で実績のあるATC-1型をベースに、2周波組み合わせ方式化して保安度を向上するとともに将来の最高速度アップに伴う現示追加や[[商用電源周波数|電源周波数]]の50/60Hz両用化で全国新幹線網に対応した上位互換の地上装置ATC-1D型が採用された。しかし車両形式が異なることから、車上装置はATC-2型とされ、以後は、車両形式にかかわらず、東海道・山陽新幹線用をATC-1 (D・W) 型、東北・上越新幹線・[[北陸新幹線]]用をATC-2型と呼称しているが、北陸新幹線用の地上装置はME(マイクロエレクトロニクス)技術を使用して装置の小型化を図ったATC-HS型が採用されている。当初の信号現示は、0・30・70・110・160・210・240で、後に260(北陸)、275(東北・上越)が追加された。また、0信号は4つになり<ref group="注釈">01・02・02E・03の4つ。</ref>、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、地上側で先行列車までの速度信号を210・160・110・30・0 (01) で発信させ、停車での駅進入の場合には、同様に列車から駅までの速度信号を210・160・70<ref group="注釈">分岐により線路が分かれている駅の場合は、分岐器の手前までに、ATCのブレーキにより、70km/hまで減速する。</ref>・30・0 (03) で発信させることにより、ATCによる多段ブレーキ制御によって列車を自動的に減速させ、車両側の信号現示が30信号になり30km/h以下になった場合、運転席にある確認ボタンを押して確認扱いをすることにより、ATCのブレーキが緩解して、その後、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させる。ATC-1型と同じく、確認ボタンの操作を怠るとATCのブレーキが作動したまま列車は停止する。ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合でも、先行列車に接近している時は、地点検知のP点の地上子から発信される01信号によって停止し、駅停車時では、出発進路の始端の外方(前方)に設置された、添線式停止制御軌道回路(ループコイル)が発信される03信号よって停止する。また、当初は[[新幹線200系電車|200系]]の一部編成、その後[[新幹線E2系電車|E2系J編成]]<!--N編成はトランスポンダ非搭載-->・[[新幹線E3系電車|E3系]]にも拡大した高速対応車両は、一部区間において、[[トランスポンダ]]を使用して240信号を読み替えることで275信号を現示する。なお、東北・上越・北陸新幹線においては、すべて現示速度=抑止速度である。現在は、東北・上越・北陸新幹線全線において<!-- 東北新幹線新白河以南も07/7/19に切替 出典元:鉄道と電気技術2007/12、北陸新幹線(高崎 - 長野新幹線車両センター間)も13/11/10に切替 -->既にデジタルATC (DS-ATC) へ更新されている<ref name="HokurikuATC"/><ref name="JREastSafety"/>。 {{Double image aside|left|ATC TEC touhoku 1.png|410|ATC TEC touhoku 2.png|410|先行列車に接近時におけるATC-2型のATCブレーキ動作のグラフ図(275km/h運転時)。 縦軸は列車速度、横軸は距離、横軸下の数字は各軌道回路から発信される現示速度、黒の太線は現示速度による速度段、黒の細線はATCのブレーキによる列車の運転パターン、AはP点信号を発信する地点検知の地上子、Bは先行列車。赤の細線は、確認を扱わない場合のATCのブレーキによる列車の運転パターン。 この図では、確認扱い後、手動によるブレーキが行われなかった場合、地点検知の地上子のP点信号を受信してATCのブレーキが掛かった状態を表している。|駅に停車するまでにおけるATC-2型のATCブレーキ動作のグラフ図(275km/h運転時)。 縦軸は列車速度、横軸は距離、横軸下の数字は各軌道回路から発信される現示速度、黒の太線は現示速度による速度段、黒の細線はATCのブレーキによる列車の運転パターン、Aが添線式停止制御軌道回路(ループコイル)、赤の細線は、確認を扱わない場合のATCのブレーキによる列車の運転パターン。 この図では、確認扱い後、手動によるブレーキ操作により、ループコイル手前の車両停止標識までに停車した状態を表している。}}{{-}} ==== ATC-3型 {{Anchors|ATC-3|ATC-3型|営団WS-ATC}}<!-- 節書き換えの際はAnchorsを活かしてください -->==== 営団地下鉄東西線(当時)乗り入れ用の[[日本の鉄道信号#常置信号機|地上信号]]方式ATC(営団WS-ATC)で国鉄形式ではATC-3型と呼ばれる。[[1961年]]の[[東京メトロ日比谷線|営団地下鉄日比谷線]](当時)開業に伴い日本初のATCとして採用されたものと同型である(日比谷線は[[2003年]]に新CS-ATCに切り替え)。乗り入れ相手先の部分でのみ使用され国鉄区間では採用・使用されていない。同線に過去に乗り入れをしていた[[国鉄301系電車|301系]]、[[国鉄103系電車|103系]]1000・1200番台、[[JR東日本E231系電車|E231系]]800番台にはATC-3型車上装置が搭載されていた。乗り入れ先の東京メトロ東西線が[[2007年]]3月にデジタルCS-ATC<ref name="tozai_15000">{{Cite web|和書|url=http://www.tokyometro.jp/corporate/enterprise/passenger_rail/cars/working/tozai_15000/index.html |title= 東西線15000系 東京メトロ|accessdate=2017-01-09}}</ref><ref name="RE1610"/> へ切り替えられたため、既にJRではこの形式のATCは使用されていないが、2021年8月現在、大阪メトロのうち5路線([[御堂筋線]]へ乗り入れる[[北大阪急行電鉄]]、[[大阪メトロ中央線|中央線]]へ乗り入れる[[近鉄けいはんな線]]も)、東京メトロ東西線に乗り入れをしている[[東葉高速鉄道]][[東葉高速鉄道東葉高速線|東葉高速線]]でこの方式を使用している。 ==== ATC-4型 {{Anchors|ATC-4|ATC-4型|営団CS-ATC}}<!-- 節書き換えの際はAnchorsを活かしてください -->==== [[常磐緩行線]]と[[東京メトロ千代田線|営団地下鉄千代田線]](当時)用で国鉄形式ではATC-4型と呼ばれ、地上装置はATC-1J型と呼ばれている、信号現示は0・25・40・55・75・90である。常磐線増強のため複々線化による緩急分離と、それに伴い千代田線と直通運転するため採用されたのが営団に合わせた車内信号方式であるATC-4型(営団CS-ATC)であった。使用開始は[[1971年]]。複々線化による緩急分離営業運転開始と相互直通運転開始は同時である。その後、[[1999年]]に千代田線、2000年に常磐緩行線の運転間隔短縮実現のため、ATC-4型からATC-10型へ変更され、既にJRではこの形式のATCは使用されていない。[[2012年]]8月に[[東京メトロ有楽町線]]の新木場 - 新富町間で新CS-ATCへ切り替えが行われたため、4型は同線に直通する西武鉄道[[西武有楽町線]]を除き消滅している。 ==== ATC-5型(消滅) {{Anchors|ATC-5|ATC-5型}}==== [[横須賀・総武快速線]]地下ルート用で、国鉄形式ではATC-5型と呼ばれ、地上装置はATC-1C型と呼ばれている、[[1972年]] - [[1976年]]に開通した総武快速線・横須賀線は、信号見通し距離の確保が困難であったためATC-4型と同等のCS-ATCを採用することになったが、信号現示が0・25・45・65・75・90で異なり、車上装置には使用線区両端部である[[錦糸町駅]]・[[品川駅]]でのATS切替機能を追加したため、ATC-5型と呼称される。地上装置はATC-1C型である。なお、[[2004年]]に総武快速線・横須賀線の地上部で使用されていた地上信号方式の[[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P]]へ切替統一されたため、以降この形式のATCを使用している区間はない。 ==== ATC-6型(消滅) {{Anchors|ATC-6|ATC-6型}}==== 1972年に発生した[[日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#日暮里駅構内追突事故|日暮里駅追突事故]]を契機に、地下線区でない国電線区に保安度の高いATCを導入することとなり、標準ATCとして開発された。すなわち、ATC-5型をベースとしながら現示段数を細分化して既設線路条件に適合しやすくし、信号現示は0・15・25・45・55・65・75・90・100・110・120となった。国鉄形式ではATC-6型と呼ばれ、ATC-5型に対して上位互換性がある。地上装置としてはATC-1E型で、山手線、京浜東北線は最高速度90km/hだが、コードとしては埼京線と同じく120km/hまで割り当てられている。 第一期工事で1981年に山手線、京浜東北線(大宮 - 蒲田間)が、第二期工事で1984年に赤羽線、京浜東北線(蒲田 - 横浜間)、根岸線が使用開始となる。翌1985年に赤羽線の延長ともいえる通勤新線の大宮 - 赤羽区間が新規開通、赤羽線を吸収した形の埼京線全線で使用開始となる。また、1986年には埼京線が乗り入れることになった山手貨物線の一部区間でも使用開始となる。上記のうち山手貨物線と根岸線の一部区間はバックアップATC区間といい、[[貨物列車]]などのATC非搭載車両が入線できるよう地上側にATC-6型と[[自動列車停止装置|ATS]]を併設してあった。ATC非搭載車はATSを使用するが、ATC搭載車は地上信号機を視認しながら保安装置としてATC機能をそのまま活用するものである。 その後、山手貨物線(埼京線[[新宿駅]] - 池袋駅間)のバックアップATC区間は、[[2003年]][[5月25日]]に実施された線路切替工事の際ATS-Pに変更した。[[京浜東北線|京浜東北]]・[[根岸線]]([[南浦和駅]] - [[鶴見駅]]間)は2003年12月21日に、[[山手線]]は[[2006年]][[7月30日]]に、京浜東北・根岸線の残存区間は2009年8月14日にD-ATCに切り替えた。最後まで使用されていた[[埼京線]][[池袋駅]] - [[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]{{Refnest|group="注釈"|2014年の赤羽駅における導入完了により、埼京線のATCの地上装置はATC-1Eの機能および基本仕様をそのままに、制御方式をリレー方式から電子方式に変更したME-ATCに更新されている<ref>{{Cite web|和書|date=2013年11月01日 |url=https://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=201302231515939993&rel=0 |title=東日本旅客鉄道株式会社 埼京線ATC地上装置(ME形)赤羽駅~大宮駅更新設備対応 |publisher=[[J-GLOBAL]] |accessdate=2018年12月23日}}</ref>。}}も2017年11月4日に[[ATACS]]に切替られた<ref name="JREast20131008"/><ref>{{Cite press release |和書 |title=埼京線への無線式列車制御システム(ATACS)の使用開始について |publisher=東日本旅客鉄道 |date=2017年10月3日 |url=http://www.jreast.co.jp/press/2017/20171004.pdf |format=PDF |language=ja |accessdate=2017年10月3日 <!--|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171003224617/http://www.jreast.co.jp/press/2017/20171004.pdf |archivedate=2017年10月3日-->}}</ref>。 ==== ATC-9型 {{Anchors|ATC-9|ATC-9型}}<!-- 節書き換えの際はAnchorsを活かしてください -->==== [[筑肥線]]と直通運転する[[福岡市交通局]](福岡市地下鉄)<!--「福岡市営地下鉄」ではない。またリンクを張ると「福岡市交通局」へリダイレクト-->のATCは、国鉄形式がATC-9型となった。 ==== ATC-10型 {{Anchors|ATC-10|ATC-10型}}<!-- 節書き換えの際はAnchorsを活かしてください -->==== 一段ブレーキ制御方式ATC(アナログ形)で、地上装置としては正式な略称は無い、ATC現示の多現示化に対応しており、東京地下鉄新CS-ATCと同じである。常磐緩行線および直通運転を実施している東京メトロ千代田線に採用されている。東京地下鉄各線も、2012年8月までにこの方式に変更されている。信号現示は0・10 - 90は5km/h刻み。[[#新CS-ATC|新CS-ATC]]の項も参照のこと。 ==== ATC-L型(消滅) {{Anchors|ATC-L|ATC-L型}}==== [[1987年]]に開業した[[海峡線]]([[新中小国信号場]] - [[木古内駅]]間)に採用されていた。将来の[[北海道新幹線]]延伸計画を考慮し、当時の東北新幹線のATC-1D型(ATC-2型)との互換性を意識した方式である。地上装置はATC-1F型と呼ばれていて、ATCの信号波は2周波組合わせ方式を使用し、常時送信ではなく踏込送信方式となっている。開業時は、ほとんどの列車<!--485系は開業時から運転-->が[[国鉄ED79形電気機関車|ED79形]][[電気機関車]]に牽引される[[自動空気ブレーキ|自動ブレーキ]]のみの方式であり、ATCブレーキ動作後の自動緩解(弛め動作)が難しく、[[込め不足]]の危険があるため、制限速度が変化する進路の1進路手前で予告現示を行い、ブレーキハンドル位置を指定し、進路境界までに運転士の操作で減速させる方式とした。考え方としては[[フランス国鉄]]の[[TGV]]で採用されている方式と類似している。もちろん、運転士による減速が行われないまま進路境界を越えると、自動的に常用最大ブレーキが作動する。自動緩解が行われないため、当初はATCのハードを使ったATSとしてATS-L型と称していたが、[[閉塞 (鉄道)#車内信号閉塞式|車内信号閉塞式]]であることから制度上ATSとしては認められずATCの一種という整理がなされ、正式開業時にはATC-L型となった。ちなみにLはLocomotive([[機関車]])の意味である。信号現示は0・45R・45・110Y・110で、45R・110Yがそれぞれ0・45の予告となっている<ref>EH500形の車内信号機では、0R・0・45R・45・75・85・95・100・110であった。</ref>。電車列車([[国鉄485系電車|485系]]、[[国鉄781系電車|781系]]、[[JR北海道789系電車|789系]]、[[JR北海道785系電車|785系(クハ784-303)]])は、機能上通常のATCであり、信号現示は0・55・105・140となっている。 直通先の東北新幹線は2007年までに全線がDS-ATCに切り替えられており、それに合わせる形で北海道新幹線開通の直前の[[2016年]]3月22日の設備切り替え工事により<ref>{{Cite press release |和書 |title=北海道新幹線設備切替に伴う列車の運休について |publisher=[[北海道旅客鉄道]] |date=2015-9-16 |url=http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2015/150916-4.pdf |format=PDF |language=日本語 |accessdate=2015-10-30 |archiveurl= |archivedate=}}</ref>、ATC-LからDS-ATCに切替られ、現存形式としては消滅した。在来線車両([[JR貨物EH500形電気機関車|EH500形]]およびED79形・485系・789系・785系)のDS-ATCと25000V対応は実施されなかったので[[海峡線]]([[青函トンネル]]区間)が走行できなくなったため、[[貨物列車]]の牽引機は[[JR貨物EH800形電気機関車|EH800形]]に置き換えられ、EH500形は本州内へ、789系は道内へと運用場所を移した。そして用途が失われたED79形・785系は引退した。 === デジタルATC === デジタルATCは車上主体型のシステムであり、「閉塞区間」という概念を持たないため、[[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]に含まれない。[[鉄道に関する技術上の基準を定める省令]]においては、「[[閉塞 (鉄道)#列車間の間隔を確保する装置による方法|列車間の間隔を確保する装置による方法]]」に該当する。 JR化後に開発・採用されたデジタルATCは以下のような種類がある。 <!-- "(消滅)" と書くことによる[[◯◯#ATC-x型]]のリンク切れ防止のため、アンカーを別名で貼りました。よろしくお願いします。 --> <!-- {{Anchors|D-ATC}} --> ==== D-ATC ==== [[ファイル:D-ATC_display.JPG|thumb|200px|E233系のD-ATCディスプレイ表示]] * [[京浜東北線]]・[[根岸線]] * [[山手線]] * [[都営地下鉄新宿線]] * [[台湾高速鉄道]] [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[在来線]]で採用されており、D-ATC (Digital-ATC) と呼称する。 従来のアナログATCでは軌道回路による地上装置から許容速度を直接指示して、停止時には、それによる多段ブレーキ制御によって列車を停止させていた地上主体型のシステム(ゆえにアナログATCは[[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]に含まれる)であったが、D-ATCでは車上装置から許容速度を直接指示して、停止時には、一段ブレーキにより列車を停止させる車上主体型のシステムである。地上装置<ref group="注釈">D-ATCの地上装置は、端子盤架、整合変成器架、送受信架、ノード架、GW架で構成されたSSHと呼ばれる機器室、SSHに論理部架、論理部架とルータLANで接続されたルータ架を設置したMSHと呼ばれる機器室、連動装置・実施ダイヤ管理装置と繋がり、MSHのルータ架とインターフェースを行うRHと呼ばれる連動機器室で構成されている。また、SSHのGW架、ノード架、MSHのGW架、ノード架、論理部架は、ATC-LANを介して接続されている。</ref> の送受信部から、列車検知の電文信号(TD電文と呼ばれるデジタル信号)を各軌道回路に送信して、列車の在線の有無をレベル変化により検知し、検知した列車位置情報を光ケーブルのATC-LANを介して地上装置の論理部に送り、論理部は送られた列車位置情報、連動装置からの路線の進路情報、[[架線]]の[[エアセクション]]等の情報を元に、列車を停止すべき停止点<ref group="注釈">列車を停止させる軌道回路。</ref> の情報を作成して、その情報をD-ATC電文信号<ref group="注釈">TD電文とD-ATC電文共に、変調方式は[[最小偏移変調|MSK変調]]を使用している。</ref> としてATC-LANと送受信部を介して列車が在線する軌道回路の後方区間に送信する。列車側の車上装置には<ref group="注釈">車上装置は、受信制御部・検査記録部・トランスポンダ送受信部・継電器(リレー)部からなっており、その内のD-ATC電文信号と列車速度制御を行う受信制御部と位置補正用トランスポンダ地上子からの位置補正用の地点情報を受信するトランスポンダ送受信部は2重系となっている。</ref>、路線情報と速度照査パターンが記録されたデータベースが搭載されており、車両に付けられている速度発電機のパルス出力により算出される移動距離、一定距離で設置した位置補正用トランスポンダ地上子<ref group="注釈">無電源のトランスポンダ地上子を使用しており、ATS-P形のトランスポンダ地上子と同じ送受信方式を使用している。種類としては地点電文地上子と入換電文地上子の2種類があり、それを受信する車上子は2重系を基本としているため、先頭車両には2個(1系と2系)が取付けられている。</ref> による補正、線区全体の路線情報を記録した車上装置のデータベースを併せることにより、常に自列車位置を把握している。車上装置の受信器がD-ATC電文信号の情報を受信すると、該当する速度照査パターンをデータベースの中から検索して、該当する速度照査パターンと自列車位置を元に求めた許容速度を車内信号で表示するとともに<ref name="JRETR20"/>、停止時には[[自動列車停止装置|ATS-P]]と同じく、車上主体型の速度照査パターン制御による自列車の速度と求めた許容速度と比較して停止点まで停止させる。車上装置のデータベースを使用しているため、車両性能に応じたブレーキ扱いが可能となり、車両性能に応じて軌道回路の長さの変更などの地上設備の改修を行うことなく、列車運転間隔と運転所要時分の短縮を図ることができる。乗り心地の向上<ref group="注釈">D-ATCのブレーキは、列車の速度と速度照査パターンの間の[[偏差]](ズレ)を元に必要なブレーキ力を出力する[[フィードバック]]でのブレーキ制御のため、ブレーキが掛かる際には、緩いブレーキから徐々に強いブレーキが掛かり、ブレーキを緩める際には、ブレーキを徐々に弱めるブレーキ制御を行う。</ref> や保安性の向上、スピードアップによる運転密度の向上が図られている。また、列車の現在地が車上のデータベースの路線情報に無く現在地が把握できない場合、ATC信号の消失、装置自体の故障や速度発電機の故障または異常検知、列車の後退やATCによるブレーキ不足を検知した場合は直ちに非常ブレーキが作動する。D-ATCは本線運転と入換運転とで制御方式を変えているため、本線モードと入換モードを設けており、モードの切替は、切替区間でD-ATC電文を受信<ref group="注釈">D-ATC電文には本線運転情報電文と入換制御情報電文があり、どちらかの電文を流すことにより、それを受信して車上側で運転モードが自動で切替られる。</ref> することにより自動で切替えられる。 車内信号の速度表示は5km/h刻み、減速パターン部分は無段階(ただし表示機の都合上E233系・E235系は1km/h刻み、他の車両は5km/h刻みでの速度表示)で、速度計を取り囲むように緑の<span style="background-color:#000000; color:yellowgreen;">▼</span>(0&nbsp;km/hのみ赤の<span style="background-color:#000000; color:red;">▼</span>)で表示するほか、走行速度がATCの速度照査パターンに近づくと<span style="background-color:#FF8000; color:#000000;">パターン接近</span>を表示する。またデジタル電文による通信で扱える情報量が増えたため、先行列車の位置や踏切の非常ボタンが押された等の付帯情報も列車に送信し運転台に表示できる。 京浜東北線は、同線で運用されている[[JR東日本209系電車|209系]]に順次D-ATC車上装置取付改造を実施したうえで、[[2003年]][[12月21日]]に[[南浦和駅]] - [[鶴見駅]]間がD-ATCへ変更された。 山手線は[[2005年]][[4月]]をもって、[[国鉄205系電車|205系]]からD-ATC車上装置が搭載された[[JR東日本E231系電車|E231系]]500番台への置き換えが完了した。地上装置側の整備を待ち、[[2006年]][[7月30日]]に全線がD-ATCへ変更された。これに伴い[[2001年以降のJRダイヤ改正#2007年(平成19年)|2007年3月18日のダイヤ改正]]で、1周59分で運転される。 京浜東北線の残存区間および根岸線についても、直通する横浜線車両205系のD-ATC対応化や地上設備の更新が終了し[[2009年]][[8月14日]]にD-ATC化された。 なお、2005年[[5月14日]]より使用を開始した[[東京都交通局]]([[都営地下鉄]])[[都営地下鉄新宿線|新宿線]]の新ATCもD-ATCのシステムをほぼ踏襲している。 [[台湾高速鉄道]]も[[新幹線700系電車#形式および車種|700系]]ベースではあるが、[[台湾高速鉄道700T型電車|700T形]]のD-ATCとしている<ref>[[#RF-516_80|2005年10月の開業に向けて 台湾新幹線700T形]]</ref>。 <!-- {{Anchors|DS-ATC}} --><!-- 節書き換えの際はAnchorsを活かしてください --> ==== DS-ATC ==== * [[東北新幹線]] * [[上越新幹線]] * [[北陸新幹線]] * [[北海道新幹線]]・[[海峡線]]<ref name="hokkaido-shinkansen.com">[[#JR_HOKU2015|開業に向けた取り組み(北海道新幹線スペシャルサイト・JR北海道)]]</ref> 東日本旅客鉄道(JR東日本)の東北・上越・北陸新幹線<!-- 北陸新幹線(高崎 - 長野新幹線車両センター間)も13/11/10に切替 -->で採用されており、DS-ATC (Digital communication & control for Shinkansen-ATC) と呼称する。 2002年12月の東北新幹線盛岡~八戸間延伸開業で使用が開始され、2013年までに東北・上越・北陸新幹線の全線で、アナログ型のATC-2型からDS-ATCへ更新された。 基本的なシステムはD-ATCと同じであるもの、列車側では車上装置<ref group="注釈">車上装置は、受信制御部・トランスポンダ送受信部・検査記録部・継電器(リレー)部などで構成されている。</ref> には、走行路線の線路情報と速度照査パターン<ref group="注釈">速度照査パターンは、前方の勾配や分岐器・曲線の曲線半径での速度制限なども考慮して作成されている。</ref> をデータベースとして記録しており、車上装置では速度発電機のパルス出力より算出した移動距離、トランスポンダ地上子から受信した位置情報、データベースで記録されている路線情報を元に、列車の位置と速度を常に把握している。一方、地上側では、日立製作所勝田事業所で製作されたとみられるSAINT-LAN (Shinkansen ATC and INTerlorcking) と呼ばれる地上装置があり<ref group="注釈">論理部・伝送制御部・連動ATC統合型論理部などを一体化した装置。</ref>、そこで軌道回路による列車の検知、列車の停止位置の決定、伝送する信号電文の作成を行い、作成された列車の停止すべき点の情報をデジタルATC信号として列車が在線する軌道回路の後方区間に送信する。それを車上装置が受信することにより、車上装置のデータベースから速度照査パターンを検索し、該当した速度照査パターンと列車の位置から、その時点での許容速度を算出し、ブレーキが掛かる際には、列車速度と比較しながら最適なブレーキ力を算出して、一段ブレーキにより減速する。高速走行等を考慮し、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、列車の最高速度から停止まで、ATCの速度照査パターンによる一段ブレーキになるが、停車での駅進入の場合には、列車の最高速度から75km/h<ref group="注釈">分岐器による速度制限が75km/h以下の場合には、その速度制限までのパターン。</ref> まで、75&nbsp;km/hから停車までの、ATCの速度照査パターンによる二段ブレーキとなっており、75&nbsp;km/h以下からは、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させ、従来のATC-2型で行われていた確認ボタンによる確認扱いは行わない。ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合には、ATCのブレーキパターンにより、進路終端までに列車を自動的に停止させる。また、速度照査パターンにより列車を自動的に減速させる時には、ATCのブレーキの強弱を行うことにより、そのパターンに沿った滑らかな減速を行えるようになっている(ただしEH800はATCブレーキの自動減速はできない為、警告から非常制動までの猶予が大きい)。車庫線での車両入換については、進入番線を地上信号機ではなく運転台の表示で確認できるようになっている<ref group="注釈">新在共用区間(海峡線・青函トンネル)は軌間が正しい進路の判定もある(軌間が合わないと分岐器で脱線してしまう)。</ref>。これらの関係でATC信号から受信した電文には、誤りがないことを検定するチェック用電文が含まれており、電文の正当性チェックを行うため<ref group="注釈">不正と判断されれば、受信したATC信号の電文を制御に使用しないようになっている。</ref>、認識するのに多少時間がかかることから、非常ブレーキについては、動作応答を速めるため特定のビットを連続して受信すると即座に動作するよう設定している。D-ATC・DS-ATCは、下記ATC-NS・KS-ATCとは異なり、速度照査パターンデータはあらかじめ作成済みのものをデータベースとして所持し、地上からの停止点情報を元にそのパターンデータを「検索」するという<!-- シンプルな ←都度作成と比べてシンプルというわけでもないような… -->方式を採用しているため、速度照査パターンを都度演算するATC-NSで導入当初に頻発した演算エラー等での停止信号現示などの現象は起きにくいとされている。着眼点は地震の規模からあらかじめ津波予測を計算・データ化し保存しておき、[[地震]]発生時はそのなかから最適データを引き出すだけとする[[津波警報|津波予報システム]]と同様の考え方といえる。 海峡線のうち、新中小国信号場から木古内駅の間は、北海道新幹線の開業に合わせて設備(交流25,000V、DS-ATC、[[三線軌条]])が更新された<ref name="hokkaido-shinkansen.com" />。そのため、同区間を通過する在来線列車は、対応する車上装置を搭載した形式に限定されることとなった。客貨車による列車は、すべて[[JR貨物EH800形電気機関車]]の牽引によって同区間を通過する。また、[[TRAIN SUITE 四季島]]に使用されるE001形も、前述の仕様を満たしており、自力走行で同区間を通過する。 <!-- {{Anchors|RS-ATC}} --><!-- 節書き換えの際はAnchorsを活かしてください --> ==== RS-ATC ==== * 東北新幹線 * 上越新幹線 * 北陸新幹線 * 北海道新幹線・海峡線 日本で初めてとなる[[無線]]を使用したATCであるが、同路線ではすでにDS-ATCが運用されており、当面はDS-ATCが使用できない時に使用する代用保安方式の一種(無線代用保安装置)として使用する。 無線設備はデジタル列車無線のうち、使用していないチャンネルをRS-ATCの制御に使用する。列車の停止点の設定、現在地の把握方法、車上データベースはDS-ATCと同じ仕組みとし、車上の一部のシステムをDS-ATCと共用している。列車とは当該の列車番号・現在地などを常時通信するもので、逆方向への運転も可能になっているほか、従来の代用保安方式に比べて安全性が向上されている。ただし、軌道回路を使用しないため最高速度は110km/hに制限されるほか、1駅間に1列車のみの走行に限定している<ref name="RS2201"/>。 <!-- {{Anchors|ATC-NS}} --><!-- 節書き換えの際はAnchorsを活かしてください --> ==== ATC-NS ==== * [[東海道新幹線]] * [[山陽新幹線]]・[[博多南線]] * [[九州新幹線]](一部区間)<ref>[[博多駅]] - [[博多総合車両所]]分岐の区間。</ref> [[東海旅客鉄道]](JR東海)で開発が進められたデジタルATCで、ATC-NS(JR東海の英語サイトではnew ATC systemと表記)と呼称する。 当初は新ATCという名で開発が進められていたが、実用化を前に、後述する九州新幹線でKS-ATCとして先行導入し、その後、東海道新幹線への導入の際に、仕様の一部を変更したものである。東日本旅客鉄道(JR東日本)の東北・上越・北陸新幹線で採用しているDS-ATCと同様の一段ブレーキ方式であるが、多段式ブレーキ方式を用いたアナログ信号によるATC-1D型の機能も備えており、多段式ブレーキ方式から一段ブレーキ方式への切り替えを容易にしている。車上側の車上装置では、路線データと車両性能データが予め記録されており、速度発電機のパルス出力から算出した移動距離、トランスポンダ地上子から受信した位置情報を元に、自列車の位置を把握しており、地上側の地上装置<ref group="注釈">ATC-NSの地上装置は、保安器架、軌道回路送受信部 (TSRB)、停止信号送受信部 (ESRB)、ATC管理装置、IF部、伝送中継部、それらを繋ぎ高速で情報伝送を行うATC-W(高速光LAN)・Ei-W・CTC-Wで構成されている駅機器室 (MSH)、保安器架、軌道回路送受信部 (TSRB)、IF部で構成され、駅機器室とATC-Wで接続された中間機器室 (ISH) で構成されている。</ref> で、軌道回路による列車検知を行い、それにより検知した列車位置情報を元に作成されたデジタル電文を、列車が在線する軌道回路の後方区間に送信する方式はDS-ATCと同じだが、DS-ATCは停止点情報を送信するのに対して、ATC-NSは進行できる区間([[閉塞 (鉄道)|閉塞]]に相当する)の数と軌道回路IDと経路コードと臨時速度制限などの情報を送信しており、それを受信した車上装置が最適な速度照査パターンを随時算出し作成して、ブレーキが掛かる際には、列車速度と比較しながらブレーキ力を随時算出して、一段ブレーキにより減速する。DS-ATCとは違い停止点情報までは車上側には送信しないため、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、列車の最高速度から手動による頭打ち速度である<ref group="注釈">もし、その区間で列車を手動で加速してその速度以上を出そうとしても、ATCのブレーキパターンによるブレーキが掛かりそれ以上の速度は出せない。</ref> 30&nbsp;km/hまで、ATCの速度照査パターンによる一段ブレーキになるが、停車での駅進入の場合には、列車の最高速度から分岐器制限速度まで、分岐器制限速度から手動による頭打ち速度である30km/hまでの、ATCの速度照査パターンによる二段ブレーキとなっており、両者とも、30&nbsp;km/h以下になった場合には、確認ボタンによる確認扱いを行ない<ref group="注釈">ATC-1D型と同じく、確認ボタンによる確認を怠るとATCのブレーキが作動したまま列車は停止する。</ref>、その後、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させる。ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合や先行列車に接近している時には、設置された停止制御用のトランスポンダ地上子から発信される信号を受信することにより、ATC-1型の0信号の01と同じATCのブレーキが掛かり、駅停車時では、出発進路の始端の外方(前方)に設置された添線式停止制御軌道回路(ループコイル)が発信する03信号により停止する。[[2006年]][[3月18日]]より本導入となり、[[新幹線300系電車|300系]]・[[新幹線500系電車|500系]]・[[新幹線700系電車|700系]]<!--・[[新幹線N700系電車|N700系]]-->については、順次ATC-NS車上装置取付改造を実施した。なお、[[鳥飼車両基地]]への回送のために鳥飼車両基地 - [[新大阪駅]]間で東海道新幹線に乗り入れる[[新幹線0系電車|0系]]・[[新幹線100系電車|100系]]および700系7000番台についてはATC-NS対応改造は行われず、代替としてこの区間にATC-1型を併設することで対応した。地上設備については、[[静岡駅]] - [[浜松駅]]間が1段制御走行試験区間として先行導入され、同区間の更新切替が2001年[[12月]] - 2002年[[1月]]にかけて行われた。山陽新幹線・博多南線<ref>よって九州新幹線の博多駅 - 博総分岐間も同じようになる。</ref> において2017年2月19日から運用を開始し<ref name="JW20170215"/>、前述の700系7000番台もATC-NS対応改造が行われた。<!--台湾高速鉄道の700T形について、D-ATCと言う所までしか分かりませんでした。こちらの位置に戻す場合は出典脚注を付けてください。--> <!-- {{Anchors|KS-ATC}} --><!-- 節書き換えの際はAnchorsを活かしてください --> ==== KS-ATC ==== * [[九州新幹線]]<ref>博多駅 - 博総分岐間はATC-1、のちATC-NSを設置(それぞれ前述)</ref> * [[西九州新幹線]] [[九州旅客鉄道]](JR九州)の九州新幹線と西九州新幹線で採用されており、KS-ATC (Kyushu Shinkansen-ATC) と呼称する。 JR東海で開発が進められていたATC-NSを実用化する前の先行導入であったため、前述のATC-NSとほぼ同じシステムであるが、KS-ATCでは、駅間で後続列車が先行列車に接近の場合には、列車の最高速度から停止まで、ATCの速度照査パターンによる一段ブレーキになり、停車での駅進入の場合には、列車の最高速度から分岐器制限速度まで、分岐器制限速度から手動による頭打ち速度である15km/hまで、手動による頭打ち速度である15km/hから停止までの、ATCの速度照査パターンによる三段ブレーキとなっており、15&nbsp;km/h以下からは、ブレーキハンドルによる手動操作により列車を停止させ、ATC-NSで行われている確認ボタンによる確認扱いは行わない。ブレーキハンドルによる手動操作が行われなかった場合には、ATCの速度照査パターンにより、進路終端までに列車を自動的に停止させる。 <!-- {{Anchors|ATACS}} --><!-- 節書き換えの際はAnchorsを活かしてください --> ==== ATACS(R-ATC) ==== {{Main|ATACS}} ATACS(アタックス、英語: Advanced Train Administration and Communications System)とは、東日本旅客鉄道(JR東日本)が開発した列車保安装置である。 従来、軌道回路で行っていた列車位置検知を車上検知に変更し、地上と車上の通信をデジタル無線で行うのが大きな特徴である。また既存の信号システムにおける自動列車保安装置(ATSやATC)、連動装置、踏切の制御装置を全て内包している保安装置である。また日本初の移動閉塞(クロージング・イン)システムである。 2020年(令和2年)10月現在、仙石線(あおば通駅 - 東塩釜駅間)と埼京線(池袋駅 - 大宮駅間)において使用しているほか、ATACSを応用した地方交通線向け[[CBTC|無線式列車制御]]システムを[[小海線]](小諸駅 - 小淵沢駅間)で使用している。 総合車両製作所の製品紹介によれば、ATACSについて、R-ATCとの表記がみられる。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.j-trec.co.jp/company/070/06/jtr06_094-099.pdf |title=総合車両製作所製品紹介 |access-date=2023-11-02}}</ref> === 地下鉄のATC === 一般的に[[地下鉄]]は、カーブが多くトンネルのため見通しが効かないという特性上、より安全性の高い保安設備が要求される。直通運転をしている地上鉄道との整合性から[[C-ATS]]を採用している[[都営地下鉄浅草線]]を除いて、すべての社局・路線でATCを採用している。 おおむね[[車内信号]]式 (CS-ATC) を採用しているのが、[[福岡市交通局]]、[[神戸市営地下鉄]]の[[神戸市営地下鉄西神・山手線|西神・山手線]]、[[神戸市営地下鉄北神線|北神線]]および[[神戸市営地下鉄海岸線|海岸線]]、[[京都市営地下鉄]]の[[京都市営地下鉄烏丸線|烏丸線]]および[[京都市営地下鉄東西線|東西線]]、[[大阪市高速電気軌道]](旧[[大阪市営地下鉄]])の[[Osaka Metro千日前線|千日前線]]・[[Osaka Metro長堀鶴見緑地線|長堀鶴見緑地線]]・[[Osaka Metro今里筋線|今里筋線]]、[[名古屋市営地下鉄]]の[[名古屋市営地下鉄名城線]]・[[名古屋市営地下鉄名港線|名港線]]・[[名古屋市営地下鉄鶴舞線|鶴舞線]]・[[名古屋市営地下鉄桜通線|桜通線]]・[[名古屋市営地下鉄上飯田線|上飯田線]]、[[横浜市営地下鉄ブルーライン]]、[[仙台市地下鉄南北線]]、[[札幌市営地下鉄]]である。 [[東京地下鉄]](東京メトロ、旧[[帝都高速度交通営団]])は、[[1969年]]([[昭和]]44年)12月以降に新規開業した[[東京メトロ千代田線|千代田線]]・[[東京メトロ有楽町線|有楽町線]]・[[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]・[[東京メトロ南北線|南北線]]が、[[東京都交通局]]([[都営地下鉄]])は[[1978年]](昭和53年)12月以降に新規開業した[[都営地下鉄新宿線|新宿線]]・[[都営地下鉄大江戸線|大江戸線]]が開業当初からCS-ATCを使用している。 比較的古くから営業している大阪市高速電気軌道の前記以外の各線では、昭和40年代以降地上[[鉄道信号機|信号]]式 (WS-ATC) を採用している。 打子式[[自動列車停止装置|ATS]]を使用していた[[東京メトロ銀座線|銀座線]]・[[東京メトロ丸ノ内線|丸ノ内線]]、[[名古屋市営地下鉄東山線]]、T形ATS([[東武鉄道]]と共同開発)を使用していた[[都営地下鉄三田線]]、WS-ATCを使用していた[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]・[[東京メトロ東西線|東西線]]、CS-ATCを使っていた[[東京メトロ千代田線|千代田線]]<ref>[[#RF-508_100|Q-103系1000番台はまた違うのですか?]]、国鉄(J)の車両技術メンバーの回答。</ref>・[[東京メトロ有楽町線|有楽町線]]、[[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]・[[都営地下鉄大江戸線]]は新CS-ATCに置き換えられている。[[2005年]][[5月14日]]から都営地下鉄新宿線ではデジタルATC (D-ATC) へと移行している。 ==== WS-ATC (WaysideSignal-ATC) {{Anchors|WS-ATC|}}==== [[#ATC-3型|ATC-3]] と構造的にはほぼ同じ。 ==== CS-ATC (CabSignal-ATC) {{Anchors|CS-ATC|}}==== [[#ATC-4型|ATC-4]] と構造的にはほぼ同じ。段数が少ないことから段数の多い新CS-ATCに置き換えられている。 ==== 新CS-ATC ==== * [[東急田園都市線]] * [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[常磐緩行線]] * [[東京地下鉄]](東京メトロ)全線<ref group="注釈">[[東京メトロ丸ノ内線|丸ノ内線]]、[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]、[[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]に[[CBTC]]導入計画あり</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.tokyometro.jp/corporate/profile/plan/pdf/mp2024.pdf |title=TOKYO METRO PLAN 2024 |access-date=2023-07-03 |publisher=[[東京地下鉄]]}}</ref> * [[東京都交通局]]([[都営地下鉄]])[[都営地下鉄三田線|三田線]]・[[都営地下鉄大江戸線|大江戸線]] {{Double image stack|right|CS-ATCtokyu no2.JPG|CS-ATS tokyu no1.JPG|200|上が通常の状況での新CS-ATCの車内信号機。進行現示の緑のランプが点灯し許容速度を橙の三角形で表示している状態。<br />下が車上パターン式過走防護機能 (ORP) が作動している状況での新CS-ATCの車内信号表示。停止現示の赤のランプが点灯し下部の赤のP表示が点滅している状態。}} ATC-10と構造的にはほぼ同じで、従来のCS-ATCに代わって導入が進められている。一段ブレーキ制御では従来の方式より閉塞数を多くできるため、増発が可能になる。信号現示は0・10と10 - 80の間が5km/h刻みが基本だが、路線・会社によって若干異なる。ATCブレーキは緩和ブレーキ方式を採用しており、鉄道会社によって細部は多少異なるが、作動直後に常用最大ブレーキの半分のブレーキ力を作用させることで急減速によるショックを和らげている。この制御により、運転士が信号予告情報によりあらかじめ手動ブレーキを掛けてATCブレーキのショックを緩和する操作を行わなくても乗り心地を損なわないようになっている。信号現示が増えたため、運転台の速度計では許容速度を橙の三角形<span style="background-color:#000000; color:#FF8000;">▼</span>で示すほか、速度計の上部に、進行現示の場合は緑のランプ<span style="background-color:#000000; color:yellowgreen;">●</span>を、停止現示の場合は赤のランプ<span style="background-color:#000000; color:red;">●</span>を表示する機能も追加した(入換の際はどちらも点灯しない)。<!-- 近年ではさらに65km/h制限の黄色ランプも追加されている。 -->また、前方の軌道回路が下位の許容速度を指示している際には、その情報を運転士に知せるために、運転台に設置された前方予告灯が点灯して、列車の無駄な力行(加速)を避け<ref group="注釈">力行(加速)して前方の下位の許容速度の軌道回路に進入した場合、ATCのブレーキが掛がかってしまうのを避けるため。</ref>、ブレーキオフでの乗り心地の悪化を防ぐことできる<ref group="注釈">ブレーキオフで前方の下位の許容速度の軌道回路に進入した場合、ATCのブレーキが掛かるが、前方予告灯が点灯して、予め運転士がブレーキ操作を行い減速することにより、ATCのブレーキが作動するのを避けることができる。</ref>。 一段ブレーキ制御にはデジタルATC (D-ATC) があるが、新CS-ATCは地上装置から直接速度現示を行い(D-ATCは列車が停止すべき位置情報を受信し車上装置が最適速度を判定して速度現示する)、最初の現示変更による制動が緩解しないうちに速度現示を変更させ、最終的な速度まで1回の制動で減速できるように許容速度が設定されている。多くの路線ではアナログ信号で伝送するほか、旧型のCS-ATCとの互換性もある。ただ、最高速度などは導入段階で一番ブレーキ性能の悪い列車に合わせているため、ブレーキ性能の異なる列車が走る路線には向いていない。また、デジタルATCとは互換性はないほか、主たるブレーキ制御はパターン制御ではないため、速度現示の変更を受けた時の速度によっては、必ずしも一段ブレーキ制御とはならず数回の制動となる場合がある。 同方式は東急田園都市線で初めて採用されたが、[[東京メトロ銀座線|銀座線]]への導入に当たっては車上パターン式過走防護 (ORP : '''O'''ver '''R'''un '''P'''rotector) 機能を追加した。これは過走余裕が取れない駅での高速進入を可能にするもので、終端や分岐器直前の02信号(非常制動を指示する停止信号)の手前から15・20・25・35&nbsp;km/hからの減速パターンによる速度照査を行う。この際、赤の<span style="background-color:#000000; color:red;">P</span>表示が点滅し、速度計にある赤色の針でパターン速度を表示する(滑走を検知した場合は滑走用の速度パターンになる)が、赤色の針が無いものは、線路内に設置されたORP専用の速度表示によりパターン速度を表示する。なお、東京メトロ南北線においては、赤針・ORP専用の速度表示で許容速度の表示はされず[P]の点灯と警音が鳴動する。両者ともパターン速度を超過すると非常ブレーキが作動する。同機能は後の新CS-ATC導入路線にも採用された。 <!-- また、東急線内において、パターンに当たるなどで一時的にATCブレーキを解除すると、「非常運転」のランプが点灯し、警音が鳴動する。この場合は7.5km/hの速度照査が続く。他のATC全般でも、単に非常運転SWを操作しただけで同じ現象が起こる--> {{-}} === その他のATC === 一部私鉄では地下区間であったり、乗り入れ先地下鉄線と整合させたりするなどの理由により、ATCを採用している。 ==== 東急電鉄・横浜高速鉄道 ==== ===== 田園都市線(~2003):新CS-ATC===== [[東急田園都市線]]では1968年からATSが導入され、1977年に開業した[[渋谷駅|渋谷]]から[[二子玉川駅|二子玉川]]までの地下区間(2000年までは新玉川線と呼ばれた)は、開業当時よりCS-ATCが導入されていた。しかし、乗客の増加にともなう運転間隔の短縮に対応できないため、多現示・一段ブレーキ制御機能を持つ新CS-ATCが1991年3月16日より導入された<ref name="dk44-5-p18" /><ref name="rp41-6-p97" />。 従来のATCは、停止に至るまで例えば90・75・55・0km(01信号)と段階的に低位の信号が現示される<ref name="dk44-5-p18" />。これらの信号は各段階内で速度が落ちきるように設計されているため<ref name="dk44-5-p18" />、毎回ブレーキの制動・緩解が繰り返され乗り心地が悪い<ref name="rp48-7-p10" />ばかりでなく、必要以上に速度が落ち運転間隔短縮のネックとなっていた<ref name="dk44-5-p18" />。 そこで、新CS-ATCでは停止信号区間の終端までに停止できることを条件に、各段階内で速度が落ちきらない内にさらに低位の信号を現示することによって、ブレーキの制動、緩解の繰り返しを解消した<ref name="dk44-5-p18" />。この方式は一段ブレーキ制御と呼ばれ、対して従来の方式は多段ブレーキ制御と呼ばれる<ref name="rp48-7-p19" />。 信号現示は従来の7段階から、110km/h、100km/hから10kmまでを5km/h刻み、そして0km/h、×(絶対停止または無信号)とした25段階へ増やし、きめ細かな速度制限を実現した。これは、従来のCS-ATCと同一の主信号と、新CS-ATCで追加した副信号の組み合わせを用いて指示され、従来のCS-ATCと互換性を持つ<ref name="dk44-5-p18" />。 田園都市線では、速度制限のためのATCの機構だけでなく、途中の曲線・勾配・ポイントでの速度制限にも対応しており、その他にも、駅停車制御(停止位置超過防止 : この制御区間でATC指示速度を走行速度が超えた場合は非常停止)・後方防護(停止位置超過して列車をバックする際、通常は1閉塞以上が空いてしまうが、一定区間を停止とすることで安全にバックできる)・ORS(地上側で列車速度を検知して過速度の場合は01信号として常用ブレーキで停止)・前方予告機能(前方の軌道回路が下位の許容速度を指示している際、運転台に設置された前方予告が点灯して、無駄な力行(加速)の回避とブレーキオフによる乗り心地の悪化を防止する機能)を持ち合わせている。 また、ATCによるブレーキの動作は、作動直後に常用最大の半分のブレーキが作用し、0.5秒後常用最大になる。緩解の際は、01信号では速度8km/h以下でハーフブレーキとして停止時のショックを低減しているが、それ以外ではハーフブレーキは行われないので、運転士がハーフブレーキを行うことになる。 新CS-ATCによる一段ブレーキ制御を行い、かつ停車時間の長い駅付近の軌道回路の長さを60m程度とすることにより、2分間隔<ref group="注釈">20m車10両編成、停車時間40秒、加速・減速度3km/h/s、駅進入速度75km/h、閉塞長60mを条件に余裕時間10秒含んだ数値</ref>での運転を可能とした<ref name="dk44-5-p18" />。実際のダイヤでは、1991年の導入当初2分25秒間隔からスタートしたが、1992年9月には2分15秒間隔、2004年10月には2分5秒間隔まで短縮されている<ref name="rp57-9-p42" /><ref name="名前なし-pawj-1">参考文献 Subway = 日本地下鉄協会報. (103) pp.57~63</ref>。その後、[[2003年]]の営団半蔵門線延伸開業の際にトランスポンダ関連を除きATC-Pに変更となっている。 ===== 東横線、目黒線、大井町線、田園都市線(2003~)、東急新横浜線、こどもの国線、横浜高速鉄道みなとみらい線 :ATC-P ===== {{Anchors|ATC-P}}その後導入された[[東急東横線|東横線]]<ref>当初は[[渋谷駅|渋谷]] - 菊名間のみで導入されており[[菊名駅]]でATSとの切り替えを行っていたが、みなとみらい線開通に関連した[[東白楽駅|東白楽]] - [[横浜駅|横浜]]間の地下化、横浜 - [[桜木町駅|桜木町]]間廃止と同時にみなとみらい線を含む菊名 - 横浜 - [[元町・中華街駅|元町・中華街]]間もATC-Pに統一された。</ref>、[[東急目黒線|目黒線]]、[[東急大井町線|大井町線]]、[[東急新横浜線]]、[[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]では、田園都市線の新CS-ATCを元に改良したATCが導入され、ATC-Pとも呼ばれる。パターン制御は行うが、緩和ブレーキ制御、ORP、駅停車制御がパターン制御の主体となる点が[[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P]]やデジタルATCとの違いである。 緩和ブレーキ制御は、次の軌道回路までの間に、ハーフブレーキのみで走行速度が指示速度に下がりきるかを車上側で照査パターンを発生させて計算する機構を加え乗り心地向上を実現している。これは、たとえば走行速度が80km/hで指示速度が75km/hと下がった場合、列車の速度が照査パターンを超過しない場合には、常時最大ブレーキは作動せず緩和ブレーキが作動する、これはブレーキ初速が走行速度と近い場合に有効である。 ORPは過走防護装置と呼ばれており、駅の停止線手前のレールにORP添線を敷設して、P25またはP35信号を発信している。その区間へ列車が進入して、その信号を検知した時点から残距離をカウントし、25または35km/hから7.5km/hまで降下するパターンを発生させ、その後、PEP信号を受信して、7.5km/hから5.5km/hまで降下するパターンに切替わる過走防護パターンを車上側で発生させる。運転台では、速度計の脇に「P」が点灯し、ORPゲージのある車両は、速度計の赤指針で発生パターンを表示して、列車の速度が発生したパターンを超過すると非常ブレーキが動作する。また、ORP区間に列車が入っている時、列車は自位置を把握しているわけではないので、ORP添線の長さは一定に敷設されており(P25信号で約60m、P35信号で約80m)、これにより、駅への進入速度の向上と運転時分の短縮が可能になる。通常のATCは常用ブレーキ主体だが、過走防護パターンはATCの非常ブレーキのみのバックアップという位置づけである。 駅停車制御は、田園都市線ではCS-ATCより出発進路を停止現示にして制御していたが、ATC-Pでは停車制御装置を列車に搭載して、停車駅500m手前に設置されたトランスポンダ地上子から送信される情報により、車上側で種別ごとに駅停車パターンを発生させてオーバーランを防止するとともに、列車がオーバーランしても、停車駅の出発進路の直下に設置された地上子を列車が通過するので、それにより列車が駅停車パターンを超えたことを地上側が受信して、自動的に場内進路の発信情報を停止として後方防護がなされる。なお、このトランスポンダ地上子からは臨時速度制限情報も送信されるほか、列車からは運行番号や種別などの情報が受信され指令所へ伝送する。 他にも踏切制御(トランスポンダ地上子により、車上側から地上側に種別などの情報を送信して、踏切の閉まるタイミングを変えるほか、踏切が閉まるまでは踏切の手前までに停止するように指示するほか、踏切支障の場合は一段ブレーキではなく階段状に減速するよう速度現示し、踏切付近は15km/h信号で通過できるようにする)なども導入された。<ref name="名前なし-pawj-1"/> なおATC-Pは、田園都市線の新CS-ATCとは[[互換性|上位互換]]となっているため、同装置を取り付けている車両は田園都市線へも入線可能である。2003年にATC-Pに切り替わったため互換性の関係なくATC設置路線全線に車両が入線可能となった。 ==== つくばエクスプレス ==== [[首都圏新都市鉄道]][[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|つくばエクスプレス線]]では、東京メトロ東西線向けに準ずるデジタル伝送式新CS-ATCを採用した。最高速度160km/hでの走行を想定し、5 – 160&nbsp;km/hを5km刻みで制御する。また前方予告機能のほか、終端駅など過走距離が取れない場所ではORP方式<ref group="注釈">ATC信号波からP信号を受信して停止パターンを発生させ、その後に地上側にあるトランスポンダ地上子から地点情報を受信して停止パターンに補正を加える方式。</ref> による停止パターン制御を採用している。[[交流電化]]区間を走行する観点から、デジタル伝送を採用し、その利点を生かして場内進路情報や停止が必要な位置までの前方距離などが[[操縦席|運転台]]のモニタ装置に表示される。 ATC信号は常時送信ではなく踏込送信方式となっている。列車が軌道回路に進入した際には、TD装置が列車の検知と在線を判定して在線軌道回路に信号を送信する。検知によって信号を送信するため、列車進行により次の軌道回路に列車が入った場合には、送信点の変化時において、車上側にごく僅かなタイムラグ(無信号状態)が発生するが、車上装置側に許容値内の時素を持たせて対応している。もちろん許容値を超える無信号があった場合は無信号絶対停止のためEB(非常ブレーキ)が動作する。 ただし、停車場構内の場内・出発進路のあるところは各進路設定により関係進路上の軌道回路が常時送信で送信する。 ==== 京王電鉄(京王ATC){{Anchors|京王ATC}} ==== 京王形[[自動列車停止装置|ATS]]([[自動列車停止装置#多変周式信号ATS(多変周式(点制御、連続照査型))|多変周式点制御連続照査型ATS]])からの置き換えを目的に、2010年3月より[[京王相模原線|相模原線]]を皮切りに導入され、[[2011年]][[10月2日]]には相模原線以外の[[京王線]]系統([[京王新線]]・[[京王競馬場線|競馬場線]]・[[京王動物園線|動物園線]]・[[京王高尾線|高尾線]]を含む)全区間、2013年3月には[[京王井の頭線|井の頭線]]でも使用が開始された。[[京三製作所]]製で、京王線系統が相互乗り入れを行っている都営新宿線で導入された、[[日立製作所]]製[[自動列車制御装置#D-ATC|D-ATC]]とは互換性を持たない。 先行列車や進路開通条件および曲線区間などによる速度制限情報に基づいて常時ブレーキパターンを演算する「車上演算式一段ブレーキATC」を採用。線路終端に接近した際の過走防止機能を搭載し、低速走行時の過走防止対策として専用地上子も設置されている。このほか停車駅誤通過防止機能も搭載し、列車種別・停車駅の表示器が設置されている。停車駅が接近すると駅の[[停止位置目標]]に合わせたブレーキパターンが演算され、停車後に7ステップ又は非常を指令することでパターンは消去される。なお誤通過防止は臨時停車にも対応する<ref name="RST200812" />。 運転台には照査速度を示す緑の<span style="background-color:#000000; color:yellowgreen;">▼</span>(0&nbsp;km/hのみ赤の<span style="background-color:#000000; color:red;">▼</span>)と進行・停止を示す<span style="background-color:#000000; color:yellowgreen;">●</span>・<span style="background-color:#000000; color:red;">●</span>、非常停止を示す赤<span style="background-color:#000000; color:red;">×</span>が表示される。フラット部分の照査速度は5km/h刻み、パターン部分は無段階(ただし表示器の都合上5km/hでの表示)。パターンが発生していない場合は最高速度のみ<span style="background-color:#000000; color:yellowgreen;">▼</span>で表示し、パターンが発生すると制限速度まで<span style="background-color:#000000; color:yellowgreen;">▼</span>が連続して表示され、パターンに沿って<span style="background-color:#000000; color:yellowgreen;">▼</span>が順次消える設計となっている。停車駅で停止する際は停止位置目標に接近したところで最高5km/hの速度照査となる。なお場内停止や先行列車との接近で停止した場合はATCによる常用最大ブレーキが動作し進路開通まで緩解されない。 <gallery widths="150" style="font-size:90%;"> ファイル:keio ATC signal no1.JPG|京王ATCの運転台の車内信号機、パターンが発生していない状態 ファイル:Keio ATC no4.JPG|京王ATCの運転台の車内信号機、制限速度までのパターンが発生している状態 ファイル:Keio ATC signal no2.JPG|京王ATCの運転台の車内信号機、停車駅の停止位置までのパターンが発生している状態 ファイル:Keio ATC signal no3.JPG|京王ATCの運転台の車内信号機、停止位置付近での5km/hでの速度照査の状態 </gallery> ==== 東武鉄道{{Anchors|T-DATC|東武デジタルATC|東武ATC|東武型デジタルATC|東武型ATC}} ==== [[ファイル:ATC ATS tijyoshi.JPG|thumb|200px|新たに設置されたT-DATCトランスポンダ地上子(写真左)]] [[東武鉄道]]では[[東武東上本線|東上線]]の[[池袋駅]] - [[小川町駅 (埼玉県)|小川町駅]]間でATCを導入している<ref name="Tobu20120426"/>。2015年2月時点では、[[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]・[[東武日光線|日光線]]・[[東武野田線|野田線]]([[東武本線|本線/野田線]])系統へのATC導入は発表されていない。 なお東武鉄道のATCは、「T-DATC」<ref name="Tobu20140402"/><ref>「東武東上線夜間試運転列車のお知らせ」で「T-DATC」の呼称を使用されているのを確認できる。</ref> と称するが、文献等によっては「東武(型)デジタルATC」や「東武(型)ATC」とも称していることもある。 計画当初は2012年までに導入することが予定されていたが、後の計画の見直しにより約3年延期され、池袋 - 小川町間を2期に分けて整備されることとなり、第1期整備区間として2014年度に川越市 - 小川町間に、第2期整備区間として2015年度に川越市 - 池袋間にATCを導入する計画に変更された<ref name="Tobu20140430"/>。 その後、2014年4月12日から2014年12月30日までの間、T-DATCの各種試験及び乗務員運転訓練のため、第1期整備区間の川越市 - 小川町間でT-DATCによる[[終電]]後の夜間[[試運転]]が実施され<ref name="Tobu20140402"/>、[[2015年]][[1月31日]]に第1期整備区間の川越市 - 小川町間に<ref name="Tobu20141224"/>、続いて[[2015年]][[6月13日]]には第2期整備区間のうち川越市 - 和光市間が、[[2015年]][[9月26日]]には、和光市 - 池袋間にT-DATCが導入され<ref>[http://www.tobu.co.jp/file/pdf/5713524df6fc26ca5a8ecdbcc1be5bff/presentation.pdf 2015年度第2四半期決算説明会プレゼンテーション資料] 東武鉄道株式会社 2015年11月12日</ref>、当初の計画通り池袋 - 小川町間の全線でのT-DATCの導入が完了した。 JRで採用されているデジタルATCと同様の車上演算方式であるが、東上線は東京メトロ[[東京メトロ有楽町線|有楽町線]]・[[東京メトロ副都心線|副都心線]]、[[東急東横線]]、[[横浜高速鉄道みなとみらい線]]と相互直通を行っており、車上装置にデータベースを持たせた場合、構内の改良工事などで線路情報の更新が必要になった際には、直通他社の車両についても更新を要請する必要が生じるため、JR方式では車上装置に線路情報データベースを持たせているところを、代わりに地上子(トランスポンダ)から線路情報を与えることで車上データベースを不要としている<ref name="RS2204"/>。また、東京メトロ新CS-ATCや東急ATC-Pなど従来のATCを改良したタイプのものと比較して、現状の閉塞軌道回路の割合を大幅に変更することなく一段ブレーキ制御を行うことができるというメリットがある。その他、速度制限がある曲線や分岐器での通過の際には、自動的にブレーキを掛けて列車の速度を制限速度に落とす機能のほか、踏切支障時の防護機能や停車駅での定位置停止・誤通過防止などの拡張性も持たせている。 運転台の速度計では新CS-ATCと同様に信号現示を5km/h刻みとしており、現示速度を橙の三角形<span style="background-color:#000000; color:#FF8000;">▼</span>で示すほか、速度計の上部に、進行現示の場合は緑のランプ<span style="background-color:#000000; color:yellowgreen;">●</span>を、停止現示の場合は赤のランプ<span style="background-color:#000000; color:red;">●</span>を表示する。また、ORP機能を持っており、新CS-ATCが35km/h以下で作動するのに対して、T-DATCでは60km/h以下で作動するようになっている。速度計の赤色の針でパターン速度を表示するが、それ以外では、進行現示でも許容最高速度を赤色の針で表示する。 曲線や分岐器での速度制限区間に接近する場合には、地上子から送られた速度制限情報を基に、現示速度を示す橙の三角形<span style="background-color:#000000; color:#FF8000;">▼</span>がその速度制限まで移動して、車上側で演算された減速パターンにより、速度計の赤色の針がその現示速度までそのパターンに沿って動くようになっており、速度計の針が赤色の針を超えずに速度を減速させた場合には問題ないが、速度計の針が赤色の針を超えた場合には、制限速度以下まで常用最大ブレーキが掛かる仕組みとなっている。 先行の閉塞区間が停止現示や駅停車時でのORPが機能する場合には、60&nbsp;km/h以下になると、現示速度を示す橙の三角形<span style="background-color:#000000; color:#FF8000;">▼</span>が0km/hまで移動するとともに、停止現示の赤のランプ<span style="background-color:#000000; color:red;">●</span>とオレンジの<span style="background-color:#000000; color:#FF8000;">P</span>表示が点灯して、車上側で演算された減速パターンにより、速度計の赤色の針がそのパターンに沿って0km/hまで動くようになっており、速度計の針が赤色の針を超えずに速度を減速させた場合には問題ないが、速度計の針が赤色の針を超えた場合には、制限速度以下までブレーキが掛かる仕組みとなっている。また、速度現示アップ時には、基本的に速度現示表示とともに許容最高速度の赤針も動いて表示が変わるが、速度制限解除地点付近などでトランスポンダの設置位置と閉塞軌道回路の境界の位置が若干離れているなどパターン速度の更新のタイミングによっては、速度現示表示より先に速度計のパターン速度の赤針が動くことがある。 なお、JRのD-ATCと同様に、速度計の黒針(走行速度)が赤針(ATCの許容最高速度またはパターン速度)に近づくとブザー音(「ピーッ、ピーッ」)とともに<span style="background-color:#FF8000; color:#000000;">パターン接近</span>が点灯する。 [[分岐器]]の手前の軌道回路においては、進路予告機や進路表示器の代わりに、T-DATCの車内信号による進路予告表示がおこなわれ、表示灯の<span style="background-color:#000000; color:yellowgreen;">←</span>(左分岐)・<span style="background-color:#000000; color:yellowgreen;">↑</span>(直進)・<span style="background-color:#000000; color:yellowgreen;">→</span>(右分岐)のいずれかの表示が点滅し進路予告が表示される。 <gallery widths="150" style="font-size:90%;"> ファイル:Tb5000atc.JPG|東武 T-DATCの運転台の車内信号機(進行現示、現時速度表示よりも先に許容最高速度表示(赤針)が上位の表示になっている例。) ファイル:Tb5000atc (2).JPG|東武 T-DATCの運転台の車内信号機(先行の閉塞区間が停止現示の場合の減速パターンによる速度照査パターンが発生した状態。) </gallery> === 新幹線設備のその他 === 新幹線のATC設備のうち駅構内の場内進路・出発進路の始端の外方(前方)には添線式停止制御軌道回路(ループコイル)が敷設されており、敷設箇所を示す停止限界標識が近接して建植されている。各進路が設定されていないときは絶対停止信号(03信号)が送信される、また、駅で本線と合流する副本線の出発進路や車両基地の回送線と本線と合流地点の出発進路には、進入検知器が設置されており、列車が過走して停止限界標識やループコイルを超えて隣接線の進路に入った場合には、進入検知器が列車を検知して、隣接線の列車に緊急停止信号を送信して列車を防護する。終着駅での過走余裕(停止目標 - 車止め間)が無い所では、列車の終端防護のために速度照査停止制御装置が設置されている。これはJR各社によって仕組みやシステムが違うが、東海道新幹線では、終端に向かって、レールの両側に2基一対の車軸検出子を6つとループコイルを3つ設置して、列車が所定停止標識に停止するまでの速度を車軸検出子が速度照査し、決められた速度以下を検知した場合は、車軸検出子から所定停止標識までの1つのループコイルに03信号を送信しないが、決められた速度以上を検知した場合は、そのループコイルに03信号を送信して、列車を停止させる。また、列車が所定停止標識を超えた場合には、そこに設置された車軸検出子がそれを検知して、所定停止標識から停止限界標識までに設置されたもう1つのループコイルに03信号を送信する。さらにその奥に、停止限界標識から車止標識までにループコイルが設置されているが、これは列車の速度や接近に関係なく、常に03信号が送信されている。 東北・上越新幹線のDS-ATCでは入換信号もATCによって現示される。東海道・山陽新幹線は新旧どちらのATCでも地上信号機によって現示され、九州新幹線も同様である。ただし、手信号代用器は、駅の出発進路地点に設けられた地上信号機(入換信号器)の上に設置されており、駅間でATCによる運転ができない場合による代用保安方式<ref group="注釈">列車のATC装置が使用不能となった場合に、駅間で列車がいないことを確認してから列車の運転を行う検知式、同じく輸送指令がそれを確認してから列車に運転指示を行ない列車の運転を行う指令式、線路故障のため、1線が不通となり単線運転を行う場合に、駅間で駅長が打ち合わせて1人の指導者を定めて、列車に乗車させてから列車の運転を行う指導検知式、同じく輸送指令が駅間の列車がいないことを確認してから列車に運転指示を出して列車の運転を行う指導指令式、線路の故障で上下線で不通となった場合には、駅間を2以上の区間に分割して単線運転とし、その区間に列車がいないこと確認してから、1人の指導者を列車に乗車させて列車の運転を行う指導式がある。また、駅からの出発の際は駅長が出発合図を行ない、駅間の最高速度は110km/hまたは120km/hで運転を行い、駅手前で一旦停止してから駅に停車する。そのため、通過列車を含む全列車が必ず駅で停車する。</ref> での運転の際に使用される。 <gallery widths="180" style="font-size:90%;"> ファイル:Shinkansen ATC.JPG|東北新幹線大宮駅構内に設置されている添線式軌道回路(前方)、手前にある標識は敷設箇所を示す停止限界標識。 ファイル:Shinkansen chijyou signal mechanism.JPG|駅の構内に設置されている地上信号機(入換信号機)、その上に取付けられているのは手信号代用器。 ファイル:Syajiku kenchishi.JPG|終着駅の終端防護のために設置されている、速度照査停止制御装置の車軸検出子。 </gallery> {{-}} == 新交通システムの自動列車制御装置 == === 台湾桃園国際空港新交通システム === [[台湾桃園国際空港]](台湾中正空港から2006年改称)の新交通システムでは、ATC(Automatic Train Control)は信号保安システムのATP(Automatic Train Protection)、自動運転システムのATO(Automatic Train Operation)、運行管理システムのATS(Automatic Train Supervision)をサブシステムとするシステム全体をいう<ref name="kobelco2004">{{Cite web|和書|url=https://www.kobelco.co.jp/technology-review/pdf/54_3/095-100.pdf |title=台湾中正空港向け新交通システム |publisher=神戸製鋼技報54巻3号(2004年) |accessdate=2020-11-29}}</ref>。 * ATP(Automatic Train Protection)は、信号保安システムであり、列車検知、速度超過防護、ドア開方向保安、電車の加速運転、ブレーキのインターロック、進路鎖錠など列車の保安上の管理を行うシステムである<ref name="kobelco2004" />。日本のシステムではドア開方向保安や列車進行方向保安はATO(Automatic Train Operation)のシステムに組み込まれていることが多いが、この新交通システムではドア開方向保安や列車進行方向保安をATP(Automatic Train Protection)の一部とされ、それぞれ独立したシステムになっている<ref name="kobelco2004" />。 * ATO(Automatic Train Operation)は、自動運転システムであり、列車の出発、加減速制御、駅停止、ドア開閉など列車の自動運転制御を行うシステムである<ref name="kobelco2004" />。 * ATS(Automatic Train Supervision)は、運行管理システムであり、列車運行全体の監視,各種案内制御を行うシステムで、中央指令員の介入のためのマンマシンインタフェース機能と運行に関するログを記録する機能をもつ<ref name="kobelco2004" />。 === 香港国際空港新交通システム === [[香港国際空港]]の新交通システムである[[香港国際空港新交通システム]](The Hong Kong International Airport Automated People Mover)でも、ATCのシステムはATP、ATO、ATSをサブシステムとするシステムとなっている<ref name="mhi1997">{{Cite web|和書|url=http://www.mhi.co.jp/technology/review/pdf/346/346390.pdf |title=空港向け無人運転車両-香港新空港向けAPM車両 |publisher=三菱重工技報 34巻6号 (1997) |accessdate=2020-11-29}}</ref>。香港国際空港新交通システムのATCでは、ATPは車内信号現時方式でチェックイン・チェックアウト方式の信号保安機能、ATOは車上演算方式での自動運転や定位置停止機能、ATCは運行監視や運行記録を管理する機能をもつ<ref name="mhi1997" />。 === マカオAGTシステム === マカオAGTシステムは、全自動無人運転のゴムタイヤ車両を使用したマカオLRT(Macau Light Rapid Transit)のタイパ線(2019年供用開始)で使用されているシステムである<ref name="mhi2020">{{Cite web|和書|url=https://www.mhi.co.jp/technology/review/pdf/572/572030.pdf |title=マカオ LRT:世界屈指のリゾート都市の基幹交通システム |publisher=三菱重工技報 57巻2号 (2020) インダストリー&社会基盤特集 |accessdate=2020-11-29}}</ref>。マカオAGTシステムは全自動無人運転の中量輸送システムで自動列車制御(ATC)信号システムが利用されている<ref name="mhi2020" />。自動列車制御システムの信号システムには無線式列車制御システム(Communications-Based Train Control-CBTC)が採用されており双方向で連続的な通信が可能な通信方式になっている<ref name="mhi2020" />。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|2|refs= <ref name="Kubota1995p145">[[#久保田1995|久保田1995p145]]</ref> <ref name="HokurikuATC">[[#北陸ATC|北陸新幹線デジタルATCシステム]]</ref> <ref name="JREastSafety">[[#JR東安全|JR東日本:会社要覧2011 安全]]</ref> <ref name="JREast20131008">[[#JRE20131008|埼京線への無線式列車制御システム (ATACS) の導入について]]</ref> <ref name="JRETR20">[[#JRETR20|デジタルATCの開発と導入]]</ref> <ref name="RS2201">[[#RS2201|『鉄道と信号技術』第22巻1号pp19-24]]</ref> <ref name="RST200812">[[#RST200812|『鉄道車両と技術』第14巻9号pp15-29]]</ref> <ref 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|和書 |author=鉄道ファン |title=2005年10月の開業に向けて 台湾新幹線700T形 |url=http://railf.jp/japan_railfan_magazine/mokuji/2004/516.html |year=2004 |publisher=交友社 |journal=鉄道ファン |serial=通巻516号(2004年4月号) |volume=44 |page=80 |ref=RF-516_80}} * 『鉄道ピクトリアル』通巻793号(2007年9月・電気車研究会) ** {{Cite journal ja-jp | author=片桐淳也| title=東急田園都市線 混雑緩和に向けた取り組み|pages=42-45|ref=RP793p42}} * 『[[鉄道車両と技術]]』第14巻9号(2008年12月・[[レールアンドテック出版]]) ** {{Cite journal ja-jp|和書|title=最近のATC 〜 京王線のATC |pages=15-19|author=池谷崇・渡邉淳一・吉村誠・畑好之・西園青史・柴田知範|ref=RST200812}} * 『鉄道と電気技術』第22巻1号(2011年1月・[[日本鉄道電気技術協会]]) ** {{Cite journal ja-jp|和書|title= RS-ATC(東北・上越新幹線の無線ATC)|pages=19-24|author=葛西隆也|ref=RS2201}} * 『鉄道と電気技術』第22巻4号(2011年4月・日本鉄道電気技術協会) ** {{Cite journal ja-jp|和書|title= JR、民鉄のATS (6) ―東武鉄道のATS―|pages=84-88|author=石井英二|ref=RS2204}} * 『鉄道と電気技術』第16巻10号(2005年10月・日本鉄道電気技術協会) ** {{Cite journal ja-jp|和書|title= 東京地下鉄東西線 地上主体型デジタル伝送方式のATC地上装置概要|pages=29-32|author=宇田川一雄|ref=RE1610}} * 『Subway = 日本地下鉄協会報』(103)(1997年1月・日本地下鉄協会) ** {{Cite journal 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web|和書|url=http://www.tobu.co.jp/file/pdf/31a890fac70d274401ab6ddee9f22e7e/140430_1.pdf?date=20140501145030|title=2014年度の鉄道事業設備投資計画|format=PDF|publisher= 東武鉄道|date=2014-04-30|accessdate=2014-11-30|ref=Tobu20141130}} * {{Cite web|和書|url=http://hokkaido-shinkansen.com/outline/approach/ |title=開業に向けた取り組み(北海道新幹線スペシャルサイト) |publisher=[[北海道旅客鉄道]] |accessdate=2015-11-19|ref=JR_HOKU2015}} == 関連項目 == * [[閉塞 (鉄道)#車内信号閉塞式|車内信号閉塞式]] * [[自動列車保安装置]] * [[自動列車停止装置]] (ATS) * [[自動列車運転装置]] (ATO) * [[定位置停止装置]] (TASC) * [[ATACS]] *[[ETCS]] * [[ATP (鉄道)|ATP]] * [[緊急列車防護装置]](TE装置) * [[緊急列車停止装置]](EB装置) * [[デッドマン装置]] * [[速度照査]] * [[信号保安]] * [[鉄道信号機]] * [[日本の鉄道信号]] * [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]] * [[列車選別装置]] * [[新交通システム]] * [[河邊一]] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しとうれつしやせいきよそうち}} [[Category:自動列車保安装置]] [[Category:鉄道とIT]] [[Category:新幹線]] {{rail-stub}}
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オペラ
オペラ(イタリア語: opera、英語: opera、フランス語: opéra、ドイツ語: Oper)は、演劇と音楽によって構成される舞台芸術である。歌劇(かげき)とも呼ばれる。 オペラは、舞台上で衣装を着けた出演者が演技を行う点で演劇と共通しているが、セリフだけではなく、大半の部分(特に役柄の感情表現)が歌手による歌唱で進められることを特徴とする。歌手は器楽合奏により伴奏されつつ歌い演じる。伴奏は、多くの場合交響楽団規模の編成に及ぶ。 初期ロマン派までのオペラでは、歌唱には二つの様式がある。一つは、レチタティーヴォ(朗唱)で、会話を表現するものであり、普通の朗読に近い抑揚で歌われる。もう一つはソロ(独唱)で歌われるアリア(詠唱)や複数の歌手が歌う重唱(アンサンブル)あるいは大勢で歌う合唱で、通常の歌唱である。これらの様式はみな伴奏を伴う。 レチタティーヴォは、古典派の時代まではチェンバロのみで伴奏されるレチタティーヴォ・セッコと、管弦楽伴奏によるレチタティーヴォ・アッコンパニャートがあり、前者は会話的な抑揚で語るように歌う。後者は直後のアリアや重唱の導入として置かれることが多い。ロマン派時代のオペラではレチタティーヴォ・セッコはほとんど見られなくなった。 アリアは主に登場人物の感情を表現するもので、古典的なオペラではアリアを歌う間はドラマの進行が静止することもあるが、時代が下るにつれて、アリアでも登場人物の感情の推移を通じてドラマを進めるようになった。アリアはおおむね大規模なもので、主要な登場人物について割り当てられる。より小規模なものをアリオーソ、カンツォネッタ、ロマンツァなどと、歌の性格によって呼ぶこともある。 役柄どうしの対話は重唱で行われ、群集などが登場する場面では合唱も加わることがある。特に各幕の終曲(フィナーレ)では、ほとんどの登場人物による重唱や合唱で構成される場合がある。 これらの独唱・重唱・合唱について、古典的なオペラでは各々が独立して作曲されており、一連番号が付けられていたことから「ナンバーオペラ」と呼ばれ、各ナンバーの間は前述したレチタティーヴォによってつながれる。各曲が独立しているため、上演時の都合によりナンバー単位で省略されたり、作品の作曲家または別な作曲家により、代替あるいは挿入用のアリアが加えられたりすることもあった。しかしロマン派の半ば以降にはナンバーによる分割が廃され、各幕を通して作曲されるようになった(上演の際に慣習的なカットを行うことがある)。また、アリアとレチタティーヴォも明確には区別されなくなっていった。 ジングシュピール、オペラ・コミック、オペレッタ、サルスエラなどの様式では、レチタティーヴォ・セッコでなく台詞を用いて劇が進められる。 歌手、および歌手の演ずる役柄はそれぞれの音高(声域)で分類される。男性歌手(男声)は声域が低い順にバス、バスバリトン、バリトン、テノール、カウンターテノールに、女性歌手(女声)は声域が低い順にアルトまたはコントラルト、メゾソプラノ、ソプラノに分類される。 また、歌手の声の質も役柄との関係が深く、声質によって歌えたり歌えなかったりする役柄は多い。たとえば、ベッリーニの『ノルマ』の題名役、ヴァーグナーの『ニーベルングの指環』のヴォータンやブリュンヒルデ、ヴェルディの『オテロ』や『ファルスタッフ』の題名役の良い歌手を見いだすのはいつでも難しいとされる。 オペラは他の多くの芸術形態から成立している。基本は音楽であるが、歌と台詞が付いて演じられることから演劇の要素をも持つ。また、上演する上で重要な要素と考えられる視覚的な舞台効果を得るため、絵画の要素も用いられている。こうした理由で、リヒャルト・ヴァーグナーは、このジャンルを「総合芸術」(Gesamtkunstwerk)と呼んだ。 「オペラ」(opera)という単語はイタリア語で「仕事」「作品」を意味し、この語自体は同じ意味のラテン語「opus」(単数属格形 operis)の複数形主格「opera」に由来する。今日「opera」は単独で歌唱によって進行される演劇または楽曲作品を意味するが、元来は「opera musicale」(音楽的作品)と呼んだものの省略から、この語義が生じた。 ルネサンス後期の16世紀末、フィレンツェのカメラータにより古代ギリシャの演劇を復興しようという動きが始まった。ギリシャ悲劇を模範に、歌うような台詞を用いる劇が考えられた。今日、オペラと見なされる知られる限り最古の作品は、1597年頃のヤコポ・ペーリ(1561年 - 1633年)による『ダフネ』(Dafne)であるが、作品は現存しない。のちのペーリの作品である『エウリディーチェ』は1600年以降に作曲されたもので、今日に残る最初のオペラ作品である。 ペーリはしばしばオペラの発明者であると考えられているが、今日でも上演される最古のオペラは1607年にマントヴァで初演されたクラウディオ・モンテヴェルディ(1567年 - 1643年)作曲の『オルフェオ』である。この作品では先駆者の様式に従いながらも、調性や強弱の変化による緊張感を高めた、より劇的な表現が見られる。モンテヴェルディは後にヴェネツィアのサン・マルコ聖堂で楽長の地位を得て、同地に新設された専用のオペラ劇場のために優れた作品を生み出す。この時期にはイタリア各地でオペラが上演されるようになり、18世紀にかけてナポリで隆盛を極めた。様式は朗唱だけでなく歌謡的なアリアの比重が高まり、伴奏の規模も拡大して、より充実した音響効果がみられるようになる。衣装や舞台装置も徐々に複雑できらびやかなものとなり、オペラ劇場は王侯貴族や富裕な市民の社交と娯楽の場としても発展した。 もともとギリシャ悲劇の再来を目指した当時のオペラは、後にオペラ・セリア(正歌劇)と呼ばれるようになる(セリアは英語の「serious」の意)。題材はやはりギリシャ神話に求められることが多いが、ローマ時代などの人物を扱ったものも見られる。対立するオペラ・ブッファは喜劇であるが、セリアは悲劇とは限らない。ハッピーエンドのものも含まれており、そうした流れは後年の『トゥーランドット』などへ引き継がれている。 これに対し、もっと世俗的な内容の作品がオペラ・ブッファ(喜劇オペラ)である。もともとは、3幕もののセリアの幕間劇として演じられたコメディが独立し、規模拡大したものである。初期の幕間劇で今日まで残るものとして、ペルゴレージ(1710年 - 1736年)の『奥様女中』(1733年)がある。18世紀には独立されたジャンルとして発展し、パイジエッロ(1740年 - 1816年)、チマローザ(1749年 - 1801年)、サリエリ(1750年 - 1825年)などが多数の作品を残した。中でも、モーツァルト(1756年 - 1791年)がダ・ポンテの台本に作曲した『フィガロの結婚』(1786年)、『ドン・ジョヴァンニ』(1787年)、『コジ・ファン・トゥッテ』(1790年)が有名である。 18世紀前半のバロック時代後期のオペラには、ドイツ出身でイギリスで活躍したヘンデル(1685年 - 1759年)や、フランスのラモー(1683年 - 1764年)などに優れた作品があったものの、本場イタリアでは、カストラートをはじめとした人気歌手たちの声と技巧をひけらかすことを第一の目的とし、筋の方は支離滅裂で珍妙なものも増え、劇としては堕落の様相を呈する傾向があった。また、バロック・オペラのスタイルも誕生から百数十年が経ち、制度疲労と硬直化を見せるようになった。そうした状況の中、18世紀後半に古典派音楽の台頭とともに登場したのが、ドイツ出身のグルック(1714年 - 1787年)である。彼は、歌手のためにオペラがあるのではなく、オペラのために歌手が奉仕するような、あくまで作品とドラマの進行を第一とするような方向にオペラを再び立ち返らせ、ドラマの進行を妨げる余計な要素を一切廃したスタイルのオペラを書いた。当初はオーストリアのウィーンで、後期はパリで活躍するが、当然のことながら旧守派と激しく衝突し、ことにパリでの争いは歴史的にも有名である(後述)。改革されたオペラの第1作は、ウィーン時代の1762年に初演された『オルフェオとエウリディーチェ』であった。パリ時代の作品には『オーリードのイフィジェニー』(1774年)、『包囲されたシテール (改訂版)(フランス語版) 』(1775年)、『アルセスト 』(1776年改訂版)、『エコーとナルシス(英語版)』 (1779年)、『トーリードのイフィジェニー』(1779年)などがある。 グルックの「オペラ改革」は、後の時代に大きな影響を与えた。 何世紀もの間、イタリア・オペラが正統派オペラの形式であり、多くのオペラは、作曲者が主に英語やドイツ語を話していたとしても、イタリア語の台本に作曲された。 18世紀においてもなお、イタリア音楽こそが最高のものであるという認識が残っており、どこの宮廷でもイタリア人音楽家をこぞって重用した。その一方で、今日名を残す多くのドイツ人作曲家が登場したが、たとえばグルックはイタリア語、フランス語のオペラは書いたが、ドイツ語のオペラ作品は書いていない。またヘンデルは多くのオペラを書いたが、ドイツ語のオペラは1曲のみである。 19世紀に入り、ようやくドイツ圏のオペラはドイツ語で書かれる形が定着したものの、前世紀のバッハに続いて、ブラームス、ブルックナー、マーラーと一切オペラを残さなかった大作曲家が少なくない。 一応オペラは残しているが、今日ではほとんど上演されない(ただし他分野では人気の高い)ドイツ系作曲家となるとシューベルト、リスト、シューマン、メンデルスゾーンがこれに加わる。 最初の重要なドイツ語のオペラは、時代をさかのぼること17世紀前半、シュッツ(1585年 - 1672年)の『ダフネ』(1627年)と目されているが、楽譜は現在では失われてしまっている。 17世紀後半になると、ドイツ語圏各地に宮廷劇場ができるが、1678年に三十年戦争(1618年 - 1648年)の影響の少なかったハンブルクに公開オペラハウスが建設されると、ドイツ人作曲家によるドイツ語オペラが数多く上演されるようになる。ここで活躍した作曲家にはタイレ(1646年 - 1724年)、クッサー(1660年 - 1727年)、カイザー(1674年 - 1739年)、マッテゾン(1681年 - 1764年)などがいるが、特に有名なのはテレマン(1681年 - 1767年)であろう。彼は18世紀前半に多くのドイツ語オペラを書き、それらは大いに人気を博した。 18世紀の後半になると、フランスのオペラ・コミックやイギリスのバラッド・オペラの影響を受け、喜劇的な内容を持ち、レチタティーヴォの代わりに台詞の語りをもったジングシュピールが生まれる。この様式はヒラー(1728年 - 1804年)によって完成され、その後ハイドン(1732年 - 1809年)やディッタースドルフ(1739年 - 1799年)によって、より音楽的に充実したものとなった。 ドイツ語オペラにおける次の重要な作曲家はモーツァルト(1756年 - 1791年)である。中でも死の年(1791年)に書かれた『魔笛』は、ジングシュピールの様式による非常に優れた作品である。それまでのジングシュピールが台詞による劇の進行のところどころに歌を配した文字通りの「歌芝居」である傾向が強いのに対し、モーツァルトがウィーン時代の初期に作曲した『後宮からの誘拐』(1782年)は、すでに堂々たるオペラになっている(音楽が主、語りが従)。伝えられる逸話によれば、上演に接した神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世はモーツァルトに対し「音符が少々多い」と感想を述べたところ、彼は「音符はまさに必要なだけございます」と答えたという。真偽はともかく、このジャンルに対する一般の認識と、作曲者の対抗心が対比されており興味深い。そのモーツァルトも、残した作品の比率としてはイタリア語作品が多くを占めるが、様式的にもイタリアオペラの伝統とは異質なこともあり、また生まれたザルツブルクも後年活躍したウィーンも当時の「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」であり、モーツァルト本人も自らを「ドイツ人」であると認識しているなど(モーツァルト#ドイツ人論議参照)(そもそもハイドンやベルクを含めてオーストリア・オペラという呼び方が用いられることはほとんどない)、今日ではこれらもドイツオペラの枠で論じられることが多い。『ドン・ジョヴァンニ』は初演後100年間でドイツ圏での上演6600回に対しイタリアでの上演は200回弱にすぎず、『コジ・ファン・トゥッテ』に至っては1816年から126年間、『フィガロの結婚』も1815年から20世紀まで、総本山ミラノ・スカラ座で一度も上演が行われないなど、イタリア人はこれらの自国語作品を殆ど受け入れようとはせず、影響も受けなかった。さすがに現代においては、これほど極端な拒絶は行われていないが、それでもこれらの作品は、イタリア人よりはドイツ圏の歌手や指揮者が得意とする伝統(イタリア人であってもムーティやジュリーニのようにドイツ音楽を得意とする指揮者)が残っている。戦後しばらくのミラノ・スカラ座も、これらの作品をワーグナー作品などとともに、ドイツ・オペラ主任として迎えたカラヤンに任せていた。 ドイツ語オペラの流れは、19世紀に入ってベートーヴェン(1770年 - 1827年)の『フィデリオ』(1814年)を生むが、真にドイツ・オペラをオペラ界の主要ジャンルとして確立させたのはヴェーバー(1786年 - 1826年)で、『オベロン』(1826年)や『魔弾の射手』(1821年)といった作品は、E.T.A.ホフマン(1776年 - 1822年)、シュポーア(1784年 - 1859年)やマルシュナー(1795年 - 1861年)の作品とともに、イタリアのセリアともブッファとも異なるロマンティック・オペラの特質を表しており、これはやがてヴァーグナーの楽劇へと至ることになる。一方、ロルツィング(1801年 - 1851年)やフロトー(1812年 - 1883年)らはフランスでさらに発展したオペラ・コミックをジングシュピールの伝統と融合させた、ドイツ式オペラ・コミックを創り上げた。また同じくフランスで生まれたオペレッタはウィーンで大衆的な支持を得て発展した。一方でヴァーグナーの登場もあり、ドイツ語圏のオペラは硬軟両面で急速に興隆していく。20世紀にかけてはリヒャルト・シュトラウスがその流れを集大成し、アルバン・ベルクが現代音楽としてのドイツオペラを樹立した。これらの作家は、ヴァーグナー、初期のシュトラウス、ベルクを除くと、悲劇好みのイタリアとは異なって、なべて喜劇やハッピーエンド作品を指向しているのが、モーツァルト(彼はオペラ・セリアですらハッピーエンドを好んだ)以来のドイツオペラの大きな特徴である。また、ファンタスティックな要素への傾斜も強く、イタリアオペラには滅多に登場しない魔法 (シンデレラ物語ですらロッシーニ作品では魔法抜きに脚色されている) が、『魔笛』『魔弾の射手』『ヘンゼルとグレーテル』『影のない女』、ヴァーグナーの諸作と目白押しである。 イタリアでナポリ派オペラが発展していた17世紀半ば、フランスではリュリ(1632年 - 1687年)により、フランス語で歌われる独立したフランス・オペラの伝統が創始された。この伝統は18世紀前半にはラモー(1683年 - 1764年)に受け継がれ、豊かに発展した。18世紀中期になると、イタリアのオペラ・ブッファの影響をうけ、コミカルな内容を中心とし、レチタティーヴォの代わりに語りをもったオペラ・コミックが登場し、次第に人気を集めるようになる。1752年にイタリアから来たオペラ団がパリでペルゴレージの『奥様女中』を上演すると、ラモーに代表される伝統的フランス・オペラと、イタリアのオペラ・ブッファやその影響で生まれたオペラ・コミックのどちらが優れているかに関して知識人たちの間で大いに論争となったことがあったが、これは「ブフォン論争」と呼ばれる。この論争の後、オペラ・コミックはますます人気を高めるが、この論争で反ラモーの代表的存在だった、思想家としても有名なルソー(1712年 - 1778年)は、『村の占い師』(1752年)というオペラ・コミックを書いて自らのオペラ思想を世に問うた。 1773年にドイツ出身でウィーンで活躍していたグルックがパリにやって来て、彼の「オペラ改革」をフランス・オペラに持ち込むと、今度は旧来のイタリア・オペラを支持し、イタリアのピッチンニ(1728年 - 1800年)を擁した「ピッチンニ派」と、グルックの新式オペラを支持する「グルック派」の間で、ブフォン論争以上の激しい争いが起き、時に武力抗争にまで発展したと言われている。 やがて18世紀後期になると、オペラ・コミックはフランス革命期の社会的風潮の影響を受けてか、喜劇的なものよりも英雄的で雄大な内容を持つものに変化し、伝統的なオペラとの違いは単にレチタティーヴォのあるなし程度になってゆく。「革命オペラ」「恐怖オペラ」「救出オペラ」などとも呼ばれることのあるこのようなオペラ・コミックの代表者には、ゴセック(1734年 - 1829年)、メユール(1763年 - 1817年)、イタリア出身のケルビーニ(1760年 - 1842年)、などがいる。また、ドイツのオペラであるが、ベートーヴェンの『フィデリオ』もこの「救出オペラ」の一種である。後期のグルックがパリで活動したせいもあり、これらのオペラ・コミックを含めて18世紀後期のフランス・オペラはグルックの「オペラ改革」の影響を強く受けている。ケルビーニと同じくイタリア出身のスポンティーニ(1774年 - 1851年)はそうしたグルックの後を継ぐような、そしてより大規模なオペラ・セリアを書き、後のグランド・オペラの先駆となった。 19世紀前半になると、台詞による語りのないフランス・オペラは、5幕形式でバレエを含む大規模な形式の、グランド・オペラと呼ばれる様式となった。代表的な作曲家はマイアベーア(1791年 - 1864年)である。ヴァーグナーやヴェルディもパリで自作を上演する際にはバレエを追加した(『タンホイザー』と『ドン・カルロス』)。この様式の大家としてはマイアベーアが人気を博し、『悪魔のロベール』(1831年)『ユグノー教徒』(1836年)、『預言者』(1849年)、『アフリカの女』(1865年)など、今日でも上演される作品を残している。他にはジャック・アレヴィ(1799年 - 1862年)の『ユダヤの女』(1835年)やベルリオーズ(1803年 - 1869年)の『トロイアの人々』(1858年)、アンブロワーズ・トマ(1811年 - 1896年)の『ハムレット』(1868年)、カミーユ・サン=サーンス(1835年 - 1921年)による『サムソンとデリラ』(1877年)と『ヘンリー八世』(1883年)、マスネ(1842年 - 1912年)の『エロディアード』(1881年)と『ル・シッド』(1885年)などがある。 オペラ・コミックも19世紀前半は隆盛を極め、ボワエルデュー(1775年 - 1834年)の『白衣の婦人』(1825年)、オベール(1782年 - 1871年)の『フラ・ディアヴォロ』(1830年)、『青銅の馬(フランス語版)』(1835年)、『黒いドミノ』(1837年)、『王冠のダイヤモンド(英語版)』(1841年)、エロルド(1791年 - 1833年)の『ザンパ』(1831年)、『プレ・オ・クレール』(1832年)といった人気作が生み出された。 オベールの『マノン・レスコー』(1856年)などの出現で、オペラ・コミックが喜劇的ではなくなってしまったので、新たな喜劇的オペラを望むパリ民衆の要望に応えて、より大衆的な通俗性や社会風刺、人気作のパロディーなどを持ったオペレッタが生まれた。特にオッフェンバック(1819年 - 1880年)の『地獄のオルフェ』(『天国と地獄』、1858年)は国際的に爆発的な成功を収めた。そのほか、『美しきエレーヌ』(1864年)、『青ひげ』(1866年)、『パリの生活』(1866年)、『ジェロルスタン女大公殿下』(1867年)、『ラ・ペリコール』(1868年)、『盗賊』(1869年)など続々とヒット作を生み出した。オッフェンバックはヨハン・シュトラウス2世にオペレッタの創作を勧め、ウィンナ・オペレッタ誕生につながっていく。 その後、オペラ・コミックの方でもビゼー(1838年 - 1875年)の『カルメン』(1875年)、オッフェンバックの『ホフマン物語』(1880年、未完)、シャブリエ(1841年 - 1891年)の『エトワール』(1877年)、『いやいやながらの王様』(1887年)、『教育欠如(英語版)』(1879)などの傑作が生まれている。 なお、マイアベーアとオッフェンバックは元々ドイツ人であるが、作品はあくまでパリを拠点にフランス語で書かれたため、フランス・オペラとして扱われる。ただし、オッフェンバック作品は本人の生前からウィーン上演が好評を博したこともあり、死後はドイツ語訳上演のほうが多かった時期もあったが、21世紀に入ると、マルク・ミンコフスキらによるフランス語上演も急速に盛り返し、もともと上演の盛んだったドイツ圏とあわせ活況を呈している。目下はフランスのリヨン国立オペラなどが上演に意欲的である。なお、生地ケルンにはオッフェンバック歌劇場まで作られた。 19世紀前半に圧倒的人気を誇ったグランド・オペラも、「あらゆるオペラの命とりともいうべき流行の変遷」などから、1850年頃により内面的な叙情性をもったドラム・リリク(フランス語版、ドイツ語版)が現れる。グノー(1818年 - 1893年)とトマがその代表である。典型的な例として、グノーは『ファウスト』(1859年)、トマには『ミニョン』(1866年)、エルネスト・ショーソン(1855年 - 1899年)の『アルテュス王』(1895年)などがある。 この他によく上演されるフランスのオペラ作品として、マスネの『マノン』(1884年)、『ウェルテル』(1892年)、『タイス』(1894年)、『ドン・キショット』(1910)、シャルパンティエ(1860年 - 1956年)の『ルイーズ』(1900年)、ドビュッシー(1862年 - 1918年)の『ペレアスとメリザンド』(1902年)、モーリス・ラヴェル(1875年 - 1937年)の『スペインの時』(1911年)、『子供と魔法』(1925年)、フランシス・プーランク(1899年 - 1963年)の『カルメル派修道女の対話』(1957年)などがある。 19世紀ヨーロッパの音楽界では、ロッシーニ(1792年 - 1868年)が『セビリアの理髪師』(1816年)、『アルジェのイタリア女』(1813年)、『チェネレントラ』(シンデレラ、1817年)などのオペラ・ブッファを量産するなど、引き続きイタリア・オペラが主流の座を占めた。ウィーンでもベートーヴェンはロッシーニの人気の足元にも及ばぬ状況であった。またオペラ・セリア様式の作品も、題材がギリシャ古典から中世以降の時代に下っても悲劇としては一貫しており、ドニゼッティ(1797年 - 1848年)の『アンナ・ボレーナ』(アン・ブーリン、1830年)、『マリア・ストゥアルダ』(メアリー・スチュアート、1834年)、『ランメルモールのルチア』(1835年)などが知られる。ベッリーニ(1801年 - 1835年)もまた『清教徒』(1835年)、『ノルマ』(1831年)、『カプレーティとモンテッキ』(1830年)などのセリアの作曲で知られる。もっとも、ドニゼッティはブッファの傑作『愛の妙薬』(1832年)でも有名であり、ロッシーニも『タンクレーディ』(1813年)、『オテロ』(1816年)、『湖上の美人』(ウォルター・スコット原作)(1819)、『セミラーミデ』(ヴォルテール原作)(1823)といったセリア作品や、『泥棒かささぎ』(1817年)といったセミ・セリア作品及び『ギヨーム・テル』(シラー原作、1829年)でも評価を得ている。 オペラの発展は、ドイツではヴァーグナー(ワーグナー、1813年 - 1883年)、イタリアではヴェルディ(1813年 - 1901年)によって、19世紀に最も劇的な段階を迎えた。 ヴァーグナーは、通奏低音で伴奏される比較的小音量のレチタティーヴォに、フルオーケストラ伴奏によるアリアがところどころ挿入され、アリアの終了の度に熱心な聴衆の拍手喝采により演奏が中断されるという、伝統的なオペラの形式を拒んだ。代わって、レチタティーヴォとアリアが混然一体となり、また常にオーケストラにより伴奏されるという、通して歌われる様式を導入した先駆者となった(このため拍手は幕間にだけ行われるようになった)。さらにヴァーグナーはライトモティーフを大々的に使用した。ライトモティーフは、かつてヴェーバーの使用例もあるが、物語中の登場する登場人物、道具や概念などを音楽で描こうという音楽的な工夫である。例えばある人物が舞台に登場するときや、舞台にいなくても他の登場人物がその人物について触れるときに、その人物を表すライトモティーフを奏でることで、あたかも映像を見ているような描写的効果を得ている。 ヴァーグナーはまた、「楽劇」(独Musikdrama, 英Music drama)とよばれる独特のオペラで作品の大規模化ももたらした。最初の楽劇である『トリスタンとイゾルデ』(1859年)は、ただ単にオペラを革新したのみならず、その革新的和声語法は調性の崩壊へと道を開いた意味で、西洋音楽史全体から見ても非常に重要な作品である。 より重厚な響きを求めて大編成化したオーケストラに歌唱が埋没せぬよう、聴衆が舞台のみに集中して鑑賞するように、ヴァーグナーは自分自身の作品を上演する専用の劇場を必要とするに至り、バイエルン王ルートヴィヒ2世からの資金援助を受けて、オーケストラ・ピットを舞台の下に押し込めるという特異な構造のバイロイト祝祭劇場を建設した。そこで上演される『ニーベルングの指輪』(1854年、1856年、1871年、1874年)は、4つの楽劇の連作という巨大作品で、4夜を費やして演奏される。通して観ると約15時間程になり、空前の大規模作品であった(現在はシュトックハウゼンの『光』という1週間を要する作品があり、規模の上ではこれを上回る)。 ヴァーグナーの楽劇の題材は北欧神話や中世の物語を扱っており、その意味ではオペラ・セリアの延長線上にあるともいえる。中世ドイツのマイスター(職人の親方たち)を題材にした『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(1867年)は唯一の喜劇的作品であるが、ロッシーニの喜劇に比べるとはるかに生真面目ともいえる。 ヴェルディはヴァーグナーのような音楽の革命家ではなかったが、オペラ・セリアの伝統的形式を継承発展させる形で作曲した。彼のオペラの登場人物は、まだ市井の一般人ではないが、神話的人物や叙事詩的英雄というわけでもなく、現代的な(彼の同時代という意味で)オペラ・セリアを再構築したということもできる。彼は初期の作品で、イタリア独立運動を支持する人々の愛国心を高揚させて大いに支持を受けた。ついで、登場人物の人間性に鋭く迫って劇的に表現する作風を確立し、音楽としてもドラマとしても完成度の高い中期の傑作群を創作した。1850年代に彼の最も有名なオペラ3作品、『リゴレット』、『イル・トロヴァトーレ』、『椿姫』を生み出した。グランド・オペラ風の『アイーダ』(1871年)と(オペラではないが)『レクイエム』(1874年)を最後に一旦リタイアした後、作曲家ボーイト(1842年 - 1918年)らのすすめで再度筆をとり、晩年の傑作『オテロ』(1887年)、『ファルスタッフ』(1893年)を残した。 ヴェリズモ・オペラは、イタリアで発生したヴェリズモ文芸運動がオペラに波及したものと見ることも、自然主義文学のオペラへの影響と見ることもできる。そこでは市井の人々の生活が、病苦・暴力といった暗部をも含む形で描写される。マスカーニ(1863年 - 1945年)の『カヴァレリア・ルスティカーナ』(1890年)は、シチリアの小村における悲劇であり、ヴェリズモ・オペラの初期の傑作である。またレオンカヴァッロ(1857年 - 1919年)の『道化師』(1892年)では、現実と仮想世界との区別の付かなくなった道化師カニオが舞台上で妻を殺してしまう。この傾向のオペラは1890年代から20世紀初頭にかけて多くの模倣・追随者を生んだ。 19世紀終盤から、20世紀初頭にかけて、ロマン派オペラはヴェルディ、ヴァーグナーを受け継ぎ、最後の花を咲かせる。ドイツのリヒャルト・シュトラウス(1864年 - 1949年)は、『サロメ』(1905年)、『エレクトラ』(1908年)で大きな反響を得た。前者の官能を刺激する色彩的な音楽は賛否両論を生み、後者の大胆な和声は伝統的な響きに慣れ、それらを好む聴衆からは猛反発を受けた。しかし、シュトラウスのオペラ作家としての地位は固まり、詩人ホフマンスタールとともに様々な新機軸を出した。後年、円熟した擬古的な作風の『ばらの騎士』(1910年)、『ナクソス島のアリアドネ』(1912年)、『アラベラ』(1932年)などで音楽的完成度と大衆的な人気をともに確保して、モーツァルト・ヴァーグナーと並ぶ「ドイツの3大オペラ作曲家」と呼ばれるようになった。しかし、晩年の作品はロマン派の最盛期を過ぎた、残照のような位置づけであることは否めない。他にドイツ・ロマン派の最後を飾るオペラとしては、『ヘンゼルとグレーテル』(1893年)で知られるフンパーディンク(1854年 - 1921年)や、リヒャルト・ヴァーグナーの息子ジークフリート・ヴァーグナー(1869年 - 1930年)によるメルヘン・オペラ(独: Märchenoper)、またそれ以外にプフィッツナー(1869年 - 1949年)の作品がある。また、ドイツ・ロマン派と近代のオペラの架け橋的存在として、ツェムリンスキー(1871年 - 1942年)、シュレーカー(1878年 - 1934年)、コルンゴルト(1897年 - 1957年)がいるが、このうちシュレーカーとコルンゴルトは、当時はシュトラウスに匹敵する人気を誇っていた。 イタリアのジャコモ・プッチーニ(1858年 - 1924年)は、ヴェリズモ・オペラの影響を受けつつも、イタリア・オペラの伝統に沿った作品を書いた。彼は庶民的な題材と美しいメロディをほどよくバランスさせ、親しみやすい中にも完成度の高い作品群を作って人気を博した。出世作『マノン・レスコー』(1893年)と続く『ラ・ボエーム』(1896年)は好評をもって迎えられ、彼の地位を確立した。『トスカ』(1900年)で頂点に立った後、『蝶々夫人』(1904年)では歴史的な失敗を喫したが、今日ではあらゆるオペラの中でも人気の高い作品として知られるようになった。 R.シュトラウスとプッチーニは、ロマン派のオペラの幕を引いたといってよいが、後者はより印象主義的な語法が濃圧である。その後、演劇と音楽が協調してできたオペラの役割は映画、あるいは今日ではテレビが担うことになる。 ロシアの国民主義のオペラはグリンカ(1804年 - 1857年)により創始され、ロシア5人組の作曲家たちによって継承発展された。ムソルグスキー(1839年 - 1881年)の『ボリス・ゴドゥノフ』(1874年)、ボロディン(1833年 - 1887年)の『イーゴリ公』(1890)は名高い。また、リムスキー=コルサコフ(1844年 - 1908年)は『金鶏』(1907年)、『サトコ』(1898年)など多数の作品を残した。チャイコフスキー(1840年 - 1893年)は『エフゲニー・オネーギン』(1878年)や『スペードの女王』(1890年)で知られるが、バレエ音楽とともにむしろ西欧風の作品といえる。20世紀に入ると、ショスタコーヴィチ(1906年 - 1975年)が『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(1934年)という近代オペラの傑作に数えられる作品を生んだ。 チェコでは19世紀後半に、ヴァーグナーの強い影響を受けていたスメタナ(1824年 - 1884年)が国民主義オペラを書き、ドヴォルジャーク(1841年 - 1904年)、ヤナーチェク(1854年 - 1928年)がその流れを引き継いだ。スメタナは『売られた花嫁』(1863年)、『リブシェ』(1872年)が知られている。ドヴォルジャークは『ルサルカ』(1901年)が有名だが、他にも多くのオペラを書いている。ヤナーチェクの『イェヌーファ』(1904年)、『利口な女狐の物語』(1924年)、『死者の家から(ドイツ語版、英語版)』(1930年)などは、20世紀に入って完成された作品だけあって、より近代的な感覚のオペラとなっている。 スペインではサルスエラとして知られる、民族音楽風味を取り入れた独自様式のオペラが作られた。これはフランスやドイツ・オーストリアのオペレッタに近い位置づけである。アルベニス(1860年 - 1909年)やファリャ(1876年 - 1946年)も作品を残している。『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『ドン・カルロ』『セビリアの理髪師』『カルメン』『フィデリオ』『パルジファル』『愛の妙薬』と、錚々たる人気オペラの舞台となってきたスペインだが、自国からこれらに匹敵する国際的人気作品は生み出していない。 アメリカ合衆国でも、ようやく20世紀に入ってからガーシュウィン(1898年 - 1937年)、メノッティ(1911年 - 2007年)らの活動により独自のオペラが創作されていった。 20世紀前半の先駆的なオペラは、当初はバルトーク(1881年 - 1945年)の『青髭公の城』(1911年)やヒンデミット(1895年 - 1963年)の『殺人者、女達の望み(英語版)』(1919年)のような表現主義の傾向を持っていたが、第一次世界大戦が終了してその影響が消え、平和な発展の時代を迎えると、新古典主義の台頭とともに、ドイツでは「時事オペラ(英語版)」というスタイルのオペラが興った。表現主義オペラが個人の内面的葛藤を中心に描くのに対し、時事オペラは現代の平凡な日常生活における人間関係を客観的に、醒めた視点から異化の手法なども交えて描くもので、ジャズやカバレット、レヴューといった当時の大衆音楽、芸能の要素も取り入れられ、従来のオペラというジャンルを超えるような面も持っていた。代表的な例の一つであるクルシェネク(1900年 - 1991年)の『ジョニーは演奏する』(1927年)はウィーンで大ヒットし、他にヴァイル(1900年 - 1950年)の『マハゴニー市の興亡(ドイツ語版、英語版)』(1927年)、『三文オペラ』(1928年)、ヒンデミットの『行ったり来たり(英語版)』(1927年)、『今日のニュース (オペラ)(ドイツ語版、英語版)』(1929年)などがある。 その後、時事オペラの流行が終わると、ヒンデミットは『画家マティス』(1935年)、『世界の調和(ドイツ語版、英語版)』(1957年)という、より生真面目な内容のオペラを残している。 また、ストラヴィンスキー(1882年 - 1971年)は新古典主義時代に『夜鶯』(1914年)、『エディプス王』(1927年)、『放蕩者のなりゆき』(1951年)といったオペラを書いている。プロコフィエフ(1891年 - 1953年)は亡命時代に新古典主義と斬新なモダニズムのスタイルによる『三つのオレンジへの恋』(1919年)を書いたが、ソ連帰国後は社会主義リアリズム的傾向を持った『セミョーン・コトコ』(1939年)や、大規模な大作『戦争と平和』(1943年、第5版1952年)を残している。 いわゆる「新ウィーン楽派」の作曲家のオペラには、完成された作品としてはベルク(1885年 - 1935年)の『ヴォツェック』(1925年)、シェーンベルク(1874年 - 1951年)には『期待』(1909年)、『幸福な手(英語版)』(1913年)、時事オペラの影響を受けた最初の十二音技法によるオペラ『今日から明日へ(英語版)』(1929年)があるが、更に未完の作品である前者の『ルル』や後者の『モーゼとアロン』等の無調、十二音技法のオペラが、戦後のドイツ・オペラの発展や、のみならずイタリアのダッラピッコラやノーノらのオペラに与えた影響は計り知れない。『今日から明日へ』は1幕物の作品であるが、大規模で本格的なオペラで十二音技法による最初のものは、クルシェネクの『カール5世(ドイツ語版)』(1933年)で、これは時々上演される。 第二次世界大戦後、前衛の世代はオペラの創造に極度に禁欲的な姿勢で臨むことになる。ブーレーズやクセナキスなどの前衛作曲家は、規模も大きく、経済的事情と手間暇のかかるオペラというジャンルに否定的な姿勢を見せた。その一方で、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(1926年 - 2012年)は『鹿の王(英語版)』(1955年、改訂版1963年)、『若き貴族』(1964年)、『バッカスの巫女たち』(1965年)など、多くのオペラを書いている。ただし、彼のオペラ創作はあくまで同時代の音楽語法を自由に用いつつ19世紀的作劇法によった伝統的スタイルのオペラ、といったものであったため、現代音楽の愛好家よりも伝統的なオペラの愛好家に受け入れられた。 このほか、前衛の時代に書かれた最も重要なオペラの1つとして、ベルント・アロイス・ツィンマーマン(1918年 - 1970年)の『兵士たち』(1965年)が挙げられる。 また、声楽家が積極的に現代音楽にかかわるというキャシー・バーベリアンのようなケースも稀であった。しかし、徐々に無調などの現代声楽法に通じた歌手が登場してくる。そして前衛の時代が終わり、前衛の世代に経済的基盤が出来たことを背景に、オペラという概念を「音楽劇」:Musiktheaterという側面から、作曲家一人一人が個別に考える時代に入った。 しかし、以前同様に台本ありのオペラを書く作曲家の層も厚く、両者の拮抗が21世紀に入っても続くと見られている。近年でも暗譜不可能な場合はボーカル・スコアを読みながら舞台に立つ歌手も多く、この点に関しても賛否両論に割れている。近年のシュトックハウゼンは厳格に「暗譜」を指示しているが、これは視覚的にも大きな効果を上げる一方、大量の練習時間を必要とし、肉体的疲労も大きい。 オペラ創造をライフワークにするといったシュトックハウゼンや松平頼暁(1931年 - )、ヘンツェのような存在も、世界中何名か見られる。 昔は移動に時間がかかり自由に往来できなかったので、歌劇場と歌手が契約すると、その歌劇場で歌うのが原則だった。 マーラーがウィーン国立歌劇場に登場した当時は、同じ演目の舞台で、歌手Aはイタリア語、歌手Bはドイツ語、歌手Cはフランス語で歌う(それぞれの歌手の母国語)で歌う、といったことがまかり通っていた。 スター歌手中心のオペラから、マーラーはオペラそのものを生かす歌手の配役に改革していき、聴衆も彼を支持していった。 マーラーは序曲を含むオペラ上演中の客席入場を禁じた。それまでの歌劇場は上流階級の社交場で、ドレスでロビーをいろどって開演時間を過ぎて客席に着く事が多かった。 マーラーは原語主義を導入していった。 カラヤン以後、字幕付き原語上演が主流になり、ジェット旅客機などの交通機関が発達すると、世界のトップ歌手は劇場専属になるより有力な音楽エージェントと契約し、世界中の歌劇場にメインキャストで出演する為にジェット機で飛び回るようになり、歌劇場のレパートリーシステムは綻びた。 歌劇場専属は中堅歌手が主流になっている。 現在、ドイツはカンパニーを持つ歌劇場だけで全国80箇所を擁し、次点イタリアの3倍の上演数を誇る(オーストリアとスイスの同言語圏を合算するとさらに膨れ上がる)、世界随一のオペラ大国である。しかも、各歌劇場のカンパニーは大規模なものが多く、フランス、アメリカ、イギリスには各一箇所、イタリアにも一桁の歌劇場にしかない四管編成常備のフルオーケストラを三十以上の歌劇場が擁している。 歌手たちは膨大な歌曲や宗教音楽を併せてレパートリーとすることが多く、ドイツ圏出身者にとどまらず、歴史的に縁の深い中欧・東欧系、言語的に親和性の高い(同時にメジャーな自国語オペラに乏しい)北欧、英米系のドイツ語歌手を多く育てている(これに対し南欧や中南米の人材は比較的イタリア志向が強い)。ヴァーグナー歌手として鳴らしたレジーヌ・クレスパン(フランス語版、英語版)らフランス人のドイツオペラ歌手も少なくなく、イタリア人もさすがにドイツオペラを得意とする人材は多くないものの、イタリアオペラ要員として滞独する歌手が目立つ。いわばドイツ圏は世界中のオペラ人材の集結地となっており、合唱団員や管弦楽団員も含め日本人の滞在も少なくない。20世紀以降はこのようにオペラ市場におけるドイツの独占化が進んだこともあり、18世紀とは逆にメノッティ、シノーポリらイタリア出身の作曲家がドイツ語オペラを執筆するケースも多くなっている。 歌劇場の数はドイツに次ぎ、オペラ発祥の地の面目を保っているが、スタジオーネ・システム主流の国柄もあって上演数は少なく、管弦楽団や合唱団などカンパニーを全く持たない建物だけの施設も少なくない。特に財政難による経営不安定化が長年全土を覆っており、2015年にはローマ歌劇場がいったん専属者全員の解雇を発表するという衝撃的な事態も発生した。 2023年、イタリアのオペラ歌唱の慣習はユネスコの無形文化遺産に登録された。 フランスでは戦後しばらくは政府の補助削減などで大きく低迷していた時期もあるが、現在はパリ・オペラ座やリヨン歌劇場などを中心にかなり活発な上演状況を呈している。フランスオペラが得意なのは当然として、イタリア、ドイツの両オペラ大国に等距離を保ち、どちらの作品でも違和感の少ない上演を行えるのが強みである。ただ、ドイツ人やイタリア人のようにフランス人オペラ歌手が自国語のみで国際的に活躍することは難しく、ジェラール・スゼー、レジーヌ・クレスパン、ナタリー・デセイら、大歌手の多くはドイツ語歌唱にも長けている。 言語的に親和性のあるイタリアオペラを中心に歌手を豊富に輩出しており、特に近年のテノール歌手においては南米のスペイン語圏を併せるとイタリア人を上回る勢いである。スペインでの上演もマドリード王立劇場、リセウ大劇場などを中心にかなり盛んであり、南米でもブエノスアイレスのコロン劇場などは建物の豪華さで有名である。ただし、ファリャ作品やサルスエラなどのスペイン語オペラは諸外国で浸透しているとは言い難い。 ロイヤル・オペラ・ハウスは長い歴史を持ちよく知られている存在である。英語によるオペラ上演は、この言語の世界に占める勢力とは比べ物にならないほど極少な状態だが、イングリッシュ・ナショナル・オペラ(ロンドン)は英語による訳詞上演主義を貫いている。 ロバート・ターンブル『世界のオペラハウス』(音楽之友社1989)によると、アメリカ合衆国で常設歌劇場としての公演回数が記されているのはメトロポリタン歌劇場、ニューヨーク・シティ・オペラ、シカゴ・リリック・オペラ、サンフランシスコ・オペラの4箇所程度であり、他は公演数が年間十数回と音楽祭程度の規模しか上演が行われておらず、人口規模や国土面積に比してオペラ受容は盛んとはいえない。このうちニューヨーク・シティ・オペラは2014年に一度破産し、その後は後者のカテゴリに属する状態としてしか(2017~2018年シーズンは公演数24日間)活動再開できていない。メトロポリタン歌劇場は舞台装置と歌手の顔ぶれの豪華さにより、欧州トップクラスの歌劇場に伍する存在感を示している。 日本における最も古いオペラ上演としては、江戸時代の1820年に長崎の出島でエジーディオ・ロムアルド・ドゥーニのフランス語オペラ・コミック『二人の猟師とミルク売り娘(フランス語版)』がオランダ人によって上演された記録がある。 明治時代に入り、1875年、アジアツアーをしていた Maria Palmieri(1840 - 1890)と妹の Alice Persiani が日本に立ち寄り、横浜のゲーテ座で9月13日から10月7日にかけて4回、東京では蓬莱社(10月2日)、工学寮小学館(10月9日)、皇居(10月中旬以降)、第一国立銀行、浜御殿で衣装と演技付きのオペラ歌唱コンサートを行った。同1875年にはアルト歌手のダーリヤ・レオーノヴァ(ロシア語版)も来日している。レオーノヴァの公演は10月29日と11月10日に横浜町会所で催された。舞台演出を伴った歌劇としてのオペラ上演は1894年11月24日に東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)奏楽堂で、オーストリア=ハンガリー大使館職員により『ファウスト』第1幕が上演され、これが現在日本で行われているオペラの原点となった。管弦楽は宮内省楽部、合唱は音楽学校生であった。 さらに1903年、東京音楽学校・東京帝国大学の教師らの指導の下に、グルックの『オルフェウス(オルフェオとエウリディーチェ)』が上演された。これは1902年に東京音楽学校・東京帝大生が中心に結成した歌劇研究会がおこなった。ノエル・ペリー指揮、ピアノ伴奏ケーベル、洋風の書割は山本芳翠の指揮で門弟が描き、柴田環・吉川やま他が出演した。 そして1911年3月1日に開場した帝国劇場に8月25日歌劇部(のち1914年5月に洋劇部と改称)が併設され、ここでオペラの小規模な上演が行われるようになった。第1回公演は1912年2月、杉谷代水作詞・ユンケル作曲の『熊野』。注目すべきことに、この時代すでに日本人による創作オペラの作曲と上演が行われていた。 この時代の日本人によるオペラには、東儀鉄笛(1869年 - 1925年)の『常闇』(1906年、台本:坪内逍遥)や、小松耕輔(1884年 - 1966年)の『羽衣』(1906年6月2日、台本:小林愛雄。神田YMCAで、楽苑会の第1回公演。楽苑会は1906年5月に発足し、東西音楽および歌劇の研究・保存・創作演奏を目的とし、小松・山田源一郎が中心であった)等がある。『常闇』の台本を書いた坪内逍遥は、1904年に『新楽劇論』を著し、その中でヴァーグナーに対抗して、日本の古典演劇や舞踊を取り入れた日本独自の「国民楽劇」の樹立を主張していた。 帝劇オペラは、「帝国劇場」という名前ではありながら国営ではなく株式会社であったため、やがて財政難から上演の継続が困難となり、1916年5月に帝劇洋劇部は解散となる。この時期に来日して洋劇部の指揮者を務めていたローシー(ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー)は自腹を切ってオペレッタ劇場「ローヤル館」を開設・運営、1916年10月1日『天国と地獄』を上演、以下ぞくぞくと喜歌劇を上演するも1年と持たず、ローシーは日本を去る。 その後、大正期から当時随一の歓楽街であった東京・浅草で、浅草オペラとして知られる公演が行われるようになり、様々なオペラ劇団による公演が行われてオペラの大衆化に貢献した。この浅草オペラも1923年の関東大震災による劇場の焼失とともに衰退し、1925年には消滅した。 著名な喜劇人の榎本健一(エノケン)は浅草オペラにおいて活躍しており、彼のその後の音楽性にあふれた軽妙かつ活動的な芸風は、浅草オペラの経験によるものと評されている。 1932年にヨーロッパで活躍していたテノール歌手の藤原義江が帰国すると、藤原歌劇団の前身となる「東京オペラ・カムパニー」を設立し、『ラ・ボエーム』、『リゴレット』、『トスカ』などの本格的公演を行う。1939年には「藤原歌劇団」となり、1942年には『ローエングリン』を上演している。藤原歌劇団はその後現在に至るまで盛んな活動を続けている。 また、1940年には山田耕筰(1886年 - 1965年)の代表作『黒船』が初演されている。一方、永井荷風はフランス留学時にオペラに親炙したこともあり、オペラを日本に積極的に紹介していたが、その成果として1939年、菅原明朗作曲によるオペラ『葛飾情話』を創作している。 第二次世界大戦後の1952年には、東京音楽学校の出身者たちによって二期会が設立され、以後、藤原歌劇団と共に戦後の日本オペラの中心的存在として、欧米の歌劇場に肩を並べるような本格的なオペラ上演の活動を展開していくことになる。また、二期会の設立と同じ1952年に、團伊玖磨(1924年 - 2001年)の『夕鶴』が初演され、以後日本の人気オペラとなり上演が重ねられた。 1956年に第1回イタリア歌劇団公演がNHKの招きで東京宝塚劇場で公演された。この公演は引っ越し公演ではなく主要歌手や演出家などのスタッフのみがイタリア人で、管弦楽団や合唱や舞台美術は日本人がイタリア人に教えを受けるものだったが、海外渡航が難しく、円の力が弱い時代に、本場のオペラを見ることで日本のオペラの実力アップにつながった。当初オペラの劇場は日比谷公会堂を予定していたが、『アイーダ』の巨大な舞台美術を置けないことから東京宝塚劇場になった。 引っ越し公演の最初となったのは1963年のベルリン・ドイツ・オペラである。いきなり本場の一流歌劇場、しかもカール・ベームとロリン・マゼールという巨匠と新鋭に率いられての豪華な顔触れはやはり大きなインパクトを持って迎えられた。その後、1970年代に入ると同様な引っ越し公演が相次ぎ、入れ替わるようにイタリア歌劇団公演は役割を終えることになる。 その後、東京室内歌劇場、東京オペラ・プロデュースといったその他のオペラ団体も生まれたが、上記の二期会、藤原歌劇団を含め専用の劇場を持っている団体はない。 1997年には日本で最初のオペラ専用の歌劇場である新国立劇場が誕生したが、専属のオーケストラや歌手、音楽監督は存在せず、専属の合唱団があるのみであった(それも出演料都度払い制であり、レジデントではない)。2007年シーズンより若杉弘が初代音楽監督に就任し、2008年2月22日の『黒船』プレミエで音楽監督としてデビューした。 地方を含めた多くの都市には、地元のアマチュアの合唱団とプロのソリストやオーケストラが共演する「市民オペラ」と呼ばれるものが存在し、特に地方では地元の民話などを題材にした新作オペラが上演されることもある。しかし、各主要都市(ドイツ圏では人口10万以下の小都市ですら)が歌劇場を持ち、それぞれに専属のプロの歌手、オーケストラ、合唱団、音楽監督が存在するヨーロッパの状況とは、まだまだ大きな隔たりがあると言わざるを得ない。もっとも、日本にはヨーロッパほど自国団体のオペラ上演に対する大きな需要があるわけではない、という面も無視できない。日本の3倍近い人口を持つ米国も常設場歌劇場はわずかに3つ(2018年現在)であり、オペラの盛況は発祥の地であるヨーロッパ(特に大陸)に特有の現象ととらえることもできる。 日本語によるオペラの発声法は確立されていない、とする見解もある。日本語は母音が多いため重唱すると誰が何を言っているのか聞き取りにくく、様々な時代の漢語を取り込んだので同音異義語が多く、また、欧米語のオペラでは1音符に1単語をあてられる場合もあるのに比べ、「ん」以外は1文字が1音節となる日本語では1音符に1文字をあてる場合が多く、歌える言葉が少なくなるという問題がある。外国作品を日本人公演でも字幕付で原語上演するのは1980年代になって広まり、それまでの日本語公演に取って代わったともいわれている。以前は全てのオペラがドイツ語で上演されていたヴィーン国立歌劇場でカラヤンが音楽監督に就任してから原語上演が導入され、その後、上演国の言語ではなく原語での上演が欧州全体に広がって以降、オペラの原語上演は世界的な傾向でもある。また近年では、「『日本語の正しい発声』なるものを仮構して実践する、というやり方ではなく、そうかといって、『正しいオペラの発声』なるものを無視した『悪い声』というわけでもなく」「日本語が明瞭で生き生きしていた」と評される日本語公演の例もあり、「日本語オペラの発声法」のような独特の発声法を「確立する」という発想とは異なる視点も生まれている。 2002年、小澤征爾がウィーン国立歌劇場の音楽監督になったが、歌詞にウィーン訛り、イタリア語訛りの出てくるリヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』で、そうした訛りが聞き取れず、また別の機会に「この年になってこんなに勉強できるのは嬉しい」と語ったが、ウィーン人にとっては音楽監督とは彼から学び引っ張っていってもらいたい存在であるところに、日本語を母語とする現在の日本人の限界がある、と野村三郎は述べている。 2016年2月、小沢征爾がサイトウ・キネン・オーケストラを指揮したラヴェルの『こどもと魔法』を収めたアルバム(2013年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本のライヴ録音)がグラミー賞最優秀オペラ録音賞を受賞した。 歌劇場#日本国内の主要な歌劇場、歌劇場#世界の主要な歌劇場または歌劇場の一覧を参照 オペラの上演に関してはしばしば、かつては「歌手の時代」であり、次に「指揮者の時代」となり、現在は「演出家の時代」である、と言われることがある。近年は原作のト書きや設定を完全に無視、または異化した、人によっては奇抜とさえ感じられるような斬新な演出も増えており、これについては賛否両論がある。特に上演数が多いドイツ圏では保守的な演出の繰り返しでは観客を引きつけられないという事情もあってか斬新な演出が多く、それに比較すると英米のほうがオーソドックスな演出が多い。 レコードの発明はオペラの世界にも変革をもたらした。当初は録音時間の制約が大きかったため、代表的なアリアや序曲が独立して録音、発売されることが多く、エンリコ・カルーソーなどは20世紀初頭に一世を風靡した歌手である。一方では数枚組のセット用に全曲をスタジオ録音する試みも始まっており、1907年の「こうもり」と「道化師」が世界初のオペラ全曲録音といわれる。このころは録音環境の問題からオーケストラなどは極度に人数省略されていたが、そうした状況は徐々に改善。やがて劇場公演の実況録音なども開始されたが、やはり音質のいいスタジオセッションのほうが長らく主流を占め、優れた録音効果などによって「耳で聞くオペラ」という鑑賞ジャンルを打ち立てることになる。1950年代後半からはステレオ化したスタジオ録音に対し、実況は部分的には1970年代にまでモノラル録音が残っており、ノイズ処理や解像度の点で大きく立ち遅れていた。ただし、これは制作会社や環境のばらつきが非常に大きく、スタジオでもモノラルが主流だった1955年にバイロイト音楽祭『ニーベルングの指環』の実況がデッカ・レコードによってステレオ録音で試みられており、21世紀になって日の目を見て大きな反響を呼んだ。1980年代ごろから実況録音の音質が向上すると、スタジオセッションは次第に減少し始め、映像ソフトの普及にともなってさらに激減、21世紀に入ると滅多に行われなくなってしまった。映像へのシフトは実況録音盤も減少させ、一時は年間100点前後に及んでいたオペラ全曲録音盤の国内新譜は、2010年代においては年に数点という有様である。 映像におけるオペラは、まず劇場用映画として登場。プレスコで収録された音声にあわせて、歌手(または別人の俳優)の口パク演技を撮影する方式で、このやり方は今日までオペラ映画として存続している(ただし、70年前後からは劇場上映よりもテレビ用途で制作されることのほうが多い)。舞台の枠組みにとらわれず、自由に野外ロケや特殊撮影などを織り込めるのが特長である。音質、画質の面でも(特に70年代あたりまでは圧倒的に)有利である。公演に映画カメラを持ち込んでの実況収録も1950年代から始まっているが、当初は撮影時の機械音やズームレンズの未発達、フィルムの感度が悪い、などの問題があり、たとえば1960年制作の「ばらの騎士」(カラヤン指揮)などでは、音声のみ実況で収録、映像は終演後に無人の劇場で口パクで撮り直すことによって照明やカメラ位置の自由を確保するという擬似実況方式(前後の拍手やカーテンコールは実況映像)を採用している。今ではカメラの性能が向上したためこの方式は見られなくなったが、一部分のみ映像を撮り直したり、ゲネプロ収録と組み合わせたり(全部がゲネプロという場合もある)するケースはある。また、ゲネプロ収録およびプレスコの併用だが舞台のフレームを一切画面に写さないため、実質的に映画となっているケース(カラヤン指揮の「カルメン」など)も存在する。1980年代ごろからの実況映像はビデオカメラに、1990年代からはさらにハイビジョン方式に切り替わっていった。現在では映画カメラ(フィルム)によるライブ撮影はほとんど見られない。 テレビ、ビデオ再生装置の普及と映像技術の進歩はオペラの映像収録を飛躍的に増加させた。今日ではかつてのレコード、CD全曲盤に変わってビデオディスクがオペラのパッケージとして主流を占めている。 「オペラ」(Opera)と名の付くものは礼服関係においても多数あり、オペラハット(Opera hat)、オペラクローク(Opera cloak)、オペラケープ(Opera cape)、オペラコート(Opera Coat)、オペラグローブ(Opera gloves)、オペラグラス(Opera glasses)、などがある。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "オペラ(イタリア語: opera、英語: opera、フランス語: opéra、ドイツ語: Oper)は、演劇と音楽によって構成される舞台芸術である。歌劇(かげき)とも呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "オペラは、舞台上で衣装を着けた出演者が演技を行う点で演劇と共通しているが、セリフだけではなく、大半の部分(特に役柄の感情表現)が歌手による歌唱で進められることを特徴とする。歌手は器楽合奏により伴奏されつつ歌い演じる。伴奏は、多くの場合交響楽団規模の編成に及ぶ。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "初期ロマン派までのオペラでは、歌唱には二つの様式がある。一つは、レチタティーヴォ(朗唱)で、会話を表現するものであり、普通の朗読に近い抑揚で歌われる。もう一つはソロ(独唱)で歌われるアリア(詠唱)や複数の歌手が歌う重唱(アンサンブル)あるいは大勢で歌う合唱で、通常の歌唱である。これらの様式はみな伴奏を伴う。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "レチタティーヴォは、古典派の時代まではチェンバロのみで伴奏されるレチタティーヴォ・セッコと、管弦楽伴奏によるレチタティーヴォ・アッコンパニャートがあり、前者は会話的な抑揚で語るように歌う。後者は直後のアリアや重唱の導入として置かれることが多い。ロマン派時代のオペラではレチタティーヴォ・セッコはほとんど見られなくなった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "アリアは主に登場人物の感情を表現するもので、古典的なオペラではアリアを歌う間はドラマの進行が静止することもあるが、時代が下るにつれて、アリアでも登場人物の感情の推移を通じてドラマを進めるようになった。アリアはおおむね大規模なもので、主要な登場人物について割り当てられる。より小規模なものをアリオーソ、カンツォネッタ、ロマンツァなどと、歌の性格によって呼ぶこともある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "役柄どうしの対話は重唱で行われ、群集などが登場する場面では合唱も加わることがある。特に各幕の終曲(フィナーレ)では、ほとんどの登場人物による重唱や合唱で構成される場合がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "これらの独唱・重唱・合唱について、古典的なオペラでは各々が独立して作曲されており、一連番号が付けられていたことから「ナンバーオペラ」と呼ばれ、各ナンバーの間は前述したレチタティーヴォによってつながれる。各曲が独立しているため、上演時の都合によりナンバー単位で省略されたり、作品の作曲家または別な作曲家により、代替あるいは挿入用のアリアが加えられたりすることもあった。しかしロマン派の半ば以降にはナンバーによる分割が廃され、各幕を通して作曲されるようになった(上演の際に慣習的なカットを行うことがある)。また、アリアとレチタティーヴォも明確には区別されなくなっていった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ジングシュピール、オペラ・コミック、オペレッタ、サルスエラなどの様式では、レチタティーヴォ・セッコでなく台詞を用いて劇が進められる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "歌手、および歌手の演ずる役柄はそれぞれの音高(声域)で分類される。男性歌手(男声)は声域が低い順にバス、バスバリトン、バリトン、テノール、カウンターテノールに、女性歌手(女声)は声域が低い順にアルトまたはコントラルト、メゾソプラノ、ソプラノに分類される。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "また、歌手の声の質も役柄との関係が深く、声質によって歌えたり歌えなかったりする役柄は多い。たとえば、ベッリーニの『ノルマ』の題名役、ヴァーグナーの『ニーベルングの指環』のヴォータンやブリュンヒルデ、ヴェルディの『オテロ』や『ファルスタッフ』の題名役の良い歌手を見いだすのはいつでも難しいとされる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "オペラは他の多くの芸術形態から成立している。基本は音楽であるが、歌と台詞が付いて演じられることから演劇の要素をも持つ。また、上演する上で重要な要素と考えられる視覚的な舞台効果を得るため、絵画の要素も用いられている。こうした理由で、リヒャルト・ヴァーグナーは、このジャンルを「総合芸術」(Gesamtkunstwerk)と呼んだ。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "「オペラ」(opera)という単語はイタリア語で「仕事」「作品」を意味し、この語自体は同じ意味のラテン語「opus」(単数属格形 operis)の複数形主格「opera」に由来する。今日「opera」は単独で歌唱によって進行される演劇または楽曲作品を意味するが、元来は「opera musicale」(音楽的作品)と呼んだものの省略から、この語義が生じた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ルネサンス後期の16世紀末、フィレンツェのカメラータにより古代ギリシャの演劇を復興しようという動きが始まった。ギリシャ悲劇を模範に、歌うような台詞を用いる劇が考えられた。今日、オペラと見なされる知られる限り最古の作品は、1597年頃のヤコポ・ペーリ(1561年 - 1633年)による『ダフネ』(Dafne)であるが、作品は現存しない。のちのペーリの作品である『エウリディーチェ』は1600年以降に作曲されたもので、今日に残る最初のオペラ作品である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ペーリはしばしばオペラの発明者であると考えられているが、今日でも上演される最古のオペラは1607年にマントヴァで初演されたクラウディオ・モンテヴェルディ(1567年 - 1643年)作曲の『オルフェオ』である。この作品では先駆者の様式に従いながらも、調性や強弱の変化による緊張感を高めた、より劇的な表現が見られる。モンテヴェルディは後にヴェネツィアのサン・マルコ聖堂で楽長の地位を得て、同地に新設された専用のオペラ劇場のために優れた作品を生み出す。この時期にはイタリア各地でオペラが上演されるようになり、18世紀にかけてナポリで隆盛を極めた。様式は朗唱だけでなく歌謡的なアリアの比重が高まり、伴奏の規模も拡大して、より充実した音響効果がみられるようになる。衣装や舞台装置も徐々に複雑できらびやかなものとなり、オペラ劇場は王侯貴族や富裕な市民の社交と娯楽の場としても発展した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "もともとギリシャ悲劇の再来を目指した当時のオペラは、後にオペラ・セリア(正歌劇)と呼ばれるようになる(セリアは英語の「serious」の意)。題材はやはりギリシャ神話に求められることが多いが、ローマ時代などの人物を扱ったものも見られる。対立するオペラ・ブッファは喜劇であるが、セリアは悲劇とは限らない。ハッピーエンドのものも含まれており、そうした流れは後年の『トゥーランドット』などへ引き継がれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "これに対し、もっと世俗的な内容の作品がオペラ・ブッファ(喜劇オペラ)である。もともとは、3幕もののセリアの幕間劇として演じられたコメディが独立し、規模拡大したものである。初期の幕間劇で今日まで残るものとして、ペルゴレージ(1710年 - 1736年)の『奥様女中』(1733年)がある。18世紀には独立されたジャンルとして発展し、パイジエッロ(1740年 - 1816年)、チマローザ(1749年 - 1801年)、サリエリ(1750年 - 1825年)などが多数の作品を残した。中でも、モーツァルト(1756年 - 1791年)がダ・ポンテの台本に作曲した『フィガロの結婚』(1786年)、『ドン・ジョヴァンニ』(1787年)、『コジ・ファン・トゥッテ』(1790年)が有名である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "18世紀前半のバロック時代後期のオペラには、ドイツ出身でイギリスで活躍したヘンデル(1685年 - 1759年)や、フランスのラモー(1683年 - 1764年)などに優れた作品があったものの、本場イタリアでは、カストラートをはじめとした人気歌手たちの声と技巧をひけらかすことを第一の目的とし、筋の方は支離滅裂で珍妙なものも増え、劇としては堕落の様相を呈する傾向があった。また、バロック・オペラのスタイルも誕生から百数十年が経ち、制度疲労と硬直化を見せるようになった。そうした状況の中、18世紀後半に古典派音楽の台頭とともに登場したのが、ドイツ出身のグルック(1714年 - 1787年)である。彼は、歌手のためにオペラがあるのではなく、オペラのために歌手が奉仕するような、あくまで作品とドラマの進行を第一とするような方向にオペラを再び立ち返らせ、ドラマの進行を妨げる余計な要素を一切廃したスタイルのオペラを書いた。当初はオーストリアのウィーンで、後期はパリで活躍するが、当然のことながら旧守派と激しく衝突し、ことにパリでの争いは歴史的にも有名である(後述)。改革されたオペラの第1作は、ウィーン時代の1762年に初演された『オルフェオとエウリディーチェ』であった。パリ時代の作品には『オーリードのイフィジェニー』(1774年)、『包囲されたシテール (改訂版)(フランス語版) 』(1775年)、『アルセスト 』(1776年改訂版)、『エコーとナルシス(英語版)』 (1779年)、『トーリードのイフィジェニー』(1779年)などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "グルックの「オペラ改革」は、後の時代に大きな影響を与えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "何世紀もの間、イタリア・オペラが正統派オペラの形式であり、多くのオペラは、作曲者が主に英語やドイツ語を話していたとしても、イタリア語の台本に作曲された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "18世紀においてもなお、イタリア音楽こそが最高のものであるという認識が残っており、どこの宮廷でもイタリア人音楽家をこぞって重用した。その一方で、今日名を残す多くのドイツ人作曲家が登場したが、たとえばグルックはイタリア語、フランス語のオペラは書いたが、ドイツ語のオペラ作品は書いていない。またヘンデルは多くのオペラを書いたが、ドイツ語のオペラは1曲のみである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "19世紀に入り、ようやくドイツ圏のオペラはドイツ語で書かれる形が定着したものの、前世紀のバッハに続いて、ブラームス、ブルックナー、マーラーと一切オペラを残さなかった大作曲家が少なくない。 一応オペラは残しているが、今日ではほとんど上演されない(ただし他分野では人気の高い)ドイツ系作曲家となるとシューベルト、リスト、シューマン、メンデルスゾーンがこれに加わる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "最初の重要なドイツ語のオペラは、時代をさかのぼること17世紀前半、シュッツ(1585年 - 1672年)の『ダフネ』(1627年)と目されているが、楽譜は現在では失われてしまっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "17世紀後半になると、ドイツ語圏各地に宮廷劇場ができるが、1678年に三十年戦争(1618年 - 1648年)の影響の少なかったハンブルクに公開オペラハウスが建設されると、ドイツ人作曲家によるドイツ語オペラが数多く上演されるようになる。ここで活躍した作曲家にはタイレ(1646年 - 1724年)、クッサー(1660年 - 1727年)、カイザー(1674年 - 1739年)、マッテゾン(1681年 - 1764年)などがいるが、特に有名なのはテレマン(1681年 - 1767年)であろう。彼は18世紀前半に多くのドイツ語オペラを書き、それらは大いに人気を博した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "18世紀の後半になると、フランスのオペラ・コミックやイギリスのバラッド・オペラの影響を受け、喜劇的な内容を持ち、レチタティーヴォの代わりに台詞の語りをもったジングシュピールが生まれる。この様式はヒラー(1728年 - 1804年)によって完成され、その後ハイドン(1732年 - 1809年)やディッタースドルフ(1739年 - 1799年)によって、より音楽的に充実したものとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ドイツ語オペラにおける次の重要な作曲家はモーツァルト(1756年 - 1791年)である。中でも死の年(1791年)に書かれた『魔笛』は、ジングシュピールの様式による非常に優れた作品である。それまでのジングシュピールが台詞による劇の進行のところどころに歌を配した文字通りの「歌芝居」である傾向が強いのに対し、モーツァルトがウィーン時代の初期に作曲した『後宮からの誘拐』(1782年)は、すでに堂々たるオペラになっている(音楽が主、語りが従)。伝えられる逸話によれば、上演に接した神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世はモーツァルトに対し「音符が少々多い」と感想を述べたところ、彼は「音符はまさに必要なだけございます」と答えたという。真偽はともかく、このジャンルに対する一般の認識と、作曲者の対抗心が対比されており興味深い。そのモーツァルトも、残した作品の比率としてはイタリア語作品が多くを占めるが、様式的にもイタリアオペラの伝統とは異質なこともあり、また生まれたザルツブルクも後年活躍したウィーンも当時の「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」であり、モーツァルト本人も自らを「ドイツ人」であると認識しているなど(モーツァルト#ドイツ人論議参照)(そもそもハイドンやベルクを含めてオーストリア・オペラという呼び方が用いられることはほとんどない)、今日ではこれらもドイツオペラの枠で論じられることが多い。『ドン・ジョヴァンニ』は初演後100年間でドイツ圏での上演6600回に対しイタリアでの上演は200回弱にすぎず、『コジ・ファン・トゥッテ』に至っては1816年から126年間、『フィガロの結婚』も1815年から20世紀まで、総本山ミラノ・スカラ座で一度も上演が行われないなど、イタリア人はこれらの自国語作品を殆ど受け入れようとはせず、影響も受けなかった。さすがに現代においては、これほど極端な拒絶は行われていないが、それでもこれらの作品は、イタリア人よりはドイツ圏の歌手や指揮者が得意とする伝統(イタリア人であってもムーティやジュリーニのようにドイツ音楽を得意とする指揮者)が残っている。戦後しばらくのミラノ・スカラ座も、これらの作品をワーグナー作品などとともに、ドイツ・オペラ主任として迎えたカラヤンに任せていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ドイツ語オペラの流れは、19世紀に入ってベートーヴェン(1770年 - 1827年)の『フィデリオ』(1814年)を生むが、真にドイツ・オペラをオペラ界の主要ジャンルとして確立させたのはヴェーバー(1786年 - 1826年)で、『オベロン』(1826年)や『魔弾の射手』(1821年)といった作品は、E.T.A.ホフマン(1776年 - 1822年)、シュポーア(1784年 - 1859年)やマルシュナー(1795年 - 1861年)の作品とともに、イタリアのセリアともブッファとも異なるロマンティック・オペラの特質を表しており、これはやがてヴァーグナーの楽劇へと至ることになる。一方、ロルツィング(1801年 - 1851年)やフロトー(1812年 - 1883年)らはフランスでさらに発展したオペラ・コミックをジングシュピールの伝統と融合させた、ドイツ式オペラ・コミックを創り上げた。また同じくフランスで生まれたオペレッタはウィーンで大衆的な支持を得て発展した。一方でヴァーグナーの登場もあり、ドイツ語圏のオペラは硬軟両面で急速に興隆していく。20世紀にかけてはリヒャルト・シュトラウスがその流れを集大成し、アルバン・ベルクが現代音楽としてのドイツオペラを樹立した。これらの作家は、ヴァーグナー、初期のシュトラウス、ベルクを除くと、悲劇好みのイタリアとは異なって、なべて喜劇やハッピーエンド作品を指向しているのが、モーツァルト(彼はオペラ・セリアですらハッピーエンドを好んだ)以来のドイツオペラの大きな特徴である。また、ファンタスティックな要素への傾斜も強く、イタリアオペラには滅多に登場しない魔法 (シンデレラ物語ですらロッシーニ作品では魔法抜きに脚色されている) が、『魔笛』『魔弾の射手』『ヘンゼルとグレーテル』『影のない女』、ヴァーグナーの諸作と目白押しである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "イタリアでナポリ派オペラが発展していた17世紀半ば、フランスではリュリ(1632年 - 1687年)により、フランス語で歌われる独立したフランス・オペラの伝統が創始された。この伝統は18世紀前半にはラモー(1683年 - 1764年)に受け継がれ、豊かに発展した。18世紀中期になると、イタリアのオペラ・ブッファの影響をうけ、コミカルな内容を中心とし、レチタティーヴォの代わりに語りをもったオペラ・コミックが登場し、次第に人気を集めるようになる。1752年にイタリアから来たオペラ団がパリでペルゴレージの『奥様女中』を上演すると、ラモーに代表される伝統的フランス・オペラと、イタリアのオペラ・ブッファやその影響で生まれたオペラ・コミックのどちらが優れているかに関して知識人たちの間で大いに論争となったことがあったが、これは「ブフォン論争」と呼ばれる。この論争の後、オペラ・コミックはますます人気を高めるが、この論争で反ラモーの代表的存在だった、思想家としても有名なルソー(1712年 - 1778年)は、『村の占い師』(1752年)というオペラ・コミックを書いて自らのオペラ思想を世に問うた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "1773年にドイツ出身でウィーンで活躍していたグルックがパリにやって来て、彼の「オペラ改革」をフランス・オペラに持ち込むと、今度は旧来のイタリア・オペラを支持し、イタリアのピッチンニ(1728年 - 1800年)を擁した「ピッチンニ派」と、グルックの新式オペラを支持する「グルック派」の間で、ブフォン論争以上の激しい争いが起き、時に武力抗争にまで発展したと言われている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "やがて18世紀後期になると、オペラ・コミックはフランス革命期の社会的風潮の影響を受けてか、喜劇的なものよりも英雄的で雄大な内容を持つものに変化し、伝統的なオペラとの違いは単にレチタティーヴォのあるなし程度になってゆく。「革命オペラ」「恐怖オペラ」「救出オペラ」などとも呼ばれることのあるこのようなオペラ・コミックの代表者には、ゴセック(1734年 - 1829年)、メユール(1763年 - 1817年)、イタリア出身のケルビーニ(1760年 - 1842年)、などがいる。また、ドイツのオペラであるが、ベートーヴェンの『フィデリオ』もこの「救出オペラ」の一種である。後期のグルックがパリで活動したせいもあり、これらのオペラ・コミックを含めて18世紀後期のフランス・オペラはグルックの「オペラ改革」の影響を強く受けている。ケルビーニと同じくイタリア出身のスポンティーニ(1774年 - 1851年)はそうしたグルックの後を継ぐような、そしてより大規模なオペラ・セリアを書き、後のグランド・オペラの先駆となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "19世紀前半になると、台詞による語りのないフランス・オペラは、5幕形式でバレエを含む大規模な形式の、グランド・オペラと呼ばれる様式となった。代表的な作曲家はマイアベーア(1791年 - 1864年)である。ヴァーグナーやヴェルディもパリで自作を上演する際にはバレエを追加した(『タンホイザー』と『ドン・カルロス』)。この様式の大家としてはマイアベーアが人気を博し、『悪魔のロベール』(1831年)『ユグノー教徒』(1836年)、『預言者』(1849年)、『アフリカの女』(1865年)など、今日でも上演される作品を残している。他にはジャック・アレヴィ(1799年 - 1862年)の『ユダヤの女』(1835年)やベルリオーズ(1803年 - 1869年)の『トロイアの人々』(1858年)、アンブロワーズ・トマ(1811年 - 1896年)の『ハムレット』(1868年)、カミーユ・サン=サーンス(1835年 - 1921年)による『サムソンとデリラ』(1877年)と『ヘンリー八世』(1883年)、マスネ(1842年 - 1912年)の『エロディアード』(1881年)と『ル・シッド』(1885年)などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "オペラ・コミックも19世紀前半は隆盛を極め、ボワエルデュー(1775年 - 1834年)の『白衣の婦人』(1825年)、オベール(1782年 - 1871年)の『フラ・ディアヴォロ』(1830年)、『青銅の馬(フランス語版)』(1835年)、『黒いドミノ』(1837年)、『王冠のダイヤモンド(英語版)』(1841年)、エロルド(1791年 - 1833年)の『ザンパ』(1831年)、『プレ・オ・クレール』(1832年)といった人気作が生み出された。 オベールの『マノン・レスコー』(1856年)などの出現で、オペラ・コミックが喜劇的ではなくなってしまったので、新たな喜劇的オペラを望むパリ民衆の要望に応えて、より大衆的な通俗性や社会風刺、人気作のパロディーなどを持ったオペレッタが生まれた。特にオッフェンバック(1819年 - 1880年)の『地獄のオルフェ』(『天国と地獄』、1858年)は国際的に爆発的な成功を収めた。そのほか、『美しきエレーヌ』(1864年)、『青ひげ』(1866年)、『パリの生活』(1866年)、『ジェロルスタン女大公殿下』(1867年)、『ラ・ペリコール』(1868年)、『盗賊』(1869年)など続々とヒット作を生み出した。オッフェンバックはヨハン・シュトラウス2世にオペレッタの創作を勧め、ウィンナ・オペレッタ誕生につながっていく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "その後、オペラ・コミックの方でもビゼー(1838年 - 1875年)の『カルメン』(1875年)、オッフェンバックの『ホフマン物語』(1880年、未完)、シャブリエ(1841年 - 1891年)の『エトワール』(1877年)、『いやいやながらの王様』(1887年)、『教育欠如(英語版)』(1879)などの傑作が生まれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "なお、マイアベーアとオッフェンバックは元々ドイツ人であるが、作品はあくまでパリを拠点にフランス語で書かれたため、フランス・オペラとして扱われる。ただし、オッフェンバック作品は本人の生前からウィーン上演が好評を博したこともあり、死後はドイツ語訳上演のほうが多かった時期もあったが、21世紀に入ると、マルク・ミンコフスキらによるフランス語上演も急速に盛り返し、もともと上演の盛んだったドイツ圏とあわせ活況を呈している。目下はフランスのリヨン国立オペラなどが上演に意欲的である。なお、生地ケルンにはオッフェンバック歌劇場まで作られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "19世紀前半に圧倒的人気を誇ったグランド・オペラも、「あらゆるオペラの命とりともいうべき流行の変遷」などから、1850年頃により内面的な叙情性をもったドラム・リリク(フランス語版、ドイツ語版)が現れる。グノー(1818年 - 1893年)とトマがその代表である。典型的な例として、グノーは『ファウスト』(1859年)、トマには『ミニョン』(1866年)、エルネスト・ショーソン(1855年 - 1899年)の『アルテュス王』(1895年)などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "この他によく上演されるフランスのオペラ作品として、マスネの『マノン』(1884年)、『ウェルテル』(1892年)、『タイス』(1894年)、『ドン・キショット』(1910)、シャルパンティエ(1860年 - 1956年)の『ルイーズ』(1900年)、ドビュッシー(1862年 - 1918年)の『ペレアスとメリザンド』(1902年)、モーリス・ラヴェル(1875年 - 1937年)の『スペインの時』(1911年)、『子供と魔法』(1925年)、フランシス・プーランク(1899年 - 1963年)の『カルメル派修道女の対話』(1957年)などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "19世紀ヨーロッパの音楽界では、ロッシーニ(1792年 - 1868年)が『セビリアの理髪師』(1816年)、『アルジェのイタリア女』(1813年)、『チェネレントラ』(シンデレラ、1817年)などのオペラ・ブッファを量産するなど、引き続きイタリア・オペラが主流の座を占めた。ウィーンでもベートーヴェンはロッシーニの人気の足元にも及ばぬ状況であった。またオペラ・セリア様式の作品も、題材がギリシャ古典から中世以降の時代に下っても悲劇としては一貫しており、ドニゼッティ(1797年 - 1848年)の『アンナ・ボレーナ』(アン・ブーリン、1830年)、『マリア・ストゥアルダ』(メアリー・スチュアート、1834年)、『ランメルモールのルチア』(1835年)などが知られる。ベッリーニ(1801年 - 1835年)もまた『清教徒』(1835年)、『ノルマ』(1831年)、『カプレーティとモンテッキ』(1830年)などのセリアの作曲で知られる。もっとも、ドニゼッティはブッファの傑作『愛の妙薬』(1832年)でも有名であり、ロッシーニも『タンクレーディ』(1813年)、『オテロ』(1816年)、『湖上の美人』(ウォルター・スコット原作)(1819)、『セミラーミデ』(ヴォルテール原作)(1823)といったセリア作品や、『泥棒かささぎ』(1817年)といったセミ・セリア作品及び『ギヨーム・テル』(シラー原作、1829年)でも評価を得ている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "オペラの発展は、ドイツではヴァーグナー(ワーグナー、1813年 - 1883年)、イタリアではヴェルディ(1813年 - 1901年)によって、19世紀に最も劇的な段階を迎えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "ヴァーグナーは、通奏低音で伴奏される比較的小音量のレチタティーヴォに、フルオーケストラ伴奏によるアリアがところどころ挿入され、アリアの終了の度に熱心な聴衆の拍手喝采により演奏が中断されるという、伝統的なオペラの形式を拒んだ。代わって、レチタティーヴォとアリアが混然一体となり、また常にオーケストラにより伴奏されるという、通して歌われる様式を導入した先駆者となった(このため拍手は幕間にだけ行われるようになった)。さらにヴァーグナーはライトモティーフを大々的に使用した。ライトモティーフは、かつてヴェーバーの使用例もあるが、物語中の登場する登場人物、道具や概念などを音楽で描こうという音楽的な工夫である。例えばある人物が舞台に登場するときや、舞台にいなくても他の登場人物がその人物について触れるときに、その人物を表すライトモティーフを奏でることで、あたかも映像を見ているような描写的効果を得ている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ヴァーグナーはまた、「楽劇」(独Musikdrama, 英Music drama)とよばれる独特のオペラで作品の大規模化ももたらした。最初の楽劇である『トリスタンとイゾルデ』(1859年)は、ただ単にオペラを革新したのみならず、その革新的和声語法は調性の崩壊へと道を開いた意味で、西洋音楽史全体から見ても非常に重要な作品である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "より重厚な響きを求めて大編成化したオーケストラに歌唱が埋没せぬよう、聴衆が舞台のみに集中して鑑賞するように、ヴァーグナーは自分自身の作品を上演する専用の劇場を必要とするに至り、バイエルン王ルートヴィヒ2世からの資金援助を受けて、オーケストラ・ピットを舞台の下に押し込めるという特異な構造のバイロイト祝祭劇場を建設した。そこで上演される『ニーベルングの指輪』(1854年、1856年、1871年、1874年)は、4つの楽劇の連作という巨大作品で、4夜を費やして演奏される。通して観ると約15時間程になり、空前の大規模作品であった(現在はシュトックハウゼンの『光』という1週間を要する作品があり、規模の上ではこれを上回る)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "ヴァーグナーの楽劇の題材は北欧神話や中世の物語を扱っており、その意味ではオペラ・セリアの延長線上にあるともいえる。中世ドイツのマイスター(職人の親方たち)を題材にした『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(1867年)は唯一の喜劇的作品であるが、ロッシーニの喜劇に比べるとはるかに生真面目ともいえる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ヴェルディはヴァーグナーのような音楽の革命家ではなかったが、オペラ・セリアの伝統的形式を継承発展させる形で作曲した。彼のオペラの登場人物は、まだ市井の一般人ではないが、神話的人物や叙事詩的英雄というわけでもなく、現代的な(彼の同時代という意味で)オペラ・セリアを再構築したということもできる。彼は初期の作品で、イタリア独立運動を支持する人々の愛国心を高揚させて大いに支持を受けた。ついで、登場人物の人間性に鋭く迫って劇的に表現する作風を確立し、音楽としてもドラマとしても完成度の高い中期の傑作群を創作した。1850年代に彼の最も有名なオペラ3作品、『リゴレット』、『イル・トロヴァトーレ』、『椿姫』を生み出した。グランド・オペラ風の『アイーダ』(1871年)と(オペラではないが)『レクイエム』(1874年)を最後に一旦リタイアした後、作曲家ボーイト(1842年 - 1918年)らのすすめで再度筆をとり、晩年の傑作『オテロ』(1887年)、『ファルスタッフ』(1893年)を残した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ヴェリズモ・オペラは、イタリアで発生したヴェリズモ文芸運動がオペラに波及したものと見ることも、自然主義文学のオペラへの影響と見ることもできる。そこでは市井の人々の生活が、病苦・暴力といった暗部をも含む形で描写される。マスカーニ(1863年 - 1945年)の『カヴァレリア・ルスティカーナ』(1890年)は、シチリアの小村における悲劇であり、ヴェリズモ・オペラの初期の傑作である。またレオンカヴァッロ(1857年 - 1919年)の『道化師』(1892年)では、現実と仮想世界との区別の付かなくなった道化師カニオが舞台上で妻を殺してしまう。この傾向のオペラは1890年代から20世紀初頭にかけて多くの模倣・追随者を生んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "19世紀終盤から、20世紀初頭にかけて、ロマン派オペラはヴェルディ、ヴァーグナーを受け継ぎ、最後の花を咲かせる。ドイツのリヒャルト・シュトラウス(1864年 - 1949年)は、『サロメ』(1905年)、『エレクトラ』(1908年)で大きな反響を得た。前者の官能を刺激する色彩的な音楽は賛否両論を生み、後者の大胆な和声は伝統的な響きに慣れ、それらを好む聴衆からは猛反発を受けた。しかし、シュトラウスのオペラ作家としての地位は固まり、詩人ホフマンスタールとともに様々な新機軸を出した。後年、円熟した擬古的な作風の『ばらの騎士』(1910年)、『ナクソス島のアリアドネ』(1912年)、『アラベラ』(1932年)などで音楽的完成度と大衆的な人気をともに確保して、モーツァルト・ヴァーグナーと並ぶ「ドイツの3大オペラ作曲家」と呼ばれるようになった。しかし、晩年の作品はロマン派の最盛期を過ぎた、残照のような位置づけであることは否めない。他にドイツ・ロマン派の最後を飾るオペラとしては、『ヘンゼルとグレーテル』(1893年)で知られるフンパーディンク(1854年 - 1921年)や、リヒャルト・ヴァーグナーの息子ジークフリート・ヴァーグナー(1869年 - 1930年)によるメルヘン・オペラ(独: Märchenoper)、またそれ以外にプフィッツナー(1869年 - 1949年)の作品がある。また、ドイツ・ロマン派と近代のオペラの架け橋的存在として、ツェムリンスキー(1871年 - 1942年)、シュレーカー(1878年 - 1934年)、コルンゴルト(1897年 - 1957年)がいるが、このうちシュレーカーとコルンゴルトは、当時はシュトラウスに匹敵する人気を誇っていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "イタリアのジャコモ・プッチーニ(1858年 - 1924年)は、ヴェリズモ・オペラの影響を受けつつも、イタリア・オペラの伝統に沿った作品を書いた。彼は庶民的な題材と美しいメロディをほどよくバランスさせ、親しみやすい中にも完成度の高い作品群を作って人気を博した。出世作『マノン・レスコー』(1893年)と続く『ラ・ボエーム』(1896年)は好評をもって迎えられ、彼の地位を確立した。『トスカ』(1900年)で頂点に立った後、『蝶々夫人』(1904年)では歴史的な失敗を喫したが、今日ではあらゆるオペラの中でも人気の高い作品として知られるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "R.シュトラウスとプッチーニは、ロマン派のオペラの幕を引いたといってよいが、後者はより印象主義的な語法が濃圧である。その後、演劇と音楽が協調してできたオペラの役割は映画、あるいは今日ではテレビが担うことになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "ロシアの国民主義のオペラはグリンカ(1804年 - 1857年)により創始され、ロシア5人組の作曲家たちによって継承発展された。ムソルグスキー(1839年 - 1881年)の『ボリス・ゴドゥノフ』(1874年)、ボロディン(1833年 - 1887年)の『イーゴリ公』(1890)は名高い。また、リムスキー=コルサコフ(1844年 - 1908年)は『金鶏』(1907年)、『サトコ』(1898年)など多数の作品を残した。チャイコフスキー(1840年 - 1893年)は『エフゲニー・オネーギン』(1878年)や『スペードの女王』(1890年)で知られるが、バレエ音楽とともにむしろ西欧風の作品といえる。20世紀に入ると、ショスタコーヴィチ(1906年 - 1975年)が『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(1934年)という近代オペラの傑作に数えられる作品を生んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "チェコでは19世紀後半に、ヴァーグナーの強い影響を受けていたスメタナ(1824年 - 1884年)が国民主義オペラを書き、ドヴォルジャーク(1841年 - 1904年)、ヤナーチェク(1854年 - 1928年)がその流れを引き継いだ。スメタナは『売られた花嫁』(1863年)、『リブシェ』(1872年)が知られている。ドヴォルジャークは『ルサルカ』(1901年)が有名だが、他にも多くのオペラを書いている。ヤナーチェクの『イェヌーファ』(1904年)、『利口な女狐の物語』(1924年)、『死者の家から(ドイツ語版、英語版)』(1930年)などは、20世紀に入って完成された作品だけあって、より近代的な感覚のオペラとなっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "スペインではサルスエラとして知られる、民族音楽風味を取り入れた独自様式のオペラが作られた。これはフランスやドイツ・オーストリアのオペレッタに近い位置づけである。アルベニス(1860年 - 1909年)やファリャ(1876年 - 1946年)も作品を残している。『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『ドン・カルロ』『セビリアの理髪師』『カルメン』『フィデリオ』『パルジファル』『愛の妙薬』と、錚々たる人気オペラの舞台となってきたスペインだが、自国からこれらに匹敵する国際的人気作品は生み出していない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国でも、ようやく20世紀に入ってからガーシュウィン(1898年 - 1937年)、メノッティ(1911年 - 2007年)らの活動により独自のオペラが創作されていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "20世紀前半の先駆的なオペラは、当初はバルトーク(1881年 - 1945年)の『青髭公の城』(1911年)やヒンデミット(1895年 - 1963年)の『殺人者、女達の望み(英語版)』(1919年)のような表現主義の傾向を持っていたが、第一次世界大戦が終了してその影響が消え、平和な発展の時代を迎えると、新古典主義の台頭とともに、ドイツでは「時事オペラ(英語版)」というスタイルのオペラが興った。表現主義オペラが個人の内面的葛藤を中心に描くのに対し、時事オペラは現代の平凡な日常生活における人間関係を客観的に、醒めた視点から異化の手法なども交えて描くもので、ジャズやカバレット、レヴューといった当時の大衆音楽、芸能の要素も取り入れられ、従来のオペラというジャンルを超えるような面も持っていた。代表的な例の一つであるクルシェネク(1900年 - 1991年)の『ジョニーは演奏する』(1927年)はウィーンで大ヒットし、他にヴァイル(1900年 - 1950年)の『マハゴニー市の興亡(ドイツ語版、英語版)』(1927年)、『三文オペラ』(1928年)、ヒンデミットの『行ったり来たり(英語版)』(1927年)、『今日のニュース (オペラ)(ドイツ語版、英語版)』(1929年)などがある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "その後、時事オペラの流行が終わると、ヒンデミットは『画家マティス』(1935年)、『世界の調和(ドイツ語版、英語版)』(1957年)という、より生真面目な内容のオペラを残している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "また、ストラヴィンスキー(1882年 - 1971年)は新古典主義時代に『夜鶯』(1914年)、『エディプス王』(1927年)、『放蕩者のなりゆき』(1951年)といったオペラを書いている。プロコフィエフ(1891年 - 1953年)は亡命時代に新古典主義と斬新なモダニズムのスタイルによる『三つのオレンジへの恋』(1919年)を書いたが、ソ連帰国後は社会主義リアリズム的傾向を持った『セミョーン・コトコ』(1939年)や、大規模な大作『戦争と平和』(1943年、第5版1952年)を残している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "いわゆる「新ウィーン楽派」の作曲家のオペラには、完成された作品としてはベルク(1885年 - 1935年)の『ヴォツェック』(1925年)、シェーンベルク(1874年 - 1951年)には『期待』(1909年)、『幸福な手(英語版)』(1913年)、時事オペラの影響を受けた最初の十二音技法によるオペラ『今日から明日へ(英語版)』(1929年)があるが、更に未完の作品である前者の『ルル』や後者の『モーゼとアロン』等の無調、十二音技法のオペラが、戦後のドイツ・オペラの発展や、のみならずイタリアのダッラピッコラやノーノらのオペラに与えた影響は計り知れない。『今日から明日へ』は1幕物の作品であるが、大規模で本格的なオペラで十二音技法による最初のものは、クルシェネクの『カール5世(ドイツ語版)』(1933年)で、これは時々上演される。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦後、前衛の世代はオペラの創造に極度に禁欲的な姿勢で臨むことになる。ブーレーズやクセナキスなどの前衛作曲家は、規模も大きく、経済的事情と手間暇のかかるオペラというジャンルに否定的な姿勢を見せた。その一方で、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(1926年 - 2012年)は『鹿の王(英語版)』(1955年、改訂版1963年)、『若き貴族』(1964年)、『バッカスの巫女たち』(1965年)など、多くのオペラを書いている。ただし、彼のオペラ創作はあくまで同時代の音楽語法を自由に用いつつ19世紀的作劇法によった伝統的スタイルのオペラ、といったものであったため、現代音楽の愛好家よりも伝統的なオペラの愛好家に受け入れられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "このほか、前衛の時代に書かれた最も重要なオペラの1つとして、ベルント・アロイス・ツィンマーマン(1918年 - 1970年)の『兵士たち』(1965年)が挙げられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "また、声楽家が積極的に現代音楽にかかわるというキャシー・バーベリアンのようなケースも稀であった。しかし、徐々に無調などの現代声楽法に通じた歌手が登場してくる。そして前衛の時代が終わり、前衛の世代に経済的基盤が出来たことを背景に、オペラという概念を「音楽劇」:Musiktheaterという側面から、作曲家一人一人が個別に考える時代に入った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "しかし、以前同様に台本ありのオペラを書く作曲家の層も厚く、両者の拮抗が21世紀に入っても続くと見られている。近年でも暗譜不可能な場合はボーカル・スコアを読みながら舞台に立つ歌手も多く、この点に関しても賛否両論に割れている。近年のシュトックハウゼンは厳格に「暗譜」を指示しているが、これは視覚的にも大きな効果を上げる一方、大量の練習時間を必要とし、肉体的疲労も大きい。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "オペラ創造をライフワークにするといったシュトックハウゼンや松平頼暁(1931年 - )、ヘンツェのような存在も、世界中何名か見られる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "昔は移動に時間がかかり自由に往来できなかったので、歌劇場と歌手が契約すると、その歌劇場で歌うのが原則だった。 マーラーがウィーン国立歌劇場に登場した当時は、同じ演目の舞台で、歌手Aはイタリア語、歌手Bはドイツ語、歌手Cはフランス語で歌う(それぞれの歌手の母国語)で歌う、といったことがまかり通っていた。 スター歌手中心のオペラから、マーラーはオペラそのものを生かす歌手の配役に改革していき、聴衆も彼を支持していった。 マーラーは序曲を含むオペラ上演中の客席入場を禁じた。それまでの歌劇場は上流階級の社交場で、ドレスでロビーをいろどって開演時間を過ぎて客席に着く事が多かった。 マーラーは原語主義を導入していった。 カラヤン以後、字幕付き原語上演が主流になり、ジェット旅客機などの交通機関が発達すると、世界のトップ歌手は劇場専属になるより有力な音楽エージェントと契約し、世界中の歌劇場にメインキャストで出演する為にジェット機で飛び回るようになり、歌劇場のレパートリーシステムは綻びた。 歌劇場専属は中堅歌手が主流になっている。", "title": "オペラビジネスの変化" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "現在、ドイツはカンパニーを持つ歌劇場だけで全国80箇所を擁し、次点イタリアの3倍の上演数を誇る(オーストリアとスイスの同言語圏を合算するとさらに膨れ上がる)、世界随一のオペラ大国である。しかも、各歌劇場のカンパニーは大規模なものが多く、フランス、アメリカ、イギリスには各一箇所、イタリアにも一桁の歌劇場にしかない四管編成常備のフルオーケストラを三十以上の歌劇場が擁している。", "title": "近年のオペラをめぐる各国の状況" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "歌手たちは膨大な歌曲や宗教音楽を併せてレパートリーとすることが多く、ドイツ圏出身者にとどまらず、歴史的に縁の深い中欧・東欧系、言語的に親和性の高い(同時にメジャーな自国語オペラに乏しい)北欧、英米系のドイツ語歌手を多く育てている(これに対し南欧や中南米の人材は比較的イタリア志向が強い)。ヴァーグナー歌手として鳴らしたレジーヌ・クレスパン(フランス語版、英語版)らフランス人のドイツオペラ歌手も少なくなく、イタリア人もさすがにドイツオペラを得意とする人材は多くないものの、イタリアオペラ要員として滞独する歌手が目立つ。いわばドイツ圏は世界中のオペラ人材の集結地となっており、合唱団員や管弦楽団員も含め日本人の滞在も少なくない。20世紀以降はこのようにオペラ市場におけるドイツの独占化が進んだこともあり、18世紀とは逆にメノッティ、シノーポリらイタリア出身の作曲家がドイツ語オペラを執筆するケースも多くなっている。", "title": "近年のオペラをめぐる各国の状況" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "歌劇場の数はドイツに次ぎ、オペラ発祥の地の面目を保っているが、スタジオーネ・システム主流の国柄もあって上演数は少なく、管弦楽団や合唱団などカンパニーを全く持たない建物だけの施設も少なくない。特に財政難による経営不安定化が長年全土を覆っており、2015年にはローマ歌劇場がいったん専属者全員の解雇を発表するという衝撃的な事態も発生した。", "title": "近年のオペラをめぐる各国の状況" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "2023年、イタリアのオペラ歌唱の慣習はユネスコの無形文化遺産に登録された。", "title": "近年のオペラをめぐる各国の状況" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "フランスでは戦後しばらくは政府の補助削減などで大きく低迷していた時期もあるが、現在はパリ・オペラ座やリヨン歌劇場などを中心にかなり活発な上演状況を呈している。フランスオペラが得意なのは当然として、イタリア、ドイツの両オペラ大国に等距離を保ち、どちらの作品でも違和感の少ない上演を行えるのが強みである。ただ、ドイツ人やイタリア人のようにフランス人オペラ歌手が自国語のみで国際的に活躍することは難しく、ジェラール・スゼー、レジーヌ・クレスパン、ナタリー・デセイら、大歌手の多くはドイツ語歌唱にも長けている。", "title": "近年のオペラをめぐる各国の状況" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "言語的に親和性のあるイタリアオペラを中心に歌手を豊富に輩出しており、特に近年のテノール歌手においては南米のスペイン語圏を併せるとイタリア人を上回る勢いである。スペインでの上演もマドリード王立劇場、リセウ大劇場などを中心にかなり盛んであり、南米でもブエノスアイレスのコロン劇場などは建物の豪華さで有名である。ただし、ファリャ作品やサルスエラなどのスペイン語オペラは諸外国で浸透しているとは言い難い。", "title": "近年のオペラをめぐる各国の状況" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "ロイヤル・オペラ・ハウスは長い歴史を持ちよく知られている存在である。英語によるオペラ上演は、この言語の世界に占める勢力とは比べ物にならないほど極少な状態だが、イングリッシュ・ナショナル・オペラ(ロンドン)は英語による訳詞上演主義を貫いている。", "title": "近年のオペラをめぐる各国の状況" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "ロバート・ターンブル『世界のオペラハウス』(音楽之友社1989)によると、アメリカ合衆国で常設歌劇場としての公演回数が記されているのはメトロポリタン歌劇場、ニューヨーク・シティ・オペラ、シカゴ・リリック・オペラ、サンフランシスコ・オペラの4箇所程度であり、他は公演数が年間十数回と音楽祭程度の規模しか上演が行われておらず、人口規模や国土面積に比してオペラ受容は盛んとはいえない。このうちニューヨーク・シティ・オペラは2014年に一度破産し、その後は後者のカテゴリに属する状態としてしか(2017~2018年シーズンは公演数24日間)活動再開できていない。メトロポリタン歌劇場は舞台装置と歌手の顔ぶれの豪華さにより、欧州トップクラスの歌劇場に伍する存在感を示している。", "title": "近年のオペラをめぐる各国の状況" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "日本における最も古いオペラ上演としては、江戸時代の1820年に長崎の出島でエジーディオ・ロムアルド・ドゥーニのフランス語オペラ・コミック『二人の猟師とミルク売り娘(フランス語版)』がオランダ人によって上演された記録がある。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "明治時代に入り、1875年、アジアツアーをしていた Maria Palmieri(1840 - 1890)と妹の Alice Persiani が日本に立ち寄り、横浜のゲーテ座で9月13日から10月7日にかけて4回、東京では蓬莱社(10月2日)、工学寮小学館(10月9日)、皇居(10月中旬以降)、第一国立銀行、浜御殿で衣装と演技付きのオペラ歌唱コンサートを行った。同1875年にはアルト歌手のダーリヤ・レオーノヴァ(ロシア語版)も来日している。レオーノヴァの公演は10月29日と11月10日に横浜町会所で催された。舞台演出を伴った歌劇としてのオペラ上演は1894年11月24日に東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)奏楽堂で、オーストリア=ハンガリー大使館職員により『ファウスト』第1幕が上演され、これが現在日本で行われているオペラの原点となった。管弦楽は宮内省楽部、合唱は音楽学校生であった。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "さらに1903年、東京音楽学校・東京帝国大学の教師らの指導の下に、グルックの『オルフェウス(オルフェオとエウリディーチェ)』が上演された。これは1902年に東京音楽学校・東京帝大生が中心に結成した歌劇研究会がおこなった。ノエル・ペリー指揮、ピアノ伴奏ケーベル、洋風の書割は山本芳翠の指揮で門弟が描き、柴田環・吉川やま他が出演した。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "そして1911年3月1日に開場した帝国劇場に8月25日歌劇部(のち1914年5月に洋劇部と改称)が併設され、ここでオペラの小規模な上演が行われるようになった。第1回公演は1912年2月、杉谷代水作詞・ユンケル作曲の『熊野』。注目すべきことに、この時代すでに日本人による創作オペラの作曲と上演が行われていた。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "この時代の日本人によるオペラには、東儀鉄笛(1869年 - 1925年)の『常闇』(1906年、台本:坪内逍遥)や、小松耕輔(1884年 - 1966年)の『羽衣』(1906年6月2日、台本:小林愛雄。神田YMCAで、楽苑会の第1回公演。楽苑会は1906年5月に発足し、東西音楽および歌劇の研究・保存・創作演奏を目的とし、小松・山田源一郎が中心であった)等がある。『常闇』の台本を書いた坪内逍遥は、1904年に『新楽劇論』を著し、その中でヴァーグナーに対抗して、日本の古典演劇や舞踊を取り入れた日本独自の「国民楽劇」の樹立を主張していた。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "帝劇オペラは、「帝国劇場」という名前ではありながら国営ではなく株式会社であったため、やがて財政難から上演の継続が困難となり、1916年5月に帝劇洋劇部は解散となる。この時期に来日して洋劇部の指揮者を務めていたローシー(ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー)は自腹を切ってオペレッタ劇場「ローヤル館」を開設・運営、1916年10月1日『天国と地獄』を上演、以下ぞくぞくと喜歌劇を上演するも1年と持たず、ローシーは日本を去る。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "その後、大正期から当時随一の歓楽街であった東京・浅草で、浅草オペラとして知られる公演が行われるようになり、様々なオペラ劇団による公演が行われてオペラの大衆化に貢献した。この浅草オペラも1923年の関東大震災による劇場の焼失とともに衰退し、1925年には消滅した。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "著名な喜劇人の榎本健一(エノケン)は浅草オペラにおいて活躍しており、彼のその後の音楽性にあふれた軽妙かつ活動的な芸風は、浅草オペラの経験によるものと評されている。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "1932年にヨーロッパで活躍していたテノール歌手の藤原義江が帰国すると、藤原歌劇団の前身となる「東京オペラ・カムパニー」を設立し、『ラ・ボエーム』、『リゴレット』、『トスカ』などの本格的公演を行う。1939年には「藤原歌劇団」となり、1942年には『ローエングリン』を上演している。藤原歌劇団はその後現在に至るまで盛んな活動を続けている。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "また、1940年には山田耕筰(1886年 - 1965年)の代表作『黒船』が初演されている。一方、永井荷風はフランス留学時にオペラに親炙したこともあり、オペラを日本に積極的に紹介していたが、その成果として1939年、菅原明朗作曲によるオペラ『葛飾情話』を創作している。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦後の1952年には、東京音楽学校の出身者たちによって二期会が設立され、以後、藤原歌劇団と共に戦後の日本オペラの中心的存在として、欧米の歌劇場に肩を並べるような本格的なオペラ上演の活動を展開していくことになる。また、二期会の設立と同じ1952年に、團伊玖磨(1924年 - 2001年)の『夕鶴』が初演され、以後日本の人気オペラとなり上演が重ねられた。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "1956年に第1回イタリア歌劇団公演がNHKの招きで東京宝塚劇場で公演された。この公演は引っ越し公演ではなく主要歌手や演出家などのスタッフのみがイタリア人で、管弦楽団や合唱や舞台美術は日本人がイタリア人に教えを受けるものだったが、海外渡航が難しく、円の力が弱い時代に、本場のオペラを見ることで日本のオペラの実力アップにつながった。当初オペラの劇場は日比谷公会堂を予定していたが、『アイーダ』の巨大な舞台美術を置けないことから東京宝塚劇場になった。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "引っ越し公演の最初となったのは1963年のベルリン・ドイツ・オペラである。いきなり本場の一流歌劇場、しかもカール・ベームとロリン・マゼールという巨匠と新鋭に率いられての豪華な顔触れはやはり大きなインパクトを持って迎えられた。その後、1970年代に入ると同様な引っ越し公演が相次ぎ、入れ替わるようにイタリア歌劇団公演は役割を終えることになる。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "その後、東京室内歌劇場、東京オペラ・プロデュースといったその他のオペラ団体も生まれたが、上記の二期会、藤原歌劇団を含め専用の劇場を持っている団体はない。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "1997年には日本で最初のオペラ専用の歌劇場である新国立劇場が誕生したが、専属のオーケストラや歌手、音楽監督は存在せず、専属の合唱団があるのみであった(それも出演料都度払い制であり、レジデントではない)。2007年シーズンより若杉弘が初代音楽監督に就任し、2008年2月22日の『黒船』プレミエで音楽監督としてデビューした。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "地方を含めた多くの都市には、地元のアマチュアの合唱団とプロのソリストやオーケストラが共演する「市民オペラ」と呼ばれるものが存在し、特に地方では地元の民話などを題材にした新作オペラが上演されることもある。しかし、各主要都市(ドイツ圏では人口10万以下の小都市ですら)が歌劇場を持ち、それぞれに専属のプロの歌手、オーケストラ、合唱団、音楽監督が存在するヨーロッパの状況とは、まだまだ大きな隔たりがあると言わざるを得ない。もっとも、日本にはヨーロッパほど自国団体のオペラ上演に対する大きな需要があるわけではない、という面も無視できない。日本の3倍近い人口を持つ米国も常設場歌劇場はわずかに3つ(2018年現在)であり、オペラの盛況は発祥の地であるヨーロッパ(特に大陸)に特有の現象ととらえることもできる。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "日本語によるオペラの発声法は確立されていない、とする見解もある。日本語は母音が多いため重唱すると誰が何を言っているのか聞き取りにくく、様々な時代の漢語を取り込んだので同音異義語が多く、また、欧米語のオペラでは1音符に1単語をあてられる場合もあるのに比べ、「ん」以外は1文字が1音節となる日本語では1音符に1文字をあてる場合が多く、歌える言葉が少なくなるという問題がある。外国作品を日本人公演でも字幕付で原語上演するのは1980年代になって広まり、それまでの日本語公演に取って代わったともいわれている。以前は全てのオペラがドイツ語で上演されていたヴィーン国立歌劇場でカラヤンが音楽監督に就任してから原語上演が導入され、その後、上演国の言語ではなく原語での上演が欧州全体に広がって以降、オペラの原語上演は世界的な傾向でもある。また近年では、「『日本語の正しい発声』なるものを仮構して実践する、というやり方ではなく、そうかといって、『正しいオペラの発声』なるものを無視した『悪い声』というわけでもなく」「日本語が明瞭で生き生きしていた」と評される日本語公演の例もあり、「日本語オペラの発声法」のような独特の発声法を「確立する」という発想とは異なる視点も生まれている。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "2002年、小澤征爾がウィーン国立歌劇場の音楽監督になったが、歌詞にウィーン訛り、イタリア語訛りの出てくるリヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』で、そうした訛りが聞き取れず、また別の機会に「この年になってこんなに勉強できるのは嬉しい」と語ったが、ウィーン人にとっては音楽監督とは彼から学び引っ張っていってもらいたい存在であるところに、日本語を母語とする現在の日本人の限界がある、と野村三郎は述べている。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "2016年2月、小沢征爾がサイトウ・キネン・オーケストラを指揮したラヴェルの『こどもと魔法』を収めたアルバム(2013年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本のライヴ録音)がグラミー賞最優秀オペラ録音賞を受賞した。", "title": "日本での歴史" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "歌劇場#日本国内の主要な歌劇場、歌劇場#世界の主要な歌劇場または歌劇場の一覧を参照", "title": "著名な歌劇場" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "オペラの上演に関してはしばしば、かつては「歌手の時代」であり、次に「指揮者の時代」となり、現在は「演出家の時代」である、と言われることがある。近年は原作のト書きや設定を完全に無視、または異化した、人によっては奇抜とさえ感じられるような斬新な演出も増えており、これについては賛否両論がある。特に上演数が多いドイツ圏では保守的な演出の繰り返しでは観客を引きつけられないという事情もあってか斬新な演出が多く、それに比較すると英米のほうがオーソドックスな演出が多い。", "title": "著名なオペラ演出家" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "レコードの発明はオペラの世界にも変革をもたらした。当初は録音時間の制約が大きかったため、代表的なアリアや序曲が独立して録音、発売されることが多く、エンリコ・カルーソーなどは20世紀初頭に一世を風靡した歌手である。一方では数枚組のセット用に全曲をスタジオ録音する試みも始まっており、1907年の「こうもり」と「道化師」が世界初のオペラ全曲録音といわれる。このころは録音環境の問題からオーケストラなどは極度に人数省略されていたが、そうした状況は徐々に改善。やがて劇場公演の実況録音なども開始されたが、やはり音質のいいスタジオセッションのほうが長らく主流を占め、優れた録音効果などによって「耳で聞くオペラ」という鑑賞ジャンルを打ち立てることになる。1950年代後半からはステレオ化したスタジオ録音に対し、実況は部分的には1970年代にまでモノラル録音が残っており、ノイズ処理や解像度の点で大きく立ち遅れていた。ただし、これは制作会社や環境のばらつきが非常に大きく、スタジオでもモノラルが主流だった1955年にバイロイト音楽祭『ニーベルングの指環』の実況がデッカ・レコードによってステレオ録音で試みられており、21世紀になって日の目を見て大きな反響を呼んだ。1980年代ごろから実況録音の音質が向上すると、スタジオセッションは次第に減少し始め、映像ソフトの普及にともなってさらに激減、21世紀に入ると滅多に行われなくなってしまった。映像へのシフトは実況録音盤も減少させ、一時は年間100点前後に及んでいたオペラ全曲録音盤の国内新譜は、2010年代においては年に数点という有様である。", "title": "録音と映像" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "映像におけるオペラは、まず劇場用映画として登場。プレスコで収録された音声にあわせて、歌手(または別人の俳優)の口パク演技を撮影する方式で、このやり方は今日までオペラ映画として存続している(ただし、70年前後からは劇場上映よりもテレビ用途で制作されることのほうが多い)。舞台の枠組みにとらわれず、自由に野外ロケや特殊撮影などを織り込めるのが特長である。音質、画質の面でも(特に70年代あたりまでは圧倒的に)有利である。公演に映画カメラを持ち込んでの実況収録も1950年代から始まっているが、当初は撮影時の機械音やズームレンズの未発達、フィルムの感度が悪い、などの問題があり、たとえば1960年制作の「ばらの騎士」(カラヤン指揮)などでは、音声のみ実況で収録、映像は終演後に無人の劇場で口パクで撮り直すことによって照明やカメラ位置の自由を確保するという擬似実況方式(前後の拍手やカーテンコールは実況映像)を採用している。今ではカメラの性能が向上したためこの方式は見られなくなったが、一部分のみ映像を撮り直したり、ゲネプロ収録と組み合わせたり(全部がゲネプロという場合もある)するケースはある。また、ゲネプロ収録およびプレスコの併用だが舞台のフレームを一切画面に写さないため、実質的に映画となっているケース(カラヤン指揮の「カルメン」など)も存在する。1980年代ごろからの実況映像はビデオカメラに、1990年代からはさらにハイビジョン方式に切り替わっていった。現在では映画カメラ(フィルム)によるライブ撮影はほとんど見られない。", "title": "録音と映像" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "テレビ、ビデオ再生装置の普及と映像技術の進歩はオペラの映像収録を飛躍的に増加させた。今日ではかつてのレコード、CD全曲盤に変わってビデオディスクがオペラのパッケージとして主流を占めている。", "title": "録音と映像" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "「オペラ」(Opera)と名の付くものは礼服関係においても多数あり、オペラハット(Opera hat)、オペラクローク(Opera cloak)、オペラケープ(Opera cape)、オペラコート(Opera Coat)、オペラグローブ(Opera gloves)、オペラグラス(Opera glasses)、などがある。", "title": "礼服関係の「オペラ」" } ]
オペラは、演劇と音楽によって構成される舞台芸術である。歌劇(かげき)とも呼ばれる。
{{Otheruses}} [[ファイル:Milano-scalanotte.jpg|thumb|250px|[[イタリア]]・[[ミラノ]]にある[[スカラ座]]。[[1778年]]に完成したこの歌劇場は、世界で最も有名である。]] '''オペラ'''({{lang-it|opera}}、{{lang-en|opera}}、{{lang-fr|opéra}}、{{lang-de|Oper}})は、[[演劇]]と[[音楽]]によって構成される[[舞台芸術]]である。'''歌劇'''(かげき)とも呼ばれる。 == 概要 == オペラは、舞台上で衣装を着けた出演者が演技を行う点で演劇と共通しているが、セリフだけではなく、大半の部分(特に役柄の感情表現)が[[歌手]]による歌唱で進められることを特徴とする。歌手は器楽合奏により伴奏されつつ歌い演じる。伴奏は、多くの場合[[オーケストラ|交響楽団]]規模の編成に及ぶ。 初期[[ロマン派音楽|ロマン派]]までのオペラでは、歌唱には二つの様式がある。一つは、[[レチタティーヴォ]](朗唱)で、会話を表現するものであり、普通の朗読に近い抑揚で歌われる。もう一つはソロ([[ソロ (音楽)|独唱]])で歌われる[[アリア]](詠唱)や複数の歌手が歌う[[重唱]]([[アンサンブル]])あるいは大勢で歌う[[合唱]]で、通常の歌唱である。これらの様式はみな伴奏を伴う。 レチタティーヴォは、古典派の時代までは[[チェンバロ]]のみで伴奏されるレチタティーヴォ・セッコと、管弦楽伴奏によるレチタティーヴォ・アッコンパニャートがあり、前者は会話的な抑揚で語るように歌う。後者は直後のアリアや重唱の導入として置かれることが多い。ロマン派時代のオペラではレチタティーヴォ・セッコはほとんど見られなくなった。 アリアは主に登場人物の感情を表現するもので、古典的なオペラではアリアを歌う間はドラマの進行が静止することもあるが、時代が下るにつれて、アリアでも登場人物の感情の推移を通じてドラマを進めるようになった。アリアはおおむね大規模なもので、主要な登場人物について割り当てられる。より小規模なものをアリオーソ、カンツォネッタ、ロマンツァなどと、歌の性格によって呼ぶこともある。 役柄どうしの対話は重唱で行われ、群集などが登場する場面では合唱も加わることがある。特に各幕の終曲(フィナーレ)では、ほとんどの登場人物による重唱や合唱で構成される場合がある。 これらの独唱・重唱・合唱について、古典的なオペラでは各々が独立して作曲されており、一連番号が付けられていたことから「[[ナンバーオペラ]]」と呼ばれ、各ナンバーの間は前述したレチタティーヴォによってつながれる。各曲が独立しているため、上演時の都合によりナンバー単位で省略されたり、作品の作曲家または別な作曲家により、代替あるいは挿入用のアリアが加えられたりすることもあった。しかしロマン派の半ば以降にはナンバーによる分割が廃され、各幕を通して作曲されるようになった(上演の際に慣習的なカットを行うことがある)。また、アリアとレチタティーヴォも明確には区別されなくなっていった。 [[ジングシュピール]]、[[オペラ・コミック]]、[[オペレッタ]]、[[サルスエラ]]などの様式では、レチタティーヴォ・セッコでなく台詞を用いて劇が進められる。 歌手、および歌手の演ずる役柄はそれぞれの音高(声域)で分類される。男性歌手(男声)は声域が低い順に[[バス (声域)|バス]]、[[バリトン|バスバリトン]]、[[バリトン]]、[[テノール]]、[[カウンターテナー|カウンターテノール]]に、女性歌手(女声)は声域が低い順に[[アルト]]またはコントラルト、[[メゾソプラノ]]、[[ソプラノ]]に分類される。 また、歌手の声の質も役柄との関係が深く、声質によって歌えたり歌えなかったりする役柄は多い。たとえば、[[ヴィンチェンツォ・ベッリーニ|ベッリーニ]]の『[[ノルマ (オペラ)|ノルマ]]』の題名役、[[リヒャルト・ワーグナー|ヴァーグナー]]の『[[ニーベルングの指環]]』のヴォータンやブリュンヒルデ、[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]の『[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]]』や『[[ファルスタッフ]]』の題名役の良い歌手を見いだすのはいつでも難しいとされる。 オペラは他の多くの芸術形態から成立している。基本は音楽であるが、歌と台詞が付いて演じられることから演劇の要素をも持つ。また、上演する上で重要な要素と考えられる視覚的な舞台効果を得るため、[[絵画]]の要素も用いられている。こうした理由で、[[リヒャルト・ワーグナー|リヒャルト・ヴァーグナー]]は、このジャンルを「総合芸術」(Gesamtkunstwerk)と呼んだ。 == 歴史 == === オペラの成立 === 「オペラ」(opera)という単語は[[イタリア語]]で「仕事」「作品」を意味し、この語自体は同じ意味の[[ラテン語]]「''opus''」(単数属格形 operis)の複数形主格「opera」に由来する。今日「opera」は単独で歌唱によって進行される演劇または楽曲作品を意味するが、元来は「opera musicale」(音楽的作品)と呼んだものの省略から、この語義が生じた。 [[ルネサンス]]後期の[[16世紀]]末、[[フィレンツェ]]の[[カメラータ]]により[[古代ギリシア|古代ギリシャ]]の演劇を復興しようという動きが始まった。ギリシャ悲劇を模範に、歌うような台詞を用いる劇が考えられた。今日、オペラと見なされる知られる限り最古の作品は、[[1597年]]頃の[[ヤコポ・ペーリ]]([[1561年]] - [[1633年]])による『ダフネ』(''Dafne'')であるが、作品は現存しない。<!--この作品はギリシャ古典演劇を復活させる試みとして書かれたことが知られている。-->のちのペーリの作品である『[[エウリディーチェ]]』は[[1600年]]以降に作曲されたもので、今日に残る最初のオペラ作品である。 ペーリはしばしばオペラの発明者であると考えられているが、今日でも上演される最古のオペラは[[1607年]]に[[マントヴァ]]で初演された[[クラウディオ・モンテヴェルディ]]([[1567年]] - [[1643年]])作曲の『[[オルフェオ (モンテヴェルディ)|オルフェオ]]』である。この作品では先駆者の様式に従いながらも、調性や強弱の変化による緊張感を高めた、より劇的な表現が見られる。モンテヴェルディは後に[[ヴェネツィア]]の[[サン・マルコ寺院|サン・マルコ聖堂]]で[[楽長]]の地位を得て、同地に新設された専用のオペラ劇場のために優れた作品を生み出す。この時期にはイタリア各地でオペラが上演されるようになり、[[18世紀]]にかけて[[ナポリ]]で隆盛を極めた。様式は朗唱だけでなく歌謡的なアリアの比重が高まり、伴奏の規模も拡大して、より充実した音響効果がみられるようになる。衣装や舞台装置も徐々に複雑できらびやかなものとなり、オペラ劇場は王侯貴族や富裕な市民の社交と娯楽の場としても発展した。 === オペラ・セリア === {{Main|オペラ・セリア}} もともと[[ギリシア神話を題材とした文学作品一覧|ギリシャ悲劇]]の再来を目指した当時のオペラは、後に[[オペラ・セリア]](正歌劇)と呼ばれるようになる(セリアは英語の「''serious''」の意)。題材はやはり[[ギリシア神話|ギリシャ神話]]に求められることが多いが、[[古代ローマ|ローマ時代]]などの人物を扱ったものも見られる。対立するオペラ・ブッファは喜劇であるが、セリアは悲劇とは限らない。ハッピーエンドのものも含まれており、そうした流れは後年の『トゥーランドット』などへ引き継がれている。 * [[オルフェオとエウリディーチェ|オルフェウスとエウリディケ]](既出のペーリやモンテヴェルディの他に[[クリストフ・ヴィリバルト・グルック|グルック]]など多数) * [[ディドとエネアス]]([[ヘンリー・パーセル|パーセル]]) * [[ポッペーアの戴冠]]、{{仮リンク|ウリッセの帰還|it|Il ritorno d'Ulisse in patria|en|Il ritorno d'Ulisse in patria}}(モンテヴェルディ) * [[ポントの王ミトリダーテ]]、[[イドメネオ]]、[[皇帝ティートの慈悲]]([[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]) * [[セミラーミデ]]([[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]) === オペラ・ブッファ === {{Main|オペラ・ブッファ}} これに対し、もっと世俗的な内容の作品が[[オペラ・ブッファ]](喜劇オペラ)である。もともとは、3幕もののセリアの[[幕間劇]]として演じられたコメディが独立し、規模拡大したものである。初期の幕間劇で今日まで残るものとして、[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ|ペルゴレージ]]([[1710年]] - [[1736年]])の『[[奥様女中]]』([[1733年]])がある。18世紀には独立されたジャンルとして発展し、[[ジョヴァンニ・パイジエッロ|パイジエッロ]]([[1740年]] - [[1816年]])、[[ドメニコ・チマローザ|チマローザ]]([[1749年]] - [[1801年]])、[[アントニオ・サリエリ|サリエリ]]([[1750年]] - [[1825年]])などが多数の作品を残した。中でも、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]([[1756年]] - [[1791年]])が[[ロレンツォ・ダ・ポンテ|ダ・ポンテ]]の台本に作曲した『[[フィガロの結婚]]』([[1786年]])、『[[ドン・ジョヴァンニ]]』([[1787年]])、『[[コジ・ファン・トゥッテ]]』([[1790年]])が有名である。 === グルックによるオペラ改革 === [[18世紀]]前半の[[バロック音楽|バロック時代]]後期のオペラには、ドイツ出身でイギリスで活躍した[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]([[1685年]] - [[1759年]])や、フランスの[[ジャン=フィリップ・ラモー|ラモー]]([[1683年]] - [[1764年]])などに優れた作品があったものの、本場イタリアでは、[[カストラート]]をはじめとした人気歌手たちの声と技巧をひけらかすことを第一の目的とし、筋の方は支離滅裂で珍妙なものも増え、劇としては堕落の様相を呈する傾向があった。また、バロック・オペラのスタイルも誕生から百数十年が経ち、制度疲労と硬直化を見せるようになった。そうした状況の中、18世紀後半に古典派音楽の台頭とともに登場したのが、ドイツ出身の[[クリストフ・ヴィリバルト・グルック|グルック]]([[1714年]] - [[1787年]])である。彼は、歌手のためにオペラがあるのではなく、オペラのために歌手が奉仕するような、あくまで作品とドラマの進行を第一とするような方向にオペラを再び立ち返らせ、ドラマの進行を妨げる余計な要素を一切廃したスタイルのオペラを書いた。当初は[[ハプスブルク君主国|オーストリア]]の[[ウィーン]]で、後期は[[パリ]]で活躍するが、当然のことながら旧守派と激しく衝突し、ことにパリでの争いは歴史的にも有名である(後述)。改革されたオペラの第1作は、ウィーン時代の[[1762年]]に初演された『オルフェオとエウリディーチェ』であった。パリ時代の作品には『[[オーリードのイフィジェニー]]』([[1774年]])、『{{仮リンク|包囲されたシテール (改訂版)|fr|Cythère assiégée}} 』([[1775年]])、『[[アルチェステ|アルセスト]] 』([[1776年]]改訂版)、『{{仮リンク|エコーとナルシス|en|Echo et Narcisse}}』 ([[1779年]])、『[[トーリードのイフィジェニー]]』([[1779年]])などがある。 グルックの「オペラ改革」は、後の時代に大きな影響を与えた。 === イタリア・オペラとドイツ・オペラ === 何世紀もの間、イタリア・オペラが正統派オペラの形式であり、多くのオペラは、作曲者が主に英語やドイツ語を話していたとしても、イタリア語の台本に作曲された。 18世紀においてもなお、イタリア音楽こそが最高のものであるという認識が残っており、どこの宮廷でもイタリア人音楽家をこぞって重用した。その一方で、今日名を残す多くのドイツ人作曲家が登場したが、たとえば[[クリストフ・ヴィリバルト・グルック|グルック]]はイタリア語、フランス語のオペラは書いたが、ドイツ語のオペラ作品は書いていない。また[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]は多くのオペラを書いたが、ドイツ語のオペラは1曲のみである。 19世紀に入り、ようやくドイツ圏のオペラはドイツ語で書かれる形が定着したものの、前世紀のバッハに続いて、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]、[[グスタフ・マーラー|マーラー]]と一切オペラを残さなかった大作曲家が少なくない。 一応オペラは残しているが、今日ではほとんど上演されない(ただし他分野では人気の高い)ドイツ系作曲家となると[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]、[[フランツ・リスト|リスト]]、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]がこれに加わる。 === ドイツ・オペラの誕生と興隆 === 最初の重要なドイツ語のオペラは、時代をさかのぼること17世紀前半、[[ハインリヒ・シュッツ|シュッツ]](1585年 - 1672年)の『ダフネ』(1627年)と目されているが、楽譜は現在では失われてしまっている。 17世紀後半になると、ドイツ語圏各地に宮廷劇場ができるが、1678年に[[三十年戦争]](1618年 - 1648年)の影響の少なかった[[ハンブルク]]に公開オペラハウスが建設されると、ドイツ人作曲家によるドイツ語オペラが数多く上演されるようになる。ここで活躍した作曲家には[[ヨハン・タイレ|タイレ]](1646年 - 1724年)、[[ヨハン・ジギスムント・クッサー|クッサー]](1660年 - 1727年)、[[ラインハルト・カイザー|カイザー]](1674年 - 1739年)、[[ヨハン・マッテゾン|マッテゾン]](1681年 - 1764年)などがいるが、特に有名なのは[[ゲオルク・フィリップ・テレマン|テレマン]](1681年 - 1767年)であろう。彼は18世紀前半に多くのドイツ語オペラを書き、それらは大いに人気を博した。 18世紀の後半になると、フランスの[[オペラ・コミック]]やイギリスの[[バラッド・オペラ]]の影響を受け、喜劇的な内容を持ち、レチタティーヴォの代わりに台詞の語りをもった[[ジングシュピール]]が生まれる。この様式は[[ヨハン・アダム・ヒラー|ヒラー]](1728年 - 1804年)によって完成され、その後[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]](1732年 - 1809年)や[[カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ|ディッタースドルフ]](1739年 - 1799年)によって、より音楽的に充実したものとなった。 ドイツ語オペラにおける次の重要な作曲家は[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]](1756年 - 1791年)である。中でも死の年([[1791年]])に書かれた『[[魔笛]]』は、ジングシュピールの様式による非常に優れた作品である。それまでのジングシュピールが台詞による劇の進行のところどころに歌を配した文字通りの「歌芝居」である傾向が強いのに対し、モーツァルトがウィーン時代の初期に作曲した『[[後宮からの誘拐]]』([[1782年]])は、すでに堂々たるオペラになっている(音楽が主、語りが従)。伝えられる逸話によれば、上演に接した[[神聖ローマ皇帝]][[ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ2世]]はモーツァルトに対し「音符が少々多い」と感想を述べたところ、彼は「音符はまさに必要なだけございます」と答えたという。真偽はともかく、このジャンルに対する一般の認識と、作曲者の対抗心が対比されており興味深い。そのモーツァルトも、残した作品の比率としてはイタリア語作品が多くを占めるが、様式的にもイタリアオペラの伝統とは異質なこともあり、また生まれた[[ザルツブルク]]も後年活躍した[[ウィーン]]も当時の「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」であり、モーツァルト本人も自らを「ドイツ人」であると認識しているなど([[モーツァルト#ドイツ人論議]]参照)(そもそもハイドンやベルクを含めてオーストリア・オペラという呼び方が用いられることはほとんどない)、今日ではこれらもドイツオペラの枠で論じられることが多い<ref group="注">「スタンダード・オペラ鑑賞ブック」全5巻(音楽之友社1998)、「オペラ・ガイドブック」(成美堂出版2008)、堀内 修, 石戸谷 結子編「オペラ・ハンドブック」(三省堂2009)など、オペラをイタリアオペラとドイツオペラに分けて紹介した書籍は例外なくモーツァルト全作品を後者に入れている(それ以外は国別分類をしないか、古典派として国別とは別の枠を設けている)。また、武田好「イタリアオペラに行こう」(2010年日本放送出版協会)、「イタリアの都市とオペラ」(2015年水曜社)、河野典子「イタリア・オペラ・ガイド」(星雲社2017)など、イタリアオペラ入門書の多くはモーツァルトには触れていない。</ref>。『[[ドン・ジョヴァンニ]]』は初演後100年間でドイツ圏での上演6600回に対しイタリアでの上演は200回弱にすぎず、『[[コジ・ファン・トゥッテ]]』に至っては1816年から126年間、『[[フィガロの結婚]]』も1815年から20世紀まで、総本山ミラノ・スカラ座で一度も上演が行われないなど、イタリア人はこれらの自国語作品を殆ど受け入れようとはせず、影響も受けなかった<ref>水谷 彰良「新イタリア・オペラ史」音楽之友社、2015年、162ページ。本書はイタリア語で書かれたオペラはイタリアオペラと呼ぶべきという主張からモーツァルトにも筆を割いている。</ref>。さすがに現代においては、これほど極端な拒絶は行われていないが、それでもこれらの作品は、イタリア人よりはドイツ圏の歌手や指揮者が得意とする伝統(イタリア人であっても[[リッカルド・ムーティ|ムーティ]]や[[カルロ・マリア・ジュリーニ|ジュリーニ]]のようにドイツ音楽を得意とする指揮者)が残っている。戦後しばらくのミラノ・スカラ座も、これらの作品をワーグナー作品などとともに、ドイツ・オペラ主任として迎えた[[ヘルベルト・フォン・カラヤン|カラヤン]]に任せていた。 ドイツ語オペラの流れは、19世紀に入って[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]](1770年 - 1827年)の『[[フィデリオ]]』(1814年)を生むが、真にドイツ・オペラをオペラ界の主要ジャンルとして確立させたのは[[カール・マリア・フォン・ウェーバー|ヴェーバー]](1786年 - 1826年)で、『[[オベロン (オペラ)|オベロン]]』(1826年)や『[[魔弾の射手]]』(1821年)といった作品は、[[E.T.A.ホフマン]](1776年 - 1822年)、[[ルイ・シュポーア|シュポーア]](1784年 - 1859年)や[[ハインリヒ・マルシュナー|マルシュナー]](1795年 - 1861年)の作品とともに、イタリアのセリアともブッファとも異なる[[ロマンティック・オペラ]]の特質を表しており、これはやがて[[リヒャルト・ワーグナー|ヴァーグナー]]の[[楽劇]]へと至ることになる。一方、[[アルベルト・ロルツィング|ロルツィング]](1801年 - 1851年)や[[フリードリッヒ・フォン・フロトー|フロトー]](1812年 - 1883年)らはフランスでさらに発展したオペラ・コミックをジングシュピールの伝統と融合させた、ドイツ式オペラ・コミックを創り上げた。また同じくフランスで生まれた[[オペレッタ]]は[[ウィーン]]で大衆的な支持を得て発展した。一方でヴァーグナーの登場もあり、ドイツ語圏のオペラは硬軟両面で急速に興隆していく。20世紀にかけては[[リヒャルト・シュトラウス]]がその流れを集大成し、[[アルバン・ベルク]]が現代音楽としてのドイツオペラを樹立した。これらの作家は、ヴァーグナー、初期のシュトラウス、ベルクを除くと、悲劇好みのイタリアとは異なって、なべて喜劇やハッピーエンド作品を指向しているのが、モーツァルト(彼はオペラ・セリアですらハッピーエンドを好んだ)以来のドイツオペラの大きな特徴である。また、ファンタスティックな要素への傾斜も強く、イタリアオペラには滅多に登場しない魔法 (シンデレラ物語ですらロッシーニ作品では魔法抜きに脚色されている) が、『魔笛』『魔弾の射手』『[[ヘンゼルとグレーテル (オペラ)|ヘンゼルとグレーテル]]』『[[影のない女]]』、ヴァーグナーの諸作と目白押しである。 === フランス・オペラ === イタリアで[[ナポリ楽派|ナポリ派]]オペラが発展していた17世紀半ば、フランスでは[[ジャン=バティスト・リュリ|リュリ]](1632年 - 1687年)により、フランス語で歌われる独立したフランス・オペラの伝統が創始された。この伝統は18世紀前半には[[ジャン=フィリップ・ラモー|ラモー]](1683年 - 1764年)に受け継がれ、豊かに発展した。18世紀中期になると、イタリアのオペラ・ブッファの影響をうけ、コミカルな内容を中心とし、レチタティーヴォの代わりに語りをもった[[オペラ・コミック]]が登場し、次第に人気を集めるようになる。1752年にイタリアから来たオペラ団がパリで[[ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ|ペルゴレージ]]の『[[奥様女中]]』を上演すると、ラモーに代表される伝統的フランス・オペラと、イタリアのオペラ・ブッファやその影響で生まれたオペラ・コミックのどちらが優れているかに関して知識人たちの間で大いに論争となったことがあったが、これは「[[ブフォン論争]]」と呼ばれる。この論争の後、オペラ・コミックはますます人気を高めるが、この論争で反ラモーの代表的存在だった、思想家としても有名な[[ジャン・ジャック・ルソー|ルソー]](1712年 - 1778年)は、『村の占い師』(1752年)というオペラ・コミックを書いて自らのオペラ思想を世に問うた。 1773年にドイツ出身でウィーンで活躍していたグルックがパリにやって来て、彼の「オペラ改革」をフランス・オペラに持ち込むと、今度は旧来のイタリア・オペラを支持し、イタリアの[[ニコラ・ピッチンニ|ピッチンニ]](1728年 - 1800年)を擁した「ピッチンニ派」と、グルックの新式オペラを支持する「グルック派」の間で、ブフォン論争以上の激しい争いが起き、時に武力抗争にまで発展したと言われている。 やがて18世紀後期になると、オペラ・コミックは[[フランス革命]]期の社会的風潮の影響を受けてか、喜劇的なものよりも英雄的で雄大な内容を持つものに変化し、伝統的なオペラとの違いは単にレチタティーヴォのあるなし程度になってゆく。「革命オペラ」「恐怖オペラ」「救出オペラ」などとも呼ばれることのあるこのようなオペラ・コミックの代表者には、[[フランソワ・ジョセフ・ゴセック|ゴセック]](1734年 - 1829年)、[[エティエンヌ・ニコラ・メユール|メユール]](1763年 - 1817年)、イタリア出身の[[ルイジ・ケルビーニ|ケルビーニ]](1760年 - 1842年)、などがいる。また、ドイツのオペラであるが、ベートーヴェンの『フィデリオ』もこの「救出オペラ」の一種である。後期のグルックがパリで活動したせいもあり、これらのオペラ・コミックを含めて18世紀後期のフランス・オペラはグルックの「オペラ改革」の影響を強く受けている。ケルビーニと同じくイタリア出身の[[ガスパーレ・スポンティーニ|スポンティーニ]](1774年 - 1851年)はそうしたグルックの後を継ぐような、そしてより大規模なオペラ・セリアを書き、後の[[グランド・オペラ]]の先駆となった。 19世紀前半になると、台詞による語りのないフランス・オペラは、5幕形式で[[バレエ]]を含む大規模な形式の、[[グランド・オペラ]]と呼ばれる様式となった。代表的な作曲家は[[ジャコモ・マイアベーア|マイアベーア]](1791年 - 1864年)である。[[リヒャルト・ワーグナー|ヴァーグナー]]や[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]もパリで自作を上演する際にはバレエを追加した(『[[タンホイザー]]』と『[[ドン・カルロ|ドン・カルロス]]』)。この様式の大家としてはマイアベーアが人気を博し、『[[悪魔のロベール]]』(1831年)『[[ユグノー教徒 (オペラ)|ユグノー教徒]]』(1836年)、『[[預言者 (オペラ)|預言者]]』(1849年)、『[[アフリカの女]]』(1865年)など、今日でも上演される作品を残している。他には[[ジャック・アレヴィ]](1799年 - 1862年)の『[[ユダヤの女]]』(1835年)や[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]](1803年 - 1869年)の『[[トロイアの人々]]』(1858年)、[[アンブロワーズ・トマ]](1811年 - 1896年)の『[[ハムレット (オペラ)|ハムレット]]』(1868年)、[[カミーユ・サン=サーンス]](1835年 - 1921年)による『[[サムソンとデリラ (オペラ)|サムソンとデリラ]]』(1877年)と『[[ヘンリー八世 (オペラ)|ヘンリー八世]]』(1883年)、[[ジュール・マスネ|マスネ]](1842年 - 1912年)の『[[エロディアード]]』(1881年)と『[[ル・シッド (マスネ)|ル・シッド]]』(1885年)などがある。 [[オペラ・コミック]]も19世紀前半は隆盛を極め、[[フランソワ=アドリアン・ボイエルデュー|ボワエルデュー]](1775年 - 1834年)の『[[白衣の婦人]]』(1825年)、[[ダニエル=フランソワ=エスプリ・オベール|オベール]](1782年 - 1871年)の『[[フラ・ディアヴォロ]]』(1830年)、『{{仮リンク|青銅の馬|fr| Le Cheval de bronze}}』(1835年)、『[[黒いドミノ]]』(1837年)、『{{仮リンク|王冠のダイヤモンド (オペラ)|label=王冠のダイヤモンド|en|Les diamants de la couronne}}』(1841年)、[[フェルディナン・エロルド|エロルド]](1791年 - 1833年)の『[[ザンパ]]』(1831年)、『[[プレ・オ・クレール]]』(1832年)といった人気作が生み出された。 オベールの『[[マノン・レスコー (オベール)|マノン・レスコー]]』(1856年)などの出現で、オペラ・コミックが喜劇的ではなくなってしまったので、新たな喜劇的オペラを望むパリ民衆の要望に応えて、より大衆的な通俗性や社会風刺、人気作の[[パロディー]]などを持った[[オペレッタ]]が生まれた。特に[[ジャック・オッフェンバック|オッフェンバック]](1819年 - 1880年)の『[[地獄のオルフェ]]』(『天国と地獄』、1858年)は国際的に爆発的な成功を収めた。そのほか、『[[美しきエレーヌ]]』(1864年)、『[[青ひげ (オペレッタ)|青ひげ]]』(1866年)、『[[パリの生活]]』(1866年)、『[[ジェロルスタン女大公殿下]]』(1867年)、『[[ラ・ペリコール]]』(1868年)、『[[盗賊 (オペレッタ)|盗賊]]』(1869年)など続々とヒット作を生み出した。オッフェンバックは[[ヨハン・シュトラウス2世]]にオペレッタの創作を勧め、ウィンナ・オペレッタ誕生につながっていく。 その後、オペラ・コミックの方でも[[ジョルジュ・ビゼー|ビゼー]](1838年 - 1875年)の『[[カルメン (オペラ)|カルメン]]』(1875年)、オッフェンバックの『[[ホフマン物語]]』(1880年、未完)、[[エマニュエル・シャブリエ|シャブリエ]](1841年 - 1891年)の『[[エトワール (オペラ・ブフ)|エトワール]]』(1877年)、『[[いやいやながらの王様]]』(1887年)、『{{仮リンク|教育欠如|en|Une éducation manquée}}』(1879)などの傑作が生まれている。 なお、マイアベーアとオッフェンバックは元々[[ドイツ人]]であるが、作品はあくまでパリを拠点にフランス語で書かれたため、フランス・オペラとして扱われる。ただし、オッフェンバック作品は本人の生前からウィーン上演が好評を博したこともあり、死後はドイツ語訳上演のほうが多かった時期もあったが、21世紀に入ると、[[マルク・ミンコフスキ]]らによるフランス語上演も急速に盛り返し、もともと上演の盛んだったドイツ圏とあわせ活況を呈している。目下はフランスの[[リヨン国立オペラ]]などが上演に意欲的である<ref>季刊誌「OPERA」の欧州歌劇場上演スケジュール、雑誌「[[音楽の友]]」の海外ニュースなど</ref>。なお、生地ケルンにはオッフェンバック歌劇場まで作られた。 19世紀前半に圧倒的人気を誇ったグランド・オペラも、「あらゆるオペラの命とりともいうべき流行の変遷」などから<ref>『オペラ史(下)』P476~477</ref>、1850年頃により内面的な叙情性をもった{{仮リンク|ドラム・リリク|fr|Drame lyrique|de|Drame lyrique}}が現れる。[[シャルル・グノー|グノー]](1818年 - 1893年)と[[アンブロワーズ・トマ|トマ]]がその代表である。典型的な例として、グノーは『[[ファウスト (グノー)|ファウスト]]』(1859年)、トマには『[[ミニョン]]』(1866年)、[[エルネスト・ショーソン]](1855年 - 1899年)の『[[アルテュス王]]』(1895年)などがある。 この他によく上演されるフランスのオペラ作品として、[[ジュール・マスネ|マスネ]]の『[[マノン (オペラ)|マノン]]』(1884年)、『[[ウェルテル (オペラ)|ウェルテル]]』(1892年)、『[[タイス (オペラ)|タイス]]』(1894年)、『[[ドン・キショット]]』(1910)、[[ギュスターヴ・シャルパンティエ|シャルパンティエ]](1860年 - 1956年)の『[[ルイーズ (オペラ)|ルイーズ]]』(1900年)、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]](1862年 - 1918年)の『[[ペレアスとメリザンド (ドビュッシー)|ペレアスとメリザンド]]』(1902年)、[[モーリス・ラヴェル]](1875年 - 1937年)の『[[スペインの時]]』(1911年)、『[[子供と魔法]]』(1925年)、[[フランシス・プーランク]](1899年 - 1963年)の『[[カルメル派修道女の対話]]』(1957年)などがある。 === 19世紀前半のイタリア・オペラ === 19世紀ヨーロッパの音楽界では、[[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]](1792年 - 1868年)が『[[セビリアの理髪師]]』(1816年)、『[[アルジェのイタリア女]]』(1813年)、『[[チェネレントラ]]』(シンデレラ、1817年)などのオペラ・ブッファを量産するなど、引き続きイタリア・オペラが主流の座を占めた。ウィーンでもベートーヴェンはロッシーニの人気の足元にも及ばぬ状況であった。またオペラ・セリア様式の作品も、題材がギリシャ古典から中世以降の時代に下っても悲劇としては一貫しており、[[ガエターノ・ドニゼッティ|ドニゼッティ]](1797年 - 1848年)の『[[アンナ・ボレーナ]]』([[アン・ブーリン]]、1830年)、『マリア・ストゥアルダ』([[メアリー (スコットランド女王)|メアリー・スチュアート]]、1834年)、『[[ランメルモールのルチア]]』(1835年)などが知られる。[[ヴィンチェンツォ・ベッリーニ|ベッリーニ]](1801年 - 1835年)もまた『[[清教徒 (オペラ)|清教徒]]』(1835年)、『[[ノルマ (オペラ)|ノルマ]]』(1831年)、『[[カプレーティとモンテッキ]]』(1830年)などのセリアの作曲で知られる。もっとも、ドニゼッティはブッファの傑作『[[愛の妙薬]]』(1832年)でも有名であり、ロッシーニも『[[タンクレーディ (ロッシーニ)|タンクレーディ]]』(1813年)、『[[オテロ (ロッシーニ)|オテロ]]』(1816年)、『[[湖上の美人]]』(ウォルター・スコット原作)(1819)、『[[セミラーミデ]]』([[ヴォルテール]]原作)(1823)といったセリア作品や、『[[泥棒かささぎ]]』(1817年)といったセミ・セリア作品及び『[[ウィリアム・テル (オペラ)|ギヨーム・テル]]』([[フリードリヒ・フォン・シラー|シラー]]原作、1829年)でも評価を得ている。 {{Anchors|楽劇}} {{Anchors|ヴァーグナー}} {{Anchors|ワーグナー}} === ヴァーグナー === オペラの発展は、ドイツでは[[リヒャルト・ワーグナー|ヴァーグナー]](ワーグナー、1813年 - 1883年)、イタリアでは[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]](1813年 - 1901年)によって、19世紀に最も劇的な段階を迎えた。 ヴァーグナーは、[[通奏低音]]で伴奏される比較的小音量の[[レチタティーヴォ]]に、フルオーケストラ伴奏によるアリアがところどころ挿入され、アリアの終了の度に熱心な聴衆の拍手喝采により演奏が中断されるという、伝統的なオペラの形式を拒んだ。代わって、レチタティーヴォとアリアが混然一体となり、また常にオーケストラにより伴奏されるという、通して歌われる様式を導入した先駆者となった(このため拍手は幕間にだけ行われるようになった)。さらにヴァーグナーは[[ライトモティーフ]]を大々的に使用した。ライトモティーフは、かつて[[カール・マリア・フォン・ウェーバー|ヴェーバー]]の使用例もあるが、物語中の登場する登場人物、道具や概念などを音楽で描こうという音楽的な工夫である。例えばある人物が舞台に登場するときや、舞台にいなくても他の登場人物がその人物について触れるときに、その人物を表すライトモティーフを奏でることで、あたかも映像を見ているような描写的効果を得ている。 ヴァーグナーはまた、「[[楽劇]]」(独Musikdrama, 英Music drama)とよばれる独特のオペラで作品の大規模化ももたらした。最初の楽劇である『[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]』(1859年)は、ただ単にオペラを革新したのみならず、その革新的和声語法は調性の崩壊へと道を開いた意味で、西洋音楽史全体から見ても非常に重要な作品である。 より重厚な響きを求めて大編成化したオーケストラに歌唱が埋没せぬよう、聴衆が舞台のみに集中して鑑賞するように、ヴァーグナーは自分自身の作品を上演する専用の劇場を必要とするに至り、[[バイエルン王国|バイエルン]]王[[ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ2世]]からの資金援助を受けて、オーケストラ・ピットを舞台の下に押し込めるという特異な構造の[[バイロイト祝祭劇場]]を建設した。そこで上演される『[[ニーベルングの指環|ニーベルングの指輪]]』(1854年、1856年、1871年、1874年)は、4つの楽劇の連作という巨大作品で、4夜を費やして演奏される。通して観ると約15時間程になり、空前の大規模作品であった(現在は[[カールハインツ・シュトックハウゼン|シュトックハウゼン]]の『光』という1週間を要する作品があり、規模の上ではこれを上回る)。 ヴァーグナーの楽劇の題材は北欧神話や中世の物語を扱っており、その意味では[[#オペラ・セリア|オペラ・セリア]]の延長線上にあるともいえる。中世ドイツの[[マイスター]](職人の親方たち)を題材にした『[[ニュルンベルクのマイスタージンガー]]』(1867年)は唯一の喜劇的作品であるが、ロッシーニの喜劇に比べるとはるかに生真面目ともいえる。 === ヴェルディ === [[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]はヴァーグナーのような音楽の革命家ではなかったが、オペラ・セリアの伝統的形式を継承発展させる形で作曲した。彼のオペラの登場人物は、まだ市井の一般人ではないが、神話的人物や叙事詩的英雄というわけでもなく、現代的な(彼の同時代という意味で)オペラ・セリアを再構築したということもできる。彼は初期の作品で、イタリア独立運動を支持する人々の愛国心を高揚させて大いに支持を受けた。ついで、登場人物の人間性に鋭く迫って劇的に表現する作風を確立し、音楽としてもドラマとしても完成度の高い中期の傑作群を創作した。1850年代に彼の最も有名なオペラ3作品、『[[リゴレット]]』、『[[イル・トロヴァトーレ]]』、『[[椿姫 (オペラ)|椿姫]]』を生み出した。グランド・オペラ風の『[[アイーダ]]』(1871年)と(オペラではないが)『[[レクイエム (ヴェルディ)|レクイエム]]』(1874年)を最後に一旦リタイアした後、作曲家[[アッリーゴ・ボーイト|ボーイト]](1842年 - 1918年)らのすすめで再度筆をとり、晩年の傑作『[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]]』(1887年)、『[[ファルスタッフ]]』(1893年)を残した。 === ヴェリズモ・オペラ === [[ヴェリズモ・オペラ]]は、イタリアで発生した[[ヴェリズモ]]文芸運動がオペラに波及したものと見ることも、[[自然主義文学]]のオペラへの影響と見ることもできる。そこでは市井の人々の生活が、病苦・暴力といった暗部をも含む形で描写される。[[ピエトロ・マスカーニ|マスカーニ]](1863年 - 1945年)の『[[カヴァレリア・ルスティカーナ]]』(1890年)は、[[シチリア]]の小村における悲劇であり、ヴェリズモ・オペラの初期の傑作である。また[[ルッジェーロ・レオンカヴァッロ|レオンカヴァッロ]](1857年 - 1919年)の『[[道化師 (オペラ)|道化師]]』(1892年)では、現実と仮想世界との区別の付かなくなった道化師カニオが舞台上で妻を殺してしまう。この傾向のオペラは1890年代から20世紀初頭にかけて多くの模倣・追随者を生んだ。 === ロマン派オペラの終焉 === 19世紀終盤から、20世紀初頭にかけて、ロマン派オペラはヴェルディ、ヴァーグナーを受け継ぎ、最後の花を咲かせる。ドイツの[[リヒャルト・シュトラウス]](1864年 - 1949年)は、『[[サロメ (オペラ)|サロメ]]』(1905年)、『[[エレクトラ (リヒャルト・シュトラウス)|エレクトラ]]』(1908年)で大きな反響を得た。前者の官能を刺激する色彩的な音楽は賛否両論を生み、後者の大胆な和声は伝統的な響きに慣れ、それらを好む聴衆からは猛反発を受けた。しかし、シュトラウスのオペラ作家としての地位は固まり、詩人[[フーゴ・フォン・ホーフマンスタール|ホフマンスタール]]とともに様々な新機軸を出した。後年、円熟した擬古的な作風の『[[ばらの騎士]]』(1910年)、『[[ナクソス島のアリアドネ]]』(1912年)、『[[アラベラ (オペラ)|アラベラ]]』(1932年)などで音楽的完成度と大衆的な人気をともに確保して、モーツァルト・ヴァーグナーと並ぶ「ドイツの3大オペラ作曲家」と呼ばれるようになった。しかし、晩年の作品はロマン派の最盛期を過ぎた、残照のような位置づけであることは否めない。他にドイツ・ロマン派の最後を飾るオペラとしては、『[[ヘンゼルとグレーテル (オペラ)|ヘンゼルとグレーテル]]』(1893年)で知られる[[エンゲルベルト・フンパーディンク|フンパーディンク]](1854年 - 1921年)や、リヒャルト・ヴァーグナーの息子[[ジークフリート・ヴァーグナー]](1869年 - 1930年)による[[メルヘン・オペラ]]({{lang-de-short|Märchenoper}})、またそれ以外に[[ハンス・プフィッツナー|プフィッツナー]](1869年 - 1949年)の作品がある。また、ドイツ・ロマン派と近代のオペラの架け橋的存在として、[[アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー|ツェムリンスキー]](1871年 - 1942年)、[[フランツ・シュレーカー|シュレーカー]](1878年 - 1934年)、[[エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト|コルンゴルト]](1897年 - 1957年)がいるが、このうちシュレーカーとコルンゴルトは、当時はシュトラウスに匹敵する人気を誇っていた。 イタリアの[[ジャコモ・プッチーニ]](1858年 - 1924年)は、ヴェリズモ・オペラの影響を受けつつも、イタリア・オペラの伝統に沿った作品を書いた。彼は庶民的な題材と美しいメロディをほどよくバランスさせ、親しみやすい中にも完成度の高い作品群を作って人気を博した。出世作『[[マノン・レスコー (プッチーニ)|マノン・レスコー]]』(1893年)と続く『[[ラ・ボエーム (プッチーニ)|ラ・ボエーム]]』(1896年)は好評をもって迎えられ、彼の地位を確立した。『[[トスカ]]』(1900年)で頂点に立った後、『[[蝶々夫人]]』(1904年)では歴史的な失敗を喫したが、今日ではあらゆるオペラの中でも人気の高い作品として知られるようになった。 R.シュトラウスとプッチーニは、ロマン派のオペラの幕を引いたといってよいが、後者はより[[印象主義音楽|印象主義的]]な語法が濃圧である。その後、演劇と音楽が協調してできたオペラの役割は[[映画]]、あるいは今日では[[テレビ]]が担うことになる。 === 諸国の国民的オペラ === [[ロシア]]の[[国民主義]]のオペラは[[ミハイル・グリンカ|グリンカ]](1804年 - 1857年)により創始され、[[ロシア5人組]]の作曲家たちによって継承発展された。[[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]](1839年 - 1881年)の『[[ボリス・ゴドゥノフ (オペラ)|ボリス・ゴドゥノフ]]』(1874年)、[[アレクサンドル・ボロディン|ボロディン]](1833年 - 1887年)の『[[イーゴリ公]]』(1890)は名高い。また、[[ニコライ・リムスキー=コルサコフ|リムスキー=コルサコフ]](1844年 - 1908年)は『[[金鶏]]』(1907年)、『[[サトコ (オペラ)|サトコ]]』(1898年)など多数の作品を残した。[[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]](1840年 - 1893年)は『[[エフゲニー・オネーギン (オペラ)|エフゲニー・オネーギン]]』(1878年)や『[[スペードの女王 (オペラ)|スペードの女王]]』(1890年)で知られるが、バレエ音楽とともにむしろ西欧風の作品といえる。[[20世紀]]に入ると、[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ|ショスタコーヴィチ]](1906年 - 1975年)が『[[ムツェンスク郡のマクベス夫人]]』(1934年)という近代オペラの傑作に数えられる作品を生んだ。 [[チェコ]]では19世紀後半に、ヴァーグナーの強い影響を受けていた[[ベドルジハ・スメタナ|スメタナ]](1824年 - 1884年)が国民主義オペラを書き、[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルジャーク]](1841年 - 1904年)、[[レオシュ・ヤナーチェク|ヤナーチェク]](1854年 - 1928年)がその流れを引き継いだ。スメタナは『[[売られた花嫁]]』(1863年)、『[[リブシェ (オペラ)|リブシェ]]』(1872年)が知られている。ドヴォルジャークは『[[ルサルカ (ドヴォルザーク)|ルサルカ]]』(1901年)が有名だが、他にも多くのオペラを書いている。ヤナーチェクの『[[イェヌーファ]]』(1904年)、『[[利口な女狐の物語]]』(1924年)、『{{仮リンク|死者の家から|de|Aus einem Totenhaus|en|From the House of the Dead}}』(1930年)などは、20世紀に入って完成された作品だけあって、より近代的な感覚のオペラとなっている。 スペインでは[[サルスエラ]]として知られる、民族音楽風味を取り入れた独自様式のオペラが作られた。これはフランスやドイツ・オーストリアのオペレッタに近い位置づけである。[[イサーク・アルベニス|アルベニス]](1860年 - 1909年)や[[マヌエル・デ・ファリャ|ファリャ]](1876年 - 1946年)も作品を残している。『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『ドン・カルロ』『セビリアの理髪師』『カルメン』『フィデリオ』『パルジファル』『愛の妙薬』と、錚々たる人気オペラの舞台となってきたスペインだが、自国からこれらに匹敵する国際的人気作品は生み出していない。 アメリカ合衆国でも、ようやく[[20世紀]]に入ってから[[ジョージ・ガーシュウィン|ガーシュウィン]](1898年 - 1937年)、[[ジャン=カルロ・メノッティ|メノッティ]](1911年 - 2007年)らの活動により独自のオペラが創作されていった。 === 近代のオペラ === 20世紀前半の先駆的なオペラは、当初は[[バルトーク・ベーラ|バルトーク]](1881年 - 1945年)の『[[青髭公の城]]』(1911年)や[[パウル・ヒンデミット|ヒンデミット]](1895年 - 1963年)の『{{仮リンク|殺人者、女達の望み|en|Mörder, Hoffnung der Frauen}}』(1919年)のような[[表現主義]]の傾向を持っていたが、[[第一次世界大戦]]が終了してその影響が消え、平和な発展の時代を迎えると、[[新古典主義音楽|新古典主義]]の台頭とともに、ドイツでは「{{仮リンク|時事オペラ|en|Zeitoper}}」というスタイルのオペラが興った。表現主義オペラが個人の内面的葛藤を中心に描くのに対し、時事オペラは現代の平凡な日常生活における人間関係を客観的に、醒めた視点から[[異化]]の手法なども交えて描くもので、[[ジャズ]]や[[カバレット]]、[[レヴュー (演芸)|レヴュー]]といった当時の大衆音楽、芸能の要素も取り入れられ、従来のオペラというジャンルを超えるような面も持っていた。代表的な例の一つである[[エルンスト・クルシェネク|クルシェネク]](1900年 - 1991年)の『[[ジョニーは演奏する]]』(1927年)はウィーンで大ヒットし、他に[[クルト・ヴァイル|ヴァイル]](1900年 - 1950年)の『{{仮リンク|マハゴニー市の興亡|de|Aufstieg und Fall der Stadt Mahagonny|en|Rise and Fall of the City of Mahagonny}}』(1927年)、『[[三文オペラ]]』(1928年)、ヒンデミットの『{{仮リンク|行ったり来たり|en|Hin und zurück}}』(1927年)、『{{仮リンク|今日のニュース (オペラ)|de|Neues vom Tage|en|Neues vom Tage}}』(1929年)などがある。 その後、時事オペラの流行が終わると、ヒンデミットは『[[画家マティス (オペラ)|画家マティス]]』(1935年)、『{{仮リンク|世界の調和|de|Die Harmonie der Welt|en|Die Harmonie der Welt}}』(1957年)という、より生真面目な内容のオペラを残している。 また、[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]](1882年 - 1971年)は新古典主義時代に『[[夜鳴きうぐいす (ストラヴィンスキー)|夜鶯]]』(1914年)、『[[エディプス王 (ストラヴィンスキー)|エディプス王]]』(1927年)、『[[放蕩児の遍歴|放蕩者のなりゆき]]』(1951年)といったオペラを書いている。[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]](1891年 - 1953年)は亡命時代に新古典主義と斬新なモダニズムのスタイルによる『[[三つのオレンジへの恋]]』(1919年)を書いたが、ソ連帰国後は[[社会主義リアリズム]]的傾向を持った『[[セミョーン・コトコ]]』(1939年)や、大規模な大作『[[戦争と平和 (オペラ)|戦争と平和]]』(1943年、第5版1952年)を残している。 === 新ウィーン楽派のオペラ === いわゆる「[[新ウィーン楽派]]」の作曲家のオペラには、完成された作品としては[[アルバン・ベルク|ベルク]](1885年 - 1935年)の『[[ヴォツェック]]』(1925年)、[[アルノルト・シェーンベルク|シェーンベルク]](1874年 - 1951年)には『[[期待 (オペラ)|期待]]』(1909年)、『{{仮リンク|幸福な手|en|Die glückliche Hand}}』(1913年)、時事オペラの影響を受けた最初の[[十二音技法]]によるオペラ『{{仮リンク|今日から明日へ|en|Von heute auf morgen}}』(1929年)があるが、更に未完の作品である前者の『[[ルル (オペラ)|ルル]]』や後者の『[[モーゼとアロン]]』等の無調、十二音技法のオペラが、戦後のドイツ・オペラの発展や、のみならずイタリアの[[ルイージ・ダッラピッコラ|ダッラピッコラ]]や[[ルイジ・ノーノ|ノーノ]]らのオペラに与えた影響は計り知れない。『今日から明日へ』は1幕物の作品であるが、大規模で本格的なオペラで十二音技法による最初のものは、[[エルンスト・クルシェネク|クルシェネク]]の『{{仮リンク|カール5世 (オペラ)|label=カール5世|de|Karl V. (Oper)}}』(1933年)で、これは時々上演される。 === 戦後オペラ史 === [[第二次世界大戦]]後、前衛の世代はオペラの創造に極度に禁欲的な姿勢で臨むことになる。[[ピエール・ブーレーズ|ブーレーズ]]や[[ヤニス・クセナキス|クセナキス]]などの前衛作曲家は、規模も大きく、経済的事情と手間暇のかかるオペラというジャンルに否定的な姿勢を見せた。その一方で、[[ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ]](1926年 - 2012年)は『{{ill|鹿の王 (オペラ)|label=鹿の王|en|König Hirsch}}』(1955年、改訂版1963年)、『[[若き貴族]]』(1964年)、『[[バッカスの巫女たち]]』(1965年)など、多くのオペラを書いている。ただし、彼のオペラ創作はあくまで同時代の音楽語法を自由に用いつつ19世紀的作劇法によった伝統的スタイルのオペラ、といったものであったため、現代音楽の愛好家よりも伝統的なオペラの愛好家に受け入れられた。 このほか、前衛の時代に書かれた最も重要なオペラの1つとして、[[ベルント・アロイス・ツィンマーマン]](1918年 - 1970年)の『[[兵士たち]]』(1965年)が挙げられる。 また、声楽家が積極的に現代音楽にかかわるという[[キャシー・バーベリアン]]のようなケースも稀であった。しかし、徐々に無調などの現代声楽法に通じた歌手が登場してくる。そして前衛の時代が終わり、前衛の世代に経済的基盤が出来たことを背景に、オペラという概念を「[[音楽劇]]」:Musiktheaterという側面から、作曲家一人一人が個別に考える時代に入った。 * [[ルイジ・ノーノ|ルイージ・ノーノ]](1924年 - 1990年)のように、いくつかの試行を経て出された政治的オペラの『不寛容』ののち「耳で聞く悲劇」という様式へ収斂させた『プロメテオ』(1982年)。 * 数々の演奏家が別々に個別の音楽を奏でる「ミュジ・サーカス」というアイデアが存分に生かされた、[[ジョン・ケージ]](1912年 - 1992年)の『ユーロペア1-5』は過去のオペラの断片の集合体という組み合わせである。 * 一方[[フランス]]の[[オリヴィエ・メシアン]](1908年 - 1992年)は、『[[アッシジの聖フランチェスコ (メシアン)|アッシジの聖フランシスコ]]』(1983年)によって、ヴァーグナーの『[[パルシファル]]』の延長線上とも言える巨大な宗教的神秘オペラを創作した。神秘オペラは次にシュトックハウゼンに引き継がれることになる。 * 演出、衣装、振付、作曲、演技全てを一人で管轄し、[[レオナルド・ダ・ヴィンチ|ダ・ヴィンチ]]型才能を駆使する[[シルヴァーノ・ブッソッティ]](1931年 - )の『ロレンザッチョ』(1968年 - 1972年)。 * [[フィリップ・グラス]](1937年 - )の[[ミニマル音楽]]による最初期のオペラ『[[浜辺のアインシュタイン]]』(1976年)は、明確な筋を持っておらず、歌詞が「ドレミファソラシ」で歌われる。また音楽は、聴衆の入場が許される数時間も前から始まって、事実上聴けない音楽が奏される。 * [[リゲティ・ジェルジュ|リゲティ]](1923年 - 2006年)は自作の唯一のオペラ『[[ル・グラン・マカーブル]]』(1977年、第2稿1996年)で「地球最後の日」という[[サイエンス・フィクション|SF]]的な素材を現代風の歌劇にアレンジすることに成功した。 * 「オペラはストラヴィンスキーで終わった。これからは音楽が劇を操作する“音楽劇”でなくてはならない」という欲望を実らせた[[ルチアーノ・ベリオ]](1925年 - 2003年)の『オウティス』。 * 25年以上をかけて1週間かかる長大な自叙伝的オペラを完成させた[[カールハインツ・シュトックハウゼン]](1928年 - 2007年)の『光』(1977年 - 2003年)は歌手のみならず、器楽奏者も主役になる。また、この連作は後の作品になるほど明確な粗筋は見られなくなる。 * 人造言語に基づき、原言語の意味を過激なパフォーマンスで問う[[ハンス・ヨアヒム・ヘスポス]]の『イオパル』。彼の器楽作品は音を出さない演技や行為も音楽として扱い、のちに[[ハンス・ツェンダー]]や[[ロルフ・リーム]]に引き継がれるが。これを[[マウリシオ・カーゲル]](1931年 - )の諸器楽作品と同じく「ムジーク・テアター」として扱う音楽学者もいる<ref>''dtv-Atlas zur Musik、Deutscher Taschenbuch Verlag''、日本語訳は白水社から出ている。</ref>。 * 世紀末が近づくと[[モートン・フェルドマン]](1926年 - 1987)が1977年、[[サミュエル・ベケット]]の台本にもかかわらずケージと同じ完全なアンチ・オペラに仕立てた“''Neither''「・・・でもなく」”に始まり、1980年代後半から1990年代にかけて初演された[[アドリアーナ・ヘルツキー]]の『[[ルル (オペラ)|ルル]]』の焼き直しに近い『[[ブレーメンの自由]]』や[[ヘルムート・ラッヘンマン]](1935年 - )の[[特殊奏法]]の総体系に近い『[[マッチ売りの少女]]』(1997年)は、電子音を含むすべての現代作曲技法の使用や筋書きなしの台本の使用、従来のイディオムの徹底的な不使用など、21世紀のオペラのあり方を先取りするようになった。 しかし、以前同様に台本ありのオペラを書く作曲家の層も厚く、両者の拮抗が21世紀に入っても続くと見られている。近年でも[[暗譜]]不可能な場合はボーカル・スコアを読みながら舞台に立つ歌手も多く、この点に関しても賛否両論に割れている。近年のシュトックハウゼンは厳格に「暗譜」を指示しているが、これは視覚的にも大きな効果を上げる一方、大量の練習時間を必要とし、肉体的疲労も大きい。 オペラ創造をライフワークにするといった[[カールハインツ・シュトックハウゼン|シュトックハウゼン]]や[[松平頼暁]](1931年 - )、ヘンツェのような存在も、世界中何名か見られる。 == オペラビジネスの変化 == 昔は移動に時間がかかり自由に往来できなかったので、歌劇場と歌手が契約すると、その歌劇場で歌うのが原則だった<ref>野村三郎「ウィーン国立歌劇場 すみからすみまで」18ページ音楽之友社、2014年</ref>。 [[グスタフ・マーラー|マーラー]]が[[ウィーン国立歌劇場]]に登場した当時は、同じ演目の舞台で、歌手Aはイタリア語、歌手Bはドイツ語、歌手Cはフランス語で歌う(それぞれの歌手の母国語)で歌う、といったことがまかり通っていた<ref>野村三郎「ウィーン国立歌劇場 すみからすみまで」音楽之友社、2014年、106ページ。</ref>。 スター歌手中心のオペラから、マーラーはオペラそのものを生かす歌手の配役に改革していき、聴衆も彼を支持していった<ref>野村三郎「ウィーン国立歌劇場 すみからすみまで」音楽之友社、2014年、107ページ。</ref>。 マーラーは[[序曲]]を含むオペラ上演中の客席入場を禁じた。それまでの歌劇場は上流階級の社交場で、ドレスでロビーをいろどって開演時間を過ぎて客席に着く事が多かった<ref>野村三郎「ウィーン国立歌劇場 すみからすみまで」117ページ音楽之友社、2014年。</ref>。 マーラーは原語主義を導入していった<ref>野村三郎「ウィーン国立歌劇場 すみからすみまで」音楽之友社、2014年、129ページ。</ref>。 [[ヘルベルト・フォン・カラヤン|カラヤン]]以後、字幕付き原語上演が主流になり<ref>野村三郎「ウィーン国立歌劇場 すみからすみまで」音楽之友社、2014年、181ページ。</ref>、ジェット旅客機などの交通機関が発達すると、世界のトップ歌手は劇場専属になるより有力な音楽[[エージェント]]と契約し、世界中の歌劇場にメインキャストで出演する為にジェット機で飛び回るようになり、歌劇場のレパートリーシステムは綻びた<ref>野村三郎「ウィーン国立歌劇場 すみからすみまで」音楽之友社、2014年、30ページ。</ref>。 歌劇場専属は中堅歌手が主流になっている<ref>野村三郎「ウィーン国立歌劇場 すみからすみまで」音楽之友社、2014年182ページ。</ref>。 ==近年のオペラをめぐる各国の状況== ===ドイツ語圏=== [[File:Erneuerte Fassadenbeleuchtung des Nationaltheaters München 2017.jpg|thumb|260px|[[バイエルン国立歌劇場]]]] [[File:Komische Oper Berlin interior Oct 2007 Bühne.jpg|thumb|260px|[[ベルリン・コーミッシェ・オーパー]]]] [[File:Vienna Opera Ball 27 February 2014 05.JPG|right|thumb|260px|[[ヴィーナー・オーパンバル]]]] 現在、ドイツはカンパニーを持つ歌劇場だけで全国80箇所を擁し、次点イタリアの3倍の上演数を誇る(オーストリアとスイスの同言語圏を合算するとさらに膨れ上がる)、世界随一のオペラ大国である。しかも、各歌劇場のカンパニーは大規模なものが多く、フランス、アメリカ、イギリスには各一箇所、イタリアにも一桁の歌劇場にしかない四管編成常備のフルオーケストラを三十以上の歌劇場が擁している。 歌手たちは膨大な歌曲や宗教音楽を併せてレパートリーとすることが多く、ドイツ圏出身者にとどまらず、歴史的に縁の深い中欧・東欧系、言語的に親和性の高い(同時にメジャーな自国語オペラに乏しい)北欧、英米系のドイツ語歌手を多く育てている(これに対し南欧や中南米の人材は比較的イタリア志向が強い)。ヴァーグナー歌手として鳴らした{{仮リンク|レジーヌ・クレスパン|fr|Régine Crespin|en|Régine Crespin}}らフランス人のドイツオペラ歌手も少なくなく、イタリア人もさすがにドイツオペラを得意とする人材は多くないものの、イタリアオペラ要員として滞独する歌手が目立つ。いわばドイツ圏は世界中のオペラ人材の集結地となっており、合唱団員や管弦楽団員も含め日本人の滞在も少なくない。20世紀以降はこのようにオペラ市場におけるドイツの独占化が進んだこともあり、18世紀とは逆に[[ジャン=カルロ・メノッティ|メノッティ]]、[[ジュゼッペ・シノーポリ|シノーポリ]]らイタリア出身の作曲家がドイツ語オペラを執筆するケースも多くなっている。 ===イタリア=== 歌劇場の数はドイツに次ぎ、オペラ発祥の地の面目を保っているが、スタジオーネ・システム主流の国柄もあって上演数は少なく、管弦楽団や合唱団などカンパニーを全く持たない建物だけの施設も少なくない。特に財政難による経営不安定化が長年全土を覆っており、2015年には[[ローマ歌劇場]]がいったん専属者全員の解雇を発表するという衝撃的な事態も発生した。 2023年、イタリアのオペラ歌唱の慣習は[[ユネスコ]]の[[無形文化遺産]]に登録された<ref>{{Cite web |title=UNESCO - The practice of opera singing in Italy |url=https://ich.unesco.org/en/RL/the-practice-of-opera-singing-in-italy-01980 |website=ich.unesco.org |access-date=2023-12-09 |language=en}}</ref>。 ===フランス=== [[File:Façade Ouest de l'Opéra Garnier (2014).jpg|thumb|260px|パリ・[[オペラ・ガルニエ]]]] フランスでは戦後しばらくは政府の補助削減などで大きく低迷していた時期もあるが、現在は[[パリ国立オペラ|パリ・オペラ座]]や[[リヨン歌劇場]]などを中心にかなり活発な上演状況を呈している。フランスオペラが得意なのは当然として、イタリア、ドイツの両オペラ大国に等距離を保ち、どちらの作品でも違和感の少ない上演を行えるのが強みである。ただ、ドイツ人やイタリア人のようにフランス人オペラ歌手が自国語のみで国際的に活躍することは難しく、[[ジェラール・スゼー]]、レジーヌ・クレスパン、[[ナタリー・デセイ]]ら、大歌手の多くはドイツ語歌唱にも長けている。 ===スペイン語圏=== 言語的に親和性のあるイタリアオペラを中心に歌手を豊富に輩出しており、特に近年のテノール歌手においては南米のスペイン語圏を併せるとイタリア人を上回る勢いである。スペインでの上演も[[テアトロ・レアル|マドリード王立劇場]]、[[リセウ大劇場]]などを中心にかなり盛んであり、南米でもブエノスアイレスの[[テアトロ・コロン|コロン劇場]]などは建物の豪華さで有名である。ただし、[[マヌエル・デ・ファリャ|ファリャ]]作品や[[サルスエラ]]などのスペイン語オペラは諸外国で浸透しているとは言い難い。 ===イギリス=== [[ロイヤル・オペラ・ハウス]]は長い歴史を持ちよく知られている存在である。英語によるオペラ上演は、この言語の世界に占める勢力とは比べ物にならないほど極少な状態だが、[[イングリッシュ・ナショナル・オペラ]](ロンドン)は英語による訳詞上演主義を貫いている。 ===アメリカ=== [[File:Before the Opera begins.jpg|thumb|260px|[[メトロポリタン歌劇場]]内部]] ロバート・ターンブル『世界のオペラハウス』(音楽之友社1989)によると、アメリカ合衆国で常設歌劇場としての公演回数が記されているのは[[メトロポリタン歌劇場]]、[[ニューヨーク・シティ・オペラ]]、[[シカゴ・リリック・オペラ]]、[[サンフランシスコ・オペラ]]の4箇所程度であり、他は公演数が年間十数回と音楽祭程度の規模しか上演が行われておらず、人口規模や国土面積に比してオペラ受容は盛んとはいえない。このうちニューヨーク・シティ・オペラは2014年に一度破産し、その後は後者のカテゴリに属する状態としてしか(2017~2018年シーズンは公演数24日間)活動再開できていない。メトロポリタン歌劇場は舞台装置と歌手の顔ぶれの豪華さにより、欧州トップクラスの歌劇場に伍する存在感を示している。 == 日本での歴史 == <!---日本では、桃山時代-江戸時代初期にオペラが上演されていたが、これは全く根付かなかった。---> 日本における最も古いオペラ上演としては、[[江戸時代]]の1820年に長崎の[[出島]]で[[エジーディオ・ロムアルド・ドゥーニ]]のフランス語[[オペラ・コミック]]『{{仮リンク|二人の猟師とミルク売り娘|fr|Les Deux Chasseurs et la Laitière}}』がオランダ人によって上演された記録がある<ref>[http://www.iaml.jp/newsletter23.html 江戸時代の日本で歌われたオランダ歌曲] - International Association of Music Libraries, Archives and Documentation Centres Japanese Branch</ref>。 [[明治]]時代に入り、[[1875年]]、アジアツアーをしていた Maria Palmieri(1840 - 1890)と妹の Alice Persiani が日本に立ち寄り、横浜の[[ゲーテ座]]で9月13日から10月7日にかけて4回、東京では蓬莱社(10月2日)、[[工学寮]]小学館(10月9日)、[[皇居]](10月中旬以降)、[[第一国立銀行]]、[[浜御殿]]で衣装と演技付きのオペラ歌唱コンサートを行った<ref>[https://research.gold.ac.uk/id/eprint/22060/1/Matsumoto%20GIOVANNI%20VITTORIO%20ROSI'S%20MUSICAL%20THEATRE.pdf GIOVANNI VITTORIO ROSI'S MUSICAL THEATRE:OPERA, OPERETTA, AND THE WESTERNISATION OF MODERN JAPAN1] p.9</ref>。同1875年にはアルト歌手の{{仮リンク|ダーリヤ・レオーノヴァ|ru|Леонова, Дарья Михайловна}}も来日している。レオーノヴァの公演は10月29日と11月10日に[[横浜町会所]]で催された{{Sfn|増井|1984|pp=18-21|loc=二人の世界的プリマ・ドンナが続いて来日した}}。舞台演出を伴った歌劇としてのオペラ上演は[[1894年]][[11月24日]]に[[東京音楽学校 (旧制)|東京音楽学校]](現在の[[東京芸術大学]]音楽学部)[[旧東京音楽学校奏楽堂|奏楽堂]]で、[[オーストリア=ハンガリー帝国|オーストリア=ハンガリー]]大使館職員により『[[ファウスト (グノー)|ファウスト]]』第1幕が上演され、これが現在日本で行われているオペラの原点となった。管弦楽は宮内省楽部、合唱は音楽学校生であった。 さらに[[1903年]]、東京音楽学校・[[東京大学|東京帝国大学]]の教師らの指導の下に、グルックの『オルフェウス(オルフェオとエウリディーチェ)』が上演された{{Sfn|増井|1984|pp=100-113|loc=第2章第1節. 明治三十六年の「オルフェウス」上演}}。これは1902年に東京音楽学校・東京帝大生が中心に結成した歌劇研究会がおこなった。ノエル・ペリー指揮、ピアノ伴奏ケーベル、洋風の[[書割]]は山本芳翠の指揮で門弟が描き、[[三浦環|柴田環]]・吉川やま他が出演した。 そして[[1911年]]3月1日に開場した帝国劇場に8月25日歌劇部(のち1914年5月に洋劇部と改称)が併設され、ここでオペラの小規模な上演が行われるようになった。第1回公演は1912年2月、杉谷代水作詞・ユンケル作曲の『熊野』。注目すべきことに、この時代すでに日本人による創作オペラの作曲と上演が行われていた。 この時代の日本人によるオペラには、[[東儀鉄笛]](1869年 - 1925年)の『常闇』(1906年、台本:[[坪内逍遥]])や、[[小松耕輔]](1884年 - 1966年)の『羽衣』(1906年6月2日、台本:[[小林愛雄]]。神田YMCAで、楽苑会の第1回公演。楽苑会は1906年5月に発足し、東西音楽および歌劇の研究・保存・創作演奏を目的とし、小松・山田源一郎が中心であった)等がある。『常闇』の台本を書いた坪内逍遥は、[[1904年]]に『新楽劇論』を著し、その中でヴァーグナーに対抗して、日本の古典演劇や舞踊を取り入れた日本独自の「国民楽劇」の樹立を主張していた。 帝劇オペラは、「帝国劇場」という名前ではありながら国営ではなく株式会社であったため、やがて財政難から上演の継続が困難となり、[[1916年]]5月に帝劇洋劇部は解散となる。この時期に来日して洋劇部の指揮者を務めていたローシー([[ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー]])は自腹を切ってオペレッタ劇場「[[ローヤル館]]」を開設・運営、1916年10月1日『天国と地獄』を上演、以下ぞくぞくと喜歌劇を上演するも1年と持たず、ローシーは日本を去る。 その後、大正期から当時随一の歓楽街であった東京・[[浅草]]で、[[浅草オペラ]]として知られる公演が行われるようになり、様々なオペラ劇団による公演が行われてオペラの大衆化に貢献した。この浅草オペラも[[1923年]]の[[関東大震災]]による劇場の焼失とともに衰退し、[[1925年]]には消滅した。 著名な喜劇人の[[榎本健一]](エノケン)は浅草オペラにおいて活躍しており、彼のその後の音楽性にあふれた軽妙かつ活動的な芸風は、浅草オペラの経験によるものと評されている。 1932年にヨーロッパで活躍していたテノール歌手の[[藤原義江]]が帰国すると、[[藤原歌劇団]]の前身となる「東京オペラ・カムパニー」を設立し、『[[ラ・ボエーム (プッチーニ)|ラ・ボエーム]]』、『[[リゴレット]]』、『[[トスカ]]』などの本格的公演を行う。1939年には「藤原歌劇団」となり、1942年には『[[ローエングリン]]』を上演している。藤原歌劇団はその後現在に至るまで盛んな活動を続けている。 また、1940年には[[山田耕筰]](1886年 - 1965年)の代表作『[[黒船 (山田耕筰)|黒船]]』が初演されている。一方、[[永井荷風]]はフランス留学時にオペラに親炙したこともあり、オペラを日本に積極的に紹介していたが、その成果として1939年、[[菅原明朗]]作曲によるオペラ『[[葛飾情話]]』を創作している。 [[第二次世界大戦]]後の1952年には、東京音楽学校の出身者たちによって[[二期会]]が設立され、以後、藤原歌劇団と共に戦後の日本オペラの中心的存在として、欧米の歌劇場に肩を並べるような本格的なオペラ上演の活動を展開していくことになる。また、二期会の設立と同じ1952年に、[[團伊玖磨]](1924年 - 2001年)の『[[夕鶴 (オペラ)|夕鶴]]』が初演され、以後日本の人気オペラとなり上演が重ねられた。 1956年に第1回イタリア歌劇団公演が[[日本放送協会|NHK]]の招きで[[東京宝塚劇場]]で公演された。この公演は引っ越し公演ではなく主要歌手や演出家などのスタッフのみがイタリア人で、管弦楽団や合唱や舞台美術は日本人がイタリア人に教えを受けるものだったが、海外渡航が難しく、円の力が弱い時代に、本場のオペラを見ることで日本のオペラの実力アップにつながった。当初オペラの劇場は[[日比谷公会堂]]を予定していたが、『アイーダ』の巨大な舞台美術を置けないことから東京宝塚劇場になった<ref>2018年1月6日23時NHKEテレ放送ETV特集シリーズよみがえるアーカイブ第1回「日本とイタリア」</ref>。 引っ越し公演の最初となったのは1963年の[[ベルリン・ドイツ・オペラ]]である。いきなり本場の一流歌劇場、しかも[[カール・ベーム]]と[[ロリン・マゼール]]という巨匠と新鋭に率いられての豪華な顔触れはやはり大きなインパクトを持って迎えられた。その後、1970年代に入ると同様な引っ越し公演が相次ぎ、入れ替わるようにイタリア歌劇団公演は役割を終えることになる。 その後、[[東京室内歌劇場]]、[[東京オペラ・プロデュース]]といったその他のオペラ団体も生まれたが、上記の二期会、藤原歌劇団を含め専用の劇場を持っている団体はない。 1997年には日本で最初のオペラ専用の歌劇場である[[新国立劇場]]が誕生したが、専属のオーケストラや歌手、音楽監督は存在せず、専属の合唱団があるのみであった(それも出演料都度払い制であり、レジデントではない)。2007年シーズンより[[若杉弘]]が初代[[音楽監督]]に就任し、[[2008年]][[2月22日]]の『黒船』プレミエで音楽監督としてデビューした。 地方を含めた多くの都市には、地元のアマチュアの合唱団とプロのソリストやオーケストラが共演する「市民オペラ」と呼ばれるものが存在し、特に地方では地元の民話などを題材にした新作オペラが上演されることもある。しかし、各主要都市(ドイツ圏では人口10万以下の小都市ですら)が歌劇場を持ち、それぞれに専属のプロの歌手、オーケストラ、合唱団、音楽監督が存在するヨーロッパの状況とは、まだまだ大きな隔たりがあると言わざるを得ない。もっとも、日本にはヨーロッパほど自国団体のオペラ上演に対する大きな需要があるわけではない、という面も無視できない。日本の3倍近い人口を持つ米国も常設場歌劇場はわずかに3つ(2018年現在)であり、オペラの盛況は発祥の地であるヨーロッパ(特に大陸)に特有の現象ととらえることもできる。 日本語によるオペラの発声法は確立されていない、とする見解もある。日本語は<!--「ん」以外全ての音節に母音があるので(←[[音節]]から引用しますと、「音節は典型的には、1.母音(V)2.子音+母音(CV)3.母音+子音(VC)4.子音+母音+子音(CVC)のような『母音を中心としたまとまり』である。」つまり「全ての音節に母音がある」はオペラで主要な原語であるイタリア語、ドイツ語でも同様です。)-->母音が多いため重唱すると誰が何を言っているのか聞き取りにくく、様々な時代の漢語を取り込んだので同音異義語が多く、また、欧米語のオペラでは1音符に1単語をあてられる場合もあるのに比べ、「ん」以外は1文字が1音節となる日本語では1音符に1文字をあてる場合が多く、歌える言葉が少なくなるという問題がある。外国作品を日本人公演でも字幕付で原語上演するのは1980年代になって広まり、それまでの日本語公演に取って代わったともいわれている<ref name="s">[https://tsiraisi.hatenablog.com/entry/20130224/p1 日本(語)のオペラと「不気味の谷」]</ref>。以前は全てのオペラがドイツ語で上演されていた[[ヴィーン国立歌劇場]]で[[ヘルベルト・フォン・カラヤン|カラヤン]]が音楽監督に就任してから原語上演が導入され<ref>[[イルデブランド・ピッツェッティ]]歌劇『大聖堂の殺人』カラヤン指揮、ヴィーン国立歌劇場によるCD(POCG-10096/7)の解説書、6、7頁。</ref>、その後、上演国の言語ではなく原語での上演が欧州全体に広がって以降、オペラの原語上演は世界的な傾向でもある。また近年では、「『日本語の正しい発声』なるものを仮構して実践する、というやり方ではなく、そうかといって、『正しいオペラの発声』なるものを無視した『悪い声』というわけでもなく」「日本語が明瞭で生き生きしていた」と評される日本語公演の例もあり<ref name="s"/>、「日本語オペラの発声法」のような独特の発声法を「確立する」という発想とは異なる視点も生まれている<ref name="s"/>。 2002年、[[小澤征爾]]がウィーン国立歌劇場の音楽監督になったが、歌詞にウィーン訛り、イタリア語訛りの出てくる[[リヒャルト・シュトラウス]]の『[[ばらの騎士]]』で、そうした訛りが聞き取れず、また別の機会に「この年になってこんなに勉強できるのは嬉しい」と語ったが、ウィーン人にとっては音楽監督とは彼から学び引っ張っていってもらいたい存在であるところに、日本語を母語とする現在の日本人の限界がある<ref>野村三郎「ウィーン国立歌劇場 すみからすみまで」音楽之友社、2014年、187、188ページ。</ref>、と[[野村三郎 (音楽社会学者)|野村三郎]]は述べている。 2016年2月、小沢征爾が[[サイトウ・キネン・オーケストラ]]を指揮した[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]の『[[子供と魔法|こどもと魔法]]』を収めたアルバム(2013年の[[サイトウ・キネン・フェスティバル松本]]のライヴ録音)が[[グラミー賞]]最優秀オペラ録音賞を受賞した<ref>{{Cite news|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2016021600087|title=小澤征爾さんに米グラミー賞=長野でのオペラ公演、渡辺さんは及ばず|newspaper=時事ドットコム|accessdate=2016-02-16|date=2016-02-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160224084216/http://www.jiji.com/jc/zc?k=201602/2016021600087|archivedate=2016-02-24}}</ref>。 == 著名な歌劇場 == ''[[歌劇場#日本国内の主要な歌劇場]]、[[歌劇場#世界の主要な歌劇場]]または[[歌劇場の一覧]]を参照'' == 著名なオペラ演出家 == オペラの上演に関してはしばしば、かつては「歌手の時代」であり、次に「指揮者の時代」となり、現在は「演出家の時代」である、と言われることがある。近年は原作のト書きや設定を完全に無視、または異化した、人によっては奇抜とさえ感じられるような斬新な演出も増えており、これについては賛否両論がある。特に上演数が多いドイツ圏では保守的な演出の繰り返しでは観客を引きつけられないという事情もあってか斬新な演出が多く、それに比較すると英米のほうがオーソドックスな演出が多い。 * [[グリシャ・アサガーロフ]] * [[チャン・イーモウ]] * [[ヴィーラント・ヴァーグナー]] * [[ヴォルフガング・ヴァーグナー]] * [[ルキノ・ヴィスコンティ]] * [[グレアム・ヴィック]] * [[ヴォルフガング・ヴェーバー]] * [[アウグスト・エファーディング]] * [[デヴィッド・オールデン]] * [[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]([[指揮者]]として活躍する傍ら、自ら指揮する公演においては[[演出]]も多数手がけた。他の指揮者にも引き継がれた演出もある) * [[アルフレード・キルヒナー]] * [[マルティン・クシェーイ]] * [[ハリー・クプファー]] * [[ペーター・コンヴィチュニー]] * [[ヨハネス・シャーフ]] * [[クリストフ・シュリンゲンジーフ]] * [[ヨアヒム・シュレーマー]] * [[パトリス・シェロー]] * [[オットー・シェンク]] * [[フランコ・ゼッフィレッリ]] * [[クラウス・ツェーライン]] * [[クラウス・ヘルムート・ドレーゼ]] * [[アドルフ・ドレーゼン]] * [[クリストフ・ネル]] * [[デイヴィッド・パウントニー]] * [[ヴァルター・フェルゼンシュタイン]] * [[アーヒム・フライアー]] * [[ゲッツ・フリードリヒ]] * [[ルート・ベルクハウス]] * [[ジャン=ピエール・ポネル]] * [[アクセル・マンタイ]] * [[ペーター・ムスバッハ]] * [[ジャンカルロ・デル・モナコ]] * [[ニコラウス・レーンホフ]] * [[ルカ・ロンコーニ]] <!--* [[ロバート・ウィルソン]]--><!--リンク先は同姓同名の別人と思われるのでとりあえずコメントアウト--> == 録音と映像 == [[レコード]]の発明はオペラの世界にも変革をもたらした。当初は[[録音]]時間の制約が大きかったため、代表的なアリアや序曲が独立して録音、発売されることが多く、[[エンリコ・カルーソー]]などは20世紀初頭に一世を風靡した歌手である。一方では数枚組のセット用に全曲をスタジオ録音する試みも始まっており、1907年の「こうもり」と「道化師」が世界初のオペラ全曲録音といわれる。このころは録音環境の問題からオーケストラなどは極度に人数省略されていたが、そうした状況は徐々に改善。やがて劇場公演の実況録音なども開始されたが、やはり音質のいいスタジオセッションのほうが長らく主流を占め、優れた録音効果などによって「耳で聞くオペラ」という鑑賞ジャンルを打ち立てることになる。1950年代後半からはステレオ化したスタジオ録音に対し、実況は部分的には1970年代にまでモノラル録音が残っており、[[ノイズ]]処理や[[解像度]]の点で大きく立ち遅れていた。ただし、これは制作会社や環境のばらつきが非常に大きく、スタジオでもモノラルが主流だった1955年にバイロイト音楽祭『ニーベルングの指環』の実況が[[デッカ・レコード]]によってステレオ録音で試みられており、21世紀になって日の目を見て大きな反響を呼んだ。1980年代ごろから実況録音の音質が向上すると、スタジオセッションは次第に減少し始め、映像ソフトの普及にともなってさらに激減、21世紀に入ると滅多に行われなくなってしまった。映像へのシフトは実況録音盤も減少させ、一時は年間100点前後に及んでいたオペラ全曲録音盤の国内新譜は、2010年代においては年に数点という有様である。 映像におけるオペラは、まず劇場用映画として登場。プレスコで収録された音声にあわせて、歌手(または別人の俳優)の[[口パク]]演技を撮影する方式で、このやり方は今日までオペラ映画として存続している(ただし、70年前後からは劇場上映よりもテレビ用途で制作されることのほうが多い)。舞台の枠組みにとらわれず、自由に野外ロケや特殊撮影などを織り込めるのが特長である。音質、画質の面でも(特に70年代あたりまでは圧倒的に)有利である。公演に映画カメラを持ち込んでの実況収録も1950年代から始まっているが、当初は撮影時の機械音やズームレンズの未発達、フィルムの感度が悪い、などの問題があり、たとえば1960年制作の「ばらの騎士」(カラヤン指揮)などでは、音声のみ実況で収録、映像は終演後に無人の劇場で口パクで撮り直すことによって照明やカメラ位置の自由を確保するという擬似実況方式(前後の拍手やカーテンコールは実況映像)を採用している。今ではカメラの性能が向上したためこの方式は見られなくなったが、一部分のみ映像を撮り直したり、ゲネプロ収録と組み合わせたり(全部がゲネプロという場合もある)するケースはある。また、ゲネプロ収録およびプレスコの併用だが舞台のフレームを一切画面に写さないため、実質的に映画となっているケース(カラヤン指揮の「カルメン」など)も存在する。1980年代ごろからの実況映像はビデオカメラに、1990年代からはさらにハイビジョン方式に切り替わっていった。現在では映画カメラ(フィルム)によるライブ撮影はほとんど見られない。 テレビ、ビデオ再生装置の普及と映像技術の進歩はオペラの映像収録を飛躍的に増加させた。今日ではかつてのレコード、[[コンパクトディスク|CD]]全曲盤に変わって[[ビデオディスク]]がオペラのパッケージとして主流を占めている。 == 礼服関係の「オペラ」 == 「オペラ」(Opera)と名の付くものは[[礼服]]関係においても多数あり、オペラハット([[:en:Opera hat|Opera hat]])、オペラクローク([[:en:Opera cloak|Opera cloak]])、オペラ[[ケープ]]([[:en:Opera cape|Opera cape]])、オペラ[[コート (衣服)|コート]](Opera [[:en:Coat|Coat]])、[[オペラグローブ]]([[:en:opera gloves|Opera gloves]])、[[双眼鏡#オペラグラス|オペラグラス]]([[:en:Opera glasses|Opera glasses]])、などがある。<ref>[https://www.eno.org/discover-opera/the-history-of-the-opera-dress-code/ The History of the Opera Dress Code]</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[長木誠司]]編著 『作曲の20世紀 i. ii』 [[音楽之友社]]〈クラシック音楽の20世紀1・2〉、1992年。 * 長木誠司 『前衛音楽の漂流者たち―もう一つの音楽的近代』 筑摩出版、1993年。 * 長木誠司 「“運動”としての戦後音楽史 1945〜(30) 戦後のオペラ(1)」『[[レコード芸術]]』第55巻第6号(2006年6月号)、音楽之友社、2006年。 * {{Cite book |和書 |author=増井敬二 |authorlink=増井敬二 |year=1984 |title=日本のオペラ : 明治から大正へ |publisher=[[民音音楽博物館|民音音楽資料館]] |ref={{SfnRef|増井|1984}} }} * ウルリヒ・ミヒェルス編 『図解音楽事典』 [[角倉一朗]]日本語版監修、[[白水社]]、1989年。 * [[門馬直美]] 『西洋音楽史概説』 [[春秋社]]、1976年。 == 関連項目 == {{commonscat|Opera}} {{Wiktionary|opera|歌劇}} {{Portal box|舞台芸術|クラシック音楽}} * [[オペラ作曲家一覧]] * [[オペラ作品一覧]] * [[歌劇場の一覧]] * [[オペレッタ]] * [[ミュージカル]] * [[ジングシュピール]] * [[サルスエラ]] * [[戯曲 (中国)]]([[雑劇]]・[[戯文]]・[[伝奇]]・[[京劇]]…) * [[革命歌劇]] * [[ブラヴォー]] * [[プリマドンナ]] * [[双眼鏡#オペラグラス|オペラグラス]] * [[オペラグローブ]] == 外部リンク == * {{Kotobank|オペラ(舞台芸術)}} * {{CRD|2000025486|オペラ、オペレッタについて調べる|桐朋学園大学附属図書館}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:おへら}} [[Category:オペラ|*]] [[Category:クラシック音楽]] [[Category:音楽用語]] [[Category:ラテン語からの借用語]] [[Category:イタリア語の語句]] [[Category:無形文化遺産]]
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万景峰号
万景峰号(マンギョンボンごう、まんけいほうごう、はんけいほうごう, 朝: 만경봉호)は、北朝鮮の貨客船。船名は平壌郊外にある山、万景峰から名付けられた。『万景峰号』と80歳記念に1992年に寄贈された『万景峰92』がある。北朝鮮を支援する在日韓国・朝鮮人らの資金により建造された。 1971年5月に就役した貨客船。北朝鮮にある海運大学が船を所有しているとされている(2017年のウラジオストク - 羅先航路開設時)。 万景峰号は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の資金で建造された。北朝鮮と日本を往来し、北朝鮮への送金や工作活動に活用されていた工作船である。1984年まで在日朝鮮人の帰還事業に使われ、以後は貨物船となった。 北朝鮮は外国人観光客誘致のため海上観光の航路に万景峰号を就航させようとしていたが、老朽化のため改修に膨大な資金と期間を要することから難航していると報じられていた。 2017年5月8日よりロシアのウラジオストクと北朝鮮の羅先経済特区を結ぶ定期航路が開設され、この航路に貨客船「万景峰号」が使われることが明らかとなった。しかし、ロシア側の受け入れ態勢が間に合わず、2017年5月17日午後に羅先の羅津港を第1便が出発し、18日早朝にウラジオストク港に到着、1週間ごとに両港を往復する。ロシア側の説明によれば乗客に北朝鮮人はおらず、殆どは中国人であるという。2017年6月7日-8日にかけて日本のフジニュースネットワーク取材クルーが北朝鮮の羅先からロシアのウラジオストクまで乗船、内部を詳細に撮影している。内部は一定の改装がなされているものの、乗客として乗っていたのは取材クルーのほか、日本人2人と、羅先で働くロシア人3人で、観光客などはいなかったという。一時は、国連安保理の経済制裁の影響による港湾使用料未払いからロシア当局からの入港拒否通告で運航を停止されていたが、同年10月に再開したことと自国内で北朝鮮への制裁を強める中国の密輸の中継に利用されていることがわかっている。 2017年10月からは不定期運航となりコメや小麦などの積荷を運搬する貨物船となっていたが、2018年2月にロシア当局からウラジオストク港への入港接岸を拒否され食料と燃料が尽きたため、2月3日には遭難信号を発信した。遭難信号を受けて食料品などが補給されたが、2月9日には国連制裁決議違反のおそれがあるとしてロシア連邦保安局からロシア領海からの退去を求める手続がとられ、2月10日には北朝鮮へ引き返し始めた。 万景峰92は金日成の80歳の誕生日を記念して、北朝鮮を支持する在日韓国・朝鮮人の寄付で集めた資金で建造されて北朝鮮に寄贈された。1992年に咸鏡北道清津市で進水した。金日成の特別室を含む数十部屋のキャビン、レストラン、カラオケ機器のあるバー、売店などが内部にある(船名の92は進水年を表す)。なお、2017年5月からウラジオストク - 羅先航路に就航している船は全面改修を施した初代の万景峰号で万景峰92とは異なる。 1992年6月より主として日本の新潟と北朝鮮の元山の間に就航(不定期)していた(片道27時間)。旅客輸送では、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)が窓口となり、取り扱うのは、在日朝鮮人の祖国訪問(親族訪問等)や親戚への物資の輸送、朝鮮学校の修学旅行等であった(後に入港禁止につき運行停止)。 元山・新潟間とは別に、神戸港からの在日朝鮮人の里帰りや朝鮮高級学校の修学旅行に伴う航行を行ったことがある ほか、親善訪問にも使われた。 後に衆議院議員となる辻元清美らが設立したピースボートは、1996年に万景峰号をチャーターし運航した事がある。この時は、旅客に加えていわゆる「苦難の行軍」と呼ばれる食糧不足を支援する物資も積載しての航行であった。元山・新潟間の国際航路では、一般向けの乗船募集(商業運航)は行っていない。 2005年に平壌の金日成スタジアムで開催される予定であったサッカーワールドカップアジア地区最終予選の北朝鮮対日本戦を観戦する一般日本人向けに、乗船を受け入れる計画があったが、第三国開催・無観客試合となった為、実施されなかった。 2006年7月5日、北朝鮮によるミサイル発射実験が行われ、日本政府は万景峰92号に対し半年間の日本入港禁止措置(特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法)を出した(制裁当日に新潟西港に入港予定であり、人道上の配慮から日本在住者のみ上陸を認めた)。また、2006年10月9日の北朝鮮の地下核実験の成功の発表を受けて、10月14日付けで入港禁止対象を北朝鮮の全ての船舶に拡大した。その後幾度に渡る期限延長により、万景峰92号を含め北朝鮮の全船舶は現在も入港禁止となっている。 2011年8月30日より羅津から金剛山までの外国人向け観光船として運航が行われていた。 2018年2月6日に親善公演を行うため訪韓する三池淵管弦楽団を乗せて韓国・墨湖港(江原道東海市)に入港。歓迎行事はなく、韓国の保守団体が韓国国旗や星条旗を持って集結して金正恩の写真を燃やすなど抗議活動を行って厳戒態勢が敷かれた。到着後に韓国政府に対して燃料提供を求めていたが、2月9日に突然撤回され、2月10日に北朝鮮へ帰港するため出発した。 船内の様子などは、ドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」などで見ることが出来る。
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万景峰号は、北朝鮮の貨客船。船名は平壌郊外にある山、万景峰から名付けられた。『万景峰号』と80歳記念に1992年に寄贈された『万景峰92』がある。北朝鮮を支援する在日韓国・朝鮮人らの資金により建造された。
'''万景峰号'''(マンギョンボンごう、まんけいほうごう、はんけいほうごう, {{Lang-ko-short|만경봉호}})は、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[貨客船]]。船名は[[平壌直轄市|平壌]]郊外にある[[山]]、[[万景峰]]から名付けられた。『万景峰号』と80歳記念に1992年に寄贈された『万景峰92』がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.koreaworldtimes.com/topics/news/9963/|title=あの万景峰号は今どこに? 在日朝鮮人との関わり深い北朝鮮の貨客船|accessdate=2021-09-22|author=青山誠 |coauthors= |date=2021年08月31日 |website=コリアワールドタイムズ |archiveurl=https://www.koreaworldtimes.com/topics/news/9963/|archivedate=2021-09-22 |deadlinkdate= |doi= |ref=}}</ref>。北朝鮮を支援する[[在日韓国・朝鮮人]]らの資金により建造された<ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180206-00000072-reut-kr 北朝鮮の万景峰92号が韓国到着へ、平昌五輪開催中に芸術団が公演] 2018年2月6日、ロイター</ref><ref name="chosun180211">[https://archive.is/ZP2S9 【コラム】北には何でも「OK」出す韓国統一部] - 朝鮮日報 2018年2月11日(archive.is)</ref>。 == 万景峰号 == {{北朝鮮の事物 |title=万景峰号 |picture=Mangyeongbong.jpg |chosŏn'gŭl=만경봉호 |hanja=萬景峰號 |hiragana=まんけいほうごう<br />ばんけいほうごう |katakana=マンギョンボンホ |rr=Man-gyeongbong ho |mr=Man'gyŏngbong ho |alphabet-type=[[アルファベット]]:<br />[[キリル文字]] |alphabet=MAN GYONG BONG<br />Озеро Мангёнбон }} [[1971年]]5月に就役した貨客船。北朝鮮にある海運大学が船を所有しているとされている(2017年の[[ウラジオストク]] - [[羅先特別市|羅先]]航路開設時)<ref name="nikkei20170518" />。 === 歴史 === 万景峰号は[[在日本朝鮮人総連合会]](朝鮮総連)の資金で建造された。[[1984年]]まで[[在日朝鮮人の帰還事業]]に使われ、以後は貨物船となった<ref name="yonhapnews20140616">[http://japanese.yonhapnews.co.kr/northkorea/2014/06/16/0300000000AJP20140616002400882.HTML 万景峰号 資金難で遊覧船への改造事業中断] 聯合ニュース 2014年6月16日</ref>。 北朝鮮は外国人観光客誘致のため海上観光の航路に万景峰号を就航させようとしていたが、老朽化のため改修に膨大な資金と期間を要することから難航していると報じられていた<ref name="yonhapnews20140616" />。 [[2017年]][[5月8日]]より[[ロシア]]のウラジオストクと北朝鮮の羅先経済特区を結ぶ定期航路が開設され、この航路に貨客船「万景峰号」が使われることが明らかとなった<ref>[http://www.jiji.com/jc/article?k=2017042001014&g=prk ロシア、北朝鮮に新航路=万景峰号使い来月から] 時事ドットコム 2017年4月22日</ref>。しかし、ロシア側の受け入れ態勢が間に合わず、2017年5月17日午後に羅先の羅津港を第1便が出発し、18日早朝にウラジオストク港に到着、1週間ごとに両港を往復する<ref name="nikkei20170518">[http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM17H9J_X10C17A5000000/ 万景峰号、第1便が出発 ロシアとの定期航路] 日本経済新聞 2017年5月18日</ref>。ロシア側の説明によれば乗客に北朝鮮人はおらず、殆どは中国人であるという<ref name="nikkei20170518"/>。2017年6月7日-8日にかけて日本の[[フジニュースネットワーク]]取材クルーが北朝鮮の羅先からロシアのウラジオストクまで乗船、内部を詳細に撮影している。内部は一定の改装がなされているものの、乗客として乗っていたのは取材クルーのほか、日本人2人と、羅先で働くロシア人3人で、観光客などはいなかったという<ref>[https://www.houdoukyoku.jp/posts/13363 5月から定期運航を開始] FNN HOUDOUKYOKU(2017年6月12日)2017年7月2日閲覧</ref>。 2017年10月からは不定期運航となりコメや小麦などの積荷を運搬する貨物船となっていたが、2018年2月にロシア当局からウラジオストク港への入港接岸を拒否され食料と燃料が尽きたため、2月3日には[[遭難信号]]を発信した<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASL235JDKL23UHBI01D.html 万景峰号、燃料切れで遭難信号 ロシアの港が接岸認めず] 朝日新聞 2018年2月3日</ref>。遭難信号を受けて食料品などが補給されたが、2月9日には国連制裁決議違反のおそれがあるとしてロシア連邦保安局からロシア領海からの退去を求める手続がとられ<ref>[https://www.asahi.com/articles/ASL295S6TL29UHBI02R.html 入港拒否の万景峰号「国連制裁に抵触疑い」ロシア] 朝日新聞 2018年2月9日</ref>、2月10日には北朝鮮へ引き返し始めた<ref>{{cite news |title=制裁違反の万景峰号、係留しないままウラジオ沖を出発|publisher=[[スプートニク (通信社)|Sputnik]] |date=2018-02-10 |url=https://sputniknews.jp/20180210/4564458.html |accessdate=2018-02-15}}</ref>。 === 要目 === * 全長:102 m * 全幅:14 m * 総トン数:3,317 t * 定員:約200名(改修後)<ref name="nikkei20170518" /> * 載貨量:約1500トン(改修後)<ref name="nikkei20170518" /> * [[IMO番号]]:7111406([http://www.imonumber.com/?search=7111406 IMO Numbers Database])/[[信号符字]]:HMZK * [[海上移動業務識別コード]](MMSI番号):445108000([http://www.marinetraffic.com/ais/details/ships/7111406 Marine Traffic]) == 万景峰92 == {{北朝鮮の事物 |picture=[[ファイル:Mangyongbong-92.jpg|200px|万景峰92]] |caption=万景峰92 |title=万景峰92号 |chosŏn'gŭl=만경봉 구십이호 |hanja=萬景峰 九十二號 |hiragana=まんけいほう きゅうじゅうにごう<br />ばんけいほう きゅうじゅうにごう |katakana=マンギョンボン クシビホ |rr=Man-gyeongbong gusibi ho |mr=Man'gyŏngbong kusibi ho }} '''万景峰92'''は[[金日成]]主席の80歳の誕生日を記念して、北朝鮮を支持する[[在日韓国・朝鮮人]]の寄付で集めた資金で建造されて北朝鮮に寄贈された。[[1992年]]に[[咸鏡北道]][[清津市]]で進水した。金日成主席の特別室を含む数十部屋のキャビン、レストラン、カラオケ機器のあるバー、売店などが内部にある<ref name="chosun180211"/>(船名の92は進水年を表す)。なお、2017年5月からウラジオストク - 羅先航路に就航している船は全面改修を施した初代の万景峰号で万景峰92とは異なる<ref name="nikkei20170518" />。 === 歴史 === ==== 新潟 - 元山航路 ==== 1992年6月より主として[[日本]]の[[新潟港|新潟]]と北朝鮮の[[元山]]の間に就航(不定期)していた(片道27時間)。旅客輸送では、[[在日本朝鮮人総聯合会]](朝鮮総聯)が窓口となり、取り扱うのは、[[在日韓国・朝鮮人|在日朝鮮人]]の祖国訪問([[親族]]訪問等)や親戚への物資の輸送、[[朝鮮学校]]の[[修学旅行]]等であった(後に入港禁止につき運行停止)。 元山・新潟間とは別に、[[神戸港]]からの在日朝鮮人の里帰りや朝鮮高級学校の修学旅行に伴う航行を行ったことがある<ref>「ニュース・フラッシュ 神戸に初来航した北朝鮮貨客船「万景峰92」Man Gyong Bong 92」 『[[世界の艦船]]』第526集(1997年7月号) [[海人社]]</ref> ほか、親善訪問にも使われた。 後に[[衆議院議員]]となる[[辻元清美]]らが設立した[[ピースボート]]は、[[1996年]]に万景峰号をチャーターし運航した事がある。この時は、旅客に加えていわゆる「[[苦難の行軍]]」と呼ばれる食糧不足を支援する物資も積載しての航行であった。元山・新潟間の国際航路では、一般向けの乗船募集(商業運航)は行っていない。 [[2005年]]に平壌の[[金日成競技場|金日成スタジアム]]で開催される予定であった[[FIFAワールドカップ|サッカーワールドカップ]]アジア地区最終予選の北朝鮮対日本戦を観戦する一般[[日本人]]向けに、乗船を受け入れる計画があったが、第三国開催・[[無観客試合]]となった為、実施されなかった。 [[2006年]][[7月5日]]、北朝鮮による[[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2006年)|ミサイル発射実験]]が行われ、[[日本国政府|日本政府]]は万景峰92号に対し半年間の日本入港禁止措置([[特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法]])を出した(制裁当日に新潟西港に入港予定であり、人道上の配慮から日本在住者のみ上陸を認めた)。また、[[2006年]][[10月9日]]の北朝鮮の[[地下核実験]]の成功の発表を受けて、10月14日付けで入港禁止対象を北朝鮮の全ての船舶に拡大した。その後幾度に渡る期限延長により、'''万景峰92号'''を含め北朝鮮の全船舶は現在も入港禁止となっている。 ==== 羅津 - 金剛山航路 ==== [[2011年]]8月30日より[[羅先特別市|羅津]]から[[金剛山観光地区|金剛山]]までの外国人向け観光船として運航が行われていた<ref>[http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210906017.html 万景峰号で外貨獲得を 北朝鮮が新たな観光ツアー] テレ朝news 2011年9月6日</ref>。 ====不定期就航==== [[2018年]][[2月6日]]に親善公演を行うため訪韓する[[三池淵管弦楽団 (2018年)|三池淵管弦楽団]]を乗せて韓国・墨湖港([[江原道 (南)|江原道]][[東海市 (江原道)|東海市]])に入港<ref name=jiji1826>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2018020601227 歓迎なく厳戒の入港=韓国保守団体が怒号] 時事通信社(2018年2月6日)2018年2月6日閲覧</ref>。歓迎行事はなく、韓国の[[保守]]団体が韓国国旗や[[星条旗]]を持って集結して[[金正恩]]の写真を燃やすなど抗議活動を行って厳戒態勢が敷かれた<ref name=jiji1826/>。到着後に韓国政府に対して燃料提供を求めていたが、2月9日に突然撤回され、2月10日に北朝鮮へ帰港するため出発した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/world/20180211-OYT1T50024.html 万景峰号、突然の帰国…韓国への燃料要求を撤回] 読売新聞 2018年2月11日</ref>。 === 要目 === * 全長:126 m * 全幅:20.5 m * 総トン数:9,672 t * 機関:ディーゼルエンジン2基、2軸 15,600[[馬力]] * 最大速力:23[[ノット]] * 定員:350名 * 建造:清津造船所 * [[IMO番号]]:8890580([http://www.imonumber.com/?search=8890580 IMO Numbers Database])/[[信号符字]]:H.M.Z.L * [[海上移動業務識別コード]](MMSI番号):445101000([http://www.marinetraffic.com/ais/details/ships/8890580 Marine Traffic]) 船内の様子などは、ドキュメンタリー映画「[[ディア・ピョンヤン]]」などで見ることが出来る。 === 問題点 === ; 船底塗料 : 万景峰号の喫水線下の船底[[塗料]]は、価格の安い、[[トリブチルスズ]](TBT=有機[[スズ]])を使用している。トリブチルスズは微量でも人体や環境に大きな影響をもたらす[[内分泌攪乱物質|環境ホルモン]]として問題視されるため、万景峰号の入港は環境面からも大きな問題があるとされる。現在は[[国際海事機関]](International Maritime Organization)のTBT規制の[[条約]]が発効し、TBT船底塗料を用いた船舶の日本入港は禁止されている<ref>[https://www.mlit.go.jp/maritime/safetyenv/psc/05.html 外国船舶のTBT塗料について検査(ポートステートコントロール)を開始します ~海洋環境及び国民の健康の保護を目指して~] 国土交通省海事局 2008年9月17日</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[北朝鮮関係記事の一覧]] * [[朝鮮民主主義人民共和国の交通]] * [[在日本朝鮮人総聯合会]] * [[日本海]] ** [[日本海呼称問題]] * [[ピースボート]] * [[ディア・ピョンヤン]] * [[文世光事件]] * [[トゥルーノース]] == 外部リンク == {{wikisource|特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法に基づく特定船舶の入港禁止措置について|特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法に基づく特定船舶の入港禁止措置について}} * [http://www.chongryon.com/j/life/travel.html 在日本朝鮮人総聯合会 祖国訪問・海外渡航] {{朝鮮総連}} {{デフォルトソート:まんきよんほんこう}} [[Category:貨客船]] [[Category:1971年竣工船]] [[Category:1992年竣工船]] [[Category:朝鮮民主主義人民共和国]] [[Category:在日韓国・朝鮮人]]
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ピーマン
ピーマン(甘唐辛子)は、ナス科トウガラシ属の多年草または低木(日本など温帯では一年草)、およびその果実。学名は Capsicum annuum 'Grossum' であり、トウガラシの栽培品種で甘味種に分類される。果肉は種子以外ほとんど空洞である。 日本語における「ピーマン」の由来は、広義のトウガラシを指すフランス語の “piment”(ピマン)、あるいはポルトガル語の “pimento”(ピーメント)とされる。ピマンやピーメントの語源は、「塗料」「顔料」を意味するラテン語の “pigmentum” だと言われている。明治期では西洋とうがらし、甘とうがらしとも。 植物分類学上では、ピーマンはトウガラシと同種であるが、トウガラシのうち、しし群とベル群という2つの品種群が通常ピーマンと呼ばれている。ベル群のうち、肉厚の大果種を特にパプリカ(英: Paprika)、またはジャンボピーマンの名で呼んでいる。「パプリカ」の名は、ハンガリーなどでトウガラシ類を総称する言葉であるが、子供や若者に食べてもらうために、ファッション性を意識して用いられたという経緯もある。 英語名は、“Sweet pepper”(スイートペッパー)や、“Bell pepper”(ベルペッパー)などと呼ばれる。フランス語名は “poivron”(ポワヴロン)というピーマンを意味する男性名詞でよばれ、イタリア語名では “peperone”(ペペローネ)、中国名は「菜椒」という。 熱帯アメリカ原産で、代表的な夏野菜の一つに数えられる。トウガラシの仲間で、果実が大きく、辛味を抑えて品種改良されたものである。トウガラシから選抜して野菜として栽培され、アメリカで改良されたのがベル形のピーマンである。オランダでさらに改良が加えられ、大形カラーピーマンの「パプリカ」も生まれている。 日本の店頭で食用として販売されるものは、明治初頭にアメリカから伝わったイスパニア種を品種改良した中形で緑色のものが多いが、近年はカラーピーマンも出回っている。緑色は未成熟の果実のためであり、成熟すると一般的なものは赤色のほか黄色、橙色に変わるものもある。北米では大形の成熟した様々な色のものが流通する。その他に、未成熟で白色や、黒色(濃い紫色)、紫色のものもあり、黒や紫色は表面の色だけで果肉の断面は緑色である。こうした未熟果は加熱すると緑色に変化し、熟すると橙色、赤色に変わる。 ピーマンと分類学上同種のトウガラシは、16世紀(戦国時代)に日本に渡来したといわれ、「蕃椒」とよばれていた。薬用、観賞用とされたトウガラシは、江戸時代に甘味種であるシシトウウガラシ、伏見甘などが出現し、江戸時代中期の『成形図説』(1804年)の中には、ピーマン形の甘味種のトウガラシの記載が見られる。 18世紀にアメリカ合衆国で、大きくて肉厚な甘トウガラシを品種改良した大型のピーマンが誕生した。ピーマンとして日本へはじめて伝来したのは明治時代からともいわれ、欧米から新たに甘味種が導入されたが、青臭さが嫌われて当時はあまり普及しなかった。第二次世界大戦後の食糧不足で野菜が高騰する中、政府の規制を受けないピーマンの生産が拡大するようになる。戦後に野菜のさまざまな品目でF1品種が誕生していく中、むさし育種農場が育成したF1品種の「緑王」が1956年(昭和31年)誕生し、大ヒット品種となる。日本で広く普及したのは1960年代以降からで、食生活の洋風化とともに栄養的に優れた食材として注目され、洋食や中華料理など一般家庭に普及していった。1964年(昭和39年)からは、「唐がらし」とは別に「ピーマン」の名で、農林統計に記載されるようになった。 1993年(平成5年)になると、オランダからパプリカが初輸入された。高価な野菜でありながらオランダ産の取扱量は1999年までに10倍以上に増え、1999年以降は新規参入の韓国産の取扱量が徐々に増えて、2010年代には日本国内に流通するパプリカの70%以上を占めるようになり、身近な野菜となった。 ピーマンそのものはトウガラシの品種の一つであり、果実は肉厚でカプサイシンを含まない。流通している最も一般的な種類は、果実が30 - 40 gぐらいの中型で、緑色をしているものである。カラーピーマンも未熟果では緑色であるが、成熟すると赤色、橙色、黄色などに変化する。ピーマンの一種アナスタシア(フルーツピーマン)の販売されているものにも緑色のほかに、赤色、黄色、橙色、黒色(紫色)など様々な色のものもある。日本でパプリカと呼ばれる品種は、肉厚で果実の部屋数が3 - 4に分かれた綺麗なベル形の品種で、完熟果として赤、オレンジ、黄、茶色があり、未熟果として白、黒、緑、紫色がある。 ピーマンは1株から多数の実が収穫できる野菜で、栽培も手軽にできるが、手間のかけ方によって品質にも影響する。栽培時期は春に苗を植えて、夏から秋にかけて収穫する作物で、日本では5月ごろに植え付けされ7月から10月ごろにかけて収穫されるのが一般的である。ナスよりも高温性で、栽培適温は25 - 30°Cとされ、寒さには弱く18°C以下になると栽培不良になってしまう。順調に育てるためには、気温15 - 30度以上、地温22 - 25度以上が必要といわれている。夏の暑さには大変強く、秋の徐々に寒くなる気候にも順応し、霜が降りるまで生育を続ける。 仕立や剪定の手間がかからず、比較的容易に栽培できる作物であるが、連作障害が起きるため同じ土地では、3年以上は同じナス科野菜を作らないようにする必要がある。日当たりが良い土壌に、植え付け前に元肥を十分にすき込むことが重要で、土壌が乾燥しないように株元を藁などで覆って水やりを切らさず追肥をしながら育てれば、1株だけでも長期間に渡りたくさんの果実を収穫することができる。冬から春にかけての時期はハウス栽培も行われている。カラーピーマンも同様に育てられる。苗をつくるときは、育苗箱などに種を筋蒔きし、発芽まで地温28 - 30度、発芽後は地温22 - 25度、気温15 - 30度の環境が整うように養生する。発芽が揃うころに葉が重ならないように間引きし、本葉1枚にころに育苗ポットに鉢上げして、できるだけ大苗に仕上げる。 苗は本葉7 - 8枚のもので、畝の中央に穴を空けて植え付け、高さ1 m以上の支柱を立てて茎を縛り苗が動かないようにする。支柱は、実がたくさんつくと、重みで株が倒れてしまうことを防止するためのものである。苗が育って十分に根付くと花が咲き始めて、すぐに実がつくようになるが、はじめのうちは株をしっかり成長させるため、生長に必要な栄養分が最初の実に取られないように早めに摘果して、株の成長を促すようにする。6月中旬から9月にかけて次々と実がつくようになると、長期間収穫できることから定期的に追肥を行うことも重要で、肥料不足になると花が落ちたり、雌しべが短い短花柱花が多くなる原因となる。実は完熟するとかたくなってしまうので、開花後は2 - 3週間を目安に早めに収穫するようにすると、株への負担も小さく、次の実も早く大きくなる。また、実が一斉にさくさんつくと株が弱くなるので、若採りして樹勢を回復させるのもよい。カラーピーマンは、完熟して色づくまで置いておいてから収穫する。 ピーマンの病虫害に、ホオズキカメムシ、ヨトウムシ、ハスモンヨトウ、アブラムシが葉につき被害に遭いやすいので、見つけたら取り除いて駆除するか薬剤を散布して防除する。 日本の主な生産地は、茨城県、宮崎県、岩手県などで、生産量の日本一は茨城県で約5割を占め、次いで宮崎県、岩手県、高知県が多い。露地栽培の出荷は7 - 8月が主であるが、施設栽培により通年安定的に供給されている。平成14年 - 平成15年度の統計によれば、冬春ピーマン(11月 - 4月)は温暖な気候となっている宮崎県と高知県産が多く、夏秋ピーマン(8月 - 9月)は、福島県や岩手県産が多く出回っている。茨城県産は夏秋ものと冬春もの共に対応し、4 - 7月は特に出荷量が多い。 外国から日本への輸入は、オランダ、韓国、ニュージーランド産が多い。パプリカは、春 - 秋はオランダ産、冬期は韓国、ニュージーランド産が多い。 果実を食用とし、緑黄色野菜に分類される。果実の表面につやと張りがあってふっくらとしており、色鮮やかでヘタの切り口が瑞々しく、黒ずんでいないものが新鮮で良品とされる。カラーピーマンは、緑色ピーマンよりの肉厚で、甘みが強い。料理では炒め物やサラダにするほか、煮物にも使える。パプリカはスパイスとしても使われ、ハンガリアンペッパー(別名:スパニッシュペッパー)と呼ばれる甘味とうがらしを粉末状にしたものである。 日本では内部の種やワタを取って調理されるのが一般的だが、これは見栄えや食感をよくするためだけであり、シシトウなどと同様に、変質していなければ種やワタも摂取することができる。 カラーピーマンの様に、成熟した果肉には甘みがあり青臭みが気にならない一方で、緑色の未成熟の果肉には独特の青臭い風味と苦味がある。ピーマンを苦手とする人の主な要因は、この特有の青臭さを気にする人が多いからだと言われている。特に子供はこの風味を好まないことが多く、ニンジンやグリーンピースなどと共に子供が嫌いな食材の筆頭に挙げられることも多い。1970年代後半には、1960年代に子供が好きだった物を並べた「巨人・大鵬・卵焼き」をもじって、嫌われ者の代表として「江川・ピーマン・北の湖」という言葉が生まれたほどである。この青臭さや苦味は、油で調理すると軽減される。また、苦味は大人よりも味覚が敏感な幼少期に強く感受されるため、成長するにつれ食べられるようになる子供は多い。 ピーマン特有の青臭さの元は、ピラジンという成分である。ピラジンは緑ピーマンに多く含まれ、血液が凝固するのを予防する効果があり、脳血栓や心筋梗塞の予防に役立つ成分だと評価されている。2012年3月、タキイ種苗とお茶の水女子大学との共同研究により、クェルシトリンがピーマンの苦味成分であることが解明された。苦味を嫌う子供に対しては、1990年代のパプリカの普及から応用がなされるようになったほか、ハラペーニョに改良を加え辛味と苦味を和らげた「こどもピーマン」の開発がなされている。 生の場合、可食部100グラム (g) あたりのエネルギー量は約22 kcal (92 kJ)で、水分含有量は93.4 gを占める。栄養素は比率で炭水化物が約5.1 gと最も多く、次いで蛋白質0.9 g、灰分0.4 g、脂質0.2 gと続く。食物繊維2.3 gのうち、水溶性は0.6 g、不溶性は1.7 gである。 緑色の未熟果は、β-カロテン、ビタミンC・ビタミンE、食物繊維や、ミネラル、カリウムも多く含む。緑色のピーマンには、葉緑素(クロロフィル)が含まれている。特にビタミンCが豊富で、ピーマン1個あたり80 mgのビタミンCが含まれており、トマトの5倍にも相当する。ピーマンに含まれるビタミンPという成分が、ビタミンCを酸化や熱から守る性質があるため、他の野菜に比べて調理後のビタミンCが失われにくい特徴がある。このため、レモンよりも遥かに多くのビタミンCの摂取が可能である。また、ビタミンPはフラボノイドの1種で、毛細血管を強化し、高血圧予防、中性脂肪の減少に役立つといわれている。 ビタミン成分は緑色のときよりも、熟して赤や黄色になったときの方が増加する。熟した赤いピーマンや、カラーピーマンの一種であるパプリカは、緑色ピーマンと比較して、ビタミンCが約2倍、β-カロテンは約3倍ほど多く含まれている。カラーピーマンの色素成分であるカプサンチンは強い抗酸化作用があり、活性酸素から身体を守る作用がある。アメリカでは、ピーマンはがんを予防する食材のトップクラスに挙げられている。 必須アミノ酸の分解には欠かせないもので、健康維持には不可欠とされる補酵素のピロロキノリンキノン(PQQ)は、納豆などと共にピーマンにも含まれている。ハンガリーの生理化学者であるセントジェルジは、ピーマンからビタミンCを発見しノーベル賞を受賞している。 夏場以外は常温でも保存可能で、家庭で保存するときには、密閉を避けて7 - 8°C程度の場所に置くのがよい。それよりも低温の場所に長時間置くといわゆる低温障害を起こし、果肉の張りが失われる。冷蔵庫で保存する場合は、水気を取ってポリ袋に入れたりラップで包んで保存するようにすれば、1週間程度はもつ。 下ごしらえとして通常、中に入っている白い種や白い葉脈を取り除く。皮を剥く場合は直火で焦げるまで焼いてから、濡れ布巾やペティナイフを使うと剥きやすい。 サラダなどに生食するか、シチューなどの煮込み、マリネなどの酢漬け、中華料理などの炒め物、中の空洞を使って肉を詰めて焼くなどの調理法がある。褐色、黒色、紫色のピーマンは、加熱調理すると緑色に変化する。ピーマンは加熱調理することで甘味を増すが、加熱しすぎると風味が損なわれるため、炒め物では強火で短時間のうちに調理して、色合いよく歯触りを残すように仕上げた方が良い。 ピーマンを使った代表的な料理に、下記のようなものがある。 因みに、1970年代後半頃には「頭がピーマン」という流行語があった。ピーマンの中身が空洞であることを元に、「頭が空っぽ=頭が悪い」という意味で使われた。 ピーマン・トマト・ナスの三種を接ぎ木したものは、トマピーナと呼称される。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ピーマン(甘唐辛子)は、ナス科トウガラシ属の多年草または低木(日本など温帯では一年草)、およびその果実。学名は Capsicum annuum 'Grossum' であり、トウガラシの栽培品種で甘味種に分類される。果肉は種子以外ほとんど空洞である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本語における「ピーマン」の由来は、広義のトウガラシを指すフランス語の “piment”(ピマン)、あるいはポルトガル語の “pimento”(ピーメント)とされる。ピマンやピーメントの語源は、「塗料」「顔料」を意味するラテン語の “pigmentum” だと言われている。明治期では西洋とうがらし、甘とうがらしとも。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "植物分類学上では、ピーマンはトウガラシと同種であるが、トウガラシのうち、しし群とベル群という2つの品種群が通常ピーマンと呼ばれている。ベル群のうち、肉厚の大果種を特にパプリカ(英: Paprika)、またはジャンボピーマンの名で呼んでいる。「パプリカ」の名は、ハンガリーなどでトウガラシ類を総称する言葉であるが、子供や若者に食べてもらうために、ファッション性を意識して用いられたという経緯もある。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "英語名は、“Sweet pepper”(スイートペッパー)や、“Bell pepper”(ベルペッパー)などと呼ばれる。フランス語名は “poivron”(ポワヴロン)というピーマンを意味する男性名詞でよばれ、イタリア語名では “peperone”(ペペローネ)、中国名は「菜椒」という。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "熱帯アメリカ原産で、代表的な夏野菜の一つに数えられる。トウガラシの仲間で、果実が大きく、辛味を抑えて品種改良されたものである。トウガラシから選抜して野菜として栽培され、アメリカで改良されたのがベル形のピーマンである。オランダでさらに改良が加えられ、大形カラーピーマンの「パプリカ」も生まれている。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "日本の店頭で食用として販売されるものは、明治初頭にアメリカから伝わったイスパニア種を品種改良した中形で緑色のものが多いが、近年はカラーピーマンも出回っている。緑色は未成熟の果実のためであり、成熟すると一般的なものは赤色のほか黄色、橙色に変わるものもある。北米では大形の成熟した様々な色のものが流通する。その他に、未成熟で白色や、黒色(濃い紫色)、紫色のものもあり、黒や紫色は表面の色だけで果肉の断面は緑色である。こうした未熟果は加熱すると緑色に変化し、熟すると橙色、赤色に変わる。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ピーマンと分類学上同種のトウガラシは、16世紀(戦国時代)に日本に渡来したといわれ、「蕃椒」とよばれていた。薬用、観賞用とされたトウガラシは、江戸時代に甘味種であるシシトウウガラシ、伏見甘などが出現し、江戸時代中期の『成形図説』(1804年)の中には、ピーマン形の甘味種のトウガラシの記載が見られる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "18世紀にアメリカ合衆国で、大きくて肉厚な甘トウガラシを品種改良した大型のピーマンが誕生した。ピーマンとして日本へはじめて伝来したのは明治時代からともいわれ、欧米から新たに甘味種が導入されたが、青臭さが嫌われて当時はあまり普及しなかった。第二次世界大戦後の食糧不足で野菜が高騰する中、政府の規制を受けないピーマンの生産が拡大するようになる。戦後に野菜のさまざまな品目でF1品種が誕生していく中、むさし育種農場が育成したF1品種の「緑王」が1956年(昭和31年)誕生し、大ヒット品種となる。日本で広く普及したのは1960年代以降からで、食生活の洋風化とともに栄養的に優れた食材として注目され、洋食や中華料理など一般家庭に普及していった。1964年(昭和39年)からは、「唐がらし」とは別に「ピーマン」の名で、農林統計に記載されるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1993年(平成5年)になると、オランダからパプリカが初輸入された。高価な野菜でありながらオランダ産の取扱量は1999年までに10倍以上に増え、1999年以降は新規参入の韓国産の取扱量が徐々に増えて、2010年代には日本国内に流通するパプリカの70%以上を占めるようになり、身近な野菜となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ピーマンそのものはトウガラシの品種の一つであり、果実は肉厚でカプサイシンを含まない。流通している最も一般的な種類は、果実が30 - 40 gぐらいの中型で、緑色をしているものである。カラーピーマンも未熟果では緑色であるが、成熟すると赤色、橙色、黄色などに変化する。ピーマンの一種アナスタシア(フルーツピーマン)の販売されているものにも緑色のほかに、赤色、黄色、橙色、黒色(紫色)など様々な色のものもある。日本でパプリカと呼ばれる品種は、肉厚で果実の部屋数が3 - 4に分かれた綺麗なベル形の品種で、完熟果として赤、オレンジ、黄、茶色があり、未熟果として白、黒、緑、紫色がある。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ピーマンは1株から多数の実が収穫できる野菜で、栽培も手軽にできるが、手間のかけ方によって品質にも影響する。栽培時期は春に苗を植えて、夏から秋にかけて収穫する作物で、日本では5月ごろに植え付けされ7月から10月ごろにかけて収穫されるのが一般的である。ナスよりも高温性で、栽培適温は25 - 30°Cとされ、寒さには弱く18°C以下になると栽培不良になってしまう。順調に育てるためには、気温15 - 30度以上、地温22 - 25度以上が必要といわれている。夏の暑さには大変強く、秋の徐々に寒くなる気候にも順応し、霜が降りるまで生育を続ける。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "仕立や剪定の手間がかからず、比較的容易に栽培できる作物であるが、連作障害が起きるため同じ土地では、3年以上は同じナス科野菜を作らないようにする必要がある。日当たりが良い土壌に、植え付け前に元肥を十分にすき込むことが重要で、土壌が乾燥しないように株元を藁などで覆って水やりを切らさず追肥をしながら育てれば、1株だけでも長期間に渡りたくさんの果実を収穫することができる。冬から春にかけての時期はハウス栽培も行われている。カラーピーマンも同様に育てられる。苗をつくるときは、育苗箱などに種を筋蒔きし、発芽まで地温28 - 30度、発芽後は地温22 - 25度、気温15 - 30度の環境が整うように養生する。発芽が揃うころに葉が重ならないように間引きし、本葉1枚にころに育苗ポットに鉢上げして、できるだけ大苗に仕上げる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "苗は本葉7 - 8枚のもので、畝の中央に穴を空けて植え付け、高さ1 m以上の支柱を立てて茎を縛り苗が動かないようにする。支柱は、実がたくさんつくと、重みで株が倒れてしまうことを防止するためのものである。苗が育って十分に根付くと花が咲き始めて、すぐに実がつくようになるが、はじめのうちは株をしっかり成長させるため、生長に必要な栄養分が最初の実に取られないように早めに摘果して、株の成長を促すようにする。6月中旬から9月にかけて次々と実がつくようになると、長期間収穫できることから定期的に追肥を行うことも重要で、肥料不足になると花が落ちたり、雌しべが短い短花柱花が多くなる原因となる。実は完熟するとかたくなってしまうので、開花後は2 - 3週間を目安に早めに収穫するようにすると、株への負担も小さく、次の実も早く大きくなる。また、実が一斉にさくさんつくと株が弱くなるので、若採りして樹勢を回復させるのもよい。カラーピーマンは、完熟して色づくまで置いておいてから収穫する。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ピーマンの病虫害に、ホオズキカメムシ、ヨトウムシ、ハスモンヨトウ、アブラムシが葉につき被害に遭いやすいので、見つけたら取り除いて駆除するか薬剤を散布して防除する。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "日本の主な生産地は、茨城県、宮崎県、岩手県などで、生産量の日本一は茨城県で約5割を占め、次いで宮崎県、岩手県、高知県が多い。露地栽培の出荷は7 - 8月が主であるが、施設栽培により通年安定的に供給されている。平成14年 - 平成15年度の統計によれば、冬春ピーマン(11月 - 4月)は温暖な気候となっている宮崎県と高知県産が多く、夏秋ピーマン(8月 - 9月)は、福島県や岩手県産が多く出回っている。茨城県産は夏秋ものと冬春もの共に対応し、4 - 7月は特に出荷量が多い。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "外国から日本への輸入は、オランダ、韓国、ニュージーランド産が多い。パプリカは、春 - 秋はオランダ産、冬期は韓国、ニュージーランド産が多い。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "果実を食用とし、緑黄色野菜に分類される。果実の表面につやと張りがあってふっくらとしており、色鮮やかでヘタの切り口が瑞々しく、黒ずんでいないものが新鮮で良品とされる。カラーピーマンは、緑色ピーマンよりの肉厚で、甘みが強い。料理では炒め物やサラダにするほか、煮物にも使える。パプリカはスパイスとしても使われ、ハンガリアンペッパー(別名:スパニッシュペッパー)と呼ばれる甘味とうがらしを粉末状にしたものである。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "日本では内部の種やワタを取って調理されるのが一般的だが、これは見栄えや食感をよくするためだけであり、シシトウなどと同様に、変質していなければ種やワタも摂取することができる。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "カラーピーマンの様に、成熟した果肉には甘みがあり青臭みが気にならない一方で、緑色の未成熟の果肉には独特の青臭い風味と苦味がある。ピーマンを苦手とする人の主な要因は、この特有の青臭さを気にする人が多いからだと言われている。特に子供はこの風味を好まないことが多く、ニンジンやグリーンピースなどと共に子供が嫌いな食材の筆頭に挙げられることも多い。1970年代後半には、1960年代に子供が好きだった物を並べた「巨人・大鵬・卵焼き」をもじって、嫌われ者の代表として「江川・ピーマン・北の湖」という言葉が生まれたほどである。この青臭さや苦味は、油で調理すると軽減される。また、苦味は大人よりも味覚が敏感な幼少期に強く感受されるため、成長するにつれ食べられるようになる子供は多い。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ピーマン特有の青臭さの元は、ピラジンという成分である。ピラジンは緑ピーマンに多く含まれ、血液が凝固するのを予防する効果があり、脳血栓や心筋梗塞の予防に役立つ成分だと評価されている。2012年3月、タキイ種苗とお茶の水女子大学との共同研究により、クェルシトリンがピーマンの苦味成分であることが解明された。苦味を嫌う子供に対しては、1990年代のパプリカの普及から応用がなされるようになったほか、ハラペーニョに改良を加え辛味と苦味を和らげた「こどもピーマン」の開発がなされている。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "生の場合、可食部100グラム (g) あたりのエネルギー量は約22 kcal (92 kJ)で、水分含有量は93.4 gを占める。栄養素は比率で炭水化物が約5.1 gと最も多く、次いで蛋白質0.9 g、灰分0.4 g、脂質0.2 gと続く。食物繊維2.3 gのうち、水溶性は0.6 g、不溶性は1.7 gである。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "緑色の未熟果は、β-カロテン、ビタミンC・ビタミンE、食物繊維や、ミネラル、カリウムも多く含む。緑色のピーマンには、葉緑素(クロロフィル)が含まれている。特にビタミンCが豊富で、ピーマン1個あたり80 mgのビタミンCが含まれており、トマトの5倍にも相当する。ピーマンに含まれるビタミンPという成分が、ビタミンCを酸化や熱から守る性質があるため、他の野菜に比べて調理後のビタミンCが失われにくい特徴がある。このため、レモンよりも遥かに多くのビタミンCの摂取が可能である。また、ビタミンPはフラボノイドの1種で、毛細血管を強化し、高血圧予防、中性脂肪の減少に役立つといわれている。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ビタミン成分は緑色のときよりも、熟して赤や黄色になったときの方が増加する。熟した赤いピーマンや、カラーピーマンの一種であるパプリカは、緑色ピーマンと比較して、ビタミンCが約2倍、β-カロテンは約3倍ほど多く含まれている。カラーピーマンの色素成分であるカプサンチンは強い抗酸化作用があり、活性酸素から身体を守る作用がある。アメリカでは、ピーマンはがんを予防する食材のトップクラスに挙げられている。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "必須アミノ酸の分解には欠かせないもので、健康維持には不可欠とされる補酵素のピロロキノリンキノン(PQQ)は、納豆などと共にピーマンにも含まれている。ハンガリーの生理化学者であるセントジェルジは、ピーマンからビタミンCを発見しノーベル賞を受賞している。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "夏場以外は常温でも保存可能で、家庭で保存するときには、密閉を避けて7 - 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ピーマン(甘唐辛子)は、ナス科トウガラシ属の多年草または低木(日本など温帯では一年草)、およびその果実。学名は Capsicum annuum 'Grossum' であり、トウガラシの栽培品種で甘味種に分類される。果肉は種子以外ほとんど空洞である。
{{otheruses||[[絵本]]作家・[[歌手]]|中川ひろたか}} {{生物分類表 |名称 = ピーマン |色 = lightgreen |画像 = [[Image:GreenPeppers.jpg|250px]] |画像キャプション = ピーマン |界 = [[植物界]] [[:en:Plantae|Plantae]] |門 = [[被子植物門]] [[:en:Magnoliophyta|Magnoliophyta]] |綱 = [[双子葉植物綱]] [[:en:Magnoliopsida|Magnoliopsida]] |目 = [[ナス目]] [[:en:Solanales|Solanales]] |科 = [[ナス科]] [[:en:Solanaceae|Solanaceae]] |属 = [[トウガラシ属]] [[:en:Capsicum|Capsicum]] |種 = [[トウガラシ]] ''C. annuum'' |栽培品種 = '''ピーマン''' ''C. annuum'' var. 'grossum' |学名 = {{Snamei||Capsicum annuum}} {{AU|L.}} ‘Grossum’ group {{small|([[1846年|1846]])}}<ref name="YList">{{YList|id=12262|taxon=Capsicum annuum L. Grossum group ピーマン(標準)|accessdate=2023-04-25}}</ref> |和名 = ピーマン |英名 = [[:en:bell pepper|bell pepper]], <br />sweet pepper{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=90}}<br>green pepper{{sfn|板木利隆|2020|p=28}}<br>pepper{{sfn|板木利隆|2020|p=28}} }} [[画像:W piiman4081.jpg|thumb|ピーマンの花]] [[画像:Capsicum annuum.JPG|thumb|さまざまな色のカラーピーマン]] [[File:Poivrons Luc Viatour.jpg|thumb|さまざまな色のカラーピーマン。緑色のもの以外はパプリカとも呼ばれる]] [[File:ピーマンの断面 P0825290eu329e.jpg|thumb|断面]] '''ピーマン'''(甘唐辛子{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=90}})は、[[ナス科]][[トウガラシ属]]の[[多年草]]または[[低木]]([[日本]]など[[温帯]]では[[一年草]])、およびその[[果実]]。[[学名]]は ''Capsicum annuum'' 'Grossum' であり、[[トウガラシ]]の[[栽培品種]]で甘味種に分類される。果肉は[[種子]]以外ほとんど空洞である。 == 名称 == [[日本語]]における「ピーマン」の由来は、広義の[[トウガラシ]]を指す[[フランス語]]の “piment”('''ピマン'''){{sfn|講談社編|2013|p=83}}、あるいは[[ポルトガル語]]の “pimento”('''ピメント''')とされる。ピマンやピーメントの[[語源]]は、「塗料」「顔料」を意味する[[ラテン語]]の “pigmentum” だと言われている{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。明治期では西洋とうがらし、甘とうがらしとも。 植物分類学上では、ピーマンはトウガラシと同種であるが、トウガラシのうち、しし群とベル群という2つの品種群が通常ピーマンと呼ばれている{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。ベル群のうち、肉厚の大果種を特に[[パプリカ]]([[英語|英]]: Paprika)、またはジャンボピーマンの名で呼んでいる{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。「パプリカ」の名は、[[ハンガリー]]などでトウガラシ類を総称する言葉であるが、子供や若者に食べてもらうために、ファッション性を意識して用いられたという経緯もある{{sfn|板木利隆|2020|p=32}}。 [[英語]]名は、“Sweet pepper”(スイートペッパー)や、“Bell pepper”(ベルペッパー)などと呼ばれる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=90}}。[[フランス語]]名は “poivron”(ポワヴロン)というピーマンを意味する男性名詞でよばれ<ref>{{Cite web|和書|url=https://bibliette.com/poivron|title=「ピーマン」や「パプリカ」はフランス語で?野菜に関するフランス語|publisher=ビブリエット|website=Bibliette(ビブリエット)|date=2019-07-11|accessdate=2021-07-10}}</ref>、[[イタリア語]]名では “peperone”(ペペローネ){{sfn|講談社編|2013|p=82}}、[[中国]]名は「菜椒」<ref name="YList"/>という。 == 特徴 == 熱帯アメリカ原産で、代表的な[[夏野菜]]の一つに数えられる。[[トウガラシ]]の仲間で、果実が大きく、辛味を抑えて品種改良されたものである{{sfn|主婦の友社編|2011|p=16}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=90}}。トウガラシから選抜して野菜として栽培され、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で改良されたのがベル形の'''ピーマン'''である{{sfn|板木利隆|2020|p=32}}。オランダでさらに改良が加えられ、大形カラーピーマンの「[[パプリカ]]」も生まれている{{sfn|板木利隆|2020|p=28}}。 日本の店頭で食用として販売されるものは、[[明治]]初頭にアメリカから伝わったイスパニア種を品種改良した中形で[[緑色]]のものが多いが、近年はカラーピーマンも出回っている。緑色は未成熟の果実のためであり、[[成熟]]すると一般的なものは[[赤色]]のほか[[黄色]]、[[橙色]]に変わるものもある。北米では大形の成熟した様々な色のものが流通する。その他に、未成熟で[[白色]]や、[[黒色]](濃い[[紫色]])、紫色のものもあり、黒や紫色は表面の色だけで果肉の断面は緑色である{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。こうした未熟果は加熱すると緑色に変化し、熟すると橙色、赤色に変わる。 == 歴史 == ピーマンと分類学上同種のトウガラシは、[[16世紀]]([[戦国時代 (日本)|戦国時代]])に日本に渡来したといわれ、「蕃椒」とよばれていた{{sfn|竹下大学|2022|p=104}}。薬用、観賞用とされたトウガラシは、[[江戸時代]]に甘味種であるシシトウウガラシ、伏見甘などが出現し{{sfn|竹下大学|2022|p=104}}、江戸時代中期の『[[成形図説]]』(1804年)の中には、ピーマン形の甘味種のトウガラシの記載が見られる{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。 [[18世紀]]にアメリカ合衆国で、大きくて肉厚な甘トウガラシを品種改良した大型のピーマンが誕生した{{sfn|竹下大学|2022|p=104}}。ピーマンとして日本へはじめて伝来したのは[[明治時代]]からともいわれ、欧米から新たに甘味種が導入されたが、青臭さが嫌われて当時はあまり普及しなかった{{sfn|講談社編|2013|p=83}}{{sfn|竹下大学|2022|p=104}}。[[第二次世界大戦]]後の食糧不足で野菜が高騰する中、政府の規制を受けないピーマンの生産が拡大するようになる{{sfn|竹下大学|2022|p=105}}。戦後に野菜のさまざまな品目で[[F1品種]]が誕生していく中、むさし育種農場が育成した[[F1品種]]の「緑王」が1956年(昭和31年)誕生し、大ヒット品種となる{{sfn|竹下大学|2022|p=105}}。日本で広く普及したのは[[1960年代]]以降からで、食生活の洋風化とともに栄養的に優れた食材として注目され、洋食や中華料理など一般家庭に普及していった{{sfn|主婦の友社編|2011|p=16}}{{sfn|講談社編|2013|p=83}}{{sfn|竹下大学|2022|p=105}}。1964年(昭和39年)からは、「唐がらし」とは別に「ピーマン」の名で、農林統計に記載されるようになった{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。 1993年(平成5年)になると、[[オランダ]]から[[パプリカ]]が初輸入された{{sfn|大竹大学|2022|p=105}}。高価な野菜でありながらオランダ産の取扱量は1999年までに10倍以上に増え、1999年以降は新規参入の[[韓国]]産の取扱量が徐々に増えて、2010年代には日本国内に流通するパプリカの70%以上を占めるようになり、身近な野菜となった{{sfn|大竹大学|2022|p=105}}。 == 品種 == ピーマンそのものはトウガラシの品種の一つであり、果実は肉厚で[[カプサイシン]]を含まない。流通している最も一般的な種類は、果実が30 - 40&nbsp;gぐらいの中型で、緑色をしているものである{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=90}}。カラーピーマンも未熟果では緑色であるが、成熟すると赤色、橙色、黄色などに変化する。ピーマンの一種アナスタシア([[フルーツピーマン]])の販売されているものにも緑色のほかに、赤色、黄色、橙色、黒色(紫色)など様々な色のものもある。日本で[[パプリカ]]と呼ばれる品種は、肉厚で果実の部屋数が3 - 4に分かれた綺麗なベル形の品種で、完熟果として赤、オレンジ、黄、茶色があり、未熟果として白、黒、緑、紫色がある{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。 ;緑ピーマン :一般的に流通しているもので、中型果で緑色の未熟果のピーマン。果肉は薄く、青臭い独特の風味がある。熟すると赤色に変化してカラーピーマンになる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=17}}。中果種は1個の重さが30 - 40[[グラム]] (g) あるが、大果種では150&nbsp;g前後あり、味も中果種のものと同じである{{sfn|講談社編|2013|p=82}}。 :*'''あきの''' - [[園芸植物育種研究所]]育成の品種で、中形の果実で多少しわがある。トマトモザイクウイルス (ToMV) に強く、長期多収で晩秋まで安定的に収穫できる{{sfn|板木利隆|2020|p=28}}。 :*'''京ゆたか''' - 「京みどり」の改良品種で、日本全国で栽培可能で、低温や日照が少ない条件下でも多収が望める。実の表面の色つやが鮮やかで、成長中の黒あざもできにくい{{sfn|竹下大学|2022|p=106}}。 :*'''高農カリフォルニアワンダー''' - 日本に古くに導入され、1828年に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で開発された「カリフォルニアワンダー」を、日本の気候に合うように永年をかけて淘汰育成された作りやすい固定種。実は肉厚で大きく、果重100グラムほどになる。えぐみが少なくて甘みもあり、生食できる{{sfn|竹下大学|2022|p=106}}。 :*'''ニューエース''' - 極早生で横張のある中獅子型ピーマンで、家庭菜園向けで栽培しやすい。初期から成り休みがなく、収量が多い{{sfn|竹下大学|2022|p=108}}。 :*'''みおぎグリーン''' - 園芸植物育種研究所が育成した品種で、果重30 - 40グラムと「みおぎ」よりも小さいが、多収が望めて病気にも強く、果実の形が乱れにくく揃えやすい。栽培が難しい品種であるが、やわらかくて苦みが少ないことから、消費者の人気が高い{{sfn|竹下大学|2022|p=106}}。 ;赤ピーマン(カラーピーマン) :赤ピーマンは、緑ピーマンが熟して赤くなったピーマンで、青臭さは減少して甘味が増している。果肉の厚みは緑ピーマンと変わらない{{sfn|主婦の友社編|2011|p=17}}。カラーピーマンは、赤色、黄色、オレンジ色があり、緑の色が完熟して果実が色づく{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=91}}。一般的な緑ピーマンよりも甘みが強く、臭いも薄い{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=90}}{{sfn|講談社編|2013|p=82}}。黄色、オレンジ色は、赤色とは別種{{sfn|講談社編|2013|p=82}}。 ;こどもピーマン :果実が小ぶりで、肉厚で苦味が少なく甘みのあるピーマン。トウガラシから改良された品種で、ビタミンCやカロテン量は一般的な緑ピーマンより豊富である{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=91}}。 :*'''ピー太郎''' - [[タキイ種苗]]が「ピーマンが苦手な子どもでもおいしく食べられるピーマン」をコンセプトに育成した品種。果重は40グラムほど、濃緑色で果面はなめらか。苦みや青臭みが少なく、素焼き、肉詰め、天ぷら、煮物、炒め物、サラダ、浅漬けと幅広く利用できる{{sfn|竹下大学|2022|p=108}}。果実下部にひびが入り始めたころに収穫する{{sfn|板木利隆|2020|p=28}}。 ;長ピーマン :形はホルン型とも呼ばれる細長い形のピーマンで、京野菜の[[万願寺とうがらし]]や伏見とうがらしに似ている{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。辛味はなく、赤色やオレンジ色もある{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。 :*'''とんがりパワー''' - 長円筒型で長さ15&nbsp;cm、直径4&nbsp;cmほどになるのが特徴。苦みは少なくて甘みがあり、食味がよい{{sfn|竹下大学|2022|p=108}}。 ;[[バナナピーマン]] :果実は長さ10 - 15&nbsp;cmと細長くなるピーマンで[[バナナ]]のような形をしており、熟すと黄緑からクリーム色、赤色へと変化する。肉厚で甘味があって辛味はなく、サラダ、マリネ、炒め物など様々な調理法で使われる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=17}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=91}}。 ;[[パプリカ]] :大型の品種で、果実は赤色、オレンジ色、黄色などがあり、肉厚で甘味が濃いのが特徴。サラダやグリルなどの彩りにも使われる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=17}}。黄ピーマンは、大果種の緑・赤ピーマンとは別種の完熟果である{{sfn|講談社編|2013|p=82}}。市場に出回ることが少ない白ピーマンは、緑ピーマンと同様に未熟果{{sfn|講談社編|2013|p=82}}。表面の色が黒色から紫色の黒ピーマンは未熟果で、加熱調理すると表面も緑色に変わる{{sfn|講談社編|2013|p=82}}。「オランディーノ」「カイテ」「ナガノ」「パレルモ」などの品種がある{{sfn|竹下大学|2022|p=108}}。 ;フルーツピーマン :小ぶりで、ピーマン臭がない甘くてみずみずしさがあるピーマンで、サラダなど生食に向く{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。「フルーツパプリカ」ともよばれ、「アナスタシア」「セニョリータ」「ぱぷ丸」などの品種がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.olive-hitomawashi.com/column/2019/09/post-6415.html|title=ピーマンなのに甘い!【フルーツピーマン】は生で食べるのがおすすめ|publisher=ディライトクリエイション|website=オリーブオイルをひとまわし|author=オリーブオイルをひとまわし編集部|accessdate=2021-07-10}}</ref>。 <!-- ;大型: カリフォルニアワンダー、 ラージベル ;中型: 獅子、京波、ちぐさ --> == 栽培 == ピーマンは1株から多数の実が収穫できる野菜で、栽培も手軽にできるが、手間のかけ方によって品質にも影響する{{sfn|竹下大学|2022|p=106}}。栽培時期は春に苗を植えて、夏から秋にかけて収穫する作物で、日本では5月ごろに植え付けされ7月から10月ごろにかけて収穫されるのが一般的である{{sfn|主婦の友社編|2011|p=20}}。[[ナス]]よりも高温性で{{sfn|板木利隆|2020|p=28}}、栽培適温は25 - 30[[セルシウス度|℃]]とされ、寒さには弱く18℃以下になると栽培不良になってしまう{{sfn|主婦の友社編|2011|p=20}}。順調に育てるためには、気温15 - 30度以上、地温22 - 25度以上が必要といわれている{{sfn|板木利隆|2020|p=32}}。夏の暑さには大変強く、秋の徐々に寒くなる気候にも順応し、霜が降りるまで生育を続ける{{sfn|板木利隆|2020|p=28}}。 仕立や剪定の手間がかからず、比較的容易に栽培できる作物であるが、[[連作障害]]が起きるため同じ土地では、3年以上は同じナス科野菜を作らないようにする必要がある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=20}}。日当たりが良い土壌に、植え付け前に[[元肥]]を十分にすき込むことが重要で、土壌が乾燥しないように株元を[[藁]]などで覆って水やりを切らさず[[追肥]]をしながら育てれば、1株だけでも長期間に渡りたくさんの果実を収穫することができる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=20}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=244}}。冬から春にかけての時期はハウス栽培も行われている。カラーピーマンも同様に育てられる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=244}}。苗をつくるときは、育苗箱などに種を筋蒔きし、発芽まで地温28 - 30度、発芽後は地温22 - 25度、気温15 - 30度の環境が整うように養生する{{sfn|板木利隆|2020|p=29}}。発芽が揃うころに葉が重ならないように[[間引き]]し、本葉1枚にころに育苗ポットに鉢上げして、できるだけ大苗に仕上げる{{sfn|板木利隆|2020|p=29}}。 苗は本葉7 - 8枚のもので、[[畝]]の中央に穴を空けて植え付け、高さ1&nbsp;m以上の支柱を立てて茎を縛り苗が動かないようにする{{sfn|主婦の友社編|2011|p=21}}。支柱は、実がたくさんつくと、重みで株が倒れてしまうことを防止するためのものである{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=244}}{{efn2|支柱の代わりに、紐で仕立てられる場合もある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=244}}。}}。苗が育って十分に根付くと花が咲き始めて、すぐに実がつくようになるが、はじめのうちは株をしっかり成長させるため、生長に必要な栄養分が最初の実に取られないように早めに摘果して、株の成長を促すようにする{{sfn|主婦の友社編|2011|p=21}}。6月中旬から9月にかけて次々と実がつくようになると、長期間収穫できることから定期的に追肥を行うことも重要で、肥料不足になると花が落ちたり、雌しべが短い短花柱花が多くなる原因となる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=22}}。実は完熟するとかたくなってしまうので、開花後は2 - 3週間を目安に早めに収穫するようにすると、株への負担も小さく、次の実も早く大きくなる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=22}}。また、実が一斉にさくさんつくと株が弱くなるので、若採りして樹勢を回復させるのもよい{{sfn|板木利隆|2020|p=28}}。カラーピーマンは、完熟して色づくまで置いておいてから収穫する{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=244}}。 ピーマンの病虫害に、[[ホオズキカメムシ]]、[[ヨトウムシ]]、[[ハスモンヨトウ]]、[[アブラムシ]]が葉につき被害に遭いやすいので、見つけたら取り除いて駆除するか薬剤を散布して防除する{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=244}}{{sfn|板木利隆|2020|p=31}}。 === 日本の主産地 === 日本の主な生産地は、[[茨城県]]、[[宮崎県]]、[[岩手県]]などで、生産量の日本一は[[茨城県]]で約5割を占め、次いで宮崎県、岩手県、[[高知県]]が多い{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。露地栽培の出荷は7 - 8月が主であるが、施設栽培により通年安定的に供給されている{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。平成14年 - 平成15年度の統計によれば、冬春ピーマン(11月 - 4月)は温暖な気候となっている宮崎県と高知県産が多く、夏秋ピーマン(8月 - 9月)は、福島県や岩手県産が多く出回っている{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。茨城県産は夏秋ものと冬春もの共に対応し、4 - 7月は特に出荷量が多い{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。 外国から日本への輸入は、[[オランダ]]、[[韓国]]、[[ニュージーランド]]産が多い{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。パプリカは、春 - 秋はオランダ産、冬期は韓国、ニュージーランド産が多い{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。 == 食材 == {{栄養価 | name=ピーマン(Peppers, sweet, green, raw)| water =93.89 g| kcal =20| kJ =84| protein =0.86 g| fat =0.17 g| carbs =4.64 g| fiber =1.7 g| sugars =2.4 g| calcium_mg =10| iron_mg =0.34| magnesium_mg =10| phosphorus_mg =20| potassium_mg =175| sodium_mg =3| zinc_mg =0.13| manganese_mg =0.122| selenium_μg =0| vitC_mg =80.4| thiamin_mg =0.057| riboflavin_mg =0.028| niacin_mg =0.48| pantothenic_mg =0.099| vitB6_mg=0.224| folate_ug =10| choline_mg =5.5| vitB12_ug =0| vitA_ug =18| betacarotene_ug =208| lutein_ug =341| vitE_mg =0.37| vitD_iu =0| vitK_ug =7.4| satfat =0.058 g| monofat =0.008 g| polyfat =0.062 g| right=1 | source_usda=1 }} 果実を食用とし、[[緑黄色野菜]]に分類される{{sfn|講談社編|2013|p=86}}。果実の表面につやと張りがあってふっくらとしており、色鮮やかでヘタの切り口が瑞々しく、黒ずんでいないものが新鮮で良品とされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=16}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=90}}。カラーピーマンは、緑色ピーマンよりの肉厚で、甘みが強い{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=91}}。料理では炒め物やサラダにするほか、煮物にも使える{{sfn|主婦の友社編|2011|pp=18&ndash;19}}。パプリカはスパイスとしても使われ、ハンガリアンペッパー(別名:スパニッシュペッパー)と呼ばれる甘味とうがらしを粉末状にしたものである{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。 日本では内部の種やワタを取って調理されるのが一般的だが、これは見栄えや食感をよくするためだけであり、[[シシトウ]]などと同様に、変質していなければ種やワタも摂取することができる<ref>{{Cite web|和書 | url = https://rassic.jp/content/6878 | title = 捨てないで!ピーマンの「わた」と「種」 | website = RASSIC | accessdate = 2020-10-07 }} </ref>。 === 風味 === カラーピーマンの様に、成熟した果肉には甘みがあり青臭みが気にならない一方で、緑色の未成熟の果肉には独特の青臭い風味と苦味がある{{sfn|講談社編|2013|p=85}}。ピーマンを苦手とする人の主な要因は、この特有の青臭さを気にする人が多いからだと言われている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=17}}。特に子供はこの風味を好まないことが多く{{sfn|講談社編|2013|p=85}}、[[ニンジン]]や[[グリーンピース]]などと共に子供が嫌いな食材の筆頭に挙げられることも多い。1970年代後半には、1960年代に子供が好きだった物を並べた「[[巨人・大鵬・卵焼き]]」をもじって、嫌われ者の代表として「[[江川卓 (野球)|江川]]・ピーマン・[[北の湖敏満|北の湖]]」という言葉が生まれたほどである<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1568962.html 「江川ピーマン北の湖」強すぎで揶揄] - 日刊スポーツ2015年11月21日</ref>。この青臭さや苦味は、油で調理すると軽減される{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=90}}。また、苦味は大人よりも[[味覚]]が敏感な幼少期に強く感受されるため、成長するにつれ食べられるようになる子供は多い。 ピーマン特有の青臭さの元は、[[ピラジン]]という成分である{{sfn|主婦の友社編|2011|p=17}}。ピラジンは緑ピーマンに多く含まれ、血液が凝固するのを予防する効果があり、脳血栓や心筋梗塞の予防に役立つ成分だと評価されている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=17}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=90}}{{sfn|講談社編|2013|p=85}}。[[2012年]]3月、[[タキイ種苗]]と[[お茶の水女子大学]]との共同研究により、[[クェルシトリン]]がピーマンの苦味成分であることが解明された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.takii.co.jp/info/news_120319.html |title=「ピーマンの苦味成分」を解明 |publisher=[[タキイ種苗]]インフォメーション |accessdate=2012-5-16}}</ref>。苦味を嫌う子供に対しては、1990年代のパプリカの普及から応用がなされるようになったほか、[[ハラペーニョ]]に改良を加え辛味と苦味を和らげた「こどもピーマン」の開発がなされている<ref>[http://www.takii.co.jp/brand/childpiment2.html こどもピーマンのひみつ]タキイ種苗</ref>。 === 栄養 === 生の場合、可食部100グラム (g) あたりのエネルギー量は約22 kcal (92 kJ)で、水分含有量は93.4 gを占める{{sfn|講談社編|2013|p=85}}。栄養素は比率で[[炭水化物]]が約5.1 gと最も多く、次いで[[蛋白質]]0.9 g、[[灰分]]0.4 g、[[脂質]]0.2 gと続く{{sfn|講談社編|2013|p=85}}。[[食物繊維]]2.3 gのうち、水溶性は0.6 g、不溶性は1.7 gである{{sfn|講談社編|2013|p=85}}。 緑色の未熟果は、[[β-カロテン]]、[[ビタミンC]]・[[ビタミンE]]、食物繊維や、[[ミネラル]]、[[カリウム]]も多く含む{{sfn|主婦の友社編|2011|p=16}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=90}}。緑色のピーマンには、[[葉緑素]](クロロフィル)が含まれている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=16}}。特にビタミンCが豊富で、ピーマン1個あたり80&nbsp;[[ミリグラム|mg]]のビタミンCが含まれており、[[トマト]]の5倍にも相当する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=16}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=90}}。ピーマンに含まれる[[ビタミンP]]という成分が、ビタミンCを酸化や熱から守る性質があるため、他の野菜に比べて調理後のビタミンCが失われにくい特徴がある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=16}}。このため、[[レモン]]よりも遥かに多くのビタミンCの摂取が可能である。また、ビタミンPは[[フラボノイド]]の1種で、毛細血管を強化し、高血圧予防、中性脂肪の減少に役立つといわれている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=16}}。 ビタミン成分は緑色のときよりも、熟して赤や黄色になったときの方が増加する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=16}}。熟した赤いピーマンや、カラーピーマンの一種である[[パプリカ]]は、緑色ピーマンと比較して、ビタミンCが約2倍、β-カロテンは約3倍ほど多く含まれている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=17}}。カラーピーマンの色素成分である[[カプサンチン]]は強い抗酸化作用があり、活性酸素から身体を守る作用がある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=17}}。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では、ピーマンはがんを予防する食材のトップクラスに挙げられている{{sfn|講談社編|2013|p=85}}。 [[必須アミノ酸]]の分解には欠かせないもので、健康維持には不可欠とされる[[補酵素]]の[[ピロロキノリンキノン]](PQQ)は、[[納豆]]などと共にピーマンにも含まれている{{sfn|講談社編|2013|p=84}}。[[ハンガリー]]の生理化学者である[[セント=ジェルジ・アルベルト|セントジェルジ]]は、ピーマンからビタミンCを発見し[[ノーベル賞]]を受賞している{{sfn|講談社編|2013|p=85}}。 === 保存 === 夏場以外は常温でも保存可能で{{sfn|講談社編|2013|p=83}}、家庭で保存するときには、密閉を避けて7 - 8℃程度の場所に置くのがよい。それよりも低温の場所に長時間置くといわゆる[[低温障害]]を起こし、果肉の張りが失われる。冷蔵庫で保存する場合は、水気を取ってポリ袋に入れたりラップで包んで保存するようにすれば、1週間程度はもつ{{sfn|主婦の友社編|2011|p=17}}{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。 === 調理 === 下ごしらえとして通常、中に入っている白い種や白い葉脈を取り除く{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。皮を剥く場合は直火で焦げるまで焼いてから、濡れ[[布巾]]や[[ペティナイフ]]を使うと剥きやすい{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。 サラダなどに生食するか、シチューなどの煮込み、マリネなどの酢漬け、中華料理などの炒め物、中の空洞を使って肉を詰めて焼くなどの調理法がある{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。褐色、黒色、紫色のピーマンは、加熱調理すると緑色に変化する{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。ピーマンは加熱調理することで甘味を増すが、加熱しすぎると風味が損なわれるため、炒め物では強火で短時間のうちに調理して、色合いよく歯触りを残すように仕上げた方が良い{{sfn|講談社編|2013|p=83}}。 ピーマンを使った代表的な料理に、下記のようなものがある。 * [[青椒肉絲]] * 生のまま刻んで[[サラダ]]に用いる * [[野菜炒め]]、[[スープ]]の具材 * 揚物、[[天ぷら]] * 酢漬([[ピクルス]]) * [[肉詰めピーマン]]、[[ドルマ]]:空洞部分に[[ファルス (料理)|ファルス]]を詰めて焼いたり煮たりしたもの * [[ラタトゥイユ]] * [[ピペラード]] * [[焼きそば]] * [[チャーハン]] == 文化 == ;楽曲 *ごめんねピーマン(作詞:[[井出隆夫]]、作曲:[[越部信義]])『[[おかあさんといっしょ]]』で使われている[[タンゴ]]調の楽曲。 *ピーマンのうた([[小島よしお]]) * ピーマン体操([[【推しの子】#登場人物|有馬かな]]《[[潘めぐみ]]》) * かなピーマン([[しまじろうのわお!]] [[福島節]]) * ピーマン([[NOISY|DUSTER3]]) ;映画 *[[ピーマン80]]([[居作昌果]]監督) ;テレビドラマ *[[ピーマン白書]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]) 因みに、[[1970年代]]後半頃には「頭がピーマン」という流行語があった。ピーマンの中身が空洞であることを元に、「頭が空っぽ=頭が悪い」という意味で使われた。 == その他 == ピーマン・[[トマト]]・[[ナス]]の三種を[[接ぎ木]]したものは、[[トマピーナ]]と呼称される。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注"/> === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author =板木利隆|title = 決定版 野菜づくり大百科|date=2020-03-16|publisher = [[家の光協会]]|isbn=978-4-259-56650-0|pages =28 - 33|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|title = かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典|date=2012-07-10|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30997-2|pages =90 - 91|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =講談社編|title = からだにやさしい旬の食材 野菜の本|date=2013-05-13|publisher = [[講談社]]|isbn=978-4-06-218342-0|pages =82 - 85|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =主婦の友社編|title = 野菜まるごと大図鑑|date=2011-02-20|publisher = [[主婦の友社]]|isbn=978-4-07-273608-1|pages =16 - 23|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =竹下大学|title = 野菜と果物すごい品種図鑑:知られざるルーツを味わう|date=2022-07-12|publisher = [[エクスナレッジ]]|isbn=978-4-7678-3026-1|pages =104 - 109|ref=harv}} == 外部リンク == {{commonscat|Bell_pepper}} * [https://vegetable.alic.go.jp/panfu-siki/piman/index.htm 四季の野菜「ピーマン」] 独立行政法人[[農畜産業振興機構]] * [http://www.yasaiyasai.com/name/h/piment/ ピーマン(野菜果物辞典)] {{DEFAULTSORT:ひまん}} [[Category:トウガラシ属]] [[Category:果菜]] [[bg:Червен пипер]] [[ceb:Paprika]] [[eo:Papriko]] [[gl:Pemento (condimento)]] [[he:פפריקה]] [[pl:Papryka (kuchnia)]] [[ru:Паприка (специя)]] [[sl:Paprika (začimba)]] [[tg:Қаламфур]]
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ジャガイモ
ジャガイモ(英: potato、学名:Solanum tuberosum)、別名馬鈴薯()は、ナス科ナス属の多年草の植物。南アメリカのアンデス山脈原産。世界中で栽培され、デンプンが多く蓄えられる地下茎が芋の一種として食用される。揚げる、蒸す、茹でる、煮込み料理にするなどのほか、コロッケやポテトチップスなどの加工食品にもされ、デンプン原料としても需要がある。保存がきく野菜として扱われる一方で、主食にもなりえる重要な食物であり、ビタミンCやカリウムなどの豊富な栄養を含む特徴がある。芋から発芽した芽や光に当たって緑色になった皮などに有害物質を含む(#毒性を参照)。 リンネの『植物の種』(1753年) で記載された植物の一つである。 行政機関、学会により呼び名が異なる。 17世紀初めにオランダ船によってジャワのジャガトラ(ジャカルタの旧名)から日本に伝来し、「ジャガタライモ」と呼ばれていたものが転じて「ジャガイモ」になった。ジャガイモの中国植物名である「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名もよく用いられ、日本の行政では馬鈴薯と呼んでいる。中国語音ではマーリンシュー(ピン音 mǎlíngshǔ)となる。日本では18世紀に本草学者の小野蘭山が『耋筵小牘』(1807年)の中で命名したといわれている。一説には、ジャガイモの形が馬につける鈴(馬鈴)に似ることから、この名前になったという。なお、中国では他に「土豆」(トゥードウ)、「洋芋」「陽芋」(ヤンユー)、「薯仔」(シューザイ)などとも呼ぶ。 英語のポテト (potato) の語源は、タイノ族の言葉でサツマイモを意味する batata がスペイン語の patata に変化したものによる。なお、ジャガイモの原産地で古くから使われている言語の一つであるケチュア語では papa というが、これはそのまま中南米スペイン語で使われる。スペイン語で batata が patata に変化したのはこの papa の影響であると考えられている。Papa はローマ教皇を意味する単語と同じであったため、これを忌避して Patata に変遷したともいわれる。 江戸時代以降、米の収穫に不利な山間・寒冷地での栽培が広まったため、地方名や地方品種も多い。 南アメリカ大陸のアンデス山脈が原産で、小さなイモの原種が中南米に自生している。大航海時代にヨーロッパ各地に伝わり、日本へは東南アジアを経て16世紀に伝わった。保存性が高く、当時の船乗りたちの食料として重宝された。品種改良が繰り返されて、現在のような大型のイモをつけるような品種が開発されており、世界中の温帯地域で広く栽培されている。 ジャガイモは、南アメリカアンデス中南部、ペルー南部に位置するチチカカ湖畔が発祥とされる。標高3,000 - 4,000メートルの高地で、500年ごろに栽培されたと考えられている。最も初期に栽培化されたジャガイモは、Solanum stenotomum と呼ばれる染色体数24本の二倍体のもので、その後に四倍体の Solanum tuberosum が栽培化され、現在世界中で広く普及するに至ったとされている。 このジャガイモがヨーロッパ大陸に伝えられたのは、インカ帝国の時代、15世紀から16世紀ごろとされている。当初、インカ帝国の食の基盤はトウモロコシではないかと伝えられていたが、ワマン・ポマが1615年に残した記録や、マチュ・ピチュの段々畑の史跡研究、気象地理条件、食生活の解析など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、見直しが図られている。 しかし、具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、スペイン人がジャガイモを本国に持ち帰ったのは1570年ごろで、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士たちによってもたらされたものであろうと推測付けられている。さらに1600年ごろになるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播するが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していない。 いずれにせよ、16世紀末から17世紀にかけては、植物学者による菜園栽培が主であり、ヨーロッパの一般家庭に食料としてジャガイモが普及するのは、さらに時を待たねばならない。普及は、プロイセン王国で三十年戦争により荒廃し、飢饉が頻発した際に作付け(栽培)が国王の勅命により強制、奨励されたことや、踏み荒らされると収穫が著しく減少する麦に代わり、地下に実るため踏み荒らしの影響を受け難い作物として、農民に容易に受け入れられた結果である。 プロイセン王国(ドイツ)での広まりで、国力を増したと聞きつけたフランス王国ブルボン朝でも広めようと、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットが帽子にジャガイモの花を飾ったと伝えられる。食用作物として本格的に栽培が始められたのは、17世紀のアイルランドで、さらにジャガイモは1621年に、アイルランド移民の手により北アメリカへ渡り、アメリカ独立戦争における兵士たちの胃袋を満たす、貴重な食料源となった。 アイルランドの小作農家たちは元来は主にムギを栽培していたが、厳しいイギリス帝国の植民地支配の下で、ムギは地代として地主に収奪されるため、地代にとられることのない生産性の高いジャガイモを、自分らの小さな庭地で栽培し始めた。それによって、ジャガイモが貧農の唯一の食料となってゆき、飢饉直前には人口の3割がジャガイモに食料を依存する状態になっていた。 「アイリッシュ・ランパー」(Irish Lumper) と呼ばれる、アイルランドのジャガイモ種は寒冷地でも良く育ち、アイルランド人口の増加を支えた。しかし、1845年から1849年の4年間にわたって、ヨーロッパでジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。ジャガイモを主食としていた被支配層のアイルランド人の間からは、ジャガイモ飢饉で100万人以上ともいわれる多数の餓死者を出した。 また、イングランド、北アメリカ、オーストラリア大陸へ、計200万人以上が移住したといわれる。アメリカ合衆国に渡ったアイルランド人移民は、アメリカ社会で大きなグループを形成し、経済界や特に政治の世界で大きな影響力をもつようになった。この時代のアメリカ合衆国への移民の中には、ケネディ家の先祖も含まれていた。 アイルランドでのジャガイモ飢饉があったものの、寒冷地にも強く、年に複数回の栽培が可能で、地中に作られることから、鳥害にも影響されないジャガイモは、庶民の食料として爆発的な普及を見せ、瞬く間に麦、米、トウモロコシに並ぶ「世界四大作物」として、その地位を確立した。アダム・スミスは『国富論』において「小麦の三倍の生産量がある」と評価している。 諸説あるが、1598年にオランダ人によって持ち込まれたとされる。ジャワ島のジャガタラを経由して長崎へ伝来したためジャガタライモと呼称されたが、それが短縮されジャガイモとなった。 江戸時代後期の18世紀末には、ロシア人の影響で北海道・東北地方に移入され、飢饉対策として栽培された。蘭学者の高野長英は、ジャガイモ栽培を奨励している。また江戸後期には、甲斐国の代官であった中井清太夫が、ジャガイモ栽培を奨励したとされ、享和元年(1801年)には小野蘭山が甲斐国黒平村(山梨県甲府市)においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)。また江戸時代後期には、北海道のアイヌもジャガイモを栽培していた。寛政年間、探検家の最上徳内がアブタ場所(現在の洞爺湖町虻田地区)に種芋を持ち込み、地域のアイヌに栽培させたのが、北海道でのジャガイモ伝来だという。 本格的に導入されたのは明治維新後で、北海道の開拓に利用された。アメリカ合衆国でウィリアム・スミス・クラークに学び、後に「いも判官」と呼ばれた、初代根室県令湯地定基により普及し、川田龍吉男爵により特に男爵いもが定着した。当初は、西洋料理の素材としての需要であったが、洋食の普及とともに、徐々に肉じゃがなど、日本の家庭料理にも取り入れられるようになっていった。 多年草。直立する地上茎は50センチメートル から1メートル 程度の高さにまで生長する。葉は奇数羽状複葉。葉の付け根から花茎が長く伸び、先端に多数の花をつける。花は星形で黄色い花心と5枚の花弁を持ち、色は品種によって異なり白から紫と様々である。花の構造はナス科のトマトやナスと酷似している。受粉能力は低いが、品種や条件によっては受粉してミニトマトに似た小型の果実をつける。果実は熟するに従い緑色から黄色、さらに赤色へと変化するが、落果しやすく完熟に至るものは極希である。果実の中には種子(真正種子とよばれる)があり、これを発芽させて生長させることも可能である。ジャガイモの交配はこの種子を利用して行われるが、種芋から育たないため、生長しても全体的に小柄である。これを親株と同様の大きさ程度にまで育てるには3年(3代)程度かかるため、草本性植物としては交配に時間のかかる植物といえる。品種改良も種子を採って芒種からの栽培を利用するが、ジャガイモの場合、種子1粒ごとに遺伝的な性質が異なり、品質を揃えるのは困難であることから、一般に芋を植えて性質が同じ品種を増やす方法がとられる。 晩春の花が咲き始めるころに、土中では新しい芋ができ始める。芋は根のように土中の水分や養分を吸収する機能はなく、地下にある茎が肥大したもので塊茎ともいい、日中に葉で光合成された養分が、夜になって地下の茎に蓄えられてできたものである。塊茎は、地中に埋められた種芋の上から伸びた茎の第6 - 8節から発生した匍匐(ほふく)分枝した茎(ストロン)の先が、次第に肥大して芋になる。昼夜の気温差が大きいほど、養分の移行がスムーズになり、芋のデンプン量が多くなる。塊茎の肥大は、昼温約20度、夜温10 - 14度が適温であり、20度を超えると塊茎は形成されにくくなる。 ジャガイモは、ポテトグリコアルカロイド (Potato Glycoalkaloids; PGA) として総称されるソラニンやチャコニン(カコニン、英: α-chaconine)、ソラマリン、コマソニン、デミツシンと有毒なアルカロイド配糖体を含む。これらはジャガイモ全体に含まれるが、品種や大きさによりばらつきがあり、特に緑色になった皮の部分や芽、果実に多く含まれる。毒性が強いため、食べる際には芽や緑色を帯びた皮は取り除き、長期保存された芋では、皮を厚く剥いて調理した方がよい。 PGAは、加熱による分解が少ない。PGAをたくさん食べたときの中毒症状は、めまい、吐き気、下痢などの症状を引き起こす。毒性はそれほど強くはないが、小児は発症量が10分の1程度と成人より少なく、保育園・小学校の自家栽培による発育不良の小芋は、特にPGAの量が多いため中毒例が多い。芽を大量に食べて死亡した事例もある。 対策としては、芋を太陽光に当てないで、冷暗所で保存し、芽や緑色になった皮の部分を完全に取り除く。PGAは水溶性のため、皮をむいて茹でたり水にさらすことである程度除くことはできるが、粉吹き芋で中毒した例が報告されているように、除ききれない場合がある。 果実は、芽ほどではないにせよ、塊茎と比べPGAの含有量が高いため、食用に向かない。 誰でも比較的育てやすい野菜で、春に種芋を植え付けて夏に収穫する春作と、夏に植え付けて秋に収穫する秋作があり、3月から7月までの春作の方が栽培しやすい。土がたくさん入る比較的大きなプランター(コンテナ)でも栽培することができる。生育期間は約3 - 4か月で、他の芋類と比べて短いのが特徴である。収量も多いので、デンプン質作物としては最も生産効率が高く、輪作上も有利とされる。原産地は高冷地で乾燥しており、栽培適温は15 - 22度で他の芋類よりも低く、冷涼な気候を好み、高温に弱い性質を持つ。連作を嫌うため、ナス科の野菜を3 - 4年作っていない畑で、堆肥と元肥を入れて耕してから作付けする。土壌酸度はpH 7.0の中性を好むが、pH 5.5の酸性土壌でもよく育つ。そうか病はpHが高いほど活発になる性質があるため、ニシユタカ・男爵・メークインなどの耐病性がない従来品種では、土壌酸度調整用の石灰の投入を避ける。 一般的な栽培をする場合、ジャガイモは「種芋」を植え付け培土して育成する。植え付けに行う種芋は、ウイルスに羅病していない専用に育成されたものが使われる。種芋の数を意図的に増やすために、一般的には種芋は、芋に適度な温度と光を当てて発芽させ、芽を中心にして適度な大きさ(半分 - 数個程度)に切り分け、芋の腐敗を防ぐために切断面を数日乾かすか灰などを塗布し、切断面を下に向け地面に置き、土をかぶせる。秋作では種芋を切ると腐敗しやすいため、種芋を小さく切らずに一片のみ切り取って芋に刺激を与えた状態で、あるいは切らずに丸のままの種芋をそのまま植え付ける。植え付けるときに切り口を下向きにするのは、雨水が地表から地中へしみ込む際に、切り口を下向きにした方が種芋の腐敗を防げるからである。植え付け後、一つの種芋から多くの芽が出るため、芋を充実させるために太い芽を2本(秋植えの場合は1本)ほど残して抜き取る芽かきを行う。種芋から出る芽を3芽以上にすると収量は上がるともいわれるが、芋は小さなサイズばかりが多くなる。 種芋は幅90 cmほどの高畝の中央に株間30 cmになるように植え付ける。イモとなる地下茎は種芋より上(地表に近い位置)にできるため、日光に当たって緑化していない良質なジャガイモを収穫するためには、この肥大する地下茎(塊茎)が日光に晒させないように株元の土を盛り上げる土寄せ(培土という)が行われる。土寄せは、芽が伸びて高さ10 cmくらいのときと、高さ30 cmのときの2回行って、最終的に畝の高さ30 cmほどのかまぼこ形になるようにする。花が咲き始めるころから肥料の吸収が盛んになり、追肥が行われる。種芋の植え付けから4か月後、葉が黄色くなって新しい芋が大きくなっていたらジャガイモの収穫期で、株ごと引き抜いて収穫する。葉が緑のうちに収穫した芋(新じゃがいも)は長期保存が利かないため早めに食べる必要があるが、地上部の茎葉が黄色く枯れるまで土中に置いた芋は、長期保存が可能な芋になる。大面積の耕作地では、収穫にハーベスターが使われ、土ごと芋が拾い上げられて、上部の選別台で大きさごとに選別される。収穫後は、芋の水分蒸散防止や病原菌進入防止のための表面処理が行われたあと、低温貯蔵庫で一時保管してから出荷される。 冷涼な気候や硬く痩せた土地にも強い反面、病害や虫の被害を受けやすく連作障害も発生しやすい。ジャガイモの地下茎は水分と栄養が豊富なため、病原菌が繁殖しやすく、保存状態の悪い種芋や、収穫から漏れて地中へ残された芋は病害の原因となる。そのため、日本では植物防疫法の指定種苗となっており、種芋の売買が規制されている。 疫病は生育後半に発生して急速に広がり、塊茎の肥大や貯蔵性に悪影響を及ぼす。同じナス科のトマトと同じ病害が発生し、特に葉に湿った黒褐色の斑点が出る疫病は大敵で、見つけたら殺菌剤を散布して防除する。青枯病は発見次第、株を抜き取る。 害虫ではニジュウヤホシテントウやオオニジュウヤホシテントウが葉を著しく食害する。いずれも成虫は落葉の下などで越冬し、春になるとナス科、特にジャガイモに多く集まって害を与え、葉の裏に卵を産み付ける。孵化した幼虫も大きな害を与えるため、幼虫のうちに早めの除去が必要とされる。食害痕を見つけたら、10日おきぐらいに数回ほど殺虫剤を散布して防除する。このほか、葉を食害する害虫としてはアブラムシなどがある。 日本は国外からの病害虫侵入を防ぐため生食用ジャガイモの輸入を禁止しているが、アメリカ合衆国は2020年3月31日に輸入解禁を要請した。 ジャガイモはナス科野菜と同じ畑で栽培すると、そうか病や疫病や青枯れなどの連作障害が発生しやすい。連作を行うと土壌のバランスが崩れ、単純に生育が悪くなるだけでなく、病害や寄生虫が発生しやすくなる。ジャガイモに限らず、ナス科の植物はこの性質を持ち、例えばジャガイモの後にナスを植えた場合にも連作障害を起こす。 特にジャガイモに大きな被害を与える原因として、ジャガイモシストセンチュウによる生育阻害がある。このセンチュウは地中で増殖し、高密度になるとジャガイモの生育を大きく妨げる。例えば乾土1g中に100卵が存在する状態(高密度)では、収穫量が60%程度低下する。センチュウは宿主(ジャガイモなど)がない状態でも、卵状態(シスト)になり10年以上も生存し続ける場合があり、シスト状態は薬剤にも強いため根絶が難しい。卵を含む可能性のある土を移動させない、付着の恐れのある農具や運搬具の洗浄、といった拡散防止策がとられている。 また、長期の休閑や非宿主の作付なども対策として行われているが、センチュウ密度の低減には効果は低く、最も有効な密度低減対策は、抵抗性品種の作付である。ただし、センチュウはジャガイモには被害を与えるが、ヒトには無害である。このセンチュウは、種苗付着土や動物糞から伝染する。そのため日本では、アイルランド経由以外の、検疫を受けていない塊茎類の直接持ち込みは禁止されている。植物防疫法の指定種苗であり、種芋の販売が規制されて検査が義務づけられている。 ジャガイモの原産地であるアンデス中央高地では、古くから連作障害について認識されており、長期の休閑と輪作が行われている。ジャガイモの次は別の作物を植えるようにするだけでなく、3から4サイクルで一つの区画を利用したあと長期の休閑をとる。休閑の長さは、人口密度や畑の大きさによって様々である。 日本国内においては、1947年(昭和22年)に行われた農地改革で、共有地が崩壊し耕作地が私有地化され、個人が所有する土地区画が狭くなったため、長期の休閑が行えず、シストセンチュウが再び問題になってきている。 アンデスのいくつかの地域では、マシュア(イサーニョとも、学名:Tropaeolum tuberosum)と呼ばれるノウゼンハレン科の塊茎類を混植することで、シストセンチュウの発生を抑えている。マシュアは、その根からシストセンチュウを避ける分泌物を発生することが科学的に確認されている。また、インカ時代には、このマシュアは男性の性欲を抑える働きがあることが知られており、長期間にわたる兵士の出征や労働賦役に際して、性衝動をコントロールする目的で利用されていたことが、スペイン人の記録文書に残されている。 国際連合食糧農業機関 (FAO) の統計資料 (FAOSTAT)によると、2014年の全世界におけるジャガイモの生産量は3億8168万トン、主食となるイモ類では生産量は最大。生産地域は大陸別ではアジアとヨーロッパが4割ずつを占め、インドを除くといずれも中緯度から高緯度北部に分布。上位5カ国で全生産量の57%を占める。日本の生産量は245万トン(世界シェア0.64%)。 長期間の保存に適していないため、生産量に比べ、貿易量は多くない。貿易の多くは下図に示すとおり、欧州域内などの地域的近接によるものがほとんどである。 農林水産省の統計資料による平成28年度の都道府県別収穫量では、全国約216万トン中で北海道が約170万トンと全国の8割を占める。 塊茎(イモ)は主に食用にされ、味にクセがなく、野菜としても、また穀類としての両面を持ち合わせている。主成分がデンプンであることから、コメや麦、トウモロコシと並んで、国によっては主食にもしている。またビタミンCに富み、副菜の材料としても使われる。一年中出回っているが食材としての旬(北半球)は、一般に秋から冬(10 - 2月)、新ジャガイモでは初夏(5 - 6月)とされる。凸凹が少なくて、皮の表面にシワがなくなめらかで、芽が出てなく、緑色に変色していないものが良品とされる。ジャガイモの芽、茎、葉、花、果実、緑色になったイモには、中毒を引き起こすソラニンというアルカロイド成分を含むため、食用や薬用に用いることは避けるべきである。 ジャガイモの利用形態は、生食(青果)、加工、デンプン原料の3種類に大別される。加工用としては、ポテトサラダ、スナック菓子(ポテトチップスなど)、フライドポテト、冷凍食品・惣菜(コロッケなど)がある。デンプンは、いわゆる片栗粉として流通している粉末の原料であり、インスタント麺などの原料にもなる。 ジャガイモの塊茎(イモ)にはデンプンを13 - 20%、たんぱく質を1.5 - 2.6%含み、ビタミンA(カロテン)以外のビタミンB1・B2・Cなどのビタミン類やカリウムも豊富に含んでいる。デンプン質を多く含む割には、低カロリーな食品でもあり、エネルギー量は炊いた米飯の約半分である。ジャガイモには約80%の水分が含まれ、残りは炭水化物がほとんどであり、炭水化物の90%がデンプン質である。少量であるが、炭水化物の中に蔗糖や果糖も含んでおり、特有のおいしさを形成している。 芋類の中でも特にビタミンCが豊富に含まれ、フランスでは「大地(畑)のリンゴ(pomme de terre:ポム・ド・テール)」と呼ばれ、ドイツ語や上述のオランダ語でも同様の表現が存在する。ビタミンCは熱に弱い性質をもつが、ジャガイモの場合では主成分のデンプン質に包まれているため、加熱調理をしても失われにくい利点や、長期保存をしてもほとんど損失しないという特徴がある。ジャガイモは動物性たんぱく質を減らす効果があるとされ、間接的に尿酸値の増加を抑える効果が期待できる。 ジャガイモには可食部100グラム中、食物繊維1.3グラムと豊富に含まれており、便秘解消や大腸癌予防効果が知られている。かつて、がん(癌)予防をめざすデザイナーフーズ計画のピラミッドで3群に属しており、3群の中でも、ローズマリー、セージ、大麦、ベリーと共に3群の最下位に属するが、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた。 様々な栄養素に富む食品であるジャガイモではあるが、アメリカなどではフライドポテトやポテトチップスとして、大量に消費しているため、健康的な消費の仕方とは言いがたい。煮たり、蒸したり、焼いたりといった日本食的な食材を活かした調理方法であれば、健康的に良い食品だといわれている。 ジャガイモは各地域で様々な料理に用いられる。形状・加熱の具合や水分量によって多種多様な食感になり、様々な調味料や油脂、乳製品などとの相性が良い。 日本では一般家庭料理の範疇に属するものとして、肉じゃがや粉吹芋、ポテトサラダ、いももちなど、じゃがいもを主な食材とする料理がある他、カレー、シチュー、グラタン、おでん、味噌汁などの具にも広く用いられる。じゃがバターもポピュラーである。 フライドポテト、マッシュポテト、ベイクドポテト、ヴィシソワーズ、スープ、コロッケなど、欧米ではジャガイモを主体とした料理が多くあり、そのまま蒸かして主食とする食べ方もある。他にジャガイモ料理としてアイリッシュシチュー、トルティージャなどが挙げられる。 中国では、千切りしたジャガイモの炒め物も一般的である。また、日本以外では、パンの材料に用いられる(じゃがいもパン)。他にパスタ(ニョッキ)にも使われる。 ジャガイモに含まれるチロシンは酸素に触れるとメラニンを生じ褐変を起こすため、皮を剥くなどした切断面を水にさらす方法などで褐変を防ぐ。ただし、30分以上水にさらしてしまうと、細胞膜内のペクチンと水に含まれる無機質が反応して細胞膜が強くなり火が通りにくくなる。 品種によって特性が異なるので、料理によって使い分けをする。比較的粘りが少ない粉質の芋(男爵薯など)は、コロッケや粉吹き芋に向いており、皮付きのまま芋を茹でるようにすると、デンプン質が水に流れ出るのを防いで水っぽくならず、ほっくり感がある食感を残して茹で上げることができる。粘りがある粘質の芋(メークインなど)は、煮込み料理向きで、サラダにしてもよい。 煮崩れは、細胞内のデンプンが吸水し膨らみ変形するためで、粉質系の男爵は加熱するとホクホクした食感になり、粘質系のメークインはネットリした食感になる。 春先に出回る早採りしたジャガイモは「新しゃがいも」「新じゃが」として親しまれ、皮が薄くて水分が多いため、小ぶりのものは皮を剥かずにまるごと調理して、蒸し芋、煮ころがし、揚げ物に向いている。 ジャガイモは、古くから凍結乾燥させるという方法で保存性を高め、保存食として利用されてきた。先コロンブス時代、中央アンデス地域において、冷凍したジャガイモを踏みつけることを繰り返すことで水分と毒を抜く方法が発明され、長期にわたる保存・備蓄が可能になった。この凍結乾燥したジャガイモのことを「チューニョ」と呼ぶ。現在でもボリビアやペルーの高地(アルティプラーノ)ではチューニョが利用されている。乾燥したチューニョはまるで小石のように見える。塩味のスープに入れて長時間煮込んで食べるが、質の悪いチューニョはアンモニアのような臭いがすることがある。また、若干作り方が異なり、イモの種類も異なるが、原理的にはチューニョと同じ凍結乾燥ジャガイモに「トゥンタ」と呼ばれるものがある。これもペルー南部やボリビアなどで広く食べられている。 日本でも、山梨県の鳴沢村や長野県の一部地域では、ジャガイモを寒冷期の外気温で冷凍させ、踏みつけることを繰り返して、重量と体積を減らし、保存性を高める方法が存在する。「しみいも」「ちぢみいも」などと呼ぶ。 北海道のアイヌ民族も、秋に収穫し切れなかったジャガイモや傷のあるジャガイモを畑に放置し、雪に埋もれて凍るに任せる。放置されたイモは凍結と解凍を繰り返し、干からびて体積が減る。この工程を経て作られた保存食を「ポッチェイモ」「ペネコショイモ」などと呼び、食べる際は水で戻して丸め、団子にして脂を引いた平鍋で焼く。 こうした保存食とは異なるが、現代の北海道では、低温で一年半ほど保管して熟成させ、デンプンを糖化させて甘くしたジャガイモが商品化されている。 スナック菓子としてポテトチップスが広く食べられている。ただし、タンパク質の成分としてトリプトファンが多く、焦がした場合ニトロソアミンに変化することがあるので注意が必要である。なお、ポテトチップス用の品種も存在し、そのような品種は揚げても焦げにくい(無論、焦げないわけではない)という特徴をもつ。2014年のジャガイモ収穫量は245万トン、うちポテトチップ用は37万トンである。 ジャガイモは、そのものが調理に使われるだけでなく、豊富に含まれるデンプンを抽出したものが片栗粉として販売されている(片栗粉は本来はカタクリのデンプンを粉にしたものであるが、現在市場に出回っている片栗粉のほとんどはジャガイモのデンプンである)。 豊富なデンプンをもつジャガイモは、ウォッカ、ジン、アクアビット、焼酎、ソジュ(韓国焼酎)など蒸留酒の原料にも用いられる。 日本においても、近年、北海道では特産のジャガイモを使ったジャガイモ焼酎(しょうちゅう乙類)の生産が広く行われるようになっている。また、長崎県でも特産品としてジャガイモ焼酎を製造している酒蔵がある。1979年4月に、北海道斜里郡清里町の清里町焼酎醸造事業所が、日本で最初のジャガイモ焼酎となる清里焼酎を製造販売した。以後、北海道の多くの焼酎メーカーがジャガイモ焼酎に参入している。ジャガイモ焼酎は、サツマイモで作る芋焼酎と比べると癖が少なく飲みやすいものとなる。 ジャガイモを薬用で使うときは、塊茎(イモ)が薬用部位となり、洋芋(ようう)と称する場合がある。イモはすべて皮をむき、芽を完全に取り除いてから用いる。使用にあたっては、あまり体質を問わない薬草でもある。体内のナトリウムを排出する作用があるカリウムを多く含むことから、高血圧予防にも役立つといわれている。 民間療法で、湿疹、かぶれ、打ち身、くじき、やけどには、生のジャガイモをすりおろして、小麦粉と酢を混ぜてガーゼなどに延ばして患部に冷湿布すると、痛みが和らぎ、早期治療に役立つといわれている。痛風には、日常の食事にジャガイモを取り入れるとともに、前述の冷湿布を併用すれば効果的とされている。 胃潰瘍、十二指腸潰瘍には、ジャガイモをすり下ろして土鍋に入れ、水分を飛ばして黒くなったものを1日1回2グラムほど服用する。 栽培特性(耐病性、収量)、加工特性、流通・保存特性、食味など様々な観点から品種改良が行われている。 ジャガイモは、品種によって芋の皮の色や肉色、粉質・粘質と性質にも違いがあり、花色にも白色から紫色まである。粉質の品種はホクホクした食感が特徴で、粘質の品種は肉質がきめ細かく、煮崩れしにくい。日本では男爵薯とメークインが2大品種で作付面積の半分以上を占め、その他の農林1号、デジマ、ワセシロなど合わせて99品種が品種登録されている。現在では公的機関ばかりでなく、農家により突然変異を基にした新種育成もまれに行われている。原産地では、皮や肉質に色素がある系統の様々な品種が栽培されていて、近年の日本国内においても、皮色や肉色に色素がある品種も生産されるようになっている。なお、以下の説明における「生食用」は家庭や飲食店での調理素材であることを意味し、非加熱で食用とする意味ではない。 16世紀に南米からヨーロッパにもたらされたジャガイモは、当初はその見た目の悪さ(現在のものより小さく黒かった)からなかなか受け入れられずにいた。さらに民衆は、ジャガイモは聖書に載っておらず、種芋で増えるという理由で「悪魔の作物」として嫌った。 しかし、ヨーロッパで栽培される従来の主要な作物よりも寒冷な気候に耐えること、痩せている土地でも育つこと、作付面積当たりの収量も大きいことから、17世紀にヨーロッパ各地で飢饉が起こると、各国の王は寒さに強いジャガイモの栽培を広めようとした。特に冷涼で農業に不適とされたアイルランドや北ドイツから東欧、北欧では、食文化を変えるほど普及した。これには、地中で育つジャガイモは麦などと違い戦争で畑が踏み荒らされても収穫できることと、農民がジャガイモを食べることで領主たちが自分の麦の取り分を増やそうとした目論見もあった。また西洋のみならず、アメリカ合衆国など北米地域や、日本などアジア地域にも普及し、ジャガイモが飢餓から救った人口は計り知れないといわれる。2005年にはジャガイモの原産地の一つであるペルーが国連食糧農業機関 (FAO) に提案した「国際イモ年」(IYP; International Year of Potato) が認められ、2008年をジャガイモ栽培8000年を記念する「国際イモ年」としてFAOなどがジャガイモの一層の普及と啓発を各国に働きかけることになった。 アイルランドへは1580年代にスペインからもたらされた。気候がジャガイモの生育に適していたこともあり、アイルランドは南米外で初めてジャガイモを農作物として本格的に栽培する地域となった。アイルランドでの普及は栽培の容易さや収量のためだけではなく、支配者のイングランド貴族が熱心に勧めたことにも原因があった。ジャガイモの栽培を増やして農民がそれを食べるように仕向ければ、自分たちが収奪する麦の分量が増えると考えてのことである。 ジャガイモはアイルランド人の主食として定着し、1650年頃から1840年頃まで極めて重要な食料源となっていた。このため、1840年代にジャガイモの疫病がヨーロッパに蔓延した際に、ジャガイモに依存していたアイルランドではジャガイモ飢饉が起こり、大勢のアイルランド人が北アメリカに移住することになった。その移民の中に、後に第35代アメリカ合衆国大統領になるジョン・F・ケネディの曽祖父パトリックがいたのはよく知られている話である(ケネディはパトリックの次男の孫、すなわち4代目である)。 イングランドへは1586年にフランシス・ドレークによってもたらされたと伝えられている。ジャガイモがヨーロッパに流入した当初、ヨーロッパには芋という概念がなかった。そのため、芋というものを食べると分かるまで、本当は有毒である葉や茎を食用とする旨が書かれた料理本がイングランドで出版され、それを真に受けたイングランド人がソラニン中毒を起こした。 ドイツ料理にはジャガイモが多用される。調理法は皮付きのままゆでるシンプルなものから、ピューレ、団子(クネーデル)、農夫の朝食やいわゆるジャーマンポテト、グラタン(アウフラウフ)、パンの生地に混ぜる(カルトッフェルブロート)など多岐にわたる。600種類以上のジャガイモを用いたドイツ料理のレシピがあるとも言われている。かつては、「女性はジャガイモ料理を200種類知っていないと嫁に行けない」とも言われていた。 ドイツで最初にジャガイモが普及したのはプロイセンである。プロイセンの支配地であるブランデンブルク地方は、南ドイツなどとは違い寒冷で痩せた土地が多く、しばしば食糧難に悩まされた。そのため、荒地でも育つジャガイモは食糧難克服の切り札とみなされ、フリードリヒ2世が栽培を奨励した。しかし他のヨーロッパ諸国同様、不恰好な外見から人々に嫌われたため、フリードリヒ2世は自ら領地を巡回し、ジャガイモ普及を訴えたり、毎日ジャガイモを食べたりしたという。 ドイツの食習慣には茹でたジャガイモをフォークなどで潰してから食べる場合があり、第二次世界大戦中、フランスに潜伏したドイツのスパイがレストランでジャガイモを潰して食べたため、スパイであることが露見した、などのジョークが存在する。また、ドイツ軍が第一次世界大戦以降に使用した柄付き手榴弾が形状が似ていることから、「イモ潰し器」(ドイツ語でカルトッフェルプッファー、英語ではポテトマッシャー)と呼ばれていた。 フランスでは、プロイセンの捕虜時代にジャガイモを知った農学者アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエの提言により、ルイ16世が王妃マリー・アントワネットにジャガイモの花を飾って夜会に出席させると、貴族は関心を持った。 しかし食用としては他の国々の例に漏れず、当初は庶民の間で嫌われた。ジャガイモを国に広めたいと思ったパルマンティエは一計を案じ、王が作らせたジャガイモ畑に昼間だけ衛兵をつけて厳重に警備した後、夜はわざと誰も見張りをつけなかった。王がそこまで厳重に守らせるからにはさぞ美味なのだろうと考えた庶民の中から、夜中に畑にジャガイモを盗みに入る者が現われた。結果的に、パルマンティエの目論見通りジャガイモは民衆の間に広まって行ったという話が残っている。 このことから、フランスのジャガイモ料理には「パルマンティエ」の名が付くようになった。特に、牛挽肉とマッシュポテトで作るキャセロール「アッシ・パルマンティエ (Hachis Parmentier) 」が有名である。 北朝鮮では、1990年代後半から食糧危機が発生したが、この時政府(朝鮮労働党)は「ジャガイモ農業革命」を提唱してジャガイモの生産拡大を、同時に種子改良(種子革命方針)、二毛作方針を徹底した。ジャガイモは白米に比べて気候や土地に依存せず大量に生産できる。このように、食糧問題の解決に用いられる例がある。 ベラルーシは2019年の時点で一人あたりのジャガイモ消費量世界一である。また2位と比較しても突出しており、ベラルーシ料理におけるジャガイモの位置づけは高い。 低温に弱い性質で、4度以下になるとデンプン質が変質することから、冷蔵庫には入れないで、紙で包んだり紙袋に入れたりして、日の当たらない風通しの良い場所で保存をする。 品種により貯蔵性が異なり、加工業者は使用時期別にいくつかの品種を組み合わせて使う場合がある。たとえば、長期貯蔵性に優れる「スノーデン」種(ポテトチップスの原料の一つ)は、4月から6月ごろの原料として使われる。 茹でた場合は、冷蔵庫に入れておけば、およそ4 - 5日程度もつ。茹でた場合、水分が分離してスカスカした食感になることから、冷凍庫には決して入れてはならない。しかし、マッシュポテトや水分が比較的少ないフライドポテトなどは冷凍しても問題ない。 収穫後2か月から3ヶ月は休眠期であり、好適な温度や湿度条件下でも発芽しない。しかし、その後、本来繁殖器官である塊茎は発芽を始める。発芽することにより、生食用品種として商品価値を失い、加工用やデンプン原料用では減耗や歩留まりの低下、品質の劣化が起こる。そのため、貯蔵中の発芽の抑制のためいくつかの方法を用いる。 3°Cから10°Cの低温で貯蔵することにより発芽を防ぐ方法が一般的である。最適な貯蔵温度は品種によって異なる。低温保存により、可溶性糖の含量が増える。 CA貯蔵 (Controlled Atmosphere) は、貯蔵する空間の気体の組成・湿度・温度を制御して鮮度を保持する方法。青森県のリンゴの長期貯蔵において一般的な方法で、ジャガイモでも実用化されており、8か月から10か月の長期貯蔵が可能である。 アメリカ合衆国などでは、収穫後にクロロプロファム(英語版)を散布して、発芽を抑制する方法をとる。日本では除草剤として登録されている農薬で、ジャガイモの発芽防止使用では承認されていない。この薬品はカナダ、アメリカ合衆国、オランダその他の主要ジャガイモ生産国では、フライドポテトやポテトチップスなどの加工用ジャガイモに散布される農薬なので、これらの国々から輸入するジャガイモ加工製品には必ず検出される。 放射線であるガンマ線を照射する方法がある。収穫後のジャガイモに微弱な放射線を当てることにより、長期保存をしても有害な芽が出ない。コバルト60から放出されるガンマ線により、芽の組織の細胞分裂を阻害することで発芽を抑制する。 ジャガイモへの放射線照射は、1972年(昭和47年)に厚生省(現厚生労働省)により認可されたが、1974年1月から北海道庁の許可を得て士幌町農業協同組合が実施しているのみである。放射線を照射されたジャガイモが放射能をもつようになることはなく、またそのジャガイモを食べた人に障害を与えることも無い。なお日本において、放射線の食品照射が認められている食品は、ジャガイモだけである。 ジャガイモの発芽防止のために行う放射線照射の認知度は28%と低く、安全性や必要性など食品への放射線照射に関する基本的事項について、分かりやすい情報提供の不足を指摘されている。 暗冷所にリンゴと一緒に保存すると発芽しにくくなるといわれてきた。これには異論も多く、効果がないという報告も多かったが、近年、欧米での研究によりリンゴなどから発生するエチレンガスがジャガイモの芽の伸びを抑制する効果をもつことが証明され、工業的に生産されたエチレンを用いて正しく濃度コントロールをして発芽を抑制する技術が確立された。しかし、リンゴとの共存によるエチレンガスの濃度コントロールは困難であり、エチレンガスの濃度や保存期間が充分でないと、逆に芽の伸びを助長することも立証されている。ジャガイモは通常5°C以下の冷暗所で保存するといつまでも芽は伸びないので、そのような場所で保存することが最も重要である。ただし、一度高温にさらして芽が伸び始めたものは長い期間の保存には適さないので、もともと芽が伸びていないジャガイモを選ぶことがこつである。リンゴと一緒に保存する方法については、濃度や時間・温度のコントロールが困難で失敗の確率が高く、勧められない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ジャガイモ(英: potato、学名:Solanum tuberosum)、別名馬鈴薯()は、ナス科ナス属の多年草の植物。南アメリカのアンデス山脈原産。世界中で栽培され、デンプンが多く蓄えられる地下茎が芋の一種として食用される。揚げる、蒸す、茹でる、煮込み料理にするなどのほか、コロッケやポテトチップスなどの加工食品にもされ、デンプン原料としても需要がある。保存がきく野菜として扱われる一方で、主食にもなりえる重要な食物であり、ビタミンCやカリウムなどの豊富な栄養を含む特徴がある。芋から発芽した芽や光に当たって緑色になった皮などに有害物質を含む(#毒性を参照)。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "リンネの『植物の種』(1753年) で記載された植物の一つである。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "行政機関、学会により呼び名が異なる。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "17世紀初めにオランダ船によってジャワのジャガトラ(ジャカルタの旧名)から日本に伝来し、「ジャガタライモ」と呼ばれていたものが転じて「ジャガイモ」になった。ジャガイモの中国植物名である「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名もよく用いられ、日本の行政では馬鈴薯と呼んでいる。中国語音ではマーリンシュー(ピン音 mǎlíngshǔ)となる。日本では18世紀に本草学者の小野蘭山が『耋筵小牘』(1807年)の中で命名したといわれている。一説には、ジャガイモの形が馬につける鈴(馬鈴)に似ることから、この名前になったという。なお、中国では他に「土豆」(トゥードウ)、「洋芋」「陽芋」(ヤンユー)、「薯仔」(シューザイ)などとも呼ぶ。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "英語のポテト (potato) の語源は、タイノ族の言葉でサツマイモを意味する batata がスペイン語の patata に変化したものによる。なお、ジャガイモの原産地で古くから使われている言語の一つであるケチュア語では papa というが、これはそのまま中南米スペイン語で使われる。スペイン語で batata が patata に変化したのはこの papa の影響であると考えられている。Papa はローマ教皇を意味する単語と同じであったため、これを忌避して Patata に変遷したともいわれる。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "江戸時代以降、米の収穫に不利な山間・寒冷地での栽培が広まったため、地方名や地方品種も多い。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "南アメリカ大陸のアンデス山脈が原産で、小さなイモの原種が中南米に自生している。大航海時代にヨーロッパ各地に伝わり、日本へは東南アジアを経て16世紀に伝わった。保存性が高く、当時の船乗りたちの食料として重宝された。品種改良が繰り返されて、現在のような大型のイモをつけるような品種が開発されており、世界中の温帯地域で広く栽培されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ジャガイモは、南アメリカアンデス中南部、ペルー南部に位置するチチカカ湖畔が発祥とされる。標高3,000 - 4,000メートルの高地で、500年ごろに栽培されたと考えられている。最も初期に栽培化されたジャガイモは、Solanum stenotomum と呼ばれる染色体数24本の二倍体のもので、その後に四倍体の Solanum tuberosum が栽培化され、現在世界中で広く普及するに至ったとされている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "このジャガイモがヨーロッパ大陸に伝えられたのは、インカ帝国の時代、15世紀から16世紀ごろとされている。当初、インカ帝国の食の基盤はトウモロコシではないかと伝えられていたが、ワマン・ポマが1615年に残した記録や、マチュ・ピチュの段々畑の史跡研究、気象地理条件、食生活の解析など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、見直しが図られている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "しかし、具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、スペイン人がジャガイモを本国に持ち帰ったのは1570年ごろで、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士たちによってもたらされたものであろうと推測付けられている。さらに1600年ごろになるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播するが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "いずれにせよ、16世紀末から17世紀にかけては、植物学者による菜園栽培が主であり、ヨーロッパの一般家庭に食料としてジャガイモが普及するのは、さらに時を待たねばならない。普及は、プロイセン王国で三十年戦争により荒廃し、飢饉が頻発した際に作付け(栽培)が国王の勅命により強制、奨励されたことや、踏み荒らされると収穫が著しく減少する麦に代わり、地下に実るため踏み荒らしの影響を受け難い作物として、農民に容易に受け入れられた結果である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "プロイセン王国(ドイツ)での広まりで、国力を増したと聞きつけたフランス王国ブルボン朝でも広めようと、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットが帽子にジャガイモの花を飾ったと伝えられる。食用作物として本格的に栽培が始められたのは、17世紀のアイルランドで、さらにジャガイモは1621年に、アイルランド移民の手により北アメリカへ渡り、アメリカ独立戦争における兵士たちの胃袋を満たす、貴重な食料源となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "アイルランドの小作農家たちは元来は主にムギを栽培していたが、厳しいイギリス帝国の植民地支配の下で、ムギは地代として地主に収奪されるため、地代にとられることのない生産性の高いジャガイモを、自分らの小さな庭地で栽培し始めた。それによって、ジャガイモが貧農の唯一の食料となってゆき、飢饉直前には人口の3割がジャガイモに食料を依存する状態になっていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "「アイリッシュ・ランパー」(Irish Lumper) と呼ばれる、アイルランドのジャガイモ種は寒冷地でも良く育ち、アイルランド人口の増加を支えた。しかし、1845年から1849年の4年間にわたって、ヨーロッパでジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。ジャガイモを主食としていた被支配層のアイルランド人の間からは、ジャガイモ飢饉で100万人以上ともいわれる多数の餓死者を出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "また、イングランド、北アメリカ、オーストラリア大陸へ、計200万人以上が移住したといわれる。アメリカ合衆国に渡ったアイルランド人移民は、アメリカ社会で大きなグループを形成し、経済界や特に政治の世界で大きな影響力をもつようになった。この時代のアメリカ合衆国への移民の中には、ケネディ家の先祖も含まれていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "アイルランドでのジャガイモ飢饉があったものの、寒冷地にも強く、年に複数回の栽培が可能で、地中に作られることから、鳥害にも影響されないジャガイモは、庶民の食料として爆発的な普及を見せ、瞬く間に麦、米、トウモロコシに並ぶ「世界四大作物」として、その地位を確立した。アダム・スミスは『国富論』において「小麦の三倍の生産量がある」と評価している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "諸説あるが、1598年にオランダ人によって持ち込まれたとされる。ジャワ島のジャガタラを経由して長崎へ伝来したためジャガタライモと呼称されたが、それが短縮されジャガイモとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "江戸時代後期の18世紀末には、ロシア人の影響で北海道・東北地方に移入され、飢饉対策として栽培された。蘭学者の高野長英は、ジャガイモ栽培を奨励している。また江戸後期には、甲斐国の代官であった中井清太夫が、ジャガイモ栽培を奨励したとされ、享和元年(1801年)には小野蘭山が甲斐国黒平村(山梨県甲府市)においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)。また江戸時代後期には、北海道のアイヌもジャガイモを栽培していた。寛政年間、探検家の最上徳内がアブタ場所(現在の洞爺湖町虻田地区)に種芋を持ち込み、地域のアイヌに栽培させたのが、北海道でのジャガイモ伝来だという。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "本格的に導入されたのは明治維新後で、北海道の開拓に利用された。アメリカ合衆国でウィリアム・スミス・クラークに学び、後に「いも判官」と呼ばれた、初代根室県令湯地定基により普及し、川田龍吉男爵により特に男爵いもが定着した。当初は、西洋料理の素材としての需要であったが、洋食の普及とともに、徐々に肉じゃがなど、日本の家庭料理にも取り入れられるようになっていった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "多年草。直立する地上茎は50センチメートル から1メートル 程度の高さにまで生長する。葉は奇数羽状複葉。葉の付け根から花茎が長く伸び、先端に多数の花をつける。花は星形で黄色い花心と5枚の花弁を持ち、色は品種によって異なり白から紫と様々である。花の構造はナス科のトマトやナスと酷似している。受粉能力は低いが、品種や条件によっては受粉してミニトマトに似た小型の果実をつける。果実は熟するに従い緑色から黄色、さらに赤色へと変化するが、落果しやすく完熟に至るものは極希である。果実の中には種子(真正種子とよばれる)があり、これを発芽させて生長させることも可能である。ジャガイモの交配はこの種子を利用して行われるが、種芋から育たないため、生長しても全体的に小柄である。これを親株と同様の大きさ程度にまで育てるには3年(3代)程度かかるため、草本性植物としては交配に時間のかかる植物といえる。品種改良も種子を採って芒種からの栽培を利用するが、ジャガイモの場合、種子1粒ごとに遺伝的な性質が異なり、品質を揃えるのは困難であることから、一般に芋を植えて性質が同じ品種を増やす方法がとられる。", "title": "植物としての形態・生態" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "晩春の花が咲き始めるころに、土中では新しい芋ができ始める。芋は根のように土中の水分や養分を吸収する機能はなく、地下にある茎が肥大したもので塊茎ともいい、日中に葉で光合成された養分が、夜になって地下の茎に蓄えられてできたものである。塊茎は、地中に埋められた種芋の上から伸びた茎の第6 - 8節から発生した匍匐(ほふく)分枝した茎(ストロン)の先が、次第に肥大して芋になる。昼夜の気温差が大きいほど、養分の移行がスムーズになり、芋のデンプン量が多くなる。塊茎の肥大は、昼温約20度、夜温10 - 14度が適温であり、20度を超えると塊茎は形成されにくくなる。", "title": "植物としての形態・生態" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ジャガイモは、ポテトグリコアルカロイド (Potato Glycoalkaloids; PGA) として総称されるソラニンやチャコニン(カコニン、英: α-chaconine)、ソラマリン、コマソニン、デミツシンと有毒なアルカロイド配糖体を含む。これらはジャガイモ全体に含まれるが、品種や大きさによりばらつきがあり、特に緑色になった皮の部分や芽、果実に多く含まれる。毒性が強いため、食べる際には芽や緑色を帯びた皮は取り除き、長期保存された芋では、皮を厚く剥いて調理した方がよい。", "title": "毒性" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "PGAは、加熱による分解が少ない。PGAをたくさん食べたときの中毒症状は、めまい、吐き気、下痢などの症状を引き起こす。毒性はそれほど強くはないが、小児は発症量が10分の1程度と成人より少なく、保育園・小学校の自家栽培による発育不良の小芋は、特にPGAの量が多いため中毒例が多い。芽を大量に食べて死亡した事例もある。", "title": "毒性" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "対策としては、芋を太陽光に当てないで、冷暗所で保存し、芽や緑色になった皮の部分を完全に取り除く。PGAは水溶性のため、皮をむいて茹でたり水にさらすことである程度除くことはできるが、粉吹き芋で中毒した例が報告されているように、除ききれない場合がある。", "title": "毒性" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "果実は、芽ほどではないにせよ、塊茎と比べPGAの含有量が高いため、食用に向かない。", "title": "毒性" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "誰でも比較的育てやすい野菜で、春に種芋を植え付けて夏に収穫する春作と、夏に植え付けて秋に収穫する秋作があり、3月から7月までの春作の方が栽培しやすい。土がたくさん入る比較的大きなプランター(コンテナ)でも栽培することができる。生育期間は約3 - 4か月で、他の芋類と比べて短いのが特徴である。収量も多いので、デンプン質作物としては最も生産効率が高く、輪作上も有利とされる。原産地は高冷地で乾燥しており、栽培適温は15 - 22度で他の芋類よりも低く、冷涼な気候を好み、高温に弱い性質を持つ。連作を嫌うため、ナス科の野菜を3 - 4年作っていない畑で、堆肥と元肥を入れて耕してから作付けする。土壌酸度はpH 7.0の中性を好むが、pH 5.5の酸性土壌でもよく育つ。そうか病はpHが高いほど活発になる性質があるため、ニシユタカ・男爵・メークインなどの耐病性がない従来品種では、土壌酸度調整用の石灰の投入を避ける。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "一般的な栽培をする場合、ジャガイモは「種芋」を植え付け培土して育成する。植え付けに行う種芋は、ウイルスに羅病していない専用に育成されたものが使われる。種芋の数を意図的に増やすために、一般的には種芋は、芋に適度な温度と光を当てて発芽させ、芽を中心にして適度な大きさ(半分 - 数個程度)に切り分け、芋の腐敗を防ぐために切断面を数日乾かすか灰などを塗布し、切断面を下に向け地面に置き、土をかぶせる。秋作では種芋を切ると腐敗しやすいため、種芋を小さく切らずに一片のみ切り取って芋に刺激を与えた状態で、あるいは切らずに丸のままの種芋をそのまま植え付ける。植え付けるときに切り口を下向きにするのは、雨水が地表から地中へしみ込む際に、切り口を下向きにした方が種芋の腐敗を防げるからである。植え付け後、一つの種芋から多くの芽が出るため、芋を充実させるために太い芽を2本(秋植えの場合は1本)ほど残して抜き取る芽かきを行う。種芋から出る芽を3芽以上にすると収量は上がるともいわれるが、芋は小さなサイズばかりが多くなる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "種芋は幅90 cmほどの高畝の中央に株間30 cmになるように植え付ける。イモとなる地下茎は種芋より上(地表に近い位置)にできるため、日光に当たって緑化していない良質なジャガイモを収穫するためには、この肥大する地下茎(塊茎)が日光に晒させないように株元の土を盛り上げる土寄せ(培土という)が行われる。土寄せは、芽が伸びて高さ10 cmくらいのときと、高さ30 cmのときの2回行って、最終的に畝の高さ30 cmほどのかまぼこ形になるようにする。花が咲き始めるころから肥料の吸収が盛んになり、追肥が行われる。種芋の植え付けから4か月後、葉が黄色くなって新しい芋が大きくなっていたらジャガイモの収穫期で、株ごと引き抜いて収穫する。葉が緑のうちに収穫した芋(新じゃがいも)は長期保存が利かないため早めに食べる必要があるが、地上部の茎葉が黄色く枯れるまで土中に置いた芋は、長期保存が可能な芋になる。大面積の耕作地では、収穫にハーベスターが使われ、土ごと芋が拾い上げられて、上部の選別台で大きさごとに選別される。収穫後は、芋の水分蒸散防止や病原菌進入防止のための表面処理が行われたあと、低温貯蔵庫で一時保管してから出荷される。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "冷涼な気候や硬く痩せた土地にも強い反面、病害や虫の被害を受けやすく連作障害も発生しやすい。ジャガイモの地下茎は水分と栄養が豊富なため、病原菌が繁殖しやすく、保存状態の悪い種芋や、収穫から漏れて地中へ残された芋は病害の原因となる。そのため、日本では植物防疫法の指定種苗となっており、種芋の売買が規制されている。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "疫病は生育後半に発生して急速に広がり、塊茎の肥大や貯蔵性に悪影響を及ぼす。同じナス科のトマトと同じ病害が発生し、特に葉に湿った黒褐色の斑点が出る疫病は大敵で、見つけたら殺菌剤を散布して防除する。青枯病は発見次第、株を抜き取る。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "害虫ではニジュウヤホシテントウやオオニジュウヤホシテントウが葉を著しく食害する。いずれも成虫は落葉の下などで越冬し、春になるとナス科、特にジャガイモに多く集まって害を与え、葉の裏に卵を産み付ける。孵化した幼虫も大きな害を与えるため、幼虫のうちに早めの除去が必要とされる。食害痕を見つけたら、10日おきぐらいに数回ほど殺虫剤を散布して防除する。このほか、葉を食害する害虫としてはアブラムシなどがある。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "日本は国外からの病害虫侵入を防ぐため生食用ジャガイモの輸入を禁止しているが、アメリカ合衆国は2020年3月31日に輸入解禁を要請した。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ジャガイモはナス科野菜と同じ畑で栽培すると、そうか病や疫病や青枯れなどの連作障害が発生しやすい。連作を行うと土壌のバランスが崩れ、単純に生育が悪くなるだけでなく、病害や寄生虫が発生しやすくなる。ジャガイモに限らず、ナス科の植物はこの性質を持ち、例えばジャガイモの後にナスを植えた場合にも連作障害を起こす。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "特にジャガイモに大きな被害を与える原因として、ジャガイモシストセンチュウによる生育阻害がある。このセンチュウは地中で増殖し、高密度になるとジャガイモの生育を大きく妨げる。例えば乾土1g中に100卵が存在する状態(高密度)では、収穫量が60%程度低下する。センチュウは宿主(ジャガイモなど)がない状態でも、卵状態(シスト)になり10年以上も生存し続ける場合があり、シスト状態は薬剤にも強いため根絶が難しい。卵を含む可能性のある土を移動させない、付着の恐れのある農具や運搬具の洗浄、といった拡散防止策がとられている。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "また、長期の休閑や非宿主の作付なども対策として行われているが、センチュウ密度の低減には効果は低く、最も有効な密度低減対策は、抵抗性品種の作付である。ただし、センチュウはジャガイモには被害を与えるが、ヒトには無害である。このセンチュウは、種苗付着土や動物糞から伝染する。そのため日本では、アイルランド経由以外の、検疫を受けていない塊茎類の直接持ち込みは禁止されている。植物防疫法の指定種苗であり、種芋の販売が規制されて検査が義務づけられている。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ジャガイモの原産地であるアンデス中央高地では、古くから連作障害について認識されており、長期の休閑と輪作が行われている。ジャガイモの次は別の作物を植えるようにするだけでなく、3から4サイクルで一つの区画を利用したあと長期の休閑をとる。休閑の長さは、人口密度や畑の大きさによって様々である。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "日本国内においては、1947年(昭和22年)に行われた農地改革で、共有地が崩壊し耕作地が私有地化され、個人が所有する土地区画が狭くなったため、長期の休閑が行えず、シストセンチュウが再び問題になってきている。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "アンデスのいくつかの地域では、マシュア(イサーニョとも、学名:Tropaeolum tuberosum)と呼ばれるノウゼンハレン科の塊茎類を混植することで、シストセンチュウの発生を抑えている。マシュアは、その根からシストセンチュウを避ける分泌物を発生することが科学的に確認されている。また、インカ時代には、このマシュアは男性の性欲を抑える働きがあることが知られており、長期間にわたる兵士の出征や労働賦役に際して、性衝動をコントロールする目的で利用されていたことが、スペイン人の記録文書に残されている。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "国際連合食糧農業機関 (FAO) の統計資料 (FAOSTAT)によると、2014年の全世界におけるジャガイモの生産量は3億8168万トン、主食となるイモ類では生産量は最大。生産地域は大陸別ではアジアとヨーロッパが4割ずつを占め、インドを除くといずれも中緯度から高緯度北部に分布。上位5カ国で全生産量の57%を占める。日本の生産量は245万トン(世界シェア0.64%)。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "長期間の保存に適していないため、生産量に比べ、貿易量は多くない。貿易の多くは下図に示すとおり、欧州域内などの地域的近接によるものがほとんどである。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "農林水産省の統計資料による平成28年度の都道府県別収穫量では、全国約216万トン中で北海道が約170万トンと全国の8割を占める。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "塊茎(イモ)は主に食用にされ、味にクセがなく、野菜としても、また穀類としての両面を持ち合わせている。主成分がデンプンであることから、コメや麦、トウモロコシと並んで、国によっては主食にもしている。またビタミンCに富み、副菜の材料としても使われる。一年中出回っているが食材としての旬(北半球)は、一般に秋から冬(10 - 2月)、新ジャガイモでは初夏(5 - 6月)とされる。凸凹が少なくて、皮の表面にシワがなくなめらかで、芽が出てなく、緑色に変色していないものが良品とされる。ジャガイモの芽、茎、葉、花、果実、緑色になったイモには、中毒を引き起こすソラニンというアルカロイド成分を含むため、食用や薬用に用いることは避けるべきである。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "ジャガイモの利用形態は、生食(青果)、加工、デンプン原料の3種類に大別される。加工用としては、ポテトサラダ、スナック菓子(ポテトチップスなど)、フライドポテト、冷凍食品・惣菜(コロッケなど)がある。デンプンは、いわゆる片栗粉として流通している粉末の原料であり、インスタント麺などの原料にもなる。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "ジャガイモの塊茎(イモ)にはデンプンを13 - 20%、たんぱく質を1.5 - 2.6%含み、ビタミンA(カロテン)以外のビタミンB1・B2・Cなどのビタミン類やカリウムも豊富に含んでいる。デンプン質を多く含む割には、低カロリーな食品でもあり、エネルギー量は炊いた米飯の約半分である。ジャガイモには約80%の水分が含まれ、残りは炭水化物がほとんどであり、炭水化物の90%がデンプン質である。少量であるが、炭水化物の中に蔗糖や果糖も含んでおり、特有のおいしさを形成している。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "芋類の中でも特にビタミンCが豊富に含まれ、フランスでは「大地(畑)のリンゴ(pomme de terre:ポム・ド・テール)」と呼ばれ、ドイツ語や上述のオランダ語でも同様の表現が存在する。ビタミンCは熱に弱い性質をもつが、ジャガイモの場合では主成分のデンプン質に包まれているため、加熱調理をしても失われにくい利点や、長期保存をしてもほとんど損失しないという特徴がある。ジャガイモは動物性たんぱく質を減らす効果があるとされ、間接的に尿酸値の増加を抑える効果が期待できる。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "ジャガイモには可食部100グラム中、食物繊維1.3グラムと豊富に含まれており、便秘解消や大腸癌予防効果が知られている。かつて、がん(癌)予防をめざすデザイナーフーズ計画のピラミッドで3群に属しており、3群の中でも、ローズマリー、セージ、大麦、ベリーと共に3群の最下位に属するが、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "様々な栄養素に富む食品であるジャガイモではあるが、アメリカなどではフライドポテトやポテトチップスとして、大量に消費しているため、健康的な消費の仕方とは言いがたい。煮たり、蒸したり、焼いたりといった日本食的な食材を活かした調理方法であれば、健康的に良い食品だといわれている。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "ジャガイモは各地域で様々な料理に用いられる。形状・加熱の具合や水分量によって多種多様な食感になり、様々な調味料や油脂、乳製品などとの相性が良い。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "日本では一般家庭料理の範疇に属するものとして、肉じゃがや粉吹芋、ポテトサラダ、いももちなど、じゃがいもを主な食材とする料理がある他、カレー、シチュー、グラタン、おでん、味噌汁などの具にも広く用いられる。じゃがバターもポピュラーである。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "フライドポテト、マッシュポテト、ベイクドポテト、ヴィシソワーズ、スープ、コロッケなど、欧米ではジャガイモを主体とした料理が多くあり、そのまま蒸かして主食とする食べ方もある。他にジャガイモ料理としてアイリッシュシチュー、トルティージャなどが挙げられる。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "中国では、千切りしたジャガイモの炒め物も一般的である。また、日本以外では、パンの材料に用いられる(じゃがいもパン)。他にパスタ(ニョッキ)にも使われる。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "ジャガイモに含まれるチロシンは酸素に触れるとメラニンを生じ褐変を起こすため、皮を剥くなどした切断面を水にさらす方法などで褐変を防ぐ。ただし、30分以上水にさらしてしまうと、細胞膜内のペクチンと水に含まれる無機質が反応して細胞膜が強くなり火が通りにくくなる。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "品種によって特性が異なるので、料理によって使い分けをする。比較的粘りが少ない粉質の芋(男爵薯など)は、コロッケや粉吹き芋に向いており、皮付きのまま芋を茹でるようにすると、デンプン質が水に流れ出るのを防いで水っぽくならず、ほっくり感がある食感を残して茹で上げることができる。粘りがある粘質の芋(メークインなど)は、煮込み料理向きで、サラダにしてもよい。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "煮崩れは、細胞内のデンプンが吸水し膨らみ変形するためで、粉質系の男爵は加熱するとホクホクした食感になり、粘質系のメークインはネットリした食感になる。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "春先に出回る早採りしたジャガイモは「新しゃがいも」「新じゃが」として親しまれ、皮が薄くて水分が多いため、小ぶりのものは皮を剥かずにまるごと調理して、蒸し芋、煮ころがし、揚げ物に向いている。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "ジャガイモは、古くから凍結乾燥させるという方法で保存性を高め、保存食として利用されてきた。先コロンブス時代、中央アンデス地域において、冷凍したジャガイモを踏みつけることを繰り返すことで水分と毒を抜く方法が発明され、長期にわたる保存・備蓄が可能になった。この凍結乾燥したジャガイモのことを「チューニョ」と呼ぶ。現在でもボリビアやペルーの高地(アルティプラーノ)ではチューニョが利用されている。乾燥したチューニョはまるで小石のように見える。塩味のスープに入れて長時間煮込んで食べるが、質の悪いチューニョはアンモニアのような臭いがすることがある。また、若干作り方が異なり、イモの種類も異なるが、原理的にはチューニョと同じ凍結乾燥ジャガイモに「トゥンタ」と呼ばれるものがある。これもペルー南部やボリビアなどで広く食べられている。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "日本でも、山梨県の鳴沢村や長野県の一部地域では、ジャガイモを寒冷期の外気温で冷凍させ、踏みつけることを繰り返して、重量と体積を減らし、保存性を高める方法が存在する。「しみいも」「ちぢみいも」などと呼ぶ。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "北海道のアイヌ民族も、秋に収穫し切れなかったジャガイモや傷のあるジャガイモを畑に放置し、雪に埋もれて凍るに任せる。放置されたイモは凍結と解凍を繰り返し、干からびて体積が減る。この工程を経て作られた保存食を「ポッチェイモ」「ペネコショイモ」などと呼び、食べる際は水で戻して丸め、団子にして脂を引いた平鍋で焼く。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "こうした保存食とは異なるが、現代の北海道では、低温で一年半ほど保管して熟成させ、デンプンを糖化させて甘くしたジャガイモが商品化されている。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "スナック菓子としてポテトチップスが広く食べられている。ただし、タンパク質の成分としてトリプトファンが多く、焦がした場合ニトロソアミンに変化することがあるので注意が必要である。なお、ポテトチップス用の品種も存在し、そのような品種は揚げても焦げにくい(無論、焦げないわけではない)という特徴をもつ。2014年のジャガイモ収穫量は245万トン、うちポテトチップ用は37万トンである。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "ジャガイモは、そのものが調理に使われるだけでなく、豊富に含まれるデンプンを抽出したものが片栗粉として販売されている(片栗粉は本来はカタクリのデンプンを粉にしたものであるが、現在市場に出回っている片栗粉のほとんどはジャガイモのデンプンである)。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "豊富なデンプンをもつジャガイモは、ウォッカ、ジン、アクアビット、焼酎、ソジュ(韓国焼酎)など蒸留酒の原料にも用いられる。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "日本においても、近年、北海道では特産のジャガイモを使ったジャガイモ焼酎(しょうちゅう乙類)の生産が広く行われるようになっている。また、長崎県でも特産品としてジャガイモ焼酎を製造している酒蔵がある。1979年4月に、北海道斜里郡清里町の清里町焼酎醸造事業所が、日本で最初のジャガイモ焼酎となる清里焼酎を製造販売した。以後、北海道の多くの焼酎メーカーがジャガイモ焼酎に参入している。ジャガイモ焼酎は、サツマイモで作る芋焼酎と比べると癖が少なく飲みやすいものとなる。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ジャガイモを薬用で使うときは、塊茎(イモ)が薬用部位となり、洋芋(ようう)と称する場合がある。イモはすべて皮をむき、芽を完全に取り除いてから用いる。使用にあたっては、あまり体質を問わない薬草でもある。体内のナトリウムを排出する作用があるカリウムを多く含むことから、高血圧予防にも役立つといわれている。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "民間療法で、湿疹、かぶれ、打ち身、くじき、やけどには、生のジャガイモをすりおろして、小麦粉と酢を混ぜてガーゼなどに延ばして患部に冷湿布すると、痛みが和らぎ、早期治療に役立つといわれている。痛風には、日常の食事にジャガイモを取り入れるとともに、前述の冷湿布を併用すれば効果的とされている。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "胃潰瘍、十二指腸潰瘍には、ジャガイモをすり下ろして土鍋に入れ、水分を飛ばして黒くなったものを1日1回2グラムほど服用する。", "title": "利用法" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "栽培特性(耐病性、収量)、加工特性、流通・保存特性、食味など様々な観点から品種改良が行われている。", "title": "主要品種" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "ジャガイモは、品種によって芋の皮の色や肉色、粉質・粘質と性質にも違いがあり、花色にも白色から紫色まである。粉質の品種はホクホクした食感が特徴で、粘質の品種は肉質がきめ細かく、煮崩れしにくい。日本では男爵薯とメークインが2大品種で作付面積の半分以上を占め、その他の農林1号、デジマ、ワセシロなど合わせて99品種が品種登録されている。現在では公的機関ばかりでなく、農家により突然変異を基にした新種育成もまれに行われている。原産地では、皮や肉質に色素がある系統の様々な品種が栽培されていて、近年の日本国内においても、皮色や肉色に色素がある品種も生産されるようになっている。なお、以下の説明における「生食用」は家庭や飲食店での調理素材であることを意味し、非加熱で食用とする意味ではない。", "title": "主要品種" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "16世紀に南米からヨーロッパにもたらされたジャガイモは、当初はその見た目の悪さ(現在のものより小さく黒かった)からなかなか受け入れられずにいた。さらに民衆は、ジャガイモは聖書に載っておらず、種芋で増えるという理由で「悪魔の作物」として嫌った。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "しかし、ヨーロッパで栽培される従来の主要な作物よりも寒冷な気候に耐えること、痩せている土地でも育つこと、作付面積当たりの収量も大きいことから、17世紀にヨーロッパ各地で飢饉が起こると、各国の王は寒さに強いジャガイモの栽培を広めようとした。特に冷涼で農業に不適とされたアイルランドや北ドイツから東欧、北欧では、食文化を変えるほど普及した。これには、地中で育つジャガイモは麦などと違い戦争で畑が踏み荒らされても収穫できることと、農民がジャガイモを食べることで領主たちが自分の麦の取り分を増やそうとした目論見もあった。また西洋のみならず、アメリカ合衆国など北米地域や、日本などアジア地域にも普及し、ジャガイモが飢餓から救った人口は計り知れないといわれる。2005年にはジャガイモの原産地の一つであるペルーが国連食糧農業機関 (FAO) に提案した「国際イモ年」(IYP; International Year of Potato) が認められ、2008年をジャガイモ栽培8000年を記念する「国際イモ年」としてFAOなどがジャガイモの一層の普及と啓発を各国に働きかけることになった。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "アイルランドへは1580年代にスペインからもたらされた。気候がジャガイモの生育に適していたこともあり、アイルランドは南米外で初めてジャガイモを農作物として本格的に栽培する地域となった。アイルランドでの普及は栽培の容易さや収量のためだけではなく、支配者のイングランド貴族が熱心に勧めたことにも原因があった。ジャガイモの栽培を増やして農民がそれを食べるように仕向ければ、自分たちが収奪する麦の分量が増えると考えてのことである。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "ジャガイモはアイルランド人の主食として定着し、1650年頃から1840年頃まで極めて重要な食料源となっていた。このため、1840年代にジャガイモの疫病がヨーロッパに蔓延した際に、ジャガイモに依存していたアイルランドではジャガイモ飢饉が起こり、大勢のアイルランド人が北アメリカに移住することになった。その移民の中に、後に第35代アメリカ合衆国大統領になるジョン・F・ケネディの曽祖父パトリックがいたのはよく知られている話である(ケネディはパトリックの次男の孫、すなわち4代目である)。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "イングランドへは1586年にフランシス・ドレークによってもたらされたと伝えられている。ジャガイモがヨーロッパに流入した当初、ヨーロッパには芋という概念がなかった。そのため、芋というものを食べると分かるまで、本当は有毒である葉や茎を食用とする旨が書かれた料理本がイングランドで出版され、それを真に受けたイングランド人がソラニン中毒を起こした。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ドイツ料理にはジャガイモが多用される。調理法は皮付きのままゆでるシンプルなものから、ピューレ、団子(クネーデル)、農夫の朝食やいわゆるジャーマンポテト、グラタン(アウフラウフ)、パンの生地に混ぜる(カルトッフェルブロート)など多岐にわたる。600種類以上のジャガイモを用いたドイツ料理のレシピがあるとも言われている。かつては、「女性はジャガイモ料理を200種類知っていないと嫁に行けない」とも言われていた。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "ドイツで最初にジャガイモが普及したのはプロイセンである。プロイセンの支配地であるブランデンブルク地方は、南ドイツなどとは違い寒冷で痩せた土地が多く、しばしば食糧難に悩まされた。そのため、荒地でも育つジャガイモは食糧難克服の切り札とみなされ、フリードリヒ2世が栽培を奨励した。しかし他のヨーロッパ諸国同様、不恰好な外見から人々に嫌われたため、フリードリヒ2世は自ら領地を巡回し、ジャガイモ普及を訴えたり、毎日ジャガイモを食べたりしたという。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "ドイツの食習慣には茹でたジャガイモをフォークなどで潰してから食べる場合があり、第二次世界大戦中、フランスに潜伏したドイツのスパイがレストランでジャガイモを潰して食べたため、スパイであることが露見した、などのジョークが存在する。また、ドイツ軍が第一次世界大戦以降に使用した柄付き手榴弾が形状が似ていることから、「イモ潰し器」(ドイツ語でカルトッフェルプッファー、英語ではポテトマッシャー)と呼ばれていた。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "フランスでは、プロイセンの捕虜時代にジャガイモを知った農学者アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエの提言により、ルイ16世が王妃マリー・アントワネットにジャガイモの花を飾って夜会に出席させると、貴族は関心を持った。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "しかし食用としては他の国々の例に漏れず、当初は庶民の間で嫌われた。ジャガイモを国に広めたいと思ったパルマンティエは一計を案じ、王が作らせたジャガイモ畑に昼間だけ衛兵をつけて厳重に警備した後、夜はわざと誰も見張りをつけなかった。王がそこまで厳重に守らせるからにはさぞ美味なのだろうと考えた庶民の中から、夜中に畑にジャガイモを盗みに入る者が現われた。結果的に、パルマンティエの目論見通りジャガイモは民衆の間に広まって行ったという話が残っている。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "このことから、フランスのジャガイモ料理には「パルマンティエ」の名が付くようになった。特に、牛挽肉とマッシュポテトで作るキャセロール「アッシ・パルマンティエ (Hachis Parmentier) 」が有名である。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "北朝鮮では、1990年代後半から食糧危機が発生したが、この時政府(朝鮮労働党)は「ジャガイモ農業革命」を提唱してジャガイモの生産拡大を、同時に種子改良(種子革命方針)、二毛作方針を徹底した。ジャガイモは白米に比べて気候や土地に依存せず大量に生産できる。このように、食糧問題の解決に用いられる例がある。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "ベラルーシは2019年の時点で一人あたりのジャガイモ消費量世界一である。また2位と比較しても突出しており、ベラルーシ料理におけるジャガイモの位置づけは高い。", "title": "各国とジャガイモのかかわり" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "低温に弱い性質で、4度以下になるとデンプン質が変質することから、冷蔵庫には入れないで、紙で包んだり紙袋に入れたりして、日の当たらない風通しの良い場所で保存をする。", "title": "保存" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "品種により貯蔵性が異なり、加工業者は使用時期別にいくつかの品種を組み合わせて使う場合がある。たとえば、長期貯蔵性に優れる「スノーデン」種(ポテトチップスの原料の一つ)は、4月から6月ごろの原料として使われる。", "title": "保存" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "茹でた場合は、冷蔵庫に入れておけば、およそ4 - 5日程度もつ。茹でた場合、水分が分離してスカスカした食感になることから、冷凍庫には決して入れてはならない。しかし、マッシュポテトや水分が比較的少ないフライドポテトなどは冷凍しても問題ない。", "title": "保存" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "収穫後2か月から3ヶ月は休眠期であり、好適な温度や湿度条件下でも発芽しない。しかし、その後、本来繁殖器官である塊茎は発芽を始める。発芽することにより、生食用品種として商品価値を失い、加工用やデンプン原料用では減耗や歩留まりの低下、品質の劣化が起こる。そのため、貯蔵中の発芽の抑制のためいくつかの方法を用いる。", "title": "保存" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "3°Cから10°Cの低温で貯蔵することにより発芽を防ぐ方法が一般的である。最適な貯蔵温度は品種によって異なる。低温保存により、可溶性糖の含量が増える。", "title": "保存" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "CA貯蔵 (Controlled Atmosphere) は、貯蔵する空間の気体の組成・湿度・温度を制御して鮮度を保持する方法。青森県のリンゴの長期貯蔵において一般的な方法で、ジャガイモでも実用化されており、8か月から10か月の長期貯蔵が可能である。", "title": "保存" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国などでは、収穫後にクロロプロファム(英語版)を散布して、発芽を抑制する方法をとる。日本では除草剤として登録されている農薬で、ジャガイモの発芽防止使用では承認されていない。この薬品はカナダ、アメリカ合衆国、オランダその他の主要ジャガイモ生産国では、フライドポテトやポテトチップスなどの加工用ジャガイモに散布される農薬なので、これらの国々から輸入するジャガイモ加工製品には必ず検出される。", "title": "保存" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "放射線であるガンマ線を照射する方法がある。収穫後のジャガイモに微弱な放射線を当てることにより、長期保存をしても有害な芽が出ない。コバルト60から放出されるガンマ線により、芽の組織の細胞分裂を阻害することで発芽を抑制する。", "title": "保存" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "ジャガイモへの放射線照射は、1972年(昭和47年)に厚生省(現厚生労働省)により認可されたが、1974年1月から北海道庁の許可を得て士幌町農業協同組合が実施しているのみである。放射線を照射されたジャガイモが放射能をもつようになることはなく、またそのジャガイモを食べた人に障害を与えることも無い。なお日本において、放射線の食品照射が認められている食品は、ジャガイモだけである。", "title": "保存" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "ジャガイモの発芽防止のために行う放射線照射の認知度は28%と低く、安全性や必要性など食品への放射線照射に関する基本的事項について、分かりやすい情報提供の不足を指摘されている。", "title": "保存" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "暗冷所にリンゴと一緒に保存すると発芽しにくくなるといわれてきた。これには異論も多く、効果がないという報告も多かったが、近年、欧米での研究によりリンゴなどから発生するエチレンガスがジャガイモの芽の伸びを抑制する効果をもつことが証明され、工業的に生産されたエチレンを用いて正しく濃度コントロールをして発芽を抑制する技術が確立された。しかし、リンゴとの共存によるエチレンガスの濃度コントロールは困難であり、エチレンガスの濃度や保存期間が充分でないと、逆に芽の伸びを助長することも立証されている。ジャガイモは通常5°C以下の冷暗所で保存するといつまでも芽は伸びないので、そのような場所で保存することが最も重要である。ただし、一度高温にさらして芽が伸び始めたものは長い期間の保存には適さないので、もともと芽が伸びていないジャガイモを選ぶことがこつである。リンゴと一緒に保存する方法については、濃度や時間・温度のコントロールが困難で失敗の確率が高く、勧められない。", "title": "保存" } ]
ジャガイモ、別名馬鈴薯は、ナス科ナス属の多年草の植物。南アメリカのアンデス山脈原産。世界中で栽培され、デンプンが多く蓄えられる地下茎が芋の一種として食用される。揚げる、蒸す、茹でる、煮込み料理にするなどのほか、コロッケやポテトチップスなどの加工食品にもされ、デンプン原料としても需要がある。保存がきく野菜として扱われる一方で、主食にもなりえる重要な食物であり、ビタミンCやカリウムなどの豊富な栄養を含む特徴がある。芋から発芽した芽や光に当たって緑色になった皮などに有害物質を含む(#毒性を参照)。 リンネの『植物の種』(1753年) で記載された植物の一つである。
{{Redirect|じゃがいも'''」と「'''メークイン|五月祭の女王|ヨーロッパの五月祭|その他|じゃがいも (曖昧さ回避)}} {{redirect|馬鈴薯|漫画家|馬鈴薯 (漫画家)}} {{生物分類表 |名称 = ジャガイモ |色 = lightgreen |画像 = [[画像:Potatoes.jpg|220px]] |画像キャプション = 地下茎 |界 = [[植物界]] [[w:Plantae|Plantae]] |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||Angiosperms}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||Eudicots}} |亜綱階級なし = [[キク類]] {{Sname||Asterids}} |目 = [[ナス目]] [[w:Solanales|Solanales]] |科 = [[ナス科]] [[w:Solanaceae|Solanaceae]] |属 = [[ナス属]] {{snamei||Solanum}} |種 = '''ジャガイモ {{snamei||Solanum tuberosum|S. tuberosum}}''' |学名 = {{Snamei|Solanum tuberosum}} {{AU|L.}} {{small|(1753)}}<ref name="YList">{{YList|id=10254|taxon=Solanum tuberosum L. ジャガイモ(標準)|accessdate=2023-03-31}}</ref> |和名 = ジャガイモ<br>バレイショ |英名 = potato |独名 = Kartoffel }} '''ジャガイモ'''({{Lang-en-short|potato}}、[[学名]]:{{snamei|Solanum tuberosum}})、別名{{読み仮名|'''馬鈴薯'''|ばれいしょ}}は、[[ナス科]][[ナス属]]の[[多年生植物|多年草]]の[[植物]]。[[南アメリカ]]の[[アンデス山脈]]原産。世界中で栽培され、[[デンプン]]が多く蓄えられる[[地下茎]]が[[芋]]の一種として食用される。揚げる、蒸す、茹でる、煮込み料理にするなどのほか、[[コロッケ]]や[[ポテトチップス]]などの加工食品にもされ、デンプン原料としても需要がある。保存がきく[[野菜]]として扱われる一方で、[[主食]]にもなりえる重要な食物であり、[[ビタミンC]]や[[カリウム]]などの豊富な栄養を含む特徴がある。芋から発芽した[[芽]]や光に当たって緑色になった皮などに有害物質を含む([[#毒性]]を参照)。 [[カール・フォン・リンネ|リンネ]]の『[[植物の種]]』([[1753年]]) で[[記載]]された植物の一つである<ref>{{Cite book|last=Linnaeus|first=Carolus|year=1753|title=Species Plantarum|location=Holmia[Stockholm]|publisher=Laurentius Salvius|page=185|url=https://www.biodiversitylibrary.org/page/358204|ref=harv|language=la}}</ref>。 == 名称 == [[画像:Variedades de papa.JPG|thumb|250px|様々な品種の塊茎]] 行政機関<ref name="jag1972.27.228"/>、[[学会]]により呼び名が異なる<ref name=jisdh.15.150>{{Cite journal|和書|author=森元幸 |title=需要変化と多様な用途に応じたバレイショ新品種 |journal=日本食生活学会誌 |url=https://doi.org/10.2740/jisdh.15.150 |publisher=日本食生活学会 |year=2004 |month=dec |volume=15 |issue=3 |pages=150-154 |naid=10014192001 |doi=10.2740/jisdh.15.150}}</ref>。 * 「バレイショ」 : 日本育種学会<ref name=jisdh.15.150 />、日本作物学会<ref>{{Cite journal|和書|author=辻博之 |title=生産履歴からみた加工用バレイショの栽培管理作業の現状 |url=https://doi.org/10.14829/jcsproc.248.0_110 |journal=日本作物学会講演会要旨集 |publisher=日本作物学会 |year=2019 |volume=第248回日本作物学会講演会 |pages=110-110 |naid=130007710489 |doi=10.14829/jcsproc.248.0_110}}</ref>、日本植物防疫協会<ref>{{Cite journal|和書|author=久保寺秀夫 |title=バレイショのそうか病対策のための土壌酸性簡易診断手法 |journal=植物防疫 |publisher=日本植物防疫協会 |year=2020 |month=feb |volume=74 |issue=2 |pages=76-79 |naid=40022151562}}</ref> * 「ジャガイモ」 : 園芸学会<ref>{{Cite journal|和書|author=石田光之, 吉田孝, 土屋實 |title=組織培養及び挿し木によるジャガイモ種苗の急速増殖 |journal=園芸学会雑誌. 別冊, 園芸学会大会研究発表 |issn=09191917 |publisher=園芸学会 |year=2004 |month=sep |volume=73 |issue=2 |pages=400 |naid=10024386691}}</ref>、日本植物学会<ref name=jisdh.15.150 />、日本土壌微生物学会<ref>{{Cite journal|和書|author=竹腰恵, 池永誠, 富濵毅, 野口勝憲, 境雅夫 |title=焼酎蒸留残液によるジャガイモ種イモ浸漬処理が共存細菌群集およびそうか病菌に対する拮抗細菌に及ぼす影響 |url=https://doi.org/10.18946/jssm.74.1_32 |journal=土と微生物 |publisher=日本土壌微生物学会 |year=2020 |volume=74 |issue=1 |pages=32-41 |naid=130007837715 |doi=10.18946/jssm.74.1_32}}</ref> === 由来 === 17世紀初めに[[オランダ]]船によって[[ジャワ]]のジャガトラ([[ジャカルタ]]の旧名)から日本に伝来し、「ジャガタライモ」と呼ばれていたものが転じて「ジャガイモ」になった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.maff.go.jp/j/agri_school/a_tanken/zyaga/01.html |publisher=農林水産省 |title=ジャガイモ 「どこからきたの?」 |accessdate=2018-04-18}}</ref><ref name="hoj">{{Harvnb|伊藤章治|2008}}</ref>{{sfn|講談社編|2013|p=177}}。ジャガイモの[[中国]]植物名である「馬鈴薯」(ばれいしょ)という呼び名もよく用いられ<ref name="jag1972.27.228" />、日本の行政では馬鈴薯と呼んでいる<ref name="jag1972.27.228" />。[[中国語]]音ではマーリンシュー([[ピン音]] {{Lang|zh|mǎlíngshǔ}})となる。日本では18世紀に本草学者の[[小野蘭山]]が『耋筵小牘』(1807年)の中で命名したといわれている。一説には、ジャガイモの形が[[馬]]につける[[鈴]]([[スレイベル|馬鈴]])に似ることから、この名前になったという<ref name="hoj">{{Harvnb|伊藤章治|2008}}</ref>。なお、中国では他に「土豆」(トゥードウ)、「洋芋」「陽芋」(ヤンユー)<ref name="YList"/>、「薯仔」(シューザイ)などとも呼ぶ。 [[英語]]のポテト ({{lang|en|potato}}) の語源は、[[タイノ族]]の言葉で[[サツマイモ]]を意味する {{lang|tnq|batata}} が[[スペイン語]]の {{lang|es|patata}} に変化したものによる<ref>[[大修館書店]]『スタンダード英語語源辞典』</ref>。なお、ジャガイモの原産地で古くから使われている言語の一つである[[ケチュア語]]では {{lang|qu|papa}} というが、これはそのまま中南米スペイン語で使われる。スペイン語で {{lang|es|batata}} が {{lang|es|patata}} に変化したのはこの {{lang|qu|papa}} の影響であると考えられている<ref>[[小学館]]『西和中辞典』初版4刷 p1413,p1437</ref>。{{lang|es|Papa}} は[[ローマ教皇]]を意味する単語と同じであったため、これを忌避して {{lang|es|Patata}} に変遷したともいわれる<ref>{{Harvnb|伊藤章治|2008|p=44}}</ref>。 === 日本における地方名 === [[江戸時代]]以降、米の収穫に不利な山間・寒冷地での栽培が広まったため、[[地方名]]や地方[[品種]]も多い。 * 「にどいも(二度芋)」「さんどいも(三度芋)」- 1年に2回ないし3回収穫できることから<ref>『南信州・上村 遠山谷の民俗』(長野県下伊那郡上村民俗誌刊行会編)</ref>。 * 「カブタイモ」「ジャガタライモ」{{sfn|貝津好孝|1995|p=39}}「サントク」<ref>佐久市志編纂委員会編纂『佐久市志 民俗編 下』佐久市志刊行会、1990年、1388ページ。</ref> * 「お助けイモ」- 飢饉の際にジャガイモ活用を勧めたことが役立ったため<ref name="gifu">『岐阜県史』{{Full citation needed|date=2019年3月}}</ref>。 * 「善太夫芋」- 1748年に[[信濃国|信州]]より<ref>{{Cite web|和書|url=http://midori-tsushin.jp/utukushiimura_2.html |title=美しい村をたずねて 「農具揃」飛騨蓑輪村 |accessdate=2019-02-15}}</ref>種芋を移入した[[飛騨国|飛騨]]の[[代官]]幸田善太夫に因む<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.takayama.lg.jp/kurashi/1000021/1000119/1000847/1000954/1000979.html |title=幸田善太夫墓 |accessdate=2019-02-15}}</ref>。 * 「清太夫芋」(せいだゆういも、せいだいも)- 18世紀にジャガイモの普及に尽力した[[甲斐国|甲州]]の代官[[中井清太夫]]に因む<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.rieb.kobe-u.ac.jp/academic/newsletter/column/pdf/column119.pdf |title=中井清太夫という男 |publisher=[[神戸大学]]経営研究所 |author=高槻泰郎 |work=IEBニュースレター |year=2012 |month=10 |accessdate=2017-04-06 |deadlink=2020-03-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170928055829/http://www.rieb.kobe-u.ac.jp/academic/newsletter/column/pdf/column119.pdf |archivedate=2017-09-28}}</ref>。[[福島県]]や[[埼玉県]]、[[愛知県]]ではジャガイモを「甲州いも」と呼ぶこともある<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO23936540X21C17A1NZ1P00/ |title=【食ナビ】山梨名物せいだのたまじ/小粒ジャガイモ甘辛く |newspaper=『[[日本経済新聞]]』夕刊 |date=2017年11月28日 |accessdate=2017-12-06}}{{要登録}}</ref>。 * 「治助イモ」 - [[東京都]][[奥多摩町]]の特産<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.town.okutama.tokyo.jp/sangyo/nogyo/tokusanbutsu/jisukeimo.html |title=治助イモ |publisher=奥多摩町 |accessdate=2018年4月23日}}</ref>。 * 「アップラ」「アンプラ」「カンプラ」- [[オランダ語]]の''aardappel''(大地の[[リンゴ|りんご]])に由来する呼称も存在する{{Sfn|徳川宗賢|1979|pages={{要ページ番号|date=2019年3月}}}}。 * 「イモ」「エモ」- [[アイヌ語]]。日本語の「いも」が由来。「五升芋」が訛った「コソイミ」という呼称もある<ref>林喜茂『アイヌの農耕文化』1969年 慶友社 p84-85</ref>。 == 歴史 == [[南アメリカ大陸]]の[[アンデス山脈]]が原産で、小さなイモの原種が[[中南米]]に[[自生]]している{{sfn|田中孝治|1995|p=182}}。[[大航海時代]]に[[ヨーロッパ]]各地に伝わり、日本へは[[東南アジア]]を経て[[16世紀]]に伝わった{{sfn|主婦の友社編|2011|p=188}}。保存性が高く、当時の船乗りたちの食料として重宝された{{sfn|主婦の友社編|2011|p=188}}。[[品種改良]]が繰り返されて、現在のような大型のイモをつけるような品種が開発されており{{sfn|田中孝治|1995|p=182}}、世界中の[[温帯]]地域で広く栽培されている{{sfn|田中孝治|1995|p=182}}。 {{See also|en:History of the potato}} === ジャガイモの利用史 === [[file:Trabajo-inca8.jpg|[[インカ帝国]]時代の耕作風景。[[チャキタクリャ]]([[踏み鋤]])で耕し、種芋を植え付ける。[[ワマン・ポマ]]の絵文書より。|220px|thumb]] ジャガイモは、[[南アメリカ]]アンデス中南部、[[ペルー]]南部に位置する[[チチカカ湖]]畔が発祥とされる<ref>{{Harvnb|山本紀夫|2004}} - 山本は「中央アンデス高地の市で売られている多種多様な品種のジャガイモは、アンデスの人々が何千年もかけて改良した結果に他ならない」と述べている。</ref><ref>{{Harvnb|山本紀夫|2004}} - 山本は、同時にジャガイモの祖先種と見られる[[野生種]]の存在についても言及している。</ref>。[[標高]]3,000 - 4,000[[メートル]]の高地で、[[500年]]ごろに栽培されたと考えられている{{sfn|講談社編|2013|p=177}}。最も初期に栽培化されたジャガイモは、{{snamei|Solanum stenotomum}} と呼ばれる[[染色体]]数24本の[[二倍体]]のもので、その後に四倍体の {{snamei|Solanum tuberosum}} が栽培化され、現在世界中で広く普及するに至ったとされている{{Sfn|山本紀夫|2004}}。 このジャガイモが[[ヨーロッパ大陸]]に伝えられたのは、[[インカ帝国]]の時代、15世紀から16世紀ごろとされている。当初、[[インカ帝国]]の食の基盤は[[トウモロコシ]]ではないかと伝えられていたが、[[ワマン・ポマ]]が1615年に残した記録や<ref>アンデスの歴史や文化について書かれた資料『新しい記録と良き統治』において、ジャガイモの植え付けを行う人の様子が記録されている。</ref>、[[マチュ・ピチュ]]の段々畑の史跡研究、気象地理条件{{Efn|トウモロコシは温暖な気候に適した作物であり、3,500 mを超える高地での栽培跡が確認できていない一方、ジャガイモは4,000 m級の場所でも栽培跡が確認されている。}}、食生活の解析{{Efn|[[インカ人]]の人骨に含まれるたんぱく質から生前の食生活を解析した結果、主要な食料源はイモ類、豆類であったことが判明した。}}など、複数方面からの結果が、食基盤がジャガイモであったことを示しており、見直しが図られている<ref>{{Cite |和書 |author=石毛直道 |title=食文化探訪 |date=1998 |publisher=新人物往来社 |isbn=4404026846 |ref=harv |page={{要ページ番号|date=2020-03-09}}}}</ref>。 しかし、具体的に「いつ」「誰が」伝えたのかについてはっきりとした資料は残っておらず、[[スペイン人]]がジャガイモを本国に持ち帰ったのは[[1570年]]ごろで、新大陸の「お土産」として船乗りや兵士たちによってもたらされたものであろうと推測付けられている<ref>ラリー・ザッカーマン『じゃがいもが世界を救った』</ref>。さらに1600年ごろになるとスペインからヨーロッパ諸国に伝播するが、この伝播方法にも諸説あり、はっきりとは判明していない<ref>{{Harvnb|伊藤章治|2008}}では、[[イギリス]]への伝播についてはスペインの船が[[アイルランド]]沖で座礁し、積荷のジャガイモが知られるようになったとする説や、航海家[[ウォルター・ローリー]]による説などが紹介されている</ref>。 いずれにせよ、16世紀末から17世紀にかけては、植物学者による菜園栽培が主であり{{Efn|[[観葉植物]]として楽しまれていたが、16世紀の後半に[[エリザベス1世]]がジャガイモの若芽を食べてしまい、それに含まれている有害物質のソラニン中毒になったことなどもあり、普及が遅れた。}}、ヨーロッパの一般家庭に食料としてジャガイモが普及するのは、さらに時を待たねばならない。普及は、[[プロイセン王国]]で[[三十年戦争]]により荒廃し、飢饉が頻発した際に作付け(栽培)が国王の勅命により強制、奨励されたことや、踏み荒らされると収穫が著しく減少する[[麦]]に代わり、地下に実るため踏み荒らしの影響を受け難い作物として、農民に容易に受け入れられた結果である<ref name="seikatsueisei1957.29.177">{{Cite journal|和書|author=神戸保 |title=ジャガイモ |journal=生活衛生 |volume=29 |year=1985 |issue=3 |page=177 |doi=10.11468/seikatsueisei1957.29.177 |ISSN=0582-4176 |publisher=大阪生活衛生協会 |naid=130003877482 |accessdate=2015-03-17}}</ref>。 プロイセン王国(ドイツ)での広まりで、国力を増したと聞きつけた[[フランス王国]][[ブルボン朝]]でも広めようと、[[ルイ16世]]の王妃[[マリー・アントワネット]]が帽子にジャガイモの花を飾ったと伝えられる{{sfn|講談社編|2013|p=177}}。食用作物として本格的に栽培が始められたのは、17世紀の[[アイルランド]]で、さらにジャガイモは1621年に、[[アイルランド系アメリカ人|アイルランド移民]]の手により[[北アメリカ]]へ渡り{{sfn|講談社編|2013|p=177}}、[[アメリカ独立戦争]]における兵士たちの[[胃]]袋を満たす、貴重な食料源となった。 === アイルランドとジャガイモ飢饉 === [[file:IrelandEuropePopulation1750.PNG|thumb|300px|アイルランドと1750年からのヨーロッパの人口の変動。1845年から49年にかけてのアイルランドでの[[ジャガイモ飢饉]]の悲惨な結果とそれ以前の人口増加を表している。]] [[アイルランド]]の[[小作]]農家たちは元来は主にムギを栽培していたが、厳しい[[イギリス帝国]]の植民地支配の下で、ムギは地代として[[地主]]に収奪されるため、地代にとられることのない生産性の高いジャガイモを、自分らの小さな庭地で栽培し始めた。それによって、ジャガイモが貧農の唯一の食料となってゆき、[[飢饉]]直前には人口の3割がジャガイモに食料を依存する状態になっていた。 「'''アイリッシュ・ランパー'''」([[:en:Irish Lumper|Irish Lumper]]) と呼ばれる、アイルランドのジャガイモ種は寒冷地でも良く育ち、アイルランド人口の増加を支えた。しかし、[[1845年]]から[[1849年]]の4年間にわたって、ヨーロッパでジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けた。ジャガイモを主食としていた被支配層のアイルランド人の間からは、[[ジャガイモ飢饉]]で100万人以上ともいわれる多数の[[餓死]]者を出した。 また、[[イングランド]]、北アメリカ、[[オーストラリア大陸]]へ、計200万人以上が[[移住]]したといわれる。[[アメリカ合衆国]]に渡った[[アイルランド系アメリカ人|アイルランド人移民]]は、アメリカ社会で大きなグループを形成し、経済界や特に政治の世界で大きな影響力をもつようになった。この時代のアメリカ合衆国への移民の中には、[[ケネディ家]]の先祖も含まれていた。 アイルランドでのジャガイモ飢饉があったものの、寒冷地にも強く、年に複数回の栽培が可能で、地中に作られることから、[[鳥害]]にも影響されないジャガイモは、庶民の食料として爆発的な普及を見せ、瞬く間に[[麦]]、[[米]]、[[トウモロコシ]]に並ぶ「世界四大作物」として、その地位を確立した。[[アダム・スミス]]は『[[国富論]]』において「[[コムギ|小麦]]の三倍の生産量がある」と評価している。 === 日本への伝来 === 諸説あるが、1598年に[[オランダ人]]によって持ち込まれたとされる<ref name="jag1972.27.228">{{Cite journal|和書|doi=10.5458/jag1972.27.228 |author=吉町晃一 |title=澱粉資源ジャガイモ |journal=澱粉科学 |volume=27 |year=1980 |issue=4 |pages=228-243 |accessdate=2015-03-17 |format=pdf}}</ref>。[[ジャワ島]]の[[ジャカルタ|ジャガタラ]]を経由して[[長崎市|長崎]]へ伝来したため'''ジャガタライモ'''と呼称されたが、それが短縮されジャガイモとなった<ref name="jag1972.27.228"/>。 江戸時代後期の18世紀末には、ロシア人の影響で[[北海道]]・[[東北地方]]に移入され、[[飢饉]]対策として栽培された{{sfn|講談社編|2013|p=177}}。[[蘭学者]]の[[高野長英]]は、ジャガイモ栽培を奨励している。また江戸後期には、[[甲斐国]]の代官であった[[中井清太夫]]が、ジャガイモ栽培を奨励したとされ、[[享和]]元年(1801年)には小野蘭山が甲斐国黒平村([[山梨県]][[甲府市]])においてジャガイモの栽培を記録している(『甲駿豆相採薬記』)<ref>宮澤富美恵「甲州のジャガイモ栽培」『甲州食べもの紀行』[[山梨県立博物館]]、2008年</ref>。また江戸時代後期には、北海道の[[アイヌ]]もジャガイモを栽培していた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.coleman.co.jp/event/winter/bbw_0903.pdf |title=アイヌ民族の「食」 |accessdate=2013-05-02 |publisher=[[アイヌ民族博物館]] |format=pdf |deadlinkdate=2020-03-09}}</ref>。[[寛政]]年間、探検家の[[最上徳内]]がアブタ場所(現在の[[洞爺湖町]]虻田地区)に種芋を持ち込み、地域のアイヌに栽培させたのが、北海道でのジャガイモ伝来だという<ref>{{Cite book|和書|title=図解アイヌ |author=角田陽一 |publisher=[[新紀元社]] |year=2018 |page=134}}</ref>。 本格的に導入されたのは[[明治維新]]後で、[[北海道]]の開拓に利用された。アメリカ合衆国で[[ウィリアム・スミス・クラーク]]に学び、後に「いも[[判官]]」と呼ばれた、初代[[三県一局時代#根室県|根室]][[県令]][[湯地定基]]により普及し、[[川田龍吉]][[男爵]]により特に男爵いもが定着した。当初は、[[西洋料理]]の素材としての需要であったが、[[洋食]]の普及とともに、徐々に[[肉じゃが]]など、日本の家庭料理にも取り入れられるようになっていった。 == 植物としての形態・生態 == [[多年草]]{{sfn|貝津好孝|1995|p=39}}。直立する[[地上茎]]は50[[センチメートル]] から1メートル 程度の高さにまで生長する。[[葉]]は[[奇数羽状複葉]]。葉の付け根から[[花茎]]が長く伸び、先端に多数の[[花]]をつける。花は星形で黄色い[[花心]]と5枚の[[花弁]]を持ち、色は品種によって異なり白から紫と様々である{{sfn|市川啓一郎|2021|p=132}}。花の構造はナス科の[[トマト]]や[[ナス]]と酷似している{{sfn|市川啓一郎|2021|p=132}}。[[受粉]]能力は低いが、品種や条件によっては受粉して[[トマト#品種|ミニトマト]]に似た小型の[[果実]]をつける。果実は熟するに従い緑色から黄色、さらに赤色へと変化するが、落果しやすく完熟に至るものは極希である。果実の中には[[種子]](真正種子とよばれる)があり、これを発芽させて生長させることも可能である{{sfn|講談社編|2013|p=173}}。ジャガイモの[[交配]]はこの種子を利用して行われるが、種芋から育たないため、生長しても全体的に小柄である。これを親株と同様の大きさ程度にまで育てるには3年(3代)程度かかるため、[[草本]]性植物としては交配に時間のかかる植物といえる。[[品種改良]]も種子を採って芒種からの栽培を利用するが、ジャガイモの場合、種子1粒ごとに遺伝的な性質が異なり、品質を揃えるのは困難であることから、一般に芋を植えて性質が同じ品種を増やす方法がとられる{{sfn|講談社編|2013|p=173}}。 晩春の花が咲き始めるころに、土中では新しい芋ができ始める{{sfn|主婦の友社編|2011|p=193}}。芋は根のように土中の水分や養分を吸収する機能はなく、地下にある茎が肥大したもので[[塊茎]]ともいい、日中に葉で[[光合成]]された養分が、夜になって地下の茎に蓄えられてできたものである{{sfn|講談社編|2013|p=173}}。塊茎は、地中に埋められた種芋の上から伸びた茎の第6 - 8節から発生した匍匐(ほふく)分枝した茎(ストロン)の先が、次第に肥大して芋になる{{sfn|板木利隆|2020|p=400}}{{sfn|市川啓一郎|2021|p=132}}。昼夜の気温差が大きいほど、養分の移行がスムーズになり、芋のデンプン量が多くなる{{sfn|講談社編|2013|p=173}}。塊茎の肥大は、昼温約20度、夜温10 - 14度が適温であり、20度を超えると塊茎は形成されにくくなる{{sfn|板木利隆|2020|p=400}}。 <gallery mode="nolines" widths="180px"> file:ジャガイモの地上部.JPG|地上部 画像:Potato flowers.jpg|花 file:Potato fruits.jpg|果実 File:Solanum tuberosum 15-p.bot-solana.tuber-24.jpg|地下部、根の中央にある親芋(種芋)とその周囲に新しくできたた子芋 </gallery> == 毒性 == [[File:Aardappel groene knollen (Solanum tuberosum).jpg|thumb|光に当たって緑色に変色したジャガイモは、[[ソラニン]]などの有毒なアルカロイドを多く含む。]] ジャガイモは、ポテトグリコアルカロイド (Potato Glycoalkaloids; PGA) として総称される[[ソラニン]]や[[チャコニン]](カコニン、{{lang-en-short|α-chaconine}})、ソラマリン、コマソニン、デミツシンと有毒な[[アルカロイド]][[配糖体]]を含む。これらはジャガイモ全体に含まれるが、品種や大きさによりばらつきがあり<ref>{{Cite journal|和書 |author=下井俊子 |author2=牛山博文 |author3=観公子 |author4=斉藤和夫 |author5=鎌田国広 |author6=広門雅子 |title=各種ジャガイモ中のグリコアルカロイド含有量調査 |date=2007-06-25 |publisher=公益社団法人 日本食品衛生学会 |journal=食品衛生学雑誌 |volume=48 |number=3 |naid=10019974321 |doi=10.3358/shokueishi.48.77 |pages=77-82 |ref=harv |format=pdf |accessdate=2012-05-15}}</ref>{{Sfn|新藤哲也|牛山博文|観公子|安田和男|2004}}、特に緑色になった皮の部分や芽、果実に多く含まれる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=188}}。毒性が強いため、食べる際には芽や緑色を帯びた皮は取り除き、長期保存された芋では、皮を厚く剥いて調理した方がよい<ref name="fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp-dokusou-15">{{Cite web|和書|url=https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/dokusou/15.html |title=身近な食品中の植物性自然毒-ジャガイモ |accessdate=2008-01-19 |publisher=東京都福祉保健局}}</ref>{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。 PGAは、加熱による分解が少ない{{R|fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp-dokusou-15}}<ref name="fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp-poteto">{{Cite web|和書|url=https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/anzen_info/poteto.html |title=じゃがいも いも知識 |accessdate=2008-01-19 |publisher=東京都福祉保健局}}</ref>。PGAをたくさん食べたときの中毒症状は、[[めまい]]、吐き気、[[下痢]]などの症状を引き起こす{{sfn|主婦の友社編|2011|p=188}}。毒性はそれほど強くはないが、小児は発症量が10分の1程度{{R|fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp-poteto}}と成人より少なく、[[保育園]]・[[小学校]]の自家栽培による発育不良の小芋は、特にPGAの量が多いため中毒例が多い{{R|fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp-poteto}}{{Sfn|新藤哲也|牛山博文|観公子|安田和男|2004}}。芽を大量に食べて[[死亡]]した事例もある。 対策としては、芋を[[太陽光]]に当てないで、冷暗所で保存し{{Sfn|小机信行|水野進|1989}}、芽や緑色になった皮の部分を完全に取り除く{{sfn|主婦の友社編|2011|p=188}}。PGAは水溶性のため、皮をむいて茹でたり水にさらすことである程度除くことはできるが、[[粉吹芋|粉吹き芋]]で中毒した例が報告されているように、除ききれない場合がある。 果実は、芽ほどではないにせよ、塊茎と比べPGAの含有量が高いため、食用に向かない<ref>{{Cite web|和書|url=http://wakana.mcr.muroran-it.ac.jp/works/berry/berry-doku.html |title=ジャガイモの果実の毒性について |accessdate=2008-02-14}}</ref>。 {{See also|ソラニン|ステロイドアルカロイド}} == 栽培 == [[File:Faches periseaux champ.jpg|thumb|ジャガイモ畑([[フランス]]北部)]] 誰でも比較的育てやすい野菜で、春に種芋を植え付けて夏に収穫する春作と、夏に植え付けて秋に収穫する秋作があり、3月から7月までの春作の方が[[栽培]]しやすい{{sfn|主婦の友社編|2011|p=192}}。土がたくさん入る比較的大きな[[プランター]](コンテナ)でも栽培することができる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=238}}。生育期間は約3 - 4か月で、他の芋類と比べて短いのが特徴である{{sfn|板木利隆|2020|p=398}}{{sfn|市川啓一郎|2021|p=132}}。収量も多いので、デンプン質作物としては最も生産効率が高く、[[輪作]]上も有利とされる{{sfn|板木利隆|2020|p=398}}。原産地は高冷地で乾燥しており、栽培適温は15 - 22[[セルシウス度|度]]で他の芋類よりも低く、冷涼な気候を好み、高温に弱い性質を持つ{{sfn|主婦の友社編|2011|p=192}}{{sfn|板木利隆|2020|p=398}}{{sfn|市川啓一郎|2021|p=132}}。[[連作]]を嫌うため、ナス科の野菜を3 - 4年作っていない畑で、[[堆肥]]と元肥を入れて耕してから作付けする{{sfn|主婦の友社編|2011|p=192}}。土壌酸度は[[水素イオン指数|pH]] 7.0の中性を好むが、pH 5.5の酸性土壌でもよく育つ{{sfn|市川啓一郎|2021|p=133}}。そうか病はpHが高いほど活発になる性質があるため、ニシユタカ・男爵・メークインなどの耐病性がない従来品種では、土壌酸度調整用の石灰の投入を避ける{{sfn|市川啓一郎|2021|p=133}}。 一般的な栽培をする場合、ジャガイモは「種芋」を植え付け培土して育成する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=192}}。植え付けに行う種芋は、ウイルスに罹病していない専用に育成されたものが使われる{{sfn|講談社編|2013|p=173}}{{sfn|板木利隆|2020|p=398}}。種芋の数を意図的に増やすために、一般的には種芋は、芋に適度な温度と光を当てて発芽させ{{sfn|講談社編|2013|p=173}}、芽を中心にして適度な大きさ(半分 - 数個程度)に切り分け、芋の[[腐敗]]を防ぐために切断面を数日乾かすか[[灰]]などを塗布し、切断面を下に向け地面に置き、土をかぶせる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=192}}{{sfn|板木利隆|2020|p=399}}{{sfn|市川啓一郎|2021|p=134}}。秋作では種芋を切ると腐敗しやすいため{{sfn|市川啓一郎|2021|p=132}}、種芋を小さく切らずに一片のみ切り取って芋に刺激を与えた状態で{{sfn|主婦の友社編|2011|p=193}}、あるいは切らずに丸のままの種芋をそのまま植え付ける{{sfn|市川啓一郎|2021|p=133}}。植え付けるときに切り口を下向きにするのは、雨水が地表から地中へしみ込む際に、切り口を下向きにした方が種芋の腐敗を防げるからである{{sfn|市川啓一郎|2021|p=133}}。植え付け後、一つの種芋から多くの芽が出るため、芋を充実させるために太い芽を2本(秋植えの場合は1本)ほど残して抜き取る[[芽かき]]を行う{{sfn|主婦の友社編|2011|p=193}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=238}}{{sfn|板木利隆|2020|p=400}}。種芋から出る芽を3芽以上にすると収量は上がるともいわれるが、芋は小さなサイズばかりが多くなる{{sfn|市川啓一郎|2021|p=133}}。 種芋は幅90&nbsp;cmほどの高[[畝]]の中央に株間30&nbsp;cmになるように植え付ける{{sfn|市川啓一郎|2021|p=135}}。イモとなる地下茎は種芋より上(地表に近い位置)にできるため、日光に当たって緑化していない良質なジャガイモを収穫するためには、この肥大する地下茎(塊茎)が日光に晒させないように株元の土を盛り上げる土寄せ(培土という)が行われる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=193}}{{sfn|講談社編|2013|p=173}}{{sfn|板木利隆|2020|p=398}}。土寄せは、芽が伸びて高さ10&nbsp;cmくらいのときと、高さ30&nbsp;cmのときの2回行って、最終的に畝の高さ30&nbsp;cmほどのかまぼこ形になるようにする{{sfn|市川啓一郎|2021|p=135}}。花が咲き始めるころから肥料の吸収が盛んになり、追肥が行われる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=193}}。種芋の植え付けから4か月後、葉が黄色くなって新しい芋が大きくなっていたらジャガイモの収穫期で、株ごと引き抜いて収穫する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=193}}{{sfn|市川啓一郎|2021|p=135}}。葉が緑のうちに収穫した芋(新じゃがいも)は長期保存が利かないため早めに食べる必要があるが、地上部の茎葉が黄色く枯れるまで土中に置いた芋は、長期保存が可能な芋になる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=193}}。大面積の耕作地では、収穫に[[ハーベスター]]が使われ、土ごと芋が拾い上げられて、上部の選別台で大きさごとに選別される{{sfn|講談社編|2013|p=173}}。収穫後は、芋の水分蒸散防止や病原菌進入防止のための表面処理が行われたあと、低温貯蔵庫で一時保管してから出荷される{{sfn|講談社編|2013|p=173}}。 === 病虫害 === [[File:Ruhland, Grenzstr. 3, Kartoffelkäfer-Larve auf Kartoffel-Blatt, Sommer, 02.jpg|thumb|葉を食害する[[コロラドハムシ]]の幼虫]] 冷涼な気候や硬く痩せた土地にも強い反面、病害や虫の被害を受けやすく[[連作|連作障害]]も発生しやすい。ジャガイモの地下茎は水分と栄養が豊富なため、病原菌が繁殖しやすく、保存状態の悪い種芋や、収穫から漏れて地中へ残された芋は病害の原因となる。そのため、日本では[[植物防疫法]]の指定種苗となっており、種芋の売買が規制されている。 疫病は生育後半に発生して急速に広がり、塊茎の肥大や貯蔵性に悪影響を及ぼす{{sfn|板木利隆|2020|p=401}}。同じナス科のトマトと同じ病害が発生し、特に葉に湿った黒褐色の斑点が出る疫病は大敵で、見つけたら殺菌剤を散布して防除する{{sfn|板木利隆|2020|p=401}}。青枯病は発見次第、株を抜き取る{{sfn|板木利隆|2020|p=401}}。 害虫では[[ニジュウヤホシテントウ]]や[[オオニジュウヤホシテントウ]]が葉を著しく食害する{{sfn|板木利隆|2020|p=401}}。いずれも成虫は落葉の下などで越冬し、春になるとナス科、特にジャガイモに多く集まって害を与え、葉の裏に卵を産み付ける{{sfn|板木利隆|2020|p=403}}。孵化した幼虫も大きな害を与えるため、幼虫のうちに早めの除去が必要とされる{{sfn|板木利隆|2020|p=401}}。食害痕を見つけたら、10日おきぐらいに数回ほど殺虫剤を散布して防除する{{sfn|板木利隆|2020|p=403}}。このほか、葉を食害する害虫としては[[アブラムシ]]などがある{{sfn|板木利隆|2020|p=403}}。 {| class="wikitable" |+主要病虫害 !種類 !病虫害名 !適用 |- |ウイルス病 | * [[モザイク病]] * [[ジャガイモやせいもウイロイド]] | |- |糸状菌病 | * [[黒あざ病]] * [[炭そ病]] * [[乾腐病]] * [[がんしゅ病]] * [[粉状そうか病]] * [[エキビョウキン|疫病]] -{{ill2|ジャガイモ疫病菌|en|Phytophthora infestans}}を含む。アイルランドのジャガイモ飢饉など寒冷地で幾度も飢饉を発生させた。 | |- |細菌病 | * [[軟腐病]] * [[黒あし病]] * [[そうか病]] * [[輪腐病]] * zebra chip * {{ill2|オルタナリア・ソラニ|en|Alternaria solani}} - ジャガイモに感染した場合はジャガイモ夏疫病という。他の植物に感染した場合は、トマト輪紋病、ナス褐斑病と呼ばれる。 | |- |害虫 | * [[ジャガイモシストセンチュウ]] * [[ジャガイモシロシストセンチュウ]] - ジャガイモシストセンチュウの類似種。日本国内では長らく確認されていなかったが、2015年に初めて確認された<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASH8M5GKCH8MUTIL03C.html |title=国内未確認のジャガイモ害虫、北海道でみつかる |date=2015-08-19 |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |accessdate=2015-08-19}}</ref>。 * [[コロラドハムシ]] * [[アブラムシ]]類(ジャガイモヒゲナガアブラムシ、ワタアブラムシ、モモアカアブラムシなど) * [[ニジュウヤホシテントウ]]{{sfn|板木利隆|2020|p=403}} * [[オオニジュウヤホシテントウ]]{{sfn|板木利隆|2020|p=403}} | |} 日本は国外からの病害虫侵入を防ぐため生食用ジャガイモの輸入を禁止しているが、アメリカ合衆国は2020年3月31日に輸入解禁を要請した<ref>「[https://www.agrinews.co.jp/p51695.html 米国が生ジャガ解禁要請 検疫協議へ 国内産地は反発]」『[[日本農業新聞]]』2020年8月22日(2020年10月21日閲覧)</ref>。 === 連作障害 === {{出典の明記|section=1|date=2023年9月}} ジャガイモはナス科野菜と同じ畑で栽培すると、そうか病や疫病や青枯れなどの[[連作障害]]が発生しやすい{{sfn|市川啓一郎|2021|p=132}}。連作を行うと土壌のバランスが崩れ、単純に生育が悪くなるだけでなく、病害や寄生虫が発生しやすくなる。ジャガイモに限らず、[[ナス科]]の植物はこの性質を持ち、例えばジャガイモの後にナスを植えた場合にも連作障害を起こす。 特にジャガイモに大きな被害を与える原因として、[[ジャガイモシストセンチュウ]]による生育阻害がある。この[[センチュウ]]は地中で増殖し、高密度になるとジャガイモの生育を大きく妨げる。例えば乾土1[[グラム|g]]中に100卵が存在する状態(高密度)では、収穫量が60%程度低下する。センチュウは宿主(ジャガイモなど)がない状態でも、卵状態([[シスト]])になり10年以上も生存し続ける場合があり、シスト状態は薬剤にも強いため根絶が難しい。卵を含む可能性のある土を移動させない、付着の恐れのある農具や運搬具の洗浄、といった拡散防止策がとられている。 また、長期の休閑や非宿主の作付なども対策として行われているが、センチュウ密度の低減には効果は低く、最も有効な密度低減対策は、抵抗性品種の作付である。ただし、センチュウはジャガイモには被害を与えるが、[[ヒト]]には無害である。このセンチュウは、種苗付着土や動物糞から伝染する。そのため日本では、アイルランド経由以外の、検疫を受けていない塊茎類の直接持ち込みは禁止されている。[[植物防疫法]]の指定種苗であり、種芋の販売が規制されて検査が義務づけられている。{{seealso|ジャガイモシストセンチュウ}} ジャガイモの原産地であるアンデス中央高地では、古くから連作障害について認識されており、長期の休閑と[[輪作]]が行われている。ジャガイモの次は別の作物を植えるようにするだけでなく、3から4サイクルで一つの区画を利用したあと長期の休閑をとる。休閑の長さは、人口密度や畑の大きさによって様々である。 日本国内においては、[[1947年]]([[昭和]]22年)に行われた[[農地改革]]で、共有地が崩壊し耕作地が私有地化され、個人が所有する土地区画が狭くなったため、長期の休閑が行えず、シストセンチュウが再び問題になってきている。 アンデスのいくつかの地域では、[[マシュア]](イサーニョとも、学名:{{snamei|en|Mashua|Tropaeolum tuberosum}})と呼ばれる[[ノウゼンハレン科]]の塊茎類を[[コンパニオンプランツ|混植]]することで、シストセンチュウの発生を抑えている。マシュアは、その根からシストセンチュウを避ける分泌物を発生することが科学的に確認されている。また、[[インカ帝国|インカ]]時代には、このマシュアは男性の[[性欲]]を抑える働きがあることが知られており、長期間にわたる兵士の出征や労働賦役に際して、性衝動をコントロールする目的で利用されていたことが、[[スペイン人]]の記録文書に残されている。 == 生産 == [[国際連合食糧農業機関]] (FAO) の統計資料 (FAOSTAT)<ref>{{Cite web|url=http://www.fao.org/faostat/en/#data/QC |title=FAOSTAT |accessdate=2017-01-06}}</ref>によると、2014年の全世界におけるジャガイモの生産量は3億8168万[[トン]]、主食となるイモ類では生産量は最大。生産地域は大陸別ではアジアとヨーロッパが4割ずつを占め、[[インド]]を除くといずれも中緯度から高緯度北部に分布。上位5カ国で全生産量の57%を占める。日本の生産量は245万トン(世界シェア0.64%)。 # {{CHN}} 9557万トン (25.0%) # {{IND}} 4640万トン (12.2%) # {{RUS}} 3150万トン (8.3%) # {{UKR}} 2369万トン (6.2%) # {{USA}} 2005万トン (5.3%) # {{GER}} 1160万トン (3.0%) # {{BAN}} 895万トン (2.3%) # {{FRA}} 809万トン (2.1%) # {{POL}} 769万トン (2.0%) # {{NED}} 710万トン (1.9%) 長期間の保存に適していないため、生産量に比べ、貿易量は多くない。貿易の多くは下図に示すとおり、欧州域内などの地域的近接によるものがほとんどである。 {| class="wikitable" style="text-align:center" |+ FAO統計資料 (FAOSTAT)<ref>{{Cite web|url=https://www.fao.org/faostat/en/#data/TCL/visualize |title=FAOSTAT |accessdate=2021-10-20}}</ref><small>2010-2019 平均輸出入量</small> |- ! colspan="2" | 輸出 || colspan="2" | 輸入 |- ! 国名 || 輸出量(t) || 国名 || 輸入量(t) |- | {{FRA}} | style="text-align:right" |2,029,859 | {{BEL}} | style="text-align:right" |1,973,552 |- | {{DEU}} | style="text-align:right" |1,855,862 | {{NLD}} | style="text-align:right" |1,593,031 |- | {{NLD}} | style="text-align:right" |1,800,367 | {{ESP}} | style="text-align:right" |725,397 |- | {{BEL}} | style="text-align:right" |959,447 | {{DEU}} | style="text-align:right" |690,069 |- | {{CAN}} | style="text-align:right" |520,123 | {{ITA}} | style="text-align:right" |642,875 |} === 日本 === [[農林水産省]]の統計資料<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/sakumotu/sakkyou_yasai/ |title=作況調査(野菜) |accessdate=2017-07-25}}</ref>による[[平成]]28年度の都道府県別収穫量では、全国約216万トン中で北海道が約170万トンと全国の8割を占める。 # {{Flag|北海道}} 171.5万トン (77.5%) # {{Flag|長崎県}} 6.8万トン (4.6%) # {{Flag|鹿児島県}} 6.01万トン (3.6%) # {{Flag|茨城県}} 4.74万トン (2.2%) # {{Flag|千葉県}} 2.87万トン (0.9%) == 利用法 == 塊茎(イモ)は主に食用にされ、味にクセがなく、[[野菜]]としても、また[[穀類]]としての両面を持ち合わせている{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。主成分がデンプンであることから、[[コメ]]や[[麦]]、[[トウモロコシ]]と並んで、国によっては[[主食]]にもしている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=112}}{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。またビタミンCに富み、[[副菜]]の材料としても使われる{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。一年中出回っているが食材としての[[旬]](北半球)は、一般に秋から冬(10 - 2月)、新ジャガイモでは初夏(5 - 6月)とされる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=110}}。凸凹が少なくて、皮の表面にシワがなくなめらかで、芽が出てなく、緑色に変色していないものが良品とされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=188}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=110}}。ジャガイモの芽、茎、葉、花、果実、緑色になったイモには、中毒を引き起こす[[ソラニン]]というアルカロイド成分を含むため、食用や薬用に用いることは避けるべきである{{sfn|田中孝治|1995|p=182}}。 ジャガイモの利用形態は、'''生食'''(青果)、'''加工'''、'''[[デンプン]]原料'''の3種類に大別される。加工用としては、[[ポテトサラダ]]、[[スナック菓子]]([[ポテトチップス]]など)、[[フライドポテト]]、[[冷凍食品]]・[[惣菜]]([[コロッケ]]など)がある。デンプンは、いわゆる[[片栗粉]]として流通している粉末の原料であり、インスタント麺などの原料にもなる。 === 栄養価 === <!--{{hidden begin|border = #aaa solid 1px|titlestyle=text-align: center; |title=ジャガイモの栄養価|bg=#F0F2F5}}--> {{栄養価 |name = じゃがいも 塊茎 生<ref name="mext7">{{Cite web|和書|publisher=[[文部科学省]] |accessdate=2017-01-20 |url=https://www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/1365297.htm |title=日本食品標準成分表2015年版(七訂)}}</ref> |kJ = 318 |water = 79.8 g |protein = 1.6 g |fat = 0.1 g |satfat = 0.01 g |polyfat = 0.02 g |carbs = 17.6 g |starch = 16.9 g |opt1n = [[食物繊維|水溶性食物繊維]] |opt1v = 0.6 g |opt2n = [[食物繊維|不溶性食物繊維]] |opt2v = 0.7 g |fiber = 1.3 g |sodium_mg = 1 |potassium_mg = 410 |calcium_mg = 3 |magnesium_mg = 20 |phosphorus_mg = 40 |iron_mg = 0.4 |zinc_mg = 0.2 |copper_mg = 0.10 |manganese_mg = 0.11 |thiamin_mg = 0.09 |riboflavin_mg = 0.03 |niacin_mg = 1.3 |vitB6_mg = 0.18 |folate_ug = 21 |pantothenic_mg = 0.47 |opt3n = [[ビオチン]] (B{{sub|7}}) |opt3v = 0.4 μg |vitC_mg = 35 |opt4n = [[有機酸]] |opt4v = 0.5 g |note = 別名:ばれいしょ(馬鈴薯)。廃棄部位:表層 |right = 1 }} <!--{{hidden end}}--> [[画像:Potato-AAS.JPG|280px|thumb|'''ジャガイモ'''の[[アミノ酸スコア]]<ref>http://www.nal.usda.gov/fnic/foodcomp/search/{{Dl|date=2020-03-09}}{{accessdate|2011-12-28}}</ref><ref>『タンパク質・アミノ酸の必要量 WHO/FAO/UNU合同専門協議会報告』日本アミノ酸学会監訳、医歯薬出版、2009年5月。{{ISBN2|978-4-263-70568-1}} 邦訳元 ''[http://whqlibdoc.who.int/trs/WHO_TRS_935_eng.pdf Protein and amino acid requirements in human nutrition]'', Report of a Joint WHO/FAO/UNU Expert Consultation, 2007</ref>]] ジャガイモの塊茎(イモ)には[[デンプン]]を13 - 20%、[[たんぱく質]]を1.5 - 2.6%含み、[[ビタミンA]]([[カロテン]])以外の[[ビタミンB1]]・[[ビタミンB2|B2]]・[[ビタミンC|C]]などの[[ビタミン]]類や[[カリウム]]も豊富に含んでいる{{sfn|田中孝治|1995|p=183}}{{sfn|主婦の友社編|2011|p=188}}。デンプン質を多く含む割には、低カロリーな食品でもあり{{sfn|田中孝治|1995|p=183}}、エネルギー量は炊いた米飯の約半分である{{sfn|講談社編|2018|p=179}}。ジャガイモには約80%の水分が含まれ、残りは[[炭水化物]]がほとんどであり、炭水化物の90%がデンプン質である{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。少量であるが、炭水化物の中に[[蔗糖]]や[[果糖]]も含んでおり、特有のおいしさを形成している{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。 芋類の中でも特に[[ビタミンC]]が豊富に含まれ、[[フランス]]では「大地(畑)の[[リンゴ]]({{lang|fr|pomme de terre}}:ポム・ド・テール)」と呼ばれ{{sfn|主婦の友社編|2011|p=188}}、[[ドイツ語]]や上述のオランダ語でも同様の表現が存在する。ビタミンCは熱に弱い性質をもつが、ジャガイモの場合では主成分のデンプン質に包まれているため、加熱調理をしても失われにくい利点や、長期保存をしてもほとんど損失しないという特徴がある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=188}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=112}}{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。ジャガイモは動物性[[たんぱく質]]を減らす効果があるとされ、間接的に[[尿酸]]値の増加を抑える効果が期待できる{{sfn|田中孝治|1995|p=183}}。 ジャガイモには可食部100[[グラム]]中、[[食物繊維]]1.3グラムと豊富に含まれており、[[便秘]]解消や[[大腸癌]]予防効果が知られている{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。かつて、[[がん]]([[癌]])予防をめざす[[デザイナーフーズ計画]]のピラミッドで3群に属しており、3群の中でも、[[ローズマリー]]、[[セージ]]、[[大麦]]、[[ベリー]]と共に3群の最下位に属するが、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた<ref>{{Cite journal|和書|author=大澤俊彦 |title=がん予防と食品 |journal=日本食生活学会誌 |year=2009 |volume=20 |issue=1 |pages=11-16 |doi=10.2740/jisdh.20.11 |accessdate=2017-04-24 |format=pdf}}</ref>。 様々な栄養素に富む食品であるジャガイモではあるが、アメリカなどではフライドポテトやポテトチップスとして、大量に消費しているため、健康的な消費の仕方とは言いがたい{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。煮たり、蒸したり、焼いたりといった日本食的な食材を活かした調理方法であれば、健康的に良い食品だといわれている{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。 === 料理 === {{main|ジャガイモ料理の一覧}} [[画像:PreparedPotatoes.jpg|thumb|150px|ジャガイモを用いた料理の例。左上から[[ポテトチップス]]、[[ハッシュドポテト]]、[[テイタートッツ]]、[[ベイクドポテト|ベークドポテト]]、[[マッシュポテト]]。]] ジャガイモは各地域で様々な料理に用いられる。形状・加熱の具合や水分量によって多種多様な食感になり、様々な[[調味料]]や油脂、[[乳製品]]などとの相性が良い。 日本では一般家庭料理の範疇に属するものとして、[[肉じゃが]]や[[粉吹芋]]、[[ポテトサラダ]]、[[いももち]]など、じゃがいもを主な食材とする料理がある他、[[カレー (代表的なトピック)|カレー]]、[[シチュー]]、[[グラタン]]、[[おでん]]、[[味噌汁]]などの具にも広く用いられる。[[じゃがバター]]もポピュラーである。 [[フライドポテト]]、[[マッシュポテト]]、[[ベイクドポテト]]、[[ヴィシソワーズ]]、[[スープ]]、[[コロッケ]]など、欧米ではジャガイモを主体とした料理が多くあり、そのまま蒸かして主食とする食べ方もある。他にジャガイモ料理として[[アイリッシュシチュー]]、[[トルティージャ]]などが挙げられる。 中国では、[[千切り]]したジャガイモの炒め物も一般的である。また、日本以外では、[[パン]]の材料に用いられる([[じゃがいもパン]])。他に[[パスタ]]([[ニョッキ]])にも使われる。 === 調理上の特性 === ジャガイモに含まれる[[チロシン]]は[[酸素]]に触れると[[メラニン]]を生じ褐変を起こすため、皮を剥くなどした切断面を水にさらす方法などで褐変を防ぐ<ref name="manual">{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/06/13/1306691_04.pdf |title=第3章 調理室における衛生管理&調理技術マニュアル |publisher=文部科学省 |accessdate=2020-06-05}}</ref>。ただし、30分以上水にさらしてしまうと、[[細胞膜]]内の[[ペクチン]]と水に含まれる無機質が反応して細胞膜が強くなり火が通りにくくなる<ref name="manual" />。 品種によって特性が異なるので、料理によって使い分けをする{{sfn|講談社編|2013|p=177}}。比較的粘りが少ない粉質の芋(男爵薯など)は、コロッケや粉吹き芋に向いており{{sfn|講談社編|2013|p=177}}、皮付きのまま芋を茹でるようにすると、デンプン質が水に流れ出るのを防いで水っぽくならず、ほっくり感がある食感を残して茹で上げることができる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=189}}{{sfn|講談社編|2013|p=177}}。粘りがある粘質の芋(メークインなど)は、煮込み料理向きで、サラダにしてもよい{{sfn|講談社編|2013|p=177}}。 煮崩れは、細胞内のデンプンが吸水し膨らみ変形するためで、粉質系の男爵は加熱するとホクホクした食感になり、粘質系のメークインはネットリした食感になる<ref>[https://www.asahi.com/articles/DA3S14693215.html (ごはんラボ)肉じゃが 煮汁少なめで形も味も:朝日新聞デジタル]</ref>。 春先に出回る早採りしたジャガイモは「新しゃがいも」「新じゃが」として親しまれ、皮が薄くて水分が多いため、小ぶりのものは皮を剥かずにまるごと調理して、蒸し芋、煮ころがし、揚げ物に向いている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=189}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=110}}。 === 保存食 === ジャガイモは、古くから凍結乾燥させるという方法で保存性を高め、[[保存食]]として利用されてきた。先[[クリストファー・コロンブス|コロンブス]]時代、中央[[アンデス山脈|アンデス]]地域において、冷凍したジャガイモを踏みつけることを繰り返すことで水分と毒を抜く方法が発明され、長期にわたる保存・備蓄が可能になった。この凍結乾燥したジャガイモのことを「''[[チューニョ]]''」と呼ぶ。現在でも[[ボリビア]]や[[ペルー]]の高地([[アルティプラーノ]])ではチューニョが利用されている。乾燥したチューニョはまるで小石のように見える。塩味の[[スープ]]に入れて長時間煮込んで食べるが、質の悪いチューニョは[[アンモニア]]のような臭いがすることがある。また、若干作り方が異なり、イモの種類も異なるが、原理的にはチューニョと同じ凍結乾燥ジャガイモに「トゥンタ」と呼ばれるものがある。これもペルー南部やボリビアなどで広く食べられている。 日本でも、山梨県の[[鳴沢村]]や長野県の一部地域では、ジャガイモを寒冷期の外気温で冷凍させ、踏みつけることを繰り返して、重量と体積を減らし、保存性を高める方法が存在する。「しみいも」「ちぢみいも」などと呼ぶ。 北海道の[[アイヌ民族]]も、秋に収穫し切れなかったジャガイモや傷のあるジャガイモを畑に放置し、雪に埋もれて凍るに任せる。放置されたイモは凍結と解凍を繰り返し、干からびて体積が減る。この工程を経て作られた保存食を「[[ポッチェイモ]]」「ペネコショイモ」などと呼び、食べる際は水で戻して丸め、団子にして脂を引いた平鍋で焼く。 こうした保存食とは異なるが、現代の北海道では、低温で一年半ほど保管して熟成させ、[[デンプン]]を糖化させて甘くしたジャガイモが商品化されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kutchanjaga.com/540/ |title=本間松蔵商店・俱知安五四〇 |accessdate=2018-4-18}}</ref><ref>{{Cite news|title=1年半寝かせた甘いジャガイモ 本間松蔵商店、本格販売 |newspaper=[[日経MJ]] |date=2018-4-11 |page=フード面}}</ref>。 === 加工食品 === [[スナック菓子]]として[[ポテトチップス]]が広く食べられている。ただし、[[タンパク質]]の成分として[[トリプトファン]]が多く、焦がした場合[[ニトロソアミン]]に変化することがあるので注意が必要である。なお、ポテトチップス用の品種も存在し、そのような品種は揚げても焦げにくい(無論、焦げないわけではない)という特徴をもつ。2014年のジャガイモ収穫量は245万トン、うちポテトチップ用は37万トンである<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.alic.go.jp/joho-d/joho08_000646.html |title=『ばれいしょの需要変化と品種の動向』独立行政法人農畜産業振興機構 |accessdate=2021-2-21}}</ref>。 === デンプン採取 === ジャガイモは、そのものが調理に使われるだけでなく、豊富に含まれるデンプンを抽出したものが[[片栗粉]]として販売されている(片栗粉は本来は[[カタクリ]]のデンプンを粉にしたものであるが、現在市場に出回っている片栗粉のほとんどはジャガイモのデンプンである)。 === 酒造 === 豊富なデンプンをもつジャガイモは、[[ウォッカ]]、[[ジン (蒸留酒)|ジン]]、[[アクアビット]]、[[焼酎]]、[[ソジュ]](韓国焼酎)など[[蒸留酒]]の原料にも用いられる。 日本においても、近年、北海道では特産のジャガイモを使ったジャガイモ焼酎(しょうちゅう乙類)の生産が広く行われるようになっている。また、長崎県でも特産品としてジャガイモ焼酎を製造している酒蔵がある。1979年4月に、北海道[[斜里郡]][[清里町]]の清里町焼酎醸造事業所が、日本で最初のジャガイモ焼酎となる[[清里焼酎]]を製造販売した。以後、北海道の多くの焼酎メーカーがジャガイモ焼酎に参入している。ジャガイモ焼酎は、サツマイモで作る[[芋焼酎]]と比べると癖が少なく飲みやすいものとなる。 === 薬用 === ジャガイモを薬用で使うときは、塊茎(イモ)が薬用部位となり、洋芋(ようう)と称する場合がある{{sfn|貝津好孝|1995|p=39}}。イモはすべて皮をむき、芽を完全に取り除いてから用いる{{sfn|田中孝治|1995|p=183}}。使用にあたっては、あまり体質を問わない[[薬草]]でもある{{sfn|貝津好孝|1995|p=39}}。体内のナトリウムを排出する作用がある[[カリウム]]を多く含むことから、[[高血圧]]予防にも役立つといわれている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=188}}{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。 [[民間療法]]で、[[湿疹]]、[[かぶれ]]、[[打ち身]]、[[くじき]]、[[やけど]]には、生のジャガイモをすりおろして、小麦粉と酢を混ぜてガーゼなどに延ばして患部に冷湿布すると、痛みが和らぎ、早期治療に役立つといわれている{{sfn|田中孝治|1995|p=183}}{{sfn|貝津好孝|1995|p=39}}。痛風には、日常の食事にジャガイモを取り入れるとともに、前述の冷湿布を併用すれば効果的とされている{{sfn|田中孝治|1995|p=183}}。 [[胃潰瘍]]、[[十二指腸潰瘍]]には、ジャガイモをすり下ろして土鍋に入れ、水分を飛ばして黒くなったものを1日1回2[[グラム]]ほど服用する{{sfn|貝津好孝|1995|p=39}}。 == 主要品種 == {{See also|{{仮リンク|ジャガイモの栽培品種一覧|en|List of potato cultivars}}}} 栽培特性(耐病性、収量)、加工特性、流通・保存特性、食味など様々な観点から品種改良が行われている<ref name=jisdh.15.150 />。 ジャガイモは、品種によって芋の皮の色や肉色、粉質・粘質と性質にも違いがあり、花色にも白色から紫色まである{{sfn|講談社編|2013|p=174}}。粉質の品種はホクホクした食感が特徴で、粘質の品種は肉質がきめ細かく、煮崩れしにくい{{sfn|講談社編|2013|p=177}}。日本では男爵薯とメークインが2大品種で作付面積の半分以上を占め、その他の農林1号、デジマ、ワセシロなど合わせて99品種が品種登録されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hinshu2.maff.go.jp/ |title=農林水産省品種登録ホームページ |publisher=農林水産省 |accessdate=2020-03-09}}</ref>。現在では公的機関ばかりでなく、農家により突然変異を基にした新種育成もまれに行われている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.maff.go.jp/j/seisan/gizyutu/hukyu/h_takumi/pdf/nagasaki_22.pdf |title=「農業技術の匠」: 俵(たわら) 正彦(まさひこ) さん(長崎県雲仙市) |format=pdf |accessdate=2012-01-22 |deadlinkdate=2020-03-09 |archiveurl=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10368291/www.maff.go.jp/j/seisan/gizyutu/hukyu/h_takumi/pdf/nagasaki_22.pdf |archivedate=2017-06-01}}</ref>。原産地では、皮や肉質に色素がある系統の様々な品種が栽培されていて、近年の日本国内においても、皮色や肉色に色素がある品種も生産されるようになっている{{sfn|講談社編|2013|p=177}}。なお、以下の説明における「生食用」は家庭や飲食店での調理素材であることを意味し、非加熱で食用とする意味ではない。 ; {{Anchors|男爵薯}}男爵薯(だんしゃくいも) : [[画像:Potato cv IrishCobbler.JPG|thumb|150px|男爵薯]] : 生食用品種。球形に近く、肉色は白色で粉質{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=110}}。英名は「アイリッシュ・コブラー({{lang|en|Irish Cobbler}},「アイルランドの靴直し職人」)」といい、1876年ごろにアメリカで赤い「アーリーローズ<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jrt.gr.jp/var/earlyrose.html |title=アーリーローズ |accessdate=2012-01-22 |publisher=日本いも類研究会}}</ref>」の白色変異種として発見され、発見者にちなみ命名されたと伝えられているが、近年の調査で「アーリーローズ」由来説は否定されており、何らかの雑種由来と考えられている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jrt.gr.jp/var/danshaku.html |title=男爵薯 |accessdate=2012-1-23 |publisher=日本いも類研究会}}</ref>。[[明治|明治時代]]の1908年に[[川田龍吉]]'''[[男爵]]'''が[[イギリス]]から持ち込んで日本に定着させた品種{{sfn|講談社編|2013|p=174}}{{efn|品種の正体が「アイリッシュ・コブラー」であることは後に判明した。}}。デンプン含有量は約15%と多く、ホクホクした食感が得られるが、長時間煮ると煮くずれしやすいため、[[粉吹芋|粉吹き芋]]や[[マッシュポテト]]、[[コロッケ]]など潰してから使う料理に適している{{sfn|主婦の友社編|2011|p=189}}{{sfn|講談社編|2013|p=174}}。芽の部分が大きく窪んでおり、でこぼこした形状なので皮をむきにくい。主に、東日本で主流の品種である。花は薄い紫色、[[雄性不稔]]のため父親とはならないが、直接の母として「[[キタアカリ]]」「農林1号」などがあり、交配によらないものとして[[プロトクローン]]から「ホワイトバロン」が選抜された。 ; {{Anchors|メークイン}}メークイン : [[画像:Potato cv MayQueen.jpg|thumb|150px|メークイン]] : 生食用品種。英名は "{{lang|en|May Queen}}" で、春においしくなることから名付けられたとされる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=111}}。イギリスで民間に栽培されていたのが1900年に登録され、[[大正|大正時代]]に日本に持ち込まれた品種<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jrt.gr.jp/var/mayqueen.html |title=メークイン |accessdate=2012年1月23日 |publisher=日本いも類研究会}}</ref>。北海道[[厚沢部町]]の道立試験場で初めて栽培されたことから、同町はメークイン国内発祥の地として自認しており、毎年、夏祭りで世界最大の[[コロッケ]]を揚げてPRしている<ref>{{Cite web|和書|date= 2010/7/25|url= http://www.ehako.com/news/news2009a/1542_imode_msg.shtml|title= 厚沢部、巨大コロッケ世界一奪還! |publisher= 『[[函館新聞]]』|accessdate=2018-08-04}}</ref>。 :粘質で、煮くずれしにくいため、[[カレー (代表的なトピック)|カレー]]やシチューや肉じゃがなど、煮込み料理に適している{{sfn|主婦の友社編|2011|p=189}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=111}}。花色は白斑入りの紫色で、芋は卵形か腎臓形の楕円形状で、皮が黄色く肉質は淡黄色{{sfn|講談社編|2013|p=174}}。凸凹も少なく、皮は剥きやすい{{sfn|主婦の友社編|2011|p=189}}。主に[[西日本]]での消費が多い。世界的に見ても、特に日本で人気がある種(イギリスでも今日では忘れ去られている)。「メイクイーン」と呼ばれることも多いが、品種名としてはメークインが正しい名前である。花は紫色で雄性[[不稔]]。長年派生種は存在しなかった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.geocities.jp/a5ama/ms.html |title=ジャガイモ博物館、交配育種、父母 |accessdate=2013-01-03 |deadlinkdate=2020-03-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190330042150/http://www.geocities.jp/a5ama/ms.html |archivedate=2019-03-30}}</ref>が、21世紀に入って俵正彦により[[突然変異]]から「タワラ小判」「タワラ長右衛門宇内」が選抜された。 ; {{Anchors|キタアカリ}}キタアカリ : [[画像:Potato cv kitaakari.JPG|thumb|150px|キタアカリ]] :{{main|キタアカリ}} : 生食用品種。北海道の品種で花色は赤紫、芋は偏球形で、皮が白黄色で肉色は黄色味を帯び、デンプン含有量17%で粉質{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=110}}{{sfn|講談社編|2013|p=174}}。男爵薯を母親として、ジャガイモシストセンチュウ抵抗性を付与させて[[農業・食品産業技術総合研究機構|農研機構]](旧農林水産省北海道農業試験場)で育成したもので、1987年に品種登録された。[[カロテン]]やビタミンCの含有量が多い{{sfn|板木利隆|2020|p=398}}。男爵薯同様に煮崩れしやすく、粉吹き芋やマッシュポテト、ポテトサラダ、コロッケに向いている{{sfn|講談社編|2013|p=174}}。独特の甘味と、ほっくりした食感がある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=189}}。 ; {{Anchors|コナフブキ}}コナフブキ : でんぷん原料用品種(農林認定:ばれいしょ農林26号)。日本において男爵薯についで生産量の多い品種で、北海道のみで作付されている。ジャガイモの最大の害虫とされるジャガイモシストセンチュウに対する抵抗性を持たず、近年は生産量を減らしている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jrt.gr.jp/var/n26.html |title=コナフブキ |accessdate=2017-05-11 |publisher=日本いも類研究会}}</ref>。 ; {{Anchors|とうや}}とうや : [[画像:Potato cv Toya.jpg|thumb|150px|とうや]] : 生食用品種。品種名は北海道洞爺湖に由来し、皮と肉色から別名「黄爵」(こうしゃく){{efn|JAたんの(現:JAきたみらい端野支所)による、独自ブランド名。}}ともよばれる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=111}}。ジャガイモシストセンチュウ抵抗性およびウイルス病 (PVY) 耐性および大粒で早出しを目標として{{sfn|講談社編|2013|p=175}}、農研機構(旧北海道農業試験場)で育成され、1995年に品種登録された。花色は白色、芋は皮は褐色がかった黄色で、内部の肉色が黄色く、カロテンやビタミンCの含有量がやや多い{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=111}}{{sfn|講談社編|2013|p=175}}。デンプン含有量は15%でやや粘質、煮物に適しており、揚げ物には向いていない{{sfn|講談社編|2013|p=175}}。 ; {{Anchors|ワセシロ}}ワセシロ : 生食(加工)用品種。北海道立[[釧根|根釧]]農業試験場で育成され、1974年に品種登録。新じゃがポテトチップの材料として使用される。 ; {{Anchors|トヨシロ}}トヨシロ : [[画像:Potato cv Toyoshiro.jpg|thumb|150px|トヨシロ]] : 加工用品種。品種名は、収穫量が豊富で芋の肉質が白色であることから命名された{{sfn|講談社編|2013|p=175}}。北海19号とエニワの交配種で、1976年に品種登録。デンプン含有量は16.3%でやや粉質、油加工で変色しにくく、ポテトチップの材料として生産されている品種{{sfn|講談社編|2013|p=175}}。花色は白色で、芋は扁円形、皮は淡黄白色をしている{{sfn|講談社編|2013|p=175}}。風味は男爵薯に較べると劣るといわれるが、揚げると男爵に比べ色合いが良い。 ; {{Anchors|ホッカイコガネ}}ホッカイコガネ : 生食用品種。「トヨシロ」を母、「北海51号」を父として交配された品種で、1981年に品種登録。花色は淡赤紫色、芋はメークイン似た長楕円形で、皮は淡褐色、肉質はやや黄色みを帯びている{{sfn|講談社編|2013|p=175}}。デンプン含有量は16%でやや粘質、煮崩れしがたく{{sfn|講談社編|2013|p=175}}、煮崩れに対する強さはメークインを上回る。また油加工でも変色しにくく、フレンチフライの主力品種になっている{{sfn|講談社編|2013|p=175}}。収穫時期がメークインより遅いので、その代替品として店舗に並ぶことも多く、「黄金メーク」「コスモメーク」などの別名でも呼ばれる。 ; {{Anchors|インカのめざめ}}インカのめざめ : [[画像:inca no mezame.jpg|thumb|150px|インカのめざめ]] : 2002年に日本で育成されて種苗登録された品種。花色は紫色で、芋は小粒で卵形、皮は黄褐色で肉色が黄色みの強い{{sfn|講談社編|2013|p=174}}。アンデス産の小粒で食味が良い種({{snamei|S. tuberosum}} ではなく、2倍体の {{snamei|P. phureja}})と、アメリカの品種 {{lang|en|Katahdin}} の半数体を交配させ、日本の長日条件下で栽培できるように開発した2倍体の品種(2倍体のジャガイモの品種は日本初)<ref>{{Cite web|和書|date= 2009年|url= https://agriknowledge.affrc.go.jp/api-agrknldg/media/pdf/show/id/2010773136|title= 橙黄肉色を有する二倍体のバレイショ品種「インカのめざめ」 の育成|format=PDF |publisher= 農林水産省農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センター|accessdate=2018-08-04}}</ref>。デンプン含有量は18%で粉質と粘質の中間{{sfn|講談社編|2013|p=174}}。甘みが強く、サツマイモや[[クリ|栗]]に似た濃厚な味となめらかな口当たりをもつなど食味はよく{{sfn|主婦の友社編|2011|p=189}}、製菓材料にも使われる{{sfn|講談社編|2013|p=174}}。収穫量は少なく、病虫害に弱いことから他の品種と比較して栽培が難しい。また発芽しやすく{{sfn|講談社編|2013|p=174}}、長期の保存には不向きである。生食用品種として人気が高まってきているが、生産量は少なくジャガイモの中では高価である。北海道[[十勝地方]]の[[幕別町]]などが主産地である。長期冷蔵貯蔵によりさらに糖度の増加した物もあり、近年ではその風味を生かした本格焼酎の原料にもなっている。 ; {{Anchors|デジマ}}デジマ : [[画像:Potato cv Dejima.jpg|thumb|150px|デジマ]] : [[長崎県農林技術開発センター|長崎県総合農林試験場]]で交配・育成された暖地向け[[二期作]]用品種で{{sfn|講談社編|2013|p=176}}、1971年(昭和46年)に品種登録された。品種名は江戸時代に外国への窓口であった長崎の[[出島]]に因んだもの{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=112}}。長崎県を中心に[[四国]]や[[九州]]地域で多く栽培される{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=112}}。花色は白色で、芋は扁円形、皮は淡黄色、肉色は黄白色{{sfn|講談社編|2013|p=176}}。生育旺盛で、暖地では秋作にも向く{{sfn|板木利隆|2020|p=398}}。デンプン含有量は春作が約11%、秋作は約13%で、秋作の方が粉質傾向がある{{sfn|講談社編|2013|p=176}}。煮物から揚げ物まで広範囲に利用され{{sfn|講談社編|2013|p=176}}、適度に煮崩れして美味だが、明るい所では[[緑化]]しやすい。 ; {{Anchors|農林1号}}農林1号 : 日本で馬鈴薯として第1号登録された品種<!--{{sfn|講談社編|2013|p=175}}-->。花色は白色で、芋は扁楕円形、皮は黄白色で肉質は白い<!--{{sfn|講談社編|2013|p=175}}-->。やや粉質で、デンプン含有量は16.6%あり、粉ふき芋などに向く{{sfn|講談社編|2013|p=175}}。 ; {{Anchors|ニシユタカ}}ニシユタカ : [[画像:Potato cv Nishiyutaka.jpg|thumb|150px|ニシユタカ]] : 長崎県をはじめとした九州の赤土で作られる主要品種の一つ{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=112}}。芽が浅くて窪みが少ない{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=112}}。長崎県総合農林試験場で交配・育成され、1978年(昭和53年)に品種登録された。親は母がデジマ、父が長系65号。茎は短く直立、肥大性良、多収で栽培しやすい品種。やや粘質で、煮崩れしにくく甘味もある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=112}}。 ; {{Anchors|ラセット・バーバンク}}ラセット・バーバンク : [[画像:Russet_potato.jpg|thumb|150px|ラセットバーバンク]] : 英名は “[[w:Russet Burbank potato|Russet Burbank potato]]”。1875年にアメリカ合衆国の種苗家[[ルーサー・バーバンク]]が開発した『バーバンク』の[[突然変異]]により1910年ごろに誕生。大きくなるためフライドポテトに向き、日本へも加工品が多く輸出されている。 : 日本では環境の違いから収量が得られず<ref>{{Cite web|和書|author=浅間和夫 |website=ジャガイモ博物館 |url=http://www.geocities.jp/a5ama/russetb.html |title=ラシットバーバンク(ラセット・バーバンク) |accessdate=2012-1-23 |deadlinkdate=2020-03-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190331135748/http://www.geocities.jp/a5ama/russetb.html |archivedate=2019-03-31}}</ref>栽培されず加工品の輸入に頼っていた。[[カルビーポテト (企業)|カルビーポテト]]がポテトチップス用として『ぽろしり』を開発し北海道で栽培されるようになった<ref>{{Cite web |title=じゃがいもDiary |url=https://www.calbee.co.jp/diary/ |website=じゃがいもDiary |access-date=2023-12-14 |language=ja}}</ref>。 : “Russet” は、「ザラザラした」という意味で、芋の表面の特徴に因む。ラセット・バーバンク以外にもラセット・レンジャー、ラセット・ノーコタ、ノーキング・ラセット、シェポディーなどの品種があり、これらを総称して「ラセット種」「ラセットポテト」などと呼ぶ。これらラセット種は、アメリカで最もポピュラーな品種である<ref>{{Cite web |url=http://www.potatoesusa-japan.com/table-stock_potatoes.html |title=United States Potato Board - Table-Stock Potatoes |publisher=米国ポテト協会 |accessdate=2013-06-07}}</ref>。 ; {{Anchors|シンシア}}シンシア : 仏名は “{{lang|fr|Cynthia}}”。フランスのジャガイモ育種・販売会社であるジェルミコパ社により育成され、1996年に登録された品種。日本では2003年2月に品種登録された。他の品種と比べ卵形のシンプルな形状をしており、切り口は薄い黄色をしている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=189}}。粘質で貯蔵性に優れ、煮物にしたときの煮崩れが少ない{{sfn|主婦の友社編|2011|p=189}}。生でスライスしてサラダにも使われる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=111}}。 ; {{Anchors|アンデス赤}}アンデス赤(アンデスレッド、レッドアンデス) : 皮が濃い赤色をした小さめの扁卵形で、切り口は黄色く、ねっとりした食感と濃厚な甘味が特徴の品種{{sfn|主婦の友社編|2011|p=189}}。1971年から1974年にかけて{{Efn|系統名から1972に交配が行われた可能性が高い。}}[[川上幸治郎]]らがアーリーローズを母、アンデス原産の2倍体栽培種「{{snamei|S.phureja 253}}」を父として交配し「M72218」の名で選抜育成していた3倍体の種間雑種系統。芽が出やすい{{sfn|講談社編|2013|p=176}}。春作よりむしろ秋作に適し、岡山県[[牛窓町]]のばれいしょ採種農家が在来種として栽培を繰り返し維持してきた{{Efn|育成者などは「ネオデリシャス」と呼んでいたが、原採種栽培での名称は「アンデス赤」となっており、一般には「アンデス赤」「レッドアンデス」、「アンデスレッド」「アンデス」などの名称で販売されている。}}。紅色は抗酸化作用がある[[アントシアニン]]を含む{{sfn|講談社編|2013|p=176}}。[[カロテノイド]]が豊富で、口当たりが良くて甘みがある{{sfn|板木利隆|2020|p=398}}。デンプン含有量は男爵いも並みで{{sfn|講談社編|2013|p=176}}、ホクホクした粉質で、フライ、ポテトサラダ、コロッケ、ポタージュに向く{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=111}}。[[派生種]]として、[[麒麟麦酒]]が本種の[[プロトプラスト]]培養から選抜した「ジャガキッズ」、俵正彦が[[突然変異]]から選抜した「タワラマガタマ」「タワラヨーデル」がある。 ; {{Anchors|シェリー}}シェリー : 皮が赤色で、形がメークインに似た長楕円形が特徴の品種<!--{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=111}}-->。粘質で煮崩れしにくく、シチューや煮物料理に向く<!--{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=111}}-->。皮が薄いため、皮ごと食べられる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=111}}。 ; {{Anchors|紅丸}}紅丸(べにまる) : デンプン含有量が14.8%と多く、主にデンプン採取用に栽培される品種<!--{{sfn|講談社編|2013|p=175}}-->。花色は白色、芋は卵形で皮は淡紅色、肉質は白色であるが淡赤色の斑入りもある<!--{{sfn|講談社編|2013|p=175}}-->。食味は冬を越すと甘くなる{{sfn|講談社編|2013|p=175}}。 == 各国とジャガイモのかかわり == 16世紀に南米からヨーロッパにもたらされたジャガイモは、当初はその見た目の悪さ(現在のものより小さく黒かった)からなかなか受け入れられずにいた。さらに民衆は、ジャガイモは[[聖書]]に載っておらず、種芋で増えるという理由で「悪魔の作物」として嫌った。 しかし、ヨーロッパで栽培される従来の主要な作物よりも寒冷な気候に耐えること、痩せている土地でも育つこと、作付面積当たりの収量も大きいことから、17世紀にヨーロッパ各地で飢饉が起こると、各国の王は寒さに強いジャガイモの栽培を広めようとした。特に冷涼で農業に不適とされた[[アイルランド]]や北ドイツから[[東欧]]、[[北欧]]では、食文化を変えるほど普及した。これには、地中で育つジャガイモは麦などと違い戦争で畑が踏み荒らされても収穫できることと、農民がジャガイモを食べることで領主たちが自分の麦の取り分を増やそうとした目論見もあった。また[[西洋]]のみならず、アメリカ合衆国など北米地域や、日本などアジア地域にも普及し、ジャガイモが飢餓から救った人口は計り知れないといわれる。2005年にはジャガイモの原産地の一つであるペルーが[[国連食糧農業機関]] (FAO) に提案した「[[国際ポテト年|国際イモ年]]」({{lang|en|IYP; International Year of Potato}}) が認められ、2008年を'''ジャガイモ栽培8000年を記念する「国際イモ年」'''としてFAOなどがジャガイモの一層の普及と啓発を各国に働きかけることになった。 === アイルランド === アイルランドへは[[1580年代]]にスペインからもたらされた<ref name="bbc">{{cite web|title=How the humble potato changed the world|url=https://www.bbc.com/travel/article/20200302-the-true-origins-of-the-humble-potato|date=4 March 2020 |last=Ortiz |first=Diego Arguedas |publisher=BBC |accessdate=16 January 2023}}</ref>。気候がジャガイモの生育に適していたこともあり、アイルランドは南米外で初めてジャガイモを農作物として本格的に栽培する地域となった<ref name="bbc"/><ref name=USARS/>。アイルランドでの普及は栽培の容易さや収量のためだけではなく、{{要出典|範囲=支配者のイングランド貴族が熱心に勧めたことにも原因があった。ジャガイモの栽培を増やして農民がそれを食べるように仕向ければ、自分たちが収奪する麦の分量が増えると考えてのことである|date=2023年1月}}。 ジャガイモはアイルランド人の主食として定着し、1650年頃から1840年頃まで極めて重要な食料源となっていた<ref name=USARS>{{Cite book|title=Commercial Potato Production|year=1964|last=Kehr |first=August Ernest|last2= Akeley|first2=Robert V.|last3=Houghland|first3= Geoffrey Van Clief|publisher=米国農業研究事業団(United States Agricultural Research Service)|url=https://www.google.co.jp/books/edition/Commercial_Potato_Production/FI5lfsrpNLoC?hl=ja&gbpv=1}} pp. 2-3</ref><ref name="bbc"/>。このため、1840年代にジャガイモの疫病がヨーロッパに蔓延した際に、ジャガイモに依存していたアイルランドでは[[ジャガイモ飢饉]]が起こり、大勢のアイルランド人が[[北アメリカ]]に移住することになった。その移民の中に、後に第35代[[アメリカ合衆国大統領]]になる[[ジョン・F・ケネディ]]の曽祖父パトリックがいたのはよく知られている話である(ケネディはパトリックの次男の孫、すなわち4代目である)。 === イングランド === イングランドへは[[1586年]]に[[フランシス・ドレーク]]によってもたらされたと伝えられている<ref>{{Cite book|title=The history and social influence of the potato|last=Salaman|year=1985|first=Redcliffe N.|last2=Burton|first2=W. G.|last3=Hawkes|first3=J. G.|isbn=9780521316231|publisher=Cambridge University Press}} pp. 144–145</ref>。{{要出典|範囲=ジャガイモがヨーロッパに流入した当初、ヨーロッパには[[芋]]という概念がなかった。そのため、芋というものを食べると分かるまで、本当は有毒である葉や茎を食用とする旨が書かれた料理本が[[イングランド王国|イングランド]]で出版され、それを真に受けたイングランド人がソラニン中毒を起こした|date=2023年1月}}。 === ドイツ === [[ドイツ料理]]にはジャガイモが多用される<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.shuminoengei.jp/?m=pc&a=page_tn_detail&target_xml_topic_id=textview_28382|title=ジャガイモが主食の国 ドイツのジャガイモ料理|publisher=NHK出版|accessdate=2022/01/06|date=2017/4/5}}</ref>。調理法は皮付きのままゆでるシンプルなものから、ピューレ、団子([[クネーデル]])、[[農夫の朝食]]やいわゆる[[ジャーマンポテト]]、グラタン([[アウフラウフ]])、パンの生地に混ぜる(カルトッフェルブロート)など多岐にわたる。600種類以上のジャガイモを用いた[[ドイツ料理]]のレシピがあるとも言われている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nta.co.jp/media/tripa/articles/AmfJi|title=じゃがいも好き集合!ドイツ料理付け合せの大定番♪じゃがいも料理|date=2016-10-27|website=[[日本旅行]]|accessdate=2022-02-06}}</ref>。かつては、「女性はジャガイモ料理を200種類知っていないと嫁に行けない」とも言われていた<ref>{{cite book|和書|title=知的食生活のすすめ 食文化と歴史から考える新しいライフスタイル|author=榊原英資|authorlink=榊原英資|year=2009|publisher=[[東洋経済新報社]]|isbn=9784492043509}}</ref>。 ドイツで最初にジャガイモが普及したのは[[プロイセン王国|プロイセン]]である。プロイセンの支配地である[[ブランデンブルク選帝侯領|ブランデンブルク地方]]は、南ドイツなどとは違い寒冷で痩せた土地が多く、しばしば食糧難に悩まされた。そのため、荒地でも育つジャガイモは食糧難克服の切り札とみなされ、[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]が栽培を奨励した。しかし他のヨーロッパ諸国同様、不恰好な外見から人々に嫌われたため、フリードリヒ2世は自ら領地を巡回し、ジャガイモ普及を訴えたり、毎日ジャガイモを食べたりしたという。 ドイツの食習慣には茹でたジャガイモを[[フォーク (食器)|フォーク]]などで潰してから食べる場合があり、[[第二次世界大戦]]中、フランスに潜伏したドイツのスパイがレストランでジャガイモを潰して食べたため、スパイであることが露見した、などのジョークが存在する。また、ドイツ軍が[[第一次世界大戦]]以降に使用した[[M24型柄付手榴弾|柄付き手榴弾]]が形状が似ていることから、「イモ潰し器」(ドイツ語でカルトッフェルプッファー、英語ではポテト[[マッシャー]])と呼ばれていた。 === フランス === [[画像:Solanum tuberosum Hansa (03).jpg|thumb|ジャガイモの花]] [[フランス王国|フランス]]では、プロイセンの[[捕虜]]時代にジャガイモを知った農学者[[アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエ]]の提言により、[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]が王妃[[マリー・アントワネット]]にジャガイモの花を飾って夜会に出席させると、貴族は関心を持った。 しかし食用としては他の国々の例に漏れず、当初は庶民の間で嫌われた。ジャガイモを国に広めたいと思ったパルマンティエは一計を案じ、王が作らせたジャガイモ畑に昼間だけ衛兵をつけて厳重に警備した後、夜はわざと誰も見張りをつけなかった。王がそこまで厳重に守らせるからにはさぞ美味なのだろうと考えた庶民の中から、夜中に畑にジャガイモを盗みに入る者が現われた。結果的に、パルマンティエの目論見通りジャガイモは民衆の間に広まって行ったという話が残っている。 このことから、フランスのジャガイモ料理には「パルマンティエ」の名が付くようになった。特に、[[牛肉|牛]][[挽肉]]とマッシュポテトで作る[[キャセロール]]「[[アッシ・パルマンティエ]]{{enlink|Hachis Parmentier}}」が有名である。 === 北朝鮮 === [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]では、1990年代後半から[[苦難の行軍|食糧危機]]が発生したが、この時政府([[朝鮮労働党]])は「[[ジャガイモ農業革命]]」を提唱してジャガイモの生産拡大を、同時に種子改良(種子革命方針)、[[二毛作]]方針を徹底した。ジャガイモは白米に比べて気候や土地に依存せず大量に生産できる。このように、食糧問題の解決に用いられる例がある。 === ベラルーシ === [[ベラルーシ]]は2019年の時点で一人あたりのジャガイモ消費量世界一である<ref>{{Cite web |title=Potato Consumption Per Capita |url=https://www.helgilibrary.com/indicators/potato-consumption-per-capita |website=www.helgilibrary.com |access-date=2022-12-09 |language=en}}</ref>。また2位と比較しても突出しており、[[ベラルーシ料理]]におけるジャガイモの位置づけは高い。 == 保存 == 低温に弱い性質で、4[[セルシウス度|度]]以下になるとデンプン質が変質することから、[[冷蔵庫]]には入れないで、紙で包んだり紙袋に入れたりして、日の当たらない風通しの良い場所で保存をする{{sfn|主婦の友社編|2011|p=189}}。 === 品種の影響 === 品種により貯蔵性が異なり、加工業者は使用時期別にいくつかの品種を組み合わせて使う場合がある。たとえば、長期貯蔵性に優れる「スノーデン」種([[ポテトチップス]]の原料の一つ)は、4月から6月ごろの原料として使われる。 === 茹でた場合 === 茹でた場合は、冷蔵庫に入れておけば、およそ4 - 5日程度もつ{{sfn|主婦の友社編|2011|p=189}}。茹でた場合、水分が分離してスカスカした食感になることから、[[冷凍庫]]には決して入れてはならない。しかし、マッシュポテトや水分が比較的少ないフライドポテトなどは冷凍しても問題ない。 === 貯蔵中の発芽抑制 === [[画像:Potato sprouts.jpg|160px|thumb|ジャガイモから発芽した芽]] 収穫後2か月から3ヶ月は休眠期であり、好適な温度や湿度条件下でも発芽しない。しかし、その後、本来繁殖器官である塊茎は発芽を始める。発芽することにより、生食用品種として商品価値を失い、加工用やデンプン原料用では減耗や[[歩留まり]]の低下、品質の劣化が起こる。そのため、貯蔵中の発芽の抑制のためいくつかの方法を用いる。 ==== 低温貯蔵 ==== 3[[セルシウス度|℃]]から10℃の低温で貯蔵することにより発芽を防ぐ方法が一般的である。最適な貯蔵温度は品種によって異なる。低温保存により、可溶性糖の含量が増える。 ==== CA貯蔵 ==== [[CA貯蔵]] ({{lang|en|'''C'''ontrolled '''A'''tmosphere}}) は、貯蔵する空間の気体の組成・湿度・温度を制御して鮮度を保持する方法<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.maff.go.jp/j/heya/sodan/0703/04.html |deadlinkdate=2018年2月 |accessdate=2014-04-01 |title=りんごを貯蔵するのにCA貯蔵という方法がよく使われていると聞きましたが、これはどのような貯蔵方法ですか。 |archivedate=2015-7-10 |archiveurl=https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9448848/www.maff.go.jp/j/heya/sodan/0703/04.html |publisher=農林水産省}}</ref>。[[青森県]]の[[リンゴ]]の長期貯蔵において一般的な方法で、ジャガイモでも実用化されており、8か月から10か月の長期貯蔵が可能である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.fujiplant.jp/about_ca.html |title=CA貯蔵とは |publisher=フジプラント株式会社 |accessdate=2014-04-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kitayasai.com/product/ |title=よくねた野菜 |accessdate=2014-04-01 |publisher=ホクレン}}</ref>。 ==== 発芽防止剤 ==== [[アメリカ合衆国]]などでは、収穫後に{{仮リンク|クロロプロファム|en|Chlorpropham}}を散布して、発芽を抑制する方法をとる<ref>{{Cite journal|和書|author=江藤守総 |title=20周年にあたって |journal=日本農薬学会誌 |year=1995 |volume=20 |issue=3 |pages=407-414 |doi=10.1584/jpestics.20.407 |accessdate=2017-05-11 |format=pdf}}</ref>。日本では[[除草剤]]として登録されている[[農薬]]で<ref>{{Cite journal|author1=貞包眞吾 |author2=酒井智代 |author3=林明子 |author4=大川秀郎 |doi=10.1584/jpestics.23.410 |title=除草剤クロルプロファムの免疫化学測定 |journal= |year=1998 |volume=23 |issue=4 |pages=410-413 |language=en |format=pdf |accessdate=2017-05-11}}</ref>、ジャガイモの発芽防止使用では承認されていない。この薬品は[[カナダ]]、アメリカ合衆国、[[オランダ]]その他の主要ジャガイモ生産国では、フライドポテトやポテトチップスなどの加工用ジャガイモに散布される農薬なので、これらの国々から輸入するジャガイモ加工製品には必ず検出される<ref>{{Cite journal|和書|author=永美大志 |doi=10.2185/jjrm.45.19 |title=バレイショ加工品中の発芽防止剤残留 |journal=日本農村医学会雑誌 |year=1996 |volume=45 |issue=1 |pages=19-23 |accessdate=2017-05-11 |format=pdf}}</ref>。 ==== 放射線照射 ==== [[放射線]]である[[ガンマ線]]を照射する方法がある。収穫後のジャガイモに微弱な放射線を当てることにより、長期保存をしても有害な芽が出ない{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。[[コバルト60]]から放出されるガンマ線により、芽の組織の細胞分裂を阻害することで発芽を抑制する。 ジャガイモへの放射線照射は、[[1972年]]([[昭和]]47年)に[[厚生省]](現[[厚生労働省]])により認可されたが、1974年1月から[[北海道庁]]の許可を得て[[士幌町農業協同組合]]が実施しているのみである。放射線を照射されたジャガイモが[[放射能]]をもつようになることはなく、またそのジャガイモを食べた人に障害を与えることも無い{{sfn|講談社編|2013|p=179}}。なお日本において、放射線の[[食品照射]]が認められている食品は、ジャガイモだけである。 ジャガイモの発芽防止のために行う放射線照射の認知度は28%と低く、安全性や必要性など食品への放射線照射に関する基本的事項について、分かりやすい情報提供の不足を指摘されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mhlw.go.jp/shingi/2010/05/s0518-10.html |title=食品への放射線照射についての科学的知見に関する調査結果について 薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会食品規格部会 (平成22年5月18日開催)配布資料 |accessdate=2014-07-14 |publisher=厚生労働省}}</ref>。 ==== エチレンガス噴入 ==== 暗冷所に[[リンゴ]]と一緒に保存すると発芽しにくくなるといわれてきた。これには異論も多く、効果がないという報告も多かったが、近年、欧米での研究によりリンゴなどから発生する[[エチレン]]ガスがジャガイモの芽の伸びを抑制する効果をもつことが証明され、工業的に生産されたエチレンを用いて正しく濃度コントロールをして発芽を抑制する技術が確立された。しかし、リンゴとの共存によるエチレンガスの濃度コントロールは困難であり、エチレンガスの濃度や保存期間が充分でないと、逆に芽の伸びを助長することも立証されている。ジャガイモは通常5℃以下の冷暗所で保存するといつまでも芽は伸びないので、そのような場所で保存することが最も重要である。ただし、一度高温にさらして芽が伸び始めたものは長い期間の保存には適さないので、もともと芽が伸びていないジャガイモを選ぶことがこつである。リンゴと一緒に保存する方法については、濃度や時間・温度のコントロールが困難で失敗の確率が高く、勧められない。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|30em}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献  == * {{Cite book|和書|author =板木利隆|title = 決定版 野菜づくり大百科|date=2020-03-16|publisher = [[家の光協会]]|isbn=978-4-259-56650-0|pages =398 - 403|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =市川啓一郎|title =タネ屋がこっそり教える 野菜づくりの極意|date=2021-10-30|publisher =[[農山漁村文化協会]]|isbn=978-4-540-21109-6|pages =132 - 133|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author=伊藤章治 |title=ジャガイモの世界史 : 歴史を動かした「貧者のパン」 |date=2008 |publisher=中央公論新社 |isbn=978-4-12-101930-1 |series=中公新書, 1930 |ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|title = かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典|date=2012-07-10|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30997-2|pages =110-113|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =貝津好孝|title = 日本の薬草|date=1995-07-20|publisher = [[小学館]]|series = 小学館のフィールド・ガイドシリーズ|isbn=4-09-208016-6|page =39|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =講談社編|title = からだにやさしい旬の食材 野菜の本|date=2013-05-13|publisher = [[講談社]]|isbn=978-4-06-218342-0|pages =172-179|ref=harv}} * {{Cite journal|和書 |author=小机信行 |author2=水野進 |title=バレイショのグリコアルカロイドに関する研究 (第4報) 発芽バレイショの部位別ならびに貯蔵バレイショのグリコアルカロイド含量の変化 |date=1989 |publisher=園芸学会 |journal=園芸學會雜誌 |volume=58 |number=1 |naid=130001152927 |doi=10.2503/jjshs.58.231 |pages=231-235 |ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =主婦の友社編|title = 野菜まるごと大図鑑|date=2011-02-20|publisher = [[主婦の友社]]|isbn=978-4-07-273608-1|pages =188-193|ref=harv}} * {{Cite journal|和書|author=新藤哲也 |author2=牛山博文 |author3=観公子 |author4=安田和男 |author5=斉藤和夫 |title=ジャガイモ中のα-ソラニン, α-チャコニンの含有量および貯蔵中の経時変化 |date=2004-10-25 |publisher=公益社団法人 日本食品衛生学会 |journal=食品衛生学雑誌 |volume=45 |number=5 |naid=10014277592 |doi=10.3358/shokueishi.45.277 |pages=277-282 |ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =田中孝治|title =効きめと使い方がひと目でわかる 薬草健康法|date=1995-02-15|publisher =[[講談社]]|series=ベストライフ|isbn=4-06-195372-9|pages=182-183|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author=徳川宗賢|authorlink=徳川宗賢|title=日本の方言地図|year=1979|series=[[中公新書]]|volume=533|location=[[東京特別区|東京]]|publisher=[[中央公論新社]]|isbn=4-12-100533-3|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author=山本紀夫 |title=ジャガイモとインカ帝国 : 文明を生んだ植物 |date=2004 |publisher=[[東京大学出版会]] |isbn=4-13-063320-1 |ref=harv}} == 関連項目 == * [[ジャガイモ飢饉]] - ジャガイモ疫病によって起こった19世紀の[[大飢饉]]。 * [[サツマイモ]] * [[シクラメン]] - 有毒にもかかわらず[[球根]]が食されていたが、ジャガイモが普及するととって替わられた。 * [[アカウレ]] - ジャガイモの原種ではないかともいわれる植物。 * [[ジャガイモやせいもウイロイド]] * [[ポマト]] - ジャガイモと[[トマト]]の、[[細胞融合]]による雑種の最初の例。 * [[ポテト丸]] - [[カルビー]]が所有するジャガイモ運搬船。 * [[サトイモ]] *[[ジャガイモ料理の一覧]] == 外部リンク == {{Sisterlinks | wikt = じゃがいも | n = no | v = no | species = Solanum tuberosum }} * [https://www.maff.go.jp/j/agri_school/a_tanken/ 農産物たんけん隊] - 農林水産省 * [http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ns/nsk/potato/ 北海道のじゃがいも] - 北海道農政部生産振興局農産振興課 * [https://www.jrt.gr.jp/ JRT 日本いも類研究会] * [https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000082078.html ジャガイモ] - 厚生労働省 * {{Kotobank}} {{ジャガイモ料理}} {{normdaten}} {{DEFAULTSORT:しやかいも}} [[Category:ジャガイモ|*]] [[Category:ナス属]] [[Category:主食]] [[Category:薬用植物]] [[Category:有毒植物]] [[Category:1753年に記載された植物]]
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イチゴ
イチゴ(苺・覆盆子、英: Strawberry、学名: Fragaria)は、バラ科の多年草。 一見して種子に見える一粒一粒の痩果()が付いた花托(花床ともいう)部分が食用として供される。甘みがあるため果物として位置づけられることが多いが、草本性の植物であるので野菜として扱われることもある。 通常、可食部の表は赤色(アントシアンによる)だが、白色の品種もある(2009年に品種登録された和田初こい(商品名・初恋の香り)が世界初の白色イチゴとされる)。 狭義には、オランダイチゴ属の栽培種オランダイチゴ(学名、Fragaria ×ananassaDuchesne ex Rozier)を意味する。イチゴとして流通しているものは、ほぼ全てオランダイチゴ系である。 広義にはオランダイチゴ属 (Fragaria) 全体を指す。英語のstrawberry(ストロベリー)はこの範囲である。バラ科オランダイチゴ属の半落葉性草本であり、北半球の温帯に広く分布しているほか、ハワイ諸島や(南半球の)チリ中南部にも分布している。 さらに最広義には、同じバラ亜科で似た実をつける、キイチゴ属 (Rubus) やヘビイチゴ属 (Duchesnea) を含める。これらを、ノイチゴ、と総称することもある。オランダイチゴ属の二倍体の種にも、この総称に含まれているものがある。 明治時代から広く日本国内各地で生産されるようになったオランダイチゴ属は、日本語では「苺」と表記される場合が多い。 甘酸っぱい風味と香りで、一般に果物として姿も可愛らしく人気は高い。栄養的にも優れ、特にビタミンCが豊富に含まれていることが知られている。 オランダイチゴ属の染色体の基本数は7 (n=7) である。 好光性種子である。可食部は花托の発達したものであり、表面に分布する粒々がそれぞれ果実である。このような形態をとるものをイチゴ状果(偽果)という。独特の芳香があり、属名の由来にもなっている。属名のFragariaはラテン語で「香る」の意。 食材としての主な旬は12月 - 6月とされる。かつての旬は、露地栽培の収穫期にあたる春から初夏とされていたが、温室栽培の技術発展に伴って、秋から翌年春まで多く流通するようになった。赤色ができるだけ均一で、表面の粒(果実)がくっきりしていて、ツヤがあるものが市場価値の高い良品とされる。 ビタミンCが豊富である他、抗酸化物質として知られるポリフェノールの一種であるアントシアニンや抗癌作用のあるエラグ酸を含む。 生食の他、ジャムに加工されることも多い。受精すると花托の肥大が始まるが、一部受精していない雌しべがあるとその部位の肥大が弱くなる。したがって形の整った果実を作るためには、全ての雌しべが受粉するようにする。しかし、実際の栽培においては雌しべの先端部が未熟なまま開花するため、均一な成長が行われるために花芽形成期の施肥と温度管理が行われる。 「いちご」の語源ははっきりしない。古くは『本草和名』(918年頃)や『倭名類聚抄』(934年頃)に「以知古」とある。『日本書紀』には「伊致寐姑(いちびこ)」、『新撰字鏡』には「一比古(いちびこ)」とあり、これが古形であるらしい。『本草和名』では、蓬虆の和名を「以知古」、覆盆子の和名を「加宇布利以知古」としており、近代にオランダイチゴが舶来するまでは「いちご」は野いちご全般を指していた。 漢字には「苺」と「莓」がある。これらは異字体で「苺」が本字である。辞典によっては「莓」が見出しになっていて、「苺」は本字としていることがある。現代日本では「苺」、現代中国では「莓」を通常使う。 英語の strawberry(ストロベリー)は「藁 (straw) のベリー (berry)」と解釈できるが、そう呼ぶ理由ははっきりしない。「麦藁を敷いて育てた」「麦藁に包まれて売られていた」「匍匐枝が麦藁に似ている」という説があり、さらに、straw は藁ではなく、散らかす・一面を覆うを意味する strew の古語だという説もある。 北半球のヨーロッパやアジアで、古く紀元前から各地に自生していた野生イチゴの採集と利用が行われていたといわれる。スイスのトゥワン遺跡で出土した紀元前3830年から3760年頃の穀物のスープからはイチゴの痩果が発見されている。イチゴの栽培は古代ローマでは既に行われており、14世紀から16世紀にはいくつかの品種が栽培されていた。 近代栽培イチゴであるオランダイチゴは、18世紀にオランダの農園で、北米産のバージニアイチゴ (F. virginiana) とチリ産のチリイチゴ (F. chiloensis) の交雑によって作られた。 北米原産のバージニアイチゴは、探検家や植民者によって16世紀前半から18世紀半ばにかけてヨーロッパへ持ち込まれた種で、植物園を通じてヨーロッパ各地に普及した。一方チリ原産のチリイチゴは、マプチェ族などの先住民によって長年栽培されてきた品種である。チリイチゴは18世紀初頭から19世紀半ばにかけてヨーロッパへ持ち込まれた種で、こちらも植物園を通じてヨーロッパ各地に普及した。 20世紀前半に創業したアメリカ合衆国のDriscoll's社は、イチゴを始めとしたベリー種の栽培で急成長し、世界最大手の企業となった。Driscoll's社の製品はコストコなどの量販店で販売されている。 イチゴは土地にあった特有の栽培法を用いることで、世界各地で栽培が行われている。中国・韓国・台湾・日本は多雨湿潤気候に属しており、本来はイチゴの栽培に好適な気候ではないが、ビニール被覆による保温と雨除けを用いた栽培技術が普及している。アジアの熱帯や亜熱帯の地域でもイチゴの栽培が行われている。 摘み取り作業は、色の判断と実を傷つけない繊細な動きが求められることから機械化が難しく、長らく手作業で摘み取られていた。アメリカ合衆国では露地栽培が主流であるため、中腰での作業が長時間続く重労働であり、外国人労働者の仕事であった。しかし不法移民の取り締まり強化や人手不足で賃金が上昇しているため、中腰にならずに済むハウス栽培が増加しているほか、摘み取りからパック詰めまでを単独でこなすロボットの開発が行われている。 イチゴの栽培適温は17 - 20度とされ、連作は可能であるが、酸性土壌には弱い性質をもっている。条件がよければ、一年中花が咲いて実を収穫できる四季成り性品種もある。露地栽培における栽培適期は9月から翌年6月で、秋(9 - 10月)に苗を植え付けて冬を越し、春に実を収穫する。 イチゴは、暖かくなるとランナーと呼ばれる匍匐枝を伸ばし、その先に子苗ができる性質を利用して、ランナー切らずにそのまま育苗ポットに植えて根付かせ、翌年栽培用の新苗をつくる。親株に近い小苗は奇形果が生じやすいことから、栽培では2番目か3番目の小苗が使われる。苗は親株につながっていたランナーとは反対方向に花と実ができるため、植え付けの際には実をならせたい方向に植え、株元のクラウンと呼ばれる小さな葉のようなものが土に埋まらないように浅めにして畝に植え付ける。伝染病予防や保温のために、畝に敷き藁やマルチングを施し、苗が根付くまでに1週間を要するため、水切れを起こさないように管理する。冬越しは、寒さから守るために寒冷紗などのトンネルがけで保護し、追肥は冬越し期間中は行わずに晩秋と早春に行って株を充実させる。春に暖かくなると株は一気に生長し、4月ごろから開花が始まる。開花期に伸びたランナーは実に栄養が集中するようにすべて切り取り、開花から30 - 40日後に実が赤く熟して収穫期を迎えるので、順次収穫する。 生食が定番となっており、コンデンスミルクまたはヨーグルトをかけたもの、イチゴジャム、イチゴジュースなどの材料として利用され、アイスクリームや菓子に練り込まれることも多い。他には、ショートケーキ、タルト、パイなどの洋菓子の装飾・トッピングや、いちご大福などの和菓子の材料としても用いられる。凍結乾燥させたものをチョコレートなどで包んだ菓子も作られている。なお、かき氷のシロップ、牛乳、キャンディーなどのイチゴ味のものの多くはイチゴの成分を全く含まず、酢酸アミル、アネトールなどを配合して作ったイチゴ香料と赤い着色料で表現されている。 実に水がつくとすぐに傷み、日持ちせず保存には向かないため、早めに食べきるのが最もよいが、短期は冷蔵保存、長期はヘタを取ってからポリ袋などに入れて冷凍保存する。 一般的なイチゴの可食部の成分は、日本の『食品標準成分表』によれば約90%が水分であり、糖質が約10%、タンパク質、食物繊維が約1%であり、総カロリーは100グラム (g) で35キロカロリー (kcal) である。イチゴにはキシリトールが約350ミリグラム (mg) と豊富に含まれている。また、アスコルビン酸(ビタミンC)にも富み、その量はみかんやグレープフルーツをも上回り、キウイ並の量が含まれている。イチゴに含まれるビタミンCは、粒の大きさにもよるが、おおよそ10粒ほど食べると1日に必要とされるビタミンCが摂取できるといわれている。また、葉酸(ビタミンB9)や、カリウム、カルシウム、マグネシウムなどのミネラルも豊富である。イチゴの酸味成分であるクエン酸は、カルシウムの吸収を助ける働きがあるとされ、いちごミルクにした牛乳との食べ合わせも合理的と言われている。 日本には江戸時代にオランダ人によってもたらされた。イチゴが一般市民に普及したのは1800年代であり、本格的に栽培されたのは1872年(明治5年)からである。イチゴ栽培が一つの産業として行われるようになったのはさらに遅く、第二次世界大戦後少し経ってからである。イチゴは1963年の農林水産統計表の品目に初めて登載された。 日本での生産量は年間約20万トンであり、そのほとんどは温室型の促成栽培で11月から翌年4月までに生産される。5月から10月の生産量は1万トン以下であって、5%に過ぎない。冬から春に実をつける一季成りイチゴに対し、夏から秋にも実の成る品種は四季成りイチゴと呼ばれ、夏イチゴとも呼ばれている。一季成り性品種と四季成り性品種では、花芽分化に関する特性が異なる。 温室型による促成栽培と露地栽培があり収穫時期と期間が異なる。一季成り性品種の露地栽培の場合の収穫期は主に3月から4月頃。連作障害があり1年から4年で圃場を移動する。温室型による促成栽培の場合の収穫期は10月下旬 - 翌年5月頃。ハウス栽培では水耕栽培も行われる。通常は足下の高さの盛り土(畝)に作付けするが、屈んだ作業となり従事者へ肉体的負担が大きいため、置き台などを利用し苗の高さを腰まで上げ負担を軽減するなどの工夫もみられる。多くの場合、寒冷期に収穫するためハウス栽培は必須であり成長適温の20°C前後までの加温を行う。夏秋取り栽培の場合は、遮光栽培も行われる。 日本の露地栽培の場合、ミカン栽培が可能な程度の温暖な地域では開花期は3月から5月で、開花から約1カ月すると収穫可能となる。 受粉が均一でない場合、果実の成長はいびつで商品価値の劣る実となってしまう。したがって、露地栽培では自然環境中の生物による受粉だけでなく栽培者が育成するミツバチなどによって受粉が行われる。ハウス栽培ではミツバチだけでなく、ミツバチより低温でもより活動するマルハナバチによる授粉も行われる。イチゴは花の段階で、萼や雄蕊・雌蕊がつく土台となる花托が小さな円錐形を成しているが、これは花に集まったミツバチなどが花托の上でクルクル回ることで確実に受粉するするのを助け、花托が肥大して形のよいイチゴを実らせることにつながっている。 苗がウイルスに感染すると根の成長が阻害され、果実の大きさが小さくなる等の障害を起こすため、茎頂培養(成長点培養)によるウイルスフリー苗(メリクロン苗)が種苗専門の生産業者により育成されている。その苗を果実生産者が収穫用の圃場や培地に定植し、実を収穫・出荷する。 一季成り性品種の苗は花芽分化後に低温と日長の休眠期を経ないと成長と開花が行われない。つまり、秋から春に収穫するためには夏に苗を「冷蔵庫に入れる」「高原などの冷涼地で育てる」などの方法で低温処理(春化処理)と遮光で休眠(強制的に冬を)経験させる。この休眠打破処理により開花時期と収穫時期をずらすことが可能になる。この方法を経ないと一季成り性品種で10月下旬 - 翌年5月頃の収穫は行えない。また、新しい苗を毎年植え替えなければならない。促成栽培に最適な休眠温度条件や日長に対する感受性は品種により異なり、土中の窒素分の条件でも変化する。 四季成り性品種では人工的な休眠は行われない。 日本のいちごは品種は世界全体の品種の半分以上が日本のものだという説もあり、2019年時点で約300種、以降も新品種が続々と誕生している。 1899年に発表された福羽いちごが日本でのイチゴ品種の第一号である。以降、多数の品種が開発され、栽培されている。 第二次世界大戦以前は、上記の福羽いちごを除けば輸入種による栽培が主体であった。第二次世界大戦後は,1950年前後から戦前からのイチゴ産地で生産が復興しはじめると共に、新たな産地も誕生していった。当初は主に露地栽培が行われており、マーシャル、幸玉などいろいろな品種が栽培されていた。マーシャルは「アメリカ」とも呼ばれた品種であるが来歴は不詳である。幸玉は1940年頃に育成された品種で「八雲」とも呼ばれ、北海道から九州まで広い範囲で栽培されていた。幸玉は酸味が少ないことから「砂糖イチゴ」とも呼ばれていた。マーシャル、幸玉のどちらも露地栽培用の品種であった。民間育成品種である堀田ワンダー(1957年)、農林省園芸試験場久留米支場で育成された紅鶴なども農業用ビニールによるトンネルを用いた半促成栽培や促成栽培では用いられていた。 1949年(昭和24年)頃にアメリカ合衆国カリフォルニア州よりダナー(Donner)が輸入される。最初は千葉県市川市で栽培されていたが、品質が良かったことから全国的に広がり、それまでの主要品種であった幸玉にとって代わった。西日本では1960年(昭和30年)に兵庫県で育成された宝交早生も普及した。 昭和50年代以降、東日本は女峰(1985年)、西日本ではとよのか(1984年)と2大品種が生産量の上位を占める時期が長らく続いた。やがて、東日本では女峰に代わってとちおとめが急速に増え、西日本でもとよのかに代わってさがほのか、あまおう、さちのかへと品種更新が進んでいる。2007年時点では日本国内のJA系統の販売作付け面積では最多の34パーセントがとちおとめ、次いで15ペーセントがさがほのかであり、この2品種で全体の半分を占める。以下、あまおう(11%)、さちのか(10%)、とよのか(8%)、章姫(7%)、女峰(1%)と続いている。 2009年2月2日の時点では登録品種は157種。2016年11月14日の時点では、登録品種は258種、そのうち登録維持されているのは129種。日本産イチゴはほとんどが甘味の強い生食用で、栃木県、福岡県など各地で、新品種が生まれている。大粒の九州産「とよのか」、実がしっかりしている栃木産の「とちおとめ」、酸味が控えめの静岡産「章姫」、香りが強くほどよい酸味の「紅ほっぺ」、大粒品種の「あまおう」など、それぞれに特徴を持たせた品種がよく知られる。 各県独自品種の開発競争は2000年代に始まり、福岡県のあまおうがいち早くブランドを確立している。イチゴの国内産出額は2010年から2020年にかけて21パーセント上昇し、1809億円となっている。イチゴ農家の高齢化や作付け面積の減少もあるなか、農家の所得確保と県産ブランド力の向上につながる独自品種の導入は一層期待が高まっている。 イチゴの収穫量上位15県と生産品種は以下の通り(2019年時点) 品種についてはCategory:イチゴの品種も参照のこと。 本来は初夏(5 - 6月)が露地栽培品の旬であるが、1990年代以降はクリスマスケーキの材料としての需要が高まる12月から年末年始にかけて出荷量が最も多くなる傾向がある。逆に、5月を過ぎると流通量と生産量は減る。秋口は露地栽培品とハウス栽培品は端境期であるため、生食用のイチゴはほぼ全量を輸入に頼っているが時間や鮮度の問題があるため、青森県の下北地方では端境期を狙ったイチゴ栽培が盛んになっている。 日本の生鮮イチゴの主な輸入元はアメリカで、ついでニュージーランド、オーストラリアである。冷凍イチゴの主な輸入元は中国で、その他タイ、メキシコ、オランダ、チリなどから輸入されている。生鮮イチゴ、冷凍イチゴの輸出国世界1位はポーランドであり、生鮮イチゴの1年の輸出量は20万トン、冷凍イチゴの輸出高は8400万ドルに及ぶ。韓国も主な輸入先だったが、後述する事件の余波もあり、今日では輸入量は激減している。 韓国における日本産品種のイチゴの栽培に関して、日本側が日本の育成者権を侵害しているとして問題視している。 2000年代の大韓民国でのイチゴ生産の多くは、日本で開発されたレッドパール、章姫などといった品種であったが、これらは日本側に無断で韓国に持ち出されたり無断で増殖されたものであった。例えばレッドパールと章姫は1990年代に日本の育成者が韓国の一部の生産者に生産と販売を許諾したが、 韓国内で種苗が無断増殖されてその収穫物が日本に輸入されて販売されており、とちおとめは日本から韓国に無断で持ち出されて増殖されてその収穫物が日本に輸入されて販売されていた。これらに対して日本側はレッドパールに関しては日本側の育成者が輸入業者を相手に裁判を起こし、輸入を取りやめることなどを条件に和解しているが、韓国内では2008年時点で無断栽培が横行中であった。 イチゴの栽培に関しては植物新品種保護国際同盟 (UPOV条約) により知的財産の概念が導入されており、該当品種栽培が権利化された国で販売する場合、栽培者はその品種の開発者に対して栽培料(ロイヤリティ)を支払うこととなっている。UPOV条約では条約批准国は10年以内に全植物を保護の対象としなければならないと定められている。韓国は2002年にUPOV条約に批准しており、日本側は韓国側に累次に渡りイチゴを含めた全植物の保護をできるだけ早く実行するよう要請したが、韓国はこの要請を無視し続けた。韓国は当初は2006年までにイチゴを保護対象とすることを表明したが、後に2009年に延長し、2009年にイチゴを除く全植物を保護対象とし、2012年の最終年になってようやくイチゴを保護対象とした。この間、韓国の生産者は日本側にロイヤリティーを支払わずに韓国で生産した日本産品種を日本に輸出していた。 2012年には韓国でもイチゴを含む全植物が保護対象となるのだが、日本から流出した品種、章姫、レッドパール、とちおとめ等を交配して、雪香、苺香、錦香等が開発され、2012年に韓国内で品種登録された。韓国の聯合ニュースは「韓国で開発したイチゴ新品種の国内栽培比が日本品種を追い越した」「国内品種の栽培率が高まったのは、日本品種に比べておいしい上に収穫量が多く、病害虫に強くて栽培技術も安定化されたため」と報じた。実際、2010年代の韓国産品種の輸出量は日本産品種の輸出量を圧倒しており、農林水産省は日本産品種を交配して作られた韓国産品種がアジア市場に流れたことにより、日本のイチゴ業界は5年間で最大220億円分の輸出機会を失ったと推計している。ちなみに、2006年の日本の韓国産イチゴの輸入量は2001年に比較して12%まで減少した。その後、事件の余波もあり2016年時点は1%程度にまで落ちている。 これらの問題を受け、2020年の種苗法改正の動きとなった。種苗法#令和2年の一部改正参照。 日清紡ホールディングスが2011年に完全制御型植物工場による1万株規模のいちご栽培を国内で初めて成功させたのち、栽培設備を各地の事業所に導入して生産を拡大させた。2013年には新潟の建設会社が「いちごカンパニー」を設立、2014年にはロームが参入、2017年には技術提供を受けた沖縄セルラー電話が沖縄県大宜味村でイチゴの植物工場を操業開始し、美ら島ベリーのブランド名で販売している。2018年にはNTT西日本・NTTスマイルエナジーがトライアルを開始するなど、業者が拡大している。 アメリカにも日本系の「Oishii Farm」がニュージャージー州に初のイチゴ植物工場を設立した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "イチゴ(苺・覆盆子、英: Strawberry、学名: Fragaria)は、バラ科の多年草。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "一見して種子に見える一粒一粒の痩果()が付いた花托(花床ともいう)部分が食用として供される。甘みがあるため果物として位置づけられることが多いが、草本性の植物であるので野菜として扱われることもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "通常、可食部の表は赤色(アントシアンによる)だが、白色の品種もある(2009年に品種登録された和田初こい(商品名・初恋の香り)が世界初の白色イチゴとされる)。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "狭義には、オランダイチゴ属の栽培種オランダイチゴ(学名、Fragaria ×ananassaDuchesne ex Rozier)を意味する。イチゴとして流通しているものは、ほぼ全てオランダイチゴ系である。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "広義にはオランダイチゴ属 (Fragaria) 全体を指す。英語のstrawberry(ストロベリー)はこの範囲である。バラ科オランダイチゴ属の半落葉性草本であり、北半球の温帯に広く分布しているほか、ハワイ諸島や(南半球の)チリ中南部にも分布している。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "さらに最広義には、同じバラ亜科で似た実をつける、キイチゴ属 (Rubus) やヘビイチゴ属 (Duchesnea) を含める。これらを、ノイチゴ、と総称することもある。オランダイチゴ属の二倍体の種にも、この総称に含まれているものがある。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "明治時代から広く日本国内各地で生産されるようになったオランダイチゴ属は、日本語では「苺」と表記される場合が多い。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "甘酸っぱい風味と香りで、一般に果物として姿も可愛らしく人気は高い。栄養的にも優れ、特にビタミンCが豊富に含まれていることが知られている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "オランダイチゴ属の染色体の基本数は7 (n=7) である。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "好光性種子である。可食部は花托の発達したものであり、表面に分布する粒々がそれぞれ果実である。このような形態をとるものをイチゴ状果(偽果)という。独特の芳香があり、属名の由来にもなっている。属名のFragariaはラテン語で「香る」の意。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "食材としての主な旬は12月 - 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20度とされ、連作は可能であるが、酸性土壌には弱い性質をもっている。条件がよければ、一年中花が咲いて実を収穫できる四季成り性品種もある。露地栽培における栽培適期は9月から翌年6月で、秋(9 - 10月)に苗を植え付けて冬を越し、春に実を収穫する。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "イチゴは、暖かくなるとランナーと呼ばれる匍匐枝を伸ばし、その先に子苗ができる性質を利用して、ランナー切らずにそのまま育苗ポットに植えて根付かせ、翌年栽培用の新苗をつくる。親株に近い小苗は奇形果が生じやすいことから、栽培では2番目か3番目の小苗が使われる。苗は親株につながっていたランナーとは反対方向に花と実ができるため、植え付けの際には実をならせたい方向に植え、株元のクラウンと呼ばれる小さな葉のようなものが土に埋まらないように浅めにして畝に植え付ける。伝染病予防や保温のために、畝に敷き藁やマルチングを施し、苗が根付くまでに1週間を要するため、水切れを起こさないように管理する。冬越しは、寒さから守るために寒冷紗などのトンネルがけで保護し、追肥は冬越し期間中は行わずに晩秋と早春に行って株を充実させる。春に暖かくなると株は一気に生長し、4月ごろから開花が始まる。開花期に伸びたランナーは実に栄養が集中するようにすべて切り取り、開花から30 - 40日後に実が赤く熟して収穫期を迎えるので、順次収穫する。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "生食が定番となっており、コンデンスミルクまたはヨーグルトをかけたもの、イチゴジャム、イチゴジュースなどの材料として利用され、アイスクリームや菓子に練り込まれることも多い。他には、ショートケーキ、タルト、パイなどの洋菓子の装飾・トッピングや、いちご大福などの和菓子の材料としても用いられる。凍結乾燥させたものをチョコレートなどで包んだ菓子も作られている。なお、かき氷のシロップ、牛乳、キャンディーなどのイチゴ味のものの多くはイチゴの成分を全く含まず、酢酸アミル、アネトールなどを配合して作ったイチゴ香料と赤い着色料で表現されている。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "実に水がつくとすぐに傷み、日持ちせず保存には向かないため、早めに食べきるのが最もよいが、短期は冷蔵保存、長期はヘタを取ってからポリ袋などに入れて冷凍保存する。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "一般的なイチゴの可食部の成分は、日本の『食品標準成分表』によれば約90%が水分であり、糖質が約10%、タンパク質、食物繊維が約1%であり、総カロリーは100グラム (g) で35キロカロリー (kcal) である。イチゴにはキシリトールが約350ミリグラム (mg) と豊富に含まれている。また、アスコルビン酸(ビタミンC)にも富み、その量はみかんやグレープフルーツをも上回り、キウイ並の量が含まれている。イチゴに含まれるビタミンCは、粒の大きさにもよるが、おおよそ10粒ほど食べると1日に必要とされるビタミンCが摂取できるといわれている。また、葉酸(ビタミンB9)や、カリウム、カルシウム、マグネシウムなどのミネラルも豊富である。イチゴの酸味成分であるクエン酸は、カルシウムの吸収を助ける働きがあるとされ、いちごミルクにした牛乳との食べ合わせも合理的と言われている。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "日本には江戸時代にオランダ人によってもたらされた。イチゴが一般市民に普及したのは1800年代であり、本格的に栽培されたのは1872年(明治5年)からである。イチゴ栽培が一つの産業として行われるようになったのはさらに遅く、第二次世界大戦後少し経ってからである。イチゴは1963年の農林水産統計表の品目に初めて登載された。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "日本での生産量は年間約20万トンであり、そのほとんどは温室型の促成栽培で11月から翌年4月までに生産される。5月から10月の生産量は1万トン以下であって、5%に過ぎない。冬から春に実をつける一季成りイチゴに対し、夏から秋にも実の成る品種は四季成りイチゴと呼ばれ、夏イチゴとも呼ばれている。一季成り性品種と四季成り性品種では、花芽分化に関する特性が異なる。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "温室型による促成栽培と露地栽培があり収穫時期と期間が異なる。一季成り性品種の露地栽培の場合の収穫期は主に3月から4月頃。連作障害があり1年から4年で圃場を移動する。温室型による促成栽培の場合の収穫期は10月下旬 - 翌年5月頃。ハウス栽培では水耕栽培も行われる。通常は足下の高さの盛り土(畝)に作付けするが、屈んだ作業となり従事者へ肉体的負担が大きいため、置き台などを利用し苗の高さを腰まで上げ負担を軽減するなどの工夫もみられる。多くの場合、寒冷期に収穫するためハウス栽培は必須であり成長適温の20°C前後までの加温を行う。夏秋取り栽培の場合は、遮光栽培も行われる。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "日本の露地栽培の場合、ミカン栽培が可能な程度の温暖な地域では開花期は3月から5月で、開花から約1カ月すると収穫可能となる。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "受粉が均一でない場合、果実の成長はいびつで商品価値の劣る実となってしまう。したがって、露地栽培では自然環境中の生物による受粉だけでなく栽培者が育成するミツバチなどによって受粉が行われる。ハウス栽培ではミツバチだけでなく、ミツバチより低温でもより活動するマルハナバチによる授粉も行われる。イチゴは花の段階で、萼や雄蕊・雌蕊がつく土台となる花托が小さな円錐形を成しているが、これは花に集まったミツバチなどが花托の上でクルクル回ることで確実に受粉するするのを助け、花托が肥大して形のよいイチゴを実らせることにつながっている。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "苗がウイルスに感染すると根の成長が阻害され、果実の大きさが小さくなる等の障害を起こすため、茎頂培養(成長点培養)によるウイルスフリー苗(メリクロン苗)が種苗専門の生産業者により育成されている。その苗を果実生産者が収穫用の圃場や培地に定植し、実を収穫・出荷する。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "一季成り性品種の苗は花芽分化後に低温と日長の休眠期を経ないと成長と開花が行われない。つまり、秋から春に収穫するためには夏に苗を「冷蔵庫に入れる」「高原などの冷涼地で育てる」などの方法で低温処理(春化処理)と遮光で休眠(強制的に冬を)経験させる。この休眠打破処理により開花時期と収穫時期をずらすことが可能になる。この方法を経ないと一季成り性品種で10月下旬 - 翌年5月頃の収穫は行えない。また、新しい苗を毎年植え替えなければならない。促成栽培に最適な休眠温度条件や日長に対する感受性は品種により異なり、土中の窒素分の条件でも変化する。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "四季成り性品種では人工的な休眠は行われない。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "日本のいちごは品種は世界全体の品種の半分以上が日本のものだという説もあり、2019年時点で約300種、以降も新品種が続々と誕生している。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1899年に発表された福羽いちごが日本でのイチゴ品種の第一号である。以降、多数の品種が開発され、栽培されている。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦以前は、上記の福羽いちごを除けば輸入種による栽培が主体であった。第二次世界大戦後は,1950年前後から戦前からのイチゴ産地で生産が復興しはじめると共に、新たな産地も誕生していった。当初は主に露地栽培が行われており、マーシャル、幸玉などいろいろな品種が栽培されていた。マーシャルは「アメリカ」とも呼ばれた品種であるが来歴は不詳である。幸玉は1940年頃に育成された品種で「八雲」とも呼ばれ、北海道から九州まで広い範囲で栽培されていた。幸玉は酸味が少ないことから「砂糖イチゴ」とも呼ばれていた。マーシャル、幸玉のどちらも露地栽培用の品種であった。民間育成品種である堀田ワンダー(1957年)、農林省園芸試験場久留米支場で育成された紅鶴なども農業用ビニールによるトンネルを用いた半促成栽培や促成栽培では用いられていた。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "1949年(昭和24年)頃にアメリカ合衆国カリフォルニア州よりダナー(Donner)が輸入される。最初は千葉県市川市で栽培されていたが、品質が良かったことから全国的に広がり、それまでの主要品種であった幸玉にとって代わった。西日本では1960年(昭和30年)に兵庫県で育成された宝交早生も普及した。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "昭和50年代以降、東日本は女峰(1985年)、西日本ではとよのか(1984年)と2大品種が生産量の上位を占める時期が長らく続いた。やがて、東日本では女峰に代わってとちおとめが急速に増え、西日本でもとよのかに代わってさがほのか、あまおう、さちのかへと品種更新が進んでいる。2007年時点では日本国内のJA系統の販売作付け面積では最多の34パーセントがとちおとめ、次いで15ペーセントがさがほのかであり、この2品種で全体の半分を占める。以下、あまおう(11%)、さちのか(10%)、とよのか(8%)、章姫(7%)、女峰(1%)と続いている。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2009年2月2日の時点では登録品種は157種。2016年11月14日の時点では、登録品種は258種、そのうち登録維持されているのは129種。日本産イチゴはほとんどが甘味の強い生食用で、栃木県、福岡県など各地で、新品種が生まれている。大粒の九州産「とよのか」、実がしっかりしている栃木産の「とちおとめ」、酸味が控えめの静岡産「章姫」、香りが強くほどよい酸味の「紅ほっぺ」、大粒品種の「あまおう」など、それぞれに特徴を持たせた品種がよく知られる。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "各県独自品種の開発競争は2000年代に始まり、福岡県のあまおうがいち早くブランドを確立している。イチゴの国内産出額は2010年から2020年にかけて21パーセント上昇し、1809億円となっている。イチゴ農家の高齢化や作付け面積の減少もあるなか、農家の所得確保と県産ブランド力の向上につながる独自品種の導入は一層期待が高まっている。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "イチゴの収穫量上位15県と生産品種は以下の通り(2019年時点)", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "品種についてはCategory:イチゴの品種も参照のこと。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "本来は初夏(5 - 6月)が露地栽培品の旬であるが、1990年代以降はクリスマスケーキの材料としての需要が高まる12月から年末年始にかけて出荷量が最も多くなる傾向がある。逆に、5月を過ぎると流通量と生産量は減る。秋口は露地栽培品とハウス栽培品は端境期であるため、生食用のイチゴはほぼ全量を輸入に頼っているが時間や鮮度の問題があるため、青森県の下北地方では端境期を狙ったイチゴ栽培が盛んになっている。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "日本の生鮮イチゴの主な輸入元はアメリカで、ついでニュージーランド、オーストラリアである。冷凍イチゴの主な輸入元は中国で、その他タイ、メキシコ、オランダ、チリなどから輸入されている。生鮮イチゴ、冷凍イチゴの輸出国世界1位はポーランドであり、生鮮イチゴの1年の輸出量は20万トン、冷凍イチゴの輸出高は8400万ドルに及ぶ。韓国も主な輸入先だったが、後述する事件の余波もあり、今日では輸入量は激減している。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "韓国における日本産品種のイチゴの栽培に関して、日本側が日本の育成者権を侵害しているとして問題視している。 2000年代の大韓民国でのイチゴ生産の多くは、日本で開発されたレッドパール、章姫などといった品種であったが、これらは日本側に無断で韓国に持ち出されたり無断で増殖されたものであった。例えばレッドパールと章姫は1990年代に日本の育成者が韓国の一部の生産者に生産と販売を許諾したが、 韓国内で種苗が無断増殖されてその収穫物が日本に輸入されて販売されており、とちおとめは日本から韓国に無断で持ち出されて増殖されてその収穫物が日本に輸入されて販売されていた。これらに対して日本側はレッドパールに関しては日本側の育成者が輸入業者を相手に裁判を起こし、輸入を取りやめることなどを条件に和解しているが、韓国内では2008年時点で無断栽培が横行中であった。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "イチゴの栽培に関しては植物新品種保護国際同盟 (UPOV条約) により知的財産の概念が導入されており、該当品種栽培が権利化された国で販売する場合、栽培者はその品種の開発者に対して栽培料(ロイヤリティ)を支払うこととなっている。UPOV条約では条約批准国は10年以内に全植物を保護の対象としなければならないと定められている。韓国は2002年にUPOV条約に批准しており、日本側は韓国側に累次に渡りイチゴを含めた全植物の保護をできるだけ早く実行するよう要請したが、韓国はこの要請を無視し続けた。韓国は当初は2006年までにイチゴを保護対象とすることを表明したが、後に2009年に延長し、2009年にイチゴを除く全植物を保護対象とし、2012年の最終年になってようやくイチゴを保護対象とした。この間、韓国の生産者は日本側にロイヤリティーを支払わずに韓国で生産した日本産品種を日本に輸出していた。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "2012年には韓国でもイチゴを含む全植物が保護対象となるのだが、日本から流出した品種、章姫、レッドパール、とちおとめ等を交配して、雪香、苺香、錦香等が開発され、2012年に韓国内で品種登録された。韓国の聯合ニュースは「韓国で開発したイチゴ新品種の国内栽培比が日本品種を追い越した」「国内品種の栽培率が高まったのは、日本品種に比べておいしい上に収穫量が多く、病害虫に強くて栽培技術も安定化されたため」と報じた。実際、2010年代の韓国産品種の輸出量は日本産品種の輸出量を圧倒しており、農林水産省は日本産品種を交配して作られた韓国産品種がアジア市場に流れたことにより、日本のイチゴ業界は5年間で最大220億円分の輸出機会を失ったと推計している。ちなみに、2006年の日本の韓国産イチゴの輸入量は2001年に比較して12%まで減少した。その後、事件の余波もあり2016年時点は1%程度にまで落ちている。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "これらの問題を受け、2020年の種苗法改正の動きとなった。種苗法#令和2年の一部改正参照。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "日清紡ホールディングスが2011年に完全制御型植物工場による1万株規模のいちご栽培を国内で初めて成功させたのち、栽培設備を各地の事業所に導入して生産を拡大させた。2013年には新潟の建設会社が「いちごカンパニー」を設立、2014年にはロームが参入、2017年には技術提供を受けた沖縄セルラー電話が沖縄県大宜味村でイチゴの植物工場を操業開始し、美ら島ベリーのブランド名で販売している。2018年にはNTT西日本・NTTスマイルエナジーがトライアルを開始するなど、業者が拡大している。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "アメリカにも日本系の「Oishii Farm」がニュージャージー州に初のイチゴ植物工場を設立した。", "title": "近代栽培イチゴ(オランダイチゴ)" } ]
イチゴは、バラ科の多年草。 一見して種子に見える一粒一粒の痩果が付いた花托(花床ともいう)部分が食用として供される。甘みがあるため果物として位置づけられることが多いが、草本性の植物であるので野菜として扱われることもある。 通常、可食部の表は赤色(アントシアンによる)だが、白色の品種もある(2009年に品種登録された和田初こいが世界初の白色イチゴとされる)。
{{Otheruses|食用の[[植物]]}} {{生物分類表 |色 = 植物界 |名称 = オランダイチゴ |画像 = [[画像:Strawberries.JPG|250px]] |画像キャプション = [[水耕栽培]]で育つオランダイチゴ |分類体系 = [[APG III]] |界 = [[植物界]] {{Sname||Plantae}} |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||angiosperms}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||eudicots}} |目 = [[バラ目]] {{Sname||Rosales}} |科 = [[バラ科]] {{Sname||Rosaceae}} |亜科 = [[バラ亜科]] {{Sname||Rosoideae}} |属 = [[オランダイチゴ属]] {{Snamei|Fragaria}} |種 = '''オランダイチゴ''' ''F.'' × ''ananassa'' |学名 = ''Fragaria'' × ''ananassa''<br>[[:en:Antoine Nicolas Duchesne|Duchesne]] ex {{AU|Rozier}} <small>(1766)</small><ref name="YList">{{YList |id=28998 |taxon=''Fragaria x ananassa'' Duchesne ex Rozier オランダイチゴ 標準 |accessdate=2013-10-25}}</ref> |シノニム = * ''Fragaria'' × ''magna'' {{AU|Thuill.}} <small>(1800)</small><ref name="YList_29086">{{YList|id=29086|taxon=Fragaria x magna Thuill. オランダイチゴ シノニム|accessdate=2022-06-19}}</ref> |英名 = Garden strawberry, <br>pineapple strawberry, <br>ananas strawberry }} {{栄養価 |name = イチゴ(生) |water = 90.95 g |kJ = 136 |protein = 0.67 g |fat = 0.3 g |carbs = 7.68 g |fiber = 2 g |sugars = 4.89 g |calcium_mg = 16 |iron_mg = 0.41 |magnesium_mg = 13 |phosphorus_mg = 24 |potassium_mg = 153 |sodium_mg = 1 |zinc_mg = 0.14 |manganese_mg = 0.386 |selenium_μg = 0.4 |vitC_mg = 58.8 |thiamin_mg = 0.024 |riboflavin_mg = 0.022 |niacin_mg = 0.386 |pantothenic_mg = 0.125 |vitB6_mg = 0.047 |folate_ug = 24 |choline_mg = 5.7 |vitB12_ug = 0 |vitA_ug = 1 |betacarotene_ug = 7 |lutein_ug = 26 |vitE_mg = 0.29 |vitD_iu = 0 |vitK_ug = 2.2 |satfat = 0.015 g |monofat = 0.043 g |polyfat = 0.155 g |tryptophan = 0.008 g |threonine = 0.02 g |isoleucine = 0.016 g |leucine = 0.034 g |lysine = 0.026 g |methionine = 0.002 g |cystine = 0.006 g |phenylalanine = 0.019 g |tyrosine = 0.022 g |valine = 0.019 g |arginine = 0.028 g |histidine = 0.012 g |alanine = 0.033 g |aspartic acid = 0.149 g |glutamic acid = 0.098 g |glycine = 0.026 g |proline = 0.02 g |serine = 0.025 g |right = 1 |source_usda = 1 }} '''イチゴ'''('''苺'''{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=184}}・覆盆子、[[英語|英]]: Strawberry、[[学名]]: ''Fragaria'')は、[[バラ科]]の[[多年草]]。 一見して[[種子]]に見える一粒一粒の{{読み仮名|[[痩果]]|そうか}}が付いた[[花托]](花床ともいう)部分が食用として供される。甘みがあるため[[果物]]として位置づけられることが多いが、[[草本|草本性]]の[[植物]]であるので[[野菜]]として扱われることもある<ref>{{Cite web|和書|author=田中敬一 |url=http://www.kudamononet.com/Kudamono&Kenko/back_number/K&K_No57.html |title=キッズQ:イチゴは果物?野菜? |publisher=くだもの・科学・健康ジャーナル |language=日本語 |accessdate=2012-04-30}}</ref>。 通常、可食部の表は赤色([[アントシアン]]による)<ref>[https://kids.gakken.co.jp/kagaku/kagaku110/science0208/ イチゴはどうして赤いの][[学研ホールディングス|Gakkenキッズネット]]科学/植物(2019年12月31日閲覧)</ref>だが、白色の[[品種]]もある(2009年に品種登録された[[和田初こい]](商品名・初恋の香り)が世界初の白色イチゴとされる<ref>{{Cite web|和書|website=オリーブオイルをひとまわし|url=https://www.olive-hitomawashi.com/column/2019/06/post-5404.html|title=なぜ白い? 世界初の白いいちご【初恋の香り】とは|date=2019-10-23|accessdate=2023-02-17}}</ref>)。 == 概説 == 狭義には、オランダイチゴ属の栽培種'''オランダイチゴ'''([[学名]]、''Fragaria'' ×''ananassa''{{AU|Duchesne}} ex {{AU|Rozier}})を意味する。イチゴとして流通しているものは、ほぼ全てオランダイチゴ系である。 広義には'''[[オランダイチゴ属]]''' (''Fragaria'') 全体を指す。[[英語]]の{{en|strawberry}}(ストロベリー)はこの範囲である。バラ科オランダイチゴ属の半落葉性草本であり、[[北半球]]の[[温帯]]に広く分布しているほか、[[ハワイ諸島]]や([[南半球]]の)[[チリ]]中南部にも分布している<ref name="dai13">[[#農文協2016|農文協編 2016]], p. 13</ref>。 さらに最広義には、同じバラ亜科で似た実をつける、[[キイチゴ属]] (''Rubus'') や[[ヘビイチゴ]]属 (''Duchesnea'') を含める。これらを、'''ノイチゴ'''、と総称することもある。オランダイチゴ属の[[倍数性|二倍体]]の種にも、この総称に含まれているものがある。 [[明治|明治時代]]から広く日本国内各地で生産されるようになったオランダイチゴ属は、[[日本語]]では「苺」と表記される場合が多い。<!--混乱するので呼び分けている植物の記載へ移動。ヘビイチゴ属は「蛇莓 {{ピン音|shéméi|ショーメイ}}」、キイチゴ属は「懸鈎子 {{ピン音|xuángōuzi|シュエンゴウズ}}」または「覆盆子 {{ピン音|fùpénzi|フーペンズ}}」と呼び分ける。--> 甘酸っぱい風味と香りで、一般に果物として姿も可愛らしく人気は高い{{sfn|主婦の友社編|2011|p=212}}。栄養的にも優れ、特に[[ビタミンC]]が豊富に含まれていることが知られている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=212}}。 === 系統 === {{Main|オランダイチゴ属}} [[画像:Fragaria vesca 2.jpg|thumb|110px|エゾヘビイチゴ]] オランダイチゴ属の[[染色体]]の基本数は7 (n=7) である<ref name="dai14">[[#農文協2016|農文協編 2016]], p. 14</ref>。 * [[倍数性|2倍体]] (n=14) *: 古くは[[ヨーロッパ]]において栽培された種<ref name="dai14" />。ベスカやダルトニアナなどがある<ref name="dai14" />。 * 4倍体 (n=28) *: [[中国]]、[[チベット]]、[[シベリア]]などに見られる種<ref name="dai14" />。モウピネンシスやオリエンタリスなどがある<ref name="dai14" />。 * 6倍体 (n=42) *: 6倍体の種はモスカーターの一種が知られており、ヨーロッパ中部から[[ロシア]]にかけて分布<ref name="dai15">[[#農文協2016|農文協編 2016]], p. 15</ref>。 * 8倍体 (n=56) *: 近代栽培イチゴは8倍体である<ref name="dai15" />。 === 特徴 === [[好光性種子]]である。可食部は[[花托]]の発達したものであり、表面に分布する粒々がそれぞれ[[果実#果実の分類|果実]]である{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=184}}。このような形態をとるものを[[果実#偽果の例|イチゴ状果]]([[偽果]])という。独特の芳香があり、属名の由来にもなっている。属名の''Fragaria''は[[ラテン語]]で「香る」の意。 食材としての主な[[旬]]は12月 - 6月とされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=212}}。かつての旬は、露地栽培の収穫期にあたる春から初夏とされていたが、温室栽培の技術発展に伴って、秋から翌年春まで多く流通するようになった{{sfn|主婦の友社編|2011|p=212}}。赤色ができるだけ均一で、表面の粒(果実)がくっきりしていて、ツヤがあるものが市場価値の高い良品とされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=212}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=184}}。 [[ビタミンC]]が豊富である他、[[抗酸化物質]]として知られる[[ポリフェノール]]の一種である[[アントシアニン]]や抗[[癌]]作用のある[[エラグ酸]]を含む。 生食の他、[[ジャム]]に加工されることも多い。[[受精]]すると花托の肥大が始まるが、一部受精していない[[雌しべ]]があるとその部位の肥大が弱くなる。したがって形の整った果実を作るためには、全ての[[雌蕊|雌しべ]]が[[受粉]]するようにする。しかし、実際の栽培においては雌しべの先端部が未熟なまま開花するため<ref name=jjshs.60.869>吉田裕一、藤目幸擴、中條利明「[https://doi.org/10.2503/jjshs.60.869 イチゴ'愛ベリー'の花芽発育と奇形果発生に対する窒素栄養の影響]」『園芸学会雑誌』1992年 60巻 4号 p.869-879, {{doi|10.2503/jjshs.60.869}}</ref>、均一な成長が行われるために花芽形成期の施肥と温度管理が行われる<ref>吉田裕一、大井美知男、藤本幸平「[https://doi.org/10.2503/jjshs.59.727 大果系イチゴ‘愛ベリー’の果実形質, 収量と窒素施肥量, 苗質との関係]」『園芸学会雑誌』1991年 59巻 4号 p.727-735, {{doi|10.2503/jjshs.59.727}}</ref>。 == 語誌 == 「いちご」の語源ははっきりしない。古くは『[[本草和名]]』(918年頃)や『[[倭名類聚抄]]』(934年頃)に「以知古」とある。『[[日本書紀]]』には「伊致寐姑(いちびこ)」、『[[新撰字鏡]]』には「一比古(いちびこ)」とあり、これが古形であるらしい。『本草和名』では、蓬虆の和名を「以知古」、覆盆子の和名を「加宇布利以知古」としており、近代に[[オランダイチゴ]]が舶来するまでは「いちご」は野いちご全般を指していた<ref>[http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/Flower%20Information%20by%20Vps/Flower%20Albumn/ch2-trees/kiichigo.html 嶋田英誠編『跡見群芳譜』]</ref>。 漢字には「苺」と「莓」がある。これらは[[異字体]]で「苺」が[[本字]]である。辞典によっては「莓」が見出しになっていて、「苺」は本字としていることがある。現代日本では「苺」、現代[[中国]]では「莓」を通常使う。 英語の {{en|strawberry}}(ストロベリー)は「[[藁]] ({{en|straw}}) の[[ベリー]] ({{en|berry}})」と解釈できるが、そう呼ぶ理由ははっきりしない。「[[麦]]藁を敷いて育てた」「麦藁に包まれて売られていた」「[[匍匐枝]]が麦藁に似ている」という説があり、さらに、{{en|straw}} は藁ではなく、散らかす・一面を覆うを意味する {{en|strew}} の古語だという説もある。 == 近代栽培イチゴ(オランダイチゴ) == === 歴史 === 北半球の[[ヨーロッパ]]や[[アジア]]で、古く[[紀元前]]から各地に自生していた野生イチゴの採集と利用が行われていたといわれる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=212}}<ref name="dai12">[[#農文協2016|農文協編 2016]], p. 12</ref>。[[スイス]]のトゥワン遺跡で出土した紀元前3830年から3760年頃の[[穀物]]の[[スープ]]からはイチゴの痩果が発見されている<ref name="dai12" />。イチゴの栽培は[[古代ローマ]]では既に行われており、14世紀から16世紀にはいくつかの[[品種]]が栽培されていた<ref name="dai13"/>。 近代栽培イチゴであるオランダイチゴは、[[18世紀]]に[[オランダ]]の農園で、[[北米]]産のバージニアイチゴ (''F. virginiana'') とチリ産のチリイチゴ (''F. chiloensis'') の[[交雑]]によって作られた<ref>{{Cite book |author=George McMillan Darrow |year=1966 |title=The Strawberry: History, breeding and physiology |publisher=Holt, Rinehart and Winston|location=New York |chapter=chapter 5: Duchesne and His Work |url=http://www.nal.usda.gov/pgdic/Strawberry/darpubs.htm |ref=Darrow1966}}</ref><ref>[[#農文協2016|農文協編 2016]], p. 11</ref>。 北米原産のバージニアイチゴは、探検家や植民者によって16世紀前半から18世紀半ばにかけてヨーロッパへ持ち込まれた種で、[[植物園]]を通じてヨーロッパ各地に普及した<ref name="dai18">[[#農文協2016|農文協編 2016]], p. 18</ref>。一方チリ原産のチリイチゴは、[[マプチェ族]]などの[[先住民]]によって長年栽培されてきた品種である<ref name="dai13" />。チリイチゴは18世紀初頭から19世紀半ばにかけてヨーロッパへ持ち込まれた種で、こちらも植物園を通じてヨーロッパ各地に普及した<ref name="dai18" />。 20世紀前半に創業した[[アメリカ合衆国]]の[[Driscoll's]]社は、イチゴを始めとしたベリー種の栽培で急成長し、世界最大手の企業となった。Driscoll's社の製品はコストコなどの量販店で販売されている。 === 栽培 === {| class="wikitable" style="float:right; clear:right; width:14em; text-align:center; margin-right:1em;" |+2021年に苺の生産<ref name="faostat">{{cite web |url=http://www.fao.org/faostat/en/#data/QC |title=Strawberry production in 2021, Crops/Regions/World list/Production Quantity (pick lists) |date=2023 |publisher=UN Food and Agriculture Organization, Corporate Statistical Database ([[FAOSTAT]]) |access-date=16 April 2023}}</ref> ! style="background:#ddf; " |国 ! style="background:#ddf; " |百万トン |- |{{CHN}} |3.38 |- |{{USA}} |1.21 |- |{{TUR}} |0.67 |- |{{MEX}} |0.54 |- |{{EGY}} |0.47 |- |{{ESP}} |0.36 |- |'''世界''' |'''9.18''' |} イチゴは土地にあった特有の栽培法を用いることで、世界各地で栽培が行われている<ref name="dai12" />。中国・[[韓国]]・[[台湾]]・日本は多雨湿潤気候に属しており、本来はイチゴの栽培に好適な気候ではないが、ビニール被覆による保温と雨除けを用いた栽培技術が普及している<ref name="dai12" />。アジアの[[熱帯]]や[[亜熱帯]]の地域でもイチゴの栽培が行われている<ref name="dai12" />。 摘み取り作業は、色の判断と実を傷つけない繊細な動きが求められることから機械化が難しく、長らく手作業で摘み取られていた。[[アメリカ合衆国]]では露地栽培が主流であるため、中腰での作業が長時間続く重労働であり、外国人労働者の仕事であった。しかし不法移民の取り締まり強化や人手不足で賃金が上昇しているため、中腰にならずに済むハウス栽培が増加しているほか、摘み取りからパック詰めまでを単独でこなす[[ロボット]]の開発が行われている<ref>[https://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2018_0711.html?utm_int=detail_contents_tokushu-business_003 移民かロボットか~アメリカ いちご生産の現場で] - [[日本放送協会|NHK]]</ref>。 イチゴの栽培適温は17 - 20度とされ、[[連作]]は可能であるが、酸性土壌には弱い性質をもっている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=214}}。条件がよければ、一年中花が咲いて実を収穫できる四季成り性品種もある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=214}}。露地栽培における栽培適期は9月から翌年6月で、秋(9 - 10月)に苗を植え付けて冬を越し、春に実を収穫する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=214}}。 イチゴは、暖かくなるとランナーと呼ばれる[[匍匐枝]]を伸ばし、その先に子苗ができる性質を利用して、ランナー切らずにそのまま育苗ポットに植えて根付かせ、翌年栽培用の新苗をつくる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=215}}。親株に近い小苗は奇形果が生じやすいことから、栽培では2番目か3番目の小苗が使われる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=215}}。苗は親株につながっていたランナーとは反対方向に花と実ができるため、植え付けの際には実をならせたい方向に植え、株元のクラウンと呼ばれる小さな葉のようなものが土に埋まらないように浅めにして[[畝]]に植え付ける{{sfn|主婦の友社編|2011|p=214}}。伝染病予防や保温のために、畝に敷き藁や[[マルチング]]を施し、苗が根付くまでに1週間を要するため、水切れを起こさないように管理する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=214}}。冬越しは、寒さから守るために[[寒冷紗]]などのトンネルがけで保護し、追肥は冬越し期間中は行わずに晩秋と早春に行って株を充実させる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=215}}。春に暖かくなると株は一気に生長し、4月ごろから開花が始まる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=215}}。開花期に伸びたランナーは実に栄養が集中するようにすべて切り取り、開花から30 - 40日後に実が赤く熟して収穫期を迎えるので、順次収穫する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=215}}。 === 利用 === [[画像:Chocolate strawberries.jpg|thumb|150px|right|チョコレートイチゴ]] 生食が定番となっており、[[コンデンスミルク]]または[[ヨーグルト]]をかけたもの、イチゴ[[ジャム]]、イチゴ[[ジュース]]などの材料として利用され、[[アイスクリーム]]や[[菓子]]に練り込まれることも多い。他には、[[ショートケーキ]]、[[タルト (洋菓子)|タルト]]、[[ストロベリーパイ|パイ]]などの[[洋菓子]]の装飾・[[トッピング]]や、[[いちご大福]]などの[[和菓子]]の材料としても用いられる。[[凍結乾燥]]させたものを[[チョコレート]]などで包んだ菓子も作られている。なお、[[かき氷]]の[[シロップ]]、[[牛乳]]、[[キャンディー]]などのイチゴ味のものの多くはイチゴの成分を全く含まず、[[酢酸アミル]]、[[アネトール]]などを配合して作ったイチゴ[[香料]]と赤い[[着色料]]で表現されている。 実に水がつくとすぐに傷み、日持ちせず保存には向かないため、早めに食べきるのが最もよいが、短期は冷蔵保存、長期はヘタを取ってからポリ袋などに入れて冷凍保存する{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=184}}。 === 栄養素 === 一般的なイチゴの可食部の成分は、日本の『食品標準成分表』によれば約90%が水分であり、[[糖質]]が約10%、[[タンパク質]]、[[食物繊維]]が約1%であり、総[[カロリー]]は100[[グラム]] (g) で35[[キロカロリー]] (kcal) である。イチゴには[[キシリトール]]が約350[[ミリグラム]] (mg) と豊富に含まれている。また、[[アスコルビン酸]](ビタミンC)にも富み、その量はみかんやグレープフルーツをも上回り、キウイ並の量が含まれている。<ref>{{Cite web|和書|title=いちごの栄養による健康効果と美容効果まとめ!手軽に食べる方法付き |url=https://shunkashutou.com/market/column/ichigo-matome/ |website=【急速冷凍】による高品質な業務用食材通販マーケット |access-date=2022-07-25}}</ref>イチゴに含まれるビタミンCは、粒の大きさにもよるが、おおよそ10粒ほど食べると1日に必要とされるビタミンCが摂取できるといわれている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=212}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=184}}。また、[[葉酸]](ビタミンB9)や、[[カリウム]]、[[カルシウム]]、[[マグネシウム]]などの[[ミネラル]]も豊富である{{sfn|主婦の友社編|2011|p=212}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=184}}。イチゴの酸味成分である[[クエン酸]]は、カルシウムの吸収を助ける働きがあるとされ、いちごミルクにした[[牛乳]]との食べ合わせも合理的と言われている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=212}}。 === 日本での栽培 === 日本には[[江戸時代]]にオランダ人によってもたらされた<ref name="dai28">[[#農文協2016|農文協編 2016]], p. 28</ref>。イチゴが一般市民に普及したのは1800年代であり<ref name="dai28" />、本格的に栽培されたのは1872年([[明治]]5年)からである<ref>[http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/note/20.html 戦前のいちご狩のポスター]([[大津市]]歴史博物館所蔵)</ref>。イチゴ栽培が一つの産業として行われるようになったのはさらに遅く、[[第二次世界大戦]]後少し経ってからである<ref name="dai28" />。イチゴは1963年の農林水産統計表の品目に初めて登載された<ref name="dai28" />。 日本での生産量は年間約20万[[トン]]であり、そのほとんどは温室型の促成栽培で11月から翌年4月までに生産される。5月から10月の生産量は1万トン以下であって、5[[パーセント|%]]に過ぎない。冬から春に実をつける一季成りイチゴに対し、夏から秋にも実の成る品種は'''四季成りイチゴ'''と呼ばれ、'''夏イチゴ'''とも呼ばれている。一季成り性品種と四季成り性品種では、花芽分化に関する特性が異なる。 温室型による促成栽培と露地栽培があり収穫時期と期間が異なる。一季成り性品種の露地栽培の場合の収穫期は主に3月から4月頃。[[連作|連作障害]]があり<ref>新須利則、小川義雄、樋口泰三「[https://doi.org/10.4241/kyubyochu.23.43 イチゴ根腐萎ちょう症に関する研究]」『九州病害虫研究会報』1977年 23巻 p.43-47, {{doi|10.4241/kyubyochu.23.43}}</ref>1年から4年で圃場を移動する。温室型による促成栽培の場合の収穫期は10月下旬 - 翌年5月頃。ハウス栽培では[[水耕栽培]]も行われる。通常は足下の高さの盛り土([[畝]])に作付けするが、屈んだ作業となり従事者へ肉体的負担が大きいため、置き台などを利用し苗の高さを腰まで上げ負担を軽減するなどの工夫もみられる。多くの場合、寒冷期に収穫するためハウス栽培は必須であり成長適温の20℃前後までの加温を行う。夏秋取り栽培の場合は、遮光栽培も行われる<ref>吉原泉, 矢田部健一, 村上文生,「[https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010572529 イチゴの夏秋どり栽培]」『栃木県農業試験場研究報告』 46号, 栃木県農業試験場, 1997年12月, p.43-48, {{issn|03889270}}, {{naid|40002727752}}</ref>。 日本の露地栽培の場合、[[ミカン]]栽培が可能な程度の温暖な地域では開花期は3月から5月で、開花から約1カ月すると収穫可能となる<ref>[https://shop.takii.co.jp/flower/bn/pdf/201510_25.pdf はなとやさい 2015年10月 イチゴの露地栽培] [[タキイ種苗]]</ref>。 * 7 - 9月 苗育成 * 10 - 11月 植付け * 3 - 5月 開花 * 4 - 5月 収穫 <gallery> Strawberry flower.jpg|オランダイチゴの花 Strawberry flower and bee.JPG|ビニールハウス内で受粉するミツバチ Greenhouse for strawberry.jpg|イチゴのハウス栽培 </gallery> ==== 受粉 ==== [[受粉]]が均一でない場合、果実の成長はいびつで商品価値の劣る実となってしまう。したがって、露地栽培では自然環境中の生物による受粉だけでなく栽培者が育成する[[ミツバチ]]<ref name=jjshs.60.869 />などによって受粉が行われる。ハウス栽培ではミツバチだけでなく、ミツバチより低温でもより活動する[[マルハナバチ]]<ref>{{Cite journal |和書|author=光畑雅宏 |title=マルハナバチ普及の現場から--ポリネーターとしての利用の現状と将来 |https://hdl.handle.net/11078/782 |journal=ミツバチ科学 |issn=03882217 |publisher=玉川大学ミツバチ科学研究所 |year=2000 |month=feb |volume=21 |issue=1 |pages=17-25 |naid=110000324188}}</ref>による授粉も行われる。イチゴは花の段階で、[[萼]]や[[雄蕊]]・[[雌蕊]]がつく土台となる[[花托]]が小さな円錐形を成しているが、これは花に集まったミツバチなどが花托の上でクルクル回ることで確実に受粉するするのを助け、花托が肥大して形のよいイチゴを実らせることにつながっている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=185}}。 ==== 苗の生産育成 ==== 苗が[[ウイルス]]に感染すると根の成長が阻害され、果実の大きさが小さくなる等の障害を起こすため、[[茎頂培養]](成長点培養)による[[ウイルスフリー]]苗(メリクロン苗)が種苗専門の生産業者により育成されている。その苗を果実生産者が収穫用の圃場や培地に定植し、実を収穫・出荷する。 {{seealso|ウイルスフリー}} 一季成り性品種の苗は花芽分化後に低温と日長の休眠期を経ないと成長と開花が行われない。つまり、秋から春に収穫するためには夏に苗を「冷蔵庫に入れる」「高原などの冷涼地で育てる」などの方法で低温処理([[春化|春化処理]])と遮光で休眠(強制的に'''冬'''を)経験させる。この休眠打破処理により開花時期と収穫時期をずらすことが可能になる。この方法を経ないと一季成り性品種で10月下旬 - 翌年5月頃の収穫は行えない。また、新しい苗を毎年植え替えなければならない。促成栽培に最適な休眠温度条件や日長に対する感受性は品種により異なり、土中の[[窒素]]分の条件でも変化する。 四季成り性品種では人工的な休眠は行われない。 ==== 日本の主な生産地と品種 ==== 日本のいちごは品種は世界全体の品種の半分以上が日本のものだという説もあり、2019年時点で約300種、以降も新品種が続々と誕生している{{R|あふ1912_1}}。 [[1899年]]に発表された[[福羽いちご]]が日本でのイチゴ品種の第一号である。以降、多数の品種が開発され、栽培されている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=212}}。 第二次世界大戦以前は、上記の福羽いちごを除けば輸入種による栽培が主体であった。第二次世界大戦後は,1950年前後から戦前からのイチゴ産地で生産が復興しはじめると共に、新たな産地も誕生していった<ref name="林">{{Cite journal|和書|format=PDF|url=https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/8623/scs05p139.pdf|website=[[九州大学]]|title=日本におけるイチゴ品種の普及 : 女峰ととよのかを事例として|author=林秀司|journal=比較社会文化|issue=5|year=1999|pages=139-149|doi=10.15017/8623|accessdate=2023-02-21}}</ref>。当初は主に露地栽培が行われており、マーシャル、幸玉などいろいろな品種が栽培されていた{{R|林}}。マーシャルは「アメリカ」とも呼ばれた品種であるが来歴は不詳である{{R|林}}。幸玉は1940年頃に育成された品種で「八雲」とも呼ばれ、北海道から九州まで広い範囲で栽培されていた{{R|林}}。幸玉は酸味が少ないことから「砂糖イチゴ」とも呼ばれていた{{R|林}}。マーシャル、幸玉のどちらも露地栽培用の品種であった{{R|林}}。民間育成品種である[[堀田ワンダー]](1957年)、農林省園芸試験場久留米支場で育成された[[紅鶴]]なども農業用ビニールによるトンネルを用いた半促成栽培や促成栽培では用いられていた{{R|林}}。 1949年(昭和24年)頃にアメリカ合衆国カリフォルニア州より[[ダナー (イチゴ)|ダナー]](Donner)が輸入される{{R|林}}。最初は[[千葉県]][[市川市]]で栽培されていたが、品質が良かったことから全国的に広がり、それまでの主要品種であった幸玉にとって代わった{{R|林}}。西日本では1960年(昭和30年)に兵庫県で育成された[[宝交早生]]も普及した<ref>{{Cite book|和書|page=150|chapter=日本育成品種のうつりかわり|title=図説果物の大図鑑|year=2016|publisher=[[マイナビ出版]]|isbn=978-4839953843}}</ref>。 昭和50年代以降、東日本は[[女峰]](1985年)、西日本では[[とよのか]](1984年)と2大品種が生産量の上位を占める時期が長らく続いた<ref name="金丸">{{Cite web|和書|format=PDF|url=http://www.banraisya.co.jp/kanamaru/data/workshop/pdf/workshop2009062501.pdf|title=いちごの話|website=金丸弘美のスローライフ|author=金丸弘美|authorlink=金丸弘美|accessdate=2023-02-21}}</ref>。やがて、東日本では女峰に代わって[[とちおとめ]]が急速に増え、西日本でもとよのかに代わって[[さがほのか]]、[[あまおう]]、[[さちのか]]へと品種更新が進んでいる{{R|金丸}}。2007年時点では日本国内のJA系統の販売作付け面積では最多の34パーセントがとちおとめ、次いで15ペーセントがさがほのかであり、この2品種で全体の半分を占める{{R|金丸}}。以下、あまおう(11%)、さちのか(10%)、[[とよのか]](8%)、[[章姫]](7%)、女峰(1%)と続いている{{R|金丸}}。 2009年2月2日の時点では登録品種は157種<ref>{{Cite web|和書|date=2009-02-02 |url=http://www.hinsyu.maff.go.jp/maff/hinshu.nsf/enumber-list-i?OpenView&Start=1&Count=30&Expand=3.3#3.3 |title=品種登録一覧 【写真画像付き一覧】 |publisher=[[農林水産省]] |language=日本語 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090202111815/http://www.hinsyu.maff.go.jp/maff/hinshu.nsf/enumber-list-i?OpenView&Start=1&Count=30&Expand=3.3 |archivedate=2009-02-02 |accessdate=2012-04-30}}</ref>。2016年11月14日の時点では、登録品種は258種、そのうち登録維持されているのは129種<ref>[http://www.hinsyu.maff.go.jp/vips/cmm/apCMM110.aspx?MOSS=1 品種登録データ検索] 農林水産省、品種登録データ検索での検索結果。2016年11月14日時点。</ref>。日本産イチゴはほとんどが甘味の強い生食用で、栃木県、福岡県など各地で、新品種が生まれている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=184}}。大粒の九州産「[[とよのか]]」、実がしっかりしている栃木産の「[[とちおとめ]]」、酸味が控えめの静岡産「[[章姫]]」、香りが強くほどよい酸味の「[[紅ほっぺ]]」、大粒品種の「[[あまおう]]」など、それぞれに特徴を持たせた品種がよく知られる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=212}}。 各県独自品種の開発競争は2000年代に始まり、福岡県のあまおうがいち早くブランドを確立している<ref name="高梨">{{Cite news|newspaper=[[日本農業新聞]]|url=https://www.agrinews.co.jp/news/index/130310|date=2023-01-15|title=新世代台頭”イチゴ戦国時代” 各県が独自品種投入 産出額10年で2割増|author=高梨森香|accessdate=2023-02-21}}</ref>。イチゴの国内産出額は2010年から2020年にかけて21パーセント上昇し、1809億円となっている{{R|高梨}}。イチゴ農家の高齢化や作付け面積の減少もあるなか、農家の所得確保と県産ブランド力の向上につながる独自品種の導入は一層期待が高まっている{{R|高梨}}。 イチゴの収穫量上位15県と生産品種は以下の通り(2019年時点){{R|あふ1912_1}} # [[栃木県]] #: [[とちおとめ]]、[[とちひめ]] # [[福岡県]] #: [[あまおう]] # [[熊本県]] #: [[ゆうべに]]、[[ひのしずく]] # [[静岡県]] #: [[紅ほっぺ]]、[[きらぴ香]] # [[長崎県]] #: [[ゆめのか]] # [[愛知県]] #: [[章姫]] # [[茨城県]] #: [[とちおとめ]] # [[佐賀県]] #: [[いちごさん]] # [[千葉県]] #: [[とちおとめ]] # [[宮城県]] #: [[もういっこ]] # [[群馬県]] #: [[やよいひめ]] # [[埼玉県]] #: [[とちおとめ]] # [[香川県]] #: [[さぬきひめ]] # [[宮崎県]] #: [[さがほのか]] # [[愛媛県]] #: [[紅ほっぺ]] 品種については[[:Category:イチゴの品種]]も参照のこと。 ==== 日本での流通 ==== 本来は初夏(5 - 6月)が露地栽培品の[[旬]]であるが、1990年代以降は[[クリスマス]][[ケーキ]]の材料としての需要が高まる12月から年末年始にかけて出荷量が最も多くなる傾向がある。逆に、5月を過ぎると流通量と生産量は減る。秋口は露地栽培品とハウス栽培品は端境期であるため、生食用のイチゴはほぼ全量を輸入に頼っているが時間や鮮度の問題があるため、青森県の下北地方では端境期を狙ったイチゴ栽培が盛んになっている<ref>[https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190917/k10012085451000.html?utm_int=detail_contents_tokushu-business_004 ビジネス特集 商機は端境期にあり! 本州最北端のイチゴ] - [[日本放送協会|NHK]]</ref>。 日本の生鮮イチゴの主な輸入元は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で、ついで[[ニュージーランド]]、[[オーストラリア]]である。冷凍イチゴの主な輸入元は[[中華人民共和国|中国]]で、その他[[タイ王国|タイ]]、[[メキシコ]]、[[オランダ]]、[[チリ]]などから輸入されている。生鮮イチゴ、冷凍イチゴの輸出国世界1位は[[ポーランド]]であり、生鮮イチゴの1年の輸出量は20万トン、冷凍イチゴの輸出高は8400万ドルに及ぶ。[[大韓民国|韓国]]も主な輸入先だったが、後述する事件の余波もあり、今日では輸入量は激減している。 === 韓国における日本産品種の栽培 === 韓国における日本産品種のイチゴの栽培に関して、日本側が日本の育成者権を侵害しているとして問題視している<ref name=maff>{{PDFLink|[https://web.archive.org/web/20220315052809/https://www.maff.go.jp/j/kanbo/tizai/brand/b_renkei/02/pdf/data3.pdf 日本国 農林水産省 第2回 農林水産省・経済産業省知的財産連携推進連絡会議 配布資料3 農林水産省における平成20年度知的財産関連施策の概要(平成20年3月)p.24]}}</ref>。 2000年代の[[大韓民国]]でのイチゴ生産の多くは、日本で開発された[[レッドパール]]、[[章姫]]などといった品種であったが<ref name="松本他2008">{{Cite journal|和書|author=松本和浩, 李忠峴, 千種弼, 金泰日, 田村文男, 田辺賢二, 黄龍洙 |year=2008 |title=韓国産イチゴ新品種の特性と貯蔵性の品種間差異 |journal=園芸学研究 |volume=7 |issue=2 |pages=293-297 |publisher=園芸学会 |url=https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010752416 |language=日本語 |naid=110006649720 |doi=10.2503/hrj.7.293 |accessdate=2020-06-11}}</ref>、これらは日本側に無断で韓国に持ち出されたり無断で増殖されたものであった。例えばレッドパールと章姫は1990年代に日本の育成者が韓国の一部の生産者に生産と販売を許諾したが、 韓国内で種苗が無断増殖されてその収穫物が日本に輸入されて販売されており、[[とちおとめ]]は日本から韓国に無断で持ち出されて増殖されてその収穫物が日本に輸入されて販売されていた。これらに対して日本側はレッドパールに関しては日本側の育成者が輸入業者を相手に裁判を起こし、輸入を取りやめることなどを条件に和解しているが、韓国内では2008年時点で無断栽培が横行中であった<ref name=maff/><ref>[https://web.archive.org/web/20220201055018/https://www.zakzak.co.jp/article/20220111-BQZPWIPSVVKRHAEHQOSRAG6G4U/ 韓国に流出した日本産イチゴ、生産者が激白「契約前にすでに流通」 現地メディアは〝自国産〟と意気揚々に報道 「新品種育成」まで権利及ばず] SANKEI DIGITAL 2022年1月11日</ref>。 イチゴの栽培に関しては[[植物新品種保護国際同盟]] (UPOV条約) により[[知的財産]]の概念が導入されており、該当品種栽培が権利化された国で販売する場合、栽培者はその品種の開発者に対して栽培料(ロイヤリティ)を支払うこととなっている。UPOV条約では条約批准国は10年以内に全植物を保護の対象としなければならないと定められている。韓国は2002年にUPOV条約に批准しており、日本側は韓国側に累次に渡りイチゴを含めた全植物の保護をできるだけ早く実行するよう要請したが、韓国はこの要請を無視し続けた。韓国は当初は2006年までにイチゴを保護対象とすることを表明したが、後に2009年に延長し、2009年にイチゴを除く全植物を保護対象とし、2012年の最終年になってようやくイチゴを保護対象とした。この間、韓国の生産者は日本側にロイヤリティーを支払わずに韓国で生産した日本産品種を日本に輸出していた<ref>[https://web.archive.org/web/20220310201728/https://www.maff.go.jp/j/kanbo/tizai/brand/kentoukai/attach/pdf/3siryou-6.pdf 国内育成品種の海外への流出状況について p.2] 農林水産省</ref><ref name=maff/>。 2012年には韓国でもイチゴを含む全植物が保護対象となるのだが、日本から流出した品種、[[章姫]]、[[レッドパール]]、[[とちおとめ]]等を交配して、[[雪香]]、[[苺香]]、[[錦香]]等が開発され、2012年に韓国内で品種登録された{{R|松本他2008|maff}}。韓国の[[聯合ニュース]]は「韓国で開発したイチゴ新品種の国内栽培比が日本品種を追い越した」「国内品種の栽培率が高まったのは、日本品種に比べておいしい上に収穫量が多く、病害虫に強くて栽培技術も安定化されたため」と報じた<ref>{{Cite news |title={{lang|ko|국산딸기 재배율 56.4%‥일본품종 추월}} |author={{lang|ko|이은파}} |newspaper=[[聯合ニュース]] |publisher=Yonhapnews |date=2009-10-20 |url=http://www.yonhapnews.co.kr/economy/2009/10/20/0302000000AKR20091020110800063.HTML?template=2089 |accessdate=2012-04-30 |language=韓国語}}</ref>。実際、2010年代の韓国産品種の輸出量は日本産品種の輸出量を圧倒しており、[[農林水産省]]は日本産品種を交配して作られた韓国産品種がアジア市場に流れたことにより、日本のイチゴ業界は5年間で最大220億円分の輸出機会を失ったと推計している<ref>[https://web.archive.org/web/20171222052407/http://www.yomiuri.co.jp/economy/20171217-OYT1T50088.html 「とちおとめ」韓国に海賊版…勝手に交配し輸出]『[[読売新聞]]』朝刊2017年12月18日{{リンク切れ|date=2022-07-29}}</ref>。ちなみに、2006年の日本の韓国産イチゴの輸入量は2001年に比較して12%まで減少した<ref name="松本他2008"/>。その後、事件の余波もあり2016年時点は1%程度にまで落ちている。 これらの問題を受け、[[2020年]]の[[種苗法]]改正の動きとなった。[[種苗法#令和2年の一部改正]]参照。 === 植物工場での栽培 === [[日清紡ホールディングス]]が[[2011年]]に完全制御型[[植物工場]]による1万株規模のいちご栽培を国内で初めて成功させたのち、栽培設備を各地の事業所に導入して生産を拡大させた<ref>{{Cite web|和書|title=日清紡ホールディングス,植物工場で生産したいちごを関東・東海に今秋から出荷|url=http://www.optronics-media.com/news/20130605/7633/|website=OPTRONICS ONLINE|date=2013-06-05|accessdate=2019-03-04}}</ref>。2013年には新潟の建設会社が「いちごカンパニー」を設立<ref>{{Cite web|和書|title=建設会社がイチゴ栽培「品質と収穫量保証します」|url=https://www.sankei.com/article/20180927-25MYI4UHQRIXJAWAHWCGKRXNVE/|website=『[[産経新聞]]』|date=2018-09-27|accessdate=2019-03-04}}</ref>、2014年には[[ローム]]が参入<ref>{{Cite web|和書|title=植物工場へ参入続々――ローム、福岡でイチゴ、センサー駆使、収量7〜10倍に。|url=https://messe.nikkei.co.jp/ld/news/128821.html|website=LED NEXT STAGE(日経メッセ)|date=2014-09-04|accessdate=2019-03-04}}</ref>、2017年には技術提供を受けた[[沖縄セルラー電話]]が[[沖縄県]][[大宜味村]]でイチゴの植物工場を操業開始し、[[美ら島ベリー]]のブランド名で販売している<ref>{{Cite news|newspaper=[[日本経済新聞]]|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLZO19839910Z00C17A8LX0000/|title=沖縄セルラー、植物工場でイチゴ栽培 「美ら島ベリー」と命名|date=2017-08-09|accessdate=2022-07-19}}</ref>。2018年には[[NTT西日本]]・NTTスマイルエナジーがトライアルを開始<ref>{{Cite web|和書|title=「いちご植物プラント」の高度化に向けたトライアル及びパートナー事業者様募集について {{!}} NTTスマイルエナジー|url=https://nttse.com/pressrelease/2018/12-13/1159/|website=NTTスマイルエナジー - ~みんなで創る笑顔のエネルギー社会を目指して~|date=2018-12-13|accessdate=2019-06-14|language=ja}}</ref>するなど、業者が拡大している。 アメリカにも日本系の「Oishii Farm」が[[ニュージャージー州]]に初のイチゴ植物工場を設立した<ref>{{Cite web|和書|title=日本人が作った米国初のイチゴ植物工場|url=https://plus.paravi.jp/business/002347.html|website=プラスパラビ|date=2019-02-26|accessdate=2019-03-04}}</ref>。 == 参考画像 == <gallery> Fragaria ,Strawberry イチゴ とよのか 4115995.JPG|日本でのイチゴの代表的品種「[[とよのか]]」 Momo-ichigo Tokushima ももいちご1222440.JPG|徳島県のわずか30数軒の[[農家]]で栽培されるという「ももいちご」 Sachinoka Strawberry 17490011 org.v1369282207.jpg|福岡県産「さちのか」 Hatsuga.jpg|花托表面の痩果が個々に発芽した様子 </gallery> == 自治体の果実 == * [[栃木県]][[鹿沼市]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|40em|refs= <ref name="あふ1912_1">{{Cite journal|和書|publisher=[[農林水産省]]|url=https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1912/spe1_01.html|title=いちごの品種、増加中!|journal=aff(あふ)|year=2019|volume=19年12月号|accessdate=2023-02-20}}</ref> }} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author =猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|title = かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典|date=2012-07-10|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30997-2|pages =184 - 185|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =主婦の友社編|title = 野菜まるごと大図鑑|date=2011-02-20|publisher = [[主婦の友社]]|isbn=978-4-07-273608-1|pages =212 - 213|ref=harv}} * {{Cite book |和書 |author=農文協編|year=2016 |title=イチゴ大事典 |publisher=農山漁村文化協会|ISBN=9784540151538|ref=農文協2016}} == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|果物|[[画像:Illustration des fruits en pays Bassa.jpg|50px|Portal:果物]]}} * [[福羽逸人]] * [[仁井田一郎]] - 栃木県におけるイチゴ栽培の指導者 * [[ストロベリームーン]] == 外部リンク == {{Commons&cat|Strawberry|Strawberries}} {{Commons|Fragaria × ananassa|オランダイチゴ}} {{Wikispecies|Fragaria × ananassa|オランダイチゴ}} {{Wiktionary|いちご|苺|イチゴ|オランダイチゴ}} * [http://www.pref.nara.jp/nogyos/nousou/midori-mini/02keicyoubaiyougijyutsuwomochiitauirusufurinaenozousyoku.htm 茎頂培養技術を用いたウイルスフリー苗の増殖] / [http://www.pref.nara.jp/nogyos/nousou/byoucyugai/ichigo-d/ichigo-d.htm イチゴの病害] [[奈良県農業技術センター]] * [http://www.cik.co.jp/noubi@home/mame13.html イチゴの基本的な栽培方法] {{ja icon}} - 農業豆知識 * [http://mitizane.ll.chiba-u.jp/meta-bin/mt-pdetail.cgi?cd=00078885 オランダイチゴの標本](長野県北佐久郡[[軽井沢町]]で1983年5月27日に採集、[[千葉大学]]附属[[図書館]]) {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:いちこ}} [[Category:果物]] [[Category:イチゴ|*]] [[Category:オランダイチゴ属]] [[Category:夏の季語]] [[Category:春の季語]]<!--花-->
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%B4
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ダイコン
ダイコン(大根、蔔、学名:Raphanus sativus var. hortensis)は、アブラナ科ダイコン属の越年草で、野菜として広く栽培される。 地中海または中央アジアの地域が原産といわれており、日本、中国、ヨーロッパなど各地で主に肥大した根を食用とするほか、葉も食材となり、種子から油を採ることもある。根の部分は淡色野菜、葉は緑黄色野菜である。 多くの品種があり、根の長さ・太さなどの形状が多様。日本では白い皮の品種が主流だが、赤、緑、紫、黄、黒などのさまざまな色があり、地域によっては白よりも普通である。 日本においても品種・調理法とも豊富で、世界一大きくて重い桜島大根、世界一長い守口ダイコンなどの種類があり、日本人の食卓(鍋料理・おでん・沢庵等)には欠かすことのできない野菜となっている。葉はビタミンAを多く含み、青汁の原料として使われる。汁はビタミンCやアミラーゼを多く含む。野菜としての位置づけにおいては、春の七草の一つ「すずしろ」であり、薬味や煮込み料理にも使われるなど、利用の幅は広い。薬草としても扱われ、消化酵素を含有することから、血栓防止作用や解毒作用がある。 古くは「大きな根」の意味で「おほね」(現代かなづかいで書けば「おおね」)と呼び、「大根」の字を当てていたものが、いつしか音読みされて「だいこん」で通るようになった。したがって「大根」は日本以外では通用しない。日本のダイコンは根茎部分が白い品種で、春の七草などにおいてはすずしろ(清白)とも呼ばれる。 中国語名は蘿蔔(luóbo ルオポ、簡体字:萝卜)または白蘿蔔(báiluóbo パイルオポ、白萝卜)。欧米では一般的ないわゆる radish とは種類が異なるため、英語:daikon radish、フランス語:radis blanc、イタリア語:ravanello giapponese のように形容語を冠して区別している。ちなみに radish, radis などはラテン語で根を意味する radix に由来する。 学名においては、標準学名が Raphanus sativus var. hortensis 、広義には Raphanus sativus 、シノニムは、Raphanus acanthiformis や、Raphanus sativus var. longipinnatus としている。 野菜として栽培される越年草。いわゆる大根とよばれる肥大部は茎と根からなり、品種によって地上に伸び上がるものと、ほとんど地中にあるものがある。根出葉は束生し、倒披針形で羽状に深く裂ける羽状複葉で、頂小葉は大きく、ふつう粗い毛がある。太い主根は主軸が肥大して食用となる。 花期は春で、地上茎が約1メートル (m) ほど立った先に総状花序をつけ、アブラナ属と似た白色または淡紫色の十字状の花をややまばらに付ける。果実は長さ4 - 6センチメートル (cm) で、多数のくびれがあり、くびれ毎に1個ずつ赤褐色の種子が中に入り、種子数はアブラナ属より少ない。 茎は、葉の付け根の低い三角錐部分で、食用にされない。また、一般的に根と呼ばれる食用部分のうち地上部分は、発生学的には根ではなく胚軸に由来する中間的な性質を持っている。青首大根では特に目立ち、ジャガイモ同様、光に応じて葉緑体を発達させる茎の性質を示している。 茎、胚軸、根の区別は道管の位置で区別できるが、ヒゲ根(二次根)でも見分けられる。根の部分は両側一列ずつ二次根が発生し、店先のダイコンではその痕跡がくぼんだ点の列として観察できる。 アブラナ属のカブ(蕪)では、丸く肥大する食用部分が胚軸で、根はヒゲ根となって食用にされない。 ダイコンの野生種は見つかっておらず原産地は確定されていないが、地中海地方や中東など諸説ある。栽培種は中央アジアが起源地のひとつと考えられている。紀元前2200年の古代エジプトで、今のハツカダイコンに近いものがピラミッド建設労働者の食料とされていたのが最古の栽培記録とされ、その後、ユーラシアの各地へ伝わる。中国では西城から伝わったとみられ、紀元前4世紀にはすでに記録がある。ヨーロッパ各地への普及は、15世紀になってからイギリスで栽培されるようになり、フランスでは16世紀ごろから栽培が始められた。 日本には弥生時代には伝わっており、奈良時代の歴史書『日本書紀』にも記され、仁徳天皇の歌に「於朋泥」(おほね)として登場するのが最も古い記録である。平安時代中期の『和名類聚抄』巻17菜蔬部には、園菜類として於保禰(おほね)が挙げられている。一般に食べられるようになったのは江戸時代からで、江戸時代前期にはいくつかの品種が成立し、その栽培法が確立しており、関東の江戸近郊である板橋、練馬、浦和、三浦半島辺りが特産地となり、その中で練馬大根は特に有名であった。凶作時や冬場の保存食としても重要で、漬物や切り干しなどの加工法が地方ごとにさまざまに工夫されていった。 栽培種も変種 R. sativus var. longipinnatus として扱われるが、原種ははっきりしていない。染色体はn=9で、アブラナ属の多くの野菜と同様自家不和合性を持ち、交雑しやすい。変異を生じやすいアブラナ科に属する上、気温適応性の幅も広いため、品種が多い。根茎の色も多様で、外皮も内部も白い種類をはじめ、外皮が緑色で内部が白色の種、外皮が赤色で内部が白色の種、外皮も内部も赤色の種、外皮が黒く内部が白色の種などがある。その大きさも幅があり、重さ30kgを超える桜島大根のような種から、わずか10g程度のハツカダイコン(ラディッシュ)まである。 遺伝的研究から、日本のダイコンはヨーロッパ系統、ネパール系統とは差が大きく、中国南方系統に近い事が確認されている。 日本の東北大学などは世界各地のダイコン500品種のゲノム情報を分析・公開した。その研究によると、各品種は4つのグループに大別され、日本産は独自のグループを形成していることが判明した。 なお、アカザ科のテンサイ(甜菜)を形状と用途から「サトウダイコン」(砂糖大根)と呼ぶが、テンサイはアカザ科フダンソウ属であるのに対して、大根はアブラナ科ダイコン属と目レベルで異なる縁遠い種である。 色が白くクビが青い青首大根が日本で最も多く出ている品種であるが、日本各地には在来種が数多くあり、赤や赤紫の種や、その土地ならではの大根を使った漬物など名産品もある。特に九州南部は独自性が強いとされている。桜島大根や三浦大根、練馬大根などは、サイズが不揃いで流通に不都合な面があったため、全国的に出回る量は少ない。 日本の在来種は、1980年の文献には、全国で110品種が記録されているが、都市部の人口集中によって流通が発達したことに伴い、青首大根などの一部の品種が大半を占めるようになり、在来種の衰退が著しい。しかし、練馬、三浦のような長根種から、桜島、聖護院のような丸大根、守口のような特に細長いものや、辛味の強い品種などの特徴がある地方品種が今も守られている。 栽培、統計上は春だいこん、夏だいこん、秋冬だいこんに区分され、秋冬が全体の7割を占め、春と夏が残りを分け合う。冬野菜の代表格とも評されているが、夏場は北海道や東北地方でも作られるため、1年を通して出回っている。冬は暖地、夏は寒冷地の出荷量が多く、季節ごとに栽培地に適した品種が出荷される。 全国的に生産されているが、収穫量が多いところは千葉県、北海道、青森県、神奈川県で、4道県合わせて全国生産量の4分の3以上を占める。岩手県や茨城県、四国の徳島県、九州の宮崎県、鹿児島県も主要産地に挙げられている。平成22年度生産量は全国で117万トン。日本のダイコン生産量は作付面積、収穫量とも減少傾向にある。 栽培時期は、春に種まきして夏に収穫する「春まき」と、初秋に種まきして初冬に収穫する「秋まき」がある。秋まきのほうがとうが立ちにくく作りやすい。栽培適温は15 - 25°Cとされ、連作することができる。移植を嫌うため、畑に直接種をまいて、間引きながら育てる。畑となる土壌に石などが混じっていると根がまっすぐに伸びないため、取り除いておくことが重要になる。発芽したら生育のよいものを残すように間引きを行い、土寄せを行いつつ追肥も行う。また間引いた葉は、葉ダイコンとして青菜と同様に食べることができる。根茎が生長して太ってきたら収穫期で、抜き取って収穫する。収穫が遅れると、根茎の表面に亀裂が入る場合もある。 根茎の内部がスカスカになる鬆入り(すいり)現象は栽培条件と品種が大きく影響している。根茎の急激な肥大に対し細胞の増殖が追従出来ないと生じ易いと報告されている。 大根おろしやサラダで生食したり、煮たり漬物にしたりして食べたりと馴染みのある野菜で、肥大した根茎は淡色野菜、葉は緑黄色野菜に分類される。野菜としての旬は11 - 3月で、特に冬の大根は甘味が増す。大根は皮に傷がなくて光沢があるものが良品とされ、葉は鮮やかな緑色でみずみずしいものがよい。栄養面では、ビタミンC、カリウム、カルシウム、食物繊維のほか、デンプンを分解する消化酵素を含む。 調理法で、大根の皮を剥くときには皮の下の筋が固いため、やや厚めに剥く。煮物にする場合には下茹でをすると苦味が取れ、米のとぎ汁か米を加えた熱湯で茹でると色が白く仕上がる。大根料理の幅は広く、刺身のつま、膾、大根おろしにして天ぷらや焼き魚などに添える、煮物、酢の物、汁の実などあらゆる料理に向いている。葉は漬物や炒め物に、皮は天日干しして炒め煮などに利用する。 主に生食または加熱調理される。保存用に漬け物、乾物とされるほか、辛みを生かして香辛料ともなる(辛み成分はアリルイソチオシアネート といい、からしやマスタードと同じ成分である) 品種によって一概には言えないものの、たとえば青首大根は部位によって味わいが違うといわれ、クビとよばれる葉に近い部分は汁が多くて甘味があり、サキとよばれる先端部分は汁が少なく辛味がある。このため好みにもよるが、クビの部分は生でサラダや大根おろしに、中央部は固いことからおでんやふろふき大根などの煮込み料理に、またサキは炒め物や味の濃い料理、刻んで汁の実などというように、部位によって特質に合わせた使われ方もなされている。 栄養価が高く、春の七草のスズシロ(清白)でもある。おひたし、味噌汁の具、漬物として用いられる。炒め物にして食べると栄養の吸収が良いといわれる。また、カブの葉同様、刻んで飯に炊き込んだものは菜飯となる。 日ごとに葉が枯れてきてしまうため、入手できたら新鮮なうちに切り落として調理する方がよい。灰汁(アク)があるため、細かく刻んだら水につけてアクや青臭みを抜いて調理する。 大根(根茎部)は、約95%が水分で、炭水化物が少量含まれるだけで、タンパク質も脂質もわずかで、熱量は100グラムあたり18キロカロリー (kcal) と極めて少ない。ごく少量の炭水化物には、ブドウ糖、蔗糖、果糖などの甘味成分が含まれていることから、加熱調理すると辛味が消えて、わずかな甘味を感じることができる。ビタミン・ミネラル類は、脂溶性ビタミン(ビタミンA、ビタミンD、ビタミンE、ビタミンK)を除けば、全体的にバランスよく含んでいて、皮を剥かないですりおろしたものであればビタミンC、カリウム、食物繊維を豊富に含む。特にクビに近いところでは、ビタミンCや食物繊維が豊富である。また一方では、取り立ててたくさん含んでいる栄養素は見当たらず、食物繊維もそれほど多くはないが、冬場はたくさん食べる機会が多い食材であるから、食物繊維のとてもよい供給源になっているという評価もされている。 根茎には消化酵素であるアミラーゼ(別名:ジアスターゼ)、タンパク質を分解するプロテアーゼを多く含み、アミラーゼはデンプンの消化促進に役立つ。アミラーゼは消化不良を解消し、胃酸の出を調整して胃もたれや胸焼け防止の働きがあるといわれる。これら栄養素は、加熱や酸化に弱い性質があるため、大根おろしやサラダなどにして、生ですぐに食べる方が効果的に摂取できる。 葉の部分は緑黄色野菜で、β-カロテン(ビタミンA)、ビタミンC、カルシウム、カリウム、鉄分などが豊富に含まれている。カルシウム、鉄、カリウムなどのミネラル類は、根茎部の2 - 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5グラムを400 ccの水で煎じて3回に分けて服用すると、咳、食べ過ぎに効果があるといわれる。 風通しのよいところで陰干しにした葉は浴湯料に使え、刻んで布袋に入れて風呂に入れる干葉湯(ひばゆ)にして、冷え症、神経痛、保温に役立てられる。 大根は、生でも煮ても焼いても消化が良く、食当たりしないので、何をやっても当たらない役者を「大根役者」と呼ぶ。同じ理由で、なかなか当たりを打てない野球の打者を「大根バッター」とも呼ぶ。また極端なダウンスイングのことを大根おろしに掛けて「大根切り」という。 東京農業大学の応援歌「青山ほとり」は一般に「大根踊り」の名で知られている。
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25°Cとされ、連作することができる。移植を嫌うため、畑に直接種をまいて、間引きながら育てる。畑となる土壌に石などが混じっていると根がまっすぐに伸びないため、取り除いておくことが重要になる。発芽したら生育のよいものを残すように間引きを行い、土寄せを行いつつ追肥も行う。また間引いた葉は、葉ダイコンとして青菜と同様に食べることができる。根茎が生長して太ってきたら収穫期で、抜き取って収穫する。収穫が遅れると、根茎の表面に亀裂が入る場合もある。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "根茎の内部がスカスカになる鬆入り(すいり)現象は栽培条件と品種が大きく影響している。根茎の急激な肥大に対し細胞の増殖が追従出来ないと生じ易いと報告されている。", "title": "生産" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "大根おろしやサラダで生食したり、煮たり漬物にしたりして食べたりと馴染みのある野菜で、肥大した根茎は淡色野菜、葉は緑黄色野菜に分類される。野菜としての旬は11 - 3月で、特に冬の大根は甘味が増す。大根は皮に傷がなくて光沢があるものが良品とされ、葉は鮮やかな緑色でみずみずしいものがよい。栄養面では、ビタミンC、カリウム、カルシウム、食物繊維のほか、デンプンを分解する消化酵素を含む。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "調理法で、大根の皮を剥くときには皮の下の筋が固いため、やや厚めに剥く。煮物にする場合には下茹でをすると苦味が取れ、米のとぎ汁か米を加えた熱湯で茹でると色が白く仕上がる。大根料理の幅は広く、刺身のつま、膾、大根おろしにして天ぷらや焼き魚などに添える、煮物、酢の物、汁の実などあらゆる料理に向いている。葉は漬物や炒め物に、皮は天日干しして炒め煮などに利用する。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "主に生食または加熱調理される。保存用に漬け物、乾物とされるほか、辛みを生かして香辛料ともなる(辛み成分はアリルイソチオシアネート といい、からしやマスタードと同じ成分である)", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "品種によって一概には言えないものの、たとえば青首大根は部位によって味わいが違うといわれ、クビとよばれる葉に近い部分は汁が多くて甘味があり、サキとよばれる先端部分は汁が少なく辛味がある。このため好みにもよるが、クビの部分は生でサラダや大根おろしに、中央部は固いことからおでんやふろふき大根などの煮込み料理に、またサキは炒め物や味の濃い料理、刻んで汁の実などというように、部位によって特質に合わせた使われ方もなされている。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "栄養価が高く、春の七草のスズシロ(清白)でもある。おひたし、味噌汁の具、漬物として用いられる。炒め物にして食べると栄養の吸収が良いといわれる。また、カブの葉同様、刻んで飯に炊き込んだものは菜飯となる。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "日ごとに葉が枯れてきてしまうため、入手できたら新鮮なうちに切り落として調理する方がよい。灰汁(アク)があるため、細かく刻んだら水につけてアクや青臭みを抜いて調理する。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "大根(根茎部)は、約95%が水分で、炭水化物が少量含まれるだけで、タンパク質も脂質もわずかで、熱量は100グラムあたり18キロカロリー (kcal) と極めて少ない。ごく少量の炭水化物には、ブドウ糖、蔗糖、果糖などの甘味成分が含まれていることから、加熱調理すると辛味が消えて、わずかな甘味を感じることができる。ビタミン・ミネラル類は、脂溶性ビタミン(ビタミンA、ビタミンD、ビタミンE、ビタミンK)を除けば、全体的にバランスよく含んでいて、皮を剥かないですりおろしたものであればビタミンC、カリウム、食物繊維を豊富に含む。特にクビに近いところでは、ビタミンCや食物繊維が豊富である。また一方では、取り立ててたくさん含んでいる栄養素は見当たらず、食物繊維もそれほど多くはないが、冬場はたくさん食べる機会が多い食材であるから、食物繊維のとてもよい供給源になっているという評価もされている。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "根茎には消化酵素であるアミラーゼ(別名:ジアスターゼ)、タンパク質を分解するプロテアーゼを多く含み、アミラーゼはデンプンの消化促進に役立つ。アミラーゼは消化不良を解消し、胃酸の出を調整して胃もたれや胸焼け防止の働きがあるといわれる。これら栄養素は、加熱や酸化に弱い性質があるため、大根おろしやサラダなどにして、生ですぐに食べる方が効果的に摂取できる。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "葉の部分は緑黄色野菜で、β-カロテン(ビタミンA)、ビタミンC、カルシウム、カリウム、鉄分などが豊富に含まれている。カルシウム、鉄、カリウムなどのミネラル類は、根茎部の2 - 10倍も含んでおり、ビタミン類では根には全く含まれていないカロテンが、ホウレンソウと同じくらい含まれている。野菜から摂りにくいとされるビタミンEも豊富で、ビタミンCも根茎部の数倍になる。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "加工品である切り干し大根は、100グラムあたりの栄養素量が多いところから「栄養の塊」と紹介されることがあるが、水分量が少ないためそのように見えるだけで一度にたくさん食べる機会がないので、過剰な期待はしないほうがよいとも言える。また、大根の芽を摘んだ貝割れ大根の場合では、ビタミン、ミネラルが豊富な緑黄色野菜であり、洗えばすぐに食べられるので、手軽で栄養補給に役立つ食材といわれる。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "葉付き大根はそのまま置くと、葉に養分がとられて栄養価が下がり、水分が失われ根にスが入るので、すぐに茎の根元(クビ)から葉を切り落として、根は切断面をラップで密封して冷蔵庫に立てて保存するとよい。葉は、その日のうちに水にさらすか、茹でるなどして、水気を切ってから保存袋に入れて冷蔵保存する。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "大根は雪の多い地域では雪中貯蔵も行われており、垂直に置く貯蔵法や雪中傾斜置き貯蔵などがある。", "title": "食材" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "いわゆる大根の部分(根茎)には、ヒドラドペクチン、アデニン、ヒスチジン、アルギニンを含んでおり、葉にはシスチン、アルギニン、リジン、精油などを含んでいる。根にはアミラーゼやオキシターゼという酵素が含まれ、アミラーゼは米などのデンプンを分解して胃もたれ、胸やけを解消するなど胃腸の働きを正常にし、オキシターゼは魚の焼け焦げに含まれることがある発がん性物質を解毒すると考えられている。辛味成分になっているイソチオシアネートは、肝臓の解毒作用を助け、がんの発生を抑制するといわれている。", "title": "薬効" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "薬用としての採集時期は11 - 12月ごろで、根茎も葉の部分も薬用にできる。薬用に天日で乾燥した種子は莱菔子(らいふくし)、生の根茎は莱菔(らいふく)とも称している。種子は身体を温める作用、根には身体を冷やす作用がある。", "title": "薬効" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "民間療法で、消化不良や食欲不振のときに、大根おろし汁を盃1杯ほど、朝夕2回食後に飲むか、食欲がないときは食前に飲むとよいといわれ、二日酔い、発熱、吐き気、胃弱のときは、皮付きの大根で大根おろしを作り、1日200 - 400 ccほど食べるとよいとされる。扁桃炎によるのどの痛みは、大根おろし汁でうがいして、さらにおろし汁で温湿布する。打ち身、捻挫などの打撲傷で腫れがあるときには、大根おろし汁で冷湿布して腫れを引かせる。大根おろしを水飴などと一緒に湯飲みに入れて、湯を注いで1日数回飲めば、たんきり、咳止めなどに効果があるといわれる。", "title": "薬効" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "種子は1日量3 - 5グラムを400 ccの水で煎じて3回に分けて服用すると、咳、食べ過ぎに効果があるといわれる。", "title": "薬効" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "風通しのよいところで陰干しにした葉は浴湯料に使え、刻んで布袋に入れて風呂に入れる干葉湯(ひばゆ)にして、冷え症、神経痛、保温に役立てられる。", "title": "薬効" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "大根は、生でも煮ても焼いても消化が良く、食当たりしないので、何をやっても当たらない役者を「大根役者」と呼ぶ。同じ理由で、なかなか当たりを打てない野球の打者を「大根バッター」とも呼ぶ。また極端なダウンスイングのことを大根おろしに掛けて「大根切り」という。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "東京農業大学の応援歌「青山ほとり」は一般に「大根踊り」の名で知られている。", "title": "文化" } ]
ダイコンは、アブラナ科ダイコン属の越年草で、野菜として広く栽培される。 地中海または中央アジアの地域が原産といわれており、日本、中国、ヨーロッパなど各地で主に肥大した根を食用とするほか、葉も食材となり、種子から油を採ることもある。根の部分は淡色野菜、葉は緑黄色野菜である。 多くの品種があり、根の長さ・太さなどの形状が多様。日本では白い皮の品種が主流だが、赤、緑、紫、黄、黒などのさまざまな色があり、地域によっては白よりも普通である。 日本においても品種・調理法とも豊富で、世界一大きくて重い桜島大根、世界一長い守口ダイコンなどの種類があり、日本人の食卓(鍋料理・おでん・沢庵等)には欠かすことのできない野菜となっている。葉はビタミンAを多く含み、青汁の原料として使われる。汁はビタミンCやアミラーゼを多く含む。野菜としての位置づけにおいては、春の七草の一つ「すずしろ」であり、薬味や煮込み料理にも使われるなど、利用の幅は広い。薬草としても扱われ、消化酵素を含有することから、血栓防止作用や解毒作用がある。
{{Redirect|大根}} {{生物分類表 | 名称 = ダイコン |色 = lightgreen | 画像 = [[ファイル:Daikon.Japan.jpg|200px|アオクビダイコン]] | 画像キャプション = アオクビダイコン | 分類体系 = [[APG III]] | 界 = [[植物界]] [[:w:Plantae|Plantae]] |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||Angiosperms}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||Eudicots}} |亜綱階級なし = [[バラ類]] {{Sname||Rosids}} |目 = [[アブラナ目]] {{Sname||Brassicales}}| | 科 = [[アブラナ科]] [[:en:Brassicaceae|Brassicaceae]] | 属 = [[ダイコン属]] ''[[:en:Raphanus|Raphanus]]'' | 種 = '''ダイコン''' ''R. sativus'' | 学名 = {{Snamei|Raphanus sativus}} {{AU|L.}} {{Snamei|var. hortensis}} {{AU|Backer}}(標準)<ref name="YList:0">{{YList |id=15532 |taxon=Raphanus sativus L. var. hortensis Backer |accessdate=2020-07-09 }}</ref> <!--Raphanus sativus L.(広義)<ref name="YList:1"/>--> |シノニム = * {{Snamei|Raphanus acanthiformis}} {{AU|Morel}} ex {{AU|Sisley}}<ref name="YList:2">{{YList |id=26685 |taxon=Raphanus acanthiformis Morel ex Sisley |accessdate=2020-07-09 }}</ref> * {{Snamei|Raphanus sativus}} {{AU|L.}} {{Snamei|var. longipinnatus}} {{AU|L.H.Bailey}}<ref name="YList:3">{{YList |id=23434 |taxon=Raphanus sativus L. var. longipinnatus L.H.Bailey |accessdate=2020-07-09 }}</ref> | 英名 = [[:en:Daikon|Daikon]]<br />[[:en:Japanese radish|Japanese radish]]<br />[[:en:Mooli|Mooli]] }} '''ダイコン'''('''大根'''、蔔、[[学名]]:''Raphanus sativus'' var. ''hortensis'')は、[[アブラナ科]][[ダイコン属]]の[[越年草]]で、[[野菜]]として広く[[栽培]]される。 [[地中海]]または[[中央アジア]]の地域が原産といわれており、[[日本]]、[[中国]]、[[ヨーロッパ]]など各地で主に肥大した[[根]]を食用とするほか、[[葉]]も食材となり<ref>[https://mainichi.jp/articles/20191110/ckp/00m/100/000000c 活用しないともったいない!「大根の葉」を使ったお弁当レシピ][[クックパッド]]ニュース/[[毎日新聞]](2019年11月10日配信)2020年1月21日閲覧</ref>、[[種子]]から[[油]]を採ることもある。根の部分は[[淡色野菜]]、葉は[[緑黄色野菜]]である。 多くの[[品種]]があり、根の長さ・太さなどの形状が多様。日本では[[白]]い[[皮]]の品種が主流だが、[[赤]]、緑、[[紫]]、[[黄色|黄]]、[[黒]]などのさまざまな色があり、地域によっては白よりも普通である。 [[日本]]においても[[品種]]・調理法とも豊富で、世界一大きくて重い[[桜島大根]]{{efn|name=Guinness|[[ギネス世界記録]]の「最も重い大根」に認定された大根は、桜島大根と青首大根を掛け合わせた品種である<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/1dac9da31c4dc938776165ee4c1123c4c0d71ef8 |title=「威信をかけた」世界一重い大根、ギネス認定 広島・尾道の万田発酵 |accessdate=2023-02-23 |date=2023-02-23 |publisher=中国新聞}}</ref><ref>{{Cite tweet|user=GWRJapan |number=1628314024474738688 |title=本日、万田発酵さんがギネス世界記録「最も重い大根」を更新 |date=2023-02-22 |accessdate=2023-02-23}}</ref>。[[広島県]][[尾道市]]の[[万田発酵]]が栽培したもので、記録は45.865kg。}}、世界一長い[[守口大根|守口ダイコン]]などの種類があり、日本人の食卓([[鍋料理]]・[[おでん]]・[[沢庵漬け|沢庵]]等)には欠かすことのできない[[野菜]]となっている。葉は[[ビタミンA]]を多く含み、[[青汁]]の[[素材|原料]]として使われる。汁は[[ビタミンC]]や[[アミラーゼ]]を多く含む<ref>[[伊沢凡人]]・会沢民雄『カラー版 薬草図鑑』([[家の光協会]] ISBN 4-259-53653-2)157ページ</ref>。野菜としての位置づけにおいては、春の[[七草]]の一つ「すずしろ」であり、[[薬味]]や[[煮込み]][[料理]]にも使われるなど、利用の幅は広い。[[薬草]]としても扱われ、[[消化酵素]]を含有することから、[[血栓]]防止作用や[[解毒]]作用がある。 == 名称 == 古くは「大きな根」の意味で「'''おほね'''」(現代かなづかいで書けば「おおね」)と呼び、「大根」の字を当てていたものが、いつしか音読みされて「'''だいこん'''」で通るようになった{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。したがって「大根」は日本以外では通用しない。日本のダイコンは[[根|根茎]]部分が白い品種で、[[春の七草]]などにおいては'''すずしろ'''{{sfn|貝津好孝|1995|p=100}}(清白)とも呼ばれる。 [[中国語]]名は蘿蔔(lu&oacute;bo ルオポ、[[簡体字]]:萝卜)または白蘿蔔(b&aacute;ilu&oacute;bo パイルオポ、白萝卜)。欧米では一般的ないわゆる radish とは種類が異なるため、[[英語]]:daikon radish、[[フランス語]]:radis blanc、[[イタリア語]]:ravanello giapponese のように形容語を冠して区別している。ちなみに radish, radis などは[[ラテン語]]で根を意味する radix に由来する{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。 [[学名]]においては、標準学名が {{Snamei|Raphanus sativus}}<!-- {{AU|L.}}--> {{Snamei|var. hortensis}}<!-- {{AU|Backer}}--> <ref name="YList:0"/>、広義には {{Snamei|Raphanus sativus}}<!-- L.--> <ref name="YList:1">{{YList|id=14328|taxon=Raphanus sativus L.|accessdate=2020-07-09}}</ref>、[[シノニム]]は、{{Snamei|Raphanus acanthiformis}}<!-- {{AU|Morel}} ex {{AU|Sisley}}--> <ref name="YList:2"/>や、{{Snamei|Raphanus sativus}}<!-- {{AU|L.}}--> {{Snamei|var. longipinnatus}}<!-- {{AU|L.H.Bailey}}--> <ref name="YList:3"/>としている。 == 特徴 == [[ファイル:daikon blossoms.jpg|thumb|200px|花が咲いた、畑のダイコン]] 野菜として栽培される[[越年草]]{{sfn|田中孝治|1995|p=190}}。いわゆる大根とよばれる肥大部は[[茎]]と[[根]]からなり、品種によって[[地上]]に伸び上がるものと、ほとんど[[地下|地中]]にあるものがある{{sfn|田中孝治|1995|p=190}}。[[根出葉]]は束生し、倒披針形で羽状に深く裂ける[[葉#単葉と複葉|羽状複葉]]で、[[葉#単葉と複葉|頂小葉]]は大きく、ふつう粗い毛がある{{sfn|田中孝治|1995|p=190}}。太い主根は主軸が肥大して食用となる。 花期は春で、地上茎が約1[[メートル]] (m) ほど立った先に[[総状花序]]をつけ、[[アブラナ属]]と似た白色または淡紫色の十字状の[[花]]をややまばらに付ける{{sfn|田中孝治|1995|p=190}}。[[果実]]は長さ4 - 6[[センチメートル]] (cm) で、多数のくびれがあり、くびれ毎に1個ずつ赤褐色の[[種子]]が中に入り{{sfn|田中孝治|1995|p=190}}、種子数は[[アブラナ属]]より少ない。 [[茎]]は、葉の付け根の低い三角錐部分で、食用は可能だが生食目的での利用はされない。また、一般的に[[根]]と呼ばれる食用部分のうち地上部分は、[[発生学]]的には根ではなく[[胚軸]]に由来する中間的な性質を持っている。[[青首大根]]では特に目立ち、[[ジャガイモ]]同様、光に応じて[[葉緑体]]を発達させる[[茎]]の性質を示している。 茎、胚軸、根の区別は[[道管]]の位置で区別できるが、ヒゲ根(二次根)でも見分けられる。根の部分は両側一列ずつ二次根が発生し、店先のダイコンではその[[痕跡]]がくぼんだ点の列として観察できる。 アブラナ属の[[カブ]](蕪)では、丸く肥大する食用部分が胚軸で、根はヒゲ根となって食用にされない<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nhk.or.jp/10min/rikaselect/13/index.html|title=植物の観察〜根|accessdate=2011-12-04|work=[[10min.ボックス]]|publisher=[[日本放送協会|NHK]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120118161224/http://www.nhk.or.jp/10min/rikaselect/13/index.html|archivedate=2012年1月18日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。 == 歴史 == ダイコンの野生種は見つかっておらず[[原産地]]は確定されていないが{{sfn|講談社編|2013|p=143}}、[[地中海]]地方や[[中東]]など諸説ある<ref name=cookeryscience1968.13.2_111>西貞夫、「[https://doi.org/10.11402/cookeryscience1968.13.2_111 野菜あれこれ(2)]」『調理科学』 13巻 2号 1980年 p.111-119, {{doi|10.11402/cookeryscience1968.13.2_111}}<!--url/論文タイトルと巻号情報に不整合が生じていた為、urlから得られた巻号情報に修正しました--></ref>。栽培種は[[中央アジア]]が起源地のひとつと考えられている{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。[[紀元前2200年]]の[[古代エジプト]]で、今の[[ハツカダイコン]]に近いものが[[ピラミッド]]建設労働者の食料とされていた{{sfn|講談社編|2013|p=143}}のが最古の栽培記録とされ、その後、[[ユーラシア]]の各地へ伝わる。中国では西城から伝わったとみられ、紀元前4世紀にはすでに記録がある{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。[[ヨーロッパ]]各地への普及は、15世紀になってから[[イギリス]]で栽培されるようになり、[[フランス]]では16世紀ごろから栽培が始められた{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。 [[file:Japanese_Edo_Daikon.jpg|thumb|200px|江戸時代後期の大根の再現展示([[深川江戸資料館]])]] 日本には[[弥生時代]]には伝わっており、[[奈良時代]]の歴史書『[[日本書紀]]』にも記され、[[仁徳天皇]]の歌に「於朋泥」(おほね)として登場するのが最も古い記録である{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=114}}{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。[[平安時代]]中期の『[[和名類聚抄]]』巻17菜蔬部には、園菜類として於保禰(おほね)が挙げられている。一般に食べられるようになったのは[[江戸時代]]からで{{sfn|主婦の友社編|2011|p=62}}、江戸時代前期にはいくつかの品種が成立し、その栽培法が確立しており{{sfn|講談社編|2013|p=143}}、[[関東]]の[[江戸]]近郊である[[板橋区|板橋]]、[[練馬区|練馬]]、[[浦和区|浦和]]、[[三浦半島]]辺りが特産地となり、その中で[[練馬大根]]は特に有名であった。凶作時や冬場の[[保存食]]としても重要で、[[漬物]]や[[切り干し大根|切り干し]]などの加工法が[[地方]]ごとにさまざまに工夫されていった{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。 == 変種 == [[ファイル:Hamadaikon 01.jpg|thumb|200px|ハマダイコンの花]] 栽培種も[[変種]] ''R. sativus'' var. ''longipinnatus'' として扱われるが、原種ははっきりしていない。[[染色体]]はn=9で、アブラナ属の多くの野菜と同様[[自家不和合性 (植物)|自家不和合性]]を持ち、[[交雑]]しやすい。変異を生じやすいアブラナ科に属する上、気温適応性の幅も広いため、品種が多い{{sfn|講談社編|2013|p=138}}。根茎の色も多様で、外皮も内部も白い種類をはじめ、外皮が緑色で内部が白色の種、外皮が赤色で内部が白色の種、外皮も内部も赤色の種、外皮が黒く内部が白色の種などがある{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。その大きさも幅があり、重さ30[[キログラム|kg]]を超える[[桜島大根]]のような種から、わずか10[[グラム|g]]程度の[[ハツカダイコン]](ラディッシュ)まである{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。 遺伝的研究から、日本のダイコンは[[ヨーロッパ]]系統、[[ネパール]]系統とは差が大きく、[[中国]]南方系統に近い<ref name="ref.01">{{Cite journal|和書|author=新倉聡, 松浦誠司 |title=日本の栽培ダイコンにおける自家不和合性遺伝子と自家不和合性程度の遺伝的変異 |url=https://doi.org/10.1270/jsbbr.1.211 |journal=育種学研究 |publisher=日本育種学会 |year=1999 |month=dec |volume=1 |issue=4 |pages=211-220 |naid=110001812534 |doi=10.1270/jsbbr.1.211 |issn=13447629}}</ref>事が確認されている。 日本の[[東北大学]]などは世界各地のダイコン500品種の[[ゲノム]]情報を分析・公開した。その研究によると、各品種は4つのグループに大別され、日本産は独自のグループを形成していることが判明した<ref>[https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2020/03/press20200327-02-%20Radish.html 世界のダイコン500品種のゲノム情報を公開]東北大学プレスリリース(2020年3月27日)2020年4月15日閲覧</ref>。 * '''[[ハツカダイコン]]''' (''R. sativus'' var. ''sativus'') *:別名ラディッシュともよばれ、収穫が早いことから「二十日大根」といわれる。根茎は直径は2 - 4&nbsp;cmほどの丸形や長丸形で、表面は鮮赤色をしている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}。サラダなどの彩りによく使われる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}。 * '''[[ハマダイコン]]''' (''R. sativus'' var. ''hortensis'' f. ''raphanistroides'') *:日当りのよい[[砂浜]]などに自生的に生育する。野草として食用にされるほか、食用選抜も行われている。普及した栽培種と比較してかなり硬く、辛味も強い。 *:栽培種が野生化した種と考えられていた<ref name=cookeryscience1968.13.2_111 />が、遺伝的研究では日本の栽培種とは差が大きく<ref name="ref.01" />、栽培種とは全く別の系統に属す可能性が高い。比較検討の結果としては、古い時代にもともとの原産地である地中海沿岸から中国を経由して人間の移動と共に入ってきた野生ダイコンが起源であるとする説が唱えられている。 * '''ノダイコン''' *:日本の[[福島県]][[会津盆地]]、[[山形県]][[米沢盆地]]などでみられる内陸性の自生種。遺伝的に栽培種に近く<ref name="ref.01" />、野生化したものと見られるが、中国系統と交雑する前の日本在来種とする説がある<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.ajinomoto.co.jp/recipe/shunsai/karami02.html|title= 辛味大根|accessdate=2018-12-15 |publisher= [[味の素]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080621170845/http://www.ajinomoto.co.jp/recipe/shunsai/karami02.html |archivedate= 2008-06-21|deadlink=2018年12月}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=西沢隆, 島村景子, 江頭宏昌 |title=山形県内に残る在来ダイコンの調査およびそれらの生理・生態的特徴 |journal=人間・植物関係学会雑誌 |issn=1346-7336 |publisher=人間・植物関係学会 |year=2013 |month=mar |volume=12 |issue=2 |pages=13-19 |naid=40019705087}}</ref>。 * '''黒大根''' (''R. sativus'' var. ''niger'') *:[[イタリア]]種。黒丸大根・黒長大根ともいう{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=117}}。小型で根の表面が黒く内側は[[白]]。根が長くなる品種と蕪の様に丸い品種がある。丸い品種は肉質が硬く[[デンプン]]が多い。花の色は白や紫。肉質は詰まっていて辛味がある。ふつうの大根同様に利用できる{{sfn|講談社編|2013|p=142}}。[[熱|加熱]]すると[[カブ]]のようにホクホク感がある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=117}}。 なお、[[アカザ科]]の[[テンサイ]](甜菜)を形状と用途から「サトウダイコン」([[砂糖]]大根)と呼ぶが、テンサイはアカザ科[[フダンソウ属]]であるのに対して、大根はアブラナ科ダイコン属と[[目 (分類学)|目]]レベルで異なる縁遠い種である。<ref>{{Cite web|和書|title=砂糖の原料になる大根がある?「砂糖大根(てん菜)」とは - macaroni |url=https://macaro-ni.jp/84730 |website=macaroni [マカロニ] |access-date=2022-08-05 |language=ja}}</ref> === 日本の主な品種 === [[ファイル:Leiden University Library - Seikei Zusetsu vol. 21, page 022 - 章魚葍, 秦野葍, 鼠葍 - Raphanus raphanistrum subsp. sativus (L.) Domin - 葛畑葍, 辛葍 - idem, 1804.jpg|サムネイル|『[[成形図説]]』より]] <!-- 基本はシェアや北方から西方の順で記述すること --> 色が白くクビが青い青首大根が日本で最も多く出ている品種であるが、日本各地には在来種が数多くあり、赤や赤紫の種や、その土地ならではの大根を使った漬物など名産品もある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}。特に[[九州]]南部は独自性が強いとされている。桜島大根や三浦大根、練馬大根などは、サイズが不揃いで流通に不都合な面があったため、全国的に出回る量は少ない{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}。 日本の在来種は、1980年の文献<ref>[[農林水産省]] 野菜試験場育種部 (1980)『野菜の地方品種』野菜試験場</ref>には、全国で110品種が記録されているが<ref>{{Cite journal|和書|author=石田正彦, 吉秋斎, 畠山勝徳 |title=南九州におけるアブラナ科野菜在来種の調査と収集 (国内探索収集調査報告) |url=https://www.gene.affrc.go.jp/pdf/publications/plant-exp_2005(22)_p37.pdf |format=PDF |journal=植物遺伝資源探索導入調査報告書 |publisher=農業生物資源研究所 |year=2005 |volume=22 |pages=37-45 |naid=40015430387 |issn=0915-602X}}</ref>、都市部の人口集中によって流通が発達したことに伴い、青首大根などの一部の品種が大半を占めるようになり、在来種の衰退が著しい{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。しかし、練馬、三浦のような長根種から、桜島、聖護院のような丸大根、守口のような特に細長いものや、辛味の強い品種などの特徴がある地方品種が今も守られている{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。 * '''[[青首大根]]''' - 季節を問わず収穫できるようにした品種{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}。現在の主流品種で、作付面積の98%を占めるともいう。根茎は少し地面から出て、クビとよばれる日に当たったところは淡い緑色をしている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}。辛みが少なく甘みが強いこと、地上に伸びる性質が強く収穫作業が楽である事などから、昭和50年代に急速に普及した。他の品種はこれに押されて廃れ、'''郡大根'''(こおりだいこん)のように絶滅してしまった品種もある。 * '''[[宮重大根]]''' - 現在主流の青首大根の片親。 * '''細根大根''' - 葉の付いた長さ6cm - 8cmの小さな大根<ref>{{Cite web|和書|title=加賀の細根大根入荷|url=http://www.nakamasa-somurie.jp/2013/10/05/%E5%8A%A0%E8%B3%80%E3%81%AE%E7%B4%B0%E6%A0%B9%E5%A4%A7%E6%A0%B9%E5%85%A5%E8%8D%B7/|website=加賀野菜・地物野菜 なかまさ {{!}} 野菜ソムリエ 山中温泉|date=2013-10-05|accessdate=2020-06-21|publisher=}}</ref>。 * '''白首大根''' - 胚軸が発達しないため、緑色の部分が無い。沢庵漬け用など。 ** '''[[練馬大根]]''' - [[元禄]]から栽培される[[東京都]][[練馬区]]の在来種。長さは60&nbsp;cmほどで、長いものは1&nbsp;mにもなる。主に[[沢庵漬け|たくあん]]や漬物に使われる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}。 ** '''[[大蔵大根]]''' - 東京都[[世田谷区]]周辺が産地。昭和時代に廃れたが、地場野菜として復活させている。 ** '''[[三浦大根]]''' - [[神奈川県]]の[[三浦半島]]が主産地の白首大根の一種。長さは50 - 60&nbsp;cmで、真ん中から下部が下膨れしている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}。肉質は軟らかく、煮物やたくあんなどに適している{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}。 ** '''[[御薗大根]]''' - [[伊勢たくあん]]に使用され、これは「こうこ」とも呼ぶ。 * '''[[辛味大根]]''' - 見かけはミニサイズのダイコンで、全長15 - 20&nbsp;cm。辛味が強い特徴を持つ品種。群馬産が多いが{{sfn|講談社編|2013|p=143}}、長野や京都の品種もある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}。大根おろしにして使うのが一般的で、汁気が少なく辛味が非常に強いため、主に[[蕎麦]]などの[[薬味]]に用いられる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}。 * '''紅芯大根'''(こうしんだいこん) - 中国原産で、紅心美(ホンシンメイ)とも{{sfn|講談社編|2013|p=171}}。中国北東部から朝鮮半島に分布する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=242}}。直径10&nbsp;cmほどで丸形{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=117}}。表面の皮が白から淡緑色で、中が鮮紅色{{sfn|主婦の友社編|2011|p=242}}。茹でると白くなってしまう{{sfn|講談社編|2013|p=171}}。食感はやわらかくて甘味が強く、サラダやピクルス、浅漬け、大根おろしなどに向く{{sfn|主婦の友社編|2011|p=242}}{{sfn|講談社編|2013|p=271}}。また、料理の彩りや、中国ではお祝いの時の飾り切り([[カービング]])にも利用される{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=98}}。消化酵素のジアスターゼやビタミンCが豊富{{sfn|主婦の友社編|2011|p=242}}。 * '''赤の丸大根''' - 中国系の見た目が赤くて丸いダイコン。葉を含めた長さは70&nbsp;cmほど。水分が少なく、肉質は詰まっていて、煮物や漬物に向く{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=117}}。 * '''ビタミン大根''' - 中国系の小ぶりな青首ダイコンで、青長大根ともよばれる。青首の部分は、中も緑色。サラダや漬物など、生食に向く{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=117}}。 * '''葉大根''' - 柔らかな葉を食用とするための専用品種で、家庭園芸向け{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。 ==== その他の地方品種・伝統野菜 ==== * '''[[亀戸大根]]'''<ref>[http://nipponsyokuiku.net/syokuzai/data/038.html 故郷に残したい食材] 農山漁村文化協会 2020年2月13日閲覧</ref> - 江戸時代から東京・[[亀戸]]で作られたというダイコン。先が細く、形は小ぶりで茎が白い{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}。肌はきめ細かく白色で、肉質が緻密{{sfn|講談社編|2013|p=142}}。 * '''レディーサラダ''' - 三浦市農協により、三浦大根から品種改良した神奈川県三浦市特産の品種{{sfn|講談社編|2013|p=142}}。長さは20&nbsp;cmほどと小型で、中は白く、やや辛味がある。繊維は柔らかく、生のままサラダなどにして使われる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=116}}。 * '''源助大根'''(打木源助だいこん) - [[加賀野菜]]の一つ。青首系と練馬系から生まれたとされる品種。短く太く、甘味が強く煮崩れしにくいことから、[[おでん]]など煮物に向く{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}。柔らかいため、たくあん漬けには向かない{{sfn|講談社編|2013|p=142}}。 * '''[[ねずみ大根]]''' - [[長野県]][[坂城町]]の伝統野菜で、栽培地から「なかんじょ(中之条)大根」とも呼ばれる。太い可食部の下に細い根が伸びた姿が[[ネズミ]]に似ていることから、こう呼ばれる。可食部の長さは12 - 13&nbsp;cm、太さは7 - 8&nbsp;cm、重さは250 - 300グラム程度と一般的なダイコンより小ぶり。葉の形も特徴的{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=116}}。9月初旬に[[播種]]し、[[霜]]が降りる前の11月下旬までに収穫する。[[辛味]]が強く、地元では[[漬物]]や[[大根おろし]]に使うほか、しぼり汁につけた「おしぼり[[うどん]]」を食す。1999年度に発足した「ねずみ大根振興協議会」が、各家の栽培で、ばらつきが生じていた形・味を安定させるため[[品種改良]]し、品種名「からねずみ」として登録した。他の土地で育てると味などが変わってしまうため、[[種子]]は協議会会員の30人余に限定して配布。葉を切り落として出荷している<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53691850T21C19A2BC8000/ 小林善道「ねずみ大根 個性守り続け◇長野・坂城の伝統野菜、形や強烈な辛さ特徴◇」]『[[日本経済新聞]]』朝刊2020年1月3日(文化面)2020年1月21日閲覧</ref><ref>[http://nezumi-daikon.com/modules/about/index.php?content_id=1 坂城町ねずみ大根振興協議会](2020年1月21日閲覧)</ref>。 * '''[[聖護院大根]]''' - [[京野菜]]の一つで、カブのような球形が特徴。大きいものは2&nbsp;[[キログラム|kg]]にもなる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}。甘味があり、煮崩れしにくいことから、煮物に向く{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}。 * '''[[守口大根]]''' - [[ゴボウ]]のように細長く長さが2&nbsp;mにもなり、世界最長。[[守口漬]]に使われる。原産地は大阪府[[守口市]]だが、現在は名古屋や岐阜の名産{{sfn|講談社編|2013|p=142}}。 * '''大阪四十日''' - 小型種で、根が屈曲して独自の形状になる。主に[[カイワレダイコン]]の種子として利用されている。 * '''[[祝だいこん]]''' - [[雑煮]]の具などに使われる[[奈良県]]の伝統野菜([[大和野菜]])。 * '''庄大根''' - [[愛媛県]][[松山市]](旧[[北条市]])原産で、希少品種の赤首大根<ref>[http://www.aifood.jp/ehimesyokuzai/?p=342 庄大根]えひめ食材ファイル 2020年2月13日閲覧</ref>。 * '''女山大根'''({{ルビ|'''女山三月大根'''|おなやまさんがつだいこん}})- [[佐賀県]][[多久市]]に伝わる伝統野菜。[[江戸時代]]の書「丹邱邑誌」([[1847年]])にも登場しており、儒学者[[草場佩川]]も好物で詩や絵に取り上げた。[[アントシアニン]]を含むため赤紫色の表皮と茎を持ち、中身は白い{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=96}}。青首大根より大振りで最大で長さ80&nbsp;㎝、胴回り60&nbsp;㎝、重さ13&nbsp;㎏にもなる。強い甘みが特徴で肉質が硬く煮崩れしにくく<ref>[https://www.nishinippon.co.jp/item/n/389641/ 幻の女山大根に脚光 多久市西多久町 大ぶり、赤紫色の表皮、強い甘味 人気高まり生産者も増]西日本新聞 - 2018年1月28日</ref>、酢の物にも向く{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=96}}。2022年6月29日、GI([[地理的表示]])登録を取得<ref>[https://www.jacom.or.jp/nousei/news/2022/06/220630-59981.php 佐賀県の「女山大根」がGI取得 農水省]農業協同組合新聞 - 2022年6月30日</ref>。 * '''紅大根'''・赤大根([[長崎県]]原産)・'''紅しぐれ'''([[群馬県]]原産) - 外見は紫系の赤いダイコンで中は白い。ふつうの品種は、直径は8&nbsp;cm、長さは25&nbsp;cm程度{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}。群馬県産の赤城しぐれ大根、熊本産の五木の赤大根、長崎産の長崎赤大根などの在来種もある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|pp=115 - 117}}。すり下ろすと紫色の大根おろしになる。甘味があり、サラダや酢漬け{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}、[[千枚漬け]]のような漬物や大根おろしなどに使われる。 * '''[[桜島大根]]''' - [[鹿児島県]]・[[桜島]]特産。ダイコンの中で最も大きい品種で重さ10 - 25&nbsp;kg、大きいもので30&nbsp;kgを超える{{efn|name=Guinness}}。胴回りが巨大。カブのような甘味があり、肉質は緻密で煮崩れしにくい{{sfn|講談社編|2013|p=139}}。 * '''沖縄島大根''' - 中心が太くずんぐりした形をしている。沖縄では旧正月に酢の物で食べる習慣がある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}。 == 生産 == [[ファイル:Daikon.JPG|thumb|奇形三又大根(固い土や小石の多い畝で栽培した場合に多く見られる)]] 栽培、統計上は'''春だいこん'''、'''夏だいこん'''、'''秋冬だいこん'''に区分され、秋冬が全体の7割を占め、春と夏が残りを分け合う。冬野菜の代表格とも評されているが、夏場は[[北海道]]や[[東北地方]]でも作られるため、1年を通して出回っている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=115}}。冬は暖地、夏は寒冷地の出荷量が多く、季節ごとに栽培地に適した品種が出荷される{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。 全国的に生産されているが、収穫量が多いところは[[千葉県]]、北海道、[[青森県]]、神奈川県で、4道県合わせて全国生産量の4分の3以上を占める。[[岩手県]]や[[茨城県]]、[[四国]]の[[徳島県]]、[[九州]]の[[宮崎県]]、鹿児島県も主要産地に挙げられている{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。平成22年度生産量は全国で117万[[トン]]。日本のダイコン生産量は作付面積、収穫量とも減少傾向にある。 {| class="wikitable" style="text-align:right" ! 年度 !! 作付面積<br /> ([[ヘクタール]]) !! 収穫量<br />(千トン) |- | style="text-align:left" | 1998年(平成10年)|| 48,500 || 1,902 |- | style="text-align:left" | 1999年(平成11年)|| 47,700 || 1,948 |- | style="text-align:left" | 2000年(平成12年)|| 45,700 || 1,876 |- | style="text-align:left" | 2001年(平成13年)|| 44,100 || 1,868 |- | style="text-align:left" | 2002年(平成14年)|| 42,500 || 1,780 |- | style="text-align:left" | 2003年(平成15年)|| 41,500 || 1,752 |- | style="text-align:left" | 2004年(平成16年)|| 40,000 || 1,620 |- | style="text-align:left" | 2005年(平成17年)|| 39,100 || 1,627 |- | style="text-align:left" | 2006年(平成18年)|| 38,300 || 1,650 |- | style="text-align:left" | 2007年(平成19年)|| 37,200 || 1,626 |- | style="text-align:left" | 2008年(平成20年)|| 36,600 || 1,603 |- | style="text-align:left" | 2009年(平成21年)|| 36,400 || 1,593 |} : 政府統計『[[平成]]21年産野菜生産出荷統計』より。 === 栽培 === 栽培時期は、春に種まきして夏に収穫する「春まき」と、初秋に種まきして初冬に収穫する「秋まき」がある。秋まきのほうがとうが立ちにくく作りやすい{{sfn|主婦の友社編|2011|p=66}}。栽培適温は15 - 25[[セルシウス度|℃]]とされ、連作することができる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=66}}。移植を嫌うため、畑に直接種をまいて、間引きながら育てる。畑となる土壌に石などが混じっていると根がまっすぐに伸びないため、取り除いておくことが重要になる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=66}}。発芽したら生育のよいものを残すように間引きを行い、土寄せを行いつつ追肥も行う{{sfn|主婦の友社編|2011|p=66}}。また間引いた葉は、葉ダイコンとして青菜と同様に食べることができる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=67}}。根茎が生長して太ってきたら収穫期で、抜き取って収穫する。収穫が遅れると、根茎の表面に亀裂が入る場合もある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=67}}。 根茎の内部がスカスカになる鬆入り(すいり)現象は栽培条件と品種が大きく影響している<ref>{{Cite journal|和書|author=苫名孝 |title=根菜類のすいりに関する研究(第1報) : 廿日大根の体内窒素含量と発現の関係について |url=http://id.nii.ac.jp/1348/00002088/ |journal=[[山形大学]]紀要 農学 |publisher=山形大学 |year=1956 |month=mar |volume=2 |issue=2 |pages=73-81 |naid=110000356321 |issn=05134676}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=萩屋薫 |title=根菜類のすいり現象の研究(第5報) : 大根の品種間雑種のF{{sub|1}}F{{sub|2}}におけるすの発現性及び耐す性品種の育種に関する考察 |url=https://doi.org/10.2503/jjshs.27.68 |journal=園芸學會雜誌 |publisher=園芸学会 |year=1958 |volume=27 |issue=1 |pages=68-77 |naid=130001143402 |doi=10.2503/jjshs.27.68 |issn=0013-7626}}</ref>。根茎の急激な肥大に対し細胞の増殖が追従出来ないと生じ易い<ref>{{Cite journal|和書|author=萩屋薫 |title=根菜類のすいり現象の生理學的研究 (第2報) : 大根のすの發現に關係を有する形質の品種間差異に就て |url=https://doi.org/10.2503/jjshs.21.165 |journal=園芸學會雜誌 |issn=0013-7626 |publisher=園芸学会 |year=1952 |volume=21 |issue=3 |pages=165-173 |naid=130001143058 |doi=10.2503/jjshs.21.165}}</ref>と報告されている。 == 食材 == [[ファイル:Yadorihara Daikon Yagura 01.JPG|thumb|大根やぐらに吊るされたダイコン]] 大根おろしやサラダで生食したり、煮たり漬物にしたりして食べたりと馴染みのある野菜で、肥大した根茎は[[淡色野菜]]、葉は[[緑黄色野菜]]に分類される{{sfn|主婦の友社編|2011|p=62}}。野菜としての[[旬]]は11 - 3月で、特に冬の大根は甘味が増す{{sfn|主婦の友社編|2011|p=62}}。大根は皮に傷がなくて光沢があるものが良品とされ、葉は鮮やかな緑色でみずみずしいものがよい{{sfn|主婦の友社編|2011|p=62}}。栄養面では、ビタミンC、カリウム、カルシウム、食物繊維のほか、デンプンを分解する消化酵素を含む{{sfn|主婦の友社編|2011|p=62}}。 調理法で、大根の皮を剥くときには皮の下の筋が固いため、やや厚めに剥く{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。煮物にする場合には下茹でをすると苦味が取れ、[[米]]の[[とぎ汁]]か米を加えた熱湯で茹でると色が白く仕上がる{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。大根料理の幅は広く、[[刺身]]の[[つま]]、[[膾]]、大根おろしにして天ぷらや焼き魚などに添える、煮物、酢の物、汁の実などあらゆる料理に向いている{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。葉は漬物や炒め物に、皮は天日干しして炒め煮などに利用する{{sfn|講談社編|2013|p=143}}。 === 根 === 主に[[生食]]または加熱調理される。保存用に漬け物、[[乾物]]とされるほか、辛みを生かして[[香辛料]]ともなる(辛み成分は'''[[アリルイソチオシアネート]]''' といい、[[からし]]や[[マスタード]]と同じ成分である) 品種によって一概には言えないものの、たとえば青首大根は部位によって味わいが違うといわれ、クビとよばれる葉に近い部分は汁が多くて甘味があり、サキとよばれる先端部分は汁が少なく辛味がある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}。このため好みにもよるが、クビの部分は生でサラダや大根おろしに、中央部は固いことからおでんやふろふき大根などの煮込み料理に、またサキは炒め物や味の濃い料理、刻んで汁の実などというように、部位によって特質に合わせた使われ方もなされている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}。 * 生食 [[大根おろし]]、[[サラダ]](春大根向き)、[[繊切り]]にして刺身の[[つま]]など、大根を繊切りにすることを「千六本」(せんろっぽん)という。これは[[中国語]]で大根を表す羅葡に繊切りの繊がついた「繊羅葡」(シエンルオポ)が、音訛したものである。 * 加熱 [[おでん]]や[[ブリ大根]]などの煮込み料理、[[風呂吹き]]<ref name=kojien>『[[広辞苑]]』第5版</ref><ref name="shun_akifuyu">『旬の食材 秋・冬の野菜』[[講談社]] ISBN 4-06-270136-7</ref>、[[味噌汁]]など。 [[File:Betsutara-ichi2.jpg|thumb|[[日本橋大伝馬町]]のべったら市(2009年10月20日撮影)]] * 漬け物 [[浅漬け]]、[[沢庵漬け|たくあん]]、[[べったら漬|べったら漬け]]、[[福神漬け]]、さくら漬け、[[いぶりがっこ]]など。かつては秋に収穫される[[越冬野菜]]の典型として、冬季間の食卓に供される重要な[[保存食]]だった。 * 乾物 切って干したものは[[切り干し大根]]、立て四つに割って干したものは'''割り干し大根'''、茹でて干したものは'''ゆで干し大根'''などと呼ぶ。戻して煮物にしたり、漬物、[[酢の物]]などに用いる。 * 加工品 [[広東料理]]の一種で、[[台湾]]などでは大根を刻んで他の材料を混ぜて焼いた「蘿蔔糕([[大根餅]])」として食されている。 * 香辛料 辛味の強い辛味大根は、ざる[[蕎麦]]、[[うどん]]などの薬味、付け汁(おしぼり)として用いる。長野県産で、小ぶりの大根に長い尻尾がついた「ねずみ大根」などが知られる(前述)。 * 茨城県[[水戸市]]には、0.2ミリメートル程の薄さで剥いた大根を、立体的な花([[ボタン (植物)|牡丹]]・[[キク|菊]]・[[アヤメ]])のように見せる「大根むき花」という民芸が、江戸時代の[[水戸藩]]以来伝わっている<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXKZO24580850T11C17A2BC8000/ 皆川守「大根むき花 水戸に咲く◇包丁1本で作る伝統民芸 7代続く保存会で後進導く◇」]『日本経済新聞』朝刊2017年12月14日(文化面)2020年2月21日閲覧</ref>。 === 葉 === [[ファイル:Leaves of Japanese Radish.jpg|thumb|畑で育っているダイコンの葉]] 栄養価が高く、[[七草#春の七草|春の七草]]の'''スズシロ'''(清白)でもある。[[おひたし]]、味噌汁の具、漬物として用いられる。炒め物にして食べると栄養の吸収が良いといわれる。また、カブの葉同様、刻んで飯に炊き込んだものは[[菜飯]]となる。 日ごとに葉が枯れてきてしまうため、入手できたら新鮮なうちに切り落として調理する方がよい{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}。[[灰汁]](アク)があるため、細かく刻んだら水につけてアクや青臭みを抜いて調理する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}。 * '''間引き菜'''(まびきな) - 発芽から数週間で[[間引き]]した苗 * '''もみ菜'''(もみな) - 葉の長さが20&nbsp;cm程度に育ったものを収穫する{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=61}}。β-カロテン、ビタミンC、カルシウムなどが豊富で、炒め物や味噌汁の具などに向く{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=61}}。 * '''大根菜'''(だいこんな) - 一ヶ月ほど経ち10〜20&nbsp;cm程度に根が発達した幼植物。これを野菜として利用するための品種もある。 * '''大根葉'''(だいこんば) - 収穫期の葉でかつては広く利用されたが、現在は[[流通]]の都合や消費者の嗜好により原則として捨てられ、まれに葉付きダイコンと称して販売されている。成長した葉柄には棘状の突起があるので、生食には適さず加熱調理する。 * '''干葉'''(ひば) - 根と同様に干して保存性を高めたもの。緑黄色野菜の少ない季節の貴重な保存食とされた。 === 種子 === * [[スプラウト]] [[発芽]]させ、胚軸と子葉を[[カイワレダイコン]]として食用にする。 * [[生薬]] {{要出典範囲|date=2021年2月|'''羅葡子'''(ライフクシ)}}として、健胃、去痰作用。[[中国医学]]では、肥満の薬として有名。 === 栄養価 === {{栄養価 | name=だいこん 根 皮つき 生<ref name=mext7>[[文部科学省]]『[https://www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/1365297.htm 日本食品標準成分表2015年版(七訂)]』</ref>| kJ =75| water=94.6 g| protein=0.5 g| fat=0.1 g| satfat=0.01 g| polyfat =0.02 g| carbs=4.1 g| opt1n=[[食物繊維|水溶性食物繊維]]| opt1v=0.5 g| opt2n=[[食物繊維|不溶性食物繊維]]| opt2v=0.9 g| fiber=1.4 g| sodium_mg=19| potassium_mg=230| calcium_mg=24| magnesium_mg=10| phosphorus_mg=18| iron_mg=0.2| zinc_mg=0.2| copper_mg=0.02| manganese_mg=0.04| selenium_ug =1| thiamin_mg=0.02| riboflavin_mg=0.01| niacin_mg=0.3| vitB6_mg=0.04| folate_ug=34| pantothenic_mg=0.12| opt3n=[[ビオチン|ビオチン(B<sub>7</sub>)]] | opt3v=0.3 µg| vitC_mg=12| opt4n=[[硝酸イオン]]| opt4v=0.1 g| note =廃棄部位: 根端及び葉柄基部 | right=1 }} 大根(根茎部)は、約95%が水分で、[[炭水化物]]が少量含まれるだけで、[[タンパク質]]も[[脂質]]もわずかで、熱量は100[[グラム]]あたり18[[キロカロリー]] (kcal) と極めて少ない{{sfn|講談社編|2013|p=145}}。ごく少量の炭水化物には、[[ブドウ糖]]、[[蔗糖]]、[[果糖]]などの甘味成分が含まれていることから、加熱調理すると辛味が消えて、わずかな甘味を感じることができる{{sfn|講談社編|2013|p=145}}。ビタミン・ミネラル類は、脂溶性ビタミン([[ビタミンA]]、[[ビタミンD]]、[[ビタミンE]]、[[ビタミンK]])を除けば、全体的にバランスよく含んでいて{{sfn|講談社編|2013|p=145}}、皮を剥かないですりおろしたものであれば[[ビタミンC]]、[[カリウム]]、[[食物繊維]]を豊富に含む{{sfn|田中孝治|1995|p=191}}{{sfn|主婦の友社編|2011|p=62}}。特にクビに近いところでは、ビタミンCや食物繊維が豊富である{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=114}}。また一方では、取り立ててたくさん含んでいる栄養素は見当たらず、食物繊維もそれほど多くはないが、冬場はたくさん食べる機会が多い食材であるから、食物繊維のとてもよい供給源になっているという評価もされている{{sfn|講談社編|2013|p=145}}。 根茎には消化酵素である[[アミラーゼ]](別名:ジアスターゼ)、タンパク質を分解する[[プロテアーゼ]]を多く含み{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=114}}、アミラーゼは[[デンプン]]の消化促進に役立つ{{sfn|田中孝治|1995|p=191}}<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~hokenctr/daikon.html|title=だいこん|accessdate=2012-10-01|publisher=[[福岡教育大学]]保健管理センター|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100330022547/http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~hokenctr/daikon.html|archivedate=2010年3月30日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。アミラーゼは消化不良を解消し、胃酸の出を調整して胃もたれや胸焼け防止の働きがあるといわれる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=62}}。これら栄養素は、加熱や酸化に弱い性質があるため、大根おろしやサラダなどにして、生ですぐに食べる方が効果的に摂取できる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=62}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=114}}。 葉の部分は緑黄色野菜で、[[β-カロテン]]([[ビタミンA]])、ビタミンC、[[カルシウム]]、カリウム、[[鉄分]]などが豊富に含まれている{{sfn|田中孝治|1995|p=191}}{{sfn|主婦の友社編|2011|p=62}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=114}}。カルシウム、鉄、カリウムなどのミネラル類は、根茎部の2 - 10倍も含んでおり、ビタミン類では根には全く含まれていないカロテンが、[[ホウレンソウ]]と同じくらい含まれている{{sfn|講談社編|2013|p=145}}。野菜から摂りにくいとされる[[ビタミンE]]も豊富で、ビタミンCも根茎部の数倍になる{{sfn|講談社編|2013|p=145}}。 加工品である[[切り干し大根]]は、100グラムあたりの栄養素量が多いところから「栄養の塊」と紹介されることがあるが、水分量が少ないためそのように見えるだけで一度にたくさん食べる機会がないので、過剰な期待はしないほうがよいとも言える{{sfn|講談社編|2013|p=145}}。また、大根の芽を摘んだ[[貝割れ大根]]の場合では、ビタミン、ミネラルが豊富な緑黄色野菜であり、洗えばすぐに食べられるので、手軽で栄養補給に役立つ食材といわれる{{sfn|講談社編|2013|p=145}}。 === 保存 === 葉付き大根はそのまま置くと、葉に養分がとられて栄養価が下がり、水分が失われ根にスが入る{{efn|根菜の中身がスカスカな状態になることを、俗に「スが入る」という。}}ので、すぐに茎の根元(クビ)から葉を切り落として、根は切断面をラップで密封して冷蔵庫に立てて保存するとよい{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}。葉は、その日のうちに水にさらすか、茹でるなどして、水気を切ってから保存袋に入れて冷蔵保存する{{sfn|主婦の友社編|2011|p=63}}。 大根は[[雪]]の多い地域では雪中貯蔵も行われており、垂直に置く貯蔵法や雪中傾斜置き貯蔵などがある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sapporo-park.or.jp/toyohira/control-panel/wp-content/uploads/2018/11/%E7%B7%91%E3%81%AE%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%81%A0%E3%82%88%E3%82%8A11%E6%9C%88%E5%8F%B7-HP%E7%94%A8.pdf|title=札幌市 緑のセンターだよりNo.236|publisher=札幌市公園緑化協会|accessdate=2021-09-03}}</ref>。 == 薬効 == いわゆる大根の部分(根茎)には、[[ヒドラドペクチン]]、[[アデニン]]、[[ヒスチジン]]、[[アルギニン]]を含んでおり、葉には[[シスチン]]、アルギニン、[[リシン|リジン]]、[[精油]]などを含んでいる{{sfn|田中孝治|1995|p=191}}。根には[[アミラーゼ]]や[[酸化酵素|オキシターゼ]]という酵素が含まれ、アミラーゼは米などのデンプンを分解して胃もたれ、[[胸やけ]]を解消するなど胃腸の働きを正常にし、オキシターゼは魚の焼け焦げに含まれることがある[[発がん性物質]]を解毒すると考えられている{{sfn|講談社編|2013|p=145}}。辛味成分になっている[[イソチオシアネート]]は、肝臓の解毒作用を助け、がんの発生を抑制するといわれている{{sfn|講談社編|2013|p=145}}<ref >{{cite web|url=https://toyokeizai.net/articles/-/105153 |title=医師が奨める冬野菜No.1|author=丸田みわ子|publisher=東洋経済新報社|date=2016年2月16日|accessdate=2023年11月6日}}</ref>。 薬用としての採集時期は11 - 12月ごろで、根茎も葉の部分も薬用にできる{{sfn|田中孝治|1995|p=191}}。薬用に天日で乾燥した種子は'''莱菔子'''(らいふくし)、生の根茎は'''莱菔'''(らいふく)とも称している{{sfn|貝津好孝|1995|p=100}}。種子は身体を温める作用、根には身体を冷やす作用がある{{sfn|貝津好孝|1995|p=100}}。 [[民間療法]]で、消化不良や食欲不振のときに、大根おろし汁を盃1杯ほど、朝夕2回食後に飲むか、食欲がないときは食前に飲むとよいといわれ、[[二日酔い]]、[[発熱]]、吐き気、胃弱のときは、皮付きの大根で大根おろしを作り、1日200 - 400&nbsp;[[立方センチメートル|cc]]ほど食べるとよいとされる{{sfn|田中孝治|1995|p=191}}。[[扁桃炎]]によるのどの痛みは、大根おろし汁でうがいして、さらにおろし汁で温湿布する{{sfn|田中孝治|1995|p=191}}。[[打ち身]]、[[捻挫]]などの打撲傷で腫れがあるときには、大根おろし汁で冷湿布して腫れを引かせる{{sfn|田中孝治|1995|p=191}}。大根おろしを[[水飴]]などと一緒に湯飲みに入れて、湯を注いで1日数回飲めば、たんきり、咳止めなどに効果があるといわれる{{sfn|田中孝治|1995|p=191}}。 種子は1日量3 - 5[[グラム]]を400&nbsp;ccの水で煎じて3回に分けて服用すると、咳、食べ過ぎに効果があるといわれる{{sfn|貝津好孝|1995|p=100}}。 風通しのよいところで陰干しにした葉は[[入浴剤|浴湯料]]に使え、刻んで布袋に入れて風呂に入れる干葉湯(ひばゆ)にして、冷え症、神経痛、保温に役立てられる{{sfn|田中孝治|1995|p=191}}。 == 文化 == === 祭礼・信仰 === * [[真宗大谷派]]の[[了徳寺]]([[京都市]])は毎年12月9、10日の[[報恩講]]で大根焚を行う。食べると[[中風]]除けのご利益があるとされている<ref>[https://www.ryoutokuji.or.jp/報恩講-大根焚-について/ 報恩講-大根焚-について]了徳寺ホームページ(2018年3月21日閲覧)</ref>。 * 東京・[[浅草]]にある[[本龍院]]待乳山聖天(まつちやましょうでん)では1974年以来、1月7日に「大根まつり」が行われている。「聖天さま」(大聖[[歓喜天]])へ供えた大根のお下がりを、ふろふき大根にして参拝者2000人に振る舞う<ref>[http://www.matsuchiyama.jp/daikon.html 大根まつり]本龍院待乳山ホームページ(2018年1月14日閲覧)</ref>。 * 青森県などの一部地域では[[お盆]]に「あられ」と呼ばれる米とさいの目に刻んだ大根を混ぜたものを墓所に撒く風習がある<ref name="toutan">{{Cite journal|和書|author=北山育子, 真野由紀子, 中野つえ子, 澤田千晴, 下山春香, 安田智子, 今村麻里子, 花田玲子, 竹村望, 熊谷貴子 |title=青森県における行事食に関する調査研究 |url=https://doi.org/10.11402/ajscs.23.0.86.0 |journal=日本調理科学会大会研究発表要旨集 |publisher=日本調理科学会 |year=2011 |volume=平成23年度日本調理科学会大会 |issue=セッションID: C1a-3 |pages=86-86 |naid=130007016266 |doi=10.11402/ajscs.23.0.86.0}}</ref>。これに人参を混ぜる地域もある<ref name="toutan" />。元々は墓所を清める意味があったが[[カラス]]対策や後始末などの管理の問題から禁止している墓地もある<ref name="toutan" />。 === 文学 === * 『[[古事記]]』 ** 継苗生(つぎねふ)や 山代女(やましろめ)の 木鍬(こくわ)持ち 打ちし大根(おほね) 根白(ねしろ)の 白腕(しろただむき) 枕(ま)かずけばこそ 知らずとも云はめ [[仁徳天皇]] ** 継苗生(つぎねふ)山代女(やましろめ)の 木鍬(こくわ)持ち 打ちし大根(おほね) 騒々(さわさわ)に 汝が家背(いへせ)こそ 打ち渡す 弥(や)が栄(は)え為(な)す 来入(きい)れ参来(まいく)れ [[磐姫皇后]] * [[卜部兼好|兼好法師]]の『[[徒然草]]』第68段に、焼き大根の話が出る。 * [[俳句]]では冬の[[季語]]。「だいこ」とも。 ** 大根引き大根で道を教えけり([[小林一茶]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://biz-journal.jp/2020/11/post_188320.html|title=大根の「辛み」に隠された意外な健康効果とは?おでんより“大根おろし”で食べるべき理由|publisher=Business Journal|date=2020-11-07|accessdate=2020-11-20}}</ref> === 成句 === 大根は、生でも煮ても焼いても消化が良く、[[食中毒|食当たり]]しないので、何をやっても当たらない役者を「[[大根役者]]」と呼ぶ<ref>[https://gogen-yurai.jp/daikonyakusya/ 大根役者] - 語源由来辞典(2020年1月21日閲覧)</ref>。同じ理由で、なかなか当たりを打てない[[野球]]の[[打者]]を「大根バッター」とも呼ぶ。また極端なダウンスイングのことを大根おろしに掛けて「大根切り」という。 === その他 === [[東京農業大学]]の応援歌「[[青山ほとり]]」は一般に「大根踊り」の名で知られている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注釈}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author =猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|title = かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典|date=2012-07-10|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30997-2|pages =114-117|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =貝津好孝|title = 日本の薬草|date=1995-07-20|publisher = [[小学館]]|series = 小学館のフィールド・ガイドシリーズ|isbn=4-09-208016-6|page =100|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =講談社編|title = からだにやさしい旬の食材 野菜の本|date=2013-05-13|publisher = [[講談社]]|isbn=978-4-06-218342-0|pages =138-145|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =主婦の友社編|title = 野菜まるごと大図鑑|date=2011-02-20|publisher = [[主婦の友社]]|isbn=978-4-07-273608-1|pages =62-67|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =田中孝治|title ={{fontsize|small|効きめと使い方がひと目でわかる}} 薬草健康法|date=1995-02-15|publisher =[[講談社]]|series=ベストライフ|isbn=4-06-195372-9|pages =190-191|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author=板木利隆ほか|authorlink=板木利隆|title = 校庭の作物|year = 1994|publisher = [[全国農村教育協会]]|series = 野外観察ハンドブック|isbn = 4-88137-054-5|page = 93}} == 関連項目 == {{Wiktionary|ダイコン|大根|おおね|すずしろ}} {{Wikispecies|Raphanus sativus}} {{Commons&cat|Raphanus sativus}} * [[干葉飯]] * [[歓喜天]] - 歓喜天に対する供え物として知られる。 * [[アミラーゼ|ジアスターゼ]] * [[大根焚き]] * [[和製漢語]] * [[青山ほとり]] - 「大根踊り」としても知られる、[[東京農業大学]]の[[応援歌]]。 * [[大根刑]] - [[古代ギリシア]]に存在した、[[肛門]]にダイコンを挿入する刑罰。 == 外部リンク == * {{Wayback |url= http://kusabanaph.web.fc2.com/sakuin/NH04_ta/N_410040_daikon.html|title= ダイコン(大根)|date=20120117152758}}[https://archive.fo/I2Uq archive.today](草花写真館) * {{Wayback |url=http://daikon-c.com/ |date=20170517073707 |title=ダイコンコンソーシアムを発展させた鹿児島モデル(文部科学省コアスーパーサイエンスハイスクール事業)}} * [https://www.atariya.net/yasai/daikon.htm だいこん]ホームガーデン百科 アタリヤ農園 {{ダイコン}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:たいこん}} [[Category:大根|!]] [[Category:アブラナ科]] [[Category:根菜]] [[Category:薬用植物]] [[Category:スプラウト]] [[Category:冬の季語]]
2003-03-01T11:43:53Z
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[ "Template:要出典範囲", "Template:栄養価", "Template:Doi", "Template:Wiktionary", "Template:ダイコン", "Template:Commons&cat", "Template:Wayback", "Template:Redirect", "Template:Snamei", "Template:ルビ", "Template:脚注ヘルプ", "Template:YList", "Template:Cite journal", "Template:生物分類表", "Template:Efn", "Template:Sfn", "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Cite book", "Template:Wikispecies", "Template:Normdaten" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3
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ホウレンソウ
ホウレンソウ(菠薐草・法蓮草、 学名: Spinacia oleracea)は、ヒユ科アカザ亜科ホウレンソウ属の野菜。ほうれん草とも表記される。雌雄異株。緑黄色野菜の1つで、大きく分けると東洋種と西洋種の2系統に分かれる。高温下では生殖生長に傾きやすくなるため、冷涼な地域もしくは冷涼な季節に栽培されることが多い。冷え込むと軟らかくなり、味がよりよくなる。ビタミンや鉄分などの栄養素に富む。 リンネの『植物の種』(1753年)で記載された植物の一つである。 ホウレンソウ(菠薐草)の由来は、中国の唐代に「頗稜(ホリン)国」(現在のネパール)から伝えられたことによる。後に改字して「菠薐(ホリン)」となり、日本では転訛して「ホウレン」となった。「ホウレン」の語源は、「菠薐」の唐音とされる。 ホウレンソウの原産地は、西アジアや西南アジア、中央アジアなどと言われ、カスピ海南西部(コーカサス地方、イラン)近辺と見られているが野生種は発見されていない。原産地から東西に分かれて伝播し、それぞれ独立した品種群が成立したと考えられている。初めて栽培されたのはペルシア地方(現在のイラン)で、ヨーロッパには中世末期(12世紀以降)にアラブ・北アフリカを経て持ち込まれ、他の葉菜類を凌いで一般的になった。東アジアにはシルクロードを通って広まり、中国にはネパールを経て7世紀頃に伝わった。その間、ヨーロッパでは西洋種が、中国では東洋種が成立した。 日本には戦国時代末期の16世紀頃に、中国から東洋種が渡来したと見られている。1862年頃にはフランスから西洋種が導入され、明治初年にアメリカからも持ち込まれたが、西洋系品種は普及せず、もっぱら東洋種のほうが好まれ、各地に固有種が誕生した。大正末期から昭和初期にかけて東洋種と西洋種の交配品種が作られ、日本各地に普及した。西洋種はアクが強いものであったが、葉が肉厚でソテーに向くため次第に広まるようになり、第二次世界大戦後に、栽培の周年化が進められていく中で、暑さにも強く収量が高い西洋系品種や、交雑種が盛んに栽培されるようになった。 葉に切り込みが多い東洋種と、丸葉の西洋種に大別され、東洋種・西洋種・交雑種の3群に分けられる。東洋系は葉身が薄く、ギザギザした切れ込みが深く、葉の根元が赤い。また、種には棘がある。西洋種は葉肉が厚く、葉は丸みを帯びて切れ込みが少なく、葉の基部があまり色付かない。食味は東洋種の方が葉が柔らかくて甘味が出てよいが、長日条件下でトウが立ちやすいため、秋まきに適している。西洋種は灰汁が強く加熱調理向きであるが、トウが立ちにくいという利点がある。日本では、100種以上のホウレンソウの品種が作られているが、東洋種と西洋種の交配からできた品種が主流で、一代交配種(F1)が大半で、外見では西洋種のような丸葉のタイプや、東洋種のような深い切れ込みがある葉のタイプがある。葉の軸(葉柄)や葉脈が赤い品種群は、赤茎種とも呼ばれ、灰汁が少なくあっさりした味わいで、生食にも向く。 東洋種 交雑種(交配種) その他 ホウレンソウは種まきから約1か月で収穫でき、生長の度合いは栽培期間中の日照時間の合算で決まる。耐寒性は極めて強く、0°C以下でも生育を続け、−10°Cの低温にも耐える。栽培時期は3月 - 6月(春まき)、または9 - 2月(秋まき)がある。栽培に適した土壌酸度は pH 6.5 - 7.0で、生育適温 15 - 20°C、発芽適温15 - 20°Cとされ、冷涼な気候を好み、酸性土壌や過湿を嫌う性質がある。栽培難度はふつうで、春まきよりも秋まきのほうが育てやすい。連作は可能とする文献や、連作障害があるので輪作は1年あけるようにする必要があるとする文献もある。ホウレンソウの種子は外殻に包まれており、そのままでは発芽率が悪いことから、経済的な栽培にはネーキッド種子と呼ばれる裸種子が用いられる。移植を嫌う直根型であるので、種子は圃場に直接播かれる。子葉展開後本葉が展開し、葉伸長20 - 30センチメートルの頃に収穫期を迎える。種まきは春まきなら3 - 5月、秋まきなら9 - 11月に行う。収穫は春まきなら4 - 6月、秋まきなら10月 - 翌2月に行う。種子をすじまきか点まきにして、発芽まで水切れしないように管理し、間引きしながら育てていくのが大切なポイントになる。また、種をまく時期によって、時期に合った品種を選ぶことも大切となり、春まきはとうが立ちにくい西洋種、秋冬まきは寒さに強い東洋種が向いている。 種まきは、酸性土壌では育たないため苦土石灰を多めにまいたり、完熟堆肥をすき込んで調整した中性土壌に畝を作り、種を筋まきして薄く土を被せるが、被土の厚さが薄く均一でないと発芽しなかったり、発芽してもうまく育たない場合がある。栽培期間が短いホウレンソウは、発芽を揃えることが重要で、種を一昼夜水につけてから、水を切って発根させる「芽だし」をさせた種をまく方法もある。発芽後の本葉が1 - 2枚のころに、葉が触れ合わない程度に3 - 4センチメートル (cm) 間隔で間引きを行い、株元に土寄せを行う。1週間を目安に繰り返し間引きを行い、2回目は本葉が3 - 4枚で行い間隔を6 cmほどにする。その際に、追肥、土寄せも行う。さらに本葉が4 - 5枚になった頃に、追肥と土寄せを行う。草丈が25 cm内外になったら収穫適期で、株ごと抜き取って根を切り落とすか、株元を掘り下げてハサミで根を少し残すように切り取る方法で収穫を行う。ホウレンソウは、昼間の時間が長くなる「長日条件」になると薹(トウ)が立ち、花茎が伸びて葉が固くなり、味が落ちてしまう性質がある。そのため、街灯などの影響を受けにくい夜間に暗くなる場所で栽培する。 ホウレンソウがおいしくなる時期は冬である。寒さや霜に当たると、ロゼットの様に地面に葉を広げて栄養と甘味を蓄えて肉厚になる性質があり、収穫前に冷温にさらすこともしばしば行われ、これらの処理は「寒締め(かんじめ)」と呼ばれている。これは農研機構(農業・食品産業技術総合研究機構)(旧東北農業試験場)が確立した栽培方法である。寒締めを行ったホウレンソウは、低温ストレスにより糖度の上昇、ビタミンC、ビタミンE、βカロチンの濃度の上昇が起こる。 寒締め栽培は平均気温が低い群馬県、青森県などで盛んに行われている。 病虫害には、アブラムシ、ハスモンヨトウ(ヨトウムシ)、べと病、立ち枯れ病などがある。対策として、害虫を見つけたら取り除き、間引きして風通しをよくすることでアブラムシ予防につながる。ホウレンソウは春まきと秋まきで育てられるが、秋まきのほうが害虫が少なく、育てやすい。ホウレンソウの種をまいた周辺に、1か月ほど育苗した葉ネギをコンパニオンプランツとして植えておくと、ホウレンソウの害虫を遠ざけ、萎ちょう病(いちょうびょう)を予防する効果がある。 世界における生産量は中華人民共和国が91.4%を占め他国を圧倒しているが、日本は世界第4位にランクインする主要生産国である。 世界の収穫量上位10か国(2019年) 日本で比較的に栽培が多い産地は千葉県と埼玉県である。市町村別の生産量は岐阜県高山市が最も多い。日本における2013年の年間生産量は250,300tであり、生ものはほぼ全部を自給しているが、冷凍ものが約2万t輸入されている。 収穫量上位10都道府県(2013年) 収穫量上位10市町村(2013年) 茎葉を食用とする緑黄色野菜の代表的存在で知られる。一年中流通しているが、食材としての本来の旬は冬の11月 - 2月とされ、葉が大きくて緑色が濃く、葉脈がはっきりしているもの、軸は太くしっかりしているものが市場価値の高い良品とされる。特に露地栽培ものは、冬の畑で霜に当たって葉に糖分を貯めるため甘味が強くなり、味もよくなる。 生食用品種など例外はあるが、灰汁が多いので基本的に下茹でなどをしてから調理に使われる。沸騰させた塩を少量入れた湯に、根に近い茎のほうから湯に入れて茹で上げたら、水にさらして灰汁を取るようにするが、栄養分の流失を抑えるため長時間水にさらさないようにする。湯に塩を入れることによって、塩のナトリウムイオンが酸化を抑えて、葉の変色を防ぐ作用がある。短時間で茹で上げるために、よく沸騰したたっぷりの熱湯で、少量ずつ手早く茹でたら、冷水にとって急激に冷ますことで、緑色鮮やかに茹であげられる。塩分を控えたい場合には、塩を使わないで茹でてもよい。 元々素材の味が濃く、強い青味を含むため、おひたし、胡麻和え、バター炒め、オムレツなど様々な形で調理される。調理するとかさが3/4程度に減る。和食ではおひたしや胡麻和え・白和えといった和え物、常夜鍋などの鍋物、汁の実、炒め物に利用されるほか、すり潰したのち茹でて緑の色素を取り出したものを青寄せといい、木の芽和えの和え衣の色付けに用いる。洋食ではソテーやオムレツの具、キッシュ、グラタン、裏ごししたものを使ったポタージュ、パスタやパンなどに用いるほか、灰汁の少ない生食用のものはルッコラやオランダガラシなどと共にサラダに使われる。 基本的に、時間の経過とともにビタミンなどの栄養素が失われていくため、2 - 3日内に早めに食べきるようにするが、生葉は湿らせたペーパーで包んで、ポリ袋などに入れて冷蔵すると、4 - 5日持つ。また長期保存する場合は、下茹でしてからラップに包んで、冷凍する方法もある。 アメリカでは、かつて生ホウレンソウはすぐに鮮度が落ちるため流通困難だった時代もあったことから、水煮缶詰にも加工されている。ただし、輸送方法の進歩により生ホウレンソウの流通が可能になったことや、そもそも水煮缶の食味が良くないことなどの理由により、生ホウレンソウのほうが需要があるため、その出荷数を減らしている。 生葉の可食部100グラム (g) 中の熱量は20キロカロリー (lcal)、水分量は約92%で、炭水化物は3.1g、タンパク質2.2g、灰分1.7g、脂質0.4gが含まれる。β-カロテンやビタミンB群、ビタミンC、ビタミンE、鉄分、葉酸が豊富なことで知られる。緑黄色野菜であるホウレンソウの濃い緑色は、黄色色素のカロテンと青色色素のクロロフィル(葉緑素)が合わさったものである。ルテインというカロテノイドを多く含む。株の根元の赤色の部分には、糖質が多めで甘味があり、鉄分やマンガンが豊富に含まれる。 ホウレンソウに含まれるビタミン類の中でも、ビタミンC量は可食部100グラム (g) 中、60ミリグラム (mg) と極めて多く含まれているが、夏場のホウレンソウでは、約20 mgと3分の1の量に落ちる。またホウレンソウを茹でることで、ビタミンC量は約2分の1に失われる。 ミネラル類も豊富で、カリウム、カルシウム、鉄などが多く含まれる。ホウレンソウは緑黄色野菜の中では鉄分が多い方であるが、コマツナよりは少ない。ホウレンソウに含まれる鉄分や葉酸が比較的豊富であることから、造血作用から貧血予防に効果的とされる。もともと鉄は吸収率が悪いほうだが、ホウレンソウに含まれるビタミンCと合わせて摂取することで、その吸収率が上がると言われている。 ホウレンソウの灰汁の主成分はシュウ酸であり、度を越えて多量に摂取し続けた場合、鉄分やカルシウムの吸収を阻害したり、シュウ酸が体内でカルシウムと結合し腎臓や尿路にシュウ酸カルシウムの結石を引き起こすことがある。シュウ酸はカルシウムとの結合性を有するので、削り節や牛乳などカルシウムを多く含む食品と同時に摂取することで、シュウ酸を難溶解性のシュウ酸カルシウムとしてカルシウムと結合させ、シュウ酸が体内に吸収されにくくすることができる。またシュウ酸は水溶性であるため、多量の水で茹でこぼすことでシュウ酸を茹で汁中に溶出させて相当に減らすことができるので、調理法を工夫するとよいと言われている。 なお、ホウレンソウはイヌやネコなどの動物のシュウ酸カルシウム尿石症の原因にもなる。
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2月とされ、葉が大きくて緑色が濃く、葉脈がはっきりしているもの、軸は太くしっかりしているものが市場価値の高い良品とされる。特に露地栽培ものは、冬の畑で霜に当たって葉に糖分を貯めるため甘味が強くなり、味もよくなる。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "生食用品種など例外はあるが、灰汁が多いので基本的に下茹でなどをしてから調理に使われる。沸騰させた塩を少量入れた湯に、根に近い茎のほうから湯に入れて茹で上げたら、水にさらして灰汁を取るようにするが、栄養分の流失を抑えるため長時間水にさらさないようにする。湯に塩を入れることによって、塩のナトリウムイオンが酸化を抑えて、葉の変色を防ぐ作用がある。短時間で茹で上げるために、よく沸騰したたっぷりの熱湯で、少量ずつ手早く茹でたら、冷水にとって急激に冷ますことで、緑色鮮やかに茹であげられる。塩分を控えたい場合には、塩を使わないで茹でてもよい。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "元々素材の味が濃く、強い青味を含むため、おひたし、胡麻和え、バター炒め、オムレツなど様々な形で調理される。調理するとかさが3/4程度に減る。和食ではおひたしや胡麻和え・白和えといった和え物、常夜鍋などの鍋物、汁の実、炒め物に利用されるほか、すり潰したのち茹でて緑の色素を取り出したものを青寄せといい、木の芽和えの和え衣の色付けに用いる。洋食ではソテーやオムレツの具、キッシュ、グラタン、裏ごししたものを使ったポタージュ、パスタやパンなどに用いるほか、灰汁の少ない生食用のものはルッコラやオランダガラシなどと共にサラダに使われる。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "基本的に、時間の経過とともにビタミンなどの栄養素が失われていくため、2 - 3日内に早めに食べきるようにするが、生葉は湿らせたペーパーで包んで、ポリ袋などに入れて冷蔵すると、4 - 5日持つ。また長期保存する場合は、下茹でしてからラップに包んで、冷凍する方法もある。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "アメリカでは、かつて生ホウレンソウはすぐに鮮度が落ちるため流通困難だった時代もあったことから、水煮缶詰にも加工されている。ただし、輸送方法の進歩により生ホウレンソウの流通が可能になったことや、そもそも水煮缶の食味が良くないことなどの理由により、生ホウレンソウのほうが需要があるため、その出荷数を減らしている。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "生葉の可食部100グラム (g) 中の熱量は20キロカロリー (lcal)、水分量は約92%で、炭水化物は3.1g、タンパク質2.2g、灰分1.7g、脂質0.4gが含まれる。β-カロテンやビタミンB群、ビタミンC、ビタミンE、鉄分、葉酸が豊富なことで知られる。緑黄色野菜であるホウレンソウの濃い緑色は、黄色色素のカロテンと青色色素のクロロフィル(葉緑素)が合わさったものである。ルテインというカロテノイドを多く含む。株の根元の赤色の部分には、糖質が多めで甘味があり、鉄分やマンガンが豊富に含まれる。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ホウレンソウに含まれるビタミン類の中でも、ビタミンC量は可食部100グラム (g) 中、60ミリグラム (mg) と極めて多く含まれているが、夏場のホウレンソウでは、約20 mgと3分の1の量に落ちる。またホウレンソウを茹でることで、ビタミンC量は約2分の1に失われる。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ミネラル類も豊富で、カリウム、カルシウム、鉄などが多く含まれる。ホウレンソウは緑黄色野菜の中では鉄分が多い方であるが、コマツナよりは少ない。ホウレンソウに含まれる鉄分や葉酸が比較的豊富であることから、造血作用から貧血予防に効果的とされる。もともと鉄は吸収率が悪いほうだが、ホウレンソウに含まれるビタミンCと合わせて摂取することで、その吸収率が上がると言われている。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "ホウレンソウの灰汁の主成分はシュウ酸であり、度を越えて多量に摂取し続けた場合、鉄分やカルシウムの吸収を阻害したり、シュウ酸が体内でカルシウムと結合し腎臓や尿路にシュウ酸カルシウムの結石を引き起こすことがある。シュウ酸はカルシウムとの結合性を有するので、削り節や牛乳などカルシウムを多く含む食品と同時に摂取することで、シュウ酸を難溶解性のシュウ酸カルシウムとしてカルシウムと結合させ、シュウ酸が体内に吸収されにくくすることができる。またシュウ酸は水溶性であるため、多量の水で茹でこぼすことでシュウ酸を茹で汁中に溶出させて相当に減らすことができるので、調理法を工夫するとよいと言われている。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "なお、ホウレンソウはイヌやネコなどの動物のシュウ酸カルシウム尿石症の原因にもなる。", "title": "食用" } ]
ホウレンソウは、ヒユ科アカザ亜科ホウレンソウ属の野菜。ほうれん草とも表記される。雌雄異株。緑黄色野菜の1つで、大きく分けると東洋種と西洋種の2系統に分かれる。高温下では生殖生長に傾きやすくなるため、冷涼な地域もしくは冷涼な季節に栽培されることが多い。冷え込むと軟らかくなり、味がよりよくなる。ビタミンや鉄分などの栄養素に富む。 リンネの『植物の種』(1753年)で記載された植物の一つである。
{{Otheruses|植物|ビジネスマナー|報・連・相}}{{出典の明記|date=2021年6月}} {{生物分類表 |名称 = ホウレンソウ |色 = lightgreen |画像= [[画像:Spinach produce-1.jpg|250px]] |画像キャプション = ホウレンソウ |分類体系 = [[APG III]] |界 = [[植物界]] [[:w:Plantae|Plantae]] |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||angiosperms}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||eudicots}} |目 = [[ナデシコ目]] [[:w:Caryophyllales|Caryophyllales]] |科 = [[ヒユ科]] [[:w:Amaranthaceae|Amaranthaceae]] <small>{{Taxonomist|Juss.}}</small> |亜科 = [[アカザ亜科]][[:w:Chenopodioideae|Chenopodioideae]] |属 = [[ホウレンソウ属]] {{Snamei||Spinacia}} |種 = '''ホウレンソウ {{Snamei||Spinacia oleracea|S. oleracea}}''' |学名 = {{Snamei||Spinacia oleracea}} {{AU|L.}} {{small|(1753)}}<ref name="YList">{{YList|id=5718|taxon=Spinacia oleracea L. ホウレンソウ(標準)|accessdate=2021-12-12}}</ref> |和名 = ホウレンソウ |英名 = Spinach }} '''ホウレンソウ'''(菠薐草{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}・法蓮草{{sfn|金子美登|2012|p=142}}<!--、赤根草-->、 [[学名]]: {{Snamei|Spinacia oleracea}})は、[[ヒユ科]][[アカザ亜科]][[ホウレンソウ属]]{{efn2|最新の[[APG体系]]はヒユ科であるが、古い[[クロンキスト体系]]や[[新エングラー体系]]では[[アカザ科]]に分類された<ref name="YList"/>。}}の[[野菜]]。'''ほうれん草'''とも表記される。[[雌雄異株]]{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=180}}。[[緑黄色野菜]]の1つで、大きく分けると東洋種と西洋種の2系統に分かれる。高温下では生殖生長に傾きやすくなるため、冷涼な地域もしくは冷涼な季節に栽培されることが多い。冷え込むと軟らかくなり、味がよりよくなる。ビタミンや鉄分などの栄養素に富む。 [[カール・フォン・リンネ|リンネ]]の『[[植物の種]]』([[1753年]])で[[記載]]された植物の一つである<ref>{{Cite book|last=Linnaeus|first=Carolus|year=1753|title=Species Plantarum|location=Holmia[Stockholm]|publisher=Laurentius Salvius|page=1027|url=https://www.biodiversitylibrary.org/page/359048|ref=harv|language=la}}</ref>。 == 名前 == ホウレンソウ(菠薐草)の由来は、中国の[[唐代]]に「頗稜(ホリン)国」(現在の[[ネパール]])から伝えられたことによる{{sfn|講談社編|2013|p=125}}。後に改字して「菠薐(ホリン)」となり、日本では転訛して「ホウレン」となった<ref>デジタル大辞泉「[https://kotobank.jp/word/%E8%8F%A0%E8%96%90%E8%8D%89-628767#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 菠薐草:ホウレンソウ]」 コトバンク 2015年5月30日閲覧。</ref><ref>「[http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/Flower%20Information%20by%20Vps/Flower%20Albumn/ch4-vegitables/horenso.htm ほうれんそう (菠薐草)]」跡見群芳譜 2015年5月30日閲覧。</ref>。「ホウレン」の語源は、「菠薐」の[[唐音]]とされる{{sfn|講談社編|2013|p=125}}。 == 歴史 == ホウレンソウの原産地は、[[西アジア]]{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}や[[西南アジア]]{{sfn|講談社編|2013|p=123}}、[[中央アジア]]{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=180}}などと言われ、カスピ海南西部([[コーカサス]]地方{{sfn|丸山亮平編|2017|p=54}}、[[イラン]]{{sfn|金子美登・野口勲監修 成美堂出版編集部編|2011|p=130}})近辺と見られているが野生種は発見されていない{{sfn|講談社編|2013|p=124}}。原産地から東西に分かれて伝播し、それぞれ独立した品種群が成立したと考えられている{{sfn|講談社編|2013|p=123}}。初めて栽培されたのは[[ペルシア]]地方(現在のイラン)で、[[ヨーロッパ]]には[[中世]]末期(12世紀以降)に[[アラブ]]・[[北アフリカ]]を経て持ち込まれ{{sfn|講談社編|2013|p=124}}、他の[[葉菜類]]を凌いで一般的になった。[[東アジア]]には[[シルクロード]]を通って広まり、[[中国]]には[[ネパール]]を経て[[7世紀]]頃に伝わった{{sfn|講談社編|2013|p=124}}。その間、ヨーロッパでは西洋種が、中国では東洋種が成立した{{sfn|講談社編|2013|p=124}}。 日本には[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]末期の[[16世紀]]頃に、中国から東洋種が渡来したと見られている{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}{{sfn|講談社編|2013|p=124}}。1862年頃にはフランスから西洋種が導入され、明治初年にアメリカからも持ち込まれたが、西洋系品種は普及せず{{sfn|講談社編|2013|p=124}}、もっぱら東洋種のほうが好まれ、各地に固有種が誕生した{{sfn|講談社編|2013|p=123}}。大正末期から昭和初期にかけて東洋種と西洋種の交配品種が作られ、日本各地に普及した<ref>講談社編『旬の食材:秋・冬の野菜』、講談社、2004年、p.20.</ref>。西洋種はアクが強いものであったが、葉が肉厚でソテーに向くため次第に広まるようになり{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=51}}、[[第二次世界大戦後]]に、栽培の周年化が進められていく中で、暑さにも強く収量が高い西洋系品種や、交雑種が盛んに栽培されるようになった{{sfn|講談社編|2013|p=124}}。 == 品種 == 葉に切り込みが多い東洋種と、丸葉の西洋種に大別され{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}、東洋種・西洋種・交雑種の3群に分けられる{{sfn|講談社編|2013|p=124}}。東洋系は葉身が薄く、ギザギザした切れ込みが深く、葉の根元が赤い{{sfn|講談社編|2013|p=124}}。また、種には棘がある{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=180}}。西洋種は葉肉が厚く、葉は丸みを帯びて切れ込みが少なく、葉の基部があまり色付かない{{sfn|講談社編|2013|p=124}}。食味は東洋種の方が葉が柔らかくて甘味が出てよいが、長日条件下でトウが立ちやすいため、秋まきに適している{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=180}}。西洋種は灰汁が強く加熱調理向きであるが{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=180}}、トウが立ちにくいという利点がある{{sfn|講談社編|2013|p=122}}。日本では、100種以上のホウレンソウの品種が作られているが{{sfn|主婦の友社編|2011|p=51}}、東洋種と西洋種の交配からできた品種が主流で、一代交配種(F1)が大半で{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}{{sfn|講談社編|2013|p=124}}、外見では西洋種のような丸葉のタイプや、東洋種のような深い切れ込みがある葉のタイプがある{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=180}}。葉の軸(葉柄)や葉脈が赤い品種群は、赤茎種とも呼ばれ、灰汁が少なくあっさりした味わいで、生食にも向く{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=180}}。 '''東洋種''' * 日本ホウレンソウ - 日本在来種。葉の切れ込みが多く、柔らかくて甘味があるのが特徴{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=51}}。株はあまり大きくならずに、葉を地面に広げて育つ{{sfn|金子美登・野口勲監修 成美堂出版編集部編|2011|p=131}}。アクが少なめでお浸しに向く{{sfn|主婦の友社編|2011|p=51}}。 * 山形赤根ほうれんそう - 山形県特産の東洋系の品種で、葉身は薄くてギザギザした切れ込みがあり、1株から10本以上の茎が出るのが特徴。根の部分は紅く、土臭さがない。{{sfn|講談社編|2013|p=124}} '''交雑種'''(交配種) * 剣葉ほうれんそう - 東洋系で葉先が尖り、切れ込みが深いのが特徴で、葉身は薄くて柔らかく、アクが少なくて甘味がある{{sfn|講談社編|2013|p=124}}。「豊葉」「次郎丸」などの品種が知られる{{sfn|金子美登・野口勲監修 成美堂出版編集部編|2011|p=130}}。 * 丸葉ほうれんそう - 葉に丸みがあり柄が太いのが特徴で、葉身は厚く土臭さがある。現在の主流は東洋系と西洋系の交配種{{sfn|講談社編|2013|p=124}}。 '''その他''' * 縮みホウレンソウ - 「寒締め栽培」で寒さに当たって、肉厚の葉に細かなチジミが入るのが特徴。アクが少なく、甘味が強い。{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=51}} * 赤茎ホウレンソウ - ヒユ科の[[スイスチャード]](和名:フダンソウ)との交配で作られた品種で、茎が赤いのが特徴。生食用でアクが少なく、ベビーリーフとしても市場に出回っている。{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=51}} * サラダほうれんそう - 生食用に改良された品種で、全体的に葉の色が薄く、茎は細くて赤いものと緑色のものがある。多くは水耕栽培されている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=51}}。葉が柔らかくでアクが少なく、甘味があってそのまま生食できる。{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=51}}{{sfn|講談社編|2013|p=124}} == 栽培 == [[ファイル:JfCamachilesMabalacatSpinach445fvf.JPG|thumb|ほうれん草畑]] ホウレンソウは種まきから約1か月で収穫でき{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=180}}、生長の度合いは栽培期間中の日照時間の合算で決まる{{sfn|講談社編|2013|p=123}}。耐寒性は極めて強く、0℃以下でも生育を続け、−10℃の低温にも耐える{{sfn|板木利隆|1996|p=80}}。栽培時期は3月 - 6月(春まき)、または9 - 2月(秋まき)がある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=54}}。栽培に適した土壌酸度は [[水素イオン指数|pH]] 6.5 - 7.0で、生育適温 15 - 20℃、発芽適温15 - 20℃とされ、冷涼な気候を好み、酸性土壌や過湿を嫌う性質がある{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=180}}。栽培難度はふつうで、春まきよりも秋まきのほうが育てやすい{{sfn|主婦の友社編|2011|p=51}}。[[連作]]は可能とする文献や{{sfn|主婦の友社編|2011|p=51}}、[[連作障害]]があるので[[輪作]]は1年あけるようにする必要があるとする文献もある{{sfn|金子美登|2012|p=142}}。ホウレンソウの種子は外殻に包まれており、そのままでは発芽率が悪いことから、経済的な栽培にはネーキッド種子と呼ばれる裸種子が用いられる。移植を嫌う直根型であるので、種子は圃場に直接播かれる{{sfn|金子美登|2012|p=142}}。子葉展開後本葉が展開し、葉伸長20 - 30センチメートルの頃に収穫期を迎える。種まきは春まきなら3 - 5月、秋まきなら9 - 11月に行う。収穫は春まきなら4 - 6月、秋まきなら10月 - 翌2月に行う<ref>{{Cite web|和書|title=【家庭菜園のプロ監修】美味しい「ホウレンソウ」の育て方!失敗しない栽培のコツとは? {{!}} AGRI PICK|url=https://agripick.com/84|website=農業・ガーデニング・園芸・家庭菜園マガジン[AGRI PICK]|accessdate=2021-02-27}}</ref>。種子をすじまきか点まきにして、発芽まで水切れしないように管理し、間引きしながら育てていくのが大切なポイントになる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=54}}。また、種をまく時期によって、時期に合った品種を選ぶことも大切となり、春まきはとうが立ちにくい西洋種、秋冬まきは寒さに強い東洋種が向いている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=51}}。 種まきは、酸性土壌では育たないため苦土石灰を多めにまいたり{{sfn|主婦の友社編|2011|p=54}}、完熟堆肥をすき込んで調整した中性土壌に畝を作り、種を筋まきして薄く土を被せるが、被土の厚さが薄く均一でないと発芽しなかったり、発芽してもうまく育たない場合がある{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=181}}。栽培期間が短いホウレンソウは、発芽を揃えることが重要で、種を一昼夜水につけてから、水を切って発根させる「芽だし」をさせた種をまく方法もある{{sfn|丸山亮平編|2017|p=54}}。発芽後の本葉が1 - 2枚のころに、葉が触れ合わない程度に3 - 4センチメートル (cm) 間隔で間引きを行い、株元に土寄せを行う。1週間を目安に繰り返し間引きを行い、2回目は本葉が3 - 4枚で行い間隔を6&nbsp;cmほどにする。その際に、追肥、土寄せも行う{{sfn|主婦の友社編|2011|p=54}}{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=181}}。さらに本葉が4 - 5枚になった頃に、追肥と土寄せを行う{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=181}}。草丈が25&nbsp;cm内外になったら収穫適期で、株ごと抜き取って根を切り落とすか、株元を掘り下げてハサミで根を少し残すように切り取る方法で収穫を行う{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=181}}{{sfn|金子美登|2012|p=143}}。ホウレンソウは、昼間の時間が長くなる「長日条件」になると薹(トウ)が立ち、花茎が伸びて葉が固くなり、味が落ちてしまう性質がある{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=181}}。そのため、街灯などの影響を受けにくい夜間に暗くなる場所で栽培する{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=181}}。 ホウレンソウがおいしくなる時期は冬である{{Efn2|俳句では、春の季語に分類される。}}。寒さや霜に当たると、[[ロゼット]]の様に地面に葉を広げて栄養と甘味を蓄えて肉厚になる性質があり{{sfn|金子美登|2012|p=143}}、収穫前に冷温にさらすこともしばしば行われ、これらの処理は「寒締め(かんじめ)」と呼ばれている。これは[[農業・食品産業技術総合研究機構|農研機構]](農業・食品産業技術総合研究機構)(旧東北農業試験場)が確立した栽培方法である<ref name="nr"/><ref>{{PDFlink|[http://www.naro.affrc.go.jp/tarc/contents/files/manual.pdf 真冬の寒さを活用した寒じめ菜っぱの栽培マニュアル]}}</ref>。寒締めを行ったホウレンソウは、低温ストレスにより糖度の上昇、[[ビタミンC]]、[[ビタミンE]]、[[βカロチン]]の濃度の上昇が起こる。 寒締め栽培は平均気温が低い[[群馬県]]、[[青森県]]などで盛んに行われている。 病虫害には、[[アブラムシ]]、[[ハスモンヨトウ]](ヨトウムシ)、[[べと病]]、[[立ち枯れ病]]{{efn2|カビを起因とし、地際が褐色になって腐ってくびれ、立ち枯れる病気で、温度や湿度が高いと多発する{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=240}}。}}などがある{{sfn|藤田智監修 NHK出版編|2019|p=180}}{{sfn|丸山亮平編|2017|p=54}}。対策として、害虫を見つけたら取り除き、間引きして風通しをよくすることでアブラムシ予防につながる{{sfn|金子美登|2012|p=143}}。ホウレンソウは春まきと秋まきで育てられるが、秋まきのほうが害虫が少なく、育てやすい{{sfn|金子美登|2012|p=143}}。ホウレンソウの種をまいた周辺に、1か月ほど育苗した[[葉ネギ]]を[[コンパニオンプランツ]]として植えておくと、ホウレンソウの害虫を遠ざけ、[[萎ちょう病]](いちょうびょう){{efn2|土中カビが原因で、根から侵入して茎の導管を侵し、下葉から枯れていく病気{{sfn|金子美登|2012|p=242}}。}}を予防する効果がある{{sfn|金子美登|2012|p=143}}。 === 収穫量と作付面積 === ==== 世界 ==== [[ファイル:Production Quantity & Area Harvested of Spinach all of the world 1961-2013.png|thumb|300px|世界のホウレンソウの収穫量と作付面積の推移(1961-2013年)]] 世界における生産量は[[中華人民共和国]]が91.4%を占め他国を圧倒しているが、日本は世界第4位にランクインする主要生産国である<ref name="nr">{{Cite web|和書|url=https://www.naro.go.jp/publicity_report/season/006535.html|title=今が旬の「ほうれんそう」のお話|accessdate=2008-12-24|publisher=[[農研機構]]}}</ref>。 '''世界の収穫量上位10か国'''(2019年)<ref name="fao">{{cite web|url=http://faostat3.fao.org/download/Q/QC/E|title=FAOSTAT>DOWNLOAD DATA|work=FAOSTAT|publisher=[[国際連合食糧農業機関|FAO]]|language=[[英語]]|accessdate=2014-11-08}}</ref> {| class="wikitable" !順位 !国または地域 !生産量(t) !シェア(構成比) |- |– |世界 |30,107,231 |– |- |1位 |中国 |27,527,619 |91.4% |- |2位 |アメリカ |435,721 |1.4% |- |3位 |トルコ |229,793 |0.8% |- |4位 |日本 |226,865 |0.8% |- |5位 |ケニア |178,707 |0.6% |- |6位 |インドネシア |160,306 |0.5% |- |7位 |フランス |122,670 |0.4% |- |8位 |イラン |118,641 |0.4% |- |9位 |パキスタン |111,215 |0.4% |- |10位 |イタリア |99,520 |0.3% |} ==== 日本 ==== [[ファイル:Production Quantity & Area Harvested of Spinach in Japan 1973-2013.png|thumb|300px|日本のホウレンソウの収穫量と作付面積の推移(1973-2013年)]] 日本で比較的に栽培が多い産地は千葉県と埼玉県である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.maff.go.jp/j/kids/crops/spinach/farm.html|title=農林水産省/ほうれんそう生産量上位について|accessdate=2015-07-01|publisher=農林水産省}}</ref>。市町村別の生産量は岐阜県[[高山市]]が最も多い<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.city.takayama.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/030/shiryou6.pdf|title=平成25年版 高山市の農業|author=高山市農政部農務課・高山市農業経営改善支援センター連絡会|publisher=高山市農政部農務課|accessdate=2015-07-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150701101245/http://www.city.takayama.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/030/shiryou6.pdf|archivedate=2015-07-01}}</ref>。日本における[[2013年]]の年間生産量は250,300tであり<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000027468495|title=作物統計調査>作況調査(野菜)>確報>平成25年産野菜生産出荷統計>年次>2013年|accessdate=2015-07-01|date=2014-12-15|publisher=総務省[[統計局]]|work=e-Stat}}</ref>、生ものはほぼ全部を自給しているが、冷凍ものが約2万t輸入されている。 '''収穫量上位10都道府県'''(2013年)<ref name="es">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?lid=000001128458&layout=datalist|title=作物統計調査>作況調査(野菜)>確報>平成25年産野菜生産出荷統計>年次>2013年|work=e-Stat|publisher=総務省統計局|accessdate=2015-07-01|date=2014-12-15}}</ref> {| class="wikitable sortable" style="text-align:right; font-size:95%" |+ !収穫量順位!!都道府県!!収穫量(t)!!作付面積(ha) |- |1||千葉県||34,300||2,240 |- |2||埼玉県||26,100||2,140 |- |3||群馬県||19,800||1,820 |- |4||宮崎県||18,200||997 |- |5||茨城県||16,300||1,140 |- |6||岐阜県||12,100||1,300 |- |7||福岡県||9,090||627 |- |8||神奈川県||7,920||689 |- |9||北海道||6,750||678 |- |10||愛知県||6,650||489 |- |―||全国計||250,300||21,300 |} '''収穫量上位10市町村'''(2013年)<ref name="es"/> {| class="wikitable sortable" style="text-align:right; font-size:95%" |+ !収穫量順位!!市町村!!所属都道府県!!収穫量(t)!!作付面積(ha) |- |1||[[高山市]]||岐阜県||8,680||960 |- |2||[[太田市]]||群馬県||4,830||466 |- |3||[[久留米市]]||福岡県||4,400||298 |- |4||[[徳島市]]||徳島県||3,750||389 |- |5||[[伊勢崎市]]||群馬県||3,400||347 |- |6||[[川越市]]||埼玉県||3,220||252 |- |7||[[所沢市]]||埼玉県||2,850||226 |- |8||[[狭山市]]||埼玉県||2,100||168 |- |9||[[渋川市]]||群馬県||2,010||166 |- |10||[[石井町]]||徳島県||1,570||160 |- |―||colspan="2" style="text-align:center"|全国計||250,300||21,300 |} == 食用 == 茎葉を食用とする[[緑黄色野菜]]の代表的存在で知られる{{sfn|講談社編|2013|p=125}}。一年中流通しているが、食材としての本来の[[旬]]は冬の11月 - 2月とされ、葉が大きくて緑色が濃く、葉脈がはっきりしているもの、軸は太くしっかりしているものが市場価値の高い良品とされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=50}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}。特に露地栽培ものは、冬の畑で霜に当たって葉に糖分を貯めるため甘味が強くなり、味もよくなる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}。 生食用品種など例外はあるが、[[灰汁]]が多いので基本的に下茹でなどをしてから調理に使われる{{sfn|講談社編|2013|p=124}}。沸騰させた塩を少量入れた湯に、根に近い茎のほうから湯に入れて茹で上げたら、水にさらして灰汁を取るようにするが、栄養分の流失を抑えるため長時間水にさらさないようにする{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=51}}。湯に塩を入れることによって、塩のナトリウムイオンが酸化を抑えて、葉の変色を防ぐ作用がある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=51}}。短時間で茹で上げるために、よく沸騰したたっぷりの熱湯で、少量ずつ手早く茹でたら、冷水にとって急激に冷ますことで、緑色鮮やかに茹であげられる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=51}}。塩分を控えたい場合には、塩を使わないで茹でてもよい{{sfn|主婦の友社編|2011|p=51}}。 元々素材の味が濃く、強い青味を含むため、おひたし、胡麻和え、バター炒め、オムレツなど様々な形で調理される。調理するとかさが3/4程度に減る。和食では[[おひたし]]や[[胡麻和え]]・白和えといった[[和え物]]、[[常夜鍋]]などの鍋物、[[汁の実]]、[[炒め物]]に利用されるほか、すり潰したのち茹でて緑の色素を取り出したものを青寄せといい、木の芽和えの和え衣の色付けに用いる。洋食では[[ソテー]]や[[オムレツ]]の具、[[キッシュ]]、[[グラタン]]、裏ごししたものを使った[[ポタージュ]]、[[パスタ]]や[[パン]]などに用いるほか{{sfn|講談社編|2013|p=124}}、灰汁の少ない生食用のものは[[ルッコラ]]や[[オランダガラシ]]などと共に[[サラダ]]に使われる。 {{中央|<gallery caption="調理例" widths="180px" heights="180px"> Spinach Ohitashi.jpg|[[おひたし]] Hourensougomaae001.jpg|ゴマあえ Spinach and coconut soup at Morgan Arms, Bow, London.jpg|ほうれん草とココナッツのスープ Pizza med gorgonzola, spinat og bacon, March 2010.jpg|ほうれん草が載った[[ピザ]] </gallery>}} === 保存 === 基本的に、時間の経過とともにビタミンなどの栄養素が失われていくため、2 - 3日内に早めに食べきるようにするが{{sfn|主婦の友社編|2011|p=51}}、生葉は湿らせたペーパーで包んで、ポリ袋などに入れて冷蔵すると、4 - 5日持つ{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}{{sfn|講談社編|2013|p=124}}。また長期保存する場合は、下茹でしてからラップに包んで、冷凍する方法もある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}。 アメリカでは、かつて生ホウレンソウはすぐに鮮度が落ちるため流通困難だった時代もあったことから、水煮缶詰にも加工されている<ref name="Column Navi"/>。ただし、輸送方法の進歩により生ホウレンソウの流通が可能になったことや、そもそも水煮缶の食味が良くないことなどの理由により、生ホウレンソウのほうが需要があるため、その出荷数を減らしている<ref name="Column Navi">{{Cite web|和書|title=ポパイにでてくるようなほうれん草の缶詰って売っているの? |url=https://mame-column.com/food/horensou |website=Column Navi |publisher=|access-date=2022-05-28 |language=ja}}</ref>。 === 栄養 === {{栄養価 | name=ほうれんそう 葉 通年平均 生<ref name=mext7>[[文部科学省]] 「[https://www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/1365297.htm 日本食品標準成分表2015年版(七訂)]」</ref>| kJ =84| water=92.4 g| protein=2.2 g| fat=0.4 g| satfat=0.04 g| monofat = 0.02 g| polyfat =0.17 g| carbs=3.1 g| opt1n=[[食物繊維|水溶性食物繊維]]| opt1v=0.7 g| opt2n=[[食物繊維|不溶性食物繊維]]| opt2v=2.1 g| fiber=2.8 g| sodium_mg=16| potassium_mg=690| calcium_mg=49| magnesium_mg=69| phosphorus_mg=47| iron_mg=2.0| zinc_mg=0.7| copper_mg=0.11| Manganese_mg=0.32| selenium_ug =3| betacarotene_ug=4200| vitA_ug =350| vitE_mg =2.1| vitK_ug=270| thiamin_mg=0.11| riboflavin_mg=0.20| niacin_mg=0.6| vitB6_mg=0.14| folate_ug=210| pantothenic_mg=0.20| opt3n=[[ビオチン|ビオチン(B<sub>7</sub>)]] | opt3v=2.9 µg| vitC_mg=35| opt4n=[[硝酸イオン]]| opt4v=0.2 g| opt5n=[[有機酸]]| opt5v=0.9 g| note =ビタミンEはα─トコフェロールのみを示した<ref>[[厚生労働省]] 「[https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000114399.pdf 日本人の食事摂取基準(2015年版)]」</ref>。廃棄部位: 株元| right=1 }} 生葉の可食部100[[グラム]] (g) 中の[[熱量]]は20[[キロカロリー]] (lcal)、水分量は約92%で、[[炭水化物]]は3.1g、[[タンパク質]]2.2g、[[灰分]]1.7g、[[脂質]]0.4gが含まれる{{sfn|講談社編|2013|p=125}}。[[β-カロテン]]や[[ビタミンB群]]、[[ビタミンC]]、[[ビタミンE]]、[[鉄分]]、[[葉酸]]が豊富なことで知られる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=50}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}。[[緑黄色野菜]]であるホウレンソウの濃い緑色は、黄色色素のカロテンと青色色素の[[クロロフィル]](葉緑素)が合わさったものである{{sfn|講談社編|2013|p=125}}。[[ルテイン]]という[[カロテノイド]]を多く含む。株の根元の赤色の部分には、糖質が多めで甘味があり{{sfn|主婦の友社編|2011|p=51}}、鉄分や[[マンガン]]が豊富に含まれる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}。 ホウレンソウに含まれるビタミン類の中でも、ビタミンC量は可食部100[[グラム]] (g) 中、60[[ミリグラム]] (mg) と極めて多く含まれているが、夏場のホウレンソウでは、約20&nbsp;mgと3分の1の量に落ちる{{sfn|講談社編|2013|p=125}}。またホウレンソウを茹でることで、ビタミンC量は約2分の1に失われる{{sfn|講談社編|2013|p=125}}。 ミネラル類も豊富で、[[カリウム]]、[[カルシウム]]、鉄などが多く含まれる{{sfn|講談社編|2013|p=125}}。ホウレンソウは緑黄色野菜の中では鉄分が多い方であるが、[[コマツナ]]よりは少ない。ホウレンソウに含まれる鉄分や葉酸が比較的豊富であることから、造血作用から貧血予防に効果的とされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=50}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}。もともと鉄は吸収率が悪いほうだが、ホウレンソウに含まれるビタミンCと合わせて摂取することで、その吸収率が上がると言われている{{sfn|講談社編|2013|p=125}}。 [[File:Spinach-AAS.JPG|330px|thumb|left|ホウレンソウの[[アミノ酸スコア]]<ref>『タンパク質・アミノ酸の必要量 WHO/FAO/UNU合同専門協議会報告』日本アミノ酸学会監訳、医歯薬出版、2009年5月。ISBN 978-4263705681 邦訳元 ''[http://whqlibdoc.who.int/trs/WHO_TRS_935_eng.pdf Protein and amino acid requirements in human nutrition]'', Report of a Joint WHO/FAO/UNU Expert Consultation, 2007</ref>]] {| class="wikitable" style="float:left; clear:left" |+ ホウレンソウ(100g中)の主な[[脂肪酸]]の種類<ref>[https://data.nal.usda.gov/dataset/usda-national-nutrient-database-standard-reference-legacy-release USDA National Nutrient Database]</ref> |- ! 項目 !! 分量(g) |- | [[脂肪]] || 0.39 |- | [[飽和脂肪酸]] || 0.063 |- | 16:0([[パルミチン酸]])|| 0.049 |- | [[不飽和脂肪酸|一価不飽和脂肪酸]] || 0.01 |- | [[多価不飽和脂肪酸]] || 0.165 |- | 18:2([[リノール酸]]) || 0.026 |- | 18:3([[α-リノレン酸]]) || 0.138 |} {{-}} === その他成分 === ホウレンソウの[[灰汁]]の主成分は[[シュウ酸]]であり、度を越えて多量に摂取し続けた場合、鉄分やカルシウムの吸収を阻害したり{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}、シュウ酸が体内で[[カルシウム]]と結合し腎臓や尿路に[[シュウ酸カルシウム]]の結石を引き起こすことがある{{sfn|主婦の友社編|2011|p=50}}{{sfn|講談社編|2013|p=125}}。シュウ酸はカルシウムとの結合性を有するので、[[削り節]]や[[牛乳]]など[[カルシウム]]を多く含む食品と同時に摂取することで、シュウ酸を難溶解性のシュウ酸カルシウムとしてカルシウムと結合させ、シュウ酸が体内に吸収されにくくすることができる。またシュウ酸は水溶性であるため、多量の水で茹でこぼすことでシュウ酸を茹で汁中に溶出させて相当に減らすことができるので、調理法を工夫するとよいと言われている{{sfn|主婦の友社編|2011|p=50}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=50}}{{sfn|講談社編|2013|p=125}}。 なお、ホウレンソウは[[イヌ]]や[[ネコ]]などの動物のシュウ酸カルシウム尿石症の原因にもなる<ref>[https://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/pamph/petfood_guide/pdf/full.pdf 飼い主のためのペットフード・ガイドライン] 環境省、2020年4月29日閲覧。</ref>。 {{節スタブ}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注"/> === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * [https://urahyoji.com/crops-spinach-w/ 世界のホウレンソウの産地・生産量ランキング] * {{Cite book|和書|author=板木利隆|date=1996-10|title=図解やさしい野菜づくり|page=80|publisher=家の光協会|isbn=978-4259533946|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|title = かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典|date=2012-07-10|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30997-2|page =50 - 51|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =[[金子美登]]・野口勲監修 成美堂出版編集部編|title = 有機・無農薬 家庭菜園 ご当地ふるさと野菜の育て方|date=2011-04-01|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30991-0|pages =130 - 131|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =[[金子美登]]|title=有機・無農薬でできる野菜づくり大事典|date=2012-04-01|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30998-9|pages =142 - 143|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =講談社編|title = からだにやさしい旬の食材 野菜の本|date=2013-05-13|publisher = [[講談社]]|isbn=978-4-06-218342-0|pages =122 - 125|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =主婦の友社編|title = 野菜まるごと大図鑑|date=2011-02-20|publisher = [[主婦の友社]]|isbn=978-4-07-273608-1|pages =50 - 55|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =藤田智監修 NHK出版編|title = NHK趣味の園芸 やさいの時間 藤田智の新・野菜づくり大全|series=生活実用シリーズ|date=2019-03-20|publisher = [[NHK出版]]|isbn=978-4-14-199277-6|page =180 - 181|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author =丸山亮平編|title =野菜づくり大辞典|series=ブティック・ムック|date=2017-05-20|publisher = [[ブティック社]]|isbn=978-4-8347-7465-8|pages =54 - 55|ref=harv}} == 関連項目 == * [[ポパイ]] * [[報・連・相]] == 外部リンク == {{Commons|Spinacia oleracea}} {{Wikispecies|Spinacia oleracea}} * [http://vegetable.alic.go.jp/panfu/spinach/spinach.htm 野菜図鑑「ほうれんそう」] - [[農畜産業振興機構]]Webサイト * {{Kotobank|菠薐草|デジタル大辞泉}} * {{Kotobank|2=食の医学館}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ほうれんそう}} [[Category:ヒユ科]] [[Category:葉菜]] [[Category:春の季語]] [[Category:1753年に記載された植物]]
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ウリ科
ウリ科(うりか、瓜科、学名: Cucurbitaceae)は、被子植物の科である。 類縁については昔から議論があり、新エングラー体系では独立のウリ目 Cucurbitales にした(離弁花類と合弁花類のどちらに入れるか問題となっていた)が、クロンキスト体系ではスミレ目 Violales に分類していた。最新のAPG体系ではシュウカイドウ科などを含むウリ目とする。 ほとんどが巻きひげをもつつる性の草本からなる。ウリ科の植物の多くは熱帯に分布し、人類の歴史上最も古い作物を含む。キュウリ、スイカ、カボチャ、ズッキーニ、ヒョウタン、ヘチマ、トウガン、テッポウウリ、ユウガオ、ツルレイシ(ニガウリ、ゴーヤー)、メロンなど多くの種が古くから果菜や果物として栽培されてきた。また、ラカンカ、キカラスウリなど、果実や塊根を生薬として用いられる種もある。 ククルビタシンは、ウリ科植物に特有のステロイドの一種であり、トリテルペンに属する。キュウリ、メロン、スイカなどのへたに近い部分に含まれる苦味成分である。特にツルレイシ(ニガウリ、ゴーヤー)に多く含まれ、モモルデシチンとともに強烈な苦味の元になっている。 伝統的に、カボチャ亜科 Cucurbitoideae と、ザノニア亜科 Zanonioideae または Nhandiroboideae の2亜科に分けられていた。ただし、Nhandiroboideae は不適格な名であり、Zanonioideae は Fevilleoideae のシノニムであることが指摘されている。かつての全130属のうち、カボチャ亜科に111属、ザノニア亜科に19属が含まれていた。しかし、この分類は系統的ではなく、これに代わる亜科分類も行われていない。 伝統的に8~9連に分けられてきたが、系統的な15連に再編された。 この表は、原始的な連から進化的な連の順に並んでいるが、一部の分岐順序は不確実である。 伝統的に、多数の亜連に分けられてきたが、そのほぼ全てが単系統ではなかった。 連、各連の属、各属の種数は Schaefer & Renner (2011)による。計、95属942–978種が知られている。
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ウリ科は、被子植物の科である。 類縁については昔から議論があり、新エングラー体系では独立のウリ目 Cucurbitales にした(離弁花類と合弁花類のどちらに入れるか問題となっていた)が、クロンキスト体系ではスミレ目 Violales に分類していた。最新のAPG体系ではシュウカイドウ科などを含むウリ目とする。
{{生物分類表 |名称 = ウリ科 |色 = lightgreen |画像 = [[画像:Cucumis sativus1.jpg|250px]] |画像キャプション = [[キュウリ]] |分類体系 = [[APG III]] |界 = [[植物界]] {{sname||Plantae}} |門階級なし = [[被子植物]] {{sname||Angiosperm}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{interlang|en|eudicots}} |亜綱階級なし = [[コア真正双子葉類]] {{interlang|en|core eudicots}} |下綱階級なし = [[バラ類]] {{interlang|en|rosids}} |小綱階級なし = [[マメ類]] {{interlang|en|fabids}} |目 = [[ウリ目]] {{sname||Cucurbitales}} |科 = '''ウリ科''' {{sname||Cucurbitaceae}} |学名 = Cucurbitaceae {{AU|[[アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー|Juss.]]}} |英名 = Gourd family |下位分類名 = 連{{weight|normal|<ref name="Schaefer">{{cite | journal=[[:en:Taxon (journal)|Taxon]] | volume=60 | year=2011 | pages=122–138 | title=Phylogenetic relationships in the order Cucurbitales and a new classification of the gourd family (Cucurbitaceae) | first=Hanno | last=Schaefer | first2=Susanne S. | last2=Renner | url=http://www.umsl.edu/~renners/Schaefer%26Renner_Cucs_Taxon2011.pdf}}</ref>}} |下位分類 = * {{sname|Gomphogyneae}} [[アマチャヅル連]] * {{sname|Triceratieae}} * {{sname|Zanonieae}} [[ザノニア連]] * {{sname|Actinostemmateae}} [[ゴキヅル属|ゴキヅル連]] * {{sname|Indofevilleeae}} * {{sname|Thladiantheae}} [[オオスズメウリ連]] * {{sname|Siraitieae}} [[ラカンカ属|ラカンカ連]] * {{sname|Momordiceae}} [[ツルレイシ属|ツルレイシ連]] * {{sname|Joliffieae}} * {{sname|Bryonieae}} * {{sname|Schizopeponeae}} [[ミヤマニガウリ連]] * {{sname|Sicyoeae}} [[アレチウリ連]] * {{sname|Coniandreae}} * {{sname|Benincaseae}} [[トウガン連]] * {{sname||Cucurbiteae}} [[カボチャ連]] }} '''ウリ科'''(うりか、瓜科、学名: {{sname||Cucurbitaceae}})は、被子植物の科である。 類縁については昔から議論があり、[[新エングラー体系]]では独立の[[ウリ目]] Cucurbitales にした(離弁花類と合弁花類のどちらに入れるか問題となっていた)が、[[クロンキスト体系]]では[[スミレ目]] {{sname||Violales}} に分類していた。最新の[[APG体系]]では[[シュウカイドウ科]]などを含むウリ目とする。 == 特徴 == ほとんどが巻きひげをもつ[[つる性]]の草本からなる。ウリ科の植物の多くは[[熱帯]]に分布し、人類の歴史上最も古い作物を含む。[[キュウリ]]、[[スイカ]]、[[カボチャ]]、[[ズッキーニ]]、[[ヒョウタン]]、[[ヘチマ]]、[[トウガン]]、[[テッポウウリ]]、[[ユウガオ]]、[[ツルレイシ]](ニガウリ、ゴーヤー)、[[メロン]]など多くの種が古くから[[野菜|果菜]]や[[果物]]として栽培されてきた。また、[[ラカンカ]]、[[キカラスウリ]]など、果実や[[塊根]]を[[生薬]]として用いられる種もある。 [[ククルビタシン]]は、ウリ科植物に特有の[[ステロイド]]の一種であり、[[トリテルペン]]に属する。キュウリ、メロン、スイカなどのへたに近い部分に含まれる[[苦味]]成分である。特に[[ツルレイシ]](ニガウリ、ゴーヤー)に多く含まれ、[[モモルデシチン]]とともに強烈な苦味の元になっている。 {{Clear}} == 亜科・連・亜連 == 伝統的に、カボチャ亜科 {{sname|Cucurbitoideae}} と、ザノニア亜科 {{sname|Zanonioideae}} または {{sname|Nhandiroboideae}} の2亜科に分けられていた。ただし、{{sname|Nhandiroboideae}} は不適格な名であり、{{sname|Zanonioideae}} は {{sname|Fevilleoideae}} のシノニムであることが指摘されている<ref name="Schaefer"/>。かつての全130属のうち、カボチャ亜科に111属、ザノニア亜科に19属が含まれていた<ref name="Kocyan">{{cite | journal=[[:en:Molecular Phylogenetics and Evolution|Mol Phylogenet Evol]] | year=2007 | volume=44 | issue=2 | pages=553-77 | title=A multi-locus chloroplast phylogeny for the Cucurbitaceae and its implications for character evolution and classification | last=Kocyan | first=A. | last2=''et al.'' | url=http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/17321763 }}</ref>。しかし、この分類は系統的ではなく、これに代わる亜科分類も行われていない<ref name="Kocyan"/><ref name="Schaefer"/>。 伝統的に8~9連に分けられてきたが、系統的な15連に再編された<ref name="Schaefer"/>。 {|class="wikitable sortable" ! !! 学名 !! 記載者 !! 和名 !! 属数 !! 種数 !! 旧亜科 |- | {{0}}1 || {{sname|Gomphogyneae}} || {{AU|{{Taxonomist|Benth.}} & {{Taxonomist|Hook.f.}}}} || [[アマチャヅル連]] || {{0}}6属 || {{0}}56種 | rowspan="4" | ザノニア亜科 |- | {{0}}2 || {{sname|Triceratieae}} || {{AU|A.Rich.}} || || {{0}}5属 || {{0}}24種 |- | {{0}}3 || {{sname|Zanonieae}} || {{AU|Benth.}} & {{AU|Hook.f.}} || [[ザノニア連]] || {{0}}4属 || {{0}}11–13種 |- | {{0}}4 || {{sname|Actinostemmateae}} || {{AU|H.Schaef.}} & {{AU|S.S.Renner}} || [[ゴキヅル属|ゴキヅル連]] || {{0}}1属 || {{0|00}}3種 |- | {{0}}5 || {{sname|Indofevilleeae}} || {{AU|H.Schaef.}} & {{AU|S.S.Renner}} || || {{0}}1属 || {{0|00}}1種 | rowspan="11" | カボチャ亜科 |- | {{0}}6 || {{sname|Thladiantheae}} || {{AU|H.Schaef.}} & {{AU|S.S.Renner}} || [[オオスズメウリ連]] || {{0}}2属 || {{0}}35種 |- | {{0}}7 || {{sname|Siraitieae}} || {{AU|H.Schaef.}} & {{AU|S.S.Renner}} || [[ラカンカ属|ラカンカ連]] || {{0}}1属 || {{0|00}}<span style="display:none">4</span>3–4種 |- | {{0}}8 || {{sname|Momordiceae}} || {{AU|H.Schaef.}} & {{AU|S.S.Renner}} || [[ツルレイシ属|ツルレイシ連]] || {{0}}1属 || {{0}}60種 |- | {{0}}9 || {{sname|Joliffieae}} || {{AU|Schrad.}} || || {{0}}3属 || {{0}}10種 |- | 10 || {{sname|Bryonieae}} || {{AU|Dumort.}} || || {{0}}3属 || {{0}}15種 |- | 11 || {{sname|Schizopeponeae}} || {{AU|C.Jeffrey}} || [[ミヤマニガウリ連]] || {{0}}2属 || {{0|00}}9–10種 |- | 12 || {{sname|Sicyoeae}} || {{AU|Schrad.}} || [[アレチウリ連]] || 12属 || 264–266種 |- | 13 || {{sname|Coniandreae}} || {{AU|Endl.}} || || 19属 || 147–156種 |- | 14 || {{sname|Benincaseae}} || {{AU|Ser.}} || [[トウガン連]] || 24属 || 204–214種 |- | 15 || {{sname||Cucurbiteae}} || {{AU|Ser.}} || [[カボチャ連]] || 11属 || 100–111種 |} この表は、原始的な連から進化的な連の順に並んでいるが、一部の分岐順序は不確実である。 {{Clade | style=font-size:small; line-height:100% |label1=ウリ科 |{{Clade |{{sname|Gomphogyneae}} アマチャヅル連 |{{Clade |{{Clade |{{sname|Triceratieae}} |{{sname|Zanonieae}} ザノニア連 }} |{{Clade |{{sname|Actinostemmateae}} ゴキヅル連 |{{Clade |{{sname|Indofevilleeae}} |{{sname|Thladiantheae}} オオスズメウリ連 |{{Clade |{{sname|Siraitieae}} ラカンカ連 |{{Clade |{{sname|Momordiceae}} ツルレイシ連 |{{sname|Joliffieae}} |{{Clade |{{sname|Bryonieae}} |{{Clade |{{sname|Schizopeponeae}} ミヤマニガウリ連 |{{sname|Sicyoeae}} アレチウリ連 |{{sname|Coniandreae}} |{{Clade |{{sname|Benincaseae}} トウガン連 |{{sname||Cucurbiteae}} カボチャ連 }} }} }} }} }} }} }} }} }} }} 伝統的に、多数の亜連に分けられてきたが、そのほぼ全てが単系統ではなかった<ref name="Kocyan"/>。 == 属までの分類 == 連、各連の属、各属の種数は Schaefer & Renner (2011)<ref name="Schaefer"/>による。計、95属942–978種が知られている<ref name="Schaefer"/>。 === {{sname|Triceratieae}} === * {{snamei||Fevillea}} [[フェビレア属]] - 8種。 * {{snamei|Anisosperma}} - 1種。 * {{snamei|Cyclantheropsis}} - 3種。 * {{snamei|Pteropepon}} - 5種。{{snamei|Pseudosicydium}} を含む。 * {{snamei|Sicydium }} - 7種。{{snamei|Chalema}} を含む。 === {{sname|Zanonieae}} ザノニア連 === * {{snamei||Gerrardanthus}} [[ゲラルダンサス属]] - 3–5種。 * {{snamei||Zanonia}} [[ザノニア属]] - 1種。 * {{snamei|Siolmatra}} - 2種。 * {{snamei||Xerosicyos}} - 5種。{{snamei|Zygosicyos}} を含む。 {{gallery |width=140 |lines=3 |File:Gerrardanthus macrorhizus Habitus BotGardBln0806b.JPG|{{snamei|Gerrardanthus macrorhizus}}<br/>[[胚軸]]の肥大する[[多肉植物]]として愛好家の間で'''眠り布袋'''の園芸名で流通。[[アフリカ大陸]]南部東岸に自生。 |File:Xerosicyos danguyi.JPG|{{snamei|Xerosicyos danguyi}}<br/>葉身の肥大する多肉植物として愛好家の間で'''グリーンドラム'''、'''緑の太鼓'''などの園芸名で流通。[[マダガスカル]]産。 }} === {{sname|Actinostemmateae}} ゴキヅル連 === * {{snamei|Actinostemma}} [[ゴキヅル属]] - 3種。{{snamei|Bolbostemma}} を含む。 === {{sname|Indofevilleeae}} === * {{snamei|Indofevillea}} - 1種。 === {{sname|Thladiantheae}} オオスズメウリ連 === * {{snamei|Thladiantha}} [[オオスズメウリ属]] - 30種。 * {{snamei|Baijiania}} - 5種。{{snamei|Sinobaijiania}} を含む。 {{gallery |width=140 |lines=3 |File:Thladiantha villosula 2007-06-02 (plant).jpg|{{snamei|Thladiantha villosula}} |File:Thladiantha dubia.jpg|[[オオスズメウリ]]<br/>{{snamei||Thladiantha dubia}} }} === {{sname|Siraitieae}} ラカンカ連 === * {{snamei||Siraitia}} [[ラカンカ属]] - 3–4種。{{snamei|Microlagenaria}} を含む。 {{gallery |width=140 |lines=3 |File:Fructus Momordicae.jpg|[[ラカンカ]]<br/>{{snamei||Siraitia grosvenorii}} }} === {{sname|Momordiceae}} ツルレイシ連 === * {{snamei||Momordica}} [[ツルレイシ属]] - 60種。 {{gallery |width=140 |lines=3 |File:Momordica charantia1.jpg|[[ツルレイシ]]<br/>{{snamei||Momordica charantia}} }} === {{sname|Joliffieae}} === * {{snamei|Cogniauxia}} [[コグニオーキシア属]] - 2種。 * {{snamei||Telfairia}} - 3種。 * {{snamei|Ampelosicyos}} - 5種。{{snamei|Odosicyos}} オドシキオス属・{{snamei|Tricyclandra}} を含む。 === {{sname|Bryonieae}} === * {{snamei|Austrobryonia}} - 4種。 * {{snamei||Bryonia}} [[ブリオニア属]] - 10種。 * {{snamei||Ecballium}} [[テッポウウリ属]] - 1種。 {{gallery |width=140 |lines=3 |File:Ecballium elaterium fruit and flower.jpg|[[テッポウウリ]]<br/>{{snamei||Ecballium elaterium}} |File:Bryonia dioica1LEMI.jpg|{{snamei||Bryonia dioica}} }} === {{sname|Schizopeponeae}} ミヤマニガウリ連 === * {{snamei|Schizopepon}} [[ミヤマニガウリ属]] - 6–8種。 * {{snamei|Herpetospermum}} - 3種。{{snamei|Edgaria}}・{{snamei|Biswarea}} を含む。 === {{sname|Sicyoeae}} アレチウリ連 === * {{snamei||Nothoalsomitra}} - 1種。 * {{snamei||Luffa}} [[ヘチマ属]] - 5–7種。 * {{snamei||Trichosanthes}} [[カラスウリ属]] - 100種。{{snamei|Gymnopetalum}} を含む。 * {{snamei||Hodgsonia}} - 2種。 * {{snamei|Linnaeosicyos}} - 1種。 * {{snamei||Echinocystis}} [[エキノキスティス属]] - 1種。 * {{snamei||Marah (plant)|Marah}} [[マラー属]] - 7種。 * {{snamei|Frantzia}} - 5種。 * {{snamei||Sicyos}} [[アレチウリ属]] - 75種。{{snamei|Microsechium}}・{{snamei|Sicyocaulis}}・{{snamei|Sicyosperma}}・{{snamei|Parasicyos}} パラシキオス属・{{snamei||Sechium}} ハヤトウリ属・{{snamei|Sechiopsis}} を含む。 * {{snamei||Hanburia}} - 7種。{{snamei|Elateriopsis}} を含む。 * {{snamei|Cyclanthera}} [[バクダンウリ属]] - 40種。{{snamei|Rytidostylis}}・{{snamei||Pseudocyclanthera}} を含む。 * {{snamei|Echinopepon}} - 20種。{{snamei|Apatzingania}}・{{snamei||Brandegea}} ブランデゲア属・{{snamei|Vaseyanthus}} を含む。 {{gallery |width=140 |lines=3 |File:Luffa aegyptica.jpg|[[ヘチマ]]<br/>{{snamei||Luffa cylindrica}} |File:Luffa acutangula1.jpg|[[トカドヘチマ]]<br/>{{snamei||Luffa acutangula}} |File:Marah macrocarpa staminate flowers 2004-03-10.jpg|{{snamei|Marah macrocarpa}} |File:Echinocystis lobata.jpg|[[ワイルド・キューカンバー]] {{snamei||Echinocystis lobata}} |File:Cyclanthera pedata1.jpg|{{snamei||Cyclanthera pedata}} |File:Cyclanthera explodens Cyclanthera brachystachya HabitusFlowerFruits BotGardBln0906a.JPG|[[バクダンウリ]]<br/>{{snamei|Cyclanthera explodens}} |File:Marah oreganus 001.jpg|{{en|coastal manroot}}<br/>{{snamei||Marah oreganus}} |File:Sicyos angulatus 001.JPG|[[アレチウリ]]<br/>{{snamei||Sicyos angulatus}}<br/>[[特定外来生物]]。 |File:Sechium edule germination 2.JPG|[[ハヤトウリ]]<br/>{{snamei||Sicyos edule}} |File:Hodgsonia heteroclita fruit.jpg|{{snamei||Hodgsonia heteroclita}} |File:Trichosanthes cucumeroides fruits1.jpg|[[カラスウリ]]<br/>{{snamei|Trichosanthes cucumeroides}} |File:Trichosanthes Cucumerina aka Snake Gourd.jpeg|[[ヘビウリ]]<br/>{{snamei||Trichosanthes cucumerina}} }} === {{sname|Coniandreae}} === * {{snamei|Bambekea}} - 1種。 * {{snamei||Eureiandra}} [[ユーレイアンドラ属]] - 8種。 * {{snamei||Dendrosicyos}} [[デンドロシキオス属]] - 1種。 * {{snamei||Seyrigia}} - 6種。 * {{snamei|Trochomeriopsis}} - 1種。 * {{snamei|Halosicyos}} [[ハロシキオス属]] - 1種。 * {{snamei|Cucurbitella}} - 1種。 * {{snamei|Corallocarpus}} [[コラロカルプス属]] - 17種。 * {{snamei|Kedrostis}} [[ケドロステス属]] - 28種。 * {{snamei|Ceratosanthes}} [[ケラトサンテス属]] - 4種。 * {{snamei|Doyerea}} [[ドイエレア属]] - 1種。 * {{snamei|Gurania}} - 37種。 * {{snamei|Psiguria}} - 6.12種。 * {{snamei|Helmontia}} - 2.4種。 * {{snamei|Melotrianthus}} - 1.3種。 * {{snamei|Wilbrandia}} - 5種。 * {{snamei||Apodanthera}} [[アポダンテラ属]] - 16種。{{snamei|Guraniopsis}} を含む。 * {{snamei||Tumamoca}} - 2種。 * {{snamei|Ibervillea}} [[イベルビレア属]] - 9–10種。{{snamei|Dieterlea}} ディエテレア属 を含む。 {{gallery |width=140 |lines=3 |File:Kedrostis nana 02 ies.jpg|{{snamei|Kedrostis nana}} |File:Cucumber tree (6407165121).jpg |{{snamei||Dendrosicyos socotranus}}<br />ウリ科唯一の木本で、[[ソコトラ島]]固有種。 |File:Ibervillea tenuisecta 01 ies.jpg|{{snamei|Ibervillea tenuisecta}} |File:Gurania malacophylla (flower) - Botanical Garden Cologne.jpg|{{snamei|Gurania malacophylla}} }} === {{sname|Benincaseae}} トウガン連 === * {{snamei||Citrullus}} [[スイカ属]] - 4種。 * {{snamei|Peponium}} - 20種。 * {{snamei||Lagenaria}} [[ユウガオ属]] - 6種。 * {{snamei||Acanthosicyos}} - 1種。 * {{snamei|Raphidiocystis}} - 5種。 * {{snamei|Cephalopentandra}} [[ケファロペンタンドラ属]] - 1種。 * {{snamei|Lemurosicyos}} - 1種。 * {{snamei|Solena}} [[テングスズメウリ属]] - 3種。 * {{snamei|Borneosicyos}} - 1&ndash;2種。 * {{snamei||Benincasa}} [[トウガン属]] - 2種。{{snamei||Praecitrullus}} を含む。 * {{snamei|Ctenolepis}} - 3種。{{snamei|Zombitsia}} を含む。 * {{snamei|Dactyliandra}} - 2種。 * {{snamei|Khmeriosicyos}} - 1種。 * {{snamei|Papuasicyos}} - 8種。{{snamei|Urceodiscus}} を含む。 * {{snamei|Scopellaria}} - 2種。 * {{snamei|Trochomeria}} - 8種。 * {{snamei|Indomelothria}} - 2種。 * {{snamei|Melothria}}<ref>従来 {{snamei|Melothria}} がスズメウリ属と訳されてきたが、アジアの種は {{snamei|Zehneria}} に分離された。詳細は Schaefer & Susanne (2011)。</ref> - 12種。{{snamei|Melancium}}・{{snamei|Cucumeropsis}}・{{snamei||Posadaea}} を含む。 * {{snamei|Ruthalicia}} - 2種。 * {{snamei|Muellerargia}} - 2種。 * {{snamei||Cucumis}} [[キュウリ属]] - 65種。 * {{snamei||Zehneria}} [[スズメウリ属]] - 約60種。{{snamei|Anangia}}・{{snamei|Neoachmandra}} を含む。 * {{snamei||Diplocyclos}} [[オキナワスズメウリ属]] - 4種。 * {{snamei||Coccinia}} [[コッキニア属]] - 30種。 {{gallery |width=140 |lines=3 |File:Courge encore verte.jpg|[[ヒョウタン]]<br/>{{snamei||Lagenaria siceraria}} |File:W tougan4091.jpg|[[トウガン]]<br/>{{snamei||Benincasa hispida}} |File:Summer 99.jpg|[[スイカ]]<br/>{{snamei||Citrullus lanatus}} |File:0892 Narafrucht Sossusvlei.JPG|[[カラタチウリ]]<br/>{{snamei||Acanthosicyos horridus}}<br/>[[ナミブ砂漠]]産。 |File:Coccinia grandis fruit.jpg|[[ヤサイカラスウリ]]<br/>{{snamei||Coccinia grandis}} |File:Komkommer plant.jpg|[[キュウリ]]<br/>{{snamei||Cucumis sativus}} |File:Muskmelon.jpg|[[メロン]]の一種<br/>{{snamei||Cucumis melo}} {{la|var.}} |ファイル:Cucumis melo var. makuwa 01.jpg|[[マクワウリ]]<br/>{{snamei||Cucumis melo}} {{la|var.}} |File:Horned melon CDC.jpg|[[キワノ]]<br/>{{snamei||Cucumis metuliferus}} |File:Melothria scabra fruit.jpg|[[きゅうりメロン]]<br/>{{snamei||Melothria scabra}} }} === Cucurbiteae カボチャ連 === * {{snamei|Polyclathra}} - 6種。 * {{snamei|Peponopsis}} - 1種。 * {{snamei||Cucurbita}} [[カボチャ属]] - 15種。 * {{snamei|Calycophysum}} - 5種。 * {{snamei||Sicana}} - 4種。 * {{snamei|Penelope}} - 2種。{{snamei|Anacaona}} を含む。 * {{snamei|Tecunumania}} - 1種。 * {{snamei|Schizocarpum}} - 11種。 * {{snamei|Cionosicys}} - 4&ndash;5種。 * {{snamei||Abobra}} - 1種。 * {{snamei|Cayaponia}} - 50&ndash;59種。{{snamei|Selysia}} を含む。 {{gallery |width=140 |lines=3 |File:Cukety1.jpg|[[ズッキーニ]]等<br/>{{snamei||Cucurbita pepo}} |File:Sicana odorifera E Andre 1890.jpg|{{snamei||Sicana odorifera}} }} == 旧分類 == === {{sname|Zanonioideae}} ザノニア亜科 === * {{sname|Zanonieae}} ザノニア連 ** {{sname|Fevilleinae}} 亜連 - {{snamei|Fevillea}} フェビレア属 ** {{sname|Zanoniinae}} 亜連 - {{snamei|Alsomitra}}・{{snamei|Zanonia}}・{{snamei|Siolmatra}}・{{snamei|Gerrardanthus}} ゲラルダンサス属・{{snamei|Zygosicyos}}・{{snamei|Xerosicyos}}・{{snamei|Neoalsomitra}} ネオアルソミトラ属 ** {{sname|Gomphogyninae}} 亜連 - {{snamei|Hemsleya}}・{{snamei|Gomphogyne}}・{{snamei|Gynostemma}} アマチャヅル属 ** {{sname|Actinostemmatinae}} 亜連 - {{snamei|Bolbostemma}}・{{snamei|Actinostemma}} ゴキヅル属 ** {{sname|Sicydiinae}} 亜連 - {{snamei|Sicydium}}・{{snamei|Chalema}}・{{snamei|Pteropepon}}・{{snamei|Pseudosicydium}}・{{snamei|Cyclantheropsis}} === {{sname|Cucurbitoideae}} カボチャ亜科 === * {{sname|Melothrieae}} 連 ** {{sname|Dendrosicyinae}} 亜連 - {{snamei|Kedrostis}} ケドロステス属・{{snamei|Dendrosicyos}} デンドロシキオス属・{{snamei|Corallocarpus}} コラロカルプス属・{{snamei|Ibervillea}} イベルビレア属・{{snamei|Tumamoca}}・{{snamei|Halosicyos}} ハロシキオス属・{{snamei|Ceratosanthes}} ケラトサンテス属・{{snamei|Doyerea}} ドイエレア属・{{snamei|Trochomeriopsis}}・{{snamei|Seyrigia}}・{{snamei|Dieterlea}} ディエテレア属・{{snamei|Cucurbitella}} ククルビテラ属・{{snamei|Apodanthera}} アポダンテラ属・{{snamei|Guraniopsis}}・{{snamei|Melothrianthus}}・{{snamei|Wilbrandia}} ** {{sname|Guraniinae}} 亜連 - {{snamei|Helmontia}}・{{snamei|Psiguria}}・{{snamei|Gurania}} ** {{sname|Cucumerinae}} 亜連 - {{snamei|Cucumis}} キュウリ属({{snamei|Mukia}} サンゴジュスズメウリ属・{{snamei|Dicaelospermum}}・{{snamei|Cucumella}} ククメラ属・{{snamei|Oreosyce}}・{{snamei|Myrmecosicyos}}・{{snamei|Melancium}} を含む<ref>{{cite journal| last = Renner, S. S.| first = Schaefer, H. | last2=Kocyan | first2=A.| title = Phylogenetics of Cucumis (Cucurbitaceae): Cucumber (''C. sativus'') belongs in an Asian/Australian clade far from melon (''C. melo'')| journal = [[:en:BMC Evolutionary Biology|BMC Evolutionary Biology]] | volume = 7| year = 2007| pages = 58–69| doi = 10.1186/1471-2148-7-58}}</ref>)・{{snamei|Cucumeropsis}}・{{snamei|Posadaea}}・{{snamei|Melothria}} スズメウリ属<ref name="suzume">参考: http://www2.mmc.atomi.ac.jp/web01/Flower%20Information%20by%20Vps/Flower%20Albumn/ch5-wild%20flowers/suzumeuri.htm#melothria</ref>・{{snamei|Muellarargia}}・{{snamei|Zehneria}} スズメウリ属<ref name="suzume" /> ** {{sname|Trochomeriinae}} 亜連 - {{snamei|Solena}} テングスズメウリ属・{{snamei|Trochomeria}}・{{snamei|Dactyliandra}}・{{snamei|Ctenolepsis}} * {{sname|Joliffieae}} 連 ** {{sname|Thladianthinae}} 亜連 - {{snamei|Indofevillea}}・{{snamei|Siraitia}} (ラカンカ属・{{snamei|Thladiantha}} オオスズメウリ属・{{snamei|Momordica}} ツルレイシ属 ** {{sname|Telfairiinae}} 亜連 - {{snamei|Telfaria}} * {{sname|Schizopeponeae}} ミヤマニガウリ連 ** {{snamei|Schizopepon}} ミヤマニガウリ属 * {{sname|Trichosantheae}} カラスウリ連 ** {{sname|Hodgsoniinae}} 亜連 - {{snamei|Hodgsonia}} ** {{sname|Ampelosicyinae}} 亜連 - {{snamei|Ampelosicyos}}・{{snamei|Peponium}} ** {{sname|Trichosanthinae}} 亜連 - {{snamei|Gymnopetalum}}・{{snamei|Trichosanthes}} カラスウリ属・{{snamei|Tricyclandra}} ** {{sname|Herpetosperminae}} 亜連 - {{snamei|Cephalopentandra}} ケファロペンタンドラ属・{{snamei|Biswarea}}・{{snamei|Herpetospermum}}・{{snamei|Edgaria}} * {{sname|Sicyeae}} アレチウリ連 ** {{sname|Cyclantherinae}} 亜連 - {{snamei|Hanburia}}・{{snamei|Echinopepon}}・{{snamei|Marah}} マラー属・{{snamei|Echinocystis}} エキノキスティス属・{{snamei|Vaseyanthus}}・{{snamei|Brandegea}} ブランデゲア属・{{snamei|Apatzingania}}・{{snamei|Cremastopus}}・{{snamei|Elateriopsis}}・{{snamei|Pseudocyclanthera}}・{{snamei|Cyclanthera}} バクダンウリ属・{{snamei|Rytidostylis}} ** {{sname|Sicyinae}} 亜連 - {{snamei|Sicyos}} アレチウリ属・{{snamei|Sicyosperma}}・{{snamei|Parasicyos}} パラシキオス属・{{snamei|Microsechium}}・{{snamei|Sechium}} ハヤトウリ属・{{snamei|Sechiopsis}}・{{snamei|Pterosicyos}} * {{sname|Benincaseae}} トウガン連 ** {{sname|Benincasinae}} 亜連 - {{snamei|Cogniauxia}} コグニオーキシア属・{{snamei|Ruthalicia}}・{{snamei|Lagenaria}} ヒョウタン|ユウガオ属・{{snamei|Benincasa}} トウガン属・{{snamei|Praecitrullus}}・{{snamei|Citrullus}} スイカ属・{{snamei|Acanthosicyos}}・{{snamei|Eureiandra}} ユーレイアンドラ属・{{snamei|Bambekea}}・{{snamei|Nothoalsomitra}}・{{snamei|Coccinia}} コッキニア属・{{snamei|Diplocyclos}} オキナワスズメウリ属・{{snamei|Raphidiocystis}}・{{snamei|Lemurosicyos}}・{{snamei|Zombitsia}}・{{snamei|Ecballium}} テッポウウリ属・{{snamei|Bryonia}} ブリオニア属 ** {{sname|Luffinae}} 亜連 - {{snamei|Luffa}} ヘチマ属 * {{sname|Cucurbiteae}} カボチャ連 ** {{snamei|Cucurbita}} カボチャ属・{{snamei|Sicana}}・{{snamei|Tecunumania}}・{{snamei|Calycophysum}}・{{snamei|Peponopsis}}・{{snamei|Anacaona}}・{{snamei|Polyclathra}}・{{snamei|Schizocarpum}}・{{snamei|Penelopeia}}・{{snamei|Cionosicyos}}・{{snamei|Cayaponia}}・{{snamei|Selysia}}・{{snamei|Abobra}} === {{la|incertae sedis}} === * {{snamei|Odosicyos}} オドシキオス属 == 脚注 == {{reflist}} == 関連項目 == * [[ウリハムシ]] == 外部リンク == {{commonscat|Cucurbitaceae}} * [http://www.alpine-plants-jp.com/art/index_urika.htm ウリ科(種子等の画像):フラボン] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:うりか}} [[Category:ウリ科|*]] [[Category:つる植物]]
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2022-05-02T09:15:26Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AA%E7%A7%91
3,148
セリ科
セリ科 (セリか、Apiaceae) は、ニンジンやパセリを含む被子植物の科の一つ。芳香を持ち、ハーブや野菜、香辛料として使われる種を多く含む。 セリ科の植物には抗変異原性があるものが多い。かつて、セリ科の植物は、デザイナーフーズ計画でがん予防に効果のある食物として上位の重要度に位置付けられていた。 特徴的な散形(傘形)花序をつけるので、古くは散形科または傘形科(さんけいか)と呼ばれた。ラテン名の代替名である Umbelliferae も同じ意味である。牧野 (1940) はからかさばな科と訳している。子房下位で果実は分果(2個に割れる)。 およそ400属3700種が含まれる。代表的なものを記す。 ウマノミツバ亜科 セリ亜科
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セリ科 (セリか、Apiaceae) は、ニンジンやパセリを含む被子植物の科の一つ。芳香を持ち、ハーブや野菜、香辛料として使われる種を多く含む。 セリ科の植物には抗変異原性があるものが多い。かつて、セリ科の植物は、デザイナーフーズ計画でがん予防に効果のある食物として上位の重要度に位置付けられていた。 特徴的な散形(傘形)花序をつけるので、古くは散形科または傘形科(さんけいか)と呼ばれた。ラテン名の代替名である Umbelliferae も同じ意味である。牧野 (1940) はからかさばな科と訳している。子房下位で果実は分果(2個に割れる)。
{{生物分類表 |名称 = セリ科 |色 = lightgreen |画像=[[画像:Cow Parsnip.jpg|250px]] |画像キャプション = [[オオハナウド]] |分類体系 = [[APG III]] |界 = [[植物界]] {{Sname||Plantae}} |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||angiosperms}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||eudicots}} |亜綱階級なし = [[コア真正双子葉類]] {{Sname||core eudicots}} |下綱階級なし = [[キク類]] {{Sname||asterids}} |上目階級なし = [[キキョウ類]] {{Sname||campanulids}} |目 = [[セリ目]] {{Sname||Apiales}} |科 = '''セリ科''' {{Sname|Apiaceae}} |学名 = {{Sname|Apiaceae}}{{AUY|Lindley|1836|bio=bot}} [[nom. cons.]] <ref name="APG_II">[[#APG_II_bibliography|APG II (2003)]]</ref><br />(Umbelliferae<br />{{AUY|Juss.|1789|bio=bot}} [[nom. cons.|nom. alt. et cons.]] <ref name="APG_II" />) |下位分類名 = [[属 (分類学)|属]] |下位分類 = * 本文参照 }} '''セリ科''' (セリか、Apiaceae) は、[[ニンジン]]や[[パセリ]]を含む[[被子植物]]の[[科 (分類学)|科]]の一つ。芳香を持ち、[[ハーブ]]や[[野菜]]、[[香辛料]]として使われる[[種 (分類学)|種]]を多く含む。 セリ科の植物には抗[[変異原性]]があるものが多い<ref>上田成子, 桑原祥浩, 平位信子 ほか、「[https://doi.org/10.3136/nskkk1962.38.507 野菜類およびキノコ類の抗変異原性について]」 日本食品工業学会誌 1991年 38巻 6号 p.507-514, {{doi|10.3136/nskkk1962.38.507}}</ref>。かつて、セリ科の植物は、[[デザイナーフーズ計画]]で[[がん]]予防に効果のある食物として上位の重要度に位置付けられていた<ref>大澤俊彦、「[https://doi.org/10.2740/jisdh.20.11 がん予防と食品]」『日本食生活学会誌』 2009年 20巻 1号 p.11-16, {{doi|10.2740/jisdh.20.11}}</ref>。 特徴的な散形(傘形)[[花序]]をつけるので、古くは'''散形科'''または'''傘形科'''(さんけいか)と呼ばれた。ラテン名の[[保留名|代替名]]である Umbelliferae も同じ意味である。{{Harvcoltxt|牧野|1940}} は'''からかさばな科'''と訳している<ref>{{Cite book|和書|last=牧野|first=富太郎|authorlink=牧野富太郎|title=牧野日本植物圖鑑|url=http://www.hokuryukan-ns.co.jp/makino/index.php?no1=H1|publisher=北隆館|year=1940|page=目次3|ref=harv}}</ref>。[[子房]]下位で[[果実]]は分果(2個に割れる)。 == 含まれる属・種 == およそ400属3700種が含まれる<ref>[[#APWeb|Stevens (2001 onwards)]] では約434属3780種、[[#delta_angio|Watson & Dallwitz (1991 onwards)]] では約420属2850種、</ref>。代表的なものを記す。 * [[ツボクサ属]] ''Centella'' <ref name="Araliaceae" />:[[ツボクサ]] - かつては下記のチドメグサ属とともにチドメグサ亜科(Hydrocotyloideae)とされていたが、[[APG分類体系]]ではチドメグサ属が[[ウコギ科]]に移されたため、チドメグサ亜科はウコギ科の亜科を指すものとなっている。 * (参考:かつてはセリ科に含められた)[[チドメグサ属]] ''Hydrocotyle'' <ref name="Araliaceae">[[チドメグサ属]](''Hydrocotyle'':雑草のチドメグサや外国産の水草を含む)、[[ツボクサ属]]、ソライロゼリ属<!-- 米倉『高等植物分類表』で採用の属の和名 --> (''Trachymene'') は従来セリ科に入れられていたが、[[#APWeb|APWeb (Stevens 2001 oward)]]では[[ウコギ科]]の系統に含める。[[アゲハチョウ]]亜科の一部の蝶([[キアゲハ]]など)はセリ科植物を食草とするが、そのうち''Papilio ajax'' はチドメグサ属植物を食べなかったとの報告もある。</ref> -[[チドメグサ]] ウマノミツバ亜科 * [[ウマノミツバ属]] ''Sanicula'' -[[ウマノミツバ]] セリ亜科 * [[エゾボウフウ属]] ''Aegopodium'' -[[エゾボウフウ]] * [[イノンド属]] ''Anethum'' - [[イノンド]](ディル) * [[シシウド属]] ''Angelica'' - [[アシタバ]]、[[トウキ]]、[[セイヨウトウキ|アンゼリカ]] * [[シャク属]] ''Anthriscus'' - [[シャク (植物)|シャク]]、[[チャービル]] * [[オランダミツバ属]] ''Apium'' -[[セロリ]] * [[エキサイゼリ属]] ''Apodicarpum'' * [[ミシマサイコ属]] ''Bupleurum'' -[[ホタルサイコ]] * [[ヒメウイキョウ属]] ''Carum'' - [[キャラウェイ]] * [[セントウソウ属]] ''Chamaele'' -[[セントウソウ]] * [[ドクゼリ属]] ''Cicuta'' -[[ドクゼリ]] * [[ハマゼリ属]] ''Cnidium'' -[[ハマゼリ]] * [[エゾノシシウド属]] ''Coelopleurum'' -[[エゾノシシウド]] * [[ミヤマセンキュウ属]] ''Conioselinum'' -[[ミヤマセンキュウ]] * [[ドクニンジン属]] ''Conium'' -[[ドクニンジン]] * [[コエンドロ属]] ''Coriandrum'' -[[コリアンダー]] * [[ミツバ属]] ''Cryptotaenia'' -[[ミツバ]] * [[クミン属]] ''Cuminum'' -[[クミン]] * [[ニンジン属]] ''Daucus'' -[[ニンジン]]、[[ノラニンジン]] * [[セリモドキ属]] ''Dystaenia'' -[[セリモドキ]] * [[ヒゴタイサイコ属]] ''Eryngium'' * [[ウイキョウ属]] ''Foeniculum'' -[[フェンネル]](ウイキョウ・茴香) * [[オオウイキョウ属]] ''Ferula'' -[[オオウイキョウ]]、[[アサフェティダ]] * [[ハマボウフウ属]] ''Glehnia'' -[[ハマボウフウ]] * [[ハナウド属]] ''Heracleum'' -[[オオハナウド]] * [[イブキボウフウ属]] ''Libanotis'' -[[イブキボウフウ]] * [[マルバトウキ属]] ''Ligusticum'' [[マルバトウキ]] * [[ミルリス属]] ''Myrrhis'' - [[スイートシスリー]] * [[セリ属]] ''Oenanthe'' - [[セリ]] * [[ヤブニンジン属]] ''Osmorhiza'' - [[ヤブニンジン]] * [[ヤマゼリ属]] ''Ostericum'' - [[ヤマゼリ]] * [[アメリカボウフウ属]] ''Pastinaca'' -[[パースニップ|アメリカボウフウ]] * [[オランダゼリ属]] ''Petroselinum'' -[[パセリ]]、[[イタリアンパセリ]] * [[カワラボウフウ属]] ''Peucedanum'' -[[ハクサンボウフウ]] * [[ミツバグサ属]] ''Pimpinella'' * [[オオカサモチ属]] ''Pleurospermum'' -[[オオカサモチ]] * [[イワセントウソウ属]] ''Pternopetalum'' -[[イワセントウソウ]] * [[シムラニンジン属]] ''Pterygopleurum'' -[[シムラニンジン]] * [[ムカゴニンジン属]] ''Sium'' -[[ヌマゼリ]] * [[カノツメソウ属]] ''Spuriopimpinella'' -[[カノツメソウ]] * [[シラネニンジン属]] ''Tilingia'' -[[シラネニンジン]] * [[ヤブジラミ属]] ''Torilis'' -[[ヤブジラミ]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == *{{Cite book | 和書 | author = 佐竹義輔・大井次三郎・北村四郎他(編) | title = 日本の野生植物 | volume = 草本II 離弁花類 | year = 1982 | publisher = 平凡社}} *[https://web.archive.org/web/20110828124112/http://bean.bio.chiba-u.jp/bgplants/ylist_srch_easy.html 米倉浩司・梶田忠 (2003-)「BG Plants 和名−学名インデックス」(YList)] *{{Cite web | url = http://www.mobot.org/MOBOT/Research/APweb/orders/apialesweb.htm#Apiaceae | title = Apiaceae | author = Stevens, P. F. | year = 2001 onwards | work = [http://www.mobot.org/MOBOT/Research/APweb/ Angiosperm Phylogeny Website] Version 9, June 2008 [and more or less continuously updated since] | accessdate = 2012-07-29 | ref = APWeb }}. *{{Cite journal | author = Angiosperm Phylogeny Group | title = An update of the Angiosperm Phylogeny Group classification for the orders and families of flowering plants: APG II | journal = Botanical Journal of the Linnean Society | year = 2003 | volume = 141 | pages = 399–436 | ref = APG_II_bibliography | url = http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1046/j.1095-8339.2003.t01-1-00158.x/pdf | format = PDF}}(APG II。[[オープンアクセス]]) *{{Cite journal | author = The Angiosperm Phylogeny Group | title = An update of the Angiosperm Phylogeny Group classification for the orders and families of flowering plants: APG III | journal = Botanical Journal of the Linnean Society | year = 2009 | volume = 161 | issue = 2 | pages = 105-121 | url = http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1095-8339.2009.00996.x/pdf | format = PDF | ref = APG_III_bibliography }}(APG III。[[オープンアクセス]]) *{{Cite web | author = Watson, L., and Dallwitz, M.J. | year = 1992 onwards | title = Umbelliferae Juss. | url = http://delta-intkey.com/angio/www/umbellif.htm | work = [http://delta-intkey.com The families of flowering plants: descriptions, illustrations, identification, and information retrieval]. Version: 18th May 2012. | accessdate = 2012-07-29 | ref = delta_angio}} == 外部リンク == {{Commonscat|Apiaceae}} {{Wikispecies|Apiaceae}} *{{Cite web | url = http://rbg-web2.rbge.org.uk/URC/ | title = Umbellifer Resource Centre | author = Royal Botanic Garden Edinburgh | accessdate = 2012-07-29}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:せりか}} [[Category:セリ目]] [[Category:セリ科|*]]
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3,149
アブラナ科
アブラナ科(アブラナか、Brassicaceae)はアブラナ目に属する科の一つ。4枚の花弁が十字架のように見えることから、昔は十字花科(Cruciferae)とも呼ばれていた。APG植物分類体系では、すべての植物の科名が典型属に由来するものに改められたため、アブラナ属 Brassica に由来するものになっているが、旧学名も保留名として認められており、最新の書籍でも新名と保留名が併記されていることが多い。 十字架状の花弁と、細長い(種によっては扁平なうちわ型の)角果が特徴。ワサビやキャベツ、ダイコンなどのように、野菜あるいは香辛料として利用されるものを含む。またシロイヌナズナはモデル生物として有名である。 アブラナ科はフウチョウソウ科と近縁であり、APG植物分類体系(第2版まで)ではこれも(グループ内の詳細な関係が不明だったため、暫定的に)アブラナ科に含めていた。APG植物分類体系第3版では再び分離している。 篩部に「ミロシン細胞」という特殊な細胞があり、柔細胞にはカラシ油配糖体を含むのも大きな特徴である(近縁のフウチョウソウ科やワサビノキ科も含む)。植物体が傷つくとミロシン細胞内の酵素(ミロシナーゼ(英語版))が配糖体を加水分解してイソチオシアン酸アリルを遊離する。この物質がからしやワサビ、大根おろしなどに特有のツンとした辛味の成分であり、昆虫などの草食動物による食害から防御する手段である。 アブラナ科の野菜にはがん予防効果があるといわれており、アブラナ科のイソチオシアネートの効果とも、イソチオシアン酸の誘導体が肝臓で抱合反応などによって解毒する作用を持っている酵素に働きかけるためだともいわれている。スルフォラファンはイソチオシアネートの一種でアブラナ科野菜の中でもブロッコリーに含まれ、がん予防効果があるとされている。 総野菜・総果物摂取量全体では、乳がん発生との関連は観察されなかったが、閉経前の女性では、「アブラナ科野菜」の摂取量が高いほど、乳がんになりにくいとの報告がある。 アブラナ科の植物には抗変異原性があるものが多い。 S-メチルシステインスルフォキシド(S-methylcysteine sulfoxide)を含み、反芻動物の腸内での化学反応の結果、ジメチルジスルフィド(dimethyl disulfide)へと変化し、牛や羊などで溶血性貧血を起す。 かつて、アブラナ科の植物はデザイナーフーズ計画のピラミッドで2群に属しており、2群の中でも最下位に属するが、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた。 25連 (分類学)に338属が属する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "アブラナ科(アブラナか、Brassicaceae)はアブラナ目に属する科の一つ。4枚の花弁が十字架のように見えることから、昔は十字花科(Cruciferae)とも呼ばれていた。APG植物分類体系では、すべての植物の科名が典型属に由来するものに改められたため、アブラナ属 Brassica に由来するものになっているが、旧学名も保留名として認められており、最新の書籍でも新名と保留名が併記されていることが多い。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "十字架状の花弁と、細長い(種によっては扁平なうちわ型の)角果が特徴。ワサビやキャベツ、ダイコンなどのように、野菜あるいは香辛料として利用されるものを含む。またシロイヌナズナはモデル生物として有名である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "アブラナ科はフウチョウソウ科と近縁であり、APG植物分類体系(第2版まで)ではこれも(グループ内の詳細な関係が不明だったため、暫定的に)アブラナ科に含めていた。APG植物分類体系第3版では再び分離している。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "篩部に「ミロシン細胞」という特殊な細胞があり、柔細胞にはカラシ油配糖体を含むのも大きな特徴である(近縁のフウチョウソウ科やワサビノキ科も含む)。植物体が傷つくとミロシン細胞内の酵素(ミロシナーゼ(英語版))が配糖体を加水分解してイソチオシアン酸アリルを遊離する。この物質がからしやワサビ、大根おろしなどに特有のツンとした辛味の成分であり、昆虫などの草食動物による食害から防御する手段である。", "title": "成分" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "アブラナ科の野菜にはがん予防効果があるといわれており、アブラナ科のイソチオシアネートの効果とも、イソチオシアン酸の誘導体が肝臓で抱合反応などによって解毒する作用を持っている酵素に働きかけるためだともいわれている。スルフォラファンはイソチオシアネートの一種でアブラナ科野菜の中でもブロッコリーに含まれ、がん予防効果があるとされている。", "title": "成分" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "総野菜・総果物摂取量全体では、乳がん発生との関連は観察されなかったが、閉経前の女性では、「アブラナ科野菜」の摂取量が高いほど、乳がんになりにくいとの報告がある。", "title": "成分" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "アブラナ科の植物には抗変異原性があるものが多い。", "title": "成分" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "S-メチルシステインスルフォキシド(S-methylcysteine sulfoxide)を含み、反芻動物の腸内での化学反応の結果、ジメチルジスルフィド(dimethyl disulfide)へと変化し、牛や羊などで溶血性貧血を起す。", "title": "成分" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "かつて、アブラナ科の植物はデザイナーフーズ計画のピラミッドで2群に属しており、2群の中でも最下位に属するが、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた。", "title": "成分" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "25連 (分類学)に338属が属する。", "title": "分類" } ]
アブラナ科(アブラナか、Brassicaceae)はアブラナ目に属する科の一つ。4枚の花弁が十字架のように見えることから、昔は十字花科(Cruciferae)とも呼ばれていた。APG植物分類体系では、すべての植物の科名が典型属に由来するものに改められたため、アブラナ属 Brassica に由来するものになっているが、旧学名も保留名として認められており、最新の書籍でも新名と保留名が併記されていることが多い。 十字架状の花弁と、細長い(種によっては扁平なうちわ型の)角果が特徴。ワサビやキャベツ、ダイコンなどのように、野菜あるいは香辛料として利用されるものを含む。またシロイヌナズナはモデル生物として有名である。 アブラナ科はフウチョウソウ科と近縁であり、APG植物分類体系(第2版まで)ではこれも(グループ内の詳細な関係が不明だったため、暫定的に)アブラナ科に含めていた。APG植物分類体系第3版では再び分離している。
{{生物分類表 |名称 = アブラナ科 |色 = 植物界 |画像=[[画像:Brassica rapa ja02.jpg|250px]] |画像キャプション = [[アブラナ]] |界 = [[植物界]] {{Sname||Plantae}} |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||Angiosperms}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||Eudicots}} |亜綱階級なし = [[バラ類]] {{Sname||Rosids}} |目 = [[アブラナ目]] {{Sname||Brassicales}} |科 = '''アブラナ科''' {{Sname|Brassicaceae}} |下位分類名 = [[属 (分類学)|属]] |下位分類 = 本文参照 |タイプ属 = [[アブラナ属]] {{Snamei||Brassica}} {{AU|L.}}<ref>[http://www.tropicos.org/Name/42000136 Brassicaceae Burnett] Tropicos</ref> |シノニム = {{sname|Cruciferae}} {{AU|Juss.}} |学名 = {{Sname|Brassicaceae}} {{AU|Burnett}} }} '''アブラナ科'''(アブラナか、{{sname|Brassicaceae}})は[[アブラナ目]]に属する[[科 (分類学)|科]]の一つ。4枚の花弁が十字架のように見えることから、昔は十字花科(Cruciferae)とも呼ばれていた。[[APG植物分類体系]]では、すべての植物の科名が典型属に由来するものに改められたため、アブラナ属 {{snamei|Brassica}} に由来するものになっているが、旧学名も[[保留名]]として認められており、最新の書籍でも新名と保留名が併記されていることが多い。 十字架状の花弁と、細長い(種によっては扁平なうちわ型の)角果が特徴。[[ワサビ]]や[[キャベツ]]、[[ダイコン]]などのように、[[野菜]]あるいは[[香辛料]]として利用されるものを含む。また[[シロイヌナズナ]]は[[モデル生物]]として有名である。 アブラナ科は[[フウチョウソウ科]]と近縁であり、[[APG植物分類体系]](第2版まで)ではこれも(グループ内の詳細な関係が不明だったため、暫定的に)アブラナ科に含めていた。[[APG植物分類体系第3版]]では再び分離している。 == 成分 == [[篩部]]に「[[ミロシン細胞]]」という特殊な[[細胞]]があり、[[柔細胞]]には[[カラシ油配糖体]]を含むのも大きな特徴である(近縁の[[フウチョウソウ科]]や[[ワサビノキ科]]も含む)。植物体が傷つくとミロシン細胞内の[[酵素]]({{仮リンク|ミロシナーゼ|en|Myrosinase}})が[[配糖体]]を[[加水分解]]して[[イソチオシアン酸アリル]]を[[遊離]]する。この物質が[[からし]]や[[ワサビ]]、[[大根おろし]]などに特有のツンとした辛味の成分であり、[[昆虫]]などの[[草食動物]]による[[食害]]から[[防御]]する手段である。 アブラナ科の野菜には[[悪性腫瘍|がん]]予防効果があるといわれており<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/2506799?pid=3220967 |title=アブラナ科野菜や果物で食道がんリスク半減、厚労省研究班 国際ニュース |work=AFPBB News |publisher=クリエイティヴ・リンク|date=2008-08-15 |accessdate=2010-08-20}}</ref>、アブラナ科の[[イソチオシアネート]]の効果とも<ref>[http://home.cie.m.u-tokyo.ac.jp:8080/Plone/Public%20Health%20Informatics/309360c558315b66/4e00822c306e65b95411305130934e88963260c55831/30a430bd30c130aa30b730a230cd30fc30c8 一般の方向けがん予防情報 → イソチオシアネート]</ref>、[[イソチオシアン酸]]の[[誘導体]]が[[肝臓]]で[[抱合]]反応などによって[[解毒]]する作用を持っている[[酵素]]に働きかけるためだともいわれている。[[スルフォラファン]]は[[イソチオシアネート]]の一種でアブラナ科野菜の中でも[[ブロッコリー]]に含まれ、がん予防効果があるとされている<ref>Zhang, Y.; Talalay, P.; Cho, C.; Posner, G. H. ' "[http://www.pnas.org/content/89/6/2399 A major inducer of anticarcinogenic protective enzymes from broccoli: isolation and elucidation of structure]" ''Proc. Nat. Acad. Sci. USA'' '''1992''', ''89'', 2399–2403.</ref>。 総[[野菜]]・総[[果物]]摂取量全体では、[[乳がん]]発生との関連は観察されなかったが、閉経前の女性では、「アブラナ科野菜」の摂取量が高いほど、乳がんになりにくいとの報告がある<ref>[http://epi.ncc.go.jp/jphc/outcome/3358.html 野菜・果物摂取と乳がん罹患との関連について]| 現在までの成果 | 多目的コホート研究 | 独立行政法人 国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 予防研究部</ref>。 アブラナ科の植物には抗[[変異原性]]があるものが多い<ref>上田成子, 桑原祥浩, 平位信子 ほか、「[https://doi.org/10.3136/nskkk1962.38.507 野菜類およびキノコ類の抗変異原性について]」『日本食品工業学会誌』 1991年 38巻 6号 p.507-514, {{doi|10.3136/nskkk1962.38.507}}</ref>。 ''S''-[[メチルシステインスルフォキシド]](''S''-methylcysteine sulfoxide)を含み、[[反芻動物]]の腸内での化学反応の結果、[[ジメチルジスルフィド]](dimethyl disulfide)へと変化し、牛や羊などで[[溶血性貧血]]を起す。 かつて、アブラナ科の植物は[[デザイナーフーズ計画]]のピラミッドで2群に属しており、2群の中でも最下位に属するが、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた<ref>大澤俊彦、「[https://doi.org/10.2740/jisdh.20.11 がん予防と食品]」『日本食生活学会誌』 2009年 20巻 1号 p.11-16, {{doi|10.2740/jisdh.20.11}}</ref>。 == 分類 == {{cladogram |caption=系統 |width=400 |clades={{clade| style=font-size:80%;line-height:100% |1={{Clade |1=Aethionemeae |2={{Clade |1={{Clade |1={{Clade |1={{Clade |1=Camelineae |2=Boechereae |3=Halimolobeae }} |2=Physarieae }} |2=Cardamineae |3=Lepidieae |4=Descurainieae |5=Smelowskieae }} |2=Alysseae |3={{Clade |1={{Clade |1={{Clade |1={{Clade |1=Schizopetaleae |2=Sisymbrieae }} |2=Brassiceae }} |2=Isatideae }} |2=Eutremeae |3=Thlaspideae |4=Arabideae }} |4=Noccaeeae |5=Iberideae |6=Cochlearieae |7=Heliophileae |8={{Clade |1=Euclidieae |2=Anchonieae |3=Hesperideae |4=Chorisporeae }} }} }} }} }} 25[[連 (分類学)]]に338属が属する<ref>{{cite journal|author=Al-Shehbaz, I. A., M. A. Beilstein, and E. A. Kellogg|title=Systematics and phylogeny of the Brassicaceae (Cruciferae): an overview|journal=Plant Systematics and Evolution|volume=259|issue=2-4|year=2006|pages=89-120|url=http://www.ask-force.org/web/EPOBIO-Brassica/Al-Shebaz-Systematics-2006.pdf}}</ref>。 * {{Sname|Aethionemeae}} Al-Shehbaz, Beilstein & E.A. Kellogg - 2属、中東から東欧 ** [[タイリンミヤコナズナ属]] {{Snamei||Aethionema}} - 56種 ** {{Snamei||Moriera}} - 1種 * {{Sname|Camelineae}} DC. - 12属240種 ** [[シロイヌナズナ属]] {{Snamei||Arabidopsis}} - [[シロイヌナズナ]] ** [[アマナズナ属]] {{Snamei||Camelina}} ** [[ナズナ属]] {{Snamei||Capsella}} - [[ナズナ]] * {{Sname|Boechereae}} Al-Shehbaz, Beilstein & E.A. Kellogg - 7属110種、北米 * {{Sname|Halimolobeae}} Al-Shehbaz, Beilstein & E.A. Kellogg - 7属40種、北米から南米 * {{Sname|Physarieae}} B.L. Rob. - 7属150種、主に北米 * {{Sname|Cardamineae}} Dumort. - 10属340種 ** [[タネツケバナ属]] {{Snamei||Cardamine}} - [[タネツケバナ]]・[[ジャニンジン]]・[[ヒメタネツケバナ]] ** [[セイヨウワサビ属]] {{Snamei||Armoracia}} - [[ホースラディッシュ]] ** [[ヤマガラシ属]] {{Snamei||Barbarea}} - [[ヤマガラシ]]・[[ハルザキヤマガラシ]] ** [[オランダガラシ属]] {{Snamei||Nasturtium}} - [[オランダガラシ]] ** [[イヌガラシ属]] {{Snamei||Rorippa}} - [[イヌガラシ]]・[[スカシタゴボウ]]・[[ミチバタガラシ]] ''R. dubia'' * {{Sname|Lepidieae}} DC. - 5属240種 ** [[マメグンバイナズナ属]] {{Snamei||Lepidium}} - [[ヒメグンバイナズナ]]・[[マカ]]・[[コシミノナズナ]]・[[コショウソウ]]・[[マメグンバイナズナ]] ** [[カラクサナズナ属]] {{Snamei||Coronopus}} - [[カラクサナズナ]]・[[ハマガラシ]](ヤンバルガラシ) ''C. integrifolis'' * {{Sname|Descurainieae}} Al-Shehbaz, Beilstein & E.A. Kellogg - 6属60種 ** [[クジラグサ属]] {{Snamei||Descurainia}} * {{Sname|Smelowskieae}} Al-Shehbaz, Beilstein & E.A. Kellogg - 1属 ** {{Snamei||Smelowskia}} - 25種 * {{Sname|Alysseae}} DC. - ** [[ミヤマナズナ属]] {{Snamei||Alyssum}} ** [[イワナズナ属]] {{Snamei||Aurinia}} - [[イワナズナ]] ''A. saxatilis'' ** [[ニワナズナ属]] {{Snamei||Lobularia}} - [[ニワナズナ]] * {{Sname|Schizopetaleae}} R.Br. in Barneoud - 20属230種 * {{Sname|Sisymbrieae}} DC. ** [[キバナハタザオ属]] {{Snamei||Sisymbrium}} - [[ホソエガラシ]] ''S. irio'' ・[[ホコバガラシ]] ''S. loeselii'' ・[[キバナハタザオ]] ''S. luteum'' ・[[カキネガラシ]] ''S. officinale'' ・[[イヌカキネガラシ]] ''S. orientale'' * {{Sname|Brassiceae}} DC. - 46属230種 ** [[アブラナ属]] {{Snamei||Brassica}} - [[カラシナ]]・[[クロガラシ]]・[[ハボタン]]・[[キャベツ]]・[[ブロッコリー]]・[[チンゲンサイ]]・[[ミズナ]]・[[カブ]]等 ** [[エダウチナズナ属]] {{Snamei||Diplotaxis}} - [[ロボウガラシ|セルバチコ]](ワイルドロケット) ''D. muralis'' ** [[キバナスズシロ属]] {{Snamei||Eruca}} - [[ルッコラ]] ** [[ダイコン属]] {{Snamei||Raphanus}} - [[ダイコン]] ** [[ダイコンモドキ属]] {{Snamei||Hirschfeldia}} - [[アレチガラシ]] ''H. incana'' ** [[シロガラシ属]] {{Snamei||Sinapis}} - [[シロガラシ]] ** [[ミヤガラシ属]] {{Snamei||Rapistrum}} - [[ミヤガラシ]] ''R. rugosum'' ** [[オオアラセイトウ属]] {{Snamei||Orychophragmus}} - [[オオアラセイトウ]] * {{Sname|Isatideae}} DC. ** [[タイセイ属]] {{Snamei||Isatis}} * {{Sname|Eutremeae}} Al-Shehbaz, Beilstein & E.A. Kellogg ** [[ワサビ属]] {{Snamei||Eutrema}} - [[ワサビ]] * {{Sname|Thlaspideae}} DC. - 7属26種、欧州・東南アジア ** [[グンバイナズナ属]] {{Snamei||Thlaspi}} - [[グンバイナズナ]] * {{Sname|Arabideae}} DC. - 6属460種 ** [[ヤマハタザオ属]] {{Snamei||Arabis}} - [[ヤマハタザオ]] ** [[ムラサキナズナ属]] {{Snamei||Aubrieta}} ** [[イヌナズナ属]] {{Snamei||Draba}} - [[ナンブイヌナズナ]]・[[ハリイヌナズナ]] ''D. aizoidas'' ・[[イヌナズナ]] ''D. nemorosa'' ** [[ハクセンナズナ属]] {{Snamei||Macropodium}} - [[ハクセンナズナ]] * {{Sname|Noccaeeae}} Al-Shehbaz, Beilstein & E.A. Kellogg - 3属85種 ** [[タカネグンバイ属]] {{Snamei||Noccaea}} * {{Sname|Iberideae}} Webb & Berthel. - 1属、主に欧州 ** [[マガリバナ属]] {{Snamei||Iberis}} - [[マガリバナ]] ''I. amara'' ・[[トキワマガリバナ]] ''I. sempervirens'' ・[[イロマガリバナ]] ''I. umbellata'' * {{Sname|Cochlearieae}} Buchenau - 1属、ユーラシアから北米 ** [[トモシリソウ属]] {{Snamei||Cochlearia}} - {{Snamei||Cochlearia acaulis}} (syn. ''Ionopsidium acaule'') * {{Sname|Heliophileae}} DC. - 南アフリカ * {{Sname|Euclidieae}} DC. - 25属150種 ** [[ヒメアラセイトウ属]] {{Snamei||Malcolmia}} - [[バージニアストック]] * {{Sname|Anchonieae}} DC. - 12属130種 ** [[アラセイトウ属]] {{Snamei||Matthiola}} - [[アラセイトウ]] * {{Sname|Hesperideae}} Prantl in Engler & Prantl - 1属、中東から東欧 ** [[ハナダイコン属]] {{Snamei||Hesperis}} - [[ハナダイコン]] * {{Sname|Chorisporeae}} Ledeb., C.A. Mey. & Bunge - 2属12種 ** [[ツノミナズナ属]] {{Snamei||Chorispora}} * [[Incertae sedis]] ** [[ゴウダソウ属]] {{Snamei||Lunaria}} - [[ゴウダソウ]] ''L. annua'' ==出典== {{Reflist}} == 参考文献 == * 島袋敬一編著『琉球列島維管束植物集覧』九州大学出版会、1997年。 == 外部リンク == * [http://www.alpine-plants-jp.com/art/index_aburanaka.htm アブラナ科(画像):フラボン] {{Commonscat|Brassicaceae}} * [http://www.mobot.org/MOBOT/Research/APWeb/orders/brassicalesweb.htm#Brassicoideae Brassicaceae] in Stevens, P. F. (2001 onwards). [http://www.mobot.org/MOBOT/Research/APWeb/ Angiosperm Phylogeny Website] Version 7, May 2006 [and more or less continuously updated since]. * [http://delta-intkey.com/angio/www/crucifer.htm Brassicaceae] in Watson, L., and Dallwitz, M.J. 1992 onwards. [http://delta-intkey.com The families of flowering plants]: descriptions, illustrations, identification, and information retrieval. Version: 29th July 2006 *{{PaulingInstitute|jp/mic/food-beverages/cruciferous-vegetables|アブラナ科の野菜}}健康への作用 {{Taxonbar|from=Q156888}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:あふらなか}} [[Category:アブラナ科|*]]
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グレン・ミラー
オルトン・グレン・ミラー(Alton Glenn Miller、1904年3月1日 - 1944年12月15日?)はアメリカのジャズミュージシャン(トロンボーン奏者、作曲家、アレンジャー、バンドリーダー)。グレン・ミラー楽団(英語版)を結成した。 カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン等と共にスウィングジャズ、ビッグ・バンド・ジャズを代表するバンドリーダー、演奏家に挙げられている。 アイオワ州クラリンダ生まれのドイツ系アメリカ人。1915年に家族と移住したミズーリ州グラントシティでトロンボーンを始め、地元のオーケストラで演奏を始める。やがて1923年にコロラド大学ボルダー校に進学するもほとんど行かずに中退、ニューヨークにてプロのトロンボーン奏者として音楽の道に進むが、売れずに目立たない時代が続いた。やがてトミー・ドーシーやベニー・グッドマン、レッド・ニコルズ(英語版)などの音楽家と親交を結び、1937年に自己の楽団「グレン・ミラー楽団」を結成後、1938年にRCA傘下のブルーバード・レコードと契約、翌1939年から「ムーンライト・セレナーデ」「茶色の小瓶」「イン・ザ・ムード」「チャタヌーガ・チュー・チュー」など次々とヒット曲を発表し、バンドリーダー、作曲家、編曲家として人気を博した 。 ビルボードのジュークボックス・チャートにおいて「イン・ザ・ムード」(12週連続1位、通算13週1位)「タキシード・ジャンクション(英語版)」(9週連続1位)「ウッドペッカー・ソング(英語版)」(5週連続1位)の3曲で26週連続1位(1940年2月10日付〜8月3日付)を達成した。1941年に録音された「チャタヌーガ・チュー・チュー」は、同バンドが出演した映画『銀嶺セレナーデ(英語版)』の主題歌であり、レコードはおよそ120万枚販売された。これを記念して1942年にRCAレコードからゴールドディスクが授与され、これがゴールドディスク第1号とされる。 第二次世界大戦の勃発にともない1942年に陸軍航空軍に入隊、慰問楽団を率いて演奏にまわった。国内外ツアー他、米国慰問協会で演奏した。ミラーは精力的に慰問演奏を続けていたが、大戦末期の1944年12月15日にイギリスからフランスへ慰問演奏に飛び立った後、乗っていた専用機(UC-64)がイギリス海峡上で消息を絶った(最終階級は少佐)。原因として、ドイツへの爆撃から帰還する途中のイギリス空軍の爆撃機が上空で投棄した爆弾が乗機に当たり墜落したとする説の他、イギリス軍機の誤射で撃墜されたとする説などがある。2014年に『シカゴ・トリビューン』は、消息を絶った原因として、乗機のUC-64に特有の故障によるものとする説を挙げた。それによるとミラーの搭乗したタイプのUC-64は、エンジンのキャブレターに欠陥があり、冬期に凍結することにより故障し、墜落する事例が他にも複数発生していたという 。また、前述の爆撃機が投棄した爆弾が命中したという説は、当時の飛行記録によるとミラーの乗機と同時期に航路を飛んでいた航空機や付近で爆弾を投棄したという記述がないことから可能性が低いともしている。 行方不明後も残された楽団員がリーダーとなり、ニュー・グレン・ミラー・オーケストラ(英語版)として、現在まで世界各地で活動している。
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オルトン・グレン・ミラーはアメリカのジャズミュージシャン(トロンボーン奏者、作曲家、アレンジャー、バンドリーダー)。グレン・ミラー楽団を結成した。 カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントン等と共にスウィングジャズ、ビッグ・バンド・ジャズを代表するバンドリーダー、演奏家に挙げられている。
{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照--> | Name = グレン・ミラー | Img = Glenn Miller Billboard.jpg | Img_capt = 1942年、『[[ビルボード]]』誌<!--画像の説明より--> | Img_size = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 --> | Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> | Background = instrumentalist | Birth_name = Alton Glenn Miller<!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 --> | Alias = | Blood = <!-- 個人のみ --> | School_background = <!-- 個人のみ --> | Born = {{生年月日と年齢|1904|3|1|died}} <!-- 個人のみ --> | Died = {{Disappeared date and age|1944|12|15|1904|3|1}}? <!-- 個人のみ --><br>[[イギリス海峡]]上空 | Origin = {{USA}} [[アイオワ州]]クラリンダ | Instrument = [[トロンボーン]] | Genre = [[スウィングジャズ]] | Occupation = [[作曲家]]<br />[[編曲家]]<br />[[バンドリーダー]] | Years_active = [[1923年]] - [[1944年]] | Label = [[ブルーバード・レコード|ブルーバード]]<br />[[ビクタートーキングマシン|ビクター]]<br />[[コロムビア・レコード|コロンビア]]<br />[[デッカ・レコード|ブランズウィック]] | Production = | Associated_acts = | Influences = | URL = | Current_members = <!-- グループのみ --> | Past_members = <!-- グループのみ --> | Notable_instruments = }} '''オルトン・グレン・ミラー'''(Alton Glenn Miller、[[1904年]][[3月1日]] - [[1944年]][[12月15日]]?)は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ジャズ]]ミュージシャン([[トロンボーン]]奏者、[[作曲家]]、[[編曲家|アレンジャー]]、[[バンドリーダー]])。{{仮リンク|グレン・ミラー楽団|en|Glenn Miller Orchestra}}を結成した。 [[カウント・ベイシー]]、[[ベニー・グッドマン]]、[[デューク・エリントン]]等と共に[[スウィングジャズ]]、[[ビッグ・バンド|ビッグ・バンド・ジャズ]]を代表するバンドリーダー、演奏家に挙げられている。 == プロフィール == [[アイオワ州]]クラリンダ生まれの[[ドイツ系アメリカ人]]。[[1915年]]に家族と移住した[[ミズーリ州]]グラントシティでトロンボーンを始め、地元のオーケストラで演奏を始める。やがて[[1923年]]に[[コロラド大学ボルダー校]]に進学するもほとんど行かずに中退、[[ニューヨーク]]にてプロのトロンボーン奏者として音楽の道に進むが、売れずに目立たない時代が続いた。やがて[[トミー・ドーシー]]や[[ベニー・グッドマン]]、{{仮リンク|レッド・ニコルズ|en|Red Nichols}}などの[[音楽家]]と親交を結び、[[1937年]]に自己の楽団「グレン・ミラー楽団」を結成後、1938年に[[RCAレコード|RCA]]傘下の[[ブルーバード・レコード]]と契約、翌1939年から「[[ムーンライト・セレナーデ]]」「[[茶色の小瓶]]」「[[イン・ザ・ムード]]」「[[チャタヌーガ・チュー・チュー]]」など次々とヒット曲を発表し、バンドリーダー、作曲家、編曲家として人気を博した<ref>[https://www.biography.com/people/glenn-miller-37990|work=biography.com Glenn Miller ] 26 February 2022</ref><ref>{{cite web|url=https://www.express.co.uk/news/uk/894773/world-war-two-glenn-miller-death-book|work=Daily Express |author=David Pilditch| access-date=26 February 2022 |title=Mystery of Glenn Miller's death is finally solved 73 years after his disappearance}}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.arlingtoncemetery.mil/Explore-the-Cemetery/Notable-Graves/Other-Prominent-Figures/Glenn-Miller |title= Glenn Miller |website= Arlingtoncemetery.mil | access-date=26 February 2022}}</ref> 。 [[ビルボード]]のジュークボックス・チャートにおいて「イン・ザ・ムード」(12週連続1位、通算13週1位)「{{仮リンク|タキシード・ジャンクション|en|Tuxedo Junction}}」(9週連続1位)「{{仮リンク|ウッドペッカー・ソング|en|The Woodpecker Song}}」(5週連続1位)の3曲で26週連続1位(1940年2月10日付〜8月3日付)を達成した。1941年に録音された「チャタヌーガ・チュー・チュー」は、同バンドが出演した映画『{{仮リンク|銀嶺セレナーデ|en|Sun Valley Serenade}}』の主題歌であり、[[レコード]]はおよそ120万枚販売された。これを記念して1942年に[[RCAレコード]]から[[ゴールドディスク]]が授与され、これがゴールドディスク第1号とされる。 [[ファイル:Glen miller.jpg|thumb|軍服を着用したミラー]] [[ファイル:Noorduyn UC-64A Norseman.jpg|thumb|UC-64]] [[第二次世界大戦]]の勃発にともない[[1942年]]に[[アメリカ陸軍航空軍|陸軍航空軍]]に入隊、慰問楽団を率いて演奏にまわった。国内外ツアー他、[[米国慰問協会]]で演奏した<ref>{{Cite web |date= 2009-12-15|url= https://blog.uso.org/tag/glenn-miller/|title= Glenn Miller|publisher= The Official [[:en:United Service Organizations|USO]] Blog|accessdate=2013-10-28}}</ref>。ミラーは精力的に慰問演奏を続けていたが、大戦末期の[[1944年]][[12月15日]]にイギリスから[[フランス]]へ慰問演奏に飛び立った後、乗っていた専用機([[ノールダイン ノースマン|UC-64]])が[[イギリス海峡]]上で消息を絶った(最終階級は[[少佐]])。原因として、[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]への爆撃から帰還する途中の[[イギリス空軍]]の[[爆撃機]]が上空で投棄した爆弾が乗機に当たり墜落したとする説の他、イギリス軍機の誤射で撃墜されたとする説などがある。[[2014年]]に『[[シカゴ・トリビューン]]』は、消息を絶った原因として、乗機のUC-64に特有の故障によるものとする説を挙げた。それによるとミラーの搭乗したタイプのUC-64は、[[エンジン]]の[[キャブレター]]に欠陥があり、冬期に凍結することにより故障し、墜落する事例が他にも複数発生していたという<ref>Reich, Howard. [http://www.chicagotribune.com/entertainment/columnists/reich/ct-glenn-miller-tv-review-20140708,0,5147315.column "'History Detectives' explains why bandleader Glenn Miller vanished"] [[シカゴ・トリビューン]]、2014年7月7日。</ref> 。また、前述の爆撃機が投棄した爆弾が命中したという説は、当時の飛行記録によるとミラーの乗機と同時期に航路を飛んでいた航空機や付近で爆弾を投棄したという記述がないことから可能性が低いともしている<ref>Spragg, Dennis M. "Resolved: The Disappearance of Glenn Miller, December 15, 1944" fall 2014 (forthcoming)</ref>。 行方不明後も残された楽団員がリーダーとなり、{{仮リンク|ニュー・グレン・ミラー・オーケストラ|en|Glenn Miller Orchestra (1956–present)}}として、現在まで世界各地で活動している。 == 主な演奏曲 == * [[ムーンライト・セレナーデ]](Moonlight Serenade) * [[イン・ザ・ムード]](In The Mood) * [[アメリカン・パトロール]](American Patrol) - 編曲 * [[チャタヌーガ・チュー・チュー]](Chattanooga Choo Choo) - 世界初の[[ゴールドディスク]]授与曲 * {{仮リンク|タキシード・ジャンクション|en|Tuxedo Junction}}(Tuxedo Junction) * [[茶色の小瓶]](Little Brown Jug) * {{仮リンク|真珠の首飾り|en|A String of Pearls (song)}}(String of Pearls) * {{仮リンク|ペンシルベニア6-5000|en|PEnnsylvania 6-5000 (song)}}(Pennsylvania 6-5000) * [[虹の彼方に]](Over The Rainbow) * {{仮リンク|ムーンライト・カクテル|en|Moonlight Cocktail}}(moonlight cocktail) * {{仮リンク|カラマズーの娘|en|(I've Got a Gal In) Kalamazoo}}(I've got a Gal in Kalamazoo) == 関連映画 == * 『{{仮リンク|銀嶺セレナーデ|en|Sun Valley Serenade}}』- ''Sun Valley Serenade''([[1941年]]) - グレン・ミラー&グレン・ミラー楽団が出演したミュージカル映画。 * 『{{仮リンク|オーケストラの妻たち|en|Orchestra Wives}}』- ''Orchestra Wives''([[1942年]]) - グレン・ミラー&グレン・ミラー楽団が出演したミュージカル映画。 * 『[[グレン・ミラー物語]]』- ''The Glenn Miller Story''([[1953年]]) - グレン・ミラーの生涯を描いたアメリカ映画 * 『[[5つの銅貨]]』 - ''The Five Pennies''([[1959年]]) - 若き日のグレン・ミラーが登場するアメリカ映画。 * 『グレン・ミラー アメリカンズ・ミュージカル・ヒーロー』 - ''Glenn Miller America's Musical Hero''([[1990年]]) - グレン・ミラー楽団の元メンバーや関係者が出演しグレン・ミラーの人生を辿るドキュメンタリー映画。 == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[ビバップ]] * [[マイルス・デイヴィス]] == 外部リンク == {{Commonscat}} * {{youTube|user=glennmillerorch}} {{グレン・ミラー楽団}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:みらあ くれん}} [[Category:アメリカ合衆国のジャズ・ミュージシャン]] [[Category:アメリカ合衆国のジャズ・トロンボーン奏者]] [[Category:ビッグ・バンドのバンドリーダー]] [[Category:アメリカ合衆国陸軍の軍人]] [[Category:第二次世界大戦期のアメリカ合衆国の軍人]] [[Category:ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム]] [[Category:ドイツ系アメリカ人]] [[Category:アイオワ州ページ郡出身の人物]] [[Category:航空事故死した人物]] [[Category:1904年生]] [[Category:1944年没]] [[Category:消息不明となった人物]]
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2022-10-29T08:44:00Z
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マルチメディア
マルチメディア(英語:multimedia)とは、複数の種類の情報をひとまとめにして扱うメディアのことである。一般的には映像(動画)や音楽など動的コンテンツを含むイメージで捉えられることが多い。複合媒体と訳す。主に1990年代から盛んに商業化され、21世紀に入ってからは様々な機器やサービスで欠かせない機能となっている。 類似の言葉でミクストメディアがあり、複数の画材や手法を使い単数の作品を作成する事である。逆にメディアミックスは単数の情報を複数の媒体で展開することである。 1945年、Memexと呼ばれる人類史上初のハイパーテキストのプロジェクトが立ち上がった。Memexで説明されていた、フィルムを記録媒体とした実現方法には無理があったものの、文書同士の参照関係を辿って情報を参照できるシステムの構想で、今日のWorld Wide Webの基礎となる構想であった。 1960年代、光によるショーや、スライド・ショーとロックンロールを一つにしたものをマルチメディアと呼んだ。複数の種類の媒体を組み合わせる方法論はアナログの媒体でも試みられていた。 マルチメディアにおいて不可欠なGUIの研究開発はXEROX社のパロアルト研究所のAltoプロジェクトが最初である。コンピュータを用いたマルチメディアはGUIの始祖である1973年のXerox Altoで人類史上初めて実現されたが、当時の技術水準が低かったため、モノクロのグラフィックしか描けなかった。また、1000万円を超える高価なマシンであるため、研究機関のみで用いられた。但し、コンピュータと言えばメインフレームかミニコンピュータかと言った時代にあって、個人向けのコンピュータの姿を提示したXerox Altoは極めて先進的な存在であったと言える。 その後、パロアルト研究所の研究成果を元に別の部署で開発され、1981年に発売された後継機のXerox Starはワークステーションとして完成された製品に仕上げられたが、未だ一般向けのデスクトップパソコンすら存在しない時代において、その先進性からあまりに高価過ぎたため、売れ行きは芳しくなかった。 XEROX社が開発したGUI搭載マシンのルック・アンド・フィールは、後のアップルのLisaやMacintosh,マイクロソフトのWindows,UNIXのX Window Systemなどで参考にされている。 前史の節にもある通り、1980年代前半までにもマルチメディアを実現したコンピュータはXeroxのワークステーションを中心としていくつか発売されていたが、当時の技術水準ではコストが高過ぎたため全く普及しなかった。 1980年代後半以降、インターネットを実現するための情報スーパーハイウェイ、GUIを基本とするオペレーティングシステムとパーソナルコンピュータにより、様々なメディアから発信されてくる情報データに対し「情報の消費者」であったユーザを、「情報の発信者」にもすることのできる技術が可能になった。「情報収集」と「情報処理」が双方向対話型(Interactive)の「情報伝達方式」と一体となった「技術」がマルチメディアと呼ばれた。その後、マルチメディアを活用した新たなビジネスモデルの構築やベンチャービジネスが活性化し、それら企業に投資するというITバブル時代が到来することになる。 1980年代、ビデオテックスと呼ばれる、文書と画像をネットワークでダウンロードして表示できる情報閲覧システムが商業展開された。フランス政府が無料で端末を配布して普及させたミニテル以外は、コンテンツ不足から広く普及しなかったが、システム性能が低く表示が質素な事以外は現代のWorld Wide Webで行える事の殆どが実現されていた。ビデオテックスの時代にはまだマルチメディアという言葉は一般的ではなかった。 1980年代後半にはGUIを搭載したAmigaが安価な値段で発売されて一部で話題となっていたものの、それ以外を見れば色数の少ないホビーパソコンやモノクロのMacintoshやUNIXワークステーションしか存在しなかった。従って、1980年代後半までのマルチメディア環境は事務的な文書作成に使われることがほとんどであった。 その後、1990年代にシリコングラフィックスの製品を初めとしたCGワークステーションが普及し始め、それらのCGワークステーションで映画やゲームなどが制作されるようになるとともに、PCやゲーム機の画面出力もリッチになって、マルチメディアブームが発生、一般人を巻き込んでCD-ROMなどの大容量パッケージメディアも大きく注目された。家庭用ゲーム機にも続々とCD-ROMドライブが搭載され、文字,音声,画像,動画を組み合わせた大作ゲームが出たことで、マルチメディアは家庭用ゲームの分野で一般化した。特に、MYST,Dの食卓,ファイナルファンタジーVIIなどが美麗な映像表現で注目を集めた。 2000年以降にはインターネットが広く普及してオンラインゲームやWebサイトという形で一般化した。2000年代の日本ではiモードと呼ばれるWebの簡易版のようなサービスが普及した。工場や医療現場などでも動画やセンサーデータなどの複数の情報を統合して閲覧できるシステムが普及し、状況把握が容易になった。 2010年代に入ってVRやAIやIoTなどが流行し、ゲーム,興行,デジタルサイネージ,メディアアートなどという形で実空間を巻き込みながら進化を続けている。2010年代後半にはSNSにおけるマルチメディアを活用した情報共有が当たり前となり、スマートフォンでコンテンツの作成と共有が行えるようになったことで産業,政治,戦争などの人類の諸活動のあり方を大きく変えていった。20世紀末より、情報の利活用はますます重要なテーマになってきており、マルチメディアは常に研究・開発の対象であり続けている。 最近は特にコンピュータとインターネットを中心とし、文字、映像、動画、音声など従来別個のものとして扱われてきた様々なメディアを、デジタルデータ化することで同一のレベルで処理、既成の概念とは異なる方法で消費者に提供したり、加工して発信したりすることが可能になった。メディア処理には専用のソフトウェアが必要であり、一般にメディアプレーヤーと呼ばれる。また、文字だけでなく画像,動画,音声の再生に対応したコンピュータシステムをマルチメディアと言うことがある。 転じて、今までコンピュータで扱うのが難しかった映像メディア、音声メディアなどを(単一のメディアとして扱っていても)マルチメディアと呼ぶこともある。 CG-ARTS協会が1996年から実施している「マルチメディア検定」では多様なコンテンツを作成できる能力、多様なメディアを使いこなすことができる能力の評価に重点が置かれている。 かつて「ネオダマ」(ネットワーク、オープンシステム、ダウンサイジング、マルチメディア)という言葉が、コンピュータビジネスの世界で成功キーワードとされたことがあった。 ゲームビジネスにおいては、極端にゲーム性の低い作品(本のようにページをめくるだけ、簡単な分岐程度の選択肢など)に「マルチメディア作品」と付けられることが多かったことから、ゲーム業界においては蔑称として用いられることもある。 出版業界を主として、クロスメディアやメディアミックスのことをマルチメディアと呼ぶことがある。例えば、漫画や小説などの出版物原作を積極的にアニメ化やゲーム化、ドラマCD化していくことを「マルチメディア展開」や「多メディア展開」と呼ぶなど。これらは、他メディアへ移植する際に原作のデータをそのまま使うことが不適切な場合が多いため一般的な意味でのワンソース・マルチユースとは異なるが、「原作となる著作をソースとした二次著作を多数用いる」という意味でワンソース・マルチユースであると解釈される場合がある。 1960年代、光によるショーや、スライド・ショーとロックンロールを一つにしたものをマルチメディアと呼んだ。 これらが相互に連携して新たなビジネスモデルを構築している例も多い。 1980年代から1990年代にかけて、テレビ受像機などに規格としての普及が不十分なデジタル映像入力端子が付いていたり、パソコンにテレビを受信できる機能やCD-ROMが搭載されているだけでも、「ニューメディア対応テレビ」、「マルチメディアパソコン」という言葉を使って商品を差別化している例が見られた。言葉の意味そのものは2000年代の「マルチメディア」を志向してはいるのだが、技術や規格の成熟度、インフラ、アプリケーションが不十分なままで用いられて、一種のバズワードになっていた。 1980年代のビデオテックスなど、キラーコンテンツに恵まれず空回りに終わった「ニューメディア」の失敗に懲りた人々は、比較的冷静にマルチメディアという新しい言葉を受け止めていた。 1990年代、流行に敏感な情報系あるいはデザイン系の専門学校に、相次いで「マルチメディア科」という名称の学科が設置され、学生数の獲得に成果をあげた。しかしゲーム開発やアニメーション・映像制作には機材整備に多大な費用がかかり、指導カリキュラムも混乱する状態が続き、多くの学校が数年で学科を再編成せざるを得なくなった。その後コンピュータグラフィックス、アニメーション、ゲーム、コンピュータミュージックといった、より具体的なアプリケーション名が学科の名称となり、マルチメディアは過去の言葉となった。
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マルチメディアとは、複数の種類の情報をひとまとめにして扱うメディアのことである。一般的には映像(動画)や音楽など動的コンテンツを含むイメージで捉えられることが多い。複合媒体と訳す。主に1990年代から盛んに商業化され、21世紀に入ってからは様々な機器やサービスで欠かせない機能となっている。 類似の言葉でミクストメディアがあり、複数の画材や手法を使い単数の作品を作成する事である。逆にメディアミックスは単数の情報を複数の媒体で展開することである。
{{出典の明記|date=2011年1月}} '''マルチメディア'''([[英語]]:multimedia)とは、複数の種類の情報をひとまとめにして扱う[[メディア (媒体)|メディア]]のことである。一般的には映像([[動画]])や[[音楽]]など動的[[コンテンツ]]を含むイメージで捉えられることが多い。'''複合媒体'''と訳す。主に[[1990年代]]から盛んに商業化され、[[21世紀]]に入ってからは様々な機器やサービスで欠かせない機能となっている。 類似の言葉で[[ミクストメディア]]があり、複数の画材や手法を使い単数の作品を作成する事である。逆に[[メディアミックス]]は単数の情報を複数の媒体で展開することである。 == 歴史 == === 前史 === ==== ハイパーテキストの構想 ==== [[1945年]]、[[Memex]]と呼ばれる人類史上初の[[ハイパーテキスト]]のプロジェクトが立ち上がった。[[Memex]]で説明されていた、フィルムを記録媒体とした実現方法には無理があったものの、文書同士の参照関係を辿って情報を参照できるシステムの構想で、今日の[[World Wide Web]]の基礎となる構想であった。 ==== 芸術表現 ==== 1960年代、光によるショーや、スライド・ショーと[[ロックンロール]]を一つにしたものを'''マルチメディア'''と呼んだ。複数の種類の媒体を組み合わせる方法論はアナログの媒体でも試みられていた。 ==== XEROX社におけるGUI搭載マシンの研究開発 ==== マルチメディアにおいて不可欠な[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]の研究開発は[[ゼロックス|XEROX]]社の[[パロアルト研究所]]の[[Alto]]プロジェクトが最初である。[[コンピュータ]]を用いたマルチメディアは[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]の始祖である[[1973年]]の[[Alto|Xerox Alto]]で[[世界の歴史|人類史]]上初めて実現されたが、当時の技術水準が低かったため、モノクロのグラフィックしか描けなかった。また、1000万円を超える高価なマシンであるため、研究機関のみで用いられた。但し、[[コンピュータ]]と言えば[[メインフレーム]]か[[ミニコンピュータ]]かと言った時代にあって、個人向けの[[コンピュータ]]の姿を提示した[[Alto|Xerox Alto]]は極めて先進的な存在であったと言える。 その後、[[パロアルト研究所]]の研究成果を元に別の部署で開発され、[[1981年]]に発売された後継機の[[Xerox Star]]は[[ワークステーション]]として完成された製品に仕上げられたが、未だ一般向けの[[デスクトップパソコン]]すら存在しない時代において、その先進性からあまりに高価過ぎたため、売れ行きは芳しくなかった。 [[ゼロックス|XEROX]]社が開発した[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]搭載マシンの[[ルック・アンド・フィール]]は、後の[[Apple|アップル]]の[[Lisa (コンピュータ)|Lisa]]や[[Macintosh]],[[マイクロソフト]]の[[Microsoft Windows|Windows]],[[UNIX]]の[[X Window System]]などで参考にされている。 === CGワークステーションに始まるマルチメディアの爆発的普及 === 前史の節にもある通り、[[1980年代]]前半までにもマルチメディアを実現したコンピュータはXeroxのワークステーションを中心としていくつか発売されていたが、当時の技術水準ではコストが高過ぎたため全く普及しなかった。 1980年代後半以降、[[インターネット]]を実現するための[[情報スーパーハイウェイ]]、[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]を基本とする[[オペレーティングシステム]]と[[パーソナルコンピュータ]]により、様々なメディアから発信されてくる情報データに対し「情報の消費者」であったユーザを、「情報の発信者」にもすることのできる技術が可能になった。「情報収集」と「情報処理」が双方向対話型(Interactive)の「情報伝達方式」と一体となった「技術」がマルチメディアと呼ばれた。その後、'''マルチメディア'''を活用した新たな[[ビジネスモデル]]の構築や[[ベンチャービジネス]]が活性化し、それら企業に投資するという[[ITバブル]]時代が到来することになる。 [[1980年代]]、[[ビデオテックス]]と呼ばれる、文書と画像をネットワークでダウンロードして表示できる情報閲覧システムが商業展開された。フランス政府が無料で端末を配布して普及させた[[ミニテル]]以外は、コンテンツ不足から広く普及しなかったが、システム性能が低く表示が質素な事以外は現代のWorld Wide Webで行える事の殆どが実現されていた。ビデオテックスの時代にはまだマルチメディアという言葉は一般的ではなかった。 [[1980年代]]後半には[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]を搭載した[[Amiga]]が安価な値段で発売されて一部で話題となっていたものの、それ以外を見れば色数の少ない[[ホビーパソコン]]やモノクロの[[Macintosh]]や[[UNIX|UNIXワークステーション]]しか存在しなかった。従って、[[1980年代]]後半までのマルチメディア環境は事務的な文書作成に使われることがほとんどであった。 その後、[[1990年代]]に[[シリコングラフィックス]]の製品を初めとした[[ワークステーション|CGワークステーション]]が普及し始め、それらのCGワークステーションで映画やゲームなどが制作されるようになるとともに、PCやゲーム機の画面出力もリッチになって、マルチメディアブームが発生、一般人を巻き込んで[[CD-ROM]]などの大容量パッケージメディアも大きく注目された。家庭用ゲーム機にも続々とCD-ROMドライブが搭載され、文字,音声,画像,動画を組み合わせた大作ゲームが出たことで、マルチメディアは家庭用ゲームの分野で一般化した。特に、[[MYST]],[[Dの食卓]],[[ファイナルファンタジーVII]]などが美麗な映像表現で注目を集めた。 [[2000年]]以降には[[インターネット]]が広く普及して[[オンラインゲーム]]や[[ウェブサイト|Webサイト]]という形で一般化した。[[2000年代]]の[[日本]]では[[iモード]]と呼ばれる[[World Wide Web|Web]]の簡易版のような[[サービス]]が普及した。工場や医療現場などでも[[動画]]やセンサーデータなどの複数の情報を統合して閲覧できるシステムが普及し、状況把握が容易になった。 [[2010年代]]に入って[[バーチャル・リアリティ|VR]]や[[人工知能|AI]]や[[モノのインターネット|IoT]]などが流行し、[[ゲーム]],[[興行]],[[デジタルサイネージ]],[[メディアアート]]などという形で実空間を巻き込みながら進化を続けている。[[2010年代]]後半には[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]におけるマルチメディアを活用した情報共有が当たり前となり、[[スマートフォン]]で[[コンテンツ]]の作成と共有が行えるようになったことで[[産業]],[[政治]],[[戦争]]などの人類の諸活動のあり方を大きく変えていった。20世紀末より、情報の利活用はますます重要なテーマになってきており、マルチメディアは常に研究・開発の対象であり続けている。 最近は特に[[コンピュータ]]と[[インターネット]]を中心とし、[[文字]]、映像、[[動画]]、[[音声]]など従来別個のものとして扱われてきた様々なメディアを、デジタルデータ化することで同一のレベルで処理、既成の概念とは異なる方法で消費者に提供したり、加工して発信したりすることが可能になった。メディア処理には専用の[[ソフトウェア]]が必要であり、一般に[[メディアプレーヤー]]と呼ばれる。また、文字だけでなく画像,動画,音声の再生に対応したコンピュータシステムをマルチメディアと言うことがある。 転じて、今までコンピュータで扱うのが難しかった映像メディア、音声メディアなどを(単一のメディアとして扱っていても)マルチメディアと呼ぶこともある。 [[CG-ARTS協会]]が1996年から実施している「マルチメディア検定」では多様なコンテンツを作成できる能力、多様なメディアを使いこなすことができる能力の評価に重点が置かれている。 かつて「'''ネオダマ'''」([[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]、[[オープンシステム (コンピュータ)|オープンシステム]]、[[ダウンサイジング]]、マルチメディア)という言葉が、コンピュータビジネスの世界で成功キーワードとされたことがあった。 ゲームビジネスにおいては、極端にゲーム性の低い作品(本のようにページをめくるだけ、簡単な分岐程度の選択肢など)に「マルチメディア作品」と付けられることが多かったことから、ゲーム業界においては[[侮蔑#侮蔑表現の分類と種類|蔑称]]として用いられることもある。 出版業界を主として、[[クロスメディア]]や[[メディアミックス]]のことをマルチメディアと呼ぶことがある。例えば、漫画や小説などの出版物原作を積極的にアニメ化やゲーム化、ドラマCD化していくことを「マルチメディア展開」や「多メディア展開」と呼ぶなど。これらは、他メディアへ移植する際に原作のデータをそのまま使うことが不適切な場合が多いため一般的な意味での[[ワンソース・マルチユース]]とは異なるが、「原作となる著作をソースとした二次著作を多数用いる」という意味でワンソース・マルチユースであると解釈される場合がある。 == 語源 == 1960年代、光によるショーや、スライド・ショーと[[ロックンロール]]を一つにしたものをマルチメディアと呼んだ。 == 代表的な例 == * グラフィックと双方向性を多用した[[World Wide Web|WWW]]によるホームページの発信=マスメディアからの脱却 * 音楽ダウンロードサービスと携帯音楽プレイヤーの連携=CDメディアからの脱却 * [[デジタルカメラ]]で撮影した画像の加工・編集とコンピュータとの連携=紙メディアからの脱却 * [[ビデオカメラ]]で撮影した動画の加工・編集とコンピュータとの連携=従来メディアからの脱却 * CD-ROMによる文字や写真、動画をミックスした媒体 =従来メディア、紙メディアからの脱却 * [[インターネット]]を活用した仮想商店街([[e-コマース]])の構築=従来ビジネスからの脱却 これらが相互に連携して新たなビジネスモデルを構築している例も多い。 == バズワードだった「マルチメディア」== [[1980年代]]から[[1990年代]]にかけて、テレビ受像機などに規格としての普及が不十分なデジタル映像入力端子が付いていたり、パソコンに[[テレビ]]を受信できる機能や[[CD-ROM]]が搭載されているだけでも、「ニューメディア対応テレビ」、「マルチメディアパソコン」という言葉を使って商品を差別化している例が見られた。言葉の意味そのものは[[2000年代]]の「マルチメディア」を志向してはいるのだが、技術や規格の成熟度、インフラ、アプリケーションが不十分なままで用いられて、一種の[[バズワード]]になっていた。 1980年代の[[ビデオテックス]]<ref>{{Cite web|和書|title=2 発展する画像通信 : 昭和60年版 通信白書|url=https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/s60/html/s60a02010200.html|website=www.soumu.go.jp|accessdate=2021-01-07}}</ref>など、[[コンテンツ|キラーコンテンツ]]に恵まれず空回りに終わった「[[ニューメディア]]」の失敗に懲りた人々は、比較的冷静にマルチメディアという新しい言葉を受け止めていた。 1990年代、流行に敏感な情報系あるいはデザイン系の専門学校に、相次いで「マルチメディア科」という名称の学科が設置され、学生数の獲得に成果をあげた。しかしゲーム開発やアニメーション・映像制作には機材整備に多大な費用がかかり、指導カリキュラムも混乱する状態が続き、多くの学校が数年で学科を再編成せざるを得なくなった。その後[[コンピュータグラフィックス]]、[[アニメーション]]、[[ゲーム]]、[[コンピュータミュージック]]といった、より具体的なアプリケーション名が学科の名称となり、マルチメディアは過去の言葉となった。 == その他の意味 == *1980年代には[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]の宣伝文句として、[[磁気テープ]]以外に[[フロッピーディスク]]や[[ハードディスク]]が[[記録メディア]]として利用できることをマルチメディアと称していた<ref>『[[Oh!FM|Oh!FM TOWNS]]』([[SBクリエイティブ|ソフトバンク]])1994年8月号、160-161頁。</ref>。 *家電量販店の[[ヨドバシカメラ]]では、店舗名に「マルチメディア」を冠することで、幅広い品目を取り扱っていることをアピールしている。「マルチメディア」がバズワードでなくなってからもこの命名法は続いている。 == 脚注 == {{reflist}} == 関連項目 == * [[ニューメディア]] * [[ハイパーメディア]] * [[コンテンツ]] * [[情報スーパーハイウェイ]] * [[メディアプレーヤー]] * [[テレビ]] * [[パソコン]] * [[バズワード]] * [[マルチメディア放送]] * [[ストリーミング]] * [[仮想現実|VR(仮想現実:バーチャルリアリティ)]] * [[拡張現実|AR(拡張現実)]] * [[3DCG]](3次元コンピュータグラフィックス) * [[ポリゴン]](多角形) * [https://web.archive.org/web/20160306083029/http://jiten.com/dicmi/index.htm マルチメディア・インターネット辞典] - 検索サイト {{Tech-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:まるちめていあ}} [[Category:マルチメディア|*]] [[Category:媒体]] [[Category:コンピュータのユーザインタフェース]] [[Category:コンテンポラリーアート]] [[Category:情報技術史]]
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オープンリール
オープンリール(Open Reel)とは、磁気テープメディアのパッケージのうち、テープを巻いた状態のリール単位で扱うメディア形態の総称。 リールが内蔵され、直接リールに触らずに操作できるカートリッジ方式(カセットテープなど)の登場以降、対照して用いられる語(レトロニム)である。 オープンリールを使って録音する型の記録再生装置をオープンリール式記録再生装置(オープンリール式テープレコーダ,オープンリール式ビデオテープレコーダー等)、またはそのテープをオープンリール式テープ、オープンリールテープという。機器、テープを含め略して「オープン」とだけ呼ばれることもある。英語圏ではリール・トゥ・リール(Reel-to-reel)、ヨーロッパ圏ではトーンバンド(Tonband)と呼ぶことが多い。 カートリッジ方式と異なり、リールが剥き出しになっており、利用者が直接リールからテープを引き出して録音再生機に装着、あるいは脱着する。 記録媒体であるテープと、記録信号を送受するヘッド部分が使用空間中にオープンである(開放されている)ことから、埃の影響を受けやすく、使用環境や取り扱い方が録音や再生に影響し、音質が変わってしまうことがあり得る点が使用上の注意点である。 リールに巻き取られたテープを記録装置に装着し、記録/再生用のヘッドやテープ送り機構(キャプスタンおよびピンチローラー)を経由して巻き取り側のリールに巻きつけてからでないと使えない。普通テープを取り外す時は、テープをすべて巻き戻してから取り外す。 カセット型(オーディオ用だとコンパクトカセットやDATなど)やカートリッジ型(オーディオ用だと8トラック)に比べて取り扱いが煩雑である。一方で、高速・大容量の記録ができるため音質・画質に優れ、コンピュータ用ではより多くのデータを扱うことができた。またオーディオ用アナログテープにおいては音源の頭出しがわかりやすく、テープを直接切って繋ぐ編集が容易であるなど操作性に優れていた。 1960年代のコンパクトカセット普及以前には、家庭内における簡易な録音機として、2トラック1チャンネルモノラル機がある程度普及していた。また、レコードと同じように音楽録音を収録したパッケージメディアとしても1970年代までは販売が行われ、レコードよりも高音質な音楽ソフトとして愛好されていた。これらは、数年の併存期(同じ音楽ソフトでレコード、カセットテープ、オープンリールの3種類が同時発売されることも多かった)を経てカセットテープに取って替わられる。 記録機器としては、音声用(テープレコーダー)、映像用(ビデオテープレコーダ (VTR))、コンピュータ用データレコーダ(MT装置)、アナログ信号を記録するための計測用データロガー等がある。 消費者用途では、音声用は1970年代にはカセットテープが主流になり、映像用、コンピュータ用は1980年代に当初よりカセットタイプが主流であった。業務用では、品質の観点からオープンリールが使用されてきたが、それでも1990年代に入ると、カセット式やカートリッジ式のテープメディアに置き換えられ、2000年代に差し掛かる頃にはディスク装置の高密度化と価格低下(DAWによるハードディスク録音など)も加わり、現在ではほとんど使われなくなっている。プロ向け音声用オープンリールはソニーと三菱のデジタルレコーダーが最後の機器として世界中の録音スタジオで使われた。 なお、NHKの公開番組において、歌手が唄う際カラオケ用の音源として、2007年現在もオープンリールが使用されているケースがある。動作が見えてわかりやすいのでスタートの確認がしやすい、というのが一つの理由である(2007年9月12日深夜放送「ラジオ深夜便」(NHKラジオ第一放送・NHK-FM)にて宮川泰夫の発言より)。 手で操作できる点から、ビートルズは、1960年代後半に、テープ逆回転という当時は現代音楽の電子音楽におけるアバンギャルドなテクニックであったものを、ポピュラー音楽のヒット曲に盛り込み、これが一般にも知られるようになった。コンピュータ利用でのデジタル音楽でも使用されて今に至る「逆再生」のテクニックである。 テープ幅には1/4インチ、1/2インチ、1インチ、2インチがある。テープは幅約6mm(1/4インチ=6.35mm)のものが家庭用でも業務用で一般的であり、業務用録音機はしばしば「6ミリ」と呼称される。1/2インチ幅以上のテープは主にマルチトラック録音用に使用されている。記録は固定ヘッドにより長手方向に行われる方式で、トラック数が複数存在した。トラック幅はNABあるいはDINにより規格化されている。 その他、業務用途では、多チャンネルのマルチトラック・レコーダーもあり、幅広テープを使用している。 テープの走行スピードが4.75 cm/s(1.875インチ/s)、9.5 cm/s(3.75インチ/s)、19 cm/s(7.5インチ/s)、38 cm/s(15インチ/s)、76 cm/s(30インチ/s)と、いずれもコンパクトカセットのスピードよりも速く、またトラック幅も広いため、その分音質がよい。また、テープ長が長いため、走行スピード(音質)を落とせば、かなりの長時間録音が可能である。 しかし、テープの大きさ(リールの直径)が5インチ、7インチ、10インチ、12インチ、14インチと記録時間に比例して大きくなる。 また、テープの厚みによっても最大録音時間が変わる。厚み50 μm が「標準」で、35 μm では録音時間が1.5倍(ロングと称する)、25 μm では2倍(ダブル)、18 μm では3倍となる。 テープのベースフィルム材質が改良された後は35 μm テープが実用上充分な強度を持つようになり、タフさが求められるプロ用途では50 μm テープが好んで用いられるが、民生用では35 μm テープが標準的に用いられ、25 μm および18 μm は特に長時間録音が必要な用途に用いられる。1970年代初期まで50 μm テープには独特の臭いを発するアセテートが使われていた。 薄いテープは、同じサイズのリールで長いテープ長を巻くことができる長所があるが、その反面機械的強度が低く(切れやすい、伸びやすい)、手切り編集での作業性が良くない、転写が大きい、などという短所がある。また、薄いテープでは磁性体層も薄くなるので、中低音域での感度および最大出力が低下する。一方、高音域は磁性体表面近くにしか記録されないので磁性体層の厚さの影響を受けにくく、薄いテープでは周波数特性が高音域で相対的に上昇する傾向がある。 PCMデジタル録音が開発・普及されるまでは、レコード用の音源録音は基本的にアナログオープンリール方式で行われた。ちなみに、初期のデジタル録音(日本コロムビア/DENON)ではオープンリールの2インチビデオテープレコーダが用いられた。 デジタル記録固定ヘッドオープンリール方式では などがある。 最近では家庭ではほとんど使われておらず、業務用も過去の録音素材を再生する用途が主体である。 放送用VTRとしては、初期の4ヘッドVTR (2インチVTR) から、1980年代から使われた1インチCフォーマットVTR等がある。 家庭用には、1960年代後半から70年代前半にかけて1/2インチのものが存在した(ソニー、ビクター、東芝、シバデンから1967年までに発売。アカイからは1/4インチのものが発売されていた。詳しくは統一1型を参照)が、高価だった(第1号の製品は19万8000円だった)ことなどから家庭にはほとんど普及せず、工業用、あるいは学校等の教育現場用として利用された。家庭用には、のちにカセット方式のVTRが普及することになる。 また、初期のハイビジョン (HDTV) 用VTRも1インチオープンリール型である。 1/2インチ9トラック(データ8ビット+パリティビットをマルチトラックヘッドで記録)の「磁気テープ記録装置」(MTあるいはMT装置とも。なお"MT"は業界用語で「エムティー」ではなく「エムテー」と称されることが多かった)がメインフレームやミニコンピュータの標準的な補助記憶装置として、1960年代から1990年頃まで用いられた。2012年現在でも一部メーカによってオープンテープ装置、オープンMTともに製造されている。 テープの長さとしては、最大の2400フィート(リール直径40センチ程度)をはじめ、1200フィート(リール直径25センチ程度)、600フィート(リール直径15センチ程度)があり、記録密度として、800BPI、1600BPI、6250BPI等があった(BPIはBit Per Inch)。 大型の装置はテープの冒頭部分を供給リールから巻き取りリールに自動的に巻き込むオートスレッディング機構を備え、運用性を改善していた。 VAX-11/780やVAX-11/730にBSD 4.2が動いていたころ、バックアップデバイスとして使用されていた。装置にセットするテープの長さを記憶しておき、バックアップ時に利用するdumpコマンドの -s オプションにその長さを指定する必要があった。長さを間違ってセットしたテープよりも長く指定してしまうと、テープが全部片方に巻き取られてしまい、装置が巻き戻しできる程度まで人間がテープを巻き取り直さねばならなかった。dumpコマンドの説明には「やや控え目に指定することをお勧めします」とある。 コンピュータ用磁気テープは、今でも過去に作成したデーターを読む必要性からオープンリール方式の装置を保持している場合もあるが、現在、大容量のバックアップなどに使われているものは密閉された容器に入ったカセット方式となっている。代表的な方式として例えばDigital Linear Tape(DLT)やLinear Tape-Open(LTO)などがある。
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オープンリールとは、磁気テープメディアのパッケージのうち、テープを巻いた状態のリール単位で扱うメディア形態の総称。 リールが内蔵され、直接リールに触らずに操作できるカートリッジ方式(カセットテープなど)の登場以降、対照して用いられる語(レトロニム)である。 オープンリールを使って録音する型の記録再生装置をオープンリール式記録再生装置、またはそのテープをオープンリール式テープ、オープンリールテープという。機器、テープを含め略して「オープン」とだけ呼ばれることもある。英語圏ではリール・トゥ・リール(Reel-to-reel)、ヨーロッパ圏ではトーンバンド(Tonband)と呼ぶことが多い。
{{出典の明記|date=2018年7月}} [[ファイル:Revox-reel-to-reel.JPG|thumb|250px|right|ルボックスPR99MkII、1/4インチ幅・テープレコーダー]] [[ファイル:Ferro-tape hg.jpg|thumb|250px|right|BASF製、7インチ径・リール・テープの箱]] [[ファイル:Toshiba gt-630.JPG|thumb|250px|1960年代の家庭向け5インチ2トラックモノラル機(東芝:GT-630)]] '''オープンリール'''(Open Reel)とは、[[磁気テープ]][[メディア (媒体)|メディア]]のパッケージのうち、テープを巻いた状態の[[リール (機構)|リール]]単位で扱うメディア形態の総称。 リールが内蔵され、直接リールに触らずに操作できるカートリッジ方式([[カセットテープ]]など)の登場以降、対照して用いられる語([[レトロニム]])である。 オープンリールを使って録音する型の記録再生装置をオープンリール式記録再生装置(オープンリール式テープレコーダ,オープンリール式ビデオテープレコーダー等)、またはそのテープをオープンリール式テープ、オープンリールテープという。機器、テープを含め略して「オープン」とだけ呼ばれることもある。英語圏ではリール・トゥ・リール(Reel-to-reel)、ヨーロッパ圏ではトーンバンド(Tonband)と呼ぶことが多い。 == 概要 == カートリッジ方式と異なり、[[リール (機構)|リール]]が剥き出しになっており、利用者が直接リールからテープを引き出して録音再生機に装着、あるいは脱着する。 記録媒体であるテープと、記録信号を送受するヘッド部分が使用空間中にオープンである(開放されている)ことから、埃の影響を受けやすく、使用環境や取り扱い方が録音や再生に影響し、[[音質]]が変わってしまうことがあり得る点が使用上の注意点である。 リールに巻き取られたテープを記録装置に装着し、記録/再生用のヘッドやテープ送り機構(キャプスタンおよびピンチローラー)を経由して巻き取り側のリールに巻きつけてからでないと使えない。普通テープを取り外す時は、テープをすべて巻き戻してから取り外す。 カセット型(オーディオ用だと[[コンパクトカセット]]や[[DAT]]など)やカートリッジ型(オーディオ用だと[[8トラック]])に比べて取り扱いが煩雑である。一方で、高速・大容量の記録ができるため音質・画質に優れ、[[コンピュータ]]用ではより多くのデータを扱うことができた。またオーディオ用アナログテープにおいては音源の頭出しがわかりやすく、テープを直接切って繋ぐ編集が容易であるなど操作性に優れていた。 1960年代のコンパクトカセット普及以前には、家庭内における簡易な録音機として、2トラック1チャンネル[[モノラル]]機がある程度普及していた。また、[[レコード]]と同じように音楽録音を収録したパッケージメディアとしても1970年代までは販売が行われ、レコードよりも高音質な音楽ソフトとして愛好されていた。これらは、数年の併存期(同じ音楽ソフトでレコード、カセットテープ、オープンリールの3種類が同時発売されることも多かった)を経てカセットテープに取って替わられる。  記録機器としては、音声用([[テープレコーダー]])、映像用([[ビデオテープレコーダ]] (VTR))、コンピュータ用[[データレコーダ]](MT装置)、アナログ信号を記録するための計測用[[データロガー]]等がある。 消費者用途では、音声用は1970年代にはカセットテープが主流になり、映像用、コンピュータ用は1980年代に当初よりカセットタイプが主流であった。業務用では、品質の観点からオープンリールが使用されてきたが、それでも1990年代に入ると、カセット式やカートリッジ式のテープメディアに置き換えられ、2000年代に差し掛かる頃にはディスク装置の高密度化と価格低下([[デジタルオーディオワークステーション|DAW]]による[[ハードディスク]]録音など)も加わり、現在ではほとんど使われなくなっている。プロ向け音声用オープンリールはソニーと三菱のデジタルレコーダーが最後の機器として世界中の録音スタジオで使われた。 なお、NHKの公開番組において、[[歌手]]が唄う際[[カラオケ]]用の[[音源]]として、2007年現在もオープンリールが使用されているケースがある。動作が見えてわかりやすいのでスタートの確認がしやすい、というのが一つの理由である(2007年9月12日[[深夜放送]]「[[ラジオ深夜便]]」([[日本放送協会|NHK]][[NHKラジオ第1放送|ラジオ第一放送]]・[[NHK-FM放送|NHK-FM]])にて[[宮川泰夫]]の発言より)。 手で操作できる点から、[[ビートルズ]]は、1960年代後半に、テープ逆回転という当時は現代音楽の電子音楽におけるアバンギャルドなテクニックであったものを、ポピュラー音楽のヒット曲に盛り込み、これが一般にも知られるようになった。コンピュータ利用でのデジタル音楽でも使用されて今に至る「逆再生」のテクニックである。 == 符号位置 == {| class="wikitable" style="text-align:center;" !記号!![[Unicode]]!![[JIS X 0213]]!![[文字参照]]!!名称 {{CharCode|9991|2707|-|Tape drive}} |} == 音声用 == === アナログ記録方式 === [[ファイル:Ampex Grand Master 456 2" multitrack tape.jpg|thumb|left|180px|2インチ幅のオープンリールテープ]] [[ファイル:open reel audio tape.jpg|thumb|right|250px|幅1/4インチ直径7インチのオープンリールテープと空リール([[マクセルホールディングス|日立マクセル(現・マクセル)]]製)]] [[ファイル:open reel audio tape recorder1.jpg|thumb|right|250px|テープレコーダーにセットしたところ]] [[ファイル:open reel audio tape recorder2.jpg|thumb|right|250px|プロ仕様のオープンリールオーディオテープレコーダー([[オタリ]]製)]] テープ幅には1/4インチ、1/2インチ、1インチ、2インチがある。テープは幅約6mm(1/4[[インチ]]=6.35mm)のものが家庭用でも[[業務用]]で一般的であり、業務用録音機はしばしば「6ミリ」と呼称される。1/2インチ幅以上のテープは主にマルチトラック録音用に使用されている。記録は固定[[ヘッド]]により長手方向に行われる方式で、トラック数が複数存在した。トラック幅は[[全米放送事業者協会|NAB]]あるいは[[ドイツ工業規格|DIN]]により[[規格]]化されている。 * 2トラック:[[ステレオ]]録音を片方向で行う方式と、モノラル録音を往復(両面)で行う方式とがある。 * 4トラック:ステレオ録音を往復で行う方式と、4チャンネル録音を片方向で行う方式とがある。ステレオ録音を往復で行なうときは、トラックは、隣り合わせのトラックでステレオ録音をするのではなく、1つ飛ばしたトラック(たとえば上から1、3番目)を使って録音する。 その他、業務用途では、多チャンネルの[[マルチトラック・レコーダー]]もあり、幅広テープを使用している。 * [[タイムコード]]トラック:音声信号以外に時間情報を記録するトラックを装備する物もある。タイムコードは[[SMPTE]]により規格化されている。マルチトラックに対応した機種では、音声トラックのうち1本をタイムコードトラックに割り当てるのが一般的である。2トラック機の場合は下記のパイロットトラックにタイムコードを記録できるような構成の物がある。 * パイロットトラック:タイミング情報を記録するために専用のトラックを装備した物。[[商用電源周波数|電源周波数]]から作成した[[パルス]]等を記録するが時間情報は含まれない。[[映画]]を含めた映像関係で利用された。 テープの走行スピードが4.75 cm/s(1.875インチ/s)、9.5 cm/s(3.75インチ/s)、19 cm/s(7.5インチ/s)、38 cm/s(15インチ/s)、76 cm/s(30インチ/s)と、いずれもコンパクトカセットのスピードよりも速く、またトラック幅も広いため、その分音質がよい。また、テープ長が長いため、走行スピード([[音質]])を落とせば、かなりの長時間録音が可能である。 しかし、テープの大きさ(リールの直径)が5インチ、7インチ、10インチ、12インチ、14インチと記録時間に比例して大きくなる。 また、テープの厚みによっても最大録音時間が変わる。厚み50 [[マイクロメートル|µm]] が「標準」で、35 µm では録音時間が1.5倍('''ロング'''と称する)、25 µm では2倍(ダブル)、18 µm では3倍となる。 テープのベース[[フィルム]]材質が改良された後は35 µm テープが実用上充分な強度を持つようになり、タフさが求められる[[プロフェッショナル|プロ]]用途では50 µm テープが好んで用いられるが、[[民生用]]では35 µm テープが標準的に用いられ、25 µm および18 µm は特に長時間録音が必要な用途に用いられる。[[1970年代]]初期まで50 µm テープには独特の[[臭い]]を発する[[アセテート]]が使われていた。 薄いテープは、同じサイズのリールで長いテープ長を巻くことができる長所があるが、その反面機械的[[強度]]が低く(切れやすい、伸びやすい)、手切り[[編集]]での作業性が良くない、転写が大きい、などという短所がある。また、薄いテープでは磁性体層も薄くなるので、中低[[音域]]での[[感度]]および最大[[出力]]が低下する。一方、高音域は磁性体表面近くにしか記録されないので磁性体層の厚さの影響を受けにくく、薄いテープでは[[周波数特性]]が高音域で相対的に上昇する傾向がある。 === デジタル記録方式 === [[パルス符号変調|PCM]]デジタル録音が開発・普及されるまでは、[[レコード]]用の音源録音は基本的にアナログオープンリール方式で行われた。ちなみに、初期のデジタル録音([[日本コロムビア]]/[[デノン|DENON]])ではオープンリールの[[2インチVTR|2インチビデオテープレコーダ]]が用いられた。 デジタル記録固定ヘッドオープンリール方式では * PD方式([[三菱電機]]、[[オタリ]] (Otari)) * DASH方式([[ソニー]]、Studer、[[ティアック]] (TASCAM)、[[パナソニック|松下電器産業]]、[[オタリ]] (Otari) ※オタリは[[ライセンス]]を取得していたが製造は行わなかった) * 3M-DMS方式 (3M) などがある。 最近では家庭ではほとんど使われておらず、業務用も過去の録音素材を再生する用途が主体である。 == 映像用 == {{右|[[File:Ampex 2-inch video recorder.jpg|thumb|none|250px|2インチビデオレコーダー(AMPEX製)]]}} {{右|[[ファイル:SONY_BVH_2000.jpg|thumb|none|250px|ソニー 1インチVTR BVH-2000]]}} 放送用VTRとしては、初期の[[2インチVTR|4ヘッドVTR (2インチVTR)]] から、1980年代から使われた[[1インチVTR|1インチCフォーマットVTR]]等がある。 家庭用には、1960年代後半から70年代前半にかけて1/2インチのものが存在した(ソニー、ビクター、東芝、シバデンから1967年までに発売。[[AKAI professional|アカイ]]からは1/4インチのものが発売されていた。詳しくは[[統一I型|統一1型]]を参照)が、高価だった(第1号の製品は19万8000円だった)ことなどから家庭にはほとんど普及せず、工業用、あるいは学校等の教育現場用として利用された。家庭用には、のちに[[カセット]]方式のVTRが普及することになる。 また、初期の[[ハイビジョン]] (HDTV) 用VTRも1インチオープンリール型である<ref>{{Cite web|和書| url=https://dbnst.nii.ac.jp/junior/detail/16 | title=発見と発明のデジタル博物館: 1インチ・ハイビジョン・デジタルVTRの記録技術 | accessdate=2020-12-01}}</ref>。 == コンピュータ用 == [[ファイル:Magnetic tape unit1.jpg|thumb|right|250px|コンピュータ用オープンテープ装置]] 1/2インチ9トラック(データ[[オクテット (コンピュータ)|8ビット]]+[[パリティビット]]をマルチトラックヘッドで記録)の「[[磁気テープ]]記録装置」(MTあるいはMT装置とも。なお"MT"は業界用語で「エムティー」ではなく「エムテー」と称されることが多かった)が[[メインフレーム]]や[[ミニコンピュータ]]の標準的な[[補助記憶装置]]として、1960年代から1990年頃まで用いられた。2012年現在でも一部メーカによってオープンテープ装置、オープンMTともに製造されている。 テープの長さとしては、最大の2400[[フィート]](リール直径40センチ程度)をはじめ、1200フィート(リール直径25センチ程度)、600フィート(リール直径15センチ程度)があり、[[記録密度]]として、800BPI、1600BPI、6250BPI等があった([[ビット毎インチ#ビット毎インチ|BPI]]はBit Per Inch)。 大型の装置はテープの冒頭部分を供給リールから巻き取りリールに自動的に巻き込むオートスレッディング機構を備え、運用性を改善していた。 [[VAX]]-11/780やVAX-11/730に[[Berkeley Software Distribution|BSD]] 4.2が動いていたころ、バックアップデバイスとして使用されていた。装置にセットするテープの長さを記憶しておき、バックアップ時に利用するdumpコマンドの -s オプションにその長さを指定する必要があった。長さを間違ってセットしたテープよりも長く指定してしまうと、テープが全部片方に巻き取られてしまい、装置が巻き戻しできる程度まで人間がテープを巻き取り直さねばならなかった。dumpコマンドの説明には「やや控え目に指定することをお勧めします」とある<ref>{{Cite web|和書|title=manページ — DUMP |url= https://nxmnpg.lemoda.net/ja/8/dump |accessdate=2020-10-24}}</ref><ref>{{Cite web |title=FreeBSD Manual Pages |url= https://www.freebsd.org/cgi/man.cgi?dump(8) |accessdate=2020-10-24}}</ref>。 コンピュータ用磁気テープは、今でも過去に作成したデーターを読む必要性からオープンリール方式の装置を保持している場合もあるが、現在、大容量のバックアップなどに使われているものは密閉された容器に入ったカセット方式となっている。代表的な方式として例えば[[Digital Linear Tape]](DLT)や[[Linear Tape-Open]](LTO)などがある。 == オープンリールが印象的な映像作品 == * 『[[スパイ大作戦]]』では、任務が様々な方法で伝達されるがそのうちの一つがオープンリールのテープによるもので、指示を聞き終わるとテープレコーダーが白煙を上げ停止した。テープ自体からは発煙していないが、指示内容の消滅を暗示する演出であった。 * おもに1960年代から1970年代にかけての[[サイエンス・フィクション|SF]]映像作品では、巨大なオープンリールの[[テープドライブ]]が科学力を象徴する[[アイコン]]として用いられることが多い。これは、オープンリールのテープが当時における[[コンピュータ]]の主要な外部[[記憶装置]]であったことによる。 * 映画『[[ミッドナイトクロス]]』では主演の音響効果マンであるジャック・テリーが扱う装置としてナグラ社製オープンリールレコーダーが登場する。 * 映画『[[パルプ・フィクション]]』劇中において、登場人物の一人であるミアが自宅でオープンリールを使い音楽を流すシーンがある。 * アメリカ映画『[[地獄の黙示録]]』では、キルゴア中佐率いる部隊が[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]の『[[ワルキューレ (楽劇)|ワルキューレの騎行]]』をオープンリールで鳴らしながら、9機の[[ガンシップ|武装した]][[UH-1 (航空機)|UH-1ヘリ]]が、[[南ベトナム解放民族戦線]]の拠点である[[ベトナム]]の村落を攻撃していくシーンが、様々な意味で話題となった。 *『[[西部警察]]』では、捜査課の壁際に置かれた無線機器棚の最上部に、同時録音装置風に組み込まれていた。 *映画『[[ボヘミアン・ラプソディ (映画)|ボヘミアン・ラプソティ]]』では、[[ボヘミアン・ラプソディ|映画のタイトルの曲]]の録音時に[[クイーン (バンド)|クイーン]]のメンバーがオープンリールで[[オーバー・ダビング]]を繰り返すたび、テープが擦り減ることについて言及されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://gigazine.net/news/20180516-bohemian-rhapsody-trailer/ |title=まさにフレディ・マーキュリーの生き写し、ロックバンド「クイーン」の伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」予告編映像が公開 |access-date=2022-11-11 |publisher=Gigazine}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[音響機器]] ** [[デンスケ (録音機)]] * [[ドイツ工業規格|DIN]] (Deutsche Industrie Normen) - ドイツ連邦規格 * [[全米放送事業者協会|NAB]] 全米放送事業者協会 * [[ITU-R|CCIR]] 国際電気通信連合 無線通信部門 * [[SMPTE]] 米国映画テレビ技術者協会 * [[AES]] (Audio Engineering Society) 音響技術に関する標準化機関 * デルマ - 正式には「[[ダーマトグラフ]]」。オープンリールを利用した際の音声の波形編集に使用する鉛筆のこと。 * [[レコードプレーヤー]] * [[デッキ]] * [[EEポジション]] - オープンリール用オーディオテープにおける超高音質で記録可能なフォーマット。[[コンパクトカセット]]でいう[[ハイポジション]](別称:[[クロムポジション]]、またはIEC TYPEⅡ)に相当する。 * [[エルカセット]] - 1/4インチテープをカセットに納めたテープメディア * [[中銀カプセルタワービル]](解体済み) - 各部屋にオープンリールが内装されていた<ref>[https://www.dailyshincho.jp/article/2021/10041100/?photo=4 (写真4)昭和の名建築「中銀カプセルタワービル」解体へ 140のカプセルはどうなる? | デイリー新潮]</ref>。 {{Audio formats}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:おうふんりいる}} [[Category:磁気記録]] [[Category:テープレコーダー]] [[Category:オーディオテープ]] [[Category:オーディオストレージ]] [[Category:ドイツの発明]] [[Category:スタジオ関連機材]] [[Category:テープ記録]] [[Category:歴史上の機器]]
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CGI
CGI
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CGI Common Gateway Interface - 動的なウェブページを生成するための仕組み Computer Generated Imagery - コンピュータグラフィックス用語 corrugated galvanised iron - トタンの英略称 Compacted graphite iron - ダクタイル鋳鉄の一つ Coast Guard Intelligence - アメリカ沿岸警備隊の情報機関 Clinton Global Initiative - アメリカ合衆国の慈善団体の一つ クリントン・グローバル・イニシアチブ
'''CGI''' * [[Common Gateway Interface]] - 動的な[[ウェブページ]]を生成するための仕組み * [[Computer Generated Imagery]] - コンピュータグラフィックス用語 * corrugated galvanised iron - [[トタン]]の英略称 * Compacted graphite iron - [[ダクタイル鋳鉄]]の一つ(英語版:[[:en:Compacted graphite iron|Compacted graphite iron]]) * Coast Guard Intelligence - [[アメリカ沿岸警備隊]]の[[情報機関]] * Clinton Global Initiative - [[アメリカ合衆国]]の[[慈善団体]]の一つ [[クリントン・グローバル・イニシアチブ]] {{aimai}}
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Common Gateway Interface
Common Gateway Interface(コモン・ゲートウェイ・インタフェース、CGI)は、ウェブサーバ上でユーザプログラムを動作させるための仕組み。現存する多くのウェブサーバプログラムはCGIの機能を利用することができる。 ウェブサーバプログラムの機能の主体は、あらかじめ用意された情報を利用者(クライアント)の要求に応じて送り返すことである。そのためサーバプログラム単体では情報をその場で動的に生成してクライアントに送信するような仕組みを作ることはできなかった。 そこでサーバプログラムから他のプログラムを呼び出し、その処理結果をクライアントに送信する方法が考案された。それを実現するためのサーバプログラムと外部プログラムとの連携法の取り決めが CGI である。 CGI は環境変数や標準入出力の扱えるプログラミング言語であれば、どの言語を用いても作成することができるが、主にPHP、Perl、Javaで作成されることが多い。 代表的なアプリケーションには、電子掲示板、アクセスカウンタ、ウィキやブログシステムなどがある。 CGI の仕様はNCSAにより最初に定義・実装(NCSA HTTPdにおいて)され、現在の最新版はCGI1.1である。2004年にRFC 3875となった。 CGI は、典型的には以下のような動作を期待される。CGIを経由して実行されるプログラムのことを、CGIプログラムと呼ぶ。 現在のウェブではHTMLが中心的な役割を果たしているので、CGIプログラムはHTMLを出力するケースが圧倒的に多い。 近年では、ウェブサーバから外部のプログラムを呼び出すという負荷の大きい動作を避け、ウェブサーバの一部としてインタプリタを常時起動させておくことにより性能を向上させた mod_perlや、PSGI(Perl)、mod_php、FastCGI、WSGI(Python) などのインタフェース・実装が一般的である。 このため、比較的新しいウェブサーバアプリケーションでは、CGIを直接動作させる機能を持たないものも存在する。
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Common Gateway Interface(コモン・ゲートウェイ・インタフェース、CGI)は、ウェブサーバ上でユーザプログラムを動作させるための仕組み。現存する多くのウェブサーバプログラムはCGIの機能を利用することができる。 ウェブサーバプログラムの機能の主体は、あらかじめ用意された情報を利用者(クライアント)の要求に応じて送り返すことである。そのためサーバプログラム単体では情報をその場で動的に生成してクライアントに送信するような仕組みを作ることはできなかった。 そこでサーバプログラムから他のプログラムを呼び出し、その処理結果をクライアントに送信する方法が考案された。それを実現するためのサーバプログラムと外部プログラムとの連携法の取り決めが CGI である。 CGI は環境変数や標準入出力の扱えるプログラミング言語であれば、どの言語を用いても作成することができるが、主にPHP、Perl、Javaで作成されることが多い。 代表的なアプリケーションには、電子掲示板、アクセスカウンタ、ウィキやブログシステムなどがある。
{{No footnotes|date=2023年3月}} {{混同|Computer Generated Imagery}} '''Common Gateway Interface'''(コモン・ゲートウェイ・インタフェース、'''CGI''')は、[[Webサーバ|ウェブサーバ]]上でユーザ[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]を動作させるための仕組み。現存する多くのウェブサーバプログラムはCGIの機能を利用することができる。 ウェブサーバプログラムの機能の主体は、あらかじめ用意された情報を利用者([[クライアント (コンピュータ)|クライアント]])の要求に応じて送り返すことである。そのためサーバプログラム単体では情報をその場で動的に生成してクライアントに送信するような仕組みを作ることはできなかった。 そこでサーバプログラムから他のプログラムを呼び出し、その処理結果をクライアントに送信する方法が考案された。それを実現するためのサーバプログラムと外部プログラムとの連携法の取り決めが CGI である。 CGI は環境変数や標準入出力の扱える[[プログラミング言語]]であれば、どの言語を用いても作成することができるが、主にPHP、Perl、Javaで作成されることが多い。 代表的なアプリケーションには、[[電子掲示板]]、[[アクセスカウンタ]]、[[ウィキ]]や[[ブログ]]システムなどがある。 == 仕様 == CGI の仕様は[[NCSA]]により最初に定義・実装([[NCSA HTTPd]]において)され、現在の最新版はCGI1.1である。[[2004年]]に{{IETF RFC|3875}}となった。 CGI は、典型的には以下のような動作を期待される。CGIを経由して実行されるプログラムのことを、'''CGIプログラム'''と呼ぶ。 * CGIプログラムはウェブサーバがクライアントからのリクエストに応じて起動する。 *: 典型的には、ウェブサーバの公開領域に置かれたプログラムに対応する[[Uniform Resource Identifier|URI]]へのリクエストがあると、サーバはそのCGIプログラムをCGIの取り決めに従って呼び出す。 * CGIプログラムへの情報の入力は、コマンドライン[[引数]]、[[環境変数]]、[[標準入力]]によって行われる。 ** ウェブサーバがCGIプログラムを呼び出す時点でいくつかの環境変数を定義することが定められている。 ** 特に、クライアントがサーバに要求したURIのうち、検索文字列(Query String)部が環境変数 <code>QUERY_STRING</code> に設定されるので、これは[[HyperText Markup Language|HTML]]フォームからGETメソッドで入力を受けるのに便利である。 ** <code>QUERY_STRING</code> に文字「<code>=</code>」が含まれない場合は、サーバは <code>QUERY_STRING</code> の内容をコマンドライン引数としてCGIプログラムに渡す。これはHTMLの<code>ISINDEX</code>要素を用いて送信された情報を扱うのに便利である。 ** クライアントからのHTTPリクエストのボディ部はCGIプログラム標準入力に流し込まれる。また、その入力の長さが環境変数 <code>CONTENT_LENGTH</code> に設定されている。これはHTMLフォームから <code>POST</code> メソッドで入力を受けるのに便利である。 ** CGIプログラムに対応する仮想パスの後に、更に余分のパスが続いた場合、その情報は環境変数 <code>PATH_INFO</code> に格納され <code>PATH_INFO</code> をウェブサーバの仮想パスと解釈した際に対応すべき物理パスが環境変数 <code>PATH_TRANSLATED</code> に格納される。この方式もまたCGIプログラムにユーザー側からパラメータを渡す目的でよく用いられる。 * プログラムが[[標準出力]]に出力したデータは、ウェブサーバを経由してクライアントに送られる。このデータは正当な[[Hypertext Transfer Protocol#HTTPヘッダフィールド|HTTPヘッダ]]で始まらなければならない。 * ただし、いくつかの特別なヘッダフィールドは「サーバディレクティブ」として解釈され、ウェブサーバの挙動(ステータスコードなど)に影響を与える。これ以外の全てのヘッダフィールドはそのままクライアントに送信される。 現在のウェブではHTMLが中心的な役割を果たしているので、CGIプログラムはHTMLを出力するケースが圧倒的に多い。 * 画像データなどを出力することもある(これは[[アクセスカウンタ]]などを作る際に使われる)。 ==CGI以外の手法== 近年では、ウェブサーバから外部のプログラムを呼び出すという負荷の大きい動作を避け、ウェブサーバの一部として[[インタプリタ]]を常時起動させておくことにより性能を向上させた [[Perl|mod_perl]]や、[[PSGI]]([[Perl]])、[[PHP (プログラミング言語)|mod_php]]、[[FastCGI]]、[[Web Server Gateway Interface|WSGI]]([[Python]]) などのインタフェース・実装が一般的である。 このため、比較的新しいウェブサーバアプリケーションでは、CGIを直接動作させる機能を持たないものも存在する。 * [[Nginx]]: [https://www.nginx.com/resources/wiki/start/topics/examples/fcgiwrap/ FCGI Wrap]により、FastCGIとして動作させる。 * [[H2O (Webサーバ)|H2O]]: [https://h2o.examp1e.net/configure/cgi.html fastcgi-cgi]により、FastCGIとして動作させる。 * OpenBSD httpd: [https://man.openbsd.org/slowcgi.8 slowcgi]により、FastCGIとして動作させる。 == 関連項目 == * [[CGIゲーム]] == 参考文献 == {{Wikibooks|CGI|CGI}} * [https://web.archive.org/web/20070809114039/hoohoo.ncsa.uiuc.edu/cgi/interface.html The CGI Specification(archive.org)] * {{IETF RFC|3875}} The Common Gateway Interface (CGI) Version 1.1 * {{IETF RFC|1630}} Universal Resource Identifiers in WWW * {{IETF RFC|2616}} Hypertext Transfer Protocol -- HTTP/1.1 {{internet-stub}} {{Web interfaces}} {{Normdaten}} [[Category:Webサーバ]] [[Category:ウェブ技術]] [[Category:RFC|3875]]
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3,158
DAT
DAT(ダット、ディー・エー・ティー、Digital Audio Tape)とは、音声をA/D変換してデジタルで記録、D/A変換して再生するテープレコーダーまたはそのテープ、また特にその標準化された規格のことである。 DATは元来、デジタル音声テープ (digital audio tape) を指す一般名詞であり、コンパクトカセットなどのAAT (analog audio tape)、オーディオCDなどのDAD (digital audio disc)、DVカセットなどのDVT (digital video tape) などに対比される用語だった。現在では、デジタル音声テープの規格の1つを指すことが普通である。英語などの表記では、一般名詞は小文字始まり、規格は大文字始まりと区別することもある。 一般向けに商品化された、デジタル音声記録用磁気テープには、以下のようなものがある。 プロユースのものは、マルチトラックレコーダー#デジタルMTR(テープ)参照。また、PCMプロセッサーや、S-VHS DA(Digital Audio)、8ミリビデオのマルチトラックPCMモードも、広義のデジタル音声記録用磁気テープとみなすことができる。 1989年には、小型コンピュータ用のバックアップ用として、DDS が規格化されている。これも以下で説明するDAT規格をベースに開発されており、テープカートリッジの外形は全く同じである。 高密度な記録のため、VHSやベータマックス(βフォーマット)などと同様、ヘリカルスキャンヘッド(回転式ヘッド)を採用している。カートリッジ寸法は、縦54 mm×横73 mm×厚さ10.5 mm。 DATテープ規格は、幅が3.8 mm、長さは 15分から180分の時間として表示される。長さの種類には15、46、54、60、74、90、120、180分があり、120分テープの場合、その実長は 60メートルである。なお、ラジカセ用のカセットテープのような表裏両面収録はできず、片面のみ収録である。 DATで使用されるモード一覧は下表の通り。複数のモードが存在するが、一般的な機器は、2つの標準モード、LPモード(オプション2)、ワイドトラックに対応している。ただし、ワイドトラックは再生専用規格で、この規格のソフトは発売されていない。ワイドトラックモードに使用予定のテープの磁性材料はバリウムフェライトを使用する予定だった。 また、DAT 規格でのミュージックテープ製造も模索されており、感熱転写での量産化方式を設計したが、後述する著作権問題との関係で、計画は頓挫した。結果的に市販のDATミュージックテープは48kHzでコピーガードのない少量生産品がわずかに存在した程度だった。カプリッチョ(ドイツ)等の海外マイナーレーベルの輸入品や、当時DATメディアを発売していた花王が独自制作したクラシック音楽(室内楽等)の作品等が該当する。 加えて、パイオニア(ホームAV機器事業部、後のパイオニアホームエレクトロニクス→オンキヨー&パイオニア→オンキヨーホームエンターテイメント→オンキヨーテクノロジー/ティアック)の一部機種は独自モードとしてサンプリング周波数96kHzによるハイサンプリング記録および再生を扱う事が可能なモードを備える。民生用に限定すれば、D-07、D-07A、D-05、D-06、D-C88、D-HS5の計6機種である。D-07のみ本体にWIDEと表記され、D-05以降の96kHzハイサンプリング対応機種は本体にHSと表記されている。 これは民生用の録音規格としては2000年代初頭に記録用メディアとしてSDメモリーカード等のフラッシュメモリを用いるリニアPCMレコーダーが登場するまで最高水準の録音品質を誇っていたが、再生専用ではDVD-Audio、SACDの音質には及ばなかった面もあった。一部の録音機マニアを除く多くの一般ユーザーにはエルカセットや後発のDCC、デジタルマイクロカセット(NT)ほどではなかったものの、思いのほか普及しなかった。しかし、確実な高音質を求める業務用、およびプロフェッショナル用の各分野では数多く利用された。 またアイワ(初代法人。現・ソニー〈二代目法人〉)では、ポータブルデッキに専用アダプターを接続することで静止画像の記録にも対応する機種を発売した(HD-X1 + HDV-1)。 日本国内でDATテープを発売したのはソニー、松下電器産業(現・パナソニック)、日本ビクター(現・JVCケンウッド)、TDK(記録メディア事業部、現・グラスブリッジ・エンタープライゼス)、富士フイルム(日本国内の個人向けはAXIAブランド、業務用および日本国外向けはFUJIブランド)、日立マクセル(現・マクセル)、日本コロムビア(DENONブランド。現・デノン コンシューマー マーケティング(ディーアンドエムホールディングス))、花王(KAO DIGITAL SOUNDブランド)などである。 最後まで唯一、DATテープを製造していたソニーも、遂に2015年6月を以ってDATテープの生産を終了した。2023年7月現在、新たにDATテープを製造しているメーカーは国内では1つもなく、流通在庫分も入手が非常に困難となっている。 このほか、DATテープをコンピュータストレージ用途に転用したDDSテープ(カートリッジ)も国内の製造メーカーとしては唯一、最後までDDSテープを製造していた日立マクセルも2016年6月末までに生産終了、2017年3月末までに流通終了となった。なお、DATテープの代用品として、テープ幅がDATと同じ3.8mmのDDSテープを使用することも可能である。ただし、音楽録音・再生用のDATブランクメディアとして代用(使用)可能なのは最長でもDDS-1の90mテープ(無圧縮時2.0GB/圧縮時4.0GB、標準モード録再時180分/長時間モード録再時360分相当)までとなる。 各社が相次いで開発した、磁気テープにデジタル音声を記録する規格を統一するため、1983年にDAT懇談会が設けられ、1985年に回転式ヘッドを用いるR-DAT(Rotaty Head DAT、回転ヘッド方式DAT)と固定式ヘッドを用いるS-DAT(Stationary Head DAT、固定ヘッド方式DAT)という2種類の規格が策定された。S-DATはメカニズムは簡便だが高密度記録に対応した固定式記録ヘッドの開発が困難で、対してR-DATの回転式ヘッドにはVTRでの実績があったこともあり、R-DATが「DAT」として商品化されることになった。なお、のちのDCC(デジタル・コンパクトカセット)はS-DATで定められたヘッドが固定式という部分は共通しているが、ヘッドや記録構造を大幅に簡略化し、圧縮記録を取り入れており、このときのS-DAT規格と直接のつながりはない。 サンプリング周波数は当初より48kHz、44.1kHz、32kHzに対応する予定だった。しかし、44.1kHzはCDと同じであり、CDの完全同一の複製が可能とあって日本レコード協会などの猛反発に遭った。紆余曲折の末、1987年に発売にこぎつけた民生用の製品は、苦肉の策として44.1kHzのデジタル入力録音が出来ない仕様となった。しかしこれが足かせとなって普及しなかったため、1990年にはSCMS(シリアルコピーマネジメントシステム)を搭載し、CDからの直接デジタル録音が1世代だけ可能で2世代目はアナログコピーは可能だがデジタルコピー不可である機種が登場した。ほぼ同時に普及が始まった衛星放送の音楽番組やミュージックバードのエアチェックにも利用され、Aモード:32kHz、Bモード:48kHzに対応した。なお、業務用機にはSCMS機能制限がなかったために、音楽録音スタジオなどでは爆発的に普及した。また、持ち運びが出来るバッテリー駆動の製品を使って、野鳥の鳴き声や汽車、電車の走行音の録音など、野外での生録音を楽しむマニアも少なくなかった。 当初は民生用としてスタートした規格だが、民生用にしてはオーバースペックなほど高性能であり、早くから業務用としてプロの現場で活用され始めた。放送用素材やマスターレコーダー、アイドルやヒーロー等のイベント会場の音響として、盛んに利用された。そのためソニー「PCM-7040」など放送用・業務用の一部の機種では、SMPTEタイムコードが記録できるようになっている。 後期には高音質化の技術がいくつか導入された。16ビット録音でありながら20ビットや24ビット相当の解像度を実現するSBM(スーパー・ビット・マッピング)機能がアイワやソニー製DATに導入された。民生用として1993年3月にそのSBM対応第1号機「DTC-2000ES」を発売した。一方で、パイオニアはHS-DATと呼ばれる方式で標準モードに対し2倍のサンプリング周波数をテープ速度と動作クロックを倍速にして88.2~96kHz録音を民生機器で実現し、民生用として1992年11月16日(録音文化の日)に今日のハイレゾリューションオーディオの祖とされる96kHzハイサンプリング対応第1号機「D-07」を発売した。ちなみにDATのテープ速度を倍速で走らせる発想は、既存のコンピューター用DDSドライブからヒントを得たといわれている。 パイオニアはさらにAIRSと銘打った録音システムを送り出す。既存の民生用DATデッキ「D-07A」を基に業務用用途に特化したDATデッキ「D-9601」とデジタルプロセッサー「SP-AR1」を組み合わせ、96kHzサンプリングに加え24ビットまでワードレングスを伸ばしたもので、当時としては珍しい96kHz/24ビットフォーマットに対応していた。さらにD-9601はダウンコンバーターを内蔵し、96kHzから44.1kHzへダウンサンプリングした信号を同社のCDレコーダー「RPD-500」に接続し、アナログを介さずに音楽CDを作る事も出来た。このAIRSは業務用で、一般に普及しなかった。 その他ティアックの業務用ブランドのTASCAMも、DATテープを倍速で駆動しHR(ハイ・レゾリューション)モードで48kHzサンプリング・24ビット録音に対応した業務用DATデッキ「DA-45HR」を2000年に発売した。 1992年に登場したミニディスク(MD)が、価格や使い勝手などの面から1990年代半ばから2000年代初頭にかけての民生用オーディオ機器の主流となった。MDの圧縮コーデックATRACのデータ圧縮時のアルゴリズムの大幅な見直しにより高音質化したほか、民生用CDレコーダーの普及も進んだ。そして2000年代後半になってからは、MP3、WMA、AAC等の高圧縮の音声ファイルフォーマットを採用した携帯型のデジタルオーディオプレーヤーが着実に普及。この間、DATのシェアは縮小の一途を辿った。 2003年にはパイオニアの民生用据置型DATデッキD-05およびD-HS5が販売終了。2005年にはソニーの民生用据置型DATデッキDTC-ZA5ESが販売終了した。 1995年7月発売のソニーDATウォークマンTCD-D100が民生用DAT製品最終機種として販売を継続していたが、月間出荷台数が100台程度だったことや、製品に使用する部品の入手困難化、DAT代替製品の多様化、DATユーザーが代替製品への移行が進んでいること、などの要因から、2005年11月25日にソニーから生産終了する旨が発表され、2005年12月初旬に生産出荷終了し、2006年9月までに在庫確保分の販売が全て終了、日本向け民生用DAT製品は姿を消した。また2015年には最後まで音楽用DATテープを生産していたソニーが製造を終了し、DATテープも流通在庫のみとなり、今後入手が困難になると予想される。 その後も業務用向け製品は引き続き少量ながら生産が続いていたが、2000年代末までに生産終了している。DAT代替製品として業務用の分野では2010年代以降にDAWによるHDDレコーディングシステムに順次置き換えられ、更に個人の分野であってもPCを利用したUSB接続による外付けのオーディオキャプチャーユニット(例:ローランドが製造・販売する「UAシリーズ」「Rubixシリーズ」、およびヤマハが製造・販売する「AGシリーズ」、コルグが製造・販売する「DS-DAC-10R」等)によるHDDレコーディングに置き換えられていった。また、記録用メディアにSDメモリーカード等のフラッシュメモリを使用した、屋外使用も可能なポータブルかつ非圧縮に対応したレコーダー(いわゆるリニアPCMレコーダー、もしくはデジタルフィールドレコーダー)やティアックが販売するSDメモリーカードやコンパクトフラッシュに両対応した個人向けフルサイズ級単品オーディオ機器用のハイレゾ録再対応据え置き型デジタルマスターレコーダー「SD-500HR」(長期的なコロナ禍からもたらされた製造に必要な半導体不足を理由に2022年3月を以って生産終了。現在は流通在庫のみの販売)なども多数発売されている。一部機種では96kHz録音や192kHz録音、DSD録音も可能(いわゆるハイレゾ録再対応)になっている。詳細はICレコーダー#PCMレコーダーの項を参照。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "DAT(ダット、ディー・エー・ティー、Digital Audio Tape)とは、音声をA/D変換してデジタルで記録、D/A変換して再生するテープレコーダーまたはそのテープ、また特にその標準化された規格のことである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "DATは元来、デジタル音声テープ (digital audio tape) を指す一般名詞であり、コンパクトカセットなどのAAT (analog audio tape)、オーディオCDなどのDAD (digital audio disc)、DVカセットなどのDVT (digital video tape) などに対比される用語だった。現在では、デジタル音声テープの規格の1つを指すことが普通である。英語などの表記では、一般名詞は小文字始まり、規格は大文字始まりと区別することもある。", "title": "広義のDAT" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "一般向けに商品化された、デジタル音声記録用磁気テープには、以下のようなものがある。", "title": "広義のDAT" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "プロユースのものは、マルチトラックレコーダー#デジタルMTR(テープ)参照。また、PCMプロセッサーや、S-VHS DA(Digital Audio)、8ミリビデオのマルチトラックPCMモードも、広義のデジタル音声記録用磁気テープとみなすことができる。", "title": "広義のDAT" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1989年には、小型コンピュータ用のバックアップ用として、DDS が規格化されている。これも以下で説明するDAT規格をベースに開発されており、テープカートリッジの外形は全く同じである。", "title": "広義のDAT" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "高密度な記録のため、VHSやベータマックス(βフォーマット)などと同様、ヘリカルスキャンヘッド(回転式ヘッド)を採用している。カートリッジ寸法は、縦54 mm×横73 mm×厚さ10.5 mm。 DATテープ規格は、幅が3.8 mm、長さは 15分から180分の時間として表示される。長さの種類には15、46、54、60、74、90、120、180分があり、120分テープの場合、その実長は 60メートルである。なお、ラジカセ用のカセットテープのような表裏両面収録はできず、片面のみ収録である。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "DATで使用されるモード一覧は下表の通り。複数のモードが存在するが、一般的な機器は、2つの標準モード、LPモード(オプション2)、ワイドトラックに対応している。ただし、ワイドトラックは再生専用規格で、この規格のソフトは発売されていない。ワイドトラックモードに使用予定のテープの磁性材料はバリウムフェライトを使用する予定だった。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "また、DAT 規格でのミュージックテープ製造も模索されており、感熱転写での量産化方式を設計したが、後述する著作権問題との関係で、計画は頓挫した。結果的に市販のDATミュージックテープは48kHzでコピーガードのない少量生産品がわずかに存在した程度だった。カプリッチョ(ドイツ)等の海外マイナーレーベルの輸入品や、当時DATメディアを発売していた花王が独自制作したクラシック音楽(室内楽等)の作品等が該当する。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "加えて、パイオニア(ホームAV機器事業部、後のパイオニアホームエレクトロニクス→オンキヨー&パイオニア→オンキヨーホームエンターテイメント→オンキヨーテクノロジー/ティアック)の一部機種は独自モードとしてサンプリング周波数96kHzによるハイサンプリング記録および再生を扱う事が可能なモードを備える。民生用に限定すれば、D-07、D-07A、D-05、D-06、D-C88、D-HS5の計6機種である。D-07のみ本体にWIDEと表記され、D-05以降の96kHzハイサンプリング対応機種は本体にHSと表記されている。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "これは民生用の録音規格としては2000年代初頭に記録用メディアとしてSDメモリーカード等のフラッシュメモリを用いるリニアPCMレコーダーが登場するまで最高水準の録音品質を誇っていたが、再生専用ではDVD-Audio、SACDの音質には及ばなかった面もあった。一部の録音機マニアを除く多くの一般ユーザーにはエルカセットや後発のDCC、デジタルマイクロカセット(NT)ほどではなかったものの、思いのほか普及しなかった。しかし、確実な高音質を求める業務用、およびプロフェッショナル用の各分野では数多く利用された。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "またアイワ(初代法人。現・ソニー〈二代目法人〉)では、ポータブルデッキに専用アダプターを接続することで静止画像の記録にも対応する機種を発売した(HD-X1 + HDV-1)。", "title": "規格" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "日本国内でDATテープを発売したのはソニー、松下電器産業(現・パナソニック)、日本ビクター(現・JVCケンウッド)、TDK(記録メディア事業部、現・グラスブリッジ・エンタープライゼス)、富士フイルム(日本国内の個人向けはAXIAブランド、業務用および日本国外向けはFUJIブランド)、日立マクセル(現・マクセル)、日本コロムビア(DENONブランド。現・デノン コンシューマー 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DAT、固定ヘッド方式DAT)という2種類の規格が策定された。S-DATはメカニズムは簡便だが高密度記録に対応した固定式記録ヘッドの開発が困難で、対してR-DATの回転式ヘッドにはVTRでの実績があったこともあり、R-DATが「DAT」として商品化されることになった。なお、のちのDCC(デジタル・コンパクトカセット)はS-DATで定められたヘッドが固定式という部分は共通しているが、ヘッドや記録構造を大幅に簡略化し、圧縮記録を取り入れており、このときのS-DAT規格と直接のつながりはない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "サンプリング周波数は当初より48kHz、44.1kHz、32kHzに対応する予定だった。しかし、44.1kHzはCDと同じであり、CDの完全同一の複製が可能とあって日本レコード協会などの猛反発に遭った。紆余曲折の末、1987年に発売にこぎつけた民生用の製品は、苦肉の策として44.1kHzのデジタル入力録音が出来ない仕様となった。しかしこれが足かせとなって普及しなかったため、1990年にはSCMS(シリアルコピーマネジメントシステム)を搭載し、CDからの直接デジタル録音が1世代だけ可能で2世代目はアナログコピーは可能だがデジタルコピー不可である機種が登場した。ほぼ同時に普及が始まった衛星放送の音楽番組やミュージックバードのエアチェックにも利用され、Aモード:32kHz、Bモード:48kHzに対応した。なお、業務用機にはSCMS機能制限がなかったために、音楽録音スタジオなどでは爆発的に普及した。また、持ち運びが出来るバッテリー駆動の製品を使って、野鳥の鳴き声や汽車、電車の走行音の録音など、野外での生録音を楽しむマニアも少なくなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "当初は民生用としてスタートした規格だが、民生用にしてはオーバースペックなほど高性能であり、早くから業務用としてプロの現場で活用され始めた。放送用素材やマスターレコーダー、アイドルやヒーロー等のイベント会場の音響として、盛んに利用された。そのためソニー「PCM-7040」など放送用・業務用の一部の機種では、SMPTEタイムコードが記録できるようになっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "後期には高音質化の技術がいくつか導入された。16ビット録音でありながら20ビットや24ビット相当の解像度を実現するSBM(スーパー・ビット・マッピング)機能がアイワやソニー製DATに導入された。民生用として1993年3月にそのSBM対応第1号機「DTC-2000ES」を発売した。一方で、パイオニアはHS-DATと呼ばれる方式で標準モードに対し2倍のサンプリング周波数をテープ速度と動作クロックを倍速にして88.2~96kHz録音を民生機器で実現し、民生用として1992年11月16日(録音文化の日)に今日のハイレゾリューションオーディオの祖とされる96kHzハイサンプリング対応第1号機「D-07」を発売した。ちなみにDATのテープ速度を倍速で走らせる発想は、既存のコンピューター用DDSドライブからヒントを得たといわれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "パイオニアはさらにAIRSと銘打った録音システムを送り出す。既存の民生用DATデッキ「D-07A」を基に業務用用途に特化したDATデッキ「D-9601」とデジタルプロセッサー「SP-AR1」を組み合わせ、96kHzサンプリングに加え24ビットまでワードレングスを伸ばしたもので、当時としては珍しい96kHz/24ビットフォーマットに対応していた。さらにD-9601はダウンコンバーターを内蔵し、96kHzから44.1kHzへダウンサンプリングした信号を同社のCDレコーダー「RPD-500」に接続し、アナログを介さずに音楽CDを作る事も出来た。このAIRSは業務用で、一般に普及しなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "その他ティアックの業務用ブランドのTASCAMも、DATテープを倍速で駆動しHR(ハイ・レゾリューション)モードで48kHzサンプリング・24ビット録音に対応した業務用DATデッキ「DA-45HR」を2000年に発売した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1992年に登場したミニディスク(MD)が、価格や使い勝手などの面から1990年代半ばから2000年代初頭にかけての民生用オーディオ機器の主流となった。MDの圧縮コーデックATRACのデータ圧縮時のアルゴリズムの大幅な見直しにより高音質化したほか、民生用CDレコーダーの普及も進んだ。そして2000年代後半になってからは、MP3、WMA、AAC等の高圧縮の音声ファイルフォーマットを採用した携帯型のデジタルオーディオプレーヤーが着実に普及。この間、DATのシェアは縮小の一途を辿った。", "title": "終焉" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2003年にはパイオニアの民生用据置型DATデッキD-05およびD-HS5が販売終了。2005年にはソニーの民生用据置型DATデッキDTC-ZA5ESが販売終了した。", "title": "終焉" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1995年7月発売のソニーDATウォークマンTCD-D100が民生用DAT製品最終機種として販売を継続していたが、月間出荷台数が100台程度だったことや、製品に使用する部品の入手困難化、DAT代替製品の多様化、DATユーザーが代替製品への移行が進んでいること、などの要因から、2005年11月25日にソニーから生産終了する旨が発表され、2005年12月初旬に生産出荷終了し、2006年9月までに在庫確保分の販売が全て終了、日本向け民生用DAT製品は姿を消した。また2015年には最後まで音楽用DATテープを生産していたソニーが製造を終了し、DATテープも流通在庫のみとなり、今後入手が困難になると予想される。", "title": "終焉" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "その後も業務用向け製品は引き続き少量ながら生産が続いていたが、2000年代末までに生産終了している。DAT代替製品として業務用の分野では2010年代以降にDAWによるHDDレコーディングシステムに順次置き換えられ、更に個人の分野であってもPCを利用したUSB接続による外付けのオーディオキャプチャーユニット(例:ローランドが製造・販売する「UAシリーズ」「Rubixシリーズ」、およびヤマハが製造・販売する「AGシリーズ」、コルグが製造・販売する「DS-DAC-10R」等)によるHDDレコーディングに置き換えられていった。また、記録用メディアにSDメモリーカード等のフラッシュメモリを使用した、屋外使用も可能なポータブルかつ非圧縮に対応したレコーダー(いわゆるリニアPCMレコーダー、もしくはデジタルフィールドレコーダー)やティアックが販売するSDメモリーカードやコンパクトフラッシュに両対応した個人向けフルサイズ級単品オーディオ機器用のハイレゾ録再対応据え置き型デジタルマスターレコーダー「SD-500HR」(長期的なコロナ禍からもたらされた製造に必要な半導体不足を理由に2022年3月を以って生産終了。現在は流通在庫のみの販売)なども多数発売されている。一部機種では96kHz録音や192kHz録音、DSD録音も可能(いわゆるハイレゾ録再対応)になっている。詳細はICレコーダー#PCMレコーダーの項を参照。", "title": "終焉" } ]
DATとは、音声をA/D変換してデジタルで記録、D/A変換して再生するテープレコーダーまたはそのテープ、また特にその標準化された規格のことである。
{{Otheruses|デジタルオーディオテープ}} {{ディスクメディア |名称=デジタルオーディオテープ<br/>(DAT) |ロゴ=[[File:Digital Audio Tape (logo).svg|150px]] |画像=Dat cartridge.jpg |画像コメント=[[ソニー]] DT-90 DATカートリッジ<br/>(単4電池は大きさ比較用) |種類=磁気テープ |容量=46分<br />60分<br />90分<br />120分<br/>180分<br/>(各標準モード時) |フォーマット= |コーデック= |読み込み速度= |書き込み速度= |回転速度= |読み取り方法= |書き込み方法= |書き換え= |回転制御= |策定= |用途=デジタル音声記録 |ディスク径= |大きさ=54×73×10.5mm<br />(テープ幅:3.8mm) |重さ= |上位= |下位= |関連= }} [[ファイル:Cassette DAT-130311-0002WP.jpg|thumb|right|250px|画像左の[[コンパクトカセット]]とのシェル(ハーフ)の大きさの違い]] '''DAT'''(ダット、ディー・エー・ティー、''Digital Audio Tape'')とは、音声を[[アナログ-デジタル変換回路|A/D変換]]してデジタルで記録、[[デジタル-アナログ変換回路|D/A変換]]して再生する[[テープレコーダー]]またはそのテープ、また特にその標準化された規格のことである。 [[File:DAT-tape.jpg|thumb|DATテープ ソニー製 10本セットで8800円(店頭価格:2000年当時)]] [[File:SONY DTC-500ES.jpg|thumb|ソニー DTC-500ES]] == 広義のDAT == DATは元来、デジタル音声テープ (digital audio tape) を指す一般名詞であり、[[コンパクトカセット]]などのAAT (analog audio tape)、[[CD-DA|オーディオCD]]などのDAD (digital audio disc)、[[DV (ビデオ規格)|DVカセット]]などのDVT (digital video tape) などに対比される用語だった。現在では、デジタル音声テープの規格の1つを指すことが普通である。英語などの表記では、一般名詞は小文字始まり、規格は大文字始まりと区別することもある。 一般向けに商品化された、デジタル音声記録用磁気テープには、以下のようなものがある。 * 1987年: DAT規格 * 1992年: [[デジタルマイクロカセット]] (NT) * 1992年: [[デジタルコンパクトカセット]] (DCC) プロユースのものは、[[マルチトラックレコーダー#デジタルMTR(テープ)]]参照。また、[[PCMプロセッサー]]や、[[S-VHS|S-VHS DA(Digital Audio)]]、[[8ミリビデオ]]のマルチトラックPCMモードも、広義のデジタル音声記録用磁気テープとみなすことができる。 [[1989年]]には、小型コンピュータ用のバックアップ用として、[[デジタル・データ・ストレージ|DDS]] が規格化されている。これも以下で説明するDAT規格をベースに開発されており、テープカートリッジの外形は全く同じである。 {{Main|デジタル・データ・ストレージ}} <!--次節以降では、狭義のDATに該当する、DAT規格を中心に詳述する。--> == 規格 == 高密度な記録のため、[[VHS]]や[[ベータマックス]](βフォーマット)などと同様、[[ヘリカルスキャン方式|ヘリカルスキャン]]ヘッド(回転式ヘッド)を採用している。カートリッジ寸法は、縦54 mm×横73 mm×厚さ10.5 mm。 DATテープ規格は、幅が3.8 mm、長さは 15分から180分の時間として表示される。長さの種類には15、46、54、60、74、90、120、180分があり、120分テープの場合、その実長は 60メートルである。<!--テープは3.8 mm幅でのものがラインナップされている。ただし180分のDAT用メディアを使用した場合、リニアカウンターが正確に表示されなくなる場合もある。なお、パイオニア製の96kHzハイサンプリング録再対応機種のみHS【WIDE】モードで180分のDATメディアを使用し記録/再生した場合に限りリニアカウンターが正確に表示される。-->なお、[[ラジオカセットレコーダー|ラジカセ]]用の[[カセットテープ]]のような表裏両面収録はできず、片面のみ収録である。 DATで使用されるモード一覧は下表の通り。複数のモードが存在するが、一般的な機器は、2つの標準モード、LPモード(オプション2)、ワイドトラックに対応している。ただし、ワイドトラックは再生専用規格で、この規格のソフトは発売されていない。ワイドトラックモードに使用予定のテープの磁性材料は[[バリウム]][[フェライト (磁性材料)|フェライト]]を使用する予定だった。 また、DAT 規格でのミュージックテープ製造も模索されており、感熱転写での量産化方式を設計したが、後述する著作権問題との関係で、計画は頓挫した。結果的に市販のDATミュージックテープは48kHzでコピーガードのない少量生産品がわずかに存在した程度だった。[[カプリッチョ (レコードレーベル)|カプリッチョ]](ドイツ)等の海外マイナーレーベルの輸入品や、当時DATメディアを発売していた[[花王]]が独自制作したクラシック音楽(室内楽等)の作品等が該当する。 {|class="wikitable" ! モード !! 標本化周波数 !! 符号化 !! チャネル数 !! DT-120での録音時間 |-align="center" | 標準 (SP) || 48 kHz || 16 bit リニア || 2 ch || 120 min |-align="center" | 標準 || 44.1 kHz || 16 bit リニア || 2 ch || 120 min |-align="center" | オプション1 || 32 kHz || 16 bit リニア || 2 ch || 120 min |-align="center" | オプション2 (LP) || 32 kHz || 12 bit ノンリニア || 2 ch || 240 min |-align="center" | オプション3 || 32 kHz || 12 bit ノンリニア || 4 ch || 120 min |-align="center" | ワイドトラック || 44.1 kHz || 16 bit リニア || 2 ch || 120 min |-align="center" | [[ハイレゾリューションオーディオ|WIDE / HS]] (パイオニア製の一部機種のみ) || 96 kHz || 16 bit リニア || 2 ch || 60 min |-align="center" | [[ハイレゾリューションオーディオ|HR]] (ティアック(TASCAM)製の一部機種) || 48 kHz || 24 bit リニア || 2 ch || 60 min |} 加えて、[[パイオニア]](ホームAV機器事業部、後の[[パイオニアホームエレクトロニクス]]→[[オンキヨー&パイオニア]]→[[オンキヨーホームエンターテイメント]]<ref>[[2022年]][[5月13日]]付を以て[[経営破綻]]。</ref>→[[オンキヨーテクノロジー]]/[[ティアック]])の一部機種は独自モードとして'''[[ハイレゾリューションオーディオ|サンプリング周波数96kHzによるハイサンプリング記録および再生を扱う事が可能なモード]]'''を備える。[[民生用]]に限定すれば、'''D-07'''、'''D-07A'''、'''D-05'''、'''D-06'''、'''D-C88'''、'''D-HS5'''の計6機種である。D-07のみ本体に'''WIDE'''と表記され、D-05以降の96kHzハイサンプリング対応機種は本体に'''HS'''と表記されている。 これは民生用の録音規格としては[[2000年代]]初頭に記録用メディアとして[[SDメモリーカード]]等の[[フラッシュメモリ]]を用いる[[リニアPCMレコーダー]]が登場するまで最高水準の録音品質を誇っていたが、再生専用では[[DVD-Audio]]、[[SACD]]の音質には及ばなかった面もあった。一部の録音機[[愛好家|マニア]]を除く多くの[[個人|一般ユーザー]]には[[エルカセット]]や後発の[[デジタルコンパクトカセット|DCC]]、[[デジタルマイクロカセット]](NT)ほどではなかったものの、思いのほか普及しなかった。しかし、確実な高音質を求める業務用、およびプロフェッショナル用の各分野では数多く利用された。 また[[アイワ]](初代法人。現・[[ソニー]]〈二代目法人〉)では、ポータブルデッキに専用アダプターを接続することで静止画像の記録にも対応する機種を発売した(HD-X1 + HDV-1)。 日本国内でDATテープを発売したのはソニー、松下電器産業(現・[[パナソニック]])、[[日本ビクター]](現・[[JVCケンウッド]])、[[TDK]](記録メディア事業部、現・[[イメーション#TDK Life on Record|グラスブリッジ・エンタープライゼス]])、[[富士フイルム]](日本国内の個人向けは[[AXIA]]ブランド、業務用および日本国外向けはFUJIブランド)、[[日立マクセル]](現・[[マクセル]])、[[日本コロムビア]]([[デノン|DENON]]ブランド。現・[[デノン コンシューマー マーケティング]]([[ディーアンドエムホールディングス]]))、[[花王]](KAO <small>DIGITAL SOUND</small>ブランド)などである。 最後まで唯一、DATテープを製造していたソニーも、遂に[[2015年]]6月を以ってDATテープの生産を終了した。[[2023年]]7月現在、新たにDATテープを製造しているメーカーは国内では1つもなく、流通在庫分も入手が非常に困難となっている。 このほか、DATテープをコンピュータストレージ用途に転用した[[デジタル・データ・ストレージ|DDS]]テープ(カートリッジ)も国内の製造メーカーとしては唯一、最後までDDSテープを製造していた日立マクセルも[[2016年]]6月末までに生産終了、2017年3月末までに流通終了となった。なお、DATテープの代用品として、テープ幅がDATと同じ3.8mmのDDSテープを使用することも可能である。ただし、'''音楽録音・再生用のDATブランクメディアとして代用(使用)可能なのは最長でもDDS-1の90mテープ(無圧縮時2.0GB/圧縮時4.0GB、標準モード録再時180分/長時間モード録再時360分相当)まで'''<ref>パイオニア製の一部機種に搭載されている96kHz HSモード録再時は90分相当</ref>となる。 == 歴史 == 各社が相次いで開発した、磁気テープにデジタル音声を記録する規格を統一するため、[[1983年]]にDAT懇談会が設けられ、[[1985年]]に回転式ヘッドを用いる[[R-DAT]](Rotaty Head DAT、回転ヘッド方式DAT)と固定式ヘッドを用いる[[S-DAT]](Stationary Head DAT、固定ヘッド方式DAT)という2種類の規格が策定された。S-DATはメカニズムは簡便だが高密度記録に対応した固定式記録ヘッドの開発が困難で、対してR-DATの回転式ヘッドにはVTRでの実績があったこともあり、R-DATが「DAT」として商品化されることになった。なお、のちのDCC(デジタル・コンパクトカセット)はS-DATで定められたヘッドが固定式という部分は共通しているが、ヘッドや記録構造を大幅に簡略化し、圧縮記録を取り入れており、このときのS-DAT規格と直接のつながりはない。 [[サンプリング周波数]]は当初より48kHz、44.1kHz、32kHzに対応する予定だった。しかし、44.1kHzは[[コンパクトディスク|CD]]と同じであり、CDの完全同一の複製が可能とあって[[日本レコード協会]]などの猛反発に遭った。紆余曲折の末、[[1987年]]に発売にこぎつけた民生用の製品は、苦肉の策として44.1kHzのデジタル入力録音が出来ない仕様となった。しかしこれが足かせとなって普及しなかったため、[[1990年]]には[[SCMS]](シリアルコピーマネジメントシステム)を搭載し、CDからの直接デジタル録音が1世代だけ可能で2世代目はアナログコピーは可能だがデジタルコピー不可である機種が登場した。ほぼ同時に普及が始まった[[衛星放送]]の音楽番組や[[ミュージックバード]]の[[エアチェック]]にも利用され、Aモード:32kHz、Bモード:48kHzに対応した。なお、業務用機には[[SCMS]]機能制限がなかったために、音楽録音スタジオなどでは爆発的に普及した。また、持ち運びが出来るバッテリー駆動の製品を使って、野鳥の鳴き声や汽車、電車の走行音の録音など、野外での生録音を楽しむマニアも少なくなかった。 当初は[[民生用]]としてスタートした規格だが、民生用にしてはオーバースペックなほど高性能であり、早くから[[業務用]]としてプロの現場で活用され始めた。放送用素材や[[マスターレコーダー]]、アイドルやヒーロー等のイベント会場の音響として、盛んに利用された。そのためソニー「'''PCM-7040'''」など放送用・業務用の一部の機種では、[[SMPTE]][[タイムコード]]が記録できるようになっている。 後期には高音質化の技術がいくつか導入された。16ビット録音でありながら[[ハイレゾリューションオーディオ|20ビットや24ビット相当の解像度]]を実現するSBM([[スーパー・ビット・マッピング]])機能がアイワやソニー製DATに導入された。民生用として[[1993年]]3月にそのSBM対応第1号機「'''DTC-2000ES'''」を発売した。一方で、パイオニアはHS-DATと呼ばれる方式で標準モードに対し2倍の[[サンプリング周波数]]をテープ速度と動作クロックを倍速にして[[ハイレゾリューションオーディオ|88.2~96kHz録音]]を民生機器で実現し、民生用として[[1992年]][[11月16日]]([[録音文化の日]])に今日の[[ハイレゾリューションオーディオ]]の[[発祥|祖]]とされる96kHzハイサンプリング対応第1号機「'''[[パイオニアのDATレコーダー#民生用|D-07]]'''」<ref>その後、[[1995年]][[3月1日]]にはD-07のマイナーチェンジ機種として「'''[http://audio-heritage.jp/PIONEER-EXCLUSIVE/player/d-07a.html D-07A]'''」が発売された。</ref>を発売した。ちなみにDATのテープ速度を倍速で走らせる発想は、既存のコンピューター用[[デジタル・データ・ストレージ|DDS]]ドライブからヒントを得たといわれている。 パイオニアはさらにAIRSと銘打った録音システムを送り出す。既存の民生用DATデッキ「'''D-07A'''」を基に業務用用途に特化したDATデッキ'''「[[パイオニアのDATレコーダー#業務用|D-9601]]'''」とデジタルプロセッサー「'''SP-AR1'''」を組み合わせ、96kHzサンプリングに加え24ビットまでワードレングスを伸ばしたもので、当時としては珍しい'''[[ハイレゾリューションオーディオ|96kHz/24ビットフォーマット]]'''に対応していた。さらにD-9601はダウンコンバーターを内蔵し、96kHzから44.1kHzへダウンサンプリングした信号を同社の[[CDレコーダー]]「'''RPD-500'''」に接続し、アナログを介さずに音楽CDを作る事も出来た。このAIRSは業務用で、一般に普及しなかった。 その他[[ティアック]]の業務用ブランドの[[TASCAM]]も、DATテープを倍速で駆動し[[ハイレゾリューションオーディオ|HR(ハイ・レゾリューション)モード]]で48kHzサンプリング・24ビット録音に対応した業務用DATデッキ「'''DA-45HR'''」を2000年に発売した。 == 終焉 == [[File:Sony TCD-D100 DAT-Recorder Walkman.jpg|thumb|right|250px|[[コンシューマー]]用として最後まで製造・販売されていたポータブルDATレコーダー <br/>ソニー [[ウォークマン|DATウォークマン]] TCD-D100]] [[1992年]]に登場した[[ミニディスク]](MD)が、価格や使い勝手などの面から[[1990年代]]半ばから[[2000年代]]初頭にかけての民生用オーディオ機器の主流となった<ref>{{Cite web|和書|date=2007-03-28 |url=http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~tomokazu/kubo_seminar_student/abe.pdf |title=携帯音楽プレーヤー産業の技術転換 ―イノベーションのジレンマと企業行動― |format=PDF |accessdate=2017-05-20}}</ref>。MDの圧縮[[コーデック]][[ATRAC]]のデータ圧縮時のアルゴリズムの大幅な見直しにより高音質化したほか、民生用[[CDレコーダー]]の普及も進んだ。そして2000年代後半になってからは、[[MP3]]、[[Windows Media Audio|WMA]]、[[AAC]]等の高圧縮の[[音声ファイルフォーマット]]を採用した携帯型の[[デジタルオーディオプレーヤー]]<ref>また、2016年現在では[[ハイレゾリューションオーディオ|ハイレゾ]]音源に標準で対応した機種も少なからず存在する。</ref>が着実に普及。この間、DATのシェアは縮小の一途を辿った。 [[2003年]]にはパイオニアの民生用据置型DATデッキD-05<ref>{{Cite web|和書|url=http://audio-heritage.jp/PIONEER-EXCLUSIVE/player/d-05.html |title=オーディオの足跡 Pioneer D-05 |accessdate=2017-05-20}}</ref>およびD-HS5<ref>{{Cite web|和書|url=http://audio-heritage.jp/PIONEER-EXCLUSIVE/player/d-hs5.html |title=オーディオの足跡 Pioneer D-HS5 |accessdate=2017-05-20}}</ref>が販売終了。[[2005年]]にはソニーの民生用据置型DATデッキDTC-ZA5ES<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ecat.sony.co.jp/audio/hi-fi/products/index.cfm?PD=402&KM=DTC-ZA5ES |title=ソニーeカタログサイト[Sony eCatalog] |accessdate=2017-05-20 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051227224627/http://www.ecat.sony.co.jp/audio/hi-fi/products/index.cfm?PD=402&KM=DTC-ZA5ES |archivedate=2005-12-27}}</ref>が販売終了した<ref name="av20051128">{{Cite web|和書|url=https://av.watch.impress.co.jp/docs/20051128/sony.htm |title=ソニー、DAT製品の国内出荷を終了 -12月初旬にレコーダ出荷を停止。テープ販売は継続 |accessdate=2017-05-20 |date=2005-11-28 |publisher=[[AV Watch]]}}</ref>。 [[1995年]]7月発売の[[ソニー]]DAT[[ウォークマン]]'''TCD-D100'''が民生用DAT製品最終機種として販売を継続していたが、月間出荷台数が100台程度だったことや、製品に使用する部品の入手困難化、DAT代替製品の多様化、DATユーザーが代替製品への移行が進んでいること、などの要因から、[[2005年]][[11月25日]]にソニーから生産終了する旨が発表され、2005年12月初旬に生産出荷終了し、[[2006年]]9月までに在庫確保分の販売が全て終了、日本向け民生用DAT製品は姿を消した<ref name="av20051128" />。また2015年には最後まで音楽用DATテープを生産していたソニーが製造を終了し、DATテープも流通在庫のみとなり、今後入手が困難になると予想される。 === 代替製品 === その後も業務用向け製品は引き続き少量ながら生産が続いていたが、2000年代末までに生産終了している。DAT代替製品として業務用の分野では2010年代以降に[[デジタルオーディオワークステーション|DAW]]による[[ハードディスクドライブ|HDD]]レコーディングシステムに順次置き換えられ、更に個人の分野であっても[[パーソナルコンピュータ|PC]]を利用したUSB接続による外付けのオーディオキャプチャーユニット(例:[[ローランド]]が製造・販売する[[エディロール・UAシリーズ|「UAシリーズ」「Rubixシリーズ」]]、および[[ヤマハ]]が製造・販売する「AGシリーズ」、[[コルグ]]が製造・販売する「'''[https://www.korg.com/jp/products/audio/ds_dac_10r/ DS-DAC-10R]'''」等)によるHDDレコーディングに置き換えられていった。また、記録用メディアに[[SDメモリーカード]]等の[[フラッシュメモリ]]を使用した、屋外使用も可能なポータブルかつ非圧縮に対応したレコーダー(いわゆる[[リニアPCMレコーダー]]、もしくはデジタルフィールドレコーダー)やティアックが販売するSDメモリーカードや[[コンパクトフラッシュ]]に両対応した[[消費者|個人向け]]フルサイズ級単品オーディオ機器用のハイレゾ録再対応据え置き型デジタルマスターレコーダー「'''[https://teac.jp/jp/product/sd-500hr/top SD-500HR]'''」(長期的な[[コロナ禍]]からもたらされた製造に必要な半導体不足を理由に2022年3月を以って生産終了。現在は流通在庫のみの販売)なども多数発売されている。一部機種では96kHz録音や192kHz録音、[[Direct Stream Digital|DSD]]録音も可能(いわゆる[[ハイレゾリューションオーディオ|ハイレゾ]]録再対応)になっている。詳細は[[ICレコーダー#PCMレコーダー]]の項を参照。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * 図解 DAT読本 - [[オーム社]] ISBN 4-274-03219-1 * ステレオ時代 Vol.19 特集・日本の技術力を結集したDATの魅力(38頁~77頁)- [[2021年]](令和3年)[[9月2日]]発行([[ネコ・パブリッシング]]〈販売元:[[カルチュア・エンタテインメント]]〉)ISBN 978-4-7770-2601-2 == 関連項目 == * [[パイオニアのDATレコーダー]] * [[デジタル・データ・ストレージ]](DDS) - DAT技術を利用した大容量デジタルデータ補助記憶装置 * [[音響機器]] * [[トヨタ・ソアラ]] - 2代目モデル(Z20型)の後期型の1989年-1990年モデルに限り、メーカーオプションで再生専用の[[パイオニア]]製DATデッキを選択できた。 * [[トヨタ・セルシオ]] - 初代モデル(F10型)に限り、メーカーオプションで再生専用のパイオニア製DATデッキを選択できた。 * [[新世紀エヴァンゲリオン]] - 主人公・[[碇シンジ]]が、DAT次世代規格という設定の'''”S-DAT”'''携帯オーディオプレイヤーをいつも持ち歩いている描写がある。[[ヱヴァンゲリヲン新劇場版]]でもこの要素は引き継がれている。 * [[WXIII 機動警察パトレイバー]] - 20kHz近辺を超える高周波再生が可能なDATが劇中事件を解決する鍵となる。作中登場機種のモデルの機種はTCD-D100など、現実には拡張再生機能を持たないソニー製ポータブルDATとされている。 * [[山下達郎]] - DAT愛用者。[[山下達郎のサンデー・ソングブック|自身の番組]]で民生用DATデッキの生産打ち切りに対して怒りを露にしたことがある。同番組では以前、番組で掛ける音源をリマスタリングして音質を改善し、音圧を上げたDATテープをスタジオに持ち込んで掛けていた。 {{Audio formats}} {{ソニー}} {{デフォルトソート:たつと}} [[Category:オーディオテープ]] [[Category:デジタルオーディオストレージ]] [[Category:ソニーの製品]] [[Category:テープ記録]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/DAT
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8トラック
通称で8トラック(英: eight-track)や8トラック・カートリッジ(・テープ)(英: eight-track cartridge (tape))と呼ばれたものの正式名称はStereo 8といい、8トラック方式でカートリッジ式の磁気テープ、およびその再生装置を指すために使われた名称であり、1960年代なかばから1980年代にかけてかなり広く使われたものである。2トラックのステレオチャンネルが4つあり、合計8トラックの信号が録音されていた。日本では略して俗に「8トラ」(ハチトラ)とも呼ばれた。 自動車用ラジオを世界で初めて実用化し、後にリアジェットを創業した発明家のビル・リア(ウィリアム・パウエル・リア・ジュニア, William Powell Lear Jr.)が中心となり、米RCAビクター社(現:米ソニー・ミュージックエンタテインメント)をはじめとする数社のコンソーシアムによって、1965年にステレオ録音された音楽を手軽に再生できるメディアとして開発された。→#歴史 主たる想定用途はカーオーディオでの使用である。 当時広く普及していたオープンリール式のテープレコーダーは自家用車で気軽に使うには取扱いが不便であり、また1962年に開発されていたコンパクトカセット(カセットテープ)は、テープ幅の狭さなどから当時は会議記録等のモノラルでの会話録音が想定用途で、音楽用メディアとして認識されていなかったことが、8トラックの開発の背景にある。 ステレオ再生であることも8トラックの特徴のひとつであるが、エンドレス再生、つまり終わり無くどれだけでも再生しつづけることができる、ということも8トラックの大きな特徴であり、コンパクトカセットのようにテープの終端になったら巻き戻さなければならない(あるいは裏返さなければならない)という煩わしさが無い、という特徴がある。 おもにミュージックテープとしてレコード会社から楽曲が録音済みのカートリッジが販売されていた。本来のカーオーディオ用途で、アメリカ合衆国、イギリス、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、メキシコ、スペイン、フランス、ドイツ、イタリア、日本において広く使われた。 また日本ではカーオーディオ用途に加えて、カラオケ装置での音楽再生や、バスの車内放送など業務用途に用いられた。 8トラックは再生専用に特化した傾向の強いメディアである。一部メーカーからは録音も可能な録音再生機も据え置き型で(つまりカーオーディオ以外として)一応は発売されていたものの、こちらは一般化しなかった。 8トラックに先行し8トラックに影響を与えた技術としてはen:Bernardo Cousinoが発明したエンドレステープ・カートリッジ(en:endless tape cartridge)があった。Cousinoは特許も取得し(アメリカ特許番号 :US2804401A)、1952年にAudio Vendor社から発売された。 その後、Cousinoは既存のテープレコーダーで使えるプラスチック製のケース(カートリッジ)を開発した。これはJohn Herbert Orrによって市場に投入され「Orrtronic Tapette」と呼ばれた。 上述のCousinoのエンドレステープやプラスチック製ケースに着想を得て、1953年にジョージ・イーシュ(en:George Eash)がフィデリパック・カートリッジ(Fidelipac cartridge)あるいはNABカートリッジ(NAB cartridge)と呼ばれるものを発明した。これは自動応答システムで音声を流し続けるのに使われ、またMuntz社の4トラック方式のen:Stereo-Pakやモノラル方式のさまざまなバックグラウンドミュージック・システムに採用され、1960年代から1990年代にかけて使われることになった。 「Lear Jet Stereo 8 cartridge」は、1963年、ビル・リアの指揮のもと、リアジェット・コーポレーションのRichard Krausによって設計された。先行したイーシュのフィデリパックからの主な改良点は、フィデリパックでは再生機の一部であったネオプレーンラバーおよびナイロンでできたピンチローラーを、カートリッジの一部になるよう変更したことであった。これにより機構の複雑さを軽減させた。ビル・リアはまた、フィデリパックにあったテープテンション機構やスリップ防止機構なども取り除いた。というのは、Muntz社のStereo-Pakは機構が複雑すぎたことが災いして、しばしばジャミング(テープからまり)を引き起こしたからである。そしてリアはトラック数をStereo-Pakの4トラック方式から倍増させ、8トラックとし、これにより録音時間を倍増させまずは80分を実現し、さらに後には、100分に延長することに成功した。 媒体は幅6.35mm(1/4インチ)の磁気テープの始端と終端をつないだエンドレス式テープである。テープは1個のリールに巻かれ、リール最内周から引き出されたテープが、カートリッジケースの再生用の窓部分を経てリール最外周に巻き取られる構造になっている。リールはテープの引き出しによって受動的に回転し、カートリッジ外部からは直接駆動されない。テープ速度は毎秒9.5cm(3.75インチ)に設定されている。その構造上、テープとリールの逆回転は不可能であり、また、早送り・巻き戻しも不可能である。 ミュージックテープとして市販されていた初期のカートリッジには、持ち運ぶ際、VHSビデオカセットなどと同じく振動で弛まないように、リールハブロック機構があった。この機構はプレーヤーに差し込むと解除される仕組みである。1980年代に入ると、市場ではカラオケテープしか販売されなくなったので、頻繁に持ち運ぶ理由が無くなったためか、ハブロック機構は消滅した。 構造上早送りによる曲の頭出しが出来ないため、トラックを切り替えることで楽曲プログラムを選択する。4つのプログラムが1本のテープに平行して録音されている。カーステレオ用8トラックデッキの場合、再生ヘッドは2トラックのみであるが、テープをつなぐアルミ箔製のセンシングテープを検出して、再生ヘッドを自動的にテープ幅方向に移動する機構により、全トラックを連続的に再生する。 欠点として、エンドレス構造とテープを介したリール駆動が理由で、テープには恒常的に無理な負荷がかかりがちになり、切断が発生しやすい点があげられる。補修する場合でも、カートリッジ開封後にテープをリールへ正しくセットすることが難しいため、レコード会社などが8トラックテープを補修する業務を請け負っていた時期もあった。 4トラックやその元となったフィデリパックと異なり、カートリッジ内にピンチローラーを内蔵している。このローラー表面にある合成ゴムが経時的に劣化しやすく、テープに癒着しがちである。そのため現存するテープも、経年したものは再生不能に陥っている場合が多い。 1970年時点のカーステレオの価格は、8トラックセットの方が比較的安価であった(三洋電機製品の例では、8トラックタイプが26000円、カセットタイプが36800円)。しかし、1970年代後半以降、メディア・デッキとも8トラックより安価で、長時間録音可能なコンパクトカセットが音質や耐久性を向上させ、ステレオ録音も可能となって年を追うごとに幅広く普及した。 そうした背景もあって、カーステレオ用のメディアとしてはコンパクトカセットに駆逐されるかたちで徐々に衰退した。それでも、巻き戻し不要(一方向回転のみで巻き戻し不可能)の特徴は、カラオケ用や業務用自動アナウンス(路線バスなどの車内放送)等に適していたことから、1980年代後半までは、8トラックはまだ広範囲で用いられていた。 しかしその後、リピート再生やランダムアクセスが容易なコンパクトディスクやレーザーディスク、ミニディスクなどといった代替メディアが普及、またアナウンス用途でも、8トラックより効率的な音声合成による自動放送が出現するに至った。その結果、極一部の愛好家を除き、8トラックの用途は完全に廃れ、現在は録音・再生機器およびテープの生産・販売は既に終了している。
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通称で8トラックや8トラック・カートリッジ(・テープ)と呼ばれたものの正式名称はStereo 8といい、8トラック方式でカートリッジ式の磁気テープ、およびその再生装置を指すために使われた名称であり、1960年代なかばから1980年代にかけてかなり広く使われたものである。2トラックのステレオチャンネルが4つあり、合計8トラックの信号が録音されていた。日本では略して俗に「8トラ」(ハチトラ)とも呼ばれた。
{{右| [[ファイル:8-track_cartridge1.jpg|thumb|none|200px|8トラックカートリッジテープ]] [[ファイル:8-track_cartridge2.jpg|thumb|none|200px|カートリッジの内部]] [[ファイル:8-track_cartridge3.jpg|thumb|none|200px|センシングテープ 中央の銀色部分]] }} 通称で'''8トラック'''({{Lang-en-short|eight-track}})や'''8トラック・カートリッジ(・テープ)'''({{Lang-en-short|eight-track cartridge (tape)}})と呼ばれたものの正式名称は'''Stereo 8'''といい、8[[トラック]]方式で[[カートリッジ]]式の[[磁気テープ]]、およびその再生装置を指すために使われた名称であり、[[1960年代]]なかばから[[1980年代]]にかけてかなり広く使われたものである。2トラックの[[ステレオ]]チャンネルが4つあり、合計8トラックの信号が録音されていた。日本では略して俗に「'''8トラ'''」(ハチトラ)とも呼ばれた。 == 概要 == 自動車用ラジオを世界で初めて実用化し、後に[[リアジェット]]を創業した発明家のビル・リア(ウィリアム・パウエル・リア・ジュニア, [[:en:Bill_Lear|William Powell Lear Jr.]])が中心となり、[[RCAレコード|米RCAビクター]]社(現:[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (米国)|米ソニー・ミュージックエンタテインメント]])をはじめとする数社のコンソーシアムによって、[[1965年]]にステレオ録音された音楽を手軽に再生できる[[メディア (媒体)|メディア]]として開発された。→[[#歴史]] 主たる想定用途は[[カーオーディオ]]での使用である。 当時広く普及していた[[オープンリール]]式の[[テープレコーダー]]は自家用車で気軽に使うには取扱いが不便であり、また[[1962年]]に開発されていた[[コンパクトカセット]](カセットテープ)は、テープ幅の狭さなどから当時は会議記録等の[[モノラル]]での会話録音が想定用途で、音楽用メディアとして認識されていなかったことが、8トラックの開発の背景にある。 ステレオ再生であることも8トラックの特徴のひとつであるが、エンドレス再生、つまり終わり無くどれだけでも再生しつづけることができる、ということも8トラックの大きな特徴であり、コンパクトカセットのようにテープの終端になったら巻き戻さなければならない(あるいは裏返さなければならない)という煩わしさが無い、という特徴がある。 おもにミュージックテープとしてレコード会社から楽曲が録音済みのカートリッジが販売されていた。本来のカーオーディオ用途で、[[アメリカ合衆国]]、[[イギリス]]、[[カナダ]]、[[ニュージーランド]]、[[オーストラリア]]、[[メキシコ]]、[[スペイン]]、[[フランス]]、[[ドイツ]]、[[イタリア]]、[[日本]]において広く使われた<ref name=goldmine>{{cite web |url=http://www.goldminemag.com/collector-resources/collectors-corner-the-history-of-the-eight-track-tape |quote=Just as the signs were all pointing to eight-track toppling vinyl as the format of choice for music lovers in the United States, Canada ''and '''to a lesser extent''', in Great Britain,'' along came the audio cassette |title=Collector's Corner: The History of the Eight-Track Tape |date=23 December 2005 |access-date=2014-01-22}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.8trackheaven.com/archive/world.html |title=8-Tracking Around the World |website=www.8trackheaven.com|accessdate=2023-08-20}}</ref>。 また日本ではカーオーディオ用途に加えて、[[カラオケ]]装置での音楽再生や、[[バス (交通機関)|バス]]の[[車内放送]]など業務用途に用いられた。 8トラックは再生専用に特化した傾向の強いメディアである。一部メーカーからは録音も可能な録音再生機も据え置き型で(つまりカーオーディオ以外として)一応は発売されていたものの、こちらは一般化しなかった。 == 歴史 == ;前史 8トラックに先行し8トラックに影響を与えた技術としては[[:en:Bernardo Cousino]]が発明したエンドレステープ・カートリッジ([[:en:endless tape cartridge]])があった。Cousinoは特許も取得し(アメリカ特許番号 :US2804401A)、1952年にAudio Vendor社から発売された。 その後、Cousinoは既存のテープレコーダーで使えるプラスチック製のケース(カートリッジ)を開発した。これはJohn Herbert Orrによって市場に投入され「Orrtronic Tapette」と呼ばれた。 上述のCousinoのエンドレステープやプラスチック製ケースに着想を得て、1953年にジョージ・イーシュ([[:en:George Eash]])がフィデリパック・カートリッジ([[:en:Fidelipac|Fidelipac]] cartridge)あるいはNABカートリッジ(NAB cartridge)と呼ばれるものを発明した。これは自動応答システムで音声を流し続けるのに使われ、またMuntz社の4トラック方式の[[:en:Stereo-Pak]]やモノラル方式のさまざまな[[バックグラウンドミュージック]]・システムに採用され、1960年代から1990年代にかけて使われることになった。 === 8トラック・カートリッジの発明 === [[File:Lear Jet Stereo 8 advertisement.png|thumb|Lear Jet Stereo 8 の広告([[ビルボード]]誌 1966年7月16日号掲載)]] 「Lear Jet Stereo 8 cartridge」は、[[1963年]]、ビル・リアの指揮のもと、[[リアジェット]]・コーポレーションのRichard Krausによって設計された。先行したイーシュのフィデリパックからの主な改良点は、フィデリパックでは再生機の一部であった[[ネオプレーン]][[ラバー]]およびナイロンでできたピンチローラーを、カートリッジの一部になるよう変更したことであった。これにより機構の複雑さを軽減させた。ビル・リアはまた、フィデリパックにあったテープテンション機構やスリップ防止機構なども取り除いた。というのは、Muntz社のStereo-Pakは機構が複雑すぎたことが災いして、しばしばジャミング(テープからまり)を引き起こしたからである。そしてリアはトラック数をStereo-Pakの4トラック方式から倍増させ、8トラックとし、これにより録音時間を倍増させまずは80分を実現し、さらに後には、100分に延長することに成功した。 == カートリッジの構造 == {{右| [[ファイル:8track_inside.JPG|thumb|none|200px|右上にピンチローラーがある。リールは右回りに回転する]] [[ファイル:NAB-cartridge.jpg|thumb|none|200px|(比較) 4トラックの元となったフィデリパックカートリッジ。ピンチローラーはなく、穴が開いている]] }} 媒体は幅6.35mm(1/4インチ)の磁気テープの始端と終端をつないだエンドレス式テープである。テープは1個の[[リール (機構)|リール]]に巻かれ、リール最内周から引き出されたテープが、カートリッジケースの再生用の窓部分を経てリール最外周に巻き取られる構造になっている。リールはテープの引き出しによって受動的に回転し、カートリッジ外部からは直接駆動されない。テープ速度は毎秒9.5cm(3.75インチ)に設定されている。その構造上、テープとリールの逆回転は不可能であり、また、早送り・巻き戻しも不可能である。 ミュージックテープとして市販されていた初期のカートリッジには、持ち運ぶ際、[[VHS]]ビデオカセットなどと同じく振動で弛まないように、リール[[ハブ (機械)|ハブ]]ロック機構があった。この機構はプレーヤーに差し込むと解除される仕組みである。[[1980年代]]に入ると、市場ではカラオケテープしか販売されなくなったので、頻繁に持ち運ぶ理由が無くなったためか、ハブロック機構は消滅した。 構造上早送りによる曲の頭出しが出来ないため、トラックを切り替えることで楽曲プログラムを選択する。4つのプログラムが1本のテープに平行して録音されている。[[カーステレオ]]用8トラックデッキの場合、再生ヘッドは2トラックのみであるが、テープをつなぐアルミ箔製のセンシングテープを検出して、再生ヘッドを自動的にテープ幅方向に移動する機構により、全トラックを連続的に再生する。 欠点として、エンドレス構造とテープを介したリール駆動が理由で、テープには恒常的に無理な負荷がかかりがちになり、切断が発生しやすい点があげられる。補修する場合でも、カートリッジ開封後にテープをリールへ正しくセットすることが難しいため、レコード会社などが8トラックテープを補修する業務を請け負っていた時期もあった。 4トラックやその元となったフィデリパックと異なり、カートリッジ内にピンチローラーを内蔵している。このローラー表面にある合成ゴムが経時的に劣化しやすく、テープに癒着しがちである。そのため現存するテープも、経年したものは再生不能に陥っている場合が多い。 == 衰退 == [[1970年]]時点のカーステレオの価格は、8トラックセットの方が比較的安価であった([[三洋電機]]製品の例では、8トラックタイプが26000円、カセットタイプが36800円)<ref>サンヨーカーステレオ(広告)『朝日新聞』昭和45年(1970年)4月9日夕刊、3版、11面</ref>。しかし、1970年代後半以降、メディア・デッキとも8トラックより安価で、長時間録音可能な[[コンパクトカセット]]が音質や耐久性を向上させ、ステレオ録音も可能となって年を追うごとに幅広く普及した。 そうした背景もあって、カーステレオ用のメディアとしてはコンパクトカセットに駆逐されるかたちで徐々に衰退した。それでも、巻き戻し不要(一方向回転のみで巻き戻し不可能)の特徴は、カラオケ用や業務用自動アナウンス([[路線バス]]などの車内放送)等に適していたことから、1980年代後半までは、8トラックはまだ広範囲で用いられていた。 しかしその後、リピート再生やランダムアクセスが容易な[[コンパクトディスク]]や[[レーザーディスク]]、[[ミニディスク]]などといった代替メディアが普及、またアナウンス用途でも、8トラックより効率的な[[音声合成]]による自動放送が出現するに至った。その結果、極一部の愛好家を除き、8トラックの用途は完全に廃れ、現在は録音・再生機器およびテープの生産・販売は既に終了している。 <!--どこのバス会社で8トラック云々は無用。どうしても書きたくて書きたくて仕方ないならバス会社の記事に--> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == *[[音響機器]] *[[4トラック]] *[[ハイパック]] *[[プレーテープ]] *[[マルチトラックレコーダー]] *[[ポニーキャニオン]](旧・ポニー/キャニオン・レコード連合) *[[バンダイナムコミュージックライブ]](旧・・アポロン音楽工業→アポロン→[[バンダイ・ミュージックエンタテインメント]]→[[ランティス]]→[[バンダイナムコアーツ]]) {{Audio formats}} {{デフォルトソート:8とらつく}} [[Category:オーディオテープ]] [[Category:オーディオストレージ]] [[Category:アメリカ合衆国の発明]] [[Category:テープ記録]]
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小澤征爾
小澤 征爾(おざわ せいじ、1935年〈昭和10年〉9月1日 - )は、日本の指揮者。1973年からボストン交響楽団の音楽監督を30年ほど務め、2002年 - 2003年のシーズンから2009年 - 2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた。 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ボストン交響楽団桂冠音楽監督、セイジ・オザワ 松本フェスティバル総監督、新日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者 など。 満洲国奉天市(現:中華人民共和国瀋陽市)生まれ。父小澤開作は歯科医師、満洲国協和会創設者の一人で、同志で満洲事変の首謀者となった板垣征四郎と石原莞爾から一字ずつ貰って第三子を「征爾」と命名した。1941年3月、父を満洲に残したまま母や兄と日本に戻り、東京都立川市の若草幼稚園に入園。1942年4月、立川国民学校(現:立川市立第一小学校)に入学。1945年、長兄の小澤克己(のち彫刻家になる)からアコーディオンとピアノの手ほどきを受ける。才能を感じた一家は、征爾に対して本格的にピアノを学ばせようと決意し、横浜市白楽の親類から安価に譲ってもらったピアノをリアカーに縛りつけ、父と長兄と次兄(小澤俊夫)とで3日かけて立川市の自宅まで運搬した。 1947年、父が友人とミシン会社を始めた関係で神奈川県足柄上郡金田村(現:大井町)に転居。1948年4月、成城学園中学校に入学。当時、小田急小田原線で新松田から成城学園前まで片道2時間かけて通学していた。中学ではラグビー部に所属する(ポジションは3番プロップ)傍ら、豊増昇にピアノを習う。当時はピアニスト志望だったが、ラグビーの試合で大怪我(雨の試合でスクラムで右手人差し指を骨折した)をしたためピアノの道を断念。1950年秋、東京都世田谷区代田に転居。以後、東京都世田谷区経堂(1951年から1952年)、東京都渋谷区笹塚(1952年から1955年)、神奈川県川崎市幸区戸手町(1955年から1959年)で育つ。 1951年、成城学園高校に進んだが、齋藤秀雄の指揮教室に入門したため、1952年、齋藤の肝煎りで設立された桐朋女子高校音楽科へ第1期生として入学。同門に秋山和慶、山本直純、羽仁協子、久山恵子がいる。当時、癇癪持ちの齋藤から指揮棒で叩かれたりスコアを投げつけられたりするなどの体罰を日常的に受けていたため、あまりのストレスから小澤が自宅の本箱のガラス扉を拳で殴りつけ、大怪我をしたこともあった。1955年、齋藤が教授を務める桐朋学園短期大学(現:桐朋学園大学音楽学部)へ進学、1957年夏に同短期大学を卒業。4月に卒業できなかったのは、肺炎で卒業試験が受けられなかったためであり、のちに追試を受けて卒業が認められたが、療養期間中には仲間がどんどん仕事をしたりマスメディアに出演したりするのを見て焦りと嫉妬に苦しんだという。ただし、このとき父から「嫉妬は人間の一番の敵だ」と言われて嫉妬心を殺す努力をしたことが、後になって大変役立ったと語っている。 短大卒業後、1957年頃から齋藤の紹介で群馬交響楽団を振り始め、群響の北海道演奏旅行の指揮者を担当。1957年12月には、日本フィルハーモニー交響楽団の第5回定期演奏会におけるラヴェル『子供と魔法』にて、渡邉暁雄の下で副指揮者を務める。1958年、「フランス政府給費留学生」の試験を受けたが不合格となる。しかし、成城学園時代の同級生の父である水野成夫たちの援助で渡欧資金を調達。 1959年2月1日から、スクーター、ギターとともに貨物船で単身フランスに渡る。このとき、小澤というアシスタントを失うことを恐れた齋藤からは渡欧について猛反対を受けたが、桐朋の父兄会や水野成夫たちの支援を得て、1200ドル(約45万円)の餞別を受けた。1959年、パリ滞在中に第9回ブザンソン国際指揮者コンクール第1位。ヨーロッパのオーケストラに多数客演。カラヤン指揮者コンクール第1位。指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。1960年、アメリカ・ボストン郊外で開催されたバークシャー音楽祭(現:タングルウッド音楽祭)でクーセヴィツキー賞を受賞。指揮者のシャルル・ミュンシュに師事。1961年ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任。指揮者のレナード・バーンスタインに師事。同年ニューヨーク・フィルの来日公演に同行。カラヤン、バーンスタインとの親交は生涯に渡り築かれた。 1961年にNHK交響楽団(N響)の指揮者に招かれ指揮活動を開始するが、感情的な軋轢のためN響からボイコットを受ける。小澤はたった一人で指揮台に立つという苦い経験をさせられ、指揮者を辞任。このため日本では音楽活動をしないと決め、渡米した。その後、NHK交響楽団とは32年の歳月を経て1995年1月に共演を果たしている。 1964年、シカゴ交響楽団(当時の指揮者はジャン・マルティノン)によるラヴィニア音楽祭の指揮者が急病により辞退。急遽、ニューヨークにいた小澤が開催数日前に招聘され音楽監督として音楽祭を成功に収め、小澤の名声は全米に知れ渡る。シカゴ交響楽団とはRCAレーベル、EMIレーベルに複数の録音を残した。日本人指揮者が海外の一流オーケストラを指揮して海外の一流レコード会社からクラシック音楽録音を海外市場向けに複数発売したことは画期的な出来事であった。 1964年からはトロント交響楽団の指揮者に就任し1968年まで務める。1966年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を初指揮。1970年にはタングルウッド音楽祭の音楽監督に就任。同年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任し1976年まで務めた。 1972年には、フジサンケイグループによる突然の日本フィルハーモニー交響楽団の解散後、楽員による自主運営のオーケストラとして新日本フィルハーモニー交響楽団を創立。小澤は指揮者として中心的な役割を果たし、1991年に名誉芸術監督に就任、1999年9月から桂冠名誉指揮者となっている。1972年に日本芸術院賞を受賞している。 1973年、38歳のとき、前出のニューヨーク・フィルおよびシカゴ響と共にアメリカ五大オーケストラの一つに数えられるボストン交響楽団の音楽監督(第13代)に就任。当初はドイツグラモフォンとの契約でラヴェルのオーケストラ曲集、ベルリオーズのオーケストラ曲集など、ミュンシュの衣鉢を継ぐフランス音楽の録音を続けた。その後グスタフ・マーラーの交響曲全集(『大地の歌』を除く)など、フィリップスへの録音を行った。日本のクラシックファンにとっては、日本人指揮者の演奏をアメリカから逆輸入する形で聴くこととなり、また日本人指揮者の演奏が国際的に有名なレーベルから発売されるのは初めてであった。またボストンでの活動が進むにつれウィーン・フィル、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとするヨーロッパのオーケストラへの出演も多くなる。 ボストン交響楽団の音楽監督は2002年まで務めたが、一人の指揮者が30年近くにわたり同じオーケストラの音楽監督を務めたのは極めて珍しいことといわれる。その30年近くに及ぶ音楽監督期間中、少なくとも1978年3月、1981年秋、1986年、1989年にはボストン響を率いて来日し、日本公演を実施したほか、1979年3月には中国でも同楽団を率いての公演を行っている。 タングルウッドには、小澤征爾の功績を記念して日本の電気メーカーNEC、ソニー元社長の大賀典雄などの援助により“SEIJI OZAWA HALL”が建設された。 なお、アメリカを本拠にしての音楽活動が長かったため、アメリカ国内及び海外のマスコミでは「小澤征爾は日系アメリカ人(Japanese-American)」と記述する例もある。 1984年9月、恩師である齋藤秀雄の没後10年を偲び、小澤と秋山和慶の呼びかけにより、世界中から齋藤の門下生100名以上が集まり、齋藤秀雄メモリアルコンサートを東京と大阪にて開催。このコンサートが後のサイトウ・キネン・オーケストラとなる。1987年に第1回ヨーロッパ楽旅を行い、ウィーン、ベルリン、ロンドン、パリ、フランクフルトにて成功を収める。1992年からはサイトウ・キネン・オーケストラの音楽監督として活動を開始。このオーケストラでもフィリップスへの録音を多く行っており、今までにベートーヴェン、ブラームスの交響曲全集などを完成させている。 1992年にベルリン・フィルから、楽団に功績のあった人物に贈られるハンス・フォン・ビューロー メダル(英語版)を授与された。 1998年に長野オリンピック音楽監督を務め、世界の国歌を新日本フィルハーモニー交響楽団と録音。長野オリンピック開会式では、小澤指揮によるベートーベン第九を演奏。開会式会場と世界5大陸の都市(北京、ニューヨーク、シドニー、ベルリン、ケープタウン)を衛星中継で結び、歓喜の歌を世界同時合唱で結ぶ。同年、フランス政府からレジオンドヌール勲章を受賞。 1999年、小沢征爾とサイトウ・キネン・フェスティバル松本実行委員会が、第47回菊池寛賞を受賞した。 2002年1月、日本人指揮者として初めてウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮。このコンサートは世界同時生中継され、CDの売り上げ枚数は100万枚を超えた。2002年シーズンにウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。 作曲家の武満徹と親交を持ち、深い友情関係を築いた。武満の死後も武満作品を演奏する機会が多い。小澤と武満との対談は『音楽』(新潮文庫 1984年)他、写真集でも発表されている。 2005年暮れに体調を崩し、同年12月に白内障の手術を受けた。 2006年1月半ばには、東京都内の病院で帯状疱疹、慢性上顎洞炎、角膜炎と診断され、通院しながら静養していた。2006年1月27日にアン・デア・ウィーン劇場で上演される予定であったモーツァルトの歌劇『イドメネオ』の指揮はキャンセルされた。 2006年2月1日、ウィーン国立歌劇場音楽監督としての活動を一時休止。東京のオペラの森で指揮予定であったヴェルディ『オテロ』の公演もキャンセルすると発表した。 2006年6月、スイス西部モントルー近郊ブロネで開催された「スイス国際音楽アカデミー」にて指揮活動を再開。また、7月20日には「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトVII」愛知県芸術劇場コンサートホール公演にてマーラーの交響曲第2番『復活』を指揮し、日本国内での指揮活動を再開した。2006年度のサイトウ・キネン・フェスティバル松本、2007年4月にベルリン・フィルを指揮をしている。 2007年、ウィーン国立歌劇場総監督ホーレンダーの2010年勇退に伴い、音楽監督小澤征爾の同時退任が発表された。2010年シーズンからの総監督はドミニク・マイヤー、音楽監督は、ウェルザー=メストの就任が発表された。 2008年、世界の音楽界に多大な影響を与えたことや、若手音楽家育成に尽力した功績が認められ、文化勲章を受章した。 2010年1月、人間ドックの検査で食道癌が見つかり治療に専念するために、同年6月までの活動を全てキャンセルすることを発表した。食道全摘出手術を受け、同年8月に復帰。同年開催のサイトウ・キネン・フェスティバル松本は一部プログラムで代役を立て総監督として出演。 2010年11月、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈された。 2011年1月、悪化した腰の手術を受ける。 2012年3月7日、体力回復のため、1年間の指揮活動の中止を発表。 2012年8月31日、『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(村上春樹との共著、新潮社)で小林秀雄賞受賞。 2013年4月1日、前年死去した吉田秀和の後任として水戸芸術館の2代目館長に就任。 2014年8月4日 長野県松本市の音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(SKF)」が翌2015年から、小澤征爾の名を冠した「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に生まれ変わることになったことを、実行委員会が東京都内で記者会見して明らかにした。 2015年7月、ケネディ・センター名誉賞を受賞。日本人では初の受賞となる。 同年8月、セイジ・オザワ松本フェスティバル開催。腰椎棘突起および横突起骨折により、ベルリオーズ・オペラ『ベアトリスとベネディクト』を降板。長野県名誉県民栄誉賞の第1号を受賞。 2016年2月、自らが指揮する歌劇『こどもと魔法』(ラヴェル作曲)を収めるアルバムが第58回グラミー賞最優秀オペラ録音賞を受賞した。 2016年3月、成城大学初となる名誉博士号を贈呈された。記念式典ではサイトウ・キネン・オーケストラや水戸室内管弦楽団メンバー、成城学園にゆかりのアーティスト達が集結し、『S.オザワ祝典アンサンブル』を結成した。 2016年4月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈された。 2016年10月、名誉都民に顕彰される。2016 GQ Men of the Yearを受賞。 1962年、井上靖の仲人により、三井不動産社長江戸英雄の娘でピアニストの江戸京子と結婚。京子とは桐朋女子高校の第一期生同士であり、当時から小澤は江戸家に入り浸りだったが、留学先のパリで再会し、結婚に至ったものである。ただし英雄は「娘は強い性格で個性が強烈」との理由により、この結婚に最初から反対していた。結局、二人は1966年に離婚したが、その原因について江戸京子は「ピアニストとして練習するにしても、自分が弾きたい時に弾けませんしね。主人が練習に疲れて家に帰って来て、もう音は聞きたくないという。その気持もわかりますしね。それで議論になると、結局は"オレが稼いでいるんだから、オレの意見を尊重しろ"ということで押し切られてしまう。いちばん単純な議論でやって来るんです。それなら、自分が経済力を持てば納得のいく生活が出来るんじゃないかと──」と語っている。このほか、コンクール優勝後にスターとなった小澤が銀座のバーのマダムやモデルの入江美樹(後述)と浮名を流したのも離婚の一因だったと報じられた。また、小澤は留学前に岳父の江戸英雄から約20万円(一説によると50万円)の経済的援助を受けていた。このため、京子との離婚については、桐朋学園の関係者から「デビューまでは江戸家に経済的な負担をかけておきながら、目的を達したらサヨナラ」との非難も浴びた。小澤がN響と契約したのは江戸京子との婚約中であり、若い小澤がN響の常任指揮者に抜擢された背景には、江戸英雄の政治力があったとも報じられた。江戸英雄が自民党の有力者を通じてNHKに工作を行い、前田義徳(NHK専務理事、のち会長)を通じ、小澤をN響の指揮者に雇うよう命令したとの説を、毎日新聞記者であった原田三朗は紹介している。 1968年、白系ロシア人貴族の血を二分の一引くファッションモデル兼デザイナーで一時的に女優としても活動していた入江美樹(小澤・ベラ・イリーン)と再婚。美樹の母は料理研究家の入江麻木。美樹との間に生まれた娘の小澤征良はエッセイスト。同じく、息子の小澤征悦は俳優である。またミュージシャンの小沢健二は甥にあたる。兄で健二の父・小澤俊夫は「小澤昔ばなし研究所」を主宰する口承文芸学者で筑波大学名誉教授。弟の小澤幹雄は俳優でテレビ・リポーターである。 甥の小沢健二を通じて、首相経験者の芦田均、松方正義、山本権兵衛、実業家の岩崎弥太郎、弥之助兄弟、医師の緒方洪庵、その弟子の福沢諭吉らと親戚関係にある。(詳細は松方正義の項参照) 指揮者齋藤秀雄の母方の祖母である前島久(ひさ。旧姓大津)は、小澤の母方の曽祖父である大津義一郎の実妹であり、小澤は「僕は先生の弟子というより近かったわけです。親類だったからね」と発言している。 小澤征爾とNHK交響楽団(N響)が初めて顔合わせしたのは、1961年7月の杉並公会堂における放送録音であった。翌1962年には、半年間「客演指揮者」として契約。当初は6月の定期を含めた夏の間だけの契約予定だったが、秋の定期を指揮する予定だったラファエル・クーベリックが出演をキャンセルしたため、12月まで契約期間が延長された。7月4日にはオリヴィエ・メシアンのトゥーランガリラ交響曲日本初演を指揮するなど小澤とN響のコンビは順調に活動しているかのように思えたが、10月2日の香港を皮切りとするシンガポール・マレーシア・フィリピン・沖縄への演奏旅行でN響と小澤の間に感情的な軋轢が生じ、11月の第434回定期公演の出来ばえが新聞に酷評された直後、11月16日にN響の演奏委員会が「今後小澤氏の指揮する演奏会、録音演奏には一切協力しない」と表明。小澤とNHKは折衝を重ねたが折り合わず、N響の理事は小澤を「あんにゃろう」と罵り、N響は小澤に内容証明を送りつけ、小澤も1962年12月18日、NHKを契約不履行と名誉毀損で訴える事態となった。このため、12月20日、第435回定期公演と年末恒例の「第九」公演の中止が発表された。 このトラブルの原因について、小澤が遅刻を繰り返したためという説を八田利一が述べている。原田三朗もまた、小澤が「ぼくは朝が弱い」と称して遅刻を繰り返し、しかもそのことを他人のせいにして謝罪しなかったのがN響から反感を買った一因だったと述べている。東南アジア演奏旅行における小澤はホテルのバーで朝の6時半まで飲み明かした状態で本番に臨み、マニラ公演で振り間違いを犯して演奏を混乱させ、コンサートマスターの海野義雄らに恥をかかせた上、「38度の熱があった」「副指揮者が来なかったせいだ」と虚偽の弁解を並べて開き直ったためにN響の信頼を失ったといわれる。ただし小澤自身は と反論している。「一説によると美男子で鳴るコンサートマスターが、小澤が現れてからファンレターがめっきりへったため、アタマに来てアジったということだ」との報道もあった。 後年、1984年の齋藤秀雄メモリアルコンサートを追ったアメリカのテレビドキュメンタリー(2007年9月にサイトウ・キネン・フェスティバルの企画として、NHKで放送された)で、小澤はこの事件の背景について「僕の指揮者としてのスタイルはアメリカ的で、いちいち団員に指図するやり方だった。でも日本での指揮者に対する概念はそうではない。黙って全体を把握するのが指揮者だ。この違いに加えて僕は若造だった」との趣旨の発言で振り返っている。しかし原田三朗はこの見解を否定し、 と述べている。 この事件はN響にとどまらず政財界を巻き込む社会問題に発展し、青柳正美、秋山邦晴、浅利慶太、安倍寧、有坂愛彦、一柳慧、石原慎太郎、井上靖、大江健三郎、梶山季之、曽野綾子、高橋義孝、武満徹、谷川俊太郎、團伊玖磨、中島健蔵、黛敏郎、三島由紀夫、村野藤吾、山本健吉、由起しげ子が「小澤征爾の音楽を聴く会」を結成し、NHKとN響に質問書を提出すると共に、芥川也寸志・武満徹・小倉朗といった若手音楽家約10名が事件の真相調査に乗り出した。小澤は活動の場を日本フィルに移し、翌1963年1月15日、日比谷公会堂における「小澤征爾の音楽を聴く会」の音楽会で指揮。三島由紀夫は『朝日新聞』翌1月16日付朝刊に「熱狂にこたえる道―小沢征爾の音楽をきいて」という一文を発表し、 と、三島独特の情緒論を展開した 結局、1月17日に黛敏郎らの斡旋により、NHK副理事の阿部真之助と小澤が会談し、これをもって一応の和解が成立した。しかし「あの時は『もう俺は日本で音楽をするのはやめよう』と思った」(先のドキュメンタリーでの発言)ほどのショックを受けた小澤が次にN響の指揮台に立つのは32年3ヶ月後、1995年1月のことであった。小澤は後年、N響とのトラブルが刺激になってよく勉強したとも述懐している。 1995年1月23日、サントリーホールにおいて小澤とN響は32年ぶりに共演を果たした。このコンサートは、日本オーケストラ連盟主催による、身体の故障で演奏活動が出来ないオーケストラ楽員のための慈善演奏会であり、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチをソリストに迎え、以下の曲目を演奏した。 なお、小澤はこのコンサートを引き受けた理由として「(「小澤事件」を知る)昔の楽団員が退職したり亡くなったりしていなくなったから引き受けた」という趣旨の発言をしている。 2005年10月26日には、小澤とN響はNHK音楽祭で再び顔合わせをした。マーカス・ロバーツ(英語版)を共演者に迎え、「子供たちのためのコンサート」と銘打たれたこのコンサートの当初発表されていた曲目は、次のような1時間で収まるプログラムであった。 しかし、打ち合わせが山場を越えた段階になっても、どういう曲目にするかは第5番以外は決まっていなかったようである。最終的には「『ラプソディ・イン・ブルー』は、よりジャズ的な要素が強いが内容は難解なピアノ協奏曲ヘ調に差し替えられ、それに伴って出演者もマーカス・ロバーツ単身ではなく、トリオそろっての来日となった。またNHKが千住明に依頼していたNHK放送80周年記念の委嘱作品『日本交響詩』の初演の場を探していたこともあり、結局以下のような2時間を超えるか超えないかという、「子供向け」にしては盛り沢山なプログラムになった。 コンサートは小澤が時々演奏を止めて曲の解説をするスタイルであり、コンサートの最後は『さくらさくら』の大合唱で締めくくられた。 注)レーベルは発売当時
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"短大卒業後、1957年頃から齋藤の紹介で群馬交響楽団を振り始め、群響の北海道演奏旅行の指揮者を担当。1957年12月には、日本フィルハーモニー交響楽団の第5回定期演奏会におけるラヴェル『子供と魔法』にて、渡邉暁雄の下で副指揮者を務める。1958年、「フランス政府給費留学生」の試験を受けたが不合格となる。しかし、成城学園時代の同級生の父である水野成夫たちの援助で渡欧資金を調達。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1959年2月1日から、スクーター、ギターとともに貨物船で単身フランスに渡る。このとき、小澤というアシスタントを失うことを恐れた齋藤からは渡欧について猛反対を受けたが、桐朋の父兄会や水野成夫たちの支援を得て、1200ドル(約45万円)の餞別を受けた。1959年、パリ滞在中に第9回ブザンソン国際指揮者コンクール第1位。ヨーロッパのオーケストラに多数客演。カラヤン指揮者コンクール第1位。指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。1960年、アメリカ・ボストン郊外で開催されたバークシャー音楽祭(現:タングルウッド音楽祭)でクーセヴィツキー賞を受賞。指揮者のシャルル・ミュンシュに師事。1961年ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任。指揮者のレナード・バーンスタインに師事。同年ニューヨーク・フィルの来日公演に同行。カラヤン、バーンスタインとの親交は生涯に渡り築かれた。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1961年にNHK交響楽団(N響)の指揮者に招かれ指揮活動を開始するが、感情的な軋轢のためN響からボイコットを受ける。小澤はたった一人で指揮台に立つという苦い経験をさせられ、指揮者を辞任。このため日本では音楽活動をしないと決め、渡米した。その後、NHK交響楽団とは32年の歳月を経て1995年1月に共演を果たしている。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1964年、シカゴ交響楽団(当時の指揮者はジャン・マルティノン)によるラヴィニア音楽祭の指揮者が急病により辞退。急遽、ニューヨークにいた小澤が開催数日前に招聘され音楽監督として音楽祭を成功に収め、小澤の名声は全米に知れ渡る。シカゴ交響楽団とはRCAレーベル、EMIレーベルに複数の録音を残した。日本人指揮者が海外の一流オーケストラを指揮して海外の一流レコード会社からクラシック音楽録音を海外市場向けに複数発売したことは画期的な出来事であった。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1964年からはトロント交響楽団の指揮者に就任し1968年まで務める。1966年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を初指揮。1970年にはタングルウッド音楽祭の音楽監督に就任。同年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任し1976年まで務めた。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1972年には、フジサンケイグループによる突然の日本フィルハーモニー交響楽団の解散後、楽員による自主運営のオーケストラとして新日本フィルハーモニー交響楽団を創立。小澤は指揮者として中心的な役割を果たし、1991年に名誉芸術監督に就任、1999年9月から桂冠名誉指揮者となっている。1972年に日本芸術院賞を受賞している。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1973年、38歳のとき、前出のニューヨーク・フィルおよびシカゴ響と共にアメリカ五大オーケストラの一つに数えられるボストン交響楽団の音楽監督(第13代)に就任。当初はドイツグラモフォンとの契約でラヴェルのオーケストラ曲集、ベルリオーズのオーケストラ曲集など、ミュンシュの衣鉢を継ぐフランス音楽の録音を続けた。その後グスタフ・マーラーの交響曲全集(『大地の歌』を除く)など、フィリップスへの録音を行った。日本のクラシックファンにとっては、日本人指揮者の演奏をアメリカから逆輸入する形で聴くこととなり、また日本人指揮者の演奏が国際的に有名なレーベルから発売されるのは初めてであった。またボストンでの活動が進むにつれウィーン・フィル、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとするヨーロッパのオーケストラへの出演も多くなる。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ボストン交響楽団の音楽監督は2002年まで務めたが、一人の指揮者が30年近くにわたり同じオーケストラの音楽監督を務めたのは極めて珍しいことといわれる。その30年近くに及ぶ音楽監督期間中、少なくとも1978年3月、1981年秋、1986年、1989年にはボストン響を率いて来日し、日本公演を実施したほか、1979年3月には中国でも同楽団を率いての公演を行っている。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "タングルウッドには、小澤征爾の功績を記念して日本の電気メーカーNEC、ソニー元社長の大賀典雄などの援助により“SEIJI OZAWA HALL”が建設された。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "なお、アメリカを本拠にしての音楽活動が長かったため、アメリカ国内及び海外のマスコミでは「小澤征爾は日系アメリカ人(Japanese-American)」と記述する例もある。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1984年9月、恩師である齋藤秀雄の没後10年を偲び、小澤と秋山和慶の呼びかけにより、世界中から齋藤の門下生100名以上が集まり、齋藤秀雄メモリアルコンサートを東京と大阪にて開催。このコンサートが後のサイトウ・キネン・オーケストラとなる。1987年に第1回ヨーロッパ楽旅を行い、ウィーン、ベルリン、ロンドン、パリ、フランクフルトにて成功を収める。1992年からはサイトウ・キネン・オーケストラの音楽監督として活動を開始。このオーケストラでもフィリップスへの録音を多く行っており、今までにベートーヴェン、ブラームスの交響曲全集などを完成させている。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1992年にベルリン・フィルから、楽団に功績のあった人物に贈られるハンス・フォン・ビューロー メダル(英語版)を授与された。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1998年に長野オリンピック音楽監督を務め、世界の国歌を新日本フィルハーモニー交響楽団と録音。長野オリンピック開会式では、小澤指揮によるベートーベン第九を演奏。開会式会場と世界5大陸の都市(北京、ニューヨーク、シドニー、ベルリン、ケープタウン)を衛星中継で結び、歓喜の歌を世界同時合唱で結ぶ。同年、フランス政府からレジオンドヌール勲章を受賞。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1999年、小沢征爾とサイトウ・キネン・フェスティバル松本実行委員会が、第47回菊池寛賞を受賞した。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2002年1月、日本人指揮者として初めてウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮。このコンサートは世界同時生中継され、CDの売り上げ枚数は100万枚を超えた。2002年シーズンにウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "作曲家の武満徹と親交を持ち、深い友情関係を築いた。武満の死後も武満作品を演奏する機会が多い。小澤と武満との対談は『音楽』(新潮文庫 1984年)他、写真集でも発表されている。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2005年暮れに体調を崩し、同年12月に白内障の手術を受けた。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "2006年1月半ばには、東京都内の病院で帯状疱疹、慢性上顎洞炎、角膜炎と診断され、通院しながら静養していた。2006年1月27日にアン・デア・ウィーン劇場で上演される予定であったモーツァルトの歌劇『イドメネオ』の指揮はキャンセルされた。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2006年2月1日、ウィーン国立歌劇場音楽監督としての活動を一時休止。東京のオペラの森で指揮予定であったヴェルディ『オテロ』の公演もキャンセルすると発表した。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2006年6月、スイス西部モントルー近郊ブロネで開催された「スイス国際音楽アカデミー」にて指揮活動を再開。また、7月20日には「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトVII」愛知県芸術劇場コンサートホール公演にてマーラーの交響曲第2番『復活』を指揮し、日本国内での指揮活動を再開した。2006年度のサイトウ・キネン・フェスティバル松本、2007年4月にベルリン・フィルを指揮をしている。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2007年、ウィーン国立歌劇場総監督ホーレンダーの2010年勇退に伴い、音楽監督小澤征爾の同時退任が発表された。2010年シーズンからの総監督はドミニク・マイヤー、音楽監督は、ウェルザー=メストの就任が発表された。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "2008年、世界の音楽界に多大な影響を与えたことや、若手音楽家育成に尽力した功績が認められ、文化勲章を受章した。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2010年1月、人間ドックの検査で食道癌が見つかり治療に専念するために、同年6月までの活動を全てキャンセルすることを発表した。食道全摘出手術を受け、同年8月に復帰。同年開催のサイトウ・キネン・フェスティバル松本は一部プログラムで代役を立て総監督として出演。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2010年11月、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈された。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "2011年1月、悪化した腰の手術を受ける。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2012年3月7日、体力回復のため、1年間の指揮活動の中止を発表。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2012年8月31日、『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(村上春樹との共著、新潮社)で小林秀雄賞受賞。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2013年4月1日、前年死去した吉田秀和の後任として水戸芸術館の2代目館長に就任。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2014年8月4日 長野県松本市の音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(SKF)」が翌2015年から、小澤征爾の名を冠した「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に生まれ変わることになったことを、実行委員会が東京都内で記者会見して明らかにした。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2015年7月、ケネディ・センター名誉賞を受賞。日本人では初の受賞となる。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "同年8月、セイジ・オザワ松本フェスティバル開催。腰椎棘突起および横突起骨折により、ベルリオーズ・オペラ『ベアトリスとベネディクト』を降板。長野県名誉県民栄誉賞の第1号を受賞。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "2016年2月、自らが指揮する歌劇『こどもと魔法』(ラヴェル作曲)を収めるアルバムが第58回グラミー賞最優秀オペラ録音賞を受賞した。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2016年3月、成城大学初となる名誉博士号を贈呈された。記念式典ではサイトウ・キネン・オーケストラや水戸室内管弦楽団メンバー、成城学園にゆかりのアーティスト達が集結し、『S.オザワ祝典アンサンブル』を結成した。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "2016年4月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈された。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "2016年10月、名誉都民に顕彰される。2016 GQ Men of the Yearを受賞。", "title": "人物・来歴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1962年、井上靖の仲人により、三井不動産社長江戸英雄の娘でピアニストの江戸京子と結婚。京子とは桐朋女子高校の第一期生同士であり、当時から小澤は江戸家に入り浸りだったが、留学先のパリで再会し、結婚に至ったものである。ただし英雄は「娘は強い性格で個性が強烈」との理由により、この結婚に最初から反対していた。結局、二人は1966年に離婚したが、その原因について江戸京子は「ピアニストとして練習するにしても、自分が弾きたい時に弾けませんしね。主人が練習に疲れて家に帰って来て、もう音は聞きたくないという。その気持もわかりますしね。それで議論になると、結局は\"オレが稼いでいるんだから、オレの意見を尊重しろ\"ということで押し切られてしまう。いちばん単純な議論でやって来るんです。それなら、自分が経済力を持てば納得のいく生活が出来るんじゃないかと──」と語っている。このほか、コンクール優勝後にスターとなった小澤が銀座のバーのマダムやモデルの入江美樹(後述)と浮名を流したのも離婚の一因だったと報じられた。また、小澤は留学前に岳父の江戸英雄から約20万円(一説によると50万円)の経済的援助を受けていた。このため、京子との離婚については、桐朋学園の関係者から「デビューまでは江戸家に経済的な負担をかけておきながら、目的を達したらサヨナラ」との非難も浴びた。小澤がN響と契約したのは江戸京子との婚約中であり、若い小澤がN響の常任指揮者に抜擢された背景には、江戸英雄の政治力があったとも報じられた。江戸英雄が自民党の有力者を通じてNHKに工作を行い、前田義徳(NHK専務理事、のち会長)を通じ、小澤をN響の指揮者に雇うよう命令したとの説を、毎日新聞記者であった原田三朗は紹介している。", "title": "親族" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "1968年、白系ロシア人貴族の血を二分の一引くファッションモデル兼デザイナーで一時的に女優としても活動していた入江美樹(小澤・ベラ・イリーン)と再婚。美樹の母は料理研究家の入江麻木。美樹との間に生まれた娘の小澤征良はエッセイスト。同じく、息子の小澤征悦は俳優である。またミュージシャンの小沢健二は甥にあたる。兄で健二の父・小澤俊夫は「小澤昔ばなし研究所」を主宰する口承文芸学者で筑波大学名誉教授。弟の小澤幹雄は俳優でテレビ・リポーターである。", "title": "親族" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "甥の小沢健二を通じて、首相経験者の芦田均、松方正義、山本権兵衛、実業家の岩崎弥太郎、弥之助兄弟、医師の緒方洪庵、その弟子の福沢諭吉らと親戚関係にある。(詳細は松方正義の項参照)", "title": "親族" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "指揮者齋藤秀雄の母方の祖母である前島久(ひさ。旧姓大津)は、小澤の母方の曽祖父である大津義一郎の実妹であり、小澤は「僕は先生の弟子というより近かったわけです。親類だったからね」と発言している。", "title": "親族" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "小澤征爾とNHK交響楽団(N響)が初めて顔合わせしたのは、1961年7月の杉並公会堂における放送録音であった。翌1962年には、半年間「客演指揮者」として契約。当初は6月の定期を含めた夏の間だけの契約予定だったが、秋の定期を指揮する予定だったラファエル・クーベリックが出演をキャンセルしたため、12月まで契約期間が延長された。7月4日にはオリヴィエ・メシアンのトゥーランガリラ交響曲日本初演を指揮するなど小澤とN響のコンビは順調に活動しているかのように思えたが、10月2日の香港を皮切りとするシンガポール・マレーシア・フィリピン・沖縄への演奏旅行でN響と小澤の間に感情的な軋轢が生じ、11月の第434回定期公演の出来ばえが新聞に酷評された直後、11月16日にN響の演奏委員会が「今後小澤氏の指揮する演奏会、録音演奏には一切協力しない」と表明。小澤とNHKは折衝を重ねたが折り合わず、N響の理事は小澤を「あんにゃろう」と罵り、N響は小澤に内容証明を送りつけ、小澤も1962年12月18日、NHKを契約不履行と名誉毀損で訴える事態となった。このため、12月20日、第435回定期公演と年末恒例の「第九」公演の中止が発表された。", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "このトラブルの原因について、小澤が遅刻を繰り返したためという説を八田利一が述べている。原田三朗もまた、小澤が「ぼくは朝が弱い」と称して遅刻を繰り返し、しかもそのことを他人のせいにして謝罪しなかったのがN響から反感を買った一因だったと述べている。東南アジア演奏旅行における小澤はホテルのバーで朝の6時半まで飲み明かした状態で本番に臨み、マニラ公演で振り間違いを犯して演奏を混乱させ、コンサートマスターの海野義雄らに恥をかかせた上、「38度の熱があった」「副指揮者が来なかったせいだ」と虚偽の弁解を並べて開き直ったためにN響の信頼を失ったといわれる。ただし小澤自身は", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "と反論している。「一説によると美男子で鳴るコンサートマスターが、小澤が現れてからファンレターがめっきりへったため、アタマに来てアジったということだ」との報道もあった。", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "後年、1984年の齋藤秀雄メモリアルコンサートを追ったアメリカのテレビドキュメンタリー(2007年9月にサイトウ・キネン・フェスティバルの企画として、NHKで放送された)で、小澤はこの事件の背景について「僕の指揮者としてのスタイルはアメリカ的で、いちいち団員に指図するやり方だった。でも日本での指揮者に対する概念はそうではない。黙って全体を把握するのが指揮者だ。この違いに加えて僕は若造だった」との趣旨の発言で振り返っている。しかし原田三朗はこの見解を否定し、", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "と述べている。", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "この事件はN響にとどまらず政財界を巻き込む社会問題に発展し、青柳正美、秋山邦晴、浅利慶太、安倍寧、有坂愛彦、一柳慧、石原慎太郎、井上靖、大江健三郎、梶山季之、曽野綾子、高橋義孝、武満徹、谷川俊太郎、團伊玖磨、中島健蔵、黛敏郎、三島由紀夫、村野藤吾、山本健吉、由起しげ子が「小澤征爾の音楽を聴く会」を結成し、NHKとN響に質問書を提出すると共に、芥川也寸志・武満徹・小倉朗といった若手音楽家約10名が事件の真相調査に乗り出した。小澤は活動の場を日本フィルに移し、翌1963年1月15日、日比谷公会堂における「小澤征爾の音楽を聴く会」の音楽会で指揮。三島由紀夫は『朝日新聞』翌1月16日付朝刊に「熱狂にこたえる道―小沢征爾の音楽をきいて」という一文を発表し、", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "と、三島独特の情緒論を展開した", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "結局、1月17日に黛敏郎らの斡旋により、NHK副理事の阿部真之助と小澤が会談し、これをもって一応の和解が成立した。しかし「あの時は『もう俺は日本で音楽をするのはやめよう』と思った」(先のドキュメンタリーでの発言)ほどのショックを受けた小澤が次にN響の指揮台に立つのは32年3ヶ月後、1995年1月のことであった。小澤は後年、N響とのトラブルが刺激になってよく勉強したとも述懐している。", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "1995年1月23日、サントリーホールにおいて小澤とN響は32年ぶりに共演を果たした。このコンサートは、日本オーケストラ連盟主催による、身体の故障で演奏活動が出来ないオーケストラ楽員のための慈善演奏会であり、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチをソリストに迎え、以下の曲目を演奏した。", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "なお、小澤はこのコンサートを引き受けた理由として「(「小澤事件」を知る)昔の楽団員が退職したり亡くなったりしていなくなったから引き受けた」という趣旨の発言をしている。", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "2005年10月26日には、小澤とN響はNHK音楽祭で再び顔合わせをした。マーカス・ロバーツ(英語版)を共演者に迎え、「子供たちのためのコンサート」と銘打たれたこのコンサートの当初発表されていた曲目は、次のような1時間で収まるプログラムであった。", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "しかし、打ち合わせが山場を越えた段階になっても、どういう曲目にするかは第5番以外は決まっていなかったようである。最終的には「『ラプソディ・イン・ブルー』は、よりジャズ的な要素が強いが内容は難解なピアノ協奏曲ヘ調に差し替えられ、それに伴って出演者もマーカス・ロバーツ単身ではなく、トリオそろっての来日となった。またNHKが千住明に依頼していたNHK放送80周年記念の委嘱作品『日本交響詩』の初演の場を探していたこともあり、結局以下のような2時間を超えるか超えないかという、「子供向け」にしては盛り沢山なプログラムになった。", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "コンサートは小澤が時々演奏を止めて曲の解説をするスタイルであり、コンサートの最後は『さくらさくら』の大合唱で締めくくられた。", "title": "小澤征爾とNHK交響楽団" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "注)レーベルは発売当時", "title": "主な録音" } ]
小澤 征爾は、日本の指揮者。1973年からボストン交響楽団の音楽監督を30年ほど務め、2002年 - 2003年のシーズンから2009年 - 2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた。 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ボストン交響楽団桂冠音楽監督、セイジ・オザワ 松本フェスティバル総監督、新日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者 など。
{{画像提供依頼|近況の顔写真|date=2021年7月|cat=人物}} {{Infobox Musician<!-- Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照 --> | 名前 = 小澤 征爾 | 画像 = Seiji Ozawa 1963.jpg | 画像説明 = 小澤 征爾([[1963年]]) | 画像サイズ = | 画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 --> | 背景色 = classic | 出生名 = 小澤 征爾 | 別名 = <!-- ミュージシャン/グループの別名を記載。愛称や略称ではありません --> | 出生 = {{生年月日と年齢|1935|9|1}} <br />{{MCK}} [[奉天省 (満洲国)|奉天省]][[奉天市]] | 出身地 = {{JPN}} | 死没 = <!-- 2022年7月6日 --> | 学歴 = [[桐朋学園芸術短期大学|桐朋学園短期大学]] | ジャンル = [[クラシック音楽]] | 職業 = [[指揮者]] | 担当楽器 = 指揮 | 活動期間 = [[1959年]] - | レーベル = | 事務所 = | 共同作業者 = | 公式サイト = [https://www.ozawa-festival.com/ セイジ・オザワ 松本フェスティバル] | 著名使用楽器 = | Notable_family = 長男:小澤征悦 }} {{Portal クラシック音楽}} '''小澤 征爾'''(おざわ せいじ、[[1935年]]〈[[昭和]]10年〉[[9月1日]] - )は、日本の[[指揮者]]。1973年から[[ボストン交響楽団]]の音楽監督を30年ほど務め、[[2002年]] - [[2003年]]のシーズンから[[2009年]] - [[2010年]]のシーズンまで[[ウィーン国立歌劇場]]音楽監督を務めた。 [[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]名誉団員<ref>[https://austria-forum.org/af/AustriaWiki/Liste_der_Ehrenmitglieder_der_Wiener_Staatsoper Liste der Ehrenmitglieder der Wiener Staatsoper]</ref>、[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]名誉団員、[[ボストン交響楽団]]桂冠音楽監督、[[セイジ・オザワ 松本フェスティバル]]総監督、[[新日本フィルハーモニー交響楽団]]桂冠名誉指揮者 など<ref>「小沢征爾さん ウィーン・フィル名誉団員に 「どんな勲章よりうれしい」」『読売新聞』2010年11月3日 東京朝刊 33頁。</ref>。<!--[[栄典]]・[[表彰|表彰歴]]として、[[文化勲章]]受章など。--> == 人物・来歴 ==<!-- [[File:Seiji Ozawa.jpg|250px|thumb|小澤 征爾]] [https://ms.wikipedia.org/wiki/Fail:Seiji_Ozawa.jpg#/media/File:Seiji_Ozawa.jpg]--> [[満洲国]][[奉天市]](現:[[中華人民共和国]][[瀋陽市]])生まれ。父[[小澤開作]]は[[歯科医師]]、[[満洲国協和会]]創設者の一人で、同志で[[満洲事変]]の首謀者となった[[板垣征四郎]]と[[石原莞爾]]から一字ずつ貰って第三子を「征爾」と命名した<ref>[[岡崎久彦]]『百年の遺産:日本近代外交史73話』産経新聞ニュースサービス、2002年、181頁</ref><ref>ただし、母親の小澤さくらによれば、夫の開作がその命名を板垣に伝えたところ、「二人の名前を並べるなら石原のほうが偉いんだから『爾征』とつけなきゃいけない』と言われたらしい。小澤さくら『北京の碧い空を わたしの生きた昭和』58頁。</ref>。[[1941年]]3月、父を[[満洲]]に残したまま母や兄と日本に戻り、[[東京都]][[立川市]]の若草幼稚園に入園{{Sfn|山田|2006|p=20}}。[[1942年]]4月、立川国民学校(現:[[立川市立第一小学校]])に入学{{Sfn|山田|2006|p=20}}。[[1945年]]、長兄の小澤克己(のち彫刻家になる)から[[アコーディオン]]と[[ピアノ]]の手ほどきを受ける。才能を感じた一家は、征爾に対して本格的にピアノを学ばせようと決意し、[[横浜市]]白楽の親類から安価に譲ってもらったピアノを[[リアカー]]に縛りつけ、父と長兄と次兄([[小澤俊夫]])とで3日かけて立川市の自宅まで運搬した。 [[1947年]]、父が友人とミシン会社を始めた関係で[[神奈川県]][[足柄上郡]]金田村(現:[[大井町]])に転居{{Sfn|山田|2006|p=20}}。1948年4月、[[成城学園中学校高等学校|成城学園中学校]]に入学{{Sfn|山田|2006|p=23}}。当時、[[小田急小田原線]]で新松田から成城学園前まで片道2時間かけて通学していた{{Sfn|山田|2006|p=23}}<ref>一時期、成城に住む同学園の英語教師、酒井広(イギリス人。夫人が日本人)が征爾を自宅に下宿させてくれた。『小澤征爾、兄弟と語る』(2022年、岩波書店)50ページ</ref>。中学では[[ラグビーフットボール|ラグビー]]部に所属する(ポジションは3番プロップ)傍ら、[[豊増昇]]にピアノを習う{{Sfn|山田|2006|p=23}}。当時はピアニスト志望だったが、ラグビーの試合で大怪我(雨の試合でスクラムで右手人差し指を骨折した)をしたためピアノの道を断念{{Sfn|山田|2006|p=24}}。[[1950年]]秋、[[東京都]][[世田谷区]][[代田 (世田谷区)|代田]]に転居{{Sfn|山田|2006|p=25}}。以後、[[東京都]][[世田谷区]][[経堂]](1951年から1952年){{Sfn|小澤|2014|p=164}}、[[東京都]][[渋谷区]][[笹塚]](1952年から1955年){{Sfn|小澤|2014|p=164}}、[[神奈川県]][[川崎市]][[幸区]]戸手町(1955年から1959年){{Sfn|小澤|2014|p=164}}で育つ{{Sfn|山田|2006|p=25}}。 [[1951年]]、[[成城学園中学校高等学校|成城学園高校]]に進んだが、[[齋藤秀雄]]の指揮教室に入門したため、[[1952年]]、齋藤の肝煎りで設立された[[桐朋女子中学校・高等学校|桐朋女子高校]]音楽科へ第1期生として入学{{Sfn|山田|2006|p=25}}。同門に[[秋山和慶]]、[[山本直純]]、[[羽仁協子]]、久山恵子がいる{{Sfn|山本|1999|pp=40-42}}。当時、癇癪持ちの齋藤から指揮棒で叩かれたりスコアを投げつけられたりするなどの体罰を日常的に受けていたため、あまりのストレスから小澤が自宅の本箱のガラス扉を拳で殴りつけ、大怪我をしたこともあった{{Sfn|山田|2006|p=34}}。1955年、齋藤が教授を務める桐朋学園短期大学(現:[[桐朋学園大学]]音楽学部)へ進学、1957年夏に同短期大学を卒業<ref>小澤征爾『ボクの音楽武者修行』</ref>。4月に卒業できなかったのは、肺炎で卒業試験が受けられなかったためであり{{refnest|group="注"|ただし吉田秀和によると、このとき小澤が卒業できなかったのは「小澤にはまだ[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|第九]]を教えていない。第九を勉強させないで指揮科を卒業させるわけにはいかない」との斎藤秀雄の意向によるものだったという<ref>レコード芸術編『吉田秀和 音楽を心の友と』p.38(音楽之友社、2012年)</ref>。}}、のちに追試を受けて卒業が認められたが、療養期間中には仲間がどんどん仕事をしたりマスメディアに出演したりするのを見て焦りと嫉妬に苦しんだという<ref name="hiro">[[広中平祐]]との対談『やわらかな心をもつ』p.54-55</ref>。ただし、このとき父から「嫉妬は人間の一番の敵だ」と言われて嫉妬心を殺す努力をしたことが、後になって大変役立ったと語っている<ref name="hiro" />。 短大卒業後、1957年頃から齋藤の紹介で[[群馬交響楽団]]を振り始め、群響の[[北海道]]演奏旅行の指揮者を担当{{Sfn|山田|2006|p=41}}。1957年12月には、[[日本フィルハーモニー交響楽団]]の第5回定期演奏会における[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]『[[子供と魔法]]』にて、[[渡邉暁雄]]の下で副指揮者を務める{{Sfn|山田|2006|p=41}}。1958年、「フランス政府給費留学生」の試験を受けたが不合格となる{{Sfn|小澤|2014|p=164}}。しかし、成城学園時代の同級生の父である[[水野成夫]]たちの援助で渡欧資金を調達{{Sfn|小澤|2014|pp=47-48}}。 [[1959年]]2月1日から、[[スクーター]]、[[ギター]]とともに[[貨物船]]で単身[[フランス]]に渡る。このとき、小澤というアシスタントを失うことを恐れた齋藤からは渡欧について猛反対を受けたが、桐朋の父兄会や[[水野成夫]]たちの支援を得て、1200ドル(約45万円)の餞別を受けた{{Sfn|山田|2006|p=44}}。[[1959年]]、[[パリ]]滞在中に第9回[[ブザンソン国際指揮者コンクール]]第1位。[[ヨーロッパ]]の[[オーケストラ]]に多数客演。カラヤン指揮者コンクール第1位。指揮者の[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]に師事。[[1960年]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ボストン]]郊外で開催されたバークシャー音楽祭(現:[[タングルウッド音楽祭]])で[[セルゲイ・クーセヴィツキー|クーセヴィツキー]]賞を受賞。指揮者の[[シャルル・ミュンシュ]]に師事。[[1961年]][[ニューヨーク・フィルハーモニック]]副指揮者に就任。指揮者の[[レナード・バーンスタイン]]に師事。同年ニューヨーク・フィルの来日公演に同行。カラヤン、バーンスタインとの親交は生涯に渡り築かれた。 [[1961年]]に[[NHK交響楽団]](N響)の指揮者に招かれ指揮活動を開始{{refnest|group="注"|NHKの音楽プロデューサー細野達也が小澤の日本フィルの指揮ぶりを聴いて「N響にも欲しい」と思い、N響副理事長の[[有馬大五郎]]や事務長の木村竜蔵を説得し、小澤の抜擢に至ったという{{Sfn|原田|1989|pp=190-191}}。}}するが、感情的な軋轢のためN響から[[ボイコット]]を受ける。小澤はたった一人で指揮台に立つという苦い経験をさせられ、指揮者を辞任{{Efn2|これは「N響事件」「小澤事件」「N響小澤事件」などと呼ばれる。後述}}。このため日本では音楽活動をしないと決め、渡米した。その後、NHK交響楽団とは32年の歳月を経て[[1995年]]1月に共演を果たしている。 [[1964年]]、[[シカゴ交響楽団]](当時の指揮者は[[ジャン・マルティノン]])によるラヴィニア音楽祭の指揮者が急病により辞退。急遽、ニューヨークにいた小澤が開催数日前に招聘され音楽監督として音楽祭を成功に収め、小澤の名声は全米に知れ渡る。シカゴ交響楽団とはRCAレーベル、EMIレーベルに複数の録音を残した。日本人指揮者が海外の一流オーケストラを指揮して海外の一流レコード会社からクラシック音楽録音を海外市場向けに複数発売したことは画期的な出来事であった。 [[1964年]]からは[[トロント交響楽団]]の指揮者に就任し[[1968年]]まで務める<ref name="fr_univslmus">[https://www.universal-music.co.jp/seiji-ozawa/biography/ BIOGRAPHY] - [[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック・ジャパン]]Webサイト内、小澤征爾アーティスト・サイトより《2017年11月23日閲覧》</ref>。[[1966年]]に[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]を初指揮。[[1970年]]にはタングルウッド音楽祭の音楽監督に就任。同年[[サンフランシスコ交響楽団]]の音楽監督に就任し[[1976年]]まで務めた。 [[1972年]]には、[[フジサンケイグループ]]による突然の[[日本フィルハーモニー交響楽団]]の解散後、楽員による自主運営のオーケストラとして[[新日本フィルハーモニー交響楽団]]を創立。小澤は指揮者として中心的な役割を果たし、[[1991年]]に名誉芸術監督に就任、[[1999年]]9月から桂冠名誉指揮者となっている。1972年に[[日本芸術院賞]]を受賞している<ref>『朝日新聞』1972年4月12日([[朝日新聞東京本社|東京本社]]発行)朝刊、23頁。</ref>。 [[1973年]]、38歳のとき、前出のニューヨーク・フィルおよびシカゴ響と共に[[アメリカ五大オーケストラ]]の一つに数えられる[[ボストン交響楽団]]の音楽監督(第13代)に就任<ref name="fr_univslmus" />{{refnest|group="注"|なお、ボストン交響楽団を初めて指揮したのは同楽団音楽監督就任の約5年前にあたる1968年1月、同楽団のホームグラウンドである[[シンフォニーホール|ボストン・シンフォニーホール]]で開催された同楽団公演に於いてのことである<ref name="fr_univslmus" />。}}。当初は[[ドイツグラモフォン]]との契約で[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]のオーケストラ曲集、[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]のオーケストラ曲集など、ミュンシュの衣鉢を継ぐフランス音楽の録音を続けた。その後[[グスタフ・マーラー]]の[[交響曲]]全集(『[[大地の歌]]』を除く)など、[[フィリップス]]への録音を行った。日本のクラシックファンにとっては、日本人指揮者の演奏をアメリカから逆輸入する形で聴くこととなり、また日本人指揮者の演奏が国際的に有名なレーベルから発売されるのは初めてであった。またボストンでの活動が進むにつれウィーン・フィル、[[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]]をはじめとするヨーロッパのオーケストラへの出演も多くなる。 ボストン交響楽団の音楽監督は[[2002年]]まで務めたが、一人の指揮者が30年近くにわたり同じオーケストラの音楽監督を務めたのは極めて珍しいことといわれる<ref>[http://www.massvacation.jp/theme/japan/ 旅のテーマ~日本とのつながり] - [[マサチューセッツ州]]政府観光局・日本語版サイトより《2017年11月23日閲覧》</ref>。その30年近くに及ぶ音楽監督期間中、少なくとも1978年3月、1981年秋、1986年、1989年にはボストン響を率いて来日し、日本公演を実施したほか、1979年3月には中国でも同楽団を率いての公演を行っている<ref name="fr_univslmus" />。 [[タングルウッド]]には、小澤征爾の功績を記念して日本の電気メーカー[[日本電気|NEC]]、[[ソニー]]元社長の[[大賀典雄]]などの援助により“SEIJI OZAWA HALL”が建設された。 なお、アメリカを本拠にしての音楽活動が長かったため、アメリカ国内及び海外のマスコミでは「小澤征爾は[[日系アメリカ人]](Japanese-American)」と記述する例もある{{Efn2|こういう表現を理解するには、一旦、日本人視点を捨てるほうがよい。つまり、日本人が抱きがちな諸概念は全部捨てて、日本人以外の人になったつもりでものごとを理解するとよい。「[[移民]]の国アメリカ」に住むアメリカ人の視点から見ると、30年ほどもボストン交響楽団の音楽監督を務めアメリカの文化に貢献してきた小澤は、すでに「一時的な お客さん」や「よそ者」ではなく、紛れもなくアメリカの文化を担ってきた「アメリカ人のひとり」という認識になる。したがって自然と「日系アメリカ人」とも記述することになる。なぜかと言うと、アメリカでは各国からやって来てアメリカで活躍している人を「○○系アメリカ人」と記述するのは(小澤に限らず)ごくごく普通のことであり、○○系と記述することでその人のルーツを一応は記述している、という程度の意味だからである。こういう表現は、国籍がどうだとかいうような、細かくて理屈っぽいことを伝えたいのではない。「○○ルーツで、アメリカにやって来て、アメリカに長年住んで活躍している人」という程度の意味である。}}。 [[1984年]]9月、恩師である齋藤秀雄の没後10年を偲び、小澤と秋山和慶の呼びかけにより、世界中から齋藤の門下生100名以上が集まり、齋藤秀雄メモリアルコンサートを東京と[[大阪]]にて開催。このコンサートが後の[[サイトウ・キネン・オーケストラ]]結成のきっかけとなる。[[1987年]]に第1回ヨーロッパ楽旅を行い、[[ウィーン]]、[[ベルリン]]、[[ロンドン]]、[[パリ]]、[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]にて成功を収める。[[1992年]]からはサイトウ・キネン・オーケストラの音楽監督として活動を開始。このオーケストラでもフィリップスへの録音を多く行っており、今までに[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]、[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]の交響曲全集などを完成させている。 [[1992年]]にベルリン・フィルから、楽団に功績のあった人物に贈られる{{仮リンク|ハンス・フォン・ビューロー メダル|en|Hans von Bülow Medal}}を授与された。 [[1998年]]に[[長野オリンピック]]音楽監督を務め、世界の[[国歌]]を新日本フィルハーモニー交響楽団と録音。長野オリンピック開会式では、小澤指揮によるベートーベン[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|第九]]を演奏。開会式会場と世界5大陸の都市([[北京市|北京]]、[[ニューヨーク]]、[[シドニー]]、[[ベルリン]]、[[ケープタウン]])を衛星中継で結び、[[歓喜の歌]]を世界同時合唱で結ぶ。同年、フランス政府から[[レジオンドヌール勲章]]を受賞<ref>{{Cite news |url=http://www.hmv.co.jp/news/article/810280130/ |title=小澤征爾氏、文化勲章受賞! |publisher=ローチケHMVニュース |date=2008-10-28 |accessdate=2017-12-11}}</ref>。 1999年、小沢征爾とサイトウ・キネン・フェスティバル松本実行委員会が、第47回[[菊池寛賞]]を受賞した。 [[2002年]][[1月]]、日本人指揮者として初めてウィーン・フィル[[ニューイヤーコンサート]]を指揮。このコンサートは世界同時生中継され、CDの売り上げ枚数は100万枚を超えた。2002年シーズンにウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。 作曲家の[[武満徹]]と親交を持ち、深い友情関係を築いた。武満の死後も武満作品を演奏する機会が多い。小澤と武満との対談は『音楽』([[新潮文庫]] 1984年)他、写真集でも発表されている。 2005年暮れに体調を崩し、同年12月に[[白内障]]の手術を受けた。 2006年1月半ばには、東京都内の病院で[[帯状疱疹]]、慢性上顎洞炎、[[角膜炎]]と診断され、通院しながら静養していた。2006年1月27日に[[アン・デア・ウィーン劇場]]で上演される予定であったモーツァルトの歌劇『[[イドメネオ]]』の指揮はキャンセルされた。 2006年2月1日、ウィーン国立歌劇場音楽監督としての活動を一時休止。東京のオペラの森で指揮予定であった[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]『[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]]』の公演もキャンセルすると発表した。 2006年6月、スイス西部モントルー近郊ブロネで開催された「スイス国際音楽アカデミー」にて指揮活動を再開。また、7月20日には「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトVII」愛知県芸術劇場コンサートホール公演にて[[グスタフ・マーラー|マーラー]]の[[交響曲第2番 (マーラー)|交響曲第2番『復活』]]を指揮し、日本国内での指揮活動を再開した。2006年度のサイトウ・キネン・フェスティバル松本、2007年4月にベルリン・フィルを指揮をしている。 2007年、ウィーン国立歌劇場総監督ホーレンダーの2010年勇退に伴い、音楽監督小澤征爾の同時退任が発表された。2010年シーズンからの総監督はドミニク・マイヤー、音楽監督は、[[フランツ・ウェルザー=メスト|ウェルザー=メスト]]の就任が発表された。 2008年、世界の音楽界に多大な影響を与えたことや、若手音楽家育成に尽力した功績が認められ、[[文化勲章]]を受章した<ref>{{Cite press release |和書 |title = 平成20年度 文化功労者及び文化勲章受章者について 平成20年度 文化勲章受章者(五十音順) |publisher = [[文部科学省]] |date = 2008-11-03 |url = http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/10/08102402/002.htm |accessdate = 2009-12-06 }}[https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3383265/www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/10/08102402/002.htm ウェブアーカイブ](2012年2月10日)[[国立国会図書館#WARP|WARP]](インターネット資料収集保存事業)</ref>。 2010年1月、[[人間ドック]]の検査で[[食道癌]]が見つかり治療に専念するために、同年6月までの活動を全てキャンセルすることを発表した<ref>{{Cite news |url = http://www.asahi.com/culture/update/0107/TKY201001070124.html |title = 小澤征爾さん、食道がん 半年間活動休止 |newspaper = [[朝日新聞]] |date = 2010-01-07 |accessdate = 2010-01-08 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20100108185154/http://www.asahi.com/culture/update/0107/TKY201001070124.html |archivedate = 2010-01-08 |deadlinkdate = 2017-10 }}</ref>。食道全摘出手術を受け、同年8月に復帰。同年開催のサイトウ・キネン・フェスティバル松本は一部プログラムで代役を立て総監督として出演。 2010年11月、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈された<ref>{{Cite news |url = http://www.asahi.com/culture/update/1102/TKY201011020352.html |title = 小澤征爾さん、ウィーン・フィル名誉団員に 日本人初 |newspaper = [[朝日新聞]] |date = 2010-11-02 |accessdate = 2010-11-02 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20101104073804/http://www.asahi.com/culture/update/1102/TKY201011020352.html |archivedate = 2010-11-04 |deadlinkdate= 2017-10 }}</ref>。 2011年1月、悪化した腰の手術を受ける。 2012年3月7日、体力回復のため、1年間の指揮活動の中止を発表<ref>{{Cite press release |和書 |title = 小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト XI 歌劇『蝶々夫人』演奏会形式公演中止および小澤征爾の1年間の指揮活動中止について |publisher = 小澤征爾音楽塾 |url = http://www.ongaku-juku.com/j/img/2012project/news_120307.pdf |date = 2012-03-07 }}</ref>。 2012年8月31日、『[[小澤征爾さんと、音楽について話をする]]』([[村上春樹]]との共著、[[新潮社]])で[[小林秀雄賞]]受賞。 2013年4月1日、前年死去した[[吉田秀和]]の後任として[[水戸芸術館]]の2代目館長に就任<ref>緒方優子「きょうの人 小澤征爾さん(77) 水戸芸術館館長に就任」『[[産経新聞]]』2013年4月5日付け、東京本社発行15版、2面。</ref>。 2014年8月4日 [[長野県]][[松本市]]の音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(SKF)」が翌2015年から、小澤征爾の名を冠した「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に生まれ変わることになったことを、実行委員会が東京都内で記者会見して明らかにした。 2015年7月、[[ケネディ・センター名誉賞]]を受賞。日本人では初の受賞となる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sanspo.com/geino/news/20150716/sot15071611570004-n1.html|title=小澤征爾さんに米ケネディ・センターが名誉賞「オーケストラに新たな境地もたらした」 |publisher=[[サンスポ]] |date=2015-07-17 |accessdate=2015-07-17}}</ref>。 同年8月、セイジ・オザワ松本フェスティバル開催。腰椎棘突起および横突起骨折により、[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]・[[オペラ]]『[[ベアトリスとベネディクト]]』を降板<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2057265/full/ |title=小澤征爾が骨折でオペラ降板 代役はギル・ローズ氏 |publisher=ORICON STYLE |date=2015-08-07 |accessdate=2015-08-07}}</ref>。[[長野県]]名誉県民栄誉賞の第1号を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/08/21/kiji/K20150821010977860.html |title=小澤征爾さん、長野県民栄誉賞第1号 「音楽文化の普及に寄与」 |publisher=[[スポニチ]] |date=2015-08-21 |accessdate=2015-08-21}}</ref>。 2016年2月、自らが指揮する歌劇『[[子供と魔法|こどもと魔法]]』([[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]作曲)を収めるアルバムが第58回[[グラミー賞]]最優秀オペラ録音賞を受賞した<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1605188.html?mode=all|title=小澤征爾さんにグラミー賞 最優秀オペラ録音部門|newspaper=[[日刊スポーツ]]|publisher=日刊スポーツNEWS|date=2016-02-16|accessdate=2023-10-14}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://ebravo.jp/archives/24768|title=小澤征爾さんが第58回グラミー賞を受賞|work=[[ぶらあぼ|ぶらあぼONLINE]]|publisher=ぶらあぼホールディングス|date=2016-02-16|accessdate=2023-10-14}}</ref>。 2016年3月、[[成城大学]]初となる[[名誉学位|名誉博士号]]を贈呈された。記念式典では[[サイトウ・キネン・オーケストラ]]や[[水戸室内管弦楽団]]メンバー、[[成城学園]]にゆかりのアーティスト達が集結し、『[[セイジ・オザワ祝典アンサンブル|S.オザワ祝典アンサンブル]]』を結成した<ref>[http://www.seijogakuen.ed.jp/news/press/cequ200000000o38-att/20160301_press_1.pdf 小澤征爾氏の「成城大学名誉博士」授与式を挙行]</ref>。 2016年4月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により、名誉団員の称号を贈呈された<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H0L_Y6A400C1000000/ 小澤征爾さん、「名誉団員」に ベルリン・フィル]</ref>。 2016年10月、[[名誉都民]]に顕彰される<ref>[https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2016/09/09/04_01.html 平成28年度名誉都民候補者]</ref><ref>[https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2016/09/28/19.html 平成28年度東京都名誉都民顕彰式及び東京都功労者表彰式について]</ref>。[[GQ JAPAN#GQ Men of the Year|2016 GQ Men of the Year]]を受賞<ref>{{Cite news |url=https://natalie.mu/eiga/news/210194 |title=菅田将暉、“お父さん”吉川晃司との授賞式に「運動会みたい」と声弾ませる |newspaper=映画ナタリー |date=2016-11-21 |accessdate=2016-11-22}}</ref>。 == 受賞・栄典 == * 1960年 クーセヴィツキー賞 * 1972年 [[日本芸術院賞]] * 1975年 [[モービル音楽賞]] * 1985年 [[朝日賞]]<ref>{{Cite web|和書|title=朝日賞 1971-2000年度|website=朝日新聞社|url=https://www.asahi.com/corporate/award/asahi/12738070 |accessdate=2022-09-01}}</ref> * 1987年 [[日本文化デザインフォーラム|国際文化デザイン大賞]] * 1996年 松本市名誉市民<ref>{{Cite web|和書|title=名誉市民|website=松本市|url=https://www.city.matsumoto.nagano.jp/soshiki/216/5908.html|accessdate=2022-08-01}}</ref> * 1998年 仏レジオンドヌール勲章シュヴァリエ * 2000年 米国[[ハーバード大学]]名誉博士号 * 2001年 [[文化功労者]] * 2002年 オーストリア科学芸術一等名誉十字章 * 2003年 [[毎日芸術賞]]、[[サントリー音楽賞]] * 2004年 仏[[ソルボンヌ大学]]名誉博士号 * 2006年 [[NHK放送文化賞]] * 2008年 日本国[[文化勲章]]、仏レジオンドヌール勲章オフィシエ、仏[[芸術アカデミー]]外国人会員、イタリア・プレミオ・ガリレオ2000財団金百合賞 * 2011年 [[高松宮殿下記念世界文化賞]]、[[渡邉暁雄音楽基金]]特別賞 * 2012年 [[小林秀雄賞]] * 2014年 [[モンブラン国際文化賞]] * 2015年 [[ケネディ・センター名誉賞]]、長野県県民栄誉賞 * 2016年 [[グラミー賞]]、東京都名誉都民、成城大学名誉博士、第11回[[GQ JAPAN#GQ Men of the Year|GQ Men of the Year]] * 2022年 [[日本芸術院会員]] == 親族 == [[1962年]]、[[井上靖]]<ref>1960年のローマ五輪の時に面識を得た。また、井上靖の長男[[井上修一]]と、小澤の次兄である[[小澤俊夫]]は筑波大学で同僚だった。『小澤征爾、兄弟を語る』(2022年3月、岩波書店)、96ページ〜。</ref>の仲人により、[[三井不動産]]社長[[江戸英雄]]の娘でピアニストの[[江戸京子]]と結婚。京子とは桐朋女子高校の第一期生同士<ref>高等学校音楽科に限って、男女共学である。</ref>であり、当時から小澤は江戸家に入り浸りだったが、留学先のパリで再会し、結婚に至ったものである<ref name="ws1979426">『[[週刊新潮]]』[[1979年]][[4月26日]]号。</ref>。ただし英雄は「娘は強い性格で個性が強烈」との理由により、この結婚に最初から反対していた<ref name="ws1979426"></ref>。結局、二人は[[1966年]]に離婚したが、その原因について江戸京子は「ピアニストとして練習するにしても、自分が弾きたい時に弾けませんしね。主人が練習に疲れて家に帰って来て、もう音は聞きたくないという。その気持もわかりますしね。それで議論になると、結局は"オレが稼いでいるんだから、オレの意見を尊重しろ"ということで押し切られてしまう。いちばん単純な議論でやって来るんです。それなら、自分が経済力を持てば納得のいく生活が出来るんじゃないかと──」<ref name="ws1979426"></ref>と語っている。このほか、コンクール優勝後にスターとなった小澤が[[銀座]]の[[バー (酒場)|バー]]のマダムやモデルの[[入江美樹]](後述)と浮名を流したのも離婚の一因だったと報じられた<ref name="ws1979426"></ref>。また、小澤は留学前に岳父の江戸英雄から約20万円(一説によると50万円)の経済的援助を受けていた<ref name="ws1979426"></ref>。このため、京子との離婚については、桐朋学園の関係者から「デビューまでは江戸家に経済的な負担をかけておきながら、目的を達したらサヨナラ」との非難も浴びた<ref>『[[週刊新潮]]』[[1967年]][[1月7日]]号。</ref>。小澤がN響と契約したのは江戸京子との婚約中であり、若い小澤がN響の常任指揮者に抜擢された背景には、江戸英雄の政治力があったとも報じられた。江戸英雄が[[自由民主党 (日本)|自民党]]の有力者を通じてNHKに工作を行い、[[前田義徳]](NHK専務理事、のち会長)を通じ、小澤をN響の指揮者に雇うよう命令したとの説を、[[毎日新聞]]記者であった[[原田三郎|原田三朗]]は紹介している{{Sfn|原田|1989|p=190}}。 [[1968年]]、[[白系ロシア人]][[貴族]]の血を二分の一引く{{Refnest|group="注"|美樹(ヴェラ)の父方祖父母は二人ともロシア人である<ref>入江麻木『バーブシカの宝石』講談社、1987年8月。ISBN 4-06-202906-5 </ref>。}}ファッションモデル兼デザイナーで一時的に女優としても活動していた[[入江美樹]](小澤・ベラ・イリーン)と再婚<ref>{{Cite web |url=https://www.tv-ranking.com/detail/18488/ |title=小澤征良 |website=www.tv-ranking.com |publisher=tv-ranking |date= |accessdate=2020-09-18}}</ref>。美樹の母は料理研究家の[[入江麻木]]。美樹との間に生まれた娘の[[小澤征良]]はエッセイスト。同じく、息子の[[小澤征悦]]は俳優である。またミュージシャンの[[小沢健二]]は甥にあたる。兄で健二の父・[[小澤俊夫]]は「小澤昔ばなし研究所」を主宰する口承文芸学者で[[筑波大学]]名誉教授。弟の[[小澤幹雄]]は[[俳優]]でテレビ・リポーターである。 甥の小沢健二を通じて、首相経験者の芦田均、松方正義、山本権兵衛、実業家の岩崎弥太郎、弥之助兄弟、医師の緒方洪庵、その弟子の福沢諭吉らと親戚関係にある。(詳細は松方正義の項参照) 指揮者[[齋藤秀雄]]の母方の祖母である前島久(ひさ。旧姓大津)は、小澤の母方の曽祖父である大津義一郎の実妹であり<ref>『小澤征爾大研究』p.231(春秋社、1990年)</ref>、小澤は「僕は先生の弟子というより近かったわけです。親類だったからね」<ref>[[武満徹]]・小澤征爾『音楽』p.130([[新潮文庫]]、[[1984年]])</ref>と発言している。 == 小澤征爾とNHK交響楽団 == === N響事件 === ==== 軋轢に至る経緯 ==== 小澤征爾とNHK交響楽団(N響)が初めて顔合わせしたのは、[[1961年]]7月の杉並公会堂における放送録音であった。翌[[1962年]]には、半年間「客演指揮者」として契約。当初は6月の定期を含めた夏の間だけの契約予定だったが、秋の定期を指揮する予定だった[[ラファエル・クーベリック]]が出演をキャンセルしたため、12月まで契約期間が延長された。[[7月4日]]には[[オリヴィエ・メシアン]]の[[トゥーランガリラ交響曲]]日本初演を指揮するなど小澤とN響のコンビは順調に活動しているかのように思えたが、10月2日の[[香港]]を皮切りとする[[シンガポール]]・[[マレーシア]]・[[フィリピン]]・[[沖縄]]への演奏旅行でN響と小澤の間に感情的な軋轢が生じ、11月の第434回定期公演の出来ばえが新聞に酷評された直後、11月16日にN響の演奏委員会が「今後小澤氏の指揮する演奏会、録音演奏には一切協力しない」と表明。小澤とNHKは折衝を重ねたが折り合わず、N響の理事は小澤を「あんにゃろう」と罵り、N響は小澤に内容証明を送りつけ、小澤も[[1962年]][[12月18日]]、NHKを契約不履行と名誉毀損で訴える事態となった{{Sfn|原田|1989|p=201}}。このため、12月20日、第435回定期公演と年末恒例の「第九」公演の中止が発表された。 ==== マニラ公演の失敗 ==== このトラブルの原因について、小澤が遅刻を繰り返したためという説を八田利一が述べている<ref>「『小澤征爾』という虚妄」『新潮45』2000年10月</ref>。原田三朗もまた、小澤が「ぼくは朝が弱い」と称して遅刻を繰り返し、しかもそのことを他人のせいにして謝罪しなかったのがN響から反感を買った一因だったと述べている{{Sfn|原田|1989|p=193}}。東南アジア演奏旅行における小澤はホテルのバーで朝の6時半まで飲み明かした状態で本番に臨み、マニラ公演で振り間違いを犯して演奏を混乱させ、コンサートマスターの[[海野義雄]]らに恥をかかせた上、「38度の熱があった」「副指揮者が来なかったせいだ」と虚偽の弁解を並べて開き直ったためにN響の信頼を失ったといわれる{{Sfn|原田|1989|pp=194-195}}。ただし小澤自身は{{quotation|「副指揮者なしで、孤軍奮闘したぼくは、酷暑のこの都市で、首の肉ばなれのため39度の発熱をし、ドクターストップをうけたのだった。このような状態で棒をふったために、些細なミスを冒して<ref>原文のまま。</ref>しまった。しかし、演奏効果の点では、全く不問に附していいミスであったとぼくは思う。それを楽員の一部の人たちは、ぼくをおとし入れるために誇大にいいふらし、あれは仮病であるとまでいった」<ref>『週刊文春』1962年12月24日号に掲載された小澤の手記「N響の不協和音」より。</ref>}}と反論している。「一説によると美男子で鳴るコンサートマスターが、小澤が現れてからファンレターがめっきりへったため、アタマに来てアジったということだ」との報道もあった<ref>『ゴシップ10年史』(三一新書)p.186</ref>。 ==== 紛争の原因 ==== 後年、1984年の齋藤秀雄メモリアルコンサートを追ったアメリカのテレビドキュメンタリー(2007年9月にサイトウ・キネン・フェスティバルの企画として、NHKで放送された)で、小澤はこの事件の背景について「僕の指揮者としてのスタイルはアメリカ的で、いちいち団員に指図するやり方だった。でも日本での指揮者に対する概念はそうではない。黙って全体を把握するのが指揮者だ。この違いに加えて僕は若造だった」との趣旨の発言で振り返っている。しかし[[原田三郎|原田三朗]]はこの見解を否定し、 {{quotation|「アメリカで育ったような小澤の音楽と、ローゼンストック以来のウィーン楽派とシュヒターのベルリン・フィル的な訓練に慣れたN響の音楽観のちがいが、紛争の原因だという見解が当時、支配的だった。楽団員は若い指揮者をそねんでいるとか、もっとおおらかでなければならない、などという意見もつよかった。しかし、ほんとうの原因はそんな立派なことではなかった。遅刻や勉強不足という、若い小澤の甘えと、それをおおらかにみようとしない楽団員、若い指揮者を育てようとしなかった事務局の不幸な[[相乗効果|相乗作用]]だった」{{Sfn|原田|1989|pp=196-197}}}} と述べている。<!--この時期、小澤が病気と称してN響との練習を休んだ当日、弟の幹雄の在学する早稲田大学の学生オーケストラで指揮をしている姿を目撃された事件もあり、N響の楽団員の間では小澤に対する反感と不信感が募っていった{{要出典|date=2023年9月}}。--> ==== 社会問題に発展 ==== この事件はN響にとどまらず政財界を巻き込む社会問題に発展し、青柳正美、[[秋山邦晴]]、<!--[[芥川也寸志]]の名は『おわらない音楽』p.166にはない-->[[浅利慶太]]、[[安倍寧]]、[[有坂愛彦]]、[[一柳慧]]、[[石原慎太郎]]、[[井上靖]]、[[大江健三郎]]、[[梶山季之]]、[[曽野綾子]]、[[高橋義孝]]、[[武満徹]]、[[谷川俊太郎]]、[[團伊玖磨]]、[[中島健蔵]]、[[黛敏郎]]、[[三島由紀夫]]、[[村野藤吾]]、[[山本健吉]]、[[由起しげ子]]が「小澤征爾の音楽を聴く会」を結成し<ref>大江・小澤『同じ年に生まれて』小澤によるあとがき。</ref>{{Sfn|小澤|2014|p=166}}、NHKとN響に質問書を提出すると共に、芥川也寸志・武満徹・[[小倉朗]]といった若手音楽家約10名が事件の真相調査に乗り出した<ref>佐野之彦『N響80年全記録』p.236(文藝春秋社、2007年)</ref>。小澤は活動の場を日本フィルに移し、翌[[1963年]]1月15日、[[日比谷公会堂]]における「小澤征爾の音楽を聴く会」の音楽会で指揮。三島由紀夫は『[[朝日新聞]]』翌1月16日付朝刊に「熱狂にこたえる道―小沢征爾の音楽をきいて」という一文を発表し、 {{quotation|「日本には妙な悪習慣がある。『何を青二才が』という青年[[差別|蔑視]]と、もう一つは『若さが最高無上の価値だ』というその[[アンチテーゼ]](反対命題)とである。私はそのどちらにも与しない。小澤征爾は何も若いから偉いのではなく、いい音楽家だから偉いのである。もちろん彼も成熟しなくてはならない。今度の事件で、彼は論理を武器に戦ったのだが、これはあくまで正しい戦いであっても、日本のよさもわるさも、無論理の特徴にあって、論理は孤独に陥るのが日本人の運命である。その孤独の底で、彼が日本人としての本質を自覚してくれれば、日本人は亡命者(レフュジー)的な『国際的芸術家』としての寂しい立場へ、彼を追ひやることは決してないだらう」}} {{quotation|「私は彼を放逐したNHK楽団員の一人一人の胸にも、純粋な音楽への夢と理想が巣食っているだろうことを信じる。人間は、こじゅうと根性だけでは生きられぬ。日本的しがらみの中でかつ生きつつ、西洋音楽へ夢を寄せてきた人々の、その夢が多少まちがっていても、小澤氏もまた、彼らの夢に雅量を持ち、この音楽という世界共通の言語にたずさわりながら、人の心という最も通じにくいものにも精通する、真の達人となる日を、私は祈っている」}} と、三島独特の情緒論を展開した{{Efn2|三島由紀夫は[[母親]]が[[華族]]の出で(母方の先祖が[[武家]]で)、母親の影響が強い環境で育ち、かつての日本の身分制度や社会制度に憧憬を抱くようになり、彼の心の中にだけにある「かつての日本」をやたらと心的に美化することになった。小澤の事件にコメントした三島のこの文章にも、三島独特の、日本をやたらと美化する情緒性、三島が独り自分の心の中で思い描いた日本に独り酔うような情緒論が色濃く織り込まれている。(この文章を一歩距離を置いて冷静に分析してみれば誰でも分かるはずだが、この文章は、小澤のことについて語っている文章なのか、それともむしろ三島の心の内にある独特の情緒(三島が個人的に好きなもの)を読者に向かって伝えようとしている文章なのか、よく分からないような妙な文章になっている。)なおこの後、三島の心の中にある「かつての日本」を美化する情緒論は次第に激化してゆき、一層 人々に理解されにくい論調になってゆき、最後は1970年11月(つまり当寄稿をした7年弱 後に)市ヶ谷駐屯地の建物に立てこもり庇の上でも(たまたまそこに居合わせて三島の"演説"を遠巻きに聴くことになった自衛隊員にとっては、ただの奇行にしか見えず、屋外なのに拡声器も使わずほとんど声が届かず、さっぱり理解できない形で)表明されることになり、その直後に三島は自死を決行するという事件を起こし、日本のマスコミを騒然とさせることになった。<br />この新聞寄稿で、三島はどさくさに紛れて自分の持論、つまり《論理性》を否定し、彼流の《情緒》(自分が日本人だということに酔う三島独特の情緒)のほうが大切だ、という論を主張したわけだが、実際の日本社会では何が起きたかというと、日本の社会では小澤が身につけた《論理性》も受け入れられなかったが、三島独特の情緒論のほうもやはり受け入れられず、結果として、むしろ三島のほうが小澤よりも大事件を起こすことになってしまった。<br /> (三島はこの新聞寄稿で小澤のことを『「人の心」を理解していない』という主旨のことを書いて非難したが) その三島自身は、大多数の日本人は華族出身者ではないので大多数の日本人にとっては「かつての日本」(かつての身分制度)などというものは醜くいものに感じられる、ということや、大多数の日本人は戦後の[[民主主義]]の日本のほうがずっと美しいと感じる、ということを理解できていなかった。つまり、三島が非難した小澤よりも、むしろ三島のほうがよほど日本人の多数派の「人の心」を理解していなかった、ということが本当は起きていた。}} ==== 和解の成立 ==== 結局、[[1月17日]]に[[黛敏郎]]らの斡旋により、NHK副理事の[[阿部真之助]]と小澤が会談し、これをもって一応の和解が成立した。しかし「あの時は『もう俺は日本で音楽をするのはやめよう』と思った」(先のドキュメンタリーでの発言)ほどのショックを受けた小澤が次にN響の指揮台に立つのは32年3ヶ月後、1995年1月のことであった。小澤は後年、N響とのトラブルが刺激になってよく勉強したとも述懐している{{Sfn|原田|1989|p=205}}。 === 32年ぶりの共演 === [[1995年]][[1月23日]]、[[サントリーホール]]において小澤とN響は32年ぶりに共演を果たした。このコンサートは、日本オーケストラ連盟主催による、身体の故障で演奏活動が出来ないオーケストラ楽員のための慈善演奏会であり、[[ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ]]をソリストに迎え、以下の曲目を演奏した。 *[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J. S. バッハ]]:『[[管弦楽組曲|G線上のアリア]]』([[阪神・淡路大震災]]犠牲者追悼) *[[バルトーク・ベーラ|バルトーク]]:[[管弦楽のための協奏曲]] *[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]]:[[チェロ協奏曲 (ドヴォルザーク)|チェロ協奏曲]] *J. S. バッハ:[[無伴奏チェロ組曲|無伴奏チェロ組曲第2番サラバンド]]([[阪神・淡路大震災]]犠牲者追悼。ロストロポーヴィチの独奏) なお、小澤はこのコンサートを引き受けた理由として「(「小澤事件」を知る)昔の楽団員が退職したり亡くなったりしていなくなったから引き受けた」という趣旨の発言をしている。 === NHK音楽祭2005 === [[2005年]][[10月26日]]には、小澤とN響はNHK音楽祭で再び顔合わせをした。{{仮リンク|マーカス・ロバーツ|en|Marcus Roberts}}を共演者に迎え、「子供たちのためのコンサート」と銘打たれたこのコンサートの当初発表されていた曲目は、次のような1時間で収まるプログラムであった。 *[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]:[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|交響曲第5番]]より *[[ジョージ・ガーシュウィン|ガーシュウィン]]:[[ラプソディ・イン・ブルー]] しかし、打ち合わせが山場を越えた段階になっても、どういう曲目にするかは第5番以外は決まっていなかったようである。最終的には「『ラプソディ・イン・ブルー』は、よりジャズ的な要素が強いが内容は難解な[[ピアノ協奏曲 (ガーシュウィン)|ピアノ協奏曲ヘ調]]に差し替えられ、それに伴って出演者もマーカス・ロバーツ単身ではなく、トリオそろっての来日となった。またNHKが[[千住明]]に依頼していたNHK放送80周年記念の委嘱作品『日本交響詩』の初演の場を探していたこともあり、結局以下のような2時間を超えるか超えないかという、「子供向け」にしては盛り沢山なプログラムになった。 *ベートーヴェン:交響曲第5番(全楽章) *ガーシュウィン:ピアノ協奏曲 ヘ調 *千住明:『日本交響詩』 コンサートは小澤が時々演奏を止めて曲の解説をするスタイルであり、コンサートの最後は『[[さくらさくら]]』の大合唱で締めくくられた。 == 著書 == *『ボクの音楽武者修行』[[音楽之友社]] 1962 のち[[新潮文庫]]、ISBN 4-10-1228-01-9 ===共著編=== *『やわらかな心をもつ - ぼくたちふたりの運・鈍・根』[[広中平祐]]共著、創世記 1977 のち新潮文庫 *『小沢征爾 対談と写真』小沢幹雄編 [[木之下晃]]写真 [[ぎょうせい]] 1980.8 *『音楽』[[武満徹]]共著、[[新潮社]] 1981 のち文庫 ISBN 4-10-1228-03-5 *『同じ年に生まれて 音楽、文学が僕らをつくった』[[大江健三郎]]共著 [[中央公論新社]] 2001.9 のち文庫 *『理想の室内オーケストラとは! 水戸室内管弦楽団での実験と成就』[[吉田秀和]]共著 [[諸石幸生]]、音楽之友社構成・編 音楽之友社 2002.7 ISBN 978-4276211094 *『[[小澤征爾さんと、音楽について話をする]]』[[村上春樹]]共著 新潮社 2011.11 のち新潮文庫)2014.6 ISBN 978-4101001661 *『小澤征爾、兄弟と語る 音楽、人間、ほんとうのこと』小澤俊夫、小澤幹雄共著 [[岩波書店]]、2022 == 主な録音 == *[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]管弦楽全集([[ボストン交響楽団]])([[ドイツ・グラモフォン]]) *[[グスタフ・マーラー|マーラー]]交響曲全集(ボストン交響楽団)(フィリップス) *[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]交響曲全集([[サイトウ・キネン・オーケストラ]])(フィリップス) *[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]交響曲全集(サイトウ・キネン・オーケストラ)(フィリップス) *[[春の祭典]]([[シカゴ交響楽団]])(RCA) *[[カルメン (オペラ) |カルメン]]全曲([[フランス国立管弦楽団]])(フィリップス) *[[セルゲイ・プロコフィエフ|プロコフィエフ]]交響曲全集([[ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団]])(ドイツ・グラモフォン) *[[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]][[交響曲第8番 (ドヴォルザーク) |交響曲第8番]]、[[交響曲第9番 (ドヴォルザーク) |交響曲第9番]]([[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]])(フィリップス) 注)レーベルは発売当時 == 出演番組 == * [[小沢征爾の世界]]([[ニッポン放送]]) == ドキュメンタリー == * マエストロ、マエストロ!カラヤン(1999年、フランス) * ロストロポーヴィチ 人生の祭典(2006年、ロシア) * ジャズ喫茶ベイシー Swiftyの譚詩(2019年、アップリンク) == エピソード == * 成城学園中学時代には[[音楽部]]に属し、のちの[[ソニー]]会長[[出井伸之]]らと[[カルテット]]を組んでいた<ref name ="sankei20211003">{{Cite web|和書|url= https://www.sankei.com/article/20211003-ZVIFDIXG3JP2HO7AZ7TAFWGJKY/?outputType=amp |title= 【話の肖像画】出井伸之(3)中学時代、小澤征爾さんと奏でた音楽 |publisher=産経新聞|date=2021-10-03|accessdate=2022-11-12}}</ref>。小澤はピアノ、出井はヴァイオリン担当であった<ref name ="sankei20211003"/>。以来、2人は仕事とプライベートの両面で生涯の友人となった<ref name ="sankei20211003"/>。 *息子の征悦をして、「(幼い頃、早朝にトイレのために起きて)親父の勉強部屋の前を通ると、もう勉強してるんですよね。あまりに集中しすぎて、自分が横に立っても気づかないくらい」<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20200917004910/https://www.tbsradio.jp/403178 |title=息子が語る、世界の小澤の意外な一面~小澤征悦さん |website=www.tbsradio.jp |publisher=www.tbsradio.jp|date = |accessdate=2020-09-18}}</ref>とまで言われた。楽曲について予習をする際、白地の五線譜に自ら各パートを書き写している。 *1972年6月、日本芸術院会館で日本芸術院賞授賞式に出席した際、経営危機だった日本フィルについて「皇室が交響楽団のパトロンになってほしい」と[[昭和天皇]]に直訴したこともある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/22575 |title=私が会った若き日の小澤征爾さん |website=www.jnpc.or.jp |publisher=www.jnpc.or.jp |date= |accessdate=2020-09-18}}</ref>。 *[[ボストンレッドソックス]]ファンで、[[ボストン]]在住時に本拠地[[フェンウェイパーク]]に足しげく通っていたところ、全球場にフリーパスで入れるメダルを授与された。現在はレッドソックス親善大使を務める<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20120711-981692.html 小沢征爾さんレッドソックス親善大使]</ref>。 *[[ユージン・オーマンディ]]はカラヤン、バーンスタインの時代を継ぐ有望な指揮者として、若き日の小澤を[[クラウディオ・アバド|アバド]]、[[ズービン・メータ|メータ]]、[[ロリン・マゼール|マゼール]]、[[イシュトヴァン・ケルテス|ケルテス]]とともに五指に数えていた<ref>神保景一郎『名曲をたずねて』348頁、[[角川文庫]]</ref>。 == 小澤征爾役を演じた俳優 == *[[野村義男]](『ボクの音楽武者修行』、1982年) == CM出演 == * [[日本盲導犬協会]]「パートナーのいる幸せ」篇(2014年7月) - [[ACジャパン#広告キャンペーン|ACジャパン]]支援キャンペーンの一環として<ref>{{Cite web|和書|year=2014 |url=https://www.ad-c.or.jp/campaign/support/support_08.html |title=支援キャンペーン |publisher=[[ACジャパン]] |accessdate=2017-11-23 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141025032029/https://www.ad-c.or.jp/campaign/support/support_08.html |archivedate=2014-10-25}}</ref>。 == 参考文献 == === 文献資料 === *岩野裕一「NHK交響楽団全演奏会記録2・焼け跡の日比谷公会堂から新NHKホールまで」『Philharmony 2000/2001SPECIAL ISSULE』NHK交響楽団、2001年。 *岩野裕一「NHK交響楽団全演奏会記録3・繁栄の中の混沌を経て新時代へ-"世界のN響"への飛躍をめざして」『Philharmony 2001/2002SPECIAL ISSULE』NHK交響楽団、2002年。 *カール・A・ヴィーゲランド著 [[木村博江]]訳『コンサートは始まる―小澤征爾とボストン交響楽団』([[音楽之友社]]、1989年)ISBN 4276217830 * {{Citation|和書 |author=[[山本直純]] |title=紅いタキシード |publisher=[[東京書籍]] |year=1999 |isbn=4487795265}} * {{Citation|和書 |author=山田治生 |title=音楽の旅人 |publisher=アルファベータ |year=2006 |isbn=978-4871985390}} * {{Citation|和書 |author=[[原田三郎|原田三朗]] |title=オーケストラの人びと |publisher=筑摩書房 |year=1989 |isbn=978-4480041340}} * {{Citation|和書 |author=小澤征爾 |title=おわらない音楽 |publisher=[[日本経済新聞出版社]] |year=2014 |isbn=978-4532169336}} * {{Citation|和書 |author=小澤俊夫、小澤征爾、小澤幹雄 |title=小澤征爾、兄弟と語る — 音楽、人間、ほんとうのこと|publisher=岩波書店 |year=2022 |isbn=978-4000615259}} === 報道資料 === *『読売新聞』2010年11月3日東京朝刊 == 関連項目 == * [[サイトウ・キネン・オーケストラ]] - [[1992年]]から音楽監督 * [[サイトウ・キネン・フェスティバル松本]] * [[新日本フィルハーモニー交響楽団]] * [[水戸芸術館]] * [[水戸室内管弦楽団]] * [[ボストン交響楽団]] * [[ウィーン国立歌劇場]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist2}} === 出典 === {{reflist|2}} == 外部リンク == * [http://seiji-ozawa.com/ SEIJI OZAWA Official] * {{Twitter|seijiozawa_info|小澤征爾 Seiji Ozawa}} * {{Facebook|seijiozawaofficial|小澤征爾 Seiji Ozawa}} * {{Instagram|seijiozawa_official|小澤征爾 Seiji Ozawa}} * {{YouTube|handle = seijiozawa_official|小澤征爾 Seiji Ozawa 公式チャンネル}} * [https://www.lincolnrussell.com/seiji-an-intimate-portrait ポートレイト:Seiji Ozawa] * [https://www.wiener-staatsoper.at/ ウィーン国立歌劇場](ドイツ語、英語、日本語) * [https://www.ozawa-festival.com/ セイジ・オザワ 松本フェスティバル] * [http://www.saito-kinen.com/ サイトウ・キネン・フェスティバル 松本] * [http://eplus.jp/sys/web/s/operanomori08/index.html 東京のオペラの森] * [https://ozawa-musicacademy.com/ 小澤征爾音楽塾] * {{NHK人物録|D0009071963_00000}} * {{NHK放送史|D0009043780_00000|小澤征爾と世界の仲間たち}} * {{NHK放送史|D0009043664_00000|世界のマエストロ・小澤征爾 入魂の一曲}} {{DEFAULTSORT:おさわ せいし}} {{トロント交響楽団首席指揮者|1965年 - 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販売
販売(はんばい)は、商品を顧客に売る(所有権を移転する)行為を指す。 販売を主たる事業として行っている業態を販売業と呼び、販売を行う業者を販売業者と呼ぶ。 発売(はつばい)は、新しい商品の販売活動を開始する際によく使われる。類義であるが、「発売」と「販売」が別記される場合は、発売には製造なども含んだ意味になっていることがある。しかし「製造」と「発売」の場合は発売のほうに流通販売の意味があったり、そのほかにも「発売」と「製造販売」など、様々な例があり一概には言えない。販売等商業に関する学術団体については、1951年4月21日、日本商業学会が慶應義塾大学教授向井鹿松を初代会長として設立された。
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{{出典の明記|date=2016年3月1日 (火) 09:16 (UTC)}} '''販売'''(はんばい)は、[[商品]]を顧客に売る([[所有権]]を[[移転]]する)行為を指す。 販売を主たる[[事業]]として行っている業態を'''販売業'''と呼び、販売を行う[[業者]]を'''販売業者'''と呼ぶ。 '''発売'''(はつばい)は、新しい商品の販売活動を開始する際によく使われる。[[類義]]であるが、「発売」と「販売」が別記される場合は、発売には製造なども含んだ意味になっていることがある。しかし「製造」と「発売」の場合は発売のほうに流通販売の意味があったり、そのほかにも「発売」と「製造販売」など、様々な例があり一概には言えない。販売等商業に関する学術団体については、1951年4月21日、[[日本商業学会]]が慶應義塾大学教授向井鹿松を初代会長として設立された<ref name=hp>{{Cite web|和書|url=http://jsmd.jp/|title=学会HP|publisher=日本商業学会|date=|accessdate=2022-01-23}} 個人会員1,072名,賛助会員11社・団体,購読会員32件 (2019年7月現在)</ref>。 == 販売の形態 == ; [[店舗販売]] : [[店舗|固定店舗]]による販売 : [[催事販売]] : [[移動販売]] : [[推奨販売]] ; [[無店舗販売]] : [[実演販売]] : [[通信販売]] : [[訪問販売]] : [[電話勧誘販売]] : [[連鎖販売取引]] : [[行商]] ; 特殊商品販売 : [[委託販売]] : [[試用販売]] : [[割賦販売]] : [[予約販売]] : [[未着品販売]] == 販売業者の形態 == * [[百貨店]](デパート) * [[量販店]] * [[コンビニエンスストア]] * [[スーパーマーケット]] * [[ディスカウントストア]] * [[専門店]] * [[個人商店]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Wiktionary|販売}} * [[売買契約]] * [[卸売]] *[[小売]] * [[消費者]] * [[マーケティング]] ** [[マーケティング手法の一覧]] * [[ブランド]] ** [[パーソナルブランド]] == 外部リンク == * [https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/uraomote/042.html ことばウラ・オモテ 発売中か販売中か] - [[NHKオンライン]] > [[NHK放送文化研究所]] > ことば(放送用語)(2004.03.01版 / 2015年12月10日閲覧) {{economy-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はんはい}} [[Category:販売の手法|*はんはい]] [[Category:小売業]] [[Category:ビジネスプロセス]] [[cs:Prodej]]
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ブロック
ブロック(英:Construction set)とは、玩具のひとつである。小型の接続可能な部品を組み合わせ、いろいろな造形をする遊び、もしくはそのために使用する玩具を指す。ブロックは英語では積み木のことも指す(Toy block)が、日本ではもっぱら部品同士を組み合わせ可能なものをブロックという。主に合成樹脂系材料が用いられるが、メカノなど金属製のものも存在する。 日本でよく知られているブロックとして、「LEGO」や「ダイヤブロック」や「ニューブロック」などがある。 部品は直方体など四角形を基本にした物が多いが、この他にも三角形や車輪状の物など様々な形状があり、寸法・色の種類も豊富である。どの部品も互いにはめ合わせることができ、部品の組み合わせによって自由に造形することができるようになっている。 年齢層にあわせて、大きさの異なるブロックが用意されている。通常の大きさの、縦横高さ方向が倍のブロックは、乳幼児向けのブロックとして提供されている。さらにその倍の大きさのブロックが存在する。 80年代に入る頃から、製品シリーズの拡大に伴い、あらかじめテーマや特定の形状が作成できるセットで販売されているものも多くなっている。これらには専用に近い特殊形状部品も多い。 高年齢層向けには、メカニカルな部品や電子制御を行ない、完成した作品を動作させられるような部品が提供されており、代表的なものでは「LEGO MindStorms」と呼ばれるシリーズはプログラミングが可能な制御機構をもつ。 2001年にリリースされたLEGOバイオニクルは、従来の建造物やビークルを主体としたシリーズとは方向性を異にする、有関節の骨組みに外装を付加しフル可動のキャラクターフィギュアを組むことを主眼に置いたシリーズであった。日本においては翌年からトミー(現タカラトミー)もゾイドブロックスをシリーズ開始し、以後次々と大小のメーカーが参入し、海洋堂のアッセンブルボーグ、コトブキヤのヘキサギア等、幅広い年齢層向けにロボット、キャラクター系のブロックトイがジャンルとして確立した。 機械的な造型ではなく、予め電子部品を組み込まれているブロック状の部品を簡易に組み立て、より複雑な電子回路の構成を試すことのできる電子ブロック(電子ブロック機器製造)がある。 カッコ内は平面上の最小単位寸法
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ブロックとは、玩具のひとつである。小型の接続可能な部品を組み合わせ、いろいろな造形をする遊び、もしくはそのために使用する玩具を指す。ブロックは英語では積み木のことも指すが、日本ではもっぱら部品同士を組み合わせ可能なものをブロックという。主に合成樹脂系材料が用いられるが、メカノなど金属製のものも存在する。 日本でよく知られているブロックとして、「LEGO」や「ダイヤブロック」や「ニューブロック」などがある。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{WikipediaPage|投稿ブロック|Wikipedia:投稿ブロック}} {{otheruses}} {{出典の明記|date=2022年5月}} '''ブロック'''(英:Construction set)とは、[[玩具]]のひとつである。小型の接続可能な部品を組み合わせ、いろいろな造形をする[[遊び]]、もしくはそのために使用する[[玩具]]を指す。ブロックは英語では[[積み木]]のことも指す(Toy block)が、日本ではもっぱら部品同士を組み合わせ可能なものをブロックという。主に[[合成樹脂]]系材料が用いられるが、[[メカノ]]など金属製のものも存在する。 日本でよく知られているブロックとして、「[[レゴ|LEGO]]」や「[[ダイヤブロック]]」や「[[ニューブロック]]」などがある。 == 概要 == 部品は[[直方体]]など[[四角形]]を基本にした物が多いが、この他にも[[三角形]]や[[車輪]]状の物など様々な形状があり、寸法・色の種類も豊富である。どの部品も互いにはめ合わせることができ、部品の組み合わせによって自由に造形することができるようになっている。 年齢層にあわせて、大きさの異なるブロックが用意されている。通常の大きさの、縦横高さ方向が倍のブロックは、[[乳幼児]]向けのブロックとして提供されている。さらにその倍の大きさのブロックが存在する。 80年代に入る頃から、製品シリーズの拡大に伴い、あらかじめテーマや特定の形状が作成できるセットで販売されているものも多くなっている。これらには専用に近い特殊形状部品も多い。 高年齢層向けには、メカニカルな部品や電子制御を行ない、完成した作品を動作させられるような部品が提供されており、代表的なものでは「[[MINDSTORMS|LEGO MindStorms]]」と呼ばれるシリーズはプログラミングが可能な制御機構をもつ。 2001年にリリースされたLEGO[[バイオニクル]]は、従来の建造物やビークルを主体としたシリーズとは方向性を異にする、有関節の骨組みに外装を付加しフル可動のキャラクターフィギュアを組むことを主眼に置いたシリーズであった。日本においては翌年からトミー(現[[タカラトミー]])も[[ゾイドブロックス]]をシリーズ開始し、以後次々と大小のメーカーが参入し、[[海洋堂]]のアッセンブルボーグ、[[コトブキヤ]]の[[ヘキサギア]]等、幅広い年齢層向けにロボット、キャラクター系のブロックトイがジャンルとして確立した。 ==電子ブロック== 機械的な造型ではなく、予め電子部品を組み込まれているブロック状の部品を簡易に組み立て、より複雑な電子回路の構成を試すことのできる[[電子ブロック]]([[電子ブロック機器製造]])がある。 ==主なブロック製品== カッコ内は平面上の最小単位寸法 *[[レゴブロック]](8[[ミリメートル|mm]]角)、レゴデュプロ(16mm角)(レゴ社) *[[ダイヤブロック]](8mm角)、[[ナノブロック]](4mm角)、[[ナノブロックプラス]](6mm角)([[カワダ]]) *[[ミクブロツー]](2mm角)(吉良模型) *[[アーテック]]ブロック(10mm角)(アーテック) *[[メガブロック]](Megabloks) *[[リブロック]](Livelock) *[[ニューブロック]](学研ステイフル) *[[LaQ]](ヨシリツ) == 関連項目 == *[[知育玩具]] == 外部リンク == * [http://www.lego.com/ レゴ社] * [http://www.diablock.co.jp/ ダイヤブロック] *[http://www.laq.co.jp/ LaQ] *[http://www.blg.co.jp/chime_kbl/livelock/index.html リブロック] *[http://www.gakkensf.co.jp/lineup/t_newb/index.html ニューブロック] {{DEFAULTSORT:ふろつく}} [[Category:ブロック玩具|*]] [[Category:玩具]] [[Category:子供の遊び]] [[Category:知育玩具]] {{模型}}
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ビキニ環礁
ビキニ環礁(ビキニかんしょう、英: en:Bikini Atoll)は、かつて日本委任統治下南洋諸島の1島で1945年8月15日のアメリカ合衆国への割譲以降、1946年7月1日のアメリカ合衆国による第二次世界大戦後の最初の核実験(原子爆弾実験)と、それ以降1958年まで23回の核実験(原子爆弾および水素爆弾)が行われた環礁である。現在はマーシャル諸島共和国に属する。 1946年7月の原子爆弾の実験が由来となって水着のビキニの名称が生まれた(後述)。 ビキニ島とも呼ばれ、第二次世界大戦前の日本の海図にはピキンニ島と記述されている例もある。 23の島嶼からなり、礁湖の面積は594.1平方キロメートル。 1946年から1958年にかけて、太平洋核実験場の一つとしてアメリカ合衆国が23回の核実験を行った。 2010年、第34回世界遺産委員会において、ユネスコの世界遺産リスト(文化遺産)に登録された。マーシャル諸島共和国初かつ唯一の世界遺産となった。 この島の名は、ドイツ領ニューギニアの一部だったときにつけられたドイツ植民地名「ビキニ(bikini)」に由来する。ドイツ語の名前はマーシャル語での島名「ピキンニ(pikinni)」の響きから変換された。「pik」が「表面」を、「ni」が「ココナッツ」を表し、「ココナッツの表面(surface of coconuts)」の意味だった。 1946年7月にアメリカ合衆国は、前年8月15日の日本の降伏に伴う割譲によりアメリカ合衆国の信託統治領となったばかりの旧南洋群島ビキニ環礁を核実験場に選んだ。それは歴史的に核実験場の多くが本国の人口密集地ではなく、旧ソ連カザフ、中国新疆、フランス旧植民地アルジェリア、仏領ポリネシアといった地域であったことと同様であり、核植民地主義の観点から批判される。 住人170人は無人島のロンゲリック環礁に強制移住させられたが、漁業資源にも乏しく、飢餓に直面した。1948年にアメリカ軍弾道ミサイル基地クワジャリン環礁に寄留し、さらに無人島キリ島へと強制移住させられた。同年、実験場が隣のエニウェトク環礁に変更された。1954年には再度実験場がビキニ環礁に戻り、核実験は1958年7月まで続けられた。この12年間に、23回の核実験が実施された。 ビキニ環礁で行われた最初の核実験は、1946年7月1日と7月25日のクロスロード作戦である。これは1945年のニューメキシコ、広島、長崎に続く、史上4番目と5番目の原子爆弾の核爆発であり、第二次世界大戦後の最初の核実験であった。 大小71隻の艦艇を標的とする原子爆弾の実験であり、主要標的艦はアメリカ海軍の戦艦「ネバダ」、「アーカンソー」、「ニューヨーク」、「ペンシルベニア」、空母「サラトガ」などのほか、第二次世界大戦で接収した日本海軍の戦艦「長門」、軽巡洋艦「酒匂」ドイツ海軍の重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」なども標的となった。 1954年からは4度の水爆実験が実施された。 1954年3月1日のキャッスル作戦(ブラボー実験)では、広島型原子爆弾の約1,000倍の核出力(15Mt)の水素爆弾が炸裂し、海底に直径約2キロメートル、深さ73メートルのクレーターが形成された。このとき、日本のマグロ漁船・第五福竜丸をはじめ約1,000隻以上の漁船が、死の灰を浴びて被曝し、第五福竜丸無線長の久保山愛吉が半年後に死亡した。また、ビキニ環礁から約240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り積もり、島民64人が被曝して避難することになった。この3月1日は、ビキニ・デーとして原水爆禁止運動の記念日となり、継続的な活動が行われている。 また、日本各地では1954年(昭和29年)5月13日から放射性物質を含んだ降雨(いわゆる放射能雨)が観測されるようになった。同年5月16日には京都市で8万6760カウントが記録されている。影響は農産物にも及び、同年5月21日には静岡県で採取された茶葉から10gあたり75カウントが計測されている。天水を飲料水として使用していた愛媛県の釣島灯台、佐多岬灯台の関係者にも放射線障害が認められている。 アメリカ合衆国は1958年から残留放射能の調査を開始し、1968年にはビキニ返還を約束して放射能除去作業を開始した。8月には「居住は安全である」との結論が出され、島民の帰島が許可され、実験に先立ち離島した167人の内139人が帰島した。1974年には140人の帰島が許可された。しかし、放射能の影響で身体的異常が多数発生したため、住民は再び離島を余儀なくされ、キリ島などに移住した。 1975年に島民は安全性に疑問を持ち、アメリカ政府に対して訴訟を起こした。 その後1975年、1976年、1978年に調査が行われ、1978年9月には再避難することとなった。2度目の避難の後、1980年、1982年にも米国による調査が実施された。 1986年に独立したマーシャル諸島共和国政府は、第三者による調査を実施した。その報告書は1995年2月に提出されたが、アメリカ合衆国連邦政府は報告書を承認しなかった。 1994年、マーシャル諸島政府は国際原子力機関 (IAEA) に放射能調査を依頼し、1997年5月にIAEAによる調査が開始された。1998年にIAEAは報告書「Radiological Conditions at Bikini Atoll: Prospects for Resettlement」 を発表し、その中で本環礁に定住し、そこで得られる食料を摂ると、年間15mSvに達すると推定され「永住には適さない」と結論づけた。 島民は、強制的にロンゲリック環礁へ、さらにキリ島へと移住させられた。上記の理由も有り、現在も、原島民は島に戻れていない。キリ島はビキニ島の半分の面積しかなく、400人の住民は食糧難の下、アメリカ政府から生活保障費を受け取っている。ビキニ島に人が居住できるようになる(原島民が島に戻れる)のは、早くても2052年頃と推定されている。 2008年4月、オーストラリア研究会議 (ARC) は、ビキニ環礁のサンゴ礁の現状について発表した。その発表によると、ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。 アメリカの弾道弾実験の標的地になっている(射場はヴァンデンバーグ空軍基地など)。 1946年7月1日の原爆実験(クロスロード作戦)の直後の1946年7月5日にルイ・レアールが、その小ささと周囲に与える破壊的威力を原爆にたとえて("like the bomb, the bikini is small and devastating")、ビキニと命名してこの水着を発表した。 ビキニの名称は、誤って「水爆実験になぞらえた」と言われることがある。ビキニ環礁における最初の水爆実験は1954年3月1日のもの(ブラボー実験)で、この水着の発表の8年後である。なお、人類最初の水素爆弾実験は、1952年11月1日、エニウェトク環礁におけるもの(アイビー作戦)である。 座標: 北緯11度35分 東経165度23分 / 北緯11.583度 東経165.383度 / 11.583; 165.383 この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
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ビキニ環礁は、かつて日本委任統治下南洋諸島の1島で1945年8月15日のアメリカ合衆国への割譲以降、1946年7月1日のアメリカ合衆国による第二次世界大戦後の最初の核実験(原子爆弾実験)と、それ以降1958年まで23回の核実験(原子爆弾および水素爆弾)が行われた環礁である。現在はマーシャル諸島共和国に属する。 1946年7月の原子爆弾の実験が由来となって水着のビキニの名称が生まれた(後述)。
[[画像:Flag of Bikini Atoll.svg|thumb|ビキニ環礁の地域旗<br />青地の中の23の白い星が当環礁の23の島、右上の3つの黒い星がキャッスル作戦で破壊された3つの島、右下の2つの黒星が島民が移住した2つの島を示している。旗の中の[[マーシャル語]]の記述は、1946年に米軍から退去を求められた際に首長が島民に語った言葉で「全ては神の手の内に」を意味する。]] '''ビキニ環礁'''(ビキニかんしょう、{{lang-en-short|[[:en:Bikini Atoll]]}})は、かつて[[南洋庁|日本委任統治下]][[南洋諸島]]の1島で1945年8月15日の[[アメリカ合衆国]]への割譲以降、1946年7月1日のアメリカ合衆国による[[第二次世界大戦]]後の最初の[[核実験]]([[原子爆弾]]実験)と、それ以降1958年まで23回の核実験(原子爆弾および[[水素爆弾]])が行われた[[環礁]]である。現在は[[マーシャル諸島|マーシャル諸島共和国]]に属する。 1946年7月の原子爆弾の実験が由来となって[[ビキニ (水着)|水着のビキニ]]の名称が生まれた(後述)。 == 概要 == '''ビキニ島'''とも呼ばれ<ref name=sd>須藤健一「ビキニ」世界民族問題事典、平凡社、2002</ref>、第二次世界大戦前の日本の[[海図]]には'''ピキンニ島'''と記述されている例もある{{efn|当環礁の近海で、水素爆弾実験により[[被爆]]した[[第五福竜丸]]の航海日誌にも、「ピキンニ島」の記述が見られる<ref>海軍省水路部:編『マーシャル諸島北部諸分圖 北太平洋』([https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008431628-00 国立国会図書館 YG4-Z-L-3285])</ref>。}}。 23の島嶼からなり、礁湖の面積は594.1平方キロメートル。 [[1946年]]から[[1958年]]にかけて、[[太平洋核実験場]]の一つとしてアメリカ合衆国が23回の核実験を行った{{efn|太平洋核実験場全体では1946年から1963年の間に105回、同じマーシャル諸島ではエニウェトク環礁と合わせて69回の核実験が行われた。}}。 2010年、[[第34回世界遺産委員会]]において、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リスト([[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]])に登録された<ref>{{cite web |url = http://whc.unesco.org/en/news/642 |title = World Heritage Committee inscribes seven cultural sites on World Heritage List |accessdate = 2010-08-01 |publisher = UNESCO }}</ref>。[[マーシャル諸島の世界遺産|マーシャル諸島共和国初かつ唯一の世界遺産]]となった。 == 語源 == この島の名は、[[ドイツ領ニューギニア]]の一部だったときに<ref>{{Cite web|url=https://deutsche-schutzgebiete.de/wordpress/kolonien-blog/|title=Deutsche Kolonien 1884 - 1919|website=Deutsche-Schutzgebiete.de|accessdate=2022-01-12}}(ドイツ語)</ref>つけられた[[ドイツ植民地帝国|ドイツ植民地]]名「'''ビキニ'''(bikini)」に由来する<ref name="mar">{{Cite web|url=https://www.trussel2.com/MOD/LocP.htm#Pikinni|title=Place Names of the Marshall Islands - Marshallese-English Online Dictionary|publisher=The University of Hawaiʻi Press|accessdate=2022-01-12}}</ref>。[[ドイツ語]]の名前は[[マーシャル語]]での島名「'''ピキンニ'''(pikinni)」の響きから変換された{{R|mar}}。「pik」が「表面」を、「ni」が「ココナッツ」を表し、「ココナッツの表面(surface of coconuts)」の意味だった{{R|mar}}。 == 核実験 == 1946年7月にアメリカ合衆国は、前年8月15日の[[日本の降伏]]に伴う割譲によりアメリカ合衆国の信託統治領となったばかりの旧[[南洋諸島|南洋群島]]ビキニ環礁を核実験場に選んだ。それは歴史的に核実験場の多くが本国の人口密集地ではなく、[[カザフ・ソビエト社会主義共和国|旧ソ連カザフ]]、中国[[新疆ウイグル自治区|新疆]]、フランス旧植民地[[アルジェリア]]、[[フランス領ポリネシア|仏領ポリネシア]]といった地域であったこと<ref>{{Cite web|和書|title=核実験、世界にヒバクシャ 計2000回、住民健康被害今も |url=https://mainichi.jp/articles/20210806/ddm/010/040/009000c |website=毎日新聞 |access-date=2022-08-30 |language=ja}}</ref>と同様であり、[[核植民地主義]]<ref>{{Cite book|和書|title=大きな夢と小さな島々―太平洋島嶼国の非核化にみる新しい安全保障観|url=http://www2.kobe-u.ac.jp/~alexroni/TR/No.11%20%206.23/Alexander_1.pdf|publisher=国際書院|date=1992|location=東京|isbn=4-906319-24-6|oclc=834941478|others=Ronni Alexander|page=19}}</ref>の観点から批判される。 住人170人は[[無人島]]の[[ロンゲリック環礁]]に強制移住させられたが、漁業資源にも乏しく、[[飢餓]]に直面した<ref name="sd" />。1948年に[[アメリカ軍]][[弾道ミサイル]]基地[[クワジャリン環礁]]に寄留し、さらに無人島[[キリ島]]へと強制移住させられた<ref name=sd/>。同年、実験場が隣の[[エニウェトク環礁]]に変更された。1954年には再度実験場がビキニ環礁に戻り、核実験は1958年7月まで続けられた。この12年間に、23回の核実験が実施された<ref name="IAEA">[[国際原子力機関]] (IAEA) [http://www-ns.iaea.org/appraisals/bikini-atoll.asp Conditions at Bikini Atoll] 閲覧 2014-3-3</ref>。 === クロスロード作戦 === [[画像:Operation Crossroads Baker (wide).jpg|right|thumb|クロスロード作戦のベーカー核実験で発生した巨大な水柱]] {{main|クロスロード作戦}} ビキニ環礁で行われた最初の核実験は、[[1946年]][[7月1日]]と[[7月25日]]のクロスロード作戦である。これは[[1945年]]の[[ニューメキシコ州|ニューメキシコ]]、[[広島市|広島]]、[[長崎市|長崎]]に続く、史上4番目と5番目の原子爆弾の[[核爆発]]であり、第二次世界大戦後の最初の核実験であった。 大小71隻の艦艇を標的とする原子爆弾の実験であり、主要標的艦は[[アメリカ海軍]]の[[戦艦]]「[[ネバダ (戦艦)|ネバダ]]」、「[[アーカンソー (戦艦)|アーカンソー]]」、「[[ニューヨーク (戦艦)|ニューヨーク]]」、「[[ペンシルベニア (戦艦)|ペンシルベニア]]」、[[航空母艦|空母]]「[[サラトガ (CV-3)|サラトガ]]」などのほか、第二次世界大戦で接収した[[日本海軍]]の[[戦艦]]「[[長門 (戦艦)|長門]]」、[[酒匂 (軽巡洋艦)|軽巡洋艦「酒匂」]][[ドイツ海軍 (国防軍)|ドイツ海軍]]の[[重巡洋艦]]「[[プリンツ・オイゲン (重巡洋艦)|プリンツ・オイゲン]]」なども標的となった。 === キャッスル作戦(水爆実験) === [[File:Castle Bravo Detonation USDE.ogv|thumb|thumbtime=15|ブラボー実験で生じた爆発の[[映像]]]] [[画像:Castle Bravo Blast.jpg|thumb|キャッスル作戦・ブラボー実験の[[キノコ雲]]]] {{main|キャッスル作戦|ロンゲラップ環礁}} [[1954年]]からは4度の水爆実験が実施された<ref name=sd/>。 1954年[[3月1日]]のキャッスル作戦(ブラボー実験)では、広島型[[原子爆弾]]の約1,000倍の核出力(15Mt)の[[水素爆弾]]が炸裂し、海底に直径約2キロメートル、深さ73メートルの[[クレーター]]が形成された。このとき、日本のマグロ漁船・[[第五福竜丸]]をはじめ約1,000隻以上の漁船が、[[死の灰]]を浴びて被曝し<ref>森住卓「[http://www.morizumi-pj.com/bikini/bikini.html ビキニ水爆実験-被曝者はいま]」</ref>、第五福竜丸無線長の[[久保山愛吉]]が半年後に死亡した<ref name=sd/>{{efn|[[病理解剖]]によって判明した死因は肝炎であり、肝臓に蓄積された[[放射能]]も通常と殆ど変わらないことから、被爆が原因で死亡したのではなく船員の治療の際に用いられた血液が肝炎ウイルスに汚染されていたことが原因であると指摘されている<ref> [https://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2015/05/post-925.php 第五福竜丸の死因は「死の灰」ではなかった] ニューズウィーク日本版、2015年05月01日</ref>。}}。また、ビキニ環礁から約240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り積もり、島民64人が被曝して避難することになった。この3月1日は、'''ビキニ・デー'''として[[反核運動|原水爆禁止運動]]の記念日となり、継続的な活動が行われている。 また、日本各地では1954年(昭和29年)5月13日から放射性物質を含んだ降雨(いわゆる放射能雨)が観測されるようになった。同年[[5月16日]]には[[京都市]]で8万6760カウントが記録されている。影響は農産物にも及び、同年[[5月21日]]には[[静岡県]]で採取された[[茶]]葉から10gあたり75カウントが計測されている。天水を[[飲料水]]として使用していた[[愛媛県]]の[[釣島灯台]]、[[佐多岬灯台]]の関係者にも[[放射線障害]]が認められている<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=98-99 |isbn=9784816922749}}</ref>。 == 放射能調査 == アメリカ合衆国は1958年から残留[[放射能]]の調査を開始し、1968年にはビキニ返還を約束して放射能除去作業を開始した<ref name=sd/>。8月には「居住は安全である」との結論が出され、島民の帰島が許可され、実験に先立ち離島した167人の内139人が帰島した。1974年には140人の帰島が許可された<ref name=sd/>。しかし、放射能の影響で身体的異常が多数発生したため、住民は再び離島を余儀なくされ、キリ島などに移住した<ref name=sd/>。 1975年に島民は安全性に疑問を持ち、アメリカ政府に対して訴訟を起こした。 その後1975年、1976年、1978年に調査が行われ、1978年9月には再避難することとなった。2度目の避難の後、1980年、1982年にも米国による調査が実施された。 1986年に独立したマーシャル諸島共和国政府は、第三者による調査を実施した。その報告書は1995年2月に提出されたが、[[アメリカ合衆国連邦政府]]は報告書を承認しなかった。 1994年、マーシャル諸島政府は[[国際原子力機関]] (IAEA) に放射能調査を依頼し、1997年5月にIAEAによる調査が開始された。1998年にIAEAは報告書「{{en|Radiological Conditions at Bikini Atoll: Prospects for Resettlement}}」 を発表し、その中で本環礁に定住し、そこで得られる食料を摂ると、年間15mSvに達すると推定され「永住には適さない」と結論づけた<ref name="IAEA"/>。 == 現況 == 島民は、強制的に[[ロンゲリック環礁]]へ、さらに[[キリ島]]へと移住させられた。上記の理由も有り、現在も、原島民は島に戻れていない。キリ島はビキニ島の半分の面積しかなく、400人の住民は食糧難の下、アメリカ政府から生活保障費を受け取っている<ref name=sd/>。ビキニ島に人が居住できるようになる(原島民が島に戻れる)のは、早くても2052年頃と推定されている<ref name=sd/>。 [[2008年]][[4月]]、[[オーストラリア]]研究会議 (ARC) は、ビキニ環礁の[[サンゴ礁]]の現状について発表した。その発表によると、ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種の[[サンゴ]]が原水爆実験で絶滅した。 アメリカの弾道弾実験の標的地になっている(射場は[[ヴァンデンバーグ空軍基地]]など)<ref>[https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220817/k10013774531000.html アメリカ軍 ICBM発射実験を発表 延期された実験か]NHK 2022年8月17日</ref>。 == ビキニ(水着)の名称の由来 == [[1946年]]7月1日の原爆実験([[クロスロード作戦]])の直後の[[1946年]][[7月5日]]に[[ルイ・レアール]]が、その小ささと周囲に与える破壊的威力を原爆にたとえて("like the bomb, the bikini is small and devastating"{{efn|The Bikini tests also inspired the eponymous swimsuit. Paris Swimwear designer Louis Reard adopted "Bikini" for his new line of swimwear during Operation Crossroads. Réard's bikini was not the first two-piece swimsuit, but he explained that "like the bomb, the bikini is small and devastating."<ref>[http://www.atomicheritage.org/history/operation-crossroads Operation Crossroads] Atomic Heritage Foundation、Legacyの章の最後の段落</ref>}})、[[ビキニ (水着)|ビキニ]]と命名してこの水着を発表した{{efn|"When the US army conducted its atomic bomb tests on the Bikini atoll in the Pacific on July 1 1946, out of the mushroom of the explosion Réard plucked a name for his creation that would stand the test of time. Four days later, his "bikini" was modelled by Micheline Bernardini."<ref>[https://web.archive.org/web/20080927104351/http://www.guardian.co.uk/travel/2006/jun/10/sttropez.filminspiredtravel.france.culturaltrips?gusrc=rss&feed=travel Paula Cocozza, "A little piece of history"] The Guardian, Saturday June 10 2006</ref>}}。 ビキニの名称は、誤って「'''水爆'''実験になぞらえた」と言われることがある<ref>[https://mainichi.jp/articles/20140226/mul/00m/030/023000c 漫画で解説 ビキニデーとはの巻] 毎日新聞、毎日まんがニュース、2014年2月26日 漫画の台詞が「1954年3月1日に南[[太平洋]]のビキニ環礁で米国が行った水爆実験「ブラボー」。水着を考案した[[フランス人]]が『その衝撃は水爆級』だからと命名したようだぜ。」と誤って記述されている。</ref>。ビキニ環礁における最初の水爆実験は[[1954年]]3月1日のもの([[ブラボー実験]])で、この水着の発表の8年後である。なお、人類最初の水素爆弾実験は、[[1952年]][[11月1日]]、[[エニウェトク環礁]]におけるもの([[アイビー作戦]])である。 == 対外関係 == === 姉妹都市・提携都市 === * {{Flagicon|ROC}} [[基隆市]]([[中華民国]] [[省轄市]]) == 世界遺産 == {{coord|11|35||N|165|23||E|display=title}} {{世界遺産概要表 |site_img = 画像:Bikini Atoll.png |site_img_capt = ビキニ環礁の衛星写真 - NASA NLT Landsat 7 (Visible Color) |site_img_width = 275px |ja_name = ビキニ環礁核実験場 |en_name = Bikini Atoll Nuclear Test Site |fr_name = Site d’essais nucléaires de l’atoll de Bikini |country = マーシャル諸島 |criterion_c = (4), (6) |rg_year = 2010年 |ex_rg_year = |remarks = いわゆる[[負の世界遺産]]<ref>[[世界遺産アカデミー]]監修『くわしく学ぶ世界遺産300』[[マイナビ]]、2013年、p.216<!--負の遺産は公式な分類ではないので何らかの出典が必要--></ref> |url_no = 1339 |map_img = |map_img_width = |}} <!--島の記事の冒頭にこんなもの置かないでほしい--> === 登録基準 === {{世界遺産基準|4|6}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == *斉藤達夫『ミクロネシア』すずさわ書店、1975年 *Kiste,J. Bikini.Univ.of Hawaii Press,1979. == 関連項目 == {{Commons|Category:Bikini Atoll}} * [[ビキニ (水着)]] * [[ラリック列島]] * [[核兵器]] * [[負の世界遺産]] == 外部リンク == *[https://www.bikiniatoll.com/ ビキニ環礁] *[https://www.rmiembassyus.org/ マーシャル諸島共和国] {{マーシャル諸島}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひきにかんしよう}} [[Category:ビキニ環礁|*]] [[Category:ラリック列島]] [[Category:マーシャル諸島の島]] [[Category:マーシャル諸島の環礁]] [[Category:太平洋]] [[Category:核実験]] [[Category:核実験場]] [[Category:世界遺産 は行]] [[Category:マーシャル諸島の世界遺産]] [[Category:2010年登録の世界遺産]] [[Category:20世紀の戦争に関する世界遺産]]
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CP/M-86
CP/M-86とは、デジタルリサーチ社が開発した16bitCPU(Intel 8086シリーズ)用のオペレーティングシステム。 8bit CPUであるIntel 8080・8085およびその互換CPU用のOSであるCP/M-80の後継にあたり、機能的にはCP/M-80のバージョン2.2に相当する。 商業的にはPC DOSとしてIBM PCに標準採用されたマイクロソフトのMS-DOSとの市場争いに敗れ、普及はしなかった。 CP/M-86は16bit CPU用OSとしてIntel 8086に実装された各種機能を有効活用すべく、豊富な機能を盛り込まれていた。 また、CP/M-80で多用されていたアプリケーションプログラムによるファンクションコールの呼び出し方法が変更され、call 5、つまり単純なサブルーチン呼び出し命令による0005h番地の呼び出しを止め、セグメントの導入や将来のマルチタスク化を念頭に置いてInt 224 (Int E0h)によるソフトウェア割り込み処理として実装してあるなど、将来的な発展を考慮して様々な変更が施されていた。 しかし、このように意図的に下位互換性を無視した変更は既存のCP/M-80用アプリケーションソフトの移植に当たってソースコードレベルでの膨大な量の書き換えを必要とする点で難があり、素直にCP/M-80のファンクションコール呼び出し方法を継承してcall 5での呼び出しにも対応し、CP/M-80用ソフトウェアのソースコードをほとんど手直し無しで再アセンブルするだけでも動作するほどの互換性を備えていたマイクロソフトのMS-DOSと比較すると、移植性で不利であった。 もっとも、この変更の恩恵により上位に当たるシングルユーザー・マルチタスク版としてコンカレントCP/M-86(CCP/M-86)も早期に開発・提供され、さらにマルチユーザー・マルチタスク版としてMP/M-86も提供されており、これらは業務用途では一定の支持を受けていた。 機能面では初期のMS-DOSと大差なかったCP/M-86であるが、IBMがPC DOS(≒MS-DOS)を標準扱いとしてCP/M-86はUCSD p-systemと共にオプション扱いとした結果、そのシェアには大きな開きが生じ、その後の衰退につながった。 1982年4月、三菱電機のMULTI 16に搭載された「日本語CP/M-86」がリリースされた。これはShift_JISを採用した初めてのオペレーティングシステムとなった。MS-DOSにおけるShift_JIS(厳密にはMS漢字コード)のサポートは1983年5月にリリースされたMS-DOS 2.01からとなる。 日本においてはMULTI 16シリーズの他、富士通FM-11シリーズ・FM-16βシリーズなどの初期のx86系CPU搭載マシンでも標準OSとして採用されたほか日本電気のPC-9800シリーズでもサポートされており、それぞれ日本語化されている。 Intel 8080・8085のアセンブラのソースコードをIntel 8086用の同等のソースコードに変換するプログラム(XLT86)が存在した。
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CP/M-86とは、デジタルリサーチ社が開発した16bitCPU(Intel 8086シリーズ)用のオペレーティングシステム。
{{Infobox OS | name = CP/M-86 | logo = <!-- filename only (no wikilink, no Image:/File:) --> | logo caption = | logo size = | logo alt = | screenshot = CPM-86.png<!-- filename only (no wikilink, no Image:/File:) --> | caption = [[IBM PC]]版CP/M-86のスクリーンショット | screenshot_size = | screenshot_alt = | collapsible = | version of = | developer = [[デジタルリサーチ]]、[[ゲイリー・キルドール]] | family = CP/M | working state = 終了 | source model = [[クローズドソース]]、後に[[オープンソース]]<ref>[https://www.theregister.co.uk/2001/11/26/cp_m_collection_is_back/ CP/M collection is back online with an Open Source licence] The Register, 2001-11-26</ref> | released = 1981/{{Start date and age|1982}} | discontinued = | RTM date = | GA date = | latest release version = | latest release date = | latest preview version = | latest preview date = | marketing target = | programmed in = | prog_language = | language = | update model = | package manager = | supported platforms = [[Intel 8086]] | kernel type = [[モノリシックカーネル]]<!-- Hybrid, Monolithic, Microkernel, Exokernel, Nanokernel, etc. --> | userland = | ui = [[キャラクタユーザインターフェース]] | license = [[プロプライエタリ]]、後に[[パーミッシブ・ライセンス|BSDスタイル]] | preceded by = ([[CP/M-80]] 2.2) | succeeded by = [[コンカレントCP/M-86]] 3.0 | website = | support status = | other articles = }} '''CP/M-86'''とは、[[デジタルリサーチ]]社が開発した16bit[[CPU]]([[Intel 8086]]シリーズ<ref>[[Intel 8088]]を含む。</ref>)用の[[オペレーティングシステム]]。 == 概要 == 8bit CPUである[[Intel 8080]]・[[Intel 8085|8085]]およびその互換CPU用のOSである[[CP/M|CP/M-80]]の後継にあたり、機能的にはCP/M-80のバージョン2.2に相当する。 商業的にはPC DOSとして[[IBM PC]]に標準採用された[[マイクロソフト]]の[[MS-DOS]]との市場争いに敗れ、普及はしなかった。 == 特徴 == CP/M-86は16bit CPU用OSとしてIntel 8086に実装された各種機能を有効活用すべく、豊富な機能を盛り込まれていた。 また、CP/M-80で多用されていたアプリケーションプログラムによるファンクションコールの呼び出し方法が変更され、call 5、つまり単純なサブルーチン呼び出し命令による0005h番地の呼び出しを止め、セグメントの導入や将来のマルチタスク化を念頭に置いてInt 224 (Int E0h)によるソフトウェア割り込み処理として実装してあるなど、将来的な発展を考慮して様々な変更が施されていた。 しかし、このように意図的に下位互換性を無視した変更は既存のCP/M-80用アプリケーションソフトの移植に当たってソースコードレベルでの膨大な量の書き換えを必要とする点で難があり、素直にCP/M-80のファンクションコール呼び出し方法を継承してcall 5での呼び出しにも対応し、CP/M-80用ソフトウェアのソースコードをほとんど手直し無しで再アセンブルするだけでも動作するほどの[[互換性]]<ref>当然ながらマシン語命令の異なるCP/M-80用ソースコードそのままでは動作しないが、特別なハードウェア依存性の無いプログラムの場合は、メモリモデルの指定などIntel 8086・8088固有の処理を除けばほぼ機械的な命令の置き換え処理を行い、再アセンブルするだけで動作した。</ref>を備えていた[[マイクロソフト]]の[[MS-DOS]]<ref>ただし、MS-DOSにおいてもファンクションコールの基本はInt 21hによる割り込み処理である。</ref>と比較すると、移植性で不利であった。 もっとも、この変更の恩恵により上位に当たるシングルユーザー・マルチタスク版としてコンカレントCP/M-86(CCP/M-86)<ref>コンカレント(並列性)は称してはいるが、実情は原始的なタスクスイッチャであった。後にConcurrent DOS(CDOS)と名称が変更されている。</ref>も早期に開発・提供され、さらにマルチユーザー・マルチタスク版としてMP/M-86も提供されており、これらは業務用途では一定の支持を受けていた。 機能面では初期のMS-DOSと大差なかった<ref>大きな相違の一つに、ファイルの属性およびサイズ管理の有無がある。</ref>CP/M-86であるが、IBMがPC DOS(≒MS-DOS)を標準扱いとしてCP/M-86はUCSD p-systemと共にオプション扱いとした結果、そのシェアには大きな開きが生じ、その後の衰退につながった。 == 日本語化 == [[1982年]]4月、[[三菱電機]]の[[MULTI 16シリーズ|MULTI 16]]に搭載された「日本語CP/M-86」<ref>{{Cite book| last1 = 北原 | first1 = 拓也 | title = CP/M-86入門 その機能・仕組み・使い方 | page=149 | year = 1983}}</ref>がリリースされた。これは[[Shift_JIS]]を採用した初めてのオペレーティングシステムとなった。MS-DOSにおけるShift_JIS(厳密には[[Microsoftコードページ932|MS漢字コード]])のサポートは[[1983年]]5月にリリースされたMS-DOS 2.01からとなる。 日本においてはMULTI 16シリーズの他、[[富士通]][[FM-11]]シリーズ・[[FM-16β]]シリーズなどの初期のx86系CPU搭載マシンでも標準OSとして採用されたほか日本電気の[[PC-9800シリーズ]]でもサポートされており、それぞれ日本語化されている。 == CP/M-80との互換性 == Intel 8080・8085の[[アセンブリ言語|アセンブラ]]の[[ソースコード]]をIntel 8086用の同等のソースコードに変換するプログラム(XLT86)が存在した。 == 注釈 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} [[Category:CP/M]] [[Category:フリーソフトウェアOS]] [[Category:1982年のソフトウェア]]
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参照カウント
参照カウント(さんしょうカウント、英: reference counting)は、メモリオブジェクトのライフサイクル(寿命)管理に使用される方式のひとつ。ガベージコレクションの実装方法およびガベージコレクタの動作方法のひとつとしても利用される。また、コピーオンライトの実装方法としても多用される。 共有された単一のオブジェクトへの参照ではなく、独立したデータを擬似的に表現する場合は、下記の処理を追加する。 また、システムの空き時間(アイドル時)に動作する方式のガベージコレクションとは異なり、参照カウント方式は通例決定論的 (deterministic) に動作するため、オブジェクトの解放タイミングを確実に制御したい場合に有利である。 文字列オブジェクトの実装手段としては適しており、多くのシステムで採用されている。 これは、文字列であれば内部で他のオブジェクトを参照しないので、短所の多くには影響がないためである。 単純なビット列などのデータも同様に適している。 参照カウントには、循環参照によりデータを解放できなくなる(メモリリークが発生する)という問題がある。 例えばC++向けのBoost C++ライブラリあるいはC++11規格以降の標準C++ライブラリには、参照カウントベースのスマートポインタを実現するクラステンプレートとして、それぞれboost::shared_ptrあるいはstd::shared_ptrが用意されているが、これを使って自己参照あるいは相互参照を持つクラスを定義してしまうと、参照カウントが適切に減らされずに互いのインスタンスが解放されなくなってしまう。 循環参照によるメモリリークを回避するためには、利用を終えたタイミングで明示的に参照を解除するコードを記述するなどの方法があるが、ソースコードが煩雑になってしまい、スマートポインタの利点を打ち消してしまう。 この問題を解消するために、多くのプログラミング言語やソフトウェアライブラリあるいはシステムで弱い参照 (ウィークリファレンス、英: weak reference) が導入されている。弱い参照とは、参照カウントを増加させない参照である。例えばC++ではboost::weak_ptrあるいはstd::weak_ptrなどが該当する。 一方、マーク・アンド・スイープやコピーGCによるガベージコレクションでは、循環参照によるメモリリークの問題は発生しない。 なお、Javaや.NET Frameworkでは、いずれも参照カウントベースではないガベージコレクション方式を採用しており、循環参照によるメモリリークは発生しない。例えば以下のJavaコードは合法であり、循環参照していたとしてもガベージコレクションの回収対象となる。 ただし、非意図的オブジェクト保持(unintentional object retention)が引き起こすメモリリークを回避するために、通常の参照(強参照)の代わりにjava.lang.ref.WeakReferenceのような弱参照クラスのインスタンスを使うこともある。 ウィキペディアの「孤立した記事」は、参照カウントが0のものを表示しているだけなので、孤立した記事だけから参照されている記事は孤立した記事と見なされていない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "参照カウント(さんしょうカウント、英: reference counting)は、メモリオブジェクトのライフサイクル(寿命)管理に使用される方式のひとつ。ガベージコレクションの実装方法およびガベージコレクタの動作方法のひとつとしても利用される。また、コピーオンライトの実装方法としても多用される。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "共有された単一のオブジェクトへの参照ではなく、独立したデータを擬似的に表現する場合は、下記の処理を追加する。", "title": "処理の概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "また、システムの空き時間(アイドル時)に動作する方式のガベージコレクションとは異なり、参照カウント方式は通例決定論的 (deterministic) に動作するため、オブジェクトの解放タイミングを確実に制御したい場合に有利である。", "title": "特徴" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "文字列オブジェクトの実装手段としては適しており、多くのシステムで採用されている。 これは、文字列であれば内部で他のオブジェクトを参照しないので、短所の多くには影響がないためである。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "単純なビット列などのデータも同様に適している。", "title": "用途" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "参照カウントには、循環参照によりデータを解放できなくなる(メモリリークが発生する)という問題がある。", "title": "循環参照の問題点" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "例えばC++向けのBoost C++ライブラリあるいはC++11規格以降の標準C++ライブラリには、参照カウントベースのスマートポインタを実現するクラステンプレートとして、それぞれboost::shared_ptrあるいはstd::shared_ptrが用意されているが、これを使って自己参照あるいは相互参照を持つクラスを定義してしまうと、参照カウントが適切に減らされずに互いのインスタンスが解放されなくなってしまう。", "title": "循環参照の問題点" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "循環参照によるメモリリークを回避するためには、利用を終えたタイミングで明示的に参照を解除するコードを記述するなどの方法があるが、ソースコードが煩雑になってしまい、スマートポインタの利点を打ち消してしまう。", "title": "循環参照の問題点" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "この問題を解消するために、多くのプログラミング言語やソフトウェアライブラリあるいはシステムで弱い参照 (ウィークリファレンス、英: weak reference) が導入されている。弱い参照とは、参照カウントを増加させない参照である。例えばC++ではboost::weak_ptrあるいはstd::weak_ptrなどが該当する。", "title": "循環参照の問題点" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "一方、マーク・アンド・スイープやコピーGCによるガベージコレクションでは、循環参照によるメモリリークの問題は発生しない。", "title": "循環参照の問題点" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "なお、Javaや.NET Frameworkでは、いずれも参照カウントベースではないガベージコレクション方式を採用しており、循環参照によるメモリリークは発生しない。例えば以下のJavaコードは合法であり、循環参照していたとしてもガベージコレクションの回収対象となる。", "title": "循環参照の問題点" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ただし、非意図的オブジェクト保持(unintentional object retention)が引き起こすメモリリークを回避するために、通常の参照(強参照)の代わりにjava.lang.ref.WeakReferenceのような弱参照クラスのインスタンスを使うこともある。", "title": "循環参照の問題点" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ウィキペディアの「孤立した記事」は、参照カウントが0のものを表示しているだけなので、孤立した記事だけから参照されている記事は孤立した記事と見なされていない。", "title": "ウィキペディアでの例" } ]
参照カウントは、メモリオブジェクトのライフサイクル(寿命)管理に使用される方式のひとつ。ガベージコレクションの実装方法およびガベージコレクタの動作方法のひとつとしても利用される。また、コピーオンライトの実装方法としても多用される。
{{出典の明記|date=2021年5月}} '''参照カウント'''(さんしょうカウント、{{lang-en-short|reference counting}})は、メモリオブジェクトのライフサイクル(寿命)管理に使用される方式のひとつ。[[ガベージコレクション]]の実装方法および[[ガベージコレクタ]]の動作方法のひとつとしても利用される。また、[[コピーオンライト]]の実装方法としても多用される。 == 処理の概要 == *すべてのオブジェクト(メモリ上に置かれているデータの単位)に対して、参照カウントと呼ばれる整数値を付加しておく。これは、このオブジェクトへの'''[[参照 (情報工学)|参照]]'''(あるいは[[ポインタ (プログラミング)|ポインタ]])がシステム全体にいくつ存在しているかを数えるものである。 *オブジェクトへの参照が変化するたびにこの値は随時書き換わる。 *参照カウントが0になったものについては破棄が許される。ただし、ファイル[[キャッシュ (コンピュータシステム)|キャッシュ]]のように参照カウントが0になっても直ちにオブジェクトを破棄せず、再利用に備えてリソースの容量が許す限り保存してもかまわない。この場合、オブジェクトを破棄するための判断には別の基準が必要となる。 共有された単一のオブジェクトへの参照ではなく、独立したデータを擬似的に表現する場合は、下記の処理を追加する。 * オブジェクトのコピーが要求されても、実際にはコピーを行わず元のオブジェクトへの参照を返し、参照カウントに1加える。 * オブジェクトの変更が行われる場合は、以下の手順で行う ** 参照カウントが1であればそのまま書き換える。 ** 参照カウントが2以上であれば、元のオブジェクトをコピーして参照カウントが1の新オブジェクトを作成し、それを書き換える。元のオブジェクトの参照カウントは1減らす。 == 特徴 == === 長所 === * 処理が単純であり、高速である。 * オブジェクトを多数生成し、すぐに参照を切るような処理においても、参照がなくなったことがその場で検知され、迅速に破棄が起きる。利用できるメモリが少ない状況では大きな利点となる。 * ガベージコレクタのためのスレッドやプロセスを必要としない。 * ガベージコレクションとコピーオンライトを同時に実装できる。 また、システムの空き時間(アイドル時)に動作する方式のガベージコレクションとは異なり、参照カウント方式は通例決定論的 (deterministic) に動作するため、オブジェクトの解放タイミングを確実に制御したい場合に有利である。 === 短所 === * オブジェクト同士が互いに参照しあうなど、参照が循環している場合、参照カウントが0にならないためにオブジェクトが破棄されないという問題がある。(詳しくは後述) * 単純な実装では大量のオブジェクトが一斉に解放されることがあり、CPUの空き時間を利用してガベージコレクションを行う方法と比べると、処理が遅くなる場合もある。 ** コンテナオブジェクトなど、解放されるオブジェクトが、多くのオブジェクトを参照している場合に起こりやすい。 * 対象オブジェクトが小さく、コピーが頻繁に行われるような場合は、参照カウントの空間的・時間的オーバーヘッドが問題となる場合がある。 == 用途 == [[文字列]]オブジェクトの実装手段としては適しており、多くのシステムで採用されている。 これは、文字列であれば内部で他のオブジェクトを参照しないので、短所の多くには影響がないためである。 単純なビット列などのデータも同様に適している。 ==循環参照の問題点== 参照カウントには、[[循環参照]]によりデータを解放できなくなる([[メモリリーク]]が発生する)という問題がある。 例えば[[C++]]向けの[[Boost C++ライブラリ]]あるいは[[C++11]]規格以降の[[標準C++ライブラリ]]には、参照カウントベースの[[スマートポインタ]]を実現するクラステンプレートとして、それぞれ<code>boost::shared_ptr</code>あるいは<code>std::shared_ptr</code>が用意されているが、これを使って自己参照あるいは相互参照を持つクラスを定義してしまうと、参照カウントが適切に減らされずに互いのインスタンスが解放されなくなってしまう。 <syntaxhighlight lang="cpp"> #include <iostream> #include <memory> class A { public: std::shared_ptr<class B> m_refB; A() {} ~A() { std::cout << "Destructor of A is called." << std::endl; } }; class B { public: std::shared_ptr<class A> m_refA; B() {} ~B() { std::cout << "Destructor of B is called." << std::endl; } }; void doTest() { std::shared_ptr<A> refA(new A()); std::shared_ptr<B> refB(new B()); refA->m_refB = refB; refB->m_refA = refA; } // ここで A および B のデストラクタが呼ばれなくなり、メモリリークする。 int main() { doTest(); return 0; } </syntaxhighlight> 循環参照によるメモリリークを回避するためには、利用を終えたタイミングで明示的に参照を解除するコードを記述するなどの方法があるが、ソースコードが煩雑になってしまい、スマートポインタの利点を打ち消してしまう。 この問題を解消するために、多くの[[プログラミング言語]]やソフトウェアライブラリあるいはシステムで[[弱い参照]] (ウィークリファレンス、{{lang-en-short|weak reference}}) が導入されている。弱い参照とは、参照カウントを増加させない参照である。例えばC++では<code>boost::weak_ptr</code>あるいは<code>std::weak_ptr</code>などが該当する。 一方、[[マーク・アンド・スイープ]]や[[コピーGC]]によるガベージコレクションでは、循環参照によるメモリリークの問題は発生しない。 なお、[[Java]]や[[.NET Framework]]では、いずれも参照カウントベースではないガベージコレクション方式を採用しており<ref>[https://web.archive.org/web/20190524212013/https://www.ibm.com/developerworks/jp/java/library/j-jtp01274/index.html Javaの理論と実践: ガベージコレクションとパフォーマンス | IBM], [[Internet Archive]]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20190428092536/https://www.ibm.com/developerworks/jp/java/library/j-jtp10283/index.html Javaの理論と実践: ガーベッジ・コレクション小史 | IBM], [[Internet Archive]]</ref><ref>[https://docs.microsoft.com/en-us/archive/blogs/brada/resource-management Resource management | Microsoft Docs | Blog Archive | Brad Abrams]</ref><ref>[https://www.atmarkit.co.jp/fdotnet/directxworld/directxworld06/directxworld06_02.html .NETアプリを軽快にするためのガベージ・コレクション講座(2/4) - @IT]</ref>、循環参照によるメモリリークは発生しない。例えば以下の[[Java]]コードは合法であり、循環参照していたとしてもガベージコレクションの回収対象となる。 <syntaxhighlight lang="java"> class A { public B b; } class B { public A a; } public class Test { public static void doTest() { A a = new A(); B b = new B(); a.b = b; b.a = a; } // 十分な時間が経過すれば、いずれ GC により回収される。 public static void main(String[] args) { doTest(); } } </syntaxhighlight> ただし、非意図的オブジェクト保持(unintentional object retention)が引き起こすメモリリークを回避するために、通常の参照(強参照)の代わりに{{Javadoc:SE|name=java.lang.ref.WeakReference|java/lang/ref|WeakReference}}のような[[弱参照]]クラスのインスタンスを使うこともある<ref>[https://web.archive.org/web/20190529223042/https://www.ibm.com/developerworks/jp/java/library/j-jtp11225/index.html Javaの理論と実践: 弱参照でメモリー・リークを塞ぐ | IBM], [[Internet Archive]]</ref>。 ==ウィキペディアでの例== [[ウィキペディア]]の「[[特別:Lonelypages|孤立した記事]]」は、参照カウントが0のものを表示しているだけなので、孤立した記事だけから参照されている記事は孤立した記事と見なされていない。 ==実用例== * [[マイクロソフト]]の[[Component Object Model]] (COM) におけるCOMオブジェクトは参照カウント方式で管理される。 * プログラミング言語[[Objective-C]]のオブジェクトは参照カウント方式で管理される。 * プログラミング言語[[Perl]]のガベージコレクタは参照カウント方式を用いている。 * プログラミング言語[[Python]]のガベージコレクタは主に参照カウント方式を用いている。 : ただし、補助的に(伝統的なマーク&スイープとは逆順の探索アルゴリズムによる)世代別GCを併用している<ref>[https://docs.python.jp/3/library/gc.html#module-gc 29.11. gc — ガベージコレクタインターフェース — Python 3.6.5 ドキュメント]</ref><ref>[http://arctrix.com/nas/python/gc/ Garbage Collection for Python]</ref>。 * プログラミング言語[[C++]]の規格[[C++11]]以降には、参照カウントでオブジェクトを管理するためのクラステンプレートとして<code>std::shared_ptr</code>が存在する。 * [[Boost C++ライブラリ]]の<code>boost::shared_ptr</code>および<code>boost::shared_array</code>。 : 参照カウントの増減処理をカスタマイズできる<code>boost::intrusive_ptr</code>もある。 * [[POCO C++ Libraries]] の SharedPtr。 * [[GLib]]に含まれるオブジェクトシステム''[[GObject]]''は参照カウント方式で管理を行う。 * [[ファイルシステム]]における[[ハードリンク]] == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[ガベージコレクション]] * [[弱い参照]] * [[循環参照]] {{DEFAULTSORT:さんしようかうんと}} [[Category:プログラミング]] [[Category:自動メモリ管理]]
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百貨店
百貨店(ひゃっかてん、英: department store)は、単一の企業が複数の分野の専門店を統一的に運営し、それら専門店を面積が広い大規模な店舗に集約し多種類の商品を展示陳列して販売する小売店のことである。 名称は百(数多い)貨(商品)を取り扱うことに由来する。また、英語における類義語を起源とするデパートメントストア、またはそれを省略したデパートの呼称も一般的に用いられる(後者は和製英語である)。通例、都市の中心市街地に複数のフロアを持つ店舗を構える。世界的には19世紀に初めて登場した業態である。一般にはその店舗自体を指すが、運営企業を指す場合にも用いられる語である(「日本の百貨店」も参照)。 英語のDepartment store、フランス語のGrand magasin、ドイツ語のKaufhaus(またはWarenhaus)がこれに相当する。 世界初の百貨店は、一般に1852年のパリに織物類を扱う店舗から発展したボン・マルシェ百貨店だと考えられているが、百貨店をどう定義するかによって様々な異説がある。19世紀半ばの欧米において百貨店が出現した原因は、18世紀のイギリスに起こって西ヨーロッパ諸国に波及した産業革命にあると考えられる。産業革命によって市場主義が発達し、商品が市中に大量に流通するようになると様々な専門店が樹立した。百貨店はそれらを一括に扱うという概念のもとに生まれ、大きな建築物に様々な種類の商品を陳列し、営業を開始した。 エミール・ゾラはボン・マルシェを調査し、1883年に著した『淑女の娯しみ』で、消費に目覚めた中産階級が百貨店で起こすさまざまなエピソードを活写した。19世紀後半には百貨店と窃盗症を関連付ける医学所見がいくつも公表されており、百貨店は手の届く場所に魅力的な商品を並べ、方向感覚を失わせるように設計されており、女性の理性を麻痺させるように作られていると指摘している。ゾラの小説にも買い物依存症や窃盗症に転落していく婦人たちが描かれている。 その後、19世紀後半のヨーロッパでは、例えば1885年にパリに誕生したプランタンのように最初から百貨店として開店する店舗も現れ、新しい小売業態としての百貨店経営が定着していった。当初は百貨店は高級志向であり、様々な高級品を中心に質と種類を求め陳列した。これは産業革命により成功した資本家などを始めとする富裕層を顧客として得ることが可能となり、百貨店は店舗を増加させ発達していった。アメリカにおいても19世紀後半、伝統的な織物店のうち比較的規模の大きい小売商から百貨店に転身するニューヨークのメイシーズなどが出現した。百貨店の主な成長要因は、都市部への人口集中、中間所得層の成長、大量生産体制の進展に伴う大量流通制度の確立などの経済的、社会的変化のほか、こうした変化に対応するために考案された定価制度の導入、返品制度や払い戻し制度などを指摘できる。しかし第二次世界大戦が終わると、世界的に経済格差を是正する動きが高まり、旧家の勢力が衰える傾向によって富裕層が減少し、かつての方式に囚われていた百貨店は一時的に衰退することとなる。さらに、チェーンストアやスーパーマーケット、インターネットショッピングといった新しい小売業態の出現に伴う競争の激化は、百貨店にさらなる追い討ちをかけた。これに伴い、近年では激しい競争に生き残るために独立百貨店の合併、業務提携が進んでいる。 店舗は数階建ての大型の建造物を用いる形が一般的で、7階建て前後が主流である。各階毎に商品のジャンルをまとめ、専門の販売員を配属し販売を行う。地下があるものもあり、地下はたいてい、駐車場や食品専門店街(デパ地下)があることが多い。なお実演販売も百貨店で行われている場合が多い。だが、最近では大型ショッピングセンターや大型店舗が増えた為、デパートとスーパーの境界が曖昧になっている。 イギリスの代表的な百貨店には、ハロッズ、セルフリッジズ、ハーヴェイ・ニコルズ、ジョン・ルイス、リバティ、フォートナム&メイソン、ハウス・オブ・フレーザー、デベナムズ、ピーター・ジョーンズが挙げられる。また、マークス&スペンサーは英国最大の衣料小売店であるが、英国の百貨店の定義に当てはまらないため、厳密には百貨店に含まれない。 イングランドのミッドランド東部ダービーシャーのダービーにある、1734年創業のベネッツ・オブ・アイアンゲート (Bennett's of Irongate) が記録に残る中ではイギリス最古、さらには世界最古の起源をもつ可能性のある百貨店であるとされる。21世紀に入った今日まで、創業当時と同じ店舗で営業を続けている。 マンチェスターに位置するケンダルズ(英語版) (旧ケンダル・ミルン&フォークナー) もイギリスで最も古くに創業した百貨店であることを主張している。2005年には親会社であるハウス・オブ・フレーザーに改名された。マンチェスターで開業したのは1836年にまで遡るが、それ以前の1796年以来ワッツ・バザール (Watts Bazaar) の名で営業していたとされる。最盛期にはディーンズゲート(英語版)の通りの両側に"Kendals Arcade"(ケンダルズ・アーケード)と呼ばれる地下道により接続された店舗を所有し、アール・ヌーヴォー様式のフードホールを営業していた。特に、低価格で高品質さと上品さを提供することを重視したことで知られ、1919年にハロッズに買収されたこともあり、"the Harrods of the North"(北のハロッズ)の異名をとった。その他、マンチェスターにはポールデンズ (Paulden's、現・デベナムズ) やルイス (Lewis's、現・プリマーク) などの百貨店がある。ロンドンを拠点とするハロッズは1834年に創業の起源を持ち、1849年に現在地のブロンプトン・ロードに土地を取得して移転し、1894年から1905年にかけて今日に至る店舗の建設が実行された。 1900年までにはリヴァプールはロンドンとグラスゴーに次いでイギリス第3のショッピングの中心地だった。ルイス(英語版)、オーウェン・オーウェン(英語版)、ブラクラーズ(英語版)、バニーズ、ジョージ・ヘンリー・リー(英語版)、ヘンダーソンズ、ジョン・ルイスおよびTJ ヒューズなど、多くの百貨店が市内に店を構えていた。F・W・ウールワース(英語版)の欧州第1号店もリヴァプールにあった。 フランスの主要百貨店は、ギャラリー・ラファイエットとプランタンがあり、いずれも本店はパリ9区、オスマン大通りに位置する。フランス最古、また世界最古の百貨店であるボン・マルシェ百貨店もパリにある。 アメリカでは例えば、メイシーズ、ロード・アンド・テイラー、シアーズ、J.C.ペニーなどが百貨店と考えられる。その一方で、ターゲット、Kマート、ウォルマートなどはディスカウントストアと見なされている。また、会員制の大型ディスカウントショップでは年会費が発生し、コストコ、ビージェイズ・ホールセール・クラブ、サムズ・クラブがこれに当たる。 日本の百貨店の歴史は、20世紀初頭にまで遡る。1904年(明治37年)に合名会社三井呉服店により新たに設立された株式会社三越呉服店が顧客や取引先に三井・三越の連名で挨拶状を発送し、三越呉服店が三井呉服店の営業をすべて引き継いだことを案内するとともに、今後の方針として「今後一層其の種類を増加し(中略)米国に行わるるデパートメントストーアの一部を実現致すべく」と述べた。これは後に「デパートメントストア宣言」と呼ばれるようになり、こうして創業した三越百貨店を日本における百貨店の始まりとするのが一般的である。 一方で、1920年(大正9年)には白木屋が阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)梅田駅構内の旧:阪急ビルディング(5階建)の1階に出張売店として出店し、ターミナルデパートの先駆けとなった。1925年(大正14年)に白木屋との賃貸契約満了を迎えた為に店舗が閉鎖されると、後継として阪急電鉄直営の阪急マーケットが同年6月に開業した。後の1929年(昭和4年)4月に改めて阪急百貨店として創業し、世界初となる鉄道会社直営のターミナルデパートが誕生した。 上述するように、日本の百貨店の多くは呉服店あるいは鉄道会社(私鉄)を起源とする。代表的な呉服系百貨店には三越、大丸、髙島屋、そごう、松坂屋、丸井今井、電鉄系百貨店の代表例には名鉄百貨店が、そのどちらにもあてはまるものには東急百貨店、近鉄百貨店が挙げられる。 2013年(平成25年)現在、日本の大手百貨店を運営する小売企業はJ.フロント リテイリング(大丸、松坂屋)、エイチ・ツー・オー リテイリング(阪急百貨店、阪神百貨店)、セブン&アイ・ホールディングス(そごう、西武百貨店)、髙島屋、三越伊勢丹ホールディングス(伊勢丹、三越)の5つであり、いずれも全国規模で百貨店を運営しているほか、海外に支店を持つグループもある。このほか、地方を拠点として店舗を展開する百貨店が各地に数多く存在しており、日本百貨店協会に加盟している百貨店は2022年7月現在で175店舗を数える。バブル崩壊以降は深刻な経営難に苦しむ店舗が多く、2000年代後半には大手百貨店を巻き込んだ経営統合により、日本の百貨店業界は大きく再編された。 日本では、経済産業省が実施する商業統計調査の基準によれば、百貨店は「衣・食・住の商品群の販売額がいずれも10%以上70%未満の範囲内にあると同時に、従業者が常時50人以上おり、かつ売り場面積の50%以上において対面販売を行う業態」としており、「品揃えは百貨店と同定義であるが、対面販売の比率が50%以下である」と定義された総合量販店(総合スーパー)と区別されている。なお、同統計調査では「専門店」を「衣食住のどれか1つが売上の90%以上を占めるもの」と定義しており、この定義に当てはまる場合は店の規模や販売方式によらず「専門店」として取り扱われている。さらに、売場面積3000m以上(東京特別区および政令指定都市は6000m以上)の「大型百貨店」と、3000m未満(同6000m未満)の「その他の百貨店」に細区分することもある。 また、商品取引の伝票処理においては百貨店とスーパーマーケットとの間に明確な違いが存在し、百貨店では「百貨店共通伝票」を使用し、スーパーマーケットでは「チェーンストア統一伝票」を使用している。 名称については店舗形態による拘束を受けないため、上記の定義に当てはまらない小規模な生活雑貨店が「百貨店」の名称を使用した例がある。
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"エミール・ゾラはボン・マルシェを調査し、1883年に著した『淑女の娯しみ』で、消費に目覚めた中産階級が百貨店で起こすさまざまなエピソードを活写した。19世紀後半には百貨店と窃盗症を関連付ける医学所見がいくつも公表されており、百貨店は手の届く場所に魅力的な商品を並べ、方向感覚を失わせるように設計されており、女性の理性を麻痺させるように作られていると指摘している。ゾラの小説にも買い物依存症や窃盗症に転落していく婦人たちが描かれている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "その後、19世紀後半のヨーロッパでは、例えば1885年にパリに誕生したプランタンのように最初から百貨店として開店する店舗も現れ、新しい小売業態としての百貨店経営が定着していった。当初は百貨店は高級志向であり、様々な高級品を中心に質と種類を求め陳列した。これは産業革命により成功した資本家などを始めとする富裕層を顧客として得ることが可能となり、百貨店は店舗を増加させ発達していった。アメリカにおいても19世紀後半、伝統的な織物店のうち比較的規模の大きい小売商から百貨店に転身するニューヨークのメイシーズなどが出現した。百貨店の主な成長要因は、都市部への人口集中、中間所得層の成長、大量生産体制の進展に伴う大量流通制度の確立などの経済的、社会的変化のほか、こうした変化に対応するために考案された定価制度の導入、返品制度や払い戻し制度などを指摘できる。しかし第二次世界大戦が終わると、世界的に経済格差を是正する動きが高まり、旧家の勢力が衰える傾向によって富裕層が減少し、かつての方式に囚われていた百貨店は一時的に衰退することとなる。さらに、チェーンストアやスーパーマーケット、インターネットショッピングといった新しい小売業態の出現に伴う競争の激化は、百貨店にさらなる追い討ちをかけた。これに伴い、近年では激しい競争に生き残るために独立百貨店の合併、業務提携が進んでいる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "店舗は数階建ての大型の建造物を用いる形が一般的で、7階建て前後が主流である。各階毎に商品のジャンルをまとめ、専門の販売員を配属し販売を行う。地下があるものもあり、地下はたいてい、駐車場や食品専門店街(デパ地下)があることが多い。なお実演販売も百貨店で行われている場合が多い。だが、最近では大型ショッピングセンターや大型店舗が増えた為、デパートとスーパーの境界が曖昧になっている。", "title": "店舗形態" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "イギリスの代表的な百貨店には、ハロッズ、セルフリッジズ、ハーヴェイ・ニコルズ、ジョン・ルイス、リバティ、フォートナム&メイソン、ハウス・オブ・フレーザー、デベナムズ、ピーター・ジョーンズが挙げられる。また、マークス&スペンサーは英国最大の衣料小売店であるが、英国の百貨店の定義に当てはまらないため、厳密には百貨店に含まれない。", "title": "世界の百貨店" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "イングランドのミッドランド東部ダービーシャーのダービーにある、1734年創業のベネッツ・オブ・アイアンゲート (Bennett's of Irongate) が記録に残る中ではイギリス最古、さらには世界最古の起源をもつ可能性のある百貨店であるとされる。21世紀に入った今日まで、創業当時と同じ店舗で営業を続けている。", "title": "世界の百貨店" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "マンチェスターに位置するケンダルズ(英語版) (旧ケンダル・ミルン&フォークナー) もイギリスで最も古くに創業した百貨店であることを主張している。2005年には親会社であるハウス・オブ・フレーザーに改名された。マンチェスターで開業したのは1836年にまで遡るが、それ以前の1796年以来ワッツ・バザール (Watts Bazaar) の名で営業していたとされる。最盛期にはディーンズゲート(英語版)の通りの両側に\"Kendals 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百貨店は、単一の企業が複数の分野の専門店を統一的に運営し、それら専門店を面積が広い大規模な店舗に集約し多種類の商品を展示陳列して販売する小売店のことである。
{{Redirect|デパートメント・ストア|宝塚歌劇団の舞台作品|デパートメント・ストア (宝塚歌劇)}} {{特殊文字|説明=[[Microsoftコードページ932]]([[はしご高]])}} [[File:Interior of a typical Macy's department store.jpg|thumb|百貨店内装の一例<br>([[メイシーズ]]・[[サンフランシスコ]]店)]] '''百貨店'''(ひゃっかてん、{{lang-en-short|[[wikt:department store|department store]]}})は、単一の企業が複数の分野の[[専門店]]を統一的に運営し、それら専門店を面積が広い大規模な[[店|店舗]]に集約し多種類の商品を[[陳列#展示型陳列|展示陳列]]して販売する[[小売]]店のことである。 [[File:JC Penney store, Aventura Mall (Aventura, Florida, 2006).jpg|thumb|アメリカの大手百貨店チェーン、[[J.C.ペニー]]]] == 概説 == 名称は'''[[百]]'''(数多い)'''[[wikt:貨|貨]]'''(商品)を取り扱うことに由来する。また、英語における[[類義語]]を起源とする'''デパートメントストア'''、またはそれを省略した'''デパート'''の呼称も一般的に用いられる(後者は[[和製英語]]である)。通例、都市の[[中心市街地]]に複数の[[階|フロア]]を持つ店舗を構える。世界的には19世紀に初めて登場した業態である。一般にはその店舗自体を指すが、運営企業を指す場合にも用いられる語である(「[[日本の百貨店]]」も参照)。 英語の{{lang|en|Department store}}、フランス語の{{lang|fr|[[:en:wikt:grand magasin|Grand magasin]]}}、ドイツ語の{{lang|de|[[:en:wikt:Kaufhaus|Kaufhaus]]}}(または{{lang|de|[[:en:wikt:Warenhaus|Warenhaus]]}})がこれに相当する<ref group="注釈">「英のDepartment Store-仏のGrands magasins-独のWarenhaus (od.Grossmagazin)」の様な商業組織の制度を「大商店制度」(又は「大店舗制度」-Magazinsystem)と云う 小売商業の革新(其二) 神戸高等商業学校講師[[坂西由蔵]]「商業界」1905年</ref><ref>ドイツ語についてはウィキペディア独語版の記事名[[:de:Kaufhaus]]および[[:de:Warenhaus]]より。</ref>。 == 歴史 == [[File:Bon marché.jpg|thumb|世界初の百貨店、[[ボン・マルシェ百貨店]]]] 世界初の百貨店は、一般に[[1852年]]の[[パリ]]に織物類を扱う店舗から発展した[[ボン・マルシェ百貨店]]だと考えられている{{Sfn|河原啓子|2001|p=58}}が、百貨店をどう定義するかによって{{要出典|範囲=様々な異説がある|date=2021年11月}}。[[19世紀]]半ばの欧米において百貨店が出現した原因は、[[18世紀]]の[[イギリス]]に起こって[[西ヨーロッパ]]諸国に波及した[[産業革命]]にあると考えられる。産業革命によって市場主義が発達し、商品が市中に大量に流通するようになると様々な専門店が樹立した。百貨店はそれらを一括に扱うという概念のもとに生まれ、大きな建築物に様々な種類の商品を陳列し、営業を開始した。 [[エミール・ゾラ]]はボン・マルシェを調査し、1883年に著した『淑女の娯しみ』で、消費に目覚めた中産階級が百貨店で起こすさまざまなエピソードを活写した。19世紀後半には百貨店と[[窃盗症]]を関連付ける医学所見がいくつも公表されており、百貨店は手の届く場所に魅力的な商品を並べ、方向感覚を失わせるように設計されており、女性の[[理性]]を麻痺させるように作られていると指摘している<ref>ジョアン・フィンケルシュタイン『ファッションの文化社会学』成実弘至訳 せりか書房 2007年、ISBN 9784796702799 pp.89-94.</ref>。ゾラの小説にも[[買い物依存症]]や窃盗症に転落していく婦人たちが描かれている。 [[File:Facade printemps.JPG|thumb|[[プランタン (フランスの百貨店)|プランタン]]]] その後、19世紀後半の[[ヨーロッパ]]では、例えば[[1885年]]にパリに誕生した[[プランタン (フランスの百貨店)|プランタン]]のように最初から百貨店として開店する店舗も現れ、新しい小売業態としての百貨店経営が定着していった。当初は百貨店は高級志向であり、様々な高級品を中心に質と種類を求め陳列した。これは産業革命により成功した資本家などを始めとする富裕層を顧客として得ることが可能となり、百貨店は店舗を増加させ発達していった。アメリカにおいても19世紀後半、伝統的な織物店のうち比較的規模の大きい小売商から百貨店に転身する[[ニューヨーク]]の[[メイシーズ]]などが出現した。百貨店の主な成長要因は、都市部への人口集中、中間所得層の成長、[[大量生産|大量生産体制]]の進展に伴う大量流通制度の確立などの経済的、社会的変化のほか、こうした変化に対応するために考案された定価制度の導入、返品制度や払い戻し制度などを指摘できる。しかし[[第二次世界大戦]]が終わると、世界的に経済格差を是正する動きが高まり、旧家の勢力が衰える傾向によって富裕層が減少し、かつての方式に囚われていた百貨店は一時的に衰退することとなる。さらに、[[チェーンストア]]や[[スーパーマーケット]]、[[インターネットショッピング]]といった新しい小売業態の出現に伴う競争の激化は、百貨店にさらなる追い討ちをかけた。これに伴い、近年では激しい競争に生き残るために独立百貨店の合併、業務提携が進んでいる。 == 店舗形態 == 店舗は数階建ての大型の建造物を用いる形が一般的で、7階建て前後が主流である。各階毎に商品のジャンルをまとめ、専門の販売員を配属し販売を行う。地下があるものもあり、地下はたいてい、駐車場や食品専門店街([[デパ地下]])があることが多い。なお[[実演販売]]も百貨店で行われている場合が多い。だが、最近では大型[[ショッピングセンター]]や大型店舗が増えた為、デパートとスーパーの境界が曖昧になっている。 == 世界の百貨店 == [[ファイル:Galerie Lafayette Haussmann Dome.jpg|thumb|ギャラリー・ラファイエットのパリ本店内]] === イギリス === イギリスの代表的な百貨店には、[[ハロッズ]]、[[セルフリッジズ]]、[[ハーヴェイ・ニコルズ]]、[[ジョン・ルイス (百貨店)|ジョン・ルイス]]、[[リバティ百貨店|リバティ]]、[[フォートナム&メイソン]]、[[ハウス・オブ・フレーザー]]、デベナムズ、ピーター・ジョーンズが挙げられる。また、[[マークス&スペンサー]]は英国最大の衣料小売店であるが、英国の百貨店の定義に当てはまらないため、厳密には百貨店に含まれない。 [[イングランド]]の[[イースト・ミッドランズ|ミッドランド東部]][[ダービーシャー]]の[[ダービー (イギリス)|ダービー]]にある、1734年創業のベネッツ・オブ・アイアンゲート (Bennett's of Irongate) が記録に残る中ではイギリス最古、さらには世界最古の起源をもつ可能性のある百貨店であるとされる<ref name="derbyshire">{{cite news| title=Bennetts Irongate, Derby Celebrates Its 275th Anniversary| date=2010-01-06| author=Natalie Loughenbury| url=http://www.bennettsirongate.co.uk/bennetts/bennetts-derby-history.php| work=Derbshire Life| publisher=Bennets| accessdate=2012-01-26}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.bennettsirongate.co.uk/aboutus/|title=About Us|publisher=Bennetts Irongate|accessdate=2012-04-23}}</ref><ref group="注釈">ただし、これが現代におけるDepartment storeや百貨店の定義に適うものかは不明。</ref>。21世紀に入った今日まで、創業当時と同じ店舗で営業を続けている。 [[マンチェスター]]に位置する{{仮リンク|ケンダルズ|en|Kendals}} (旧ケンダル・ミルン&フォークナー) もイギリスで最も古くに創業した百貨店であることを主張している。2005年には親会社であるハウス・オブ・フレーザーに改名された。マンチェスターで開業したのは1836年にまで遡るが、それ以前の1796年以来ワッツ・バザール (Watts Bazaar) の名で営業していたとされる<ref name="PB80">{{cite book|last=Parkinson-Bailey|first=John|title=Manchester an architectural history|publisher=Manchester University Press|location=Manchester|year=2000|pages=80–81|isbn=0-7190-5606-3}}</ref>。最盛期には{{仮リンク|ディーンズゲート|en|Deansgate}}の通りの両側に"Kendals Arcade"(ケンダルズ・アーケード)と呼ばれる地下道により接続された店舗を所有し、[[アール・ヌーヴォー]]様式のフードホールを営業していた。特に、低価格で高品質さと上品さを提供することを重視したことで知られ、1919年にハロッズに買収されたこともあり、"the Harrods of the North"(北のハロッズ)の異名をとった。その他、マンチェスターにはポールデンズ (Paulden's、現・デベナムズ) やルイス (Lewis's、現・プリマーク) などの百貨店がある。[[ロンドン]]を拠点とするハロッズは1834年に創業の起源を持ち、1849年に現在地のブロンプトン・ロードに土地を取得して移転し、1894年から1905年にかけて今日に至る店舗の建設が実行された。 1900年までには[[リヴァプール]]はロンドンとグラスゴーに次いでイギリス第3のショッピングの中心地だった<ref>''The Buildings of England Lancashire: Liverpool and the South-West'', Richard Pollard and Nickolaus Pevsner, 2006, Yale University Press</ref>。{{仮リンク|ルイス (百貨店)|label=ルイス|en|Lewis's}}、{{仮リンク|オーウェン・オーウェン|en|Owen Owen}}、{{仮リンク|ブラクラーズ|en|Blacklers}}、バニーズ、{{仮リンク|ジョージ・ヘンリー・リー|en|George Henry Lee}}、ヘンダーソンズ、ジョン・ルイスおよび[[TJ ヒューズ]]など、多くの百貨店が市内に店を構えていた。{{仮リンク|F・W・ウールワース|en|F. W. Woolworth Company}}の欧州第1号店もリヴァプールにあった。 === フランス === [[フランス]]の主要百貨店は、[[ギャラリー・ラファイエット]]と[[プランタン (フランスの百貨店)|プランタン]]があり、いずれも本店はパリ[[9区 (パリ)|9区]]、[[オスマン大通り]]に位置する。フランス最古、また世界最古の百貨店であるボン・マルシェ百貨店もパリにある。 === アメリカ合衆国 === [[アメリカ合衆国|アメリカ]]では例えば、メイシーズ、[[ロード・アンド・テイラー]]、[[シアーズ]]、[[J.C.ペニー]]などが百貨店と考えられる。その一方で、[[ターゲット (企業)|ターゲット]]、[[Kマート]]、[[ウォルマート]]などは[[ディスカウントストア]]と見なされている。また、会員制の大型ディスカウントショップでは年会費が発生し、[[コストコ]]、[[ビージェイズ・ホールセール・クラブ]]、[[サムズ・クラブ]]がこれに当たる。 === 日本 === [[File:Mitsukoshi-Department-Store-Nihonbashi-02.jpg|thumb|日本橋三越本店本館 (東京都中央区)]] {{Main|日本の百貨店}} 日本の百貨店の歴史は、20世紀初頭にまで遡る。[[1904年]](明治37年)に[[合名会社]]三井呉服店により新たに設立された[[株式会社]]三越呉服店が顧客や取引先に三井・三越の連名で挨拶状を発送し<ref group="注釈" name="sengen">1904年12月20日顧客らに送った書状。のちに「デパートメントストア宣言」と呼ばれるこの文書「米国に行はるるデパートメント・ストーアの一部を実現致すべく候」翌日の12月21日、三越呉服店は日本初のデパートとして営業を開始した。「あの日から 日本経済の転機」 1904年12月20日 デパートメントストア宣言 近代百貨店の産声 [[東京新聞]][[2007年]](平成19年)[[12月19日]]</ref>、三越呉服店が三井呉服店の営業をすべて引き継いだことを案内するとともに、今後の方針として「今後一層其の種類を増加し(中略)米国に行わるるデパートメントストーアの一部を実現致すべく」<ref>[http://www.mitsukoshi.co.jp/corp/history.html 企業情報 歴史 | 三越]</ref>と述べた。これは後に「デパートメントストア宣言」<ref group="注釈" name="sengen" />と呼ばれるようになり、こうして創業した[[三越]]百貨店を日本における百貨店の始まりとするのが一般的である。 一方で、[[1920年]](大正9年)には[[白木屋 (デパート)|白木屋]]が[[阪神急行電鉄]](現・[[阪急電鉄]])[[大阪梅田駅 (阪急)|梅田駅]]構内の旧:阪急ビルディング(5階建)の1階に出張売店として出店し、ターミナルデパートの先駆けとなった。[[1925年]](大正14年)に白木屋との賃貸契約満了を迎えた為に店舗が閉鎖されると、後継として阪急電鉄直営の阪急マーケットが同年6月に開業した。後の[[1929年]](昭和4年)[[4月]]に改めて[[阪急百貨店]]として創業し、世界初となる鉄道会社直営のターミナルデパートが誕生した。 上述するように、日本の百貨店の多くは呉服店あるいは鉄道会社([[私鉄]])を起源とする。代表的な呉服系百貨店には[[三越]]、[[大丸]]、[[髙島屋]]、[[そごう]]、[[松坂屋]]、[[丸井今井]]、電鉄系百貨店の代表例には[[名鉄百貨店]]が、そのどちらにもあてはまるものには[[東急百貨店]]、[[近鉄百貨店]]が挙げられる。 [[2013年]](平成25年)現在、日本の大手百貨店を運営する小売企業は[[J.フロント リテイリング]]([[大丸]]、松坂屋)、[[エイチ・ツー・オー リテイリング]](阪急百貨店、[[阪神百貨店]])、[[セブン&アイ・ホールディングス]](そごう、[[西武百貨店]])、髙島屋、[[三越伊勢丹ホールディングス]]([[伊勢丹]]、三越)の5つであり、いずれも全国規模で百貨店を運営しているほか、海外に支店を持つグループもある。このほか、地方を拠点として店舗を展開する百貨店が各地に数多く存在しており、[[日本百貨店協会]]に加盟している百貨店は2022年7月現在で175店舗を数える。[[バブル崩壊]]以降は深刻な経営難に苦しむ店舗が多く、[[2000年代]]後半には大手百貨店を巻き込んだ経営統合により、日本の百貨店業界は大きく再編された。 ==== 百貨店の定義 ==== 日本では、[[経済産業省]]が実施する商業統計調査の基準によれば、百貨店は「衣・食・住の商品群の販売額がいずれも10%以上70%未満の範囲内にあると同時に、従業者が常時50人以上おり、かつ売り場面積の50%以上において対面販売<ref group="注釈">これに相対する販売方式は[[セルフサービス]]方式である。</ref>を行う業態」としており<ref name="difinition">{{Cite web|和書|url=https://www.meti.go.jp/statistics/tyo/syougyo/result-2/h19/pdf/gyotai/h19link6.pdf|title=商業統計表|業態別統計編 (小売業)|概況|業態分類表|date=2009-02-27|publisher=経済産業省|accessdate=2012-04-23|format=PDF}}</ref>、「品揃えは百貨店と同定義であるが、対面販売の比率が50%以下である」と定義された<ref name="difinition"/>総合量販店([[総合スーパー]])と区別されている。なお、同統計調査では「専門店」を「衣食住のどれか1つが売上の90%以上を占めるもの」と定義しており、この定義に当てはまる場合は店の規模や販売方式によらず「専門店」として取り扱われている。さらに、売場面積3000m<sup>2</sup>以上(東京特別区および政令指定都市は6000m<sup>2</sup>以上)の「大型百貨店」と、3000m<sup>2</sup>未満(同6000m<sup>2</sup>未満)の「その他の百貨店」に細区分することもある<ref name="difinition"/>。 また、商品取引の[[伝票]]処理においては百貨店とスーパーマーケットとの間に明確な違いが存在し、百貨店では「百貨店共通伝票」を使用し、スーパーマーケットでは「チェーンストア統一伝票」を使用している。 名称については店舗形態による拘束を受けないため、上記の定義に当てはまらない小規模な生活雑貨店が「百貨店」の名称を使用した例がある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === <references/> == 参考資料 == * [[海野弘]] 『百貨店の博物史』 アーツアンドクラフツ、2003年、ISBN 490159219X * [[鹿島茂]] 『デパートを発明した夫婦』 講談社〈現代新書〉、1991年、ISBN 4061490761 * [[山本武利]]、[[西沢保]]編 『百貨店の文化史-日本の消費革命』 世界思想社、1999年、ISBN 4790707830 * {{Cite journal|和書|author=木綿良行 |date=2003-11 |url=http://id.nii.ac.jp/1109/00001956/ |title=わが国の百貨店の歴史的経緯とその評価 |journal=成城大學經濟研究 |ISSN=03874753 |publisher=成城大学経済学会 |volume=162 |pages=157-180 |id={{CRID|1050001337473470208}} |ref=harv}} * {{Cite thesis|和書|author=河原啓子 |url=https://doi.org/10.11501/3184638 |title=芸術受容の近代的パラダイム : 日本における見る欲望と価値観の形成 |volume=日本大学 |series=博士(芸術学) 甲第2897号 |date=2001 |doi=10.11501/3184638 |id={{naid|500000205601}} |ref=harv}} ** {{Cite book|和書 |author=河原啓子 |title=芸術受容の近代的パラダイム : 日本における見る欲望と価値観の形成 |publisher=美術年鑑社 |date=2001 |series=AA叢書 |NCID=BA52843458 |ISBN=4892101486 |id={{全国書誌番号|20244203}}}} == 関連項目 == {{Div col}} * [[百貨店の一覧]] * [[日本百貨店協会]] * [[専門店]] * [[月賦百貨店]] * [[エレベーターガール]] * [[屋上遊園地]] * [[お子様ランチ]] * [[朱引線]] <!--孤立ページであったため、削除の際は孤立にならないように注意して下さい。--> * [[デパートメント・ストア (宝塚歌劇)]] {{Div col end}} == 外部リンク == {{Sisterlinks | c = Department store | commonscat = Department stores | v = no}} * [https://www.iads.org/ International Association of Department Stores (国際百貨店協会)] * [https://www.depart.or.jp/ 日本百貨店協会] ** [https://www.departinfo.com/ 百貨店WORLD] - 日本百貨店協会が運営する百貨店情報ポータルサイト *** {{Twitter|departinfo|百貨店WORLD}} - 上記「百貨店WORLD」公式アカウント *** {{Twitter|info_tomonokai|百貨店友の会}} - “百貨店友の会”プログラム関連情報提供用公式アカウント * [http://www.stores.co.jp/ ストアーズ社] - ※日本で百貨店業界紙などの関連刊行物を発行する出版社 * {{kotobank}} {{主要産業}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひやつかてん}} [[Category:百貨店|*]] [[Category:ショッピングセンター|*]]
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小売
小売(こうり、英: retail、リテール)とは、生産者や卸売業者からロット単位で仕入れた商品を、最終消費者に販売すること。小売を行う業者を小売業者(こうりぎょうしゃ、英: retailer リテーラー)と呼ぶ。また、Eコマース上や消費者行動においては「business-to-consumer」と呼ばれる概念となり、BtoC や B2Cと表記される。卸売業と違い単品で販売を行う場所。 小売業態では、顧客が要求する物品を扱うことはもちろんのこと、買物をするのに来店した顧客への利便性の提供や商品の性質や品質を認知するための情報提供(情報発信拠点)も行い、それらサービスの対価も物品の販売価格に上乗せされる形となる。このため、廉価に販売する業態ではセルフサービスの導入で価格を下げる一方、それほど値引きはしないが品質維持に注力したりアフターサービスなど付加価値サービスを提供するなどの差別化戦略を展開している業者もあり、そのいずれもが商品を消費者に提供する流通の最後の段階を担っている。 小売という表現は、各々の消費者向けに最小単位(単体の製品)に「小分け」して販売することを意味している。英語で小売りを示すretail(リテール)も、re【再び】+tail【切る】(端から切り分けて販売する・切り売り)から生まれた言葉であり、販売者の規模が小さいという意味は無い。 一方で、生産者側や問屋・卸売り側ではロットやパレットないしカートン(輸送用の箱のような容器を基準とする単位)などの、ある程度のまとまった流通単位でやり取りされる。 なお、産業革命以降の製造業は大量生産で廉価に安定した品質の商品を広く大衆にも供給しているが、直接的に商品が消費者に販売されるのは小売業者の店頭などである。通信販売では商店と顧客を仲立ちする宅配便や郵便を介在させるが、いずれにせよ直接消費者と接するのは小売業者である。このため、消費者の動向や意向を把握したい製造業では、この小売業者に接触してこれらの情報を得ようとする活動(マーケティングの一種)も見られる。学術団体については、1951年4月21日、日本商業学会が慶應義塾大学教授向井鹿松を初代会長として設立された。 なお、商業統計や、証券コード協議会における業種分類では、一般的な物品の小売(物販)業のほか、レストランや居酒屋などの飲食店、ファストフードチェーンといった外食産業も、小売業として分類されている。特にチェーン展開する外食産業の場合、立地戦略など小売業と共通する部分も多いので、ここでは基本的に物販と外食産業の両方を含む説明とする。 ※外食産業を除く ほか
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小売とは、生産者や卸売業者からロット単位で仕入れた商品を、最終消費者に販売すること。小売を行う業者を小売業者と呼ぶ。また、Eコマース上や消費者行動においては「business-to-consumer」と呼ばれる概念となり、BtoC や B2Cと表記される。卸売業と違い単品で販売を行う場所。
{{出典の明記|date=2018年10月}} [[Image:Walmartmexicaninteriors.jpg|thumb|300px|right|商品が並ぶ[[スーパーマーケット]]内部]] '''小売'''(こうり、{{lang-en-short|retail}}、リテール)とは、[[生産者]]や[[卸売]]業者から[[ロット管理|ロット単位]]で仕入れた[[商品]]を、最終[[消費者]]に販売すること。小売を行う[[企業|業者]]を'''小売業者'''(こうりぎょうしゃ、{{lang-en-short|retailer}} リテーラー)と呼ぶ。また、[[Eコマース]]上や消費者行動においては「business-to-consumer」と呼ばれる概念となり、'''BtoC''' や '''B2C'''と表記される。卸売業と違い単品で販売を行う場所。 == 概要 == 小売業態では、顧客が要求する物品を扱うことはもちろんのこと、[[買物]]をするのに来店した顧客への利便性の提供や商品の性質や品質を認知するための情報提供(情報発信拠点)も行い、それら[[サービス]]の対価も物品の販売価格に上乗せされる形となる。このため、廉価に販売する業態では[[セルフサービス]]の導入で価格を下げる一方、それほど値引きはしないが品質維持に注力したり[[アフターサービス]]など[[付加価値]]サービスを提供するなどの[[差別化戦略]]を展開している業者もあり、そのいずれもが商品を消費者に提供する[[流通]]の最後の段階を担っている。 小売という表現は、各々の消費者向けに最小単位(単体の製品)に「小分け」して販売することを意味している。英語で小売りを示すretail([[リテール]])も、re【再び】+tail【切る】(端から切り分けて販売する・切り売り)から生まれた言葉であり、販売者の規模が小さいという意味は無い。 一方で、生産者側や問屋・卸売り側では[[ロット管理|ロット]]や[[パレット (輸送)|パレット]]ないし[[カートン]](輸送用の[[箱]]のような[[容器]]を基準とする単位)などの、ある程度のまとまった流通単位でやり取りされる。 なお、[[産業革命]]以降の{{ruby|[[製造業]]|メーカー}}は[[大量生産]]で廉価に安定した品質の商品を広く[[大衆]]にも供給しているが、直接的に商品が[[消費者]]に販売されるのは小売業者の[[店頭]]などである。[[通信販売]]では商店と顧客を仲立ちする[[宅配便]]や[[郵便]]を介在させるが、いずれにせよ直接[[消費者]]と接するのは小売業者である。このため、消費者の動向や意向を把握したい製造業では、この小売業者に接触してこれらの情報を得ようとする活動([[マーケティング]]の一種)も見られる。学術団体については、1951年4月21日、[[日本商業学会]]が慶應義塾大学教授向井鹿松を初代会長として設立された<ref name=hp>{{Cite web|和書|url=http://jsmd.jp/|title=学会HP|publisher=日本商業学会|date=|accessdate=2022-01-23}} 個人会員1,072名,賛助会員11社・団体,購読会員32件 (2019年7月現在)</ref>。 == 小売業の分類方法 == * [[業種]]: 扱う商品や仕入れ先の[[卸売]]業者による分類である。 * [[業態]]: 顧客の年齢・性別・職業やその来店頻度による分類である。 なお、[[商業統計]]や、[[証券コード]]協議会における業種分類では、一般的な物品の小売(物販)業のほか、[[レストラン]]や[[居酒屋]]などの[[飲食店]]、[[ファストフード]]チェーンといった[[外食産業]]も、小売業として分類されている。特にチェーン展開する外食産業の場合、立地戦略など小売業と共通する部分も多いので、ここでは基本的に物販と外食産業の両方を含む説明とする。 == 小売業の立地 == === 出店形態 === * [[商店街]] * [[ショッピングセンター]](ショッピングモール) * 単独出店 === 出店地区 === * [[都心]] * [[郊外]] ** [[鉄道駅]]前 ** [[一般道路|幹線道路]]沿い([[ロードサイド店舗]]) * [[観光地]] * [[鉄道駅]]や[[空港]]などの特殊な施設内([[駅ナカ]]など) == 小売業の業態・販売品目 == ※外食産業を除く * 有店舗販売 **[[コンビニエンスストア]] ** 各種総合小売 *** [[百貨店]](デパート) ***[[スーパーマーケット]] ****[[総合スーパー]] **** [[食品スーパー]] *** [[ホームセンター]] *** ワンプライスショップ・[[100円ショップ]] *** [[ディスカウントストア]] **[[売店]] : [[キヨスク]]など ** 各種専門店 ***[[よろずや]] ([[ゼネラル・ストア]]) *** 衣服・靴・身の回り品小売 [[衣料品]]店(実用衣料、紳士服、婦人服、カジュアル) **** 呉服・服地 : 着物店、生地屋など **** 寝具販売 : ふとん屋 **** 男子服小売 ***** 紳士服小売 : [[洋裁|テーラー]]ショップ、紳士服専門店(注文服は別) ***** [[作業服]]店など(白衣は別) ***** [[学生服]]専門店 **** 婦人・[[子供服]]小売:[[ブティック]]、[[洋裁]]店等 **** 靴・履物小売:くつ屋、下駄屋など **** その他織物・衣服・身の回り小売 : ***** かばん屋など ***** 下着屋・ランジェリーショップなど ***** 洋品雑貨・小間物(ネクタイ、帽子、扇子など)等 ***** 和・洋傘屋、[[かつら (装身具)|かつら店]]、ステッキ類等、ファッション用水着ほか *** 飲[[食料品]]関係小売 **** 飲食料品:[[牛乳屋]]、ミネラルウォーター販売、製茶店(茶葉店)・コーヒー(豆)専門店など **** 酒類小売店 : [[酒屋]]など **** 各種食料品小売:食料雑貨、食材店(和・洋・エスニック)など **** 氷屋、麺専門、乳製品、冷凍食品専門、レトルト食品,チルド食品、健康食材店、調味料店等 **** 食肉小売 : [[精肉店]]、[[卵]]屋など **** 鮮魚小売 : [[鮮魚店]]など **** 乾物小売 : [[乾物|乾物店]]など **** 野菜・果実小売 : [[八百屋]]、フルーツ屋など **** 米穀類小売 : [[米屋]]など **** 豆腐かまぼこ等加工食品小売業:豆腐屋、練り物屋など **** 料理品小売 : [[惣菜|総菜屋]]、持ち帰り弁当、ピザ屋など **** 菓子・パン小売 : [[菓子|菓子店]]、パン屋・[[ベーカリー]]など *** 自動車・自転車関係小売 **** 自動車・自動車用品小売 : [[カー用品店|カー(自動車関係)用品店]] **** 自動車・オートバイ販売店・[[カーディーラー]](新車、中古車) **** トラックなど、産業車両販売 **** [[自転車]]販売店・サイクリングショップ *** 機械移動器具小売:[[携帯電話|携帯]]ショップなど *** 家具・家電・家庭用品関係小売 **** 家庭電器機械器具小売 :[[電器店]] - [[家電量販店]](白物家電製品、AV機器、電気器具、パソコン等) **** 中古電気製品小売:中古パソコンショップ、中古家電販売 **** ミシン、編み機専門店 **** ガス器具店、水道器具店、金庫屋、太陽電池パネル店など **** 家具・インテリア小売 : [[家具]]店・家具等[[ホームセンター]]、絨毯屋、建具屋、[[畳]]屋、[[仏壇]]屋など **** [[金物]]・荒物小売 : 金物屋、荒物屋 **** 陶磁器・ガラス器小売 : 食器店など **** 家庭用品小売 : 調理器具店など **** その他の什器小売 *** 日用品・書籍・スポーツ用品・中古品等小売 **** 医薬品・化粧品小売 : [[薬局]]、[[薬店]]、[[ドラッグストア]]、化粧品専門店 **** 農耕用品小売:農機具店、苗屋・種屋、肥料・飼料店 **** [[ガソリンスタンド]]・[[燃料]]小売 **** 書籍・新聞・文具小売 : 本屋、[[新聞販売店]]、[[文房具|文房具屋]]、[[パッケージ]]ショップ、[[画材]]店、書道用具店など ***** [[書店]](専門書、[[同人ショップ|同人誌専門店]]、地図・カレンダー専門店、楽譜専門店など) **** [[スポーツ器具|スポーツ用品]]店・[[玩具]]店(おもちゃ屋)娯楽用品・[[楽器]]小売 ***** 人形店など ****** [[キャラクターグッズ専門店]] **** フィルム[[カメラ]]・[[写真]]材料小売:カメラ屋 **** [[時計]]・[[眼鏡|メガネ]]・光学機械([[双眼鏡]]など)小売 **** リサイクルショップ・中古品小売 : [[古物商]]([[古本]]、[[古着]]、古道具、中古[[レコード]]など) **** [[骨董品店]] **** [[美術品]]販売店 **** たばこ屋、喫煙器具屋 **** [[花屋]](生花店)・[[植木屋]]・[[貴金属]]店・その他に分類されない小売 ***** 建材屋、セメント屋、材木屋、ガラス屋、建材用石店・石材商など ***** [[ペットショップ]]、観賞魚店など **** [[釣り|釣具]]店 **** [[健康食品]]販売 **** 洗剤専門店:石鹸屋など **** [[金券ショップ]] **** [[ギフトショップ]]・[[土産|みやげ]]屋 **** [[ソフトウェア]]販売 : CD、DVD、[[ゲームソフト]]など **** 碑石・墓石店 * [[無店舗販売]] ** [[通信販売]] *** [[電子商店街]] *** [[ソフトウェア]]の[[ダウンロード]]販売 *** [[テレビショッピング]]、[[ラジオショッピング]] *** [[カタログ販売]] *** 新聞、雑誌などのショッピング広告 *** 新聞の[[折り込み広告]] *** [[ダイレクトメール]] ** [[移動販売]] ** [[訪問販売]] ** [[自動販売機]] ** [[車内販売]]、[[機内販売]]([[乗り物]]内の販売) ほか == 小売業の経営・運営形態 == * [[個人商店]] * [[チェーンストア]] * [[フランチャイズ]]チェーン * [[ボランタリー・チェーン]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[販売]] * [[店舗]] * [[オープン価格]] * [[日本の年間商品販売額一覧]] * [[日本の企業一覧 (小売業)]] * [[大規模小売店舗立地法]] * [[売れ筋]] - [[死に筋]] * [[特定建築物]] - 日本の小売店舗施設に適用される環境衛生等に関する規定 * [[販売時点情報管理]] == 外部リンク == * [http://www.japan-retail.or.jp/ 日本小売業協会] * [http://www.jadma.org/ 日本通信販売協会] {{主要産業}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:こうり}} [[Category:経済]] [[Category:流通]] [[Category:市場]] [[Category:商業]] [[Category:小売業|*]] [[Category:日本の小売業|*]] [[Category:ターゲットグループ別のマーケティング]]
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セイヨウナシ
セイヨウナシ(西洋梨、 学名:Pyrus communis)は、ヨーロッパ原産のバラ科ナシ属の植物およびその果実であり、洋なし(pear)ともいう。ヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリアのほか、日本国内を含めて世界各地で広く食用に栽培されている。 形状は、和なしがほぼ球形であるのに対して、洋なしはやや縦に長く、いびつで独特な形(びん型)をしている。品種によっては、和なしほどではないが比較的球形に近いもの、逆に、縦に長いものなどがある。果皮は赤や黄色、緑など様々だが、日本において栽培されている品種の多くは緑色で、追熟(後述)させると黄色になる。また、果皮には「さび」と呼ばれる、傷のような褐色の斑が多数ある。 熟した果実の味は酒のように芳醇(ほうじゅん)で甘く、食感はまろやかであり、和なし独特のしゃりしゃりとした食感はない。ただし、収穫直後は硬く、甘みは少ない。追熟させるために、一定期間置くと熟し、果皮は黄色になり、強い芳香を発するようになる。また、果肉も軟らかくなり、おいしく食べることができる。これは、追熟によって生じるエチレンの作用により果実に含まれるデンプンが分解されて果糖、ブドウ糖などの糖となるとともに、ペクチンのゲル化により、甘みと滑らかさが増加するため。なお、冷蔵庫などで10°C程度に冷却することにより、追熟を遅延することができる。 日本では、バートレットなどの早生種は8月下旬から9月初めに収穫され、9月中には食べ頃となるが、ラ・フランスなど多くの品種は10月から11月初めにかけて収穫され、食べ頃となるのは11月 - 12月である。 和なしと同じく古い起源は中国だが、西(ヨーロッパ)に移動して分化したものが洋なしである。古くは古代ギリシアから栽培されていた。共和政ローマの政治家大カトは6種類の栽培品種について記述しており、帝政期には歴史家大プリニウスの調査によれば40種類の栽培品種が存在したと言われている。当時の洋なしは生のまま、あるいは火を通して食べるか、品種によっては酢や酒に加工された。洋なしはローマ人の手によってヨーロッパ各地に普及し、栽培品種の数は60種に及んだ。ローマ帝国が滅亡し、中世ヨーロッパに残った品種は6種類となったが、徐々に盛り返し、16世紀には500種近い栽培種が作られた。現代では商業的に強力な品種を組織的に流通させるため、栽培品種は10種程度に絞られており、他の種は忘れ去られてゆく傾向にある。 日本では明治時代初めに導入されたが、日本の気候があまり適していないために山形県などごく一部の地方にのみ定着し、現在では東北地方や信越地方などの寒冷地域で栽培されている。外見がデコボコしているため、本格的に食用にされるようになったのは昭和後期。産地以外で生食でも食べられるようになったのは近年のことで、1970年代、80年代頃までは主に加工用として生産されていた。 品種数は非常に多く、ヘドリック著『The Pears of New York』(1921年)では2900品種が紹介されている。現在では4000品種ほど存在するとみられるが、日本で栽培されているものは、稀少なものも含め20品種程度である。 世界の総生産数の約半数がヨーロッパで生産されている。イタリアは世界一の生産国で、年平均で125万トンを生産している。2位はフランスの40万トンである 。 前述の通り、日本の風土の多くは洋なしの生産に不向きであるため、収穫量第1位の山形県だけで6割、以下に続く長野県、青森県、新潟県、岩手県、福島県を合わせた上位6県で収穫量の9割以上を占める。 (出典:農林水産省統計情報、2005年<平成17年>) (出典:農林水産省統計情報、2019年<令和元年>) 成分・栄養価は和なしとほとんど同じである。和なしの成分を参照。 英語圏でセイヨウナシの形に似たものを pear-shaped(ナシ型)と表現する。人の体形の形容にも使われ、良い意味でビーナスのような豊穣な体、悪い意味で下ぶくれの体形を示す。体型を分類する際にペアーシェイプトはウエストより下に体脂肪が多い場合を指し、対してウエストより上に体脂肪が多い場合をアップルシェイプトと呼ぶ。また宝石のカットで涙滴(ティアードロップ)の形のものをペアシェイプトと呼ぶ。 また由来は明確ではないが、20世紀に入り、豊かで朗々と通る声をpear-shaped voice(声)と表現するようになった。 ドイツでは昔セイヨウナシの木はリンゴの木と一対をなすとされた。後者が男性性を、前者が女性性を象徴した。クリスマスと新年の間、深夜に若い女性はセイヨウナシの木の下に行き、木靴を脱いでセイヨウナシの木に投げた。靴が木の枝にかかれば、翌年には素敵な男性が求婚するだろうと言われた。
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セイヨウナシは、ヨーロッパ原産のバラ科ナシ属の植物およびその果実であり、洋なし(pear)ともいう。ヨーロッパ、北アメリカ、オーストラリアのほか、日本国内を含めて世界各地で広く食用に栽培されている。
{{生物分類表 | 色 = lightgreen | 画像 = [[Image:Pears.jpg|240px|セイヨウナシ]] | 名称 = セイヨウナシ | 界 = [[植物界]] {{lang|la|[[w:Plantae|Plantae]]}} |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||Angiosperms}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||Eudicots}} |亜綱階級なし = [[コア真正双子葉類]] {{Sname||core eudicots}} |下綱階級なし = [[バラ類]] {{Sname||Rosids}} | 目 = [[バラ目]] {{Sname||Rosales}} | 科 = [[バラ科]] {{Sname||Rosaceae}} | 属 = [[ナシ属]] ''{{lang|la|[[w:Pyrus|Pyrus]]}}'' | 種 = '''セイヨウナシ''' ''{{lang|la|[[w:European Pear|P. communis]]}}'' | 学名 = {{Snamei||Pyrus communis}} {{AU|L.}} {{small|(1753) 標準}}<ref name="YList">{{YList|id=3468|taxon=Pyrus communis L. セイヨウナシ(標準)|accessdate=2023-01-27}}</ref><br>{{Snamei|Pyrus communis}} {{AU|L.}} var. {{Snamei|sativa}} ({{AU|DC.}}) {{AU|DC.}} {{small|(1825) 狭義}}<ref name="YList_33383">{{YList|id=33383|taxon=Pyrus communis L. var. sativa (DC.) DC. セイヨウナシ(狭義)|accessdate=2023-01-27}}</ref> | 和名 = 洋梨(西洋梨) | 英名 = Pear (European Pear) }} '''セイヨウナシ'''('''西洋梨'''、 [[学名]]:''{{lang|la|Pyrus communis}}'')は、[[ヨーロッパ]]原産の[[バラ科]][[ナシ属]]の植物およびその[[果実]]であり、'''洋なし'''(pear)ともいう。ヨーロッパ、[[北アメリカ]]、[[オーストラリア]]のほか、[[日本]]国内を含めて世界各地で広く食用に[[栽培]]されている。 == 概要 == 形状は、[[ナシ|和なし]]がほぼ球形であるのに対して、洋なしはやや縦に長く、いびつで独特な形(びん型)をしている。[[栽培品種|品種]]によっては、和なしほどではないが比較的球形に近いもの、逆に、縦に長いものなどがある。果皮は赤や黄色、緑など様々だが、日本において栽培されている品種の多くは緑色で、[[追熟]](後述)させると黄色になる。また、果皮には「さび」と呼ばれる、傷のような褐色の斑が多数ある。 熟した果実の味は酒のように芳醇(ほうじゅん)で甘く、食感はまろやかであり、和なし独特のしゃりしゃりとした[[食感]]はない。ただし、収穫直後は硬く、甘みは少ない。追熟させるために、一定期間置くと熟し、果皮は黄色になり、強い芳香を発するようになる。また、果肉も軟らかくなり、おいしく食べることができる。これは、追熟によって生じる[[エチレン]]の作用により果実に含まれる[[デンプン]]が分解されて[[果糖]]、[[ブドウ糖]]などの糖となるとともに、[[ペクチン]]の[[ゲル]]化により、甘みと滑らかさが増加するため。なお、[[冷蔵庫]]などで10℃程度に冷却することにより、追熟を遅延することができる。 日本では、[[バートレット (梨)|バートレット]]などの[[早晩性|早生種]]は8月下旬から9月初めに収穫され、9月中には食べ頃となるが、[[ラ・フランス]]など多くの品種は10月から11月初めにかけて収穫され、食べ頃となるのは11月 - 12月である。 [[Image:Eight varieties of pears.jpg|thumb|left|500px|8種類のセイヨウナシ。左から、[[バートレット (梨)|ウィリアムズ・ボン=クレティエン]](Williams' bon chrétien, 単にウィリアムズとも。北米ではバートレット Bartlett と呼ばれる)、レッド・バートレット、レッド・バートレット(変種)、ダンジュー(D'Anjou)、ボスク(Bosc)、ドワイエネ・デュ・コミス(Doyenné du Comice)、コンコルド(Concorde)、セッケル(Seckel)]]{{clear|left}} == 歴史 == [[ナシ|和なし]]と同じく古い起源は[[中華人民共和国|中国]]だが、西([[ヨーロッパ]])に移動して分化したものが洋なしである<ref group="注">[[カシミール]]・[[中東]]の[[亜高山帯]]原産という説もある。</ref>。古くは[[古代ギリシア]]から栽培されていた。[[共和政ローマ]]の政治家[[大カト]]は6種類の栽培品種について記述しており、[[ローマ帝国|帝政期]]には歴史家[[大プリニウス]]の調査によれば40種類の栽培品種が存在したと言われている。当時の洋なしは生のまま、あるいは火を通して食べるか、品種によっては[[酢]]や[[酒]]に加工された。洋なしは[[ローマ人]]の手によってヨーロッパ各地に普及し、栽培品種の数は60種に及んだ。ローマ帝国が滅亡し、[[中世ヨーロッパ]]に残った品種は6種類となったが、徐々に盛り返し、16世紀には500種近い栽培種が作られた。現代では商業的に強力な品種を組織的に流通させるため、栽培品種は10種程度に絞られており、他の種は忘れ去られてゆく傾向にある<ref name="shokumotu" >マグロンヌ・トゥーサン=サマ『世界食物百科』玉村豊男 翻訳監修、[[原書房]]、1998年、ISBN 4087603172、pp.662-666</ref>。 日本では[[明治|明治時代]]初めに導入されたが、日本の気候があまり適していないために[[山形県]]などごく一部の地方にのみ定着し、現在では[[東北地方]]や[[信越地方]]などの寒冷地域で栽培されている。外見がデコボコしているため、本格的に食用にされるようになったのは[[昭和]]後期<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38424850R01C18A2CR0000/ 【彩時季】西洋ナシ「追熟」でよりおいしく]『日本経済新聞』夕刊2018年12月1日(社会・スポーツ面)2018年12月3日閲覧。</ref>。産地以外で生食でも食べられるようになったのは近年のことで、1970年代、80年代頃までは主に加工用として生産されていた。 == 日本における栽培品種 == [[画像:Pear cultivar share.png|left|thumb|240px|日本の洋なしの品種ごとの栽培面積<br />(特産果樹生産動態等調査、2004年)]] {{Vertical_images_list |寄せ=右 |幅=150px |画像1=PearLaFrance.jpg |説明1=[[ラ・フランス]] |画像2=Le Lectier 20051122.jpg |説明2=[[ル レクチエ]] |画像3=General Leclerc 20081121.jpg |説明3=ゼネラル・レクラーク }} 品種数は非常に多く、ヘドリック著『The Pears of New York』([[1921年]])では2900品種が紹介されている。現在では4000品種ほど存在するとみられるが、日本で栽培されているものは、稀少なものも含め20品種程度である。 ;[[ラ・フランス]] :フランス原産で、生産量のおよそ7割を占めており、「西洋なしの王様」ともいわれる日本における洋なしの代表格である<ref name="成美堂出版2012">{{Cite book|和書|author =猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|title = かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典|date=2012-07-10|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30997-2|page =201}}</ref>。収穫時期は10月上旬 - 中旬。[[1864年]]に[[フランス]]で発見された品種だが、気候が合わなかったためにヨーロッパでは現在ほとんど栽培されていない<ref name="山梨">{{Cite web|和書|url= https://weathernews.jp/s/topics/202110/220125/|title=栽培は日本だけ 洋梨のラ・フランス、原産国では1世紀以上前に絶滅|publisher=ウェザーニュース|date=2021-10-25|accessdate=2021/11/21}}</ref>。外観は悪いが、味と香りが良い<ref name="成美堂出版2012"/>。追熟による果皮色の変化が小さく分かりにくい。11月から12月に出回る<ref name="成美堂出版2012"/>。 ;[[バートレット (梨)|バートレット]] :生産量第2位。(ただし2位以下は僅差)8月下旬 - 9月初めには収穫され、9月中旬には食べ頃になる早生種。17世紀に[[イギリス]]で発見された品種。日本で生産されている品種としてはかなり縦長の形状である。 ;レッドバートレット :バートレットの表皮が赤色の物。味は変わらない。 ;[[ル レクチエ]](Le Lectier) :生産量第3位。[[1882年]]、[[フランス]]でバートレットとフォーチュニーを掛け合わせて作られた品種とされていたが、[[遺伝子]]解析の結果、異なることが判明している。しかし、正しい掛け合わせは不明。甘く、香りも強い。また、果皮に「さび」が少なく外観が美しいのも特長。[[明治]]後期から大半が[[新潟県]]で生産され<ref name="成美堂出版2012"/>、中でも[[新潟市]][[南区 (新潟市)|南区]]で最も収穫量が多い。追熟して果皮が黄色くなってきたら食べごろである<ref name="成美堂出版2012"/>。追熟におよそ40日間かかるため、10月中旬 - 下旬頃に収穫した後、市場に出回るのは11月下旬以降となる。傷む直前が最も美味しくなるため、常温の室内に置き香りを楽しみつつ食べ頃を見計らう。主産地である新潟県において「ル レクチエ」という名称で統一することが決められている<ref>小崎格(著作者代表)『新編原色果物図説』 1996年、養賢堂、ISBN 4842596023</ref>が、「ル・レクチェ」などと小さい「ェ」や中黒区切りの表記もしばしば見られる。 ;シルバーベル :収穫時期は遅めの10月下旬頃。[[1957年]]に山形県園芸試験場で選抜された、ラ・フランスの自然[[交雑]][[実生]]。ラ・フランスよりやや細長い形状で、若干酸味が強い。 ;スタークリムソン :アメリカの品種で、果皮が濃い赤色になるのが特徴で、実はやや大きめ。青森県でも栽培されている。甘味とやや酸味がある。<ref name="成美堂出版2012"/> ;ゼネラル・レクラーク :フランスで発見された、ドワイエネ・デュ・コミスの自然交雑種<ref name="成美堂出版2012"/>。果皮のさびが若干多いが、果肉がきめ細かく果汁も多く<ref name="成美堂出版2012"/>、甘味・酸味ともに濃厚である。主要生産地として青森県[[南部町 (青森県)|南部町]]が挙げられる。 ;ウインターネリス :ベルギー原産の晩生種。果肉は黄白色で、なめらかでやわらかい。11月下旬から翌年1月上旬に出回る。<ref name="成美堂出版2012"/> ;オーロラ :9月初めには収穫され、食べ頃になる早生種である。[[アメリカ合衆国|米国]][[ニューヨーク州]]農業試験場が、「マルゲリット・マルーラ」と、「バートレット」を交配して作り出した品種<ref name="成美堂出版2012"/>。命名は[[1964年]]。表面の大部分が褐色のさびに覆われる。とろけるような食感で、甘味が強い<ref name="成美堂出版2012"/>。 ;コミス :10月中旬から下旬の一時期だけ出回る。果肉はクリーム色で、きめ細かくねっとりした食感がある。<ref name="成美堂出版2012"/> ;マルゲリット・マリーラ :9月初めには収穫され、食べ頃になる早生種である<ref name="成美堂出版2012"/>。[[1874年]]にフランスで発見された品種で、名前は発見者から。500&nbsp;g以上となる大型の品種であり、1&nbsp;kg近くになることもある。さわやかな甘味があり酸味が少なく、果汁が多い<ref name="成美堂出版2012"/>。 ;ドワイエネ・デュ・コミス(Doyenné du Comice) :'''ドワイエンヌ・デュ・コミス'''もしくは'''ドゥワイエンヌ・デュ・コミス'''とも。ヨーロッパにおいて高級品種とされている。品質は良いが栽培が難しいため、日本でも生産量は非常に少ないく、「幻の西洋梨」とも呼ばれる。ヨーロッパでは秋に収穫され1月まで市場に出回る。 ;ブランデーワイン :表皮は、青色。大きさは、比較的小振り。略称は、「ブランデー梨」など。 ;フレミッシュ・ビューティ :別名「日面紅」(ひめんこう)。ベルギー原産の洋梨で、明治時代に日本に入ったといわれる。果実が熟すと、果皮が赤くなる。<ref name="成美堂出版2012"/> ;バラード :山形園芸試験場で、ラ・フランスとバートレッドを交配させてできた品種。大玉で、ラ・フランスのような風味を持つ。 ;エル・ドラド :米国[[カリフォルニア州]][[エルドラド郡 (カリフォルニア州)|エル・ドラド郡]]で、バートレッドの自然交雑実生より発見される。甘みが多く、南国フルーツのような香りがする。 ;パスクラサン<ref>[http://www.ja-okayamahigashi.or.jp/tokusanhin/tokusanhin/pasukurasan/ パスクラサン] [[岡山市農業協同組合|JA岡山]]、2015年7月1日閲覧。</ref> :パス・クラサーヌとも。ヨーロッパで成功した樹木栽培種の一つ。[[マルメロ]]に[[接ぎ木]]して作られる。日本では主に[[岡山県]]で生産されている。 ;テイラーズゴールド([[:en:Taylor's gold|Taylors Gold]]) :ラ・フランス同様の短粒種で、茶色系のラセットタイプだが皮ごと食べられる。[[ニュージーランド]]で発見された品種。 == 産地 == 世界の総生産数の約半数がヨーロッパで生産されている。[[イタリア]]は世界一の生産国で、年平均で125万トンを生産している。2位はフランスの40万トンである<ref name="shokumotu" /> 。 前述の通り、日本の風土の多くは洋なしの生産に不向きであるため、収穫量第1位の[[山形県]]だけで6割、以下に続く[[長野県]]、[[青森県]]、[[新潟県]]、[[岩手県]]、[[福島県]]を合わせた上位6県で収穫量の9割以上を占める。 === 主な生産地と収穫量 === (出典:[[農林水産省]]統計情報、2005年<平成17年>) {| class="wikitable" |- align="center" ! rowspan="2" | ! colspan="2" | 洋なし合計 ! colspan="2" | ラ・フランス ! colspan="2" | バートレット |- align="center" ! 収穫量 ! シェア ! 収穫量 ! シェア ! 収穫量 ! シェア |- align="right" ! align="center"| 全国合計 | 32,000 t | | 22,600 t | | 2,060 t | |- align="right" ! align="center"| [[青森県]] | 2,020 t | 6% | 493 t | 2% | 492 t | 23% |- align="right" ! align="center"| [[岩手県]] | 1,420 t | 4% | 680 t | 3% | 245 t | 12% |- align="right" ! align="center"| [[山形県]] | 20,000 t | 62% | 17,500 t | 77% | 473 t | 23% |- align="right" ! align="center"| [[福島県]] | 950 t | 3% | 670 t | 3% | 16 t | 1% |- align="right" ! align="center"| [[新潟県]] | 1,740 t | 5% | 8 t | 0% | - | - |- align="right" ! align="center"| [[長野県]] | 3,230 t | 10% | 2,670 t | 12% | 51 t | 2% |- |} (出典:[[農林水産省]]統計情報、2019年<令和元年>) {| class="wikitable" |- align="center" ! rowspan="2" | ! colspan="2" | 洋なし合計 |- align="center" ! 収穫量 |- align="right" ! align="center"| 全国合計 | 28,900 t |- align="right" ! align="center"| [[山形県]] | 18,900 t |- align="right" ! align="center"| [[新潟県]] | 2,140 t |- align="right" ! align="center"| [[青森県]] | 1,940 t |- align="right" ! align="center"| [[長野県]] | 1,490 t |- align="right" ! align="center"| [[福島県]] | 634 t |} === その他の生産地 === * [[北海道]] **「バートレット」「レッドバートレット」「ブランデーワイン」「ゼネラル・レクラーク」「シルバーベル」など生産。 **[[札幌市]][[南区 (札幌市)|南区]]・[[小樽市]]・[[余市郡]]([[余市町]]・[[仁木町]])・[[増毛郡]][[増毛町]] *[[山梨県]] **「オーロラ」「カリフォルニア」「ゼネラル・レクラーク」「[[ラ・フランス]]」「シルバーベル」など生産。 **[[富士川町]](旧[[増穂町]])・[[北杜市]]([[高根町]]) == 成分 == 成分・栄養価は和なしとほとんど同じである。[[ナシ#成分・栄養価|和なしの成分]]を参照。 == 洋なしの形の表現 == 英語圏でセイヨウナシの形に似たものを[[:en:pear-shaped | pear-shaped]](ナシ型)と表現する<ref group="注">英語にセイヨウナシ型を意味するPiriformという単語がある。これも語源は[[ラテン語]]のpirum (ナシ) forma(形)、または[[ギリシャ語]]の火(πῦρ)に由来する。</ref>。人の体形の形容にも使われ、良い意味で[[ビーナス]]のような豊穣な体、悪い意味で下ぶくれの体形を示す<ref>goo辞書 - プログレッシブ英和中辞典 [http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej3/62143/m0u/ pear-shaped] </ref>。体型を分類する際にペアーシェイプトはウエストより下に体脂肪が多い場合を指し、対してウエストより上に体脂肪が多い場合をアップルシェイプトと呼ぶ<ref>『[[ニューヨーク・タイムズ]]』[http://health.nytimes.com/health/guides/specialtopic/weight-management/complications.html Weight Management] </ref>。また宝石のカットで涙滴(ティアードロップ)の形のものをペアシェイプトと呼ぶ<ref>[[weblio]] [http://www.weblio.jp/content/%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%97 「ペアシェイプト」] </ref>。 また由来は明確ではないが、20世紀に入り、豊かで朗々と通る声をpear-shaped voice(声)と表現するようになった<ref name=KEN_pear>weblio - 研究社・新英和中辞典 [http://ejje.weblio.jp/content/pear-shaped pear-shaped] </ref>。 == 女性性の象徴 == ドイツでは昔セイヨウナシの木はリンゴの木と一対をなすとされた。後者が男性性を、前者が女性性を象徴した。クリスマスと新年の間、深夜に若い女性はセイヨウナシの木の下に行き、木靴を脱いでセイヨウナシの木に投げた。靴が木の枝にかかれば、翌年には素敵な男性が求婚するだろうと言われた<ref>Susanne Fischer-Rizzi : ''Blätter von Bäumen II''. Hukusuisha. = [[喜多尾道冬]]・林捷編『続・ドイツの樹の文化誌』[[白水社]]1994年(ISBN 4-560-01590-2)11-15頁、特に11-12頁。</ref>。 == 脚注 == === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{reflist}} == 関連項目 == {{Commons|Pyrus communis}} * [[ナシ]](和なし) * [[チュウゴクナシ]](中国なし) * [[ペアサイダー]] - 梨の[[シードル]] * [[カルヴァドス]] - [[リンゴ]]と洋なしの[[蒸留酒]] == 外部リンク == * [[独立行政法人統計センター]] - [https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?lid=000001060237&layout=datalist 平成16年産特産果樹生産動態等調査] * [http://www.agr.niigata-u.ac.jp/~naser/kiyokiyo/grad/seiyo/seiyoind.html 新潟県 西洋梨 品種画像データベース] {{デフォルトソート:せいようなし}} [[Category:ナシ亜科]] [[Category:果物]] [[Category:梨]]
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核(かく、さね)は、軸・中心となるもの。中核、核心。 英語のnucleus(形容詞 nuclear、口語nuke)、core、kernelなどの訳語にも使われる。 特に記したもの以外は「かく」と読む。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "核(かく、さね)は、軸・中心となるもの。中核、核心。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "英語のnucleus(形容詞 nuclear、口語nuke)、core、kernelなどの訳語にも使われる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "特に記したもの以外は「かく」と読む。", "title": null } ]
核(かく、さね)は、軸・中心となるもの。中核、核心。 英語のnucleus、core、kernelなどの訳語にも使われる。 特に記したもの以外は「かく」と読む。
{{Wiktionary}} '''核'''(かく、さね)は、軸・中心となるもの。中核、核心。 英語の[[:en:Nucleus|nucleus]](形容詞 [[:en:Nuclear|nuclear]]、口語[[:en:Nuke|nuke]])、[[:en:Core|core]]、[[:en:Kernel|kernel]]などの訳語にも使われる。 特に記したもの以外は「かく」と読む。 ==原子核== * [[原子核]] * [[核エネルギー]](原子力) ** [[原子炉]] ** [[原子力発電]] ** [[原子力発電所]] * [[核兵器]] ** [[核戦争]] ** [[核実験]] ==数学== ===対象=== ; kernel :* 差核: 2つの関数の値が一致する元全体の集合 → [[等化子]]を参照 :** [[核 (圏論)]]: 零射との差核 :** {{仮リンク|核 (集合論)|en|Kernel (set theory)}}、同じ値に写る元の対全体の集合。集合の圏における圏論的核。 :** 準同型の核 :*** [[核 (代数学)]] :*** [[核 (線型代数学)]]、零ベクトルに写るベクトル全体の集合 ; core :* [[核 (群論)]] ===関数=== * [[積分核]]、積分変換を定義する2変数関数 * [[熱核]]、ある領域上の熱方程式の基本解 * {{仮リンク|畳み込み核|en|Convolution kernel}} * {{仮リンク|正定値核|en|Positive-definite kernel}}、正定値行列の一般化 * {{仮リンク|再生核ヒルベルト空間|en|Reproducing kernel Hilbert space}} ==その他== *自然科学 ** [[核 (天体)]]。天体の中心部。 ** [[核 (彗星)]]。 ** [[細胞核]]。 ** [[神経核]]。中枢神経において、神経細胞体の集合、細胞群。 ** [[相転移]]の開始点となるもの。[[結晶]]化の場合は結晶核という。 ** [[環式有機化合物]]の骨格部分。[[ベンゼン環]](ベンゼン核)など。 ** [[核果]]に分類される果実の[[果皮|内果皮]]が硬化し、[[種子]]本体を保護するようになったもの。「さね」とも。 *技術 ** [[カーネル]]。[[オペレーティングシステム]](OS)の基本部分。 ** [[真珠]]の養殖のときに母貝に入れる球。 *社会 ** 父・母・児のうち2要素ないし全てからなる家族を、[[核家族]]とよぶ。 ==固有名詞== *[[核 (曲)]]。[[尾崎豊]]の[[シングル]]。 {{デフォルトソート:かく}} {{aimai}} [[Category:数学の曖昧さ回避]] [[es:Kernel (desambiguación)]]
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ラ・フランス
ラ・フランスは、フランス原産のセイヨウナシ(洋梨)の品種の一つである。 不正円の果実で、果皮部には斑点がある。樹上では完熟せず、もいだ直後は甘みに欠けゴリゴリした食感であるが、追熟によりトロリとした食感の甘さ、芳香が出て食べ頃となる。 1864年に、フランスのクロード・ブランシェ (Claude Blanchet) が発見した品種である。日本へは1903年(明治36年)に農商務省農事試験場園芸試験地(静岡県)へ、食用としてではなく、受粉用として導入された。日本では盛んに栽培されているが、本国フランスなどヨーロッパ各国では、気候が合わないため、生産量は少ない。 ラ・フランスは日本独自の呼び名で、本国フランスでの品種名は発見者の名を取り、Claude Blanchetとなっている。 収穫後に常温で10日から2週間程度追熟されることで初めて生食に適すものになる。追熟の間、果実に含まれるデンプンが分解されて果糖、ショ糖、ブドウ糖などの糖となることで甘味が増し、ペクチンのゲル化により舌触りの滑らかさが増す。一段と芳香が強くなり、赤ん坊の頬くらいの柔らかさになったときが食べごろである。冷蔵庫などで冷却することにより、追熟を中断することもできるが、一旦食べごろを迎えると一気に熟成が進む。生っているときに枝に近い部分が褐色を帯び柔らかくなってから、1日程度が完熟の目安である。タルトやジュース、ジャムの原料にも使われている。 日本における主な産地は山形県、長野県で、10月上旬から中旬頃収穫され、11月上旬から中旬にかけて食べ頃となる。山梨県富士川町では、珍しいラ・フランス狩り観光農園がある。収穫時期は9月下旬以降と主産地より早い。 山形県では缶詰用品種バートレットの受粉用に使われていたラ・フランスを、生食用への需要シフトに合わせて1980年代から生産や品質管理に力を入れるようになった。収穫後に冷蔵庫で2から5度に冷やして7日以上保管することで実の呼吸を一度抑え、さらに常温で7日程度保管してでんぷんを糖に変えて食味を良くする。年毎の食べ頃に合わせて販売開始基準日を設定している。
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ラ・フランスは、フランス原産のセイヨウナシ(洋梨)の品種の一つである。
{{出典の明記|date=2021年10月}} {{Otheruses|洋なしの品種}} [[File:PearLaFrance.jpg|thumb|240px|ラ・フランス]] [[画像:Pear cultivar share.png|thumb|240px|日本の洋なしの品種ごとの栽培面積<br />(特産果樹生産動態等調査、2004年)]] '''ラ・フランス'''は、[[フランス]]原産の[[セイヨウナシ]](洋梨)の[[品種]]の一つ<ref name="朝日20210918">[https://www.asahi.com/articles/DA3S15045354.html 【47都道府県の謎】山形名産ラ・フランスには解禁日がある?開始基準日を毎年設定 追熟で食べ頃に][[be (朝日新聞)|『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」]]2021年9月18日4面(同日閲覧)</ref>である。 == 概要 == 不正円の[[果実]]で、[[果皮]]部には斑点がある。樹上では完熟せず、もいだ直後は甘みに欠けゴリゴリした食感であるが、[[追熟]]によりトロリとした食感の甘さ、芳香が出て食べ頃となる<ref name="朝日20210918"/>{{r|山梨}}。 [[1864年]]に、[[フランス]]のクロード・ブランシェ (Claude Blanchet) が発見した品種である。[[日本]]へは[[1903年]]([[明治]]36年)に[[農商務省 (日本)|農商務省]]農事試験場園芸試験地([[静岡県]])へ、食用としてではなく、[[受粉]]用として導入された。日本では盛んに栽培されているが、[[ヨーロッパ]]各国では、気候が合わないため、生産量は少ない。特にフランス本国では日本に持ち込まれた時点で絶滅寸前の品種となっており、1900年代初頭にはフランスでは絶滅してしまっていた<ref name="山梨">{{Cite web|和書|url= https://weathernews.jp/s/topics/202110/220125/|title= 栽培は日本だけ 洋梨のラ・フランス、原産国では1世紀以上前に絶滅|publisher=ウェザーニュース|date=2021-10-25|accessdate=2021/11/21}}</ref>。 ラ・フランスは日本独自の呼び名で、本国フランスでの品種名は発見者の名を取り、Claude Blanchetとなっている<ref>http://www.arboschwin.com/index.php?page=affi_poire_ak&num=19</ref>。 収穫後に常温で10日から2週間程度追熟されることで初めて生食に適すものになる。追熟の間、果実に含まれる[[デンプン]]が分解されて[[果糖]]、[[ショ糖]]、[[ブドウ糖]]などの糖となることで甘味が増し、[[ペクチン]]の[[ゲル化]]により舌触りの滑らかさが増す。一段と芳香が強くなり、赤ん坊の頬くらいの柔らかさになったときが食べごろである。冷蔵庫などで冷却することにより、追熟を中断することもできるが、一旦食べごろを迎えると一気に熟成が進む。生っているときに枝に近い部分が褐色を帯び柔らかくなってから、1日程度が完熟の目安である。[[タルト (洋菓子)|タルト]]やジュース、ジャムの原料にも使われている。 == 主要産地 == 日本における主な産地は[[山形県]]、[[長野県]]で、10月上旬から中旬頃収穫され、11月上旬から中旬にかけて食べ頃となる{{r|山梨}}。[[山梨県]][[富士川町]]では、珍しいラ・フランス狩り[[観光農園]]がある。収穫時期は9月下旬以降と主産地より早い。 山形県では[[缶詰]]用品種バートレットの受粉用に使われていたラ・フランスを、生食用への需要シフトに合わせて1980年代から生産や品質管理に力を入れるようになった。収穫後に冷蔵庫で2から5[[セルシウス度|度]]に冷やして7日以上保管することで実の呼吸を一度抑え、さらに常温で7日程度保管して[[でんぷん]]を糖に変えて食味を良くする。年毎の食べ頃に合わせて販売開始基準日を設定している<ref name="朝日20210918"/>。 == 脚注 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:らふらんす}} [[Category:果物]] [[Category:ナシ亜科]] [[Category:梨の品種]] [[Category:山形県の農業]]
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相対論効果
相対論効果(そうたいろんこうか)、相対論的効果は、相対性理論において、非相対論による計算からのずれのことをいう。 バンド計算において、扱う原子が重くなると、相対論効果が無視できなくなる。通常は、半相対論 (Scalar relativistic, Semi relativistic) 的 な形で相対論効果はバンド計算に取り入れられている場合が多い。この場合、スピン軌道相互作用は考慮されない。スピン軌道相互作用などの相対論効果を全て考慮したものを、Full relativistic と言う。 どのくらい重ければ相対論効果が無視できないかは、計算対象と目的によって異なるが、4d遷移金属とこれらと同じ周期にある他の元素辺りが一つの目安である。これは目安であって、軽い元素でも対象となる物理量等によっては、相対論効果が無視できない場合がある。
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相対論効果(そうたいろんこうか)、相対論的効果は、相対性理論において、非相対論による計算からのずれのことをいう。
'''相対論効果'''(そうたいろんこうか)、'''相対論的効果'''は、[[相対性理論]]において、非相対論による計算からのずれのことをいう。 == バンド計算における相対論効果 == [[バンド計算]]において、扱う[[原子]]が重くなると、相対論効果が無視できなくなる。通常は、'''半相対論''' (Scalar relativistic, Semi relativistic) 的<ref>Koelling, D. D., Harmon, B. N.: J. Phys. C10, 2107 (1977)</ref><ref>Gollisch, H., Fritsche, L.: Phys. Stat. Sol. (b) 86, 145 (1978)</ref><ref>Takeda, T.: Z. Phys. B 32, 43 (1978)</ref> な形で相対論効果はバンド計算に取り入れられている場合が多い。この場合、[[スピン軌道相互作用]]は考慮されない。スピン軌道相互作用などの相対論効果を全て考慮したものを、'''Full relativistic''' と言う。 どのくらい重ければ相対論効果が無視できないかは、計算対象と目的によって異なるが、4d[[遷移金属]]とこれらと同じ周期にある他の[[元素]]辺りが一つの目安である。これは目安であって、軽い元素でも対象となる物理量等によっては、相対論効果が無視できない場合がある。 == 脚注 == <references /> == 関連項目 == *[[ディラック方程式]] *[[相対性理論]] {{DEFAULTSORT:そうたいろんこうか}} [[Category:相対性理論]] [[Category:バンド計算]] [[Category:量子化学]] {{sci-stub}}
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シルバーベル
シルバーベル
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シルバーベル エゴノキ科ハレーシア属の樹木の総称。 セイヨウナシの品種。
'''シルバーベル''' * [[エゴノキ科]][[ハレーシア属]]の樹木の総称。 * [[セイヨウナシ]]の品種。 {{Aimai}} {{デフォルトソート:しるはあへる}}
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3,177
果物
果物(くだもの、英: fruits フルーツ)は、食用になる果実。水菓子、木菓子ともいう。 英語でfruitと言えば果実全般である(日本語の「果実」よりもさらに広い範囲を指す)。日本語の「果物」は、食用になる果実及び果実的野菜(後述)のうち、強い甘味を有し、調理せずそのまま食することが一般的であるものを「果物」と呼ぶ傾向がある。狭義には樹木になるもののみを指す。農林水産省では、統計上、果実は果樹(木本性などの永年作物)になるものとしつつ、野菜に分類されるもののうちイチゴ、メロン、スイカなど果実的な利用をするものを「果実的野菜」として扱っている。 果物とは、食用になる果実のことである。 果物はさまざまな栄養素を含んでいる。人体に必要な糖分やカリウムやビタミンが豊富なものも多い。→#栄養面や効能 果実を乾燥させ、ドライフルーツとする例も多い。乾燥させた場合、糖分の濃度が高くなり、保存に適する。中東ではデーツ(ナツメヤシの果実を乾燥させたもの)が古くから広く親しまれており、聖書にも登場する。「砂漠の旅で食料が尽きてもデーツの実ひとつぶ食べれば数日生き延びられる」などといわれている。なお乾燥した国では、生のみずみずしい果物は水分の補給源としても重要な役割を果たしている。日本では果物は、糖分補給のため(甘みを楽しむため)や、ビタミン源として摂られてきた歴史がある。 料理に利用したり、パンやクッキーに入れられることもある。その甘みや酸味や香ばしさなどを利用する。種によってはタンパク質分解酵素を含む(パイナップル・パパイヤなど)ため、肉類を柔らかくする効果のために利用される場合もある。砂糖を加えて煮込みジャム(やコンポート類)にして保存している。それをパンやクラッカーに合わせたり、あるいはヨーグルトやチーズなどの乳製品と合わせて朝食時に食べることもある。また午後の「お茶」や「おやつ」の時間に、イギリスでは「午後の紅茶」の場でジャムやコンポート類を味わったり、北欧のお茶の時間「フィーカ」ではさまざまな形で果物を取っている。日本の「おやつ時」などに生の果物を食べたり、あるいはパンにジャムを塗って食べたり、ヨーグルトにジャムを加えたもの食べる、なども広く行われている。 果物の中には、糖分だけでなく酵素まで含み、(さほど手間をかけずとも、つぶして放置するだけで)それ自体で発酵し酒となるものもあり、酒の原料としても用いられてきた。代表的なものとしてブドウの実がある。もともと糖分と酵素の両方を含み、潰して放置しておくだけで勝手に発酵して酒(ワイン)になる。ワインは「最も古くから存在する酒」や「最初の酒」と推定されており、地中海周辺やヨーロッパ(の大陸側)で太古から最も飲まれている酒であり、そして欧米諸国(南米、オーストラリアも含む)でも非常に広まっていった。日本でも中世に宣教師が持ち込み、さらに1870年にワイン醸造所が作られそれ以降醸造もはじまり、現在では世界中で飲まれている。リンゴの実の発酵酒(シードル)も同様である。果実から作る酒を(ブドウの実のワインは別格として、それ以外の果物から作る酒を)フルーツワインと言う。 果物は欧州でも日本でも、昔から、贈答品や、入院した人などへのお見舞いの品として利用されることも多い。 熱帯果樹では「三大果物」と呼ばれるのがマンゴー・チェリモヤ・マンゴスチンである。ドリアンは「果物の王」、マンゴスチンは「果物の女王」とも言われる。 食べられる果実がなる樹木を果樹と言う。 日本では古代から中世の時代には果物は菓子の中に包摂されていたが、江戸時代中期に加工品については「菓子」、果実は「水菓子」と記すようになり菓子とは別種のものとして理解されるようになっていった。さらに幕末期の京坂で果実を「クダモノ」と言うようになり果物の名称が成立した。 以下の分類は『農学基礎シリーズ 果樹園芸学の基礎』を参照している。 花床(花托とも)という花柄の先端にある部分が発達して果実になる、即ち偽果と呼ばれるタイプの果実をつける。英語ではPome fruitと呼ばれる。 子房壁が発達して果実になるタイプの果実(真果)をつけるもののうち、内果皮が硬化し種子に殻が形成され、核と呼ばれる状態になる。バラ科サクラ属に見られる。英語ではStone fruit(ストーンフルーツ)と呼ばれる。 種実類、または堅果類とも呼ばれる。果皮が乾燥して硬くなっており、主に種子を食用として用いる果樹。アーモンドは果実の構造としては核果類と同様であるが、種子を食用とするため、堅果類に分類される。英語ではNut(ナッツ)と呼ばれる。 なお、これはあくまでも上記農学書にしたがって掲載するものであって、通常の日本語でアーモンドや胡桃、カシューナッツなどの可食部を指して「果物」と呼ぶことはほぼない(意味が通じるかという観点から言えば「果物」と呼ぶのは語彙の誤用であるといって差し支えない)。これらを包括的に指す名称は通常「ナッツ」である。 ブドウ、キウイフルーツ、カキなどのように成熟すると果肉細胞がほぼ液胞で占められ多汁で軟らかくなる果実を液果(berry、ベリー)と呼ぶこともある。 ミカン科のミカン属、キンカン属、カラタチ属などに属する植物の総称。カラタチ以外は常緑性。 トロピカルフルーツ。亜熱帯から熱帯に分布する常緑性の果樹。 英語圏ではプラム、アンズ(アプリコット)、モモのように種の部分が石のようにかたい果物をストーンフルーツという。また、イチゴ、ラズベリー、ブルーベリー、スグリのように、かたい皮や大きな種のない果物をソフトフルーツという。 甘みはフルクトース、グルコース、ショ糖などで構成されている。 果物は、野菜とともに癌予防の可能性が大きいものとされている。 腎臓に障害がなくカリウムを摂取しても問題がなければ、カリウムを豊富に含む野菜や果物の摂取を増やすことにより高血圧の降圧が期待できる。 果物は、栄養的には(植物の組織全般に比べて)果糖を含み、糖質(糖分)が多く、カロリーが高く、ビタミン類を多く含み、消化しやすい、という性質があり、味としては甘味と酸味を持つ。 果物には収穫期があり年間を通して収穫できるわけではないため、ジャムやコンポート、シロップなどの果物の加工食品がある。 昔から病人に果物をあてがうことが行われており、病人のお見舞いには果物詰め合わせが定番である。 メロンやリンゴなどの水分量が多い果物は、生水の摂取が難しい時代や地域で飲料水の供給源となっている。 「果物」は動物が食べたがる果実である。「果物」と言われる果実は、生物学的な果実の分類の上ではいくつかの類型にまたがるが、いずれにしても、一般的な植物組織よりも柔らかく、糖分、ビタミンCなどを多く含む部分を持つ。また赤や黄色に着色する例が多い。 これは植物の繁殖に関する戦略として、動物に食べさせ、それによって種子散布を動物に担わせる、と言う方針によっている。植物は移動できないため、種子形成の際にこれが移動することは、花粉媒介と並んでその分布拡大や個体群の維持において極めて重要である。そのために様々な戦略をとる植物が存在するが、動物に運ばせるのはその代表的な方法の一つである。そのための具体的な方法の一つが種子およびその周辺に動物の食料として魅力的な性質を与えることで、動物がそれを食べ、あるいは食べる目的で輸送を担う、と言うものである。種子そのものを食料とする例(ドングリなど)もあるが、それよりは周辺部を可食としたほうが種子の犠牲は少ない。これが果物というあり方である。 植物の一般的な組織、例えば葉や茎は、生きた原形質を含むから、それなりにバランスの取れた食料であり得る。しかし細胞壁がセルロースという丈夫な成分で作られていること、セルロースそれ自体もカロリーは高いものの消化の困難なものであることなど、植物を餌とするのは難度が高く、専門的な食植者は様々な特異な適応的な形質を持つのが普通である(すりつぶす歯、複数に分かれた複雑な消化管など)。それに対して果物の可食部は一般的な植物組織より、遙かに動物に利用されやすくなっている。 (やや目的論的な説明としては)「果物に糖分が多いのも、消化酵素が含まれるのも、動物がそれを利用する場合の利便を図っている(=目的としている)ものであり、それによってより多くの動物を引き寄せることを目指している」と説明してもよい。また(目的論的な説明を避けて)「さまざまな性質の果実をもつ植物が(突然変異や さまざまな交配によって)生まれたが、自然選択の結果、動物が利用しやすい果実をもつ植物が、結果として、より多く生き残り、その形質 が/も 残った。」などと説明してもよい。「植物にとってはそのような果実を持つことはコストがかかり損失も生じるが、動物を誘引することで種子散布をより効率よく行うための投資である」と説明してもよい。果実が熟するに連れて赤や黄色などに着色するのも、動物にとって目立つようになり、食べ頃を知らせる信号の効果を持っている。 果物が「美味しい」と動物にとって感じられるのは、その味が動物全般の好みに合致していることによる。人類が果実を好むのも、植物のこの戦略に 乗せられたもの/乗ったもの と考えてもよい。 L-グロノラクトンオキシダーゼ(ビタミンC合成酵素)遺伝子の活性は、いくつかの種の進化史のなかでそれぞれ独立に失われている。哺乳類ではテンジクネズミや霊長目の直鼻亜目がこの遺伝子の活性を失っており、そのためにビタミンCを合成できないが、その原因となった突然変異は別のものである。どちらの系統でも、活性を失った遺伝子は多数の変異を蓄積しつつ、偽遺伝子として残っている。スズメ目の鳥類では、活性の喪失が何度か起こっており、またおそらくは再獲得も起こったために、種によってビタミンC合成能力が異なる。他に、コウモリ類もこの遺伝子の活性を失っている。これらの動物が遺伝子変異によるビタミンC合成能力を失ったにもかかわらず継続的に生存し得た最大の理由は、これらの動物が果物等のビタミンCを豊富に含む食餌を日常的に得られる共生環境にあったためである。 霊長目でこの酵素の活性が失われたのは約6300万年前であり、直鼻亜目(酵素活性なし)と曲鼻亜目(酵素活性あり)の分岐が起こったのとほぼ同時である。ビタミンC合成能力を失った直鼻亜目にはメガネザル下目や真猿下目(サル、類人猿、ヒト)が含まれている。果物との共生関係はヒトの直系祖先を含め少なくとも6300万年以上の共生関係にあったと考えられる。 果樹を栽培する時の樹の形。主幹及び骨格枝の配置で樹形が決まる。 枝の名称は、主として剪定作業をする際にそれぞれの枝の役割を明確化させるために使用される。この名称により剪定作業を説明することができる。また、摘果や摘蕾作業時にも使用される。 果樹栽培の基本は栄養生長と生殖生長を調整させ、安定生産を目的とするため、この両方の生長の均衡の維持基本となる。 果樹は形質が固定していないため、種子から育成した場合、親と異なる形質の苗木ができてしまう。したがって、種子による繁殖(実生法)は、台木の生産に利用させる。よって、果樹の苗木生産は栄養生殖によって行われる。方法は、接ぎ木・挿し木・取り木・株分け・ひこばい利用である。苗木生産ではないが、高接ぎによる成木の品種更新法もある。 樹種により、雌雄異株(キウイフルーツ)や自家不和合性 (植物)(リンゴ・ナシ・オウトウなど)や他家不和合性等の場合、受粉せず果実が結果しない場合があるため、授粉樹の設置や人の手により授粉させる必要がある。 温州ミカンや一部カキ等では受粉せずとも、結果をする。このような性質を単為結果性という。また、ジベレリンを用いてブドウや日向夏は、単為結果をさせ、種なし果実を作れる。 肥料を与えること。根群の水平分布は樹冠と同等かそれよりも広がっている。そのため、幹回りには養分を吸収できる細根が少ないため幹回りに施肥をしない。 果物ができるためには、原則的に受粉が必要であり、受粉が無ければ果物はできない。受粉は昆虫に依存しているが、現代の農業においては、特に養蜂家が飼っているミツバチに依存している割合が大きい。近年、北米やヨーロッパにおいて蜂群崩壊症候群(CCD)という、ミツバチが大量に失踪したり死んでしまう現象が頻発しており、北米のミツバチは数分の1が死んでしまった。もしもこれ放置しさらに拡大するとミツバチの全滅の可能性すらあり、果物の収穫高など農業全般に大きな悪影響を及ぼす可能性があると予見され、社会問題化した。そのリスクの大きさを考慮して、ヨーロッパの各国ではすでにネオニコチノイド系殺虫剤の使用禁止などの対策を行っている。米国ではネオニコチノイド系殺虫剤を製造している大手化学メーカーの政治的圧力のためか調査結果が隠蔽されたり、対策が後手にまわったり、不完全な対策にとどまる、などのことが起きている。
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"料理に利用したり、パンやクッキーに入れられることもある。その甘みや酸味や香ばしさなどを利用する。種によってはタンパク質分解酵素を含む(パイナップル・パパイヤなど)ため、肉類を柔らかくする効果のために利用される場合もある。砂糖を加えて煮込みジャム(やコンポート類)にして保存している。それをパンやクラッカーに合わせたり、あるいはヨーグルトやチーズなどの乳製品と合わせて朝食時に食べることもある。また午後の「お茶」や「おやつ」の時間に、イギリスでは「午後の紅茶」の場でジャムやコンポート類を味わったり、北欧のお茶の時間「フィーカ」ではさまざまな形で果物を取っている。日本の「おやつ時」などに生の果物を食べたり、あるいはパンにジャムを塗って食べたり、ヨーグルトにジャムを加えたもの食べる、なども広く行われている。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "果物の中には、糖分だけでなく酵素まで含み、(さほど手間をかけずとも、つぶして放置するだけで)それ自体で発酵し酒となるものもあり、酒の原料としても用いられてきた。代表的なものとしてブドウの実がある。もともと糖分と酵素の両方を含み、潰して放置しておくだけで勝手に発酵して酒(ワイン)になる。ワインは「最も古くから存在する酒」や「最初の酒」と推定されており、地中海周辺やヨーロッパ(の大陸側)で太古から最も飲まれている酒であり、そして欧米諸国(南米、オーストラリアも含む)でも非常に広まっていった。日本でも中世に宣教師が持ち込み、さらに1870年にワイン醸造所が作られそれ以降醸造もはじまり、現在では世界中で飲まれている。リンゴの実の発酵酒(シードル)も同様である。果実から作る酒を(ブドウの実のワインは別格として、それ以外の果物から作る酒を)フルーツワインと言う。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "果物は欧州でも日本でも、昔から、贈答品や、入院した人などへのお見舞いの品として利用されることも多い。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": 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"text": "なお、これはあくまでも上記農学書にしたがって掲載するものであって、通常の日本語でアーモンドや胡桃、カシューナッツなどの可食部を指して「果物」と呼ぶことはほぼない(意味が通じるかという観点から言えば「果物」と呼ぶのは語彙の誤用であるといって差し支えない)。これらを包括的に指す名称は通常「ナッツ」である。", "title": "果樹による分類" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ブドウ、キウイフルーツ、カキなどのように成熟すると果肉細胞がほぼ液胞で占められ多汁で軟らかくなる果実を液果(berry、ベリー)と呼ぶこともある。", "title": "果樹による分類" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "ミカン科のミカン属、キンカン属、カラタチ属などに属する植物の総称。カラタチ以外は常緑性。", "title": "果樹による分類" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "トロピカルフルーツ。亜熱帯から熱帯に分布する常緑性の果樹。", "title": "果樹による分類" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "英語圏ではプラム、アンズ(アプリコット)、モモのように種の部分が石のようにかたい果物をストーンフルーツという。また、イチゴ、ラズベリー、ブルーベリー、スグリのように、かたい皮や大きな種のない果物をソフトフルーツという。", "title": "種の状態による分類" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "甘みはフルクトース、グルコース、ショ糖などで構成されている。", "title": "栄養面や効能" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "果物は、野菜とともに癌予防の可能性が大きいものとされている。", "title": "栄養面や効能" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "腎臓に障害がなくカリウムを摂取しても問題がなければ、カリウムを豊富に含む野菜や果物の摂取を増やすことにより高血圧の降圧が期待できる。", "title": "栄養面や効能" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "果物は、栄養的には(植物の組織全般に比べて)果糖を含み、糖質(糖分)が多く、カロリーが高く、ビタミン類を多く含み、消化しやすい、という性質があり、味としては甘味と酸味を持つ。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "果物には収穫期があり年間を通して収穫できるわけではないため、ジャムやコンポート、シロップなどの果物の加工食品がある。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "昔から病人に果物をあてがうことが行われており、病人のお見舞いには果物詰め合わせが定番である。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "メロンやリンゴなどの水分量が多い果物は、生水の摂取が難しい時代や地域で飲料水の供給源となっている。", "title": "食用" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "「果物」は動物が食べたがる果実である。「果物」と言われる果実は、生物学的な果実の分類の上ではいくつかの類型にまたがるが、いずれにしても、一般的な植物組織よりも柔らかく、糖分、ビタミンCなどを多く含む部分を持つ。また赤や黄色に着色する例が多い。", "title": "生物学と果物" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "これは植物の繁殖に関する戦略として、動物に食べさせ、それによって種子散布を動物に担わせる、と言う方針によっている。植物は移動できないため、種子形成の際にこれが移動することは、花粉媒介と並んでその分布拡大や個体群の維持において極めて重要である。そのために様々な戦略をとる植物が存在するが、動物に運ばせるのはその代表的な方法の一つである。そのための具体的な方法の一つが種子およびその周辺に動物の食料として魅力的な性質を与えることで、動物がそれを食べ、あるいは食べる目的で輸送を担う、と言うものである。種子そのものを食料とする例(ドングリなど)もあるが、それよりは周辺部を可食としたほうが種子の犠牲は少ない。これが果物というあり方である。", "title": "生物学と果物" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "植物の一般的な組織、例えば葉や茎は、生きた原形質を含むから、それなりにバランスの取れた食料であり得る。しかし細胞壁がセルロースという丈夫な成分で作られていること、セルロースそれ自体もカロリーは高いものの消化の困難なものであることなど、植物を餌とするのは難度が高く、専門的な食植者は様々な特異な適応的な形質を持つのが普通である(すりつぶす歯、複数に分かれた複雑な消化管など)。それに対して果物の可食部は一般的な植物組織より、遙かに動物に利用されやすくなっている。", "title": "生物学と果物" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "(やや目的論的な説明としては)「果物に糖分が多いのも、消化酵素が含まれるのも、動物がそれを利用する場合の利便を図っている(=目的としている)ものであり、それによってより多くの動物を引き寄せることを目指している」と説明してもよい。また(目的論的な説明を避けて)「さまざまな性質の果実をもつ植物が(突然変異や さまざまな交配によって)生まれたが、自然選択の結果、動物が利用しやすい果実をもつ植物が、結果として、より多く生き残り、その形質 が/も 残った。」などと説明してもよい。「植物にとってはそのような果実を持つことはコストがかかり損失も生じるが、動物を誘引することで種子散布をより効率よく行うための投資である」と説明してもよい。果実が熟するに連れて赤や黄色などに着色するのも、動物にとって目立つようになり、食べ頃を知らせる信号の効果を持っている。", "title": "生物学と果物" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "果物が「美味しい」と動物にとって感じられるのは、その味が動物全般の好みに合致していることによる。人類が果実を好むのも、植物のこの戦略に 乗せられたもの/乗ったもの と考えてもよい。", "title": "生物学と果物" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "L-グロノラクトンオキシダーゼ(ビタミンC合成酵素)遺伝子の活性は、いくつかの種の進化史のなかでそれぞれ独立に失われている。哺乳類ではテンジクネズミや霊長目の直鼻亜目がこの遺伝子の活性を失っており、そのためにビタミンCを合成できないが、その原因となった突然変異は別のものである。どちらの系統でも、活性を失った遺伝子は多数の変異を蓄積しつつ、偽遺伝子として残っている。スズメ目の鳥類では、活性の喪失が何度か起こっており、またおそらくは再獲得も起こったために、種によってビタミンC合成能力が異なる。他に、コウモリ類もこの遺伝子の活性を失っている。これらの動物が遺伝子変異によるビタミンC合成能力を失ったにもかかわらず継続的に生存し得た最大の理由は、これらの動物が果物等のビタミンCを豊富に含む食餌を日常的に得られる共生環境にあったためである。", "title": "生物学と果物" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "霊長目でこの酵素の活性が失われたのは約6300万年前であり、直鼻亜目(酵素活性なし)と曲鼻亜目(酵素活性あり)の分岐が起こったのとほぼ同時である。ビタミンC合成能力を失った直鼻亜目にはメガネザル下目や真猿下目(サル、類人猿、ヒト)が含まれている。果物との共生関係はヒトの直系祖先を含め少なくとも6300万年以上の共生関係にあったと考えられる。", "title": "生物学と果物" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "果樹を栽培する時の樹の形。主幹及び骨格枝の配置で樹形が決まる。", "title": "果樹の樹形と枝の名称" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "枝の名称は、主として剪定作業をする際にそれぞれの枝の役割を明確化させるために使用される。この名称により剪定作業を説明することができる。また、摘果や摘蕾作業時にも使用される。", "title": "果樹の樹形と枝の名称" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "果樹栽培の基本は栄養生長と生殖生長を調整させ、安定生産を目的とするため、この両方の生長の均衡の維持基本となる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "果樹は形質が固定していないため、種子から育成した場合、親と異なる形質の苗木ができてしまう。したがって、種子による繁殖(実生法)は、台木の生産に利用させる。よって、果樹の苗木生産は栄養生殖によって行われる。方法は、接ぎ木・挿し木・取り木・株分け・ひこばい利用である。苗木生産ではないが、高接ぎによる成木の品種更新法もある。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "樹種により、雌雄異株(キウイフルーツ)や自家不和合性 (植物)(リンゴ・ナシ・オウトウなど)や他家不和合性等の場合、受粉せず果実が結果しない場合があるため、授粉樹の設置や人の手により授粉させる必要がある。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "温州ミカンや一部カキ等では受粉せずとも、結果をする。このような性質を単為結果性という。また、ジベレリンを用いてブドウや日向夏は、単為結果をさせ、種なし果実を作れる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "肥料を与えること。根群の水平分布は樹冠と同等かそれよりも広がっている。そのため、幹回りには養分を吸収できる細根が少ないため幹回りに施肥をしない。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "果物ができるためには、原則的に受粉が必要であり、受粉が無ければ果物はできない。受粉は昆虫に依存しているが、現代の農業においては、特に養蜂家が飼っているミツバチに依存している割合が大きい。近年、北米やヨーロッパにおいて蜂群崩壊症候群(CCD)という、ミツバチが大量に失踪したり死んでしまう現象が頻発しており、北米のミツバチは数分の1が死んでしまった。もしもこれ放置しさらに拡大するとミツバチの全滅の可能性すらあり、果物の収穫高など農業全般に大きな悪影響を及ぼす可能性があると予見され、社会問題化した。そのリスクの大きさを考慮して、ヨーロッパの各国ではすでにネオニコチノイド系殺虫剤の使用禁止などの対策を行っている。米国ではネオニコチノイド系殺虫剤を製造している大手化学メーカーの政治的圧力のためか調査結果が隠蔽されたり、対策が後手にまわったり、不完全な対策にとどまる、などのことが起きている。", "title": "栽培" } ]
果物は、食用になる果実。水菓子、木菓子ともいう。 英語でfruitと言えば果実全般である(日本語の「果実」よりもさらに広い範囲を指す)。日本語の「果物」は、食用になる果実及び果実的野菜(後述)のうち、強い甘味を有し、調理せずそのまま食することが一般的であるものを「果物」と呼ぶ傾向がある。狭義には樹木になるもののみを指す。農林水産省では、統計上、果実は果樹(木本性などの永年作物)になるものとしつつ、野菜に分類されるもののうちイチゴ、メロン、スイカなど果実的な利用をするものを「果実的野菜」として扱っている。
{{Redirect|フルーツ}} [[ファイル:Apples on tree 2011 G1.jpg|thumb|200px|樹木になっている状態の果物の一例([[リンゴ]])]] [[ファイル:Strawberries.JPG|thumb|200px|樹木にならない[[イチゴ]]などは「果実的野菜」に分類される。]] '''果物'''(くだもの、{{lang-en-short|fruits}} フルーツ)は、食用になる[[果実]]。水菓子<ref group="注釈">{{Cite book|和書|title=図説 和菓子の今昔|author=青木直己|publisher=淡交社|pages=19-21|edition=2版}}によれば、「水菓子」は、果物が菓子を意味していたことの名残り。果物や木の実は弥生時代以降の食料環境の変化に伴って食料から徐々に嗜好品としての側面が強くなり、長い年月をかけて「菓子」の一分野となった。「菓子」の字義からも果物などが菓子をさしていたことが解る。</ref>、木菓子ともいう。 英語でfruitと言えば[[果実]]全般である(日本語の「果実」よりもさらに広い範囲を指す)。日本語の「果物」は、食用になる[[果実]]及び果実的野菜(後述)のうち、強い甘味を有し、調理せずそのまま食することが一般的であるものを「果物」と呼ぶ傾向がある。狭義には[[樹木]]になるもののみを指す。[[農林水産省]]では、統計上、果実は果樹([[木本 (曖昧さ回避)|木本]]性などの永年作物)になるものとしつつ、[[野菜]]に分類されるもののうち[[イチゴ]]、[[メロン]]、[[スイカ]]など果実的な利用をするものを「果実的野菜」として扱っている<ref>{{Wayback|url=http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/yasai/yasai_teigi/|title=野菜と果物の違いを教えてください。また、すいか、メロンは野菜、果物のどちらですか。:農林水産省|date=20190916165218}}</ref>。 == 概説 == 果物とは、食用になる[[果実]]のことである。 果物はさまざまな[[栄養素]]を含んでいる。人体に必要な[[糖分]]や[[カリウム]]や[[ビタミン]]が豊富なものも多い。→[[#栄養面や効能]] 果実を乾燥させ、[[ドライフルーツ]]とする例も多い。乾燥させた場合、糖分の濃度が高くなり、保存に適する。[[中東]]では[[ナツメヤシ#果実(デーツ)|デーツ]]([[ナツメヤシ]]の果実を乾燥させたもの)が古くから広く親しまれており、[[聖書]]にも登場する。「砂漠の旅で食料が尽きてもデーツの実ひとつぶ食べれば数日生き延びられる」などといわれている。なお乾燥した国では、生のみずみずしい果物は[[水]]分の補給源としても重要な役割を果たしている。[[日本]]では果物は、[[糖分]]補給のため([[甘み]]を楽しむため)や、[[ビタミン]]源として摂られてきた歴史がある。 [[料理]]に利用したり、[[パン]]や[[クッキー]]に入れられることもある。その甘みや酸味や香ばしさなどを利用する。種によっては[[タンパク質分解酵素]]を含む([[パイナップル]]・[[パパイヤ]]など)ため、肉類を柔らかくする効果のために利用される場合もある。砂糖を加えて煮込み[[ジャム]](やコンポート類)にして保存している。それを[[パン]]や[[クラッカー (食品)|クラッカー]]に合わせたり、あるいは[[ヨーグルト]]や[[チーズ]]などの[[乳製品]]と合わせて[[朝食]]時に食べることもある。また午後の「お茶」や「おやつ」の時間に、[[イギリス]]では「午後の紅茶」の場でジャムやコンポート類を味わったり、北欧のお茶の時間「[[フィーカ]]」ではさまざまな形で果物を取っている。日本の「おやつ時」などに生の果物を食べたり、あるいはパンにジャムを塗って食べたり、ヨーグルトにジャムを加えたもの食べる、なども広く行われている。 <gallery> File:Valencia market - dates.jpg|中東で昔から親しまれている[[デーツ]](ナツメヤシの実を乾燥させたもの) File:Mermelada de frutlla.jpeg|[[ジャム]](果物に砂糖を加えて煮込んだもの) </gallery> 果物の中には、糖分だけでなく[[酵素]]まで含み、(さほど手間をかけずとも、つぶして放置するだけで)それ自体で[[発酵]]し酒となるものもあり、[[酒]]の原料としても用いられてきた。代表的なものとして[[ブドウ]]の実がある。もともと糖分と酵素の両方を含み、潰して放置しておくだけで勝手に発酵して酒([[ワイン]])になる。ワインは「最も古くから存在する酒」や「最初の酒」と推定されており、[[地中海世界|地中海周辺]]や[[ヨーロッパ]](の大陸側)で太古から最も飲まれている酒であり、そして欧米諸国([[南米]]、[[オーストラリア]]も含む)でも非常に広まっていった。日本でも中世に宣教師が持ち込み、さらに1870年にワイン醸造所が作られそれ以降醸造もはじまり、現在では世界中で飲まれている。[[リンゴ]]の実の発酵酒([[シードル]])も同様である。果実から作る酒を(ブドウの実のワインは別格として、それ以外の果物から作る酒を)[[フルーツワイン]]と言う。 <gallery> File:Vignes côtes-d'auvergne Boudes 2016-07-16 n1.jpg|ワイン農園([[シャトー]])で、ワイン造りのために栽培されているブドウの樹々 File:Cabernet Sauvignon Gaillac.jpg|赤ワイン用のブドウ品種の実([[カベルネ・ソーヴィニヨン]]) File:Hoila-Cider_from_Zingerle,_Bolzano,_South_Tyrol_0679.jpg|フルーツワインの一例。リンゴの実と果汁から作る[[シードル]]([[リンゴ酒]]) </gallery> 果物は欧州でも日本でも、昔から、[[贈答品]]や、入院した人などへのお見舞いの品として利用されることも多い。 [[熱帯]]果樹では「三大果物」と呼ばれるのが[[マンゴー]]・[[チェリモヤ]]・[[マンゴスチン]]である。[[ドリアン (果実)|ドリアン]]は「果物の王」、[[マンゴスチン]]は「果物の女王」とも言われる。 {{Clearleft}} 食べられる果実がなる樹木を果樹と言う。 日本では[[古代]]から[[中世]]の時代には果物は[[菓子]]の中に包摂されていたが、[[江戸時代]]中期に加工品については「菓子」、果実は「[[水菓子]]」と記すようになり菓子とは別種のものとして理解されるようになっていった。さらに幕末期の[[京坂]]で果実を「クダモノ」と言うようになり'''果物'''の名称が成立した<ref>{{Cite journal ja-jp |author = 並松 信久 |year = 2021年 |title = 和菓子の変遷と菓子屋の展開 |hdl = https://hdl.handle.net/10965/00010550 |journal = 京都産業大学日本文化研究所紀要 |volume = 26 |publisher = 京都産業大学日本文化研究所 |issn = 1341-7207 |id = {{NCID|AN10537878}} |page = 303 }}</ref>。 == 果樹による分類 == 以下の分類は『農学基礎シリーズ 果樹園芸学の基礎』を参照している<ref>{{Cite book|和書|title=農学基礎シリーズ 果樹園芸学の基礎|date=2013/10/25|publisher=一般社団法人 農山漁村文化協会|page=21|isbn=978-4-540-42204-1}}</ref>。 === 落葉性果樹 === ==== 仁果類 ==== 花床(花托とも)という花柄の先端にある部分が発達して果実になる、即ち'''[[偽果]]'''と呼ばれるタイプの果実をつける。英語ではPome fruitと呼ばれる。 * [[カリン (バラ科)|カリン]] * [[チュウゴクナシ]](白梨、シナナシ) * [[ナシ]] * [[マルメロ]] * [[セイヨウカリン]] * [[ジューンベリー]] [[:en:Amelanchier|Amelanchier]] * シポーバ [[:en:Shipova|Shipova]] * [[リンゴ]] <gallery> File:Japanese karin fruits.JPG|[[カリン]]の実 File:Pear-tree,katori-city,japan.JPG|[[ナシ]]の実 File:Cydonia oblonga R.H (8).JPG|マルメロの実 File:ジューンベリー (アメリカザイフリボク) (Amelanchier canadensis) (17963119342).jpg|ジューンベリーの実 </gallery> ==== 核果類 ==== 子房壁が発達して果実になるタイプの果実('''真果''')をつけるもののうち、[[内果皮]]が硬化し種子に殻が形成され、核と呼ばれる状態になる。[[バラ科]][[サクラ属]]に見られる。英語ではStone fruit(ストーンフルーツ)と呼ばれる。 * [[アメリカンチェリー]]({{Lang-en-short|bing cherry}}、ブラックチェリー、ダークチェリー) * [[アンズ]](杏、杏子、アプリコット) * [[ウメ]](梅) * [[サクランボ]](桜桃、スイートチェリー) * [[スミミザクラ]] * [[スピノサスモモ]] * [[スモモ]](李、酸桃) * [[モモ]](桃) * [[ナツメ]](棗) <!--[[File:Prunus avium RF.jpg|thumb|right|200px|bing]]--> <gallery> File:Apricots2.jpg|アンズの実 File:Cherry sweet cherry red fruit 167341.jpg|サクランボの実 File:Closeup of blackthorn aka sloe aka prunus spinosa sweden (cropped).jpg|スピノサスモモの実 File:W sumomo4061.jpg|スモモの実 </gallery> ==== 殻果類 ==== '''[[種実類]]'''、または'''堅果類'''とも呼ばれる。果皮が乾燥して硬くなっており、主に種子を食用として用いる果樹。アーモンドは果実の構造としては核果類と同様であるが、種子を食用とするため、堅果類に分類される。英語ではNut([[ナッツ]])と呼ばれる。 なお、これはあくまでも上記農学書にしたがって掲載するものであって、通常の日本語でアーモンドや胡桃、カシューナッツなどの可食部を指して「果物」と呼ぶことはほぼない(意味が通じるかという観点から言えば「果物」と呼ぶのは語彙の誤用であるといって差し支えない)。これらを包括的に指す名称は通常「[[ナッツ]]」である。 * [[アーモンド]] * [[イチョウ]] * [[カシューナッツ]] * [[クリ]] * [[クルミ]](胡桃) * [[ペカン]] <gallery> File:Israel 7022 Almond fruit.jpg|アーモンドの実 File:Sweet Chestnut At Kew Gardens (3997505437).jpg|クリの実 File:Juglans regia fruit (walnut) and female flowers spanish label involucro.jpg|クルミの実 File:Pecan-nuts-on-tree.jpg|ペカンの実 </gallery> ==== その他 ==== ===== 高木性 ===== * [[イチジク]](無花果) * [[カキノキ|カキ]] * [[ポーポー]](ポポー、ポウポウ、ポポウ) * [[ザクロ]](柘榴、石榴) ===== 低木性 ===== * [[カシス]](クロスグリ) * [[キイチゴ]](木苺) * [[グミ (植物)|グミ]](頽子、胡頽子、茱萸) * [[クワ]] * [[クランベリー]](オオミツルコケモモ) * [[コケモモ]](苔桃、岩桃、はまなし、おかまりんご) * [[シーバックソーン]](サジー、ヒッポファエ、シーベリー) * [[スグリ]](酢塊、グーズベリー) * [[ニワウメ]](庭梅、こうめ、いくり) * [[ハスカップ]](クロミノウグイスカグラ) * [[ビルベリー]] * [[フサスグリ]](房酸塊、レッドカラント) * [[ブラックベリー]] * [[ブルーベリー]] * [[ラズベリー]] * [[ユスラウメ]] ===== つる性 ===== *[[ブドウ]](葡萄) *[[アケビ]](木通) * [[キウイフルーツ]](キウイ) * [[サルナシ]](猿梨、シラクチズル、コクワ) * [[マツブサ]] ==== 液果(berry) ==== ブドウ、キウイフルーツ、カキなどのように成熟すると果肉細胞がほぼ液胞で占められ多汁で軟らかくなる果実を液果(berry、[[ベリー]])と呼ぶこともある。 === 常緑性果樹 === ==== 柑橘類 ==== {{main|柑橘類}} ミカン科のミカン属、キンカン属、カラタチ属などに属する植物の総称。カラタチ以外は常緑性。 ==== その他 ==== * [[オリーブ]] * [[ビワ]](枇杷) * [[ヤマモモ]](山桃、楊梅) * [[フェイジョア]] === 熱帯果樹 === {{main|熱帯果樹}} トロピカルフルーツ。亜熱帯から熱帯に分布する常緑性の果樹。 == 種の状態による分類 == 英語圏ではプラム、アンズ(アプリコット)、モモのように種の部分が石のようにかたい果物を'''ストーンフルーツ'''という<ref name="UK">{{Cite book |和書 |author=羽根 則子|year=2019 |title=増補改訂 イギリス菓子図鑑 お菓子の由来と作り方|page=207 |publisher=誠文堂新光社}}</ref>。また、イチゴ、ラズベリー、ブルーベリー、[[スグリ]]のように、かたい皮や大きな種のない果物を'''ソフトフルーツ'''という<ref name="UK" />。 == 栄養面や効能 == === 果物の糖分の構成 === 甘みは[[フルクトース]]、[[グルコース]]、[[ショ糖]]などで構成されている。 === 癌予防の可能性 === 果物は、[[野菜]]とともに[[癌]]予防の可能性が大きいものとされている<ref name="ganjohosci">{{Cite web|和書|url=http://ganjoho.ncc.go.jp/public/pre_scr/prevention/evidence_based.html|title=日本人のためのがん予防法:現状において推奨できる科学的根拠に基づくがん予防法|author=国立がんセンターがん対策情報センター|date=2009-02-25|accessdate=2009年12月1日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080814224824/http://ganjoho.ncc.go.jp/public/pre_scr/prevention/evidence_based.html|archivedate=2008-08-14}}</ref><ref>WHO technical report series 916. ''Diet, nutrition and the prevention of chronic diseases'', 2003 & IARC monograph on the Evaluation of Carcinogenic Risks to Humans, Volume83, ''Tobacco Smoke and Involuntary Smoking'', 2004</ref>。 === 高血圧の予防 === [[腎臓]]に障害がなく[[カリウム]]を摂取しても問題がなければ、カリウムを豊富に含む[[野菜]]や果物の摂取を増やすことにより[[高血圧]]の降圧が期待できる<ref>[https://doi.org/10.3143/geriatrics.47.123 高齢者高血圧治療のこつ]、久代 登志男、日本老年医学会雑誌、Vol.47 (2010) No.2 P123-126</ref><ref>{{Cite web |title=Novel procedure may lower stubbornly high blood pressure |url=https://www.health.harvard.edu/heart-health/novel-procedure-may-lower-stubbornly-high-blood-pressure |website=Harvard Health |date=2023-01-01 |access-date=2022-12-25 |language=en |first=Julie |last=Corliss}}</ref>。 == 食用 == 果物は、[[栄養]]的には(植物の組織全般に比べて)[[果糖]]を含み、[[糖質]]([[糖分]])が多く、[[カロリー]]が高く、[[ビタミン類]]を多く含み、消化しやすい、という性質があり、[[味]]としては[[甘味]]と[[酸味]]を持つ。 ;保存食 果物には収穫期があり年間を通して収穫できるわけではないため、[[ジャム]]や[[コンポート]]、[[シロップ]]などの果物の加工食品がある<ref name="UK" />。 昔から病人に果物をあてがうことが行われており、病人のお見舞いには果物詰め合わせが定番である。 メロンやリンゴなどの水分量が多い果物は、生水の摂取が難しい時代や地域で[[飲料水]]の供給源となっている<ref>{{Cite web|和書|author=青澤直子|publisher=WOM Bangkok|accessdate=2020-4-4|2011-9-11|title=第31回ハミウリ|url= https://www.wom-bangkok.com/wom-column/vegefull/第31回-ハミウリ/}}</ref>。 == 生物学と果物 == === 植物の繁殖戦略と果物 === [[File:Winter berries (8381684421).jpg|thumb|right|250px|鳥は果実を食べ、種子を遠くへ運ぶ役割を担う。]] 「果物」は[[動物]]が食べたがる果実である。「果物」と言われる果実は、生物学的な果実の分類の上ではいくつかの類型にまたがるが、いずれにしても、一般的な植物組織よりも柔らかく、糖分、ビタミンCなどを多く含む部分を持つ。また赤や黄色に着色する例が多い。 これは植物の繁殖に関する戦略として、動物に食べさせ、それによって[[種子散布]]を動物に担わせる、と言う方針によっている。植物は移動できないため、[[種子]]形成の際にこれが移動することは、[[花粉媒介]]と並んでその分布拡大や個体群の維持において極めて重要である。そのために様々な戦略をとる植物が存在するが、[[動物]]に運ばせるのはその代表的な方法の一つである。そのための具体的な方法の一つが種子およびその周辺に動物の食料として魅力的な性質を与えることで、動物がそれを食べ、あるいは食べる[[目的]]で輸送を担う、と言うものである。種子そのものを食料とする例([[ドングリ]]など)もあるが、それよりは周辺部を可食としたほうが種子の犠牲は少ない。これが果物というあり方である。 植物の一般的な組織、例えば[[葉]]や[[茎]]は、生きた[[原形質]]を含むから、それなりにバランスの取れた食料であり得る。しかし[[細胞壁]]が[[セルロース]]という丈夫な成分で作られていること、セルロースそれ自体もカロリーは高いものの消化の困難なものであることなど、植物を餌とするのは難度が高く、専門的な食植者は様々な特異な適応的な形質を持つのが普通である(すりつぶす歯、複数に分かれた複雑な消化管など)。それに対して果物の可食部は一般的な植物組織より、遙かに動物に利用されやすくなっている。 (やや目的論的な説明としては)「果物に糖分が多いのも、[[消化酵素]]が含まれるのも、動物がそれを利用する場合の利便を図っている(=[[目的]]としている)ものであり、それによってより多くの動物を引き寄せることを目指している」と説明してもよい。また(目的論的な説明を避けて)「さまざまな性質の果実をもつ植物が([[突然変異]]や さまざまな[[交配]]によって)生まれたが、[[自然選択]]の結果、動物が利用しやすい果実をもつ植物が、結果として、より多く生き残り、その[[形質]] が/も 残った。」などと説明してもよい。「植物にとってはそのような果実を持つことはコストがかかり損失も生じるが、動物を誘引することで種子散布をより効率よく行うための投資である」と説明してもよい。果実が熟するに連れて赤や黄色などに着色するのも、動物にとって目立つようになり、食べ頃を知らせる信号の効果を持っている。 果物が「美味しい」と動物にとって感じられるのは、その味が動物全般の好みに合致していることによる。人類が果実を好むのも、植物のこの戦略に 乗せられたもの/乗ったもの と考えてもよい。 === ビタミンC合成能を失った動物種との共生 === [[L-グロノラクトンオキシダーゼ]](ビタミンC合成酵素)[[遺伝子]]の活性は、いくつかの[[種 (分類学)|種]]の[[進化]]史のなかでそれぞれ独立に失われている。[[哺乳類]]ではテンジクネズミや霊長目の直鼻亜目がこの遺伝子の活性を失っており、そのためにビタミンCを合成できないが、その原因となった[[突然変異]]は別のものである。どちらの[[系統]]でも、活性を失った遺伝子は多数の変異を蓄積しつつ、[[偽遺伝子]]として残っている<ref name="pmid1400507">{{cite journal | author = Nishikimi M, Kawai T, Yagi K | title = Guinea pigs possess a highly mutated gene for L-gulono-gamma-lactone oxidase, the key enzyme for L-ascorbic acid biosynthesis missing in this species | journal = J. Biol. Chem. | volume = 267 | issue = 30 | pages = 21967–72 | year = 1992 | month = October | pmid = 1400507 | doi = | url = | issn = }}</ref>。[[スズメ目]]の[[鳥類]]では、活性の喪失が何度か起こっており、またおそらくは再獲得も起こったために、種によってビタミンC合成能力が異なる。他に、[[コウモリ]]類もこの遺伝子の活性を失っている<ref>{{cite journal | author = Martinez del Rio C | year = 1997 | title = Can Passerines Synthesize Vitamin C? | journal = The Auk | volume= 114 | issue = 3 | pages = 513-516 | url=http://elibrary.unm.edu/sora/Auk/v114n03/p0513-p0516.pdf}}</ref>。これらの動物が遺伝子変異によるビタミンC合成能力を失ったにもかかわらず継続的に生存し得た最大の理由は、これらの動物が果物等のビタミンCを豊富に含む食餌を日常的に得られる共生環境にあったためである。 霊長目でこの酵素の活性が失われたのは約6300万年前であり、直鼻亜目(酵素活性なし)と曲鼻亜目(酵素活性あり)の分岐が起こったのとほぼ同時である。ビタミンC合成能力を失った直鼻亜目にはメガネザル下目や真猿下目(サル、類人猿、ヒト)が含まれている<ref name="pmid3113259">{{cite journal | author = Pollock JI, Mullin RJ | title = Vitamin C biosynthesis in prosimians: evidence for the anthropoid affinity of Tarsius | journal = Am. J. Phys. Anthropol. | volume = 73 | issue = 1 | pages = 65–70 | year = 1987 | month = May | pmid = 3113259 | doi = 10.1002/ajpa.1330730106 | url = | issn = }}</ref>。果物との共生関係はヒトの直系祖先を含め少なくとも6300万年以上の共生関係にあったと考えられる。 == 果樹の樹形と枝の名称 == === 樹形 === 果樹を[[栽培]]する時の樹の形。主幹及び骨格枝の配置で樹形が決まる。 ;主幹形(しゅかんけい) :主幹が中央にまっすぐ伸びた樹形。幼木時に主幹形でも、樹齢が進むにつれ、変則主幹形に移行する。ハウスミカンなどの超[[密植]]栽培時に用いられる。 ;変則主幹形(へんそくしゅかんけい) :主幹を2~3mで切り、主枝を3~4本配置する樹形。カキやクリ ;開心自然形(かいしんしぜんけい) :主幹を60cm程度設け、主枝を立て気味に3~4本設置する樹形。カンキツやウメ ;開心形(かいしんけい) :盃状形(はいじょうけい)とも呼ぶ。主枝を開帳させ3~4本設置する樹形 ;たな仕立て :棚を使用して、枝を棚に誘引する。ブドウ・キウイフルーツ・ナシで用いられる。 === 枝の名称 === 枝の名称は、主として剪定作業をする際にそれぞれの枝の役割を明確化させるために使用される。この名称により剪定作業を説明することができる。また、摘果や摘蕾作業時にも使用される。 ;主幹(しゅかん) :地面から最上位の主枝の分岐点まで幹を指す。 ;主枝(しゅし) :主幹から直接分かれた出た枝で亜主枝、側枝、結果母枝、結果枝を着ける枝で樹形の基本となる枝。'''剪定する際には、主枝の本数を最初に確認する。''' ;亜主枝(あしゅし) :主枝から分かれた出た枝で側枝、結果母枝、結果枝を着ける枝。主枝が埋められない空間に亜主枝を配置する。主枝とともに骨格枝と呼ばれ、樹形を構成する。 ;骨格枝(こっかくし) :樹の骨組みとなる枝で、主枝と亜主枝をさす。 ;側枝(そくし) :結果母枝や結果枝をつける枝。 ;発育枝(はついくし) :葉芽だけをつけた一年枝。 ;結果母枝(けっかぼし) :結果枝が伸びて着花する昨年生長した枝。この結果枝を出す枝の事。カンキツ、カキ等は結果母枝性。 ;結果枝(けっかし) :花芽を着けて、開花結実する枝の総称である。長さにより'''短果枝'''(たんかし)・'''中果枝'''(ちゅうかし)・'''長果枝'''(ちょうかし)と呼ばれる。この際、区分けする長さには諸説あり一定ではない。短果枝で花芽が密についた枝を'''花束状'''(かそくじょう)短果枝という。 ;徒長枝(とちょうし) :{{main|徒長枝}} ;新梢(しんしょう) :新しく生長した枝。樹種の習性や伸び方により、結果枝、結果母枝、発育枝、徒長枝になる。 === 芽の呼び方 === ;花芽(はなめ) :翌春に咲く花を持っている芽。枝・葉を一緒に持っている場合もある。 ;葉芽(はめ) :翌春に生長する葉と枝だけを持っている芽。 == 栽培 == 果樹[[栽培]]の基本は栄養生長と生殖生長を調整させ、安定生産を目的とするため、この両方の生長の均衡の維持基本となる。 === 苗木生産 === 果樹は形質が固定していないため、種子から育成した場合、親と異なる形質の苗木ができてしまう。したがって、種子による繁殖(実生法)は、[[台木]]の生産に利用させる。よって、果樹の苗木生産は[[栄養生殖]]によって行われる。方法は、'''[[接ぎ木]]・[[挿し木]]・[[取り木]]・[[株分け]]・[[ひこばい]]'''利用である。苗木生産ではないが、'''[[高接ぎ]]による成木の品種更新法'''もある。 === 受粉 === 樹種により、[[雌雄異株]](キウイフルーツ)や[[自家不和合性 (植物)]](リンゴ・ナシ・オウトウなど)や[[他家不和合性]]等の場合、受粉せず果実が結果しない場合があるため、授粉樹の設置や人の手により授粉させる必要がある。 ==== 単為結果性 ==== 温州ミカンや一部カキ等では受粉せずとも、結果をする。このような性質を単為結果性という。また、[[ジベレリン]]を用いてブドウや[[ヒュウガナツ|日向夏]]は、単為結果をさせ、種なし果実を作れる。 === 剪定 === {{main|剪定}} === 施肥 === [[肥料]]を与えること。根群の水平分布は樹冠と同等かそれよりも広がっている。そのため、幹回りには養分を吸収できる細根が少ないため幹回りに施肥をしない。 ;元肥(春肥) :初期の生長に間に合うように[[休眠期]]に与える。 ;追肥(夏肥) :果実の肥大を促進するために与える。温州ミカンでは夏肥重視の施肥体系が近年多い。 ;礼肥(秋肥) :秋に[[貯蔵養分]]の蓄積を目的とする。 === CCDによる収穫悪化リスク === 果物ができるためには、原則的に[[受粉]]が必要であり、受粉が無ければ果物はできない。受粉は昆虫に依存しているが、現代の農業においては、特に[[養蜂家]]が飼っている[[ミツバチ]]に依存している割合が大きい。近年、北米やヨーロッパにおいて[[蜂群崩壊症候群]](CCD)という、ミツバチが大量に失踪したり死んでしまう現象が頻発しており、北米のミツバチは数分の1が死んでしまった。もしもこれ放置しさらに拡大するとミツバチの全滅の可能性すらあり、果物の収穫高など農業全般に大きな悪影響を及ぼす可能性があると予見され、社会問題化した。そのリスクの大きさを考慮して、ヨーロッパの各国ではすでに[[ネオニコチノイド]]系殺虫剤の使用禁止などの対策を行っている。米国では[[ネオニコチノイド]]系殺虫剤を製造している大手化学メーカーの政治的圧力のためか調査結果が隠蔽されたり、対策が後手にまわったり、不完全な対策にとどまる、などのことが起きている{{要出典|date=2013年4月}}。 == 文化 == ;日本の神話 :日本の『[[古事記]]』や『[[日本書紀]]』では「[[田道間守|タヂマモリ]]が11代[[垂仁天皇]]の命により、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めて[[常世の国]]に渡った」と記述されている。10年かかって葉附きの枝と果実附きの枝を日本に持ち帰ってきたが、垂仁天皇はすでに亡くなっていた。[[柑橘類]]で、これが[[水菓子]](果実)の基になった、などと語られる。タヂマモリは「(水)[[菓子]]の神」として祀られている。 ;豊作の儀式 :[[成り木責め]]と呼ばれる豊作を祈る儀式が世界的に行われる。鉈などで果樹を脅し、果樹役の人間が豊作を約束する。さらに、鉈で果樹に傷をつけた後に傷口に粥を塗る場合もある。 ;くだものの日 :日本果物商業協同組合連合会(日果連)は、果物を食べる習慣を広めるために[[1998年]]より毎月8日を「くだものの日」と制定している<ref>[https://web.archive.org/web/20011221092719/http://www.kudamono.or.jp/fruit_day.html 毎月8日は果物の日] - 日果連ホームページ 2010年4月9日閲覧</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === <references group="注釈"/> === 脚注 === <references /> == 参考文献 == === 樹体と果樹栽培の参考 === * 新版 図集 果樹栽培の基礎 発行:1994年2月25日(著者:熊代克己、鈴木鐡男 発行元:[[農文協]]) * 最新 果樹の剪定 発行:1993年12月30日(編者:[[農文協]] 発行元:[[農文協]]) === 果樹園芸学関連の参考 === * 農学基礎シリーズ 果樹園芸学の基礎 発行:2013年10月25日(著者:伴野潔、山田寿、平智 発行元:[[農文協]]) == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|果物|[[画像:Illustration des fruits en pays Bassa.jpg|50px|Portal:果物]]}} * [[フルーツブーケ]] * [[甲州八珍果]] * [[ベリー]] * [[国果]] * [[フルーツカービング]] ** [[タイ式フルーツカービング]] == 外部リンク == {{Commons&cat|Fruit|Fruit}} {{Wiktionary|くだもの|果物|フルーツ|fruit|fruits}} * [http://www.thefruitbook.com フルーツの事実] * {{PaulingInstitute|jp/mic/food-beverages/fruit-vegetables|果物及び野菜}} * [https://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/fruits/ 果樹のページ] - [[農林水産省]] * [http://www.hinshu2.maff.go.jp/vips/cmm/apCMM110.aspx?MOSS=1 品種登録データ検索] - 農林水産省 {{料理}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:くたもの}} [[Category:果物|*]] [[Category:園芸]] [[Category:熟字訓]]
2003-03-01T15:29:23Z
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ガブリエル
ガブリエル(ヘブライ語: גַברִיאֵל (Gaḇrīʾēl)、古代ギリシア語: Γαβριήλ (Gabriḗl)、アラビア語: جِبرِيل (Jibrīl)、英語: Gabriel [ˈɡeɪbɹiəl])は、旧約聖書『ダニエル書』にその名があらわれる天使。ユダヤ教からキリスト教、イスラム教へと引き継がれ、キリスト教ではミカエル、ラファエルと共に三大天使の一人であると考えられている(ユダヤ教ではウリエルを入れて四大天使)。西方キリスト教美術の主題の一つ「受胎告知」などの西洋美術において、彼は優美な青年で描かれる。時には威厳のある表情で描かれることもある。 聖書においてガブリエルは「神のことばを伝える天使」であった。ガブリエルという名前は「神の人」という意味である。 日本ハリストス正教会では教会スラヴ語読みからガウリイルとよばれている。 キリスト教において、最後の審判のときにラッパを鳴らし、死者を甦らせる天使はガブリエルである。 ユダ王国の滅亡からバビロン捕囚時代を舞台に書かれた旧約聖書の『ダニエル書』の中で、預言者ダニエルの幻の中に現れるのがガブリエルであり、神がその名前を呼ぶ場面がある(8章15節〜17節参照)。ダニエルは雄山羊と雄羊が格闘する幻を見せられ、その意味について思い悩むが、そこへガブリエルが幻の意味を解き明かすために現れる。 ガブリエルは「終わりの日」に関するその幻の意味についてダニエルに説明する。ガブリエルはキュロス王の出現と、ユダヤ人の解放、エルサレム神殿の再建について語る。 3世紀のラビ、シメオン・ベン・ラキシュは、ミカエルという名前や天使の思想はユダヤ人が新バビロニア王国に捕囚されていた時代にバビロニアの宗教の影響によって彼らの信仰する神が取り込まれたものだという説を唱えた。この説は現代の学者たちに広く受け入れられている。ガブリエルはカルデアを起源とする存在だったと考えられている。また、シュメール人の神だったという説もある。 ユダヤの伝承『タルムード』では、太祖ヨセフに道を示したのも、モーセの遺体を運んだのもガブリエルであるとされている。『タルムード』に収録されている物語『アガーダ』に記された伝説では、地上であと一日しか生きられないと告げられたモーゼが十三巻の文書を一気に書き上げる。その際、神は太陽の動きを遅め、日が沈むまでに書き終えられるようにした。その時にガブリエルが現われ、その文書を天界の裁判所へ持って行った。そしてガブリエルは死の床にあるモーゼを訪れ慰める。ガブリエルは寝台を用意し、ミカエルが紫色の布をかけた。 ガブリエルはキリスト教の伝統の中で「神のメッセンジャー」という役割を担うことが多い。たとえば『ルカによる福音書』では祭司ザカリアのもとにあらわれて洗礼者ヨハネの誕生をつげ、マリアのもとに現れてイエス・キリストの誕生を告げる。 聖書本文に名前は出ないが、伝統的に『ヨハネの黙示録』にあらわれて、ヨハネに神のことばを告げる天使もガブリエルであると考えられてきた。最後の審判のときにラッパを鳴らし、死者を甦らせるのもガブリエルだという。 カトリック教会ではガブリエルは通信事業の守護者であり、その聖名祝日はラファエル・ミカエルと共に9月29日である。ガブリエルが聖母マリアを訪れてイエスの誕生を告げた出来事は「お告げ」あるいは「受胎告知」といわれ、カトリック教会では3月25日に記念されている。聖母マリアの純潔を示す、白百合を携えて描かれていることが多い。また、ロザリオの祈りの喜びの玄義の第一玄義はこの「お告げ」の出来事になっている。 正教会でも生神女(マリア)のもとを訪れてイイスス(イエスの中世ギリシャ語・教会スラヴ語読み)の誕生を告げたのはガウリイルであると伝承されており、生神女福音祭のイコンにその情景が描かれる(正教では通例「受胎告知」の用語を用いず、「生神女福音」の語彙が用いられる)。正教会の聖堂に設置されるイコノスタシスではしばしば天軍首ミハイルとともに南門・北門にガブリエルのイコンが描かれる。杖または百合をもっていることもある。 ただし、正教会をはじめとした東方教会は西方教会とは異なる歴史を辿ったため、図像表現についても西方教会における状況がそのまま当て嵌まる訳では無い。西方教会のように優美で女性的な表現はビザンティンイコンにおいては皆無であり、西方教会の文化的影響を蒙った地域においてもそうした傾向は限定的であり、イコンのみならず宗教的題材を扱った世俗絵画においても同様のことが言える。 ユダヤ教、キリスト教から天使の姿はイスラム教にも受け継がれた。アラビア語ではガブリエルはジブリール(アラビア語: جِبرِيل)と呼ばれている。 イスラム教では、ジブリールは預言者ムハンマドに神の言葉である『クルアーン』を伝えた存在である(2章97節等)。このため、ジブリールは天使の中で最高位に位置づけられている。 有名な「夜の旅」の逸話にもジブリールが登場する。ある夜ジブリールに起こされたムハンマドは、翼を持つブラークと呼ばれる動物にまたがり、天使に導かれてエルサレムへ夜の空の旅に出る(クルアーン17章)。そこでムハンマドは天国と宇宙を訪れ、全ての預言者に出会い、彼らと共に礼拝を行い、その後再びブラークに乗り、メッカへと戻ってきたという。 またハディースによると、ジブリールは624年バドルの戦いにおいて、ムハンマドの率いるムスリム軍と共に反イスラームの戦士たちと戦い、勝利をもたらした。 また、ハガル(ハージャル)とイシュマエル(イスマーイール)が飢えと乾きによって死にかけていた時に、彼らのために決して枯れることのない井戸をメッカに掘ったという(現在でもカアバに隣接しているザムザムの泉のことで、伝説によるとムハンマドより数世代前のメッカでの争乱によって長らく埋められていたものを、ムハンマドの祖父アブドゥル=ムッタリブが再発見したと言われている)。 イスラムの伝説では、ジブリールは1600枚の翼と濃い黄色の髪を持ち、両目の間には太陽が埋め込まれているという。彼は毎日、光の大海に360回入り、前に進むとそれぞれの翼からしずくが落ち、アッラーフを讃える天使となる。 クルアーンを示すために現われた時、彼の翼は緑色で東から西への地平線ほどの長さもあり、足は黄色で、輝く顔の両目の間には「神(アッラーフ)のほかに神なし、ムハンマドは神の預言者なり」という言葉が刻み込まれていた。
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ガブリエルは、旧約聖書『ダニエル書』にその名があらわれる天使。ユダヤ教からキリスト教、イスラム教へと引き継がれ、キリスト教ではミカエル、ラファエルと共に三大天使の一人であると考えられている(ユダヤ教ではウリエルを入れて四大天使)。西方キリスト教美術の主題の一つ「受胎告知」などの西洋美術において、彼は優美な青年で描かれる。時には威厳のある表情で描かれることもある。 聖書においてガブリエルは「神のことばを伝える天使」であった。ガブリエルという名前は「神の人」という意味である。 日本ハリストス正教会では教会スラヴ語読みからガウリイルとよばれている。 キリスト教において、最後の審判のときにラッパを鳴らし、死者を甦らせる天使はガブリエルである。
{{Otheruses}} {{参照方法|date=2013年9月}} {{Infobox 聖人 |名前=大天使聖ガブリエル<br>(神使ガウリイル) |画像=Image:Hubert_van_Eyck_010.jpg |画像サイズ=200px |画像コメント=[[ヤン・ファン・エイク]]の『[[ヘントの祭壇画]]』に描かれたガブリエル |称号= |他言語表記= |生誕地= |生誕年(日)= |死去地= |死去年(日)= |崇敬する教派= カトリック教会、正教会 |記念日= 9月29日 |列福日= |列福場所= |列福決定者= |列聖日= |列聖場所= |列聖決定者= |主要聖地= |象徴=ユリの花 |守護対象=通信事業<ref>http://www.catholic.org/saints/saint.php?saint_id=279</ref> |論争= |崇敬対象除外日= |崇敬対象除外者= }} [[Image:Leonardo da Vinci 060.jpg|thumb|180px|right|[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]の『[[受胎告知 (レオナルド・ダ・ヴィンチ)|受胎告知]]』に描かれたガブリエル]] [[画像:Gabriel from Vysotsky chin (14c, Tretyakov gallery).jpg|thumb|180px|right|[[14世紀]]末に描かれた[[ビザンティン]][[イコン]]。[[トレチャコフ美術館]]所蔵]] '''ガブリエル'''({{lang-he|גַברִיאֵל}} (Gaḇrīʾēl)、{{lang-grc|Γαβριήλ}} (Gabriḗl)、{{lang-ar|جِبرِيل}} (Jibrīl)、{{lang-en|Gabriel}} {{IPA-en|ˈɡeɪbɹiəl|}})は、[[旧約聖書]]『[[ダニエル書]]』にその名があらわれる[[天使]]。[[ユダヤ教]]から[[キリスト教]]、[[イスラム教]]へと引き継がれ、キリスト教では[[ミカエル]]、[[ラファエル]]と共に[[大天使|三大天使]]の一人であると考えられている(ユダヤ教では[[ウリエル]]を入れて四大天使)。[[西方教会|西方キリスト教]]美術の主題の一つ「[[受胎告知]]」などの西洋美術において、彼は優美な青年で描かれる。時には威厳のある表情で描かれることもある<ref>*矢代幸雄『受胎告知』新潮社(1973)</ref><ref>*ローラ・ウォード/ウィル・スティーズ(著)小林純子(訳)『天使の姿―絵画・彫刻で知る天使の物語』新紀元社(2005年)</ref>。 聖書においてガブリエルは「神のことばを伝える天使」であった。ガブリエルという名前は「[[神の人]]」<ref>[http://www.goarch.org/ourfaith/ourfaith8038 The Dogmatic Tradition of the Orthodox Church; Greek Orthodox Archdiocese of America]</ref><ref>[http://www.jewishencyclopedia.com/articles/6450-gabriel GABRIEL - JewishEncyclopedia.com]</ref>という意味である。 [[日本ハリストス正教会]]では[[教会スラヴ語]]読みからガウリイルとよばれている。 キリスト教において、最後の審判のときにラッパを鳴らし、死者を甦らせる天使はガブリエルである。 == ユダヤ教とガブリエル == [[ユダ王国]]の滅亡から[[バビロン捕囚]]時代を舞台に書かれた旧約聖書の『[[ダニエル書]]』の中で、預言者[[ダニエル]]の幻の中に現れるのがガブリエルであり、神がその名前を呼ぶ場面がある<ref>[[s:ダニエル書(口語訳)#8:16|ダニエル書(口語訳)#8:16]]</ref>(8章15節〜17節参照)。ダニエルは雄山羊と雄羊が格闘する幻を見せられ、その意味について思い悩むが、そこへガブリエルが幻の意味を解き明かすために現れる<ref>[[s:ダニエル書(口語訳)#9:21|ダニエル書(口語訳)#9:21]]</ref>。 {{Quotation|わたしはウライ川の両岸の間から人の声が出て、呼ばわるのを聞いた、「ガブリエルよ、この幻をその人に悟らせよ」。|[[s:ダニエル書(口語訳)#8:16|ダニエル書8章16節(口語訳)]]}} {{Quotation|すなわちわたしが祈の言葉を述べていたとき、わたしが初めに幻のうちに見た、かの人ガブリエルは、すみやかに飛んできて、夕の供え物をささげるころ、わたしに近づき、わたしに告げて言った、「ダニエルよ、わたしは今あなたに、知恵と悟りを与えるためにきました。|[[s:ダニエル書(口語訳)#9:21|ダニエル書9章21節と22節(口語訳)]]}} ガブリエルは「終わりの日」に関するその幻の意味についてダニエルに説明する。ガブリエルは[[キュロス2世|キュロス王]]の出現と、ユダヤ人の解放、[[エルサレム神殿]]の再建について語る。 [[3世紀]]の[[ラビ]]、シメオン・ベン・ラキシュは、ミカエルという名前や天使の思想はユダヤ人が[[新バビロニア]]王国に捕囚されていた時代にバビロニアの宗教の影響によって彼らの信仰する神が取り込まれたものだという説を唱えた。この説は現代の学者たちに広く受け入れられている。ガブリエルは[[カルデア]]を起源とする存在だったと考えられている<ref>グスタフ・デイヴィッドスン 『天使辞典』 [[創元社]]</ref>。また、[[シュメール]]人の神だったという説もある<ref>[http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~konokatu/kono(07-1-29) 天使の世界~古代の神々からユダヤ・キリスト教の天使へ~ 京都産業大学文化学部国際文化学科]</ref>。 [[ユダヤ]]の伝承『[[タルムード]]』では、太祖[[ヨセフ (ヤコブの子)|ヨセフ]]に道を示したのも、[[モーセ]]の遺体を運んだのもガブリエルであるとされている。『タルムード』に収録されている物語『アガーダ』に記された伝説では、地上であと一日しか生きられないと告げられたモーゼが十三巻の文書を一気に書き上げる。その際、神は太陽の動きを遅め、日が沈むまでに書き終えられるようにした。その時にガブリエルが現われ、その文書を天界の裁判所へ持って行った。そしてガブリエルは死の床にあるモーゼを訪れ慰める。ガブリエルは寝台を用意し、ミカエルが紫色の布をかけた。 == キリスト教とガブリエル == ガブリエルはキリスト教の伝統の中で「神のメッセンジャー」という役割を担うことが多い。たとえば『[[ルカによる福音書]]』では祭司[[ザカリア]]のもとにあらわれて[[洗礼者ヨハネ]]の誕生をつげ<ref>[[s:ルカによる福音書(口語訳)#1:19|ルカによる福音書(口語訳)#1:19]]</ref>、マリアのもとに現れて[[イエス・キリスト]]の誕生を告げる<ref>[[s:ルカによる福音書(口語訳)#1:26|ルカによる福音書(口語訳)#1:26]]</ref>。 {{Quotation|するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたはおしになり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。|[[s:ルカによる福音書(口語訳)#1:18|ルカによる福音書1章18節から20節(口語訳)]]}} {{Quotation|六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。|[[s:ルカによる福音書(口語訳)#1:26|ルカによる福音書1章26節と27節(口語訳)]]}} 聖書本文に名前は出ないが、伝統的に『[[ヨハネの黙示録]]』にあらわれて、ヨハネに神のことばを告げる天使もガブリエルであると考えられてきた。最後の審判のときにラッパを鳴らし、死者を甦らせるのもガブリエルだという。 [[カトリック教会]]ではガブリエルは通信事業の[[守護聖人|守護者]]であり、その[[聖名祝日]]はラファエル・ミカエルと共に[[9月29日]]である。ガブリエルが[[聖母マリア]]を訪れてイエスの誕生を告げた出来事は「お告げ」あるいは「[[受胎告知]]」といわれ、カトリック教会では[[3月25日]]に記念されている。聖母マリアの純潔を示す、白[[百合]]を携えて描かれていることが多い。また、[[ロザリオ]]の祈りの喜びの玄義の第一玄義はこの「お告げ」の出来事になっている。 [[正教会]]でも[[生神女]](マリア)のもとを訪れてイイスス(イエスの中世ギリシャ語・教会スラヴ語読み)の誕生を告げたのはガウリイルであると伝承されており、[[生神女福音祭]]のイコンにその情景が描かれる(正教では通例「受胎告知」の用語を用いず、「生神女福音」の語彙が用いられる)。正教会の[[聖堂]]に設置される[[イコノスタシス]]ではしばしば[[ミカエル|天軍首ミハイル]]とともに南門・北門にガブリエルの[[イコン]]が描かれる。杖または百合をもっていることもある。 ただし、正教会をはじめとした[[東方教会]]は[[西方教会]]とは異なる歴史を辿ったため、図像表現についても西方教会における状況がそのまま当て嵌まる訳では無い。西方教会のように優美で女性的な表現はビザンティン[[イコン]]においては皆無であり、西方教会の文化的影響を蒙った地域においてもそうした傾向は限定的であり、イコンのみならず宗教的題材を扱った世俗絵画においても同様のことが言える。 ==イスラム教とガブリエル== [[ファイル:Rashid al-Din Tabib - Jami al-Tawarikh, f.45v detail - c. 1306-15.png|thumb|280px|ムハンマドに天啓を授けるジブリール。[[ラシードゥッディーン]]編『[[集史]]』(14世紀)より]] ユダヤ教、キリスト教から天使の姿はイスラム教にも受け継がれた。アラビア語ではガブリエルは'''[[ジブリール]]'''({{lang-ar|جِبرِيل}}<ref>{{lang-*-Latn|ar|Jibrīl}}</ref>)と呼ばれている。 [[イスラム教]]では、ジブリールは[[預言者ムハンマド]]に神の言葉である『[[クルアーン]]』を伝えた存在である(2章97節等)。このため、ジブリールは天使の中で最高位に位置づけられている。 :[[610年]]頃、メッカ郊外の[[ヒラー山]]の洞窟で[[瞑想]]していたムハンマドは突如[[金縛り]]に襲われた。そのとき天から大天使ジブリールが現れ、「誦め(よめ)」と言った。ムハンマドが「何を誦めと言うのですか」と苦しみながら尋ねたところ、ジブリールはフッと消えていった。この時よりクルアーンの啓示が始まる。それから二十三年の間、ジブリールはムハンマドの元を度々訪れてはクルアーンの各章を啓示していった(クルアーン96章など)。 有名な「[[夜の旅 (クルアーン)|夜の旅]]」の逸話にもジブリールが登場する。ある夜ジブリールに起こされたムハンマドは、翼を持つブラークと呼ばれる動物にまたがり、天使に導かれて[[エルサレム]]へ夜の空の旅に出る(クルアーン17章)。そこでムハンマドは天国と宇宙を訪れ、全ての預言者に出会い、彼らと共に礼拝を行い、その後再びブラークに乗り、[[メッカ]]へと戻ってきたという。 また[[ハディース]]によると、ジブリールは624年[[バドルの戦い]]において、ムハンマドの率いるムスリム軍と共に反イスラームの戦士たちと戦い、勝利をもたらした。 また、[[ハガル]](ハージャル)と[[イシュマエル]](イスマーイール)が飢えと乾きによって死にかけていた時に、彼らのために決して枯れることのない井戸を[[メッカ]]に掘ったという(現在でも[[カアバ]]に隣接している[[ザムザムの泉]]のことで、伝説によるとムハンマドより数世代前のメッカでの争乱によって長らく埋められていたものを、ムハンマドの祖父アブドゥル=ムッタリブが再発見したと言われている)。 イスラムの伝説では、ジブリールは1600枚の翼と濃い黄色の髪を持ち、両目の間には太陽が埋め込まれているという。彼は毎日、光の大海に360回入り、前に進むとそれぞれの翼からしずくが落ち、[[アッラーフ]]を讃える天使となる。 クルアーンを示すために現われた時、彼の翼は緑色で東から西への地平線ほどの長さもあり、足は黄色で、輝く顔の両目の間には「神(アッラーフ)のほかに神なし、ムハンマドは神の預言者なり」という言葉が刻み込まれていた。 == 文学 == *中世の叙事詩『[[ローランの歌]]』の中でガブリエルは[[カール大帝]]に対し、ローランに[[デュランダル]]の剣を与えるよう指示し、命を落としたローランの魂を天国に運んでいる。 *また、[[ジョン・ミルトン]]の『[[失楽園]]』ではガブリエルは天使の長としてエデンの園を守る存在として描かれている<ref>*ジョン・ミルトン(著)平井正穂(訳)『失楽園』筑摩書房(1979)</ref>。 == その他 == *アブラハムの宗教と呼ばれるユダヤ教、キリスト教、イスラム教において、ガブリエルは共通して大天使、神の言葉を伝えるメッセンジャーである。 *{{仮リンク|儀式魔術|en|Ceremonial magic}}において、ガブリエルには西、青色、水の元素との象徴的対応関係が設定されている<ref>真野隆也 『悠久なる魔術』 [[新紀元社]]</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 参考文献 == {{参照方法|date=2010年12月}} *A Dictionary of Angels: Including the Fallen Angels. Davidson, Gustav.Free Press. ISBN 0-02-907052-X *ANGELS: Heavenly Messengers.Bussagli,Marco.Harry N Abrams.2007. ISBN 978-0810994362 *ダニエル・フイユー/アリス・ル・モワニェ/マドレーヌ・ティボー/アンヌ・ラングロワ/フランソワーズ・スピース/ルネ・トレビュション(著) 榊原 晃三(訳)『聖書文化辞典』本の友社(1996)ISBN 978-4894390256 *ローズマリー・エレン・グイリー(著)大出健(訳)『図説 天使百科事典』原書房(2006)ISBN 4562039795 *ジョン・ロナー(著)鏡リュウジ/宇佐和通(訳)『天使の事典-バビロニアから現代まで』柏書房(1994)ISBN 4-7601-1133-6 *矢代幸雄『受胎告知』新潮社(1973) *ローラ・ウォード/ウィル・スティーズ(著)小林純子(訳)『天使の姿―絵画・彫刻で知る天使の物語』新紀元社(2005年)ISBN 4-7753-0418-6 *利倉隆『天使の美術と物語』美術出版社(1999)ISBN 978-4568400557 *ジョン・ミルトン(著)平井正穂(訳)『失楽園』筑摩書房(1979) *村山誠一郎(著)『新説RPG幻想事典 剣と魔法の博物誌』ソフトバンククリエイティブ株式会社(2006)ISBN 4-7973-3684-6 == 関連項目 == {{commons|Category:Gabriel}} * [[聖書の登場人物の一覧]] * [[天使]] * [[大天使]] * [[熾天使]] * [[生命の樹 (旧約聖書)]] * [[ガブリエルのラッパ]] == 外部リンク == *[https://www.jewishencyclopedia.com/articles/6450-gabriel Jewish Encyclopedia] *[https://www.newadvent.org/cathen/06330a.htm Catholic Encyclopedia] {{キリスト教 横}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:かふりえる}} [[Category:天使の個体]] [[Category:キリスト教の大天使]] [[Category:ユダヤ教の大天使]] [[Category:イスラム教の大天使]] [[Category:大天使]] [[Category:カトリック]] [[Category:旧約聖書]]
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エンターテインメント
エンターテインメント(英語 Entertainment)は、人々を楽しませる娯楽を指す。 楽しみ、気分転換、気晴らし、遊び、息抜き、レジャーなどが類語とされる。類義語のアミューズメント(Amusement)も、アミューズメント施設など娯楽要素を表す。 "Entertainment"という言葉の原義としては、特に演者の技能を鑑賞することを主体とした見せ物、出し物、余興などを指す語で、スポーツ・舞台演劇・演奏会・公演などを指す。表記や発音の利便性から「ン」を抜くエンターテイメントや省略形でエンタメなども用いられる。 "Entertainment"を発音記号から機械的に変換するとエンターテインメントとなるが、英語の発音は"entertainment"の9文字目の"n"がほとんど発音を聞き取れない。書き言葉でエンタ(ー)テインメント、話し言葉でエンターテイメント、が多用されている。 米国でいうDigital Entertainmentは一般的には「デジタル化されたゲームのエンターテインメント」をいう。ただし、インターネットを利用した映画や音楽等の配給や配信、映画のデジタル化、アニメーション等のデジタル技術を利用したビジネスを幅広く含む場合もある。
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エンターテインメントは、人々を楽しませる娯楽を指す。 楽しみ、気分転換、気晴らし、遊び、息抜き、レジャーなどが類語とされる。類義語のアミューズメント(Amusement)も、アミューズメント施設など娯楽要素を表す。
{{Otheruseslist|'''「ENTERTAINMENT」、「エンターテイメント」、「娯楽」'''|SEKAI NO OWARIのアルバム|ENTERTAINMENT (SEKAI NO OWARIのアルバム)|ギャング・オブ・フォーのアルバム|エンターテイメント!|[[東京事変]]の[[アルバム]]|娯楽 (バラエティ)|[[Hey!Say!JUMP]]の楽曲「Entertainment」|Lucky-Unlucky/Oh! my darling}} {{表記揺れ案内 |表記1=エンターテイメント}} '''エンターテインメント'''([[英語]] Entertainment)は、人々を楽しませる娯楽を指す。[[File:Symposium_scene_Nicias_Painter_MAN.jpg|220x124px|thumb|right]] 楽しみ、気分転換、気晴らし、遊び、息抜き、[[レジャー]]などが類語とされる。類義語の'''アミューズメント'''([[:en:Amusement|Amusement]])も、[[アミューズメント施設]]など娯楽要素を表す。 == 語義 == "Entertainment"という言葉の原義としては、特に演者の技能を鑑賞することを主体とした[[見せ物]]、出し物、[[余興]]などを指す語で、スポーツ・舞台演劇・演奏会・公演などを指す。[[表記]]や[[発音]]の利便性から「ン」を抜くエンターテイメント<ref>[[岩波書店]]「[[広辞苑]]」 [[小学館]]「[[大辞泉]]」 [[三省堂]]「[[大辞林]]」</ref>や省略形でエンタメなども用いられる。 "Entertainment"を発音記号から機械的に変換するとエンターテインメントとなるが、英語の発音は"entertainment"の9文字目の"n"がほとんど発音を聞き取れない。[[書き言葉]]でエンタ(ー)テインメント、[[話し言葉]]でエンターテイメント、が多用されている<ref group="注釈">[[ソニーグループ]]では"ー"([[長音符]])を抜いた「エンタテインメント」で表記している: [[ソニー・ミュージックエンタテインメント]]など</ref>。 == 主なエンターテインメント == {{Multicol}} * [[音楽]] ** [[歌]] ** [[演奏]] ** [[ダンス]] ** [[コンサート]] ** [[カラオケ]] * [[演芸|お笑い]] ** [[落語]] ** [[大喜利]] ** [[漫談]] ** [[漫才]] ** [[コント]] ** [[ギャグ]] ** [[講談]] ** [[アクロバット|曲芸]] ** [[浪曲]] {{Multicol-break}} * [[腹話術]] * [[物真似|ものまね]] * [[奇術|マジック]] * [[映像]] ** [[映画]] ** [[アニメーション]] *** [[アニメーション|アニメ]] ** [[テレビ]] *** [[バラエティ番組]] *** [[音楽番組]] *** [[テレビドラマ|TVドラマ]] ** [[実写]] ** [[特撮]] * [[演劇]] * [[サーカス]] * [[アダルトビデオ]] {{Multicol-break}} * [[読書]] * [[ゲーム]] ** [[コンピュータゲーム]] *** [[アーケードゲーム]] *** [[テレビゲーム]] *** [[アダルトゲーム]] *** [[ゲーム機]] *** [[ゲームソフト]] *** [[ゲーム会社一覧|ゲームメーカー]] ** [[ゲームセンター]] * [[スポーツ]] * [[遊園地]] * [[ラジオ]] * [[新聞]] * [[雑誌]] * [[インターネット]] {{Multicol-break}} * [[模型]] ** [[プラモデル]] ** [[鉄道模型]] ** [[遊戯銃]] * [[本]] ** [[小説]] ** [[漫画]] ** [[紙芝居]] ** [[絵物語]] * [[同人]] * [[賭博|ギャンブル]] * [[玩具|おもちゃ]] {{Multicol-end}} == デジタルエンターテインメント == 米国でいうDigital Entertainmentは一般的には「デジタル化されたゲームのエンターテインメント」をいう<ref name="US">{{Cite web|和書|url=https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/05000822/05000822_001_BUP_0.pdf|title=米国のディジタル・エンターティンメント|publisher=ジェトロ・ロサンゼルス・センター|accessdate=2022-04-02}}</ref>。ただし、インターネットを利用した映画や音楽等の配給や配信、映画のデジタル化、アニメーション等のデジタル技術を利用したビジネスを幅広く含む場合もある<ref name="US" />。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == * [[エンターテイナー]] * [[大衆小説]] * [[レジャー]] * [[興行]]/[[パフォーマンス]] {{Entertainment-stub}} {{デフォルトソート:えんたあていんめんと}} [[Category:娯楽|*]] [[Category:生活]] [[Category:英語の語句]]
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機械翻訳
機械翻訳(きかいほんやく、英: machine translation)とは、ある自然言語を別の自然言語に翻訳する変換を、コンピュータを利用して全て(ないし、可能な限り全て)自動的に行おうとするものである。 機械翻訳の着想は17世紀まで遡って由来を調べられるかもしれない。1629年に、ルネ・デカルトは、単一の記号をもって異なった言葉での同一の概念を割り当てる普遍言語を提案した。機械翻訳という発想が生まれた起原のひとつは、暗号学である。ウォーレン・ウィーバー(シャノンによる、情報理論の記念碑的業績である論文『通信の数学的理論』の書籍版の共著者)が1947年3月にノーバート・ウィーナー(サイバネティックスが著名)に送った手紙によると、ロシア語で書かれた文章について、それを「暗号化された英語の文章」とみなせば暗号解読の要領で機械的に翻訳できるのではないか、と提案している。しかし同年4月のウィーナーの返信によれば、(自然)言語は曖昧な表現が多いために、暗号解読のようにはうまくできないのでは、と懐疑的であった。 米国およびソ連の場合、機械翻訳はこの暗号絡みのエピソードにも示されているように冷戦を背景とした需要があった。一方欧州の場合は、多国間交渉や条約などで多国語間の翻訳という課題を抱えていたという動機があり、2言語間ではなく多言語間の翻訳という比較的難しい問題に挑む一方、ある程度近い言語間の翻訳ではあった。日本の場合は、とにかく英日・日英の翻訳が望まれた。 上位の学術分野としては自然言語処理あるいは計算言語学であるが、いずれもコンピュータの発達により自然言語を扱えるようになったことで発展した分野であり、また自然言語の統計的性質を研究する点など、暗号学に起源の一部を辿れる点も似ている。機械翻訳はこれらの分野で主要な応用の位置にある。 大学や研究機関による成果の最も早いものは、1954年にジョージタウン大学などの研究グループにより発表された。これを皮切りに、形態素解析や係り受け解析などの機械翻訳に必要な技術の研究が始まった。日本では1950年代に九州大学の栗原俊彦らが研究を開始し、1950年代末に実験機「KT-1」を、またそれとは独立に電気試験所(後の電子技術総合研究所)の研究チームが実験機「やまと」を作成している。その後も研究が続いたが、当時のコンピュータの性能による限界が厳しく、米国では1964年に発表された「ALPACレポート」で機械翻訳の様々な問題点が指摘され実用レベルには程遠いとされたことにより、米国では(同時期に似たような経過を辿った他の人工知能分野と同様に)研究にしばらく予算がつかず約10年にわたって研究が停滞した。しかしそんな中でも研究する研究者はおり、研究は緩やかに進んだ。1980年代になると、ルールベースの機械翻訳システムが一定の成果を上げるようになった。 一方、IBMは1990年代に異なる言語間の単語対応を統計的に獲得する「IBMモデル」という手法を提案した。これが統計的機械翻訳の始まりである。初期の統計的機械翻訳は単語の並べ替えに基づくものであったが、2000年代に句構造を利用した翻訳手法が発表され、語族が異なる言語間でも翻訳の精度が飛躍的に向上することとなった。 2010年代に入り、文章翻訳への応用はできないとされていたニューラルネットワークによるディープラーニングを使ったニューラル機械翻訳(NMT)が登場したことで品質が向上した。(BERTなど) 情報通信研究機構によると、2021年現在の人工知能は、音声認識能力においては人間を上回っているものの、その精度やスピードには大きな課題がある。課題解決にむけて重点的に開発されている機能は「チャンク」「補正」「翻訳精度そのものの向上」である。現状のAIによる同時通訳は10秒程度のタイムラグがあり(人間による同時通訳は2~3秒)テンポのいい会話などの通訳は難しい。これは現状の機械翻訳が文ごとにしか訳せない為であり、意味ごとに訳す「チャンク」という機能の開発が現在行われている。また、日本語などの言語においては「動詞・否定など重要な情報が末尾にくる」「主語が省略される」などの特徴がある為AIが誤訳しやすく、その解決策として「修正機能」が開発されている。翻訳機能の基幹となる「精度」においては「GPT-3」機能の応用などが研究されている。しかし、いずれにおいても「横一直線で、現状成果は出ていない」という批判もある。 2021年4月、NVIDIAではリアルタイムで多言語の音声認識と翻訳が可能な人工知能フレームワーク「Jarvis」を公開した。技術デモにおいては、ジェン・スン・ファンが英語で九州じゃんがらへの道順を声で尋ねると、リアルタイムでテキスト化され、1~2秒程度で違和感の無い日本語テキストに変換されるレベルとなっている。 近年、AIのディープラーニング技術により、急速に成長している分野であり、特定の用途に限った翻訳においては人間の手で補助することで、ある程度の解決がみられるようになっている。今後人々の日常生活における異言間のコミュニケーションに大きな影響を与えることが期待されている。 翻訳業界からはAI脅威論が強くなっている。しかし研究が進むにつれ、言語の複雑さに由来する機械翻訳の限界も指摘されており、人工知能、自然言語処理、ニューラル機械翻訳などの立場では「克服すべき課題は多く,完璧な機械翻訳を期待するのは現実的ではない」と認識されている(主に「機械翻訳の限界と人間による翻訳の可能性」瀬上和典より)。 機械翻訳の手法は大きく分けて「ルールベース機械翻訳(RBMT)」と「コーパスベース方式」に大別される。コーパスベース方式には「統計的機械翻訳(SMT)」と「ニューラル機械翻訳(NMT)」がある。 2010年以降はニューラル機械翻訳が主流となっている。 手法としては以下のようなものがある。 特許やマニュアルなど、文のスタイルがほとんど変わらない状況では、汎化能力が小さくてもシステムとして十分機能する場合がある。 用例に基づく翻訳では、翻訳の例文を記憶した「用例辞書」と単語対応を記憶した「単語辞書」を使用する。 システムの大まかな流れは以下の通りである。 用例に基づく翻訳では、データベースが文全体を記憶していた。一方、単語・フレーズに基づく翻訳では、文を細かな単位に分割し、出現確率や並べ替え確率といった情報を利用することで、コーパスに存在しない文に対する汎化能力を上げる。 構文木に基づく翻訳は、機械翻訳開発のかなり初期からあったアイディアである。1960年代~1980年代の(今から見れば古いタイプの)AI研究者は、しばしばこうしたアイディアを過大評価し、それに酔った。単語・フレーズに基づく翻訳は、文の構造を利用しない翻訳のため、文法的に誤った訳出が多い。また、日英翻訳のように単語の並べ替え距離が大きい場合、正確な翻訳を行おうとすると、探索空間が爆発的に大きくなってしまう問題があった。「構文木に基づく翻訳では、入力文の構文情報を利用することにより、言語構造的に誤った並べ替えを探索空間から除外し、より正確な翻訳を行うことができるだろう」と期待された。だが、主としてこの構文木に頼る翻訳システムは、多くの研究者による長年に渡る試行錯誤にもかかわらず、結局、翻訳文の質が実用翻訳、実用通訳のレベルまでは向上せず、行き詰まりを見せた。 構文木に基づく手法はいくつか存在するが、以下に句構造に基づく翻訳の一例を示す。 例として、英語から日本語への翻訳を考える。 以下のような原文が与えられたとする。 この文を句構造解析して得られる構文木は次のようになる: ここで、以下のような辞書を使って英語の単語を日本語の単語に置き換える: 構文木は次のようになる: しかしまだ語順が正しくないし、助詞もない。 ここで構文木に対して以下のような規則を適用して変換をおこなう: すると変換された木はこのようになっている: ここから、以下のような翻訳文を生成できる: これは非常に単純な例である。 実際には英語の have は複数の語義をもつので、語義の曖昧性解消をしなければ単純に「have → 持っている」という変換をすることはできない。 また、モダリティの考慮や、照応の解決、敬語の扱い、自然な言い回しの文の生成など、実用的な翻訳ソフトウエアをつくるためには多くのことを考慮に入れる必要がある。 構文木に基づく翻訳では、構文解析誤りが翻訳結果に悪影響を及ぼす場合がある。その場合の解決策として、複数の構文木の候補(構文森)を考慮した翻訳手法も存在する。 計算機の発達によって1990年代以降研究が盛んになっているのは、統計的な手法を用いた機械翻訳である。 ルールベースの翻訳では、ルールを作成した人間が想定しなかった入力文には対応できない問題がある。また、翻訳ルールの記述や見直しには膨大な手間がかかるため、効率が悪い。そこで統計的機械翻訳では、パラレルコーパスと呼ばれる複数の言語で文同士の対応が付いたコーパスを利用し、翻訳のルールを自動的に獲得し、各ルールの重要度を統計的に推定する。 パラレルコーパスには自前のデータを利用することもあるが、最近では各言語に翻訳された特許や、Webページのクローリングデータなどを利用することもある。 統計的機械翻訳は、従来音声認識の分野で用いられていた雑音チャネルモデルを応用したもので、原言語(翻訳元の言語) f {\displaystyle f} は目的言語(翻訳後の言語) e {\displaystyle e} が雑音のある通信路を通る間に変化してしまったものであると捉え、翻訳作業を元言語から目的言語への復号であると考える。 雑音チャネルモデルでは、復号誤りが最も小さくなる翻訳結果 e ^ {\displaystyle {\hat {e}}} は以下の式を満たす。 2番目の変形はベイズの定理による。 ここで P ( e ) {\displaystyle P(e)} をモデル化したものを言語モデル、 P ( f | e ) {\displaystyle P(f|e)} をモデル化したものを翻訳モデルと呼び、言語モデルは翻訳結果の言語としての流暢さを、翻訳モデルは翻訳の確からしさをモデル化していると言える。翻訳モデルのみでは目的言語として正しくない文となってしまうため、言語モデルによって目的言語として正しくない文を取り除けると考えられる。また、言語モデルについての研究は音声認識などの分野において既に研究が行われており、その知見を生かすこともできる。 統計的機械翻訳の処理系はこれらのモデルの組み合わせが高い値を与える翻訳結果を探索することになる。このような処理系は暗号理論からの類推でデコーダ(復号器)と呼ばれる。 2000年代から盛んに研究されている句に基づく統計的機械翻訳を始め、近年では直接雑音チャネルモデルを用いるのではなく、最大エントロピー法(対数線形モデル)に基づく下記の最適化問題として考えることが多い。 統計翻訳においても、翻訳の精度を高めるために、人手により追加されたルールを利用する場合がある。また、近年ではパラレルでないコーパスから翻訳ルールを獲得する研究も為されている。 機械翻訳の実現にあたっては、自然言語をコンピュータで扱うことに起因する様々な問題に対処する必要がある。 ここでは日英翻訳において顕著な例をいくつか挙げる。なお、これらの言語が特別このような特徴を持っているわけではなく、他の言語の組み合わせでも似たような現象は一般的に見られるものである。 日本語では代名詞(「私」「これ」など)が頻繁に省略されるが、英語はこれらを明確に文に含める必要がある。このため、日英翻訳では省略された代名詞を適切に補う必要がある。以下に例を示す。 この文から、友達と会ったのが「弟」であることは明らかであり、挿入すべき代名詞は He であることが分かる。対応する英文は例えば以下のようになる。 ところが、機械翻訳で単純に文単位の翻訳をした場合、2文目だけでは誰が友達に会ったのか明らかではなく、前後の文を利用して挿入すべき代名詞を推測する必要がある。 さらに、「弟」や「妹」などのように代名詞が容易に判断できる場合は良いが、より複雑な文ではどのような代名詞を挿入すべきか簡単には判断できない状況もある。 以下の英文を考える。 実務での翻訳や通訳の経験が浅い人、その中でも特に もともと語学能力が低く、(普段から逐語式で「翻訳まがい」の作業をし)酷い訳文を作りがちな人などが、機械翻訳のソフトウェアを夢想すると、とりあえずきわめて素朴なルールベースの翻訳機を着想し、「rice」→「ご飯」のような1対1の変換(逐語変換)の規則を多数(変換用対照テーブル等の形で)持たせ、あとは統語法に基づいた語順変換処理などをして「私はご飯を食べた」という訳文を出力させるプログラムさえ作れば、翻訳機ができるのではないか? などと(浅はかにも)夢を見てしまいがちだが、次の英文を考慮すると、そんな単純なシステムでは全く実用的な翻訳機にならない、と理解できる。 この場合、「rice」→「ご飯」と、1対1の対照表で機械的に変換するシステムだと、たとえば「私たちは明日ご飯を収穫します」という、(お粗末な、使い物にならない)翻訳文しか出力されない。 多くの言語間での「原語→訳語」の関係と同様に、英語の「rice」に対応する日本語も複数あり、文脈に応じて、(この文例では)「稲」「(お)米」「ご飯」などと訳し分けるものであることは当然必要であり、つまり翻訳機は、文脈に応じて訳語を適切に選択しないようでは全然実用性が無いので、当然この課題は解けるものになっていなければならない(ということは、機械翻訳開発のかなり初期段階で理解されていた)。 機械翻訳の難しさのひとつは、自然言語の文を扱うということは、統語論では完結せず、常識的な知識や意味論も扱わねばならないことが頻繁にある、という点にもある。 たとえば英文 「Time flies like an arrow. 」について、もし「統語解析を行う→可能なツリー構造を全部挙げる → 英単語を単純に日本語単語に置き換える」ということしかせず、意味分析や常識判断を加えないと、数種類のツリー構造が候補として挙ってしまい、(全然意味の異なる)翻訳文が数パターンできてしまう。たとえば「時間は矢のように飛び去る」という翻訳文以外にも、「時間蠅は矢を好む 」「蝿たちを計時せよ! 矢のように(素早く)!」となどという、(奇妙な)翻訳文まで機械翻訳システムは吐き出してしまうかも知れない。 つまり、単なる統語分析や文法解析では複数の候補翻訳文が挙げられる場合でも、人間は意味論や常識や過去の言語的体験(聞いた文章、読んだ文章の記憶)も働かせてひとつの翻訳文を選びとっているので、機械翻訳システムでも、現実世界の常識や現実世界に流通している大量のまともな文章と照らし合わせて、間違いは間違いだと気付き、翻訳文を却下する必要があり、こうした判断を機械翻訳システムにさせる工夫(つまり知識ベースや「人間の世界の常識」と照らし合わせて常識に反するものを見つけてはじく(切り捨てる)アルゴリズムなど)をかませる必要がある。 たとえば「時間は矢のように飛び去る」という候補のほうは残し、「時間蠅は矢を好む」という候補のほうはダメだと判断して排除するには、「人は時が素早く過ぎると感じられることがある」「矢は速く飛ぶ」「人々の日常会話で『時間蠅』などという語が登場したことは無い。また小・中・高・大学生などが読む教科書でも『時間蠅』などという用語が登場したことは無い。報道の文章でも登場しない。」などといった言語的経験(過去の言語表現の知識。データベース)が必要となる。また「同様に、おそらく専門家の文献でも『時間蠅』などという用語は登場することは無いだろう」といった推論も必要となるかも知れない。理屈の上では「時間蠅」という用語も(統辞法的には)構築可能ではあるが、(翻訳した文章がSF小説でもなく、前後の文脈で、やたらとタイムマシンや、蠅を研究するマッドサイエンティストが繰り返し登場していない限り)、やはりそんな文章はありえない、と機械翻訳システムも判断する必要がある。 このように、正しい翻訳を行うためには、単に統語論的に可能なツリー構造のパターンを網羅的に挙げるだけでなく、現実世界に関する知識や、教科書や報道などで大量に書かれ読まれ、人々の頭脳に刻みこまれている過去の一般的な文例、人間の日常会話(話し言葉)で使われている表現や言い回しなどの頻度や時代ごとの傾向に関する知識も必要となるのである。 「Time flies like an arrow.」の場合などはさらに、「時間は矢のように飛ぶ」や「時間は矢のように飛び去る」などという翻訳文を吐き出すだけでは、まだまだ程度が低いわけであり、もっと知識を動員して、日本語には「光陰矢のごとし」という決まった比喩表現があり、日本人向けの英語の教科書などではTime flies like an arrow.の定番訳として毎回「光陰矢のごとし」という文が掲載されている、という知識も使って、「光陰矢のごとし」という正解にたどりつくのが良い、ということになる。 人間でもまともな翻訳をするには、学校で学んだ膨大な教科書類などの記憶や、放送で聞いた膨大な量の表現、家族や友人から聞いた膨大な量の表現も思い出しつつ、多くの候補の中から翻訳文を選んでいるように、機械翻訳でもそうした言語的知識の膨大な蓄積や「常識」を使う必要があるのである。 機械翻訳は主に「自動翻訳(機械翻訳)」と「翻訳支援(コンピュータ支援翻訳)」という異なる応用先で用いられ、両者は区別される。自動翻訳では人間の介入は最小限であり、入力文すべてを機械に翻訳させようとする。これは「翻訳元の言語を理解することができない人」のための技術であると言える。翻訳支援はプロの翻訳者が翻訳作業を効率的かつ高品質に行うために翻訳ソフトを活用するものである。また、電子辞書をコンピュータに備え、辞書引きをコンピュータに行わせつつ、人間が行う翻訳は、コンピュータ支援翻訳と呼ばれる。 現実の翻訳は互いの言語の関係によっても大きく異なる。自然言語はそれぞれ孤立して存在するものではなく、多かれ少なかれ互いに影響し合っている。特に共通の歴史が長い言語同士では、文法や語彙に共通性、あるいは共通の起源を多く持つことがある。そのような場合、極端に言えば単語を置き換えるだけでもある程度のレベルの翻訳が可能であるから、機械翻訳もより容易い。 だいたいの意味を知るための概訳については、フランス語、スペイン語、イタリア語などインド・ヨーロッパ語族ロマンス語系諸語間の自動翻訳は比較的順当であり、英語とロマンス語系あるいはゲルマン語系言語との間の自動翻訳も実用レベルに達しているといえる。 日本語からの翻訳の場合、早々と実用レベルに達したのは朝鮮語との相互翻訳である。日本語と朝鮮語は膠着語であるという文法的共通性や漢語からの借用語などが多く、単語の置き換え以外にはあまり複雑な処理を必要としない。このため、「GoKorea」「KJCLUB」などの自動翻訳掲示板なども存在する。 日本語の場合は助詞や同音異義語が多数存在し、主語の省略も行われる。このため、形態素解析の段階で解析誤りが発生し、推測しなければならない情報も数多く存在する。例えば一般に英日翻訳に比べて日英翻訳の能力は低い段階にあった。殆どの言語で機械翻訳の恩恵を受けにくい状況が長く続き、再翻訳結果がネットミームとして遊ばれていたような状況だったが、2010年代以降のAI技術の発展で、みらい翻訳やDeepL翻訳が自然な翻訳を実現、大きな話題を集めた。 翻訳支援の場合、特定の分野の翻訳に適したユーザー辞書を作成することにより、翻訳ソフトの品質は大幅に向上する。だが一定規模の企業・組織ユーザー以外の、一般ユーザーによる小規模な利用シナリオでは、ユーザー辞書の効果よりも辞書の作成にかかる時間・労力のほうが大きい。その理由には、辞書作成に技能を要する、ユーザー辞書のコンテンツがない、辞書の相互利用のためのインフラがない、翻訳の量が少ない(規模が少ない・頻度が少ない)といった理由が挙げられる。これらの問題を解決するために、AAMT(アジア太平洋機械翻訳協会)がユーザー辞書を共有するための用語集仕様であるUPFを策定した。その後UPFの検討は中止され、2006年に後継の仕様であるUTXの策定が開始され、2013年現在ではバージョン1.11が公開されている。 商用・非商用両方で多くの機械翻訳のアプリケーション、ツールキットが存在する。オープンソースソフトウェアとして公開されているものは主に統計的機械翻訳のためのツールであり、これらを利用するにはパラレルコーパスを自ら用意する必要がある。 機械翻訳の評価方法として、人手評価と自動評価がある。 人手評価は、その名前の通り、人間の評価者が翻訳機の出力結果を読んでスコアを付けてゆく方法である。 スコアとして、例えば以下のような基準を設定する。 各文に対して上記のような指針に従ってスコア付けを行い、最後に各評価の割合(どのスコアの文が何パーセント含まれているか)を計算して翻訳システムの評価結果とする。 複数の基準に従って評価したり、評価者が自由にコメントできるようにすることで、単純なスコア付けだけでなく、システムの改善に繋げることが可能である。 自動評価は、機械翻訳の結果を機械的に評価する方法である。 評価を行う場合は、まず、原文と参照訳(翻訳の正解文)を数千対程度用意し、翻訳システムを用いて原文を翻訳する。 次に、翻訳結果と参照訳の類似度を各文に対して計算し、最後に平均を取って翻訳システムの評価とする。 自動評価尺度として、以下のようなものがある。それぞれの尺度に特徴があるため、1つの尺度を信頼するのではなく、複数の尺度を併用することが望ましい。 機械翻訳の正確さに関してはいろいろと懸念されてきたが、マンチェスター大学のアナ・ニーノ博士は教室で機械翻訳を利用することの利点のいくつかを調査研究した。そのような教育上の方法の一つは「悪い見本としての機械翻訳 (MT as Bad Model) 」と呼ばれる。 悪い見本としての機械翻訳は言語学習者に矛盾した言葉や訳文の不正確な側面を同一視することを強制する。逆に個人は(期待をもって)言語をよりしっかりと把握するものである。ニーノ博士はこの教具が1980年代後半に実現したことを引用する。さまざまな学期の終わりに、ニーノ博士は悪い見本としての機械翻訳だけでなくその他の諸モデルも使ったことのある学生から得られた調査結果を入手することができた。圧倒的に、学生は自らの目標言語(英語版)において、理解力と語彙の検索が改善され、信頼が増したことに気付いたようであった。 著作権の保護を受けるのは独創的な著作物のみであり、機械翻訳には創作性がないため、機械翻訳の結果には著作権の保護を受ける権利が与えられないと一般的に考えられている。またそのように主張する学者もいる。問題となっている著作権は二次的著作物(英: derivative work)についてである。原語で執筆された原著作物(英: original work)の著者は作品が翻訳されたときに権利を失うことはなく、翻訳者は翻訳物を出版するには許可を得なければならない。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "機械翻訳(きかいほんやく、英: machine translation)とは、ある自然言語を別の自然言語に翻訳する変換を、コンピュータを利用して全て(ないし、可能な限り全て)自動的に行おうとするものである。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "機械翻訳の着想は17世紀まで遡って由来を調べられるかもしれない。1629年に、ルネ・デカルトは、単一の記号をもって異なった言葉での同一の概念を割り当てる普遍言語を提案した。機械翻訳という発想が生まれた起原のひとつは、暗号学である。ウォーレン・ウィーバー(シャノンによる、情報理論の記念碑的業績である論文『通信の数学的理論』の書籍版の共著者)が1947年3月にノーバート・ウィーナー(サイバネティックスが著名)に送った手紙によると、ロシア語で書かれた文章について、それを「暗号化された英語の文章」とみなせば暗号解読の要領で機械的に翻訳できるのではないか、と提案している。しかし同年4月のウィーナーの返信によれば、(自然)言語は曖昧な表現が多いために、暗号解読のようにはうまくできないのでは、と懐疑的であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "米国およびソ連の場合、機械翻訳はこの暗号絡みのエピソードにも示されているように冷戦を背景とした需要があった。一方欧州の場合は、多国間交渉や条約などで多国語間の翻訳という課題を抱えていたという動機があり、2言語間ではなく多言語間の翻訳という比較的難しい問題に挑む一方、ある程度近い言語間の翻訳ではあった。日本の場合は、とにかく英日・日英の翻訳が望まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "上位の学術分野としては自然言語処理あるいは計算言語学であるが、いずれもコンピュータの発達により自然言語を扱えるようになったことで発展した分野であり、また自然言語の統計的性質を研究する点など、暗号学に起源の一部を辿れる点も似ている。機械翻訳はこれらの分野で主要な応用の位置にある。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "大学や研究機関による成果の最も早いものは、1954年にジョージタウン大学などの研究グループにより発表された。これを皮切りに、形態素解析や係り受け解析などの機械翻訳に必要な技術の研究が始まった。日本では1950年代に九州大学の栗原俊彦らが研究を開始し、1950年代末に実験機「KT-1」を、またそれとは独立に電気試験所(後の電子技術総合研究所)の研究チームが実験機「やまと」を作成している。その後も研究が続いたが、当時のコンピュータの性能による限界が厳しく、米国では1964年に発表された「ALPACレポート」で機械翻訳の様々な問題点が指摘され実用レベルには程遠いとされたことにより、米国では(同時期に似たような経過を辿った他の人工知能分野と同様に)研究にしばらく予算がつかず約10年にわたって研究が停滞した。しかしそんな中でも研究する研究者はおり、研究は緩やかに進んだ。1980年代になると、ルールベースの機械翻訳システムが一定の成果を上げるようになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "一方、IBMは1990年代に異なる言語間の単語対応を統計的に獲得する「IBMモデル」という手法を提案した。これが統計的機械翻訳の始まりである。初期の統計的機械翻訳は単語の並べ替えに基づくものであったが、2000年代に句構造を利用した翻訳手法が発表され、語族が異なる言語間でも翻訳の精度が飛躍的に向上することとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": 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"ルールベースの翻訳では、ルールを作成した人間が想定しなかった入力文には対応できない問題がある。また、翻訳ルールの記述や見直しには膨大な手間がかかるため、効率が悪い。そこで統計的機械翻訳では、パラレルコーパスと呼ばれる複数の言語で文同士の対応が付いたコーパスを利用し、翻訳のルールを自動的に獲得し、各ルールの重要度を統計的に推定する。 パラレルコーパスには自前のデータを利用することもあるが、最近では各言語に翻訳された特許や、Webページのクローリングデータなどを利用することもある。", "title": "アプローチ" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "統計的機械翻訳は、従来音声認識の分野で用いられていた雑音チャネルモデルを応用したもので、原言語(翻訳元の言語) f {\\displaystyle f} は目的言語(翻訳後の言語) e {\\displaystyle e} が雑音のある通信路を通る間に変化してしまったものであると捉え、翻訳作業を元言語から目的言語への復号であると考える。 雑音チャネルモデルでは、復号誤りが最も小さくなる翻訳結果 e ^ {\\displaystyle {\\hat {e}}} は以下の式を満たす。", "title": "アプローチ" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2番目の変形はベイズの定理による。 ここで P ( e ) {\\displaystyle P(e)} をモデル化したものを言語モデル、 P ( f | e ) {\\displaystyle P(f|e)} をモデル化したものを翻訳モデルと呼び、言語モデルは翻訳結果の言語としての流暢さを、翻訳モデルは翻訳の確からしさをモデル化していると言える。翻訳モデルのみでは目的言語として正しくない文となってしまうため、言語モデルによって目的言語として正しくない文を取り除けると考えられる。また、言語モデルについての研究は音声認識などの分野において既に研究が行われており、その知見を生かすこともできる。", "title": "アプローチ" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "統計的機械翻訳の処理系はこれらのモデルの組み合わせが高い値を与える翻訳結果を探索することになる。このような処理系は暗号理論からの類推でデコーダ(復号器)と呼ばれる。", "title": "アプローチ" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2000年代から盛んに研究されている句に基づく統計的機械翻訳を始め、近年では直接雑音チャネルモデルを用いるのではなく、最大エントロピー法(対数線形モデル)に基づく下記の最適化問題として考えることが多い。", "title": "アプローチ" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "統計翻訳においても、翻訳の精度を高めるために、人手により追加されたルールを利用する場合がある。また、近年ではパラレルでないコーパスから翻訳ルールを獲得する研究も為されている。", "title": "アプローチ" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "機械翻訳の実現にあたっては、自然言語をコンピュータで扱うことに起因する様々な問題に対処する必要がある。 ここでは日英翻訳において顕著な例をいくつか挙げる。なお、これらの言語が特別このような特徴を持っているわけではなく、他の言語の組み合わせでも似たような現象は一般的に見られるものである。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "日本語では代名詞(「私」「これ」など)が頻繁に省略されるが、英語はこれらを明確に文に含める必要がある。このため、日英翻訳では省略された代名詞を適切に補う必要がある。以下に例を示す。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "この文から、友達と会ったのが「弟」であることは明らかであり、挿入すべき代名詞は He であることが分かる。対応する英文は例えば以下のようになる。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ところが、機械翻訳で単純に文単位の翻訳をした場合、2文目だけでは誰が友達に会ったのか明らかではなく、前後の文を利用して挿入すべき代名詞を推測する必要がある。 さらに、「弟」や「妹」などのように代名詞が容易に判断できる場合は良いが、より複雑な文ではどのような代名詞を挿入すべきか簡単には判断できない状況もある。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "以下の英文を考える。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "実務での翻訳や通訳の経験が浅い人、その中でも特に もともと語学能力が低く、(普段から逐語式で「翻訳まがい」の作業をし)酷い訳文を作りがちな人などが、機械翻訳のソフトウェアを夢想すると、とりあえずきわめて素朴なルールベースの翻訳機を着想し、「rice」→「ご飯」のような1対1の変換(逐語変換)の規則を多数(変換用対照テーブル等の形で)持たせ、あとは統語法に基づいた語順変換処理などをして「私はご飯を食べた」という訳文を出力させるプログラムさえ作れば、翻訳機ができるのではないか? などと(浅はかにも)夢を見てしまいがちだが、次の英文を考慮すると、そんな単純なシステムでは全く実用的な翻訳機にならない、と理解できる。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "この場合、「rice」→「ご飯」と、1対1の対照表で機械的に変換するシステムだと、たとえば「私たちは明日ご飯を収穫します」という、(お粗末な、使い物にならない)翻訳文しか出力されない。 多くの言語間での「原語→訳語」の関係と同様に、英語の「rice」に対応する日本語も複数あり、文脈に応じて、(この文例では)「稲」「(お)米」「ご飯」などと訳し分けるものであることは当然必要であり、つまり翻訳機は、文脈に応じて訳語を適切に選択しないようでは全然実用性が無いので、当然この課題は解けるものになっていなければならない(ということは、機械翻訳開発のかなり初期段階で理解されていた)。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "機械翻訳の難しさのひとつは、自然言語の文を扱うということは、統語論では完結せず、常識的な知識や意味論も扱わねばならないことが頻繁にある、という点にもある。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "たとえば英文 「Time flies like an arrow. 」について、もし「統語解析を行う→可能なツリー構造を全部挙げる → 英単語を単純に日本語単語に置き換える」ということしかせず、意味分析や常識判断を加えないと、数種類のツリー構造が候補として挙ってしまい、(全然意味の異なる)翻訳文が数パターンできてしまう。たとえば「時間は矢のように飛び去る」という翻訳文以外にも、「時間蠅は矢を好む 」「蝿たちを計時せよ! 矢のように(素早く)!」となどという、(奇妙な)翻訳文まで機械翻訳システムは吐き出してしまうかも知れない。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "つまり、単なる統語分析や文法解析では複数の候補翻訳文が挙げられる場合でも、人間は意味論や常識や過去の言語的体験(聞いた文章、読んだ文章の記憶)も働かせてひとつの翻訳文を選びとっているので、機械翻訳システムでも、現実世界の常識や現実世界に流通している大量のまともな文章と照らし合わせて、間違いは間違いだと気付き、翻訳文を却下する必要があり、こうした判断を機械翻訳システムにさせる工夫(つまり知識ベースや「人間の世界の常識」と照らし合わせて常識に反するものを見つけてはじく(切り捨てる)アルゴリズムなど)をかませる必要がある。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "たとえば「時間は矢のように飛び去る」という候補のほうは残し、「時間蠅は矢を好む」という候補のほうはダメだと判断して排除するには、「人は時が素早く過ぎると感じられることがある」「矢は速く飛ぶ」「人々の日常会話で『時間蠅』などという語が登場したことは無い。また小・中・高・大学生などが読む教科書でも『時間蠅』などという用語が登場したことは無い。報道の文章でも登場しない。」などといった言語的経験(過去の言語表現の知識。データベース)が必要となる。また「同様に、おそらく専門家の文献でも『時間蠅』などという用語は登場することは無いだろう」といった推論も必要となるかも知れない。理屈の上では「時間蠅」という用語も(統辞法的には)構築可能ではあるが、(翻訳した文章がSF小説でもなく、前後の文脈で、やたらとタイムマシンや、蠅を研究するマッドサイエンティストが繰り返し登場していない限り)、やはりそんな文章はありえない、と機械翻訳システムも判断する必要がある。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "このように、正しい翻訳を行うためには、単に統語論的に可能なツリー構造のパターンを網羅的に挙げるだけでなく、現実世界に関する知識や、教科書や報道などで大量に書かれ読まれ、人々の頭脳に刻みこまれている過去の一般的な文例、人間の日常会話(話し言葉)で使われている表現や言い回しなどの頻度や時代ごとの傾向に関する知識も必要となるのである。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "「Time flies like an arrow.」の場合などはさらに、「時間は矢のように飛ぶ」や「時間は矢のように飛び去る」などという翻訳文を吐き出すだけでは、まだまだ程度が低いわけであり、もっと知識を動員して、日本語には「光陰矢のごとし」という決まった比喩表現があり、日本人向けの英語の教科書などではTime flies like an arrow.の定番訳として毎回「光陰矢のごとし」という文が掲載されている、という知識も使って、「光陰矢のごとし」という正解にたどりつくのが良い、ということになる。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "人間でもまともな翻訳をするには、学校で学んだ膨大な教科書類などの記憶や、放送で聞いた膨大な量の表現、家族や友人から聞いた膨大な量の表現も思い出しつつ、多くの候補の中から翻訳文を選んでいるように、機械翻訳でもそうした言語的知識の膨大な蓄積や「常識」を使う必要があるのである。", "title": "基礎的な課題" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "機械翻訳は主に「自動翻訳(機械翻訳)」と「翻訳支援(コンピュータ支援翻訳)」という異なる応用先で用いられ、両者は区別される。自動翻訳では人間の介入は最小限であり、入力文すべてを機械に翻訳させようとする。これは「翻訳元の言語を理解することができない人」のための技術であると言える。翻訳支援はプロの翻訳者が翻訳作業を効率的かつ高品質に行うために翻訳ソフトを活用するものである。また、電子辞書をコンピュータに備え、辞書引きをコンピュータに行わせつつ、人間が行う翻訳は、コンピュータ支援翻訳と呼ばれる。", "title": "翻訳支援" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "現実の翻訳は互いの言語の関係によっても大きく異なる。自然言語はそれぞれ孤立して存在するものではなく、多かれ少なかれ互いに影響し合っている。特に共通の歴史が長い言語同士では、文法や語彙に共通性、あるいは共通の起源を多く持つことがある。そのような場合、極端に言えば単語を置き換えるだけでもある程度のレベルの翻訳が可能であるから、機械翻訳もより容易い。", "title": "実用性" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "だいたいの意味を知るための概訳については、フランス語、スペイン語、イタリア語などインド・ヨーロッパ語族ロマンス語系諸語間の自動翻訳は比較的順当であり、英語とロマンス語系あるいはゲルマン語系言語との間の自動翻訳も実用レベルに達しているといえる。", "title": "実用性" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "日本語からの翻訳の場合、早々と実用レベルに達したのは朝鮮語との相互翻訳である。日本語と朝鮮語は膠着語であるという文法的共通性や漢語からの借用語などが多く、単語の置き換え以外にはあまり複雑な処理を必要としない。このため、「GoKorea」「KJCLUB」などの自動翻訳掲示板なども存在する。", "title": "実用性" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "日本語の場合は助詞や同音異義語が多数存在し、主語の省略も行われる。このため、形態素解析の段階で解析誤りが発生し、推測しなければならない情報も数多く存在する。例えば一般に英日翻訳に比べて日英翻訳の能力は低い段階にあった。殆どの言語で機械翻訳の恩恵を受けにくい状況が長く続き、再翻訳結果がネットミームとして遊ばれていたような状況だったが、2010年代以降のAI技術の発展で、みらい翻訳やDeepL翻訳が自然な翻訳を実現、大きな話題を集めた。", "title": "実用性" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "翻訳支援の場合、特定の分野の翻訳に適したユーザー辞書を作成することにより、翻訳ソフトの品質は大幅に向上する。だが一定規模の企業・組織ユーザー以外の、一般ユーザーによる小規模な利用シナリオでは、ユーザー辞書の効果よりも辞書の作成にかかる時間・労力のほうが大きい。その理由には、辞書作成に技能を要する、ユーザー辞書のコンテンツがない、辞書の相互利用のためのインフラがない、翻訳の量が少ない(規模が少ない・頻度が少ない)といった理由が挙げられる。これらの問題を解決するために、AAMT(アジア太平洋機械翻訳協会)がユーザー辞書を共有するための用語集仕様であるUPFを策定した。その後UPFの検討は中止され、2006年に後継の仕様であるUTXの策定が開始され、2013年現在ではバージョン1.11が公開されている。", "title": "実用性" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "商用・非商用両方で多くの機械翻訳のアプリケーション、ツールキットが存在する。オープンソースソフトウェアとして公開されているものは主に統計的機械翻訳のためのツールであり、これらを利用するにはパラレルコーパスを自ら用意する必要がある。", "title": "機械翻訳装置" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "機械翻訳の評価方法として、人手評価と自動評価がある。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "人手評価は、その名前の通り、人間の評価者が翻訳機の出力結果を読んでスコアを付けてゆく方法である。 スコアとして、例えば以下のような基準を設定する。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "各文に対して上記のような指針に従ってスコア付けを行い、最後に各評価の割合(どのスコアの文が何パーセント含まれているか)を計算して翻訳システムの評価結果とする。 複数の基準に従って評価したり、評価者が自由にコメントできるようにすることで、単純なスコア付けだけでなく、システムの改善に繋げることが可能である。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "自動評価は、機械翻訳の結果を機械的に評価する方法である。 評価を行う場合は、まず、原文と参照訳(翻訳の正解文)を数千対程度用意し、翻訳システムを用いて原文を翻訳する。 次に、翻訳結果と参照訳の類似度を各文に対して計算し、最後に平均を取って翻訳システムの評価とする。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "自動評価尺度として、以下のようなものがある。それぞれの尺度に特徴があるため、1つの尺度を信頼するのではなく、複数の尺度を併用することが望ましい。", "title": "評価" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "機械翻訳の正確さに関してはいろいろと懸念されてきたが、マンチェスター大学のアナ・ニーノ博士は教室で機械翻訳を利用することの利点のいくつかを調査研究した。そのような教育上の方法の一つは「悪い見本としての機械翻訳 (MT as Bad Model) 」と呼ばれる。", "title": "教具としての機械翻訳の使用" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "悪い見本としての機械翻訳は言語学習者に矛盾した言葉や訳文の不正確な側面を同一視することを強制する。逆に個人は(期待をもって)言語をよりしっかりと把握するものである。ニーノ博士はこの教具が1980年代後半に実現したことを引用する。さまざまな学期の終わりに、ニーノ博士は悪い見本としての機械翻訳だけでなくその他の諸モデルも使ったことのある学生から得られた調査結果を入手することができた。圧倒的に、学生は自らの目標言語(英語版)において、理解力と語彙の検索が改善され、信頼が増したことに気付いたようであった。", "title": "教具としての機械翻訳の使用" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "著作権の保護を受けるのは独創的な著作物のみであり、機械翻訳には創作性がないため、機械翻訳の結果には著作権の保護を受ける権利が与えられないと一般的に考えられている。またそのように主張する学者もいる。問題となっている著作権は二次的著作物(英: derivative work)についてである。原語で執筆された原著作物(英: original work)の著者は作品が翻訳されたときに権利を失うことはなく、翻訳者は翻訳物を出版するには許可を得なければならない。", "title": "著作権" } ]
機械翻訳とは、ある自然言語を別の自然言語に翻訳する変換を、コンピュータを利用して全て(ないし、可能な限り全て)自動的に行おうとするものである。
{{WikipediaPage|機械翻訳|Wikipedia:翻訳のガイドライン#機械翻訳}} {{複数の問題|出典の明記=2015年5月9日 (土) 11:44 (UTC)|正確性=2015年5月9日 (土) 11:44 (UTC)}} {{言語学}} '''機械翻訳'''(きかいほんやく、{{Lang-en-short|machine translation}})とは、ある[[自然言語]]を別の自然言語に[[翻訳]]する変換を、[[コンピュータ]]を利用して全て(ないし、可能な限り全て)自動的に行おうとするものである。 == 歴史 == {{Main|en:History of machine translation}} 機械翻訳の着想は[[17世紀]]まで遡って由来を調べられるかもしれない。[[1629年]]に、[[ルネ・デカルト]]は、単一の記号をもって異なった言葉での同一の概念を割り当てる''普遍言語''を提案した{{refnest| {{cite book|first=稔 |last =浜口|title =英仏普遍言語計画|publisher =[[工作舎]]| isbn =4-87502-214-X|page=70-71|quote=''普遍的文字''の構築という初期の試みに言及するときは、1629年11月デカルトが[[マラン・メルセンヌ|メルセンヌ]]に宛てた手紙から始まる、というのが通り相場となっている。{{refnest|たとえば{{cite book| author1=Cuuturat|author2=Leau|title=Histoire de la langue universelle}}; {{cite book|author=Guérard|title=A Short History}}; {{cite book|author=Cohen|title=On the Project of a Universal Character}}を参照。}}しかし、この問題への関心を最初に誘発した多くの要因を吟味してみると、ある種の共通の書字という着想は明らかに、ずっと以前から比較的なじみ深いものになっていたようである。…[[フランシス・ベーコン (哲学者)|フランシス・ベイコン]]は、[[1605年]]出版の''[[学問の進歩|学問の進歩について]]''のなかで、そのような真正の文字の体系は便利であると述べていた|date =1993-4-30}}, {{cite book |first =James |last =Knowlson |title =UNIVERSAL LANGUAGE SCHEMES IN ENGLAND AND FRANCE 1600-1800}}より翻訳。}}。機械翻訳という発想が生まれた起原のひとつは、[[暗号理論|暗号学]]である。[[ウォーレン・ウィーバー]]([[クロード・シャノン|シャノン]]による、[[情報理論]]の記念碑的業績である論文『[[通信の数学的理論]]』の書籍版<ref group="注釈">日本語には、初出版と書籍版は同題に訳されるのだが、原題では '' '''A''' Mathematical Theory of Communication'' と '' '''The''' Mathematical Theory of Communication'' という僅かだが深遠な違いがある。</ref>の共著者)が1947年3月に[[ノーバート・ウィーナー]]([[サイバネティックス]]が著名)に送った手紙によると、ロシア語で書かれた文章について、それを「暗号化された英語の文章」とみなせば[[暗号解読]]の要領で機械的に翻訳できるのではないか、と提案している。しかし同年4月のウィーナーの返信によれば、(自然)言語は曖昧な表現が多いために、暗号解読のようにはうまくできないのでは、と懐疑的であった。 米国およびソ連の場合、機械翻訳はこの暗号絡みのエピソードにも示されているように冷戦を背景とした需要があった。一方欧州の場合は、多国間交渉や条約などで多国語間の翻訳という課題を抱えていたという動機があり、2言語間ではなく多言語間の翻訳という比較的難しい問題に挑む一方、ある程度近い言語間の翻訳ではあった。日本の場合は、とにかく英日・日英の翻訳が望まれた。 上位の学術分野としては[[自然言語処理]]あるいは[[計算言語学]]であるが、いずれもコンピュータの発達により自然言語を扱えるようになったことで発展した分野であり、また自然言語の統計的性質を研究する点など、暗号学に起源の一部を辿れる点も似ている。機械翻訳はこれらの分野で主要な応用の位置にある。 大学や研究機関による成果の最も早いものは、1954年に[[ジョージタウン大学]]などの研究グループにより発表された。これを皮切りに、[[形態素解析]]や[[依存文法|係り受け解析]]などの機械翻訳に必要な技術の研究が始まった。日本では1950年代に九州大学の[[栗原俊彦]]らが研究を開始し、1950年代末に実験機「KT-1」を<ref>http://museum.ipsj.or.jp/heritage/KT-1.html</ref>、またそれとは独立に電気試験所(後の[[電子技術総合研究所]])の研究チームが実験機「やまと」を<ref>http://museum.ipsj.or.jp/computer/dawn/0027.html</ref>作成している。その後も研究が続いたが、当時のコンピュータの性能による限界が厳しく、米国では1964年に発表された「[[ALPAC]]レポート」で機械翻訳の様々な問題点が指摘され実用レベルには程遠いとされたことにより、米国では(同時期に似たような経過を辿った他の人工知能分野と同様に)研究にしばらく予算がつかず約10年にわたって研究が停滞した。しかしそんな中でも研究する研究者はおり、研究は緩やかに進んだ。1980年代になると、ルールベースの機械翻訳システムが一定の成果を上げるようになった。 一方、[[IBM]]は1990年代に異なる言語間の単語対応を統計的に獲得する「IBMモデル」という手法を提案した。これが[[統計的機械翻訳]]の始まりである。初期の統計的機械翻訳は単語の並べ替えに基づくものであったが、2000年代に[[句構造文法|句構造]]を利用した翻訳手法が発表され、[[語族]]が異なる言語間でも翻訳の精度が飛躍的に向上することとなった。 2010年代に入り、文章翻訳への応用はできないとされていた[[ニューラルネットワーク]]による[[ディープラーニング]]を使った[[ニューラル機械翻訳]](NMT)が登場したことで品質が向上した<ref name=nmt001>中澤敏明、「[https://doi.org/10.1241/johokanri.60.299 機械翻訳の新しいパラダイム:ニューラル機械翻訳の原理]」『情報管理』 2017-2018年 60巻 5号 p.299-306, {{doi|10.1241/johokanri.60.299}}, 科学技術振興機構</ref>。(BERTなど) [[情報通信研究機構]]によると、2021年現在の[[人工知能]]は、音声認識能力においては人間を上回っているものの、その精度やスピードには大きな課題がある。課題解決にむけて重点的に開発されている機能は「チャンク」「補正」「翻訳精度そのものの向上」である。現状のAIによる同時通訳は10秒程度のタイムラグがあり(人間による同時通訳は2~3秒)テンポのいい会話などの通訳は難しい。これは現状の機械翻訳が文ごとにしか訳せない為であり、意味ごとに訳す「チャンク」という機能の開発が現在行われている。また、日本語などの言語においては「動詞・否定など重要な情報が末尾にくる」「主語が省略される」などの特徴がある為AIが誤訳しやすく、その解決策として「修正機能」が開発されている。翻訳機能の基幹となる「精度」においては「[[GPT-3]]」機能の応用などが研究されている。しかし、いずれにおいても「横一直線で、現状成果は出ていない」という批判もある<ref>日本経済新聞 2021.1.11朝刊9面</ref>。 2021年4月、[[NVIDIA]]ではリアルタイムで多言語の音声認識と翻訳が可能な[[人工知能]]フレームワーク「Jarvis」を公開した<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=NVIDIA ジェンスン・フアンCEO、対話型AIサービス「Jarvis」で「じゃんがらラーメン」を探すデモ|url=https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1318471.html|website=Car Watch|date=2021-04-14|accessdate=2021-04-15|language=ja|last=株式会社インプレス}}</ref>。技術デモにおいては、[[ジェン・スン・ファン]]が英語で[[九州じゃんがら]]への道順を声で尋ねると、リアルタイムでテキスト化され、1~2秒程度で違和感の無い日本語テキストに変換されるレベルとなっている<ref name=":0" />。 == 現状と限界 == 近年、AIの[[ディープラーニング]]技術により、急速に成長している分野であり、特定の用途に限った翻訳においては人間の手で補助することで、ある程度の解決がみられるようになっている。今後人々の日常生活における異言間のコミュニケーションに大きな影響を与えることが期待されている<ref>https://gendai.media/articles/-/55237</ref>。 翻訳業界からはAI脅威論が強くなっている。しかし研究が進むにつれ、言語の複雑さに由来する機械翻訳の限界も指摘されており、[[人工知能]]、[[自然言語処理]]、ニューラル機械翻訳などの立場では「克服すべき課題は多く,完璧な機械翻訳を期待するのは現実的ではない」と認識されている(主に「[https://dept.sophia.ac.jp/g/gs/wp-content/uploads/2020/08/Segami.pdf 機械翻訳の限界と人間による翻訳の可能性]」瀬上和典より)。 {{Main|自然言語処理#処理内容とその限界}} *Yehoshua Bar Hillelは、1975年時点で、現実的に研究すべき機械翻訳として、以下3点を述べており、この視点が現在でも受け継がれている。 *#機械の支援を伴う人間翻訳 *#人間の支援を伴う機械翻訳 *#低品質の機械翻訳 *奥村学([[自然言語処理]])は「翻訳は人間でも言外の意味の理解や知識を要求される非常に負荷の高いタスクであり、『全自動高品質機械翻訳』の完成を目指してはいけない」と2014年に述べている。 *Thierry Poibeau (LATTICE言語学研究所所長)は、「機械翻訳が、人間の翻訳を取って代わることはない。そのようなことは目標でも望ましい結果でもない」と2017年に述べた。 *「人工知能やロボット等による代替可能性が高い100種の職業」(野村総合研究所)では、「翻訳通訳」は圏外である<ref>https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspx</ref>。 *「Frey and Osborne」(2013年)による機械学習の研究では、「認知性・創造性・社会性」の観点から、機械化されるリスクに対し、様々な職種に指標を与えており、翻訳通訳は0.38の指標を与えられている。 **「1」は現時点で機械化が可能。 **「0.7 - 0.99」は将来(10年 - 20年以内)機械化される可能性が高い。 **0.7未満は中、0.3未満は低レベルのリスク。数字が小さいほどリスクが低い。 *今後も「[[ディープラーニング]]」を活用した機械翻訳技術の向上により、記述のルールが定まった文書(特許・法律文書、論文など)であれば、書く側が「あらかじめ機械翻訳に配慮」することで、翻訳の精度は相当に高くなっていくことが期待できる。しかし「人間の多彩な情報を用いた複雑なコミュニケーションには程遠く、AIがそのレベルに到達し、人間の翻訳・通訳の代わりするのは遥か先」というのが研究者の共通の見解である。特に以下の3点による<ref>https://gendai.media/articles/-/55237?page=2</ref>。 **AIはディープラーニングにより「言葉の意味そのもの」を学習するわけではない **ディープラーニングには「誤った学習結果」が含まれる **AIは人間の[[非言語コミュニケーション|非言語]]・[[ダブル・ミーニング|ニュアンス]]・[[感情]]などを理解できない *特に音声を用いたコミュニケーションにおいて決定的である。 == アプローチ == 機械翻訳の手法は大きく分けて「ルールベース機械翻訳(RBMT)」と「コーパスベース方式」に大別される<ref>[https://journal.jtf.jp/topics_detail28/id=692 3-F ニューラル機械翻訳は翻訳プロセスをどう変えていくか-最近の機械翻訳技術と利用に関する動向- | JTFジャーナルWeb版 | 一般社団法人日本翻訳連盟 機関誌]</ref>。コーパスベース方式には「統計的機械翻訳(SMT)」と「ニューラル機械翻訳(NMT)」がある<ref name=nmt001 />。 2010年以降はニューラル機械翻訳が主流となっている<ref name=nmt001 />。 手法としては以下のようなものがある。 === 用例に基づく翻訳 === 特許やマニュアルなど、文のスタイルがほとんど変わらない状況では、汎化能力が小さくてもシステムとして十分機能する場合がある。 用例に基づく翻訳では、翻訳の例文を記憶した「用例辞書」と単語対応を記憶した「単語辞書」を使用する。 システムの大まかな流れは以下の通りである。 # システムに原文<math>f</math>が与えられる。 # 用例辞書から<math>f</math>と似た文<math>\tilde{f}</math>とそのペア<math>\tilde{e}</math>を検索する。 # システムは、<math>f</math>と<math>\tilde{f}</math>の差分を取る。 # 訳文<math>\tilde{e}</math>内の適切な単語を単語辞書により置き換える。 # 置き換え結果を訳出として出力する。 === 単語・フレーズに基づく翻訳 === 用例に基づく翻訳では、データベースが文全体を記憶していた。一方、単語・フレーズに基づく翻訳では、文を細かな単位に分割し、出現確率や並べ替え確率といった情報を利用することで、コーパスに存在しない文に対する汎化能力を上げる。 === 構文木に基づく翻訳 === 構文木に基づく翻訳は、機械翻訳開発のかなり初期からあったアイディアである。1960年代~1980年代の(今から見れば古いタイプの)AI研究者は、しばしばこうしたアイディアを過大評価し、それに酔った。単語・フレーズに基づく翻訳は、文の構造を利用しない翻訳のため、文法的に誤った訳出が多い。また、日英翻訳のように単語の並べ替え距離が大きい場合、正確な翻訳を行おうとすると、探索空間が爆発的に大きくなってしまう問題があった。「[[構文木]]に基づく翻訳では、入力文の構文情報を利用することにより、言語構造的に誤った並べ替えを探索空間から除外し、より正確な翻訳を行うことができるだろう」と期待された。だが、主としてこの構文木に頼る翻訳システムは、多くの研究者による長年に渡る試行錯誤にもかかわらず、結局、翻訳文の質が実用翻訳、実用通訳のレベルまでは向上せず、行き詰まりを見せた。 構文木に基づく手法はいくつか存在するが、以下に句構造に基づく翻訳の一例を示す。 # 原文<math>f</math>を[[句構造解析]]する。 # 得られた構文木を、定められた規則に従って部分木ごとに変換し、訳文<math>e</math>の構文木を得る。 # 変換した構文木から訳文を生成する。 例として、[[英語]]から[[日本語]]への翻訳を考える。 以下のような原文が与えられたとする。 "I have a pen." この文を句構造解析して得られる[[構文木]]は次のようになる: [[ファイル:EnglishSyntaxTreeSample1.png]] ここで、以下のような[[辞書]]を使って英語の単語を日本語の単語に置き換える: {| class="wikitable" |+ ! 英語 !! 日本語</th> |- | I || 私 |- | have || 持っている |- | a || - (空白) |- | pen || ペン |} 構文木は次のようになる: (S (NP (pron 私)) (VP (verb 持っている) (NP (det -) (noun ペン)))) しかしまだ語順が正しくないし、助詞もない。 ここで構文木に対して以下のような規則を適用して変換をおこなう: * "S → ''NP'' ''VP''" というノードがあれば、それを "S → ''NP'' は ''VP''" に変換せよ。 * "VP → ''verb'' ''NP''" というノードがあれば、それを "VP → ''NP'' を ''verb''" に変換せよ。 すると変換された木はこのようになっている: (S (NP (pron 私)) は (VP (NP (det -) (noun ペン)) を (verb 持っている))) ここから、以下のような翻訳文を生成できる: "私はペンを持っている。" これは非常に単純な例である。 実際には英語の have は複数の[[語義]]をもつので、[[語義の曖昧性解消]]をしなければ単純に「have → 持っている」という変換をすることはできない。 また、[[モダリティ]]の考慮や、[[照応]]の解決、[[敬語]]の扱い、自然な言い回しの文の生成など、実用的な翻訳ソフトウエアをつくるためには多くのことを考慮に入れる必要がある。 構文木に基づく翻訳では、構文解析誤りが翻訳結果に悪影響を及ぼす場合がある。その場合の解決策として、複数の構文木の候補(構文森)を考慮した翻訳手法も存在する。 === 統計的機械翻訳 === {{Main|en:Statistical machine translation|label=統計的機械翻訳}} [[File:Rosetta Stone.JPG|thumb|right|220px|[[ロゼッタ・ストーン]]。複数の言語の文字列のみが与えられた状況で未知の言語を理解するという意味では、統計機械翻訳はロゼッタ・ストーンの解読に似ている。]] 計算機の発達によって1990年代以降研究が盛んになっているのは、統計的な手法を用いた機械翻訳である。 ルールベースの翻訳では、ルールを作成した人間が想定しなかった入力文には対応できない問題がある。また、翻訳ルールの記述や見直しには膨大な手間がかかるため、効率が悪い。そこで統計的機械翻訳では、'''パラレルコーパス'''と呼ばれる複数の言語で文同士の対応が付いた[[コーパス]]を利用し、翻訳のルールを自動的に獲得し、各ルールの重要度を統計的に推定する。 パラレルコーパスには自前のデータを利用することもあるが、最近では各言語に翻訳された特許や、Webページのクローリングデータなどを利用することもある。 統計的機械翻訳は、従来[[音声認識]]の分野で用いられていた[[雑音チャネルモデル]]を応用したもので、原言語(翻訳元の言語) ''<math lang="en">f</math>'' は目的言語(翻訳後の言語) ''<math lang="en">e</math>'' が雑音のある[[通信路]]を通る間に変化してしまったものであると捉え、翻訳作業を元言語から目的言語への[[復号]]であると考える。 雑音チャネルモデルでは、復号誤りが最も小さくなる翻訳結果 <math lang="en">\hat{e}</math> は以下の式を満たす。 :<math>\begin{align} \hat{e} & = \operatorname{arg\,max}_{e} P(e|f) \\ & = \operatorname{arg\,max}_{e} \frac{P(e)P(f|e)}{P(f)} \\ & = \operatorname{arg\,max}_{e}P(e)P(f|e) \end{align}</math> 2番目の変形は[[ベイズの定理]]による。 ここで <math lang="en">P(e)</math> をモデル化したものを[[言語モデル]]、<math lang="en">P(f|e)</math> をモデル化したものを[[翻訳モデル]]と呼び、言語モデルは翻訳結果の言語としての流暢さを、翻訳モデルは翻訳の確からしさをモデル化していると言える。翻訳モデルのみでは目的言語として正しくない文となってしまうため、言語モデルによって目的言語として正しくない文を取り除けると考えられる。また、言語モデルについての研究は音声認識などの分野において既に研究が行われており、その知見を生かすこともできる。 統計的機械翻訳の処理系はこれらのモデルの組み合わせが高い値を与える翻訳結果を探索することになる。このような処理系は暗号理論からの類推で'''デコーダ(復号器)'''と呼ばれる。 2000年代から盛んに研究されている句に基づく統計的機械翻訳を始め、近年では直接雑音チャネルモデルを用いるのではなく、[[最大エントロピー原理|最大エントロピー法(対数線形モデル)]]に基づく下記の最適化問題として考えることが多い。 :<math>\operatorname{arg\,max}_{e} P(e|f) = \operatorname{arg\,max}_{e} \frac{\exp(\boldsymbol{w}^T \boldsymbol{h}(e, \boldsymbol{\phi}, f))}{\sum_{e', \boldsymbol{\phi}'}\exp(\boldsymbol{w}^T \boldsymbol{h}(e', \boldsymbol{\phi}', f))}</math> 統計翻訳においても、翻訳の精度を高めるために、人手により追加されたルールを利用する場合がある。また、近年ではパラレルでないコーパスから翻訳ルールを獲得する研究も為されている。<ref>{{Cite journal| |author = S. Ravi and K. Knight |date = 2011 |title = Deciphering Foreign Language |journal = Proc. ACL |ref=harv}}</ref> == 基礎的な課題 == 機械翻訳の実現にあたっては、自然言語をコンピュータで扱うことに起因する様々な問題に対処する必要がある。 ここでは日英翻訳において顕著な例をいくつか挙げる。なお、これらの言語が特別このような特徴を持っているわけではなく、他の言語の組み合わせでも似たような現象は一般的に見られるものである。 === ゼロ代名詞 === 日本語では代名詞(「私」「これ」など)が頻繁に省略されるが、英語はこれらを明確に文に含める必要がある。このため、日英翻訳では省略された代名詞を適切に補う必要がある。以下に例を示す。 弟は公園に行った。そこで友達と会った。 この文から、友達と会ったのが「弟」であることは明らかであり、挿入すべき代名詞は He であることが分かる。対応する英文は例えば以下のようになる。 My brother went to the park. He met his friend there. ところが、機械翻訳で単純に文単位の翻訳をした場合、2文目だけでは誰が友達に会ったのか明らかではなく、前後の文を利用して挿入すべき代名詞を推測する必要がある。 さらに、「弟」や「妹」などのように代名詞が容易に判断できる場合は良いが、より複雑な文ではどのような代名詞を挿入すべきか簡単には判断できない状況もある。 === 逐語式の無理、訳語の選択 === 以下の英文を考える。 I ate rice. 実務での翻訳や通訳の経験が浅い人、その中でも特に もともと語学能力が低く、(普段から逐語式で「翻訳まがい」の作業をし)酷い訳文を作りがちな人などが、機械翻訳のソフトウェアを夢想すると、とりあえずきわめて素朴なルールベースの翻訳機を着想し、「rice」→「ご飯」のような1対1の変換(逐語変換)の規則を多数(変換用対照テーブル等の形で)持たせ、あとは統語法に基づいた語順変換処理などをして「私はご飯を食べた」という訳文を出力させるプログラムさえ作れば、翻訳機ができるのではないか? などと(浅はかにも)夢を見てしまいがちだが、次の英文を考慮すると、そんな単純なシステムでは全く実用的な翻訳機にならない、と理解できる。 We will have rice harvest tomorrow. この場合、「rice」→「ご飯」と、1対1の対照表で機械的に変換するシステムだと、たとえば「私たちは明日ご飯を収穫します」という、(お粗末な、使い物にならない)翻訳文しか出力されない。 多くの言語間での「原語→訳語」の関係と同様に、英語の「rice」に対応する日本語も複数あり、[[文脈]]に応じて、(この文例では)「稲」「(お)米」「ご飯」などと訳し分けるものであることは当然必要であり、つまり翻訳機は、文脈に応じて訳語を適切に選択しないようでは全然実用性が無いので、当然この課題は解けるものになっていなければならない(ということは、機械翻訳開発のかなり初期段階で理解されていた)。 === 常識 === 機械翻訳の難しさのひとつは、自然言語の文を扱うということは、[[統語論]]では完結せず、[[常識]]的な知識や[[意味論 (言語学)|意味論]]も扱わねばならないことが頻繁にある、という点にもある。 たとえば英文 「Time flies like an arrow. 」について、もし「統語解析を行う→可能なツリー構造を全部挙げる → 英単語を単純に日本語単語に置き換える」ということしかせず、意味分析や常識判断を加えないと、数種類のツリー構造が候補として挙ってしまい、(全然意味の異なる)翻訳文が数パターンできてしまう。たとえば「時間は矢のように飛び去る」という翻訳文以外にも、「時間蠅は矢を好む 」「蝿たちを計時せよ! 矢のように(素早く)!」となどという、(奇妙な)翻訳文まで機械翻訳システムは吐き出してしまうかも知れない。 つまり、単なる統語分析や文法解析では複数の候補翻訳文が挙げられる場合でも、人間は意味論や常識や過去の言語的体験(聞いた文章、読んだ文章の記憶)も働かせてひとつの翻訳文を選びとっているので、機械翻訳システムでも、現実世界の常識や現実世界に流通している大量のまともな文章と照らし合わせて、間違いは間違いだと気付き、翻訳文を却下する必要があり、こうした判断を機械翻訳システムにさせる工夫(つまり[[知識ベース]]や「人間の世界の常識」と照らし合わせて常識に反するものを見つけてはじく(切り捨てる)アルゴリズムなど)をかませる必要がある。 たとえば「時間は矢のように飛び去る」という候補のほうは残し、「時間蠅は矢を好む」という候補のほうはダメだと判断して排除するには、「人は時が素早く過ぎると感じられることがある」「矢は速く飛ぶ」「人々の日常会話で『時間蠅』などという語が登場したことは無い。また小・中・高・大学生などが読む教科書でも『時間蠅』などという用語が登場したことは無い。報道の文章でも登場しない。」などといった言語的経験(過去の言語表現の知識。データベース)が必要となる。また「同様に、おそらく専門家の文献でも『時間蠅』などという用語は登場することは無いだろう」といった[[推論]]も必要となるかも知れない。理屈の上では「時間蠅」という用語も(統辞法的には)構築可能ではあるが、(翻訳した文章がSF小説でもなく、前後の文脈で、やたらとタイムマシンや、蠅を研究するマッドサイエンティストが繰り返し登場していない限り)、やはりそんな文章はありえない、と機械翻訳システムも判断する必要がある。 このように、正しい翻訳を行うためには、単に統語論的に可能なツリー構造のパターンを網羅的に挙げるだけでなく、現実世界に関する知識や、教科書や報道などで大量に書かれ読まれ、人々の頭脳に刻みこまれている過去の一般的な文例、人間の日常会話(話し言葉)で使われている表現や言い回しなどの頻度や時代ごとの傾向に関する知識も必要となるのである。 「Time flies like an arrow.」の場合などはさらに、「時間は矢のように飛ぶ」や「時間は矢のように飛び去る」などという翻訳文を吐き出すだけでは、まだまだ程度が低いわけであり、もっと知識を動員して、日本語には「光陰矢のごとし」という決まった比喩表現があり、日本人向けの英語の教科書などでは''Time flies like an arrow.''の定番訳として毎回「光陰矢のごとし」という文が掲載されている、という知識も使って、「'''光陰矢のごとし'''」という正解にたどりつくのが良い、ということになる。 人間でもまともな翻訳をするには、学校で学んだ膨大な教科書類などの記憶や、放送で聞いた膨大な量の表現、家族や友人から聞いた膨大な量の表現も思い出しつつ、多くの候補の中から翻訳文を選んでいるように、機械翻訳でもそうした言語的知識の膨大な蓄積や「常識」を使う必要があるのである。 == 翻訳支援 == {{seealso|翻訳支援ツール|翻訳メモリ}} 機械翻訳は主に「自動翻訳(機械翻訳)」と「翻訳支援(コンピュータ支援翻訳)」という異なる応用先で用いられ、両者は区別される<ref>{{Cite web|和書|title=著作権審議会第9小委員会(コンピュータ創作物関係)報告書 {{!}} 著作権審議会/文化審議会分科会報告 {{!}} 著作権データベース {{!}} 公益社団法人著作権情報センター CRIC|url=https://www.cric.or.jp/db/report/h5_11_2/h5_11_2_main.html#2_2|website=www.cric.or.jp|accessdate=2020-07-28|publisher=|quote=機械翻訳とは、人間の援助の下で、コンピュータが行う翻訳である。なお、電子辞書をコンピュータに備え、辞書引きをコンピュータに行わせつつ、人間が行う翻訳は、コンピュータ支援翻訳といわれ、機械翻訳とは区別される。}}</ref>。自動翻訳では人間の介入は最小限であり、入力文すべてを機械に翻訳させようとする。これは「翻訳元の言語を理解することができない人」のための技術であると言える。翻訳支援はプロの翻訳者が翻訳作業を効率的かつ高品質に行うために[[翻訳ソフト]]を活用するものである。また、電子辞書をコンピュータに備え、辞書引きをコンピュータに行わせつつ、人間が行う翻訳は、コンピュータ支援翻訳と呼ばれる。 == 実用性 == 現実の翻訳は互いの[[言語]]の関係によっても大きく異なる。自然言語はそれぞれ孤立して存在するものではなく、多かれ少なかれ互いに影響し合っている。特に共通の歴史が長い言語同士では、文法や語彙に共通性、あるいは共通の起源を多く持つことがある。そのような場合、極端に言えば単語を置き換えるだけでもある程度のレベルの翻訳が可能であるから、機械翻訳もより容易い。 だいたいの意味を知るための[[概訳]]については、[[フランス語]]、[[スペイン語]]、[[イタリア語]]など[[インド・ヨーロッパ語族]][[ロマンス語]]系諸語間の自動翻訳は比較的順当であり、[[英語]]とロマンス語系あるいは[[ゲルマン語]]系言語との間の自動翻訳も実用レベルに達しているといえる。 日本語からの翻訳の場合、早々と実用レベルに達したのは[[朝鮮語]]との相互翻訳である。日本語と朝鮮語は[[膠着語]]であるという文法的共通性や漢語からの借用語などが多く、単語の置き換え以外にはあまり複雑な処理を必要としない。このため、「[[GoKorea]]」「[[KJCLUB]]」などの自動翻訳掲示板なども存在する。 日本語の場合は助詞や同音異義語が多数存在し、主語の省略も行われる。このため、形態素解析の段階で解析誤りが発生し、推測しなければならない情報も数多く存在する。例えば一般に英日翻訳に比べて日英翻訳の能力は低い段階にあった<ref>成田一『パソコン翻訳の世界』1997年</ref>。殆どの言語で機械翻訳の恩恵を受けにくい状況が長く続き、再翻訳結果がネットミームとして遊ばれていたような状況だったが<ref>[https://news.mynavi.jp/article/20221013-2479932/ エキサイト翻訳がサービス終了へ、22年間の歴史にネット「一つの時代が終わった」 | マイナビニュース]</ref>、2010年代以降のAI技術の発展で、[[みらい翻訳]]や[[DeepL翻訳]]が自然な翻訳を実現、大きな話題を集めた<ref>[https://www.watch.impress.co.jp/docs/topic/1256794.html 「DeepL」の驚くほど自然な翻訳に迫る。失敗しない使い方 - Impress Watch]</ref><ref>[https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1242290.html Google翻訳を超えた? 新しい翻訳サービス「DeepL」がその精度の高さで話題に【やじうまWatch】 - INTERNET Watch]</ref><ref>[https://forest.watch.impress.co.jp/docs/serial/yajiuma/1182009.html 無料で“Google 翻訳”より高精度! “みらい翻訳”のお試し翻訳が便利 - やじうまの杜 - 窓の杜]</ref>。 [[翻訳支援]]の場合、特定の分野の翻訳に適した[[ユーザー辞書]]を作成することにより、翻訳ソフトの品質は大幅に向上する。だが一定規模の企業・組織ユーザー以外の、一般ユーザーによる小規模な利用シナリオでは、ユーザー辞書の効果よりも辞書の作成にかかる時間・労力のほうが大きい。その理由には、辞書作成に技能を要する、ユーザー辞書のコンテンツがない、辞書の相互利用のためのインフラがない、翻訳の量が少ない(規模が少ない・頻度が少ない)といった理由が挙げられる。これらの問題を解決するために、[[AAMT]](アジア太平洋機械翻訳協会)がユーザー辞書を共有するための用語集仕様である[[UPF (規格)|UPF]]を策定した。その後UPFの検討は中止され、2006年に後継の仕様である[[UTX]]の策定が開始され、2013年現在ではバージョン1.11が公開されている。 == 機械翻訳装置 == {{節スタブ}} *[[翻訳機]] *[[翻訳ソフト]] *[[翻訳サイト]] === ツールキット === 商用・非商用両方で多くの機械翻訳のアプリケーション、ツールキットが存在する。[[オープンソースソフトウェア]]として公開されているものは主に統計的機械翻訳のためのツールであり、これらを利用するにはパラレルコーパスを自ら用意する必要がある。 ==== プロプライエタリ ==== * [[SDL Machine Translation]]<ref>{{Cite web |url=https://www.sdl.com/jp/products-and-solutions/translation/sdl-machine-translation/ |title=SDL Machine Translation |accessdate=2020-09-26}}</ref> * [[SYSTRAN]] ==== フリーソフトウェア ==== * [http://nlp.ist.i.kyoto-u.ac.jp/EN/index.php?KyotoEBMT KyotoEBMT] (統計/用例に基づく翻訳) * [http://www.statmt.org/moses/ Moses] (統計/様々な翻訳手法を実装した総合ツールキット) * [http://cdec-decoder.org/index.php?title=Main_Page cdec] (統計/構文木に基づく翻訳) * [http://www.phontron.com/travatar/ Travatar] (統計/構文木に基づく翻訳) * [http://www2.nict.go.jp/univ-com/multi_trans/cicada/ cicada] (統計/構文木に基づく翻訳) == 評価 == 機械翻訳の評価方法として、人手評価と自動評価がある。 === 人手評価 === 人手評価は、その名前の通り、人間の評価者が翻訳機の出力結果を読んでスコアを付けてゆく方法である。 スコアとして、例えば以下のような基準を設定する。 * 5: 不自然さを感じず、意味も正確である。 * 4: 多少不自然さがあるが、意味は概ね理解できる。 * 3: 不自然さがあり、意味が分かりにくい。 * 2: 不自然さがあり、所々誤訳が含まれている。 * 1: 翻訳が完全に崩壊している。 各文に対して上記のような指針に従ってスコア付けを行い、最後に各評価の割合(どのスコアの文が何パーセント含まれているか)を計算して翻訳システムの評価結果とする。 複数の基準に従って評価したり、評価者が自由にコメントできるようにすることで、単純なスコア付けだけでなく、システムの改善に繋げることが可能である。 === 自動評価 === 自動評価は、機械翻訳の結果を機械的に評価する方法である。 評価を行う場合は、まず、原文と参照訳(翻訳の正解文)を数千対程度用意し、翻訳システムを用いて原文を翻訳する。 次に、翻訳結果と参照訳の類似度を各文に対して計算し、最後に平均を取って翻訳システムの評価とする。 自動評価尺度として、以下のようなものがある。それぞれの尺度に特徴があるため、1つの尺度を信頼するのではなく、複数の尺度を併用することが望ましい。 * [[:en:BLEU|BLEU]] * [http://nlp.cs.nyu.edu/GTM/ General Text Matcher(GTM)] * [http://www.eli.hokkai-s-u.ac.jp/~echi/impact.html IMPACT] * [http://www.cs.cmu.edu/~alavie/METEOR/ METEOR] * Position-independent word Error Rate (PER) * [http://www.kecl.ntt.co.jp/icl/lirg/ribes/index-j.html RIBES] * [http://www.cs.umd.edu/~snover/tercom/ Translation Error Rate(TER)] * [[:en:Word_error_rate|Word Error Rate(WER)]] == 教具としての機械翻訳の使用 == 機械翻訳の正確さに関してはいろいろと懸念されてきたが、マンチェスター大学のアナ・ニーノ博士は教室で機械翻訳を利用することの利点のいくつかを調査研究した。そのような教育上の方法の一つは「悪い見本としての機械翻訳 (''MT as Bad Model'') 」と呼ばれる<ref name = "Nino, Ana 2009">Nino,Ana. "Machine Translation in Foreign Language Learning: Language Learners's and Tutor's Perceptions of Its Advantages and Disadvantages" ReCALL: the Journal of EUROCALL 21.2 (May 2009) 241-258.</ref>。 悪い見本としての機械翻訳は言語学習者に矛盾した言葉や訳文の不正確な側面を同一視することを強制する。逆に個人は(期待をもって)言語をよりしっかりと把握するものである。ニーノ博士はこの教具が1980年代後半に実現したことを引用する。さまざまな学期の終わりに、ニーノ博士は悪い見本としての機械翻訳だけでなくその他の諸モデルも使ったことのある学生から得られた調査結果を入手することができた。圧倒的に、学生は自らの{{仮リンク|目標言語 (翻訳)|en|Target language (translation)|label=目標言語}}において、理解力と語彙の検索が改善され、信頼が増したことに気付いたようであった<ref name = "Nino, Ana 2009"/>。 == 著作権 == [[著作権]]の保護を受けるのは[[オリジナル|独創的]]な[[著作物]]のみであり、機械翻訳には[[創造|創作性]]がないため、機械翻訳の結果には著作権の保護を受ける権利が与えられないと一般的に考えられている<ref>{{Cite web|和書|title=著作権審議会第9小委員会(コンピュータ創作物関係)報告書 {{!}} 著作権審議会/文化審議会分科会報告 {{!}} 著作権データベース {{!}} 公益社団法人著作権情報センター CRIC|url=https://www.cric.or.jp/db/report/h5_11_2/h5_11_2_main.html#3_2|website=www.cric.or.jp|accessdate=2020-07-28|publisher=公益社団法人著作権情報センター|quote=現在の機械翻訳システムにおいては、二次的著作物と評価されるに足る翻訳物を作成するためには、前編集や後編集などの形で一般に何らかの人の創作的寄与が必要であり、特に文芸的な著作物については、コンピュータ・グラフィックスと同様、最終的には人の感性に訴えかけるものであるため、少なくとも近い将来においてこの状況が変わることはないと考えられる。 なお、学術的な分野などでは、例えば外国語の技術的な文章の大意を大ざっぱに把握するために、原文を機械的に入力し得られた結果を、多少の誤りや読みにくさはあってもそのまま利用するといった利用法が考えられる。現在のところ、このような翻訳物は一般に二次的著作物と評価することはできないと考えるが、今後の技術の動向等によっては将来の検討課題となると考えられる。}}</ref>。またそのように主張する学者もいる<ref>{{ cite web | url = http://www.seo-translator.com/machine-translation-no-copyright-on-the-result/ | title = Machine Translation: No Copyright On The Result? | accessdate = 24 November 2012 | publisher = SEO Translator, citing [[w:Zimbabwe Independent|Zimbabwe Independent]]}}</ref>。問題となっている著作権は[[二次的著作物]](英: derivative work)についてである。原語で執筆された[[オリジナル|原著作物]](英: original work)の著者<ref group = "訳注">または作者</ref>は作品が翻訳されたときに[[権利]]を失うことはなく、翻訳者は翻訳物を[[出版]]するには許可を得なければならない。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 訳注 === {{Reflist|group = "訳注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[自然言語処理]] * [[人工知能]] * [[中間言語]] * [[翻訳機]] * [[万能翻訳機]] * [[自動通訳]] * [[Buffalo buffalo Buffalo buffalo buffalo buffalo Buffalo buffalo]] * [[形式文法]] * [[句構造規則]] *[[アジア太平洋機械翻訳協会]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{オートメーション}} {{新技術|topics=yes|infocom=yes}}{{authority control}} {{デフォルトソート:きかいほんやく}} [[Category:人工知能アプリケーション]] [[Category:機械翻訳|*]] [[Category:翻訳]]
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コンピュータセキュリティ
コンピュータセキュリティ(英語: computer security)は、情報セキュリティの一部で、コンピュータシステムを災害、誤用および不正アクセスなどから守ることである。また、ハードウェア、ソフトウェア、データ、ネットワークのいずれについてもその機密性、完全性、可用性を維持することである。 不正な利用とは、第三者による秘密情報へのアクセス、許可されていない操作の実行、ネットを介した詐欺(架空請求、ワンクリック詐欺など)が含まれる。この語は、しばしばコンピュータセキュリティ(安全性)を保つための仕組みや技術を指すために用いられる。 情報セキュリティ自体の歴史はコンピュータ以前にまで遡るが、1940年代のコンピュータ誕生後しばらくすると、いわゆるセンシティブな情報がコンピュータで扱われるようになり、コンピュータセキュリティが重要になった(なお、19世紀末に国勢調査の集計のためにタビュレーティングマシンが誕生したということを考えれば、センシティブな情報を機械が扱った歴史はもっと古い)。インターネットの歴史は1960年代から始まるが、インターネットの20世紀末の普遍的な普及は、コンピュータセキュリティを非常に重要な課題とした。パケット通信、特にインターネットのそれは、電話網のような回線交換のシステムと違い中継点が確定されないため、どこの誰か分からない誰かに盗聴されるかもしれない可能性がある、という欠点をもつ。しかし実際のところ、そういった技術的な面よりも(技術的には、問題があるなら暗号化すればいいだけである。暗号の技術は純粋数理であり、理論的に難しい面はあっても工業技術のように高価な工作機械や稀少元素を必要としたりはしない)、実際的社会的な問題として、悪意のある人間が故意にコンピュータを破壊したり、データを改竄したり、迷惑メールの大量送信、架空請求詐欺のメールによって金銭を騙し取るなどが可能になってしまった、などといった印象によって「セキュリティが重要だ」という印象が作られていった。コンピュータセキュリティとは、このような行為から保安することをいう。 一般にセキュリティと利便性は相反する性質のものである。現在のコンピュータではおもにユーザIDとパスワードによってユーザを認証しているが、セキュリティを確保するために利用者が頻繁にパスワードを入力するようではシステムが使いづらくなってしまう。かといって、パスワードを要求しなければ情報が他人に悪用される可能性がある。暗号を使った通信も同様に、セキュリティを確保しようとすると計算(暗号アルゴリズムの実行)に多くの時間を割き、またメモリ使用量も増える。利便性を減らさずにセキュリティを高める方法(この例の解のひとつとしては、シングルサインオンシステム)を見付けるのがコンピュータ・セキュリティ研究の目標である。 コンピュータ・セキュリティ研究では暗号化方式や認証方式を道具として用い、加えて実装に依存したコンピュータのソフトウエアおよびハードウエアの知識を用いてセキュリティを高める方法を研究する。 従来のコンピュータシステムのほとんどが利便性を優先させたシステムであり、インターネットなどの設計思想が性善説を前提にしていることもあり、セキュリティの改善はむずかしい。また、ソフトウエアが複雑になりすぎたことによって、設計者の意図しなかった場面で不正利用が可能になってしまう場合がある(この脆弱性をセキュリティホールという)。 物理的セキュリティ(古来の保安・警備)に該当する対策も、コンピュータセキュリティ上は補完要素として重要である。ここでは保安・警備システムのうちコンピュータに直接関係あるものを列挙する。ICカードや指紋認証等のバイオメトリクス技術が応用されることも多い。 このようなコンピュータシステムと、入退室ロックなどのセキュリティ機構をセットとして提供するベンダーもある。
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コンピュータセキュリティは、情報セキュリティの一部で、コンピュータシステムを災害、誤用および不正アクセスなどから守ることである。また、ハードウェア、ソフトウェア、データ、ネットワークのいずれについてもその機密性、完全性、可用性を維持することである。 不正な利用とは、第三者による秘密情報へのアクセス、許可されていない操作の実行、ネットを介した詐欺(架空請求、ワンクリック詐欺など)が含まれる。この語は、しばしばコンピュータセキュリティ(安全性)を保つための仕組みや技術を指すために用いられる。
{{コンピュータセキュリティ}} {{出典の明記|date=2015年3月}} {{OS}} '''コンピュータセキュリティ'''({{Lang-en|computer security}})は、[[情報セキュリティ]]の一部で、[[コンピュータシステム]]を災害、誤用および[[不正アクセス]]などから守ることである。また、[[ハードウェア]]、[[ソフトウェア]]、[[データ]]、[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]のいずれについてもその機密性、完全性、可用性を維持することである。 不正な利用とは、第三者による秘密情報へのアクセス、許可されていない操作の実行、ネットを介した[[詐欺]]([[架空請求詐欺|架空請求]]、[[ワンクリック詐欺]]など)が含まれる。この語は、しばしばコンピュータセキュリティ(安全性)を保つための仕組みや技術を指すために用いられる。 == 概要 == [[情報セキュリティ]]自体の歴史はコンピュータ以前にまで遡るが、1940年代の[[コンピュータ]]誕生後しばらくすると、いわゆるセンシティブな情報がコンピュータで扱われるようになり、コンピュータセキュリティが重要になった(なお、19世紀末に国勢調査の集計のために[[タビュレーティングマシン]]が誕生したということを考えれば、センシティブな情報を機械が扱った歴史はもっと古い)。[[インターネットの歴史]]は1960年代から始まるが、[[インターネット]]の20世紀末の普遍的な普及は、コンピュータセキュリティを非常に重要な課題とした。パケット通信、特にインターネットのそれは、[[電話網]]のような回線交換のシステムと違い中継点が確定されないため、どこの誰か分からない誰かに[[盗聴]]されるかもしれない可能性がある、という欠点をもつ。しかし実際のところ、そういった技術的な面よりも(技術的には、問題があるなら暗号化すればいいだけである。暗号の技術は純粋数理であり、理論的に難しい面はあっても工業技術のように高価な工作機械や稀少元素を必要としたりはしない)、実際的社会的な問題として、悪意のある人間が故意にコンピュータを破壊したり、データを[[改竄]]したり、[[迷惑メール]]の大量送信、架空請求詐欺のメールによって金銭を騙し取るなどが可能になってしまった、などといった印象によって「セキュリティが重要だ」という印象が作られていった。コンピュータセキュリティとは、このような行為から[[保安]]することをいう。 一般にセキュリティと利便性は相反する性質のものである。現在のコンピュータではおもにユーザIDと[[パスワード]]によってユーザを[[認証]]しているが、セキュリティを確保するために利用者が頻繁にパスワードを入力するようではシステムが使いづらくなってしまう。かといって、パスワードを要求しなければ情報が他人に悪用される可能性がある。[[暗号]]を使った通信も同様に、セキュリティを確保しようとすると計算(暗号[[アルゴリズム]]の実行)に多くの時間を割き、また[[メモリ]]使用量も増える。利便性を減らさずにセキュリティを高める方法(この例の解のひとつとしては、シングルサインオンシステム)を見付けるのがコンピュータ・セキュリティ研究の目標である。 コンピュータ・セキュリティ研究では暗号化方式や認証方式を道具として用い、加えて実装に依存したコンピュータの[[ソフトウェア|ソフトウエア]]および[[ハードウェア|ハードウエア]]の知識を用いてセキュリティを高める方法を研究する。 従来のコンピュータシステムのほとんどが利便性を優先させたシステムであり、インターネットなどの設計思想が[[性善説]]を前提にしていることもあり、セキュリティの改善はむずかしい。また、ソフトウエアが複雑になりすぎたことによって、設計者の意図しなかった場面で不正利用が可能になってしまう場合がある(この脆弱性を[[セキュリティホール]]という)。 == 脆弱性と攻撃の種類 == {{See also|セキュリティホール}} *[[バックドア]] - セキュリティ上の問になりうる[[ソフトウェア|ソフトウエア]]の脆弱性、欠陥。[[バッファオーバーラン]]や[[クロスサイトスクリプティング]]、[[SQLインジェクション]]などがある。 *[[ゼロデイ攻撃]] - プログラム修正ファイルがリリースされる前に攻撃すること。 *[[バッファオーバーフロー|バッファオーバーフロー攻撃]] - データの格納領域をはみ出すほどの大容量データを送り付け、[[サーバ]]停止など予期せぬ動作を引き起こさせる攻撃。 *[[DoS攻撃|ポートスキャン]] *[[ダイレクト・アクセス攻撃]] *[[盗聴]] *[[マルチベクトル型攻撃、ポリモルフィック攻撃]] *[[フィッシング (詐欺)]] *[[権限昇格攻撃]] ([[:en:Privilege escalation]]) *[[ソーシャル・エンジニアリング]] *[[スプーフィング攻撃]] *[[改竄]] *[[サイドチャネル攻撃]] *[[辞書攻撃]] *[[コンピュータウイルス]] *[[ワーム (コンピュータ)]] *[[トロイの木馬 (ソフトウェア)]] *[[スパイウェア]] *[[ルートキット]] == 防御用のツールやシステム == {{See also|アクセス制御リスト|Capability-based security}} * [[アクセス制御]] * [[マルウェア#マルウェアの検出技術|マルウェア対策]] * [[スパイウェア#解決方法|スパイウェア対策]] * [[耐タンパー性能]] * [[アンチウイルスソフトウェア]] * [[ファイアウォール]] * [[脆弱性検査ツール]] * [[侵入検知システム]], IDS - ネットワーク上の動作を監視し、侵入や侵入の試みを検知するシステム。 * {{Ill|chkrootkit|en|chkrootkit}} - [[ルートキット]]がシステムに仕掛けられているかどうかを検査する道具(UNIX系、Linux系のプログラム)。 * [[記録管理]] * [[サンドボックス (セキュリティ)|サンドボックス]] * [[ハニーポット]] - [[クラッカー (コンピュータセキュリティ)|クラッカー]]を誘い込んでクラッカーの調査をするための道具やコンピュータの設定。 * [[ハニーネット]] - [[ハニーポット]]が1台のコンピュータなのに対して、ハニーネットはネットワーク1式をクラッカーを誘い込むために用意する。必ずしも実際のネットワークである必要はなく、仮想コンピュータと仮想ネットワーク上にも作られる。クラッカーからは仮想システムであることが分からない。 * [[データログ]]収集・解析 - サーバやクライアントマシンの挙動のログを収集し、解析する。解析結果を基にした対策・予防のほか、トラブル発生時の原因解明などに活用される。 * [[協調型セキュリティ]] - セキュリティソフトウエアを組み合わせ、連携させることによって、セキュリティ強度を高める。[[日本電気|NEC]]のInfoCageが他者の製品と連携して行っている。 == コンピュータシステムの物理的セキュリティの確保 == 物理的セキュリティ(古来の[[保安]]・[[警備]])に該当する対策も、コンピュータセキュリティ上は補完要素として重要である。ここでは保安・[[機械警備|警備システム]]のうちコンピュータに直接関係あるものを列挙する。[[ICカード]]や指紋認証等の[[バイオメトリクス]]技術が応用されることも多い。 * 離席ロック機構 - 操作者が端末を離れると(自動的に)ロックされ操作・モニタ不能になるなど。 * 入出力制限機構 - 各種の[[補助記憶装置]]などへのデータ入出力を制限。 * 筐体管理 - パソコンなどの筐体カバーが開けられたことの検出・警報など。また、[[ノートパソコン]]の[[ケンジントンロック]]管理なども。 このようなコンピュータシステムと、入退室ロックなどのセキュリティ機構をセットとして提供するベンダーもある。 == コンピュータセキュリティに関する[[資格]] == {{seealso|日本の情報に関する資格一覧|Category:コンピュータセキュリティ関連資格}} ;[[国家資格]] *[[情報処理安全確保支援士]](RISS、登録情報セキュリティスペシャリスト) - 情報セキュリティスペシャリスト試験を登録制の名称独占資格に移行した上で[[2017年]](平成29年)に創設された国家資格。 *[[情報処理技術者試験]] - [[経済産業省]]所管の独立行政法人である[[情報処理推進機構]](IPA)が実施する国家資格。 **[[情報セキュリティスペシャリスト試験]](セキスペ) - [[2016年]](平成28年)まで実施。情報処理安全確保支援士の前身。 **[[テクニカルエンジニア(情報セキュリティ)試験]] - 情報セキュリティスペシャリスト試験の前身。[[2008年]](平成20年)まで実施。 **[[情報セキュリティマネジメント試験]](セキュマネ) - [[ITエンジニア]]側ではなく利用者側の試験。[[2016年]](平成28年)より実施。 **[[情報セキュリティアドミニストレータ試験]](情報セキュアド) - 利用者側の試験。[[2008年]](平成20年)まで実施。 **[[ネットワークスペシャリスト試験]](ネスペ) - 近年は[[ネットワーク・セキュリティ]]技術に関する出題が多い。 **[[システム監査技術者試験]] **[[ITサービスマネージャ試験]] **[[応用情報技術者試験]] **[[基本情報技術者試験]] **[[ITパスポート試験]] *[[電気通信主任技術者]] *[[技術士情報工学部門]](選択科目:情報基盤) *[[技術士電気電子部門]](選択科目:情報通信) ;公的資格 *[[コンピュータサービス技能評価試験]](CS試験)情報セキュリティ部門 - [[中央職業能力開発協会]]が実施する公的検定試験。 ;民間資格 *[[Linux Professional Institute Certification]] (LPIC) *[[LinuC]] *[[コンプティア|CompTIA]] **Network+ **Security+ **Pentest+ **Cybersecurity Analyst (CySA+) **CompTIA Advanced Security Practitioner (CASP+) *[[Certified Information Systems Security Professional]] (CISSP) *[[Certified Internet Web Professional]] (CIW) *[[ISACA]]公認情報システム監査人 (CISA)、公認情報セキュリティマネージャー (CISM) *EC-Council認定ホワイトハッカー (CEH) *Global Information Assurance Certification (GIAC) *Offensive Security Certified Professional (OSCP) *[[シスコ技術者認定]]([[Cisco Certified Network Associate|CCNA]]、[[CCNP]]、[[Cisco Certified Internetwork Expert|CCIE]]) *[[Amazon_Web_Services#クラウドコンピューティング認定プログラム|AWS認定セキュリティ・スペシャリティ]] *[[ドットコムマスター]] *[[全日本情報学習振興協会]](全情協)認定資格 **[[企業情報管理士]] **[[個人情報保護士]] **[[個人情報保護法検定]] **[[情報セキュリティ管理士]] **[[情報セキュリティ初級認定試験]] == 関連項目 == {{columns-list|3| * [[不正アクセス]] * [[シャドーIT]] * [[サイバー犯罪]] * [[アドフラウド]] * [[ネットワーク監視]] * [[保安]] * [[ネットワーク・セキュリティ]] * [[情報セキュリティ]] * [[アイデンティティ管理]] * [[データの完全消去]] * [[ソフトウェア工学|ソフトウエア工学]] * [[コンピュータと社会]] * [[Phrack]] * [[最小権限の原則]] }} == 外部リンク== {{Commonscat|Computer security}} *[https://www.nisc.go.jp/ 内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)] - 内閣官房 *[https://www.digital.go.jp/policies/security/ サイバーセキュリティ] - デジタル庁 *[https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/cybersecurity/kokumin/index.html 国民のためのサイバーセキュリティサイト] - 総務省 *[https://www.meti.go.jp/policy/netsecurity/index.html サイバーセキュリティ政策] - 経済産業省 *[https://security-portal.nisc.go.jp/ NISC | みんなで使おうサイバーセキュリティ・ポータルサイト] - 内閣官房 *[https://www.ibm.com/jp-ja/topics/cybersecurity サイバーセキュリティーとは] - IBM {{コンピュータ科学}} {{DEFAULTSORT:こんひゆうたせきゆりてい}} [[Category:コンピュータセキュリティ|*]] [[Category:インターネット犯罪]]
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分散コンピューティング
分散コンピューティング(ぶんさんコンピューティング、英: distributed computing)とは、プログラムの個々の部分が同時並行的に複数のコンピュータ上で実行され、各々がネットワークを介して互いに通信を行いながら全体として処理が進行する計算手法のことである。複雑な計算などをネットワークを介して複数のコンピュータを利用して行うことで、一台のコンピュータで計算するよりスループットを上げようとする取り組み、またはそれを実現する為の仕組みである。分散処理(ぶんさんしょり)ともいう。並列コンピューティングの一形態に分類されるが、一般に並列コンピューティングと言えば、同時並行に実行する主体は同じコンピュータシステム内のCPU群である。ただし、どちらもプログラムの分割(同時に実行できる部分にプログラムを分けること)が必須である。分散コンピューティングではさらに、それぞれの部分が異なる環境でも動作できるようにしなければならない。例えば、2台の異なるハードウェアを使ったコンピュータで、それぞれ異なるファイルシステム構成であっても動作するよう配慮する必要がある。 問題を複数の部分問題に分けて各コンピュータに実行させるのが基本であり、素数探索や数多く試してみる以外に解決できない問題の対処として用いられているものが多い。分散コンピューティングの例としてBOINCがある。これは、大きな問題を多数の小さな問題に分割し、多数のコンピュータに分配するフレームワークである。その後、それぞれの結果を集めて大きな解を得る。一般的に処理を分散すると一台のコンピュータで計算する場合と比べ、問題データの分配、収集、集計するためのネットワークの負荷が増加し、問題解決の為のボトルネックとなるため、部分問題間の依存関係を減らすことが重要な課題となる。 分散コンピューティングは、コンピュータ同士をネットワーク接続し、効率的に通信できるよう努力した結果として自然に生まれた。しかし、分散コンピューティングはコンピュータネットワークと同義ではない。単にコンピュータネットワークと言った場合、複数のコンピュータが互いにやり取りするが、単一のプログラムの処理を共有することはない。World Wide Web はコンピュータネットワークの例であるが、分散コンピューティングの例ではない。 分散処理を構築するための様々な技術や標準が存在し、一部はその目的に特化して設計されている。例えば、遠隔手続き呼出し (RPC)、Java Remote Method Invocation (Java RMI)、.NET Remoting などがある。 コンピュータ同士の相互のやり取りを組織して系統立てることが重要である。様々なコンピュータを利用可能とするには、通信プロトコルや通信経路に特定のマシンが認識できない情報が含まれていてはならない。メッセージが正しく配布されるよう特に注意を払う必要があり、不正なメッセージがあるとシステムやネットワークが動作不能となる危険性があるため、それを拒絶しなければならない。 もう1つの重要な要因は、ソフトウェアをコンピュータからコンピュータへ送信する機能であり、それによって送られたコンピュータが既存のネットワークとやり取りできるようになる。アーキテクチャが異なっているとこれができない場合があり、クロスコンパイラなどを使った移植が必要になる。 分散コンピューティング・システムには様々な形態がある。分散コンピューティングの主な目標は、透過的でオープンでスケーラブルな方法でユーザー群とリソース群を結びつけることである。理想的には、スタンドアローンシステム群の単なる組合せよりも、よりフォールトトレラントでより強力なシステムとなることが期待される。 次のような利点があるとされる。 分散システムのオープン性とは、各サブシステムが他のシステムとの相互作用について継続的にオープンであることをいう(参考文献参照)。Webサービスプロトコルは、分散システムを拡張・拡大することを可能にする標準である。一般に、拡張性のあるオープンシステムは、自己完結型の完全にクローズなシステムよりも優れている。 オープンな分散システムは以下のような特性を持つ。 計画に不備があると、分散システムは全体の計算の信頼性が低下し、ノードのダウンによって他のノードも動作不能に陥る可能性がある。レスリー・ランポートは、「分散システムは、そんな障害があるとは思ってもみなかった障害によって利用不能になるシステムである」と述べている。 分散システムにおけるトラブルシューティングや診断はますます困難になりつつある。問題の原因を突き止めようとすれば、遠隔ノードへの接続が必要であり、ノード間の通信内容を調べる必要がある。 分散環境に適さない計算の種類も多い。特に通信量が多くなるものや同期が必要なものは適さない。必要な帯域幅があまりに大きくレイテンシが少ないほどよいという場合は、分散コンピューティングは不適切であり、分散でない環境の方が性能がよいと予想される。 分散コンピューティングでは、様々なハードウェアおよびソフトウェアの設計思想(アーキテクチャ)が使われる。大きく分けると低レベルと高レベルに分けられる。 分散プログラミングは、一般に以下の基本アーキテクチャのいずれかに分類される。 分散コンピューティング・アーキテクチャの別の観点として、並行プロセス間の通信と作業配布の方法がある。プロセスは各種メッセージパッシングプロトコルを使って互いに直接通信でき、一般にマスタースレーブ型の関係にある。それとは別にデータベースを中心とするアーキテクチャもあり、直接のプロセス間通信をせず、データベースを共有することで分散処理を実現する。 分散コンピューティングには、ある種の並行性が実装される。並行コンピューティングとも密接な関係があり、しばしば同義に扱われる。 マルチプロセッサシステムは、複数のCPUを持つ単一のコンピュータである。オペレーティングシステムがその利点を生かすよう構築されていれば、異なるプロセス(あるいは同一プロセスの異なるスレッド)を異なるCPU上で同時に実行できる。 インテルのCPUは、Pentium 4の世代の後期にハイパースレッディング・テクノロジーと呼ばれる技術を採用した。これは、複数のスレッドを同じCPU上で同時に実行できる技術である。その後、マルチコア技術で複数のCPUコアを1つのパッケージにするようになり、サン・マイクロシステムズは UltraSPARC T1 で、AMDは Athlon 64 X2/FX/Opteron で、インテルは Pentium D/Core/Core 2/Xeonで実装している。これにより、複数のスレッドを同時実行できるようになり、同時実行可能スレッド数は増えていく傾向にある。 マルチコンピュータという用語は、疎結合型のNUMAマシンや密結合型のコンピュータ・クラスターを指す。マルチコンピュータは、電力消費を抑えつつ限られたスペースで強力な計算能力を持つシステムを構築する際に採用される。 分散システムはフリンの分類によって次のように分類される。 クラスターは複数の独立したマシンで構成され、高速なネットワークで相互接続されたマシンが並列に動作する。分散コンピューティングとコンピュータ・クラスターの違いは、分散コンピューティングで使われる個々のマシンが必ずしも同一グループのタスクを実行するためだけにあるわけではないのに対して、クラスターでは各マシンがより密に結合されている。分散コンピューティングは、クラスターよりも地理的に広範囲にあるマシンを含むことが多い。 グリッドも多数のコンピュータから構成され、ネットワーク(通常インターネット)で疎結合され、大きな計算問題を解くのに使われる。パブリック・グリッドでは、世界中の数千ものコンピュータの空き時間を利用する。グリッド・コンピューティングは、高価なスーパーコンピュータが必要になるような計算や、従来は不可能と思われていた計算を可能とした。 システム内のあらゆるハードウェアにアクセスできるプログラミング言語は、時間さえあれば分散プログラミングに使える。遠隔手続き呼出し (RPC) は、オペレーティングシステムのコマンドをネットワーク経由で分散配布する。オブジェクト指向設計をネットワークにマッピングしようとする試みとして、CORBA、マイクロソフトのDCOM、Java RMI などがある。疎結合システムでは、一般に人間にも読める中間文書を使って通信を行う(例えば、XML、HTML、SGML、X.500、EDI)。 分散プログラミング向けに機能が強化されている言語としては、以下のものがある。 一般に参加者を募っている分散コンピューティングプロジェクトが多くあり、既に目的とした問題解決などの成果を出したプロジェクトもある。多くのプロジェクトでは などの手法を用いて、分散コンピューティングを実現、参加者の募集等をおこなっている。これらのプロジェクトでは、一般ユーザの参加により、コストの削減も目指している。これらのプロジェクト特有の課題として、クライアントなどを改ざんして、意図的に誤った計算結果をサーバに送る危険性が挙げられるため、通信方式を非公開にする、同じ計算を複数のクライアントに行わせる、などの対策が行われている。 通常これらのプロジェクトでは個人の所有するPCによる計算結果を集計し、プロジェクトを進行している。その為、参加者数がプロジェクトの進行速度に大きく影響する。集計ではプロジェクトの進行状況とともに、参加者個人あるいは参加者がまとまったチームでの集計結果を表示するなどしているプロジェクトが多い。これが参加者同士の交流につながったり、参加者の競争意識を煽り、参加者の増加につながっているプロジェクトも存在する。
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"分散コンピューティングプロジェクト" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "通常これらのプロジェクトでは個人の所有するPCによる計算結果を集計し、プロジェクトを進行している。その為、参加者数がプロジェクトの進行速度に大きく影響する。集計ではプロジェクトの進行状況とともに、参加者個人あるいは参加者がまとまったチームでの集計結果を表示するなどしているプロジェクトが多い。これが参加者同士の交流につながったり、参加者の競争意識を煽り、参加者の増加につながっているプロジェクトも存在する。", "title": "分散コンピューティングプロジェクト" } ]
分散コンピューティングとは、プログラムの個々の部分が同時並行的に複数のコンピュータ上で実行され、各々がネットワークを介して互いに通信を行いながら全体として処理が進行する計算手法のことである。複雑な計算などをネットワークを介して複数のコンピュータを利用して行うことで、一台のコンピュータで計算するよりスループットを上げようとする取り組み、またはそれを実現する為の仕組みである。分散処理(ぶんさんしょり)ともいう。並列コンピューティングの一形態に分類されるが、一般に並列コンピューティングと言えば、同時並行に実行する主体は同じコンピュータシステム内のCPU群である。ただし、どちらもプログラムの分割(同時に実行できる部分にプログラムを分けること)が必須である。分散コンピューティングではさらに、それぞれの部分が異なる環境でも動作できるようにしなければならない。例えば、2台の異なるハードウェアを使ったコンピュータで、それぞれ異なるファイルシステム構成であっても動作するよう配慮する必要がある。 問題を複数の部分問題に分けて各コンピュータに実行させるのが基本であり、素数探索や数多く試してみる以外に解決できない問題の対処として用いられているものが多い。分散コンピューティングの例としてBOINCがある。これは、大きな問題を多数の小さな問題に分割し、多数のコンピュータに分配するフレームワークである。その後、それぞれの結果を集めて大きな解を得る。一般的に処理を分散すると一台のコンピュータで計算する場合と比べ、問題データの分配、収集、集計するためのネットワークの負荷が増加し、問題解決の為のボトルネックとなるため、部分問題間の依存関係を減らすことが重要な課題となる。 分散コンピューティングは、コンピュータ同士をネットワーク接続し、効率的に通信できるよう努力した結果として自然に生まれた。しかし、分散コンピューティングはコンピュータネットワークと同義ではない。単にコンピュータネットワークと言った場合、複数のコンピュータが互いにやり取りするが、単一のプログラムの処理を共有することはない。World Wide Web はコンピュータネットワークの例であるが、分散コンピューティングの例ではない。 分散処理を構築するための様々な技術や標準が存在し、一部はその目的に特化して設計されている。例えば、遠隔手続き呼出し (RPC)、Java Remote Method Invocation、.NET Remoting などがある。
{{出典の明記|date=2023年9月}} '''分散コンピューティング'''(ぶんさんコンピューティング、{{lang-en-short|distributed computing}})とは、[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]の個々の部分が同時並行的に複数の[[コンピュータ]]上で実行され、各々が[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]を介して互いに通信を行いながら全体として処理が進行する計算手法のことである。複雑な計算などをネットワークを介して複数のコンピュータを利用して行うことで、一台のコンピュータで計算するより[[スループット]]を上げようとする取り組み、またはそれを実現する為の仕組みである。'''分散処理'''(ぶんさんしょり)ともいう。[[並列コンピューティング]]の一形態に分類されるが、一般に並列コンピューティングと言えば、同時並行に実行する主体は同じコンピュータシステム内の[[CPU]]群である。ただし、どちらもプログラムの分割(同時に実行できる部分にプログラムを分けること)が必須である。分散コンピューティングではさらに、それぞれの部分が異なる環境でも動作できるようにしなければならない{{要検証|date=2009年9月}}。例えば、2台の異なるハードウェアを使ったコンピュータで、それぞれ異なる[[ファイルシステム]]構成であっても動作するよう配慮する必要がある。 問題を複数の部分問題に分けて各コンピュータに実行させるのが基本であり、[[素数]]探索や数多く試してみる以外に解決できない問題の対処として用いられているものが多い。分散コンピューティングの例として[[Berkeley Open Infrastructure for Network Computing|BOINC]]がある。これは、大きな問題を多数の小さな問題に分割し、多数のコンピュータに分配するフレームワークである。その後、それぞれの結果を集めて大きな解を得る。一般的に処理を分散すると一台のコンピュータで計算する場合と比べ、問題データの分配、収集、集計するためのネットワークの負荷が増加し、問題解決の為の[[ボトルネック]]となるため、部分問題間の依存関係を減らすことが重要な課題となる。 分散コンピューティングは、コンピュータ同士をネットワーク接続し、効率的に通信できるよう努力した結果として自然に生まれた。しかし、分散コンピューティングは[[コンピュータネットワーク]]と同義ではない。単にコンピュータネットワークと言った場合、複数のコンピュータが互いにやり取りするが、単一のプログラムの処理を共有することはない。[[World Wide Web]] はコンピュータネットワークの例であるが、分散コンピューティングの例ではない。 分散処理を構築するための様々な技術や標準が存在し、一部はその目的に特化して設計されている。例えば、[[遠隔手続き呼出し]] (RPC)、[[Java Remote Method Invocation]] (Java RMI)、[[.NET Remoting]] などがある。 == 構成 == コンピュータ同士の相互のやり取りを組織して系統立てることが重要である。様々なコンピュータを利用可能とするには、[[通信プロトコル]]や通信経路に特定のマシンが認識できない情報が含まれていてはならない。[[メッセージ (コンピュータ)|メッセージ]]が正しく配布されるよう特に注意を払う必要があり、不正なメッセージがあるとシステムやネットワークが動作不能となる危険性があるため、それを拒絶しなければならない。 もう1つの重要な要因は、ソフトウェアをコンピュータからコンピュータへ送信する機能であり、それによって送られたコンピュータが既存のネットワークとやり取りできるようになる。アーキテクチャが異なっているとこれができない場合があり、[[クロスコンパイラ]]などを使った移植が必要になる。 == 目標と利点 == {{独自研究|section=1|date=2023年5月}} 分散コンピューティング・システムには様々な形態がある。分散コンピューティングの主な目標は、[[透過性 (情報工学)|透過的]]でオープンで[[スケーラビリティ|スケーラブル]]な方法でユーザー群とリソース群を結びつけることである。理想的には、[[スタンドアローン]]システム群の単なる組合せよりも、より[[フォールトトレラント性|フォールトトレラント]]でより強力なシステムとなることが期待される。 次のような利点があるとされる。 * 高信頼 ** 故障部分以外は稼動可能 * 安価 ** [[グロッシュの法則]](''コンピュータの能力 &prop; コスト<sup>2</sup>'')が破れ、[[ハードウェア]]と[[ソフトウェア]]のコストが逆転。 === オープン性 === 分散システムのオープン性とは、各サブシステムが他のシステムとの相互作用について継続的にオープンであることをいう(参考文献参照)。[[Webサービス]][[通信プロトコル|プロトコル]]は、分散システムを拡張・拡大することを可能にする標準である。一般に、拡張性のあるオープンシステムは、自己完結型の完全にクローズなシステムよりも優れている。 オープンな分散システムは以下のような特性を持つ。 ; 単調性 : オープンシステム上で何かが公開されれば、それを取り消すことはできない。 ; 複数性 : オープンな分散システムの個々のサブシステムは、異質で重複し、場合によっては競合するような情報を含む。中心となる調停機能はオープンな分散システムには存在しない。 ; 無制限の非決定性 : オープンな分散システムでは、個々のサブシステムは非同期的に立ち上がったりダウンしたりし、サブシステム間の通信リンクも非同期に接続されたり切断されたりする。従って、ある処理が完了する時間を予測することはできない。 == 欠点と問題 == {{独自研究|section=1|date=2013年5月}} {{see also|分散コンピューティングの落とし穴}} * 不特定多数、または特定多数のコンピューターに処理させるためにセキュリティ面で脆弱になりやすい * 上記されているように問題データの分配、収集、集計するためのネットワークの負荷が増加する * 一般参加者を募る場合、志願者が少ないとその分処理も遅れる === 技術的問題 === 計画に不備があると、分散システムは全体の計算の信頼性が低下し、ノードのダウンによって他のノードも動作不能に陥る可能性がある。[[レスリー・ランポート]]は、「分散システムは、そんな障害があるとは思ってもみなかった障害によって利用不能になるシステムである」と述べている<ref>{{cite web|author=Leslie Lamport |authorlink=レスリー・ランポート |title = Subject: distribution (Email message sent to a DEC SRC bulletin board at 12:23:29 PDT on 28 May 87)|url= http://research.microsoft.com/users/lamport/pubs/distributed-system.txt|accessdate=2007年4月28日}}</ref>。 分散システムにおける[[トラブルシューティング]]や診断はますます困難になりつつある。問題の原因を突き止めようとすれば、遠隔ノードへの接続が必要であり、ノード間の通信内容を調べる必要がある。 分散環境に適さない計算の種類も多い。特に通信量が多くなるものや[[同期 (計算機科学)|同期]]が必要なものは適さない。必要な[[帯域幅]]があまりに大きく[[レイテンシ]]が少ないほどよいという場合は、分散コンピューティングは不適切であり、分散でない環境の方が性能がよいと予想される。 == 設計思想(アーキテクチャ) == === 分散コンピューティングでの設計思想(アーキテクチャ)=== 分散コンピューティングでは、様々なハードウェアおよびソフトウェアの設計思想(アーキテクチャ)が使われる。大きく分けると低レベルと高レベルに分けられる。 ; 低レベルでの設計思想(アーキテクチャ) : 複数のCPUを何らかのネットワークで相互接続する必要がある(そのネットワークは、基板上にプリントされた回路かもしれないし、疎結合された機器とケーブルの集合体かもしれない)。 ; 高レベルでの設計思想(アーキテクチャ) : 何らかの通信システムで個々のコンピュータ上で動作する[[プロセス]]を相互接続しなければならない。 === 分散プログラミングでの設計思想(アーキテクチャ)=== 分散プログラミングは、一般に以下の基本アーキテクチャのいずれかに分類される。 ; [[クライアントサーバモデル|クライアントサーバ]] : クライアントがサーバに対してデータを要求し、それをフォーマットしてユーザー向けに表示する。クライアントへの入力がサーバのデータを変更するものである場合、サーバにそれが送られる。 ; [[多層アーキテクチャ|3層アーキテクチャ]] : 3層システムは、クライアントとサーバの間に中間層を置く形態で、それによってクライアントの処理が軽減される。そのためアプリケーション配布が単純化される。多くの[[ウェブアプリケーション]]は3層である。 ; [[多層アーキテクチャ|N層アーキテクチャ]] : N層とは、ウェブアプリケーションが要求をさらにバックエンドにあるエンタープライズサービスに転送するものを指す。[[アプリケーションサーバ]]を使ったアプリケーションはここに分類される。 ; [[コンピュータ・クラスター|密結合]](クラスター) : 一般に、高度に集積されたマシン群で同じプロセスを並行して実行し、タスクを分割して個々のプロセッサに実行させる。計算結果は後に集約される。 ; [[Peer to Peer|Peer-to-peer]] : ネットワークにサービスを提供するマシンやリソースを管理する特別なマシンが存在しないアーキテクチャ。その代わりに全ての責任は参加している全マシンにある。各マシンはサーバとしてもクライアントとしても機能する。 ; [[Linda|タプルスペース・ベース]] : 単一の[[アドレス空間]]を共有しているかのように[[仮想化]]するアーキテクチャを指す。データは必要に応じて[[透過性 (情報工学)|透過的]]に[[レプリケーション|レプリケート]]される。時間的/空間的[[結合度]]が弱められる。 分散コンピューティング・アーキテクチャの別の観点として、並行プロセス間の通信と作業配布の方法がある。プロセスは各種[[メッセージ (コンピュータ)|メッセージパッシング]]プロトコルを使って互いに直接通信でき、一般に[[マスタースレーブ]]型の関係にある。それとは別に[[データベース]]を中心とするアーキテクチャもあり、直接の[[プロセス間通信]]をせず、[[データベース]]を共有することで分散処理を実現する<ref>[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/sites/entrez?db=pubmed&list_uids=16711722&cmd=Retrieve A database-centric virtual chemistry system, J Chem Inf Model. 2006 May-Jun;46(3):1034-9]</ref>。 == 並行性 == [[File:Distributed-parallel.svg|thumb|(a)は分散型システムの模式図<br>(b)は分散型システムの詳細図<br>(c)は並列システム]] 分散コンピューティングには、ある種の[[並行性]]が実装される。[[並行計算|並行コンピューティング]]とも密接な関係があり、しばしば同義に扱われる<ref>[http://www.cs.technion.ac.il/~cs236370/main.html CS236370 Concurrent and Distributed Programming 2002]</ref>。 === マルチプロセッサシステム === [[マルチプロセッシング|マルチプロセッサ]]システムは、複数の[[CPU]]を持つ単一のコンピュータである。オペレーティングシステムがその利点を生かすよう構築されていれば、異なる[[プロセス]](あるいは同一プロセスの異なるスレッド)を異なるCPU上で同時に実行できる。 === マルチコアシステム === [[インテル]]のCPUは、[[Pentium 4]]の世代の後期に[[ハイパースレッディング・テクノロジー]]と呼ばれる技術を採用した。これは、複数の[[スレッド (コンピュータ)|スレッド]]を同じCPU上で同時に実行できる技術である。その後、[[マルチコア]]技術で複数のCPUコアを1つのパッケージにするようになり、[[サン・マイクロシステムズ]]は [[UltraSPARC T1]] で、[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]は [[Athlon 64 X2]]/[[Athlon 64|FX]]/[[Opteron]] で、インテルは [[Pentium D]]/[[Intel Core|Core]]/[[Intel Core 2|Core 2]]/[[Xeon]]で実装している。これにより、複数のスレッドを同時実行できるようになり、同時実行可能スレッド数は増えていく傾向にある。 === マルチコンピュータシステム === マルチコンピュータという用語は、疎結合型の[[NUMA]]マシンや密結合型の[[コンピュータ・クラスター]]を指す。マルチコンピュータは、電力消費を抑えつつ限られたスペースで強力な計算能力を持つシステムを構築する際に採用される。 === 分類 === 分散システムは[[フリンの分類]]によって次のように分類される。 * [[SISD]](Single Instruction, Single Data) * [[SIMD]](Single Instruction, Multiple Data) * [[MISD]](Multiple Instruction, Single Data) * [[MIMD]](Multiple Instruction, Multiple Data) === コンピュータクラスター === {{main|コンピュータ・クラスター}} クラスターは複数の独立したマシンで構成され、高速なネットワークで相互接続されたマシンが並列に動作する。分散コンピューティングと[[コンピュータ・クラスター]]の違いは、分散コンピューティングで使われる個々のマシンが必ずしも同一グループのタスクを実行するためだけにあるわけではないのに対して、クラスターでは各マシンがより密に結合されている。分散コンピューティングは、クラスターよりも地理的に広範囲にあるマシンを含むことが多い。 === グリッドコンピューティング === {{main|グリッド・コンピューティング}} グリッドも多数のコンピュータから構成され、ネットワーク(通常[[インターネット]])で疎結合され、大きな計算問題を解くのに使われる。パブリック・グリッドでは、世界中の数千ものコンピュータの空き時間を利用する。グリッド・コンピューティングは、高価な[[スーパーコンピュータ]]が必要になるような計算や、従来は不可能と思われていた計算を可能とした。 == 言語 == システム内のあらゆる[[ハードウェア]]にアクセスできる[[プログラミング言語]]は、時間さえあれば分散プログラミングに使える。[[遠隔手続き呼出し]] (RPC) は、[[オペレーティングシステム]]のコマンドをネットワーク経由で分散配布する。[[オブジェクト指向設計]]をネットワークにマッピングしようとする試みとして、[[Common Object Request Broker Architecture|CORBA]]、マイクロソフトの[[Distributed Component Object Model|DCOM]]、[[Java Remote Method Invocation|Java RMI]] などがある。疎結合システムでは、一般に人間にも読める中間文書を使って通信を行う(例えば、[[Extensible Markup Language|XML]]、[[HyperText Markup Language|HTML]]、[[Standard Generalized Markup Language|SGML]]、[[X.500]]、[[電子データ交換|EDI]])。 分散プログラミング向けに機能が強化されている言語としては、以下のものがある。 * [[Ada]] <ref>[http://www.adaic.org/standards/05rm/html/RM-TTL.html Ada Reference Manual, ISO/IEC 8652:2005(E) Ed. 3], [http://www.adaic.org/standards/05rm/html/RM-E.html Annex E Distributed Systems]</ref> * [http://www.cs.bell-labs.com/who/rsc/thread/alef.pdf Alef] * [http://erights.org/ E言語] * [[Erlang]] * [[Limbo (プログラミング言語)|Limbo]] * [[KL1]] * [[Oz (プログラミング言語)|Oz]] * [[Strand]] * [http://www.cs.washington.edu/research/zpl/home/index.html ZPL] * [http://www.cs.vu.nl/orca/ Orca] == 分散コンピューティングプロジェクト == 一般に参加者を募っている分散コンピューティングプロジェクトが多くあり、既に目的とした問題解決などの成果を出したプロジェクトもある。多くのプロジェクトでは * 計算する元データの分配、収集を行うサーバを用意 * 実際に計算を行う複数のコンピュータ用のクライアントソフトを配布 * 集計結果を [[World Wide Web|Web]] などで公開 などの手法を用いて、分散コンピューティングを実現、参加者の募集等をおこなっている。これらのプロジェクトでは、一般ユーザの参加により、コストの削減も目指している。これらのプロジェクト特有の課題として、クライアントなどを改ざんして、意図的に誤った計算結果をサーバに送る危険性が挙げられるため、通信方式を非公開にする、同じ計算を複数のクライアントに行わせる、などの対策が行われている。 通常これらのプロジェクトでは個人の所有するPCによる計算結果を集計し、プロジェクトを進行している。その為、参加者数がプロジェクトの進行速度に大きく影響する。集計ではプロジェクトの進行状況とともに、参加者個人あるいは参加者がまとまったチームでの集計結果を表示するなどしているプロジェクトが多い。これが参加者同士の交流につながったり、参加者の競争意識を煽り、参加者の増加につながっているプロジェクトも存在する。 === 主なプロジェクト === * 稼働中(アルファベット順) ** [[BOINC]] - 分散コンピューティングの管理ソフト。さまざまなプロジェクトがこのソフトを利用して分散コンピューティングを行っている。 ** [[distributed.net]] - [[総当たり攻撃|全探索]]による[[暗号解読]]によるプライバシー保護の訴え、全探索による数学的難問の証明など。 ** [[DreamLab]] - スマートフォン向けのアプリケーション。新型コロナウイルスへの有効物質の探索などを行う。 ** [[Einstein@Home]] - [[一般相対性理論]]から予言される[[重力波 (相対論)|重力波]]を、観測データから検出する事を目指す。 ** [[Electric Sheep]] - [[フラクタル]]の動画を生成する[[フラクタルアート]]関連のプロジェクト。 ** [[Folding@home]] - [[分子動力学法]]による[[タンパク質]]の[[フォールディング|折り畳み]]の予測([[タンパク質構造予測]])。 ** [[GIMPS]] - [[メルセンヌ数|メルセンヌ素数]]の発見。 ** [[M4 Project]] - 第二次世界大戦中に傍受されたナチス・ドイツの未解読暗号の解読を目指す。 ** [[World Community Grid]] - 主に医療系([[後天性免疫不全症候群|エイズ]]や[[悪性腫瘍|がん]]、[[筋ジストロフィー]])に関する新薬開発の為の分子解析、[[タンパク質]]解析に関するプロジェクト。上記BOINCを使って解析も出来る。 ** [[グーグル八分#グーグル八分発見システム「∞Eyes」|グーグル八分発見システム「∞Eyes」]] - 検索エンジンでの検索結果を解析し、[[グーグル八分]]を発見しようというプロジェクト。 * 稼動終了(アルファベット順) ** [[cell computing]] - [[遺伝子]]の周期性の検索による[[遺伝子疾患|遺伝病]]の検知を目指す。[[NTTデータ]]が提供。(2008年3月終了) ** [[SETI@home]] - [[宇宙生物学]]。地球外からくる信号から非自然信号を抽出し、[[地球外生命|地球外生命体]]を探索。(2020年3月終了) ** [[United Devices Cancer Research Project]] - [[癌]]治療薬開発の為の分子解析。(2007年4月終了) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{cite book|author=Attiya, Hagit and Welch, Jennifer|title=Distributed Computing: Fundamentals, Simulations, and Advanced Topics| publisher=Wiley-Interscience| year=2004}} ISBN 0471453242. * {{cite book|author=Lynch, Nancy A|title=Distributed Algorithms| publisher=Morgan Kaufmann| year=1997}} ISBN 1558603484. * {{cite book|first=Gerard|last=Tel |title=Introduction to Distributed Algorithms| publisher=Cambridge University Press| year=1994}} * {{cite journal|authorlink=|last=Davies|first=Antony|title=Computational Intermediation and the Evolution of Computation as a Commodity|journal=Applied Economics|date=June 2004|url=http://www.business.duq.edu/faculty/davies/research/EconomicsOfComputation.pdf}} * {{cite journal|first=William|last=Kornfeld|last2=Hewitt|first2=Carl|url=https://hdl.handle.net/1721.1/5693|title=The Scientific Community Metaphor|journal=MIT AI|issue=Memo 641|date=January 1981}} * {{cite conference|first=Carl|last=Hewitt|last2=de Jong|first2=Peter|title=Analyzing the Roles of Descriptions and Actions in Open Systems|booktitle=Proceedings of the National Conference on Artificial Intelligence|date=August 1983}} * {{cite journal|first=Carl|last=Hewitt|title=The Challenge of Open Systems|journal=Byte Magazine|date=April 1985}} * {{cite conference|first=Carl|last=Hewitt|title=Towards Open Information Systems Semantics|booktitle=Proceedings of 10th International Workshop on Distributed Artificial Intelligence|date=October 1999|location=Bandera, Texas}} * {{cite journal|first=Carl|last=Hewitt|title=Open Information Systems Semantics|journal=Journal of Artificial Intelligence|date=January 1991}} * {{cite journal|author=Nadiminti, Dias de Assunção, Buyya |url=http://www.gridbus.org/~raj/papers/InfoNet-Article06.pdf |title=Distributed Systems and Recent Innovations: Challenges and Benefits |journal=InfoNet Magazine, Volume 16, Issue 3, Melbourne, Australia|date=September 2006}} == 関連項目 == * [[Google]](検索エンジンのシステムなどは分散コンピューティングを用いている) * [[分散技法]] * [[スーパーコンピュータ]] * [[グリッド・コンピューティング]] * [[ユビキタスコンピューティング]] * [[Berkeley Open Infrastructure for Network Computing]] * [[多層アーキテクチャ]] * [[分散コンピューティングの落とし穴]] * [[PlayStation 3|プレイステーション3]] * [[分散ネットワーク]] * [[分散制御システム]] * [[センサネットワーク]] == 外部リンク == * [http://www.bacchae.co.uk/docs/dist.html A primer on distributed computing]{{en icon}} * {{Curlie|Computers/Computer_Science/Distributed_Computing/|Distributed computing}} * {{Curlie|Computers/Computer_Science/Distributed_Computing/Publications/|Distributed computing journals}} * {{Curlie|Computers/Computer_Science/Distributed_Computing/Conferences/|Distributed computing conferences}} * [https://ocw.mit.edu/courses/electrical-engineering-and-computer-science/6-824-distributed-computer-systems-engineering-spring-2006/ Distributed Computer Systems Engineering]{{en icon}} - [[マサチューセッツ工科大学|MIT]] OpenCourseWare * [https://ocw.mit.edu/courses/electrical-engineering-and-computer-science/6-852j-distributed-algorithms-fall-2009/ Distributed Algorithms]{{en icon}} - MIT OpenCourseWare {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふんさんこんひゆうていんく}} [[Category:コンピューティング]] [[Category:分散処理|*]] [[Category:プログラミングパラダイム]] [[Category:計算科学]] [[Category:ソフトウェアアーキテクチャ]] [[Category:信頼性工学]] [[Category:並列コンピューティング]] [[Category:脱中央集権]] {{並列コンピューティング}} {{コンピュータ科学}}
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音声認識
音声認識(おんせいにんしき、英: speech recognition)は声がもつ情報をコンピュータに認識させるタスクの総称である。ヒトの(天然)音声認識と対比して自動音声認識(英: Automatic Speech Recognition; ASR)とも呼ばれる。 例として文字起こしや話者認識が挙げられる。 音声認識は「音声に含まれる情報を認識するタスク」の総称であり、具体的に解かれる問題の例として以下が挙げられる: 音声認識をサブタスクとして含むタスクには以下が挙げられる: 音声認識では、統計的手法が良く用いられている。これは大量の発話を記録した学習用データから音声の特徴を蓄積し、認識対象となる入力音声から抽出された特徴と蓄積された特徴とを比較しながら、最も近い言語系列を認識結果として出力する手法である。 一般に、音声の音響的な特徴と言語的な特徴を分離して扱うことが多い。音響的な特徴とは、認識対象の音素がそれぞれどのような周波数特性を持っているかを表したもので、音響モデルと呼ばれる。音響モデルの表現としては、混合正規分布を出力確率とした隠れマルコフモデルが広く用いられている。言語的な特徴とは、音素の並び方に関する制約を表したもので、言語モデルと呼ばれる。例えば、「あなた (a n a t a)」という発声の直後には、「が (g a)」や「は (w a)」などの発声が続く確率が高い、などの制約である。言語モデルの表現としては、認識対象の言語が大規模な場合(パソコン上での文書作成など)はn-gramが良く用いられ、認識対象の言語が人手で網羅出来る程度に小さい場合(カーナビの音声操作など)は、文脈自由文法が良く用いられる。 動的時間伸縮法(Dynamic time warping、DTW)は初期の音声認識手法であるが、隠れマルコフモデルに基づく手法が一般化したため、使われなくなった。時間または早さの異なる2つの信号シーケンスの間の類似度を測るアルゴリズムである。例えば、人間の歩行のパターンは、素早く歩いても、ゆっくり歩いても、さらには歩行の画像を早送りしてもスロー再生しても一定のパターンが存在する。DTW は音声だけでなく動画などの任意の時系列のデータに適用可能である。音声認識においては、発声速度がどうであっても一定のパターンを検出するために使われていた。従って、比較のための標準パターンが必要であり、認識できる語彙は限定される。 音声信号は、断片的あるいは短時間の定常信号と見ることができ、隠れマルコフモデル(Hidden Markov Model、HMM)が適用可能である。すなわち、10ミリ秒程度の短時間でみた場合、音声信号は近似的に定常過程と見なすことができる。従って、音声を多くの確率過程のマルコフ連鎖と考えることができる。 また、隠れマルコフモデルによる音声認識は自動的にトレーニングされ、単純で計算量もそれほど多くない。音声認識について考えられる最も簡単な設定では、隠れマルコフモデルは10ミリ秒ごとに例えば13次元程度の実数値ベクトルを出力するだろう。このベクトルはケプストラム係数から成る。ケプストラム係数は短時間の信号のフーリエ変換にコサイン変換を使って、その第一(最大)係数を取り出したものである。隠れマルコフモデルは、それぞれの観測されたベクトルの尤度を与える対角共分散のガウス分布の混合ともいうべき確率分布を持つ傾向がある。各単語や各音素はそれぞれ独自の出力分布を持つ。単語列あるいは音素列に関する隠れマルコフモデルは、個々の単語や音素の隠れマルコフモデルを連結したものとなる。 これらが隠れマルコフモデルを使用した音声認識技術の概念である。音声認識システムにはこれ以外にも様々な技術を使用している。語彙の多いシステムでは、音素について文脈依存性を考慮する。また、話者間の違いや録音状況の違いを正規化するために、ケプストラムの正規化が行われる。他にも話者正規化の試みとして、男女間の正規化のための声道長正規化 (VTLN) や、より不特定多数の話者に対応するための最尤線形回帰 (MLLR) がある。 音声認識は様々な指標を用いて性能を評価される。例えば速度は実時間係数 (real time factor, RTF)で表される。 単語誤り率(英語版)(英: word error rate; WER)は認識された「単語」の誤り率である。WERを評価するための代表的なコーパスとしてWSJコーパスが挙げられる。 文字誤り率(英: character error rate; CER)は認識された「単語」の誤り率である。英: letter error rate; LER とも。WER評価と共に行われる場合が多い。2019年時点でのWSJコーパスに対するCERは1%を切っている。 音素誤り率(英: phoneme error rate; PER)は認識された「音素」の誤り率である。PERを評価するための代表的なコーパスとしてTIMIT(英語版)が挙げられる。2019年時点でのTIMITコーパスに対するPERは10%を切っている。 実地での音声認識利用には様々な難しさがある。以下はその一例である: 並列モデルは予想外の入力にもある程度対応できる。 話者の音声の特徴量が雑音や特徴分離処理によって歪むと音響モデルとの差が開いて誤認識の元となる。得られた音声の特徴量に歪みや雑音がどの程度含まれているかを推定し時間軸と周波数軸に対して信頼度をマップとして持たせて、低信頼度の特徴量にはマスクをかけたり、失われた音声を復元する処理に活用するのがミッシング・フィーチャー理論(Missing feature theory)である。 GSS(Geometric source separation)は複数の音源を分離する技術であり、音源間に相関が無ければ複数のマイクからの入力情報によって比較的簡単に音源分離とその位置情報(音源定位)が得られる。これをMFTの雑音情報として信頼度マップに反映させれば、騒音下や同時発話の状況でもそれほど認識率を落とさずに済む。 Macintoshでの音声認識機能は、1993年のQuadra 840AV/Centris 660AVより、PlainTalkとして搭載された。Mac OS 9では、音声認識パスワードによるログイン機能も搭載されている。macOS Sierraからは、音声認識アシスタント機能のSiriが搭載され、様々な操作が可能になった。 Windows VistaとWindows 7では音声認識機能が搭載されており、この機能を使用して、キーボード入力なしにチャットをするなどの操作が可能となっている。音声認識機能でパソコンを操作するといった利用方法はこれまでにもあったが、日本語の認識率を向上させているほか、マウスやキーボードで行うWindowsの操作が音声で操作できるようになっている。Windows 10からはCortanaという音声認識アシスタント機能が搭載され、さらに様々な操作が可能になった。(Windows PhoneではWindows Phone 8.1から搭載されていた。) マイクロソフト社は音声認識技術を開発するニュアンス・コミュニケーションズを買収している。 企業、病院、自治体では、2005-6年頃から次第に次のような実用システムの導入が活発化してきている。 「感性制御技術」(Sensibility Technology=ST)などと組み合わせることにより、例えば「ごめんなさい」も口先だけで軽く言った「ごめんなさい」も同じ「ごめんなさい」でしかないが、早口で軽いトーンの「ごめんなさい」は、バカにしていると判断して怒った態度で接したり、ゆっくり丁寧に発音された「ごめんなさい」は、心からの謝辞だと理解して許したりすることが可能となる。 音声認識システムの研究開発はコンピュータが普及しだした1970年代から盛んに行われてきた。 当初は日本語識別率が60%程度にとどまっており、話者限定・事前トレーニングをおこなった理想環境下でも80%が限度であった。語彙を限定してトレーニングを必要としないシステムでは、不特定多数の話者の音声を認識できるが語彙が少ないために利用範囲は限定される。同音異義語が少ない欧米系の言語では90%の認識率があると評価されていた 。 2010年代後半からは人工知能や深層学習の進化により性能が向上し、Google アシスタントやAmazon Alexaなどバーチャルアシスタントの音声操作にも利用されるなど実用レベルに達したが、声優のような発声トレーニングを受けた者でも条件によっては認識されない場合もある。
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音声認識は声がもつ情報をコンピュータに認識させるタスクの総称である。ヒトの(天然)音声認識と対比して自動音声認識とも呼ばれる。 例として文字起こしや話者認識が挙げられる。
'''音声認識'''(おんせいにんしき、{{lang-en-short|speech recognition}})は[[声]]がもつ情報を[[コンピュータ]]に認識させるタスクの総称である<ref name="daijisen">大辞泉</ref>。[[ヒト]]の(天然)音声認識と対比して'''自動音声認識'''({{lang-en-short|Automatic Speech Recognition}}; '''ASR''')とも呼ばれる<ref>"automatic speech recognition (ASR)" Li (2020). ''[[arxiv:2111.01690|Recent Advances in End-to-End Automatic Speech Recognition]]''. arxiv:2111.01690</ref>。 例として[[テープ起こし|文字起こし]]や[[話者認識]]が挙げられる。 == タスク == 音声認識は「[[音声]]に含まれる情報を認識するタスク」の総称であり、具体的に解かれる問題の例として以下が挙げられる: * Speech-to-Text (STT): 含まれる言語情報を文字に変換するタスク。いわゆる[[テープ起こし|文字起こし]] * {{仮リンク|キーワード認識|en|Keyword_spotting}}(KWS): 事前に設定されたキーワードの出現を認識するタスク。例として「ヘイ、[[Siri]]」 音声認識をサブタスクとして含むタスクには以下が挙げられる: * 音声操作: 音声によるアプリの操作。SST/KWSで音声情報を取り出し、これを[[コンピュータ]]操作命令へ変換 * 音声入力: 音声によるアプリへの文字入力。SSTで文字化、整形<ref>例: フィラー(「あー」「えっと」)の除去</ref>ののちアプリへ引き渡し。ディクテーション(聞き取り)とも == 認識技術 == === 統計的手法 === 音声認識では、統計的手法が良く用いられている。これは大量の発話を記録した学習用データから音声の特徴を蓄積し、認識対象となる入力音声から抽出された特徴と蓄積された特徴とを比較しながら、最も近い言語系列を認識結果として出力する手法である。 一般に、音声の音響的な特徴と言語的な特徴を分離して扱うことが多い。音響的な特徴とは、認識対象の[[音素]]がそれぞれどのような周波数特性を持っているかを表したもので、'''音響モデル'''と呼ばれる。音響モデルの表現としては、混合[[正規分布]]を出力確率とした[[隠れマルコフモデル]]が広く用いられている。言語的な特徴とは、[[音素]]の並び方に関する制約を表したもので、'''言語モデル'''と呼ばれる。例えば、「あなた (a n a t a)」という発声の直後には、「が (g a)」や「は (w a)」などの発声が続く確率が高い、などの制約である。言語モデルの表現としては、認識対象の言語が大規模な場合([[パーソナルコンピュータ|パソコン]]上での文書作成など)は[[n-gram]]が良く用いられ、認識対象の言語が人手で網羅出来る程度に小さい場合([[カーナビ]]の音声操作など)は、[[文脈自由文法]]が良く用いられる。 === 動的時間伸縮法 === 動的時間伸縮法([[:en:Dynamic time warping|Dynamic time warping]]、DTW)は初期の音声認識手法であるが、隠れマルコフモデルに基づく手法が一般化したため、使われなくなった。時間または早さの異なる2つの信号シーケンスの間の類似度を測る[[アルゴリズム]]である。例えば、人間の歩行のパターンは、素早く歩いても、ゆっくり歩いても、さらには歩行の画像を早送りしてもスロー再生しても一定のパターンが存在する。DTW は音声だけでなく動画などの任意の[[時系列]]のデータに適用可能である。音声認識においては、発声速度がどうであっても一定のパターンを検出するために使われていた。従って、比較のための標準パターンが必要であり、認識できる語彙は限定される。 === 隠れマルコフモデル === 音声信号は、断片的あるいは短時間の定常信号と見ることができ、[[隠れマルコフモデル]](Hidden Markov Model、HMM)が適用可能である。すなわち、10ミリ秒程度の短時間でみた場合、音声信号は近似的に[[定常過程]]と見なすことができる。従って、音声を多くの確率過程の[[マルコフ連鎖]]と考えることができる。 また、隠れマルコフモデルによる音声認識は自動的にトレーニングされ、単純で計算量もそれほど多くない。音声認識について考えられる最も簡単な設定では、隠れマルコフモデルは10ミリ秒ごとに例えば13次元程度の実数値ベクトルを出力するだろう。このベクトルは[[ケプストラム]]係数から成る。ケプストラム係数は短時間の信号の[[フーリエ変換]]にコサイン変換を使って、その第一(最大)係数を取り出したものである。隠れマルコフモデルは、それぞれの観測されたベクトルの尤度を与える対角共分散のガウス分布の混合ともいうべき確率分布を持つ傾向がある。各単語や各[[音素]]はそれぞれ独自の出力分布を持つ。単語列あるいは音素列に関する隠れマルコフモデルは、個々の単語や音素の隠れマルコフモデルを連結したものとなる。 これらが隠れマルコフモデルを使用した音声認識技術の概念である。音声認識システムにはこれ以外にも様々な技術を使用している。語彙の多いシステムでは、音素について文脈依存性を考慮する。また、話者間の違いや録音状況の違いを正規化するために、ケプストラムの正規化が行われる。他にも話者正規化の試みとして、男女間の正規化のための声道長正規化 (VTLN) や、より不特定多数の話者に対応するための最尤線形回帰 (MLLR) がある。 == 評価指標 == 音声認識は様々な指標を用いて性能を評価される。例えば速度は実時間係数 (real time factor, RTF)で表される。 === 単語誤り率 === '''{{仮リンク|単語誤り率|en|Word error rate}}'''({{lang-en-short|word error rate}}; '''WER''')は認識された「[[語|単語]]」の[[誤り率]]である。WERを評価するための代表的なコーパスとしてWSJコーパス<ref>Garofolo, et. al. ''CSR-I (WSJ0) Complete LDC93S6A''. Linguistic Data Consortium, 1993a. [https://catalog.ldc.upenn.edu/LDC93s6a LDC link].</ref>が挙げられる。 === 文字誤り率 === '''文字誤り率'''({{lang-en-short|character error rate}}; '''CER''')は認識された「[[語|単語]]」の[[誤り率]]である。{{lang-en-short|letter error rate}}; '''LER''' とも。WER評価と共に行われる場合が多い。2019年時点でのWSJコーパスに対するCERは1%を切っている<ref>"vq-wav2vec Gumbel + BERT base 0.93" Baevski, et al. (2019). ''[[arxiv:1910.05453|vq-wav2vec: Self-Supervised Learning of Discrete Speech Representations]]''. arxiv:1910.05453</ref>。 === 音素誤り率 === '''音素誤り率'''({{lang-en-short|phoneme error rate}}; '''PER''')は認識された「[[音素]]」の[[誤り率]]である。PERを評価するための代表的なコーパスとして{{仮リンク|TIMIT|en|TIMIT}}が挙げられる<ref>"The TIMIT corpus of read speech is designed to provide speech data for acoustic-phonetic studies and for the development and evaluation of automatic speech recognition systems." [https://catalog.ldc.upenn.edu/LDC93S1 Data - Linguistic Data Consortium]. 2022-07-03閲覧.</ref>。2019年時点でのTIMITコーパスに対するPERは10%を切っている<ref>"vq-wav2vec, Gumbel + BERT small 9.64" Baevski, et al. (2019). ''[[arxiv:1910.05453|vq-wav2vec: Self-Supervised Learning of Discrete Speech Representations]]''. arxiv:1910.05453</ref>。 == 実際と課題 == 実地での音声認識利用には様々な難しさがある。以下はその一例である: * 背後音 ** 雑音 ** 背景での会話 * 語彙 ** 業務用語 ** [[ジャーゴン]] * 音声 ** 同時話者数 ** 発話方法(フォーマル、日常会話) 並列モデルは予想外の入力にもある程度対応できる<ref>{{Cite journal|last=Brodbeck|first=Christian|last2=Bhattasali|first2=Shohini|last3=Cruz Heredia|first3=Aura A. L.|last4=Resnik|first4=Philip|last5=Simon|first5=Jonathan Z.|last6=Lau|first6=Ellen|date=2021-07-03|title=Parallel processing in speech perception with local and global representations of linguistic context|url=http://biorxiv.org/lookup/doi/10.1101/2021.07.03.450698|language=en|doi=10.1101/2021.07.03.450698}}</ref>。 == 研究中の技術 == === MFT === 話者の音声の特徴量が雑音や特徴分離処理によって歪むと音響モデルとの差が開いて誤認識の元となる。得られた音声の特徴量に歪みや雑音がどの程度含まれているかを推定し時間軸と周波数軸に対して信頼度をマップとして持たせて、低信頼度の特徴量にはマスクをかけたり、失われた音声を復元する処理に活用するのがミッシング・フィーチャー理論(Missing feature theory)である<ref name = "多数の人の声を一度に聞き分ける聴覚センサ"/>。 === GSS === GSS(Geometric source separation)は複数の音源を分離する技術であり、音源間に相関が無ければ複数のマイクからの入力情報によって比較的簡単に音源分離とその位置情報(音源定位)が得られる。これをMFTの雑音情報として信頼度マップに反映させれば、騒音下や同時発話の状況でもそれほど認識率を落とさずに済む<ref name = "多数の人の声を一度に聞き分ける聴覚センサ">野澤哲生著 『多数の人の声を一度に聞き分ける聴覚センサ』 日経エレクトロニクス 2008年9月22日号 115-123頁 </ref>。 == 実用例 == === Apple社製品における利用 === [[Macintosh]]での音声認識機能は、1993年の[[Macintosh Quadra 840AV|Quadra 840AV]]/Centris 660AVより、PlainTalkとして搭載された。[[Mac OS 9]]では、音声認識パスワードによるログイン機能も搭載されている。[[macOS Sierra]]からは、音声認識アシスタント機能の[[Siri]]が搭載され、様々な操作が可能になった<ref>{{Cite web|和書|title=Mac で音声コントロールを使う|url=https://support.apple.com/ja-jp/HT210539|website=Apple Support|accessdate=2021-04-08|language=ja}}</ref>。{{節スタブ|date=2021年10月15日}} === Microsoft社製品における利用 === [[Windows Vista]]と[[Windows 7]]では音声認識機能が搭載されており、この機能を使用して、キーボード入力なしにチャットをするなどの操作が可能となっている。音声認識機能でパソコンを操作するといった利用方法はこれまでにもあったが、日本語の認識率を向上させているほか、マウスやキーボードで行うWindowsの操作が音声で操作できるようになっている。[[Windows 10]]からは[[Cortana]]という音声認識アシスタント機能が搭載され、さらに様々な操作が可能になった。([[Windows Phone]]では[[Windows Phone 8.1]]から搭載されていた。) マイクロソフト社は音声認識技術を開発する[[ニュアンス・コミュニケーションズ]]を買収している。 === Google社の製品やサービスにおける利用 === *[[Google Cloud Platform]]の '''Speech-to-Text [[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]''' ** [[Google アシスタント]] ** [[Google Nest (スマートスピーカー)|Google Home, Google Nest]] === Amazon社の製品やサービスにおける利用 === * [[Amazon Alexa]] {{節スタブ|date=2021年10月15日}} === 企業・団体における利用 === 企業、病院、自治体では、2005-6年頃から次第に次のような実用システムの導入が活発化してきている。 * 医師向け[[電子カルテ]]入力システム * 自治体向け議事録作成支援システム * [[コールセンター]]向けオペレータ支援・通話内容分析システム * 学校向け語学学習アプリケーションでの[[発音]]評価システム === その他の利用例 === * 携帯端末([[スマートフォン]]など)へのメール文章入力 * [[同時通訳]]型の[[機械翻訳]]、[[自動通訳]] * [[パーソナルコンピュータ|パソコン]]上での文書作成([[口述筆記]]の自動化) * 音声指示による機械操作([[カーナビ]]、[[電子カルテ]]等のハンズフリーコンピューティング) * 指示を聞き分けるペットロボット([[ロボット工学]]への応用) * 音声対話受付案内システム([[自動音声応答装置]]) * 裁判員制度での評議における証言内容などの確認(映像と文字の連動) * [http://w3voice.jp/ 音声Webアプリケーション w3voice Laboratory] (音声認識や対話を体験できるWebサイト) === その他の応用例 === 「感性制御技術」(Sensibility Technology=ST)などと組み合わせることにより、例えば「ごめんなさい」も口先だけで軽く言った「ごめんなさい」も同じ「ごめんなさい」でしかないが、早口で軽いトーンの「ごめんなさい」は、バカにしていると判断して怒った態度で接したり、ゆっくり丁寧に発音された「ごめんなさい」は、心からの謝辞だと理解して許したりすることが可能となる。 == 音声認識ソフトウェア例 == * Nuance (2021年4月12日、マイクロソフトによる買収発表<ref>{{Cite web|title=マイクロソフト、AIと音声認識のニュアンスを2兆円超で買収へ|url=https://japan.cnet.com/article/35169235/|website=CNET Japan|date=2021-04-13|accessdate=2021-04-13|language=ja}}</ref>) ** {{仮リンク|ドラゴンスピーチ|en|Dragon NaturallySpeaking|preserve=1}} ** {{Wayback |url=http://www.sourcenext.com/products/dragon/|date=20080708213940|title=Dragon NaturallySpeaking 2005 Partner}} ** {{仮リンク|IBM ViaVoice|en|IBM ViaVoice}} - IBMから買収 * [[アドバンスト・メディア]] ** [http://www.advanced-media.co.jp/ AmiVoice] ** [http://www.mc2-ltd.jp/amivoicees2008.html ES2008(エムシーツー)] ** [http://sp.advanced-media.co.jp/SP/ AmiVoice SP] ** [http://sp.advanced-media.co.jp/ AmiVoice SP2] ** [http://medical.amivoice.com/ AmiVoice Ex7(医療用)] ** [http://medical.amivoice.com/clx/ AmiVoice CLx(医療・介護用クラウド型)] * [[Apple]] ** PlainTalk<ref>{{Cite web|和書|title=PlainTalkとは|url=https://kotobank.jp/word/PlainTalk-11163|website=コトバンク|accessdate=2021-04-09|language=ja|last=ASCII.jpデジタル用語辞典}}</ref> ** [[Siri]] * [[日本電気|NEC]] ** [http://www.nec.co.jp/middle/VisualVoice/ VisualVoice] (人同士の自然な会話に対応した音声認識ソフト、コールセンター向け) ** [http://dnes.jp/ss/voicesolution/ VoiceGraphy] (議事録向けの音声認識ソフト) ** [http://www.nec.co.jp/WebOTX/voice/index.html WebOTX Speech Recognition] (音声認識ミドルウェア) * [[マイクロソフト]] ** [[Windows Vista]]などに標準搭載 ** [[Windows 10]]に標準搭載([[Cortana]]) * Vocollect ** {{仮リンク|Intermec|label=Vocollect|en|Intermec}} [http://www.vocollect.com/ Vocollect公式] - [[インターメック]]が買収、その後インターメックを[[ハネウェル]]が買収。 * {{仮リンク|Julius (ソフトウェア)|label=Julius|en|Julius (software)}} - フリーの音声認識ソフト [http://julius.osdn.jp/index.php 公式サイト] <!-- *[http://www.innovative.jp/2006/0208.html アドバンスト・メディア社長インタビュー(イノベーティブワン)] --> * [http://www.lab9solutions.com Lab9 Solutions SpeechLab SDK & MobileSpeech] * [[NTTテクノクロス|NTTテクノクロス株式会社]] ** [https://www.ntt-tx.co.jp/products/foresight_vm/ ForeSight Voice Mining(音声ビッグデータソリューション)] ** [https://www.futurevoice.jp/ FutureVoice Crayon(音声合成ソリューション)] ** [https://www.speechrec.jp/ SpeechRec(音声認識ソリューション)] ** [https://www.ntt-tx.co.jp/products/voicemall/ VoiceMail(音声自動応答サービス)] * [http://www.cross-docking.com/ 株式会社シーネット(C_Net)] ** [http://www.cross-docking.com/service/voice-system/ 物流業務向け音声認識ソリューションについて] ** [http://www.cross-docking.com/service/voice-ex/ ci.Himalayas/voiceシリーズ(voice/ex) 日本語商品名対応版 ] ** [http://www.cross-docking.com/service/voidigi/ ci.Himalayas/voiceシリーズ(ボイデジ) デジタルピッキング&音声認識システム対応版 ] === 音声認識を応用したゲームソフト例 === * [[シーマン]] * [[大玉 (ゲーム)|大玉]] * [[オペレーターズサイド]] * [[デカボイス]] * [[ピカチュウげんきでちゅう]] * [[Touch! Generations]] * [[機動戦士ガンダム 戦場の絆]] * [[TALKMAN]] == 歴史 == {{節スタブ|section=1|date=2021年10月}} 音声認識システムの研究開発はコンピュータが普及しだした1970年代から盛んに行われてきた<ref name="多数の人の声を一度に聞き分ける聴覚センサ" />。 当初は日本語識別率が60%程度にとどまっており、話者限定・事前トレーニングをおこなった理想環境下でも80%が限度であった<ref>成田一『パソコン翻訳の世界』講談社</ref>。語彙を限定してトレーニングを必要としないシステムでは、不特定多数の話者の音声を認識できるが語彙が少ないために利用範囲は限定される。同音異義語が少ない欧米系の言語では90%の認識率があると評価されていた<ref>Wall Street Journal</ref> 。 2010年代後半からは[[人工知能]]や[[深層学習]]の進化により性能が向上し、[[Google アシスタント]]や[[Amazon Alexa]]など[[バーチャルアシスタント]]の音声操作にも利用されるなど実用レベルに達したが、[[声優]]のような発声トレーニングを受けた者でも条件によっては認識されない場合もある<ref>{{Cite web|和書|title=「『らんま1/2』の現場は、私だけが落ちこぼれでした」声に特徴がなく、アフレコでは失敗ばかり…それでも井上喜久子が“人気声優”になれたワケ |url=https://bunshun.jp/articles/-/58153 |website=文春オンライン |access-date=2022-10-21 |first=川俣 |last=綾加}}</ref>。 == 出典 == <references/> == 参考文献 == * Lawrence Rabiner (1993), "Fundamentals of Speech Recognition", Prentice Hall, ISBN 0-13-015157-2 * Frederick Jelinek (1998), "Statistical Methods for Speech Recognition", MIT Press, ISBN 0-262-10066-5 * Manfred R. Schroeder (2004), "Computer Speech: Recognition, Compression, Synthesis", Springer-Verlag, ISBN 3-540-64397-4 == 関連項目 == * [[パターン認識]] * [[自然言語処理]] * [[音声分析]] * [[音声処理]] * [[音声強調]] * [[音声合成]] * [[音声検索]] * [[VoiceXML]] * [[Common Voice]] * [[感情認識]] == 外部リンク == * [https://www.ibm.com/watson/jp-ja/developercloud/speech-to-text.html IBM Watson Speech to Text (音声認識)- Japan] * [http://citeseer.ist.psu.edu/392076.html "Survey of the State of the Art in Human Language Technology (1997) by Ron Cole et all"] * [http://www.jpo.go.jp/shiryou/pdf/gidou-houkoku/voice_recognition.pdf 音声認識技術に関する特許出願技術動向調査報告(PDF)] 特許庁総務部技術調査課(2003年5月22日) *[https://wsignal.sakura.ne.jp/onsei2007/ 音声認識について考える] Shun *[https://note.com/masayamori/n/n4c616161cc14 音声認識:耳の獲得、あるいはコンピューターとの対話による未来] 音声認識の歴史を概観している * [http://www.arpa.mil/ipto/programs/gale/index.htm GALE project] DARPAの音声認識と機械翻訳を組み合わせたプロジェクト * [http://htk.eng.cam.ac.uk/ HTK] Hidden Markov Model Toolkit * [http://cmusphinx.sourceforge.net/html/cmusphinx.php CMUSphinx] オープンソースの音声認識エンジン(カーネギーメロン大学) {{Normdaten}} {{デフォルトソート:おんせいにんしき}} [[Category:音声認識|*]] [[Category:認識]]
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マルチタスク
マルチタスク (英: multi tasking) は、コンピュータにおいて複数のタスク(プロセス)を切り替えて実行できるシステムのことである。Unixなど「プロセス」という用語を使うシステムではマルチプロセスともいう(ほぼ同じものを別のシステムでは別の名で呼んでいることもあれば、違うものを同じ名で呼んでいることもあれば、何らかの理由で呼び分けていることもある)。マルチプログラミングという語は複数のプログラムを動かすという点に着目した語である(一般に、「タスク」とか「プロセス」は、プログラムの活動実体、といったようなものを指す語である)。逆に、同時に一つのタスクしか実行できない方式をシングルタスクという。 コンピュータはプロセッサ(CPU)、記憶装置、ディスプレイやキーボードなどのヒューマンマシンインタフェース、ネットワークインタフェースなどのインターコネクション、などから構成される。一般的に、CPUの計算処理時間に比べ、ディスクやネットワークの処理時間は数十から数百倍かかる。シングルタスク環境では、逐次処理が行われるため、入力待ちや通信待ちなど、CPUが計算を実行できずに、待つ時間が発生する。マルチタスクの導入によって、これらの待ち時間の間にCPUを動作させ別の計算を行い、全体の処理時間の短縮を実現することが可能になる。さらに、並行プログラミングの手法が利用でき、機能をタスクとして分割することで、ソフトウェアの再利用性を上げられる。 ひとつのCPUしかないコンピュータでは、ある瞬間にはひとつの処理しか実行できない。しかし、CPUの処理時間を数十ミリ秒といった短い時間で区切り、タスク間でひとつのCPUを順に使い回すことによって、ユーザーから見ると、複数のアプリケーション(タスク・プロセス)が同時に実行されているように見える。 タスクの切り替えのオーバーヘッドや、キャッシュやトランスレーション・ルックアサイド・バッファのミス率の上昇などのコストがかかるが、入出力待ちなどであるタスクの実行が止まっても他のタスクが実行されるため、全体としてスループットの上昇が期待できる。 また、タスクという単位よりも、ユーザ単位で「1基のコンピュータを時分割でシェアする」という点に主眼がある語として「タイムシェアリングシステム」がある。 タスクの切り替えにはハードウェアタイマ割り込みが用いられることが多く、この場合割り込みによって一定時間内(タイムスライス)に強制的にオペレーティングシステム (以下、OS) に制御が移る。OSが TSS の場合、一定の方式に従い次のタイムスライスを実行中のタスク・プロセス・スレッド(マルチスレッドOSの場合)に割り当てる。また、OSはシステムコール処理のタイミングにおいて、より優先度の高いタスク・プロセス・スレッドに CPU サイクルを割り当てる。これらのことをプリエンプション (横取り) という。 この方式を特に指す場合はプリエンプティブなマルチタスクという。Unix系(Linuxなど)のシステムや、パーソナルコンピューター用商用OSでは、OS/2、Windows 9x系、NT系Windows、macOSなどがある。企業向けシステムのメインフレーム用OS(タイムシェアリングシステム)などもほぼ全てこの方式である。一定時間内にOSに制御が戻るため、システム全体の堅牢性が高い。一方、OSがCPU時間を管理する必要があり、また、一定時間毎にタスク切り替え処理が発生するため、処理にはコストがかかるが、現在のCPUの能力向上と共にそのコストは問題にならなくなっており、現在は、メリットの多いこちらの方式が主流である。 タスクを切り替える間隔をクオンタムと呼ぶ。この時間が長ければ長い程、システムの負荷が低い。しかし、一定期間内で同時に処理できる数はクオンタムに反比例する。この為、サーバ向けのOSではクオンタムは短くして応答を良くする様に調整される。 なお、OSによっては入出力割り込みやシステムコールの呼び出しによってプリエンプションを発生させるものもある。マルチタスクを最初に実現したオペレーティングシステムであるMVSは、入出力割り込みを基本としている。 各タスク自身が、短い時間間隔でOSに処理を返す方式によって実現されているものを、ノンプリエンプティブなマルチタスク、協調的マルチタスクという。例えばイベント待ち行列を参照する際などにタスクが自分でOSに制御を渡す(NetWareの様にシステムコールの都度制御を返す実装もある)。OSがCPU資源を管理する必要がないので処理は少ない。しかし、長時間CPUを占有し続けるタスクが存在すると、実質的にシングルタスクと同じになってしまうという欠点がある(例えば、特定のタスクが無限ループに陥るなどOSに処理をかえせなくなると、他のタスクを道連れにしてシステムがハングアップする結果になる。かつてのMac OSやWindows 3.x、Windows 9x系における16bit Windowsプログラムの動作、などはこの方式である)。 「マルチタスク」「MULTITASK」という言葉は日本において日本電気株式会社が商標登録している(第4598360号、2002年8月23日登録)。指定商品は「携帯電話機」「コンピュータネットワークの加入に関する情報の提供、データ通信に関する情報の提供、テレックスによる通信、テレビジョン送信機・ラジオ送信機その他の通信機器の貸与、テレビジョン文字多重放送、テレビジョン放送、テレビジョン放送・有線テレビジョン放送・ラジオ放送に関する情報の提供、ファクシミリによる通信、ラジオ放送、移動体電話による通信、電気通信に関連する情報の提供、電子メール通信、電子計算機端末による衛星通信、電子計算機端末による通信のための通信回線の提供、電報による通信、付加価値通信網による通信(バンサービス)、付加価値通信網の提供、報道をするものに対するニュースの供給、無線呼出し、有線テレビジョン放送」である。 日本の商標制度#商標権の効力・日本の商標制度#商標登録の要件・日本の商標制度#商標登録の取消しおよび無効も参照のこと。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "マルチタスク (英: multi tasking) は、コンピュータにおいて複数のタスク(プロセス)を切り替えて実行できるシステムのことである。Unixなど「プロセス」という用語を使うシステムではマルチプロセスともいう(ほぼ同じものを別のシステムでは別の名で呼んでいることもあれば、違うものを同じ名で呼んでいることもあれば、何らかの理由で呼び分けていることもある)。マルチプログラミングという語は複数のプログラムを動かすという点に着目した語である(一般に、「タスク」とか「プロセス」は、プログラムの活動実体、といったようなものを指す語である)。逆に、同時に一つのタスクしか実行できない方式をシングルタスクという。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "コンピュータはプロセッサ(CPU)、記憶装置、ディスプレイやキーボードなどのヒューマンマシンインタフェース、ネットワークインタフェースなどのインターコネクション、などから構成される。一般的に、CPUの計算処理時間に比べ、ディスクやネットワークの処理時間は数十から数百倍かかる。シングルタスク環境では、逐次処理が行われるため、入力待ちや通信待ちなど、CPUが計算を実行できずに、待つ時間が発生する。マルチタスクの導入によって、これらの待ち時間の間にCPUを動作させ別の計算を行い、全体の処理時間の短縮を実現することが可能になる。さらに、並行プログラミングの手法が利用でき、機能をタスクとして分割することで、ソフトウェアの再利用性を上げられる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ひとつのCPUしかないコンピュータでは、ある瞬間にはひとつの処理しか実行できない。しかし、CPUの処理時間を数十ミリ秒といった短い時間で区切り、タスク間でひとつのCPUを順に使い回すことによって、ユーザーから見ると、複数のアプリケーション(タスク・プロセス)が同時に実行されているように見える。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "タスクの切り替えのオーバーヘッドや、キャッシュやトランスレーション・ルックアサイド・バッファのミス率の上昇などのコストがかかるが、入出力待ちなどであるタスクの実行が止まっても他のタスクが実行されるため、全体としてスループットの上昇が期待できる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "また、タスクという単位よりも、ユーザ単位で「1基のコンピュータを時分割でシェアする」という点に主眼がある語として「タイムシェアリングシステム」がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "タスクの切り替えにはハードウェアタイマ割り込みが用いられることが多く、この場合割り込みによって一定時間内(タイムスライス)に強制的にオペレーティングシステム (以下、OS) に制御が移る。OSが TSS の場合、一定の方式に従い次のタイムスライスを実行中のタスク・プロセス・スレッド(マルチスレッドOSの場合)に割り当てる。また、OSはシステムコール処理のタイミングにおいて、より優先度の高いタスク・プロセス・スレッドに CPU サイクルを割り当てる。これらのことをプリエンプション (横取り) という。", "title": "プリエンプティブ・マルチタスク" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "この方式を特に指す場合はプリエンプティブなマルチタスクという。Unix系(Linuxなど)のシステムや、パーソナルコンピューター用商用OSでは、OS/2、Windows 9x系、NT系Windows、macOSなどがある。企業向けシステムのメインフレーム用OS(タイムシェアリングシステム)などもほぼ全てこの方式である。一定時間内にOSに制御が戻るため、システム全体の堅牢性が高い。一方、OSがCPU時間を管理する必要があり、また、一定時間毎にタスク切り替え処理が発生するため、処理にはコストがかかるが、現在のCPUの能力向上と共にそのコストは問題にならなくなっており、現在は、メリットの多いこちらの方式が主流である。", "title": "プリエンプティブ・マルチタスク" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "タスクを切り替える間隔をクオンタムと呼ぶ。この時間が長ければ長い程、システムの負荷が低い。しかし、一定期間内で同時に処理できる数はクオンタムに反比例する。この為、サーバ向けのOSではクオンタムは短くして応答を良くする様に調整される。", "title": "プリエンプティブ・マルチタスク" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "なお、OSによっては入出力割り込みやシステムコールの呼び出しによってプリエンプションを発生させるものもある。マルチタスクを最初に実現したオペレーティングシステムであるMVSは、入出力割り込みを基本としている。", "title": "プリエンプティブ・マルチタスク" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "各タスク自身が、短い時間間隔でOSに処理を返す方式によって実現されているものを、ノンプリエンプティブなマルチタスク、協調的マルチタスクという。例えばイベント待ち行列を参照する際などにタスクが自分でOSに制御を渡す(NetWareの様にシステムコールの都度制御を返す実装もある)。OSがCPU資源を管理する必要がないので処理は少ない。しかし、長時間CPUを占有し続けるタスクが存在すると、実質的にシングルタスクと同じになってしまうという欠点がある(例えば、特定のタスクが無限ループに陥るなどOSに処理をかえせなくなると、他のタスクを道連れにしてシステムがハングアップする結果になる。かつてのMac OSやWindows 3.x、Windows 9x系における16bit Windowsプログラムの動作、などはこの方式である)。", "title": "ノンプリエンプティブ・マルチタスク" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "「マルチタスク」「MULTITASK」という言葉は日本において日本電気株式会社が商標登録している(第4598360号、2002年8月23日登録)。指定商品は「携帯電話機」「コンピュータネットワークの加入に関する情報の提供、データ通信に関する情報の提供、テレックスによる通信、テレビジョン送信機・ラジオ送信機その他の通信機器の貸与、テレビジョン文字多重放送、テレビジョン放送、テレビジョン放送・有線テレビジョン放送・ラジオ放送に関する情報の提供、ファクシミリによる通信、ラジオ放送、移動体電話による通信、電気通信に関連する情報の提供、電子メール通信、電子計算機端末による衛星通信、電子計算機端末による通信のための通信回線の提供、電報による通信、付加価値通信網による通信(バンサービス)、付加価値通信網の提供、報道をするものに対するニュースの供給、無線呼出し、有線テレビジョン放送」である。", "title": "商標登録" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "日本の商標制度#商標権の効力・日本の商標制度#商標登録の要件・日本の商標制度#商標登録の取消しおよび無効も参照のこと。", "title": "商標登録" } ]
マルチタスク は、コンピュータにおいて複数のタスク(プロセス)を切り替えて実行できるシステムのことである。Unixなど「プロセス」という用語を使うシステムではマルチプロセスともいう(ほぼ同じものを別のシステムでは別の名で呼んでいることもあれば、違うものを同じ名で呼んでいることもあれば、何らかの理由で呼び分けていることもある)。マルチプログラミングという語は複数のプログラムを動かすという点に着目した語である(一般に、「タスク」とか「プロセス」は、プログラムの活動実体、といったようなものを指す語である)。逆に、同時に一つのタスクしか実行できない方式をシングルタスクという。
{{Otheruses|コンピュータのマルチタスク|人間のマルチタスク|マルチタスク (心理学)}} {{出典の明記|date=2023年1月4日 (水) 03:55 (UTC)}} '''マルチタスク''' ({{lang-en-short|multi tasking}}) は、[[コンピュータ]]において複数のタスク([[プロセス]])を切り替えて実行できるシステムのことである。[[Unix系|Unix]]など「プロセス」という用語を使うシステムでは'''マルチプロセス'''ともいう(ほぼ同じものを別のシステムでは別の名で呼んでいることもあれば、違うものを同じ名で呼んでいることもあれば、何らかの理由で呼び分けていることもある)。'''マルチプログラミング'''という語は複数の[[プログラム (コンピュータ)|プログラム]]を動かすという点に着目した語である(一般に、「タスク」とか「プロセス」は、プログラムの活動実体、といったようなものを指す語である)。逆に、同時に一つのタスクしか実行できない方式を'''シングルタスク'''という。 ==概要== コンピュータは[[プロセッサ]]([[CPU]])、[[記憶装置]]、[[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]や[[キーボード (コンピュータ)|キーボード]]などの[[ヒューマンマシンインタフェース]]、[[ネットワークインタフェース]]などのインターコネクション、などから構成される。一般的に、CPUの計算[[処理時間]]に比べ、ディスクやネットワークの処理時間は数十から数百倍かかる。シングルタスク環境では、逐次処理が行われるため、入力待ちや通信待ちなど、CPUが計算を実行できずに、待つ時間が発生する。マルチタスクの導入によって、これらの待ち時間の間にCPUを動作させ別の計算を行い、全体の処理時間の短縮を実現することが可能になる。さらに、並行プログラミングの手法が利用でき、機能をタスクとして分割することで、ソフトウェアの再利用性を上げられる。 ひとつのCPUしかないコンピュータでは、ある瞬間にはひとつの処理しか実行できない。しかし、CPUの処理時間を数十ミリ秒といった短い時間で区切り、タスク間でひとつのCPUを順に使い回すことによって、ユーザーから見ると、複数の[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]](タスク・プロセス)が同時に実行されているように見える。 タスクの切り替えの[[オーバーヘッド]]や、[[キャッシュ (コンピュータシステム)|キャッシュ]]や[[トランスレーション・ルックアサイド・バッファ]]のミス率の上昇などのコストがかかるが、入出力待ちなどであるタスクの実行が止まっても他のタスクが実行されるため、全体として[[スループット]]の上昇が期待できる。 また、タスクという単位よりも、ユーザ単位で「1基のコンピュータを時分割でシェアする」という点に主眼がある語として「[[タイムシェアリングシステム]]」がある。 == プリエンプティブ・マルチタスク == {{main|プリエンプション}} タスクの切り替えにはハードウェアタイマ[[割り込み (コンピュータ)|割り込み]]が用いられることが多く、この場合割り込みによって一定時間内([[タイムスライス]])に強制的に[[オペレーティングシステム]] (以下、OS) に制御が移る。OSが TSS の場合、一定の方式に従い次のタイムスライスを実行中の[[タスク]]・[[プロセス]]・[[スレッド (コンピュータ)|スレッド]](マルチスレッドOSの場合)に割り当てる。また、OSはシステムコール処理のタイミングにおいて、より優先度の高い[[タスク]]・[[プロセス]]・[[スレッド (コンピュータ)|スレッド]]に CPU サイクルを割り当てる。これらのことを'''プリエンプション''' (横取り) という。 この方式を特に指す場合は'''プリエンプティブ'''<ref>{{lang-en-short|preemptive}}</ref>なマルチタスクという。[[Unix系]]([[Linux]]など)のシステムや、[[パーソナルコンピューター]]用商用OSでは、[[OS/2]]([[ArcaOS]],[[eComStation]],[[osFree]])、[[Windows 9x系|9X系Windows]]、[[Windows CE|CE系Windows]]、[[Windows NT系|NT系Windows]]([[ReactOS]],[[Greentea OS]])、[[macOS]]([[Classic Mac OS]])などがある。企業向けシステムの[[メインフレーム]]用OS([[タイムシェアリングシステム]])などもほぼ全てこの方式である。一定時間内にOSに制御が戻るため、システム全体の堅牢性が高い。一方、OSがCPU時間を管理する必要があり、また、一定時間毎にタスク切り替え処理が発生するため、処理にはコストがかかるが、現在のCPUの能力向上と共にそのコストは問題にならなくなっており、現在は、メリットの多いこちらの方式が主流である。 タスクを切り替える間隔を'''クオンタム'''と呼ぶ。この時間が長ければ長い程、システムの負荷が低い。しかし、一定期間内で同時に処理できる数はクオンタムに反比例する。この為、サーバ向けのOSではクオンタムは短くして応答を良くする様に調整される。 なお、OSによっては入出力割り込みや[[システムコール]]の呼び出しによってプリエンプションを発生させるものもある。マルチタスクを最初に実現したオペレーティングシステムである[[Multiple Virtual Storage|MVS]]は、入出力割り込みを基本としている。 == ノンプリエンプティブ・マルチタスク == 各タスク自身が、短い時間間隔でOSに処理を返す方式によって実現されているものを、'''ノンプリエンプティブ'''なマルチタスク、'''協調的マルチタスク'''という。例えば[[イベント (プログラミング)|イベント]]待ち行列を参照する際などにタスクが自分でOSに制御を渡す([[NetWare]]の様にシステムコールの都度制御を返す実装もある)。OSが[[CPU]]資源を管理する必要がないので処理は少ない。しかし、長時間CPUを占有し続けるタスクが存在すると、実質的にシングルタスクと同じになってしまうという欠点がある(例えば、特定のタスクが無限ループに陥るなどOSに処理をかえせなくなると、他のタスクを道連れにしてシステムがハングアップする結果になる。[[Classic Mac OS|かつてのMac OS]]や[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.x]]、[[Windows 9x系]]における16bit Windowsプログラムの動作、などはこの方式である)。 == 商標登録 == 「マルチタスク」「MULTITASK」という言葉は日本において[[日本電気]]株式会社が[[商標]]登録している(第4598360号、2002年8月23日登録)。指定商品は「[[携帯電話|携帯電話機]]」「コンピュータネットワークの加入に関する情報の提供、データ通信に関する情報の提供、テレックスによる通信、[[テレビジョン]]送信機・[[ラジオ]]送信機その他の通信機器の貸与、テレビジョン[[文字多重放送]]、テレビジョン放送、テレビジョン放送・有線テレビジョン放送・ラジオ放送に関する情報の提供、[[ファクシミリ]]による通信、ラジオ放送、移動体電話による通信、電気通信に関連する情報の提供、[[電子メール]]通信、電子計算機端末による[[衛星通信]]、電子計算機端末による通信のための通信回線の提供、電報による通信、付加価値通信網による通信(バンサービス)、付加価値通信網の提供、報道をするものに対するニュースの供給、無線呼出し、有線テレビジョン放送」である。 [[日本の商標制度#商標権の効力]]・[[日本の商標制度#商標登録の要件]]・[[日本の商標制度#商標登録の取消しおよび無効]]も参照のこと。 ==脚注== {{脚注ヘルプ}} <references/> ==関連項目== *[[プロセス管理]] *[[プロテクト]] *[[マルチスレッド]] *[[マルチプロセッシング]] *[[リアルタイムシステム]] *[[並行計算]] *[[タスク並列性]] *[[マルチタスク (心理学)]] *[[CPU時間]] {{オペレーティングシステム}} {{DEFAULTSORT:まるちたすく}} [[Category:OSのプロセス管理]] [[Category:並行計算]]
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組み込みオペレーティングシステム
組み込みオペレーティングシステム(くみこみオペレーティングシステム)は、組み込みシステムのオペレーティングシステムである。リアルタイムオペレーティングシステムでもあることが多い。 代表的なものにITRON、VxWorks、LynxOS、QNX、Enea OSEなどがある。近年はLinuxカーネルなど汎用のOSのカスタマイズ版を使うことも多い。 組み込みオペレーティングシステムを導入する目的としては、一般的に以下がある。 なお組み込みオペレーティングシステムは汎用オペレーティングシステムに比べて、以下のような相違点がある。 近年、ネットワーク機能やGUI等の複雑な処理が必要とされるものにおいてはLinux、NetBSD、OpenBSD、FreeBSD、Windows XPといった汎用オペレーティングシステムをベースにしたものが盛んに使われ始めている。そのため、これらの境界はあいまいなものになりつつある。 例として、市販されているブロードバンドルーターはOpenBSDを採用する機種が多い。KIOSK端末にはNetBSDとWindowsが多く使われている。NetBSDはOS全部をあわせても120MBと小さく、また読み込み専用メディアにインストールして使えること、多種多様なアーキテクチャに対応していることから、シェアを広げている。Linuxは組み込み向けにカスタマイズされたディストリビューションが多数あり、またリアルタイム機能を付加したカーネルがある。Windowsはカスタマイズ性ではオープンソースのOSに劣るが、パソコン向けアプリケーションや開発ツール、品質保証付きのデバイスドライバなどの豊富なソフトウェア資産とWindowsパソコン相当のGUIを持っており、ある程度のパソコンスキルさえあれば現場の社員でもメンテナンス作業を行えるため、高機能端末に多用される。標準搭載されているマルチメディア機能も他のOSと比べて充実しているため、マルチメディア機能付きコンビニエンスストアPOS端末の過半数がWindowsである。近年では、組み込みLinuxのマルチメディア機能も大きく向上してきたため、Windowsに代わり、LinuxベースのPOS端末も普及し始めている。 これらのシステムを高性能端末として利用する場合、ハードウェアも一般的なx86系を搭載したものが選ばれることが少なくない。その場合、筺体にパーソナルコンピュータと同等の構成のハードウェアまたは本体そのものを組み込み、機器の制御に用いる場合も多い(アーケードゲーム、シールプリント機、証明写真、キオスク端末など)。オペレーティングシステムも同様に、Windows NT系のWindows EmbeddedやDebianなどのLinuxディストリビューションを採用することが多い。 また、逆にパーソナルコンピュータに、電源オフから即時起動可能のインスタント機能を実現するために組み込みシステムを組み合わせることも増えてきた。
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組み込みオペレーティングシステム(くみこみオペレーティングシステム)は、組み込みシステムのオペレーティングシステムである。リアルタイムオペレーティングシステムでもあることが多い。 代表的なものにITRON、VxWorks、LynxOS、QNX、Enea OSEなどがある。近年はLinuxカーネルなど汎用のOSのカスタマイズ版を使うことも多い。
'''組み込みオペレーティングシステム'''('''くみこみオペレーティングシステム''')は、[[組み込みシステム]]の[[オペレーティングシステム]]である。[[リアルタイムオペレーティングシステム]]でもあることが多い。 代表的なものに[[ITRON]]、[[VxWorks]]、[[LynxOS]]、[[QNX]]、[[Enea OSE]]などがある。近年は[[Linuxカーネル]]など汎用のOSのカスタマイズ版を使うことも多い。 == 特徴 == 組み込みオペレーティングシステムを導入する目的としては、一般的に以下がある。 *洗練された基礎システムの確保 *[[デバイスドライバ]]、[[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]などによる、デバイス制御や処理の抽象化。 *複数の製品ラインナップ間での、統一的な開発基盤 *[[スケジューリング|スケジューラ]]による、複雑な制御の実現 *[[オープンソース]]など、既存の開発リソースの活用 なお組み込みオペレーティングシステムは[[汎用オペレーティングシステム]]に比べて、以下のような相違点がある。 *[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]とともに[[Read Only Memory|ROM]]に焼かれて利用されることが多い。 *コストを抑えるため、本体およびワークメモリの小さいものが必要。 *利用者は組み込みシステムの開発者なのでほとんどの場合[[ソースコード]]を含めた[[ライセンス]]が行われる。 *アプリケーションに特化した[[カスタム|カスタマイズ]]を考慮している。 *リアルタイム性を考慮したスケジューラが利用できる。 *[[モジュール]]化が大変発達している。モジュール単位のロード・アンロードが行える。 == 近年の傾向 == 近年、[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]機能や[[グラフィカルユーザインタフェース|GUI]]等の複雑な処理が必要とされるものにおいては[[Linux]]、[[NetBSD]]、[[OpenBSD]]、[[FreeBSD]]、[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]といった汎用オペレーティングシステムをベースにしたものが盛んに使われ始めている。そのため、これらの境界はあいまいなものになりつつある。<!--言い過ぎ?--> 例として、市販されているブロードバンド[[ルーター]]は[[OpenBSD]]を採用する機種が多い。KIOSK端末には[[NetBSD]]と[[Microsoft Windows|Windows]]が多く使われている。[[NetBSD]]はOS全部をあわせても120MBと小さく、また読み込み専用メディアにインストールして使えること、多種多様な[[アーキテクチャ]]に対応していることから、シェアを広げている。[[Linux]]は組み込み向けにカスタマイズされたディストリビューションが多数あり、またリアルタイム機能を付加したカーネルがある。Windowsはカスタマイズ性ではオープンソースのOSに劣るが、パソコン向けアプリケーションや[[Microsoft Visual Studio|開発ツール]]、品質保証付きの[[デバイスドライバ]]などの豊富なソフトウェア資産とWindowsパソコン相当の[[Graphical User Interface|GUI]]を持っており、ある程度のパソコンスキルさえあれば現場の社員でもメンテナンス作業を行えるため、高機能端末に多用される。標準搭載されているマルチメディア機能も他のOSと比べて充実しているため、マルチメディア機能付きコンビニエンスストアPOS端末の過半数がWindowsである。近年では、組み込みLinuxのマルチメディア機能も大きく向上してきたため、Windowsに代わり、LinuxベースのPOS端末も普及し始めている。<ref>[http://www.kyushu-teraoka.jp/products/ryutu/posreji.html 株式会社九州テラオカ]</ref> これらのシステムを高性能端末として利用する場合、ハードウェアも一般的な[[x86]]系を搭載したものが選ばれることが少なくない。その場合、筺体にパーソナルコンピュータと同等の構成のハードウェアまたは本体そのものを組み込み、機器の制御に用いる場合も多い([[アーケードゲーム]]、[[プリント倶楽部|シールプリント機]]、[[証明写真]]、[[マルチメディアステーション|キオスク端末]]など)。オペレーティングシステムも同様に、[[Windows NT系]]の[[Windows Embedded]]や[[Debian]]などの[[Linuxディストリビューション]]を採用することが多い。 また、逆にパーソナルコンピュータに、電源オフから即時起動可能の[[インスタント機能]]を実現するために組み込みシステムを組み合わせることも増えてきた。 == 主要OS == * [[eCos]] * [[Enea OSE]] * [[iOS]] * [[ITRON]] * [[Micro Embbeded System]] (MES) * [[マイクロソフト]] ** [[Microsoft Windows Embedded CE|Windows Embedded Compact]] (Windows Embedded CE、Windows CE) ** [[Microsoft Windows 10 IoT|Windows 10 IoT]] ** [[MS-DOS]] * [[OS-9]] * [[FreeDOS]] (MS-DOS 互換) * [[ReactOS]] (Microsoft Windows 互換) * [[Symbian OS]] * [[T-Kernel]] * [[TOPPERS]] * [[VxWorks]] * [[QNX]] * [[Smalight OS]] * [[RedHawk Linux]] * [[Valve Corporation|Valve]] ** [[SteamOS]] * [[ソニー・インタラクティブエンタテインメント|ソニー]] ** [[PlayStation 3のシステムソフトウェア]] ** [[PlayStation 4のシステムソフトウェア]] ** [[PlayStation 5のシステムソフトウェア]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 関連項目 == *[[リアルタイムオペレーティングシステム]] *[[組み込みLinux]] *[[モバイルオペレーティングシステム]] {{DEFAULTSORT:くみこみおへれていんくしすてむ}} [[Category:組み込みオペレーティングシステム|*]] [[Category:組み込みシステム]]
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組み込みシステム
組み込みシステム(くみこみシステム、英: embedded system)は、家電製品や産業機器などに搭載された、特定の機能を実現するためのコンピュータシステムの総称である。 組み込みシステムとは、機械や装置等の特定の機能を実現するために「組み込まれる」コンピュータシステムのたぐいを指すための総称である。産業用機器、医療用機器、家庭用機器等、制御を必要とする多くの製品に用いられている。特定の機能を実現する目的で組み込まれるという点で、PC等の汎用的なシステムと対比される。 小型・軽量、省電力、安定動作・誤動作防止などの要求から専用に設計されるものが多いが、組み込み用途以外の既存の製品のダウンサイジング、もしくは既存の回路ないしコンポーネントを流用・組み立てを行い製品化しているものも近年増えてきている、これはコンピューターや各種電子回路の小型化と信頼性の向上により特定の組み込み用途の要求を満たしたためである。 (たとえば動作可能状態の小型PCの基盤、PCとほぼ同じ働きをするPCI拡張ボード型コンピューター、シングルボードコンピュータ、又はワンボードの汎用マイコン回路などに専用に設計されたソフトウエアを導入して制御を必要とする機械に組み込み、制御回路として使う場合など) 組み込みシステムが登場する以前の装置の制御は、制御理論に基づく伝達関数を用いたPID制御などにより主に電気・電子回路がもたらす現象的な電気量や、機械的な機構の組み合わせ等によって直接的に実現していた。これらの制御的機能を、主に専用に設計されたコンピューターシステムとソフトウェアによって行うことで、装置の正確な状態監視、判断、複雑な命令の組み合わせ等が実現できるとともに、機能の追加や変更も容易に行うことができる。組み込みシステムの中でも、例えば、携帯電話やデジタル家電、自動車など多機能なシステムでは、複数のハードウェア、複数のソフトウェアを組み合わせたものとなり、多くの開発人員と開発期間を要し、大規模組み込みシステムなどと呼ばれることがある。 近年におけるマイクロプロセッサの価格の低下、能力の向上などにより組込みシステム導入は広がっている。機能の追加や変更がソフトウェアを書き換えることで可能となるため、電気・電子回路の変更が最小限に押さえられ、コストもおさえられることなどから、広範囲の製品に搭載されるようになっている。 コンピュータ用語辞典などでは、組み込みシステムは「特定の機能を実現するために機械や機器に組み込まれるコンピュータシステム」などといった説明がされている。 「特定の機能を実現するための必要十分条件を満たす、選択や交換の不可能なハードウェアとプログラム(ソフトウェア)で構成されるコンピュータシステム」と定義されることもある。 ハードウェアの構成は汎用のもの、独自のもの、両方を組み合わせたものがある。 ソフトウェアも同様に、汎用のもの、独自のもの、両方を組み合わせたものがある。開発言語としてはC言語が用いられることが多いが、メモリ容量や実行速度等の制約が厳しい用途ではアセンブリ言語が用いられる。メモリ容量等の資源が十分に確保できるシステムではOSも搭載されているものも多い。 ハードウェアとソフトウェアは別々に設計することもあるが、ハードウェアとソフトウェアの機能をお互いに考慮しながら設計する協調設計(コデザイン、co-design)と言う設計手法もある。 組み込みシステムが発達する以前の装置の制御は、アナログ回路、プログラム制御によらないデジタル回路、からくり的な機械的機構といったハードウェアにより構成していたが、新たな機能を追加したり変更したりする場合に、電子回路や機構そのものを変更する必要があり、コストと時間がかかるという問題があった。 1980年代以降のマイクロプロセッサの発達により、コンピュータを用いた制御方式を導入することで、電子機器の回路は変更せず、ソフトウェアの部分のみを変更することで機能の追加が可能になり、機能追加に必要なコストが削減された。 このため、ほとんどの電化製品に組み込みシステムを搭載するようになり、それにより、製品の付加価値となる新機能が比較的容易に追加できるようになり、高機能化・多機能化が進んだ。 家庭用、産業用問わず電子制御を必要とする製品において広く用いられている。以下に例を挙げる。 他 他多数 組み込みシステムを搭載した機器のハードウェアの構成パターンとしては以下のようなものがある。 製品の目的や、製品が販売されるマーケットの性質に応じて、上記からパターンが選択される。 より具体的には以下のような要素を考慮してハードウェアの構成が検討される。 形状が特殊であったり、サイズが特別に小さい製品などでは、汎用のハードウェアを内蔵することができないことがあり、その場合は専用のハードを新たに開発しなければならなくなる。 「量産品か、少量生産品か」というのは、独自ハードウェアは、開発コスト(回路設計費、基板設計費等)がかかる、という事実があり、量産品の場合は全体の大きなコストの中にそれを含めてしまえば良いのだが、少量生産品の場合はそうできないというハードルがある、ということである。 厳密で適切な選択となると、原価計算も踏まえて行う必要がでてくる。 以下に主なものを挙げる。 「独自に開発したソフトウェアだけで構成する」方法と、「汎用ソフトウェアと独自ソフトウェアを組み合わせて構成する」方法が存在する。 組み込みシステムの開発職は確立された職種として認知されている。日本における組み込みソフトウェア技術者数は、2004年に14.9万人、2005年17.5万人、2006年19.3万人、2007年23.5万人と推計された(経済産業省による推計)。
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組み込みシステムは、家電製品や産業機器などに搭載された、特定の機能を実現するためのコンピュータシステムの総称である。
'''組み込みシステム'''(くみこみシステム、{{lang-en-short|embedded system}})は、家電製品や産業機器などに搭載された、特定の機能を実現するための[[コンピュータ]][[システム]]の[[総称]]である<ref>[https://www.sophia-it.com/content/%E7%B5%84%E3%81%BF%E8%BE%BC%E3%81%BF%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0 IT用語辞典BINARY【組み込みシステム】]</ref>。 == 概説 == [[ファイル:Embedded_Systems_PBL.jpg|thumb|組み込みシステムの一例]] [[File:Energy Micro Woder Gecko STK showing EFM32WG990F256 (ARM Cortex-M4F) MCU.JPG|thumb|一例。[[:en:EFM32]]。]] 組み込みシステムとは、[[機械]]や[[装置]]等の特定の機能を実現するために「組み込まれる」[[コンピュータ]]システムのたぐいを指すための[[総称]]である。[[産業]]用機器、[[医療]]用機器、家庭用機器等、制御を必要とする多くの製品に用いられている。特定の機能を実現する目的で組み込まれるという点で、[[パーソナルコンピュータ|PC]]等の汎用的なシステムと対比される。 小型・軽量、省電力、安定動作・誤動作防止などの要求から専用に設計されるものが多いが、組み込み用途以外の既存の製品の[[ダウンサイジング]]、もしくは既存の回路ないしコンポーネントを流用・組み立てを行い製品化しているものも近年増えてきている、これはコンピューターや各種電子回路の小型化と信頼性の向上により特定の組み込み用途の要求を満たしたためである。 (たとえば動作可能状態の小型PCの基盤、PCとほぼ同じ働きをするPCI拡張ボード型コンピューター、[[シングルボードコンピュータ]]、又はワンボードの汎用マイコン回路などに専用に設計されたソフトウエアを導入して制御を必要とする機械に組み込み、制御回路として使う場合など) 組み込みシステムが登場する以前の装置の制御は、[[制御理論]]に基づく[[伝達関数]]を用いた[[PID制御]]などにより主に電気・[[電子回路]]がもたらす[[現象]]的な電気量や、[[機械|機械的]]な機構の組み合わせ等によって直接的に実現していた。これらの制御的機能を、主に専用に設計されたコンピューターシステムとソフトウェアによって行うことで、装置の正確な状態監視、判断、複雑な命令の組み合わせ等が実現できるとともに、機能の追加や変更も容易に行うことができる。組み込みシステムの中でも、例えば、[[携帯電話]]や[[デジタル家庭電化製品|デジタル家電]]、[[自動車]]など多機能なシステムでは、複数の[[ハードウェア]]、複数の[[ソフトウェア]]を組み合わせたものとなり、多くの開発人員と開発期間を要し、'''大規模組み込みシステム'''などと呼ばれることがある。 近年における[[マイクロプロセッサ]]の価格の低下、能力の向上などにより組込みシステム導入は広がっている。機能の追加や変更がソフトウェアを書き換えることで可能となるため、電気・電子回路の変更が最小限に押さえられ、コストもおさえられることなどから、広範囲の製品に搭載されるようになっている。 === 定義 === コンピュータ[[用語]][[辞典]]などでは、組み込みシステムは「特定の機能を実現するために機械や機器に組み込まれるコンピュータシステム」などといった説明がされている<ref>『よくわかる組み込みシステムの基本と仕組み』p.22</ref>。 「特定の機能を実現するための[[必要十分条件]]を満たす、選択や交換の不可能な'''ハードウェア'''とプログラム('''ソフトウェア''')で構成されるコンピュータシステム」<ref>『よくわかる組み込みシステムの基本と仕組み』</ref>と定義されることもある。 === 組み込みシステムの形態 === ハードウェアの構成は汎用のもの、独自のもの、両方を組み合わせたものがある。 ソフトウェアも同様に、汎用のもの、独自のもの、両方を組み合わせたものがある。開発言語としては[[C言語]]が用いられることが多いが、[[Random Access Memory|メモリ]]容量や実行速度等の制約が厳しい用途では[[アセンブリ言語]]が用いられる。メモリ容量等の[[計算資源|資源]]が十分に確保できるシステムでは[[オペレーティングシステム|OS]]も搭載されているものも多い。 ハードウェアとソフトウェアは別々に設計することもあるが、ハードウェアとソフトウェアの機能をお互いに考慮しながら設計する'''協調設計'''(コデザイン、{{en|co-design}})と言う設計手法もある。 == 沿革 == 組み込みシステムが発達する以前の装置の制御は、[[アナログ回路]]、プログラム制御によらない[[デジタル回路]]、[[からくり|からくり的]]な機械的機構といった[[ハードウェア]]により構成していたが、新たな機能を追加したり変更したりする場合に、電子回路や機構そのものを変更する必要があり、コストと時間がかかるという問題があった。 [[1980年代]]以降のマイクロプロセッサの発達により、コンピュータを用いた制御方式を導入することで、電子機器の回路は変更せず、[[ソフトウェア]]の部分のみを変更することで機能の追加が可能になり、機能追加に必要なコストが削減された。 このため、ほとんどの[[家庭用電気機械器具|電化製品]]に組み込みシステムを搭載するようになり、それにより、製品の付加価値となる新機能が比較的容易に追加できるようになり、高機能化・多機能化が進んだ。 == 具体例 == 家庭用、産業用問わず電子制御を必要とする製品において広く用いられている。以下に例を挙げる。 * [[家庭用電気機械器具]](一般家電製品、[[デジタル家電]]) ** [[白物家電]]等([[炊飯器]]、[[洗濯機]]、[[エア・コンディショナー]]、[[掃除用ロボット|ロボット掃除機]]など) ** 通信用機器(携帯電話、機能電話、モデム、[[ルーター]]など) ** [[デジタル|デジタル機器]]([[デジタルカメラ]]、[[ビデオカメラ]]、パソコン用の[[周辺機器]]([[プリンター]]、[[スキャナ]]など)) ** [[オーディオ・ビジュアル|AV機器]]([[テレビ]]、[[ハードディスク・レコーダー]]、[[DVDレコーダー]]など) ** ホーム[[警備|セキュリティ]]機器 ** 家庭用[[ゲーム機]] ** 高機能な[[玩具]](愛玩用の動物型ロボットなど) ** 高機能な教育用機器 * 一般産業用機器や機械設備類 ** 事務機器([[複写機]]、[[プリンター]]など) ** 通信機器(法人用[[携帯電話]]、機能[[電話機]]、[[ファクシミリ|ファクス]]、[[モデム]]、[[ターミナルアダプタ|TA]]、ルーター、[[LAN]]用機器など) ** 業務用空調設備、業務用エアコン ** 生産用機器・設備([[産業用ロボット]]、[[工作機械]]、[[計測機器の一覧|計測機器]]など) ** 販売用機器([[自動販売機]]、[[自動券売機]]、[[販売時点情報管理|POSレジ]]) ** [[現金自動預け払い機]](ATM) ** 広告・展示用装置([[展示]]用装置) ** 警備・監視用装置(機械警備、中央[[監視]]装置など) ** 遊戯産業用機器([[パチンコ]]機、[[パチスロ]]機、[[スロットマシン]]など) ** [[信号機]] ** [[エレベーター]]の部分制御(なお基本的な運転制御については制御盤内の[[プログラマブルロジックコントローラ|PLC]]等により、より安全性の高い構成としている) * [[乗り物]]やそこに搭載する機器 ** [[自動車]]、[[オートバイ]]の[[エンジンコントロールユニット]]([[燃料噴射装置]]を含む[[エンジン]][[マネジメント]])、[[オートマチックトランスミッション|自動変速機]]、[[エア・コンディショナー|エアコン]]などの制御 ** [[カーナビゲーションシステム]] ** [[鉄道車両]]([[電気機関車]]、[[電車]]、[[ディーゼル機関車]]、[[気動車]]など)のブロック制御 ** [[船舶]]、[[航空機]]、[[宇宙船]]、[[人工衛星]] * [[医療機器]] ** [[バイタルサイン]]用([[血圧計|自動血圧計]]、 [[心電図|心電計]]、 [[体温計|電子体温計]]など) ** [[除細動器]]([[自動体外式除細動器|AED]]など) ** [[臨床検査]]用機器・分析装置 * [[災害]]対策用機器 ** [[レスキューロボット]] ** [[原子力発電所]]の事故処理用、[[廃炉]]用ロボット 他 * 競技用ロボット(たとえば[[ロボット競技|ロボコン]]) 他多数 {{Gallery |width = 180px |File:Laser Printer Top Open.JPG|[[レーザープリンター]]の組み込みシステム |File:RouterBOARD RB493G close-up.jpg|[[ルーター]]の組み込みシステム |File:VIA VB7007 Embedded Board Image - Perspective (3331522325).jpg|[[VIA Technologies|VIA]] VB7007。主に[[販売時点情報管理|POS]]や[[インターネット・キオスク|キオスク]]に使われる<ref>[https://www.viatech.com/ja/support-ja/eol/vb7007-eol/]</ref>。 }} == 汎用システムとの比較 == * 組み込みシステムは、最終製品が多岐に亘るため、汎用的なコンピュータ<!--汎用コンピュータはメインフレームへのredirect。どこにリンクすべき?-->に比べて非常に数と種類が多い。 * ソフトウェアだけでなくハードウェアも専用のものを開発することが多い。また、そのハードウェアに対応した[[デバイスドライバ]]を作る必要もある。 * 機械の制御を行う場合には特に、汎用システムとは異なり、[[リアルタイム制御]]が重要になる。 * [[大量生産]]される製品の場合にはコストが非常に重要となるので、必要最低限の[[主記憶装置|メモリ]]と、安価な[[CPU]]で動作可能にする必要がある。小規模なシステムでは1[[集積回路|チップ]][[マイクロコントローラ|マイコン]]を利用することが多い。 * 専用のハードウェアに専用のソフトウェアが搭載されて製品となるものが多いので、その[[試験|テスト]]工程は、ハードウェア、ソフトウェアの両方にまたがる検証が重要になる。 == ハードウェア == 組み込みシステムを搭載した機器のハードウェアの[[構成]]パターンとしては以下のようなものがある<ref>『よく分る組み込みシステムの基本と仕組み』p.23</ref>。 * 独自のハードウェアのみで機器を構成する。 * 汎用のマイコンボードと独自のハードウェアを組み合わせて機器を構成する。 * 汎用のハードウェアのみで構成する。 製品の目的や、製品が販売されるマーケットの性質に応じて、上記からパターンが選択される<ref>『よく分る組み込みシステムの基本と仕組み』p.24</ref>。 より具体的には以下のような要素を考慮してハードウェアの構成が検討される。 * 形状、サイズ * 量産品か否か 形状が特殊であったり、サイズが特別に小さい製品などでは、汎用のハードウェアを内蔵することができないことがあり、その場合は専用のハードを新たに[[開発]]しなければならなくなる。 「量産品か、少量生産品か」というのは、独自ハードウェアは、開発コスト([[電子回路|回路]][[設計]]費、[[基板]]設計費等)がかかる、という事実があり、量産品の場合は全体の大きなコストの中にそれを含めてしまえば良いのだが、少量生産品の場合はそうできないというハードルがある、ということである。 厳密で適切な選択となると、[[原価計算]]も踏まえて行う必要がでてくる<ref>『よく分る組み込みシステムの基本と仕組み』p.26</ref>。 === 組み込み向けCPU === 以下に主なものを挙げる。 * [[Intel 8049|8049]] * [[Intel 8051|8051]] * [[Intel 8085|8085]] * [[Z80]] * [[68000]] * [[V30]] , V850 * [[PIC (コントローラ)|PIC]] * [[Atmel AVR]] * [[H8|H8/300]] * [[SuperH]] * [[PowerPC]] * [[M16C]] * [[R8C/Tiny]] * [[MIPSアーキテクチャ]] * [[ARMアーキテクチャ]] == ソフトウェア == 「独自に開発したソフトウェアだけで構成する」方法と、「汎用ソフトウェアと独自ソフトウェアを組み合わせて構成する」方法が存在する<ref>『よく分る組み込みシステムの基本と仕組み』p.27</ref>。 * ソフトウェアは[[C言語]]で記述されることが多い。32[[ビット]]以上の[[マイクロコンピュータ|マイコン]]など、比較的ハードウェア資源が豊富な環境では[[C++]]や[[Java]]が使用されることもある一方で、4ビットマイコンなどの資源が貧弱な環境や、逆に他言語では間に合わないような極めて高速な処理を求められる場面では、現在でも[[アセンブリ言語]]の使用が必須である。 * ([[ソフトウェア開発]]全般の話で)最近では開発に[[統一モデリング言語|UML]]といったオブジェクト指向の手法が取り入れられるようになっている。ただし組み込みシステム開発においては、機能で分類したクラスでプログラムを組み立てるのではなく、信頼性が保証されたモジュールで組み立てるのが普通である。 * デバッグは、[[インサーキット・エミュレータ|ICE]]と呼ばれる機器を用いて[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]を[[CPU]]に接続してリモートで行う。近年では、ICEを使わず[[オンチップ・エミュレータ|JTAGエミュレータ]]や[[オンチップ・エミュレータ|ROMエミュレータ]]などの[[エミュレータ]]や、パソコン上でCPUの機能を[[シミュレート]]する[[シミュレータ]]も使用される。 * かつては、ソフトウェアは[[EPROM]](特に[[UV-EPROM]]が使われることが多かった)に書き込まれた状態で出荷されたため、出荷後に[[バグ|製品不具合]]が発見されると、修正や修理のためにメーカによる製品回収・交換作業などが必要になり、多大な費用がかかった。 * 近年はソフトウェア容量が大きくなり、機能ごとに複数のソフトウェアを搭載する組み込み機器も少なくない。特に、[[携帯電話]]、[[デジタルオーディオプレーヤー]]、[[ハードディスク・レコーダー|HDDレコーダ]]などの[[デジタル家庭電化製品|デジタル家電]]の[[ファームウェア]]、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]][[周辺機器]]の[[ファームウェア]]にも組み込み用途向け[[オペレーティングシステム|OS]]を搭載する機種が多い。機能は多様化したが、不具合対処のリスクも高まった。このため製品に[[フラッシュメモリ]]を採用し、出荷後にユーザサイドで書き換え可能とすることで、以前と比べメーカ側の負担は軽微になった。しかしシステム解析の複雑さから不具合の発覚から修正までにかなりの時間を要することがあるようにもなり、市場に大きな影響を及ぼすことには変わりはない。ソフトウェアの書き換えには様々な手段が用いられており、修正ソフトウェアの入った[[リムーバブルメディア]]をユーザ側で取り込ませる方法、放送電波を経由させて配信する方法などがあるが、インターネットに直接アクセスして自動で修正ソフトウェアにアップデートする機能をもった機器が増えてきている。 * パーソナルコンピュータ本体の[[BIOS]]は、マザーボードの機種ごとに組み込まれた組み込みシステムソフトウェアであり、主に[[マザーボード]]上の[[チップセット]]に対してのファームウェアである。BIOS設定画面でユーザが設定した項目は、大容量コンデンサやボタン電池などでバックアップ(これらはCMOSバックアップ電池と呼ばれる)されたROMに保存されている。 === OS === {{main|組み込みオペレーティングシステム}} {{seealso|リアルタイムオペレーティングシステム}} * 組み込みに用いられる[[オペレーティングシステム|OS]]としては、日本においては[[μITRON]]仕様OSが採用されることが多い。[[VxWorks]]、[[OS-9]]、[[QNX]]なども広く利用され、また最近では強力なネットワーク機能により本来汎用OSである[[NetBSD]]、[[OpenBSD]]、[[FreeBSD]]などのUnix-likeOSにも注目が集まっている。詳しくは、[[組み込みオペレーティングシステム]]を参照のこと。 * ただし、現在においても、特に低資源の環境ではOSを採用しないことも多い。 <!-- * 携帯電話など非常に大量生産するシステムではロイヤリティが要らないLinuxが主流である。複合機などマルチタスク性が要求されるシステムではWindRiver社の[[VxWorks]]や、NetBSDファウンデーションの[[NetBSD]]が使われている(NetBSDはその移植性の高さと、カスタマイズのし易さが高く評価されている)。[[電話交換機]]では[[ITRON]]が主流である。:根拠不明のためコメント化--> * ほとんどの組み込みシステムでは、ユーザがプログラムを入れ替えたり更新したりすることは想定されない。そのため汎用コンピュータよりも自由に[[オペレーティングシステム]]やシステム構成を選択できる。 * 近年ではPCベースのハードウェアの低価格化に伴い、PCベースのハードウェアを使用し、OSも組み込み向けにカスタマイズした[[Microsoft Windows CE|Windows CE]]や[[Linux]]なども採用されている。パソコン用のアプリケーションやデバイスドライバなどを流用出来るだけでなく、Windowsパソコン感覚での開発・使用・メンテナンスも行えるほか、[[サービス水準合意]]を締結することで[[製造物責任法]]対策も行えるため、Windows Embeddedは航空券のチェックインシステムからコンビニのPOSレジ、更には銀行のATMまで、幅広く採用されている。(実用上十分なセキュリティ性能を持ち、特別な知識を持っていなくても比較的簡単に操作出来ることから、組み込み版ではなかった[[Microsoft Windows NT|Windows NT 4.0]]の頃から組み込みシステムに採用されていた) === 関連項目 === * [[ファームウェア]] == 組み込みシステムの技術者 == 組み込みシステムの開発職は確立された職種として認知されている。日本における組み込みソフトウェア技術者数は、2004年に14.9万人、2005年17.5万人、2006年19.3万人、2007年23.5万人と推計された(経済産業省による推計<ref>経済産業省「2007年版 組込みソフトウエア産業実態調査」</ref>)。 == 組み込みシステムに関する資格 == {{seealso|Category:組み込みシステム関連資格}} ; [[国家資格]] *[[情報処理技術者試験]] - [[経済産業省]]所管の独立行政法人である[[情報処理推進機構]](IPA)が実施する[[国家資格]]。 **[[エンベデッドシステムスペシャリスト試験]] - 日本国内で実施される組み込みシステムに関する資格試験としては最難関にあたる。 **[[システムアーキテクト試験]] - 午後1および午後2で組み込みシステムに関する問題が自由選択制で出題される。午後2は論述試験である。 **[[ITストラテジスト試験]] - 午後1および午後2で組み込みシステムに関する問題が自由選択制で出題される。午後2は論述試験である。 **[[基本情報技術者試験]] **[[応用情報技術者試験]] - 午後の問7(自由選択制)は例年組み込みシステムに関する内容になっている。 ; [[公的資格]] *[[組込みソフトウェア技術者試験]](ETEC) - 一般社団法人[[組込みシステム技術協会]](JASA)認定 ; [[民間資格]] *[[国際ソフトウェアテスト資格認定委員会|ISTQB]]認定資格 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[シーケンス制御]] * [[OSGi]] * [[組込みスキル標準]] * [[LonWorks]] * [[ハードウェア記述言語]] * [[エンベデッドシステムスペシャリスト試験]] * [[組み込みLinux]] * [[ソフトウェア危機]] * [[プロセス制御]] == 外部リンク == * [https://jrecin.jst.go.jp/html/compass/e-learning/40-641/index.html 組込みシステム技術コース] - 研究人材のためのe-learning([[科学技術振興機構]]) {{Normdaten}} {{Automation protocols}} {{マイクロコントローラ}} {{コンピュータ科学}} {{DEFAULTSORT:くみこみしすてむ}} [[Category:制御工学]] [[Category:電子工学]] [[Category:コンピュータの形態]] [[Category:組み込みシステム|**]] [[Category:プログラミング言語]] [[Category:アセンブリ言語]]
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2023-11-22T22:43:39Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%84%E3%81%BF%E8%BE%BC%E3%81%BF%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0
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柑橘類
柑橘類(かんきつるい)は、ミカン科ミカン亜科ミカン連(カンキツ連)の、ミカン属など数属の総称である。漢籍由来の言葉ではなく日本での造語で、ミカン(蜜柑)やタチバナ(橘)に代表される。 柑橘類とされる「ことがある」属は以下のとおり。 なお関連する属分類は諸説あるが、ここではウォルター・テニソン・スウィングルや田中長三郎による属を使う。 狭義にはミカン属・キンカン属・カラタチ属の3属からなる。近縁な中で農業的に栽培されるのはこれら3属であり(ただしカラタチ属は主に台木として栽培される)、この定義は農業分野に多い。 広義にはそれらにクリメニア属を加えた4属、すなわち、田中による分類での「カンキツ連」に等しい。この定義は分類(の一説)に基づいており、植物学分野に多い。 まれに、さらに広義の定義として、エレモシトラス属・ミクロシトラス属を含めた6属、すなわち、ウォルター・テニソン・スウィングルによる分類での「真正カンキツ類」とすることがある。 逆に最も狭義には、ミカン属のみとする。この用法は、Citrus を柑橘類と訳した翻訳文献でしばしば見られる。また、「統計上」という但し書きでミカン属とする資料もある。ただし実際には、日本の農業統計ではキンカンはカンキツ類に含まれている(カラタチはデータなしのため扱い不明)。 「柑橘類」という言葉は日常生活および産業上において頻用される日用語であり、英訳する際には通常 citrus と訳される。この言葉は属の学名 Citrus が日用語に採り入れられたもので、現在では Citrus よりも広い範囲の樹木や果実を指すようになっている。 しかし Citrus と明確に区別するため、植物分類ではしばしば「citrus fruit」という表現が使われ、「柑橘類」と対訳される。これは厳密には柑橘類よりやや広く、ウォルター・テニソン・スウィングルによる分類でのミカン亜連の13属の総称である(Swingle & Reece 1967での正確な表現は「Citrus Fruit Tree」)。 学名 Citrus は、和名ミカン属にあたり、日用語 citrus 「柑橘類」よりも狭い。ただし、キンカン属とカラタチ属をミカン属に含める場合、狭義の(3属からなる)柑橘類と等しい。なお、Citrus 自体はある種の樹木を指すローマ時代のラテン語 citrus からである。 「柑」と「橘」は、完熟した甘味の果実と青い酸味の果実を意味する。「矞」は青いという音符である。 柑橘類の果実は食用となる。果実の「爽やかな香り」と「甘酸っぱい味」が特徴。甘い種類は生食・ジュースや製菓材料として、酸味が強い種類は菓子のほか料理の酸味づけとして世界各地で広く利用される。ユズ、スダチ、カボスのように高い香りとともに強い酸味をもち生食よりも料理などに利用することが一般的なものを香酸柑橘という。オレンジやレモンのように世界的にポピュラーなものもあれば、地域ごとに特色のある柑橘類も存在し利用方法も様々である。 果実は10個前後の小袋が放射状に並んだ形状をしており、小袋をじょうのう(瓤嚢)、小袋の薄皮をじょうのう膜、小袋の中身(いわゆる果肉)を砂じょう(英語版)(砂瓤)と呼ぶ。じょうのう膜は食べることができるが、種類によって厚さが異なり、また食習慣・好みによって取り除かれることがある。 砂じょうは涙形の長さ数ミリメートル程度の粒で、じょうのう膜の中に無数に詰まっている。砂じょうの表面は薄い膜があり、その中は果汁で満たされている。じょうのう膜の中には硬く食用にならない種子もあるが、ウンシュウミカンのように種子がない場合もある。 果皮の表面には直径1ミリメートル程度の球形の油胞が無数に存在し、リモネンをはじめとする精油が含まれている。一般に油胞には果肉よりも豊富な香り成分が含まれるが、苦味がある。果皮の内側は白く柔らかい綿状または繊維質をしておりアルベド(albedo)と呼ばれる。レモンやユズのように表面を薄く剥いたりすり下ろして菓子や料理の風味づけに使ったり、アルベドも含めて砂糖漬けやマーマレードにしたり、あるいは乾燥させて食用にする場合もある。 カラタチなど、一部を除いて常緑であり、樹高も低木の範疇に収まるものがほとんどである。古くから日本の広い地域で栽培、利用されているが、ルーツは熱帯から亜熱帯にあり耐寒性のない種類も多い。棘を持つもの、葉に芳香成分を含むものが目立ち、蝶類の幼虫の食餌として好まれる傾向がある。 蜜柑やレモンは低木な為に小さな材しか取れないものの、緻密で弾力に富み、強度と靱性に優れ、割れにくい特徴から、一部の楽器や手で握る道具の柄など利用される。 材木として栽培されている訳ではないので一般に流通する事は少ない。 レモンウッドとして流通する木材とは異なる。 柑橘類の果実特性には、果形指数、果実重、果皮色、果皮厚、果肉歩合、果肉色、含核程度、糖度、酸含量などがある。 柑橘類には、オレンジやレモンのようにビタミンCやカロテン、クエン酸が多く含まれていて、風邪の予防や肌を美しく保つのに役立つといわれる。果肉の袋や筋の部分にはビタミンPも含まれていて、毛細血管を強くする働きがあるとされる。β-クリプトキサンチンも含まれており、ヒトでは、β-クリプトキサンチンはビタミンA(レチノール)に変換されるためプロビタミンAと見なされている。他のカロテノイドと同様に、β-クリプトキサンチンは抗酸化物質としてフリーラジカルによる酸化的損傷から細胞およびDNAを保護していると考えられている。柑橘類は、デザイナーフーズ計画でがん予防に有効性のあると考えられる40種類ほどの野菜、果実類に含められている。一方、チラミンも含まれており、その血管収縮作用の消失から拡張へ向かう際に片頭痛を引き起こす可能性がある。 かつて、柑橘類はデザイナーフーズ計画のピラミッドで2群に属しており、2群の中でも5位中3位に属する、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた。 Swingle & Reece (1967)の分類を示す。なお、あくまで分類の図示であり、必ずしも系統を反映していない。 ミカン連には、ミカン属、キンカン属、カラタチ属など、約28属(属数は分類により増減する)が含まれる。商業的に重要な種類は、ほとんどミカン属に含まれる。 狭義の柑橘類に含められるキンカン属とカラタチ属は、ミカン属に含める説があり、Penjor et al. (2014)の分子系統もそれを支持する。ただし Lu et al. (2011)の分子系統は、カラタチ属は真正カンキツ類の中で最初に分岐したとする。 さらに最も広義には、エレモシトラス属・ミクロシトラス属までもをミカン属に含める説がある。しかし、この2属は互いに近縁なものの、ミカン属からは比較的(クリメニア属と同程度かそれよりも)遠い。 ウィキペディア日本語版に記事がある種類の一覧は記事末尾を参照。 柑橘類の種分類は学説により種数に大きな差がある。ここで、2つの種名を / で併記した場合は、1つ目が多くの種を認める田中による種名、2つ目が少数の種しか認めないスウィングルによる種名である。 田中長三郎のものに基づく区に分けて示す。 (*注記) Penjor et al. (2013)の分子系統による。 彼らによると、ミカン属は3つのクラスタに分かれる。カラタチ属・キンカン属は、ミカン属の中で各クラスタと同等の枝をそれぞれなす。クリメニア属・エレモシトラス属・ミクロシトラス属は、それら3属からは少し離れている。 田中による区のいくつかは複数のクラスタにまたがる。また、スウィングルはミカン属を2亜属 Citrus と Papeda に分けたが、この分類も系統から支持されない。 (*注記) 上記以外に、一般的に使用される分類を示す。 (*注記)
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柑橘類(かんきつるい)は、ミカン科ミカン亜科ミカン連(カンキツ連)の、ミカン属など数属の総称である。漢籍由来の言葉ではなく日本での造語で、ミカン(蜜柑)やタチバナ(橘)に代表される。
{{生物分類表 | 名称 = 柑橘類 | 色 = lightgreen | 画像 = [[画像:Citrus fruits.jpg|250px]] | 画像キャプション = さまざまな果実のスライス |界 = [[植物界]] {{Sname||Plantae}} |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||angiosperms}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||eudicots}} |亜綱階級なし = [[コア真正双子葉類]] {{Sname||core eudicots}} |下綱階級なし = [[バラ類]] {{Sname||rosids}} |上目階級なし = [[アオイ類]] {{Sname||malvids}} | 目 = [[ムクロジ目]] {{Sname||Sapindales}} | 科 = [[ミカン科]] {{sname||Rutaceae}} | 亜科 = [[ミカン亜科]] {{sname||Aurantioideae}} | 連 = [[ミカン連]] {{sname||Citreae}} | 亜連 = [[ミカン亜連]] {{sname|Citrinae}} | 属階級なし = '''柑橘類''' | 下位分類名 = 属 | 下位分類 = * [[ミカン属]](カンキツ属) {{snamei||Citrus}} * [[キンカン属]] {{snamei||Fortunella (plant)|Fortunella}} * [[カラタチ属]] {{snamei||Poncirus}} * ( [[クリメニア属]] {{snamei||Clymenia (plant)|Clymenia}} ) * ( [[エレモシトラス属]] {{snamei||Eremocitrus}} ) * ( [[ミクロシトラス属]] {{snamei||Microcitrus}} ) }} '''柑橘類'''(かんきつるい)は、[[ミカン科]][[ミカン亜科]][[ミカン連]](カンキツ連)の、[[ミカン属]]など数属の総称である。[[漢籍]]由来の言葉ではなく日本での造語で、[[ミカン]](蜜'''柑''')や[[タチバナ]]('''橘''')に代表される。 == 定義 == 柑橘類とされる「ことがある」属は以下のとおり。 * [[ミカン属]](カンキツ属) {{snamei||Citrus}} * [[キンカン属]] {{snamei||Fortunella (plant)|Fortunella}} * [[カラタチ属]] {{snamei||Poncirus}} * [[クリメニア属]] {{snamei||Clymenia (plant)|Clymenia}} * [[エレモシトラス属]] {{snamei||Eremocitrus}} * [[ミクロシトラス属]] {{snamei||Microcitrus}} なお関連する属分類は諸説あるが、ここでは[[ウォルター・テニソン・スウィングル]]や[[田中長三郎]]による属を使う。 狭義にはミカン属・キンカン属・カラタチ属の3属からなる<ref>『[[広辞苑]]』「柑橘類」</ref><ref>『[[デジタル大辞泉]]』「柑橘類」</ref><ref name=Heibonsha>{{cite | chapter=柑橘類 | author=[[山岡彬雄]] | title=世界大百科事典 | year=2009 | version=2009年改定新版 | publisher=[[平凡社]] }}</ref><ref>[https://www.maff.go.jp/j/heya/kodomo_sodan/0412/02.html 農林水産省/柑橘類(かんきつるい)というのは、なぜそう呼ばれるのですか。また、柑橘類の色はなぜ黄色いのですか。]</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=仁藤伸昌, 松川哲也, 伊東卓爾, 我藤雄 |year=2008 |url=https://kindai.repo.nii.ac.jp/records/5512 |title=近畿大学カンキツ類系統保存品種花粉の発芽 |journal=Memoirs of the School of Biology-Oriented Science and Technology of Kinki University |ISSN=13427202 |publisher=近畿大学生物理工学部 |issue=22 |pages=19-24 |crid=|1050282677527229568}}</ref><ref name=Shizuoka>[http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-360/kankitu/mi01/mi01-01.html 「みかん」とは?]([[静岡県]]産業部農林業局みかん園芸室)</ref>。近縁な中で農業的に栽培されるのはこれら3属であり(ただしカラタチ属は主に[[台木]]として栽培される<ref name=Shizuoka/>)、この定義は農業分野に多い。 広義にはそれらにクリメニア属を加えた4属、すなわち、田中による分類での「カンキツ連」に等しい<ref name=Heibonsha/><ref name=Shizuoka/><ref name=Nipponica>{{cite | chapter=柑橘類 | author=[[飯塚宗夫]] | title=[[日本大百科全書]] | year=1987 | version=初版 | publisher=[[小学館]] }}</ref><ref>{{cite | chapter=ミカン(科) | title=[[ブリタニカ国際大百科事典]] | year=1993 | version=第2版改訂版 | publisher=[[ティービーエス・ブリタニカ]] | author=[[小野幹雄 (植物学者)|小野幹雄]]}}</ref>。この定義は分類(の一説)に基づいており、植物学分野に多い。 まれに、さらに広義の定義として、エレモシトラス属・ミクロシトラス属を含めた6属、すなわち、[[ウォルター・テニソン・スウィングル]]による分類での「真正カンキツ類」とすることがある<ref name=Heibonsha/>。 逆に最も狭義には、ミカン属のみとする<ref name=BritanicaR>{{cite | chapter=柑橘類 | title=[[ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典 | year=1993 | version=第2版改訂版 | publisher=[[ティービーエス・ブリタニカ]] }}</ref>。この用法は、{{snamei|Citrus}} を柑橘類と訳した翻訳文献でしばしば見られる<ref name=BritanicaR/>。また、「統計上」という但し書きでミカン属とする資料もある<ref name=Shizuoka/>。ただし実際には、日本の農業統計ではキンカンはカンキツ類に含まれている<ref>[https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?lid=000001060237&layout=datalist 統計表一覧 政府統計の総合窓口 GL08020103]</ref>(カラタチはデータなしのため扱い不明)。 == 語釈 == 「柑橘類」という言葉は日常生活および産業上において頻用される日用語であり、英訳する際には通常 {{lang|en|'''[[:wikt:citrus|citrus]]'''}} と訳される。この言葉は属の学名 {{snamei|Citrus}} が日用語に採り入れられたもの<ref>[http://www.etymonline.com/index.php?term=citrus&allowed_in_frame=0 Online Etymology Dictionary]</ref>で、現在では {{snamei|Citrus}} よりも広い範囲の樹木や果実を指すようになっている。 しかし {{snamei|Citrus}} と明確に区別するため、植物分類ではしばしば「{{en|citrus fruit}}」という表現が使われ、「柑橘類」と対訳される<ref name=Heibonsha/>。これは厳密には柑橘類よりやや広く、[[ウォルター・テニソン・スウィングル]]による分類でのミカン亜連の13属の総称である(Swingle & Reece 1967<ref name=S&R>{{cite | last=Swingle | first=W.T. | last2=Reece | first2=P.C. | year=1967 | chapter=The botany of Citrus and its wild relatives | editor=Reuther W, Webber HJ, Batchelor LD | title=The Citrus Industry | publisher=University of California | city=Berkeley | volume=1 | pages=190–430 | url=http://websites.lib.ucr.edu/agnic/webber/Vol1/Chapter3.html }}</ref>での正確な表現は「{{en|Citrus Fruit Tree}}」)。 学名 {{snamei|Citrus}} は、和名[[ミカン属]]にあたり、日用語 {{lang|en|citrus}} 「柑橘類」よりも狭い。ただし、キンカン属とカラタチ属をミカン属に含める場合、狭義の(3属からなる)柑橘類と等しい。なお、{{snamei|Citrus}} 自体はある種の樹木を指すローマ時代の[[ラテン語]] {{lang|la|citrus}} からである<ref>[http://perseus.mpiwg-berlin.mpg.de/cgi-bin///lexindex?lookup=citrus&db=ls&lang=la Lewis & Short Latin Dictionary] </ref>。 「柑」と「橘」は、完熟した甘味の果実と青い酸味の果実を意味する。「矞」は青いという音符である。 {{clear}} == 特徴 == [[画像:Kankitsu01.jpg|thumb|柑橘類の果樹]] [[画像:Citrus unshiu2.jpg|thumb|柑橘類の花卉]] === 果実 === 柑橘類の[[果実]]は食用となる。果実の「爽やかな香り」と「甘酸っぱい味」が特徴。甘い種類は生食・[[ジュース]]や製菓材料として、酸味が強い種類は菓子のほか料理の酸味づけとして世界各地で広く利用される。[[ユズ]]、[[スダチ]]、[[カボス]]のように高い香りとともに強い酸味をもち生食よりも料理などに利用することが一般的なものを香酸柑橘という<ref>金田初代『大きな写真でよくわかる!花と木の名前事典』2014年、306頁</ref>。[[オレンジ]]や[[レモン]]のように世界的にポピュラーなものもあれば、地域ごとに特色のある柑橘類も存在し利用方法も様々である。 果実は10個前後の小袋が放射状に並んだ形状をしており、小袋をじょうのう(瓤嚢)、小袋の薄皮をじょうのう膜、小袋の中身(いわゆる果肉)を{{仮リンク|砂じょう|en|Juice vesicles}}(砂瓤)と呼ぶ。じょうのう膜は食べることができるが、種類によって厚さが異なり、また食習慣・好みによって取り除かれることがある。 砂じょうは涙形の長さ数ミリメートル程度の粒で、じょうのう膜の中に無数に詰まっている。砂じょうの表面は薄い膜があり、その中は果汁で満たされている。じょうのう膜の中には硬く食用にならない[[種子]]もあるが、[[ウンシュウミカン]]のように種子がない場合もある。 果皮の表面には直径1ミリメートル程度の球形の油胞が無数に存在し、[[リモネン]]をはじめとする精油が含まれている。一般に油胞には果肉よりも豊富な香り成分が含まれるが、苦味がある。果皮の内側は白く柔らかい綿状または繊維質をしており'''アルベド'''(albedo)<ref>{{Cite web|和書|url = https://kotobank.jp/word/アルベド-28643 |title = デジタル大辞泉の解説 |publisher = コトバンク |accessdate = 2018-01-11 }}</ref>と呼ばれる。レモンやユズのように表面を薄く剥いたりすり下ろして菓子や料理の風味づけに使ったり、アルベドも含めて砂糖漬けや[[マーマレード]]にしたり、あるいは乾燥させて食用にする場合もある。 === 樹 === カラタチなど、一部を除いて常緑であり、樹高も低木の範疇に収まるものがほとんどである。古くから日本の広い地域で栽培、利用されているが、ルーツは熱帯から亜熱帯にあり耐寒性のない種類も多い。[[棘]]を持つもの、葉に芳香成分を含むものが目立ち、蝶類の幼虫の食餌として好まれる傾向がある。 === 木材 === 蜜柑やレモンは低木な為に小さな材しか取れないものの、緻密で弾力に富み、強度と靱性に優れ、割れにくい特徴から、一部の楽器や手で握る道具の柄など利用される。 材木として栽培されている訳ではないので一般に流通する事は少ない。 [[レモンウッド]]として流通する木材とは異なる。 == 果実特性 == 柑橘類の果実特性には、果形指数、果実重、果皮色、果皮厚、果肉歩合、果肉色、含核程度、糖度、酸含量などがある<ref name="nagasaki">{{Cite web|和書|author= |url= https://www.pref.nagasaki.jp/e-nourin/nougi/theme/result/H21seika-jouhou/shidou/S-21-38.pdf |title=[成果情報名]新たに登録される中晩生カンキツ「はるひ」の果実特性 |publisher=長崎県 |accessdate=2022-03-29}}</ref>。 * 果形指数 *: 果形指数は果実の横径 / 縦径 × 100(%)の数値で、数値が大きいほど扁平、小さいほど腰高である<ref name="wakayama">{{Cite web|和書|author= |url= https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/070100/070109/gaiyou/002/kajitu/yougo.html |title=品種、用語の説明(果実調査) |publisher=和歌山県 |accessdate=2022-03-29}}</ref>。 * 果実重(g) * 果皮色 *: 果実の種類によってレモン色系カラーチャートまたはオレンジ色系カラーチャートで数値化する<ref name="nagasaki" />。 * 果皮厚(mm) * 果肉歩合 *: 果肉歩合は果実の果肉重 / 果実重 × 100(%)の数値で、果実の可食部の割合を示している<ref name="wakayama" />。 * 果肉色 *: 果実の種類によってレモン色系カラーチャートまたはオレンジ色系カラーチャートで数値化する<ref name="nagasaki" />。 * 含核程度 *: 完全種子数を階級で数値化する<ref name="nagasaki" />。 * 糖度(%) * 酸含量 (g / 100mL) == 健康への影響 == 柑橘類には、[[オレンジ]]や[[レモン]]のように[[ビタミンC]]や[[カロテン]]、[[クエン酸]]が多く含まれていて、[[風邪]]の予防や肌を美しく保つのに役立つといわれる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=190}}。果肉の袋や筋の部分には[[ビタミンP]]も含まれていて、[[毛細血管]]を強くする働きがあるとされる{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=190}}。[[β-クリプトキサンチン]]も含まれており、[[ヒト]]では、β-クリプトキサンチンは[[ビタミンA]]([[レチノール]])に変換されるため[[プロビタミンA]]と見なされている。他の[[カロテノイド]]と同様に、β-クリプトキサンチンは[[抗酸化物質]]として[[ラジカル (化学)|フリーラジカル]]による酸化的損傷から[[細胞]]および[[デオキシリボ核酸|DNA]]を保護していると考えられている<ref>{{cite journal | last1 = Lorenzo | first1 = Y. | last2 = Azqueta | first2 = A. | last3 = Luna | first3 = L. | last4 = Bonilla | first4 = F. | last5 = Dominguez | first5 = G. | last6 = Collins | first6 = A. R. | title = The carotenoid -cryptoxanthin stimulates the repair of DNA oxidation damage in addition to acting as an antioxidant in human cells | journal = Carcinogenesis | volume = 30 | pages = 308 | year = 2008 | doi = 10.1093/carcin/bgn270}}</ref>。柑橘類は、[[デザイナーフーズ計画]]で[[がん]]予防に有効性のあると考えられる40種類ほどの[[野菜]]、[[果実]]類に含められている<ref>矢野友啓、「[https://doi.org/10.11288/mibyou1998.12.56 食品成分による癌予防]」 『日本未病システム学会雑誌』 2006年 12巻 1号 p.56-58, {{doi|10.11288/mibyou1998.12.56}}</ref><ref name=jisdh.20.11>大澤俊彦、「[https://doi.org/10.2740/jisdh.20.11 がん予防と食品]」『日本食生活学会誌』 2009年 20巻 1号 p.11-16, {{doi|10.2740/jisdh.20.11}}</ref>。一方、[[チラミン]]も含まれており、その血管収縮作用の消失から拡張へ向かう際に[[片頭痛]]を引き起こす可能性がある<ref>[http://www.eisai.jp/medical/products/maxalt/guidance/patient.html 片頭痛の病態と誘発因子]予防から治療まで見つかる、[[Eisai]]、2011-12-19閲覧</ref>。 かつて、柑橘類は[[デザイナーフーズ計画]]のピラミッドで2群に属しており、2群の中でも5位中3位に属する、癌予防効果のある食材であると位置づけられていた<ref name=jisdh.20.11 />。 == 分類(属まで) == Swingle & Reece (1967)<ref name=S&R/>の分類を示す。なお、あくまで分類の図示であり、必ずしも系統を反映していない。 *[[ミカン科]][[ミカン亜科]] **ワンピ連 {{sname|Clauseneae}} : 5属(略) ※非単系統<ref name=Penjor/> **[[ミカン連]](カンキツ連){{sname||Citreae}}/{{sname|Aurantieae}} ***トリファシア亜連 {{sname|Triphasiinae}} : 8属(略) ***バルサモシトラス亜連 {{sname|Balsamocitrinae}} : 7属(略) ※非単系統<ref name=Penjor/> ***ミカン亜連(カンキツ亜連){{sname|Citrinae}} ({{en|citrus fruit tree}}) ※非単系統<ref name=Penjor/> ****原始カンキツ類 ({{en|primitive citrus fruit tree}}) ※非単系統<ref name=Penjor/> *****[[セベリニア属]] {{snamei||Severinia (genus)|Severinia}} *****[[プレイオスペルミウム属]] {{snamei||Pleiospermium}} *****[[ブルキランサス属]] {{snamei||Burkillanthus}} *****[[リムノシトラス属]] {{snamei||Limnocitrus}} *****[[ヘスペレスーサ属]] {{snamei|Hesperethusa}} ****近縁カンキツ類 ({{en|near citrus fruit tree}}) ※非単系統<ref name=Penjor/> *****[[シトロプシス属]] {{snamei||Citropsis}} *****[[アタランティア属]] {{snamei|Atalantia}} ****真正カンキツ類 ({{en|true citrus fruit tree}}) : 最も広義(6属)の「柑橘類」 *****[[エレモシトラス属]] {{snamei||Eremocitrus}} *****[[ミクロシトラス属]] {{snamei||Microcitrus}} *****[[クリメニア属]] {{snamei||Clymenia (plant)|Clymenia}} : これ以降が広義(4属)の「柑橘類」 *****[[キンカン属]] {{snamei||Kumquat|Fortunella}} : これ以降が狭義(3属)の「柑橘類」 *****[[カラタチ属]] {{snamei|Poncirus}} *****[[ミカン属]](カンキツ属) {{snamei||Citrus}} : 最も狭義の「柑橘類」 [[ミカン連]]には、ミカン属、キンカン属、カラタチ属など、約28属(属数は分類により増減する)が含まれる。商業的に重要な種類は、ほとんどミカン属に含まれる。 狭義の柑橘類に含められるキンカン属とカラタチ属は、ミカン属に含める説があり、Penjor et al. (2014)<ref name=Penjor>{{cite | title=Phylogenetic Relationships of Citrus and Its Relatives Based on matK Gene Sequences | first=Tshering | last=Penjor | first2=Masashi | last2=Yamamoto | first3=Miki | last3=Uehara | first4=Manami | last4=Ide | first5=Natsumi | last5=Matsumoto | first6=Ryoji | last6=Matsumoto | first7=Yukio | last7=Nagano | url=http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0062574 | journal=[[PLoS]] One | volume=8 | issue=4 | year=2013 | doi=10.1371/journal.pone.0062574 }}</ref>の分子系統もそれを支持する。ただし Lu et al. (2011)<ref>{{cite | title=Molecular Phylogeny of the “True Citrus Fruit Trees” Group (Aurantioideae, Rutaceae) as Inferred from Chloroplast DNA Sequence | first=Zhen-hua | last=Lu | first2=Zhi-qin | last2=Zhou | first3=Rang-jin | last3=Xie | journal=Agricultural Sciences in China | volume=10 | issue=1 | year=2011 | pages=49–57 }}</ref>の分子系統は、カラタチ属は真正カンキツ類の中で最初に分岐したとする。 さらに最も広義には、エレモシトラス属・ミクロシトラス属までもをミカン属に含める説がある。しかし、この2属は互いに近縁なものの、ミカン属からは比較的(クリメニア属と同程度かそれよりも)遠い<ref name=Penjor/>。 == 主な種類 == [[画像:Ambersweet oranges.jpg|thumb|オレンジの果実]] [[画像:Lemon.jpg|thumb|レモンの果実]] ウィキペディア日本語版に記事がある種類の一覧は記事末尾を参照。 柑橘類の種分類は学説により種数に大きな差がある。ここで、2つの種名を / で併記した場合は、1つ目が多くの種を認める田中による種名、2つ目が少数の種しか認めないスウィングルによる種名である<ref name=Penjor/>。 === 古典的分類 === [[田中長三郎]]のものに基づく区に分けて示す<ref name=Heibonsha/><ref name=Nipponica/>。 * ミカン属(カンキツ属) ** 初生カンキツ亜属 *** パペダ区 **** [[カブヤオ]] {{snamei||Citrus macroptera}} / {{snamei|C. macroptera}} **** [[セレベスパペダ]] {{snamei|Citrus celebica}} **** [[ビアソング]] {{snamei|Citrus micrantha}} / {{snamei|C. micrantha}} **** [[コブミカン]]、プルット、スワンギ {{snamei||Citrus hystrix}} / {{snamei|C. hystrix}} **** [[モフリンキツ]]、カシーパペダ {{snamei||Citrus latipes}} / {{snamei|C. latipes}} *** ライム区 **** [[ライム]] {{snamei||Citrus aurantifolia}} / {{snamei|C. aurantifoloa}} **** [[タヒチライム]] {{snamei||Citrus latifolia}} / {{snamei|C. aurantifolia}} **** [[スイートライム]]、ミタニンブ {{snamei||Citrus limettioides}} / {{snamei|C. aurantifolia}} **** [[ベルガモット]] {{snamei||Citrus bergamia}} *** シトロン区 **** [[シトロン]]、トルンジュシトロン、変種に[[ブッシュカン]] {{snamei||Citrus medica}} / {{snamei|C. medica}} **** [[レモン]]、変種に[[ポンテローザ]] {{snamei||Citrus limon}} / {{snamei|C. limon}} **** [[スイートレモン]]、リメッタ {{snamei||Citrus limetta}} **** [[ラフレモン]] {{snamei||Citrus jambhiri}} / {{snamei|C. limon}} **** [[マイヤーレモン]]、グラントレモン {{snamei|Citrus meyeri}} *** ザボン区 **** [[ザボン]]、ブンタン {{snamei|Citrus grandis}} **** [[オオユ]]、ジャガタラユ {{snamei|Citrus pseudogulgul}} **** [[グレープフルーツ]] {{snamei||Citrus paradisi}} **** [[キヌカワ]] {{snamei|Citrus glaberrima}} **** [[ヤマミカン]] {{snamei|Citrus intermedia}} **** [[ハッサク]] {{snamei|Citrus hassaku}} **** [[コトウカン]] {{snamei|Citrus kotokan}} *** ダイダイ区 **** [[ナルトミカン]]、ナルト {{snamei|Citrus medioglobosa}} **** [[ナツミカン]] {{snamei||Citrus natsudaidai}} **** [[ナツコウジ]] {{snamei|Citrus obovoidea}} **** [[オオタチバナ]]、コトブキカン {{snamei|Citrus otachibana}} **** [[サンポウカン]] {{snamei|Citrus sulcata}} **** [[ダイダイ]]、サワーオレンジ {{snamei||Citrus aurantium}} / {{snamei|C. aurantium}} **** [[キノット]]、マートルリーフオレンジ {{snamei||Citrus myrtifolia}} / {{snamei|C. aurantium}} **** [[サツマキコク]]、コネジメ {{snamei|Citrus neoaurantium}} **** [[スイートオレンジ]] {{snamei||Citrus sinensis}} / {{snamei|C. sinensis}} **** [[フナドコ]] {{snamei|Citrus funadoko}} **** [[タンカン]] {{snamei|Citrus tankan}} / {{snamei|C. sinensis}} **** [[イヨカン]] {{snamei|Citrus iyo}} **** [[シュンコウカン]] {{snamei|Citrus shunkokan}} <ref name=shunkokan group=*>平凡社『世界大百科事典』はユズ区、小学館『日本大百科全書』はダイダイ区とする。</ref> **** [[ナンショウカン]] **** [[キクダイダイ]] {{snamei|Citrus canaliculata}} / {{snamei|C. aurantium}} **** [[ウジュキツ]] {{snamei|Citrus ujukitsu}} **** [[ヒュウガナツ]] {{snamei|Citrus tamurana}} **** [[カワバタミカン]]、カワバタ {{snamei|Citrus aurea}} ** 後生カンキツ亜属 *** ユズ区 **** [[ヒュウガナツ]] {{snamei|Citrus tamurana}} **** [[シュンコウカン]] {{snamei|Citrus shunkokan}} <ref name=shunkokan group=*/> **** [[イーチャンチー]]、ケツアシュフウ、イーチャンゲンシス、イーチャンパペダ {{snamei||Citrus ichangensis}} / {{snamei|C. ichangensis}} **** [[ユズ]] {{snamei||Citrus junos}} / {{snamei|C. ichangensis}} **** [[ハナユ]] {{snamei|Citrus hanaju}} / {{snamei|C. ichangensis}} **** [[スダチ]] {{snamei||Citrus sudachi}} / {{snamei|C. ichangensis}} **** [[ユコウ]] {{snamei|Citrus yuko}} / {{snamei|C. ichangensis}} **** [[タクマスダチ]]、ナオシチ {{snamei|Citrus takuma-sudachi}} / - **** [[カボス]] {{snamei|Citrus sphaerocarpa}} / {{snamei|C. ichangensis}} **** [[ギショウキ]] **** [[コウライタチバナ]] {{snamei|Citrus nipponokoreana}} *** ミカン区 **** 真正ミカン亜区 ***** [[キングオレンジ|キング]]、クネンボ {{snamei|Citrus nobilis}} / {{snamei|C. reticulata}} ***** [[ウンシュウミカン]] {{snamei||Citrus unshiu}} / {{snamei|C. reticulata}} ***** [[ヤツシロミカン]]、ヤツシロ {{snamei|Citrus yatsushiro}} / {{snamei|C. reticulata}} **** コミカン亜区 ***** [[ケラジ]]、変種として[[カブチ]] {{snamei|Citrus keraji}} / {{snamei|C. reticulata}} ***** [[マンダリンオレンジ|マンダリン]]、変種として[[ポンカン]] {{snamei||Citrus reticulata}} / {{snamei|C. reticulata}} ***** [[チチュウカイマンダリン]] {{snamei|Citrus deliciosa}} / {{snamei|C. reticulata}} ***** [[オオベニミカン]]、ダンシータンゼリン {{snamei||Citrus tangerina}} / {{snamei|C. reticulata}} ***** [[タチバナ]] {{snamei|Citrus tachibana}} ***** [[キシュウミカン]] {{snamei|Citrus kinokuni}} / {{snamei|C. reticulata}} ***** [[シークヮーサー]] {{snamei||Citrus depressa}} / {{snamei|C. reticulata}} ***** [[コウジ (柑橘類)|コウジ]] {{snamei|Citrus leiocarpa}} / {{snamei|C. reticulata}} ***** [[ゲンショウカン]] {{snamei|Citrus genshokan}} / {{snamei|C. reticulata}} **** 亜区不明 ***** [[アルゼリアン]]、クレメンティン、クレメンタイン {{snamei||Citrus clementina}} / {{snamei|C. reticulata}} ***** [[ベニコウジ]]、ダイコウジ {{snamei|Citrus benikoji}} ***** [[マンキツ]] {{snamei|Citrus tardiferax}} ***** [[スンキー]]、サンキツ {{snamei|Citrus sunki}} / {{snamei|C. reticulata}} ***** [[クレオパトラマンダリン|クレオパトラ]] {{snamei|Citrus reshni}} / {{snamei|C. reticulata}} ***** [[フムティアテンガ]] {{snamei||Citrus indica}} *** トウキンカン区 **** [[トウキンカン]]、シキキツ {{snamei|Citrus madurensis}} * カラタチ属 ** [[カラタチ]] {{snamei||Poncirus trifoliata}} ** [[ヒリュウ]] {{snamei||Poncirus trifoliata var.monstrosa}} * キンカン属 ** 真正キンカン亜属 *** [[マルミキンカン]] {{snamei|zh|Fortunella japonica}} *** [[ナガミキンカン]] {{snamei|de|Fortunella margarita}} *** [[ニンポウキンカン]]、ネイハキンカン {{snamei|Fortunella crassifolia}} ** 金豆亜属 *** [[キンズ]] {{snamei|de|Fortunella hindsii}} * クリメニア属 ** [[クリメニア (種)|クリメニア]] {{snamei|Clymenia polyandra}} {{small|(*注記)}} {{reflist|group=*}} === 系統での分類 === Penjor et al. (2013)<ref name=Penjor/>の分子系統による。 彼らによると、ミカン属は3つのクラスタに分かれる。カラタチ属・キンカン属は、ミカン属の中で各クラスタと同等の枝をそれぞれなす。クリメニア属・エレモシトラス属・ミクロシトラス属は、それら3属からは少し離れている。 田中による区のいくつかは複数のクラスタにまたがる。また、スウィングルはミカン属を2亜属 {{snamei|Citrus}} と {{snamei|Papeda}} に分けたが、この分類も系統から支持されない<ref name=Penjor/>。 * ミカン属 ** マンダリンクラスタ *** [[ウンシュウミカン]] {{snamei||Citrus unshiu}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[シークヮーサー]] {{snamei||Citrus depressa}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[アルゼリアン]]、クレメンティン、クレメンタイン {{snamei||Citrus clementina}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[ポンカン]](変種) {{snamei||Citrus reticulata}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[オオベニミカン]]、ダンシータンゼリン {{snamei||Citrus tangerina}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[チチュウカイマンダリン]] {{snamei|Citrus deliciosa}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[キシュウミカン]] {{snamei|Citrus kinokuni}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[タンカン]] {{snamei|Citrus tankan}} / {{snamei|C. sinensis}} *** [[キングオレンジ|キング]] {{snamei|Citrus nobilis}}<ref name=nobilis group=*>キングとクネンボは、学説を問わず同種とされるが、系統位置が大きく離れる結果が出た。</ref>/ {{snamei|C. reticulata}} *** [[クレオパトラマンダリン|クレオパトラ]] {{snamei|Citrus reshni}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[コウジ (柑橘類)|コウジ]] {{snamei|Citrus leiocarpa}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[ラフレモン]] {{snamei||Citrus jambhiri}} / {{snamei|C. jambhiri}} *** [[スンキー]]、サンキツ {{snamei|Citrus sunki}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[シカイカン]] {{snamei|Citrus suhuiensis}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[ユズキチ]] {{snamei|Citrus yuzukichi}} / - *** [[ゲンショウカン]] {{snamei|Citrus genshokan}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[シマミカン]] - / {{snamei|C. reticulata}} *** [[タチバナ]] {{snamei|Citrus tachibana}} / {{snamei|C. tachibana}} *** [[ユズ]] {{snamei||Citrus junos}} / {{snamei|C. ichangensis}} *** [[ハナユ]] {{snamei|Citrus hanaju}} / {{snamei|C. ichangensis}} *** [[マツダスダチ]] {{snamei|Citrus acidoglobosa}} / - *** [[イーチャンチー]]、ケツアシュフウ、イーチャンゲンシス、イーチャンパペダ {{snamei||Citrus ichangensis}} / {{snamei|C. ichangensis}} ** カラタチ属 *** [[カラタチ]] {{snamei||Poncirus trifoliata}} *** [[ヒリュウ]] {{snamei||Poncirus trifoliata var.monstrosa}} ** キンカン属 *** [[ニンポウキンカン]]、ネイハキンカン {{snamei|Fortunella crassifolia}} *** [[キンズ]] {{snamei|de|Fortunella hindsii}} *** [[マルミキンカン]] {{snamei|zh|Fortunella japonica}} *** [[ナガミキンカン]] {{snamei|de|Fortunella margarita}} *** [[チョウジュキンカン]]、フクシュウキンカン {{snamei|zh|Fortunella obovata}} *** [[ナガハキンカン]]、ナガバキンカン {{snamei|Fortunella polyandra}} ** ブンタンクラスタ *** [[ザボン]]、ブンタン {{snamei||Citrus maxima}} / {{snamei|C. maxima}} *** [[ナツミカン]] {{snamei||Citrus natsudaidai}} / {{snamei|C. maxima}} *** [[ザンボ]] {{snamei|Citrus nanseiensis}} / - *** [[キンコウジ]] {{snamei|Citrus obovoidea}} / {{snamei|C. maxima}} *** [[キクダイダイ]] {{snamei|Citrus canaliculata}} / {{snamei|C. aurantium}} *** [[カブヤオ]] {{snamei||Citrus macroptera}} / {{snamei|C. macroptera}} *** [[コブミカン]]、プルット、スワンギ {{snamei||Citrus hystrix}} / {{snamei|C. hystrix}} *** [[ライム]] {{snamei||Citrus aurantifolia}} / {{snamei|C. aurantifolia}} *** [[ビアソング]] {{snamei|Citrus micrantha}} / {{snamei|C. micrantha}} *** [[モフリンキツ]]、カシーパペダ {{snamei||Citrus latipes}} / {{snamei|C. latipes}} *** [[ダイダイ]]、サワーオレンジ {{snamei||Citrus aurantium}} / {{snamei|C. aurantium}} *** [[レモン]] {{snamei||Citrus limon}} / {{snamei|C. limon}} *** [[タヒチライム]] {{snamei||Citrus latifolia}} / {{snamei|C. aurantifolia}} *** [[フィンガーライム]] {{snamei||Citrus australasica}} / {{snamei|C. australasica}} *** [[キノット]]、マートルリーフオレンジ {{snamei||Citrus myrtifolia}} / {{snamei|C. aurantium}} *** [[スイートオレンジ]] {{snamei||Citrus sinensis}} / {{snamei|C. sinensis}} *** [[イーチャンレモン]] {{snamei|Citrus wilsonii}} / {{snamei|C. ichangensis}} *** [[スイートライム]]、ミタニンブ {{snamei||Citrus limettioides}} / {{snamei|C. aurantifolia}} *** [[クネンボ]] {{snamei|Citrus nobilis}}<ref name=nobilis group=*/>/ {{snamei|C. reticulata}} *** [[ケラジ]] {{snamei|Citrus keraji}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[オートー]] {{snamei|Citrus oto}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[タロガヨ]] {{snamei|Citrus tarogayo}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[ビンキツ]] {{snamei|Citrus platymamma}} / {{snamei|C. reticulata}} *** [[カボス]] {{snamei|Citrus sphaerocarpa}} / {{snamei|C. ichangensis}} *** [[スダチ]] {{snamei||Citrus sudachi}} / {{snamei|C. ichangensis}} *** [[キズ (植物)|キズ]] {{snamei|Citrus kizu}} / - *** [[ユコウ]] {{snamei|Citrus yuko}} / {{snamei|C. ichangensis}} *** [[タクマスダチ]]、ナオシチ {{snamei|Citrus takuma-sudachi}} / - *** [[ジャバラ]] {{snamei|Citrus jabara}} / - *** [[モチユ]] {{snamei|Citrus inflata}} / {{snamei|C. ichangensis}} *** [[ヤツシロミカン|ヤツシロ]] {{snamei|Citrus yatsushiro}} / {{snamei|C. reticulata}} ** シトロンクラスタ *** [[シトロン]]、トルンジュシトロン {{snamei||Citrus medica}} / {{snamei|C. medica}} * クリメニア属 * ミクロシトラス属 + エレモシトラス属 {{small|(*注記)}} {{reflist|group=*}} === その他の分類 === 上記以外に、一般的に使用される分類を示す<ref name="日本味覚協会">{{Cite web|和書|url=https://mikakukyokai.net/2020/08/08/kankitsu/|title=柑橘系の種類は?~わかりやすい分類と一覧~|website=味覚ステーション|publisher=日本味覚協会|date=2020-08-08|accessdate=2023-01-21}}</ref><ref name="DELISH">{{Cite web|和書|url=https://delishkitchen.tv/articles/1403|title=柑橘系のフルーツの種類とは?分類ごとの特徴をご紹介|website=DELISH KITCHEN|publisher=every|date=2022-02-18|accessdate=2023-01-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://note.com/zennoh_pr/n/nd0301270107f|title=冬から春にかけては柑橘パラダイス 多種多様の柑橘を追いかけよ!|website=note |author=JA全農 広報部【公式】|publisher=note|date=2021-03-12|accessdate=2023-01-21}}</ref><ref name="JAみっかび">{{Cite web|和書|url=https://mikkabimikan.jp/blog/34|title=柑橘類とは?柑橘類の種類や構造を解説!|website=三ヶ日みかん(JAみっかび公式ECサイト)|publisher=三ヶ日町農業協同組合|date=2022-12-10|accessdate=2023-01-21}}}</ref>。 * カンキツ属 ** '''みかん(蜜柑)類''' - いわゆる「みかん」で、温州みかんに代表される種類<ref name="日本味覚協会"/><ref name="JAみっかび"/>。皮がやわらかく、手で手軽にむけるもの。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shuminoengei.jp/m-pc/a-page_p_detail/target_plant_code-243|title=ミカン類|website=みんなの趣味の園芸|publisher=NHK出版|accessdate=2023-01-21}}</ref> ***[[ウンシュウミカン]](温州蜜柑) ***[[ポンカン]](別名:マンダリンオレンジ) ***[[紀州みかん]](小みかん) ***[[タチバナ]](橘) ***[[コウジ (柑橘類)|コウジ]](柑子) ** '''オレンジ類''' - いわゆる「オレンジ」で、みかんよりも皮が厚い<ref name="日本味覚協会"/>。生食が可能なスイートオレンジと、酸味が強くて酢やマーマレードなどの加工用に用いられるサワーオレンジに大別される<ref name="JAみっかび"/>。 ***[[バレンシアオレンジ]] ***[[ネーブルオレンジ]] ***[[ブラッドオレンジ]] ***[[ベルガモット]] ***[[ダイダイ]](橙)<ref name=daidai group=*>オレンジ類または香酸かんきつ類に分類される。</ref> ***[[福原オレンジ]] ** '''グレープフルーツ類''' - グレープフルーツの名は、1本の枝にたくさんの実がなっている様子がブドウの房のように見えることから<ref name="JAみっかび"/>。果肉が薄いクリーム色をした「マーシュ」とよばれる種類と、果肉がピンクがかった色をした「ルビー」とよばれる種類がある<ref name="JAみっかび"/>。 ***[[グレープフルーツ]] ** '''タンゴール類''' - みかん類とオレンジ類の交雑種<ref name="日本味覚協会"/><ref name="DELISH"/>。タンゴールの名は、みかんの英名である tangerine(タンジェリン) の「tang」と、orange(オレンジ)の「or」を組み合わせて名づけられたといわれている。皮がむきやすく、オレンジに似た香りと甘みが特徴。 ***[[イヨカン]](伊予柑)<ref name=iyokan group=*>ミカン類とオレンジ類から作られたとされた交雑種。カイコウカン(海紅柑)とダンシー(大紅みかん)の交配種。タンゴール類または雑柑類に分類される。</ref> ***[[清見]](清美タンゴール) ***[[はるみ]] ***[[せとか]] ***[[タンカン]] ***[[シラヌヒ|不知火]](デコポン)<ref name=dekopon group=*>清見とポンカンの交配種。タンゴール類または雑柑に分類される。</ref> ***[[天草]] ***[[美娘]] ***[[マーコット]](マーコットオレンジ) ** '''タンゼロ類''' - みかんとグレープフルーツの交雑種、またはみかんとブンタンの交雑種<ref name="日本味覚協会"/><ref name="DELISH"/>。タンゼロの名は、みかんの英名 tangerine(タンジェリン) の「tang」と、pomelo(ブンタン)の「elo」を組み合わて名付けられたとされる<ref name="JAみっかび"/>。皮はみかんと同程度に薄いがやや硬く、果肉が柔らかく瑞々しいのが特徴<ref name="JAみっかび"/>。 ***[[セミノール]] ***[[タンジェロ]] ***[[ミネオラ]] ***[[スイートスプリング]] ** '''香酸かんきつ類''' - 香りや酸味が強く、そのまま食べることには向かない柑橘の総称<ref name="日本味覚協会"/><ref name="DELISH"/>。料理の香りづけやアクセントに使われる<ref name="JAみっかび"/>。この分類は系統によるものではなく、用途による<ref name="JAみっかび"/>。 ***[[ユズ]](柚子・柚) ***[[カボス]](香母酢) ***[[スダチ]](酢橘) ***[[レモン]](グリーンレモン、[[マイヤーレモン]]、ポンデローザ) ***[[ダイダイ]](橙)<ref name=daidai group=* /> ***[[シークワーサー]] ***[[ジャバラ]](じゃばら) ***[[ブッシュカン]](仏手柑) ***[[ライム]]([[メキシカンライム]]、[[タヒチライム]]) ***[[シトロン]] ***[[ハナユ]](ハナユズ) ***[[ヒメレモン]](姫レモン、紅レモン) ***[[シシユズ]](獅子柚子、鬼柚子) ** '''ブンタン(文旦)類''' - 柑橘類の中でも、果実が最も大きくて皮が厚いのが特徴<ref name="日本味覚協会"/><ref name="DELISH"/><ref name="JAみっかび"/>。 ***[[ブンタン]](文旦、ザボン) ***[[バンペイユ]](晩白柚) ***[[ヘベズ]](平兵衛酢、ヘベス) ***[[ユコウ]](柚柑) ** '''雑柑類''' - 起源が曖昧な、自然交雑種の総称<ref name="JAみっかび"/>。 ***[[ナツミカン]](夏みかん、ナツダイダイ〈夏橙〉) ***[[甘夏]](川野ナツダイダイ〈川野夏橙〉) ***[[ハッサク]](八朔) ***[[シラヌヒ|不知火]](デコポン)<ref name=dekopon group=* /> ***[[イヨカン]](伊予柑)<ref name=iyokan group=* /> ***[[ヒュウガナツ]](日向夏、小夏、ニューサマーオレンジ) ***[[サンポウカン]](三宝柑) ***[[カワチバンカン]](河内晩柑、ジューシーオレンジ、ミショウカン〈美生柑〉) ***[[オウゴンカン]](黄金柑、ゴールデンオレンジ) * キンカン属 ** '''キンカン類''' ***[[キンカン]](金柑) ***[[ネイハキンカン]](寧波金柑) ***[[ナガキンカン]](長金柑) ***[[マルキンカン]](丸金柑) ***[[ナガキンカン]](ナガミキンカン、キンキツ) * カラタチ属 ** '''カラタチ類''' - 果実は食用には適していないが、柑橘類の栽培ではカラタチの根から地面に近い部分を台木として使われる<ref name="JAみっかび"/>。 ***[[カラタチ]](枳) {{small|(*注記)}} {{reflist|group=*}} == 病気 == * [[カンキツグリーニング病]](柑橘類に被害を与える病害) * [[温州萎縮病]](特に温州ミカンに被害を与える病害) * [[カンキツかいよう病]](柑橘類の果実、葉、枝などに病斑を作る病害) == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|30em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author =猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|title = かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典|date=2012-07-10|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30997-2|pages=190 - 191|ref=harv}} == 外部リンク == {{Commonscat|Citrus fruits}} * [https://web.archive.org/web/20121129144158/http://www.pref.ehime.jp/h35500/kankitsu/index.htm 愛媛かんきつ情報缶](愛媛県) * [http://www.pref.shizuoka.jp/sangyou/sa-830/index.html 静岡みかん](静岡県柑橘試験場) {{柑橘類}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:かんきつるい}} [[Category:果物]] [[Category:ミカン科]]
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3,192
作型
作型(さくがた、さくけい)とは、農業特に野菜、果樹、花などの園芸作物において、自然条件とは異なる時期に栽培を行おうとする時に設定される様々な条件・技術の組み合わせのこと。「新編・野菜園芸ハンドブック(2001)」では、「地域や季節に応じて異なる自然環境において、作物の経済的栽培を行うための、類型的技術体系」と定義している。 前掲書では、「その技術体系の主なる構成要素として、環境調節技術・品種選定および栽培管理技術がある」としている。具体的には、 に大別している(以下のほとんどは、前掲書の記述をベースとしている)。 葉菜類(例:キャベツ、ホウレンソウ、ネギ)や根菜類(例:ダイコン、ニンジン)の多く、一部のマメ類(例:エンドウ、ソラマメ)がこの分類型に属する。 これら品目の多くは温度適応性の幅が広い(すなわち、日本国内の栽培条件下では温度が原因で枯死することはない)が、温度や日長によっては花芽分化を起こす。花芽の分化や発達は、葉や根を主な食用部位とするキャベツやダイコン生産から見ると、花ができたものは全く商品価値がないので経済栽培が可能かどうかという重要な要素になる。そこで、例えばキャベツの場合、花芽分化の原因である低温に感応する苗の大きさは品種によって大きな差があり、低温期を経過する場合は花芽分化しにくい品種を選ぶ。 品種選択型の野菜は、基本形を播種期の季節区分によって以下のように分類する。 果菜類の大部分(トマト、キュウリ、スイカ、オクラ、エダマメ他)、および葉菜類の一部(シソ、ニラ等)がこの分類型に属する。果菜類の多くは温度適応性の幅が狭く(これは不良環境下で枯死しやすいだけでなく、枯死しないまでも収穫部位である果実の発育が不可能などを含んでいる)、温度を中心とする環境調節技術によって作型を分化させている。基本形は以下のように分類される。 育苗期を除く全ての生育期間(定植から収穫終了まで)、自然またはそれに近い気象条件で栽培することをいう。ハウス内で栽培する場合でも、温度調節を目的とせず、雨を回避するだけの「雨よけ栽培」も普通栽培に含める。 普通栽培より早くから収穫を開始したい場合に、トンネル被覆内またはハウス内に定植し(この場合、生育の進展とともに被覆資材を取り除くケースが多い)、生育前半の生育速度を上げる栽培方法である。 早熟栽培よりさらに早く収穫を開始したい場合に、(枯死等の生育障害を回避するため)生育前半のみ加温または保温した後、自然の気象条件に移行させる栽培をいう。保温のみによる無加温半促成栽培と、まとまった期間の保温を前提とする加温半促成栽培がある。 半促成栽培よりさらに早く収穫を開始したい場合に、晩秋から春までの低温期間の大部分を保温または加温する栽培のことである。促成栽培は一般に長期間の加温を必要とするため、例えばトマトにおける現地呼称では、9月に定植し3~4月まで収穫するものを「越冬作型」、9月に定植し6月まで収穫を継続するものを「促成長期作型」などとしている例が多い。 普通栽培より遅い時期の収穫を目的とする場合、普通栽培より遅く定植する場合がある(例えば、福島県以南のキュウリでは9月の果実品質は抑制栽培が普通栽培より大幅に優れることが一般的)。これを抑制栽培という。夏期の冷涼や晩秋の温暖など地域性を活かすことが多い。降霜前に収穫をうち切る露地抑制栽培(例えばナスなど)、生育後半を保温または加温するハウス抑制栽培(トマトやキュウリ等で全国的に点在)等がある。 この他、上記に当てはまらない例外として、イチゴ、温室メロン、アスパラガスのように、作型の定義付けが行われる以前から現地呼称が定着していたり、ミョウガのように利用法が異なる部位に利用法を作型の前に冠する(例:ミョウガタケ促成栽培)ケースなどがある。 栽培時期をずらして農産物の価値を高めるときに、安定して生産を行うための技術である。
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'''作型'''(さくがた、さくけい)とは、[[農業]]特に野菜、果樹、花などの園芸作物において、自然条件とは異なる時期に[[栽培]]を行おうとする時に設定される様々な条件・技術の組み合わせのこと。「新編・野菜園芸ハンドブック(2001)」では、「地域や季節に応じて異なる自然環境において、作物の経済的栽培を行うための、類型的技術体系」と定義している。 前掲書では、「その技術体系の主なる構成要素として、環境調節技術・品種選定および栽培管理技術がある」としている。具体的には、 # 分類型I(品種選択型) # 分類型II(環境調節型) に大別している(以下のほとんどは、前掲書の記述をベースとしている)。 == 分類型I(品種選択型) == [[葉菜類]](例:[[キャベツ]]、[[ホウレンソウ]]、[[ネギ]])や根菜類(例:[[ダイコン]]、[[ニンジン]])の多く、一部のマメ類(例:[[エンドウ]]、[[ソラマメ]])がこの分類型に属する。 これら品目の多くは温度適応性の幅が広い(すなわち、日本国内の栽培条件下では温度が原因で枯死することはない)が、温度や日長によっては[[花芽分化]]を起こす。花芽の分化や発達は、葉や根を主な食用部位とするキャベツやダイコン生産から見ると、花ができたものは全く商品価値がないので経済栽培が可能かどうかという重要な要素になる。そこで、例えばキャベツの場合、花芽分化の原因である低温に感応する苗の大きさは品種によって大きな差があり、低温期を経過する場合は花芽分化しにくい[[品種]]を選ぶ。 品種選択型の野菜は、基本形を播種期の季節区分によって以下のように分類する。 # 春まき栽培 # 夏まき栽培 # 秋まき栽培 # 冬まき栽培 == 分類型II(環境調節型) == [[果菜類]]の大部分([[トマト]]、[[キュウリ]]、[[スイカ]]、[[オクラ]]、[[エダマメ]]他)、および葉菜類の一部([[シソ]]、[[ニラ]]等)がこの分類型に属する。果菜類の多くは温度適応性の幅が狭く(これは不良環境下で枯死しやすいだけでなく、枯死しないまでも収穫部位である果実の発育が不可能などを含んでいる)、温度を中心とする環境調節技術によって作型を分化させている。基本形は以下のように分類される。 === 普通栽培 === 育苗期を除く全ての生育期間(定植から収穫終了まで)、自然またはそれに近い気象条件で栽培することをいう。ハウス内で栽培する場合でも、温度調節を目的とせず、雨を回避するだけの「雨よけ栽培」も普通栽培に含める。 === 早熟栽培 === 普通栽培より早くから収穫を開始したい場合に、トンネル被覆内またはハウス内に定植し(この場合、生育の進展とともに被覆資材を取り除くケースが多い)、生育前半の生育速度を上げる栽培方法である。 === 半促成栽培 === 早熟栽培よりさらに早く収穫を開始したい場合に、(枯死等の生育障害を回避するため)生育前半のみ加温または保温した後、自然の気象条件に移行させる栽培をいう。保温のみによる無加温半促成栽培と、まとまった期間の保温を前提とする加温半促成栽培がある。 === 促成栽培=== 半促成栽培よりさらに早く収穫を開始したい場合に、晩秋から春までの低温期間の大部分を保温または加温する栽培のことである。促成栽培は一般に長期間の加温を必要とするため、例えばトマトにおける現地呼称では、9月に定植し3~4月まで収穫するものを「越冬作型」、9月に定植し6月まで収穫を継続するものを「促成長期作型」などとしている例が多い。 === 抑制栽培 === 普通栽培より遅い時期の収穫を目的とする場合、普通栽培より遅く定植する場合がある(例えば、福島県以南のキュウリでは9月の果実品質は抑制栽培が普通栽培より大幅に優れることが一般的)。これを抑制栽培という。夏期の冷涼や晩秋の温暖など地域性を活かすことが多い。降霜前に収穫をうち切る露地抑制栽培(例えば[[ナス]]など)、生育後半を保温または加温するハウス抑制栽培(トマトやキュウリ等で全国的に点在)等がある。 この他、上記に当てはまらない例外として、[[イチゴ]]、温室[[メロン]]、[[アスパラガス]]のように、作型の定義付けが行われる以前から現地呼称が定着していたり、[[ミョウガ]]のように利用法が異なる部位に利用法を作型の前に冠する(例:[[ミョウガタケ]]促成栽培)ケースなどがある。 栽培時期をずらして[[農産物]]の価値を高めるときに、安定して生産を行うための技術である。 == 関連項目 == * [[周年供給]] * [[促成栽培]] * [[抑制栽培]] {{agri-stub}} {{デフォルトソート:さくかた}} [[Category:農業技術]]
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珠心胚実生
珠心胚実生(しゅしんはいみしょう)は、発芽した芽が、受精の結果生じた胚とは別に、珠心胚とよばれる親植物の細胞由来からの芽であること。 おもに柑橘類の育成に活用される。
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珠心胚実生(しゅしんはいみしょう)は、発芽した芽が、受精の結果生じた胚とは別に、珠心胚とよばれる親植物の細胞由来からの芽であること。 おもに柑橘類の育成に活用される。
'''珠心胚実生'''(しゅしんはいみしょう)は、発芽した[[芽]]が、受精の結果生じた[[胚]]とは別に、[[珠心胚]]とよばれる親植物の細胞由来からの芽であること。 おもに[[柑橘類]]の育成に活用される。 == 関連項目 == * [[アポミクシス]] == 外部リンク == * [http://www.mikan.gr.jp/ftes/shinhinshu/PDF%20file/haruka.pdf 日向夏の珠心胚実生] * [https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/070100/070109/kanko/d00202142_d/fil/03-1_kankitu.pdf カンキツ新品種の育成 - 和歌山県] * [https://www.jataff.jp/senjin3/13.html 珠心胚実生から育てたミカン] <br /> {{biosci-stub}} {{Plant-stub}} {{DEFAULTSORT:しゆしんはいみしよう}} [[Category:植物学]] [[Category:植物の生殖]] [[Category:無性生殖]]
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アドバンストフォトシステム
アドバンストフォトシステム(英語: Advanced Photo System, APS)とは、富士フイルム、イーストマンコダック、キヤノン、ミノルタ、ニコンによって共同で開発された「世界標準規格の新しい写真システム」。1996年4月に販売が開始された。後述のとおり、2012年に事実上終焉を迎えた規格である。 APSは写真フィルムの名称ではなく、新規格の専用フィルム (IX240) を使用した「進化した写真システム」のことを指す。規格名の"IX"とは"Information Exchange"の略で、デジタルカメラのExifヘッダのように、撮影時の設定、日付・時間、プリントサイズ・枚数指定、コメントなどをフイルムにコーティングされた磁気面に記録し、プリント時に利用できるためこの名がある。240はフィルム幅の24mmに由来する。 画面の露光面積は16.7×30.2mmで縦横比が従来の各種フィルムと比べて横長 (9:16) なのが特徴。その基本サイズの左右または上下をプリント時にトリミングすることで、35mm判の通常サイズ (2:3) とパノラマサイズ (1:3) に対応するプリントが可能である。これらのサイズ設定は基本的にカメラ側で設定する(一部低価格機にはCサイズ専用もある)。ただし、ラボへのプリント注文時に指定して変更は可能である。また、かつて発売されていたAPS用フォトプレイヤーでは各種設定を変更できるものもあった。 また、画面サイズが小さいために35mm判と同じレンズでも画角が狭くなる。従って、35mm判と比較する場合はレンズの表記に比率を掛けて換算する必要がある。対角画面で換算すると、Hサイズ・Pサイズ=1.25倍、Cサイズ=1.4倍(ハーフ判と同等)となり、例えばAPSの24mmレンズの35mm判相当の画角は24mm×1.25=30mm(Hサイズ時)となる。ただ、Hサイズの場合は画面比率が横長なために、35mm判と同等の画角でもよりワイドさが強調されて見える。 現像後もフィルムはカートリッジの中に入れたまま返却され、焼き増しの注文は添付されるインデックスプリントでコマを確認して行う。 この規格の長所としては、従来の35mmフィルムに比べ、フィルムサイズ=カートリッジが小型であるためにカメラ自体も小型化できる点がある。他にも、 などのこれまでのカメラでは難しいことが簡単になったことがあげられる。 フィルムが小型であることを強調するためか、市場に出た製品のほとんどはコンパクトカメラであった。キヤノン、ニコン、ミノルタからはレンズ交換可能な一眼レフカメラも発売されたが、35mmフィルムと比べて撮影面積が小さいことから、画質が劣ること、交換レンズの互換性の問題からあまり普及しなかった。また、フォトプレイヤーという、現像済みのカートリッジを装着してそれをテレビへ映し出す装置も発売されていた。かつてのスライド投影機のAPS版とも言えるが、BGMをつけたりカット間効果をつけながらの自動スライドショーを行ったりと、スライド投影機に比べて高機能であった。また、フィルムのIX情報を修正したりする機能も存在した。こういった機能は後のデジタルカメラの閲覧ソフトに継承され発展していった。 フィルムカートリッジの底面にはフィルムの状態を示す仕組みが設けられている。4段階のフィルム状態が白いアイコンで順に表示される。 APSはこれまでのカメラシステム(フィルム、カメラ、DPE)を刷新し、関連市場の浮揚を狙ったものであったが、35mmフィルムの優位性、同時期に普及しだしたデジタルカメラと、写真画質カラープリンタの急激な性能向上により、あまり普及しなかった。 フィルムがカートリッジの中に入れたまま返却されるために嵩張って保管しづらいうえ、添付されるインデックスプリントとの関連付けも煩雑であり、インデックスプリントをなくすと写真の確認が出来ない、といった欠点があった。現像料金が従来の35mmフィルムに比べて高価であったことも普及を妨げる要因となった。当初は、インデックスプリントが添付されることが利点であったが、35mmフィルムを現像した際もインデックスプリントを添付されるようになり、APS独自の利点よりも欠点が目立つことになった。 2002年時点で、IX240フィルムのシェアは、ロールフィルムが出荷本数の約12%、レンズ付きフィルムが同約29%である。フィルム自体がコンパクトであることから、レンズ付きフィルムにも採用されていた。 カメラは2002年時点で既にコダック、ニコン、コニカミノルタらがAPSカメラの製造・販売から撤退しており、その後も他のメーカーの撤退が相次いだ。 フィルムについては主要3社のうちコニカミノルタ(当初社名コニカ)がまず撤退、その後は各社とも製品数を縮小し、富士写真フイルムがNexia(ネガカラー、ISO400、25EX)、コダックがAdvantix(ネガカラー、ISO200、25EX)の生産を継続した。過去にはISO100の高画質タイプやISO800の高感度タイプ、またリバーサルも商品化されてはいたものの、早い段階で姿を消すことになった。富士フイルムは2011年7月にフィルムの生産・販売終了を発表、コダックも2011年をもって生産を中止、在庫分の販売を継続し、2012年5月末をもって終了した。これによりAPSフォーマットは事実上終焉を迎えた。 メーカー名は略称
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アドバンストフォトシステムとは、富士フイルム、イーストマンコダック、キヤノン、ミノルタ、ニコンによって共同で開発された「世界標準規格の新しい写真システム」。1996年4月に販売が開始された。後述のとおり、2012年に事実上終焉を迎えた規格である。 APSは写真フィルムの名称ではなく、新規格の専用フィルム (IX240) を使用した「進化した写真システム」のことを指す。規格名の"IX"とは"Information Exchange"の略で、デジタルカメラのExifヘッダのように、撮影時の設定、日付・時間、プリントサイズ・枚数指定、コメントなどをフイルムにコーティングされた磁気面に記録し、プリント時に利用できるためこの名がある。240はフィルム幅の24mmに由来する。
[[ファイル:IX240 Cartridge.jpg|thumb|IX240の[[フィルムカートリッジ]]]] '''アドバンストフォトシステム'''({{lang-en|Advanced Photo System, '''APS'''}})とは、[[富士フイルム]]、[[コダック|イーストマンコダック]]、[[キヤノン]]、[[ミノルタ]]、[[ニコン]]によって共同で開発された「世界標準規格の新しい写真システム」。[[1996年]]4月に販売が開始された。[[#推移と現況|後述]]のとおり、2012年に事実上終焉を迎えた規格である。 APSは[[写真フィルム]]の名称ではなく、新規格の専用フィルム ([[写真フィルム#IX240|IX240]]) を使用した「進化した写真システム」のことを指す。規格名の"IX"とは"'''I'''nformation E'''x'''change"の略で、デジタルカメラの[[Exchangeable image file format|Exif]]ヘッダのように、撮影時の設定、日付・時間、プリントサイズ・枚数指定、コメントなどをフイルムにコーティングされた磁気面に記録し、プリント時に利用できるためこの名がある。240はフィルム幅の24mmに由来する。 == 概要 == 画面の露光面積は16.7×30.2mmで縦横比が従来の各種フィルムと比べて横長 (9:16) なのが特徴。その基本サイズの左右または上下をプリント時にトリミングすることで、35mm判の通常サイズ (2:3) とパノラマサイズ (1:3) に対応するプリントが可能である。これらのサイズ設定は基本的にカメラ側で設定する(一部低価格機にはCサイズ専用もある)。ただし、ラボへのプリント注文時に指定して変更は可能である。また、かつて発売されていたAPS用フォトプレイヤーでは各種設定を変更できるものもあった。 ; Hサイズ(ハイビジョン / 9<nowiki>:</nowiki>16) : 基本となる画面サイズで、撮影設定に関わらずフィルム面にはこのサイズで写る。プリント時には従来のL判と縦は同じで横幅が広くなる。 ; Cサイズ(クラシック / 2<nowiki>:</nowiki>3) : Hサイズの左右をトリミングしたサイズ。従来の35mmフィルムと同じ画面比率で、プリントも同じL判(またはKing判)のサイズ。 ; Pサイズ(パノラマ / 1<nowiki>:</nowiki>3) : Hサイズの上下をトリミングしたサイズ。従来の35mmパノラマ判と同じ。 また、画面サイズが小さいために35mm判と同じレンズでも[[画角]]が狭くなる。従って、35mm判と比較する場合はレンズの表記に比率を掛けて換算する必要がある。対角画面で換算すると、Hサイズ・Pサイズ=1.25倍、Cサイズ=1.4倍(ハーフ判と同等)となり、例えばAPSの24mmレンズの35mm判相当の画角は24mm×1.25=30mm(Hサイズ時)となる。ただ、Hサイズの場合は画面比率が横長なために、35mm判と同等の画角でもよりワイドさが強調されて見える。 現像後もフィルムは[[フィルムカートリッジ|カートリッジ]]の中に入れたまま返却され、焼き増しの注文は添付される[[コンタクトプリント|インデックスプリント]]でコマを確認して行う。 この規格の長所としては、従来の35mmフィルムに比べ、フィルムサイズ=カートリッジが小型であるために[[カメラ]]自体も小型化できる点がある。他にも、 * 密閉カートリッジなので、フィルムに触れることなく装填でき失敗が少ない。 * 撮影済みのフィルムは装填できないので、二重露光などの失敗がない。 * 撮影途中でフィルム交換ができる(MRC=ミッド・ロール・チェンジ。カメラ側での対応が必要)。 などのこれまでのカメラでは難しいことが簡単になったことがあげられる。 フィルムが小型であることを強調するためか、市場に出た製品のほとんどは[[コンパクトカメラ]]であった。キヤノン、ニコン、ミノルタからはレンズ交換可能な[[一眼レフ]]カメラも発売されたが、[[写真フィルム#規格別|35mmフィルム]]と比べて撮影面積が小さいことから、画質が劣ること、交換レンズの互換性の問題からあまり普及しなかった。また、[[デジタルフォトフレーム|フォトプレイヤー]]という、現像済みのカートリッジを装着してそれをテレビへ映し出す装置も発売されていた。かつてのスライド投影機のAPS版とも言えるが、BGMをつけたりカット間効果をつけながらの自動[[スライドショー]]を行ったりと、スライド投影機に比べて高機能であった。また、フィルムのIX情報を修正したりする機能も存在した。こういった機能は後のデジタルカメラの閲覧ソフトに継承され発展していった。 === フィルム状態の表示 === [[ファイル:IX240 Indicators.jpg|thumb|IX240のフィルムカートリッジ底面 現像済みであることを示す四角いアイコンが白くなっている]] フィルムカートリッジの底面にはフィルムの状態を示す仕組みが設けられている。4段階のフィルム状態が白いアイコンで順に表示される。 # 丸 : 新品未使用であることを示す。 # 半円 : 総撮影枚数の途中まで撮影済み。ミッド・ロール・チェンジ(撮影途中でのフィルム交換機能)でカメラから取り出した状態。カメラへ再装填したり現像に出すことが可能な状態を示す。 # バツ : 総撮影枚数を全て撮影したことを示す。カメラへは二重露光防止機能により物理的に装填できない。 # 四角 : 現像済みを示す。 == 推移と現況 == APSはこれまでのカメラシステム(フィルム、カメラ、[[DPE]])を刷新し、関連市場の浮揚を狙ったものであったが、[[写真フィルム#規格別|35mmフィルム]]の優位性、同時期に普及しだした[[デジタルカメラ]]と、写真画質カラー[[プリンター|プリンタ]]の急激な性能向上により、あまり普及しなかった。 フィルムがカートリッジの中に入れたまま返却されるために嵩張って保管しづらいうえ、添付されるインデックスプリントとの関連付けも煩雑であり、インデックスプリントをなくすと写真の確認が出来ない、といった欠点があった。現像料金が従来の35mmフィルムに比べて高価であったことも普及を妨げる要因となった。当初は、インデックスプリントが添付されることが利点であったが、35mmフィルムを現像した際もインデックスプリントを添付されるようになり、APS独自の利点よりも欠点が目立つことになった。 [[2002年]]時点で、IX240フィルムのシェアは、[[ロールフィルム]]が出荷本数の約12%、[[レンズ付きフィルム]]が同約29%である。フィルム自体がコンパクトであることから、[[レンズ付きフィルム]]にも採用されていた。 カメラは2002年時点で既にコダック、ニコン、コニカミノルタらがAPSカメラの製造・販売から撤退しており、その後も他のメーカーの撤退が相次いだ。 フィルムについては主要3社のうちコニカミノルタ(当初社名コニカ)がまず撤退、その後は各社とも製品数を縮小し、富士写真フイルムがNexia(ネガカラー、ISO400、25EX)、コダックがAdvantix(ネガカラー、ISO200、25EX)の生産を継続した。過去にはISO100の高画質タイプやISO800の高感度タイプ、またリバーサルも商品化されてはいたものの、早い段階で姿を消すことになった。富士フイルムは[[2011年]][[7月]]にフィルムの生産・販売終了を発表<ref>[http://fujifilm.jp/information/articlead_0120.html APSフィルム販売終了のお知らせ](富士フイルム プレスリリース (2011.07.06))</ref>、コダックも2011年をもって生産を中止<ref>[http://www.kodak.com/eknec/PageQuerier.jhtml?pq-path=164/7010/6994/1096&pq-locale=en_US KODAK ADVANTIX Film / APS 200 Discontinuance](米国コダック・ウェブサイト)</ref>、在庫分の販売を継続し、[[2012年]]5月末をもって終了<ref>[http://fujifilm.jp/information/articlead_0161.html APSフィルム出荷終了のお知らせ](富士フイルム プレスリリース (2012.05.22))</ref>した。これによりAPSフォーマットは事実上終焉を迎えた。 == 過去の主要カメラ == メーカー名は略称 === 一眼レフカメラ === ; EOS-IXシリーズ(キヤノン) : 同社の35mm一眼レフ・EOSシリーズと共通の[[キヤノンEFマウント|EFマウント]]を採用しており、その名称からもEOSシリーズのAPS版という位置づけであった。初号機の'''IXE'''は本体にステンレス素材を用いており、IXYにも通じるBox&Circleを基調とした近未来的でメカニカルなデザイン。同時期の35mm中級機EOS55ベースでほぼ同等の性能を持ち、APS機としては唯一の視線入力機能を持つ。後に追加された'''IX50'''はEOS-Kissに似たカジュアルかつオーソドックスなデザインで、性能的にもオート主体の普及機という位置づけ。なお、[[EFレンズ]]の外装は黒色が基調であるが、このカメラに合わせカメラ本体と同色のレンズも発売されていた。 ; Proneaシリーズ(ニコン) : 同社の35mm一眼レフ・[[ニコンの銀塩一眼レフカメラ製品一覧#ニコンF|F]]シリーズと共通の[[ニコンFマウントレンズの一覧|Fマウント]] (AF-G) を採用しているが、別シリーズ扱いであった。初号機の'''600i'''は同社の35mm中級機F70Dベースの本格派。デザインも同時期のFシリーズと統一性のある質実剛健なもの。後に追加された普及機の'''S'''は一転「ウーマンズ・ニコン」を標榜し、銀の本体色に紫のアクセントを配した曲面基調のスタイリッシュなデザインとなった。なお、シリーズ専用のIXニッコールレンズも発売されていた。このシリーズは基本的に絞り制御をカメラ側で行うため、同社のAF専用レンズである通称AF-Gと同様、絞りリングがないのが外観上の特徴である。尚、IXレンズはマウント側が独自形状となっており、ここがミラーボックスに干渉するために、通常の35mm用及びデジタル専用のFマウントには装着できない。 ; Vectis-Sシリーズ(旧ミノルタ) : APSフォーマットに最適化させたという新規設計のVマウントを採用。そのためレンズもかなり小型化されている。また、本体・レンズ・ストロボを含むシステム全体がJIS保護等級2級(水しぶき程度の防水)の防水性能を持っている。初号機の'''S-1'''は当時の35mm中級機α-303Si相当で、後に普及機の'''S-100'''が追加された。外見的には共通したデザインで、プリズムの代わりにミラーを用いたリレー光学系ファインダーのために軍艦部がフラットなのが特徴である。交換レンズは前述の理由から、35mm用レンズを使えるキヤノンやニコンに比べて(特に大口径レンズの)ラインナップが限られるが、世界でも唯一のAF反射望遠レンズを持っていた。ミノルタはこの規格をデジタルとの共用規格にしようとしていた節があり、実際に製品も発売されていたが、デジタルカメラが発展途上のうちに肝心のAPS市場のほうが縮小してしまったため、Dimage RD3000が最初で最後の製品となった。 ; Centurionシリーズ(オリンパス) : レンズ固定式一眼レフカメラ。同社が35mm判で発売していたLシリーズのAPS版。初号機の'''Centurion'''と改良機の'''Centurion-S'''がある。 ; Epion4000シリーズ(富士) : レンズ固定式の一眼レフカメラ。Centurionとスペックがほぼ共通しており、オリンパスのOEMか共同開発と思われる。 === コンパクトカメラ === ; [[キヤノン IXYシリーズ|IXYシリーズ(キヤノン)]] : APS発売当初に高品位な仕上げのステンレス素材ボディとBox&Circleと呼ばれた明快なデザインによってヒットし、APS普及の牽引車となった。その影響は大きく、後にデザインコンセプトは名称と共に、デジタルカメラにも引き継がれてヒットしたほどである。基本モデルはオリジナルモデルから続く3桁系と言われるシリーズで、概ね百位がグレード、十位がズーム倍率を示す。300系がステンレス、200系が普及タイプのプラスチック製。2桁系は機能を絞った廉価機。'''i'''は3桁系の後継機で、シリーズ最後のフラグシップモデル。他に高機能機の'''G'''がある。なお、単焦点機の[[キヤノン IXY 310|310]]はF2.8というこのクラスでは稀な大径レンズを持っている。 ; Nuvisシリーズ(ニコン) : 2/3桁系は普及機。他に一眼レフFシリーズのデザインを模した黒地に赤アクセントの'''V'''や、カプセルボディの高品位タイプ'''S'''シリーズがある('''S2000'''は2倍ズームと4色プラボディの普及機)。 ; Vectisシリーズ(旧ミノルタ) : 2桁系は普及機、3桁系はやや上位でメタル製もある。他にカプセルボディの高品位タイプとなる4桁系 (2000/3000) がある。また、防水タイプの通称"Angelシリーズ"と呼ばれるGX系 (1 - 4) もあり、各機で防水機能とカラーが異なる個性的な(ある意味トイカメラ的な)ユニークなデザインが特徴。 ; Efinaシリーズ(旧ペンタックス) : オリジナルモデルはAPSコンパクトとしては珍しくバルブ撮影まで可能な多機能機だったが、後にフルオートの高品位タイプ、'''T'''シリーズを追加。 ; NewPic/i-Zoomシリーズ(オリンパス) : 普及機となるNewPicシリーズと、同社の35mm判生活防水カメラ'''[[μ (カメラ)|μ]]'''(ミュー)のAPS版的位置付けのi-Zoom60/75(2桁系)、高品位タイプのi-Zoom2000/3000(4桁系)がある。 ; Epion/Nexiaシリーズ(富士) : 普及機のEpion(2桁/3桁系)、高品位機/高機能機のEpion(4桁系)がある。なお、Epion4桁系のうち特にカプセルボディの1000系は同社の35mm判高品位コンパクトカメラに倣って'''Tiara'''のサブネームが付されている。1000はAPSでは珍しいチタンボディ、1010はプラスチック製の普及機。低価格の2桁系には児童向けの[[キャラクター商品]]として[[サンリオキャラクター]]([[ハローキティ]]、[[マイメロディ]])などのイラストをプリントされたものもあった。のちに同社のAPSフィルムと同ブランド名を付されたNexiaシリーズに交代し、カプセルボディのTiaraも2倍ズームの2000へと進化した。特筆すべきはペンダント型というユニークな形状と低価格でヒットしたQ1シリーズで、当初単焦点機のみだったが後に2倍ズーム機や多彩なカラー/デザインバリエーションが発売された。なお、NexiaQ1は日本国内では最期まで残っていたモデルである。 ; Revio/SuperBigMiniシリーズ(旧コニカ) : 参入当初は35mm判のヒット商品'''BigMini'''に倣ったSuperBigMiniシリーズを発売していたが、後にその小型化路線を更に追求したRevioシリーズを展開した(IXYと同じく、デザインと名称は同社のコンパクトデジタルカメラに引き継がれている)。オリジナルモデルから分岐した低価格でカジュアルユースのC系 (CL,CZ) と高品位なZ系 (II,Z2,Z3) に大別されるが、いずれもセルフポートレイト用の折り畳みミラーが標準添付され、それを軍艦部に取り付けられるのが特徴である(初期[[ライカ]]の折り畳みファインダに似る)。 ; Advantixシリーズ(コダック) : 参入当初はごくオーソドックスな機種に終始していたが、後にレンズカバーがヒンジで上へ開いてそのままストロボになるというユニークなシリーズを発売した。中でも'''Preview'''は、ファインダにCCDを組み込んで撮影直後の画像を背面の液晶モニタで確認できるユニークな機種である。 ; Ultimaシリーズ/Samurai4000iX(京セラ) : 当初は同社のハーフ判一眼レフ機"Samurai"を模したSamurai4000iXを発売(一眼レフではなく通常のビューファインダー方式)。APSコンパクト機としては最大級となる4倍の高倍率ズームレンズを持っていた。のちに通常のコンパクトタイプのUltimaシリーズになった。上級にコンタックスが控えていたためか、こちらはオーソドックスな普及機に終始したようである。 ; C11(ライカ) : ライカ唯一のAPSカメラ。高品位な造りではあるが内容はごく普通の3倍ズームコンパクトカメラ。レンズは無銘。 ; MacroMax-FR2200(ゴコー) : 接写に強い(最短25cm)のが特徴。同社35mm判MacroMaxシリーズのAPS版。 ==== 高級コンパクトカメラ ==== ; Tix(コンタックス:京セラ) : 同社の35mm判高級コンパクト・CONTAX-TシリーズのAPS版 (T+ix)。シリーズ共通の高品位なチタン素材ボディとツァイスレンズ (Sonnar T* 28mm F2.8) を持つ。デザインやシャッター機構は後年の35mm高級コンパクト・T3に受け継がれている。最高1/1000秒の高速シャッター、露出補正機能に加え、絞り優先AE撮影も可能な、APSコンパクトカメラとしては稀有な機種。色は素材色のチタンシルバーと黒。定価12万円。 === 防水タイプ(ダイビング用途) === ; IXY-D5(キヤノン) : 水深5m防水機能。同社の35mmカメラAutoBoy-DシリーズのAPS版。 ; Vectis-WeatherMatic(旧ミノルタ) : 水深10m防水機能と耐衝撃シェルを持つヘビィデューティ仕様。このタイプとしては珍しい1.7倍ズーム。同社の防水カメラWeatherMaticシリーズ(他に110版と35mm版あり)のAPS版で、シリーズ共通の鮮やかな黄色のボディカラーが特徴。 == 他フォーマットへの影響と関連 == * 現在の[[35mmフィルム]]の同時プリント時に付いてくる[[インデックスプリント]]は元来APSの規格であった。後に35mmへも援用された。 * フィルムサイズの基本となるHサイズは、[[ハイビジョン]]テレビの画面比率から設定された。 * [[デジタルカメラ]]でも同様のトリミングによってHサイズとCサイズなどを設定できる機種が現れている([[パナソニック|松下電器]] [[LUMIX]]-LXシリーズ)。 * フィルムサイズの画面比率([[アスペクト比]])が35mm判と同等のCサイズは、かつての[[ハーフ判]]とほぼ同サイズを持つ。また、これとほぼ同等の面積を持つ[[デジタルカメラ]](特に[[一眼レフ]]カメラ)の[[撮像素子]]を[[APS-Cサイズ]]と呼ぶのも、これに由来する。また、珍しいところではキヤノンの最高級デジタル一眼レフの高速連写タイプ、EOS-1DシリーズはAPS-Hサイズとほぼ同じ面積 (縦横比は35mmフィルムのライカ判同様に3:2である) の受光素子を採用している。 == 脚注 == {{Reflist}} {{DEFAULTSORT:あとはんすとふおとしすてむ}} [[Category:写真フィルム]] [[Category:カメラ]]
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串本町
串本町(くしもとちょう)は、和歌山県の本州最南端にある町。東牟婁郡に属する。 町域は紀伊半島の最南端に位置している。熊野灘の南端部に位置しているほか、古座川の上流域に紀伊山地が広がる。 最南端の潮岬がある部分は紀伊半島から突き出しており、串本の市街地は潮岬側と元来の陸を繋ぐ砂州の上にある。市街地の東側には紀伊大島があり、1999年(平成11年)9月に完成したくしもと大橋で結ばれている。 海岸部は吉野熊野国立公園地域に指定されている。また潮岬のほか国の天然記念物である橋杭岩や世界で唯一の「非サンゴ礁海域に存在するサンゴ礁」があり、日本初の海中公園にもなった地域を含む沿岸海域は、2005年(平成17年)11月8日よりラムサール条約に登録されている。 海洋性気候で年中温暖だが、夏の気温はあまり上がらない。夏から秋にかけては台風の通過が多く、枕崎市(鹿児島県)、室戸市(高知県:室戸岬)などと並び台風銀座の一つである。 串本町文化センター 温暖な気候を利用したイチゴ、ポンカン栽培が盛んで、それぞれ「くろしおイチゴ」「くろしおポンカン」としてブランド化している。また、大島では古くからキンカンが特産品となっている。 カツオ漁が盛んで、「しょらさん鰹」としてブランド化している(しょらさんとは串本の方言で、「優しい人」の意味)。また、マグロやトビウオ、サンマなどの水揚げも盛ん。
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串本町(くしもとちょう)は、和歌山県の本州最南端にある町。東牟婁郡に属する。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{日本の町村 | 自治体名 = 串本町 | 区分 = 町 | 画像 = ShionoMisakiMonument2.JPG | 画像の説明 =[[潮岬]] | 旗 = [[ファイル:Flag of Kushimoto, Wakayama.svg|100px|border|串本町旗]] | 旗の説明 = 串本町旗<br />[[2006年]][[4月10日]]制定 | 紋章 = [[ファイル:Emblem of Kushimoto, Wakayama.svg|100px|串本町章]] | 紋章の説明 = 串本町章<br />[[2006年]][[4月10日]]制定 | 都道府県 = 和歌山県 | 郡 = [[東牟婁郡]] | コード = 30428-0 | 隣接自治体 = *[[東牟婁郡]]:[[古座川町]]、[[那智勝浦町]] *[[西牟婁郡]]:[[すさみ町]] | 木 = [[ツバキ]] | 花 = [[モチノキ]] | シンボル名 = 町の魚 | 鳥など = [[トビウオ]] | 郵便番号 = 649-3592 | 所在地 = 東牟婁郡串本町サンゴ台690番地5<br />{{Coord|format=dms|type:adm3rd_region:JP-30|display=inline,title}}<br />{{画像募集中|cat=東牟婁郡}} | 外部リンク = {{Official website}} | 位置画像 = {{基礎自治体位置図|30|428|image=Kushimoto in Wakayama Prefecture Ja.svg|村の色分け=no}}{{Maplink2|zoom=10|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=270|frame-height=200|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|frame-latitude=33.51|frame-longitude=135.78|text=町役場位置}} | 特記事項 = }} '''串本町'''(くしもとちょう)は、[[和歌山県]]の[[本州]]最南端にある[[町]]。[[東牟婁郡]]に属する。 ==概要== [[File:Kushimoto downtown 001.JPG|thumb|200px|串本町中心部]] 町域は[[紀伊半島]]の最南端に位置している。[[熊野灘]]の南端部に位置しているほか、[[古座川]]の上流域に[[紀伊山地]]が広がる。 最南端の[[潮岬]]がある部分は紀伊半島から突き出しており、串本の市街地は潮岬側と元来の陸を繋ぐ[[砂州]]の上にある。市街地の東側には[[紀伊大島]]があり、[[1999年]](平成11年)9月に完成した[[紀伊大島#観光|くしもと大橋]]で結ばれている。 海岸部は[[吉野熊野国立公園]]地域に指定されている。また潮岬のほか国の[[天然記念物]]である[[橋杭岩]]や世界で唯一の「非サンゴ礁海域に存在するサンゴ礁」があり、日本初の[[海中公園]]にもなった地域を含む沿岸海域は、[[2005年]](平成17年)[[11月8日]]より[[ラムサール条約]]に登録されている<ref name="Ramsar Convention"/><ref NAME="紀伊20060519"/>。 ==地理== [[File:Gongen Island-01.jpg|thumb|200px|権現島]] ===地形=== ====山地==== ;主な山 *風吹山 *重畳山 ====河川==== ;主な川 *古座川 *鬮野川 *田原川 ====海岸==== ;磯 *[[熊野灘]] ;岬 *[[潮岬]] ====島嶼==== ;主な島 *[[紀伊大島]] *[[九龍島と鯛島]] *[[権現島]] *[[通夜島]] === 気候 === 海洋性気候で年中温暖だが、夏の気温はあまり上がらない。夏から秋にかけては[[台風]]の通過が多く、[[枕崎市]]([[鹿児島県]])、[[室戸市]]([[高知県]]:[[室戸岬]])などと並び[[台風銀座]]の一つである。 {{Weather box |location = 潮岬特別地域気象観測所(串本町潮岬、標高68m) |metric first = yes |single line = yes |Jan record high C = 23.6 |Feb record high C = 23.4 |Mar record high C = 23.9 |Apr record high C = 26.2 |May record high C = 29.4 |Jun record high C = 30.8 |Jul record high C = 35.6 |Aug record high C = 36.1 |Sep record high C = 33.8 |Oct record high C = 29.7 |Nov record high C = 27.2 |Dec record high C = 23.3 |year record high C = 36.1 |Jan high C = 11.4 |Feb high C = 12.4 |Mar high C = 15.2 |Apr high C = 18.8 |May high C = 22.5 |Jun high C = 24.7 |Jul high C = 28.2 |Aug high C = 29.8 |Sep high C = 27.6 |Oct high C = 23.2 |Nov high C = 18.7 |Dec high C = 13.8 |year high C = 20.5 |Jan mean C = 8.3 |Feb mean C = 8.8 |Mar mean C = 11.6 |Apr mean C = 15.6 |May mean C = 19.3 |Jun mean C = 22.1 |Jul mean C = 25.7 |Aug mean C = 26.9 |Sep mean C = 24.6 |Oct mean C = 20.3 |Nov mean C = 15.5 |Dec mean C = 10.6 |year mean C = 17.5 |Jan low C = 5.2 |Feb low C = 5.3 |Mar low C = 8.2 |Apr low C = 12.3 |May low C = 16.6 |Jun low C = 19.9 |Jul low C = 23.8 |Aug low C = 24.8 |Sep low C = 22.1 |Oct low C = 17.7 |Nov low C = 12.4 |Dec low C = 7.5 |year low C = 14.6 |Jan record low C = -3.6 |Feb record low C = -5.0 |Mar record low C = -2.2 |Apr record low C = 1.5 |May record low C = 7.3 |Jun record low C = 12.5 |Jul record low C = 15.3 |Aug record low C = 18.1 |Sep record low C = 14.2 |Oct record low C = 7.7 |Nov record low C = 2.5 |Dec record low C = -2.0 |year record low C = -5.0 |Jan precipitation mm = 97.7 |Feb precipitation mm = 118.1 |Mar precipitation mm = 185.5 |Apr precipitation mm = 212.3 |May precipitation mm = 236.7 |Jun precipitation mm = 364.7 |Jul precipitation mm = 298.4 |Aug precipitation mm = 260.3 |Sep precipitation mm = 339.2 |Oct precipitation mm = 286.6 |Nov precipitation mm = 152.0 |Dec precipitation mm = 102.9 |year precipitation mm = 2654.3 |Jan humidity = 58 |Feb humidity = 58 |Mar humidity = 62 |Apr humidity = 68 |May humidity = 75 |Jun humidity = 84 |Jul humidity = 86 |Aug humidity = 84 |Sep humidity = 78 |Oct humidity = 72 |Nov humidity = 64 |Dec humidity = 60 |year humidity = 71 |unit precipitation days = 0.5 mm |Jan precipitation days = 7.1 |Feb precipitation days = 8.3 |Mar precipitation days = 11.8 |Apr precipitation days = 11.4 |May precipitation days = 11.9 |Jun precipitation days = 15.8 |Jul precipitation days = 12.9 |Aug precipitation days = 12.4 |Sep precipitation days = 13.2 |Oct precipitation days = 12.0 |Nov precipitation days = 9.3 |Dec precipitation days = 7.0 |year precipitation days = 133.1 |Jan sun = 192.5 |Feb sun = 187.9 |Mar sun = 198.6 |Apr sun = 201.9 |May sun = 193.2 |Jun sun = 132.4 |Jul sun = 193.2 |Aug sun = 234.8 |Sep sun = 176.8 |Oct sun = 169.8 |Nov sun = 177.5 |Dec sun = 194.0 |year sun = 2255.9 |source = [[気象庁]] (平均値:1991年-2020年、極値:1913年-現在)<ref NAME="jma"/><ref NAME="jma_top10"/> }} ===地域=== ;旧[[西牟婁郡]]串本町地区 *旧西牟婁郡[[和深村]]地区 - 和深、里川、田子、江田 *旧西牟婁郡[[田並村]]地区 - 田並、田並上 *旧西牟婁郡[[有田村 (和歌山県)|有田村]]地区 - 有田、有田上、吐生 *旧西牟婁郡串本町地区 - 高富、二色、鬮野川、サンゴ台、串本 *旧西牟婁郡[[潮岬村]]地区 - 潮岬、出雲 *旧東牟婁郡[[紀伊大島|大島村]]地区 - 大島、須江、樫野 ;旧[[東牟婁郡]][[古座町]]地区 *旧東牟婁郡[[西向町]]地区 - 姫、姫川、伊串、西向、神野川、古田 *旧東牟婁郡古座町地区 - 古座、中湊、上野山、津荷 *旧東牟婁郡[[田原村 (和歌山県)|田原村]]地区 - 田原、佐部、上田原 === 人口 === {{人口統計|code=30428|name=串本町|image=Population distribution of Kushimoto, Wakayama, Japan.svg}} ===隣接自治体=== ;{{Flagicon|和歌山県}}[[和歌山県]] *[[西牟婁郡]]:[[すさみ町]] *[[東牟婁郡]]:[[古座川町]] *東牟婁郡:[[那智勝浦町]] ==歴史== [[File:Kushimoto-toruko-ireihi.jpg|thumb|200px|[[エルトゥールル号遭難事件]]慰霊碑]] ===近代=== *[[1889年]]([[明治]]22年)[[4月1日]] - [[町村制]]の施行により、[[近世]]以来の[[西牟婁郡]]串本浦が単独で自治体を形成、'''串本村'''が成立。 *[[1890年]](明治23年)[[9月16日]] - [[エルトゥールル号遭難事件]]が発生する。 *[[1907年]](明治40年)[[11月12日]] - 串本村が町制施行して'''串本町'''となる。 *[[1924年]]([[大正]]13年)[[6月30日]] - 西牟婁郡[[富二橋村]]を編入。 *[[1955年]]([[昭和]]30年)[[7月2日]] - 西牟婁郡[[田並村]]・[[有田村 (和歌山県)|有田村]]・[[潮岬村]]・[[和深村]]と合併し、改めて'''串本町'''が発足。 *[[1958年]](昭和33年)[[1月15日]] - [[東牟婁郡]][[紀伊大島|大島村]]を編入。 *[[1959年]](昭和34年)[[9月26日]] - [[伊勢湾台風]]が潮岬に上陸。紀伊半島から[[東海地方]]を中心としたほぼ全国に甚大な被害をもたらし、明治以降の日本における台風災害で史上最悪となる死者・行方不明者5,098名(全国)の惨事となる。 ;平成 *[[2005年]]([[平成]]17年)4月1日 - 東牟婁郡[[古座町]]と合併して東牟婁郡'''串本町'''が発足。旧串本町は西牟婁郡に属していたが、広域行政や経済面などで[[新宮市]]および[[東牟婁郡]]との結びつきが比較的強かった歴史的経緯から、合併にあわせて所属郡は東牟婁郡となった。 ;令和 *[[2021年]]([[令和]]3年)7月26日 - 同町サンゴ台にある海抜約50メートルの高台に新庁舎を建設し、移転した。旧庁舎の本館が老朽化しており、また所在地の海抜も約3メートルと低く、大地震による津波発生時には大規模な浸水被害が予想されたためである。<ref NAME="City_newoffice"/><ref NAME="紀伊20210514"/> <gallery> Old kushimototown.PNG|旧・古座町と合併前の旧・串本町の範囲 Kozatown.PNG|旧・串本町と合併前の旧・古座町の範囲 </gallery> ==国家機関== ===防衛省=== ;[[航空自衛隊]] *[[串本分屯基地]] ===法務省=== ;[[検察庁]] *[[和歌山地検]]田辺支部 **[[串本区検察庁]] ===裁判所=== *[[串本簡易裁判所]] ===国土交通省=== ;[[海上保安庁]] *[[第五管区海上保安本部]] **[[田辺海上保安部]] ***[[串本海上保安署]] ==施設== [[File:Kozagawa hospital.jpg|thumb|200px|古座川病院]] ===警察=== ;本部 *[[和歌山県警察]] [[串本警察署]] ;交番 *古座交番(串本町西向) ;駐在所 *潮岬警察官駐在所(串本町潮岬) *田並警察官駐在所(串本町田並) *和深警察官駐在所(串本町和深) *大島警察官駐在所(串本町大島) ===消防=== ;本部 *[[串本町消防本部]] ;消防署 *串本消防署 ===医療=== ;主な病院 *[[くしもと町立病院]] ===郵便局=== ;主な郵便局 *[[大島郵便局 (和歌山県)|大島郵便局]] *[[串本郵便局]] *[[潮岬郵便局]] ===図書館=== *[[串本町図書館]] **古座図書館 ===文化施設=== ;交流施設 串本町文化センター ;博物館 *[[トルコ記念館]] *[[日米修交記念館]] ;美術館 *[[串本応挙芦雪館]] ===運動施設=== *串本町立体育館 *串本町総合運動公園 サン·ナンタンランド ==対外関係== ===姉妹都市・提携都市=== ====海外==== ;姉妹都市 *{{Flagicon|TUR}}[[ヤカケント]]([[トルコ共和国]] [[サムスン県]]) *{{Flagicon|TUR}}[[メルスィン]]([[トルコ共和国]] [[メルスィン県]]) *{{Flagicon|USA}}{{仮リンク|ヘメット (カリフォルニア州)|label=ヘメット市|en|Hemet, California}}([[アメリカ合衆国]] [[カリフォルニア州]]) ==経済== ===第一次産業=== ====農業==== 温暖な気候を利用した[[イチゴ]]、[[ポンカン]]栽培が盛んで、それぞれ「くろしおイチゴ」「くろしおポンカン」としてブランド化している。また、大島では古くからキンカンが特産品となっている。 *[[イチゴ]] *[[ポンカン]] *[[キンカン]] ====漁業==== [[カツオ]]漁が盛んで、「しょらさん鰹」としてブランド化している(しょらさんとは串本の方言で、「優しい人」の意味)。また、[[マグロ]]や[[トビウオ]]、[[サンマ]]などの水揚げも盛ん。 *[[カツオ]] *[[マグロ]] *[[トビウオ]] *[[サンマ]] ==情報・通信== ===マスメディア=== ====中継局==== *[[NHK古座中継局]] *[[NHK潮岬テレビ中継局]] *[[串本中継局]] ==教育== [[File:Kushimotokoza high.JPG|thumb|200px|[[和歌山県立串本古座高等学校]]]] ===高等学校=== *[[和歌山県立串本古座高等学校]] ===中学校=== *[[串本町立串本中学校]] *[[串本町立串本西中学校]] *[[串本町立潮岬中学校]] *[[串本町立西向中学校]] ===小学校=== *[[串本町立出雲小学校]] *[[串本町立大島小学校]] *[[串本町立串本小学校]] *[[串本町立串本西小学校]] *[[串本町立古座小学校]] *[[串本町立潮岬小学校]] *[[串本町立田原小学校]] *[[串本町立橋杭小学校]] *[[串本町立西向小学校]] ==交通== [[File:JR Kushimoto Station 20150429 (16867091064).jpg|thumb|200px|[[串本駅]]]] [[File:Kushimoto Town Community bus.jpg|thumb|200px|串本町[[コミュニティバス]]]] [[File:R042-003-400.jpg|thumb|200px|[[道の駅くしもと橋杭岩]]]] [[File:Remains of Kushimoto Ferry-01.jpg|thumb|200px|串本港フェリー乗り場跡]] ===鉄道=== ;[[西日本旅客鉄道]](JR西日本) *[[紀勢本線]](きのくに線):[[紀伊田原駅]] - [[古座駅]] - [[紀伊姫駅]] - [[串本駅]] - [[紀伊有田駅]] - [[田並駅]] - [[田子駅]] - [[和深駅]] ===バス=== *[[串本町コミュニティバス]] ===道路=== ====高速道路==== *[[紀勢自動車道]] **[[すさみ串本道路]]:([[すさみ町]])- [[串本インターチェンジ|串本IC]](事業中) - [[和深インターチェンジ|和深IC]](事業中) -([[那智勝浦町]]) ====国道==== *[[国道42号]] *[[国道371号]] ====県道==== ;[[主要地方道]] *[[和歌山県道38号すさみ古座線]] *[[和歌山県道39号串本古座川線]] *[[和歌山県道40号樫野串本線]] *[[和歌山県道41号潮岬周遊線]] ;[[一般県道]] *[[和歌山県道227号田原古座線]] *[[和歌山県道228号高瀬古座停車場線]] *[[和歌山県道234号長井古座線]] ===道の駅=== *[[道の駅くしもと橋杭岩]] ==観光== [[File:Aquarium at KUSHIMOTO MARINE PARK 4.jpg|thumb|200px|串本マリンパーク]] [[File:Cape Shio Sightseeing Tower.jpg|thumb|200px|潮岬観光タワー]] [[File:Umikongo Feb2010.jpg|thumb|200px|海金剛(紀伊大島)]] [[File:Hashiguiiwa Stones.jpg|thumb|200px|橋杭岩]] ===名所・旧跡=== ;主な城郭 *[[虎城山城]] ;主な寺院 *[[無量寺 (和歌山県串本町)|無量寺]](通称:[[芦雪寺]]) ;主な史跡 *[[樫野埼灯台]] - [[潮岬灯台]]と並ぶ日本初の石造灯台 *[[潮岬灯台]] - [[樫野埼灯台]]と並ぶ日本初の石造灯台 ===観光スポット=== *[[串本海中公園]] - ラムサール条約登録<ref name="Ramsar Convention"/> **[[串本マリンパーク]] *[[潮岬]] - [[日本の夕陽百選]]<ref NAME="sunset100"/>・[[新日本旅行地100選]] **[[潮岬観光タワー]] *[[橋杭岩]] - 国の天然記念物 *[[橋杭海水浴場]] - [[快水浴場百選]] *[[串本応挙芦雪館]] *[[古座海岸]] *[[九龍島と鯛島]] *海底遺跡 *[[紀伊大島]] **[[海金剛]] - 21世紀に残したい日本の自然100選<ref NAME="shizen100"/> **[[日米修交記念館]] **[[トルコ記念館]] **[[エルトゥールル号遭難事件|エルトゥールル号遭難慰霊碑]] **[[樫野埼灯台]] ==文化・名物== ===祭事・催事=== *[[磯打ち網漁]] - 当町内で行われる伝統漁法のひとつ。 *[[串本節]] - 当町に伝わる民謡。 ==出身関連著名人== ===出身著名人=== *[[浜野徹太郎]] - 政治家 *[[明石家さんま]] - タレント、旧古座町生まれ([[奈良県]][[奈良市]]で育つ)。 *大川真郎 - [[日本弁護士連合会]]事務総長を歴任、旧古座町出身。 *寺田雅彦 - [[日本ビクター]]代表取締役社長を歴任(現・同社特別顧問)、旧古座町出身。 *岩見よしまさ - お笑いコンビ「[[飛石連休 (お笑いコンビ)|飛石連休]]」、旧古座町出身。 *[[東さと|東里]] - タレント *[[増巳山豪]] - 1940年代~1950年代に活躍した、[[大相撲力士]] *[[木皮成]] - 振付師 *本田幸大 - 実業家 [[Enjin|株式会社enjin]] (東証マザーズ [https://finance.yahoo.co.jp/quote/7370.T 7370]) 創業者 *[[南努]] - シンガーソングライター、旧古座町出身。 *そらなさゆり - アングラーズアイドル2代目 *山本瑠香 - タレント 元[[AKB48]]・チーム8和歌山県初代代表 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== ===出典=== {{Reflist|1|refs= <ref name="Ramsar Convention">{{Cite web|和書|url=http://www.kankou-kushimoto.jp/txt009.html| title=ラムサール条約に登録、非サンゴ礁で世界唯一の串本沿岸海域| publisher=串本観光協会|access-date=2011-05-25|deadlink=2022-11-23}}</ref><ref NAME="紀伊20060519">{{Cite news|和書|url=http://www.agara.co.jp/modules/colum/article.php?storyid=1742| title=串本沿岸海域とラムサール条約 保全してこそ観光資源(コラム・社説) |newspaper=紀伊民報|date=2006-05-19|access-date=2011-05-25|deadlink=2022-11-23}}</ref> <ref NAME="jma"> {{Cite web|和書 | url = https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_ym.php?prec_no=65&block_no=47778&year=&month=&day=&view= | title = 平年値ダウンロード | accessdate = 2021-06 | publisher = 気象庁}} </ref><ref NAME="jma_top10"> {{Cite web|和書 | url = https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rank_s.php?prec_no=65&block_no=47778&year=&month=&day=&view= | title = 観測史上1〜10位の値(年間を通じての値) | accessdate = 2021-06 | publisher = 気象庁}} </ref> <ref NAME="City_newoffice">{{Cite web|和書|url=https://www.town.kushimoto.wakayama.jp/gyosei/chosya-iten/2021-0511-1922-11.html |title=串本町役場新庁舎の竣工式・一般内覧会および開庁日について |publisher=串本町 |accessdate=2022-11-23}}</ref><ref NAME="紀伊20210514">{{Cite news |和書|title=高台に串本町新庁舎完成 7月4日に竣工式と内覧会 |newspaper=紀伊民報 |date=2021-05-14 |url=https://www.agara.co.jp/article/123914 |accessdate=2022-11-23}}</ref> <ref NAME="sunset100">{{Cite web|和書|url=http://www.area-best.com/yuhi/yuhi100/69kushimoto.htm| title=日本の夕陽百選 串本町|website=[http://www.area-best.com/yuhi/ 朝日・夕陽の放送局]|publisher=NPO法人 日本列島夕陽と朝日の郷づくり協会|access-date=2022-11-23}}</ref> <ref NAME="shizen100">{{Cite web|和書|url=https://www.shinrinbunka.com/news/shizen100/ |title=21世紀に残したい日本の自然100選|publisher=[https://www.shinrinbunka.com/ 財団法人 森林文化協会]|access-date=2022-11-23}}</ref> }} == 関連項目 == {{Wikivoyage|en:Kushimoto|串本町{{en icon}}}} * [[エルトゥールル号遭難事件]] * [[大間町]] - 本州最北の自治体 * [[宮古市]] - 本州最東の自治体 * [[下関市]] - 本州最西の自治体 == 外部リンク == {{Commonscat}} * {{Official website}} * [https://kankou-kushimoto.jp/ 南紀串本観光協会] * {{ウィキトラベル インライン|串本町|串本町}} * {{Osmrelation|3352044}} * {{Googlemap|串本町}} * [https://www.gappei-archive.soumu.go.jp/db/30waka/3003kusi/index.html 串本町古座町合併協議会] {{和歌山県の自治体}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:くしもとちよう}} [[Category:西牟婁郡]] [[Category:東牟婁郡]] [[Category:和歌山県の市町村]] [[Category:串本町|*]] [[Category:1889年設置の日本の市町村]] [[Category:1955年設置の日本の市町村]] [[Category:2005年設置の日本の市町村]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B2%E6%9C%AC%E7%94%BA
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リアルタイムオペレーティングシステム
リアルタイムオペレーティングシステム(英: Real-time operating system;RTOS)は、リアルタイムシステムのためのオペレーティングシステム (OS) である。組み込みオペレーティングシステムに多い。OSの主要な機能である資源管理において、時間資源の優先度に基づく配分と実行時間の予測可能性を提供することに特化している、ないし、そういった機能に力を入れている。 以下、ほとんどのRTOSが持つ、基本的な機能について述べる。 RTOSは、実行コンテキストを保持するオブジェクト(UNIXではスレッドと呼んでいるものに近いが、RTOSではもっぱらタスクと呼ぶ。以下タスクで統一する)と、タスク間の同期通信機構を提供する。同期通信機構により特定のタスクに待ち状態が発生したときのスケジューリングを行うのも、一般的なOSと同様RTOSの仕事であるが、このスケジューリング規則にRTOSの大きな特色がある。 RTOSへの要求には、以下のようなものが挙げられる。 RTOSは、時間制約を保証できる設計を実現するために使われる。以上の要求は、そのために必要な事項の一例である。 RTOSは通常マルチタスクOSで、スケジューリングはタスクの優先度に基づいて行われる。タスクの実行中(割り込みハンドラやOS自身などの実行中でないということ)は、常に、実行可能状態にあるタスクのうち最高優先度のものを実行しなければならない。実行中のタスクよりも優先度が高いタスクが実行可能状態になった場合は、即座にタスク切り替えを行う。すなわち、RTOSはいわゆる「プリエンプティブ・マルチタスク」(プリエンプションを参照)でなければならない。さらにRTOSの場合は、カーネルが優先度の低いタスクによるシステムコールを実行中の場合でクリティカルセクションでなければ、優先度の高いタスクを実行する「プリエンプティブ・カーネル」でなければならない。 汎用OSのように、タスクの消費時間により優先度を変化させることは通常おこなわない。ただし、時間制約のない低優先度のタスクを複数同居させる場合など、それらのタスクでは優先度を共通とし、自発的にCPUを手放す協調的マルチタスクや、タイマ割込みにより順番に切り替えるタイムシェアリング的なスケジューリングを同居させることもある。 典型的な設計では、タスクには「実行中」「実行可能」「ブロック」の3状態がある。ほとんどのタスクはブロック状態でいることが多い。CPUは1度に1つのタスクを実行できる(実行中状態となるタスクはCPU毎に最大1つ)。単純なシステムでは実行可能なタスクのリストも短く、せいぜい2個から3個のタスクが載っていることが多い。 スケジューラの設計は重要である。実行可能タスクのリストはスケジューラのクリティカルセクション(プリエンプションが禁止され、場合によっては全割り込みも不可となる)で消費する時間を最小にするよう設計される。ただし、データ構造の選択は実行可能リスト上の最大タスク数にも依存する。 実行可能リスト上のタスク数が少ないなら、単純な双方向線形リストが最適である。状況によって実行可能タスク数が増えるなら、優先度に従ってソートされたリストを使用し、最高優先度のタスクを探すためにリスト全体を検索する必要がないようにすべきである。そうすると、あるタスクを実行可能タスクのリストに追加する際にリスト全体を探索して、そのタスクより低い優先度のタスクを見つけ、その前の位置にタスクを追加(挿入)する必要が生じる。この探索期間中ずっとプリエンプションを禁止してはいけない。探索中の真にクリティカルな期間だけプリエンプションを禁止することで、例えば探索中に割り込みが発生してより高優先度のタスクが実行可能となったら、現に実行可能リストに挿入しようとしている低優先度タスクよりも先に実行可能リストに挿入して実行するようにしなければならない。 新たな実行可能タスクをキューに登録し、最高優先度タスクの状態をリストアするのにかかる時間が非常に重要な応答時間である(フライバック時間とも呼ばれる)。よく設計されたRTOSでは、新たなタスクの実行可能キューへの挿入には(キュー上のエントリ毎に)3-20命令かかり、最高優先度タスクのリストアには5-30命令かかる。20MHzのMC68000プロセッサでは、2個のタスクが実行可能な状態でのタスク切り替え時間は20マイクロ秒である。100MHzのARMプロセッサでは数マイクロ秒となる。 高度なリアルタイムシステムでは、リアルタイムのタスク以外に非リアルタイムタスクも共存するため、実行可能リストは非常に長くなる可能性がある。そのようなシステムでは、スケジューラの実行可能リストを単純な線形リストで実装するのでは不十分である。このため、優先度毎に実行可能リストを分割することで探索処理を不要にすることもある。 マルチタスクシステムでは、複数のタスク間でデータやハードウェアリソースを共有するという問題に対処しなければならない。一般に2つのタスクが同時に同じデータや同じハードウェアリソースにアクセスすることは危険である(ここで「危険」と言うのは、タスクが複数のデータの集合体を更新中だった場合などに、結果の一貫性が保てず、予期しない結果を生じることを意味する。他のタスクがそのデータ集合体にアクセスするのは、更新が始まる前か更新を完了した後でなければならない)。これを解決する一般的方法として以下の3種類があげられる。 汎用OSではユーザープログラムが割り込みをマスクすることはできないのが一般的である。というのもCPUモードによってユーザーができることは限られているためである。最近のCPUは割り込みマスクのレジスタや命令をユーザーモードでアクセスできないようにしている。しかし、組み込みシステムやRTOSの多くはアプリケーションをカーネルモードで実行可能であり、システムコールを効率化したり、OSの介入なしで動作環境の制御ができるようになっている。 シングルプロセッサシステムでは、アプリケーションをカーネルモードで実行して割り込みマスクの制御も可能なら、共有リソースへの同時アクセスを防ぐ方法としてはそれが最も効率的(オーバヘッドが小さい)である。割り込みがマスクされていると、実行中タスクはCPUを独占することができ、他のタスクや割り込みが制御を奪うことはできない。そのためクリティカルセクションは効率的に保護される。タスクがクリティカルセクションを抜けたとき、割り込みマスクが解除され、保留されていた割り込みがあれば、その処理が実行される。割り込みマスクは、クリティカルセクションの期間が割り込み処理遅延時間の要求指標を守る範囲内でなければならない。一般にこの方法はクリティカルセクションがソースコードでほんの数行でループが含まれていない場合のみ適用される。ハードウェアのビットマップレジスタを複数のタスクが操作する場合、この方法による排他が理想的である。 クリティカルセクションがもっと長かったりループを含んでいる場合、セマフォやOS提供のプロセス間通信機能を使用しなければならない。そのような機能はシステムコールとして実装されているのが一般的で、完了時にOSのディスパッチ処理が実行される。そのため、割り込みマスクと比較すると非常に長時間を要する可能性がある。しかし、クリティカルセクションが長い場合、割り込み遅延時間の問題があるので選択の余地はない。 2値セマフォは、ロック状態かアンロック状態である。ロックされている場合、タスクはそのセマフォを待つためのキューに登録される。一般にタスクはセマフォの待ち時間のタイムアウト値を設定できる。セマフォに関する問題として、優先順位の逆転やデッドロックがよく知られている。 「優先順位の逆転」では、高優先度タスクが低優先度タスクの持つセマフォを待つため、低優先度のタスクが先に処理される。一般的な解決策としては優先度継承や優先度上限プロトコルがある。「デッドロック」は複数のセマフォを獲得しようとする複数のタスクが存在する場合に発生する。デッドロックはセマフォの獲得順を厳密に設計することで回避するのが一般的である。ただし、同種のリソースを2個同時に獲得しなければならない場合、それぞれのセマフォの獲得順を厳密に決定することは困難である。その場合、例えばセマフォを獲得できないときにビジーウェイトもブロックもしないでエラーを返すプリミティブを用意するなどの方式がある。 タスク間のリソース共有の別の方法として「メッセージ渡し」がある。この場合、あるリソースは直接的には特定の1つのタスクのみが管理し、他のタスクがそのリソースにアクセスしたい場合は、管理タスクにメッセージを送信する。この方式でも優先順位の逆転やデッドロックは発生する可能性がある。しかし、システムが単純であればデッドロックが発生しないように設計可能であるため、性能的にはセマフォよりも不利だが、動作を予測し易い。 割り込みハンドラは最高優先度のタスクもブロックして動作する。また、RTOSはスレッド待ち時間を可能な限り最小化しなければならないので、割り込みハンドラの処理は可能な限り最小限にされている。割り込みハンドラは対応するハードウェアとのやりとりを可能な限り後回しにする。一般に必要な処理として割り込みの受信確認 (acknowledge) か割り込みのディセーブル(割り込みハンドラから戻るまでに再度割り込まれないようにする)がある。割り込みハンドラは低優先度ですべき処理をキューに入れる(デバイスドライバタスクを実行可能にする)。スケジューラには割り込みハンドラから任意のタスクを実行可能状態にする機能が備わっていることが多い。 RTOSの動的メモリアロケーションは、汎用OSよりも要求される条件が厳しい。 第一にアロケーションの速度が重要である。一般にメモリアロケーション処理では不定長のフリーなメモリブロックのリストを探索して必要なサイズのメモリブロックを得るが、RTOSでは一定時間以内にメモリアロケーションを行う必要があるため、この方式は採用できない。 また、空き領域を分割して使用していくと、空き領域の断片化(フラグメンテーション)が発生する。これによって空きメモリ自体は十分あるのにメモリを確保できなくなってプログラムが停止してしまう可能性が出てくる。デスクトップ型コンピュータでは、それなりの頻度でリブートが行われるため、ある程度の断片化は許容される。しかし、組み込みシステムでは何年もリブートしないで動作することもあるため、断片化は許容できない。 固定サイズのメモリブロックを割り当てる方式が、単純な組み込みシステムでは非常にうまく機能する。 小規模な組み込みシステムなどに用いられることが多いが、デスクトップ分野やPDAなどの比較的大規模なものから、果てはミッションクリティカルなサーバーや人工衛星にまで使われている。 特にマルチコアや汎用ハードウェアに対応したLinuxのリアルタイムカーネルはニッチな市場の業界で多く使われている。たとえばマルチコアMIPSと共に通信業界で使われたMontavista Linux CGEや、リアルタイム・オーディオ処理のためのデスクトップ環境のUbuntu Studio、金融業界においては金融取引システムや高頻度取引にまで使われている。 小規模のものは独自に実装されることが多いため、仕様もそれぞれ独自であることも多い。共通規格としては、主に日本を中心として普及しているITRON、欧州を中心とする車載用を主としたOSEKがある。 リアルタイムUNIXの標準として、POSIXのリアルタイム拡張POSIX 1003.1bがある。
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リアルタイムオペレーティングシステムは、リアルタイムシステムのためのオペレーティングシステム (OS) である。組み込みオペレーティングシステムに多い。OSの主要な機能である資源管理において、時間資源の優先度に基づく配分と実行時間の予測可能性を提供することに特化している、ないし、そういった機能に力を入れている。 以下、ほとんどのRTOSが持つ、基本的な機能について述べる。 RTOSは、実行コンテキストを保持するオブジェクト(UNIXではスレッドと呼んでいるものに近いが、RTOSではもっぱらタスクと呼ぶ。以下タスクで統一する)と、タスク間の同期通信機構を提供する。同期通信機構により特定のタスクに待ち状態が発生したときのスケジューリングを行うのも、一般的なOSと同様RTOSの仕事であるが、このスケジューリング規則にRTOSの大きな特色がある。 RTOSへの要求には、以下のようなものが挙げられる。 ユーザーアプリケーションから、待ちが発生しないサービスコールを呼出した場合に要する最悪値 ハードウェア割り込みが発生してから、処理ルーチンを呼出すまでの最悪値 高優先度のタスクが確実に実行されることを保証するスケジューリング規則 RTOSは、時間制約を保証できる設計を実現するために使われる。以上の要求は、そのために必要な事項の一例である。
{{出典の明記|date=2016年1月8日 (金) 02:36 (UTC)}} '''リアルタイムオペレーティングシステム'''({{Lang-en-short|'''Real-time operating system'''}};'''RTOS''')は、[[リアルタイムシステム]]のための[[オペレーティングシステム]] (OS) である。[[組み込みオペレーティングシステム]]に多い。OSの主要な機能である資源管理において、時間資源の優先度に基づく配分と実行時間の予測可能性を提供することに特化している、ないし、そういった機能に力を入れている。 以下、ほとんどのRTOSが持つ、基本的な機能について述べる。 RTOSは、実行コンテキストを保持するオブジェクト([[UNIX]]では[[スレッド (コンピュータ)|スレッド]]と呼んでいるものに近いが、RTOSではもっぱらタスクと呼ぶ。以下タスクで統一する)と、タスク間の同期通信機構を提供する。同期通信機構により特定のタスクに待ち状態が発生したときのスケジューリングを行うのも、一般的なOSと同様RTOSの仕事であるが、このスケジューリング規則にRTOSの大きな特色がある。 RTOSへの要求には、以下のようなものが挙げられる。 * ユーザー[[アプリケーションソフトウェア|アプリケーション]]から、待ちが発生しないサービスコールを呼出した場合に要する最悪値 * [[ハードウェア]][[割り込み (コンピュータ)|割り込み]]が発生してから、処理ルーチンを呼出すまでの最悪値 * 高優先度のタスクが確実に実行されることを保証するスケジューリング規則 RTOSは、時間制約を保証できる設計を実現するために使われる。以上の要求は、そのために必要な事項の一例である。 == 設計上の特徴 == === スケジューリング === RTOSは通常[[マルチタスク]]OSで、[[スケジューリング]]はタスクの優先度に基づいて行われる。タスクの実行中([[割り込みハンドラ]]やOS自身などの実行中でないということ)は、常に、実行可能状態にあるタスクのうち最高優先度のものを実行しなければならない。実行中のタスクよりも優先度が高いタスクが実行可能状態になった場合は、即座にタスク切り替えを行う。すなわち、RTOSはいわゆる「プリエンプティブ・マルチタスク」([[プリエンプション]]を参照)でなければならない。さらにRTOSの場合は、[[カーネル]]が優先度の低いタスクによるシステムコールを実行中の場合で[[クリティカルセクション]]でなければ、優先度の高いタスクを実行する「プリエンプティブ・カーネル」でなければならない。 汎用OSのように、タスクの消費時間により優先度を変化させることは通常おこなわない。ただし、時間制約のない低優先度のタスクを複数同居させる場合など、それらのタスクでは優先度を共通とし、自発的に[[CPU]]を手放す協調的マルチタスクや、タイマ割込みにより順番に切り替える[[タイムシェアリングシステム|タイムシェアリング]]的なスケジューリングを同居させることもある。 典型的な設計では、タスクには「実行中」「実行可能」「ブロック」の3状態がある。ほとんどのタスクはブロック状態でいることが多い。CPUは1度に1つのタスクを実行できる(実行中状態となるタスクはCPU毎に最大1つ)。単純なシステムでは実行可能なタスクのリストも短く、せいぜい2個から3個のタスクが載っていることが多い。 スケジューラの設計は重要である。実行可能タスクのリストはスケジューラの[[クリティカルセクション]](プリエンプションが禁止され、場合によっては全割り込みも不可となる)で消費する時間を最小にするよう設計される。ただし、データ構造の選択は実行可能リスト上の最大タスク数にも依存する。 実行可能リスト上のタスク数が少ないなら、単純な[[双方向リスト|双方向線形リスト]]が最適である。状況によって実行可能タスク数が増えるなら、優先度に従って[[ソート]]されたリストを使用し、最高優先度のタスクを探すためにリスト全体を検索する必要がないようにすべきである。そうすると、あるタスクを実行可能タスクのリストに追加する際にリスト全体を探索して、そのタスクより低い優先度のタスクを見つけ、その前の位置にタスクを追加(挿入)する必要が生じる。この探索期間中ずっとプリエンプションを禁止してはいけない。探索中の真にクリティカルな期間だけプリエンプションを禁止することで、例えば探索中に割り込みが発生してより高優先度のタスクが実行可能となったら、現に実行可能リストに挿入しようとしている低優先度タスクよりも先に実行可能リストに挿入して実行するようにしなければならない。 新たな実行可能タスクを[[キュー (コンピュータ)|キュー]]に登録し、最高優先度タスクの状態をリストアするのにかかる時間が非常に重要な応答時間である(フライバック時間とも呼ばれる)。よく設計されたRTOSでは、新たなタスクの実行可能キューへの挿入には(キュー上のエントリ毎に)3-20命令かかり、最高優先度タスクのリストアには5-30命令かかる。20[[メガヘルツ|MHz]]の[[MC68000]]プロセッサでは、2個のタスクが実行可能な状態でのタスク切り替え時間は20[[マイクロ秒]]である。100MHzの[[ARMアーキテクチャ|ARM]]プロセッサでは数マイクロ秒となる。 高度なリアルタイムシステムでは、リアルタイムのタスク以外に非リアルタイムタスクも共存するため、実行可能リストは非常に長くなる可能性がある。そのようなシステムでは、スケジューラの実行可能リストを単純な線形リストで実装するのでは不十分である。このため、優先度毎に実行可能リストを分割することで探索処理を不要にすることもある。 === タスク間通信とリソース共有 === マルチタスクシステムでは、複数のタスク間でデータやハードウェアリソースを共有するという問題に対処しなければならない。一般に2つのタスクが同時に同じデータや同じハードウェアリソースにアクセスすることは危険である(ここで「危険」と言うのは、タスクが複数のデータの集合体を更新中だった場合などに、結果の一貫性が保てず、予期しない結果を生じることを意味する。他のタスクがそのデータ集合体にアクセスするのは、更新が始まる前か更新を完了した後でなければならない)。これを解決する一般的方法として以下の3種類があげられる。 * [[割り込み (コンピュータ)|割り込み]]を一時的に不可(マスク)とする。 * 2値[[セマフォ]]。[[ロック (情報工学)|ロック]]あるいは[[ミューテックス]]とも呼ぶ。 * メッセージ渡し (Message Passing) 汎用OSではユーザープログラムが割り込みをマスクすることはできないのが一般的である。というのも[[CPUモード]]によってユーザーができることは限られているためである。最近のCPUは割り込みマスクの[[レジスタ (コンピュータ)|レジスタ]]や命令を[[ユーザーモード]]でアクセスできないようにしている。しかし、[[組み込みシステム]]やRTOSの多くはアプリケーションを[[カーネルモード]]で実行可能であり、[[システムコール]]を効率化したり、OSの介入なしで動作環境の制御ができるようになっている。 シングルプロセッサシステムでは、アプリケーションをカーネルモードで実行して割り込みマスクの制御も可能なら、共有リソースへの同時アクセスを防ぐ方法としてはそれが最も効率的(オーバヘッドが小さい)である。割り込みがマスクされていると、実行中タスクはCPUを独占することができ、他のタスクや割り込みが制御を奪うことはできない。そのためクリティカルセクションは効率的に保護される。タスクがクリティカルセクションを抜けたとき、割り込みマスクが解除され、保留されていた割り込みがあれば、その処理が実行される。割り込みマスクは、[[クリティカルセクション]]の期間が割り込み処理遅延時間の要求指標を守る範囲内でなければならない。一般にこの方法はクリティカルセクションがソースコードでほんの数行でループが含まれていない場合のみ適用される。ハードウェアのビットマップレジスタを複数のタスクが操作する場合、この方法による排他が理想的である。 クリティカルセクションがもっと長かったりループを含んでいる場合、[[セマフォ]]やOS提供の[[プロセス間通信]]機能を使用しなければならない。そのような機能はシステムコールとして実装されているのが一般的で、完了時にOSのディスパッチ処理が実行される。そのため、割り込みマスクと比較すると非常に長時間を要する可能性がある。しかし、クリティカルセクションが長い場合、割り込み遅延時間の問題があるので選択の余地はない。 2値セマフォは、ロック状態かアンロック状態である。ロックされている場合、タスクはそのセマフォを待つためのキューに登録される。一般にタスクはセマフォの待ち時間のタイムアウト値を設定できる。セマフォに関する問題として、[[優先順位の逆転]]や[[デッドロック]]がよく知られている。 「優先順位の逆転」では、高優先度タスクが低優先度タスクの持つセマフォを待つため、低優先度のタスクが先に処理される。一般的な解決策としては[[優先度継承]]や[[優先度上限プロトコル]]がある。「デッドロック」は複数のセマフォを獲得しようとする複数のタスクが存在する場合に発生する。デッドロックはセマフォの獲得順を厳密に設計することで回避するのが一般的である。ただし、同種のリソースを2個同時に獲得しなければならない場合、それぞれのセマフォの獲得順を厳密に決定することは困難である。その場合、例えばセマフォを獲得できないときに[[ビジーウェイト]]もブロックもしないでエラーを返すプリミティブを用意するなどの方式がある。 タスク間のリソース共有の別の方法として「メッセージ渡し」がある。この場合、あるリソースは直接的には特定の1つのタスクのみが管理し、他のタスクがそのリソースにアクセスしたい場合は、管理タスクにメッセージを送信する。この方式でも優先順位の逆転やデッドロックは発生する可能性がある。しかし、システムが単純であればデッドロックが発生しないように設計可能であるため、性能的にはセマフォよりも不利だが、動作を予測し易い。 === 割り込みハンドラとスケジューラ === [[割り込みハンドラ]]は最高優先度のタスクもブロックして動作する。また、RTOSはスレッド待ち時間を可能な限り最小化しなければならないので、割り込みハンドラの処理は可能な限り最小限にされている。割り込みハンドラは対応するハードウェアとのやりとりを可能な限り後回しにする。一般に必要な処理として割り込みの受信確認 (acknowledge) か割り込みのディセーブル(割り込みハンドラから戻るまでに再度割り込まれないようにする)がある。割り込みハンドラは低優先度ですべき処理をキューに入れる(デバイスドライバタスクを実行可能にする)。スケジューラには割り込みハンドラから任意のタスクを実行可能状態にする機能が備わっていることが多い。 === メモリアロケーション === RTOSの[[動的メモリアロケーション]]は、汎用OSよりも要求される条件が厳しい。 第一にアロケーションの速度が重要である。一般に[[動的メモリ確保|メモリアロケーション処理]]では不定長のフリーなメモリブロックのリストを探索して必要なサイズのメモリブロックを得るが、RTOSでは一定時間以内にメモリアロケーションを行う必要があるため、この方式は採用できない。 また、空き領域を分割して使用していくと、空き領域の断片化(フラグメンテーション)が発生する。これによって空きメモリ自体は十分あるのにメモリを確保できなくなってプログラムが停止してしまう可能性が出てくる。[[デスクトップ型コンピュータ]]では、それなりの頻度でリブートが行われるため、ある程度の断片化は許容される。しかし、[[組み込みシステム]]では何年もリブートしないで動作することもあるため、断片化は許容できない。 固定サイズのメモリブロックを割り当てる方式が、単純な組み込みシステムでは非常にうまく機能する。 == 応用分野 == 小規模な[[組み込みシステム]]などに用いられることが多いが、デスクトップ分野やPDAなどの比較的大規模なものから、果てはミッションクリティカルなサーバーや人工衛星にまで使われている。 特に[[マルチコア]]や汎用ハードウェアに対応した[[Linux]]のリアルタイムカーネルは[[ニッチ市場|ニッチな市場]]の業界で多く使われている。たとえばマルチコアMIPSと共に通信業界で使われたMontavista Linux CGEや、リアルタイム・オーディオ処理のためのデスクトップ環境の[[Ubuntu Studio]]、金融業界においては金融取引システムや高頻度取引にまで使われている。 == APIから見た分類 == 小規模のものは独自に実装されることが多いため、仕様もそれぞれ独自であることも多い。共通規格としては、主に日本を中心として普及している[[ITRON]]、欧州を中心とする車載用を主とした[[OSEK]]がある。 リアルタイムUNIXの標準として、POSIXのリアルタイム拡張[[POSIX 1003.1b]]がある。 == リアルタイムオペレーティングシステムの例 == {{columns-list|colwidth=20em| *{{仮リンク|BeRTOS|en|BeRTOS}} *[[ChibiOS/RT]] *[[Contiki]] *CP/Q *[[eCos]] *[[Enea OSE]] *[[FreeRTOS]] *[[INtime]] *[[iRMX]] *[[L4マイクロカーネルファミリー|L4]] *[[LynxOS]] *[[mbed]](keil RTX based) *[[Nucleus RTOS]] *[[μITRON]] *[[OS-9]] *[[PowerMAX OS]] *{{仮リンク|pSOS|en|PSOS_(real-time_operating_system)}}<!--会社が吸収されたからってOSの(過去にしても)存在が消えたわけじゃなし--> *[[QNX]] *[[RedHawk Linux]] *[[REX OS]] *[[RSX-11]] *[[RT-11]] *{{仮リンク|RTX|en|RTX (operating system)}} *[[RTEMS]] *[[Smalight OS]] *[[T-Kernel]] *[[THEOS]] *[[TOPPERS]] *[[Ubuntu Studio]] (low-latency kernelによる疑似的な実現) *{{仮リンク|VRTX|en|Versatile_Real-Time_Executive}} *[[VxWorks]] *[[Windows CE]] |}} == 関連項目 == *[[オペレーティングシステム]] *[[リアルタイムシステム]] *[[組み込みオペレーティングシステム]] {{リアルタイムオペレーティングシステム}} {{デフォルトソート:りあるたいむおへれえていんくしすてむ}} [[Category:リアルタイムオペレーティングシステム|*]] [[Category:オペレーティングシステムの仕組み]] [[Category:組み込みシステム]]
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太地町
太地町(たいじちょう)は、和歌山県東牟婁郡に属する町である。 昔から捕鯨で全国的に知られた町であり、日本の古式捕鯨発祥の地と言われる。この町は周辺の町村が合併を繰り返す中、1889年(明治22年)に太地村と森浦村が合併した当時のまま残っているため面積が和歌山県で一番小さく、その全域が海と那智勝浦町に囲まれている。 なお、当町の北方にして那智勝浦町の南部、JR湯川駅附近の海岸に当たる場所には、当町の大字太地に属する小字夏山(なっさ)が飛び地として存在する。 太地町は熊野灘に突き出た二股の崎に位置しており、海岸線はリアス式、森浦湾と太地湾のため森浦・太地と2つの良港に恵まれた。 太地湾の奥には太地町の主集落太地があり、漁港の町として大規模な集落が発展している。森浦湾の奥にも森浦集落があるが、こちらは至って小規模なものである。 紀伊半島の南西部の南方に位置しており、気候は温暖である。 2020年国勢調査では人口性比78.6となり、全国で最も女性の比率が高い市町村となった。 太地における捕鯨の歴史は、1606年(慶長11年)に和田家一族(豪族)の和田頼元が外来の漁師などと共に原始的な捕鯨技術の開発を行い、太地浦を拠点として組織的な捕鯨を行ったのが始まりで、和田一族を中心として5つの刺手組という捕鯨団体のようなものが形成されていた。その後、1675年(延宝3年)に三代目の和田頼治が鯨を網に追い込んでとる網捕法(網掛突捕法)という方法を発明すると、今度は和田一族統制の下太地村一村で大きな鯨方を形成するに至り(最盛期には捕鯨従事者が1,000人ほどいたと言われる)、これが200年近く続いた。太地では親子鯨を捕らないという独特の習慣もあった。しかし1878年(明治11年)に捕鯨中の事故により百名以上の死者を出す大背美流れが起こったため、この鯨方も崩壊した。 太地が再び捕鯨の町となるのは25年ほど経った日露戦争後のことである。近代的な大資本による捕鯨基地として多くの船で賑わい、鯨体の処理場や鯨を缶詰にする工場もでき、太地は再び捕鯨産業が盛んになった。遠洋捕鯨船の乗組員としても、多くの太地町の出身者が活躍した。小型鯨類のゴンドウクジラなどを対象とし、捕鯨銃を使う沿岸捕鯨も明治時代の末には非常に盛んになった。ゴンドウクジラ漁はテント(天渡)船(動力式の小型キャッチャーボート)を利用した捕鯨銃や銛による突き取り漁となり、また北日本沖でミンククジラを対象として操業する沿岸捕鯨の拠点でもあった。しかし遠洋捕鯨は、資源の枯渇などから国際捕鯨委員会 (IWC) を中心とした規制が進み、最終的には商業捕鯨モラトリアムにより、資源状態に関わらず全面停止となった。これにより1988年には太地でも、沿岸のミンククジラ漁を含むヒゲクジラ商業捕鯨が中断されるに至った。以後は、捕鯨砲を用いてゴンドウクジラ類やツチクジラを捕獲する小型捕鯨業と、追い込み網漁などの「いるか漁業」だけが行われ、また、追い込み網漁に関しては他地域での衰退もあり、太地は、日本国内で大規模な追い込み網漁が残った唯一の町となった(ここで言う「いるか」はゴンドウクジラやイルカなどの「小型鯨類」を指す)。また、かつては頻繁に行われた小型鯨類の突きん棒漁業も現在はごくわずか行われる。また当地に、日本で最後に残るイルカの追い込み網漁が、他国から動物福祉の観点から非人道的と批判を受けることもあったが、イルカ漁を支持する国民が多くおり、日本国政府はイルカ漁は日本の伝統文化だと説明し、2014年に閣議決定した。 2009年8月22日、太地町でのイルカ追い込み漁を批判的に描いたドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ』が公開された。 太地町側は科学的根拠に基づいておらず、町の歴史や誇りを傷つける不当な行為であると映画を批判した。 また、反捕鯨団体「シーシェパード」が活動家を常駐させており、漁業の妨害行為を行っている。 和歌山県の仁坂吉伸知事はシーシェパードの挑発に乗らず、冷静に対応する漁民の姿勢を称賛した。 シーシェパードは、器物損壊・暴行事件などの違法行為も起こしており、太地町側は反捕鯨団体の活動に備えるため臨時交番を開設し、違法行為を取り締まる姿勢を見せている。 また和歌山県警と第5管区海上保安本部は反捕鯨団体の違法行為に対応するため合同で訓練を実施している。 キャロライン・ケネディ駐日米大使が2014年1月18日にイルカ追い込み漁について「アメリカ政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています。」とツイッターに書き込みを行い、日本では大きな反発を呼んだ。 日本のインターネットでは、「外国人が日本の文化に口出しをするな」、「牛や豚、魚を殺すことは冷酷ではないんですか?」、「私はクジラを食べませんが、他国の文化は尊重すべきです」、「日本の文化への敬意を欠いている」などのケネディへの怒りの反応が多数あった。 在日米大使館のシェイ報道官は、「ケネディ大使は米国内から追い込み漁に反対する何百というツイート(書き込み)を受け取り、自分のツイッターに書き込むことを決めた」と事情を説明した。米政府は2009年には、追い込み漁が「イルカの生息数不足を招く」こと(実際は太地町の漁獲ではそういう科学的な事実は無いが)などを理由にして、漁を「支持しない」立場を取るようになっており、ハーフ米国務省副報道官は1月21日、(ケネディ大使のツイートは個人的意見かという推測があったため)「米政府の長年の見解を表現したものだ」とし、「生物資源の持続可能性と道義性の両面で懸念している」と表明した。 テンプル大日本校のクリーブランド准教授は、ケネディ大使はイルカ漁を取り上げることで、日本に対する他国からの懸念についてもっと日本が配慮する必要があることを日本に伝えたかったのではないかとの見解を示した。 ケネディ大使のツイート(書き込み)には日本からすぐに、また、官民から多くの反論(反応)があった。菅義偉官房長官は速やかに談話を公表し、「イルカを含む鯨類は重要な資源であり、科学的根拠に基づき、持続的に利用すべきと考えている。また、イルカ漁業は我が国の伝統的な漁業のひとつで、法令に基づき適切に実施されていると考えている。また、イルカは国際捕鯨委員会(IWC)の管理対象外であり、各国が自国の責任で管理を実施することにしている」と米政府に理解を求める見解を出した。 安倍晋三首相はCNNのインタビューに応じ、「古来続いている漁で、彼らの文化、慣習として、生活のためだということを理解してもらいたい」、また、「それぞれの国、地域には、祖先から伝わるさまざまな生き方、慣習、文化がある。当然そうしたものは尊重されるべきだと思うが、同時にさまざまな批判があることも承知している」、そして、「漁の仕方も相当工夫されていると聞いている。漁も漁獲方法も厳格に管理されている」などと述べた。 イルカ追い込み漁が唯一行われている当地、太地町の三軒一高町長は、地元の漁師たちは漁業権を行使しているだけだと述べたうえで、絶滅の危機にある動物を捕獲しているわけではないとし、「われわれは住民を批判から守る必要がある」と述べ、更に、シー・シェパードは資金集めや宣伝のために追い込み漁を利用していると非難の声をあげた。 映像ジャーナリストで和歌山大学特任のサイモン・ワーン助教(オーストラリア出身)は「本当に生命を守るとは、(『ザ・コーヴ』のような)センセーショナルな映像を作って流すことでない。生き物に感謝して生かされていることに感謝すること。太地にはそういう文化が伝わっている」、また、「捕鯨は太地で連綿と受け継がれてきた技術。油を取って捨てるようなことはせず、必要数だけを捕り、全ての部位を使い無駄にしない。太地の捕鯨こそ、環境に配慮した持続可能な漁」と話している。 尚、当のケネディ大使はこういった賛否両論について、論争が行われるのは健全なことであるとコメントしている。 2014年2月25日、日本政府は閣議で、アメリカのケネディ駐日大使が反対している日本のイルカ漁に関し、「わが国の伝統的な漁業の一つであり、法令に基づき適切に実施されている」との答弁書を決定した。内容は「政府はイルカを含む鯨類は重要な水産資源で、科学的根拠に基づき持続的に利用すべきだ」と記したうえで、「引き続きイルカ漁業に対する国際的理解を得られるように努力していく」とした。 食物連鎖によってメチル水銀がクジラ、イルカなどの海洋哺乳動物で濃縮されることが知られている。2010年、太地町からの要請を受けて、環境省の国立水俣病総合研究センターは、毛髪水銀濃度測定によるメチル水銀摂取状況および健康の影響に関する調査を実施した。国内14地域と比べ、毛髪水銀濃度は明らかに高く、世界保健機関 (WHO) の安全基準値を上回る者も43人いた。クジラ類の摂取との関連性が示唆されたが、健康への影響そのものは認められなかった。その後、2012年にも調査を行い、所長の安倍重一が健康に問題ない旨の宣言を行った。センターは引き続き、胎児への影響を含めて調査を続ける方針である。 2010年のデータでは である。 くじらの町である。古来から捕鯨が盛んな地域であり、ゴンドウクジラなどを対象にした沿岸捕鯨が行われる。町の税収の3割は捕鯨からである。 他、毎年の夏には「いけす」を設置して観光客がハナゴンドウなどの小型鯨類と泳げるようにするなど、捕鯨以外のクジラ資源の活用を行う。また2010年代から、森浦湾を仕切って小型のクジラ目を放し飼いにし、観光客の誘致や鯨類の学術研究などに活用したり、古式捕鯨を伝える施設の建設などの「森浦湾鯨の海」構想が動いている。 水族館販売用など鯨類の生体販売に取り組む。国立研究開発法人「水産総合研究センター」の統計によると、太地町では2009年9月から14年8月までの間に760頭の生きたイルカが販売された。また、財務省の貿易統計によれば、日本の輸出頭数は354頭、輸出先は12カ国であり、その殆どが太地産であると共同通信は推測した(匿名の水産庁関係者の話は、ほぼ全てが太地町で捕獲されたと推察するにとどまり、全ての数値が太地産かは判らないものである)。 太地町が管轄区域の消防本部が存在しない。 最寄りの消防本部は、那智勝浦町消防本部 集配業務はいずれも紀伊勝浦郵便局(東牟婁郡那智勝浦町築地)が担当している。 太地町とブルーム市の関係は、日本がブルーム市の真珠養殖産業の基盤づくりに協力していた20世紀初頭にまで遡ることができ、日本人墓地がある。 町内には西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)が走っている。代表駅は太地駅で、太地町にある唯一の駅である。全ての普通列車と特急列車が停車する。無人駅である。太地駅は森浦集落のはずれに位置し、太地の中心部へは太地町営のバス(太地町町営じゅんかんバス)が出ている。小字夏山地区には紀勢本線は通るが駅はない(最寄り駅は湯川駅)。 毎年8月15日に行われるもので、和歌山県の無形民俗文化財に指定されている。1670年(寛文10年)ころから鯨方の出初式に行われていた踊りである。 毎年8月14日に太地浦で行われる古式捕鯨の再現。「網掛け突き捕り捕鯨法」をおよそ9mの鯨模型と勢子舟を使って再現するもの。 「くじらの町」と称し、1969年に太地町立くじらの博物館を建設し、また鯨を目玉とした観光の振興への取り組みが見られる。太地町には漁業協同組合直営のスーパーマーケットもあり、鯨肉も売られている。また、町章はクジラ、町のマスコットキャラクターはゴンドウクジラである。クジラや、ゴンドウクジラ、イルカを用いた料理が幾つも伝わる。 おおせみながれ。1878年(明治11年)暮れ、アメリカなどの列強による鯨の乱獲などの影響で、漁師は近年にない不漁による経済難から、荒天の中、鯨捕り(古式捕鯨)に出漁して遭難し、一度に100余名が死亡・行方不明となった惨事。この件により労働力を失った太地は、一気に疲弊、古式捕鯨は事実上壊滅し、後に近代捕鯨へと切り替わるきっかけとなった。 2006年に見つかった、世界に一頭しかいない、ほぼ完全な形をした腹びれを持つハンドウイルカ(生年不明-2013年)。
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{ "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "日本のインターネットでは、「外国人が日本の文化に口出しをするな」、「牛や豚、魚を殺すことは冷酷ではないんですか?」、「私はクジラを食べませんが、他国の文化は尊重すべきです」、「日本の文化への敬意を欠いている」などのケネディへの怒りの反応が多数あった。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "在日米大使館のシェイ報道官は、「ケネディ大使は米国内から追い込み漁に反対する何百というツイート(書き込み)を受け取り、自分のツイッターに書き込むことを決めた」と事情を説明した。米政府は2009年には、追い込み漁が「イルカの生息数不足を招く」こと(実際は太地町の漁獲ではそういう科学的な事実は無いが)などを理由にして、漁を「支持しない」立場を取るようになっており、ハーフ米国務省副報道官は1月21日、(ケネディ大使のツイートは個人的意見かという推測があったため)「米政府の長年の見解を表現したものだ」とし、「生物資源の持続可能性と道義性の両面で懸念している」と表明した。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "テンプル大日本校のクリーブランド准教授は、ケネディ大使はイルカ漁を取り上げることで、日本に対する他国からの懸念についてもっと日本が配慮する必要があることを日本に伝えたかったのではないかとの見解を示した。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ケネディ大使のツイート(書き込み)には日本からすぐに、また、官民から多くの反論(反応)があった。菅義偉官房長官は速やかに談話を公表し、「イルカを含む鯨類は重要な資源であり、科学的根拠に基づき、持続的に利用すべきと考えている。また、イルカ漁業は我が国の伝統的な漁業のひとつで、法令に基づき適切に実施されていると考えている。また、イルカは国際捕鯨委員会(IWC)の管理対象外であり、各国が自国の責任で管理を実施することにしている」と米政府に理解を求める見解を出した。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "安倍晋三首相はCNNのインタビューに応じ、「古来続いている漁で、彼らの文化、慣習として、生活のためだということを理解してもらいたい」、また、「それぞれの国、地域には、祖先から伝わるさまざまな生き方、慣習、文化がある。当然そうしたものは尊重されるべきだと思うが、同時にさまざまな批判があることも承知している」、そして、「漁の仕方も相当工夫されていると聞いている。漁も漁獲方法も厳格に管理されている」などと述べた。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "イルカ追い込み漁が唯一行われている当地、太地町の三軒一高町長は、地元の漁師たちは漁業権を行使しているだけだと述べたうえで、絶滅の危機にある動物を捕獲しているわけではないとし、「われわれは住民を批判から守る必要がある」と述べ、更に、シー・シェパードは資金集めや宣伝のために追い込み漁を利用していると非難の声をあげた。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "映像ジャーナリストで和歌山大学特任のサイモン・ワーン助教(オーストラリア出身)は「本当に生命を守るとは、(『ザ・コーヴ』のような)センセーショナルな映像を作って流すことでない。生き物に感謝して生かされていることに感謝すること。太地にはそういう文化が伝わっている」、また、「捕鯨は太地で連綿と受け継がれてきた技術。油を取って捨てるようなことはせず、必要数だけを捕り、全ての部位を使い無駄にしない。太地の捕鯨こそ、環境に配慮した持続可能な漁」と話している。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "尚、当のケネディ大使はこういった賛否両論について、論争が行われるのは健全なことであるとコメントしている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2014年2月25日、日本政府は閣議で、アメリカのケネディ駐日大使が反対している日本のイルカ漁に関し、「わが国の伝統的な漁業の一つであり、法令に基づき適切に実施されている」との答弁書を決定した。内容は「政府はイルカを含む鯨類は重要な水産資源で、科学的根拠に基づき持続的に利用すべきだ」と記したうえで、「引き続きイルカ漁業に対する国際的理解を得られるように努力していく」とした。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "食物連鎖によってメチル水銀がクジラ、イルカなどの海洋哺乳動物で濃縮されることが知られている。2010年、太地町からの要請を受けて、環境省の国立水俣病総合研究センターは、毛髪水銀濃度測定によるメチル水銀摂取状況および健康の影響に関する調査を実施した。国内14地域と比べ、毛髪水銀濃度は明らかに高く、世界保健機関 (WHO) の安全基準値を上回る者も43人いた。クジラ類の摂取との関連性が示唆されたが、健康への影響そのものは認められなかった。その後、2012年にも調査を行い、所長の安倍重一が健康に問題ない旨の宣言を行った。センターは引き続き、胎児への影響を含めて調査を続ける方針である。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2010年のデータでは", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "くじらの町である。古来から捕鯨が盛んな地域であり、ゴンドウクジラなどを対象にした沿岸捕鯨が行われる。町の税収の3割は捕鯨からである。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "他、毎年の夏には「いけす」を設置して観光客がハナゴンドウなどの小型鯨類と泳げるようにするなど、捕鯨以外のクジラ資源の活用を行う。また2010年代から、森浦湾を仕切って小型のクジラ目を放し飼いにし、観光客の誘致や鯨類の学術研究などに活用したり、古式捕鯨を伝える施設の建設などの「森浦湾鯨の海」構想が動いている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "水族館販売用など鯨類の生体販売に取り組む。国立研究開発法人「水産総合研究センター」の統計によると、太地町では2009年9月から14年8月までの間に760頭の生きたイルカが販売された。また、財務省の貿易統計によれば、日本の輸出頭数は354頭、輸出先は12カ国であり、その殆どが太地産であると共同通信は推測した(匿名の水産庁関係者の話は、ほぼ全てが太地町で捕獲されたと推察するにとどまり、全ての数値が太地産かは判らないものである)。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "太地町が管轄区域の消防本部が存在しない。 最寄りの消防本部は、那智勝浦町消防本部", "title": "施設" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "集配業務はいずれも紀伊勝浦郵便局(東牟婁郡那智勝浦町築地)が担当している。", "title": "施設" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "太地町とブルーム市の関係は、日本がブルーム市の真珠養殖産業の基盤づくりに協力していた20世紀初頭にまで遡ることができ、日本人墓地がある。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "町内には西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)が走っている。代表駅は太地駅で、太地町にある唯一の駅である。全ての普通列車と特急列車が停車する。無人駅である。太地駅は森浦集落のはずれに位置し、太地の中心部へは太地町営のバス(太地町町営じゅんかんバス)が出ている。小字夏山地区には紀勢本線は通るが駅はない(最寄り駅は湯川駅)。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "毎年8月15日に行われるもので、和歌山県の無形民俗文化財に指定されている。1670年(寛文10年)ころから鯨方の出初式に行われていた踊りである。", "title": "文化・名物" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "毎年8月14日に太地浦で行われる古式捕鯨の再現。「網掛け突き捕り捕鯨法」をおよそ9mの鯨模型と勢子舟を使って再現するもの。", "title": "文化・名物" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "「くじらの町」と称し、1969年に太地町立くじらの博物館を建設し、また鯨を目玉とした観光の振興への取り組みが見られる。太地町には漁業協同組合直営のスーパーマーケットもあり、鯨肉も売られている。また、町章はクジラ、町のマスコットキャラクターはゴンドウクジラである。クジラや、ゴンドウクジラ、イルカを用いた料理が幾つも伝わる。", "title": "文化・名物" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "おおせみながれ。1878年(明治11年)暮れ、アメリカなどの列強による鯨の乱獲などの影響で、漁師は近年にない不漁による経済難から、荒天の中、鯨捕り(古式捕鯨)に出漁して遭難し、一度に100余名が死亡・行方不明となった惨事。この件により労働力を失った太地は、一気に疲弊、古式捕鯨は事実上壊滅し、後に近代捕鯨へと切り替わるきっかけとなった。", "title": "文化・名物" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2006年に見つかった、世界に一頭しかいない、ほぼ完全な形をした腹びれを持つハンドウイルカ(生年不明-2013年)。", "title": "文化・名物" } ]
太地町(たいじちょう)は、和歌山県東牟婁郡に属する町である。
{{pp-vandalism|small=yes}} {{日本の町村 |自治体名 = 太地町 |画像 = Taiji Town Whale Museum.jpg |画像の説明 = [[太地町立くじらの博物館]] |旗 = [[ファイル:Flag_of_Taiji,_Wakayama.svg|border|100px|太地町旗]] |旗の説明 = 太地[[市町村旗|町旗]] |紋章 = [[ファイル:Taiji_Wakayama_chapter.JPG|100px|太地町章]] |紋章の説明 = 太地[[市町村章|町章]] |区分 = 町 |都道府県 = 和歌山県 |郡 = [[東牟婁郡]] |コード = 30422-1 |隣接自治体 = [[東牟婁郡]][[那智勝浦町]] |木 = [[ハマセンダン]] |花 = [[ハマユウ]] |シンボル名 = 町の鳥 |鳥など = [[イソヒヨドリ]] |郵便番号 = 649-5171 |所在地 = 東牟婁郡太地町大字太地3767番地1<br />{{Coord|format=dms|type:adm3rd_region:JP-30|display=inline,title}}<br />[[ファイル:Taiji town hall.JPG|250px |center]] |外部リンク = {{Official website}} |位置画像 = {{基礎自治体位置図|30|422|image=Taiji in Wakayama Prefecture Ja.svg|村の色分け=no}}{{Maplink2|frame=yes|plain=no|frame-align=center|frame-width=270|frame-height=180|zoom=10|type=line|stroke-color=#cc0000|stroke-width=2|type2=point|marker2=town-hall|frame-latitude=33.59|frame-longitude=135.88|text=町庁舎位置}} |特記事項 = |}} '''太地町'''(たいじちょう)は、[[和歌山県]][[東牟婁郡]]に属する[[町]]である。 ==概要== [[File:Taiji.JPG|thumb|200px|太地町中心部。右側に太平洋がある。]] 昔から[[捕鯨]]で全国的に知られた町であり、日本の古式捕鯨発祥の地と言われる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.town.taiji.wakayama.jp/ |title=古式捕鯨発祥の地、太地町公式ホームページ |accessdate=2012-03-19}}</ref>。この町は周辺の町村が合併を繰り返す中、[[1889年]]([[明治]]22年)に太地村と森浦村が合併した当時のまま残っているため面積が和歌山県で一番小さく、その全域が海と[[那智勝浦町]]に囲まれている。 なお、当町の北方にして那智勝浦町の南部、JR[[湯川駅]]附近の海岸に当たる場所には、当町の大字太地に属する小字夏山(なっさ)が[[飛地|飛び地]]として存在する。 ==地理== ===位置=== 太地町は[[熊野灘]]に突き出た二股の崎に位置しており、海岸線は[[リアス式海岸|リアス式]]、森浦湾と太地湾のため森浦・太地と2つの良港に恵まれた。 太地湾の奥には太地町の主集落太地があり、漁港の町として大規模な集落が発展している。森浦湾の奥にも森浦集落があるが、こちらは至って小規模なものである。 ===地形=== ====河川==== ;主な川 *与根子川 ====海岸==== *[[熊野灘]] ====湾岸==== *[[太地湾]] *[[森浦湾]] ===気候=== 紀伊半島の南西部の南方に位置しており、気候は温暖である。 ===人口=== 2020年[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]では人口性比78.6となり、全国で最も女性の比率が高い市町村となった。 {{人口統計|code=30422|name=太地町|image=Population distribution of Taiji, Wakayama, Japan.svg}} ===隣接自治体=== ;{{Flagicon|和歌山県}}[[和歌山県]] *[[東牟婁郡]][[那智勝浦町]] ==歴史== ===沿革=== * [[1606年]]([[慶長]]11年) - 組織的な古式捕鯨がはじまる。 * [[1879年]]([[明治]]12年)[[1月20日]] - [[郡区町村編制法]]の和歌山県での施行により、[[牟婁郡]]太地村・森浦村が[[東牟婁郡]]の所属となる。 * [[1878年]](明治11年)暮れ - [[#大背美流れ|大背美流れ]]が起こる。以後、洋式捕鯨へ徐々に切り替わる。漁閑期のてんと船による小型鯨類の突き獲り漁<ref name=taijir/>。 * [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] - [[町村制]]の施行により、太地村・森浦村の区域をもって'''太地村'''が発足。 * [[1899年]](明治32年)7月 - [[イルカ追い込み漁|追い込み漁]]で61頭のゴンドウクジラ捕獲<ref>太地町史, 493頁</ref>。 * [[1904年]](明治37年) - 捕鯨銃「前田式五連発銃」が完成。イルカ突き取り漁に使われるテント(天渡)船に装備されるようになる<ref>「イルカ漁は残酷か」平凡社 伴野準一 48頁</ref>。 * [[1906年]](明治39年) - この年の政府あて報告書で[[イルカ追い込み漁|追い込み漁]](寄せ物漁)の起源が不明なことが記載される<ref>「イルカ 小型鯨類の保全生物学」 粕谷俊雄著 119頁</ref>。 * [[1912年]]([[大正]]2年) - テント船の動力化が順次進み、前田式五連発銃や手銛をもちいた突き取り漁によるゴンドウクジラの漁獲高は1931年まで毎年500頭コンスタントに捕獲と記録に残る<ref>「イルカ漁は残酷か」50頁</ref>。 * [[1925年]](大正14年)4月1日 - 太地村が町制施行して'''太地町'''となる。 * [[1933年]]([[昭和]]8年) - [[イルカ追い込み漁|小型鯨類の追い込み漁]]により太地町から初めて[[水族館]]向けに出荷<ref name=taijir>{{Cite journal|和書|hdl=10502/4429 |author=遠藤愛子 |title=捕鯨・ナマコと国際社会 : 変容する鯨類資源の利用実態 : 和歌山県太地町の小規模沿岸捕鯨業を事例として |journal=国立民族学博物館調査報告 |issn=1340-6787 |publisher=国立民族学博物館 |year=2011 |month=mar |volume=97 |pages=237-267 |naid=120003057536 |doi=10.15021/00000996 |url=https://doi.org/10.15021/00000996}}</ref>。 * [[1936年]]([[昭和]]11年) - [[阪神水族館]](現・甲子園阪神パーク)に漁で捕った[[ゴンドウクジラ]]搬入<ref name=taijir/>。話題に<ref>[http://www.hanshin-now.com/topics/100th/koshien.asp 阪神間の“今”を探そう♪阪神間クチコミ情報サイト-阪神ナウ!-]</ref><ref group="注釈">この展示の年代に関しては1935年及び1937年説もある。[[ゴンドウクジラ属#日本における展示飼育]]も参照。</ref>。 * [[1961年]]([[昭和]]36年)- 極洋捕鯨株式会社が捕鯨基地を開設する。採算割れで1965年に操業停止。テント船やミンク船(小型捕鯨船)による捕鯨も低迷する<ref>「イルカ漁は残酷か」55頁</ref>。 * [[1968年]](昭和43年) - [[くじらの博物館]]のために生態捕獲をするためのイルカ追い込み漁を最後のテント船「勝丸」が中心になり、富戸からハツオンキ(伊豆半島で使われていた音響でイルカを誘導する道具、太地では改良され「鉄管」となる)の技術などの協力を得て、翌年十二年ぶりに追い込み漁を成功させる<ref>「イルカ漁は残酷か」69-84頁</ref>。 * [[1969年]](昭和44年) - くじらの博物館開設<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.town.taiji.wakayama.jp/tyousei/sub_ayumi.html |title=太地町の歩み |publisher=太地町公式ホームページ |accessdate=2019-05-19}}</ref>。 *[[1981年]](昭和56年) - [[明治]]時代の町出身の日本人移民が[[ブルーム (西オーストラリア州)|ブルーム]]の経済発展に貢献したことにより姉妹都市提携 * [[2006年]]([[平成]]18年) - 古式捕鯨400年記念。 * 2006年(平成18年)[[10月29日]] - 世界で初めて[[はるか (イルカ)|腹びれのあるイルカ(はるか)]]を生体で捕獲。2013年まで展示を行う。{{main|はるか (イルカ)}} * [[2013年]](平成25年) - [[森浦湾くじらの海|森浦湾鯨の海]]構想。小型のクジラ目の牧場兼研究施設の開設に向けて調査が開始される<ref>[http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=248764 クジラ牧場、開設に向け調査 太地町]2013年03月09日更新 - AGARA紀伊民報</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20140226044931/http://www.47news.jp/CN/201205/CN2012050101001883.html 「一緒に泳げる」クジラ牧場 和歌山・太地町に構想中] 47NEWS(よんななニュース)2012/05/01</ref>。 ===捕鯨の歴史=== 太地における捕鯨の歴史は、[[1606年]]([[慶長]]11年)に和田家一族(豪族)の和田頼元が外来の漁師などと共に原始的な捕鯨技術の開発を行い、太地浦を拠点として組織的な捕鯨を行ったのが始まり<ref name=taiji>[http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/guidebook/cities/taiji.html 紀南地方-太地町 くじら捕りの歴史]和歌山県ガイドブックWEB</ref>で、和田一族を中心として5つの刺手組という捕鯨団体のようなものが形成されていた。その後、[[1675年]]([[延宝]]3年)に三代目の和田頼治が鯨を網に追い込んでとる網捕法(網掛突捕法)という方法を発明すると、今度は和田一族統制の下太地村一村で大きな鯨方を形成するに至り(最盛期には捕鯨従事者が1,000人ほどいたと言われる<ref name=taiji/>)、これが200年近く続いた。太地では親子鯨を捕らないという独特の習慣もあった<ref name="nature-42-43">[http://www.natureinterface.com/j/ni02/P042-043/ 環太平洋地域の鯨文化] 秋道智彌(国立民族学博物館・民族文化研究部)著 季刊 環境情報誌 ネイチャーインタフェイス 第2号 2001/03/31 ISBN 4901581015 2013年1月21日閲覧。</ref>。しかし[[1878年]](明治11年)に捕鯨中の事故により百名以上の行方不明者および死者を出す[[#大背美流れ|大背美流れ]]が起こったため、この鯨方も崩壊した<ref name=oosemi>[http://www.town.taiji.wakayama.jp/kankou/seminagare.html 太地町の歴史と文化を探る 大背美流れ(おおせみながれ)]</ref>。 太地が再び捕鯨の町となるのは25年ほど経った[[日露戦争]]後のことである。近代的な大資本による捕鯨基地として多くの船で賑わい、鯨体の処理場や鯨を缶詰にする工場もでき、太地は再び捕鯨産業が盛んになった。遠洋捕鯨船の乗組員としても、多くの太地町の出身者が活躍した。小型鯨類の[[ゴンドウクジラ]]などを対象とし、捕鯨銃を使う沿岸捕鯨も明治時代の末には非常に盛んになった。ゴンドウクジラ漁はテント(天渡)船(動力式の小型キャッチャーボート)<ref>「日本の動物記」毎日新聞社 122頁 動力は小型[[焼玉エンジン]]</ref>を利用した捕鯨銃や銛による突き取り漁となり、また北日本沖で[[ミンククジラ]]を対象として操業する沿岸捕鯨の拠点でもあった。しかし遠洋捕鯨は、資源の枯渇などから[[国際捕鯨委員会]] (IWC) を中心とした規制が進み、最終的には商業捕鯨モラトリアムにより、資源状態に関わらず全面停止となった。これにより[[1988年]]には太地でも、沿岸のミンククジラ漁を含むヒゲクジラ商業捕鯨が中断されるに至った。以後は、捕鯨砲を用いて[[ゴンドウクジラ]]類や[[ツチクジラ]]を捕獲する小型捕鯨業と、[[イルカ追い込み漁|追い込み網漁]]などの「いるか漁業」<!-- 「いるか」はひらがな -->だけが行われ、また、追い込み網漁に関しては他地域での衰退もあり、太地は、日本国内で大規模な追い込み網漁が残った唯一の町となった(ここで言う「いるか」は[[ゴンドウクジラ]]や[[イルカ]]などの「小型鯨類」を指す)。また、かつては頻繁に行われた小型鯨類の突きん棒漁業も現在はごくわずか行われる<ref name=taijir/>。また当地に、日本で最後に残るイルカの追い込み網漁が、他国から[[動物福祉]]の観点から非人道的と批判を受けることもあったが<ref name="mainichi20140124"/>、日本国政府はイルカ漁は日本の伝統文化だと説明し、2014年に閣議決定した<ref name=san0225/>。 [[ファイル:Traditional Whaling in Taiji.jpg|thumb|center|900px|『古式捕鯨蒔絵』、太地]] ==政治== [[File:Taiji town hall002.JPG|thumb|200px|太地港側から見た太地町役場]] ===行政=== ====町長==== *太地町長:三軒一高([[2004年]][[8月8日]]就任 5期目) ===議会=== ====町議会==== ;太地町議会 *議員定数11人 *議長:福田忠由[https://www.town.taiji.wakayama.jp/gikai/ (令和3年8月18日現在)] ===追い込み漁に関する議論=== ====反捕鯨団体の議論とその対策==== {{main|ザ・コーヴ|シー・シェパード}} [[2009年]][[8月22日]]、太地町でのイルカ追い込み漁を批判的に描いたドキュメンタリー映画『[[ザ・コーヴ]]』が公開された。 太地町側は科学的根拠に基づいておらず<ref name=af7337>[https://www.afpbb.com/articles/-/2707337 米映画『ザ・コーヴ』、アカデミー賞受賞に太地町反発 写真2枚]2010年03月09日 国際ニュース:AFPBB News</ref>、町の歴史や誇りを傷つける不当な行為であると映画を批判した<ref>[http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071500/iruka/ イルカ漁等に対する和歌山県の見解(米映画『ザ・コーヴ』についてどのように考えるか)] 和歌山県ホームページ</ref>。 また、反捕鯨団体「[[シーシェパード]]」が活動家を常駐させており、漁業の妨害行為を行っている<ref>シー・シェパードが妨害宣言 和歌山・太地町に送り込んでくる活動家はリピーターより初参加組 - MSN産経west[http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/131214/waf13121421510024-n1.htm 1ページ]、[http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/131214/waf13121421510024-n2.htm 2ページ] 2013.12.14</ref>。 和歌山県の[[仁坂吉伸]]知事はシーシェパードの挑発に乗らず、冷静に対応する漁民の姿勢を称賛した<ref name=pwa1105>[http://www.pref.wakayama.lg.jp/chiji/message/201105b.html ようこそ知事室へ 知事からのメッセージ 平成23年5月 太地の捕鯨] 和歌山県ホームページ]</ref>。 シーシェパードは、器物損壊・暴行事件などの違法行為も起こしており<ref name=wa13-19>[http://www.police.pref.wakayama.lg.jp/organ/pamphlet/images/13-19.pdf 太地町における反捕鯨問題対策]広報誌『和歌山の警察2013』19ページ、和歌山県警察。2013年3月発行。</ref><ref name=aga130810>[http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=257833 反捕鯨団体想定し警備訓練 和歌山県警と海保] AGARA紀伊民報 2013年08月10日更新</ref>、太地町側は反捕鯨団体の活動に備えるため臨時交番を開設し、違法行為を取り締まる姿勢を見せている<ref>[https://web.archive.org/web/20131112190805/http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130824/waf13082407450001-n1.htm シー・シェパード妨害許さぬ クジラの町・太地に臨時交番]2013.8.24 MSN産経west</ref><ref>[https://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140210/dms1402101208003-n1.htm ケネディ駐日米大使のつぶやきにイルカの町が“鯨撃” 「漁を守り続ける」強い思い - 政治・社会] ZAKZAK 2014.02.10</ref><ref name=ni110720>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2001H_Q1A720C1CC0000/ 捕鯨トラブルで対策本部 和歌山・太地町に臨時交番] 日本経済新聞 2011/7/20</ref>。 また和歌山県警と第5管区海上保安本部は反捕鯨団体の違法行為に対応するため合同で訓練を実施している<ref>[http://www.agara.co.jp/modules/dailynews/article.php?storyid=236525 クジラ漁を前に県警と海保が合同訓練、違法行為に対応 太地町] AGARA紀伊民報 2012年08月08日更新</ref>。 ;駐日米大使によるイルカ追い込み漁反対声明 {{独自研究|date=2015-8-24|title=追い込み漁は世界の各地で行われている。当ケネディ発言は場所を指定していない。米政府も場所は指定していない。日本政府は「日本国の立場」を応えたのであるが、しかし、日本政府は、和歌山県以外に、静岡県にも、追い込み漁の実施の許可を与えている。執筆者のみが、太地町のことだ(太地町のことだから、この記事に書くのが相応しい)と判断している独自研究の虞がある。|section=2}} {{独自研究範囲|date=2015年8月24日 (月) 06:51 (UTC)|title=ケネディ発言は太地「だけ」に限定できない。限定した場合は独自研究の虞。|[[キャロライン・ケネディ]]駐日米大使が2014年1月18日にイルカ追い込み漁について「アメリカ政府はイルカの追い込み漁に反対します。イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています。」と[[ツイッター]]に書き込みを行い<ref>{{Twitter status|キャロライン・ケネディ駐日米国大使|424405149730107393}}</ref>、日本では大きな反発を呼んだ<ref name="mainichi20140124">{{cite news |url=http://mainichi.jp/select/news/20140124k0000e040190000c.html |date=2014-01-24 |accessdate=2015-08-24 |title=ケネディ大使発言:イルカ漁でツイッターに 広がる波紋 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140124080602/http://mainichi.jp/select/news/20140124k0000e040190000c.html |archivedate=2014年1月24日 |publisher=[[毎日新聞]] |deadlinkdate=2017年10月 }}</ref><ref name="jcast20140119">[https://www.j-cast.com/2014/01/19194476.html?p=all ケネディ氏「イルカ漁は非人道的」に反発の声 安倍首相Facebookにも飛び火、盛り上がる] J-cast </ref>}}。 日本のインターネットでは、「外国人が日本の文化に口出しをするな」、「牛や豚、魚を殺すことは冷酷ではないんですか?」、「私はクジラを食べませんが、他国の文化は尊重すべきです」、「日本の文化への敬意を欠いている」などのケネディへの怒りの反応が多数あった<ref name="jcast20140119"/><ref name="mainichi20140124"/><ref name=AFP0126>[https://www.afpbb.com/articles/-/3007254 安倍首相がイルカ漁を擁護、米CNNインタビュー 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News]2014年01月26日 15:27 発信地:東京</ref>。 {{独自研究範囲|date=2015年8月24日 (月) 06:51 (UTC)|title=ケネディ発言は太地「だけ」に限定できない。限定した場合は独自研究の虞。|在日米大使館のシェイ報道官は、「ケネディ大使は米国内から追い込み漁に反対する何百というツイート(書き込み)を受け取り、自分のツイッターに書き込むことを決めた」と事情を説明した<ref name="mainichi20140124"/>。米政府は2009年には、追い込み漁が「イルカの生息数不足を招く」こと(実際は太地町の漁獲ではそういう科学的な事実は無いが)などを理由にして、漁を「支持しない」立場を取るようになっており<ref name="mainichi20140124"/>、ハーフ米国務省副報道官は1月21日、(ケネディ大使のツイートは個人的意見かという推測があったため<ref name=jc4567>[https://www.j-cast.com/2014/01/20194567.html?p=all ケネディ大使の「イルカ漁批判ツイート」 米政府見解でなく実は「個人的意見」の可能性]2014/1/20 : J-CASTニュース</ref>)「米政府の長年の見解を表現したものだ」とし、「生物資源の持続可能性と道義性の両面で懸念している」と表明した<ref name=nikkei-ken>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2200N_S4A120C1EB1000/ 日本のイルカ漁に米が懸念表明 「大使は政府の見解示した」]日本経済新聞 2014/1/22</ref>}}。 [[テンプル大学|テンプル大日本校]]のクリーブランド准教授は、ケネディ大使はイルカ漁を取り上げることで、日本に対する他国からの懸念についてもっと日本が配慮する必要があることを日本に伝えたかったのではないかとの見解を示した<ref name="mainichi20140124"/>。 ;大使の声明への反論 ケネディ大使のツイート(書き込み)には日本からすぐに、また、官民から多くの反論(反応)があった。[[菅義偉]][[官房長官]]は速やかに談話を公表し、「イルカを含む鯨類は重要な資源であり、科学的根拠に基づき、持続的に利用すべきと考えている。また、イルカ漁業は我が国の伝統的な漁業のひとつで、法令に基づき適切に実施されていると考えている。また、イルカは国際捕鯨委員会(IWC)の管理対象外であり、各国が自国の責任で管理を実施することにしている」<ref name=jc4567/>と米政府に理解を求める見解を出した<ref name=jiji0124>[http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2014012401002 「イルカ漁反対」と水産庁前で抗議=ケネディ発言受け市民ら(時事ドットコム)]</ref><ref name="mainichi20140124"/>。 [[安倍晋三]][[内閣総理大臣|首相]]はCNNのインタビューに応じ、「古来続いている漁で、彼らの文化、慣習として、生活のためだということを理解してもらいたい」、また、「それぞれの国、地域には、祖先から伝わるさまざまな生き方、慣習、文化がある。当然そうしたものは尊重されるべきだと思うが、同時にさまざまな批判があることも承知している」、そして、「漁の仕方も相当工夫されていると聞いている。漁も漁獲方法も厳格に管理されている」などと述べた<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20140125k0000e010196000c.html イルカ追い込み漁:CNNに安倍首相「古来から…理解を」] 毎日新聞 2014年01月25日 10時39分(最終更新 01月25日 11時29分)</ref><ref name=AFP0126>[https://www.afpbb.com/articles/-/3007254 安倍首相がイルカ漁を擁護、米CNNインタビュー 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News]2014年01月26日 15:27 発信地:東京</ref>。 イルカ追い込み漁が唯一行われている当地、太地町の三軒一高町長は、地元の漁師たちは漁業権を行使しているだけだと述べたうえで、[[絶滅危惧|絶滅の危機]]にある動物を捕獲しているわけではないとし、「われわれは住民を批判から守る必要がある」と述べ、更に、シー・シェパードは資金集めや宣伝のために追い込み漁を利用していると非難の声をあげた<ref name=cnn0121>[http://www.cnn.co.jp/world/35042833-2.html CNN.co.jp : イルカ漁批判、日本側が反論 - (2/2)]2014.01.21 Tue posted at 18:47 JST</ref>。 映像ジャーナリストで和歌山大学特任の[[サイモン・ワーン]][[助教]](オーストラリア出身)は「本当に生命を守るとは、(『[[ザ・コーヴ]]』のような)センセーショナルな映像を作って流すことでない。生き物に感謝して生かされていることに感謝すること。太地にはそういう文化が伝わっている」、また、「捕鯨は太地で連綿と受け継がれてきた技術。油を取って捨てるようなことはせず、必要数だけを捕り、全ての部位を使い無駄にしない。太地の捕鯨こそ、環境に配慮した持続可能な漁」と話している<ref>[http://www.nwn.jp/framec/20140208/1/1.html ニュース和歌山-2014年2月8日1面 イルカ漁の真実 世界へ 映像ジャーナリスト サイモン・ワーンさん 太地の捕鯨 偏見正し文化保存] ニュース和歌山株式会社</ref>。 尚、当のケネディ大使はこういった賛否両論について、論争が行われるのは健全なことであるとコメントしている<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASG1Q3J24G1QUTFK008.html 朝日新聞-2014年1月23日「イルカ漁懸念ツイート「政策示すこと大事」」]</ref>。 ;日本政府の閣議決定 2014年2月25日、日本政府は閣議で、アメリカのケネディ駐日大使が反対している日本のイルカ漁に関し、「わが国の伝統的な漁業の一つであり、法令に基づき適切に実施されている」との答弁書を決定した。内容は「政府はイルカを含む鯨類は重要な水産資源で、科学的根拠に基づき持続的に利用すべきだ」と記したうえで、「引き続きイルカ漁業に対する国際的理解を得られるように努力していく」とした<ref name=san0225>[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140225/plc14022511180006-n1.htm 「イルカ漁は適切」政府が答弁書を決定 「わが国の伝統的な漁業」] MSN産経ニュース 2014.2.25</ref>。 ;住民の水銀濃度 {{Seealso|捕鯨問題#汚染と安全性|イルカ追い込み漁#人体の健康への懸念|鯨肉#鯨肉の汚染問題|水銀中毒#人体への毒性}} [[食物連鎖]]によって[[メチル水銀]]がクジラ、イルカなどの海洋哺乳動物で濃縮されることが知られている。2010年、太地町からの要請を受けて、環境省の[[国立水俣病総合研究センター]]は、毛髪水銀濃度測定によるメチル水銀摂取状況および健康の影響に関する調査を実施した。国内14地域と比べ、毛髪水銀濃度は明らかに高く、[[世界保健機関]] (WHO) の安全基準値を上回る者も43人いた。クジラ類の摂取との関連性が示唆されたが、健康への影響そのものは認められなかった。その後、2012年にも調査を行い、所長の安倍重一が健康に問題ない旨の宣言を行った。センターは引き続き、胎児への影響を含めて調査を続ける方針である。 ==経済== [[File:JA Mikumano Taiji branch.jpg|thumb|200px|JAみくまの太地支所]] [[File:Kyo Maru No.1 -01.jpg|thumb|200px|[[捕鯨船]]第一京丸と刃刺しの像]] 2010年のデータでは<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.town.taiji.wakayama.jp/topics/kyoujinka_plan.pdf|title=太地町地域強靱化計画|accessdate=2018年9月13日|publisher=}}</ref> *'''第1次産業就業者数'''は99名、'''第2次産業就業者数'''は183名、'''第3次産業就業者数'''は1072名 である。 ===第一次産業=== ====農業==== ;農業協同組合 *[[みくまの農業協同組合]](JAみくまの)太地支所 ====漁業==== ;漁業協同組合 *[[太地いさな組合]] ;捕鯨 [[クジラ目|くじら]]の町である。古来から[[捕鯨]]が盛んな地域であり、[[ゴンドウクジラ]]などを対象にした沿岸捕鯨が行われる。町の税収の3割は捕鯨からである。{{seealso|[[太地いさな組合#太地町漁業協同組合]]}} 他、毎年の夏には「いけす」を設置して観光客がハナゴンドウなどの小型鯨類と泳げるようにするなど、捕鯨以外のクジラ資源の活用を行う。また2010年代から、森浦湾を仕切って小型のクジラ目を放し飼いにし、観光客の誘致や鯨類の学術研究などに活用したり、古式捕鯨を伝える施設の建設などの「森浦湾鯨の海」構想が動いている<ref>[http://www.taiji-wnp-conference.jp/sub02.html 森浦湾鯨の海構想概要] 太地町くじらと自然公園の町づくり協議会(森浦湾鯨の海構想と魅力ある町づくり)</ref>。 水族館販売用など鯨類の生体販売に取り組む<ref name=taijir/>。国立研究開発法人「水産総合研究センター」の統計によると、太地町では2009年9月から14年8月までの間に760頭の生きたイルカが販売された。また、財務省の貿易統計によれば、日本の輸出頭数は354頭、輸出先は12カ国であり、その殆どが太地産であると[[共同通信社|共同通信]]は推測した(匿名の[[水産庁]]関係者の話は、ほぼ全てが太地町で捕獲されたと推察するにとどまり、全ての数値が太地産かは判らないものである)<ref name=nikkei150608>{{cite news |language = | author = | url =http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG08H0Y_Y5A600C1000000/ | title =追い込み漁の太地イルカ、半数は海外に輸出 | publisher =| date= 2015-06-08| accessdate =2015-07-11}}</ref><ref>同期間に太地以外から輸出された小型鯨類の例(2004年に救助され、鴨川シーワールドで飼育され、2012年、鴨川から米国サンディエゴに輸出されたマゴンドウのアルゴ(Argo)の記事)[http://latimesblogs.latimes.com/lanow/2012/03/pilot-whale-seaworld.html Pilot whale arrives at SeaWorld from Japan | L.A. NOW | Los Angeles Times]March 19, 2012</ref>。 ==施設== [[File:Taiji Post office.jpg|thumb|200px|太地郵便局]] [[File:Taiji town Kominkan.jpg|thumb|200px|太地町公民館]] ===警察=== ;本部 *[[和歌山県警察]] [[新宮警察署]] ;駐在所 *太地警察官駐在所(太地町太地) ;臨時交番 *太地町臨時交番(太地町太地) - [[反捕鯨]]団体などへの対策として[[イルカ追い込み漁|イルカ漁]]の季節(9月 - 2月)に合わせて2011年(平成23年)から毎年設置される<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kinan-newspaper.jp/?p=3930|title=「関係機関との連携強化を」 太地町臨時交番の開所式 9月のイルカ漁に備え|publisher=[[紀南新聞]]|date=2016-08-12|accessdate=2017-01-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160812132619/http://www.kinan-newspaper.jp/?p=3930|archivedate=2016年8月12日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。 ===消防=== 太地町が管轄区域の消防本部が存在しない。 最寄りの消防本部は、[[那智勝浦町消防本部]] ===医療=== ;主な病院 ===郵便局=== ;町内郵便番号 *「'''649-5371'''」=太地(3772 - 3904番地) *「'''649-5171'''」=太地(その他) *「'''649-5172'''」=森浦 集配業務はいずれも[[紀伊勝浦郵便局]](東牟婁郡[[那智勝浦町]]築地)が担当している。 ;主な郵便局 *太地郵便局(太地) - [[ゆうちょ銀行]]ATMのホリデーサービス実施局(2011年6月時点) ===集会施設=== *太地町公民館 ==対外関係== ===姉妹都市・提携都市=== ====海外==== ;姉妹都市 *{{Flagicon|AUS}}[[ブルーム (西オーストラリア州)|ブルーム]]([[オーストラリア連邦]] [[西オーストラリア州]]) **[[1981年]]([[昭和]]56年)[[5月7日]] - [[姉妹都市]]締結。 太地町とブルーム市の関係は、日本がブルーム市の真珠養殖産業の基盤づくりに協力していた20世紀初頭にまで遡ることができ、[[日本人墓地]]がある<ref>{{cite news |title=Australian town embraces Taiji again , Broome reverses suspension of sister-city status |author=Compiled From Kyodo, Staff Report |newspaper=The [[ジャパンタイムズ|Japan Times]] |date=2009-10-15 |url=http://www.japantimes.co.jp/news/2009/10/15/news/australian-town-embraces-taiji-again/ |accessdate=2013-04-22 |archiveurl=https://megalodon.jp/2013-0422-0211-27/www.japantimes.co.jp/news/2009/10/15/news/australian-town-embraces-taiji-again/ |archivedate=2013-04-22 }}</ref>。 *{{flagicon|DEN}}{{Flagicon|FRO}}[[クラクスヴィーク]]([[デンマーク王国]] [[フェロー諸島]] [[ボルウォイ島]]) **[[2018年]]([[平成]]30年)[[1月19日]] - 同じく捕鯨の町として姉妹都市提携<ref>{{cite news |title=太地町とデンマーク・クラクスヴィーク、捕鯨めぐり姉妹都市提携|url=http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3273350.html|author=|publisher=[[TBS]] News|date=2018-01-25|accessdate=2018-01-28 }}</ref>。 ====国内==== *{{Flagicon|長野県}}[[白馬村]]([[中部地方]] [[長野県]] [[北安曇郡]]) **[[1984年]]([[昭和]]59年)[[10月31日]] - 姉妹都市提携。 ==教育== ===中学校=== ;町立 *[[太地町立太地中学校]] ===小学校=== ;町立 *[[太地町立太地小学校]] ==交通== [[File:Taiji Station-2023-01.jpg|thumb|200px|[[太地駅]]]] [[File:Taiji Town Jyunkan Bus 05.jpg|thumb|200px|[[太地町町営じゅんかんバス]]]] [[File:Michinoeki Taiji 01.jpg|thumb|200px|[[道の駅たいじ]]]] [[File:Port taiji001.JPG|thumb|200px|太地漁港]] ===鉄道=== 町内には[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[紀勢本線]](きのくに線)が走っている。代表駅は[[太地駅]]で、太地町にある唯一の駅である。全ての[[普通列車]]と[[特急列車]]が停車する。[[無人駅]]である。太地駅は森浦集落のはずれに位置し、太地の中心部へは太地町営のバス([[太地町町営じゅんかんバス]])<ref group="注釈">過去には[[奈良交通]]([[奈良交通南紀営業所|南紀営業所]])、その前は同じ[[近鉄グループ]]の南紀開発(廃業)が路線バスを運行していた。</ref>が出ている。小字夏山地区には紀勢本線は通るが駅はない(最寄り駅は[[湯川駅]])。 ====鉄道路線==== ;[[西日本旅客鉄道]](JR西日本) *{{JR西路線記号|K|W}}[[紀勢本線]]:([[那智勝浦町]]) - '''[[太地駅]]''' - ([[那智勝浦町]]) ===バス=== ====路線バス==== *[[太地町町営じゅんかんバス]] ===道路=== ====高速道路==== *{{Ja Exp Route Sign|E42}}[[近畿自動車道#路線名・道路名|近畿自動車道紀勢線]] **[[串本太地道路]]:(太地IC(仮称)) :※太地ICの所在地は[[那智勝浦町]]である。 ====国道==== *[[File:Japanese National Route Sign 0042.svg|25px]][[国道42号]] ====県道==== *[[和歌山県道239号太地港下里線]] *[[和歌山県道240号梶取崎線]] ===道の駅=== *[[道の駅たいじ]] ===航路=== ====港湾==== *[[太地港]] {{-}} ==観光== [[File:鯨骨鳥居 - panoramio.jpg|thumb|200px|鯨骨鳥居]] [[File:Dolphin Base060504.jpg|thumb|200px|ドルフィン・ベース(2006年5月)]] [[File:Whale oil lamp stand at Tomyozaki 1.jpg|thumb|200px|燈明崎山見台]] [[File:Kujira kuyouhi.jpg|thumb|200px|[[梶取崎]]くじら供養塔]] ===名所・旧跡=== ;主な寺院 *[[東明寺]] *[[順心寺]] ;主な神社 *[[飛鳥神社]] *[[鯨骨鳥居]] - 鯨を祀った神社にある鯨骨を用いた鳥居 ;主な史跡 *和田頼元墓 - 太地捕鯨の創始者の墓である。和歌山県の史跡に指定されている。附近には和田一族の墓が並んでいる。 *鯨方漂流人記念碑 ===観光スポット=== *[[くじら浜公園]] **[[くじらの博物館|太地町立くじらの博物館]] **海洋水族館(ドルフィン・ベース) **[[太地町立石垣記念館]] - 当町出身の洋画家である[[石垣栄太郎]]の記念館。[[1991年]]に妻で評論家でもある[[石垣綾子]]によって設立された。 **ワールド・ドルフィンリゾート *[[燈明崎]] - 古式捕鯨で総指揮所の役割を果たした燈明崎山見台が[[1992年]]に復元された。[[1636年]](寛永13年)に、航海の安全の為、[[鯨油]]を用いる行灯式灯台を設置<ref>[http://www.rikkyo.ne.jp/grp/nihongaku/hp/seika/16Taiji.pdf]立教大学</ref>。日本初の鯨油を灯す燈明台(灯台)とも言われる<ref>[http://www.kinokuni-sanka.jp/modules/landscape/index.php?lid=439&cid=220 燈明崎の燈明台]きのくに風景讃歌 </ref><!--日本最古の油を燃やす燈明台は、1608年の能登の福浦港の灯明台-->。 *[[梶取崎]] **[[梶取埼灯台]]がある。 **くじら供養塔 *平見台園地・継子投 *[[落合博満野球記念館]] *[[グリーンピア南紀]]([[2003年]]閉館) ;温泉 *[[太地温泉]] *[[夏山温泉]] - 当町の飛び地夏山にある温泉である。 {{-}} ==文化・名物== ===祭事・催事=== ;くじら踊り 毎年[[8月15日]]に行われるもので、和歌山県の無形民俗文化財に指定されている。[[1670年]]([[寛文]]10年)ころから鯨方の出初式に行われていた踊りである。 ;太地浦勇魚祭 毎年[[8月14日]]に太地浦で行われる古式捕鯨の再現。「網掛け突き捕り捕鯨法」をおよそ9mの鯨模型と勢子舟を使って再現するもの<ref name=taiji05>[http://www.town.taiji.wakayama.jp/kankou/sub_05.html イベント情報]太地町</ref>。 ===捕鯨文化=== 「'''くじらの町'''」と称し、1969年に[[くじらの博物館|太地町立くじらの博物館]]を建設し、また鯨を目玉とした観光の振興への取り組みが見られる。太地町には[[漁業協同組合]]直営の[[スーパーマーケット]]もあり、[[鯨肉]]も売られている。また、町章は[[クジラ]]、町のマスコットキャラクターは[[ゴンドウクジラ]]である<ref>町章 [http://www.town.taiji.wakayama.jp/tyousei/sub_kujiranomati.html くじらの町]太地町公式ホームページ</ref><ref>[http://www.town.taiji.wakayama.jp/kankou/ 太地町ってこんな町]、[http://www.town.taiji.wakayama.jp/kankou/TaijiMapA_ver3.pdf イラストマップ] (PDF) 太地町</ref>。クジラや、ゴンドウクジラ、イルカを用いた料理が幾つも伝わる。 {{seealso|イルカのすき焼き|}} ====エピソード==== ;大背美流れ おおせみながれ。[[1878年]](明治11年)暮れ、アメリカなどの列強による鯨の乱獲などの影響で、漁師は近年にない不漁による経済難から、荒天の中、鯨捕り(古式捕鯨)に出漁して遭難し、一度に100余名が死亡・行方不明となった惨事。この件により労働力を失った太地は、一気に疲弊、古式捕鯨は事実上壊滅し、後に近代捕鯨へと切り替わるきっかけとなった<ref name=oosemi/><ref>[http://dyna.geo.kyushu-u.ac.jp/~yoshida/japanese/books/2009/rekishi-nemuranai20090915.html NHK 知る楽 歴史は眠らない 2009 08/09月 第1回 大国に翻弄された町 8月4日]九州大学大学院理学研究院地球惑星科学部門・理学部地球惑星科学科 吉田茂生web</ref>。 ;腹びれイルカ 2006年に見つかった、世界に一頭しかいない、ほぼ完全な形をした腹びれを持つ[[ハンドウイルカ]](生年不明-2013年)。{{main|はるか (イルカ)}} ==出身関連著名人== *[[石垣栄太郎]] - 洋画家 *[[太地喜和子]] - 女優 *[[福嶋久晃]] - 元野球選手。プロゴルファー・[[福嶋晃子]]・[[福嶋浩子|浩子]]姉妹の父<ref>{{Cite news|title=元プロ野球選手の父・久晃さん「珍しい」親子でもV|newspaper=Sponichi Annex|date=2016-05-02|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/05/02/kiji/K20160502012507960.html|agency=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2023-07-04}}</ref> *[https://www.taisanofficial.com/ 田中太山] - 書画家(テーマ『笑文字』)<ref>[http://www.wakayamashimpo.co.jp/2015/06/20150612_51132.html わかやま新報 » Blog Archive » 【AR】活動拠点をNYに 書画家・田中太山さん]2015年06月12日 わかやま新報 </ref>、太地町観光大使<ref>[http://www.town.taiji.wakayama.jp/tanaka_taizan.html 太地町観光大使 田中大山氏]</ref> ==太地町を題材とした作品== ===文芸=== *『鯨分限』 [[伊東潤]]著、([[光文社]]、2015年) ISBN 978-4334910518 *『巨鯨の海』 [[伊東潤]]著、(光文社、2013年4月) ISBN 978-4334928780 <ref>[http://shukan.bunshun.jp/articles/-/2730 『巨鯨の海』 (伊東潤 著) | 著者は語る - 週刊文春WEB]2013.06.02 2015年7月12日閲覧</ref> *『鯨の哭く海』 [[内田康夫]]著([[祥伝社]]文庫、2005年)ISBN 978-4396332426 *『勇魚』 [[C・W・ニコル]]著、[[村上博基]]訳([[文藝春秋]]、[[1987年]])のち文庫 ISBN 4-16-309540-3 / ISBN 4-16-309550-0。舞台が太地。ニコルは執筆のために太地に一年余生活した。 *『深重の海』 [[津本陽]]著([[新潮文庫]]、1982年)ISBN 978-4101280011 第79回直木賞 ===ドラマ=== *[[BSフジ]]『浅見光彦シリーズ24 鯨の哭く海』<ref>[http://www.asami-mitsuhiko.co.jp/modules/bulletin/article.php?storyid=27 浅見光彦の家 - 中村俊介氏主演『鯨の哭く海』 10月13日放映!] 浅見光彦倶楽部 </ref><ref>[http://www.bsfuji.tv/top/pub/asami24.html <ドラマ名作選>『浅見光彦シリーズ24 鯨の哭く海』] BSフジ </ref> * [[日本放送協会|NHK]][[連続テレビ小説]]『[[風見鶏 (テレビドラマ)|風見鶏]]』 - [[1977年]](昭和52年)10月3日から[[1978年]](昭和53年)4月1日まで放送。大正時代の鯨のもり打ちの娘ヒロイン・ぎんの故郷が太地である<ref>[https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009010216_00000 連続テレビ小説 風見鶏 | NHK名作選(動画・静止画) | NHKアーカイブス]2015年7月12日閲覧</ref>。 ===TV ドキュメンタリー=== * NHKスペシャル『[[クジラと生きる]]』 - 2011年5月22日放送。[[太地いさな組合]]と反捕鯨団体のドキュメンタリー。いさな組合の心中が語られた。{{see|クジラと生きる}} ===映画=== *『おクジラさま』 - [[佐々木芽生]]監督。[[2016年]]公開。太地町でも撮影の[[ドキュメンタリー]]映画<ref>[https://www.sankei.com/article/20151103-MCY2DRA34ZL6NPAZJUDY2KJNTA/ 「クジラ映画」佐々木芽生さん 国際ドキュメンタリー祭最優秀企画賞受賞 「ザ・コーヴ」への疑問がきっかけ] 2015年11月3日 産経新聞 </ref><ref>[http://ajw.asahi.com/article/behind_news/social_affairs/AJ201505220013 Filmmaker plans more balanced documentary on Taiji's dolphin hunt May 22, 2015]</ref>。 *『[[ビハインド・ザ・コーヴ 〜捕鯨問題の謎に迫る〜]] (洋題:Behind "THE COVE") 』、[[2016年]]1月から国内上映開始。[[2015年]][[八木景子]]監督・製作の日本初捕鯨問題ドキュメンタリー映画。2015年8月7日メディア試写会<ref>[http://jaef.la.coocan.jp/jf/notice/2015/0807.pdf マスコミ試写会のご案内] 合同会社八木フィルム(水産ジャーナリストの会公表),(PDF), 2015-8-7閲覧</ref>。和歌山県太地町を舞台に日本の捕鯨現場を描いた作品<ref name="Behind1">{{Cite web|和書|url=http://www.sankei.com/entertainments/news/150905/ent1509050015-n1.html|title=「シー・シェパード、ひどい」 モントリオール映画祭、日本人女性監督の反捕鯨「反証」作品に熱い反響|accessdate=2015-9-23|work=[[産経新聞|産経ニュース]]|publisher=[[産業経済新聞社|株式会社産経デジタル]]|date=2015.9.5}}</ref>。 太地町住民を始め、映画『[[ザ・コーヴ]]』の監督ルイ・シホヨスや主演リック・オバリー、シー・シェパードなど反捕鯨団体の幹部インタビューも太地町などで収録。<ref name="Behind2">{{Cite web|和書|url=http://www.sankei.com/entertainments/news/150905/ent1509050015-n2.html|title=「シー・シェパード、ひどい」 モントリオール映画祭、日本人女性監督の反捕鯨「反証」作品に熱い反響 (2)|accessdate=2015-9-23|work=[[産経新聞|産経ニュース]]|publisher=[[産業経済新聞社|株式会社産経デジタル]]|date=2015.9.5}}</ref>、太地町を舞台にした『ザ・コーヴ』が日本の食文化や伝統を歪めて伝えているとして反証の内容。<ref name="Behind2"/>。 *『town of sun, the black tide and whales』は、2009年、ザ・コーヴ公開の4カ月後に公開された17分の米国製ショートフィルム。監督は Matias Camozzi <ref>[https://web.archive.org/web/20090803031030/http://docuwestfest.com/2009films.html 2009films] DocuWest, 2015-8-7閲覧</ref>。太地町の歴史を説明する内容<ref>[http://www.imdb.com/video/wab/vi2186805785/ town of sun, the black tide and whales] IMDB-VIDEO</ref>。 *『さゞなみ』 - [[2002年]]。稲子(唯野未歩子)の母・澄江(松坂慶子)は、太地町でカメラ店を単身経営する設定。<ref>[http://eiga.com/movie/40614/ さゞなみ : 作品情報 - 映画.com]2015年6月12日閲覧</ref> *『[[鯨捕りの海]]』 - 記録映画。梅川俊明 監督、[[1998年]]。日本の沿岸捕鯨や調査捕鯨の活動や乗組員の暮らしの記録。太地町の元捕鯨船員が当時を語る場面がある<ref>[http://www.47news.jp/smp/CN/201008/CN2010081401000592.html 「コーヴ」公開に合わせ邦画上映 クジラ漁の記録映画 - 47NEWS(よんななニュース)]2010/08/14 共同通信</ref>。 * 『ボクはボク、クジラはクジラで、泳いでいる。』 - 2018年公開。舞台はくじらの博物館<ref>{{Cite news|title=ボクはボク、クジラはクジラで、泳いでいる。 : 作品情報 - 映画.com|url=https://eiga.com/movie/89490/|accessdate=2018-11-11|language=ja-JP|work=映画.com}}</ref> <!-- ===漫画=== ===音楽=== --> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{Notelist}} ===出典=== {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[太地いさな組合]] * [[イルカのすき焼き]] * [[Classics Four BLUE Smile Blue]] == 外部リンク == {{Commonscat}} * {{Official website|name=太地町}} * [http://www.mikumano.or.jp/index.html 南紀くろしお商工会] - [[2007年]]4月1日に太地町商工会と那智勝浦町商工会が合併し誕生 * [http://www.cypress.ne.jp/jf-taiji/index.html 太地漁業組合] * [http://www3.cypress.ne.jp/jf-taiji-sp/index.html 太地漁協スーパー] * {{Osmrelation|3353137}} * {{ウィキトラベル インライン|太地町|太地町}} {{和歌山県の自治体}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:たいしちよう}} [[Category:東牟婁郡]] [[Category:和歌山県の市町村]] [[Category:日本の港町]] [[Category:太地町|*]]
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くじら (声優)
くじら(本名・旧芸名:松本 和香子(まつもと わかこ)、1960年4月1日 – )は、日本の女性声優、YouTuberである。東京都出身。81プロデュース所属。 大妻中学校・高等学校、大妻女子大学卒業。教員の資格を持っており、役者になっていなかったら料理講師、幼稚園教諭、小学校の教師になりたかったと語る。 芝居好きであり、高校時代は演劇部に所属していたが、しかしあくまでも部活動であり、プロになろうとは思わなかった。 大学4年生の時に就職活動をしており、大学卒業時の婦人警官などの試験を受けたが、全て落ちて「しょうがないからどうしようかな」と悩んでいた。 そんな時に同じく芝居好きで脚本も書いた経験もある母に「養成所とかに通ってみたら」と言われる。 養成所に通ったところ熱中して役者を目指した。 芸名の命名は千葉繁。また、千葉が主宰する「バーストマン」(現在は解散)にも参加していた。 2011年10月25日、Twitterにて結婚したことを発表。 志村けんや加藤茶や早見優や高木ブーとも共演経験があり、ドリフターズのコントでは早見優が加藤茶の美人恋人役でくじらは志村けんの残念顔恋人役で出演(力自慢で酔った志村けんを背負って帰る)している。 橘U子とは肝付兼太やたてかべ和也を通じて長年の親交がある。 師匠の千葉繁とは共演作が長年に渡って多いが、『百姓貴族』では初の夫婦役(主人公の荒川弘の両親役)で共演している。 太字はメインキャラクター。
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くじらは、日本の女性声優、YouTuberである。東京都出身。81プロデュース所属。
{{声優 | 名前 = くじら | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = 松本 和香子(まつもと わかこ)<ref name="voice">{{Cite book|和書|year=1996|title=声優事典 第二版|page=392|publisher=[[キネマ旬報社]]||isbn= 4-87376-160-3}}</ref> | 愛称 = | 性別 = [[女性]] | 出生地 = | 出身地 = {{JPN}}・[[東京都]]<ref name="81prof">{{Cite web|url=https://www.81produce.co.jp/actor_search/index.php/item?id=191|title=くじら - (か行):株式会社81プロデュース‐声優プロダクション|accessdate=2023-11-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20230129081916/https://www.81produce.co.jp/actor_search/index.php/item?id=191|archivedate=2023-01-29}}</ref> | 死没地 = | 生年 = 1960 | 生月 = 4 | 生日 = 1 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 血液型 = [[ABO式血液型|B型]]{{R|日本タレント名鑑}} | 身長 = | 職業 = [[声優]] | 事務所 = [[81プロデュース]]{{R|81prof}} | 配偶者 = あり(2011年 ‐ )<ref name="marriage">{{Cite tweet|user=kujityan|author=くじら|number=128836464598462465|title=きょう入籍しました。|date=2011-10-25|accessdate=2013-02-13}}</ref> | 著名な家族 = | 公式サイト = {{81プロフィール}} | 公称サイズ出典 = {{Cite web|和書|url=https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=W03-0199|title=くじら|work=日本タレント名鑑|accessdate=2019-08-06}} | ref2name = 日本タレント名鑑 | 身長2 = 164 | 体重 = 68 | 活動期間 = [[1980年代]] - | デビュー作 = }} '''くじら'''(本名・旧[[芸名]]:'''松本 和香子'''(まつもと わかこ){{R|voice}}、[[1960年]][[4月1日]]{{R|Say U Play}} – )は、[[日本]]の[[女性]][[声優]]、[[YouTuber]]である。[[東京都]]出身{{R|voice|81prof}}。[[81プロデュース]]所属{{R|voice|81prof}}。{{VOICE Notice Hidden|冒頭部分に記載する代表作は、編集合戦誘発の原因となりますので、多数の出典で確認できるものに限ってください。[[プロジェクト:芸能人#記事の書き方]]にてガイドラインが制定されていますので、そちらも参照して下さい。}} == 略歴 == [[大妻中学校・高等学校]]<ref name="後編">{{Citation|title=声優くじら・ロングインタビュー!初出し未公開トーク満載のプライベートを語る30分【くじら×増川洋一ナルト声優同士のコラボ対談 後編】|url=https://www.youtube.com/watch?v=KWBL3NPytYc&t=28m39s|date=2021-05-28|accessdate=2021-11-17|language=ja-JP}}</ref>、[[大妻女子大学]]卒業<ref>{{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(2020年版)|page=537|publisher=VIPタイムズ社 |isbn=978-4-904674-11-6|date=2020-01-26}}</ref>。教員の資格を持っており、役者になっていなかったら料理講師、幼稚園教諭、小学校の教師になりたかったと語る{{R|後編}}<ref name="douga1">{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=y0UIx9RZYjc|date=2020-09-12|title=【くじらさん】自分を大蛇丸だと信じて止まないせいゆ…ってか本人キターーーーーー!!!!【声優オモテウラ】|website=[[YouTube]]|publisher=オモテウラchannel|accessdate=2021-11-24}}</ref>。 芝居好きであり、高校時代は演劇部に所属していたが、しかしあくまでも部活動であり、プロになろうとは思わなかった{{R|後編}}。 大学4年生の時に就職活動をしており、大学卒業時の婦人警官などの試験を受けたが{{R|douga1}}、全て落ちて「しょうがないからどうしようかな」と悩んでいた{{R|後編}}<ref name="Say U Play">{{Citation|title=くじらさん登場!あのキャラの裏側を暴露?!✨【武内駿輔×鈴木崚汰】#5 -Say U Play 公式声優チャンネル-|url=https://www.youtube.com/watch?v=xkGf_CPpjvQ|accessdate=2021-11-17|language=ja-JP}}</ref>。 そんな時に同じく芝居好きで脚本も書いた経験もある母に「養成所とかに通ってみたら」と言われる{{R|後編|Say U Play}}。 養成所に通ったところ熱中して役者を目指した{{R|後編}}。 == 人物 == 芸名の命名は[[千葉繁]]<ref>{{Cite tweet|user=kujityan|author=くじら|number=1244616028300046336|title=声の仕事が多くなりくじらという名前を千葉繁師匠につけてもらった直後、志村けん師匠に「いい名前をつけてもらったね、子供たちが喜ぶよ」って言ってもらって、なんか嬉しくて自信がもてたのです。|date=2020-03-30|accessdate=2020-03-31|link=no}}</ref><ref name="douga2">{{Cite web|和書|url=https://www.youtube.com/watch?v=rwfNqRhClik|date=2020-09-19|title=【くじらさん(番外編)】くじらさん回の収録準備してたら、普通に凄いエピソード話しまくってくるから急いでカメラ回した…。【声優オモテウラ】|website=[[YouTube]]|publisher=オモテウラchannel|accessdate=2021-11-24}}</ref>。また、千葉が主宰する「[[バーストマン]]」(現在は解散)にも参加していた{{R|douga2}}。 [[2011年]][[10月25日]]、[[Twitter]]にて[[結婚]]したことを発表{{R|marriage}}。 志村けんや加藤茶や早見優や高木ブーとも共演経験があり、ドリフターズのコントでは早見優が加藤茶の美人恋人役でくじらは志村けんの残念顔恋人役で出演(力自慢で酔った志村けんを背負って帰る)している。 [[橘U子]]とは[[肝付兼太]]や[[たてかべ和也]]を通じて長年の親交がある。 師匠の千葉繁とは共演作が長年に渡って多いが、『[[百姓貴族]]』では初の夫婦役(主人公の荒川弘の両親役)で共演している。 == 出演 == '''太字'''はメインキャラクター。 === テレビアニメ === {{dl2 | 1991年 | * [[楽しいムーミン一家 冒険日記]](女王) | 1992年 | * [[クッキングパパ]](吉岡(荒岩)カツ代{{R|voice}}) * [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]](1992年 - 2022年、おばさん、竹やぶ病院の看護婦、新米内科の看護婦、三原山ジュン子、大条さん 他) * [[らんま1/2 熱闘編]] | 1994年 | * [[超くせになりそう]](ジェラシック小林) * [[ツヨシしっかりしなさい]](ニューハーフ) * [[ヤマトタケル (アニメ)|ヤマトタケル]](祈祷師) | 1995年 | * [[愛天使伝説ウェディングピーチ]](ナン魔) * [[アリス探偵局]](八戒) * [[カラオケ戦士マイク次郎]](母親) * [[スレイヤーズ (アニメ)|スレイヤーズ]](女房) * [[忍たま乱太郎]](1995年 - 2022年、南蛮かぶれ姉さん、母ちゃん、おばさん、おばちゃん、おばあさん) * [[ロミオの青い空]](エンベリーノ、ファウスティーノ) | 1996年 | * [[逮捕しちゃうぞ (アニメ)|逮捕しちゃうぞ]](1996年 - 2008年、原付おばさん<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20171207141150/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/7512 |title=逮捕しちゃうぞ[SECOND SEASON] |work=メディア芸術データベース |publisher=文化庁 |accessdate=2017-03-12}}</ref>) - 3シリーズ{{Ras|第1期(1996年 - 1997年)、第2期『逮捕しちゃうぞ SECOND SEASON』(2001年)、第3期『逮捕しちゃうぞ フルスロットル』(2007年 - 2008年)}} | 1997年 | * [[救命戦士ナノセイバー]](コウ) * [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第4作)]](ぐわごぜ) * [[超魔神英雄伝ワタル]](カンプーン) * [[忍ペンまん丸]](さだよしの母ちゃん) * [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](1997年 - 2021年、塩田平八郎の妻、友人、床前小百合、矢谷郁代、住田スミレ) * [[夢のクレヨン王国]](おトラさん) * [[烈火の炎]](土門の母) | 1998年 | * [[アリスSOS]](オットト姫) * [[聖ルミナス女学院]](ごつい女) * [[太陽の子エステバン]](BS版)(オムロ) * [[ロードス島戦記-英雄騎士伝-]](スメディ) | 1999年 | * [[週刊ストーリーランド]](1999年 - 2000年、山田まり子、太った女、ピエール、大地の小僧){{Ras|番組内アニメ:『[[謎の老婆|謎の老婆シリーズ]]』「ほんとうのゴミ箱」(1999年)、『103便SOS』(1999年)、『天才ゴキブリ登場』(1999年)、『旅人と四人の小僧』(2000年)}} * [[地球防衛企業ダイ・ガード]](武藤<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20171208122336/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/6919| title = 地球防衛企業ダイ・ガード| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2016-11-27}}</ref>) * [[ひみつのアッコちゃん|ひみつのアッコちゃん(第3期)]](トカゲ) * [[レレレの天才バカボン]](奥さん) | 2000年 | * [[妖しのセレス]]('''小田玖''') * [[ヴァンドレッド]](2000年 - 2001年、ウータン) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2000年)、第2期『the second stage』(2001年)}} * [[ゲートキーパーズ]](おばちゃん) * [[ドッとKONIちゃん]]('''KONI''') * [[とっとこハム太郎 (アニメ)|とっとこハム太郎]](トン吉) * [[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん(テレビ朝日版第1期)]](テツオ) | 2001年 | * [[あぃまぃみぃ!ストロベリー・エッグ]](三条るる) * [[ギャラクシーエンジェル (アニメ)|ギャラクシーエンジェル]](ミセス・クリマンジュ) * [[こげぱん]](スミぱん) * [[砂漠の海賊!キャプテンクッパ]](ダーケ夫人) * [[ジャングルはいつもハレのちグゥ]](おばあさん) * [[爆転シュート ベイブレード (アニメ)|爆転シュート ベイブレード]](ノブオ) * [[魔法少女猫たると]](サブレ) | 2002年 | * [[ギャラクシーエンジェル (アニメ)|ギャラクシーエンジェル(第3期)]](Mrs.クリマンジュ) * [[GetBackers-奪還屋-]](マダム、ボスザル) * [[爆闘宣言ダイガンダー]](シルバー) * [[ヒカルの碁 (アニメ)|ヒカルの碁]](店員) * [[フルメタル・パニック!]](ペギー・ゴールドベリ) * [[陸上防衛隊まおちゃん]](ミカンクイーン) | 2003年 | * [[NARUTO -ナルト- (アニメ)|NARUTO -ナルト-]]('''[[大蛇丸 (NARUTO)|大蛇丸]]''') * [[アストロボーイ・鉄腕アトム]](女店主) * [[L/R -Licensed by Royal-]](トーラ) * [[カレイドスター]](女性警察官) * [[ストラトス・フォー]](調理長) * [[ソニックX]]('''エラ''') * [[BPS バトルプログラマーシラセ]](本木紗英のおばさん) * [[ぷちぷり*ユーシィ]](老婆) | 2004年 | * [[かいけつゾロリ]](ゴーゴン) * [[今日からマ王!]](女王クマハチ) * [[ゾイドフューザーズ]](おばちゃん) * [[tactics (漫画)|tactics]]([[文車妖妃]]) * [[BURN-UP SCRAMBLE]](おばはんA) * [[マシュマロ通信]](グランマ) * [[RAGNAROK THE ANIMATION]](近衛兵) | 2005年 | * [[機動新撰組 萌えよ剣 TV]](鬼子母神) * [[ケロロ軍曹 (アニメ)|ケロロ軍曹]](ネズミー星人の横綱) * [[ハチミツとクローバー]](魁生優子) * [[ブラック・ジャック (テレビアニメ)|ブラック・ジャック]](おかみさん) * [[まじめにふまじめ かいけつゾロリ]](2005年 - 2006年、ゴーゴン) * [[蟲師]](蟲) | 2006年 | * [[銀魂 (アニメ)|銀魂]](2006年 - 2018年、'''お登勢'''<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.bn-pictures.co.jp/gintama/character/07.php |title=かぶき町の住人|人物紹介 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ]] |work=銀魂公式サイト |accessdate=2023-03-18}}</ref>) - 5シリーズ{{Ras|第1期(2006年 - 2010年)、第2期『銀魂’』(2011年 - 2012年)、第2期延長戦『銀魂’延長戦』(2012年)、第3期『銀魂゚』(2015年 - 2016年)、第4期『銀魂.』(2017年 - 2018年)}} * [[地獄少女]](下野芽衣子) * [[出ましたっ!パワパフガールズZ]](園長先生) * [[BLACK CAT]](マダム=フレシア) * [[ポケットモンスター アドバンスジェネレーション]]([[ルージュラ]]B) * [[南の島の小さな飛行機 バーディー]](パトリック) | 2007年 | * [[結界師 (アニメ)|結界師]](一月) * [[ながされて藍蘭島]](おばば) * [[NARUTO -ナルト- 疾風伝]]('''大蛇丸''') * [[はたらキッズ マイハム組]](天山礼次郎) * [[祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン]](ダンプ魔重) * [[バンブーブレード]](レイミママ) * [[ひぐらしのなく頃に (アニメ)|ひぐらしのなく頃に]](大家、北条玉枝) * [[らき☆すた (アニメ)|らき☆すた]](女性[[モブキャラクター]]) | 2008年 | * [[あたしンち]](男の子A、乗客) * [[CHAOS;HEAD|カオスヘッド]](百瀬克子) * [[かんなぎ (漫画)|かんなぎ]](上森のおばさん) * [[全力ウサギ]](フチョウ) * [[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|ドラえもん(テレビ朝日版第2期)]](2008年 - 2018年、ドタ子、ガキ大将、子ども、おばさん、ゴンエ 他) * [[ポルフィの長い旅]](ドリー) * [[ロザリオとバンパイア CAPU2]](砕蔵母) * [[ワールド・デストラクション 〜世界撲滅の六人〜]](女将) | 2009年 | * [[アラド戦記〜スラップアップパーティー〜]](クロガル) * [[ご姉弟物語]](伸子) * [[ゴルゴ13]](ナース) * [[ミチコとハッチン]](マダム・ミチコ) * [[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]](2009年 - 2023年、スイトピー、女) | 2010年 | * [[あにゃまる探偵 キルミンずぅ]](大熊ネネコ) * [[神のみぞ知るセカイ]](2010年 - 2013年、ドクロウ・スカール) - 3シリーズ{{Ras|第1期(2010年)、第2期『II』(2011年)、第3期『女神篇』(2013年)}} * [[GIANT KILLING]](吾郎の妻) * [[たまごっち!]](おばちゃんっち) | 2011年 | * [[戦国乙女〜桃色パラドックス〜]]([[織田信定|織田ノブサダ]]) * [[日常 (漫画)|日常]](イタコ、おばさん) | 2012年 | * [[SKET DANCE]](水神氷見子) * [[戦国コレクション]](所長) * [[探検ドリランド (アニメ第1作)|探検ドリランド]](ポロン母) * [[NARUTO -ナルト- SD ロック・リーの青春フルパワー忍伝]]('''大蛇丸''') * [[バクマン。 (アニメ)|バクマン。3]](中井母) * [[もやしもん リターンズ]](主婦A) | 2013年 | * [[イナズマイレブンGO ギャラクシー]](2013年 - 2014年、蒲田静音) * [[サーバント×サービス]](客、受付、ゲーム音声、お母さん、店員、総務の人) * [[しろくまカフェ]](アライグマ) * [[閃乱カグラ]](スケバン) * [[ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生 The Animation]]('''大神さくら'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=TVアニメ「ダンガンロンパ」公式サイト|url=http://www.geneonuniversal.jp/rondorobe/anime/danganronpa/|title=CAST|accessdate=2012-12-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|publisher=ファミ通.com|url=https://www.famitsu.com/news/201212/10025688.html|title=『ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生』のTVアニメ化が決定!|accessdate=2012-12-10}}</ref>) * [[夜桜四重奏 〜ヨザクラカルテット〜]](おキクさん) | 2014年 | * [[さばげぶっ!]](学食のおばちゃん) * [[ばらかもん]](パンチ) * [[ヒーローバンク]](太井珠子) * [[ONE PIECE “3D2Y” エースの死を越えて! ルフィ仲間との誓い]](スイトピー) | 2015年 | * [[おそ松さん]](2015年 - 2021年、'''松野松代'''〈母さん〉<ref>{{Cite web2|work=おそ松さん(第1期)|url=https://osomatsusan.com/1st/staff-cast/|title=スタッフ・キャスト|accessdate=2023-06-15}}</ref><ref>{{Cite web2|work=おそ松さん(第2期)|url=https://osomatsusan.com/2nd/staff-cast/|title=スタッフ・キャスト|accessdate=2023-06-15}}</ref><ref>{{Cite web2|work=おそ松さん(第3期)|url=https://osomatsusan.com/staff-cast/|title=スタッフ・キャスト|accessdate=2023-06-15}}</ref>、マンモス、ナレーション) - 3シリーズ{{Ras|第1期(2015年 - 2016年)、第2期(2017年 - 2018年)、第3期(2020年 - 2021年)}} * [[おまかせ!みらくるキャット団]](大家) * [[ルパン三世 PART IV]](マーマ) * [[レーカン!]](エロ猫<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tbs.co.jp/anime/re-kan/|title=追加キャスト発表!|work=レーカン! 公式ホームページ |accessdate=2015-02-10}}</ref>) | 2016年 | * [[うどんの国の金色毛鞠]](喜岡ふみ<ref>{{Cite web|和書|work=TVアニメ「うどんの国の金色毛鞠」公式サイト|url=https://www.vap.co.jp/udonnokuni-anime/caststaff/|title=キャスト・スタッフ|accessdate=2017-07-03}}</ref>、はりねずみちゃん3、なれーしょん) * [[怪盗ジョーカー]](タイガー・マリー) * [[カミワザ・ワンダ]](2016年 - 2017年、小松デトックス、与田ばぁ、ナオミ) * [[坂本ですが?]](久保田茂美<ref>{{Cite web|和書|publisher=TBSテレビ|work=坂本ですが? 公式ホームページ|title=スタッフ&キャスト|url=https://www.tbs.co.jp/anime/sakamoto/staffcast/|accessdate=2016-03-12}}</ref>) * [[石膏ボーイズ]](天羽真砂子) * [[テラフォーマーズ リベンジ]](ジーナの母) * [[TO BE HERO]](妃) * [[ナースウィッチ小麦ちゃんR]](六天舞夜) * [[フューチャーカード バディファイトDDD]](五剣小百合) * [[ユーリ!!! on ICE]](ナタリー・ルロワ) | 2017年 | * [[CHAOS;CHILD]](百瀬克子<ref>{{Cite web|url=http://chaoschildanime.com/staffcast/|title=STAFF & CAST|work=「CHAOS;CHILD」アニメ公式サイト|accessdate=2016-09-12}}</ref>)<!-- 2017-01-11 --> * [[笑ゥせぇるすまんNEW]](奥さん)<!-- 2017-05-01 --> * [[スナックワールド]](白雪姫)<!-- 2017-06-15 --> * [[恋と嘘]](女将、保健の先生)<!-- 2017-07-11 --> * [[BORUTO-ボルト- NARUTO NEXT GENERATIONS]](2017年 - 2020年、大蛇丸)<!-- 2017-08-30 --> * [[アイドルタイムプリパラ]](テルコ)<!-- 2017-09-12 --> | 2018年 | * [[りゅうおうのおしごと!]](パンサー)<!-- 2018-01-29 --> * [[伊藤潤二『コレクション』]](沼毛)<ref>{{Cite news|publisher=株式会社ナターシャ|work=コミックナタリー|url=https://natalie.mu/comic/news/259464|title=「伊藤潤二『コレクション』」追加キャストに梶裕貴、島崎信長、浪川大輔、朴ろ美ら|date=2017-12-04|accessdate=2017-12-04}}</ref><!-- 2018-02-09 --> * [[鬼灯の冷徹]](火車)<!-- 2018-04-08 --> * [[パズドラ (テレビアニメ)|パズドラ]](2018年 - 2020年、テツオ)<!-- 2018-06-18 --> * [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第6シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第6作)]](2018年 - 2020年、くびれ鬼<ref>{{Cite news|newspaper=MANTANWEB|url=https://mantan-web.jp/article/20180921dog00m200053000c.html|title=ゲゲゲの鬼太郎:第25話「くびれ鬼の呪詛」 呪いのアプリとは… まなにも呪いの通知が |date=2018-09-22|accessdate=2018-09-22}}</ref>、マンモス、寝肥り<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1582302503|title=『ゲゲゲの鬼太郎』第94話「ぶらり不死見温泉バスの旅」の先行カット到着! まなは、鬼太郎たちと慰安旅行に行くことに……|work=アニメイトタイムズ|publisher=アニメイト|date=2020-02-22|accessdate=2020-02-22}}</ref>)<!-- 2018-09-23 --> | 2019年 | * [[GO!GO!アトム]]<!-- 2019-10-31 --> | 2020年 | * [[SHOW BY ROCK!! ましゅまいれっしゅ!!]](ほわん 祖母)<!-- 2020-01-09 --> * [[ソマリと森の神様]](ガマ婆)<!-- 2020-01-10 --> * [[織田シナモン信長]](TVナレーション)<!-- 2020-01-25 --> * [[GREAT PRETENDER]](キム・シウォン)<!-- 2020-07-09 --> * [[うまよん (アニメ)|うまよん]](店長)<!-- 2020-08-11 --> * [[天晴爛漫!]](BARの女将)<!-- 2020-08-21 --> * [[ゴールデンカムイ]](山田フミエ)<!-- 2020-10-26 --> | 2021年 | * [[BEASTARS]](ロクメ)<!-- 2021-01-07 --> * [[無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜 (アニメ)|無職転生 〜異世界行ったら本気だす〜]](2021年 - 2023年、ヒトガミ) - 3シリーズ{{Ras|第1期第1クール(2021年)<!-- 2021-03-08 -->、第1期第2クール(2021年)<!-- 2021-10-04 -->、第2期『無職転生 II 〜異世界行ったら本気だす〜』(2023年)<!-- 2023-07-31 -->}} * [[Fairy蘭丸〜あなたの心お助けします〜]](園長)<!-- 2021-05-27 --> * [[100万の命の上に俺は立っている]](オーククイーン)<!-- 2021-07-10 --> * [[マジカパーティ]](アーニャ)<!-- 2021-12-26 --> | 2022年 | * [[エスタブライフ グレイトエスケープ]](ドキョー所長<ref>{{Cite news|url=https://mantan-web.jp/article/20220601dog00m200017000c.html|title=エスタブライフ グレイトエスケープ:第9話「支配から逃げられない」 無法者が秘密裏に移送される府中プリズン 受刑者全員を逃がす!?|newspaper=まんたんウェブ|publisher=MANTANWEB|date=2022-06-01|accessdate=2022-06-01}}</ref>)<!-- 2022-06-02 --> * [[邪神ちゃんドロップキックX]](すず〈牛〉)<!-- 2022-08-17 --> * [[まめきちまめこニートの日常]](2022年 - 2023年、マザ吉<ref>{{Cite web|和書|title=アニメ「まめきちまめこニートの日常」公式サイト|url=https://anime-mamekichimameko.jp/|accessdate=2022-09-12}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|第1弾(2022年 - 2023年)<!-- 2022-10-24 -->、第2弾(2023年)<!-- 2023-06-12 -->}} * [[名探偵コナン 犯人の犯沢さん]](店主)<!-- 2022-11-01 --> * [[恋愛フロップス]](女将)<!-- 2022-11-02 --> * [[農民関連のスキルばっか上げてたら何故か強くなった。]](オーク)<!-- 2022-12-17 --> | 2023年 | * [[アルスの巨獣]](皇帝)<!-- 2023-02-18 --> * [[アリス・ギア・アイギス Expansion]](幽霊)<!-- 2023-04-18 --> * [[異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する〜レベルアップは人生を変えた〜]](社長)<!-- 2023-04-21 --> * [[百姓貴族]]('''おかん'''<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/522434|title=アニメ「百姓貴族」7月7日放送開始 メインキャストに田村睦心、本多真梨子ら|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-04-27|accessdate=2023-04-27}}</ref>、人間計量器、ある農家のおばちゃん、喫茶店の牛C)<!-- 2023-07-07 --> * [[ダークギャザリング]](鬼子母神)<!-- 2023-07-24 --> * [[君のことが大大大大大好きな100人の彼女]](馬場杏〈教頭〉)<!-- 2023-10-15 --> * [[ドッグシグナル]](大家さん)<!-- 2023-10-22 --> * [[アンダーニンジャ]](高千穂お姉さん)<!-- 2023-11-03 --> * [[七つの大罪 黙示録の四騎士]](侍女、ダラク)<!-- 2023-11-19 --> }} === 劇場アニメ === {{dl2 | 1990年代 | * [[チョッちゃん物語#アニメ版|チョッちゃん物語]](1996年、中年女) * [[ルパン三世 DEAD OR ALIVE]](1996年) * [[ゲゲゲの鬼太郎 おばけナイター]](1997年、純<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_kitarou_obakenaita/| title = ゲゲゲの鬼太郎 おばけナイター| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2022-07-15}}</ref>) | 2000年代 | * [[おばあちゃんの思い出]](2000年、[[剛田武|幼い頃のジャイアン]]) * [[カウボーイビバップ#劇場版|カウボーイビバップ 天国の扉]](2001年、オバさん) * [[パルムの樹]](2002年、ボサボサ) * [[ドラえもん のび太のワンニャン時空伝]](2004年、ジャイアン幼少時代) * [[まじめにふまじめ かいけつゾロリ#なぞのお宝大さくせん|まじめにふまじめ かいけつゾロリ なぞのお宝大さくせん]](2006年、ゴーゴン) * [[劇場版 NARUTO -ナルト- 疾風伝 絆]](2008年、大蛇丸) | 2010年代 | * [[劇場版 銀魂 新訳紅桜篇]](2010年、お登勢) * [[空の境界 未来福音|劇場版 空の境界 未来福音]](2013年、観布子の母) * [[劇場版 銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ]](2013年、お登勢) * [[えいがのおそ松さん]](2019年、松代<ref>{{Cite web|work=「えいがのおそ松さん」公式サイト|url=https://osomatsusan.com/eiga/|title=CAST|accessdate=2023-06-07}}</ref>)<!-- 2019-03-15 --> | 2020年代 | * [[銀魂 THE FINAL]](2021年、お登勢)<!-- 2021-01-08 --> * [[劇場版 抱かれたい男1位に脅されています。〜スペイン編〜]](2021年、ロドリゲス時子)<!-- 2021-10-09 --> * [[おそ松さん〜ヒピポ族と輝く果実〜]](2022年、松野松代)<!--2022-07-08--> * [[おそ松さん〜魂のたこ焼きパーティーと伝説のお泊り会〜]](2023年、松野松代<ref>{{Cite web|work=「おそ松さん〜魂のたこ焼きパーティーと伝説のお泊り会〜」公式サイト|url=https://osomatsusan.com/tamaden/|title=STAFF/CAST|accessdate=2023-06-07}}</ref>)<!-- 2023-07-21 --> }} === OVA === {{dl2 | 1994年 | * [[キューティーハニー#OVA「新・キューティーハニー」|新・キューティーハニー]](アルフォンヌ) | 1995年 | * [[セイバーマリオネット|SMガールズ セイバーマリオネットR]](セクサドールA) * [[GOLDEN BOY|GOLDEN BOY さすらいのお勉強野郎]](家政婦) * [[楽勝!ハイパードール]](クラゲマン) | 1996年 | * [[タトゥーン★マスター]] * [[TWIN SIGNAL]](B助) | 1997年 | * [[魔法少女メルル]](雌サハギンゲリー) | 2002年 | * [[.hack//Liminality]](老婆) | 2005年 | * [[銀魂 (アニメ)#Blu-ray&DVD|銀魂「何事も最初が肝心なので多少背伸びするくらいが丁度良い」]](お登勢) | 2008年 | * [[kiss×sis]](ちん子) * [[らき☆すた (アニメ)#OVA|らき☆すたOVA(オリジナルなビジュアルとアニメーション)]](女性モブキャラクター) | 2009年 | * [[珍遊記 -太郎とゆかいな仲間たち-]](山姥、やすし) | 2011年 | * [[テイルズ オブ シンフォニア|テイルズ オブ シンフォニア THE ANIMATION 世界統合編]](ヴェリウス) }} === Webアニメ === * [[宮河家の空腹]](2013年、ひかげの同級生 他) * [[クレヨンしんちゃん外伝 お・お・お・のしんのすけ]](2017年、ポイポイババア) * 銀魂 THE SEMI-FINAL 万事屋篇(2021年、お登勢) * [[きよねこっ]](2022年、なでなでおじさん 他) === ゲーム === {{dl2 | 1997年 | * [[クーロンズゲート]]('''巫師''') | 1999年 | * [[魔剣X]](カティ) | 2001年 | * [[魔剣X|魔剣爻]](カティ) | 2002年 | * [[キングダム ハーツ]](アースラ) | 2003年 | * NARUTO -ナルト- 激闘忍者大戦!2(大蛇丸) * [[NARUTO -ナルト- ナルティメットヒーロー]](大蛇丸) | 2004年 | * [[キングダム ハーツ チェイン オブ 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tweet|user=houkai3rd|author=崩壊3rd公式|number=1244945859487223810|title=【声優発表】 |date=2020-03-31|accessdate=2022-08-07|link=no}}</ref>)<!-- 2020-03-31 --> * [[インディヴィジブル 闇を祓う魂たち]](フィービー<ref>{{Cite web|和書|work=ファミ通.com|url=https://www.famitsu.com/news/202006/18199738.html|title=『インディヴィジブル』サイドクエストでも新たな仲間が加入! ザーラ(声:能登麻美子)など心強い味方が登場|accessdate=2020-06-18}}</ref>)<!-- 2020-07-16 --> * [[クイズRPG 魔法使いと黒猫のウィズ]](お登勢)<!-- 2020-11-30 --> | 2022年 | * [[ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オフライン]](アバ)<!-- 2022-09-15 --> }} === ドラマCD === * [[THE IDOLM@STER MILLION THE@TER WAVE#09 Fleuranges|THE IDOLM@STER MILLION THE@TER WAVE 09 Fleuranges]](監督) * あやかしコンビニエンス(おばあちゃん<ref>{{Cite web|和書|work=あやかしコンビニエンス オフィシャルホームページ|url=http://www.ayakashicv.com/release_detail.html?id=8|title=ドラマCD「あやかしコンビニエンス」|accessdate=2018-03-29}}</ref>) * 今賀瞬〜[[バーストマン]]愛しのソングブックVol.1〜 * おしゃれマル秘セッション 番外編 平和自動車教習所昼下がりのクランク〜 * [[金の彼女 銀の彼女]](ブフォウ<ref>{{Cite web|和書|publisher=とらのあな|url=http://www.toranoana.jp/info/dojin/kinkano_ginkano/index.html|title=ドラマCD「金の彼女 銀の彼女」特設ページ|accessdate=2015-02-11}}</ref>) * 逮捕しちゃうぞ 限定解除ソングコレクション DISC 1 * ダンガンロンパ アナザーストーリーCD ▽黒版△ * ダンガンロンパ アナザーストーリーCD △白版▽ * [[魔術士オーフェン (ラジオ)|魔術士オーフェン 無謀編]](中年女) * [[宮河家の空腹#ドラマCD 宮河家の空腹 〜宮河ひなたの一日〜|ドラマCD 宮河家の空腹 〜宮河ひなたの一日〜]](女性客) * [[宮河家の空腹#宮河家の空腹 ヒャダインこと前山田健一が作曲したサウンドトラック シリーズ構成の待田堂子による新規撮り下ろしオリジナルドラマ 未放送のラジオ特別版を収録したCD|宮河家の空腹 ヒャダインこと前山田健一が作曲したサウンドトラック シリーズ構成の待田堂子による新規撮り下ろしオリジナルドラマ 未放送のラジオ特別版を収録したCD]](くーちゃん 他) * [[らき☆すた#らき☆すた ドラマCD(ドラマがコンプリートなディスク)|らき☆すた ドラマCD(ドラマがコンプリートなディスク)]](女性端役) * 流星皇子TOMMY(びろ〜ん君) === 吹き替え === ==== 担当女優 ==== {{dl2 | [[レスリー・ジョーンズ (コメディエンヌ)|レスリー・ジョーンズ]] | * [[アングリーバード2]](ゼータ<ref>{{Cite web|和書|work=アニメ!アニメ!|url=https://animeanime.jp/article/2019/10/25/49200.html|title=「アングリーバード2」2020年1月公開! 竹達彩奈が洋画吹替初挑戦、コメントも到着|accessdate=2019-10-27}}</ref>) * [[ゴーストバスターズ (2016年の映画)|ゴーストバスターズ]]('''パティ・トーラン''') * [[SING/シング]](ミーナの母) * [[ナショナル・セキュリティ]](ブリタニー) }} ==== 映画(吹き替え) ==== * [[エスケープ・フロム・L.A.]](ハーシー〈[[パム・グリア]]〉)※フジテレビ版 * [[キック・アス/ジャスティス・フォーエバー]](マザー・ロシア) * [[シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション]](マルティーヌ<ref>{{Cite web|和書|work=ふきカエル大作戦!!|url=https://www.fukikaeru.com/?p=12801|title=シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション|date=2019-11-18|accessdate=2019-11-18}}</ref>) * [[ジョーズ・アパートメント]](ブランク〈サンドラ・デントン〉) * [[張り込みプラス]](ルー・デラノ〈[[キャシー・モリアーティ]]〉)※日本テレビ版 * [[プラットフォーム (映画)|プラットフォーム]](イモギリ〈[[アントニア・サン・フアン]]〉<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[クロックワークス]]|url=https://klockworx.com/bluraydvd/p-409348/|title=プラットフォーム|accessdate=2021-05-07}}</ref>) * [[ホステル2]](化粧師)※DVD版 * [[ルイスと不思議の時計]](ハンチェット夫人〈[[コリーン・キャンプ]]〉) * [[ローラーボール (2002年の映画)|ローラーボール]] ※テレビ東京版 * [[ロッキー&ブルウィンクル]](判事〈[[ウーピー・ゴールドバーグ]]〉) ==== ドラマ ==== * [[エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY]] シーズン2 #14(ゲイ) * [[クリミナル・マインド FBI行動分析課]](エレン・ラッセル) * [[CSI:科学捜査班]](ジャッキー;指紋ラボの研究員) * [[スタートレック:ディープ・スペース・ナイン]] シーズン7 #7(コラーナ〈ナンシー・ヤングブラット〉) * [[ビクトリアス (テレビドラマ)|ビクトリアス]] * [[フルハウス (アメリカ合衆国のテレビドラマ)|フルハウス]](隣人) * [[名探偵モンク|名探偵モンク2]] ==== アニメ ==== * [[ガジェット警部]](マギヤ) * [[クロース (映画)|クロース]] * [[2分の1の魔法]](教官<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukikaeru.com/?p=14290|title=2分の1の魔法|publisher=ふきカエル大作戦!!|accessdate=2020-08-27}}</ref>) * [[ハウス・オブ・マウス]](ファイファー・ピッグ、アースラ) * [[バットマン:ブレイブ&ボールド]](モンガル) * [[ロラックスおじさんの秘密の種]](グリゼルダおばさん<!-- 〈声:エマリー・ウェンデル〉 -->) === 特撮 === * [[仮面ライダーアギト]](2001年、エルロード / 風のエルの声) === テレビドラマ === * [[一年半待て]] * [[女相撲 (テレビドラマ)|女相撲]] * [[怪談 KWAIDAN]] * [[終着駅シリーズ]] * [[誰にも言えない]] === 映画 === * [[トーキング・ヘッド]] === バラエティ === * [[ドリフ大爆笑]](1987年) * [[志村けんのだいじょうぶだぁ]](1992年12月23日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) * [[けんちゃんのオーマイゴッド]](1996年8月9日、フジテレビ) * [[志村けんのバカ殿様]](フジテレビ)町人を演じる[[内藤剛志]]の[[女房]]役、ある星の女王、ブスな腰元 * [[独占!女の60分]]([[テレビ朝日]]) === テレビ番組 === * [[さんすうすいすい]]([[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]、1996年4月 - 1999年3月)'''バリアー星人リーダー'''(顔出し) * [[たっくんのおもちゃ箱]](NHK教育テレビ)おぎんさん(声) * [[天才てれびくん|天才てれびくんMAX]](NHK教育テレビ) ** 天てれドラマ「ダッシュマン」グルメーラ(声) ** 日付変更船プッカリーノ第2話 老婆・住人(声) === 舞台 === * ことだま屋本舗☆リーディング部その12『怪人スカウト2021』(2021年、通行人B、成りすまし怪人ダマシトール、戦闘員3) * ことだま屋本舗☆リーディング部その13(2022年) ** 『かくれんぼ』(宇息斎法螺吹) ** 『夏の揺らめく煙に想ふ』(母) ** 『怪人スカウトGK』(パワハラ怪人アツリョクカケール、戦闘員3、ウメちゃん) === その他 === * [[らき☆すた in 武道館 あなたのためだから]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!--=== 注釈 === {{Notelist2}}--> {{Ras}} === 出典 === {{Reflist}} == 外部リンク == * {{81プロフィール}} * {{YouTube|c=UCDpr7Bm6gUJ0gDHCXtt0ocw|くじらちゃんチャンネル}} * {{日本タレント名鑑|W03-0199}} * {{タレントデータバンク|2000038934}} {{81プロデュース}} {{Voice-stub}} {{デフォルトソート:くしら}} [[Category:日本の女性声優]] [[Category:81プロデュース]] [[Category:大妻女子大学出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:1960年生]] [[Category:存命人物]]
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奈良時代
奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、第43代元明天皇により平城京(奈良・現奈良県奈良市)や聖武天皇の難波宮に都が置かれた時代。日本仏教による鎮護国家を目指して天平文化が花開いた時期とされる。 広義では、710年(和銅3年)に元明天皇によって平城京に遷都してから、794年(延暦13年)に桓武天皇によって平安京に都が遷されるまでの84年間を、狭義では同じく710年から784年(延暦3年)に桓武天皇によって長岡京に都が遷されるまでの74年間を指す。 「奈良の都」の異名を持つ平城京に都が置かれたことから、「奈良時代」や「平城時代」という。740年から745年にかけて、聖武天皇は恭仁京(京都府木津川市)、難波京(大阪府大阪市)、紫香楽宮(滋賀県甲賀市信楽)に、それぞれ短期間であるが宮都を遷したことがある。 平城京遷都には藤原不比等が重要な役割を果たした。平城京は、中国の都長安を模した都を造営したとされる。政治家や官僚が住民の大半を占める政治都市であった。 平城京への遷都に先立って撰定・施行された大宝律令が、日本国内の実情に合うように多方面から変更されるなど、試行錯誤を行ない、律令国家・天皇中心の専制国家・中央集権を目指した時代であった。また、天平文化が華開いた時代でもあった。 710年(和銅3年)、元明天皇は藤原京から平城京への遷都を行い[3]、都は平城京に遷った。この時期の律令国家は、戸籍と計帳で人民を把握すると、租・庸・調と軍役を課した。遣唐使を度々送り、唐をはじめとする大陸の文物を導入した。全国に国分寺を建て、仏教的な天平文化が栄えた。『古事記』『日本書紀』『万葉集』など現存最古の史書・文学が登場した。この時代、中央では政争が多く起こり、東北では蝦夷との戦争が絶えなかった。 皇位は、天武天皇と持統天皇の直系子孫によって継承されることが理想とされ、天皇の神聖さを保つ観点から、近親婚が繰り返された。その結果として、天武天皇と持統天皇の直系の皇子の多くは、病弱であり、相次いで早死にした。そのような天武・持統の直系子孫による皇位継承の不安定さが、8世紀におけるさまざまな政争を呼び起こし、結果として、天武・持統の直系の断絶・自壊へとつながった。 政治的には、710年の平城京遷都から729年の長屋王の変までを前期、藤原四兄弟の専権から764年(天平宝字8年)の藤原仲麻呂の乱までを中期、称徳天皇および道鏡の執政以降を後期に細分できる。 奈良時代の前半は、刑部親王らが撰述し、701年(大宝元年)に完成・施行された大宝律令が、基本法であった。 718年(養老2年)藤原不比等らに命じて、養老律令を新たに撰定した。字句の修正などが主であり、根本は大宝律令を基本としていたが、その施行は遅れ、757年(天平宝字9年)、藤原仲麻呂主導の下においてであった。 律令制下の天皇には、以下のような権力があった。 貴族や官人の官職及び位階を改廃する権限、令外官(りょうげのかん)の設置権、官人の叙位および任用権限、五衛府(ごえふ)や軍団兵士に対するすべての指揮命令権、罪刑法定主義を原則とする律の刑罰に対して勅断権と大赦権、外国の使者や外国へ派遣する使者に対する詔勅の使用などの外交権、皇位継承の決定権などである。 762年(天平宝字6年)頃、淡海三船は歴代天皇の漢風諡号を撰進した。これによって、天智天皇もしくは天武天皇の時代(7世紀)に創始されたと考えられる「天皇」号は、それ以前に遡って追号された。 大宝律令の制定によって、律令制国家ができあがった。中央官制は、二官八省と弾正台と五衛府から構成されていた。地方の行政組織は、国・郡・里で統一された。里はのちに郷とされた。さらに道制として、畿内と東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の七道に区分され、その内部は66国と壱岐嶋・対馬嶋の2嶋が配分された(令制国一覧参照)。軍団は各国に配置され、国司の管轄下におかれた。また田と民は国家のものとされる公地公民制を取り入れ、戸籍により班田が支給された。税は、租庸調と雑役から構成されていた。 742年(天平14年)大宰府を廃止。翌年、筑紫に鎮西府を置いたが、745年(天平17年)には太宰府が復された。 東北地方では多賀城、出羽柵等が設置され、蝦夷征討と開発、入植が進められた(既述)。 律令国家は、高度に体系化された官僚組織を維持するため、安定した税収を必要とした。いっぽう、日本の律令に規定された班田収受法には、開墾田のあつかいについての明確な規定がなかった。そのため、長屋王を中心とする朝廷は722年(養老6年)に良田百万町歩開墾計画を立て、計画遂行を期して723年(養老7年)には田地開墾を促進する三世一身法(さんぜいっしんのほう)を施行した。この法では、新しく灌漑施設をつくって開墾した者は三代のあいだ、もとからある池溝を利用した者は本人一代にかぎり、墾田の保有を認めた。 農民の墾田意欲は必ずしも向上せず、墾田も思いのほか進まなかったため、743年(天平15年)、橘諸兄政権はさらなる墾田促進を目的とした墾田永年私財法を施行した。これは、国司に申請して開墾の許可を得て、一定期間内に開墾すれば、一定限度内で田地の永久私有をみとめるものであった。 両法令は公地公民制の基盤を覆す性格をもったことは確かだが、動機としては班田(口分田)を確保することによって律令体制の立て直しを図ったものであったことも事実である。開墾をおこなう資力にめぐまれた貴族や豪族、寺社の土地所有は以後増加の一途をたどった。とくに大貴族や大寺院は、広大な土地を囲い込み、一般の農民や浮浪人を使役して私有地を広げた。これが荘園の起こりであるが、租税義務のともなう輸租田を主とするものであり、初期荘園(墾田地系荘園)と呼ばれる。 元明天皇即位の翌年にあたる708年(慶雲5年)正月、武蔵国が自然銅を献上したのを機に「和銅」と改元され、翌2月には、貨幣の鋳造と都城の建設が開始された。2月11日、鋳銭をつかさどる催鋳銭司がおかれ、2月15日、平城遷都の詔が出された。 「平城遷都の詔」によれば、新都は「方今、平城之地、四禽叶図...」とあり、「四神相応の地」が選ばれた。藤原京は、南から北にかけて傾斜する地形の上に立地し、藤原宮のある地点が群臣の居住する地より低く、臣下に見下ろされる場所にあったのが忌避されたとみなされることもあり、また現実問題として排水が悪いなどの難点ともなった。しかしそれだけではなく、藤原京は唐との交流が途絶えた時期に造られたため、古い書物(『周礼』)に基づいた設計を行ったと考えられ、当時の中国の都城と比しても類例のないものとなっていた。実際には、30数年ぶりに帰国した遣唐使の粟田真人が朝政にくわわってこれらの問題が明らかになり、また唐の文化や国力、首都長安の偉容や繁栄などを報告したことが、藤原京と長安との差がかけ離れていることを自覚することとなって、遷都を決めた要因となったと考えられるのだ。その根底には、壮麗な都を建設することが、外国使節や蝦夷・隼人などの辺境民、そして地方豪族や民衆に対して天皇の徳を示すことに他ならず、国内的には中央集権的な支配を確立するとともに、東夷の小「中華帝国」を目指したものに他ならなかった。9月、元明天皇はみずから平城の地を視察し、造平城京司の長官ら17名を任命、10月には伊勢神宮に勅使を派遣して新都造営を告げ、11月、平城宮予定地のため移転させられる民家に穀物、布を支給、12月には地鎮祭を行い、造営工事を開始した。 この年(和銅元年)、遷都を主導した藤原不比等は正二位、右大臣に進み、不比等の後妻、県犬養三千代は女帝の大嘗祭において杯に浮かぶタチバナとともに「橘宿禰」の姓を賜った。地名や職掌にかかわる名が一般的ななかで植物の名を氏名とするのは稀有なことであり、彼女の生んだ皇子たちは橘を名のって、橘氏の実質上の祖となった。なお、これにより橘諸兄と改名した葛城王と、のちに皇后となる光明子(光明皇后)とは、三千代を母とする異父同母の兄妹にあたる。 平城京の造営工事はきわめて短期間のうちに遂行された。工事着工後の1年4か月後の和銅3年(710年)3月には平城遷都が決行されたが、このように急ピッチでの遷都が可能であったのは、寺院も含めて建物の多くが藤原京からの移築だったことによる。近年の知見では新都平城京の規模は旧都藤原京とほぼ変わらず、むしろ藤原京のほうが広いぐらいであり、長安城に比較すれば4分の1程度にすぎなかった。平城京の特色としては「外京」という左京からの張り出し部分を設けたことで、完全な矩形ではないことである。「外京」はむしろ今日の奈良市の中心街となっている。平城京に所在する建物は、唐風建築のみならず、掘立柱で板敷の高床建築で屋根は檜皮葺という前代よりの伝統的な日本風建築も多かった。 都城の造営は短期間にすすめられたが、貨幣の鋳造のスピードもはやかった。708年2月に催鋳銭司がおかれ、同年5月にははやくも和同開珎の銀銭、同じく8月には銅銭が発行されている。銀銭の発行が早かったのは、秤量貨幣としての銀の通用の伝統があったためとみられる。 平城京が持統天皇期の藤原京の発展形であったのと同様、和同開珎もまた富本銭の発展形であり、また唐の銭貨にならったものであった。銭貨は新都の造営にやとわれた人びとへの支給銭など宮都造営費用の支払いに利用され、政府はさらにその流通をめざして和銅4年(711年)10月に一定量の銭を蓄えた者に位階を与えるとする蓄銭叙位令を発したものの、京・畿内を中心とした地域の外では、稲や布などを物品貨幣とする交易が広くおこなわれていた。蓄銭叙位令は一種の売官制であり、かえって貨幣の死蔵がすすみ、円滑な貨幣交換がさまたげられることがあった。政府は、こののちも銅銭の鋳造をつづけ、10世紀の乾元大宝まで12回にわたり国家的に銭貨の鋳造はおこなわれた。これを、皇朝十二銭という。 一方で、私鋳銭禁止令が和同開珎鋳造と同じ和銅元年(708年)に出されている。役人が位階獲得を目的に私鋳銭を製造しないよう、私鋳銭製造に対しては官位剥奪、「斬」(首を切る極刑)の罰が加えられた。 この時代の初め、中臣鎌足の息子藤原不比等があらわれて政権をにぎり、律令制度の確立に力を尽くすとともに、皇室に接近して藤原氏発展の基礎をかためた。不比等死後に政権を担当したのは、高市皇子の子で天武天皇の孫にあたる長屋王であった。彼は右大臣に昇って権勢を誇ったが、その前後から負担に苦しむ農民の浮浪や逃亡がふえ、社会不安が表面化したため、政府は財源確保のため723年(養老7年)には、三世一身法を施行して開墾を奨励した。不比等の娘藤原宮子を母とする聖武天皇が724年(神亀元年)に即位したころから、不比等の子武智麻呂、房前、宇合、麻呂の藤原四兄弟が政界に進出した。729年(神亀6年)、左大臣にのぼった長屋王に対し藤原四兄弟は「左道によって国家(天皇)を傾ける(殺す)」と讒訴して、自殺に追いこみ(長屋王の変)、政権を手にした。変の直後、藤原氏は不比等の娘光明子を、臣下で最初の皇后(光明皇后)に立てることに成功した。 その藤原四兄弟が737年(天平9年)に天然痘の流行で相次いで死亡すると、皇族出身の橘諸兄が下道真備(のちの吉備真備)や僧玄昉を参画させて政権を担った。これを不満とした宇合の長男藤原広嗣は、740年(天平12年)、真備らを除くことを名目に、九州で挙兵したが、敗死した(藤原広嗣の乱)。この反乱による中央の動揺ははなはだしく、聖武天皇は、山背の恭仁、摂津の難波、近江の紫香楽と転々と都をうつした。相次ぐ遷都による造営工事もあって人心はさらに動揺し、そのうえ疫病や天災もつづいたので社会不安はいっそう高まった。かねてより厚く仏教を信仰していた聖武天皇は鎮護国家の思想により、社会の動揺をしずめようと考え、741年(天平13年)に国分寺建立の詔、743年(天平15年)には盧舎那大仏造立の詔を発した。これにより東大寺大仏がつくられ、752年(天平勝宝4年)に完成、女帝孝謙天皇・聖武太上天皇臨席のもと、盛大な開眼供養がおこなわれた。 この間に光明皇后の信任を得た藤原南家の藤原仲麻呂(武智麻呂の子)が台頭、紫微中台を組織して755年(天平勝宝7年)には橘諸兄から実権を奪い、757年(天平宝字元年)には諸兄の子橘奈良麻呂も排除した(橘奈良麻呂の乱)。仲麻呂は独裁的な権力を手中に、傀儡(かいらい)として淳仁天皇を擁立。みずからを唐風に恵美押勝と改名すると、儒教を基本とする中国風の政治を推進したが、今度は孝謙上皇の寵愛を得た僧道鏡が頭角を現す。押勝はこれを除くために764年(天平宝字8年)に反乱を起こして敗死した(藤原仲麻呂の乱)。これにより、淳仁天皇は廃され、淡路に流された。 道鏡は、やがて765年(天平神護元年)には太政大臣禅師、翌766年(天平神護2年)には法王となって、一族や腹心の僧を高官に登用して権勢をふるい、西大寺の造立や百万塔の造立など、仏教による政権安定をはかろうとした。称徳天皇(孝謙上皇が復位)と道鏡は宇佐八幡宮に神託がくだったとして、道鏡を皇位継承者に擁立しようとしたが、藤原百川や和気清麻呂に阻まれ、770年(宝亀元年)の称徳天皇の没後に失脚した(宇佐八幡宮神託事件)。光仁天皇を擁立した藤原北家の藤原永手や藤原式家の藤原良継・百川らが躍進した。光仁天皇はこれまでの天武天皇の血統ではなく、天智天皇の子孫であった。光仁天皇は、官人の人員を削減するなど財政緊縮につとめ、国司や郡司の監督をきびしくして、地方政治の粛正をはかった。しかし、780年(宝亀11年)では陸奥国で伊治呰麻呂の反乱がおきるなど、東北地方では蝦夷の抵抗が強まった。 784年(延暦3年)強まってきた寺社勢力からの脱却のため、桓武天皇が山背国長岡の地に新たな都(長岡京)を造成したが、工事責任者の藤原種継が暗殺され、桓武天皇の弟早良親王が捕まる事態となって、794年(延暦13年)新しい都城を造成し、山背国を山城国と改め、新京を平安京と名づけて遷都した。この遷都をもって、奈良時代と呼称される時代は完全に終焉を遂げ、平安時代がはじまる。 政府は、学生や僧を唐へ留学させ、さまざまな文物を取り入れた。また、朝鮮半島との交流も盛んであった。これらの交易物などは、正倉院宝物でも、その一端をうかがい知ることができる。716年(霊亀2)には阿倍仲麻呂(唐で客死)・吉備真備・僧玄昉ら唐に留学した。彼らは、当時の列島にさまざまな文化をもちこんだ。 712年(和銅5年)にできたとされる『古事記』は、宮廷に伝わる「帝紀」「旧辞」をもとに天武天皇が稗田阿礼によみならわせた内容を、元明天皇の時に太安万侶が筆録したものである。神話・伝承から推古天皇にいたるまでの物語であり、多くの歌謡を収載している。口頭の日本語を漢字の音・訓を用いて表記されている。 それに対し、714年(和銅7年)に紀清人・三宅藤麻呂に国史を撰集させ、舎人親王が中心となって神代から持統天皇までの歴史を編集、720年(養老4年)に撰上されたのが『日本紀(日本書紀)』30巻・系図1巻である。これは、中国の歴史書の体裁にならったもので、漢文の編年体で記されている。こののち、『日本三代実録』まで漢文正史が編まれて「六国史」と総称されるが、『日本書紀』はその嚆矢となったものである。 また、政府は713年(和銅3年)には諸国に「風土記」の編纂を命じた。これは、郷土の産物や山や川などの自然、あるいはその由来、古老の言い伝えなどを収めた地誌である。『出雲国風土記』がほぼ完全に伝存するほか、常陸国、播磨国、豊後国、肥前国の風土記のそれぞれ一部が伝えられている。これは、古代の地方の様相を示す貴重な文献資料になっている。 文芸の面では、751年(天平勝宝3年)に現存最古の漢詩集『懐風藻』が編集され、大友皇子、大津皇子、文武天皇、長屋王などの作品を含む7世紀後半以降の漢詩をおさめている。奈良時代中期を代表する漢詩文の文人としては淡海三船と石上宅嗣が著名であり、いずれかが『懐風藻』の編集にたずさわったであろうと推定されるが、確実な証拠はない。 和歌の世界でも、和銅年間から天平年間にかけて山上憶良、山部赤人、大伴家持、大伴坂上郎女らの歌人があいついであらわれた。『万葉集』は759年(天平宝字3年)までの歌約4500首を収録した歌集で、雄略天皇の歌が巻頭をかざっている。舒明天皇・推古天皇以降の飛鳥時代、奈良時代の和歌が収められ、著名な歌人や宮廷人の作品ばかりではなく、東歌や防人歌など、地方の農民の素朴な感情をあらわした作品も多く収められており、このなかには心に訴える優れた歌が多くみられる。漢字の音と訓をたくみに組み合わせて日本語を記す万葉仮名が用いられていることも大きな特徴である。 奈良時代の日本仏教は、鎮護国家の思想とあいまって国家の保護下に置かれていよいよ発展し、国を守るための法会や祈祷がさかんにおこなわれた。政府は平城京内に大寺院をたて、聖武天皇は、741年(天平13)に全国に詔して、国分僧寺や尼寺を全国に建てさせ、また良弁を開山の師として東大寺の造営をおこない、743年(天平15)には、廬舎那仏金銅像(大仏)の造立を発願し、国家の安泰を願った。大仏の造立は、紫香楽宮で始まった。752年(天平勝宝4)には、出家し、退位した聖武太上天皇・光明皇太后・聖武の娘である孝謙天皇らが、東大寺に行幸し、大仏の開眼供養を行った。さらに孝謙天皇が重祚した称徳天皇は西大寺を建立した。 僧侶は南都七大寺(大安寺、薬師寺、元興寺、興福寺、東大寺、西大寺、法隆寺)などの寺において仏教の教理を研究。南都六宗(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗)という学派が形成された。大規模な写経もおこなわれており、特に光明皇后発願の一切経の写経事業は、大仏造立や国分寺造営とならぶ大事業であった。 仏教の発展は、遣唐使にしたがって留学した道慈(三論宗)や玄昉(法相宗)ら学問僧たちの努力によるところが大きいが、754年(天平勝宝6年)1月に6度目の航海のすえに平城京に到着して、戒律や多数の経典を伝えた唐出身の鑑真和上、大仏開眼供養の導師となったインド出身の菩提僊那、菩提僊那と同時に来日したチャンパ王国(林邑)出身の僧仏哲、唐僧道璿、また、多くの新羅僧ら外国出身の僧侶の活動に負うところも大きかった。 朝廷は国教として仏教を保護するいっぽう、「僧尼令」などの法令によってきびしく統制し、僧侶になる手続きや資格をさだめて仏教の民間布教に制限を加えた。行基のように禁令にそむいて民間への布教をおこない、弾圧されたものの灌漑設備や布施屋の設置、道路建設などの社会事業に尽力すると、民衆の支持を集める僧侶もあった。行基は結局、その人気に注目した政府によって登用され、大仏建立に尽力したことで大僧正の僧位を得た。 他に社会事業をおこなった人物としては、行基の師で宇治橋をつくったといわれる道昭(法相宗の開祖)、貧窮した民衆を救済するための悲田院・施薬院を設けた光明皇后、多数の孤児を養育した和気広虫などがいる。 618年、隋に代わって中国を統一した唐は大帝国を築き、東アジアに広大な領域を支配して周辺諸地域に大きな影響をあたえた。西アジアや中央アジアなどとの交流も活発であり、首都長安は国際都市として繁栄した。玄宗の治世前半は「開元の治」と称された。周辺諸国も唐と通交して漢字・儒教・漢訳仏教などの諸文化を共有して、東アジア文化圏が形成された。 その中にあって日本の律令国家体制では、天皇は中国の皇帝と並ぶものであり、唐と同様、日本を中華とする帝国構造を有していた。それは国家の統治権が及ぶ範囲を「化内」、それが及ばない外部を「化外」と区別すると、さらに化外を区分して唐を「隣国」、朝鮮諸国(この時代には新羅と渤海)を「諸蕃」、蝦夷・隼人・南島人を「夷狄」と規定する「東夷の小帝国」と呼ぶべきものであった。律令に規定後、それを自負したり目指したことと、とりわけ唐や朝鮮諸国との関係に実態がともなったかどうかは別の問題である。 630年の犬上御田鍬にはじまる日本からの遣唐使は、奈良時代にはほぼ20年に1度の頻度で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には、留学生や学問僧なども加わり、多いときには約500人におよぶ人びとが4隻の船に乗って渡海した。日本は唐の冊封は受けなかったものの、実質的には唐に臣従する朝貢国の扱いであった。使者は正月の朝賀に参列すると、皇帝を祝賀した。当時の造船術や航海術はなお未熟な点も多く、海上での遭難も少なくなかった。危険を冒して遣唐使たちは、多くの書籍やあるいはすぐれた織物や銀器・陶器・楽器などを数多く持ち帰り、また、唐の先進的な政治制度や国際色豊富な文化を持ち帰り、当時の日本に多大な影響をあたえた。中でも知識に対する貪欲さはすさまじく、皇帝から下賜された品々を売り払って、その代価ですべて書籍を購入して積み帰ったと唐の正史に記されるほどであった。文物だけでなく、知識を身につけた留学生や留学僧も日本に戻って指導的な役割を果たしている。とくに、帰国した吉備真備や玄昉は、後に聖武天皇に重用され、政治の世界でも活躍した。 白村江の戦いののち朝鮮半島を統一した新羅との間にも多くの使節が往来した。ところが、7世紀末から8世紀代の日本は(唐を「隣国」、新羅・渤海を「蕃国」とする)律令体制を築く過程で、中華意識を高めており、新羅を「蕃国」として位置づけ、従属国として扱おうとしたため、度々衝突が起きた(田村圓澄)。これにより、遣唐使のルートも幾度か変更されている。新羅は、半島統一を巡って唐と戦争中であり、背後の日本が唐側に着かないように唐を牽制するため使節を送り続けていた。唐と交戦している状況であったため8世紀初頭までは日本側の朝貢形式を容認していたが、渤海の成立後に唐との関係が好転した新羅は、朝貢してまで日本との関係を維持する必要がなくなったため、対等外交を主張するようになった。日本はこれを認めなかった。両国の関係悪化が具体化すると、新羅は日本の侵攻に備えて築城(723年、毛伐郡城)する。日本でも一時軍備強化のため節度使が置かれた。737年には新羅征討が議論に上った。この時期に日本では天然痘が大流行しており、政治の中心人物であった藤原武智麻呂をはじめとする藤原四兄弟、高位貴族が相次いで没して政治を行える人材が激減、国内が混乱に陥ったため、現実のものとはならなかった。 755年、安史の乱が起こり唐で混乱が生じると、新羅に脅威を抱く渤海との関係強化を背景に藤原仲麻呂は新羅への征討戦争を準備している(渤海との共同作戦を大前提にしていたが、渤海側に拒否されたため、開戦は延期されつづけ、最終的には仲麻呂の没落によりやはり実現しなかった)。このように衝突には至らなかったが、日本側の要求に応じてまで国交を維持する必要のなくなった新羅は使節の派遣を止め、779年を最後に途絶えることとなった。 上記のような説には異論が出されている。新羅は日本側の臣称・上表形式の国書を送るようにとの要求に対して、国交が断絶する最後まで、新羅王の国書自体を一回も送らなかった。新羅が唐の圧力を受けている間は、「新羅の使節」は日本への朝貢形式を容認していたが、八世紀中葉以降日本の朝貢要求を拒否するようになる。新羅王が日本に一度も国書を送っておらず、そもそも新羅が日本の朝貢体制を認めていたか疑問であり、新羅の使節が現地で誤魔化したのかもしれない(堀敏一)。また、川本芳昭は新羅が中国皇帝にしか許されない建元を日本より100年以上早く行うなど、その中華意識から考えて、上記のような説には一定の問題があるとしている。 こうした一方で、新羅は民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きく、現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には新羅商人が仲介したものが少なくないとされている。8世紀末になると遣新羅使の正式派遣は途絶えたが、新羅商人の活動はむしろ活発化している。 713年、靺鞨族が主体となって旧高句麗人(狛族)と共に中国東北部に建国した渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅の対抗上727年(神亀4年)に日本に渤海使を派遣して国交を求めた。唐・新羅に挟まれ、加えて支配下の黒水靺鞨の反乱など内外の危機的状況から、「蕃国」高句麗の後継として朝貢形式を求める日本に妥協し、朝貢使節とすることを容認した。渤海からの国書においても渤海の危機的状況に比例・反比例して日本の中華意識に迎合する文言が増減した。日本側は渤海を「蕃国」高句麗の再来としてその朝貢を歓迎すると共に、新羅との対抗関係から、渤海との通交をきわめて重視し、遣渤海使を派遣した。日本は新羅同様、渤海に対しても臣称・上表形式(臣下と称して、君主に文書を奉るという形式)の国書の送付を求めた。渤海は新羅と異なり国書こそ日本へ送付したが、その形式は「啓」というものであった。個人間の通信に用いる「啓」を国家間の公式文書に用いたのは渤海がアジアで初めてである。啓は国書に用いられる形式ではなく、個人間の起居を問う書信文であるから、国書の一般的な目的には合致しており、本来、上行文書であるから、相手国に対する丁重な態度を示すことになる。このような個人的な通信文を国書に転用したのは渤海の知恵だったと考えられている。あくまで「臣称・上表」形式を求める日本側はこれを度々批判したが、渤海は一貫して「臣称・上表」形式の国書の送付を拒否した。結局、日本側も啓を「慣例」として認めた。例外的に渤海が上表形式の国書を送った記事が続日本紀に記載があるが、記事は宝亀年間にのみ集中しており、渤海からの啓を上表と見做したと考えられている。 唐との関係が改善されると、渤海使の軍事的役割は低下し交易の比重が重くなり、来日の頻度も増えていった。平安時代初期には完全に変質した。824年には右大臣藤原緒嗣が「渤海使は商人であるので、今後は外交使節として扱わないように」と述べたほどであった。 一方、日本から渤海に送られた国書は天皇からの慰労詔書形式であるが、その書き出しは新羅に対するもの同様、一貫して「天皇敬問渤海国王」あるいは「天皇敬問渤海郡王」であった。この書式は中国に倣ったもので、中国では対等国ないし特別に尊重すべき相手国に出す書式であった。渤海や新羅を臣属国としようとしたのは、あくまで日本側の思惑であって、実際は日本の思惑通りにはいかなかった。国家間の臣属関係は官職の授与による「冊封」を通じて初めて成立するが、日本と新羅・渤海間に冊封関係は成立しなかった。そのような関係がおのずから丁重な形式の採用になった。 九州南部は、古墳時代に地下式横穴墓・板石積石棺墓(地下式板石積石室墓)・土壙墓などの独特な墓制が出現した地域であり、この地域の人々は古くは熊襲、7世紀後半ごろからは隼人と呼ばれるようになる。5世紀末ごろから徐々に大和政権の影響が浸透していたが、大宝律令が施行された時点でも依然として律令制的支配の及ばない地域だった。699年に三野城・稲積城が築かれ、律令国家は軍事力を背景とした支配を進めはじめる。709年には隼人の朝貢制度が始まり、朝廷において蝦夷とともに異民族たる「夷狄」が服属していることを示す。国家の儀礼において重要な役割を与えられた。しかし支配への抵抗も強く、特に720年には7年前に新設された大隅国の国守陽侯史麻呂が殺害される事件が起こった。これに対して律令政府は大伴旅人を大将軍として大規模な軍を派遣後、翌年までかかって鎮圧した(隼人の反乱)。その結果722年にははじめて造籍が行われ、以後隼人の組織的な抵抗はなくなった。ただ奈良時代における隼人はあくまで朝貢の対象であり、大隅・薩摩の両国に班田が行われるのは、平安時代に入った800年(延暦19年)のことである。 一方今の南西諸島からは、すでに7世紀の前半から使者が大和政権に「朝貢」するようになっていたが、698年には覓国使が南島に派遣され、翌年多褹(種子島)、夜久(屋久島)、菴美(奄美大島)、度感(徳之島)が朝貢に訪れ、702年には行政組織としての多禰島が設置された。南島からは工芸品の材料となる夜光貝や赤木といった特産物がもたらされ、また南島へは鉄器がもたらされた。大宰府跡からは「掩美嶋」(奄美大島)・「伊藍嶋」(沖永良部島か)と書かれた木簡が出土しており、また奄美大島奄美市の小湊・フワガネク遺跡から夜光貝による貝匙製作跡が見つかっている。9世紀になると「国なくして敵なく、損ありて益なし」といわれたように律令国家の関心は薄くなっていった。 歴史上、蝦夷と呼ばれる人々がどのような人々であったのかはいまだにさまざまな論があるが、何であれ中華思想に基づいた律令国家にとっては、「自らの支配下の外側にある人々という概念」でしかなかった。 しかし、奈良時代になると平城京の造営や軍団の整備により財政が悪化したことから、それまで支配下とは考えていなかった蝦夷からも徴税するため、大規模な侵略を始めたことで戦いが激化した。7世紀半ばに阿倍比羅夫らが現在の秋田や津軽地方、さらにその北方に至ったとされるが、8世紀初頭に律令国家に安定的に組み込まれていたのは、今の山形県庄内地方や宮城県中部以南までであった。当時は城や柵(城柵官衙と呼ばれる施設)が作られ、その周囲に柵戸と呼ばれる民が関東や北陸地方から移民させられて耕作に当たっていた。郡山遺跡(宮城県仙台市)は当時の中心的な官衙であったとみられている。平城遷都の前後から政府は急速な拡大政策をとる。708年には越後国に出羽郡をおき、712年には出羽国とした。また東海・東山道諸国の民を城柵に移す。農耕や防衛に当たらせた。これに対して蝦夷は709年および720年に反乱を起こすと、720年の時には陸奥按察使上毛野広人が殺害される事態となった。政府は大軍を発してこれを鎮圧、新たに郡と柵、さらにこれらを統括する施設として多賀城を建設した。一方日本海側では733年に出羽柵が現在の秋田市に移設された(後の秋田城)。 その後政府は蝦夷の首長を郡司に任命して部族集団の間接的な支配を行い、また個別に服属してきた者は俘囚として諸国に移民させられたりした。こうして東北地方南部は徐々に律令制の内部に組み込まれていくが、東北地方北部以北は依然として律令国家の支配外であった。しかし文化・経済の交流は続き、擦文文化には出羽地方の古墳の影響を受けた末期古墳が築造され、また恵庭市では和同開珎も出土している。 藤原仲麻呂政権は対蝦夷政策も積極的に行った。757年(天平宝字元年)に仲麻呂の子朝狩が陸奥守となり、新たに勢力外だった土地に桃生城および雄勝城を建設した。また762年多賀城を改修し、蝦夷への饗給(きょうごう)を行うにふさわしい壮大な施設へと変えた。仲麻呂の死から10年後の774年(宝亀5年)には桃生城が蝦夷に攻撃されて放棄される事件が起き(桃生城襲撃事件)、これ以降三十八年戦争といわれる、征夷と騒乱の時代へと突入する。780年(宝亀11年)には伊治呰麻呂が陸奥按察使紀広純を殺害し多賀城を焼き払うという事態(宝亀の乱)に至った。この騒乱状態は奈良時代の間には収束せず、平安時代へと引き継がれる。後に藤原緒嗣により「今天下の苦しむところは軍事と造作なり」と指弾されることとなる対蝦夷戦争は、「天皇の政治的権威の強化に大きな役割を担っていた」のである。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、第43代元明天皇により平城京(奈良・現奈良県奈良市)や聖武天皇の難波宮に都が置かれた時代。日本仏教による鎮護国家を目指して天平文化が花開いた時期とされる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "広義では、710年(和銅3年)に元明天皇によって平城京に遷都してから、794年(延暦13年)に桓武天皇によって平安京に都が遷されるまでの84年間を、狭義では同じく710年から784年(延暦3年)に桓武天皇によって長岡京に都が遷されるまでの74年間を指す。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "「奈良の都」の異名を持つ平城京に都が置かれたことから、「奈良時代」や「平城時代」という。740年から745年にかけて、聖武天皇は恭仁京(京都府木津川市)、難波京(大阪府大阪市)、紫香楽宮(滋賀県甲賀市信楽)に、それぞれ短期間であるが宮都を遷したことがある。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "平城京遷都には藤原不比等が重要な役割を果たした。平城京は、中国の都長安を模した都を造営したとされる。政治家や官僚が住民の大半を占める政治都市であった。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "平城京への遷都に先立って撰定・施行された大宝律令が、日本国内の実情に合うように多方面から変更されるなど、試行錯誤を行ない、律令国家・天皇中心の専制国家・中央集権を目指した時代であった。また、天平文化が華開いた時代でもあった。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "710年(和銅3年)、元明天皇は藤原京から平城京への遷都を行い[3]、都は平城京に遷った。この時期の律令国家は、戸籍と計帳で人民を把握すると、租・庸・調と軍役を課した。遣唐使を度々送り、唐をはじめとする大陸の文物を導入した。全国に国分寺を建て、仏教的な天平文化が栄えた。『古事記』『日本書紀』『万葉集』など現存最古の史書・文学が登場した。この時代、中央では政争が多く起こり、東北では蝦夷との戦争が絶えなかった。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "皇位は、天武天皇と持統天皇の直系子孫によって継承されることが理想とされ、天皇の神聖さを保つ観点から、近親婚が繰り返された。その結果として、天武天皇と持統天皇の直系の皇子の多くは、病弱であり、相次いで早死にした。そのような天武・持統の直系子孫による皇位継承の不安定さが、8世紀におけるさまざまな政争を呼び起こし、結果として、天武・持統の直系の断絶・自壊へとつながった。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "政治的には、710年の平城京遷都から729年の長屋王の変までを前期、藤原四兄弟の専権から764年(天平宝字8年)の藤原仲麻呂の乱までを中期、称徳天皇および道鏡の執政以降を後期に細分できる。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "奈良時代の前半は、刑部親王らが撰述し、701年(大宝元年)に完成・施行された大宝律令が、基本法であった。", "title": "律令国家の完成とその転換" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "718年(養老2年)藤原不比等らに命じて、養老律令を新たに撰定した。字句の修正などが主であり、根本は大宝律令を基本としていたが、その施行は遅れ、757年(天平宝字9年)、藤原仲麻呂主導の下においてであった。", "title": "律令国家の完成とその転換" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "律令制下の天皇には、以下のような権力があった。", "title": "律令国家の完成とその転換" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "貴族や官人の官職及び位階を改廃する権限、令外官(りょうげのかん)の設置権、官人の叙位および任用権限、五衛府(ごえふ)や軍団兵士に対するすべての指揮命令権、罪刑法定主義を原則とする律の刑罰に対して勅断権と大赦権、外国の使者や外国へ派遣する使者に対する詔勅の使用などの外交権、皇位継承の決定権などである。", "title": "律令国家の完成とその転換" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "762年(天平宝字6年)頃、淡海三船は歴代天皇の漢風諡号を撰進した。これによって、天智天皇もしくは天武天皇の時代(7世紀)に創始されたと考えられる「天皇」号は、それ以前に遡って追号された。", "title": "律令国家の完成とその転換" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "大宝律令の制定によって、律令制国家ができあがった。中央官制は、二官八省と弾正台と五衛府から構成されていた。地方の行政組織は、国・郡・里で統一された。里はのちに郷とされた。さらに道制として、畿内と東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の七道に区分され、その内部は66国と壱岐嶋・対馬嶋の2嶋が配分された(令制国一覧参照)。軍団は各国に配置され、国司の管轄下におかれた。また田と民は国家のものとされる公地公民制を取り入れ、戸籍により班田が支給された。税は、租庸調と雑役から構成されていた。", "title": "律令国家の完成とその転換" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "742年(天平14年)大宰府を廃止。翌年、筑紫に鎮西府を置いたが、745年(天平17年)には太宰府が復された。", "title": "律令国家の完成とその転換" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "東北地方では多賀城、出羽柵等が設置され、蝦夷征討と開発、入植が進められた(既述)。", "title": "律令国家の完成とその転換" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "律令国家は、高度に体系化された官僚組織を維持するため、安定した税収を必要とした。いっぽう、日本の律令に規定された班田収受法には、開墾田のあつかいについての明確な規定がなかった。そのため、長屋王を中心とする朝廷は722年(養老6年)に良田百万町歩開墾計画を立て、計画遂行を期して723年(養老7年)には田地開墾を促進する三世一身法(さんぜいっしんのほう)を施行した。この法では、新しく灌漑施設をつくって開墾した者は三代のあいだ、もとからある池溝を利用した者は本人一代にかぎり、墾田の保有を認めた。", "title": "律令国家の完成とその転換" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "農民の墾田意欲は必ずしも向上せず、墾田も思いのほか進まなかったため、743年(天平15年)、橘諸兄政権はさらなる墾田促進を目的とした墾田永年私財法を施行した。これは、国司に申請して開墾の許可を得て、一定期間内に開墾すれば、一定限度内で田地の永久私有をみとめるものであった。", "title": "律令国家の完成とその転換" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "両法令は公地公民制の基盤を覆す性格をもったことは確かだが、動機としては班田(口分田)を確保することによって律令体制の立て直しを図ったものであったことも事実である。開墾をおこなう資力にめぐまれた貴族や豪族、寺社の土地所有は以後増加の一途をたどった。とくに大貴族や大寺院は、広大な土地を囲い込み、一般の農民や浮浪人を使役して私有地を広げた。これが荘園の起こりであるが、租税義務のともなう輸租田を主とするものであり、初期荘園(墾田地系荘園)と呼ばれる。", "title": "律令国家の完成とその転換" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "元明天皇即位の翌年にあたる708年(慶雲5年)正月、武蔵国が自然銅を献上したのを機に「和銅」と改元され、翌2月には、貨幣の鋳造と都城の建設が開始された。2月11日、鋳銭をつかさどる催鋳銭司がおかれ、2月15日、平城遷都の詔が出された。", "title": "平城京の造営と和同開珎" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "「平城遷都の詔」によれば、新都は「方今、平城之地、四禽叶図...」とあり、「四神相応の地」が選ばれた。藤原京は、南から北にかけて傾斜する地形の上に立地し、藤原宮のある地点が群臣の居住する地より低く、臣下に見下ろされる場所にあったのが忌避されたとみなされることもあり、また現実問題として排水が悪いなどの難点ともなった。しかしそれだけではなく、藤原京は唐との交流が途絶えた時期に造られたため、古い書物(『周礼』)に基づいた設計を行ったと考えられ、当時の中国の都城と比しても類例のないものとなっていた。実際には、30数年ぶりに帰国した遣唐使の粟田真人が朝政にくわわってこれらの問題が明らかになり、また唐の文化や国力、首都長安の偉容や繁栄などを報告したことが、藤原京と長安との差がかけ離れていることを自覚することとなって、遷都を決めた要因となったと考えられるのだ。その根底には、壮麗な都を建設することが、外国使節や蝦夷・隼人などの辺境民、そして地方豪族や民衆に対して天皇の徳を示すことに他ならず、国内的には中央集権的な支配を確立するとともに、東夷の小「中華帝国」を目指したものに他ならなかった。9月、元明天皇はみずから平城の地を視察し、造平城京司の長官ら17名を任命、10月には伊勢神宮に勅使を派遣して新都造営を告げ、11月、平城宮予定地のため移転させられる民家に穀物、布を支給、12月には地鎮祭を行い、造営工事を開始した。", "title": "平城京の造営と和同開珎" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "この年(和銅元年)、遷都を主導した藤原不比等は正二位、右大臣に進み、不比等の後妻、県犬養三千代は女帝の大嘗祭において杯に浮かぶタチバナとともに「橘宿禰」の姓を賜った。地名や職掌にかかわる名が一般的ななかで植物の名を氏名とするのは稀有なことであり、彼女の生んだ皇子たちは橘を名のって、橘氏の実質上の祖となった。なお、これにより橘諸兄と改名した葛城王と、のちに皇后となる光明子(光明皇后)とは、三千代を母とする異父同母の兄妹にあたる。", "title": "平城京の造営と和同開珎" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "平城京の造営工事はきわめて短期間のうちに遂行された。工事着工後の1年4か月後の和銅3年(710年)3月には平城遷都が決行されたが、このように急ピッチでの遷都が可能であったのは、寺院も含めて建物の多くが藤原京からの移築だったことによる。近年の知見では新都平城京の規模は旧都藤原京とほぼ変わらず、むしろ藤原京のほうが広いぐらいであり、長安城に比較すれば4分の1程度にすぎなかった。平城京の特色としては「外京」という左京からの張り出し部分を設けたことで、完全な矩形ではないことである。「外京」はむしろ今日の奈良市の中心街となっている。平城京に所在する建物は、唐風建築のみならず、掘立柱で板敷の高床建築で屋根は檜皮葺という前代よりの伝統的な日本風建築も多かった。", "title": "平城京の造営と和同開珎" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "都城の造営は短期間にすすめられたが、貨幣の鋳造のスピードもはやかった。708年2月に催鋳銭司がおかれ、同年5月にははやくも和同開珎の銀銭、同じく8月には銅銭が発行されている。銀銭の発行が早かったのは、秤量貨幣としての銀の通用の伝統があったためとみられる。", "title": "平城京の造営と和同開珎" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "平城京が持統天皇期の藤原京の発展形であったのと同様、和同開珎もまた富本銭の発展形であり、また唐の銭貨にならったものであった。銭貨は新都の造営にやとわれた人びとへの支給銭など宮都造営費用の支払いに利用され、政府はさらにその流通をめざして和銅4年(711年)10月に一定量の銭を蓄えた者に位階を与えるとする蓄銭叙位令を発したものの、京・畿内を中心とした地域の外では、稲や布などを物品貨幣とする交易が広くおこなわれていた。蓄銭叙位令は一種の売官制であり、かえって貨幣の死蔵がすすみ、円滑な貨幣交換がさまたげられることがあった。政府は、こののちも銅銭の鋳造をつづけ、10世紀の乾元大宝まで12回にわたり国家的に銭貨の鋳造はおこなわれた。これを、皇朝十二銭という。", "title": "平城京の造営と和同開珎" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "一方で、私鋳銭禁止令が和同開珎鋳造と同じ和銅元年(708年)に出されている。役人が位階獲得を目的に私鋳銭を製造しないよう、私鋳銭製造に対しては官位剥奪、「斬」(首を切る極刑)の罰が加えられた。", "title": "平城京の造営と和同開珎" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "この時代の初め、中臣鎌足の息子藤原不比等があらわれて政権をにぎり、律令制度の確立に力を尽くすとともに、皇室に接近して藤原氏発展の基礎をかためた。不比等死後に政権を担当したのは、高市皇子の子で天武天皇の孫にあたる長屋王であった。彼は右大臣に昇って権勢を誇ったが、その前後から負担に苦しむ農民の浮浪や逃亡がふえ、社会不安が表面化したため、政府は財源確保のため723年(養老7年)には、三世一身法を施行して開墾を奨励した。不比等の娘藤原宮子を母とする聖武天皇が724年(神亀元年)に即位したころから、不比等の子武智麻呂、房前、宇合、麻呂の藤原四兄弟が政界に進出した。729年(神亀6年)、左大臣にのぼった長屋王に対し藤原四兄弟は「左道によって国家(天皇)を傾ける(殺す)」と讒訴して、自殺に追いこみ(長屋王の変)、政権を手にした。変の直後、藤原氏は不比等の娘光明子を、臣下で最初の皇后(光明皇后)に立てることに成功した。", "title": "政争と皇権の動揺" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "その藤原四兄弟が737年(天平9年)に天然痘の流行で相次いで死亡すると、皇族出身の橘諸兄が下道真備(のちの吉備真備)や僧玄昉を参画させて政権を担った。これを不満とした宇合の長男藤原広嗣は、740年(天平12年)、真備らを除くことを名目に、九州で挙兵したが、敗死した(藤原広嗣の乱)。この反乱による中央の動揺ははなはだしく、聖武天皇は、山背の恭仁、摂津の難波、近江の紫香楽と転々と都をうつした。相次ぐ遷都による造営工事もあって人心はさらに動揺し、そのうえ疫病や天災もつづいたので社会不安はいっそう高まった。かねてより厚く仏教を信仰していた聖武天皇は鎮護国家の思想により、社会の動揺をしずめようと考え、741年(天平13年)に国分寺建立の詔、743年(天平15年)には盧舎那大仏造立の詔を発した。これにより東大寺大仏がつくられ、752年(天平勝宝4年)に完成、女帝孝謙天皇・聖武太上天皇臨席のもと、盛大な開眼供養がおこなわれた。", "title": "政争と皇権の動揺" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "この間に光明皇后の信任を得た藤原南家の藤原仲麻呂(武智麻呂の子)が台頭、紫微中台を組織して755年(天平勝宝7年)には橘諸兄から実権を奪い、757年(天平宝字元年)には諸兄の子橘奈良麻呂も排除した(橘奈良麻呂の乱)。仲麻呂は独裁的な権力を手中に、傀儡(かいらい)として淳仁天皇を擁立。みずからを唐風に恵美押勝と改名すると、儒教を基本とする中国風の政治を推進したが、今度は孝謙上皇の寵愛を得た僧道鏡が頭角を現す。押勝はこれを除くために764年(天平宝字8年)に反乱を起こして敗死した(藤原仲麻呂の乱)。これにより、淳仁天皇は廃され、淡路に流された。", "title": "政争と皇権の動揺" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "道鏡は、やがて765年(天平神護元年)には太政大臣禅師、翌766年(天平神護2年)には法王となって、一族や腹心の僧を高官に登用して権勢をふるい、西大寺の造立や百万塔の造立など、仏教による政権安定をはかろうとした。称徳天皇(孝謙上皇が復位)と道鏡は宇佐八幡宮に神託がくだったとして、道鏡を皇位継承者に擁立しようとしたが、藤原百川や和気清麻呂に阻まれ、770年(宝亀元年)の称徳天皇の没後に失脚した(宇佐八幡宮神託事件)。光仁天皇を擁立した藤原北家の藤原永手や藤原式家の藤原良継・百川らが躍進した。光仁天皇はこれまでの天武天皇の血統ではなく、天智天皇の子孫であった。光仁天皇は、官人の人員を削減するなど財政緊縮につとめ、国司や郡司の監督をきびしくして、地方政治の粛正をはかった。しかし、780年(宝亀11年)では陸奥国で伊治呰麻呂の反乱がおきるなど、東北地方では蝦夷の抵抗が強まった。", "title": "政争と皇権の動揺" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "784年(延暦3年)強まってきた寺社勢力からの脱却のため、桓武天皇が山背国長岡の地に新たな都(長岡京)を造成したが、工事責任者の藤原種継が暗殺され、桓武天皇の弟早良親王が捕まる事態となって、794年(延暦13年)新しい都城を造成し、山背国を山城国と改め、新京を平安京と名づけて遷都した。この遷都をもって、奈良時代と呼称される時代は完全に終焉を遂げ、平安時代がはじまる。", "title": "政争と皇権の動揺" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "政府は、学生や僧を唐へ留学させ、さまざまな文物を取り入れた。また、朝鮮半島との交流も盛んであった。これらの交易物などは、正倉院宝物でも、その一端をうかがい知ることができる。716年(霊亀2)には阿倍仲麻呂(唐で客死)・吉備真備・僧玄昉ら唐に留学した。彼らは、当時の列島にさまざまな文化をもちこんだ。", "title": "天平文化" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "712年(和銅5年)にできたとされる『古事記』は、宮廷に伝わる「帝紀」「旧辞」をもとに天武天皇が稗田阿礼によみならわせた内容を、元明天皇の時に太安万侶が筆録したものである。神話・伝承から推古天皇にいたるまでの物語であり、多くの歌謡を収載している。口頭の日本語を漢字の音・訓を用いて表記されている。", "title": "天平文化" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "それに対し、714年(和銅7年)に紀清人・三宅藤麻呂に国史を撰集させ、舎人親王が中心となって神代から持統天皇までの歴史を編集、720年(養老4年)に撰上されたのが『日本紀(日本書紀)』30巻・系図1巻である。これは、中国の歴史書の体裁にならったもので、漢文の編年体で記されている。こののち、『日本三代実録』まで漢文正史が編まれて「六国史」と総称されるが、『日本書紀』はその嚆矢となったものである。", "title": "天平文化" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "また、政府は713年(和銅3年)には諸国に「風土記」の編纂を命じた。これは、郷土の産物や山や川などの自然、あるいはその由来、古老の言い伝えなどを収めた地誌である。『出雲国風土記』がほぼ完全に伝存するほか、常陸国、播磨国、豊後国、肥前国の風土記のそれぞれ一部が伝えられている。これは、古代の地方の様相を示す貴重な文献資料になっている。", "title": "天平文化" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "文芸の面では、751年(天平勝宝3年)に現存最古の漢詩集『懐風藻』が編集され、大友皇子、大津皇子、文武天皇、長屋王などの作品を含む7世紀後半以降の漢詩をおさめている。奈良時代中期を代表する漢詩文の文人としては淡海三船と石上宅嗣が著名であり、いずれかが『懐風藻』の編集にたずさわったであろうと推定されるが、確実な証拠はない。", "title": "天平文化" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "和歌の世界でも、和銅年間から天平年間にかけて山上憶良、山部赤人、大伴家持、大伴坂上郎女らの歌人があいついであらわれた。『万葉集』は759年(天平宝字3年)までの歌約4500首を収録した歌集で、雄略天皇の歌が巻頭をかざっている。舒明天皇・推古天皇以降の飛鳥時代、奈良時代の和歌が収められ、著名な歌人や宮廷人の作品ばかりではなく、東歌や防人歌など、地方の農民の素朴な感情をあらわした作品も多く収められており、このなかには心に訴える優れた歌が多くみられる。漢字の音と訓をたくみに組み合わせて日本語を記す万葉仮名が用いられていることも大きな特徴である。", "title": "天平文化" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "奈良時代の日本仏教は、鎮護国家の思想とあいまって国家の保護下に置かれていよいよ発展し、国を守るための法会や祈祷がさかんにおこなわれた。政府は平城京内に大寺院をたて、聖武天皇は、741年(天平13)に全国に詔して、国分僧寺や尼寺を全国に建てさせ、また良弁を開山の師として東大寺の造営をおこない、743年(天平15)には、廬舎那仏金銅像(大仏)の造立を発願し、国家の安泰を願った。大仏の造立は、紫香楽宮で始まった。752年(天平勝宝4)には、出家し、退位した聖武太上天皇・光明皇太后・聖武の娘である孝謙天皇らが、東大寺に行幸し、大仏の開眼供養を行った。さらに孝謙天皇が重祚した称徳天皇は西大寺を建立した。", "title": "天平文化" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "僧侶は南都七大寺(大安寺、薬師寺、元興寺、興福寺、東大寺、西大寺、法隆寺)などの寺において仏教の教理を研究。南都六宗(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗、律宗)という学派が形成された。大規模な写経もおこなわれており、特に光明皇后発願の一切経の写経事業は、大仏造立や国分寺造営とならぶ大事業であった。", "title": "天平文化" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "仏教の発展は、遣唐使にしたがって留学した道慈(三論宗)や玄昉(法相宗)ら学問僧たちの努力によるところが大きいが、754年(天平勝宝6年)1月に6度目の航海のすえに平城京に到着して、戒律や多数の経典を伝えた唐出身の鑑真和上、大仏開眼供養の導師となったインド出身の菩提僊那、菩提僊那と同時に来日したチャンパ王国(林邑)出身の僧仏哲、唐僧道璿、また、多くの新羅僧ら外国出身の僧侶の活動に負うところも大きかった。", "title": "天平文化" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "朝廷は国教として仏教を保護するいっぽう、「僧尼令」などの法令によってきびしく統制し、僧侶になる手続きや資格をさだめて仏教の民間布教に制限を加えた。行基のように禁令にそむいて民間への布教をおこない、弾圧されたものの灌漑設備や布施屋の設置、道路建設などの社会事業に尽力すると、民衆の支持を集める僧侶もあった。行基は結局、その人気に注目した政府によって登用され、大仏建立に尽力したことで大僧正の僧位を得た。", "title": "天平文化" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "他に社会事業をおこなった人物としては、行基の師で宇治橋をつくったといわれる道昭(法相宗の開祖)、貧窮した民衆を救済するための悲田院・施薬院を設けた光明皇后、多数の孤児を養育した和気広虫などがいる。", "title": "天平文化" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "618年、隋に代わって中国を統一した唐は大帝国を築き、東アジアに広大な領域を支配して周辺諸地域に大きな影響をあたえた。西アジアや中央アジアなどとの交流も活発であり、首都長安は国際都市として繁栄した。玄宗の治世前半は「開元の治」と称された。周辺諸国も唐と通交して漢字・儒教・漢訳仏教などの諸文化を共有して、東アジア文化圏が形成された。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "その中にあって日本の律令国家体制では、天皇は中国の皇帝と並ぶものであり、唐と同様、日本を中華とする帝国構造を有していた。それは国家の統治権が及ぶ範囲を「化内」、それが及ばない外部を「化外」と区別すると、さらに化外を区分して唐を「隣国」、朝鮮諸国(この時代には新羅と渤海)を「諸蕃」、蝦夷・隼人・南島人を「夷狄」と規定する「東夷の小帝国」と呼ぶべきものであった。律令に規定後、それを自負したり目指したことと、とりわけ唐や朝鮮諸国との関係に実態がともなったかどうかは別の問題である。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "630年の犬上御田鍬にはじまる日本からの遣唐使は、奈良時代にはほぼ20年に1度の頻度で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には、留学生や学問僧なども加わり、多いときには約500人におよぶ人びとが4隻の船に乗って渡海した。日本は唐の冊封は受けなかったものの、実質的には唐に臣従する朝貢国の扱いであった。使者は正月の朝賀に参列すると、皇帝を祝賀した。当時の造船術や航海術はなお未熟な点も多く、海上での遭難も少なくなかった。危険を冒して遣唐使たちは、多くの書籍やあるいはすぐれた織物や銀器・陶器・楽器などを数多く持ち帰り、また、唐の先進的な政治制度や国際色豊富な文化を持ち帰り、当時の日本に多大な影響をあたえた。中でも知識に対する貪欲さはすさまじく、皇帝から下賜された品々を売り払って、その代価ですべて書籍を購入して積み帰ったと唐の正史に記されるほどであった。文物だけでなく、知識を身につけた留学生や留学僧も日本に戻って指導的な役割を果たしている。とくに、帰国した吉備真備や玄昉は、後に聖武天皇に重用され、政治の世界でも活躍した。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "白村江の戦いののち朝鮮半島を統一した新羅との間にも多くの使節が往来した。ところが、7世紀末から8世紀代の日本は(唐を「隣国」、新羅・渤海を「蕃国」とする)律令体制を築く過程で、中華意識を高めており、新羅を「蕃国」として位置づけ、従属国として扱おうとしたため、度々衝突が起きた(田村圓澄)。これにより、遣唐使のルートも幾度か変更されている。新羅は、半島統一を巡って唐と戦争中であり、背後の日本が唐側に着かないように唐を牽制するため使節を送り続けていた。唐と交戦している状況であったため8世紀初頭までは日本側の朝貢形式を容認していたが、渤海の成立後に唐との関係が好転した新羅は、朝貢してまで日本との関係を維持する必要がなくなったため、対等外交を主張するようになった。日本はこれを認めなかった。両国の関係悪化が具体化すると、新羅は日本の侵攻に備えて築城(723年、毛伐郡城)する。日本でも一時軍備強化のため節度使が置かれた。737年には新羅征討が議論に上った。この時期に日本では天然痘が大流行しており、政治の中心人物であった藤原武智麻呂をはじめとする藤原四兄弟、高位貴族が相次いで没して政治を行える人材が激減、国内が混乱に陥ったため、現実のものとはならなかった。 755年、安史の乱が起こり唐で混乱が生じると、新羅に脅威を抱く渤海との関係強化を背景に藤原仲麻呂は新羅への征討戦争を準備している(渤海との共同作戦を大前提にしていたが、渤海側に拒否されたため、開戦は延期されつづけ、最終的には仲麻呂の没落によりやはり実現しなかった)。このように衝突には至らなかったが、日本側の要求に応じてまで国交を維持する必要のなくなった新羅は使節の派遣を止め、779年を最後に途絶えることとなった。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "上記のような説には異論が出されている。新羅は日本側の臣称・上表形式の国書を送るようにとの要求に対して、国交が断絶する最後まで、新羅王の国書自体を一回も送らなかった。新羅が唐の圧力を受けている間は、「新羅の使節」は日本への朝貢形式を容認していたが、八世紀中葉以降日本の朝貢要求を拒否するようになる。新羅王が日本に一度も国書を送っておらず、そもそも新羅が日本の朝貢体制を認めていたか疑問であり、新羅の使節が現地で誤魔化したのかもしれない(堀敏一)。また、川本芳昭は新羅が中国皇帝にしか許されない建元を日本より100年以上早く行うなど、その中華意識から考えて、上記のような説には一定の問題があるとしている。 こうした一方で、新羅は民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きく、現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には新羅商人が仲介したものが少なくないとされている。8世紀末になると遣新羅使の正式派遣は途絶えたが、新羅商人の活動はむしろ活発化している。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "713年、靺鞨族が主体となって旧高句麗人(狛族)と共に中国東北部に建国した渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅の対抗上727年(神亀4年)に日本に渤海使を派遣して国交を求めた。唐・新羅に挟まれ、加えて支配下の黒水靺鞨の反乱など内外の危機的状況から、「蕃国」高句麗の後継として朝貢形式を求める日本に妥協し、朝貢使節とすることを容認した。渤海からの国書においても渤海の危機的状況に比例・反比例して日本の中華意識に迎合する文言が増減した。日本側は渤海を「蕃国」高句麗の再来としてその朝貢を歓迎すると共に、新羅との対抗関係から、渤海との通交をきわめて重視し、遣渤海使を派遣した。日本は新羅同様、渤海に対しても臣称・上表形式(臣下と称して、君主に文書を奉るという形式)の国書の送付を求めた。渤海は新羅と異なり国書こそ日本へ送付したが、その形式は「啓」というものであった。個人間の通信に用いる「啓」を国家間の公式文書に用いたのは渤海がアジアで初めてである。啓は国書に用いられる形式ではなく、個人間の起居を問う書信文であるから、国書の一般的な目的には合致しており、本来、上行文書であるから、相手国に対する丁重な態度を示すことになる。このような個人的な通信文を国書に転用したのは渤海の知恵だったと考えられている。あくまで「臣称・上表」形式を求める日本側はこれを度々批判したが、渤海は一貫して「臣称・上表」形式の国書の送付を拒否した。結局、日本側も啓を「慣例」として認めた。例外的に渤海が上表形式の国書を送った記事が続日本紀に記載があるが、記事は宝亀年間にのみ集中しており、渤海からの啓を上表と見做したと考えられている。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "唐との関係が改善されると、渤海使の軍事的役割は低下し交易の比重が重くなり、来日の頻度も増えていった。平安時代初期には完全に変質した。824年には右大臣藤原緒嗣が「渤海使は商人であるので、今後は外交使節として扱わないように」と述べたほどであった。 一方、日本から渤海に送られた国書は天皇からの慰労詔書形式であるが、その書き出しは新羅に対するもの同様、一貫して「天皇敬問渤海国王」あるいは「天皇敬問渤海郡王」であった。この書式は中国に倣ったもので、中国では対等国ないし特別に尊重すべき相手国に出す書式であった。渤海や新羅を臣属国としようとしたのは、あくまで日本側の思惑であって、実際は日本の思惑通りにはいかなかった。国家間の臣属関係は官職の授与による「冊封」を通じて初めて成立するが、日本と新羅・渤海間に冊封関係は成立しなかった。そのような関係がおのずから丁重な形式の採用になった。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "九州南部は、古墳時代に地下式横穴墓・板石積石棺墓(地下式板石積石室墓)・土壙墓などの独特な墓制が出現した地域であり、この地域の人々は古くは熊襲、7世紀後半ごろからは隼人と呼ばれるようになる。5世紀末ごろから徐々に大和政権の影響が浸透していたが、大宝律令が施行された時点でも依然として律令制的支配の及ばない地域だった。699年に三野城・稲積城が築かれ、律令国家は軍事力を背景とした支配を進めはじめる。709年には隼人の朝貢制度が始まり、朝廷において蝦夷とともに異民族たる「夷狄」が服属していることを示す。国家の儀礼において重要な役割を与えられた。しかし支配への抵抗も強く、特に720年には7年前に新設された大隅国の国守陽侯史麻呂が殺害される事件が起こった。これに対して律令政府は大伴旅人を大将軍として大規模な軍を派遣後、翌年までかかって鎮圧した(隼人の反乱)。その結果722年にははじめて造籍が行われ、以後隼人の組織的な抵抗はなくなった。ただ奈良時代における隼人はあくまで朝貢の対象であり、大隅・薩摩の両国に班田が行われるのは、平安時代に入った800年(延暦19年)のことである。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "一方今の南西諸島からは、すでに7世紀の前半から使者が大和政権に「朝貢」するようになっていたが、698年には覓国使が南島に派遣され、翌年多褹(種子島)、夜久(屋久島)、菴美(奄美大島)、度感(徳之島)が朝貢に訪れ、702年には行政組織としての多禰島が設置された。南島からは工芸品の材料となる夜光貝や赤木といった特産物がもたらされ、また南島へは鉄器がもたらされた。大宰府跡からは「掩美嶋」(奄美大島)・「伊藍嶋」(沖永良部島か)と書かれた木簡が出土しており、また奄美大島奄美市の小湊・フワガネク遺跡から夜光貝による貝匙製作跡が見つかっている。9世紀になると「国なくして敵なく、損ありて益なし」といわれたように律令国家の関心は薄くなっていった。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "歴史上、蝦夷と呼ばれる人々がどのような人々であったのかはいまだにさまざまな論があるが、何であれ中華思想に基づいた律令国家にとっては、「自らの支配下の外側にある人々という概念」でしかなかった。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "しかし、奈良時代になると平城京の造営や軍団の整備により財政が悪化したことから、それまで支配下とは考えていなかった蝦夷からも徴税するため、大規模な侵略を始めたことで戦いが激化した。7世紀半ばに阿倍比羅夫らが現在の秋田や津軽地方、さらにその北方に至ったとされるが、8世紀初頭に律令国家に安定的に組み込まれていたのは、今の山形県庄内地方や宮城県中部以南までであった。当時は城や柵(城柵官衙と呼ばれる施設)が作られ、その周囲に柵戸と呼ばれる民が関東や北陸地方から移民させられて耕作に当たっていた。郡山遺跡(宮城県仙台市)は当時の中心的な官衙であったとみられている。平城遷都の前後から政府は急速な拡大政策をとる。708年には越後国に出羽郡をおき、712年には出羽国とした。また東海・東山道諸国の民を城柵に移す。農耕や防衛に当たらせた。これに対して蝦夷は709年および720年に反乱を起こすと、720年の時には陸奥按察使上毛野広人が殺害される事態となった。政府は大軍を発してこれを鎮圧、新たに郡と柵、さらにこれらを統括する施設として多賀城を建設した。一方日本海側では733年に出羽柵が現在の秋田市に移設された(後の秋田城)。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "その後政府は蝦夷の首長を郡司に任命して部族集団の間接的な支配を行い、また個別に服属してきた者は俘囚として諸国に移民させられたりした。こうして東北地方南部は徐々に律令制の内部に組み込まれていくが、東北地方北部以北は依然として律令国家の支配外であった。しかし文化・経済の交流は続き、擦文文化には出羽地方の古墳の影響を受けた末期古墳が築造され、また恵庭市では和同開珎も出土している。", "title": "対外関係" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "藤原仲麻呂政権は対蝦夷政策も積極的に行った。757年(天平宝字元年)に仲麻呂の子朝狩が陸奥守となり、新たに勢力外だった土地に桃生城および雄勝城を建設した。また762年多賀城を改修し、蝦夷への饗給(きょうごう)を行うにふさわしい壮大な施設へと変えた。仲麻呂の死から10年後の774年(宝亀5年)には桃生城が蝦夷に攻撃されて放棄される事件が起き(桃生城襲撃事件)、これ以降三十八年戦争といわれる、征夷と騒乱の時代へと突入する。780年(宝亀11年)には伊治呰麻呂が陸奥按察使紀広純を殺害し多賀城を焼き払うという事態(宝亀の乱)に至った。この騒乱状態は奈良時代の間には収束せず、平安時代へと引き継がれる。後に藤原緒嗣により「今天下の苦しむところは軍事と造作なり」と指弾されることとなる対蝦夷戦争は、「天皇の政治的権威の強化に大きな役割を担っていた」のである。", "title": "対外関係" } ]
奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、第43代元明天皇により平城京(奈良・現奈良県奈良市)や聖武天皇の難波宮に都が置かれた時代。日本仏教による鎮護国家を目指して天平文化が花開いた時期とされる。
{{日本の歴史|Todaiji02.JPG|画像説明=東大寺盧舎那仏像}} '''奈良時代'''(ならじだい)は、[[日本の歴史]]の時代区分の一つで、第43代[[元明天皇]]により[[平城京]]('''[[奈良]]'''・現[[奈良県]]'''[[奈良市]]''')や[[聖武天皇]]の[[難波宮]]に都が置かれた時代。[[日本の仏教|日本仏教]]による[[鎮護国家]]を目指して[[天平文化]]が花開いた時期とされる。 ==概説== ===範囲 === 広義では、[[710年]]([[和銅]]3年)に[[元明天皇]]によって[[平城京]]に[[遷都]]してから、[[794年]]([[延暦]]13年)に[[桓武天皇]]によって[[平安京]]に都が遷されるまでの84年間を、狭義では同じく[[710年]]から[[784年]](延暦3年)に[[桓武天皇]]によって[[長岡京]]に都が遷されるまでの74年間を指す。 「[[奈良]]の都」の異名を持つ[[平城京]]に都が置かれたことから、「奈良時代」や「平城時代」という。[[740年]]から[[745年]]にかけて、[[聖武天皇]]は[[恭仁京]]([[京都府]][[木津川市]])、[[難波京]]([[大阪府]][[大阪市]])、[[紫香楽宮]]([[滋賀県]][[甲賀市]][[信楽町|信楽]])に、それぞれ短期間であるが宮都を遷したことがある。 ===特徴=== [[File:Fujiwara-Fuhito.jpg|thumb|right|180px|藤原不比等([[菊池容斎]]・画、[[明治]]時代)]] 平城京遷都には[[藤原不比等]]が重要な役割を果たした。平城京は、中国の都[[長安]]を模した都を造営したとされる。政治家や官僚が住民の大半を占める政治都市であった。 平城京への遷都に先立って撰定・施行された[[大宝律令]]が、日本国内の実情に合うように多方面から変更されるなど、試行錯誤を行ない、律令国家・天皇中心の専制国家・中央集権を目指した時代であった。また、[[天平文化]]が華開いた時代でもあった。 710年(和銅3年)、[[元明天皇]]は[[藤原京]]から平城京への遷都を行い[3]、都は平城京に遷った。この時期の[[律令国家]]は、[[戸籍 (古代)|戸籍]]と[[計帳]]で人民を把握すると、[[租・庸・調]]と軍役を課した<!--国家が重税を取立てる機関で在る事が強調され、何の為に税が必要とされたのかの記述が無い。税の支払いが国家による搾取と看做されるならば、国家は存立が不可能となる。-->。[[遣唐使]]を度々送り、唐をはじめとする大陸の文物を導入した。全国に[[国分寺]]を建て、仏教的な天平文化が栄えた。『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』『[[万葉集]]』など現存最古の史書・文学が登場した。この時代、中央では政争が多く起こり、東北では[[蝦夷]]との戦争が絶えなかった。 皇位は、[[天武天皇]]と[[持統天皇]]の直系子孫によって継承されることが理想とされ、天皇の神聖さを保つ観点から、[[近親婚]]が繰り返された。その結果として、天武天皇と持統天皇の直系の皇子の多くは、病弱であり、相次いで早死にした。そのような天武・持統の直系子孫による皇位継承の不安定さが、8世紀におけるさまざまな政争を呼び起こし、結果として、天武・持統の直系の断絶・自壊へとつながった。 政治的には、710年の平城京遷都から[[729年]]の[[長屋王#長屋王の変|長屋王の変]]までを'''前期'''、[[藤原四兄弟]]の専権から[[764年]]([[天平宝字]]8年)の[[藤原仲麻呂の乱]]までを'''中期'''、[[孝謙天皇|称徳天皇]]および[[道鏡]]の執政以降を'''後期'''に細分できる<ref>北山(1979){{要ページ番号|date=2019年5月}}</ref>。 == 律令国家の完成とその転換 == {{main|律令制}} 奈良時代の前半は、[[忍壁皇子|刑部親王]]らが撰述し、[[701年]]([[大宝 (日本)|大宝]]元年)に完成・施行された[[大宝律令]]が、基本法であった。 [[718年]]([[養老]]2年)[[藤原不比等]]らに命じて、[[養老律令]]を新たに撰定した。字句の修正などが主であり、根本は大宝律令を基本としていたが、その施行は遅れ、[[757年]]([[天平宝字]]9年)、[[藤原仲麻呂]]主導の下においてであった。 === 律令制下の天皇権力 === [[ファイル:Emperor family tree38-50.png|thumb|160px|right|天皇系図第38-50代]] 律令制下の天皇には、以下のような権力があった。 [[貴族]]や[[官人]]の[[官職]]及び[[位階]]を改廃する権限、[[令外官]](りょうげのかん)の設置権、官人の叙位および任用権限、[[五衛府]](ごえふ)や軍団兵士に対するすべての指揮命令権、[[罪刑法定主義]]を原則とする律の刑罰に対して勅断権と大赦権、外国の使者や外国へ派遣する使者に対する[[詔勅]]の使用などの外交権、皇位継承の決定権などである。 [[762年]]([[天平宝字]]6年)頃、[[淡海三船]]は歴代天皇の[[諡#漢風諡号|漢風諡号]]を撰進した。これによって、[[天智天皇]]もしくは[[天武天皇]]の時代([[7世紀]])に創始されたと考えられる「[[天皇]]」号は、それ以前に遡って追号された。 === 中央官制、税制と地方行政組織 === 大宝律令の制定によって、[[律令制]]国家ができあがった。中央官制は、二官八省と[[弾正台]]と五衛府から構成されていた。地方の行政組織は、[[令制国|国]]・[[郡#日本の郡|郡]]・[[郷#日本における郷|里]]で統一された。里はのちに[[郷#日本における郷|郷]]とされた。さらに[[五畿七道|道制]]として、[[畿内#日本の畿内|畿内]]と[[東海道]]・[[東山道]]・[[北陸道]]・[[山陰道]]・[[山陽道]]・[[南海道]]・[[西海道]]の七道に区分され、その内部は66国と[[壱岐国|壱岐嶋]]・[[対馬国|対馬嶋]]の2嶋が配分された([[令制国一覧]]参照)。[[軍団 (古代日本)|軍団]]は各国に配置され、[[国司]]の管轄下におかれた。また田と民は国家のものとされる[[公地公民制]]を取り入れ、[[古代の戸籍制度|戸籍]]により[[班田収授法|班田]]が支給された。税は、[[租庸調]]と[[雑徭|雑役]]から構成されていた。 [[742年]]([[天平]]14年)[[大宰府]]を廃止。翌年、筑紫に[[鎮西府]]を置いたが、[[745年]](天平17年)には太宰府が復された。 東北地方では[[多賀城]]、[[出羽柵]]等が設置され、[[蝦夷]]征討と開発、入植が進められた(既述)。 === 農地拡大政策と律令国家 === 律令国家は、高度に体系化された[[官僚]]組織を維持するため、安定した税収を必要とした。いっぽう、日本の律令に規定された班田収受法には、開墾田のあつかいについての明確な規定がなかった<ref name=yoshida/>。そのため、[[長屋王]]を中心とする朝廷は[[722年]](養老6年)に[[百万町歩開墾計画|良田百万町歩開墾計画]]を立て、計画遂行を期して[[723年]](養老7年)には田地開墾を促進する[[三世一身法]](さんぜいっしんのほう)を施行した。この法では、新しく[[灌漑施設]]をつくって開墾した者は三代のあいだ、もとからある池溝を利用した者は本人一代にかぎり、墾田の保有を認めた。 農民の墾田意欲は必ずしも向上せず、墾田も思いのほか進まなかったため、[[743年]](天平15年)、[[橘諸兄]]政権はさらなる墾田促進を目的とした[[墾田永年私財法]]を施行した。これは、国司に申請して開墾の許可を得て、一定期間内に開墾すれば、一定限度内で田地の永久私有をみとめるものであった。 両法令は[[公地公民制]]の基盤を覆す性格をもったことは確かだが、動機としては班田(口分田)を確保することによって律令体制の立て直しを図ったものであったことも事実である。開墾をおこなう資力にめぐまれた貴族や豪族、[[寺社]]の土地所有は以後増加の一途をたどった。とくに大貴族や大寺院は、広大な土地を囲い込み、一般の農民や[[浮浪人]]を使役して私有地を広げた。これが[[荘園 (日本)|荘園]]の起こりであるが、租税義務のともなう[[輸租田]]を主とするものであり、[[初期荘園]](墾田地系荘園)と呼ばれる。 == 平城京の造営と和同開珎 == {{main|平城京|和同開珎|蓄銭叙位令}} 元明天皇即位の翌年にあたる[[708年]]([[慶雲]]5年)正月、[[武蔵国]]が[[銅|自然銅]]を献上したのを機に「[[和銅]]」と改元され、翌2月には、[[貨幣]]の鋳造と[[都城]]の建設が開始された。2月11日、鋳銭をつかさどる催鋳銭司がおかれ、2月15日、[[平城遷都の詔]]が出された。 === 平城遷都と橘賜姓 === [[File:220325 One-thousandth scale model of Heijo Kyo.jpg|thumb|350px|平城京の復元模型([[奈良市役所]]の展示物)]] 「平城遷都の詔」によれば、新都は「方今、平城之地、四禽叶図…」とあり、「[[四神相応]]の地」が選ばれた。[[藤原京]]は、南から北にかけて傾斜する地形の上に立地し、[[藤原宮]]のある地点が群臣の居住する地より低く、臣下に見下ろされる場所にあったのが忌避されたとみなされることもあり、また現実問題として排水が悪いなどの難点ともなった。しかしそれだけではなく、藤原京は唐との交流が途絶えた時期に造られたため、古い書物(『[[周礼]]』)に基づいた設計を行ったと考えられ、当時の中国の都城と比しても類例のないものとなっていた。実際には、30数年ぶりに帰国した[[遣唐使]]の[[粟田真人]]が朝政にくわわってこれらの問題が明らかになり、また唐の文化や国力、首都[[長安]]の偉容や繁栄などを報告したことが、藤原京と長安との差がかけ離れていることを自覚することとなって、遷都を決めた要因となったと考えられるのだ<ref>小澤 (2005) pp.142-148</ref>。その根底には、壮麗な都を建設することが、外国使節や蝦夷・隼人などの辺境民、そして地方豪族や民衆に対して天皇の徳を示すことに他ならず、国内的には中央集権的な支配を確立するとともに、東夷の小「中華帝国」を目指したものに他ならなかった<ref>佐藤 (2002) p.20</ref>。9月、元明天皇はみずから平城の地を視察し、[[造平城京司]]の長官ら17名を任命、10月には[[伊勢神宮]]に[[勅使]]を派遣して新都造営を告げ、11月、平城宮予定地のため移転させられる民家に[[穀物]]、布を支給、12月には[[地鎮祭]]を行い、造営工事を開始した。 この年(和銅元年)、遷都を主導した藤原不比等は正二位、[[右大臣]]に進み、不比等の後妻、[[県犬養三千代]]は女帝の[[大嘗祭]]において杯に浮かぶ[[タチバナ]]とともに「橘宿禰」の姓を賜った。地名や職掌にかかわる名が一般的ななかで植物の名を氏名とするのは稀有なことであり、彼女の生んだ皇子たちは橘を名のって、[[橘氏]]の実質上の祖となった。なお、これにより[[橘諸兄]]と改名した葛城王と、のちに皇后となる光明子([[光明皇后]])とは、三千代を母とする異父同母の兄妹にあたる。 [[File:Daigokuden 16-9.jpg|thumb|right|250px|復元された平城宮第一次[[大極殿]]]] 平城京の造営工事はきわめて短期間のうちに遂行された。工事着工後の1年4か月後の和銅3年(710年)3月には平城遷都が決行されたが、このように急ピッチでの遷都が可能であったのは、寺院も含めて建物の多くが藤原京からの移築だったことによる。近年の知見では新都平城京の規模は旧都藤原京とほぼ変わらず、むしろ藤原京のほうが広いぐらい<ref>鐘江 (2008) p.88</ref>であり、長安城に比較すれば4分の1程度にすぎなかった。平城京の特色としては「[[平城京#都市計画|外京]]」という左京からの張り出し部分を設けたことで、完全な矩形ではないことである。「外京」はむしろ今日の[[奈良市]]の中心街となっている。平城京に所在する建物は、唐風建築のみならず、[[掘立柱建物|掘立柱]]で板敷の[[高床式倉庫|高床建築]]で屋根は[[檜皮葺]]という前代よりの伝統的な日本風建築も多かった。 === 和同開珎と蓄銭叙位令 === [[ファイル:Wadogin.jpg|thumb|right|170px|和同開珎銀銭]] 都城の造営は短期間にすすめられたが、貨幣の鋳造のスピードもはやかった。708年2月に催鋳銭司がおかれ、同年5月にははやくも[[和同開珎]]の[[銀銭]]、同じく8月には[[銅銭]]が発行されている。銀銭の発行が早かったのは、秤量貨幣としての銀の通用の伝統があったためとみられる<ref name=yoshida/>。 平城京が[[持統天皇]]期の藤原京の発展形であったのと同様、和同開珎もまた[[富本銭]]の発展形であり、また唐の銭貨にならったものであった。銭貨は新都の造営にやとわれた人びとへの支給銭など宮都造営費用の支払いに利用され、政府はさらにその流通をめざして和銅4年(711年)10月に一定量の銭を蓄えた者に位階を与えるとする[[蓄銭叙位令]]を発したものの、京・畿内を中心とした地域の外では、稲や布などを物品貨幣とする交易が広くおこなわれていた。蓄銭叙位令は一種の[[売官制]]であり、かえって貨幣の死蔵がすすみ、円滑な貨幣交換がさまたげられることがあった。政府は、こののちも銅銭の鋳造をつづけ、10世紀の[[乾元大宝]]まで12回にわたり国家的に銭貨の鋳造はおこなわれた。これを、[[皇朝十二銭]]という。 一方で、私鋳銭禁止令が和同開珎鋳造と同じ和銅元年(708年)に出されている。役人が位階獲得を目的に[[私鋳銭]]を製造しないよう、私鋳銭製造に対しては官位剥奪、「斬」(首を切る極刑)の罰が加えられた。 == 政争と皇権の動揺 == === 長屋王の変と光明子立后 === この時代の初め、[[藤原鎌足|中臣鎌足]]の息子[[藤原不比等]]があらわれて政権をにぎり、律令制度の確立に力を尽くすとともに、皇室に接近して藤原氏発展の基礎をかためた。不比等死後に政権を担当したのは、[[高市皇子]]の子で[[天武天皇]]の孫にあたる[[長屋王]]であった。彼は[[右大臣]]に昇って権勢を誇ったが、その前後から負担に苦しむ農民の浮浪や逃亡がふえ、社会不安が表面化したため、政府は財源確保のため[[723年]](養老7年)には、三世一身法を施行して開墾を奨励した。不比等の娘[[藤原宮子]]を母とする[[聖武天皇]]が[[724年]]([[神亀]]元年)に即位したころから、不比等の子[[藤原武智麻呂|武智麻呂]]、[[藤原房前|房前]]、[[藤原宇合|宇合]]、[[藤原麻呂|麻呂]]の[[藤原四兄弟]]が政界に進出した。[[729年]](神亀6年)、左大臣にのぼった長屋王に対し藤原四兄弟は「左道によって国家(天皇)を傾ける(殺す)」と讒訴して、自殺に追いこみ([[長屋王の変]])、政権を手にした。変の直後、藤原氏は不比等の娘光明子を、臣下で最初の皇后([[光明皇后]])に立てることに成功した。 === 橘諸兄政権と聖武天皇 === その[[藤原四兄弟]]が[[737年]](天平9年)に[[天平の疫病大流行|天然痘の流行]]で相次いで死亡すると、皇族出身の[[橘諸兄]]が下道真備(のちの[[吉備真備]])や僧[[玄昉]]を参画させて政権を担った。これを不満とした宇合の長男[[藤原広嗣]]は、740年(天平12年)、真備らを除くことを名目に、九州で挙兵したが、敗死した([[藤原広嗣の乱]])。この反乱による中央の動揺ははなはだしく、聖武天皇は、山背の恭仁、摂津の難波、近江の紫香楽と転々と都をうつした。相次ぐ遷都による造営工事もあって人心はさらに動揺し、そのうえ疫病や天災もつづいたので社会不安はいっそう高まった。かねてより厚く仏教を信仰していた聖武天皇は[[鎮護国家]]の思想により、社会の動揺をしずめようと考え、[[741年]](天平13年)に[[国分寺建立の詔]]、[[743年]](天平15年)には[[盧舎那大仏造立の詔]]を発した。これにより[[東大寺盧舎那仏像|東大寺大仏]]がつくられ、[[752年]]([[天平勝宝]]4年)に完成、女帝[[孝謙天皇]]・聖武太上天皇臨席のもと、盛大な開眼供養がおこなわれた。 === 仲麻呂政権の消長 === この間に光明皇后の信任を得た藤原南家の[[藤原仲麻呂]](武智麻呂の子)が台頭、[[紫微中台]]を組織して[[755年]](天平勝宝7年)には橘諸兄から実権を奪い、[[757年]]([[天平宝字]]元年)には諸兄の子[[橘奈良麻呂]]も排除した([[橘奈良麻呂の乱]])。仲麻呂は独裁的な権力を手中に、傀儡(かいらい)として[[淳仁天皇]]を擁立。みずからを唐風に恵美押勝と改名すると、[[儒教]]を基本とする中国風の政治を推進したが、今度は孝謙上皇の寵愛を得た僧[[道鏡]]が頭角を現す。押勝はこれを除くために[[764年]](天平宝字8年)に反乱を起こして敗死した([[藤原仲麻呂の乱]])。これにより、淳仁天皇は廃され、[[淡路国|淡路]]に流された。 === 宇佐八幡宮神託事件と光仁天皇 === 道鏡は、やがて[[765年]](天平神護元年)には[[太政大臣]]禅師、翌[[766年]](天平神護2年)には[[法王]]となって、一族や腹心の僧を高官に登用して権勢をふるい、[[西大寺 (奈良市)|西大寺]]の造立や[[百万塔]]の造立など、仏教による政権安定をはかろうとした。称徳天皇(孝謙上皇が復位)と道鏡は[[宇佐八幡宮]]に[[神託]]がくだったとして、道鏡を皇位継承者に擁立しようとしたが、[[藤原百川]]や[[和気清麻呂]]に阻まれ、[[770年]]([[宝亀]]元年)の称徳天皇の没後に失脚した([[宇佐八幡宮神託事件]])。[[光仁天皇]]を擁立した藤原北家の[[藤原永手]]や藤原式家の[[藤原良継]]・百川らが躍進した。光仁天皇はこれまでの天武天皇の血統ではなく、天智天皇の子孫であった。光仁天皇は、官人の人員を削減するなど財政緊縮につとめ、[[国司]]や[[郡司]]の監督をきびしくして、地方政治の粛正をはかった。しかし、[[780年]](宝亀11年)では[[陸奥国]]で[[伊治呰麻呂]]の反乱がおきるなど、東北地方では蝦夷の抵抗が強まった。 === 長岡京から平安京へ === [[784年]](延暦3年)強まってきた寺社勢力からの脱却のため、桓武天皇が[[山背国]]長岡の地に新たな都([[長岡京]])を造成したが、工事責任者の[[藤原種継]]が暗殺され、桓武天皇の弟[[早良親王]]が捕まる事態となって、[[794年]](延暦13年)新しい都城を造成し、[[山背国]]を[[山城国]]と改め、新京を[[平安京]]と名づけて遷都した。この遷都をもって、奈良時代と呼称される時代は完全に終焉を遂げ、平安時代がはじまる。 == 天平文化 == {{main|天平文化}} 政府は、学生や僧を唐へ留学させ、さまざまな文物を取り入れた。また、朝鮮半島との交流も盛んであった。これらの交易物などは、[[正倉院]]宝物でも、その一端をうかがい知ることができる。[[716年]](霊亀2)には[[阿倍仲麻呂]](唐で客死)・[[吉備真備]]・僧[[玄昉]]ら唐に留学した。彼らは、当時の列島にさまざまな文化をもちこんだ。 ===『記・紀』・風土記と万葉集の編纂=== [[712年]](和銅5年)にできたとされる『[[古事記]]』は、宮廷に伝わる「[[帝紀]]」「[[旧辞]]」をもとに[[天武天皇]]が[[稗田阿礼]]によみならわせた内容を、元明天皇の時に[[太安万侶]]が筆録したものである。[[神話]]・[[伝承]]から[[推古天皇]]にいたるまでの物語であり、多くの歌謡を収載している。口頭の日本語を漢字の音・訓を用いて表記されている。 それに対し、[[714年]](和銅7年)に[[紀清人]]・[[三宅藤麻呂]]に国史を撰集させ、[[舎人親王]]が中心となって神代から[[持統天皇]]までの歴史を編集、[[720年]](養老4年)に撰上されたのが『日本紀([[日本書紀]])』30巻・系図1巻である。これは、中国の歴史書の体裁にならったもので、[[漢文]]の[[編年体]]で記されている。こののち、『[[日本三代実録]]』まで漢文正史が編まれて「[[六国史]]」と総称されるが、『日本書紀』はその嚆矢となったものである。 また、政府は[[713年]](和銅3年)には諸国に「[[風土記]]」の編纂を命じた。これは、郷土の産物や[[山]]や[[川]]などの自然、あるいはその由来、古老の言い伝えなどを収めた[[地誌]]である。『[[出雲国風土記]]』がほぼ完全に伝存するほか、[[常陸国]]、[[播磨国]]、[[豊後国]]、[[肥前国]]の風土記のそれぞれ一部が伝えられている。これは、古代の地方の様相を示す貴重な[[文献資料 (歴史学)|文献資料]]になっている。 文芸の面では、[[751年]](天平勝宝3年)に現存最古の漢詩集『[[懐風藻]]』が編集され、[[弘文天皇|大友皇子]]、[[大津皇子]]、[[文武天皇]]、[[長屋王]]などの作品を含む[[7世紀]]後半以降の[[漢詩]]をおさめている。奈良時代中期を代表する漢詩文の文人としては[[淡海三船]]と[[石上宅嗣]]が著名であり、いずれかが『懐風藻』の編集にたずさわったであろうと推定されるが、確実な証拠はない。 [[和歌]]の世界でも、和銅年間から天平年間にかけて[[山上憶良]]、[[山部赤人]]、[[大伴家持]]、[[大伴坂上郎女]]らの歌人があいついであらわれた。『[[万葉集]]』は[[759年]](天平宝字3年)までの歌約4500首を収録した歌集で、[[雄略天皇]]の歌が巻頭をかざっている。[[舒明天皇]]・[[推古天皇]]以降の飛鳥時代、奈良時代の和歌が収められ、著名な歌人や宮廷人の作品ばかりではなく、[[東歌]]や[[防人歌]]など、地方の農民の素朴な感情をあらわした作品も多く収められており、このなかには心に訴える優れた歌が多くみられる。漢字の音と訓をたくみに組み合わせて[[日本語]]を記す[[万葉仮名]]が用いられていることも大きな特徴である。 === 仏教の興隆 === [[File:200604 Model of Todaiji Kondo of its foundation.jpg|thumb|right|250px|東大寺の創建時大仏殿復元模型]] 奈良時代の[[日本の仏教|日本仏教]]は、[[鎮護国家]]の思想とあいまって国家の保護下に置かれていよいよ発展し、国を守るための[[法会]]や[[祈祷]]がさかんにおこなわれた。政府は平城京内に大寺院をたて、[[聖武天皇]]は、[[741年]](天平13)に全国に詔して、[[国分寺|国分僧寺]]や[[国分尼寺|尼寺]]を全国に建てさせ、また[[良弁]]を開山の師として[[東大寺]]の造営をおこない、[[743年]](天平15)には、[[東大寺盧舎那仏像|廬舎那仏金銅像]](大仏)の造立を発願し、国家の安泰を願った。大仏の造立は、[[紫香楽宮]]で始まった。[[752年]](天平勝宝4)には、出家し、退位した聖武太上天皇・[[光明皇后|光明皇太后]]・聖武の娘である[[孝謙天皇]]らが、東大寺に行幸し、大仏の開眼供養を行った。さらに孝謙天皇が重祚した称徳天皇は[[西大寺 (奈良市)|西大寺]]を建立した。 僧侶は[[南都七大寺]]([[大安寺]]、[[薬師寺]]、[[元興寺]]、[[興福寺]]、東大寺、西大寺、[[法隆寺]])などの寺において仏教の教理を研究。[[南都六宗]]([[三論宗]]、[[成実宗]]、[[法相宗]]、[[倶舎宗]]、[[華厳宗]]、[[律宗]])という学派が形成された。大規模な写経もおこなわれており、特に光明皇后発願の[[一切経]]の写経事業は、大仏造立や国分寺造営とならぶ大事業であった。 [[ファイル:Jianzhen.jpg|250px|right|thumb|鑑真第6回渡海図]] 仏教の発展は、遣唐使にしたがって留学した[[道慈]](三論宗)や[[玄昉]](法相宗)ら学問僧たちの努力によるところが大きいが、[[754年]](天平勝宝6年)1月に6度目の航海のすえに平城京に到着して、[[戒律]]や多数の経典<ref group="注釈">いわゆる鑑真将来経。</ref>を伝えた唐出身の[[鑑真]][[和尚|和上]]、大仏開眼供養の導師となったインド出身の[[菩提僊那]]、菩提僊那と同時に来日した[[チャンパ王国]](林邑)出身の僧[[仏哲]]、唐僧[[道璿]]、また、多くの新羅僧ら外国出身の僧侶の活動に負うところも大きかった。 朝廷は[[国教]]として仏教を保護するいっぽう、「僧尼令」などの法令によってきびしく統制し、僧侶になる手続きや資格をさだめて仏教の民間布教に制限を加えた。[[行基]]のように禁令にそむいて民間への布教をおこない、弾圧されたものの[[灌漑]]設備や[[布施屋]]の設置、[[道路]]建設などの社会事業に尽力すると、民衆の支持を集める僧侶もあった。行基は結局、その人気に注目した政府によって登用され、大仏建立に尽力したことで[[大僧正]]の僧位を得た。 他に社会事業をおこなった人物としては、行基の師で宇治橋をつくったといわれる[[道昭]](法相宗の開祖)、貧窮した民衆を救済するための[[悲田院]]・[[施薬院]]を設けた光明皇后、多数の孤児を養育した[[和気広虫]]などがいる。 == 対外関係 == [[618年]]、[[隋]]に代わって[[中国]]を統一した[[唐]]は大帝国を築き、[[東アジア]]に広大な領域を支配して周辺諸地域に大きな影響をあたえた。[[西アジア]]や[[中央アジア]]などとの交流も活発であり、首都[[長安]]は[[国際都市]]として繁栄した。[[玄宗 (唐)|玄宗]]の治世前半は「[[開元の治]]」と称された。周辺諸国も唐と通交して[[漢字]]・[[儒教]]・漢訳[[仏教]]などの諸文化を共有して、東アジア文化圏が形成された。 === 東夷の小帝国 === その中にあって日本の律令国家体制では、天皇は中国の皇帝と並ぶものであり、唐と同様、日本を[[中華]]とする帝国構造を有していた。それは国家の統治権が及ぶ範囲を「化内」、それが及ばない外部を「化外」と区別すると、さらに化外を区分して唐を「隣国」、朝鮮諸国(この時代には新羅と渤海)を「諸蕃」、蝦夷・隼人・南島人を「夷狄」と規定する「東夷の小帝国」と呼ぶべきものであった<ref>石母田 (1989) pp.15-17</ref><ref>酒寄 (2002) pp.271-272</ref>。律令に規定後、それを自負したり目指したことと、とりわけ唐や朝鮮諸国との関係に実態がともなったかどうかは別の問題である。 [[ファイル:Shoso-in.jpg|thumb|330px|left|[[正倉院|東大寺の正倉院]]<br/>聖武天皇・光明皇后にかかわる遺品が数多く収められている]] === 唐 === {{main|唐|遣唐使}} [[630年]]の[[犬上御田鍬]]にはじまる日本からの[[遣唐使]]は、奈良時代にはほぼ20年に1度の頻度で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には、[[留学生]]や学問僧なども加わり、多いときには約500人におよぶ人びとが4隻の船に乗って渡海した。日本は唐の[[冊封]]は受けなかったものの、実質的には唐に臣従する[[朝貢国]]の扱いであった<ref name=yoshida>吉田(1992)</ref>。使者は[[正月]]の[[朝賀]]に参列すると、皇帝を祝賀した。当時の[[造船]]術や[[航海術]]はなお未熟な点も多く、海上での遭難も少なくなかった。危険を冒して遣唐使たちは、多くの書籍やあるいはすぐれた[[織物]]や[[銀器]]・[[陶器]]・[[楽器]]などを数多く持ち帰り、また、唐の先進的な政治制度や国際色豊富な文化を持ち帰り、当時の日本に多大な影響をあたえた。中でも知識に対する貪欲さはすさまじく、皇帝から下賜された品々を売り払って、その代価ですべて書籍を購入して積み帰ったと唐の正史に記されるほどであった<ref>鐘江 (2008) p.134</ref>。文物だけでなく、知識を身につけた留学生や留学僧も日本に戻って指導的な役割を果たしている。とくに、帰国した[[吉備真備]]や[[玄昉]]は、後に聖武天皇に重用され、政治の世界でも活躍した。 === 新羅 === {{main|新羅|遣新羅使}} [[白村江の戦い]]ののち[[朝鮮半島]]を統一した[[新羅]]との間にも多くの使節が往来した。ところが、7世紀末から8世紀代の日本は(唐を「隣国」、新羅・渤海を「蕃国」とする)律令体制を築く過程で、中華意識を高めており、新羅を「蕃国」として位置づけ、従属国として扱おうとしたため、度々衝突が起きた(田村圓澄)。これにより、遣唐使のルートも幾度か変更されている。新羅は、半島統一を巡って唐と戦争中であり、背後の日本が唐側に着かないように唐を牽制するため<ref>鐘江 (2008) p.78</ref>使節を送り続けていた。唐と交戦している状況であったため[[8世紀]]初頭までは日本側の朝貢形式を容認していた<ref>[[森公章]]『「白村江」以後』講談社、1998年、ISBN 4062581329</ref>が、渤海の成立後に唐との関係が好転した新羅は、朝貢してまで日本との関係を維持する必要がなくなったため、対等外交を主張するようになった。日本はこれを認めなかった。両国の関係悪化が具体化すると、新羅は日本の侵攻に備えて築城([[723年]]、毛伐郡城)する。日本でも一時軍備強化のため[[節度使]]が置かれた<ref>酒寄 (2002) p.285</ref>。[[737年]]には新羅征討が議論に上った。この時期に日本では[[天然痘]]が大流行しており、政治の中心人物であった[[藤原武智麻呂]]をはじめとする[[藤原四兄弟]]、高位貴族が相次いで没して政治を行える人材が激減、国内が混乱に陥ったため、現実のものとはならなかった。 [[755年]]、[[安史の乱]]が起こり唐で混乱が生じると、新羅に脅威を抱く渤海との関係強化<ref>酒寄 (2002) p.295</ref>を背景に藤原仲麻呂は新羅への征討戦争を準備している(渤海との共同作戦を大前提にしていたが、渤海側に拒否されたため、開戦は延期されつづけ、最終的には仲麻呂の没落によりやはり実現しなかった)。このように衝突には至らなかったが、日本側の要求に応じてまで国交を維持する必要のなくなった新羅は使節の派遣を止め、779年を最後に途絶えることとなった。 上記のような説には異論が出されている。新羅は日本側の臣称・上表形式の国書を送るようにとの要求に対して、国交が断絶する最後まで、新羅王の国書自体を一回も送らなかった。新羅が唐の圧力を受けている間は、「新羅の使節」は日本への朝貢形式を容認していたが、八世紀中葉以降日本の朝貢要求を拒否するようになる。新羅王が日本に一度も国書を送っておらず、そもそも新羅が日本の朝貢体制を認めていたか疑問であり、新羅の使節が現地で誤魔化したのかもしれない(堀敏一)。また、[[川本芳昭]]は新羅が中国皇帝にしか許されない建元を日本より100年以上早く行うなど、その中華意識から考えて、上記のような説には一定の問題があるとしている。 こうした一方で、新羅は民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きく、現在の[[正倉院]]に所蔵されている唐や南方の宝物には新羅商人が仲介したものが少なくないとされている<ref>石井(2003)</ref>。8世紀末になると[[遣新羅使]]の正式派遣は途絶えたが、新羅商人の活動はむしろ活発化している。 === 渤海 === {{main|渤海 (国)|渤海使|遣渤海使}} [[713年]]、[[靺鞨]]族が主体となって旧[[高句麗]]人(狛族)と共に中国東北部に建国した[[渤海 (国)|渤海]]とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅の対抗上[[727年]](神亀4年)に日本に[[渤海使]]を派遣して国交を求めた。唐・新羅に挟まれ、加えて支配下の黒水靺鞨の反乱など内外の危機的状況から、「蕃国」高句麗の後継として朝貢形式を求める日本に妥協し、朝貢使節とすることを容認した。渤海からの国書においても渤海の危機的状況に比例・反比例して日本の中華意識に迎合する文言が増減した。日本側は渤海を「蕃国」高句麗の再来としてその朝貢を歓迎すると共に<ref>酒寄 (2002) p.283</ref>、新羅との対抗関係から、渤海との通交をきわめて重視し、[[遣渤海使]]を派遣した。日本は新羅同様、渤海に対しても臣称・上表形式(臣下と称して、君主に文書を奉るという形式)の国書の送付を求めた。渤海は新羅と異なり国書こそ日本へ送付したが、その形式は「啓」というものであった。<ref group="注釈">この「啓」は特殊な性質を持っている。唐六典一左右司郎中員外郎条や司馬氏書儀などの中国の書物によれば、官庁の長官に官人が上申する時に用いられる形式であるほか、親族間における尊属・長属や婦人の夫に対するもの、尊属だけでなく卑属の逝去を慰問する時、吉凶の挨拶や起居を通ずる場合、忠告・祝賀・謝礼・知人の推薦等、多岐に渡って用いられた。そのため「啓」は「私書」「家書」に分類され、「公文に施す所に非ず」、即ち、個人的な通信に使用するもので国家間の公式なやり取りにはふさわしくないものとされた。</ref>個人間の通信に用いる「啓」を国家間の公式文書に用いたのは渤海がアジアで初めてである。啓は国書に用いられる形式ではなく、個人間の起居を問う書信文であるから、国書の一般的な目的には合致しており、本来、上行文書であるから、相手国に対する丁重な態度を示すことになる。このような個人的な通信文を国書に転用したのは渤海の知恵だったと考えられている。あくまで「臣称・上表」形式を求める日本側はこれを度々批判したが、渤海は一貫して「臣称・上表」形式の国書の送付を拒否した。結局、日本側も啓を「慣例」として認めた。例外的に渤海が上表形式の国書を送った記事が続日本紀に記載があるが、記事は宝亀年間にのみ集中しており、渤海からの啓を上表と見做したと考えられている。 唐との関係が改善されると、渤海使の軍事的役割は低下し交易の比重が重くなり、来日の頻度も増えていった。平安時代初期には完全に変質した。824年には右大臣[[藤原緒嗣]]が「渤海使は商人であるので、今後は外交使節として扱わないように」と述べたほどであった<ref>酒寄 (2002) pp.296-305</ref>。 一方、日本から渤海に送られた国書は天皇からの慰労詔書形式であるが、その書き出しは新羅に対するもの同様、一貫して「天皇敬問渤海国王」あるいは「天皇敬問渤海郡王」であった。この書式は中国に倣ったもので、中国では対等国ないし特別に尊重すべき相手国に出す書式であった。渤海や新羅を臣属国としようとしたのは、あくまで日本側の思惑であって、実際は日本の思惑通りにはいかなかった。国家間の臣属関係は官職の授与による「冊封」を通じて初めて成立するが、日本と新羅・渤海間に冊封関係は成立しなかった。そのような関係がおのずから丁重な形式の採用になった。 === 隼人と南島 === {{main|隼人}} 九州南部は、[[古墳時代]]に[[地下式横穴墓]]・[[板石積石棺墓]](地下式板石積石室墓)・[[土坑墓|土壙墓]]などの独特な墓制が出現した地域であり<ref>酒寄 (2002) p.274</ref>、この地域の人々は古くは[[熊襲]]、7世紀後半ごろからは[[隼人]]と呼ばれるようになる<ref group="注釈">ただし、[[地下式横穴墓]]や[[板石積石棺墓]]などの九州南部の地下式墓制を熊襲・隼人と直接結びつける考え方は、現在では行われていない。</ref>。5世紀末ごろから徐々に大和政権の影響が浸透していたが、大宝律令が施行された時点でも依然として律令制的支配の及ばない地域だった。699年に[[三野城]]・[[稲積城]]が築かれ、律令国家は軍事力を背景とした支配を進めはじめる。709年には隼人の朝貢制度が始まり、朝廷において蝦夷とともに異民族たる「夷狄」が服属していることを示す。国家の儀礼において重要な役割を与えられた<ref>鐘江 (2008) pp.156-157</ref>。しかし支配への抵抗も強く、特に720年には7年前に新設された[[大隅国]]の国守[[陽侯麻呂|陽侯史麻呂]]が殺害される事件が起こった。これに対して律令政府は[[大伴旅人]]を大将軍として大規模な軍を派遣後、翌年までかかって鎮圧した([[隼人の反乱]])。その結果722年にははじめて[[古代の戸籍制度|造籍]]が行われ、以後隼人の組織的な抵抗はなくなった。ただ奈良時代における隼人はあくまで朝貢の対象であり、大隅・[[薩摩国|薩摩]]の両国に班田が行われるのは、平安時代に入った[[800年]](延暦19年)のことである。 一方今の[[南西諸島]]からは、すでに7世紀の前半から使者が大和政権に「朝貢」するようになっていたが、698年には覓国使が南島に派遣され、翌年多褹([[種子島]])、夜久([[屋久島]])、菴美([[奄美大島]])、度感([[徳之島]])が朝貢に訪れ、702年には行政組織としての[[多禰国|多禰島]]が設置された。南島からは工芸品の材料となる夜光貝や赤木といった特産物がもたらされ、また南島へは鉄器がもたらされた<ref>鐘江 (2008) pp.158-159</ref>。[[大宰府]]跡からは「掩美嶋」(奄美大島)・「伊藍嶋」([[沖永良部島]]か)と書かれた木簡が出土しており、また奄美大島[[奄美市]]の小湊・フワガネク遺跡から夜光貝による貝匙製作跡が見つかっている。9世紀になると「国なくして敵なく、損ありて益なし」といわれたように律令国家の関心は薄くなっていった<ref>酒寄 (2002) pp.306-307</ref>。 === 蝦夷 === {{main|蝦夷|日本の古代東北経営}} 歴史上、蝦夷と呼ばれる人々がどのような人々であったのかはいまだにさまざまな論があるが、何であれ中華思想に基づいた律令国家にとっては、「自らの支配下の外側にある人々という概念」でしかなかった<ref>鐘江 (2008) p.149</ref>。 しかし、奈良時代になると平城京の造営や[[軍団 (古代日本)|軍団]]の整備により財政が悪化したことから、それまで支配下とは考えていなかった蝦夷からも徴税するため、大規模な侵略を始めたことで戦いが激化した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kyoiku/e-kyodokan/files/2010-0604-1449.pdf|title=「エミシ」と「エゾ」|accessdate=2021/04/05|publisher=青森県立郷土館|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130723022719/https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kyoiku/e-kyodokan/files/2010-0604-1449.pdf|archivedate=2013-07-23}}</ref>。7世紀半ばに阿倍比羅夫らが現在の秋田や津軽地方、さらにその北方に至ったとされるが、8世紀初頭に律令国家に安定的に組み込まれていたのは、今の[[山形県]]庄内地方や[[宮城県]]中部以南までであった。当時は城や柵(城柵官衙と呼ばれる施設)が作られ、その周囲に[[柵戸]]と呼ばれる民が関東や北陸地方から移民させられて耕作に当たっていた。[[郡山遺跡]](宮城県[[仙台市]])は当時の中心的な官衙であったとみられている。平城遷都の前後から政府は急速な拡大政策をとる。708年には越後国に出羽郡をおき、712年には[[出羽国]]とした。また東海・東山道諸国の民を城柵に移す。農耕や防衛に当たらせた。これに対して蝦夷は709年および720年に反乱を起こすと、720年の時には陸奥[[按察使]]上毛野広人が殺害される事態となった。政府は大軍を発してこれを鎮圧、新たに郡と柵、さらにこれらを統括する施設として[[多賀城]]を建設した。一方日本海側では733年に[[出羽柵]]が現在の[[秋田市]]に移設された(後の[[秋田城]])。 その後政府は蝦夷の首長を郡司に任命して部族集団の間接的な支配を行い、また個別に服属してきた者は[[俘囚]]として諸国に移民させられたりした<ref>酒寄 (2002) pp.280-281</ref>。こうして東北地方南部は徐々に律令制の内部に組み込まれていくが、東北地方北部以北は依然として律令国家の支配外であった。しかし文化・経済の交流は続き、[[擦文時代|擦文文化]]には出羽地方の古墳の影響を受けた[[末期古墳]]が築造され、また[[恵庭市]]では和同開珎も出土している<ref>酒寄 (2002) pp.287-290</ref>。 藤原仲麻呂政権は対蝦夷政策も積極的に行った。[[757年]]([[天平宝字]]元年)に仲麻呂の子[[藤原朝狩|朝狩]]が陸奥守となり、新たに勢力外だった土地に[[桃生城]]および[[雄勝城]]を建設した。また[[762年]]多賀城を改修し、蝦夷への饗給(きょうごう)を行うにふさわしい壮大な施設へと変えた。仲麻呂の死から10年後の[[774年]]([[宝亀]]5年)には桃生城が蝦夷に攻撃されて放棄される事件が起き([[桃生城襲撃事件]])、これ以降[[日本の古代東北経営#三十八年騒乱の時代|三十八年戦争]]といわれる、征夷と騒乱の時代へと突入する。780年(宝亀11年)には[[伊治呰麻呂]]が陸奥按察使[[紀広純]]を殺害し多賀城を焼き払うという事態([[宝亀の乱]])に至った。この騒乱状態は奈良時代の間には収束せず、平安時代へと引き継がれる。後に藤原緒嗣により「今天下の苦しむところは軍事と造作なり」と指弾されることとなる対蝦夷戦争は、「天皇の政治的権威の強化に大きな役割を担っていた」<ref>酒寄 (2002) p.304</ref>のである。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|20em}} == 関連項目 == {{Commons|Category:Nara period}} * [[奈良時代の人物一覧]] * [[日本の歴史]] * [[日本史時代区分表]] == 参考文献 == * 北山茂夫「奈良時代」日本歴史大辞典編集委員会『日本歴史大辞典 第7巻』[[河出書房新社]]、1979年11月 * [[吉田孝]]『大系日本の歴史3 古代国家の歩み』[[小学館]]<小学館ライブラリー>、1992年10月、ISBN 4-09-461003-0 * [[石井正敏]]『東アジア世界と古代の日本』[[山川出版社]]<日本史リブレット>、2003年5月、ISBN 4-634-54140-8 * [[石母田正]]「天皇と「諸蕃」- 大宝令制定の意義に関連して - 」、『石母田正著作集 第四巻』、岩波書店、1989年、ISBN 4000914049。(初出は1963年、のち『日本古代国家論』第一部に収録) * [[酒寄雅志]]「古代日本と蝦夷・隼人、東アジア諸国」[[佐藤信 (歴史学者)|佐藤信]]編『日本の時代史4 律令国家と天平文化』、吉川弘文館、2002年、ISBN 4642008047 * [[鐘江宏之]]『律令国家と万葉びと』全集日本の歴史 第3巻、小学館、2008年、ISBN 9784096221037 * [[小澤毅]]「古代都市」上原他編『社会集団と政治組織』列島の古代史 ひと・もの・こと 3、岩波書店、2005年、ISBN 4000280635 * [[佐藤信 (歴史学者)|佐藤信]]「律令国家と天平文化」佐藤信編『日本の時代史4 律令国家と天平文化』、吉川弘文館、2002年 == 外部リンク == *[https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/gaikou.html 天平外交史] *[https://www.nabunken.go.jp/heijo/museum/ 平城宮跡資料館] * {{Kotobank}} * {{Kotobank|奈良時代(年表)}} {{日本の歴史一覧|710年-794年}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ならしたい}} [[Category:日本の歴史 (時代別)|ならしたい]] [[Category:奈良時代|*]]
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芥川龍之介
芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年〈明治25年〉3月1日 - 1927年〈昭和2年〉7月24日)は、日本の小説家。号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼(がき)。東京出身。『羅生門』、『鼻』、『地獄変』、『歯車』などで知られる。 東京市京橋区入船町8丁目(現・東京都中央区明石町)に牛乳製造販売業を営む新原敏三、フクの長男として生まれる。出生時刻については資料がないため不明である。 戸籍上の正しい名前は「龍之介」であるが、養家である芥川家や府立三中、一高、東京大学関係の名簿類では「龍之助」になっている。芥川自身は「龍之助」の表記を嫌った。姉が2人いたが、長姉は、龍之介が生まれる1年前に6歳で病死している。 生後7か月ごろに母フクが精神に異常をきたしたため、東京市本所区小泉町(現・東京都墨田区両国)にある母の実家の芥川家に預けられ、伯母のフキに養育される。11歳のときに母が亡くなる。翌年に伯父・芥川道章(フクの実兄)の養子となり、芥川姓を名乗ることになった。旧家の士族である芥川家は江戸時代、代々徳川家に仕えた奥坊主(御用部屋坊主)の家である。家中が芸術・演芸を愛好し、江戸の文人的趣味が残っていた。 1898年(明治31年)、江東(こうとう)尋常小学校入学(芥川卒業後、「江東」は「えひがし」と読むようになる。現在の墨田区立両国小学校)。東京府立第三中学校を卒業の際に「多年成績優等者」の賞状を受け、1910年(明治43年)9月、第一高等学校第一部乙類英文科に入学。1910年(明治43年)に中学の成績優秀者は無試験入学が許可される制度が施行され、芥川はその選に入っていた。同期入学に久米正雄、松岡讓、佐野文夫、菊池寛、井川恭(のちの恒藤恭)、土屋文明、倉田百三(第一部丙類独法・政治・独文科一年四之組)、渋沢秀雄(第一部丙類仏法・政治・仏文科一年五之組)、矢内原忠雄(第一部甲類英法・政治・経済・商科一年二之組)らがいた。2年生になり一高の全寮主義のため寄宿寮に入るが、芥川は順応することはなかったという。寮で同室となった井川は生涯の親友となる。井川は『第一高等学校一覧』(第一高等学校刊行)によると、1年から3年まで常に芥川の成績を上回っている。1913年(大正2年)、東京帝国大学文科大学英文学科へ進学。ちなみに当時、同学科は一学年数人のみしか合格者を出さない難関であった。 東京帝大在学中の1914年(大正3年)2月、一高同期(クラスメイト)の菊池寛、久米正雄らとともに同人誌『新思潮』(第3次)を刊行。まず「柳川隆之助」(隆之介と書かれている当時の書籍も存在する)の筆名でアナトール・フランスの『バルタザアル』、イエーツの『春の心臓』の和訳を寄稿したあと、10月に『新思潮』が廃刊にいたるまでに同誌上に処女小説『老年』を発表。作家活動の始まりとなった。このころ、青山女学院英文科卒の吉田弥生という女性と親しくなり、結婚を考えるが、芥川家の猛反対で断念する。1915年(大正4年)10月、代表作の1つとなる『羅生門』を「芥川龍之介」名で『帝国文学』に発表。 1916年(大正5年)には第4次『新思潮』(メンバーは菊池、久米のほか松岡譲、成瀬正一ら5人)を発刊したが、その創刊号に掲載した『鼻』が漱石に絶賛される。この年に東京帝国大学文科大学英文学科を20人中2番の成績で卒業。卒論は「ウィリアム・モリス研究」。同年12月、海軍機関学校英語教官を長く勤めた浅野和三郎が新宗教「大本(当時は皇道大本)」に入信するため辞職する。そこで畔柳芥舟や市河三喜ら英文学者が、浅野の後任に芥川を推薦(内田百閒によれば夏目漱石の口添えがあったとも)、芥川は海軍機関学校の嘱託教官(担当は英語)として教鞭を執った。そのかたわら創作に励み、翌年5月には初の短編集『羅生門』を刊行する。その後も短編作品を次々に発表し、11月には早くも第二短編集『煙草と悪魔』を発刊している。 1918年(大正7年)の秋、懇意にしていた小島政二郎(『三田文学』同人)と澤木四方吉(『三田文学』主幹で西洋美術史家)の斡旋で慶應義塾大学文学部への就職の話があり、履歴書まで出したが、実現をみなかった。1919年(大正8年)3月、海軍機関学校の教職を辞して大阪毎日新聞社に入社(新聞への寄稿が仕事で出社の義務はない)、創作に専念する。ちなみに師の漱石も1907年(明治40年)、同じように朝日新聞社に入社している。 1919年(大正8年)3月12日、友人の山本喜誉司の姉の娘、塚本文(父塚本善五郎は日露戦争において戦艦「初瀬」沈没時に戦死)と結婚。菊池寛とともに大阪毎日の客外社員となり、鎌倉から東京府北豊島郡滝野川町に戻る。同年5月には菊池とともに長崎旅行を行い、友人の日本画家・近藤浩一路から永見徳太郎を紹介されている。 1920年(大正9年)3月30日、長男芥川比呂志、誕生。 1921年(大正10年)3月、海外視察員として中国を訪れ、北京を訪れた折には胡適に会っている。胡適と検閲の問題などについて語り合いなどを行い、7月帰国。『上海遊記』以下の紀行文を著した。 この旅行後から次第に心身が衰え始め、神経衰弱、腸カタルなどを患う。1923年(大正12年)には湯河原町へ湯治に赴いている。作品数は減っていくが、このころからいわゆる「保吉もの」など私小説的な傾向の作品が現れ、この流れは晩年の『歯車』『河童』などへとつながっていく。 1922年(大正11年)11月8日、次男芥川多加志(たかし)、誕生。 1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が発生し、各地で自警団が形成された。芥川も町会(田端)の自警団に、世間体もあり病身を押して参加した。随筆「大震雑記」(『大正十二年九月一日の大震に際して』収録)やアフォリズム「或自警団員の言葉」(『侏儒の言葉』収録)に自警が言及される。また震災後の吉原遊廓付近へ芥川と一緒に死骸を見物しに出かけた川端康成によると、芥川は悲惨な光景のなかを快活に飛ぶように歩いていたという。朝鮮人デマについて「善良なる市民」は信じただろうと述べている。 また「或自警団員の言葉」においても日本社会について皮肉めいた記述をしている。 1924年(大正13年)、芥川は『桃太郎』を発表した。芥川にとっての桃太郎観というものは、『女性改造』連載「僻見」1924(大正13)年4月1日発行第3巻第4号に見出すことができる。芥川は上海で章炳麟(章太炎先生)から聞いた話を次のように引用した。(「僕」が芥川、「予」が章炳麟) 章炳麟は、侵略者としての桃太郎と日本の帝国主義による植民地政策を重ね合わせたのであり、芥川はそれを理解して自らの作品『桃太郎』を執筆したのである。当時の売れっ子作家であり表層では国家の優等生でもあった芥川は、一方でバーナード・ショーへの傾倒など社会主義のよき理解者であった。1925年(大正14年)制定の治安維持法に至る法案策定過程に関して彼ははっきりと不快感を示している。それは1922年(大正11年)『新潮』4月号掲載「澄江堂雑記」に次のように主張された。 甘粕事件より以前の1910年(明治43年)、芥川が一高に入学する数か月前の5月25日に大逆事件が起きている。1911年(明治44年)2月1日、徳富蘆花が一高で大逆事件への政府批判演説をしたことが当時の一高生たちの心を揺さぶり、一高生たちはこの演説『謀叛論』の話で持ち切りであった。芥川はこの時、一高の一年生であった。クラスメイトの菊池寛、久米正雄は演説の件を文章に書き残している。 1925年(大正14年)7月12日、三男芥川也寸志(やすし)、誕生。 1925年(大正14年)ごろから文化学院文学部講師に就任。1926年(大正15年)、胃潰瘍、神経衰弱、不眠症が高じ、ふたたび湯河原で療養。一方、妻・文は自身の弟・塚本八洲の療養のため鵠沼の実家別荘に移住。2月22日、龍之介も鵠沼の旅館東屋に滞在して妻子を呼び寄せる。7月20日には東屋の貸別荘「イ-4号」を借り、妻・文、三男・也寸志と住む。夏休みに入り、比呂志、多加志も来る。7月下旬、親友の画家小穴隆一も隣接する「イ-2号」を借りて住む。この間、小品『家を借りてから』『鵠沼雑記』、さらに『点鬼簿』を脱稿。堀辰雄、宇野浩二、小沢碧童らの訪問を受ける。また、鵠沼の開業医、富士山(ふじ たかし)に通院する。9月20日、龍之介、文、也寸志は「イ-4号」の西側にあった「柴さんの二階家」を年末まで借りて移る。ここで鵠沼を舞台にした小品『悠々荘』を脱稿。これは、震災前に岸田劉生が住み、震災後に建て直されて国木田虎雄(国木田独歩の息子で詩人)が借りていた貸別荘を視察したときの経験がヒントのようで、龍之介一家が鵠沼に永住する意図があったとも考えられる。また、この間、斎藤茂吉、土屋文明、恒藤恭、川端康成、菊池寛らの訪問を受けている。元号が昭和に変わってから、妻子は田端に戻り、龍之介は「イ-4号」に戻った。甥の葛巻義敏と鎌倉で年越しをしてから田端に戻るが、鵠沼の家は4月まで借りており、時折訪れている。 1927年(昭和2年)1月、義兄の西川豊(次姉の夫)が放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられて鉄道自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。4月より「物語の面白さ」を主張する谷崎潤一郎に対して、『文芸的な、余りに文芸的な』で「物語の面白さ」が小説の質を決めないと反論し、戦後の物語批判的な文壇のメインストリームを予想する文学史上有名な論争を繰り広げる。この中で芥川は、「話らしい話のない」純粋な小説の名手として「小説の神様」志賀直哉を称揚した。このころ、芥川の秘書的な役割を果たしていた平松ます子(父は平松福三郎・大本信者)は芥川から帝国ホテルでの心中を持ちかけられ、小穴龍一や文夫人等に知らせて阻止した。 7月24日未明、『続西方の人』を書き上げたあと、斎藤茂吉からもらっていた致死量の睡眠薬を飲んで服毒自殺した。享年36〈数え年〉、満35歳没。服用した薬には異説があり、たとえば山崎光夫は、芥川の主治医だった下島勲の日記などから青酸カリによる服毒自殺説を主張している。同日朝、文夫人が「お父さん、よかったですね」と彼に語りかけたという話もある。戒名はなく俗名で葬儀が行われたが、後に懿文院龍之介日崇居士。墓所は、東京都豊島区巣鴨の慈眼寺。 作品は、短編小説が多く知られている。しかし初期の作品には、西洋の文学を和訳したものも存在する(『バルタザアル』など)。英文科を出た芥川は、その文章構成の仕方も英文学的であるといわれている。翻訳文学的でもある論理的に整理された簡潔・平明な筆致に特徴がある。 短編の傑作を残した一方で、長編を物にすることはできなかった(未完小説として『邪宗門』『路上』がある)。また、生活と芸術は相反するものだと考え、生活と芸術を切り離すという理想のもとに作品を執筆したといわれる。他の作家に比べ表現やとらえ方が生々しい。晩年には志賀直哉の「話らしい話のない」心境小説を肯定し、それまでのストーリー性のある自己の文学を完全否定する(その際の作品に『蜃気楼』が挙げられる)。 『杜子春』など古典を参考にしたものや(原話は唐の小説『杜子春伝』)、鈴木三重吉が創刊した『赤い鳥』に発表されたものなど児童向け作品も多い。一般的には、キリシタン物や平安朝を舞台とした王朝物などに分類される。また、古典(説話文学)から構想を得た作品も多い。例えば、『羅生門』や『鼻』、『芋粥』などは『今昔物語集』を、『地獄変』などは『宇治拾遺物語』を題材としている。またアフォリズムの制作も得意としており、漢文などにも通じていた。 反軍的な自説を主張しており、ことに『河童』『侏儒の言葉』などの晩年の作品にはそのような傾向が強い。当時の軍人の横柄な様子を「小児のようだ」と自著で酷評したほどである。しかし、当時は軍が著作物の検閲をするのが通常であったため、この検閲によって訂正・加筆・削除を余儀なくされた箇所も作品内に多数存在する。その一方で、海軍に対してはある程度の好意を抱いていたようで、陸軍のあまりの狭量に腐っていた陸軍幼年学校教官の豊島与志雄を「いい職場があるから」と海軍機関学校に招き、豊島はフランス語嘱託教官として勤務した。内田百閒も芥川の推薦でドイツ語嘱託教官となっており、のちに内田は『竹杖記』(1934年(昭和9年))で芥川が講師の人選や交渉などに一定の役割を担っていたことを記している。 自著にて天照大神を登場させる際、別名の「大日孁貴」(おおひるめのむち)を用いた。これは「天照大神」という呼称では皇祖神をそのまま文中に登場させてしまうことになるため、太陽神、それも自然神という性格づけで「大日孁貴」を用いなければならなかったためである。 煙草が大好きで、1日に180本も吸っていたという。この煙草について『海のほとり』『京都日記』『玄鶴山房』に敷島銘柄の煙草が登場した。 芥川龍之介の作品は、初期と晩年でかなり違うといわれる。 説話文学を典拠とした『羅生門』『鼻』『芋粥』など歴史物、加えてキリシタン物が有名である。日夏耿之介は初期の作品を「非常によい」と評価している。歴史物では、人間の内面、特にエゴイズムを描き出したものが多い。 芸術至上主義的な面が全面に出た『地獄変』などを書き、長編『邪宗門』に挑んでいた。 自殺を考えていたのか、自分のこれまでの人生を見直したり、生死を取り上げたりした作品が多く見られる。初期より晩年の方を高く評価する見解も示されている。『一塊の土』など、これまでと比べ現代の話を書くようになるが、台頭するプロレタリア文壇にブルジョア作家と攻撃されることとなる。このころから主人公の一人称を「僕」とする私小説が増え、告白的な自伝も書き始める(『大導寺信輔の半生』、『点鬼簿』、『或阿呆の一生』など)。晩年の代表作『河童』は、河童の世界を描くことで人間社会を痛烈に批判しており、当時の人々に問題を提起した。 『歯車』の内容から、晩年には自分自身のドッペルゲンガー(Doppelgänger)を見たのではないか、また、片頭痛あるいはその前兆症状である閃輝暗点を患っていたのではないか、という説がある。 「水洟(みづぱな)や 鼻の先だけ 暮れ残る」と、自殺直前に書いた色紙の一句が辞世とされる。 1927年(昭和2年)7月24日、雨の降りしきるなか、田端の自室で芥川龍之介は「ぼんやりした不安」を動機として服毒自殺を行い、社会に衝撃を与えた。 午前6時頃、芥川が布団の中で苦悶している姿を夫人が気づき、かかりつけの医師を呼んだ時には既に絶命している状況にあった。 使用した薬品については、ベロナールとジェノアルとする説が一般的である。死の数日前に芥川を訪ねた同じ漱石門下で親友の内田百閒によれば、芥川はその時点でもう大量の睡眠薬でべろべろになっており、起きたと思ったらまた眠っているという状態だったという。すでに自殺を決意し、体を睡眠薬に徐々に慣らしていたのだろうと推測される。一方で、自殺の直前には身辺の者に自殺をほのめかす言動を多く残しており、実際には早期に発見されることを望んだ狂言自殺で、たまたま発見が遅れたために死亡したとする説がある。また、死後に見つかり、久米正雄に宛てたとされる遺書「或旧友へ送る手記」で芥川は自身の「ぼんやりした不安を解剖」して自殺へ至る道程(動機、手段、場所)について具体的に書き記している。その中に「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。僕のしみじみとした心もちになつてマインレンデルを読んだのもこの間である。(中略)...僕は内心自殺することに定め、あらゆる機会を利用してこの薬品( バルビツール酸系ヴェロナール (Veronal) およびジャール)を手に入れようとした」とあることから、記述を信頼すれば計画的に自殺を企てていた節も窺える。エンペドクレスの伝記にも言及し「みずからを神としたい欲望」についても記している。 遺書として、妻・文に宛てた手紙、菊池寛、小穴隆一に宛てた手紙がある。芥川が自殺の動機として記した「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」との言葉は、今日一般的にも有名であるが、自殺直前の芥川の厭世的あるいは「病」的な心境は『河童』を初めとする晩年の作品群に明確に表現されており、「ぼんやりした不安」の一言のみから芥川の自殺の動機を考えるべきではないともいえる。芥川命日は小説『河童』から取って河童忌と称される。 死の直前である7月初め、菊池寛に会うため二度文藝春秋社を訪れているが会うことができなかった。社員が菊池に芥川が訪れたことを報告せず、生前に菊池が芥川を訪ねることもなかった。 死の前日、芥川は近所に住む室生犀星を訪ねたが、犀星は雑誌の取材のため上野に出かけており、留守であった。犀星は後年まで「もし私が外出しなかったら、芥川くんの話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたという。また、死の直前に 「橋の上ゆ胡瓜なくれは水ひひきすなはち見ゆる禿の頭」 と河童に関する作を残した。 芥川の自殺報道の直後からその死にショックを受けたと思われる若者たちの後追い自殺が相次ぎ、「芥川宗」とも呼ばれた。 死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川龍之介賞」(芥川賞)を設けた。芥川賞は直木賞と共に日本でもっとも有名な文学賞として現在まで続いている。 芥川の死は関東大震災から数年経ち大正天皇崩御後、25歳の皇太子裕仁親王が現人神として天皇陛下に即位し昭和が始まって間もなくのことであった。川端康成は震災と芥川の死を関連付けて『サンデー毎日』に次のように語った。 芥川の命日・7月24日は河童忌と呼ばれる。当初は、遺族と生前親交のあった文学者たちが集まる法要だったが、1930年(昭和5年)の四回忌から「河童忌記念帖」として文藝春秋誌上で紹介され、この呼び名が定着した。以後17回忌まで毎年行われていたが、戦争のため中断する。戦後、再開されたが詳しい記録は残っていない。 1976年(昭和51年)の50回忌は巣鴨の慈眼寺で墓前祭、丸の内の東京会館で偲ぶ会が催された。この日は第75回芥川賞の贈呈式で、受賞した村上龍も花を手向けにきた。没後90年にあたる2017年(平成29年)からは田端文士村記念館が世話役となり、「河童忌」イベントを開催している。 芥川はいわゆる田端文士村の一員であった。地元の東京都北区は、芥川旧居跡地の一部を購入し「芥川龍之介記念館」(仮称)を2023年に開館する計画を2018年6月に発表した。 非常に速く本を読むことができた。同人雑誌を渡された七ページの文章をパラパラとめくっただけで全部読んだ。 また邦文の書物や雑誌なら2,3人と会話しながら読むことができた。しかし誤解されたり失敬に思われるのを避けるため親しくない人の前ではしなかった。 英文の速読もできた。大阪へ行く時、分厚い英文の本を4,5冊手提げの中に芥川は入れていた。それを汽車内で読んでしまい、谷崎潤一郎の本を借りていた。 下島勲が、どのくらいの速度で本を読めるのかと芥川に聞いた時、普通の英文学書なら一日1200~1300ページは楽と答えた。仮に一日1200ページの10時間とすれば、1時間120ページ、1分間2ページとなるわけである。 興文社と文藝春秋社による『小学生全集』88巻の一環として刊行 子供の名前は、それぞれ親友の菊池寛の「寛」(比呂志)、小穴隆一の「隆」(多加志)、恒藤恭の「恭」(也寸志)をもらって漢字を替えてつけたものである。 芥川には笑顔の写真がほとんど存在しないが、晩年のフィルム映像では、息子たちと笑顔を見せる芥川の姿が記録されている。このことから子煩悩であったことがうかがえる。なお、この映像では比呂志と多加志は映っているが、也寸志はこのとき家の中で寝ていたため映っていない。 也寸志の回想によれば、父の遺品にはSPレコードがあり、そのうち多くを占めていたのはストラヴィンスキーだったという。『火の鳥』(組曲版)と『ペトルーシュカ』を所有していたというが、演奏者などの詳細は不明である。 長姉・新原はつ(1885年 - 1891年4月5日)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年〈明治25年〉3月1日 - 1927年〈昭和2年〉7月24日)は、日本の小説家。号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼(がき)。東京出身。『羅生門』、『鼻』、『地獄変』、『歯車』などで知られる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "東京市京橋区入船町8丁目(現・東京都中央区明石町)に牛乳製造販売業を営む新原敏三、フクの長男として生まれる。出生時刻については資料がないため不明である。 戸籍上の正しい名前は「龍之介」であるが、養家である芥川家や府立三中、一高、東京大学関係の名簿類では「龍之助」になっている。芥川自身は「龍之助」の表記を嫌った。姉が2人いたが、長姉は、龍之介が生まれる1年前に6歳で病死している。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "生後7か月ごろに母フクが精神に異常をきたしたため、東京市本所区小泉町(現・東京都墨田区両国)にある母の実家の芥川家に預けられ、伯母のフキに養育される。11歳のときに母が亡くなる。翌年に伯父・芥川道章(フクの実兄)の養子となり、芥川姓を名乗ることになった。旧家の士族である芥川家は江戸時代、代々徳川家に仕えた奥坊主(御用部屋坊主)の家である。家中が芸術・演芸を愛好し、江戸の文人的趣味が残っていた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1898年(明治31年)、江東(こうとう)尋常小学校入学(芥川卒業後、「江東」は「えひがし」と読むようになる。現在の墨田区立両国小学校)。東京府立第三中学校を卒業の際に「多年成績優等者」の賞状を受け、1910年(明治43年)9月、第一高等学校第一部乙類英文科に入学。1910年(明治43年)に中学の成績優秀者は無試験入学が許可される制度が施行され、芥川はその選に入っていた。同期入学に久米正雄、松岡讓、佐野文夫、菊池寛、井川恭(のちの恒藤恭)、土屋文明、倉田百三(第一部丙類独法・政治・独文科一年四之組)、渋沢秀雄(第一部丙類仏法・政治・仏文科一年五之組)、矢内原忠雄(第一部甲類英法・政治・経済・商科一年二之組)らがいた。2年生になり一高の全寮主義のため寄宿寮に入るが、芥川は順応することはなかったという。寮で同室となった井川は生涯の親友となる。井川は『第一高等学校一覧』(第一高等学校刊行)によると、1年から3年まで常に芥川の成績を上回っている。1913年(大正2年)、東京帝国大学文科大学英文学科へ進学。ちなみに当時、同学科は一学年数人のみしか合格者を出さない難関であった。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "東京帝大在学中の1914年(大正3年)2月、一高同期(クラスメイト)の菊池寛、久米正雄らとともに同人誌『新思潮』(第3次)を刊行。まず「柳川隆之助」(隆之介と書かれている当時の書籍も存在する)の筆名でアナトール・フランスの『バルタザアル』、イエーツの『春の心臓』の和訳を寄稿したあと、10月に『新思潮』が廃刊にいたるまでに同誌上に処女小説『老年』を発表。作家活動の始まりとなった。このころ、青山女学院英文科卒の吉田弥生という女性と親しくなり、結婚を考えるが、芥川家の猛反対で断念する。1915年(大正4年)10月、代表作の1つとなる『羅生門』を「芥川龍之介」名で『帝国文学』に発表。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": 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"1921年(大正10年)3月、海外視察員として中国を訪れ、北京を訪れた折には胡適に会っている。胡適と検閲の問題などについて語り合いなどを行い、7月帰国。『上海遊記』以下の紀行文を著した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "この旅行後から次第に心身が衰え始め、神経衰弱、腸カタルなどを患う。1923年(大正12年)には湯河原町へ湯治に赴いている。作品数は減っていくが、このころからいわゆる「保吉もの」など私小説的な傾向の作品が現れ、この流れは晩年の『歯車』『河童』などへとつながっていく。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1922年(大正11年)11月8日、次男芥川多加志(たかし)、誕生。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が発生し、各地で自警団が形成された。芥川も町会(田端)の自警団に、世間体もあり病身を押して参加した。随筆「大震雑記」(『大正十二年九月一日の大震に際して』収録)やアフォリズム「或自警団員の言葉」(『侏儒の言葉』収録)に自警が言及される。また震災後の吉原遊廓付近へ芥川と一緒に死骸を見物しに出かけた川端康成によると、芥川は悲惨な光景のなかを快活に飛ぶように歩いていたという。朝鮮人デマについて「善良なる市民」は信じただろうと述べている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "また「或自警団員の言葉」においても日本社会について皮肉めいた記述をしている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1924年(大正13年)、芥川は『桃太郎』を発表した。芥川にとっての桃太郎観というものは、『女性改造』連載「僻見」1924(大正13)年4月1日発行第3巻第4号に見出すことができる。芥川は上海で章炳麟(章太炎先生)から聞いた話を次のように引用した。(「僕」が芥川、「予」が章炳麟)", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "章炳麟は、侵略者としての桃太郎と日本の帝国主義による植民地政策を重ね合わせたのであり、芥川はそれを理解して自らの作品『桃太郎』を執筆したのである。当時の売れっ子作家であり表層では国家の優等生でもあった芥川は、一方でバーナード・ショーへの傾倒など社会主義のよき理解者であった。1925年(大正14年)制定の治安維持法に至る法案策定過程に関して彼ははっきりと不快感を示している。それは1922年(大正11年)『新潮』4月号掲載「澄江堂雑記」に次のように主張された。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "甘粕事件より以前の1910年(明治43年)、芥川が一高に入学する数か月前の5月25日に大逆事件が起きている。1911年(明治44年)2月1日、徳富蘆花が一高で大逆事件への政府批判演説をしたことが当時の一高生たちの心を揺さぶり、一高生たちはこの演説『謀叛論』の話で持ち切りであった。芥川はこの時、一高の一年生であった。クラスメイトの菊池寛、久米正雄は演説の件を文章に書き残している。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1925年(大正14年)7月12日、三男芥川也寸志(やすし)、誕生。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1925年(大正14年)ごろから文化学院文学部講師に就任。1926年(大正15年)、胃潰瘍、神経衰弱、不眠症が高じ、ふたたび湯河原で療養。一方、妻・文は自身の弟・塚本八洲の療養のため鵠沼の実家別荘に移住。2月22日、龍之介も鵠沼の旅館東屋に滞在して妻子を呼び寄せる。7月20日には東屋の貸別荘「イ-4号」を借り、妻・文、三男・也寸志と住む。夏休みに入り、比呂志、多加志も来る。7月下旬、親友の画家小穴隆一も隣接する「イ-2号」を借りて住む。この間、小品『家を借りてから』『鵠沼雑記』、さらに『点鬼簿』を脱稿。堀辰雄、宇野浩二、小沢碧童らの訪問を受ける。また、鵠沼の開業医、富士山(ふじ たかし)に通院する。9月20日、龍之介、文、也寸志は「イ-4号」の西側にあった「柴さんの二階家」を年末まで借りて移る。ここで鵠沼を舞台にした小品『悠々荘』を脱稿。これは、震災前に岸田劉生が住み、震災後に建て直されて国木田虎雄(国木田独歩の息子で詩人)が借りていた貸別荘を視察したときの経験がヒントのようで、龍之介一家が鵠沼に永住する意図があったとも考えられる。また、この間、斎藤茂吉、土屋文明、恒藤恭、川端康成、菊池寛らの訪問を受けている。元号が昭和に変わってから、妻子は田端に戻り、龍之介は「イ-4号」に戻った。甥の葛巻義敏と鎌倉で年越しをしてから田端に戻るが、鵠沼の家は4月まで借りており、時折訪れている。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "1927年(昭和2年)1月、義兄の西川豊(次姉の夫)が放火と保険金詐欺の嫌疑をかけられて鉄道自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。4月より「物語の面白さ」を主張する谷崎潤一郎に対して、『文芸的な、余りに文芸的な』で「物語の面白さ」が小説の質を決めないと反論し、戦後の物語批判的な文壇のメインストリームを予想する文学史上有名な論争を繰り広げる。この中で芥川は、「話らしい話のない」純粋な小説の名手として「小説の神様」志賀直哉を称揚した。このころ、芥川の秘書的な役割を果たしていた平松ます子(父は平松福三郎・大本信者)は芥川から帝国ホテルでの心中を持ちかけられ、小穴龍一や文夫人等に知らせて阻止した。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "7月24日未明、『続西方の人』を書き上げたあと、斎藤茂吉からもらっていた致死量の睡眠薬を飲んで服毒自殺した。享年36〈数え年〉、満35歳没。服用した薬には異説があり、たとえば山崎光夫は、芥川の主治医だった下島勲の日記などから青酸カリによる服毒自殺説を主張している。同日朝、文夫人が「お父さん、よかったですね」と彼に語りかけたという話もある。戒名はなく俗名で葬儀が行われたが、後に懿文院龍之介日崇居士。墓所は、東京都豊島区巣鴨の慈眼寺。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "作品は、短編小説が多く知られている。しかし初期の作品には、西洋の文学を和訳したものも存在する(『バルタザアル』など)。英文科を出た芥川は、その文章構成の仕方も英文学的であるといわれている。翻訳文学的でもある論理的に整理された簡潔・平明な筆致に特徴がある。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "短編の傑作を残した一方で、長編を物にすることはできなかった(未完小説として『邪宗門』『路上』がある)。また、生活と芸術は相反するものだと考え、生活と芸術を切り離すという理想のもとに作品を執筆したといわれる。他の作家に比べ表現やとらえ方が生々しい。晩年には志賀直哉の「話らしい話のない」心境小説を肯定し、それまでのストーリー性のある自己の文学を完全否定する(その際の作品に『蜃気楼』が挙げられる)。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "『杜子春』など古典を参考にしたものや(原話は唐の小説『杜子春伝』)、鈴木三重吉が創刊した『赤い鳥』に発表されたものなど児童向け作品も多い。一般的には、キリシタン物や平安朝を舞台とした王朝物などに分類される。また、古典(説話文学)から構想を得た作品も多い。例えば、『羅生門』や『鼻』、『芋粥』などは『今昔物語集』を、『地獄変』などは『宇治拾遺物語』を題材としている。またアフォリズムの制作も得意としており、漢文などにも通じていた。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "反軍的な自説を主張しており、ことに『河童』『侏儒の言葉』などの晩年の作品にはそのような傾向が強い。当時の軍人の横柄な様子を「小児のようだ」と自著で酷評したほどである。しかし、当時は軍が著作物の検閲をするのが通常であったため、この検閲によって訂正・加筆・削除を余儀なくされた箇所も作品内に多数存在する。その一方で、海軍に対してはある程度の好意を抱いていたようで、陸軍のあまりの狭量に腐っていた陸軍幼年学校教官の豊島与志雄を「いい職場があるから」と海軍機関学校に招き、豊島はフランス語嘱託教官として勤務した。内田百閒も芥川の推薦でドイツ語嘱託教官となっており、のちに内田は『竹杖記』(1934年(昭和9年))で芥川が講師の人選や交渉などに一定の役割を担っていたことを記している。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "自著にて天照大神を登場させる際、別名の「大日孁貴」(おおひるめのむち)を用いた。これは「天照大神」という呼称では皇祖神をそのまま文中に登場させてしまうことになるため、太陽神、それも自然神という性格づけで「大日孁貴」を用いなければならなかったためである。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "煙草が大好きで、1日に180本も吸っていたという。この煙草について『海のほとり』『京都日記』『玄鶴山房』に敷島銘柄の煙草が登場した。", "title": "作品の特徴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "芥川龍之介の作品は、初期と晩年でかなり違うといわれる。", "title": "作品の変遷" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "説話文学を典拠とした『羅生門』『鼻』『芋粥』など歴史物、加えてキリシタン物が有名である。日夏耿之介は初期の作品を「非常によい」と評価している。歴史物では、人間の内面、特にエゴイズムを描き出したものが多い。", "title": "作品の変遷" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "芸術至上主義的な面が全面に出た『地獄変』などを書き、長編『邪宗門』に挑んでいた。", "title": "作品の変遷" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "自殺を考えていたのか、自分のこれまでの人生を見直したり、生死を取り上げたりした作品が多く見られる。初期より晩年の方を高く評価する見解も示されている。『一塊の土』など、これまでと比べ現代の話を書くようになるが、台頭するプロレタリア文壇にブルジョア作家と攻撃されることとなる。このころから主人公の一人称を「僕」とする私小説が増え、告白的な自伝も書き始める(『大導寺信輔の半生』、『点鬼簿』、『或阿呆の一生』など)。晩年の代表作『河童』は、河童の世界を描くことで人間社会を痛烈に批判しており、当時の人々に問題を提起した。", "title": "作品の変遷" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "『歯車』の内容から、晩年には自分自身のドッペルゲンガー(Doppelgänger)を見たのではないか、また、片頭痛あるいはその前兆症状である閃輝暗点を患っていたのではないか、という説がある。", "title": "作品の変遷" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "「水洟(みづぱな)や 鼻の先だけ 暮れ残る」と、自殺直前に書いた色紙の一句が辞世とされる。", "title": "作品の変遷" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1927年(昭和2年)7月24日、雨の降りしきるなか、田端の自室で芥川龍之介は「ぼんやりした不安」を動機として服毒自殺を行い、社会に衝撃を与えた。 午前6時頃、芥川が布団の中で苦悶している姿を夫人が気づき、かかりつけの医師を呼んだ時には既に絶命している状況にあった。 使用した薬品については、ベロナールとジェノアルとする説が一般的である。死の数日前に芥川を訪ねた同じ漱石門下で親友の内田百閒によれば、芥川はその時点でもう大量の睡眠薬でべろべろになっており、起きたと思ったらまた眠っているという状態だったという。すでに自殺を決意し、体を睡眠薬に徐々に慣らしていたのだろうと推測される。一方で、自殺の直前には身辺の者に自殺をほのめかす言動を多く残しており、実際には早期に発見されることを望んだ狂言自殺で、たまたま発見が遅れたために死亡したとする説がある。また、死後に見つかり、久米正雄に宛てたとされる遺書「或旧友へ送る手記」で芥川は自身の「ぼんやりした不安を解剖」して自殺へ至る道程(動機、手段、場所)について具体的に書き記している。その中に「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。僕のしみじみとした心もちになつてマインレンデルを読んだのもこの間である。(中略)...僕は内心自殺することに定め、あらゆる機会を利用してこの薬品( バルビツール酸系ヴェロナール (Veronal) およびジャール)を手に入れようとした」とあることから、記述を信頼すれば計画的に自殺を企てていた節も窺える。エンペドクレスの伝記にも言及し「みずからを神としたい欲望」についても記している。", "title": "自殺に関して" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "遺書として、妻・文に宛てた手紙、菊池寛、小穴隆一に宛てた手紙がある。芥川が自殺の動機として記した「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」との言葉は、今日一般的にも有名であるが、自殺直前の芥川の厭世的あるいは「病」的な心境は『河童』を初めとする晩年の作品群に明確に表現されており、「ぼんやりした不安」の一言のみから芥川の自殺の動機を考えるべきではないともいえる。芥川命日は小説『河童』から取って河童忌と称される。", "title": "自殺に関して" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "死の直前である7月初め、菊池寛に会うため二度文藝春秋社を訪れているが会うことができなかった。社員が菊池に芥川が訪れたことを報告せず、生前に菊池が芥川を訪ねることもなかった。", "title": "自殺に関して" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "死の前日、芥川は近所に住む室生犀星を訪ねたが、犀星は雑誌の取材のため上野に出かけており、留守であった。犀星は後年まで「もし私が外出しなかったら、芥川くんの話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたという。また、死の直前に", "title": "自殺に関して" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "「橋の上ゆ胡瓜なくれは水ひひきすなはち見ゆる禿の頭」", "title": "自殺に関して" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "と河童に関する作を残した。", "title": "自殺に関して" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "芥川の自殺報道の直後からその死にショックを受けたと思われる若者たちの後追い自殺が相次ぎ、「芥川宗」とも呼ばれた。", "title": "自殺に関して" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「芥川龍之介賞」(芥川賞)を設けた。芥川賞は直木賞と共に日本でもっとも有名な文学賞として現在まで続いている。", "title": "自殺に関して" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "芥川の死は関東大震災から数年経ち大正天皇崩御後、25歳の皇太子裕仁親王が現人神として天皇陛下に即位し昭和が始まって間もなくのことであった。川端康成は震災と芥川の死を関連付けて『サンデー毎日』に次のように語った。", "title": "自殺に関して" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "芥川の命日・7月24日は河童忌と呼ばれる。当初は、遺族と生前親交のあった文学者たちが集まる法要だったが、1930年(昭和5年)の四回忌から「河童忌記念帖」として文藝春秋誌上で紹介され、この呼び名が定着した。以後17回忌まで毎年行われていたが、戦争のため中断する。戦後、再開されたが詳しい記録は残っていない。", "title": "河童忌" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1976年(昭和51年)の50回忌は巣鴨の慈眼寺で墓前祭、丸の内の東京会館で偲ぶ会が催された。この日は第75回芥川賞の贈呈式で、受賞した村上龍も花を手向けにきた。没後90年にあたる2017年(平成29年)からは田端文士村記念館が世話役となり、「河童忌」イベントを開催している。", "title": "河童忌" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "芥川はいわゆる田端文士村の一員であった。地元の東京都北区は、芥川旧居跡地の一部を購入し「芥川龍之介記念館」(仮称)を2023年に開館する計画を2018年6月に発表した。", "title": "河童忌" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "非常に速く本を読むことができた。同人雑誌を渡された七ページの文章をパラパラとめくっただけで全部読んだ。", "title": "速読" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "また邦文の書物や雑誌なら2,3人と会話しながら読むことができた。しかし誤解されたり失敬に思われるのを避けるため親しくない人の前ではしなかった。", "title": "速読" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "英文の速読もできた。大阪へ行く時、分厚い英文の本を4,5冊手提げの中に芥川は入れていた。それを汽車内で読んでしまい、谷崎潤一郎の本を借りていた。", "title": "速読" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "下島勲が、どのくらいの速度で本を読めるのかと芥川に聞いた時、普通の英文学書なら一日1200~1300ページは楽と答えた。仮に一日1200ページの10時間とすれば、1時間120ページ、1分間2ページとなるわけである。", "title": "速読" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "興文社と文藝春秋社による『小学生全集』88巻の一環として刊行", "title": "著作" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "子供の名前は、それぞれ親友の菊池寛の「寛」(比呂志)、小穴隆一の「隆」(多加志)、恒藤恭の「恭」(也寸志)をもらって漢字を替えてつけたものである。", "title": "家族" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "芥川には笑顔の写真がほとんど存在しないが、晩年のフィルム映像では、息子たちと笑顔を見せる芥川の姿が記録されている。このことから子煩悩であったことがうかがえる。なお、この映像では比呂志と多加志は映っているが、也寸志はこのとき家の中で寝ていたため映っていない。", "title": "家族" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "也寸志の回想によれば、父の遺品にはSPレコードがあり、そのうち多くを占めていたのはストラヴィンスキーだったという。『火の鳥』(組曲版)と『ペトルーシュカ』を所有していたというが、演奏者などの詳細は不明である。", "title": "家族" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "長姉・新原はつ(1885年 - 1891年4月5日)", "title": "家族" } ]
芥川 龍之介は、日本の小説家。号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼(がき)。東京出身。『羅生門』、『鼻』、『地獄変』、『歯車』などで知られる。
{{Infobox 作家 |name = 芥川 龍之介<br />(あくたがわ りゅうのすけ) |image = Akutagawa Ryunosuke photo2.jpg |image_size = 200px |caption = |pseudonym = |birth_name = |birth_date = [[1892年]][[3月1日]] |birth_place = {{JPN1870}}・[[東京府]][[東京市]][[京橋区]]<br />(現:[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]) |death_date = {{死亡年月日と没年齢|1892|3|1|1927|7|24}} |death_place = {{JPN1870}}・東京府(現:東京都[[北区 (東京都)|北区]]田端) |resting_place = [[日蓮宗]][[慈眼寺 (豊島区)|慈眼寺]] |occupation = [[小説家]] |language = [[日本語]] |nationality = {{JPN1870}} |education = [[学士(文学)|文学士]] |alma_mater = [[東京大学|東京帝国大学]][[英文科]] |period = |genre = [[短編小説]] |subject = 近代知識人の苦悩 |movement = [[新現実主義]] |notable_works =『[[羅生門 (小説)|羅生門]]』(1915年)<br />『[[鼻 (芥川龍之介)|鼻]]』(1916年)<br />『[[戯作三昧]]』(1917年)<br />『[[地獄変]]』(1918年)<br />『[[奉教人の死]]』(1918年)<br />『[[杜子春]]』(1920年)<br />『[[藪の中]]』(1922年)<br />『[[河童 (小説)|河童]]』(1927年)<br />『[[歯車 (小説)|歯車]]』(1927年) |awards = |debut works = |spouse = [[芥川文|塚本文]]([[1919年]] - [[1927年]]) |partner = |children = [[芥川比呂志]](長男)<br />[[芥川多加志]](次男)<br />[[芥川也寸志]](三男) 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(墨田区)|両国]])にある母の実家の芥川家に預けられ、伯母のフキに養育される。11歳のときに母が亡くなる。翌年に伯父・[[芥川道章]](フクの実兄)の[[養子縁組|養子]]となり、芥川姓を名乗ることになった。[[旧家]]の[[士族]]である芥川家は[[江戸時代]]、代々[[徳川氏|徳川家]]に仕えた奥坊主(御用部屋坊主)の家である。家中が芸術・演芸を愛好し、江戸の[[文人]]的趣味が残っていた。 [[1898年]](明治31年)、江東(こうとう)[[尋常小学校]]入学(芥川卒業後、「江東」は「えひがし」と読むようになる。現在の[[墨田区立両国小学校]])。[[東京都立両国高等学校・附属中学校|東京府立第三中学校]]を卒業の際に「多年成績優等者」の賞状を受け、[[1910年]](明治43年)9月、[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]第一部乙類英文科に入学{{refnest|group=*|name=class|クラスは一年三之組。第一部乙類(英文科)は3年間この1クラスのみ。}}。1910年(明治43年)に中学の成績優秀者は無試験入学が許可される制度が施行され、芥川はその選に入っていた。同期入学に[[久米正雄]]{{refnest|group=*|name=class}}、[[松岡讓]]{{refnest|group=*|name=class}}、[[佐野文夫]]{{refnest|group=*|name=class}}、[[菊池寛]]{{refnest|group=*|name=class}}、井川恭(のちの[[恒藤恭]]){{refnest|group=*|name=class}}、[[土屋文明]]{{refnest|group=*|name=class}}、[[倉田百三]](第一部丙類独法・政治・独文科一年四之組)、[[渋沢秀雄]](第一部丙類仏法・政治・仏文科一年五之組)、[[矢内原忠雄]](第一部甲類英法・政治・経済・商科一年二之組)らがいた。2年生になり一高の[[学生寮#全寮制|全寮主義]]のため[[学生寮|寄宿寮]]に入るが、芥川は順応することはなかったという。寮で同室となった井川は生涯の親友となる。井川は『第一高等学校一覧』(第一高等学校刊行)によると<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812884/73 『第一高等学校一覧 明治43-44年』(入学時)、132頁]<br />{{0|^}} [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812885/69 『第一高等学校一覧 明治44-45年』(2年進学時)、126頁]<br />{{0|^}} [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940275/65 『第一高等学校一覧 大正元年-2年』(3年進学時)、118頁]<br />{{0|^}} [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940276/161 『第一高等学校一覧 大正2年-3年』(卒業時)、310頁]</ref>、1年から3年まで常に芥川の成績を上回っている{{refnest|group=*|名簿は前年の成績順。}}。[[1913年]](大正2年)<!--一高第一部乙類を2番の成績で卒業(一高第一部乙類首席は井川恭)-->、[[東京大学|東京帝国大学]]文科大学英文学科へ進学。ちなみに当時、同学科は一学年数人のみしか合格者を出さない難関であった。 東京帝大在学中の[[1914年]](大正3年)2月、一高同期(クラスメイト)の菊池寛、久米正雄らとともに[[同人誌]]『[[新思潮]]』(第3次)を刊行。まず「'''柳川隆之助'''」(隆之介と書かれている当時の書籍も存在する)の筆名で[[アナトール・フランス]]の『[[バルタザアル]]』、[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|イエーツ]]の『[[春の心臓]]』の和訳を寄稿したあと、10月に『新思潮』が廃刊にいたるまでに同誌上に処女小説『老年』を発表。作家活動の始まりとなった。このころ、[[青山学院女子短期大学|青山女学院]]英文科卒の吉田弥生<ref group="*">1892年生まれ。1915年に陸軍軍人と結婚。1973年死去。</ref>という女性と親しくなり、結婚を考えるが、芥川家の猛反対で断念する。[[1915年]](大正4年)10月、代表作の1つとなる『羅生門』を「'''芥川龍之介'''」名で『帝国文学』に発表。 [[画像:Kume Matsuoka Akutagawa Naruse.jpg|thumb|left|300px|東京帝国大学を卒業する1916年(大正5年)頃の第4次『新思潮』のメンバー。右から2番目が芥川龍之介、一番右は成瀬正一、一番左から久米正雄、松岡譲。]] [[1916年]](大正5年)には第4次『新思潮』(メンバーは菊池、久米のほか松岡譲、[[成瀬正一 (フランス文学者)|成瀬正一]]ら5人)を発刊したが、その創刊号に掲載した『鼻』が漱石に絶賛される。この年に東京帝国大学文科大学英文学科を20人中2番の成績で卒業{{refnest|group=*|芥川は大学院の退学届けの提出が期限切れだったため30円を請求され、このような大金の持ち合わせがない芥川は自ら除名処分を志願した(芥川龍之介『その頃の赤門生活』より)。}}。卒論は「[[ウィリアム・モリス]]研究」。同年12月、[[海軍機関学校]]英語教官を長く勤めた[[浅野和三郎]]が[[新宗教]]「[[大本]](当時は皇道大本)」に入信するため辞職する<ref>[[#神の罠|神の罠]], 36頁</ref>。そこで[[畔柳芥舟]]や[[市河三喜]]ら英文学者が、浅野の後任に芥川を推薦([[内田百閒]]によれば夏目漱石の口添えがあったとも)、芥川は海軍機関学校の嘱託教官(担当は英語)として教鞭を執った<ref>[[#神の罠|神の罠]], 38.178頁</ref><ref group="*">防衛省防衛研究所図書館史料閲覧室が所蔵する海軍記録『職員進退録』に、芥川の自筆履歴書が残る。2010年現在、複写した履歴書の写真が同室に展示されている。個人情報なので、[[アジア歴史資料センター]]でのネット公開の対象外である。</ref>。そのかたわら創作に励み、翌年5月には初の短編集『羅生門』を刊行する。その後も短編作品を次々に発表し、11月には早くも第二短編集『煙草と悪魔』を発刊している。 [[画像:Kikuchi Kan, Akutagawa Ryunosuke, and so on.jpg|thumb|right|240px|1919年(大正8年)長崎滞在中の写真。左から2番目が芥川龍之介、一番左は[[菊池寛]]<!--、奥の二人は左から[[武藤長蔵]]、[[永見徳太郎]]-->。]] [[1918年]](大正7年)の秋、懇意にしていた[[小島政二郎]](『[[三田文学]]』同人)と[[澤木四方吉]](『[[三田文学]]』主幹で西洋美術史家)の斡旋で[[慶應義塾大学]][[文学部]]への就職の話があり、[[履歴書]]まで出したが、実現をみなかった<ref>{{harvnb|関口|1992|p=213}}</ref>。[[1919年]](大正8年)3月、海軍機関学校の教職を辞して[[大阪毎日新聞|大阪毎日新聞社]]に入社(新聞への寄稿が仕事で出社の義務はない)、創作に専念する<ref>芥川龍之介 「[http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3753_27325.html 入社の辞]」、1919年3月。</ref>。ちなみに師の漱石も[[1907年]](明治40年)、同じように[[朝日新聞社]]に入社している。 [[1919年]](大正8年)[[3月12日]]、友人の[[山本喜誉司]]の姉の娘、[[芥川文|塚本文]](父[[塚本善五郎]]は[[日露戦争]]において[[敷島型戦艦|戦艦]]「[[初瀬 (戦艦)|初瀬]]」[[戦艦「初瀬」と「八島」の撃沈|沈没時]]に戦死<ref>[[#海軍兵学校物語|海軍兵学校物語]], p. 73</ref>)と[[結婚]]。菊池寛とともに大阪毎日の客外社員となり、[[鎌倉]]から東京府[[北豊島郡]][[滝野川町]]に戻る。同年5月には菊池とともに[[長崎市|長崎]]旅行を行い、友人の日本[[画家]]・[[近藤浩一路]]から[[永見徳太郎]]を紹介されている。 [[1920年]](大正9年)[[3月30日]]、長男[[芥川比呂志]]、誕生。 [[1921年]](大正10年)3月、海外視察員として[[中華民国の歴史|中国]]を訪れ、[[北京]]を訪れた折には[[胡適]]に会っている。胡適と[[検閲]]の問題などについて語り合い、7月帰国。『上海遊記』以下の紀行文を著した。 この旅行後から次第に心身が衰え始め、[[神経衰弱 (精神疾患)|神経衰弱]]、[[腸カタル]]などを患う。[[1923年]](大正12年)には[[湯河原町]]へ湯治に赴いている。作品数は減っていくが、このころからいわゆる「保吉もの」など[[私小説]]的な傾向の作品が現れ、この流れは晩年の『[[歯車 (小説)|歯車]]』『[[河童 (小説)|河童]]』などへとつながっていく。 [[1922年]](大正11年)[[11月8日]]、次男[[芥川多加志]](たかし)、誕生。 1923年(大正12年)[[9月1日]]に[[関東大震災]]が発生し、各地で[[自警団]]が形成された。芥川も町会([[田端 (東京都北区)|田端]])の自警団に、世間体もあり病身を押して参加した<ref>{{harvnb|関口|2010|p=52}}</ref>。随筆「大震雑記」(『大正十二年九月一日の大震に際して』収録)やアフォリズム「或自警団員の言葉」(『[[侏儒の言葉]]』収録)に自警が言及される。また震災後の[[吉原遊廓]]付近へ芥川と一緒に死骸を見物しに出かけた[[川端康成]]によると、芥川は悲惨な光景のなかを快活に飛ぶように歩いていたという<ref>{{harvnb|川端康成 「芥川龍之介氏と吉原」}}</ref>。朝鮮人デマについて「善良なる市民」は信じただろうと述べている<ref>[https://www.gentosha.jp/article/24013/ 「善良なる市民」芥川龍之介は“流言蜚語を鵜呑み”にし菊池寛に一喝される|関東大震災|畑中章宏 - 幻冬舎plus]</ref>。 {{cquote|その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○(※編注:検閲箇所)さうだと云つた。すると[[菊池寛|菊池]]は眉を挙げながら、「{{ルビ|譃|うそ}}だよ、君」と一喝した。僕は勿論さう云はれて見れば、「ぢや譃だらう」と云ふ外ほかはなかつた。しかし次手ついでにもう一度、何なんでも○○○○は[[ボルシェヴィキ|ボルシエヴイツキ]]の手先ださうだと云つた。}} {{cquote|再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシエヴイツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。(大正十二年九月一日の大震に際して)}} また「或自警団員の言葉」においても日本社会について皮肉めいた記述をしている<ref>{{harvnb|川端|2015|p=58}}</ref>。 {{cquote|我我は互に憐まなければならぬ。況や殺戮を喜ぶなどは、――尤も相手を絞め殺すことは議論に勝つよりも手軽である。我我は互に憐まなければならぬ。[[アルトゥル・ショーペンハウアー|ショオペンハウエル]]の[[厭世観]]の我我に与えた教訓もこう云うことではなかったであろうか?(「或自警団員の言葉」より)}} [[1924年]](大正13年)、芥川は『桃太郎』を発表した。芥川にとっての[[桃太郎]]観というものは、『女性改造』連載「僻見」1924(大正13)年4月1日発行第3巻第4号に見出すことができる。芥川は[[上海市|上海]]で[[章炳麟]](章太炎先生)から聞いた話を次のように引用した。(「僕」が芥川、「予」が章炳麟) {{Cquote|その時先生の云つた言葉は未だに僕の耳に鳴り渡つてゐる。――「予の最も嫌悪する日本人は鬼が島を征伐した桃太郎である。桃太郎を愛する日本国民にも多少の反感を抱かざるを得ない。」先生はまことに賢人である。僕は度たび外国人の[[山形有朋|山県]]公爵を嘲笑し、[[葛飾北斎]]を賞揚し、[[渋沢栄一|渋沢]]子爵を罵倒するのを聞いた。しかしまだ如何なる日本通もわが章太炎先生のやうに、桃から生れた桃太郎へ一矢を加へるのを聞いたことはない。のみならずこの先生の一矢はあらゆる日本通の雄弁よりもはるかに真理を含んでゐる。(「僻見」より)}} 章炳麟は、侵略者としての桃太郎と日本の[[帝国主義]]による[[植民地]]政策を重ね合わせたのであり、芥川はそれを理解して自らの作品『桃太郎』を執筆したのである<ref>{{harvnb|渡部|2017|p=46}}</ref>。当時の売れっ子作家であり表層では国家の優等生でもあった芥川は、一方で[[ジョージ・バーナード・ショー|バーナード・ショー]]への傾倒など[[社会主義]]のよき理解者であった<ref>{{harvnb|関口|2010|p=54}}</ref>。[[1925年]](大正14年)制定の[[治安維持法]]に至る[[法案]]策定過程に関して彼ははっきりと不快感を示している。それは[[1922年]](大正11年)『新潮』4月号掲載「澄江堂雑記」に次のように主張された。 {{Cquote|社会主義は、理非曲直の問題ではない。単に一つの必然である。僕はこの必然を必然と感じないものは、恰(あたか)も火渡りの行者を見るが如き、驚嘆の情を禁じ得ない。あの[[治安維持法|過激思想取締法]]案とか云ふものの如きは、正にこの好例の一つである。(「澄江堂雑記: 十一 火渡りの行者」より)}} 甘粕事件より以前の1910年(明治43年)、芥川が一高に入学する数か月前の[[5月25日]]に[[幸徳事件|大逆事件]]が起きている。[[1911年]](明治44年)[[2月1日]]、[[徳富蘆花]]が一高で大逆事件への政府批判演説をしたことが当時の一高生たちの心を揺さぶり、一高生たちはこの演説『謀叛論』の話で持ち切りであった<ref name=sekiguchi44-47>{{harvnb|関口|2010|pp=44-47}}</ref>。芥川はこの時、一高の一年生であった。クラスメイトの菊池寛、久米正雄は演説の件を文章に書き残している<ref name=sekiguchi44-47 />。 [[1925年]](大正14年)[[7月12日]]、三男[[芥川也寸志]](やすし)、誕生。 [[1925年]](大正14年)ごろから[[文化学院]]文学部講師に就任。[[1926年]](大正15年)、[[胃潰瘍]]、神経衰弱、[[不眠症]]が高じ、ふたたび湯河原で療養。一方、妻・文は自身の弟・塚本八洲の療養のため[[鵠沼]]の実家別荘に移住。2月22日、龍之介も鵠沼の[[旅館東屋]]に滞在して妻子を呼び寄せる。7月20日には東屋の貸[[別荘]]「イ-4号」を借り、妻・文、三男・也寸志と住む。夏休みに入り、比呂志、多加志も来る。7月下旬、親友の画家[[小穴隆一]]も隣接する「イ-2号」を借りて住む。この間、小品『家を借りてから』『鵠沼雑記』、さらに『点鬼簿』を脱稿。[[堀辰雄]]、[[宇野浩二]]、[[小沢碧童]]らの訪問を受ける。また、鵠沼の開業医、富士山(ふじ たかし)に通院する。9月20日、龍之介、文、也寸志は「イ-4号」の西側にあった「柴さんの二階家」を年末まで借りて移る。ここで鵠沼を舞台にした小品『悠々荘』を脱稿。これは、震災前に[[岸田劉生]]が住み、震災後に建て直されて国木田虎雄([[国木田独歩]]の息子で詩人)が借りていた貸別荘を視察したときの経験がヒントのようで、龍之介一家が鵠沼に永住する意図があったとも考えられる。また、この間、[[斎藤茂吉]]、土屋文明、恒藤恭、川端康成、菊池寛らの訪問を受けている。[[元号]]が[[昭和]]に変わってから、妻子は[[田端 (東京都北区)|田端]]に戻り、龍之介は「イ-4号」に戻った。甥の[[葛巻義敏]]と鎌倉で年越しをしてから田端に戻るが、鵠沼の家は4月まで借りており、時折訪れている。 [[1927年]](昭和2年)1月、義兄の[[西川豊]](次姉の夫)が[[放火罪|放火]]と[[保険金詐欺]]の嫌疑<ref group="*">西川は弁護士であったが偽証教唆の罪で失権し、刑務所に収監され、出所後に自宅が半焼した際に直前に多額の保険金をかけていたことや家屋の2階押入の二箇所からアルコール瓶が発見されたことから保険金詐欺目的の放火が疑われていた。</ref>をかけられて鉄道[[自殺]]する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。4月より「物語の面白さ」を主張する[[谷崎潤一郎]]に対して、『[[文芸的な、余りに文芸的な]]』で「物語の面白さ」が小説の質を決めないと反論し、戦後の物語批判的な文壇のメインストリーム<!-- 具体的にはどういうこと?-->を予想する文学史上有名な論争を繰り広げる。この中で芥川は、「話らしい話のない」純粋な小説の名手として「[[小僧の神様|小説の神様]]」[[志賀直哉]]を称揚した。このころ、芥川の秘書的な役割を果たしていた平松ます子(父は平松福三郎・大本信者)は芥川から[[帝国ホテル]]での心中を持ちかけられ、小穴龍一や文夫人等に知らせて阻止した<ref>[「平松ます子」『芥川龍之介新辞典』], 511頁</ref>。 [[7月24日]]未明、『続西方の人』を書き上げたあと、[[斎藤茂吉]]からもらっていた致死量の[[睡眠薬]]を飲んで[[服毒]][[自殺]]した。享年36〈数え年〉、満35歳没。服用した薬には異説があり、たとえば[[山崎光夫]]は、芥川の[[主治医]]だった[[下島勲]]の[[日記]]などから[[シアン化カリウム|青酸カリ]]による服毒自殺説を主張している<ref>山崎光夫 『[https://books.google.co.jp/books?id=awwVAAAACAAJ&redir_esc=y&hl=ja 藪の中の家]』 中公文庫、2008年。(第四章六 - より)</ref>。同日朝、文夫人が「お父さん、よかったですね」と彼に語りかけたという話もある<ref>芥川文、中野妙子記 『追想芥川龍之介』 中公文庫、1981年、p.170</ref>。[[戒名]]はなく俗名で葬儀が行われたが<ref>戒名はなく墓碑も俗名『東京日日新聞』昭和2年7月26日夕刊(『昭和ニュース事典第2巻 昭和元年-昭和3年』本編p3 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>、後に懿文院龍之介日崇居士。墓所は、東京都[[豊島区]][[巣鴨]]の[[慈眼寺 (豊島区)|慈眼寺]]。 == 作品の特徴 == [[File:Ryunosuke Akutagawa 01.jpg|thumb|150px|在りし日の芥川龍之介(1927年)]] 作品は、短編小説が多く知られている。しかし初期の作品には、西洋の文学を和訳したものも存在する(『バルタザアル』など)。英文科を出た芥川は、その文章構成の仕方も英文学的であるといわれている。翻訳文学的でもある論理的に整理された簡潔・平明な筆致に特徴がある。 短編の傑作を残した一方で、長編を物にすることはできなかった(未完小説として『[[邪宗門 (芥川龍之介)|邪宗門]]』『路上』がある)。また、生活と芸術は相反するものだと考え、生活と芸術を切り離すという理想のもとに作品を執筆したといわれる。他の作家に比べ表現やとらえ方が生々しい。晩年には志賀直哉の「話らしい話のない」心境小説を肯定し、それまでのストーリー性のある自己の文学を完全否定する(その際の作品に『[[蜃気楼 (小説)|蜃気楼]]』が挙げられる)。 『[[杜子春]]』など古典を参考にしたものや(原話は唐の小説『杜子春伝』)、[[鈴木三重吉]]が創刊した『[[赤い鳥]]』に発表されたものなど児童向け作品も多い。一般的には、[[キリシタン]]物や[[平安時代|平安朝]]を舞台とした[[王朝]]物などに分類される。また、古典(説話文学)から構想を得た作品も多い。例えば、『[[羅生門 (小説)|羅生門]]』や『[[鼻 (芥川龍之介)|鼻]]』、『[[芋粥]]』などは『[[今昔物語集]]』を、『[[地獄変]]』などは『[[宇治拾遺物語]]』を題材としている。また[[アフォリズム]]の制作も得意としており、漢文などにも通じていた。 反軍的な自説を主張しており、ことに『河童』『侏儒の言葉』などの晩年の作品にはそのような傾向が強い。当時の[[軍人]]の横柄な様子を「小児のようだ」と自著で酷評したほどである<ref> https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1172662/15 『侏儒の言葉』芥川龍之介「小兒」「武器」1939年版(検閲による削除あり)国立国会図書館所蔵}</ref><ref> https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1180947/16 『侏儒の言葉』芥川龍之介「小兒」「武器」1927年版(検閲による削除なし)国立国会図書館所蔵}</ref>。しかし、当時は軍が著作物の[[検閲]]をするのが通常であったため、この検閲によって訂正・加筆・削除を余儀なくされた箇所も作品内に多数存在する。その一方で、[[大日本帝国海軍|海軍]]に対してはある程度の好意を抱いていたようで、[[大日本帝国陸軍|陸軍]]のあまりの狭量に腐っていた[[陸軍幼年学校]]教官の[[豊島与志雄]]を「いい職場があるから」と海軍機関学校に招き、豊島は[[フランス語]]嘱託教官として勤務した<ref>[[#神の罠|神の罠]], 40.177頁</ref>。[[内田百閒]]も芥川の推薦で[[ドイツ語]]嘱託教官となっており、のちに内田は『竹杖記』([[1934年]](昭和9年))で芥川が講師の人選や交渉などに一定の役割を担っていたことを記している<ref>[[#神の罠|神の罠]], 178-179頁</ref>。 自著にて[[天照大神]]を登場させる際、別名の「大日{{lang|zh|孁}}貴」(おおひるめのむち)を用いた。これは「天照大神」という呼称では[[皇祖神]]をそのまま文中に登場させてしまうことになるため、[[太陽神]]、それも[[自然神]]という性格づけで「大日{{lang|zh|孁}}貴」を用いなければならなかったためである。 [[煙草]]が大好きで、1日に180本も吸っていたという。この煙草について『海のほとり』『京都日記』『玄鶴山房』に[[敷島 (たばこ)|敷島]]銘柄の煙草が登場した。 == 作品の変遷 == 芥川龍之介の作品は、初期と晩年でかなり違うといわれる。<!-- * {{subst:和暦/sandbox|1918}}に発表した[[キリシタン]]物の小説「[[奉教人の死]]」の末尾の方に「…余が所蔵に関わる、長崎耶蘇出版の一書、題して「れげんだ・おうれあ」と云ふ。蓋し、LEGENDA AUREAの意なり。…体裁は上下二巻、美濃紙摺草体交りの平仮名文にして(略)」と架空の記述を挿入してキリシタン研究に血眼になっていた当時の専門家の注意を惹き、碩学の[[内田魯庵]]が真に受けてしまったという逸話がある。--> === 初期 === 説話文学を典拠とした『羅生門』『鼻』『芋粥』など歴史物、加えて[[キリシタン]]物が有名である。[[日夏耿之介]]は初期の作品を「非常によい」と評価している。歴史物では、人間の内面、特に[[エゴイズム]]を描き出したものが多い。 === 中期 === [[芸術のための芸術|芸術至上主義]]的な面が全面に出た『[[地獄変]]』などを書き、長編『[[邪宗門]]』に挑んでいた。 === 晩年 === 自殺を考えていたのか、自分のこれまでの人生を見直したり、生死を取り上げたりした作品が多く見られる。初期より晩年の方を高く評価する見解も示されている。『一塊の土』など、これまでと比べ現代の話を書くようになるが、台頭する[[プロレタリアート|プロレタリア]]文壇に[[ブルジョア]]作家と攻撃されることとなる。このころから主人公の一人称を「僕」とする私小説が増え、告白的な自伝も書き始める(『大導寺信輔の半生』、『点鬼簿』、『或阿呆の一生』など)。晩年の代表作『[[河童 (小説)|河童]]』は、河童の世界を描くことで人間社会を痛烈に批判しており、当時の人々に問題を提起した。 『[[歯車 (小説)|歯車]]』の内容から、晩年には自分自身の[[ドッペルゲンガー]](Doppelgänger)を見たのではないか、また、[[片頭痛]]あるいはその前兆症状である[[閃輝暗点]]を患っていたのではないか、という説がある。 「水洟(みづぱな)や 鼻の先だけ 暮れ残る」と、自殺直前に書いた[[色紙]]の一句が[[辞世]]とされる。 == 自殺に関して == [[1927年]](昭和2年)[[7月24日]]、雨の降りしきるなか、田端の自室で芥川龍之介は「ぼんやりした不安」を動機として[[服毒]][[自殺]]を行い、社会に衝撃を与えた。 午前6時頃、芥川が布団の中で苦悶している姿を夫人が気づき、かかりつけの医師を呼んだ時には既に絶命している状況にあった<ref>「ぼんやりとした不安」手記残し自殺『東京日日新聞』昭和2年7月25日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和元年-昭和3年』本編p3 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 使用した薬品については、[[バルビタール|ベロナール]]と[[ジェノアル]]とする説が一般的である。死の数日前に芥川を訪ねた同じ漱石門下で親友の[[内田百閒]]によれば、芥川はその時点でもう大量の[[睡眠薬]]でべろべろになっており、起きたと思ったらまた眠っているという状態だったという。すでに自殺を決意し、体を睡眠薬に徐々に慣らしていたのだろうと推測される。一方で、自殺の直前には身辺の者に自殺をほのめかす言動を多く残しており、実際には早期に発見されることを望んだ狂言自殺で、たまたま発見が遅れたために死亡したとする説がある。また、死後に見つかり、[[久米正雄]]に宛てたとされる[[遺書]]「[[:s:或旧友へ送る手記|或旧友へ送る手記]]<ref>芥川龍之介 「[http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/20_14619.html 或旧友へ送る手記]」、1927年7月。</ref>」で芥川は自身の「ぼんやりした不安を解剖」して自殺へ至る道程(動機、手段、場所)について具体的に書き記している。その中に「僕はこの二年ばかりの間は死ぬことばかり考へつづけた。僕のしみじみとした心もちになつて[[フィリップ・マインレンダー|マインレンデル]]を読んだのもこの間である。(中略)…僕は内心自殺することに定め、あらゆる機会を利用してこの薬品([[ バルビツール酸系]]ヴェロナール (Veronal) およびジャール)を手に入れようとした」とあることから、記述を信頼すれば計画的に自殺を企てていた節も窺える。[[エンペドクレス#その他|エンペドクレス]]の伝記にも言及し「みずからを神としたい欲望」についても記している。 遺書として、妻・[[芥川文|文]]に宛てた手紙、[[菊池寛]]、[[小穴隆一]]に宛てた手紙がある。芥川が自殺の動機として記した「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」との言葉は、今日一般的にも有名であるが、自殺直前の芥川の厭世的あるいは「病」的な心境は『[[河童 (小説)|河童]]』を初めとする晩年の作品群に明確に表現されており、「ぼんやりした不安」の一言のみから芥川の自殺の動機を考えるべきではないともいえる。芥川命日は小説『河童』から取って河童忌と称される。 死の直前である7月初め、菊池寛に会うため二度[[文芸春秋社|文藝春秋社]]を訪れているが会うことができなかった。社員が菊池に芥川が訪れたことを報告せず、生前に菊池が芥川を訪ねることもなかった<ref>久世番子『よちよち文藝部』[[文藝春秋]]、2012年10月、152-153頁</ref>。 死の前日、芥川は近所に住む[[室生犀星]]を訪ねたが、犀星は雑誌の取材のため[[上野]]に出かけており、留守であった。犀星は後年まで「もし私が外出しなかったら、芥川くんの話を聞き、自殺を思いとどまらせたかった」と、悔やんでいたという。また、死の直前に 「''橋の上ゆ胡瓜なくれは水ひひきすなはち見ゆる禿の頭''」 と河童に関する作を残した。 芥川の自殺報道の直後からその死にショックを受けたと思われる若者たちの[[ウェルテル効果|後追い自殺が相次ぎ]]、「芥川宗」とも呼ばれた<ref>『芸能人と文学賞 〈文豪アイドル〉芥川から〈文藝芸人〉又吉へ』川口則弘、ベストセラーズ, 2017、「芥川のブロマイドが芥川賞の根源にあった--「作家」というアイドルの誕生」の章</ref>。 死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の名を冠した新人文学賞「[[芥川龍之介賞]]」(芥川賞)を設けた。芥川賞は[[直木三十五賞|直木賞]]と共に日本でもっとも有名な文学賞として現在まで続いている。 芥川の死は関東大震災から数年経ち[[大正天皇]]崩御後、25歳の[[皇太子裕仁親王]]が[[現人神]]として[[天皇陛下]]に即位し昭和が始まって間もなくのことであった。[[川端康成]]は震災と芥川の死を関連付けて『サンデー毎日』に次のように語った<ref>{{harvnb| 十重田|2013|p=172}}</ref>。 {{cquote|二三年(にさんねん)の後いよいよ自殺の決意を固められた時に、死の姿の一つとして、あの吉原の池に累々と重なつた醜い死骸は必ず故人の頭に甦つて来たにちがひないと思ふ (川端康成「芥川龍之介氏と吉原」、『サンデー毎日』 1929年1月13日 第8年3号より)}} == 菊池寛による弔辞 == * 菊池寛は第一高等学校での同級生以来の付き合いであり、友人総代として[[弔辞]]を読んでいる。菊池は読み上げている最中に感極まって慟哭、しばらくの間、霊前に泣き伏せてしまった<ref>谷中斎場で葬儀、霊前で慟哭した菊池寛『東京日日新聞』昭和2年7月28日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和元年-昭和3年』本編p3 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 {{cquote| 芥川龍之介君よ<br /> 君が自ら擇み 自ら決したる死について 我等 何をか云はんや<br /> たゞ我等は 君が死面に 平和なる微光の漂へるを見て 甚だ安心したり<br /> 友よ 安らかに眠れ!<br /> 君が夫人 賢なれば よく遺兒を養ふに堪ふるべく<br /> 我等 亦 微力を致して 君が眠の いやが上に安らかならん事に努むべし<br /> たゞ悲しきは 君去りて 我等が身辺 とみに蕭篠たるを如何せん<br />                                      友人總代 菊池寛}} * なお、芥川の死について、菊池寛は「芥川の事ども」という文章を残している<ref>菊池寛 「[http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/card1340.html 芥川の事ども]」、『文藝春秋』1927年9月号。</ref>。 == 河童忌 == 芥川の命日・7月24日は河童忌と呼ばれる。当初は、遺族と生前親交のあった文学者たちが集まる法要だったが、1930年(昭和5年)の四回忌から「河童忌記念帖」として[[文藝春秋]]誌上で紹介され、この呼び名が定着した。以後17回忌まで毎年行われていたが、戦争のため中断する。戦後、再開されたが詳しい記録は残っていない<ref name=bungei2017>{{Cite |和書 |author=木口直子(田端文士村記念館学芸員) |date=2017|chapter=芥川龍之介没後九十年”河童忌”の新たな幕開けに添えて |title=文藝別冊 芥川龍之介|pages=201-208|publisher=河出書房新社 }}</ref>。 1976年(昭和51年)の50回忌は巣鴨の慈眼寺で墓前祭、丸の内の[[東京会館]]で偲ぶ会が催された。この日は第75回[[芥川賞]]の贈呈式で、受賞した[[村上龍]]も花を手向けにきた<ref name=bungei2017/>。没後90年にあたる2017年(平成29年)からは田端文士村記念館が世話役となり、「河童忌」イベントを開催している<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://kitabunka.or.jp/tabata/event/|title=イベント一覧|publisher=田端文士村記念館 北区文化振興財団|accessdate=2019-02-04}}</ref>。 === 記念館 === 芥川はいわゆる[[田端文士村]]の一員であった。地元の[[北区 (東京都)|東京都北区]]は、芥川旧居跡地の一部を購入し「芥川龍之介記念館」(仮称)を2023年に開館する計画を2018年6月に発表した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20180607/k00/00m/040/031000c 「芥川龍之介記念館」整備/北区が旧居跡地購入へ 書斎再現や資料展示]『毎日新聞』朝刊2018年6月7日(東京面)2018年6月7日閲覧。</ref>。 == 人物 == * 大の[[風呂]]嫌いで、めったに風呂に入らなかったという。入ったとしても、手ぬぐいは持っていかなかったという。 * 大の[[犬]]嫌いだったが、晩年、死の直前になってからは、なぜか犬をまったく怖がらなくなった。犬を主人公とする児童文学『白』を[[改造社]]出版の雑誌『女性改造』(『[[改造 (雑誌)|改造]]』の姉妹誌)に寄稿したのもこの時期である。 * 『文芸家たらんとする諸君に与ふ』という小文において「文芸家たらんとする中学生は、須らく[[数学]]を学ぶ事勤勉なるべし。然らずんばその頭脳常に理路を辿る事迂にして、到底一人前の文芸家にならざるものと覚悟せよ。文芸家たらんとする中学生は、須らく[[体操]]を学ぶこと勤勉なるべし。然らずんばその体格常に薄弱にして、到底生涯の大業を成就せざるものと覚悟せよ」と述べ、数学や体操を勤勉に学ばなければよい文芸家にはなれないと主張している<ref name="katano">{{harvnb|片野|2006|p=15-16}}</ref>。ただし、同じ文の中で「こは予自身の経験に基く言にして、予亦然く中学時代を有効に経過せざりしを悲しみつつあるものなり」とも述べていることから、片野善一郎は「中学時代に一生懸命に勉強しなかったことを後悔しているくらいであるから、芥川は数学はあまり得意でなかったのかもしれない」と推察している<ref name="katano"></ref>。 * [[黒澤明]]の『[[羅生門 (1950年の映画)|羅生門]]』(日本映画初の[[ヴェネツィア国際映画祭]]金獅子賞)は芥川の『藪の中』『[[羅生門 (小説)|羅生門]]』から題材を借りている。 * [[俳人]]としては[[高浜虚子]]の『[[ホトトギス (雑誌)|ホトトギス]]』や[[河東碧梧桐]]の『[[海紅]]』に拠って<ref>芥川龍之介 「[http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3771_26611.html わが俳諧修業]」</ref>『澄江堂句集』を残している。また詩、[[短歌]]、[[旋頭歌]]などの作品も残している<ref>[[吉野裕之]] 「[http://homepage3.nifty.com/hiro1961/hyoron/akutagawa.html 緑いろの何か-あるいは、芥川を撃った赤い光]」、『歌壇』1996年6月号。</ref>。 * [[家紋]]は「[[五七桐]]」である。 * [[源義仲]]について「彼の一生は失敗の一生也。彼の歴史は蹉跌の歴史也。彼の一代は薄幸の一代也。然れども彼の生涯は男らしき生涯」と寄稿文を寄せるほど敬愛していた。<ref>{{Cite web|和書|url=https://toyokeizai.net/articles/-/539069|title=芥川龍之介が3万字論文書いた「木曽義仲」の魅力 松尾芭蕉も愛惜した猛将の知られざる実像|website=歴史|publisher=東洋経済オンライン|date=2022-03-21|accessdate=2023-10-15}}</ref> == 速読 == 非常に速く本を読むことができた。同人雑誌を渡された七ページの文章をパラパラとめくっただけで全部読んだ<ref name=":0">{{Cite book|和書|title=芥川追想|publisher=岩波書店|pages=379-381}}</ref>。 また邦文の書物や雑誌なら2,3人と会話しながら読むことができた。しかし誤解されたり失敬に思われるのを避けるため親しくない人の前ではしなかった<ref name=":0" />。 英文の速読もできた。大阪へ行く時、分厚い英文の本を4,5冊手提げの中に芥川は入れていた。それを汽車内で読んでしまい、谷崎潤一郎の本を借りていた<ref name=":0" />。 下島勲が、どのくらいの速度で本を読めるのかと芥川に聞いた時、普通の英文学書なら'''一日1200~1300ページ'''は楽と答えた。仮に一日1200ページの10時間とすれば、1時間120ページ、1分間2ページとなるわけである<ref name=":0" />。 == 交友関係 == * 師であり自分を見出してくれた[[夏目漱石]]を終生尊敬し続けた。いくつかの作品に「先生」という敬称で登場し、遺作である『[[歯車 (小説)|歯車]]』『[[或阿呆の一生]]』でも言及している。[[夏目漱石]]の[[葬儀]]の際に[[江口渙]]とともに受付を務め、弔問にきた[[森鷗外]]の名刺を受け取っている。妻へ宛てた遺書の中で、自作の出版権については「[[岩波茂雄]]氏([[岩波書店]])に譲与すべし。新潮社との契約は廃棄す」と記している。この理由についても記されており、「夏目先生を愛するが故に先生と出版書肆を同じにしたい」と希望した。 *[[避暑]]先の[[軽井沢町|軽井沢]]で[[アイルランド文学]][[翻訳者]]である[[片山広子]]と出会う。芥川晩年の作品『[[或阿呆の一生]]』の37章で「才力の上にも格闘できる女性」と記し、『相聞』で「君」と歌われたのは片山広子の事だと言われていることから、のちに片山は芥川最後の恋人と呼ばれるようになった(あくまでも[[プラトニック・ラブ]]であったとされる)。なお芥川が軽井沢を訪れたのは、1924年と翌年の2回で、いずれも夏の約1ヶ月間を[[旧軽井沢]]の[[つるや旅館]]で過ごし、[[室生犀星]]、[[堀辰雄]]、[[萩原朔太郎]]らも同宿し交友を深めた。1925年に書いた草稿「軽井沢で」に、芥川は軽井沢について、「さやうなら。[[手風琴]]の町、さやうなら僕の[[抒情詩]]時代」と記している。 *[[佐藤春夫]]とは友人で芥川から佐藤への手紙が残っている<ref name="kyodo20220730">{{Cite web|和書|url= https://web.archive.org/web/20220807142056/https://nordot.app/926062949719048192|title= 芥川の内面伝える手紙発見 佐藤春夫宛て、深い交友|publisher=共同通信|accessdate=2022-08-12}}</ref>。1926年に送られたとみられる佐藤宛の手紙が遺族により[[実践女子大学]]に寄贈されており、芥川の随筆集の表紙を描いてくれた感謝のほか、小説「妖婆」を失敗作だと断じた佐藤の論評について「初めて読んだ時には不快だつたが、今は平気でよめる」と記している<ref name="kyodo20220730" />。 == 著作 == {{div col|colwidth=25em}}<!-- * [[老狂人]] --> * [[老年 (小説)|老年]] 1914年 * [[バルタザアル]] 1914年(翻訳、原作[[アナトール・フランス]]) * [[「ケルトの薄明」より]] 1914年(翻訳、原作[[ウィリアム・バトラー・イェイツ]]) * [[春の心臓]] 1914年(翻訳、原作ウィリアム・バトラー・イェイツ) * [[死霊の恋|クラリモンド]] 1914年(翻訳、原作[[テオフィル・ゴーティエ]]) * [[ひょっとこ]] 1915年 * [[羅生門 (小説)|羅生門]] 1915年 * [[鼻 (芥川龍之介)|鼻]] 1916年 * [[芋粥]] 1916年 * [[手巾 (小説)|手巾]] 1916年 * [[煙草と悪魔]] 1916年 * [[さまよえる猶太人]] 1917年 * [[戯作三昧]] 1917年 * [[運 (小説)|運]] 1917年1月 * [[道祖問答]] 1917年4月 * [[偸盗 (小説)|偸盗]] 1917年4月・6月 * [[蜘蛛の糸]] 1918年 * [[地獄変]] 1918年 * [[邪宗門 (芥川龍之介)|邪宗門]] 1918年 * [[奉教人の死]] ([[三田文学]], 1918年8月) * [[枯野抄]] 1918年 * [[るしへる]] 1918年 * [[犬と笛]] 1919年 * [[きりしとほろ上人伝]] 1919年 * [[魔術 (小説)|魔術]] 1919年 * [[蜜柑 (小説)|蜜柑]] 1919年 * [[舞踏会 (小説)|舞踏会]] 1920年 * [[秋 (芥川龍之介)|秋]] 1920年 * [[南京の基督]] 1920年 * [[杜子春]] 1920年 * [[アグニの神]] 1920年 * [[黒衣聖母]] 1920年 * [[藪の中]] 1922年 * [[神神の微笑]] 1922年 * [[将軍 (芥川龍之介の小説)|将軍]] 1922年 * [[報恩記]] 1922年 * [[三つの宝]] 1922年 * [[トロツコ]] 1922年 * [[魚河岸]] 1922年 * [[おぎん]] 1922年 * [[仙人 (小説)|仙人]] 1922年 * [[六の宮の姫君]] 1922年8月 * [[侏儒の言葉]] 1923年 - 1927年 * [[漱石山房の冬]] 1923年 * [[猿蟹合戦 (芥川龍之介)|猿蟹合戦]] 1923年 * [[雛 (小説)|雛]] 1923年 * [[おしの]] 1923年 * [[保吉の手帳から]] 1923年 * 白 1923年 * [[あばばばば]] 1923年 * [[一塊の土]] 1924年 * 桃太郎 1924年 * [[大導寺信輔の半生]] 1925年 * [[点鬼簿]] 1926年 * [[玄鶴山房]] 1927年 * [[河童 (小説)|河童]] 1927年 * [[誘惑 (芥川龍之介の小説)|誘惑]] 1927年 * [[蜃気楼 (小説)|蜃気楼]] 1927年 * [[浅草公園]] 1927年 * [[文芸的な、余りに文芸的な]] 1927年 * [[歯車 (小説)|歯車]] 1927年 * [[或阿呆の一生]] 1927年 * [[西方の人]] 1927年 * [[続西方の人]] 1927年 {{div col end}} 興文社と文藝春秋社による『小学生全集』88巻の一環として刊行 * アリス物語 菊池寛との共訳 1927年 * ピーターパン 菊池寛との共訳 1929年 == 家族 == ;親  * 実父・新原敏三(1850年 - 1919年) - 玖珂郡生見村(現・[[美和町 (山口県)]])に生まれ、長州藩の農民兵となり、[[長州征討|四境戦争]]では大林源次の変名で[[御楯隊]]に属し負傷、1869年の脱退騒動に巻込まれ、[[萩藩]]の椿正治の娘と結婚し椿源治と改名するが離婚して1875年頃上京、名を本名に戻す<ref name=ndl/>。[[勧農局]][[下総御料牧場]]に入所し、1882年に[[渋沢栄一]]の箱根仙石原の牧場「耕牧舎」に入る<ref>[https://knowledge.lib.yamaguchi-u.ac.jp/ja/505 芥川龍之介の文学碑]田村悌夫、山口県立大学 郷土文学資料センターだより28号、2017年3月31日</ref>。1883年に本所小泉町(現[[墨田区]][[両国 (東京都)|両国]])の[[士族]]芥川俊清の三女・フク(1860-1912)と再婚、京橋区入船町の牛乳販売店「耕牧舎」の支配人になり、事業を発展させ、渋沢から新宿の牧場を引き受け成功した<ref name=ndl>[https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000137500 奇兵隊に新原敏三という人がいて、その人は芥川龍之介の父親だと講演で聞いたのだが、本当か]レファレンス協同データベース、2020年08月04日</ref><ref name=ni>[http://2st.jp/radb/jinbuturoku/na.html#niihara-huyu に]芥川龍之介人物録</ref>。妻のフクが発狂したため、フクの妹フユが家の手伝いに入り、1899年にフユとの間に得二を儲け、1904年にフユと正式に再婚<ref name=ni/>。明治末頃から牛乳事業が停滞し、1918年には牧場を手放した<ref name=ni/>。同跡地は遊郭となり、現在の[[新宿二丁目]]界隈となる。1919年にスペインかぜで死去。 * 養父・芥川道章(1849年 - 1928年) - 実母フクの兄。東京府役人。乳児の龍之介を預かり姉フキらと養育、実父の敏三と揉めたが1904年に龍之介を正式に養子とする<ref name=a>[http://2st.jp/radb/jinbuturoku/a.html#akutagawa-doushou あ]芥川龍之介人物録</ref>。妻のトモ(1857年 - 1937年)は[[細木香以]]の姪<ref name=a/>。 ;妻 * [[芥川文]] - 海軍[[少佐]]・[[塚本善五郎]]の娘 ; 子供 * [[芥川比呂志]](長男) - [[俳優]] * [[芥川多加志]](次男) - もっとも文学志向が強かったが、東京外国語学校仏語部在学中に召集され、[[1945年]](昭和20年)4月13日にビルマ(現・[[ミャンマー]])で戦死<ref>{{Cite book | 和書 | author = 天満ふさこ | title = 「星座」になった人―芥川龍之介次男・多加志の青春 | publisher = [[新潮社]] | date = 2007-06 | isbn = 978-4103049715 }}</ref>。 * [[芥川也寸志]](三男) - [[作曲家]] ; 孫 * [[芥川耿子]](比呂志三女) - エッセイスト、詩人、童話作家 * [[芥川貴之志]](也寸志長男)- [[ファッションデザイナー]]<ref>2007年[[8月15日]]放送「[[世界バリバリ★バリュー]]」、[[2008年]][[4月20日]]放送「[[大胆MAP]]」より</ref> * [[芥川麻実子]](也寸志長女)- メディアコーディネーター 子供の名前は、それぞれ親友の[[菊池寛]]の「寛」(比呂志)、[[小穴隆一]]の「隆」(多加志)、[[恒藤恭]]の「恭」(也寸志)をもらって漢字を替えてつけたものである。 芥川には笑顔の写真がほとんど存在しないが、晩年のフィルム映像では、息子たちと笑顔を見せる芥川の姿が記録されている。このことから子煩悩であったことがうかがえる。なお、この映像では比呂志と多加志は映っているが、也寸志はこのとき家の中で寝ていたため映っていない。 也寸志の回想によれば、父の遺品には[[SPレコード]]があり、そのうち多くを占めていたのは[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]だったという。『[[火の鳥 (ストラヴィンスキー)|火の鳥]]』(組曲版)と『[[ペトルーシュカ]]』を所有していたというが、演奏者などの詳細は不明である。 ;次姉・ヒサの子供 * [[葛巻義敏]] - 小説家、文芸評論家 * [[芥川瑠璃子]] - 比呂志の妻、随筆家 長姉・新原はつ(1885年 - 1891年4月5日) === 家系図 === {{familytree/start|style="font-size:90%;"}} {{familytree| | | | | | | | | | | | | | | | | |,|-|-|-|.| | | | | | | | | | | |}} {{familytree| | | | | | | | | | | | | | | | | Z-1 | | Z-2 | | | | | | | | | | |Z-1=□|Z-2=[[細木香以]]}} {{familytree| | | | | | | | | |,|-|-|-|.| | | |!| | | | | | | |,|-|-|-|.| | | |}} {{familytree| | | | | A-1 |y| A-2 | | A-3 |V| A-4 | | A-5 |y| A-6 | | A-7 |A-1=新原敏三|A-2=フク|A-3=芥川道章 (養父)|A-4=トモ (養母)|A-5=[[塚本善五郎]]|A-6=(女)|A-7=[[山本喜誉司]]}} {{familytree| | | | | |,|-|^|-|-|-|-|-|-|.|:| | | | | | | |!| | |}} {{familytree| B-1 |y| B-2 |y| B-3 | | | B-4 |~|y|~|~|~|~| B-5 |B-1=葛巻義定|B-2=ヒサ|B-3=西川豊|B-4='''芥川龍之介'''|B-5=[[芥川文|文]]|boxstyle_ B-4=background-color: #FDFC8F;}} {{familytree| | | |!| | | |!| | | |,|-|-|-|v|-|^|-|-|-|-|-|.| | |}} {{familytree| | | C-1 | | C-2 |y| C-3 | | C-4 | | C-5 |y| C-6 |~| C-7 | | C-8 |C-1=[[葛巻義敏]]|C-2=[[芥川瑠璃子|瑠璃子]]|C-3=[[芥川比呂志|比呂志]]|C-4=多加志|C-5=[[芥川(間所)紗織|間所紗織]]|C-6=[[芥川也寸志|也寸志]]|C-7=[[草笛光子]]|C-8=江川真澄}} {{familytree| | | | | | | | | |!| | | | | | | | | | | |!| | |L|y|~|~|~|~|~|J| |}} {{familytree| | | | | | | | | D-1 | | | | | | | | | | D-2 | | D-3 | | | | | | |D-1=[[芥川耿子|耿子]]|D-2=[[芥川麻実子|麻実子]]|D-3=[[芥川貴之志|貴之志]]}} {{familytree/end}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="*"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=鎌田芳朗|date=1979-07|url=https://books.google.co.jp/books/about/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%85%B5%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%89%A9%E8%AA%9E.html?id=rmVDAQAAIAAJ&redir_esc=y|title=海軍兵学校物語|publisher=[[原書房]]|isbn=456200892X|ncid=BN02178993 |ref=海軍兵学校物語}} * {{Cite book|和書|author=松本健一|authorlink=松本健一|year=1989|month=10|title=[https://books.google.co.jp/books?id=Mki_AAAACAAJ&redir_esc=y 神の罠]&ensp;{{small|[[浅野和三郎]] 近代知性の悲劇}}|publisher=[[新潮社]]|isbn=4-10-368402-X|ref=神の罠}} * [http://www008.upp.so-net.ne.jp/hybiblio/index.html 山下浩]『本文の生態学――漱石・鷗外・芥川』([[日本エディタースクール]]出版部、1993年) * {{Cite book|和書|author=片野善一郎|authorlink=片野善一郎|date=2006|url=https://books.google.co.jp/books?id=jnSaAAAACAAJ&redir_esc=y|title=数学を愛した作家たち|publisher=[[新潮社]]|isbn=978-4-10-610167-0|ref={{sfnref|片野|2006}}}} * {{Cite book|和書|author=関口安義|authorlink=関口安義|date=1992|url=https://books.google.co.jp/books?id=s5oqAQAAIAAJ&redir_esc=y|title=芥川龍之介の手紙|publisher=[[大修館書店]]|isbn=978-4-46-922088-9|ref={{sfnref|関口|1992}}}} * 関口安義編『芥川龍之介新辞典』(翰林書房、2003年) * {{Cite journal|和書 |author=関口安義 |title=恒藤恭と芥川龍之介 &mdash;蘆花『謀叛論』を介在として&mdash; |date=2010-10-30 |publisher=大阪市立大学大学史資料室 |url=https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/il/meta_pub/G0000438repository_KJ00006657439 |naid=110007811383 |doi=10.24544/ocu.20171208-078 |periodical=大阪市立大学史紀要 |issue=3 |pages=40-55 |ref={{sfnref|関口|2010}}}} * {{citation|和書|author=[[川端俊英]]|date=2015-01-08|url=https://books.google.co.jp/books?id=yEgYBgAAQBAJ&redir_esc=y&hl=ja |title=人権からみた文学の世界【大正篇】 |publisher=[[ゴマブックス]] |asin=B00RXHZ4M2|ref={{sfnref|川端|2015}}}} * {{Cite journal|和書|author=[[渡部麻実]]|year=2016|title=芥川龍之介『桃太郞』 : 天才と圧制者|url=http://id.nii.ac.jp/1133/00002505/|journal=日本女子大学紀要. 文学部|publisher=日本女子大|issue=66|pages=45-58|NCID=AN00192893|ISSN=0288-3031|naid=120006030914|ref={{sfnref|渡部|2017}}}} * {{Cite journal|和書|date=1929年1月13日|author=川端康成 |title=芥川龍之介氏と吉原 |periodical=[[サンデー毎日]] |issue=第8年3号 |publisher=[[毎日新聞出版]] |ref={{sfnref|川端康成 「芥川龍之介氏と吉原」}}}} * {{Cite journal|和書|author=[[十重田裕一]] |date=2013-10|title=横光利一と川端康成の関東大震災 : 被災した作家の体験と創作|url=https://hdl.handle.net/2065/39951|journal=早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌|publisher=早稲田大学総合人文科学研究センター|volume=1|pages=171-175 |ISSN=2187-8307|naid=120005352457|ref={{sfnref|十重田|2013}}}} == 関連項目 == * [[芥川龍之介賞]] * [[ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜]] * [[自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧]] == 外部リンク == {{Commonscat|Ryūnosuke Akutagawa}} {{Wikiquote|芥川龍之介}} {{Wikibooks|芥川龍之介}} * [https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/224/ 芥川龍之介 &#124; 近代日本人の肖像] - [[国立国会図書館]] * {{Kotobank|芥川龍之介}} * {{Kotobank|芥川竜之介・芥川龍之介}} * {{Kotobank|芥川竜之介}} * [http://www.horagai.com/www/who/010akut1.htm 芥川龍之介:作家事典:ほら貝] * {{青空文庫著作者|879|芥川 竜之介}} * {{青空文庫|001030|47895|旧字旧仮名|芥川竜之介論 ――芸術家としての彼を論ず――}} - [[堀辰雄]]著 * [https://www.aozora.gr.jp/cards/001908/files/58142_62062.html 二つの繪 芥川龍之介の囘想] - 小穴隆一(青空文庫) * [https://www.imdb.com/name/nm0015611/?ref_=tt_ov_wr 芥川竜之介映像化作品リスト] * [https://www.ndl.go.jp/jikihitsu/part2/s8_2.html#n092 第8章 文芸家(2) | あの人の直筆] - [[国立国会図書館]] {{芥川龍之介}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あくたかわ りゆうのすけ}} [[Category:芥川龍之介|*]] [[Category:20世紀日本の小説家]] [[Category:20世紀日本の俳人]] [[Category:レーゼシナリオを書いた作家]] [[Category:南蛮文化|あくたかわ]] [[Category:大日本帝国海軍文官]] [[Category:芥川家|りゆうのすけ]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:旧制第一高等学校出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:自殺した日本の人物]] [[Category:毒死した人物]] [[Category:1892年生]] [[Category:1927年没]]
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クロスワードパズル
クロスワードパズル(英: crossword puzzle、単にクロスワード〈英: crossword〉とも表記される)は、「カギ」と呼ばれる文章によるヒントを元に、タテヨコに交差したマスに言葉を当てはめてすべての白マスを埋めるパズル。通常、四角形であり、文字の入る白マスと入らない黒マスから成り、白マスにはカギを配置するための数字が振られている。日本語のクロスワードパズルの解にはカタカナを用いることが多い。 1913年12月21日、「ニューヨークワールド」紙にイギリス生まれの記者アーサー・ウィンが制作した物が掲載されたのが最初と言われる。当初は「word-cross puzzle」という名前だったが、のちに「crossword」に変えられた。「ボストン・グローブ」紙など他の新聞にも掲載されるようになり、1924年には最初の本が出版された。1930年には初めて辞書に「crossword」という単語が収録された。クロスワードの歴史については生活人新書「遠山顕のクロスワードの謎」ISBN 4140880481 が詳しい。 日本語のクロスワードパズルとしては、1925年に「サンデー毎日」に連載されたのが最初である。1925年3月1日号に「嵌め字」の名で例題と解き方を紹介し、3月8日号で本格的に出題を始めた。 これに続いたのは「時事新報」だった。サンデー毎日から遅れる事約半月後、1925年3月16日付の同紙の日曜版「時事漫画」に「十字語判断」の名で初めて掲載され、懸賞付きで出題された。のちにサンデー毎日も懸賞を付けた事でクロスワードパズル人気に拍車を掛けた。 三番手となったのは「文藝春秋」で、1925年6月号に初めて掲載された。現在では専門雑誌から一般の雑誌・新聞などの懸賞問題に至るまで幅広く楽しまれている。 イギリスのクロスワード作家であるRoger Squiresは、2つのギネス世界記録の記録を保持している。1つは出題数で、2007年5月14日に通算66666作目を発表している。この間に作成したカギの数は200万以上である。もう1つは最も長い単語を入れた作品である。58文字のLlanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogochという単語を含んだ作品を発表している。 制作や解答において、例外が許されないほどの厳格なルールは無いが、慣例がいくつかある。 上のルールのうち、黒マスの配置に関するルールを黒マスルールという。このルールは、ナンバークロスワードパズルなどのクロスワードに類似した他のパズルの黒マスの配置においても適用されるが、必ずしも決まったものではない。 なお、カギの配置については横に振る方式と縦に振る方式がある。ヒントもそれに応じて前者はタテ、ヨコの順に、後者はヨコ、タテの順に並べてある。後者については、盤面を横に拡大させた場合に数えやすく、適している。 問題 タテのカギ ヨコのカギ よく使われるカギのタイプには以下のような物がある。 など。 一部のクロスワードにはカギを文章ではなく絵や図で表すものがある。代表的なものに以下のようなものがある。 一部のクロスワードにはカギの存在しない物がある。その場合には他の方法で単語を見つけるための手がかりが提示される。 カギを用いないクロスワードで最も代表的なものがナンバークロスワードパズル(ナンクロ)である。これは、あらかじめ盤面に入っている文字と文字の並びの特徴を手がかりに単語を考えていく物である。 他には、あらかじめマスに入れる文字が枠外にすべて提示されており、それぞれがどのマスに入るかを探すもの(代表的なものとして「サムセレクション」や「ツメクロス」など)や、枠内のマス全てに文字が入っていて、余計な文字を黒マスルールにのっとって黒マスにし盤面を完成させる「余計文字クロス」などがある。 ヒントから導かれる言葉をマスに埋めるという基本ルールは同じだが、国によって枠の組み方・カギのつけ方には差がある。 アルファベットを使用する場合、通常は大文字が使用される。言語によって以下のような慣例がある。
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クロスワードパズルは、「カギ」と呼ばれる文章によるヒントを元に、タテヨコに交差したマスに言葉を当てはめてすべての白マスを埋めるパズル。通常、四角形であり、文字の入る白マスと入らない黒マスから成り、白マスにはカギを配置するための数字が振られている。日本語のクロスワードパズルの解にはカタカナを用いることが多い。
{{出典の明記|date=2023年6月}} [[ファイル:Japanese crossword.png|thumb|220px|クロスワードの枠]] '''クロスワードパズル'''({{Lang-en-short|crossword puzzle}}、単に'''クロスワード'''〈{{Lang-en-short|crossword|links=no}}〉とも表記される)は、「カギ」と呼ばれる文章によるヒントを元に、タテヨコに交差したマスに言葉を当てはめてすべての白[[マス]]を埋める[[パズル]]。通常、四角形であり、文字の入る白マスと入らない黒マスから成り、白マスにはカギを配置するための数字が振られている。日本語のクロスワードパズルの解には[[片仮名|カタカナ]]を用いることが多い。 == 歴史 == [[ファイル:First crossword.png|thumb|190px|1913年12月21日にニューヨークワールドに掲載された最初のクロスワード]] [[1913年]][[12月21日]]、「[[ニューヨークワールド]]」紙に[[イギリス]]生まれの記者[[アーサー・ウィン]]が制作した物が掲載されたのが最初と言われる。当初は「word-cross puzzle」という名前だったが、のちに「crossword」に変えられた。「[[ボストン・グローブ]]」紙など他の新聞にも掲載されるようになり、[[1924年]]には最初の本が出版された。[[1930年]]には初めて辞書に「crossword」という単語が収録された。クロスワードの歴史については生活人新書「遠山顕のクロスワードの謎」ISBN 4140880481 が詳しい。 日本語のクロスワードパズルとしては、[[1925年]]に「[[サンデー毎日]]」に連載されたのが最初である。1925年3月1日号に「'''嵌め字'''」の名で例題と解き方を紹介し、3月8日号で本格的に出題を始めた。 これに続いたのは「[[時事新報]]」だった。サンデー毎日から遅れる事約半月後、1925年3月16日付の同紙の日曜版「時事漫画」に「'''十字語判断'''」の名で初めて掲載され、懸賞付きで出題された。のちにサンデー毎日も懸賞を付けた事でクロスワードパズル人気に拍車を掛けた。 三番手となったのは「[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]」で、1925年6月号に初めて掲載された。現在では[[専門雑誌]]から一般の雑誌・新聞などの懸賞問題に至るまで幅広く楽しまれている。 == 記録 == イギリスのクロスワード作家である[[w:Roger Squires|Roger Squires]]は、2つの[[ギネス世界記録]]の記録を保持している。1つは出題数で、2007年5月14日に通算66666作目を発表している。この間に作成したカギの数は200万以上である。もう1つは最も長い単語を入れた作品である。58文字の[[ランヴァイル・プルグウィンギル・ゴゲリフウィルンドロブル・ランティシリオゴゴゴホ|Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch]]という単語を含んだ作品を発表している。 == 作成時のルール == 制作や解答において、例外が許されないほどの厳格なルールは無いが、慣例がいくつかある。 *マスに入る言葉は一般に知られているような名詞でなければならない。また、単語の一部だけを使用してはいけない(専門雑誌の場合その読者層における「一般」であればよい)。 **単語の一部が別の単語として成立する場合はその限りではなく、「ク○○ワード」のようなカギ'''のみ'''で構成された問題が出題されることもある。 *日本では基本的に[[カタカナ]]を用いるため、決まりがある。 **「ッ」や「ョ」などの促音、拗音は大文字の「ツ」や「ヨ」として見なされる(ただし、これらを別の文字として使い分ける厳格な作者もいる)。また拗音は二文字で数えられる。たとえば「ショック」の場合、「シヨツク」となる。 **濁音や半濁音は一文字として数えられる。 **「ー」の長音はいずれかの向きに書けばよい。 *1つのパズル内に同じ単語が複数あってはならない(同音異義語を含む)。 *黒マスによって白マスの領域が2つ以上に分断されてはならない。 *黒マスは縦または横に連続しないほうが好ましい。 **例外として、白マスが常に2つの単語によって交差させるようにするために外周の線から2つ垂直に連続して黒マスを配置する事がある。文字の種類が少ない英語圏では一般的である(世界のクロスワードの節も参照)。 *特に[[英語]]など文字数の少ない言語の場合、黒マスの配置を対称形にすることが好ましい。 *2文字の単語は両方を他の単語に絡ませることが好ましい(二重解防止のため)。 上のルールのうち、黒マスの配置に関するルールを[[黒マスルール]]という。このルールは、[[ナンバークロスワードパズル]]などのクロスワードに類似した他のパズルの黒マスの配置においても適用されるが、必ずしも決まったものではない。 なお、カギの配置については横に振る方式と縦に振る方式がある。ヒントもそれに応じて前者はタテ、ヨコの順に、後者はヨコ、タテの順に並べてある。後者については、盤面を横に拡大させた場合に数えやすく、適している。 == 例題 == 問題 {| border=1 cellpadding=0 cellspacing=0 |- |width=30 height=30|<sup>1</sup> |width=30|{{Color|white|.}} |width=30|<sup>2</sup> |width=30|<sup>3</sup> |width=30|{{Color|white|.}} |- |height=30|{{Color|white|.}} |bgcolor=black|. ||<sup>4</sup> ||{{Color|white|.}} |bgcolor=black|. |- |height=30|<sup>5</sup> ||<sup>6</sup> |bgcolor=black|. ||<sup>7</sup> ||<sup>8</sup> |- |bgcolor=black height=30|. ||<sup>9</sup> ||<sup>10</sup> ||{{Color|white|.}} ||{{Color|white|.}} |- |height=30|<sup>11</sup> ||{{Color|white|.}} ||{{Color|white|.}} |bgcolor=black|. ||{{Color|white|.}} |} タテのカギ :1.<!--授業内容の削減や週休五日制などの教育改革。○○○教育。-->(タテ8)を持っていると就職に○○○です。 :2.[[グリーンランド]]は世界最大の○○。<!--とはいえ([[メルカトル図法]]の)地図ほどは大きくない。--> :3.[[アンマン]]を首都とする[[中東]]の[[国]]。[[死海]]が有名。 :6.[[潮干狩り]]でよく獲る貝。<!--漢字で書いたときには[[湯桶読み]]になる。--> :8.4つの角を持つ[[図形]]。または何らかの能力を持っているという公的な証。 :10.[[竹]]や[[針金]]を編んで作られるまるい容器。 ヨコのカギ :1.[[2003年]]、[[阪神タイガース]]が18年ぶりに○○○○○。 :4.バツの反対。<!--[[フランス語|フランス語]]では痛みを表す。--> :5.[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の四大悲劇は、「[[ハムレット]]」「[[マクベス (シェイクスピア)|マクベス]]」「[[オセロー|オセロ]]」「○○王」。 :7.[[コンブ]]や[[鰹節]]などを煮て作る[[調味料]]。 :9.漢字で「山茶花」と書く[[ツバキ科]]の木。童謡「[[たきび]]」にも登場。 :11.穴をあけるために使われる切削工具。 : === 例題の解答 === {|border=1 cellpadding=0 cellspacing=0 style="text-align:center; font-size:125%; font-weight:bold;" |- |width=30 height=30|ユ |width=30|ウ |width=30|シ |width=30|ヨ |width=30|ウ |- |height=30|ウ |bgcolor=black|. ||マ ||ル |bgcolor=black|. |- |height=30|リ ||ア |bgcolor=black|. ||ダ ||シ |- |bgcolor=black height=30|. ||サ ||ザ ||ン ||カ |- |height=30|ド ||リ ||ル |bgcolor=black|. ||ク |} == カギのパターン == よく使われるカギのタイプには以下のような物がある。 * 独立している物 *; クイズ・なぞなぞ的なカギ *: 最も一般的なカギ。解答がそのままマスに入る。 *: タテ3・ヨコ9などがこのタイプに当たる。 *; 穴埋め *: 文章の中に伏せられた部分があり、その部分をマスに入れるタイプのカギ。 *: ヨコ5などがこのタイプに当たる。 *: また、伏せられた部分が丸ではなく棒引き線の場合もある。 * そのカギだけでは確定できないカギ *; 他のカギを使用するカギ *: カギの中に「タテ○の~」のような言葉が入るカギ。先にそのカギを確認する必要がある。 *: タテ1がこのタイプに当たる。 *; 答えが複数あるカギ。 *: カギから考えられる単語が複数あり、交差する単語から判明する物。 *: タテ6などがこのタイプに当たる。 == 特殊なクロスワード == ;ラインラインクロス :一列(行)ごとのヒントがまとめられて与えられており、どのヒントが当てはまるかをタテヨコの絡みから判断して解く。 ;ケイだけクロス・ホワイトクロス :初期状態では黒マスが入っていないため、[[黒マスルール]]にのっとって黒マスを配置しながら解く。この場合、黒マス配置は点対称にならなくても構わない。 ;エッセイクロス :カギの一文が非常に長かったり、個人的な主張などが含まれていたり、カギ全体が一つの文章であったりする。 ;ノンクロ :黒マスが存在しないクロスワード。サイズが大きいものの作成は非常に難しいが、2×2,3×3 程度のごく小さい物の作成は容易である。 :[[ワード・スクエア]]も参照。 :;完全クロス ::ノンクロの条件に「同じ文字を二度以上使用しない」というルールを加えたもの。 など。 === 特殊なカギ === 一部のクロスワードにはカギを文章ではなく絵や図で表すものがある。代表的なものに以下のようなものがある。 ;絵ヒントクロス :ヒントを文章ではなく絵で表したクロスワード。そのものの絵を描く場合と[[判じ絵]]のような物の場合がある。 :カギごとに絵が描かれる事が多いが、大きな一枚絵でそれぞれの場所にカギの番号がかかれているものもある。 ;タイポグラフィッククロス :絵ヒントクロスの様に、各カギを文字で絵を描いて表現したもの。[[アスキーアート]]とは違い、絵に使用された文字がそれぞれ意味を持っている。 :[[夢枕獏]]の作品『カエルの死』がアイデアの原点だともいわれている。 === カギを使用しないクロスワード === 一部のクロスワードにはカギの存在しない物がある。その場合には他の方法で単語を見つけるための手がかりが提示される。 カギを用いないクロスワードで最も代表的なものが[[ナンバークロスワードパズル]](ナンクロ)である。これは、あらかじめ盤面に入っている文字と文字の並びの特徴を手がかりに単語を考えていく物である。 他には、あらかじめマスに入れる文字が枠外にすべて提示されており、それぞれがどのマスに入るかを探すもの(代表的なものとして「サムセレクション」や「ツメクロス」など)や、枠内のマス全てに文字が入っていて、余計な文字を[[黒マスルール]]にのっとって黒マスにし盤面を完成させる「余計文字クロス」などがある。 == 世界のクロスワード == ヒントから導かれる言葉をマスに埋めるという基本ルールは同じだが、国によって枠の組み方・カギのつけ方には差がある。 [[ファイル:American crossword.png|thumb|200px|アメリカ式]] [[ファイル:British crossword.png|thumb|200px|イギリス式]] [[ファイル:Crossword 2.png|thumb|200px|ヘブライ語式]] ;アメリカ :黒マスの連続に制限がないが、必ず対称的に配置しなければならない。また、すべてのマスが縦横両方向で使われていなくてはならない。黒マスの数は全体の1/6以下、単語は原則として3文字以上のものにするのが一般的である。 ;フランス :カギは列ごとにつけられる。黒マスの配置に制限はないが、数を減らすことが望ましいとされており、全体の9割以上が白マスである問題も珍しくない。 ;イギリス :対称形であるがアメリカの物より文字の絡みは少なく、外見は[[スケルトン (パズル)|スケルトン]]に近い。 ;イタリア :枠の形には制限がない。中に入れる単語は名詞(固有名詞を含む)に限定される。2つ以上の単語をつなげて入れることも認められる。盤面に黒マスがなく解きながら解答者が自分で黒マスを配置する形式の問題も多い。 ;スウェーデン<!--ドイツ・ブラジルという説もあり--> :黒マスの配置に制約は無い。カギが黒マスの中に記述されるのが特徴であり、これが日本の[[アロークロス]]の原型である。 ;ポーランド :枠の形はイギリスのものに近い。カギはスウェーデンのと同じように黒マスの中に記述される。 ;[[ヘブライ語]] :通常は子音のみを使用するが、作者の考えなどにより母音を伴うこともある。通常の文章同様、単語は右から左に記入する。 アルファベットを使用する場合、通常は大文字が使用される。言語によって以下のような慣例がある。 *[[フランス語]]や[[イタリア語]]の問題でアクセント記号付きの文字がある場合、記号を取り除いた上で記入する。 *[[ドイツ語]]の問題で[[ウムラウト]]付きの文字(ä、ö、ü)があった場合、2文字(ae、oe、ue)に分解して記入する。[[ß]]も、ssの2文字に分解する。 *[[オランダ語]]の[[IJ]]、[[チェコ語]]・[[スロバキア語]]の[[Ch]]は1文字として扱い、1マスに記入する。 *[[スペイン語]]のch、[[Ll]]は2文字として扱う。 == 関連項目 == {{Commons|Category:Crosswords}} *[[ペンシルパズル]] *[[ナンバークロスワードパズル]] *[[アロークロス]] *[[スケルトン (パズル)|スケルトン]] *[[クロスナンバーパズル|クロスナンバー(マックロ)]] *[[スクラブル]] *[[12月21日#記念日・年中行事|12月21日]](クロスワードの日) {{Normdaten}} {{デフォルトソート:くろすわあとはする}} [[Category:パズル]] [[Category:ペンシルパズル]]
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小説家
小説家(しょうせつか)は、継続的に小説作品の著述・発表を行っている者、もしくはグループ。 「小説家」と「小説の著者」とを明確に区別する基準は無い。一般的に小説家とは、職業として執筆した作品によって収入を得ている者をはじめ、兼業で、他の職業と両立して執筆している場合も「小説家」と呼ぶ場合が多い。小説による収入は少なく、講演活動や小説以外の著述で生計を維持している著作家の場合でも、作品が広く知られているために一般に小説家と見なされている例も多いが、作品数が少ないか作品が広く出版されていない場合、小説家と見なされないのが普通である。 デビューする方法として多くは公募新人賞に作品を応募し、その作品が受賞したら出版社から本が出される。これによって「小説家」としてデビューすることができる。 新人賞以外の方法でデビューした作家もいる。新人賞以外の形で編集者に持ち込み原稿という形で出版した作家や下自費出版した本がヒットしてデビューした作家もいる。最近では、小説投稿サイトで投稿した作品を出版社からの拾い上げで本が出版されるケースも多い。
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小説家(しょうせつか)は、継続的に小説作品の著述・発表を行っている者、もしくはグループ。
{{for|諸子百家|小説家 (諸子百家)}} {{出典の明記|date=2021年8月4日 (水) 13:31 (UTC)}} '''小説家'''(しょうせつか)は、継続的に[[小説|小説作品]]の著述・発表を行っている者、もしくはグループ。 == 概要 == === 定義 === 「小説家」と「小説の著者」とを明確に区別する基準は無い。一般的に小説家とは、[[職業]]として執筆した作品によって収入を得ている者をはじめ、兼業で、他の職業と両立して執筆している場合も「小説家」と呼ぶ場合が多い。小説による収入は少なく、講演活動や小説以外の著述で生計を維持している[[著作家]]の場合でも、作品が広く知られているために一般に小説家と見なされている例も多いが、作品数が少ないか作品が広く出版されていない場合、小説家と見なされないのが普通である。 === デビュー === デビューする方法として多くは公募新人賞に作品を応募し、その作品が受賞したら出版社から本が出される。これによって「小説家」としてデビューすることができる。 新人賞以外の方法でデビューした作家もいる。新人賞以外の形で編集者に[[持ち込み原稿]]という形で出版した作家や、下自費出版した本がヒットしてデビューした作家もいる。最近では、小説投稿サイトで投稿した作品を出版社からの拾い上げで本が出版されるケースも多い。 <!-- == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}}--> == 関連項目 == * [[作家]] * [[著作家]] == 外部リンク == * {{Kotobank}} * [https://web.archive.org/web/20021015092122/http://www.pfpage.jp/artsidewalk/writer/writer.html artsidewalk 文化リンク集] {{Writer-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しようせつか}} [[Category:小説家|*]] [[Category:文学関連の人物]]
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ビートたけし
ビートたけし(1947年〈昭和22年〉1月18日 - )は、日本のお笑い芸人。本名は、北野 武(きたの たけし)で、漫才師・俳優・映画脚本家・監督としても活動している。 1980年代初頭に起こった漫才ブームで、漫才コンビ・ツービートとして活躍した。社会風刺を題材としたシニカルな笑いで人気を獲得し、テレビ番組『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』などに出演し、それらも大ヒットした。1980年代後半からは俳優として映画やテレビドラマにも出演し、1990年代からは映画の脚本家・監督としても活動している。1989年の『その男、凶暴につき』で映画脚本家・監督デビューし、『ソナチネ』(1993年)では世界的に高い評価を得た。1997年の『HANA-BI』ではベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した。2010年にフランス芸術文化勲章コマンドゥール、2016年にレジオン・ドヌール勲章オフィシエ、2018年に旭日小綬章を受章。 東京都足立区島根出身。東京都立足立高等学校を卒業し、明治大学工学部(現理工学部)機械工学科を除籍(のちに特別卒業認定)。東京芸術大学大学院映像研究科特別教授(2005年 - 2008年)。 明石家さんま、タモリと共に、日本の「お笑いBIG3」として知られる。 映画監督時や『平成教育委員会』などの番組では本名の「北野武」名義を用い、その他の番組、映画で出演するときは「ビートたけし」の芸名でタレント活動している。これに関しては、2010年5月9日放送の『平成教育委員会』にて、「アカデミックな場所では『北野武』または『マス北野』、芸人として出る時は『ビートたけし』で使い分けている」との旨を述べた。日本国外では基本的に本名である『Takeshi Kitano』であるが、『Beat Takeshi Kitano』という、本名と芸名を併せた名義を使うこともある。また、絵画では「ビートたけし・北野武」名義を使用する。 落語立川流Bコースの一員で、高座名は「立川錦之助」。近年は落語を口演する際、立川談春から一字もらい「立川梅春」を名乗っている。 塗装職人の父・北野菊次郎(1899年 - 1979年)と、母・北野さき(1904年 - 1999年)の四男として生まれる(幼少時に早逝した兄が一人いるため、実質は三男として育つ)。「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」との願いから、「武」と命名された。 『平凡パンチ』1978年11月13日号のインタビュー記事では「浅草に生まれて、下町に育った」と語っており、1982年「週刊サンケイ」の小林信彦との対談でも「生まれたのは浅草(台東区)で、すぐ移って、物心ついた時には足立区にいたんです」と話している。 色白で細面、小柄であるが俊敏で友人からは「ターチ」と渾名された。兄姉とは年が離れていたため、祖母の北野うしに非常に可愛がられて育った(家族構成は、「親族」節を参照)。母親からは厳しく接せられた。 足立区立梅島第一小学校に入学。教育熱心であった母の薫陶が功を奏し、成績は優秀で、特に算数と図画工作が得意であった。 小学校卒業後は、母親が進学校を希望したため、近隣の中学ではなく、遠く離れた足立区立第四中学校へ越境入学した。 中学校卒業後は東京都立足立高等学校に入学した。 小学校から中学校、高等学校にわたって野球部に所属(高校では軟式野球部)したが、高等学校在学中にヨネクラジムでボクシングも習っていたという。 なお、演芸場時代は、漫才師の野球チーム「メダトーズ」に加入していた。また未成年時代に飲酒していたことも自身の著書で明かしている。 1965年に高校を卒業し、母親の薦めで、明治大学工学部(後の理工学部)機械工学科に現役合格し入学した。同級生には星野仙一がいる。 しかし大学での生活には適応できず、五月病を患うようになり、大学2年の時には、家出同然に一人暮らしを始め、東京都新宿区の界隈で当ての無い日々を送るようになる。 学生運動にも参加したが熱心ではなく、ジャズに傾倒する。「LeftyCandy」や「新宿ACB(アシベ)」、名曲喫茶「風月堂」などに入り浸った。また、ジャズ喫茶のボーイもしていて、ジャズの見識は一部で有名であった。東京都新宿区にあるジャズ喫茶「ビザール」では、若松孝二、小水一男らと知り合う。また「ビザール」のボーイの後輩に萩原朔美がいた。ヴィレッジヴァンガードで、遅番のボーイとして働いていた時は永山則夫が早番のボーイとして働いていた。「ジャズ・ビレッジ」の壁に書かれていた文章「強く生きよと母の声、死ねと教えし父の顔、何のあてなき人生なり」が心に残ったとのこと。 この頃は青春の葛藤期でもあり、友人の下宿に居候しアルバイト三昧であった。ジャズ喫茶のボーイ以外に、菓子の計り売り、実演販売員、ビルの解体工、クラブのボーイ、東京国際空港での荷卸し、タクシー運転手、ガソリンスタンド店員を転々とする。東京国際空港の荷役作業ではジャズ喫茶の常連客であった中上健次が先輩におり、共にガルーダ・インドネシア航空の荷役として働いていた。後に通訳になろうと思い立ち、留学費用を稼ぐ目的でタクシーの運転手を務めるも半年で退社、ガソリンスタンドでアルバイトをした。この間、若松との縁で『新宿マッド』『腹貸し女』など、幾つかの若松プロ初期作品に端役ながら出演したり、学生演劇に参加したが、ヴォードヴィルのような軽演劇で、舞台役者ではなく構成に携わっていた。 大学は140単位のうち106単位まで取得していたにもかかわらず、結局通学せずに除籍になった。その後、2004年9月7日には明治大学より「特別卒業認定証」(明治大学独自の制度であり、法的な大学卒業とは異なる)および知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を受賞。 学生運動が収束に向かったこともあって、自身も去就を模索する必要に迫られた。芸能に興味はあったが、アングラ演劇には馴染めず、「理工系なので文学的なものはわからない、しかし演芸なら自分にも理解できるだろう」という理由で、いつしか芸人を志望するようになった。ただ、子供の勉学に厳しく大学にまで入らせて芸人の道を志した息子に、母は怒り嘆き、子供の頃から厳しい勉強を強いられて窮屈な思いをしていた武は、これに猛反発。北野家においても、近所の体裁を考えて「芸人を目指した北野家の武」という存在は無かった事になっていた。 1972年夏、東京都台東区浅草にあるストリップ劇場の浅草フランス座で、芸人見習い志願としてエレベーターボーイを始める。当時、たけしと思しき人物を見た井上ひさしは「不機嫌そうな青年」と、その印象を述べている。やがて、同劇場の経営者兼座長であった深見千三郎に師事し、前座芸人・北千太としてコント(軽演劇)を学ぶ。初舞台は、痴漢のコント。幕間コントに出演して腕を磨き、芸人としてタップダンスの修業にも励む。座員の多くが深見を近付き難い存在として見ていたが、たけしは物怖じしなかったため、深見から気に入られた。ただ、深見は一般の場所でも唐突にギャグ(ボケ)を連発、間髪入れずに師を即興で罵倒という技術を仕込まれ、この特異な芸の仕込みに北野は深見に四六時中振り回される形となり芸を習得、模索する事になる。この指導もあり、舞台ではアドリブを駆使し、言葉の拾い方に独特の斬新さがあったため一目置かれ、後に誕生する漫才コンビ・ツービート独自の芸風の基礎として取り入れられ漫才ブームで駆使し一気に開花する。当時は、フランス座の四畳間の屋根裏部屋で寝泊りをしていた。 長じて、フランス座の新人芸人とコントコンビを組むことを考える。舞台(コント)が活動の主軸を旨としていた深見は、漫才での活動を望んだ弟子の北野を即刻破門(後に解除)、漫才を主軸に活動の場を放送媒体に移す。 コントでの芸能界デビューを模索した一方、フランス座に出入りしていた2年先輩の兼子二郎(のちのビートきよし)から漫才コンビを組むよう誘いを受けた。コントにこだわったたけしは漫才に慎重であったが、当時フランス座は経営難で、給料の支払いすら事欠くようになっていたことや、コントコンビを組む予定であった相方の病気もあり、また、背広一つで稼ぐことができる漫才に魅力を感じていたことから、松鶴家千代若・千代菊門下の漫才コンビ「松鶴家二郎・次郎」の次郎として舞台に上がることを了承した。深見からは引き続きフランス座の屋根裏部屋で住むことが許された。 当初は兼子がツッコミの正統派の掛合い漫才で全く芽が出ず、フランス座にいた頃よりも貧窮した。きよしが一時コロムビア・ライトの付き人をして生活を凌いでいたため、その縁で空たかし・きよし(コロムビア・トップ・ライトの一門は皆「青空」の家号を名乗るが、片方だけが弟子なので「空」だけとなった)と名乗って興行に出たこともあった。また、当時はツッコミ担当で、ネタはきよしが作成していた。東京都外のキャバレー周りの営業なども行ったが、たけしは酔客相手の仕事を嫌い、出番をすっぽかしたり、酩酊して舞台に上がることが多かった。また店を誹謗したり客やホステスに喧嘩を吹っ掛けため度々舞台から降ろされた。そのため兼子は場繋ぎに使う奇術ネタを用意していたという。そしてこの頃から「暴走ネタ・危険ネタ」へシフトしていき、ボケとツッコミの役割も入れ替わった。 紆余曲折の後、2人はコンビ名を「ツービート」へと変更し、たけしは「ビートたけし」、兼子は「ビートきよし」を芸名とした。 その頃、大阪府で頭角を現して来たB&Bのスタイルに触発され、ツービートもスピードを早めて喋りまくるスタイルへ変貌した。それに呼応するように、服装もタキシードに蝶ネクタイからアイビー・ルックへ変更することで、古臭い漫才師の様式から脱却を図った。当初ツービートは、代演で松竹演芸場の舞台に上がっていたが、支配人に認められてからは出演回数も安定するようになる。毒舌の限りを尽くした掟破りのたけしのツッコミネタもさることながら、ボーイズグループの楽器を拝借して現れたり、座布団の上に座って漫才を行ったり、型破りな舞台が多いため、他の芸人が観に行ってしまうので「ツービートが漫才を始めると楽屋が空っぽになる」と評判になった。 演芸場での人気とは裏腹に、その破壊的な芸風は一部の関係者に受け入れられず激しい抑圧を受け、漫才協団から脱退を求める声すら起きたという。1976年協団が主催するNHK新人漫才コンクールにツービートは3年連続で出場したが最優秀賞を獲得することは出来なかった。 1978年、東京都新宿区高田馬場にある芳林堂書店前で持ちネタの全てを披露する「マラソン漫才・ツービート・ギャグ・デスマッチ」なる漫才ライブを開催したが、この企画をした高信太郎との繋がりでたけしも、高平哲郎や赤塚不二夫、タモリなどと一時期交友関係を持った。その後、「酒を飲んで軽いジョークを言いあったりする、あのシャレた笑い」が肌に合わず、自ずと距離を置くこととなった。 9月12日、父の菊次郎が死去。 11月、『花王名人劇場』(関西テレビ 企画:澤田隆治)において、人気落語家・月の家円鏡(8代目・橘家圓蔵)の共演者に抜擢される。古典派から「邪道」と言われた円鏡と、「邪道漫才師」ツービートを競演させ、「円鏡 VS ツービート」と銘打って放送されたこの企画が好感触を得たことで、「花王名人劇場」での「激突!漫才新幹線」制作への布石となり、後の漫才ブームへ繋がった。 1980年からの漫才ブームでは、ツービートは毒舌漫才と毒舌ネタを売り物に、B&Bやザ・ぼんち等と共に一躍知名度を上げた。 速射砲さながらに喋りまくるたけしのスタイルや、金属バット殺人事件や深川通り魔殺人事件といった時事性の高い話題をいち早くギャグに取り入れる「不謹慎ネタ」は「残酷ギャグ」等と批判を受けることもあったが、たけしは「たかが漫才師の言う事に腹を立てるバカ」と言ってのけた。日本船舶振興会の広告を皮肉って作られた「注意一秒ケガ一生、車に飛び込め元気な子」「気をつけよう、ブスが痴漢を待っている」「寝る前にちゃんと絞めよう親の首」「赤信号みんなで渡れば怖くない」「少年よ大志を抱け。老人よ墓石を抱け」等の一連の標語ネタは「毒ガス標語」と言われ、ブーム初期の定番ネタとなった。 1980年、2年前から交際していた女流漫才師「ミキ&ミチ」の内海ミキと結婚。 1980年6月、ネタ本『ツービートのわッ毒ガスだ』を発刊し、年末までに約85万部の売上となったが、当初事務所側はせいぜい3万部程度の売り上げと見込み、印税全額を2人が受け取る契約を結んでいたため、大金が転がり込んだという。 この時期に、ツービートとして出演していた『スター爆笑座』(TBS) の初代司会であったせんだみつおと楽屋で雑談中に、たけしの代表的ギャグとして知られる「コマネチ!」のギャグが生まれた。 1980年10月、昼の帯番組『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)で、ツービートは火曜日のレギュラーとなった。1982年10月、ブームの終焉と共に番組も終了したが、最終回でたけしは客に対し「何でもゲラゲラ笑いやがって! 本当はお前らみたいな客、大っ嫌いだったんだよ!」と語った(なお、フジテレビからオファーのあった後番組の司会をたけしは断り、代わりに『森田一義アワー 笑っていいとも!』が開始された)。 1982年の夏にはブームは完全に終息し、たけしは「ツービートのたけし」としてではなく「タレント・ビートたけし」として、この頃以降は、単独で司会をする番組を多く持つようになるなどしていった。 漫才ブームを生き残ったたけしは、自身のスタイルを大きく転換させる。毒舌家というパブリックイメージはそのままに、ネタに依存する消耗度の高い喋りを捨て、パーソナリティを軸とした芸風に移行していく。 1981年元旦からニッポン放送・NRN系のラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』、同年5月からフジテレビ系の『オレたちひょうきん族』がそれぞれ開始される。 1982年から1984年にかけて、番組出演中に弟子志願者(正式な門下は取らない主義の為「ボーヤ」と呼ばれる)が押しかけ、相当の数が集まった事(たけし軍団)から、集団で行うバラエティを模索。日本テレビ『スーパージョッキー』、TBS『笑ってポン!』等が始まった。また、博識が評価されて、毎日放送『世界まるごとHOWマッチ』等で文化人的な出演要請も増えた。 上記は、1985年当時のレギュラー番組すべてであるが、このうち日本テレビ、テレビ朝日、TBS、フジテレビの20時台番組ですべて最高視聴率をマークした。なお、『たけし城』『元気TV』『スポーツ大将』は、全て実質ビートたけし本人の企画・構成によるものである。 その他、放送以外に歌手としてのレコードリリースとライブ活動、文学小説の出版、ファミリーコンピュータのゲーム企画も行った。この頃より、タモリ・明石家さんまと共に、「日本のお笑いタレントBIG3」と称されることとなった。 1986年12月、たけしが交際していた女性へ、講談社の週刊誌「FRIDAY」の記者が強引な取材によって傷害を与えた。その報復として北野はたけし軍団の一部の軍団員とともにFRIDAYの編集部を襲撃し、住居侵入罪・器物損壊罪・暴行罪の容疑で警察に現行犯逮捕された。この事件によって写真週刊誌の行き過ぎた取材が問題視され、当時の内閣官房長官(後藤田正晴)が言及するなどの社会現象になった。 近年は漫才を披露する事は少なくなったが、かつて『北野ファンクラブ』では島田洋七とのコンビ「B&Beat」で、稀に弟子のライブに飛び入りで相方ビートきよしとの「ツービート」として、漫才を披露することがある。 2014年10月27日、約30年ぶりとなる単独ライブを渋谷のCBGKシブゲキ!!にて開催。ライブのタイトルは「たけしが毎週ニュースキャスターの楽屋で、朝ズバッ!なんかで使ったパネルを勝手に拝借して、イタズラ書きをしてはニュースキャスター後のS1でTBSに来ていた、爆笑問題田中の楽屋にそっと置いていたパネルが溜まったのでテレビでお披露目しようとしたら、どこの局からも相手されなくて、仕方なくLIVEでお披露目することになった、たけし的スライドショーなLIVE」。約200席のプレミアライブは約1分で即完売となった。 『その男、凶暴につき』(1989年)は、監督:深作欣二 主演:ビートたけしで映画化を予定し、配給の松竹は両者の間で交渉を進めたが、スケジュールや条件で合致せず、深作が辞退した。そこで松竹は人物的魅力と話題性から、たけし(以下、映画の項目では映画監督での活動名(本名)での「北野」で表記)に監督を依頼したところ、テレビの仕事と両立させることを前提として承諾。1週間おきの撮影という珍しい形態が採用された。映画監督・北野武としてのデビュー作『その男、凶暴につき』は、1989年に予定通り公開された。この時のことを後年関根潤三の著書の推薦文で「(映画監督について)あんなに大変な仕事はあるのかと思った。」と述べている。 その後、1990年に公開された監督2作目となる『3-4X10月』からは脚本も兼任し、映画監督としての本格的な活動を開始する。興行的成功は中々出なかったが、黒澤明や淀川長治、蓮實重彦といった日本映画の重鎮からは作風を高く評価される。また、1993年の『ソナチネ』ではカンヌ国際映画祭「ある視点」部門やロンドン映画祭に招待され、海外でも高い評価を獲得する。 1996年には『キッズ・リターン』を発表。バイク事故からの復活を印象付け、カンヌ国際映画祭監督週間部門にも招待される。 1997年、映画『HANA-BI』が、第54回ヴェネツィア国際映画祭で日本作品として40年ぶりとなる金獅子賞を受賞した。発表直後、たけしは「異分野出身者でも大きな賞を取れると示すことができ、これから映画を目指す者に刺激になったと思う」と語った。授賞式では「今度またイタリアと組んでどこか攻めよう」「Let's try again with Italia and go to some country to war」と日英両語でスピーチ。帰国時の記者会見で、現地の土産物屋で購入した金獅子像のミニチュア(約280円)を披露して、笑いをとった。 第52回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式参加した映画『菊次郎の夏』で、約5分間のスタンディングオベーションを受けた。 2003年には『座頭市』が第60回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品され、監督賞にあたる銀獅子賞を受賞。さらに北米最大の映画祭であるトロント国際映画祭でも最高賞にあたる観客賞を日本映画として初めて受賞し、北野映画としては異例となる国内外でのヒットを記録した。 2005年4月、フランスの『カイエ・デュ・シネマ』創刊600号記念号の特別編集長を務める。カイエ・デュ・シネマは300号から100号毎に映画人を編集長に招いて記念号を発行しており、過去に記念号の編集長を務めた映画監督は、ジャン=リュック・ゴダール(300号)、ヴィム・ヴェンダース(400号)、マーチン・スコセッシ(500号)などがいる。 2005年4月、東京芸術大学で新設された大学院映像研究科の特別教授および映画専攻長に就任(〜2008年。なお、監督領域の教授は北野と黒沢清の2名)。北野大も淑徳大学教授であったので、兄弟で教授となった。 2007年5月、カンヌ国際映画祭60周年特別記念企画「To Each His Own Cinema」(それぞれのシネマ)に世界5大陸25ヶ国から選出された35名の著名な映画監督の中で唯一の日本人として名を連ねた。 2007年8月、第64回ヴェネツィア国際映画祭にて、たけしの映画監督作『監督・ばんざい!』に基づき「監督・ばんざい!賞」が新設され、表彰式に出席した。 2008年6月19日、第30回モスクワ国際映画祭で「特別功労賞」 (Life-time Achievement Award) を受賞。2003年の新藤兼人に次ぐ2人目の日本人受賞者となった。20日の会見では「ロシアの人は自分(北野)を過大評価している」「数々の芸術家が出ているロシアで表彰されるのは恥ずかしい」と語った。 2010年3月9日、フランス芸術文化勲章の一つであるコマンドゥール章を受章。13日の帰国会見では勲章の披露の前に、自身が作った「バンクーバー」と書かれた金メダルを出すボケを行い、笑いをとった。 2011年秋公開予定であった『アウトレイジ2』について「宮城県」でクランクインの準備をしていたら「東日本大震災」に遭遇しロケが取り止めとなり「6000万円以上損害が出た」と語っている。なお『アウトレイジ2』は、舞台を神戸市に移して『アウトレイジ ビヨンド』として、2012年10月6日に公開。 2016年、アカデミー賞を主催する米映画芸術科学アカデミーよりライター部門での会員候補に選定された。 たけしは幼少期ほとんど映画を観ておらず、黒澤明との対談では『力道山物語』『二等兵物語』『鉄道員』しか観たことがないと話している。また、黒澤は北野の映画作品を(作中に)余計なものがないから好きだと評価している。 大森南朋はたけしについて「説明が無いまま始まる恐怖がいつもあります」と話している。 たけしの作品『アウトレイジ 最終章』の撮影中、大森は撮影当日、現場でマシンガンが傘に刺さっているのを知ったので「そういうことなのか」と思い、たけしがいない間に傘越しに撃つ練習をした。ところが、そのエピソードを聞いていた北野は「おいらは漫才出身だからね」と涼しい顔をしており、さらに「だから、テストを重ねた方が役者に芝居が入っていくという道理がわからない。それに漫才は一発目が勝負で、やればやるほどネタを知っている客は笑わなくなるから、北野組でもその新鮮さを求めるやり方を踏襲して、特に指示も出さずにいきなり『どうぞ(やってください)』って言うんですよ(笑)」と笑った。大杉漣はその緊張感ある北野映画の撮影現場で貧血を起こして倒れたことがある。 北野映画の特徴として以下のようなものが挙げられている。 自らの映画作品に暴力団が登場することについては「暴力団を賛美した表現をしたことはなく、拳銃を使った人間は幸せになれないようなシナリオにしている」と述べている。 「北野映画」のビジュアル面での特徴として、画面全体のトーン、小道具の色などに青が頻繁に使われるというものがあり、気品があるとして「キタノブルー」と呼ばれる。特に『ソナチネ』など中盤までの作品において顕著で、ヨーロッパで高い評価を得た。突然の雨により画面が青一色になったのがきっかけとされる。極力余計な色を使用しないようにしていたことから、以降青を意識するようになったという。ただし『Dolls』からはキタノブルーの傾向は薄れている。 また、このキタノブルーにはジャン・ポール・ベルモンド主演の『いぬ』にアラン・ドロン主演の『サムライ』や『仁義』、リノ・ヴァンチュラ主演の『ギャング』『影の軍隊』などで知られるフランス映画の巨匠ジャン=ピエール・メルヴィルの影響を強く受けており、とりわけ『サムライ』以降の「メルヴィル・ブルー」が強い後期の作品の影響が濃い。「メルヴィル・ブルー」以外にも歩くシーンが多いやセリフが少ない、唐突に訪れるリアルな暴力や死、省略演出の多用もメルヴィルからの影響を強く受けており、自著でも特に『サムライ』を絶賛している。 メルヴィル作品『ギャング』のリメイク版である『マルセイユの決着』が2008年に日本で公開された際のプレスシートには、たけしによるメルヴィルを絶賛する旨のコメントが掲載された。 2016年10月にレジオン・ドヌール勲章の「オフィシエ」を受章した際、授与式で『サムライ』の主演のアラン・ドロンの息子のアントニー・ドロンと対面している。 「究極の映画とは、10枚の写真だけで構成される映画であり、回ってるフィルムをピタッと止めたときに、2時間の映画の中の何十万というコマの中の任意の1コマが美しいのが理想だと思う。例えば女性のヌードを撮影するってのも、ただ裸の女が出てるだけではなく、ストーリーの中で女が脱いでいくというものであり、グラビアは映画の原型みたいなものだと思う」と語っている。また、「たった1枚の絵画だけで20分も30分もその場に人を釘付けにできるのだとしたら、映画も少ないカットでそういう事ができるのを感覚的に目標にしている」と語っている。 自らが俳優として数々の作品に出演する際の姿勢として、撮影方針に口出ししないようにしているため、監督を務める際にも撮影方針に意見をする俳優は嫌いだと発言している。また、有名俳優でも撮影後気に入らないと出演シーンを編集でカットすることもある一方で、大杉漣や寺島進など北野作品に多く出演したことで名前が知られた俳優もいる。 映画音楽は『Dolls』まで、久石譲が長期にわたって担当していたが、その後は梶浦由記や鈴木慶一を起用している。水道橋博士によると、久石の起用を止めたのは、映画そのものではなく、音楽が評価されてしまったからだと語っている。 フランスと日本の文化観の違いとして「芸人という立場が映画監督としては悪影響を及ぼす、なんて気はなくて、フランス人の見方は、もっと才能があるんだっていう。この人はまだいろんなことがやれるんだって感じがあって。だからギャング映画撮っても問題ないし、バカバカしいことをやってもそれはそれとして見てくれる。映画は映画、バラエティはバラエティって分けてくれるんで、ありがたい。気が楽になった」とコメントしている。 「日本は漫才師が映画撮った、みたいな雰囲気があって、松本人志が映画撮ると、"かつて映画を撮ったお笑い人"の中に必ず俺が入っている」と、異業種の人間に対する偏見が強い日本の見方には苦言を呈している。また、海外メディアが(監督・北野武としての)彼にインタビュー取材を行った際に、彼が映画製作に使う専用のオフィスへ海外メディアクルーを招き、オフィス内部の紹介やインタビューに応じる姿があった。なお、日本のメディアに対してはオフィスは基本的に非公開であったが、世界各国のメディアによるドキュメンタリーを扱った日本のテレビ番組で放送された際に、初めて明かされている。 ビートたけしは自らを「俺」「僕」「オイラ」と呼び、それぞれ場の雰囲気に合わせ使い分けている。「オイラ」は下町・職人言葉の位置づけで、自身が育った島根町が職人街であったことと関連するとしている。かつて足立区の広報誌から受けたインタビューでは、「足立は東京の下町だね。その足立の下町が島根だというの。島根は下町の中の下町。足立の中の足立だって思うんだよね」とコメントした。 たけしのものまねをする際の動作として定番化している頻繁に首をひねる動作(しかし、たけし本人は1990年代以降はあまり見せなくなっている)は癖ではなく、ツービート時代に「トランポリンで飛び跳ねながら漫才をやってくれ」と頼まれ、稽古中に頭から落下してしまい頸椎を負傷、以後しばらくの年月に渡り首に違和感があったためと『週刊ポスト』の連載コラムで述べている。 たけしが司会のバラエティ番組などにおいて、他の出演者(主に女優や子供タレント、たけしより先輩のタレント等)がくだらないことを言ったり、話が噛み合わなかったりなどちょっとしたミスをするとたけしの近くにいるタレント(例:「世界まる見え!テレビ特捜部」の所ジョージ)やたけし軍団などの後輩芸人をたけしがピコピコハンマーやハリセン、メガホンで叩いて笑いに変えることがある(例:たけし「あいつを何とかしろ!ピコッ!」)。これは、たけしが過去に出演した映画「戦場のメリークリスマス」において、監督の大島渚が、たけしがNGを出した場合、本業が俳優でないたけしへの配慮として助監督が代わりに叱られるというものから来ている(詳しくは戦場のメリークリスマスの『エピソード』欄を参照)。このたけしのやり方によって、普段はなかなかツッコめない女優や先輩タレント相手または、ロケなどでちょっと離れた場所にいるタレントにも(間接的ではあるが)結果的にツッコむことができるので、このツッコミをマネする芸人もいる。 また番組冒頭で「というわけで(ございましてですね)...」という台詞と同時に司会を始めるたけしのスタイルは、元々は他の出演者に「どういうわけだよ!」とツッコミを貰うためのボケにすぎなかったが、バラエティ番組などで当たり前のように常用されている。 愛称は「たけし」、多くの芸能人からは「たけしさん」と呼ばれるが、タモリや和田アキ子からは「たけちゃん」、たけし軍団やたけしを慕っている後輩芸人からは「殿」と呼ばれており、所ジョージからは「北野さん」や「おじさん」「おいさん」と呼ばれ、明石家さんまからはたまに「おっさん」「ビート」「タケ」と呼ばれる。笑福亭鶴瓶からは「兄さん」とも呼ばれている。 ※詳細は各項を参照。 芸人として同じ浅草界隈で育った先輩芸人であり、たけしの人気が出た1980年代の漫才ブーム時にはお笑い界のトップに君臨していた萩本欽一に対し、当時批判的な意見を述べていた。コント55号の毒のある笑いは好きであったが、萩本が1人で司会をするようになってからのアットホームな笑いやザ・ドリフターズの子供向けの笑いに、自身の目指す笑いとの乖離と今後のテレビ界に危機感を感じたため、「萩本欽一といかりや長介を引きずり下ろしたかった、この2人の牙城を崩さない限り、ひょうきん族はありえないと思った。」と語っている。1982年を境に萩本やザ・ドリフターズと入れ替わるようにたけし自身がお笑い界のトップに君臨することとなる。萩本とたけしのテレビでの共演は未だに実現していない。1985年までのお笑いBIG3は萩本、タモリ、たけしであったものの、この3人を前面に出した番組はなかった。なお、たけしは後年に萩本に対しては「お笑い芸人の地位とギャラを上げたのは萩本欽一さんだ」「コント55号が自分の冠番組もって。それからだもん、お笑いが強くなったの」と評価する発言をしており、その発言を聞いた太田光(爆笑問題)からは「こんなこと言うようになったんですね」「さんざん、萩本さんを引きずり下ろすの見てきましたからね」「欽ちゃんのファンだったから結構ショックだったんですよ!」と過去の発言を追求されてしまった。また、たけしはザ・ドリフターズが出演した『8時だョ!全員集合』についても「今見ても面白い」「それは完璧に計算して稽古して作り上げたものだからだ」と再評価する発言をしている。一方で自身が出演した『ひょうきん族』については「今になって『ひょうきん族』を見ても面白くも何ともない」「古臭くて笑えるもんじゃない」とし、『ひょうきん族』で行った楽屋話的な笑いを「芸の笑いとは別のもの」と述べている。 一方、萩本は『テレビを輝かせた100人』(2011年7月9日放送)にゲスト出演した際、当時よりたけしに好印象を持っていた事を語っており、たけしの弟子でもあるガダルカナル・タカからの「(たけし軍団の持ち味でもある)下ネタをどういう風にご覧になっていたか?」という質問には、萩本の師匠・東八郎の教えで自らは下ネタで笑いを取らない様に貫いているに過ぎない事、たけしについては「浅草の僕の後輩のすぐ下がたけちゃんだった。だから自分の弟みたい」、「だから言っといて。"大好きだ"って」とタカに向けて語っている。 トーク番組の最終回に、スペシャルゲストとして招かれることも多い(『たかじんnoばぁ〜』(1996年7月13日放送)、『すてきな出逢い いい朝8時』(2001年9月29日放送)、『クメピポ!絶対あいたい1001人』(2009年7月29日放送)、『笑っていいとも!』「テレフォンショッキング」(2014年3月31日放送 ※レギュラー放送分)等)。 大阪市にある放送局のローカル番組にも時折出演することがある。特にたけしのレギュラー番組を多数制作している朝日放送に関して縁が深く、『探偵!ナイトスクープ』『ナンバ壱番館』などにもゲスト出演している。また、関西テレビや讀賣テレビに関してはやしきたかじんとの親交もあり、たかじんの番組にゲスト出演している。一方で、毎日放送に関してはイースト・エンタテインメント制作の日本全国ネット番組に限定され、ローカル番組では出演がない。また、関西・関東いずれにおいても独立局への出演は全くと言っていいほどなく、極めて珍しい例として2015年5月22日放送の『バラいろダンディ』(TOKYO MX)にゲスト出演したことがある。 2009年10月3日放送分のTBS『オールスター感謝祭』で総合司会の島田紳助が「番組開始前に自身の楽屋に挨拶に来なかった」として解答者の東京03に激怒したとされる件に関し、同年10月27日付けの東京スポーツに「紳助が『あいさつがない』とかって若手の東京03ってのを怒ったものだから、出番前にタレントがいちいちオレんとこにあいさつに来て、うるさくってしょうがないよ」とのコメントを発した。 林家三平の襲名披露興行で披露して以来、林家三平と国分佐智子の結婚式や『とんねるずのみなさんのおかげでした』内で行われた飯尾和樹」(ずん)の披露宴、『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンショッキング最終回等で表彰状ネタ(その人物等への表彰状を読む体裁で随所にブラックジョークなどを盛り込んで話すスタイル)をしばしば行っている。 所ジョージとは親友である一方で、たけしは所の生活スタイルに嫉妬していると告白している。2015年12月29日に放送された『一流が嫉妬したスゴい人』で、「所の生活スタイルは、発想が違っていて、俺には真似できない。俺は所から仕事以外の楽しみ方というものをすべて教わった」と話している。また、同番組でたけしは、過去に甲本ヒロトにも嫉妬したことがあったと告白している。「俺、もしかするとお笑いじゃなくて、こういう感じの音楽をやりたかったんじゃないかなって気付かされて、嫉妬したね」と話し、甲本の歌については「悲しいのよ。不良をやろうとして不良になれない子のパンクって感じがしてね。歌での表現でしか不良をできないのかな、と感じたんだよね。よく考えるとパンクではなくて演歌なんだよね。でも感じがパンクなんだよね。こういう歌を10代とかに聴いていたら涙したんだろうなあ」と評している。 長く活躍していることもあり、知名度は高い。2020年7月22日に放送された『水曜日のダウンタウン』の「古今東西 日本人知名度ランキング」第2弾では、第5位(94.2%)にランクインした。 1986年12月9日、たけし軍団の一部メンバー11人を連れて講談社に行き、フライデー襲撃事件を起こし逮捕。翌1987年6月10日に懲役6か月、執行猶予2年の判決が出された(東京地裁、確定)。当時のレギュラー番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』『スーパージョッキー』への出演については、執行猶予判決が確定するまでの約8か月間謹慎することとなった。なお、当時たけしと交際していたといわれた女性への暴行で告訴された記者は、罰金10万円の判決を受けた。 1987年、映画監督・深作欣二は、謹慎中の身にあったたけしと京都府において初対面。その印象を「非常に鋭い顔をしている。笑っていても目は笑わんし、顔立ちが独特だ。いろんな人間とシビアな闘争をしてきた男の顔だ」と語った。 1994年8月2日午前1時40分、原付バイクで東京都新宿区の安鎮坂付近を走行中に自損事故を起こし頭部に重傷を負った。事故後、偶然近くにいた第一発見者諸星和己(光GENJI)の通報により東京医科大学病院に救急搬送されて一命を取り留めたものの、長期の入院などにより約半年間に渡ってテレビ出演が出来なくなった。また、事故は酒気帯び運転によるものであったために書類送検され、起訴猶予処分を受けた。執刀医は東京医科大学主任教授(当時)の渡邊克益医師であった。 退院時に会見を行ったが、この時点ではまだ顔面が麻痺しており大きく変形した状態であったため、大変な反響を呼んだ。本人は「頭にボルトが入っていて飛行機の金属探知機に引っかかる」「顔面麻痺が治らなかったら芸名を顔面マヒナスターズにしますから」と、自らの怪我をネタにした。退院後もリハビリを続け麻痺はある程度回復したが、一部は回復せず残ることとなった。 翌1995年3月4日の『平成教育委員会』でテレビ復帰し、その後レギュラー番組にも復帰した。 この事故で生死の境を彷徨っていた時、たけしの夢の中に、事故前の1993年に亡くなった親友の逸見政孝が出てきたとのこと。たけしは「あれは、『まだ俺は死んじゃいけない。』って逸見さんが言いに来てくれたんじゃないかな」と、退院後のインタビューで答えた。 入院中に面識のない原節子の名前で数珠を贈られ、これを常に身に着けていたが、退院後しばらくして突如壊れて散らばった。たけしは拾い集めようとしたが、「これは病気が良くなった証拠だ」と思い直し、再び着けることはなかった。ただし、原の名前で贈られたとしても、引退後、芸能界から完全に距離を置いていた原本人が実際に贈ったものかどうかは異論もある。 この事故により缶コーヒー「ジョージア」のテレビ広告への出演が決定しスケジュールも出ていたが、撮影中止となった。 2016年秋に自身が出演した日清カップヌードルの広告にて、たけしがガムテープで補修だらけの原付バイクに乗るという1994年の事故を連想させるシーンが存在し、その広告の最後には「守ろう、交通ルール!」というセリフを発している。 2021年9月4日、TBS系『新・情報7daysニュースキャスター』収録後、ロールス・ロイスの後部座席に乗りテレビ局(東京都港区赤坂のTBS放送センター)敷地から出ようとした際に、過去に弟子入りを志願したとされる男にツルハシで車を襲撃された。ロールス・ロイスはVIP仕様でびくともしないとも言われたが、実際には耳を切るなどの軽傷を負っている。この事件に関しては、同年9月11日の番組収録冒頭、警視庁から黙っているよう申し入れがあったと断りを入れた上で、経緯を軽く説明するにとどめている。また、安住紳一郎アナウンサーは「たけしさんは現在、弟子をとっていません」とアナウンスを行っている。 明仁(上皇)と美智子(上皇后)に対しては畏敬の念を述べている。 ビートたけしが明仁を「すごい存在」と初めて思った契機として、中学生時代に母親に連れられて皇太子妃時代の美智子を送りに軽井沢に行ったことを竹田恒泰と対談した際に明かしており、「強制されて行った感じはなかった」と述べている。天皇について「信仰に近いというか、神にかなり似た存在」と形容しており、「日本の歴史を振り返ると天皇は『はなからいる』存在」とも述べている。2009年に宮中茶会に招待されており、明仁と美智子がたけしの映画を見ていたことを語ったり体調を尋ねるなどされ、緊張したことを明かしている。 過去にたけしに紫綬褒章受章の打診が来たが、断ったエピソードを明かしており、理由は本人が言うには自身に逮捕歴・前科があることや授賞式に配偶者が出席しなければいけないという決まりがあったからであるといい、「本当はもらいたかったけど、俺はもらうような立場ではないとお断りを入れた」とも述べている。この辞退についてたけしの弟子の東国原英夫は紫綬褒章に賞金が無いことを理由にしていたとギャグとして述べたが、2016年10月21日に、天皇夫妻の公務を増やしたくなかったことが受章辞退の本当の理由と明かした。 2019年4月10日に国立劇場で行われた、明仁の天皇在位30周年を祝賀する「感謝の集い」では、映画監督・北野武として登壇し、ギャグを挟みながら祝辞を述べた。 ツービート時代からの漫才はもとより、『週刊ポスト』連載の「毒針巷談」(その後「世紀末毒談」を経て「21世紀毒談」)や『新潮45』連載、東京スポーツ連載『ビートたけし本紙客員編集長の世相メッタ斬り』、テレビ番組『ビートたけしのTVタックル』などで世相を風刺する発言も多く行っており、それが話題となることもある。例えば、1990年代に「『北野党』を立ち上げる」と冗談で発言したことが大きく取り上げられたこともあった。 別の一例としては、1992年に『新潮45』の連載にて「『地球にやさしく』なんかできない」のタイトルで、「地球に優しくしたいなら人間殺さないといけない」と、当時の政財界やマスコミによる「エコロジーブーム」の欺瞞性および浅薄さを皮肉った。この「『地球にやさしく』- 」は、同年6月18日付けの朝日新聞に「ビートたけしと地球環境」と題した、環境問題への無関心を戒める社説が掲載されるなど反響を呼んだ。なお、この文章は1996年の山形大学教育学部の入学試験の小論文試験の出題にも使用された。 原子力発電については「原子力発電を批判するような人たちは、すぐに『もし地震が起きて原子炉が壊れたらどうなるんだ』とか言うじゃないですか。ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、他の施設以上に気を使っているはず。だから、地震が起きたら、本当はここへ逃げるのが一番安全だったりする(笑)。でも、新しい技術に対しては『危険だ』と叫ぶ、オオカミ少年の方がマスコミ的にはウケがいい」「東京湾に原発を作れ」と称賛とも皮肉ともとれる発言をしている。 「北朝鮮による日本人拉致問題をテーマにした映画を作りたい」と2008年7月21日放送分「TVタックル」2時間スペシャルの収録で発言したが、その場面がすべてカットされたことが「週刊文春」2008年7月24日号で報じられたことがある。 ニッポン放送『オールナイトニッポン』にて、日本テレビから同局が「チャリティー番組」として放送し、募金活動も行っている『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』への出演オファーを受けたが、拒否したことを明かしている。さらに「出るなら全員ノーギャラにすべき」と発言し、偽善番組とも述べている。 ただし、たけし本人はこういった発言があまりにも大きく取り上げられたり、反応されたりすることに対し、「芸人の言っていることを一々真面目に取り上げるな」などと述べている。また、芸能ネタを語る事もあるが、話している事の中にはたけしの創作も含まれていることが著書で語られており、「嘘の情報源は俺」とも述べている。 漫才ブームが過ぎ、次代に生き残るための材料を思索していた時期、たけしはテレビの更なるバラエティショー化が進むと予想し、「タップとピアノ位はやれないとみっともねえだろ」と考え、たけし軍団でもタップ・楽器・太神楽(ジャグリング)が必修科目となった。その中で、太神楽は海老一染之助・染太郎を師匠として学んでいたが、染之助の技は花柳流名取であったことに由来すると知り、日本舞踊も習うようになった。タップダンスに対する思い入れは深く、毎日練習を欠かさず行なう。映画『座頭市』の撮影では踊るシーンが無いのにもかかわらず練習をしていた。海外に渡航する際ですらタップシューズを持参するとのこと。最近では2013年にポカリスエットの広告や2019年の『FNS27時間テレビ』でタップダンスを披露している。 ピアノを弾くのはバイエル、ツェルニー、そしてソナチネまでで、それ以上の域に到達する必要はないと言う。これは、さらに上を目指すのは本末転倒で、タップもピアノも「真剣にやろうと思えばやれる」ところまで到達し、それ以降はいかにアレンジして見せるかを考えるのが芸人の仕事だとする、彼の考えに由来する。ピアノの他にもギターも数本所有しており、その内の一本であるギブソン・ES-330を所ジョージに譲渡している。 ミュージシャンとしてのサザンオールスターズの桑田佳祐を「大した天才だと思う」と述べており、カラオケのレパートリーとして「真夏の果実」「マンピーのG★SPOT」「SEA SIDE WOMAN BLUES」を挙げている。また、桑田も芸人としてのたけしを認めている。ファンや識者の間では桑田とたけしに関して照れ隠しなどが混じった人柄や芸風の共通点を指摘する意見も存在している。ただし、桑田が監督を務めた映画『稲村ジェーン』や2014年の年越しライブでの紫綬褒章に関連するトラブルに関しては批判的な発言を述べていた。 漫才ブームの頃は、三宅一生の服を愛用していた。しかし三宅から「服を着ないでくれ」と言われたことを漫才のネタにして、三宅のとこに電話して「着るぞ。ガタガタいうと買うぞ」と脅かしてやった、などとテレビで話し有名になった。実際に三宅の事務所の広報担当からたけしに直接電話があり、「たけしさん、本人はあんまりいい顔していませんよ。なるべく着ないでください。イメージくずれるから」と言われたと1982年の週刊誌のインタビューで話している。 数学に対する造詣は深く、「もし違う道を選ぶなら数学の研究者になりたかった」と語った。また、「数学というものは哲学であって、全ての事象は数学に支配されており数学で説明できる」とも発言している。 野球をこよなく好む。幼少の頃からプロ野球のチーム「読売ジャイアンツ」のファンで、特に長嶋茂雄を敬愛している。草野球チーム(「たけし軍団」)では、投手を務めることもある。野球をする時のたけしは真剣であり、川崎球場での番組収録中、グラウンドに男性アイドルが登場したため女性ファンの歓声により、試合どころではなくなってしまった。その際に誰よりも早く「ここはグラウンドで野球をやってるんだぞ!コンサートじゃねえんだ!」とスタッフを一喝した。現在では、日本のプロ野球よりもメジャーリーグへの関心が高い。 神宮外苑の軟式球場が一種のホームグラウンドで、最盛期は年間70試合近くも行い、1991年の阪神タイガース・ファン感謝デーならびに1992年の千葉ロッテマリーンズ・ファン感謝デーで、軟式ルールながら阪神・ロッテに勝利した。作家・伊集院静が連載していたエッセイ『二日酔い主義』の中には、たけしと一緒にプレーをした記憶に触れる回が幾つかあり、『たけしのグローブ』(伊集院静『あの子のカーネーション』文藝春秋、1989年)では、たけしの使い込まれたグローブに強かな野球少年の面影を重ねて描かれていた。 格闘技では、自身もジムに通った経験を持つボクシングを好み、映画『キッズ・リターン』を作った。映画の中で人を殴るシーンや『座頭市』における逆手斬りのフォームには影響が垣間見える。浅草時代を知る石倉三郎は、「タケちゃんのケンカはボクシングスタイルで結構パンチも早かった」と述べている。なお、たけし自身は1963年の高山一夫 対 勝又行雄戦、1971年の金沢和良 対 ルーベン・オリバレス戦をベストマッチに挙げている。その一方で、1987年のたけしプロレス軍団にまつわる騒動において苦い経験もした。また、空手で骨折し、拳の一部が変形している。 キム・ヨナの指先の微妙な動きと豊かな表情を高く買っており、「役者として演技力がうまいな。技術は真央ちゃんと変わらないし、ジャンプは難しいことやっていないのに、演技力が圧倒的だった」「真央ちゃんは芝居を勉強したらいいよ」と述べている。 浅田真央に対しても『情報7days ニュースキャスター』2014年2月22日放送分で「真央ちゃん(の演技)良かったね、いいんだよ、どうせあんな採点なんてインチキなんだから」と冗談交じりで述べ「真央ちゃんみたいなのはね、メダルとれなくたってね、感動があるんだよ。だからいいんだよ」と評価している。 他にもサッカーに詳しく、Jリーグ開始以前の国内・海外選手に特に詳しい。また、相撲にも造詣が深く、自身がメインキャスターを務める『情報7days ニュースキャスター』の番組内で、その博識ぶりを発揮している。 一方で、鉄棒の逆上がりや跳び箱といった器械体操の類は不得意であり、後にたけしの出演番組内でもネタにされ、『たけしの跳び箱オリンピック』と題した苦手克服企画が、1988年の年末に放送された。 オリンピックを愛する男であり、日刊スポーツの「東京五輪・パラリンピック特集」では会場、費用負担、新競技など問題点ばかりが目立ってしまった特集掲載期間中、五輪を愛するたけしはあえて「オリンピックは末期状態」と厳しい言葉で活を入れた。オリンピックの商業主義も批判しており、「アジェンダ2020」を採択する一方で高い理想、高価な施設、高級感のある大会運営を強いていることに関して「利権を持つ欧州貴族がうまいことやって、金をもうける手段になってる」と一刀両断。東京大会でスケートボード、サーフィンなどを新種目としたことにも違和感を覚えている。2024年大会の立候補地にパリとロサンゼルスしか名乗りを上げなかったことに関しては異例の事態に「やりたい所なくなるよ」と言い「元来ギリシャの五輪なんだから、毎回ギリシャでやればいい。会場も毎回造らなくていいし、聖火も運ばなくていい」と皮肉った。 『情報7daysニュースキャスター』で、当時のアメリカ合衆国大統領バラク・オバマが同性婚を支持する事を表明したニュースを取り上げた際に「同性婚が認められたら、そのうち動物との結婚も認められるようになったりね」「結婚した男2人が子ども育てるっていうけど、その子どもはどういう風になっていくんでしょうね。お前のお母さんはお父さん?とか言われんじゃないの」とギャグとして発言し、すぐさま渡辺えりから「どうしてそういうこと言うんですか」と反論されたことがある。 2023年5月、アメリカのエンターテインメント専門誌の「ハリウッド・リポーター」はカンヌ国際映画祭に合わせて行われた単独インタビューで芸能事務所「ジャニーズ事務所」の元所属タレントが同事務所創業者であるジャニー喜多川(2019年死去)から性暴力を受けていたことを相次いで告発した問題について見解を求められた際にたけしは「日本でもLGBTQの問題やセクハラについて声を上げられる時代がようやく訪れた」と評価した上で戦後から一部の有力芸能事務所がタレントを奴隷のように扱っていることが今日まで続いており、そのことで過去の古い制度的慣習やその他の問題が明るみに出ている点を指摘した。 特記のないものは日本テレビ制作 特記のないものはテレビ朝日制作 特記のないものはTBS制作 特記のないものはテレビ東京制作 特記のないものはフジテレビ制作 大橋巨泉と共演の広告「アサヒ生ビール」は撮影終了後、フライデー襲撃事件の影響で放映されなかった(なお、広告のスナップショットは巨泉の自伝『ゲバゲバ70年!』の中で見る事が可能)。1984年、「スーしませう」のキャッチコピーで発売された「白仁丹」や、ペプシの比較広告をパロディ化した『デミュートサンスター』では企画・演出に関わった。 2007年からロシアCIS地域でPanasonicブランドの薄型テレビの広告に出演。同広告担当者によると、「日本の有名人が単独で海外の国々で広告モデルになるのは初めてではないか」との事。 他多数 連載コラムや著書の文章のほとんどは、本人が多忙であるため、北野武が口述し、それをライターに文章として起こしてもらっている(『コマネチ!2』にて、本人のコメントによる)。 終了 ツービート、ぢ・大黒堂名義で発表された作品についてはそれぞれの項目を参照。 1986年12月に発売され、たけしが監修したファミコン用ソフト『たけしの挑戦状』(タイトー)は「今までにない独創的な発想を入れたい」という意図が反映され、言葉通りその斬新さと理不尽きわまりない内容で多くのユーザーに衝撃を与え、伝説のクソゲーとして名を残すこととなった。たけし自ら、「今までのゲームと同じレベルで考えるとクリアー出来ない」とコメントしている。世界観は極めて退廃的であり、主人公は薄汚れた町並みの中に住む世帯持ちのしがないサラリーマンである。 多くの書籍などでクソゲーの代表格とされることが多い一方で、過去の名作ランキングでは必ず上位にランクされるほど非常に印象深い作品となり、現在では、「北野映画に通じるところがある」「早すぎたグランド・セフト・オート」など、ゲーム内容を再評価する声もある。 なお、2016年の第25回東京映画スポーツ映画大賞については発表時には監督賞・北野武(『龍三と七人の子分たち』)と発表されていた。ところが、授賞式では同賞の審査委員長を務める北野が「是枝監督に」と自身が受賞したトロフィーを会場に来ていた是枝裕和監督(『海街diary』で出席)に手渡し、これにより是枝監督が監督賞を受賞することとなった。主催者である東京スポーツの授賞式記事(受賞者一覧)では「監督賞:北野武(「龍三と七人の子分たち」)→是枝裕和(「海街diary」)」となっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ビートたけし(1947年〈昭和22年〉1月18日 - )は、日本のお笑い芸人。本名は、北野 武(きたの たけし)で、漫才師・俳優・映画脚本家・監督としても活動している。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1980年代初頭に起こった漫才ブームで、漫才コンビ・ツービートとして活躍した。社会風刺を題材としたシニカルな笑いで人気を獲得し、テレビ番組『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』などに出演し、それらも大ヒットした。1980年代後半からは俳優として映画やテレビドラマにも出演し、1990年代からは映画の脚本家・監督としても活動している。1989年の『その男、凶暴につき』で映画脚本家・監督デビューし、『ソナチネ』(1993年)では世界的に高い評価を得た。1997年の『HANA-BI』ではベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した。2010年にフランス芸術文化勲章コマンドゥール、2016年にレジオン・ドヌール勲章オフィシエ、2018年に旭日小綬章を受章。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "東京都足立区島根出身。東京都立足立高等学校を卒業し、明治大学工学部(現理工学部)機械工学科を除籍(のちに特別卒業認定)。東京芸術大学大学院映像研究科特別教授(2005年 - 2008年)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "明石家さんま、タモリと共に、日本の「お笑いBIG3」として知られる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "映画監督時や『平成教育委員会』などの番組では本名の「北野武」名義を用い、その他の番組、映画で出演するときは「ビートたけし」の芸名でタレント活動している。これに関しては、2010年5月9日放送の『平成教育委員会』にて、「アカデミックな場所では『北野武』または『マス北野』、芸人として出る時は『ビートたけし』で使い分けている」との旨を述べた。日本国外では基本的に本名である『Takeshi Kitano』であるが、『Beat Takeshi Kitano』という、本名と芸名を併せた名義を使うこともある。また、絵画では「ビートたけし・北野武」名義を使用する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "落語立川流Bコースの一員で、高座名は「立川錦之助」。近年は落語を口演する際、立川談春から一字もらい「立川梅春」を名乗っている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "塗装職人の父・北野菊次郎(1899年 - 1979年)と、母・北野さき(1904年 - 1999年)の四男として生まれる(幼少時に早逝した兄が一人いるため、実質は三男として育つ)。「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」との願いから、「武」と命名された。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "『平凡パンチ』1978年11月13日号のインタビュー記事では「浅草に生まれて、下町に育った」と語っており、1982年「週刊サンケイ」の小林信彦との対談でも「生まれたのは浅草(台東区)で、すぐ移って、物心ついた時には足立区にいたんです」と話している。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "色白で細面、小柄であるが俊敏で友人からは「ターチ」と渾名された。兄姉とは年が離れていたため、祖母の北野うしに非常に可愛がられて育った(家族構成は、「親族」節を参照)。母親からは厳しく接せられた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "足立区立梅島第一小学校に入学。教育熱心であった母の薫陶が功を奏し、成績は優秀で、特に算数と図画工作が得意であった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "小学校卒業後は、母親が進学校を希望したため、近隣の中学ではなく、遠く離れた足立区立第四中学校へ越境入学した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "中学校卒業後は東京都立足立高等学校に入学した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "小学校から中学校、高等学校にわたって野球部に所属(高校では軟式野球部)したが、高等学校在学中にヨネクラジムでボクシングも習っていたという。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "なお、演芸場時代は、漫才師の野球チーム「メダトーズ」に加入していた。また未成年時代に飲酒していたことも自身の著書で明かしている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1965年に高校を卒業し、母親の薦めで、明治大学工学部(後の理工学部)機械工学科に現役合格し入学した。同級生には星野仙一がいる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "しかし大学での生活には適応できず、五月病を患うようになり、大学2年の時には、家出同然に一人暮らしを始め、東京都新宿区の界隈で当ての無い日々を送るようになる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "学生運動にも参加したが熱心ではなく、ジャズに傾倒する。「LeftyCandy」や「新宿ACB(アシベ)」、名曲喫茶「風月堂」などに入り浸った。また、ジャズ喫茶のボーイもしていて、ジャズの見識は一部で有名であった。東京都新宿区にあるジャズ喫茶「ビザール」では、若松孝二、小水一男らと知り合う。また「ビザール」のボーイの後輩に萩原朔美がいた。ヴィレッジヴァンガードで、遅番のボーイとして働いていた時は永山則夫が早番のボーイとして働いていた。「ジャズ・ビレッジ」の壁に書かれていた文章「強く生きよと母の声、死ねと教えし父の顔、何のあてなき人生なり」が心に残ったとのこと。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "この頃は青春の葛藤期でもあり、友人の下宿に居候しアルバイト三昧であった。ジャズ喫茶のボーイ以外に、菓子の計り売り、実演販売員、ビルの解体工、クラブのボーイ、東京国際空港での荷卸し、タクシー運転手、ガソリンスタンド店員を転々とする。東京国際空港の荷役作業ではジャズ喫茶の常連客であった中上健次が先輩におり、共にガルーダ・インドネシア航空の荷役として働いていた。後に通訳になろうと思い立ち、留学費用を稼ぐ目的でタクシーの運転手を務めるも半年で退社、ガソリンスタンドでアルバイトをした。この間、若松との縁で『新宿マッド』『腹貸し女』など、幾つかの若松プロ初期作品に端役ながら出演したり、学生演劇に参加したが、ヴォードヴィルのような軽演劇で、舞台役者ではなく構成に携わっていた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "大学は140単位のうち106単位まで取得していたにもかかわらず、結局通学せずに除籍になった。その後、2004年9月7日には明治大学より「特別卒業認定証」(明治大学独自の制度であり、法的な大学卒業とは異なる)および知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を受賞。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "学生運動が収束に向かったこともあって、自身も去就を模索する必要に迫られた。芸能に興味はあったが、アングラ演劇には馴染めず、「理工系なので文学的なものはわからない、しかし演芸なら自分にも理解できるだろう」という理由で、いつしか芸人を志望するようになった。ただ、子供の勉学に厳しく大学にまで入らせて芸人の道を志した息子に、母は怒り嘆き、子供の頃から厳しい勉強を強いられて窮屈な思いをしていた武は、これに猛反発。北野家においても、近所の体裁を考えて「芸人を目指した北野家の武」という存在は無かった事になっていた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1972年夏、東京都台東区浅草にあるストリップ劇場の浅草フランス座で、芸人見習い志願としてエレベーターボーイを始める。当時、たけしと思しき人物を見た井上ひさしは「不機嫌そうな青年」と、その印象を述べている。やがて、同劇場の経営者兼座長であった深見千三郎に師事し、前座芸人・北千太としてコント(軽演劇)を学ぶ。初舞台は、痴漢のコント。幕間コントに出演して腕を磨き、芸人としてタップダンスの修業にも励む。座員の多くが深見を近付き難い存在として見ていたが、たけしは物怖じしなかったため、深見から気に入られた。ただ、深見は一般の場所でも唐突にギャグ(ボケ)を連発、間髪入れずに師を即興で罵倒という技術を仕込まれ、この特異な芸の仕込みに北野は深見に四六時中振り回される形となり芸を習得、模索する事になる。この指導もあり、舞台ではアドリブを駆使し、言葉の拾い方に独特の斬新さがあったため一目置かれ、後に誕生する漫才コンビ・ツービート独自の芸風の基礎として取り入れられ漫才ブームで駆使し一気に開花する。当時は、フランス座の四畳間の屋根裏部屋で寝泊りをしていた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "長じて、フランス座の新人芸人とコントコンビを組むことを考える。舞台(コント)が活動の主軸を旨としていた深見は、漫才での活動を望んだ弟子の北野を即刻破門(後に解除)、漫才を主軸に活動の場を放送媒体に移す。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "コントでの芸能界デビューを模索した一方、フランス座に出入りしていた2年先輩の兼子二郎(のちのビートきよし)から漫才コンビを組むよう誘いを受けた。コントにこだわったたけしは漫才に慎重であったが、当時フランス座は経営難で、給料の支払いすら事欠くようになっていたことや、コントコンビを組む予定であった相方の病気もあり、また、背広一つで稼ぐことができる漫才に魅力を感じていたことから、松鶴家千代若・千代菊門下の漫才コンビ「松鶴家二郎・次郎」の次郎として舞台に上がることを了承した。深見からは引き続きフランス座の屋根裏部屋で住むことが許された。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "当初は兼子がツッコミの正統派の掛合い漫才で全く芽が出ず、フランス座にいた頃よりも貧窮した。きよしが一時コロムビア・ライトの付き人をして生活を凌いでいたため、その縁で空たかし・きよし(コロムビア・トップ・ライトの一門は皆「青空」の家号を名乗るが、片方だけが弟子なので「空」だけとなった)と名乗って興行に出たこともあった。また、当時はツッコミ担当で、ネタはきよしが作成していた。東京都外のキャバレー周りの営業なども行ったが、たけしは酔客相手の仕事を嫌い、出番をすっぽかしたり、酩酊して舞台に上がることが多かった。また店を誹謗したり客やホステスに喧嘩を吹っ掛けため度々舞台から降ろされた。そのため兼子は場繋ぎに使う奇術ネタを用意していたという。そしてこの頃から「暴走ネタ・危険ネタ」へシフトしていき、ボケとツッコミの役割も入れ替わった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "紆余曲折の後、2人はコンビ名を「ツービート」へと変更し、たけしは「ビートたけし」、兼子は「ビートきよし」を芸名とした。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "その頃、大阪府で頭角を現して来たB&Bのスタイルに触発され、ツービートもスピードを早めて喋りまくるスタイルへ変貌した。それに呼応するように、服装もタキシードに蝶ネクタイからアイビー・ルックへ変更することで、古臭い漫才師の様式から脱却を図った。当初ツービートは、代演で松竹演芸場の舞台に上がっていたが、支配人に認められてからは出演回数も安定するようになる。毒舌の限りを尽くした掟破りのたけしのツッコミネタもさることながら、ボーイズグループの楽器を拝借して現れたり、座布団の上に座って漫才を行ったり、型破りな舞台が多いため、他の芸人が観に行ってしまうので「ツービートが漫才を始めると楽屋が空っぽになる」と評判になった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "演芸場での人気とは裏腹に、その破壊的な芸風は一部の関係者に受け入れられず激しい抑圧を受け、漫才協団から脱退を求める声すら起きたという。1976年協団が主催するNHK新人漫才コンクールにツービートは3年連続で出場したが最優秀賞を獲得することは出来なかった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "1978年、東京都新宿区高田馬場にある芳林堂書店前で持ちネタの全てを披露する「マラソン漫才・ツービート・ギャグ・デスマッチ」なる漫才ライブを開催したが、この企画をした高信太郎との繋がりでたけしも、高平哲郎や赤塚不二夫、タモリなどと一時期交友関係を持った。その後、「酒を飲んで軽いジョークを言いあったりする、あのシャレた笑い」が肌に合わず、自ずと距離を置くこととなった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "9月12日、父の菊次郎が死去。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "11月、『花王名人劇場』(関西テレビ 企画:澤田隆治)において、人気落語家・月の家円鏡(8代目・橘家圓蔵)の共演者に抜擢される。古典派から「邪道」と言われた円鏡と、「邪道漫才師」ツービートを競演させ、「円鏡 VS ツービート」と銘打って放送されたこの企画が好感触を得たことで、「花王名人劇場」での「激突!漫才新幹線」制作への布石となり、後の漫才ブームへ繋がった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1980年からの漫才ブームでは、ツービートは毒舌漫才と毒舌ネタを売り物に、B&Bやザ・ぼんち等と共に一躍知名度を上げた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "速射砲さながらに喋りまくるたけしのスタイルや、金属バット殺人事件や深川通り魔殺人事件といった時事性の高い話題をいち早くギャグに取り入れる「不謹慎ネタ」は「残酷ギャグ」等と批判を受けることもあったが、たけしは「たかが漫才師の言う事に腹を立てるバカ」と言ってのけた。日本船舶振興会の広告を皮肉って作られた「注意一秒ケガ一生、車に飛び込め元気な子」「気をつけよう、ブスが痴漢を待っている」「寝る前にちゃんと絞めよう親の首」「赤信号みんなで渡れば怖くない」「少年よ大志を抱け。老人よ墓石を抱け」等の一連の標語ネタは「毒ガス標語」と言われ、ブーム初期の定番ネタとなった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1980年、2年前から交際していた女流漫才師「ミキ&ミチ」の内海ミキと結婚。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1980年6月、ネタ本『ツービートのわッ毒ガスだ』を発刊し、年末までに約85万部の売上となったが、当初事務所側はせいぜい3万部程度の売り上げと見込み、印税全額を2人が受け取る契約を結んでいたため、大金が転がり込んだという。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "この時期に、ツービートとして出演していた『スター爆笑座』(TBS) の初代司会であったせんだみつおと楽屋で雑談中に、たけしの代表的ギャグとして知られる「コマネチ!」のギャグが生まれた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1980年10月、昼の帯番組『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)で、ツービートは火曜日のレギュラーとなった。1982年10月、ブームの終焉と共に番組も終了したが、最終回でたけしは客に対し「何でもゲラゲラ笑いやがって! 本当はお前らみたいな客、大っ嫌いだったんだよ!」と語った(なお、フジテレビからオファーのあった後番組の司会をたけしは断り、代わりに『森田一義アワー 笑っていいとも!』が開始された)。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "1982年の夏にはブームは完全に終息し、たけしは「ツービートのたけし」としてではなく「タレント・ビートたけし」として、この頃以降は、単独で司会をする番組を多く持つようになるなどしていった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "漫才ブームを生き残ったたけしは、自身のスタイルを大きく転換させる。毒舌家というパブリックイメージはそのままに、ネタに依存する消耗度の高い喋りを捨て、パーソナリティを軸とした芸風に移行していく。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "1981年元旦からニッポン放送・NRN系のラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』、同年5月からフジテレビ系の『オレたちひょうきん族』がそれぞれ開始される。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1982年から1984年にかけて、番組出演中に弟子志願者(正式な門下は取らない主義の為「ボーヤ」と呼ばれる)が押しかけ、相当の数が集まった事(たけし軍団)から、集団で行うバラエティを模索。日本テレビ『スーパージョッキー』、TBS『笑ってポン!』等が始まった。また、博識が評価されて、毎日放送『世界まるごとHOWマッチ』等で文化人的な出演要請も増えた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "上記は、1985年当時のレギュラー番組すべてであるが、このうち日本テレビ、テレビ朝日、TBS、フジテレビの20時台番組ですべて最高視聴率をマークした。なお、『たけし城』『元気TV』『スポーツ大将』は、全て実質ビートたけし本人の企画・構成によるものである。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "その他、放送以外に歌手としてのレコードリリースとライブ活動、文学小説の出版、ファミリーコンピュータのゲーム企画も行った。この頃より、タモリ・明石家さんまと共に、「日本のお笑いタレントBIG3」と称されることとなった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1986年12月、たけしが交際していた女性へ、講談社の週刊誌「FRIDAY」の記者が強引な取材によって傷害を与えた。その報復として北野はたけし軍団の一部の軍団員とともにFRIDAYの編集部を襲撃し、住居侵入罪・器物損壊罪・暴行罪の容疑で警察に現行犯逮捕された。この事件によって写真週刊誌の行き過ぎた取材が問題視され、当時の内閣官房長官(後藤田正晴)が言及するなどの社会現象になった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "近年は漫才を披露する事は少なくなったが、かつて『北野ファンクラブ』では島田洋七とのコンビ「B&Beat」で、稀に弟子のライブに飛び入りで相方ビートきよしとの「ツービート」として、漫才を披露することがある。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "2014年10月27日、約30年ぶりとなる単独ライブを渋谷のCBGKシブゲキ!!にて開催。ライブのタイトルは「たけしが毎週ニュースキャスターの楽屋で、朝ズバッ!なんかで使ったパネルを勝手に拝借して、イタズラ書きをしてはニュースキャスター後のS1でTBSに来ていた、爆笑問題田中の楽屋にそっと置いていたパネルが溜まったのでテレビでお披露目しようとしたら、どこの局からも相手されなくて、仕方なくLIVEでお披露目することになった、たけし的スライドショーなLIVE」。約200席のプレミアライブは約1分で即完売となった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "『その男、凶暴につき』(1989年)は、監督:深作欣二 主演:ビートたけしで映画化を予定し、配給の松竹は両者の間で交渉を進めたが、スケジュールや条件で合致せず、深作が辞退した。そこで松竹は人物的魅力と話題性から、たけし(以下、映画の項目では映画監督での活動名(本名)での「北野」で表記)に監督を依頼したところ、テレビの仕事と両立させることを前提として承諾。1週間おきの撮影という珍しい形態が採用された。映画監督・北野武としてのデビュー作『その男、凶暴につき』は、1989年に予定通り公開された。この時のことを後年関根潤三の著書の推薦文で「(映画監督について)あんなに大変な仕事はあるのかと思った。」と述べている。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "その後、1990年に公開された監督2作目となる『3-4X10月』からは脚本も兼任し、映画監督としての本格的な活動を開始する。興行的成功は中々出なかったが、黒澤明や淀川長治、蓮實重彦といった日本映画の重鎮からは作風を高く評価される。また、1993年の『ソナチネ』ではカンヌ国際映画祭「ある視点」部門やロンドン映画祭に招待され、海外でも高い評価を獲得する。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "1996年には『キッズ・リターン』を発表。バイク事故からの復活を印象付け、カンヌ国際映画祭監督週間部門にも招待される。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "1997年、映画『HANA-BI』が、第54回ヴェネツィア国際映画祭で日本作品として40年ぶりとなる金獅子賞を受賞した。発表直後、たけしは「異分野出身者でも大きな賞を取れると示すことができ、これから映画を目指す者に刺激になったと思う」と語った。授賞式では「今度またイタリアと組んでどこか攻めよう」「Let's try again with Italia and go to some country to war」と日英両語でスピーチ。帰国時の記者会見で、現地の土産物屋で購入した金獅子像のミニチュア(約280円)を披露して、笑いをとった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "第52回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式参加した映画『菊次郎の夏』で、約5分間のスタンディングオベーションを受けた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "2003年には『座頭市』が第60回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品され、監督賞にあたる銀獅子賞を受賞。さらに北米最大の映画祭であるトロント国際映画祭でも最高賞にあたる観客賞を日本映画として初めて受賞し、北野映画としては異例となる国内外でのヒットを記録した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2005年4月、フランスの『カイエ・デュ・シネマ』創刊600号記念号の特別編集長を務める。カイエ・デュ・シネマは300号から100号毎に映画人を編集長に招いて記念号を発行しており、過去に記念号の編集長を務めた映画監督は、ジャン=リュック・ゴダール(300号)、ヴィム・ヴェンダース(400号)、マーチン・スコセッシ(500号)などがいる。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2005年4月、東京芸術大学で新設された大学院映像研究科の特別教授および映画専攻長に就任(〜2008年。なお、監督領域の教授は北野と黒沢清の2名)。北野大も淑徳大学教授であったので、兄弟で教授となった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "2007年5月、カンヌ国際映画祭60周年特別記念企画「To Each His Own Cinema」(それぞれのシネマ)に世界5大陸25ヶ国から選出された35名の著名な映画監督の中で唯一の日本人として名を連ねた。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "2007年8月、第64回ヴェネツィア国際映画祭にて、たけしの映画監督作『監督・ばんざい!』に基づき「監督・ばんざい!賞」が新設され、表彰式に出席した。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "2008年6月19日、第30回モスクワ国際映画祭で「特別功労賞」 (Life-time Achievement Award) を受賞。2003年の新藤兼人に次ぐ2人目の日本人受賞者となった。20日の会見では「ロシアの人は自分(北野)を過大評価している」「数々の芸術家が出ているロシアで表彰されるのは恥ずかしい」と語った。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "2010年3月9日、フランス芸術文化勲章の一つであるコマンドゥール章を受章。13日の帰国会見では勲章の披露の前に、自身が作った「バンクーバー」と書かれた金メダルを出すボケを行い、笑いをとった。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "2011年秋公開予定であった『アウトレイジ2』について「宮城県」でクランクインの準備をしていたら「東日本大震災」に遭遇しロケが取り止めとなり「6000万円以上損害が出た」と語っている。なお『アウトレイジ2』は、舞台を神戸市に移して『アウトレイジ ビヨンド』として、2012年10月6日に公開。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "2016年、アカデミー賞を主催する米映画芸術科学アカデミーよりライター部門での会員候補に選定された。", "title": "来歴" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "たけしは幼少期ほとんど映画を観ておらず、黒澤明との対談では『力道山物語』『二等兵物語』『鉄道員』しか観たことがないと話している。また、黒澤は北野の映画作品を(作中に)余計なものがないから好きだと評価している。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "大森南朋はたけしについて「説明が無いまま始まる恐怖がいつもあります」と話している。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "たけしの作品『アウトレイジ 最終章』の撮影中、大森は撮影当日、現場でマシンガンが傘に刺さっているのを知ったので「そういうことなのか」と思い、たけしがいない間に傘越しに撃つ練習をした。ところが、そのエピソードを聞いていた北野は「おいらは漫才出身だからね」と涼しい顔をしており、さらに「だから、テストを重ねた方が役者に芝居が入っていくという道理がわからない。それに漫才は一発目が勝負で、やればやるほどネタを知っている客は笑わなくなるから、北野組でもその新鮮さを求めるやり方を踏襲して、特に指示も出さずにいきなり『どうぞ(やってください)』って言うんですよ(笑)」と笑った。大杉漣はその緊張感ある北野映画の撮影現場で貧血を起こして倒れたことがある。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "北野映画の特徴として以下のようなものが挙げられている。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "自らの映画作品に暴力団が登場することについては「暴力団を賛美した表現をしたことはなく、拳銃を使った人間は幸せになれないようなシナリオにしている」と述べている。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "「北野映画」のビジュアル面での特徴として、画面全体のトーン、小道具の色などに青が頻繁に使われるというものがあり、気品があるとして「キタノブルー」と呼ばれる。特に『ソナチネ』など中盤までの作品において顕著で、ヨーロッパで高い評価を得た。突然の雨により画面が青一色になったのがきっかけとされる。極力余計な色を使用しないようにしていたことから、以降青を意識するようになったという。ただし『Dolls』からはキタノブルーの傾向は薄れている。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "また、このキタノブルーにはジャン・ポール・ベルモンド主演の『いぬ』にアラン・ドロン主演の『サムライ』や『仁義』、リノ・ヴァンチュラ主演の『ギャング』『影の軍隊』などで知られるフランス映画の巨匠ジャン=ピエール・メルヴィルの影響を強く受けており、とりわけ『サムライ』以降の「メルヴィル・ブルー」が強い後期の作品の影響が濃い。「メルヴィル・ブルー」以外にも歩くシーンが多いやセリフが少ない、唐突に訪れるリアルな暴力や死、省略演出の多用もメルヴィルからの影響を強く受けており、自著でも特に『サムライ』を絶賛している。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "メルヴィル作品『ギャング』のリメイク版である『マルセイユの決着』が2008年に日本で公開された際のプレスシートには、たけしによるメルヴィルを絶賛する旨のコメントが掲載された。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "2016年10月にレジオン・ドヌール勲章の「オフィシエ」を受章した際、授与式で『サムライ』の主演のアラン・ドロンの息子のアントニー・ドロンと対面している。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "「究極の映画とは、10枚の写真だけで構成される映画であり、回ってるフィルムをピタッと止めたときに、2時間の映画の中の何十万というコマの中の任意の1コマが美しいのが理想だと思う。例えば女性のヌードを撮影するってのも、ただ裸の女が出てるだけではなく、ストーリーの中で女が脱いでいくというものであり、グラビアは映画の原型みたいなものだと思う」と語っている。また、「たった1枚の絵画だけで20分も30分もその場に人を釘付けにできるのだとしたら、映画も少ないカットでそういう事ができるのを感覚的に目標にしている」と語っている。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "自らが俳優として数々の作品に出演する際の姿勢として、撮影方針に口出ししないようにしているため、監督を務める際にも撮影方針に意見をする俳優は嫌いだと発言している。また、有名俳優でも撮影後気に入らないと出演シーンを編集でカットすることもある一方で、大杉漣や寺島進など北野作品に多く出演したことで名前が知られた俳優もいる。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "映画音楽は『Dolls』まで、久石譲が長期にわたって担当していたが、その後は梶浦由記や鈴木慶一を起用している。水道橋博士によると、久石の起用を止めたのは、映画そのものではなく、音楽が評価されてしまったからだと語っている。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "フランスと日本の文化観の違いとして「芸人という立場が映画監督としては悪影響を及ぼす、なんて気はなくて、フランス人の見方は、もっと才能があるんだっていう。この人はまだいろんなことがやれるんだって感じがあって。だからギャング映画撮っても問題ないし、バカバカしいことをやってもそれはそれとして見てくれる。映画は映画、バラエティはバラエティって分けてくれるんで、ありがたい。気が楽になった」とコメントしている。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "「日本は漫才師が映画撮った、みたいな雰囲気があって、松本人志が映画撮ると、\"かつて映画を撮ったお笑い人\"の中に必ず俺が入っている」と、異業種の人間に対する偏見が強い日本の見方には苦言を呈している。また、海外メディアが(監督・北野武としての)彼にインタビュー取材を行った際に、彼が映画製作に使う専用のオフィスへ海外メディアクルーを招き、オフィス内部の紹介やインタビューに応じる姿があった。なお、日本のメディアに対してはオフィスは基本的に非公開であったが、世界各国のメディアによるドキュメンタリーを扱った日本のテレビ番組で放送された際に、初めて明かされている。", "title": "映画監督としての特徴" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "ビートたけしは自らを「俺」「僕」「オイラ」と呼び、それぞれ場の雰囲気に合わせ使い分けている。「オイラ」は下町・職人言葉の位置づけで、自身が育った島根町が職人街であったことと関連するとしている。かつて足立区の広報誌から受けたインタビューでは、「足立は東京の下町だね。その足立の下町が島根だというの。島根は下町の中の下町。足立の中の足立だって思うんだよね」とコメントした。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "たけしのものまねをする際の動作として定番化している頻繁に首をひねる動作(しかし、たけし本人は1990年代以降はあまり見せなくなっている)は癖ではなく、ツービート時代に「トランポリンで飛び跳ねながら漫才をやってくれ」と頼まれ、稽古中に頭から落下してしまい頸椎を負傷、以後しばらくの年月に渡り首に違和感があったためと『週刊ポスト』の連載コラムで述べている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "たけしが司会のバラエティ番組などにおいて、他の出演者(主に女優や子供タレント、たけしより先輩のタレント等)がくだらないことを言ったり、話が噛み合わなかったりなどちょっとしたミスをするとたけしの近くにいるタレント(例:「世界まる見え!テレビ特捜部」の所ジョージ)やたけし軍団などの後輩芸人をたけしがピコピコハンマーやハリセン、メガホンで叩いて笑いに変えることがある(例:たけし「あいつを何とかしろ!ピコッ!」)。これは、たけしが過去に出演した映画「戦場のメリークリスマス」において、監督の大島渚が、たけしがNGを出した場合、本業が俳優でないたけしへの配慮として助監督が代わりに叱られるというものから来ている(詳しくは戦場のメリークリスマスの『エピソード』欄を参照)。このたけしのやり方によって、普段はなかなかツッコめない女優や先輩タレント相手または、ロケなどでちょっと離れた場所にいるタレントにも(間接的ではあるが)結果的にツッコむことができるので、このツッコミをマネする芸人もいる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "また番組冒頭で「というわけで(ございましてですね)...」という台詞と同時に司会を始めるたけしのスタイルは、元々は他の出演者に「どういうわけだよ!」とツッコミを貰うためのボケにすぎなかったが、バラエティ番組などで当たり前のように常用されている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "愛称は「たけし」、多くの芸能人からは「たけしさん」と呼ばれるが、タモリや和田アキ子からは「たけちゃん」、たけし軍団やたけしを慕っている後輩芸人からは「殿」と呼ばれており、所ジョージからは「北野さん」や「おじさん」「おいさん」と呼ばれ、明石家さんまからはたまに「おっさん」「ビート」「タケ」と呼ばれる。笑福亭鶴瓶からは「兄さん」とも呼ばれている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "※詳細は各項を参照。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "芸人として同じ浅草界隈で育った先輩芸人であり、たけしの人気が出た1980年代の漫才ブーム時にはお笑い界のトップに君臨していた萩本欽一に対し、当時批判的な意見を述べていた。コント55号の毒のある笑いは好きであったが、萩本が1人で司会をするようになってからのアットホームな笑いやザ・ドリフターズの子供向けの笑いに、自身の目指す笑いとの乖離と今後のテレビ界に危機感を感じたため、「萩本欽一といかりや長介を引きずり下ろしたかった、この2人の牙城を崩さない限り、ひょうきん族はありえないと思った。」と語っている。1982年を境に萩本やザ・ドリフターズと入れ替わるようにたけし自身がお笑い界のトップに君臨することとなる。萩本とたけしのテレビでの共演は未だに実現していない。1985年までのお笑いBIG3は萩本、タモリ、たけしであったものの、この3人を前面に出した番組はなかった。なお、たけしは後年に萩本に対しては「お笑い芸人の地位とギャラを上げたのは萩本欽一さんだ」「コント55号が自分の冠番組もって。それからだもん、お笑いが強くなったの」と評価する発言をしており、その発言を聞いた太田光(爆笑問題)からは「こんなこと言うようになったんですね」「さんざん、萩本さんを引きずり下ろすの見てきましたからね」「欽ちゃんのファンだったから結構ショックだったんですよ!」と過去の発言を追求されてしまった。また、たけしはザ・ドリフターズが出演した『8時だョ!全員集合』についても「今見ても面白い」「それは完璧に計算して稽古して作り上げたものだからだ」と再評価する発言をしている。一方で自身が出演した『ひょうきん族』については「今になって『ひょうきん族』を見ても面白くも何ともない」「古臭くて笑えるもんじゃない」とし、『ひょうきん族』で行った楽屋話的な笑いを「芸の笑いとは別のもの」と述べている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "一方、萩本は『テレビを輝かせた100人』(2011年7月9日放送)にゲスト出演した際、当時よりたけしに好印象を持っていた事を語っており、たけしの弟子でもあるガダルカナル・タカからの「(たけし軍団の持ち味でもある)下ネタをどういう風にご覧になっていたか?」という質問には、萩本の師匠・東八郎の教えで自らは下ネタで笑いを取らない様に貫いているに過ぎない事、たけしについては「浅草の僕の後輩のすぐ下がたけちゃんだった。だから自分の弟みたい」、「だから言っといて。\"大好きだ\"って」とタカに向けて語っている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "トーク番組の最終回に、スペシャルゲストとして招かれることも多い(『たかじんnoばぁ〜』(1996年7月13日放送)、『すてきな出逢い いい朝8時』(2001年9月29日放送)、『クメピポ!絶対あいたい1001人』(2009年7月29日放送)、『笑っていいとも!』「テレフォンショッキング」(2014年3月31日放送 ※レギュラー放送分)等)。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "大阪市にある放送局のローカル番組にも時折出演することがある。特にたけしのレギュラー番組を多数制作している朝日放送に関して縁が深く、『探偵!ナイトスクープ』『ナンバ壱番館』などにもゲスト出演している。また、関西テレビや讀賣テレビに関してはやしきたかじんとの親交もあり、たかじんの番組にゲスト出演している。一方で、毎日放送に関してはイースト・エンタテインメント制作の日本全国ネット番組に限定され、ローカル番組では出演がない。また、関西・関東いずれにおいても独立局への出演は全くと言っていいほどなく、極めて珍しい例として2015年5月22日放送の『バラいろダンディ』(TOKYO MX)にゲスト出演したことがある。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "2009年10月3日放送分のTBS『オールスター感謝祭』で総合司会の島田紳助が「番組開始前に自身の楽屋に挨拶に来なかった」として解答者の東京03に激怒したとされる件に関し、同年10月27日付けの東京スポーツに「紳助が『あいさつがない』とかって若手の東京03ってのを怒ったものだから、出番前にタレントがいちいちオレんとこにあいさつに来て、うるさくってしょうがないよ」とのコメントを発した。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "林家三平の襲名披露興行で披露して以来、林家三平と国分佐智子の結婚式や『とんねるずのみなさんのおかげでした』内で行われた飯尾和樹」(ずん)の披露宴、『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンショッキング最終回等で表彰状ネタ(その人物等への表彰状を読む体裁で随所にブラックジョークなどを盛り込んで話すスタイル)をしばしば行っている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "所ジョージとは親友である一方で、たけしは所の生活スタイルに嫉妬していると告白している。2015年12月29日に放送された『一流が嫉妬したスゴい人』で、「所の生活スタイルは、発想が違っていて、俺には真似できない。俺は所から仕事以外の楽しみ方というものをすべて教わった」と話している。また、同番組でたけしは、過去に甲本ヒロトにも嫉妬したことがあったと告白している。「俺、もしかするとお笑いじゃなくて、こういう感じの音楽をやりたかったんじゃないかなって気付かされて、嫉妬したね」と話し、甲本の歌については「悲しいのよ。不良をやろうとして不良になれない子のパンクって感じがしてね。歌での表現でしか不良をできないのかな、と感じたんだよね。よく考えるとパンクではなくて演歌なんだよね。でも感じがパンクなんだよね。こういう歌を10代とかに聴いていたら涙したんだろうなあ」と評している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "長く活躍していることもあり、知名度は高い。2020年7月22日に放送された『水曜日のダウンタウン』の「古今東西 日本人知名度ランキング」第2弾では、第5位(94.2%)にランクインした。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "1986年12月9日、たけし軍団の一部メンバー11人を連れて講談社に行き、フライデー襲撃事件を起こし逮捕。翌1987年6月10日に懲役6か月、執行猶予2年の判決が出された(東京地裁、確定)。当時のレギュラー番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』『スーパージョッキー』への出演については、執行猶予判決が確定するまでの約8か月間謹慎することとなった。なお、当時たけしと交際していたといわれた女性への暴行で告訴された記者は、罰金10万円の判決を受けた。", "title": "事件・事故" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "1987年、映画監督・深作欣二は、謹慎中の身にあったたけしと京都府において初対面。その印象を「非常に鋭い顔をしている。笑っていても目は笑わんし、顔立ちが独特だ。いろんな人間とシビアな闘争をしてきた男の顔だ」と語った。", "title": "事件・事故" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "1994年8月2日午前1時40分、原付バイクで東京都新宿区の安鎮坂付近を走行中に自損事故を起こし頭部に重傷を負った。事故後、偶然近くにいた第一発見者諸星和己(光GENJI)の通報により東京医科大学病院に救急搬送されて一命を取り留めたものの、長期の入院などにより約半年間に渡ってテレビ出演が出来なくなった。また、事故は酒気帯び運転によるものであったために書類送検され、起訴猶予処分を受けた。執刀医は東京医科大学主任教授(当時)の渡邊克益医師であった。", "title": "事件・事故" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "退院時に会見を行ったが、この時点ではまだ顔面が麻痺しており大きく変形した状態であったため、大変な反響を呼んだ。本人は「頭にボルトが入っていて飛行機の金属探知機に引っかかる」「顔面麻痺が治らなかったら芸名を顔面マヒナスターズにしますから」と、自らの怪我をネタにした。退院後もリハビリを続け麻痺はある程度回復したが、一部は回復せず残ることとなった。", "title": "事件・事故" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "翌1995年3月4日の『平成教育委員会』でテレビ復帰し、その後レギュラー番組にも復帰した。", "title": "事件・事故" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "この事故で生死の境を彷徨っていた時、たけしの夢の中に、事故前の1993年に亡くなった親友の逸見政孝が出てきたとのこと。たけしは「あれは、『まだ俺は死んじゃいけない。』って逸見さんが言いに来てくれたんじゃないかな」と、退院後のインタビューで答えた。", "title": "事件・事故" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "入院中に面識のない原節子の名前で数珠を贈られ、これを常に身に着けていたが、退院後しばらくして突如壊れて散らばった。たけしは拾い集めようとしたが、「これは病気が良くなった証拠だ」と思い直し、再び着けることはなかった。ただし、原の名前で贈られたとしても、引退後、芸能界から完全に距離を置いていた原本人が実際に贈ったものかどうかは異論もある。", "title": "事件・事故" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "この事故により缶コーヒー「ジョージア」のテレビ広告への出演が決定しスケジュールも出ていたが、撮影中止となった。", "title": "事件・事故" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "2016年秋に自身が出演した日清カップヌードルの広告にて、たけしがガムテープで補修だらけの原付バイクに乗るという1994年の事故を連想させるシーンが存在し、その広告の最後には「守ろう、交通ルール!」というセリフを発している。", "title": "事件・事故" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "2021年9月4日、TBS系『新・情報7daysニュースキャスター』収録後、ロールス・ロイスの後部座席に乗りテレビ局(東京都港区赤坂のTBS放送センター)敷地から出ようとした際に、過去に弟子入りを志願したとされる男にツルハシで車を襲撃された。ロールス・ロイスはVIP仕様でびくともしないとも言われたが、実際には耳を切るなどの軽傷を負っている。この事件に関しては、同年9月11日の番組収録冒頭、警視庁から黙っているよう申し入れがあったと断りを入れた上で、経緯を軽く説明するにとどめている。また、安住紳一郎アナウンサーは「たけしさんは現在、弟子をとっていません」とアナウンスを行っている。", "title": "事件・事故" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "明仁(上皇)と美智子(上皇后)に対しては畏敬の念を述べている。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "ビートたけしが明仁を「すごい存在」と初めて思った契機として、中学生時代に母親に連れられて皇太子妃時代の美智子を送りに軽井沢に行ったことを竹田恒泰と対談した際に明かしており、「強制されて行った感じはなかった」と述べている。天皇について「信仰に近いというか、神にかなり似た存在」と形容しており、「日本の歴史を振り返ると天皇は『はなからいる』存在」とも述べている。2009年に宮中茶会に招待されており、明仁と美智子がたけしの映画を見ていたことを語ったり体調を尋ねるなどされ、緊張したことを明かしている。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "過去にたけしに紫綬褒章受章の打診が来たが、断ったエピソードを明かしており、理由は本人が言うには自身に逮捕歴・前科があることや授賞式に配偶者が出席しなければいけないという決まりがあったからであるといい、「本当はもらいたかったけど、俺はもらうような立場ではないとお断りを入れた」とも述べている。この辞退についてたけしの弟子の東国原英夫は紫綬褒章に賞金が無いことを理由にしていたとギャグとして述べたが、2016年10月21日に、天皇夫妻の公務を増やしたくなかったことが受章辞退の本当の理由と明かした。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "2019年4月10日に国立劇場で行われた、明仁の天皇在位30周年を祝賀する「感謝の集い」では、映画監督・北野武として登壇し、ギャグを挟みながら祝辞を述べた。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "ツービート時代からの漫才はもとより、『週刊ポスト』連載の「毒針巷談」(その後「世紀末毒談」を経て「21世紀毒談」)や『新潮45』連載、東京スポーツ連載『ビートたけし本紙客員編集長の世相メッタ斬り』、テレビ番組『ビートたけしのTVタックル』などで世相を風刺する発言も多く行っており、それが話題となることもある。例えば、1990年代に「『北野党』を立ち上げる」と冗談で発言したことが大きく取り上げられたこともあった。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "別の一例としては、1992年に『新潮45』の連載にて「『地球にやさしく』なんかできない」のタイトルで、「地球に優しくしたいなら人間殺さないといけない」と、当時の政財界やマスコミによる「エコロジーブーム」の欺瞞性および浅薄さを皮肉った。この「『地球にやさしく』- 」は、同年6月18日付けの朝日新聞に「ビートたけしと地球環境」と題した、環境問題への無関心を戒める社説が掲載されるなど反響を呼んだ。なお、この文章は1996年の山形大学教育学部の入学試験の小論文試験の出題にも使用された。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "原子力発電については「原子力発電を批判するような人たちは、すぐに『もし地震が起きて原子炉が壊れたらどうなるんだ』とか言うじゃないですか。ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、他の施設以上に気を使っているはず。だから、地震が起きたら、本当はここへ逃げるのが一番安全だったりする(笑)。でも、新しい技術に対しては『危険だ』と叫ぶ、オオカミ少年の方がマスコミ的にはウケがいい」「東京湾に原発を作れ」と称賛とも皮肉ともとれる発言をしている。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "「北朝鮮による日本人拉致問題をテーマにした映画を作りたい」と2008年7月21日放送分「TVタックル」2時間スペシャルの収録で発言したが、その場面がすべてカットされたことが「週刊文春」2008年7月24日号で報じられたことがある。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "ニッポン放送『オールナイトニッポン』にて、日本テレビから同局が「チャリティー番組」として放送し、募金活動も行っている『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』への出演オファーを受けたが、拒否したことを明かしている。さらに「出るなら全員ノーギャラにすべき」と発言し、偽善番組とも述べている。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "ただし、たけし本人はこういった発言があまりにも大きく取り上げられたり、反応されたりすることに対し、「芸人の言っていることを一々真面目に取り上げるな」などと述べている。また、芸能ネタを語る事もあるが、話している事の中にはたけしの創作も含まれていることが著書で語られており、「嘘の情報源は俺」とも述べている。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "漫才ブームが過ぎ、次代に生き残るための材料を思索していた時期、たけしはテレビの更なるバラエティショー化が進むと予想し、「タップとピアノ位はやれないとみっともねえだろ」と考え、たけし軍団でもタップ・楽器・太神楽(ジャグリング)が必修科目となった。その中で、太神楽は海老一染之助・染太郎を師匠として学んでいたが、染之助の技は花柳流名取であったことに由来すると知り、日本舞踊も習うようになった。タップダンスに対する思い入れは深く、毎日練習を欠かさず行なう。映画『座頭市』の撮影では踊るシーンが無いのにもかかわらず練習をしていた。海外に渡航する際ですらタップシューズを持参するとのこと。最近では2013年にポカリスエットの広告や2019年の『FNS27時間テレビ』でタップダンスを披露している。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "ピアノを弾くのはバイエル、ツェルニー、そしてソナチネまでで、それ以上の域に到達する必要はないと言う。これは、さらに上を目指すのは本末転倒で、タップもピアノも「真剣にやろうと思えばやれる」ところまで到達し、それ以降はいかにアレンジして見せるかを考えるのが芸人の仕事だとする、彼の考えに由来する。ピアノの他にもギターも数本所有しており、その内の一本であるギブソン・ES-330を所ジョージに譲渡している。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "ミュージシャンとしてのサザンオールスターズの桑田佳祐を「大した天才だと思う」と述べており、カラオケのレパートリーとして「真夏の果実」「マンピーのG★SPOT」「SEA SIDE WOMAN BLUES」を挙げている。また、桑田も芸人としてのたけしを認めている。ファンや識者の間では桑田とたけしに関して照れ隠しなどが混じった人柄や芸風の共通点を指摘する意見も存在している。ただし、桑田が監督を務めた映画『稲村ジェーン』や2014年の年越しライブでの紫綬褒章に関連するトラブルに関しては批判的な発言を述べていた。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "漫才ブームの頃は、三宅一生の服を愛用していた。しかし三宅から「服を着ないでくれ」と言われたことを漫才のネタにして、三宅のとこに電話して「着るぞ。ガタガタいうと買うぞ」と脅かしてやった、などとテレビで話し有名になった。実際に三宅の事務所の広報担当からたけしに直接電話があり、「たけしさん、本人はあんまりいい顔していませんよ。なるべく着ないでください。イメージくずれるから」と言われたと1982年の週刊誌のインタビューで話している。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "数学に対する造詣は深く、「もし違う道を選ぶなら数学の研究者になりたかった」と語った。また、「数学というものは哲学であって、全ての事象は数学に支配されており数学で説明できる」とも発言している。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "野球をこよなく好む。幼少の頃からプロ野球のチーム「読売ジャイアンツ」のファンで、特に長嶋茂雄を敬愛している。草野球チーム(「たけし軍団」)では、投手を務めることもある。野球をする時のたけしは真剣であり、川崎球場での番組収録中、グラウンドに男性アイドルが登場したため女性ファンの歓声により、試合どころではなくなってしまった。その際に誰よりも早く「ここはグラウンドで野球をやってるんだぞ!コンサートじゃねえんだ!」とスタッフを一喝した。現在では、日本のプロ野球よりもメジャーリーグへの関心が高い。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "神宮外苑の軟式球場が一種のホームグラウンドで、最盛期は年間70試合近くも行い、1991年の阪神タイガース・ファン感謝デーならびに1992年の千葉ロッテマリーンズ・ファン感謝デーで、軟式ルールながら阪神・ロッテに勝利した。作家・伊集院静が連載していたエッセイ『二日酔い主義』の中には、たけしと一緒にプレーをした記憶に触れる回が幾つかあり、『たけしのグローブ』(伊集院静『あの子のカーネーション』文藝春秋、1989年)では、たけしの使い込まれたグローブに強かな野球少年の面影を重ねて描かれていた。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "格闘技では、自身もジムに通った経験を持つボクシングを好み、映画『キッズ・リターン』を作った。映画の中で人を殴るシーンや『座頭市』における逆手斬りのフォームには影響が垣間見える。浅草時代を知る石倉三郎は、「タケちゃんのケンカはボクシングスタイルで結構パンチも早かった」と述べている。なお、たけし自身は1963年の高山一夫 対 勝又行雄戦、1971年の金沢和良 対 ルーベン・オリバレス戦をベストマッチに挙げている。その一方で、1987年のたけしプロレス軍団にまつわる騒動において苦い経験もした。また、空手で骨折し、拳の一部が変形している。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "キム・ヨナの指先の微妙な動きと豊かな表情を高く買っており、「役者として演技力がうまいな。技術は真央ちゃんと変わらないし、ジャンプは難しいことやっていないのに、演技力が圧倒的だった」「真央ちゃんは芝居を勉強したらいいよ」と述べている。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "浅田真央に対しても『情報7days ニュースキャスター』2014年2月22日放送分で「真央ちゃん(の演技)良かったね、いいんだよ、どうせあんな採点なんてインチキなんだから」と冗談交じりで述べ「真央ちゃんみたいなのはね、メダルとれなくたってね、感動があるんだよ。だからいいんだよ」と評価している。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "他にもサッカーに詳しく、Jリーグ開始以前の国内・海外選手に特に詳しい。また、相撲にも造詣が深く、自身がメインキャスターを務める『情報7days ニュースキャスター』の番組内で、その博識ぶりを発揮している。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "一方で、鉄棒の逆上がりや跳び箱といった器械体操の類は不得意であり、後にたけしの出演番組内でもネタにされ、『たけしの跳び箱オリンピック』と題した苦手克服企画が、1988年の年末に放送された。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "オリンピックを愛する男であり、日刊スポーツの「東京五輪・パラリンピック特集」では会場、費用負担、新競技など問題点ばかりが目立ってしまった特集掲載期間中、五輪を愛するたけしはあえて「オリンピックは末期状態」と厳しい言葉で活を入れた。オリンピックの商業主義も批判しており、「アジェンダ2020」を採択する一方で高い理想、高価な施設、高級感のある大会運営を強いていることに関して「利権を持つ欧州貴族がうまいことやって、金をもうける手段になってる」と一刀両断。東京大会でスケートボード、サーフィンなどを新種目としたことにも違和感を覚えている。2024年大会の立候補地にパリとロサンゼルスしか名乗りを上げなかったことに関しては異例の事態に「やりたい所なくなるよ」と言い「元来ギリシャの五輪なんだから、毎回ギリシャでやればいい。会場も毎回造らなくていいし、聖火も運ばなくていい」と皮肉った。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "『情報7daysニュースキャスター』で、当時のアメリカ合衆国大統領バラク・オバマが同性婚を支持する事を表明したニュースを取り上げた際に「同性婚が認められたら、そのうち動物との結婚も認められるようになったりね」「結婚した男2人が子ども育てるっていうけど、その子どもはどういう風になっていくんでしょうね。お前のお母さんはお父さん?とか言われんじゃないの」とギャグとして発言し、すぐさま渡辺えりから「どうしてそういうこと言うんですか」と反論されたことがある。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "2023年5月、アメリカのエンターテインメント専門誌の「ハリウッド・リポーター」はカンヌ国際映画祭に合わせて行われた単独インタビューで芸能事務所「ジャニーズ事務所」の元所属タレントが同事務所創業者であるジャニー喜多川(2019年死去)から性暴力を受けていたことを相次いで告発した問題について見解を求められた際にたけしは「日本でもLGBTQの問題やセクハラについて声を上げられる時代がようやく訪れた」と評価した上で戦後から一部の有力芸能事務所がタレントを奴隷のように扱っていることが今日まで続いており、そのことで過去の古い制度的慣習やその他の問題が明るみに出ている点を指摘した。", "title": "価値観" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "特記のないものは日本テレビ制作", "title": "出演" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "特記のないものはテレビ朝日制作", "title": "出演" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "特記のないものはTBS制作", "title": "出演" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "特記のないものはテレビ東京制作", "title": "出演" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "特記のないものはフジテレビ制作", "title": "出演" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "大橋巨泉と共演の広告「アサヒ生ビール」は撮影終了後、フライデー襲撃事件の影響で放映されなかった(なお、広告のスナップショットは巨泉の自伝『ゲバゲバ70年!』の中で見る事が可能)。1984年、「スーしませう」のキャッチコピーで発売された「白仁丹」や、ペプシの比較広告をパロディ化した『デミュートサンスター』では企画・演出に関わった。", "title": "出演" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "2007年からロシアCIS地域でPanasonicブランドの薄型テレビの広告に出演。同広告担当者によると、「日本の有名人が単独で海外の国々で広告モデルになるのは初めてではないか」との事。", "title": "出演" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "他多数", "title": "出演" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "連載コラムや著書の文章のほとんどは、本人が多忙であるため、北野武が口述し、それをライターに文章として起こしてもらっている(『コマネチ!2』にて、本人のコメントによる)。", "title": "著作・出版" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "終了", "title": "ネットマガジン" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "ツービート、ぢ・大黒堂名義で発表された作品についてはそれぞれの項目を参照。", "title": "音楽・ゲーム" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "1986年12月に発売され、たけしが監修したファミコン用ソフト『たけしの挑戦状』(タイトー)は「今までにない独創的な発想を入れたい」という意図が反映され、言葉通りその斬新さと理不尽きわまりない内容で多くのユーザーに衝撃を与え、伝説のクソゲーとして名を残すこととなった。たけし自ら、「今までのゲームと同じレベルで考えるとクリアー出来ない」とコメントしている。世界観は極めて退廃的であり、主人公は薄汚れた町並みの中に住む世帯持ちのしがないサラリーマンである。", "title": "音楽・ゲーム" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "多くの書籍などでクソゲーの代表格とされることが多い一方で、過去の名作ランキングでは必ず上位にランクされるほど非常に印象深い作品となり、現在では、「北野映画に通じるところがある」「早すぎたグランド・セフト・オート」など、ゲーム内容を再評価する声もある。", "title": "音楽・ゲーム" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "なお、2016年の第25回東京映画スポーツ映画大賞については発表時には監督賞・北野武(『龍三と七人の子分たち』)と発表されていた。ところが、授賞式では同賞の審査委員長を務める北野が「是枝監督に」と自身が受賞したトロフィーを会場に来ていた是枝裕和監督(『海街diary』で出席)に手渡し、これにより是枝監督が監督賞を受賞することとなった。主催者である東京スポーツの授賞式記事(受賞者一覧)では「監督賞:北野武(「龍三と七人の子分たち」)→是枝裕和(「海街diary」)」となっている。", "title": "受賞" } ]
ビートたけしは、日本のお笑い芸人。本名は、北野 武で、漫才師・俳優・映画脚本家・監督としても活動している。 1980年代初頭に起こった漫才ブームで、漫才コンビ・ツービートとして活躍した。社会風刺を題材としたシニカルな笑いで人気を獲得し、テレビ番組『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』などに出演し、それらも大ヒットした。1980年代後半からは俳優として映画やテレビドラマにも出演し、1990年代からは映画の脚本家・監督としても活動している。1989年の『その男、凶暴につき』で映画脚本家・監督デビューし、『ソナチネ』(1993年)では世界的に高い評価を得た。1997年の『HANA-BI』ではベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した。2010年にフランス芸術文化勲章コマンドゥール、2016年にレジオン・ドヌール勲章オフィシエ、2018年に旭日小綬章を受章。
{{半保護}} {{TVWATCH}} {{複数の問題|ソートキー=人|独自研究=2008年3月 |存命人物の出典明記=2010年7月}} {{Infobox お笑い芸人 | 名前 = ビートたけし | 画像 = [[ファイル:Takeshi Kitano 2017.jpg|230px]] | キャプション = [[2017年]][[3月16日]]、[[ゴースト・イン・ザ・シェル (映画)|ゴースト・イン・ザ・シェル]]ワールドプレミア試写会にて | 本名 = {{Ruby|北野|きたの}} {{Ruby|武|たけし}} | ニックネーム=殿{{Efn2|主にたけし軍団。}}<br />ビートさん{{Efn2|主に明石家さんま、島田紳助。}}<br />タケちゃん{{Efn2|主にタモリ、和田アキ子など。}} | 別名義 = マス北野 | 生年月日 = {{生年月日と年齢|1947|1|18}} | 没年月日 = <!--{{死亡年月日と没年齢|yyyy|mm|dd|yyyy|mm|dd}}--> | 出身地 = [[東京都]][[足立区]][[島根 (足立区)|島根]] | 血液型 = [[ABO式血液型|O型]] | 身長 = 168 [[センチメートル|cm]] | 方言 =[[江戸弁]] | 最終学歴 = [[明治大学]][[工学部]]<br />(現:[[明治大学大学院理工学研究科・理工学部|理工学部]])<br />機械工学科除籍<br />(のちに特別卒業認定) | 師匠 = [[深見千三郎]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20211203-3IO23HDFYNOBBPBE7JDGOXW6AQ/|title=柳楽優弥、たけし役に挑戦 ネトフリ映画「浅草キッド」|publisher=産経ニュース|date=2021-12-03|accessdate=2021-12-03}}</ref><br />[[松鶴家千代若・千代菊]] | 出身 = [[浅草フランス座]] | コンビ名 = [[ツービート]] |トリオ名= | グループ名 = 亀有ブラザーズ→北千住ブラザーズ | 相方 = [[ビートきよし]] | 芸風 = [[漫才]](ツッコミ→ボケ) | 立ち位置 = 左 | 事務所 = [[T.Nゴン]] | 活動時期 = [[1972年]] - | 同期 = [[笑福亭鶴瓶]]<br />[[志村けん]] | 現在の代表番組 = [[ビートたけしのTVタックル]]<br />[[世界まる見え!テレビ特捜部]]<br />[[奇跡体験!アンビリバボー]] | 過去の代表番組 = [[オレたちひょうきん族]]<br />[[スーパージョッキー]]<br />[[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]]<br />[[ビートたけしのスポーツ大将]]<br />[[痛快なりゆき番組 風雲!たけし城|風雲!たけし城]]<br />[[ビートたけしのお笑いウルトラクイズ]]<br />[[平成教育委員会]] | 他の活動 = {{Hlist-comma|[[脚本家]]|[[映画監督]]|[[大学教授]]|[[歌手]]|[[芸術家]]|[[作家]]|編集家}} | 配偶者 = | 親族 = [[北野大]](兄) | 弟子 = [[たけし軍団]] | 公式サイト = {{URL|https://takeshi-kitano.jp/}} | 受賞歴 = '''[[旭日小綬章]]'''([[2018年]]) |国籍={{JPN}}}} {{ActorActress | 芸名 = 北野 武 | ふりがな = | 主な作品 = '''脚本・監督'''<br />『[[その男、凶暴につき]]』<br />『[[あの夏、いちばん静かな海。]]』<br />『[[ソナチネ (映画)|ソナチネ]]』<br />『[[キッズ・リターン]]』<br />『[[HANA-BI]]』<br />『[[菊次郎の夏]]』<br />『[[BROTHER (映画)|BROTHER]]』<br />『[[座頭市 (2003年の映画)|座頭市]]』<br />『[[TAKESHIS']]』<br />『[[龍三と七人の子分たち]]』<br />『[[アウトレイジ (2010年の映画)|アウトレイジ]]』シリーズ<br />『[[首 (北野武)#映画|首]]』<hr />'''出演'''<br />『[[戦場のメリークリスマス]]』<br />『[[夜叉 (映画)|夜叉]]』<br />『[[教祖誕生]]』<br />『[[JM (映画)|JM]]』<br />『[[GONIN]]』<br />『[[御法度 (映画)|御法度]]』<br />『[[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]]』<br />『[[血と骨#映画|血と骨]]』<br />『[[MOZU#映画|劇場版 MOZU]]』 | 東京国際映画祭 = '''特別賞'''<br />[[第27回東京国際映画祭|2014年]] 世界の映画界への長年に渡る貢献に対して | ヴェネツィア国際映画祭 = '''[[金獅子賞]]'''<br />[[第54回ヴェネツィア国際映画祭|1997年]]『[[HANA-BI]]』<br />'''[[銀獅子賞|銀獅子賞(監督賞)]]'''<br />[[第60回ヴェネツィア国際映画祭|2003年]]『[[座頭市 (2003年の映画)|座頭市]]』<br />'''[[監督・ばんざい!賞]]'''<br />[[第64回ヴェネツィア国際映画祭|2007年]]『[[監督・ばんざい!]]』 | 日本アカデミー賞 = '''最優秀編集賞'''<br />[[第27回日本アカデミー賞|2003年]]『座頭市』<br />'''話題賞'''<br />[[第9回日本アカデミー賞|1985年]]『[[哀しい気分でジョーク]]』<br />[[第13回日本アカデミー賞|1989年]]『[[その男、凶暴につき]]』 | ブルーリボン賞 = '''作品賞'''<br />1991年『[[あの夏、いちばん静かな海。]]』<br />1998年『HANA-BI』<br />'''監督賞'''<br />1991年『あの夏、いちばん静かな海。』<br />1996年『[[キッズ・リターン]]』<br />1998年『HANA-BI』<br />'''主演男優賞'''<br />1998年『HANA-BI』<br />'''助演男優賞'''<br />1985年『[[夜叉]]』 | ヨーロッパ映画賞 = '''非ヨーロッパ映画賞'''<br />1997年『HANA-BI』 | その他の賞 = '''[[芸術選奨文部科学大臣賞]]'''<br />[[1998年]]『HANA-BI』<hr>'''[[アジア・フィルム・アワード]]<br />監督賞'''<br />[[2012年]]『[[アウトレイジ ビヨンド]]』 }} [[File:Takeshi_Kitano_Signature.svg|thumb|サイン]] '''ビートたけし'''([[1947年]]〈[[昭和]]22年〉[[1月18日]]<ref name="djmeikan">{{Cite book|和書|title=DJ名鑑 1987|publisher=[[三才ブックス]]|date=1987-02-15|pages=131|id={{NDLJP|12276264/66}}}}</ref> - )は、[[日本]]の[[お笑い芸人]]。本名は、'''北野 武'''(きたの たけし)で、[[漫才|漫才師]]・[[俳優]]・[[映画]][[脚本家]]・[[映画監督|監督]]としても活動している。 [[1980年代]]初頭に起こった[[漫才ブーム]]で、[[漫才]]コンビ・[[ツービート]]として活躍した。社会風刺を題材としたシニカルな笑いで人気を獲得し、[[テレビ番組]]『[[THE MANZAI (1980年代のテレビ番組)|THE MANZAI]]』『[[オレたちひょうきん族]]』などに出演し、それらも大ヒットした。1980年代後半からは[[俳優]]として[[映画]]や[[テレビドラマ]]にも出演し、1990年代からは映画の脚本家・監督としても活動している。[[1989年]]の『[[その男、凶暴につき]]』で映画脚本家・監督デビューし、『[[ソナチネ (映画)|ソナチネ]]』(1993年)では世界的に高い評価を得た。1997年の『[[HANA-BI]]』では[[ヴェネツィア国際映画祭|ベネチア国際映画祭]][[金獅子賞]]を受賞した。2010年に[[芸術文化勲章|フランス芸術文化勲章]]コマンドゥール、2016年に[[レジオンドヌール勲章|レジオン・ドヌール勲章]]オフィシエ、2018年に[[旭日章|旭日小綬章]]を受章。 == 概要 == [[東京都]][[足立区]][[島根 (足立区)|島根]]出身。[[東京都立足立高等学校]]を卒業し、[[明治大学]][[工学部]](現[[明治大学大学院理工学研究科・理工学部|理工学部]])[[機械工学]]科を除籍(のちに特別卒業認定<ref>{{Cite web|和書|title=お知らせ(広報部)/大学案内/明治大学|url=https://www.meiji.ac.jp/koho/information/pr/topics/topic040908.html|website=www.meiji.ac.jp|accessdate=2021-01-28}}</ref>)。[[東京芸術大学]]大学院映像研究科特別教授(2005年 - 2008年)。 [[明石家さんま]]、[[タモリ]]と共に、日本の「[[ビッグ3 (日本のお笑いタレント)|お笑いBIG3]]」として知られる<ref>{{Cite news|title=「お笑いビッグ3」がトップに君臨し続けた30年。日本のお笑い界は「停滞」したのか?|newspaper=HUFFPOST|date=2019-04-29|url=https://www.huffingtonpost.jp/entry/heisei-owarai_jp_5cc55829e4b0fd8e35bd452e|accessdate=2021-08-18|author=ラリー遠田}}</ref>。 映画監督時や『[[平成教育委員会]]』などの番組では本名の「'''北野武'''」名義を用い、その他の番組、映画で出演するときは「'''ビートたけし'''」の芸名でタレント活動している。これに関しては、2010年5月9日放送の『平成教育委員会』にて、「アカデミックな場所では『北野武』または『マス北野』、芸人として出る時は『ビートたけし』で使い分けている」との旨を述べた。日本国外では基本的に本名である『Takeshi Kitano』であるが、『Beat Takeshi Kitano』という、本名と芸名を併せた名義を使うこともある。また、絵画では「'''ビートたけし・北野武'''」名義を使用する。 [[落語立川流]]Bコースの一員で、高座名は「立川錦之助」{{Efn2|たけしがファンであった初代[[萬屋錦之介|中村錦之助]]に因む。}}。近年は落語を口演する際、[[立川談春]]から一字もらい「立川梅春」を名乗っている。 == 来歴 == === 生い立ち === [[塗装職人]]の父・北野菊次郎(1899年{{Efn2|旧姓正端菊次郎 浅草生まれ。1925年8月叔母北野うしと養子縁組、北野姓になる。同月さきと結婚<ref name="Family">{{Cite web|和書|url=https://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/1022112 |title=ファミリーヒストリー 2016/12/21(水)19:30 の放送内容 ページ1 |work=TVでた蔵 |publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]] |accessdate=2022-01-10}}</ref>。}} - 1979年)と、母・北野さき(1904年{{Efn2|旧姓小宮さき 千葉県市原市五井生。1923年1月に北野うしの実子である徳次郎と結婚。同年8月徳次郎急逝。1925年8月、うしと養子縁組した菊次郎と結婚{{R|Family}}。}} - 1999年)の四男として生まれる(幼少時に早逝した兄が一人いるため、実質は三男として育つ)。「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」との願いから、「'''武'''」と命名された。 『[[平凡パンチ]]』1978年11月13日号のインタビュー記事では「[[浅草]]に生まれて、[[下町]]に育った」と語っており、1982年「[[週刊サンケイ]]」の[[小林信彦]]との対談でも「生まれたのは浅草([[台東区]])で、すぐ移って、物心ついた時には足立区にいたんです」と話している<ref>「週刊サンケイ」 1982年1月7日・14日号、64頁</ref>。 色白で細面、小柄であるが俊敏で友人からは「ターチ」と渾名された。兄姉とは年が離れていたため、祖母の[[北野うし]]に非常に可愛がられて育った(家族構成は、[[#親族|「親族」]]節を参照)。母親からは厳しく接せられた。 === 高校時代まで === 足立区立梅島第一小学校に入学。教育熱心であった母の薫陶が功を奏し、成績は優秀で、特に[[算数]]と[[図画工作]]が得意であった。 小学校卒業後は、母親が進学校を希望したため、近隣の中学ではなく、遠く離れた[[足立区立第四中学校]]へ越境入学した。 中学校卒業後は[[東京都立足立高等学校]]に入学した。 小学校から中学校、高等学校にわたって[[学生野球|野球部]]に所属(高校では[[軟式野球]]部)したが、高等学校在学中に[[ヨネクラボクシングジム|ヨネクラジム]]で[[ボクシング]]も習っていたという。 なお、演芸場時代は、漫才師の野球チーム「メダトーズ」に加入していた。また未成年時代に飲酒していたことも自身の著書で明かしている。 === 大学時代 === 1965年に高校を卒業し、母親の薦めで、[[明治大学]]工学部(後の[[明治大学大学院理工学研究科・理工学部|理工学部]])機械工学科に現役合格し入学した。同級生には[[星野仙一]]がいる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.daily.co.jp/opinion-d/2018/01/07/0010877175.shtml|title=【芸能】星野氏「先の時間は決まっている」 昨夏、たけしとの対談後に明かした言葉|publisher=デイリースポーツ online|date=2018-01-08|accessdate=2022-10-20}}</ref>。 しかし大学での生活には適応できず、[[五月病]]を患うようになり、大学2年の時には、家出同然に一人暮らしを始め、東京都[[新宿区]]の界隈で当ての無い日々を送るようになる。 [[学生運動]]にも参加したが熱心ではなく、[[ジャズ]]に傾倒する。「LeftyCandy」や「新宿ACB(アシベ)」、名曲喫茶「[[風月堂 (東京都新宿区)|風月堂]]」などに入り浸った。また、[[ジャズ喫茶]]のボーイもしていて、ジャズの見識は一部で有名であった。東京都新宿区にあるジャズ喫茶「ビザール」では、[[若松孝二]]、[[小水一男]]らと知り合う。また「ビザール」のボーイの後輩に[[萩原朔美]]がいた。ヴィレッジヴァンガード<!--[[Wikipedia:削除依頼/ヴィレッジヴァンガード (東京都新宿区)]]-->で、遅番のボーイとして働いていた時は[[永山則夫]]が早番のボーイとして働いていた。「ジャズ・ビレッジ」の壁に書かれていた文章「強く生きよと母の声、死ねと教えし父の顔、何のあてなき人生なり」が心に残ったとのこと{{Efn2|後年、これに続けて「死に場所探して生きるもよし」と加えた詞を作り、『死んだ犬』として発表した(作曲:[[泉谷しげる]])}}。 この頃は青春の葛藤期でもあり、友人の下宿に居候しアルバイト三昧であった。ジャズ喫茶のボーイ<ref name="mikata">{{Cite web|和書|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/mikata/backnumber/130426.html|title=たけしのニッポンのミカタ!(2013年4月26日放送分)|publisher=テレビ東京|accessdate=2013-06-26}}</ref>以外に、菓子の計り売り{{R|mikata}}、実演販売員{{R|mikata}}、ビルの解体工{{R|mikata}}、[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]]のボーイ{{R|mikata}}、[[東京国際空港]]での荷卸し{{R|mikata}}、タクシー運転手{{R|mikata}}、ガソリンスタンド店員{{R|mikata}}を転々とする。東京国際空港の荷役作業ではジャズ喫茶の常連客であった[[中上健次]]が先輩におり、共に[[ガルーダ・インドネシア航空]]の荷役として働いていた<ref>[[笑っていいとも!]][[テレフォンショッキング]](2012年10月1日放送分)</ref>。後に通訳になろうと思い立ち、留学費用を稼ぐ目的でタクシーの運転手を務めるも半年で退社、ガソリンスタンドでアルバイトをした。この間、若松との縁で『新宿マッド』『腹貸し女』など、幾つかの[[若松プロダクション|若松プロ]]初期作品に端役ながら出演したり{{Efn2|小水は『[[ほしをつぐもの]]』(1990年)で、若松は『[[エロティックな関係]]』(1992年)で、再びたけしを撮った}}、学生演劇に参加したが、[[ヴォードヴィル]]のような軽演劇で、舞台役者ではなく構成に携わっていた。 大学は140単位のうち106単位まで取得していたにもかかわらず、結局通学せずに除籍になった。その後、2004年9月7日には明治大学より「特別卒業認定証」(明治大学独自の制度であり、法的な大学卒業とは異なる){{Efn2|100単位以上を取得しながら、何らかの理由で通学できなくなった人物に与える制度。}}および知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を受賞。 === 前座時代 === 学生運動が収束に向かったこともあって、自身も去就を模索する必要に迫られた。芸能に興味はあったが、[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ演劇]]には馴染めず、「理工系なので文学的なものはわからない、しかし演芸なら自分にも理解できるだろう<ref>『[[驚きももの木20世紀]] - 伝説の浅草芸人・深見千三郎と最後の弟子』朝日放送、1996年</ref>」という理由で、いつしか芸人を志望するようになった。ただ、子供の勉学に厳しく大学にまで入らせて芸人の道を志した息子に、母は怒り嘆き、子供の頃から厳しい勉強を強いられて窮屈な思いをしていた武は、これに猛反発。北野家においても、近所の体裁を考えて「芸人を目指した北野家の武」という存在は無かった事になっていた。 1972年夏、東京都台東区浅草にある[[ストリップ (性風俗)|ストリップ]]劇場の[[フランス座|浅草フランス座]]で、芸人見習い志願として[[エレベーターガール|エレベーターボーイ]]を始める。当時、たけしと思しき人物を見た[[井上ひさし]]は「不機嫌そうな青年<ref>ビートたけし『浅草キッド』新潮社〈新潮文庫〉、1992年(文庫版解説) {{ISBN2|978-4101225128}}</ref>」と、その印象を述べている。やがて、同劇場の経営者兼座長であった深見千三郎に師事し、前座芸人・北千太として[[コント]](軽演劇)を学ぶ。初舞台は、痴漢のコント。幕間コントに出演して腕を磨き、芸人として[[タップダンス]]の修業にも励む。座員の多くが深見を近付き難い存在として見ていたが、たけしは物怖じしなかったため、深見から気に入られた。ただ、深見は一般の場所でも唐突にギャグ(ボケ)を連発、間髪入れずに師を即興で罵倒という技術を仕込まれ、この特異な芸の仕込みに北野は深見に四六時中振り回される形となり芸を習得、模索する事になる。この指導もあり、舞台では[[即興|アドリブ]]を駆使し、言葉の拾い方に独特の斬新さがあったため一目置かれ、後に誕生する漫才コンビ・ツービート独自の芸風の基礎として取り入れられ漫才ブームで駆使し一気に開花する。当時は、フランス座の四畳間の屋根裏部屋で寝泊りをしていた。 長じて、フランス座の新人芸人とコントコンビを組むことを考える。舞台(コント)が活動の主軸を旨としていた深見は、漫才での活動を望んだ弟子の北野を即刻破門(後に解除){{Efn2|これにより芸人としての師弟関係は途絶するが、個人的な付き合いは継続していた。また、引き続き、フランス座の屋根裏部屋に住むことが許される。深見の下に立ち寄った北野に対して「タケ手前、馬鹿野郎、何しに来やがった! ラーメンでも食っていくか?」と粗雑ながら甲斐甲斐しくもてなされていた。}}、漫才を主軸に活動の場を放送媒体に移す。 === ツービート結成 === {{Main|ツービート}} コントでの芸能界デビューを模索した一方、フランス座に出入りしていた2年先輩の兼子二郎(のちの[[ビートきよし]])から漫才コンビを組むよう誘いを受けた。コントにこだわったたけしは漫才に慎重であったが、当時フランス座は経営難で、給料の支払いすら事欠くようになっていたことや、コントコンビを組む予定であった相方の病気もあり、また、背広一つで稼ぐことができる漫才に魅力を感じていたことから、[[松鶴家千代若・千代菊]]門下の漫才コンビ「松鶴家二郎・次郎」の次郎として舞台に上がることを了承した。深見からは引き続きフランス座の屋根裏部屋で住むことが許された。 当初は兼子がツッコミの正統派の掛合い漫才で全く芽が出ず、フランス座にいた頃よりも貧窮した。きよしが一時[[コロムビア・ライト]]の付き人をして生活を凌いでいたため、その縁で'''空たかし・きよし'''([[コロムビア・トップ・ライト]]の一門は皆「青空」の家号を名乗るが、片方だけが弟子なので「空」だけとなった)と名乗って興行に出たこともあった。また、当時はツッコミ担当で、ネタはきよしが作成していた。東京都外の[[キャバレー (風俗)|キャバレー]]周りの営業なども行ったが、たけしは酔客相手の仕事を嫌い、出番をすっぽかしたり、酩酊して舞台に上がることが多かった。また店を誹謗したり客や[[ホステス]]に喧嘩を吹っ掛けため度々舞台から降ろされた。そのため兼子は場繋ぎに使う奇術ネタを用意していたという。そしてこの頃から「暴走ネタ・危険ネタ」へシフトしていき、ボケとツッコミの役割も入れ替わった。 紆余曲折の後、2人はコンビ名を「'''ツービート'''」へと変更し、たけしは「'''ビートたけし'''」、兼子は「ビートきよし」を芸名とした。 その頃、大阪府で頭角を現して来た[[B&B (お笑いコンビ)|B&B]]のスタイルに触発され、ツービートもスピードを早めて喋りまくるスタイルへ変貌した。それに呼応するように、服装も[[タキシード]]に[[蝶ネクタイ]]から[[アイビールック|アイビー・ルック]]へ変更することで、古臭い漫才師の様式から脱却を図った。当初ツービートは、代演で[[浅草松竹演芸場|松竹演芸場]]の舞台に上がっていたが、支配人に認められてからは出演回数も安定するようになる。毒舌の限りを尽くした掟破りのたけしのツッコミネタもさることながら、[[ボーイズ (演芸)|ボーイズグループ]]の楽器を拝借して現れたり、座布団の上に座って漫才を行ったり、型破りな舞台が多いため、他の芸人が観に行ってしまうので「ツービートが漫才を始めると楽屋が空っぽになる」と評判になった。 === 漫才ブームまで === 演芸場での人気とは裏腹に、その破壊的な芸風は一部の関係者に受け入れられず激しい抑圧を受け、漫才協団から脱退を求める声すら起きたという<ref>ビートたけし『午前3時25分!』 『平凡パンチ』平凡出版株式会社、1983年 {{ISBN2|978-4900416000}}</ref>。1976年協団が主催する[[NHK新人演芸大賞|NHK新人漫才コンクール]]にツービートは3年連続で出場したが最優秀賞を獲得することは出来なかった。 1978年、東京都新宿区[[高田馬場]]にある芳林堂書店前で持ちネタの全てを披露する「マラソン漫才・ツービート・ギャグ・デスマッチ」なる漫才ライブを開催したが、この企画をした[[高信太郎]]との繋がりでたけしも、[[高平哲郎]]や[[赤塚不二夫]]、タモリなどと一時期交友関係を持った。その後、「酒を飲んで軽いジョークを言いあったりする、あのシャレた笑い」が肌に合わず、自ずと距離を置くこととなった。 9月12日、父の菊次郎が死去<ref name="Family_II">{{Cite web|和書|url=https://datazoo.jp/tv/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%92%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/1022112/2|title=ファミリーヒストリー 2016/12/21(水)19:30 の放送内容 ページ2 |work=TVでた蔵 |publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]] |accessdate=2022-01-10}}</ref>。 11月、『[[花王名人劇場]]』([[関西テレビ放送|関西テレビ]] 企画:[[澤田隆治]])において、人気落語家・[[月の家圓鏡|月の家円鏡]](8代目・[[橘家圓蔵 (8代目)|橘家圓蔵]])の共演者に抜擢される。古典派から「[[邪道]]」と言われた円鏡と、「邪道漫才師」ツービートを競演させ、「円鏡 VS ツービート」と銘打って放送されたこの企画が好感触を得たことで、「花王名人劇場」での「[[激突!漫才新幹線]]」制作への布石となり、後の漫才ブームへ繋がった。 === 漫才ブーム === 1980年からの漫才ブームでは、ツービートは毒舌漫才と毒舌ネタを売り物に、B&Bや[[ザ・ぼんち]]等と共に一躍知名度を上げた。 速射砲さながらに喋りまくるたけしのスタイルや、[[神奈川金属バット両親殺害事件|金属バット殺人事件]]や[[深川通り魔殺人事件]]といった時事性の高い話題をいち早くギャグに取り入れる「不謹慎ネタ」は「'''残酷ギャグ'''」等と批判を受けることもあったが、たけしは「たかが漫才師の言う事に腹を立てるバカ」と言ってのけた。[[日本船舶振興会]]の広告を皮肉って作られた「注意一秒ケガ一生、車に飛び込め元気な子」「気をつけよう、ブスが痴漢を待っている」「寝る前にちゃんと絞めよう親の首」「赤信号みんなで渡れば怖くない」「少年よ大志を抱け。老人よ墓石を抱け」等の一連の標語ネタは「'''毒ガス標語'''」と言われ、ブーム初期の定番ネタとなった。 1980年、2年前から交際していた女流漫才師「ミキ&ミチ」の内海ミキと結婚。 1980年6月、ネタ本『ツービートのわッ毒ガスだ』を発刊し、年末までに約85万部の売上となったが、当初事務所側はせいぜい3万部程度の売り上げと見込み、印税全額を2人が受け取る契約を結んでいたため、大金が転がり込んだという。 [[File:Comaneci 2014-11-28.gif|thumb|right|100px|[[レオタード]]の[[ハイレグ]]を擬した「コマネチ」]] この時期に、ツービートとして出演していた『スター爆笑座』(TBS) の初代司会であった[[せんだみつお]]と楽屋で雑談中に、たけしの代表的ギャグとして知られる「'''[[ナディア・コマネチ|コマネチ!]]'''」のギャグが生まれた<ref>せんだみつお『ナハ』東京書籍、2002年 {{ISBN2|4487797144}}</ref>。 1980年10月、昼の帯番組『[[笑ってる場合ですよ!]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])で、ツービートは火曜日のレギュラーとなった。1982年10月、ブームの終焉と共に番組も終了したが、最終回でたけしは客に対し「何でもゲラゲラ笑いやがって! 本当はお前らみたいな客、大っ嫌いだったんだよ!」と語った(なお、フジテレビからオファーのあった後番組の司会をたけしは断り、代わりに『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』が開始された)。 1982年の夏にはブームは完全に終息し、たけしは「ツービートのたけし」としてではなく「タレント・ビートたけし」として、この頃以降は、単独で司会をする番組を多く持つようになるなどしていった。 === 漫才ブーム以後 === {{See also|#映画監督「北野武」}} 漫才ブームを生き残ったたけしは、自身のスタイルを大きく転換させる。毒舌家というパブリックイメージはそのままに、ネタに依存する消耗度の高い喋りを捨て、[[人格|パーソナリティ]]を軸とした芸風に移行していく。 1981年元旦から[[ニッポン放送]]・[[全国ラジオネットワーク|NRN]]系のラジオ番組『[[ビートたけしのオールナイトニッポン]]』、同年5月からフジテレビ系の『オレたちひょうきん族』がそれぞれ開始される。 1982年から1984年にかけて、番組出演中に弟子志願者(正式な門下は取らない主義の為「ボーヤ」と呼ばれる)が押しかけ、相当の数が集まった事(たけし軍団)から、集団で行うバラエティを模索。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『スーパージョッキー』、TBS『[[笑ってポン!]]』等が始まった。また、博識が評価されて、毎日放送『[[世界まるごとHOWマッチ]]』等で文化人的な出演要請も増えた。 * スーパージョッキー(日本テレビ) * 天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ) * ビートたけしのスポーツ大将([[テレビ朝日]]) * 痛快なりゆき番組 風雲!たけし城 (TBS) * [[OH!たけし]](日本テレビ) * 世界まるごとHOWマッチ([[毎日放送]]) * オレたちひょうきん族(フジテレビ) * オールナイトニッポン(ニッポン放送) 上記は、1985年当時のレギュラー番組すべてであるが、このうち日本テレビ、テレビ朝日、TBS、フジテレビの20時台番組ですべて最高視聴率をマークした。なお、『たけし城』『元気TV』『スポーツ大将』は、全て実質ビートたけし本人の企画・構成によるものである。 その他、放送以外に歌手としてのレコードリリースとライブ活動、文学小説の出版、[[ファミリーコンピュータ]]のゲーム企画も行った。この頃より、タモリ・明石家さんまと共に、「日本のお笑いタレントBIG3」と称されることとなった。 1986年12月、たけしが交際していた女性へ、[[講談社]]の[[週刊誌]]「[[FRIDAY (雑誌)|FRIDAY]]」の記者が強引な取材によって傷害を与えた。その報復として北野はたけし軍団の一部の軍団員とともに[[フライデー (雑誌)|FRIDAY]]の編集部を襲撃し、[[住居侵入罪]]・[[器物損壊罪]]・[[暴行罪]]の容疑で警察に現行犯逮捕された。この事件によって写真週刊誌の行き過ぎた取材が問題視され、当時の[[内閣官房長官]]([[後藤田正晴]])が言及するなどの社会現象になった。{{Main|フライデー襲撃事件}} 近年は漫才を披露する事は少なくなったが、かつて『[[北野ファンクラブ]]』では[[島田洋七]]とのコンビ「B&Beat」で、稀に弟子のライブに飛び入りで相方ビートきよしとの「ツービート」として、漫才を披露することがある<ref>『とんねるずのみなさんのおかげでした』フジテレビ系列 2010年9月30日放送など</ref>。 2014年10月27日、約30年ぶりとなる単独ライブを渋谷の[[CBGKシブゲキ!!]]にて開催。ライブのタイトルは「たけしが毎週[[新・情報7DAYS ニュースキャスター|ニュースキャスター]]の楽屋で、[[朝ズバッ!]]なんかで使ったパネルを勝手に拝借して、[[落書き|イタズラ書き]]をしてはニュースキャスター後の[[S☆1|S1]]で[[TBSテレビ|TBS]]に来ていた、[[爆笑問題]][[田中裕二 (お笑い芸人)|田中]]の楽屋にそっと置いていたパネルが溜まったのでテレビでお披露目しようとしたら、どこの局からも相手されなくて、仕方なくLIVEでお披露目することになった、たけし的スライドショーなLIVE」<ref>{{Cite web|和書|url=http://office-kitano.co.jp/newspost/11608 |title=10/27(月) ビートたけしライブ 開催決定! |accessdate=2015-06-10 |date=|work=オフィス北野公式ページ |publisher=[[オフィス北野]] |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170728134927/http://office-kitano.co.jp/newspost/11608|archivedate=2017-07-28}}</ref>。約200席のプレミアライブは約1分で即完売となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rbbtoday.com/article/2014/10/27/124825.html |title=ビートたけし、"ほぼ単独"ライブ開催……前説のダイノジ大谷が緊張 |accessdate=2015-06-10 |date=2014-10-27 |work=RBB TODAY |publisher=[[イード (企業)|イード]] }}</ref>。 === 映画監督としての経歴 === 『その男、凶暴につき』(1989年)は、監督:[[深作欣二]] 主演:ビートたけしで映画化を予定し、配給の[[松竹]]は両者の間で交渉を進めたが、スケジュールや条件で合致せず、深作が辞退した。そこで松竹は人物的魅力と話題性から、たけし(以下、映画の項目では映画監督での活動名(本名)での「北野」で表記)に監督を依頼したところ、テレビの仕事と両立させることを前提として承諾。1週間おきの撮影という珍しい形態が採用された。<ref>https://contentsbusiness.wordpress.com/2017/02/12/%E5%A5%A5%E5%B1%B1%E5%92%8C%E7%94%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC/2/</ref>映画監督・北野武としてのデビュー作『その男、凶暴につき』は、1989年に予定通り公開された。この時のことを後年[[関根潤三]]の著書の推薦文で「(映画監督について)あんなに大変な仕事はあるのかと思った。」と述べている。 その後、1990年に公開された監督2作目となる『[[3-4X10月]]』からは脚本も兼任し、映画監督としての本格的な活動を開始する。興行的成功は中々出なかったが、[[黒澤明]]や[[淀川長治]]、[[蓮實重彦]]といった日本映画の重鎮からは作風を高く評価される。また、1993年の『[[ソナチネ (映画)|ソナチネ]]』では[[カンヌ国際映画祭]][[「ある視点」部門]]や[[ロンドン映画祭]]に招待され、海外でも高い評価を獲得する。 1996年には『[[キッズ・リターン]]』を発表。バイク事故からの復活を印象付け、[[カンヌ国際映画祭]]監督週間部門にも招待される。 1997年、映画『[[HANA-BI]]』が、[[第54回ヴェネツィア国際映画祭]]で日本作品として40年ぶりとなる金獅子賞を受賞した。発表直後、たけしは「異分野出身者でも大きな賞を取れると示すことができ、これから映画を目指す者に刺激になったと思う」と語った。授賞式では「今度またイタリアと組んでどこか攻めよう」「Let's try again with Italia and go to some country to war」と日英両語でスピーチ<ref>[[田丸公美子]] 『パーネ・アモーレ イタリア語通訳奮闘記』 [[文藝春秋]]</ref>。帰国時の記者会見で、現地の土産物屋で購入した金獅子像のミニチュア(約280円)を披露して、笑いをとった。 [[第52回カンヌ国際映画祭]]コンペティション部門に正式参加した映画『菊次郎の夏』で、約5分間の[[スタンディングオベーション]]を受けた。 2003年には『[[座頭市 (2003年の映画)|座頭市]]』が[[第60回ヴェネツィア国際映画祭]]コンペティション部門に出品され、監督賞にあたる[[銀獅子賞]]を受賞。さらに北米最大の映画祭である[[トロント国際映画祭]]でも最高賞にあたる観客賞を日本映画として初めて受賞し、北野映画としては異例となる国内外でのヒットを記録した。 2005年4月、フランスの『[[カイエ・デュ・シネマ]]』創刊600号記念号の特別編集長を務める。カイエ・デュ・シネマは300号から100号毎に映画人を編集長に招いて記念号を発行しており、過去に記念号の編集長を務めた映画監督は、[[ジャン=リュック・ゴダール]]{{Efn2|「ここ4、5年、私が素晴らしいと思っている、北野武の映画があります。『HANA-BI』という作品です。私が『HANA-BI』を好きなのは、それが日本映画だからではなく、普遍的な映画だからです。そこに登場するほとんどの人物たちが一重瞼の細い目をしていることに気づかないほど、普遍的な映画だと思います」と言及された事がある(『週刊読書人』 2002年11月22日号)}}(300号)、[[ヴィム・ヴェンダース]](400号)、[[マーチン・スコセッシ]](500号)などがいる。 2005年4月、東京芸術大学で新設された大学院映像研究科の特別教授および映画専攻長に就任(〜2008年。なお、監督領域の教授は北野と黒沢清の2名)。北野大も淑徳大学教授であったので、兄弟で教授となった。 2007年5月、カンヌ国際映画祭60周年特別記念企画「To Each His Own Cinema」(それぞれのシネマ)に世界5大陸25ヶ国から選出された35名の著名な映画監督の中で唯一の日本人として名を連ねた。 2007年8月、第64回ヴェネツィア国際映画祭にて、たけしの映画監督作『監督・ばんざい!』に基づき「監督・ばんざい!賞」が新設され、表彰式に出席した。 2008年6月19日、第30回モスクワ国際映画祭で「特別功労賞」 (Life-time Achievement Award) を受賞。2003年の[[新藤兼人]]に次ぐ2人目の日本人受賞者となった。20日の会見では「ロシアの人は自分(北野)を過大評価している」「数々の芸術家が出ているロシアで表彰されるのは恥ずかしい」と語った。 2010年3月9日、フランス芸術文化勲章の一つであるコマンドゥール章を受章。13日の帰国会見では勲章の披露の前に、自身が作った「[[2010年バンクーバーオリンピック|バンクーバー]]」と書かれた金メダルを出すボケを行い、笑いをとった。 2011年秋公開予定であった『アウトレイジ2』について「[[宮城県]]」で[[クランクイン]]の準備をしていたら「[[東日本大震災]]」に遭遇しロケが取り止めとなり「6000万円以上損害が出た」と語っている<ref>TVタックルより</ref>。なお『アウトレイジ2』は、舞台を[[神戸市]]に移して『[[アウトレイジ ビヨンド]]』として、2012年10月6日に公開。 2016年、[[アカデミー賞]]を主催する[[映画芸術科学アカデミー|米映画芸術科学アカデミー]]よりライター部門での会員候補に選定された。 == 映画監督としての特徴 == [[File:Takeshi Kitano Leone D'oro.jpg|thumb|right|200px|『HANA-BI』が第54回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞]] [[File:TakeshiKitano.jpg|thumb|right|200px|[[第53回カンヌ国際映画祭]](2000年度)にて]] たけしは幼少期ほとんど映画を観ておらず、[[黒澤明]]との対談では『[[力道山物語]]』『[[二等兵物語]]』『[[鉄道員 (1956年の映画)|鉄道員]]』しか観たことがないと話している。また、黒澤は北野の映画作品を(作中に)余計なものがないから好きだと評価している。 === 撮影に関するエピソード === [[大森南朋]]はたけしについて「説明が無いまま始まる恐怖がいつもあります」と話している。 たけしの作品『[[アウトレイジ 最終章]]』の撮影中、大森は撮影当日、現場でマシンガンが傘に刺さっているのを知ったので「そういうことなのか」と思い、たけしがいない間に傘越しに撃つ練習をした。ところが、そのエピソードを聞いていた北野は「おいらは漫才出身だからね」と涼しい顔をしており、さらに「だから、テストを重ねた方が役者に芝居が入っていくという道理がわからない。それに漫才は一発目が勝負で、やればやるほどネタを知っている客は笑わなくなるから、北野組でもその新鮮さを求めるやり方を踏襲して、特に指示も出さずにいきなり『どうぞ(やってください)』って言うんですよ(笑)」と笑った。[[大杉漣]]はその緊張感ある北野映画の撮影現場で貧血を起こして倒れたことがある<ref>[https://www.cinematoday.jp/news/N0095020 俳優がぶっ倒れた!北野映画、緊張感を生む一発勝負の理由]シネマトゥデイ2017年10月6日(2017年10月9日閲覧)</ref>。 === 北野映画の特徴 === 北野映画の特徴として以下のようなものが挙げられている<ref>[https://web.archive.org/web/20120908200833/http://allabout.co.jp/gm/gc/207158/2/ 2/4 映画監督 北野武 [映画&#x5D;All About<!-- Bot generated title -->]</ref>。 * 青を基調とした映像「キタノブルー」。 * 歩くシーンが多い。 * セリフが少ない(逆に言えば必要最低限のセリフで映画を成立させている)。 * [[四コマ漫画]]の連続性。 * 瞬発的殺戮・秒殺・加減のない暴力描写のリアリズム。観客が想像する前に事が行われる恐怖。 * たけしの口癖である「馬鹿野郎」もしくは「この野郎」というセリフが、映画内で多用されている。 * 緊張の中に突如織り込まれるギャグ。 自らの映画作品に暴力団が登場することについては「暴力団を賛美した表現をしたことはなく、拳銃を使った人間は幸せになれないようなシナリオにしている」と述べている<ref>『週刊文春』2011年9月29日号「ビートたけし「暴力団との交際」すべて語った」</ref>。 === キタノブルー === 「北野映画」のビジュアル面での特徴として、画面全体のトーン、小道具の色などに青が頻繁に使われるというものがあり、気品があるとして「'''キタノブルー'''」と呼ばれる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tv-asahi.co.jp/ss/111/yougo/top.html|title=キタノヨウゴ|work=[[SmaSTATION]]|publisher=テレビ朝日|language=日本語|accessdate=2010-12-25}}</ref>。特に『ソナチネ』など中盤までの作品において顕著で、ヨーロッパで高い評価を得た。突然の雨により画面が青一色になったのがきっかけとされる。極力余計な色を使用しないようにしていたことから、以降青を意識するようになったという<ref>『キネマ旬報増刊5月10日号フィルムメーカーズ[2]北野武』1998年2月3日号、p.132-135</ref>{{Efn2|柳島撮影監督、高屋照明監督へのインタビュー}}。ただし『[[Dolls (映画)|Dolls]]』からはキタノブルーの傾向は薄れている。 また、このキタノブルーには[[ジャン・ポール・ベルモンド]]主演の『[[いぬ (映画)|いぬ]]』に[[アラン・ドロン]]主演の『[[サムライ (映画)|サムライ]]』や『[[仁義 (映画)|仁義]]』、[[リノ・ヴァンチュラ]]主演の『[[ギャング (1966年の映画)|ギャング]]』『[[影の軍隊]]』などで知られる[[フランス映画]]の巨匠[[ジャン=ピエール・メルヴィル]]の影響を強く受けており、とりわけ『サムライ』以降の「メルヴィル・ブルー」が強い後期の作品の影響が濃い。「メルヴィル・ブルー」以外にも歩くシーンが多いやセリフが少ない、唐突に訪れるリアルな暴力や死、省略演出の多用もメルヴィルからの影響を強く受けており<ref>[[古山敏幸]]『映画伝説ジャン=ピエール・メルヴィル』10-11p、119-121p</ref><ref>『[[映画秘宝]]』2013年08月号の104p-105pの[[町山智浩]]「男の子映画道場」での『サムライ』『仁義』『いぬ』『影の軍隊』</ref>、自著でも特に『サムライ』を絶賛している<ref>『ビートたけしのおまえの不幸には、訳がある!―たけしの上級賢者学講座(新潮文庫)』</ref>。 メルヴィル作品『ギャング』のリメイク版である『[[マルセイユの決着]]』が2008年に日本で公開された際のプレスシートには、たけしによるメルヴィルを絶賛する旨のコメントが掲載された。 2016年10月にレジオン・ドヌール勲章の「オフィシエ」を受章した際、授与式で『サムライ』の主演のアラン・ドロンの息子の[[アントニー・ドロン]]と対面している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3105933?pid=18423338|title=北野武がレジオン・ドヌール勲章を受章、パリで叙勲式|accessdate=2021-12-19}}</ref>。 === 映画観 === 「究極の映画とは、10枚の写真だけで構成される映画であり、回ってるフィルムをピタッと止めたときに、2時間の映画の中の何十万というコマの中の任意の1コマが美しいのが理想だと思う。例えば女性のヌードを撮影するってのも、ただ裸の女が出てるだけではなく、ストーリーの中で女が脱いでいくというものであり、グラビアは映画の原型みたいなものだと思う」と語っている<ref>『週刊ポスト』2002年2月1日号</ref>。また、「たった1枚の絵画だけで20分も30分もその場に人を釘付けにできるのだとしたら、映画も少ないカットでそういう事ができるのを感覚的に目標にしている」と語っている<ref>『This is 読売』北野武監督対談蓮實重彦 1998年2月号 読売新聞社</ref>。 自らが俳優として数々の作品に出演する際の姿勢として、撮影方針に口出ししないようにしているため、監督を務める際にも撮影方針に意見をする俳優は嫌いだと発言している<ref>{{Cite web|和書|date=2009-11-23|url=https://moviewalker.jp/news/article/10681/|title=北野武監督がズバリ語る、嫌いな俳優&好きな俳優|publisher=Walkerplus|language=日本語|accessdate=2010-12-25}}</ref>。また、有名俳優でも撮影後気に入らないと出演シーンを編集でカットすることもある一方で、大杉漣や[[寺島進]]など北野作品に多く出演したことで名前が知られた俳優もいる。 映画音楽は『Dolls』まで、[[久石譲]]が長期にわたって担当していたが、その後は[[梶浦由記]]や[[鈴木慶一]]を起用している。[[水道橋博士]]によると、久石の起用を止めたのは、映画そのものではなく、音楽が評価されてしまったからだと語っている<ref>[http://cinema-magazine.com/news/1933#浅草キッド、ビートたけしに言いたい放題]MOVIE ENTER 週刊シネママガジン(2009年10月4日)2016年11月24日閲覧。</ref>。 === お笑いタレントと映画監督 === フランスと日本の文化観の違いとして「芸人という立場が映画監督としては悪影響を及ぼす、なんて気はなくて、フランス人の見方は、もっと才能があるんだっていう。この人はまだいろんなことがやれるんだって感じがあって。だからギャング映画撮っても問題ないし、バカバカしいことをやってもそれはそれとして見てくれる。映画は映画、バラエティはバラエティって分けてくれるんで、ありがたい。気が楽になった」とコメントしている。 「日本は漫才師が映画撮った、みたいな雰囲気があって、[[松本人志]]が映画撮ると、"かつて映画を撮ったお笑い人"の中に必ず俺が入っている」と、異業種の人間に対する偏見が強い日本の見方には苦言を呈している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cinemacafe.net/news/cgi/report/2010/03/7843/|title=たけし帰国会見 仏芸術文化勲章最高章は「黒澤さんが貰ったやつ、すげえ」|publisher=cinemacafe.net|date=2010-03-13|accessdate=2016-08-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100315162512/http://www.cinemacafe.net/news/cgi/report/2010/03/7843/|archivedate=2010年3月15日|deadurldate=2017年9月}}</ref>。また、海外メディアが(監督・北野武としての)彼にインタビュー取材を行った際に、彼が映画製作に使う専用のオフィスへ海外メディアクルーを招き、オフィス内部の紹介やインタビューに応じる姿があった。なお、日本のメディアに対してはオフィスは基本的に非公開であったが、世界各国のメディアによるドキュメンタリーを扱った日本のテレビ番組で放送された際に、初めて明かされている。 === 北野武が選ぶ好きな映画10本 === # [[天井桟敷の人々]] ''Children of Paradise''(1945年、監督:[[マルセル・カルネ]]) # [[2001年宇宙の旅]] ''2001:A Space Odyssey''(1968年、監督:[[スタンリー・キューブリック]]) # [[時計じかけのオレンジ]] ''A Clockwork Orange''(1971年、監督:スタンリー・キューブリック) # [[七人の侍]](1954年、監督:黒澤明) # [[L.A.大捜査線/狼たちの街]] ''To Live and Die in L.A.''(1985年、監督:[[ウィリアム・フリードキン]]) # [[ワイルド・アット・ハート]] ''Wild at Heart''(1990年、監督:[[デヴィッド・リンチ]]) # [[ガルシアの首]] ''Bring Me the Head of Alfredo Garcia''(1974年、監督:[[サム・ペキンパー]]) # [[ダークマン]] ''Darkman''(1990年、監督:[[サム・ライミ]]) # [[狂い咲きサンダーロード]](1980年、監督:[[石井岳龍|石井聰亙]]) # [[鉄道員 (1956年の映画)|鉄道員]] ''The Railroad Man''(1956年、監督:[[ピエトロ・ジェルミ]]) == 人物 == [[ファイル:ビートたけしの手形.jpg|thumb|right|[[浅草公会堂]]の手形]] === 特徴 === ビートたけしは自らを「俺」「僕」「オイラ」と呼び、それぞれ場の雰囲気に合わせ使い分けている。「オイラ」は下町・職人言葉の位置づけで、自身が育った島根町が職人街であったことと関連するとしている。かつて足立区の広報誌から受けたインタビューでは、「足立は東京の下町だね。その足立の下町が島根だというの。島根は下町の中の下町。足立の中の足立だって思うんだよね」とコメントした。 たけしの[[物真似|ものまね]]をする際の動作として定番化している頻繁に首をひねる動作(しかし、たけし本人は1990年代以降はあまり見せなくなっている)は癖ではなく、ツービート時代に「トランポリンで飛び跳ねながら漫才をやってくれ」と頼まれ、稽古中に頭から落下してしまい[[頸椎]]を負傷、以後しばらくの年月に渡り首に違和感があったためと『[[週刊ポスト]]』の連載コラムで述べている。 たけしが司会のバラエティ番組などにおいて、他の出演者(主に女優や子供タレント、たけしより先輩のタレント等)がくだらないことを言ったり、話が噛み合わなかったりなどちょっとしたミスをするとたけしの近くにいるタレント(例:「世界まる見え!テレビ特捜部」の[[所ジョージ]])やたけし軍団などの後輩芸人をたけしが[[ピコピコハンマー]]や[[ハリセン]]、[[メガホン]]で叩いて笑いに変えることがある(例:たけし「あいつを何とかしろ!ピコッ!」)。これは、たけしが過去に出演した映画「戦場のメリークリスマス」において、監督の大島渚が、たけしがNGを出した場合、本業が俳優でないたけしへの配慮として助監督が代わりに叱られるというものから来ている(詳しくは[[戦場のメリークリスマス]]の『エピソード』欄を参照)。このたけしのやり方によって、普段はなかなかツッコめない女優や先輩タレント相手または、ロケなどでちょっと離れた場所にいるタレントにも(間接的ではあるが)結果的にツッコむことができるので、このツッコミをマネする芸人もいる。 また番組冒頭で「というわけで(ございましてですね)…」という台詞と同時に司会を始めるたけしのスタイルは、元々は他の出演者に「どういうわけだよ!」とツッコミを貰うためのボケにすぎなかったが、バラエティ番組などで当たり前のように常用されている。 === 芸名(愛称) === 愛称は「'''たけし'''」、多くの芸能人からは「'''たけしさん'''」と呼ばれるが、タモリや[[和田アキ子]]からは「'''たけちゃん'''」、たけし軍団やたけしを慕っている後輩芸人からは「'''殿'''」と呼ばれており{{Efn2|これは風雲たけし城で殿の役をやったことに由来する。}}、所ジョージからは「'''北野さん'''」や「'''おじさん'''」「'''おいさん'''」と呼ばれ、明石家さんまからはたまに「'''おっさん'''」「'''ビート'''」「'''タケ'''」{{Efn2|特に毎年、[[フジネットワーク|フジテレビ系列]]で放送されている、[[FNSの日|FNS27時間テレビ]]が顕著に出ている。}}と呼ばれる。笑福亭鶴瓶からは「'''兄さん'''」とも呼ばれている。 === 主なキャラクター === * '''[[火薬田ドン]]'''([[FNS27時間テレビ]]) * '''殿'''(痛快なりゆき番組 風雲!たけし城) * '''[[鬼瓦権造]]'''(オレたちひょうきん族) * '''[[タケちゃんマン]]'''(オレたちひょうきん族) ※詳細は各項を参照。 === 親族 === * 父・菊次郎の叔母で実質の祖母{{Efn2|もともと母・さきがうしの実子(北野徳次郎)と結婚して北野家に入ったが夫が夭折(1923年8月18日死亡)、その後うしがさきの後添いに甥であった正端菊次郎を連れて結婚にあたって、菊次郎がうしと養子縁組(1925年8月17日)を行ったため{{R|Family}}。}}である北野うし(1873年9月、徳島県徳島市[[通町 (徳島市)|通町]]生れ{{R|Family}})は、明治時代に娘義太夫([[女義太夫]])の花形であった{{R|Family}}。 * 明治大学名誉教授・秋草学園短期大学学長・工学博士でタレントでもある[[北野大]]は兄。 * 元漫才師の[[北野幹子]]と結婚していたが、2019年6月に協議離婚<ref>{{Cite web|和書|title=ビートたけしさんの妻、協議離婚を認める|url=https://www.sankei.com/article/20190614-NFCCQHMCWRLXNERW4JWJP64HFA/|website=産経ニュース|date=2019-06-14|accessdate=2019-06-15|language=ja|first=SANKEI DIGITAL|last=INC|publisher=産経新聞社|quote=タレントで映画監督のビートたけし(北野武)さん(72)の妻、幹子さんは14日、顧問弁護士を通じ、たけしさんと協議離婚したことを発表した。}}</ref>。2020年、たけしのマネジメント業務を行う女性と再婚した<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/02/08/kiji/20200208s00041000075000c.html ビートたけし再婚 "芸能界最高齢級"73歳、8年交際"公私のパートナー"と]</ref>。 * 2016年から飼う愛犬は、[[柴犬]]の雄の「ゴン」(権蔵)。名前の由来はコントで[[#主なキャラクター|鬼瓦権造]]を、[[明石家さんま]]が「ゴンちゃん」と呼んでいたことから<ref>{{Cite interview|language=ja|subject=ビートたけし|date=2021-02-18|interviewer=Keisuke Kagiwada|title=君と歩けば。ビートたけしと愛犬・権蔵|url=https://brutus.jp/kimitoarukeba_beattakeshi/|work=[[BRUTUS]]|publisher=[[マガジンハウス]]|access-date=2023-11-10}}</ref>。「ゴン」の名は、たけしが2018年4月以降所属する事務所「T.Nゴン」の社名に使用されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201803170000636.html |title=たけしが独立語る「何も変わらない」新会社名由来も|newspaper=日刊スポーツ|date=2018-03-17|accessdate=2019-04-14}}</ref><ref>2019年4月13日放送「[[天才!志村どうぶつ園]]」に、ゴンを連れてゲスト出演した。</ref>。 === 友人関係 === * B&Bの[[島田洋七]]とは、漫才ブームが始まる数年前に出会って以来の親友。洋七とは、横山やすしに紹介されたのがきっかけである。洋七とは、「やすしと洋七とたけしが食事にいって、やすしが2人を置いてけぼりにし、2人は夜通し東京までの道のりを歩いて帰った」、「たけしがフライデー事件で謹慎していた際に、洋七と毎日のようにゴルフをしていた」などいくつかのエピソードがある。洋七が芸能界を引退しようとした話を聞いたたけしは、「芸人をやめるなら友達づきあいをやめるぞ!」と洋七を一喝した。洋七は一度は解雇された吉本に頭を下げて復帰を許され、生涯一漫才師を誓い、島田洋八と再びB&Bを復活させ、こつこつと仕事をこなすようになり、その後、「佐賀のがばいばあちゃん」シリーズなどで、再び人気が出るようになった。 ** 一方で洋七の弟弟子である島田紳助との交友は少なく、「漫才ブームの時ぐらいしか知らない」と述べている<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201108280038.html |title=たけし、紳助さん引退「全然分からない」 |newspaper=asahi.com |agency=日刊スポーツ |publisher=朝日新聞社 |accessdate=2011-09-25 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130429154525/http://www.asahi.com/showbiz/nikkan/NIK201108280038.html |archivedate=2013年4月29日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。<!-- 紳助もたけしが『行列のできる法律相談所』に出演した際、長年の芸能生活でたけしと会話を交わしたことはほとんどないと語った。(検証可能性が低いためコメントアウトにて記載) --> * 所ジョージと非常に仲が良く、毎週日曜日に所の遊び場兼事務所である「世田谷ベース」へ遊びに行く。料理が得意な夫人の手料理を肴に、趣味の話などを酒とともに酌み交わすことが楽しみの一つとなっている。 ** 元々、たけし自身も車好きではあったが、所の見立てで[[フェラーリ・599GTBフィオラノ|フェラーリ599]](跳ね馬のエンブレムを自身のギャグであるコマネチポーズをしている馬のエンブレムに作り変えている)や[[フェラーリ・458イタリア|フェラーリ458イタリア]](「成金号」と命名)<ref>[http://celebcar.blog78.fc2.com/blog-entry-608.html 『所ジョージの世田谷ベース 15』] 有名人&芸能人の愛車データベース 2011年2月21日閲覧</ref>、[[ブガッティ・ヴェイロン]]や[[ランボルギーニ・ガヤルド]]<!--(なお、ボディカラーはキタノブルーに塗り替えられている)-->といった高級車を購入したり、[[ポルシェ・911|ポルシェ911]]を、かつて所持していた[[ポルシェ・959|ポルシェ959]]に見立てて改造したポルシェ979K、軽自動車の[[スバル・R1|スバルR1]]や[[スバル・R2|R2]]をベースにフェラーリ風モディファイを加えたフェラリーADACHIKU(足立区)とフェラリーMINAMIURAWA([[南浦和]])をプロデュースするなどしている。 ** たけしが番組などで使った衣装や小道具を世田谷ベースに持ち込み、所と一緒にお遊びでとった写真をベースにして、雑誌『[[FAMOSO]]』が発刊された、その模様を年2回位「[[たけし・所の二人テレビ]]」で放映している。2011年からは「[[所さんの世田谷ベース]]」と似たコンセプトの姉妹番組「[[たけしの等々力ベース]]」がスタート。 * たけし・逸見の平成教育委員会などで共演した[[逸見政孝]]とも親交が深く、その後の逸見家との交流も深い。逸見は「ひょうきん族」で共演したり、「オールナイトニッポン」で逸見のことを話題にするなど、関係があった。「平成教育委員会」で共演したのを契機に交友を深めていく。お笑いBIG3シリーズにおける活躍はもちろん、数学を得意としたたけしと国語・社会は得意であったが数学を苦手としていた逸見、巨人ファンのたけしと阪神ファンの逸見といったように対照的であるがゆえに、お互いにないものを補い合えると認めあう仲であった。逸見からガンの再発で再入院する事実を告げられたたけしは、その日から告別式の日まで酒を断ったという。 * 横山やすしを大変尊敬し、葬儀の時には駆けつけた時には、「雲の上にいるような人だった。やすしさんには芸も色気も敵わない。もう少し漫才を続けてほしかった」とコメントし、やすしの全盛期を懐かしむなど、親交があった。 === エピソード === 芸人として同じ浅草界隈で育った先輩芸人であり、たけしの人気が出た1980年代の漫才ブーム時にはお笑い界のトップに君臨していた[[萩本欽一]]に対し、当時批判的な意見を述べていた。[[コント55号]]の毒のある笑いは好きであったが、萩本が1人で司会をするようになってからのアットホームな笑いや[[ザ・ドリフターズ]]の子供向けの笑いに、自身の目指す笑いとの乖離と今後のテレビ界に危機感を感じたため、「萩本欽一と[[いかりや長介]]を引きずり下ろしたかった、この2人の牙城を崩さない限り、ひょうきん族はありえないと思った。」と語っている<ref>{{Cite news |url=https://news.mynavi.jp/article/20150405-a073/ |title=たけし、ライバルはいかりや長介と萩本欽一「引きずり下ろしたかった」 |publisher=[[マイナビニュース]] |date=2015-04-05 |accessdate=2017-10-15 }}</ref>。1982年を境に萩本やザ・ドリフターズと入れ替わるようにたけし自身がお笑い界のトップに君臨することとなる。萩本とたけしのテレビでの共演は未だに実現していない。1985年までのお笑いBIG3は萩本、タモリ、たけしであったものの、この3人を前面に出した番組はなかった。なお、たけしは後年に萩本に対しては「お笑い芸人の地位とギャラを上げたのは萩本欽一さんだ」「コント55号が自分の冠番組もって。それからだもん、お笑いが強くなったの」と評価する発言をしており<ref>北野武『超思考』幻冬舎 2013 p71</ref><ref name = "口撃">[https://news.livedoor.com/lite/topics_detail/9625585/ ビートたけし 太田光の口撃にたじろぐ「言っていいことと悪いことが…」]ライブドアニュース 2014年12月29日配信 2023年11月21日閲覧</ref>、その発言を聞いた[[太田光]]([[爆笑問題]])からは「こんなこと言うようになったんですね」「さんざん、萩本さんを引きずり下ろすの見てきましたからね」「欽ちゃんのファンだったから結構ショックだったんですよ!」と過去の発言を追求されてしまった<ref name = "口撃" />。また、たけしはザ・ドリフターズが出演した『[[8時だョ!全員集合]]』についても「今見ても面白い」「それは完璧に計算して稽古して作り上げたものだからだ」と再評価する発言をしている<ref name = "楽屋話" />。一方で自身が出演した『ひょうきん族』については「今になって『ひょうきん族』を見ても面白くも何ともない」「古臭くて笑えるもんじゃない」とし、『ひょうきん族』で行った楽屋話的な笑いを「芸の笑いとは別のもの」と述べている<ref name = "楽屋話">北野武『超思考』幻冬舎 2013 p161 - 162</ref>。 一方、萩本は『[[テレビを輝かせた100人]]』(2011年7月9日放送)にゲスト出演した際、当時よりたけしに好印象を持っていた事を語っており、たけしの弟子でもある[[ガダルカナル・タカ]]からの「(たけし軍団の持ち味でもある)[[下ネタ]]をどういう風にご覧になっていたか?」という質問には、萩本の師匠・[[東八郎]]の教えで自らは下ネタで笑いを取らない様に貫いているに過ぎない事、たけしについては「浅草の僕の後輩のすぐ下がたけちゃんだった。だから自分の弟みたい」、「だから言っといて。"大好きだ"って」とタカに向けて語っている。 トーク番組の最終回に、スペシャルゲストとして招かれることも多い(『[[たかじんnoばぁ〜]]』(1996年7月13日放送)、『[[すてきな出逢い いい朝8時]]』(2001年9月29日放送)、『[[クメピポ!絶対あいたい1001人]]』(2009年7月29日放送)、『笑っていいとも!』「テレフォンショッキング」(2014年3月31日放送<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140328-1276660.html いいとも最終回はビートたけしが大暴れ!?] 日刊スポーツ、2014年3月29日閲覧</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/articles/ASG3X44MKG3XUCVL00F.html |title=「いいとも!」のテレフォン、最後はビートたけしさん |newspaper=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社 |date=2014-03-28 |accessdate=2014-03-29 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140328105234/http://www.asahi.com/articles/ASG3X44MKG3XUCVL00F.html |archivedate=2014-03-28}}</ref> ※レギュラー放送分)等)。 大阪市にある放送局のローカル番組にも時折出演することがある。特にたけしのレギュラー番組を多数制作している朝日放送に関して縁が深く、『[[探偵!ナイトスクープ]]』『[[ナンバ壱番館]]』などにもゲスト出演している。また、関西テレビや讀賣テレビに関してはやしきたかじんとの親交もあり、たかじんの番組にゲスト出演している。一方で、毎日放送に関しては[[イースト・エンタテインメント]]制作の日本全国ネット番組に限定され、ローカル番組では出演がない。また、関西・関東いずれにおいても独立局への出演は全くと言っていいほどなく、極めて珍しい例として2015年5月22日放送の『[[バラいろダンディ]]』([[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]])にゲスト出演したことがある<ref>{{Cite press release |和書 |title=遂にTOKYO MX生放送 初出演「バラいろダンディ」にビートたけしが降臨!|url=http://s.mxtv.jp/company/press/pdf/press2015_130001.pdf|publisher=東京メトロポリタンテレビジョン|date=2015-05-18|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304142839/http://s.mxtv.jp/company/press/pdf/press2015_130001.pdf|archivedate=2016-03-04}}</ref>。 2009年10月3日放送分のTBS『[[オールスター感謝祭]]』で総合司会の[[島田紳助]]が「番組開始前に自身の楽屋に挨拶に来なかった」として解答者の[[東京03]]に激怒したとされる件に関し、同年10月27日付けの[[東京スポーツ]]に「紳助が『あいさつがない』とかって若手の東京03ってのを怒ったものだから、出番前にタレントがいちいちオレんとこにあいさつに来て、うるさくってしょうがないよ」とのコメントを発した<ref>{{Cite news |url=https://www.oricon.co.jp/news/70793/full/ |title=「お互いの誤解やから仕方ない」"挨拶騒動"の東京03にさんまがエール |work=ORICON STYLE |publisher=オリコン |date=2009-11-18 |accessdate=2017-10-15 }}</ref>。 [[林家三平 (2代目)|林家三平]]の襲名披露興行で披露して以来、林家三平と[[国分佐智子]]の結婚式や『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』内で行われた[[飯尾和樹]]」([[ずん]])の披露宴、『森田一義アワー 笑っていいとも!』のテレフォンショッキング最終回等で表彰状ネタ(その人物等への表彰状を読む体裁で随所にブラックジョークなどを盛り込んで話すスタイル)をしばしば行っている<ref>『週刊ポスト』2014年4月18日号、150頁。</ref>。 所ジョージとは親友である一方で、たけしは所の生活スタイルに嫉妬していると告白している。2015年12月29日に放送された『一流が嫉妬したスゴい人』で、「所の生活スタイルは、発想が違っていて、俺には真似できない。俺は所から仕事以外の楽しみ方というものをすべて教わった」と話している<ref name="sponichi20151229">{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/12/29/kiji/K20151229011772960.html |title=ビートたけし、所ジョージ&甲本ヒロトに嫉妬する理由 |work=Sponichi Annex |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=2015-12-25 |accessdate=2017-10-15 }}</ref>。また、同番組でたけしは、過去に[[甲本ヒロト]]にも嫉妬したことがあったと告白している。「俺、もしかするとお笑いじゃなくて、こういう感じの音楽をやりたかったんじゃないかなって気付かされて、嫉妬したね」と話し、甲本の歌については「悲しいのよ。不良をやろうとして不良になれない子のパンクって感じがしてね。歌での表現でしか不良をできないのかな、と感じたんだよね。よく考えるとパンクではなくて演歌なんだよね。でも感じがパンクなんだよね。こういう歌を10代とかに聴いていたら涙したんだろうなあ」と評している{{R|sponichi20151229}}。 長く活躍していることもあり、知名度は高い。2020年7月22日に放送された『[[水曜日のダウンタウン]]』の「古今東西 日本人知名度ランキング」第2弾{{Efn2|調査対象は日本の人口バランスに合わせた比率の10代〜70代(2000人)で、全国の[[あなたの街に住みますプロジェクト|あなたの街に住みます芸人]]による街頭調査およびリサーチ会社による調査を行った。ノミネートされた人物の中には戦国武将などの歴史的人物も含む。}}では、第5位(94.2%)にランクインした<ref>{{Cite news | title = 『水ダウ』の「古今東西知名度ランキング」アンダー60で唯一トップ10に入る中居正広の凄まじさ | agency = クイックジャパンウェブ | date = 2020-07-23 | url = https://qjweb.jp/regular/31147/}}</ref>。 == 事件・事故 == === フライデー襲撃事件 === {{Main|フライデー襲撃事件}} [[1986年]][[12月9日]]、たけし軍団の一部メンバー11人を連れて講談社に行き、フライデー襲撃事件を起こし逮捕。翌[[1987年]][[6月10日]]に[[懲役]]6か月、[[執行猶予]]2年の判決が出された([[東京地方裁判所|東京地裁]]、確定)。当時のレギュラー番組『[[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]]』『[[痛快なりゆき番組 風雲!たけし城]]』『[[スーパージョッキー]]』への出演については、執行猶予判決が確定するまでの約8か月間謹慎することとなった。なお、当時たけしと交際していたといわれた女性への暴行で告訴された記者は、罰金10万円の判決を受けた。 1987年、映画監督・[[深作欣二]]は、謹慎中の身にあったたけしと京都府において初対面。その印象を「非常に鋭い顔をしている。笑っていても目は笑わんし、顔立ちが独特だ。いろんな人間とシビアな闘争をしてきた男の顔だ」と語った。 === バイク事故 === [[1994年]][[8月2日]]午前1時40分、[[原動機付自転車|原付バイク]]で東京都新宿区の[[安鎮坂]]付近を走行中に自損事故を起こし頭部に重傷を負った。事故後、偶然近くにいた第一発見者[[諸星和己]]([[光GENJI]])の通報により<ref>{{Cite web |title=たけしのバイク事故発見者、諸星だった/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/09/30/0007377324.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-12-03 |access-date=2023-12-02 |language=ja}}</ref>[[東京医科大学病院]]に救急搬送されて一命を取り留めたものの<ref>東京医大病院、教授同士が法廷闘争 『週刊ポスト』(小学館) 1999年7月16日号</ref>、長期の入院などにより約半年間に渡ってテレビ出演が出来なくなった。また、事故は酒気帯び運転によるものであったために[[書類送検]]され、[[起訴猶予]]処分を受けた。[[執刀医]]は[[東京医科大学]][[主任教授]](当時)の[[渡邊克益]]医師であった。 退院時に会見を行ったが、この時点ではまだ顔面が麻痺しており大きく変形した状態であったため、大変な反響を呼んだ。本人は「頭にボルトが入っていて飛行機の金属探知機に引っかかる」「顔面麻痺が治らなかったら芸名を顔面[[和田弘とマヒナスターズ|マヒナスターズ]]にしますから」と、自らの怪我をネタにした。退院後もリハビリを続け麻痺はある程度回復したが、一部は回復せず残ることとなった。 翌[[1995年]][[3月4日]]の『[[平成教育委員会]]』でテレビ復帰し{{Efn2|正確には、前日の『[[北野ファンクラブ]]』のEDトークに飛び入り出演している}}、その後レギュラー番組にも復帰した。 この事故で生死の境を彷徨っていた時、たけしの夢の中に、事故前の[[1993年]]に亡くなった親友の[[逸見政孝]]が出てきたとのこと。たけしは「あれは、『まだ俺は死んじゃいけない。』って逸見さんが言いに来てくれたんじゃないかな」と、退院後のインタビューで答えた。 入院中に面識のない[[原節子]]の名前で数珠を贈られ、これを常に身に着けていたが{{Efn2|退院時の会見でも着用していたため、信仰に目覚めたのかと話題になった。会見での正確な発言は「これねえ、原節子さんっていう人の、女優さんの、友達の尼さんが、観音様彫ってくれたんですよ。そんで、いろいろ書いてくれて、ほいでみんな心配してるってんで、これしてたら気持ちいいよって言うからやってるんですけど」}}、退院後しばらくして突如壊れて散らばった。たけしは拾い集めようとしたが、「これは病気が良くなった証拠だ」と思い直し、再び着けることはなかった。ただし、原の名前で贈られたとしても、引退後、芸能界から完全に距離を置いていた原本人が実際に贈ったものかどうかは異論もある<ref>石井妙子「追悼 原節子 大女優の果たせなかった夢」『[[新潮45]]』2016年1月号、p.107</ref>。 この事故により缶コーヒー「[[ジョージア (缶コーヒー)|ジョージア]]」のテレビ広告への出演が決定しスケジュールも出ていたが、撮影中止となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.toyokeizai.net/business/column/detail/AC/6a3f5c633c391903314792f099149ef7/page/3/ |title=CEOへの道 日本コカ・コーラ取締役会長・魚谷雅彦(Part4)——数千万円のキャンセル料を支払ってジョージアのCMを作りました(3) |publisher=東洋経済オンライン |date=2010-02-09 |accessdate=2016-08-08 |quote=チームと広告代理店といろんな案を出し、日本のサラリーマンを描くべく、当時タレント人気ナンバーワンだったT軍団に全員出演してもらうことになりました。ところが、契約もできて撮影日も決まった段階で、Tさんがなんと不幸にも交通事故に。通常3カ月ほどかかる企画と制作を1カ月でゼロからやり直すことになりました。 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100212124340/http://www.toyokeizai.net/business/column/detail/AC/6a3f5c633c391903314792f099149ef7/page/3 |archivedate=2010年2月12日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。 [[2016年]]秋に自身が出演した日清[[カップヌードル]]の広告にて、たけしがガムテープで補修だらけの原付バイクに乗るという1994年の事故を連想させるシーンが存在し、その広告の最後には「'''守ろう、交通ルール!'''」というセリフを発している<ref>[http://www.cupnoodle.jp/cm/obakas_univ02.html 「OBAKA'S UNIVERSITY おバカへの疾走篇」] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20170202073339/http://www.cupnoodle.jp/cm/obakas_univ02.html |date=2017年2月2日 }}</ref>。 === つるはし男襲撃事件 === [[2021年]][[9月4日]]、[[TBSテレビ|TBS]]系『[[新・情報7daysニュースキャスター]]』収録後、[[ロールス・ロイス・モーター・カーズ|ロールス・ロイス]]の後部座席に乗りテレビ局([[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]の[[TBS放送センター]])敷地から出ようとした際に、過去に弟子入りを志願したとされる男に[[ツルハシ]]で車を襲撃された。ロールス・ロイスは[[要人|VIP]]仕様でびくともしないとも言われたが、実際には耳を切るなどの軽傷を負っている。この事件に関しては、同年[[9月11日]]の番組収録冒頭、警視庁から黙っているよう申し入れがあったと断りを入れた上で、経緯を軽く説明するにとどめている。また、[[安住紳一郎]]アナウンサーは「たけしさんは現在、弟子をとっていません」とアナウンスを行っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/09/12/kiji/20210911s00041000702000c.html |title=ビートたけし"つるはし男"襲撃から1週間、事件後初生放送「殺される、死ぬかと思った」 |publisher=スポニチアネックス |date=2021-09-12 |accessdate=2021-09-12}}</ref>。 == 価値観 == === 上皇・上皇后 === [[明仁]](上皇)と[[上皇后美智子|美智子]](上皇后)に対しては畏敬の念を述べている。 ビートたけしが明仁を「すごい存在」と初めて思った契機として、中学生時代に母親に連れられて皇太子妃時代の美智子を送りに[[軽井沢]]に行ったことを[[竹田恒泰]]と対談した際に明かしており、「強制されて行った感じはなかった」と述べている。天皇について「信仰に近いというか、神にかなり似た存在」と形容しており、「日本の歴史を振り返ると天皇は『はなからいる』存在」とも述べている。2009年に宮中茶会に招待されており、明仁と美智子がたけしの映画を見ていたことを語ったり体調を尋ねるなどされ、緊張したことを明かしている<ref>竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』PHP新書、2011年 {{ISBN2|9784569794297}}</ref>。 過去にたけしに紫綬褒章受章の打診が来たが、断ったエピソードを明かしており、理由は本人が言うには[[フライデー襲撃事件|自身に逮捕歴・前科があること]]や授賞式に配偶者が出席しなければいけないという決まりがあったからであるといい、「本当はもらいたかったけど、俺はもらうような立場ではないとお断りを入れた」とも述べている<ref name="zenka">東京スポーツ連載『ビートたけし本紙客員編集長の世相メッタ斬り』2015年1月19日分</ref>。この辞退についてたけしの弟子の[[東国原英夫]]は紫綬褒章に賞金が無いことを理由にしていたとギャグとして述べたが、2016年10月21日に、天皇夫妻の公務を増やしたくなかったことが受章辞退の本当の理由と明かした<ref>[https://news.livedoor.com/article/detail/12178643/ 東国原英夫氏 北野武が「紫綬褒章」を辞退した"本当の理由"を明かす] ライブドアニュース 2016年10月26日閲覧</ref>。 2019年4月10日に国立劇場で行われた、明仁の天皇在位30周年を祝賀する「感謝の集い」では、映画監督・北野武として登壇し、ギャグを挟みながら祝辞を述べた<ref>[https://www.huffingtonpost.jp/entry/takeshi-kitano_jp_5cae98ade4b09a1eabf7855a 北野武、笑いと感謝込めた天皇皇后両陛下への祝辞全文 「日本という国に生を受けたことを幸せに思います」] - ハフポスト 2019年4月11日</ref>。 === 社会風刺 === ツービート時代からの漫才はもとより、『週刊ポスト』連載の「毒針巷談」(その後「世紀末毒談」を経て「21世紀毒談」)や『新潮45』連載、東京スポーツ連載『ビートたけし本紙客員編集長の世相メッタ斬り』、{{要出典範囲|date=2022年9月25日 (日) 04:34 (UTC)|テレビ番組『ビートたけしのTVタックル』などで世相を風刺する発言も多く行っており、それが話題となることもある。例えば、1990年代に「『北野党』を立ち上げる」と冗談で発言したことが大きく取り上げられたこともあった}}。 別の一例としては、1992年に『新潮45』の連載にて「『地球にやさしく』なんかできない」のタイトルで、「地球に優しくしたいなら人間殺さないといけない」と、当時の政財界やマスコミによる「エコロジーブーム」の欺瞞性および浅薄さを皮肉った<ref>『みんな自分がわからない』1993年、新潮社 {{ISBN2|978-4103812036}}</ref>。この「『地球にやさしく』- 」は、同年6月18日付けの[[朝日新聞]]に「ビートたけしと地球環境」と題した、環境問題への無関心を戒める社説が掲載されるなど反響を呼んだ。{{要出典範囲|date=2022年9月25日 (日) 04:34 (UTC)|なお、この文章は1996年の[[山形大学]]教育学部の入学試験の小論文試験の出題にも使用された}}。 [[原子力発電]]については「原子力発電を批判するような人たちは、すぐに『もし地震が起きて原子炉が壊れたらどうなるんだ』とか言うじゃないですか。ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、他の施設以上に気を使っているはず。だから、地震が起きたら、本当はここへ逃げるのが一番安全だったりする(笑)。でも、新しい技術に対しては『危険だ』と叫ぶ、オオカミ少年の方がマスコミ的にはウケがいい」<ref>『新潮45』2010年6月号</ref>「東京湾に原発を作れ」と称賛とも皮肉ともとれる発言をしている<ref>[https://www.j-cast.com/2011/04/12092872.html?p=all 「東京湾に原発作れ」 ビートたけし提言にネットで喝采] J-CASTニュース 2011年4月12日</ref><ref>[https://news.livedoor.com/article/detail/10047200/ 北野武が東京湾への原発建設を提案「東京が犠牲もリスクも背負うべき」]トピックニュース 2015年4月25日</ref>。 「[[北朝鮮による日本人拉致問題]]をテーマにした映画を作りたい」と2008年7月21日放送分「TVタックル」2時間スペシャルの収録で発言したが、その場面がすべてカットされたことが「[[週刊文春]]」2008年7月24日号で報じられたことがある。 ニッポン放送『[[オールナイトニッポン]]』にて、日本テレビから同局が「[[チャリティー|チャリティー番組]]」として放送し、募金活動も行っている『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』への出演オファーを受けたが、拒否したことを明かしている。さらに「出るなら全員ノーギャラにすべき」と発言し、偽善番組とも述べている<ref>{{Cite web|和書|url=https://npn.co.jp/article/detail/76620618|title=これまで1度も出演なし! ビートたけしが『24時間テレビ』に出ない理由は?|publisher=[[リアルライブ]]|accessdate=2019-08-18|date=2022-04-20}}</ref>。 ただし、たけし本人はこういった発言があまりにも大きく取り上げられたり、反応されたりすることに対し、「芸人の言っていることを一々真面目に取り上げるな」などと述べている。また、芸能ネタを語る事もあるが、話している事の中にはたけしの創作も含まれていることが著書で語られており、「嘘の情報源は俺」とも述べている<ref>ビートたけし『日本人改造論 父親は自分のために生きろ』角川oneテーマ21 2014 p191</ref>。 === タップダンス・ピアノ・ギター・音楽 === 漫才ブームが過ぎ、次代に生き残るための材料を思索していた時期、たけしはテレビの更なる[[バラエティ番組|バラエティショー]]化が進むと予想し、「タップとピアノ位はやれないとみっともねえだろ」と考え<ref>景山民夫『極楽TV』JICC出版局、1985年 {{ISBN2|978-4880631363}}</ref>、たけし軍団でもタップ・楽器・[[神楽#太神楽|太神楽]]([[ジャグリング]])が必修科目となった。その中で、太神楽は[[海老一染之助・染太郎]]を師匠として学んでいたが、染之助の技は[[花柳流]]名取であったことに由来すると知り、[[日本舞踊]]も習うようになった。タップダンスに対する思い入れは深く、毎日練習を欠かさず行なう。映画『座頭市』の撮影では踊るシーンが無いのにもかかわらず練習をしていた。海外に渡航する際ですらタップシューズを持参するとのこと。最近では2013年に[[ポカリスエット]]の広告や2019年の『[[FNS27時間テレビ (2019年)|FNS27時間テレビ]]』でタップダンスを披露している。 ピアノを弾くのは[[フェルディナント・バイエル|バイエル]]、[[ツェルニー]]、そして[[ソナチネ]]までで、それ以上の域に到達する必要はないと言う。これは、さらに上を目指すのは本末転倒で、タップもピアノも「真剣にやろうと思えばやれる」ところまで到達し、それ以降はいかにアレンジして見せるかを考えるのが芸人の仕事だとする、彼の考えに由来する。ピアノの他にもギターも数本所有しており、その内の一本である[[ギブソン・ES-330]]を所ジョージに譲渡している<ref>[https://web.archive.org/web/20200312031940/https://97ch.tv/post-452/ 所さんのギターコレクションと世田谷ベースおすすめのギター]97CHANNEL 2023年1月28日閲覧</ref>。 ミュージシャンとしてのサザンオールスターズの[[桑田佳祐]]を「大した天才だと思う」と述べており<ref>[https://news.livedoor.com/article/detail/10756109/ ビートたけし 桑田佳祐は「大した天才だと思う」と発言] livedoor NEWS 2015年10月27日閲覧</ref>、カラオケのレパートリーとして「[[真夏の果実]]」「[[マンピーのG★SPOT]]」「[[SEA SIDE WOMAN BLUES]]」を挙げている。また、桑田も芸人としてのたけしを認めている<ref>[https://web.archive.org/web/20160220074359/https://news.livedoor.com/article/detail/11192600/ 太田光が桑田佳祐からのメールに驚き「偽ベッキーを連れて行きます」],ライブドアニュース , 2016年2月17日 </ref>。ファンや識者の間では桑田とたけしに関して照れ隠しなどが混じった人柄や芸風の共通点を指摘する意見も存在している<ref name="tere humor">「別冊カドカワ 総力特集 桑田佳祐 」P171 - 172より 角川書店 2011年</ref>。ただし、桑田が監督を務めた映画『[[稲村ジェーン]]』<ref>ビートたけし『仁義なき映画論』1991年、太田出版のち文春文庫 {{ISBN2|9784167578022}}</ref>や[[ひつじだよ! 全員集合!|2014年の年越しライブでの紫綬褒章に関連するトラブル]]{{R|zenka}}に関しては批判的な発言を述べていた。 === ファッション === 漫才ブームの頃は、[[三宅一生]]の服を愛用していた<ref name="wasahi">{{Cite journal |和書 |author=|date=1982-04-16 |title=<small>異色連載対談(151) </small>女が迫る 風吹ジュンの巻 ゲスト・ビートたけし |journal=[[週刊朝日]] |volume=|publisher=[[朝日新聞社]] |page=113 }}</ref>。しかし三宅から「服を着ないでくれ」と言われたことを漫才のネタにして{{R|wasahi}}、三宅のとこに電話して「着るぞ。ガタガタいうと買うぞ」と脅かしてやった、などとテレビで話し有名になった{{R|wasahi}}。実際に三宅の事務所の広報担当からたけしに直接電話があり{{R|wasahi}}、「たけしさん、本人はあんまりいい顔していませんよ。なるべく着ないでください。イメージくずれるから」と言われたと1982年の[[週刊誌]]のインタビューで話している{{R|wasahi}}。 === 数学 === 数学に対する造詣は深く、「もし違う道を選ぶなら数学の研究者になりたかった」と語った<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.oricon.co.jp/news/64398/full/ | title = ダンカン、"数学好き"の多さに驚き | website = ORICON NEWS | publisher = [[オリコン]] | date = 2009-03-23 | accessdate = 2022-09-25 }}</ref>。また、「数学というものは哲学であって、全ての事象は数学に支配されており数学で説明できる」とも発言している<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.excite.co.jp/news/article/E1392802676762/ | title = 「世のさまざまな現象は数学的に表せる」を教えてくれる企画展 | website = exciteニュース | publisher = [[エキサイト]] | date = 2014-02-25 | accessdate = 2022-09-25 }}</ref>。 === スポーツ === 野球をこよなく好む。幼少の頃からプロ野球のチーム「[[読売ジャイアンツ]]」のファンで、特に[[長嶋茂雄]]を敬愛している。草野球チーム(「たけし軍団」)では、投手を務めることもある。野球をする時のたけしは真剣であり、[[川崎球場]]での番組収録中、グラウンドに男性アイドルが登場したため女性ファンの歓声により、試合どころではなくなってしまった。その際に誰よりも早く「ここはグラウンドで野球をやってるんだぞ!コンサートじゃねえんだ!」とスタッフを一喝した。現在では、日本のプロ野球よりも[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]への関心が高い。 [[明治神宮外苑|神宮外苑]]の軟式球場が一種のホームグラウンドで、最盛期は年間70試合近くも行い、1991年の[[阪神タイガース]]・ファン感謝デーならびに1992年の[[千葉ロッテマリーンズ]]・ファン感謝デーで、軟式ルールながら阪神・ロッテに勝利した。作家・[[伊集院静]]が連載していたエッセイ『二日酔い主義』の中には、たけしと一緒にプレーをした記憶に触れる回が幾つかあり、『たけしのグローブ』(伊集院静『あの子のカーネーション』文藝春秋、1989年)では、たけしの使い込まれたグローブに強かな野球少年の面影を重ねて描かれていた。 格闘技では、自身もジムに通った経験を持つボクシングを好み、映画『キッズ・リターン』を作った。映画の中で人を殴るシーンや『座頭市』における逆手斬りのフォームには影響が垣間見える。浅草時代を知る[[石倉三郎]]は、「タケちゃんのケンカはボクシングスタイルで結構パンチも早かった」と述べている。なお、たけし自身は1963年の[[高山一夫 (ボクサー)|高山一夫]] 対 [[勝又行雄]]戦、1971年の[[金沢和良]] 対 [[ルーベン・オリバレス]]戦をベストマッチに挙げている。その一方で、1987年の[[たけしプロレス軍団]]にまつわる騒動において苦い経験もした。また、空手で骨折し、拳の一部が変形している。 [[キム・ヨナ]]の指先の微妙な動きと豊かな表情<ref>[http://japanese.joins.com/article/182/179182.html キム・ヨナと浅田真央が遠隔対決…0.47点差] 中央日報 2013年12月09日</ref>を高く買っており、「役者として演技力がうまいな。技術は真央ちゃんと変わらないし、ジャンプは難しいことやっていないのに、演技力が圧倒的だった」「真央ちゃんは芝居を勉強したらいいよ」と述べている<ref>[https://web.archive.org/web/20100302185628/http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/03/01/0002749528.shtml たけし『金言』真央に"女優のススメ"] デイリースポーツ 2010年3月1日</ref>。 [[浅田真央]]に対しても『情報7days ニュースキャスター』2014年2月22日放送分で「真央ちゃん(の演技)良かったね、いいんだよ、どうせあんな採点なんてインチキなんだから」と冗談交じりで述べ「真央ちゃんみたいなのはね、メダルとれなくたってね、感動があるんだよ。だからいいんだよ」と評価している。 他にもサッカーに詳しく、[[Jリーグ]]開始以前の国内・海外選手に特に詳しい。また、相撲にも造詣が深く、自身がメインキャスターを務める『情報7days ニュースキャスター』の番組内で、その博識ぶりを発揮している。 一方で、鉄棒の逆上がりや跳び箱といった器械体操の類は不得意であり、後にたけしの出演番組内でもネタにされ、『[[ビートたけしのスポーツ大将#エピソード|たけしの跳び箱オリンピック]]』と題した苦手克服企画が、1988年の年末に放送された。 オリンピックを愛する男であり、日刊スポーツの「東京五輪・パラリンピック特集」では会場、費用負担、新競技など問題点ばかりが目立ってしまった特集掲載期間中、五輪を愛するたけしはあえて「オリンピックは末期状態」と厳しい言葉で活を入れた。オリンピックの商業主義も批判しており、「アジェンダ2020」を採択する一方で高い理想、高価な施設、高級感のある大会運営を強いていることに関して「利権を持つ欧州貴族がうまいことやって、金をもうける手段になってる」と一刀両断。東京大会でスケートボード、サーフィンなどを新種目としたことにも違和感を覚えている。2024年大会の立候補地にパリとロサンゼルスしか名乗りを上げなかったことに関しては異例の事態に「やりたい所なくなるよ」と言い「元来ギリシャの五輪なんだから、毎回ギリシャでやればいい。会場も毎回造らなくていいし、聖火も運ばなくていい」と皮肉った<ref>日刊スポーツ 2017年7月19日</ref>。 === LGBT === 『情報7daysニュースキャスター』で、当時のアメリカ合衆国大統領[[バラク・オバマ]]が同性婚を支持する事を表明したニュースを取り上げた際に「同性婚が認められたら、そのうち動物との結婚も認められるようになったりね」「結婚した男2人が子ども育てるっていうけど、その子どもはどういう風になっていくんでしょうね。お前のお母さんはお父さん?とか言われんじゃないの」とギャグとして発言し、すぐさま[[渡辺えり]]から「どうしてそういうこと言うんですか」と反論されたことがある<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=欧米ではビートたけしは時代おくれ? {{!}} LGBT最前線 変わりゆく世界の性 |url=https://toyokeizai.net/articles/-/12921 |website=東洋経済オンライン |date=2013-02-15 |accessdate=2022-03-30 |language=ja}}</ref>。 2023年5月、アメリカのエンターテインメント専門誌の「[[ハリウッド・リポーター]]」はカンヌ国際映画祭に合わせて行われた単独インタビューで[[芸能事務所]]「[[ジャニーズ事務所]]」の元所属タレントが同事務所創業者である[[ジャニー喜多川]](2019年死去)から性暴力を受けていたことを相次いで[[ジャニー喜多川の性的虐待疑惑|告発した問題]]について見解を求められた際にたけしは「日本でも[[LGBT|LGBTQ]]の問題や[[セクシャルハラスメント|セクハラ]]について声を上げられる時代がようやく訪れた」と評価した上で戦後から一部の有力芸能事務所がタレントを奴隷のように扱っていることが今日まで続いており、そのことで過去の古い制度的慣習やその他の問題が明るみに出ている点を指摘した<ref>{{Cite web |title=Takeshi Kitano Weighs in on Sex Abuse Scandal Rocking Japan's Entertainment Industry: "These Stories Have Always Been Around" (Exclusive) |url=https://www.hollywoodreporter.com/news/general-news/takeshi-kitano-sex-abuse-scandal-johnnys-japan-1235500522/ |website=The Hollywood Reporter |date=2023-05-24 |access-date=2023-05-26 |first=Patrick Brzeski,Scott |last=Roxborough}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=北野武氏、ジャニー喜多川氏めぐる性被害告発に「ようやく声を上げる時代がきた」米誌のインタビューで明かす |url=https://www.huffingtonpost.jp/entry/takeshi-kitano-johnny-kitagawa_jp_64700f96e4b0b4444c785bc5 |website=ハフポスト |date=2023-05-26 |access-date=2023-05-26 |author=安田聡子}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=性加害の話「ずっとあった」 ジャニーズ問題で北野武監督 |url=https://nordot.app/1034771013281891081 |website=共同通信 |date=2023-05-26 |access-date=2023-05-26}}</ref>。 == 出演 == === レギュラー番組 === {{Div col|colwidth=30em}} * [[ビートたけしのTVタックル]]([[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]) * [[世界まる見え!テレビ特捜部]]([[日本テレビネットワーク協議会|日本テレビ系列]]) * [[奇跡体験!アンビリバボー]]([[フジテレビ系列]]) {{Div col end}} === NHK === {{Div col|colwidth=30em}} * 北野武の宵越しスーパートーク(1998年元旦、井上ひさし・[[諏訪内晶子]]・[[市川猿翁 (2代目)|市川猿之助]]との対談)<ref>井上ひさしとの対談は(井上ひさし『浅草フランス座の時間』文春ネスコ、2001年。{{ISBN2|4890361235}})に再録</ref> * [[第51回NHK紅白歌合戦]]([[氷川きよし]]の応援) * [[第52回NHK紅白歌合戦]](同上) * [[第70回NHK紅白歌合戦]](「夢を歌おう」特別企画枠にて『[[浅草キッド (曲)|浅草キッド]]』を歌唱) * 二人のTAKESHI(特番) * [[たけしアート☆ビート]]([[NHKBSプレミアム]] / [[BS放送]]) * [[たけしの“これがホントのニッポン芸能史”]](同上) * 海洋アドベンチャー タラ号の大冒険(2016年7月18日)<ref>[https://web.archive.org/web/20160715000647/http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92549/2549152/index.html 海洋アドベンチャー タラ号の大冒険(NHK)]、2016年10月7日閲覧</ref> - 海洋観測船・タラ号日本大使として出演 * [[コントの日]](特別番組) * [[たけしのその時カメラは回っていた]](2020年4月4日 - 2022年3月23日)<ref name="北野武のTV出演情報"> {{Oricon TV|250075|北野武}}</ref> {{Div col end}} === 日本テレビ系列 === 特記のないものは日本テレビ制作 {{Div col|colwidth=30em}} * [[テレビに出たいやつみんな来い!!]] * [[わっ!!ツービートだ]] * OH!たけし * [[蝶々・たけしの21世紀まで待てない!!]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]制作) * [[スーパージョッキー]] * [[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]]→超天才・たけしの元気が出るテレビ!! * [[ビートたけしの全日本お笑い研究所|ビートたけしの全日本お笑い研究所→番組の途中ですが…再びたけしです]] * [[ビートたけしのお笑いウルトラクイズ]] * [[新橋ミュージックホール]](読売テレビ制作) * [[世界超偉人伝説]] * [[キヤノンスペシャル]]「人類は宇宙を目指した!北野武×NASA50年 奇跡の挑戦!完全実写ファイル」(2009年3月15日) * [[たけしとひとし]](「[[金曜スーパープライム]]内」 / 不定期特番、2010年12月10日) * たけしの超新説研究所 最新科学が歴史を暴く(2012年3月20日) * [[ビートたけし特別主催 おバカンヌNo.1映像祭]](不定期特番) * [[たけし・所の二人テレビ]](テレビ朝日、日本テレビ、TBS系列 / 年2回春・秋位放送) * [[世界に誇る50人の日本人 成功の遺伝史]](2013年12月30日、2015年2月16日、2016年2月22日) * [[さんま&所の大河バラエティ!超近現代史!人間は相変わらずアホか!?]](不定期特番、特別ゲスト出演) * [[ビートたけしの教科書に載らない日本人の謎]](日本テレビ系列 / 年1回放送) * [[緊急!ビートたけしの独裁国家で何が悪い!]](日本テレビ系列 / 年1回放送) * [[ビートたけしの今まで見たことないテレビ]](日本テレビ系列 / 不定期特番) {{Div col end}} === テレビ朝日系列 === 特記のないものはテレビ朝日制作 {{Div col|colwidth=30em}} * [[アイドルパンチ]] * [[ザ・ベストヒット'83]] * [['83サマースペシャル]] * [[ビートたけしのスポーツ大将]] * [[スポーツシャワー〜ヒーローに花束を〜]](朝日放送制作) * [[有名人の皆様ゴメンなさい…ビートたけしの超国民的バラエティ噂のあの人この事件 そこまでバラすか! ウワサの真相 年内決着スペシャル]] * [[神出鬼没!タケシムケン]] * [[キヤノンスペシャル]] ** 北野武の色彩大紀行〜真実の色を求めて〜(2002年6月22日) ** 北野武と色彩の魔術師たち(2002年10月13日) * [[ビートたけしのD-1グランプリ]] * [[たけしの万物創世紀]](朝日放送制作) * [[たけし・所のWA風が来た!]](朝日放送制作) * [[ビートたけしの!こんなはずでは!!]] * [[たけしのポリスアカデミー]](朝日放送制作) * [[最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学]](朝日放送制作) * たけし・所の二人テレビ(テレビ朝日、日本テレビ、TBS系列 / 年2回春・秋位放送) * 名球会VSビートたけし&芸能界ドリームチーム(テレビ朝日系列 / [[正月]]特番) * [[ビートたけしの禁断の大暴露!!超常現象(秘)Xファイル]](テレビ朝日系列 / 年1回放送) * 緊急!世界サミット“たけしJAPAN”(朝日放送制作・テレビ朝日系列 / 不定期特番) * [[たけスポ|朝までたけし軍団 → 朝までたけし的ショー → たけスポ]](テレビ朝日系列 / 原則年1回放送) * KAMIWAZA〜神芸〜(朝日放送制作・テレビ朝日系列 / 年1回放送、番組ゼネラルマネージャー) * [[ビートたけしのいかがなもの会]](テレビ朝日系列 / 不定期特番) * [[ビートたけしの知らないニュース]](テレビ朝日系列 / 不定期特番) * [[たけしの健康エンターテインメント!みんなの家庭の医学]](朝日放送制作) * [[名医とつながる!たけしの家庭の医学]](朝日放送制作) {{Div col end}} === TBS系列 === 特記のないものはTBS制作 * [[笑ってポン!]] * [[刑事ヨロシク]] * [[世界まるごとHOWマッチ!!]](毎日放送制作) * [[たけしのお笑いサドンデス]] * [[たけしのホッカホッカタイム]] * [[サンデーモーニング|関口宏のサンデーモーニング]]1987年12月27日 * [[ギミア・ぶれいく]] * [[たけし・所のドラキュラが狙ってる]](毎日放送制作) * [[痛快なりゆき番組 風雲!たけし城]] ** [[痛快なりゆき番組 風雲!たけし城#風雲!たけし城 (Amazon Prime Video)|風雲!たけし城]] (2023年4月21日 - 、[[Amazon Prime Video]]) * [[たけしの頭の良くなるテレビ]] * [[ここがヘンだよ日本人]] * [[総天然色バラエティー 北野テレビ]] * [[たけしのお年玉だよ!!初笑い海外演芸慰問団]] * [[スーパーサッカー (TBSのサッカー番組)|スーパーサッカー]](1994年1月〜8月まで、バイク事故で休養しそのまま降板) * [[乱!参院選2010|乱!衆議院・参院選]]([[衆議院選挙]]もしくは[[参議院選挙]]実施時にスペシャルコメンテーターとして出演) * たけし・所の二人テレビ(テレビ朝日、日本テレビ、TBS系列 / 年2回春・秋位放送) * ビートたけし緊急SP やってはいけない([[スーパーフライデー]]内で不定期に数回放送) * たけしの人体科学SP 人はなぜ老いるのか(2012年1月5日) * [[日曜ゴールデンで何やってんだテレビ]]<ref>[https://www.daily.co.jp/gossip/2012/10/11/0005442182.shtml デイリースポーツ 2012年10月11日号]</ref> * [[ビートたけしの絶対見ちゃいけないTV]](TBS系列 / 年2回位放送) * [[たけしが鶴瓶に今年中に話しておきたい5〜6個のこと]](TBS系列 / 不定期特番) * ビートたけしの勝手にスポーツ国民栄誉SHOW 豪華アスリート総登場 5時間半生放送SP(TBS系列 / [[大晦日]]特番) * [[ビートたけしのガチバトル]](TBS系列 / 年末年始特番) * [[北野演芸館〜たけしが本気で選んだ芸人大集結SP〜]](毎日放送制作・TBS系列 / 不定期特番、2011年9月28日・2012年2月8日「[[水曜エンタ!]]」枠) * [[オールスター感謝祭]](TBS系列) - 2011秋以降出題者として{{Efn2|1991秋では、回答者として出演していた。実兄と共演。}} * TBSテレビ60周年特別企画「ものづくり日本の奇跡」(2015年3月23日 - 3月26日、3月28日) - ご意見番 * ものづくり日本の奇跡 日の丸テクノロジーがオリンピックを変えた元気が出る60年物語(2016年9月3日) - ご意見番<ref>[https://www.tbs.co.jp/monodukuri.jpn/ ものづくり日本の奇跡(TBS)]、2016年8月27日閲覧</ref> * [[情報7daysニュースキャスター|新・情報7daysニュースキャスター]] - フリージャーナリスト(2008年10月4日 - 2022年3月19日、[[ジャパン・ニュース・ネットワーク|TBS系列]]) === テレビ東京系列 === 特記のないものはテレビ東京制作 {{Div col|colwidth=30em}} * [[世界おもしろネットワーク]] * [[気分はパラダイス]] * [[たけしの誰でもピカソ]]{{R|北野武のTV出演情報}} * [[古代文明ミステリー たけしの新・世界七不思議]](テレビ東京系列 / 2014年正月特番) * たけしのよくできてるTV(2017年10月1日)<ref name="TERETOASA">{{Cite web|和書|url=https://www.cinra.net/news/20170928-beattakeshi|title=ビートたけしが朝のテレ東で5日連続生番組 太田光、水道橋博士らも出演 - 映画・映像ニュース|publisher=CINRA.NET|date=2017/09/28|accessdate=2017/10/08}}</ref> * おはよう、たけしですみません。(2017年10月2日 – 6日){{R|TERETOASA}} * [[たけしのニッポンのミカタ!]] * [[23時の密着テレビ「レベチな人、見つけた」]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20210305dog00m200034000c.html|title=たけしのニッポンのミカタ!:12年の歴史に幕 新番組「レベチな人、見つけた」スタート ビートたけし×国分太一のタッグは継続|work=MANTANWEB|publisher=MANTAN|date=2021-03-05|accessdate=2021-03-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210305091349/https://mantan-web.jp/article/20210305dog00m200034000c.html|archivedate=2021-03-05}}</ref> {{Div col end}} === フジテレビ系列 === 特記のないものはフジテレビ制作 {{Div col|colwidth=30em}} * オレたちひょうきん族(1981年5月16日 - 1989年10月14日) ** [[オレたちひょうきん族|決定!土曜特集 オレたちひょうきん族]](特番枠、1981年5月16日 / 1981年5月30日 / 1981年6月6日 / 1981年6月13日 / 1981年6月27日 / 1981年7月11日 / 1981年7月18日 / 1981年8月29日) * [[平成教育委員会|たけし・逸見の平成教育委員会]](1991年10月19日 - 1994年9月) ** [[平成教育委員会|平成教育委員会 第2シリーズ]](1994年10月 - 1997年9月27日)※バイク事故で休養した為、出演は1995年3月から ** 平成教育委員会スペシャル(2000年1月3日以降は毎年1月・5月・8月・11月に放送){{R|北野武のTV出演情報}} ** [[熱血!平成教育学院]](2006年10月15日 - 2011年3月20日) ‐ 特別講師"マス北野"としてVTR出演 * [[たけしのここだけの話]](1988年10月2日 - 1990年9月30日、関西テレビ制作) * [[ビートたけしのつくり方]](1993年10月14日 - 1994年3月17日) * [[スター千一夜]](1980 - 1981年) * [[オモクリ監督 〜O-Creator's TV show〜]](2014年10月26日 - 2015年9月13日) * [[FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島]](1987年、1990年)→FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91→[[平成教育テレビ]]→FNSの日{{Efn2|1992年 - 1996年・2017年 - 2019年は総合司会として参加、その他の年はゲストや中継でのゲスト出演}} ** [[FNS27時間テレビ (2008年)|FNS27時間テレビ!!みんな笑顔のひょうきん夢列島!!]]‐「日本全国名人大発見」の中継担当 ** [[FNS27時間テレビ (2017年)|FNS27時間テレビ にほんのれきし]]‐総合司会 ** [[FNS27時間テレビ (2018年)|FNS27時間テレビ にほん人は何を食べてきたのか?]]‐総合司会 ** FNS27時間テレビ にほんのスポーツは強いっ!-総合司会 ** [[さんま・中居の今夜も眠れない| さんま・中居の今夜も眠れない→明石家さんまのラブメイト10]](2008年 - 2009年、2011年 - 2012年、2023年度の中継特別ゲスト) * [[タケちゃんの思わず笑ってしまいました]](1983年3月8日 / 1983年9月6日 / 1984年3月13日 / 1984年9月11日 / 1985年3月12日 / 1985年10月29日 / 1986年3月11日 / 1986年10月21日 / 1987年10月6日) * [[タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ]] * [[FNS超テレビの祭典]](1996年) * 北野・明石家 俺たちのワイドショー(1996年12月31日) * 超特大バラエティー!タケちゃんのFNS'97 こんな事で日本は熱く!ワクワク!燃えちゃったスペシャル!!(1997年12月31日) * [[たけし・さんまの有名人の集まる店]] * [[たけしの日本教育白書]] * [[たけしのニッポン人白書]](2012年2月25日) * THE MANZAI→[[THE MANZAI マスターズ]](年1回放送、大会最高顧問) * [[北野ファンクラブ]](1991年2月14日 - 1996年3月23日) * [[北野富士]](1996年4月4日 - 1997年9月25日) * [[足立区のたけし、世界の北野]](1997年10月16日 - 2002年9月19日) * [[たけしの斎藤寝具店]](2002年10月10日 - 2004年3月18日) * [[北野タレント名鑑]](2004年4月15日 - 2006年3月23日) * [[たけしのコマ大数学科]](2006年4月13日 - 2013年9月23日) * 地球45億年の奇跡(2004年3月1日 - 4日<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20051216011240/http://wwwc.fujitv.co.jp/ichioshi/040301kiseki/index2.html|title=地球45億年の奇跡|publisher=フジテレビ|accessdate=2019-11-15}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20051216011240/http://wwwc.fujitv.co.jp/ichioshi/040301kiseki/index2.html|title= トップページ > 表彰番組・事績 > 日本民間放送連盟賞/2004年(平成16年)入選・事績 |publisher=一般社団法人 日本民間放送連盟 The Japan Commercial Broadcasters Association|accessdate=2020-09-29}}</ref> / 2005年2月21日 - 24日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fujitv.co.jp/m/chikyu45/|title=地球45億年の奇跡II フードプラネット 食べる惑星 〜みんな地球を食べて生きてきた〜 2005年2/21(月)〜24(木) 夜11:00〜11:45放送|publisher=フジテレビ|accessdate=2020-03-22}}</ref>) * [[キタノ工務店]](2014年10月12日) * [[たけしのダンカン馬鹿野郎!!]](2014年10月17日) * [[ビートたけしのオワラボ]](2016年12月28日 / 2017年12月29日 / 2018年12月28日 / 2019年12月30日) * [[チャンネル北野]](2000年4月8日 - 2005年3月27日、[[フジテレビTWO|フジテレビ721]]) * [[チャンネル北野|チャンネル北野eX]](2005年4月16日 - 2009年3月、フジテレビ721) * [[チャンネル北野|チャンネル北野NEO]](2009年4月23日 - 2010年1月、フジテレビ721、毎月1回 / 全6回放送<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20090416040411/http://www.fujitv.co.jp/otn/b_hp/909200072.html|title=チャンネル北野NEO |publisher= フジテレビONE/TWO/NEXT(ワンツーネクスト)|accessdate=2020-04-14}}</ref>) * [[フジテレビワンツーネクスト|ビートたけしの21世紀毒談]](2009年4月9日 - 2010年3月、[[フジテレビONE]] / [[フジテレビTWO]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20090417205648/http://www.fujitv.co.jp/otn/b_hp/909200043.html|title=ビートたけしの21世紀毒談 |publisher= フジテレビONE/TWO/NEXT(ワンツーネクスト)|accessdate=2020-02-10}}</ref>) * [[たけしの等々力ベース]](2011年1月13日 - 2015年9月24日、[[BSフジ]]) * [[所さんの世田谷ベース]](BSフジ) - 不定期出演ゲスト {{Div col end}} === ラジオ === {{Div col|colwidth=30em}} * 国際紳士交遊録([[文化放送]]) - [[山口敏夫]]と共にレギュラー出演 * [[ビートたけしのオールナイトニッポン]]([[ニッポン放送]])<ref name="djmeikan"/> * ビートたけしの文学夜話 ([[全国ラジオネットワーク|NRN]]) * ビートたけしの[[ラジオ黄金時代]] [[街でいちばんの男〜ビートニクラジオ]]([[エフエム東京|TOKYO FM]]) {{Div col end}} === その他 === {{Div col|colwidth=30em}} * [[チャンネル北野|北野チャンネル]](1998年8月1日 - 2000年3月31日、[[スカパー! チャンネル一覧#放送を終了したチャンネル|スカイパーフェクTV!・Ch.727]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://archive.ph/g6zvY|title=スカパー!プレミアムサービス チャンネル一覧|publisher=衛星デジタル放送|accessdate=2019-12-20}}</ref>) * はじめてのたけし(2017年8月29日<ref>{{Cite 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ニュース > 5/17(木)19:00〜20:00(BSスカパー!) 『はじめてのたけし』#6はじめての声優 |publisher=株式会社BRAIN COMMUNICATIONS ブレイン コミュニケーションズ |accessdate=2018-04-26}}</ref> / 2018年6月21日<ref>{{Cite web|和書|url=https://brain-communications.jp/%e2%98%86621%ef%bc%88%e6%9c%a8%ef%bc%891900%ef%bd%9e2000%ef%bc%88bs%e3%82%b9%e3%82%ab%e3%83%91%e3%83%bc%ef%bc%81%ef%bc%89/|title=NEWS > ☆6/21(木)19:00〜20:00(BSスカパー!) 『はじめてのたけし』#7はじめてのレンコン掘り|publisher=株式会社BRAIN COMMUNICATIONS ブレイン コミュニケーションズ |accessdate=2018-06-01}}</ref> / 2018年7月26日<ref>{{Cite web|和書|url=https://brain-communications.jp/%e2%98%86726%ef%bc%88%e6%9c%a8%ef%bc%891900%ef%bd%9e2030%ef%bc%88bs%e3%82%b9%e3%82%ab%e3%83%91%e3%83%bc%ef%bc%81%ef%bc%89/|title=NEWS > ☆7/26(木)19:00〜20:30(BSスカパー!) 『はじめてのたけし』#8はじめての擬態|publisher=株式会社BRAIN COMMUNICATIONS ブレイン コミュニケーションズ |accessdate=2018-07-23}}</ref> / 2018年8月23日<ref>{{Cite 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web|和書|url=https://brain-communications.jp/%e2%98%861025%ef%bc%88%e6%9c%a8%ef%bc%892000%ef%bd%9e2100%ef%bc%88bs%e3%82%b9%e3%82%ab%e3%83%91%e3%83%bc%ef%bc%89%e3%80%8e%e3%81%af%e3%81%98%e3%82%81%e3%81%a6%e3%81%ae%e3%81%9f%e3%81%91%e3%81%97/|title=NEWS > ☆10/25(木)20:00〜21:00(BSスカパー!) 『はじめてのたけし』 ▼#11 はじめての○○|publisher=株式会社BRAIN COMMUNICATIONS ブレイン コミュニケーションズ |accessdate=2018-10-17}}</ref> / 2018年11月29日<ref>{{Cite web|和書|url=https://brain-communications.jp/%e2%98%861129%ef%bc%88%e6%9c%a8%ef%bc%892000%ef%bd%9e2100%ef%bc%88bs%e3%82%b9%e3%82%ab%e3%83%91%e3%83%bc%ef%bc%89/|title=NEWS > ☆11/29(木)20:00〜21:00(BSスカパー!) 『はじめてのたけし』 ▼#12 はじめてのドッグトレーナー|publisher=株式会社BRAIN COMMUNICATIONS ブレイン コミュニケーションズ|accessdate=2018-11-30}}</ref> / 2018年12月27日<ref>{{Cite web|和書|url=https://brain-communications.jp/%e2%98%861227%ef%bc%88%e6%9c%a8%ef%bc%892300%ef%bd%9e2400%ef%bc%88bs%e3%82%b9%e3%82%ab%e3%83%91%e3%83%bc%ef%bc%89%e3%80%8e%e3%81%af%e3%81%98%e3%82%81%e3%81%a6%e3%81%ae%e3%81%9f%e3%81%91%e3%81%97/|title=NEWS > ☆12/27(木)20:00〜21:00(BSスカパー!) 『はじめてのたけし』 ▼#13 はじめての中華料理人|publisher=株式会社BRAIN COMMUNICATIONS ブレイン コミュニケーションズ|accessdate=2018-11-30}}</ref> / 2019年1月24日<ref>{{Cite web|和書|url=https://hominis.media/category/entertainer/post3175/|title=芸能情報のホミニス > タレント・芸人 > ビートたけしが"殺陣師"に挑戦!無茶ぶりありの爆笑の展開へ!?|publisher=芸能人・著名人のニュースサイト ホミニス HOMINIS|accessdate=2019-01-21}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://urbanactors.net/2019/01/1137/|title=NEWS 新着情報 > 出演作品放送情報!『はじめてのたけし』|publisher=URBAN ACTORS アーバンアクターズ|accessdate=2019-01-19}}</ref> / 2019年2月28日<ref>{{Cite web|和書|url=https://brain-communications.jp/%e2%98%86228%ef%bc%88%e6%9c%a8%ef%bc%891900%ef%bd%9e%ef%bc%88bs%e3%82%b9%e3%82%ab%e3%83%91%e3%83%bc%ef%bc%89%e3%80%8e%e3%81%af%e3%81%98%e3%82%81%e3%81%a6%e3%81%ae%e3%81%9f%e3%81%91%e3%81%97/|title=NEWS > 2019/02/05 ☆2/28(木)19:00〜(BSスカパー!) 『はじめてのたけし』 ▼#15|publisher=株式会社BRAIN COMMUNICATIONS ブレイン コミュニケーションズ |accessdate=2019-02-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/news/detail/180727/|title=「松村邦洋連れてきて、瞬間移動でもやるか」ビートたけし、人生初のマジックに挑戦!|publisher=WEBザテレビジョン|accessdate=2022-01-31}}</ref> / 2019年3月28日<ref>{{Cite web|和書|url=https://hominis.media/category/cultural/post3541/|title=芸能情報のホミニス > タレント・芸人 > ビートたけし、毒づきながらもボウリングガチンコ勝負!並木プロ「ぜひたけしカップを」|publisher=芸能人・著名人のニュースサイト ホミニス HOMINIS|accessdate=2019-03-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/owarai/news/325688|title=ナタリー > お笑い > ビートたけし > 「できるわけねえだろ!」ビートたけし、ボウリングのパーフェクトに挑戦(コメントあり) |publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|お笑いナタリー]]|accessdate=2019-03-28}}</ref> / 2019年4月25日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.minniep.com/media.html|title=メディアページ MEDIA > TV & Radio|publisher=音楽プロデューサー・作詞作曲家&ボイストレーナー/[[Minnie P.]](ミニーピー) Web Site|accessdate=2019-03-25}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.wings-music.com/|title=代表 ミニー・P先生 メディア出演情報! > 2019年4月25日「はじめてのたけし」(BSスカパー)に出演、ビートたけしさんはじめ出演者にボイトレを!|publisher=ボイトレ・ボーカルレッスンWINGS MUSIC SCHOOL in 代官山|accessdate=2019-04-25}}</ref>、[[BSスカパー!]]) ‐ 原則毎月1回放送 {{Div col end}} ==== NHK紅白歌合戦 ==== {| class="wikitable" style="font-size:small;text-align:center" |- ! 年度 !!放送回!! 回!! 曲目!! 出演順!! 対戦相手!! 備考 |- |[[2019年]]||[[第70回NHK紅白歌合戦|第70回]]||初||[[浅草キッド (曲)|浅草キッド]]{{Efn2|途中で歌うタイミングがずれるハプニングもあった。}}|| 特別出演||なし||「夢を歌おう」特別企画で初出場 |- |} === 広告 === [[大橋巨泉]]と共演の広告「アサヒ生ビール」は撮影終了後、フライデー襲撃事件の影響で放映されなかった(なお、広告のスナップショットは巨泉の自伝『ゲバゲバ70年!』の中で見る事が可能)。1984年、「スーしませう」のキャッチコピーで発売された「白仁丹」や、ペプシの比較広告をパロディ化した『デミュートサンスター』では企画・演出に関わった。 2007年から[[ロシア]][[独立国家共同体|CIS]]地域で[[パナソニック|Panasonic]]ブランドの[[VIERA|薄型テレビ]]の広告に出演。同広告担当者によると、「日本の有名人が単独で海外の国々で広告モデルになるのは初めてではないか」との事。 {{Div col|colwidth=30em}} * [[大塚製薬]]「ポカリスエット」 * [[ECC総合教育機関|ECC]] * [[ACジャパン]](2009年、公共広告機構時代は実兄の北野大が出演していた) * [[トヨタ自動車]](2011年、[[豊臣秀吉]]役。以前は[[トヨタ・ビスタ|ビスタ]](初代後期・昭和59年)[[トヨタ・カローラ|カローラセダン]](9代目)の広告にも出演していた。2012年より同役で新型[[トヨタ・クラウン|クラウン]]の広告に出演し、[[ジャン・レノ]]や[[松嶋菜々子]]と共演。) * [[DMM.com]] * [[アサヒ飲料]]「WONDA」(2016年3月 - ) * [[善都]](2016年)<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/owarai/news/185239|title=ビートたけし、ZENTの広告でスタイリッシュに「コマネチ」|newspaper=お笑いナタリー|date=2016-04-27|accessdate=2016-05-02}}</ref> * [[日清食品]]カップヌードル(2016年) * [[アンファー]] * [[大阪ガス]] {{Div col end}} 他多数 == フィルモグラフィ == === 監督として === ==== 映画 ==== {{Div col|colwidth=30em}} * [[その男、凶暴につき]](1989年) - 主演・我妻諒介 役 * [[3-4X10月]](さんたいよんえっくすじゅうがつ)(1990年) - 上原 役 ※兼脚本 * [[あの夏、いちばん静かな海。]](1991年) ※兼脚本、編集 * [[ソナチネ (映画)|ソナチネ]](1993年) - 主演・村川 役 ※兼脚本、編集 * [[みんな〜やってるか!]](1995年) - 透明人間推進協会博士 役 ※兼脚本 * [[キッズ・リターン]](1996年) ※兼脚本、編集 * [[HANA-BI]](1998年) - 主演・西佳敬 役 ※兼脚本、編集、挿入画 * [[菊次郎の夏]](1999年) - 主演・菊次郎 役 ※兼脚本、編集 * [[BROTHER (映画)|BROTHER]](2001年) - 主演・山本 役 ※兼脚本、編集 * [[Dolls (映画)|Dolls]](2002年) ※兼脚本、編集 * [[座頭市 (2003年の映画)|座頭市]](2003年) - 主演・座頭市 役 ※兼脚本、編集 * [[TAKESHIS']](2005年) - 主演・ビートたけし/北野武 役 ※兼脚本、編集 * [[監督・ばんざい!]](2007年) - 主演・キタノ・タケシ監督 役 ※兼脚本、編集 * [[アキレスと亀 (映画)|アキレスと亀]](2008年) - 主演・倉持真知寿 役 ※兼脚本、編集 * [[アウトレイジ (2010年の映画)|アウトレイジ]](2010年) - 主演・大友 役 ※兼脚本、編集、製作総指揮 ** [[アウトレイジ ビヨンド]](2012年) - 主演・大友 役 ※兼脚本、編集、製作総指揮 ** [[アウトレイジ 最終章]](2017年) - 主演・大友 役<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/eiga/news/211546|title=北野武「アウトレイジ 最終章」2017年公開、「やっぱり俺の映画になっちゃうよな」|newspaper=映画ナタリー|date=2016-12-02|accessdate=2016-12-02}}</ref> ※兼脚本、編集 * [[龍三と七人の子分たち]](2015年) - 村上 役<ref>{{Cite web|和書|url=http://eiga.com/news/20150105/1/|title=ビートたけしは刑事役!「龍三と七人の子分たち」劇中カットを入手|publisher=映画.com|date=2015-01-05|accessdate=2015-01-05}}</ref> ※兼脚本、編集 * [[首 (北野武)#映画|首]](2023年) - 主演・[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]] 役 ※兼脚本、編集 {{Div col end}} ==== ショートムービー ==== * [[それぞれのシネマ]]より「素晴らしき休日」(2007年) ==== ミュージック・ビデオ ==== * [[Begin (北野井子の曲)|Begin]](北野井子、1998年) ==== CM ==== * [[EDWIN]]「ボート編」「ドラム缶編」([[宮沢りえ]]出演、1992年) === 俳優として === ==== テレビドラマ ==== {{Div col|colwidth=30em}} * [[草野球・草家族]](1980年、テレビ朝日) * [[青春諸君!夏]](1980年、TBS) - 測量士 役 * [[二百三高地#テレビドラマ|二百三高地]](1981年、TBS) - 第七連隊の補充兵 役 * [[意地悪ばあさん (テレビドラマ)#フジテレビ版|意地悪ばあさん]](1981年、フジテレビ) * [[われら動物家族]](1981年 - 1982年、TBS) * [[刑事ヨロシク]](1982年、TBS) - 主演・原平太 役 * [[幕末青春グラフィティ 坂本竜馬]](1982年、日本テレビ) - [[山内容堂]] 役 * ちょっと噂の女たち・黒田軟骨の女難(1982年 - 1983年、MBS) ※特別出演 * [[AカップCカップ]]「天才たけちゃんのカルチャーショック」(1983年、テレビ東京) * みだらな女神たち(1983年、TBS) - 主演・花森武市 役 * [[昭和四十六年 大久保清の犯罪]](1983年、TBS) - 主演・[[大久保清]] 役 * [[ビートたけしの学問ノススメ|学問ノススメ]](1984年、TBS) - 主演・夏目宝石 役 * ビートたけしのこにくらじいさん(1984年、フジテレビ) ** ビートたけしのこにくらじいさん2(1984年、フジテレビ) * [[イエスの方舟事件#事件を題材とした作品|イエスの方舟]](1985年、TBS) - 主演・京極武吉 役 * [[恋子の毎日|青春夫婦物語 恋子の毎日]](1986年、TBS) - 星永小百合 役 ** 青春夫婦物語 恋子の毎日II(1988年、TBS) * [[雨の降る駅]](1986年、TBS) * 立体ドラマ5時間 1987年の大晦日「昭和大つごもり」(1987年、フジテレビ) * 向田邦子ふたたび(1988年、日本テレビ) * [[浅草キッド (小説)#ドラマ(テレビ朝日)|ビートたけしの浅草キッド・青春奮闘編]](1988年、テレビ朝日) - 目立つ客 役 * 男たちの激突! 前編・後編(1988年、フジテレビ) - 時造 役 * [[時間ですよ#時間ですよ 新春スペシャル「梅の湯はギャグでいっぱい」|時間ですよ 新春スペシャル]](1989年、TBS) * [[鞍馬天狗 (小説)#テレビドラマ|御存知!鞍馬天狗]](1989年、フジテレビ) - [[近藤勇]] 役 ※特別出演 * [[ビートたけし殺人事件]](1989年、TBS) - ビートたけし 役 ** ビートたけし殺人事件〜失われた魔人の伝説(1989年、TBS) - ビートたけし 役 * [[美空ひばり物語]](1989年、TBS) - [[田岡一雄]] 役 * なめくじ長屋捕物さわぎ(1990年、TBS) - 主演・大道の砂絵師 役 * [[柳生武芸帳#1990年-1992年|柳生武芸帳]](1990年、日本テレビ) - [[万里小路充房]] 役 * [[高円寺純情商店街]](1990年、テレビ朝日) * [[浮浪雲#ビートたけし版|浮浪雲]](1990年、TBS) - 主演・雲 役 * [[忠臣蔵 (1990年のテレビドラマ)|忠臣蔵]](1990年、TBS) - 主演・[[大石良雄|大石内蔵助]] 役 * [[実録犯罪史シリーズ]] [[金の戦争|金(キム)の戦争 ライフル魔殺人事件]](1991年、フジテレビ) - 主演・[[金嬉老事件|金嬉老]] 役 * 説得 [[エホバの証人輸血拒否事件|エホバの証人と輸血拒否事件]](1993年、TBS) - 主演 * ゴールデンボーイズ 1960笑売人ブルース(1993年、日本テレビ) * [[兄弟 (なかにし礼の小説)#テレビドラマ|兄弟 〜兄さん、お願いだから死んでくれ〜]](1999年、テレビ朝日) 主演・中西正一 * [[百年の物語]] 第2夜「戦後編・愛は哀しみをこえて」(2000年、TBS) - 戸倉耕作 役 * 三億円事件〜20世紀最後の謎〜(2000年、フジテレビ) - 主演・松田誠一郎 役 * [[明智小五郎対怪人二十面相]](2002年、TBS) - [[怪人二十面相]]/龍鳳斉天空 役 * [[火曜サスペンス劇場]]・[[松本清張]]スペシャル [[鬼畜 (松本清張)#テレビドラマ|鬼畜]](2002年、日本テレビ) - 主演・竹中保夫 役 * 松本清張没後10年記念 [[張込み#2002年版|張込み]](2002年、テレビ朝日) - 主演・柚木 役 * [[大河ドラマ]](NHK) ** [[武蔵 MUSASHI]](2003年) - [[新免無二|新免無二斎]] 役 ** [[いだてん〜東京オリムピック噺〜]](2019年) - [[古今亭志ん生 (5代目)|古今亭志ん生]] 役<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20171201030741/http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=12525 |title=《2019年大河ドラマ》出演者発表 第2弾! ビートたけしが "落語の神様" 役でナビゲート! |work=NHKオンライン |publisher=NHK |date=2017-11-29 |accessdate=2017-11-29 }}</ref> * 愚痴 第三話「出てった女」(2003年、フジテレビ) * [[和田アキ子殺人事件]](2007年、TBS) * 松本清張 [[点と線]](2007年、テレビ朝日) - 主演・鳥飼重太郎 役 * [[あの戦争は何だったのか 日米開戦と東條英機]] 第2部ドラマ(2008年、TBS) - 主演・[[東條英機]] 役 * [[こちら葛飾区亀有公園前派出所 (テレビドラマ)|こちら葛飾区亀有公園前派出所]](2009年、TBS) - キタノ 役 * [[歸國]](2010年、TBS) - 主演・大宮上等兵 役 * [[東京地検特捜部長・鬼島平八郎 “眠らぬ鬼”#テレビドラマ|検事・鬼島平八郎]](2010年、朝日放送・テレビ朝日) - 安東正親 役 ※特別出演 * [[黒い福音#2014年版|松本清張 黒い福音〜国際線スチュワーデス殺人事件〜]](2014年、テレビ朝日) - 主演・藤沢六郎 役 * [[赤めだか]](2015年、TBS) - [[立川談志]] 役 * [[ドクターX〜外科医・大門未知子〜]]スペシャル(2016年、テレビ朝日) - [[ドクターX〜外科医・大門未知子〜#黒須貫太郎|黒須貫太郎]] 役 * [[破獄#2017年版|破獄]](2017年、テレビ東京) - 主演・浦田進 役 * [[二つの祖国]](2019年3月24日、テレビ東京) - 東條英機 役 ※特別出演 {{Div col end}} ==== 映画 ==== {{Div col|colwidth=30em}} * [[ニッポン69、セックス猟奇地帯]](1969年) - インタビューで行き着けのジャズ喫茶について語る若者 * [[ゆけゆけ二度目の処女]](1969年) エキストラ出演 * [[新宿マッド]](1970年) - [[フーテン]] 役 * [[ダンプ渡り鳥]](1981年、[[関本郁夫]]監督) - 警官 役 * [[マノン (映画)|マノン]](1981年、[[東陽一]]監督) - しのぶ 役 * [[すっかり…その気で!]](1981年、[[小谷承靖]]監督) - 伊東たかし 役 ※初主演作品 * [[夏の秘密 (映画)|夏の秘密]](1982年、[[川上裕通]]監督) - ラーメン屋の主 役 * [[戦場のメリークリスマス]](1983年、大島渚監督) - ハラ 役 * [[十階のモスキート]](1983年、[[崔洋一]]監督) - 競艇場の予想屋 役 * [[哀しい気分でジョーク]](1985年、[[瀬川昌治]]監督) - 五十嵐洋 役 * [[夜叉 (映画)|夜叉]](1985年、[[降旗康男]]監督、[[高倉健]]主演) - 矢島 役 * [[コミック雑誌なんかいらない!]](1986年、[[滝田洋二郎]]監督、[[内田裕也]]主演) - 殺人犯 役 * [[姐御 (1988年の映画)|姐御 ANEGO]](1988年、[[鷹森立一]]監督) - 杉本昇治 役 ※特別出演 * ほしをつぐもの(1990年、小水一男監督) - 山のおじちゃん 役 * [[斬殺せよ 切なきもの、それは愛]](1990年、[[須藤久]]監督) - 定吉 役 * [[修羅の伝説]](1992年、[[和泉聖治]]監督) - 矢代喜一郎 役 * [[魚からダイオキシン!!]](1992年、[[宇崎竜童]]監督) - AZUMA 役 * エロティックな関係(1992年、若松孝二監督) - 奥山 役 * [[銀玉マサやん]](1992年、[[村石宏實]]監督) - ※特別出演 * [[教祖誕生]](1993年、[[天間敏広]]監督、たけし原作) - 司馬大介 役 * [[JM (映画)|JM]](1995年、[[ロバート・ロンゴ]]監督) - タカハシ 役 * [[GONIN]](1995年、[[石井隆]]監督) - 京谷一郎 役 * Tokyo Eyes(1998年、[[ジャン=ピエール・リモザン]]監督) * [[残侠 ZANKYO]](1999年、関本郁夫監督) - 梅川弦次 役 * [[御法度 (映画)|御法度]](1999年、大島渚監督) - [[土方歳三]] 役 * [[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]](2000年、深作欣二監督) - キタノ 役 ** バトル・ロワイアル 【特別篇】(2001年、深作欣二監督) - キタノ 役 ** [[バトル・ロワイアルII 鎮魂歌|バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】]](2003年、深作欣二・[[深作健太]]監督) - キタノ 役 * [[IZO (映画)|IZO]](2004年、[[三池崇史]]監督) - 宰相 役 * [[血と骨]](2004年、崔洋一監督) - 金俊平 役 * [[ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム]](2004年、サン・マー・メン監督) * [[アラキメンタリ]](2005年、トラヴィス・クローゼ監督) - 本人 役 * [[ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発]](2008年、[[河崎実]]監督) - タケ魔人 役 * [[あなたへ (映画)|あなたへ]](2012年8月25日、降旗康男監督) - 杉野輝夫 役 * [[MOZU#映画|劇場版 MOZU]](2015年11月7日、[[羽住英一郎]]監督) - 吉田駒夫(ダルマ) 役 * [[人生の約束]](2016年1月9日、[[石橋冠]]監督) - 岩瀬厚一郎 役<ref>{{Cite web|和書|url=http://eiga.com/news/20150318/3/|title=江口洋介は短髪!石橋冠監督作「人生の約束」に西田敏行&ビートたけしら主演級ずらり|publisher=映画.com|date=2015-03-18|accessdate=2015-03-18}}</ref> * [[女が眠る時]](2016年2月27日、[[ウェイン・ワン]]監督) - 佐原 役 * [[ゴースト・イン・ザ・シェル (映画)|ゴースト・イン・ザ・シェル]](2017年3月31日(全米)、[[ルパート・サンダース]]監督) - 荒巻大輔 役<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0080879|title=ビートたけし、ハリウッド版「攻殻機動隊」出演決定!スカヨハと共演!|publisher=シネマトゥデイ|date=2016-03-03|accessdate=2016-03-03}}</ref> {{Div col end}} ==== 舞台 ==== * 海に響く軍靴〜FOOTSTEPS IN THE PACIFIC〜(2015年、[[博品館劇場]]) - 原案 ==== テレビアニメ ==== * [[グラゼニ]](2018年) - 本人 役 ==== 劇場アニメ ==== * [[まことちゃん]](1980年) - 本人 役 ==== ゲーム ==== * [[龍が如く6 命の詩。]](2016年) - 広瀬徹 役 == 著作・出版 == 連載コラムや著書の文章のほとんどは、本人が多忙であるため、北野武が口述し、それをライターに文章として起こしてもらっている(『コマネチ!2』にて、本人のコメントによる)。 === 著書 === ==== 北野武名義 ==== {{Div col|colwidth=30em}} * 『午前3時25分』(1983年、太田出版)増補改訂版(1986年) * 『毒針巷談』(1984年、太田出版) * 『たけしくん、ハイ!』(1984年、太田出版)のち新潮文庫 * 『続毒針巷談』(1985年、太田出版) * 『余生』(2001年、[[ロッキング・オン]])のちソフトバンク文庫 * 『孤独』(2002年、ロッキング・オン)のちソフトバンク文庫 * 『時効』(2003年、ロッキング・オン)のちソフトバンク文庫 * 『武がたけしを殺す理由 全映画インタヴュー集』(2003年、ロッキング・オン) * 『イチロー北野武キャッチボール』(2003年、[[ぴあ]]) * 『異形』(2004年、ロッキング・オン) * 『光』(2005年、ロッキング・オン) * 『生きる』(2007年、ロッキング・オン) * 『全思考』(2007年、幻冬舎)のち文庫 * 『女たち』(2008年、ロッキング・オン) * 『北野武今、63歳』(2010年、ロッキング・オン) * 『KITANO par KITANO 北野武による「たけし」』ミシェル・テマン共著 松本百合子訳 (2010年、早川書房) のち文庫 * 『超思考』(2011年、幻冬舎)のち文庫 * 『物語』(2012年、ロッキング・オン) * 『ほしのはなし』作・絵 (2012年、ポプラ社) * 『やり残したこと』(2015年、ロッキング・オン) * 『新しい道徳』(2015年、幻冬舎) * 『ラストシーン』(2017年、ロッキング・オン) * 『[[首 (北野武)|首]]』(2019年、 KADOKAWA )- 小説作品 のち角川文庫 * 『北野武第一短篇集 純、文学』(2019年、河出書房新社)- 小説作品 * 『不良』(2020年、集英社) - 小説作品 * 『大親分! アウトレイジな懲りない面々』(2020年、河出書房新社) {{Div col end}} ==== ビートたけし名義 ==== {{Div col|colwidth=30em}} * 『たけし! オレの毒ガス半生記』(1981年、講談社)『真説「たけし!」 オレの毒ガス半生記』講談社+α文庫、1999 * 『ビートたけしの変態志願』(1982年、[[ベストセラーズ|KKベストセラーズ]]) * 『恐怖びっくり毒本』(1983年、KKベストセラーズ) * 『ビートたけしの幸せ独り占め ハクション・カメラ術』(1981年、オールナイト・ニッポン サンケイ出版)のち扶桑社文庫(高田文夫共著) * 『ビートたけしのゴックン日本史 幕末・明治の巻』リヨン社 1982(ゴーストライター作と言われている<ref name="allnightnippon">ビートたけしのオールナイト・ニッポン本人談</ref>) * 『ビートたけしの変・態・志・願 俺もお前も同期の桜』ベストセラーズ ワニの本 1982 * 『ビートたけしの幸せになってしまいました』(1982年、オールナイト・ニッポン サンケイ出版)のち扶桑社文庫「思わず幸せになってしまいました」 * 『ビートたけしの三国一の幸せ者』(1982年、オールナイト・ニッポン サンケイ出版)のち扶桑社文庫(高田文夫共著) * 『ビートたけしの無条件幸福』(1983年、オールナイト・ニッポン リビングマガジン)のち扶桑社文庫 * 『恐怖びっくり毒本 眠れぬ夜のあなたに いたずらテキスト版』編著 ベストセラーシリーズ ワニの本 1983 * 『ビートたけし&高田ギョロ目文夫のしまいにゃ笑うぞ!』高田文夫共著 スコラbooks 1983 * 『ビートたけしのウソップ物語』話の特集 1983 * 『ビートたけしのみんなゴミだった』(1983年、飛鳥新社) * 『ビートたけしのニッチもさっちも』(1984年、オールナイト・ニッポン&高田文夫編 [[扶桑社]])のち文庫 * 『ギャグ狂殺人事件』(1984年、作品社)(ゴーストライター作と言われている{{R|allnightnippon}})高田文夫との共著 * 『たけし吼える!』(1984年、飛鳥新社) * 『あのひと』(1985年、飛鳥新社)のち新潮文庫 * 『ビートたけしの幸か不幸か』(1985年、オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)のち文庫 * 『たけしの新・坊ちゃん』(1986年、太田出版)のち文庫 * 『KID RETURN』(1986年、太田出版) * 『続々毒針巷談』(1986年、太田出版) * 『ビートたけしの不幸中の幸い』(1986年、オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)のち文庫 * 『少年』(1987年、太田出版)のち新潮文庫 * 『たけしの挑戦状 たけし直伝 虎の巻』全2巻 太田出版 1987 * 『[[浅草キッド (小説)|浅草キッド]]』(1988年、太田出版)のち新潮文庫 * 『ビートたけしの全面幸福』(1988年、オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)のち文庫 * 『たけしの戦国風雲児 ファミコンゲーム必敗本』太田出版 1988 * 『新毒針巷談』(1988年、太田出版) * 『教祖誕生 第一部』(1990年、太田出版)のち新潮文庫 * 『ビートたけしのその男幸せにつき』(1990年、オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社)のち文庫 * 『ビートたけしの幸せ丸十年』(1990年、オールナイト・ニッポン&高田文夫編 扶桑社) * 『仁義なき映画論』(1991年、太田出版)のち文春文庫 * 『だから私は嫌われる』(1991年、新潮社)のち文庫 * 『やっぱり私は嫌われる』(1991年、新潮社)のち文庫 * 『ビートたけしの世紀末毒談』(1991年、[[小学館]]) * 『場外乱闘』(1992年 太田出版) * 『ビートたけしの世紀末毒談 目には目を毒には毒を』(1992年、小学館) * 『こんな時代に誰がした! 場外乱闘2』(1993年、太田出版) * 『みんな自分がわからない』(1993年、新潮社)のち文庫 * 『漫才病棟』(1993年、文藝春秋)のち文庫 * 『女につける薬 偏見だらけの大和撫子育成講座』(1993年、祥伝社) * 『落選確実選挙演説』(1994年、新潮社)のち文庫 * 『はっきり言って暴言です 恋愛・結婚・sex ビートたけしのTVタックル』テレビ朝日、1994 「嫉妬の法則 はっきり言って暴言です」角川文庫 『嫉妬の法則 恋愛・結婚・SEX』角川oneテーマ21 2013 * 『顔面麻痺』(1994年、太田出版)のち幻冬舎文庫 * 『女は死ななきゃ治らない あえて大和撫子改造講座』(1994年、祥伝社) * 『それでも女が好き めげずに大和撫子啓蒙講座』(1995年、祥伝社) * 『佐竹君からの手紙』太田出版 1995 * 『あなたと俺と日本人 ビートたけし暴言集2 ビートたけしのTVタックル』モジカンパニー編 テレビ朝日事業局出版部 1995「日本人改造論 あなたと俺と日本人」角川文庫 * 『たけしの死ぬための生き方』(1995年、新潮社)のち文庫 * 『みんな〜やってるか!』(1995年、扶桑社) * 『たけしの20世紀日本史』(1996年、新潮社)のち文庫 * 『草野球の神様』(1996年、新潮社)のち文庫 * 『佐竹君からの手紙 サハリン篇』太田出版 1996 * 『ザ・知的漫才 ビートたけしの結局わかりませんでした』(1996年、集英社)のち文庫 * 『ビートたけしの世紀末毒談3』(1996年、小学館)「世紀末毒談」文庫 * 『私は世界で嫌われる』(1998年、新潮社)のち文庫 * 『たけしの「号外」!!東スポ客員編集長北野武・問題発言集'91-'98』(1998年、洋泉社)「たけしの「オイラが東スポ編集長!」」宝島sugoi文庫 * 『愛でもくらえ』(1999年、祥伝社)のち黄金文庫 * 『コマネチ!ビートたけし全記録』(1999年、新潮文庫) * 『[[菊次郎とさき]]』(1999年、新潮社)のち文庫 * 『偽善の爆発 初級人間学講座 時事問題講義 1』(2000年、新潮社)「私ばかりがなぜもてる たけしの初級賢者学講座」文庫 * 『ニッポン文化大革命 初級人間学講座 基礎常識講義 2』新潮社、2000 「そのバカがとまらない たけしの中級賢者学講座」文庫 * 『頂上対談』(2001年、新潮社)のち文庫 * 『おまえの不幸には、訳がある!』新潮社・ラッコブックス、2001 のち文庫:副題:たけしの上級賢者学講座 * 『コマネチ!2 −BROTHER大特集』(2001年、新潮社) * 『ビートたけしの黙示録』(2001年、徳間書店)のち文庫 * 『路に落ちてた月 ビートたけし童話集』祥伝社 2001 のち黄金文庫 * 『たけしの[[大英博物館]]見聞録』新潮社 とんぼの本 2002 * 『巨頭会談』新潮社 2003 のち文庫 * 『たけしの発明王』新潮社 2003 * 『裸の王様』新潮新書 2003 * 『悪口の技術』新潮社 2003 のち文庫 * 『たけしの落書き入門』新潮社 とんぼの本 2004 * 『達人に訊け!』[[奥本大三郎]],[[毛利衛]],[[桜井章一]],[[戸田奈津子]],[[藤原正彦]],[[北原保雄]],[[藤田紘一郎]],[[中村祥二]],[[岡部幸雄]],[[岡野雅行 (会社社長)|岡野雅行]]共著 新潮社 2006 のち文庫 * 『恐竜は虹色だったか? たけしの「最新科学教室」』[[橋本周司]],[[田中修]],[[上田恵介]],[[村松照男]],[[海部宣男]],[[中込弥男]],[[船山信次]],[[冨田幸光]],[[吉村仁 (生物学者)|吉村仁]],[[有田正光]]共著 新潮社 2008 「たけしの最新科学教室」文庫 * 『貧格ニッポン新記録』小学館101新書 2008 * 『「カミさんポックリ教」宣言』小学館101新書 2009 * 『下世話の作法』祥伝社 2009 のち黄金文庫 * 『漫才』新潮社 2009 のち文庫 * 『1084(to-san ya-yo) MANZAI2 1月-3月』two beat [述] ネコ・パブリッシング 2010 * 『ラジオ北野』新潮社 2010 のち文庫 * 『間抜けの構造』新潮新書 2012 * 『ヒンシュクの達人』小学館新書 2013 * 『ビートたけしの幸せ三面記事新聞 TBS情報7daysニュースキャスター』ロッキング・オン 2013 * 『たけしのグレートジャーニー』 関野吉晴, 西江雅之, 荻巣樹徳, 山極寿一, 松浦健二, 塚本勝巳, 長沼毅, 佐藤克文, 窪寺恒己, 鎌田浩毅,村山斉共著 新潮社 2014 * 『日本人改造論 父親は自分のために生きろ』角川oneテーマ21 2014 * 『[[アナログ (小説)|アナログ]]』新潮社 2017 のち集英社文庫 * 『バカ論』新潮新書 2017 * 『テレビじゃ言えない』小学館新書 2017 * 『ビートたけしのオンナ論』サイゾー 2018 * 『「さみしさ」の研究』 小学館新書 2018 * 『芸人と影』小学館新書 2019 * 『たけしの人生相談 悩むの勝手 〜伊集院さんに聞けなかった話』徳間書店 2019 * 『キャバレー』文藝春秋 2019 - 小説作品 * 『コロナとバカ』小学館新書 2021 {{Div col end}} === 共著 === {{Div col|colwidth=30em}} * 『日本の差法 無差別級トークバトル』[[ホーキング青山]]との対談(2002年、[[新風舎]])のち文庫 * 『ツーアート』[[村上隆]]共著 ぴあ 2003 のち光文社知恵の森文庫 * 『野球小僧 少年たけしと少年マツイ』[[松井秀喜]]共著 ぴあ 2004 * 『コマ大数学科特別集中講座』[[竹内薫]]共著(2006年、扶桑社)のち新書 * 『もったいないねこのバチ当たりめ!北野大VSビートたけしの新環境文化論』あ・うん 2010 * 『THE PARADOX コマ大数学科公認副読本』竹内薫,[[中村亨 (数学ライター)|中村亨]]共監修 扶桑社 2011 * 『最後の大独演会』立川談志,[[太田光]]共著 新潮社 2012 {{Div col end}} === 絵本 === * ほしのはなし(2012年12月14日、ポプラ社) === 詩集 === * 『キッド リターン』[[太田出版]]、1986年 * 『僕は馬鹿になった。ビートたけし詩集』[[祥伝社]]、2000 のち文庫 === 写真集 === * 武風 たとえば風のように(1986年頃、O.P.F.C) * たけし軍団(1987年11月18日、太田出版) === 写真作品 === * 「無題」(1994年、[[竹書房]]発行、[[月刊ザ・テンメイ]]1994年秋臨時増刊号「Super Tenmei」掲載)加納典明にオファーされてバイク事故直前に撮ったヌードグラビア(雑誌は事故後発売)。写真家としての処女作品。 * 「ORA-ATAI」(1998年、[[新潮社]]発行、[[新潮45]]別冊2月号「北野武責任編集『コマネチ!』ビートたけし全記録」掲載)学ラン姿の[[ガダルカナル・タカ]]とセーラー服姿の[[井手らっきょ]](スキンヘッドそのまま)がカップルに扮し東京見物するコンセプト。 * 「海から来た、おんな」(2002年、小学館発行、2002年2月1日号「週刊ポスト」掲載)北野武作品の常連女優であった大家由布子を被写体モデルに起用した、ストーリー仕立てのヌードグラビア。 == 連載 == ; '''現在''' * ビートたけし「21世紀毒談」(週刊ポスト) ; '''終了''' * 「達人対談」(新潮45) * 「世相斬り」(東京スポーツ) * ([[SIGHT]]) * ([[週刊実話]]) == ネットマガジン == '''終了''' * ビートたけし責任編集ネットマガジン『お笑いKGB』 == 音楽・ゲーム == === ディスコグラフィ === ''ツービート、[[ぢ・大黒堂]]名義で発表された作品についてはそれぞれの項目を参照。'' ==== ソロシングル ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" |- ! # ! 発売日 ! タイトル ! B面 ! 規格 ! [[規格品番]] |- !colspan="6" style="font-size:small;"|[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター音楽産業]] |- ! - | 1981年2月21日 | '''俺は絶対テクニシャン''' | 茅場町の女<br />([[ビートきよし]]) | [[レコード#EP盤|EP]] | KV-3005 |- ! 1st | 1981年6月5日 | '''いたいけな夏''' | And I Love Her | EP | KV-3010 |- ! 2nd | 1982年9月5日 | '''OK!マリアンヌ'''{{Efn2|売上3万枚<ref name="asg150228">[http://news.biglobe.ne.jp/entertainment/0228/asg_150228_4086826329.html 芸人、映画監督以上にスゴかった!「歌手」ビートたけしの知られざる30年史]、BEGLOBEニュース(アサ芸プラス)、2015年2月28日 09:17。</ref>}} | City Bird | EP | SV-7246 |- ! 3rd | 1983年5月21日 | '''TAKESHIの、たかを くくろうか''' | 男というもの | EP | SV-7305 |- ! 4th | 1986年2月5日 | '''ポツンと1人きり''' | 見る前に躍べ | EP | SV-9102 |- !colspan="6" style="font-size:small;"|ビクターエンタテインメント |- ! 5th | 1993年6月23日 | '''嘲笑'''{{Efn2|[[玉置浩二]]のアルバム『[[Offer Music Box]]』(2012年)に、玉置[[セルフカバー]]が収録された。}} | 風の街のジュウちゃん | [[8センチCD|8cmCD]] | VIDL-10313 |} ==== コラボレーションシングル ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" |- ! 発売日 ! タイトル ! B面 ! 規格 ! [[規格品番]] ! 発売元 |- !colspan="6" style="font-size:small;"|[[畑中葉子]]・ビートたけし |- | 1982年4月5日 | '''丸の内ストーリー''' | 左手で愛して<br />(畑中葉子) | [[レコード#EP盤|EP]] | SV-7204 | [[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター音楽産業]] |- !colspan="6" style="font-size:small;"|[[アミダばばあ]] & [[タケちゃんマン]] |- | 1983年10月21日 | '''アミダばばあの唄''' | アミアミダダバ アミダばば | EP | 7A-0328 | [[ポニーキャニオン|キャニオン・レコード]] |- !colspan="6" style="font-size:small;"|タケちゃんマン & [[ナンデスカマン]] |- | 1984年5月21日 | '''びっくり箱のうた''' | タケちゃんマンロボのテーマ<br />([[町田義人]]・ナレーション: [[大平透]]) | EP | 7A-0369 | キャニオン・レコード |- !colspan="6" style="font-size:small;"|ビートたけし & [[たけし軍団]] |- | 1984年8月21日 | '''抱いた腰が{{Ruby|チャッチャッチャッ|CHA CHA CHA}}''' | 私立ノストラダムス学院校歌<br />(ビートたけし) | EP | SV-7419 | rowspan="4"|ビクター音楽産業 |- | 1985年2月21日 | '''[[哀しい気分でジョーク#主題歌|哀しい気分でジョーク]]''' | 捨てきれなくて<br />(ビートたけし) | EP | SV-7473 |- | 1986年5月21日 | '''I FEEL LUCKY''' | 宵闇スターダスト ON THE BEACH<br />(ビートたけし) | EP | SV-7473 |- | 1986年8月15日 | '''ロンリーボーイ・ロンリーガール''' | 四谷三丁目 | EP | SV-9165 |- !colspan="6" style="font-size:small;"|TAKESHI & [[松方弘樹|HIROKI]] |- | 1986年4月21日 | '''I'll be back again...いつかは''' | 俺の妹になんてことを | EP | SV-9087 | ビクター音楽産業 |- !colspan="6" style="font-size:small;"|ビートたけし with たけし軍団COUNT DOWN |- | rowspan="3"|1988年7月16日 | rowspan="3"|'''BOY〜If I'm 17'''{{Efn2|売上34,000枚{{R|asg150228}}}} | rowspan="3"|東京子守唄<br />(ビートたけし) | EP | SV-9363 | rowspan="3"|ビクター音楽産業 |- | [[コンパクトカセット|CT]] | VST-10411 |- | [[8センチCD|8cmCD]] | VDRS-1072 |- !colspan="6" style="font-size:small;"|T's{{Efn2|[[所ジョージ]]と組んだ音楽ユニット}} |- | 1991年9月13日 | '''真っ暗な夜に''' | 今夜かぎりのララバイ<br />(K's) | 8cmCD | PIDL-1030 | [[NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン|パイオニアLDC]] |- !colspan="6" style="font-size:small;"|ビートたけし & ザ・{{Ruby|常夏's|トコナッツ}} |- | 1994年3月12日 | '''GOD BLESS YOU 〜神の御加護を〜''' | 勇気を出して… | 8cmCD | VIDL-10500 | ビクターエンタテインメント |- !colspan="6" style="font-size:small;"|トビ木村と足手まといア〜ンドビートたけし |- | 1997年3月21日 | '''修善寺で別れた大宮の{{Ruby|女|ひと}}''' | 大宮で別れた修善寺の{{Ruby|女|ひと}} | 8cmCD | VIDL-10859 | ビクターエンタテインメント |} ==== オリジナルアルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" |- ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- !colspan="5" style="font-size:small;"|[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター音楽産業]] |- ! rowspan="2"|1st | rowspan="2"|1982年6月21日 | rowspan="2"|'''おれに歌わせろ'''{{Efn2|発売1か月強で売上5万枚以上<ref>「ピープル・シアター ドリフを粉砕した『ひょうきん族』の"タケちゃんマン"」(ビートたけし)『[[文藝春秋]]』1982年9月号<!--該当ページにノンブルなし-->。</ref>。}} | [[レコード#LP盤|LP]] | SJX-30152 |- | [[コンパクトカセット|CT]] | VCH-10154 |- ! rowspan="2"|2nd | rowspan="2"|1983年1月21日 | rowspan="2"|'''これでもか!''' | LP | GX-5503 |- | CT | VCH-694 |- ! rowspan="3"|3rd | rowspan="3"|1984年10月21日 | rowspan="3"|'''A.M.3:25''' | LP | SJX-30246 |- | CT | VCH-10267 |- | [[コンパクトディスク|CD]] | VDR-46 |- ! rowspan="3"|4th | rowspan="3"|1986年8月15日 | rowspan="3"|'''浅草キッド''' | LP | SJX-30305 |- | CT | VCH-10358 |- | CD | VDR-1267 |- ! rowspan="3"|5th | rowspan="3"|1987年7月29日 | rowspan="3"|'''卒業''' | LP | SJX-30340 |- | CT | |- | CD | VDR-1400 |- ! rowspan="3"|6th | rowspan="3"|1988年9月7日 | rowspan="3"|'''豪華絢爛''' | LP | SJX-30363 |- | CT | VCH-10438 |- | CD | VDR-1536 |} ==== ライブアルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" |- ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- !colspan="5" style="font-size:small;"|[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター音楽産業]]<br />ビートたけし & [[たけし軍団]] 名義 |- ! rowspan="2"|1st | rowspan="2"|1985年7月5日 | rowspan="2"|'''野戦病院〜ビートたけし&たけし軍団ライブ''' | [[レコード#LP盤|LP]] | SJX-30272 |- | [[コンパクトカセット|CT]] | VCH-10302 |} ==== ベストアルバム ==== {| class="wikitable" style="font-size:small" |- ! ! 発売日 ! タイトル ! 規格 ! [[規格品番]] |- !colspan="5" style="font-size:small;"|[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター音楽産業]] |- ! rowspan="2"|1st | rowspan="2"|1986年11月21日 | rowspan="2"|'''SINGIN' LOUD''' | [[コンパクトディスク|CD]] | VDR-1311 |- | [[コンパクトカセット|CT]] | VCH-2836 |- ! rowspan="2"|2nd | rowspan="2"|1988年2月21日 | rowspan="2"|'''たけちゃん・ナイス!''' | CD | VDR-1487 |- | CT | VCH-2859 |- ! rowspan="2"|3rd | rowspan="2"|1988年11月21日 | rowspan="2"|'''オーイ!た〜けちゃ〜ん''' | CD | VDR-5259 |- | CT | VCH-2873 |- ! 4th | rowspan="2"|1989年3月21日 | '''CD FILE VOL.1''' | CD | VDR-25030 |- ! 5th | '''CD FILE VOL.2''' | CD | VDR-25031 |- !colspan="5" style="font-size:small;"|ビクター音楽産業<br />ビートたけし & [[たけし軍団]] 名義 |- ! - | 1989年10月21日 | '''OH!傑作 ビートたけし&たけし軍団COUNT DOWN BEST SONGS''' | CD | VDRY-28002 |- !colspan="5" style="font-size:small;"|ビクターエンタテインメント |- ! 6th | 1993年12月1日 | '''Singin' Loud II''' | CD | VICL-8084 |- ! 7th | 1994年11月23日 | '''たけちゃん・ガンバレ!''' | CD | VICL-8112 |- ! 8th | 1995年10月27日 | '''ゴメ〜ンネ!たけちゃん''' | CD | VICL-5292 |- ! 9th | 2009年9月16日 | '''ゴールデン☆ベスト 〜ビクター・シングルス&アルバム・セレクション〜''' | CD | VICL-63423/4 |- !colspan="5" style="font-size:small;"|JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント |- ! 10th | 2015年6月24日 | '''ゴールデン☆ベスト ビートたけし シングルA面コレクション''' | [[スーパー・ハイ・マテリアルCD|SHM-CD]] | VICL-70180 |} ==== タイアップ曲 ==== {|class="wikitable" style="font-size:small" !楽曲 !タイアップ !収録作品 |- | OK!マリアンヌ | [[コーセー|コーセー化粧品]] '82秋のイメージ・ソング | シングル「OK!マリアンヌ」 |- | アミダばばあの唄 | rowspan="3"|[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系『[[オレたちひょうきん族]]』より | rowspan="2"|コラボレーションシングル「アミダばばあの唄」 |- | アミアミダダバ アミダばば |- | びっくり箱のうた | コラボレーションシングル「びっくり箱のうた」 |- | 私立ノストラダムス学院校歌 | [[TBSテレビ|TBS]]系ドラマ『[[ビートたけしの学問ノススメ]]』主題歌 | コラボレーションシングル「抱いた腰が{{Ruby|チャッチャッチャッ|CHA CHA CHA}}」 |- | 哀しい気分でジョーク | [[松竹]]映画『[[哀しい気分でジョーク]]』主題歌 | コラボレーションシングル「[[哀しい気分でジョーク#主題歌|哀しい気分でジョーク]]」 |- | I FEEL LUCKY | [[明治製菓|明治]]『ラッキー』CFソング | rowspan="2"|コラボレーションシングル「アミダばばあの唄」 |- | 宵闇スターダスト ON THE BEACH | [[日本テレビ放送網|NTV]]系バラエティー『[[OH!たけし|Oh!たけし てな訳で参ったか]]』テーマ・ソング |- | I'll be back again...いつかは | NTV系『[[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]]』イメージ・ソング | コラボレーションシングル「I'll be back again...いつかは」 |- | 真っ暗な夜に | 日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』応援歌 | コラボレーションシングル「真っ暗な夜に」 |- | 嘲笑 | フジテレビ系『[[北野ファンクラブ]]』テーマ曲 | rowspan="2"|シングル「嘲笑」 |- | 風の街のジュウちゃん | 小説『漫才病棟』より |- | GOD BLESS YOU 〜神の御加護を〜 | 日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』エンディングテーマ | rowspan="2"|コラボレーションシングル「GOD BLESS YOU 〜神の御加護を〜」 |- | 勇気を出して… | 日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』挿入歌 |- | 修善寺で別れた大宮の{{Ruby|女|ひと}} | フジテレビ系『[[北野富士]]』エンディングテーマ | コラボレーションシングル「修善寺で別れた大宮の{{Ruby|女|ひと}}」 |} === 作詞提供 === * チポップ([[宮沢りえ]]) * 心から好き(宮沢りえ)TVドラマ『東京エレベーターガール』主題歌。kikuji名義にて。 === 参加音楽作品 === * モンゴル子守唄 所ジョージ(間奏のラジオアナウンス) * ニワトリは飛んでいかない 所ジョージ(曲中のニワトリの鳴き声) ** 二曲共アルバム「コケコッコゥ〜七色の声色〜」収録、また上記の二曲だけではなく、ジャケット写真でもギターを持って所と写っている。 === 参加したコンピュータゲーム === {{Div col|colwidth=30em}} * [[たけしの挑戦状]]([[タイトー]]) * [[たけしの戦国風雲児]](タイトー) * [[ファミリートレーナー 突撃!風雲たけし城]]([[バンダイ]]) * [[オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ]]([[任天堂]]) * ビートたけしのお笑いKGB〜THE GAME([[徳間書店]]・京風とまと・ファイブクリエイション) {{Div col end}} ==== たけしの挑戦状 ==== {{Main|たけしの挑戦状}} 1986年12月に発売され、たけしが監修したファミコン用ソフト『たけしの挑戦状』(タイトー)は「今までにない独創的な発想を入れたい」という意図が反映され、言葉通りその斬新さと理不尽きわまりない内容で多くのユーザーに衝撃を与え、'''伝説の[[クソゲー]]'''として名を残すこととなった。たけし自ら、「'''今までのゲームと同じレベルで考えるとクリアー出来ない'''」とコメントしている。世界観は極めて退廃的であり、主人公は薄汚れた町並みの中に住む世帯持ちのしがないサラリーマンである。 多くの書籍などでクソゲーの代表格とされることが多い一方で、過去の名作ランキングでは必ず上位にランクされるほど非常に印象深い作品となり、現在では、「北野映画に通じるところがある」「早すぎた[[グランド・セフト・オートシリーズ|グランド・セフト・オート]]」など、ゲーム内容を再評価する声もある<ref>{{Cite news |url=http://life-cdn.oricon.co.jp/68263/full/ |title=「"北野映画"に通じる先見性があった」伝説のクソゲー"たけ挑"制作秘話 |newspaper=ライフ関連ニュース |publisher=オリコン |date=2009-08-08 |accessdate=2016-08-08}}</ref>。 == 受賞 == === 監督として === * 1990年 日本映画監督協会新人奨励賞 * 1991年 [[トリノ国際映画祭]] 特別賞(『3-4x10月』) * 1991年 [[ブルーリボン賞 (映画)#第31回(1988年度) - 第40回(1997年度)|第34回ブルーリボン賞]] 最優秀作品賞・監督賞(『あの夏、いちばん静かな海。』) * 1993年 タオルミナ国際映画祭 グランプリ(『ソナチネ』) * 1995年 コニャック国際映画祭 批評家賞(『ソナチネ』) * 1996年 [[ブルーリボン賞 (映画)#第31回(1988年度) - 第40回(1997年度)|第39回ブルーリボン賞]] 監督賞(『キッズ・リターン』) * 1996年 第6回[[日本映画プロフェッショナル大賞]] 監督賞(『キッズ・リターン』) * 1996年 [[山路ふみ子映画賞|山路ふみ子文化財団特別賞]] * 1997年 第54回ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞(『HANA-BI』) * 1998年 ニューヨーク国際映画祭 国際映画賞(『HANA-BI』) * 1998年 [[サンパウロ国際映画祭]] 批評家賞(『HANA-BI』) * 1998年 第10回[[ヨーロッパ映画賞]] スクリーン・インターナショナル賞(『HANA-BI』) * 1998年 [[ブルーリボン賞 (映画)#第41回(1998年度) - 第50回(2007年度)|第41回ブルーリボン賞]] 作品賞・監督賞・主演男優賞(『HANA-BI』) * 1999年 第8回[[日本映画批評家大賞]] 監督賞 * 2002年 ダマスカス国際映画祭 最優秀作品賞(『Dolls』) * 2003年 第60回ヴェネツィア国際映画祭 銀獅子賞(『座頭市』) * 2003年 第33回シッチェス・カタロニア国際映画祭 グランプリ(『座頭市』) * 2003年 第26回トロント国際映画祭 観客賞(『座頭市』) * 2003年 第27回[[日本アカデミー賞]] 最優秀編集賞(『座頭市』) * 2006年 ガリレオ2000賞 文化特別賞 * 2007年 第64回ヴェネツィア国際映画祭 監督・ばんざい!賞(『監督・ばんざい!』) * 2008年 モスクワ国際映画祭 特別功労賞 * 2008年 テッサロニキ国際映画祭 ゴールデン・アレクサンダー名誉賞 * 2008年 [[GQ JAPAN|GQ]] MEN OF THE YEAR 2008<ref>{{Cite web|和書|url=http://gqjapan.jp/fashion/wardrobe/20121024/motyjapanhistory|title=過去のMen of the Year受賞者たち【国内編】|publisher=GQ JAPAN|date=|accessdate=2014-11-21}}</ref> * 2009年 ソフィア国際映画祭 観客賞(『アキレスと亀』) * 2013年 第22回日本映画批評家大賞 監督賞(『アウトレイジ ビヨンド』) * 2015年 第8回したまちコメディ映画祭in台東 コメディ栄誉賞{{R|comedy}} なお、2016年の第25回東京映画スポーツ映画大賞については発表時には監督賞・北野武(『龍三と七人の子分たち』)と発表されていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/173015|title=ビートたけしが「龍三と七人の子分たち」に4冠授ける、東スポ映画大賞発表|publisher=映画ナタリー|date=2016-01-26|accessdate=2016-01-27}}</ref>。ところが、授賞式では同賞の審査委員長を務める北野が「是枝監督に」と自身が受賞したトロフィーを会場に来ていた[[是枝裕和]]監督(『[[海街diary (映画)|海街diary]]』で出席)に手渡し、これにより是枝監督が監督賞を受賞することとなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20160228dog00m200033000c.html|title=海街diary:たけしの思い付きで「東スポ映画大賞」1冠増え4冠に 綾瀬、長澤、すずがコマネチ|publisher=まんたんウェブ|date=2016-02-29|accessdate=2016-03-01}}</ref>。主催者である東京スポーツの授賞式記事(受賞者一覧)では「監督賞:北野武(「龍三と七人の子分たち」)→是枝裕和(「海街diary」)」となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/224530|title=【東スポ映画大賞】授賞式、受賞者一覧|publisher=東京スポーツ|date=2016-02-29|accessdate=2016-03-01}}</ref>。 === その他 === * 東京スポーツ新聞社客員編集長、東京スポーツ映画大賞審査委員長 * 第11回(1983年)、第14回(1986年)[[日本放送演芸大賞]]大賞、第12回(1984年)日本放送演芸大賞話題賞、第13回(1985年)日本放送演芸大賞特別賞 * 第20回[[ゴールデン・アロー賞]]芸能賞(1982年)、第23回ゴールデン・アロー賞大賞(1985年)、第27回ゴールデン・アロー賞映画賞(1989年)、第40回ゴールデン・アロー賞特別表彰ゴールデンスター賞(2002年)ビートたけし名義での受賞。 * 第35回、第38回ゴールデン・アロー賞大賞(1997年、2000年)北野武名義での受賞。 * 都民文化栄誉章(1998年) * フランス芸術文化勲章{{R|ORICON20150605}} ** シュヴァリエ(騎士)(1999年){{R|kotobank1}} ** コマンドール(騎士団長)(2010年) * シャンパーニュ騎士団{{R|ORICON20150605}} ** オフィシエ・ドヌール(名誉将校)(2014年) ** シャンベラン・ドヌール(名誉侍従){{Efn2|たけしは[[モナコ公国]][[モナコ統治者の一覧|大公]][[アルベール2世 (モナコ大公)|アルベール2世]]、フランスの政治家[[フランソワ・バロワン]]に続き史上3人目となる。}}(2015年)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/116011 |title=北野武監督が仏「名誉侍従」に!史上3人目の快挙 |publisher=東スポWeb |date=2015-06-05 |accessdate=2015-06-05 }}</ref> * [[レジオンドヌール勲章]]オフィシエ(将校)(2016年)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/articles/ASJBL5H1KJBLUCLV00T.html |title=北野武さんにレジオン・ドヌール勲章「素直にうれしい」 |accessdate=2016-10-21 |date=2016-10-19 |work=朝日新聞デジタル |publisher=朝日新聞社}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/10/19/kiji/K20161019013562850.html |title=世界のキタノにまた新たな称号 仏最高勲章、現地25日に叙勲式 |newspaper=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2016-10-19 |accessdate=2016-10-19 }}</ref> * 旭日小綬章(2018年)<ref>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/culture/20180429-OYT1T50010.html|title=旭日小綬章に北野武さんら…春の叙勲4151人|newspaper=読売新聞|date=2018-4-29|accessdate=2018-4-29}} {{Wayback|url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20180429-OYT1T50010.html|date=20180429222510}}</ref> * 明治大学特別功労賞授与(2004年) * イタリアの第10回ガリレオ2000賞・文化特別賞受賞(2006年) * [[日本数学会出版賞]]受賞(2008年)<ref>[http://mathsoc.jp/publicity/pubprize2008.html 日本数学会 広報委員会 2008年度日本数学会賞出版賞]</ref> * 『[[タイム (雑誌)|タイム]]』誌アジア版2001年2月12日号の表紙を飾った。2002年には同誌の「アジアのヒーロー」の一人として選出された<ref>{{Cite web |url=http://www.time.com/time/asia/features/heroes/takeshi.html |title=Asian Heros - Takeshi Kitano |language=英語 |publisher=TIMEasia.com |accessdate=2016-08-08 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20020425005832/http://www.time.com/time/asia/features/heroes/takeshi.html |archivedate=2002年4月25日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 == 評価 == === 肯定的評価 === * 1981年、[[文芸評論家]]の[[鶴見俊輔]]は『広告批評』誌上における座談の中で、「'''ツービートは[[がきデカ]]の位置に似ている'''」と評し、文芸評論家・[[高澤秀次]]はこの評を絶賛した。 * 1983年、[[吉本隆明]]は[[栗本慎一郎]]との対談集の中で、たけしの話芸を「'''自分を[[異化]]することによって[[自然]]の流れとしてしまう芸風'''」と評した<ref>栗本慎一郎・吉本隆明『相対幻論』冬樹社、1983年(1985年に角川文庫に収録) {{ISBN2|978-4041501054}}(角川文庫版)</ref>。一方、のちに吉本が「[[海燕]]」誌上で[[埴谷雄高]]と論争(1985年)になった際、たけしは『もっと阿呆になれ、吉本!』という文章を発表し「吉本さんは言い回しが難解」と批判した。 * [[加藤茶]]は、インタビューで「…たけし君が映画監督で評価されている。でも、お笑いに帰ってくると、必ずバカなことするじゃないですか。バカをやる、という素晴らしさの原点を知っているんです。だから大好き」と、評価している<ref>朝日新聞夕刊『人生の贈りもの』2008年12月5日より</ref>。 * [[色川武大]]は「'''才能は切れるが、それだけにいいところを一人占めしようとしすぎる'''」とし、[[榎本健一]]・[[藤山寛美]]・萩本欽一と並べて「自分の手足を切ってゆく」タイプの芸人に分類し、対極として、[[古川ロッパ]]・[[森繁久彌]]・タモリの名を挙げた<ref>色川武大『なつかしい芸人たち』新潮社、1989年 {{ISBN2|978-4103311041}}(「銀座百点」掲載、1987年)</ref>。 * たけしに影響を受けた芸能人は多く、[[とんねるず]]、[[爆笑問題]]、[[さまぁ〜ず]]などが挙げられる。その理由は「たけしの芸風に直接影響を受けた」「マルチタレントとしての先輩として尊敬している」など、さまざまである。 ** 爆笑問題の太田光は漫才のネタにたけしが得意とする「ブラックユーモア」を積極的に取り入れたりしているその一方で「自分は憧れているビートたけしとは別物である」といった思いをしばしば述べており、自身がする無軌道なボケ・発言などはそれらの表れであるとしている<ref>[https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/1d9fd226bb8ce9aab5e7ec8e12ea5014ab94564f 爆笑問題はなぜ"つまらない"ボケを繰り返すのか? 太田光の「テレビ論」] [[Yahoo!ニュース]] </ref>。 ** とんねるずは、マルチタレントとしてたけしに大いに影響を受け、たけしが高めたお笑い芸人の地位をさらに高めることに成功している。 ** [[ナインティナイン]]も、たけしからの影響を強く受けている。ナイナイは若手時代にたけしとお笑いウルトラクイズで共演したことにより、知名度が上がった。その後、ナイナイの冠番組などに、たけしが呼ばれるなどしている。 ** [[ロンドンブーツ1号2号]]の[[田村亮 (お笑い芸人)|田村亮]]は「芸能人は皆例外なくオーラを持っているが、たけしさんは格が違う。」と語っている。 ** お笑い芸人以外では、[[TOKIO]]のメンバー全員がたけしのファンであることが、「たけしのニッポンのミカタ(国分太一がレギュラー出演している)」10月31日放送分で紹介された。 ** 俳優の[[西島秀俊]]はたけしのファンであり、『ビートたけしのオールナイトニッポン』など昔、たけしが出演していたラジオ番組が録音されたカセットテープを知人から借り、MDに録音していた程である。『ビートたけしのオールナイトニッポン』については、四国に住むマニアから当時の録音テープを貰い、その約200本のテープを同じくたけしのファンである水道橋博士に贈っているほどである。 ** 美空ひばりの息子である[[加藤和也 (ひばりプロダクション)|加藤和也]]はたけしのファンであり、少年時代にひばりがたけしを強引に和也に合わせたことがある(和也はとんねるずのファンでもあり、ひばりがとんねるずに差し入れを行うなど、同様のエピソードがある)。 * フランス芸術文化勲章の「シュヴァリエ」を1999年に授与され、2010年に「コマンドゥール」を授与された際に、[[フランス文化省]]から「映画監督としての活動は言うまでもなく、1つの才能を持った人ではない。人々を笑わせること、感動させることができ、怖がらせることもできる。あらゆる面で支持者を持つ。類を見ない自由さをもってモノづくりを進める直感的才能に対し、賞を贈る」と評された。なお、この「コマンドゥール」受賞をレジオンドヌール勲章の「オフィシエ」を受賞した黒澤明を超えたとする報道もあったが、レジオンドヌール勲章はフランスでは最高位の勲章であり、芸術文化勲章との勲位の比較は意味がない。2016年にはたけしもレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受章している。 === 否定的評価 === * 1981年、[[ルポライター]]・[[鎌田慧]]が「'''ツービートの残酷ギャグは[[ファシズム]]の兆し'''」と批判した<ref>「ファシズムみんなで進めば怖くない」『朝日ジャーナル』朝日新聞社、1981年</ref>。 * ルポライター・[[吉岡忍 (作家)|吉岡忍]]は、ツービート(ビートたけし)を[[ジョン・レノン]]射殺事件の犯人[[マーク・チャップマン]]に重ねて論じるほど忌諱していたが、後に吉岡はその認識を変え、北野映画の[[ルポルタージュ]]を執筆するほど関心を寄せるようになった。 * [[辛淑玉]]や[[佐高信]]、[[本多光夫|諸井薫]]が、たけしの軍団に対する態度を「[[権威主義]]的で[[いじめ|弱い者いじめ]]をしている」と、{{要出典範囲|それぞれコラムなど|date=2017年4月}}で述べている。これら批判的な論評について、たけしは「冗談と本気の区別が付かない奴らがいる」と評している。 * [[田中康夫]]は、たけしを自らと同じく「価値紊乱者」(既存の権威への挑戦者)として評価しつつも、1980年代中盤には『感覚の倫理学』および『ファディッシュ考現学』にて立川流への入門や軍団創設を「肩書きや権威など精神的ブランドに頼るようになり(当時、たけしがなりたいと語っていた)日本の[[レニー・ブルース]]になりそこねた」と評した。一方で、たけしの過激な言動に隠された内面の繊細さもまた指摘し、フライデー襲撃事件の際にはフライデーの取材姿勢を批判、たけしを擁護する立場を取った<ref>[[朝倉喬司]]/監修・[[筑紫哲也]]『たけし事件 - 怒りと響き』太田出版、1987年 {{ISBN2|978-4900416284}}</ref>。その後、田中はたけしとテレビ番組で度々共演するなど交流も持ったが、その後も「ドナルドダックのように嫌われることも厭わず本音で周囲に毒を吐く存在であったはずが、嫌われることを恐れ人気者であり続けようとミッキーマウスのように無難な優等生的発言しか行わなくなりつつある」といった意味の論評も行っている<ref>『神なき国のガリバー』、『ニッポンご託宣』</ref>。また、バイク事故直後にあえて顔面麻痺状態で会見に臨んだことは評価したが、その後の本格復帰については「芸能界の一線からは退いた方が良かったのではないか、取り巻きや軍団を養うためだとすれば自活を促すべきだった」と評した。他方、たけしは「理屈ばっかり言っていた田中康夫が気に食わず」<ref>『森田一義アワー 笑っていいとも!』最終回(2014年3月31日)「表彰状」イジリー北野(ビートたけし)</ref>、1983年2月に当時田中がレギュラー出演していた『森田一義アワー 笑っていいとも!』に乱入し、田中の首を締め上げたことがあった。たけしが2014年3月31日放映の『笑っていいとも!』最終回でこのエピソードを披露すると、その夜の総集編である『[[笑っていいとも!特大号|笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号]]』では、たけしの代わりに太田光が田中の首を締め上げて見せた。 == 演じた俳優 == ;俳優 * 『[[たけしくん、ハイ!|たけしくんハイ!]]』『続・たけしくんハイ!』(1985年・1986年、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]) - [[小磯勝弥]] * 『[[浅草キッド (小説)#ドラマ(テレビ朝日)|ビートたけしの浅草キッド・青春奮闘編]]』(1988年、[[テレビ朝日]]) - [[天宮良]] * 新春ドラマスペシャル『[[菊次郎とさき#テレビドラマ|菊次郎とさき]]』(2001年1月6日、テレビ朝日) - [[松川尚瑠輝]](少年時代)、[[ダンカン (お笑い芸人)|ダンカン]](成人) ** 『菊次郎とさき』(2003年・2005年・2007年、テレビ朝日) - [[桑原成吾]](少年時代(第1・2シリーズ))、[[大和田凱斗]](少年時代(第3シリーズ))、[[塚本高史]](青年時代(第2・3シリーズ)) * 『[[浅草キッド (小説)#ドラマ(スカイパーフェクTV!)|浅草キッドの「浅草キッド」]]』(2002年、[[スカパー! (東経110度BS・CSデジタル放送)|スカイパーフェクTV!]]) - [[水道橋博士]] * 『[[浅草キッド (小説)#映画|浅草キッド]]』(2021年、[[Netflix]]) - [[柳楽優弥]] * 音楽劇『[[浅草キッド (小説)#舞台|浅草キッド]]』(2023年、[[関西テレビ放送|カンテレ]]開局65周年記念公演) - [[林遣都]] *[[誰も知らない明石家さんま]] さんまの人生を変えた8人 ビートたけしとの友情秘話を解禁!『笑いに魂を売った男たち』(2023年、[[日本テレビ]]) - [[香取慎吾]] ;声優 * 『[[ちびまる子ちゃん]]』(1996年2月4日、フジテレビ) - [[松尾銀三]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2|30em}} === 出典 === {{Reflist|3|refs= <ref name="comedy">{{Cite web|和書|url=http://eiga.com/news/20150616/1/|title=ビートたけし、第8回したコメ「コメディ栄誉賞」を受賞 「菊次郎の夏」の凱旋上映も決定|publisher=映画.com|date=2015-06-16|accessdate=2015-06-17}}</ref> <ref name="kotobank1">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97-608190|title=ビートたけし|date=2008|accessdate=2010-03-21|publisher=講談社|work=デジタル版 日本人名大辞典+Plus}}</ref> <ref name="ORICON20150605">{{Cite news |title=たけし、フランスで史上3人目の栄誉 『名誉侍従』受賞 |newspaper=[[ORICON STYLE]] |date=2003-06-05 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2053188/full/ |accessdate=2015-06-03 |publisher=[[オリコン]]}}</ref> }} == 参考文献 == * コマネチ! - ビートたけし全記録(新潮45 別冊2月号、新潮社、1998年) * ユリイカ - 北野武そして/あるいはビートたけし(2月臨時増刊、青土社、1998年) * 阿部嘉昭『北野武 VS ビートたけし』(筑摩書房、1994年){{ISBN2|4480871772}} * 世良利和『その映画に墓はない 松田優作, 金子正次, 内田裕也, そして北野武』(吉備人出版、2000年){{ISBN2|4906577547}} * Gerow, Aaron (2007). ''Kitano Takeshi.'' British Film Institute. {{ISBN2|1844571661}}(英語) == 外部リンク == {{Commonscat|Takeshi Kitano}} * [https://takeshi-kitano.jp/ 北野武(ビートたけし) 公式サイト] * {{URL|www.tvdrama-db.com/name/p/key-%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%97|北野武(ビートたけし) - テレビドラマ人名録 - ◇テレビドラマデータベース◇}} * {{Jmdb name|0350340|北野武(ビートたけし) }} * {{Allcinema name|53342|name=北野武(ビートたけし)}} * {{Kinejun name|50009|name=北野武(ビートたけし)}} * {{Imdb name|id=0001429|name=Takeshi Kitano}} * {{NHK人物録|D0009071097_00000|name=北野武(ビートたけし)}} * {{URL|https://www.meiji.ac.jp/koho/information/pr/meidaikouhou/2004/546_4.html|明大広報546号(明治大学:特別企画 北野武氏座談会 —知られていなかった明大時代を語る—) }} * {{URL|https://www.meiji.ac.jp/koho/information/pr/meidaikouhou/2004/547_7.html|明大広報547号(明治大学:特別企画 北野武氏座談会(続) —「粋」に生きていこう—) }} {{Navboxes |list1= {{ビートたけし}} {{ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞(監督賞) 2000-2019}} {{ブルーリボン賞監督賞}} {{キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞}} {{ブルーリボン賞主演男優賞}} {{ブルーリボン賞助演男優賞}} {{毎日映画コンクール男優主演賞}} {{毎日映画コンクール男優助演賞}} {{報知映画賞監督賞}} {{ヨコハマ映画祭監督賞}} {{日刊スポーツ映画大賞監督賞}} {{日刊スポーツ映画大賞主演男優賞}} {{日刊スポーツ映画大賞新人賞}} {{日本映画批評家大賞監督賞}} {{日本映画監督協会新人賞}} {{オレたちひょうきん族}} {{FNSの日}} {{平成教育委員会シリーズ}} {{日本放送演芸大賞}} {{ビッグ3 (日本のお笑いタレント)}} }} {{Normdaten}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect=北野武 |1=日本の映画監督 |2=ヤクザ映画の監督 |3=東京芸術大学の教員 |4=芸術文化勲章受章者 |5=レジオンドヌール勲章受章者 |6=レジオンドヌール勲章オフィシエ受章者 |7=旭日小綬章受章者 |8=本名のリダイレクト}} {{DEFAULTSORT:ひいとたけし}} [[Category:ビートたけし|*]] [[Category:足立区]] [[Category:日本の男性コメディアン]] [[Category:お笑い芸人]] [[Category:日本のタレント]] [[Category:日本の司会者]] [[Category:日本の映画監督]] [[Category:日本の舞台演出家]] [[Category:日本の映画の脚本家]] [[Category:日本の男優]] [[Category:20世紀日本の随筆家]] [[Category:21世紀日本の随筆家]] [[Category:日本の男性著作家]] [[Category:落語家]] [[Category:ヤクザ映画の俳優]] [[Category:アクション俳優]] [[Category:20世紀日本の俳優]] [[Category:21世紀日本の俳優]] [[Category:日本の男性ポップ歌手]] [[Category:NHK紅白歌合戦出演者]] [[Category:北野家|たけし]] [[Category:たけし軍団|*]] [[Category:東京スポーツの人物]] [[Category:プロレスの関係者]] [[Category:日本のボクシングに関する人物]] [[Category:レーシングチームのオーナー]] [[Category:日本のラジオパーソナリティ]] [[Category:落語立川流]] [[Category:旭日小綬章受章者]] [[Category:過去の太田プロ所属者]] [[Category:過去のオフィス北野所属者]] [[Category:ビクターエンタテインメントのアーティスト]] [[Category:明治大学出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1947年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:松鶴家一門]]
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ハワイ州
ハワイ州(ハワイしゅう、英: State of Hawaii [həˈwaɪ.i] ( 音声ファイル) 、ハワイ語: Hawaiʻi)は、太平洋に位置するハワイ諸島にあるアメリカ合衆国の州。州都はオアフ島のホノルル市である。アメリカ合衆国50州の中で最後に加盟した州である。日本人や日系人の間では、「布哇」の表記が当てられる場合もある。海域として定められたポリネシアの北端でもある。 ハワイ島、マウイ島、オアフ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、ニイハウ島、カホオラウェ島の8つの島と100以上の小島からなるハワイ諸島のうち、ミッドウェー環礁を除いたすべての島が、ハワイ州に属している。北西ハワイ諸島の北西端からハワイ諸島の南東端のハワイ島まで、全長1,500マイル(2,400キロ)にわたっている。州全体が島だけで構成されているアメリカ合衆国で唯一の州である。 アメリカ合衆国本土の南西、日本の南東、オーストラリアの北東と、太平洋の中央に位置し、地理的にも民族的にも近いポリネシアでは最も北にある列島で構成されている。その自然の多様な景観、暖かい熱帯性気候、豊富な公共の海浜と大洋に取り囲まれていること、および活火山の活動があることで、観光客、サーファー、生物学者、火山学者などに人気のある目的地になっている。日本で最も人気な海外リゾート地のひとつ。独特の文化がある他に太平洋の中心にあることで、北アメリカやアジアの影響も多く受けている。140万人を超える人口のほか、常に観光客やアメリカ軍軍事関係者が滞在している。常住人口の約7割はオアフ島に集中している。 ハワイ語の Hawaiʻi は原始ポリネシア語の Sawaiki から派生したものであり、「母国」を意味するように内的再構されている。Hawaiʻi と同根語はポリネシアのマオリ語(Hawaiki)、ラロトンガ語(ʻAvaiki)およびサモア語(Savaiʻi)にも見られる。 言語学者のプクイとエルバートによれば、ポリネシアのどこでも、Hawaiʻi あるいはその類似語は地下世界または祖先の家の名前であるが、ハワイでは意味を持たない。 ハワイ諸島へ人類が移民してきたのは、4世紀から8世紀ごろ で、南方のテ・ヘヌア・エナナ(マルケサス諸島)からと考えられている。この際に使用されたと考えられているのが、双胴の航海カヌーと、「スター・ナヴィゲーション」と呼ばれるリモート・オセアニア海域で広く用いられた航法技術である。ちなみにハワイへの移民がテ・ヘヌア・エナナから行われたとの説はビショップ博物館所属の日本人研究者、篠遠喜彦博士の、「釣り針編年研究」が基礎となっている。 ハワイ州はアラスカ州とならび、アメリカ合衆国本土以外に位置する2つの州のうちのひとつで、北米大陸上に位置しない唯一の州であり、四周を海によって囲まれ、また、熱帯地方に位置している唯一の州でもある。ハワイ島カラエ岬が全州の最南端部に位置している(本土最南端はフロリダ州のフロリダキーズバラスト・キーである。アメリカ合衆国の極地参照。)。アメリカ合衆国本土からは南西に約2,000マイル(3,200キロ)離れている。 州の陸地面積は、キラウエア火山から流動性の高い溶岩が流れ出ているため、その面積は増加し続けている。ハワイ諸島は8つの島々や環礁によって構成されており、その延長は距離1,500マイル(2,400キロ)にわたって伸びている。諸島のうち、8つの大きな島は「主要な島々(main islands)」と考えられていて、諸島の南東部に位置している。これらの島々は北西部から南東に、ニイハウ島、カウアイ島、オアフ島、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島、カホオラウェ島、ハワイ島の順に並んでいる。 北西ハワイ諸島はニホア島からクレ島までおもに9つの小さな島が連なり、太古からの火山帯の一部である。ほかにもモロキニ島など100以上の岩礁や小島がある。 本島は最大面積のハワイ島ではなく、州都で最大都市のホノルルがあるオアフ島である。 ハワイ州は、次の項目ではアメリカ合衆国で唯一の州である。 ハワイ州でもっとも高い山はマウナ・ケアであり、標高は1万3,796フィート(4,205メートル)であるが、太平洋底からの高さは3万3,500フィート(1万210メートル)であり、地球の地殻表面を基準にした場合エベレスト山よりも高いことになる。 ハワイ諸島の島々は、海底火山によって作られた。現在ハワイ島がある地点には太平洋プレートよりも深いところにマントルの活動によるホットスポットと呼ばれるマグマ溜まりが太古から存在する。これはマントルの一定の場所に存在し続け、直上の海底に向けてマグマの上昇を繰り返すためキラウエア溶岩のような噴火活動を引き起こす。 太平洋プレートは太平洋の中央海嶺である東太平洋海膨から日本列島・千島列島の方へ向けて移動し続けているため、太平洋プレート上(=海上)から見ると「かつてホットスポットの直上にできたが、太平洋プレートの移動に連れて位置がずれて活動が停止した火山島」が北西へ向けて列をなしているのがわかる。北西に移動するにつれ、海底に沈みこみ、ハワイ海山群および天皇海山群(2つ合わせてハワイ-天皇海山列)となり、カムチャツカ半島の根元に至る。その海山と島の列のもっとも新しい島々が、ハワイ諸島側に向かって移動している。 ハワイ島以外での最後の火山爆発は、18世紀後期より以前、マウイ島のハレアカラ山で起きたが、それより数百年前だった可能性もある。 1790年、キラウエア火山が、ハワイ(現在のアメリカ)では最大級の爆発を起こした。この爆発で、キラウエアに向かっていた戦士とその家族、少なくとも5,405人が死亡した。 火山活動とその後の浸食で、印象的な地質的景観を生んできた。ハワイ島には世界の島の中で3番目に標高が高い地点がある。 火山斜面の不安定さによって大きな地震と津波を生じてきており、特に1868年と1975年のものが大きかった。 ハワイ諸島はほかの陸地とは隔絶しているために、人類が活動を始める以前の生命体は、風(wind)、波(waves)、翼(wings、鳥、昆虫など)の3つの "w" で運ばれたと言われている。この地理的隔絶や環境の多様さ(標高や熱帯気候)によってさまざまな植物と動物の固有種を生んできた。ハワイには多くの絶滅危惧種がおり、アメリカ合衆国本土よりも高い比率で絶滅種が出ている。 国立公園局の管理および保護下に置かれている地域は以下の通りである。 アメリカ海洋大気庁、魚類野生生物局、ハワイ州の共同管理下にあるのは、 これは2006年6月15日に当時の大統領ジョージ・W・ブッシュが登録を宣言した。ここは太平洋の50マイル(80キロ)外海で、およそ14万平方マイル(36万3,000km)の岩礁、環礁、浅瀬および深海であり、その広さはアメリカ合衆国の国立公園をすべて合わせたよりも広い。 ハワイの気候は熱帯に特有のものではあるが、東からの貿易風がほぼ絶え間なく吹くために、気温も湿度もそれほど高くはならない。ただし、1980年代前半と比較して、風が吹く日は年間で約50日減少しており、風が止むと気温が上がり、猛暑日になることもある。夏の日中最高気温は80s°F台後半(31°C近辺) であり、夜間の最低気温は70s°F台半ば(24°C近辺)である。 冬の日中は80ss°F台半ば(28°C近辺)、夜間は低地で60s°F台半ば(18°C近辺)より下には滅多に下がらない。ただし、ハワイ島のマウナ・ケアやマウナ・ロア山のような高地では、冬季に積雪がある(冬季は、斜面でスキーなどのスノープレーができる)。ハレアカラ山では降雪も稀である。2019年2月11日に観測されたマウイ島ポリポリ州立公園の降雪は、ハワイ州でもっとも標高の低い場所(約1,890メートル)における降雪とみられている。 カウアイ島のワイアレアレ山は世界でも2番目に降水量が多いところであり、460インチ(1万1,684ミリ)に達する。ハワイ諸島の大半では、5月から10月の乾期と10月から4月の雨季の2季だけがある。 各島の気候はかなり異なっており、高山に対して風上側であるか風下側であるかで大きく分けられる。風上側は雲が多いため、リゾート地は風下側に集中している。 主要な州間高速道路はオアフ島のみにH-1、H-2、H-3、および2005年より州道78号線(通称:Moanalua Freeway)が高速道路に昇格してH-201となり、合計4路線となった。多くの主要なアメリカの都市と同じく、ホノルルの大都市圏は特にアイエア(Aiea)、パールシティ(Pearl City)、ワイパフ(Waipahu)およびミリラニ(Mililani)の西方郊外から、ラッシュアワーの時間帯にかなりの交通渋滞が起こる。州道は主要な島の外周に配されている(ハワイ州の道路一覧を参照)。 公共交通機関は、オアフ島ほぼ全域をカバーする公営バスである「TheBus」があるほか、本数は少ないが、マウイ島、ハワイ島、カウアイ島の一部にコミュニティバス路線が存在している。 以前はハワイ州の大きな島には鉄道網があり、農産物や乗客を運んでいた。これらはすべて狭軌(多くは3フィート(914ミリ)、小島では2.6フィート(762ミリ)、アメリカ合衆国本土では4フィート8.5インチ(1,435ミリ))だった。鉄道会社の中でも最大のものはオアフ鉄道土地会社であり、ホノルルからオアフ島の西部や北部を結ぶ多くの路線を走らせていた。第二次世界大戦では兵員や軍需物資を運ぶことにも貢献した。往来が激しかったため列車の運行を円滑にする信号と、自動車を保護するために踏切に備えられたウィグワグがあった。本線は1947年に廃線となったが、一部はアメリカ海軍が買収し、1970年まで運行していた。 現在の州内の鉄道はオアフ島の非営利団体・ハワイ鉄道協会の運行する鉄道(エヴァーカヘ・ポイント)やマウイ島のさとうきび列車(Sugarcane Train)など、全長13マイル(21キロ)が観光用にわずかに残されているのみで、公共交通機関としての用はなしていない。オアフ島の西部が新興住宅地として急速に発展してきているのに対して、州間高速道路やバスのみでは慢性的な渋滞を引き起こしていることから、以前からモノレールを敷設する計画はあるものの、資金などの問題があり実現のめどは立っていなかった。 しかし2008年、ホノルルの住民投票でオアフ島西部とダウンタウン、ワイキキおよびハワイ大学を結ぶ鉄道計画に45億ドルの予算を承認、2011年2月22日に着工した。2017年までにイーストカポレイ - アロハスタジアム間が、2019年までにアロハスタジアム - アラモアナセンター間が開通する予定で、慢性的な渋滞の緩和が期待されている(スカイライン)。 ハワイアン航空やgo!およびモクレレ航空、アイランドエアーなどが州内路線を運行している。また、ハワイアン航空が州外、国際線を運航しているほか、アメリカ本土やアジア、太平洋諸国から多数の国際線が乗り入れている。 定期民間旅客便が就航している州内の空港(特記しない限りハワイアン航空、go!およびモクレレ航空の定期便が就航)は以下の通りである。ハワイ諸島には、1つの島に必ず1つ以上の空港がある。 19世紀から1950年代までは民間の蒸気船やフェリーが島々を結ぶ唯一の交通手段だったため、オアフ島のホノルル港、ハワイ島のヒロ港などができた。1970年代半ばにはシーフライトが水中翼船を主要な島の間に就航させた。2007年12月より、カウアイ島、オアフ島、マウイ島、ハワイ島の4島間を結ぶハワイ・スーパーフェリーが就航していたが、幾度かの休止を経て2009年8月をもって運航会社が破産、事実上の廃止となった。運行会社は将来フェリー運航を再開したい意向を表明している。マウイ島からモロカイ島およびレナイ島には通勤専用のフェリーが運航しているが、車両は搬送していない。 2020年国勢調査時点で、ハワイ州の人口は1,455,271人で、2010年国勢調査時点より94,970人、すなわち6.98%増加した。ハワイ州の人口重心はオアフ島とモロカイ島の間となっている。 ハワイ州には140万人を超える常住人口のほか、アメリカ軍関係者や観光客が常にいる。州都ホノルルを有し、「人の集まるところ」という愛称のあるオアフ島が最も人口が多く、州全体の陸地の1割にも満たない1,546kmの陸地に、州の総人口の約7割にあたる1,016,508人(2020年国勢調査)が住んでおり、人口密度は657.5人/kmである。比較のためにアメリカ合衆国50州で最も人口密度が高いニュージャージー州の場合、陸地19,231kmに9,288,994人(2020年国勢調査)が住んでおり、人口密度は483.0人/kmであるが、オアフ島単体ではそれを上回ることになる。ハワイ州全体の人口密度は87.5人/kmで、オハイオ州、カリフォルニア州やイリノイ州より低く、全米50州の中で13位である。 ハワイ州の平均余命は2000年時点で79.8歳だった(男性で77.1歳、女性で82.5歳)。これは全米の中でもっとも高い数字である。 アメリカ軍軍事関係者は州内人口の約1.3%を占めている。 アジア系は40%に近い多数派となっている。これはアメリカの全ての州で唯一のものであり、さらに混血の比率が高いこと、ほかの州で増加を続けているヒスパニックが少ないこと、白人や黒人が少ないことも大きな特徴である。この為、同州では学校でのいじめ、不当解雇など白人への人種差別が散見され問題視されている。なお、中国系の多くがその歴史的背景から中華民国(台湾)を支持するほか、ベトナム系の多くがベトナム戦争後に崩壊した南ベトナムからの亡命者とその子孫で、残りの多くもボートピープルとして亡命してきた者である。最大多数の人種が50%を超えていない州はハワイ州とニューメキシコ州の2州のみである。 ハワイ州住人の82.2%はアメリカ合衆国の中で生まれている。外国生まれの住人のうちおよそ75.0%はアジア出身と申告している。 アジア系の住民のなかでも特に日系人が多く、出身国(民族)別では第2位である。その影響もあって、ほかの49州と異なり、仏教徒(英語版)の比率が高く、仏教寺院や神道神社も州内各所に点在する。 最初の無許可の日本人移民「元年者」150人は明治元年に募集が開始され、翌年の1868年6月19日にハワイに到着した。官約移民は1885年2月9日に到着した。現在日系人は1世から5世までが存在するといわれている。3世以降の日系人のほとんどは日本語が話せないが、簡単な単語程度なら理解できる者が多い。また、日本の高度経済成長期以降、ハワイは日本人にとって人気の観光地であり、旅行会社などハワイ在住の日本人駐在員や留学生、別荘を所有し数か月単位の滞在を行う長期滞在者も多く、その数は約2万人と言われている(領事館への届け出を行っている滞在者の総計であり、実際はもっといると思われる)。高度経済成長期の時点では日本からのハワイ旅行には、月収の数倍の費用が必要であったが、21世紀に入ってからは学生でもハワイ旅行が可能になるなど、大衆化した。 純血の「先住ハワイアン(Native Hawaiians)」は現在かなり減少している。 1959年、アメリカ合衆国のひとつの州となった。その植民地支配のためハワイアンの社会経済的地位は低下し、その影響は現在(2000年代)でも続いている。「先住ハワイアン」と言われる民族は、約10万人程度である。しかし、これらの人々の中でも純血と言える人は稀である。現在、純血のハワイアンは約8,000人に満たない。先住ハワイアンのうち98%は混血である。現在広く用いられているのは、1920年に成立した「ハワイ人住宅寄託法」で示された「キャプテン・クック来航以前にこの島々に住んでいた人々の血を50%以上引いていること」という定義である。先住民ハワイアンは州内人口の民族構成で5.9%に過ぎず、独自文化の存続を図るため、1980年にハワイ人問題事務局が設置された。2000年の米国内務省統計では、ハワイアン人口は全米で40万人強、そのうちハワイ州在住は約24万人、それ以外のハワイアンはカリフォルニア州居住が圧倒的である。ハワイアンはハワイ州総人口の約5分の1を占め、白人系、日系、フィリピン系に次ぐ集団となっている。 1990年代からハワイ先住民による主権回復運動(ハワイ独立運動・ハワイアン・ソブンティ運動:自決権あるいは独立要求)が盛り上がっている。 ハワイの伝統的な私立学校であるカメハメハ・スクールズは、先住ハワイアンの血を引く者のみしか入学できないというのが条件である。カメハメハ・スクールズはカメハメハ1世の直系の子孫であるバーニス・パウアヒ・ビショップが、遺言によって設立した私立学校であり、公的な助成金を一切受けておらず、また彼女の遺言によって先住ハワイアンの教育を旨とすべきことが学校の方針であった。 2003年にこの入学規定が非ハワイ人から「人種差別」だとして訴えられた。2005年9月の連邦巡回控訴裁判所において違法との判決を受けた。この判決には先住ハワイアンのみならずハワイ社会全体から広範な反発が起きた。2006年12月、巡回裁判所における再審理の結果、原判決が破棄され、ハワイ人優先入学制度は違法でないとされた。 カメハメハ・スクールズは上級審で逆転勝訴したが、敗訴した原告の白人少年側は「カメハメハ・スクールズが入学を許可しなかったことで生じた学習の遅れに対する損害賠償」を求めて反訴する意志を示し、合衆国最高裁に再審理を要求したが、判決が下る前に両者の間で和解が成立した。同校は現在もハワイ人優先の入学制度を維持している。 人類学者の井上昭洋によれば、これらの裁判は、1990年代のハワイ先住民による主権回復運動に対する反発が根底にあり、アメリカ社会における反アファーマティブ・アクション(バックラッシュ)の流れと無関係ではないとされる。 2009年12月28日、アメリカ合衆国下院天然資源委員会(英語版)は、先住ハワイアン政府再編成法(英語版)を承認した。これは先住ハワイアンに対し、民族自決のための政策決定権を認めるものであり、その認定事務および承認はアメリカ本土におけるインディアン、アラスカ・エスキモー、アレウトと同様に、アメリカ内務省によって行われる。合衆国インディアン事務上院委員会(英語版)も、この法律を承認した。 天然資源委員会内ではこの法案について、「先住ハワイアンによる民族政府の樹立は合衆国憲法に違反する」と、ドク・ヘイスティングス(英語版)下院議員を代表とする共和党員メンバーによって反対論陣が組まれてきた。 民主党員側では、ハワイ生まれのオバマ大統領を筆頭とする多数の議員、また先住ハワイアンだけでなく、アラスカ議会代表団、アラスカのインディアン、エスキモー団体がこれを支持している。 2000年時点で信徒がもっとも多い宗派はキリスト教であり、次に大きく離れて仏教であった。宗派別信徒数は以下の通りである。 その他の宗派としては、バハイ教、儒教、道教、ハワイ宗教、ヒンドゥー教、イスラム教、シーク教、神道、ゾロアスター教などがある。 無宗派には不可知論者、無神論者、人道主義者、不信仰者が含まれる。 ハワイ州においては、法人化された自治体は州都ホノルル市郡以外に存在しない。ホノルル市郡域はオアフ島全体にわたり、アーバンホノルル都市圏の定義範囲と一致する。統計上の通例では、アーバンホノルル国勢調査指定地域(CDP)が「ホノルル市」として扱われるが、アーバンホノルルもまた法人化された自治体ではなく、従ってホノルル市郡と別個の政府を有しているわけではない。そのため下表では、人口の多い国勢調査指定地域を人口順に列挙する。なお、人口の数値は2020年国勢調査による。 なお、上表には入っていないが、カウアイ郡最大のCDPであるカパアは2020年国勢調査時点での人口11,652人で、州全体では第30位である。カラワオ郡は郡内にCDP自体が1つも存在せず、アフプアアと呼ばれる、伝統的な地域区分のみが存在する。 ハワイ州政府はハワイ王国時代にはイギリスの政治体制、その後、ハワイ王国の転覆(Overthrow of the Kingdom of Hawaii)のころから徐々にアメリカ合衆国連邦政府をモデルとしている。ハワイ州憲法に規定され、行政、立法および司法の三権が分離されている。 行政府は知事が指導し、副知事の補佐を受ける。どちらも組み合わされた候補者名簿から選出される。知事は州全体で選出される唯一の役人であり、ほかの役人は知事が指名する。副知事は州務長官を務める。知事と副知事は州議会議事堂にあるオフィスから20の機関を監督する。知事公邸はワシントン・パレスである。法執行機関は州警察ではなく州公安部の保安官。 州行政府の部門(Department)は、英文名称順に次のようになる。 このほかに、州知事オフィスをはじめとする局(Agency)がある。 立法府はハワイ州議会で、51人の議員からなる下院と25人の議員からなる上院の両院制である。ハワイ州会議事堂で審議を行っている。 司法府の最高機関はハワイ州最高裁判所であり、アリイオラニ・ハレを裁判に使っている。その下に高等裁判所、地区裁判所、家庭裁判所などがある。 2023年現在の州知事は、民主党のジョシュ・グリーン(2022年12月 - )。 日系約20万人、フィリピン系約17万人などアジア系住民が多い州であるため、州議会にもその住民構成は反映され、日系人の州議会議員も多く活躍しているほか、日系人の連邦議員もこれまでに数多く選出され続けてきている。 法律面では、州法で人種差別を禁止しており、アメリカの中でもアジア系を含めた非白人系の移民が多いことが窺い知れる。また、自然保護に関する法律は多いが、それを現実のものとするための資金が不足しているのも事実である。以前よりカジノ構想が議会で持ち上がり、資金不足の解消を試みるが、何度も可決されずに終わっている。現在の州法では一切のギャンブルが禁止されており、宝くじも販売されていない。そのためか、ハワイ州民の観光旅行先としてラスベガスは常に一番人気である。 現在、ハワイ州においては、死刑制度は廃止されている。 ハワイ州特有の統治事情は自治体がないことである。地域社会はすべて郡のレベルで管理されている。唯一法人化された地域はホノルル統合市郡であり、オアフ島全体を統治している。郡の行政官は郡長(mayor、市長と同じ)と呼ばれ、すべて無党派選挙で選ばれている。 ハワイ州には次の5郡が置かれている。 ハワイ州から連邦議会には上院議員2人、下院議員2人を送り込んでいる。2013年時点で4人全員が民主党員であり、さらにそのうち3人は女性である。 州内のうち、ホノルルなどをオアフ島南東部を含む下院第1選挙区からは、前ハワイ州議会上院議員のコリーン・ハナブサが選出されている。ハナブサは、アバクロンビー現州知事の知事選出馬・下院議員辞職に伴って実施された2010年5月の補欠選挙では、同じく出馬を模索したエド・ケース元下院議員との候補統一に失敗し党内が分裂、ライバル共和党のチャールズ・ヂョウの前に苦杯を嘗めたが、同年11月の中間選挙では直前までの接戦観測を覆し、得票率にして6ポイントの差を付けてヂョウを破り、雪辱を果たした。2012年の選挙でも再選を果たし、現在2期目である。 州内の他の部分を含む下院第2選挙区からは、前ホノルル市議会議員のトゥルシ・ガダードが選出されている。ガダードは、上院に転出したメイジー・ヒロノに代わり、2012年11月6日の選挙に出馬・当選し、現在1期目である。ガダードは、連邦議会初のサモア系かつヒンドゥー教徒の議員である。また、ハワイ州の陸軍州兵としてイラクに従軍した経験があり、同じく2012年の選挙で初当選したタミー・ダックワースと並び、戦闘地域での任務経験がある女性連邦議会議員となっている。 上院議員には、現在ブライアン・シャーツとメイジー・ヒロノの2人が選出されている。 ハワイ州では、日系のダニエル・イノウエが先任上院議員として、1963年1月3日から約50年にわたり同職を務めていた。イノウエは、2010年6月にはロバート・バードの死去にともない上院の最先任上院議員となり、上院多数派の最長老に与えられるアメリカ合衆国上院仮議長を務めていたが、2012年12月17日に死去した。2012年11月6日の選挙では、現職だったダニエル・アカカの引退にともない後継として出馬した福島県生まれの日本人移民メイジー・ヒロノが当選し、イノウエが存命であれば2013年1月からハワイ州の上院議員はすべて日系で占められるはずであったが、イノウエの死去にともない立ち消えとなった。 イノウエの後継には、アバクロンビー州知事の下で副知事を務めていたブライアン・シャーツが指名され、2012年12月26日付で就任した。イノウエの任期は本来2017年1月(2016年改選)までであったが、2014年の中間選挙にあわせて補欠選挙が実施された。 ハワイ州にある連邦政府機関はアロハタワーとホノルル港に近いプリンス・クヒオ連邦政府ビルに入っている。同ビルには連邦捜査局(FBI)、国税庁(IRS)、およびアメリカ合衆国シークレットサービスが事務所を構えており、ハワイ州連邦地方裁判所やハワイ地区連邦検察局も入居している。 ハワイ州は直近14回のアメリカ合衆国大統領選挙のうち12回を民主党支持とした。共和党を支持したのは1972年(リチャード・ニクソンの2期目)と1984年(ロナルド・レーガンの2期目)である。2004年の場合、民主党候補のジョン・ケリーが有効投票総数の54%を得て、対立候補共和党のジョージ・W・ブッシュに9%と差を付けてハワイ州の選挙人4人を獲得した。州内5郡全てが民主党候補を支持した。1964年にはハワイ州生まれのハイラム・フォンが共和党候補者指名を求めた。また1972年には同じくパッチー・ミンクがオレゴン州予備選に出馬した。 ホノルル生まれの第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマは、当時イリノイ州選出のアメリカ合衆国上院議員であり、2008年の選挙で大統領に当選した。2008年2月19日に開かれた民主党ハワイ州党員集会では76%の票を得て候補指名された。オバマは主要政党の候補者として指名を求めたハワイ出身者としては3人目であり、初の党指名候補になった。 現在アメリカ合衆国の版図となっている地域では唯一、西洋人にも認知された王朝が成立しており、それをアメリカが強制的に併合したこと、また現在の50州の中で最後に立州されたことという歴史的背景もあり、連邦政府が定める祝日(アメリカ合衆国の祝日の項目参照)とは別に、下記の祝日が州独自に定められている。 なお、ステートフッド・デー(1959年にハワイが準州から州に昇格した記念日)が祝日とされる代わりに、連邦の祝日であるコロンブス・デー(10月第2月曜)を、ハワイ州政府では祝日とみなしていない。 ハワイ州の経済史は主たる産業が移り変わってきたことが特徴である。すなわち白檀材、捕鯨、サトウキビ、パイナップル、軍需、観光 および教育である。1959年以降は観光業が最大産業であり、1997年では州内総生産の24.3%を占めている。 かつてハワイ州の経済は「ビッグファイブ」(Big Five)と呼ばれる、大手砂糖会社を筆頭とする複合企業群によって支えられていた。これらの企業群は20世紀初頭に台頭し、1960年代に至るまでハワイ州の政治・経済を牛耳ってきた。ビッグファイブとは、アレクサンダー・アンド・ボールドウィン(Alexander & Baldwin)、キャッスル・アンド・クック(Castle & Cooke)、C・ブリュワー(C. Brewer)、シーオ・H・デイビーズ(Theo H. Davies)、アムファック(Amfac)である。 プランテーションで働くためアジアからの移民も増加した。 1970年代に入り砂糖のプランテーションが次々に閉鎖されると、これらビッグ・ファイブの傘下にあった企業は中核の本部を除いては他州の企業に買収・併合されていった。 2007年のハワイ州の州内総生産は583.07億ドル(約5兆円)である。滋賀県(約6兆円)とほぼ同じ経済規模である。 現在は公共部門、軍需、観光の3本柱である。パイナップルはかつてラナイ島単独で全米の生産量の90%、全世界生産量の75%を産出していたほどだが、農業の比率は過去に比べ下がっている。現代ではコナコーヒーなど、高付加価値の農作物が中心である。近年では不安定な観光業に依存する体質から脱却するため、政府では就農を促している。 軍需については、州内に数多くの軍事基地を抱え、軍や関連産業による経済への影響は大きい。2009年、アメリカ軍はハワイ州で122億ドルを消費したが、これは国内予算の18%に相当した。アメリカ合衆国国防総省の人員75,000人が州内に住んでいる。 観光については、年間6,982,425人、うちアメリカ国内からが4,592,650人、国外からは2,389,775人、そのうち日本からは年間1,239,481人(いずれも2010年)が訪れる国際的観光地であり、軍需と並びハワイ州を支えている。近年では多数の観光客を呼び込む方針から、持続可能な開発目標を掲げ自然環境に配慮した観光地への転換を目指している。 離島であるため工業製品のほとんど、また燃料の全てを米本土からの輸入に頼ることから平均物価は州単位では全米一高く、全米平均のおよそ1.5倍に相当する(2位はニュージャージー州の1.25倍)が、その一方で、平均年収は全米平均とほぼ同程度であるため、可処分所得は全米平均以下と言える ハワイ州からの輸出品としては食品や衣料品がある。しかし例えばアメリカ合衆国西海岸であってもかなりの輸送距離があるためにハワイ州の経済に占める役割は小さい。輸出食品にはコーヒー、マカダミアナッツ(ハワイアンホスト・グループなど)、パイナップル、サトウキビ、家畜などがある。ハワイ農業統計局に拠れば2002年の農産物売上高は3億7,090万ドルであり、パイナップルは1億60万ドル、サトウキビは6,430万ドルだった。ただし、サトウキビ栽培はマウイ島のプウネネだけにアレクサンダー&ボールドウィンの農場が唯一残っていたが、2016年12月で廃業しハワイでの商用サトウキビ栽培は途絶えた。 ハワイ州の課税は比較的重い。2003年、一人当たり税徴収額は2,838ドルとなり、全米50州の中で最高だった。これは教育、健康管理および公共事業が全て州によって行われることに起因しており、他州では地方政府が担当している。 数多い観光客は消費税やホテル客室税を払うことによってハワイ州の税収入に貢献している。つまり全ての税収が住民から徴収されているわけではない。しかし企業経営者は税負担が重いので、高い物価と、取引には有効的でない風土という認識を作っていると見なしている。近年では環境保全の財源確保のため、グリーン・フィーと呼ばれる税金が検討されている。 ハワイ州はガス・キャップ法(排出ガス規制法)によってガソリン価格を規制する数少ない州の1つである。石油会社の利益はアメリカ合衆国本土と比較されて監視されているので、この法律によって州内ガソリン価格は本土と同じにされている。この法はハリケーン・カトリーナで価格が変動した2005年9月に効力を発揮したが、2006年4月には棚上げされた。 現在経済を産業別に会社名なども記述して続けると、まずマスコミ関係の新聞業界では、オアフ島で発行されている『ホノルル・スター・アドバタイザー』がハワイ州の代表的新聞で、全島で読まれている。これ以外に各島でも地元紙が発行されていて、例えばハワイ島では『ウェスト・ハワイ・トゥデイ』と『ハワイ・トリビューン・ヘラルド』である。経済関係の新聞では、『パシフィック・ビジネスニューズ』がある。全米をカバーするABC/CBS/NBCなどの商業テレビネットワークおよび「PBSハワイ」公共放送サービス、全島をカバーするハワイ・パブリック・ラジオおよび各島のラジオ放送局などがある。 金融関係では、ハワイ州に本部があるバンク・オブ・ハワイ、ファースト・ハワイアン・バンク、セントラル・パシフィック・バンク、アメリカンセービング銀行、各種信用組合(ハワイ州連邦信用組合、ハワイコミュニティー連邦信用組合など)などの銀行は州内各地に支店も多く、個人・企業相手に営業をしている。邦銀も含めて、ハワイ州以外に本部がある銀行はホノルルに集中していて、企業相手をおもな事業としている。 エネルギー供給分野では、電力はハワイ電力工業がほぼ全島をカバーしており、ガソリンはアロハ石油、シェル石油、シェブロン、76、テソロ石油などの石油販売会社、コストコなどの量販店のガソリンスタンドで行われている。ガスはハワイガスにより配布されている。流通関係では、全米チェーンのウォルマート、セーフウェイなど以外に、地元資本のフードランドとその子会社Sack 'N Save、KTAスーパーストアズなどがある。 運輸関係では航空産業が大きく発達しており、ハワイアン航空が圧倒的な力を見せているが、全米の主要航空会社および世界の主要航空会社がハワイへ乗り入れている。海運ではマトソン社が国際海運、パシャ・ハワイがハワイとアメリカ大陸間に、ヤング・ブラザーズ・ハワイがハワイ諸島間に活躍している。通信関係では、ハワイアン・テルコム電話会社、チャーター・コミュニケーションズのOcean Spectrum通信ケーブル、全米をカバーするAT&Tなどの携帯電話会社がカバーしている。 こうした各種産業での大会社のハワイアン航空、モクレレ航空、ハワイ電力工業、ハワイアン・テルコム、バンク・オブ・ハワイ、ファースト・ハワイアン・バンク、ABCストアなどはホノルルに本社を置いて全島業務を展開しており、その他の会社は各島を中心にコナビール会社、ハワイヌイビール会社などが活躍している。 ハワイ州、特にホノルルの生活費はアメリカ合衆国の主要都市に比べて極めて高い。しかし、ニューヨーク市と比べれば6.7%、サンフランシスコ市と比べれば3.6%低い。この数字には「アメリカ合衆国本土以外」の顧客に対して課される旅費や輸送費の増加、販促機会の不足という要素を含めていない可能性がある。オンラインショップの中にはハワイに対する注文に送料を取らないものもあるが、多くの商店はハワイ州、アラスカ州、プエルトリコなどの海外領土を商圏の対象から外している。 2000年時点で住宅価格の中央値は272,700ドルだったが、全国平均はその半分以下の119,600ドルだった。カリフォルニア州でも211,500ドルであり、ハワイ州は全米で最も住宅価格が高い州である。全米不動産協会の最近の調査では、ホノルルの一戸建て住宅価格中央値を607,600ドル、全米の値を173,200ドルとしている。この年、カリフォルニア州シリコンバレーで602,000ドルであり、ホノルルは最も住宅価格が高い都市になった。 2018年に発表された全米の世帯別収入調査の結果では、家計のやりくりに苦労している世帯の比率は平均43%と高率であったが、州別ではハワイ州は49%に達し、ニューメキシコ州やカリフォルニア州と並んで全米ワーストを記録した。 近年、前述の生活費の高さと特に他の州から移住するホームレスが増加し、ワイキキなどの観光地にも溢れかえるなど深刻化しており、2015年10月には非常事態宣言が発令された。 2020年には新型コロナウイルスによる影響で観光業が打撃を受け、オアフ島などで増加した。 ハワイ州はアメリカ合衆国の州の中で唯一、州全体で統合された教育体系を持っている。意志決定は州教育委員会の14人の委員が行っている。委員会は政策を決定し、州のハワイ州教育省を監督する教育監督官を雇用する。教育省は7つの地区に分けられており、4つがオアフ島に、他の3郡に各1つが配されている。 教育の中央集権化を行う主な理由は人口の多いオアフ島と人口の少ない諸島との間の格差、さらに収入の格差による影響を無くすことである。アメリカ合衆国本土では公立学校が地方の資産税で運営されている。 教育者は英語を話さない移民の子弟と取り組む必要がある。それら子弟の文化は本土のものとは異なっている。 公立の小中学校および高校で行われる共通試験(落ち零れ防止法の下で行われている)の成績は全国平均より劣っている。この差は、州教育委員会が全ての資格在る生徒に試験を受けさせ、全ての結果を報告しているからである(例えばテキサス州やミシガン州の場合はそうはしていない)。2005年8月の報告では全州282の学校のうち、185校が数学とリーディングで連邦政府の最低標準に届かなかった。 一方2005年のACTカレッジ・クラス分けテストでは、上級生の成績が全国平均(20.9)より僅かに高い21.9となった。広く行われているSAT試験では、ハワイ州のカレッジを指向する生徒が数学以外のあらゆる教科で全国平均より低い成績となる傾向がある。 州内には独立系のイオラニ学校、カメハメハ学校、中部太平洋学校、およびプナホウ・スクールがある。合衆国第2、州内第1の仏教系学校である太平洋仏教徒アカデミーが2003年に開校した。先住民が管理する最初の公立チャータースクールはカヌオカアイナ新世紀チャータースクールである。 独立系学校やチャータースクールはその生徒を選別できるが、通常の公立学校は学区内の生徒を全て受け入れなければならない。カメハメハ学校は合衆国内で唯一先祖によって生徒受入の判断基準を設けている学校であり、全米で最も豊かな学校である。資産額は90億ドル以上である。2005年の生徒数は5,398人であり、そのうち8.4%が先住民の子弟である。 ハワイの土着文化はポリネシア系のものである。ハワイは太平洋中部と南部に拡がる広大なポリネシア三角の北端である。伝統的なハワイ文化は現在でも色濃く残っていて、全島で儀式や伝統行事の再演が行われている。ルアウ(ハワイ式宴会)やフラなど大きく変化した形態ではあるが、アメリカ合衆国に影響を与えたものもある。 アメリカ本土の他、日本などからの移民が持ち込んだ文化も影響を与えている(後述)。 ハワイに於ける文学は、ハワイ先住民が文字をもたず、口承文学として伝えられてきて、19世紀に欧米人の宣教師が文字を伝えてから文章化された『クムリポ』などがその代表的なものである。その後マーク・トゥエインの『ハワイ通信』、イザベラ・バードの『ハワイ紀行』、最近はジェームズ・ミッチェナーの『ハワイ』、ポール・セローの『ホテル・ホノルル』などのような、ハワイ諸島を舞台とし有名になったノンフィクション作品・フィクション作品を「ハワイ文学」と呼称されていたが、近年はハワイ出身の作家による作品を指して呼称するように、その定義は変化してきた。 バンブー・リッジ・プレス社が出版する季刊誌ボンバーリッジは、地元現代作家の作品を掲載した文学誌で、1998年にアメリカ文学賞を受賞したNora Okja Keller、1993年にプッシュカート賞を受賞したルイス・アン・ヤマナカなど、注目を集める作家が多数輩出されている。 ハワイには、古代から継承された芸能としてメレとフラがある。多神教だった古代のハワイ人が祭祀として、またハワイ人は以前は文字を持たなかったため、歴史の口頭伝承の一環として行なっていた歌と踊りである。 メレはハワイ人の神への祈りである。ハワイの音楽は伝統音楽やポップスなど豊かに発展してきた中、20世紀に創始された土着音楽として、ハワイアン・ポップスがある。この音楽はスラックキーギターや、西洋風の裏声など、欧米からもたらされたものであるが、現在ではハワイを代表する芸能の一つとして広く愛好されている。ハワイ独特の楽器として知られるウクレレは、19世紀にポルトガル移民が持ち込んだ楽器が原型と言われている。ウクレレの日(ukulele day in hawai'i)は2月13日。 フラには古代の形式に近いフラ・カヒコ(古典フラ)と、ハワイ人などの現代のポップ音楽を大幅に取り入れたフラ・アウアナ(現代フラ)に分けられる。フラ・アウアナはウクレレなどの演奏にあわせて踊られるが、フラ・カヒコにおいては歌あるいはイプ(瓢箪)や太鼓などの打楽器のみを用いる。 毎年メモリアル・デーの週末にはオアフ島・ホノルルでハワイ音楽の年間最優秀者がナ・ホク・ハノハノ賞で表彰される。また、イースターの時期には、ハワイ島のヒロで、「フラのオリンピック」とも呼ばれる競技会・メリーモナークフェスティバルが行われる。日本はハワイ音楽も舞踏も盛んな国で、毎年のナ・ホク・ハノハノ賞受賞者とメリー・モナーク・フェスティヴァルの優秀ダンサーを招いて、9月に「フェスティバル・ナ・ヒヴァヒヴァ・ハワイ」が開催される。 以上のハワイ独自の伝統以外に、ハワイ交響楽団、ハワイ・オペラ・シアター、ダイアモンドヘッド・シアターなどがあり、ハワイ州の音楽・舞踏・舞台芸術の世界を豊かにしている。 アロハシャツの由来については諸説あるが、日本人が持ち込んだ和服の布地を転用したのが由来という説が有力である。なお、ハワイではアロハシャツは男性の正装とみなされ、州議会や公式の場でもアロハシャツ着用という姿をしばしば目にし、オフィス街であってもスーツ姿はさほど多くはない。ちなみに観光ガイドによれば、ハワイ内においてある程度格式あるレストランでも、アロハシャツ着用であれば正装として認められることが記されている(これは観光客がラフな服装でフォーマルな場所であるレストランで食事をすることを戒めた内容でもある)。 食文化については、メキシコ人や東南アジア人、白人など地域外からの移民も極めて多い州らしく、各国からの移民が持ち込んだ多様な食文化が見られる。大皿に様々なオカズを並べて食べる「ミックスプレート(プレートランチ)」は、プランテーション農業時代に、各地の移民が持ち寄った食べ物をみなで分け合った名残である。 生魚の切り身を使った「ポキ」と呼ばれる料理がハワイ名物として知られる他、「パシフィック・リム・クイジーヌ」と呼ばれる、日本料理の技法やフランス料理の技法をもとに地元の食材を調理した料理も考案され、人気を集めている。近年では伝統的なポリネシアの食文化も健康の面から見直されており、「ポイ」と呼ばれるタロイモのペーストがあちこちで売られている。 特に人数の多かった日本人が持ち込んだ和食の影響は大きく、「Bento(弁当)」、「Shoyu(醤油)」、 「Teriyaki(照り焼き)」、 「Musubi(むすび)、(おにぎりの意味)」など、日本語がそのまま現地語化したものも数多くある。ハワイに日本食が息づいていることは、第二次世界大戦の終戦直後に「ララ物資」を経由して、ハワイ産の醤油や味噌が日本へ贈られたことからも窺い知れる。 2010年代後半から広東住血線虫症の患者が発生する傾向にあり、衛生当局は果物や野菜、特に葉物野菜は流水で洗ってから食べるよう勧告している。 サーフィンはハワイが発祥の地とされており、古くはデューク・カハナモク、近年ではアンディ・アイアンズ、ジョン・ジョン・フローレンスなどの名サーファーを輩出している。またハワイは1980年代以降、リモート・オセアニア海域各地で盛んになった航海カヌー文化復興運動でも主導的な役割を果たした。特に1975年に建造された航海カヌー「ホクレア」と、航法器具を一切使用しない推測航法技術を復活させたナイノア・トンプソンの活躍は広く知られている。 2018年7月3日、サンゴ礁保護のためサンゴの白化など有害性が認められるとして、紫外線吸収剤であるオキシベンゾンとオクチノキサートが含まれる日焼け止め剤の販売と流通を禁じる法案に知事が署名した。2021年1月1日より発効される。 ロミロミは、古代ハワイアンの医療として発達し、現代のリラクゼーションとしてアンティ・マーガレットがはじめて世に紹介した。 劇場には、歴史的な「ハワイ・シアター」(Hawaii Theatre)、現代的な「ブレイズデル・センター」(Neal S. Blaisdell Center)などがある。環太平洋の映画界では有名になったハワイ国際映画祭が開かれている。ホノルルでは昔からLGBTの映画祭であるレインボウ映画祭も開かれている。 ホノルルにはビショップ博物館、ホノルル美術館などがあり、その他の博物館、美術館などが各島にある。 立地的に北米4大プロスポーツリーグ(NFL、NBA、MLB、NHL)のチームが存在した事は一度もない。ただし1980年から2009年まで、毎年2月にNFLがプロボウルをスーパーボウルの翌週にアロハ・スタジアムで行っていた。なお、メジャースポーツではないがNFLのオフシーズンに行われる、アリーナフットボールのプロチームである「ハワイ・アイランダーズ」がある。大学スポーツ界は州内ではハワイ大学が最有力であり、全米ランク2位になった事のあるバレーボールチームや、全米ベスト25に入ったことのあるアメリカン・フットボールチームが有名である。また、オアフ島北東部にある「ブリガムヤング大学ハワイ校」には、2004年に日本人として初めてNBAでプレーした田臥勇太が在籍していた事でも知られる。 ハワイ国独立主権国家プウホヌア・オ・ワイマナロ・ヴィレッジ。1993年、ハワイ王国侵略謝罪法案によってネイティブハワイアンにワイマナロの55エーカーの土地が返還され、ハワイ独立自治国が誕生した 。 日系人が多いこと、アメリカ合衆国以外からの観光客数国別1位であること、またかつては大相撲の力士(高見山大五郎、小錦八十吉、曙太郎、武蔵丸光洋)を輩出したことなどもあり、経済的、文化的にも日本とのつながりは強い。 1959年(昭和34年)ハワイ州が全米50番目の州となった年にショッピングセンターアラモアナセンターが開業した。当初から東急グループ傘下のデパート・白木屋が出店、ハワイ州議会は東急と白木屋による投資を賞賛する決議を行った。 1970年代後半以降には日本人の海外旅行の定番となったハワイ旅行であるが、当初は高嶺の花であり1964年(昭和39年)4月1日の海外旅行自由化の1週間後に出発した7泊9日の戦後初ツアーの費用は364,000円(大卒の初任給約2万円のころ)であった。同年には日本交通公社(現在のJTB)がハワイに支店を開設、翌1965年(昭和40年)には日本初のパッケージツアー「ジャルパック」が登場するなど、現在に通じる日本人のハワイ観光の基礎は準備された。 また、小佐野賢治率いる国際興業は早くからハワイの観光資源に注目、日本人による海外旅行が自由化される前年の1963年(昭和38年)の時点でロイヤル・ハワイアン、モアナ・サーフライダー、シェラトン・プリンセス・カイウラニといったワイキキの名門ホテルを買収している。当時の日本人にとってハワイは憧れの地であり、1960年代のテレビ番組『アップダウンクイズ』(毎日放送)では「夢のハワイ旅行」が景品となっていたほか、1961年(昭和36年)に寿屋(現在のサントリー)がはじめたCMも『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』というものであった。 小売業では1972年(昭和47年)、横浜岡田屋がワイキキに店舗を開設したほか、1974年(昭和49年)にはシェラトン・ワイキキも国際興業によって買収された。1982年(昭和57年)にはダイエーがアラモアナセンターとそれに隣接する不動産を取得し、バブル期におけるハワイ投資ブームの先鞭をつけた。1986年(昭和61年)には麻布建物がハイアットリージェンシー・ワイキキを買収、バブル期にはワイキキのホテルの90%以上、ハワイの民間ゴルフ場の大部分が日系企業の所有となるに及んだ。一方で日系企業による買い漁りは住宅や宅地にまで及び不動産価格が高騰、また日系ウエディング産業の進出に伴って本物の教会までもが買収の対象になるに至っては現地住民の顰蹙を買った。 ハワイ州を訪れる日本人観光客も増加を続け、1988年(昭和63年)12月のアメリカ合衆国の観光ビザ免除以降増加に拍車がかかり、円高もあって1997年(平成9年)には年間約222万人とピークを迎えた。 その後、日本人観光客は減少傾向にある。2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件、2003年(平成15年)のSARS流行などの影響、近年の原油高による燃油サーチャージ導入も追い打ちをかけ、2008年(平成20年)1年間の日本人観光客数は、ピーク時のおよそ半分の年間116万人強程度となり、観光ビザ免除制度が導入されて以来最少となった。 しかし現在も、日本とハワイには1日に11便から12便が運行されており、依然として多くの日本人観光客が訪れている。 「KZOO」という在留者・旅行者向けに日本語で放送を行うラジオ局、新聞「ハワイ報知」(静新SBSグループ。読売系のスポーツ報知とは無関係)も存在する。テレビ放送は「KIKU-TV」で日本の番組が一部放送されるほか、地元のケーブルテレビを通じて「NGN(Nippon Gorlden Network)」を受信することで、テレビジャパンをはじめとする日本の放送が視聴できる。かつては、「KOHO」や「KJPN」という日本語ラジオ局も存在していたが、前者は20世紀末、後者は2007年までに放送を終えている。 日本人バンドTUBEは、2000年6月1日にデビュー15周年を迎えた際、アロハスタジアムでアジア人として初めてライブを行った。ハワイ州はそのライブの成功を記念し、彼らが多くのCDジャケットなどの撮影地にもロケ地としても使用されているためもあって、6月1日をTUBE DAYと定めた。 日本の特撮番組である『人造人間キカイダー』、『キカイダー01』は1973年にハワイで初放送されて以来、現在も大変な人気を持つ。2002年4月12日にはハワイ州知事によって4月12日が「ジェネレーション・キカイダーDAY」に制定され、2007年5月19日にはマウイ島市長によって5月19日が「キカイダー・ブラザーズDAY」に制定されるなど大きな話題となった。 毎年4月または5月に、〔カワイイ☆コン〕というアニメコンベンションがハワイ・コンベンション・センターにて開催されている。 かつては日本のプロ野球チームのキャンプ地になる事も多かったが、現在州内でキャンプを行うチームはない。これに代わり、2005年(平成17年)には、JリーグJ2のザスパ草津と横浜FCがキャンプを行ったほか、2008年にはパンパシフィックチャンピオンシップ2008がアロハ・スタジアムで開催された関係でガンバ大阪がキャンプを行った。 2014年9月19日・20日、男性アイドルグループ嵐が15周年記念ライブ「ARASHI BLAST in Hawaii」をオアフ島・コオリナの特設会場で行った。このライブはハワイ州が招聘したことで実現した。また、ハワイ州は9月19日をARASHI DAYと定めた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ハワイ州(ハワイしゅう、英: State of Hawaii [həˈwaɪ.i] ( 音声ファイル) 、ハワイ語: Hawaiʻi)は、太平洋に位置するハワイ諸島にあるアメリカ合衆国の州。州都はオアフ島のホノルル市である。アメリカ合衆国50州の中で最後に加盟した州である。日本人や日系人の間では、「布哇」の表記が当てられる場合もある。海域として定められたポリネシアの北端でもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ハワイ島、マウイ島、オアフ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、ニイハウ島、カホオラウェ島の8つの島と100以上の小島からなるハワイ諸島のうち、ミッドウェー環礁を除いたすべての島が、ハワイ州に属している。北西ハワイ諸島の北西端からハワイ諸島の南東端のハワイ島まで、全長1,500マイル(2,400キロ)にわたっている。州全体が島だけで構成されているアメリカ合衆国で唯一の州である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "アメリカ合衆国本土の南西、日本の南東、オーストラリアの北東と、太平洋の中央に位置し、地理的にも民族的にも近いポリネシアでは最も北にある列島で構成されている。その自然の多様な景観、暖かい熱帯性気候、豊富な公共の海浜と大洋に取り囲まれていること、および活火山の活動があることで、観光客、サーファー、生物学者、火山学者などに人気のある目的地になっている。日本で最も人気な海外リゾート地のひとつ。独特の文化がある他に太平洋の中心にあることで、北アメリカやアジアの影響も多く受けている。140万人を超える人口のほか、常に観光客やアメリカ軍軍事関係者が滞在している。常住人口の約7割はオアフ島に集中している。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ハワイ語の Hawaiʻi は原始ポリネシア語の Sawaiki から派生したものであり、「母国」を意味するように内的再構されている。Hawaiʻi と同根語はポリネシアのマオリ語(Hawaiki)、ラロトンガ語(ʻAvaiki)およびサモア語(Savaiʻi)にも見られる。", "title": "州名の由来" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "言語学者のプクイとエルバートによれば、ポリネシアのどこでも、Hawaiʻi あるいはその類似語は地下世界または祖先の家の名前であるが、ハワイでは意味を持たない。", "title": "州名の由来" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ハワイ諸島へ人類が移民してきたのは、4世紀から8世紀ごろ で、南方のテ・ヘヌア・エナナ(マルケサス諸島)からと考えられている。この際に使用されたと考えられているのが、双胴の航海カヌーと、「スター・ナヴィゲーション」と呼ばれるリモート・オセアニア海域で広く用いられた航法技術である。ちなみにハワイへの移民がテ・ヘヌア・エナナから行われたとの説はビショップ博物館所属の日本人研究者、篠遠喜彦博士の、「釣り針編年研究」が基礎となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "ハワイ州はアラスカ州とならび、アメリカ合衆国本土以外に位置する2つの州のうちのひとつで、北米大陸上に位置しない唯一の州であり、四周を海によって囲まれ、また、熱帯地方に位置している唯一の州でもある。ハワイ島カラエ岬が全州の最南端部に位置している(本土最南端はフロリダ州のフロリダキーズバラスト・キーである。アメリカ合衆国の極地参照。)。アメリカ合衆国本土からは南西に約2,000マイル(3,200キロ)離れている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "州の陸地面積は、キラウエア火山から流動性の高い溶岩が流れ出ているため、その面積は増加し続けている。ハワイ諸島は8つの島々や環礁によって構成されており、その延長は距離1,500マイル(2,400キロ)にわたって伸びている。諸島のうち、8つの大きな島は「主要な島々(main islands)」と考えられていて、諸島の南東部に位置している。これらの島々は北西部から南東に、ニイハウ島、カウアイ島、オアフ島、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島、カホオラウェ島、ハワイ島の順に並んでいる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "北西ハワイ諸島はニホア島からクレ島までおもに9つの小さな島が連なり、太古からの火山帯の一部である。ほかにもモロキニ島など100以上の岩礁や小島がある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "本島は最大面積のハワイ島ではなく、州都で最大都市のホノルルがあるオアフ島である。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ハワイ州は、次の項目ではアメリカ合衆国で唯一の州である。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ハワイ州でもっとも高い山はマウナ・ケアであり、標高は1万3,796フィート(4,205メートル)であるが、太平洋底からの高さは3万3,500フィート(1万210メートル)であり、地球の地殻表面を基準にした場合エベレスト山よりも高いことになる。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ハワイ諸島の島々は、海底火山によって作られた。現在ハワイ島がある地点には太平洋プレートよりも深いところにマントルの活動によるホットスポットと呼ばれるマグマ溜まりが太古から存在する。これはマントルの一定の場所に存在し続け、直上の海底に向けてマグマの上昇を繰り返すためキラウエア溶岩のような噴火活動を引き起こす。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "太平洋プレートは太平洋の中央海嶺である東太平洋海膨から日本列島・千島列島の方へ向けて移動し続けているため、太平洋プレート上(=海上)から見ると「かつてホットスポットの直上にできたが、太平洋プレートの移動に連れて位置がずれて活動が停止した火山島」が北西へ向けて列をなしているのがわかる。北西に移動するにつれ、海底に沈みこみ、ハワイ海山群および天皇海山群(2つ合わせてハワイ-天皇海山列)となり、カムチャツカ半島の根元に至る。その海山と島の列のもっとも新しい島々が、ハワイ諸島側に向かって移動している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ハワイ島以外での最後の火山爆発は、18世紀後期より以前、マウイ島のハレアカラ山で起きたが、それより数百年前だった可能性もある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1790年、キラウエア火山が、ハワイ(現在のアメリカ)では最大級の爆発を起こした。この爆発で、キラウエアに向かっていた戦士とその家族、少なくとも5,405人が死亡した。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "火山活動とその後の浸食で、印象的な地質的景観を生んできた。ハワイ島には世界の島の中で3番目に標高が高い地点がある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "火山斜面の不安定さによって大きな地震と津波を生じてきており、特に1868年と1975年のものが大きかった。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "ハワイ諸島はほかの陸地とは隔絶しているために、人類が活動を始める以前の生命体は、風(wind)、波(waves)、翼(wings、鳥、昆虫など)の3つの \"w\" で運ばれたと言われている。この地理的隔絶や環境の多様さ(標高や熱帯気候)によってさまざまな植物と動物の固有種を生んできた。ハワイには多くの絶滅危惧種がおり、アメリカ合衆国本土よりも高い比率で絶滅種が出ている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "国立公園局の管理および保護下に置かれている地域は以下の通りである。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "アメリカ海洋大気庁、魚類野生生物局、ハワイ州の共同管理下にあるのは、", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "これは2006年6月15日に当時の大統領ジョージ・W・ブッシュが登録を宣言した。ここは太平洋の50マイル(80キロ)外海で、およそ14万平方マイル(36万3,000km)の岩礁、環礁、浅瀬および深海であり、その広さはアメリカ合衆国の国立公園をすべて合わせたよりも広い。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ハワイの気候は熱帯に特有のものではあるが、東からの貿易風がほぼ絶え間なく吹くために、気温も湿度もそれほど高くはならない。ただし、1980年代前半と比較して、風が吹く日は年間で約50日減少しており、風が止むと気温が上がり、猛暑日になることもある。夏の日中最高気温は80s°F台後半(31°C近辺) であり、夜間の最低気温は70s°F台半ば(24°C近辺)である。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "冬の日中は80ss°F台半ば(28°C近辺)、夜間は低地で60s°F台半ば(18°C近辺)より下には滅多に下がらない。ただし、ハワイ島のマウナ・ケアやマウナ・ロア山のような高地では、冬季に積雪がある(冬季は、斜面でスキーなどのスノープレーができる)。ハレアカラ山では降雪も稀である。2019年2月11日に観測されたマウイ島ポリポリ州立公園の降雪は、ハワイ州でもっとも標高の低い場所(約1,890メートル)における降雪とみられている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "カウアイ島のワイアレアレ山は世界でも2番目に降水量が多いところであり、460インチ(1万1,684ミリ)に達する。ハワイ諸島の大半では、5月から10月の乾期と10月から4月の雨季の2季だけがある。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "各島の気候はかなり異なっており、高山に対して風上側であるか風下側であるかで大きく分けられる。風上側は雲が多いため、リゾート地は風下側に集中している。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "主要な州間高速道路はオアフ島のみにH-1、H-2、H-3、および2005年より州道78号線(通称:Moanalua Freeway)が高速道路に昇格してH-201となり、合計4路線となった。多くの主要なアメリカの都市と同じく、ホノルルの大都市圏は特にアイエア(Aiea)、パールシティ(Pearl City)、ワイパフ(Waipahu)およびミリラニ(Mililani)の西方郊外から、ラッシュアワーの時間帯にかなりの交通渋滞が起こる。州道は主要な島の外周に配されている(ハワイ州の道路一覧を参照)。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "公共交通機関は、オアフ島ほぼ全域をカバーする公営バスである「TheBus」があるほか、本数は少ないが、マウイ島、ハワイ島、カウアイ島の一部にコミュニティバス路線が存在している。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "以前はハワイ州の大きな島には鉄道網があり、農産物や乗客を運んでいた。これらはすべて狭軌(多くは3フィート(914ミリ)、小島では2.6フィート(762ミリ)、アメリカ合衆国本土では4フィート8.5インチ(1,435ミリ))だった。鉄道会社の中でも最大のものはオアフ鉄道土地会社であり、ホノルルからオアフ島の西部や北部を結ぶ多くの路線を走らせていた。第二次世界大戦では兵員や軍需物資を運ぶことにも貢献した。往来が激しかったため列車の運行を円滑にする信号と、自動車を保護するために踏切に備えられたウィグワグがあった。本線は1947年に廃線となったが、一部はアメリカ海軍が買収し、1970年まで運行していた。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "現在の州内の鉄道はオアフ島の非営利団体・ハワイ鉄道協会の運行する鉄道(エヴァーカヘ・ポイント)やマウイ島のさとうきび列車(Sugarcane Train)など、全長13マイル(21キロ)が観光用にわずかに残されているのみで、公共交通機関としての用はなしていない。オアフ島の西部が新興住宅地として急速に発展してきているのに対して、州間高速道路やバスのみでは慢性的な渋滞を引き起こしていることから、以前からモノレールを敷設する計画はあるものの、資金などの問題があり実現のめどは立っていなかった。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "しかし2008年、ホノルルの住民投票でオアフ島西部とダウンタウン、ワイキキおよびハワイ大学を結ぶ鉄道計画に45億ドルの予算を承認、2011年2月22日に着工した。2017年までにイーストカポレイ - アロハスタジアム間が、2019年までにアロハスタジアム - アラモアナセンター間が開通する予定で、慢性的な渋滞の緩和が期待されている(スカイライン)。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "ハワイアン航空やgo!およびモクレレ航空、アイランドエアーなどが州内路線を運行している。また、ハワイアン航空が州外、国際線を運航しているほか、アメリカ本土やアジア、太平洋諸国から多数の国際線が乗り入れている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "定期民間旅客便が就航している州内の空港(特記しない限りハワイアン航空、go!およびモクレレ航空の定期便が就航)は以下の通りである。ハワイ諸島には、1つの島に必ず1つ以上の空港がある。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "19世紀から1950年代までは民間の蒸気船やフェリーが島々を結ぶ唯一の交通手段だったため、オアフ島のホノルル港、ハワイ島のヒロ港などができた。1970年代半ばにはシーフライトが水中翼船を主要な島の間に就航させた。2007年12月より、カウアイ島、オアフ島、マウイ島、ハワイ島の4島間を結ぶハワイ・スーパーフェリーが就航していたが、幾度かの休止を経て2009年8月をもって運航会社が破産、事実上の廃止となった。運行会社は将来フェリー運航を再開したい意向を表明している。マウイ島からモロカイ島およびレナイ島には通勤専用のフェリーが運航しているが、車両は搬送していない。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2020年国勢調査時点で、ハワイ州の人口は1,455,271人で、2010年国勢調査時点より94,970人、すなわち6.98%増加した。ハワイ州の人口重心はオアフ島とモロカイ島の間となっている。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ハワイ州には140万人を超える常住人口のほか、アメリカ軍関係者や観光客が常にいる。州都ホノルルを有し、「人の集まるところ」という愛称のあるオアフ島が最も人口が多く、州全体の陸地の1割にも満たない1,546kmの陸地に、州の総人口の約7割にあたる1,016,508人(2020年国勢調査)が住んでおり、人口密度は657.5人/kmである。比較のためにアメリカ合衆国50州で最も人口密度が高いニュージャージー州の場合、陸地19,231kmに9,288,994人(2020年国勢調査)が住んでおり、人口密度は483.0人/kmであるが、オアフ島単体ではそれを上回ることになる。ハワイ州全体の人口密度は87.5人/kmで、オハイオ州、カリフォルニア州やイリノイ州より低く、全米50州の中で13位である。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "ハワイ州の平均余命は2000年時点で79.8歳だった(男性で77.1歳、女性で82.5歳)。これは全米の中でもっとも高い数字である。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "アメリカ軍軍事関係者は州内人口の約1.3%を占めている。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "アジア系は40%に近い多数派となっている。これはアメリカの全ての州で唯一のものであり、さらに混血の比率が高いこと、ほかの州で増加を続けているヒスパニックが少ないこと、白人や黒人が少ないことも大きな特徴である。この為、同州では学校でのいじめ、不当解雇など白人への人種差別が散見され問題視されている。なお、中国系の多くがその歴史的背景から中華民国(台湾)を支持するほか、ベトナム系の多くがベトナム戦争後に崩壊した南ベトナムからの亡命者とその子孫で、残りの多くもボートピープルとして亡命してきた者である。最大多数の人種が50%を超えていない州はハワイ州とニューメキシコ州の2州のみである。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ハワイ州住人の82.2%はアメリカ合衆国の中で生まれている。外国生まれの住人のうちおよそ75.0%はアジア出身と申告している。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "アジア系の住民のなかでも特に日系人が多く、出身国(民族)別では第2位である。その影響もあって、ほかの49州と異なり、仏教徒(英語版)の比率が高く、仏教寺院や神道神社も州内各所に点在する。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "最初の無許可の日本人移民「元年者」150人は明治元年に募集が開始され、翌年の1868年6月19日にハワイに到着した。官約移民は1885年2月9日に到着した。現在日系人は1世から5世までが存在するといわれている。3世以降の日系人のほとんどは日本語が話せないが、簡単な単語程度なら理解できる者が多い。また、日本の高度経済成長期以降、ハワイは日本人にとって人気の観光地であり、旅行会社などハワイ在住の日本人駐在員や留学生、別荘を所有し数か月単位の滞在を行う長期滞在者も多く、その数は約2万人と言われている(領事館への届け出を行っている滞在者の総計であり、実際はもっといると思われる)。高度経済成長期の時点では日本からのハワイ旅行には、月収の数倍の費用が必要であったが、21世紀に入ってからは学生でもハワイ旅行が可能になるなど、大衆化した。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "純血の「先住ハワイアン(Native Hawaiians)」は現在かなり減少している。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1959年、アメリカ合衆国のひとつの州となった。その植民地支配のためハワイアンの社会経済的地位は低下し、その影響は現在(2000年代)でも続いている。「先住ハワイアン」と言われる民族は、約10万人程度である。しかし、これらの人々の中でも純血と言える人は稀である。現在、純血のハワイアンは約8,000人に満たない。先住ハワイアンのうち98%は混血である。現在広く用いられているのは、1920年に成立した「ハワイ人住宅寄託法」で示された「キャプテン・クック来航以前にこの島々に住んでいた人々の血を50%以上引いていること」という定義である。先住民ハワイアンは州内人口の民族構成で5.9%に過ぎず、独自文化の存続を図るため、1980年にハワイ人問題事務局が設置された。2000年の米国内務省統計では、ハワイアン人口は全米で40万人強、そのうちハワイ州在住は約24万人、それ以外のハワイアンはカリフォルニア州居住が圧倒的である。ハワイアンはハワイ州総人口の約5分の1を占め、白人系、日系、フィリピン系に次ぐ集団となっている。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "1990年代からハワイ先住民による主権回復運動(ハワイ独立運動・ハワイアン・ソブンティ運動:自決権あるいは独立要求)が盛り上がっている。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "ハワイの伝統的な私立学校であるカメハメハ・スクールズは、先住ハワイアンの血を引く者のみしか入学できないというのが条件である。カメハメハ・スクールズはカメハメハ1世の直系の子孫であるバーニス・パウアヒ・ビショップが、遺言によって設立した私立学校であり、公的な助成金を一切受けておらず、また彼女の遺言によって先住ハワイアンの教育を旨とすべきことが学校の方針であった。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "2003年にこの入学規定が非ハワイ人から「人種差別」だとして訴えられた。2005年9月の連邦巡回控訴裁判所において違法との判決を受けた。この判決には先住ハワイアンのみならずハワイ社会全体から広範な反発が起きた。2006年12月、巡回裁判所における再審理の結果、原判決が破棄され、ハワイ人優先入学制度は違法でないとされた。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "カメハメハ・スクールズは上級審で逆転勝訴したが、敗訴した原告の白人少年側は「カメハメハ・スクールズが入学を許可しなかったことで生じた学習の遅れに対する損害賠償」を求めて反訴する意志を示し、合衆国最高裁に再審理を要求したが、判決が下る前に両者の間で和解が成立した。同校は現在もハワイ人優先の入学制度を維持している。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "人類学者の井上昭洋によれば、これらの裁判は、1990年代のハワイ先住民による主権回復運動に対する反発が根底にあり、アメリカ社会における反アファーマティブ・アクション(バックラッシュ)の流れと無関係ではないとされる。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "2009年12月28日、アメリカ合衆国下院天然資源委員会(英語版)は、先住ハワイアン政府再編成法(英語版)を承認した。これは先住ハワイアンに対し、民族自決のための政策決定権を認めるものであり、その認定事務および承認はアメリカ本土におけるインディアン、アラスカ・エスキモー、アレウトと同様に、アメリカ内務省によって行われる。合衆国インディアン事務上院委員会(英語版)も、この法律を承認した。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "天然資源委員会内ではこの法案について、「先住ハワイアンによる民族政府の樹立は合衆国憲法に違反する」と、ドク・ヘイスティングス(英語版)下院議員を代表とする共和党員メンバーによって反対論陣が組まれてきた。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "民主党員側では、ハワイ生まれのオバマ大統領を筆頭とする多数の議員、また先住ハワイアンだけでなく、アラスカ議会代表団、アラスカのインディアン、エスキモー団体がこれを支持している。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2000年時点で信徒がもっとも多い宗派はキリスト教であり、次に大きく離れて仏教であった。宗派別信徒数は以下の通りである。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "その他の宗派としては、バハイ教、儒教、道教、ハワイ宗教、ヒンドゥー教、イスラム教、シーク教、神道、ゾロアスター教などがある。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "無宗派には不可知論者、無神論者、人道主義者、不信仰者が含まれる。", "title": "人口動態" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "ハワイ州においては、法人化された自治体は州都ホノルル市郡以外に存在しない。ホノルル市郡域はオアフ島全体にわたり、アーバンホノルル都市圏の定義範囲と一致する。統計上の通例では、アーバンホノルル国勢調査指定地域(CDP)が「ホノルル市」として扱われるが、アーバンホノルルもまた法人化された自治体ではなく、従ってホノルル市郡と別個の政府を有しているわけではない。そのため下表では、人口の多い国勢調査指定地域を人口順に列挙する。なお、人口の数値は2020年国勢調査による。", "title": "主な国勢調査指定地域" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "なお、上表には入っていないが、カウアイ郡最大のCDPであるカパアは2020年国勢調査時点での人口11,652人で、州全体では第30位である。カラワオ郡は郡内にCDP自体が1つも存在せず、アフプアアと呼ばれる、伝統的な地域区分のみが存在する。", "title": "主な国勢調査指定地域" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "ハワイ州政府はハワイ王国時代にはイギリスの政治体制、その後、ハワイ王国の転覆(Overthrow of the Kingdom of Hawaii)のころから徐々にアメリカ合衆国連邦政府をモデルとしている。ハワイ州憲法に規定され、行政、立法および司法の三権が分離されている。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "行政府は知事が指導し、副知事の補佐を受ける。どちらも組み合わされた候補者名簿から選出される。知事は州全体で選出される唯一の役人であり、ほかの役人は知事が指名する。副知事は州務長官を務める。知事と副知事は州議会議事堂にあるオフィスから20の機関を監督する。知事公邸はワシントン・パレスである。法執行機関は州警察ではなく州公安部の保安官。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "州行政府の部門(Department)は、英文名称順に次のようになる。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "このほかに、州知事オフィスをはじめとする局(Agency)がある。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "立法府はハワイ州議会で、51人の議員からなる下院と25人の議員からなる上院の両院制である。ハワイ州会議事堂で審議を行っている。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "司法府の最高機関はハワイ州最高裁判所であり、アリイオラニ・ハレを裁判に使っている。その下に高等裁判所、地区裁判所、家庭裁判所などがある。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "2023年現在の州知事は、民主党のジョシュ・グリーン(2022年12月 - )。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "日系約20万人、フィリピン系約17万人などアジア系住民が多い州であるため、州議会にもその住民構成は反映され、日系人の州議会議員も多く活躍しているほか、日系人の連邦議員もこれまでに数多く選出され続けてきている。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "法律面では、州法で人種差別を禁止しており、アメリカの中でもアジア系を含めた非白人系の移民が多いことが窺い知れる。また、自然保護に関する法律は多いが、それを現実のものとするための資金が不足しているのも事実である。以前よりカジノ構想が議会で持ち上がり、資金不足の解消を試みるが、何度も可決されずに終わっている。現在の州法では一切のギャンブルが禁止されており、宝くじも販売されていない。そのためか、ハワイ州民の観光旅行先としてラスベガスは常に一番人気である。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "現在、ハワイ州においては、死刑制度は廃止されている。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "ハワイ州特有の統治事情は自治体がないことである。地域社会はすべて郡のレベルで管理されている。唯一法人化された地域はホノルル統合市郡であり、オアフ島全体を統治している。郡の行政官は郡長(mayor、市長と同じ)と呼ばれ、すべて無党派選挙で選ばれている。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "ハワイ州には次の5郡が置かれている。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "ハワイ州から連邦議会には上院議員2人、下院議員2人を送り込んでいる。2013年時点で4人全員が民主党員であり、さらにそのうち3人は女性である。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "州内のうち、ホノルルなどをオアフ島南東部を含む下院第1選挙区からは、前ハワイ州議会上院議員のコリーン・ハナブサが選出されている。ハナブサは、アバクロンビー現州知事の知事選出馬・下院議員辞職に伴って実施された2010年5月の補欠選挙では、同じく出馬を模索したエド・ケース元下院議員との候補統一に失敗し党内が分裂、ライバル共和党のチャールズ・ヂョウの前に苦杯を嘗めたが、同年11月の中間選挙では直前までの接戦観測を覆し、得票率にして6ポイントの差を付けてヂョウを破り、雪辱を果たした。2012年の選挙でも再選を果たし、現在2期目である。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "州内の他の部分を含む下院第2選挙区からは、前ホノルル市議会議員のトゥルシ・ガダードが選出されている。ガダードは、上院に転出したメイジー・ヒロノに代わり、2012年11月6日の選挙に出馬・当選し、現在1期目である。ガダードは、連邦議会初のサモア系かつヒンドゥー教徒の議員である。また、ハワイ州の陸軍州兵としてイラクに従軍した経験があり、同じく2012年の選挙で初当選したタミー・ダックワースと並び、戦闘地域での任務経験がある女性連邦議会議員となっている。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "上院議員には、現在ブライアン・シャーツとメイジー・ヒロノの2人が選出されている。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "ハワイ州では、日系のダニエル・イノウエが先任上院議員として、1963年1月3日から約50年にわたり同職を務めていた。イノウエは、2010年6月にはロバート・バードの死去にともない上院の最先任上院議員となり、上院多数派の最長老に与えられるアメリカ合衆国上院仮議長を務めていたが、2012年12月17日に死去した。2012年11月6日の選挙では、現職だったダニエル・アカカの引退にともない後継として出馬した福島県生まれの日本人移民メイジー・ヒロノが当選し、イノウエが存命であれば2013年1月からハワイ州の上院議員はすべて日系で占められるはずであったが、イノウエの死去にともない立ち消えとなった。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "イノウエの後継には、アバクロンビー州知事の下で副知事を務めていたブライアン・シャーツが指名され、2012年12月26日付で就任した。イノウエの任期は本来2017年1月(2016年改選)までであったが、2014年の中間選挙にあわせて補欠選挙が実施された。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "ハワイ州にある連邦政府機関はアロハタワーとホノルル港に近いプリンス・クヒオ連邦政府ビルに入っている。同ビルには連邦捜査局(FBI)、国税庁(IRS)、およびアメリカ合衆国シークレットサービスが事務所を構えており、ハワイ州連邦地方裁判所やハワイ地区連邦検察局も入居している。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "ハワイ州は直近14回のアメリカ合衆国大統領選挙のうち12回を民主党支持とした。共和党を支持したのは1972年(リチャード・ニクソンの2期目)と1984年(ロナルド・レーガンの2期目)である。2004年の場合、民主党候補のジョン・ケリーが有効投票総数の54%を得て、対立候補共和党のジョージ・W・ブッシュに9%と差を付けてハワイ州の選挙人4人を獲得した。州内5郡全てが民主党候補を支持した。1964年にはハワイ州生まれのハイラム・フォンが共和党候補者指名を求めた。また1972年には同じくパッチー・ミンクがオレゴン州予備選に出馬した。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "ホノルル生まれの第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマは、当時イリノイ州選出のアメリカ合衆国上院議員であり、2008年の選挙で大統領に当選した。2008年2月19日に開かれた民主党ハワイ州党員集会では76%の票を得て候補指名された。オバマは主要政党の候補者として指名を求めたハワイ出身者としては3人目であり、初の党指名候補になった。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "現在アメリカ合衆国の版図となっている地域では唯一、西洋人にも認知された王朝が成立しており、それをアメリカが強制的に併合したこと、また現在の50州の中で最後に立州されたことという歴史的背景もあり、連邦政府が定める祝日(アメリカ合衆国の祝日の項目参照)とは別に、下記の祝日が州独自に定められている。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "なお、ステートフッド・デー(1959年にハワイが準州から州に昇格した記念日)が祝日とされる代わりに、連邦の祝日であるコロンブス・デー(10月第2月曜)を、ハワイ州政府では祝日とみなしていない。", "title": "政治と法律" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "ハワイ州の経済史は主たる産業が移り変わってきたことが特徴である。すなわち白檀材、捕鯨、サトウキビ、パイナップル、軍需、観光 および教育である。1959年以降は観光業が最大産業であり、1997年では州内総生産の24.3%を占めている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "かつてハワイ州の経済は「ビッグファイブ」(Big Five)と呼ばれる、大手砂糖会社を筆頭とする複合企業群によって支えられていた。これらの企業群は20世紀初頭に台頭し、1960年代に至るまでハワイ州の政治・経済を牛耳ってきた。ビッグファイブとは、アレクサンダー・アンド・ボールドウィン(Alexander & Baldwin)、キャッスル・アンド・クック(Castle & Cooke)、C・ブリュワー(C. Brewer)、シーオ・H・デイビーズ(Theo H. Davies)、アムファック(Amfac)である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "プランテーションで働くためアジアからの移民も増加した。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "1970年代に入り砂糖のプランテーションが次々に閉鎖されると、これらビッグ・ファイブの傘下にあった企業は中核の本部を除いては他州の企業に買収・併合されていった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "2007年のハワイ州の州内総生産は583.07億ドル(約5兆円)である。滋賀県(約6兆円)とほぼ同じ経済規模である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "現在は公共部門、軍需、観光の3本柱である。パイナップルはかつてラナイ島単独で全米の生産量の90%、全世界生産量の75%を産出していたほどだが、農業の比率は過去に比べ下がっている。現代ではコナコーヒーなど、高付加価値の農作物が中心である。近年では不安定な観光業に依存する体質から脱却するため、政府では就農を促している。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "軍需については、州内に数多くの軍事基地を抱え、軍や関連産業による経済への影響は大きい。2009年、アメリカ軍はハワイ州で122億ドルを消費したが、これは国内予算の18%に相当した。アメリカ合衆国国防総省の人員75,000人が州内に住んでいる。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "観光については、年間6,982,425人、うちアメリカ国内からが4,592,650人、国外からは2,389,775人、そのうち日本からは年間1,239,481人(いずれも2010年)が訪れる国際的観光地であり、軍需と並びハワイ州を支えている。近年では多数の観光客を呼び込む方針から、持続可能な開発目標を掲げ自然環境に配慮した観光地への転換を目指している。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "離島であるため工業製品のほとんど、また燃料の全てを米本土からの輸入に頼ることから平均物価は州単位では全米一高く、全米平均のおよそ1.5倍に相当する(2位はニュージャージー州の1.25倍)が、その一方で、平均年収は全米平均とほぼ同程度であるため、可処分所得は全米平均以下と言える", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "ハワイ州からの輸出品としては食品や衣料品がある。しかし例えばアメリカ合衆国西海岸であってもかなりの輸送距離があるためにハワイ州の経済に占める役割は小さい。輸出食品にはコーヒー、マカダミアナッツ(ハワイアンホスト・グループなど)、パイナップル、サトウキビ、家畜などがある。ハワイ農業統計局に拠れば2002年の農産物売上高は3億7,090万ドルであり、パイナップルは1億60万ドル、サトウキビは6,430万ドルだった。ただし、サトウキビ栽培はマウイ島のプウネネだけにアレクサンダー&ボールドウィンの農場が唯一残っていたが、2016年12月で廃業しハワイでの商用サトウキビ栽培は途絶えた。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "ハワイ州の課税は比較的重い。2003年、一人当たり税徴収額は2,838ドルとなり、全米50州の中で最高だった。これは教育、健康管理および公共事業が全て州によって行われることに起因しており、他州では地方政府が担当している。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "数多い観光客は消費税やホテル客室税を払うことによってハワイ州の税収入に貢献している。つまり全ての税収が住民から徴収されているわけではない。しかし企業経営者は税負担が重いので、高い物価と、取引には有効的でない風土という認識を作っていると見なしている。近年では環境保全の財源確保のため、グリーン・フィーと呼ばれる税金が検討されている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "ハワイ州はガス・キャップ法(排出ガス規制法)によってガソリン価格を規制する数少ない州の1つである。石油会社の利益はアメリカ合衆国本土と比較されて監視されているので、この法律によって州内ガソリン価格は本土と同じにされている。この法はハリケーン・カトリーナで価格が変動した2005年9月に効力を発揮したが、2006年4月には棚上げされた。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "現在経済を産業別に会社名なども記述して続けると、まずマスコミ関係の新聞業界では、オアフ島で発行されている『ホノルル・スター・アドバタイザー』がハワイ州の代表的新聞で、全島で読まれている。これ以外に各島でも地元紙が発行されていて、例えばハワイ島では『ウェスト・ハワイ・トゥデイ』と『ハワイ・トリビューン・ヘラルド』である。経済関係の新聞では、『パシフィック・ビジネスニューズ』がある。全米をカバーするABC/CBS/NBCなどの商業テレビネットワークおよび「PBSハワイ」公共放送サービス、全島をカバーするハワイ・パブリック・ラジオおよび各島のラジオ放送局などがある。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "金融関係では、ハワイ州に本部があるバンク・オブ・ハワイ、ファースト・ハワイアン・バンク、セントラル・パシフィック・バンク、アメリカンセービング銀行、各種信用組合(ハワイ州連邦信用組合、ハワイコミュニティー連邦信用組合など)などの銀行は州内各地に支店も多く、個人・企業相手に営業をしている。邦銀も含めて、ハワイ州以外に本部がある銀行はホノルルに集中していて、企業相手をおもな事業としている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "エネルギー供給分野では、電力はハワイ電力工業がほぼ全島をカバーしており、ガソリンはアロハ石油、シェル石油、シェブロン、76、テソロ石油などの石油販売会社、コストコなどの量販店のガソリンスタンドで行われている。ガスはハワイガスにより配布されている。流通関係では、全米チェーンのウォルマート、セーフウェイなど以外に、地元資本のフードランドとその子会社Sack 'N Save、KTAスーパーストアズなどがある。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "運輸関係では航空産業が大きく発達しており、ハワイアン航空が圧倒的な力を見せているが、全米の主要航空会社および世界の主要航空会社がハワイへ乗り入れている。海運ではマトソン社が国際海運、パシャ・ハワイがハワイとアメリカ大陸間に、ヤング・ブラザーズ・ハワイがハワイ諸島間に活躍している。通信関係では、ハワイアン・テルコム電話会社、チャーター・コミュニケーションズのOcean Spectrum通信ケーブル、全米をカバーするAT&Tなどの携帯電話会社がカバーしている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "こうした各種産業での大会社のハワイアン航空、モクレレ航空、ハワイ電力工業、ハワイアン・テルコム、バンク・オブ・ハワイ、ファースト・ハワイアン・バンク、ABCストアなどはホノルルに本社を置いて全島業務を展開しており、その他の会社は各島を中心にコナビール会社、ハワイヌイビール会社などが活躍している。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "ハワイ州、特にホノルルの生活費はアメリカ合衆国の主要都市に比べて極めて高い。しかし、ニューヨーク市と比べれば6.7%、サンフランシスコ市と比べれば3.6%低い。この数字には「アメリカ合衆国本土以外」の顧客に対して課される旅費や輸送費の増加、販促機会の不足という要素を含めていない可能性がある。オンラインショップの中にはハワイに対する注文に送料を取らないものもあるが、多くの商店はハワイ州、アラスカ州、プエルトリコなどの海外領土を商圏の対象から外している。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "2000年時点で住宅価格の中央値は272,700ドルだったが、全国平均はその半分以下の119,600ドルだった。カリフォルニア州でも211,500ドルであり、ハワイ州は全米で最も住宅価格が高い州である。全米不動産協会の最近の調査では、ホノルルの一戸建て住宅価格中央値を607,600ドル、全米の値を173,200ドルとしている。この年、カリフォルニア州シリコンバレーで602,000ドルであり、ホノルルは最も住宅価格が高い都市になった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "2018年に発表された全米の世帯別収入調査の結果では、家計のやりくりに苦労している世帯の比率は平均43%と高率であったが、州別ではハワイ州は49%に達し、ニューメキシコ州やカリフォルニア州と並んで全米ワーストを記録した。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "近年、前述の生活費の高さと特に他の州から移住するホームレスが増加し、ワイキキなどの観光地にも溢れかえるなど深刻化しており、2015年10月には非常事態宣言が発令された。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "2020年には新型コロナウイルスによる影響で観光業が打撃を受け、オアフ島などで増加した。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "ハワイ州はアメリカ合衆国の州の中で唯一、州全体で統合された教育体系を持っている。意志決定は州教育委員会の14人の委員が行っている。委員会は政策を決定し、州のハワイ州教育省を監督する教育監督官を雇用する。教育省は7つの地区に分けられており、4つがオアフ島に、他の3郡に各1つが配されている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "教育の中央集権化を行う主な理由は人口の多いオアフ島と人口の少ない諸島との間の格差、さらに収入の格差による影響を無くすことである。アメリカ合衆国本土では公立学校が地方の資産税で運営されている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "教育者は英語を話さない移民の子弟と取り組む必要がある。それら子弟の文化は本土のものとは異なっている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "公立の小中学校および高校で行われる共通試験(落ち零れ防止法の下で行われている)の成績は全国平均より劣っている。この差は、州教育委員会が全ての資格在る生徒に試験を受けさせ、全ての結果を報告しているからである(例えばテキサス州やミシガン州の場合はそうはしていない)。2005年8月の報告では全州282の学校のうち、185校が数学とリーディングで連邦政府の最低標準に届かなかった。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "一方2005年のACTカレッジ・クラス分けテストでは、上級生の成績が全国平均(20.9)より僅かに高い21.9となった。広く行われているSAT試験では、ハワイ州のカレッジを指向する生徒が数学以外のあらゆる教科で全国平均より低い成績となる傾向がある。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "州内には独立系のイオラニ学校、カメハメハ学校、中部太平洋学校、およびプナホウ・スクールがある。合衆国第2、州内第1の仏教系学校である太平洋仏教徒アカデミーが2003年に開校した。先住民が管理する最初の公立チャータースクールはカヌオカアイナ新世紀チャータースクールである。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "独立系学校やチャータースクールはその生徒を選別できるが、通常の公立学校は学区内の生徒を全て受け入れなければならない。カメハメハ学校は合衆国内で唯一先祖によって生徒受入の判断基準を設けている学校であり、全米で最も豊かな学校である。資産額は90億ドル以上である。2005年の生徒数は5,398人であり、そのうち8.4%が先住民の子弟である。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "ハワイの土着文化はポリネシア系のものである。ハワイは太平洋中部と南部に拡がる広大なポリネシア三角の北端である。伝統的なハワイ文化は現在でも色濃く残っていて、全島で儀式や伝統行事の再演が行われている。ルアウ(ハワイ式宴会)やフラなど大きく変化した形態ではあるが、アメリカ合衆国に影響を与えたものもある。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "アメリカ本土の他、日本などからの移民が持ち込んだ文化も影響を与えている(後述)。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "ハワイに於ける文学は、ハワイ先住民が文字をもたず、口承文学として伝えられてきて、19世紀に欧米人の宣教師が文字を伝えてから文章化された『クムリポ』などがその代表的なものである。その後マーク・トゥエインの『ハワイ通信』、イザベラ・バードの『ハワイ紀行』、最近はジェームズ・ミッチェナーの『ハワイ』、ポール・セローの『ホテル・ホノルル』などのような、ハワイ諸島を舞台とし有名になったノンフィクション作品・フィクション作品を「ハワイ文学」と呼称されていたが、近年はハワイ出身の作家による作品を指して呼称するように、その定義は変化してきた。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "バンブー・リッジ・プレス社が出版する季刊誌ボンバーリッジは、地元現代作家の作品を掲載した文学誌で、1998年にアメリカ文学賞を受賞したNora Okja Keller、1993年にプッシュカート賞を受賞したルイス・アン・ヤマナカなど、注目を集める作家が多数輩出されている。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "ハワイには、古代から継承された芸能としてメレとフラがある。多神教だった古代のハワイ人が祭祀として、またハワイ人は以前は文字を持たなかったため、歴史の口頭伝承の一環として行なっていた歌と踊りである。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "メレはハワイ人の神への祈りである。ハワイの音楽は伝統音楽やポップスなど豊かに発展してきた中、20世紀に創始された土着音楽として、ハワイアン・ポップスがある。この音楽はスラックキーギターや、西洋風の裏声など、欧米からもたらされたものであるが、現在ではハワイを代表する芸能の一つとして広く愛好されている。ハワイ独特の楽器として知られるウクレレは、19世紀にポルトガル移民が持ち込んだ楽器が原型と言われている。ウクレレの日(ukulele day in hawai'i)は2月13日。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "フラには古代の形式に近いフラ・カヒコ(古典フラ)と、ハワイ人などの現代のポップ音楽を大幅に取り入れたフラ・アウアナ(現代フラ)に分けられる。フラ・アウアナはウクレレなどの演奏にあわせて踊られるが、フラ・カヒコにおいては歌あるいはイプ(瓢箪)や太鼓などの打楽器のみを用いる。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "毎年メモリアル・デーの週末にはオアフ島・ホノルルでハワイ音楽の年間最優秀者がナ・ホク・ハノハノ賞で表彰される。また、イースターの時期には、ハワイ島のヒロで、「フラのオリンピック」とも呼ばれる競技会・メリーモナークフェスティバルが行われる。日本はハワイ音楽も舞踏も盛んな国で、毎年のナ・ホク・ハノハノ賞受賞者とメリー・モナーク・フェスティヴァルの優秀ダンサーを招いて、9月に「フェスティバル・ナ・ヒヴァヒヴァ・ハワイ」が開催される。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "以上のハワイ独自の伝統以外に、ハワイ交響楽団、ハワイ・オペラ・シアター、ダイアモンドヘッド・シアターなどがあり、ハワイ州の音楽・舞踏・舞台芸術の世界を豊かにしている。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "アロハシャツの由来については諸説あるが、日本人が持ち込んだ和服の布地を転用したのが由来という説が有力である。なお、ハワイではアロハシャツは男性の正装とみなされ、州議会や公式の場でもアロハシャツ着用という姿をしばしば目にし、オフィス街であってもスーツ姿はさほど多くはない。ちなみに観光ガイドによれば、ハワイ内においてある程度格式あるレストランでも、アロハシャツ着用であれば正装として認められることが記されている(これは観光客がラフな服装でフォーマルな場所であるレストランで食事をすることを戒めた内容でもある)。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "食文化については、メキシコ人や東南アジア人、白人など地域外からの移民も極めて多い州らしく、各国からの移民が持ち込んだ多様な食文化が見られる。大皿に様々なオカズを並べて食べる「ミックスプレート(プレートランチ)」は、プランテーション農業時代に、各地の移民が持ち寄った食べ物をみなで分け合った名残である。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "生魚の切り身を使った「ポキ」と呼ばれる料理がハワイ名物として知られる他、「パシフィック・リム・クイジーヌ」と呼ばれる、日本料理の技法やフランス料理の技法をもとに地元の食材を調理した料理も考案され、人気を集めている。近年では伝統的なポリネシアの食文化も健康の面から見直されており、「ポイ」と呼ばれるタロイモのペーストがあちこちで売られている。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "特に人数の多かった日本人が持ち込んだ和食の影響は大きく、「Bento(弁当)」、「Shoyu(醤油)」、 「Teriyaki(照り焼き)」、 「Musubi(むすび)、(おにぎりの意味)」など、日本語がそのまま現地語化したものも数多くある。ハワイに日本食が息づいていることは、第二次世界大戦の終戦直後に「ララ物資」を経由して、ハワイ産の醤油や味噌が日本へ贈られたことからも窺い知れる。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "2010年代後半から広東住血線虫症の患者が発生する傾向にあり、衛生当局は果物や野菜、特に葉物野菜は流水で洗ってから食べるよう勧告している。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "サーフィンはハワイが発祥の地とされており、古くはデューク・カハナモク、近年ではアンディ・アイアンズ、ジョン・ジョン・フローレンスなどの名サーファーを輩出している。またハワイは1980年代以降、リモート・オセアニア海域各地で盛んになった航海カヌー文化復興運動でも主導的な役割を果たした。特に1975年に建造された航海カヌー「ホクレア」と、航法器具を一切使用しない推測航法技術を復活させたナイノア・トンプソンの活躍は広く知られている。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "2018年7月3日、サンゴ礁保護のためサンゴの白化など有害性が認められるとして、紫外線吸収剤であるオキシベンゾンとオクチノキサートが含まれる日焼け止め剤の販売と流通を禁じる法案に知事が署名した。2021年1月1日より発効される。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "ロミロミは、古代ハワイアンの医療として発達し、現代のリラクゼーションとしてアンティ・マーガレットがはじめて世に紹介した。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "劇場には、歴史的な「ハワイ・シアター」(Hawaii Theatre)、現代的な「ブレイズデル・センター」(Neal S. Blaisdell Center)などがある。環太平洋の映画界では有名になったハワイ国際映画祭が開かれている。ホノルルでは昔からLGBTの映画祭であるレインボウ映画祭も開かれている。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "ホノルルにはビショップ博物館、ホノルル美術館などがあり、その他の博物館、美術館などが各島にある。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "立地的に北米4大プロスポーツリーグ(NFL、NBA、MLB、NHL)のチームが存在した事は一度もない。ただし1980年から2009年まで、毎年2月にNFLがプロボウルをスーパーボウルの翌週にアロハ・スタジアムで行っていた。なお、メジャースポーツではないがNFLのオフシーズンに行われる、アリーナフットボールのプロチームである「ハワイ・アイランダーズ」がある。大学スポーツ界は州内ではハワイ大学が最有力であり、全米ランク2位になった事のあるバレーボールチームや、全米ベスト25に入ったことのあるアメリカン・フットボールチームが有名である。また、オアフ島北東部にある「ブリガムヤング大学ハワイ校」には、2004年に日本人として初めてNBAでプレーした田臥勇太が在籍していた事でも知られる。", "title": "芸術・文化" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "ハワイ国独立主権国家プウホヌア・オ・ワイマナロ・ヴィレッジ。1993年、ハワイ王国侵略謝罪法案によってネイティブハワイアンにワイマナロの55エーカーの土地が返還され、ハワイ独立自治国が誕生した 。", "title": "ネイション・オブ・ハワイ" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "日系人が多いこと、アメリカ合衆国以外からの観光客数国別1位であること、またかつては大相撲の力士(高見山大五郎、小錦八十吉、曙太郎、武蔵丸光洋)を輩出したことなどもあり、経済的、文化的にも日本とのつながりは強い。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "1959年(昭和34年)ハワイ州が全米50番目の州となった年にショッピングセンターアラモアナセンターが開業した。当初から東急グループ傘下のデパート・白木屋が出店、ハワイ州議会は東急と白木屋による投資を賞賛する決議を行った。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "1970年代後半以降には日本人の海外旅行の定番となったハワイ旅行であるが、当初は高嶺の花であり1964年(昭和39年)4月1日の海外旅行自由化の1週間後に出発した7泊9日の戦後初ツアーの費用は364,000円(大卒の初任給約2万円のころ)であった。同年には日本交通公社(現在のJTB)がハワイに支店を開設、翌1965年(昭和40年)には日本初のパッケージツアー「ジャルパック」が登場するなど、現在に通じる日本人のハワイ観光の基礎は準備された。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "また、小佐野賢治率いる国際興業は早くからハワイの観光資源に注目、日本人による海外旅行が自由化される前年の1963年(昭和38年)の時点でロイヤル・ハワイアン、モアナ・サーフライダー、シェラトン・プリンセス・カイウラニといったワイキキの名門ホテルを買収している。当時の日本人にとってハワイは憧れの地であり、1960年代のテレビ番組『アップダウンクイズ』(毎日放送)では「夢のハワイ旅行」が景品となっていたほか、1961年(昭和36年)に寿屋(現在のサントリー)がはじめたCMも『トリスを飲んでHawaiiへ行こう!』というものであった。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "小売業では1972年(昭和47年)、横浜岡田屋がワイキキに店舗を開設したほか、1974年(昭和49年)にはシェラトン・ワイキキも国際興業によって買収された。1982年(昭和57年)にはダイエーがアラモアナセンターとそれに隣接する不動産を取得し、バブル期におけるハワイ投資ブームの先鞭をつけた。1986年(昭和61年)には麻布建物がハイアットリージェンシー・ワイキキを買収、バブル期にはワイキキのホテルの90%以上、ハワイの民間ゴルフ場の大部分が日系企業の所有となるに及んだ。一方で日系企業による買い漁りは住宅や宅地にまで及び不動産価格が高騰、また日系ウエディング産業の進出に伴って本物の教会までもが買収の対象になるに至っては現地住民の顰蹙を買った。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "ハワイ州を訪れる日本人観光客も増加を続け、1988年(昭和63年)12月のアメリカ合衆国の観光ビザ免除以降増加に拍車がかかり、円高もあって1997年(平成9年)には年間約222万人とピークを迎えた。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "その後、日本人観光客は減少傾向にある。2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件、2003年(平成15年)のSARS流行などの影響、近年の原油高による燃油サーチャージ導入も追い打ちをかけ、2008年(平成20年)1年間の日本人観光客数は、ピーク時のおよそ半分の年間116万人強程度となり、観光ビザ免除制度が導入されて以来最少となった。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "しかし現在も、日本とハワイには1日に11便から12便が運行されており、依然として多くの日本人観光客が訪れている。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "「KZOO」という在留者・旅行者向けに日本語で放送を行うラジオ局、新聞「ハワイ報知」(静新SBSグループ。読売系のスポーツ報知とは無関係)も存在する。テレビ放送は「KIKU-TV」で日本の番組が一部放送されるほか、地元のケーブルテレビを通じて「NGN(Nippon Gorlden Network)」を受信することで、テレビジャパンをはじめとする日本の放送が視聴できる。かつては、「KOHO」や「KJPN」という日本語ラジオ局も存在していたが、前者は20世紀末、後者は2007年までに放送を終えている。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "日本人バンドTUBEは、2000年6月1日にデビュー15周年を迎えた際、アロハスタジアムでアジア人として初めてライブを行った。ハワイ州はそのライブの成功を記念し、彼らが多くのCDジャケットなどの撮影地にもロケ地としても使用されているためもあって、6月1日をTUBE DAYと定めた。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "日本の特撮番組である『人造人間キカイダー』、『キカイダー01』は1973年にハワイで初放送されて以来、現在も大変な人気を持つ。2002年4月12日にはハワイ州知事によって4月12日が「ジェネレーション・キカイダーDAY」に制定され、2007年5月19日にはマウイ島市長によって5月19日が「キカイダー・ブラザーズDAY」に制定されるなど大きな話題となった。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "毎年4月または5月に、〔カワイイ☆コン〕というアニメコンベンションがハワイ・コンベンション・センターにて開催されている。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "かつては日本のプロ野球チームのキャンプ地になる事も多かったが、現在州内でキャンプを行うチームはない。これに代わり、2005年(平成17年)には、JリーグJ2のザスパ草津と横浜FCがキャンプを行ったほか、2008年にはパンパシフィックチャンピオンシップ2008がアロハ・スタジアムで開催された関係でガンバ大阪がキャンプを行った。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "2014年9月19日・20日、男性アイドルグループ嵐が15周年記念ライブ「ARASHI BLAST in Hawaii」をオアフ島・コオリナの特設会場で行った。このライブはハワイ州が招聘したことで実現した。また、ハワイ州は9月19日をARASHI DAYと定めた。", "title": "日本との関わり" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "", "title": "日本との関わり" } ]
ハワイ州は、太平洋に位置するハワイ諸島にあるアメリカ合衆国の州。州都はオアフ島のホノルル市である。アメリカ合衆国50州の中で最後に加盟した州である。日本人や日系人の間では、「布哇」の表記が当てられる場合もある。海域として定められたポリネシアの北端でもある。 ハワイ島、マウイ島、オアフ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島、ニイハウ島、カホオラウェ島の8つの島と100以上の小島からなるハワイ諸島のうち、ミッドウェー環礁を除いたすべての島が、ハワイ州に属している。北西ハワイ諸島の北西端からハワイ諸島の南東端のハワイ島まで、全長1,500マイル(2,400キロ)にわたっている。州全体が島だけで構成されているアメリカ合衆国で唯一の州である。 アメリカ合衆国本土の南西、日本の南東、オーストラリアの北東と、太平洋の中央に位置し、地理的にも民族的にも近いポリネシアでは最も北にある列島で構成されている。その自然の多様な景観、暖かい熱帯性気候、豊富な公共の海浜と大洋に取り囲まれていること、および活火山の活動があることで、観光客、サーファー、生物学者、火山学者などに人気のある目的地になっている。日本で最も人気な海外リゾート地のひとつ。独特の文化がある他に太平洋の中心にあることで、北アメリカやアジアの影響も多く受けている。140万人を超える人口のほか、常に観光客やアメリカ軍軍事関係者が滞在している。常住人口の約7割はオアフ島に集中している。
{{Pathnav|アメリカ合衆国|frame=1}} {{redirect|ハワイ}} {{基礎情報 アメリカ合衆国の州 | 公式名称 = State of Hawaii<br>Mokuʻāina ʻo Hawaiʻi | 州旗 = Flag of Hawaii.svg | 州章 = Seal of the State of Hawaii.svg | 地図 = Hawaii in United States (zoom) (US50) (-grid).svg | 愛称 = アロハ・ステート<br>The Aloha State | 州都 = [[ホノルル]] | 最大都市 = ホノルル | 州知事 = [[ジョシュ・グリーン (政治家)|ジョシュ・グリーン]] | 公用語 = [[ハワイ語]]と[[アメリカ英語|英語]]<!--1978年--> | 面積順位 = 43 | 総面積 = 28,311 | 面積大きさ = 1 E10 | 陸地面積 = 16,638 | 水域面積 = 11,672 | 水面積率 = 41.2 | 人口統計年 = 2020 | 人口順位 = 40 | 人口値 = 1,455,271 | 人口大きさ = 1 E6 | 人口密度 = 87.5 | 加入順 = 50 | 加入日 = [[1959年]][[8月21日]] | 時間帯 = -10([[ハワイ・アリューシャン標準時]]) | 夏時間 = なし | 緯度 = 18°55' - 29° | 経度 = 154°40' - 162° | 幅 = N/A | 長さ = 2,450 | 最高標高 = 4,205 | 平均標高 = 925 | 最低標高 = 0 | ISOコード = US-HI | Website = portal.ehawaii.gov | 上院議員 = [[:en:Brian Schatz|ブライアン・シャーツ]]<br>[[メイジー・ヒロノ]] }} '''ハワイ州'''(ハワイしゅう、{{lang-en-short|State of Hawaii}} {{IPA-en|həˈwaɪ.i||en-us-Hawaii.ogg}} 、{{lang-haw|Hawaiʻi}}<ref group="注釈">{{IPA|həˈwɐiʔi, həˈvɐiʔi}}</ref>)は、[[太平洋]]に位置する[[ハワイ諸島]]にある[[アメリカ合衆国]]の[[アメリカ合衆国の州|州]]。[[州都]]はオアフ島の[[ホノルル]]市である。アメリカ合衆国50州の中で最後に加盟した州である。日本人や日系人の間では、'''「布哇」'''の[[当て字|表記が当てられる]]場合もある。海域として定められた[[ポリネシア]]の北端でもある。 [[ハワイ島]]、[[マウイ島]]、[[オアフ島]]、[[カウアイ島]]、[[モロカイ島]]、[[ラナイ島]]、[[ニイハウ島]]、[[カホオラウェ島]]の8つの島と100以上の小島からなるハワイ諸島のうち、[[ミッドウェー島|ミッドウェー環礁]]を除いたすべての島が、ハワイ州に属している。[[北西ハワイ諸島]]の北西端からハワイ諸島の南東端のハワイ島まで、全長1,500マイル(2,400キロ)にわたっている。州全体が島だけで構成されているアメリカ合衆国で唯一の州である。 [[アメリカ合衆国本土]]の南西、[[日本]]の南東、[[オーストラリア]]の北東と、太平洋の中央に位置し、地理的にも民族的にも近い[[ポリネシア]]では最も北にある列島で構成されている。その自然の多様な景観、暖かい[[熱帯性気候]]、豊富な公共の海浜と大洋に取り囲まれていること、および[[活火山]]の活動があることで、観光客、サーファー、生物学者、火山学者などに人気のある目的地になっている。[[日本]]で最も人気な海外[[リゾート]]地のひとつ。独特の文化がある他に太平洋の中心にあることで、[[北アメリカ]]や[[アジア]]の影響も多く受けている。140万人を超える人口のほか、常に観光客や[[アメリカ軍]]軍事関係者が滞在している。常住人口の約7割はオアフ島に集中している。 {{bar box |title=家庭で話される言語(ハワイ州) 2010 |titlebar=#ddd |float=right |bars= {{bar percent|[[英語]]|red|74.41}} {{bar percent|[[タガログ語]]|green|4.52}} {{bar percent|[[イロカノ語]]|silver|4.06}} {{bar percent|[[日本語]]|pink|3.95}} {{bar percent|ハワイ語除く[[大洋州諸語]]|brown|2.61}} {{bar percent|[[スペイン語]]|Purple|2.01}} {{bar percent|[[中国語]]|yellow|1.54}} {{bar percent|[[ハワイ語]]|orange|1.50}} }} {{bar box |title=人種構成(ハワイ州) 2010 |titlebar=#ddd |float=right |bars= {{bar percent|[[アジア系アメリカ人|アジア系]]|brown|38.6}} {{bar percent|[[白人]]|blue|22.7}} {{bar percent|[[ハワイ人|先住ハワイ人]]・太平洋諸島系|green|10.0}} {{bar percent|[[ヒスパニック]]|pink|8.9}} {{bar percent|[[アメリカ先住民]]|orange|0.3}} {{bar percent|[[アフリカ系アメリカ人|黒人]]|Purple|1.6}} {{bar percent|[[混血]]|yellow|23.6}} }} == 州名の由来 == ハワイ語の ''Hawai{{okina}}i'' は原始ポリネシア語の ''Sawaiki'' から派生したものであり、「母国」を意味するように[[内的再構]]されている<ref>Pollex—a reconstruction of the Proto-Polynesian lexicon, Biggs and Clark, 1994. The asterisk preceding the word signifies that it is a reconstructed word form.</ref>。''Hawai{{okina}}i'' と[[同根語]]はポリネシアの[[マオリ語]](''Hawaiki'')、[[ラロトンガ語]](''ʻAvaiki'')および[[サモア語]](''Savai{{okina}}i'')にも見られる。 言語学者のプクイとエルバートによれば<ref>Pukui and Elbert 1986, p. 62.</ref>、ポリネシアのどこでも、''Hawai{{okina}}i'' あるいはその類似語は地下世界または祖先の家の名前であるが、ハワイでは意味を持たない<ref>Pukui, Elbert, and Mookini 1974.</ref>。 ==歴史== {{main|ハワイの歴史}} === 先史時代 === [[ハワイ諸島]]へ人類が移民してきたのは、[[4世紀]]から[[8世紀]]ごろ<ref name="Cambridge University Press">{{cite book |authorlink = Patrick Vinton Kirch|coauthors = Colin Renfrew, Clive Gamble|title = The Evolution of the Polynesian Chiefdoms|publisher=Cambridge University Press|year = 1989|pages = 77–79|isbn = 0521273161}}</ref> で、南方のテ・ヘヌア・エナナ([[マルケサス諸島]])からと考えられている。この際に使用されたと考えられているのが、双胴の航海カヌーと、「[[ウェイファインディング|スター・ナヴィゲーション]]」と呼ばれるリモート・オセアニア海域で広く用いられた航法技術である。ちなみにハワイへの移民がテ・ヘヌア・エナナから行われたとの説は[[バーニス・P・ビショップ博物館|ビショップ博物館]]所属の日本人研究者、[[篠遠喜彦]]博士の、「釣り針編年研究」が基礎となっている<ref name="Cambridge University Press"/>。 === ハワイ王国時代 === [[ファイル:King Kalaniopuu Greeting Cook 1781.png|thumb|ハワイ王カラニオプウ、キャプテン・クックに贈り物を持ってきている。クックの船に乗船していた画家ジョン・ウェバーが描いた。|alt=Drawing of single-masted sailboat with one spinnaker-shaped sail, carrying dozens of men]] *[[1778年]]:イギリス人[[ジェームズ・クック|キャプテン・クック]]が来航したのをきっかけに、白人との接触が始まる。 *[[1794年]]:当時欧州で「サンドイッチ諸島」と呼ばれていたハワイに外国人が約400人、うち30 - 40人が中国系であった<ref name="山中速人 『ハワイ』 〈岩波新書〉、1993年">山中速人 『ハワイ』 〈岩波新書〉、1993年</ref>。 *[[1795年]]:[[カメハメハ1世]](大王)が白人たちが持ち込んだ銃器を利用し、3つの王国が分立していたハワイ諸島を統一し、[[ハワイ王国]]を建国する。 *[[1802年]]:中国(清国)人が、カメハメハ王から許可を得てサトウキビ栽培に着手<ref name="山中速人 『ハワイ』 岩波新書">山中速人 『ハワイ』 岩波新書</ref>。 *[[1820年]]:[[カメハメハ2世]]の治下、多くの[[宣教師]]が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]から移住し、[[キリスト教]]文化がハワイに定着していく。またアメリカ人による[[プランテーション]][[農場]]のための土地の収奪が始まる。 **現在もハワイの女性の正装である[[ムームー (衣服)|ムームー]]は、上半身裸が普通であった往時のハワイの女性が、キリスト教的に「淫ら」だとして、宣教師が普及させたものと{{誰範囲|date=2013年4月|言われている。}} *[[1840年]]:憲法を公布、[[立憲君主制]]となる。 *[[1843年]]:[[イギリス]](英国)がハワイの領有を宣言。 *[[1849年]]:[[フランス]]がハワイの領有を宣言。ハワイをめぐる列強の抗争は激しくなる。 *[[1850年]]:中国(清国)からの組織的な移民が始まる。 *[[1868年]]([[明治]]元年):横浜から、[[日系人|日本人移民]]148名がハワイに移住した。これは貿易商[[ユージン・ヴァン・リード]]の斡旋による移民であった<ref name="山中速人 『ハワイ』 岩波新書"/>。明治新政府はこれを公式に認めておらず、移民たちは[[パスポート]]すら持っていない、いわば非合法状態であり、密出国というべきものであった。このときの移民はのちに「元年者」と呼ばれる。 *[[1871年]]:[[日布渡航条約|日布修好通商条約]]を締結。 *[[1881年]]:[[カラカウア王]]が来日。[[明治天皇]]と会見し、日本政府との間で正式に移民協定が結ばれる。また日本にとってハワイ王朝は、[[不平等条約]]改正を約した初の海外国家元首賓客であった<ref name="山中速人 『ハワイ』 〈岩波新書〉、1993年"/>。このとき、アメリカの政治的経済的侵略に危機感を抱いていたカラカウア王は、[[カイウラニ]]王女と[[山階宮]](後の[[東伏見宮依仁親王]])との[[政略結婚]]による、ハワイ王室と[[日本]][[皇室]]との間の関係強化および連邦制を提案したが、アメリカとの関係悪化を懸念する日本政府に断られた。 *[[1882年]]:中国人排斥法<ref group="注釈">中国人移民の数を、年間2,400人に制限する法律である。</ref> がアメリカで成立。翌年([[1883年]])には連邦議会を通過する。 *[[1885年]]:初の[[ハワイにおける日本人移民#契約移民|官約移民]]が日本からハワイに渡る。 *[[1886年]]:契約労働による中国人移民の流入は、ほぼ停止する<ref name="山中速人 『ハワイ』 岩波新書"/>。 *[[1891年]]:カラカウア王没後、[[リリウオカラニ]]女王が即位。 [[File:Liliuokalani, photograph by Prince, of Washington (cropped).jpg|thumb|150px|right|リリウオカラニ女王はハワイの代表曲アロハオエの作者として知られる]] === アメリカによる併合 === {{See also|ハワイ併合}} [[ファイル:USS Boston landing force, 1893 (PP-36-3-002).jpg|thumb|ハワイ王政打倒時の上陸部隊、1893年1月|alt=row of men with rifles]] [[ファイル:Iolani Palace (1328).JPG|thumb|ホノルルにある[[イオラニ宮殿]]、元はハワイ王の住まい。ハワイ共和国の議事堂だった。]] *1893年:[[リリウオカラニ]]女王がアメリカとの不平等条約を撤廃する動きを見せると、これに反発したアメリカ人農場主らが[[アメリカ海兵隊|海兵隊]]160名の支援を得てクーデターを起こし、王政を打倒して「臨時政府」を樹立。女王はイオラニ宮殿に軟禁される。このとき、日本は国王派から依頼を受け、邦人保護を理由に[[東郷平八郎]]率いる軍艦「[[浪速 (防護巡洋艦)|浪速]]」ほか2隻をハワイに派遣し、ホノルル軍港に停泊させてクーデター勢力を威嚇した<ref>山中速人 『ハワイ』 岩波書店〈岩波新書〉、1993年,127頁</ref>。ハワイ在留日本人も女王支持派に同情的であった。「臨時政府」はアメリカに併合を求めるが、就任直後の大統領[[グロバー・クリーブランド]](当時)は海外進出に消極的な政策をとっており、併合を渋る。結局クリーブランドは大統領任期中、ハワイを併合しなかった。 *1894年7月4日:アメリカによる併合に時間が掛かると判断した臨時政府は、新憲法を発布し[[ハワイ共和国]]を宣言した。大統領に就任した[[サンフォード・ドール]]は、最初で最後のハワイ共和国大統領となった。 *1895年1月9日:クリーブランド大統領が、[[海底ケーブル]]について[[アメリカ合衆国議会|米連邦議会]]宛にメッセージを送った。発端は、英国政府のハワイ政府に対する「カナダとオーストラリアを結ぶケーブルの中継地として、ハワイの無人島を借りたい」という要望であった。英米政府間交渉が済んで合意文書の原案も出来上がっており、クリーブランド大統領は連邦議会に承認を求めたが<ref>Grover Cleveland, "Message from the President of the United States, Submitting Dispatches and Accompanying Documents from the United Minister an Hawaii, Relative to the Lease to Great Britain of an Island as a Station for a Submarine Tlegraph Cable", United States Congress (53rd, 3rd Session), Committee on Foreign Relations, January 9, 1895 (available at University of Hawaii, Hamilton Hawaiian-Library, TK5613.U58).</ref>、アメリカ自身が敷設するべきだと考えた連邦議会は黙殺した。 *1895年1月16日:ハワイ人王政派が武装蜂起したが、短期間で鎮圧、虐殺される。この武装蜂起を支援したとして、リリウオカラニ女王が逮捕・幽閉される。原住民の大虐殺ののち、ハワイを完全に乗っ取る。 *1895年1月22日:リリウオカラニ女王廃位により、ハワイ王国が滅亡。 *1898年8月12日:[[米西戦争]]でハワイの地政学的重要性を認識したアメリカは<ref name="山中速人 『ハワイ』 岩波書店〈岩波新書〉、1993年">山中速人 『ハワイ』 岩波書店〈岩波新書〉、1993年</ref>、ハワイ共和国を併合、米自治領'''[[ハワイ準州]]'''([[:en:Territory of Hawaii|Territory of Hawaii]])となる。アメリカの大統領(当時)は、前任者と対照的に帝国主義政策を推し進めた[[ウィリアム・マッキンリー]]である。以後ハワイはアメリカの太平洋支配の拠点となり、[[オアフ島]]のパールハーバー([[真珠湾]])に大海軍基地が建設された(現在も[[太平洋艦隊 (アメリカ海軍)|アメリカ海軍太平洋艦隊]]の基地がある)。 *1920年:オアフ島第二次大ストライキ。日本人労働者も、フィリピン人労働者と団結し活躍した<ref name="山中速人 『ハワイ』 岩波書店〈岩波新書〉、1993年"/>。これはアメリカにおける[[日本脅威論]]形成の一要因になったとも言われる<ref>ドウス昌代『日本の陰謀 ハワイ・オアフ島大ストライキの光と影』 文藝春秋 1991 のち文庫</ref>。 *1924年:[[排日移民法]]の施行により、日本からの移民は不可能になった。これまでに移民した日本人の数は約21万人にのぼった<ref name="山中速人 『ハワイ』 岩波書店〈岩波新書〉、1993年"/>。 *1941年12月7日(日本時間12月8日):[[大日本帝国海軍|日本海軍]]による[[真珠湾攻撃]]が行われる([[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])開戦)。 **開戦後まもなくアメリカ全土に住む[[日系アメリカ人]]と日本人は[[日系人の強制収容|強制収容所]]に収容されたが、ハワイに住む日系アメリカ人および日本人は、日本人会会長や僧侶など、日系人社会を代表する一部の人々を除き、強制収容所に収容されなかった。<!--これは当時、ハワイが正式な州でなかったこと、アメリカ本土から離れていること、そして何より、当時の人口の4割程度を占める日系人および日本人を強制収容すれば、ハワイの社会や経済活動が崩壊しかねないという事実が影響したようである。-->しかしこのとき計画的に日系人アメリカ化工作が進められた<ref>[[白水繁]]の研究による。山中速人 『ハワイ』 岩波書店〈岩波新書〉、1993年,149頁</ref>。 **ハワイで生まれ育ち、アメリカの市民権を持つ日系アメリカ人の若者の多くは、自ら進んで志願兵となることで祖国に対する忠誠心を示そうとした。彼らハワイの日系人だけで組織された[[第100歩兵大隊|陸軍第100大隊]]は、のちにアメリカ本土の日系人部隊と合流し[[第442連隊戦闘団|442連隊]]となり、欧州戦線において多くの犠牲と引き換えにめざましい戦果を上げた。彼らの戦いは多くのアメリカ人に感銘を与え、ハワイと戦後のアメリカ社会における日系人の地位向上に貢献した。 **なお、日本軍による上陸と占領を恐れ、戦時中を通じてハワイのみで流通する特別なドル紙幣({{ill2|ハワイオーバープリント紙幣|en|Hawaii overprint note}})が使われた{{要出典|date=2014年11月}}。 *1959年8月21日:アメリカ50番目の州に昇格し<ref>[http://www.netstate.com/states/government/hi_government.htm Hawaii State Government].</ref>、本格的なリゾート開発が始まる。 === 21世紀 === * 2020年 ** 3月25日 - 新型コロナウイルスの感染拡大を抑えるため、州知事が[[外出禁止令]]を発出<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200324/k10012347011000.html |title=ハワイで外出禁止令 観光も制限 |publisher=NHK |date=2020-03-24 |accessdate=2023-08-10}}</ref>。 ** 4月 - 州の基幹産業である観光業がままならなくなり、[[失業率]]が23.8%に達した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210511/k10013022511000.html |title=変貌するハワイ「今ぐらいがちょうどいい」 |publisher=NHK |date=2021-05-11 |accessdate=2023-08-10}}</ref>。 * 2022年11月27日 - マウナロア火山が1984年以来38年ぶりに噴火<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bbc.com/japanese/63789889 |title=世界最大の活火山、ハワイ・マウナロア火山が噴火 38年ぶり |publisher=BBC |date=2022-11-29 |accessdate=2023-08-10}}</ref>。同月29日、州知事が非常事態を宣言<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cnn.co.jp/usa/35196724.html |title=2つの火山が同時噴火、38年ぶり 観測所の施設に影響 |publisher=CNN |date=2022-11-30 |accessdate=2023-08-10}}</ref>。 * 2023年 ** 6月30日 - オアフ島南部で76年ぶりの鉄道、スカイラインが開業<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20230701-LIREFL6DNRMGPGIVO2VQNBNK6U/ |title=ハワイ高架鉄道が開業 オアフ島で76年ぶり |publisher=産経新聞社 |date=2023-07-01 |accessdate=2023-08-13}}</ref>。 ** 8月10日 - [[ハワイ・マウイ島山火事|マウイ島での大規模な山火事]]を受けて、[[ジョー・バイデン]]大統領が、ハワイ州に対し大規模災害を宣言<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20230811-XEOFBYQTI5PUXM2V6VLXHBQDAI/ |title=ハワイに大規模災害宣言 バイデン米大統領、マウイ島山火事 |publisher=産経新聞 |date=2023-08-11 |accessdate=2023-08-10}}</ref>。 == 地理 == {{main|ハワイ諸島|北西ハワイ諸島}} ハワイ州は[[アラスカ州]]とならび、[[アメリカ合衆国本土]]以外に位置する2つの州のうちのひとつで、北米大陸上に位置しない唯一の州であり、四周を海によって囲まれ、また、[[熱帯]]地方に位置している唯一の州でもある。ハワイ島[[サウスポイント|カラエ岬]]が全州の最南端部に位置している(本土最南端は[[フロリダ州]]の[[フロリダキーズ]][[バラスト・キー]]である。[[アメリカ合衆国の極地]]参照。)。アメリカ合衆国本土からは南西に約2,000マイル(3,200キロ)離れている。 州の陸地面積は、[[キラウエア火山]]から流動性の高い[[溶岩]]が流れ出ているため、その面積は増加し続けている。ハワイ諸島は8つの島々や[[環礁]]によって構成されており、その延長は距離1,500マイル(2,400キロ)にわたって伸びている。諸島のうち、8つの大きな島は「主要な島々(main islands)」と考えられていて、諸島の南東部に位置している。これらの島々は北西部から南東に、[[ニイハウ島]]、[[カウアイ島]]、[[オアフ島]]、[[モロカイ島]]、[[ラナイ島]]、[[マウイ島]]、[[カホオラウェ島]]、[[ハワイ島]]の順に並んでいる。 [[北西ハワイ諸島]]は[[ニホア島]]から[[クレ環礁|クレ島]]までおもに9つの小さな島が連なり、太古からの火山帯の一部である。ほかにも[[モロキニ島]]など100以上の岩礁や小島がある<ref> {{Citation |url=http://www.soest.hawaii.edu/GG/HCV/haw_volc.html |title=General Information about Hawaiian Shield Volcanoes |last=Rubin|first=Ken |accessdate=December 2009 }}</ref>。 本島は最大面積のハワイ島ではなく、州都で最大都市の[[ホノルル]]があるオアフ島である。 <center> {| class="sortable wikitable" style="line-height:1.4em; font-size:95%;" |+ハワイ諸島の主要8島 |- style="white-space:nowrap;" !島名 !愛称 !座標 !面積<br />(km<sup>2</sup>) !最高地点 !標高<br />(m) !年齢<br />(百万年) |- |[[オアフ島]]<ref>[http://geonames.usgs.gov/pls/gnispublic/f?p=gnispq:3:2977844893611608::NO::P3_FID:359508 U.S. Geological Survey Geographic Names Information System:Island of Oʻahu]</ref> |集まる所 |{{Display none|157.983333}}{{coord|21|28|N|157|59|W}} |align=right|1,545.4 |カアラ |align=right|1,220 |align=right|3.7-2.6 |- |[[カウアイ島]]<ref>[http://geonames.usgs.gov/pls/gnispublic/f?p=gnispq:3:7991355674876697::NO::P3_FID:358305 U.S. Geological Survey Geographic Names Information System:Island of Kauaʻi]</ref> |庭園の島 |{{Display none|159.500}}{{coord|22|05|N|159|30|W}} |align=right|1,430.5 |カワイキニ |align=right|1,598 |align=right|5.1 |- |[[カホオラウェ島]]<ref>[http://geonames.usgs.gov/pls/gnispublic/f?p=gnispq:3:4020509057002075::NO::P3_FID:359804 U.S. Geological Survey Geographic Names Information System:Island of Kahoʻolawe]</ref> |目標の島 |{{Display none|156.600}}{{coord|20|33|N|156|36|W}} |align=right|115.5 |プウモアウラヌイ |align=right|452 |align=right|1.0 |- |[[ニイハウ島]]<ref>[http://geonames.usgs.gov/pls/gnispublic/f?p=gnispq:3:762157796265241::NO::P3_FID:359509 U.S. Geological Survey Geographic Names Information System:Island of Niʻihau]</ref> |禁断の島 |{{Display none|160.167}}{{coord|21|54|N|160|10|W}} |align=right|180.0 |パニアウ |align=right|381 |align=right|4.9 |- |[[ハワイ島]]<ref>[http://geonames.usgs.gov/pls/gnispublic/f?p=gnispq:3:4102630841004960::NO::P3_FID:365308 U.S. Geological Survey Geographic Names Information System:Island of Hawaiʻi]</ref> |大きな島 |{{Display none|155.500}}{{coord|19|34|N|155|30|W}} |align=right|10,432.5 |[[マウナ・ケア]] |align=right|4,205 |align=right|0.4 |- |[[マウイ島]]<ref>[http://geonames.usgs.gov/pls/gnispublic/f?p=gnispq:3:995348359361849::NO::P3_FID:362237 U.S. Geological Survey Geographic Names Information System:Island of Maui]</ref> |峡谷の島 |{{Display none|156.333}}{{coord|20|48|N|156|20|W}} |align=right|1,883.4 |ハレアカラ |align=right|3,055 |align=right|1.3-0.8 |- |[[モロカイ島]]<ref>[http://geonames.usgs.gov/pls/gnispublic/f?p=gnispq:3:1858942708950717::NO::P3_FID:362468 U.S. Geological Survey Geographic Names Information System:Island of Molokaʻi]</ref> |友好の島 |{{Display none|157.033}}{{coord|21|08|N|157|02|W}} |align=right|673.4 |カマコウ |align=right|1,512 |align=right|1.9-1.8 |- |[[ラナイ島]]<ref>[http://geonames.usgs.gov/pls/gnispublic/f?p=gnispq:3:4331191293988083::NO::P3_FID:361712 U.S. Geological Survey Geographic Names Information System:Island of Lānaʻi]</ref> |パイナップルの島 |{{Display none|156.933}}{{coord|20|50|N|156|56|W}} |align=right|363.9 |ラナイハレ |align=right|1,026 |align=right|1.3 |- class="sortbottom" style="background-color:#e6e6e6;" | colspan="8" style="text-align:left;" |'''座標'''の列のソートボタンは、昇順で東から、降順で西から順になる。 |} </center> {{-}} [[ファイル:Hawaje-NoRedLine.jpg|thumb|right|250px|ハワイ諸島の衛星写真。植生は風を受ける島の北東に成長している。島の南西側の周りで銀色になっている部分は島の山岳部が日光を遮ってできたものである<ref>{{Citation|url=http://earthobservatory.nasa.gov/IOTD/view.php?id=3510|title=Hawaiian Islands :Image of the Day|publisher=Earthobservatory.nasa.gov|accessdate=November 5, 2010}}</ref>。]] [[ファイル:Hawaii in Pacific Ocean.png|thumb|upright|left|[[ハワイ諸島]]、北太平洋にある|alt=World map with Hawaiian islands in the middle]] [[ファイル:Pāhoehoe and Aa flows at Hawaii.jpg|250px|thumb|ハワイ島の[[パホイホイ溶岩|パホエホエ]]と[[アア溶岩|アアー]]の溶岩流(2007年10月撮影)]] ハワイ州は、次の項目ではアメリカ合衆国で唯一の州である。 *北アメリカに位置していないこと *コーヒーが栽培できること *すべて海に囲まれていること *全体が列島であること *王宮があること *州の境界に直線がないこと ハワイ州でもっとも高い山は[[マウナ・ケア]]であり、標高は1万3,796フィート(4,205メートル)であるが<ref>[http://hvo.wr.usgs.gov/volcanoes/maunakea/ Mauna Kea Volcano, Hawaii].</ref>、太平洋底からの高さは3万3,500フィート(1万210メートル)であり、[[地球]]の[[地殻]]表面を基準にした場合[[エベレスト山]]よりも高いことになる<ref>{{Citation|url=http://hypertextbook.com/facts/2001/BeataUnke.shtml|last=Unke|first=Beata|year=2001|work=The Physics Factbook|title= Height of the Tallest Mountain on Earth}}</ref>。 === 地質 === ハワイ諸島の島々は、[[海底火山]]によって作られた。現在[[ハワイ島]]がある地点には[[太平洋プレート]]よりも深いところに[[マントル]]の活動による[[ホットスポット (地学)|ホットスポット]]と呼ばれる[[マグマ]]溜まりが太古から存在する。これはマントルの一定の場所に存在し続け、直上の海底に向けてマグマの上昇を繰り返すためキラウエア溶岩のような噴火活動を引き起こす。 太平洋プレートは太平洋の中央海嶺である東太平洋[[海嶺|海膨]]から[[日本列島]]・[[千島列島]]の方へ向けて移動し続けているため、太平洋プレート上(=海上)から見ると「かつてホットスポットの直上にできたが、太平洋プレートの移動に連れて位置がずれて活動が停止した火山島」が北西へ向けて列をなしているのがわかる。北西に移動するにつれ、海底に沈みこみ、ハワイ海山群および[[天皇海山群]](2つ合わせて[[ハワイ-天皇海山列]])となり、[[カムチャツカ半島]]の根元に至る。その海山と島の列のもっとも新しい島々が、ハワイ諸島側に向かって移動している<ref group="注釈">[[プレートテクトニクス]]に伴う[[太平洋プレート]]の移動によるものとされる。</ref>。 ハワイ島以外での最後の火山爆発は、18世紀後期より以前、マウイ島のハレアカラ山で起きたが、それより数百年前だった可能性もある<ref>{{Citation|url = http://hvo.wr.usgs.gov/volcanowatch/1999/99_09_09.html|title = Youngest lava flows on East Maui probably older than A.D. 1790|publisher=United States Geological Survey|date = September 9, 1999|accessdate = October 4, 1999}}</ref>。 1790年、[[キラウエア火山]]が、ハワイ(現在のアメリカ)では最大級の爆発を起こした<ref>[http://pubs.usgs.gov/fs/fs074-97/ Living on Active Volcanoes—The Island of Hawaii], U.S. Geological Survey Fact Sheet 074-97.</ref>。この爆発で、キラウエアに向かっていた戦士とその家族、少なくとも5,405人が死亡した<ref>[https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/2008AGUFM.V11B2022S/abstract Human Footprints in Relation to the 1790 Eruption of Kīlauea], Swanson, D. A.;Rausch, J., ''American Geophysical Union.''</ref>。 火山活動とその後の浸食で、印象的な地質的景観を生んできた。ハワイ島には世界の島の中で3番目に標高が高い地点がある<ref>{{Citation|url=http://www.worldatlas.com/aatlas/infopage/islands.htm|title=Largest islands of the world|publisher=Worldatlas.com|accessdate=April 16, 2011}}</ref>。 火山斜面の不安定さによって大きな地震と津波を生じてきており、特に1868年と1975年のものが大きかった<ref name="PTWC">{{Cite web |url=http://www.prh.noaa.gov/ptwc/hawaii.php |title=Tsunami Safety & Preparedness in Hawai`i |publisher=Pacific Tsunami Warning Center |date=November 12, 2009 |accessdate=November 12, 2009 |archivedate=2009年4月22日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090422035735/http://www.prh.noaa.gov/ptwc/hawaii.php |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 === 動物相と植物相 === ハワイ諸島はほかの陸地とは隔絶しているために、人類が活動を始める以前の生命体は、風(wind)、波(waves)、翼(wings、鳥、昆虫など)の3つの "w" で運ばれたと言われている。この地理的隔絶や環境の多様さ(標高や熱帯気候)によってさまざまな植物と動物の[[固有種]]を生んできた。ハワイには多くの[[絶滅危惧種]]がおり、アメリカ合衆国本土よりも高い比率で絶滅種が出ている<ref>{{Cite web |url=http://nationalzoo.si.edu/Publications/ZooGoer/1995/1/hawaiisforestbirds.cfm |title=Hawaii's Forest Birds Sing the Blues |author=Howard Youth |accessdate=October 31, 2008 |publisher=Smithsonian Nationnal zoological park |archivedate=2008年7月4日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080704174835/http://nationalzoo.si.edu/publications/zoogoer/1995/1/hawaiisforestbirds.cfm |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 <gallery perrow="4" widths="165"> Niihau sep 2007.jpg|[[ニイハウ島]] Kauai from space oriented.jpg|[[カウアイ島]] Oahu (1).jpg|[[オアフ島]] Maui Landsat Photo.jpg|[[マウイ島]] Molokai.jpg|[[モロカイ島]] LanaiLandsat.jpg|[[ラナイ島]] KahoolaweLandsat.jpg|[[カホオラウェ島]] Island of Hawai'i - Landsat mosaic.jpg|[[ハワイ島]] </gallery> === 国立保護地域 === [[ファイル:USS Arizona Memorial.JPG|thumb|right|alt=white rectangular memorial building with U.S. flag flying above|アリゾナ記念館、[[真珠湾]]]] [[アメリカ合衆国国立公園局|国立公園局]]の管理および保護下に置かれている地域は以下の通りである<ref>{{citation|title = Hawaii|publisher=National Park Service|accessdate = July 15, 2008|url = http://www.nps.gov/state/HI}}</ref>。 *[[アラ・カハカイ国立歴史トレイル|アラカハカイ国立歴史の道]](ハワイ島) *[[ハレアカラ国立公園]](マウイ島、クラ) *[[ハワイ火山国立公園]](ハワイ島、[[ヒロ (ハワイ州)|ヒロ]]) *[[カラウパパ国立歴史公園]](モロカイ島、[[カラウパパ]]、元ハンセン病療養所) *[[:en:Kaloko-Honokohau National Historical Park|カロコ・ホノコハウ国立歴史公園]](ハワイ島、[[カイルア・コナ]]) *[[プウホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園]](ホナウナウ) *[[プウコホラ・ヘイアウ|プウコホラ・ヘイアウ国立歴史史跡]](カワイハエ) *[[アリゾナ記念館]](ホノルル) [[アメリカ海洋大気庁]]、[[合衆国魚類野生生物局|魚類野生生物局]]、ハワイ州の共同管理下にあるのは、 * [[パパハナウモクアケア海洋ナショナル・モニュメント]] ([[北西ハワイ諸島]]) これは2006年6月15日に当時の大統領[[ジョージ・W・ブッシュ]]が登録を宣言した。ここは太平洋の50マイル(80キロ)外海で、およそ14万平方マイル(36万3,000km<sup>2</sup>)の岩礁、環礁、浅瀬および深海であり、その広さは[[アメリカ合衆国の国立公園]]をすべて合わせたよりも広い。 === 気候 === [[ファイル:KonaSunset.JPG|thumb|コナの夕陽。火山ガスの二酸化硫黄などの粒子が酸素や水蒸気と反応することで生まれる[[ヴォッグ]]のために白っぽくなる。|alt=Photo of sunset]] ハワイの気候は熱帯に特有のものではあるが、東からの[[貿易風]]がほぼ絶え間なく吹くために、気温も湿度もそれほど高くはならない。ただし、1980年代前半と比較して、風が吹く日は年間で約50日減少しており、風が止むと気温が上がり、猛暑日になることもある。夏の日中最高気温は80s{{°F}}台後半(31℃近辺) であり、夜間の最低気温は70s{{°F}}台半ば(24℃近辺)である。 冬の日中は80ss{{°F}}台半ば(28℃近辺)、夜間は低地で60s{{°F}}台半ば(18℃近辺)より下には滅多に下がらない。ただし、ハワイ島のマウナ・ケアや[[マウナ・ロア山]]のような高地では、冬季に積雪がある(冬季は、斜面でスキーなどのスノープレーができる)。ハレアカラ山では降雪も稀である。2019年2月11日に観測されたマウイ島ポリポリ州立公園の降雪は、ハワイ州でもっとも標高の低い場所(約1,890メートル)における降雪とみられている<ref>{{Cite web|和書|date= 2019-02-12|url=https://www.cnn.co.jp/usa/35132590.html |title=ハワイで暴風、倒木や停電などの被害続出 マウイ島に積雪も |publisher=CNN |accessdate=2019-02-16}}</ref>。 カウアイ島のワイアレアレ山は世界でも2番目に降水量が多いところであり、460インチ(1万1,684ミリ)に達する。ハワイ諸島の大半では、5月から10月の乾期と10月から4月の雨季の2季だけがある<ref>[http://www.prh.noaa.gov/hnl/pages/climate_summary.php Climate of Hawaii].</ref>。 各島の気候はかなり異なっており、高山に対して[[風上と風下|風上側であるか風下側であるか]]で大きく分けられる。風上側は雲が多いため、リゾート地は風下側に集中している。 {|class="wikitable" style="font-size:90%;line-height:1.2;text-align:right" |+ハワイ州各都市の月別最高最低平均気温<ref>[http://www.weatherbyday.com/hawaii/ Hawaii Weather|Hawaii Weather Forecast|Hawaii Climate]{{リンク切れ|date=2017年9月 |bot=InternetArchiveBot }}.</ref> |- !scope="col"|都市 !scope="col"|1月 !scope="col"|2月 !scope="col"|3月 !scope="col"|4月 !scope="col"|5月 !scope="col"|6月 !scope="col"|7月 !scope="col"|8月 !scope="col"|9月 !scope="col"|10月 !scope="col"|11月 !scope="col"|12月 |- !rowspan=2 scope="row"|[[ヒロ (ハワイ州)|ヒロ]] |64 {{°F}} / 17.8 ℃ |64 {{°F}} / 17.8 ℃ |65 {{°F}} / 18.3 ℃ |66 {{°F}} / 18.9 ℃ |67 {{°F}} / 19.4 ℃ |68 {{°F}} / 20.0 ℃ |69 {{°F}} / 20.6 ℃ |69 {{°F}} / 20.6 ℃ |69 {{°F}} / 20.6 ℃ |68 {{°F}} / 20.0 ℃ |67 {{°F}} / 19.4 ℃ |65 {{°F}} / 18.3 ℃ |- style="background:#ffc;" |79 {{°F}} / 26.1 ℃ |79 {{°F}} / 26.1 ℃ |79 {{°F}} / 26.1 ℃ |79 {{°F}} / 26.1 ℃ |81 {{°F}} / 27.2 ℃ |82 {{°F}} / 27.8 ℃ |82 {{°F}} / 27.8 ℃ |83 {{°F}} / 28.3 ℃ |83 {{°F}} / 28.3 ℃ |83 {{°F}} / 28.3 ℃ |81 {{°F}} / 27.2 ℃ |80 {{°F}} / 26.7 ℃ |- !rowspan=2 scope="row"|[[ホノルル]] |66 {{°F}} / 18.9 ℃ |65 {{°F}} / 18.3 ℃ |67 {{°F}} / 19.4 ℃ |68 {{°F}} / 20.0 ℃ |70 {{°F}} / 21.1 ℃ |72 {{°F}} / 22.2 ℃ |74 {{°F}} / 23.3 ℃ |75 {{°F}} / 23.9 ℃ |74 {{°F}} / 23.3 ℃ |73 {{°F}} / 22.8 ℃ |71 {{°F}} / 21.7 ℃ |68 {{°F}} / 20.0 ℃ |- style="background:#ffc;" |80 {{°F}} / 26.7 ℃ |81 {{°F}} / 27.2 ℃ |82 {{°F}} / 27.8 ℃ |83 {{°F}} / 28.3 ℃ |85 {{°F}} / 29.4 ℃ |87 {{°F}} / 30.6 ℃ |88 {{°F}} / 31.1 ℃ |89 {{°F}} / 31.7 ℃ |89 {{°F}} / 31.7 ℃ |87 {{°F}} / 30.6 ℃ |84 {{°F}} / 28.9 ℃ |82 {{°F}} / 27.8 ℃ |- !rowspan=2 scope="row"|[[カフルイ]] |63 {{°F}} / 17.2 ℃ |63 {{°F}} / 17.2 ℃ |65 {{°F}} / 18.3 ℃ |66 {{°F}} / 18.9 ℃ |67 {{°F}} / 19.4 ℃ |69 {{°F}} / 20.6 ℃ |71 {{°F}} / 21.7 ℃ |71 {{°F}} / 21.7 ℃ |70 {{°F}} / 21.1 ℃ |69 {{°F}} / 20.6 ℃ |68 {{°F}} / 20.0 ℃ |65 {{°F}} / 18.3 ℃ |- style="background:#ffc;" |80 {{°F}} / 26.7 ℃ |81 {{°F}} / 27.2 ℃ |82 {{°F}} / 27.8 ℃ |82 {{°F}} / 27.8 ℃ |84 {{°F}} / 28.9 ℃ |86 {{°F}} / 30.0 ℃ |87 {{°F}} / 30.6 ℃ |88 {{°F}} / 31.1 ℃ |88 {{°F}} / 31.1 ℃ |87 {{°F}} / 30.6 ℃ |84 {{°F}} / 28.9 ℃ |82 {{°F}} / 27.8 ℃ |- !rowspan=2 scope="row"|[[リフエ]] |65 {{°F}} / 18.3 ℃ |66 {{°F}} / 18.9 ℃ |67 {{°F}} / 19.4 ℃ |69 {{°F}} / 20.6 ℃ |70 {{°F}} / 21.1 ℃ |73 {{°F}} / 22.8 ℃ |74 {{°F}} / 23.3 ℃ |74 {{°F}} / 23.3 ℃ |74 {{°F}} / 23.3 ℃ |73 {{°F}} / 22.8 ℃ |71 {{°F}} / 21.7 ℃ |68 {{°F}} / 20.0 ℃ |- style="background:#ffc;" |78 {{°F}} / 25.6 ℃ |78 {{°F}} / 26.6 ℃ |78 {{°F}} / 26.6 ℃ |79 {{°F}} / 26.1 ℃ |81 {{°F}} / 27.2 ℃ |83 {{°F}} / 28.3 ℃ |84 {{°F}} / 28.9 ℃ |85 {{°F}} / 29.4 ℃ |85 {{°F}} / 29.4 ℃ |84 {{°F}} / 28.9 ℃ |81 {{°F}} / 27.2 ℃ |79 {{°F}} / 26.1 ℃ |} == 交通 == === 陸上 === {{See|ハワイ州の道路一覧}} [[ファイル:Interstate H-1.jpg|right|200px|thumb|州間高速道路H-1号線]] [[ファイル:TheBus Gillig Phantom 40' (318) in Manoa 2009-05-22.jpg|right|200px|thumb|TheBus]] 主要な[[州間高速道路]]は[[オアフ島]]のみにH-1、H-2、H-3、および[[2005年]]より州道78号線(通称:Moanalua Freeway)が高速道路に昇格してH-201となり、合計4路線となった。多くの主要なアメリカの都市と同じく、ホノルルの大都市圏は特にアイエア(''Aiea'')、パールシティ(''Pearl City'')、ワイパフ(''Waipahu'')およびミリラニ(''Mililani'')の西方郊外から、ラッシュアワーの時間帯にかなりの交通渋滞が起こる。州道は主要な島の外周に配されている([[ハワイ州の道路一覧]]を参照)。 [[公共交通機関]]は、オアフ島ほぼ全域をカバーする[[公営バス]]である「[[TheBus]]」があるほか、本数は少ないが、[[マウイ島]]、[[ハワイ島]]、[[カウアイ島]]の一部に[[コミュニティバス]]路線が存在している。 以前はハワイ州の大きな島には鉄道網があり、農産物や乗客を運んでいた。これらはすべて[[狭軌]](多くは[[3フィート軌間|3フィート(914ミリ)]]、小島では[[2フィート6インチ軌間|2.6フィート(762ミリ)]]、アメリカ合衆国本土では[[標準軌|4フィート8.5インチ(1,435ミリ))]]だった。鉄道会社の中でも最大のものはオアフ鉄道土地会社であり、ホノルルからオアフ島の西部や北部を結ぶ多くの路線を走らせていた。第二次世界大戦では兵員や軍需物資を運ぶことにも貢献した。往来が激しかったため列車の運行を円滑にする信号と、自動車を保護するために踏切に備えられた[[踏切#アメリカ合衆国|ウィグワグ]]があった。本線は1947年に廃線となったが、一部は[[アメリカ海軍]]が買収し、1970年まで運行していた<ref name=RailwayAlbum>Hawaiian Railway Album – WW II Photographs Vol 2;Victor Norton Jr. and Gale E. Treiber;2005;Railroad Press – Hanover, PA</ref>。 現在の州内の[[鉄道]]はオアフ島の非営利団体・[[ハワイ鉄道協会]]の運行する鉄道(エヴァーカヘ・ポイント)やマウイ島の[[サトウキビ|さとうきび]]列車(Sugarcane Train)など、全長13マイル(21キロ)が観光用にわずかに残されているのみで、[[公共交通機関]]としての用はなしていない<ref name=RailwayAlbum/>。オアフ島の西部が新興住宅地として急速に発展してきているのに対して、州間高速道路やバスのみでは慢性的な渋滞を引き起こしていることから、以前から[[モノレール]]を敷設する計画はあるものの、資金などの問題があり実現のめどは立っていなかった。 しかし[[2008年]]、ホノルルの住民投票でオアフ島西部とダウンタウン、ワイキキおよび[[ハワイ大学システム|ハワイ大学]]を結ぶ鉄道計画に45億ドルの予算を承認<ref>http://www.khnl.com/Global/story.asp?S=9295785 Honolulu - Rail transit passes</ref><ref>{{cite news |url=http://www.honoluluadvertiser.com/apps/pbcs.dll/article?AID=/20081106/NEWS01/811060369/1001/NEWS05 |title=Honolulu rail might be rerouted to airport |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081224235329/http://www.honoluluadvertiser.com/apps/pbcs.dll/article?AID=%2F20081106%2FNEWS01%2F811060369%2F1001%2FNEWS05 |archivedate=2008年12月24日 |date=2008-11-6 |publisher=Honolulu Advertiser |deadurldate=2017年9月 }}</ref>、2011年2月22日に着工した<ref name="Honolulu-interurban">[http://www.hawaii-arukikata.com/hiinfo/railtransit.html 【オアフ島ガイド】ホノルル市電プロジェクト徹底取材!] - Myハワイ、2015年2月14日</ref>。2017年までにイーストカポレイ - アロハスタジアム間が、2019年までにアロハスタジアム - アラモアナセンター間が開通する予定で、慢性的な渋滞の緩和が期待されている<ref name="Honolulu-interurban"/>([[スカイライン (ホノルル)|スカイライン]])。 === 航空 === [[ファイル:Hawaiian Airlines.Boeing 717-200.HNL.2009.JPG|right|200px|thumb|ハワイアン航空の[[ボーイング717]]型機]] [[ファイル:HNL JAL747s.jpg|right|200px|thumb|ダニエル・K・イノウエ国際空港]] [[ハワイアン航空]]や[[go!]]および[[モクレレ航空]]、[[アイランドエアー]]などが州内路線を運行している。また、ハワイアン航空が州外、国際線を運航しているほか、アメリカ本土やアジア、太平洋諸国から多数の国際線が乗り入れている。 ==== 空港 ==== 定期民間旅客便が就航している州内の空港(特記しない限り[[ハワイアン航空]]、[[go!]]および[[モクレレ航空]]の定期便が就航)は以下の通りである。ハワイ諸島には、1つの島に必ず1つ以上の空港がある。 *[[オアフ島]] **[[ダニエル・K・イノウエ国際空港]](ホノルル国際空港、HNL) <!--JPOV ***日本からは[[日本航空インターナショナル|日本航空]]が[[成田国際空港]]、[[関西国際空港]]、[[中部国際空港]]から1日計6便(コナ経由1便、グループ会社JALウェイズの運航便を含む)をそれぞれ運航している他、[[デルタ航空]]が成田国際空港と関西国際空港から1日計3便、[[ユナイテッド航空]]、[[全日本空輸]]、[[チャイナエアライン]]が成田国際空港から1日1便程度を運航している。--> *[[マウイ島]] **[[カフルイ空港]](OGG) **[[カパルア・ウエスト・マウイ空港]](JHM)- [[アイランドエアー]]の[[プロペラ機]]が定期就航している。 **[[ハナ空港]](HNM)- [[パシフィック・ウイング]]の[[セスナ 208|セスナ208]]「グランド・キャラバン」機が定期就航している。 *[[ハワイ島]] **'''エリソン・オニヅカ・'''[[コナ国際空港]](KOA) **[[ヒロ国際空港]](ITO) **[[ワイメア・コハラ空港]](MUE) *[[カウアイ島]] **[[リフエ空港]](LIH) **[[プリンスビル空港]](HPV)- 定期便は運航されていない。 *[[ラナイ島]] **[[ラナイ空港]](LNY)- 小型機が定期就航している。 *[[モロカイ島]] **[[ホオレフア空港]](MKK)- 小型機が定期就航している。 === 船舶 === 19世紀から1950年代までは民間の蒸気船やフェリーが島々を結ぶ唯一の交通手段だったため、オアフ島の[[ホノルル港]]、ハワイ島の[[ヒロ港]]などができた。1970年代半ばにはシーフライトが[[水中翼船]]を主要な島の間に就航させた<ref>{{cite news |last = Cataluna |first = Lee |title = Nothing Smooth On Seaflite |publisher=The Honolulu Advertiser |date = December 23, 2005 |url = http://the.honoluluadvertiser.com/article/2005/Dec/23/ln/FP512230359.html }}</ref>。[[2007年]]12月より、カウアイ島、オアフ島、マウイ島、ハワイ島の4島間を結ぶ[[ハワイ・スーパーフェリー]]が就航していたが、幾度かの休止を経て2009年8月をもって運航会社が破産、事実上の廃止となった。運行会社は将来フェリー運航を再開したい意向を表明している。マウイ島からモロカイ島およびレナイ島には通勤専用のフェリーが運航しているが、車両は搬送していない。 == 人口動態 == {{USCensusPop |1900 = 154001 |1910 = 191874 |1920 = 255881 |1930 = 368300 |1940 = 422770 |1950 = 499794 |1960 = 632772 |1970 = 769913 |1980 = 964691 |1990 = 1108229 |2000 = 1211537 |2010 = 1360301 |2020 = 1455271 |footnote = Source:1910–2010<ref>{{Cite web |url=http://2010.census.gov/2010census/data/apportionment-pop-text.php |title=Resident Population Data – 2010 Census |publisher=2010.census.gov |accessdate=April 16, 2011 |archivedate=2011年5月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110501062123/http://2010.census.gov/2010census/data/apportionment-pop-text.php |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref> }} [[ファイル:Hawaii population map.png|thumb|250px|left|ハワイ諸島の人口密度図]] 2020年国勢調査時点で、ハワイ州の人口は1,455,271人で、2010年国勢調査時点より94,970人、すなわち6.98%増加した<ref name="Census2020_QuickFacts">[https://www.census.gov/quickfacts/fact/table/US/POP010220 QuickFacts]. U.S. Census Bureau. 2020年.</ref>。ハワイ州の[[人口重心]]はオアフ島とモロカイ島の間となっている<ref>{{Cite web |title=Population and Population Centers by State&nbsp;– 2000 |publisher=United States Census Bureau |accessdate=December 4, 2008|url =http://www.census.gov/geo/www/cenpop/statecenters.txt |archivedate=2008年12月18日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081218235101/http://www.census.gov/geo/www/cenpop/statecenters.txt|deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 ハワイ州には140万人を超える常住人口のほか、アメリカ軍関係者や観光客が常にいる。州都ホノルルを有し、「人の集まるところ」という愛称のあるオアフ島が最も人口が多く、州全体の陸地の1割にも満たない1,546km<sup>2</sup>の陸地に、州の総人口の約7割にあたる1,016,508人(2020年国勢調査)<ref name="Census2020_QuickFacts" />が住んでおり、人口密度は657.5人/km<sup>2</sup>である。比較のためにアメリカ合衆国50州で最も人口密度が高い[[ニュージャージー州]]の場合、陸地19,231km<sup>2</sup>に9,288,994人(2020年国勢調査)<ref name="Census2020_QuickFacts" />が住んでおり、人口密度は483.0人/km<sup>2</sup>であるが、オアフ島単体ではそれを上回ることになる。ハワイ州全体の人口密度は87.5人/km<sup>2</sup>で、[[オハイオ州]]、[[カリフォルニア州]]や[[イリノイ州]]より低く、全米50州の中で13位である。 ハワイ州の平均余命は2000年時点で79.8歳だった(男性で77.1歳、女性で82.5歳)。これは全米の中でもっとも高い数字である<ref>{{cite web |url=http://www.census.gov/population/projections/MethTab2.xls |title=Average life expectancy at birth by state |accessdate=2015-9-9 |archivedate=2008年10月11日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081011092323/http://www.census.gov/population/projections/MethTab2.xls |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 アメリカ軍軍事関係者は州内人口の約1.3%を占めている。 === 人種・民族構成 === アジア系は40%に近い多数派となっている。これはアメリカの全ての州で唯一のものであり、さらに[[混血]]の比率が高いこと、ほかの州で増加を続けている[[ヒスパニック]]が少ないこと、白人や黒人が少ないことも大きな特徴である。この為、同州では学校でのいじめ、不当解雇など白人への人種差別が散見され問題視されている<ref>[http://www.ryugakueikaiwa.com/info/sabetu.html 人種差別はありますか?] - ハワイに留学しよう!〜ハワイ留学の魅力と体験談〜{{信頼性要検証|date=2015-09}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.pixi.com/~takashi/01bq/vol.01no.3/kama.s223n.html |title=アメリカB級ニュース(No.3) |publisher=kama/ainaかまあいな |accessdate=2015-9-9 |archivedate=2015年9月8日 |archiveurl=https://archive.is/20150908163915/http://www.pixi.com/~takashi/01bq/vol.01no.3/kama.s223n.htm |deadlinkdate=2017年9月 }}{{信頼性要検証|date=2015-09}}</ref>。なお、中国系の多くがその歴史的背景から[[中華民国]]([[台湾]])を支持するほか、ベトナム系の多くが[[ベトナム戦争]]後に崩壊した[[南ベトナム]]からの亡命者とその子孫で、残りの多くも[[ボートピープル]]として亡命してきた者である。最大多数の人種が50%を超えていない州はハワイ州と[[ニューメキシコ州]]の2州のみである。 *先住[[ハワイ人]]および[[ポリネシア人|ポリネシア系]]:5.9%(8万人超) *[[アジア人]]:38.6% **[[フィリピン人|フィリピン系]]:14.6%(19万8,000人) **[[日系人]]:13.6%(18万5,000人) **[[華人|中国系]]:4.0%(5万5,000人) **[[朝鮮民族|朝鮮系]]:1.8%(2万4,000人) **[[ベトナム人|ベトナム系]]:0.6% *[[ヒスパニック]]:8.9%(12万人) **[[プエルトリコ]]系:3.25(4万4,000人) **[[メキシコ]]系:2.6%(3万5,000人) *[[黒人]]:1.6% *[[アメリカ・インディアン]]:0.3% *[[白人]]:24.7%(31万人、非ヒスパニック白人は22.7%) **[[ドイツ]]系:7.4% **[[アイルランド]]系:5.2% **[[イギリス]]系:4.6% **[[ポルトガル]]系:4.3% **[[イタリア]]系:2.7% **[[フランス]]系:1.7% *その他:1.2% *上記人種との[[混血]]:23.6%(32万人) **[[ユーラシア]]系:4.9%(6万6,000人) ハワイ州住人の82.2%はアメリカ合衆国の中で生まれている。外国生まれの住人のうちおよそ75.0%はアジア出身と申告している<ref name=autogenerated1>{{Cite web |author=American FactFinder, United States Census Bureau |url=http://factfinder.census.gov/servlet/ADPTable?_bm=y&-geo_id=04000US15&-qr_name=ACS_2008_1YR_G00_DP2&-context=adp&-ds_name=&-tree_id=308&-_lang=en&-redoLog=true&-format= |title=Hawaii – Selected Social Characteristics in the United States:2008 |publisher=Factfinder.census.gov |accessdate=May 15, 2010 |archivedate=2010年12月2日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101202062818/http://factfinder.census.gov/servlet/ADPTable?_bm=y&-geo_id=04000US15&-qr_name=ACS_2008_1YR_G00_DP2&-context=adp&-ds_name=&-tree_id=308&-_lang=en&-redoLog=true&-format= |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 ==== 日系人 ==== {{Main|ハワイにおける日本人移民}} [[アジア系アメリカ人|アジア系]]の住民のなかでも特に[[日系アメリカ人|日系人]]が多く、出身国([[民族]])別では第2位である。その影響もあって、ほかの49州と異なり、{{仮リンク|アメリカ合衆国の仏教|label=仏教徒|en|Buddhism in the United States}}の比率が高く、[[仏教]][[寺院]]や[[神道]][[神社]]も州内各所に点在する。 最初の無許可の日本人移民「[[ハワイにおける日本人移民#元年者|元年者]]」150人は[[明治元年]]に募集が開始され、翌年の1868年6月19日にハワイに到着した。[[ハワイにおける日本人移民#契約移民|官約移民]]は[[1885年]][[2月9日]]に到着した。現在日系人は1世から5世までが存在するといわれている。3世以降の日系人のほとんどは[[日本語]]が話せないが、簡単な単語程度なら理解できる者が多い。また、日本の高度経済成長期以降、ハワイは[[日本人]]にとって人気の観光地であり、[[旅行会社]]などハワイ在住の日本人駐在員や留学生、別荘を所有し数か月単位の滞在を行う長期滞在者も多く、その数は約2万人と言われている([[領事館]]への届け出を行っている滞在者の総計であり、実際はもっといると思われる)。[[高度経済成長]]期の時点では日本からのハワイ旅行には、月収の数倍の費用が必要であったが、[[21世紀]]に入ってからは学生でもハワイ旅行が可能になるなど、大衆化した。 ==== ハワイ先住民 ==== {{Main|ハワイ先住民}} 純血の「[[ハワイ先住民|先住ハワイアン]]([[:en:Native Hawaiians|Native Hawaiians]])」は現在かなり減少している<ref group="注釈">ハワイアン(カナカ・マオリ)は、18世紀末、ジェームズ・クックによってハワイが発見される以前からハワイ諸島に先住していたポリネシア系先住民を祖先に持つ人々を総称する。クック来島時は約30万人と推定されているが、19世紀には4万人に激減した。20世紀に入ると混血が進み、増加した(大林純子・山中速人「<ハワイ> 12 カナカ・マオリ/ハワイアン」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・訓棚橋編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 217ページ)</ref>。 1959年、アメリカ合衆国のひとつの州となった。その植民地支配のためハワイアンの社会経済的地位は低下し、その影響は現在(2000年代)でも続いている<ref name="ReferenceA">大林純子・山中速人「<ハワイ> 12 カナカ・マオリ/ハワイアン」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・訓棚橋編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 218ページ</ref>。「先住ハワイアン」と言われる民族は、約10万人程度である。しかし、これらの人々の中でも純血と言える人は稀である。現在、純血のハワイアンは約8,000人に満たない。先住ハワイアンのうち98%は混血である<ref>大林純子・山中速人「<ハワイ> 12 カナカ・マオリ/ハワイアン」/ 綾部恒雄監修 前川啓治・訓棚橋編集『講座 世界の先住民族 -ファースト・ピープルズの現在- 09 オセアニア』 明石書店 2005年 219ページ</ref>。現在広く用いられているのは、1920年に成立した「ハワイ人住宅寄託法」で示された「キャプテン・クック来航以前にこの島々に住んでいた人々の血を50%以上引いていること」という定義である。先住民ハワイアンは州内人口の民族構成で5.9%に過ぎず、独自文化の存続を図るため、1980年に[[ハワイ人問題事務局]]が設置された。2000年の米国内務省統計では、ハワイアン人口は全米で40万人強、そのうちハワイ州在住は約24万人、それ以外のハワイアンはカリフォルニア州居住が圧倒的である。ハワイアンはハワイ州総人口の約5分の1を占め、白人系、日系、フィリピン系に次ぐ集団となっている<ref name="ReferenceA"/>。 1990年代からハワイ先住民による主権回復運動([[ハワイ独立運動]]・ハワイアン・ソブンティ運動:自決権あるいは独立要求)が盛り上がっている<ref name=Inoue>[http://www.tenri-u.ac.jp/topics/q3tncs00000gd6ir-att/q3tncs00000gd6r1.pdf ハワイ人の主権回復運動④] 井上昭洋 Glocal Tenri,Vol.11 No.1 January 2010. 2015年9月9日閲覧。</ref>。 ===== カメハメハ・スクールズ裁判 ===== ハワイの伝統的な私立学校であるカメハメハ・スクールズは、先住ハワイアンの血を引く者のみしか入学できないというのが条件である。カメハメハ・スクールズはカメハメハ1世の直系の子孫であるバーニス・パウアヒ・ビショップが、遺言によって設立した私立学校であり、公的な助成金を一切受けておらず、また彼女の遺言によって先住ハワイアンの教育を旨とすべきことが学校の方針であった。 2003年にこの入学規定が非ハワイ人から「[[人種差別]]」だとして訴えられた<ref name=Inoue/>。2005年9月の[[アメリカ連邦裁判所|連邦巡回控訴裁判所]]において違法との判決を受けた。この判決には先住ハワイアンのみならずハワイ社会全体から広範な反発が起きた。2006年12月、巡回裁判所における再審理の結果、原判決が破棄され、ハワイ人優先入学制度は違法でないとされた。 カメハメハ・スクールズは上級審で逆転勝訴したが、敗訴した原告の白人少年側は「カメハメハ・スクールズが入学を許可しなかったことで生じた学習の遅れに対する損害賠償」を求めて反訴する意志を示し、合衆国最高裁に再審理を要求したが、判決が下る前に両者の間で和解が成立した。同校は現在もハワイ人優先の入学制度を維持している。 人類学者の井上昭洋によれば、これらの裁判は、1990年代のハワイ先住民による主権回復運動に対する反発が根底にあり、アメリカ社会における反[[アファーマティブ・アクション]](バックラッシュ)の流れと無関係ではないとされる<ref name=Inoue/>。 ===== 先住ハワイアン政府再編成法 ===== 2009年12月28日、{{仮リンク|アメリカ合衆国下院天然資源委員会|en|United States House Committee on Natural Resources}}は、{{仮リンク|先住ハワイアン政府再編成法|en|Akaka Bill}}を承認した。これは先住ハワイアンに対し、[[民族自決]]のための政策決定権を認めるものであり、その認定事務および承認はアメリカ本土における[[インディアン]]、アラスカ・[[エスキモー]]、[[アレウト]]と同様に、アメリカ内務省によって行われる。{{仮リンク|合衆国インディアン事務上院委員会|en|United States Senate Committee on Indian Affairs}}も、この法律を承認した。 天然資源委員会内ではこの法案について、「先住ハワイアンによる民族政府の樹立は合衆国憲法に違反する」と、{{仮リンク|ドク・ヘイスティングス|en|Doc Hastings}}下院議員を代表とする共和党員メンバーによって反対論陣が組まれてきた。 民主党員側では、ハワイ生まれのオバマ大統領を筆頭とする多数の議員、また先住ハワイアンだけでなく、アラスカ議会代表団、アラスカの[[インディアン]]、[[エスキモー]]団体がこれを支持している。 === 言語 === : ハワイ州の公式言語は1978年憲法で承認された[[英語]]と[[ハワイ語]]である。 ;ハワイ語 : [[ハワイ語]]は[[ポリネシア|ポリネシア人]]であるハワイ先住民が伝統的に用いた[[オーストロネシア語族]]に属する言語である。現代では母語とする話者は少ない。しかし近年は地名表記などにおいて、ハワイ語発音での表記が増加している。 ;日本語 : 日系移民が多かったこともあり、かつては簡単な[[日本語]]なら理解できる者が多かったが、英語の普及と移民排斥により話者は減った。第二次世界大戦後は日本からの観光客が増加したため、ワイキキ周辺では日本語が通じることもある。 ;英語 : ハワイは英国のキャプテン・クックにより「発見」されたため、当時から[[英語]]が補助的に使われており、アメリカに併合後も英語(アメリカ英語)が引き続き使われている。2008年のアメリカ地域社会調査では、5歳以上のハワイ州住人の74.6%が家庭で英語のみを話している<ref name="factfinder.census.gov">{{cite web |author=American FactFinder, United States Census Bureau |url=http://factfinder.census.gov/servlet/ADPTable?_bm=y&-context=adp&-qr_name=ACS_2008_1YR_G00_DP5&-ds_name=ACS_2008_1YR_G00_&-tree_id=308&-redoLog=true&-_caller=geoselect&-geo_id=04000US15&-format=&-_lang=en |title=Hawaii – ACS Demographic and Housing Estimates:2008 |publisher=Factfinder.census.gov |accessdate=May 15, 2010 |archivedate=2010年12月2日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101202062850/http://factfinder.census.gov/servlet/ADPTable?_bm=y&-context=adp&-qr_name=ACS_2008_1YR_G00_DP5&-ds_name=ACS_2008_1YR_G00_&-tree_id=308&-redoLog=true&-_caller=geoselect&-geo_id=04000US15&-format=&-_lang=en |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 : 併合後には日系移民の間で[[ピジン英語]]が話されるようになった。 ;他 : ヨーロッパ系住人はその母国語を話すものも多い。[[スペイン語]]を話す住民は2.6%であり、1.6%がその他のインド・ヨーロッパ語族の言語を話している。アジアからの出稼ぎ労働者によりアジア系言語の話者は21.0%おり、[[中国語]]、[[タガログ語]](5.37%)、[[イロカノ語]](4.05%)などである。0.2%は異なる言語を話している<ref name="factfinder.census.gov"/>。 === 宗教 === [[ファイル:Makiki Christian Church, Honolulu.jpg|thumb|right|ハワイ州にある教会(1958年撮影)]] {{Main|ハワイの宗教}} 2000年時点で信徒がもっとも多い宗派は[[キリスト教]]であり、次に大きく離れて[[仏教]]であった。宗派別信徒数は以下の通りである<ref>[http://www.hawaii.gov/dbedt/info/economic/databook/db2000 State of Hawaii Data Book 2000, Section 1 Population, Table 1.47].</ref><ref>[http://the.honoluluadvertiser.com/article/2002/Sep/21/il/il11afaith.html Honolulu Advertiser].</ref>。 *[[キリスト教]]:35万1,000人(28.9%) *[[仏教]]:11万人(9%) *[[ユダヤ教]]:1万人(0.8%) *その他:10万人(10%) *無宗派:65万人(51.1%) その他の宗派としては、[[バハイ教]]、[[儒教]]、[[道教]]、[[ハワイ神話|ハワイ宗教]]、[[ヒンドゥー教]]、[[イスラム教]]、[[シーク教]]、[[神道]]、[[ゾロアスター教]]などがある。 無宗派には不可知論者、無神論者、人道主義者、不信仰者が含まれる。 == 主な国勢調査指定地域 == [[File:Honolulu01.JPG|thumb|250px|[[ホノルル]](アーバンホノルル)の[[商業地|ダウンタウン]]]] [[File:East Oahu - panoramio.jpg|thumb|250px|[[イーストホノルル]]]] [[File:USS Chafee (DDG-90) lights.jpg|thumb|250px|[[パールシティ (ハワイ州)|パールシティ]]]] [[File:Downtown Hilo, Hawaii.jpg|thumb|250px|[[ハワイ郡 (ハワイ州)|ハワイ郡]]最大CDPである、[[ハワイ島]]の[[ヒロ (ハワイ州)|ヒロ]]]] [[File:AirViewKahului.jpg|thumb|250px|[[マウイ郡 (ハワイ州)|マウイ郡]]最大CDPである、[[マウイ島]]の[[カフルイ]]]] [[File:Kapaa Kauai Hawaii.jpg|thumb|250px|[[カウアイ郡 (ハワイ州)|カウアイ郡]]最大CDPである、[[カウアイ島]]の[[カパア (ハワイ州)|カパア]]]] ハワイ州においては、法人化された自治体は州都[[ホノルル]][[市郡]]以外に存在しない。ホノルル市郡域はオアフ島全体にわたり、アーバンホノルル都市圏の定義範囲と一致する<ref>[https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2020/03/Bulletin-20-01.pdf OMB Bulletin No. 20-01, Revised Delineations of Metropolitan Statistical Areas, Micropolitan Statistical Areas, and Combined Statistical Areas, and Guidance on Uses of Delineations of These Areas]. Office of Management and Budget. 2020年3月6日.</ref>。統計上の通例では、アーバンホノルル[[国勢調査指定地域]](CDP)が「ホノルル市」として扱われるが、アーバンホノルルもまた[[非法人地域|法人化された自治体ではなく]]、従ってホノルル市郡と別個の政府を有しているわけではない。そのため下表では、人口の多い国勢調査指定地域を人口順に列挙する。なお、人口の数値は2020年国勢調査による<ref name="Census2020_QuickFacts" />。 {|class="sortable wikitable" style="text-align:left" |+ ハワイ州の人口10大CDP !順位!!CDP!!人口!!郡 |- |1||[[ホノルル|アーバンホノルル]]||align=right|350,964||[[ホノルル|ホノルル市郡]] |- |2||[[イーストホノルル]]||align=right|50,922||ホノルル市郡 |- |3||[[パールシティ (ハワイ州)|パールシティ]]||align=right|45,295||ホノルル市郡 |- |4||[[ヒロ (ハワイ州)|ヒロ]]||align=right|44,186||[[ハワイ郡]] |- |5||[[ワイパフ (ハワイ州)|ワイパフ]]||align=right|43,485||ホノルル市郡 |- |6||[[カイルア (ハワイ州ホノルル郡)|カイルア]]||align=right|40,514||ホノルル市郡 |- |7||[[カネオヘ (ハワイ州)|カネオヘ]]||align=right|37,430||ホノルル市郡 |- |8||[[カフルイ]]||align=right|28,219||[[マウイ郡]] |- |9||[[ミリラニ (ハワイ州)|ミリラニ]]||align=right|28,121||ホノルル市郡 |- |10||[[エワジェントリー (ハワイ州)|エワジェントリー]]||align=right|25,707||ホノルル市郡 |} なお、上表には入っていないが、[[カウアイ郡 (ハワイ州)|カウアイ郡]]最大のCDPである[[カパア (ハワイ州)|カパア]]は2020年国勢調査時点での人口11,652人<ref name="Census2020_QuickFacts" />で、州全体では第30位である。[[カラワオ郡 (ハワイ州)|カラワオ郡]]は郡内にCDP自体が1つも存在せず、[[アフプアア]]と呼ばれる、伝統的な地域区分のみが存在する。 == 政治と法律 == === 州政府 === [[ファイル:Hawaii State Capitol.jpg|thumb|right|250px|ハワイ州議会議事堂、パンチボウル・クレーター縁から見下ろす]] ハワイ州政府は[[ハワイ王国]]時代には[[イギリスの政治]]体制、その後、[[ハワイ王国の転覆]]([[:en:Overthrow of the Kingdom of Hawaii|Overthrow of the Kingdom of Hawaii]])のころから徐々に[[アメリカ合衆国連邦政府]]をモデルとしている。ハワイ州憲法に規定され、行政、立法および司法の[[三権分立|三権が分離]]されている。 '''[[行政|行政府]]'''は知事が指導し、副知事の補佐を受ける。どちらも組み合わされた候補者名簿から選出される。知事は州全体で選出される唯一の役人であり、ほかの役人は知事が指名する。副知事は州務長官を務める。知事と副知事は州議会議事堂にあるオフィスから20の機関を監督する。知事公邸はワシントン・パレスである。法執行機関は州警察ではなく州公安部の[[保安官]]。 州行政府の部門(Department)は、英文名称順に次のようになる<ref>[https://portal.ehawaii.gov/government/departments-and-agencies/ Departments & Agencies (Official web of Aloha State)]</ref>。 {{See|en:Category:State agencies of Hawaii}} *会計・総合サービス部(Accounting & General Services, DAGS) *農業部(Agriculture, HDOA) *州司法長官部([[:en:State of Hawaii Department of the Attorney General|Attorney General]], AG) *予算・財務部(Budget & Finance, B&F) *ビジネス・経済発展・ツーリズム部(Business, Economic Development & Tourism, DBEDT) *商務・消費者関連部(Commerce & Consumer Affairs, DCCA) *防衛部(Defense, DOD) *教育部([[:en:Hawai'i Department of Education|Education]], DOE) *ハワイアン・ホームランド部([[:en:Hawaiian home land|Hawaiian Home Lands]], DHHL) *衛生部([[:en:Hawaii Department of Health|Health]], DOH) *人的資源開発部(Human Resources Development, DHRD) *人事部([[:en:Hawaii Department of Human Services|Human Services]], DHS) *労働・産業関連部(Labor & Industrial Relations, DLIR) *土地・自然資源部([[:en:Hawai'i Department of Land and Natural Resources|Land & Natural Resources]], DLNR) *公安部([[:en:Hawaii Department of Public Safety|Public Safety]], DPS) *税務部(Taxation, HDT) *交通部([[:en:Hawaii Department of Transportation|Transportation]], DOT) このほかに、州知事オフィスをはじめとする局(Agency)がある。 '''[[立法府]]'''は[[ハワイ州議会]]で、51人の議員からなる下院と25人の議員からなる上院の[[両院制]]である。[[ハワイ州会議事堂]]で審議を行っている。 '''[[ハワイの司法制度|司法府]]'''の最高機関は[[ハワイ州最高裁判所]]であり、アリイオラニ・ハレを裁判に使っている。その下に高等裁判所、地区裁判所、家庭裁判所などがある。 2023年現在の[[ハワイ州知事|州知事]]は、[[民主党 (アメリカ)|民主党]]のジョシュ・グリーン(2022年12月 - )。 日系約20万人、フィリピン系約17万人などアジア系住民が多い州であるため、州議会にもその住民構成は反映され、日系人の州議会議員も多く活躍しているほか、日系人の連邦議員もこれまでに数多く選出され続けてきている。 法律面では、州法で人種差別を禁止しており、アメリカの中でもアジア系を含めた非白人系の[[移民]]が多いことが窺い知れる。また、自然保護に関する法律は多いが、それを現実のものとするための資金が不足しているのも事実である。以前よりカジノ構想が議会で持ち上がり、資金不足の解消を試みるが、何度も可決されずに終わっている。現在の州法では一切の[[ギャンブル]]が禁止されており、[[宝くじ]]も販売されていない。そのためか、ハワイ州民の観光旅行先として[[ラスベガス]]は常に一番人気である。 現在、ハワイ州においては、[[死刑制度]]は廃止されている。 === 地方行政 === ハワイ州特有の統治事情は自治体がないことである。地域社会はすべて郡のレベルで管理されている。唯一法人化された地域はホノルル統合市郡であり、オアフ島全体を統治している。郡の行政官は郡長(mayor、市長と同じ)と呼ばれ、すべて無党派選挙で選ばれている。 ハワイ州には次の5郡が置かれている。 *[[ハワイ郡 (ハワイ州)|ハワイ郡]] - [[ハワイ島]]全島 *[[ホノルル|ホノルル市]]及び[[ホノルル郡 (ハワイ州)|ホノルル郡]] - [[オアフ島]]及び[[北西ハワイ諸島]] *[[カラワオ郡 (ハワイ州)|カラワオ郡]] - [[モロカイ島]]のカラウパパ半島部(全米で最小の郡) *[[カウアイ郡 (ハワイ州)|カウアイ郡]] - [[カウアイ島]]及び[[ニイハウ島]] *[[マウイ郡 (ハワイ州)|マウイ郡]] - [[マウイ島]]、[[ラナイ島]]、[[カホオラウェ島]]各島全体、及びカラワオ郡を除くモロカイ島(同島の大部分) === 連邦政府への代表 === ハワイ州から連邦議会には上院議員2人、下院議員2人を送り込んでいる。2013年時点で4人全員が民主党員であり、さらにそのうち3人は女性である。 ==== 下院 ==== 州内のうち、ホノルルなどをオアフ島南東部を含む下院第1選挙区からは、前ハワイ州議会上院議員の[[:en:Colleen Hanabusa|コリーン・ハナブサ]]が選出されている。ハナブサは、アバクロンビー現州知事の知事選出馬・下院議員辞職に伴って実施された2010年5月の[[補欠選挙]]では、同じく出馬を模索した[[:en:Ed Case|エド・ケース]]元下院議員との候補統一に失敗し党内が分裂、ライバル共和党の[[:en:Charles Djou|チャールズ・ヂョウ]]の前に苦杯を嘗めたが、同年11月の[[中間選挙]]では直前までの接戦観測を覆し、得票率にして6ポイントの差を付けてヂョウを破り、雪辱を果たした。2012年の選挙でも再選を果たし、現在2期目である。 州内の他の部分を含む下院第2選挙区からは、前ホノルル市議会議員のトゥルシ・ガダードが選出されている。ガダードは、上院に転出した[[メイジー・ヒロノ]]に代わり、2012年11月6日の選挙に出馬・当選し、現在1期目である。ガダードは、連邦議会初のサモア系かつ[[ヒンドゥー教|ヒンドゥー教徒]]の議員である。また、ハワイ州の陸軍州兵として[[イラク]]に従軍した経験があり、同じく2012年の選挙で初当選した[[:en:Tammy Duckworth|タミー・ダックワース]]と並び、戦闘地域での任務経験がある女性連邦議会議員となっている。 ==== 上院 ==== 上院議員には、現在[[:en:Brian Schatz|ブライアン・シャーツ]]と[[メイジー・ヒロノ]]の2人が選出されている。 ハワイ州では、日系の[[ダニエル・イノウエ]]が先任上院議員として、1963年1月3日から約50年にわたり同職を務めていた。イノウエは、2010年6月には[[ロバート・バード]]の死去にともない上院の最先任上院議員となり、上院多数派の最長老に与えられる[[アメリカ合衆国上院仮議長]]を務めていたが、2012年12月17日に死去した。2012年11月6日の選挙では、現職だった[[ダニエル・アカカ]]の引退にともない後継として出馬した[[福島県]]生まれの日本人移民メイジー・ヒロノが当選し、イノウエが存命であれば2013年1月からハワイ州の上院議員はすべて日系で占められるはずであったが、イノウエの死去にともない立ち消えとなった。 イノウエの後継には、アバクロンビー州知事の下で副知事を務めていたブライアン・シャーツが指名され、2012年12月26日付で就任した。イノウエの任期は本来[[2017年]]1月([[2016年]]改選)までであったが、[[2014年]]の中間選挙にあわせて補欠選挙が実施された。 ==== その他 ==== ハワイ州にある連邦政府機関はアロハタワーとホノルル港に近いプリンス・クヒオ連邦政府ビルに入っている。同ビルには[[連邦捜査局]](FBI)、[[アメリカ合衆国内国歳入庁|国税庁]](IRS)、および[[アメリカ合衆国シークレットサービス]]が事務所を構えており、[[アメリカ合衆国連邦裁判所|ハワイ州連邦地方裁判所]]やハワイ地区連邦検察局も入居している。 ==== 大統領選挙 ==== {|class="wikitable" style="float:right;margin:1em;font-size:85%;" |+ '''大統領選挙の結果''' |- style="background:lightgrey;" ! 年 ! [[共和党 (アメリカ)|共和党]] ! [[民主党 (アメリカ)|民主党]] |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[2016年アメリカ合衆国大統領選挙|2016年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|29.44% ''128,847 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''60.98%''' ''266,891 |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[2012年アメリカ合衆国大統領選挙|2012年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|27.84% ''121,015 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''70.55%''' ''306,658 |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[2008年アメリカ合衆国大統領選挙|2008年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|26.58% ''120,446 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''71.85%''' ''325,588 |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[2004年アメリカ合衆国大統領選挙|2004年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|45.26% ''194,191 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''54.01%''' ''231,708 |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[2000年アメリカ合衆国大統領選挙|2000年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|37.46% ''137,845 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''55.79%''' ''205,286 |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[1996年アメリカ合衆国大統領選挙|1996年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|31.64% ''113,943 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''56.93%''' ''205,012 |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[1992年アメリカ合衆国大統領選挙|1992年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|36.70% ''136,822 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''48.09%''' ''179,310 |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[1988年アメリカ合衆国大統領選挙|1988年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|44.75% ''158,625 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''54.27%''' ''192,364 |- |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|[[1984年アメリカ合衆国大統領選挙|1984年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|'''55.10%''' ''185,050 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|43.82% ''147,154 |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[1980年アメリカ合衆国大統領選挙|1980年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|42.90% ''130,112 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''44.80%''' ''135,879 |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[1976年アメリカ合衆国大統領選挙|1976年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|48.06% ''140,003 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''50.59%''' ''147,375 |- |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|[[1972年アメリカ合衆国大統領選挙|1972年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|'''62.48%''' ''168,865 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|37.52% ''101,409 |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[1968年アメリカ合衆国大統領選挙|1968年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|38.70% ''91,425 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''59.83%''' ''141,324 |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[1964年アメリカ合衆国大統領選挙|1964年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|21.24% ''44,022 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''78.76%''' ''163,249 |- |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|[[1960年アメリカ合衆国大統領選挙|1960年]] |style="text-align:center;background:#fff3f3;"|49.97% ''92,295 |style="text-align:center;background:#f0f0ff;"|'''50.03%''' ''92,410 |} ハワイ州は直近14回のアメリカ合衆国大統領選挙のうち12回を民主党支持とした。共和党を支持したのは1972年([[リチャード・ニクソン]]の2期目)と1984年([[ロナルド・レーガン]]の2期目)である。2004年の場合、民主党候補の[[ジョン・フォーブズ・ケリー|ジョン・ケリー]]が有効投票総数の54%を得て、対立候補共和党の[[ジョージ・W・ブッシュ]]に9%と差を付けてハワイ州の選挙人4人を獲得した。州内5郡全てが民主党候補を支持した。1964年にはハワイ州生まれのハイラム・フォンが共和党候補者指名を求めた。また1972年には同じくパッチー・ミンクがオレゴン州予備選に出馬した。 ホノルル生まれの第44代アメリカ合衆国大統領[[バラク・オバマ]]は、当時[[イリノイ州]]選出の[[アメリカ合衆国上院]]議員であり、2008年の選挙で大統領に当選した。2008年2月19日に開かれた民主党ハワイ州党員集会では76%の票を得て候補指名された。オバマは主要政党の候補者として指名を求めたハワイ出身者としては3人目であり、初の党指名候補になった<ref>{{Citation|last=Rudin|first=Ken|url=http://www.npr.org/blogs/politicaljunkie/2009/12/todays_junkie_segment_on_totn_5.html|title=NPR's '&#39;Political Junkie'&#39;, 23 December 2009, accessed 30 December 2009|publisher=Npr.org|date=December 23, 2009|accessdate=May 15, 2010}}</ref><ref>{{Citation|author=Heard on Tell Me More|url=http://www.npr.org/templates/transcript/transcript.php?storyId=96126355|title=Asian Writer Ponders First Asian President Too|publisher=Npr.org|date=October 29, 2008|accessdate=May 15, 2010}}</ref>。 === 祝日 === 現在アメリカ合衆国の版図となっている地域では唯一、西洋人にも認知された王朝が成立しており、それをアメリカが強制的に併合したこと、また現在の50州の中で最後に立州されたことという歴史的背景もあり、連邦政府が定める祝日([[アメリカ合衆国#祝祭日|アメリカ合衆国の祝日]]の項目参照)とは別に、下記の祝日が州独自に定められている。 <ref>[http://dhrd.hawaii.gov/state-observed-holidays/ ハワイ州の祝日(ハワイ州政府)] (英語)</ref> *[[クヒオ・デー|プリンス・クヒオ誕生日]] - 通称クヒオ・デー([[3月26日]]) *[[聖金曜日|グッド・フライデー]] *[[カメハメハ・デー|カメハメハ一世誕生日]] - 通称カメハメハ・デー([[6月11日]]) *[[ステートフッド・デー (ハワイ)|ステートフッド・デー]]またはアドミッション・デー - 通称ステートフッド・デー(8月第3金曜) なお、ステートフッド・デー([[1959年]]にハワイが[[準州#過去|準州]]から[[州]]に昇格した記念日)が祝日とされる代わりに、連邦の祝日であるコロンブス・デー(10月第2月曜)を、ハワイ州政府では祝日とみなしていない。 == 経済 == ハワイ州の経済史は主たる産業が移り変わってきたことが特徴である。すなわち[[白檀]]材<ref>[http://www.hawaiihistory.org/index.cfm?fuseaction=ig.page&PageID=274 Hawaii sandalwood trade].</ref>、[[捕鯨]]<ref>[http://www.hawaiihistory.org/index.cfm?fuseaction=ig.page&PageID=287 Whaling in Hawaii].</ref>、[[サトウキビ]]、[[パイナップル]]、[[軍需]]、観光<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=変貌するハワイ「今ぐらいがちょうどいい」|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210511/k10013022511000.html|website=NHKニュース|accessdate=2021-05-11|last=日本放送協会}}</ref> および教育である。1959年以降は[[観光業]]が最大産業であり、1997年では州内総生産の24.3%を占めている。 === 初期の経済 === かつてハワイ州の経済は「[[ビッグファイブ (ハワイ)|ビッグファイブ]]」(''[[:en:Big Five (Hawaii)|Big Five]]'')と呼ばれる、大手[[砂糖]]会社を筆頭とする複合企業群によって支えられていた。これらの企業群は[[20世紀]]初頭に台頭し、[[1960年代]]に至るまでハワイ州の政治・経済を牛耳ってきた。ビッグファイブとは、[[アレクサンダー・アンド・ボールドウィン]]([[:en:Alexander & Baldwin|Alexander & Baldwin]])、[[キャッスル・アンド・クック]]([[:en:Castle & Cooke|Castle & Cooke]])、[[C・ブリュワー]]([[:en:C. Brewer & Co.|C. Brewer]])、[[シーオ・H・デイビーズ]]([[:en:Theo H. Davies & Co.|Theo H. Davies]])、[[アムファック]]([[:en:Amfac, Inc.|Amfac]])である。 [[プランテーション]]で働くためアジアからの移民も増加した。 [[1970年代]]に入り砂糖の[[プランテーション]]が次々に閉鎖されると、これらビッグ・ファイブの傘下にあった企業は中核の本部を除いては他州の企業に買収・併合されていった。 === 現代の産業一般 === {{also|ハワイにおけるコーヒー生産}} 2007年のハワイ州の州内総生産は583.07億ドル(約5兆円)である<ref>{{cite web |url=http://www.bea.gov/regional/gsp/ |title=Gross Domestic Product by State |accessdate=2015-9-10 |publisher=Bureau of Economic Analysis |archivedate=2008年9月16日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080916011142/http://bea.gov/regional/gsp/ |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。[[滋賀県]](約6兆円)とほぼ同じ経済規模である。 現在は公共部門、軍需、[[観光]]の3本柱である<ref name=":0" />。[[パイナップル]]はかつて[[ラナイ島]]単独で全米の生産量の90%、全世界生産量の75%を産出していたほどだが、農業の比率は過去に比べ下がっている。現代では[[コナコーヒー]]など、高付加価値の農作物が中心である。近年では不安定な観光業に依存する体質から脱却するため、政府では就農を促している<ref name=":0" />。 軍需については、州内に数多くの[[軍事基地]]を抱え、軍や関連産業による経済への影響は大きい<ref name=":0" />。2009年、アメリカ軍はハワイ州で122億ドルを消費したが、これは国内予算の18%に相当した。アメリカ合衆国国防総省の人員75,000人が州内に住んでいる<ref>Associated Press, "[http://www.navytimes.com/news/2011/06/ap-military-spending-strong-in-hawaii-060111/ Study:Military spent $12B in Hawaii in 2009]", ''Military Times'', June 1, 2011.</ref>。 観光については、年間6,982,425人、うち[[アメリカ合衆国|アメリカ]]国内からが4,592,650人、国外からは2,389,775人、そのうち日本からは年間1,239,481人(いずれも[[2010年]]<ref>{{Cite web|title=Visitor Statistics|url=http://dbedt.hawaii.gov/visitor|website=dbedt.hawaii.gov|accessdate=2021-05-11|language=en}}</ref>)が訪れる国際的観光地であり、軍需と並びハワイ州を支えている<ref name=":0" />。近年では多数の観光客を呼び込む方針から、[[持続可能な開発目標]]を掲げ自然環境に配慮した観光地への転換を目指している<ref name=":0" />。 [[離島]]であるため工業製品のほとんど、また燃料の全てを米本土からの[[輸入]]に頼ることから平均物価は州単位では全米一高く、全米平均のおよそ1.5倍に相当する(2位は[[ニュージャージー州]]の1.25倍)が、その一方で、平均年収は全米平均とほぼ同程度であるため、[[可処分所得]]は全米平均以下と言える [[ファイル:Dockhawaii.jpg|thumb|left|235px|ハワイ州の積出港]] ハワイ州からの輸出品としては食品や衣料品がある。しかし例えばアメリカ合衆国西海岸であってもかなりの輸送距離があるためにハワイ州の経済に占める役割は小さい。輸出食品には[[コーヒー]]、[[マカダミア|マカダミアナッツ]]([[ハワイアンホスト・グループ]]など)、[[パイナップル]]、[[サトウキビ]]、家畜などがある。ハワイ農業統計局に拠れば2002年の農産物売上高は3億7,090万ドルであり、パイナップルは1億60万ドル、サトウキビは6,430万ドルだった。ただし、サトウキビ栽培はマウイ島の[[プウネネ]]だけに[[アレクサンダー&ボールドウィン砂糖博物館|アレクサンダー&ボールドウィン]]の農場が唯一残っていたが、2016年12月で廃業しハワイでの商用サトウキビ栽培は途絶えた<ref>雑誌『Hana Hou!』 Dec. 2016/Jan. 2017, pp. 110-131, "Final Harvest: Sugar's last days in the Islands"</ref>。 ハワイ州の課税は比較的重い。2003年、一人当たり税徴収額は2,838ドルとなり、全米50州の中で最高だった。これは教育、健康管理および公共事業が全て州によって行われることに起因しており、他州では地方政府が担当している。 数多い観光客は消費税やホテル客室税を払うことによってハワイ州の税収入に貢献している。つまり全ての税収が住民から徴収されているわけではない。しかし企業経営者は税負担が重いので、高い物価と、取引には有効的でない風土という認識を作っていると見なしている<ref>[http://starbulletin.com/2004/05/21/news/story1.html Honolulu Star-Bulletin Hawaii News].</ref>。近年では環境保全の財源確保のため、グリーン・フィーと呼ばれる税金が検討されている<ref name=":0" />。 ハワイ州はガス・キャップ法(排出ガス規制法)によってガソリン価格を規制する数少ない州の1つである。石油会社の利益はアメリカ合衆国本土と比較されて監視されているので、この法律によって州内ガソリン価格は本土と同じにされている。この法は[[ハリケーン・カトリーナ]]で価格が変動した2005年9月に効力を発揮したが、2006年4月には棚上げされた。 現在経済を産業別に会社名なども記述して続けると、まずマスコミ関係の[[新聞]]業界では、[[オアフ島]]で発行されている『[[ホノルル・スター・アドバタイザー]]』がハワイ州の代表的新聞で、全島で読まれている。これ以外に各島でも地元紙が発行されていて、例えば[[ハワイ島]]では『[[ウェスト・ハワイ・トゥデイ]]』と『[[ハワイ・トリビューン・ヘラルド]]』である。[[経済]]関係の新聞では、『[[パシフィック・ビジネスニューズ]]』がある。全米をカバーする[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]/[[CBS]]/[[NBC]]などの商業[[テレビ]]ネットワークおよび「[[KHET|PBSハワイ]]」[[公共放送サービス]]、全島をカバーする[[ハワイ・パブリック・ラジオ]]および各島の[[ラジオ]]放送局などがある。 [[金融]]関係では、ハワイ州に本部がある[[バンク・オブ・ハワイ]]、[[ファースト・ハワイアン・バンク]]、[[セントラル・パシフィック・バンク]]、[[アメリカンセービング銀行]]、各種[[信用組合]]([[ハワイ州連邦信用組合]]、[[ハワイコミュニティー連邦信用組合]]など)などの[[銀行]]は州内各地に[[支店]]も多く、個人・企業相手に営業をしている。[[日本の銀行一覧#普通銀行|邦銀]]も含めて、ハワイ州以外に本部がある銀行はホノルルに集中していて、企業相手をおもな事業としている。 [[エネルギー]]供給分野では、[[電力]]は[[ハワイ電力工業]]がほぼ全島をカバーしており、[[ガソリン]]は[[アロハ石油]]、[[シェル石油]]、[[シェブロン]]、[[76 (フィリップス66)#ハワイ州では|76]]、[[テソロ石油]]などの[[石油]]販売会社、[[コストコ]]などの量販店の[[ガソリンスタンド]]で行われている。[[燃料ガス|ガス]]は[[ハワイガス]]により配布されている。流通関係では、全米チェーンの[[ウォルマート]]、[[セーフウェイ]]など以外に、地元資本の[[フードランド (ハワイ)|フードランド]]とその子会社Sack 'N Save、[[KTAスーパーストアズ]]などがある。 [[輸送|運輸関係]]では[[航空会社|航空産業]]が大きく発達しており、[[ハワイアン航空]]が圧倒的な力を見せているが、全米の主要航空会社および世界の主要航空会社がハワイへ乗り入れている。[[海運]]では[[マトソン社]]が国際海運、[[パシャ・ハワイ]]がハワイと[[アメリカ大陸]]間に、[[ヤング・ブラザーズ・ハワイ]]が[[ハワイ諸島]]間に活躍している。[[通信]]関係では、[[ハワイアン・テルコム]]電話会社、[[チャーター・コミュニケーションズ]]の[[:en:Charter Spectrum|Ocean Spectrum]]通信ケーブル、全米をカバーする[[AT&T]]などの[[携帯電話会社]]がカバーしている。 こうした各種産業での大会社のハワイアン航空、モクレレ航空、ハワイ電力工業、[[ハワイアン・テルコム]]、バンク・オブ・ハワイ、ファースト・ハワイアン・バンク、[[ABCストア]]などは[[ホノルル]]に本社を置いて全島業務を展開しており、その他の会社は各島を中心に[[コナビール会社]]、[[ハワイヌイビール会社]]などが活躍している。 === 生活費 === ハワイ州、特にホノルルの生活費はアメリカ合衆国の主要都市に比べて極めて高い。しかし、ニューヨーク市と比べれば6.7%、サンフランシスコ市と比べれば3.6%低い<ref>{{cite web |url=http://salary.nytimes.com/costoflivingwizard/layoutscripts/coll_start.asp |title=Cost of Living Wizard |publisher=The New York Times website |accessdate=2015-9-10 |archivedate=2008年9月14日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080914100326/http://salary.nytimes.com/CostOfLivingWizard/layoutscripts/coll_start.asp |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。この数字には「アメリカ合衆国本土以外」の顧客に対して課される旅費や輸送費の増加、販促機会の不足という要素を含めていない可能性がある。オンラインショップの中にはハワイに対する注文に送料を取らないものもあるが<ref>{{cite web |url=http://www.freeshipping.org/category/hawaii-free-shipping-coupons/ |publisher=FreeShipping.org |title=for examples of stores that ship free to Hawaii (Hawaii Free Shipping: Stores That Ship Free to Hawaii) |accessdate=2015-9-10 |archivedate=2011年7月28日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110728165345/http://www.freeshipping.org/category/hawaii-free-shipping-coupons/ |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>、多くの商店はハワイ州、アラスカ州、[[プエルトリコ]]などの海外領土を商圏の対象から外している。 2000年時点で住宅価格の中央値は272,700ドルだったが、全国平均はその半分以下の119,600ドルだった。カリフォルニア州でも211,500ドルであり<ref>[http://www.census.gov/hhes/www/housing/census/historic/values.html Historic Housing Values] on www.census.gov</ref>、ハワイ州は全米で最も住宅価格が高い州である。全米不動産協会の最近の調査では、ホノルルの一戸建て住宅価格中央値を607,600ドル、全米の値を173,200ドルとしている。この年、カリフォルニア州[[シリコンバレー]]で602,000ドルであり、ホノルルは最も住宅価格が高い都市になった<ref>[http://www.realtor.org/research/research/metroprice Metropolitan Median Prices] from the National Association of Realtors(r).</ref>。 2018年に発表された全米の世帯別収入調査の結果では、家計のやりくりに苦労している世帯の比率は平均43%と高率であったが、州別ではハワイ州は49%に達し、[[ニューメキシコ州]]や[[カリフォルニア州]]と並んで全米ワーストを記録した<ref>{{Cite web|和書|date= |url= https://www.cnn.co.jp/usa/35119435.html|title= 5100万世帯が日々の生活に苦慮、十分な収入得られず|publisher= CNN|accessdate=2018-05-19}}</ref>。 === ホームレス問題 === 近年、前述の生活費の高さと特に他の州から移住する[[ホームレス]]が増加し、ワイキキなどの観光地にも溢れかえるなど深刻化しており、2015年10月には非常事態宣言が発令された<ref>{{Cite web|和書|date= |url= https://www.sankei.com/article/20151029-PRR6VV7HINLWXFSWGYYLRRVT7M/|title= ハワイに“あいりん地区”ができる日 片道切符で飛んで来るホームレス 楽園の「非常事態宣言」|publisher= 産経ニュース|accessdate=2018-09-23}}</ref>。 2020年には[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルスによる影響]]で観光業が打撃を受け、オアフ島などで増加した<ref name=":0" />。 == 教育 == {{seealso|ハワイ州教育省}} === 大学・短期大学 === *[[ブリガムヤング大学]]ハワイ校 *[[トランスパシフィックハワイカレッジ]] *[[シャミナード大学]] *[[ハワイ・パシフィック大学]] *[[ユニバーシティー・オブ・ザ・ネイションズ]]コナ校 *[[ハワイ大学システム]] **[[ハワイ大学マノア校]] **[[ハワイ大学ウエストオアフ校|ハワイ大学ウエスト・オアフ校]] **[[ハワイ大学ヒロ校]] **各島に[[ハワイ大学システム#コミュニティーカレッジ|コミュニティーカレッジ]]([[短期大学]]) *[[ハワイ東海インターナショナルカレッジ]] - [[東海大学]]の海外教育機関の一つ。米国西地区学校・大学協会の認可(アクレディテーション)を受けた短期大学。 === 公立学校 === ハワイ州はアメリカ合衆国の州の中で唯一、州全体で統合された教育体系を持っている。意志決定は州教育委員会の14人の委員が行っている。委員会は政策を決定し、州の[[ハワイ州教育省]]を監督する教育監督官を雇用する。教育省は7つの地区に分けられており、4つがオアフ島に、他の3郡に各1つが配されている。 教育の中央集権化を行う主な理由は人口の多いオアフ島と人口の少ない諸島との間の格差、さらに収入の格差による影響を無くすことである。アメリカ合衆国本土では公立学校が地方の資産税で運営されている。 教育者は英語を話さない移民の子弟と取り組む必要がある。それら子弟の文化は本土のものとは異なっている。 公立の小中学校および高校で行われる共通試験(落ち零れ防止法の下で行われている)の成績は全国平均より劣っている。この差は、州教育委員会が全ての資格在る生徒に試験を受けさせ、全ての結果を報告しているからである(例えばテキサス州やミシガン州の場合はそうはしていない)。2005年8月の報告では全州282の学校のうち、185校が数学とリーディングで連邦政府の最低標準に届かなかった<ref>{{Cite web |date=August 18, 2005 |url=http://www.thehawaiichannel.com/education/4870699/detail.html |title=Two-Thirds Of Hawaii Schools Do Not Meet Requirements – Education News Story |4=publisherKITV Honolulu (Thehawaiichannel.com) |accessdate=May 15, 2010 |archivedate=2011年8月7日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110807154939/http://www.kitv.com/education/4870699/detail.html |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 一方2005年のACTカレッジ・クラス分けテストでは、上級生の成績が全国平均(20.9)より僅かに高い21.9となった<ref>Honolulu Advertiser, August 17, 2005, p.&nbsp;B1</ref>。広く行われているSAT試験では、ハワイ州のカレッジを指向する生徒が数学以外のあらゆる教科で全国平均より低い成績となる傾向がある。 === その他の学校 === 州内には独立系のイオラニ学校、[[カメハメハ・スクール|カメハメハ学校]]、中部太平洋学校、および[[プナホウ・スクール]]がある。合衆国第2、州内第1の仏教系学校である太平洋仏教徒アカデミーが2003年に開校した。先住民が管理する最初の公立チャータースクールはカヌオカアイナ新世紀チャータースクールである。 独立系学校やチャータースクールはその生徒を選別できるが、通常の公立学校は学区内の生徒を全て受け入れなければならない。カメハメハ学校は合衆国内で唯一先祖によって生徒受入の判断基準を設けている学校であり、全米で最も豊かな学校である。資産額は90億ドル以上である。2005年の生徒数は5,398人であり、そのうち8.4%が先住民の子弟である<ref> {{Cite web |url=http://www.ksbe.edu/pase/pdf/Reports/K-12/05_06_8.pdf |format=PDF |archiveurl=https://webcitation.org/5noCEgxNn?url=http://www.ksbe.edu/pase/pdf/Reports/K-12/05_06_8.pdf |archivedate=2010年2月25日 |title=Official Enrollment |last=Ishibasha |first=Koren |date=November 2005 |accessdate=December 2009 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 == 芸術・文化 == ハワイの土着文化は[[ポリネシア人#文化・芸術|ポリネシア系]]のものである。ハワイは太平洋中部と南部に拡がる広大なポリネシア三角の北端である。伝統的なハワイ文化は現在でも色濃く残っていて、全島で儀式や伝統行事の再演が行われている。[[ルアウ]](ハワイ式宴会)や[[フラ]]など大きく変化した形態ではあるが、アメリカ合衆国に影響を与えたものもある。 アメリカ本土の他、日本などからの移民が持ち込んだ文化も影響を与えている(後述)。 === 文学 === ハワイに於ける[[文学]]は、[[ハワイ先住民]]が[[文字]]をもたず、[[口承文学]]として伝えられてきて、[[19世紀]]に欧米人の[[宣教師]]が文字を伝えてから文章化された『''[[クムリポ]]''』などがその代表的なものである。その後[[マーク・トゥエイン]]の『[[ハワイ通信]]』、[[イザベラ・バード]]の『ハワイ紀行』、最近は[[ジェームズ・ミッチェナー]]の『[[ハワイ (小説)|ハワイ]]』、[[ポール・セロー]]の『ホテル・ホノルル』などのような、[[ハワイ諸島]]を舞台とし有名になった[[ノンフィクション]]作品・[[フィクション]]作品を「ハワイ文学」と呼称されていたが、近年はハワイ出身の作家による作品を指して呼称するように、その定義は変化してきた<ref name="lp42">『ハワイ』(ロンリープラネット、ISBN 4-8401-1421-8、2005年、p.42)</ref>。 バンブー・リッジ・プレス社が出版する季刊誌''[[ボンバーリッジ]]''は、地元現代作家の作品を掲載した文学誌で、[[1998年]]に[[アメリカ文学賞]]を受賞した''Nora Okja Keller''、[[1993年]]に[[プッシュカート賞]]を受賞した''[[ルイス・アン・ヤマナカ]]''など、注目を集める作家が多数輩出されている<ref name="lp42"/>。 === 音楽・舞踏・舞台芸術 === ハワイには、古代から継承された芸能として[[メレ]]と[[フラ]]がある。[[多神教]]だった古代のハワイ人が[[祭祀]]として、またハワイ人は以前は[[文字]]を持たなかったため、歴史の[[口頭伝承]]の一環として行なっていた歌と踊りである。 メレはハワイ人の神への祈りである。[[ハワイの音楽]]は伝統音楽やポップスなど豊かに発展してきた中、20世紀に創始された土着音楽として、[[ハワイの音楽|ハワイアン・ポップス]]がある。この音楽は[[スラックキーギター]]や、西洋風の[[ファルセット#ポピュラー音楽への応用例|裏声]]など、欧米からもたらされたものであるが、現在ではハワイを代表する芸能の一つとして広く愛好されている。ハワイ独特の楽器として知られる[[ウクレレ]]は、[[19世紀]]に[[ポルトガル]][[移民]]が持ち込んだ楽器が原型と言われている。ウクレレの日(ukulele day in hawai'i)は2月13日。 フラには古代の形式に近い[[フラ・カヒコ]](古典フラ)と、ハワイ人などの現代のポップ音楽を大幅に取り入れた[[フラ・アウアナ]](現代フラ)に分けられる。フラ・アウアナはウクレレなどの演奏にあわせて踊られるが、フラ・カヒコにおいては歌あるいは[[イプヘケ|イプ]]([[瓢箪]])や[[太鼓]]などの[[打楽器]]のみを用いる。 毎年[[戦没将兵追悼記念日|メモリアル・デー]]の[[週末]]には[[オアフ島]]・[[ホノルル]]でハワイ音楽の年間最優秀者が[[ナ・ホク・ハノハノ賞]]で表彰される。また、[[イースター]]の時期には、[[ハワイ島]]の[[ヒロ (ハワイ島)|ヒロ]]で、「[[フラ]]のオリンピック」とも呼ばれる競技会・[[メリー・モナーク・フェスティヴァル|メリーモナークフェスティバル]]が行われる<ref>{{Cite web |url=http://the.honoluluadvertiser.com/current/il/merriemonarch05 |title=Merrie Monarch Festival 2005 |publisher=The Honolulu Advertiser |accessdate=May 15, 2010 |archivedate=2009年10月5日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20091005224410/http://the.honoluluadvertiser.com/current/il/merriemonarch05 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。日本はハワイ音楽も舞踏も盛んな国で、毎年のナ・ホク・ハノハノ賞受賞者とメリー・モナーク・フェスティヴァルの優秀ダンサーを招いて、9月に「[[ナ・ヒヴァヒヴァ・ハワイ・フェスティバル|フェスティバル・ナ・ヒヴァヒヴァ・ハワイ]]」が開催される。 <ref>[http://nahiwa.com フェスティバル・ナ・ヒヴァヒヴァ・ハワイ]</ref> 以上のハワイ独自の伝統以外に、[[ハワイ交響楽団]]、[[ハワイ・オペラ・シアター]]、[[ダイアモンドヘッド・シアター]]などがあり、ハワイ州の音楽・舞踏・[[舞台芸術]]の世界を豊かにしている。 === アロハシャツ === [[アロハシャツ]]の由来については諸説あるが、{{要出典範囲|date=2013年4月|[[日本人]]が持ち込んだ[[和服]]の布地を転用したのが由来という説が有力である}}。なお、ハワイでは[[アロハシャツ]]は男性の正装とみなされ、州議会や公式の場でもアロハシャツ着用という姿をしばしば目にし、オフィス街であってもスーツ姿はさほど多くはない。ちなみに観光ガイドによれば、ハワイ内においてある程度格式あるレストランでも、アロハシャツ着用であれば正装として認められることが記されている({{独自研究範囲|date=2013年4月|これは観光客がラフな服装でフォーマルな場所であるレストランで食事をすることを戒めた内容でもある}})。 === 食文化 === [[食文化]]については、メキシコ人や東南アジア人、白人など地域外からの[[移民]]も極めて多い州らしく、各国からの移民が持ち込んだ多様な食文化が見られる。大皿に様々なオカズを並べて食べる「ミックスプレート([[プレートランチ]])」は、プランテーション農業時代に、各地の移民が持ち寄った食べ物をみなで分け合った名残である。 生魚の切り身を使った「[[ポキ]]」と呼ばれる料理がハワイ名物として知られる他、「パシフィック・リム・クイジーヌ」と呼ばれる、日本料理の技法やフランス料理の技法をもとに地元の食材を調理した料理も考案され、人気を集めている。近年では伝統的なポリネシアの食文化も健康の面から見直されており、「[[ポイ (料理)|ポイ]]」と呼ばれる[[タロイモ]]の[[ペースト]]があちこちで売られている。 特に人数の多かった日本人が持ち込んだ[[和食]]の影響は大きく、「Bento(弁当)」、「Shoyu(醤油)」、 「Teriyaki(照り焼き)」、 「Musubi(むすび)、([[おにぎり]]の意味)」など、[[日本語]]がそのまま現地語化したものも数多くある。ハワイに日本食が息づいていることは、第二次世界大戦の終戦直後に「[[ララ物資]]」を経由して、ハワイ産の醤油や味噌が日本へ贈られたことからも窺い知れる。 2010年代後半から[[広東住血線虫症]]の患者が発生する傾向にあり、衛生当局は[[果物]]や[[野菜]]、特に葉物野菜は流水で洗ってから食べるよう勧告している<ref>{{Cite web|和書|date= 2019-05-28|url=https://www.cnn.co.jp/usa/35137595.html |title=観光客など3人が寄生虫に感染、ハワイ島で今年5人目 |publisher=CNN |accessdate=2019-06-10}}</ref>。 === 海洋文化 === [[file:Face detail, Duke Kahanamoku, Hawaii, circa 1912 (cropped).jpg|thumb|デューク・カハナモク]] [[サーフィン]]はハワイが発祥の地とされており、古くは[[デューク・カハナモク]]、近年では[[アンディ・アイアンズ]]、[[ジョン・ジョン・フローレンス]]などの名サーファーを輩出している。またハワイは1980年代以降、リモート・オセアニア海域各地で盛んになった航海カヌー文化復興運動でも主導的な役割を果たした。特に1975年に建造された[[航海カヌー]]「[[ホクレア]]」と、航法器具を一切使用しない推測航法技術を復活させた[[ナイノア・トンプソン]]の活躍は広く知られている。 [[2018年]][[7月3日]]、[[サンゴ礁]]保護のため[[サンゴ]]の白化など有害性が認められるとして、[[紫外線]]吸収剤である[[オキシベンゾン]]と[[オクチノキサート]]が含まれる日焼け止め剤の販売と流通を禁じる法案に知事が署名した。2021年1月1日より発効される<ref name="sankeibiz">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20180704123920/https://www.sankeibiz.jp/macro/news/180704/mcb1807041608025-n1.htm|title=SankeiBiz - ハワイ、2021年から日焼け止め禁止 サンゴ礁の保護が理由 2018.7.4 16:08|accessdate=2018-7-4}}</ref>。 === ロミロミ === [[ロミロミ]]は、古代ハワイアンの医療として発達し、現代のリラクゼーションとしてアンティ・マーガレットがはじめて世に紹介した。 === 劇場 === {{see|[[ハワイの建築]]}} 劇場には、歴史的な「[[ハワイ・シアター]]」([[:en:Hawaii Theatre|Hawaii Theatre]])、現代的な「[[ブレイズデル・センター]]」([[:en:Neal S. Blaisdell Center|Neal S. Blaisdell Center]])などがある。環太平洋の映画界では有名になったハワイ国際映画祭が開かれている。ホノルルでは昔から[[LGBT]]の映画祭であるレインボウ映画祭も開かれている<ref>{{Citation|url=http://archives.starbulletin.com/2001/05/29/features/index.html|title=Honolulu Star-Bulletin Features|publisher=Archives.starbulletin.com|date=May 29, 2001|accessdate=May 15, 2010}}</ref>。 === 美術館・博物館 === {{main|{{ill2|ハワイアンアート|en|Hawaiian art}}}} ホノルルには[[ビショップ博物館]]、[[ホノルル美術館]]などがあり、その他の博物館、美術館などが各島にある。 === オーケストラなど === *[[ハワイ交響楽団]] *[[ハワイ・オペラ・シアター]] === スポーツ === {{main|Category:ハワイ州のスポーツ|{{仮リンク|ハワイサッカー協会|en|Hawaii Soccer Association}}}} 立地的に[[北米4大プロスポーツリーグ]]([[NFL]]、[[NBA]]、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]、[[ナショナルホッケーリーグ|NHL]])のチームが存在した事は一度もない。ただし[[1980年]]から[[2009年]]まで、毎年2月にNFLが[[プロボウル]]を[[スーパーボウル]]の翌週に[[アロハ・スタジアム]]で行っていた。なお、メジャースポーツではないがNFLのオフシーズンに行われる、[[アリーナフットボール]]のプロチームである「'''ハワイ・アイランダーズ'''」がある。大学スポーツ界は州内では[[ハワイ大学システム|ハワイ大学]]が最有力であり、全米ランク2位になった事のある[[バレーボール]]チームや、全米ベスト25に入ったことのある[[アメリカン・フットボール]]チームが有名である。また、[[オアフ島]]北東部にある「ブリガムヤング大学ハワイ校」には、[[2004年]]に[[日本人]]として初めてNBAでプレーした[[田臥勇太]]が在籍していた事でも知られる。 === 史跡 === *[[ホノウリウリ抑留キャンプ]](国定史跡)<ref>{{cite news |url=http://www.yomiuri.co.jp/world/20150220-OYT1T50053.html |title=「地獄谷」日系人の強制収容所、国定史跡に |date=2015-2-20 |archivedate=2015年2月20日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150220105934/http://www.yomiuri.co.jp/world/20150220-OYT1T50053.html |publisher=[[読売新聞]] |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。 == ネイション・オブ・ハワイ == ハワイ国独立主権国家プウホヌア・オ・ワイマナロ・ヴィレッジ。1993年、ハワイ王国侵略謝罪法案によってネイティブハワイアンにワイマナロの55エーカーの土地が返還され、[[ハワイ独立運動|ハワイ独立自治国]]が誕生した <ref>{{Cite web|和書|url=http://landofaloha.net/|title=ハワイ国独立主権国|publisher=|date=2017-11-19|accessdate=2017-11-19}}</ref>。 == 日本との関わり == [[日系人]]が多いこと、アメリカ合衆国以外からの[[観光客]]数国別1位であること、またかつては[[大相撲]]の力士([[高見山大五郎]]、[[小錦八十吉 (6代)|小錦八十吉]]、[[曙太郎]]、[[武蔵丸光洋]])を輩出したことなどもあり<ref group="注釈">外国出身力士としては[[モンゴル国|モンゴル]]に次いで2番目に多い</ref>、経済的、文化的にも日本とのつながりは強い。 [[1959年]]([[昭和]]34年)ハワイ州が全米50番目の州となった年にショッピングセンター[[アラモアナセンター]]が開業した。当初から[[東急グループ]]傘下のデパート・[[白木屋 (デパート)|白木屋]]が出店、ハワイ州議会は東急と白木屋による投資を賞賛する決議を行った<ref name="alamo">アラモアナ・センター 『リゾートR01 ワイキキ&オアフ島』 ダイヤモンド・ビッグ社 2010年12月発行改訂第11版 p50</ref>。 1970年代後半以降には日本人の海外旅行の定番となったハワイ旅行であるが、当初は高嶺の花であり[[1964年]](昭和39年)4月1日の海外旅行自由化の1週間後に出発した7泊9日の戦後初ツアーの費用は364,000円(大卒の初任給約2万円のころ)であった<ref>『読売新聞』2010年8月27日夕刊、3面</ref>。同年には[[JTB|日本交通公社]](現在のJTB)がハワイに支店を開設、翌[[1965年]](昭和40年)には日本初の[[パッケージツアー]]「[[ジャルパック]]」が登場するなど、現在に通じる日本人のハワイ観光の基礎は準備された<ref name="diamond">『リゾートR01 ワイキキ&オアフ島』 ダイヤモンド・ビッグ社 2010年12月発行改訂第11版 p36</ref>。 また、[[小佐野賢治]]率いる[[国際興業]]は早くからハワイの観光資源に注目、日本人による海外旅行が自由化される前年の[[1963年]](昭和38年)の時点で[[ロイヤル・ハワイアン]]、[[モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパ|モアナ・サーフライダー]]、[[シェラトン・プリンセス・カイウラニ]]といったワイキキの名門ホテルを買収している。当時の日本人にとってハワイは憧れの地であり、1960年代のテレビ番組『[[アップダウンクイズ]]』([[MBSテレビ|毎日放送]])では「夢のハワイ旅行」が景品となっていたほか、[[1961年]](昭和36年)に寿屋(現在の[[サントリー]])がはじめたCMも『[[トリスを飲んでHawaiiへ行こう!]]』というものであった<ref name="diamond"/>。 小売業では[[1972年]](昭和47年)、[[横浜岡田屋]]がワイキキに店舗を開設したほか、[[1974年]](昭和49年)には[[シェラトン・ワイキキ]]も国際興業によって買収された<ref name="diamond"/>。[[1982年]](昭和57年)には[[ダイエー]]が[[アラモアナセンター]]とそれに隣接する不動産を取得し、[[バブル期]]におけるハワイ投資ブームの先鞭をつけた<ref name="alamo"/>。[[1986年]](昭和61年)には[[麻布建物]]が[[ハイアットリージェンシー]]・ワイキキを買収、バブル期にはワイキキのホテルの90%以上、ハワイの民間ゴルフ場の大部分が日系企業の所有となるに及んだ<ref name="diamond"/>。一方で日系企業による買い漁りは住宅や宅地にまで及び不動産価格が高騰、また日系[[ウエディング|ウエディング産業]]の進出に伴って本物の[[教会 (キリスト教)|教会]]までもが買収の対象になるに至っては現地住民の顰蹙を買った<ref name="diamond"/>。 ハワイ州を訪れる日本人観光客も増加を続け、[[1988年]](昭和63年)12月のアメリカ合衆国の観光ビザ免除以降増加に拍車がかかり、円高もあって[[1997年]]([[平成]]9年)には年間約222万人とピークを迎えた。 その後、日本人観光客は減少傾向にある。[[2001年]](平成13年)の[[アメリカ同時多発テロ事件]]、[[2003年]](平成15年)の[[SARS]]流行などの影響、近年の原油高による燃油サーチャージ導入も追い打ちをかけ、[[2008年]](平成20年)1年間の日本人観光客数は、ピーク時のおよそ半分の年間116万人強程度となり、観光ビザ免除制度が導入されて以来最少となった。 しかし現在<!--すぐ古くなる表現は使わない-->も、日本とハワイには1日に11便から12便が運行されており、依然として多くの日本人観光客が訪れている。 「[[KZOO]]」という在留者・旅行者向けに日本語で放送を行うラジオ局、新聞「[[ハワイ報知]]」([[静新SBSグループ]]。読売系の[[スポーツ報知]]とは無関係)も存在する。テレビ放送は「[[KIKU-TV]]」で日本の番組が一部放送されるほか、地元のケーブルテレビを通じて「NGN(Nippon Gorlden Network)」を受信することで、[[テレビジャパン]]をはじめとする日本の放送が視聴できる。かつては、「KOHO」や「KJPN」という日本語ラジオ局も存在していたが、前者は20世紀末、後者は2007年までに放送を終えている。 日本人バンド[[TUBE]]は、[[2000年]][[6月1日]]にデビュー15周年を迎えた際、[[アロハスタジアム]]でアジア人として初めてライブを行った。ハワイ州はそのライブの成功を記念し、彼らが多くのCDジャケットなどの撮影地にもロケ地としても使用されているためもあって、6月1日を'''[[TUBE DAY]]'''と定めた。 日本の[[特撮]][[番組]]である『[[人造人間キカイダー]]』、『[[キカイダー01]]』は1973年にハワイで初放送されて以来、現在も大変な人気を持つ。2002年4月12日にはハワイ州知事によって4月12日が「'''ジェネレーション・キカイダーDAY'''」に制定され、2007年5月19日には[[マウイ島]][[市長]]によって5月19日が「'''キカイダー・ブラザーズDAY'''」に制定されるなど大きな話題となった。 毎年4月または5月に、〔[[カワイイ☆コン]]〕という[[アニメコンベンション]]がハワイ・コンベンション・センターにて開催されている。 かつては日本の[[プロ野球]]チームのキャンプ地になる事も多かったが、現在州内でキャンプを行うチームはない。これに代わり、[[2005年]](平成17年)には、[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]][[J2リーグ|J2]]の[[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]]と[[横浜FC]]がキャンプを行ったほか、[[2008年]]には[[パンパシフィックチャンピオンシップ2008]]が[[アロハ・スタジアム]]で開催された関係で[[ガンバ大阪]]がキャンプを行った。 2014年9月19日・20日、男性アイドルグループ[[嵐 (グループ)|嵐]]が15周年記念ライブ「[[ARASHI BLAST in Hawaii]]」をオアフ島・コオリナの特設会場で行った。このライブはハワイ州が招聘したことで実現した。また、ハワイ州は9月19日を'''ARASHI DAY'''と定めた。 === 日本の姉妹都市 === {|class="wikitable" cellpadding="5" cellspacing="0" |+ ハワイと日本の姉妹都市 |- |{{Flagicon|福岡県}}[[福岡県]]||ハワイ州||[[1981年]](昭和56年) |- |{{Flagicon|沖縄県}}[[沖縄県]]||ハワイ州||[[1985年]](昭和60年) |- |{{Flagicon|広島県}}[[広島県]]||ハワイ州||[[1997年]](平成9年) |- |{{Flagicon|愛媛県}}[[愛媛県]]||ハワイ州||[[2003年]](平成15年) |- |{{Flagicon|北海道}}[[北海道]]||ハワイ州||[[2017年]](平成29年)<ref>[http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0397814.html 道、ハワイ州と提携調印 多分野で交流深化]</ref> |- |{{Flagicon|広島県}}[[広島県]][[広島市]]||[[ホノルル郡]][[ホノルル市]]||[[1959年]](昭和34年) |- |{{Flagicon|沖縄県}}沖縄県[[那覇市]]||ホノルル郡ホノルル市||[[1961年]](昭和36年) |- |{{Flagicon|大分県}}[[大分県]][[佐伯市]]||ホノルル郡ホノルル市||[[2003年]](平成15年) |- |{{Flagicon|愛媛県}}愛媛県[[宇和島市]]||ホノルル郡ホノルル市||[[2004年]](平成16年) |- |{{Flagicon|新潟県}}[[新潟県]][[長岡市]]||ホノルル郡ホノルル市||[[2012年]](平成24年) |- |{{Flagicon|神奈川県}}[[神奈川県]][[茅ヶ崎市]]||ホノルル郡ホノルル市||[[2014年]](平成26年) |- |{{Flagicon|鳥取県}}[[鳥取県]][[東伯郡]][[湯梨浜町]]||[[ハワイ郡]]||[[1996年]](平成8年) |- |{{Flagicon|群馬県}}[[群馬県]][[渋川市]]||ハワイ郡||[[1997年]](平成9年) |- |{{Flagicon|兵庫県}}[[兵庫県]][[洲本市]]||ハワイ郡||[[2000年]](平成12年) |- |{{Flagicon|東京都}}東京都[[大島町]]||ハワイ郡[[ヒロ (ハワイ州)|ヒロ市]]||[[1962年]](昭和37年) |- |{{Flagicon|沖縄県}}沖縄県[[名護市]]||ハワイ郡ヒロ市||[[1986年]](昭和61年) |- |{{Flagicon|山口県}}[[山口県]][[大島郡 (山口県)|大島郡]][[周防大島町]]||[[カウアイ郡]]||[[1963年]](昭和38年) |- |{{Flagicon|滋賀県}}[[滋賀県]][[守山市]]||カウアイ郡||[[1975年]](昭和50年) |- |{{Flagicon|沖縄県}}[[沖縄県]][[石垣市]]||カウアイ郡||[[1999年]](平成11年) |- |{{Flagicon|福島県}}[[福島県]][[いわき市]]||カウアイ郡||[[2011年]](平成23年) |- |{{Flagicon|東京都}}[[東京都]][[八丈町]]||[[マウイ郡 (ハワイ州)|マウイ郡]]||[[1964年]](昭和39年) |- |{{Flagicon|沖縄県}}[[沖縄県]][[宮古島市]]||マウイ郡||[[1965年]](昭和40年) |} <ref>[http://www.honolulu.us.emb-japan.go.jp/jp/yoran2015.4.pdf 「ハワイ要覧」]</ref> == その他 == === ハワイの象徴など === *ハワイの花 - マオ・ハウ・ヘレ(黄色のハワイ・[[フヨウ属|ハイビスカス]])<ref>[https://www.allhawaii.jp/malamahawaii/travelers_can_do/758/ ハワイを知る~ハワイ州の花 ・ 木 ・ 魚 ・ 鳥~:ハワイの州花「マオ・ハウ・ヘレ」(Allhawaii)]</ref> *ハワイの鳥 - [[ハワイガン|ネネ]] *ハワイの木 - [[ククイ]] *ハワイの魚 - [[タスキモンガラ|フムフム・ヌクヌク・アプアア]](過去公認され、一旦非公認となっていたが、[[2006年]]再度州の魚として公認された) *[[ウア・マウ・ケ・エア|ハワイのモットー]] - 「大地の生命は正義によって保持される」(ハワイ語:Ua mau ke ea o ka aina I ka pono)({{lang-en|The life of the land is perpetuated in righteousness}}) *州歌 - 『[[ハワイ・ポノイ]]』。他に『[[ハワイ・アロハ]]』も広く愛されており、1976年に行われた[[ホクレア|ホクレア号]]の最初のタヒチ航海では、出航の儀式でこの歌が歌われた。 === ハワイ出身の有名人 === {{div col}} *[[エディ・アイカウ]] - 先住ハワイ人の[[ライフガード]]、サーファー *[[ベニー・アグバヤニ]] - 野球選手 *[[曙太郎]] - [[格闘家]]、大相撲64代[[横綱]] *[[ジョージ・アリヨシ]] - 政治家 *[[伊藤由奈]] - 歌手 *[[エンセン井上]] - プロレスラー、[[総合格闘家]]、初代[[修斗]]ヘビー級王者 *[[ダニエル・イノウエ]] - [[日系人]]初のアメリカ上院議員 *[[ハーブ・オオタ]](オータサン) - ウクレレ奏者 *[[バラク・オバマ]] - [[政治家]]、第44代[[アメリカ合衆国大統領]]([[民主党 (アメリカ)|民主党]]) *[[キラ・カアイフエ]] - 野球選手 *[[デューク・カハナモク]] - サーファー、水泳選手 *[[イズラエル・カマカヴィヴォオレ]] - 歌手 *[[ニコール・キッドマン]] - 女優 *[[小錦八十吉 (6代)|六代目小錦八十吉]] - タレント、大相撲元[[大関]] *[[Shen]] - 歌手、[[Def Tech]]メンバー、中国生まれ、オアフ島育ち *[[ジェイク・シマブクロ]] - ウクレレ奏者 *[[ジャック・ジョンソン (ミュージシャン)]] - 歌手 *[[カート・スズキ]] - 野球選手 *[[太陽ケア]] - プロレスラー *[[高見山大五郎]] - [[大相撲]]元[[関脇]]、後の[[年寄]]東関 *[[ナイノア・トンプソン]] - 先住ハワイ人の社会活動家、政治家 *[[キャシー中島]] - タレント、[[キルト#ハワイアンキルト|ハワイアンキルト]]作家、[[マウイ島]]出身 *[[西田亨]] - 野球選手。本名:ビル・トオル・ニシダ *[[灰田勝彦]] - 昭和前半期の歌手 *[[長谷川潤 (モデル)]] - モデル。[[ニューハンプシャー州]]出生、ハワイ島育ち *[[チャーリー・ハフ]] - 野球選手 *[[藤猛]] - 日系3世プロボクサー。本名:ポール・タケシ・フジイ。 *[[トラヴィス・ブラウン]] - [[総合格闘家]] *[[Bro.TOM]] - 歌手、タレント、[[バブルガム・ブラザーズ]]メンバー。マウイ島出身。本名:トーマス・アキオナ・アキマ・ジュニア *[[ブレンダ (モデル)]] - モデル *[[マーカス・マリオタ]] - アメリカンフットボール選手 *[[トゥア・タゴヴァイロア]] - アメリカンフットボール選手 *[[ベット・ミドラー]] - 歌手・女優 *[[BJ・ペン]] - 総合格闘家、元[[UFC]]ウェルター級王者、元[[UFC]]ライト級王者 *[[ブルーノ・マーズ]] - 歌手、本名ピーター・ジーン・ヘルナンデス・ジュニア。ハワイ州立プレジデント・セオドア・ルーズベルト高校卒業 *[[パッツイー・ミンク]] - 日系人としてのみならず[[有色人種]]の女性で初めてアメリカ国会議員になった。 *[[武蔵丸光洋]] - 大相撲67代[[横綱]]武蔵丸、現・[[年寄]]武蔵川 *[[melody.]] - 歌手 *[[与那嶺要]] - 野球選手・監督。本名:ウォレス・カナメ・ヨナミネ *[[アグネス・ラム]] - [[1970年代]]後半に活躍したハワイ出身の女性アイドル *[[若林忠志]] - 野球選手・監督。本名:ヘンリー・タダシ・ワカバヤシ *[[シャウラ (モデル)]] - モデル、ラジオパーソナリティー、DJ <!-- 赤リンクは掲示しない * [[アンディ・アイアンズ]] - プロ・サーファー。カウアイ島出身。WCTと呼ばれるサーフィンの世界選手権で、2000年代に圧倒的な強さを誇る。弟のブルース・アイアンズも優秀なプロ・サーファーとして知られる。 * [[ケアリー・レイシェル]] - 歌手 * [[大路明日香]] - 俳優、オアフ島生まれ、香港育ち。 * [[ハワイアン・ホーム・ボーイ]] - アイランド・[[レゲエ]]・シンガー。マウイ島出生、マウイ島育ち。 --> {{div col end}} == フォトギャラリー == <gallery> Hawaii waikiki beach 02.jpg|[[ワイキキ]][[砂浜|ビーチ]] Hawaii waikiki beach 01.jpg|ワイキキビーチからダイアモンドヘッドを望む Hawaii alohatower 01.jpg|アロハタワー Hawaii street 01.jpg|通りには[[ブランド]]のブティックや[[ホテル]]、[[コンドミニアム]]が立ち並ぶ。 Hawaii trolleybus 01.jpg|ツアーバスが数多く走行している。 </gallery> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == {{Refbegin}} *The Constitution of the State of Hawaii. Article XV. *Bushnell, O. A. 1993. ''The Gifts of Civilization:Germs and Genocide in Hawaii''. ISBN 0824814576. Honolulu:University of Hawaii Press *Kinzer, Stephen 2007, ''Overthrow:America's Century of Regime Change from Hawaii to Iraq''. ISBN 0805082409. Times Books *{{Cite book|last = Lyovin|first = Anatole V.|title = An Introduction to the Languages of the World|location = New York|publisher=Oxford University Press, Inc|year = 1997|isbn = 0-19-508116-1|unused_data = ISBN status = May be invalid—please double check}} *{{Cite book|last = Pukui|first = Mary Kawena|coauthors = Samuel H. Elbert|title = Hawaiian Dictionary|location = Honolulu|publisher=University of Hawaii Press|year = 1986|isbn = 0-8248-0703-0|unused_data = ISBN status = May be invalid—please double check}} *Schamel, Wynell and Charles E. Schamel. "The 1897 Petition Against the Annexation of Hawaii." Social Education 63, 7 (November/December 1999):402–408. *Stokes, John F.G. 1932. "Spaniard and the Sweet Potato in Hawaii and Hawaiian-American Contacts." American Anthropologist, New Series, v, 34, n, 4, pp.&nbsp;594–600. {{Refend}} *近藤純夫「歩きたくなるHawaii」、亜紀書房、2012、ISBN 978-4-7505-1201-3 == 関連項目 == {{Commonscat|Hawaii}} {{Wikivoyage|en:Hawaii|ハワイ{{en icon}}}} *{{Prefix|ハワイ}} *[[ハワイ州の都市圏の一覧]] *[[ハワイ州の郡一覧]] *[[ハワイ州立刑務所]] *[[ドール・フード・カンパニー]] *[[スパリゾートハワイアンズ]] *[[ハワイ独立運動]] == 外部リンク == *政府 ** {{Official website}} {{en icon}}  *日本政府 ** [https://www.honolulu.us.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html 在ホノルル日本国総領事館] {{ja icon}} *観光 ** [https://www.gohawaii.jp/ ハワイ州観光局] {{ja icon}} ** [https://www.allhawaii.jp/ ハワイ州観光局 日本オフィス] {{ja icon}} *SNS **[https://twitter.com/goHawaiiJP Twitter - ハワイ州観光局]{{ja icon}} *その他 ** {{Curlie|Regional/North_America/United_States/Hawaii}} ** [https://data.ers.usda.gov/reports.aspx?StateFIPS=15&StateName=Hawaii&ID=17854 Hawaii State Fact Sheet] from the U.S. Department of Agriculture ** [https://www.usgs.gov/states/hawaii?qt-states_l2_landing_page_tabs=0#qt-states_l2_landing_page_tabs USGS real-time, geographic, and other scientific resources of Hawaii] ** [https://web.archive.org/web/20040404031722/http://earthobservatory.nasa.gov/Newsroom/NewImages/images.php3?img_id=15304 Satellite image of Hawaiian Islands] at [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]'s Earth Observatory ** [https://www.nytimes.com/2009/08/21/opinion/21theroux.html?pagewanted=all Happily a State, Forever an Island] by ''The New York Times'' ** [https://www.aikidohawaii.org/ Aikido Hawaii] – historical and informational resources for Aikido in Hawaii'' ** {{Osmrelation|166563}} ** {{Googlemap|ハワイ州}} ** {{Kotobank|ハワイ}} ** {{Kotobank|ハワイ[州]}} {{ハワイ}} {{アメリカ合衆国の州}} {{オセアニア}} {{Authority control}} {{デフォルトソート:はわいしゆう}} [[Category:ハワイ州|*]] [[Category:アメリカ合衆国の州]]
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ハワイ (曖昧さ回避)
ハワイ
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ハワイ
{{TOCright}} '''ハワイ''' ==アメリカの「ハワイ」について== * (Hawaii) 太平洋ポリネシアの地名。 ** [[ハワイ州]] - アメリカ合衆国の州 ***州都は[[オアフ島]]の[[ホノルル|ホノルル市]] ** [[ハワイ諸島]] *** 同諸島にて最大の島である[[ハワイ島]] ** [[ハワイ郡 (ハワイ州)]] - ハワイ州ハワイ島にある[[郡 (アメリカ合衆国)|郡]]。 ==日本の「はわい」について== * [[羽合町]] - 現在の[[鳥取県]][[東伯郡]][[湯梨浜町]]。 ** [[はわい温泉]] - 鳥取県東伯郡湯梨浜町の[[温泉]]。 *** [[はわいインターチェンジ]] *** [[はわいサービスエリア]] * [[指宿温泉]] - 別名「東洋のハワイ」 * [[スパリゾートハワイアンズ]] - [[福島県]][[いわき市]]に所在するレジャー施設。旧:常磐ハワイアンセンター。 * [[茨戸ハワイランド]] - かつて[[北海道]][[石狩市]]にあったレジャー施設。 ==その他固有名詞== * [[ハワイ (インド)]] - インド北東部[[アルナーチャル・プラデーシュ州]]の町 * [[ハワイ (競走馬)]] * [[ハワイ (大型巡洋艦)]] * [[ハワイ (原子力潜水艦)]] * [[ハワイ (小説)]]/[[ハワイ (映画)]] * [[海南島]] - 「中国のハワイ」と呼ばれている。 == 関連項目 == * {{Prefix|ハワイ}} * {{Prefix|はわい}} * {{Prefix|羽合}} {{aimai}} {{デフォルトソート:はわい}}
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真珠湾
座標: 北緯21度21分33秒 西経157度57分07秒 / 北緯21.359255度 西経157.951813度 / 21.359255; -157.951813 真珠湾(しんじゅわん)またはパールハーバー(Pearl Harbor)は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島にある入り江の一つであり、湾内にはアメリカ海軍太平洋艦隊司令部などアメリカ軍の大規模な軍事拠点(軍港)(パールハーバー海軍基地(英語版))が置かれている。州都ホノルルの西約10kmの位置にあり、隣接地にはアメリカ軍飛行場に併設されたダニエル・K・イノウエ国際空港がある。 この地域にはアメリカ海軍太平洋艦隊の司令部や太平洋空軍の基地などになっており、これらを統括するアメリカインド太平洋軍司令部に隷属して、海軍と空軍の統合基地であるパールハーバー・ヒッカム統合基地があり、ダニエル・K・イノウエ国際空港が併設されている。また、海軍の乾ドックなどをはじめ軍関連施設が数多く配置され、立入禁止・撮影禁止区域も多い。湾内のフォード島側には国定歴史建造物として、大日本帝国海軍(以後、日本海軍)による真珠湾攻撃で撃沈された戦艦「アリゾナ」などの記念施設が一般に公開されており、日本では観光地としても知られている。 太平洋戦争緒戦である真珠湾攻撃では、戦艦8隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦29隻、魚雷艇及び敷設艦や水上機母艦、果ては潜水艦や標的艦までもが停泊して日本海軍の攻撃目標となった 。この攻撃に先立ち日本海軍は、真珠湾のように湾内に島のある形状が似ている錦江湾(鹿児島県)が深度も浅く、主に航空魚雷を用いた雷撃機の訓練場に適するとの判断から攻撃の訓練や演習を行なった成果が攻撃の成功をもたらした。 公開されている衛星写真などから、湾内のフォードアイランドにあった海軍飛行場跡地、周辺にある航空博物館、海軍関係者の住宅、潜水艦や駆逐艦が整備されている様子、沈没戦艦「アリゾナ」の水面下の艦影や記念施設、記念館戦艦として展示されている「ミズーリ」やミドルロックに停泊する多数の艦船なども確認できる。 古くは、ハワイ語でWai Momi(ワイ・モミ、真珠の水域)と呼んだ。英語名“Pearl Harbor”は、“Wai Momi”の訳である。かつては、同様の意味で、“Pearl River”あるいは“Pearl Lochs”と呼ばれたこともあった。これらの名称や上空写真からも、真珠湾の地形が複数の河口から出来た入り江(Loch,Bay)などであることが分かり、英語の“Harbor”に対応した日本語では泊地などもあり、船舶が停泊できる湾や入り江などの船溜を示唆している地形・地名ともいえる。また、それぞれの入り江などには名称があり、湾口から反時計回りに「Pearl Harbor」「Southeast Loch」「Aiea Bay」「East loch」「Middle Loch」「West Loch」などの入江や湾になっている。真珠湾攻撃当時(1941年)のアメリカ陸軍航空軍ヒッカム飛行場(写真の右下)は、アメリカ空軍航空基地を経て、2010年にパールハーバー・ヒッカム統合基地になる。また、基地の東側には民間施設のダニエル・K・イノウエ国際空港があり、基地の滑走路を利用している。 アメリカ軍拠点名の“Pearl Harbor”を「真珠湾」とした初出は1941年12月に日本軍のハワイ・オワフ島攻撃を報じた新聞の紙面とされ、原徳三によるとこの時に「白亜館は日本軍が真珠湾に対し攻撃を開始したと発表」と書いた文章が「真珠湾」の始まりであるという。原によると開戦時点での大本営にはPearl Harborを指す語は無く、また山本五十六はこの地を「真珠港」と書いていた。なお、日本海軍は開戦以前からアメリカ海軍の拠点名を真珠港としている。大本営発表が初めて「真珠湾」の語を用いたのは1942年3月7日付けの、特殊潜航艇による特別攻撃隊公報であるとされる。 1941年12月の真珠湾攻撃の地であり、アリゾナ・メモリアルなどの追悼施設があるほか、毎年12月には追悼行事が行われている。また毎年12月7日当日には全国的にアメリカではテレビなどの番組で"Remembering Pearl Harbor"などと放送される。 1950年3月7日、アーサー・W・ラドフォード提督(当時の太平洋艦隊司令長官)は「アリゾナ」の残骸の上に国旗を掲揚することを命じた。また、アイゼンハワー大統領とケネディ大統領の任期の間に政府はアリゾナの残骸を国定慰霊碑にすることを決定し、1962年5月30日に正式に指定された。 アリゾナ・メモリアルは、戦死した乗組員の名が刻まれた大理石の壁が船体の上を横切る形で設置されている。「アリゾナ」の上部構造及び主砲塔4基のうち3基は撤去されたが、一基の主砲塔リングは現在も水面下に確認できる。追悼式が毎年生存者も参加して行われている。海上自衛隊の艦艇は真珠湾を通過する際、「アリゾナ」に対して敬礼を行っている。 2010年現在も船体から油が漏れだし水面に浮かんでいる。一日あたり1クォートの油が漏れ続けている。乗組員達は最後の生存者が死ぬまで油は漏れ続けるだろうと語っている。生存者の多くは、自らの死後火葬の上、遺灰を「アリゾナ」に撒いてもらうよう準備している。海軍は湾の環境悪化を懸念して油の漏出対策を考慮している。 アリゾナ・メモリアルは1966年10月15日に国家歴史登録財に登録された。艦自体は1989年5月5日にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。 毎年12月には追悼式典が真珠湾で行われている。2016年には米海軍と在ホノルル日本総領事館主催の初の日米共催となる追悼式典も行われた。 日本の現職首相もこれまで何度か真珠湾を訪問している。
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真珠湾(しんじゅわん)またはパールハーバーは、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島にある入り江の一つであり、湾内にはアメリカ海軍太平洋艦隊司令部などアメリカ軍の大規模な軍事拠点(軍港)(パールハーバー海軍基地)が置かれている。州都ホノルルの西約10kmの位置にあり、隣接地にはアメリカ軍飛行場に併設されたダニエル・K・イノウエ国際空港がある。
{{Otheruses|ハワイ・オアフ島にあるパールハーバー(真珠湾)|三重県にある真珠湾|英虞湾}} {{redirect|真珠港|[[近畿日本鉄道]]の廃駅|真珠港駅}} {{Coord|21.359255|-157.951813|format=dms|display=title}} [[画像:Aerial view of Pearl Harbor on 1 June 1986 (6422248).jpg|thumb|300px|パールハーバー[[鳥瞰図]]]] {{Location map|Pacific Ocean |alt = |width = 220 |lat_deg = 21.3679 |lon_deg = -157.9771 |caption = 太平洋における[[オアフ島]]の位置 }} {{Maplink2|frame=yes|zoom=11|frame-width=300|type=point}} '''真珠湾'''(しんじゅわん)または'''パールハーバー'''(Pearl Harbor)は、[[アメリカ合衆国]][[ハワイ州]][[オアフ島]]にある入り江の一つであり、湾内には[[太平洋艦隊 (アメリカ海軍)|アメリカ海軍太平洋艦隊]][[司令部]]など[[アメリカ軍]]の大規模な軍事拠点([[軍港]])({{仮リンク|パールハーバー海軍基地|en|Naval Station Pearl Harbor}})が置かれている。<!--日本では伝統的に「真珠湾」と呼ばれているが、地形的には長い海岸線を持つような[[湾]]ではなく、複数の河口から出来た[[入江]]であり湾の一種になる。-->[[州都]][[ホノルル]]の西約10kmの位置にあり、隣接地には[[アメリカ軍]][[飛行場]]に併設された[[ダニエル・K・イノウエ国際空港]]がある。 == 概要 == この地域には[[アメリカ海軍]][[太平洋艦隊 (アメリカ海軍)|太平洋艦隊]]の司令部や[[太平洋空軍 (アメリカ空軍)|太平洋空軍]]の[[基地]]などになっており、これらを統括する[[アメリカインド太平洋軍|アメリカインド太平洋軍司令部]]に隷属して、海軍と空軍の統合基地である[[パールハーバー・ヒッカム統合基地]]があり、ダニエル・K・イノウエ国際空港が併設されている。また、海軍の[[乾ドック]]などをはじめ軍関連施設が数多く配置され、立入禁止・撮影禁止区域も多い。湾内の[[フォード島]]側には[[アメリカ合衆国国定歴史建造物|国定歴史建造物]]として、[[大日本帝国海軍]](以後、日本海軍)による[[真珠湾攻撃]]で撃沈された[[戦艦]]「[[アリゾナ (戦艦)|アリゾナ]]」などの記念施設が一般に公開されており、日本では観光地としても知られている。 [[太平洋戦争]]緒戦である真珠湾攻撃では、戦艦8隻、[[重巡洋艦]]2隻、[[軽巡洋艦]]6隻、[[駆逐艦]]29隻、[[魚雷艇]]及び[[敷設艦]]や[[水上機母艦]]、果ては[[潜水艦]]や標的艦までもが停泊して日本海軍の攻撃目標となった<ref>参考文献「パールハーバー1941」 (オスプレイ・ミリタリー・シリーズ―世界の戦場イラストレイテッド)</ref> 。この攻撃に先立ち日本海軍は、真珠湾のように湾内に島のある形状が似ている[[鹿児島湾|錦江湾]]([[鹿児島県]])が深度も浅く、主に[[航空魚雷]]を用いた[[雷撃機]]の訓練場に適するとの判断から攻撃の訓練や[[軍事演習|演習]]を行なった成果が攻撃の成功をもたらした。 公開されている[[衛星写真]]などから、湾内のフォードアイランドにあった海軍[[飛行場]]跡地、周辺にある航空博物館、海軍関係者の住宅、潜水艦や駆逐艦が整備されている様子、沈没戦艦「[[アリゾナ (戦艦)|アリゾナ]]」の水面下の艦影や記念施設、記念館戦艦として展示されている「[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ]]」やミドルロックに停泊する多数の艦船なども確認できる。 == 地勢と呼称 == [[画像:PearlHarbor Sm.jpg|thumb|250px|米軍拠点の地勢:Pearl Harbor]] 古くは、[[ハワイ語]]でWai Momi(ワイ・モミ、[[真珠]]の水域)と呼んだ。英語名“Pearl Harbor”は、“Wai Momi”の訳である。かつては、同様の意味で、“Pearl River”あるいは“Pearl Lochs”と呼ばれたこともあった<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20010621225736/http://www.history.navy.mil/docs/wwii/pearl/hawaii-2.htm |title=The U.S. Navy in Hawaii, 1826-1945: An Administrative History |work=Naval History and Heritage Command |publisher=アメリカ海軍 |language=英語 |accessdate=2010-06-27 }}</ref>。これらの名称や上空写真からも、真珠湾の地形が複数の河口から出来た[[入り江]](Loch,Bay)などであることが分かり、英語の“Harbor”に対応した日本語では[[泊地]]などもあり、船舶が停泊できる湾や入り江などの船溜を示唆している地形・地名ともいえる。また、それぞれの入り江などには名称があり、湾口から反時計回りに「Pearl Harbor」「Southeast Loch」「Aiea Bay」「East loch」「Middle Loch」「West Loch」などの入江や湾になっている。真珠湾攻撃当時(1941年)の[[アメリカ陸軍航空軍]][[ヒッカム空軍基地|ヒッカム飛行場]](写真の右下)は、[[アメリカ空軍]]航空基地を経て、2010年に[[パールハーバー・ヒッカム統合基地]]になる。また、基地の東側には民間施設の[[ダニエル・K・イノウエ国際空港]]があり、基地の[[滑走路]]を利用している。 アメリカ軍拠点名の“Pearl Harbor”を「真珠湾」とした初出は1941年12月に日本軍のハワイ・オワフ島攻撃を報じた新聞の紙面とされ、[[原徳三]]によるとこの時に「[[ホワイトハウス|白亜館]]は日本軍が真珠湾に対し攻撃を開始したと発表」と書いた文章が「真珠湾」の始まりであるという<ref name="Hara">原徳三「「真珠湾」はない」日本エッセイスト・クラブ編『ネクタイと江戸前』文藝春秋、2007年</ref>。原によると開戦時点での[[大本営]]にはPearl Harborを指す語は無く、また[[山本五十六]]はこの地を「真珠港」と書いていた。なお、日本海軍は開戦以前からアメリカ海軍の拠点名を真珠港としている。[[大本営発表]]が初めて「真珠湾」の語を用いたのは1942年3月7日付けの、[[特殊潜航艇]]による[[特別攻撃隊]]公報であるとされる<ref name="Hara" />。 == 追悼施設及び追悼行事 == 1941年12月の真珠湾攻撃の地であり、アリゾナ・メモリアルなどの追悼施設があるほか、毎年12月には追悼行事が行われている。また毎年12月7日当日には全国的にアメリカでは[[テレビ]]などの番組で"Remembering Pearl Harbor"などと放送される。 === アリゾナ・メモリアル === [[ファイル:USS Arizona Memorial, Pearl Harbor, Hawaii.jpg|250px|thumb|アリゾナ・メモリアル 奥にみえるのは[[アイオワ級戦艦]]「[[ミズーリ_(戦艦)|ミズーリ]]」]] 1950年3月7日、[[アーサー・W・ラドフォード]]提督(当時の太平洋艦隊司令長官)は「アリゾナ」の残骸の上に[[アメリカ合衆国の国旗|国旗]]を掲揚することを命じた。また、[[ドワイト・D・アイゼンハワー|アイゼンハワー]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]と[[ジョン・F・ケネディ|ケネディ]]大統領の任期の間に[[アメリカ政府|政府]]はアリゾナの残骸を[[国定]][[慰霊碑]]にすることを決定し、[[1962年]]5月30日に正式に指定された。 アリゾナ・メモリアルは、戦死した[[乗組員]]の名が刻まれた[[大理石]]の壁が船体の上を横切る形で設置されている。「アリゾナ」の上部構造及び主砲塔4基のうち3基は撤去されたが、一基の主砲塔リングは現在も水面下に確認できる。追悼式が毎年生存者も参加して行われている。[[海上自衛隊]]の艦艇は真珠湾を通過する際、「アリゾナ」に対して[[敬礼]]を行っている。 2010年現在も船体から[[油]]が漏れだし水面に浮かんでいる。一日あたり1[[クォート]]の油が漏れ続けている<ref>[http://www.pastfoundation.org/Arizona/Legacy_2.htm]</ref>。乗組員達は最後の生存者が死ぬまで油は漏れ続けるだろうと語っている。生存者の多くは、自らの死後[[火葬]]の上、遺灰を「アリゾナ」に撒いてもらうよう準備している。海軍は湾の[[環境問題|環境悪化]]を懸念して油の漏出対策を考慮している。 アリゾナ・メモリアルは[[1966年]]10月15日に[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に登録された。艦自体は[[1989年]]5月5日に[[アメリカ合衆国国定歴史建造物]]に指定された。 === 追悼式典 === 毎年12月には追悼式典が真珠湾で行われている。2016年には米海軍と在ホノルル日本総領事館主催の初の日米共催となる追悼式典も行われた<ref>{{Cite news |title=真珠湾とワシントンで追悼式典、ハリス米太平洋軍司令官「当時の敵は和解によって、今は最も親密になった」 |newspaper=産経ニュース |date=2016-12-8 |author= |url=https://www.sankei.com/article/20161208-3QH3AZNQFZLFRATOVCC5QF3OHI/ |accessdate=2016-12-23}}</ref>。 === 日本の首相による真珠湾訪問 === 日本の[[内閣総理大臣|現職首相]]もこれまで何度か真珠湾を訪問している。 * 1951年、[[吉田茂]]首相が真珠湾に面した太平洋艦隊司令部を訪問<ref name="shizuoka">{{Cite news |title=真珠湾訪問、過去に3首相 ハワイ報知社が報道 |newspaper=静岡新聞 |date=2016-12-23 |author= |url=http://www.at-s.com/news/article/politics/shizuoka/313323.html |accessdate=2016-12-23|archiveurl=https://archive.ph/2TGvi|archivedate=2020-10-3}}</ref>。 * 1956年10月、[[鳩山一郎]]首相が[[モスクワ]]での日ソ交渉を終えた帰途に真珠湾を訪問。礼砲による歓迎があり、儀仗兵の閲兵も行われた<ref name="shizuoka" />。 * 1957年6月、[[岸信介]]首相がアイゼンハワー大統領との会談で訪米した際に真珠湾を訪問。礼砲による歓迎があり、儀仗兵の閲兵も行われた<ref name="shizuoka" />。 * 2016年12月、[[安倍晋三]]首相が真珠湾を訪問(真珠湾への訪問を主目的とする初の訪問)<ref name="shizuoka" />。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == {{commons|Pearl Harbor}} * {{Wayback|url=http://www.history.navy.mil/docs/wwii/pearl/hawaii.htm |title=History of Pearl Harbor through World War II(英語版) |date=20010918132724}} {{アメリカ海軍2}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |collapse= |header=この記事は以下のカテゴリでも参照可能 |redirect1=真珠湾海軍基地 |1-1=アメリカ合衆国国定歴史建造物 |1-2=アメリカ合衆国海軍基地 |1-3=ハワイ州の国家歴史登録財 |1-4=ホノルルの建築物 }} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:しんしゆわん}} [[Category:オアフ島]] [[Category:アメリカ合衆国の港湾]] [[Category:オセアニアの港湾]] [[Category:ハワイ州の湾]] [[Category:ハワイ州の交通]] [[Category:アメリカ合衆国の歴史的な場所]] [[Category:真珠湾攻撃]] [[Category:アメリカ合衆国空軍基地]]
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飛行場
飛行場(ひこうじょう、英語: aerodrome)は航空機が離陸・着陸できる場所をいう。 「飛行場」は、航空機が離陸・着陸できる場所を指し、基本的には「空港」も含んでいる。 2009年時点で「上空からその存在を認めることができる空港や飛行場」は、全世界に約44000箇所あり、国(地域)別に見ると、米国に15095、ブラジルに4072、欧州に3383、日本には176あった、とアメリカ中央情報局のfactbookには記述されている。(これはコンクリート、アスファルト以外にも、草地、土、砂地、砂利などでできた飛行場を含んでおり、中にはすでに使われていないものが含まれているかも知れない、という)。 世界初の飛行場はライト兄弟が活動の拠点としたハフマンプレーリーとされる。 国際民間航空機関(ICAO)では、(飛行場の中でも)旅客、貨物などの輸送に使われ港のような役割をもつ公共用の飛行場を特にairport(空港)と呼ぶ、としている。 日本の航空法では、航空機の離着陸の用に供する施設を飛行場と定義し、空港法(旧空港整備法、昭和31年法律第80号)では、(その中でも)主として公共用飛行場を空港と定義している。 飛行場は、民間用、軍用、軍民共用といった形態でも分類される。《民間飛行場》はその国の航空当局により管轄され、《軍用飛行場》は軍隊(日本では自衛隊)により管轄運営される。日本の三沢飛行場のように、アメリカ空軍が管理運営し管制は航空自衛隊が実施している飛行場に日本国内の定期航空路線の航空機が発着する共用飛行場もある(なお、共用飛行場については、名称は飛行場であるが、日本では空港法で定義されている。)。 民間用の飛行場は、用途によって大きく二つに分類される。公共の用に供することを目的とした飛行場を「公共用飛行場」、そうでないものを「非公共用飛行場」という。飛行場に主として発着する航空機のうち最大のものが常用できるように計画・設計される。飛行場は、全体の敷地内に滑走路、着陸帯、過走帯、誘導路、エプロンといった基本施設と、また定期航空運送事業者が利用するような規模の大きな飛行場では、夜間運用に必要な滑走路灯をはじめとする航空灯火施設、無線誘導により航空機を計器進入させる航空保安施設(無線誘導施設など)が必要となり、基本施設に併せて計画・設計される。 飛行場の基本構成は、ハードおよびソフトを含めて、1944年12月7日にシカゴで採択された「国際民間航空条約(Convention on International Civil Aviation)いわゆるシカゴ条約」により1947年4月4日発足した「国際民間航空機関(International Civil Aviation Organization、略称:ICAO)」が定める飛行場を設置する際の推奨標準に基づいて設計される。 日本国内においては航空法(昭和27年法律第231号)に基づく安全基準が適用される。 飛行場周辺には航空機の安全のために制限表面が設けられ、物件の設置や無人航空機の飛行が制限される。 交通量の多い飛行場周辺には航空交通管制圏が設定され、飛行場管制業務が行われている。その空域周辺ではターミナルレーダー管制が、飛行場と飛行場を結ぶ航空路では航空路管制が行われる。 日本では、飛行場管制およびターミナルレーダー管制は国土交通省航空局の空港事務所や自衛隊または在日米軍が、航空路管制は国土交通省の航空交通管制部に所属する航空管制官により行われる。 正式名称を「○○空港」ではなく「○○飛行場」としている飛行場は、共用空港が多い。 日本国内で飛行場を設置する場合には、航空法第38条の規定に基づき、国土交通大臣に設置許可申請を行う必要がある。飛行場の建設用地選定で重要なのは、航空法第49条に規定される、航空機の離着陸に必要な無障害物の空間(制限表面)を確保することである。また、航空法に規定のある各種基準を充分に満たすように綿密に計画しなければならない。大規模の飛行場設置計画の場合は、飛行場計画地の属する各自治体に各種の事前調整を行い、環境影響評価手続き等を行う場合が多い。また、航空法第39条第2項の規定に基づき、航空機の発着経路の直下に当たる地域住民と周辺住民(利害関係者)に対して必ず公聴会を行うよう義務付けられる。 国土交通大臣が申請を許可した場合、国は航空法第40条の規定に基づき当該飛行場の位置及び範囲、着陸帯、進入区域、進入表面、転移表面、水平表面並びに供用開始の予定期日を告示するとともに、現地においてこれを掲示しなければならない。 設置許可を受けた申請者は、申請書に自ら記した工事完成予定期日までに工事を完了する必要がある。完成後は、航空法第41条の規定に基づく国土交通大臣による完成検査に合格し、空港設置申請者において供用開始日を定めて大臣に提出しなければならない。これを受けて、航空法第46条に基づき国が行う供用開始の告示を経て、供用開始日において初めて営業を開始することが可能になる。
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飛行場は航空機が離陸・着陸できる場所をいう。
{{出典の明記|date=2011年4月}} [[File:Feuerwehr.JPG|thumb|right|250px|飛行場の一例。(ドイツの[[バート・ザッセンドルフ]]郊外にある飛行場)]] [[File:Heliport Niagara Falls Ontario.jpg|thumb|right|250px|[[オンタリオ州]]([[ナイアガラの滝]]付近)の[[ヘリポート]]。]] [[File:Atlanta Hartsfield-Jackson.jpg|thumb|right|250px|[[ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港]]。利用旅客数が世界最大級の飛行場。 ]] [[File:Air Taxi Terminal 水上飛機場 - panoramio.jpg|thumb|[[水上機|水上]][[エアタクシー]]が集まる[[水上飛行場]]。]] '''飛行場'''(ひこうじょう、{{lang-en|aerodrome}})は[[航空機]]が離陸・着陸できる場所をいう。<ref>A Dictionary of Aviation, David W. Wragg. ISBN 0850451639 / ISBN 9780850451634, 1st Edition Published by Osprey, 1973 / Published by Frederick Fell, Inc., NY, 1974 (1st American Edition.), Page 29.</ref> == 概説 == 「飛行場」は、航空機が離陸・着陸できる場所を指し、基本的には「[[空港]]」も含んでいる。 2009年時点で「上空からその存在を認めることができる空港や飛行場」は、全世界に約44000箇所あり<ref name="cia_factbook_fields">[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/fields/2053.html CIA World Factbook - airport listing]</ref>、国(地域)別に見ると、[[米国]]に15095、[[ブラジル]]に4072、[[欧州]]に3383、日本には176あった、とアメリカ[[中央情報局]]のfactbookには記述されている<ref name="cia_factbook_fields" />。(これは[[コンクリート]]、[[アスファルト]]以外にも、[[草地]]、[[土壌|土]]、[[砂地]]、[[砂利]]などでできた飛行場を含んでおり<ref name="cia_factbook_fields" />、中にはすでに使われていないものが含まれているかも知れない、という<ref name="cia_factbook_fields" />)。 世界初の飛行場は[[ライト兄弟]]が活動の拠点とした[[ハフマンプレーリー]]とされる。 === 公共用:空港 === [[国際民間航空機関]]([[ICAO]])では、(飛行場の中でも)[[旅客]]、[[貨物]]などの[[輸送]]に使われ[[港]]のような役割をもつ公共用の飛行場を特に'''airport'''([[空港]])と呼ぶ、としている。 日本の航空法では、航空機の離着陸の用に供する施設を飛行場と定義し、[[空港法]](旧空港整備法、昭和31年法律第80号)では、(その中でも)主として公共用飛行場を空港と定義している。 === 民間 / 軍用 / 軍民共用 === 飛行場は、民間用、軍用、軍民共用といった形態でも分類される。《民間飛行場》はその国の航空当局により管轄され、《[[軍用飛行場]]》は[[軍隊]](日本では[[自衛隊]])により管轄運営される。日本の[[三沢飛行場]]のように、[[アメリカ空軍]]が管理運営し管制は航空自衛隊が実施している飛行場に日本国内の定期航空路線の航空機が発着する共用飛行場もある(なお、共用飛行場については、名称は飛行場であるが、日本では空港法で定義されている。)。 === 民間用飛行場の用途による細分類 === 民間用の飛行場は、用途によって大きく二つに分類される。公共の用に供することを目的とした飛行場を「公共用飛行場」、そうでないものを「非公共用飛行場」という。飛行場に主として発着する[[航空機]]のうち最大のものが常用できるように計画・設計される。飛行場は、全体の敷地内に[[滑走路]]、[[着陸帯]]、[[過走帯]]、[[誘導路]]、[[エプロン (飛行場)|エプロン]]といった基本施設と、また[[定期航空運送事業者]]が利用するような規模の大きな飛行場では、夜間運用に必要な[[滑走路灯]]をはじめとする[[航空灯火施設]]、[[無線誘導]]により航空機を計器進入させる[[航空保安施設]]([[無線誘導施設]]など)が必要となり、基本施設に併せて計画・設計される。 == 飛行場の基本構成 == 飛行場の基本構成は、[[ハードウェア|ハード]]およびソフトを含めて、[[1944年]]12月7日にシカゴで採択された「[[国際民間航空条約]](Convention on International Civil Aviation)いわゆるシカゴ条約」により[[1947年]]4月4日発足した「[[国際民間航空機関]](International Civil Aviation Organization、略称:ICAO)」が定める飛行場を設置する際の推奨標準に基づいて設計される。 [[日本]]国内においては[[航空法]](昭和27年法律第231号)に基づく安全基準が適用される。 == 飛行場周辺とその空域周辺 == 飛行場周辺には航空機の安全のために[[制限表面]]が設けられ、物件の設置や[[無人航空機]]の飛行が制限される。 交通量の多い飛行場周辺には[[航空交通管制圏]]が設定され、[[飛行場管制]]業務が行われている。その空域周辺では[[ターミナルレーダー管制]]が、飛行場と飛行場を結ぶ[[航空路]]では[[航空路管制]]が行われる。 日本では、飛行場管制およびターミナルレーダー管制は国土交通省航空局の空港事務所や自衛隊または在日米軍が、航空路管制は国土交通省の航空交通管制部に所属する[[航空管制官]]により行われる。 == 飛行場 == === 世界 === {{See also|規模別の空港一覧}} === 日本 === {{Main|日本の空港}} 正式名称を「○○空港」ではなく「○○飛行場」としている飛行場は、共用空港が多い。 == 日本での飛行場の設置 == 日本国内で飛行場を設置する場合には、航空法第38条の規定に基づき、国土交通大臣に設置許可申請を行う必要がある。飛行場の建設用地選定で重要なのは、航空法第49条に規定される、航空機の離着陸に必要な無障害物の空間([[制限表面]])を確保することである。また、航空法に規定のある各種基準を充分に満たすように綿密に計画しなければならない。大規模の飛行場設置計画の場合は、飛行場計画地の属する各自治体に各種の事前調整を行い、[[環境アセスメント|環境影響評価]]手続き等を行う場合が多い。また、航空法第39条第2項の規定に基づき、航空機の発着経路の直下に当たる地域住民と周辺住民(利害関係者)に対して必ず[[公聴会]]を行うよう義務付けられる。 国土交通大臣が申請を許可した場合、国は航空法第40条の規定に基づき当該飛行場の位置及び範囲、着陸帯、[[進入区域]]、[[進入表面]]、[[転移表面]]、[[水平表面]]並びに供用開始の予定期日を告示するとともに、現地においてこれを掲示しなければならない。 設置許可を受けた申請者は、申請書に自ら記した工事完成予定期日までに工事を完了する必要がある。完成後は、航空法第41条の規定に基づく国土交通大臣による完成検査に合格し、空港設置申請者において供用開始日を定めて大臣に提出しなければならない。これを受けて、航空法第46条に基づき国が行う供用開始の告示を経て、供用開始日において初めて営業を開始することが可能になる。 <!--公共用飛行場の場合、設置申請者が行う飛行場設置許可申請に基づく手続きと並行して、国の機関(国土交通省航空局)によって、新たに飛行場が設置されること、新たに設置される飛行場を利用するための進入・出発手続きが新たに設定されることについて、たとえ日本国内の飛行場であっても、[[AIRAC]](運航規程等の変更を必要とするような運航上重要な航空情報を世界的に統一された有効日に合わせて有効となるよう有効日の少なくとも28日前に配布先に届くよう作成される方式を意味し、航空路誌改訂版及び航空路誌補足版の冒頭にAIRACと付される)により条約批准国に対して、その飛行場の存在および離着陸を行うための進入・出発方法を国際的に周知する手続きが行われる。飛行場の供用開始日の56日前(AIRACの周知期間2周期分)に、[[航空路誌]](Aeronautical Information Publication、略称:AIP)に追訂する形で国際的に周知される{{要出典|date=2011-11}}。--> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Wiktionary}} * [[空港]] * [[場外離着陸場]] - [[農道離着陸場]] * [[国際空港の一覧]] * [[航空母艦]] - 軍用飛行場を乗せた軍艦 == 外部リンク == * [https://style.nikkei.com/article/DGXMZO89435170X10C15A7000000 「空港」と「飛行場」、何がどう違う?] * {{Wayback|url=http://mainichi.jp/sumamachi/news.html?cid=20150530mul00m04000900sc |title=「空港」と「飛行場」の違い |date=20150602184918}}{{リンク切れ|date=2021年12月}}毎日新聞 {{民間航空輸送}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ひこうしよう}} [[Category:飛行場|*]]
2003-03-02T03:23:30Z
2023-11-04T21:11:58Z
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日本の空港
日本の空港(にほんのくうこう)では日本国内における公共の用に供する飛行場 である空港とその他の飛行場(併せて空港等)について述べる。 日本の空港は、空港法に基づき、空港の果たしている機能と設置・管理主体によって区分されており、基本施設(滑走路、誘導路、着陸帯、エプロン)と附帯施設(排水施設、照明、護岸、道路、駐車場など)の工事費用や災害復旧費用の負担ルールなどが定められている。また、旅客ターミナルや貨物取扱施設、給油施設などは、空港を設置する国や地方公共団体が、建設・管理する者を指定して行わせることができる。2013年には、民間の能力を活用した国管理空港等の運営等に関する法律(民活空港運営法)が制定され、国や地方公共団体が設置している空港の運営を、民間事業者に一体的に行わせることが可能となった。 空港の区分は、2008年の空港法改正により、それまでの第一種空港・第二種空港・第三種空港から変更され、次のように区分されている。各区分の空港名と位置は、空港法と空港法施行令で定められている。 空港法第4条第1項で定める「国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港」で、航空行政上「拠点空港」と呼ばれる。会社管理空港、国管理空港、特定地方管理空港があり、2008年の空港法改正までの旧第一種空港(国際航空路線に必要な飛行場)と旧第二種空港(主要な国内航空路線に必要な飛行場)が該当する。 空港法第5条で定める「国際航空輸送網又は国内航空輸送網を形成する上で重要な役割を果たす空港」で、地方公共団体が設置・管理する。基本施設の工事費用は、国と地方が100分の50ずつ負担。附帯施設は地方公共団体が負担するが、国が工事費の100分の50まで補助することができる。北海道、沖縄、奄美地方、離島の空港については、空港法や地域特別法などにより、国が負担・補助する工事費の割合が高くなっている。旧第三種空港(地方的な航空運送を確保するため必要な飛行場)に該当する。54か所。 上記の区分のいずれにも該当しない空港(空港法第2条に規定する空港のうち、拠点空港、地方管理空港及び公共用ヘリポートを除く空港)。ただし、このうち八尾空港は、「当分の間、国管理空港とみなす」との経過措置が設けられている。7か所。 空港法附則第2条第1項における「自衛隊の設置する飛行場及び日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定第2条第4項(a)の規定に基づき日本国政府又は日本国民が使用する飛行場であつて公共の用に供するものとして政令で定めるもの」で分類される空港で、自衛隊が設置・運用する飛行場もしくは在日米軍が使用している飛行場で、公共の用に供する空港。自衛隊の設置する共用空港のうち5か所 については、空港として使用するために工事する場合は、附帯施設の工事費用は全額を国が負担し、基本施設は3分の2を国が、3分の1を地方公共団体が負担する。このうち北海道の空港 については、基本施設の工事費用に対する国の負担割合が100分の85となっている。8か所。 空港法第2条における空港(公共の用に供する飛行場)に分類されるヘリポートで、不特定多数のヘリコプターが離着陸するために整備された施設。13箇所。 空港以外の施設には、航空法に基づき、国土交通大臣の許可を得て設置する次の飛行場などがある。 空港法以外に、出入国、輸出入に関する法律において指定された空港に限り、出入港や外国貿易を行うこととしているものがある。 狭隘かつ急峻で島嶼の多い国土を有する日本の空港は、海外の基幹空港に比べて国土面積当たりの数が多く、滑走路の本数、滑走路の長さ、ターミナルビルのいずれも規模が小さい傾向にある。このような中規模クラスの空港は比較的市街地から近い距離に配置されており利用者の利便性については優れているが、その反面需要の集約ができず就航路線の採算性が低下する側面も併せ持つ。中規模クラスの空港が乱立した結果、投資が分散して国際的なハブ空港となるような空港の建設は行えていない。また、日本の空港の着陸料は世界で比較的高い水準にあるが、利用料の多くを直接負担するのは航空会社である。一方、欧米の空港は乗客が支払う施設利用料が高額に設定されており空港利用料の大半を旅客が直接負担する。 国内線定期路線については、大都市圏の市街地から比較的近い東京国際空港、大阪国際空港を拠点とした路線網が構成されており、その他の地方空港はこれら2空港の一方、もしくは両方との路線をもつ空港が多い。その反面、騒音問題や用地確保の難しさなどによって都市部における空港インフラは不足しており、慢性的な容量不足となっている。特に離着陸回数が多く発着枠に余裕のない成田国際、東京国際、関西国際、大阪国際、および福岡空港は、国土交通省により混雑空港に指定されている。一方、大都市圏以外の空港は、東北、中国、四国、九州の各地方のように、離島に所在する空港を除いても1県に1つ以上の空港が設置されているなど、空港の数こそ多いものの、需要不足に苦しむ空港も少なくない。離島空港では、小規模空港を中心に小型機専用の短い滑走路しか持たない空港も少なくないが、航空機の大型化に対応できないことや搭乗率低迷の影響で、定期路線が運航されない空港も存在する。 国際線用の設備に関しては、前節に示した通り、離島空港を除く大半の空港に国際線が就航するために必要となるCIQ(税関、出入国管理、検疫)の設備が設置されている。その一方、2019年時点では、便数ベースで日本に就航する国際線定期路線全体の半数弱を成田国際空港と東京国際空港の2空港が、75%以上を成田、東京、中部、および関西の4つの国際空港がそれぞれ占めている。その他に目立って多くの国際線定期路線が就航するのは、新千歳、福岡、および那覇の各空港ぐらいである。これまでに挙げた新千歳、成田国際、東京国際、中部国際、関西国際、福岡、および那覇の7空港以外では、全て合計しても日本に就航する国際線定期便全体の5%程度と、国際線定期路線の就航先は一部の拠点空港に偏在している。 また、国際線定期路線の行先については、前述の4つの国際空港以外の空港における国際線定期路線は、そのほとんどが韓国、中国、台湾、香港といった近隣の東アジア地域との路線である。東アジア地域以外ではグアム、ハワイ、東南アジアといった中距離路線が多いが、東アジア地域以外への定期路線は前述の4つの国際空港以外からは僅かである。例としては福岡空港や新千歳空港からグアム、ハワイ、東南アジアおよびヨーロッパ方面への路線が就航がある程度である。 なお、一部の空港では正式な名称とは別に愛称を付与している。各空港の愛称については下記の「日本の空港分類」および「地域一覧」を参照のこと。 空港名に付記した括弧内の呼称は、通称・愛称などである。 ※現在日本の実効支配下にない北方領土に存在する空港は除外する。 新千歳と丘珠の両空港(飛行場)は、特定の航空会社によりマルチエアポートとして対応がなされている。 羽田と成田の両空港は、国際航空運送協会 (IATA) 公認のマルチエアポートとして対応がなされている。 中部と小牧の両空港(飛行場)は IATA 公認のマルチエアポートとして対応がなされている。 このほか2009年4月1日から2016年3月31日まで特定の航空会社により富山・小松・能登の3空港をマルチエアポートとして扱っていた。 伊丹・関西・神戸の関西三空港は、IATA 公認のマルチエアポートとして対応がなされている。 広島と岩国の両空港(飛行場)は特定の航空会社によりマルチエアポートとして対応がなされている。 福岡・北九州・佐賀の3空港は特定の航空各社によりマルチエアポートとして対応がなされている。 自衛隊・在日米軍が使用する、いわゆる軍用飛行場(三沢飛行場などの軍民共用の飛行場も含む) 空港名に付記した括弧内の呼称は使用者による呼称(基地名)を示す。また、括弧内の使用者略称は以下の凡例をもって示す。 廃港(廃止)後の跡地は、再開発・転用されたもののほか、ヘリポートとしてヘリコプターの離着陸に特化したものもある。 2019年現在、沖縄本島キャンプ・シュワブ辺野古(普天間飛行場機能の移転)を除き、新規建設中の空港はない。 元のウィキデータクエリを参照してください.
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"空港法第5条で定める「国際航空輸送網又は国内航空輸送網を形成する上で重要な役割を果たす空港」で、地方公共団体が設置・管理する。基本施設の工事費用は、国と地方が100分の50ずつ負担。附帯施設は地方公共団体が負担するが、国が工事費の100分の50まで補助することができる。北海道、沖縄、奄美地方、離島の空港については、空港法や地域特別法などにより、国が負担・補助する工事費の割合が高くなっている。旧第三種空港(地方的な航空運送を確保するため必要な飛行場)に該当する。54か所。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "上記の区分のいずれにも該当しない空港(空港法第2条に規定する空港のうち、拠点空港、地方管理空港及び公共用ヘリポートを除く空港)。ただし、このうち八尾空港は、「当分の間、国管理空港とみなす」との経過措置が設けられている。7か所。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "空港法附則第2条第1項における「自衛隊の設置する飛行場及び日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定第2条第4項(a)の規定に基づき日本国政府又は日本国民が使用する飛行場であつて公共の用に供するものとして政令で定めるもの」で分類される空港で、自衛隊が設置・運用する飛行場もしくは在日米軍が使用している飛行場で、公共の用に供する空港。自衛隊の設置する共用空港のうち5か所 については、空港として使用するために工事する場合は、附帯施設の工事費用は全額を国が負担し、基本施設は3分の2を国が、3分の1を地方公共団体が負担する。このうち北海道の空港 については、基本施設の工事費用に対する国の負担割合が100分の85となっている。8か所。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "空港法第2条における空港(公共の用に供する飛行場)に分類されるヘリポートで、不特定多数のヘリコプターが離着陸するために整備された施設。13箇所。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "空港以外の施設には、航空法に基づき、国土交通大臣の許可を得て設置する次の飛行場などがある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "空港法以外に、出入国、輸出入に関する法律において指定された空港に限り、出入港や外国貿易を行うこととしているものがある。", "title": "空港法以外における空港の区分" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "狭隘かつ急峻で島嶼の多い国土を有する日本の空港は、海外の基幹空港に比べて国土面積当たりの数が多く、滑走路の本数、滑走路の長さ、ターミナルビルのいずれも規模が小さい傾向にある。このような中規模クラスの空港は比較的市街地から近い距離に配置されており利用者の利便性については優れているが、その反面需要の集約ができず就航路線の採算性が低下する側面も併せ持つ。中規模クラスの空港が乱立した結果、投資が分散して国際的なハブ空港となるような空港の建設は行えていない。また、日本の空港の着陸料は世界で比較的高い水準にあるが、利用料の多くを直接負担するのは航空会社である。一方、欧米の空港は乗客が支払う施設利用料が高額に設定されており空港利用料の大半を旅客が直接負担する。", "title": "日本の空港の特徴" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "国内線定期路線については、大都市圏の市街地から比較的近い東京国際空港、大阪国際空港を拠点とした路線網が構成されており、その他の地方空港はこれら2空港の一方、もしくは両方との路線をもつ空港が多い。その反面、騒音問題や用地確保の難しさなどによって都市部における空港インフラは不足しており、慢性的な容量不足となっている。特に離着陸回数が多く発着枠に余裕のない成田国際、東京国際、関西国際、大阪国際、および福岡空港は、国土交通省により混雑空港に指定されている。一方、大都市圏以外の空港は、東北、中国、四国、九州の各地方のように、離島に所在する空港を除いても1県に1つ以上の空港が設置されているなど、空港の数こそ多いものの、需要不足に苦しむ空港も少なくない。離島空港では、小規模空港を中心に小型機専用の短い滑走路しか持たない空港も少なくないが、航空機の大型化に対応できないことや搭乗率低迷の影響で、定期路線が運航されない空港も存在する。", "title": "日本の空港の特徴" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "国際線用の設備に関しては、前節に示した通り、離島空港を除く大半の空港に国際線が就航するために必要となるCIQ(税関、出入国管理、検疫)の設備が設置されている。その一方、2019年時点では、便数ベースで日本に就航する国際線定期路線全体の半数弱を成田国際空港と東京国際空港の2空港が、75%以上を成田、東京、中部、および関西の4つの国際空港がそれぞれ占めている。その他に目立って多くの国際線定期路線が就航するのは、新千歳、福岡、および那覇の各空港ぐらいである。これまでに挙げた新千歳、成田国際、東京国際、中部国際、関西国際、福岡、および那覇の7空港以外では、全て合計しても日本に就航する国際線定期便全体の5%程度と、国際線定期路線の就航先は一部の拠点空港に偏在している。", "title": "日本の空港の特徴" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "また、国際線定期路線の行先については、前述の4つの国際空港以外の空港における国際線定期路線は、そのほとんどが韓国、中国、台湾、香港といった近隣の東アジア地域との路線である。東アジア地域以外ではグアム、ハワイ、東南アジアといった中距離路線が多いが、東アジア地域以外への定期路線は前述の4つの国際空港以外からは僅かである。例としては福岡空港や新千歳空港からグアム、ハワイ、東南アジアおよびヨーロッパ方面への路線が就航がある程度である。", "title": "日本の空港の特徴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "なお、一部の空港では正式な名称とは別に愛称を付与している。各空港の愛称については下記の「日本の空港分類」および「地域一覧」を参照のこと。", "title": "日本の空港の特徴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "空港名に付記した括弧内の呼称は、通称・愛称などである。", "title": "日本の空港分類" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "※現在日本の実効支配下にない北方領土に存在する空港は除外する。", "title": "地域一覧" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "新千歳と丘珠の両空港(飛行場)は、特定の航空会社によりマルチエアポートとして対応がなされている。", "title": "地域一覧" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "羽田と成田の両空港は、国際航空運送協会 (IATA) 公認のマルチエアポートとして対応がなされている。", "title": "地域一覧" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "中部と小牧の両空港(飛行場)は IATA 公認のマルチエアポートとして対応がなされている。", "title": "地域一覧" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "このほか2009年4月1日から2016年3月31日まで特定の航空会社により富山・小松・能登の3空港をマルチエアポートとして扱っていた。", "title": "地域一覧" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "伊丹・関西・神戸の関西三空港は、IATA 公認のマルチエアポートとして対応がなされている。", "title": "地域一覧" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "広島と岩国の両空港(飛行場)は特定の航空会社によりマルチエアポートとして対応がなされている。", "title": "地域一覧" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "福岡・北九州・佐賀の3空港は特定の航空各社によりマルチエアポートとして対応がなされている。", "title": "地域一覧" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "自衛隊・在日米軍が使用する、いわゆる軍用飛行場(三沢飛行場などの軍民共用の飛行場も含む)", "title": "地域一覧" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "空港名に付記した括弧内の呼称は使用者による呼称(基地名)を示す。また、括弧内の使用者略称は以下の凡例をもって示す。", "title": "地域一覧" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "廃港(廃止)後の跡地は、再開発・転用されたもののほか、ヘリポートとしてヘリコプターの離着陸に特化したものもある。", "title": "地域一覧" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2019年現在、沖縄本島キャンプ・シュワブ辺野古(普天間飛行場機能の移転)を除き、新規建設中の空港はない。", "title": "地域一覧" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "元のウィキデータクエリを参照してください.", "title": "統計情報" } ]
日本の空港(にほんのくうこう)では日本国内における公共の用に供する飛行場 である空港とその他の飛行場(併せて空港等)について述べる。
{{Location map+|Japan|float=right|width=330|places= {{Location map~|Japan|label= <!-- 礼文空港 --> |lat_deg= 45 |lat_min= 27 |lat_sec= 18 |lon_deg= 141 |lon_min= 2 |lon_sec= 21 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 稚内空港 --> |lat_deg= 45 |lat_min= 23 |lat_sec= 58 |lon_deg= 141 |lon_min= 47 |lon_sec= 202 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 利尻空港 --> |lat_deg= 45 |lat_min= 14 |lat_sec= 23 |lon_deg= 141 |lon_min= 11 |lon_sec= 29 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 紋別空港 --> |lat_deg= 44 |lat_min= 18 |lat_sec= 15 |lon_deg= 143 |lon_min= 24 |lon_sec= 29 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 札幌飛行場 --> |lat_deg= 43 |lat_min= 6 |lat_sec= 58 |lon_deg= 141 |lon_min= 22 |lon_sec= 49 |mark= Green pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 女満別空港 --> |lat_deg= 43 |lat_min= 52 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帯広空港 --> |lat_deg= 42 |lat_min= 44 |lat_sec= 0 |lon_deg= 143 |lon_min= 13 |lon_sec= 2 |mark= Purple pog.svg |position= bottom |marksize=8}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 奥尻空港 --> |lat_deg= 42 |lat_min= 4 |lat_sec= 23 |lon_deg= 139 |lon_min= 25 |lon_sec= 45 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 函館空港 --> |lat_deg= 41 |lat_min= 46 |lat_sec= 32 |lon_deg= 140 |lon_min= 81 |lon_sec= 57 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 青森空港 --> |lat_deg= 40 |lat_min= 44 |lat_sec= 5 |lon_deg= 140 |lon_min= 41 |lon_sec= 27 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 三沢飛行場 --> |lat_deg= 40 |lat_min= 42 |lat_sec= 19 |lon_deg= 141 |lon_min= 22 |lon_sec= 19 |mark= Green pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 大館能代空港 --> |lat_deg= 40 |lat_min= 11 |lat_sec= 31 |lon_deg= 140 |lon_min= 22 |lon_sec= 18 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 秋田空港 --> |lat_deg= 39 |lat_min= 36 |lat_sec= 56 |lon_deg= 140 |lon_min= 13 |lon_sec= 7 |mark= Purple pog.svg |position= bottom |marksize=8}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 花巻空港 --> |lat_deg= 39 |lat_min= 25 |lat_sec= 43 |lon_deg= 141 |lon_min= 8 |lon_sec= 7 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 仙台空港 --> |lat_deg= 38 |lat_min= 8 |lat_sec= 13 |lon_deg= 140 |lon_min= 55 |lon_sec= 21 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 庄内空港 --> |lat_deg= 38 |lat_min= 48 |lat_sec= 44 |lon_deg= 139 |lon_min= 47 |lon_sec= 14 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 佐渡空港 --> |lat_deg= 38 |lat_min= 3 |lat_sec= 36 |lon_deg= 138 |lon_min= 24 |lon_sec= 50 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 山形空港 --> |lat_deg= 38 |lat_min= 24 |lat_sec= 42 |lon_deg= 140 |lon_min= 22 |lon_sec= 16 |mark= Purple pog.svg |position= bottom |marksize=8}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 新潟空港 --> |lat_deg= 37 |lat_min= 57 |lat_sec= 21 |lon_deg= 139 |lon_min= 7 |lon_sec= 14 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 能登空港 --> |lat_deg= 37 |lat_min= 17 |lat_sec= 31 |lon_deg= 136 |lon_min= 57 |lon_sec= 32 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 福島空港 --> |lat_deg= 37 |lat_min= 13 |lat_sec= 39 |lon_deg= 140 |lon_min= 25 |lon_sec= 41 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 福井空港 --> |lat_deg= 36 |lat_min= 8 |lat_sec= 34 |lon_deg= 136 |lon_min= 13 |lon_sec= 26 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 富山空港 --> |lat_deg= 36 |lat_min= 38 |lat_sec= 54 |lon_deg= 137 |lon_min= 11 |lon_sec= 15 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 小松飛行場 --> |lat_deg= 36 |lat_min= 23 |lat_sec= 37 |lon_deg= 136 |lon_min= 24 |lon_sec= 28 |mark= Green pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 隠岐空港 --> |lat_deg= 36 |lat_min= 10 |lat_sec= 52 |lon_deg= 133 |lon_min= 19 |lon_sec= 29 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 百里飛行場 --> |lat_deg= 36 |lat_min= 10 |lat_sec= 52 |lon_deg= 140 |lon_min= 24 |lon_sec= 57 |mark= Green pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 松本空港 --> |lat_deg= 36 |lat_min= 10 |lat_sec= 0 |lon_deg= 137 |lon_min= 55 |lon_sec= 22 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 龍ヶ崎飛行場 --> |lat_deg= 35 |lat_min= 54 |lat_sec= 23 |lon_deg= 140 |lon_min= 14 |lon_sec= 32 |mark= White pog.svg |position= bottom |marksize=5}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 大利根飛行場 --> |lat_deg= 35 |lat_min= 51 |lat_sec= 20 |lon_deg= 140 |lon_min= 14 |lon_sec= 40 |mark= White pog.svg |position= bottom |marksize=5}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 成田国際空港 --> |lat_deg= 35 |lat_min= 45 |lat_sec= 50 |lon_deg= 140 |lon_min= 23 |lon_sec= 30 |mark= DeepPink pog.svg |position= bottom |marksize=10}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 調布飛行場 --> |lat_deg= 35 |lat_min= 40 |lat_sec= 2 |lon_deg= 139 |lon_min= 31 |lon_sec= 56 |mark= White pog.svg |position= bottom |marksize=5}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 東京国際空港 --> |lat_deg= 35 |lat_min= 33 |lat_sec= 12 |lon_deg= 139 |lon_min= 46 |lon_sec= 52 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 鳥取空港 --> |lat_deg= 35 |lat_min= 31 |lat_sec= 48 |lon_deg= 134 |lon_min= 9 |lon_sec= 59 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 但馬飛行場 --> |lat_deg= 35 |lat_min= 30 |lat_sec= 46 |lon_deg= 134 |lon_min= 47 |lon_sec= 13 |mark= White pog.svg |position= bottom |marksize=5}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 美保飛行場 --> |lat_deg= 35 |lat_min= 29 |lat_sec= 32 |lon_deg= 133 |lon_min= 14 |lon_sec= 11 |mark= Green pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 出雲空港 --> |lat_deg= 35 |lat_min= 24 |lat_sec= 53 |lon_deg= 132 |lon_min= 53 |lon_sec= 10 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 名古屋飛行場 --> |lat_deg= 35 |lat_min= 15 |lat_sec= 18 |lon_deg= 136 |lon_min= 55 |lon_sec= 28 |mark= White pog.svg |position= bottom |marksize=5}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 徳島飛行場 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 7 |lat_sec= 58 |lon_deg= 134 |lon_min= 36 |lon_sec= 23 |mark= Green pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 中部国際空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 51 |lat_sec= 30 |lon_deg= 136 |lon_min= 48 |lon_sec= 19 |mark= DeepPink pog.svg |position= bottom |marksize=10}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 静岡空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 47 |lat_sec= 46 |lon_deg= 138 |lon_min= 11 |lon_sec= 22 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 大阪国際空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 47 |lat_sec= 7 |lon_deg= 135 |lon_min= 26 |lon_sec= 17 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=10}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 大島空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 46 |lat_sec= 55 |lon_deg= 139 |lon_min= 21 |lon_sec= 37 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 岡山空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 45 |lat_sec= 25 |lon_deg= 133 |lon_min= 51 |lon_sec= 19 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 石見空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 40 |lat_sec= 23 |lon_deg= 131 |lon_min= 47 |lon_sec= 34 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 三宅島空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 4 |lat_sec= 25 |lon_deg= 139 |lon_min= 33 |lon_sec= 37 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 神戸空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 37 |lat_sec= 60 |lon_deg= 135 |lon_min= 13 |lon_sec= 35 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 八尾空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 35 |lat_sec= 46 |lon_deg= 135 |lon_min= 36 |lon_sec= 10 |mark= White pog.svg |position= bottom |marksize=5}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 岡南飛行場 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 35 |lat_sec= 17 |lon_deg= 133 |lon_min= 56 |lon_sec= 10 |mark= White pog.svg |position= bottom |marksize=5}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 広島空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 26 |lat_sec= 10 |lon_deg= 132 |lon_min= 55 |lon_sec= 10 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 関西国際空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 25 |lat_sec= 38 |lon_deg= 135 |lon_min= 14 |lon_sec= 38 |mark= DeepPink pog.svg |position= bottom |marksize=10}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 新島空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 21 |lat_sec= 58 |lon_deg= 139 |lon_min= 61 |lon_sec= 18 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 対馬空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 17 |lat_sec= 5 |lon_deg= 129 |lon_min= 19 |lon_sec= 49 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 高松空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 12 |lat_sec= 51 |lon_deg= 134 |lon_min= 0 |lon_sec= 56 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 神津島空港 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 11 |lat_sec= 10 |lon_deg= 139 |lon_min= 8 |lon_sec= 12 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 佐賀空港 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 8 |lat_sec= 59 |lon_deg= 130 |lon_min= 18 |lon_sec= 8 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 八丈島空港 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 6 |lat_sec= 54 |lon_deg= 139 |lon_min= 47 |lon_sec= 9 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 岩国飛行場 --> |lat_deg= 34 |lat_min= 8 |lat_sec= 38 |lon_deg= 132 |lon_min= 14 |lon_sec= 9 |mark= Green pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 山口宇部空港 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 55 |lat_sec= 48 |lon_deg= 131 |lon_min= 16 |lon_sec= 43 |mark= Purple pog.svg |position= bottom |marksize=8}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 北九州空港 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 50 |lat_sec= 44 |lon_deg= 131 |lon_min= 2 |lon_sec= 6 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 松山空港 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 49 |lat_sec= 38 |lon_deg= 132 |lon_min= 41 |lon_sec= 59 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 壱岐空港 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 44 |lat_sec= 56 |lon_deg= 129 |lon_min= 47 |lon_sec= 7 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 南紀白浜空港 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 39 |lat_sec= 44 |lon_deg= 135 |lon_min= 21 |lon_sec= 52 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 福岡空港 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 35 |lat_sec= 4 |lon_deg= 130 |lon_min= 27 |lon_sec= 6 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 高知空港 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 32 |lat_sec= 46 |lon_deg= 133 |lon_min= 40 |lon_sec= 10 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 大分空港 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 28 |lat_sec= 34 |lon_deg= 131 |lon_min= 44 |lon_sec= 23 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 小値賀空港 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 11 |lat_sec= 15 |lon_deg= 129 |lon_min= 5 |lon_sec= 33 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 大分県央飛行場 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 1 |lat_sec= 34 |lon_deg= 131 |lon_min= 30 |lon_sec= 18 |mark= White pog.svg |position= bottom |marksize=5}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 上五島空港 --> |lat_deg= 33 |lat_min= 0 |lat_sec= 36 |lon_deg= 129 |lon_min= 11 |lon_sec= 40 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 長崎空港 --> |lat_deg= 32 |lat_min= 55 |lat_sec= 1 |lon_deg= 129 |lon_min= 54 |lon_sec= 49 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 熊本空港 --> |lat_deg= 32 |lat_min= 50 |lat_sec= 14 |lon_deg= 130 |lon_min= 51 |lon_sec= 18 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 福江空港 --> |lat_deg= 32 |lat_min= 40 |lat_sec= 3 |lon_deg= 128 |lon_min= 50 |lon_sec= 24 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 天草飛行場 --> |lat_deg= 32 |lat_min= 28 |lat_sec= 49 |lon_deg= 130 |lon_min= 9 |lon_sec= 30 |mark= White pog.svg |position= bottom |marksize=5}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 宮崎空港 --> |lat_deg= 31 |lat_min= 52 |lat_sec= 38 |lon_deg= 131 |lon_min= 26 |lon_sec= 55 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 鹿児島空港 --> |lat_deg= 31 |lat_min= 48 |lat_sec= 0 |lon_deg= 130 |lon_min= 43 |lon_sec= 18 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 枕崎飛行場 --> |lat_deg= 31 |lat_min= 15 |lat_sec= 45 |lon_deg= 130 |lon_min= 21 |lon_sec= 31 |mark= White pog.svg |position= bottom |marksize=5}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 薩摩硫黄島飛行場 --> |lat_deg= 30 |lat_min= 46 |lat_sec= 51 |lon_deg= 130 |lon_min= 16 |lon_sec= 22 |mark= White pog.svg |position= bottom |marksize=5}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 種子島空港 --> |lat_deg= 30 |lat_min= 36 |lat_sec= 18 |lon_deg= 130 |lon_min= 59 |lon_sec= 30 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 屋久島空港 --> |lat_deg= 30 |lat_min= 23 |lat_sec= 8 |lon_deg= 130 |lon_min= 39 |lon_sec= 33 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 喜界空港 --> |lat_deg= 28 |lat_min= 29 |lat_sec= 17 |lon_deg= 129 |lon_min= 55 |lon_sec= 41 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 奄美空港 --> |lat_deg= 28 |lat_min= 25 |lat_sec= 51 |lon_deg= 129 |lon_min= 42 |lon_sec= 45 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 徳之島空港 --> |lat_deg= 27 |lat_min= 50 |lat_sec= 11 |lon_deg= 128 |lon_min= 52 |lon_sec= 53 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 沖永良部空港 --> |lat_deg= 27 |lat_min= 25 |lat_sec= 54 |lon_deg= 128 |lon_min= 42 |lon_sec= 20 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 与論空港 --> |lat_deg= 27 |lat_min= 2 |lat_sec= 38 |lon_deg= 128 |lon_min= 24 |lon_sec= 6 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 伊江島空港 --> |lat_deg= 26 |lat_min= 43 |lat_sec= 21 |lon_deg= 127 |lon_min= 47 |lon_sec= 13 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 粟国空港 --> |lat_deg= 26 |lat_min= 35 |lat_sec= 34 |lon_deg= 127 |lon_min= 14 |lon_sec= 25 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 久米島空港 --> |lat_deg= 26 |lat_min= 21 |lat_sec= 49 |lon_deg= 126 |lon_min= 42 |lon_sec= 50 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 那覇空港 --> |lat_deg= 26 |lat_min= 20 |lat_sec= 66 |lon_deg= 127 |lon_min= 65 |lon_sec= 8 |mark= Red pog.svg |position= bottom |marksize=9}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 慶良間空港 --> |lat_deg= 26 |lat_min= 10 |lat_sec= 6 |lon_deg= 127 |lon_min= 17 |lon_sec= 36 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 北大東空港 --> |lat_deg= 25 |lat_min= 56 |lat_sec= 41 |lon_deg= 131 |lon_min= 19 |lon_sec= 37 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 南大東空港 --> |lat_deg= 25 |lat_min= 50 |lat_sec= 48 |lon_deg= 131 |lon_min= 15 |lon_sec= 49 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 下地島空港 --> |lat_deg= 24 |lat_min= 49 |lat_sec= 36 |lon_deg= 125 |lon_min= 8 |lon_sec= 41 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 宮古空港 --> |lat_deg= 24 |lat_min= 46 |lat_sec= 58 |lon_deg= 125 |lon_min= 17 |lon_sec= 42 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 多良間空港 --> |lat_deg= 24 |lat_min= 39 |lat_sec= 14 |lon_deg= 124 |lon_min= 40 |lon_sec= 31 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 波照間空港 --> |lat_deg= 24 |lat_min= 3 |lat_sec= 30 |lon_deg= 123 |lon_min= 48 |lon_sec= 14 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 与那国空港 --> |lat_deg= 24 |lat_min= 28 |lat_sec= 3 |lon_deg= 122 |lon_min= 58 |lon_sec= 47 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} {{Location map~|Japan|label= <!-- 石垣空港 --> |lat_deg= 24 |lat_min= 20 |lat_sec= 41 |lon_deg= 124 |lon_min= 11 |lon_sec= 13 |mark= Blue pog.svg |position= bottom |marksize=6}} |caption=日本の空港マップ<br/>[[image:DeepPink pog.svg|8px]]&nbsp;拠点空港(会社管理空港) [[image:Red pog.svg|8px]]&nbsp;拠点空港(国管理空港)<br/>[[image:Purple pog.svg|8px]]&nbsp;特定地方管理空港 [[image:Blue pog.svg|8px]]&nbsp;地方管理空港<br/>[[image:White pog.svg|8px]]&nbsp;その他の空港 [[image:Green pog.svg|8px]]&nbsp;共用空港<!-- 参考[[Japanese airport map.png]] --> }} [[ファイル:Kansai International Airport01n4272.jpg|thumb|right|完全24時間運用が可能な[[関西国際空港]]]] {{ウィキプロジェクトリンク|空港・飛行場|[[ファイル:Airport symbol.svg|34px]]}} '''日本の空港'''(にほんのくうこう)では日本国内における公共の用に供する[[飛行場]]<ref>空港法第2条</ref> である[[空港]]とその他の[[飛行場]](併せて空港等<ref>航空法第2条第6項</ref>)について述べる。 == 概要 == 日本の空港は、[[空港法]]に基づき、空港の果たしている機能と設置・管理主体によって区分されており<ref name="list-mlit">{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/koku/15_bf_000310.html|title=空港一覧|publisher=国土交通省航空局|accessdate=2022-02-14}}</ref>、基本施設(滑走路、誘導路、着陸帯、エプロン)と附帯施設(排水施設、照明、護岸、道路、駐車場など)の工事費用や災害復旧費用の負担ルールなどが定められている<ref name="shingikai5">{{Cite web|和書|date= |url=https://www.mlit.go.jp/singikai/koutusin/koku/seibi/5/images/shiryou2_2.pdf |title=交通政策審議会航空分科会第5回空港整備部会資料 |work=参考資料9 空港整備事業費における国の負担率及び補助率等一覧表 |format= |publisher=[[国土交通省]] |accessdate=2018-05-25}}</ref>。また、旅客ターミナルや貨物取扱施設、給油施設などは、空港を設置する国や地方公共団体が、建設・管理する者を指定して行わせることができる<ref>空港法第15条第1項、同第23条</ref>。2013年には、[[民間の能力を活用した国管理空港等の運営等に関する法律]](民活空港運営法)が制定され、国や地方公共団体が設置している空港の運営を、民間事業者に一体的に行わせることが可能となった。 空港の区分は、2008年の空港法改正により、それまでの第一種空港・第二種空港・第三種空港から変更され、次のように区分されている。各区分の空港名と位置は、空港法と空港法施行令で定められている<ref>空港法施行令 別表第1から別表第3、附則別表</ref>。 === 拠点空港 === 空港法第4条第1項で定める「国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港」で、航空行政上「拠点空港」と呼ばれる。会社管理空港、国管理空港、特定地方管理空港があり、2008年の空港法改正までの旧第一種空港(国際航空路線に必要な飛行場)と旧第二種空港(主要な国内航空路線に必要な飛行場)が該当する。 ;会社管理空港{{Anchors|会社管理空港}} :空港法第4条第3項及び第4項の規定に基づき会社が設置し、管理する空港で、航空行政上「会社管理空港」と呼ばれる。各空港の特別法に基づき、会社の事業として空港の設置、管理を行う。旧第一種空港のうち4か所。[[仙台国際空港|仙台国際空港株式会社]]が運営する[[仙台空港]]は民活空港運営法に基づき民間に運営権が移行しているが、会社管理空港ではなく、後述の国管理空港に分類される。他に民活空港運営法に基づき民間に運営権が移行した空港も同様に、会社管理空港ではなく、従前の区分に分類される。 ;国管理空港{{Anchors|国管理空港}} :空港法第4条第1項に基づき国が設置・管理する空港。[[東京国際空港]]と、政令で定める18空港<ref>空港法第4条第1項第6号、空港法施行令別表第2</ref> が該当する。東京国際空港については、基本施設と附帯施設の工事費用を国が全額を負担。政令で定める空港は、附帯施設は全額を国が負担し、基本施設は3分の2を国が、3分の1を地方公共団体が負担する。北海道、沖縄、離島の空港については、空港法や地域特別法などにより、基本施設に対する国の負担割合が100分の80から100分の95までの間でそれぞれ定められている<ref name="shingikai5"/>。東京国際空港は旧第一種空港に、それ以外は旧第二種空港(A)に該当する。19か所。 ;特定地方管理空港{{Anchors|特定地方管理空港}} :空港法第4条第1項第6号で規定された「国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港として政令で定めるもの」で、国が設置し、地方公共団体が管理する空港。基本施設の工事費用は、国が100分の55、地方公共団体が100分の45を負担。附帯施設は地方公共団体が負担するが、国が工事費の100分の55まで補助することができる<ref>空港整備法及び航空法の一部を改正する法律(平成20年法律第75号)附則3条1項、旧空港整備法第8条</ref>。北海道、沖縄、離島の空港については、空港法や地域特別法などにより、国が負担・補助する工事費の割合が高くなっている<ref name="shingikai5"/>。2008年の空港法改正時に、旧空港整備法第4条第2項の規定により、国が設置し、地方公共団体が管理していた空港<ref>空港整備法及び航空法の一部を改正する法律(平成20年法律第75号)附則3条1項</ref> で、旧第二種空港(B)に該当する。5か所。 === 地方管理空港 === 空港法第5条で定める「国際航空輸送網又は国内航空輸送網を形成する上で重要な役割を果たす空港」で、地方公共団体が設置・管理する。基本施設の工事費用は、国と地方が100分の50ずつ負担。附帯施設は地方公共団体が負担するが、国が工事費の100分の50まで補助することができる。北海道、沖縄、奄美地方、離島の空港については、空港法や地域特別法などにより、国が負担・補助する工事費の割合が高くなっている<ref name="shingikai5"/>。旧第三種空港(地方的な航空運送を確保するため必要な飛行場)に該当する。54か所<ref>空港法施行令別表第3</ref>。 === その他の空港 === 上記の区分のいずれにも該当しない空港(空港法第2条に規定する空港のうち、拠点空港、地方管理空港及び公共用ヘリポートを除く空港<ref name="list-mlit"/>)。ただし、このうち[[八尾空港]]は、「当分の間、国管理空港とみなす」との経過措置が設けられている<ref>空港法施行令の平成20年6月18日政令第197号による改正附則「(経過措置) 2 第一条の規定による改正前の空港整備法施行令別表第二に規定する八尾空港は、当分の間、空港整備法及び航空法の一部を改正する法律第一条の規定による改正後の空港法(昭和三十一年法律第八十号。次項において「新空港法」という。)第四条第一項第六号に掲げる空港とみなす。」</ref>。7か所。 === 共用空港 === 空港法附則第2条第1項における「[[自衛隊]]の設置する飛行場及び[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約]]第6条に基づく施設及び区域並びに[[日米地位協定|日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定]]第2条第4項(a)の規定に基づき日本国政府又は日本国民が使用する飛行場であつて公共の用に供するものとして政令で定めるもの」で分類される空港で、自衛隊が設置・運用する飛行場もしくは[[在日米軍]]が使用している飛行場で、公共の用に供する空港。自衛隊の設置する共用空港のうち5か所<ref>空港法施行令附則第3条第1項に定める札幌飛行場、百里飛行場、小松飛行場、美保飛行場、徳島飛行場</ref> については、空港として使用するために工事する場合は、附帯施設の工事費用は全額を国が負担し、基本施設は3分の2を国が、3分の1を地方公共団体が負担する<ref>空港法附則第3条第1項</ref>。このうち北海道の空港<ref group="注釈">該当するのは札幌飛行場(丘珠空港)。</ref> については、基本施設の工事費用に対する国の負担割合が100分の85となっている<ref name="shingikai5"/><ref>空港法施行令附則第3条第3項</ref>。8か所<ref>空港法施行令附則第2条</ref>。 === 公共用ヘリポート === 空港法第2条における空港(公共の用に供する飛行場)に分類される[[ヘリポート]]で、不特定多数の[[ヘリコプター]]が離着陸するために整備された施設。<!-- 法令上は上述の「その他飛行場」に準じた取り扱いを受ける。 -->13箇所。 === 空港以外の飛行場など === 空港以外の施設には、[[航空法]]に基づき、国土交通大臣の許可を得て設置する次の飛行場などがある。 * 民間事業者や地方自治体などが設置する非公共用の[[飛行場]]、[[ヘリポート]]<ref>航空法第38条</ref> * 期間を限定して離着陸できる公共用・非公共用の[[場外離着陸場]]<ref>航空法第79条</ref> == 空港法以外における空港の区分 == 空港法以外に、出入国、輸出入に関する法律において指定された空港に限り、出入港や外国貿易を行うこととしているものがある。 # 関税法:関税法第2条第1項第12号により政令<ref>関税法施行令第1条第2項、別表第2</ref> で指定する税関空港でない場合は、個別の税関長の許可がないと外国貿易機は、その空港に出入りできない。 # 出入国管理及び難民認定法:出入国管理及び難民認定法第2条第8号により法務省令で定める<ref>出入国管理及び難民認定法施行規則第1条、別表第1</ref> 出入国港以外では外国人の出入国はできない。出入国管理及び難民認定法施行規則別表第1に規定する空港でない場合は、特定の航空機につき地方出入国在留管理局長による指定を受ける必要がある。 # 検疫法:検疫法第3条の規定により政令<ref>検疫法施行令第1条の2、別表第1</ref> で指定する検疫飛行場でない飛行場には、外国から来航した航空機は、個別の検疫所長の許可がないと着陸できない。 # 植物防疫法:植物防疫法第6条第3項の規定により農林水産省令<ref>植物防疫法施行規則第6条</ref> で定める飛行場以外では植物の輸入はできない。 # 家畜伝染病予防法:家畜伝染病予防法第38条の規定により、農林水産省令<ref>家畜伝染病予防法施行規則第47条</ref> で定める飛行場以外では指定検疫物の輸入はできない。 #: 植物防疫法及び家畜伝染病予防法には、個別の許可により輸入できる規定がないので、通常は国際線のない空港で国際チャーター便等が運航されても、果物や肉製品は一切持ち込むことができない。例えば2019年に国際線旅客の乗降実績のあった女満別空港はその例である。 # 感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律:感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律第55条の規定により、農林水産省令<ref>感染症の病原体を媒介するおそれのある動物の輸入に関する規則第1条</ref> で定める飛行場以外では指定動物(サル)の輸入はできない。 * 配列順は2019年の乗降客数の順。 * 植物防疫、動物検疫、感染症は、それぞれ植物防疫法、家畜伝染病予防法、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律により指定された飛行場を意味する。 * 植物防疫の欄における△は、旅行者の携帯品に限り輸入できることを示す。 * 動物検疫以外の欄における○は、それぞれ該当することを示す。 * 動物検疫の欄における記号の意味は次のとおり。 ** ◎:ふるい目の開きが840マイクロメートルの網ふるいを通過する生骨粉{{efn|name="kag"|この貨物は鹿児島港でのみ輸入できる。}}を除くすべての貨物の輸入が可能 ** ○:ふるい目の開きが840マイクロメートルの網ふるいを通過する生骨粉{{efn|name="kag"|}}、家畜伝染病予防法施行規則第45条第1号の貨物(生きている豚、牛等)、殻付きの卵を除く貨物の輸入が可能 ** ○’:○の貨物から肉、骨等を除いた貨物 ** △:旅行者の携帯品に限り輸入できる {| class="wikitable" ! !! 税関空港 !! 出入国港 !! 検疫飛行場 !! 植物防疫 !! 動物検疫 !! 感染症 |- | [[東京国際空港|羽田]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |◎ || |- | [[成田国際空港|成田]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |◎ || style="text-align:center" |○ |- | [[関西国際空港|関西]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |◎ || style="text-align:center" |○ |- | [[福岡空港|福岡]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |◎ || |- | [[新千歳空港|新千歳]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |◎ || |- | [[那覇空港|那覇]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |◎ || |- | [[大阪国際空港|伊丹]] || || || || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |◎ || |- | [[中部国際空港|中部]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |◎ || |- | [[鹿児島空港|鹿児島]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |◎ || style="text-align:center" |○ |- | [[仙台空港|仙台]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[熊本空港|熊本]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[宮崎空港|宮崎]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○’ || |- | [[神戸空港|神戸]] || || || || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[長崎空港|長崎]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[広島空港|広島]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[松山空港|松山]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[新石垣空港|石垣]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[高松空港|高松]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[大分空港|大分]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[小松飛行場|小松]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[函館空港|函館]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[北九州空港|北九州]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |◎ || |- | [[高知空港|高知]] || || || || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[岡山空港|岡山]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[秋田空港|秋田]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○’ || |- | [[青森空港|青森]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[徳島飛行場|徳島]] || || || || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[新潟空港|新潟]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[旭川空港|旭川]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[出雲空港|出雲]] || || || || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[山口宇部空港|山口宇部]] || || || || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[名古屋飛行場|小牧]] || || || || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |△ || |- | [[釧路空港|釧路]] || || || || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[百里飛行場|茨城]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[佐賀空港|佐賀]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[静岡空港|静岡]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |△ || |- | [[帯広空港|帯広]] || || || || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[美保飛行場|米子]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○’ || |- | [[富山空港|富山]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[花巻空港|花巻]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[庄内空港|庄内]] || || || || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[鳥取空港|鳥取]] || || || || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[山形空港|山形]] || || || || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[福島空港|福島]] || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || style="text-align:center" |○ || |- | [[下地島空港|下地島]] || || || || style="text-align:center" |△ || style="text-align:center" |△ || |- | [[嘉手納飛行場|嘉手納]] || || || || style="text-align:center" |○ || || |} == 日本の空港の特徴 == 狭隘かつ急峻で[[島嶼]]の多い国土を有する日本の空港は、海外の基幹空港に比べて国土面積当たりの数が多く、[[滑走路]]の本数{{efn|滑走路の本数が少ない。民間航空で利用される空港では、新千歳空港(2本(一体運用される千歳飛行場を含むと4本))、仙台空港(2本、うち1本は小型機専用)、新潟空港(2本、うち1本は小型機専用)、百里飛行場(茨城空港)(2本)、成田国際空港(2本)、東京国際空港(4本)、関西国際空港(2本)、大阪国際空港(2本)、八尾空港(2本、小型機専用)、および那覇空港(2本)のみが複数の滑走路を持つ。}}、滑走路の長さ{{efn|滑走路の距離が短い。民間航空で利用される空港では、超大型旅客機の離着陸に最低限必要とされる長さ3,000m以上の滑走路をもつ空港は、新千歳、函館、青森、三沢、仙台、成田国際、東京国際、中部国際、関西国際、大阪国際、岡山、広島、大分、熊本、長崎、鹿児島、那覇、および下地島の各空港のみである。そのうち、超大型旅客機が最大積載状態で離着陸する場合に理想的とされる長さ3,500m以上の滑走路をもつ空港は、成田国際空港、中部国際空港、関西国際空港のみである。}}、[[ターミナルビル]]{{efn|ほとんどの空港は一つしかターミナルビルを持たない。複数の旅客ターミナルビルを持つ空港は、新千歳空港(国内線・国際線)、成田国際空港(第1~第3)、東京国際空港(第1~第3)、中部国際空港(第1・第2)、関西国際空港(第1・第2)、および福岡空港(国内線・国際線)のみである。}}のいずれも規模が小さい傾向にある。このような中規模クラスの空港は比較的市街地から近い距離に配置されており利用者の利便性については優れているが、その反面需要の集約ができず就航路線の採算性が低下する側面も併せ持つ。中規模クラスの空港が乱立した結果、投資が分散して国際的な[[ハブ空港]]となるような空港の建設は行えていない。また、日本の空港の[[着陸料]]は世界で比較的高い水準にあるが<ref group="注釈">着陸料は機体種別によるが[[関西国際空港]]が世界6位、[[成田国際空港]]は世界17位である。</ref>、利用料の多くを直接負担するのは航空会社である。一方、欧米の空港は乗客が支払う施設利用料が高額に設定されており[[空港利用料]]の大半を旅客が直接負担する。 {{seealso|空港使用料|着陸料}} 国内線定期路線については、大都市圏の市街地から比較的近い東京国際空港、大阪国際空港を拠点とした路線網が構成されており、その他の地方空港はこれら2空港の一方、もしくは両方との路線をもつ空港が多い。その反面、騒音問題や用地確保の難しさなどによって都市部における空港インフラは不足しており、慢性的な容量不足となっている。特に離着陸回数が多く発着枠に余裕のない成田国際、東京国際、関西国際、大阪国際、および福岡空港は、国土交通省により[[混雑空港]]に指定されている。一方、大都市圏以外の空港は、[[東北地方|東北]]、[[中国地方|中国]]、[[四国]]、[[九州]]の各地方のように、離島に所在する空港を除いても1県に1つ以上の空港が設置されているなど、空港の数こそ多いものの、需要不足に苦しむ空港も少なくない。離島空港では、小規模空港を中心に小型機専用の短い滑走路しか持たない空港も少なくないが、航空機の大型化に対応できないことや搭乗率低迷の影響で、定期路線が運航されない空港も存在する{{efn|礼文空港、佐渡空港、小値賀空港、上五島空港、粟国空港、慶良間空港、波照間空港など。ここに列挙した空港はいずれも小型プロペラ機専用の1,000m未満の滑走路しか有さない。}}。 国際線用の設備に関しては、[[#空港法以外における空港の区分|前節]]に示した通り、離島空港を除く大半の空港に国際線が就航するために必要となる[[CIQ]]([[税関]]、[[出入国管理]]、[[検疫]])の設備が設置されている。その一方、2019年時点では、便数ベースで日本に就航する国際線定期路線全体の半数弱を成田国際空港と東京国際空港の2空港が、75%以上を成田、東京、中部、および関西の4つの国際空港がそれぞれ占めている。その他に目立って多くの国際線定期路線が就航するのは、新千歳、福岡、および那覇の各空港ぐらいである。これまでに挙げた新千歳、成田国際、東京国際、中部国際、関西国際、福岡、および那覇の7空港以外では、全て合計しても日本に就航する国際線定期便全体の5%程度と、国際線定期路線の就航先は一部の拠点空港に偏在している<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://www.mlit.go.jp/koku/content/001315585.pdf |title=2019冬期スケジュール 国際線定期便の概要 |work= |format= |publisher=[[国土交通省]] |accessdate=2020-10-29}}</ref>。 また、国際線定期路線の行先については、前述の4つの国際空港以外の空港における国際線定期路線は、そのほとんどが[[大韓民国|韓国]]、[[中華人民共和国|中国]]、[[台湾]]、[[香港]]といった近隣の[[東アジア]]地域との路線である。東アジア地域以外では[[グアム]]、[[ハワイ]]、[[東南アジア]]といった中距離路線が多いが、東アジア地域以外への定期路線は前述の4つの国際空港以外からは僅かである。例としては福岡空港や新千歳空港からグアム、ハワイ、東南アジアおよび[[ヨーロッパ]]方面への路線が就航がある程度である<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://www.mlit.go.jp/koku/koku_fr19_000019.html |title=国際線就航状況(2019年) |work= |format= |publisher=[[国土交通省]] |accessdate=2020-10-29}}</ref>。 なお、一部の空港では正式な名称とは別に[[愛称]]を付与している。各空港の愛称については下記の「[[#日本の空港分類|日本の空港分類]]」および「[[#地域一覧|地域一覧]]」を参照のこと。 == 日本の空港分類 == 空港名に付記した括弧内の呼称は、通称・愛称などである。 === 拠点空港 === ==== 会社管理空港 ==== :4箇所 * 関東:[[成田国際空港]](成田空港または成田) * 中部:[[中部国際空港]](セントレア) * 関西:[[関西国際空港]](関空)<ref name="COS201607" group="注釈">2016年7月1日より[[コンセッション方式]]で運営。</ref>、[[大阪国際空港]](伊丹空港)<ref name="COS201607" group="注釈"/> ==== 国管理空港 ==== :19箇所 * 北海道:[[新千歳空港]](千歳)<ref group="注釈">2020年6月1日よりコンセッション方式で運営。</ref>、[[稚内空港]]、[[函館空港]]、[[釧路空港]](たんちょう釧路空港) * 東北:[[仙台空港]](仙台国際空港)<ref name="COS201607" group="注釈"/> * 関東:[[東京国際空港]](羽田空港または羽田) * 中部:[[新潟空港]] * 中国:[[広島空港]] * 四国:[[高松空港]]<ref name="COS201804" group="注釈">2018年4月1日よりコンセッション方式で運営。</ref>、[[松山空港]]、[[高知空港]](高知龍馬空港) * 九州:[[福岡空港]]<ref name="COS201904" group="注釈">2019年4月1日よりコンセッション方式で運営。</ref>、[[北九州空港]]、[[長崎空港]]、[[熊本空港]](阿蘇くまもと空港)<ref group="注釈">2020年4月1日よりコンセッション方式で運営。</ref><ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20200401/k00/00m/020/220000c|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200401114546/https://mainichi.jp/articles/20200401/k00/00m/020/220000c|title=熊本空港が民営化 国内4例目 23年春に新ターミナルビルへ|newspaper=毎日新聞|date=2020-04-01|accessdate=2020-04-04|archivedate=2020-04-01}}</ref>、[[大分空港]]、[[宮崎空港]](宮崎ブーゲンビリア空港)、[[鹿児島空港]] * 沖縄:[[那覇空港]] ==== 特定地方管理空港 ==== :5箇所 * 北海道:[[旭川空港]](北海道のまん中・旭川空港)、[[帯広空港]](とかち帯広空港) * 東北:[[秋田空港]]、[[山形空港]](おいしい山形空港) * 中国:[[山口宇部空港]] === 地方管理空港 === :54箇所 * 北海道:[[利尻空港]]、[[礼文空港]]、[[奥尻空港]]、[[中標津空港]](根室中標津空港)、[[女満別空港]]、[[紋別空港]](オホーツク紋別空港) * 東北:[[青森空港]]、[[花巻空港]](いわて花巻空港)、[[大館能代空港]](あきた北空港)、[[庄内空港]](おいしい庄内空港)、[[福島空港]] * 伊豆諸島:[[大島空港]](東京大島かめりあ空港)、[[新島空港]]、[[神津島空港]]、[[三宅島空港]]、[[八丈島空港]] * 中部:[[佐渡空港]]、[[富山空港]](富山きときと空港)、[[能登空港]](のと里山空港)、[[福井空港]]、[[松本空港]](信州まつもと空港)、[[静岡空港]](富士山静岡空港)<ref name="COS201904" group="注釈"/> * 近畿:[[神戸空港]] (マリンエア)<ref name="COS201804" group="注釈"/>、[[南紀白浜空港]]<ref name="COS201904" group="注釈"/> * 中国:[[鳥取空港]](鳥取砂丘コナン空港)、[[隠岐空港]](隠岐世界ジオパーク空港)、[[出雲空港]](出雲縁結び空港)、[[石見空港]](萩・石見空港)、[[岡山空港]](岡山桃太郎空港) * 九州:[[佐賀空港]](九州佐賀国際空港)、[[壱岐空港]]、[[対馬空港]](対馬やまねこ空港)、[[小値賀空港]]、[[上五島空港]]、[[福江空港]](五島つばき空港) * 薩南諸島:[[種子島空港]](コスモポート種子島)、[[屋久島空港]]、[[奄美空港]]、[[喜界空港]]、[[徳之島空港]](徳之島子宝空港)、[[沖永良部空港]](えらぶゆりの島空港)、[[与論空港]] * 沖縄:[[伊江島空港]]、[[慶良間空港]]、[[粟国空港]]、[[久米島空港]]、[[北大東空港]]、[[南大東空港]]、[[宮古空港]]、[[下地島空港]]、[[多良間空港]](かりゆす多良間空港)、[[新石垣空港]](南ぬ島石垣空港) 、[[波照間空港]]、[[与那国空港]] === その他の空港 === :7箇所 * 関東:[[調布飛行場]] * 中部:[[名古屋飛行場]](名古屋空港、小牧空港、県営名古屋空港) * 近畿:[[八尾空港]]、[[但馬飛行場]](コウノトリ但馬空港) * 中国:[[岡南飛行場]] * 九州:[[天草飛行場]]、[[大分県央飛行場]] === 共用空港 === :8箇所 * 北海道:[[札幌飛行場]](丘珠空港)<ref group="注釈">[[陸上自衛隊]]と共用。</ref>、[[千歳飛行場]]<ref group="注釈">[[航空自衛隊]]と共用。</ref> * 東北:[[三沢飛行場]](三沢空港)<ref group="注釈">[[アメリカ空軍]]・[[航空自衛隊]]と共用。</ref> * 関東:[[百里飛行場]](茨城空港)<ref group="注釈">[[航空自衛隊]]と共用。</ref> * 中部:[[小松飛行場]](小松空港)<ref group="注釈">[[航空自衛隊]]と共用。</ref> * 中国:[[美保飛行場]](米子空港、米子鬼太郎空港)<ref group="注釈">[[航空自衛隊]]と共用。</ref>、[[岩国飛行場]](岩国錦帯橋空港)<ref group="注釈">[[アメリカ海兵隊]]・[[海上自衛隊]]と共用。</ref> * 四国:[[徳島飛行場]](徳島空港、徳島阿波おどり空港)<ref group="注釈">[[海上自衛隊]]と共用。</ref> === 公共用ヘリポート === :13箇所<ref name="list-mlit"/> * 北海道:[[豊富ヘリポート]] * 東北:[[米沢ヘリポート]] * 関東:[[東京ヘリポート]]、[[群馬ヘリポート]]、[[高崎ヘリポート]]、[[栃木ヘリポート]]、[[つくばヘリポート]] * 中部:[[静岡ヘリポート]]、[[津市伊勢湾ヘリポート]]、[[若狭ヘリポート]] * 近畿:[[奈良県ヘリポート]] * 中国:[[広島ヘリポート]] * 九州:[[枕崎ヘリポート]] ** [[奈多ヘリポート]]は法令上は福岡空港の一部であり、13箇所に含めない。 === 非公共用ヘリポート === * 北海道 : [[北海道警察]]ヘリポート * 東北 : [[青森県庁]]ヘリポート、[[岩手県警察]][[盛岡市|盛岡]]ヘリポート、[[宮城県庁]]ヘリポート、[[合同庁舎|仙台合同庁舎]][[東北地方整備局]]ヘリポート、[[福島県警察]]ヘリポート * 関東 : [[茨城県庁]]ヘリポート、前山下妻ヘリポート、みかもヘリポート、[[群馬県警察]]ヘリポート、[[プラス (企業)|プラス]]ヘリポート、さいたま広域防災拠点ヘリポート、朝日・川越ヘリポート、[[千葉市消防局]]ヘリポート、[[千葉西総合病院]]ヘリポート、[[エクセル航空#浦安ヘリポート|浦安ヘリポート]]、[[アークヒルズ#ヘリポート|アークヒルズヘリポート]]、[[警視庁]]本部屋上ヘリポート、[[中央合同庁舎|中央合同庁舎第2号館]]ヘリポート、東京朝日ヘリポート、芝浦ヘリポート、[[第三管区海上保安本部]]横浜海上防災基地ヘリポート、[[神奈川県警察]]ヘリポート、[[横浜ヘリポート]] * 中部 : [[静岡新聞|SBS沼津]]ヘリポート、[[静岡新聞|SBS静岡]]ヘリポート、[[浜松市消防航空隊|浜松市消防]]ヘリポート、[[山梨県警察]]ヘリポート、[[山梨県立中央病院]]ヘリポート、[[双葉滑空場|日本航空学園双葉ヘリポート]]、[[佐久総合病院]][[佐久医療センター]]ヘリポート、[[富山県立中央病院]]ヘリポート、[[富山市民病院]]ヘリポート、[[砺波総合病院]]ヘリポート、[[高岡市民病院]]屋上ヘリポート、[[石川県警察]]ヘリポート、白山ヘリポート、[[福井県立病院]]ヘリポート、[[岐阜県総合医療センター]]ヘリポート、[[大垣市民病院]]ヘリポート、[[岐阜県立多治見病院]]ヘリポート、[[岐阜県警察]]ヘリポート、[[中濃厚生病院]]ヘリポート、[[愛知県警察]]ヘリポート、[[ミッドランドスクエア|トヨタ名駅ヘリポート]]、[[アルペン丸の内タワー|アルペン丸の内ヘリポート]]、[[アイシン]]安城ヘリポート、[[三重県警察]]ヘリポート、[[三重県立志摩病院]]ヘリポート、[[三重県立総合医療センター]]ヘリポート * 近畿 : [[滋賀県警察]]ヘリポート、滋賀県警察本部ヘリポート、大阪航空日野ヘリポート、[[京都府警察]]ヘリポート、京都府ヘリポート、[[京都市消防局|京都消防]]ヘリポート、[[大阪府警察]]本部ヘリポート、[[NHK大阪]]ヘリポート、[[大阪ヘリポート]]、[[近畿地方整備局]]ヘリポート、[[兵庫県庁]]ヘリポート、[[兵庫県警察]]ヘリポート、兵庫県立災害医療センターヘリポート、[[神戸市消防局|神戸消防]]ヘリポート、NTT神戸中央ビルヘリポート、三木防災ヘリポート、[[川崎重工業|明石川崎ヘリポート]]、[[和歌山県立医科大学附属病院]]ヘリポート、[[島精機製作所|島精機]]ヘリポート、小倉C・Cヘリポート、紀南ヘリポート * 中国 : [[島根県立中央病院]]ヘリポート、[[岡山県庁]]ヘリポート、[[NHK広島]]ヘリポート、周南ヘリポート * 四国 : [[徳島県警察]]ヘリポート、[[高知県警察]]本部ヘリポート、[[高知医療センター]]ヘリポート、土佐清水ヘリポート * 九州・沖縄 : 西日本ヘリポート、[[NHK福岡]]ヘリポート、[[福岡県済生会福岡総合病院]]ヘリポート、福岡和白病院ヘリポート、[[九州大学病院]]ヘリポート、[[福岡市立こども病院]]ヘリポート、[[久留米大学]]ヘリポート、[[聖マリア病院]]ヘリポート、[[佐賀大学医学部附属病院]]ヘリポート、[[長崎医療センター]]ヘリポート、[[宮崎病院]]ヘリポート、[[熊本県警察]]ヘリポート、[[済生会熊本病院]]ヘリポート、[[大分県庁]]ヘリポート、米盛病院ヘリポート、[[沖縄県警察]]ヘリポート === 非公共用飛行場 === * 北海道 : [[鹿部飛行場]] * 関東 : [[ホンダエアポート]]、[[竜ヶ崎飛行場]] * 九州 : [[薩摩硫黄島飛行場]] == 地域一覧 == === 北海道地方 === {{Main|北海道#空港}} ※現在日本の[[実効支配]]下にない[[北方地域|北方領土]]に存在する空港は除外する。 * [[新千歳空港]]〔[[千歳市]]、[[苫小牧市]]〕 * [[札幌飛行場]](丘珠空港)〔[[札幌市]][[東区 (札幌市)|東区]]〕 * [[稚内空港]]〔[[稚内市]]〕 * [[利尻空港]]〔[[利尻郡]][[利尻富士町]]〕 * [[礼文空港]]〔[[礼文郡]][[礼文町]]〕※供用休止中 * [[釧路空港]](たんちょう釧路空港)〔[[釧路市]]〕 * [[中標津空港]](根室中標津空港)〔[[標津郡]][[中標津町]]〕 * [[女満別空港]]〔[[網走郡]][[大空町]]〕 * [[紋別空港]](オホーツク紋別空港)〔[[紋別市]]〕 * [[旭川空港]]〔[[上川郡 (石狩国)|上川郡]][[東神楽町]]・[[旭川市]]〕 * [[帯広空港]](とかち帯広空港)〔[[帯広市]]〕 * [[函館空港]]〔[[函館市]]〕 * [[奥尻空港]]〔[[奥尻郡]][[奥尻町]]〕 [[新千歳空港|新千歳]]と[[札幌飛行場|丘珠]]の両空港(飛行場)は、特定の[[航空会社]]により[[マルチエアポート]]として対応がなされている。 === 東北地方 === {{Main|東北地方#空港}} * [[青森空港]]〔[[青森県]][[青森市]]〕 * [[三沢飛行場]](三沢空港)〔青森県[[三沢市]]〕 * [[花巻空港]](いわて花巻空港)〔[[岩手県]][[花巻市]]〕 * [[仙台空港]](仙台国際空港)〔[[宮城県]][[名取市]]・[[岩沼市]]〕 * [[秋田空港]]〔[[秋田県]][[秋田市]]〕 * [[大館能代空港]](あきた北空港)〔秋田県[[北秋田市]]〕 * [[山形空港]](おいしい山形空港)〔[[山形県]][[東根市]]〕 * [[庄内空港]](おいしい庄内空港)〔山形県[[酒田市]]・[[鶴岡市]]〕 * [[福島空港]]〔[[福島県]][[石川郡]][[玉川村]]・[[須賀川市]]〕 === 関東地方 === * [[東京国際空港]](羽田空港)〔[[東京都]][[大田区]]〕 * [[成田国際空港]](成田空港)〔[[千葉県]][[成田市]]・[[山武郡]][[芝山町]]・[[香取郡]][[多古町]]〕 * [[百里飛行場]](茨城空港)〔[[茨城県]][[小美玉市]]〕 * [[調布飛行場]]〔東京都[[調布市]]・[[三鷹市]]・[[府中市 (東京都)|府中市]]〕 * [[大島空港]](東京大島かめりあ空港)〔東京都[[大島町]]〕 * [[新島空港]]〔東京都[[新島村]]〕 * [[神津島空港]]〔東京都[[神津島村]]〕 * [[三宅島空港]]〔東京都[[三宅村]]〕 * [[八丈島空港]]〔東京都[[八丈町]]〕 [[東京国際空港|羽田]]と[[成田国際空港|成田]]の両空港は、[[国際航空運送協会]] (IATA) 公認のマルチエアポートとして対応がなされている。 === 中部地方 === {{Main|北陸地方#空港|東海地方#空港}} * [[新潟空港]]〔[[新潟県]][[新潟市]][[東区 (新潟市)|東区]]〕 * [[佐渡空港]]〔新潟県[[佐渡市]]〕※定期便は設定されていない。 * [[富山空港]](富山きときと空港)〔[[富山県]][[富山市]]〕 * [[小松飛行場]](小松空港)〔[[石川県]][[小松市]]〕 * [[能登空港]](のと里山空港)〔石川県[[輪島市]]・[[鳳珠郡]][[穴水町]]・[[鳳珠郡]][[能登町]]〕 * [[福井空港]]〔[[福井県]][[坂井市]]〕 ※定期便は設定されていない。 * [[松本空港]](信州まつもと空港)〔[[長野県]][[松本市]]・[[塩尻市]]〕 * [[静岡空港]](富士山静岡空港)〔[[静岡県]][[島田市]]・[[牧之原市]]〕 * [[中部国際空港]](セントレア)〔愛知県[[常滑市]]〕 * [[名古屋飛行場]](名古屋空港、小牧空港、県営名古屋空港)〔[[愛知県]][[西春日井郡]][[豊山町]]・[[小牧市]]・[[春日井市]]・[[名古屋市]][[北区 (名古屋市)|北区]]〕 [[中部国際空港|中部]]と[[名古屋飛行場|小牧]]の両空港(飛行場)は IATA 公認のマルチエアポートとして対応がなされている。 このほか[[2009年]][[4月1日]]から[[2016年]][[3月31日]]まで特定の航空会社により[[富山空港|富山]]・[[小松飛行場|小松]]・[[能登空港|能登]]の3空港をマルチエアポートとして扱っていた。 === 近畿地方 === * [[大阪国際空港]](伊丹空港)〔[[兵庫県]][[伊丹市]]・[[大阪府]][[池田市]]・[[豊中市]]〕 * [[関西国際空港]](関西空港、関空)〔大阪府[[泉佐野市]]・[[泉南郡]][[田尻町]]・[[泉南市]]〕 * [[神戸空港]](マリンエア)〔兵庫県[[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]〕 * [[但馬飛行場]](コウノトリ但馬空港)〔兵庫県[[豊岡市]]〕 * [[南紀白浜空港]]〔[[和歌山県]][[西牟婁郡]][[白浜町]]〕 * [[八尾空港]]〔大阪府[[八尾市]]〕※定期便は設定されていない。 [[大阪国際空港|伊丹]]・[[関西国際空港|関西]]・[[神戸空港|神戸]]の[[関西三空港]]は、IATA 公認のマルチエアポートとして対応がなされている。 === 中国地方 === {{Main|中国地方#空港}} * [[鳥取空港]](鳥取砂丘コナン空港)〔[[鳥取県]][[鳥取市]]〕 * [[美保飛行場]](米子空港、米子鬼太郎空港)〔鳥取県[[境港市]]〕 * [[出雲空港]](出雲縁結び空港)〔[[島根県]][[出雲市]]〕 * [[石見空港]](萩・石見空港)〔島根県[[益田市]]〕 * [[隠岐空港]](隠岐世界ジオパーク空港)〔島根県[[隠岐郡]][[隠岐の島町]]〕 * [[岡山空港]](岡山桃太郎空港)〔[[岡山県]][[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]〕 * [[岡南飛行場]]〔岡山県岡山市[[南区 (岡山市)|南区]]〕※定期便は設定されていない。 * [[広島空港]]〔[[広島県]][[三原市]]〕 * [[岩国飛行場]](岩国錦帯橋空港)〔山口県[[岩国市]]〕 * [[山口宇部空港]]〔[[山口県]][[宇部市]]〕 [[広島空港|広島]]と[[岩国飛行場|岩国]]の両空港(飛行場)は特定の航空会社によりマルチエアポートとして対応がなされている。 === 四国地方 === {{Main|四国#空港}} * [[徳島飛行場]](徳島空港、徳島阿波おどり空港)〔[[徳島県]][[板野郡]][[松茂町]]〕 * [[高松空港]]〔[[香川県]][[高松市]]〕 * [[松山空港]]〔[[愛媛県]][[松山市]]〕 * [[高知空港]](高知龍馬空港)〔[[高知県]][[南国市]]〕 === 九州地方 === {{Main|長崎県#空港|鹿児島県#空港}} * [[福岡空港]]〔[[福岡県]][[福岡市]][[博多区]]〕 * [[北九州空港]]〔福岡県[[北九州市]][[小倉南区]]・[[京都郡]][[苅田町]]〕 * [[佐賀空港]](九州佐賀国際空港)〔[[佐賀県]][[佐賀市]]〕 * [[長崎空港]]〔[[長崎県]][[大村市]]〕 * [[壱岐空港]]〔長崎県[[壱岐市]]〕 * [[対馬空港]](対馬やまねこ空港)〔長崎県[[対馬市]]〕 * [[小値賀空港]]〔長崎県[[北松浦郡]][[小値賀町]]〕 ※定期便は設定されていない。 * [[上五島空港]]〔長崎県[[南松浦郡]][[新上五島町]]〕 ※定期便は設定されていない。 * [[福江空港]](五島つばき空港)〔長崎県[[五島市]]〕 * [[熊本空港]](阿蘇くまもと空港)〔[[熊本県]][[菊池郡]][[菊陽町]]・[[上益城郡]][[益城町]]〕 * [[天草飛行場]](天草空港)〔熊本県[[天草市]]〕 * [[大分空港]]〔[[大分県]][[国東市]]〕 * [[大分県央飛行場]](大分県央空港)〔大分県[[豊後大野市]]〕 ※定期便は設定されていない。 * [[宮崎空港]](宮崎ブーゲンビリア空港)〔[[宮崎県]][[宮崎市]]〕 * [[鹿児島空港]]〔[[鹿児島県]][[霧島市]]〕 * [[薩摩硫黄島飛行場]]〔鹿児島県[[鹿児島郡]][[三島村]]〕 * [[種子島空港]](コスモポート種子島)〔鹿児島県[[熊毛郡 (鹿児島県)|熊毛郡]][[中種子町]]〕 * [[屋久島空港]]〔鹿児島県熊毛郡[[屋久島町]]〕 *[[諏訪之瀬島飛行場]]〔鹿児島県鹿児島郡[[十島村]]〕 * [[奄美空港]]〔鹿児島県[[奄美市]]〕 * [[喜界空港]]〔鹿児島県[[大島郡 (鹿児島県)|大島郡]][[喜界町]]〕 * [[徳之島空港]](徳之島子宝空港)〔鹿児島県大島郡[[天城町]]〕 * [[沖永良部空港]](えらぶゆりの島空港)〔鹿児島県大島郡[[和泊町]]〕 * [[与論空港]]〔鹿児島県大島郡[[与論町]]〕 [[福岡空港|福岡]]・[[北九州空港|北九州]]・[[佐賀空港|佐賀]]の3空港は特定の航空各社によりマルチエアポートとして対応がなされている。 === 沖縄地方 === {{Main|沖縄県#空港}} * [[那覇空港]]〔[[那覇市]]〕 * [[伊江島空港]]〔[[国頭郡]][[伊江村]]〕 ※定期便は設定されていない。 * [[慶良間空港]]〔[[島尻郡]][[座間味村]]〕 ※定期便は設定されていない。 * [[粟国空港]]〔島尻郡[[粟国村]]〕 ※予約成立に限り週3便運航。 * [[久米島空港]]〔島尻郡[[久米島町]]〕 * [[北大東空港]]〔島尻郡[[北大東村]]〕 * [[南大東空港]]〔島尻郡[[南大東村]]〕 * [[宮古空港]]〔[[宮古島市]]〕 * [[下地島空港]]〔[[宮古島市]]〕 * [[多良間空港]](かりゆす多良間空港)〔[[宮古郡]][[多良間村]]〕 * [[新石垣空港]](南ぬ島石垣空港)〔[[石垣市]]〕 * [[波照間空港]]〔[[八重山郡]][[竹富町]]〕 ※定期便は設定されていない。 * [[与那国空港]]〔八重山郡[[与那国町]]〕 === 自衛隊・在日米軍などの飛行場 === 自衛隊・在日米軍が使用する、いわゆる軍用飛行場(三沢飛行場などの軍民共用の飛行場も含む) 空港名に付記した括弧内の呼称は使用者による呼称(基地名)を示す。また、括弧内の使用者略称は以下の凡例をもって示す。 * 凡例 : 空自 - [[航空自衛隊]]、海自 - [[海上自衛隊]]、陸自 - [[陸上自衛隊]]、海保 - [[海上保安庁]](自衛隊共用のみ)、米空 - [[アメリカ空軍]]、米海 - [[アメリカ海軍]]、米海兵 - [[アメリカ海兵隊]]、米陸 - [[アメリカ陸軍]] ==== 北海道・東北 ==== * [[計根別飛行場]](西春別空港)〔北海道[[別海町]]・[[中標津町]]〕 :※航空自衛隊の[[代替滑走路]]として管理され、航空機等の配備はない。一部は[[別海フライトパーク]]として再利用される。 *十勝飛行場〔北海道[[帯広市]]〕 **[[帯広駐屯地]](陸自) *旭川飛行場〔北海道[[旭川市]]〕 **[[旭川駐屯地]](陸自) *[[札幌飛行場]]〔北海道[[札幌市]][[東区 (札幌市)|東区]]〕 **丘珠駐屯地(陸自) **丘珠空港(民間) *[[千歳基地|千歳飛行場]]〔北海道[[千歳市]]〕 **千歳基地(空自) **千歳航空基地(海保) **千歳空港(民間) ※通常は、民間は未使用。隣接の[[新千歳空港]]と誘導路で接続しているほか管制等は一体で行われている。 *八雲飛行場〔北海道[[二海郡]][[八雲町]]〕 **[[八雲分屯基地]](空自) ※代替滑走路として管理され、航空機等の配備はない。 *大湊飛行場〔青森県[[むつ市]]〕 **[[大湊基地|大湊航空基地]](海自) *[[三沢飛行場]]〔青森県[[三沢市]]〕 **三沢基地(米空・空自) **三沢空港(民間) *八戸飛行場〔青森県[[八戸市]]〕 **[[八戸航空基地]](海自) *八戸駐屯地飛行場〔青森県八戸市〕 **[[八戸駐屯地]](陸自) ※八戸航空基地・八戸飛行場と隣接するが、独自の滑走路を持つ。 *松島飛行場〔宮城県[[東松島市]]〕 **[[松島基地]](空自) *霞目飛行場〔宮城県[[仙台市]][[若林区]]〕 **[[霞目駐屯地]](陸自) ==== 関東 ==== *[[百里飛行場]]〔茨城県[[小美玉市]]〕 **百里基地(空自) **茨城空港(民間) *霞ヶ浦飛行場〔茨城県[[土浦市]]〕 **[[霞ヶ浦駐屯地]](陸自) *宇都宮飛行場〔栃木県[[宇都宮市]]〕 **[[北宇都宮駐屯地]](陸自) *相馬原飛行場〔群馬県[[北群馬郡]][[榛東村]]〕 **[[相馬原駐屯地]](陸自) *入間飛行場〔埼玉県[[狭山市]]・[[入間市]]〕 **[[入間基地]](空自) *[[横田飛行場]]〔東京都[[福生市]]、[[西多摩郡]][[瑞穂町]] ほか〕 **横田基地(米空・空自) *:※航空自衛隊[[航空総隊]]司令部の他、在日米軍司令部、[[第5空軍 (アメリカ軍)|第5空軍]]司令部、[[国連軍 (朝鮮半島)|国連軍]]([[朝鮮戦争]])後方司令部、日米共同統合作戦調整センターなどが置かれている。 *[[立川飛行場]]〔東京都[[立川市]]〕 **[[立川駐屯地]](陸自) ※[[警視庁]]・[[海上保安庁]]・[[東京消防庁]]と共同の[[立川広域防災基地]]が置かれている。 *硫黄島飛行場〔東京都[[小笠原村]][[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]〕 **[[硫黄島航空基地]](海自) **硫黄島分屯基地(空自) *南鳥島航空基地飛行場〔東京都[[小笠原村]][[南鳥島]]〕 **[[南鳥島航空基地]](海自) *キャスナー飛行場〔神奈川県[[座間市]]、[[相模原市]][[南区 (相模原市)|南区]]〕 **キャンプ座間(米陸) *[[厚木海軍飛行場]]〔[[神奈川県]][[綾瀬市]]、[[大和市]]〕 **厚木航空施設(米海) **厚木航空基地(海自) *下総飛行場〔千葉県[[柏市]]・[[鎌ケ谷市]]〕 **[[下総航空基地]](海自) *木更津飛行場〔千葉県[[木更津市]]〕 **[[木更津駐屯地]](陸自) *館山飛行場〔千葉県[[館山市]]〕 **[[館山航空基地]](海自) ==== 中部・北陸 ==== *静浜飛行場〔静岡県[[焼津市]]〕 **[[静浜基地]](空自) *浜松飛行場〔静岡県[[浜松市]]〕 **[[浜松基地]](空自) *[[名古屋飛行場]]〔愛知県[[小牧市]]〕 **[[小牧基地]](空自) **県営名古屋空港(小牧空港)(民間) *岐阜飛行場〔岐阜県[[各務原市]]〕 **[[岐阜基地]](空自) *明野飛行場〔三重県伊勢市〕 **[[明野駐屯地]](陸自) *[[小松飛行場]]〔石川県[[小松市]]〕 **小松基地(空自) **小松空港(民間) ==== 近畿・中国・四国 ==== *舞鶴飛行場〔京都府[[舞鶴市]]〕 **[[舞鶴基地|舞鶴航空基地]](海自) *[[美保飛行場]]〔鳥取県[[境港市]]〕 **美保基地(空自) **美保分屯地(陸自) **美保航空基地(海保) **米子鬼太郎空港(民間) *[[岩国飛行場]]〔山口県[[岩国市]]〕 **岩国飛行場(米海兵・米海) ※[[第7艦隊 (アメリカ軍)|第7艦隊]]空母艦載機が所属している([[第5空母航空団 (アメリカ海軍)|第5空母航空団]])。 **岩国航空基地(海自) **岩国錦帯橋空港(民間) *防府飛行場〔山口県[[防府市]]〕 **[[防府北基地]](空自) **[[防府分屯地]](陸自) *小月飛行場〔山口県下関市〕 **[[小月航空基地]](海自) *小松島飛行場〔徳島県[[小松島市]]〕 **[[小松島航空基地]](海自) *[[徳島飛行場]]〔徳島県[[板野郡]][[松茂町]]〕 **徳島航空基地(海自) **北徳島分屯地(陸自) **徳島阿波おどり空港(民間) ==== 九州・沖縄 ==== *築城飛行場〔福岡県[[築上郡]][[築上町]]〕 **[[築城基地]](空自) *芦屋飛行場〔福岡県[[遠賀郡]][[芦屋町]]〕 **[[芦屋基地]](空自) *目達原飛行場〔佐賀県[[神埼郡]][[吉野ヶ里町]]〕 **[[目達原駐屯地]](陸自) *大村飛行場(旧長崎空港A滑走路地区)〔長崎県[[大村市]]〕 **[[大村航空基地]](海自) *新田原飛行場〔宮崎県[[児湯郡]][[新富町]]〕 **[[新田原基地]](空自) *鹿屋飛行場〔鹿児島県[[鹿屋市]]〕 **[[鹿屋航空基地]](海自) *[[嘉手納飛行場]]〔沖縄県[[中頭郡]][[嘉手納町]]、[[沖縄市]] ほか〕 **嘉手納基地(米空) *[[普天間飛行場]]〔沖縄県[[宜野湾市]]〕 **普天間飛行場(米海兵) === 空港・飛行場一覧 === {| class="wikitable sortable" style="font-size:85%;" !呼称 !style="width:16em"|市区町村 !都道府県 ![[ICAO空港コード|ICAO]] ![[IATA空港コード|IATA]] !種別 !注記/就航 !緯度・経度 |- |[[関西国際空港]] |[[泉佐野市]]・[[泉南郡]][[田尻町]]・[[泉南市]] |[[大阪府]] |RJBB |KIX 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|地方管理空港 |[[2008年]]11月、<wbr>[[エアードルフィン]](不定期)の撤退後、<wbr>常時運航便無し |{{nowrap|{{smaller|{{coord|24|03|30|N|123|48|14|E|region:JP_type:airport|name=Hateruma Airport}}}}}} |- |[[福島空港]] |[[石川郡]][[玉川村]]・[[須賀川市]] |[[福島県]] |RJSF |FKS |地方管理空港 |[[全日本空輸]]、<wbr>[[アイベックスエアラインズ|IBEXエアラインズ]] |{{nowrap|{{smaller|{{coord|37|13|39|N|140|25|41|E|region:JP_type:airport|name=Fukushima Airport}}}}}} |- |[[種子島空港]] |[[熊毛郡 (鹿児島県)|熊毛郡]][[中種子町]] |[[鹿児島県]] |RJFG |TNE |地方管理空港 |[[日本エアコミューター]]、<wbr>[[ジェイエア]] |{{nowrap|{{smaller|{{coord|30|36|18|N|130|59|30|E|region:JP_type:airport|name=New Tanegashima Airport}}}}}} |- |[[多良間空港]] |[[宮古郡]][[多良間村]] |[[沖縄県]] |RORT |TRA |地方管理空港 |[[琉球エアーコミューター]] |{{nowrap|{{smaller|{{coord|24|39|14|N|124|40|31|E|region:JP_type:airport|name=Tarama Airport}}}}}} |- |[[徳之島空港]] |[[大島郡 (鹿児島県)|大島郡]][[天城町]] |[[鹿児島県]] |RJKN |TKN |地方管理空港 |[[日本エアコミューター]]、<wbr>[[ジェイエア]] |{{nowrap|{{smaller|{{coord|27|50|11|N|128|52|53|E|region:JP_type:airport|name=Tokunoshima Airport}}}}}} |- |[[鳥取空港]] |[[鳥取市]] |[[鳥取県]] 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|[[ホンダエアポート]] |[[桶川市]]・[[比企郡]][[川島町]] |[[埼玉県]] |RJT1 | |民間非公共用 |レジャー機専用 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|35|58|21|N|139|31|42|E|region:JP_type:airport|name=Honda Airport}}}}}} |- |[[札幌飛行場|丘珠空港<br>札幌飛行場]] |[[札幌市]][[東区 (札幌市)|東区]] |[[北海道]] |RJCO |OKD |軍民共用 |陸上自衛隊駐屯地/民間空港 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|43|07|03|N|141|22|53|E|region:JP_type:airport|name=Okadama Airport}}}}}} |- |[[弟子屈飛行場|(旧)弟子屈飛行場]] |[[川上郡]][[弟子屈町]] |[[北海道]] | - | - |[[2009年]][[9月24日]]廃止 |国又は[[地方公共団体]]が<wbr>管理・運営する[[空港]]・飛行場で、<wbr>新空港への移転に伴う場合以外の<wbr>国内初の廃止例 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|43|28|45|N|144|26|9|E|region:JP_type:airport|name=Teshikaga Airfield}}}}}} |- |[[但馬飛行場]] |[[豊岡市]] |[[兵庫県]] |RJBT |TJH |その他の空港 |[[日本エアコミューター]] |{{nowrap|{{smaller|{{coord|35|30|46|N|134|47|13|E|region:JP_type:airport|name=Tajima Airport}}}}}} |- |[[美保飛行場]]<br>米子空港 |[[境港市]] |[[鳥取県]] |RJOH |YGJ |軍民共用 |航空自衛隊基地/民間空港 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|35|29|32|N|133|14|11|E|region:JP_type:airport|name=Miho-Yonago Airport}}}}}} |- |[[旭川駐屯地|旭川]]飛行場 |[[旭川市]] |[[北海道]] |RJCA | |航空基地 |陸上自衛隊駐屯地 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|43|47|40|N|142|21|54|E|region:JP_type:airport|name=Asahikawa Air Field}}}}}} |- |[[芦屋基地|芦屋飛行場]] |[[遠賀郡]][[芦屋町]] |[[福岡県]] |RJFA | |航空基地 |航空自衛隊基地 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|33|52|53|N|130|39|06|E|region:JP_type:airport|name=Ashiya Air Field}}}}}} |- |[[厚木海軍飛行場]] |[[綾瀬市]]・[[大和市]] |style="white-space:nowrap" |[[神奈川県]] |RJTA |NJA |航空基地 |アメリカ海軍・海上自衛隊基地 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|35|27|17|N|139|27|00|E|region:JP_type:airport|name=Naval Air Facility Atsugi}}}}}} |- |[[千歳基地|千歳飛行場]] |[[千歳市]] |[[北海道]] |RJCJ | |航空基地 |航空自衛隊基地 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|42|47|40|N|141|39|59|E|region:JP_type:airport|name=Chitose Air Base}}}}}} |- |[[横田飛行場]] |[[福生市]]・[[西多摩郡]][[瑞穂町]] ・[[武蔵村山市]]・[[羽村市]]・[[立川市]]・[[昭島市]] |[[東京都]] |RJTY |OKO |航空基地 |アメリカ空軍基地 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|35|44|55|N|139|20|55|E|region:JP_type:airport|name=Yokota Air Base}}}}}} |- |[[岐阜基地|岐阜]]飛行場 |[[各務原市]] |岐阜県 |RJNG | |航空基地 |航空自衛隊基地 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|{{nowrap|{{smaller|{{coord|32|05|01|N|131|27|05|E|region:JP_type:airport|name=Nyutabaru Air Base}}}}}} |- |[[立川飛行場]] |[[立川市]] |[[東京都]] |RJTC | |軍官共用 |陸上自衛隊駐屯地 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|35|42|39|N|139|24|11|E|region:JP_type:airport|display=inline|name=Tachikawa Airfield}}}}}} |- |[[館山航空基地|館山飛行場]] |[[館山市]] |[[千葉県]] |RJTE | |航空基地 |海上自衛隊基地 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|34|59|15|N|139|49|55|E|region:JP_type:airport|name=Tateyama Air Field}}}}}} |- |[[築城基地|築城飛行場]] |[[築上郡]][[築城町]] |[[福岡県]] |RJFZ | |航空基地 |航空自衛隊基地 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|33|41|06|N|131|02|25|E|region:JP_type:airport|name=Tsuiki Air Field}}}}}} |- |[[北宇都宮駐屯地|宇都宮飛行場]] |[[宇都宮市]] |[[栃木県]] |RJTU | |航空基地 |陸上自衛隊駐屯地 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|36|30|52|N|139|52|15|E|region:JP_type:airport|name=Utsunomiya Air Field}}}}}} |- |[[静浜基地|静浜飛行場]] |[[焼津市]] |[[静岡県]] |RJNY | |航空基地 |航空自衛隊基地 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|34|48|46|N|138|17|53|E|region:JP_type:airport|name=Shizuhama Air Base}}}}}} |- |(旧)[[石垣空港]] |[[石垣市]] |[[沖縄県]] |<del>ROIG</del> |<del>ISG</del> |[[2013年]][[3月6日]]廃港 |[[新石垣空港]]への移転により |{{nowrap|{{smaller|{{coord|24|20|41|N|124|11|13|E|region:JP_type:airport|name=Ishigaki Airport}}}}}} |- |style="white-space:nowrap" |(旧)[[北九州空港 (初代)|北九州空港]] |[[北九州市]][[小倉南区]] |[[福岡県]] |<del>RJFR</del> |<del>KKJ</del> |style="white-space:nowrap" |[[2006年]][[3月15日]]廃港 |[[北九州空港]]移転により |{{nowrap|{{smaller|{{coord|33|50|11|N|130|56|49|E|region:JP_type:airport|name=Kokura Airport}}}}}} |- |[[大村航空基地|大村飛行場]] |[[大村市]] |[[長崎県]] |RJDU | |軍民共用 |長崎空港A滑走路地区より<wbr>(旧)大村空港が独立 |{{nowrap|{{smaller|{{coord|32|55|47|N|129|56|56|E|region:JP_type:airport|name=Oomura Airport}}}}}} |} === 過去に存在した飛行場 === ==== 過去に存在した主な空港 ==== 廃港(廃止)後の跡地は、再開発・転用されたもののほか、[[ヘリポート]]としてヘリコプターの離着陸に特化したものもある。 * (旧)[[紋別空港#旧空港|紋別空港]]〔[[北海道]][[紋別市]]〕 - [[1999年]][[11月11日]]廃港 * (旧)[[女満別空港#旧空港|女満別空港]]〔北海道[[網走郡]][[女満別町]](現・網走郡[[大空町]])〕 - [[1985年]][[4月]]廃港 * (旧)[[秋田空港#旧空港|秋田空港]]〔[[秋田県]][[秋田市]]〕 - [[1981年]][[6月25日]]廃港 * (旧)[[広島西飛行場|広島空港]]〔広島県[[広島市]][[西区 (広島市)|西区]]〕- [[1993年]]に広島西飛行場に改称後、[[2012年]][[11月15日]]廃港。同日より広島ヘリポートとして供用開始 * (旧)[[高松空港#旧空港|高松空港]]〔[[香川県]][[高松市]]〕 - [[1989年]][[12月15日]]廃港、「林の飛行場」と呼ばれていた * (旧)[[北九州空港 (初代)|北九州空港]]〔[[福岡県]][[北九州市]]〕 - [[2006年]][[3月15日]]廃港 * (旧)[[熊本空港#旧熊本空港(健軍飛行場)について|熊本空港]]〔[[熊本県]][[熊本市]]〕 - 1971年4月廃港 * (旧)[[大分空港#旧大分空港|大分空港]]〔[[大分県]][[大分市]]〕 - [[1971年]][[10月]]廃港 * (旧)[[鹿児島空港#鹿児島市鴨池時代の鹿児島空港|鹿児島空港]]〔[[鹿児島県]][[鹿児島市]]〕 - 1972年4月廃港 * (旧)[[種子島空港 (初代)|種子島空港]]〔鹿児島県[[熊毛郡 (鹿児島県)|熊毛郡]][[中種子町]]〕 - 2006年3月15日廃港 * (旧)[[奄美空港#旧空港|奄美空港]]〔鹿児島県[[奄美市]]〕 - 1988年7月9日廃港 * (旧)[[南大東空港#旧空港|南大東空港]]〔[[沖縄県]][[島尻郡]][[南大東村]]〕 - 1997年7月廃港 * (旧)[[多良間空港#旧多良間空港|多良間空港]]〔沖縄県[[宮古郡]][[多良間村]]〕 - 2004年7月廃港 * (旧)[[石垣空港]]〔沖縄県[[石垣市]]〕 - [[2013年]][[3月6日]]廃港 : 以上の空港は新空港への移転に伴う閉鎖。いずれも、新空港開港当初には呼称に「新」の文字を含んでいたが、いずれも移転から1-2年後に改称し、その文字が外されている(2013年に供用を開始した新石垣空港を除く) * 牧の内飛行場〔北海道[[根室市]]〕 * [[愛国飛行場 (釧路市)|愛国飛行場]]〔北海道[[釧路郡]][[釧路町]]〕 * [[浅茅野飛行場]]〔北海道[[宗谷郡]][[猿払村]]〕 * [[弟子屈飛行場]]〔北海道[[川上郡]][[弟子屈町]]〕 - [[2009年]][[9月24日]]廃止 * [[阿見飛行場]]〔[[茨城県]][[稲敷郡]][[阿見町]]〕 - [[2015年]][[2月5日]]廃止 * [[大西飛行場]]〔[[群馬県]][[館林市]]、[[邑楽郡]][[邑楽町]]〕 - [[2004年]][[3月31日]]廃止 * [[所沢陸軍飛行場]] * [[追浜海軍航空隊|追浜飛行場]] * [[藤沢飛行場|東洋航空藤沢飛行場]]〔[[神奈川県]][[藤沢市]]〕 - [[1964年]][[10月31日]]廃止 * [[八日市飛行場]]〔[[滋賀県]][[東近江市]]〕 - 日本初の民間飛行場 * [[木津川飛行場]]([[大阪府]][[大阪市]]) - 逓信省航空局が開設した最初の飛行場 * [[鳴尾飛行場]]〔[[兵庫県]][[西宮市]]〕 * [[鶉野飛行場]]〔兵庫県[[加西市]]〕 * [[福岡第一飛行場]](雁ノ巣飛行場)〔[[福岡県]][[福岡市]]〕 * [[枕崎飛行場]](枕崎空港)〔鹿児島県[[枕崎市]]〕 - [[2013年]][[3月31日]]廃港[[2014年]][[9月18日]]より枕崎ヘリポートとして供用中 <!--* [[諏訪之瀬島飛行場]]〔鹿児島県[[鹿児島郡]][[十島村]]〕 - 十島村管理の場外離着陸場として使用--><!--「空港」名義では廃止だが、場外離着陸場として実在するので、過去に存在したには該当しない--> * 上本部飛行場(本部飛行場、桃原飛行場)〔沖縄県[[国頭郡]][[本部町]]〕 - 国有地部分を本部町が買収し、観光や農業振興を目的とした再開発を実施する予定<ref>[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-198242-storytopic-5.html 旧上本部飛行場跡地利用 農業、観光で地域振興] - 琉球新報(2012年10月19日付、2013年6月26日閲覧)</ref> * [[ボーローポイント|ボーロー飛行場]]〔沖縄県[[中頭郡]][[読谷村]]〕 - 第二次世界大戦中に米軍が建設した飛行場。終戦後は飛行場としては使われていない * [[読谷補助飛行場]]〔沖縄県中頭郡読谷村〕 - 現在は一般道として使用 * [[泡瀬飛行場]]〔沖縄県[[沖縄市]]〕 - 第二次世界大戦中に米軍が建設した飛行場。終戦後は飛行場としては使われていない ==== 過去に存在していた主な公共用ヘリポート ==== * [[足寄ヘリポート]]〔[[北海道]][[足寄郡]][[足寄町]]〕 - 北海道防災航空室の指定離陸場に転換 * [[占冠ヘリポート]](北海道[[勇払郡]][[占冠村]]) - 非公共用ヘリポートに転換 * [[ニセコヘリポート]](北海道[[虻田郡]][[ニセコ町]]) - 非公共用ヘリポートに転換 * [[増毛ヘリポート]](北海道[[増毛郡]][[増毛町]]) - 非公共用ヘリポートに転換 * [[乙部ヘリポート]](北海道[[爾志郡]][[乙部町]]) - 非公共用ヘリポートに転換 * [[砂川ヘリポート]](北海道[[砂川市]]) - 非公共用ヘリポートに転換 * [[舞洲ヘリポート]]([[大阪府]][[大阪市]][[此花区]]) - 非公共用ヘリポートに転換し、大阪ヘリポートに改称 * [[湯村温泉ヘリポート]]〔[[兵庫県]][[美方郡]][[新温泉町]]〕 * [[播磨ヘリポート]]〔兵庫県[[赤穂郡]][[上郡町]]〕 * [[神戸ヘリポート]]〔兵庫県[[神戸市]]〕 * [[佐伯ヘリポート]]([[大分県]][[佐伯市]]) === 建設中の空港 === 2019年現在、沖縄本島キャンプ・シュワブ辺野古([[普天間飛行場]]機能の移転)を除き、新規建設中の空港はない。 == 統計情報 == {{空港-統計|iata=NRT HND KIX NGO CTS}} * 国土交通省の統計による。配列順は旅客数の順とし、同一の場合は着陸回数の順とする。元の統計で空港とヘリポートを区部しておらず、またヘリポートでも旅客の利用があるため、区別せず配列する。 * {{Color|#ffcccc|■}}(※印):[[空港連絡鉄道]]がある空港。 * [[チャーター便]]の旅客数を含む。 * 単位 : 旅客数は「人」、着陸回数は「回」。 * 背景の棒グラフは[[対数]]。紫色は国際線を示す。 {| class="wikitable sortable" style="background:white;text-align:right;font-size:small;" |+ 2019年度 空港別旅客数・着陸回数<ref name="mlitdata2017">{{Cite web|和書|date=2018-08-29 |url=https://www.mlit.go.jp/common/001296782.xlsx|title=平成31年度(年度)空港別順位表 |work= |format=EXCEL |publisher=[[国土交通省]]航空局 |accessdate=2020-1-7}}</ref> !rowspan="2"|順位 !rowspan="2" style="background-color:#fc9"|'''空港''' !colspan="2" style="background-color:#f96"|合計 !colspan="2" style="background-color:#9bf"|国内線 !colspan="2" style="background-color:#caf"|国際線 !rowspan="2"|種別 |- !style="background-color:#f96;min-width:100px;"|'''旅客数''' !着陸数 !style="background:#9bf"|旅客数 !着陸数 !style="background:#caf"|旅客数 !着陸数 |- |1 || style="background:#fcc"|[[東京国際空港|羽田]]※ || {{DataBar|86920293/86920293|86,920,293 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|18537482/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 229,184 ||68,382,811 || 184,755 || 18,537,482 || 44,429 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 2 || style="background:#fcc"|[[成田国際空港|成田]]※ || |{{DataBar|42413928/86920293|42,413,928 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|34771149/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 132,626 || 7,642,779 || 28,015 || 34,771,149 || 104,611 || style=“text-align:left;”|会社管理空港 |- | 3 || style="background:#fcc"|[[関西国際空港|関西]]※ || |{{DataBar|31807820/86920293|31,807,820 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|24826050/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 103,417 || 6,981,770 || 24,463 || 24,826,050 || 78,954 || style=“text-align:left;”|会社管理空港 |- | 4 || style="background:#fcc"|[[福岡空港|福岡]]※ || |{{DataBar|24679617/86920293|24,679,617 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|6398065/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 90,740 || 18,281,552 || 71,086 || 6,398,065 || 19,654 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 5 || style="background:#fcc"|[[新千歳空港|新千歳]]※ || |{{DataBar|24599263/86920293|24,599,263 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|3866519/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 79,367 || 20,732,744 || 67,920 || 3,866,519 || 11,447 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 6 || style="background:#fcc"|[[那覇空港|那覇]]※ || |{{DataBar|21761828/86920293|21,761,828 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|3680830/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 80,806 || 18,080,998 || 68,427 || 3,680,830 || 12,379 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 7 || style="background:#fcc"|[[大阪国際空港|伊丹]]※ || |{{DataBar|16504209/86920293|16,504,209 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 69,222 || 16,504,209 || 69,212 || 0 || 10 || style=“text-align:left;”|会社管理空港 |- | 8 || style="background:#fcc"|[[中部国際空港|中部]]※ || |{{DataBar|13460149/86920293|13,460,149 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|6783526/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 57,020 || 6,676,623 || 32,864 || 6,783,526 || 24,156 || style=“text-align:left;”|会社管理空港 |- | 9 || [[鹿児島空港|鹿児島]] || |{{DataBar|6075210/86920293|6,075,210 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|411671/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 34,610 || 5,663,539 || 32,957 || 411,671 || 1,653 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 10 || style="background:#fcc"|[[仙台空港|仙台]]※ || |{{DataBar|3855387/86920293|3,855,387 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|393043/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 29,015 || 3,462,344 || 27,621 || 393,043 || 1,394 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 11 ||[[熊本空港|熊本]]|| |{{DataBar|3492188/86920293|3,492,188 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|170875/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 21,740 || 3,321,313 || 21,072 || 170,875 || 668 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 12 || style="background:#fcc"|[[宮崎空港|宮崎]]※ || |{{DataBar|3410361/86920293|3,410,361 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|97945/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 21,793 || 3,312,416 || 21,362 || 97,945 || 431 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 13 || style="background:#fcc"|[[神戸空港|神戸]]※ || |{{DataBar|3362720/86920293|3,362,720 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|49/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 15,704 || 3,362,671 || 15,697 || 49 || 7 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 14 ||[[長崎空港|長崎]]|| |{{DataBar|3360170/86920293|3,360,170 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|84900/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 15,729 || 3,275,270 || 15,366 || 84,900 || 363 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 15 ||[[広島空港|広島]] || |{{DataBar|3166572/86920293|3,166,572 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|345496/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 12,500 || 2,821,076 || 11,015 || 345,496 || 1,485 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 16 ||[[松山空港|松山]]|| |{{DataBar|3152419/86920293|3,152,419 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|97458/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 15,527 || 3,054,961 || 15,150 || 97,458 || 377 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 17 ||[[新石垣空港|石垣]]|| |{{DataBar|2614822/86920293|2,614,822 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|99612/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 12,583 || 2,515,210 || 12,260 || 99,612 || 323 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 18 ||[[高松空港|高松]]|| |{{DataBar|2152430/86920293|2,152,430 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|336972/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 9,660 || 1,815,458 || 8,510 || 336,972 || 1,150 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 19 ||[[大分空港|大分]]|| |{{DataBar|1982377/86920293|1,982,377 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|105490/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 11,507 || 1,876,887 || 11,046 || 105,490 || 461 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 20 ||[[小松飛行場|小松]]|| |{{DataBar|1887535/86920293|1,887,535 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|234449/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 8,497 || 1,653,086 || 7,507 || 234,449 || 990 || style=“text-align:left;”|共用空港 |- | 21 ||[[宮古空港|宮古]]|| |{{DataBar|1803490/86920293|1,803,490 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 8,351 || 1,803,490 || 8,351 || 0 || 8 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 22 ||[[函館空港|函館]]|| |{{DataBar|1800577/86920293|1,800,577 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|167880/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 9,056 || 1,632,697 || 8,453 || 167,880 || 603 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 23 ||[[北九州空港|北九州]]|| |{{DataBar|1753525/86920293|1,753,525 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|302919/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 9,813 || 1,450,606 || 8,359 || 302,919 || 1,454 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 24 ||[[高知空港|高知]]|| |{{DataBar|1656279/86920293|1,656,279 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|2308/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 9,836 || 1,653,971 || 9,827 || 2,308 || 9 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 25 ||[[岡山空港|岡山]]|| |{{DataBar|1611958/86920293|1,611,958 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|298988/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 6,155 || 1,312,970 || 4,676 || 298,988 || 1,479 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 26 ||[[秋田空港|秋田]]|| |{{DataBar|1380863/86920293|1,380,863 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|11830/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 8,938 || 1,369,033 || 8,880 || 11,830 || 58 || 特定style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 27 ||[[青森空港|青森]]|| |{{DataBar|1250569/86920293|1,250,569 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|72364/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 8,509 || 1,178,205 || 8,196 || 72,364 || 313 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 28 ||[[徳島飛行場|徳島]]|| |{{DataBar|1218852/86920293|1,218,852 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|8493/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 5,197 || 1,210,359 || 5,163 || 8,493 || 34 || style=“text-align:left;”|共用空港 |- | 29 ||[[新潟空港|新潟]]|| |{{DataBar|1201419/86920293|1,201,419 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|137713/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 13,323 || 1,063,706 || 12,692 || 137,713 || 631 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 30 ||[[旭川空港|旭川]]|| |{{DataBar|1158948/86920293|1,158,948 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|49431/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 3,574 || 1,109,517 || 3,574 || 49,431 || 235 || 特定style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 31 ||[[出雲空港|出雲]]|| |{{DataBar|1051155/86920293|1,051,155 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|1895/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 6,836 || 1,049,260 || 6,816 || 1,895 || 20 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 32 || style="background:#ffcccc"|[[山口宇部空港|山口宇部]]※{{efn|西日本旅客鉄道(JR西日本)宇部線草江駅が、空港から約600m、徒歩8分に所在する。空港の公式ウェブページ<ref>[http://www.yamaguchiube-airport.jp/mapaccess/train.html 交通アクセス]</ref> においても徒歩7分と表記され、「JR時刻表」(交通新聞社)にも最寄り駅として掲載されることから、空港連絡鉄道がある空港として扱う。}}|| |{{DataBar|1028166/86920293|1,028,166 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|13227/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 4,246 || 1,014,939 || 4,194 || 13,227 || 52 || 特定style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 33 ||[[名古屋飛行場|小牧]]|| |{{DataBar|942753/86920293|942,753 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|691/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 21,199 || 942,062 || 21,117 || 691 || 82 || その他の空港 |- | 34 ||[[奄美空港|奄美]]|| |{{DataBar|891990/86920293|891,990 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 8,101 || 891,990 || 8,101 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 35 ||[[釧路空港|釧路]]|| |{{DataBar|866970/86920293|866,970 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|772/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 5,442 || 866,198 || 5,432 || 772 || 10 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 36 ||[[女満別空港|女満別]]|| |{{DataBar|860458/86920293|860,458 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|1958/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 4,640 || 858,500 || 4,630 || 1,958 || 10 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 37 ||[[百里飛行場|茨城]]|| |{{DataBar|822208/86920293|822,208 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|168943/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 3,210 || 653,265 || 2,621 || 168,943 || 589 || style=“text-align:left;”|共用空港 |- | 38 ||[[佐賀空港|佐賀]]|| |{{DataBar|813082/86920293|813,082 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|202663/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 5,307 || 610,419 || 4,556 || 202,663 || 751 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 39 ||[[静岡空港|静岡]]|| |{{DataBar|805195/86920293|805,195 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|317142/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 5,702 || 488,053 || 4,348 || 317,142 || 1,354 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 40 ||[[帯広空港|帯広]]|| |{{DataBar|701557/86920293|701,557 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|614/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 7,682 || 700,943 || 7,679 || 614 || 3 || 特定style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 41 || style="background:#ffcccc"|[[美保飛行場|米子]]※|| |{{DataBar|692137/86920293|692,137 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|87345/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 3,078 || 604,792 || 2,721 || 87,345 || 357 || style=“text-align:left;”|共用空港 |- | 42 ||[[富山空港|富山]]|| |{{DataBar|575172/86920293|575,172 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|119558/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 3,937 || 455,614 || 3,360 || 119,558 || 577 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 43 ||[[花巻空港|花巻]]|| |{{DataBar|516742/86920293|516,742 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|46666/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 5,685 || 470,076 || 5,478 || 46,666 || 207 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 44 ||[[岩国飛行場|岩国]]|| |{{DataBar|513750/86920293|513,750 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 2,171 || 513,750 || 2,171 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|共用空港 |- | 45 ||[[庄内空港|庄内]]|| |{{DataBar|442566/86920293|442,566 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|5494/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 2,259 || 437,072 || 2,233 || 5,494 || 26 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 46 ||[[鳥取空港|鳥取]]|| |{{DataBar|417740/86920293|417,740 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|6848/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 2,609 || 410,892 || 2,572 || 6,848 || 37 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 47 ||[[山形空港|山形]]|| |{{DataBar|366678/86920293|366,678 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|28025/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 4,182 || 338,653 || 4,070 || 28,025 || 112 || 特定style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 48 ||[[三沢飛行場|三沢]]|| |{{DataBar|309527/86920293|309,527 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,815 || 309,527 || 1,815 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|共用空港 |- | 49 ||[[福島空港|福島]]|| |{{DataBar|282437/86920293|282,437 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|26820/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 4,504 || 255,617 || 4,388 || 26,820 || 116 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 50 ||[[札幌飛行場|丘珠]]|| |{{DataBar|277425/86920293|277,425 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 8,388 || 277,425 || 8,387 || 0 || 1 || style=“text-align:left;”|共用空港 |- | 51 ||[[久米島空港|久米島]]|| |{{DataBar|264524/86920293|264,524 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 2,653 || 264,524 || 2,653 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 52 ||[[対馬空港|対馬]]|| |{{DataBar|257687/86920293|257,687 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 3,420 || 257,687 || 3,420 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 53 ||[[中標津空港|中標津]]|| |{{DataBar|214875/86920293|214,875 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,617 || 214,875 || 1,617 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 54 ||[[八丈島空港|八丈島]]|| |{{DataBar|213569/86920293|213,569 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 2,004 || 213,569 || 2,004 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 55 ||[[徳之島空港|徳之島]]|| |{{DataBar|207542/86920293|207,542 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 2,725 || 207,542 || 2,725 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 56 ||[[稚内空港|稚内]]|| |{{DataBar|203654/86920293|203,654 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,415 || 203,654 || 1,415 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|国管理空港 |- | 57 ||[[南紀白浜空港|南紀白浜]]|| |{{DataBar|182158/86920293|182,158 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 2,510 || 182,158 || 2,510 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 58 ||[[能登空港|能登]]|| |{{DataBar|174544/86920293|174,544 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|1615/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,571 || 172,929 || 1,564 || 1,615 || 7 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 59 ||[[福江空港|福江]]|| |{{DataBar|168974/86920293|168,974 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 2,629 || 168,974 || 2,629 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 60 ||[[大館能代空港|大館能代]]|| |{{DataBar|159214/86920293|159,214 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 795 || 159,214 || 795 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 61 ||[[松本空港|松本]]|| |{{DataBar|155898/86920293|155,898 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|2222/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 3,383 || 153,676 || 3,351 || 2,222 || 32 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 62 ||[[石見空港|石見]]|| |{{DataBar|152725/86920293|152,725 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 864 || 152,725 || 864 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 63 ||[[屋久島空港|屋久島]]|| |{{DataBar|145973/86920293|145,973 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 2,318 || 145,973 || 2,318 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 64 || [[沖永良部空港|沖永良部]] || |{{DataBar|119636/86920293|119,636 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 2,151 || 119,636 || 2,151 || 0 || 0 || その他の空港 |- | 65 ||[[下地島空港|下地島]]|| |{{DataBar|109246/86920293|109,246 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|17246/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 734 || 92,000 || 646 || 17,246 || 88 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 66 ||[[与那国空港|与那国]]|| |{{DataBar|104463/86920293|104,463 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,484 || 104,463 || 1,484 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 67 ||[[調布飛行場|調布]]|| |{{DataBar|97041/86920293|97,041 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 6,412 || 97,041 || 6,412 || 0 || 0 || その他の空港 |- | 68 ||[[喜界空港|喜界]]|| |{{DataBar|89729/86920293|89,729 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,867 || 89,729 || 1,867 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 69 ||[[種子島空港|種子島]]|| |{{DataBar|88513/86920293|88,513 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,871 || 88,513 || 1,871 || 0 || 0 || その他の空港 |- | 70 ||[[与論空港|与論]]|| |{{DataBar|78227/86920293|78,227 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,493 || 78,227 || 1,493 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 71 ||[[紋別空港|紋別]]|| |{{DataBar|77299/86920293|77,299 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 396 || 77,299 || 396 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 72 ||[[隠岐空港|隠岐]]|| |{{DataBar|63732/86920293|63,732 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 804 || 63,732 || 804 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 73 ||[[南大東空港|南大東]]|| |{{DataBar|47871/86920293|47,871 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 766 || 47,871 || 766 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 74 ||[[利尻空港|利尻]]|| |{{DataBar|45183/86920293|45,183 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 539 || 45,183 || 539 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 75 ||[[多良間空港|多良間]]|| |{{DataBar|44809/86920293|44,809 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 725 || 44,809 || 725 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 76 ||[[天草飛行場|天草]]|| |{{DataBar|43982/86920293|43,982 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,314 || 43,982 || 1,314 || 0 || 0 || その他の空港 |- | 77 ||[[但馬飛行場|但馬]]|| |{{DataBar|42105/86920293|42,105 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,977 || 42,105 || 1,977 || 0 || 0 || その他の空港 |- | 78 ||[[壱岐空港|壱岐]]|| |{{DataBar|34992/86920293|34,992 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 823 || 34,992 || 823 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 79 ||[[新島空港|新島]]|| |{{DataBar|32343/86920293|32,343 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,153 || 32,343 || 1,153 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 80 ||[[三宅島空港|三宅島]]|| |{{DataBar|29163/86920293|29,163 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,672 || 29,163 || 1,672 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 81 ||[[大島空港|大島]]|| |{{DataBar|24539/86920293|24,539 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 2,202 || 24,539 || 2,202 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 82 ||[[神津島空港|神津島]]|| |{{DataBar|22638/86920293|22,638 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 823 || 22,638 || 823 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 83 ||[[北大東空港|北大東]]|| |{{DataBar|21651/86920293|21,651 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 393 || 21,651 || 393 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 84 ||[[奥尻空港|奥尻]]|| |{{DataBar|11881/86920293|11,881 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 390 || 11,881 || 390 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 85 ||[[舞洲ヘリポート|舞洲H]] || |{{DataBar|1403/86920293|1,403 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,113 || 1,403 || 1,113 || 0 || 0 || |- | 86 ||[[粟国空港|粟国]]|| |{{DataBar|850/86920293|850 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 822 || 850 || 219 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 87 ||[[奈良県ヘリポート|奈良県H]] || |{{DataBar|272/86920293|272 |line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 815 || 272 || 815 || 0 || 0 || |- | 88 ||[[慶良間空港|慶良間]]|| |{{DataBar|193/86920293|193|line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 50 || 193 || 50 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 89 ||[[米沢ヘリポート|米沢H]] || |{{DataBar|43/86920293|43|line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 54 || 43 || 54 || 0 || 0 || |- | 90 ||[[津市伊勢湾ヘリポート|津市伊勢湾H]] || |{{DataBar|7/86920293|7|line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,202 || 7 || 1,202 || 0 || 0 || |- | 91 || [[小値賀空港|小値賀]]|| |{{DataBar|5/86920293|5|line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 170 || 5 || 170 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 92 ||[[岡南飛行場|岡南]]|| |{{DataBar|2/86920293|2|line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 3,692 || 2 || 3,692 || 0 || 0 || その他の空港 |- | 93 || [[東京ヘリポート|東京都東京H]] || |{{DataBar|0/86920293|0|line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 11,562 || 0 || 11,562 || 0 || 0 || |- | 94 ||[[八尾飛行場|八尾]]|| |{{DataBar|0/86920293|0|line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 10,517 || 0 || 10,516 || 0 || 1 || その他の空港 |- | 95 ||[[福井空港|福井]]|| |{{DataBar|0/86920293|0|line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 3,436 || 0 || 3,436 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 96 ||[[広島ヘリポート|広島H]] || |{{DataBar|0/86920293|0|line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 2,355 || 0 || 2,355 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 97 ||[[静岡ヘリポート|静岡H]] || |{{DataBar|0/86920293|0|line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,858 || 0 || 1,858 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|共用空港 |- | 98 ||[[つくばヘリポート|つくばH]] || |{{DataBar|0/86920293|0|line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 1,227 || 0 || 1,227 || 0 || 0 || |- | 99 ||[[栃木ヘリポート|栃木H]] || 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style=“text-align:left;”|地方管理空港 |- | 111 ||[[千歳基地|千歳]]|| |{{DataBar|0/86920293|0|line=#9bf|log=1|ext={{DataBar/element|0/86920293|#dcf|line=#caf|log=1}}}} || 0 || 0 || 0 || 0 || 0 || style=“text-align:left;”|共用空港 |} == 空港空撮画像ギャラリー == <gallery> Rishiri Airport 17-Sept-2018.jpg|[[利尻空港]] Wakkanai Airport from the sky.jpg|[[稚内空港]] Monbetsu.airports aerial shoot.jpg|[[紋別空港]] Asahikawa airport panorama of Japan.jpg|[[旭川空港]] Shinchitose.aierial shoot.jpg|[[新千歳空港]] Okadama airport aerial shot.jpg|[[札幌飛行場]](丘珠空港) Hakodate from sky.JPG|[[函館空港]] Misawa airbase-Aerial Shoot.jpg|[[三沢飛行場]] Hanamaki.airports.Aerial shoot.jpg|[[花巻空港]] 20081012SendaiAirport.JPG|[[仙台空港]] FukushimaAirportM.jpg|[[福島空港]] Tokyo International Airport Airfield.jpg|[[東京国際空港]] Narita International Air Port(成田空港 航空写真), Chiba(Japan) from Airplane - panoramio.jpg|[[成田国際空港]] Choufu.airports.aerial shoot.jpg|[[調布飛行場]] 20090730大島空港M2.jpg|[[大島空港]] Niijima Airport (--- RJAN) (457235823).jpg|[[新島空港]] Miyakejima Airport Aerial photograph.jpg|[[三宅島空港]] Hachijojima airports aerial shoot.jpg|[[八丈島空港]] NiigataCity AerialPhoto.jpg|[[新潟空港]](画像奥の[[阿賀野川]]河口に位置する) Toyama airport as seen from air 20080916.jpg|[[富山空港]] Noto airport aerial shot.jpg|[[能登空港]] 20080916KomatsuAirport.jpg|[[小松飛行場]] Matsumoto airport aerial shot.jpg|[[松本空港]] 20091015静岡空港.jpg|[[静岡空港]] Chubu Central Airport aerial view.jpg|[[中部国際空港]] 20140513名古屋飛行場.jpg|[[名古屋飛行場]] Osaka International Airport.aerial shoot.jpg|[[大阪国際空港]] Kix aerial photo.jpg|[[関西国際空港]] Yao.airports.aerial shoot.jpg|[[八尾空港]] 151229 Kobe Port Japan02bs.jpg|[[神戸空港]] 20101130南紀白浜空港.jpg|[[南紀白浜空港]] 20070919YonagoAirport.jpg|[[美保飛行場]] 20080720OkiAirport.JPG|[[隠岐空港]] Izumoairports.aerial shoot.jpg|[[出雲空港]] Iwami.airports.airerialshoot.jpg|[[石見空港]] Okayama airport aerial shoot.jpg|[[岡山空港]] Kounan.airport.aerialshoot.jpg|[[岡南飛行場]] Hiroshima.airports.airerial shoot.jpg|[[広島空港]] Yamaguchi-Ube-Airport.JPG|[[山口宇部空港]] Tokushima airfield 01.jpg|[[徳島飛行場]] Matsuyama Airport (Is seen from the sky) Ehime,JAPAN.jpg|[[松山空港]] Kouchi airports aerial shoot.jpg|[[高知空港]] Fukuoka_Airport_and_Hakata_Station_areas_Aerial_photograph.jpg|[[福岡空港]] Nagasaki.airports.aerial shoot3.jpg|[[長崎空港]] Fukue.airports.Aerial Shoot.jpg|[[福江空港]] Tsushima.airports.airerialshoot.jpg|[[対馬空港]] Aerial of Kumamoto Airport.jpg|[[熊本空港]] Ooitaairport-edit.jpg|[[大分空港]] Oita_kenou_airport.JPG|[[大分県央飛行場]] Miyazaki.airports.aerial.shoot.jpg|[[宮崎空港]] 鹿児島空港(空撮).JPG|[[鹿児島空港]] Tokunoshima airport.jpg|[[徳之島空港]] Naha Airport 2nd runway under construction.jpg|[[那覇空港]] 新石垣空港(空撮).JPG|right|[[新石垣空港]] Minamidaitou.airports.airerial shoot.jpg|[[南大東空港]] 宮古空港.jpg|[[宮古空港]] Tarama.airports.Aerial Shoot.jpg|[[多良間空港]] Shimojijima Airport from aircraft 20180310.jpg|[[下地島空港]] 与那国空港.JPG|[[与那国空港]] </gallery> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[空港コード]] * [[レディオ空港]] * [[リモート空港]] * [[航空管制官]] * [[国土交通省]] - [[航空局]] * [[空港連絡鉄道]] * [[場外離着陸場]] - [[農道離着陸場]] * [[航空会社]] == 外部リンク == {{commonscat|Airports in Japan}} * [http://www.air-terminal.or.jp/ 全国空港ビル協会] * [https://www.mlit.go.jp/statistics/details/cab_list.html 航空関係統計データ] - [[国土交通省]]航空局 ** [https://www.mlit.go.jp/koku/15_bf_000310.html 空港一覧] ** [https://www.mlit.go.jp/k-toukei/koukuuyusoutoukei.html 航空輸送統計調査] * [https://www.jnto.go.jp/jpn/inbound_market/index.html マーケティング・データ] - [[国際観光振興機構|日本政府観光局]] (JNTO) ※出入国人数などのデータ。 {{日本関連の項目}} {{日本の空港}} {{アジアの題材|空港の一覧}} {{Portal bar|アジア|日本|航空|交通}} <!-- ※各空港のウェブページへは各空港の項目から入ってください。--> {{DEFAULTSORT:にほんのくうこう}} [[Category:日本の空港|*]] [[Category:国別の空港の一覧|にほん]]
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3月8日
3月8日(さんがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から67日目(閏年では68日目)にあたり、年末まであと298日ある。
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3月8日(さんがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から67日目(閏年では68日目)にあたり、年末まであと298日ある。
{{カレンダー_3月}} '''3月8日'''(さんがつようか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から67日目([[閏年]]では68日目)にあたり、年末まであと298日ある。 == できごと == [[File:New York Stock Exchange 1882.jpg|thumb|180px|[[ニューヨーク証券取引所]]発足(1817)。画像は1882年の NYSE]] * [[161年]] - 第16代ローマ帝国皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスとルキウス・ウェルスが即位 * [[1669年]] - [[イタリア]]の[[シチリア島]]にある[[エトナ火山]]が噴火。主に[[溶岩流]]により、約1万人が死亡。 * [[1702年]] - [[アン (イギリス女王)|アン]]が[[イングランド王国|イングランド]]・[[スコットランド王国|スコットランド]]・[[アイルランド王国|アイルランド]]女王に即位。 * [[1801年]] - {{仮リンク|ジェームズ・フィンレイ (エンジニア)|en|James Finley (engineer)|label=ジェームズ・フィンレイ}}が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ペンシルベニア州]]に初の近代[[吊橋]]・{{仮リンク|ジェイコブズ・クリーク橋|en|Jacob's Creek Bridge (Pennsylvania)}}を建設。 * [[1802年]] - [[イギリス]]の[[ウィリアム・マードック]]が[[石炭ガス]]を[[照明]]に利用。 * [[1817年]] - [[ニューヨーク証券取引所]]が発足する。 * [[1844年]] - [[オスカル1世 (スウェーデン王)|オスカル1世]]が[[スウェーデン]]・[[ノルウェー]]王に即位。 * [[1862年]] - [[南北戦争]]: [[ハンプトン・ローズ海戦]]が始まる。 * [[1868年]](慶応4年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]) - [[堺事件]]が起こる。 * [[1891年]] - [[日本ハリストス正教会|日本正教会]]の[[ニコライ堂]]が竣工。 * [[1900年]] - フランスの旅行ガイドブック『[[ミシュランガイド|ギド・ミシュラン]]』が創刊。 * [[1903年]] - 東京・神田で現在の位置に新[[万世橋]]が開通。 * [[1904年]] - [[ニューヨーク]]で[[婦人参政権]]を求める[[デモ活動|デモ]]、後にこの日が[[国際女性デー]]となる。 * [[1909年]] - 日本で、それまでの[[メートル法]]・[[尺貫法]]に加え[[ヤード・ポンド法]]も公認した改正[[度量衡法]]公布。 * [[1917年]]([[ユリウス暦]][[2月23日]]) - [[3月3日]]の[[ロシア]]の首都[[ペトログラード]]でのストライキが全市に拡大。[[2月革命 (1917年)|2月革命]]の始まり。 * [[1922年]] - [[偕楽園]]が日本の[[史跡]]・[[名勝]]に指定される。 * [[1923年]] - [[赤瀾会]]が[[国際女性デー]](当時は国際婦人デー)に日本初の記念集会を開く。 * [[1935年]] - [[忠犬ハチ公]]が[[渋谷駅]]前で衰弱死する。 * [[1936年]] - [[デイトナビーチ]]で世界初の[[ストックカー]]レースが行われる。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]で、[[日本軍]]が[[ラングーン]]を占領する。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦: [[インパール作戦]]が始まる。 * [[1947年]] - [[国際通貨基金]](IMF)が業務を開始する。 * 1947年 - 戦後初の国際婦人デー、開始。 * [[1949年]] - [[近鉄山田線]][[松阪駅]]構内で[[電車]]が炎上。乗員・乗客8人が死亡、重軽傷28人<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=72 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1954年]] - [[日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定|日米相互防衛援助協定]](MSA協定)が調印される。 * [[1957年]] - [[第二次中東戦争]]で閉鎖されていた[[スエズ運河]]の通行が再開。 * 1957年 - [[ガーナ]]が[[国際連合|国連]]に加盟。 * [[1963年]] - [[シリア]]で[[クーデター]]が起こり[[バアス党]]が実権を掌握する。 * [[1966年]] - [[アイルランド]]の首都[[ダブリン]]の{{仮リンク|ネルソン記念柱 (ダブリン)|en|Nelson's Pillar|label=ネルソン記念柱}}が[[IRA暫定派]]によって爆破される。 * [[1969年]] - [[東京都]][[板橋区]][[仲宿]]の[[都営地下鉄三田線]]工事現場跡で[[ガス爆発]]事故が発生。付近の5棟8世帯が全半焼し、住民5人が死亡<ref>補償金1億2千万円 東京・板橋のガス爆発 八世帯と示談まとまる『朝日新聞』1969年12月26日(夕刊)3版 10面</ref>。 * [[1974年]] - [[パリ]]の[[シャルル・ド・ゴール国際空港]]が開港。 * [[1978年]] - ラジオドラマ『[[銀河ヒッチハイク・ガイド]]』放送開始。 * [[1982年]] - [[具志堅用高]]が世界王座の14回目の防衛に失敗。 * [[1983年]] - 米大統領 [[ロナルド・レーガン]]が[[一般教書演説]]で[[ソビエト連邦]]を「[[悪の帝国]]」と呼んで非難。 * [[1985年]] - [[芦屋市幼児誘拐事件]]。 * [[1989年]] - [[法廷メモ訴訟]]の[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]判決。法定内での傍聴人のメモは原則自由とする初めての判断。 * [[1997年]] - [[JR東西線]]開業。 * [[2000年]] - [[東京都]][[目黒区]]の[[中目黒駅]]近くにて、[[東京メトロ日比谷線|営団地下鉄(現:東京地下鉄)日比谷線]]の脱線事故。5人が死亡。60人以上が負傷。([[営団日比谷線脱線衝突事故]]) * [[2001年]] - [[JUDY AND MARY]]が解散<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.barks.jp/news/?id=52224219|title=2001年3月8日、JUDY AND MARY、さくっと解散|work=BARKS|date=2001-03-15|accessdate=2020-07-17}}</ref>。 * [[2004年]] - [[イラク統治評議会]]が新憲法に署名。 * [[2006年]] - [[ニューヨーク証券取引所]]の[[持株会社]]「NYSEグループ」が[[株式]]を上場、67ドルの上場初値を付ける。 * [[2008年]] - [[北関東自動車道]]・[[伊勢崎インターチェンジ|伊勢崎IC]]~[[太田桐生インターチェンジ|太田桐生IC]]間が開通<ref>{{Cite web|和書|url=https://radiate.jp/20080302/kitakan_opening_gunma/|title=北関東道 伊勢崎IC〜太田桐生IC 北関フェスタぐんまinおおた|work=ラジエイト|date=2008-03-02|accessdate=2020-07-17}}</ref>。 * [[2014年]] - [[マレーシア航空370便墜落事故]]。 * [[2018年]] - [[チリ]]、[[サンティアゴ (チリ)|サンティアゴ]]で日本など11ヶ国が[[環太平洋パートナーシップ協定]](TPP11)に署名<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kantei.go.jp/jp/headline/tpp2015.html|title=TPP(環太平洋パートナーシップ)協定|work=内閣官房内閣広報室|accessdate=2020-07-17}}</ref>。 === 日本の自治体改編 === * [[2010年]] - 山梨県[[増穂町]]と[[鰍沢町]]が合併して[[富士川町]]に。 * 2010年 - 滋賀県[[近江八幡市]]と[[安土町]]が合併して[[近江八幡市]]に。 == 誕生日 == === 人物 === [[File:BachC.P.E-739858.jpg|thumb|180px|[[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ]](1714-1788)誕生。[[古典派音楽]]の基礎を築いた]] [[File:Koun_Takamura_cropped.jpg|thumb|180px|[[彫刻家]]、[[高村光雲]](1852-1934)誕生。[[上野恩賜公園]]の[[西郷隆盛像]]は光雲の作である]] * [[1293年]]([[永仁]]元年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]) - [[北畠親房]]、[[公家]](+ [[1354年]]) * [[1566年]] - [[カルロ・ジェズアルド]]、[[作曲家]](+ [[1613年]]) * [[1700年]] - [[アン・ボニー]]<ref>John Carlova, ''Mistress of the Seas''</ref>、[[海賊]](+ [[1782年]]) * [[1714年]] - [[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Carl-Philipp-Emanuel-Bach Carl Philipp Emanuel Bach German composer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、作曲家(+ [[1788年]]) * [[1748年]] - [[ウィレム5世 (オラニエ公)|ウィレム5世]]、オラニエ公(+ [[1806年]]) * [[1799年]] - [[サイモン・キャメロン]]、[[アメリカ合衆国陸軍長官]](+ [[1899年]]) * [[1804年]] - [[アルヴァン・クラーク]]、[[天文学者]]、[[望遠鏡]]製作者(+ [[1887年]]) * [[1852年]]([[嘉永]]5年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]]) - [[高村光雲]]、[[彫刻家]](+ [[1934年]]) * [[1859年]] - [[ケネス・グレアム]]、[[小説家]](+ [[1932年]]) * [[1878年]] - [[平賀譲]]、[[造船]][[工学者]](+ [[1943年]]) * [[1879年]] - [[オットー・ハーン]]、[[物理学者]](+ [[1968年]]) * [[1882年]] - [[嶋田青峰]]、[[俳人]](+ [[1944年]]) * [[1886年]] - [[エドワード・カルビン・ケンダル]]、[[生化学者]](+ [[1972年]]) * 1886年 - [[松井須磨子]]、[[俳優|女優]](+ [[1919年]]) * [[1891年]] - [[保科善四郎]]、[[海軍軍人]]、[[政治家]](+ [[1991年]]) * [[1892年]] - [[チャールズ・ウィロビー]]、[[陸軍軍人]]、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]参謀第2部(G2)部長(+ 1972年) * [[1902年]] - [[山本栄一郎]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1979年]]) * [[1904年]] - [[西村栄一]]、政治家(+ [[1971年]]) * [[1905年]] - [[高橋貞樹]]、[[全国水平社|水平運動家]](+ [[1935年]]) * [[1907年]] - [[守田勘彌 (14代目)]]、[[歌舞伎役者]](+ [[1975年]]) * 1907年 - [[コンスタンディノス・カラマンリス]]、政治家(+ [[1998年]]) * [[1908年]] - [[桝嘉一]]、元プロ野球選手(+ [[1981年]]) * 1908年 - [[宮城音弥]]、[[心理学者]](+ [[2005年]]) * [[1910年]] - [[クレア・トレヴァー]]、女優(+ [[2000年]]) * [[1913年]] - [[岡田誠三]]、小説家(+ [[1994年]]) * [[1914年]] - [[ヤーコフ・ゼルドビッチ]]、物理学者(+ [[1987年]]) * [[1915年]] - [[タピオ・ラウタヴァーラ]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]]、[[歌手]]、[[俳優]](+ [[1979年]]) * [[1917年]] - [[呉振宇]]、[[軍人]](+ [[1995年]]) * [[1919年]] - [[水上勉]]、小説家(+ [[2004年]]) * [[1920年]] - [[ラインホルト・バルヒェット]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1962年]]) * [[1921年]] - [[シド・チャリシー]]、女優、[[ダンサー]](+ [[2008年]]) * [[1922年]] - [[水木しげる]]、[[漫画家]](+ [[2015年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG30H4P_Q5A131C1MM8000/|title=漫画家の水木しげる氏が死去 93歳、「ゲゲゲの鬼太郎」|publisher=日本経済新聞|date=2015-11-30|accessdate=2020-11-23}}</ref>]) * 1922年 - [[ラルフ・ベア]]、[[発明家]](+ [[2014年]]) * [[1924年]] - [[三村勲]]、元プロ野球選手(+ [[2012年]]) * [[1925年]] - [[木村浩]]、[[ロシア文学者]](+ [[1992年]]) * [[1926年]] - [[本島健三]]、[[測量技師]]、[[慈善家]](+ 2014年) * 1926年 - [[笠井智一]]、元[[大日本帝国海軍|海軍]]軍人(+ [[2021年]]) * [[1930年]] - [[金子辰雄]]、元アナウンサー * [[1933年]] - [[高木ブー]]、[[コメディアン]]、[[ウクレレ]]奏者([[ザ・ドリフターズ]]) * 1933年 - [[澤村宗十郎 (9代目)]]、歌舞伎役者(+ [[2001年]]) * [[1934年]] - [[宮尾すすむ]]、[[タレント]](+ [[2011年]]) * 1934年 - [[町田行彦]]、元プロ野球選手 * 1934年 - [[クリスチャン・ウォルフ]]、作曲家 * [[1936年]] - [[ガボール・ザボ]]、[[ジャズ]][[ギタリスト]](+ [[1982年]]) * [[1938年]] - [[森滝義巳]]、元プロ野球選手 * [[1939年]] - [[鎌田実]]、元プロ野球選手(+ [[2019年]]) * 1939年 - [[劉詩昆]]、[[作曲家]]、[[ピアニスト]] * [[1941年]] - [[住吉重信]]、元プロ野球選手 * 1941年 - [[アレクセイ・ミーシン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1941年 - [[スティーヴン・ルークス]]、[[社会学者の一覧|社会学者]]、[[政治学者]] * 1941年 - [[大東隆行]]、実業家(+ [[2013年]]) * [[1942年]] - [[布上清香]]、[[書家]] * 1942年 - [[アン・パッカー]]、陸上競技選手 * 1942年 - [[ディック・アレン]]、元プロ野球選手(+ [[2020年]]) * [[1943年]] - [[はらたいら]]、漫画家(+ [[2006年]]) * 1943年 - [[リン・レッドグレイヴ]]、女優(+ [[2010年]]) * [[1944年]] - [[ペペ・ロメロ]]、[[クラシックギター]]奏者 * [[1945年]] - [[アンゼルム・キーファー]]、[[画家]] * [[1946年]] - [[ランディ・マイズナー]]、[[ミュージシャン]](元[[イーグルス]])(+ [[2023年]]) * [[1947年]] - [[佐藤謙一郎]]、政治家 * 1947年 - [[ペギー・マーチ]]、歌手 * 1947年 - [[キャロル・ベイヤー・セイガー]]、[[ソングライター]] * [[1948年]] - [[篠ひろ子]]、女優 * 1948年 - [[山根隆治]]、政治家(+ [[2022年]]) * [[1949年]] - [[テオフィロ・クビジャス]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]] * [[1951年]] - [[鮎川いずみ]]、女優 * [[1952年]] - [[国岡恵治]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[ジム・ライス]]、元プロ野球選手 * [[1954年]] - [[上水流洋]]、元プロ野球選手 * 1954年 - [[橘健治 (野球)|橘健治]]、元プロ野球選手 * [[1956年]] - [[大沢在昌]]、小説家 * 1956年 - [[佳那晃子]]、女優 * [[1957年]] - [[堀江美都子]]、[[歌手]] * 1957年 - [[稲葉喜美子]]、[[シンガーソングライター]] * 1957年 - [[ジョゼ・セルジオ・プレスティ|ゼ・セルジオ]]、元サッカー選手、指導者 * [[1958年]] - [[しげの秀一]]、漫画家 * 1958年 - [[垂木勉]]、[[ナレーター]] * 1958年 - [[ゲイリー・ニューマン]]、ミュージシャン * [[1959年]] - [[マキ上田]]、元プロレスラー * [[1960年]] - [[伊津野亮]]、ナレーター * [[1961年]] - [[江川達也]]、漫画家 * 1961年 - [[青山美恵子]]、タレント * 1961年 - [[南麻衣子]]、タレント * 1961年 - [[三宅伸治]]、ミュージシャン(MOJO CLUB、[[ザ・タイマーズ]]) * [[1964年]] - [[反町康治]]、元サッカー選手、指導者 * 1964年 - [[円谷浩]]、俳優(+ [[2001年]]) * 1964年 - [[平松愛理]]、シンガーソングライター * [[1965年]] - [[あかほりさとる]]、小説家 * 1965年 - [[大橋秀行]]、[[プロボクサー]]、[[大橋ボクシングジム]]会長 * 1965年 - [[こしたてつひろ]]、漫画家 * 1965年 - [[白倉由美]]、小説家、漫画家 * 1965年 - [[田辺学]]、元プロ野球選手 * [[1966年]] - [[馬場口洋一]]、格闘家、元大相撲力士 * [[1967年]] - [[角田光代]]、小説家 * 1967年 - [[原晋]]、元[[マラソン]]選手、指導者 * [[1969年]] - [[松本キック]]、お笑いタレント([[松本ハウス]]) * 1969年 - [[藤井謙二]]、[[ミュージシャン]]([[My Little Lover|MY LITTLE LOVER]]、[[The Birthday]]) * 1969年 - [[森廣二]]、元プロ野球選手 * 1969年 - [[竹内康博]]、スーツアクター * 1969年 - [[桜樹ルイ]]、女優、元[[AV女優]] * [[1970年]] - [[笠原留美]]、[[声優]] * 1970年 - [[桜井和寿]]、[[ミュージシャン]]([[Mr.Children]]) * [[1972年]] - [[カリニコス・クレアンガ]]、卓球選手 * 1972年 - [[千代の若秀則]]、元[[大相撲]][[力士]] * [[1973年]] - [[旭鷲山昇]]、元大相撲力士、政治家 * 1973年 - [[亜利弥’]]、プロレスラー(+[[2018年]]) * [[1974年]] - [[沖美穂]]、元[[自転車競技]]選手 * [[1975年]] - [[浅木舞]]、声優 * [[1976年]] - [[大沼心]]、[[アニメ監督]] * 1976年 - [[フレディ・プリンゼ・ジュニア]]、俳優 * 1976年 - [[ハインズ・ウォード]]、[[NFL|ナショナル・フットボール・リーグ]]選手 * 1976年 - [[アニカ・ビルスタム]]、[[オリエンテーリング]]選手 * 1976年 - [[青木伸輔]]、俳優 * 1976年 - [[フアン・エンカーナシオン]]、元プロ野球選手 * [[1978年]] - [[須藤元気]]、[[格闘家]]、政治家 * 1978年 - [[遠藤海成]]、漫画家 * 1978年 - [[小松由佳 (声優)|小松由佳]]、声優 * 1978年 - 荒井沙紀、女流舟券師<ref>{{Cite web|和書|url=http://premium-zero.com/%E8%8D%92%E4%BA%95%E6%B2%99%E7%B4%80/|title=荒井沙紀|work=芸能プロダクションプレミアムエンターテイメント|accessdate=2020-07-17}}</ref>、歌手(元[[シェキドル]]) * 1978年 - [[塚下兼吾]]、ミュージカル俳優 * [[1980年]] - [[大須賀允]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[平川雄一]]、[[ミュージシャン]]([[ザ・ペンフレンドクラブ]]) * 1980年 - [[藤川優里]]、[[政治家]] * 1980年 - [[興津和幸]]、声優 * [[1981年]] - [[前田知恵]]、女優 * 1981年 - [[山崎裕太]]、俳優 * 1981年 - [[ティモ・ボル]]、卓球選手 * [[1982年]] - [[水野裕子]]、タレント * 1982年 - [[立川メンソーレ]]、[[落語家]] * [[1983年]] - [[藤澤ノリマサ]]、歌手 <!-- 特筆性 * [[1984年]] - [[ゲームセンターCXの登場人物#サポートAD|井上侑也]]、[[ゲームセンターCX]]の4代目AD、ディレクター --> * [[1984年]] - [[林さやか]]、元タレント * 1984年 - [[中川愛海]]、タレント * 1984年 - 彰、[[ミュージシャン]]([[UVERworld]]) * 1984年 - [[平野佳寿]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[サーシャ・ブヤチッチ]]、[[バスケットボール選手]] * 1984年 - [[山田恵里]]、元ソフトボール選手 * 1984年 - [[西山麗]]、ソフトボール選手 * [[1985年]] - [[竹内実生]]、タレント * 1985年 - 鎌田樹音、ミュージシャン<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.excite.co.jp/news/article/Narinari_20120321_17591/|title=ドリカム吉田が19歳下と結婚、お相手はファジーコントロールのJUON。|work=[[エキサイト|excite]]ニュース|date=2012-03-21|accessdate=2020-07-17}}</ref>([[FUZZY CONTROL]]) * [[1986年]] - [[承子女王]]、[[皇族]]、[[高円宮憲仁親王|憲仁親王]]第一女子 * 1986年 - [[渡部豪太]]、俳優 * 1986年 - [[立本信吾]]、アナウンサー * [[1988年]] - [[立花彩野]]、タレント、[[グラビアアイドル]]([[BeForU]]) * 1988年 - [[天海つばさ]]、AV女優 * [[1989年]] - 斉藤麻衣、タレント、[[アイドル]](元[[美少女クラブ31]]) * 1989年 - [[松井恵理子]]、声優 * [[1990年]] - [[増田俊樹]]、俳優、声優 * 1990年 - [[野崎純平]]、俳優 * 1990年 - [[藍川千佳]]、グラビアアイドル * 1990年 - [[松本弥生]]、競泳選手 * 1990年 - [[クリスティニア・デバージ]]、歌手 * 1990年 - [[ペトラ・クビトバ]]、テニスプレーヤー * [[1991年]] - [[梅原裕一郎]]、声優 * 1991年 - [[竹内涼]]、サッカー選手 * 1991年 - [[アンナ・カジャリナ]]、バレーボール選手 * 1991年 - [[ダヴィドソン・ダ・ルス・ペレイラ]] サッカー選手 * [[1992年]] - [[佐武宇綺]]、アイドル、歌手([[9nine]]) * 1992年 - 渡久山美月、アイドル([[SiAM&POPTUNe]]) * [[1993年]] - [[町田瑠唯]]、バスケットボール選手 * 1993年 - [[藤永あおい]]、グラビアアイドル * [[1994年]] - 篠原佑太、ミュージシャン([[エドガー・サリヴァン]]、[[MINAMIS]]) * 1994年 - [[クリストファー・クリソストモ・メルセデス]]、プロ野球選手 * 1994年 - [[髙地優吾]]、アイドル([[SixTONES]]) * 1994年 - 小澤綾乃、タレント<ref>{{Cite web|和書|url=https://ichj.co.jp/tarent.php?id=10|title=小澤 綾乃|work=ICHプロダクション|accessdate=2020-07-17}}</ref> * [[1995年]] - [[幸映]]、ファッションモデル * 1995年 - [[小嶋菜月]]、元アイドル(元[[AKB48]]) * [[1997年]] - [[松井珠理奈]]、タレント、アイドル(元[[SKE48]]) * 1997年 - [[櫻井紗季]]、ファッションモデル、アイドル(元[[東京パフォーマンスドール]]) * [[1998年]] - [[山口乃々華]]、ダンサー、ファッションモデル、女優(元[[E-girls]]) * 1998年 - [[渡邉奏太]]、陸上選手 * [[1999年]] - [[石原彪]]、プロ野球選手 * [[2000年]] - [[武田航介]]、[[モデル (職業)|モデル]]、元子役 * 2000年 - [[渡邊璃生]]、歌手、アイドル(元[[ベイビーレイズ]]) * 2000年 - [[本田功輝]]、元サッカー選手 * 2000年 - [[鈴木新彩]]、アナウンサー * [[2001年]] - [[和田桜子]]、元アイドル(元[[こぶしファクトリー]]) * [[2002年]] - 灰塚宗史、俳優 * [[2009年]] - 山口結愛、アイドル([[AKB48]]) * 生年不詳 - [[文月晃]]、漫画家 * 生年不明 - [[いちのへ瑠美]]、漫画家 * 生年不明 - [[高坂宙]]、声優 * 生年不明 - [[兼田めぐみ]]、声優 * 生年不明 - [[布施雅英]]、声優 * 生年不明 - [[松山航大]]、アナウンサー * 生年不明 - [[岬なこ]]、声優([[Liella!]]) === 人物以外(動物など) === * [[1990年]] - [[ベガ (競走馬)|ベガ]]、[[競走馬]](+ [[2006年]]) * [[1995年]] - [[タマモストロング]]、競走馬 * 1995年 - [[マイネルラヴ]]、競走馬(+ [[2012年]]) * [[2009年]]‐[[ジャスタウェイ]]、競走馬 * [[2011年]] - [[エアアンセム]]、競走馬 * [[2018年]] - [[レイハリア]]、競走馬 * 2018年 - [[ソダシ]]、競走馬 == 忌日 == [[File:King_William_III_of_England,_(1650-1702).jpg|thumb|180px|イングランド王[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]](1650-1702)没。[[名誉革命]]で王位に就いた]] [[File:Berlioz_in1868.jpg|thumb|180px|[[ロマン派音楽]]の作曲家[[エクトル・ベルリオーズ]](1803-1869)没]] [[ファイル:Ruan Lingyu.png|180px|サムネイル|女優の[[阮玲玉]]没。中国映画界の草分け的存在で、[[睡眠薬]]による自殺だった]] === 人物 === * [[790年]]([[延暦]]9年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]]) - [[藤原浜成]]、[[奈良時代]]の[[公卿]]、[[歌人]](* [[724年]]) * [[1126年]] - [[ウラカ (カスティーリャ女王)|ウラカ]]、[[カスティーリャ王国]]女王(* [[1082年]]) * [[1666年]]([[寛文]]6年[[2月3日 (旧暦)|2月3日]]) - [[松平直政]]、初代[[松江藩|松江藩主]](* [[1601年]]) * [[1702年]] - [[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]、[[イングランド王国|イングランド]]王(* [[1650年]]) * [[1709年]] - [[ウィリアム・カウパー]]、[[外科医]]、[[解剖学者]](* [[1666年]]) * [[1786年]]([[天明]]6年[[2月9日 (旧暦)|2月9日]]) - [[手島堵庵]]、[[石門心学|心学者]](* [[1718年]]) * [[1844年]] - [[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|カール14世ヨハン]]、[[ベルナドッテ王朝]]初代[[スウェーデン]]王(* [[1763年]]) * [[1869年]] - [[エクトル・ベルリオーズ]]、[[作曲家]](* [[1803年]]) * 1869年 - [[ジョン・エリクソン]]、[[発明家]](* 1803年) * [[1871年]]([[明治]]4年[[1月18日 (旧暦)|1月18日]]) - [[鍋島直正|鍋島直正(閑叟)]]、第10代[[佐賀藩|佐賀藩主]](* [[1814年]]) * [[1874年]] - [[ミラード・フィルモア]]、政治家、第13代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1800年]]) * [[1917年]] - [[フェルディナント・フォン・ツェッペリン]]、[[飛行船]]技術者(* [[1838年]]) * * [[1923年]] - [[ヨハネス・ファン・デル・ワールス]]、[[物理学者]](* [[1837年]]) * [[1927年]] - [[マリー・スパルタリ・スティルマン]]、[[画家]](* [[1844年]]) * [[1928年]] - [[久宮祐子内親王]]、[[昭和天皇]]第二皇女(* [[1927年]]) * [[1929年]] - [[児島虎次郎]]、[[洋画家]](* [[1881年]]) * [[1930年]] - [[ウィリアム・タフト]]、政治家、第27代アメリカ合衆国大統領(* [[1857年]]) * [[1935年]] - [[阮玲玉]]、[[映画]][[俳優|女優]](* [[1910年]]) * [[1938年]] - [[ウィリアム・ブルックス]]、[[農学者]](* [[1851年]]) * [[1940年]] - [[恒久王妃昌子内親王]]、[[明治天皇]]第六皇女、[[竹田宮恒久王]]妃(* [[1888年]]) * [[1941年]] - [[シャーウッド・アンダーソン]]、[[小説家]](* [[1876年]]) * [[1942年]] - [[ホセ・ラウル・カパブランカ]]、第3代[[チェスの世界チャンピオン一覧|チェスの公式世界チャンピオン]](* [[1888年]]) * [[1946年]] - [[フレデリック・ランチェスター]]、[[自動車工学]]・[[航空工学]][[エンジニア]](* [[1868年]]) * 1946年 - [[肥沼信次]]、[[医学者]](* [[1908年]]) * [[1950年]] - [[ヤロスラフ・コチアン]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](* [[1883年]]) * [[1957年]] - [[オトマール・シェック]]、作曲家(* [[1886年]]) * [[1961年]] - [[トーマス・ビーチャム]]、[[指揮者]](* [[1879年]]) * 1961年 - [[松平晃]]、[[歌手]](* [[1911年]]) * [[1964年]] - [[レナータ・ボルガッティ]]、[[ピアニスト]](* [[1894年]]) * [[1971年]] - [[ハロルド・ロイド]]、[[コメディアン|喜劇俳優]](* [[1893年]]) * [[1974年]] - [[香月泰男]]、画家(* [[1911年]]) * [[1975年]] - [[ジョージ・スティーヴンス]]、[[映画監督]](* [[1904年]]) * 1975年 - [[遊佐正憲]]、[[水泳]]選手(* [[1915年]]) * [[1980年]] - [[吾妻ひな子]]、[[漫才師]](* [[1924年]]) * [[1983年]] - [[ウィリアム・ウォルトン]]、作曲家(* [[1902年]]) * [[1995年]] - [[五味川純平]]、[[小説家]](* [[1916年]]) * [[1997年]] - [[池田満寿夫]]、版画家、作家(* [[1934年]]) * 1997年 - [[鈴木誠一 (声優)|鈴木誠一]]、[[声優]](* [[1947年]]) * [[1999年]] - [[ジョー・ディマジオ]]、[[プロ野球選手]](* [[1914年]]) * [[2001年]] - [[田畑茂二郎]]、[[国際法|国際法学者]](* [[1911年]]) * 2001年 - [[ニネット・ド・ヴァロア]]、[[バレエ]]ダンサー、[[振付師]](* [[1898年]]) * [[2005年]] - [[石原正]]、[[鳥瞰図]]絵師(* [[1937年]]) * 2005年 - [[アスラン・マスハドフ]]、[[チェチェン共和国]]独立派政権[[大統領]](* [[1951年]]) * [[2007年]] - [[小林恭治]]、声優(* [[1931年]]) * 2007年 - [[ジョン・インマン]]、俳優(* [[1935年]]) * 2007年 - [[クルス・エルナンデス]]、世界最高齢の128歳とされていた[[エルサルバドル]]の女性(* [[1878年]]) * [[2009年]] - [[伊藤隆大]]、俳優(* [[1987年]]) * [[2011年]] - [[国枝利通]]、プロ野球選手(* [[1920年]]) * [[2014年]] - [[木下秀雄]]、俳優、声優(* [[1931年]]) * 2014年 - [[あきやまるな]]、声優(* [[1954年]]) * [[2015年]] - [[塩月弥栄子]]、[[茶道家]](* [[1918年]]) * [[2016年]] - [[ジョージ・マーティン]]、[[音楽プロデューサー]](* [[1926年]]) * [[2017年]] - [[森田浩一郎]]、[[医学博士]](* [[1925年]]) * 2017年 - [[李元簇]]、政治家(* [[1923年]]) * 2017年 - [[ジョージ・オラー]]、化学者(* [[1927年]]) === 人物以外(動物など) === * [[1935年]] - [[忠犬ハチ公]]、忠犬として知られる[[秋田犬]](* [[1923年]]) * [[2021年]] - [[ネオユニヴァース]]、競走馬、種牡馬(* [[2000年]]) == 記念日・年中行事 == [[File:8marchrallydhaka (55).JPG|thumb|240px|[[国際女性デー]]。1904年ニューヨークでの[[婦人参政権]]を求めるデモを起源とする。写真は[[バングラデシュ]]のデモ]] * [[国際女性デー]]({{World}}) *: [[1904年]]3月8日にニューヨークで女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしたことに由来。 *[[フサアカシア|ミモザ]]の日 *:イタリアでは「FESTA DELLA DONNA(フェスタ・デッラ・ドンナ)」『女性の日』とされ、男性が日ごろの感謝を込めて、女性に愛や幸福を呼ぶと言われるミモザ(フサアカシア)を贈る。 * 3月8日革命記念日({{SYR}}) *: [[1963年]]のこの日、[[シリア]]で[[クーデター]]が起こり[[バアス党]]が実権を掌握した。 * [[ミツバチ|みつばち]]の日({{JPN}}) *: 全日本蜂蜜協同組合と日本養蜂はちみつ協会が制定。「みつ(3)ばち(8)」の語呂合せ。 * [[土産|みやげ]]の日({{JPN}}) *: 全国観光物産振興協会が制定。「み(3)や(8)げ」の語呂合せ。 * [[エスカレーター]]の日({{JPN}}) *: [[1914年]]3月8日に、東京・上野の大正博覧会の会場に日本初のエスカレーターが設置され、運転試験が行われたことに由来。 * [[サワークリーム]]の日({{JPN}}) *: サワークリームのおいしさをより多くの人に知ってもらうことを目的に、中沢乳業株式会社が制定。日付は、3と8で「サ(3)ワー(8)」と読むごろ合わせから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=78|isbn=978-4422021140}}</ref>。 * サンワの日({{JPN}}) *: [[岡山県]][[岡山市]]に本社を置く[[サンワサプライ|サンワサプライ株式会社]]が制定。同社のことをさらに知ってもらうことが目的。日付は、「サン(3)ワ(8)」と読む語呂合わせから<ref name="Three">{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=79|isbn=978-4422021140}}</ref>。 * 三矢の日({{JPN}}) *: 優良農産品を「三矢ブランド」に認定している[[広島県]][[安芸高田市]]が制定。同市は、三本の矢で知られる[[毛利元就]]ゆかりの地であり、「三矢ブランド」はその教訓と農業者の連携から生まれた。日付は3と8で三矢と読む語呂合わせから<ref name="Three"/>。 * 三板(サンバ)の日({{JPN}}) *: 代表的な琉球楽器「三板(サンバ)」の素晴らしさを、多くの人に知ってもらおうと、沖縄三板協会([[沖縄市]])が制定。日付は、3と8でサンバと読む語呂合わせからから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]]|year=2020|page=80|isbn=978-4422021140}}</ref>。 *母子と助産師の日({{JPN}}) *: [[村松志保子助産師顕彰会]]と [[日本助産師会]]が制定。「さん(3)ば(8)」にちなみ、産婆・乳母の祖神として崇敬される[[高忍日売神社]]([[愛媛県]]伊予郡松前町鎮座)に毎年全国各地の[[助産師]]が集いイベントを開催している。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0308|date=2011年6月}} * 年不明 - [[ロンドン警視庁]]のバトル[[警視]]が、アンフリー校長に呼び出され、末娘シルヴィアが寄宿するミードタウン女子高校を訪れる。(小説『[[ゼロ時間へ]]』) * [[2026年]] - [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]の[[アルタイル (月面着陸機)|アルタイル月着陸船]]「クイーン」が[[月面着陸|月面に着陸]]。搭乗していた[[宇宙飛行士]]南波日々人が日本人として初めて月に降り立つ。(漫画・アニメ『[[宇宙兄弟]]』) * [[コズミック・イラ|C.E.]]70年 - 第一次ビクトリア攻防戦勃発。しかし、地上戦力の支援が無く[[プラント (ガンダムシリーズ)|ザフト]]の敗退に終わる。(アニメ『[[機動戦士ガンダムSEED]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[2020年]] - ケイ、漫画・アニメ『[[AKIRA (漫画)|AKIRA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://v-storage.bnarts.jp/sp-site/akira/character/ |title=CHARACTER ケイ |access-date=2022-09-22 |publisher=『AKIRA』4Kリマスター 公式サイト}}</ref> * [[宇宙世紀]]0078年 - エルピー・プル、アニメ『[[機動戦士ガンダムΖΖ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://magmix.jp/post/48517 |title=3月8日はエルピー・プルの誕生日。『ガンダムZZ』の路線変更とともに歴史を変えた…? |access-date=2022-09-22 |publisher=マグミクス |date=2021-03-08}}</ref> * [[ギルガメス]]暦2328年 - ココナ、アニメ『[[装甲騎兵ボトムズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |date=1987-01-01|title =完全版資料集 装甲騎兵ボトムズ|editor=山崎益広|page=21|publisher = [[ムービック]] |isbn =978-4943966043}}</ref> * 生年不明 - 早乙女芽亜里、漫画・アニメ『[[賭ケグルイ]]』に登場するキャラクター・アニメ『賭ケグルイ双』の主人公<ref>{{Twitter status|kakegurui_anime|1103864383422128128}}</ref> * 生年不明 - ザンバイ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Zanbai.html |title=ザンバイ |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-12-10 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - エビス、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|date=2002-07-04|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=44|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088732886}}</ref><ref>{{Twitter status|narucole_jp|1500848791527694338}}</ref> * 生年不明 - ガマ丸、漫画・アニメ『NARUTO -ナルト-』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|narucole_jp|1500848782686130177}}</ref> * 生年不明 - 重佐武太、漫画・アニメ『[[アイシールド21]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 月島明光、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|date=2014-08-04|title=ハイキュー!!|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4088801537|volume=12巻|pages=164}}</ref> * 生年不明 - 不知吟士、漫画・アニメ『[[東京喰種トーキョーグール|東京喰種トーキョーグール:re]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tkg_anime|971566173396414465}}</ref> * 生年不明 - 伊藤渚、漫画・アニメ『[[オフサイド (漫画)|オフサイド]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - フーゴ、漫画・アニメ『[[進撃の巨人]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - サーシャ(アテナ)、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|teshi_kuro413|1501090383127797760}}</ref><ref>{{Twitter status|seiya_zb|1501052589823213569}}</ref> * 生年不明 - 神代小蒔、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://sciasta.com/characters.html |title=神代 小蒔(じんだい こまき) |work=『咲-Saki-』 |accessdate=2023-01-28 |publisher=[[小林立]]}}</ref> * 生年不明 - 紅緒咲、漫画・アニメ『[[マイぼーる!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 早夜、漫画・アニメ『[[田中くんはいつもけだるげ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 入谷匡史、漫画・ドラマCD『うそカノ』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|mikase_hayashi|1501224796067037186}}</ref> * 生年不明 - 菊川雪之、アニメ『[[舞-HiME]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sunrise-inc.co.jp/my-hime/web/character/chara/yukino.html |title=菊川雪之(きくかわ ゆきの) |access-date=2022-09-22 |publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|SUNRISE]] |website=[舞-HiME] 風華学園オフィシャルWeb}}</ref> * 生年不明 - アキラ(白)、アニメ『[[ブッチギレ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bucchigire.com/character/ |title=アキラ(白) |access-date=2022-09-22 |publisher=「ブッチギレ!」製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 鳥海桜花、小説・アニメ『[[天使の3P!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tenshi3p_anime|971570471064895488}}</ref> * 生年不明 - [[軽井沢恵]]、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/karuizawa.html |title=軽井沢 恵 |accessdate=2022-09-22 |website=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』公式サイト |publisher=[[衣笠彰梧]]・[[KADOKAWA]]刊/ようこそ実力至上主義の教室へ製作委員会}}</ref> * 生年不明 - ぺりお、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m03.html |title=住民名簿 3月 ぺりお |access-date=2022-09-22 |publisher=[[任天堂]] |work=どうぶつの森}}</ref> * 生年不明 - タコヤ、ゲーム『どうぶつの森』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m03.html |title=住民名簿 3月 タコヤ |access-date=2022-09-22 |publisher=[[任天堂]] |work=どうぶつの森}}</ref> * 生年不明 - 蒼井セナ、ゲーム・アニメ『[[CHAOS;HEAD|CHAOS;HEAD NOAH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kagakuadv|707063417987682304}}</ref> * 生年不明 - ジョーリィ、ゲーム『[[アルカナ・ファミリア -La storia della Arcana Famiglia-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hunex.co.jp/wp_arcana/?p=1236 |title=ジョーリィおめでとう! |access-date=2022-09-22 |publisher=アルカナ・ファミリア公式情報ブログ |date=2013-03-08}}</ref> * 生年不明 - クロエ・ルメール、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130520_163686/ |title=【ガールフレンド(仮)通信40】ニッポン大好き留学生 クロエ・ルメールちゃん(CV:丹下桜) |access-date=2022-12-10 |publisher=ファミ通App |date=2013-05-20}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://girlfriend-kari-anime.jp/character/chloe-lemaire |title=クロエ・ルメール |access-date=2022-09-22 |publisher=CyberAgent テレビ東京 |work=ガールフレンド(仮)}}</ref> * 生年不明 - 里見陽奈、ゲーム『[[アイドルクロニクル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url= http://ichro.jp/ |title= アーティスト/ARTIST ヒナ |publisher= [[TAITO]] |work=『アイドルクロニクル』|accessdate=2022-12-10|archiveurl= https://web.archive.org/web/20141218084833/http://ichro.jp/ |archivedate=2014-12-18}}</ref> * 生年不明 - グウィード、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=50&cate=name&cont=Guido |title=グウィード |access-date=2022-09-22 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - シオン、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yumekuro.com/character/meister/magiaseminar/sion/ |title=シオン |access-date=2023-01-28 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> * 生年不明 - 一ノ瀬怜、メディアミックス『[[IDOLY PRIDE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idolypride.jp/character/rei-ichinose/ |title=一ノ瀬怜 |access-date=2022-09-22 |publisher=Project IDOLY PRIDE |work=「IDOLY PRIDE」公式サイト}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons&cat|March 8|8 March}} {{新暦365日|3|7|3|9|[[2月8日]]|[[4月8日]]|[[3月8日 (旧暦)|3月8日]]|0308|3|08}} {{1年の月と日}}
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3月9日
3月9日(さんがつここのか)はグレゴリオ暦で年始から68日目(閏年では69日目)にあたり、年末まであと297日ある。
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3月9日(さんがつここのか)はグレゴリオ暦で年始から68日目(閏年では69日目)にあたり、年末まであと297日ある。
{{pp|small=yes}} {{Otheruses||[[レミオロメン]]の楽曲|3月9日 (曲)}} {{カレンダー 3月}} '''3月9日'''(さんがつここのか)は[[グレゴリオ暦]]で年始から68日目([[閏年]]では69日目)にあたり、年末まであと297日ある。 == できごと == [[Image:Jacques-Louis David 019.jpg|thumb|240px|[[ナポレオン・ボナパルト]]と[[ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ]]の結婚(1796)。画像はジョセフィーヌの戴冠式]] [[Image:William Gropper - Construction of a Dam 1939.jpg|thumb|300px|[[ニューディール政策]]基本15法が成立(1933)]] * [[紀元前141年]] - [[武帝 (漢)|武帝]]が[[前漢]]の第7代皇帝に即位。 * [[712年]]([[和銅]]5年[[1月28日 (旧暦)|1月28日]]) - [[古事記]]が完成し、[[元明天皇]]に献上される。 * [[1009年]] - {{仮リンク|クヴェードリンブルク年代記|en|Annals of Quedlinburg}}に[[リトアニア]]についての最も古い記録。 * [[1276年]] - [[アウクスブルク]]が[[帝国自由都市]]になる。 * [[1617年]](ユリウス暦[[2月27日]]) - [[ロシア・ツァーリ国]]と[[スウェーデン|スウェーデン王国]]が[[ストルボヴァの和約]]を締結。 * [[1776年]] - [[アダム・スミス]]が『[[国富論]]』の初版を刊行する。 * [[1796年]] - [[ナポレオン・ボナパルト]]が[[ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ]]と結婚する。 * [[1841年]] - [[アミスタッド号事件]]: [[合衆国最高裁判所]]が、アフリカから連れて来られアミスタッド号で反乱を起こしたアフリカ人たちは法的には[[奴隷]]ではなく自由の身であると認める。 * [[1842年]] - [[ミラノ]]・[[スカラ座]]で[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]の歌劇『[[ナブッコ]]』が初演される。 * [[1862年]] - [[南北戦争]]:[[ハンプトン・ローズ海戦]]。南軍の[[バージニア (装甲艦)|バージニア]]と北軍の[[モニター (装甲艦)|モニター]]が世界初の[[装甲艦]]同士による海戦を行う。 * [[1864年]] - 南北戦争:[[エイブラハム・リンカーン]]大統領が[[ユリシーズ・S・グラント|ユリシーズ・グラント]]将軍を北軍最高司令官に任命。 * [[1866年]]([[慶応]]2年[[1月23日 (旧暦)|1月23日]]) - [[坂本龍馬襲撃事件|寺田屋事件]]。寺田屋に投宿していた[[坂本龍馬]]が[[伏見奉行]]の襲撃を受ける。 * [[1872年]]([[明治]]5年[[2月1日 (旧暦)|2月1日]]) - [[壬申戸籍]]が完成。 * [[1888年]] - ドイツ皇帝[[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]]が死去し、[[フリードリヒ3世 (ドイツ皇帝)|フリードリヒ3世]]が即位。 * [[1894年]] - 日本初の[[記念切手]]・[[明治天皇]][[結婚記念日|銀婚]]記念切手が発行される。 * [[1899年]] - 日本で[[商法]]公布。 * [[1908年]] - [[インテルナツィオナーレ・ミラノ]]創立 * [[1916年]] - [[第一次世界大戦]]: [[第五次イゾンツォの戦い]] * [[1918年]] - [[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]]が[[首都]]を[[サンクトペテルブルク|ペトログラード]]から200年ぶりに[[モスクワ]]に遷都。 * [[1933年]] - [[フランクリン・ルーズベルト]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]が[[世界恐慌]]対策のための特別議会を招集。[[ニューディール政策]]の基本15法が成立。 * [[1934年]] - 衆議院議員で鐘淵紡績前社長の[[武藤山治 (実業家)|武藤山治]]が失業者により銃撃される。翌日死亡。 * [[1936年]] - 日本で[[廣田弘毅]]が第32代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[廣田内閣]]が発足。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[太平洋戦争]]・[[蘭印作戦]]: [[オランダ領東インド]]の[[オランダ軍]]が[[日本軍]]に降伏。 * 1945年 - 第二次世界大戦・太平洋戦争: [[フランス領インドシナ]]に駐留していた日本軍がフランス軍を攻撃。([[明号作戦]]) * [[1946年]] - [[バーンデン・パークの惨事]]: [[イギリス]]・[[ボルトン]]の[[サッカー]]場で試合中に群衆事故が発生し33人が死亡。 * [[1954年]] - [[赤狩り#マッカーシズム|マッカーシズム]]を終焉させる皮切りとなった[[エドワード・R・マロー]]のテレビ番組が放送される。 * [[1958年]] - [[関門トンネル (国道2号)|関門トンネル]]が開通。 * [[1959年]] - [[日本社会党|社会党]]訪中使節団長の[[浅沼稲次郎]]が「[[アメリカ帝国|アメリカ帝国主義]]は日中人民共同の敵」と発言し問題化。 * 1959年 - アメリカで[[バービー|バービー人形]]の発売開始。 * [[1967年]] - [[トランス・ワールド航空553便空中衝突事故]]。 * [[1968年]] - [[富山県]][[神通川]]流域の[[イタイイタイ病]]の患者・遺族が原因企業の[[三井金属鉱業]]に損害賠償を提訴。 * [[1974年]] - [[志村けん]]が、[[ザ・ドリフターズ]]の正式メンバーとなる。 * [[1977年]] - アメリカ、[[ワシントンD.C.]]の市役所、ユダヤ人共済組合本部ビル、回教徒センタービルの三ヶ所が襲撃を受け、一時は市長を含めた100人以上が人質となる事件が発生。2人が死亡し、11人以上が負傷した<ref>黒人回教徒、市庁など襲撃 三ヶ所、百人を人質『朝日新聞』1977年(昭和52年)3月10日夕刊、3版、1面</ref>。 * [[1984年]] - [[大阪空港訴訟|大阪空港騒音公害訴訟]]で大阪地裁の和解案を国側が受諾。国が初めて騒音公害の責任を認める。 * 1984年 - 同年[[2月13日]]以降消息を絶った[[植村直己]]の捜索が、生存の見込みなしとしてこの日で打ち切られる。 * [[1991年]] - [[西新宿]]新都心にて[[東京都庁舎|新東京都庁舎]]の落成式が執り行われる。同年[[4月1日]]より業務移転。 * [[1995年]] - 日米韓3国が[[朝鮮半島エネルギー開発機構]] (KEDO) 設立協定に調印。 * [[1997年]] - モンゴルからシベリアにかけて[[1997年3月9日の日食|皆既日食]]が見られた。日本では部分日食。 * [[2004年]] - 世界的贋作詐欺師イライ・サカイが[[連邦捜査局|FBI]]に逮捕される。イライ・サカイは[[1982年]]8月に日本橋三越で開催された「古代ペルシア秘宝展」で展示・販売された大量の贋作を、三越に売却した人物。([[三越事件]]) * [[2006年]] - 戦後初の国産[[戦闘機]]である[[F-1 (航空機)|F-1]]がこの日をもって全機退役。 * [[2011年]] - [[宮城県]]北部を中心とする[[マグニチュード|M]]7.3、震度5弱の地震が11時45分頃に発生([[三陸沖地震 (2011年3月)]])<ref>{{Cite press release|和書|title=平成23年3月9日11時45分頃の三陸沖の地震について|publisher=[[気象庁]]|date=2011年3月9日|url=https://www.jma.go.jp/jma/press/1103/09a/201103091300.html|accessdate=17 Feb 2023}}</ref>。[[東北地方太平洋沖地震]]の[[前震]]と見られる。 * 2011年 - スペースシャトル・[[スペースシャトル・ディスカバリー|ディスカバリー]]が最後のミッション[[STS-133]]を終え、地球に帰還<ref>{{Cite web|和書|date=10 Mar 2010 |url=https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-19905520110310 |title=最終飛行のディスカバリーが帰還、27年の任務終え退役 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |accessdate=17 Feb 2023}}</ref>。 * [[2016年]] - 日食がインドネシアを中心に見られた([[2016年3月9日の日食]])<ref>{{Cite web|和書|date=9 Mar 2009 |url=http://www.bbc.com/japanese/video-35761079 |title=アジア各地で皆既日食 人々が歓声 |publisher=BBC NEWS JAPAN |accessdate=17 Feb 2023}}</ref>。 == 誕生日 == === 人物 === [[ファイル:Birthplace of Amerigo Vespucci · HHWIX645.jpg|thumb|280px|探検家[[アメリゴ・ヴェスプッチ]](1454-1512)誕生。[[アメリカ大陸]]の名は彼に因む。画像は小村Montefioralleの生家]] [[ファイル:Boze - Honoré de Mirabeau.jpg|thumb|200px|[[フランス革命]]初期の指導者、「政略のミラボー」こと[[オノーレ・ミラボー]](1749-1791)]] [[ファイル:Ornette-Coleman-2008-Heidelberg-schindelbeck.jpg|thumb|180px|[[フリージャズ]]の立役者、[[オーネット・コールマン]](1930-2015)]] * [[1285年]]([[弘安]]8年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]) - [[後二条天皇]]、第94代[[天皇]](+ [[1308年]]) * [[1454年]] - [[アメリゴ・ヴェスプッチ]]、[[探検家]](+ [[1512年]]) * [[1564年]] - [[ダーヴィト・ファブリツィウス]]、[[天文学者]](+ [[1617年]]) * [[1737年]] - [[ヨゼフ・ミスリヴェチェク]]、[[作曲家]](+ [[1781年]]) * [[1749年]] - [[オノーレ・ミラボー]]、[[フランス革命]]指導者(+ [[1791年]]) * [[1758年]] - [[フランツ・ヨーゼフ・ガル]]、[[解剖学|解剖学者]]、[[骨相学]]の創設者(+ [[1828年]]) * [[1814年]] - [[タラス・シェフチェンコ]]、[[詩人]]、[[画家]](+ [[1861年]]) * [[1846年]] - [[エミール・ワールブルク]]、[[物理学者]](+ [[1931年]]) * [[1850年]] - [[アレクサンドル・ルイジーニ]]、作曲家、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1906年]]) * [[1851年]] - [[フィリップ・ジェイムズ・ハミルトン・グリァスン]]、[[法律家]]、[[人類学者]](+ [[1927年]]) * [[1854年]] - [[リヒャルト・ヘンリオン]]、[[作曲家]]、[[楽長|軍楽隊長]](+ [[1940年]]) * [[1859年]] - [[ペーター・アルテンベルク]]、作家(+ [[1919年]]) * [[1860年]] - [[市島謙吉]]、[[政治家]](+ [[1944年]]) * 1860年 - [[鈴木華邨]]、[[日本画家]](+ [[1919年]]) * [[1862年]] - [[ムィコーラ・プィモネーンコ]]、画家(+ [[1912年]]) * 1862年 - [[山口鋭之助]]、[[物理学者]]、[[官吏|官僚]]。[[博士(理学)|理学博士]](+ [[1945年]]) * [[1864年]] - [[中島徳蔵]]、[[教育者]](+ [[1940年]]) * 1864年 - [[有馬四郎助]]、[[刑務官]]、[[社会事業家]](+ [[1934年]]) * [[1865年]] - [[持明院基哲]]<ref>『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』44頁。</ref>、[[歌人]]、[[政治家]]、[[華族]](+ [[1925年]]) * 1865年 - [[江頭安太郎]]、[[大日本帝国海軍|海軍]][[軍人]](+ [[1913年]]) * [[1866年]] - [[秋山雅之介]]、[[官僚]]、[[法政大学]][[学長]](+ [[1937年]]) * [[1868年]] - [[中野直枝]]、[[軍人]](+ [[1960年]]) * [[1868年]] - [[真渓涙骨]]<ref>{{Cite web|和書|title=真渓涙骨と中外日報 |url=https://www.chugainippoh.co.jp/info/ruikotu.html |access-date=2023-02-17 |publisher=中外日報社}}</ref>、[[宗教]][[思想家]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1956年]]) * [[1872年]] - [[篠原温亭]]、[[俳人]]、[[小説家]](+ [[1926年]]) * 1873年 - [[幸田成友]]、[[歴史学者]](+ [[1954年]]) * [[1874年]] - [[梨本宮守正王]]、[[皇族]]、[[軍人]](+ [[1951年]]) * [[1875年]] - [[イブリン・シアーズ]]、[[テニス]]選手(+ [[1966年]]) * [[1877年]] - [[エミール・アブデルハルデン]]、[[生化学者]]、[[生理学者]](+ [[1950年]]) * 1877年 - [[小山満雄]]、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍人]](+ [[1936年]]) * [[1879年]] - [[コンスタンチン・コルニーロフ]]、[[心理学者]](+ [[1957年]]) * [[1881年]] - [[田中芳雄]]、[[応用化学|応用化学者]](+ [[1966年]]) * 1881年 - [[アーネスト・ベヴィン]]、政治家(+ [[1951年]]) * [[1882年]] - [[素木得一]]、[[昆虫学者]](+ [[1970年]]) * [[1883年]] - [[ヴァルター・フォルストマン]]、軍人(+ [[1973年]]) * [[1886年]] - [[川島理一郎]]、[[洋画家]](+ [[1971年]]) * 1886年 - [[秋山安三郎]]、演劇評論家、随筆家(+ [[1975年]]) * 1886年 - [[ウェルナー・ケンプフ]]、軍人、[[装甲兵大将]](+ [[1964年]]) * 1886年 - [[ロバート・アイケルバーガー]]、[[アメリカ陸軍|陸軍]][[軍人]](+ [[1961年]]) * 1886年 - [[澤村宗之助 (初代)|澤村宗之助]]、[[歌舞伎]]役者(+ [[1924年]]) * [[1887年]] - [[金子堅次郎]]、[[実業家]](+ [[1974年]]) * [[1888年]] - [[梅原龍三郎]]、[[洋画家]](+ [[1986年]]) * 1888年 - [[新居格]]、[[評論家]]、[[翻訳家]](+ [[1951年]]) * 1888年 - [[小出朋治]]、牧師(+ [[1945年]]) * 1888年 - [[呉鉄城]]、[[政治家]]・軍人(+ [[1953年]]) * [[1890年]] - [[ヴャチェスラフ・モロトフ]]、政治家(+ [[1986年]]) * 1890年 - [[林田熊一]]、実業家(+ [[1959年]]) * 1890年 - [[山内盛彬]]、[[音楽学者]]、[[音楽家]](+ [[1986年]]) * 1890年 - [[香翰屏]]、軍人(+ [[1978年]]) * 1890年 - [[呂超 (民国)|呂超]]、軍人(+ [[1951年]]) * [[1891年]] - [[ホセ・ラウレル]]、第3代[[フィリピンの大統領|フィリピン大統領]](+ [[1959年]]) * 1891年 - [[アレクサンドル・ゴルバトフ]]、軍人(+ [[1973年]]) * 1891年 - [[劉升烈]]、[[軍人]](+ [[1968年]]) * [[1892年]] - [[ヴィタ・サックヴィル=ウェスト]]、[[小説家]]、[[詩人]]、[[造園|造園家]](+ [[1962年]]) * 1892年 - [[高瀬荘太郎]]、[[政治家]](+ [[1966年]]) * 1892年 - [[高橋克己 (農学者)|高橋克己]]、[[農学博士]](+ [[1925年]]) * 1892年 - [[デイヴィッド・ガーネット]]、作家(+ [[1981年]]) * 1892年 - [[フランシス・ペガァマガボウ]]、[[軍人]](+ [[1952年]]) * 1892年 - [[馬鴻逵]]、[[回族]]の[[軍閥]]、[[馬家軍]]の長の一人(+ [[1970年]]) * [[1893年]] - [[レフティ・ウィリアムズ]]、[[プロ野球選手]](+ [[1959年]]) * 1893年 - [[鷹部屋福平]]、[[工学者]](+ [[1975年]]) * 1893年 - [[ビリー・サウスワース]]、プロ野球選手(+ [[1969年]]) * 1893年 - [[ローランド・ヤコビ]]、[[卓球]]選手(+ [[1951年]]) * 1893年 - [[ハンス・ミュンヒ]]、[[指揮者]](+ [[1983年]]) * [[1894年]] - [[中西敏憲]]、[[政治家]](+ [[1982年]]) * [[1895年]] - [[若葉山鐘]]、元[[大相撲]][[力士]](+ [[1958年]]) * 1895年 - [[福島繁太郎]]、[[画商]]、[[美術評論家]](+ [[1960年]]) * [[1896年]] - [[笹山忠夫]]、実業家(+ [[1974年]]) * 1896年 - [[アラン・スプロール]]、[[銀行家]](+ [[1978年]]) * 1896年 - [[山本不二男]]、[[乗車券]]蒐集家(+ [[1982年]]) * [[1897年]] - [[ヴァルター・トロッペンツ]]、[[作家]]、[[戯曲家]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1974年]]) * [[1898年]] - [[安西冬衛]]、[[詩人]](+ [[1965年]]) * 1898年 - [[オスカル・ダウブマン]]、[[詐欺#詐欺師|詐欺師]](+ [[1954年]]) * [[1900年]] - [[ハワード・エイケン]]、物理学者(+ [[1973年]]) * 1900年 - [[ローレン・L・ライダー]]、[[レコーディング・エンジニア]](+ [[1985年]]) * 1900年 - [[トミスラヴ2世]]、第4代[[サヴォイア=アオスタ家|アオスタ公爵]]、[[クロアチア独立国]]国王(+ [[1948年]]) * 1900年 - [[常陸岩英太郎]]、[[大相撲]][[力士]](+ [[1957年]]) * [[1902年]] - [[大塚末子]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[1998年]]) * 1902年 - [[東野辺薫]]、作家(+ [[1962年]]) * 1902年 - [[ルートヴィヒ・ラントグレーベ]]、[[現象学]]者、[[哲学]][[教授]](+ [[1991年]]) * 1902年 - [[エドワード・ダレル・ストーン]]、[[建築家]](+ [[1978年]]) * 1902年 - [[ウィル・ギア]]、[[俳優]](+ [[1978年]]) * 1902年 - [[倉野憲司]]、[[日本文学者]](+ [[1991年]]) * 1902年 - [[ルイス・バラガン]]、[[建築家]]・[[都市計画家]](+ [[1988年]]) * 1902年 - [[ロバート・セント・ジョン]]、ジャーナリスト(+ [[2003年]]) * [[1906年]] - [[鵜飼信成]]、[[法学者]](+ [[1987年]]) * 1906年 - [[曾我正史]]、映画プロデューサー、[[実業家]]、[[映画監督]]、[[脚本家]](+ [[1987年]]) * [[1907年]] - [[荒舩清十郎]]、政治家(+ [[1980年]]) * 1907年 - [[ミルチャ・エリアーデ]]、[[宗教学者]]、[[作家]](+ [[1986年]]) * 1907年 - [[大岡博]]、[[歌人]](+ [[1981年]]) * 1907年 - [[鈴木健郎]]、フランス文学者、翻訳家(+ [[1963年]]) * [[1908年]] - [[フランチェスコ・カムッソ]]、[[自転車競技]]([[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]])選手(+ [[1995年]]) * 1908年 - [[松田文雄]]、[[洋画家]](+ [[1971年]]) * [[1909年]] - [[夏川静江]]、[[俳優|女優]](+ [[1999年]]) * 1909年 - [[ハーシェル・エヴァンス]]、[[サクソフォーン|テナー・サックス]]プレイヤー(+ [[1939年]]) * 1909年 - [[ネル・ホール・ホップマン]]、[[テニス]]選手(+ [[1968年]]) * 1909年 - [[オバフェミ・アウォロウォ]]、政治指導者(+ [[1987年]]) * 1909年 - [[丁声樹]]、[[言語学者]](+ [[1989年]]) * [[1910年]] - [[サミュエル・バーバー]]、[[作曲家]](+ [[1981年]]) * [[1911年]] - [[加納秀夫]]、[[英文学者]](+ [[2003年]]) * 1911年 - [[ローベルト・オレイニク]]、軍人(+ [[1988年]]) * 1911年 - [[佐和隆研]]、[[美術史]]家、[[仏教学者]]、[[真言宗]][[僧侶]](+ [[1983年]]) * 1911年 - [[ジョン・ラウンズベリー]]、[[アニメーター]]([[ナイン・オールドメン]])(+ [[1976年]]) * 1911年 - [[クララ・ロックモア]]、[[テルミン]]奏者(+ [[1998年]]) * [[1912年]] - [[クロドヴェオ・タシナリ]]、[[カトリック]][[神父]]、[[サレジオ会]]士(+ [[2012年]]) * [[1914年]] - [[徳野大空]]、[[書家|書道家]](+ [[1974年]]) * 1914年 - [[望月達夫]]、[[登山家]]、[[和光証券]]副社長、[[日本山岳会]]名誉会員(+ [[2002年]]) * 1914年 - [[那須宗一]]、[[社会学者]](+ [[1990年]]) * 1914年 - [[アレクサンドル・フェクリソフ]]、[[スパイ|職業的諜報員]](+ [[2007年]]) * [[1915年]] - [[ジョニー・ジョンソン]]、軍人(+ [[2001年]]) * [[1916年]] - [[中川三郎]]、洋舞家(+ [[2003年]]) * [[1918年]] - [[ミッキー・スピレイン]]、小説家(+ [[2006年]]) * 1918年 - [[湯川宏]]、[[政治家]](+ [[1986年]]) * [[1919年]] - [[金高清吉]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]](+ [[1960年]]) * 1919年 - [[福尾武彦]]、社会教育学者(+ [[2009年]]) * [[1920年]] - [[ジャン・ジャンセン]]、画家(+ [[2013年]]) * [[1921年]] - [[古家武夫]]、プロ野球選手(+ [[2014年]]) * 1921年 - [[カール・ベッツ]]、[[俳優]](+ [[1978年]]) * 1921年 - [[木村庄助]]、作家(+ [[1943年]]) * [[1922年]] - [[松葉昇]]、プロ野球選手(+ [[1995年]]) * 1922年 - [[ハーブ・ダグラス]]、元[[陸上競技選手]] * 1922年 - [[前田純敬]]、[[小説家]](+ [[2004年]]) * 1922年 - [[市原昌三郎]]、[[法学者]](+ [[2010年]]) * 1922年 - [[ジョージ・ケイシー]]、軍人(+ [[1970年]]) * [[1923年]] - [[ウォルター・コーン]]、物理学者(+ [[2016年]]) * 1923年 - [[アンドレ・クレージュ]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[2016年]]) * 1923年 - [[ユースタス・マリンズ]]、政治評論家(+ [[2010年]]) * 1923年 - [[原條あき子]]、[[詩人]](+ [[2003年]]) * 1923年 - [[ニコラ・ザッカリア]]、[[バス (声域)|バス]]歌手(+ [[2007年]]) * [[1924年]] - [[ウィリアム・ハミルトン (神学者)|ウィリアム・ハミルトン]]、神学者(+ [[2012年]]) * [[1925年]] - [[中川一郎]]、政治家(+ [[1983年]]) * 1925年 - [[ジャック・スマイト]]、[[映画監督]](+ [[2003年]]) * 1925年 - [[ウィリアム・ミラー]]、[[政治家]]、[[実業家]](+ [[2006年]]) * 1925年 - [[蜷川譲]]、フランス文学者、比較文学者、ロマン・ロラン研究家(+ [[2014年]]) * [[1926年]] - [[ジャック・スマイト]]、映画監督(+ [[2003年]]) * 1926年 - [[松尾敏男]]、[[日本画家]](+ [[2016年]]) * 1926年 - [[ニール・アームストロング (アメリカンフットボール)|ニール・アームストロング]]、[[アメリカンフットボール]]選手、コーチ(+ [[2016年]]) * 1926年 - [[塚田茂]]、[[演出家]]、[[放送作家]]、[[構成作家]]、[[作詞家]]、[[タレント]](+ [[2008年]]) * [[1927年]] - [[上田耕一郎]]、政治家(+ [[2008年]]) * 1927年 - [[益田清]]、[[俳人]](+ [[2017年]]) * 1927年 - [[小林昭三]]、[[法学者]](+ [[2020年]]) * 1927年 - [[ジョージ・トロフィモフ]]、軍人(+ [[2014年]]) * 1927年 - [[ジャッキー・ジェンセン]]、プロ野球選手(+ [[1982年]]) * [[1928年]] - [[土方巽]]、[[舞踏家]](+ [[1986年]]) * 1928年 - [[ジェラルド・ブル]]、[[科学者]](+ [[1990年]]) * 1928年 - [[高木二朗]]、俳優 * 1928年 - [[片方善治]]、[[電気]][[技術者]]、[[電気通信]]学者、[[システム工学]]者、文筆家 * [[1929年]] - [[ロイ・ジェームス]]、俳優、[[タレント]](+ [[1982年]]) * 1929年 - [[田辺哲夫]]、政治家(+ [[1995年]]) * 1929年 - [[李恒 (植物学者)|李恒]]、[[植物学]]者 * 1929年 - [[ジルル・ラーマン]]、政治家(+ [[2013年]]) * [[1930年]] - [[オーネット・コールマン]]、[[ジャズ]][[ミュージシャン]](+ [[2015年]]) * 1930年 - [[ラリー・レインズ]]、元プロ野球選手(+ [[1978年]]) * 1930年 - [[濱尾文郎]]、[[枢機卿]](+ [[2007年]]) * 1930年 - [[トーマス・シッパーズ]]、[[指揮者]](+ [[1977年]]) * 1930年 - [[厚木淳]]、[[翻訳家]]、[[編集者]](+ [[2003年]]) * [[1931年]] - [[篠田正浩]]、映画監督 * 1931年 - [[カラン・シング]]、[[政治家]]、[[外交官]]、[[学者]] * 1931年 - [[樋口幸男]]、[[美術監督]](+ [[1992年]]) * 1931年 - [[吉丸慶雪]]、[[武術]]家、[[武術]]理論研究家(+ [[2014年]]) * 1931年 - [[ロヘリオ・ドミンゲス]]、[[プロサッカー選手|サッカー選手]]、指導者(+ [[2004年]]) * 1931年 - [[今井和也]]、広告宣伝プロデューサー(+ [[2019年]]) * [[1932年]] - [[袖井林二郎]]、[[国際政治学者]]、[[評論家]] * [[1933年]] - [[ロイド・プライス]]、[[歌手]](+ [[2021年]]) * 1933年 - [[岩崎哲郎]]、元プロ野球選手(+ [[2000年]]) * 1933年 - [[ウィリアム・フランシス・マクベス]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](+ [[2012年]]) * 1933年 - [[坂下昇]]、[[経済学者]](+ [[2003年]]) * [[1934年]] - [[ユーリ・ガガーリン]]、[[宇宙飛行士]](+ [[1968年]]) * 1934年 - [[脇田晴子]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[2016年]]) * 1934年 - [[ジョイス・ヴァン・パタン]]、[[俳優|女優]] * 1934年 - [[別府輝彦]]、[[微生物学]]者 * 1934年 - [[石川佐智子]]、[[教育評論家]]、[[政治運動家]]、[[右翼]] * [[1935年]] - [[仲村秀生]]、[[声優]]、[[ナレーター]](+ [[2014年]]) * 1935年 - [[アンドリュー・ビタビ]]、[[電気工学|電気工学者]]、実業家 * 1935年 - [[アンゲリカ・カウフマン (イラストレーター)|アンゲリカ・カウフマン]]、[[絵本作家]]、[[イラストレーター]] * 1935年 - [[鈴木泰明]]、俳優、[[声優]]、[[ナレーター]] * 1935年 - [[小沢寿美恵]]、[[俳優|女優]] * 1935年 - [[岡村春彦]]、俳優(+ [[2020年]]) * [[1936年]] - [[ヴィッテキント・ツー・ヴァルデック=ピルモント]]、旧諸侯ヴァルデック=ピルモント家の家長 * 1936年 - [[庄山悦彦]]、実業家(+ [[2020年]]) * [[1937年]] - [[池田克也]]、政治家 * 1937年 - [[斎藤篤美]]、[[牧師]](+ [[2012年]]) * 1937年 - [[ブライアン・レッドマン]]、元レーシングドライバー * 1937年 - [[キラー・トーア・カマタ]]、[[プロレスラー]](+ [[2007年]]) * [[1938年]] - [[應蘭芳]]、女優、歌手 * 1938年 - [[ボビー・ワルデン]]、元[[アメリカンフットボール]]選手(+ [[2018年]]) * [[1939年]] - [[大方斐紗子]]、女優 * 1939年 - [[バトゥイル・オヴェゾフ]]、政治家(+ [[2007年]]) * 1939年 - [[松園万亀雄]]、[[人類学者]] * [[1940年]] - [[ラウル・ジュリア]]、俳優(+ [[1994年]]) * 1940年 - [[羽田節子]]、[[翻訳家]]、[[動物学者]] * [[1941年]] - [[芝山努]]、[[アニメ監督]] * 1941年 - [[安藤忠恕]]、政治家、第16代[[宮崎県知事一覧|宮崎県知事]](+ [[2010年]]) * 1941年 - [[中島尚正]]、[[工学者]] * 1941年 - [[麻生建]]、[[ドイツ哲学|ドイツ哲学者]](+ [[2008年]]) * [[1942年]] - [[バート・キャンパネリス]]、元プロ野球選手 * 1942年 - [[ジョン・ケイル]]、[[ミュージシャン]]([[ヴェルヴェット・アンダーグラウンド]]) * [[1943年]] - [[中田博久]]、俳優 * 1943年 - [[ジェフ・ラスキン]]、[[コンピュータ]]技術者(+ [[2005年]]) * 1943年 - [[ボビー・フィッシャー]]、[[チェスプレーヤーの一覧|チェスプレーヤー]](+ [[2008年]]) * 1943年 - [[スティーヴン・スティッチ]]、[[哲学者]]、[[認知科学|認知科学者]] * [[1944年]] - [[朴道春]]、政治家(+ [[2022年]]) * 1944年 - [[柴山光由]]、元[[アナウンサー]] * 1944年 - [[エド・アコスタ]]、元プロ野球選手 * [[1945年]] - [[前の山太郎]]、元大相撲力士(+ [[2021年]]) * 1945年 - [[ロビン・トロワー]]、[[ギタリスト]](元[[プロコル・ハルム]]) * 1945年 - [[トリッシュ・ヴァン・ディヴァー]]、女優、[[モデル (職業)|モデル]] * [[1946年]] - [[ベルント・ヘルツェンバイン]]、元[[サッカー選手]]、指導者 * [[1947年]] - [[柏瀬宏隆]]、[[精神科医]] * [[1948年]] - [[来生えつこ]]、[[作詞家]] * 1948年 - [[辛島文雄]]、ジャズ[[ピアニスト]](+ [[2017年]]) * 1948年 - [[福永達夫]]、元[[競艇選手|ボートレーサー]] * 1948年 - [[久保千春]]、[[内科医]]、[[心身医学]]者 * 1948年 - [[野地澄晴]]、理学博士 * 1948年 - [[桒山賀行]]、[[彫刻家]] * [[1949年]] - [[藤野貞義]]、[[音響監督]] * 1949年 - [[中野雅晴]]、[[自動車競技|レーサー]](+ [[1973年]]) * 1949年 - [[カレヴィ・アホ]]、[[作曲家]] * 1949年 - [[春日偉知郎]]、[[法学者]] * [[1950年]] - [[ダグ・オルト]]、元プロ野球選手(+ [[2004年]]) * 1950年 - [[ハワード・シェリー]]、[[ピアニスト]]、[[指揮者]] * 1950年 - [[駒沢裕城]]、[[ギタリスト]] * 1950年 - [[今野ひろみ]]、女優 * 1950年 - [[飯野矢住代]]、[[モデル (職業)|モデル]]、タレント、女優(+ [[1971年]]) * 1950年 - [[沼田幹男]]、[[外交官]] * 1950年 - [[鈴木陽二]]、水泳指導者 * 1950年 - [[ダニー・サリバン]]、元レースドライバー * [[1951年]] - [[ザキール・フセイン]]、ミュージシャン * 1951年 - [[村田春樹]]、[[政治活動家]] * 1951年 - [[ゲルハルト・ウルリヒ]]、[[ルーテル教会|ルター派]][[神学者]]、[[牧師]] * [[1952年]] - [[松元理人]]、[[アニメーション]][[プロデューサー]] * 1952年 - [[金文京]]、中国文学研究者 * [[1953年]] - [[麒麟児和春]]、元大相撲力士(+ [[2021年]]) * 1953年 - [[加藤きよみ]]、元[[バレーボール]]選手 * 1953年 - [[松崎菊也]]、戯作者 * 1953年 - [[平安寿子]]、[[作家]] * 1953年 - [[河野満男]]、[[柔道]]家 * [[1954年]] - [[カルロス・ゴーン]]、[[実業家]] * 1954年 - [[櫻井寛]]、[[写真|フォト]][[ジャーナリスト]] * [[1955年]] - [[フランコ・ウンチーニ]]、[[オートバイ競技|オートバイレーサー]] <!-- 特筆性は? * 1955年 - [[ピース (ゆーとぴあ)|ピース]]、[[漫才師]]([[ゆーとぴあ]]) --> * 1955年 - [[横山樹理]]、バレーボール指導者、元選手 * 1955年 - [[オルネラ・ムーティ]]、女優 * 1955年 - [[テオ・ファビ]]、レーシングドライバー * 1955年 - [[原田昌樹]]、[[映画監督]](+ [[2008年]]) * [[1956年]] - [[紅野謙介]]、日本近代文学研究者 * 1956年 - [[シャシ・タルール]]、作家、[[国際連合|国連]]職員 * 1956年 - [[吉崎隆]]、元[[TBSテレビ|TBS]][[テレビプロデューサー|プロデューサー]] * 1956年 - [[クリストフ・ポッペン]]、[[指揮者]]、[[ヴァイオリニスト|ヴァイオリン奏者]] * [[1957年]] - [[ポール・ザカリー・マイヤーズ]]、[[生物学者の一覧|生物学者]] * 1957年 - [[モナ・サーリン]]、政治家、[[スウェーデン社会民主労働党|社会民主労働党]]の[[党首]] * 1957年 - [[マーク・マンシーナ]]、音楽家 * 1957年 - [[クリス・ルイス]]、元プロ[[テニス]]選手 * 1957年 - [[ルルデス・グリエル]]、野球選手、指導者 * 1957年 - [[岡崎二郎]]、[[漫画家]] * [[1958年]] - [[未唯mie]]、[[歌手]]([[ピンク・レディー]]) * 1958年 - [[小倉淳]]、[[アナウンサー]]、タレント * 1958年 - [[リンダ・フィオレンティーノ]]、女優 * 1958年 - [[ブライアン・バターフィールド]]、元プロ野球選手 * [[1959年]] - [[ACE (ミュージシャン)|ACE]]、ミュージシャン(元[[聖飢魔II]]) * 1959年 - [[梶田隆章]]、物理学者、天文学者 * 1959年 - [[トム・アマンデス]]、[[俳優]] * 1959年 - [[水原洋]]、ギター製作家 * 1959年 - [[ニキタ・コロフ]]、元プロレスラー * [[1960年]] - [[青山吉伸]]、元弁護士、元[[オウム真理教]]幹部 * 1960年 - [[大村秀章]]、政治家、[[愛知県知事]]、元[[衆議院議員]] * 1960年 - [[斉藤祐子]]、タレント、声優 * 1960年 - [[ブラボー小松]]、[[ギタリスト]]、[[声優]]、[[プロデューサー]] * 1960年 - [[大須賀裕子]]、女優 * 1960年 - [[ダニヤル・ウセノフ]]、政治家 * 1960年 - [[ティエリ・ビネロン]]、陸上競技選手 * 1960年 - [[フィン・カーター]]、女優 * [[1961年]] - [[リック・スタイナー]]、プロレスラー * 1961年 - [[マーク・スミス (レースエンジニア)|マーク・スミス]]、モータースポーツエンジニア * 1961年 - [[寿未智徳]]、俳優 * 1961年 - [[玉井克哉]]、[[法学者]] * [[1962年]] - [[木梨憲武]]、タレント([[とんねるず]]) * 1962年 - [[来留間慎一]]、[[漫画家]] * 1962年 - [[王欣太]]、漫画家 * 1962年 - [[中野和也]]、[[スポーツライター]] * 1962年 - [[加藤大幸]]、[[ディレクター]] * 1962年 - [[吉野千代乃]]、歌手 * 1962年 - [[八神康子]]、女優 * 1962年 - [[リチャード・クエスト]]、ジャーナリスト * 1962年 - [[櫻井伸一]]、[[高分子]][[学者]] * 1962年 - [[浦田春生]]、[[陸上競技]]選手 * 1962年 - [[ACE (ミュージシャン)|ACE]] 、[[音楽家|ミュージシャン]] * [[1963年]] - [[木原龍太郎]]、ミュージシャン(元[[ブルー・トニック]]、[[ORIGINAL LOVE]]) * 1963年 - [[麻宮騎亜]]、[[アニメーター]]、漫画家 * 1963年 - [[ジャン=マルク・ヴァレ]]、映画監督 * 1963年 - [[マウリシオ・ステッカ]]、[[プロボクサー]] * 1963年 - [[美加マドカ]]、元[[ストリップティーズ|ストリッパー]] * 1963年 - [[アイヴァー・マウントバッテン]]、[[エリザベス2世]]のいとこ * [[1964年]] - [[ジュリエット・ビノシュ]]、女優 * 1964年 - [[北原光騎]]、プロレスラー * 1964年 - [[ヴァレリー・ルメルシェ]]、女優、映画監督 * 1964年 - [[田上正勝]]、実業家 * 1964年 - [[新実智光]]、元[[オウム真理教]]幹部、元[[日本における死刑囚|死刑囚]](+ [[2018年]]) * [[1965年]] - [[ベニート・サンティアゴ]]、元プロ野球選手 * 1965年 - [[大城一郎]]、政治家 * 1965年 - [[アントニオ・サカ]]、政治家 * 1965年 - [[中澤やよい]]、声優 * 1965年 - [[戸井克成]]、プロレスラー * 1965年 - [[木村盛世]]、[[医師]]、元[[厚生労働省]][[技官|医系技官]]、[[ノンフィクション作家]] * [[1966年]] - [[ペトル・バルナ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1966年 - [[立原ちえみ]]、女優 * 1966年 - [[サム・カレタ]]、[[ラグビーユニオン]]選手 * 1966年 - [[高橋一晃]]、[[TBSテレビ]]情報制作局制作[[プロデューサー]] * 1966年 - [[妹尾ゆふ子]]、ファンタジー作家 * 1966年 - [[封加梁]]、画家、美術教育家 * [[1967年]] - [[千羽由利子]]、アニメーター * 1967年 - [[バイソン木村]]、プロレスラー * 1967年 - [[野部優美]]、漫画家 * 1967年 - [[高山トンガ]]、俳優 * 1967年 - [[ニール・キャプラン]]、声優、[[コメディアン]]、司会者 * 1967年 - [[山下高明]]、[[アニメーター]] * [[1968年]] - [[本多友也]]、俳優 * 1968年 - [[ユーリ・ジョルカエフ]]、サッカー選手 * 1968年 - [[真央はじめ]]、[[AV男優]] * 1968年 - [[ホルヘ・ラリオンダ]]、サッカー審判員 * 1968年 - [[パット・ミレティッチ]]、[[総合格闘家]] * 1968年 - [[内藤博敬]]、[[生物学者]] * [[1969年]] - [[マクムード・アブドゥル=ラウーフ]]、元プロ[[バスケットボール]]選手 * 1969年 - [[セドリック・ニコラス=トロイアン]]、映画監督 * 1969年 - [[加藤幸治 (経済地理学者)|加藤幸治]]、[[経済地理学]]研究者 * 1969年 - [[フランソワ・キュセ]]、著述家、思想史家 * 1969年 - [[古川隆弘]]、獣医師 * 1969年 - [[アンドレイ・パナディッチ]]、元サッカー選手 * [[1970年]] - [[マーティン・ジョンソン]]、元[[ラグビーユニオン]]選手 * 1970年 - [[中野浩靖]]、演出家・俳優 * 1970年 - [[本博国]]、元[[ボクシング|アマチュアボクシング]]選手 * [[1971年]] - [[ジェレル・ヴェネチアン]]、[[キックボクサー]] * 1971年 - [[エマニエル・ルイス]]、俳優、歌手 * 1971年 - [[渡辺航 (漫画家)|渡辺航]]、漫画家 * 1971年 - [[二瓶次郎]]、[[アイスホッケー選手]] * [[1972年]] - [[川江美奈子]]、[[シンガーソングライター]] * 1972年 - [[上田祥子]]、タレント * 1972年 - [[カー・スミス]]、俳優 * 1972年 - [[大村安孝]]、経営者、企業再生家、[[行政書士]] * 1972年 - [[海霞]]、[[ニュースキャスター]]、司会者 * 1972年 - [[野呂田義一]]、元[[スキージャンプ]]選手 * 1972年 - [[渡辺一宏]]、フリー[[アナウンサー]]、キャスター、ニュースデスク、ナレーター、リポーター、パーソナリティ * [[1973年]] - [[クリストファー・ニコースキー]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[西尾悦子]]、タレント * 1973年 - [[アーロン・ブーン]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[クラウディア・メイソン]]、[[ファッションモデル]] * 1973年 - [[タイガー・アリ・シン]]、プロレスラー * 1973年 - [[ローナ・ハートナー]]、女優、歌手、作曲家 * 1973年 - [[HIRO SATO]]、[[写真家]] * 1973年 - [[稲野一美]]、パーソナリティー、レポーター、着物モデル * 1973年 - [[ダニー・グリーン]]、[[プロボクサー]] * [[1974年]] - [[杉山紀彰]]、声優 * 1974年 - [[ナウベルチ・ビテンクール]]、[[バレーボール]]選手 * 1974年 - [[ユーリー・ビロノグ]]、[[陸上競技]]選手 * 1974年 - [[アルメン・ナザリャン]]、[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手 * 1974年 - [[サンティアゴ・デニア・サンチェス]]、元サッカー選手、指導者 * [[1975年]] - [[相田さやか]]、声優 * 1975年 - [[中村達也 (現代美術家)|中村達也]]、[[近代美術と現代美術|現代美術家]]、[[構成作家]] * 1975年 - [[フアン・セバスティアン・ベロン]]、元サッカー選手 * 1975年 - [[ロイ・マカーイ]]、元サッカー選手 * 1975年 - [[大林奈津子]]、[[フリーアナウンサー]] * 1975年 - [[浜野裕子]]、[[グラビアアイドル]]、女優(元[[C.C.ガールズ]]) * 1975年 - [[アレクセイ・グルチコフ]]、[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手 * 1975年 - [[マナコ朗仁]]、ラグビーユニオン選手 * 1975年 - [[野村明弘]]、[[フリーアナウンサー]]、スポーツコメンテーター * 1975年 - [[アドナル・フォイル]]、元[[バスケットボール]]選手 * 1975年 - [[リサ・ミスコフスキー]]、シンガーソングライター * 1975年 - [[ロナルド・チェン]]、[[歌手]] * [[1976年]] - [[岸本尚実]]、フリーアナウンサー * 1976年 - [[アニエル・ガルシア]]、[[陸上競技]]選手 * 1976年 - [[谷あい]]、タレント * 1976年 - [[森広隆]]、シンガーソングライター * 1976年 - [[エフゲニー・マルティノフ (フィギュアスケート選手)|エフゲニー・マルティノフ]]、フィギュアスケート選手 * 1976年 - [[ヴォイチェフ・スクーピエン]]、元[[スキージャンプ]]選手 * 1976年 - [[フランシスコ・マンセボ]]、自転車競技(ロードレース)選手 * [[1977年]] - [[ホセ・レイス]]、[[キックボクサー]] * 1977年 - [[三原夕香]]、元[[AV女優]] * 1977年 - [[陳数]]、女優 * 1977年 - [[畑山茂雄]]、[[陸上競技]]選手 * 1977年 - [[田畑めぐみ]]、キャスター * 1977年 - [[アベルノ]]、プロレスラー * 1977年 - [[松岡理恵]]、元マラソン選手 * [[1978年]] - [[つぶらまひる]]、女優 * 1978年 - [[澤井良輔]]、元プロ野球選手 * 1978年 - [[ルーカス・ニール]]、サッカー選手 * 1978年 - [[上村亮平]]、[[小説家]] * 1978年 - [[児玉啓]]、元女優 * 1978年 - [[キャサリン・パーキンソン]]、女優 * 1978年 - [[ハンヌ・ライアニエミ]]、[[SF作家]]、ファンタジー作家 * [[1979年]] - [[能世あんな]]、元女優、元モデル * 1979年 - [[アキラボーイ]]、お笑いタレント * 1979年 - [[オスカー・アイザック]]、俳優、歌手 * 1979年 - [[川口周作]]、実業家 * 1979年 - [[メリーナ・ペレス]]、プロレスラー、[[ディーヴァ (プロレス)|ディーヴァ]] * [[1980年]] - [[河野真也]]、[[お笑い芸人]]([[オクラホマ (お笑い)|オクラホマ]]) * 1980年 - [[露鵬幸生]]、元大相撲力士 * 1980年 - [[チンギー]]、[[ラッパー]] * 1980年 - [[安達哲朗]]、俳優 * 1980年 - [[カノン (歌手)|カノン]]、歌手 * 1980年 - [[権五俊]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[町田そのこ]]、[[小説家]] * 1980年 - [[マシュー・グレイ・ギュブラー]]、元ファッションモデル、俳優、声優、映画監督 * 1980年 - [[大久保哲哉]]、元サッカー選手 * 1980年 - [[加藤アカツキ]]、イラストレーター * 1980年 - [[小嫻]]、タレント、女優 * 1980年 - [[マット・バーンズ]]、元[[バスケットボール]]選手 * [[1981年]] - [[リッキー・バレット]]、プロ野球選手 * 1981年 - [[クレイ・ラパダ]]、野球選手 * 1981年 - [[小嶋亜由美]]、タレント、[[ラジオパーソナリティ]] * 1981年 - [[中村由香里 (競輪選手)|中村由香里]]、競輪選手 * 1981年 - [[ゴーラン・ルビル]]、サッカー選手 * [[1982年]] - [[網飛鳥]]、[[俳優]]、[[モデル (職業)|モデル]] * 1982年 - [[アンター・ヤヒア]]、サッカー選手 * 1982年 - [[小野寺沙希]]、元AV女優 * 1982年 - [[マルセロ・ゴメス・ソアレス]]、サッカー選手 * 1982年 - [[ライアン・ベイリー]]、自転車競技([[トラックレース]])選手 * 1982年 - [[山本絵美]]、[[女子サッカー]]選手 * 1982年 - [[トビアス・ヒーセン]]、サッカー選手 * [[1983年]] - [[ウィリー・アイバー]]、元プロ野球選手 * 1983年 - [[クリント・デンプシー]]、サッカー選手 * 1983年 - [[ロベルト・フェッラーリ]]、自転車競技(ロードレース)選手 * 1983年 - [[ボビー・カンポ]]、俳優 * 1983年 - [[鈴木千登世]]、タレント * 1983年 - [[桐生卓也]]、元[[競輪選手]] * 1983年 - [[マルコ・シュレル]]、サッカー選手 * 1983年 - ウェイン・シミエ、元バスケットボール選手 * 1983年 - [[李鎬鎮]]、元サッカー選手 * 1983年 - [[川田祐]]、俳優 * 1983年 - [[堀田篤]]、アナウンサー * 1983年 - [[ダヤ・ベダノワ]]、元プロ[[テニス]]選手 * 1983年 - [[仲摩純平]]、プロバスケットボール選手 * 1983年 - [[田中章仁]]、[[アマチュアレスリング|レスリング]]選手、[[総合格闘家]] * 1983年 - [[加藤ひろあき]]、[[シンガーソングライター]]、[[インドネシア語]]翻訳家・通訳、大学講師、ミュージカル俳優 * 1983年 - [[武田真理子 (モデル)|武田真理子]]、ファッションモデル * 1983年 - [[杉田廣貴]]、[[書家|書道家]]、[[芸術家]] * 1983年 - [[桜沢まひる]]、AV女優 * [[1984年]] - [[水野清仁]]、ミュージシャン * 1984年 - [[徳重健太]]、サッカー選手 * 1984年 - {{仮リンク|ジュリア・マンクーゾ|en|Julia Mancuso}}、[[アルペンスキー]]選手 * 1984年 - [[スヴェトラーナ・ニコラエワ]]、フィギュアスケート選手 * 1984年 - [[ジョセフ・ギルガン]]、俳優 * 1984年 - [[マリア・ペレペルキナ]]、バレーボール選手 * 1984年 - [[ジウマール・シウバ・サントス]]、プロサッカー選手 * 1984年 - [[エリオット・ジョンソン]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[カメル・ギラス]]、サッカー選手 * 1984年 - [[アブドゥレイ・コンコ]]、元サッカー選手 * 1984年 - [[田中桜]]、元サッカー選手 * 1984年 - [[プリシラ・アーン]]、シンガーソングライター * 1984年 - [[ギヨーム・ジレ]]、サッカー選手 * 1984年 - [[來河侑希]]、[[俳優]] * 1984年 - [[潤鎮魂歌]]、[[総合格闘家]] * 1984年 - [[クレイグ・スタメン]]、プロ野球選手 * [[1985年]] - [[アントン・コワレフスキー]]、フィギュアスケート選手 * 1985年 - [[木村英里]]、アナウンサー * 1985年 - [[ジェシー・リッチ]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[安藤晃司]]、[[総合格闘家]] * 1985年 - [[後藤翔之]]、[[競艇選手]] * 1985年 - [[高橋利幸 (競馬)|高橋利幸]]、[[騎手]] * 1985年 - [[ザック・アンドリュース]]、プロバスケットボール選手 * 1985年 - [[ヘオルギー・ウェルコメ]]、サッカー選手 * 1985年 - [[ブライアン・ボコック]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[ドミニク・クルーズ]]、[[総合格闘家]] * 1985年 - [[パストール・マルドナド]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]] * [[1986年]] - [[間瀬りさ]]、タレント(元ポケットパレットw.) * 1986年 - [[関憲太郎]]、サッカー選手 * 1986年 - [[ブリタニー・スノウ]]、女優 * 1986年 - [[風間みなみ]]、[[ラジオパーソナリティ]]、[[リポーター]]、フリーアナウンサー * 1986年 - [[リン・ユーチュン]]、歌手 * 1986年 - [[ジャナ・ジョルダン]]、[[アダルトモデル]]、[[ポルノ女優]] * 1986年 - [[スベトラーナ・シュコリナ]]、[[陸上競技]]選手 * [[1987年]] - [[栃煌山雄一郎]]、元大相撲力士 * 1987年 - [[バウ・ワウ]]、ラッパー、俳優 * 1987年 - [[ルイジ・ブラインス]]、サッカー選手 * 1987年 - [[高杉綾美]]、AV女優 * 1987年 - [[ピルミン・シュヴェクラー]]、プロサッカー選手 * 1987年 - [[保科愛里]]、[[ローカルタレント]] * 1987年 - [[神谷美寿々]]、アナウンサー * 1987年 - [[デミアン・ジョンソン]]、プロバスケットボール選手 * 1987年 - [[王思博]]、ラグビーユニオン選手 * 1987年 - [[森野まりな]]、AV女優 * 1987年 - [[ダニエル・ハドソン]]、プロ野球選手 * [[1988年]] - [[尾崎光洋]]、俳優 * 1988年 - [[近裕崇]]、バレーボール選手 * 1988年 - [[優木あおい]]、AV女優 * 1988年 - [[成澤ひなみ]]、AV女優 * [[1989年]] - [[ディアン・トスカーノ]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[鈴木弾]]、サッカー選手 * 1989年 - [[アルチョム・ボロドゥリン]]、フィギュアスケート選手 * 1989年 - [[千葉雄大]]、ファッションモデル、俳優 <!-- 特筆性は? * 1989年 - [[ジュモンれもん|鈴木奨]]、お笑いタレント([[ジュモンれもん]]) --> * 1989年 - [[カミロ・バルガス]]、プロサッカー選手 * 1989年 - [[久本真菜]]、アナウンサー * 1989年 - [[テヨン]]、[[歌手]] * [[1990年]] - [[町田樹]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[原嶋あかり]]、声優 * 1990年 - [[ニコラス・ヘフラー]]、プロサッカー選手 * 1990年 - [[大戸裕矢]]、ラグビーユニオン選手 * 1990年 - [[植松宗之]]、ラグビーユニオン選手 * 1990年 - [[デイリー・ブリント]]、サッカー選手 * 1990年 - [[巴山萌菜]]、[[歌手]] * 1990年 - [[アラス・オズビリズ]]、サッカー選手 * [[1991年]] - [[桝田幸希]]、女優、タレント * 1991年 - [[澤田龍哉]]、[[競馬]][[騎手]] * 1991年 - [[田尻悠人]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]] * 1991年 - [[原希美]]、[[ハンドボール]]選手 * 1991年 - [[エドウィン・ギーマー]]、サッカー選手 * 1991年 - [[ドモ・ジェネシス]]、ラッパー * 1991年 - [[トーマス・クルーズ (サッカー選手)|トーマス・クルーズ]]、サッカー選手 * 1991年 - [[マシュー・ブリッグス]]、サッカー選手 * [[1992年]] - [[夏乃美菜]]、グラビアアイドル、タレント * 1992年 - [[麻友美]]、元グラビアアイドル * 1992年 - [[スカポン・ヴォンチェンカム]]、サッカー選手 * 1992年 - [[星乃月]]、AV女優 * 1992年 - [[金鐘必]]、サッカー選手 * 1992年 - [[ジョアン・ペドロ]]、サッカー選手 * 1992年 - [[ファリド・ハサノフ]]、歌手 * [[1993年]] - [[伊東純也]]、サッカー選手 * 1993年 - [[岸下恵介]]、アナウンサー * 1993年 - [[諸岡世奈]]、元[[ハンドボール]]選手 * 1993年 - [[トム・トリブル]]、サッカー選手 * 1993年 - [[萩原寿哉]]、ラグビーユニオン選手 * 1993年 - [[SUGA]]、歌手([[BTS (音楽グループ)|BTS]]) * 1993年 - [[ステファノ・ストゥラーロ]]、サッカー選手 * 1993年 - [[ザカリア・ラビアド]]、サッカー選手 * 1993年 - [[ジーノ・ファン・ケッセル]]、サッカー選手 * [[1994年]] - [[イザベル・ドレッシャー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1994年 - [[ジョルダン・アマヴィ]]、プロサッカー選手 * 1994年 - [[ベラ・パップ]]、フィギュアスケート選手 * 1994年 - [[星乃勇太]]、俳優 * 1994年 - [[青木大和]]、パラアルペンスキー選手、実業家、元政治活動家 * [[1995年]] - [[大沢ひかる]]、女優、タレント * 1995年 - [[加藤るみ]]、タレント(元[[SKE48]]) * 1995年 - [[シエラ・ラミレス]]、女優 * 1995年 - [[原田敬伍]]、元[[騎手]] * 1995年 - [[吉岡雅和]]、プロサッカー選手 * 1995年 - [[アンヘル・コレア]]、サッカー選手 * 1995年 - [[加藤桃子]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]] * [[1997年]] - [[ニーヴ・ウィルソン]]、女優 * 1997年 - [[井上黎生人]]、サッカー選手 * 1997年 - [[比奈森のあ]]、[[コスプレ|コスプレイヤー]]、モデル * [[1998年]] - [[小澤怜史]]、プロ野球選手 * 1998年 - [[與那原大剛]]、元プロ野球選手 * 1998年 - [[川崎健希]]、元[[子役]] * 1998年 - [[アンダーソン・エスピノーザ]]、プロ野球選手 * 1998年 - [[吉田翔 (俳優)|吉田翔]]、俳優 * 1998年 - [[山根ことみ]]、[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]] * 1998年 - [[ケイリン・ホイットニー]]、[[陸上競技]]選手 * [[1999年]] - [[イェニー・サーリネン]]、フィギュアスケート選手 * 1999年 - [[ピョン・ジヒョン]]、フィギュアスケート選手 * 1999年 - [[増山香補]]、[[柔道]]選手 * 1999年 - [[長野風花]]、サッカー選手 * 1999年 - [[咲方響]]、喜劇女優 * [[2000年]] - [[日下部美愛]]、ファッションモデル、タレント、アイドル(元[[Prizmmy☆]]) * [[2001年]] - [[チョン・ソミ]]、アイドル * 2001年 - [[水谷瞬]]、プロ野球選手 * 生年不詳 - [[内田智之]](Mr.T)、作曲家、ミュージシャン * 生年不明 - [[紺乃千鶴]]、声優 * 生年不明 - [[真野拓実]]、声優、歌手 * 生年不明 - リンリン<ref>{{Twitter status|lingling_bish|628922263929163776}}</ref>、アイドル(元[[BiSH]]) === 人物以外(動物など) === * [[1996年]] - [[エイシンキャメロン]]、[[競走馬]] == 忌日 == === 人物 === [[Image:Cardinal Mazarin by Pierre Mignard (Musée Condé).jpg|thumb|200px|フランスの宰相[[ジュール・マザラン]](1602-1661)没。マザランの死後[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]は親政を宣言した]] * [[1649年]] - [[ジェイムズ・ハミルトン (初代ハミルトン公爵)|ジェイムズ・ハミルトン]]<ref>{{cite DNB |first=Samuel Rawson |last=Gardiner|wstitle=Hamilton, James (1606-1649)|volume=24|pages=179–183}}</ref>、貴族、政治家(* [[1606年]]) * [[1661年]] - [[ジュール・マザラン]]、[[フランス王国|フランス]]宰相(* [[1602年]]) * [[1847年]] - [[メアリー・アニング]]、[[古生物学|古生物学者]](* [[1799年]]) * [[1851年]] - [[ハンス・クリスティアン・エルステッド]]、[[物理学者]]、[[化学者]](* [[1777年]]) * [[1854年]] - [[三条公睦]]、[[江戸時代]]後期の[[公卿]](* [[1828年]]) * [[1857年]] - [[ドミニコ・サヴィオ]]、[[カトリック教会]]の[[聖人]](* [[1842年]]) * 1857年 - [[ジェイムズ・ダフ (第4代ファイフ伯爵)|ジェイムズ・ダフ]]、[[イギリス]]の貴族、軍人(* [[1776年]]) * [[1859年]] - [[ルイーゼ・ツー・メクレンブルク (1824-1859)|ルイーゼ・ツー・メクレンブルク]]、ドイツ・[[メクレンブルク=シュヴェリーン]]大公家の公女(* [[1824年]]) * [[1867年]] - [[ゾフィー・フォン・ザクセン (1845-1867)|ゾフィー・フォン・ザクセン]]、[[ドイツ]]の[[ザクセン王国|ザクセン]][[ザクセン君主一覧|王]][[ヨハン (ザクセン王)|ヨハン]]とその妃で[[バイエルン王国|バイエルン]][[バイエルン国王|王]][[マクシミリアン1世 (バイエルン王)|マクシミリアン1世]]の娘である[[アマーリエ・アウグステ・フォン・バイエルン|アマーリエ・アウグステ]]の間の六女、末娘(* [[1845年]]) * [[1876年]] - [[ルイーズ・コレ]]、詩人(* [[1810年]]) * [[1877年]] - [[新田貞善]]、[[江戸時代]]の[[高家 (江戸時代)|高家]][[旗本]]・[[新田貞時]]の嫡男(* [[1853年]]) * [[1880年]] - [[ルードルフ・スヘッフェル]]、[[植物学者]](* [[1844年]]) * [[1881年]] - [[カロリーネ・アマーリエ・ア・アウグステンボー]]、[[デンマーク]]王[[クリスチャン8世 (デンマーク王)|クリスチャン8世]]の2度目の王妃(* [[1796年]]) * [[1883年]] - [[アーノルド・トインビー]]、[[経済学者]](* [[1852年]]) * [[1886年]] - [[ウイリアム・スミス・クラーク]](クラーク博士)、[[札幌農学校]]初代教頭(* [[1826年]]) * [[1888年]] - [[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]]、[[ドイツ帝国|ドイツ]][[皇帝]](* [[1797年]]) * [[1895年]] - [[レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ]]、[[小説家]](* [[1836年]]) * [[1900年]] - [[小島鹿之助]]、[[新選組]]の支援者(* [[1830年]]) * [[1904年]] - [[井上正直]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[浜松藩|浜松藩主]]、[[鶴舞藩|鶴舞藩主]](* [[1837年]]) * [[1905年]] - [[ジョン・ウィルヘルム・ラウントリー]]、[[チョコレート]]・菓子製造業者、宗教活動家、改革者(* [[1868年]]) * [[1907年]] - [[斯波蕃]]、[[武士]]、[[華族]]、[[男爵]](* [[1843年]]) * 1907年 - [[トーマス・ハンブリー]]、商人、園芸家、慈善家(* [[1832年]]) * [[1908年]] - [[ヘンリー・ソービー]]、[[地質学|地質学者]](* [[1826年]]) * [[1913年]] - [[ヘルマン・ツー・ホーエンローエ=ランゲンブルク]]、[[シュタンデスヘル]]、政治家(* [[1832年]]) * [[1917年]] - [[宝生九郎知栄]]、[[能楽師]](* [[1837年]]) * [[1918年]] - [[納富介次郎]]、[[画家]]、[[インダストリアルデザイナー]](* [[1844年]]) * 1918年 - [[フランク・ヴェーデキント]]、[[劇作家]](* [[1864年]]) <!-- 3月8日に移動* [[1923年]] - [[ヨハネス・ファン・デル・ワールス]]、[[物理学者]](* [[1837年]])--> * 1918年 - [[ジョージ・フォン・レンガーク・マイヤー]]、[[実業家]]、[[政治家]](* [[1858年]]) * [[1924年]] - [[田中長兵衛 (2代目)|田中長兵衛]]、[[実業家]](* [[1858年]]) * [[1925年]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・プロイセン]]、[[プロイセン王国|プロイセン]]の王族、プロイセン王子(* [[1880年]]) * [[1934年]] - [[井内恭太郎]]、[[官吏]](* [[1854年]]) * [[1936年]] - [[弘世助太郎]]、[[実業家]](* [[1871年]]) * 1936年 - [[スワミ・スリ・ユクテスワ・ギリ]]、[[ヒンドゥー教]]の聖人(* [[1855年]]) * [[1940年]] - [[木村庄之助 (20代)|20代木村庄之助]]、元大相撲立行司(* [[1876年]]) * [[1941年]] - [[田中国重]]、[[軍人]](* [[1870年]]) * [[1944年]] - [[オットー・フォン・ベロウ]]、[[軍人]](* [[1857年]]) * 1944年 - [[奥田直恭]]、華族、軍人(* [[1876年]]) * [[1945年]] - [[立花家扇遊]]、[[落語家]](* [[1884年]]) * [[1947年]] - [[権東鎮]]、[[朝鮮]]の[[独立運動家]]、[[政治家]]* [[1861年]]) * [[1948年]] - [[牧野政信]]、[[柔道家]]、[[政治家]](* [[1898年]]) * [[1949年]] - [[フィリッポ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ]]、[[ブルボン=シチリア家]]の子孫(* [[1885年]]) * 1949年 - [[チャールズ・ベネット (陸上選手)|チャールズ・ベネット]]、陸上競技選手(* [[1870年]]) * [[1950年]] - [[淵上毛錢]]、[[詩人]](* [[1915年]]) * [[1952年]] - [[アレクサンドラ・コロンタイ]]、[[ボリシェビキ]][[積極行動主義|活動家]](* [[1872年]]) * 1952年 - [[松田重次郎]]、[[マツダ]]創業者(* [[1875年]]) * [[1953年]] - [[佐野学]]、[[社会主義]]運動家(* [[1892年]]) * [[1954年]] - [[V・ヴァルフリート・エクマン]]、[[海洋物理学|海洋物理学者]](* [[1874年]]) * 1954年 - [[クララ・ヴェストホフ]]、[[彫刻家]](* [[1878年]]) * [[1956年]] - [[須藤鐘一]]、[[小説家]](* [[1886年]]) * 1956年 - [[パウル・クレッチマー]]、[[言語学者]](* [[1866年]]) * [[1958年]] - [[山田午郎]]、[[サッカー選手]]、指導者(* [[1894年]]) * [[1960年]] - [[ポール・ジャクレー]]、[[版画家]]、[[浮世絵師]](* [[1896年]]) * 1960年 - [[オットー・アッカーマン]]、[[指揮者]](* [[1909年]]) * [[1961年]] - [[目時重男]]、[[騎手]](* [[1926年]]) * [[1964年]] - [[パウル・フォン・レットウ=フォルベック]]、軍人(* [[1870年]]) * [[1965年]] - [[彦山光三]]、[[ジャーナリスト]]、[[相撲]][[評論家]](* [[1893年]]) * [[1969年]] - [[勝俣稔]]、政治家(* [[1891年]]) * 1969年 - [[ヴァルター・クリスタラー]]、[[地理学者]]・都市学者(* [[1893年]]) * [[1970年]] - [[水野利八]]、実業家、[[ミズノ]]創業者(* [[1884年]]) * [[1971年]] - [[照錦富治]]、元[[力士]](* [[1911年]]) * [[1972年]] - [[広瀬正]]、[[SF作家]]、[[推理作家]](* [[1924年]]) * 1972年 - [[矢崎芳夫]]、[[医師]]、[[医学|医学者]]、[[衛生学|衛生学者]](* [[1894年]]) * [[1974年]] - [[エール・サザランド]]、[[生理学者]](* [[1915年]]) * [[1975年]] - [[ジョゼフ・ギルモ]]、陸上競技選手(* [[1899年]]) * 1975年 - [[シャーリー・ロス]]、[[俳優|女優]]、[[歌手]](* [[1913年]]) * [[1977年]] - [[ニコライ・ドゥドロフ]]、政治家(* [[1906年]]) * [[1979年]] - [[成田知巳]]、[[政治家]](* [[1912年]]) * 1979年 - [[佃實夫]]、[[小説家]]、[[文献学]]者(* [[1925年]]) * [[1980年]] - [[ハインツ・リンゲ]]、[[ナチス・ドイツ]]総統[[アドルフ・ヒトラー]]の従者(* [[1913年]]) * 1980年 - [[オルガ・チェホーワ]]、[[俳優|女優]](* [[1897年]]) * 1980年 - [[大屋晋三]]、[[政治家]]、[[実業家]](* [[1894年]]) * [[1981年]] - [[マックス・デルブリュック]]、[[生物物理学|生物物理学者]](* [[1906年]]) * 1981年 - [[王小亭]]、カメラマン・映画撮影技師(* [[1900年]]) * [[1983年]] - [[ウルフ・スファンテ・フォン・オイラー]]、生理学者、[[薬理学|薬理学者]](* [[1905年]]) * 1983年 - [[張学銘]]、軍人・政治家(* [[1908年]]) * 1983年 - [[五味智英]]、[[文学者]]([[上代文学]])、[[万葉集]]の権威(* [[1908年]]) * [[1984年]] - [[伊藤公平]]、[[歌人]]・[[随筆家]]・[[小説家]]・[[作詞家]](* [[1901年]]) * 1984年 - [[イモージェン・ホルスト]]、[[作曲家]](* [[1907年]]) * 1984年 - [[クリスティアン・ヨハンソン]]、[[スキージャンプ]]選手(* [[1907年]]) * 1984年 - [[金一 (政治家)|金一]]、[[政治家]](* [[1910年]]) * 1984年 - [[柴田健治]]、政治家(* [[1916年]]) * [[1986年]] - [[小野清一郎]]、[[法学者]](* [[1891年]]) * [[1987年]] - [[田辺振太郎]]、科学思想家(* [[1907年]]) * 1987年 - [[浅井真男]]、[[ドイツ文学者]]、[[早稲田大学]]名誉教授(* [[1905年]]) * [[1988年]] - [[クルト・ゲオルク・キージンガー]]、[[ドイツの首相|ドイツ連邦首相]](* [[1904年]]) * 1988年 - [[富塚清]]、[[機械工学]]者(* [[1893年]]) * 1988年 - [[クルト・ゲオルク・キージンガー]]、[[政治家]](* [[1904年]]) * [[1989年]] - [[ロバート・メイプルソープ]]、[[写真家]](* [[1946年]]) * 1989年 - [[イルダ・ストリク]]、[[陸上競技]]選手(* [[1910年]]) * 1989年 - [[カーミット・ビーハン]]、[[軍人]](* [[1918年]]) * [[1991年]] - [[池内友次郎]]、作曲家(* [[1906年]]) * [[1992年]] - [[メナヘム・ベギン]]、第6代[[イスラエルの首相|イスラエル首相]](* [[1913年]]) * [[1993年]] - [[エドウィン・バスケス]]、[[射撃]]選手(* [[1922年]]) * 1993年 - [[マックス・ツォルン]]、[[数学者]](* [[1906年]]) * 1993年 - [[フレヤ・スターク]]、[[探検家]]、旅行作家、[[東洋学者]](* [[1893年]]) * [[1994年]] - [[チャールズ・ブコウスキー]]、[[作家]](* [[1920年]]) * 1994年 - [[フェルナンド・レイ]]、[[俳優]](* [[1917年]]) * [[1995年]] - [[エドワード・バーネイズ]]、[[広報活動]]と[[プロパガンダ]]の専門家(* [[1891年]]) * [[1996年]] - [[リチャード・M・パワーズ]]、[[サイエンス・フィクション|SF]][[イラストレーター]](* [[1921年]]) * 1996年 - [[ジョージ・バーンズ]]、[[俳優]]、[[コメディアン]](* [[1896年]]) * [[1997年]] - [[ノトーリアス・B.I.G.]]、[[ラッパー]](* [[1972年]]) * 1997年 - [[ジャン=ドミニック・ボービー]]、雑誌編集者(* [[1952年]]) * [[1998年]] - [[大原栄一]]、[[実業家]](* [[1912年]]) * 1998年 - [[デビッド・マクアダム]]、[[物理学者]]、色彩科学者(* [[1910年]]) * [[1999年]] - [[朱里みさを]]、[[舞踊家]]、[[振付家]](* [[1924年]]) * [[2000年]] - [[佐々木良作]]、[[政治家]](* [[1915年]]) * 2000年 - [[ジーン・クルサード]]、[[カナダ]]の[[作曲家]]、[[音楽学者]]* [[1908年]]) * 2000年 - [[平井新]]、[[思想史|社会思想史]]学者(* [[1899年]]) * [[2001年]] - [[ヴィンセント・アロ]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ニューヨーク]][[マフィア]]、[[ジェノヴェーゼ一家]]幹部(* [[1904年]]) * [[2003年]] - [[松本元]]、[[脳科学|脳科学者]](* [[1940年]]) * 2003年 - [[矢頭高雄]]、[[プロ野球選手]](* [[1934年]]) * 2003年 - [[スタン・ブラッケージ]]、[[映画監督]](* [[1933年]]) * [[2004年]] - [[ジョン・メイヤー (作曲家)|ジョン・メイヤー]]、作曲家(* [[1930年]]) * 2004年 - [[露原千草]]、[[俳優|女優]](* [[1918年]]) * 2004年 - [[前川貞次郎]]、[[歴史学者]](* [[1911年]]) * [[2005年]] - [[桂文紅 (4代目)|4代目桂文紅]]、[[落語家]](* [[1932年]]) * 2005年 - [[ウィリアム・マレー (小説家)|ウィリアム・マレー]]、フィンクション書籍編集者、[[小説家]](* [[1926年]]) * 2005年 - [[久世隆一郎]]、[[スバルテクニカインターナショナル]](STI)の初代社長(* [[1930年]]) * [[2006年]] - [[ジョン・プロヒューモ]]、[[政治家]](* [[1915年]]) * 2006年 - [[ゲイル・イヴァルセイ]]、[[オペラ・ソフトウェア]](Opera Software ASA)の共同創設者(* [[1957年]]) * 2006年 - [[西村睦男]]、[[地理学者]](* [[1915年]]) * 2006年 - [[山中智恵子]]、[[歌人]](* [[1925年]]) * 2006年 - [[エリック・エルムセーター]]、陸上競技選手(* [[1919年]]) * 2006年 - [[米山俊直]]、[[文化人類学|文化人類学者]](* [[1930年]]) * 2006年 - [[ハリー・サイドラー]]、[[建築家]](* [[1923年]]) * [[2007年]] - [[ブラッド・デルプ]]、ミュージシャン([[ボストン (バンド)|ボストン]])(* [[1951年]]) * 2007年 - [[小松原俊一]]、実業家(* [[1918年]]) * 2007年 - [[トム・モルドヴェイ]]、[[ゲームデザイナー]](* [[1949年]]) * 2007年 - [[松村憲]]、[[競輪選手]](* [[1927年]]) * 2007年 - [[田中一生]]、言語・文学研究者、翻訳家(* [[1935年]]) * [[2008年]] - [[上田現]]、[[シンガーソングライター]]、[[作曲家]]、[[音楽プロデューサー]](* [[1961年]]) * [[2009年]] - [[大橋孝至]]、[[マツダスピード]]専務取締役、レース監督(* [[1941年]]) * 2009年 - [[石田晴久]]、[[計算機科学|計算機科学者]](* [[1936年]]) * [[2010年]] - [[ライオネル・コックス]]、元[[自転車競技]]([[トラックレース]])選手(* [[1930年]]) * 2010年 - [[和光信也]]、[[物理学者]](* [[1938年]]) * [[2011年]] - [[インゲ・セーレンセン]]、[[競泳]]選手(* [[1924年]]) * 2011年 - [[服部安司]]、[[政治家]](* [[1915年]]) * 2011年 - [[松田暎子]]、[[俳優|女優]](* [[1952年]]) * [[2013年]] - [[石坂まさを]]、[[作詞家]]、[[作曲家]](* [[1941年]]) * 2013年 - [[笠井昌昭]]、[[歴史学者]](* [[1934年]]) * [[2014年]] - [[メルバ・エルナンデス]]、[[政治家]](* [[1921年]]) * 2014年 - [[ウィリアム・クレイ・フォード]]、[[実業家]]、元[[フォード・モーター]]副会長、[[デトロイト・ライオンズ]]オーナー(* [[1925年]]) * 2014年 - [[チープ広石]]、[[ミュージシャン]]([[サクソフォーン|サックス]]プレーヤー)(* [[1961年]]) * 2014年 - [[ムハンマド・ファヒーム]]、政治家、軍人(* [[1957年]]) * 2014年 - [[尾崎行信]]、元[[最高裁判所裁判官]]、[[弁護士]](* [[1929年]]) * [[2015年]] - [[アレクシス・バスティーヌ]]、[[ボクサー (スポーツ)|ボクサー]](* [[1986年]]) * 2015年 - [[カミーユ・ムファ]]、[[競泳]]選手(* [[1989年]]) * 2015年 - [[フライ・オットー]]、[[建築家]]、[[構造家]](* [[1925年]]) * 2015年 - [[小林一也]]、[[教育学]]者(* [[1928年]]) * [[2016年]] - [[大内啓伍]]、[[政治家]](* [[1930年]]) * 2016年 - [[吉田勝豊]]、元プロ野球選手(* [[1935年]]) * [[2017年]] - [[松本亮]]、[[詩人]]、[[舞踊]][[評論家]]、[[翻訳家]](* [[1927年]]) * [[2018年]] - [[佐藤巧 (工学者)|佐藤巧]]、[[工学者]](* [[1922年]]) * 2018年 - [[オスカー・グレーニング]]<ref name="afp3167097">{{Cite web |url=https://www.bbc.com/news/world-europe-43376105 |title=Oskar Gröning: 'Bookkeeper of Auschwitz' dies at 96 |publisher=BBC NEWS |accessdate=17 Feb 2023 |language=En}}</ref>、[[武装親衛隊]]元隊員(* [[1921年]]) * [[2023年]] - [[扇千景]]、女優、政治家(* [[1933年]]) === 人物以外(動物など) === * 2008年 - [[サンアディユ]]、[[競走馬]](* [[2002年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Obrigado.jpg|thumb|240px|ありがとうの日。画像はブラジルで撮影された[[ポルトガル語]]''Obrigado''(ありがとう)看板]] * [[教師の日]]({{LBN}}) * {{仮リンク|ブリス男爵|en|Baron Bliss}}記念日({{BLZ}}) *: [[ベリーズ|イギリス領ホンジュラス]](現在のベリーズ)に200万ドルの遺産を寄贈したイギリス人・ヘンリー・ブリス男爵の[[1926年]]の忌日。 * バービーの誕生日 *: [[1959年]]3月9日に、ニューヨークで開催された国際おもちゃフェアでマテル社が[[バービー|バービー人形]]を発表した。 * [[記念切手]]記念日({{JPN}}) *: [[1894年]]のこの日に、日本初の記念切手(明治天皇成婚25周年記念)が発行されたことに因む。 * [[雑穀]]の日({{JPN}}) *: 日本雑穀協会が「ざっ(3)こく(9)」の語呂合わせで制定。 * [[酢酸]]の日({{JPN}}) *: [[ミツカングループ本社]]が「さ(3)く(9)さん」の語呂合わせで制定。 * ありがとうの日({{JPN}}) *: 「サン(3)キュー(9)」(thank you)の語呂合わせ。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0309|date=2011年6月}} * [[1939年]] - 科学者トーテンコフが操る巨大ロボットが[[モスクワ]]と[[東京]]を襲撃するが、東京を襲撃したロボットは大怪獣によって撃退される。(映画『[[スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー]]』)<ref>作中の新聞記事より。</ref> === 誕生日(フィクション) === * AO117年 - 若苗ソウタ、アニメ『[[プラスティック・メモリーズ]]』に登場するキャラクター<ref>第4話より。</ref> * 生年不明 - 大空太陽、アニメ『[[出撃!マシンロボレスキュー]]』の主人公<ref>{{Twitter status|sunriseworld_pr|1369131873943781376}}</ref> * 生年不明 - しばいぬ子さん、漫画『[[しばいぬ子さん]]』の主人公 * 生年不明 - 五十嵐双葉、漫画・アニメ『[[先輩がうざい後輩の話]]』の主人公<ref name=":0">{{Twitter status|uzai_anime|1501211388097802244}}</ref> * 生年不明 - 花寺のどか(キュアグレース)、アニメ『[[ヒーリングっど♥プリキュア]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/healingood_precure/character/ |title=キュアグレース / 花寺のどか |work=『ヒーリングっど♥プリキュア』 |publisher=ABC-A・[[東映アニメーション]] |accessdate=17 Feb 2023}}</ref> * 生年不明 - [[海賊 (ONE PIECE)#シャンクス|シャンクス]] 、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=尾田栄一郎|authorlink=尾田栄一郎 |year = 2012 |title = ONE PIECE BLUE DEEP CHARACTERS WORLD |page = 78 |publisher = 集英社 |series = ジャンプ・コミックス |isbn = 978-4-08-870445-6 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Shanks.html |title=シャンクス |access-date=2022-09-05 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - [[王下七武海#元王下七武海メンバー|ジュラキュール・ミホーク]]、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Dracule_Mihawk.html |title=ジュラキュール・ミホーク |access-date=2022-09-05 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - [[フランキー (ONE PIECE)|フランキー]]、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/franky.html |title=フランキー |access-date=17 Feb 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - [[テンテン (NARUTO)|テンテン]]、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史 |year = 2002 |title = NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK |page = 81 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn=4-08-873288-X }}</ref><ref>{{Cite book|和書 |author=岸本斉史|year=2005|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・闘の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|page=112|isbn=4-08-873734-2}}</ref> * 生年不明 - TAGOSAKU、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 佐渡の団三郎狸、漫画・アニメ『[[貧乏神が!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ゴブリン・ラモン、漫画・アニメ『[[トリコ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 岸涯小僧、漫画・アニメ『[[ぬらりひょんの孫]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 吹越聖月、漫画・アニメ『[[SOUL CATCHER(S)]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 目良善見、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group12/12-03/ |title=目良善見 |access-date=2022-11-03 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref> * 生年不明 - ミッドナイト、漫画・アニメ『僕のヒーローアカデミア』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group04/04-07/ |title=ミッドナイト |access-date=2022-11-03 |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref> * 生年不明 - 宮本総一、漫画・アニメ『[[涼風 (漫画)|涼風]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 加賀月(かがあかり)、漫画・アニメ『[[君のいる町]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|anime_kimimachi|971949033517236224}}</ref> * 生年不明 - 生方千加子、漫画・アニメ『[[DAYS (漫画)|DAYS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://days-project.jp/chara/ |title=キャラクター紹介 生方 千加子 |access-date=2022-09-05 |publisher=安田剛士・[[講談社]]/「DAYS」製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 茶々、漫画・アニメ『[[BASARA]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - マルガレータ・イーレ、漫画・アニメ『[[爆走兄弟レッツ&ゴー!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 橘充太、漫画・ドラマ『[[オトメン(乙男)]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 伊勢崎蓮介、漫画『[[青春攻略本]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 犬飼美碧、漫画『[[マイぼーる!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 金子十六、漫画・アニメ『[[初恋モンスター]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1369216477279232002}}</ref> * 生年不明 - 武田晴海、漫画・アニメ『先輩がうざい後輩の話』に登場するキャラクター<ref name=":0" /> * 生年不明 - 星華、小説・アニメ『[[火魅子伝]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 宮瀬灯子、小説・アニメ『[[黒魔女さんが通る!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 桜見鏡子、小説・漫画・アニメ『[[大正野球娘。]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 井ノ上あせび、小説・アニメ『[[ベン・トー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - エーシャ、小説・漫画・アニメ『[[メルヘン・メドヘン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://maerchen-anime.com/chara/esha.html |title=エーシャ |access-date=2023-02-03 |publisher=MMM/メルヘン・メドヘン製作委員会 |work=『メルヘン・メドヘン』}}</ref> * 生年不明 - アメーシャ、小説・漫画・アニメ『メルヘン・メドヘン』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://maerchen-anime.com/chara/ameetha.html |title=アメーシャ |access-date=2023-02-03 |publisher=MMM/メルヘン・メドヘン製作委員会 |work=『メルヘン・メドヘン』}}</ref> * 生年不明 - キンギョのラン、読者参加企画『[[おとぎストーリー 天使のしっぽ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 桜井みずほ、読者参加企画『[[タウンメモリー]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - バート・ハイム、アニメ『[[機動戦士ガンダムSEED]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 華園みあ、アニメ『[[アイドルタイムプリパラ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tartspr|971885777222275072}}</ref> * 生年不明 - 藍羽ルイ、アイドルユニット『[[MARGINAL#4|MARGINAL#4]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://marginal4.net/artist/rui-aiba/ |title=藍羽 ルイ MARGINAL#4 |work=Rejet / IDEA FACTORY |accessdate=2022-09-05}}</ref> * 生年不明 - 小日向ゆず、ゲーム・アニメ『[[D.C.II 〜ダ・カーポII〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://circus-co.jp/product/dc2ps/character/yuzu.html |title=小日向ゆず CV:下田 麻美 |access-date=17 Feb 2023 |publisher=[[CIRCUS (ブランド)|CIRCUS]] |work=『D.C.II P.S.~ダ・カーポII~プラスシチュエーション』}}</ref> * 生年不明 - 西園寺日寄子、ゲーム・アニメ『[[ダンガンロンパ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sp_kiboukoubai|1369144787840819202}}</ref> * 生年不明 - 岡崎クミ、ゲーム・アニメ『[[カードファイト!! ヴァンガード]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|vanguard_zero_|1501211143230017536}}</ref> * 生年不明 - 工藤忍、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20055 |title=工藤 忍(くどう しのぶ) |access-date=2023-02-03 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 佐久間咲也、ゲーム・アニメ『[[A3!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.a3-liber.jp/character/ |title=[春組]佐久間 咲也 |accessdate=2023-02-03 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]] |website=『A3!』}}</ref> * 生年不明 - ルミ先生、メディアミックス『[[まいまいまいごえん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.maimaimaigoen.com/character/detail/index.html?chara=18 |title=ルミ先生 |access-date=17 Feb 2023 |publisher=[[サンリオ]] |work=『まいまいまいごえん』}}</ref> <!-- * 1929年 - ナポレオン・ソロ、1960年代に放映された米テレビドラマ『0011ナポレオン・ソロ』のリメイク映画『[[コードネーム U.N.C.L.E.]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ツェラツェル、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター --> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commons&cat|March 9|9 March}} {{新暦365日|3|8|3|10|[[2月9日]]|[[4月9日]]|[[3月9日 (旧暦)|3月9日]]|0309|3|09}} {{1年の月と日}}
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アメリゴ・ヴェスプッチ
アメリゴ・ヴェスプッチ(イタリア語: Amerigo Vespucci, 1454年3月9日 - 1512年2月22日)は、アメリカ州を探検したイタリアの探検家にして地理学者。フィレンツェ生まれ。 アメリゴ・ヴェスプッチはフィレンツェ共和国の公証人ナスタジオ・ヴェスプッチとその妻エリザベッタの息子として生まれる。蜂(vespa)に由来する姓であることから蜂の図柄の入った家紋を持つヴェスプッチ家(イタリア語版)はプラートに源を持つため、プラート門に近いオニッサンティ地区に住んでいた。この地区には画家ボッティチェッリとギルランダイオの家もあり、彼らはヴェスプッチ家のために多くの仕事をこなした。オニッサンティ教会にあるギルランダイオが描いたヴェスプッチ家の集団肖像画に幼いアメリゴの姿がみられる。また、ヴェスプッチの子供の頃の肖像画は、フィレンツェのオグニサンティ教会にあるギルランダイオによって描かれた聖母マリアの一部に描かれている。 父ナスタジオの弟ジョルジョ・アントニオ・ヴェスプッチから教育を受け、ラテン語とギリシア語を習得し、プラトンを始めとする古典古代の文学や地理学に親しむようになる。当時高名な人文主義者として知られたジョルジョ・アントニオはメディチ分家のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ(英語版)の文化人サークルに属していた。ボッティチェッリとギルランダイオもこのサークルと関係を持った。メディチ家追放後にフィレンツェの指導者となったピエロ・ソデリーニとはジョルジョ・アントニオの元で共に学んだ仲であり、アメリゴは『四回の航海』を彼に献じている。 「あの過ぎ去った日々に、私たちは畏敬すべき善知識にして聖マルコ派の修道僧、ジョルジョ・アントニオ・ヴェスプッチ師のよき手本と理論のもとに文法学の初歩を聴講したものでありました」 ヴェスプッチ家はメディチ本家と分家の両方に関わっていたが、一族の中でも最も出世頭であったグイド・アントニオ・ヴェスプッチは本家のロレンツォ・イル・マニフィコに仕えていた。1478年、グイド・アントニオがフィレンツェ大使としてフランスに派遣された際、彼は当時24歳のアメリゴを秘書官として同行させた。当地に約2年滞在して任務をこなした後、ボローニャとミラノの宮廷を経由してフィレンツェに帰国した。 アメリゴは最終的には分家の当主ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコに仕えることとなる。ヴェスプッチ家のセミラミデがロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコに嫁いだ時、アメリゴは彼の家の執事として仕え始める。スペイン、セビリアにあるメディチ銀行の代理店に不正の疑いがかかった時、1489年に分家当主はアメリゴをその調査のため現地に派遣した。アメリゴはそこで親しくなった在スペイン歴の長いフィレンツェ人ジャンネット・ベラルディを信用のおける新支店長候補とし、1か月から2か月滞在の後フィレンツェへと引き揚げた。その帰途でピサに立ち寄り、金130ドゥカートで航海地図を購入している。 ベラルディ商会がセビーリャにおけるメディチ銀行代理店となったので、アメリゴは1491年に再びセビリアに赴く。ここでベラルディ商会に入り、メディチ家の事業を監督することになった。 スペインのカトリック国王フェルナンドが西インド (曖昧さ回避)(→アメリカ州)探検航海を企画し、参加要請を受けたアメリゴは43歳にして初航海に出る。1497年から1498年にかけてカリブ海沿岸を探検した。1499年から1500年の第二回航海ではカリブ海から南下してブラジル北岸まで探検を行った。 この頃1500年カブラルが、ポルトガル王の命によって喜望峰を超えてインドに向かう途上で、南緯16度52分の地点でブラジルを発見した。ポルトガルはトルデシリャス条約によって、この領土を主張した。ポルトガル王は、発見された土地が単なる島なのか、あるいはスペインが既にその北側を探検していた大陸の一部なのか知ることを望んでいた。マヌエル1世はこの探検隊にブラジル北岸の探検経験をもつアメリゴを抜擢し、セビリアから呼び寄せる。 1501年から1502年にかけた第三回航海で南米大陸東岸に沿って南下した。あまりの寒さと暴風雨の厳しさに耐えかね引き返さざるを得なかったが南緯50度まで到達することができた。当初ヴェスプッチに指揮権は無く、ゴンサロ・コエーリョ(Gonçalo Coelho)の指揮下にあったが、最終的にヴェスプッチが責任者となった。 アメリゴはこの第三回航海の最中にヨーロッパ人初の南半球での天体観測を行ったが、その記録はポルトガルの航海に関わる機密情報とみなされてマヌエル王によって没収された。地理学書の執筆に必要なその記録の返還を求め続けたが結局戻されることはなかった。『新世界』でも「第三の日誌を当ポルトガル国王陛下からお返ししていただきますならば」、「当国王陛下からいまだ記録をお返ししていただかないという理由を御了承いただけるものと存じます」と何度か触れて、他国への機密流出のためではなく純粋に学術的目的のために返還を求めているのだと訴えている。 1503年から1504年にかけての第四回航海では南米北東部沿岸を探検した。ポルトガル王の元で2回の探検調査を終えた後、アメリゴは1505年にスペインのセビリアに帰還する。 当時のスペインではインディアス航海に関わる業務(航海技術の問題、地理情報の管理など)が日々膨れ上がっていた。これらを通商院から切り離すため、フェルナンド王はポルトガルに倣って航海士免許制、航海訓練所創設、王立地図台帳といった制度をスペインに導入することを決める。アメリゴとファン・デ・ラ・コサ(英語版)、ビセンテ・ヤーニェス・ピンソン、フアン・ディアス・デ・ソリスの4名で1507年から準備を開始、1508年にアメリゴが初代の航海士総監(Pilot Major)に任命される。 1512年、セビリアで死去。 アメリゴは1503年頃に論文『新世界』を発表する。1499年から1502年にかけての南米探検で彼は南緯50度まで沿岸を下った。南米大陸がアジア最南端(マレー半島、北緯1度)とアフリカ最南端(南緯34度)の緯度をはるかに南へ越えて続くため、それが既知の大陸のどれにも属さない「新大陸」であることに気づいた。ちなみに当時は北米と南米が繋がっていることは判明していないので、彼の『新世界』は南米大陸についてのみ論じている。ヨーロッパの古代からの伝統的世界観、アジア・アフリカ・ヨーロッパからなる三大陸世界観を覆すこの主張は当時最先端の知識人層である人文主義者たちにはセンセーショナルに受け入れられたが、ヨーロッパ全体にすぐ浸透したわけではない。 1507年、南ドイツの地理学者マルティン・ヴァルトゼーミュラーがアメリゴの『新世界』を収録した『世界誌入門』(Cosmographiae Introductio)を出版した。その付録の世界地図にアメリゴのラテン語名アメリクス・ウェスプキウス(Americus Vespucius)の女性形からこの新大陸にアメリカという名前が付いた。これがアメリカ大陸という名を用いた最初の例となった。 1513年のバスコ・ヌーニェス・デ・バルボアの探検で北米と南米の二つの大陸が陸続きで繋がっていること、そして南の海(太平洋。パナマ地峡の南にあたる)が確認された。しかしその後もインディアスという呼称は慣習的に根強く残った。 ヴェスプッチは生涯上、4度の航海を行ったといわれている。しかし最近の研究によると、第2期と第3期の航海は確かに信憑性はあるが、1497年 - 1498年の初の航海と第4期航海については出来事そのものの存在について審議が必要となった。
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アメリゴ・ヴェスプッチは、アメリカ州を探検したイタリアの探検家にして地理学者。フィレンツェ生まれ。
{{出典の明記|date=2021-07-14 11:28(UTC)}} {{Infobox person | image = Amerigo Vespucci01.jpg | caption = フィレンツェの[[ウフィツィ美術館]]外廊にある彫刻 | birth_date = {{birth date|1454|3|9}} | birth_place = {{FIR1115}} [[フィレンツェ]] | death_date = {{death date and age|1512|2|22|1454|3|9}} | death_place = {{ESP1506}} [[セビリア]] | other_names = {{lang-es|Américo Vespucio}}<br />{{lang-la|Americus Vespucius}}<br />{{lang-pt|Américo Vespúcio}}<br />英語: Amerigo Vespucci | known_for = [[新世界]]が[[アジア]]の一部ではなく、未知の4つめの大陸であると論証した。 | occupation = [[商人]],、[[探検家]]、[[地理学者]]、[[天文学者]] | nationality = [[フィレンツェ]]、[[イタリア]] | signature = AmerigoVespucci Signature.png }} '''アメリゴ・ヴェスプッチ'''({{lang-it|Amerigo Vespucci}}, [[1454年]][[3月9日]]<ref>{{Cite book |last1=Markham |first1=Clements R. |title=The Letters of Amerigo Vespucci, and Other Documents Illustrative of His Career |url=https://archive.org/details/gri_33125007778208 |date=1894 |publisher=Hakluyt Society |location=London |isbn=978-1-108-01286-7}}</ref> - [[1512年]][[2月22日]]<ref name="Random House">{{Cite book |last1=Fernández-Armesto |first1=Felipe |title=Amerigo: The Man Who Gave His Name to America |date=2007 |publisher=Random House |location=New York}}</ref>)は、[[アメリカ州]]を探検した[[イタリア]]の[[探検家]]にして[[地理学者]]。[[フィレンツェ]]生まれ。 == 出身について == アメリゴ・ヴェスプッチは[[フィレンツェ共和国]]の[[公証人]]ナスタジオ・ヴェスプッチとその妻エリザベッタの息子として生まれる。蜂(vespa)に由来する姓であることから蜂の図柄の入った家紋を持つ{{仮リンク|ヴェスプッチ家|it|Vespucci}}は[[プラート]]に源を持つため、プラート門に近いオニッサンティ地区に住んでいた。この地区には画家[[サンドロ・ボッティチェッリ|ボッティチェッリ]]と[[ドメニコ・ギルランダイオ|ギルランダイオ]]の家もあり、彼らはヴェスプッチ家のために多くの仕事をこなした。オニッサンティ教会にあるギルランダイオが描いたヴェスプッチ家の集団肖像画に幼いアメリゴの姿がみられる。また、ヴェスプッチの子供の頃の肖像画は、フィレンツェのオグニサンティ教会にあるギルランダイオによって描かれた聖母マリアの一部に描かれている。 父ナスタジオの弟ジョルジョ・アントニオ・ヴェスプッチから教育を受け、[[ラテン語]]と[[ギリシア語]]を習得し、[[プラトン]]を始めとする[[古典古代]]の文学や地理学に親しむようになる。当時高名な[[人文主義者]]として知られたジョルジョ・アントニオは[[メディチ家|メディチ]]分家の{{仮リンク|ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ|en|Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici}}の文化人サークルに属していた。ボッティチェッリとギルランダイオもこのサークルと関係を持った。メディチ家追放後にフィレンツェの指導者となった[[ピエロ・ソデリーニ]]とはジョルジョ・アントニオの元で共に学んだ仲であり、アメリゴは『四回の航海』を彼に献じている。 「あの過ぎ去った日々に、私たちは畏敬すべき善知識にして聖マルコ派の修道僧、ジョルジョ・アントニオ・ヴェスプッチ師のよき手本と理論のもとに文法学の初歩を聴講したものでありました」{{sfn|大航海時代叢書 第I期 1|1965|p=263|loc=「四回の航海」}} ヴェスプッチ家はメディチ本家と分家の両方に関わっていたが、一族の中でも最も出世頭であったグイド・アントニオ・ヴェスプッチは本家の[[ロレンツォ・デ・メディチ|ロレンツォ・イル・マニフィコ]]に仕えていた。1478年、グイド・アントニオがフィレンツェ大使として[[フランス]]に派遣された際、彼は当時24歳のアメリゴを秘書官として同行させた。当地に約2年滞在して任務をこなした後、[[ボローニャ]]と[[ミラノ]]の宮廷を経由してフィレンツェに帰国した。 アメリゴは最終的には分家の当主ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコに仕えることとなる。ヴェスプッチ家のセミラミデがロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコに嫁いだ時、アメリゴは彼の家の[[執事]]として仕え始める。[[スペイン]]、[[セビリア]]にある[[メディチ銀行]]の代理店に不正の疑いがかかった時、1489年に分家当主はアメリゴをその調査のため現地に派遣した。アメリゴはそこで親しくなった在スペイン歴の長いフィレンツェ人ジャンネット・ベラルディを信用のおける新支店長候補とし、1か月から2か月滞在の後フィレンツェへと引き揚げた。その帰途で[[ピサ]]に立ち寄り、金130[[ドゥカート]]で航海地図を購入している。 ベラルディ商会がセビーリャにおけるメディチ銀行代理店となったので、アメリゴは1491年に再び[[セビリア]]に赴く。ここでベラルディ商会に入り、メディチ家の事業を監督することになった。 スペインのカトリック国王[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド]]が[[西インド (曖昧さ回避)]](→[[アメリカ州]])探検航海を企画し、参加要請を受けたアメリゴは43歳にして初航海に出る。1497年から1498年にかけて[[カリブ海]]沿岸を探検した。1499年から1500年の第二回航海ではカリブ海から南下して[[ブラジル]]北岸まで探検を行った。 この頃1500年[[カブラル]]が、ポルトガル王の命によって[[喜望峰]]を超えてインドに向かう途上で、南緯16度52分の地点で[[ブラジル]]を発見した。ポルトガルは[[トルデシリャス条約]]によって、この領土を主張した。ポルトガル王は、発見された土地が単なる島なのか、あるいはスペインが既にその北側を探検していた大陸の一部なのか知ることを望んでいた。[[マヌエル1世 (ポルトガル王)|マヌエル1世]]はこの探検隊にブラジル北岸の探検経験をもつアメリゴを抜擢し、[[セビリア]]から呼び寄せる。 [[ファイル:Amerigo Vespucci.jpg|left|180px|アメリゴ・ヴェスプッチ]] 1501年から1502年にかけた第三回航海で南米大陸東岸に沿って南下した。あまりの寒さと暴風雨の厳しさに耐えかね引き返さざるを得なかったが[[南緯50度線|南緯50度]]まで到達することができた。当初ヴェスプッチに指揮権は無く、ゴンサロ・コエーリョ(Gonçalo Coelho)の指揮下にあったが、最終的にヴェスプッチが責任者となった。 アメリゴはこの第三回航海の最中にヨーロッパ人初の南半球での天体観測を行ったが、その記録はポルトガルの航海に関わる機密情報とみなされてマヌエル王によって没収された。地理学書の執筆に必要なその記録の返還を求め続けたが結局戻されることはなかった。『新世界』でも「第三の日誌を当ポルトガル国王陛下からお返ししていただきますならば」{{sfn|大航海時代叢書 第I期 1|1965|p=336|loc=「新世界」}}、「当国王陛下からいまだ記録をお返ししていただかないという理由を御了承いただけるものと存じます」{{sfn|大航海時代叢書 第I期 1|1965|p=337|loc=「新世界」}}と何度か触れて、他国への機密流出のためではなく純粋に学術的目的のために返還を求めているのだと訴えている。 1503年から1504年にかけての第四回航海では南米北東部沿岸を探検した。ポルトガル王の元で2回の探検調査を終えた後、アメリゴは1505年にスペインの[[セビリア]]に帰還する。 当時のスペインではインディアス航海に関わる業務(航海技術の問題、地理情報の管理など)が日々膨れ上がっていた。これらを通商院から切り離すため、フェルナンド王はポルトガルに倣って航海士免許制、航海訓練所創設、王立地図台帳といった制度をスペインに導入することを決める。アメリゴと{{仮リンク|ファン・デ・ラ・コサ|en|Juan de la Cosa}}、[[ビセンテ・ヤーニェス・ピンソン]]、[[フアン・ディアス・デ・ソリス]]の4名で1507年から準備を開始、1508年にアメリゴが初代の航海士総監(Pilot Major)に任命される。 1512年、[[セビリア]]で死去<ref name="Random House" />。 == 「新世界」の概念 == アメリゴは1503年頃に論文『新世界』を発表する。1499年から1502年にかけての南米探検で彼は南緯50度まで沿岸を下った。南米大陸がアジア最南端([[マレー半島]]、北緯1度)とアフリカ最南端(南緯34度)の緯度をはるかに南へ越えて続くため、それが既知の大陸のどれにも属さない「新大陸」であることに気づいた。ちなみに当時は北米と南米が繋がっていることは判明していないので、彼の『新世界』は'''[[南アメリカ|南米大陸]]'''についてのみ論じている。ヨーロッパの古代からの伝統的世界観、アジア・アフリカ・ヨーロッパからなる三大陸世界観を覆すこの主張は当時最先端の知識人層である人文主義者たちにはセンセーショナルに受け入れられたが、ヨーロッパ全体にすぐ浸透したわけではない。 1507年、南ドイツの地理学者[[マルティン・ヴァルトゼーミュラー]]がアメリゴの『新世界』を収録した『世界誌入門』(Cosmographiae Introductio)を出版した。その付録の世界地図にアメリゴの[[ラテン語]]名アメリクス・ウェスプキウス({{lang|la|Americus Vespucius}})の女性形からこの新大陸に'''[[アメリカ州|アメリカ]]'''という名前が付いた。これがアメリカ大陸という名を用いた最初の例となった。 1513年の[[バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア]]の探検で北米と南米の二つの大陸が陸続きで繋がっていること、そして南の海([[太平洋]]。[[パナマ地峡]]の南にあたる)が確認された。しかしその後もインディアスという呼称は慣習的に根強く残った。 == 航海 == ヴェスプッチは生涯上、4度の航海を行ったといわれている。しかし最近の研究によると、第2期と第3期の航海は確かに信憑性はあるが、1497年 - 1498年の初の航海と第4期航海については出来事そのものの存在について審議が必要となった<ref>{{Cite web |first=James A. |last=Canaday |url=http://www.millersville.edu/~columbus/papers/canaday.html |title=The Life of Amerigo Vespucci |publisher=Millersville.edu |accessdate=2010-02-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100328011335/http://www.millersville.edu/~columbus/papers/canaday.html |archivedate=2010-03-28 |language=en}}</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author=コロンブス |authorlink=クリストファー・コロンブス |coauthors='''アメリゴ'''、[[ヴァスコ・ダ・ガマ|ガマ]]、[[バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア|バルボア]]、[[フェルディナンド・マゼラン|マゼラン]] |others=[[林屋永吉]] 訳、[[野々山ミナコ]] 訳、[[長南実]] 訳、[[増田義郎]] 注 |title=航海の記録 |year=1965 |month=7 |publisher=[[岩波書店]] |series=大航海時代叢書 第I期 1 |isbn=978-4-00-008501-4 |url=https://www.iwanami.co.jp/book/b260141.html |accessdate=2022-03-06 |ref={{sfnref|大航海時代叢書 第I期 1|1965}} }} ** 同書には関連文献として「アメリゴ・ヴェスプッチの書簡集」が収録されている。 == 関連書籍 == * Arciniegas, German (1955) Amerigo and the New World: the life & times of Amerigo Vespucci. New York: Knopf. 1955 English translation by Harriet de Onís. First edition published in Spanish in 1952 as Amerigo y el Nuevo Mundo, Mexico: Hermes. * Pohl, Frederick J. (1944) Amerigo Vespucci: Pilot Major. New York: Columbia University Press. * [[シュテファン・ツヴァイク]]著『アメリゴ 歴史的誤解の物語』(『ツヴァイク全集18 マゼラン』及び『マゼラン ツヴァイク伝記文学コレクション』[[関楠生]]・[[河原忠彦]]訳、[[みすず書房]]) * [[色摩力夫]]『アメリゴ・ヴェスプッチ 謎の航海者の軌跡』[[中公新書]]、1993年 == 関連項目 == {{commonscat|Amerigo Vespucci}} * [[アメリカ大陸の発見]] * [[アメリカ州]] * [[シモネッタ・ヴェスプッチ]] * [[万年筆]] - [[アメリカ大陸]]を発見し、「アメリカ」の名称の由来にもなった海洋冒険家として知られていることから、その功績を讃えて[[オマス]]、[[デルタ (万年筆)|デルタ]]、[[ヴィスコンティ (万年筆)|ビスコンティ]]、[[スティピュラ]]などの世界的に著名な自国の万年筆メーカーから「アメリゴ・ヴェスプッチ」の名称で限定万年筆が発売されている。 {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:うえすふつち あめりこ}} [[Category:イタリアの探検家]] [[Category:航海者]] [[Category:大航海時代]] [[Category:フィレンツェ共和国の人物]] [[Category:フィレンツェ出身の人物]] [[Category:1454年生]] [[Category:1512年没]]
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山田栄子
山田 栄子(やまだ えいこ、1953年6月13日 - )は、日本の声優、歌手、舞台女優。81プロデュース所属。神奈川県横浜市神奈川区子安出身。 内田演劇研究所、劇団芸協、オフィス央、青二プロダクション、フリーランスを経て、81プロデュース所属。 中学、高校時代と女子校の演劇部に所属しており、ずっと男役だったという。 高校卒業後、家具のデザイナーになろうと専門学校東京デザイナー学院に入学。 学生時代に、文化庁後援の国際演劇センター制作の『逆賊ハロワイン・ゲルトロード』の公演のメンバーに偶々人数合わせで端役で参加。 2ヶ月、東ヨーロッパに旅行していた時に、「芝居っていうのもいいなあ」と思っていたことから、役者を志し、帰国後、演劇の魅力の虜になっていた。それがなければ、インテリア・デザイン関係に進んでいたという。 大学生の時に舞台美術をしようと、偶々大学の近くにあった劇団芸協の研究生になる。 その劇団はあまり若い人物が所属しておらず、「お前、今度『赤ずきんちゃん』やってみろ」と言われて芝居もするようになったという。 オフィス央に所属後、アニメのオーディションの話が来たことで受けて合格し、1979年に『赤毛のアン』のアン・シャーリー役でデビュー。当初は少女役が多かったが、1980年の『太陽の使者 鉄人28号』(金田正太郎役)以降、少年役を演じる機会も増加。1983年から放送された『キャプテン翼(昭和版)』での岬太郎役は、特に高評価を受けた。 1985年の『小公女セーラ』では、主人公セーラのいじめ役・ラビニアを担当。以降、小悪魔的な要素も多く見られるようになる。また『小公女セーラ』以後、世界名作劇場シリーズへの出演がより増えてゆくこととなり、常連出演者として名前が挙がる存在となった。 1988年、出産・育児により短期間休業。これにより、『ビックリマン』のフッド役を途中降板している。またガリ犬役を担当していた『ビリ犬』では、休業中はガリ犬の出番を無くす対処がなされた。その後活動を再開し、1990年代前半頃まで活発な活動を行った。 2002年頃、青二プロダクションを退所。その後NHK教育の人形劇には、結婚後の本名である久村姓で出演したが、ゲームやインタビューなどかつての出演に関連する仕事では、現在でもほぼ一貫して山田姓を使用している。 2007年4月、三ツ矢雄二が自身公式HPの中で、山田を「引退した」という言葉を付け紹介。しかし久村姓では、前述した人形劇に出演している。2008年には、復活版・世界名作劇場の第2作『ポルフィの長い旅』に数話ゲスト出演。山田姓での出演及びアニメ作品本編への出演は、2000年代ではこれが初となった。また、2009年放送開始の名作劇場の新作『こんにちは アン 〜Before Green Gables』の放映開始前、番宣CMにも出演した。 2015年3月1日、81プロデュースに所属。 声種はメゾソプラノからアルト。 2008年1月27日放送の『大胆MAP』(テレビ朝日系)の「人気アニメキャラの声やってる人の素顔全部見せます!ベスト20」(6位 アン・シャーリー)で顔出し出演。顔出しでのテレビ出演は約20年ぶり(ただし遠目を条件での出演だった)。 娘の久村夏里奈が、『ポルフィの長い旅』第24話で声優デビューを果たした。 趣味はスキー、ウインドサーフィン、バイクに乗ることなど。 世界名作劇場シリーズでは、地上波で放送された23作品中、全声優中最多となる11作品に出演している。このうち『赤毛のアン』、『愛の若草物語』の2作品で主人公を担当し、堀江美都子、松尾佳子、折笠愛と共に、シリーズにおいて複数の作品で単独主演を果たした声優の1人となった。 また、出演作品数だけでなく役柄も、シリーズ内だけで多くの系統を担当した。特に1985年の『小公女セーラ』から1988年の『小公子セディ』までは、4年連続レギュラー・準レギュラーとして登場し、その都度系統の異なるキャラクターを演じた。 これらから潘恵子、堀江美都子、吉田理保子、中西妙子らと共に、名劇を代表する声優の1人に数えられ、その中でも最も繋がりが深いとされる。また、逆に山田の経歴が語られる際にも、シリーズはほぼ触れられる存在となっている。 同シリーズは、登場人物の生活をきちんと描写することを重視し、台詞も多いとされる。この為、自分をキャラクターの心情と完全に一致させようとする山田とは、相性が良かったとも言われている。 『愛の若草物語』でジョオ役、『小公女セーラ』でラビニア役を担当した縁から、後にはそれぞれの外画版吹き替えにおいても、役を引き継いでいる。ただし外画版『赤毛のアン』では、アンを演じる機会は無かった。 デビュー作『赤毛のアン』では、主役の最終候補に山田と島本須美が残っていた。この際、純粋に演技力とイメージの近さを評価されていたのは島本であり、山田は「演技が大げさ気味でたどたどしく、イメージとも少しずれている」という評価だったという。レイアウトなどを担当していた宮崎駿は、特に強く島本を支持したが、演出の高畑勲は「破天荒で空想がちなアンを演じるには、少しイメージを崩したほうが良い」と考え、あえて山田を起用。結果として水が合い、以後シリーズの常連となるに至ったというエピソードがある。 『小公女セーラ』では、前述の通りラビニアを担当。本放送当時、作中でラビニアとミンチンがセーラへのいじめをエスカレートさせていく中で視聴者からのクレームが相次いだ結果、それぞれを演じた声優までが恨みを買う事態にまで至り、山田とミンチン役の中西妙子宛てにカミソリ入りの手紙が送られることもあった。これらに加え、山田は執拗に陰湿な行為を行うラビニアの内面を理解出来ず、前述の信念とぶつかり、苦悩する結果となった。収録時、「涙を流しながらセーラをいじめていたほどだった」と島本は語っていた。これらの影響から、中西共々「こんな役は二度とやりたくない」と漏らすようになった一方で、ラビニアが演技の幅を更に広げる転換点にもなり、役者としては良い経験となったとも回想している。 太字はメインキャラクター。
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山田 栄子は、日本の声優、歌手、舞台女優。81プロデュース所属。神奈川県横浜市神奈川区子安出身。
{{otheruseslist|声優|このペンネームを使っていた漫画家|かがみあきら|現姓山田のバレーボール選手|小泉栄子}} {{声優 | 名前 = 山田 栄子 | ふりがな = やまだ えいこ | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = 久村 栄子<br/>(ひさむら えいこ<ref>{{Cite book|和書|author=|title=声優名鑑|page=303|publisher=成美堂出版|isbn=978-4-41-500878-3|date=1999-7}}</ref> 旧姓:山田<ref>{{Cite book|和書|author=|title='85 芸能手帳タレント名簿録|page=242|publisher=連合通信社・[[音楽専科社]]|isbn=|date=1985}}</ref>) | 愛称 = クリちゃん<ref name="アニメーション大百科">{{Cite book|和書|author=|title=アニメーション大百科|page=191|publisher=[[東京三世社]] |isbn=|date=1981}}</ref> | 性別 = [[女性]] | 出生地 = | 出身地 = {{JPN}}・[[神奈川県]][[横浜市]][[神奈川区]][[子安村|子安]]<ref name="twitter">{{Cite web|和書|date=2012-04-28|url=https://twitter.com/eiko751/status/196241248309354496|title=2012年4月28日の発言|work=|author=山田栄子|publisher=[[Twitter]]|accessdate=2012-06-26 22:48}}</ref> | 死没地 = | 生年 = 1953 | 生月 = 6 | 生日 = 13 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 血液型 = [[ABO式血液型|AB型]]<ref name="akiba-souken">{{Cite web|和書|url=https://akiba-souken.com/anime/seiyu/s_2201/|title=山田 栄子|website=アキバ総研|publisher=カカクコム|accessdate=2023-11-12}}</ref><ref name="声優名鑑1985">{{Cite book|和書|author=|title=声優名鑑 アニメーションから洋画まで…|page=167|publisher=[[近代映画社]]|isbn=|year=1985}}</ref><ref name="声優事典">{{Cite book |和書 |author=小川びい |title=こだわり声優事典'97 |publisher=[[徳間書店]] |series=ロマンアルバム |page= 149|date=1997-03-10 |isbn=4-19-720012-9}}</ref> | 身長 = | 職業 = [[声優]]、[[舞台女優]] | 事務所 = [[81プロデュース]]<ref name="prof">{{Cite web|和書|url=https://www.81produce.co.jp/actor_search/index.php/item?id=327|title=山田 栄子 - (や行):株式会社81プロデュース‐声優プロダクション|accessdate=2023-12-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221007155003/https://www.81produce.co.jp/actor_search/index.php/item?id=327|archivedate=2022-10-07}}</ref> | 配偶者 = あり | 著名な家族 = | 公式サイト = {{81プロフィール}} | 公称サイズ出典 = {{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(2002年版)|page=901|publisher=VIPタイムズ社 |isbn=978-4-9901242-0-5|date=2002-04-30}} | ref2name = talent | 身長2 = 161 | 体重 = 49 | 活動 = {{声優/活動 | 職種 = 声優 | 活動名義 = | 活動期間 = [[1977年]] - | ジャンル = [[アニメ 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|publisher=[[徳間書店]]}}</ref>。 高校卒業後、家具のデザイナーになろうと[[専門学校東京デザイナー学院]]に入学<ref name="ジ・アニメ">{{Cite journal|和書|date = 1981-05|title =VOICE ACTORESS CLOSE UP|journal = ジ・アニメ|issue = 1981年6月号|page =152|publisher = [[近代映画社]]}}</ref>。 学生時代に、[[文化庁]]後援の国際演劇センター制作の『逆賊ハロワイン・ゲルトロード』の公演のメンバーに偶々人数合わせで端役で参加{{R|ジ・アニメ}}<ref name="TV RADAR">{{Cite book|和書|chapter= We're Anime People 三国志|date=1985-04-01 |title=[[マイアニメ]]1985年4月号ふろく TV RADAR 3/11〜4/10 |pages=4-5 |publisher=[[秋田書店]]}}</ref>。 2ヶ月、[[東ヨーロッパ]]に旅行していた時に、「芝居っていうのもいいなあ」と思っていたことから、役者を志し、帰国後、演劇の魅力の虜になっていた{{R|ジ・アニメ|TV RADAR}}。それがなければ、インテリア・デザイン関係に進んでいたという{{R|TV RADAR}}。 大学生の時に舞台美術をしようと、偶々大学の近くにあった劇団芸協の研究生になる{{R|ジ・アニメ}}<ref name="seigura201212">{{Cite journal|和書|date = 2012-11|title =三ツ矢雄二の業界ブランチ 第27回 ゲスト 山田栄子|journal = [[声優グランプリ]]|issue = 2012年12月号|pages =56-57|publisher = [[主婦の友社]]}}</ref>。 その劇団はあまり若い人物が所属しておらず、「お前、今度『[[赤ずきん|赤ずきんちゃん]]』やってみろ」と言われて芝居もするようになったという{{R|seigura201212}}。 オフィス央に所属後、アニメのオーディションの話が来たことで受けて合格し、[[1979年]]に『[[赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン]]』のアン・シャーリー役でデビュー{{R|声優事典|ジ・アニメ|AM文庫Jr.|seigura201212}}<ref name="ANIME">「人気声優にがぶりより! 第9回 山田栄子さん」『[[アニメディア]] 1988年3月号』[[学習研究社]]、1988年3月1日、雑誌01579-3、86頁。</ref>。当初は少女役が多かったが、[[1980年]]の『[[太陽の使者 鉄人28号]]』(金田正太郎役)以降、少年役を演じる機会も増加{{R|AM文庫Jr.}}<ref name="声優の履歴書">{{Cite web|和書|url=https://npn.co.jp/article/detail/29629429|title=【声優の履歴書】第42回「世界名作劇場シリーズ」常連・山田栄子|publisher=リアルライブ |date=2013-11-07|accessdate=2023-09-10}}</ref>。[[1983年]]から放送された『[[キャプテン翼 (アニメ)|キャプテン翼(昭和版)]]』での岬太郎役は、特に高評価を受けた{{R|声優の履歴書}}。 [[1985年]]の『[[小公女セーラ]]』では、主人公セーラのいじめ役・ラビニアを担当{{R|声優の履歴書}}。以降、小悪魔的な要素も多く見られるようになる{{R|声優の履歴書}}。また『小公女セーラ』以後、世界名作劇場シリーズへの出演がより増えてゆくこととなり、常連出演者として名前が挙がる存在となった。 [[1988年]]、出産・育児により短期間休業。これにより、『[[ビックリマン (アニメ)|ビックリマン]]』のフッド役を途中降板している。またガリ犬役を担当していた『ビリ犬』では、休業中はガリ犬の出番を無くす対処がなされた。その後活動を再開し、[[1990年代]]前半頃まで活発な活動を行った。 [[2002年]]頃、青二プロダクションを退所。その後[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]の[[人形劇]]には、結婚後の本名である久村姓で出演したが、ゲームやインタビューなどかつての出演に関連する仕事では、現在でもほぼ一貫して山田姓を使用している。 [[2007年]]4月、[[三ツ矢雄二]]が自身公式HPの中で、山田を「引退した」という言葉を付け紹介。しかし久村姓では、前述した人形劇に出演している。[[2008年]]には、復活版・[[世界名作劇場]]の第2作『[[ポルフィの長い旅]]』に数話ゲスト出演。山田姓での出演及びアニメ作品本編への出演は、[[2000年代]]ではこれが初となった。また、2009年放送開始の名作劇場の新作『[[こんにちは アン 〜Before Green Gables]]』の放映開始前、番宣CMにも出演した。 [[2015年]][[3月1日]]、[[81プロデュース]]に所属<ref>{{Cite web|publisher=81プロデュース|url=https://www.81produce.co.jp/|title=Information|accessdate=2015-03-02}}</ref>。 == 人物 == [[音域#人声の音域|声種]]は[[メゾソプラノ]]{{R|声優の世界}}から[[アルト]]{{R|アニメーション大百科}}。 [[2008年]][[1月27日]]放送の『[[大胆MAP]]』([[テレビ朝日]]系)の「人気アニメキャラの声やってる人の素顔全部見せます!ベスト20」(6位 アン・シャーリー)で顔出し出演。顔出しでのテレビ出演は約20年ぶり(ただし遠目を条件での出演だった)。 娘の久村夏里奈が、『ポルフィの長い旅』第24話で声優デビューを果たした。 趣味はスキー、ウインドサーフィン、バイクに乗ることなど{{R|声優名鑑1985|TV RADAR}}。 === 世界名作劇場 === [[世界名作劇場]]シリーズでは、地上波で放送された23作品中、全声優中最多となる11作品に出演{{efn2|デビュー後に限れば19作品中。ただし、11作品のうち『[[私のあしながおじさん]]』のサディは数話のみの登場。}}している。このうち『赤毛のアン』、『[[愛の若草物語]]』の2作品で主人公を担当し、[[堀江美都子]]、[[松尾佳子]]、[[折笠愛]]と共に、シリーズにおいて複数の作品で単独主演を果たした声優{{efn2|ただし、『[[あらいぐまラスカル]]』をスターリングだけでなくラスカルも、『愛の若草物語』をジョオだけでなく他の姉妹も主人公と捉えるなら、[[野沢雅子]]、[[潘恵子]]も2度主演していることになる。また、『ナンとジョー先生』をナンだけでなくジョーも主人公と捉えた場合、山田は主演数で堀江と並ぶ3回となり、1位タイとなる。}}の1人となった。 また、出演作品数だけでなく役柄も、シリーズ内だけで多くの系統を担当した。特に[[1985年]]の『小公女セーラ』から[[1988年]]の『[[小公子セディ]]』までは、4年連続レギュラー・準レギュラーとして登場し、その都度系統の異なるキャラクターを演じた。 これらから[[潘恵子]]、[[堀江美都子]]、[[吉田理保子]]、[[中西妙子]]らと共に、名劇を代表する声優の1人に数えられ、その中でも最も繋がりが深いとされる。また、逆に山田の経歴が語られる際にも、シリーズはほぼ触れられる存在となっている。 同シリーズは、登場人物の生活をきちんと描写することを重視し、台詞も多いとされる。この為、自分をキャラクターの心情と完全に一致させようとする山田とは、相性が良かったとも言われている。 『愛の若草物語』でジョオ役、『小公女セーラ』でラビニア役を担当した縁から、後にはそれぞれの外画版吹き替えにおいても、役を引き継いでいる{{efn2|テレビ放送版のみであり、現在視聴はほぼ不可能。}}。ただし外画版『赤毛のアン』では、アンを演じる機会は無かった。 デビュー作『赤毛のアン』では、主役の最終候補に山田と[[島本須美]]が残っていた。この際、純粋に演技力とイメージの近さを評価されていたのは島本であり、山田は「演技が大げさ気味でたどたどしく、イメージとも少しずれている」という評価だったという。[[レイアウト]]などを担当していた[[宮崎駿]]は、特に強く島本を支持したが、演出の[[高畑勲]]は「破天荒で空想がちなアンを演じるには、少しイメージを崩したほうが良い」と考え、あえて山田を起用。結果として水が合い、以後シリーズの常連となるに至ったというエピソードがある。 『[[小公女セーラ]]』では、前述の通りラビニアを担当。本放送当時、作中でラビニアとミンチンがセーラへのいじめをエスカレートさせていく中で視聴者からのクレームが相次いだ結果、それぞれを演じた声優までが恨みを買う事態にまで至り、山田とミンチン役の[[中西妙子]]宛てに[[カミソリ]]入りの手紙が送られることもあった{{efn2|セーラを演じた島本が、[[レーザーディスク]]版に収録されている『小公女セーラ』におけるインタビューの中で発言。}}。これらに加え、山田は執拗に陰湿な行為を行うラビニアの内面を理解出来ず、前述の信念とぶつかり、苦悩する結果となった。収録時、「涙を流しながらセーラをいじめていたほどだった」と島本は語っていた。これらの影響から、中西共々「こんな役は二度とやりたくない」と漏らすようになった一方で、ラビニアが演技の幅を更に広げる転換点にもなり、役者としては良い経験となったとも回想している。 == 出演 == '''太字'''はメインキャラクター。 === テレビアニメ === {{dl2 | 1977年 | * [[恐竜探険隊ボーンフリー]](春子) | 1979年 | * [[赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン]]('''アン・シャーリー'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1307/| title = 赤毛のアン| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-18}}</ref>) | 1980年 | * [[タイムパトロール隊オタスケマン]](ヒカルの母、ナイチンゲール、カラミティージェーン) * [[太陽の使者 鉄人28号]]('''金田正太郎'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20130506090803/http://www.tms-e.co.jp/search/introduction.php?pdt_no=18| title = 鉄人28号| publisher = トムス・エンタテインメント| accessdate = 2016-06-01}}</ref>) * [[伝説巨神イデオン]](バンダ・ロッタ{{R|伝説巨神イデオン}}) * [[ルパン三世 (TV第2シリーズ)]](ギアーナ) | 1981年 | * [[戦国魔神ゴーショーグン]](ジミー) * [[太陽の牙ダグラム]]('''キャナリー・ドネット'''<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.dougram.net/world/index.html#page02| title = スタッフ&キャスト| publisher = 太陽の牙ダグラム公式サイト | accessdate = 2016-06-07}}</ref>) * [[鉄腕アトム (アニメ第2作)]](さくら) * [[ハロー!サンディベル]](マリー) * [[忍者ハットリくん]](1981年 - 1987年、'''影千代''') * [[ヤットデタマン]](ミリアン、ピノキオ) * [[六神合体ゴッドマーズ]](明石ナミダ{{R|ゴッドマーズ}}) * [[ワンワン三銃士]](アンヌ王妃) | 1982年 | * [[おちゃめ神物語コロコロポロン]](ヘラ) * [[怪物くん (カラーアニメ)|怪物くん]] (プリンスデモキン 他) * [[科学救助隊テクノボイジャー]](ジャン) * [[逆転イッパツマン]](トシマ営業部員) * [[ゲームセンターあらし]](大文字さとる) * [[サイボットロボッチ]](サチコ、タケドン、ケロンパー) * [[The・かぼちゃワイン]](梢<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/kabocha_wine/| title = Theかぼちゃワイン| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2022-09-18}}</ref>) * [[少年宮本武蔵 わんぱく二刀流]](青木誠之助) * [[ダッシュ勝平]](瀬里香〈2代目〉) * [[ときめきトゥナイト]](ウェイトレス、乙姫) * [[Dr.スランプ アラレちゃん]](のん子) * [[フクちゃん]](清水ナミコ、ドシャ子) * [[魔法のプリンセス ミンキーモモ]](ジミー、ピーター) * [[野生のさけび]] | 1983年 | * [[アルプス物語 わたしのアンネット]]('''ルシエン・モレル'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1423/| title = アルプス物語 わたしのアンネット| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-18}}</ref>) * [[伊賀野カバ丸]](大久保蘭<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C8154|title=伊賀野カバ丸|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-09-15}}</ref>、疾風〈幼少期〉) * [[キャプテン翼 (アニメ)|キャプテン翼(1983年版)]](1983年 - 1986年、'''岬太郎'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C8152|title=キャプテン翼|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-09-28}}</ref>、松本香、幼少期の日向小次郎) * [[銀河疾風サスライガー]](プチ・ロッジ) * [[新みつばちマーヤの冒険]](ボーリーの妻) * [[超時空世紀オーガス]](リップル) * [[どくとるマンボウ&怪盗ジバコ 宇宙より愛をこめて]](シゲル) * [[パーマン]](女、アナウンサー) * [[プラレス3四郎]](子供) * [[ミームいろいろ夢の旅]](サトル、少年時代のシャンポリオン) * [[レディジョージィ]](アベル・バトマン〈幼少期〉、ジェシカ) | 1984年 | * [[オヨネコぶーにゃん]](栗小路まろん) * [[宗谷物語]](定子) * [[ビデオ戦士レザリオン]](サハラ、香取容子) * [[名探偵ホームズ]](少年) | 1985年 | * [[三国志 (日本テレビ)|三国志]]([[于禁]]) * [[小公女セーラ]]('''ラビニア・ハーバート'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1473/| title = 小公女セーラ| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-05-18}}</ref>、シーザー) * [[星銃士ビスマルク]](チルカ) * [[ダーティペア (アニメ)|ダーティペア]](アーサー) * [[超獣機神ダンクーガ]](ダン・エクロイド) * [[忍者戦士飛影]](シャルム・ベーカー) * [[北斗の拳 (テレビアニメ)|北斗の拳]](アキ) * [[魔法のスターマジカルエミ]](健太) | 1986年 | * [[愛少女ポリアンナ物語]]('''ジミー・ビーン'''、'''ジェミー・ケント''') * [[あんみつ姫]](1986年 - 1987年、竹千代、織姫、龍之介) * [[宇宙船サジタリウス]](モラ博士) * [[がんばれ!キッカーズ]](上杉光{{R|がんばれ!キッカーズ}}) * [[銀牙 -流れ星 銀-]]('''銀'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/nagareboshi_gin/| title = 銀牙 流れ星 銀| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2016-07-10}}</ref>) * [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第3シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第3作)]](1986年 - 1987年、雪ん子、コウ、マサアキ、おとと、弘) * [[ドラゴンボール (アニメ)|ドラゴンボール]](1986年 - 1989年、[[ピラフ一味|マイ]]<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/dragon/| title = ドラゴンボール| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2022-05-08}}</ref>) * [[ハイスクール!奇面組]](雲童命) * [[メイプルタウン物語]](ステラ) * [[ロボタン]]('''カンちゃん'''{{R|ロボタン}}) | 1987年 | * [[愛の若草物語]]('''ジョセフィン・マーチ'''〈ジョオ〉<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1511/| title = 愛の若草物語| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-23}}</ref>) * [[アニメ三銃士]]('''アラミス'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C8417| title = アニメ三銃士| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2023-01-08}}</ref>) * [[きまぐれオレンジ☆ロード]](1987年 - 1988年、ゆかり、お竜) * [[ビックリマン (アニメ)|ビックリマン]]('''魯神フッド'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/bikkuri_man/| title = ビックリマン| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2022-09-14}}</ref>、神帝フッド〈初代〉、オアシス天如) | 1988年 | * [[シティーハンター (アニメ)|シティーハンター]](彩) * [[小公子セディ]](ジェーン・ハート) * [[聖闘士星矢 (アニメ)|聖闘士星矢]]([[神闘士#ゼータ星アルコルのバド|ζ星アルコルのバド]]〈少年時代〉) * [[ビリ犬]](1988年 - 1989年、'''ガリ犬'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C8500|title=ビリ犬|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2023-03-22}}</ref>)- 2シリーズ{{Ras|第1期(1988年 - 1989年)、第2期『なんでも商会』(1989年)}} | 1989年 | * [[悪魔くん]](肖像画の美少女) * [[ジャングル大帝|ジャングル大帝(1989年版)]] * [[新ビックリマン]](フラッシュ光后、神帝フッド) * [[それいけ!アンパンマン]](1989年 - 2020年、クリームパンマン、イルカのベソ〈初代・3代目〉、マヨネーズくん〈初代〉、パイナップルダンサーズ、つばさくん〈初代〉、ジグソー王子、らっきょうくん) | 1990年 | * [[かりあげクン]](会長夫人) * [[私のあしながおじさん]](サディ) * [[らんま1/2 熱闘編]](紅つばさ) * [[美味しんぼ]](1990年 - 1993年、平井ともえ、アン・フォスター)- 1シリーズ + 特別編{{Ras|テレビシリーズ(1990年)、特別編『日米コメ戦争』(1993年12月3日)}} | 1991年 | * [[トラップ一家物語]](イヴォンヌ・ベルベデーレ) | 1992年 | * [[美少女戦士セーラームーン (テレビアニメ)|美少女戦士セーラームーン]](妖魔ラムア) * [[ファンタジーアドベンチャー 長靴をはいた猫の冒険]](ハンス) | 1993年 | * [[若草物語 ナンとジョー先生]]('''ジョセフィン・ベア'''〈ジョー〉<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1658/| title = 若草物語 ナンとジョー先生| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-23}}</ref>) | 1994年 | * [[銀河戦国群雄伝ライ]](狼刃) * [[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]](おはる) | 1996年 | * [[家なき子レミ]]('''ミリガン夫人''') * [[エルフを狩るモノたち]](ガーベラ) * [[ドラゴンボールGT]](マイ) | 1997年 | * [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](1997年 - 2019年、中原香織、布田英子) | 2002年 | * [[冒険者 (テレビアニメ)|冒険者]](イザベル女王<ref name="bouken">{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1636/| title = 冒険者| publisher = 日本アニメーション | accessdate = 2022-12-17}}</ref>) | 2008年 | * [[ポルフィの長い旅]](イラーリア) | 2014年 | * [[鬼灯の冷徹]](2014年 - 2018年、牛頭 / 牛頭姫)- 2シリーズ{{Ras|第壱期(2014年)、第弐期その弐(2018年)}} | 2015年 | * [[ドラゴンボール超]](2015年 - 2017年、マイ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/dragon_s/chara/16.html|title=キャラクター|website=ドラゴンボール超|publisher=東映アニメーション|accessdate=2022-12-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|publisher=[[東映アニメーション]]|work=ドラゴンボール超|url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/dragon_s/chara/30.html|title=キャラクター|accessdate=2022-12-05}}</ref>) | 2016年 | * [[がんがんがんこちゃん]](2016年 - 2018年、お母さん<ref>{{Cite web|和書|work=アニメイトタイムズ|url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=6492|title=がん がん がんこちゃん|アニメ声優・キャラクター・登場人物・2017冬アニメ最新情報一覧|accessdate=2022-02-27}}</ref><ref>{{Cite web|和書|work=アニメイトタイムズ|url=https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=14386|title=がん がん がんこちゃん(第2期)|アニメキャスト・キャラクター・登場人物・2018冬アニメ最新情報一覧|accessdate=2022-02-27}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2016年 - 2017年)、第2期(2018年)}} | 2018年 | * [[はるかなレシーブ]](比嘉ソラ)<!-- 2018-07-06 --> | 2019年 | * [[MIX (漫画)|MIX]](2019年 - 2023年、赤井母) - 2シリーズ{{Ras|1ST SEASON(2019年)<!-- 2019-08-24 -->、2ND SEASON『MEISEI STORY ~二度目の夏、空の向こうへ~』(2023年)<!-- 2023-04-01 -->}} | 2021年 | * [[ちびまる子ちゃん]](老婆)<!-- 2021-07-25 --> | 2023年 | * [[ダークギャザリング]](女)<!-- 2023-11-27 --> }} === 劇場アニメ === {{dl2 | 1980年 | * [[まことちゃん]] | 1981年 | * [[ドラえもん のび太の宇宙開拓史]](ブブ) | 1982年 | * [[怪物くん デーモンの剣]](プリンスデキモン) * [[伝説巨神イデオン|伝説巨神イデオン 接触篇・発動篇]](バンダ・ロッタ) * [[忍者ハットリくん ニンニン忍法絵日記の巻]]('''影千代''') | 1983年 | * [[太陽の牙ダグラム|ドキュメント 太陽の牙ダグラム]]('''キャナリー・ドネット''') * [[太陽の牙ダグラム|チョロQダグラム]]('''キャナリー・ドネット''') * [[忍者ハットリくん ニンニンふるさと大作戦の巻]]('''影千代''') | 1984年 | * [[超人ロック]](キム<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1464/| title = 超人ロック(劇場版)| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-29}}</ref>) * [[忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ]]('''影千代''') | 1985年 | * [[忍者ハットリくん+パーマン 忍者怪獣ジッポウVSミラクル卵]]('''影千代''') * [[キャプテン翼 ヨーロッパ大決戦]]('''岬太郎'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C410009|title=キャプテン翼 ヨーロッパ大決戦|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-09-28}}</ref>) * [[キャプテン翼 危うし! 全日本Jr.]]('''岬太郎'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C410017|title=キャプテン翼 危うし! 全日本Jr.|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-09-28}}</ref>) | 1986年 | * [[キャプテン翼 明日に向って走れ!]]('''岬太郎'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C410042|title=キャプテン翼 明日に向って走れ!|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-09-29}}</ref>) * [[キャプテン翼 世界大決戦!! Jr.ワールドカップ]]('''岬太郎'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C410072|title=キャプテン翼 世界大決戦!! Jr.ワールドカップ|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-09-29}}</ref>) * [[RUNNING BOY スター・ソルジャーの秘密]](篠山げん太) | 1988年 | * [[ドラゴンボール 摩訶不思議大冒険]](マイ) * [[ビックリマン (アニメ)|ビックリマン 無縁ゾーンの秘宝]](神帝フッド<ref>{{Cite web|和書| url=https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_bikkuriman_muen/character/| title=ビックリマン 無縁ゾーンの秘宝|キャラクター/キャスト| publisher=東映アニメーション| accessdate=2022-09-15}}</ref>) | 1989年 | * [[アニメ三銃士|アニメ三銃士 アラミスの冒険]]('''アラミス'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C410220| title = アニメ三銃士| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2023-01-08}}</ref>) * [[宇宙皇子]](各務) * [[ギャラガ (アニメ映画)|ギャラガ HYPER PSYCHIC GEO GARAGA]](ポーラ) | 1990年 | * [[CAROL (アニメ)|CAROL]](ドモス) | 1991年 | * [[らんま1/2 中国寝崑崙大決戦! 掟やぶりの激闘篇!!]](紅つばさ、モンロン) | 1992年 | * [[キャンディ・キャンディ]](イライザ) | 1994年 | * [[ウメ星デンカ|ウメ星デンカ 宇宙の果てからパンパロパン!]]('''デンカ''') | 1995年 | * [[それいけ!アンパンマン ゆうれい船をやっつけろ!!]](ベソ) | 1997年 | * [[長くつ下のピッピ]](占い師) | 1999年 | * [[遊☆戯☆王 (アニメ第1作)|遊☆戯☆王]](青山翔吾) | 2010年 | * [[赤毛のアン (アニメ)#劇場版|赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道]]('''アン・シャーリー''') | 2013年 | * [[ドラゴンボールZ 神と神]](マイ) | 2015年 | * [[ドラゴンボールZ 復活の「F」]](マイ) }} === OVA === {{dl2 | 1985年 | * リトルマーメイドシリーズステージ3 PUNKY FUNKY BABY('''ファミ''')※クレジット表記無し * [[きまぐれオレンジ☆ロード]](火野勇作) * [[NORA]](スチュワーデス) * [[ホワッツマイケル]] | 1986年 | * [[アーバンスクウェア 琥珀の追撃]]('''田村由紀''') * [[ウォナビーズ]](ブラッディ松本) * クール・クール・バイ(シリル・ソコ) * [[ペリカンロード|ペリカンロード クラブ・カルーチャ]](佐倉えみ子) * [[手塚治虫|山太郎かえる]]('''山太郎''') | 1987年 | * [[TWD EXPRESS#OVA|TWD EXPRESS ROLLING TAKEOFF]](レットン) * [[花のあすか組!#OVA1|花のあすか組! 新歌舞伎町ストーリー]](春日) * [[LILY-C.A.T.]](ファラ・ヴァン・ドロシー) | 1988年 | * [[エースをねらえ!|エースをねらえ!2]](緑川蘭子<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20141006101754/http://www.tms-e.co.jp/search/introduction.php?pdt_no=77| title = エースをねらえ!2| publisher = トムス・エンタテインメント| accessdate = 2016-06-01}}</ref>) * [[クライング フリーマン|Crying フリーマン]](女性テロリスト) * [[ワット・ポーとぼくらのお話]](ホックス) | 1989年 | * エースをねらえ! ファイナルステージ(緑川蘭子) * [[キャプテン翼 (アニメ)#OVA|新キャプテン翼]]('''岬太郎''') * ビックリマン西暦1999ファンタジー(マコト) * [[極黒の翼バルキサス]]('''レムネア''') * [[超獣機神ダンクーガ|超獣機神ダンクーガ 白熱の終章]](ディオレ) * ミニ4ソルジャーRin!(ワカ) * [[やじきた学園道中記|やじきた学園道中記 幻の皇一族編]](篠北礼子) | 1990年 | * [[アリーズ|アリーズ 神話の星座宮]](レア) * [[宇宙皇子|宇宙皇子 天上編]](各務) * [[ウルトラマングラフィティ おいでよ!ウルトラの国]](メグ〈マーマ〉、ゴーロン星人) * [[きまぐれオレンジ☆ロード|きまぐれオレンジ☆ロード恋のステージ=HEART ON FIRE! ]](ユカリ) * 空飛ぶうさぎの誘拐防止 ぼくいやだよ!(みみすけ) * [[トランスフォーマーZ]](カイン) * [[ビックリマン (アニメ)|ビックリマンロココ&マリア奇跡]](聖豊フッド) * [[魔獣戦線]](天外富三郎) * わらぐつの中の神様(ナレーション) | 1991年 | * [[おカマ白書]] * [[乙姫CONNECTION]](神牙姫子) * [[サムライダー]](小雪) * [[魔獣戦士ルナ・ヴァルガー]](ロコ) * やじきた学園道中記 牡丹慕情編(篠北礼子) | 1992年 | * [[愛物語]](京子) * [[カメレオン (漫画)|カメレオン]](椎名雄一) | 1993年 | * [[アル・カラルの遺産]](ヴィ) * [[雲界の迷宮ZEGUY]](ヒミコ) * [[8マン#リメイク作品|エイトマン AFTER]](サム) | 1995年 | * [[D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜]](おはる) }} === Webアニメ === * [[スーパードラゴンボールヒーローズ|スーパードラゴンボールヒーローズ 監獄地獄編プロモーションアニメ]](マイ)<!-- 2018-06-30 --> === ゲーム === {{dl2 | 1989年 | * [[イースI・II#PCエンジン版|イースI・II]](タルフ・ハダル) | 1990年 | * 迷宮のエルフィーネ(パック 、トム、トリネード) | 1991年 | * バスティール2(ボイスの母、女兵士) | 1992年 | * [[天外魔境II 卍MARU]](船海宮義経、吹雪御前) * TRAVELエプル(パル) | 1997年 | * [[エルフを狩るモノたち]](ガーベラ、占い師) | 1998年 | * [[メタルギアソリッド]](ナスターシャ・ロマネンコ) | 2002年 | * [[スーパーロボット大戦IMPACT]](シャルム・ベーカー、ディオレ) | 2006年 | * [[キャプテン翼 (ゲーム)|キャプテン翼]]([[PlayStation 2|PS2]]版)('''[[岬太郎]]''') | 2007年 | * [[ドラゴンボールZ スパーキング! ネオ]](マイ)※[[Wii]]版のみ * [[ドラゴンボールZ スパーキング! メテオ]](マイ) | 2008年 | * [[ドラゴンボールDS]](マイ) | 2009年 | * [[ドラゴンボール 天下一大冒険]](マイ) | 2010年 | * [[ドラゴンボールDS2 突撃!レッドリボン軍]](マイ) | 2011年 | * [[第2次スーパーロボット大戦Z|第2次スーパーロボット大戦Z 再世篇]](金田正太郎) | 2013年 | * [[スーパーロボット大戦UX]](シャルム・ベーカー) | 2014年 | * [[第3次スーパーロボット大戦Z|第3次スーパーロボット大戦Z 時獄篇 / 天獄篇]](金田正太郎) * [[ドラゴンボールヒーローズ]](2014年 - 2016年、マイ) - 2作品{{efn2|『ドラゴンボールヒーローズ』、『[[スーパードラゴンボールヒーローズ]]』}} | 2017年 | * [[キャプテン翼 (ゲーム)#KLab|キャプテン翼 ~たたかえドリームチーム~]]('''岬太郎'''<ref>{{Cite web|publisher=[[KLab]] |work=キャプテン翼 ~たたかえドリームチーム~ 公式サイト|url=https://www.tsubasa-dreamteam.com/ |title=参加声優紹介 |accessdate=2017-06-13}}</ref>) | 2020年 | * [[ドラゴンボールZ カカロット]](マイ)<!-- 2020-01-16 --> }} === 吹き替え === ==== 女優 ==== * '''[[ジョーン・キューザック]]''' ** [[9か月]](ゲイル・ドワイアー) ** [[ブロードキャスト・ニュース]](ブレア・リットン)※TBS版(DVD収録) ** [[ワーキング・ガール]](シンシア)※テレビ朝日版 ==== 映画 ==== * [[アニー・ホール]](パム〈[[シェリー・デュヴァル]]〉)※TBS版(ソフト収録) * [[アニマル・ハウス]](シェリー)※テレビ朝日版 * [[アメリカン・グラフィティ]] ※TBS版 * [[インナースペース (映画)|インナースペース]](ウェンディ〈[[ウェンディ・シャール]]〉)※ソフト版 * [[宇宙からのツタンカーメン]](リンダ・フローレス) * [[エーゲ海に捧ぐ]](グロリア〈[[ステファニア・カッシーニ]]〉)※日本テレビ版 * [[エイリアン2]](ジェニット・バスケス〈[[ジェニット・ゴールドスタイン]]〉)※TBS版 * [[XYZマーダーズ]](ナンシー) * 親指こぞう ニルス・カールソン(お母さん) * [[ガールズ (1979年の映画)|ガールズ]](カトリーヌ〈[[アンヌ・パリロー]]〉)※テレビ東京版 * 彼と彼女の第2章(リズ〈[[シンシア・スティーヴンソン]]〉) * [[ガントレット (1977年の映画)|ガントレット]] * [[がんばれ!ベアーズ 特訓中]](ミゲル・アギラー〈ジョージ・ゴンザレス〉)※日本テレビ版 * [[キャリー (1976年の映画)|キャリー]](ノーマ・ワトソン〈[[P・J・ソールズ]]〉) * [[キラーフィッシュ|恐怖の人食い魚群]](ガブリエル〈[[マーゴ・ヘミングウェイ]]〉) * [[キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2]](ズーラ〈[[グレイス・ジョーンズ]]〉)※テレビ朝日版 * [[グリース2]](ロンダ・リッター) * [[グリニッチ・ビレッジの青春]](エレン) * [[サスペリア]](パット・ヒングル)※テレビ東京版 * [[ザ・フライ]](トニー) * [[シー・オブ・ラブ (映画)|シー・オブ・ラブ]](ジーナ・ギャラガー〈クリスティン・エスタブルック〉)※テレビ朝日版 * [[潮風のいたずら]](グレッグ〈ジェイミー・ワイルド〉)※機内上映版 * [[シザーハンズ]](マージ〈キャロライン・アーロン〉)※ソフト版 * [[ジミー さよならのキスもしてくれない]](ジミーの母) * [[シャイニング (映画)|シャイニング]](ウェンディ・トランス〈シェリー・デュヴァル〉) * [[少林寺2]](十龍)※日本テレビ版 * [[ジングル・オール・ザ・ウェイ]](リズ・ラングストン〈[[リタ・ウィルソン]]〉)※ソフト版 * [[秘法 睡拳|スリーピング・モンキー/睡拳]](ラ・チュウチャイ〈ハン・イルン〉) * 続・赤毛のアン アンの青春(ポーリーン) * [[ダイヤモンド・スカル|ダイヤモンド・スカル/華麗なる殺意]](エドワード〈アレクサンダー・クレンプソン〉) * [[007 美しき獲物たち]](メイデイ〈グレイス・ジョーンズ〉)※TBS版 * [[ダンス・ウィズ・ウルブズ]](拳を握って立つ女〈[[メアリー・マクドネル]]〉)※ソフト版 * [[地獄の黙示録]](ブレット)※テレビ東京版 * [[テキーラ・サンライズ (映画)|テキーラ・サンライズ]](コーディ・マキュージック〈ガブリエル・デーモン〉、シャリーン・マキュージック〈[[アン・マグナソン]]〉)※ソフト版 * [[ドラゴン特攻隊]](リリー〈[[ブリジット・リン]]〉)※日本テレビ版 * [[2010年 (映画)|2010年]](SAL9000〈[[キャンディス・バーゲン]]〉)※テレビ朝日版 * [[ハードカバー/黒衣の使者]](モナ〈ステファニー・ホッジ〉) * [[ハード・トゥ・キル]](ソニー・ストーム)※ソフト版 * [[ハイランダー 悪魔の戦士]](ヘザー) * [[バックマン家の人々]](カレン〈[[メアリー・スティーンバージェン]]〉)※テレビ東京版 * [[パパ/ずれてるゥ!]](ジニー・タイン) * [[ピラニア (映画)|ピラニア]](バーバラ)※TBS版(DVD収録) * [[フォード・フェアレーンの冒険]](ジャズ〈[[ローレン・ホリー]]〉) * [[フューリー (1978年の映画)|フューリー]] * [[プロムナイト]](キム・ハモンド〈[[ジェイミー・リー・カーティス]]〉) * [[ヘルショック 戦慄の蘇生実験]](イルゼ) * [[ポセイドン・アドベンチャー (映画)|ポセイドン・アドベンチャー]](ノニー・パリー〈[[キャロル・リンレイ]]〉)※LD版 * [[山猫 (映画)|山猫]](アンジェリカ〈[[クラウディア・カルディナーレ]]〉)※テレビ朝日新録版 * [[48時間 (映画)|48時間]] ※日本テレビ旧録版 * [[リトル・ロマンス]](ローレン〈[[ダイアン・レイン]]〉)※VHS版 * [[ロッキー3]](ロッキー・ジュニア)※TBS版 * [[ワーロック (1959年の映画)|ワーロック]] ※テレビ朝日版 * [[ロイ・ビーン (映画)|ロイ・ビーン]](マリー〈[[ヴィクトリア・プリンシパル]]〉)※フジテレビ版 * [[若草物語 (1949年の映画)|若草物語]](ジョー〈[[ジューン・アリソン]]〉)※NHK版 ==== テレビドラマ ==== * [[がんばれ!ベアーズ#テレビドラマ|がんばれ!ベアーズ]](ミゲル、ホセ) ** シーズン1 #11(リンディ) ** シーズン2 #5(キムヤ)#11・12(マーシャ) * [[私立探偵マグナム]] シーズン2 #11(ヴァージニア・ファウラー) * [[スカーレット (小説)#テレビドラマ|スカーレット/続・風と共に去りぬ]](インディア・ウィルクス) * [[特捜刑事マイアミ・バイス]] シーズン3 #11 (ドナ〈テレサ・ブレイク〉)、19(ヴィッキー〈[[アネット・ベニング]]〉) * [[特攻野郎Aチーム]] シーズン3 #7(カラニ) * [[ファミリータイズ]](エレン・リード〈[[トレイシー・ポラン]]〉) * [[ミス・マープル#ジョーン・ヒクソン版|ミス・マープル]]「スリーピング・マーダー」(リリー・キンブル) * [[モンスターズ (テレビ番組)|モンスターズ]] シーズン1 #5(ドッティ) ==== アニメ ==== * [[戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー]](エイリアル<ref>{{Cite book |和書 |date=1995-03 |title=戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー メガトロンセット解説書 PLANET OF CYBERTRON GUIDE 2 |publisher=[[タカラ (玩具メーカー) |タカラ]] |page=36}}</ref>) * [[戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー2010]](ベータ<ref>{{Cite book |和書 |date=1995-09 |title=戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー2010 LD解説書 PLANET OF CYBERTRON GUIDE 3 |publisher=タカラ |page=36}}</ref>) * [[ピーナッツ (漫画)|スヌーピー&チャーリーブラウン]](ペパーミント パティ) * [[ミッキーマウスとドナルドダック]](1984年 - 1985年)('''ミッキーマウス'''、ナレーション他) ==== 日本映画 ==== * [[帝都物語]](声の吹き替え) === 舞台 === * [[飛べ!京浜ドラキュラ]] - マリン役 (1982年/[[シアターアプル]]、[[81プロデュース]]) * トウキョウ演劇倶楽部プロデュース公演Vol.1 「Live in toRAIN No.A-h」(2013年2月9日 - 17日)新宿シアターモリエール * トウキョウ演劇倶楽部プロデュース公演Vol.2 「Moonlight Rambler(ムーンライト・ランブラー)~月夜の散歩人~」(2013年7月19日~22日、[[俳優座劇場]]、2013年8月8日~11日、[[きゅりあん]]小ホール) * トウキョウ演劇倶楽部プロデュース公演Vol.5 「to U」(2014年4月)あうるすぽっと * トウキョウ演劇倶楽部プロデュース公演Vol.7 「ブラックジャックによろしく~がん患者編~」(2014年9月<!--3〜8日-->、六行会ホール) * [[劇団エンゼル]]主催{{efn2|日本国内で唯一ミュージカルではない純粋舞台劇の許諾認可された上演権利を所有している劇団。}}「赤毛のアン-みどりやねの朝-」(2014年3月23日~全国で上演。うち一部は団体向け公演(一般販売なし){{efn2|2015年8月20日現在の公演実績は、2014年3月23日 江戸東京博物館ホール、2014年5月11日 群馬県バイティック文化ホール、2014年10月15日 東京エレクトロン韮崎文化ホール、2014年11月16日 木更津市民会館大ホール、2014年12月20日 ハーモニーホール座間、2015年2月11日 アスカル幸手さくらホール、2015年2月22日 平塚市民センターホール 。}}、'''マリラ・カスバート''') * 新宿フィールドミュージアム 2017参加「三島由紀夫の世界vol.1」(2017年10月3日 ~4日、近江楽堂) === ラジオ === * ライドオンオートバックス([[横浜エフエム放送|ハマラジ]]{{efn2|現:[[横浜エフエム放送|FMヨコハマ]]}}) === CD・カセット === * 雨ふり花さいた(花坊河童) * 央華封神・星の娘、目覚める(伯工命) * お洒落小僧は花マルッ(積木湊) * 音盤突然最終回(東芝満、森田徹生) * [[貝の火]]・[[よだかの星]](ホモイ) * [[ガイア・ギア]](マリーサ・ナジス) * 3時のおやつに毒薬を(舞せりか) * [[聖エルザクルセイダーズ]](乙島恵利) * [[聖エルザクルセイダーズ|聖エルザクルセイダーズ 番外編 ELZAデビュー!?]](乙島恵利) * [[ドラゴンランス]]戦記(キティアラ) * [[人間倶楽部]](エレーン) * [[ビックリマン (アニメ)|ビックリマン 新たなる出発]](ディッセ・フッド) * ペ天使がゆく(キャロライン) * [[アリーズ|アリーズ〜神話の星座宮〜]](レア) * [[らんま1/2|らんま1/2 歌暦]](紅つばさ) * 鬼のずんぼらぶー ~[[そこのけもののけ事件帖]]番外編(しぶむし) === 人形劇 === * [[あつまれ!じゃんけんぽん]](ひつじはらムク、ラルフ、コンちゃん、カラス・メテングほか) * [[ざわざわ森のがんこちゃん]](お母さん、学校オバケ、キノコ魔女、ギャオくんのお母さん、テレビノじいさん) ** 新・ざわざわ森のがんこちゃん<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/school/doutoku/ganko/about/|title=番組・出演者紹介|work=NHK Eテレ「新・ざわざわ森のがんこちゃん」公式サイト|accessdate=2023-04-17}}</ref> ** ざわざわえんのがんぺーちゃん<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/school/youho/ganpe/about/|title=番組・出演者紹介|work=NHK Eテレ「ざわざわえんのがんぺーちゃん」公式サイト|accessdate=2023-04-17}}</ref> * [[バケルノ小学校 ヒュードロ組]](カラス・メテング、冬田雪之進) === その他コンテンツ === * NHK教育 [[理科教室小学校3年生]](1984年)(ゴー君) * [[フジテレビジョン|フジテレビ]] 7人のHOTめだま(ナレーション) * クラフトフーズジャパンCM 赤毛のアン(2010年) 「アンの赤いクリームパスタ」(アン・シャーリー) * NHK総合 [[NHKスペシャル]] [[新・映像の世紀]] 第1集「百年の悲劇はここから始まった」(元軍需工場の労働者 リリアン・マイルズ) * [[藤子・F・不二雄ミュージアム|ウメ星デンカ&ドラえもん「パンパロパンのスッパッパ!」]]('''デンカ''') == 脚注 == === 注釈 === {{notelist2}} {{Ras}} === 出典 === {{Reflist|2 |refs= <ref name="ゴッドマーズ">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-04-18 | publisher = [[トムス・エンタテインメント]] | title = 六神合体ゴッドマーズ | url = https://www.tms-e.co.jp/alltitles/1980s/040101.html | website = トムス・エンタテインメント 公式サイト}}</ref> <ref name="伝説巨神イデオン">{{Cite web|和書| accessdate = 2022-11-23 | publisher = [[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]] | title = CHARACTER ソロシップをとりまく人々 | url = http://www.ideon.jp/chara/index.html | website = 伝説巨神イデオン}}</ref> <ref name="がんばれ!キッカーズ">{{Cite web|和書| accessdate = 2016-06-22 | publisher = [[ぴえろ]] | title = がんばれ!キッカーズ | url = https://pierrot.jp/archive/1985/tv80_14.html | website = スタジオぴえろ 公式サイト}}</ref> <ref name="ロボタン">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-06-25 | publisher = トムス・エンタテインメント | title = ロボタン | url = https://www.tms-e.co.jp/alltitles/1980s/055101.html | website = トムス・エンタテインメント 公式サイト}}</ref> }} == 外部リンク == * {{81プロフィール}} * {{Twitter}} {{81プロデュース}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:やまた えいこ}} [[Category:日本の女性声優]] [[Category:日本の舞台女優]] [[Category:過去の青二プロダクション所属者]] [[Category:横浜市出身の人物]] [[Category:1953年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:81プロデュース]]
2003-03-02T09:11:06Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%A0%84%E5%AD%90
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青野武
青野 武(あおの たけし、1936年〈昭和11年〉6月19日 - 2012年〈平成24年〉4月9日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。青二プロダクションに所属していた。 北海道旭川市出身。旧芸名は青野 武士。 小・中学生の時、学芸会や文化祭に出ており、小学4、5年頃に友人の実家が経営していた映画館で上映されていた映画を観るほど映画が好きだった。また、映画と一緒に旅回りの芝居をしていたが、「よく覚えていなかった」という。 中学校進学後、後述の家庭環境もあり、孤独感や苦しみから抜け出すため野球部に所属し、野球の練習に熱中していた。「どうせ生みの親から見放された人間なら、1人で立派に生きていけるプロ野球選手になってやろう」と思っていた。当時の容貌がハンサムだったことから、中学3年生の時に担任の教師に「君のさ、ファーストで球を受ける時の体の線、実に美しいんだワ、今度の文化祭で演劇やってみないかい?」と言われて本格的に芝居を始める。 北海道旭川東高等学校に進学後の高校1年生の時も野球部に所属し野球をしていたが、耳を患って激しいスポーツを禁じられてしまう。その時に演劇部の先輩の女性に「あなたの中学の時の文化祭観たんだワ、とっても良かった。あなた素質あるわ、演劇部に入らない?」と言われ、演劇にはまり込む。その時に演じたのが、ヘンリック・イプセン作『幽霊』で、全国演劇コンクールで三位に入賞した。翌年の高校2年生の時にジャン=ポール・サルトル作『出口なし』を演じ、今度は二位を獲得。翌年、調子に乗って高校3年生で演出まで担当していたところ、圏外だったという。その時、審査員の「僕は上京して夢破れ、挫折して都落ちしたが君達の前途は洋々だ。僕達の分まで頑張ってもらいたい」という言葉に勇気づけられ、上京を決意したという。 本屋の店頭で当時、出始めた週刊誌をめくっていたところ、俳優養成所の記事が載っていた。そこには俳優座養成所、民芸水品演劇研究所、舞台芸術学院などがあったが、「俳優座と民芸はアルバイト不可」、「舞芸は地方の人物が多くアルバイトしながら学んでいる」とあり、「もう舞芸しかない」と思い、同高校卒業後は家出同然の旅立ちで単身上京。同芸術学院に願書を貰うため、玄関に立ったが誰もいなかったという。その時、芝居の稽古中の声が聞こえて、その素晴らしい声に「その修練を積んだ声、これがプロになる人の声か!」とショックを受けると同時に、「なにがなんでもここに入って、絶対役者になってやろう」と思っていたという。その時に同じ北海道出身の俳優の松山照夫がコッペパンをかじりながら、「お前どっから来たの?」と言われ、「北海道です」と答えると、「そうか、北海道か。俺も北海道だ。お前、役者になりたくてでてきたんだべ?悪い事は言わんから、クニに帰れ」と言われたという。しかし願書の手続きをはじめ色々面倒をみてもらい、「俺やお前と同じ北海道出身で同期の奴がいるから会わせてやる」と言って、喫茶店へ案内してくれたという。カウンターの中に同期の山田吾一、のちの劇団仲間で先輩の宮内幸平がいた。松山、山田が音頭をとってもらい、歓迎会を開いてくれたという。歓迎会には北海道出身の同芸術学院の人物達が6人程集まり、その中にのちに妻となる女性もいたという。その後、同芸術学院に入学して、演劇を学ぶ。同芸術学院の1年先輩に家弓家正がいる。当時は喫茶店の風月堂、サンドイッチマン、レストランの出前持ち、バーテン、ストリップの照明係、アルサロのボーイ等のアルバイトを経験していた。 劇団七曜会に所属した際に主役を務めた『欲望という名の電車』での演技が認められ、それを観ていたTBSのディレクターから「一時間物の西部劇の主役の声を演ってみないか」と声が掛かって海外ドラマ『ブロンコ』の主役であるタイ・ハーデンの吹き替えを担当した。これを機に、以後多くのアニメ・吹き替えなどで声優として活躍した。また俳優としても、大河ドラマ『北条時宗』やNHK教育の『このまちだいすき』などの映像作品に出演した。 演劇活動では、劇団青俳の研究生を経て、七曜会解散後に作品座の所属を経て、20代の頃に出会ったあずさ欣平と親交を結び、劇団芸協に所属した。あずさの他、劇団仲間であった雨森雅司、宮内幸平、田中和実など、死去した友人の遺志を継ぎ、同劇団の主宰を務めた。 声優としては演協プロ、河の会、江崎プロダクション、オフィス央を経て、青二プロダクションに所属していた。 2003年に大動脈解離を患い、医者から「大きな声を出すことや激しい運動を控えるように」と言われため、出番の多い役は控えて主に演出面での役割が中心だった。晩年は声優業は大丈夫だったが、舞台は負担が大きく、体に問題はなかったが、不安はあったという。 しかし2010年5月15日に解離性大動脈瘤の手術を受けたが、6月26日に脳梗塞であることが判明して入院。療養で復帰の目処が立たないことから、当時演じていた全ての持ち役を降板した(後述)。2年近い闘病生活の末、2012年4月9日午後4時38分、解離性胸部大動脈瘤術後多発性脳梗塞のため、東京都八王子市の病院で死去。満75歳没(享年76)。 2013年、第7回声優アワード「特別功労賞」を受賞。 父は建具指物師だったが、飲んだくれで母を泣かせていた。家計は苦しく、その日その日を暮らしていくのが精一杯だったという。妻は女優の板橋真砂子。女優の板橋七生は妻の妹。娘がいた。 特技はジョギング。趣味は野球、競艇。 座右の銘はウィリアム・スミス・クラークの「少年よ、大志を抱け(Boys Be Ambitious)」を挙げており、幼い頃からこの言葉をことあるごとに聞いて育った。役者を目指して上京したが、挫折して夢を断念しそうになった時、この言葉を聞いて頑張っていたという。 声種はバリトン。役柄としては悪役や老人を演じる機会が多かった。本人も「悪役や様々な感情を演じられる役は演じていて面白い」とも発言している。 『うる星やつら』、『らんま1/2』、『犬夜叉』など、高橋留美子原作のアニメ作品に数多く出演する常連だった。 『ONE PIECE』ではテレビシリーズでミホーク役などで出演しており、同作の劇場版では第10作まで毎回異なる役柄で出演していた。原作のリメイク作品では、ラッスーやイッシー20のひとりといった、テレビシリーズで声優が決められていなかった人物の声を担当した。 吹き替えでの持ち役はマイケル・ペイリンを始めクリストファー・ロイド、ジョー・ペシ、ダニー・デヴィート、ラム・チェンインなどがある。穂積隆信や樋浦勉とは同一作品の別音源で同じ役を演じる機会が多かった。 少年時代は近所のガラスを割ったり、塀を壊したり、小さな子供を泣かすなどの悪ガキであり、「青鬼」というあだ名が付けられていた。当時は雪深い山裾に住んでいたが、小学校入学時に買ってくれたスキーは、高校卒業の日まで買い換えてもらえなかった。そういった環境が悪ガキの道へと向かわせたのかもしれないという。しかし小学6年生の時、近所のおせっかい焼きの少年から、青野が「もらいっ子」であることを聞かされていた。青野は「そんなバカな!」と怒りその少年を殴り倒してしまったが、その後それが真実であることが分かったという。その日まで本当の「とうちゃん」と「おっかあ」とばかり思っていたが、全く血の繋がりの無い人物達と分かった時、身体中の血が一時に逆流する思いがした。その日を境にして、性格は暗くなり、黙ってふさぎ込んでいるような少年になっていったという。 『ウルトラマン』のザラブ星人のアテレコに際して、キャラの特徴をつかむために着ぐるみの中に入って実際に演技していた。また後年のウルトラシリーズでも死去するまでザラブ星人の声を担当。 『ドラゴンボール』のピッコロ大魔王が自分の分身であるピッコロを産み出す場面では「産みの苦しみだ」と力を入れすぎたため、胃を悪くしてしまった。 独創的なアドリブを入れることが多いが、『勇者王ガオガイガーFINAL』のギムレット役は、監督が「青野さんならこんな言い回しをするだろう」と考えて、元からセリフにアドリブを組み込まれた趣向であったため、イントネーションを工夫することでしか対抗できなかった。 劇団仲間だった肝付兼太と組んで、スナックでバーテンとして働いていたこともある。肝付とはウマが合い、2人でアドリブを連発し、「漫才バーテン」と呼ばれて評判となっていたという。 若い頃は酒癖が非常に悪く、飲みに行った際に酔っ払って他の客とケンカになったが、同行していた富山敬が朝まで介抱してくれたことがあった。1995年にその富山から『ちびまる子ちゃん』のさくら友蔵役を引き継いだ際は、「役が決まった際は複雑な心境だったが、富山敬の名を汚さないように頑張ろうと思った」と語っている。 競艇をテーマにした出演作である『モンキーターン』のDVD6巻に収録されたオーディオコメンタリーでは、同じく競艇ファンであった麦人とともに、競艇場の試乗体験でペアボートに試乗したことがあるという体験談や、最初に名前を覚えた選手から彦坂郁雄が解雇されたエピソードなど競艇のオールドファンならではの話などをしていた。 青野の療養に伴う降板および死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。ただし、声優を総入れ替えした作品については対象外とする。 太字はメインキャラクター。 2013年以降の出演作品は生前の音声を引用したライブラリ出演。
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青野 武は、日本の俳優、声優、ナレーター。青二プロダクションに所属していた。 北海道旭川市出身。旧芸名は青野 武士。
{{別人|青野毅|x1=元プロ野球選手の}} {{声優 | ふりがな = あおの たけし | 名前 = 青野 武 | 画像ファイル = 青野武.png | 画像サイズ = 250px | 画像コメント = 1962年 | 本名 = 青野 武{{R|声優事典}} | 愛称 = 青ちゃん{{R|aono2}} | 性別 = [[男性]] | 出生地 = | 出身地 = {{JPN}}・[[北海道]][[旭川市]]{{R|archive}} | 死没地 = {{JPN}}・[[東京都]][[八王子市]]{{R|seisakuplus}} | 生年 = 1936 | 生月 = 6 | 生日 = 19 | 没年 = 2012 | 没月 = 4 | 没日 = 9 | 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]{{R|excite|声優アニメディア}} | 身長 = | 職業 = [[俳優]]、[[声優]]、[[ナレーター]] | 事務所 = [[青二プロダクション]](最終所属){{R|aoni}} | 配偶者 = 板橋真砂子{{R|青年座}} | 著名な家族 = 板橋七生(義妹){{R|テアトロ}} | 公式サイト = [https://www.aoni.co.jp/search/aono-takeshi.html 青野武|青二プロダクション] | 公称サイズ出典 = {{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20150417155344if_/http://www.aoni.co.jp/actor/a/pdf/aono-takeshi.pdf|title=青二プロダクション 青野 武(Wayback Machineによるアーカイブ)|accessdate=2019-10-04}} | ref2name = 青二プロダクションアーカイブ | 身長2 = 169 | 体重 = 62 | 活動 = {{声優/活動 | 職種 = 声優 | 活動期間 = [[1961年]]{{R|声優アニメディア}} - [[2010年]] | ジャンル = [[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]、[[ゲーム]]、[[吹き替え]]、[[ナレーション]] | デビュー作 = 『[[ブロンコ]]』{{R|aono2}} }}{{声優/活動 | 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web|和書|url=http://www1.hinocatv.ne.jp/wildcats/hitosuji.htm|title=青野武の役者一筋|page=5|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160217142627/http://www1.hinocatv.ne.jp/wildcats/hitosuji.htm|archivedate=2016-02-17|accessdate=2022-07-30}}</ref>に進学後の高校1年生の時も野球部に所属し野球をしていたが、耳を患って激しいスポーツを禁じられてしまう{{R|昭和声優列伝|aono}}。その時に演劇部の先輩の女性に「あなたの中学の時の文化祭観たんだワ、とっても良かった。あなた素質あるわ、演劇部に入らない?」と言われ、[[演劇]]にはまり込む{{R|aono}}。その時に演じたのが、[[ヘンリック・イプセン]]作『幽霊』で、全国演劇コンクールで三位に入賞した{{R|aono}}。翌年の高校2年生の時に[[ジャン=ポール・サルトル]]作『[[出口なし]]』を演じ、今度は二位を獲得{{R|声優アニメディア|昭和声優列伝|aono}}。翌年、調子に乗って高校3年生で演出まで担当していたところ、圏外だったという{{R|声優アニメディア|aono}}。その時、審査員の「僕は上京して夢破れ、挫折して都落ちしたが君達の前途は洋々だ。僕達の分まで頑張ってもらいたい」という言葉に勇気づけられ、上京を決意したという{{R|aono}}。 本屋の店頭で当時、出始めた[[週刊誌]]をめくっていたところ、俳優養成所の記事が載っていた{{R|aono}}。そこには[[劇団俳優座|俳優座]]養成所、民芸水品演劇研究所、[[舞台芸術学院]]{{R|青二プロダクションアーカイブ}}などがあったが、「俳優座と民芸はアルバイト不可」、「舞芸は地方の人物が多くアルバイトしながら学んでいる」とあり、「もう舞芸しかない」と思い、同高校卒業後は家出同然の旅立ちで単身上京{{R|aono}}。同芸術学院に願書を貰うため、玄関に立ったが誰もいなかったという{{R|aono}}。その時、芝居の稽古中の声が聞こえて、その素晴らしい声に「その修練を積んだ声、これがプロになる人の声か!」とショックを受けると同時に、「なにがなんでもここに入って、絶対役者になってやろう」と思っていたという{{R|声優アニメディア|aono}}。その時に同じ北海道出身の俳優の[[松山照夫]]が[[コッペパン]]をかじりながら、「お前どっから来たの?」と言われ、「北海道です」と答えると、「そうか、北海道か。俺も北海道だ。お前、役者になりたくてでてきたんだべ?悪い事は言わんから、クニに帰れ」と言われたという{{R|声優アニメディア|aono}}。しかし願書の手続きをはじめ色々面倒をみてもらい、「俺やお前と同じ北海道出身で同期の奴がいるから会わせてやる」と言って、[[喫茶店]]へ案内してくれたという{{R|aono}}。カウンターの中に同期の[[山田吾一]]、のちの劇団仲間で先輩の[[宮内幸平]]がいた{{R|aono}}。松山、山田が音頭をとってもらい、歓迎会を開いてくれたという{{R|aono}}。歓迎会には北海道出身の同芸術学院の人物達が6人程集まり、その中にのちに妻となる女性もいたという{{R|aono}}。その後、同芸術学院に入学して、演劇を学ぶ{{R|aono2}}。同芸術学院の1年先輩に[[家弓家正]]がいる{{R|昭和声優列伝}}。当時は喫茶店の[[風月堂 (東京都新宿区)|風月堂]]、[[サンドイッチマン]]、[[レストラン]]の出前持ち、[[バーテンダー|バーテン]]、[[ストリップ劇場|ストリップ]]の照明係、[[キャバクラ|アルサロ]]のボーイ等のアルバイトを経験していた{{R|aono}}。 === キャリア === 劇団七曜会に所属した際に主役を務めた『[[欲望という名の電車]]』での演技が認められ、それを観ていたTBSのディレクターから「一時間物の西部劇の主役の声を演ってみないか」と声が掛かって海外ドラマ『[[ブロンコ]]』の主役であるタイ・ハーデンの[[吹き替え]]を担当した{{R|aono2}}。これを機に、以後多くの[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]・吹き替えなどで声優として活躍した。また俳優としても、[[大河ドラマ]]『[[北条時宗 (NHK大河ドラマ)|北条時宗]]』やNHK教育の『[[このまちだいすき]]』などの映像作品に出演した。 演劇活動では、[[劇団青俳]]の研究生を経て{{R|昭和声優列伝}}、七曜会解散後に作品座<ref>{{Cite web|和書|date=2006-02-15 |url=http://www.raichosha.co.jp/mm/00391.html |title=声優になる!マガジン vol.71 肝付兼太2 |publisher=[[雷鳥社]] |accessdate=2023-02-04}}</ref>の所属を経て{{refnest|group=注|1957年に作品座入団。1958年に七曜会入団と記載している資料もある{{R|タレント名鑑64}}。}}、20代の頃に出会った[[あずさ欣平]]と親交を結び、劇団芸協<ref>{{Cite journal|和書 |author=|coauthors=|year=1973|month= 5|title = 新劇俳優名鑑|page=3|journal=[[テアトロ]] |issue = 1973年5月増刊号|publisher=カモミール社}}</ref>{{R|青二プロダクションアーカイブ}}に所属した。あずさの他、劇団仲間であった[[雨森雅司]]、宮内幸平、[[田中和実]]など、死去した友人の遺志を継ぎ、同劇団の主宰を務めた。 声優としては演協プロ<ref>{{Cite book|和書|author=|title=出演者名簿(1969年版)|page=4|publisher=著作権資料協会|isbn=|date=1968}}</ref>、[[劇団河|河の会]]<ref>{{Cite book|和書|author= 松田咲實|authorlink=松田咲實| date= 2000-03-01|chapter = 座談会 PART 2|title = 声優白書|publisher = [[オークラ出版]]|page = 258|isbn = 4-87278-564-9}}</ref>、[[マウスプロモーション|江崎プロダクション]]<ref>{{Cite book|和書|author=|title=出演者名簿(1978年版)|page=5|publisher=著作権資料協会|isbn=|date=1977}}</ref>、オフィス央{{R|声優の世界}}を経て、[[青二プロダクション]]に所属していた{{R|青二プロダクションアーカイブ}}。 === 闘病・死去 === [[2003年]]に[[大動脈解離]]を患い、医者から「大きな声を出すことや激しい運動を控えるように」と言われため、出番の多い役は控えて主に演出面での役割が中心だった{{R|声優アニメディア}}。晩年は声優業は大丈夫だったが、舞台は負担が大きく、体に問題はなかったが、不安はあったという{{R|声優アニメディア}}。 しかし[[2010年]][[5月15日]]に[[大動脈解離|解離性大動脈瘤]]の[[手術]]を受けたが、[[6月26日]]に[[脳梗塞]]であることが判明して入院。療養で復帰の目処が立たないことから、当時演じていた全ての持ち役を降板した<ref>{{Cite news|和書 |title=「ちびまる子」友蔵役の青野武が降板|newspaper=デイリースポーツ|date=2010-06-27|url=http://www.daily.co.jp/gossip/article/2010/06/27/0003136239.shtml|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100630084414/http://www.daily.co.jp/gossip/article/2010/06/27/0003136239.shtml|archivedate=2010-06-30|accessdate=2015-07-29}}</ref>([[#後任|後述]])。2年近い闘病生活の末、[[2012年]][[4月9日]]午後4時38分、解離性[[胸部大動脈瘤]]術後[[脳梗塞|多発性脳梗塞]]のため、[[東京都]][[八王子市]]の病院で死去<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2009986/full/ 『ちびまる子』おじいちゃん役で人気 声優・青野武さん死去]</ref>。満75歳没([[享年]]76){{R|シネマトゥデイ|seisakuplus}}。 [[2013年]]、第7回[[声優アワード]]「特別功労賞」を受賞<ref>{{Cite web|和書|publisher=声優アワード実行委員会 |url=https://www.seiyuawards.jp/winning/winning_07/index.php|title=授賞記録 第七回声優アワード |accessdate=2013-03-01}}</ref>。 == 人物 == 父は建具指物師だったが、飲んだくれで母を泣かせていた{{R|昭和声優列伝}}。家計は苦しく、その日その日を暮らしていくのが精一杯だったという{{R|昭和声優列伝}}。妻は女優の板橋真砂子{{R|青年座}}。女優の板橋七生は妻の妹{{R|テアトロ}}。娘がいた{{R|aono2}}。 特技は[[ジョギング]]{{R|青二プロダクションアーカイブ}}。趣味は[[野球]]<ref>{{Cite book|和書|author=|title=声優名鑑 アニメーションから洋画まで…|page=7|publisher=[[近代映画社]]|isbn=|date=1985}}</ref>、[[競艇]]{{R|aono}}。 座右の銘は[[ウィリアム・スミス・クラーク]]の「少年よ、大志を抱け(Boys Be Ambitious)」を挙げており、幼い頃からこの言葉をことあるごとに聞いて育った{{R|声優アニメディア}}。役者を目指して上京したが、挫折して夢を断念しそうになった時、この言葉を聞いて頑張っていたという{{R|声優アニメディア}}。 === 特色 === [[音域#人声の音域|声種]]は[[バリトン]]{{R|声優の世界}}。役柄としては[[悪役]]や老人を演じる機会が多かった。本人も「悪役や様々な感情を演じられる役は演じていて面白い」とも発言している{{R|天下一伝説162}}。 『[[うる星やつら (アニメ)|うる星やつら]]』、『[[らんま1/2]]』、『[[犬夜叉 (アニメ)|犬夜叉]]』など、[[高橋留美子]]原作のアニメ作品に数多く出演する常連だった。 『[[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]]』ではテレビシリーズでミホーク役などで出演しており、同作の劇場版では第10作まで毎回異なる役柄で出演していた。原作のリメイク作品では、ラッスーやイッシー20のひとりといった、テレビシリーズで声優が決められていなかった人物の声を担当した。 吹き替えでの持ち役は[[マイケル・ペイリン]]を始め[[クリストファー・ロイド]]、[[ジョー・ペシ]]、[[ダニー・デヴィート]]、[[ラム・チェンイン]]などがある。[[穂積隆信]]や[[樋浦勉]]とは同一作品の別音源で同じ役を演じる機会が多かった<ref group="注">『[[バック・トゥ・ザ・フューチャー]]』シリーズや『[[ホーム・アローン]]』シリーズ、『[[リーサル・ウェポン]]』シリーズ、『[[スピード (映画)|スピード]]』など。</ref>。 === その他エピソード === 少年時代は近所のガラスを割ったり、塀を壊したり、小さな子供を泣かすなどの悪ガキであり、「青鬼」というあだ名が付けられていた{{R|昭和声優列伝}}。当時は雪深い山裾に住んでいたが、小学校入学時に買ってくれた[[スキー]]は、高校卒業の日まで買い換えてもらえなかった{{R|昭和声優列伝}}。そういった環境が悪ガキの道へと向かわせたのかもしれないという{{R|昭和声優列伝}}。しかし小学6年生の時、近所のおせっかい焼きの少年から、青野が「もらいっ子」であることを聞かされていた{{R|昭和声優列伝}}。青野は「そんなバカな!」と怒りその少年を殴り倒してしまったが、その後それが真実であることが分かったという{{R|昭和声優列伝}}。その日まで本当の「とうちゃん」と「おっかあ」とばかり思っていたが、全く血の繋がりの無い人物達と分かった時、身体中の血が一時に逆流する思いがした{{R|昭和声優列伝}}。その日を境にして、性格は暗くなり、黙ってふさぎ込んでいるような少年になっていったという{{R|昭和声優列伝}}。 『[[ウルトラマン]]』の[[ザラブ星人]]の[[アテレコ]]に際して、キャラの特徴をつかむために[[着ぐるみ]]の中に入って実際に演技していた<ref>{{Cite book|和書 |author=小太刀右京|authorlink=小太刀右京 |date=2012-12 |title=キャラクター大全ウルトラマン全調査報告 |publisher=[[講談社]] |isbn=978-4-06-218128-0}}</ref>。また後年の[[ウルトラシリーズ]]でも死去するまでザラブ星人の声を担当。 『[[ドラゴンボール (アニメ)|ドラゴンボール]]』の[[ピッコロ (ドラゴンボール)#ピッコロ大魔王|ピッコロ大魔王]]が自分の分身であるピッコロを産み出す場面では「産みの苦しみだ」と力を入れすぎたため、[[胃]]を悪くしてしまった<ref name="DVD">「スペシャル座談会 プロジェクトZ 声の戦士大集合 素顔のZ戦士たち」『DRAGON BALL Z DVD BOX DRAGON BOX VOL.2付属解説書 Dragon Books』96頁。</ref>。 独創的な[[即興|アドリブ]]を入れることが多いが、『[[勇者王ガオガイガーFINAL]]』のギムレット役は、監督が「青野さんならこんな言い回しをするだろう」と考えて、元からセリフにアドリブを組み込まれた趣向であったため、イントネーションを工夫することでしか対抗できなかった。 劇団仲間だった[[肝付兼太]]と組んで、スナックでバーテンとして働いていたこともある{{R|昭和声優列伝}}。肝付とはウマが合い、2人でアドリブを連発し、「漫才バーテン」と呼ばれて評判となっていたという{{R|昭和声優列伝}}。 若い頃は酒癖が非常に悪く、飲みに行った際に酔っ払って他の客とケンカになったが、同行していた[[富山敬]]が朝まで介抱してくれたことがあった。1995年にその富山から『[[ちびまる子ちゃん]]』のさくら友蔵役を引き継いだ際は、「役が決まった際は複雑な心境だったが、富山敬の名を汚さないように頑張ろうと思った」と語っている<ref>松田光雄編「すべての世代の永遠のヒーロー 声優・富山敬が残したもの」『[[アニメージュ]] 1995年12月号』[[徳間書店]]、平成7年(1995年)12月10日、雑誌01577-12、117頁。</ref>。 競艇をテーマにした出演作である『[[モンキーターン (漫画)|モンキーターン]]』のDVD6巻に収録されたオーディオコメンタリーでは、同じく競艇ファンであった[[麦人]]とともに、競艇場の試乗体験でペアボートに試乗したことがあるという体験談や、最初に名前を覚えた選手から[[彦坂郁雄]]が解雇されたエピソードなど競艇のオールドファンならではの話などをしていた。 == 後任 == 青野の療養に伴う降板および死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。ただし、声優を総入れ替えした作品については対象外とする。 {| class="wikitable sortable" style="font-size:small" border="1" |- !後任!!役名!!概要作品!!後任の初担当作品 |- | rowspan="9" | [[島田敏]] | おじいちゃん〈さくら友蔵〉 | 『[[ちびまる子ちゃん]]』 | 第2期第769話 |- | ロディル | 『[[テイルズ オブ シンフォニア]]』 | 『テイルズ オブ シンフォニア THE ANIMATION テセアラ編』第3話 |- | 平賀源外 | 『[[銀魂 (アニメ)|銀魂]]』 | 『銀魂'』第224話<ref group="注">第213話は過去の収録音声を流用して対応。該当話から島田が演じることになった。2018年に発売されたゲーム『[[銀魂乱舞]]』では青野の声が流用されている。</ref> |- | トーマス・ベケット | 『[[山猫は眠らない]]』テレビ東京版 | クアドリロジーDVDセット追加録音部分 |- | オールド・オスマン | 『[[ゼロの使い魔]]』 | 『ゼロの使い魔F』 |- | ジンメン | 『[[デビルマン 妖鳥死麗濡編]]』 | 『[[スーパーロボット大戦DD]]』 |- |[[バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズの登場人物|エメット・ブラウン博士〈ドク〉]] |「[[バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ]]」 |『[[Run for money 逃走中|逃走中~お台場リベンジャーズ~]]』 |- | 神様 | rowspan="3" | 「[[ドラゴンボール]]シリーズ」 | 『[[ドラゴンボール改]]』第66話 |- | [[ピッコロ大魔王]] | 『[[ドラゴンボールZ 超究極武闘伝]]』<ref group="注">島田がピッコロ大魔王を演じた作品のうち、『[[ドラゴンボールヒーローズ]]』では当初青野のライブラリ音声が使用されていたが、ゴッドミッション4弾からは島田による新規収録が行われ、交代となった。</ref> |- | [[飛田展男]] | ムラサキ曹長 | 『[[ドラゴンボールヒーローズ]]』<ref group="注">青野の生前にも『[[ドクタースランプ]]』で同役を演じている。</ref> |- | rowspan="2" | [[浦山迅]] | [[アーガス・フィルチ]] | 「[[ハリー・ポッター (映画シリーズ)|ハリー・ポッターシリーズ]]」 | 『[[ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2]]』 |- | ブレイン・クーパー | 『[[プレデター (映画)|プレデター]]』テレビ朝日版 | 完声版追加録音部分 |- | rowspan="2" | [[掛川裕彦]]<ref group="注">青野の生前にもゲーム『[[北斗の拳 世紀末救世主伝説]]』でテレビアニメ版で青野が演じたリハク役を担当していた。</ref> | [[ジュラキュール・ミホーク]] | 『[[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]]』 | 第462話 |- | ハルトマン | 『[[テイルズ オブ イノセンス]]』 | 『テイルズ オブ イノセンスR』 |- | [[園部啓一]]<ref group="注">青野の生前にも『ONE PIECE』のウープ・スラップ役を引き継いでいる。</ref> | アカイさん | BSアーカイブス関連番組 | 『[[プレミアムカフェ]]』 |- | [[堀内賢雄]]<ref group="注">『[[モンティ・パイソン ある嘘つきの物語 グレアム・チャップマン自伝]]』では長年青野が演じていた[[マイケル・ペイリン]]の吹き替えを務めた。</ref> | ドーナツマン | rowspan="2" | 『[[それいけ!アンパンマン]]』 | 第1097話 |- | [[松山鷹志]] | トンガラシ | 第1231話 |- | [[岩崎ひろし]] | アッシュ・モーガン | 『[[華麗なるペテン師たち]]』 | シリーズ4 |- | [[藤原啓治]]<ref group="注">『[[うしおととら]]』の蒼月紫暮役、アニメ『[[バットマン]]』シリーズのジョーカー役など、青野が演じていた役をリメイク版や新シリーズで演じた経験を持つ。</ref> | 斌偉信 | 『[[鬼哭街]]』 | 全年齢対象版 |- | [[銀河万丈]] | ルオゾール・ゾラン・ロイエル | 「[[魔装機神シリーズ]]」 | 『[[スーパーロボット大戦OGサーガ 魔装機神 THE LORD OF ELEMENTAL]]』 |- | [[大塚周夫]] | ゲン・フー | 「[[デッド オア アライブ シリーズ]]」 | 『DEAD OR ALIVE Dimensions』 |- | [[牛山茂]] | タズナ | 『[[NARUTO -ナルト-]]』 | 『[[NARUTO -ナルト- 疾風伝]]』 |- | [[龍田直樹]] | アルバート・ラッセル | 「[[英雄伝説シリーズ]]」 | 『[[英雄伝説 空の軌跡 THE ANIMATION]]』 |- | [[大木民夫]] | 雨柳堂主人 | 『[[雨柳堂夢咄]]』 | モーションコミック版 |- | [[辻親八]] | ヘルルーガ・イズベルガ | 『[[スーパーロボット大戦GC]]』 | 『[[スーパーロボット大戦OG ムーン・デュエラーズ]]』 |- | [[魚建]] | 柾木勝仁 | rowspan="2" | 『[[天地無用!]]』 | rowspan="2" | 『天地無用! 魎皇鬼』 |- | [[小西克幸]] | 柾木信幸 |- | [[側見民雄]] | ニック・カツォポリス | 『[[フルハウス (1987年のテレビドラマ)|フルハウス]]』 | 『[[フラーハウス]]』 |- | [[後藤哲夫]] | 小豆蠟斎 | 『[[バジリスク 〜甲賀忍法帖〜]]』 | パチスロ版 |- | [[伊藤健太郎 (声優)|伊藤健太郎]] | 警官 | 『[[ガントレット (1977年の映画)|ガントレット]]』 | rowspan="3" | WOWOW吹替補完版追加録音部分 |- | rowspan="5" | [[多田野曜平]] | ハリー・ライム | 『[[ホーム・アローン2]]』フジテレビ版<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.wowow.co.jp/detail/010292|title=ホーム・アローン2[吹替補完版]|publisher=[[WOWOW]]|accessdate=2019年1月27日}}</ref> |- | マーティン・ラマンスキー | 『[[ゴリラ (1986年の映画)|ゴリラ]]』テレビ朝日版<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.wowow.co.jp/detail/105024/-/02|title=ゴリラ[吹替補完版]|publisher=WOWOW|accessdate=2021年3月27日}}</ref> |- | ホリー | 『[[宇宙船レッド・ドワーフ号]]』 | 第12シリーズ |- | フォン・ハッペン少佐 | 『[[荒鷲の要塞]]』日本テレビ新版 | [[ムービープラス]]吹替追録版<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.banger.jp/news/56232/|title=イーストウッド『荒鷲の要塞』吹替追録版がムービープラスでTV初放送!多田野曜平、星野貴紀のコメント到着!!|publisher=Banger!!!|accessdate=2021-04-28}}</ref> |- | 幸村俊夫 | 『[[CLANNAD (ゲーム)|CLANNAD]]』 | 『[[かぎなど]]』<ref>{{Cite web|和書|url=https://kaginado.com/news/post-18/|title=10話ストーリー、先行カットを公開しました|website=TVアニメ「かぎなど」オフィシャルサイト|date=2021-12-10|accessdate=2021-12-10}}</ref> |- | [[菅原淳一]] | ブリブリ族の長老(老ブタ) | 『[[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]』 | 第894話Bパート |- | [[中博史]] | 麻倉葉明 | 『[[シャーマンキング]]』 | 『[[SHAMAN KING]]』(テレビアニメ第2作) |} == 出演 == '''太字'''はメインキャラクター。 === テレビアニメ === {{dl2 | 1964年 | * [[ビッグX]] | 1965年 | * [[スーパージェッター]](宇宙人X) | 1967年 | * [[リボンの騎士]] | 1968年 | * [[怪物くん (モノクロアニメ)|怪物くん]] * [[巨人の星 (アニメ)|巨人の星]] * [[サイボーグ009 (アニメ)|サイボーグ009(1968年版)]](シースネイク号乗組員) * [[サスケ (漫画)|サスケ]](流千四郎) * [[佐武と市捕物控]](庄之助、三次) * [[ファイトだ!!ピュー太]] * [[夕やけ番長]] | 1969年 | * [[男一匹ガキ大将]] * [[海底少年マリン]](ゴードン) | 1970年 | * [[あしたのジョー]] * [[ばくはつ五郎]](工藤) | 1971年 | * [[アニメンタリー 決断]]<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C7433| title = 決断| website = [[メディア芸術データベース]] | publisher = [[文化庁]] | accessdate = 2023-02-04}}</ref> * [[ふしぎなメルモ]](神様A) | 1972年 | * [[アニメドキュメントミュンヘンへの道]] * [[ルパン三世 (TV第1シリーズ)|ルパン三世(第1作)]] | 1973年 | * [[科学忍者隊ガッチャマン]](正木、隊長、マーチン・ギルマン) * [[空手バカ一代]](1973年 - 1974年、米兵 他) * [[侍ジャイアンツ]] * [[ジャングル黒べえ]] * [[デビルマン]](ファイゼル{{R|デビルマン}}) | 1974年 | * [[宇宙戦艦ヤマト]](1974年 - 1975年、'''[[真田志郎]]'''{{R|声優事典}}、[[森雪|森]]の父 他) * [[柔道讃歌]](荒尾部長〈2代目〉、相撲部員 他) * [[破裏拳ポリマー]]('''車錠'''{{R|声優事典}}) | 1975年 | * [[アラビアンナイト シンドバットの冒険]](青の大魔王<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/923/| title = アラビアンナイト シンドバットの冒険| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-03}}</ref>) * [[元祖天才バカボン]](1975年 - 1976年、夢人間アラジン、ランタロウ) * [[少年徳川家康]]([[織田信長]]) | 1977年 | * [[新・巨人の星]]([[杉下茂]]) | 1978年 | * [[家なき子 (アニメ)|家なき子]](ジェローム・バルブラン) * [[宇宙戦艦ヤマト2]](1978年 - 1979年、'''真田志郎'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C7756| title = 宇宙戦艦ヤマト2| website = メディア芸術データベース | publisher = 文化庁 |accessdate = 2023-02-04}}</ref>{{R|声優事典}}) * [[宇宙魔神ダイケンゴー]](ロボレオン{{R|ダイケンゴー|声優事典}}) * [[女王陛下のプティアンジェ]](ロジャー<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1279/| title = 女王陛下のプティアンジェ| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-18}}</ref>、チャールズ) * [[ヤッターマン]](ヨンキョ) | 1979年 | * [[宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち]]('''真田志郎'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://v-storage.bnarts.jp/cont/item/?item_detail=BCXA-0715| title = 宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち |website=V-STORAGE | publisher = バンダイナムコフィルムワークス| accessdate = 2023-02-04}}</ref>{{R|声優事典}}) * [[円卓の騎士物語 燃えろアーサー]](ヘステング) * [[ザ☆ウルトラマン]](ウルトラ族の男A) * [[シートン動物記 りすのバナー]](アカーチョ{{R|シートン動物記 りすのバナー}}) * [[未来ロボ ダルタニアス]](弾児の父) * [[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん(テレビ朝日版第1期)]] * [[無敵鋼人ダイターン3]](松) * [[ルパン三世 (TV第2シリーズ)|ルパン三世(第2作)]](1979年 - 1980年、{{要出典範囲|ピーター・ヤコブ、グレゴアール三世|date=2023年11月}}) | 1980年 | * [[宇宙戦士バルディオス]](1980年 - 1981年、'''ゼオ・ガットラー'''{{R|バルディオス|声優事典}}) * [[宇宙戦艦ヤマトIII]](1980年 - 1981年、'''真田志郎'''{{R|声優事典}}) * [[怪物くん (カラーアニメ)|怪物くん(1980年版)]](ピーコック) * [[銀河鉄道999 (アニメ)|銀河鉄道999]](エドモンド、コア、司令官) * [[ニルスのふしぎな旅]](ラッシュ) | 1981年 | * [[うる星やつら (アニメ)|うる星やつら]](1981年 - 1984年、パソコン、スーパーデリシャス遊星ゴールデンスペシャルリザーブゴージャスアフターケアーキッド28号) * [[荒野の呼び声 吠えろバック]](マニエル / ギャル) * [[最強ロボ ダイオージャ]](マクド) * [[太陽の使者 鉄人28号]](オーギャン警部) * [[ダッシュ勝平]](五光キャプテン、飛鳥) * [[釣りキチ三平]](嵐慶) * [[鉄腕アトム (アニメ第2作)]](ケチャップ、天の川博士) * [[六神合体ゴッドマーズ]](1981年 - 1982年、'''明神博士''') | 1982年 | * [[科学救助隊テクノボイジャー]](グラン・ハンセン<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C7999| title = 科学救助隊テクノボイジャー| website = メディア芸術データベース | publisher = 文化庁 | accessdate = 2023-02-04}}</ref>{{R|声優事典}}) * [[逆転イッパツマン]](ナカシマ営業部員) * [[ゲームセンターあらし]](半蔵) * [[少年宮本武蔵 わんぱく二刀流]](別所内蔵助) * [[太陽の子エステバン]](サンチョ{{R|太陽の子エステバン|声優事典}}) * [[パタリロ!]](衛兵隊長) | 1983年 | * [[愛してナイト]](八重子の父<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C8096| title = 愛してナイト| website = メディア芸術データベース | publisher = 文化庁 |accessdate = 2023-02-04}}</ref>{{R|声優事典}}) * [[銀河疾風サスライガー]](ビル、ビンセント・ショウ) * [[さすがの猿飛]](監督) * [[ストップ!! ひばりくん!]](呉井寺親分、黒田刑事) * [[コブラ (アニメ)#スペースコブラ|スペースコブラ]] * [[特装機兵ドルバック]](ロバート) * [[どくとるマンボウ&怪盗ジバコ 宇宙より愛をこめて]](リー警部) * [[まんが日本史 (日本テレビ)|まんが日本史]]([[斯波義将]]、[[足利義政]]、[[織田信長]]) * [[未来警察ウラシマン]](ルガーのメイスン) | 1984年 | * [[Gu-Guガンモ]](伊代木ゼミナールの教師) * [[宗谷物語]](艦長、船医) * [[夢戦士ウイングマン]](1984年 - 1985年、校長) * [[らんぽう]] * [[ルパン三世 PARTIII]](1984年 - 1985年、ガーブ、ジョージ・クーガー、トニー・ラッキーノ) | 1985年 | * [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第3シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第3作)]](1985年 - 1988年、猫仙人、ウニ介、貧乏神、'''[[ぬらりひょん (ゲゲゲの鬼太郎)|ぬらりひょん]]'''{{R|声優事典}}、ふくろさげ、ガマ仙人、井戸仙人、おじいさん) * [[忍者戦士飛影]]('''ハザード・パシャ'''{{R|声優事典}}) | 1986年 | * [[ウルトラマンキッズのことわざ物語]]('''グローサー先生'''{{R|声優事典}}) * [[銀牙 -流れ星 銀-]](紅桜<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/nagareboshi_gin/| title = 銀牙 流れ星 銀| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2016-07-10}}</ref>) * [[銀河探査2100年 ボーダープラネット]](スカラペ<ref>{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/62.html| title = 銀河探査2100年 ボーダープラネット| publisher = 手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL| accessdate = 2021-09-09}}</ref>) * [[ドラゴンボール (アニメ)|ドラゴンボール]](1986年 - 1989年、[[レッドリボン軍|ムラサキ曹長]]<ref name="db">{{Cite book|和書|year=2004-07-02|title=テレビアニメ完全ガイド DRAGON BALL 天下一伝説|pages=196-197|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|isbn=978-4088737058}}</ref>{{R|声優事典}}、銀角、'''[[ピッコロ (ドラゴンボール)#ピッコロ大魔王|ピッコロ大魔王]]'''{{R|db|ドラゴンボール|声優事典}}、[[ナメック星#神様(地球の神)|神様 / シェン]]{{R|声優事典}}) * [[ハイスクール!奇面組]](善院清烈) * [[北斗の拳 (テレビアニメ)|北斗の拳]](1986年 - 1988年、リハク{{R|声優事典}}) - 2シリーズ * [[ボスコアドベンチャー]](レオン) | 1987年 | * [[赤い光弾ジリオン]](ケリー) * [[新メイプルタウン物語 パームタウン編]](ヘークスピア) * [[ついでにとんちんかん]](毒鬼警部{{R|声優事典}}) * [[ビックリマン (アニメ)|ビックリマン]](1987年 - 1989年、'''[[スーパーデビル]]'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/bikkuri_man/| title = ビックリマン| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2022-09-14}}</ref>{{R|声優事典}}) | 1988年 | * [[美味しんぼ]](快楽亭ブラック〈ヘンリー・ジェームス・ブラック〉{{R|声優事典}}) * [[キテレツ大百科 (アニメ)|キテレツ大百科]](1988年 - 1996年、熊田熊八{{R|声優事典}}、モーレツ斎、熊一郎 他) * [[新グリム名作劇場]](1988年 - 1989年、悪魔) * [[ハロー!レディリン]](レイノルズ{{R|声優事典}}) | 1989年 | * [[ジャングル大帝]](ラウロ) * [[戦え!超ロボット生命体 トランスフォーマーV]]('''[[デスザラス]]''') * [[チンプイ]](デブラ・ムー) * [[ドラゴンボールZ]](1989年 - 1992年、神様{{R|声優事典}}) * [[新ビックリマン]](1989年 - 1990年、スーパーデビル<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/bikkuri_man_2nd/| title = 新ビックリマン| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2016-06-17}}</ref>) * [[らんま1/2 熱闘編]](キンニー、キング) | 1990年 | * [[かりあげクン]](田辺駅員、部長、専務) * [[NG騎士ラムネ&40]](Dr.ホワット) * [[それいけ!アンパンマン]](1990年 - 2010年、トンガラシ〈初代〉、はなびまん〈初代〉、タイコマン〈代役〉、ほらがい男爵、ドーナツマン〈2代目〉) * [[楽しいムーミン一家]](1990年 - 1991年、海賊、隊長) - 2シリーズ * [[ドラゴンクエスト (アニメ)|ドラゴンクエスト]](ルドルフ) * [[三つ目がとおる]](ゴブリン{{R|声優事典}}) * [[もーれつア太郎#第2作 (1990年)|もーれつア太郎(第2作)]](召使い) | 1991年 | * [[ウルトラマンキッズ 母をたずねて3000万光年]]('''グローサー先生''') * [[おれは直角]](石垣子太夫{{R|おれは直角|声優事典}}) * [[緊急発進セイバーキッズ]](Dr.ログ) * [[シティーハンター'91]](通り魔) * [[DRAGON QUEST -ダイの大冒険-#1991年版『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』|ドラゴンクエスト ダイの大冒険(第1作)]](1991年 - 1992年、まぞっほ、'''[[ハドラー (ダイの大冒険)|ハドラー]]'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/dai_daiboken/| title = ドラゴンクエスト・ダイの大冒険| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2016-07-09}}</ref>{{R|声優事典}} / 謎の声) * [[まじかる☆タルるートくん]](浪速松五郎{{R|声優事典}}) * [[笑ゥせぇるすまん]](内名木洋介、一八の上司) | 1992年 | * [[お〜い!竜馬]]([[坂本八平]]) * [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]](ブラックメケメケ〈X・Y・Z{{R|声優事典}}〉、ギルギロス大統領、川山、ナレーション、ブリブリ族の長老、アクションストアの店員 他) * [[スーパーヅガン]](オザワ竹書坊{{R|声優事典}}、ナレーション{{R|声優事典}}) * [[超電動ロボ 鉄人28号FX]](フランケン博士、トランシルバニア伯爵) * [[姫ちゃんのリボン]](くも助) * [[ファンタジーアドベンチャー 長靴をはいた猫の冒険]](ドラキュラ{{R|声優事典}}) * [[炎の闘球児 ドッジ弾平]](御堂晩翠) | 1993年 | * [[剣勇伝説YAIBA]]([[松尾芭蕉]]) * [[GS美神]](1993年 - 1994年、見鬼くん<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.toei-anim.co.jp/tv/gs_mikami/staff/index.html| title = スタッフ・キャスト| publisher = GS美神| accessdate = 2016-07-09}}</ref>{{R|声優事典}}) * [[ツヨシしっかりしなさい]](1993年 - 1994年、内山京太郎、留造) * [[バトルスピリッツ 龍虎の拳]]([[藤堂竜白]]{{R|声優事典}}) | 1994年 | * [[機動武闘伝Gガンダム]](バードマン{{R|声優事典}}) * [[サムライスピリッツ|サムライスピリッツ〜破天降魔の章〜]]([[服部半蔵 (サムライスピリッツ)|服部半蔵]]{{R|声優事典}}) * [[覇王大系リューナイト]](満月) | 1995年 | * [[アニメ世界の童話]](リシュリュー) * [[空想科学世界ガリバーボーイ]](パパ・トスカーニ、魔神) * [[ご近所物語]](陶浪法司{{R|ご近所物語}}、ホテル主人) * [[ちびまる子ちゃん]](1995年 - 2010年、'''おじいちゃん〈さくら友蔵〉'''〈2代目〉) * [[天地無用!]](柾木勝仁、柾木信幸) * [[ヤンボウ ニンボウ トンボウ]](仙人) | 1996年 | * [[快傑ゾロ (アニメ)|快傑ゾロ]](ティモテーオ) * [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第4シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第4作)]](1996年 - 1998年、人食い島、寿太郎、執事、化け猫、三高松蔵、長嶋晴之助、釜なり、博士) * [[地獄先生ぬ〜べ〜]](影愚痴、ヤマオロシ) * [[逮捕しちゃうぞ (アニメ)|逮捕しちゃうぞ]](1996年 - 2007年、中嶋大丸<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C9999 |title=逮捕しちゃうぞ[SECOND SEASON] |website=メディア芸術データベース |publisher=文化庁 |accessdate=2023-02-04}}</ref>) - 3シリーズ * [[超者ライディーン]](ヒドラ) * [[忍たま乱太郎]](1996年 - 2000年、水田奇白斎、泣く男) * [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](1996年 - 2001年、笹井宣一、美濃宗之) | 1997年 | * [[金田一少年の事件簿 (アニメ)|金田一少年の事件簿]](1997年 - 2000年、岩田英作、田代富士夫、山之内恒聖)※山之内恒聖は「'''伊集院源一郎'''」名義 * [[手塚治虫の旧約聖書物語]](ベルシャツァル) * [[新・天地無用!]](柾木勝仁、柾木信幸) * [[HAUNTEDじゃんくしょん]](理事長) | 1998年 | * [[異次元の世界エルハザード]](アルージャ) * [[時空転抄ナスカ]](三浦雪之丞) * [[星方武侠アウトロースター]](グエン・カーン、スワンゾ) * [[センチメンタルジャーニー (アニメ)|センチメンタルジャーニー]](ナレーション) * [[トライガン]](スタン) * [[Bビーダマン爆外伝]](ワライオン) * [[MASTERキートン]](陳伯修) * [[遊☆戯☆王 (アニメ第1作)|遊☆戯☆王]](武藤双六) | 1999年 | * [[カウボーイビバップ]](ドゥーハン) * [[THE ビッグオー]](ダンディ・ワイズ) * [[週刊ストーリーランド]](1999年 - 2000年、おじいさん、長助、ナレーション) * [[ドクタースランプ]](アンコロモチ) | 2000年 | * [[キョロちゃん (アニメ)|キョロちゃん]](キョロ爺さん) * [[勝負師伝説 哲也]](2000年 - 2001年、ナレーション{{R|勝負師伝説哲也}}) * [[マシュランボー]](ラナンキュラス) * [[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]]([[王下七武海#ジュラキュール・ミホーク|ジュラキュール・ミホーク]]〈初代〉<ref>{{Cite web|和書| url = https://one-piece.com/anime/character/characters/Dracule_Mihawk| title = ジュラキュール・ミホーク| publisher = ONE PIECE.com | accessdate = 2016-06-09}}</ref>、ウープ・スラップ<ref>{{Cite web|和書| url = https://one-piece.com/anime/character/characters/Woop_Slap| title = ウープ・スラップ| publisher = ONE PIECE.com | accessdate = 2016-06-09}}</ref>) | 2001年 | * [[犬夜叉 (アニメ)|犬夜叉]](灰刃坊) * [[シャーマンキング]](麻倉葉明<ref>{{Cite web|和書| url = http://king-cr.jp/special/sharman/staff.html| title = スタッフ&キャスト| publisher = シャーマンキング| accessdate = 2016-06-27}}</ref>) * [[ナジカ電撃作戦]](中古メーカーのオヤジ) * [[破邪巨星Gダンガイオー]]('''与那嶺軍司''') * [[バンパイヤン・キッズ]](死神裁判官) | 2002年 | * [[アベノ橋魔法☆商店街]](雅ジイ) * [[ギャラクシーエンジェル (アニメ)|ギャラクシーエンジェル(第2期)]](原人、殿) * [[天地無用! GXP]](柾木勝仁) * [[NARUTO -ナルト- (アニメ)|NARUTO -ナルト-]](タズナ) * [[ぱにょぱにょデ・ジ・キャラット]]([[サンタクロース]]) | 2003年 | * [[アストロボーイ・鉄腕アトム]](ミニミニ) * [[京極夏彦 巷説百物語]](治平) * [[銀河鉄道物語]](ホイットマン) * [[時空冒険記ゼントリックス]](サイコ) * [[釣りバカ日誌]](甘粕賢三郎) * [[D・N・ANGEL]](丹羽大樹) * [[FIRESTORM (アニメ)|FIRESTORM]]('''チャック・モーガン''') * [[フルメタル・パニック? ふもっふ]](大貫善治) * [[ボボボーボ・ボーボボ]](2003年 - 2005年、ソーメン老師、マグロ師匠) * [[わがまま☆フェアリー ミルモでポン! ごおるでん]](浅賀) | 2004年 | * [[アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル]](クランシイ) * [[おじゃる丸]](メンマ大王) * [[GIRLSブラボー first season]](魚源) * [[ゾイドフューザーズ]](ピアーズ博士) * [[ブラック・ジャック (テレビアニメ)|ブラック・ジャック]](戸隠先生、丑五郎) * [[遊☆戯☆王デュエルモンスターズGX]](ツバイン・シュタイン) * [[焼きたて!!ジャぱん]]([[三木のり平]]) * [[モンキーターン (漫画)|モンキーターンV]](洞口武雄) * [[MONSTER (漫画)|MONSTER]](ハイトマイヤー) * [[ルパン三世 盗まれたルパン 〜コピーキャットは真夏の蝶〜]](マーフィー) | 2005年 | * [[IGPX]](イチ) * [[格闘美神 武龍]](2005年 - 2006年、'''毛混'''{{R|格闘美神 武龍|武龍REBIRTH}}) - 2シリーズ{{Ras|第1期(2005年)、第2期『REBIRTH』(2006年)}} * [[ギャラリーフェイク]](下田辰平) * [[交響詩篇エウレカセブン]](アクセル・サーストン) * [[甲虫王者ムシキング 森の民の伝説]](ジジ) * [[戦国英雄伝説 新釈 眞田十勇士 The Animation]]([[本多忠勝|本多中務大輔忠勝]]<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20100724010514/http://www.sanada10.com/staffcast/index.htm| title = キャストリスト| publisher = 新釈 眞田十勇士 公式サイト| accessdate = 2016-06-12}}</ref>) * [[バジリスク 〜甲賀忍法帖〜]](小豆蝋斉<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.gonzo.co.jp/works/basilisk/| title = バジリスク 〜甲賀忍法帖〜| publisher = GONZO公式サイト| accessdate = 2016-07-01}}</ref>) * [[ハチミツとクローバー]](棟梁) | 2006年 | * [[銀魂 (アニメ)|銀魂]](2006年 - 2011年、平賀源外〈初代〉<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.bn-pictures.co.jp/gintama/character/07.php |title=かぶき町の住人|人物紹介 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ]] |work=銀魂公式サイト |accessdate=2023-03-18}}</ref>) - 2シリーズ * [[涼宮ハルヒの憂鬱 (アニメ)|涼宮ハルヒの憂鬱]](管理人) * [[ゼロの使い魔]](2006年 - 2008年、'''オールド・オスマン''') - 3シリーズ * [[D.Gray-man]]('''ブックマン'''<ref>{{Cite web | url = https://web.archive.org/web/20141015172156/http://www.tms-e.co.jp/search/introduction.php?pdt_no=298| title = D.Gray-man| publisher = トムス・エンタテインメント| accessdate = 2016-06-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141015172156/http://www.tms-e.co.jp/search/introduction.php?pdt_no=298|archivedate=2014-10-15}}</ref>) * [[パンプキン・シザーズ]](爺) * [[蟲師]](ウロ守) * [[ロックマンエグゼBEAST]](光正)<!-- 2006-02-25 --> | 2007年 | * [[エル・カザド]](ロペス) * [[きらりん☆レボリューション]](日渡家執事) * [[CLANNAD-クラナド-]](2007年 - 2008年、幸村俊夫) - 2シリーズ * [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第5シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第5作)]](2007年 - 2008年、'''ぬらりひょん''') * [[祝!(ハピ☆ラキ)ビックリマン]]('''ウサギ〈スーパーデビル〉''') * [[モノノ怪]] 「鵺」(大澤廬房) | 2008年 | * [[夏目友人帳 (アニメ)|夏目友人帳]](露神) * [[ねぎぼうずのあさたろう]](吉兵衛、山椒の六右衛門) * [[秘密 〜The Revelation〜]](シュベルツ教授) * [[魔法遣いに大切なこと 〜夏のソラ〜]](佐藤恒良) * [[ワールド・デストラクション 〜世界撲滅の六人〜]](ゾウ師) | 2009年 | * [[怪談レストラン]](2009年 - 2010年、死神長老、住職) * [[川の光]](爺さんネズミ) * [[ゴルゴ13]](キッカース) * [[東京マグニチュード8.0]](古市匡司) * [[ドラゴンボール改]](2009年 - 2010年、神様〈初代〉) * P☆STAR(トメジイ) | 2010年 | * NHKハイビジョン特集「鬼太郎 幸せ探しの旅〜100年後の遠野物語〜」('''[[目玉おやじ]]''') * [[マリー&ガリー|マリー&ガリーver.2.0]](2010年 - 2011年、ダヴィンチ<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C12002| title = マリー&ガリー| website = メディア芸術データベース | publisher = 文化庁 |accessdate = 2023-02-04}}</ref>) }} === 劇場アニメ === {{dl2 | 1977年 | * [[宇宙戦艦ヤマト]]('''[[真田志郎]]'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.bandaivisual.co.jp/cont/item/BCXA-0714| title = 宇宙戦艦ヤマト 劇場版| publisher = バンダイビジュアル| accessdate = 2016-06-13}}</ref>{{R|声優事典}}) | 1978年 | * [[さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち]]('''真田志郎'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.bandaivisual.co.jp/cont/item/BCXA-0713| title = さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち| publisher = バンダイビジュアル| accessdate = 2016-06-13}}</ref>{{R|声優事典}}) | 1979年 | * [[がんばれ!!タブチくん!!]]('''[[安田猛 (野球)|ヤスダ]]'''{{R|声優事典}}) | 1980年 | * [[家なき子 (アニメ)|家なき子]](ジェローム・バルブラン{{R|声優事典}}) * がんばれ!! タブチくん!! 第2弾 激闘ペナントレース('''ヤスダ''') * がんばれ!! タブチくん!! 初笑い第3弾 あゝツッパリ人生('''ヤスダ''') * [[ヤマトよ永遠に]]('''真田志郎'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.bandaivisual.co.jp/cont/item/BCXA-0716| title = ヤマトよ永遠に| publisher = バンダイビジュアル| accessdate = 2016-06-13}}</ref>{{R|声優事典}}) | 1981年 | * [[グリックの冒険]](ガンバ)※クレジットは「青野たけし」。 | 1982年 | * [[テクノポリス21C]](クライム{{R|声優事典}}) * [[FUTURE WAR 198X年]] * [[六神合体ゴッドマーズ]](明神博士) * [[わが青春のアルカディア]](ムリグソン{{R|声優事典}}) | 1983年 | * [[宇宙戦艦ヤマト 完結編]]('''真田志郎'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://v-storage.bnarts.jp/cont/item/?item_detail=BCXA-0717| title = 宇宙戦艦ヤマト 完結編| website = V-STORAGE | publisher = バンダイナムコフィルムワークス | accessdate = 2023-02-04}}</ref>{{R|声優事典}}) * [[ゴルゴ13]](パブロ) * [[ナイン (漫画)|ナイン]](倉橋永二の父{{R|声優事典}}) * [[はだしのゲン]](英造) * [[プロ野球を10倍楽しく見る方法]]([[金田正一|カネダ]]、[[田代富雄|タシロ]]) | 1984年 | * [[ウルトラマンキッズ M7.8星のゆかいな仲間]](グローサー先生) * [[レンズマン|SF新世紀レンズマン]](ソーンダイク<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.madhouse.co.jp/works/1986-1983/works_movie_renzuman.html| title = SF新世紀 レンズマン| publisher = マッドハウス | accessdate = 2016-06-08}}</ref>) * [[パパママバイバイ]](パパ) * プロ野球を10倍楽しく見る方法 PART2([[中畑清|ナカハタ]]、ヤスダ) | 1985年 | * [[カムイの剣]](三平<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.madhouse.co.jp/works/1986-1983/works_movie_kamui.html| title = カムイの剣| publisher = マッドハウス| accessdate = 2016-06-13}}</ref>) * [[銀河鉄道の夜#映画|銀河鉄道の夜]](無線技師) * [[キン肉マン 逆襲!宇宙かくれ超人]](ハイドラキング) * [[ゲゲゲの鬼太郎 (1985年の映画)|ゲゲゲの鬼太郎]](ぬらりひょん<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_kitaro/| title = ゲゲゲの鬼太郎| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2022-07-15}}</ref>) * [[ペンギンズ・メモリー 幸福物語]](マネージャー) | 1986年 | * [[ゲゲゲの鬼太郎 最強妖怪軍団!日本上陸!!]](井戸仙人<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_kitaro_saikyo/| title = ゲゲゲの鬼太郎 最強妖怪軍団!日本上陸!!| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2022-07-15}}</ref>) * [[ゲゲゲの鬼太郎 激突!!異次元妖怪の大反乱]](妖怪皇帝<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_kitaro_ijigen/| title = ゲゲゲの鬼太郎 激突!!異次元妖怪の大反乱| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2022-07-15}}</ref>) * [[北斗の拳 (1986年の映画)|北斗の拳]](フォックス<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_hokuto/character/| title = 北斗の拳|キャラクター/キャスト| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2022-07-25}}</ref>{{R|声優事典}}) * [[時空の旅人]](北勉<ref>{{Cite news | url = https://www.madhouse.co.jp/works/1986-1983/works_movie_timestranger.html| title = 時空の旅人| newspaper = | publisher = マッドハウス| date = | accessdate = 2016-05-01}}</ref>{{R|声優事典}}) * [[はだしのゲン|はだしのゲン2]](先生) | 1987年 | * [[黄金の鳥|グリム童話 金の鳥]](白バラ王) * [[宝島 (テレビアニメ)|宝島]](ビリー・ボーンズ<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.tms-e.co.jp/alltitles/1980s/026301.html| title = 宝島| publisher = トムス・エンタテインメント| accessdate = 2021-09-09}}</ref>) * [[妖獣都市#アニメ映画|妖獣都市]](Mr.影<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.madhouse.co.jp/works/1988-1987/works_movie_youjyu.html| title = 妖獣都市| publisher = マッドハウス| accessdate = 2016-06-13}}</ref>{{R|声優事典}}) | 1988年 | * [[魁!!男塾]](ビック・モーガン) * [[ビックリマン (アニメ)|ビックリマン 無縁ゾーンの秘宝]](スーパーデビル{{R|無縁ゾーンの秘宝}}) | 1989年 | * [[ウルトラマンUSA]](クーパー将軍) * [[ドラゴンボールZ (1989年の映画)|ドラゴンボールZ]](神様{{R|ドラゴンボールZ劇場版}}) | 1990年 | * クロがいた夏(校長、ナレーター) * [[チンプイ エリさま活動大写真]](デブラ・ムー) | 1991年 | * [[ドラゴンクエスト ダイの大冒険 (1991年の映画)|ドラゴンクエスト ダイの大冒険]](ハドラー) * [[老人Z]](老人C) | 1992年 | * [[三国志 (アニメ映画)|三国志 第一部・英雄たちの夜明け]]([[関羽|関羽雲長]]{{R|声優事典}}) * [[ドラゴンクエスト ダイの大冒険 起ちあがれ!!アバンの使徒]](ハドラー) * [[ドラゴンクエスト ダイの大冒険 ぶちやぶれ!!新生6大将軍]](ハドラー) * [[走れメロス (アニメ映画)|走れメロス]](カリッパス) * [[まじかる☆タルるートくん すき・すき♡タコ焼きっ!]](浪速松五郎{{R|声優事典}}) | 1993年 | * [[かいけつゾロリ]](まほう使い) * [[遠い海から来たCOO|Coo 遠い海から来たクー]](ルースラン艦長) * [[クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王]](ゾンビリビー) * 三国志 第二部・長江燃ゆ!(関羽雲長{{R|声優事典}}) * [[獣兵衛忍風帖]]('''濁庵'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.madhouse.co.jp/works/1994-1993/works_movie_jyubei.html| title = 獣兵衛忍風帖| publisher = マッドハウス| accessdate = 2016-06-24}}</ref>) * [[幽☆遊☆白書 (映画)|幽☆遊☆白書]](牙瑠餓、椰嗄{{R|幽☆遊☆白書(映画)}}) | 1994年 | * 三国志 完結編・遥かなる大地(関羽雲長{{R|声優事典}}) * [[GS美神 極楽大作戦!!]]([[明智光秀]]{{R|声優事典}}、見鬼くん) * [[Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!!助けたサメに連れられて…]]([[浦島太郎]]) | 1996年 | * [[ご近所物語]](胸浪法司) * [[天地無用!|劇場版 天地無用! in LOVE]](柾木勝仁、柾木信幸) * 菜の花(長老) | 1997年 | * 瓜っこ姫とアマンジャク(おじいさん) * 劇場版 天地無用! 真夏のイヴ(柾木勝仁、柾木信幸) | 1999年 | * 劇場版 天地無用! in LOVE2 遙かなる想い(柾木勝仁、柾木信幸) | 2000年 | * [[ONE PIECE (2000年の映画)|ONE PIECE]](岩蔵) | 2001年 | * 源吉じいさんと子ぎつね * [[吸血鬼ハンターD|ヴァンパイアハンター D]](左手<ref>{{Cite web | url = https://www.madhouse.co.jp/works/2001-2000/works_movie_vampirehunterd.html| title = VAMPIRE HUNTER D| publisher = マッドハウス| accessdate = 2023-11-04}}</ref>、ポルク) * [[ドラえもん のび太と翼の勇者たち]](美容師<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/7460| title = ドラえもん のび太と翼の勇者たち| website = メディア芸術データベース | publisher = 文化庁 |accessdate = 2016-08-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180303050450/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/7460 |archivedate=2018-03-03}}</ref>) * [[メトロポリス (2001年の映画)|メトロポリス]](ポンコッツ博士<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bandaivisual.co.jp/metropolis/staff.html|title=スタッフ・キャスト|publisher=メトロポリス 公式サイト|accessdate=2016-05-05 |deadlinkdate=2023-02-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160602133716/https://www.bandaivisual.co.jp/metropolis/staff.html |archivedate=2016-06-02}}</ref>) * [[ONE PIECE ねじまき島の冒険]](スカンクワン) | 2002年 | * [[ONE PIECE 珍獣島のチョッパー王国]](ハゲオウム) | 2003年 | * 明日をつくった男 田辺朔郎と琵琶湖疏水<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mushi-pro.co.jp/2010/08/%E6%98%8E%E6%97%A5%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%94%B7_%E7%94%B0%E8%BE%BA%E6%9C%94%E9%83%8E%E3%81%A8%E7%90%B5%E7%90%B6%E6%B9%96%E7%96%8F%E6%B0%B4-2/|title=明日をつくった男 田辺朔郎と琵琶湖疏水|publisher=虫プロダクション|accessdate=2016-04-26}}</ref> * [[ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険]](酒場店主) * [[黄金の法#アニメ映画|黄金の法 エル・カンターレの歴史観]](デメス) | 2004年 | * [[ONE PIECE 呪われた聖剣]](ブーコング<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/8769 | title = ONE PIECE 呪われた聖剣| website = メディア芸術データベース | publisher = 文化庁 |accessdate = 2016-11-26 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20180303110504/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/8769 |archivedate=2018-03-03}}</ref>) | 2005年 | * [[映画 ふたりはプリキュア Max Heart 2 雪空のともだち]](老師) * [[劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション ミュウと波導の勇者 ルカリオ]](バンクス) * [[ブラック・ジャック (テレビアニメ)#『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』|ブラック・ジャック ふたりの黒い医者]](ハカセ<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C411382| title = ブラック・ジャック ふたりの黒い医者| website = メディア芸術データベース | publisher = 文化庁 |accessdate = 2023-02-04}}</ref>) * [[ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島]](ケロジイ) | 2006年 | * [[ONE PIECE THE MOVIE カラクリ城のメカ巨兵]](権造) | 2007年 | * [[ONE PIECE エピソードオブアラバスタ 砂漠の王女と海賊たち]](ラッスー) | 2008年 | * [[劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!]](ぬらりひょん) * [[真救世主伝説 北斗の拳ZERO ケンシロウ伝]](フウゲン) * [[ONE PIECE THE MOVIE エピソードオブチョッパー+冬に咲く、奇跡の桜]](イッシー1) | 2009年 | * [[宇宙戦艦ヤマト 復活篇]]('''真田志郎'''<ref>{{Cite web|和書| url = http://yamato2009.jp/cast_staff.html| title = キャスト&スタッフ| publisher = 劇場用アニメーション映画「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」公式サイト| accessdate = 2016-06-02 |deadlinkdate=2023-02-04}}</ref>) * [[交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい]](校長先生) * [[ONE PIECE FILM STRONG WORLD]](海賊) | 2010年 | * [[REDLINE]](もぐらオヤジ<ref>{{Cite web | url = https://www.madhouse.co.jp/works/2010-2009/works_movie_redline.html| title = REDLINE| publisher = マッドハウス| accessdate = 2016-06-24}}</ref>) }} === OVA === {{dl2 | 1986年 | * [[県立地球防衛軍]](スコープ鶴崎{{R|声優事典}}) * [[デルパワーX 爆発みらくる元気!!]](フォン・ゲッツェル) | 1987年 | * [[破邪大星ダンガイオー]]('''ターサン博士''') | 1988年 | * [[遠山桜宇宙帖 奴の名はゴールド]](執政官A) * [[バイオレンスジャック|バイオレンスジャック 地獄街]](マッドザウルス) * [[魔界都市〈新宿〉]](情報屋婆) | 1989年 | * [[雨降り小僧]](父親) * [[銀河英雄伝説 (アニメ)|銀河英雄伝説]]('''ムライ''') * [[ヤンキー烈風隊]](北原三津男) | 1990年 | * 傷だらけの天使たち * 気ままにアイドル * [[電脳都市OEDO808]](デイブ・クロカワ) * [[THE八犬伝]](犬塚番作) * [[しあわせのかたち]](担任、総司令官) * [[新カラテ地獄変]](ジャコブ) * [[SOL BIANCA|ソル・ビアンカ]](バトロス皇帝) * [[CBキャラ 永井豪ワールド]](1990年 - 1991年、ジンメン、奥さん、ジンメン子) * [[デビルマン|デビルマン 妖鳥死麗濡編]](ジンメン) * [[ビックリマン (アニメ)|ビックリマン ロココ&マリア奇跡]](スーパーデビル) * [[カルラ舞う!|変幻退魔夜行 カルラ舞う! 仙台小芥子怨歌]](黒子刑事) | 1991年 | * [[おれ、夕子]](夕子の父) * [[究極超人あ〜る]](成原成行博士) * [[3×3 EYES]](周) * 山に輝くガイド犬平治号(荏隈) * [[ロードス島戦記]](バグナード) | 1992年 | * [[うしおととら]]('''蒼月紫暮''') * [[ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日]](1993年 - 1998年、一清道人) * [[天地無用!#天地無用! 魎皇鬼|天地無用! 魎皇鬼]](柾木勝仁、柾木信幸) | 1993年 | * [[仮面ライダーSD]]('''[[ジャーク将軍]]'''{{R|声優事典}}) * [[今日から俺は!!]](赤坂) * [[スターダストクルセイダース|ジョジョの奇妙な冒険]](ヴァニラ・アイス) * [[ドラゴンハーフ]](ルース) * [[フォーチュン・クエスト]](魔導師) * [[らんま1/2|らんま1/2 天道家 すくらんぶるクリスマス]](キング) | 1994年 | * [[科学忍者隊ガッチャマン#OVA版|GATCHAMAN]](ドナルドソン) * [[キューティーハニー|新・キューティーハニー]](兜博士) * らんま1/2 SPECIAL よみがえる記憶(真之介の祖父) | 1995年 | * 学校の幽霊(用務員) * [[ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日|鉄腕GinRei Episode.23 禁断の果実を奪還せよ 極楽大作戦!!]](一清道人) * [[BADBOYS|BAD BOYS 3 BEST FRIENDS]](宮崎) * [[ブラック・ジャック (OVA)|ブラック・ジャック]](アンドレ) | 1996年 | * [[お嬢様捜査網]](大地警部補) * [[覚悟のススメ]](永吉) * [[破裏拳ポリマー|新・破裏拳ポリマー]]('''車錠''') * [[スレイヤーズ (アニメ)#OVA|スレイヤーズすぺしゃる]](ディオル) * [[タトゥーン★マスター]](藤松の祖父) * [[鉄腕バーディー]](山崎) * [[ファイアーエムブレム 紋章の謎 (OVA)|ファイアーエムブレム 紋章の謎]](ガーネフ) | 1997年 | * [[でたとこプリンセス]](爺) * [[バトルアスリーテス大運動会]](ジェラード・バクストン) | 1998年 | * [[魔界転生]](関口柔心) | 2000年 | * [[からくりの君]](死なずの忍び頭<ref>{{Cite news | url = https://www.tms-e.co.jp/alltitles/2000s/591401.html| title = からくりの君| newspaper = | publisher = トムス・エンタテインメント| date = | accessdate = 2023-02-04}}</ref>) * 銀河英雄伝説外伝 螺旋迷宮(ムライ) * [[勇者王ガオガイガーFINAL]](ギムレット<ref>{{cite web|url=http://www.gaogaigar.net/FINAL/chara/20.php |title=CHARACTER |website = ガオガイガーポータルサイト |work=勇者王ガオガイガーFINAL |publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]] |accessdate=2022-03-21}}</ref>) | 2002年 | * [[ルパン三世 生きていた魔術師]](謎の老人) | 2003年 | * [[機動新撰組 萌えよ剣]](山崎茂平) * [[モエかん|モエかん THE ANIMATION]](井上先生) | 2005年 | * [[ストリートファイターZERO|ストリートファイターALPHAジェネレーション]](老師) | 2008年 | * [[メタルギアソリッド バンドデシネ|METAL GEAR SOLID 2 BANDE DESSINEE]](ロイ・キャンベル) | 2010年 | * [[テイルズ オブ シンフォニア|テイルズ オブ シンフォニア THE ANIMATION テセアラ編]](ロディル) }} === Webアニメ === * [[ブラック・ジャック#インターネットアニメ|ブラック・ジャック]](2001年、本間丈太郎) === ゲーム === 2013年以降の出演作品は生前の音声を引用したライブラリ出演。 {{dl2 | 1985年 | * [[宇宙戦艦ヤマト]]('''[[真田志郎]]''')※[[LDゲーム]]版 | 1989年 | * [[天外魔境 ZIRIA]]('''ホテイ丸'''、[[水戸黄門]]) | 1990年 | * [[ゴールデンアックス]](ギリウス・サンダーヘッド)※[[PCエンジン]]版 | 1991年 | * ファイナルゾーンII(アレフ・ロイマン博士) * [[ラングリッサーシリーズ|ラングリッサー]](エグベルト) | 1992年 | * 宇宙戦艦ヤマト('''真田志郎''')※PCエンジン版 * DE・JA * [[天外魔境II 卍MARU]]('''ホテイ丸'''、タイクーン) * TRAVELエプル(闇ペンギン) * [[らんま1/2#ゲーム作品|らんま1/2 打倒、元祖無差別格闘流!]](博打王キング) | 1993年 | * [[イースIV The Dawn of Ys]](レオ) * [[天外魔境 風雲カブキ伝]](ジョーンズ博士) | 1994年 | * [[アローン・イン・ザ・ダーク]](エルメス・トライスメジスト) * [[エメラルドドラゴン]](白龍) ※PCエンジン版 * [[GS美神 極楽大作戦!!#ゲーム|GS美神]](見鬼くん)※PCエンジン版 * [[ドラゴンボールZ 偉大なる孫悟空伝説]]([[ピッコロ大魔王]]) * [[ぷよぷよ|ぷよぷよCD]]([[すけとうだら (キャラクター)|すけとうだら]]) * [[ラングリッサーII]](エグベルト) * [[ロードス島戦記|ロードス島戦記II]](ジャン) | 1995年 | * [[:en:Logos Panic|ロゴスパニック ごあいさつ]] * [[ちびまる子ちゃんの対戦ぱずるだま]]('''さくら友蔵''') * [[ちびまる子ちゃん まる子絵日記ワールド]]('''さくら友蔵''') * [[ドラえもん 友情伝説ザ・ドラえもんズ]](先生) * [[バトルタイクーン]](ガストン) * [[リンダキューブ]](ヤタロウ・エモリ) | 1996年 | * [[サターンボンバーマン]]('''Dr.アイン''') * [[デッド オア アライブ]](ゲン・フー) * [[闘神伝|闘神伝3]](トウジン) * [[トバルNo.1]](オライムス) * [[ドラゴンボールZ 偉大なるドラゴンボール伝説]](神様) * [[ファーランドシリーズ|ファーランドストーリーFX]](ドガティ) * [[テーマパーク]](テーマパークアドバイザー) * [[ぷよぷよ通|ぷよぷよCD通]](すけとうだら、サムライモール) * [[ロックマン8 メタルヒーローズ]]('''[[アルバート・W・ワイリー]]'''<ref>{{Cite book|和書|year=1997-08|title=CFC STYLE FAN BOOK CAP! Vol.5|page=30|publisher=[[カプコン]]}}</ref>)<!-- 1996-12-17 --> | 1997年 | * [[恐怖新聞]](ポルターガイスト) * [[クーロンズゲート]](陰陽師) * [[この世の果てで恋を唄う少女YU-NO]](北条篤) * タクティカル・ファイター(榊光次郎) * [[ラングリッサーII|デア ラングリッサー]](エグベルト) * [[DESIRE (ゲーム)|DESIRE]](Drゲーツ) * [[BS探偵倶楽部 雪に消えた過去]](今田医師、佐久間署長) * [[フェーダ2 ホワイト=サージ・ザ・プラトゥーン]](デバイス、クリフォード、ロスフェルド) * [[雷弩機兵ガイブレイブ]](ケモー博士) * [[ラングリッサーIV]](カコンシス王) * [[ラングリッサーI&II]](エグベルト) * リンダキューブアゲイン(ヤタロウ・エモリ) * [[ロックマン バトル&チェイス]](Dr.ワイリー、{{要出典範囲|スプリングマン|date=2022年7月}})<!-- 1997-03-20 --> * [[ロックマンX4]](Dr.ワイリー{{要出典|date=2022年5月}})<!-- 1997-08-01 --> | 1998年 | * [[英雄伝説III 白き魔女|白き魔女 -もうひとつの英雄伝説-]](デュルゼル) * [[スーパーアドベンチャーロックマン]]('''ドクターワイリー''')<!-- 1998-06-25 --> * 戦国美少女絵巻 空を斬る!!(百地丹波) * [[超魔神英雄伝ワタル ANOTHER STEP]](ワルモンダー) * チョロQジェット レインボーウイングス(Silverna、Dr.Zolterze) * デッド オア アライブ++(ゲン・フー) * 天仙娘々〜劇場版〜(大仙人) * [[ドラゴンフォース (ゲーム)|ドラゴンフォースII -神去りし大地に-]](カンスケ) * [[ブラックマトリクス]](ヨハネ) ※[[セガサターン]]版 * [[みつめてナイト]](キリング・ミーヒルビス) * [[メタルギアソリッド|METAL GEAR SOLID]]('''[[ロイ・キャンベル]]''') * 雷弩機兵ガイブレイブII(ケモー博士) * ラングリッサーV 〜The End of Legend〜(カコンシス王) * ラングリッサー 〜Dramatic Edition〜(エグベルト) | 1999年 | * 宇宙戦艦ヤマト 遥かなる星イスカンダル('''真田志郎''')※[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]版 * エレメンタルアーツ * [[スーパーロボット大戦コンプリートボックス]](ルオゾール・ゾラン・ロイエル、シュテドニアス兵) * [[デッド オア アライブ2]](ゲン・フー) * Heart of Darkness(アミーゴ族の村長) * [[パワーストーン (ゲーム)|パワーストーン]](クラーケン、ワンタンの師匠、ダルズ族の族長) * ブラックマトリクス AD(ヨハネ)※[[ドリームキャスト]]版 | 2000年 | * 裏技麻雀〜これって天和ってやつかい〜(勘さん) * CARRIER(ウィリアム・ノーブル) * さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち('''真田志郎''')※PlayStation版 * [[タツノコファイト]](アストラルカメレオン、タイフーンホラマー) * [[テイルズ オブ エターニア]](ガレノス、マクスウェル) * ブラックマトリクス+(ヨハネ) ※PlayStation版 * [[ブラッディロア]](2000年 - 2004年、鋼龍) - 3作品 * [[冒険時代活劇ゴエモン]](和尚、怒愚人) | 2001年 | * [[火焔聖母 〜The Virgin on Megiddo〜]](賀神岩雄) * [[CAPCOM VS. SNK 2 MILLIONAIRE FIGHTING 2001]]([[藤堂竜白]]) * [[哲也-雀聖と呼ばれた男|勝負師伝説 哲也]](神保公房、ナレーター) * [[ONE PIECE グランドバトル!|From TV animation ONE PIECE グランドバトル!]](ジュラキュール・ミホーク) * [[ONE PIECE とびだせ海賊団!|From TV animation ONE PIECE とびだせ海賊団!]](ジュラキュール・ミホーク、岩蔵) * [[松本零士999 〜Story of Galaxy Express 999〜]](真田博士、青木源蔵) * [[メタルギアソリッド2|METAL GEAR SOLID 2 SONS OF LIBERTY]](大佐) * [[ロックマンX6]](アイゾック<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.capcom.co.jp/newproducts/consumer/psrockx6/chara/index.html |title=キャラクター|work=[[ロックマンX6]]|publisher=[[カプコン]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130721034345/http://www.capcom.co.jp/newproducts/consumer/psrockx6/chara/index.html|archivedate=2013-07-21|accessdate=2022-09-24}}</ref>、{{要出典範囲|グランド・スカラビッチ|date=2023年7月}})<!-- 2001-11-29 --> * [[ウィークネスヒーロー トラウマン]](ピーオニ) | 2002年 | * [[シャーマンキング#ゲーム|シャーマンキング スピリット オブ シャーマンズ]](麻倉葉明) * [[スーパーロボット大戦IMPACT]](ハザード・パシャ、ジオン兵) * [[デッド オア アライブ3]](ゲン・フー) * [[パックマンワールド2]](プロフェッサーパック) * 花札グラフィティ恋々物語(吉野風月) * [[ONE PIECE グランドバトル! 2|From TV animation ONE PIECE グランドバトル!2]](ジュラキュール・ミホーク) * From TV animation ONE PIECE トレジャーバトル!(ジュラキュール・ミホーク) * [[ボクは小さい]](アオダイショウ) * [[ボンバーマンジェネレーション]]('''Dr.アイン''') | 2003年 | * [[ヴィーナス&ブレイブス〜魔女と女神と滅びの予言〜]](ウォルラス) * [[エグザスケルトン]]('''里見総二朗''') * [[D・N・ANGEL|D・N・ANGEL TV Animation Series〜紅の翼〜]](丹羽大樹) * [[テイルズ オブ シンフォニア]](ロディル) * [[ドラゴンボールZ (ゲーム)|ドラゴンボールZ]](神さま) * From TV animation ONE PIECE オーシャンズドリーム!(ジュラキュール・ミホーク) * [[白詰草話]](神代藤次) | 2004年 | * 宇宙戦艦ヤマト イスカンダルへの追憶('''真田志郎''')※[[PlayStation 2]]版 * [[エースコンバット5 ジ・アンサング・ウォー|ACE COMBAT 5 THE UNSUNG WAR]](ニコラス・A・アンダーセン) * サーティーン 完全日本語版(マングース) * [[スーパーロボット大戦GC]](ヘルルーガ・イズベルガ) * [[ゼノサーガ エピソードII[善悪の彼岸]]](ハカセ) * [[デッド オア アライブ アルティメット]](ゲン・フー) * [[ドラゴンボール アドバンスアドベンチャー]](ピッコロ大魔王) * [[どろろ]](九尾の狐) * [[NINJA GAIDEN]](ムラマサ) * [[ブラックマトリクス ダブルオー|BLACK/MATRIX OO]](ホワイトフェイス) * [[メタルギアソリッド3|METAL GEAR SOLID 3 SNAKE EATER]](グラーニン) * [[哲也-雀聖と呼ばれた男|勝負師伝説 哲也 DIGEST]](神保) * ONE PIECE ランドランド!(ジュラキュール・ミホーク) | 2005年 | * 宇宙戦艦ヤマト 暗黒星団帝国の逆襲('''真田志郎''')※PlayStation 2版 * 宇宙戦艦ヤマト 二重銀河の崩壊('''真田志郎''')※PlayStation 2版 * [[サルゲッチュ3]]('''キャンベル大佐''')※ゲスト出演 * [[デッド オア アライブ4]](ゲン・フー) * [[天外魔境III NAMIDA]]('''ホテイ丸''') * [[ドラゴンボールZ3]](神様) * [[ファントム・キングダム]](暗黒竜バビロン) * [[亡国のイージス2035 〜ウォーシップガンナー〜]](シャルルXII世) * [[武蔵伝II ブレイドマスター]](マオ、オープニングナレーション) * [[ONE PIECE グラバト! RUSH]](ジュラキュール・ミホーク) * [[ONE PIECE パイレーツカーニバル]](ジュラキュール・ミホーク) | 2006年 | * [[Another Century's Episode 2]](フィーデル・バルクホルツ) * [[格闘美神 武龍]]('''毛混''') * [[CLANNAD (ゲーム)|CLANNAD]]('''幸村俊夫''') * [[ゼノサーガI・II]](ハカセ) * [[ゼノサーガ エピソードIII[ツァラトゥストラはかく語りき]]](ハカセ) * [[超ドラゴンボールZ]](ピッコロ大魔王) * [[天外魔境 ZIRIA〜遥かなるジパング〜]]('''ホテイ丸''') * [[NINETY-NINE NIGHTS]](ミラーヴァリス) * [[脳開発研究所 クルクルラボ]](所長) * [[ファンタシースターユニバース]](カナル・トムレイン博士) * [[ファンタジーアース ゼロ]](イグルー) * [[燃えよ!功夫淑女|山佐DigiワールドSP 燃えよ! 功夫淑女]](コアラ) * [[ロックマンロックマン]]('''Dr.ワイリー''')<!-- 2006-03-02 --> | 2007年 | * [[ASH -ARCHAIC SEALED HEAT-]](ブルネク) * [[銀魂 万事屋ちゅ〜ぶ ツッコマブル動画]]('''平賀源外''') * [[ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大運動会]](ぬらりひょん) * [[サモンナイト ツインエイジ 〜精霊たちの共鳴〜]](インジール) * [[ゼロの使い魔|ゼロの使い魔 小悪魔と春風の協奏曲]]('''オールド・オスマン''') * ゼロの使い魔 夢魔が紡ぐ夜風の幻想曲('''オールド・オスマン''') * [[デストロイ オール ヒューマンズ!]](農民、ハフマン大統領) * [[ドラゴンボールZ Sparking!NEO]](ピッコロ大魔王)※[[Wii]]版 * [[ドラゴンボールZ Sparking!METEOR]](ピッコロ大魔王) * [[NINJA GAIDEN Σ]](ムラマサ) * [[ファイナルファンタジーIV]](水のカイナッツォ、ジオット王)※[[ニンテンドーDS]]版 * [[ファンタシースターユニバース イルミナスの野望]](カナル・トムレイン博士) * [[ONE PIECE アンリミテッドアドベンチャー]](ジュラキュール・ミホーク) * ONE PIECE ギアスピリット(ジュラキュール・ミホーク) | 2008年 | * ゼロの使い魔 迷子の終止符と幾千の交響曲('''オールド・オスマン''') * [[大乱闘スマッシュブラザーズX]]([[ロイ・キャンベル]]) * [[ドラゴンボールZ インフィニットワールド]](神さま) * [[NINJA GAIDEN 2]](ムラマサ) * ニンジャ リフレックス('''師匠''') * [[ファンタシースターポータブル]](カナル・トムレイン博士) * [[メタルギアソリッド4|METAL GEAR SOLID 4 GUNS OF THE PATRIOT]]('''ロイ・キャンベル''') * [[ワールド・デストラクション|ワールド・デストラクション 導かれし意思]](ゾウ師) | 2009年 | * [[ちびまる子ちゃんDS まるちゃんのまち]]('''さくら友蔵''') * [[ドラゴンボール 天下一大冒険]](ムラサキ曹長、ピッコロ大魔王) * [[NINJA GAIDEN Σ2]](ムラマサ) * [[ONE PIECE アンリミテッドクルーズ|ONE PIECE アンリミテッドクルーズ エピソード2 -目覚める勇者-]](ジュラキュール・ミホーク) * [[ワンピーベリーマッチ|ONE PIECE ワンピーベリーマッチ]](ジュラキュール・ミホーク) | 2010年 | * [[ルパン三世 史上最大の頭脳戦]](サイモン・パラドックス) * [[CR花札物語]](天竜) * [[戦場のヴァルキュリア2|戦場のヴァルキュリア2 ガリア王立士官学校]](ローレンス・クライファート) * [[ドラゴンボールDS2 突撃!レッドリボン軍]](ムラサキ曹長) * [[メタルギアソリッド ピースウォーカー|METAL GEAR SOLID PEACE WALKER]](国防長官代理) * [[ONE PIECE ギガントバトル!]](ジュラキュール・ミホーク) | 2011年 | * [[ONE PIECE アンリミテッドクルーズ|ONE PIECE アンリミテッドクルーズ スペシャル]](ジュラキュール・ミホーク) | 2013年 | * [[スーパーロボット大戦UX]](ハザード・パシャ) * [[テイルズ オブ シンフォニア ユニゾナントパック]](ロディル) * [[ドラゴンボールヒーローズ]](2013年 - 2015年、ピッコロ大魔王)<ref group="注">当初は青野のライブラリ音声を使用していたが、2015年稼働のゴッドミッション4弾からは[[島田敏]]が新規収録した音声が使用されるようになった。</ref> | 2015年 | * LORD of VERMILION ARENA(水のカイナッツォ) | 2018年 | * [[銀魂乱舞]](平賀源外)<!-- 2018-01-18 --> * [[大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL]](ロイ・キャンベル)<!-- 2018-12-07 --> }} === ドラマCD === * ASH-ARCHAIC SEALED HEAT-オリジナルサウンドドラマ(ブルネク) * アニメCDブック [[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]]巻之一(比留間喜兵衛) * アニメCDブック るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-巻之二(比留間喜兵衛) * [[アベノ橋魔法☆商店街|アベノ橋ドラマティック☆商店街]](雅ジイ) * [[インフェリウス惑星戦史外伝 CONDITION GREEN]](ギラン大佐) * [[宇宙英雄物語]](星海王ブラス) * [[雨柳堂夢咄]](雨柳堂主人) * [[央華封神]](高林道人) * [[餓狼伝説2]](山田十平衛) * [[究極超人あ〜る]](成原成行博士) * [[鬼哭街]] ドラマCD 反魂剣鬼(斌偉信) * キッチュのラジオ大魔術団(スペンサー、司会) * 霧 - the route of infection KANARIA.(世界案内人) * [[吸血姫美夕 (テレビアニメ)|吸血姫美夕]] スペシャルドラマI(神魔・臥縁) * [[CLANNAD (ゲーム)#ドラマCD|CLANNAD-クラナド-]] Vol.3(幸村俊夫) * [[CLANNAD (ゲーム)#ドラマCD|CLANNAD 光見守る坂道で]] 第3巻(幸村俊夫) * [[ゴクドーくん漫遊記|極道くん漫遊紀外伝]](ヨセフ神父) * [[子育てクイズ マイエンジェル]] ドラマ&ソングコレクション(神様) * [[GS美神 極楽大作戦!!]] 各作品(見鬼くん) * [[CDドラマコレクションズ 三國志]](黄忠漢升) * CDドラマ[[ゼノサーガシリーズ|ゼノサーガOUTER FILE]]Vol.2(ハカセ) * CDドラマ [[天外魔境 風雲カブキ伝#CD|天外魔境(1) 風雲カブキ伝 アメリケン異聞 凱旋公開!カブキ伝顛末記]](ホテイ丸) * CDドラマ 天外魔境(2) 風雲カブキ伝 アメリケン異聞 大陸横断鉄道騒動記(ホテイ丸) * [[十兵衛紅変化]](邪念坊) * [[ストリートファイターII|ストリートファイターII 復讐の戦士]](烈) * ストリートファイターII -魔人の肖像-(烈) * [[聖戦記エルナサーガ|聖戦記エルナサーガ外伝]](フラングルニ) * 聖神伝説エクステリア(父) * 声優だぁ〜い好き3 ゆびきりげんまん * 声優への道 * [[聖エルザクルセイダーズ]] ミホのGW日記(森崎教頭) * [[テイルズ オブ イノセンス]](ハルトマン) * デスクトップのメイドさん House Keeping Operation(セバスチャン) * [[でたとこプリンセス]](じい) * [[デビルサマナー 葛葉ライドウ 対 アバドン王|デビルサマナー {{JIS90フォント|葛}}葉ライドウ 対 隻眼化神]] 前編(金王屋) * [[電影少女#カセットブック|電影少女 集英社CDブック]](ゴクラクの店長) * 天地無用!ラジオ幕ノ内弁当(柾木勝仁、柾木信幸) * [[CDシアター ドラゴンクエスト]]シリーズ(雨の祠の賢者、デルコンダル王、'''ライド'''、'''王様''') * 菜々子解体新書 ラジオでち〜ッ! * [[幕末浪漫 月華の剣士]](渋川医師) * [[ビックリマン (アニメ)|ビックリマン 新たなる出発]](スーパーデビル) * [[ペルソナ2|ペルソナ2 罪と罰 〜果てしなき青春〜]](イゴール) * 未来放浪ガルディーン 未来放浪ガルディーン 大歌劇 (キリー〈陰険王〉、レステス) * 無人島物語(高持慎一郎) * ラングリッサーII(エグベルト) * [[ロックマンシリーズ|ロックマン危機一髪]](Dr.ワイリー) * 流星皇子TOMMY(ナレーション) === 吹き替え === ==== 担当俳優 ==== {{dl2 | [[イアン・バネン]] | * {{仮リンク|怒りの刑事|en|The Offence}}(ケネス・バクスター)※TBS版 * [[ゴースト・パパ]](エディス・モーザー) * {{仮リンク|恐怖の子守歌|label=衝撃の夜・女子大生の異常な体験|en|Fright (film)}}(ブライアン) * [[飛べ!フェニックス]](クロウ)※フジテレビ版 | [[クリストファー・ロイド]] | * [[アダムス・ファミリー (1991年の映画)|アダムス・ファミリー]](フェスター・アダムス)※日本テレビ版 * [[アダムス・ファミリー2]](フェスター・アダムス)※ソフト版・日本テレビ版 * {{仮リンク|エンジェルス2|en|Angels in the Endzone}}(アル) * [[ダニーと秘密の魔法使い]](フレッド・ウォーカー) * [[バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ]]('''エメット・ブラウン博士'''〈'''ドク'''〉)※ソフト版 ** [[バック・トゥ・ザ・フューチャー]] ** [[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2]] ** [[バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3]] ** [[バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド]] * [[ブラボー火星人2000]](マーティン) * [[世にも不思議なアメージング・ストーリー]] シーズン2 #8(ビーンズ教授) | [[ジェームズ・カーン]] | * [[遠すぎた橋]](エディ・ドーハン軍曹)※日本テレビ版 * {{仮リンク|ニューヨーク一獲千金|en|Harry and Walter Go to New York}}(ハリー・ディグビー)※テレビ版 * [[ブライアンの青春]](ブライアン・ピッコロ) | [[ジャン=ポール・ベルモンド]] | * [[カトマンズの男]]('''アルチュール・ランプルール''')※テレビ東京版 * [[007/カジノ・ロワイヤル (1967年の映画)|007/カジノ・ロワイヤル]](フランス外人部隊員)※日本テレビ版 * [[波止場 (1963年の映画)|波止場]](リボルノの男) * [[ムッシュとマドモアゼル]](ブルーノ) | [[G・W・ベイリー]] | * [[ポリスアカデミーシリーズ]](ハリス)※ソフト版 ** ポリスアカデミー5 マイアミ特別勤務 ** ポリスアカデミー6 バトルロイヤル ** ポリスアカデミー7 モスクワ大作戦! * [[未来警察]](チーフ) | [[ジョー・ペシ]] | * [[いとこのビニー]](ヴィニー・ガンビーニ) * [[ゴーン・フィッシン']](ジョー・ウォーターズ) * [[JFK (映画)|JFK]](デイヴィッド・フェリー)※ソフト版 * {{仮リンク|ジミー・ハリウッド|en|Jimmy Hollywood}}(ジミー・アルト) * [[セサミストリート危機一髪]](ロナルド・グランプ) * [[ニューヨークのいたずら]](ルーイ・クリツキー) * [[パブリック・アイ]](レオン・バーンスタイン) * [[ホーム・アローン]](ハリー・ライム)※ソフト版・フジテレビ版 * [[ホーム・アローン2]](ハリー・ライム)※ソフト版・フジテレビ版 * リーサル・ウェポンシリーズ(レオ・ゲッツ) ** [[リーサル・ウェポン2/炎の約束]] ※TBS版 ** [[リーサル・ウェポン3]] ※ソフト版 ** [[リーサル・ウェポン4]] ※ソフト版 | [[ジョン・クリーズ]] | * [[シャーロットのおくりもの (2006年の映画)|シャーロットのおくりもの]](羊のサミュエル) * シュレックシリーズ(ハロルド国王) ** [[シュレック2]] ** [[シュレック3]] ** [[シュレック フォーエバー]] * [[チャーリーズ・エンジェル フルスロットル]](アレックスの父親)※テレビ朝日版 | [[ダスティン・ホフマン]] | * [[カンフー・パンダ]](シーフー老師)※予告編 * [[小さな巨人 (映画)|小さな巨人]](ジャック・クラブ)※TBS版 * [[マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋]](エドワード・マゴリアム) * [[レーシング・ストライプス]](タッカー)※日本テレビ版 | [[ダニー・デヴィート]] | * [[L.A.コンフィデンシャル]](シド・ハッジェンス)※フジテレビ版 * [[殺したい女]](サム・ストーン) * [[ザ・シンプソンズ]](ハーブ・パウエル) * [[スペース・ジャム]](スワック・ハンマー) * [[ナイルの宝石]](ラルフ)※フジテレビ版 * [[マーズ・アタック!]](ギャンブラー)※テレビ東京版 * [[ライトアップ! イルミネーション大戦争]](バディ・ホール) * [[ローズ家の戦争]](ギャビン・ダマート)※フジテレビ版 * {{仮リンク|ワンダフル・ファミリー/ベイビー・トーク(3)|label=ワンダフル・ファミリー/ベイビー・トーク3|en|Look Who's Talking Now}}(ロックス)※フジテレビ版 | [[チーチ・マリン]] | * [[ウィッチマウンテン/地図から消された山]](エディ・コルテス) * [[刑事ナッシュ・ブリッジス]](ジョー・ドミンゲス)※テレビ東京版 * [[ゴーストバスターズ2]](港の作業員)※フジテレビ版 | [[デニス・ホッパー]] | * [[スピード (映画)|スピード]]('''ハワード・ペイン''')※フジテレビ版 * [[ハートに火をつけて (映画)|ハートに火をつけて]](マイロ)※劇場公開版 * {{仮リンク|マルホランド・ラン/王者の道|en|King of the Mountain (film)}}(キャル)※日本テレビ版 | [[ハリー・ディーン・スタントン]] | * [[エイリアン (映画)|エイリアン]](ブレット)※フジテレビ版 * [[ビリー・ザ・キッド/21才の生涯]](ルーク) * [[プライベート・ベンジャミン]](ジム・バラード) * [[マイ・フレンド・メモリー]](グリム) * [[若き勇者たち]](トム・エッカート) | [[ポール・ホーガン]] | * アンザックス(パット) * [[クロコダイル・ダンディー]](マイケル・“クロコダイル”・ダンディー)※フジテレビ版 * [[クロコダイル・ダンディー2]](マイケル・“クロコダイル”・ダンディー)※フジテレビ版 * {{仮リンク|Mr. エンジェル/神様の賭け|en|Almost an Angel}}(テリー) | [[マイケル・ペイリン]] | * [[危険な動物たち]](バグジー) * [[空飛ぶモンティ・パイソン]] * [[モンティ・パイソン|モンティ・パイソンシリーズ]] ** [[モンティ・パイソン・アンド・ナウ]] ** [[モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル]] ** [[ライフ・オブ・ブライアン]] ** [[人生狂騒曲]] * [[ラトルズ]] * [[ワンダとダイヤと優しい奴ら]](ケン) | [[ラム・チェンイン]] | * {{仮リンク|イースタン・コンドル|en|Eastern Condors}}(ホウ中佐) * 霊幻道士シリーズ ** [[霊幻道士]](チェン道士) ** [[霊幻道士2 キョンシーの息子たち!]] ** [[霊幻道士3 キョンシーの七不思議]] ** [[霊幻道士5 ベビーキョンシー対空飛ぶドラキュラ!]] ** [[霊幻道士6 史上最強のキョンシー登場!!]] ** [[霊幻道士7 ラストアクションキョンシー]] ** [[霊幻道士 ザ・ムービー 空飛ぶドラキュラ・リターンズ|霊幻道士8 空飛ぶドラキュラ・リターンズ]] ** [[霊幻道士・キョンシーマスター]](シーズン1) ** [[霊幻道士・キョンシーマスター#霊幻道士(1996年)|霊幻道士]](シーズン2) | [[ロバート・イングランド]] | * [[エルム街の悪夢4 ザ・ドリームマスター 最後の反撃]]([[フレディ・クルーガー]]) * [[エルム街の悪夢5 ザ・ドリームチャイルド]](フレディ・クルーガー) * [[2001人の狂宴]](バックマン町長) * [[フレディVSジェイソン]](フレディ・クルーガー)※テレビ東京版 }} ==== 映画(吹き替え) ==== * {{仮リンク|アーネスト、監獄に行く!|en|Ernest Goes to Jail}}(アーネスト・P・ウォーレル / フェリックス・ナッシュ〈[[ジム・バーニー]]〉) * {{仮リンク|アーネスト モンスターと戦う!|en|Ernest Scared Stupid}}(アーネスト・P・ウォーレル〈ジム・バーニー〉) * [[愛されちゃって、マフィア]](トニー“タイガー”・ルッソ〈[[ディーン・ストックウェル]]〉) * {{仮リンク|愛の海峡 (1945年の映画)|label=愛の海峡|en|Johnny Frenchman}}(ヤン〈[[ポール・デュビー]]〉) * {{仮リンク|赤い連発銃|en|The Guns of Fort Petticoat}} * [[悪魔たち、天使たち]](ルー・ペリッリ〈[[アラン・アーキン]]〉) * [[悪魔のいけにえ]](スリム〈[[エドウィン・ニール]]〉)※テレビ東京版 * [[悪魔の改造人間]](アレックス・ホワイト〈リチャード・コックス〉) * [[悪魔の性・全裸美女惨殺の謎]](ビクター・モーガン〈ジャコモ・ロッシ=スチュアート〉)※テレビ東京版 * [[悪魔を憐れむ歌 (映画)|悪魔を憐れむ歌]](ルー刑事〈[[ジェームズ・ガンドルフィーニ]]〉)※フジテレビ版 * [[明日に向って撃て!]](ウッドコック〈ジョージ・ファース〉)※LD版・フジテレビ版 * [[アダムス・ファミリー (1991年の映画)|アダムス・ファミリー]](タリー・アルフォード〈[[ダン・ヘダヤ]]〉)※ソフト版 * [[アダムス・ファミリー|アダムスファミリー オリジナル版]](ボス) * [[あなたに恋のリフレイン]](ルー・ホーナー〈[[ロバート・ロッジア]]〉) * [[アニー (1982年の映画)|アニー]](暗殺者) * {{仮リンク|アニタと子猫と…|it|Viaggio con Anita}}(グイド〈[[ジャンカルロ・ジャンニーニ]]〉)※TBS版 * [[アバランチエクスプレス]](ジュリアン・ショルテン〈[[ホルスト・ブッフホルツ]]〉) * [[アメリカン・グラフィティ]](ジョン・ミルナー〈[[ポール・ル・マット]]〉)※テレビ朝日版 * [[荒鷲の要塞]](フォン・ハッペン〈[[ダーレン・ネスビット]]〉)※日本テレビ新録版 * [[アラン・ドロンのゾロ]](メルケル大尉)※テレビ朝日旧録版 * [[アルバレス・ケリー|アルバレス・ケリー 荒野の大暴走]](ハッチャー〈リチャード・ラスト〉) * {{仮リンク|アンディ・ラウの神鳥聖剣|zh|九二神鵰之痴心情長劍}}(博士〈[[ユン・ケイ]]〉) * {{仮リンク|イージー・マネー/一獲千金|en|Easy Money (1983 film)}}(モンティ〈[[ロドニー・デンジャーフィールド]]〉)※テレビ東京版 * [[インディ・ジョーンズ/最後の聖戦]](フォーゲル大佐〈[[マイケル・バーン]]〉)※日本テレビ版 * [[インデペンデンス・デイ]]('''ラッセル'''〈[[ランディ・クエイド]]〉)※ソフト版 * {{仮リンク|宇宙冒険旅行|en|From the Earth to the Moon (film)}}('''ヴィクター・バービケイン'''〈[[ジョゼフ・コットン]]〉)※テレビ新録版 * [[ウディ・アレンのバナナ]](フィールディング〈[[ウディ・アレン]]〉) * [[A.I.]](スペシャリスト〈[[ベン・キングズレー]]〉)※ソフト版 * [[80デイズ]]('''ケルヴィン卿'''〈[[ジム・ブロードベント]]〉)※テレビ東京版 * [[SFクローン人間の復讐|SFクローン人間の異常な愛]]('''ポール・コーウィン''' / '''クローン'''〈[[ロバート・フォスター]]〉)※日本テレビ版 * [[エデンの東 (映画)|エデンの東]](ジョー) * [[エルミタージュ幻想]](キュスティーヌ伯爵〈セルゲイ・ドレイデン〉)※NHK版 * [[オール・ザット・ジャズ]](デイヴィス・ニューマン)※LD版 * [[黄金の七人]](アルフレッド〈[[モーリス・ポリ]]〉)※日本テレビ版 * [[黄金の七人 1+6 エロチカ大作戦]](ミケーレ) * [[狼よさらば]](ハンク〈ジャック・ウォレス〉) * [[おかしなおかしな高校教師]](ピエール〈[[ピエール・リシャール]]〉) * [[男たちの挽歌 II]](ホー〈[[ティ・ロン]]〉)※ソフト版 * [[オフサイド7]](ブルーノ・ロテリ〈ソニー・ボノ〉) * [[オリバー・ツイスト (2005年の映画)|オリバー・ツイスト]]('''フェギン'''〈ベン・キングズレー〉) * [[オレゴン大森林/わが緑の大地]](ジョー・ベン・スタンパー〈[[リチャード・ジャッケル]]〉) * [[ガーデニア|オレはギャング ガーディニア]]('''ガーディニア'''〈フランコ・キャリファーノ〉) * [[がい骨]](トラヴァース〈ピーター・ウッドソープ〉) * {{仮リンク|外人部隊フォスター少佐の栄光|en|March or Die (film)}}(エル・クリム〈[[イアン・ホルム]]〉) * [[海賊船 (1960年の映画)|海賊船]](アラン・スチュアート〈[[ピーター・フィンチ]]〉) * [[海賊魂]](マルコム・マーシュ) * [[カウボーイ (映画)|カウボーイ]](チャーリー〈[[ディック・ヨーク]]〉)※フジテレビ版 * [[カサブランカ (映画)|カサブランカ]](ルノー署長〈[[クロード・レインズ]]〉)※テレビ東京版 * [[カサンドラ・クロス]]('''ロビー・ナヴァロ'''〈[[マーティン・シーン]]〉)※日本テレビ版 * [[風に向って走れ]](軍曹〈ドン・ウィルバンクス〉) * [[壁の中に誰かがいる]]('''家主'''〈[[エヴェレット・マッギル]]〉) * [[カリブの嵐]](レッド〈[[ロバート・ショウ]]〉) * [[ガントレット (1977年の映画)|ガントレット]](巡査〈ビル・マッキーニー〉) * [[がんばれ!ベアーズ 特訓中]](マイク・リーク〈[[ウィリアム・ディヴェイン]]〉)※日本テレビ版 * {{仮リンク|気球に乗って来た王子|en|Dangerous Exile}}(聖ジェラール大佐〈キース・ミッシェル〉) * [[奇人たちの晩餐会]](ルシアン・シュヴァル) * {{仮リンク|傷だらけの用心棒|en|Cemetery Without Crosses}} * [[キックボクサー (映画)|キックボクサー]](ジアン・チョウ〈デニス・チャン〉) * {{仮リンク|キックボクサー2|en|Kickboxer 2}}(ジアン・チョウ〈デニス・チャン〉)※VHS版 * [[気分を出してもう一度 (映画)|気分を出してもう一度]](ダニエル〈フィリップ・ニコー〉) * {{仮リンク|騎兵隊最後の砦|de|Old Shatterhand (Film)}} ※TBS版 * [[キャノンボール (映画)|キャノンボール]](シーク・アブダルベン・ファラフェル〈ジェイミー・ファー〉)※テレビ朝日版 * [[キャノンボール2]](トニー〈[[アレックス・ロッコ]]〉) * キャラバン(ティンレ) * ギャング・オブ・UK(メイトランド〈[[ジョン・ハート (俳優)|ジョン・ハート]]〉) * [[怪獣島の秘密|恐竜島の秘密]](マナースキー〈デヴィッド・ハットン〉) * {{仮リンク|キラー・トマト/赤いトマトソースの伝説|en|Killer Tomatoes Eat France}}(ガングリーン博士〈[[ジョン・アスティン]]〉) * [[銀河ヒッチハイク・ガイド]](スラーティバートファースト〈[[ビル・ナイ]]〉) * [[銀河伝説クルール]](アーゴ〈デイヴィッド・バットリー〉) * [[キングコング (1976年の映画)|キングコング]](カーナハン〈[[エド・ローター]]〉)※フジテレビ版 * [[クイック・チェンジ]](ロッジンガー刑事〈[[ジェイソン・ロバーズ]]〉) * [[空爆特攻隊]](バルガ少佐〈[[ジェームズ・ギャモン]]〉)※テレビ朝日版 * [[グラディエーター]](カッシウス〈[[デヴィッド・ヘミングス]]〉)※テレビ朝日版 * [[グレートスタントマン]](カリー〈ジェームズ・ベスト〉)※VHS版 * {{仮リンク|クレイジー・ピープル|en|Crazy People}}(エモリー・リーソン〈[[ダドリー・ムーア]]〉) * [[クレオパトラ (1963年の映画)|クレオパトラ]](ゲルマニクス)※日本テレビ版 * [[群盗荒野を裂く]](ペピート) * [[刑事ニコ/法の死角]](カート・ゼーガン〈[[ヘンリー・シルヴァ]]〉)※ソフト版 * [[刑事ブロック]](アーサー・ゴールデンコーン〈ヘンリー・ダロウ〉) * {{仮リンク|激戦地 (1968年の映画)|label=激戦地|it|La legione dei dannati}}(フランク・マディガン) * [[激走!5000キロ]](ロスコー警部〈ノーマン・バートン〉)※テレビ朝日版 * [[決死圏SOS宇宙船]](パウロ・ランディ〈フランコ・デ・ローザ〉、技師〈バジル・モス〉、ウランバートル救難員〈アンソニー・チン〉) * [[月世界征服]](ジョー・スウィーニー) * 拳銃無頼(ジョージ・イーストマン) * [[原子力潜水艦浮上せず]](デヴィッド・サミュエルソン副長〈[[ロニー・コックス]]〉) * [[拳精]](ルーツァオ〈[[ジェームス・ティエン]]〉)※TBS版 * [[ケンタッキー・フライド・ムービー]](トム、ポール・バーマスター、[[ヘンリー・ギブソン]])※ソフト版 * {{仮リンク|GO! GO! ガジェット2|en|Inspector Gadget 2}}(クロウ) * [[ゴースト/血のシャワー]](ニック〈ニック・マンキューゾ〉) * [[ゴースト/ニューヨークの幻]](地下鉄のゴースト〈[[ヴィンセント・スキャヴェリ]]〉)※フジテレビ版 * [[ゴーストバスターズ]](ホテル支配人〈[[マイケル・エンサイン]]〉)※テレビ朝日版 * [[ゴーストバスターズ2]](スティーヴン・ウェクスラー裁判長〈[[ハリス・ユーリン]]〉)※フジテレビ版 * [[恋のQピッド]](ポテト) * [[絞殺魔]](デビッド・パーカー) * [[荒野の大活劇]](テッド・マリガン〈[[ニノ・ベンベヌチ]]〉) * [[荒野の墓標]](ロドリゴ・カンポス〈ピーター・マーテル〉) * [[黒衣の花嫁]](フェルガス〈シャルル・デネ〉) * [[腰抜け二挺拳銃]] * [[ご存知有名刑事ゾクゾク殺人事件]](パロンボ警部補〈[[バート・ヤング]]〉) * [[GODZILLA]](エバート市長〈[[マイケル・ラーナー]]〉)※ソフト版 * [[ゴッドファーザー (映画)|ゴッドファーザー]](カルロ・リッチ〈[[ジャンニ・ルッソ]]〉)※日本テレビ版 * [[ゴッドファーザー PART II]]('''[[ヴィトー・コルレオーネ]]'''〈[[ロバート・デ・ニーロ]]〉)※日本テレビ版 * [[ゴッドファーザー PART III]](ギルディ大司教〈ドナル・ドネリー〉)※フジテレビ版 * [[コナン・ザ・グレート]](コナンの父)※テレビ朝日版 * [[コマンドー]](ベネット元大尉〈[[ヴァーノン・ウェルズ (俳優)|ヴァーノン・ウェルズ]]〉)※TBS版 * [[コマンド戦略]](クリフ・ブリッカー少佐〈[[ヴィンス・エドワーズ]]〉)※TBS版、(ブロンク・ガスリー)※NET版 * [[ゴリラ (1986年の映画)|ゴリラ]](ラマンスキー〈[[スティーヴン・ヒル]]〉)※テレビ朝日版 * [[コンゴ (映画)|コンゴ]](ヘルケマー・ホモルカ〈[[ティム・カリー]]〉)※ソフト版 * [[最'狂'絶叫計画]](ハリス大統領〈[[レスリー・ニールセン]]〉) * {{仮リンク|最後の栄光|en|Leo the Last}}(ロスコー〈{{仮リンク|カルヴィン・ロックハート|en|Calvin Lockhart}}〉) * ザ・ガン 運命の銃弾(ウィルキ) * [[さすらいのガンマン]](ジェフリー・ダンカン) * [[殺人魚フライングキラー]](スティーヴ・キンブロー〈[[ランス・ヘンリクセン]]〉)※日本テレビ版 * {{仮リンク|殺人地帯U・S・A|en|Underworld U.S.A.}}(トリー・デヴリン〈[[クリフ・ロバートソン]]〉) * [[サファリ特急]](ハワード・スプリング〈ピーター・マーテル〉) * [[ザ・フォッグ]](ダン・オバノン〈チャールズ・サイファーズ〉)※テレビ東京版 * [[サンダーアーム/龍兄虎弟]](教団長)※テレビ朝日版 * {{仮リンク|怒りのサンダー/逆襲のバーニング・ファイア|label=サンダー2/怒りの逆襲|en|Thunder Warrior II}}(バリー・ヘンソン保安官代理〈ライムンド・ハームストロフ〉)※日本テレビ版 * [[サンダーバード6号]](アロイシャス・パーカー)※テレビ朝日版 * [[サンタクロース (映画)|サンタクロース]](パッチ〈ダドリー・ムーア〉)※劇場公開版 * [[幸せはパリで]](ハワード・ブルーベーカー〈[[ジャック・レモン]]〉) * [[JM (映画)|JM]](カール牧師〈[[ドルフ・ラングレン]]〉) * [[地獄のバスターズ]](トニー〈ピーター・フートン〉)※日本テレビ版 * [[シノーラ]](ラマー〈ドン・ストラウド〉) * [[死の標的]](スクリューフェイス〈ベイジル・ウォレス〉)※ソフト版・フジテレビ版 * [[ジム・ヘンソンのウィッチズ/大魔女をやっつけろ!]](ブルーノの父〈[[ビル・パターソン]]〉) * [[ジャグラー ニューヨーク25時]](ガス・ソルティック〈クリフ・ゴーマン〉)※テレビ版 * [[ジャッカル (映画)|ジャッカル]](ティモシー・ウィザースプーン捜査官〈[[J・K・シモンズ]]〉)※日本テレビ版 * シャドー55(スモーキー) * [[シャドウ・オブ・ヴァンパイア]](マックス・シュレック〈[[ウィレム・デフォー]]〉) * [[十二人の怒れる男#映画版|十二人の怒れる男]](7番陪審員〈[[ジャック・ウォーデン]]〉)※日本テレビ版 * [[重犯罪特捜班/ザ・セブン・アップス]](ムーン〈[[リチャード・リンチ]]〉)※テレビ朝日版 * {{仮リンク|十福星|en|Lucky Stars Go Places}}(アルバート) * [[勝利への脱出]](ドイツ軍将校、レジスタンス) * [[少林寺三十六房]](唐三要) * [[女性上位時代]](サンドロ・マルディーニ〈[[ガブリエーレ・フェルツェッティ]]〉) * [[ジョン・カーペンターの要塞警察]]('''ナポレオン・ウィルソン'''〈ダーウィン・ジョストン〉) * [[シンシナティ・キッド]](ダニー)※フジテレビ版 * {{仮リンク|新・少林寺三十六房|en|Disciples of the 36th Chamber}}(師範〈[[ラウ・カーリョン]]〉) * [[新ポリス・ストーリー]](ハン警部〈[[ケント・チェン]]〉)※フジテレビ版 * [[新ポリス・ストーリー Pom Pom]](アシュー〈[[リチャード・ン]]〉) * [[新・夕陽のガンマン/復讐の旅]](ペドロ〈[[ホセ・トーレス (俳優)|ホセ・トーレス]]〉) * [[スーパーマン (1978年の映画)|スーパーマン]](ペリー・ホワイト〈[[ジャッキー・クーパー]]〉)※テレビ朝日新録版 * [[酔拳2]]('''ウォン・ケイイン'''〈ティ・ロン〉)※フジテレビ版 * {{仮リンク|スキャンダル 美女襲撃現場の秘密|en|Deadly Hero}}(レイシー〈[[ドン・マレー]]〉) * [[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望]](ドドンナ将軍、タッグ将軍)※劇場公開版 * [[SFスターフライトI|スターフライト・ワン]](コーディ・ブリッグス〈[[リー・メジャース]]〉) * [[スティング (映画)|スティング]](フロイド)※日本テレビ版 * [[ストローカーエース]](ラッグス・ハービー〈[[ジム・ネイバース]]〉) * {{仮リンク|スナッパー|en|The Snapper (film)}}(デージー・カーリー〈[[コルム・ミーニイ]]〉) * [[砂の城・人妻マーガレットの場合|砂の塔]](ポール・レイノルズ〈[[デヴィッド・セルビー]]〉)※フジテレビ版 * [[素晴らしきヒコーキ野郎]](ランブルストロス大尉)※日本テレビ版、(コートニー)※NHK版 * [[スプラッシュ (映画)|スプラッシュ]](フレディ・バウアー〈[[ジョン・キャンディ]]〉) * [[スペース カウボーイ]](タンク・サリバン〈[[ジェームズ・ガーナー]]〉)※日本テレビ版 * [[スリーパーズ]](ロレンツォの父〈[[ブルーノ・カービー]]〉)※フジテレビ版 * [[スリー・リバーズ]](ニック・テディロ〈[[デニス・ファリーナ]]〉)※フジテレビ版 * [[セブン (映画)|セブン]](警部〈[[R・リー・アーメイ]]〉)※フジテレビ版 * [[セメントの女]](ルービン) * [[0086笑いの番号]](ニーノ・サルヴァトーリ・セバスチャーニ〈[[ヴィットリオ・ガスマン]]〉) * {{仮リンク|004/アタック作戦|en|Start the Revolution Without Me}}(シャルル、ピエール〈[[ドナルド・サザーランド]]〉) * [[戦雲]](ジョン・ダンフォース〈[[チャールズ・ブロンソン]]〉) * [[戦艦バウンティ]](船員ジョン・ミルズ〈[[リチャード・ハリス]]〉) * [[鮮血の美学]](クルッグ〈デヴィッド・ヘス〉) * [[戦闘機対戦車]](ハフマン一等兵) * {{仮リンク|狼男・謎の連続殺人|label=戦慄の狼男|en|Moon of the Wolf}}(アンドリュー・ロダンス〈[[ブラッドフォード・ディルマン]]〉) * [[続・荒野の七人]](コルビー〈[[ウォーレン・オーツ]]〉)※NET版 * [[祖国のために]](ピョートル・ロパーヒン〈[[ワシーリー・シュクシン]]〉) * [[底抜け大学教授]](ワルゼウスキー〈[[メド・フローリー]]〉) * 空飛ぶ十字剣(ルー将軍) * [[ソルジャー・ブルー (映画)|ソルジャー・ブルー]](マクネアー中尉) * [[ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー]](ジョージ・スタントン〈[[ロディ・マクドウォール]]〉)※フジテレビ版 * [[大脱走]](収容所の看守、レジスタンスのメンバー)※フジテレビ版 * {{仮リンク|大都会の青春|en|Dawn: Portrait of a Teenage Runaway}}(スワン〈[[ボー・ホプキンス]]〉) * [[太陽を盗め]](ボニヴェ〈カール・デューリング〉) * [[ダ・ヴィンチ・コード (映画)|ダ・ヴィンチ・コード]](リー・ティービング〈[[イアン・マッケラン]]〉)※フジテレビ版 * [[タクシードライバー (1976年の映画)|タクシードライバー]]('''トラヴィス・ビックル'''〈ロバート・デ・ニーロ〉)※機内上映版 * {{仮リンク|脱獄アルカトラズ|en|Alcatraz: The Whole Shocking Story}}(ストーマー〈ジェームズ・マッカーサー〉) * [[ダニー・ザ・ドッグ]]('''バート'''〈[[ボブ・ホスキンス]]〉)※ソフト版 * [[007シリーズ]] ** [[007 カジノロワイヤル (1967年の映画)|007 カジノ・ロワイヤル]](イーブリン・トレンブル〈[[ピーター・セラーズ]]〉)※テレビ朝日版、(ハドリー、中国の将軍〈[[バート・クウォーク]]〉)※日本テレビ版 ** [[007 消されたライセンス]](ミルトン・クレスト〈[[アンソニー・ザーブ]]〉)※TBS版 ** [[007 トゥモロー・ネバー・ダイ]](Dr.カウフマン〈ヴィンセント・スキャヴェリ〉)※フジテレビ版 * {{仮リンク|タランチュラのキス|en|Kiss of the Tarantula}}(ウォルター・ブラッドレー〈エリック・メイソン〉) * [[タワーリング・インフェルノ]](カピー〈ドン・ゴードン〉)※フジテレビ版 * [[弾丸特急ジェット・バス]](ダン・トランス〈[[ジョセフ・ボローニャ]]〉) * [[弾丸を噛め]] * [[ダンジョン&ドラゴン (映画)|ダンジョン&ドラゴン]](エルウッド〈[[リー・アレンバーグ]]〉)※ソフト版 * {{仮リンク|超酔拳|en|Drunken Monkey (film)}}(ラウ・カーリョン) * [[D-TOX]](ヘンドリックス〈[[チャールズ・S・ダットン]]〉)※テレビ東京版 * [[ディア・ハンター]](スタンリー〈[[ジョン・カザール]]〉) * [[刑事 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{{仮リンク|パームスプリングの週末|en|Palm Springs Weekend}}(ダグ・ストレッチ・フォーチュン〈[[タイ・ハーディン]]〉) * [[ハーモニーベイの夜明け]](イーサン・パウエル〈[[アンソニー・ホプキンス]]〉) * [[パイレーツ・ムービー]](海賊王〈テッド・ハミルトン〉) * [[墓石と決闘]](クリーク・ジョンソン) * [[博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか|博士の異常な愛情]](ディートリッヒ)※テレビ朝日版 * [[橋 (1959年の西ドイツ映画)|橋]](曹長) * [[裸の銃を持つ逃亡者]](ファーガス警部補〈[[リチャード・クレンナ]]〉) * [[裸の町 (1948年の映画)|裸の街]](フランク・ナイルス〈ハワード・ダフ〉) * [[バックドラフト (映画)|バックドラフト]](ジョン・アドコックス〈[[スコット・グレン]]〉)※フジテレビ版 * [[バットマン (映画)|バットマン]](ジャック・ネイピア / ジョーカー〈[[ジャック・ニコルソン]]〉)※機内上映版 * [[花嫁はエイリアン]](バドロング所長〈[[ジョゼフ・メイハー]]〉) * [[ハリー・ポッター (映画シリーズ)|ハリー・ポッターシリーズ]]([[アーガス・フィルチ]]〈[[デイビッド・ブラッドリー]]〉) ** [[ハリー・ポッターと賢者の石 (映画)|ハリー・ポッターと賢者の石]] ** [[ハリー・ポッターと秘密の部屋 (映画)|ハリー・ポッターと秘密の部屋]]<ref>{{Cite web|和書| url =https://kinro.jointv.jp/lineup/150529/ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160902131514/https://kinro.jointv.jp/lineup/150529/ |archivedate=2016-9-2 |deadlinkdate=2017年7月 | title = ハリー・ポッターと秘密の部屋| website = [[金曜ロードショー|金曜ロードSHOW!]] |publisher = [[日本テレビ放送網|日本テレビ]] | accessdate = 2021-05-05}}</ref> ** [[ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 (映画)|ハリー・ポッターとアズカバンの囚人]] ** [[ハリー・ポッターと謎のプリンス (映画)|ハリー・ポッターと謎のプリンス]]<ref>{{Cite web|和書| url =https://kinro.jointv.jp/lineup/160610/ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160917183828/https://kinro.jointv.jp/lineup/160610/ |archivedate=2016-9-17 |deadlinkdate=2017年9月 | title = ハリー・ポッターと謎のプリンス| website = 金曜ロードSHOW! |publisher = 日本テレビ | accessdate = 2021-05-05}}</ref> * [[パリは霧にぬれて]](フィリップ・アラール〈[[フランク・ランジェラ]]〉) * [[ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀]]('''ジェニングス博士'''〈[[ジェフリー・ジョーンズ]]〉)※TBS版 * [[ピーター・パン (2003年の映画)|ピーター・パン]](スミー水夫長〈[[リチャード・ブライアーズ]]〉) * [[ビーチレッド戦記]](イーガン〈バー・デベニング〉) * [[ヒート (1995年の映画)|ヒート]]('''ヴィンセント・ハナ'''〈[[アル・パチーノ]]〉)※ソフト版 * {{仮リンク|人食いジョーズ 恐怖の漂流24時間|en|Shark Kill}}(カーボ・メンドーザ〈リチャード・イニゲス〉) * [[ビッグ・ウェンズデー (映画)|ビッグ・ウェンズデー]](ベアー〈[[サム・メルヴィル]]〉) * [[ビッグ・ボス (映画)|ビッグ・ボス]](フランク・ニティ〈[[シルヴェスター・スタローン]]〉) * [[必殺コマンド|必殺エクスタミネーター]](ボルギーニ〈メレット・ヴァン・ケンプ〉)※日本テレビ版 * {{仮リンク|必殺の二挺拳銃|it|Il pistolero segnato da Dio}}(コールマン〈リチャード・ワイラー〉)※フジテレビ版 * [[ビバリーヒルズ・バム]](ジェリー〈[[ニック・ノルティ]]〉)※ディズニー公式版 * [[百万長者と結婚する方法]](エレベーターボーイ〈ジョージ・ダン〉)※テレビ朝日版 * [[豹/ジャガー]](〈ブルーノ・コラッツァリ〉) * [[ファイティング・キッズ]](パピー・ジャック〈ロバート・ロッジア〉) * [[ファミリー・ゲーム/双子の天使]](マーティン) * [[フィールド・オブ・ドリームス]](エディ・シーコット〈スティーヴ・イースティン〉)※日本テレビ版 * {{仮リンク|フィフィ大空をゆく|fr|Fifi la plume}}(時計屋)※NHK版 * [[フェラーリの鷹]](マルコ・パルマ) * [[フォード・フェアレーンの冒険]](エイモス警部〈[[エド・オニール]]〉) * [[ふたり (1973年の映画)|ふたり]](フィッツジェラルド〈アラン・ファッジ〉)※TBS版 * [[無頼の群]](ビル・ザカリー〈[[スティーヴン・ボイド]]〉) * [[ブラックジャック (映画)|ブラックジャック]](トーマス〈[[ソウル・ルビネック]]〉)※ソフト版 * {{仮リンク|フランケンシュタイン・娘の復讐|it|Lady Frankenstein}}(ハリス警部〈[[ミッキー・ハージティ]]〉) * [[ブルベイカー]](ロイ・パーセル) * [[プレデター (映画)|プレデター]](ブレイン・クーパー〈[[ジェシー・ベンチュラ]]〉)※テレビ朝日版 * [[フレンチ・コネクション]](サルバトーレ〈[[トニー・ロビアンコ]]〉)※LD版 * [[プロジェクト・イーグル]](ホテル支配人)※フジテレビ版 * [[プロテクター (映画)|プロテクター]](ダニー・ガローニ〈[[ダニー・アイエロ]]〉)※フジテレビ版 * [[ペーパーチェイス]](トーマス・クレイグ・アンダーソン〈[[エドワード・ハーマン]]〉) * [[赤ちゃんのおでかけ|ベイビーズ・デイアウト/赤ちゃんのおでかけ]](ノービー〈[[ジョー・パントリアーノ]]〉) * [[ベビーシッター・アドベンチャー]](ブリーク〈[[ジョン・デイヴィス・チャンドラー]]〉) * [[ボー・ジェスト (1966年の映画)|ボー・ジェスト]](フシェー〈ロバート・ウォルダーズ〉)※TBS版 * [[暴力脱獄]] * [[誇り高き戦場]](ロング中尉)※TBS旧録版 * [[ボディ・パーツ]](ソーチャック刑事〈[[ゼイクス・モカエ]]〉) * [[炎の女]](ジョブ〈[[バーナード・クリビンス]]〉) * [[ボワニー分岐点]] * [[香港発活劇エクスプレス 大福星]](念力〈リチャード・ン〉) * [[マイ・ガール (映画)|マイ・ガール]](ハリー・サルテンファス〈[[ダン・エイクロイド]]〉)※ソフト版 * [[マイ・ガール2]](ハリー・サルテンファス〈ダン・エイクロイド〉)※ソフト版 * [[マイティ・ジョー]](エリオット・ベイカー〈[[ローレンス・プレスマン]]〉)※テレビ朝日版 * [[マウス・ハント]](ルドルフ〈[[ウィリアム・ヒッキー]]〉)※TBS版 * [[マックイーンの絶対の危機]](バート)※日本テレビ版 * [[M★A★S★H マッシュ]](デューク・フォレスト大尉〈[[トム・スケリット]]〉)※LD版 * [[マッドマックス2]](ジャイロ・キャプテン〈[[ブルース・スペンス]]〉)※TBS版 * [[摩天楼ブルース (映画)|摩天楼ブルース]](バンダナ) * [[マペットめざせブロードウェイ!]]([[ドクター・ティースとエレクトリック・メイヘム|ズート]])※[[:en:CBS/Fox Video|CBS/FOXビデオ]]版 * {{仮リンク|間抜けなマフィア|en|The Busy Body (film)}}(ジョージ〈[[シド・シーザー]]〉) * [[真夜中の殺人コール|真夜中のラブコール/テレフォンセックス殺人事件]](マルコム・ヘンソフ〈ティム・トマーソン〉) * [[ミスター・サタデー・ナイト]](バディ〈[[ビリー・クリスタル]]〉) * [[ミスター・ノーボディ]](ビーバー)※フジテレビ版 * [[ミッドナイト・エクスプレス (映画)|ミッドナイト・エクスプレス]](ジミー〈ランディ・クエイド〉) * [[ミラーズ]](ロレンツォ・サペッリ) * [[魅惑の巴里]](バリー〈[[ジーン・ケリー]]〉)※日本テレビ版 * [[むく犬ディグビー]](ジェフ・エルドン〈ジム・デイル〉)※VHS版、(マスターズ大佐〈ディンズデイル・ランデン〉)※テレビ東京版 * [[名誉と栄光のためでなく (映画)|名誉と栄光のためでなく]](ボアフラ〈[[モーリス・ロネ]]〉)※テレビ東京版、(マヒディ〈[[ジョージ・シーガル (俳優)|ジョージ・シーガル]]〉)※日本テレビ版 * [[メッセンジャー・オブ・デス]](オーヴィル・ビーチャム〈チャールズ・ディアコップ〉) * [[メリー・ディア号の難破]](ヒギンズ〈リチャード・ハリス〉) * [[メン・イン・ブラック (映画)|メン・イン・ブラック]](ローゼンバーグ〈マイク・ナスバウム〉)※日本テレビ版 * [[燃えよデブゴン 正義への招待拳]](ゴロ・チョンボ) * モンスター・パニック/怪奇作戦(ヘンリー・トバーマン警部) * [[山猫 (映画)|山猫]](チッチョ〈[[セルジュ・レジアニ]]〉)※テレビ朝日新録版 * [[山猫は眠らない]](トーマス・ベケット〈[[トム・ベレンジャー]]〉)※テレビ東京版 * [[ヤング・フランケンシュタイン]](アイゴール〈[[マーティ・フェルドマン]]〉)※LD版 * [[U・ボート (映画)|U・ボート]](ヨハン〈[[アーウィン・レダー]]〉)※フジテレビ版 * [[夜の大捜査線]](パーディ〈ジェームズ・パターソン〉)※NET版、(サム・ウッド〈ウォーレン・オーツ〉)※TBS版 * [[夜の訪問者 (映画)|夜の訪問者]](フォウスト・ジェラルディ〈ルイジ・ピスティッリ〉)※日本テレビ版 * [[ライアンの娘]](ティム・オリアリー〈バリー・フォスター〉) * [[ラスト・オブ・モヒカン]](マンロー大佐)※VHS版 * [[ラピッド・ファイアー]](メイス・ライアン〈[[パワーズ・ブース]]〉)※ソフト版 * [[ラブ・バッグ]](テネシー〈[[バディ・ハケット]]〉) * [[ランボー/怒りの脱出]](ポドフスキー中佐〈[[スティーヴン・バーコフ]]〉)※TBS版 * [[ランボー3/怒りのアフガン]](ムーサ〈[[サッソン・ガーベイ]]〉)※日本テレビ版 * [[ルーキー (映画)|ルーキー]](レイ・ガルシア警部)※ソフト版 * [[レーチェル レーチェル]](説教者〈[[テリー・カイザー]]〉) * [[霊幻道士完結篇 最後の霊戦]](道士〈アンソニー・チェン〉) * [[レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い]](ワン・スタッブ)※BD版 * 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[[弁護士ペリー・メイスン|新・弁護士ペリー・メイスン]]『湖に消えた女』(ダグ・ヴィッカーズ〈ジョン・ベック〉) * [[スパイ大作戦]] ** 売国奴を粛清せよ(街頭写真屋、トラックを調べる看守) ** 録音ワイヤーは何処だ(警備兵) ** ストレート・フラッシュ(船の客、船員) ** 蘇ったプリンセス(警備兵) ** 自爆(警備兵) ** 海の底で口を割れ!(劇団員) ** 王家の血(前・後編)(ステファン王子) ** 暗殺路線(警備兵) ** 暗殺者には面がない(中尉、警備員) ** 山師が公国を狙っている(警備兵) ** ヤング・パワー(看守) ** 狂気のルート(フレディ) ** 市長室乗っ取り(ビリー) ** 革命の黒幕(ホワン) ** 死体は一切関知しない(警官) ** 死の商人(警備兵) ** 皆殺し波止場(マイク) ** シンジケートから来た男(ウィック) ** 国境を突破せよ!(船長) ** 脱出請負業(シェル、ケイル) ** 将軍の仮面をはがせ(マードック) ** 暗殺計画ナイトフォール(マルストロム) * [[それぞれの旅立ち]]「ベンの言い分」(ロン〈[[デニス・ミラー]]〉) * [[探偵ハート&ハート]] シーズン3 #16(フレッド・ブルーネス) * [[ダンディ2 華麗な冒険]] #3(ライダー警部)、#17(ヴァイン) * [[チャーリーズ・エンジェル|地上最強の美女たち!チャーリーズ・エンジェル]] ** シーズン1 #12(レッド・ルーミス) ** シーズン2 #10(ドウェイン・ハンソン)、#17(フレッド・マイケルズ) * [[地上最強の美女バイオニック・ジェミー]] シーズン1 #6(ウォーレン・レイカー) * [[超音速攻撃ヘリ エアーウルフ]] ** シーズン2 #10(ジャック・カーンズ) ** シーズン3 #1(ジョン・ブラッドフォード・ホーン〈リチャード・リンチ〉) * [[超人ハルク (テレビドラマ)|超人ハルク]](ジャック・マクギー) * [[デスパレートな妻たち]](グラハム) * [[電撃スパイ作戦]] #30(フランク・エドワーズ〈マイケル・スタンディング〉) * [[動物先生の日記]]「ワニのいる沼」(ネルソン) * [[逃亡者 (1963年のテレビドラマ)|逃亡者]] ** #4(労働者パコ〈[[アレハンドロ・レイ]]〉) ** シーズン1 #29(JJ・ワトソン) * [[特捜刑事マイアミ・バイス]](OPナレーション、マーティン・キャステロ主任〈[[エドワード・ジェームズ・オルモス]]〉) * [[特捜隊アダム12]](ピート・マロイ) * [[Dr.刑事クインシー]](アスティン部長) * [[特別狙撃隊S.W.A.T.]]('''デヴィッド・ディーコン・ケイ巡査部長'''〈[[ロッド・ペリー (俳優)|ロッド・ペリー]]〉) * [[特攻野郎Aチーム]](フランシス・リンチ大佐〈ウィリアム・ラッキング〉) ** シーズン2 #2(トーマス・アンダーソン)、#16(チャールズ・ドルー〈ボー・ホプキンス〉)、#18(サム・フレンドリー〈[[デニス・フランツ]]〉) ** シーズン3 #15(ソニー・モンロー〈アレックス・ロッコ〉) ** シーズン4 #9(ファレス) * [[ナイトライダー]] ** シーズン1 #3(ヒリー〈ドン・ストラウド〉) ** シーズン2 #5(ロス・マンリー〈ニコラス・コスター〉) ** シーズン3 #16(ジョーイ・ローム〈クリス・カーネル〉) ** シーズン4 #18(ベラルダ大佐〈ミゲル・フェルナンデス〉) ** シーズン4 #20(スキ・タニカ〈ジョージ・チャン〉) * [[謎の円盤UFO]] ** 宇宙人捕虜第一号(マーク・ブラッドレイ、フィル・ウェイド) ** わが友宇宙人(マーク・ブラッドレイ) ** 円盤基地爆破作戦(宇宙ゴミ処理機航海士) ** 惑星Xクローズアップ作戦(ジョン・マスターズ、[[NASA]]主任管制官) ** ストレイカー暗殺指令(マーク・ブラッドレイ) ** スカイダイバー危機一髪(ロス) ** 湖底にひそむUFO(ベン・カレー、モービル1号) ** 宇宙人フォスター大佐(ムーンベースの医者) ** 超能力!! UFO探知人間(マーク・ブラッドレイ) ** 宇宙人捕虜第二号(マーク・ブラッドレイ) ** UFO月面破壊作戦(ドーソン) ** 人間ロボット殺人計画(クレイグ・コリンズ〈ダーレン・ネスビット〉) ** 人間爆弾(警官、クレム・メイソン) ** 地球最後の時(レーダー係、スカイダイバー乗員) ** ムーンベース衝突コース(監督、スカイダイバーの乗員) ** UFO大編隊接近中(監督、船員) ** 謎の発狂石(シャドー本部の放送、本部の隊員、バイクの警官) ** ムーンベース応答なし(医者) ** シャドーはこうして生まれた!(医者) ** フォスター大佐死刑(ダイアナの代理人) ** UFO時間凍結作戦(ターナー) ** 宇宙人、地球逃亡(医者) ** 眠れる美女の怪奇(ティム・レッドマン) * [[ナルニア国物語#TVドラマ|ナルニア国物語]](パドルグラム:泥足にがえもん) * [[ひとすじの道]] 「英雄の決心」(ジョー〈ジョン・エリクソン〉) * 秘密指令S #19 * [[フルハウス (1987年のテレビドラマ)|フルハウス]](ニック・カツォポリス) * [[ブロンコ]](ブロンコ・レイン〈[[タイ・ハーディン]]〉) * [[プロテクター電光石火]] ** 脱獄25万ドル(運転手、警官) ** 地中海の嵐(マルコス) * [[トワイライト・ゾーン (1959年)|ミステリーゾーン]]4 #18「魔法入門」(ロッキー・ローズ〈[[バート・レイノルズ]]〉) * [[名探偵ポワロ]] 葬儀を終えて(ティモシー)※NHK版 * ラバーン&シャーリー(ヘクター) * [[ルーツ2]](アール・クラウザー〈ポール・コスロ〉) * ロンサム・ダブ(ウィーヴァー大尉) ==== アニメ ==== * [[アクアキッズ]](ビル博士) * アラビアンナイト(ジグザグ) * [[オリビアちゃんの大冒険]]('''バジル''') * [[キャッツ&カンパニー]](ヒースクリフ) * [[:en:Yogi's Space Race|クマゴローの宇宙猛レース]](ナレーション) * [[スーパースリー (アニメ)|フランケン・ロボ]](ハインシュタイン博士<ref>{{Cite book|和書|year=1996|title=声優事典 第二版|page=10|publisher=[[キネマ旬報社]]||isbn = 4-87376-160-3 }}</ref>) * [[スター・ウォーズ ドロイドの大冒険]](ビサド・クーン総督)※VHS版 * [[ソニック・ザ・ヘッジホッグ (アニメ)|ソニック・ザ・ヘッジホッグ]] * [[チップとデールの大作戦]](シュノワーズ、マルチーズ) * [[DCアニメイテッド・ユニバース]]('''[[ジョーカー (バットマン)|ジョーカー]]'''<!-- 〈声:[[マーク・ハミル]]〉 -->) ** [[バットマン (アニメ)|バットマン]] ** [[バットマン/マスク・オブ・ファンタズム]] ** [[バットマン・ザ・フューチャー|バットマン・ザ・フューチャー 甦ったジョーカー]] ** [[スーパーマン (アニメ)|スーパーマン]] ** [[ジャスティス・リーグ (アニメ)|ジャスティス・リーグ]] * [[ダックテイル]](ダン、フィラー) ** [[ダックテイル・ザ・ムービー/失われた魔法のランプ]]('''ランプの精''') * [[ティンカー・ベルと月の石]](大きいトロール) * [[トムとジェリーキッズ]](ナレーター、アーニー 他) * [[ビーバー・パパのお話]](オンドリ) * [[美女と野獣 ベルの素敵なプレゼント]](アックス) * [[101匹わんちゃんII パッチのはじめての冒険]](ジャスパー) * [[ピンクパンサー (アニメ)|ピンクパンサー]]('''クルーゾー警部''') * [[ヘラクレス (TVシリーズ)|ヘラクレス]](アリスマップ) * [[ポカホンタスII/イングランドへの旅立ち]]([[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームス1世]]<!-- 〈声:[[ジム・カミングス]]〉 -->) * [[ライオン・キング3 ハクナ・マタタ]](マックスおじさん、ねぼすけ) * [[リトル・マーメイド]](バイアル博士) * [[ロボッツ]](ガスケット奥様<!-- 〈声:ジム・ブロードベント〉 -->) ==== 人形劇 ==== * [[海底大戦争 スティングレイ]]('''ジョン・フィッシャー少尉'''〈「沈没船の怪人」以降〉) ** スティングレイ対海底魔王(レーダー・ステーション) ** 謎の新兵器(輸送船乗員) ** 地獄から来た男(電力ステーション、レーダー・ステーション) ** ソロン王国の陰謀(司令官と飲む男) ** ウラナリ大王の挑戦(27号機操縦士、救助隊) * [[きかんしゃトーマス]]('''[[トップハム・ハット卿]]'''〈2代目〉) ※フジテレビ版 * [[キャプテン・スカーレット]] ** キャプテン・スカーレット誕生!(ブラウン大尉) ** 無人機をストップ!(ブラウン大尉) ** 大爆発!(チャーリー・ハンセン) ** ヨーロッパ作戦(カーニー教授) * [[サンダーバード (テレビ番組)|サンダーバード]] ** 死の谷(J.B.レスター) ** 秘密作戦命令(J.B.レスター) ** 恐怖の空中ファッションショー(メイソン) * [[スーパーカー (人形劇)|スーパーカー]] 謎の原爆 ※フジテレビ版 * [[フラグルロック]] * [[ロンドン指令X]] 超音波ライフル銃(マーク・スレイター) ==== その他 ==== * [[東京ディズニーランドのアトラクションの一覧#終了したアトラクション|ビジョナリアム]]([[ハーバート・ジョージ・ウェルズ|H.G.ウェルズ]]〈[[ジェレミー・アイアンズ]]〉) * 監督ロバート・アルトマンのすべて([[ロバート・アルトマン]]) === ボイスオーバー === * ウィークエンドスペシャル「五大陸横断 20世紀列車がゆく オリエント幻想の果てに〜ヨーロッパ オリエント急行の旅〜」([[日本放送協会|NHK]]、1997年) * [[なるほど!ザ・ワールド]] * [[ハイビジョン特集]]([[NHK BSプレミアム]]) * [[美の巨人たち]] * [[日立 世界・ふしぎ発見!]] === 特撮 === {{dl2 | 1966年 | * [[ウルトラマン]](凶悪宇宙人[[ザラブ星人]]の声) ※スーツアクターも兼任 | 1976年 | * [[円盤戦争バンキッド]](ゼットルス大尉の声) | 1988年 | * [[ウルトラ怪獣大百科]]('''ナレーション''') | 1997年 | * [[ウルトラマンダイナ]](怪宇宙人ヒマラの声) | 2005年 | * [[魔法戦隊マジレンジャー]](冥獣人四天王コボルト・ブルラテスの声) | 2006年 | * [[ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟]]('''凶悪宇宙人ザラブ星人の声''') | 2008年 | * [[ウルトラギャラクシー大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY]](凶悪宇宙人ザラブ星人 (NRB) / にせウルトラマンの声) | 2009年 | * [[大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE]](凶悪宇宙人ザラブ星人 (NRB) / にせウルトラマンの声) }} === ラジオ === * Dr.ドブソンのファミリーコラム(ドブソン博士) * [[秘密の天地無用!]](柾木勝仁、柾木信幸) * ラジオドラマ・[[エメラルドドラゴン]](白龍) * [[京極夏彦ラジオドラマ 『百器徒然袋』|京極夏彦原作 ラジオドラマ 百器徒然袋・雨]](2006年、布施山人)<!-- 2006-12 --> === テレビドラマ === * [[いつか好きだと言って]] * [[大河ドラマ]] ** [[徳川慶喜 (NHK大河ドラマ)|徳川慶喜]]([[レオン・ロッシュ]]の吹き替え) ** [[元禄繚乱]] - [[佐藤直方]] 役 ** [[北条時宗 (NHK大河ドラマ)|北条時宗]] - [[二階堂行綱]] 役 * [[金曜エンタテイメント|男と女のミステリー]] 「三姉妹は電話がお好き!」 * [[雑居時代]] 第8話「親父だけが知っている」(1973年、日本テレビ・[[ユニオン映画]]) - 小学校教師 役 * [[特別機動捜査隊]] - アパートの管理人 役 * [[姿三四郎 (テレビドラマ)#1970年版|姿三四郎]] 第19話(1970年) * [[のんのんばあとオレ]](小豆はかりの声) * [[世にも奇妙な物語 20周年スペシャル・春 〜人気番組競演編〜]]「まる子と会える町」(さくら友蔵の声) === 映画 === * 女教師仕置人 地獄の女神(予告編ナレーション) === テレビ番組 === ==== 顔出し ==== * [[このまちだいすき]](シゴック先生(第1[[シリーズ (作品)|シリーズ]] - 第4シリーズ、[[1992年]]4月 - [[1998年]]3月)、セッカチーフ教授〈第5シリーズ、[[1998年]]4月 - [[1999年]]3月〉) * [[爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル]]([[2005年]]、フジテレビ)([[カール北川]]のさくら友蔵のものまねのご本人登場) * [[大胆MAP|大胆MAPスペシャル!!]]([[2007年]][[9月22日]]、テレビ朝日)([[ちびまる子ちゃん]]のさくら友蔵役として紹介された) ==== 声の出演 ==== * [[アニマルプラネット]]・ルードの昆虫記(ルード・クレインペースト) * ETV50もう一度見たい教育テレビ 初めて出会うテレビ 2009 [[日本放送協会|NHK]](アカイさんの声) * [[映像の世紀]]([[ウィンストン・チャーチル]]、[[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]] 他) * [[NHKスペシャル]] [[ドキュメント太平洋戦争]]([[東条英機]]) * NHK BS-hi [[ハイビジョン特集]] アルプス・スイス 憧れの名峰をめぐる(2008年6月11日、山岳ガイド ウェリ・ゾンマー) * NHK[[ハイビジョン特集]]「[[鬼太郎]] 幸せ探しの旅〜100年後の遠野物語〜」([[目玉おやじ]]の声、[[NHK衛星第2テレビジョン]]) * [[海外ドキュメンタリー]] ** アウシュビッツの記録(ナレーション) ** ノルマンディ上陸作戦(ナレーション) * [[古城のまなざし]](ナレーション) * [[サラリーマンNEO]](「サラリーマン童話」のナレーション) * [[週刊こどもニュース]](声の出演) * [[小さな旅]](手紙朗読) * [[地球ドラマチック]] * [[NEWS23|筑紫哲也 NEWS23 〜ウルトラマンが見た日本 ヒーローはどこに〜]](ナレーション) * 筑紫哲也 NEWS23 〜C・イーストウッドが語る硫黄島〜 ([[クリント・イーストウッド]]のボイスオーバー、2006年12月4日) * [[とんねるずのみなさんのおかげです]](保毛太郎侍のナレーション) * [[日経スペシャル ガイアの夜明け]](番組内の再現ドラマにおける声の吹き替え・クレジットでは青二プロ表記) * [[報道ステーション]](ナレーション) * [[報道特集 (TBS)|報道特集]] 「汝の敵、日本を知れ」日本語版 [[TBSテレビ|TBS]] * [[松本見聞録]](ナレーション) === 人形劇 === * [[こどもにんぎょう劇場]] ** 「とらねことおしょうさん」(和尚) ** 「てんぐのかくれみの」(天狗) === CM === ==== 顔出し ==== * [[フレッツ光]] * 森永プチ・モンブラン * [[養命酒]] ==== 声の出演 ==== * アイキュー パニック・ダーナ 〜女神誕生〜 * あにまるぶりーだー/でぃのぶりーだーCM * [[アニマックス]]・[[ちびまる子ちゃん]]CM('''さくら友蔵''') * 石のカンノ 福島ローカルCM(ナレーション) * [[オロナイン]](さくら友蔵) * [[恐怖新聞#ゲーム|恐怖新聞]] * [[コカコーラ]] * 昆虫博士・釣り先生・GO!GO!ヒッチハイク * CR宇宙戦艦ヤマト2(ナレーション) * [[ザ・グレイトバトル外伝2 祭りだワッショイ]] * [[スーパーメトロイド]](研究員の声) * [[地デジ]]化CM(ナレーション、研究員) * [[天外魔境ZERO]] * [[天外魔境 第四の黙示録]] * [[東京電力]][[でんこちゃん]]CM(博士の声) * [[マキシム・インテグレーテッド・プロダクツ|マキシム]]「ニューマキシム」(ナレーション) * [[パナソニック|松下電器]]「[[パナソニックショップ|ナショナル・パナソニックのお店]]」(ナレーション) * [[東洋水産|マルちゃん]]塩ラーメン('''さくら友蔵''') * [[森永製菓|森永]]ココア('''さくら友蔵''') * [[浜名湖花博]](ナレーション) * 第四リース(ヤドカリの声、1991年 - 2015年) * [[ロックマンロックマン]]PV(Dr.ワイリー) === その他コンテンツ === * [[サクラ大戦シリーズ#歌謡ショウ|サクラ大戦歌謡ショウ]] 帝国歌劇団・花組 ファイナル公演「新・愛ゆえに」(賢人機関幹部の声) * [[仙台城]]青葉城資料館、仙台城復元CGシアター([[片倉景綱|片倉小十郎]]) * [[東京ディズニーランド]] ** [[ウエスタンリバー鉄道]](ナレーション〈2代目<ref>[[1983年]] - [[1999年]]までは[[村山明 (声優)|村山明]]が担当していた。</ref>〉) ** [[スター・ツアーズ]](G2-9T) ** [[東京ディズニーランドのアトラクション#ビジョナリアム|ビジョナリアム]]([[H・G・ウェルズ]]) * [[ナムコ・ナンジャタウン]] もののけ番外地内もののけ探検隊 火炎般若の声(ナレーション) * [[横浜博覧会]]・[[アジア太平洋博覧会]] [[日立グループ館#1989年の地方博覧会|日立ハイビジョンシアター]]「タイムジャンプ!」ジャンケンゲーム([[始皇帝]]) == 脚注 == {{Ras}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2 |refs= <ref name="デビルマン">{{Cite book|和書 |chapter=声のヒーロー37人総登場 |date=1978-02-25 |editor=[[尾形英夫]] |page=77 |publisher=[[徳間書店]] |title=ロマンアルバム(4) [[テレビランド]]増刊号 デビルマン}}</ref> <ref name="声優事典">{{Cite book|和書 |chapter= 男性篇|date=1996-03-30 |editor= 掛尾良夫 |title=声優事典 |edition=第2版|第二版 |page=10 |publisher=[[キネマ旬報社]]||isbn= 4-87376-160-3}}</ref> <ref name="声優アニメディア">{{Cite journal |和書 |title=極 声魂/青野武|journal=[[声優アニメディア]] |issue=2009年7月号 |pages= 100-101|publisher=[[学研ホールディングス|学習研究社]]|date=2009-07}}</ref> <ref name="昭和声優列伝">{{Cite book|和書|author=勝田久|authorlink=勝田久|title=昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち|chapter= file No.19 青野武|pages=225-231|publisher=[[駒草出版]]|isbn=978-4-905447-77-1|date= 2017-02-22}}</ref> <ref name="天下一伝説162">{{Cite book|和書|chapter=天下一声優陣 其之二 ピッコロ大魔王/神様役 青野武|date=2004-07-02 |editor=鈴木晴彦 |isbn=4-08-873705-9 |page=162 |publisher=[[集英社]] |series = ジャンプ・コミックス |title=テレビアニメ完全ガイド『DRAGON BALL』天下一伝説}}</ref> <ref name="ダイケンゴー">{{Cite web|和書|accessdate= 2023-04-16 |publisher=[[東映ビデオ]] |title= 宇宙魔神ダイケンゴー コンプリートDVD |url= https://www.toei-video.co.jp/catalog/dstd08779/ |website=東映ビデオオフィシャルサイト}}</ref> <ref name="バルディオス">{{Cite web|和書| accessdate = 2021-03-05 | publisher = [[葦プロダクション]] | title = 宇宙戦士バルディオス | url = http://ashipro.jp/works/tv_series/w007.html |website = 株式会社 葦プロダクション 公式サイト}}</ref> <ref name="シートン動物記 りすのバナー">{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1318/| title = シートン動物記 りすのバナー| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2023-05-27}}</ref> <ref name="太陽の子エステバン">{{Cite web|和書| accessdate = 2022-12-25 | publisher = [[ぴえろ]] | title = 太陽の子エステバン | url = https://pierrot.jp/archive/1980/tv80_04.html | website = スタジオぴえろ 公式サイト}}</ref> <ref name="ドラゴンボール">{{Cite web|和書|accessdate=2022-12-25 | publisher=東映アニメーション | title = スタッフ&キャスト | url=https://www.toei-anim.co.jp/tv/dragon/staff/index.html |work = ドラゴンボール}}</ref> <ref name="おれは直角">{{Cite web|和書| accessdate = 2022-12-25 | publisher = ぴえろ | title = おれは直角 | url = https://pierrot.jp/archive/1990/tv90_04.html | website = スタジオぴえろ 公式サイト}}</ref> <ref name="ご近所物語">{{Cite web|和書| url=https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/gokinjyo/character/| title=ご近所物語|キャラクター/キャスト| publisher=東映アニメーション| accessdate=2023-02-01}}</ref> <ref name="勝負師伝説哲也">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-05-22 | publisher = 東映アニメーション | title = キャラクター/キャスト | url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/tetsuya/character/ | website = 東映アニメーション作品ラインナップ | work=勝負師伝説哲也}}</ref> <ref name="格闘美神 武龍">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-06-19 | publisher = トムス・エンタテインメント | title = 格闘美神 武龍 | url = https://www.tms-e.co.jp/alltitles/2000s/943101.html | website = トムス・エンタテインメント 公式サイト}}</ref> <ref name="武龍REBIRTH">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-06-19 | publisher = トムス・エンタテインメント | title = 格闘美神 武龍REBIRTH | url = https://www.tms-e.co.jp/alltitles/2000s/943102.html | website = トムス・エンタテインメント 公式サイト}}</ref> <ref name="無縁ゾーンの秘宝">{{Cite web|和書| accessdate=2022-09-15 | publisher=東映アニメーション | title = キャラクター/キャスト | url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_bikkuriman_muen/character/ | website = 東映アニメーション作品ラインナップ | work=ビックリマン 無縁ゾーンの秘宝}}</ref> <ref name="ドラゴンボールZ劇場版">{{Cite web|和書| accessdate=2022-06-07 | publisher=東映アニメーション | title = キャラクター/キャスト | url=https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_dragonball_oranogohan/character/ | work= ドラゴンボールZ}}</ref> <ref name="幽☆遊☆白書(映画)">{{Cite web|和書| accessdate = 2022-12-11 | publisher = ぴえろ | url = https://pierrot.jp/archive/movie_b2000/mov_13.html | title = 幽☆遊☆白書 | website = ぴえろ公式サイト}}</ref> <ref name="nichigai">{{Cite book |和書 |date=2004-06 |title=テレビ・タレント人名事典 |edition=第6版 |publisher=[[日外アソシエーツ]] |page=12 |isbn=978-4-8169-1852-0}}</ref> <ref name="タレント名鑑64">{{Cite book|和書|year = 1963|title = タレント名鑑|volume-title=NO2|publisher = [[芸能春秋社]]|page =8|chapter=あ}}</ref> <ref name="aono2">{{Cite web|和書|url=http://www1.hinocatv.ne.jp/wildcats/aono4kara.htm|title=青野武の役者一筋|page=2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160217134149/http://www1.hinocatv.ne.jp/wildcats/aono4kara.htm|archivedate=2016-02-17|accessdate=2022-07-30}}</ref> <ref name="シネマトゥデイ">{{Cite web|和書|author=島村幸恵 |title=まる子祖父役 青野武さん、9日に永眠 死因は解離性胸部大動脈瘤術のあとの多発性脳梗塞|publisher=シネマトゥデイ|date=2012-04-10|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0041115|accessdate=2012-04-11}}</ref> <ref name="seisakuplus">{{Cite web|和書|title=【訃報】声優・俳優の青野武さんが死去|publisher=舞台制作PLUS|date=2012-04-12|url=http://seisakuplus.com/news/?p=4481|accessdate=2015-07-29}}</ref> <ref name="archive">{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20161029230523if_/http://www.aoni.co.jp/actor/a/aono-takeshi.html|title=青二プロダクション 青野 武(Wayback Machineによるアーカイブ)|accessdate=2019-10-04}}</ref> <ref name="excite">{{Cite news |和書|url=https://www.excite.co.jp/news/dictionary/person/PE72adbb2c7877b60a259cda35a0500711c3ffd976/|title=青野武|newspaper= Excite News |date= |agency=エキサイト株式会社|accessdate= 2023-11-05}}</ref> <ref name="aoni">{{Cite web|和書|url=https://www.aoni.co.jp/search/aono-takeshi.html|title=青野武|株式会社青二プロダクション|accessdate=2020-09-06}}</ref> <ref name="aono">{{Cite web|和書|url=http://www1.hinocatv.ne.jp/wildcats/aono1kara.htm|title=青野武の役者一筋|page=1|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160304122348/http://www1.hinocatv.ne.jp/wildcats/aono1kara.htm|archivedate=2016-03-04|accessdate=2022-07-30}}</ref> <ref name="声優の世界">{{Cite book|和書|author=|title=声優の世界-アニメーションから外国映画まで |series = [[ファンタスティックコレクション]]別冊|page=68|publisher=[[朝日ソノラマ]]|isbn=|date=1979-10-30}}</ref> <ref name="青年座">{{Cite book |和書 |year=1964 |title=劇団青年座―10周年 |publisher=[[劇団青年座]] |page= 30}}</ref> <ref name="テアトロ">{{Cite journal|和書|author = 板橋七生|author2 =宇佐美宜一||date = 1967-02|title = 舞台に生きる|journal = [[テアトロ]]|volume = No.282|pages = 9 - 11|publisher = [[カモミール社]]}}</ref>}} == 外部リンク == * {{Wayback |url=http://www1.hinocatv.ne.jp/wildcats/geikyou.htm|title=劇団芸協|date=20130804092259}} ** {{Wayback |url=http://www1.hinocatv.ne.jp/wildcats/aono1kara.htm|title=青野武の役者一筋|date=20160304122348}} * [https://www.aoni.co.jp/search/aono-takeshi.html 青二プロダクションによる紹介] * [https://thetv.jp/person/0000012060/ 青野武のプロフィール・画像・写真 - WEBザテレビジョン] * {{Kinejun name}} * {{Oricon name|227028}} * {{Movie Walker name|44391}} * {{映画.com name|10942}} * {{allcinema name}} * {{JMDb name|0223380}} * {{imdb name|id=0031844|name=Takeshi Aono}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:あおの たけし}} [[Category:日本の男優]] [[Category:日本の舞台俳優]] [[Category:日本の男性声優]] [[Category:日本のナレーター]] [[Category:アクション俳優]] [[Category:過去の青二プロダクション所属者]] [[Category:過去のマウスプロモーション所属者]] [[Category:北海道旭川東高等学校出身の人物]] [[Category:北海道出身の人物]] [[Category:1936年生]] [[Category:2012年没]]
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池田秀一
池田 秀一(いけだ しゅういち、1949年〈昭和24年〉12月2日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京都中野区野方出身。東京俳優生活協同組合所属。 元妻は女優の戸田恵子。現在の妻は声優の玉川砂記子。 中野区立第十一中学校(現:中野区立緑野中学校)、東海大学付属高輪台高等学校卒業、日本大学芸術学部映画学科中退。 以前はエヌ・エー・シー、加藤企画に所属していた。 2男1女の次男として生まれる。 小学校に入学後、両親が離婚して兄、妹と共に母のもとで暮らす。 芸能界に入ったきっかけは、当初は遊び半分のようなものであり、小学3年生の時に児童劇団に入っている友人が近所におり、「今度その劇団で募集しているから君も受けてみない?」と誘われて行ってみたところ受かったという。当初は演じることに興味はあったが、将来的に役者になりたいと思っておらず、映画を見てチャンバラごっこをして遊ぶことの延長のようなの感覚だったという。劇団こまどりに入団し、1958年(昭和33年)から子役として活動。小学3年生の時にガヤで初めてテレビに出演、中学2年生の時にNHKのテレビドラマ『次郎物語』の主役を務め、その頃から本格的に「役者をやってみたい」と思い始めるようになり、演技が高く評価されて「天才子役」として名を成す。鈴置洋孝は『機動戦士ガンダム』で初共演する際、『次郎物語』の池田、『巨人の星』の古谷徹との共演に感激したという。子役時代のあだ名は「秀坊」。中学生時代には、一千万人の劇場「小さき闘い」(フジテレビ)で石原裕次郎との初共演も果たしている。その後も『銭形平次』、『遠山の金さん捕物帳』、『大江戸捜査網』、『太陽にほえろ!』、『Gメン'75』、大河ドラマ 『花神』、『大岡越前』、『西遊記』など多くのテレビドラマに出演を重ねた。 声の仕事について、初仕事はラジオドラマである。 NHKラジオの学校放送の仕事をしていたが、俳優として伸び悩んでいた時期もあった。20歳から21歳の時に出演したテレビドラマで主役の弟役を演じていたが、彼女と喧嘩するも次の週には普通に会っている場面に違和感を覚え、監督に「これはおかしい。和解したところが描かれていない」と指摘したが、「別に君たちを描いているわけじゃないから」と言い返される。それまで参加した作品では、「おかしい」と思っていたことは聞いてくれていたが、「こだわるのはよそう」と挫折感はあった。そんな時に知り合いの宮内幸平が洋画の吹き替えの仕事をしており、「声の仕事もやってみないか?」と言われたため、「まぁやってみようかな」と洋画の吹き替えに出演。 当時はフィルムだったことから事前にビデオはもらえず、映像はだいたい前日か、ひどいときは当日にリハーサルをして、皆で一斉に観てという感じだった。周囲は皆声の仕事のプロといった感じで上手かったが、当時の池田はセリフを追っているうちに画面を見失い、どこをしているのかわからなくなり、リハーサルにすらならない状態だった。それで先輩にいじめられるというようなことはなかったが、声優は「大変なお仕事だな」「全然僕の世界じゃない、違う土俵だ」と感じていた。その後、『ルーツ』のオーディションを受けて、クンタ・キンテ役で出演。その時に「これはラジオドラマだと思えばいいんだな」と感じていた。ラジオと違い、自分の間が通用しないわけだが、「そこは場数をこなして慣れるしかない。だから今は、少しくらい合わなくてもいいや」と考えていた。その時、周囲を見渡したところ、「この人たちは確かに上手いけど、俺も場数さえこなしていけば大丈夫かもしれない」と不遜にも思ってしまった。 その後も俳優業と並行して洋画の吹き替えなどの仕事をいくつかしていたが、1970年代半ば、洋画のアテレコで一緒したたてかべ和也から紹介された小学校の先輩であった音響監督の松浦典良の勧めによりアニメ『無敵鋼人ダイターン3』に出演した。アニメ作品デビュー当時、池田は洋画と比較してアニメ作品のアフレコは、何倍も大変と感じ、「最初で最後のアニメ出演」と決めていたという。また、当時はアフレコ現場というのは「売れない役者が最後に流れ着く場所」という認識が強く、「アフレコやるようになったら役者としておしまい」という風潮があったという。そのため声優業にはあまり乗り気ではなかったが、『ダイターン3』の後番組『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ役のオーディションに参加する。その時に見た安彦良和のシャア・アズナブルのイラストにインスピレーションを感じ、シャア役のテストを受け、その役を得た。 2010年に第4回声優アワードシナジー賞を受賞。 2023年、第17回声優アワード助演声優賞を受賞。 声種は「ハリのあるバリトン」。 シャア役をはじめ、美形の敵役で知られる。吹き替えではコメディー系の二枚目役としての出演も多い。持ち役であるジェット・リーは、現在までほぼ専属で担当している。また、過去にはジェームズ・ディーンやチャーリー・シーン、マイケル・ビーン、リュー・チャーフィー、アンディ・ラウなどの吹き替えも担当していた。 趣味は草野球、ゴルフ。 1971年、幼馴染で恋人だった飯野矢住代が池田の自宅マンションでの事故により逝去。その後、『機動戦士ガンダム』での共演が縁となり、戸田恵子と1979年に結婚したが、のちに離婚。その後玉川砂記子と再婚している。なお、戸田とは離婚直後に『ストリート・オブ・ファイヤー』の吹き替えで共演したり、少年漫画誌『月刊少年エース』2010年1月号で対談している など、離婚後も関係は良好な模様である。 著述としては、『ガンダムエース』(角川書店刊)誌上にて悩み相談系のコラム「あなたのお悩み三倍速く解決します!」を連載中。2006年12月に初の自伝『シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星』(ワニブックス刊 ISBN 4-8470-1700-5)が出版された。 大勢の人間の前で話すのが苦手とされる。自著では「シャアのイメージで強く見られるため、そのイメージを保つために人前では愛想良く振る舞わないようにしている」と語っている。 古谷徹とは、特にシャア、アムロ役の声優として関連イベントなどでの共演機会が多く、トークショーなどでも絶妙の掛け合いを見せている。その舞台裏の和気あいあいとした様子は『ガンダムエース』誌上で漫画として描かれている。 『無敵鋼人ダイターン3』以来、共演した鈴置洋孝とは親友同士であり、良き飲み仲間だった。鈴置から緑茶割を伝授されたりするなど、後年になり共演する機会がなくとも酒の付き合いは長く続いた。鈴置の死後、池田は自著で「アニメに不慣れな俺にとって、君がスタジオにいてくれたおかげでどんなに勇気づけられた事か」「君がいなくなって、俺は言葉を選ばずに話せる人間が意外と少ない事に気づき、寂しい気がするよ」と追悼の言葉を贈っている。 担当する役は、長身のキャラクターが多いが、池田本人は比較的小柄である。岡田斗司夫はOVA『哭きの竜』のアフレコの際、ガイナックスの社員から「今回のスタジオは小さい所だけれど、今日は『小さい』を意味する言葉は禁句だ」と注意されている。なお、岡田の著書『オタクの迷い道』では、このときの池田の印象について「一人だけ椅子に座っている声優がおり、こんな狭い所によく椅子が入ったなと思ってよく見ると、その男は座っておらず普通に立っており、その男が池田さんだった」、「スタッフから『池田さんいた?』と聞かれたので思わず『池田さん、落ちてた』と答えた」と記述されている。 OVA『哭きの竜』のアフレコの際には、担当した主人公竜が無口なキャラクターのために台詞は共演者の内海賢二と比べて非常に少なく、またその時点で映像ができあがっておらず、声優は合図に合わせて声を当てるというありさまだったため、さすがに機嫌を損ねるだろうと岡田斗司夫は危惧していたが、仕事終わりに池田は岡田に対し満面の笑みを浮かべて「いやぁ、社長!こんな楽な仕事は初めてですよ! 次もぜひまた! お願いします!」と気さくに握手を求めた。岡田はこのときのことを「宮尾すすむのような台詞をシャアの声で言われた」と表現している。 飲み会の際に、携帯電話で泣きながら男と話している女の子を見かけ、その会話に我慢できなくなって携帯を奪い取り「俺はシャアだが、」と名乗って相手に説教を始めたことがある(『中川家ん!』(2005年2月1日毎日放送・関西ローカル)に出演した古谷徹談)。古谷によると、池田は大の日本酒好きである。お酒を本格的に飲み出したのは18歳ぐらいという。 『ドラゴン・キングダム』の公開に合わせ、ジャッキー・チェンの吹き替えを担当している石丸博也と対談。お互いに長年の思い出と持ち役への思い入れを語り合った。この対談は、上映時のパンフレットに収録されている。 池田が参加した『機動戦士ガンダム』のオーディションは、主人公アムロ・レイの声優を決めるためのものだった。しかし、会場に置かれていた安彦良和のキャラクターデザインを見てシャア・アズナブルを気に入り、シャアの声のオーディションを受け、『ガンダム』への参加が決まった。池田はシャアとの出会いを「僕はシャアから呼び止められた」と語っている。 シャア役のイメージが強いために、いつでも「シャアだ」と言われて嫌だなと思っていた時期があったが、現在ではもういいやと思っているという。 『機動戦士SDガンダム』に関しては「昔の劇場版のオマケ的なSD作品はすごく嫌だった」「(パロディ臭の強い作風と、それに対する本編との)ギャップが嫌だった。それを本編のシャアと一緒に上映されてしまうとたまらないなという思いがあった」という。『SDガンダムフォース』は好意的に見ており「あの作品は面白かったな」「作品としてはもうちょっとヒットすると思ってた。そこが惜しかったかな。」と評している。 『機動戦士ガンダム』のシャアとララァ・スンとの独特の距離感、二人の間に流れる艶っぽさを気に入っており、富野監督に「この二人は(恋愛的に)出来てますよね?そんな雰囲気でやってもいいですか?」と質問し、富野はそれに対してニヤッと笑って「結構です」と答えた事から、世の男どもが羨むような雰囲気を出そうと、多少ウィットな感じを入れながら演じたという。また、アムロに勝つために死んだララァに祈る弱さと苛立ちを見せた事について「(演者として)シャアを深く理解するためのキーになりました」と述べている。一方で「ララァ、私を導いてくれ」というセリフや、劇場版でララァの死に涙を流すシャアは当時は好きではなかったとも語っている。 池田は当初、シャアに関しては『機動戦士ガンダム』で完全燃焼し、『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙』のラストシーンを「シャアが物語を締めくくるのに、これ以上のシーンはあり得ない」と感じていた事から、以降の作品の斜に構えたシャアには違和感があったと述べている。『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』におけるシャアの「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えたことか!」というセリフを言うときも、池田は「シャアってこんなに子供だったのか?」と率直に感じたという。池田はこうしたシャアの描かれ方について富野監督の当時の心情が反映されていたのではないかと推察している。『機動戦士Ζガンダム(劇場版)』に関してはテレビシリーズでは納得できなかったシャアの描かれ方が大幅に変えられた事や、ハッピーエンドを迎えた事から気に入っているという。 後年のシャアの描かれ方に不満はあったものの、『Zガンダム(劇場版)』をやって以降、「そういう部分もシャアにはあるのかも知れない」と見方が変わってきたともいい、『逆襲のシャア』を四国の映画館で再上映するイベントのトークショーに備えて同作を見直した際には「シャアはこういう気持ちだったんだ」と新たに気づかされたとも語っている。 CMやゲーム作品、劇場アニメなどでシャアを再演することも多いが、過去の作品を見直すなどして役作りを行う古谷とは対照的に、池田は(役作りの為に)絶対に見ないとしている。真剣に考えるとプレッシャーに飲み込まれそうになるからあえて逃げる、というのがその理由とのこと。ただ池田も全く過去の作品を復習しないわけではなく、『ガンダムエース』誌上での古谷との対談の際に「ファースト(『機動戦士ガンダム』)を見返したら、僕はアムロを子供っぽく演じていた」と述べた古谷に「僕も観る機会があったのだけど、(有名なシャアのセリフどおり)シャアは若造だなと思ったよ」と返している。 2004年、『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』に池田がギルバート・デュランダル役で出演した。池田によると「近年『劇場版Ζガンダム』公開にまで至れたガンダム人気は『SEED』による効果が大きいと考え、若い『SEED』ファンにも過去の作品に興味を持つキッカケになれれば」という思いで同作品への参加を決めたという。 『ガンダム』のパロディ作品である『機動戦士ガンダムさん』のシャア・アズナブルの声はやらないと冗談まじりで語ったことがあるが、のちに『ケロケロエース』のCMではシャアの声を担当した。 2010年には、『機動戦士ガンダムUC』にてシャアを思わせる容姿のフル・フロンタルの声を担当した(原作小説の作中にはフロンタルの声がライブラリのシャアの声とまったく同じという台詞がすでに存在していた)。なおアニメ化発表前に製作された小説のプロモーションムービーでは池田がナレーションを担当している。 『名探偵コナン』で担当する赤井秀一は、シャアのオマージュであり「オリジナル」の声が抜擢されたかたちになっている(「赤井秀一」という名前も、赤い彗星のシャアと池田秀一から)。劇場版第20作『純黒の悪夢』の公開を記念した安室透役の古谷徹とのインタビュー形式の対談では、キャラ名の第一印象について「どっかで聞いたことある名前だな」と語っている。また、赤井が偽装死(当時は死亡扱いだった)というかたちで本編から退場した際は、『自分の出番はここまでか』と赤井との別れを惜しんだというものの、原作者の青山剛昌から今後の展開を聞かされていた江戸川コナン役の高山みなみから収録後に赤井がまだ死んでない旨を耳打ちされたという。後日、青山と対面した際に「生きているなら劇中でちゃんと明確に描いて欲しい」と懇願したという。なお、安室の名前もアムロ・レイと担当声優の古谷から取られ、赤井のライバル的立ち位置になるなど、青山自身がガンダムファンということもあり、同作には『ガンダム』に関係したオマージュが多く取り入れられている。また、赤井が黒ずくめの組織へ潜入捜査していたころ恋人だった宮野明美の声優は、池田の妻の玉川砂記子が担当している。 『ケロロ軍曹』で演じる西澤梅雄はシャアの台詞を引用している。 『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』で担当した名雲京志郎の台詞の端々に、シャアの台詞が出てくる(「私もよくよく運のない男だ」など)。『トロン』スペシャルコレクションレーザーディスクの監督スティーブン・リズバーガーによるオーディオ・コメンタリでも「私もよくよく運のない男だな」という台詞が残っている(DVDには収録されず)。 『シャドウハーツII』では狼のブランカ役(特殊イベントのみ)を演じており、内容や技もシャアにちなんだものが仕込まれている。 『忍風戦隊ハリケンジャー』で敵組織ジャカンジャの幹部サンダール役を演じた際には、「見せてもらおうか、地球忍者のカラクリの性能とやらを」、「当たらなければどうということはない」など、シャアの台詞を引用している。 『獣拳戦隊ゲキレンジャー』では拳聖バット・リー役を演じている。バット・リーに限らず拳聖は「カンフーアクションスターを動物にもじった名前で、そのスターの吹き替え俳優が声を当てる」という試みになっている。「バット・リー」という名前は、池田が数多く吹き替えを担当しているジェット・リーことリー・リンチェイのパロディである。 2008年3月5日に旗揚げされたワールドビクトリーロードが主催する総合格闘技イベント『戦極-SENGOKU-』にて、煽りVのナレーション、および、選手の呼び込みを担当している。選手の呼び込みの際、「これより、第○試合を行う!」、「吉田秀彦選手、出るぞ」、「瀧本誠選手 出る!!」といったシャア・アズナブルを模したコールが行われた。 『NISSAN あ、安部礼司』ではイケリーマンこと刈谷勇(かりやいさむ)が務める会社の社長である「赤井彗星」を演じている。主人公、安部礼司の妻である「安部(旧姓倉橋)優」のことを「クラハーシア(アルテイシアのパロディ)」と呼ぶ。 池田は、大河ドラマでは『竜馬がゆく』『元禄太平記』『花神』に出演している。『花神』では共演した中村雅俊と尾藤イサオとの撮影後に飲みに行った話、『竜馬がゆく』では高橋英樹や北大路欣也と共演できて光栄だと述べた。また池田自身が気に入っている大河ドラマとして『赤穂浪士』を挙げている。 『花燃ゆ』のナレーションとしての池田の起用が同作の製作発表時に大きく伝えられたことで、周囲から頑張って欲しいとのエールを送られたとしている。また同作に関するインタビューにおいて、シャアとは離れられない存在だと述べている。同作のナレーションについては「シャアの声を聞いて色々思い出してくれると嬉しい」と語った。同作の起用がオファーされた際の池田の率直な感想は「僕でいいのですか?」であった が、語りの選考について同作プロデューサー(制作統括)の土屋勝裕は「激動の幕末の時代を解り易く、同時に高揚した躍動感のある語りで物語をあおってくれる事が出来る人と思いついたのが、池田だった」と語っている。 太字はメインキャラクター。
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逆襲のシャア』におけるシャアの「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えたことか!」というセリフを言うときも、池田は「シャアってこんなに子供だったのか?」と率直に感じたという。池田はこうしたシャアの描かれ方について富野監督の当時の心情が反映されていたのではないかと推察している。『機動戦士Ζガンダム(劇場版)』に関してはテレビシリーズでは納得できなかったシャアの描かれ方が大幅に変えられた事や、ハッピーエンドを迎えた事から気に入っているという。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "後年のシャアの描かれ方に不満はあったものの、『Zガンダム(劇場版)』をやって以降、「そういう部分もシャアにはあるのかも知れない」と見方が変わってきたともいい、『逆襲のシャア』を四国の映画館で再上映するイベントのトークショーに備えて同作を見直した際には「シャアはこういう気持ちだったんだ」と新たに気づかされたとも語っている。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "CMやゲーム作品、劇場アニメなどでシャアを再演することも多いが、過去の作品を見直すなどして役作りを行う古谷とは対照的に、池田は(役作りの為に)絶対に見ないとしている。真剣に考えるとプレッシャーに飲み込まれそうになるからあえて逃げる、というのがその理由とのこと。ただ池田も全く過去の作品を復習しないわけではなく、『ガンダムエース』誌上での古谷との対談の際に「ファースト(『機動戦士ガンダム』)を見返したら、僕はアムロを子供っぽく演じていた」と述べた古谷に「僕も観る機会があったのだけど、(有名なシャアのセリフどおり)シャアは若造だなと思ったよ」と返している。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "2004年、『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』に池田がギルバート・デュランダル役で出演した。池田によると「近年『劇場版Ζガンダム』公開にまで至れたガンダム人気は『SEED』による効果が大きいと考え、若い『SEED』ファンにも過去の作品に興味を持つキッカケになれれば」という思いで同作品への参加を決めたという。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "『ガンダム』のパロディ作品である『機動戦士ガンダムさん』のシャア・アズナブルの声はやらないと冗談まじりで語ったことがあるが、のちに『ケロケロエース』のCMではシャアの声を担当した。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2010年には、『機動戦士ガンダムUC』にてシャアを思わせる容姿のフル・フロンタルの声を担当した(原作小説の作中にはフロンタルの声がライブラリのシャアの声とまったく同じという台詞がすでに存在していた)。なおアニメ化発表前に製作された小説のプロモーションムービーでは池田がナレーションを担当している。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "『名探偵コナン』で担当する赤井秀一は、シャアのオマージュであり「オリジナル」の声が抜擢されたかたちになっている(「赤井秀一」という名前も、赤い彗星のシャアと池田秀一から)。劇場版第20作『純黒の悪夢』の公開を記念した安室透役の古谷徹とのインタビュー形式の対談では、キャラ名の第一印象について「どっかで聞いたことある名前だな」と語っている。また、赤井が偽装死(当時は死亡扱いだった)というかたちで本編から退場した際は、『自分の出番はここまでか』と赤井との別れを惜しんだというものの、原作者の青山剛昌から今後の展開を聞かされていた江戸川コナン役の高山みなみから収録後に赤井がまだ死んでない旨を耳打ちされたという。後日、青山と対面した際に「生きているなら劇中でちゃんと明確に描いて欲しい」と懇願したという。なお、安室の名前もアムロ・レイと担当声優の古谷から取られ、赤井のライバル的立ち位置になるなど、青山自身がガンダムファンということもあり、同作には『ガンダム』に関係したオマージュが多く取り入れられている。また、赤井が黒ずくめの組織へ潜入捜査していたころ恋人だった宮野明美の声優は、池田の妻の玉川砂記子が担当している。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "『ケロロ軍曹』で演じる西澤梅雄はシャアの台詞を引用している。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』で担当した名雲京志郎の台詞の端々に、シャアの台詞が出てくる(「私もよくよく運のない男だ」など)。『トロン』スペシャルコレクションレーザーディスクの監督スティーブン・リズバーガーによるオーディオ・コメンタリでも「私もよくよく運のない男だな」という台詞が残っている(DVDには収録されず)。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "『シャドウハーツII』では狼のブランカ役(特殊イベントのみ)を演じており、内容や技もシャアにちなんだものが仕込まれている。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "『忍風戦隊ハリケンジャー』で敵組織ジャカンジャの幹部サンダール役を演じた際には、「見せてもらおうか、地球忍者のカラクリの性能とやらを」、「当たらなければどうということはない」など、シャアの台詞を引用している。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "『獣拳戦隊ゲキレンジャー』では拳聖バット・リー役を演じている。バット・リーに限らず拳聖は「カンフーアクションスターを動物にもじった名前で、そのスターの吹き替え俳優が声を当てる」という試みになっている。「バット・リー」という名前は、池田が数多く吹き替えを担当しているジェット・リーことリー・リンチェイのパロディである。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "2008年3月5日に旗揚げされたワールドビクトリーロードが主催する総合格闘技イベント『戦極-SENGOKU-』にて、煽りVのナレーション、および、選手の呼び込みを担当している。選手の呼び込みの際、「これより、第○試合を行う!」、「吉田秀彦選手、出るぞ」、「瀧本誠選手 出る!!」といったシャア・アズナブルを模したコールが行われた。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "『NISSAN あ、安部礼司』ではイケリーマンこと刈谷勇(かりやいさむ)が務める会社の社長である「赤井彗星」を演じている。主人公、安部礼司の妻である「安部(旧姓倉橋)優」のことを「クラハーシア(アルテイシアのパロディ)」と呼ぶ。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "池田は、大河ドラマでは『竜馬がゆく』『元禄太平記』『花神』に出演している。『花神』では共演した中村雅俊と尾藤イサオとの撮影後に飲みに行った話、『竜馬がゆく』では高橋英樹や北大路欣也と共演できて光栄だと述べた。また池田自身が気に入っている大河ドラマとして『赤穂浪士』を挙げている。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "『花燃ゆ』のナレーションとしての池田の起用が同作の製作発表時に大きく伝えられたことで、周囲から頑張って欲しいとのエールを送られたとしている。また同作に関するインタビューにおいて、シャアとは離れられない存在だと述べている。同作のナレーションについては「シャアの声を聞いて色々思い出してくれると嬉しい」と語った。同作の起用がオファーされた際の池田の率直な感想は「僕でいいのですか?」であった が、語りの選考について同作プロデューサー(制作統括)の土屋勝裕は「激動の幕末の時代を解り易く、同時に高揚した躍動感のある語りで物語をあおってくれる事が出来る人と思いついたのが、池田だった」と語っている。", "title": "人物・特色" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "太字はメインキャラクター。", "title": "出演" } ]
池田 秀一は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京都中野区野方出身。東京俳優生活協同組合所属。 元妻は女優の戸田恵子。現在の妻は声優の玉川砂記子。
{{別人|池田修一|x1=将棋棋士の}}{{別人|池森秀一|x1=シンガーソングライターの}} {{声優 | 名前 = 池田 秀一 | ふりがな = いけだ しゅういち | 画像ファイル = Ikeda Shuichi "The World of Gundam" at Opening Ceremony of the 28th Tokyo International Film Festival (22405153956).jpg | 画像サイズ = | 画像コメント = 2015年、[[第28回東京国際映画祭]]にて | 本名 = 池田 秀一<ref>{{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(2009年版)|page=29|publisher=VIPタイムズ社 |isbn=978-4-904674-00-0|date=2009-04-01}}</ref><ref name="OUT">{{Cite journal|和書|date = 1979-10-01|title = 声優インタビュー 池田秀一さんの巻|journal = [[月刊OUT]]|issue = 1979年10月号 |pages = 43-48|publisher = [[みのり書房]]}}</ref><ref name="OUT19850701">{{Cite journal|和書|date = 1985-07-01|title = 声優マジカル通信 VOL.2 池田秀一さん|journal = 月刊OUT|issue = 1985年7月号 |pages = 115-119|publisher = みのり書房}}</ref> | 愛称 = | 性別 = [[男性]] | 出生地 = | 出身地 = {{JPN}}・[[東京都]][[中野区]][[野方 (中野区)|野方]]<ref name="kinenote">{{Cite web|和書|url=http://www.kinenote.com/main/public/cinema/person.aspx?person_id=86399 |title=池田秀一 - 略歴・フィルモグラフィー |work=KINENOTE |publisher=[[キネマ旬報社]] |accessdate=2022-12-07}}</ref><ref name="映画DB">{{Cite web|和書|url=https://eigadb.com/person/view/86399 |title=池田 秀一|website=映画DB |publisher=中央映画貿易株式会社 |accessdate=2022-12-13}}</ref> | 死没地 = | 生年 = 1949 | 生月 = 12 | 生日 = 2 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]{{R|meikan}} | 身長 = | 職業 = [[声優]]、[[俳優]]、[[ナレーター]]<ref name="databank">{{Cite web|和書|url=https://www.talent-databank.co.jp/search/profile/2000000678|title=池田 秀一|work=タレントデータバンク|accessdate=2019-09-12}}</ref> | 事務所 = [[東京俳優生活協同組合]]<ref name="prof">{{Cite web|和書|url=https://haikyo.co.jp/profile/profile.php?ActorID=10587|title=池田 秀一 - 俳協|accessdate=2019-09-10}}</ref> | 配偶者 = [[戸田恵子]]{{R|OUT19850701}}<ref name="anime24">[[アニメージュ]]編集部編「池田秀一 不言実行、役者に賭けるクールな情熱」『アニメ声優24時』[[徳間書店]]、1981年7月31日、243-248頁。</ref>([[離婚]])<br /> [[玉川砂記子]] | 著名な家族 = | 公式サイト = [https://haikyo.co.jp/profile/profile.php?ActorID=10587 池田 秀一 - 俳協] | 公称サイズ出典 = {{Cite web|和書|url=https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=M93-0204|title=池田 秀一|work=日本タレント名鑑|accessdate=2019-09-12}} | ref2name = meikan | 身長2 = 162 | 体重 = 60 | 活動 = {{声優/活動 | 職種 = 声優 | 活動期間 = [[1970年代]] - | ジャンル = [[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]、[[ゲーム]]、[[吹き替え]]、[[ナレーション]] | デビュー作 = }}{{声優/活動 | 職種 = 俳優 | 活動名義 = | 活動期間 = [[1958年]]<ref name="seigura1">{{Cite web|和書|url=https://seigura.com/news/30364/ |title=池田秀一さん「『シャア』を演じ続ける責任」 |page=1|accessdate=2023-01-31 |date= 2020-03-11|work=声優道|website=声優グランプリWEB|publisher= [[主婦の友インフォス]]}}</ref> - | ジャンル = [[テレビドラマ]]、[[映画]]、[[舞台]] | デビュー作 = }}}} '''池田 秀一'''(いけだ しゅういち、[[1949年]]〈[[昭和]]24年〉[[12月2日]]{{R|anime24}}<ref name="昭和声優列伝">{{Cite book|和書|author=勝田久|authorlink=勝田久|title=昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち|chapter= file No.7 池田秀一|pages=149-153|publisher=[[駒草出版]]|isbn=978-4-905447-77-1|date= 2017-02-22}}</ref><ref name="TV RADAR">{{Cite book|和書|chapter= We're Anime People 炎のアルペンローゼ|date=1985-08-01 |title=[[マイアニメ]]1985年8月号ふろく TV RADAR 7/11〜8/10 |pages=4-5 |publisher=[[秋田書店]]}}</ref><ref name="声優名鑑">{{Cite book|和書 |chapter= 男性篇 |date=1999-08-10 |editor= [[成美堂出版]] |title=声優名鑑 |pages=340-341 |publisher=[[成美堂出版]] |isbn= 4-415-00878-X}}</ref> - )は、[[日本]]の[[声優]]、[[俳優]]、[[ナレーター]]{{R|databank}}。[[東京都]][[中野区]][[野方 (中野区)|野方]]出身{{R|kinenote|映画DB}}。[[東京俳優生活協同組合]]所属{{R|prof}}。 元妻は女優の[[戸田恵子]]{{R|OUT19850701|anime24}}。現在の妻は声優の[[玉川砂記子]]。{{VOICE Notice Hidden|冒頭部分に記載する代表作は、編集合戦誘発の原因となりますので、多数の出典で確認できるものに限ってください。[[プロジェクト:芸能人#記事の書き方]]にてガイドラインが制定されていますので、そちらも参照して下さい。}} == 来歴 == [[中野区立第十一中学校]](現:[[中野区立緑野中学校]]){{R|映画DB}}、[[東海大学付属高輪台高等学校・中等部|東海大学付属高輪台高等学校]]卒業<ref name="takanawadai">{{Cite web|和書||date=2005-11-01|url=https://www.takanawadai.tokai.ed.jp/wordpress/wp-content/uploads/2018/03/20180301-5a97aa3d26141.pdf|title=活躍する卒業生|format=PDF|page=7|work=学校報「飛躍」238号|publisher=[[東海大学付属高輪台高等学校・中等部]]|accessdate=2020-02-01}}</ref>、[[日本大学芸術学部]]映画学科中退{{R|OUT|OUT19850701|昭和声優列伝}}<ref>{{Cite book|和書|author=|title=テレビ・タレント人名事典(第6版)|publisher=[[日外アソシエーツ]]|page=77|isbn=4-8169-1852-3|date=2004-6}}</ref>。 以前は[[エヌ・エー・シー]]、加藤企画に所属していた{{R|prof}}。 === 生い立ち === 2男1女の次男として生まれる{{R|映画DB}}。 小学校に入学後、両親が[[離婚]]して兄、妹と共に母のもとで暮らす{{R|OUT|anime24|昭和声優列伝}}。 === キャリア === ==== 子役・俳優として ==== [[芸能界]]に入ったきっかけは、当初は遊び半分のようなものであり、小学3年生の時に{{R|昭和声優列伝}}[[児童劇団]]に入っている友人が近所におり、「今度その劇団で募集しているから君も受けてみない?」と誘われて行ってみたところ受かったという{{R|seigura1}}。当初は演じることに興味はあったが、将来的に役者になりたいと思っておらず、映画を見てチャンバラごっこをして遊ぶことの延長のようなの感覚だったという{{R|seigura1}}<ref name="日商">{{Cite web|和書|date= 2015-06-01|url= https://ab.jcci.or.jp/article/21841/ |title= あの人を訪ねたい 池田秀一 |work= 日商 ASSIST BIZ |publisher= [[日本商工会議所]] |accessdate= 2023-01-31}}</ref>。[[グループこまどり|劇団こまどり]]に入団し{{R|prof}}、[[1958年]](昭和33年)から[[子役]]として活動。小学3年生の時にガヤで初めて[[テレビ]]に出演{{R|seigura1}}、中学2年生の時に[[日本放送協会|NHK]]の[[テレビドラマ]]『[[次郎物語]]』の主役を務め、その頃から本格的に「役者をやってみたい」と思い始めるようになり、演技が高く評価されて「天才子役」として名を成す{{R|日商}}。[[鈴置洋孝]]は『[[機動戦士ガンダム]]』で初共演する際、『[[次郎物語]]』の池田、『[[巨人の星 (アニメ)|巨人の星]]』の[[古谷徹]]との共演に感激したという。子役時代のあだ名は「秀坊」。中学生時代には、[[一千万人の劇場]]「小さき闘い」([[フジテレビジョン|フジテレビ]])で[[石原裕次郎]]との初共演も果たしている。その後も『[[銭形平次 (大川橋蔵)|銭形平次]]』、『[[遠山の金さん捕物帳]]』、『[[大江戸捜査網]]』、『[[太陽にほえろ!]]』、『[[Gメン'75]]』、[[大河ドラマ]] 『[[花神 (NHK大河ドラマ)|花神]]』、『[[大岡越前 (テレビドラマ)|大岡越前]]』、『[[西遊記 (1978年のテレビドラマ)|西遊記]]』など多くのテレビドラマに出演を重ねた{{R|日商}}。 ==== 声優として ==== 声の仕事について、初仕事は[[ラジオドラマ]]である<ref name="声優アニメディア">{{Cite journal |和書 |title=極 声魂/池田秀一|journal=[[声優アニメディア]] |issue=2010年5月号 |pages= 100-101|publisher=[[学研ホールディングス]] |date=2010-05}}</ref>。 NHKラジオの学校放送の仕事をしていたが{{R|TV RADAR}}、俳優として伸び悩んでいた時期もあった{{R|seigura1}}。20歳から21歳の時に出演したテレビドラマで主役の弟役を演じていたが、彼女と喧嘩するも次の週には普通に会っている場面に違和感を覚え、監督に「これはおかしい。和解したところが描かれていない」と指摘したが、「別に君たちを描いているわけじゃないから」と言い返される{{R|seigura1}}。それまで参加した作品では、「おかしい」と思っていたことは聞いてくれていたが、「こだわるのはよそう」と挫折感はあった{{R|seigura1}}。そんな時に知り合いの[[宮内幸平]]が洋画の吹き替えの仕事をしており、「声の仕事もやってみないか?」と言われたため、「まぁやってみようかな」と[[映画|洋画]]の[[吹き替え]]に出演{{R|日商|seigura1|声優アニメディア}}。 当時はフィルムだったことから事前にビデオはもらえず、映像はだいたい前日か、ひどいときは当日にリハーサルをして、皆で一斉に観てという感じだった{{R|seigura1}}。周囲は皆声の仕事のプロといった感じで上手かったが、当時の池田はセリフを追っているうちに画面を見失い、どこをしているのかわからなくなり、リハーサルにすらならない状態だった{{R|seigura1}}。それで先輩にいじめられるというようなことはなかったが、声優は「大変なお仕事だな」「全然僕の世界じゃない、違う土俵だ」と感じていた{{R|seigura1}}。その後、『[[ルーツ (テレビドラマ)|ルーツ]]』のオーディションを受けて、クンタ・キンテ役で出演{{R|seigura1|昭和声優列伝}}。その時に「これはラジオドラマだと思えばいいんだな」と感じていた{{R|seigura1}}。ラジオと違い、自分の間が通用しないわけだが、「そこは場数をこなして慣れるしかない。だから今は、少しくらい合わなくてもいいや」と考えていた{{R|seigura1}}。その時、周囲を見渡したところ、「この人たちは確かに上手いけど、俺も場数さえこなしていけば大丈夫かもしれない」と不遜にも思ってしまった{{R|seigura1}}。 その後も俳優業と並行して洋画の吹き替えなどの仕事をいくつかしていたが、1970年代半ば、洋画のアテレコで一緒した[[たてかべ和也]]から紹介された小学校の先輩であった[[音響監督]]の[[松浦典良]]の勧めによりアニメ『[[無敵鋼人ダイターン3]]』に出演した{{R|昭和声優列伝|声優アニメディア}}<ref name="seigura2">{{Cite web|和書|url=https://seigura.com/news/30364/2/ |title=池田秀一さん「『シャア』を演じ続ける責任」 |page=2|accessdate=2023-01-31 |date= 2020-03-11|work=声優道|website=声優グランプリWEB|publisher= [[主婦の友インフォス]]}}</ref>。アニメ作品デビュー当時、池田は洋画と比較してアニメ作品の[[アフレコ]]は、何倍も大変と感じ、「最初で最後のアニメ出演」と決めていたという<ref>{{Cite book|和書|title=シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星|publisher=ワニブックス|pages=|page=46}}</ref>{{R|seigura2}}。また、当時はアフレコ現場というのは「売れない役者が最後に流れ着く場所」という認識が強く、「アフレコやるようになったら役者としておしまい」という風潮があったという{{R|seigura1}}。そのため声優業にはあまり乗り気ではなかったが、『ダイターン3』の後番組『[[機動戦士ガンダム]]』の[[アムロ・レイ]]役のオーディションに参加する{{R|seigura2}}<ref name="febri">{{Cite web|和書|url=https://febri.jp/topics/series-amuro-7-2/ |title=アムロ・レイの演じかた ~古谷徹の演技・人物論~ 第7回(中編)|page=1|publisher=一迅社 Febri |date=2022-12-20 |accessdate=2023-01-31 }}</ref><ref name="oricon20161116p3">{{Cite web|和書|date=2016-11-16 |url=https://www.oricon.co.jp/special/10099/3/|title=池田秀一(シャア・アズナブル)の仕事哲学 「力を抜くことだ」|publisher=[[オリコン]]|page=3|accessdate=2023-01-31}}</ref>。その時に見た[[安彦良和]]の[[シャア・アズナブル]]のイラストにインスピレーションを感じ、シャア役のテストを受け、その役を得た{{R|seigura2|febri|oricon20161116p3}}。 === 現在まで === [[2010年]]に第4回[[声優アワード]]シナジー賞を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seiyuawards.jp/winning/winning_04/ |title=第四回声優アワード 受賞者 |publisher=声優アワード |accessdate=2016-08-15}}</ref>。 [[2023年]]、第17回声優アワード助演声優賞を受賞<ref>{{cite news|url=https://www.seiyuawards.jp/winning/winning_17/|title=第十七回声優アワード 受賞者 |publisher=声優アワード |accessdate=2023-03-11}}</ref>。 == 人物・特色 == {{出典の明記|section="1"|date=2020年11月}} [[音域#人声の音域|声種]]は「ハリのある[[バリトン]]{{R|takanawadai}}」。 シャア役をはじめ、美形の敵役で知られる<ref>{{Cite web|和書|url=https://ranking.goo.ne.jp/column/5183/ |title=その声にキュン!イケボ過ぎる男性声優ランキング |website=gooランキング |publisher=goo |date=2018-06-09 |accessdate=2020-11-11 }}</ref>。[[吹き替え]]ではコメディー系の二枚目役としての出演も多い。持ち役である[[ジェット・リー]]は、現在までほぼ専属で担当している。また、過去には[[ジェームズ・ディーン]]や[[チャーリー・シーン]]、[[マイケル・ビーン]]、[[リュー・チャーフィー]]、[[アンディ・ラウ]]などの吹き替えも担当していた。 趣味は[[アマチュア野球|草野球]]、[[ゴルフ]]{{R|meikan}}。 === エピソード === [[1971年]]、幼馴染で恋人だった[[飯野矢住代]]が池田の自宅マンションでの事故により逝去。その後、『[[機動戦士ガンダム]]』での共演が縁となり、[[戸田恵子]]と1979年に[[結婚]]したが、のちに[[離婚]]。その後[[玉川砂記子]]と[[再婚]]している。なお、戸田とは離婚直後に『[[ストリート・オブ・ファイヤー]]』の吹き替えで共演したり<ref>{{Cite web|和書|author=吉田啓介|date=2018-10-01|url=https://www.fukikaeru.com/?p=10364|title=吉田Pのオススメふきカエル『思い出のふきカエ洋画劇場』|publisher=ふきカエル大作戦!!|accessdate=2021-05-23}}</ref>、少年漫画誌『[[月刊少年エース]]』2010年1月号で対談している<ref>[https://ameblo.jp/toda-keiko/entry-10690015503.html シャアのお招き] 戸田恵子ブログ2010年10月28日付記事</ref> など、離婚後も関係は良好な模様である。 著述としては、『[[ガンダムエース]]』([[角川書店]]刊)誌上にて悩み相談系のコラム「あなたのお悩み三倍速く解決します!」を連載中。2006年12月に初の自伝『シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星』([[ワニブックス]]刊 {{ISBN2|4-8470-1700-5}})が出版された。 大勢の人間の前で話すのが苦手とされる。自著では「シャアのイメージで強く見られるため、そのイメージを保つために人前では愛想良く振る舞わないようにしている」と語っている<ref>{{Cite book|和書|title=シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星|publisher=ワニブックス|pages=79-80.101-102}}</ref>。 [[古谷徹]]とは、特にシャア、アムロ役の声優として関連イベントなどでの共演機会が多く、トークショーなどでも絶妙の掛け合いを見せている。その舞台裏の和気あいあいとした様子は『[[ガンダムエース]]』{{Full|date=2020年11月}}誌上で漫画として描かれている。 『[[無敵鋼人ダイターン3]]』以来、共演した[[鈴置洋孝]]とは親友同士であり、良き飲み仲間だった。鈴置から緑茶割を伝授されたりするなど、後年になり共演する機会がなくとも酒の付き合いは長く続いた。鈴置の死後、池田は自著で「アニメに不慣れな俺にとって、君がスタジオにいてくれたおかげでどんなに勇気づけられた事か」「君がいなくなって、俺は言葉を選ばずに話せる人間が意外と少ない事に気づき、寂しい気がするよ」と追悼の言葉を贈っている<ref>{{Cite book|和書|title=シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星|publisher=ワニブックス|pages=191-192}}</ref>。 担当する役は、長身のキャラクターが多いが、池田本人は比較的小柄である。[[岡田斗司夫]]はOVA『[[哭きの竜]]』のアフレコの際、ガイナックスの社員から「今回のスタジオは小さい所だけれど、今日は『小さい』を意味する言葉は禁句だ」と注意されている{{要出典|date=2020年11月}}。なお、岡田の著書『オタクの迷い道』{{要ページ番号|date=2020年11月}}では、このときの池田の印象について「一人だけ椅子に座っている声優がおり、こんな狭い所によく椅子が入ったなと思ってよく見ると、その男は座っておらず普通に立っており、その男が池田さんだった」、「スタッフから『池田さんいた?』と聞かれたので思わず『池田さん、落ちてた』と答えた」と記述されている。 OVA『[[哭きの竜]]』のアフレコの際には、担当した主人公竜が無口なキャラクターのために台詞は共演者の[[内海賢二]]と比べて非常に少なく、またその時点で映像ができあがっておらず、声優は合図に合わせて声を当てるというありさまだったため、さすがに機嫌を損ねるだろうと岡田斗司夫は危惧していたが、仕事終わりに池田は岡田に対し満面の笑みを浮かべて「いやぁ、社長!こんな楽な仕事は初めてですよ! 次もぜひまた! お願いします!」と気さくに握手を求めた。岡田はこのときのことを「[[宮尾すすむ]]のような台詞をシャアの声で言われた」と表現している{{要出典|date=2020年11月}}。 飲み会の際に、携帯電話で泣きながら男と話している女の子を見かけ、その会話に我慢できなくなって携帯を奪い取り「俺はシャアだが、」と名乗って相手に説教を始めたことがある(『[[中川家ん!]]』(2005年2月1日[[毎日放送]]・関西ローカル)に出演した[[古谷徹]]談{{出典無効|date=2020年11月}})。古谷によると、池田は大の日本酒好きである。お酒を本格的に飲み出したのは18歳ぐらいという{{R|OUT19850701}}。 『[[ドラゴン・キングダム]]』の公開に合わせ、[[ジャッキー・チェン]]の吹き替えを担当している[[石丸博也]]と対談。お互いに長年の思い出と持ち役への思い入れを語り合った。この対談は、上映時のパンフレットに収録されている。 === 『ガンダム』関連 === 池田が参加した『[[機動戦士ガンダム]]』のオーディションは、主人公[[アムロ・レイ]]の声優を決めるためのものだった。しかし、会場に置かれていた[[安彦良和]]のキャラクターデザインを見て[[シャア・アズナブル]]を気に入り、シャアの声のオーディションを受け、『ガンダム』への参加が決まった<ref>{{Cite book|和書|title=シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星|publisher=ワニブックス|pages=51-52}}</ref>。池田はシャアとの出会いを「僕はシャアから呼び止められた」と語っている<ref>{{Cite book|和書|title=シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星|publisher=ワニブックス|page=55}}</ref>。 シャア役のイメージが強いために、いつでも「シャアだ」と言われて嫌だなと思っていた時期があったが、現在ではもういいやと思っているという<ref>{{Cite book|和書|title=池田秀一の「三倍速く!! シャアが行く!」 ~ガンダム人間探訪記~|publisher=角川書店|page=49}}</ref>。 『[[機動戦士SDガンダム]]』に関しては「昔の劇場版のオマケ的なSD作品はすごく嫌だった」「(パロディ臭の強い作風と、それに対する本編との)ギャップが嫌だった。それを本編のシャアと一緒に上映されてしまうとたまらないなという思いがあった」という<ref>{{Cite book|和書|title=池田秀一の「三倍速く!! シャアが行く!」 ~ガンダム人間探訪記~|publisher=角川書店|pages=86-87}}</ref>。『[[SDガンダムフォース]]』は好意的に見ており「あの作品は面白かったな」「作品としてはもうちょっとヒットすると思ってた。そこが惜しかったかな。」と評している<ref>{{Cite book|和書|title=池田秀一の「三倍速く!! シャアが行く!」 ~ガンダム人間探訪記~|publisher=角川書店|page=|pages=84-85}}</ref>。 『[[機動戦士ガンダム]]』のシャアと[[ララァ・スン]]との独特の距離感、二人の間に流れる艶っぽさを気に入っており、富野監督に「この二人は(恋愛的に)出来てますよね?そんな雰囲気でやってもいいですか?」と質問し、富野はそれに対してニヤッと笑って「結構です」と答えた事から、世の男どもが羨むような雰囲気を出そうと、多少ウィットな感じを入れながら演じたという<ref>{{Cite book|和書|title=シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星|publisher=ワニブックス|pages=67-68}}</ref>。また、アムロに勝つために死んだララァに祈る弱さと苛立ちを見せた事について「(演者として)シャアを深く理解するためのキーになりました」と述べている<ref>{{Cite book|和書|title=シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星|publisher=ワニブックス|page=106}}</ref>。一方で「ララァ、私を導いてくれ」というセリフや、劇場版でララァの死に涙を流すシャアは当時は好きではなかったとも語っている<ref>{{Cite book|和書|title=池田秀一の「三倍速く!! シャアが行く!」 ~ガンダム人間探訪記~|publisher=角川書店|page=107}}</ref>。 池田は当初、シャアに関しては『機動戦士ガンダム』で完全燃焼し、『[[機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙篇|機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙]]』のラストシーンを「シャアが物語を締めくくるのに、これ以上のシーンはあり得ない」と感じていた事から、以降の作品の斜に構えたシャアには違和感があったと述べている<ref group="注">池田はシャアを「大人としてしたたかな男」であると考えていた為、以降の作品のシャアについては「カミーユから殴られても納得したり、ララァの影を追いかけて戦争を起こすような男だったのか?」と感じたという(シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星 74頁)。</ref><ref>{{Cite book|和書|title=シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星|publisher=ワニブックス|pages=74.137.146}}</ref>。『[[機動戦士ガンダム 逆襲のシャア]]』におけるシャアの「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えたことか!」というセリフを言うときも、池田は「シャアってこんなに子供だったのか?」と率直に感じたという<ref>{{Cite book|和書|title=シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星|publisher=ワニブックス|pages=143.146}}</ref>。池田はこうしたシャアの描かれ方について富野監督の当時の心情が反映されていたのではないかと推察している<ref>{{Cite book|和書|title=シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星|publisher=ワニブックス|pages=141.146}}</ref>。『機動戦士Ζガンダム(劇場版)』に関してはテレビシリーズでは納得できなかったシャアの描かれ方が大幅に変えられた事や、ハッピーエンドを迎えた事から気に入っているという<ref>{{Cite book|和書|title=シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星|publisher=ワニブックス|page=75.154-155}}</ref>。 後年のシャアの描かれ方に不満はあったものの、『Zガンダム(劇場版)』をやって以降、「そういう部分もシャアにはあるのかも知れない」と見方が変わってきたともいい<ref>{{Cite book|和書|title=池田秀一の「三倍速く!! シャアが行く!」 ~ガンダム人間探訪記~|publisher=角川書店|page=106}}</ref>、『逆襲のシャア』を四国の映画館で再上映するイベントのトークショーに備えて同作を見直した際には「シャアはこういう気持ちだったんだ」と新たに気づかされたとも語っている<ref>{{Cite book|和書|title=池田秀一の「三倍速く!! シャアが行く!」 ~ガンダム人間探訪記~|publisher=角川書店|page=97}}</ref>。 CMやゲーム作品、劇場アニメなどでシャアを再演することも多いが、過去の作品を見直すなどして役作りを行う古谷とは対照的に、池田は(役作りの為に)絶対に見ないとしている。真剣に考えるとプレッシャーに飲み込まれそうになるからあえて逃げる、というのがその理由とのこと<ref>{{Cite book|和書|title=池田秀一の「三倍速く!! シャアが行く!」 ~ガンダム人間探訪記~|publisher=角川書店|page=|pages=90-91}}</ref>。ただ池田も全く過去の作品を復習しないわけではなく、『ガンダムエース』{{Full|date=2020年11月}}誌上での古谷との対談の際に「ファースト(『機動戦士ガンダム』)を見返したら、僕はアムロを子供っぽく演じていた」と述べた古谷に「僕も観る機会があったのだけど、(有名なシャアのセリフどおり)シャアは若造だなと思ったよ」と返している。 [[2004年]]、『[[機動戦士ガンダムSEED DESTINY]]』に池田が[[ギルバート・デュランダル]]役で出演した。池田によると「近年『[[機動戦士Ζガンダム#劇場版|劇場版Ζガンダム]]』公開にまで至れたガンダム人気は『SEED』による効果が大きいと考え、若い『SEED』ファンにも過去の作品に興味を持つキッカケになれれば」という思いで同作品への参加を決めたという<ref>同作品の小説版第5巻でのあとがき。</ref>。 『ガンダム』のパロディ作品である『[[機動戦士ガンダムさん]]』のシャア・アズナブルの声はやらないと冗談まじりで語ったことがあるが{{要出典|date=2020年11月}}、のちに『[[ケロケロエース]]』のCMではシャアの声を担当した。 [[2010年]]には、『[[機動戦士ガンダムUC]]』にてシャアを思わせる容姿のフル・フロンタルの声を担当した(原作小説の作中にはフロンタルの声がライブラリのシャアの声とまったく同じという台詞がすでに存在していた)。なおアニメ化発表前に製作された小説のプロモーションムービーでは池田がナレーションを担当している。 === パロディ・引用 === 『[[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]]』で担当する[[FBI (名探偵コナン)#赤井秀一|赤井秀一]]は、シャアのオマージュであり「オリジナル」の声が抜擢されたかたちになっている(「赤井秀一」という名前も、赤い彗星のシャアと池田秀一から)。劇場版第20作『[[名探偵コナン 純黒の悪夢|純黒の悪夢]]』の公開を記念した[[安室透]]役の[[古谷徹]]とのインタビュー形式の対談では、キャラ名の第一印象について「どっかで聞いたことある名前だな」と語っている<ref>{{Cite interview|和書|last=池田|first=秀一|subjectlink=池田秀一|last2=古谷|first2=徹|subjectlink2=古谷徹|interviewer=宋 莉淑|title=劇場版『名探偵コナン』が「通常の3倍」観たくなる奇跡の対談!――劇場版『名探偵コナン 純黒の悪夢(ナイトメア)」』インタビュー|url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1458689734|work=[[アニメイトTV]]|publisher=[[アニメイト]]|date=2016-03-23|accessdate=2016-05-07}}</ref>。また、赤井が偽装死(当時は死亡扱いだった)というかたちで本編から退場した際は、『自分の出番はここまでか』と赤井との別れを惜しんだというものの、原作者の[[青山剛昌]]から今後の展開を聞かされていた江戸川コナン役の[[高山みなみ]]から収録後に赤井がまだ死んでない旨を耳打ちされたという。後日、青山と対面した際に「生きているなら劇中でちゃんと明確に描いて欲しい」と懇願したという<ref>[[日テレプラス]]の情報番組{{Full|date=2020年11月}}にゲスト出演した際に証言。</ref>。なお、安室の名前も[[アムロ・レイ]]と担当声優の古谷から取られ、赤井のライバル的立ち位置になるなど、青山自身がガンダムファンということもあり、同作には『ガンダム』に関係したオマージュが多く取り入れられている。また、赤井が[[黒ずくめの組織]]へ潜入捜査していたころ恋人だった[[黒ずくめの組織#宮野明美|宮野明美]]の声優は、池田の妻の[[玉川砂記子]]が担当している。 『[[ケロロ軍曹 (アニメ)|ケロロ軍曹]]』で演じる[[ケロロ軍曹の登場人物一覧#西澤家関連|西澤梅雄]]はシャアの台詞を引用している。 『[[新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA]]』で担当した名雲京志郎の台詞の端々に、シャアの台詞が出てくる(「私もよくよく運のない男だ」など)。『[[トロン (映画)|トロン]]』スペシャルコレクション[[レーザーディスク]]の監督[[スティーブン・リズバーガー]]によるオーディオ・コメンタリでも「私もよくよく運のない男だな」という台詞が残っている(DVDには収録されず)。 『[[シャドウハーツII]]』では狼のブランカ役(特殊イベントのみ)を演じており、内容や技もシャアにちなんだものが仕込まれている。 『[[忍風戦隊ハリケンジャー]]』で敵組織ジャカンジャの幹部サンダール役を演じた際には、「見せてもらおうか、地球忍者のカラクリの性能とやらを」、「当たらなければどうということはない」など、シャアの台詞を引用している。 『[[獣拳戦隊ゲキレンジャー]]』では拳聖バット・リー役を演じている。バット・リーに限らず拳聖は「カンフーアクションスターを動物にもじった名前で、そのスターの吹き替え俳優が声を当てる」という試みになっている。「バット・リー」という名前は、池田が数多く吹き替えを担当している[[ジェット・リー]]ことリー・リンチェイのパロディである。 2008年3月5日に旗揚げされた[[ワールドビクトリーロード]]が主催する[[総合格闘技]]イベント『[[戦極|戦極-SENGOKU-]]』にて、煽りVのナレーション、および、選手の呼び込みを担当している。選手の呼び込みの際、「これより、第○試合を行う!」、「[[吉田秀彦]]選手、出るぞ」、「[[瀧本誠]]選手 出る!!」といったシャア・アズナブルを模したコールが行われた。 『[[NISSAN あ、安部礼司〜BEYOND THE AVERAGE|NISSAN あ、安部礼司]]』ではイケリーマンこと刈谷勇(かりやいさむ)が務める会社の社長である「赤井彗星」を演じている。主人公、安部礼司の妻である「安部(旧姓倉橋)優」のことを「クラハーシア(アルテイシアのパロディ)」と呼ぶ。 === 『花燃ゆ』について === 池田は、大河ドラマでは『[[竜馬がゆく (NHK大河ドラマ)|竜馬がゆく]]』『[[元禄太平記]]』『[[花神 (NHK大河ドラマ)|花神]]』に出演している<ref name=HANASA>池田秀一インタビュー「見せてもらおうか、幕末の若者たちの情熱とやらを」『2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」完全読本』140-141頁。</ref>。『花神』では共演した[[中村雅俊]]と[[尾藤イサオ]]との撮影後に飲みに行った話、『竜馬がゆく』では[[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]や[[北大路欣也]]と共演できて光栄だと述べた<ref name="HANASA" />。また池田自身が気に入っている大河ドラマとして『[[赤穂浪士 (NHK大河ドラマ)|赤穂浪士]]』を挙げている<ref name="HANASA" />。 『花燃ゆ』のナレーションとしての池田の起用が同作の製作発表時に大きく伝えられたことで、周囲から頑張って欲しいとのエールを送られたとしている<ref name="HANASA" />。また同作に関するインタビューにおいて、シャアとは離れられない存在だと述べている<ref name="HANATO">「ナレーション・池田秀一」『[NHK大河ドラマ]『花燃ゆ』完全ガイドブック TOKYO NEWS MOOK 458号』129頁。</ref>。同作のナレーションについては「シャアの声を聞いて色々思い出してくれると嬉しい」と語った<ref name="HANATO" />。同作の起用がオファーされた際の池田の率直な感想は「僕でいいのですか?」であった<ref>「語り・池田秀一」『花燃ゆ 前編 【NHK大河ドラマ・ストーリー】』188頁。</ref> が、語りの選考について同作プロデューサー(制作統括)の土屋勝裕は「激動の幕末の時代を解り易く、同時に高揚した躍動感のある語りで物語をあおってくれる事が出来る人と思いついたのが、池田だった」と語っている<ref>「はてなTV」『朝日新聞』朝刊、2015年6月16日、24面。</ref>。 == 出演 == '''太字'''はメインキャラクター。 === テレビアニメ === {{定義リスト2 | 1963年 | * [[鉄腕アトム (アニメ第1作)|鉄腕アトム]]([[鉄腕アトム#人間|大目玉男]]) | 1970年 | * [[赤き血のイレブン]](早瀬俊二) | 1978年 | * [[まんが日本絵巻]](沖田総司) * [[無敵鋼人ダイターン3]](コマンダー・ラディック) | 1979年 | * [[機動戦士ガンダム]](1979年 - 1980年、'''[[シャア・アズナブル]]'''{{R|ガンダム}}、オスカ・ダブリン、オムル・ハング) * [[銀河鉄道999 (アニメ)|銀河鉄道999]](ナンミ) * [[ザ☆ウルトラマン]](清水) * [[ジャン・バルジャン物語]](マリユス) | 1980年 | * [[がんばれ元気]](三島栄司) | 1981年 | * [[新竹取物語 1000年女王]](ハンニバル) * [[戦国魔神ゴーショーグン]](フランシス・ルグラン) * [[ヤットデタマン]](アレキサンダー) | 1982年 | * [[パタリロ!|ぼくパタリロ!]](ドクトル・ザンゲ) * [[魔境伝説アクロバンチ]](ミゲール) | 1983年 | * [[タイムスリップ10000年プライム・ローズ]](ピラール総督<ref>{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/59.html| title = タイムスリップ10000年 プライム・ローズ| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-05-21}}</ref>) | 1984年 | * [[巨神ゴーグ]](ロッド・バルボア) * [[よろしくメカドック]](島圭介、リュウ) | 1985年 | * [[機動戦士Ζガンダム]](1985年 - 1986年、'''[[シャア・アズナブル|クワトロ・バジーナ / シャア・アズナブル]]'''{{R|Ζガンダム}}) * [[炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ]]('''ジョルジュ・ド・グールモン伯爵''') | 1986年 | * [[機動戦士ガンダムΖΖ]](クワトロ・バジーナ) * [[三国志 (日本テレビ)|三国志II 天翔ける英雄たち]](周瑜公瑾) * [[青春アニメ全集]](太田豊太郎、次野先生) * [[聖闘士星矢 (アニメ)|聖闘士星矢]]([[黄金聖闘士#蠍座のミロ|蠍座のミロ]]) * [[マシンロボ クロノスの大逆襲]](ケンポーロボ、デビルロック・クレイ) | 1987年 | * [[赤い光弾ジリオン]](マックス・シード少尉) | 1988年 | * [[宇宙の戦士 (アニメ)|宇宙の戦士]](アズマ) * [[まじかるハット]](モランボ) * [[燃える!お兄さん]]('''火堂害'''{{R|燃える!お兄さん}}) | 1991年 | * [[シティーハンター'91]](桑田刑事) | 1994年 | * [[七つの海のティコ]]('''スコット'''{{R|七つの海のティコ}}) | 1996年 | * [[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- (アニメ)|るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]](比古清十郎) | 1997年 | * [[金田一少年の事件簿 (アニメ)|金田一少年の事件簿]](1997年 - 2007年、雪室憂一、聖正秋人、緋色景介)- 1シリーズ + 特別編 | 1999年 | * [[アークザラッド]]('''シュウ'''<ref>{{Cite web2|url=https://www.aniplex.co.jp/Arc/cast/|title=キャスト紹介|work=Arc The Lad|accessdate=2023-04-01}}</ref>) * [[アレクサンダー戦記]](プトレマイオス) * [[週刊ストーリーランド]](サム) * [[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]](1999年 - 2023年、シャンクス<ref>{{Cite web|和書| url = https://one-piece.com/log/character/detail/Shanks| title = シャンクス| publisher = ONE PIECE.com | accessdate = 2023-03-21}}</ref>) - 1シリーズ + 特別編2作品{{Ras|『[[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]]』(1999年 - 2023年)、『[[ONE PIECE エピソードオブルフィ 〜ハンドアイランドの冒険〜|エピソードオブルフィ]]』(2012年)、『[[ONE PIECE エピソードオブ東の海 〜ルフィと4人の仲間の大冒険!!〜|エピソードオブ東の海]]』(2017年)}} | 2000年 | * 宇宙探検隊SIMS(ランダー) * [[タイムボカン2000 怪盗きらめきマン]](マイホームズ) | 2001年 | * [[砂漠の海賊!キャプテンクッパ]](アッサム) * [[PROJECT ARMS]](ジャバウォック)- 2シリーズ * [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](2001年 - 2023年、'''[[FBI (名探偵コナン)#赤井秀一|赤井秀一]]'''〈'''諸星大'''〉 / '''[[黒ずくめの組織#ライ|ライ]]'''{{R|名探偵コナン}}、[[まじっく快斗#黒羽盗一|黒羽盗一]]、[[黒ずくめの組織#ベルモット|火傷の男]]) | 2003年 | * [[GUNSLINGER GIRL]](フェルミ) | 2004年 | * [[SDガンダムフォース]]('''レッドザコ''' / '''コマンダーサザビー''') * [[機動戦士ガンダムSEED DESTINY]](2004年 - 2005年、'''[[ギルバート・デュランダル]]'''{{R|ガンダムSEED DESTINY}}) * [[ケロロ軍曹 (アニメ)|ケロロ軍曹]]([[ケロロ軍曹の登場人物一覧#西澤家関連|西澤梅雄]]) * [[天上天下]](棗慎) * [[MONSTER (漫画)|MONSTER]](マルティン・レースト) | 2005年 | * [[うえきの法則]](マーガレット<ref>{{Cite web|和書|publisher=うえきの法則|url=https://mv.avex.jp/ueki/staff.html|title=スタッフ&キャスト|accessdate=2023-03-17}}</ref>、マーガレット≠天界獣) * [[NARUTO -ナルト- (アニメ)|NARUTO -ナルト-]](サザナミ / 刀吉) | 2006年 | * [[うたわれるもの]](ディー、ウィツァルネミテア分身) * [[エンジェル・ハート]](スナックのマスター・信ちゃん) * [[彩雲国物語 (アニメ)|彩雲国物語]](2006年 - 2007年、'''紅邵可'''、ナレーター)- 2シリーズ | 2007年 | * [[瀬戸の花嫁 (アニメ)|瀬戸の花嫁]](不知火明乃の兄) | 2008年 | * [[ゴルゴ13]](ミハイル) * [[秘密 〜The Revelation〜]]('''MRIナレーション'''〈'''オープニングナレーション'''〉) * [[ポルフィの長い旅]](ジュリアーニ神父) * [[ロザリオとバンパイア (アニメ)|ロザリオとバンパイア]](九曜) * [[ワールド・デストラクション 〜世界撲滅の六人〜]](ヤッピー) | 2010年 | * [[まじっく快斗]](2010年 - 2014年、黒羽盗一<ref>{{Cite web|和書| url = http://a1p.jp/works/magickaito/| title = まじっく快斗1412| publisher = A-1 Pictures| accessdate = 2016-06-08}}</ref>)- 2シリーズ | 2011年 | * [[銀魂']](米堕卿、SAGI) * [[C3 -シーキューブ-|C<sup>3</sup> -シーキューブ-]](世界橋ガブリエル) | 2013年 | * [[HUNTER×HUNTER (2011年のアニメ)|HUNTER×HUNTER(第2作)]](カイト<ref>{{Cite news |url=https://mantan-web.jp/article/20130224dog00m200033000c.html |title=[HUNTER×HUNTER]カイト役に“シャア”池田秀一 「キメラアント編」初アニメ化 |date=2013-02-25 |newspaper=まんたんウェブ |publisher=MANTAN |accessdate=2016-08-15}}</ref>) | 2014年 | * [[俺、ツインテールになります。]](ツインテール) * [[それでも世界は美しい]](元老・ヴォーダン<ref>{{Cite news |url=https://mantan-web.jp/article/20140314dog00m200053000c.html |title=それでも世界は美しい : アニメ版キャストに潘恵子、池田秀一、櫻井孝宏ら |date=2014-03-15 |newspaper=まんたんウェブ |publisher=MANTAN |accessdate=2014-03-14}}</ref>) | 2015年 | * [[ふうせんいぬティニー]](サンタ) | 2016年 | * [[カードファイト!! ヴァンガードG]]('''明神リューズ''')<!-- 2016-02-22 --> * [[機動戦士ガンダムUC RE:0096]]('''フル・フロンタル'''<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gundam-unicorn.net/tv/staffcast/|title=スタッフキャスト|work=機動戦士ガンダムUC RE:0096 |publisher=総通・サンライズ|accessdate=2016-02-21}}</ref>、ナレーション)<ref group="注">2010年発売のOVA『[[機動戦士ガンダムUC]]』の再編集作品。池田のナレーションは新規収録となる。</ref><!-- 2016-04-03 --> * [[名探偵コナン エピソード“ONE” 小さくなった名探偵]](赤井秀一)<!-- 2016-12-09 --> | 2018年 | * [[PERSONA5 the Animation]] / Stars and Ours(2018年 - 2019年、酔っ払いの男 / 獅童正義)- 1シリーズ + 特別編<!-- 2018-04-15 --> * [[宇宙戦艦ティラミスII]](エスカレド・キャデラック)<!-- 2018-12-04 --> | 2020年 | * [[クレヨンしんちゃん (アニメ)|クレヨンしんちゃん]]<ref>{{Twitter status2|crayon_official|1281785492686680065|2020年07月11日|accessdate=2023-03-11}}</ref>(トオベエ)<!-- 2020-07-11 --> * [[ジビエート]](ヨシナガ博士<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/comic/news/369360|title=「ジビエート」追加キャストに池田秀一、七海ひろき、崎本大海、伊藤えみ|work=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2020-03-02|accessdate=2020-03-02}}</ref>)<!-- 2020-07-15 --> | 2021年 | * [[オルタンシア・サーガ]]('''ディディエ・ヴィアルドー'''<ref>{{Cite web|url=https://animehorsaga.jp/staffcast/|title=STAFF&CAST|work=TVアニメ「オルタンシア・サーガ」公式サイト|accessdate=2020-10-12}}</ref>)<!-- 2021-01-28 --> | 2022年 | * [[BIRDIE WING -Golf Girls' Story-]](2022年 - 2023年、'''レオ・ミラフォーデン'''<ref>{{Cite web|url=https://birdie-wing.net/staffcast/?sc_cid=top_gmenu03|title=Staff&Cast|website=TVアニメ『BIRDIE WING -Golf Girls' Story-』公式サイト(バーディーウイング)|accessdate=2022-01-07}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/483419|title=ゴルフアニメ「BIRDIE WING」2期、来年1月放送決定!新PV&ビジュアル公開|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-06-29|accessdate=2022-06-29}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|Season 1(2022年)<!-- 2022-04-06 -->、Season 2(2023年)<!-- 2023-04-08 -->}} * [[ポプテピピック TVアニメーション作品第二シリーズ]]<!--特別出演--><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2261083/full/|title=『ポプテピピック』最終話は異例の実写で特撮ドラマ展開!西川貴教&中村優一が登場 声優40人超が声出演で蒼井翔太のピンチ救う|website=ORICON NEWS|work=oricon ME|date=2022-12-18|accessdate=2022-12-18}}</ref><!-- 2022-12-18 --> | 2023年 | * [[デジモンゴーストゲーム]](ブルムロードモン)<!-- 2023-02-26 --> * [[Helck]](ナレーション<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/526186|title=「Helck」7月11日放送開始、本PV公開 追加キャストにゆかな・池田秀一|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2023-05-26|accessdate=2023-05-26}}</ref>、謎のガイド)<!-- 2023-07-12 --> }} === OVA === {{定義リスト2 | 1983年 | * [[ダロス]]('''アレックス・ライガー''') | 1985年 | * [[幻夢戦記レダ]]('''ゼル''') | 1986年 | * [[ウォナビーズ]](鬼堂鉄馬) * [[県立地球防衛軍]](木曽屋・チルソニアン・文左衛門Jr.) * [[超時空ロマネスク SAMY MISSING・99]](シルバー) | 1987年 | * [[ドリームハンター麗夢]](1987年 - 1992年、鬼童海丸<ref>{{Cite web|和書|work=ドリームハンター麗夢 オフィシャルウェブサイト|url=http://www.dreamhunter.jp/staff.html|title=スタッフ・キャスト|accessdate=2022-11-04}}</ref>) - 3作品{{Ras|『ドリームハンター麗夢III 夢隠 首なし武者伝説』(1987年)、『NEWドリームハンター麗夢 夢の騎士達』(1990年)、『NEWドリームハンター麗夢 殺戮の夢幻迷宮』(1992年)}} * [[バブルガムクライシス]](ブライアン・J・メイスン) * [[プロジェクトA子|プロジェクトA子2 大徳寺財閥の陰謀]](キャプテン) * [[魔龍戦紀]]('''千代妓美鬼''') | 1988年 | * [[宇宙の戦士 (アニメ)|宇宙の戦士]](T・アズマ) * [[風を抜け!]](ジェフ・アネモス) * [[機動戦士SDガンダム]](シャア・アズナブル、ジオング、百式) * プロジェクトA子3 シンデレラ・ラプソディ(キャプテン) * [[麻雀飛翔伝 哭きの竜]]('''竜''') | 1989年 | * [[機動戦士SDガンダム|機動戦士SDガンダム Mk-II]](シャア・アズナブル / 大魔王シャア、ガンダムMk-II) * [[SDガンダム外伝 ジークジオン編|機動戦士SDガンダム外伝]](騎士シャア / 黄金の騎士) * [[銀河英雄伝説 (アニメ)|銀河英雄伝説]]('''[[ウルリッヒ・ケスラー]]''') * [[超人ロック|超人ロック ロードレオン]]('''ロードレオン'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1573/| title = 超人ロック ロードレオン| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-06-29}}</ref>) * [[バオー来訪者]](ドルド) * プロジェクトA子 完結篇(キャプテン) * [[燃える!お兄さん]]('''火堂害''') | 1990年 | * 機動戦士SDガンダム MARK-III(シャア・アズナブル、隠密頑駄無) * 機動戦士SDガンダム MARK-IV(アッガイ、隠密頑駄無〈VHS版のみ〉) * [[THE八犬伝]](網干左母二郎) * [[SOL BIANCA|ソル・ビアンカ]](ユーリー) * [[力王|力王 RIKI-OH VIOLENCE2 滅びの子]](那智) * [[ロードス島戦記]](カシュー王) | 1991年 | * [[マネーウォーズ|マネーウォーズ 〜狙われたウォーターフロント計画〜]](林海鳳) | 1992年 | * [[間の楔]](ラウール) * [[愛物語|愛物語 9 LOVE STORIES]] | 1993年 | * [[アルスラーン戦記|アルスラーン戦記 汗血公路]]('''ヒルメス''') * [[雲界の迷宮ZEGUY]](諸葛亮孔明) * [[湘南爆走族|湘南爆走族9 俺とお前のGOOD LUCK!]](江口啓助) | 1995年 | * アルスラーン戦記 征馬孤影('''ヒルメス''') | 1996年 | * [[新世紀GPXサイバーフォーミュラ|新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA]](名雲京志郎<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cyber-formula.net/saga/staffcast.html|title =STAFF&CAST|新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA|publisher=新世紀GPXサイバーフォーミュラ OFFICIAL WEB|accessdate=2022-09-30}}</ref>) | 1998年 | * 銀河英雄伝説外伝 朝の夢、夜の歌(ウルリッヒ・ケスラー) * 銀河英雄伝説外伝 千億の星、千億の光(ウルリッヒ・ケスラー) * 新世紀GPXサイバーフォーミュラSIN(名雲京志郎<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.cyber-formula.net/sin/staffcast.html|title =STAFF&CAST|新世紀GPXサイバーフォーミュラSIN|publisher=新世紀GPXサイバーフォーミュラ OFFICIAL WEB|accessdate=2022-09-30}}</ref>) | 2001年 | * [[GUNDAM EVOLVE]](2001年 - 2007年、'''シャア・アズナブル''' / '''クワトロ・バジーナ''') - 3作品{{Ras|『2』<!-- 2001-11 -->(2001年)、『12』<!-- 2005-01 -->(2005年)、『15』<!-- 2007-01-26 -->(2007年)}} * [[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- (アニメ)|るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 星霜編]]([[比古清十郎]]) | 2006年 | * [[機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER]](ギルバート・デュランダル) | 2010年 | * [[機動戦士ガンダムUC]](2010年 - 2014年、'''フル・フロンタル''' 他) * [[ONE PIECE FILM STRONG WORLD|ONE PIECE FILM STRONG WORLD EPISODE:0]](シャンクス) | 2012年 | * [[C3 -シーキューブ-|C<sup>3</sup> -シーキューブ-]](世界橋ガブリエル) - BD/DVD第5巻TV未放送話 | 2015年 | * [[機動戦士ガンダム THE ORIGIN]](2015年 - 2018年、'''シャア・アズナブル'''〈'''キャスバル・レム・ダイクン'''〉<ref>{{Cite web|publisher=機動戦士ガンダム THE ORIGIN 公式サイト|title=WORLD|url=http://www.gundam-the-origin.net/world/03.html|accessdate=2016-01-30}}</ref> / '''エドワウ・マス'''<ref>{{Cite web|publisher=機動戦士ガンダム THE ORIGIN 公式サイト|title=WORLD|url=http://www.gundam-the-origin.net/world/02.html|accessdate=2015-07-05}}</ref>) - 2019年に再編集作品『THE ORIGIN 前夜 赤い彗星』テレビ放送<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gundam-the-origin.net/tv/index.html#staffcast|title=メインスタッフ・キャスト|work=機動戦士ガンダム THE ORIGIN 前夜 赤い彗星 公式サイト|publisher=サンライズ|accessdate=2019-02-22}}</ref><!--2015-02-28 --> }} === 劇場アニメ === {{定義リスト2 | 1980年 | * [[火の鳥2772 愛のコスモゾーン]]('''[[ロック・ホーム|ロック]]'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/13.html| title = 火の鳥2772 愛のコスモゾーン| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-05-19}}</ref>) | 1981年 | * [[機動戦士ガンダム]]('''[[シャア・アズナブル]]''') * 機動戦士ガンダムII 哀・戦士編('''シャア・アズナブル''') | 1982年 | * 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編('''シャア・アズナブル''') * [[新竹取物語 1000年女王|1000年女王]](ハンニバル) * [[わが青春のアルカディア]](ゾル{{R|わが青春のアルカディア}}) | 1983年 | * [[ユニコ|ユニコ 魔法の島へ]](トルビー<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20171002215211/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/1598| title = ユニコ 魔法の島へ| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2016-11-06}}</ref>) | 1986年 | * [[プロジェクトA子]](キャプテン) | 1988年 | * [[機動戦士ガンダム 逆襲のシャア]]('''シャア・アズナブル'''{{R|逆襲のシャア}}) | 1989年 | * [[機動戦士SDガンダム]](シャア・アズナブル) * 機動戦士SDガンダム 嵐を呼ぶ学園祭(シャア・アズナブル) * [[ヴイナス戦記]](ジェフリー・カーツ) | 1991年 | * [[アルスラーン戦記]]('''ヒルメス''') * [[ふしぎの海のナディア|ふしぎの海のナディア 劇場用オリジナル版]](フライ、ナレーター) | 1992年 | * アルスラーン戦記2('''ヒルメス''') | 2000年 | * [[アレクサンダー戦記]](プトレマイオス) | 2001年 | * [[シャム猫 -ファーストミッション-]](石動智明少佐<ref>{{Cite web|和書| url = http://artport.co.jp/library/do_theatical/sham_neko.html| title = シャム猫 -ファーストミッション-| publisher = ArtPort Inc. Web Site| accessdate = 2016-06-10}}</ref>) | 2003年 | * [[ONE PIECE THE MOVIE デッドエンドの冒険]](シャンクス) | 2004年 | * [[パーマン|Pa-Pa-Pa ザ★ムービー パーマン]]([[魔土災炎]]) | 2005年 | * [[機動戦士Ζガンダム#劇場版|機動戦士Ζガンダム A New Translation -星を継ぐ者-]]('''シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ'''<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.z-gundam.net/z1/staff_story/staff/staff.html | title = 機動戦士ZガンダムI 星を継ぐ者 STAFF| publisher = 創通・サンライズ| accessdate = 2022-05-18}}</ref>) * 機動戦士ΖガンダムII A New Translation -恋人たち-('''シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ'''<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.z-gundam.net/z2/staff/index.html | title =『機動戦士ZガンダムⅡ-恋人たち-』メインキャスト |publisher = 創通・サンライズ| accessdate = 2022-05-18}}</ref>) | 2006年 | * 機動戦士ΖガンダムIII A New Translation -星の鼓動は愛-('''シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ'''<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.z-gundam.net/z3/staff/index.html | title =『機動戦士ZガンダムⅢ-星の鼓動は愛-』メインキャスト |publisher = 創通・サンライズ| accessdate = 2022-05-18}}</ref>) * [[クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!]](アミーゴスズキ) | 2011年 | * [[ONE PIECE 3D 麦わらチェイス]](シャンクス) | 2014年 | * [[名探偵コナン 異次元の狙撃手]](赤井秀一<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.tms-e.co.jp/alltitles/conan/087318.html| title = 名探偵コナン 異次元の狙撃手| publisher = トムス・エンタテインメント| accessdate = 2022-05-24}}</ref>) | 2015年 | * [[GAMBA ガンバと仲間たち]]('''ガクシャ'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=|work=映画「GAMBA ガンバと仲間たち」公式サイト|url=http://gamba-movie.com/chara/|title=キャラクター|accessdate=2015-07-17}}</ref>) | 2016年 | * [[GANTZ|GANTZ:O]]('''鈴木良一'''<ref>{{Cite web|work=GANTZ:O|ガンツ:オー 公式サイト|url=http://gantzo.jp/character/|title=CHARACTER|accessdate=2016-07-30}}</ref>) * [[名探偵コナン 純黒の悪夢]]('''赤井秀一''') | 2018年 | * [[機動戦士ガンダムNT]](クワトロ・バジーナ)<!-- 2018-11-30 --> | 2021年 | * [[名探偵コナン 緋色の弾丸]]('''赤井秀一''')<!-- 2021-04-16 --> | 2022年 | * [[機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島]](シャア・アズナブル<ref>{{Cite web|和書|url=https://g-doan.net/news/news.php?id=19746|title=赤い彗星のシャア登場!?シャア登場に込める―。安彦監督のコメント到着&シャア専用高機動型ザクⅡ設定画解禁!|work=機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島 公式サイト|publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]]|date=2022-05-17|accessdate=2022-05-17}}</ref>)<!-- 2022-06-03 --> * [[ONE PIECE FILM RED]]('''シャンクス''')<!-- 2022-08-06 --> | 2023年 | * [[名探偵コナン 黒鉄の魚影]]('''赤井秀一''')<!-- 2023-04-14 --> }} === Webアニメ === * [[ブラックチャンネル]] (2021年、赤井秀一) * [[テルマエ・ロマエ ノヴァエ]](2022年、'''歌川国芳'''<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/comic/news/467752|title=「テルマエ・ロマエ ノヴァエ」特別映像で小林沙苗や小林親弘ら9人の新キャスト解禁|newspaper=コミックナタリー|publisher=ナターシャ|date=2022-03-02|accessdate=2022-03-02}}</ref>)<!-- 2022-03-28 --> === ゲーム === {{定義リスト2 | 1989年 | * [[獣王記]](ナレーション) ※[[PCエンジン]]CD-ROM2版 | 1991年 | * [[ヘルファイヤー#移植版|ヘルファイアーS]](戦闘機パイロット) * [[ロードス島戦記]](カシュー王) ※PCエンジン版 | 1992年 | * [[改造町人シュビビンマン3 -異界のプリンセス-]](魔族隊長) * [[天外魔境II 卍MARU]](ヨミ、紅丸、磯花法師) * ネクスザール(ヘックナー) | 1993年 | * [[イースIV The Dawn of Ys]](エルディール) * [[らんま1/2 白蘭愛歌]](二重格人) | 1994年 | * [[アンジェリーク]](前・緑の守護聖カティス) * バスティール (ファリアル・ファラシア) * ロードス島戦記 英雄戦争(カシュー王) * ロードス島戦記II(カシュー王) | 1995年 | * [[天外魔境 電脳絡繰格闘伝]](ヨミ) | 1996年 | * [[アークザラッドII]]('''シュウ''') * [[スーパーロボット大戦シリーズ]](1996年 - 2021年、[[シャア・アズナブル|シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ]]) - 25作品{{Ras|『[[第4次スーパーロボット大戦|第4次S]]』『[[新スーパーロボット大戦|新]]』(1996年)、『[[スーパーロボット大戦F|F]]』(1997年)、『[[スーパーロボット大戦F|F完結編]]』(1998年)、『[[スーパーロボット大戦コンプリートボックス|コンプリートボックス]]』(1999年)、『[[スーパーロボット大戦α|α]]』(2000年)、『α for Dreamcast』『[[スーパーロボット大戦α外伝|α外伝]]』(2001年)、『[[スーパーロボット大戦IMPACT|IMPACT]]』(2002年)、『[[スーパーロボット大戦Scramble Commander|Scramble Commander]]』『[[第2次スーパーロボット大戦α|第2次α]]』(2003年)、『[[スーパーロボット大戦GC|GC]]』『[[スーパーロボット大戦MX|MX]]』(2004年)、『MX ポータブル』(2005年)、『[[スーパーロボット大戦GC|XO]]』(2006年)、『[[スーパーロボット大戦Scramble Commander the 2nd|Scramble Commander the 2nd]]』(2007年)、『[[スーパーロボット大戦A|A ポータブル]]』(2008年)、『[[第2次スーパーロボット大戦Z|第2次Z破界篇]]』(2011年)、『第2次Z再世篇』(2012年)、『[[スーパーロボット大戦Operation Extend|Operation Extend]]』(2013年)、『[[スーパーロボット大戦V|V]]』(2017年)、『[[スーパーロボット大戦X|X]]』<!-- 2018-03-29 -->『[[スーパーロボット大戦X-Ω|X-Ω]]』<!-- 2018-04-01 -->(2018年)、『[[スーパーロボット大戦T|T]]』<!-- 2019-03-20 -->(2019年)、『[[スーパーロボット大戦30|30]]』<!-- 2021-10-28 -->(2021年)}} * [[NOT TREASURE HUNTER]] ('''ジェームス・アークライト''') * [[ファーランドシリーズ|ファーランドストーリーFX]](ランティア) * [[アンジェリークシリーズ|ふしぎの国のアンジェリーク]](前・緑の守護聖カティス) * [[ポポロクロイス物語 (ゲーム)|ポポロクロイス物語]](白騎士) | 1997年 | * [[アークザラッド・モンスターゲーム with カジノゲーム]]('''シュウ''') * ファーランドストーリー〜四つの封印〜(ランティア) | 1998年 | * [[EVE The Lost One]](見城陽一) * [[SDガンダム GGENERATION]](1998年 - 2019年、シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ、フル・フロンタル、[[ギルバート・デュランダル]]) - 14作品{{Ras|『GGENERATION』<!-- 1998-08-06 -->(1998年)、『ZERO』<!-- 1999-08-12 -->(1999年)、『F』<!-- 2000-08-03 -->(2000年)、『F.I.F』<!-- 2001-05-02 -->(2001年)、『NEO』<!-- 2002-11-28 -->(2002年)、『SEED』<!-- 2004-02-19 -->(2004年)、『PORTABLE』<!-- 2006-08-03 -->(2006年)、『SPIRITS』<!-- 2007-11-29 -->(2007年)、『WARS』<!-- 2009-08-06 -->(2009年)、『WORLD』<!-- 2011-02-24 -->『3D』<!-- 2011-12-22 -->(2011年)、『OVER WORLD』<!-- 2012-09-27 -->(2012年)、『GENESIS』<!-- 2016-11-22 -->(2016年)、『CROSSRAYS』<!-- 2019-11-28 -->(2019年)}} * [[サウザンドアームズ]](シャフト) * [[サクラ大戦2 〜君、死にたもうことなかれ〜]](ロベール・ド・シャトーブリアン) * [[超鋼戦紀キカイオー]](シャドーレッド、ヘルマン) | 1999年 | * [[アークザラッドIII]]('''シュウ''') * [[ヴァルキリープロファイル]](オーディン、バルバロッサ) * [[70年代風ロボットアニメ ゲッP-X]](ジャーグ将軍) * [[メルティランサー The 3rd Planet]](マクシミリアン・クロエ) | 2000年 | *[[機動戦士ガンダム (PlayStation 2)|機動戦士ガンダム]](シャア・アズナブル) * [[BLOOD THE LAST VAMPIRE]](闇の王) | 2001年 | * [[機動戦士ガンダム 連邦vs.ジオン]](シャア・アズナブル) * [[THE スナイパー]]('''ハリー・C・スペンサー''') * [[ONE PIECE グランドバトル!|From TV animation ONE PIECE グランドバトル!]](シャンクス) * [[ONE PIECE とびだせ海賊団!|From TV animation ONE PIECE とびだせ海賊団!]](シャンクス) * [[みんなのGOLF3]](クーガー) | 2002年 | * THE スナイパー2〜悪夢の銃弾〜('''ハリー・C・スペンサー''') * [[ONE PIECE グランドバトル! 2|From TV animation ONE PIECE グランドバトル!2]](シャンクス) * From TV animation ONE PIECE トレジャーバトル!(シャンクス) | 2003年 | * [[機動戦士Ζガンダム エゥーゴvs.ティターンズ]](シャア・アズナブル〈クワトロ・バジーナ〉) * [[機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙]](シャア・アズナブル) * From TV animation ONE PIECE オーシャンズドリーム!(シャンクス) * [[みんなのGOLF4]](クーガー) * [[ONE PIECE グランドバトル! 3]](シャンクス) | 2004年 | * [[アークザラッドジェネレーション]](シュウ) * [[ガングレイヴO.D.]](ガリーノ・クレアーレ・コルシオネ) * [[機動戦士ガンダム ガンダムvs.Ζガンダム]](シャア・アズナブル〈クワトロ・バジーナ〉) * [[シャドウハーツII]]('''ブランカ''') * ONE PIECE ランドランド!(シャンクス) | 2005年 | * [[Another Century's Episode]](シャア・アズナブル〈クワトロ・バジーナ〉) * [[機動戦士ガンダム 一年戦争]](シャア・アズナブル) * [[新紀幻想スペクトラルソウルズII]](マックス) * [[天外魔境III NAMIDA]](ニギ) * [[ファントム・キングダム]](冥王シードル) * [[ONE PIECE グラバト! RUSH]](シャンクス) * [[ONE PIECE パイレーツカーニバル]](シャンクス) | 2006年 | * ヴァルキリープロファイル レナス(オーディン、バルバロッサ) * [[ヴァルキリープロファイル2 シルメリア]](オーディン) * [[うたわれるもの 散りゆく者への子守唄]](ディー、ウィツァルネミテア分身) * [[機動戦士ガンダム クライマックスU.C.]](シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ) * [[機動戦士ガンダムSEED DESTINY 連合vs.Z.A.F.T.II]](ギルバート・デュランダル) * [[ダンジョンズ&ドラゴンズ オンライン]](日本語版[[ゲームマスター|ダンジョンマスター]]) * [[天下人 (ゲーム)|天下人]]([[織田信長]]) | 2007年 | * [[キングダム ハーツ チェイン オブ メモリーズ#キングダム ハーツ Re:チェイン オブ メモリーズ|キングダム ハーツ Re:チェイン オブ メモリーズ]]('''[[XIII機関#No. XI マールーシャ|マールーシャ]]''') * [[キングダム ハーツII#キングダム ハーツII ファイナル ミックス+|キングダム ハーツII ファイナル ミックス]](マールーシャ) * [[ガンダム無双]](シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ) * [[Microsoft Flight Simulator X]] * [[MAPLUS ポータブルナビ2]](ナビゲーション音声) - 有料ダウンロードコンテンツ * [[ONE PIECE アンリミテッドアドベンチャー]](シャンクス) * ONE PIECE ギアスピリット(シャンクス) | 2008年 | * [[俺たちのサバゲー PORTABLE]] * [[機動戦士ガンダム ガンダムVS.ガンダム]](シャア・アズナブル) * ガンダム無双2(シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ) * [[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ シネマランド カチンコガチンコ大活劇!]](アミーゴスズキ) * [[スーパーロボット大戦Z]](クワトロ・バジーナ、ギルバート・デュランダル) | 2009年 | * [[機動戦士ガンダム ガンダムVS.ガンダムNEXT]](シャア・アズナブル/クワトロ・バジーナ) * [[キングダム ハーツ 358/2 Days]]('''マールーシャ''') * [[シャイニング・フォース フェザー]](ロンガン) * [[ONE PIECE アンリミテッドクルーズ|ONE PIECE アンリミテッドクルーズ エピソード2 -目覚める勇者-]](シャンクス) * [[ワンピーベリーマッチ|ONE PIECE ワンピーベリーマッチ]](シャンクス) | 2010年 | * [[Another Century's Episode:R]](シャア・アズナブル〈クワトロ・バジーナ〉) * [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス]](シャア・アズナブル/クワトロ・バジーナ、フル・フロンタル) * ガンダム無双3(シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ) * [[電撃のピロト〜天空の絆〜]](ビンエス) * [[ONE PIECE ギガントバトル!]](シャンクス) | 2011年 | * デウスエクス(2011; 原題:デウスエクス: ヒューマン・レボリューション) (デイヴィッド・サリフ) * [[るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- (アニメ)#ゲーム|るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 再閃]](比古清十郎) * [[ONE PIECE アンリミテッドクルーズ|ONE PIECE アンリミテッドクルーズ スペシャル]](シャンクス) * [[ONE PIECE ギガントバトル! 2 新世界]](シャンクス) | 2012年 | * [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス フルブースト]](シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ、フル・フロンタル) * [[機動戦士ガンダムUC]](クワトロ・バジーナ、フル・フロンタル) * [[バイオハザード リベレーションズ]](ジャック・ノーマン) * [[真剣で私に恋しなさい!|真剣で私に恋しなさい!!R]](フランク・フリードリヒ) * るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 完醒(比古清十郎<ref>{{Cite web|和書|publisher=るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 完醒|url=http://www.bandaigames.channel.or.jp/list/psp_rurounikenshin/top2.html|title=キャラクター|accessdate=2012-08-30}}</ref>) | 2013年 | * [[キングダム ハーツ HD 1.5 リミックス]](マールーシャ) * [[神撃のバハムート]]('''ヴァルフリート'''<ref>{{Twitter status|bahamut_cygames|399055709548978176}}</ref>) * [[DISORDER6]](シマヅ<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[電撃PlayStation]]|issue=Vol.542|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]|date=2013-05-16}}</ref>) * [[ファイナルファンタジーXIV|ファイナルファンタジーXIV:新生エオルゼア]](アシエン・ラハブレア<ref>{{Cite web|和書|publisher=ファミ通.com|url=http://www.famitsu.com/news/201308/01037640.html|title=『ファイナルファンタジーXIV: 新生エオルゼア』“ガレマール帝国”の主要キャラクターとボイスアクターの情報が公開!|accessdate=2013-08-01}}</ref>) * [[ONE PIECE アンリミテッドワールド レッド]](シャンクス) * 真・ガンダム無双 (シャア・アズナブル/クワトロ・バジーナ、フル・フロンタル、ギルバート・デュランダル) | 2014年 | * [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス マキシブースト]](シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ、フル・フロンタル) * [[キングダム ハーツ HD 2.5 リミックス]](マールーシャ) * 三国志英歌('''菫卓'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=|url=http://3594e.jp/|title=三国志英歌|accessdate=2014-08-29}}</ref>) * 神話帝国ソウルサークル(海賊提督フランシス・ドレイク<ref>{{Cite web|和書|url=http://gloops.com/game/soulcircle/ |title=神話帝国ソウルサークル<公式> |publisher=gloops |accessdate=2014-03-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140812032754/http://gloops.com/game/soulcircle/ |archivedate=2014-08-12}}</ref>) * [[スーパーヒーロージェネレーション]](シナンジュ<ref>{{Cite web|和書|publisher=4Gamer.com|url=https://www.4gamer.net/games/264/G026477/20140805019/|title=「スーパーヒーロージェネレーション」,ステージの展開が変化する「ブレイクシステム」と,主要キャラクター達の戦闘シーンを公開|date=2014-08-08|accessdate=2014-08-12}}</ref>、サザビー) * [[戦国BASARA|戦国BASARA4]](足利義輝<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2013年7月18・25日合併号|publisher=エンターブレイン|date=2013-07-04}}</ref>) * [[第3次スーパーロボット大戦Z|第3次スーパーロボット大戦Z 時獄篇 / 天獄篇]](2014年 - 2015年、シャア・アズナブル、フル・フロンタル) - 2作品 * ONE PIECE 超グランドバトル! X(シャンクス) * ONE PIECE ワンピースキングス(シャンクス) | 2015年 | * [[機動戦士ガンダム エクストリームバーサス フォース]] (シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ、フル・フロンタル) * [[スーパーロボット大戦BX]](ロッド・バルボア、黄金の騎士、フル・フロンタル) * 戦国BASARA4 皇('''足利義輝'''<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2015年2月5日号|publisher=エンターブレイン|date=2015-01-22}}</ref>) * LINE クロスレギオン(暗黒君主リデラン<ref>{{Cite web|和書|url=https://game.line.me/t/crosslegion/characters/ |title=キャラクター |work=CROSS LEGION |publisher=LINE |accessdate=2015-06-12 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150614042521/https://game.line.me/t/crosslegion/characters/ |archivedate=2015-06-14}}</ref>) * [[ワンピース 海賊無双3]] / [[ONE PIECE 海賊無双4|4]](2015年 - 2020年、シャンクス) - 2作品<!-- 2015-03-26 --> | 2016年 | * OZ Chrono Chronicle('''キリオン'''<ref>{{Cite web|和書|publisher=DMMゲームス|work=【公式】OZ Chrono Chronicle - オズクロノクロニクル|url=http://ozcc.jp/howto/|title=オズのキャラクターページ|accessdate=2016-04-30}}</ref>) * [[白猫プロジェクト]](カイト<ref>{{Cite web|和書|url=https://wiki.famitsu.com/shironeko/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%88 |title=【白猫】カイトの評価とおすすめ武器【ハンターハンターコラボ】 |work=白猫プロジェクト公式攻略データベース |publisher=ファミ通.com |accessdate=2016-08-15}}</ref>) * [[真・女神転生IV FINAL]]('''ダグザ'''<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[週刊ファミ通]]|issue=2015年10月22日号|publisher=エンターブレイン|date=2015-10-08}}</ref>) * 戦国BASARA 真田幸村伝(足利義輝) * [[ドラゴンボール ゼノバース2]](タイムパトローラー<ref>{{Cite web|和書|publisher=ドラゴンボール ゼノバース2|url=http://dbx.bn-ent.net/system/charactercreate.php|title=キャラクタークリエイション|accessdate=2016-09-20}}</ref>) * [[ペルソナ5]](獅童正義) | 2017年 | * [[グランブルーファンタジー]](碧の騎士 / ヴァルフリート)<!-- 2017--09-26 --> * 軍勢RPG 蒼の三国志(曹操<ref>{{Cite news|publisher=アスキー・メディアワークス|work=電撃オンライン|url=http://dengekionline.com/elem/000/001/439/1439537/|title=『蒼の三国志』池田秀一さん、早見沙織さん、速水奨さん、細谷佳正さんのサイン色紙をプレゼント|date=2017-01-01|accessdate=2017-01-02}}</ref>) * [[Shadowverse]](キャプテン・ヴァルフリート) * [[ゼノブレイド2]](2017年 - 2018年、ワダツミ、ゴワゴワー<ref>{{Twitter status2|XenobladeJP|1027819966391697408|2018年8月10日|accessdate=2022-12-05}}</ref>、ガルダ<ref>{{Twitter status2|XenobladeJP|1040509008753262597|2018年9月14日|accessdate=2022-12-05}}</ref>) | 2018年 | * [[ゼノブレイド2 黄金の国イーラ]]('''ワダツミ''')<!-- 2018-09-14 --> | 2019年 | * [[キングダム ハーツIII]](マールーシャ)<!-- 2019-01-25 --> * [[スーパーロボット大戦DD]](2019年 - 2022年、シャア・アズナブル、フル・フロンタル)<!-- 2019-08-21 --> * デモンエクスマキナ(クリムゾン・ロード<ref>{{Cite web|publisher=[[マーベラス (企業)|マーベラス]]|work=デモンエクスマキナ 公式Webサイト|url=https://dxm.marv.jp/character/bullet_works/index.html?pos=2|title=CHARACTERS|accessdate=2019-07-31}}</ref>)<!-- 2019-09-13 --> * ペルソナ5 ザ・ロイヤル(獅童正義)<!-- 2019-10-31 --> * [[ガンダムネットワーク大戦]](シャア・アズナブル) | 2020年 | * [[妖怪ウォッチ|妖怪ウォッチ ぷにぷに]](赤井秀一、ジャバウォック)<!-- 2020-05-01 --> * [[共闘ことばRPG コトダマン]](比古清十郎)<!-- 2020-07-03 --> | 2021年 | * [[機動戦士ガンダム U.C. ENGAGE]](シャア・アズナブル<ref>{{cite web|url= https://gundam-uce.ggame.jp/character/|title=CHARACTER|work= 機動戦士ガンダム U.C. ENGAGE 公式サイト|accessdate=2021-12-25}}</ref>、フル・フロンタル)<!-- 2021-11-30 --> | 2022年 | * [[機動戦士ガンダム アーセナルベース]](シャア・アズナブル / クワトロ・バジーナ、フル・フロンタル)<!-- 2022-02-24 --> * [[モンスターストライク]](2022年 - 2023年、赤井秀一<ref>{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000295.000025121.html|title=モンスト、TVアニメ「名探偵コナン」とのコラボを5月1日(日)午前0時より開催!|work=PR TIMES|date=2022-04-28|accessdate=2023-03-25}}</ref>、シャア・アズナブル<ref name="GUNDAM">{{Cite web|和書|url=https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000362.000025121.html|title=ガンダムシリーズ × モンスターストライク 1月14日(土)12:00よりコラボ開催!|work=PR TIMES|date=2023-01-12|accessdate=2023-03-25}}</ref>、フル・フロンタル{{R|GUNDAM}})<!-- 2022-05-01 --> * [[SDガンダム バトルアライアンス]](シャア・アズナブル<ref name="ggame">「[https://gba.ggame.jp/character/detail.php?s=gundam&id=rttlruej 機動戦士ガンダム]」、「[https://gba.ggame.jp/character/detail.php?s=z&id=qjgrsins 機動戦士Ζガンダム]」、「[https://gba.ggame.jp/character/detail.php?s=unicorn&id=12vaxbob 機動戦士ガンダムUC]」、【公式】SDガンダム バトルアライアンス(バトアラ)|バンダイナムコエンターテインメント公式サイト、[[バンダイナムコエンターテインメント]]、2022年7月20日閲覧。</ref> / クワトロ・バジーナ{{R|ggame}}、フル・フロンタル{{R|ggame}})<!-- 2022-08-25 --> * ポーカーチェイス([[銀と金|森田鉄雄]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://poker-chase.com/event/collaboration_202209/|title=福本伸行 × ポーカーチェイス コラボ 開催日決定…!|work=ポーカーチェイス-Poker Chase-|バトロワ式オンラインポーカー|date=2022-09-25|accessdate=2022-09-26}}</ref>)<!-- 2022-09-29 --> * [[モノクロームメビウス 刻ノ代贖]]('''マヤカゥア'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://aquaplus.jp/mm/|title=モノクロームメビウス 刻ノ代贖|accessdate=2022-09-10|publisher=アクアプラス}}</ref>)<!-- 2022-11-17 --> | 2023年 | * [[パズル&ドラゴンズ]](シャア・アズナブル)<!-- 2023-02-21 --> }} === 吹き替え === ==== 担当俳優 ==== {{定義リスト2 | [[アンディ・ラウ]] | * [[決戦・紫禁城]](イップ・クーシン) * Needing You(アンディ) * [[LOVERS (映画)|LOVERS]](リウ)※ソフト版 | [[ジェット・リー|ジェット・リー(リー・リンチェイ)]] | * エクスペンダブルズシリーズ(イン・ヤン) ** [[エクスペンダブルズ]] ** [[エクスペンダブルズ2]] ** [[エクスペンダブルズ3 ワールドミッション]]<ref>{{Cite web|和書|url=http://cinema.pia.co.jp/news/164287/61610/|title=『エクスペンダブルズ3』最強日本語吹替え声優陣が発表! |publisher=ぴあ映画生活 |accessdate=2015-02-21}}</ref> * [[カンフー・カルト・マスター 魔教教主]] ※ビデオ版 * [[スウォーズマン#スウォーズマン 女神伝説の章|スウォーズマン 女神伝説の章]](リン・コチュウ) * [[SPIRIT (2006年の映画)|SPIRIT]](フォ・ユァンジア) * ターゲット・ブルー * [[ドラゴン・キングダム]](サイレント・モンク / モンキー・キング〈孫悟空〉) * [[ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝]](ジャオ・ホワイアン) * ドラゴン・コップス(ホアン・フェイホン) * ハイリスク * [[白蛇伝説〜ホワイト・スネーク〜|白蛇伝説]](法海和尚) * [[ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝]](皇帝シー・ホワンディ<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20150826092350/https://kinro.jointv.jp/lineup/150904/| title = ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝| publisher = 金曜ロードSHOW!| accessdate = 2016-06-21}}</ref>)※フジテレビ版 * ヒットマン(フー) * ファイナル・ファイター 鉄拳英雄 * [[フィスト・オブ・レジェンド|フィスト・オブ・レジェンド 怒りの鉄拳]](チャン・ジャン) * ブラック・マスク(チョイ・チク) * [[冒険王 (映画)|冒険王]](ワイ) * [[封神伝奇 バトル・オブ・ゴッド]](姜子牙) * [[マスター・オブ・リアル・カンフー 大地無限]] ※ビデオ版 * [[リーサル・ウェポン4]](ワン・シン・クー)※テレビ朝日版 * [[格闘飛龍 方世玉#|レジェンド・オブ・フラッシュ・ファイター 格闘飛龍]](フォン・サイヨ)※ビデオ版 * [[格闘飛龍 方世玉#電光飛龍 方世玉2|レジェンド・オブ・フラッシュ・ファイター 電光飛龍]](フォン・サイヨ)※ビデオ版 * [[ローグ アサシン]](ローグ / ヴィクター・ショウ) * [[ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ]]シリーズ(ウォン・フェイフォン) ** ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明 ** ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱 ** [[ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地争覇]] ** ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地雄覇 ※ビデオ版 ** ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ&アメリカ 天地風雲 | [[ジェレミー・アイアンズ]] | * [[ウォッチメン (テレビドラマ)|ウォッチメン]](エイドリアン・ヴェイト / オジマンディアス) * [[ハウス・オブ・グッチ]](ロドルフォ・グッチ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukikaeru.com/?p=18141|title=ハウス・オブ・グッチ -日本語吹き替え版|website=ふきカエル大作戦!!|date=2022-05-10|accessdate=2022-05-10}}</ref>) * [[ブライズヘッド再び]](チャールズ・ライダー)※WOWOW版 | [[ジミー・ウォング]] | * スカイ・ハイ * [[ドラゴン特攻隊]](ドン中尉)※ソフト版 * [[ファイナル・ドラゴン]](梅星河) | [[チャーリー・シーン]] | * [[処刑ライダー]](ジェイク・ケイシー)※TBS版 * [[プラトーン]](クリス・テイラー)※テレビ朝日版 * [[ホット・ショット (映画)|ホット・ショット]](トッパー・ハーレー<ref>{{Wayback|url = http://haikyo.co.jp/profile/profile.php?ActorID=10587|title=俳協による過去の公式プロフィール|date=20140213165402}}</ref>)※機内上映版 * [[メジャーリーグ (映画)|メジャーリーグ]](リッキー・ボーン)※ソフト版 * [[ルーキー (映画)|ルーキー]](デヴィッド・アッカーマン)※ソフト版 | [[胡堅強|フー・チェン・チャン]] | * [[阿羅漢 (映画)|阿羅漢]](智南)※日本テレビ版 * [[少林寺 (映画)|少林寺]](悟空和尚)※日本テレビ版 * [[少林寺2]](悟空和尚)※日本テレビ版 | [[マイケル・ビーン]] | * [[ターミネーター (映画)|ターミネーター]](カイル・リース)※ビデオ版(日本語吹替完全版Blu-rayBOX収録) * [[ネイビー・シールズ (1990年の映画)|ネイビー・シールズ]](ジェームズ・カラン大尉)※ビデオ版 * プロフェッショナル(ジョー・ドラン) | [[リュー・チャーフィー]] | * [[孔雀王#孔雀王(映画)|孔雀王]](クビラ) * [[少林寺三十六房]] * 少林寺武者房(ユンキ) * 新・少林寺三十六房 * 超酔拳 * [[ドラゴン・スクワッド]](運転手) }} ==== 映画(吹き替え) ==== * アーリャマーン EPISODE I 帝国の勇者(ナーラック) * [[アイアンマン (映画)|アイアンマン]]([[トニー・スターク|トニー・スターク / アイアンマン]]〈[[ロバート・ダウニー・Jr]]〉)※テレビ朝日版 * [[アイアンマン2]](トニー・スターク / アイアンマン〈ロバート・ダウニー・Jr〉)※テレビ朝日版<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.tv-asahi.co.jp/nichiyou_2012/bk/data/01736.html| title = アイアンマン2| publisher = 日曜洋画劇場| accessdate = 2016-09-06}}</ref> * [[愛は霧のかなたに]](センバガーレ)※ソフト版 * [[赤い航路]](ナイジェル〈[[ヒュー・グラント]]〉) * [[アメリカン・グラフィティ]](スティーヴ・ボランダー〈[[ロン・ハワード]]〉)※テレビ朝日版 * [[ある愛の詩]](オリヴァー・バレット4世〈[[ライアン・オニール]]〉)※テレビ東京版 * アンダーワールド(ジョニー〈[[デニス・リアリー]]〉) * [[イヤー・オブ・ザ・ドラゴン]](ジョーイ・タイ〈[[ジョン・ローン]]〉) * [[インフェルノ (1980年の映画)|インフェルノ]](マーク・エリオット〈リー・マクロスキー〉)※TBS版 * [[ヴァージニア・ウルフなんかこわくない]](ニック〈[[ジョージ・シーガル (俳優)|ジョージ・シーガル]]〉) * [[エーゲ海に捧ぐ]](ニコス〈クラウディオ・アリオッティ〉)※日本テレビ版 * [[エイリアン2]](スコット・ゴーマン中尉〈[[ウィリアム・ホープ]]〉)※テレビ朝日版(日本語吹替完全版Blu-rayBOX収録) * [[エクスカリバー (1981年の映画)|エクスカリバー]](モードレッド〈ロバート・アディ〉) * [[エデンの東 (映画)|エデンの東]](ケイレブ(キャル)・トラスク〈[[ジェームズ・ディーン]]〉) * [[カサブランカ (映画)|カサブランカ]](リック・ブレイン〈[[ハンフリー・ボガート]]〉)※N.E.M.版<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.facebook.com/NewEraMovies/posts/378189760282991|title=2021年春公開予定 N.E.M.0111「カサブランカ」 全キャスト発表!|date=2020-11-11|work=New Era Movies|accessdate=2021-03-07}}</ref> * [[硝子の塔]](ジーク〈[[ウィリアム・ボールドウィン]]〉)※テレビ朝日版 * [[君がいた夏 (映画)|君がいた夏]](ビリー・ワイアット〈[[マーク・ハーモン]]〉) * [[キャノンボール3 新しき挑戦者たち]](レオ・ロス〈[[ユージン・レヴィ]]〉)※ビデオ版 * [[QUBE RED]](パスカル〈サンティ・ミラン〉) * [[キョンシー (2013年の映画)|キョンシー]](チン・シュウホウ) * [[キングコング2]](ハンク・ミッチェル〈ブライアン・カーウィン〉)※テレビ朝日版 * [[クイック・チェンジ]](グリム〈[[ビル・マーレイ]]〉) * [[クラッシュ (1996年の映画)|クラッシュ]](ジェームズ・バラード〈[[ジェームズ・スペイダー]]〉) * グローイング・アップ/ラスト・バージン(リック〈スティーヴ・アンティン〉) * [[クロウ/飛翔伝説]](エリック・ドラヴェン〈[[ブランドン・リー]]〉)※ソフト版 * ゲート2/デモンボーイズ(ジョン) * [[決闘の町 (1953年の映画)|決闘の町]](ジミー〈[[ラッセル・ジョンソン]]〉) * [[恋しくて (1987年の映画)|恋しくて]](ハーディ〈[[クレイグ・シェイファー]]〉)※ANA機内上映版 * [[個人教授 (映画)|個人教授]](オリヴィエ・フェルモン〈[[ルノー・ヴェルレー]]〉)※ビデオ版 * [[コピーキャット (映画)|コピーキャット]](ピーター・フォーリー〈[[ウィリアム・マクナマラ]]〉)※テレビ東京版 * コマンド5(J.D.スミス〈[[ウィリアム・ラス]]〉)※フジテレビ版 * [[コレクター (1997年の映画)|コレクター]](ニック・ラスキン〈[[ケイリー・エルウィス]]〉)※ソフト版 * [[コンクリート・ウォー]](ジェフ〈[[マイケル・パレ]]〉) * [[サイボーグ (映画)|サイボーグ]](ギブソン・リッケンバッカー〈[[ジャン=クロード・ヴァン・ダム]]〉)※ビデオ版 * [[サイレント・ランニング]](アンディ・ウルフ)※テレビ朝日版(思い出の復刻版ブルーレイ収録) * [[殺人鬼 (映画)|殺人鬼]](マッカーン〈[[アンドリュー・スティーヴンス]]〉) * 三峡必殺拳(ソン・チェンミン) * [[シーズ・ソー・ラヴリー]](エディ〈[[ショーン・ペン]]〉) * [[十戒 (映画)|十戒]](ヨシュア〈[[ジョン・デレク]]〉)※フジテレビ版 * [[死の接吻 (1995年の映画)|死の接吻]](ジミー・キルマーティン〈[[デヴィッド・カルーソ]]〉) * [[死亡の塔]](ボビー・ロー〈[[タン・ロン]]〉) * [[ジャイアンツ (映画)|ジャイアンツ]](ジョーダン3世〈[[デニス・ホッパー]]〉、アンヘル2世〈[[サル・ミネオ]]〉)※TBS版 * [[シャドウ・オブ・ウルフ]](アガグク〈[[ルー・ダイアモンド・フィリップス]]〉) * [[13日の金曜日シリーズ#13日の金曜日 完結編|13日の金曜日 完結編]](ロブ〈エリック・アンダーソン〉) * [[終電車 (映画)|終電車]](ベルナール〈[[ジェラール・ドパルデュー]]〉) * [[シュリ]](ユ・ジュンウォン〈[[ハン・ソッキュ]]〉)※ソフト版 * [[ジョーズ'87 復讐篇]](マイク・ブロディ〈ランス・ゲスト〉)※テレビ朝日版 * 審判(ピーター・マルキン〈[[アーリス・ハワード]]〉) * 過ぎゆく夏(ジェシー・タッカー〈[[ジェイミー・ウォルターズ]]〉) * [[スターゲイト (映画)|スターゲイト]](ジャック・オニール大佐〈[[カート・ラッセル]]〉)※ソフト版 * [[ステイン・アライブ]](トニー・マネロ〈[[ジョン・トラボルタ]]〉) * [[ストリート・オブ・ファイヤー]](トム・コーディ〈マイケル・パレ〉)※フジテレビ版 * [[戦場 (1989年の映画)|戦場]](フェアボーン大尉〈[[ナイジェル・ヘイヴァース]]〉) * S.F.W./メディアへの銃弾(クリフ・スパブ〈[[スティーヴン・ドーフ]]〉) * [[タイタニック (1997年の映画)|タイタニック]](7役を担当)※フジテレビ版 * 第27囚人戦車隊([[キース・ザラバッカ]]) * [[太陽がいっぱい (映画)|太陽がいっぱい]](フィリップ・グリンリーフ〈[[モーリス・ロネ]]〉)※テレビ東京版 * [[007 ダイ・アナザー・デイ]](ザオ〈[[リック・ユーン]]〉<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.tv-asahi.co.jp/nichiyou_2012/bk/data/01672.html| title = 007 ダイ・アナザー・デイ| publisher = 日曜洋画劇場| accessdate = 2016-09-06}}</ref>)※テレビ朝日版 * [[007 慰めの報酬]](ドミニク・グリーン〈[[マチュー・アマルリック]]〉)※BSジャパン版 * [[ダブルチーム (映画)|ダブルチーム]](スタヴロス〈[[ミッキー・ローク]]〉)※ソフト版 * [[追撃者 (2000年の映画)|追撃者]](ジェレミー・キネア〈[[アラン・カミング]]〉)※テレビ東京版 * 冷たい接吻(リック・マロリー〈[[ロブ・ロウ]]〉) * [[デストラップ・死の罠]](クリフォード・アンダーソン〈[[クリストファー・リーヴ]]〉) * [[デスマシーン]](ユタニ) * [[天国の日々]](ビル〈[[リチャード・ギア]]〉) * [[トゥームレイダー (映画)|トゥームレイダー]](パウエル〈[[イアン・グレン]]〉)※テレビ朝日版 * [[独身SaYoNaRa! バチェラー・パーティ]](リック・ガスコ〈[[トム・ハンクス]]〉) * [[ドクター・ドリトル (2020年の映画)|ドクター・ドリトル]](バリー〈[[レイフ・ファインズ]]〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0114072|title=豪華すぎ!『ドクター・ドリトル』吹替版に藤原啓治、小野大輔、杉田智和、大塚明夫ら23名参加|work=シネマトゥデイ|date=2020-02-13|accessdate=2020-02-13}}</ref>) * ドリームシップ エピソード1/2(コーク船長) * [[トロン (映画)|トロン]](アラン・ブラッドリー / トロン〈[[ブルース・ボックスライトナー]]〉)※フジテレビ版 * [[ナルニア国物語/第1章: ライオンと魔女]](キツネ〈[[ルパート・エヴェレット]]〉) * [[ハードカバー/黒衣の使者]](リチャード〈クレイトン・ローナー〉) * [[陪審員 (映画)|陪審員]](マーク・コーデル / ティーチャー〈[[アレック・ボールドウィン]]〉)※ソフト版 * [[パシフィック・リム (映画)|パシフィック・リム]](ハーク・ハンセン〈[[マックス・マーティーニ]]〉<ref>{{Cite web|和書|publisher=アニメ!アニメ!|title=「パシフィック・リム」 声優陣に古谷徹、池田秀一、林原めぐみ、三ツ矢雄二ら発表|url=https://animeanime.jp/article/2013/06/19/14482.html|accessdate=2013-06-19}}</ref>) * [[針の眼]](デイヴィッド・ローズ〈[[クリストファー・カザノフ]]〉) * [[光る眼]](アラン・チェフィー医師〈クリストファー・リーヴ〉)※ソフト版、(ジョージ牧師〈[[マーク・ハミル]]〉)※テレビ朝日版 * [[ファイナル・カウントダウン (映画)|ファイナル・カウントダウン]](ウォーレン・ラスキー〈[[マーティン・シーン]]〉)※テレビ朝日版 * [[フィールド・オブ・ドリームス]](シューレス・ジョー・ジャクソン〈[[レイ・リオッタ]]〉)※ビデオ版、(ジョン・キンセラ〈ドワイヤー・ブラウン〉)※日本テレビ版 * ブラック・レインボウ(ゲーリー・ウォレス〈[[トム・ハルス]]〉) * フランケンシュタイン/禁断の時空(ヴィクター・フランケンシュタイン〈[[ラウル・ジュリア]]〉) * [[フリージャック]](リッパー〈[[イーサイ・モラレス]]〉) * [[プリンス・オブ・シティ]](ダニー・チェロ〈[[トリート・ウィリアムズ]]〉) * フルーク(フルーク / トーマス・ジョンソン〈[[マシュー・モディーン]]〉) * [[プレシディオの男たち]](ジェイ・オースティン〈マーク・ハーモン〉)※ソフト版 * [[プロジェクトA2 史上最大の標的]](チン〈デヴィッド・ラム〉)※ソフト版 * [[BUNRAKU (映画)|BUNRAKU]](殺し屋 #2〈[[ケヴィン・マクキッド]]〉) * [[ベルリンファイル]](チョン・ジンス〈ハン・ソッキュ〉) * [[ペンタグラム/悪魔の烙印]](ラッセル・ローガン〈ルー・ダイアモンド・フィリップス〉)※ビデオ版 * ホスピタル・インフェルノ/戦慄の超電子頭脳(フランク・ホルト〈[[ジョー・スパーノ]]〉)※テレビ東京版 * [[炎のメモリアル]](マイク・ケネディ〈ジョン・トラボルタ〉) * [[ホワイトハンター ブラックハート]](ピート・ヴェリル〈[[ジェフ・フェイヒー]]〉) * [[マクベイン (映画)|マクベイン]](マクベイン〈[[クリストファー・ウォーケン]]〉)※ビデオ版 * [[マニアック・コップ]](ジャック・フォレスト〈[[ブルース・キャンベル]]〉)※テレビ朝日版(BD収録) * [[ミッドナイト・エクスプレス (映画)|ミッドナイト・エクスプレス]](ビリー・ヘイズ〈[[ブラッド・デイヴィス (俳優)|ブラッド・デイヴィス]]〉) * [[迷宮のレンブラント]](ハリー・ドノヴァン〈[[ジェイソン・パトリック]]〉) * [[ヤング・ゼネレーション]](デイヴ〈[[デニス・クリストファー]]〉) * [[U-571]](ハーシュ大尉〈[[ジェイク・ウェバー]]〉)※テレビ朝日新録版 * [[U・ボート (映画)|U・ボート]](ヴェルナー少尉〈[[ヘルベルト・グレーネマイヤー]]〉)※ソフト版 * [[遊星からの物体X]](ウィンドウズ) * 夢のサーフシティー(ディーン〈[[ブルース・デイヴィソン]]〉) * [[夜ごとの美女]](クロード〈[[ジェラール・フィリップ]]〉)※テレビ朝日版 * [[48時間 (映画)|48時間]](ルーサー〈[[デヴィッド・パトリック・ケリー]]〉)※日本テレビ旧録版 * [[ラスベガスをやっつけろ]](ラウル・デューク〈[[ジョニー・デップ]]〉)※VHS・旧盤DVD * [[リオ・ロボ]](タスカローラ・フィリップス)※フジテレビ版 * [[リトル・ダーリング]](ゲイリー〈[[アーマンド・アサンテ]]〉) * [[リベラ・メ]](サンウ〈[[チェ・ミンス]]〉) * [[理由なき反抗]]('''ジム・スターク'''〈ジェームズ・ディーン〉<ref>{{Cite web|和書|url= https://warnerbros.co.jp/home_entertainment/detail.php?title_id=4048 |title=作品情報 理由なき反抗 |publisher=ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント |accessdate=2023-09-10}}</ref>)※TBS版(ソフト収録) * [[ワイルド・スピード]](ジョニー・トラン〈リック・ユーン〉)※テレビ朝日版 * [[私がウォシャウスキー]](トランブル・グレーフォーク) ==== ドラマ ==== * [[アトランティスから来た男]](マーク・ハリス〈パトリック・ダフィ〉) * [[インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険]](モロー少尉) * 女弁護士ロージー・オニール「罪と罰の関係」(クロズビー・ボナー〈[[クリフ・デ・ヤング]]〉) * キス・オブ・デス(マイケル・ボヴァリー〈ブライアン・マッカーディ〉) * [[クローザー (テレビドラマ)|クローザー]] シーズン4(マルティン・バスケス) * [[警察署長 (小説)|警察署長]](ボビー・パトリック) * [[こちらブルームーン探偵社]] シーズン2 #7(マイケル・マクブライド〈デヴィッド・パトリック・ケリー〉) * [[CSI:科学捜査班|CSI:11 科学捜査班]](ダニエル・ムーア) * [[シャーロック・ホームズの冒険 (テレビドラマ)|シャーロック・ホームズの冒険]] ** 「プライオリ・スクール」(ワイルダー) ** 「ブルース・パーティントン設計書」(カドガン・ウエスト) ** 「瀕死の探偵」(ヴィクター・サヴェージ〈[[ヒュー・ボネヴィル]]〉) * [[新アウターリミッツ]](ハワード・シャープ〈[[アラン・ラック]]〉) ** シーズン1 #9(ベン・コーラー〈[[サム・ロバーズ]]〉) * [[刑事コロンボ|新・刑事コロンボシリーズ]] ** 狂ったシナリオ(アレックス・ブレイディ〈[[フィッシャー・スティーヴンス]]〉) ** かみさんよ、安らかに(ブレイディ刑事〈トム・イズベル〉) ** 大当たりの死(フレディ・ブラウアー〈ゲイリー・クルーガー〉) * [[新スタートレック]]「禁断の秘薬」(ティジョン〈メリット・パトリック〉) * [[新スパイ大作戦]](チャンプ・フォスター〈パーカー・スティーブンソン〉) * [[天才少年ドギー・ハウザー]](ナレーション) * [[特捜刑事マイアミ・バイス]] シーズン1 #10(ボブ・リカート〈[[レニー・フォン・ドーレン]]〉) * [[特攻野郎Aチーム]] シーズン4 #7(キッド・ハーモン) * [[ナイトライダー]] ** シーズン2 #15(フリオ・ロドリゲス〈マリオ・マルセリーノ〉) ** シーズン2 #19(デイビッド・ドルトン〈チャールズ・タイラー〉) ** シーズン4 #14(オースティン・テンプルトン〈[[ランス・バートン]]〉) * [[バーン・ノーティス 元スパイの逆襲]](ショーン・グレナン〈[[ギデオン・エメリー]]〉) * 薔薇の名前(バスカヴィルのウィリアム〈[[ジョン・タトゥーロ]]〉<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[日本放送協会|NHK]]|work=薔薇の名前|url=https://www4.nhk.or.jp/bara-4k/21/|title=登場人物|accessdate=2019-12-01}}</ref>) * 美女と野獣(エリオット・バーチ〈[[エドワード・アルバート]]〉) * [[ホワイトカラー (テレビドラマ)|ホワイトカラー]](ピーター・バーク〈[[ティム・ディケイ]]〉) * マーズ 火星移住計画(エド・グラン) * [[マイコン大作戦]](ニール・クイン警部補〈[[A・マルティネス]]〉) * [[名探偵ポワロ]] #55「[[ひらいたトランプ]]」(デスパード少佐〈トリスタン・ゲミル〉) * [[モンスターズ (テレビ番組)|モンスターズ]] シーズン1 #24(ヴィト〈[[ロブ・モロー]]〉) * [[ヤングライダーズ]] ** シーズン1 #8(ジェド) ** シーズン2 #3(マンシー〈[[ジョン・スラッテリー]]〉) * [[ルーツ (テレビドラマ)|ルーツ]](クンタ・キンテ〈[[レヴァー・バートン]] / [[ジョン・エイモス]]〉)※ソフト版、(クンタ・キンテ〈レヴァー・バートン〉)※テレビ朝日版 * ROOTS/ルーツ(オモロ・キンテ〈バブス・オルサンモクン〉<ref>{{Cite web|和書|url=http://eiga.com/news/20160616/4/|title=人気声優・櫻井孝宏、伝説的ドラマ「ROOTS/ルーツ」で主人公の声を担当|publisher=映画.com|accessdate=2016-06-16|date=2016-06-16}}</ref>) * 霊怪道士(タイコー) * ロサンゼルス大地震(ジェリー〈[[エド・ベグリー・Jr]]〉) * [[ONE PIECE (テレビドラマ)|ONE PIECE]](シャンクス〈ピーター・ガディオット〉<ref>{{Cite news|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0138676|title=実写版「ONE PIECE」シャンクスの吹き替えは池田秀一!千葉繁、土井美加らアニメ声優続投|newspaper=シネマトゥデイ|date=2023-08-25|accessdate=2023-08-25}}</ref>) ==== アニメ ==== * [[フィリックス]](ドア、ハゲワシ、ヘビ 他) === 特撮 === * [[忍風戦隊ハリケンジャー]](2002年、七の槍・サンダールの声) * [[獣拳戦隊ゲキレンジャー]](2007年、バット・リーの声) * 獣拳戦隊ゲキレンジャースペシャルDVD ギュンギュン!拳聖大運動会(2007年、バット・リーの声) * [[海賊戦隊ゴーカイジャー]](2011年、宇宙忍者サンダールJrの声) === 人形劇 === * [[のびのびノンちゃん]](ツネヤマ先生) === ドラマCD === * [[アリアンロッドRPG 2E|アリアンロッド2E]]ファンブック ラヴィアンローズ ドラマCD「白霧に散る薔薇」(大首領) * [[アークザラッドII]] 炎のエルク(シュウ) * [[アルスラーン戦記]] -妖雲群行-('''ヒルメス''') * [[うえきの法則]]The Law Of Drama!(マーガレット) * [[うたわれるもの]]日めくりCD 10月〜12月(ディー) * [[ガイア・ギア]]([[シャア・アズナブル]]) * [[機工魔術士-enchanter-]]前編・後編(パラケルスス) * [[逆境ナイン]](サカキバラ・ゴウ) * 月刊男前図鑑 年上編 白盤(バーテンダー) * [[彩雲国物語]]〜はじまりの風は紅く〜(紅邵可) * [[3×3 EYES]]─天の巻─(ベナレス) * [[つきツキ!]](ブラム) * [[CDシアター ドラゴンクエスト|CDシアター ドラゴンクエストIV]]('''ピサロ''') * [[ドリームハンター麗夢|ドリームハンター麗夢 南麻布魔法倶楽部]](鬼童海丸) * 四龍島シリーズ「龍はまどろむ」 * [[ナイトウィザード]]ファンブック「パワー・オブ・ラブ」(サイモン・マーガス) * ファントム・キングダム(冥王シードル) * [[ヤンキー (不良少年)|ヤンキー]](教師) * [[ロードス島戦記]] 風と炎の魔神 CDシネマ * 私は私のまま、誰にでも変われるキャラクターCD Vol.2 五城百合花(???) * ワンダーBOY〜My Dear Wonder〜(蓮司) === ナレーション === * [[TBSテレビ|TBS]] [[エクスプレス (テレビ番組)|エクスプレス]](朝の情報番組:[[火曜日]]専属) * The Moments -北京へと続く瞬間- 隔週で[[飛田展男]]と担当 * [[新報道プレミアA]] * [[セクシーボイスアンドロボ]](オープニング) * [[大統領のカウントダウン]](宣伝用PV) * [[T.M.Revolution]] T.M.R LIVE REVOLUTION '05 〜VERTICAL INFINITY〜(オープニング) * [[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]]([[2006年]][[6月14日]](後半は『[[アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ]]』のハイジ役・[[杉山佳寿子]]に交代)・[[6月21日]](前半までは『[[うる星やつら (アニメ)|うる星やつら]]』の[[ラム (うる星やつら)|ラム]]役・[[平野文]]が担当した) [[音声多重放送|副音声]]ナレーター。[[シャア・アズナブル]]のシルエットが赤色だった) * [[テレビ東京金曜夜8時枠時代劇|金曜時代劇]] [[密命 寒月霞斬り]](2008年4月 - 6月、[[テレビ東京]]) * [[ハチワンダイバー]](2008年5月 - 7月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) * [[地球ZIGZAG]](1989年10月 - 1994年3月、[[毎日放送]]) * [[戦極]] * [[FNNスーパーニュース]] * 「しながわのチカラ第1回 - ファインダーが見つめるしながわ - 」[[ケーブルテレビ品川]] * 「宇宙終焉〜3つのシナリオ (原題:Death of the Universe)」([[ナショナルジオグラフィックチャンネル]]) * 「天の川とブラックホール (原題:Monster of the Milky Way)」(ナショナルジオグラフィックチャンネル skyパーフェクTV) * 「宇宙に浮かぶ巨大望遠鏡(原題:Hubble's Final Frontier)」(ナショナルジオグラフィックチャンネル skyパーフェクTV) * 「宇宙の果て スペース・トラベラー(原題:Journey to the Edge of the Universe)」(ナショナルジオグラフィックチャンネル skyパーフェクTV) * まるごと宇宙(ナショナルジオグラフィックチャンネル skyパーフェクTV) - 番宣CMも * 機動戦士ガンダムUC(小説販促用プロモーションムービーナレーション) * [[トリハダ(秘)スクープ映像100科ジテン]] 3時間スペシャル(2010年3月25日 - 、[[テレビ朝日]]) * どうしても入りたい! 日本の名湯&秘湯 BEST20(2010年10月6日、テレビ東京) * アカデミックエンタテイメント 最後の社会科見学 使い終えたらその後どうなる?驚きの行方!(2010年10月12日 - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) * メッセージ 〜明日のあなたへ言葉の贈り物〜(2009年 - 放送中 毎週火曜、日本テレビ) * [[おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!]](2011年10月5日 - 2017年7月8日、毎週土曜、[[BS日テレ]]) * ロンドン五輪代表選考柔道グランドスラム(2011年12月10日 - 、テレビ東京) * [[双方向クイズ 天下統一]](2011年8月 - 、[[日本放送協会|NHK]]) * [[土曜スペシャル (テレビ東京)|土曜スペシャル]]「夏に行きたい!大自然の絶景秘湯」(2012年6月16日、テレビ東京) * 土曜スペシャル「今しか見られない!奇跡のにっぽん海百景」(2012年8月25日、テレビ東京) * [[NONFIX]]「ガンプラ世界一 〜カリスマオヤジとモケ女の挑戦〜」(2013年1月24日、フジテレビ) * [[大河ドラマ]]「[[花燃ゆ]]」(2015年1月 - 12月) * 土曜スペシャル「激走!関東甲信をぐるり 日本の名水百選&涼スポットを探す旅」(2015年8月15日、テレビ東京) * [[プレミアムカフェ]]「天空の冒険者たち〜巨大回転雲モーニング・グローリー〜」(2010年1月10日、[[NHKデジタル衛星ハイビジョン]]) * 「爆笑ファクトリーハウス 笑けずり」全7回(2015年8月14日 - 9月25日、[[NHK BSプレミアム]]) * 映画『[[テラフォーマーズ#映画|テラフォーマーズ]]』(2016年4月29日、[[ワーナー ブラザース ジャパン|ワーナー・ブラザース映画]]) ** [[テラフォーマーズ#ドラマ|テラフォーマーズ/新たなる希望]](2016年4月24日、[[dTV (NTTドコモ)|dTV]]) * 「それ行け!北海道物産展 全国から世界へ飛びたつ北のグルメ」(2016年5月22日、TBS/[[北海道放送|HBC]]) * 「笑けずり シーズン2」全7回(2016年9月2日 - 10月14日、NHK BSプレミアム) * アニメ「ツムツム・キングダム」(2017年2月5日 - 放送中、[[Dlife]]) * [[土曜スペシャル (テレビ東京)|土曜スペシャル]]「日本ご当地ナゾ解き旅〜新緑の那須&金沢を満喫!」(2017年6月3日、テレビ東京) * 明治維新 150年スペシャル「決戦!鳥羽伏見の戦い 日本の未来を決めた7日間」(2017年12月30日、[[NHKBSプレミアム]]) * 発想UNLEASH〜未来への自由研究〜(2018年10月5日 - 、テレビ東京) * [[しくじり先生 俺みたいになるな!!|しくじり先生]] 春の特別授業SP 『カズレーザー先生「機動戦士ガンダム」の授業』(2020年3月27日、テレビ朝日) * [[お笑いオムニバスGP]](2021年5月9日・9月20日・2022年1月2日・9月19日・2023年1月2日、フジテレビ) * [[白鵬翔|白鵬]]密着ドキュメントシリーズ(TBS/[[BS-TBS]]) ** 第4弾「オヤジの背中を追いかけて」(2015年2月28日) ** 第5弾「明日も相撲に生きる」(2016年3月12日) ** 第6弾「白鵬レガシー計画」(2017年2月26日) ** 第7弾「我が道を行け」亡き父が最後に与えてくれた人生の道しるべ(2018年6月29日) ** 第8弾「さらば平成のライバルたち」新たな時代へ希求する横綱像とは(2019年3月2日) ** 第9弾「新たな誕生日」(2020年2月29日) ** 第10弾「10年分のエール」(2021年3月13日) ** 第11弾「[[日下開山]]、最後の十五日」(2022年2月19日) === CM === * [[NTTドコモ]]のラジオコマーシャル([[古谷徹]]、[[小山茉美]]と共演) * [[角川書店]] 「[[ケロケロエース]]」 * [[クリック証券]](ラジオCM) * [[三洋物産]] 「CRパチンコ[[天外魔境]]卍MARU」 * [[シチズン時計|シチズン]]「[[ATTESA (時計)|アテッサ]] プロモーションムービー」(宣伝用ムービーナレーション)シチズンのサイト内、腕時計ジェットセッターのページで * [[NECアベニュー]]「[[ファンタジーゾーン]]([[PCエンジン]])」 * NECアベニュー「[[ダライアス|ダライアスプラス]](PCエンジン)」 * NECアベニュー「[[アフターバーナーII]](PCエンジン)」 * NECアベニュー「ダウンロード2(PCエンジン)」 * [[タイトー]]「[[大旋風]]」(PCエンジン) * [[バンダイ]]「[[機動戦士ガンダムF91 フォーミュラー戦記0122|機動戦士ガンダムF91 フォーミュラー戦記0122(スーパーファミコン)]]」 * [[バンプレスト]]「[[スーパーロボット大戦EX|スーパーロボット大戦EX (スーパーファミコン)]]」(1994年) * [[セガ]]「[[電脳戦機バーチャロン|電脳戦機バーチャロン (セガ サターン)]]」(1996年) * バンダイ「SDガンダム GGENERATION-ZERO([[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]])」(1999年) * [[マイクロソフト]]「[[Xbox 360]]バリューパック」 * バンダイ「[[機動戦士Ζガンダム エゥーゴvsティターンズ|機動戦士Ζガンダム エゥーゴvsティターンズ(プレイステーション2)]]」(2003年) * バンダイ「[[SDガンダム ガシャポンウォーズ]]」(2005年)(シャア・アズナブル)※アムロ役の古谷徹と共にCMソングを担当 * [[アートネイチャー]]「MRP nature」(2011年)(古谷徹と共演) * アートネイチャー「MRP Sonic」(2012年)(古谷徹と共演) * [[カプコン]]/[[ニンテンドー3DS]]用ソフト「バイオハザード・リベレーションズ」(2012年) * [[小学館]]「あんぽん 孫正義伝」ラジオCM(2012年1月) * [[バイク王]]ラジオCM(2012年12月) * [[山形銀行]]「山銀カードローン」(2014年9月) * [[Rinnai]]「eco one」未来の省エネ編(2015年4月) * [[nottv]]「第2回[[AKB48]]グループ ドラフト会議」(2015年5月) * [[日本経済新聞]]「日本経済新聞 電子版アプリ」(2016年4月) * [[サンスター]]「G・U・M」(2016年8月) * [[白夜極光]]「戦術的RPGガチャモバイルゲーム」(2021年8月) * [[デイサービスにじいろ]](2022年4月) * [[日本マクドナルド]]「シャア専用マクドナルド」[[『ONE PIECE FILM RED』]]とタイアップ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.musicvoice.jp/news/229427/|title= シャア専用マクドナルド、コラボメニュー CMは池田秀一が声出演|publisher=MusicVoice|data=2022-06-16|accessdate=2022-06-16}}</ref> * [[メルセデスベンツ]]メルセデス・ベンツの新EV「EQB」[[『ONE PIECE FILM RED』]]とタイアップ(2022年8月)<ref>{{Cite web|和書|url=https://ampmedia.jp/2022/07/14/mbj-eqb-onepiece/ |title=メルセデス・ベンツの新EV「EQB」、『ONE PIECE FILM RED』とタイアップ ONE PIECEキャラ起用のCMなど展開 |publisher=AMP |accessdate=2022-08-16}}</ref> === 映画 === * [[路傍の石#1964年版|路傍の石]](1964年、[[東映]]) - 愛川吾一 * めぐりあい(1968年、[[東宝]]) - 今井一郎 * [[連合艦隊司令長官 山本五十六]](1968年、東宝) - 本田三飛曹 * ある少女の告白 禁断の果実(1968年、[[日活]]) - 坂崎弘 * 野蛮人のネクタイ(1969年、日活) - 西条 * [[家族 (映画)|家族]](1970年、[[松竹]]) - 風見隆 * [[獄門島 (1977年の映画)|獄門島]](1977年、東宝) - 了沢 === テレビドラマ === * 東京0時刻 第32回「指名手配」(1959年5月4日、[[TBSテレビ|TBS]]) * ママと私たち(1960年 - 1961年、[[日本放送協会|NHK]]) * 戦争(1960年9月6日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) * [[少年探偵団 (1960年のテレビドラマ)|少年探偵団]](1960年 - 1963年、フジテレビ) - ケン * おかあさん 第139回「あなたを呼ぶ声」(1962年、TBS) * [[がしんたれ]](1963年、フジテレビ) - 竹村和吉 * [[次郎物語]](1964年 - 1966年、[[日本放送協会|NHK]]) - 次郎 * [[野菊の墓]](1965年、[[朝日放送テレビ|朝日放送]]) - 政夫 * [[女と刀]](1967年、[[TBSテレビ|TBS]]) - 紀一(青年期) * [[大河ドラマ]](NHK) ** [[竜馬がゆく (NHK大河ドラマ)|竜馬がゆく]](1968年) - 忠吉 ** [[元禄太平記]](1975年) - [[松平輝貞|松平右京大夫輝貞]] ** [[花神 (NHK大河ドラマ)|花神]](1977年) - [[寺島忠三郎]] * [[若い川の流れ]](1968年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) * [[でっかい青春]] 第36話(1968年、日本テレビ) * [[あいつの季節]](1969年、[[TBSテレビ|TBS]]) - 金沢正雄 * [[アテンションプリーズ]](1970年、TBS) - 田村順一 * [[おれの義姉さん]](1970年、フジテレビ) - 沖薫 * [[氷点]](1971年、TBS) - 辻口徹 * [[天皇の世紀]] 第2話「野火」(1971年、朝日放送 / [[国際放映]]) - 村山忠蔵 * [[天下御免]] 第5話「あれも人の子 仇討ち」(1971年、NHK) - 浅吉 * [[大忠臣蔵 (1971年のテレビドラマ)|大忠臣蔵]] 第46話「いずこの空や一四日」(1971年、[[テレビ朝日|NET]] / [[三船プロダクション|三船プロ]]) - [[上杉吉憲]] * [[大岡越前 (テレビドラマ)|大岡越前]](TBS / [[C.A.L]]) ** [[大岡越前 (テレビドラマ)#第2部|第2部]] 第16話「朝顔」(1971年8月30日) - 早瀬数馬 ** [[大岡越前 (テレビドラマ)#第4部|第4部]] 第14話「巷談 縛られ地蔵」(1975年1月6日) - 喜助 ** [[大岡越前 (テレビドラマ)#第6部|第6部]] 第23話「嘘が病の札つき婆」(1982年8月9日) - 伝次郎 * [[銭形平次 (大川橋蔵)|銭形平次]](フジテレビ / [[東映]]) ** 第294話「八五郎が縛られた」(1971年) - 弥市 ** 第375話「黄金の牙」(1973年) - 菊之助 ** 第436話「ともだち」(1974年) - 巳之吉 * [[美人はいかが?]](1971年、TBS / [[大映テレビ]]) * [[特別機動捜査隊]] 第545話 「汚れた太陽」(1972年、NET / 東映)- 木村 * [[木枯し紋次郎]] 第2シーズン 第3話「水車は夕映えに軋んだ」(1972年、フジテレビ / C.A.L) - 弥吉 * [[お祭り銀次捕物帳]] 第7話「怪談 殺された幽霊」(1972年、フジテレビ / 東映) - 彦の市 * [[遠山の金さん捕物帳]] 第164話「冥土へ行かなかった男」(1973年、NET / 東映) - 栄次 * 旅人 異三郎 第15話「親子の愛が墓標に甦った」(1973年、[[テレビ東京|東京12チャンネル]] / 三船プロ) - 信治郎 * [[プレイガール (テレビドラマ)#オリジナル版|プレイガール]] 第224話「怪談 怨霊バラ屋敷」(1973年、12ch / 東映) * [[愛の劇場]] / [[越前竹人形]](1973年、TBS / [[東宝]]) - 喜助 * [[必殺シリーズ]](朝日放送 / [[松竹]]) ** [[助け人走る]] 第5話「御生命大切」(1973年) - 小佐内圭介 ** [[暗闇仕留人]] 第4話「仕留て候」(1974年) - 庄内誠一郎 * [[大江戸捜査網]] 第3期(東京12チャンネル / 三船プロ) ** 第2話「仕掛けられた身代金」(1973年) - さぶ ** 第60話「女の肌に竜が泣く」(1974年) - 弥七 * [[大盗賊 (テレビドラマ)|大盗賊]] 第9話「同心を警護しろ!」(1974年、フジテレビ / 国際放映) - 原田伊織 * [[伝七捕物帳]](日本テレビ / [[ユニオン映画]]) ** 第52話「十手に生きる父子唄」(1974年)- 秋田金吾 ** 第58話「花となった女」(1975年)- 大二郎 * [[おんな浮世絵・紅之介参る!|おんな浮世絵 紅之介参る!]] 第2話「二人の紅之介」(1974年、NTV / ユニオン映画) * [[太陽にほえろ!]] (日本テレビ / 東宝) ** 第105話「この仕事が好きだから」(1974年) - 森山太一巡査 ** 第244話「さらば、スコッチ!」(1977年) - 宮下則夫 * [[Gメン'75]](TBS / 東映) ** 第78話「土曜日の幼稚園ジャック」(1976年) - 花井恒 ** 第163話「首のない女の人形」(1978年)- 沢木忠男 ** 第344話「真夜中の眼」(1982年) - 村田恒夫 * [[江戸の旋風|江戸の旋風シリーズ]](フジテレビ / 東宝) ** [[江戸の旋風#同心部屋御用帳 江戸の旋風II|同心部屋御用帳 江戸の旋風II]] 第5話「兄おとうと」(1976年) ** [[江戸の旋風#同心部屋御用帳 江戸の旋風(第4シリーズ)|同心部屋御用帳 江戸の旋風IV]] 第12話「弁天様と石地蔵・真情編」(1979年) - 清吉 ** [[江戸の旋風#同心部屋御用帳 新・江戸の旋風|新・江戸の旋風]] 第4話「唐丸籠破り」(1980年) - 庫吉 * [[ザ・カゲスター]] 第30話「猛牛怪人のカゲスター毒殺作戦!」(1976年、NET / 東映) - 五木一夫 * [[俺たちの朝]] 第29話「ドン底生活と芝居と大馬鹿野郎」(1977年、日本テレビ / 東宝) - 横山 * [[華麗なる刑事]] 第9話「少年たちの暴発」(1977年、フジテレビ / 東宝) - アキラ * [[水戸黄門 (第1-13部)#第8部|水戸黄門 第8部]] 第3話「東海道お化け旅籠 -平塚-」(1977年8月1日、TBS / C.A.L) - 伊助 * [[七人の刑事#七人の刑事 (1978年放送開始分)|七人の刑事]] 第14話「恋人を殺すとき」(1978年、TBS) * [[西遊記 (1978年のテレビドラマ)#『西遊記』|西遊記]] 第9話「危うし三蔵! 妖女地湧夫人」(1978年、日本テレビ / 国際放映) - 英舜 * [[古谷一行の金田一耕助シリーズ#横溝正史シリーズII(1978年)|横溝正史シリーズII]] / [[黒猫亭事件]](1978年、[[毎日放送]] / [[大映]]) - 日兆 * [[新五捕物帳]](日本テレビ / ユニオン映画) ** 第68話「見習同心の傷跡」(1979年)- 松前政之助 ** 第129話「しのび逢い」(1980年) - 立野佐一郎 * [[熱中時代|熱中時代 教師編II]] 第3話「早くも恐怖の通信簿」・第4話「家庭訪問トラブル・ノート」(1980年、日本テレビ / ユニオン映画) - 松木 * [[ゴリラ・警視庁捜査第8班]] 第25話「悲しい街角」(1989年、[[テレビ朝日]] / [[石原プロモーション|石原プロ]]) * [[金曜エンタテイメント]] / 人間ドキュメント [[夏目雅子]]物語(1993年、フジテレビ) - 医師 * [[ウルトラマンティガ]] 第7話「地球に降りてきた男」(1996年、毎日放送 / [[円谷プロダクション|円谷プロ]]) - アサミヤ・シゲキ技官 * POWER RIDER (2008年、サイエンスチャンネル) - 木村博士 * [[大魔神カノン]](2010年、[[テレビ東京]]) - 大学学部長 === その他 === * [[連想ゲーム]]第5回(当時は 「[[みんなの招待席]]」 のワンコーナー)(1968年5月13日、NHK)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail204.html|title=昭和43年、第5回の『連想ゲーム』大発掘!|publisher=NHK|date=2018-08-03|accessdate=2020-10-24}}</ref> * [[NHK教育テレビジョン|NHK教育]] [[みてハッスルきいてハッスル]]('''にゃるま様'''、'''ナレーション''') * [[のびのびノンちゃん]](先生)NHK人形劇 * [[こどもにんぎょう劇場]] ** 「ききみみずきん」(太郎作) ** 「山んじいとやじろう」 ** 「[[美女と野獣|けものの城]]」 ** 「げたの音」 ** 「そのゆめ買った!」 ** 「[[牛をつないだ椿の木]]」 * [[エフエム東京|TOKYO FM]] 「[[NISSAN あ、安部礼司〜BEYOND THE AVERAGE]]」(赤井彗星役、[[古谷徹]]と共にゲスト出演) * 味皇料理会会歌([[ミスター味っ子]]挿入歌) - [[藤本譲]]と味皇料理会関東支部のメンバーの一人として斉唱に参加している(池田自身はミスター味っ子には出演していない)。 * 平安京の天文博士 安倍晴明([[安倍晴明]]) - プラネタリウム番組(2001) * [[大胆MAP]]スペシャル「人気キャラクターの声をやってる人の顔を全部見せちゃうよ!ベスト50」・「さ行『し』」にシャア・アズナブルの声優として出演 * 大胆MAP - 「人気アニメキャラクターの声をやってる人全部見せちゃうよ!」にて シャア・アズナブルの声でランクインして本人出演(「人気キャラクターの声をやってる人の顔を全部見せちゃうよ!ベスト50」の再編集短縮版 2008.8.31放送) * [[東京国立博物館]]「対決 巨匠たちの日本美術」音声ガイド([[富岡鉄斎|鉄斎]]) * [[FIFAクラブワールドカップ2008|サッカー・クラブワールドカップジャパン2008]]「決勝」(オープニング・ナレーション) * 参天製薬 HELP!ドライアイネットワーク - 眼科医役 * [[ベネッセコーポレーション]] [[進研ゼミ小学講座]]「チャレンジ4年生」('''なおさん〈真壁尚行〉''') * 機動戦士ガンダム30周年記念 みんなのガンダム 完全版([[アニマックス]]、本人出演) * [[NHK-BS2|NHK 衛星第2]] ガンダム宇宙世紀大全(第1・2夜) 「ガンダムワールドへようこそ」「ガンダム小説のディープな世界」のコーナーにて本人出演 * 薬学ゼミナール(WEB学習ナレーション) * 舞台 [[鈴村展弘]]プロデュース BELL+UP COMPANY「リセット3・2・1…」(2010年2月2日-7日、[[シアターグリーン]] BIG TREE Theater)声の出演 * 東京国立博物館 特別展「[[法然]]と[[親鸞]] ゆかりの名宝」音声ガイド([[法然]]) * [[旅チャンネル]]「夢のラグジュアリートラベル」(2012年)(ヴァラン・シャーマ、ナレーション) * 東京[[国立新美術館]]・大阪[[国立国際美術館]]「フランス国立クリュニー中世美術館所蔵 [[貴婦人と一角獣]]展」 音声ガイド(朗読)(2013年) * [[東京都美術館]]・[[京都市美術館]]「[[バルテュス]]展」音声ガイド(ナレーション)(2014年) * [[ナップス (神奈川県)|ナップス]]店内放送(2014年) * [[影踏み (小説)|影踏み]]オーディオブック(2016年、朗読部分) * [[発表!全ガンダム大投票]] 40th 第二部(2018年)(音声のみ 2018年5月5日・NHKBSプレミアム) * [[日本中央競馬会|JRA]] [[有馬記念]]スペシャル企画「有馬戦士ガンダム」(2018年)('''シャア'''役 ナレーション)<ref>{{Cite web|和書|url=https://umabi.jp/arima-gundam/|title=有馬記念スペシャル企画「有馬戦士ガンダム」|accessdate=2018-12-13}}</ref> * ガンダム誕生秘話 (2019年3月30日・[[NHK総合]]・出演)<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20190328115805/https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92637/2637814/index.html|title=「機動戦士ガンダム」はどのように生まれたのか? 現場を支えたクリエイターの証言で描く!NHK総合テレビ「ガンダム誕生秘話」3月30日(土)1:10放送|accessdate=2019-3-29}}</ref> * [[NET BUZZ]]「ガンダム誕生秘話」(2019年4月11日・[[NHK総合]]・出演)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www4.nhk.or.jp/netbuzz/x/2019-04-11/21/6623/1509107//|title=「NET BUZZ」では、ネット上で大きな反響のあった(バズった)番組をアンコール放送!今回は「ガンダム誕生秘話」を放送|accessdate=2019-4-11}}</ref> * [[#声優ぷらす|#声優ぷらす]]×[[機動戦士ガンダム THE ORIGIN]](2019年4月21日・[[NHK総合]]・出演)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/anime/voiceplus//|title=今話題のあのアニメ作品の声優が生放送に登場!名セリフの生アフレコやトークで作品の魅力をたっぷりご紹介!さらに声優ならではの「声のワザ」の競演も・・・声の魅力満載の73分生放送!今回取り上げるのは、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』|accessdate=2019-4-14}}</ref> * JRAオリジナルムービー「騎乗戦士ガンダムJRA -BEYOND THE TURF-」<ref>{{Cite press release|和書|date=2019-08-09|url=http://company.jra.jp/7403/press/201908/201908081108.pdf|format=PDF|title=JRA×機動戦士ガンダム40周年記念プロジェクト「騎乗戦士ガンダム」第二弾コンテンツ「診断のシャア」について|publisher=日本中央競馬会|accessdate=2019-10-16}}</ref><!-- 2019-08-09 --> * 声優×怪談(第1夜「赤の怪談」2019年8月14日・第2夜「黒の怪談」8月15日・[[NHK総合]]朗読・出演)<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20190814/2//|title=「呪怨」や「リング」などを豪華声優陣が朗読 「声優×怪談」NHK総合で8月14、15日放送|accessdate=2019-8-11}}</ref> * パチスロ『フィーバー[[機動戦士ガンダム 逆襲のシャア]]』(2019年、'''シャア・アズナブル''')<!-- 2019-09-17 --> * [[ブラックチャンネル]](2021年、赤井秀一)Webアニメ<ref>{{Cite web|和書|publisher=コミックナタリー|url= https://natalie.mu/comic/news/422999 |title=「ブラックチャンネル」×「名探偵コナン 緋色の弾丸」コラボアニメ配信|date=2021-04-02|accessdate=2022-05-21}}</ref> * 戦国の三日月 ボイスコミック(2021年、比古清十郎<ref>{{Cite web|和書|publisher=コミックナタリー|url= https://natalie.mu/comic/news/431111 |title=和月伸宏の読み切り「戦国の三日月」ボイスコミック公開、比古清十郎役は池田秀一|date=2021-06-04|accessdate=2022-05-21}}</ref>) == 書籍 == * シャアへの鎮魂歌 わが青春の赤い彗星([[ワニブックス]]){{ISBN2|978-4-84-701700-1}} * 池田秀一の「三倍速く!! シャアが行く!」 〜ガンダム人間探訪記〜([[角川グループパブリッシングの漫画レーベル#カドカワコミックス・エース|角川コミックス・エース]]){{ISBN2|978-4-04-715774-3}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} {{Ras}} === 出典 === {{Reflist|2 |refs= <ref name="ガンダム">{{Cite web | accessdate = 2022-10-24 | publisher = [[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]] | title = STAFF & CAST| url = http://www.gundam.jp/tv/world/index.html | website = 機動戦士ガンダム公式Web}}</ref> <ref name="Ζガンダム">{{Cite web | accessdate = 2022-03-27 |publisher = サンライズ | title = STAFF/CAST |website = 機動戦士Ζガンダム | url = http://www.z-gundam.net/staffcast/index.html}}</ref> <ref name="燃える!お兄さん">{{Cite web|和書| accessdate = 2020-04-27 | publisher = [[ぴえろ]] | title = 燃える!お兄さん | url = https://pierrot.jp/archive/1985/tv80_18.html | website = スタジオぴえろ 公式サイト}}</ref> <ref name="七つの海のティコ">{{Cite web|和書|accessdate= 2023-06-28 |publisher=[[日本アニメーション]] |title=七つの海のティコ |url=https://www.nippon-animation.co.jp/work/1678/ |website=日本アニメーションOFFICIAL SITE}}</ref> <ref name="名探偵コナン">{{Cite 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website|1=https://haikyo.co.jp/profile/profile.php?ActorID=10587|name=池田秀一 - 俳協}} * {{タレントデータバンク|2000000678}} * {{日本タレント名鑑|M93-0204}} * [https://thetv.jp/person/0000005410/ 池田秀一のプロフィール・画像・写真 - WEBザテレビジョン] * [https://seigura.com/directory/173/ 池田 秀一|声優名鑑 - 声優グランプリweb] * {{Kinejun name}} * {{Oricon name|234526}} * {{Movie Walker name|81525}} * {{映画.com name|15827}} * {{Allcinema name|117267}} * {{JMDb name|0266750}} * {{imdb name|id=0407454|name=Shûichi Ikeda}} {{東京俳優生活協同組合}} {{ガンダムシリーズ主演声優}} {{声優アワード|助演声優賞}} {{Normdaten}} {{Voice-stub}} {{デフォルトソート:いけた しゆういち}} [[Category:日本の男性声優]] [[Category:日本の男優]] [[Category:日本の子役]] [[Category:日本のナレーター]] [[Category:東京俳優生活協同組合]] [[Category:東海大学付属高輪台高等学校出身の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1949年生]] [[Category:存命人物]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E7%A7%80%E4%B8%80
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内海賢二
内海 賢二(うつみ けんじ、1937年(昭和12年)8月26日 - 2013年(平成25年)6月13日)は、日本の声優、俳優、ナレーター。賢プロダクション会長。キャリア初期は、本名の内海 健司や内海 賢治(読み同じ)の名前で活動。 代表作には、『北斗の拳』のラオウや『魔法使いサリー』のサリーのパパ、『Dr.スランプ アラレちゃん』の則巻千兵衛などがある。 福岡県北九州市出身。5人兄弟の末っ子として生まれるが、幼い頃に両親を亡くし兄弟とは別れて育つ。学校時代は演劇部に入ったことはなかったが、ただし、物を読んだり、漫画の本を読んだりすることは好きだった。その頃、漫画の本がすくないことから、一冊持ってきて、皆の前で読んでいた。国語の教科書を読むの巧かったが、当時は役者になるとは思ってもいなかった。中学時代は世界中を周る船乗りになりたく、野球選手にも憧れていた。放送部に所属していた。中学・高校には仕出し弁当店で住み込みで働き、夜間で通った高校では演劇部に所属。 兄がNHK小倉放送局でラジオドラマのミキサーをしており、高校時代に何回か見学に行っていた。高校3年生時の1955年、役者になろうという気は毛頭なかったが、それが縁で兄が勧めてもらったNHK小倉放送局の専属劇団に応募して合格。入れたのは、「ただ人より声が大きい」というだけの理由であり、「あいつはヘタだけど、とりあえず声がでかい。声が出ることはいいことだ」とその原石を認めてくれた人物がいたことから入れたという。ラジオドラマや朗読の仕事を始めるようになる。やがて、福岡県に開局したばかりの九州朝日放送に移籍しKBCラジオの専属声優になった。 だが、地方での仕事に限界を感じたことから、広告代理店の電通でテレビ映画制作の仕事をしていた友人を頼り1958年に上京。その友人の紹介で、子供向けドラマ『熱血カクタス』(柴田秀勝主演)にて端役をもらい、続けて『海賊バイキング』ではナレーターを担当。中央でのデビューを果たした。当初は新宿ゴールデン街でアルバイトをしながら舞台俳優として里吉しげみ主宰の劇団未来劇場の公演などに出演していたが、飲みに来た演出家にスカウトされ吹替に参加、自然と声優業が増えたという。 アニメデビュー作は、1963年に放送された『狼少年ケン』での片目のジャック役。東映動画初のテレビアニメであり、以降はアニメ声優でも草分け的存在になる。また、本人曰く「マルチな役者」を目指していたことで、吹き替え出演やナレーターとしても活動し、以前からの舞台俳優としての活動のほか、1960年代から1970年代にかけては多くのテレビドラマにも顔出し出演している。 かつては、九州NHK放送劇団、未来劇場、東京アーティストプロダクション、楡プロダクションに在籍した。 1973年、『宇宙エース』や『マッハGoGoGo』での共演をきっかけに知り合った声優の野村道子と結婚。挙式は中村正夫妻を媒酌人として、アメリカ合衆国ハワイ州の白い教会で行われていたという。1984年には賢プロダクションを設立。自身のマネージメントとともに、野村の協力も得て後進の育成にもあたるようになる。これらの幅広い活動から、1980年代には長者番付に名を連ねたこともあった。 その後も第一線で活動。長年に渡り多くのジャンルで貢献したことから、2009年に第三回声優アワード功労賞を受賞。同年放送のアニメ『けんぷファー』と連動したラジオ番組『ラジオ けんぷファー 賢二と愛のわくわく臓物ランド』では初のアニラジレギュラーパーソナリティを務め、共に担当する中島愛との年齢差も含め話題となった。 晩年は、50歳半ばに患った膀胱がんが再発したため闘病しながら活動を継続。2013年6月13日午後3時1分、がん性腹膜炎のため東京都新宿区の病院で死去。満75歳没(享年77)葬儀と告別式は、6月20日に青山葬儀所で営まれた。生前最後の出演は、同年7月に放送された『銀の匙 Silver Spoon』の轟先生役となった。 2014年、第8回声優アワード「特別功労賞」を受賞。 2022年9月30日に、内海の仕事と偉業を追った映画『その声のあなたへ』が公開された。 2023年3月29日には、生前の内海の声をCoeFontのAI技術で再現した朗読付き電子書籍「YOMIBITO Plus」が発売された。 免許は第一種普通免許、小型船舶免許。特技はゴルフ。 素晴らしいバリトンのユニークな声の持ち主で、羽佐間道夫は「のどちんこをぶるぶる震わせるような声」と表現している。張りと存在感のある低音を生かし、多くの作品に出演し活躍した。 方言は博多弁。 渋い声から三枚目、とびきりのセクシーボイス、ある時は冷酷なオトコ、ひょうきんまで、バイタリティ溢れる声を持つ。その声質から悪役を演じることが多く、内海自身も「人生において吹き替えた役の3分の2は、“悪”ですよ(笑)」と冗談交じりに語っている。一方、それとは正反対なコミカルな演技を活かす役を演じることも多かった。吹き替えでは、スティーブ・マックイーンやサミー・デイヴィスJr.の専属(フィックス)声優として知られた。また、黒人俳優を担当することが多かった。 NHKの頃は可愛い声であり、KBCにいた頃は少年剣士役を演じていたという。 007シリーズ吹替版(TV放映版)では常連声優であった。6作で悪役を担当しており、悪役での最多登場を誇る。『007 ロシアより愛をこめて』(シリーズ史上有数の存在感で知られるロバート・ショウを担当)と『007 死ぬのは奴らだ』では悪役をつとめ、それぞれTBSで吹替が再制作された時も、内海は交代なしで2バージョンとも同役をつとめた(『007 ロシアより愛をこめて』ではこの再制作の時にボンドの吹替声優も交代した)。『007 ダイヤモンドは永遠に』がTBSで新録された時(1990年)にはショーン・コネリーが演じたボンドを吹き替え、主役を務めた。また『007 リビング・デイライツ』(TBS版)で悪役だったジョー・ドン・ベイカーを担当、『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』(フジテレビ版)ではボンドの相棒役となったベイカーを再び吹き替え、作品・制作局・役柄が異なる中、同じ俳優の吹替に配役される経験もしており、最後の007シリーズ吹替だった『007 慰めの報酬』(同作のみソフト用新録)まで、ジョージ・レーゼンビー以外の全ボンド俳優の主演作品に出演、幅広い役柄で長くシリーズを支え続けた。シリーズ番外編『ネバーセイ・ネバーアゲイン』でも悪役をつとめている。 後輩の神谷明は内海について、「明るい」「元気」「豪快」「格好良い」「気っぷが良い」「情熱家」「器がでかい」という言葉がぴったりだと述べている。一方で、「シャイ」「繊細」「細やかな心遣い」という、普段のイメージとは若干異なる部分もあったという。 現場では明るくムードメーカーな存在だったといい、戸田恵子は「あのお声であのお顔立ちで恐い人なのかな?と思いきや、その真逆」と語っている。派手でオシャレが好きであり、戸田恵子とはよくファッション談義もしたという。その性格から多くの仲間や後輩に慕われていた。 一つ一つの仕事には全力投球だったといい、非常に真摯であった。 声優として幸せなことには「媒体を問わず色んな役柄が出来ること」と答えている。演技については「ハートが大事!」と語っていた。吹き替えでは、元の役者の声や芝居に似ているかより、その役の中身を考え演じている。 アニメの難しさに声によって画が生きるか死ぬかが決まること、吹き替えの難しさに俳優の演技と吹き替えの声のお互いの相乗効果で作っていくことを挙げている。また、共演者との演技のバランスにも留意していたという。 神谷明によると、『北斗の拳』でのケンシロウとラオウの最終決戦の収録の際は、にこやかな普段と違い「そばにも寄れないほどの厳しさでオーラを放っていた」とのことで、その時はスタジオ中が緊張感に包まれていたという。 過去は振り返らないようにしており、常に新しいことへ挑戦する姿勢だった。インタビューで「ベテラン・若手から吸収したいものは?」と聞かれた際は「良いセンス、芝居心、年に関係無く」と答えている。 生前は生涯現役の意向を持っていた。最晩年は健康状態の問題からオファーを辞退することもあったが、「どうしても内海さんに」という仕事も多く、本人の意向もあり死去の10日前まで仕事を続け、救急搬送された死去の5日前にも収録のためNHKに出かけていたという。 八奈見乗児は、九州時代からの先輩であった。上京した内海は住むところがなく、新婚だった八奈見のアパートに転がり込んだという。また、『熱血カクタス』の主演だった柴田秀勝は、自身の経営するバーの2階を内海の下宿に提供し、その上アルバイトのバーテンとして内海を雇った。内海は声優として駆け出しの頃に面倒を看たこの2人の先輩への感謝を忘れなかったという。 飯塚昭三とは「昭ちゃん」と「賢坊」と呼び合うほど親交が深かった。 『新造人間キャシャーン』のブライキング・ボス役は、他のキャストが作品別で入れ替わる中、一貫して内海が担当していた。 今まで演じた中で一番好きな役に、『パピヨン』でのスティーヴ・マックィーンの吹き替えを挙げている。マックィーンの吹き替えは、宮部昭夫と分け合う形で担当した持ち役の一つで「演じてきた中で唯一の二枚目であり、自身のアテレコ史の頂点である」と述べている。またそれが縁で『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ』ではスティーヴ・マックィーンがモデルの役を1分に満たない出演ながらも受諾している。 かつて野沢雅子らと共に、アニメがビデオ・DVD化された際の使用料の支払いを求める訴訟を起こし、勝訴している。 「もし年齢が20歳若ければ、ジョニー・デップの吹き替えを担当してみたい」と語ったことがある。 妻の野村道子とは多く夫婦共演している。また、1984年に賢プロダクションを設立した際、経営面に不慣れな内海は次第に過労のため、誰の目にも明らかなほどに憔悴。この時、野村は役者仲間の助言もあり同プロダクションへ移籍。声優業の多くはそれまでの持ち役に絞り経営面で尽力するなど、公私共に内海を支える片腕となった。 長男は所属する賢プロダクション社長の内海賢太郎。アニメ『ブラック・ジャック21』の第1話では、自身が演じた友引警部の息子の名前を「賢太郎」と呼んでいる。 少年隊の錦織一清とは、ミュージカル『ゴールデンボーイ』で共演したことがきっかけとなり交遊があった。2010年12月4日『中野サンプラザ座長公演 水樹奈々大いに唄う 弐』ではナレーションを担当した。 内海の死後、持ち役・ナレーションを引き継いだ人物は以下の通り。ただし、声優を総入れ替えした作品については対象外としている。 太字はメインキャラクター。 2014年以降の出演作品は生前の収録音声を引用したライブラリ出演。
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{{声優 | 名前 = 内海 賢二 | ふりがな = うつみ けんじ | 画像ファイル = 内海賢二.png | 画像サイズ = 250px | 画像コメント = 1963年 | 本名 = 内海 健司<br />(うつみ けんじ)<ref>{{Cite book|和書|year=1999|title=声優名鑑|pages=369|publisher=成美堂出版|ISBN=978-4-415-00878-3}}</ref><ref name="昭和声優列伝">{{Cite book|和書|author=勝田久|authorlink=勝田久|title=昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち|chapter= file No.29 内海賢二|pages=300-306|publisher=駒草出版|isbn=978-4-905447-77-1|date= 2017-02-22}}</ref><ref name="声優ハートフルトーク21">{{Cite book|和書|author= 神谷明|authorlink = 神谷明|year=1995-07-01|title=声優ハートフルトーク21 |chapter=内海賢二●基礎をしっかりして自分自身を鍛えておかないと|pages=127-142 |publisher=[[ビブロス (出版社)|青磁ビブロス]]|isbn = 4-88271-342-X}}</ref> | 愛称 = 賢坊<ref name="mantan">{{Cite web|和書|url=https://mantan-web.jp/article/20130919dog00m200113000c.html|title=はじめの一歩:鴨川会長役に飯塚昭三 故・内海賢二さんの遺志継ぐ|publisher=まんたんWEB|date=2013-09-20|accessdate=2021-11-26}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author= 野沢雅子|date= 1995|title= ボクは、声優。|chapter=第6章 素晴らしき声優仲間|pages= 177-178|publisher = オプトコミュニケーションズ|isbn=4-07-217886-1}}</ref>、賢ちゃん<ref>{{Cite web|和書|title=1ページ目:【内海賢二 彼が生きた時代:連載第5回】野沢雅子さんインタビュー {{!}} アニメイトタイムズ |url= https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1664958986 |website= 【内海賢二 彼が生きた時代:連載第5回】野沢雅子さんインタビュー {{!}} アニメイトタイムズ |date=2022-10-11 |access-date=2023-06-26 |language=ja}}</ref> | 性別 = [[男性]] | 出生地 = | 出身地 = {{JPN}}・[[福岡県]]、現[[北九州市]]{{R|昭和声優列伝}} | 死没地 = {{JPN}}・[[東京都]][[新宿区]]{{R|sponichi}} | 生年 = 1937 | 生月 = 8 | 生日 = 26 | 没年 = 2013 | 没月 = 6 | 没日 = 13 | 血液型 = [[ABO式血液型|A型]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://linkvod.myjcom.jp/artist/189167|title= 内海賢二|website=linkvod.myjcom.jp|publisher=J:COMオンデマンド |accessdate=2023-11-05}}</ref><ref name="声優アニメディア">{{Cite journal |和書 |title=極 声魂/内海賢二|journal=[[声優アニメディア]] |issue=2008年5月号 |pages= 82-83|publisher=[[学研ホールディングス|学習研究社]] |date=2008-05}}</ref> | 身長 = | 職業 = [[声優]]、[[俳優]]、[[ナレーター]] | 事務所 = [[賢プロダクション]](最終所属)<ref name="賢プ">{{Cite web|和書|url=https://www.kenproduction.co.jp/talent/9|title=内海 賢二|publisher=[[賢プロダクション]]|accessdate=2023-06-04}}</ref> | 配偶者 = [[野村道子]]{{R|sponichi}}<ref name="seigura">{{Cite web|和書|url=http://seigura.com/senior/road/20131118_75/1.html|title= ①先代ワカメちゃんはお天気お姉さん。忙しく楽しくいろんな仕事に挑戦。|accessdate=2023-03-13|date=2008-12-20|website=[[声優グランプリ]]|work=野村道子の声優道|publisher=[[主婦の友社]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170708205835/http://seigura.com/senior/road/20131118_75/1.html|archivedate=2017-07-08}}</ref> | 著名な家族 = [[内海賢太郎]](長男) | 公式サイト = | 公称サイズ出典 = {{Cite web|和書|date=|url=http://www.kenproduction.co.jp/list/utsumi_2.html|title=内海賢二|publisher=[[賢プロダクション]]|accessdate=2019-12-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071110230616/http://www.kenproduction.co.jp/list/utsumi_2.html|archivedate=2007-11-10}} | ref2name = kenproduction | 身長2 = 162 | 体重 = 62 | 活動 = {{声優/活動 | 職種 = 俳優 | 活動名義 = | 活動期間 = [[1955年]] - [[2013年]] | ジャンル = [[舞台]]、[[テレビドラマ]]、[[映画]] | デビュー作 = }}{{声優/活動 | 職種 = 声優 | 活動名義 = | 活動期間 = [[1963年]] - [[2013年]] | ジャンル = [[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]、[[吹き替え]]、[[ゲーム]]、[[ナレーション]] | デビュー作 = }}}} '''内海 賢二'''(うつみ けんじ、[[1937年]]([[昭和]]12年)[[8月26日]]{{R|昭和声優列伝|kenproduction}}<ref>{{Cite book|和書|title=日本音声製作者名鑑2007|page=24|publisher=[[小学館]]|year=2007|ISBN=978-4-09-526302-1}}</ref> - [[2013年]]([[平成]]25年)[[6月13日]]{{R|sponichi}})は、[[日本]]の[[声優]]、[[俳優]]、[[ナレーター]]。[[賢プロダクション]]会長。キャリア初期は、本名の'''内海 健司'''や'''内海 賢治'''(読み同じ)の名前で活動。 代表作には、『[[北斗の拳 (テレビアニメ)|北斗の拳]]』の[[ラオウ]]や『[[魔法使いサリー]]』のサリーのパパ、『[[Dr.スランプ アラレちゃん]]』の則巻千兵衛などがある{{R|sponichi}}{{R|seisakuplus}}<ref name="nikkan">{{Cite news|title=北斗の拳ラオウの声優・内海賢二さん死去|newspaper=日刊スポーツ|date=2013-06-14|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20130614-1142222.html|accessdate=2022-02-20}}</ref>。{{VOICE Notice Hidden|冒頭部分に記載する代表作は、編集合戦誘発の原因となりますので、多数の出典で確認できるものに限ってください。[[プロジェクト:芸能人#記事の書き方]]にてガイドラインが制定されていますので、そちらも参照して下さい。}} == 生涯 == === 声優・俳優になるまで === [[福岡県]][[北九州市]]出身{{R|昭和声優列伝}}。5人兄弟の末っ子として生まれるが、幼い頃に両親を亡くし兄弟とは別れて育つ{{R|昭和声優列伝|声優ハートフルトーク21|声優アニメディア}}。学校時代は演劇部に入ったことはなかったが、ただし、物を読んだり、漫画の本を読んだりすることは好きだった{{R|声優ハートフルトーク21}}。その頃、漫画の本がすくないことから、一冊持ってきて、皆の前で読んでいた{{R|声優ハートフルトーク21}}。国語の教科書を読むの巧かったが、当時は役者になるとは思ってもいなかった{{R|声優ハートフルトーク21}}。中学時代は世界中を周る船乗りになりたく、野球選手にも憧れていた<ref name="seigura19991101">{{Cite journal|和書|date = 1999-11-01|title =MYキャラクターズMY ヒストリー 内海賢二|journal = [[声優グランプリ]]|volume = Vol.25|pages = 105-108|isher = [[主婦の友社]]}}</ref>。放送部に所属していた{{R|seigura19991101}}。中学・高校には仕出し弁当店で住み込みで働き、夜間で通った高校では演劇部に所属{{R|昭和声優列伝}}。 兄が[[NHK北九州放送局|NHK小倉放送局]]でラジオドラマの[[レコーディング・エンジニア|ミキサー]]をしており、高校時代に何回か見学に行っていた{{R|昭和声優列伝|声優ハートフルトーク21|声優アニメディア}}<ref name="声優">{{Cite book|和書|title=「声優」を仕事にする本 |author=市原光敏 |ISBN=978-4-921-02350-8 |pages= 37-49|date= 2000-02-22}}</ref>。高校3年生時の[[1955年]]、役者になろうという気は毛頭なかったが、それが縁で兄が勧めてもらったNHK小倉放送局の専属劇団に応募して合格{{R|昭和声優列伝|声優ハートフルトーク21|声優}}。入れたのは、「ただ人より声が大きい」というだけの理由であり、「あいつはヘタだけど、とりあえず声がでかい。声が出ることはいいことだ」とその原石を認めてくれた人物がいたことから入れたという{{R|声優}}。[[ラジオドラマ]]や朗読の仕事を始めるようになる{{R|seisakuplus}}。やがて、[[福岡県]]に開局したばかりの[[九州朝日放送]]に移籍し[[KBCラジオ]]の専属声優になった<ref name="seisakuplus">{{Cite news|title=【訃報】声優・俳優・ナレーターの内海賢二さんが死去|publisher=舞台制作PLUS+|agency=ネビュラエンタープライズ|date=2013-06-14|url=http://seisakuplus.com/news/?p=11273|accessdate=2022-02-20}}</ref>。 だが、地方での仕事に限界を感じたことから、広告代理店の[[電通]]でテレビ映画制作の仕事をしていた友人を頼り[[1958年]]に上京{{R|昭和声優列伝}}。その友人の紹介で、子供向けドラマ『熱血カクタス』([[柴田秀勝]]主演)にて端役をもらい、続けて『海賊バイキング』ではナレーターを担当{{R|昭和声優列伝}}。中央でのデビューを果たした。当初は[[新宿ゴールデン街]]でアルバイトをしながら舞台俳優として[[里吉しげみ]]主宰の劇団未来劇場の公演などに出演していたが、飲みに来た演出家にスカウトされ吹替に参加<ref>{{Cite web |url=https://mobile.twitter.com/007_TVfukikae/status/303537597043585025 |title=007 TV放送吹替初収録特別版DVDのツイート |access-date=2022/07/23}}</ref>、自然と声優業が増えたという{{R|youga2000}}。 アニメデビュー作は、[[1963年]]に放送された『[[狼少年ケン]]』での片目のジャック役{{R|hukikae}}。[[東映アニメーション|東映動画]]初の[[テレビアニメ]]であり、以降はアニメ声優でも草分け的存在になる。また、本人曰く「マルチな役者」を目指していたことで{{R|hukikae}}、[[吹き替え]]出演やナレーターとしても活動し、以前からの舞台俳優としての活動のほか、[[1960年代]]から[[1970年代]]にかけては多くの[[テレビドラマ]]にも顔出し出演している。 かつては、九州[[日本放送協会|NHK]]放送劇団、未来劇場、東京アーティストプロダクション、楡プロダクションに在籍した{{R|kenproduction}}。 === 私生活 === 1973年、『[[宇宙エース]]』や『[[マッハGoGoGo]]』での共演をきっかけに知り合った声優の[[野村道子]]と[[結婚]]。挙式は[[中村正 (声優)|中村正]]夫妻を媒酌人として、[[アメリカ合衆国]][[ハワイ州]]の白い教会で行われていたという{{R|昭和声優列伝}}。1984年には[[賢プロダクション]]を設立。自身のマネージメントとともに、野村の協力も得て後進の育成にもあたるようになる。これらの幅広い活動から、1980年代には[[高額納税者公示制度|長者番付]]に名を連ねたこともあった<ref name="excite">{{Cite news |url=https://www.excite.co.jp/news/dictionary/person/PEe0dba2426afdba37aacaa6f2fa401324634fa1ac/|title=内海賢二のプロフィール|newspaper= Excite News|date=2021-03-09|agency=エキサイト株式会社|accessdate=2022-02-20}}</ref>。 === 晩年・死後 === その後も第一線で活動。長年に渡り多くのジャンルで貢献したことから、[[2009年]]に第三回[[声優アワード]]功労賞を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.seiyuawards.jp/winning/winning_03/index.php|title=授賞記録|publisher=声優アワード -第三回声優アワード受賞者-|accessdate=2022-02-20}}</ref>。同年放送のアニメ『[[けんぷファー]]』と連動したラジオ番組『[[ラジオ けんぷファー 賢二と愛のわくわく臓物ランド]]』では初の[[アニラジ]]レギュラーパーソナリティを務め、共に担当する[[中島愛]]との年齢差も含め話題となった<ref group="注">それ以前には、出演していたアニメ『[[バジリスク 〜甲賀忍法帖〜]]』との連動ラジオ番組『[[ラジリスク〜甲賀忍放送〜]]』第28回([[音泉]]、[[2005年]][[7月19日]]配信分)にゲスト出演したことがあった。</ref><ref>{{Cite news|author=糸井一臣|title=年の差なんと半世紀以上! 内海賢二と中島愛がメインパーソナリティー - WEBラジオ「ラジオ けんぷファー 賢二と愛のわくわく臓物ランド」配信開始|publisher=マイナビニュース|date=2009-09-09|url=https://news.mynavi.jp/article/20090909-kenpu/|accessdate=2022-02-20}}</ref>。 晩年は、50歳半ばに患った[[膀胱がん]]が再発したため闘病しながら活動を継続<ref name="jisin">{{Cite news|title=しずかちゃん演じた82歳声優「これからは声優界に恩返しを」|publisher=女性自身|agency=光文社|date=2020-10-05|url=https://jisin.jp/entertainment/interview/1899898/|accessdate=2022-02-20}}</ref>。2013年6月13日午後3時1分、[[腹膜炎|がん性腹膜炎]]のため[[東京都]][[新宿区]]の病院で死去{{R|sponichi}}。{{没年齢|1937|08|26|2013|06|13}}。葬儀と告別式は、6月20日に[[青山葬儀所]]で営まれた<ref>{{Cite news|author=吉川美津子|title=声優・内海賢二さんの葬儀レポート|publisher=All About|date=2013-06-25|url=https://allabout.co.jp/gm/gc/420450/|accessdate=2022-02-20}}</ref>。生前最後の出演は、同年7月に放送された『[[銀の匙 Silver Spoon]]』の轟先生役となった<ref>{{Cite news|url=http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2013061300976|title=内海賢二さん死去=アニメ声優の草分け-75歳|newspaper=時事ドットコム|publisher=時事通信社|date=2013-06-13|archiveurl=https://archive.is/20130625033942/http://www.jiji.com/jc/zc?k=201306/2013061300976|archivedate=2013年6月25日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。 [[2014年]]、第8回声優アワード「特別功労賞」を受賞<ref>{{Cite web|和書|publisher=声優アワード|url=http://seiyuawards.jp/201402/18130000.php|title=第八回声優アワード 一部先行発表!|accessdate=2014-02-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140226155338/http://seiyuawards.jp/201402/18130000.php|archivedate=2014年2月26日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。 [[2022年]][[9月30日]]に、内海の仕事と偉業を追った映画『[[その声のあなたへ]]』が公開された<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/eiga/news/484539|title =ラオウ役声優・内海賢二の偉業を追う映画公開、野沢雅子や神谷明が証言|publisher=映画ナタリー|date=2022-07-07|accessdate=2022-08-17}}</ref>。 [[2023年]]3月29日には、生前の内海の声をCoeFontのAI技術で再現した朗読付き電子書籍「YOMIBITO Plus」が発売された<ref>[https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2303/29/news178.html 声優・内海賢二さん、没後10年にAI音声としてよみがえる! 息子は「びっくりしました」と絶賛]</ref>。 == 人物 == 免許は[[日本の運転免許|第一種普通免許]]、[[小型船舶操縦士|小型船舶免許]]{{R|kenproduction}}。特技は[[ゴルフ]]{{R|kenproduction}}。 === 特色 === 素晴らしい[[バリトン]]のユニークな声の持ち主<ref>『「声優」を仕事にする本 』、36頁</ref>で、[[羽佐間道夫]]は「のどちんこをぶるぶる震わせるような声」と表現している<ref>『とり・みきの映画吹替王』</ref>。張りと存在感のある低音を生かし、多くの作品に出演し活躍した<ref name="sponichi">{{Cite news|title=声優内海賢二さん死去「アラレちゃん」則巻千兵衛「北斗の拳」ラオウ|newspaper=スポーツニッポン|publisher=Sponichi Annex|date=2013-06-13|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/06/13/kiji/K20130613006006110.html|accessdate=2022-02-20}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jiji.com/jc/d4?p=tit124-jlp14705351&d=d4_psn|title=内海賢二さん|date=2000-02-14|publisher=時事通信社|accessdate=2022-02-20}}</ref>。 [[日本語の方言|方言]]は[[博多弁]]{{R|賢プ}}。 渋い声から三枚目、とびきりのセクシーボイス、ある時は冷酷なオトコ、ひょうきんまで、バイタリティ溢れる声を持つ{{R|seigura19991101}}。その声質から[[悪役]]を演じることが多く、内海自身も「人生において吹き替えた役の3分の2は、“悪”ですよ(笑)」と冗談交じりに語っている{{R|youga2000}}。一方、それとは正反対なコミカルな演技を活かす役を演じることも多かった{{R|nikkan}}。吹き替えでは、[[スティーブ・マックイーン]]や[[サミー・デイヴィスJr.]]の専属([[フィックス]])声優として知られた<ref>{{Cite web|和書|publisher=007 TV吹替初収録 特別版DVDシリーズ|url=https://007fukikae.com/column/002.html|title=第一回007 TV吹替声優紹介 〜ボンド編〜|accessdate=2023-11-02}}</ref>。また、黒人俳優を担当することが多かった{{R|youga2000}}。 NHKの頃は可愛い声であり、KBCにいた頃は少年剣士役を演じていたという{{R|声優}}。 [[007シリーズ]]吹替版(TV放映版)では常連声優であった。6作で悪役を担当しており、悪役での最多登場を誇る<ref>「吹替映画大事典」([[三一書房]]刊)p40より / 当該頁執筆:[[松久淳]]。</ref>。『[[007 危機一発|007 ロシアより愛をこめて]]』(シリーズ史上有数の存在感で知られる[[ロバート・ショウ]]を担当)と『[[007 死ぬのは奴らだ]]』では悪役をつとめ、それぞれ[[TBS]]で吹替が再制作された時も、内海は交代なしで2バージョンとも同役をつとめた(『007 ロシアより愛をこめて』ではこの再制作の時にボンドの吹替声優も交代した)。『[[007 ダイヤモンドは永遠に]]』がTBSで新録された時(1990年)には[[ショーン・コネリー]]が演じたボンドを吹き替え、主役を務めた。また『[[007 リビング・デイライツ]]』(TBS版)で悪役だった[[ジョー・ドン・ベイカー]]を担当、『[[007 トゥモロー・ネバー・ダイ]]』([[フジテレビ]]版)ではボンドの相棒役となったベイカーを再び吹き替え、作品・制作局・役柄が異なる中、同じ俳優の吹替に配役される経験もしており、最後の007シリーズ吹替だった『[[007 慰めの報酬]]』(同作のみソフト用新録)まで、[[ジョージ・レーゼンビー]]以外の全ボンド俳優の主演作品に出演、幅広い役柄で長くシリーズを支え続けた。シリーズ番外編『[[ネバーセイ・ネバーアゲイン]]』でも悪役をつとめている。 === 人物像 === 後輩の[[神谷明]]は内海について、「明るい」「元気」「豪快」「格好良い」「気っぷが良い」「情熱家」「器がでかい」という言葉がぴったりだと述べている。一方で、「シャイ」「繊細」「細やかな心遣い」という、普段のイメージとは若干異なる部分もあったという<ref name="kamiya">{{Cite web|和書|date=2013-06-16|url=https://web.archive.org/web/20210901110214/https://ameblo.jp/kamiya-akira/entry-11553489775.html|title=感謝の思いを込めて・・・|accessdate=2023-03-03}}</ref>。 現場では明るく[[ムードメーカー]]な存在だったといい、[[戸田恵子]]は「あのお声であのお顔立ちで恐い人なのかな?と思いきや、その真逆」と語っている<ref name="openers">{{Cite web|和書|author=戸田恵子|url=https://openers.jp/lounge/18928|title=「明日また来るからね」 故・内海賢二さんのこと|date=2015-03-12|publisher=OPENERS|accessdate=2022-02-20}}</ref>。派手でオシャレが好きであり、戸田恵子とはよく[[ファッション]]談義もしたという{{R|openers}}。その性格から多くの仲間や後輩に慕われていた。 === 仕事に対する姿勢 === 一つ一つの仕事には全力投球だったといい、非常に真摯であった。 声優として幸せなことには「媒体を問わず色んな役柄が出来ること」と答えている。演技については「ハートが大事!」と語っていた{{R|hukikae}}。吹き替えでは、元の役者の声や芝居に似ているかより、その役の中身を考え演じている{{R|youga2000}}。 アニメの難しさに声によって画が生きるか死ぬかが決まること、吹き替えの難しさに俳優の演技と吹き替えの声のお互いの相乗効果で作っていくことを挙げている。また、共演者との演技のバランスにも留意していたという{{R|youga2000}}。 神谷明によると、『[[北斗の拳 (テレビアニメ)|北斗の拳]]』での[[ケンシロウ]]と[[ラオウ]]の最終決戦の収録の際は、にこやかな普段と違い「そばにも寄れないほどの厳しさでオーラを放っていた」とのことで、その時はスタジオ中が緊張感に包まれていたという{{R|kamiya}}。 過去は振り返らないようにしており、常に新しいことへ挑戦する姿勢だった<ref>『[[声♥遊倶楽部]]』1995年11月9日放送回</ref>。インタビューで「ベテラン・若手から吸収したいものは?」と聞かれた際は「良いセンス、芝居心、年に関係無く」と答えている{{R|hukikae}}。 生前は生涯現役の意向を持っていた<ref name="hukikae">{{Cite web|和書|url=https://www.fukikaekingdom.com/archives/interview_ex02_p1.html|title=特別編 内海賢二さんを偲んで【ふきカエルインタビュー】|publisher=ふきカエル|accessdate=2023-12-01}}</ref>。最晩年は健康状態の問題からオファーを辞退することもあったが、「どうしても内海さんに」という仕事も多く、本人の意向もあり死去の10日前まで仕事を続け、救急搬送された死去の5日前にも収録のため[[日本放送協会|NHK]]に出かけていたという<ref group="注">ただし、この仕事は収録中に意識が飛んでしまい台詞がいえなくなったため降板となった。</ref><ref name=":0">{{Cite web|和書|title=2ページ目:【内海賢二 彼が生きた時代:連載第2回】野村道子インタビュー {{!}} アニメイトタイムズ |url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1664414224&p=2 |website=【内海賢二 彼が生きた時代:連載第2回】野村道子インタビュー {{!}} アニメイトタイムズ |access-date=2022-10-08 |language=ja}}</ref>{{R|jisin}}。 === エピソード === [[八奈見乗児]]は、九州時代からの先輩であった{{R|昭和声優列伝}}。上京した内海は住むところがなく、新婚だった八奈見のアパートに転がり込んだという{{R|昭和声優列伝}}。また、『熱血カクタス』の主演だった[[柴田秀勝]]は、自身の経営するバーの2階を内海の下宿に提供し、その上アルバイトのバーテンとして内海を雇った{{R|昭和声優列伝}}。内海は声優として駆け出しの頃に面倒を看たこの2人の先輩への感謝を忘れなかったという{{R|昭和声優列伝}}。 [[飯塚昭三]]とは「昭ちゃん」と「賢坊」と呼び合うほど親交が深かった<ref name="mantan"/>。 『[[新造人間キャシャーン]]』のブライキング・ボス役は、他のキャストが作品別で入れ替わる中、一貫して内海が担当していた。 今まで演じた中で一番好きな役に、『[[パピヨン (1973年の映画)|パピヨン]]』での[[スティーヴ・マックィーン]]の吹き替えを挙げている{{R|hukikae}}。マックィーンの吹き替えは、[[宮部昭夫]]と分け合う形で担当した持ち役の一つで「演じてきた中で唯一の二枚目であり、自身のアテレコ史の頂点である」と述べている<ref>『パピヨン スティーヴ・マックィーン没後30年特別愛蔵版』に封入されたインタビューより。</ref>。またそれが縁で『[[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ]]』ではスティーヴ・マックィーンがモデルの役を1分に満たない出演ながらも受諾している。 かつて[[野沢雅子]]らと共に、アニメがビデオ・DVD化された際の使用料の支払いを求める訴訟を起こし、勝訴している。 「もし年齢が20歳若ければ、[[ジョニー・デップ]]の吹き替えを担当してみたい」と語ったことがある<ref name="youga2000">{{Cite web|和書|author=村上健一|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/youga2000/afreco_dtd.html|title=ダニー・ザ・ドッグ アフレコレポート|website=木曜洋画劇場|publisher=テレビ東京|accessdate=2022-02-20}}</ref>。 妻の[[野村道子]]とは多く夫婦共演している。また、1984年に賢プロダクションを設立した際、経営面に不慣れな内海は次第に過労のため、誰の目にも明らかなほどに憔悴。この時、野村は役者仲間の助言もあり同プロダクションへ移籍。声優業の多くはそれまでの持ち役に絞り経営面で尽力するなど、公私共に内海を支える片腕となった。 長男は所属する賢プロダクション社長の内海賢太郎<ref>{{Cite web|和書|date=2007-10-16|url=http://www.ytv.co.jp/anime/suwa/07_1016.html|title=10月16日|work=スワッチのアニメ日記|author=|publisher=[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]|accessdate=2013-04-15}}</ref>。アニメ『[[ブラック・ジャック21]]』の第1話では、自身が演じた友引警部の息子の名前を「賢太郎」と呼んでいる<ref group="注">この話では、共演した[[大塚周夫]]も自身が演じた医師会長の息子の名前を「[[大塚明夫|明夫]]」と呼んでいる。</ref>。 [[少年隊]]の[[錦織一清]]とは、ミュージカル『ゴールデンボーイ』で共演したことがきっかけとなり交遊があった。2010年12月4日『[[THE MUSEUM II|中野サンプラザ座長公演 水樹奈々大いに唄う 弐]]』ではナレーションを担当した。 == 後任 == 内海の死後、持ち役・ナレーションを引き継いだ人物は以下の通り。ただし、声優を総入れ替えした作品については対象外としている。 {| class="wikitable sortable" style="font-size:small" border="1" |- !後任!!役名!!概要作品!!後任の初担当作品 |- |[[大友龍三郎]] |[[神龍 (ドラゴンボール)|神龍]] |『[[ドラゴンボール]]』シリーズ |『[[ドラゴンボール改]]』第97話<ref group="注">内海の存命中から並行して担当。</ref> |- |[[中井和哉]] |ナレーション |『[[激録・警察密着24時!!]]』 |第21回 |- |[[飯塚昭三]] | rowspan="2" |[[鴨川源二]] | rowspan="2" |『[[はじめの一歩]]』 |『はじめの一歩 Rising』 |- |[[佐藤正治 (声優)|佐藤正治]] |『はじめの一歩 FIGHTING SOULS』<ref>{{Cite web|和書|date=2021-04-16|url=https://webnewtype.com/news/article/1028899/ |title=スマホゲーム「はじめの一歩」キャストコメント第3弾到着!直筆サイン色紙が当たるキャンペーンが実施中! |work=はじめの一歩|publisher=WebNewtype|accessdate=2021-04-18}}</ref> |- |[[楠大典]] |ジョージ・ディロン |『[[プレデター (映画)|プレデター]]』(フジテレビ版) |[[吹替の帝王]]版追加収録 |- |[[緒方賢一]] | rowspan="2" |ナレーション |『激録・警察密着24時!!』 |第23回 |- |[[中博史]] |『[[7男2女11人の大家族石田さんチ!]]』 |2014年3月27日放送分 |- | rowspan="3" |[[屋良有作]] |宇宙魔王 |『[[太陽の使者 鉄人28号]]』 |『[[第3次スーパーロボット大戦Z|第3次スーパーロボット大戦Z 時獄篇]]』 |- |ラモン・ロホ |『[[荒野の用心棒]]』([[テレビ朝日]]版) |コレクターズエディション用追加収録 |- |則巻千兵衛 |『[[Dr.スランプ アラレちゃん]]』 |『[[ドラゴンボール超]]』<ref group="注">内海存命時にリメイク版のアニメ『[[ドクタースランプ]]』で同役を担当。</ref> |- | rowspan="4" |[[玄田哲章]] |[[ジョーカー (バットマン)|ジャック・ネーピア / ジョーカー]] |『[[バットマン (映画)|バットマン]]』(テレビ朝日版) |[[WOWOW]]版追加収録 |- |[[ラオウ]] |パチスロ『[[北斗の拳 (パチスロ)|北斗の拳]]』シリーズ |『ぱちんこCR北斗の拳6 拳王』<ref group="注">内海存命中から『[[お台場冒険王]]』イベントおよび『[[ジェイスターズ ビクトリーバーサス]]』などでもラオウを演じている。</ref> |- |蓑念鬼 |『[[バジリスク 〜甲賀忍法帖〜]]』 |『バジリスク3』 |- |くらやみまん |『[[それいけ!アンパンマン]]』 |第1390話Bパート |- |[[手塚秀彰]] |オブテュース |『[[パックワールド]]』 |第40話 |- | rowspan="2" |[[落合弘治]] |フランク・ブリット |『[[ブリット]]』(テレビ朝日版) | rowspan="3" |WOWOW版追加収録 |- |ラルフ・ソーソン |『[[ハンター (1980年の映画)|ハンター]]』(テレビ朝日版) |- |[[最上嗣生]] |モーフィアス |『[[マトリックス (映画)|マトリックス]]』([[フジテレビ]]版) |- | rowspan="2" |[[石井康嗣]] |ガーランド |『[[ディシディアファイナルファンタジー]]』 |『[[ディシディア ファイナルファンタジー (アーケードゲーム)|ディシディア ファイナルファンタジー]]』(ACゲーム) |- |ランプの巨人 | rowspan="2" |『それいけ!アンパンマン』 |1406話Bパート |- |[[龍田直樹]] |ムシバキンマン |1405話Bパート |- |[[関智一]] |[[エンペラ星人]] |[[ウルトラシリーズ]] |『[[ウルトラマンフェスティバル|ウルトラマンフェスティバル2018]]』 |- |[[稲葉実]] |オオカミ |『[[シュレックシリーズ]]』 |『シュレック 泥んこコレクション』 |- |[[鏡優雅]] |[[トニー・ザ・タイガー]] |[[ケロッグ (企業)|ケロッグ]]「[[コーンフロスティ]]」テレビCM |2021年2月以降<ref>{{Cite web|和書|title=鏡 優雅|url=https://www.production-ace.co.jp/ace_talent/yuga-kagami/|publisher=[[プロダクション・エース]]|accessdate=2022-03-19}}</ref> |- |[[小西克幸]] |コマンドガンダム |『[[武者・騎士・コマンド SDガンダム緊急出撃]]』 |『[[SDガンダム バトルアライアンス]]』<ref>{{cite web|url=https://gba.ggame.jp/character/detail.php?s=sd&id=ht9ebkoy|title=CHARACTER|work=【公式】SDガンダム バトルアライアンス(バトアラ)|バンダイナムコエンターテインメント公式サイト|publisher=[[バンダイナムコエンターテインメント ]]|accessdate=2022-05-27}}</ref> |- |[[斉藤次郎]] |[[鋼の錬金術師の主要な登場人物#アレックス・ルイ・アームストロング|アレックス・ルイ・アームストロング]] |『[[鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST]]』 |『鋼の錬金術師 MOBILE』<ref>{{Cite web|url=https://www.jp.square-enix.com/hagane-mobile/character/|title=CHARACTER|work=鋼の錬金術師 MOBILE|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|accessdate=2022-02-17}}</ref> |- |[[渡辺篤史]] |ナレーション(語り) |『[[マグロに賭けた男たち]]』 |''TBA'' |- |[[神谷明]] |ナレーション |『[[DJモノフェスタ]]』 |''TBA'' |- |[[間宮康弘]] |パーキンス氏 |『[[怪盗グルーの月泥棒]]』 |『[[ミニオンズ フィーバー]]』 |- |[[丸山壮史]] |カーマイン・ロレンゾ署長 |『[[ダイ・ハード2]]』 |スター・チャンネル追加録音 |- |} == 出演 == '''太字'''はメインキャラクター。 === テレビアニメ === {{dl2 | 1963年 | * [[狼少年ケン]]('''ジャック'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/ken/character/| title = 狼少年ケン| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2021-02-23}}</ref>) * [[鉄腕アトム (アニメ第1作)|鉄腕アトム(第1作)]](ドラッグストアの主人)<ref group="注">「宇津見健二」と表記。</ref> | 1965年 | * [[宇宙パトロールホッパ]](アイアン<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/hoppa/| title = パトロールホッパ宇宙っ子ジュン| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2016-06-11}}</ref>) * [[ジャングル大帝]](サイボス) * [[宇宙エース]]('''イボ''') | 1966年 | * [[魔法使いサリー]](1966年 - 1968年、'''パパ'''、よし子の父) * [[遊星仮面]](サップス1号ステッキィ、サップス38号ヘスラー) * [[遊星少年パピイ]](キングゴモラ) | 1967年 | * [[黄金バット]]('''マゾ''') * [[かみなり坊やピッカリ・ビー]] * [[悟空の大冒険]](青獅子) * [[冒険少年シャダー]]('''ゴースター''') * [[マッハGoGoGo]]('''六郷警部'''、鬼村) | 1968年 | * [[怪物くん (モノクロアニメ)|怪物くん(TBS版)]](サタン、ミスターシャドウ、ミスタードール) * [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第1シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第1作)]] * [[サイボーグ009 (アニメ)|サイボーグ009]]('''004''' / '''アルベルト・ハインリヒ'''〈2代目〉<ref>{{Cite web|和書|url=https://ishimoripro.com/作品紹介/サイボーグ009シリーズ/サイボーグ009-1968年/|title =サイボーグ009 (1968年)|publisher=石森プロ公式ホームページ|accessdate=2022-02-12}}</ref>) | 1969年 | * [[ウメ星デンカ]] * [[海底少年マリン]](タイグール、トラヴァード、ケンボー団のボス) * [[巨人の星 (アニメ)|巨人の星]]([[藤村富美男]]) * [[どろろ (アニメ)|どろろ]](大将) * [[もーれつア太郎]](第1作)(三太郎 他) * [[紅三四郎]]('''ナレーター''') | 1971年 | * [[珍豪ムチャ兵衛]] | 1973年 | * [[新造人間キャシャーン]]('''ブライキングボス'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20180730202844/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/683| title = 新造人間キャシャーン| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2017-03-04}}</ref>) * [[ゼロテスター]](武者ガロス〈アシュランガー〉、透明ガロス) | 1975年 | * [[宇宙の騎士テッカマン]]('''天地局長'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C7586| title = 宇宙の騎士テッカマン| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2016-11-06}}</ref>) * [[ガンバの冒険]]('''ヨイショ'''{{R|ガンバの冒険}}) * [[少年徳川家康]]('''ナレーター'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/ieyasu/| title = 少年徳川家康| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2016-05-23}}</ref>) * [[タイムボカン]](バテレン) | 1976年 | * [[元祖天才バカボン]] * [[マグネロボ ガ・キーン]]('''花月所長'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/gakiin/character/| title = マグネロボ ガ・キーン|キャラクター/キャスト| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2023-01-09}}</ref> / '''花月守''') | 1977年 | * [[新・巨人の星]](ビル・サンダー<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20160625000109/http://www.tms-e.co.jp/search/introduction.php?pdt_no=59| title = 新巨人の星| publisher = トムス・エンタテインメント| accessdate = 2016-06-17}}</ref>) * [[超電磁マシーン ボルテスV]](1977年 - 1978年、ベルガン) | 1978年 | * [[闘将ダイモス]](バランドーク) * [[ルパン三世 (TV第2シリーズ)|ルパン三世(第2作)]](1978年 - 1979年、アフリカ諸国刑務所長、張廷) | 1979年 | * [[あしたの勇者たち]](松本監督) * [[アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険]](ジャファディ) * [[円卓の騎士物語 燃えろアーサー]](1979年 - 1980年、ガスター<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/entaku/| title = 円卓の騎士物語 燃えろアーサー| publisher = 東映アニメーション | accessdate = 2016-06-08}}</ref>) * [[海底超特急マリンエクスプレス]]('''[[アセチレン・ランプ (手塚治虫)|ランプ]]''') * [[ザ☆ウルトラマン]](大河原大介) * [[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん(テレビ朝日版第1期)]] * [[ベルサイユのばら]](1979年 - 1980年、レニエ・ド・ジャルジェ将軍{{要出典|date=2023年2月}}) | 1980年 | * [[ずっこけナイトドンデラマンチャ]]('''ドンキーホーテ・デ・ラマンチャ''') * [[太陽の使者 鉄人28号]]('''宇宙魔王'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20130506090803/http://www.tms-e.co.jp/search/introduction.php?pdt_no=18| title = 鉄人28号| publisher = トムス・エンタテインメント| accessdate = 2016-06-01}}</ref>) * [[トム・ソーヤーの冒険 (アニメ)|トム・ソーヤーの冒険]](インジャン・ジョー〈2代目〉) * [[来るべき世界 (漫画)|フウムーン]]('''ガマタ'''<ref>{{Cite news | url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/57.html| title = フウムーン| newspaper = | publisher = 手塚治虫公式サイト| date = | accessdate = 2016-05-06}}</ref>) * [[闇の帝王 吸血鬼ドラキュラ]]('''ドラキュラ''') | 1981年 | * [[Dr.スランプ アラレちゃん]](1981年 - 1992年、'''[[Dr.スランプの登場人物#則巻家|則巻センベエ]]'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/arale/| title = Dr.スランプ アラレちゃん| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2022-09-14}}</ref>) - 1シリーズ + 特別編2作品 | 1982年 | * [[逆転イッパツマン]](ヨコバッター) * [[コブラ (アニメ)#スペースコブラ|スペースコブラ]](ターベージ<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20150923191656/http://www.tms-e.co.jp/search/introduction.php?pdt_no=25| title = スペースコブラ| publisher = トムス・エンタテイメント| accessdate = 2016-05-22}}</ref><ref group="注">『声優事典 第一版』[[キネマ旬報社]]、1994年11月22日、28頁のサラマンダーは誤表記</ref> 他) * [[太陽の子エステバン]](ガスパル) * [[ダッシュ勝平]](ジョー・コッカー) * Dr.スランプ アラレちゃん ペンギン村英雄伝説('''則巻センベエ''') * [[手塚治虫のドン・ドラキュラ]]('''ドン・ドラキュラ伯爵'''<ref>{{Cite news | url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/45.html| title = ドン・ドラキュラ| newspaper = | publisher = 手塚治虫公式サイト| date = | accessdate = 2016-05-06}}</ref>) | 1983年 | * [[イタダキマン]](盗賊団首領〈妖怪サソリ〉) * [[キャッツ・アイ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/program/104138/|title=キャッツ・アイ(第1期) : 作品情報|publisher=アニメハック|accessdate=2020-12-06}}</ref>(課長) * [[さすがの猿飛]](カパ) * [[どくとるマンボウ&怪盗ジバコ 宇宙より愛をこめて]](カポー) * [[未来警察ウラシマン]](コロンダ刑事、ブリンナー) | 1984年 | * [[ふたり鷹]]('''花園明美''') * [[らんぽう]](ナワトビ怪人) | 1985年 | * [[昭和アホ草紙あかぬけ一番!]](一の瀬強力 / ブラックベアマスク) * [[プロゴルファー猿]](1985年 - 1988年、'''ミスターX''') * [[北斗の拳 (テレビアニメ)|北斗の拳]](1985年 - 1988年、'''[[ラオウ]]'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/hokuto/| title = 北斗の拳| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2016-06-12}}</ref>、'''カイオウ''') - 2シリーズ | 1986年 | * [[ゲゲゲの鬼太郎 (テレビアニメ第3シリーズ)|ゲゲゲの鬼太郎(第3作)]](迦楼羅) * [[サンゴ礁伝説 青い海のエルフィ]](カリスマ<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nippon-animation.co.jp/work/1503/| title = サンゴ礁伝説 青い海のエルフィ| publisher = 日本アニメーション| accessdate = 2016-05-17}}</ref>) * [[青春アニメ全集]](武士の亡霊) * [[タッチ (漫画)|タッチ]](柏葉英一郎) * [[ドラゴンボール (アニメ)|ドラゴンボール]](1986年 - 1989年、[[神龍 (ドラゴンボール)|神龍]]、[[天下一武道会#関連人物|アナウンサー]]、[[レッドリボン軍|レッド総帥]]、則巻センベエ、武泰斗) | 1987年 | * [[ハイスクール!奇面組]](平山雪男) | 1988年 | * [[聖闘士星矢 (アニメ)|聖闘士星矢]](オーディーン) * [[闘将!!拉麵男]](玉王) | 1989年 | * [[青いブリンク]](ロバート) * [[それいけ!アンパンマン]](1989年 - 2013年、ランプの巨人〈初代〉、ムシバキンマン〈初代〉、くらやみまん〈初代〉、ピスタチオ〈初代〉) * [[手塚治虫物語 ぼくは孫悟空]](牛魔王<ref>{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/63.html| title = 手塚治虫物語 ぼくは孫悟空| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-05-20}}</ref>) * [[ドラゴンボールZ]](1989年 - 1991年、神龍〈初代〉、[[ギニュー特戦隊#リクーム|リクーム]]) * [[まじかるハット]](1989年 - 1990年、オワル・ザ・ジアーク{{R|まじかるハット}}、来々軒) * [[魔法使いサリー]](サリーの祖父 / 大魔王<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/sally_2nd/| title = 魔法使いサリー(第2期)| publisher = 東映アニメーション | accessdate = 2016-06-15}}</ref>) | 1990年 | * [[ドラゴンクエスト (アニメ)|ドラゴンクエスト]](1990年 - 1991年、オルテガ) * [[きかんしゃトーマス]](1990 - 2004年、ゴードン) | 1991年 | * [[DRAGON QUEST -ダイの大冒険-#1991年版『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』|ドラゴンクエスト ダイの大冒険(第1作)]](1991年 - 1992年、[[バーン (ダイの大冒険)|大魔王バーン]]<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/dai_daiboken/| title = ドラゴンクエスト・ダイの大冒険| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2016-07-09}}</ref>) * [[魔法のプリンセス ミンキーモモ]](第2作)(ドラゴンスキー) * [[笑ゥせぇるすまん]](木上守) | 1992年 | * [[美味しんぼ]](大河猪太) | 1993年 | * [[超電動ロボ 鉄人28号FX]](ブラック博士) | 1994年 | * [[赤ずきんチャチャ]](クラウド) * [[とっても!ラッキーマン]](おやじマン) | 1995年 | * [[ストリートファイターII V]]('''[[ベガ (ストリートファイター)|ベガ]]''') | 1997年 | * [[剣風伝奇ベルセルク]](1997年 - 1998年、ゾッド) * [[BURN-UP EXCESS]](源二郎) * [[ルパン三世 ワルサーP38]]('''ゴルドー'''<ref>{{Cite news | url = https://web.archive.org/web/20140826164635/http://www.tms-e.co.jp/search/introduction.php?pdt_no=463| title = ルパン三世 ワルサーP38| newspaper = | publisher = トムス・エンタテインメント| date = | accessdate = 2016-05-02}}</ref>) | 1998年 | * [[時空探偵ゲンシクン]]([[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]) * [[セイバーマリオネットJ to X]](鎌太郎) * [[星方武侠アウトロースター]](ドゥーズ・デラクス・レクス) * [[名探偵コナン (アニメ)|名探偵コナン]](1998年 - 2001年、土方幸三郎、大楠友之) | 1999年 | * [[カウボーイビバップ]](アップルデリー) * [[週刊ストーリーランド]](ナレーション) * [[星方天使エンジェルリンクス]]('''ドゥーズ・デラクス・レクス''') * [[Bビーダマン爆外伝V]](ゴーツクボン) * [[モンスターファーム〜円盤石の秘密〜]](ラウー) | 2000年 | * [[はじめの一歩]](2000年 - 2009年、'''[[鴨川源二]]'''〈初代〉) - 3シリーズ * [[マシュランボー]](ドッカク) | 2001年 | * [[魔法戦士リウイ]]('''リジャール''') | 2002年 | * [[藍より青し]](葵の父) * [[サイボーグ009 THE CYBORG SOLDIER]](ブラックゴースト〈男〉) * [[ぷちぷり*ユーシィ]](魔界王) * [[ラーゼフォン]](亘理士郎) | 2003年 | * [[アストロボーイ・鉄腕アトム]](徳川) * [[GAD GUARD]](ラディゲ) * [[シンデレラボーイ (漫画)|シンデレラボーイ]](白雪寒太郎) * [[FIRESTORM (アニメ)|FIRESTORM]](カルロ・モレーリ) * [[冒険遊記プラスターワールド]](ギンギラギン) * [[ポケットモンスター アドバンスジェネレーション]](ミラージュ国王) * [[無限戦記ポトリス]](ジェリード) | 2004年 | * [[かいけつゾロリ]](ダルマニアン) * [[鉄人28号 (2004年版アニメ)|鉄人28号(第4作)]](ベラネード、PX団ボス) * [[鋼の錬金術師 (アニメ)|鋼の錬金術師]]('''アレックス・ルイ・アームストロング'''<ref>{{Cite web | url = http://www.hagaren.jp/staffcast/| title = STAFF CAST| publisher = TVアニメ「鋼の錬金術師」公式サイト| accessdate = 2016-06-04}}</ref>) * [[妄想代理人]](川津明雄) | 2005年 | * [[ギャラリーフェイク]](カルロス) * [[戦国英雄伝説 新釈 眞田十勇士 The Animation]]('''ナレーション'''<ref>{{Cite web | url = http://www.at-x.com/program/detail/2534| title = 戦国英雄伝説 新釈 眞田十勇士 The Animation| publisher = AT-X| accessdate = 2016-06-12}}</ref>) * [[バジリスク 〜甲賀忍法帖〜]](蓑念鬼<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.gonzo.co.jp/works/basilisk/| title = バジリスク 〜甲賀忍法帖〜| publisher = GONZO公式サイト| accessdate = 2016-07-01}}</ref>) * [[ブラック・ジャック (テレビアニメ)|ブラック・ジャック]](友引警部<ref>{{Cite news | url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/123.html| title = ブラック・ジャック| newspaper = | publisher = 手塚治虫公式サイト| date = | accessdate = 2016-05-06}}</ref>) * [[雪の女王 (NHKアニメ)|雪の女王]](ガイオン) | 2006年 | * [[エンジェル・ハート]](坂東実道) * [[ケモノヅメ]]('''大葉久太郎''') * [[こてんこてんこ]](オークの樹の精、ズル魔人) * [[ブラック・ジャック21]](友引警部) | 2007年 | * [[獣装機攻ダンクーガノヴァ]](ヘルガイヤー) * [[D.Gray-man]](ジスコーネ) | 2008年 | * [[アリソンとリリア]](リーン・ワレン警部<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20180217202803/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/10500| title = アリソンとリリア| publisher = メディア芸術データベース| accessdate = 2016-08-05}}</ref>) * [[キャシャーン Sins]](ブライキング・ボス<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.madhouse.co.jp/works/2008-2007/works_tv_casshern-sins.html| title = キャシャーン Sins| publisher = マッドハウス| accessdate = 2016-06-24}}</ref>) * [[銀魂 (アニメ)|銀魂]](魔死呂威下愚蔵) * [[ゴルゴ13]](レデル・ニコラヴィッチ) * [[のらみみ]](所長) * [[もっけ]](ロクサン) * [[ONE OUTS -ワンナウツ-]]('''彩川恒雄'''{{R|ONE OUTS -ワンナウツ-}}) | 2009年 | * [[キディ・ガーランド]](ク・フィーユ〈変声時〉) * [[けんぷファー]](2009年 - 2011年、ヒアブリライオン) - 1シリーズ + 特別編1作品 * [[真マジンガー 衝撃!Z編 on television]](ハーデス) * [[スレイヤーズEVOLUTION-R]](デューン) * [[ドラえもん (2005年のテレビアニメ)|ドラえもん(テレビ朝日版第2期)]]([[武蔵坊弁慶]]) * [[ドラゴンボール改]](神龍〈初代〉) * [[NEEDLESS]]('''ギド'''<ref name="mad2009">{{Cite web | url = https://www.madhouse.co.jp/works/2009-2008/works_tv_needless.html| title = NEEDLESS| publisher = マッドハウス| accessdate = 2016-06-26}}</ref>、ナレーション<ref name="mad2009" />) * [[鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST]]('''アレックス・ルイ・アームストロング'''<ref>{{Cite web | url = http://www.hagaren.jp/fa/about/staffcast.html| title = STAFF&CAST| publisher = 鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST 公式ホームページ| accessdate = 2016-06-04}}</ref>、フィリップ・ガルガントス・アームストロング) | 2010年 | * [[しまじろう ヘソカ]](黒ブタ船長) * [[迷い猫オーバーラン!]](機械公爵、オープニングナレーション) * [[RAINBOW-二舎六房の七人-]](ジミー・ブラウン) | 2011年 | * [[HUNTER×HUNTER (2011年のアニメ)|HUNTER×HUNTER(第2作)]](船長) * [[べるぜバブ]](ワスボガ) * [[ブレイド (2011年のアニメ)|ブレイド]](柳生丹波) | 2012年 | * [[リトル・チャロ〜東北編〜]](スイコ様) | 2013年 | * [[銀の匙 Silver Spoon]](轟剛先生<ref>{{Cite web|和書|publisher=TVアニメ「銀の匙」 公式サイト|title=スタッフ&キャスト|url=http://www.ginsaji-anime.com/staff-cast/cast.html|accessdate=2015-09-20}}</ref>) | 2014年 | * [[パックワールド]](オブテュース〈初代〉)※遺作 }} === 劇場アニメ === {{dl2 | 1966年 | * [[サイボーグ009 (アニメ)|サイボーグ009]]('''008''' / '''ピュンマ''')<ref group="注">005と誤表記。</ref> | 1967年 | * サイボーグ009 怪獣戦争('''008''' / '''ピュンマ''') | 1969年 | * [[長靴をはいた猫]](ダニエル) | 1970年 | * [[ちびっ子レミと名犬カピ]](ジェームズ) | 1971年 | * [[アリババと40匹の盗賊]](ドラ) | 1974年 | * [[マジンガーZ対暗黒大将軍]](獣魔将軍<ref>{{Cite book|和書|year=1996-03-30|title=声優事典 第二版|page=47|publisher=キネマ旬報社||isbn=4-87376-160-3}}</ref>) | 1975年 | * [[宇宙円盤大戦争]](ブラッキー隊長) | 1979年 | * [[がんばれ!!タブチくん!!]]('''[[根本陸夫|ネモト監督]]''') | 1980年 | * がんばれ!! タブチくん!! 第2弾 激闘ペナントレース!!('''ネモト監督''') * がんばれ!! タブチくん!! 初笑い第3弾 あゝツッパリ人生!!('''ネモト監督''') | 1981年 | * [[あしたのジョー2]] * [[シリウスの伝説]](グラウコス<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C409850| title = シリウスの伝説| publisher = メディア芸術データベース| accessdate = 2022-05-09}}</ref>) * [[Dr.スランプ アラレちゃん ハロー!不思議島]]('''則巻センベエ'''<ref>『東映まんがまつり パンフレット』[[東映]]株式会社映像事業部、1981年7月18日。</ref>) * [[ドラえもん のび太の宇宙開拓史]](ボーガント) | 1982年 | * [[テクノポリス21C]](鳴海吾郎) * [[Dr.SLUMP ほよよ! 宇宙大冒険|Dr.SLUMP“ほよよ!”宇宙大冒険]]('''則巻センベエ'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/dvd/movie-arale/story/story02.html|title =ドクタースランプDVD-BOX"SLUMP THE BOX MOVIES"|publisher=東映アニメーション|accessdate=2020-09-23}}</ref>) | 1983年 | * [[幻魔大戦 (映画)|幻魔大戦]](サラマンダー) * [[Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!世界一周大レース]]('''センベエ'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/dvd/movie-arale/story/story03.html|title =ドクタースランプDVD-BOX"SLUMP THE BOX MOVIES"|publisher=東映アニメーション|accessdate=2020-09-23}}</ref>) | 1984年 | * [[少年ケニヤ]](グレ) * [[ガンバの冒険|冒険者たち ガンバと7匹のなかま]](ヨイショ{{R|冒険者たちガンバ}}) * [[Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!ナナバ城の秘宝]]('''則巻センベエ''' / '''ノリマッキー・センベエ'''<ref>『お年玉 [[東映まんがまつり]] パンフレット』[[東映]]株式会社映像事業部、1984年12月22日。</ref>) * [[忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ]](ゲラー) * [[プロ野球を10倍楽しく見る方法 PART2]]([[衣笠祥雄|キヌガサ]]) | 1985年 | * [[Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!夢の都メカポリス]]('''則巻センベエ'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.toei-anim.co.jp/dvd/movie-arale/story/story05.html|title =ドクタースランプDVD-BOX"SLUMP THE BOX MOVIES"|publisher=東映アニメーション|accessdate=2020-09-23}}</ref>) | 1986年 | * [[北斗の拳 (1986年の映画)|北斗の拳]]('''拳王'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_hokuto/character/| title = 北斗の拳|キャラクター/キャスト| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2022-07-25}}</ref>) * [[ドラゴンボール 神龍の伝説]](神龍<ref>{{Cite web|和書| url=https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_dragonball_shenron/character/| title=ドラゴンボール 神龍の伝説|キャラクター/キャスト| publisher=東映アニメーション| accessdate=2022-06-05}}</ref>) * [[プロゴルファー猿|プロゴルファー猿 スーパーGOLFワールドへの挑戦!!]](ミスターX) | 1987年 | * [[タッチ (漫画)|タッチ3 君が通り過ぎたあとに]](柏葉英一郎<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C410124|title= タッチ3 君が通り過ぎたあとに|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-09-02}}</ref>) * プロゴルファー猿 甲賀秘境!影の忍法ゴルファー参上!(ミスターX) | 1988年 | * [[魁!!男塾]](司祭) * [[ドラゴンボール 摩訶不思議大冒険]](神龍{{R|摩訶不思議大冒険}}) | 1989年 | * [[ギャラガ (アニメ映画)|ギャラガ HYPER PSYCHIC GEO GARAGA]](ダラブリーグ) * [[ドラゴンボールZ (1989年の映画)|ドラゴンボールZ]](神龍{{R|劇場版ドラゴンボールZ}}) * [[NEMO/ニモ]](モルフェウス大王) | 1990年 | * [[ドラゴンボールZ この世で一番強いヤツ]](神龍{{R|この世で一番強いヤツ}}) * [[ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦]](レズン<ref name="book">週刊少年ジャンプ特別編集「鳥山明 THE WORLD アニメ設定資料館 ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦」『鳥山明 THE WORLD アニメスペシャル』』[[集英社]]、1990年10月10日、雑誌29939-10/10、184-185頁。</ref>、神龍<ref name="book"/><ref>{{Cite web|和書| url=https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_dragonball_tyoukessen/character/| title=ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦|キャラクター/キャスト| publisher=東映アニメーション| accessdate=2022-06-05}}</ref>) * [[ベルサイユのばら]](レニエ・ド・ジャルジェ将軍) | 1991年 | * [[安達が原]](ダモクレス大統領<ref>{{Cite news | url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/18.html| title = 安達が原| newspaper = | publisher = 手塚治虫公式サイト| date = | accessdate = 2016-05-08}}</ref>) * [[ガンバの冒険|ガンバとカワウソの冒険]](ヨイショ{{R|ガンバとカワウソの冒険}}) * [[ドラゴンボールZ 超サイヤ人だ孫悟空]](神龍) * [[武者・騎士・コマンド SDガンダム緊急出撃]]('''コマンドガンダム''') | 1993年 | * [[銀河英雄伝説 新たなる戦いの序曲]](シドニー・シトレ) * [[Dr.スランプ アラレちゃん んちゃ!ペンギン村はハレのち晴れ]]('''則巻千兵衛''') * [[Dr.スランプ アラレちゃん んちゃ!ペンギン村より愛をこめて]]('''則巻センベエ'''<ref>{{Cite book|和書|year=1993-12-15|title=アニメコミックス Dr.スランプ アラレちゃん んちゃ!ペンギン村より愛をこめて|page=166|publisher=集英社〈ジャンプ コミックス セレクション〉|isbn=4-8342-1189-4}}</ref>) | 1994年 | * [[餓狼伝説 -THE MOTION PICTURE-]](ジャミン) * [[Dr.スランプ アラレちゃん ほよよ!!助けたサメに連れられて…]]('''センベエ''') * [[Dr.スランプ アラレちゃん んちゃ!!わくわくハートの夏休み]]('''則巻センベエ''') | 1995年 | * [[マクロスプラス|マクロスプラス MOVIE EDITION]](ミラード・ジョンソン大佐) | 1996年 | * [[地獄先生ぬ〜べ〜|劇場版地獄先生ぬ〜べ〜]](悪霊) * [[スレイヤーズ (アニメ)|スレイヤーズRETURN]](ガレフ) * [[ドラえもん のび太と銀河超特急]](天帝) * [[ドラゴンボール 最強への道]](レッド、神龍{{R|最強への道}}) | 1997年 | * [[ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記]](熊虎鬼五郎) * [[愛は風の如く#映画|ヘルメス-愛は風の如く]]([[ミノス王]]) | 1998年 | * [[名探偵コナン 14番目の標的]](宍戸永明<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20140914222958/http://www.tms-e.co.jp/search/introduction.php?pdt_no=354| title = 名探偵コナン 14番目の標的| publisher = トムス・エンタテインメント| accessdate = 2016-06-01}}</ref>) | 1999年 | * [[ドラえもん のび太の宇宙漂流記]](アンゴルモア) | 2000年 | * [[ONE PIECE (2000年の映画)|ONE PIECE]](エルドラゴ) | 2003年 | * [[パーマン|Pa-Pa-Pa ザ★ムービー パーマン]](ドン石川) | 2004年 | * [[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ]](ヴィン) * [[Pa-Pa-Pa ザ★ムービー パーマン タコDEポン!アシHAポン!]](ドン石川) | 2005年 | * [[劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者]]('''アレックス・ルイ・アームストロング''') * [[ブラック・ジャック (テレビアニメ)|ブラック・ジャック ふたりの黒い医者]](友引警部<ref>{{Cite news | url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/131.html| title = ブラック・ジャック ふたりの黒い医者| newspaper = | publisher = 手塚治虫公式サイト| date = | accessdate = 2016-05-06}}</ref>) | 2006年 | * [[映画ドラえもん のび太の恐竜2006]](ドルマンスタイン<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20180303050502/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/9674| title = 映画 ドラえもん のび太の恐竜2006| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2016-10-24}}</ref>) | 2007年 | * [[ジーニアス・パーティ]](サイ) * [[ねずみ物語 〜ジョージとジェラルドの冒険〜]](アレックス{{R|ねずみ物語}}) * [[鉄人28号 白昼の残月]](ベラネード) | 2009年 | * [[よなよなペンギン]](おじさんたち) | 2010年 | * [[クレヨンしんちゃん 超時空!嵐を呼ぶオラの花嫁]](金有増蔵) | 2011年 | * [[劇場版ポケットモンスター ベストウイッシュ ビクティニと黒き英雄 ゼクロム・白き英雄 レシラム]](王様) * [[鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星]]('''アレックス・ルイ・アームストロング'''<ref>{{Cite web | url = https://www.hagaren-movie.net/staffcast/| title = CAST| publisher = 鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星 公式サイト| accessdate = 2016-06-04}}</ref>) | 2012年 | * [[グスコーブドリの伝記]](てぐす工場主) | 2013年 | * [[ドラゴンボールZ 神と神]](神龍) }} === OVA === {{dl2 | 1985年 | * [[こちら葛飾区亀有公園前派出所 (アニメ)|こちら葛飾区亀有公園前派出所]]('''[[両津勘吉]]''') * [[戦え!!イクサー1]](艦長) * [[NORA]](ザカライアセン) * バビ・ストック I 果てしなき標的(G.P.P.長官) | 1986年 | * [[アウトランダーズ]](ゲオバルディ) * [[ドリームハンター麗夢]](1986年 - 1992年、'''榊警部〈榊純一郎〉'''<ref>{{Cite web|和書|work=ドリームハンター麗夢 オフィシャルウェブサイト|url=http://www.dreamhunter.jp/staff.html|title=スタッフ・キャスト|accessdate=2022-11-04}}</ref>) - 4作品{{Ras|『ドリームハンター麗夢II 聖美神女学園の妖夢』(1986年)、『ドリームハンター麗夢III 夢隠 首なし武者伝説』(1987年)、『NEWドリームハンター麗夢 夢の騎士達』(1990年)、『NEWドリームハンター麗夢 殺戮の夢幻迷宮』(1992年)}} | 1988年 | * [[銀河英雄伝説 (アニメ)|銀河英雄伝説]](シドニー・シトレ) * [[麻雀飛翔伝 哭きの竜]](石川喬) * [[ワット・ポーとぼくらのお話]](市長) | 1989年 | * [[地底人 (漫画)|いしいひさいちのナンダカンダ劇場1 これが噂の地底人 とにかく上が悪いんや!!]] * [[エンゼルコップ]](滝海将〈ジチョウ〉) * [[クラッシャージョウ|クラッシャージョウ 最終兵器アッシュ]](マルドー) | 1990年 | * [[押忍!!空手部]](リック・パワード) | 1991年 | * [[ウィザードリィ]](ワードナー) * [[SDガンダム#機動戦士SDガンダムシリーズ|機動戦士SDガンダム パパルの暁 第103話スギナムの花嫁]](ジ・オ) * [[スケバン刑事]](暗闇警視) * [[DETONATORオーガン]](ゾア総司令) | 1992年 | * [[花平バズーカ]](オフィスト・バズーカ) | 1993年 | * [[キャシャーン]](ブライキング・ボス{{R|キャシャーンOVA}}) * [[スターダストクルセイダース|ジョジョの奇妙な冒険]](ダニエル・J・ダービー) | 1994年 | * [[マクロスプラス]](ミラード・ジョンソン大佐) | 1997年 | * [[それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコII]](スウィフト) | 1998年 | * [[HUNTER×HUNTER#アニメ|HUNTER×HUNTER(パイロット版)]](船長<ref>{{Cite news|url=https://mantan-web.jp/article/20140615dog00m200026000c.html|title=潘ちゃん×潘さん交換日記 : 内海賢二さんの「おかげ」|newspaper=MANTENWEB|publisher=毎日新聞デジタル|date=2014-06-15|accessdate=2014-06-17}}</ref>) | 1999年 | * 銀河英雄伝説外伝 螺旋迷宮(シドニー・シトレ) * [[タイムレンジャー セザールボーイの冒険 ローマ帝国編]](時空管理局局長) | 2000年 | * [[真ゲッターロボ対ネオゲッターロボ]](帝王ゴール) | 2003年 | * [[はじめの一歩 間柴vs木村 死刑執行]](鴨川源二) | 2004年 | * [[トランスフォーマー ロボットマスターズ]](ナレーション) | 2006年 | * [[水木しげる]]の妖怪ワールド 恐山物語(山天狗) | 2010年 | * [[ムダヅモ無き改革|ムダヅモ無き改革 -The Legend of KOIZUMI-]](マオ主席) | 2011年 | * 魚介類 山岡マイコの友 茹田蟹幸(山葵山蛸八<ref>{{Cite web|和書|publisher=映画『魚介類 山岡マイコ』公式ホームページ|url=http://yamaokamaiko.com/spinoff.html|title=キャラクター紹介|accessdate=2011-11-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131231001500/http://yamaokamaiko.com/spinoff.html|archivedate=2013年12月31日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>) }} === ゲーム === 2014年以降の出演作品は生前の収録音声を引用したライブラリ出演。 {{dl2 | 1991年 | * [[太平記 (インテック)|太平記]](ナレーション) | 1992年 | * スタートリング・オデッセイ(ナレーション) * [[天外魔境II 卍MARU]](ベーロン、地獄釜の肉助、剛天明王、弁慶) | 1994年 | * [[ドラゴンボールZ 武勇烈伝]]([[ギニュー特戦隊|リクーム]]) | 1995年 | * [[空想科学世界ガリバーボーイ]](コング) * [[ザ・ファイヤーメン2 ピート & ダニー]](ピート・グレイ) * [[ドラゴンボールZ アルティメットバトル22]](リクーム) * [[ドラゴンボールZ 真武闘伝]](リクーム) * [[リンダキューブ]](ベン) * サージカルストライク(カブール将軍) | 1996年 | * [[ドラゴンボールZ 偉大なるドラゴンボール伝説]](リクーム) | 1997年 | * [[テイルズ オブ デスティニー]](ヒューゴ・ジルクリスト、シャイン・レンブラント) * [[ネクストキング 恋の千年王国]](ヘンリー王) * [[マクロス デジタルミッション VF-X]](艦長) | 1998年 | * [[火星物語]](キウイ65世) * [[仙窟活龍大戦カオスシード]](三界老師、大僧正、嵩山方士、泰山方士) | 1999年 | * [[スペースチャンネル5]](ブランク) * [[爆走デコトラ伝説|爆走デコトラ伝説2 男人生夢一路]](田仲) * [[ダンジョンキーパー]]2(ホーン・ド・リーパー) * [[Dancing Blade かってに桃天使!|Dancing Blade かってに桃天使II 〜Tears of Eden〜]](龍魔王) * [[ベルセルク (漫画)|ベルセルク 千年帝国の鷹編 喪失花の章]](ゾッド) | 2000年 | * [[スパイロ×スパークス トンでもツアーズ]](リプトー) * [[冒険時代活劇ゴエモン]](トラノオウ) * [[北斗の拳 世紀末救世主伝説]](ラオウ) * タツノコファイト(ブライキングボス、ナレーション) | 2001年 | * [[スーパーロボット大戦α外伝]]([[ゲッターロボ|帝王ゴール]]) * [[火焔聖母 〜The Virgin on Megiddo〜]](華竜院大門) * ドナルドダックレスキュー大作戦!!(マーロック) | 2002年 | * [[機動戦士ガンダム戦記 Lost War Chronicles]](ダグラス・ローデン) | 2003年 | * [[サムライスピリッツ零]](兇國日輪守我旺) * [[スーパーロボット大戦Scramble Commander]](帝王ゴール) * [[第2次スーパーロボット大戦α]](帝王ゴール、ド・ベルガン) * [[ドラゴンボールZ (ゲーム)|ドラゴンボールZ]]([[神龍 (ドラゴンボール)|神龍]]、リクーム) * [[鋼の錬金術師 翔べない天使]]('''アレックス・ルイ・アームストロング''') * [[みんなのGOLF 4]](ベイダー、Z) * [[ラーゼフォン 蒼穹幻想曲]](亘理士郎) | 2004年 | * サムライスピリッツ零SPECIAL(兇國日輪守我旺) * [[スーパーロボット大戦GC]](帝王ゴール) * [[ドラゴンボールZ 舞空闘劇]](リクーム) * [[ドラゴンボールZ2 (PlayStation 2)|ドラゴンボールZ2]](リクーム) * [[鋼の錬金術師 ドリームカーニバル]]('''アレックス・ルイ・アームストロング''') * [[鋼の錬金術師2 赤きエリクシルの悪魔]]('''アレックス・ルイ・アームストロング''') * ベルセルク 千年帝国の鷹編 聖魔戦記の章(ゾッド) * [[METAL GEAR SOLID 3 SNAKE EATER]](ヴォルギン大佐) | 2005年 | * [[カウボーイビバップ 追憶の夜曲]](ゴンザ) * [[ゴールデンアイ 007|ゴールデンアイ ダーク・エージェント]](オーリック・ゴールドフィンガー) * [[コブラ・ザ・アーケード|COBRA THE ARCADE]](ターベージ) * [[第3次スーパーロボット大戦α 終焉の銀河へ]](帝王ゴール) * [[ドラゴンボールZ スパーキング!]](神龍、リクーム) * [[ドラゴンボールZ 舞空烈戦]](神龍、リクーム) * [[ドラゴンボールZ3]](リクーム) * [[鋼の錬金術師 デュアルシンパシー 二人の絆]]('''アレックス・ルイ・アームストロング''') * [[鋼の錬金術師3 神を継ぐ少女]]('''アレックス・ルイ・アームストロング''') * [[北斗の拳 (対戦型格闘ゲーム)|北斗の拳]](ラオウ) * [[ローグギャラクシー]](ヴァルコグ・ドレイザー) | 2006年 | * [[サモンナイト4]](ゲック) * [[スーパーロボット大戦XO]](帝王ゴール) * [[ソニック・ザ・ヘッジホッグ (2006年のゲーム)|ソニック・ザ・ヘッジホッグ]](ソレアナ王)※[[PlayStation 3]]版・[[Xbox 360]]版 * [[超ドラゴンボールZ]](神龍) * テイルズ オブ デスティニー([[PlayStation 2]]版)(ヒューゴ・ジルクリスト) * [[ドラゴンボールZ スパーキング! ネオ]](神龍、リクーム) | 2007年 | * [[クレヨンしんちゃんDS 嵐を呼ぶ ぬってクレヨ〜ン大作戦!]] * [[ドラゴンボールZ スパーキング! メテオ]](リクーム、則巻千兵衛、神龍、赤神龍) * [[ドラゴンボールZ 遥かなる悟空伝説]](リクーム) | 2008年 | * [[ディシディア ファイナルファンタジー|DISSIDIA FINAL FANTASY]](ガーランド) * [[ドラゴンボールZ インフィニットワールド]](神龍、レッドリボン軍総帥、リクーム) * [[ドラゴンボールZ バーストリミット]](神龍、リクーム) * [[ドラゴンボールDS]](武道会アナウンサー、神龍) * [[プロゴルファー猿]](ミスターX)※[[Wii]]版 * [[龍が如く 見参!]]([[天海|南光坊天海]]) | 2009年 | * [[KILLZONE 2]](スカラー・ヴィサリ老) * [[大怪獣バトル ULTRA MONSTERS#大怪獣バトルNEO ギャラクシーレジェンド|大怪獣バトルNEO ギャラクシーレジェンド]](暗黒宇宙大皇帝[[エンペラ星人]]) * ディシディア ファイナルファンタジー ユニバーサルチューニング(ガーランド〈日本語版戦闘ボイス〉) * [[ドラゴンボール 天下一大冒険]](レッド総帥、神龍、司会者) * [[ドラゴンボール レイジングブラスト]](神龍、天下一武道会アナウンサー) * [[鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST 暁の王子]]('''アレックス・ルイ・アームストロング''') * 鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST 背中を託せし者('''アレックス・ルイ・アームストロング''') * [[鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST 黄昏の少女]]('''アレックス・ルイ・アームストロング''') | 2010年 | * [[ドラゴンボール レイジングブラスト2]](神龍、天下一武道会アナウンサー) * [[ドラゴンボールDS2 突撃!レッドリボン軍]](レッド総帥、神龍) * 鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST 約束の日へ('''アレックス・ルイ・アームストロング''') | 2011年 | * [[KILLZONE 3]](スカラー・ヴィサリ) * [[ディシディア デュオデシム ファイナルファンタジー]](ガーランド) * [[ドラゴンボールヒーローズ]](2011年 - 2019年、神龍、リクーム、究極神龍、レズン) - 5作品<ref group="注">『ドラゴンボールヒーローズ』(2011年)、『アルティメットミッション』(2013年)、『アルティメットミッション2』(2014年)、『アルティメットミッションX』(2017年)、『[[スーパードラゴンボールヒーローズ]]』(2016年)、『ワールドミッション』(2019年)</ref> * [[ファイナルファンタジー零式]](軍令部長<ref>[http://www.square-enix.co.jp/fabula/0/psp/ 公式サイト] の人物を参照。2015年9月20日閲覧。</ref>) * [[ロード オブ アポカリプス]](グレンデル) | 2012年 | * [[龍が如く5 夢、叶えし者]](斑目忠<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[ファミ通|週刊ファミ通]]|issue=2012年8月2・9日合併号|publisher=[[エンターブレイン]]|date=2012-07-19}}</ref>)<!-- 2012-12-06 --> | 2013年 | * [[HEROES' VS]](エンペラ星人<ref>{{Cite journal|和書|journal=[[電撃PlayStation]]|issue=Vol.530|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]|date=2012-11-08}}</ref>)<!-- 2013-02-07 --> | 2014年 | * [[第3次スーパーロボット大戦Z|第3次スーパーロボット大戦Z 時獄篇 / 天獄篇]](2014年 - 2015年、ハーデス神) - 2作品<!-- 2014-04-10 --> * [[スーパーヒーロージェネレーション]](エンペラ星人) | 2017年 | * [[スーパーロボット大戦V]](ハーデス神 / 闇の帝王) | 2018年 | * [[スーパーロボット大戦X]](闇の帝王) | 2019年 | * [[スーパードラゴンボールヒーローズ ワールドミッション]](神龍、リクーム、レズン)<!-- 2019-04-04 --> | 2021年 | * [[スーパーロボット大戦DD]](ド・ベルガン)<!-- 2021-02-19 --> | 2022年 | * [[共闘ことばRPG コトダマン]](アレックス・ルイ・アームストロング<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotodaman.jp/info/detail/075885GuiJ9XUwXrzk.html|title=鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST コラボ開催!!|work=【公式】共闘ことばRPG コトダマン|publisher=[[XFLAG]]|date=2022-01-05|accessdate=2022-01-08}}</ref>)<!-- 2022-01-06 --> | 2023年 | * [[モンスターストライク]](アレックス・ルイ・アームストロング<ref>{{Cite web|和書|title=【モンスト】2023.02.09 【追加情報:2/22】【モンスト×鋼の錬金術師 FA】コラボ第2弾が2/12 12時より開催!|モンスターストライク(モンスト)公式サイト |url=http://www.monster-strike.com/news/20230209_1.html |website=モンスターストライク(モンスト)公式サイト |access-date=2023-04-19 |language=ja}}</ref>)<!-- 2023-02-12 --> }} === ドラマCD === {{dl2 | 時期不明 | * [[テイルズ オブ デスティニー]](ヒューゴ・ジルクリスト) * Yourすいーとほーむ<ref>[https://web.archive.org/web/20090202200158/http://x-fade.oc.to/aoi/ Yourすいーとほーむ](2009年2月2日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) - AOI Records</ref>(水無月雅人) | 1992年 | * [[スターダストクルセイダース|集英社カセットブック ジョジョの奇妙な冒険 第1巻 空条承太郎見参の巻]]('''[[ジョセフ・ジョースター]]''') * [[ドリームハンター麗夢|NEWドリームハンター麗夢 総統のメルセデス]](榊警部) | 1993年 | * 集英社カセットブック ジョジョの奇妙な冒険 第3巻 DIOの世界の巻('''ジョセフ・ジョースター''') | 1995年 | * [[ストリートファイターII|ストリートファイターII外伝 〜キャミィ・闘いの序曲〜]](ウルフマン大佐) | 1997年 | * [[岸和田博士の科学的愛情]](大塚長官) | 2004年 | * [[瀬戸の花嫁 (漫画)|瀬戸の花嫁]](瀬戸豪三郎) | 2005年 | * [[逆境ナイン]](校長) | 2006年 | * [[最終神話戦争イデアオペラ]] オリジナルドラマCD(ゼウス) ** 第1章 罅割れたミュトス ** 第2章 彷徨う冥界の扉 | 2007年 | * 最終神話戦争イデアオペラ オリジナルドラマCD(ゼウス) ** 第3章 輝ける悠遠の女神 }} === 吹き替え === ==== 担当俳優 ==== {{定義リスト2 | [[アーニー・ハドソン]] | * [[ザ・ウォッチャー]](マイク・イビー)※テレビ東京版 * [[DRAGONBALL EVOLUTION]](シフ・ノリス) * [[野獣教師]](クラウド・ローレイ校長)※フジテレビ版 | [[ヴィクター・マチュア]] | * 悪党カシム * 今は死ぬ時でない * [[荒野の決闘]](ドク・ホリデイ)※テレビ朝日版 * [[サムソンとデリラ (1949年の映画)|サムソンとデリラ]](サムソン) * 死の猛獣狩 * [[シャロンの屠殺者|シャロン砦]] * [[聖衣]](ディミトリアス) * 熱砂の舞 | [[ウォーレン・オーツ]] | * [[ガルシアの首]](ベニー) * [[デリンジャー (映画)|デリンジャー]](ジョン・デリンジャー)※TBS版 * ドラム(ハモンド・マクスウェル) * [[ブリンクス (映画)|ブリンクス]](スペッキー・オキーフ)※フジテレビ版 * [[夜の大捜査線]](サム・ウッド)※テレビ朝日版 | [[エリオット・グールド]] | * オーシャンズシリーズ(ルーベン・ティシュコフ) ** [[オーシャンズ11]] ※フジテレビ版 ** [[オーシャンズ12]] ※日本テレビ版 ** [[オーシャンズ13]] ※フジテレビ版 * [[M★A★S★H マッシュ]](トラッパー・ジョン)※LD版 | [[オマル・シャリーフ]] | * [[アラビアのロレンス]](シャリーフ・アリ)※テレビ朝日版 * イタリア式奇跡 * [[紀元前1万年]](ナレーター)※テレビ朝日版 * [[マルコ・ポーロ 大冒険]] | [[オリヴァー・リード]] | * [[暗殺者を撃て]](ガブリエル・リー) * [[王子と乞食 (映画)|王子と乞食]](マイリス) * 大いなる眠り(エディ・マーズ)※TBS版<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.star-ch.jp/channel/detail.php?movie_id=31116 |title=大いなる眠り[吹]金曜ロードショー版 |access-date=2023-07-09 |publisher=スターチャンネル}}</ref> * [[吸血狼男]](レオン) * [[さらば荒野]](フランク・コールダー) * [[三銃士 (1973年の映画)|三銃士]]([[アトス]]) ** [[四銃士 (映画)|四銃士]](アトス) * [[ダーティウィークエンド]](ファブリーゾ) * 太陽の爪あと(イーサン) | [[カール・ウェザース]] | * [[アクション・ジャクソン/大都会最前線]](ジャクソン) * [[プレデター (映画)|プレデター]](ジョージ・ディロン)※フジテレビ版 * ロッキーシリーズ([[アポロ・クリード]]) ** [[ロッキー (映画)|ロッキー]] ** [[ロッキー2]] ** [[ロッキー3]] ※TBS版 ** [[ロッキー4/炎の友情]] | [[サミー・デイヴィスJr.]] | * 暗黒街のメロディ * [[オーシャンと十一人の仲間]](ジョシュ・ハワード)※テレビ朝日版 * 君は銃口/俺は引金 * [[キャノンボール (映画)|キャノンボール]](モーリス・フェンダーバーム)※フジテレビ版(ソフト収録)、テレビ朝日版(エクストリーム・エディションBD収録) * [[キャノンボール2]](モーリス・フェンダーバーム) * 荒野の追跡者 * [[チャーリーズ・エンジェル|地上最強の美女たち!チャーリーズ・エンジェル]] シーズン2 #14(本人 / ハーバート・ブルーベイカー3世) | [[ジーン・ハックマン]] | * [[フレンチ・コネクション]](ジミー・“ポパイ”・ドイル)※LD版 * [[ポセイドン・アドベンチャー (映画)|ポセイドン・アドベンチャー]](フランク・スコット牧師)※LD版 * [[ミシシッピー・バーニング]](アンダーソン)※ソフト版 | [[ジェームズ・アール・ジョーンズ]] | * [[カリブの嵐]](ニック・デブレット) * [[キング・ソロモンの秘宝2/幻の黄金都市を求めて]](アンソロポガス)※フジテレビ版 * [[星の王子 ニューヨークへ行く]](ジョフィ・ジャファ王)※日本テレビ版 | [[ジャック・ニコルソン]] | * [[イーストウィックの魔女たち]](デイル) * [[最高の人生の見つけ方]](エドワード・コール<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.tv-asahi.co.jp/nichiyou_2012/bk/data/01651.html| title = 最高の人生の見つけ方| publisher = 日曜洋画劇場| accessdate = 2016-07-22}}{{リンク切れ|date=2021年1月}}</ref>)※テレビ朝日版 * [[バットマン (映画)|バットマン]]([[ジョーカー (バットマン)|ジャック・ネーピア / ジョーカー]])※テレビ朝日版 | [[ジョー・ドン・ベイカー]] | * [[ウォーキング・トール]](ビュフォード・パッサー)※フジテレビ版 * [[コンゴ (映画)|コンゴ]](R・B・トラヴィス)※フジテレビ版 * [[007 リビング・デイライツ]](ブラッド・ウィティカー)※TBS版(TV吹替初収録特別版DVD収録) * [[007 トゥモロー・ネバー・ダイ]](ジャック・ウェイド)※フジテレビ版(TV吹替初収録特別版DVD収録) * [[特捜警部アイシャイド]](アール・アイシャイド) | [[ジョン・サクソン]] | * [[宇宙の7人]](セイドア) * [[暗闇にベルが鳴る]](フラー警部)※テレビ朝日版 * [[出逢い (映画)|出逢い]](ハント・シアーズ) * [[燃えよドラゴン]](ローパー)※テレビ朝日版(BD収録) | [[ジョン・リス=デイヴィス]] | * [[兜 KABUTO]](エル・ザイダン) * [[ドラゴンストーム (映画)|ドラゴンストーム]](ファストラド王) * [[ロード・オブ・ザ・リング (映画シリーズ)|ロード・オブ・ザ・リングシリーズ]]([[ギムリ]]) ** [[ロード・オブ・ザ・リング (2001年の映画)|ロード・オブ・ザ・リング]] ** [[ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔]] ** [[ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還]] | [[スティーブ・マックイーン]] | * [[栄光のル・マン]](マイク・デラニー)※テレビ朝日版 * [[ゲッタウェイ]](カーター・ドク・マッコイ)※テレビ朝日旧録版 * [[荒野の七人]]('''ヴィン'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.star-ch.jp/channel/detail.php?movie_id=20032 |title= 荒野の七人[1973年録音・吹替版] |access-date=2023-07-10 |publisher=スターチャンネル}}</ref>)※NETテレビ旧版、NETテレビ新版 * [[ジュニア・ボナー/華麗なる挑戦]](ジュニア・ボナー) * [[シンシナティ・キッド]](シンシナティ・キッド)※テレビ朝日版 * [[タワーリング・インフェルノ]](マイケル・オハラハン隊長)※TBS版 * [[突撃隊 (映画)|突撃隊]](リース) * [[トム・ホーン (映画)|トム・ホーン]](トム・ホーン) * [[パピヨン (1973年の映画)|パピヨン]](パピヨン)※テレビ朝日版 * [[ハンター (1980年の映画)|ハンター]](ラルフ・ソーソン)※テレビ朝日版 * [[ブリット]](ブリット)※テレビ朝日版 | [[ダニー・グローヴァー]] | * [[ER緊急救命室]](チャーリー・プラット) * [[イントルーダー 怒りの翼]](カンパレリ中佐)※フジテレビ版 * [[刑事ジョン・ブック 目撃者]](ジェームス・マクフィー)※フジテレビ版 * [[プレデター2]](マイク・ハリガン)※ソフト版 * [[わが街]](サイモン) | [[ダン・エイクロイド]] | * [[1941 (映画)|1941]](フランク・トゥリー軍曹)※TBS版 * [[絶叫屋敷へいらっしゃい]](アルヴィン“J・P” ヴァルケンハイザー判事 / ボーボー) * [[ディフェンダーズ 闘う弁護士]](マックス・ハンター裁判官) | [[チャールズ・S・ダットン]] | * [[エイリアン3]](デイロン)※劇場公開版・フジテレビ版 * [[ブラック・ドッグ (映画)|ブラック・ドッグ]](FBI捜査官アレン・フォード)※日本テレビ版 * [[ミミック (映画)|ミミック]](レナード)※テレビ東京版 | [[バート・レイノルズ]] | * ゲイター(ゲイター・マクラスキー)※TBS版 * シェイマス(シェイマス・マッコイ)※TBS版 * [[シティヒート]](マイク・マーフィー)※フジテレビ版 | [[ハーバート・ロム]] | * [[戦争と平和 (1956年の映画)|戦争と平和]](ナポレオン・ボナパルト)※テレビ朝日版 * ピンクパンサーシリーズ(チャールズ・ドレフュス) ** [[暗闇でドッキリ]] ※テレビ東京版 ** [[ピンク・パンサー2]] ※ソフト版 ** [[ピンク・パンサー3]] ** [[ピンク・パンサー4]] * [[ロマンシング・アドベンチャー/キング・ソロモンの秘宝]](ボックナー大佐)※テレビ朝日版 | [[ビリー・ディー・ウィリアムズ]] | * [[爆発!海底大油田/ファイヤー・インフェルノ|ザ・ダイバー/炎の脱出]](ジム・マッキンレー) * [[ザ・テイク/わいろ]](スニード)※テレビ朝日版 * [[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲]]([[ランド・カルリジアン]]将軍)※日本テレビ版 * [[スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還]](ランド・カルリジアン将軍)※日本テレビ版 * [[ナイトホークス (映画)|ナイトホークス]](マシュー・フォックス)※テレビ朝日版 | [[ブライアン・コックス (俳優)|ブライアン・コックス]] | * [[トロイ (映画)|トロイ]](アガメムノン)※ソフト版 * [[アガサ・クリスティー ミス・マープル|ミス・マープル4 魔術の殺人]](ルイス・セロコールド) * [[リンガー! 替え玉★選手権|リンガー!替え玉★選手権]](ゲイリー) | [[ポール・ウィンフィールド]] | * [[クリフハンガー (映画)|クリフハンガー]](ウォルター・ライト刑事)※フジテレビ版 * [[ゾンビ伝説]](ルシアン) * [[ターミネーター (映画)|ターミネーター]](トラクスラー警部補)※テレビ東京版(日本語吹替完全版コレクターズブルーレイボックス収録) | [[ボブ・ホスキンス]] | * [[ダニー・ザ・ドッグ]](バート)※テレビ東京版 * [[フック (映画)|フック]](スミー) * [[ヘンダーソン夫人の贈り物]](ヴィヴィアン・ヴァンダム) * [[マスク2]]([[オーディン]])※ソフト版 * [[ロジャー・ラビット]](エディ・バリアント) | [[マイケル・アイアンサイド]] | * [[スキャナーズ]](ダリル・レボック) * [[トータル・リコール]](リクター)※ソフト版 * [[ハイランダー2 甦る戦士]](カターナ将軍)※日本テレビ版 | [[ヤフェット・コットー]] | * [[地獄の女スーパーコップ]](ジャクソン警部) * [[007 死ぬのは奴らだ]](Mr.ビッグ / ドクター・カナンガ)※新旧TBS版(TV吹替初収録特別版DVD収録) * [[必殺処刑コップ]](ラーソン)※フジテレビ版 * 夜の逃亡者・国境線は遠かった(グリーン) | [[ルイス・ゴセット・ジュニア]] | * [[アイアン・イーグル]](チャールズ・“チャッピー”・シンクレア) * [[エイセス/大空の誓い]](チャールズ・“チャッピー”・シンクレア大佐)※フジテレビ版 * [[ザ・ディープ (1977年の映画)|ザ・ディープ]](ヘンリー・クローシュ) * [[デスロック/戦略ガス兵器を追え!]](ルー・ジャクソン) * [[マシンガン・パニック]](ジェームズ・ラリモア) }} ==== 映画 ==== * [[あきれたあきれた大作戦]](ガルシア将軍〈[[リチャード・リバティーニ]]〉) * アクシデント(ライル・イェーツ〈[[チャールズ・ダンス]]〉) * アドベンチャー・アーク/アポロンの秘宝(マハムッド〈リカルド・パラシオス〉)※テレビ朝日版 * [[アニー (1982年の映画)|アニー]](プンジャブ〈[[ジェフリー・ホールダー]]〉) * アマゾネス対ドラゴン(ムーグ) * アマゾネス・プリズン(ファン〈アルド・サンブレル〉)※テレビ東京版 * アンディ・ラウの神鳥聖剣(魔王〈[[リチャード・ン]]〉) * [[インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説]](ラオ・チェ〈[[ロイ・チャオ]]〉)※日本テレビ版 * [[ヴァンパイア・イン・ブルックリン]](サイラス〈ジョン・ウィザースプーン〉)※ビデオ版 * [[ヴァン・ヘルシング (映画)|ヴァン・ヘルシング]](ハイド氏〈[[ロビー・コルトレーン]]〉)※テレビ朝日版 * [[ウォーターワールド]](ディーコン〈[[デニス・ホッパー]]〉)※テレビ東京版 * [[運命の逆転]](アラン・ダーショウィッツ〈[[ロン・シルヴァー]]〉) * [[80デイズ]](蒸気船船長〈[[マーク・アディ]]〉) * [[エイリアン4]](ジョーナー〈[[ロン・パールマン]]〉)※フジテレビ版 * [[エクスタミネーター2]](ビージー〈[[フランキー・フェイソン]]〉)※テレビ朝日版(HDリマスター版BD収録) * [[おしゃれ泥棒]](ベルナール・ド・ソルネ〈[[シャルル・ボワイエ]]〉)※テレビ東京版 * [[帰って来たガンマン]](ジェリー・ブルースター〈トーマス・ハンター〉) * [[帰らざる河]](デイヴ・コルビー)※NET版 * [[カクテル (映画)|カクテル]](ダグラス) * [[カジュアリティーズ]](レイリー中尉〈[[ヴィング・レイムス]]〉)※フジテレビ版 * [[カットスロート・アイランド]](ドーグ〈[[フランク・ランジェラ]]〉)※フジテレビ版 * カリフォルニア・ガールズ(マッド・マン・ジャック〈アル・ミュージック〉)※テレビ東京版 * [[カリフォルニア・ドールズ]](ビッグ・ジョン・スタンレー〈ジョン・ハンコック〉)※テレビ朝日版(DVD収録) * [[キャッツ & ドッグス 地球最大の肉球大戦争]](タブ・レーゼンビー〈[[ロジャー・ムーア]]〉) * [[キングコング2]](ネヴィット中佐〈[[ジョン・アシュトン]]〉)※ビデオ版 * [[暗くなるまで待って (映画)|暗くなるまで待って]](ハリー・ロート〈[[アラン・アーキン]]〉) * [[クラッシュ・ダイブ|クラッシュ・ダイブ 急速潜航]](リヒター〈[[ライナー・ショーン]]〉)※フジテレビ版 * クラッシュダウン(ブレイド〈クリストファー・ニーム〉) * [[グリーン・ランタン (映画)|グリーン・ランタン]](パララックス〈[[クランシー・ブラウン]]〉) * [[グローリー (映画)|グローリー]](マルケイ〈[[ジョン・フィン]]〉)※ソフト版 * [[黒いジャガー/アフリカ作戦]](ジョン・シャフト〈[[リチャード・ラウンドトゥリー]]〉) * [[黒い罠]](パンチョ〈バレンティン・デ・ヴァルガス〉) * クロス・エレメント(フェリス〈[[スチュアート・ウィルソン]]〉) * [[ゲット スマート]](大統領〈[[ジェームズ・カーン]]〉)※テレビ朝日版 * [[荒野に生きる]](ザカリー・バス〈[[リチャード・ハリス]]〉)※テレビ朝日版 * [[荒野の用心棒]](ラモン・ロホ〈[[ジャン・マリア・ヴォロンテ]]〉)※TBS新録版(BD収録)、テレビ朝日新録版(DVD・BD収録) * [[氷の微笑]](ガス・モラン〈[[ジョージ・ズンザ]]〉)※フジテレビ版 * [[子熊物語]](ビル)※TBS版 * [[コットンクラブ (映画)|コットンクラブ]](デルバート・ウィリアムズ〈[[グレゴリー・ハインズ]]〉)※TBS版 * [[コマンチェロ]](アメラン〈[[マイケル・アンサラ]]〉)※テレビ朝日版(初回放送版がBD、収録再放送版がDVD) * [[コマンドーR]](イワン〈ミハエル・ポレチェンコフ〉) * [[コンボイ (映画)|コンボイ]](ラブ・マシーン〈[[バート・ヤング]]〉) * [[13デイズ]](カーチス・ルメイ〈[[ケヴィン・コンウェイ (俳優)|ケヴィン・コンウェイ]]〉)※テレビ朝日版 * 最後のインディアン(フラップ・イーグル〈[[アンソニー・クイン]]〉) * 殺人ブルドーザー(ベルトラン) * [[ザ・ドライバー]](グラス)※テレビ朝日版 * [[サンダー (映画)|サンダー]](バリー〈ライムンド・ハームストロフ〉) * [[サンダーアーム/龍兄虎弟]](魔王)※テレビ朝日版 * [[ジキル博士はミス・ハイド]](イヴェス・デュボワ〈[[ハーヴェイ・ファイアスタイン]]〉)※フジテレビ版 * [[史上最大の作戦]](フラナガン一等兵〈[[ショーン・コネリー]]〉)※テレビ朝日版 * [[七人の特命隊]](ブレード〈[[ジョヴァンニ・チャンフリーリア|ケン・ウッド]]〉)※フジテレビ版(DVD収録) * [[ジャグラー ニューヨーク25時]](ショーン・ボイド〈[[ジェームズ・ブローリン]]〉) * [[ジャック (映画)|ジャック]](ローレンス・ウッドルフ〈[[ビル・コスビー]]〉)※フジテレビ版 * [[ジョーズ]](クイント〈[[ロバート・ショウ]]〉)※ソフト版・TBS版 * [[ショート・サーキット2 がんばれ!ジョニー5]](フレッド・リッター〈[[マイケル・マッキーン]]〉)※機内上映版<ref>{{Cite journal|和書 |author=|coauthors=|year=1996|month= 6|title = WHAT'S-声優 吹替洋画特集②|journal = 声優グランプリ 1996年6月号 |pages=75 |publisher=オプトコミュニケーションズ |quote=}}</ref> * [[ジングル・オール・ザ・ウェイ]](マイロン・ララビー〈[[シンバッド (コメディアン)|シンバッド]]〉)※VHS・DVD版 * [[スタークリスタル]](ヴィクター・メネンデス〈フレッド・アスパラガス〉) * [[スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!|スター・トレック3 ミスター・スポックを探せ!]](クルーグ艦長〈[[クリストファー・ロイド]]〉) * [[スター・ファイター (映画)|スター・ファイター]](グリッグ〈[[ダン・オハーリー]]〉) * [[スチュアート・リトル]](スモーキー〈[[チャズ・パルミンテリ]]〉)※ソフト版 * [[ストリートファイター (1994年の映画)|ストリートファイター]](バイソン将軍〈[[ラウル・ジュリア]]〉)※テレビ朝日版 * [[スネーク・フライト]](ネヴィル・フリン〈[[サミュエル・L・ジャクソン]]〉) * [[スピード・レーサー]](パパ・レーサー〈[[ジョン・グッドマン]]〉) * [[西部の王者]](イエローハンド〈アンソニー・クイン〉) * [[続・青い体験]](コンテ・ザガリア〈リノ・バンフィ〉)※フジテレビ版(ソフト収録) * 空飛ぶ十字剣(ツァオ〈パイ・イン〉) * [[ゾンビ (映画)|ゾンビ]](ピーター・ワシントン〈[[ケン・フォリー]]〉) * ダークマン2(ロバート・G・デュラン〈[[ラリー・ドレイク]]〉)※ビデオ版 * [[ダーティハリー2]](シドニー〈アルバート・ポップウェル〉)※フジテレビ版 * [[大西部無頼列伝]](エスクド〈ペドロ・サンチェス〉)※テレビ東京版(DVD収録) * [[タイタンの戦い (2010年の映画)|タイタンの戦い]](ケフェウス王〈[[ヴィンセント・リーガン]]〉)※テレビ朝日版 * [[ダイ・ハード]](アル・パウエル巡査部長〈[[レジナルド・ヴェルジョンソン]]〉)※ソフト版、(ハンス・グルーバー〈[[アラン・リックマン]]〉)※フジテレビ版(日本語吹替完全版Blu-rayBOX収録) * [[ダイ・ハード2]](カーマイン・ロレンゾ警備隊長〈[[デニス・フランツ]]〉)※テレビ朝日版(日本語吹替完全版Blu-rayBOX収録) * [[TAXi2]](エドモンド将軍〈ジャン=クリストフ・ブーヴェ〉)※フジテレビ版 * [[TAXi3]](エドモンド将軍〈ジャン=クリストフ・ブーヴェ〉)※フジテレビ版 * [[007シリーズ]] ** [[007 ロシアより愛をこめて]](レッド・グラント〈ロバート・ショウ〉)※新旧TBS版(TV吹替初収録特別版DVD収録) ** [[007 ダイヤモンドは永遠に]]([[ジェームズ・ボンド (架空の人物)|ジェームズ・ボンド]]〈ショーン・コネリー〉)※TBS新録版(TV吹替初収録特別版DVD収録) ** [[007 死ぬのは奴らだ]](ビッグ / カナンガ〈[[ヤフェット・コットー]]〉)※新旧TBS版(TV吹替初収録特別版DVD収録) ** [[007 ムーンレイカー]](サー・ヒューゴ・ドラックス〈[[マイケル・ロンズデール]]〉)※TBS版(TV吹替初収録特別版DVD収録) ** [[007 慰めの報酬]](メドラーノ将軍〈[[ホアキン・コシオ]]〉<ref>{{Cite web|和書| url = https://007fukikae.com/special/008.html| title = スペシャル企画| publisher = 007TV放送吹替初収録DVDシリーズ| accessdate = 2023-06-16}}</ref>)※キングレコード版 ** [[ネバーセイ・ネバーアゲイン]](エミリオ・ラルゴ〈[[クラウス・マリア・ブランダウアー]]〉)※フジテレビ版(BD収録) * [[チェーン・リアクション (1980年の映画)|チェーン・リアクション]](ラリー・スティルソン〈[[スティーヴ・ビズレー]]〉)※テレビ朝日版 * [[地球爆破作戦]](コロッサス〈[[ポール・フリーズ]]〉)※テレビ朝日版(DVD収録) * [[チャイニーズ・ゴースト・ストーリー]](道士〈[[午馬|ウー・マ]]〉)※ソフト版 * 超時空兵団APEX(エルジン所長) * [[沈黙の陰謀]](フロイド・ウェスリー〈[[ゲイラード・サーテイン]]〉)※日本テレビ版 * [[ツインズ (映画)|ツインズ]](ヴィンセント〈[[ダニー・デヴィート]]〉)※ソフト版 * [[デアボリカ]](ディミトリ〈[[リチャード・ジョンソン (俳優)|リチャード・ジョンソン]]〉) * [[テキーラ・サンライズ (映画)|テキーラ・サンライズ]](カルロス / エスカランテ〈ラウル・ジュリア〉)※フジテレビ版 * [[デューン/砂の惑星 (1984年の映画)|デューン/砂の惑星]](ウラディミール・ハルコネン男爵〈[[ケネス・マクミラン (俳優)|ケネス・マクミラン]]〉)※テレビ朝日版(BD収録) * [[デルタフォース3]](カダール)※ビデオ版 * [[DENGEKI 電撃]](本部長〈[[ビル・デューク]]〉)※日本テレビ版 * [[トイ・ソルジャー (1991年の映画)|トイ・ソルジャー]](ルイス・カリ〈[[アンドリュー・ディヴォフ]]〉)※ビデオ版 * [[ドクター・ドリトル2]](ビーバー〈[[リチャード・C・サラフィアン]]〉)※テレビ朝日版 * [[ドクトル・ジバゴ (1965年の映画)|ドクトル・ジバゴ]](ヴィクトル・コマロフスキー〈[[ロッド・スタイガー]]〉)※ソフト版 * [[トブルク戦線]](アルフィ) * [[飛べ!フェニックス]](トラッカー・コッブ〈[[アーネスト・ボーグナイン]]〉)※フジテレビ版(DVD収録) * [[ドラゴン太極拳]](銀魔王) * トルネード 地球崩壊のサイン(ヴィッテンベルグ)※テレビ朝日版 * [[ドルフ・ラングレン ザ・リベンジャー]](イカロス〈[[ドルフ・ラングレン]]〉) * [[トレマーズ (映画)|トレマーズ]](アール・バセット〈[[フレッド・ウォード]]〉)※ソフト版 * [[トレマーズ2]](アール・バセット〈フレッド・ウォード〉) * [[流されて…]](ジェナリーノ・カルンキオ〈[[ジャンカルロ・ジャンニーニ]]〉) * [[ナヴァロンの要塞|ナバロンの要塞]](アンドレア・スタブロス大佐〈アンソニー・クイン〉)※TBS版 * [[ニューオーリンズ・トライアル]](ハーキン〈[[ブルース・マッギル]]〉) * ネイバーズ(アール・キース〈[[ジョン・ベルーシ]]〉)※テレビ版 * [[ノー・エスケイプ]](マリク〈スチュアート・ウィルソン〉)※テレビ東京版 * [[ハード・ウェイ]](パーティ・クラッシャー〈[[スティーヴン・ラング]]〉)※ソフト版 * [[ハード・トゥ・キル]](ケヴィン・オマリー警部補〈フレデリック・コフィン〉)※テレビ朝日版 * [[ハイウェイマン (映画)|ハイウェイマン]](マックリン〈フランキー・フェイソン〉)※ソフト版 * [[ハイジャック (映画)|ハイジャック]](ゲイリー・ブラウン) * [[墓石と決闘]](ピート・スペンス) * 走れサイモン(サンタナ) * [[八十日間世界一周 (映画)|八十日間世界一周]](パスパルトゥー〈[[カンティンフラス]]〉) * ハックルベリー・フィンの冒険(王様〈[[ジャック・イーラム]]〉) * [[八点鐘が鳴るとき]](フィリップ・カルバート〈[[アンソニー・ホプキンス]]〉)※テレビ朝日版(DVD収録) * バッドデイズ(ロイ・イーガン〈[[ハーヴェイ・カイテル]]〉) * [[ハドソン・ホーク]](ジョージ・キャプラン〈[[ジェームズ・コバーン]]〉)※フジテレビ版 * バトルトラック(ジャド〈ランディ・パウエル〉)※フジテレビ版(ソフト収録) * パニック・オブ・シンドローム/危機一髪巨大原子炉大爆発!([[ウィリアム・ディヴェイン]])※テレビ朝日版+完全版追加収録 * [[ビッグ・ボス (映画)|ビッグ・ボス]](カポネ〈[[ベン・ギャザラ]]〉) * [[ヒッチハイク (1977年の映画)|ヒッチハイク]]('''ウォルター・マンチーニ'''〈[[フランコ・ネロ]]〉) * ピノキオ(ロレンジーニ〈[[ウド・キア]]〉) * [[百万長者と結婚する方法]](J・ステュワート・メリル〈アレックス・ダーシー〉)※テレビ朝日版(HDリマスター版DVD収録) * [[ピンク・キャデラック]](アレックス〈マイケル・デ・バレス〉)※TBS版 * [[ファイナル・カウントダウン (映画)|ファイナル・カウントダウン]](ダン・サーマン中佐〈[[ロン・オニール]]〉)※フジテレビ版 * [[ファイヤーフォックス (映画)|ファイヤーフォックス]](パヴェル・ウペンスコイ〈[[ウォーレン・クラーク]]〉)※テレビ朝日版 * [[フィフス・エレメント]](リンドバーグ大統領〈[[タイニー・リスター・Jr.]]〉)※テレビ朝日版 * [[フォード・フェアレーンの冒険]](ジョニー・クランチ〈[[ギルバート・ゴットフリード]]〉) * [[ブラッディ・バレンタイン3D]](バーク〈[[トム・アトキンス]]〉) * [[フラッド (映画)|フラッド]](ジム〈[[モーガン・フリーマン]]〉)※日本テレビ版 * [[ブルース・ブラザース]](ジェームズ牧師〈[[ジェームス・ブラウン]]〉)※フジテレビ新録版 * フルスピード 悪魔のフル・チューン(クリューガー警部)※テレビ東京版 * [[フレンジー]]('''リチャード・ブレイニー'''〈[[ジョン・フィンチ]]〉<ref>{{Cite web|和書|publisher=STAR CHANNEL|url= https://www.star-ch.jp/channel/detail.php?movie_id=31114 |title= フレンジー[吹]日曜洋画劇場版 |accessdate=2023年11月13日}}</ref>)※テレビ朝日版 * [[ペイバック]](ブロンソン〈[[クリス・クリストファーソン]]〉)※日本テレビ版 * [[ベイブ/都会へ行く]](セロニアス〈[[ジェームズ・コスモ]]〉)※日本テレビ版 * [[ベン・ハー (1959年の映画)|ベン・ハー]](イルデリム〈[[ヒュー・グリフィス]]〉)※日本テレビ版・テレビ東京版(DVD収録) * [[ホット・ショット2]](サダム〈ジェリー・ヘルヴァ〉)※ソフト版 * ポリスアカデミーシリーズ ** [[ポリスアカデミーシリーズ#ポリスアカデミー|ポリスアカデミー]](ハリス〈[[G・W・ベイリー]]〉) ** [[ポリスアカデミーシリーズ#ポリスアカデミー2 全員出動!|ポリスアカデミー2 全員出動!]](マウザー〈[[アート・メトラーノ]]〉) ** [[ポリスアカデミーシリーズ#ポリスアカデミー3 全員再訓練!|ポリスアカデミー3 全員再訓練!]](マウザー〈アート・メトラーノ〉) * [[マーヴェリック (1994年の映画)|マーヴェリック]](ジョゼフ〈[[グラハム・グリーン]]〉)※日本テレビ版 * [[マウス・ハント]](アーニー・シュマンツ〈[[ネイサン・レイン]]〉)※TBS版 * [[間違えられた男]](ジーン・コンフォーティ〈[[ネヘマイア・パーソフ]]〉) * マトリックスシリーズ([[マトリックスの登場人物一覧#モーフィアス|モーフィアス]]〈[[ローレンス・フィッシュバーン]]〉)※フジテレビ版 ** [[マトリックス (映画)|マトリックス]] ** [[マトリックス リローデッド]] ** [[マトリックス レボリューションズ]] * [[マネー・トレイン]](パターソン局長〈[[ロバート・ブレイク (俳優)|ロバート・ブレイク]]〉)※フジテレビ版 * [[真昼の決闘]](ハーヴェイ・ベル〈[[ロイド・ブリッジス]]〉)※フジテレビ版 * ミーン・ドッグ・ブルース([[ジョージ・ケネディ]]) - テレビ放映タイトル「殺人犬ドーベルマン 残酷刑務所・死の大脱走」 * [[ミクロの決死圏]](グラント〈[[スティーヴン・ボイド]]〉)※テレビ朝日旧録版 * [[ミッション (映画)|ミッション]](ロドリゴ・メンドーサ〈[[ロバート・デ・ニーロ]]〉) * [[ミッドウェイ (1976年の映画)|ミッドウェイ]]([[ウィリアム・ハルゼー|ウィリアム・ハルゼー中将]]〈[[ロバート・ミッチャム]]〉)※TBS版 * [[ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ (映画)#ミュータント・ニンジャ・タートルズ2|ミュータント・ニンジャ・タートルズ2]](シュレッダー〈フラノイス・チョウ〉)※劇場公開版 * [[名探偵登場]](ライオネル・トウェイン〈[[トルーマン・カポーティ]]〉) * [[メジャーリーグ2]](ルー・ブラウン〈[[ジェームズ・ギャモン]]〉) * [[メン・イン・ブラック (映画)|メン・イン・ブラック]](フランク〈パグ〉)※日本テレビ版(吹替洋画劇場BD収録) * [[メン・イン・ブラック2]](F / フランク〈パグ〉)※テレビ朝日版(吹替洋画劇場BD収録) * [[燃えよNINJA]](コール〈フランコ・ネロ〉)※テレビ朝日版(ソフト収録) * [[奴らを高く吊るせ!]](ルーミス〈[[L・Q・ジョーンズ]]〉) * [[ヤングガン2]](ジョン・チザム〈ジェームズ・コバーン〉)※フジテレビ版(ソフト収録) * [[ヤング・フランケンシュタイン]](ケンプ警部〈[[ケネス・マース]]〉)※LD版 * [[U・ボート (映画)|U・ボート]](艦長〈[[ユルゲン・プロホノフ]]〉)※フジテレビ版 * [[勇気ある追跡]](ネッド・ペッパー〈[[ロバート・デュヴァル]]〉)※テレビ朝日版 * [[幽幻道士|幽幻道士シリーズ]] ** 幽幻道士(デブ署長〈兄〉) ** 幽幻道士2(デブ署長〈弟〉) ** 幽幻道士3(デブ隊長) ** 新・幽幻道士 立体奇兵(デブ隊長) * [[夕陽のガンマン]](ワイルド〈[[クラウス・キンスキー]]〉<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.star-ch.jp/channel/detail.php?movie_id=30988 |title= 夕陽のガンマン[吹]日曜洋画劇場(追録ノーカット)版 |publisher=スターチャンネル |accessdate=2023-07-10}}</ref>)※テレビ朝日版 * [[夢の降る街 (映画)|夢の降る街]](レオ・レムキ〈ジョージ・ズンザ〉) * [[48時間 (映画)|48時間]](ヘイデン〈[[フランク・マクレー]]〉)※日本テレビ版 * [[ライラの冒険 黄金の羅針盤]](ジョン・ファー〈[[ジム・カーター]]〉) * [[ラスト・アクション・ヒーロー]](デッカー警部補〈フランク・マクレー〉)※ソフト版 * [[ランボー]](ティーズル保安官〈[[ブライアン・デネヒー]]〉)※日本テレビ新録版 * [[ランボー3/怒りのアフガン]](ザイセン大佐〈マーク・ド・ジョング〉)※日本テレビ版 * [[リトル・ショップ・オブ・ホラーズ (1986年の映画)|リトル・ショップ・オブ・ホラーズ]](オードリー II〈[[リーヴァイ・スタッブス]]〉) * [[理由なき反抗]](バズ・グンダーソン〈コリー・アレン〉)※テレビ朝日版 * [[レイダース/失われたアーク《聖櫃》]](トート〈[[ロナルド・レイシー]]〉)※日本テレビ版 * [[ロイ・ビーン (映画)|ロイ・ビーン]](バッド・ボブ〈[[ステイシー・キーチ]]〉) * ロッキー3(クラバー・ラング〈[[ミスター・T]]〉)※日本テレビ版 * [[ロビン・フッド (1991年のアメリカ映画)|ロビン・フッド]](ジョージ代官〈アラン・リックマン〉)※フジテレビ版 * [[ロミオ+ジュリエット]](フルヘンシオ・キャピュレット〈[[ポール・ソルヴィノ]]〉)※テレビ朝日版 * ロンドン大捜査線(ヴィク・デイキン〈[[リチャード・バートン]]〉) * ロンドン・ドッグス(レイ〈[[レイ・ウィンストン]]〉) ==== ドラマ ==== * [[アルフ (テレビドラマ)|アルフ]] 第2シーズン第16話、第17話(グリズワルド巡査) * [[インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険]](マルチェロ) * [[インベーダー (テレビドラマ)|インベーダー]]「嵐に狂う教会」(ルイス・ペレス) * 宇宙清掃株式会社サルベージ・ワン パイロット版(ジャック・クリンガー〈[[リチャード・ジャッケル]]〉) * [[宇宙大作戦]] 第2シーズン以降([[モンゴメリー・スコット|モンゴメリー・スコット / チャーリー]]) * [[ウルトラマンG]](ナレーター〈第7話 - 第13話〉) * [[ウルトラマンパワード]](ラッセル・エドランド隊長〈ハリソン・ペイジ〉) * 思いっきりハイキック!([[イ・スンジェ]]) * [[俺がハマーだ!]](エドマンド・トランク署長〈ハリソン・ペイジ〉) * [[華麗なるペテン師たち]] 目には目を(フランク・ゴーリー) * [[キャプテンパワー]](ナレーション) * クレオパトラ2525 エピソード2(マーカス) * [[刑事スタスキー&ハッチ]] シーズン1 #8(ハリー・マーティン〈[[ディック・アンソニー・ウィリアムズ]]〉) * [[こちらブルームーン探偵社]] シーズン4 #5・6(デリック) * [[ザ・ホワイトハウス]](パーシー・フィッツウォレス統合参謀本部議長〈2代目〉) * [[ザ・ルーシー・ショー]](セオドア・J・ムーニー) * [[CSI:マイアミ]] 第6シーズン第20話(カート・ロッシ〈[[トム・サイズモア]]〉) * [[G-SAVIOUR]](グレーヴス委員長、ナレーション) * [[刑事コロンボ|新・刑事コロンボ]] 殺意の斬れ味(クリフォード・カルバート〈[[バリー・コービン]]〉) * [[スパイ大作戦]] ** 冷戦のダイナマイト(モイセフ) ** 市長室乗っ取り(ペック) ** 殺しのジェット空輸(ドーラン) ** シンジケートから来た男(ケラー) ** 怪奇! 不老長寿の水(バックマン) * [[スペース1999]] 永遠の生命の怪(ドクターローランド) * [[青春の城 コビントン・クロス]](ジョン・マレンズ〈[[ジェームズ・フォークナー (俳優)|ジェームズ・フォークナー]]〉) * [[0011ナポレオン・ソロ]](ハミッド、ロックス) * ターザンの大冒険(クライブ・ヘンズリー)※NHK-BS2版 * タバサ(マーヴィン・デッカー) * 探偵キャノン(ウィリアム・コンラッド) * [[ダンディ2 華麗な冒険]] #9(グロスキー〈[[ダーレン・ネスビット]]〉) * [[チャーリーズ・エンジェル|地上最強の美女たち!チャーリーズ・エンジェル]] ** シーズン1 #15(ジョン・ヘラー) ** シーズン3 #20(ヴィクター・ホーグランド) * [[地上最強の美女バイオニック・ジェミー]] シーズン1 #8(ヴィック・ボイリン〈ジョセフ・ジョージ〉) * [[超音速攻撃ヘリ エアーウルフ]] ** パイロット版、シーズン2 #3(チャールズ・ヘンリー・モフェット博士〈[[デヴィッド・ヘミングス]]〉) ** シーズン2 #21(ジョン・コーブ〈ミルズ・ワトソン〉) * [[逃亡者 (1963年のテレビドラマ)|逃亡者]] #34(ジョニー・ゲインズ〈[[オジー・デイヴィス]]〉) * [[特捜警部アイシャイド]](アール・アイシャイド([[ジョー・ドン・ベイカー]])) * [[特捜刑事マイアミ・バイス]] シーズン2 #18(ロジャー・ファーガソン判事〈[[ビル・ラッセル]]〉) * [[特別狙撃隊S.W.A.T.]] シーズン1 #6(ボー・プリチャード〈[[キャメロン・ミッチェル (俳優)|キャメロン・ミッチェル]]〉) * 特攻ギャリソン・ゴリラ(イタチ〈クリストファー・ケーリー〉) * [[特攻野郎Aチーム]] ** シーズン2 #5(ストライカー) ** シーズン3 #2(エル・カホン)、#6(ルディ・ガルシア〈[[ジョー・サントス]]〉) ** シーズン4 #5(CJ・マック〈[[アイザック・ヘイズ]]〉)、#6・20([[ハルク・ホーガン]]) * [[ナイトライダー]] ** シーズン1 #8(トニー〈マイケル・マクレイ〉) ** シーズン2 #19(エデュアルド・オブライエン〈[[ペドロ・アルメンダリス・Jr]]〉) ** シーズン2 #20(ポール・ブロック〈マイケル・C・グウィン〉) ** シーズン3 #17(マック・ギフォード〈スティーブ・シャーンドル〉) ** シーズン4 #3(チャールズ・ズーリック〈ロン・オニール〉) * [[バーン・ノーティス 元スパイの逆襲]](ビル・カウリー議員) * [[B.L.ストライカー]]シリーズ(マッギー署長〈マイケル・O・スミス〉) * フェーム/青春の旅立ち シーズン1 #2(ロバート・サマーズ) * [[冒険野郎マクガイバー]](ジャック・ダルトン〈ブルース・マッギル〉) * [[マイペース二等兵]](カーター軍曹〈フランク・サットン〉) * [[トワイライト・ゾーン (1959年)|ミステリーゾーン]]3 ** #13「昔はよかった物語」(修理屋の主人〈[[:en:Jesse White (actor)|ジェシー・ホワイト]]〉) ** #20「西部劇作法」(ジェシー・ジェームス(俳優)〈[[:en:Bob Kline|ボブ・クライン]]〉) ** #28「星のシンデレラ」(男2〈[[:en:Paul Tripp|ポール・トリップ]]〉) * ミステリーゾーン5 ** #8「憎悪の家」(ロビー・ザ・ロボット) ** #32「死ぬほど愛して」(フロイド・バーニー〈[[:en:Gary Crosby (actor)|ゲイリー・クロスビー]]〉) * [[名探偵モンク]]7(ジミー・バーロー) * [[幽幻道士#来来!キョンシーズ(1988年)|来来!キョンシーズ]](デブ隊長) * [[リゾーリ&アイルズ ヒロインたちの捜査線]](パトリック・ドイル) * [[リップタイド探偵24時]](クインラン警部補) * [[ロックフォードの事件メモ]](デニス・ベッカー〈ジョー・サントス〉) ==== アニメ ==== * [[アイアンマン]](ダークイージス) * [[アイドル忍者タートルズ]](シュレッダー)※BS2版 * [[アドベンチャー・タイム]](ナレーター) * [[ATOM (映画)|ATOM]](ハム・エッグ) * [[アメリカ物語 ファイベルの冒険]](タイガー) * [[X-メン|X-MEN]](アポカリプス)※テレビ東京版 * [[怪盗グルーの月泥棒 3D]](パーキンス氏<!-- 〈声:[[ウィル・アーネット]]〉 -->) * シュレックシリーズ(オオカミ) ** [[シュレック (映画)|シュレック]] ** [[シュレック2]](王国警察24時のナレーション) ** [[シュレック3]] ** [[シュレック フォーエバー]] * [[ターザン (アニメ映画)|ターザン]](カーチャック) ** [[ターザン (TVシリーズ)]] ** [[ターザン2]] * [[タンタンの冒険旅行]]('''ハドック船長''') * [[チップとデールの大作戦]](魔王)※新吹き替え版 * [[チャイニーズ・ゴースト・ストーリー スーシン]](イン道士) * [[トレジャー・プラネット]](スクループ)※追加収録部分 * [[ドン・キホーテ]]('''ドン・キホーテ''') * [[バットマン (アニメ)|バットマン]](下水道王) * [[ピンクパンサー (アニメ)|ピンクパンサー]](親分、ルーガー警部) * [[不思議の森の妖精たち]](ヘクサス) * [[ポパイ]](ブルート)※大陸書房版 * [[リトル・マーメイド]](ルーイ) * [[わんぱくダック夢冒険]](スクルージ・マクダック)※テレビ東京版 ** [[ダックテイル・ザ・ムービー/失われた魔法のランプ]](マーロック) ==== 人形劇 ==== * [[海底大戦争 スティングレイ]] 不思議な海底人(クロンソン) * [[きかんしゃトーマス]]('''ゴードン'''、ヘンリー〈代役・収録ミス〉)※フジテレビ版 ** [[きかんしゃトーマス 魔法の線路|劇場版 きかんしゃトーマス 魔法の線路]]('''ゴードン''') * [[サンダーバード (テレビ番組)|サンダーバード]] ** ピラミッドの怪(探検家ウィルソン) ** スパイにねらわれた原爆(デンシー) ** 海上ステーションの危機(クラビッツ) * [[ジョー90]] ** 戦慄の脱獄囚(リール) ** すばらしい誕生日(グレッグソン) * [[フラグルロック]] === 人形劇 === * [[こどもにんぎょう劇場]]「大工と鬼六」(鬼六) * 聖石傳説(ナレーション) * [[ひょっこりひょうたん島]](オッサン隊長) * [[ひげよさらば]](黒ヒゲ) * [[マペット・ショー]] === 特撮 === * [[ウルトラQ]](1966年、第5話の鈴木副隊長の声{{要出典|date=2022年9月}})※ノンクレジット * [[ウルトラマンティガ〜光の子供たちへ〜]](2001年、謎の声) * [[ウルトラマンメビウス]](2007年、[[エンペラ星人|暗黒宇宙大皇帝エンペラ星人]]の声) * [[海賊戦隊ゴーカイジャー THE MOVIE 空飛ぶ幽霊船]](2011年、ロスダークの声) === ラジオ === * [[けんぷファー#インターネットラジオ|ラジオ けんぷファー 賢二と愛のわくわく臓物ランド]]([[音泉]]、2009年9月4日 - 12月25日) === ナレーション === * マッハ'78(予告ナレーター) * [[ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団]](予告ナレーター) * [[ウルトラマン怪獣大決戦]](予告ナレーター) * [[ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち]](予告ナレーター) * [[金曜テレビの星]] 大食い王座決定戦 * [[ザ・ジャッジEX]](ミスタージャッジの声) ** [[Dのゲキジョー 〜運命のジャッジ〜]]([[VTR]]で顔出し出演) * [[趣味悠々]] ** 「[[ようこそ!鉄道模型の世界へ〜レイアウト製作入門〜]]」 ** 「鉄道模型でつくる思い出の風景〜Nゲージ・レイアウト制作入門〜」 * [[DJモノフェスタ|通販DJ]](現・DJモノフェスタ) * [[TXNニュースワイド 夕方いちばん]] * [[土曜スペシャル (テレビ東京)|土曜スペシャル]]※不定期 * [[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]] ** 「ファミコンを武器に戦うマンガがある」(グロス)[[2004年]][[6月16日]] * [[ファ見る!]] 2010年8月号・2007年10月号・2009年1月号の諜報員(ラオウ、則巻千兵衛の声) * [[プロ野球珍プレー・好プレー大賞]](大リーグ版ナレーション) * [[目撃!ドキュン]] * [[7男2女11人の大家族石田さんチ!]] * [[マグロに賭けた男たち]] * [[団塊スタイル]] * [[激録・警察密着24時!!]] * [[日本海海戦|もう一つの日本海海戦]] * ÉMOTION=伝説の午後・いつか見たドラキュラ(監督・撮影・編集:[[大林宣彦]]) * [[徳光&所のスポーツえらい人グランプリ]] === テレビドラマ === * [[日曜劇場|東芝日曜劇場]] 開局十周年記念番組 栄光の旗(1965年、[[TBSテレビ|TBS]]) * [[大河ドラマ]]([[日本放送協会|NHK]]) ** [[太閤記 (NHK大河ドラマ)|太閤記]](1965年) - 注進の武士 ** [[源義経 (NHK大河ドラマ)|源義経]](1966年) - トクウス ** [[三姉妹]](1967年) - 土手熊 ** [[勝海舟 (NHK大河ドラマ)|勝海舟]](1974年) - 土屋忠次郎 * [[特別機動捜査隊]] 第253話「白鳥の死」(1966年 [[テレビ朝日|NET]]・[[東映]]) - 工事現場作業員 * [[七人の刑事]] 第216話「ハプニング殺人」(1968年、TBS) * [[キイハンター]] 第9話「海に消えた女」(1968年、TBS・東映) * [[あゝ忠臣蔵]] 第14話「恋の祭り囃子」(1969年、[[関西テレビ放送|KTV]]・東映) * [[鞍馬天狗 (1969年のテレビドラマ)|鞍馬天狗]](1969年、NHK) - 折井新助 * [[破れ傘刀舟悪人狩り]] 第7話「忘却の女」(1974年、NET・[[三船プロダクション]]) - 石田軍八 * [[あにき]] - 男 * [[江戸の用心棒 (1994年のテレビドラマ)|江戸の用心棒]](オープニングナレーション) * [[闘え!ドラゴン]](ナレーション) * [[世にも奇妙な物語 秋の特別編 (2001年)|世にも奇妙な物語 2001年秋の特別編]]「ママ新発売!」(2001年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - 男らしさ売場店員 === 映画 === * [[不連続殺人事件]](1977年) - 内海明 * [[Wonderful World (映画)|Wonderful World]](2010年) - 弦仁院竜斎、木島夢蔵 === 舞台 === * [[ウルトラマンプレミアステージ]](暗黒宇宙大皇帝エンペラ星人の声) * [[鈴置洋孝]]プロデュース ** 煙が目にしみる ** [[スターダスト]]{{要曖昧さ回避|date=2021年10月}} ** [[見果てぬ夢]] ** 誰かが誰かを愛してる * 目を見て嘘をつけ(劇団[[KAKUTA]]、2008年1月、2010年2月公演) === CM === * [[マンダム|丹頂]]「マンダム」(ナレーション) * [[アートネイチャー]](ナレーション) * [[フェザー安全剃刀]]「フェザーF-II」(1977年1月、ナレーション) * [[旭化成]]缶チューハイ「ハイリキ」TVCM(サッカー審判役) * [[アリコジャパン]] まもりたい * [[イオングループ|AEON]] お客様感謝デー(ハーティマーティ) * [[ウォーロード/男たちの誓い]]TVCM(ナレーション) * [[エーディーケイ|ADK]] 「[[ワールドヒーローズ#ワールドヒーローズ2|ワールドヒーローズ2]]」(ナレーション) * [[角川書店]]「スレイヤーズろいやる」 * 角川書店「スレイヤーズろいやる2」 * [[牛乳石鹸共進社|牛乳石鹸]]「ニュータイプ」(ナレーション) * [[三共生興]]「ハング・テン」(ナレーション) * [[野村トーイ]] レキシィデータ(ナレーション) * [[デンカ]]「ハードロック」(ナレーション) * [[ナニワ商会|カメラのナニワ]](ナレーション) * 早川電機→[[シャープ]]「シャープポータブルテレビ・ジャーナルGT」(ナレーション) * [[コニシ]]「[[アロンアルフア]]」=古代ギリシャ風の衣装で顔出し出演、則巻千平衛(「ドクタースランプアラレちゃん」コラボCM時) * シーパレス([[石川県]]のパチンコ店・[[ラオウ]]の声<!--CR北斗の拳の告知とは無関係-->) * [[ジャレコ]]「[[バイオ戦士DAN|バイオ戦士DAN インクリーザーとの闘い]]」(ナレーション) * [[スズキ・フロンテ]](初代、3代目)(ナレーション) * ゼブラボールペン(みえる、みえる) * [[トクホン|鈴木日本堂]]「トクホンチール」(ナレーション) * 清酒富久娘(ナレーション) * [[ダイハツ・フェロー|ダイハツ・フェローマックス]](ナレーション) * [[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]] 「[[ミクロマン]]」(ナレーション、デスキングの声) * タカラ 「[[ニューミクロマン]]」(ナレーション) * タカラ 「フィストエイリアン」(ナレーション) * [[東洋水産]]「マルちゃん 激めん」=[[ピート・ローズ]]を叱りつける工事現場の監督役で顔出し出演 * [[ツムラ|津村順天堂]] バスピカ=顔出し出演 * [[トヨタ・クラウン]](2代目)(ナレーション) * [[トヨタ・カリーナ]](2代目〜4代目)(ナレーション) * [[トヨタ・コロナ]](7代目、ロジャー・ムーアがCM出演)(ナレーション) * [[トヨタ・ノア]](ナレーション) * [[日成ビルド工業]]「日成サイディング」TVCM * [[ケロッグ (企業)|日本ケロッグ]] コーンフロスト(現コーンフロスティ)([[トニー・ザ・タイガー]]の声) * [[日本リーバ]]「イグロのフィッシュ・オー・フィンガー」(キャプテン・イグロの日本語吹替) * [[任天堂]] [[ファミリーコンピュータ]](ナレーション) * 任天堂 ファミリーコンピュータ [[光線銃シリーズ]](ナレーション) * 任天堂 [[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]](ナレーション) * 任天堂 [[メトロイド]](ナレーション) * 任天堂 [[スーパーマリオブラザーズ]](ナレーション) * [[セガ]] ランボーIII(ナレーション) * [[バンダイ]] [[ファミコンジャンプII 最強の7人]]([[両津勘吉]]の声) * バンダイ「霊幻道士の大冒険ゲーム」(ナレーション) * バンダイ [[キン肉マン キン肉星王位争奪戦]](ナレーション) * バンダイ [[超ドラゴンボールZ]](アナウンサーの声) * 清酒日栄(ナレーション) * [[山代温泉]]山下家 * [[ポピー (玩具メーカー)|ユタカ]]「[[SDガンダムワールド ガチャポン戦士#SDガンダムワールド ガチャポン戦士5 BATTLE OF UNIVERSAL CENTURY|SDガンダムワールド ガチャポン戦士5 BATTLE OF UNIVERSAL CENTURY]]」(ナレーション) * [[ヨドバシカメラ]](ナレーション) * [[レッドブル]]([[栄養ドリンク]]) * パラディソ(扇屋商事 宮城県パチンコチェーン店)(ラジオCMナレーション・『北斗の拳』ラオウ役で単独CMと、[[宮村優子 (声優)|宮村優子]]〈『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』[[惣流・アスカ・ラングレー|アスカ]]役〉との競演の2パターンあり) * [[旭川市|旭川]][[ばんえい競馬]](ナレーション) * [[スパルタンX]](ナレーション) * [[マッドマックス2]](ナレーション) * [[エイリアン2]](ナレーション) * [[ライオン (企業)|ライオン]]「ZACT」(ナレーション) * ランボー3 怒りのアフガン(ナレーション) * [[野獣捜査線]](ナレーション) * [[参天製薬]]「ジュニアサンテ」(『[[プロゴルファー猿]]』ミスターX役)<!--[[藤子不二雄ワイド]]番組内限定--> * [[平坂製薬]]「ヘデクパウダー」(長崎県のローカルCM)(ナレーション) * [[道新スポーツ]](ナレーション) * [[ショウワノート]]「[[ジャポニカ学習帳]]」(酋長の声、1980年代) * [[エクソンモービル|モービル]] [[モービル1]](ナレーション) * [[ドラゴンボール]]劇場版DVD-BOX DRAGON BOX THE MOVIES(ナレーション) * [[ガンバの冒険]]DVD-BOX(ナレーション) * [[明治安田生命保険|明治生命]]「ダイヤモンド保険」(「アイム・ア・チャンピオン」を連呼<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.bpcj.or.jp/search/show_detail.php?program=163930|title=ダイヤモンド保険「アイム・ア・チャンピオン」|publisher=放送ライブラリー|date=|accessdate=2018-11-17}}</ref>) === パチンコ・パチスロ === * [[北斗の拳|北斗の拳シリーズ]]([[ラオウ]]) ** [[サミー]] ※[[パチンコ]] *** [[CR北斗の拳|CR北斗の拳 伝承]] *** CR北斗の拳 強敵(とも) *** CR北斗の拳 STV *** CR北斗の拳 剛掌 *** CR北斗の拳 慈母 ** サミー ※[[パチスロ]] *** [[北斗の拳 (パチスロ)|北斗の拳]] *** [[北斗の拳SE]](スペシャルエディション) *** [[北斗の拳2 乱世覇王伝 天覇の章]](らんせはおうでん てんはのしょう) * [[大一商会|大一]]「[[プロゴルファー猿|CRプロゴルファー猿]]」(ミスターX)※パチンコ === その他コンテンツ === * [[はてなはてな|理科教室 小学校2年生〜はてなはてな〜]] 画面付きコンピューターのキャラクター「ひとみ博士」の声を担当<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.nhk.or.jp/archives/hakkutsu/news/detail126.html| title = NHK番組発掘プロジェクト通信 No.126 おぼえてますか?小学校の理科教室を大量発掘!| publisher = 日本放送協会| accessdate = 2023-09-16}}</ref>。一部の回ではひとみ博士が白衣を纏った人間に変身した設定で顔出し出演。 * [[バンパイヤン・キッズ|なんちゃってバンパイヤン]](パパ) * [[横浜博覧会|YES'89横浜博覧会]][[横浜博覧会#主なパビリオン|横浜館]]「ワンダーシップ号の冒険」タイムマシン・ワンダーシップ号艦長役として、プレショーのビデオ画面に顔出し出演。 * [[東京国立博物館]]「対決 巨匠たちの日本美術」音声ガイド([[狩野永徳]]) * [[セイウチ・ビジネス・スタジアム]] * 任天堂 ファミリーコンピュータ ディスクシステム紹介店頭ビデオ(ナレーション〈『[[ゼルダの伝説]]』紹介コーナーでは老人・商人の声役も兼任〉) * [[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]内「[[ターミネーター 2:3-D|ターミネーター2:3D]]」(サイバーダイン社最新プレゼンテーション・ナレーション) * ALFA RECORD/KYODO TOKYO PRESENT「FUSION FESTIVAL'78 [WE BELIEVE IN MUSIC]」-Fusion Instrumentel day-II〈[[細野晴臣]]&イエロー・マジックVS[[ニール・ラーセン]]〉1978年12月10日、[[新宿区]]・[[紀伊国屋ホール]](司会) * [[ワンダーランド (パチンコチェーン)]]『WANDER AGENTS』シリーズ(鬼瓦本部長) * [[朝日ソノラマ]] ソノシート「[[ゲゲゲの鬼太郎]]・妖怪大戦争」([[バックベアード]]) * 脳内エステ IQサプリ第100回超特大生放送IQミラー(則巻千兵衛)2006年12月30日放送 * 海を目指して風になる 1995年発売の京浜急行紹介ビデオ == 脚注 == === 注釈 === {{Reflist|group=注}} {{Ras}} === 出典 === {{Reflist |refs= <ref name="ガンバの冒険">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-04-17 | publisher = [[トムス・エンタテインメント]] | title = ガンバの冒険 | url = https://www.tms-e.co.jp/alltitles/1970s/023101.html | website = トムス・エンタテインメント 公式サイト}}</ref> <ref name="まじかるハット">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-06-25 | publisher = [[ぴえろ]] | title = まじかるハット | url = https://pierrot.jp/archive/1985/tv80_19.html | website = スタジオぴえろ 公式サイト}}</ref> <ref name="ONE OUTS -ワンナウツ-">{{Cite web|和書|url=https://www.ntv.co.jp/oneouts/ |title=キャスト・スタッフ |work=ONE OUTS -ワンナウツ- |accessdate=2023-06-21}}</ref> <ref name="摩訶不思議大冒険">{{Cite web|和書|accessdate=2022-06-05 |publisher=[[東映アニメーション]] |title = キャラクター/キャスト |url=https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_dragonball_makahushigi/character/ |website = 東映アニメーション作品ラインナップ |work=ドラゴンボール 摩訶不思議大冒険}}</ref> <ref name="冒険者たちガンバ">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-04-17 | publisher = トムス・エンタテインメント | title = 冒険者たち ガンバと7匹のなかま | url = https://www.tms-e.co.jp/alltitles/1980s/023302.html | website = トムス・エンタテインメント 公式サイト}}</ref> <ref name="劇場版ドラゴンボールZ">{{Cite web|和書| accessdate=2022-06-05 | publisher=東映アニメーション | title = キャラクター/キャスト | url=https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_dragonball_oranogohan/character/ | website = 東映アニメーションラインナップ | work=ドラゴンボールZ}}</ref> <ref name="ガンバとカワウソの冒険">{{Cite web|和書| accessdate = 2023-04-17 | publisher = トムス・エンタテインメント | title = ガンバとカワウソの冒険 | url = https://www.tms-e.co.jp/alltitles/1990s/023301.html | website = トムス・エンタテインメント 公式サイト}}</ref> <ref name="この世で一番強いヤツ">{{Cite web|和書| accessdate= 2022-06-05 | publisher= 東映アニメーション | title = キャラクター/キャスト | url= https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_dragonballz_konoyodeitiban/character/| website = 東映アニメーション作品ラインナップ | work= ドラゴンボールZ この世で一番強いヤツ}}</ref> <ref name="最強への道">{{Cite web|和書| accessdate=2020-08-01 | publisher=東映アニメーション |title = キャラクター/キャスト | url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_doragonball_saikyou/character/ |website = 東映アニメーション作品ラインナップ | work=ドラゴンボール 最強への道}}</ref> <ref name="ねずみ物語">{{Cite web|和書| url = https://www.madhouse.co.jp/works/2007-2006/works_movie_nezumi-monogatari.html| title = ねずみ物語~ジョージとジェラルドの冒険~| publisher = マッドハウス | accessdate = 2023-05-20}}</ref> <ref name="キャシャーンOVA">{{Cite web|和書| accessdate=2022-12-29 | publisher=タツノコプロ | title=作品データベース キャシャーン| url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/ova_casharn.html}}</ref> }} == 外部リンク == * {{Official website|1=https://www.kenproduction.co.jp/talent/9|name=内海 賢二 賢プロダクション [Kenproduction<nowiki>]</nowiki> 声優事務所・タレント事務所・声優プロダクション}} * [https://thetv.jp/person/0000010058/ 内海賢二のプロフィール・画像・写真 - WEBザテレビジョン] * {{kinejun name|85763}} * {{Oricon name|242971}} * {{Movie Walker name|80907}} * {{映画.com name|18978}} * {{Allcinema name|118474}} * {{jmdb name|0313440}} * {{imdb name|id=0882581|name=Kenji Utsumi}} {{賢プロダクション}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:うつみ けんし}} [[Category:日本の男性声優]] [[Category:日本の男優]] [[Category:日本の舞台俳優]] [[Category:日本のナレーター]] [[Category:日本の企業創立者]] [[Category:賢プロダクション|*うつみ けんし]] [[Category:九州朝日放送の人物]] [[Category:北九州市出身の人物]] [[Category:膀胱癌で亡くなった人物]] [[Category:1937年生]] [[Category:2013年没]]
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太田淑子
太田 淑子(おおた よしこ、本名:阪 淑子〈さか よしこ〉、旧姓:太田、1932年〈昭和7年〉4月25日 - 2021年〈令和3年〉10月29日)は、日本の声優、女優。最終所属はテアトル・エコー。京都府出身。文献によっては長く過ごした兵庫県尼崎市を出身地としていることがある。 1950年、宝塚音楽学校入学。 1951年、宝塚歌劇団に38期生として入団。入団時の成績は20番。星組公演「春のおどり」で若樹 苑子(わかぎ そのこ)として初舞台。 1952年、月組に配属。その後、若樹 実乃里(わかぎ みのり)と改名し、娘役として活動。 1955年12月31日付で宝塚歌劇団を退団。 退団後の1963年よりテアトル・エコー所属となり、声優としての活動を始める。 2021年10月29日午後9時6分、心不全のため、入院先の神奈川県横浜市内の病院で死去。89歳没。 夫は声優の阪脩。2人は大阪で、別々の放送局が設立した劇団に所属していた時期に知り合っており、1964年頃共に上京している。 1960年代は手塚アニメのヒーロー、ヒロインの声を演じた。代表作である『ひみつのアッコちゃん』のアニメ三作に全て出演している(配役は毎回異なる)。 『ドラえもん(第1作)』(日本テレビ版)で野比のび太役を演じた、初代のび太役の声優である。『ドラえもん(第2作1期)』(テレビ朝日版)ではのび太の玄孫に当たるセワシ役を演じている。 『ヤッターマン』では主役であるヤッターマンより悪役のドロンボー一味のほうが出番が増えたことに「ワルばっか目立って」と不満を持っていたことが語られている。 太字はメインキャラクター。
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太田 淑子は、日本の声優、女優。最終所属はテアトル・エコー。京都府出身。文献によっては長く過ごした兵庫県尼崎市を出身地としていることがある。
{{声優 | 名前 = 太田 淑子 | ふりがな = おおた よしこ | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = 阪 淑子(さか よしこ)<ref>{{Cite book|和書|year=1996|title=声優事典 第二版|page=363|publisher=[[キネマ旬報社]]||isbn = 4-87376-160-3 }}</ref><ref name="SHINGEKI">{{Cite book|和書|year=1989|title=新劇便覧'89|page=96|publisher=テアトロ}}</ref> | 愛称 = | 性別 = [[女性]] | 出生地 = {{JPN}}・[[京都府]]<ref name="CDジャーナル">{{Cite web|和書|url=https://artist.cdjournal.com/a/ota-yoshiko/803603|title=太田 淑子|work=CDジャーナル |publisher=[[音楽出版社 (企業)|音楽出版社]] |accessdate=2023-11-05}}</ref> | 出身地 = {{JPN}}・[[兵庫県]][[尼崎市]]{{R|CDジャーナル}} | 死没地 = {{JPN}}・[[神奈川県]][[横浜市]]<ref name="jiji20211108">{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20211108060522/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021110800630&g=soc | title = 声優の太田淑子さん死去 「ジャングル大帝」レオ役、89歳 | website = 時事ドットコム | publisher = [[時事通信社]] | date = 2021-11-08 | accessdate = 2021-11-08 }}</ref> | 生年 = 1932 | 生月 = 4 | 生日 = 25 | 没年 = 2021 | 没月 = 10 | 没日 = 29 | 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]{{R|archive}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://linkvod.myjcom.jp/artist/188561|title= 太田 淑子|website=linkvod.myjcom.jp|publisher=J:COMオンデマンド |accessdate=2023-11-05}}</ref> | 身長 = | 職業 = [[声優]]、[[俳優|女優]] | 事務所 = [[テアトル・エコー]]{{R|t-echo}} | 配偶者 = [[阪脩]]<ref name="声優アニメディア">{{Cite journal |和書 |title=極 声魂/太田淑子|journal=[[声優アニメディア]] |issue=2009年9月号 |pages= 114-115|publisher=[[学研ホールディングス]] |date=2009-09}}</ref><ref name="interview">{{Cite book |和書 |author=とり・みき|authorlink=とり・みき |year=2004 |title=とり・みきの映画吹替王 |pages=126- 137|publisher=[[洋泉社]] |isbn=4896918371}}</ref> | 著名な家族 = | 公式サイト = [https://houei.t-echo.co.jp/?page_id=2680 公式プロフィール] | 公称サイズ出典 = {{Cite web|和書|date=|url=http://t-echo.co.jp/renmei/actress/ota.html|title=太田 淑子|publisher=テアトル・エコー|accessdate=2023-07-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160305215935/http://t-echo.co.jp/renmei/actress/ota.html |archivedate=2016-03-05}} | ref2name = archive | 身長2 = 154<ref name="t-echo">{{Cite web|和書|date=|url=https://houei.t-echo.co.jp/?page_id=2680|title=太田 淑子|publisher=テアトル・エコー|accessdate=2023-07-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211108150727/https://houei.t-echo.co.jp/?page_id=2680 |archivedate=2021-11-08}}</ref> | 体重 = 52 | 活動 = {{声優/活動 | 職種 = 女優 | 活動名義 = | 活動期間 = [[1951年]] - [[2021年]] | ジャンル = [[テレビドラマ]]、[[映画]]、[[舞台]] | デビュー作 = 『春のおどり』{{R|SHINGEKI}} }}{{声優/活動 | 職種 = 声優 | 活動名義 = | 活動期間 = [[1960年代]] - [[2021年]] | ジャンル = [[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]、[[吹き替え]] | デビュー作 = }}}} '''太田 淑子'''(おおた よしこ、本名:阪 淑子〈さか よしこ〉、旧姓:太田、[[1932年]]〈[[昭和]]7年〉[[4月25日]]{{refnest|group="注"|生前は[[1936年]]〈[[昭和]]11年〉[[4月25日]]生まれと公表していた<ref>{{Cite book|和書|author=|title=日本タレント名鑑(2021年版)|page=484|publisher=VIPタイムズ社 |isbn=978-4-904674-12-3|date=2021-01-27}}</ref>。}}<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/stage/news/452587|title=太田淑子が心不全のため89歳で死去|date=2021-11-08|newspaper=ステージナタリー|publisher=ナターシャ|accessdate=2021-12-11}}</ref> - [[2021年]]〈[[令和]]3年〉[[10月29日]]{{R|yomiuri}})は、[[日本]]の[[声優]]、[[俳優|女優]]。最終所属は[[テアトル・エコー]]{{R|t-echo}}。[[京都府]]出身{{R|CDジャーナル}}。文献によっては長く過ごした[[兵庫県]][[尼崎市]]を出身地としていることがある{{R|CDジャーナル}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.allcinema.net/person/115132 |title=太田淑子 |publisher=allcinema |accessdate=2020-12-18}}</ref>。{{VOICE Notice Hidden|冒頭部分に記載する代表作は、編集合戦誘発の原因となりますので、多数の出典で確認できるものに限ってください。[[プロジェクト:芸能人#記事の書き方]]にてガイドラインが制定されていますので、そちらも参照して下さい。}} == 来歴 == 1950年、[[宝塚音楽学校]]入学。 1951年、[[宝塚歌劇団]]に[[宝塚歌劇団38期生|38期生]]として入団{{Sfn|100年史(人物)|2014|p=48}}。入団時の成績は20番{{Sfn|100年史(人物)|2014|p=48}}。[[星組 (宝塚歌劇)|星組]]公演「[[春のおどり (1951年の宝塚歌劇)|春のおどり]]」で'''若樹 苑子'''(わかぎ そのこ)として初舞台{{Sfn|100年史(人物)|2014|p=48}}。 1952年、[[月組 (宝塚歌劇)|月組]]に配属{{Sfn|100年史(人物)|2014|p=48}}。その後、'''若樹 実乃里'''(わかぎ みのり)と改名し、娘役として活動{{Sfn|100年史(人物)|2014|p=48}}。 1955年12月31日付で宝塚歌劇団を退団{{Sfn|100年史(人物)|2014|p=48・59}}。 退団後の1963年より[[テアトル・エコー]]所属となり、声優としての活動を始める<ref name="新劇便覧">{{Cite book|和書|year = 1965|title = 新劇便覧|publisher = [[テアトロ]]|page =262|chapter = 新劇俳優名鑑}}</ref>{{R|声優アニメディア}}。 2021年10月29日午後9時6分、心不全のため、入院先の神奈川県横浜市内の病院で死去<ref name="yomiuri">{{Cite news|url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20211108-OYT1T50084/|title=「ジャングル大帝」レオや「ひみつのアッコちゃん」…俳優・声優の太田淑子さん死去|date=2021-11-08|accessdate=2021-11-08|newspaper=[[読売新聞オンライン]]|publisher=[[読売新聞東京本社]]}}</ref>。{{没年齢|1932|4|25|2021|10|29}}。 == 人物 == 夫は声優の[[阪脩]]{{R|声優アニメディア|interview}}。2人は大阪で、別々の放送局が設立した劇団に所属していた時期に知り合っており{{R|interview}}、[[1964年]]頃共に上京している{{R|声優アニメディア}}。 [[1960年代]]は手塚アニメのヒーロー、ヒロインの声を演じた。代表作である『[[ひみつのアッコちゃん]]』のアニメ三作に全て出演している(配役は毎回異なる){{R|声優アニメディア}}。 『[[ドラえもん (1973年のテレビアニメ)|ドラえもん(第1作)]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]版)で[[野比のび太]]役を演じた{{R|声優アニメディア}}、初代のび太役の声優である。『ドラえもん(第2作1期)』([[テレビ朝日]]版)ではのび太の玄孫に当たる[[ドラえもんの登場人物一覧|セワシ]]役を演じている{{R|声優アニメディア}}。 『[[ヤッターマン]]』では主役であるヤッターマンより[[三悪 (タイムボカンシリーズ)|悪役のドロンボー一味]]のほうが出番が増えたことに「ワルばっか目立って」と不満を持っていたことが語られている<ref>「トリオ・ザ・大復活! なにはなくともアラホラサッサ」『[[アニメージュ]] 1993年10月号』第1ふろく「タイムボカン」OVA復活記念 やっておしまいBOOK』25頁。</ref><ref name="seiyu">神谷明「八奈見乗児」『みんな声優になりたかった 神谷明と25人の声優たち』[[主婦の友社]]、1994年1月6日、280頁。ISBN 4-07-214333-2</ref>。 == 出演 == '''太字'''はメインキャラクター。 === テレビドラマ === * [[忍者ハットリくん|忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ]](1967年 NET)第19話 城東コンサルタント社長役 * [[レモンの天使]](1971年 - 1972年、フジテレビ)ナレーション 後任は[[瀬能礼子]] * [[花は花よめ]] 第1シリーズ(1971年 日本テレビ)第16話 * [[パパと呼ばないで]](1973年 日本テレビ)第15話「とんだ人助け」ともえ役 * [[オレの愛妻物語]](1978年 日本テレビ)第6話 ホステス役 * [[白い巨塔 (1978年のテレビドラマ)|白い巨塔(1978年版)]](1978年)第1話 バーのママ役 * [[太陽にほえろ!]](1979年、日本テレビ)第354話「交番爆破」交番に犬を預けに来た女性役 * [[熱中時代|熱中時代・先生編]](1978年、日本テレビ) 第1話 PTAの母親役 * [[熱中時代|熱中時代・刑事編]](1979年、日本テレビ) 第16話「ミッキーをだました男」吉川令子役 * [[Gメン'75]](1979年、TBS) 第230話「零下50度からの逃亡者」(セシル役の吹き替え) * [[銀河テレビ小説]] [[煙が目にしみる]](1981年、[[NHK総合テレビジョン|NHK]]) - 夏子 役 *[[婦警候補生物語]](1985年、日本テレビ)ナレーション * [[刑事物語'85]](1985年、日本テレビ)第7話「女が見ていた」 * [[夏家族]](1987年、[[東海テレビ放送|東海テレビ]]) * [[永遠のアトム・手塚治虫物語]] テレビ東京/1999年4月15日(サファイアの声) === 映画 === * [[若大将対青大将]](1971年、[[東宝]])富士子役 * [[だまされて貰います]](1971年、東宝)真紀役 * スタア(1986年、[[アスミック・エース|ヘラルド・エース]]・[[角川ヘラルド・ピクチャーズ|日本ヘラルド映画]]配給)女流評論家役 === テレビアニメ === {{dl2 | 1964年 | * [[ビッグX]]('''朝雲昭'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/31.html| title = ビッグX| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-06-12}}</ref>) * [[鉄腕アトム (アニメ第1作)|鉄腕アトム (アニメ第1作。アトムのママ)]] | 1965年 | * [[宇宙パトロールホッパ]](ルビー<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/hoppa/| title = パトロールホッパ宇宙っ子ジュン| publisher = 東映アニメーション| accessdate = 2016-06-11}}</ref>) * [[ジャングル大帝|ジャングル大帝(1965年版)]]('''レオ'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/33.html| title = ジャングル大帝| publisher = 手塚治虫公式サイト | accessdate = 2016-06-08}}</ref>) | 1967年 | * [[黄金バット]](バスコ) * [[冒険ガボテン島]](イガオ) * [[リボンの騎士]]('''[[サファイア (リボンの騎士)|サファイア]]'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/35.html| title = リボンの騎士| publisher = 手塚治虫公式サイト| accessdate = 2016-05-21}}</ref>) | 1968年 | * [[怪物くん]](ハニワくん) * [[サスケ (漫画)|サスケ]](椿カスミ) | 1969年 | * [[ひみつのアッコちゃん#第1作|ひみつのアッコちゃん(第1作)]](1969年 - 1970年、'''加賀美あつ子〈アッコ〉'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/akko/| title = ひみつのアッコちゃん| publisher = 東映アニメーション | accessdate = 2016-06-16}}</ref>) | 1970年 | * [[のらくろ]](メガネ) * [[昆虫物語 みなしごハッチ]] | 1971年 | * [[サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん]]('''花沢花子'''〈代役〉{{要出典|date=2021年1月}}) * [[オバケのQ太郎 (アニメ)|新オバケのQ太郎]]('''大原正太''') * [[珍豪ムチャ兵衛]] * [[天才バカボン (アニメ)|天才バカボン]] * [[ふしぎなメルモ]](ニタ子) * [[原始少年リュウ]](ドン) * [[魔法のマコちゃん]] | 1972年 | * [[正義を愛する者 月光仮面]](アラン少年) | 1973年 | * [[エースをねらえ!]](1973年 - 1974年、音羽京子{{要出典|date=2022年8月}}) * [[ど根性ガエル]] * [[ドラえもん (1973年のテレビアニメ)|ドラえもん(日本テレビ版)]]('''[[野比のび太]]''') | 1974年 | * [[ジムボタン]]('''ジム'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C7550| title = ジムボタン| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2016-12-07}}</ref>) | 1975年 | * [[草原の少女ローラ]](ジョン) * [[タイムボカン]]('''丹平'''{{R|タイムボカン}}、鏡{{refnest|group="注"|第18話のゲストキャラクター{{R|タイムボカンVHS}}。}}) * [[わんぱく大昔クムクム]](アロン) | 1977年 | * [[一発貫太くん]]('''戸馳貫太'''{{R|一発貫太くん}}) * [[ポールのミラクル大作戦]](ピーター) * [[ヤッターマン]](1977年 - 1979年、'''ガンちゃん'''{{R|ヤッターマン}} / '''ヤッターマン1号''') * [[まんが日本絵巻]] | 1979年 | * [[海底超特急マリンエクスプレス]](サファイア<ref>{{Cite web|和書|url=https://tezukaosamu.net/jp/anime/56.html|title=海底超特急 マリン・エクスプレス|publisher=手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL|accessdate=2022-08-31}}</ref>) * [[ザ☆ウルトラマン]](大河原一郎) * [[さすらいの少女ネル]](キット) * [[ゼンダマン]](月吉丸、パクナム、三太、カン太) * [[ドラえもん (1979年のテレビアニメ)|ドラえもん(テレビ朝日版第1期)]](1979年 - 2005年、ジャイ子〈初代〉、[[セワシ]]) * [[ベルサイユのばら#テレビアニメ|ベルサイユのばら]](ジャン) | 1980年 | * [[釣りキチ三平]](ジン) | 1981年 | * [[愛の学校クオレ物語]](ガロッフィ) * [[じゃりン子チエ]]('''アントニオ・ジュニア''') * [[ヤットデタマン]](三太、パック) | 1982年 | * [[うる星やつら (アニメ)|うる星やつら]](コウモリ) * [[二死満塁]](徳蔵の妻) | 1983年 | * [[子鹿物語 (アニメ)|子鹿物語]]('''ジョディ・バクスター''') | 1984年 | * [[チックンタックン]](ミヨのおばあちゃん) | 1986年 | * [[光の伝説]](上条ひとみ) | 1988年 | * [[おそ松くん]](1988年 - 1989年、ジンベーダー) * [[ひみつのアッコちゃん#第2作|ひみつのアッコちゃん(第2作)]](1988年 - 1989年、アッコのママ<ref>{{Cite web|和書| url = https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/tv/akko_2nd/| title = ひみつのアッコちゃん2| publisher = 東映アニメーション | accessdate = 2016-06-16}}</ref>) | 1989年 | * [[青いブリンク]](マハマハ) * [[ジャングル大帝|ジャングル大帝(1989年版)]](パルナ) * [[ミラクルジャイアンツ童夢くん]](通天閣虎雄) * [[らんま1/2]](小乃きん) | 1990年 | * [[まじかるハット]](ミドリ) | 1991年 | * [[ひみつの花園 (アニメ)|ひみつの花園]](メドロック) * [[丸出だめ夫]](小百合の母) | 1994年 | * [[ツヨシしっかりしなさい]](のぞみの母) | 1998年 | * [[センチメンタルジャーニー (アニメ)|センチメンタルジャーニー]](綾崎操) * [[ひみつのアッコちゃん#第3作|ひみつのアッコちゃん(第3作)]](老婦人) | 2001年 | * [[犬夜叉 (アニメ)|犬夜叉]](裏陶) | 2003年 | * [[D・N・ANGEL]](藤枝千鶴子) | 2006年 | * [[太陽の黙示録]](多美) | 2016年 | * [[魔法つかいプリキュア!]](レジェンド女王<ref>[https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1480650526 『魔法つかいプリキュア!』43話先行カット&新キャラ声優公開]、アニメイトタイムズ、2016年12月3日</ref>〈初代〉) }} === 劇場アニメ === {{dl2 | 1966年 | * [[ジャングル大帝]](レオ) | 1969年 | * [[怪物くん (モノクロアニメ)|怪物くん]](ハニワ) * [[ひみつのアッコちゃん]]('''アッコ''') | 1970年 | * ひみつのアッコちゃん 涙の回転レシーブ('''アッコ''') * ひみつのアッコちゃん ばんざいペットくん('''アッコ''') | 1972年 | * [[パンダコパンダ]]('''パン'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C409689|title=パンダ・コパンダ|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-08-31}}</ref>) | 1973年 | * [[パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻]](トラ<ref>{{Cite web|和書|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C409691|title=パンダ・コパンダ 雨ふりサーカスの巻|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2022-08-31}}</ref>) * [[パンダの大冒険]](ロンロン) | 1977年 | * [[ヤッターマン]]('''ガンちゃん''' / '''ヤッターマン1号''') | 1981年 | * [[じゃりン子チエ#アニメ映画|じゃりン子チエ]](マサルの母、チエのクラスメート) | 1989年 | * [[ひみつのアッコちゃん#劇場版(第2作)|ひみつのアッコちゃん]](アッコのママ) | 1991年 | * [[ドラミちゃん アララ・少年山賊団!]](セワシ) | 1993年 | * [[ドラミちゃん ハロー恐竜キッズ!!]]('''セワシ''') | 1996年 | * [[2112年 ドラえもん誕生]]('''セワシ''') | 1997年 | * [[地球が動いた日]](橘絹枝) }} === OVA === * [[くりいむレモン|くりいむレモン SF・超次元伝説ラル]](1984年、ペルル) * [[機動警察パトレイバー]](1988年、仕掛けのイネ) * [[ビデオ絵本 (ウォーカーズカンパニー)|ビデオ絵本]]「[[西遊記|そんごくう]]」(1988年、語り手) * [[地底人 (漫画)|いしいひさいちのナンダカンダ劇場1 これが噂の地底人 とにかく上が悪いんや!!]](1989年) * [[タイムボカン王道復古]](1994年、'''ヤッターマン1号''') === ゲーム === * [[ボカンと一発!ドロンボー|ボカンと一発!ドロンボー 完璧版]](1997年、丹平、ヤッターマン1号)※[[セガサターン|SS]]用ソフト * [[ボカンですよ]](1998年、ヤッターマン1号、丹平)※[[PlayStation (ゲーム機)|PS]]用ソフト * [[魔女っ子大作戦]](1999年、加賀美あつ子)※PS用ソフト * [[キッズステーション ドラえもん ひみつのよじげんポケット]](2001年、セワシ)※PS用ソフト * 犬夜叉(2001年、裏陶)※PS用ソフト * [[ボカンGoGoGo]](2001年、ヤッターマン1号、丹平)※PS用ソフト * [[ヤッターマン只今参上#ドロンジョにおまかせ|スロッターUPコア3 愉打!ドロンジョにおまかせ]](2004年、ガンちゃん / ヤッターマン1号)※[[PlayStation 2|PS2用ソフト]] === 吹き替え === ==== 女優 ==== {{dl2 | [[サリー・フィールド]] | * [[いたずら天使]](シスター・バートリル) * [[大西部への道]](マーシー) * [[ギジェットは15才]](ギジェット) * 幸福の旅路(キャロル・ベル) * [[ノーマ・レイ]](ノーマ・レイ) }} ==== 洋画 ==== * [[哀愁 (映画)|哀愁]](マーガレット・クローニン〈ルシル・ワトソン〉)※日本テレビ版 * [[足ながおじさん (映画)|足ながおじさん]](ジュリー・アンドレ〈[[レスリー・キャロン]]〉)※TBS版 * [[雨のしのび逢い]](ピエール・デバレード〈ディディエ・オードバン〉) * [[噂の二人]](メアリー・ティルフォード〈カレン・バルキン〉) * [[おじさんに気をつけろ!]](シュニース・コボロウスキー〈[[エイミー・マディガン]]〉) * [[オズ (映画)|オズ]](エムおばさん〈[[パイパー・ローリー]]〉)※劇場公開版 * [[カーリー・スー]](秘書〈[[エディ・マックラーグ]]〉)※ソフト版 * [[帰らざる河]](マーク・コルダー〈トミー・レティグ〉)※NET版・フジテレビ版 * [[子鹿物語 (1946年の映画)|仔鹿物語]](ジョディ〈クロード・ジャーマン・Jr.〉)※NET版 * [[死海殺人事件]](ミス・クイントン〈[[ヘイリー・ミルズ]]〉) * [[スリーメン&ベビー]](ハサウェイ〈シンシア・ハリス〉)※ビデオ版 * [[007/カジノ・ロワイヤル (1967年の映画)|007/カジノ・ロワイヤル]](チンリン)※日本テレビ版 * [[地下鉄のザジ (映画)|地下鉄のザジ]](ムアック〈イヴォンヌ・クレッシュ〉)※読売テレビ版 * [[地球の静止する日]](ボビー・ヘンソン〈ビリー・グレイ〉)※NET版 * チンパンジー・ジェニー(プリサー夫人) * [[ビッグ・ボス (映画)|ビッグ・ボス]](ミス・クロフォード〈[[スーザン・ブレイクリー]]〉) * 二つの世界の男(ホルスト少年〈ディター・クラウゼ〉)※NHK版 * [[ブルース・ブラザース]] ※フジテレビ旧録版 * [[蛇鶴八拳]](黄珠〈キム・チンラン〉)※TBS版(BD収録) * [[魔法にかけられて]] * [[ヤング・アインシュタイン]](アインシュタインの母〈スー・クルイックシャンク〉) * [[夜の大捜査線]](デロリス・パーディ〈クェンティ・ディーン〉)※NET版(BD収録) * [[LIFE!]](店の女性) * [[レンタ・コップ]](ベス〈[[ディオンヌ・ワーウィック]]〉) ==== ドラマ ==== * [[アウター・リミッツ (1963年)|アウター・リミッツ]](ジョニー・スービロン) * [[アガサ・クリスティー ミス・マープル]]"[[牧師館の殺人]]"(ミス・ハートネル) * [[宇宙船XL-5]](ロバート〈[[ジェリー・アンダーソン]]〉) * OKセブン作戦(スチーブ〈レイ・ジョーンズ〉) * [[くまとマーク少年]](マーク〈[[クリント・ハワード]]〉) * [[クリミナル・マインド FBI行動分析課|クリミナル・マインド4 FBI行動分析課]](看護師、ダイアン) * [[警部マクロード]]「うわさの四人組」(サマンサ〈[[ステファニー・パワーズ]]〉) * [[ジェシカおばさんの事件簿]] **「未亡人はご注意・カリブ海のバカンスは危険がいっぱい」(ベロニカ〈[[アン・ロックハート]]〉) * [[ジョー90]](ジョー・マックレイン) * [[宇宙大作戦|スタートレック 宇宙大作戦]] "400才の少女" [[キム・ダービー]] * [[0011ナポレオン・ソロ]] 第33話、第42話、第49話(ジンジャー・ラピア) * [[逃亡者 (1963年のテレビドラマ)|逃亡者]] #92 * 犯罪捜査官 アナ・トラヴィス(ペネル夫人) * ラバーン&シャーリー(シャーリー〈[[シンディ・ウィリアムズ]]〉) ==== アニメ ==== * [[オリビアちゃんの大冒険]] * [[きつねと猟犬]](ビクシー〈[[サンディ・ダンカン]]〉) * [[コルドロン]](オルエン) * [[ピーナッツ (漫画)|スヌーピーとチャーリー]](ライナス) * [[ダンボ]](ギグルズ)※1983年再公開版 * [[トムとジェリー大行進]]('''[[ジェリー (トムとジェリー)|ジェリー]]''') ** [[おかしなおかしな トムとジェリー 大行進]] * [[バンビ (映画)|バンビ]](ミセス・ヘア) ** [[バンビ2 森のプリンス]] * [[ピーター・パン (1953年の映画)|ピーター・パン]](メアリー・ダーリング) * [[ファン・アンド・ファンシー・フリー]]([[ミッキーマウス]])※TBS版 * [[スーパースリー (アニメ)|フランケンロボ]](ジュニアくん) * [[雪の女王 (1957年の映画)|雪の女王]](ソ連の作品)(カイ) === 特撮 === {{dl2 | 1967年 | * [[快獣ブースカ]](第44話のタツオの声) * [[光速エスパー]](チカの声〈二代目〉) | 1973年 | * [[クレクレタコラ]]('''タコラの声''') * [[ジャンボーグA]](第37話の[[二子玉川園]]の園内アナウンス) | 1976年 | * [[宇宙鉄人キョーダイン]](ガブリンクィーンの声〈初代〉) * [[超神ビビューン]](ヒマワルの声) | 1977年 | * [[冒険ファミリー ここは惑星0番地]](ナレーション、ビブロンの声) | 1984年 | * [[超電子バイオマン]]('''ピーボの声''') * [[超電子バイオマン#劇場版|超電子バイオマン(劇場版)]]('''ピーボの声''') }} === LPドラマ === * タイムボカンシリーズ ** タイムボカン('''丹平''') ** タイムパトロール隊オタスケマン(丹平、ヤッターマン1号) === バラエティ === * [[巨泉×前武ゲバゲバ90分!]] * [[大胆MAP|大胆MAPスペシャル!!]]([[2007年]][[9月22日]]、テレビ朝日)([[ひみつのアッコちゃん#第1作|ひみつのアッコちゃん(第1作)]]のアッコ役として紹介された) === ラジオ === * [[お父さんはお人好し]](三男の妻・眉子) * [[歌謡ドラマ]]([[日本放送協会|NHKラジオ第1放送]] 不定期) === 人形劇 === * NHK人形劇 [[エルマーのぼうけん|エルマーの冒険]](エルマー) * [[風の子ケーン]](NHK) (ケーン) * [[川の子クークー]](NHK)(クークー) * [[銀河少年隊]](NHK)(ペドロ) * [[空中都市008]](NHK)(大原星夫) * [[こどもにんぎょう劇場]](NHK教育) ** 「ぎざみみうさぎ」(子うさぎ) ** 「[[かちかち山|かちかちやま]]」(ウサギ、ナレーション) ** 「かっぱのいたずら」 ** 「[[ウサギとカメ|うさぎとかめ]]」 ** 「はまぐりひめこ」 ** 「[[天狗]]のうちわ」 ** 「[[三枚のお札]]」(小僧) ** 「[[一休さん]]」(一休) ** 「彦市ばなし」 * [[プルルくん]](NHK)(プルルくん) === その他 === * [[カントリーベア・ジャンボリー|カントリーベア・シアター]](テディ・バラ) * [[東京ディズニーランドのアトラクション#ミート・ザ・ワールド|ミート・ザ・ワールド]](鶴) * [[桂小金治アフタヌーンショー]] ** 夏休みのアニメ特集(『[[ひみつのアッコちゃん]]』の声優として、[[古谷徹]]とともに。コンパクトの話題で、「もっときれいになりたい」と言ったところ、司会の[[桂小金治]]から「あなたはじゅうぶんきれいですよ」と言われていた) * NHK教育 理科教室 * [[朝日ソノラマ]] ソノシート・[[素浪人 月影兵庫]]「危険な道づれ」(三郎) * PRアニメ映画 草原の子テングリ * [[ビオフェルミン製薬|ビオフェルミン]]便秘薬(CMナレーション) * [[ファミリーコンピュータ#AV仕様ファミリーコンピュータ|ニューファミコン]]・CM([[リンク (ゲームキャラクター)|リンク]]) * 歌「[[魔女っ子大作戦|魔女っ子メドレー]]」(加賀見あつ子) * ムック 太田淑子、唐沢俊一、他(著)「僕らを育てた声 太田淑子編」アンド・ナウの会(2022年8月13日) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2 |refs= <ref name="タイムボカン">{{Cite web|和書|url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/timebokan.html|title=作品データベース タイムボカン |publisher=[[タツノコプロ]]|accessdate=2022-11-13}}</ref> <ref name="タイムボカンVHS">VHS『タイムボカンシリーズ タイムボカンvol.1』解説書より。</ref> <ref name="一発貫太くん">{{Cite web|和書| accessdate=2022-12-24 | publisher=タツノコプロ | title=作品データベース | url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/ippatsu_kantakun.html}}</ref> <ref name="ヤッターマン">{{Cite web|和書|url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/yatter.html|title=作品データベース ヤッターマン |publisher=タツノコプロ|accessdate=2022-05-21}}</ref> }} == 参考文献 == * {{宝塚歌劇100年史 人物編}} == 外部リンク == {{デフォルトソート:おおた よしこ}} [[Category:宝塚歌劇団卒業生]] [[Category:宝塚歌劇団38期生]] [[Category:娘役]] [[Category:日本の女優]] [[Category:日本の女性声優]] [[Category:過去のテアトル・エコー所属者]] [[Category:京都府出身の人物]] [[Category:兵庫県出身の人物]] [[Category:1932年生]] [[Category:2021年没]]
2003-03-02T09:16:44Z
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%B7%91%E5%AD%90
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大平透
大平 透(おおひら とおる、1929年〈昭和4年〉9月24日 - 2016年〈平成28年〉4月12日)は、日本の声優、俳優、アナウンサー。大平プロダクション代表。日本俳優連合副理事長。最後は81プロデュースに所属していた。クリスチャンで日本基督教団信徒。 東京府荏原郡蒲田町(後の東京市蒲田区、現・東京都大田区)出身。日本国有鉄道を務めていた父が、タイヤ修理工場、雑貨商を営むことなった関係から生後8か月でインドネシアに移住し、5歳まで姉と共にジャワ島のバンドンで過ごす。帰国後は蒲田区で過ごしたが、住んでいた家屋が防火帯工事に伴う立ち退き対象にされたため、これを契機に疎開を兼ねて父親の故郷である観音寺市に移り住む。 小学校卒業する頃は父のような技術者になりたいと考えて、工業高校への進学を希望していたが、周囲の勧めもあり、東京府立第二十二中學校(後の東京都立城南高等学校、現:東京都立六本木高等学校)に進学。手先が器用で中学時代は美術は秀をもらい、終戦直後の中学4年生の時に東京美術学校(現:東京芸術大学美術学部)洋画科を受験するも落ちた。その事が「声優」へのプロセスとなっていたと振り返っている。終戦後は東京に一家で戻り、同高校を経て、露天商、闇屋の手先のようなバイトをしながら、明治大学政治経済学部に進学。東京六大学の野球選手を夢見ていたこともあり、明治大学硬式野球部で活躍するが、肺結核に罹患したため、3年間休学を余儀なくされる。病も癒えて復学しようと考えていたところ、キリスト教の教会を八王子市のほうに建てて、牧師を自費で雇って教会を守ってきたというような熱心なクリスチャンであった父の勧めで受けたオーディションに合格したことで、1952年に「ルーテル・アワー(日本ルーテル・アワー)」専属アナウンサーでデビュー。大学は夜学に転籍して、仕事と並行しながら1954年に卒業した。その後、フリーアナウンサーを経て、ニッポン放送開局と同時にフリーのアナウンサー・制作プロデューサー・ディレクターとして、週2本のドキュメンタリーを制作していた。 1955年、ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)開局と同時にTBS劇団へ入団し、フライシャー・スタジオ制作短編アニメシリーズ『スーパーマン』を再編集した『まんが・スーパーマン』で日本のテレビ史上初の日本語吹き替えを行う。翌年には実写版テレビシリーズ『スーパーマン』で主演のジョージ・リーヴスの吹き替えを担当。好評を博すも、リーヴスがスーパーマン以降のキャリアが伸び悩み自殺に至った事から、自身もスーパーマンでキャリアを終わらせたくないと考え、1960年に小林清志に引き継がせて降板する。 1958年、TBS劇団解散に伴いフリーとなり、1963年に大平プロダクションを設立。1982年からは大平透声優ゼミナールを開校し、後進の指導にあたっていた。この間には、『スーパーマン』等のシリアス路線から『恐妻天国』のフレッド・フリントストーン役や『ハクション大魔王』のハクション大魔王役などの主役に抜擢され、コメディ路線の新境地を開拓した。 1989年には『笑ゥせぇるすまん』の主役・喪黒福造役やディズニーキャラクターのピート役に抜擢され演じており、最晩年に病気療養で降板するまで専属で担当し続けた。 2000年8月26日、妻と死別。2005年頃には体力の衰えを感じ引退を考えるも、仕事をしていたスタッフの後押しを受けて病気療養するまで現役で活動し続けた。 2007年3月3日、第1回声優アワード功労賞を受賞。2013年には、第7回声優アワードで森功至、小原乃梨子、岡本茉利と共に「シナジー賞(タツノコプロ50周年)」を受賞した。3月23日、24日に開催された「東京国際アニメフェア2013」では第9回功労賞を受賞。 2014年11月1日付けで81プロデュースに所属。2015年頃から体調を崩しがちになり、同年12月からは病院でリハビリに入ったため、持ち役には代役が立てられた。同年12月14日、ディズニー主催の謝恩会に出席。これが公の前に現した最後の姿となった。 2016年4月12日、肺炎で死去。86歳没。6月20日に、パレスホテル東京で偲ぶ献花式が執り行われた。 声種は深みのある低音。 アニメでは主役から悪役や老人役、コメディーリリーフなど幅広い役柄を担当している。 演じる役によって声の音域を変えているが、一番地声に近いのは『ガッチャマン』の南部博士、『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造だという。 知名度の高い作品で主役やレギュラーを務める事が多かったため、晩年のインタビューでは自身のキャリアについて「つくづく私はラッキーだなって思いますよ。来る仕事、来る仕事、みんな当たっちゃうんですよね(笑)」と自負していた。 1970年から2001年まで毎日放送 - NET系(1975年4月からはTBS系)で土曜日の朝に放送されたワイドショー『八木治郎ショー』⇒『八木治郎ショー・いい朝8時』⇒『すてきな出逢い いい朝8時』では、1994年まで番組筆頭スポンサーだった田辺製薬(現:田辺三菱製薬)の生コマーシャルを担当した。 大橋巨泉とは50年来の大の親友であった。大平の死去からちょうど3か月後に巨泉も死去している。弟子に安富史郎、浜田健作らがいる。 身長180cmと大柄であった。アテレコ黎明期には狭いスタジオの中、一つのマイクを何人もが奪い合って収録するという環境において、大平がいると「邪魔っけでしょうがなかった」と比較的小柄な納谷悟朗は冗談混じりにインタビューで語ったことがある。なお、大平自身は多くの声優にそう思われていた当時を振り返り、「でも私が主役だったからねえ」とこれまた冗談混じりに語っている。 同年代の大塚周夫はインタビューを受けた2009年当時、現役でアテレコをやっている80代で芝居を真剣に勉強してきた役者の一人に大平の名前を挙げていた。 ラジオ出身ということもあり、「声優」という呼称は抵抗なく用いた。反面、声優業に強いプライドを持ち、芸能人(声優業が専業ではない者)が声優業をすることには批判的であった。 「自分が関わった仕事はヒットしてほしい」との思いから、嫌われることを覚悟の上で自分の意見や考えを主張し実践することが多かった。『笑ゥせぇるすまん』の収録現場では、リハーサル後にスタッフへ内容の面白さをはっきり伝え、台本が気に入らない場合は総監督を呼びつけ大平が自ら台詞を修正、変更していたという。当時演出だった大地丙太郎は後に、スタッフ間での大平は怖くうるさい存在だと言われていたものの「大平さんの言ってる事は正しいと思ってた」といい、台詞の変更も「確かに元の台詞より、大平さんの作った台詞の方がいい」と語っている。また、この姿勢について「作品を一所懸命やってるんだなと思ったんだ。何でもかんでも『面白くない』じゃなく、『面白い』と思ったら『面白いじゃねえか!』っていう。声優でそんな事を言う人はいないし、制作現場でも『これがいいんだ!』とガツンという人はいない」と評している。 デビュー時に監督やプロデューサーとしても活動していた経験から、共演する後輩声優にはアドバイスや指導をすることが多かった、手を抜いた演技をした共演者がいた際は叱りつけ、ランチタイムの時にビールを飲んでいた者に対しては直接怒らず、プロデューサーに「午後に仕事を控えて酒を飲むヤツとは一緒に仕事したくないから、そいつを下ろすか、俺を下ろすか決めてくれ」と話したという。本人いわく「意地悪じゃなくてね、そういう“適当にやっている姿勢”が嫌なんです。私の弟子には、絶対そういう中堅にならないように指導していますけどね」とのこと。後輩の田中真弓は「現代だとパワハラ、セクハラと何かと言われて穏便になりがちだけど、大平さんの様に怖かったけど厳しい先輩はありがたかった」とこの姿勢を高く評価している。 スーパーマン役で有名になった影響で仕事に制限がかかってしまった過去があることから、オーディションには参加せず、デモ用テープは一切作らなかった。 自分がCMに出た企業は、その企業の製品しか使わないことをモットーにしていた。 持ち役には拘りが強かった。『ハクション大魔王』の続編『よばれてとびでて!アクビちゃん』では低予算のため、大平の演じた大魔王役にギャラが安い別の声優をキャスティングしようとしたところ、それを聞いた大平は新人ランクのギャラで出演を引き受けたという。 ファンを大切にしており、2008年の「第1回シンプソンズファン感謝祭」には無償で参加。また、この時に行われたサイン会は抽選にする予定でスタッフは大平にそれを勧めたが、「ある人は貰って、ある人は貰えないんじゃ、とってもかわいそうです」と大平の強い意向で来場者500人全員へのサインが実現した。 声優デビューにより、日本ルーテル・アワーの専属アナウンサーではなくなった後も『ルーテル・アワー』や『この人を見よ』などに引き続き出演したほか、ラジオのキリスト教伝道番組『心の友』や太平洋放送協会製作のテレビ伝道番組『特別番組・メリークリスマス』にも出演している。 1970年代、下積み時代のビートたけしがバイトしていた通産省前のガソリンスタンドで大平の車を給油したという話があり、タケちゃんマンロボのナレーション収録で楽屋に居た大平をたけしが訪れ、このエピソードを披露したという。 『まんが・スーパーマン』では、当初は録音をせずに生放送の生吹き替えで、1人5役(スーパーマンの恋人ロイス・レーンを含む)を演じ分けていた。これが大ヒットし、翌年1956年には実写版テレビシリーズ『スーパーマン』で主演のジョージ・リーヴスの吹替えを務めた(最高視聴率74.2%)。放送当時の人気は非常に高く、大平の名を一躍全国区に高めた。また番組宣伝ではリーヴス並みの大柄な体躯を買われ、自らスーパーマンの衣装を身につけて貢献している。また、1978年の映画版『スーパーマン』のテレビ朝日版にも大平は出演し、スーパーマンの父親ジョー・エル(マーロン・ブランド)の吹き替えを担当した。機内上映版ではクラーク・ケント(クリストファー・リーヴ)を担当しており、大平はジョージ・リーヴス版とクリストファー・リーヴ版の両方でスーパーマン役の日本語吹替を担当した唯一の声優である。このことから、日本では大平=スーパーマンのイメージが強い。地方でもスーパーマンだと指さされることが多く、リーヴスが死去した際にはファンから大平のもとに弔電が送られてきたこともあったという。『スーパーマン』の再放送時に再アフレコを依頼された際には、「スーパーマンで一生を終えたくない」としてこれを断ったが、小林清志が演じた再放送や広川太一郎が演じた『スーパーマンの新冒険』も大平が演じていたと誤解されることもあった。 デビューからしばらくは低音で演じる役柄が多かったが、ハンナ・バーベラ・プロダクション制作の『恐妻天国』(1961年、フジテレビ)で主人公・フレッドの「情けない感じ」を出すために高い声色を使って演じたところ、たまたまそれを観ていた広告代理店・読売広告社の当時の常務が『おらぁグズラだど』(1967年)の製作にあたり「絶対にグズラは大平透だ」と推薦し、グズラ役に抜擢される。以来、『ハクション大魔王』(1969年)ほか読売広告社 / タツノコプロ制作のアニメ作品に数多く出演するきっかけとなった。特に『ハクション大魔王』からは、フジテレビ系列日曜夕方6時台枠のアニメに放映された全てのタツノコアニメにレギュラー出演。『未来警察ウラシマン』(1983年)途中での放送枠変更を挟んで、『よろしくメカドック』(1984年)まで連続して出演している。また『カバトット』(1971年)、『かいけつタマゴン』(1972年)では「台詞なしで声の表情だけで演じるギャグアニメ」という制約の中、主役を演じ切っている。現場での信頼も厚く、タツノコ作品の収録では「座長」と呼ばれ、共演者のまとめ役的役割を果たした。『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)では、番組後半にささきいさお演じるコンドルのジョーを中心とするストーリー展開となったために、主演である大鷲の健を演じる森功至が憤慨し降板を申し出て現場を騒然とさせたため、「自分の都合で番組をやっているのではない」と森を説得し、現場の混乱を収めたこともある。 タツノコプロとは仕事以外でも親交があり、自身が支援していた北海道の障害者団体の児童のために、タツノコプロ創設者である吉田竜夫の妻を介して、タツノコ作品の上映会を開催している。また、上記のような経緯から読売広告社との関係も親密で「読広の社外取締役」とも言われた。 『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造役について、当初は熊倉一雄が99%内定していたものの、総監督の意向でオファーを受け喪黒の声を披露したところ、原作者の藤子不二雄Aも大絶賛し満場一致で大平に決まったという。 特撮ヒーロー番組ではピー・プロダクション制作の作品に関わりが深い。『マグマ大使』(1966年)では、当初は宇宙の帝王ゴアの声だけを担当する予定だったが、「表情の動かないぬいぐるみの動きと吹き替えのタイミングが合わせづらい」と、自ら申し出てゴアの着ぐるみを着け、これを演じている。着ぐるみでの演技は大量の汗をかくため、自宅の家政婦を連れて来て冷却や汗ふきを行っていた。『俺は透明人間!』(1970年)では俳優として第1話にギャング団のボス役でゲスト出演、『スペクトルマン』(1971年)では主人公が所属する組織「公害Gメン⇒怪獣Gメン」のリーダー・倉田室長役でレギュラー出演している。『スペクトルマン』では、自身の行きつけのブティックとタイアップして他のレギュラー出演者のスーツを用意していた。 東映作品には、『スパイキャッチャーJ3』(1965年)から出演。「スーパー戦隊シリーズ」では『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)の第15話より参加。以後、『科学戦隊ダイナマン』(1983年)までの7作品、および『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992年)のナレーターを担当した。『ダイナマン』では、編成上の都合から第10話より放送時間が短縮され、番組予告もそのあおりを受けたがアドリブを随所に入れ、時間的な制約をカバーした。ナレーションの際には、台本を読んで作品の状況を把握してから、監督と相談して作品の情景にあわせてナレーションするように心掛けていたという。ナレーター以外では『超力戦隊オーレンジャー』(1995年)で敵組織の首領・皇帝バッカスフンドの声を担当している。また、『メタルヒーローシリーズ』では『宇宙刑事シャイダー』(1984年)から参加、『超人機メタルダー』(1987年)以外の、『機動刑事ジバン』(1989年)までの5作品のナレーターを担当した。『宇宙刑事シャイダー』で主演を務めた円谷浩は、後年『THEウルトラ伝説』という円谷プロの集大成・再編集ビデオで初めてナレーターを担当した際、『シャイダー』のナレーターだった大平の語りが強く印象に残っているといい、「あれは凄いよね」と敬意を払っていた。 洋画作品では、テリー・サバラスの吹き替えを多く演じている。サバラス主演のテレビシリーズ『刑事コジャック』(1975年 - 1979年、TBS系)は当初、大平が吹替える予定だったが、当時の演出担当ディレクターが「吹き替えのためには、声優もオリジナル俳優と同じ格好で生活してリアリティを出すべきだ」と主張し、大平に対して丸坊主になるよう要求したが、当時田辺製薬の生CMに出演していた都合から不可能だったため大平は降板。森山周一郎が吹替えることになった。海外テレビシリーズでは『スパイ大作戦』(1967年 - 1973年、フジテレビ系)の番組プロローグに登場する「指令の声(演:ボブ・ジョンソン)」の吹き替えでも知られる。 『ザ・シンプソンズ』のホーマー・シンプソンの吹替声優に抜擢される。他の声優陣がオーディションで選ばれた中、大平のみ制作側の指名であった。『ザ・シンプソンズ MOVIE』では話題性重視のため一度声優が変更されたものの、ファンの抗議や活動によりDVD発売時にオリジナル声優による吹替が制作されホーマー役に復帰。2008年5月4日にはこのことに感謝して「シンプソンズファン感謝祭」を主催。これをきっかけに『ザ・シンプソンズ』のDVDが発売されるとファンと声優でシンプソンズファン感謝祭を開催するようになり、2013年までに5回開催されていた。なお、大平は原語版のホーマー役であるダン・カステラネタや原作者のマット・グレーニングと対面しており本人公認となっている。 『スター・ウォーズ・シリーズ』では旧三部作でダース・ベイダーの声を担当、新三部作エピソード3『シスの復讐』(2005年)でも引き続き声を担当した。これは監督であるジョージ・ルーカスが、日本語吹替え版の大平の声を気に入り直々に指名したものだという。シリーズを通して、オフィシャルな吹き替えで旧シリーズと新シリーズの両方で同一キャラクターを担当したのは大平のみである。また、大平没後、実写映画版などでは楠大典がキャスティングされるがレゴスターウォーズのアニメシリーズの後任は土師孝也、ゲームなどの各作品などは中村浩太郎がキャスティングされている。 大平の入院に伴う代役、または死後に持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。ただし、声優陣が一新された作品は除外する。 太字はメインキャラクター。
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"小学校卒業する頃は父のような技術者になりたいと考えて、工業高校への進学を希望していたが、周囲の勧めもあり、東京府立第二十二中學校(後の東京都立城南高等学校、現:東京都立六本木高等学校)に進学。手先が器用で中学時代は美術は秀をもらい、終戦直後の中学4年生の時に東京美術学校(現:東京芸術大学美術学部)洋画科を受験するも落ちた。その事が「声優」へのプロセスとなっていたと振り返っている。終戦後は東京に一家で戻り、同高校を経て、露天商、闇屋の手先のようなバイトをしながら、明治大学政治経済学部に進学。東京六大学の野球選手を夢見ていたこともあり、明治大学硬式野球部で活躍するが、肺結核に罹患したため、3年間休学を余儀なくされる。病も癒えて復学しようと考えていたところ、キリスト教の教会を八王子市のほうに建てて、牧師を自費で雇って教会を守ってきたというような熱心なクリスチャンであった父の勧めで受けたオーディションに合格したことで、1952年に「ルーテル・アワー(日本ルーテル・アワー)」専属アナウンサーでデビュー。大学は夜学に転籍して、仕事と並行しながら1954年に卒業した。その後、フリーアナウンサーを経て、ニッポン放送開局と同時にフリーのアナウンサー・制作プロデューサー・ディレクターとして、週2本のドキュメンタリーを制作していた。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1955年、ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)開局と同時にTBS劇団へ入団し、フライシャー・スタジオ制作短編アニメシリーズ『スーパーマン』を再編集した『まんが・スーパーマン』で日本のテレビ史上初の日本語吹き替えを行う。翌年には実写版テレビシリーズ『スーパーマン』で主演のジョージ・リーヴスの吹き替えを担当。好評を博すも、リーヴスがスーパーマン以降のキャリアが伸び悩み自殺に至った事から、自身もスーパーマンでキャリアを終わらせたくないと考え、1960年に小林清志に引き継がせて降板する。", "title": "生涯" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": 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"デビュー時に監督やプロデューサーとしても活動していた経験から、共演する後輩声優にはアドバイスや指導をすることが多かった、手を抜いた演技をした共演者がいた際は叱りつけ、ランチタイムの時にビールを飲んでいた者に対しては直接怒らず、プロデューサーに「午後に仕事を控えて酒を飲むヤツとは一緒に仕事したくないから、そいつを下ろすか、俺を下ろすか決めてくれ」と話したという。本人いわく「意地悪じゃなくてね、そういう“適当にやっている姿勢”が嫌なんです。私の弟子には、絶対そういう中堅にならないように指導していますけどね」とのこと。後輩の田中真弓は「現代だとパワハラ、セクハラと何かと言われて穏便になりがちだけど、大平さんの様に怖かったけど厳しい先輩はありがたかった」とこの姿勢を高く評価している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "スーパーマン役で有名になった影響で仕事に制限がかかってしまった過去があることから、オーディションには参加せず、デモ用テープは一切作らなかった。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "自分がCMに出た企業は、その企業の製品しか使わないことをモットーにしていた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "持ち役には拘りが強かった。『ハクション大魔王』の続編『よばれてとびでて!アクビちゃん』では低予算のため、大平の演じた大魔王役にギャラが安い別の声優をキャスティングしようとしたところ、それを聞いた大平は新人ランクのギャラで出演を引き受けたという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ファンを大切にしており、2008年の「第1回シンプソンズファン感謝祭」には無償で参加。また、この時に行われたサイン会は抽選にする予定でスタッフは大平にそれを勧めたが、「ある人は貰って、ある人は貰えないんじゃ、とってもかわいそうです」と大平の強い意向で来場者500人全員へのサインが実現した。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "声優デビューにより、日本ルーテル・アワーの専属アナウンサーではなくなった後も『ルーテル・アワー』や『この人を見よ』などに引き続き出演したほか、ラジオのキリスト教伝道番組『心の友』や太平洋放送協会製作のテレビ伝道番組『特別番組・メリークリスマス』にも出演している。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1970年代、下積み時代のビートたけしがバイトしていた通産省前のガソリンスタンドで大平の車を給油したという話があり、タケちゃんマンロボのナレーション収録で楽屋に居た大平をたけしが訪れ、このエピソードを披露したという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "『まんが・スーパーマン』では、当初は録音をせずに生放送の生吹き替えで、1人5役(スーパーマンの恋人ロイス・レーンを含む)を演じ分けていた。これが大ヒットし、翌年1956年には実写版テレビシリーズ『スーパーマン』で主演のジョージ・リーヴスの吹替えを務めた(最高視聴率74.2%)。放送当時の人気は非常に高く、大平の名を一躍全国区に高めた。また番組宣伝ではリーヴス並みの大柄な体躯を買われ、自らスーパーマンの衣装を身につけて貢献している。また、1978年の映画版『スーパーマン』のテレビ朝日版にも大平は出演し、スーパーマンの父親ジョー・エル(マーロン・ブランド)の吹き替えを担当した。機内上映版ではクラーク・ケント(クリストファー・リーヴ)を担当しており、大平はジョージ・リーヴス版とクリストファー・リーヴ版の両方でスーパーマン役の日本語吹替を担当した唯一の声優である。このことから、日本では大平=スーパーマンのイメージが強い。地方でもスーパーマンだと指さされることが多く、リーヴスが死去した際にはファンから大平のもとに弔電が送られてきたこともあったという。『スーパーマン』の再放送時に再アフレコを依頼された際には、「スーパーマンで一生を終えたくない」としてこれを断ったが、小林清志が演じた再放送や広川太一郎が演じた『スーパーマンの新冒険』も大平が演じていたと誤解されることもあった。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "デビューからしばらくは低音で演じる役柄が多かったが、ハンナ・バーベラ・プロダクション制作の『恐妻天国』(1961年、フジテレビ)で主人公・フレッドの「情けない感じ」を出すために高い声色を使って演じたところ、たまたまそれを観ていた広告代理店・読売広告社の当時の常務が『おらぁグズラだど』(1967年)の製作にあたり「絶対にグズラは大平透だ」と推薦し、グズラ役に抜擢される。以来、『ハクション大魔王』(1969年)ほか読売広告社 / タツノコプロ制作のアニメ作品に数多く出演するきっかけとなった。特に『ハクション大魔王』からは、フジテレビ系列日曜夕方6時台枠のアニメに放映された全てのタツノコアニメにレギュラー出演。『未来警察ウラシマン』(1983年)途中での放送枠変更を挟んで、『よろしくメカドック』(1984年)まで連続して出演している。また『カバトット』(1971年)、『かいけつタマゴン』(1972年)では「台詞なしで声の表情だけで演じるギャグアニメ」という制約の中、主役を演じ切っている。現場での信頼も厚く、タツノコ作品の収録では「座長」と呼ばれ、共演者のまとめ役的役割を果たした。『科学忍者隊ガッチャマン』(1972年)では、番組後半にささきいさお演じるコンドルのジョーを中心とするストーリー展開となったために、主演である大鷲の健を演じる森功至が憤慨し降板を申し出て現場を騒然とさせたため、「自分の都合で番組をやっているのではない」と森を説得し、現場の混乱を収めたこともある。 タツノコプロとは仕事以外でも親交があり、自身が支援していた北海道の障害者団体の児童のために、タツノコプロ創設者である吉田竜夫の妻を介して、タツノコ作品の上映会を開催している。また、上記のような経緯から読売広告社との関係も親密で「読広の社外取締役」とも言われた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造役について、当初は熊倉一雄が99%内定していたものの、総監督の意向でオファーを受け喪黒の声を披露したところ、原作者の藤子不二雄Aも大絶賛し満場一致で大平に決まったという。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "特撮ヒーロー番組ではピー・プロダクション制作の作品に関わりが深い。『マグマ大使』(1966年)では、当初は宇宙の帝王ゴアの声だけを担当する予定だったが、「表情の動かないぬいぐるみの動きと吹き替えのタイミングが合わせづらい」と、自ら申し出てゴアの着ぐるみを着け、これを演じている。着ぐるみでの演技は大量の汗をかくため、自宅の家政婦を連れて来て冷却や汗ふきを行っていた。『俺は透明人間!』(1970年)では俳優として第1話にギャング団のボス役でゲスト出演、『スペクトルマン』(1971年)では主人公が所属する組織「公害Gメン⇒怪獣Gメン」のリーダー・倉田室長役でレギュラー出演している。『スペクトルマン』では、自身の行きつけのブティックとタイアップして他のレギュラー出演者のスーツを用意していた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "東映作品には、『スパイキャッチャーJ3』(1965年)から出演。「スーパー戦隊シリーズ」では『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975年)の第15話より参加。以後、『科学戦隊ダイナマン』(1983年)までの7作品、および『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992年)のナレーターを担当した。『ダイナマン』では、編成上の都合から第10話より放送時間が短縮され、番組予告もそのあおりを受けたがアドリブを随所に入れ、時間的な制約をカバーした。ナレーションの際には、台本を読んで作品の状況を把握してから、監督と相談して作品の情景にあわせてナレーションするように心掛けていたという。ナレーター以外では『超力戦隊オーレンジャー』(1995年)で敵組織の首領・皇帝バッカスフンドの声を担当している。また、『メタルヒーローシリーズ』では『宇宙刑事シャイダー』(1984年)から参加、『超人機メタルダー』(1987年)以外の、『機動刑事ジバン』(1989年)までの5作品のナレーターを担当した。『宇宙刑事シャイダー』で主演を務めた円谷浩は、後年『THEウルトラ伝説』という円谷プロの集大成・再編集ビデオで初めてナレーターを担当した際、『シャイダー』のナレーターだった大平の語りが強く印象に残っているといい、「あれは凄いよね」と敬意を払っていた。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "洋画作品では、テリー・サバラスの吹き替えを多く演じている。サバラス主演のテレビシリーズ『刑事コジャック』(1975年 - 1979年、TBS系)は当初、大平が吹替える予定だったが、当時の演出担当ディレクターが「吹き替えのためには、声優もオリジナル俳優と同じ格好で生活してリアリティを出すべきだ」と主張し、大平に対して丸坊主になるよう要求したが、当時田辺製薬の生CMに出演していた都合から不可能だったため大平は降板。森山周一郎が吹替えることになった。海外テレビシリーズでは『スパイ大作戦』(1967年 - 1973年、フジテレビ系)の番組プロローグに登場する「指令の声(演:ボブ・ジョンソン)」の吹き替えでも知られる。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "『ザ・シンプソンズ』のホーマー・シンプソンの吹替声優に抜擢される。他の声優陣がオーディションで選ばれた中、大平のみ制作側の指名であった。『ザ・シンプソンズ MOVIE』では話題性重視のため一度声優が変更されたものの、ファンの抗議や活動によりDVD発売時にオリジナル声優による吹替が制作されホーマー役に復帰。2008年5月4日にはこのことに感謝して「シンプソンズファン感謝祭」を主催。これをきっかけに『ザ・シンプソンズ』のDVDが発売されるとファンと声優でシンプソンズファン感謝祭を開催するようになり、2013年までに5回開催されていた。なお、大平は原語版のホーマー役であるダン・カステラネタや原作者のマット・グレーニングと対面しており本人公認となっている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "『スター・ウォーズ・シリーズ』では旧三部作でダース・ベイダーの声を担当、新三部作エピソード3『シスの復讐』(2005年)でも引き続き声を担当した。これは監督であるジョージ・ルーカスが、日本語吹替え版の大平の声を気に入り直々に指名したものだという。シリーズを通して、オフィシャルな吹き替えで旧シリーズと新シリーズの両方で同一キャラクターを担当したのは大平のみである。また、大平没後、実写映画版などでは楠大典がキャスティングされるがレゴスターウォーズのアニメシリーズの後任は土師孝也、ゲームなどの各作品などは中村浩太郎がキャスティングされている。", "title": "人物" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "大平の入院に伴う代役、または死後に持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。ただし、声優陣が一新された作品は除外する。", "title": "代役・後任" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "太字はメインキャラクター。", "title": "出演" } ]
大平 透は、日本の声優、俳優、アナウンサー。大平プロダクション代表。日本俳優連合副理事長。最後は81プロデュースに所属していた。クリスチャンで日本基督教団信徒。
{{別人|大川透}} {{声優 | 名前 = 大平 透 | ふりがな = おおひら とおる | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = 大平 透{{R|声優事典}} | 愛称 = | 性別 = [[男性]] | 出生地 = | 出身地 = {{JPN}}・[[東京府]][[荏原郡]][[蒲田町]]<br />(後の[[東京市]][[蒲田区]]、現:[[東京都]][[大田区]])<ref name="fukikaekingdom">{{Cite web|和書|url=https://www.fukikaekingdom.com/%e5%a4%a7%e5%b9%b3%e9%80%8f%e3%81%95%e3%82%93%e3%82%92%e5%81%b2%e3%82%93%e3%81%a7/ |title= 大平透さんを偲んで|publisher= 吹替キングダム|date=2016-05-25 |accessdate= 2023-05-22}}</ref> | 死没地 = {{JPN}} | 生年 = 1929 | 生月 = 9 | 生日 = 24 | 没年 = 2016 | 没月 = 4 | 没日 = 12 | 血液型 = [[ABO式血液型|O型]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.excite.co.jp/news/dictionary/person/PE503d883e67f19259098fbdb47b74163ce0e97cc7/|title=大平 透|website=エキサイトニュース|publisher=[[エキサイト]]|accessdate=2023-12-21}}</ref><ref name="声優アニメディア">{{Cite journal |和書 |title=極 声魂/大平透|journal=[[声優アニメディア]] |issue=2009年1月号 |pages= 116-117|publisher=[[学研ホールディングス]] |date=2009-01}}</ref> | 身長 = | 職業 = [[声優]]、[[俳優]] | 事務所 = [[大平プロダクション]]<br />[[81プロデュース]](最終所属)<ref name="81プロデュース">{{Cite web|和書|url=https://www.81produce.co.jp/actor_search/index.php/item?id=141|title=大平 透 - (メモリアル):株式会社81プロデュース‐声優プロダクション|accessdate=2023-12-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20221008215648/https://www.81produce.co.jp/actor_search/index.php/item?id=141|archivedate=2022-10-08}}</ref> | 配偶者 = あり([[2000年]]死別) | 著名な家族 = | 公式サイト = {{81プロフィール}} | 公称サイズ出典 = {{Cite book|和書|author=|title=アニメーション大百科|page=248|publisher=[[東京三世社]] |isbn=|date=1981}} | ref2name = アニメーション大百科 | 身長2 = 180<ref>{{Cite news |url= https://www.excite.co.jp/news/dictionary/person/PE503d883e67f19259098fbdb47b74163ce0e97cc7/ |title=大平透|newspaper= Excite News |date= |agency=エキサイト株式会社|accessdate= 2022-12-22}}</ref> | 体重 = 80 | 活動 = {{声優/活動 | 職種 = 声優 | 活動期間 = [[1960年代]] - [[2015年]] | ジャンル = [[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]、[[ゲーム]]、[[吹き替え]]、[[ナレーション]] | デビュー作 = }}{{声優/活動 | 職種 = 俳優 | 活動期間 = [[1952年]] - [[2015年]] | ジャンル = [[テレビドラマ]]、[[映画]] | デビュー作 = }}}} '''大平 透'''(おおひら とおる、[[1929年]]〈[[昭和]]4年〉[[9月24日]]{{R|声優事典|昭和声優列伝}}<ref name="ohirapro">{{Cite web|和書|url=http://www.ohirapro.com/livedoor/toruprofile.html|title=大平透プロフィール|publisher=[[大平プロダクション]]|accessdate=2012-07-01 |deadlinkdate=2018-01-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140821024420/http://www.ohirapro.com/livedoor/toruprofile.html |archivedate=2014-08-21}}</ref> - [[2016年]]〈[[平成]]28年〉[[4月12日]]{{R|yomiuri20160414}}<ref name="昭和声優列伝">{{Cite book|和書|author=勝田久|authorlink=勝田久|title=昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち|chapter= file No.20 大平透|pages=232-238|publisher=[[駒草出版]]|isbn=978-4-905447-77-1|date= 2017-02-22}}</ref>)は、[[日本]]の[[声優]]{{R|基督教年鑑}}、[[俳優]]{{R|基督教年鑑}}、[[アナウンサー]]。[[大平プロダクション]]代表{{R|基督教年鑑}}。[[日本俳優連合]]副理事長。最後は[[81プロデュース]]に所属していた{{R|81プロデュース}}。[[キリスト教徒|クリスチャン]]で[[日本基督教団]]信徒<ref name="基督教年鑑">{{Cite book|和書|year = 1970|title = 基督教年鑑 1970|publisher = [[キリスト新聞社]]|page =589|chapter=名簿編 信徒(オ)}}</ref>。 {{VOICE Notice Hidden|冒頭部分に記載する代表作は、編集合戦誘発の原因となりますので、多数の出典で確認できるものに限ってください。[[プロジェクト:芸能人#記事の書き方]]にてガイドラインが制定されていますので、そちらも参照して下さい。}} == 生涯 == === 生い立ち === [[東京府]][[荏原郡]][[蒲田町]](後の[[東京市]][[蒲田区]]、現・[[東京都]][[大田区]])出身{{R|fukikaekingdom}}。[[日本国有鉄道]]を務めていた父が、タイヤ修理工場、雑貨商を営むことなった関係から生後8か月で[[インドネシア]]に移住し、5歳まで姉と共に[[ジャワ島]]の[[バンドン (インドネシア)|バンドン]]で過ごす{{R|fukikaekingdom|ohirapro|昭和声優列伝}}。帰国後は蒲田区で過ごしたが、住んでいた家屋が[[防火帯]]工事に伴う立ち退き対象にされたため、これを契機に[[疎開]]を兼ねて父親の故郷である[[観音寺市]]に移り住む{{R|fukikaekingdom}}。 小学校卒業する頃は父のような技術者になりたいと考えて、工業高校への進学を希望していたが、周囲の勧めもあり、東京府立第二十二中學校(後の[[東京都立城南高等学校]]{{efn|[[バレーボール]]全日本元監督の[[松平康隆]]と同窓<ref name="講談社">{{Cite book |和書 |author= |year=1988-05 |title=テレビマガジン特別編集 秘密戦隊ゴレンジャー大全集 - ジャッカー電撃隊 |page=200 |publisher=[[講談社]] |location= |isbn=978-4061784093 |quote= }}</ref>。}}、現:[[東京都立六本木高等学校]])に進学{{R|昭和声優列伝}}。手先が器用で中学時代は美術は秀をもらい、終戦直後の中学4年生の時に[[東京美術学校 (旧制)|東京美術学校]](現:[[東京芸術大学美術学部・大学院美術研究科|東京芸術大学美術学部]]){{R|昭和声優列伝}}洋画科を受験するも落ちた{{R|fukikaekingdom}}。その事が「声優」へのプロセスとなっていたと振り返っている{{R|fukikaekingdom}}。終戦後は東京に一家で戻り、同高校を経て、露天商、闇屋の手先のようなバイトをしながら、[[明治大学大学院政治経済学研究科・政治経済学部|明治大学政治経済学部]]{{R|ohirapro}}に進学{{R|fukikaekingdom|昭和声優列伝}}。[[東京六大学]]の野球選手を夢見ていたこともあり{{R|昭和声優列伝}}、[[明治大学硬式野球部]]で活躍するが、[[肺結核]]に罹患したため、3年間休学を余儀なくされる<ref name="声グラWEB">{{Cite web|和書|url=https://seigura.com/senior/road/20131118_68/1.html|title=大平透の声優道 (1)ラジオの番組専属アナウンサーからスタートして役者の道へ|work=声グラWEB |publisher=[[主婦の友社]] |date=2010-01-31|accessdate=2013-12-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131230232724/http://seigura.com/senior/road/20131118_68/1.html|archivedate=2013-12-30}}</ref>。病も癒えて復学しようと考えていたところ、[[キリスト教]]の教会を[[八王子市]]のほうに建てて、牧師を自費で雇って教会を守ってきたというような熱心な[[クリスチャン]]であった父の勧めで受けたオーディションに合格したことで、[[1952年]]に「ルーテル・アワー([[日本ルーテル・アワー]])」専属[[アナウンサー]]でデビュー{{R|声優アニメディア|声グラWEB}}。大学は夜学に転籍して、仕事と並行しながら[[1954年]]に卒業した{{R|声優アニメディア|昭和声優列伝}}。その後、[[フリーアナウンサー]]を経て、[[ニッポン放送]]開局と同時にフリーのアナウンサー・制作プロデューサー・ディレクターとして、週2本のドキュメンタリーを制作していた{{R|ohirapro}}。 === キャリア === [[1955年]]、ラジオ東京テレビ(現:[[TBSテレビ]])開局と同時にTBS劇団へ入団し{{R|ohirapro}}、[[フライシャー・スタジオ]]制作短編アニメシリーズ『[[スーパーマン (1940年代のアニメ映画)|スーパーマン]]』を再編集した『まんが・スーパーマン』で日本のテレビ史上初の日本語[[吹き替え]]を行う{{R|fukikaekingdom|声グラWEB}}。翌年には実写版テレビシリーズ『スーパーマン』で主演の[[ジョージ・リーヴス]]の吹き替えを担当{{R|fukikaekingdom||声グラWEB}}。好評を博すも、リーヴスがスーパーマン以降のキャリアが伸び悩み自殺に至った事から、自身もスーパーマンでキャリアを終わらせたくないと考え、[[1960年]]に[[小林清志]]に引き継がせて降板する{{R|fukikaekingdom}}。 [[1958年]]、TBS劇団解散に伴いフリーとなり{{R|ohirapro}}、[[1963年]]に[[大平プロダクション]]を設立{{R|ohirapro}}。[[1982年]]からは大平透声優ゼミナールを開校し{{R|ohirapro}}、後進の指導にあたっていた。この間には、『スーパーマン』等のシリアス路線から『[[原始家族フリントストーン|恐妻天国]]』のフレッド・フリントストーン役や『[[ハクション大魔王]]』のハクション大魔王役などの主役に抜擢され、コメディ路線の新境地を開拓した{{R|Simpsons}}。 [[1989年]]には『[[笑ゥせぇるすまん]]』の主役・喪黒福造役や[[ディズニーキャラクター]]の[[ピート (ディズニーキャラクター)|ピート]]役に抜擢され演じており、最晩年に病気療養で降板するまで専属で担当し続けた。 [[2000年]][[8月26日]]、妻と死別。[[2005年]]頃には体力の衰えを感じ引退を考えるも、仕事をしていたスタッフの後押しを受けて病気療養するまで現役で活動し続けた。 [[2007年]][[3月3日]]、第1回[[声優アワード]]功労賞を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://seiyuawards.jp/200812/11182724.php|title=第一回声優アワード 受賞者発表|publisher=声優アワード実行委員会|accessdate=2014-01-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130402160917/http://seiyuawards.jp/200812/11182724.php|archivedate=2013年4月2日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。[[2013年]]には、第7回声優アワードで[[森功至]]、[[小原乃梨子]]、[[岡本茉利]]と共に「シナジー賞([[タツノコプロ]]50周年)」を受賞した<ref>{{Cite web|和書|url=https://seiyuawards.jp/201303/04130358.php|title=第七回声優アワード受賞者発表|publisher=声優アワード実行委員会|accessdate=2014-01-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130307021659/http://seiyuawards.jp/201303/04130358.php|archivedate=2013年3月7日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。[[3月23日]]、24日に開催された「[[東京国際アニメフェア]]2013」では第9回功労賞を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyoanime.jp/neon-genesis-evangelion-douga/winner/|title=第12回コンペティション受賞者・第9回功労賞顕彰者|publisher=東京国際アニメフェア2013公式サイト|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131017103026/http://www.tokyoanime.jp/ja/award/winner/|archivedate=2013年10月17日|accessdate=2014-01-02|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。 === 晩年・死去 === [[2014年]][[11月1日]]付けで[[81プロデュース]]に所属。[[2015年]]頃から体調を崩しがちになり、同年12月からは病院でリハビリに入ったため、持ち役には代役が立てられた<ref>{{Twitter status2|botacou|676362122197004290|4=小原篤による2015年12月14日のツイート |5=2015年12月14日}}</ref>。同年[[12月14日]]、ディズニー主催の謝恩会に出席。これが公の前に現した最後の姿となった<ref>[https://anincline.com/ohhira-toru/ 大平透(声優)が入院中に死去!「偲ぶ献花式」で最期のお別れ]</ref>。 [[2016年]][[4月12日]]、[[肺炎]]で死去。86歳没<ref name="yomiuri20160414">{{Cite news|title=喪黒福造・ハクション大魔王…大平透さん死去|newspaper=読売新聞|date=2016-04-14|url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20160414-OYT1T50125/|accessdate=2016-04-14 |archiveurl=https://archive.md/saSX4 |archivedate=2016-04-14}}</ref>。[[6月20日]]に、[[パレスホテル東京]]で偲ぶ献花式が執り行われた<ref>{{Cite news|url=https://www.oricon.co.jp/news/2072370/full/|title=大平透さん『偲ぶ献花式』6・20開催|newspaper=ORICON STYLE|date=2016-05-27|accessdate=2016-05-27}}</ref>。 == 特色 == [[音域#人声の音域|声種]]は深みのある低音{{R|アニメーション大百科}}。 アニメでは主役から[[悪役]]や老人役、コメディーリリーフなど幅広い役柄を担当している。 演じる役によって声の音域を変えているが、一番[[地声]]に近いのは『[[ガッチャマン]]』の南部博士、『[[笑ゥせぇるすまん]]』の喪黒福造だという{{要出典|date=2022年5月}}。 知名度の高い作品で主役やレギュラーを務める事が多かったため、晩年のインタビューでは自身のキャリアについて「つくづく私はラッキーだなって思いますよ。来る仕事、来る仕事、みんな当たっちゃうんですよね(笑)」と自負していた{{R|声グラWEB_2}}。 [[1970年]]から[[2001年]]まで[[毎日放送]] - [[テレビ朝日|NET]]系([[1975年]]4月からは[[TBSテレビ|TBS]]系)で土曜日の朝に放送されたワイドショー『[[八木治郎ショー]]』⇒『[[八木治郎ショー・いい朝8時]]』⇒『[[すてきな出逢い いい朝8時]]』では、[[1994年]]まで番組筆頭スポンサーだった田辺製薬(現:[[田辺三菱製薬]])の生コマーシャルを担当した。 == 人物 == [[大橋巨泉]]とは50年来の大の親友であった。大平の死去からちょうど3か月後に巨泉も死去している。弟子に[[安富史郎]]、[[浜田健作]]らがいる。 身長180cmと大柄であった。[[アテレコ]]黎明期には狭いスタジオの中、一つのマイクを何人もが奪い合って収録するという環境において、大平がいると「邪魔っけでしょうがなかった」と比較的小柄な[[納谷悟朗]]は冗談混じりにインタビューで語ったことがある。なお、大平自身は多くの声優にそう思われていた当時を振り返り、「でも私が主役だったからねえ」とこれまた冗談混じりに語っている。 同年代の[[大塚周夫]]はインタビューを受けた2009年当時、現役でアテレコをやっている80代で[[芝居]]を真剣に勉強してきた役者の一人に大平の名前を挙げていた<ref name="fukinterview">{{Cite interview |和書|subject=大塚周夫 |interviewer=[[とり・みき]] |work=吹替の帝王, [[20世紀フォックス|20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン]] |url=http://video.foxjapan.com/library/fukikae/interview05.html|title=『続夕陽のガンマン・ブルーレイ』大塚周夫|インタビュー|accessdate=2014-09-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150217050911/http://video.foxjapan.com/library/fukikae/interview05.html |archivedate=2015-02-17}}</ref>。 === 仕事に対する姿勢 === ラジオ出身ということもあり、「声優」という呼称は抵抗なく用いた。反面、声優業に強いプライドを持ち、[[芸能人]](声優業が専業ではない者)が声優業をすることには批判的であった。 「自分が関わった仕事はヒットしてほしい」との思いから、嫌われることを覚悟の上で自分の意見や考えを主張し実践することが多かった。『[[笑ゥせぇるすまん]]』の収録現場では、リハーサル後にスタッフへ内容の面白さをはっきり伝え、台本が気に入らない場合は総監督を呼びつけ大平が自ら台詞を修正、変更していたという。当時演出だった[[大地丙太郎]]は後に、スタッフ間での大平は怖くうるさい存在だと言われていたものの「大平さんの言ってる事は正しいと思ってた」といい、台詞の変更も「確かに元の台詞より、大平さんの作った台詞の方がいい」と語っている。また、この姿勢について「作品を一所懸命やってるんだなと思ったんだ。何でもかんでも『面白くない』じゃなく、『面白い』と思ったら『面白いじゃねえか!』っていう。声優でそんな事を言う人はいないし、制作現場でも『これがいいんだ!』とガツンという人はいない」と評している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.style.fm/log/02_topics/top050128.html|title=新春放談 大地丙太郎×小黒祐一郎 その2 ベテラン声優に花束を|date=2005-01-28|publisher=WEBアニメスタイル|accessdate=2022-01-12}}</ref>。 デビュー時に監督やプロデューサーとしても活動していた経験から、共演する後輩声優にはアドバイスや指導をすることが多かった{{R|Simpsons}}、手を抜いた演技をした共演者がいた際は叱りつけ{{R|声グラWEB_2}}{{Sfn|ザボーガー&ピープロ|2011}}、ランチタイムの時に[[ビール]]を飲んでいた者に対しては直接怒らず、プロデューサーに「午後に仕事を控えて[[酒]]を飲むヤツとは一緒に仕事したくないから、そいつを下ろすか、俺を下ろすか決めてくれ」と話したという{{R|声グラWEB_2}}。本人いわく「意地悪じゃなくてね、そういう“適当にやっている姿勢”が嫌なんです。私の弟子には、絶対そういう中堅にならないように指導していますけどね」とのこと{{R|声グラWEB_2}}。後輩の[[田中真弓]]は「現代だとパワハラ、セクハラと何かと言われて穏便になりがちだけど、大平さんの様に怖かったけど厳しい先輩はありがたかった」とこの姿勢を高く評価している{{要出典|date=2021年9月}}。 スーパーマン役で有名になった影響で仕事に制限がかかってしまった過去があることから、オーディションには参加せず、デモ用テープは一切作らなかった<ref>中公文庫5巻所載のMOGRO CLUBより</ref>。 自分がCMに出た企業は、その企業の製品しか使わないことをモットーにしていた<ref name="Simpsons">{{Cite web|和書|url=https://simpsons333.hatenablog.com/entry/20160417/p5|title=【追悼】大平透さん伝説エピソード|publisher=シンプソンズ・ファンクラブ・ブログ|date=2016-04-17|accessdate=2021-07-11}}</ref>。 持ち役には拘りが強かった。『[[ハクション大魔王]]』の続編『[[よばれてとびでて!アクビちゃん]]』では低予算のため、大平の演じた大魔王役にギャラが安い別の声優をキャスティングしようとしたところ、それを聞いた大平は新人ランクのギャラで出演を引き受けたという<ref>{{Cite tweet|user=shiokininmondo|number=999138739325550592|title=声優の高嶺巌の投稿|date=2018-05-23|accessdate=2021-07-11}}</ref>。 ファンを大切にしており、2008年の「第1回シンプソンズファン感謝祭」には無償で参加。また、この時に行われたサイン会は抽選にする予定でスタッフは大平にそれを勧めたが、「ある人は貰って、ある人は貰えないんじゃ、とってもかわいそうです」と大平の強い意向で来場者500人全員へのサインが実現した{{R|Simpsons}}。 === エピソード === 声優デビューにより、[[日本ルーテル・アワー]]の専属アナウンサーではなくなった後も『ルーテル・アワー』や『この人を見よ』などに引き続き出演したほか、ラジオのキリスト教伝道番組『心の友』<ref>[[日本基督教団]]提供、[[キリスト教視聴覚センター]](AVACO)製作で1958年から1970年代まで放送された。</ref>や[[太平洋放送協会]]製作のテレビ伝道番組『特別番組・メリークリスマス』にも出演している。 1970年代、下積み時代の[[ビートたけし]]がバイトしていた[[通産省]]前のガソリンスタンドで大平の車を給油したという話があり、[[タケちゃんマン#タケちゃんマンロボ|タケちゃんマンロボ]]のナレーション収録で楽屋に居た大平をたけしが訪れ、このエピソードを披露したという{{R|Simpsons}}。 ==== 出演作に関して ==== 『まんが・スーパーマン』では、当初は録音をせずに[[生放送]]の生吹き替えで、1人5役(スーパーマンの恋人ロイス・レーンを含む)を演じ分けていた。これが大ヒットし、翌年[[1956年]]には実写版テレビシリーズ『[[:en:Adventures of Superman (TV series)|スーパーマン]]』で主演の[[ジョージ・リーヴス]]の吹替えを務めた(最高視聴率74.2%)。放送当時の人気は非常に高く、大平の名を一躍全国区に高めた。また番組宣伝ではリーヴス並みの大柄な体躯を買われ、自らスーパーマンの衣装を身につけて貢献している<ref>{{Cite web|和書|url=https://simpsons333.hatenablog.com/entries/2012/09/24|title=大平透さんスーパーマン伝説!|publisher=シンプソンズ ファンクラブ ブログ|date=2012-09-24|accessdate=2013-12-28}}</ref>。また、1978年の映画版『[[スーパーマン (1978年の映画)|スーパーマン]]』のテレビ朝日版にも大平は出演し、スーパーマンの父親ジョー・エル([[マーロン・ブランド]])の吹き替えを担当した。機内上映版ではクラーク・ケント([[クリストファー・リーヴ]])を担当しており、大平はジョージ・リーヴス版とクリストファー・リーヴ版の両方でスーパーマン役の日本語吹替を担当した唯一の声優である。このことから、日本では大平=スーパーマンのイメージが強い{{Sfn|ザボーガー&ピープロ|2011}}。地方でもスーパーマンだと指さされることが多く、リーヴスが死去した際にはファンから大平のもとに弔電が送られてきたこともあったという{{Sfn|ザボーガー&ピープロ|2011}}。『スーパーマン』の再放送時に再アフレコを依頼された際には、「スーパーマンで一生を終えたくない」としてこれを断ったが、[[小林清志]]が演じた再放送や[[広川太一郎]]が演じた『スーパーマンの新冒険』も大平が演じていたと誤解されることもあった{{Sfn|ザボーガー&ピープロ|2011}}。 デビューからしばらくは低音で演じる役柄が多かったが、[[ハンナ・バーベラ・プロダクション]]制作の『[[原始家族フリントストーン|恐妻天国]]』([[1961年]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])で主人公・フレッドの「情けない感じ」を出すために高い声色を使って演じたところ、たまたまそれを観ていた[[広告代理店]]・[[読売広告社]]の当時の常務が『[[おらぁグズラだど]]』(1967年)の製作にあたり「絶対にグズラは大平透だ」と推薦し<ref name="声グラWEB_2">{{Cite web|和書|url=https://seigura.com/senior/road/20131118_68/2.html|title=大平透の声優道 (2)つくづく私はラッキー! 人気アニメに多数出演。|publisher=声グラWEB|date=2010-02-10|accessdate=2013-12-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131230232531/http://seigura.com/senior/road/20131118_68/2.html|archivedate=2013-12-30}}</ref>、グズラ役に抜擢される。以来、『[[ハクション大魔王]]』(1969年)ほか読売広告社 / タツノコプロ制作のアニメ作品に数多く出演するきっかけとなった<ref name="世界の子供たちに夢を">{{Harvnb|但馬オサム|2013|page=167}}</ref>。特に『ハクション大魔王』からは、[[フジテレビ系列日曜夕方6時台枠のアニメ]]に放映された全てのタツノコアニメにレギュラー出演。『[[未来警察ウラシマン]]』(1983年)途中での[[フジテレビ土曜夕方6時台枠のアニメ#18時30分 - 19時00分|放送枠変更]]を挟んで、『[[よろしくメカドック]]』(1984年)まで連続して出演している{{efn|他には『おそ松くん』(1988年)と『おれは直角』(1990年)の読売広告社とぴえろの共同制作のアニメにも出演していた。}}。また『[[カバトット]]』(1971年)、『[[かいけつタマゴン]]』(1972年)では「台詞なしで声の表情だけで演じるギャグアニメ」という制約の中、主役を演じ切っている。現場での信頼も厚く、タツノコ作品の収録では「座長」と呼ばれ、共演者のまとめ役的役割を果たした{{R|世界の子供たちに夢を}}。『[[科学忍者隊ガッチャマン]]』(1972年)では、番組後半に[[ささきいさお]]演じるコンドルのジョーを中心とするストーリー展開となったために、主演である大鷲の健を演じる森功至が憤慨し降板を申し出て現場を騒然とさせたため、「自分の都合で番組をやっているのではない」と森を説得し、現場の混乱を収めたこともある<ref>{{Harvnb|但馬オサム|2013|pp=168-169}}</ref>。 タツノコプロとは仕事以外でも親交があり、自身が支援していた北海道の障害者団体の児童のために、タツノコプロ創設者である[[吉田竜夫]]の妻を介して、タツノコ作品の上映会を開催している<ref>{{Harvnb|但馬オサム|2013|pp=287-288}}</ref>。また、上記のような経緯から読売広告社との関係も親密で「読広の社外取締役」とも言われた<ref>{{Cite journal |和書|author = 斯波重治|authorlink = 斯波重治 |title = Animation Interview Series 斯波重治インタビュー|date = 2013-12 |publisher = [[まんだらけ]]出版 |journal = まんだらけZENBU|number = 61 |isbn = 978-4860721008 |pages = 218}}</ref>。 『[[笑ゥせぇるすまん]]』の喪黒福造役について、当初は[[熊倉一雄]]が99%内定していたものの{{R|Simpsons}}<ref>{{Cite web|和書|title=大平透は厳しい?笑ゥせぇるすまん喪黒福造声優大平透先生との思い出|url=https://shougaiotaku.com/post-978/|website=夫婦で綴る、趣味と障害の日々。|date=2019-11-24|accessdate=2020-10-08|language=ja|last=[[大山昇|のぼる]]}}</ref>、総監督の意向でオファーを受け喪黒の声を披露したところ、原作者の[[藤子不二雄A]]も大絶賛し満場一致で大平に決まったという{{R|声グラWEB_2}}{{efn|大平によると、録音制作会社からオーディションテープの提供を求められたものの、大平の「デモテープは作らない」というポリシーから断り、スケジュールの空いた時間に自ら出向いて喪黒の声を録音したという(中公文庫5巻所載のMOGRO CLUBより)。}}。 特撮ヒーロー番組では[[ピー・プロダクション]]制作の作品に関わりが深い。『[[マグマ大使 (テレビドラマ)|マグマ大使]]』(1966年)では、当初は宇宙の帝王ゴアの声だけを担当する予定だったが、「表情の動かないぬいぐるみの動きと吹き替えのタイミングが合わせづらい」と、自ら申し出てゴアの着ぐるみを着け、これを演じている{{Sfn|ザボーガー&ピープロ|2011}}{{efn|このページの最下部に大平がゴアの扮装でマスクを外して手にしている画像が掲載されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://timemachine-visionary.jimdofree.com/best-actor-%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%85%83/|title=BEST ACTOR 清水元|publisher=タイムマシン・ビジョナリー|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131229102336/http://timemachine-visionary.jimdo.com/best-actor-%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%85%83/|archivedate=2013年12月29日|accessdate=2013-12-29|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。}}。着ぐるみでの演技は大量の汗をかくため、自宅の家政婦を連れて来て冷却や汗ふきを行っていた{{Sfn|ザボーガー&ピープロ|2011}}。『[[俺は透明人間!]]』([[1970年]])では俳優として第1話にギャング団のボス役でゲスト出演、『[[スペクトルマン]]』(1971年)では主人公が所属する組織「公害Gメン⇒怪獣Gメン」のリーダー・倉田室長役でレギュラー出演している。『スペクトルマン』では、自身の行きつけのブティックとタイアップして他のレギュラー出演者のスーツを用意していた{{Sfn|ザボーガー&ピープロ|2011}}。 [[東映]]作品には、『[[スパイキャッチャーJ3]]』(1965年)から出演{{R|講談社}}。「[[スーパー戦隊シリーズ]]」では『[[秘密戦隊ゴレンジャー]]』([[1975年]])の第15話より参加。以後、『[[科学戦隊ダイナマン]]』([[1983年]])までの7作品、および『[[恐竜戦隊ジュウレンジャー]]』(1992年)のナレーターを担当した。『ダイナマン』では、編成上の都合から第10話より放送時間が短縮され、番組予告もそのあおりを受けたがアドリブを随所に入れ、時間的な制約をカバーした。ナレーションの際には、台本を読んで作品の状況を把握してから、監督と相談して作品の情景にあわせてナレーションするように心掛けていたという{{R|講談社}}。ナレーター以外では『[[超力戦隊オーレンジャー]]』(1995年)で敵組織の首領・皇帝バッカスフンドの声を担当している。また、『[[メタルヒーローシリーズ]]』では『[[宇宙刑事シャイダー]]』(1984年)から参加、『[[超人機メタルダー]]』(1987年){{efn|ナレーションは[[政宗一成]]が担当。}}以外の、『[[機動刑事ジバン]]』(1989年)までの5作品のナレーターを担当した。『宇宙刑事シャイダー』で主演を務めた[[円谷浩]]は、後年『THEウルトラ伝説』という円谷プロの集大成・再編集ビデオで初めてナレーターを担当した際、『シャイダー』のナレーターだった大平の語りが強く印象に残っているといい、「あれは凄いよね」と敬意を払っていた<ref name="AGE">{{Cite book|和書|year=2001|title=ウルトラマンAGE Vol.3|chapter=さようなら、円谷浩さん|page=110-111|publisher=[[辰巳出版]]|series=タツミムック|id=ISBN 4-88641-661-6}}</ref>。 洋画作品では、[[テリー・サバラス]]の吹き替えを多く演じている。サバラス主演のテレビシリーズ『[[刑事コジャック]]』(1975年 - 1979年、[[TBSテレビ|TBS]]系)は当初、大平が吹替える予定だったが、当時の演出担当ディレクターが「吹き替えのためには、声優もオリジナル俳優と同じ格好で生活してリアリティを出すべきだ」と主張し、大平に対して丸坊主になるよう要求したが、当時田辺製薬の生CMに出演していた都合から不可能だったため大平は降板{{R|Simpsons}}。[[森山周一郎]]が吹替えることになった{{efn|森山が一時丸坊主にしていたのは、これが理由である。}}。海外テレビシリーズでは『[[スパイ大作戦]]』([[1967年]] - [[1973年]]、フジテレビ系)の番組[[導入部|プロローグ]]に登場する「指令の声(演:[[ボブ・ジョンソン (俳優)|ボブ・ジョンソン]])」の吹き替えでも知られる。 『[[ザ・シンプソンズ]]』の[[ホーマー・シンプソン]]の吹替声優に抜擢される。他の声優陣がオーディションで選ばれた中、大平のみ制作側の指名であった。『[[ザ・シンプソンズ MOVIE]]』では話題性重視のため一度声優が変更されたものの、ファンの抗議や活動によりDVD発売時にオリジナル声優による吹替が制作されホーマー役に復帰。[[2008年]][[5月4日]]にはこのことに感謝して「シンプソンズファン感謝祭」を主催。これをきっかけに『ザ・シンプソンズ』のDVDが発売されるとファンと声優でシンプソンズファン感謝祭を開催するようになり、2013年までに5回開催されていた。なお、大平は原語版のホーマー役である[[ダン・カステラネタ]]や原作者の[[マット・グレーニング]]と対面しており本人公認となっている{{R|Simpsons}}。 『[[スター・ウォーズ・シリーズ]]』では旧三部作で[[ダース・ベイダー]]の声を担当、新三部作エピソード3『[[スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐|シスの復讐]]』(2005年)でも引き続き声を担当した。これは監督である[[ジョージ・ルーカス]]が、日本語吹替え版の大平の声を気に入り直々に指名したものだという{{R|声グラWEB_2}}。シリーズを通して、オフィシャルな吹き替えで旧シリーズと新シリーズの両方で同一キャラクターを担当したのは大平のみである{{efn|旧三部作のテレビ放映や劇場公開など独自の日本語吹替版を含めると、[[ヨーダ]]役の[[永井一郎]](『[[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲|帝国の逆襲]]』劇場公開版で担当)と[[C-3PO]]役の[[岩崎ひろし]](『[[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|新たなる希望]]』日本テレビ2002年版)も挙げられるため3人目となる。}}。また、大平没後、実写映画版などでは[[楠大典]]がキャスティングされるがレゴスターウォーズのアニメシリーズの後任は[[土師孝也]]、ゲームなどの各作品などは[[中村浩太郎]]がキャスティングされている。 == 代役・後任 == 大平の入院に伴う代役、または死後に持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。ただし、声優陣が一新された作品は除外する。 {| class="wikitable sortable" style="font-size:small" border="1" |- !後任!!役名!!概要作品!!代役の初担当作品 |- | rowspan="2" | [[楠大典]] | [[ダース・ベイダー]] | 「[[スター・ウォーズ・シリーズ]]」 | 『[[スター・ウォーズ 反乱者たち]]』シーズン2 |- | オッドボール軍曹 | 『[[戦略大作戦]]』 | 吹替完全版追加収録部分<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.movieplus.jp/lineup/detail/?film_id=CS-0000000199802123-111|title=戦略大作戦【吹替完全版】ムービープラスオリジナル|date=2023-08-01|accessdate=2023-08-01}}</ref> |- | [[山寺宏一]] | ハクション大魔王 | 『[[ハクション大魔王]]』 | 『[[ハクション大魔王2020]]』 |- | [[森山周一郎]] | カザン隊長 | 『[[ゾンビ特急地獄行き|ホラー・エクスプレス/ゾンビ特急地獄行]]』 | {{efn|当初吹き替え声優として発表されていたが変更になった。森山は大平と同じくカザン隊長を演じる[[テリー・サバラス]]を長年持ち役としている。}} |- | [[北川勝博]] | [[ピート (ディズニーキャラクター)|ピート]] | 「[[ディズニー]]」 | 『[[ミッキーマウス! (テレビアニメ)|ミッキーマウス!]]』第43話 |- | [[福田信昭]] | バック・バロウ | 『[[俺たちに明日はない]]』テレビ朝日版 | [[WOWOW]]版追加収録部分<ref>{{Twitter status2|hi_taratara|720642647262502913|4=hi_tarataraの2016年4月15日のツイート|5=2021-10-13}}</ref> |- |[[玄田哲章]] | 喪黒福造 | 『[[笑ゥせぇるすまん]]』 | 『[[笑ゥせぇるすまんNEW]]』<ref>{{Cite web|和書|date=2016-12-16 |url=https://animeanime.jp/article/2016/12/16/31784.html |title=アニメ「笑ゥせぇるすまんNEW」2017年春スタート 喪黒福造は玄田哲章 |work=アニメ!アニメ! |publisher=株式会社イード |accessdate=2018-01-11}}</ref> |- | [[長嶝高士]] | デカパン | 『[[おそ松くん]]』テレビアニメ第2作 | パチスロ『[[おそ松くん (パチスロ)|おそ松くん]]』 |- | [[銀河万丈]]{{efn|大平の存命中にも『[[ヤマトよ永遠に]]』のスカルダート役を[[宇宙戦艦ヤマトシリーズ (PlayStation)|ゲーム版]]で引き継いでいる。}} | ナレーター | 「[[ディズニーの短編映画#グーフィーの短編映画シリーズ|グーフィーの短編映画シリーズ]]」 | 『グーフィーのステイホーム教室』 |- |} == 出演 == '''太字'''はメインキャラクター。 === テレビドラマ === * [[日真名氏飛び出す]]([[TBSテレビ|KR]]) * 勝利者(1956年、KR) * [[わが輩ははなばな氏]](1956年、KR) * ありちゃんのおかっぱ侍(1957年、KR / [[大阪テレビ放送]]) * [[右門捕物帖]](1957年、KR) * 人名(1957年、KRテレビ) * [[マンモスタワー]](1958年、KR) * 人知れずこそ(1958年、KR) * [[まぼろし探偵#テレビドラマ版|まぼろし探偵]](KR) - 富士警部 * 風雲三剣士(1959年、フジテレビ) * 指名手配 第15・16話「逃亡十三年 前・後篇」(1960年1月27日、2月3日、[[テレビ朝日|NET]]) * 奔流(1960年、NET) * [[少年探偵団 (1960年のテレビドラマ)|少年探偵団]](1960年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - 怪人二十面相{{Sfn|ザボーガー&ピープロ|2011}} * [[次郎長三国志]](1964年、フジテレビ) * 愛妻くんこんばんは<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-10606|title=愛妻くんこんばんは(愛妻くんこんばんわ)(第5回)赤信号よ奥様|publisher=[[テレビドラマデータベース]]|accessdate=2014-03-13}}</ref>{{efn|全40話の[[オムニバス]]ドラマ。出演者は毎回変わる。}} - 第5回「赤信号よ奥様」(1967年10月29日、TBS) * [[俺は透明人間!]] 第1話「謎のどくろ団」(1970年、フジテレビ) * [[太陽にほえろ!]] 第48話「影への挑戦」(1973年6月15日、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) - 黒幕の声 * [[ザ★ゴリラ7]](NET) - ナレーター * [[サイコメトラーEIJI]](日本テレビ) - タイトルナレーション、山口警視総監 === 映画 === * 恋の羊が海いっぱい(1961年、[[岩波映画]]) - 解説 * ザ・スパイダースのバリ島珍道中(1968年、[[日活]]) - 司令の声 * [[ルパン三世 念力珍作戦]](1974年、[[東宝]]) - 司令の声 === テレビアニメ === {{dl2 | 1963年 | * [[鉄腕アトム (アニメ第1作)]] | 1965年 | * [[ジャングル大帝]](1965年、役名不明 /1966年、ロンメル<ref>{{Cite web|和書| url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/34.html| title = ジャングル大帝 進めレオ!| publisher = 手塚治虫公式サイト | accessdate = 2016-06-08}}</ref>) - 2シリーズ | 1967年 | * [[おらぁグズラだど]](1967年 - 1988年、'''グズラ'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/guzura_1967.html|title=作品データベース おらぁグズラだど |publisher=[[タツノコプロ]]|accessdate=2022-12-07}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/guzura_1987.html|title=作品データベース おらぁグズラだど |publisher=タツノコプロ|accessdate=2022-12-07}}</ref>) - 2シリーズ{{Ras|『モノクロ版』(1967年 - 1968年)、『リメイク版』(1987年 - 1988年)}}{{efn|リメイク版は旧版の声をそのまま使用。}} | 1968年 | * [[怪物くん (モノクロアニメ)|怪物くん(TBS版)]](ホラ貝ホーラ) | 1969年 | * [[ハクション大魔王]](1969年 - 1970年、'''ハクション大魔王'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/hacsyondaimo.html|title=作品データベース ハクション大魔王 |publisher=[[タツノコプロ]]|accessdate=2022-12-08}}</ref>) | 1970年 | * [[いなかっぺ大将]](大柿矢五郎<ref>{{Cite web|和書|url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/inakappe.html|title=作品データベース いなかっぺ大将 |publisher=[[タツノコプロ]]|accessdate=2022-12-17}}</ref>) | 1971年 | * [[カバトット]]('''カバ''') | 1972年 | * [[かいけつタマゴン]]('''タマゴン''') * [[科学忍者隊ガッチャマン]](1972年 - 1974年、'''南部博士'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/gatchaman.html|title=作品データベース 科学忍者隊ガッチャマン |publisher=[[タツノコプロ]]|accessdate=2022-12-08}}</ref>) | 1974年 | * [[小さなバイキングビッケ]](代官) * [[てんとう虫の歌]](岩倉鉄之助) | 1976年 | * [[ポールのミラクル大作戦]]('''ベルトサタン'''{{R|ポールのミラクル大作戦}}) | 1977年 | * [[一発貫太くん]](野球十兵衛{{R|一発貫太くん}}) * [[ヤッターマン]](鬼) | 1978年 | * [[科学忍者隊ガッチャマンII]](1978年 - 1979年、'''南部博士'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/gatcha_2.html|title=作品データベース 科学忍者隊ガッチャマンII |publisher=[[タツノコプロ]]|accessdate=2022-12-08}}</ref>) * [[100万年地球の旅 バンダーブック]](ゾービ王<ref>{{Cite news | url = https://tezukaosamu.net/jp/anime/55.html| title = 100万年地球の旅 バンダーブック| newspaper = | publisher = 手塚治虫公式サイト| date = | accessdate = 2016-05-04}}</ref>) * [[ルパン三世 (TV第2シリーズ)]](オナベス) | 1979年 | * [[科学忍者隊ガッチャマンF]](1979年 - 1980年、'''南部博士'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/gatcha_f.html|title=作品データベース 科学忍者隊ガッチャマンF |publisher=[[タツノコプロ]]|accessdate=2022-12-08}}</ref>) * [[大恐竜時代]]('''未出演''')<!--(ゾア<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20180111165715/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/1085| title = 大恐竜時代| work = メディア芸術データベース |publisher = 文化庁 |accessdate = 2018-01-11}}</ref>)←以下の通り出典元の記載は、誤った情報です。--> : ※徳間書店刊『TVアニメ25年史』<ref>{{Cite book |和書 |title=THE ART OF ANIMATION I TVアニメ25年史 ジ・アート・シリーズ〈14〉 |publisher=[[徳間書店]] |year=1988-12-01 |page=92}}</ref>には、TVアニメスペシャル『[[大恐竜時代]]』における声の出演として“コズモ博士([[永井一郎]]) タマラ([[鈴木弘子]]) サバ([[小原乃梨子]]) ゾア(大平透) ガロ([[大塚周夫]])”と記載されており、2023年12月現在これを出典とした『[[メディア芸術データベース]]』<ref>{{Cite web|url=https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C7808|title=メディア芸術データベース|work=文化庁|publisher=文化庁|date=|accessdate=2023-11-30}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://web.archive.org/web/20180111165715/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/1085|title=メディア芸術データベース|work=文化庁|publisher=文化庁|date=2018-1-11|accessdate=2023-11-30}}</ref>や、それらを参考としたと思しきデータがネット上の各所で散見されるほど広まってしまっているが<ref>{{Cite web|url=https://www.allcinema.net/cinema/235442|title=大恐竜時代|work=allcinema|publisher=株式会社スティングレイ|date=|accessdate=2023-11-30}}</ref>、そもそも明記されているキャラクター及びキャスティングは映画『[[サイボーグ009 (アニメ)#劇場版(第3作)|サイボーグ009 超銀河伝説]]』のものであり、『大恐竜時代』とは関係のない誤った情報である。また、“ビデオ化の際にTV放映ではカットされていたシーンが追加された(その追加キャストである)”<ref>{{Cite web|url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-17528|title=アニメ詳細データ 大恐竜時代|work=テレビドラマデータベース|publisher=キューズ・クリエイティブ|date=|accessdate=2023-11-30}}</ref>という事実も無く、したがって、実際には大平透は『大恐竜時代』にキャスティングされていない。 | 1980年 | * [[とんでも戦士ムテキング]]('''タコキチ''') | 1981年 | * [[ダッシュ勝平]](誠一郎) | 1983年 | * [[未来警察ウラシマン]]('''権藤透'''<ref>{{Cite web|和書|url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/urashiman.html|title=作品データベース 未来警察ウラシマン |publisher=[[タツノコプロ]]|accessdate=2022-11-07}}</ref>) | 1984年 | * [[OKAWARI-BOY スターザンS]](ダースベーロー{{R|OKAWARI-BOY スターザンS}}) * [[よろしくメカドック]](神崎周治) * [[ルパン三世 PARTIII]](1984年 - 1985年、アンリ・バルタン、オルテガ、ゴードン) | 1985年 | * [[おねがい!サミアどん]] * [[アルペンローゼ (漫画)|炎のアルペンローゼ]]([[アンリ・ギザン]]) | 1988年 | * [[おそ松くん#テレビ第2作|おそ松くん]](1988年 - 1989年、デカパン{{R|おそ松くん}}、ボス、クミコのパパ) | 1989年 | * [[笑ゥせぇるすまん]](1989年 - 1992年、'''喪黒福造'''<ref>{{Cite web|和書| url = https://mediaarts-db.bunka.go.jp/id/C8585| title = 笑ゥせぇるすまん| publisher = メディア芸術データベース |accessdate = 2022-11-22}}</ref>) | 1991年 | * [[おれは直角]](立花薫{{R|おれは直角}}) * [[ルパン三世 ナポレオンの辞書を奪え]](ヘーカー<ref>{{Cite news | url = https://www.tms-e.co.jp/alltitles/lupin/010203.html| title = ルパン三世 ナポレオンの辞書を奪え| newspaper = | publisher = トムス・エンタテインメント| date = | accessdate = 2016-05-02}}</ref>) | 1992年 | * [[さすらいくん]](喪黒福造) | 1999年 | * [[週刊ストーリーランド]](ナレーション) * [[超える!テレビ|紀末伝説ワンダフルタツノコランド -円盤星人UBO-]]('''ハクション大魔王''') | 2000年 | * [[ONE PIECE (アニメ)|ONE PIECE]](ガイモン<ref>{{Cite web|和書| url = https://one-piece.com/anime/character/characters/Gaimon| title = ガイモン| publisher = ONE PIECE.com | accessdate = 2016-06-09}}</ref>) | 2001年 | * [[よばれてとびでて!アクビちゃん]](ハクション大魔王、おとたま校長) | 2004年 | * [[十兵衛ちゃん2 -シベリア柳生の逆襲-]](柳生宗矩<ref>{{Cite web|和書|url=http://king-cr.jp/special/j2/staff/cast.html|title=スタッフ&キャスト|website=十兵衛ちゃん2 ~シベリア柳生の逆襲~|publisher=KING AMUSEMENT CREATIVE|accessdate=2022-09-28}}</ref>) | 2005年 | * [[バジリスク 〜甲賀忍法帖〜]]([[徳川家康]]<ref>{{Cite web|和書| url = http://www.gonzo.co.jp/works/basilisk/| title = バジリスク 〜甲賀忍法帖〜| publisher = GONZO公式サイト| accessdate = 2016-07-01}}</ref>) | 2006年 | * [[アクビガール]]('''アバンナレーション''') | 2008年 | * [[スレイヤーズREVOLUTION]](ゴ村長) | 2009年 | * [[エグザムライ戦国]](六堂) * [[おじゃる丸]](電ボ四十郎) * [[夢をかなえるゾウ]]([[釈迦]]) }} === 劇場アニメ === {{dl2 | 1961年 | * [[安寿と厨子王丸 (映画)|安寿と厨子王丸]](子熊のモク<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20171107025151/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/249| title = 安寿と厨子王丸| work = メディア芸術データベース |publisher = 文化庁 |accessdate = 2018-01-11}}</ref>) | 1978年 | * [[ルパン三世 ルパンVS複製人間]](スタッキー特別補佐官<ref>{{Cite web|和書| url = https://web.archive.org/web/20140318010146/http://www.ntv.co.jp/kinro/lineup/20140328/index.html| title = ルパン三世 ルパンVS複製人間| publisher = 金曜ロードSHOW!| accessdate = 2016-06-05}}</ref>) | 1980年 | * [[サイボーグ009 (アニメ)|サイボーグ009 超銀河伝説]](ゾア{{R|サイボーグ009 超銀河伝説}}) * [[ヤマトよ永遠に]]([[宇宙戦艦ヤマトシリーズの登場人物一覧#スカルダート|スカルダート]]<ref>{{Cite web|和書| url = https://www.bandaivisual.co.jp/cont/item/BCXA-0716| title = ヤマトよ永遠に| publisher = バンダイビジュアル| accessdate = 2016-06-13}}</ref>) | 1989年 | * [[おそ松くん スイカの星からこんにちはザンス!]](デカパン<ref>{{Cite news | url = https://pierrot.jp/archive/movie_b2000/mov_06.html| title = おそ松くん スイカの星からこんにちはザンス!| newspaper = | publisher = ぴえろ公式サイト| date = | accessdate = 2016-05-10}}</ref>) | 2001年 | * [[ドラえもん のび太と翼の勇者たち]](ジーグリード<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20180303050450/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/7460|title=ドラえもん のび太と翼の勇者たち|publisher=メディア芸術データベース|accessdate=2020-06-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190402033557/https://mediaarts-db.bunka.go.jp/an/anime_series/7460|archivedate=2019-04-02}}</ref>) | 2004年 | * [[ドラえもん のび太のワンニャン時空伝]](大統領) }} === OVA === * [[おそ松くん|おそ松くん イヤミはひとり風の中]](1990年、デカパン) * [[マグマ大使]](1992年、ゴア) * [[銀河鉄道物語 〜忘れられた時の惑星〜]](2007年、マシュー) * [[ONE PIECE FILM STRONG WORLD|ONE PIECE FILM STRONG WORLD EPISODE:0]](2010年、ガイモン) * [[一発必中!! デバンダー|一発必中!!デバンダー]](2012年、キングブル) === ゲーム === {{dl2 | 1993年 | * [[笑ゥせぇるすまん]]('''喪黒福造''') ※[[メガCD]]版 | 2001年 | * [[サクラ大戦3 〜巴里は燃えているか〜]](カルマール公爵) | 2002年 | * [[キングダム ハーツ]](メイヤー) * [[スペースチャンネル5 パート2]](ピース大統領) * [[ディズニーゴルフクラシック]] (ピート) | 2005年 | * [[キングダム ハーツII]](ピート、メイヤー) * [[スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐]]([[ダース・ベイダー]]) | 2008年 | * [[白騎士物語]](ドン・ガマローネ) * [[ソウルキャリバーIV]](ダース・ベイダー) * [[タツノコ VS. CAPCOM CROSS GENERATION OF HEROES]](ハクション大魔王) ※[[Wii]]版 | 2009年 | * [[キングダム ハーツ コーデッド]](ピート) * [[キングダム ハーツ 358/2 Days]](ピート) | 2010年 | * [[キングダム ハーツ バース バイ スリープ]](ピート) * [[キングダム ハーツ コーデッド#キングダム ハーツ Re:コーデッド|キングダム ハーツ Re:コーデッド]](ピート) | 2012年 | * [[ガールズRPG シンデレライフ]]('''喪黒福造''') * [[キングダム ハーツ 3D [ドリーム ドロップ ディスタンス]]](ピート、ジュリアス) | 2013年 | * [[ディズニー エピックミッキー2:二つの力]](ピート) | 2014年 | * [[キングダム ハーツ HD 2.5 リミックス]](ピート、メイヤー) }} === 吹き替え === ==== 俳優 ==== {{dl2 | [[テリー・サバラス]] | * [[偉大な生涯の物語]]([[ピラト|ポンティウス・ピラトゥス]])※テレビ朝日版(特別編DVD収録) * [[FBIの敵No1]](エド・クレメンテ) * [[可愛い冒険者]](メンフィス) * [[大西洋を乗っ取れ!]](クレイグ・ダンレヴィ) * [[0万ドルの爆破予告]] * [[不思議の国のアリス (1985年のテレビ映画)|不思議の国のアリス]]([[チェシャ猫]])※テレビ版(DVD収録) * [[バルジ大作戦]](ガフィー軍曹)※テレビ朝日版(DVD収録) * [[マッケンナの黄金]](ティッブス)※テレビ朝日版 * [[インディアン狩り]](ジム)※テレビ朝日版 * [[戦略大作戦]](ビッグ・ジョー)<ref>{{Cite web|和書|url=https://wwws.warnerbros.co.jp/fukikaenochikara/list/kellysheroes.php |title=戦略大作戦|吹替の力 |website=[[吹替の力]] |publisher=ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント |accessdate=2023-08-13}}</ref> ※テレビ朝日版(日本語吹替音声追加収録版BD収録) * [[狼の挽歌]](ウェーバー)※テレビ朝日版(BD収録) * [[ダイヤモンドの犬たち]](ウェブ)※テレビ朝日版(DVD収録) * [[カプリコン・1]](アルバイン)※テレビ朝日版(BD収録) | [[ジェームズ・アール・ジョーンズ]] | * [[スター・ウォーズ・シリーズ]]('''[[ダース・ベイダー]]'''の声) ※ビデオ版・DVD版 ** [[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望]]<ref>{{Cite web|和書| url = https://kinro.jointv.jp/lineup/151218/| title = スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望| publisher = 金曜ロードSHOW!| accessdate = 2016-07-30 |deadlinkdate=2018-01-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151218120246/https://kinro.jointv.jp/lineup/151218/ |archivedate=2015-12-18}}</ref> ** [[スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲]] ** [[スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還]] ** [[スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐]] ** [[スター・ツアーズ:ザ・アドベンチャーズ・コンティニュー]] ** [[スター・ウォーズ 反乱者たち]] シーズン1 * [[スニーカーズ]](バーナード・アボット) ※ビデオ版・DVD版 | [[ジョージ・C・スコット]] | * [[イルカの日]](ジェイク・テリル)※LD版 * [[王子と乞食 (映画)|王子と乞食]](ラフラー) * [[おれの女に手を出すな]](タンク大佐) * [[黄色いロールス・ロイス]](パオロ・マルティーズ)※テレビ朝日版(DVD収録) * [[パットン大戦車軍団]]([[ジョージ・パットン|ジョージ・パットン将軍]]) ※LD版 | [[ブライアン・キース]] | * [[風とライオン]](セオドア・ルーズヴェルト) ※テレビ朝日版 * [[シャーキーズ・マシーン]](パパ) ※テレビ朝日版(BD収録) * [[ヤングガン]](バックショット・ロバーツ)※フジテレビ版(コレクターズ・エディションDVD・BD収録) }} ==== 映画 ==== * [[アフターショック/ニューヨーク大地震]](ブルース・リンカーン / [[チャールズ・S・ダットン]]) * [[1941 (映画)|1941]](ウォード・ダグラス / [[ネッド・ビーティ]]) * [[A.I.]](テディの声) ※DVD版 * [[宇宙への冒険]]<ref>{{Cite book|和書|year = 1958|editor=時事通信社|title=映画年鑑|volume-title=1959年版|publisher=時事通信社|page = 440|chapter=記録編}}</ref> * [[駅馬車 (1939年の映画)|駅馬車]](ブーン医師 / [[トーマス・ミッチェル]]) ※NET版 * [[エル・ドラド (1966年の映画)|エル・ドラド]](バート・ジェイソン / [[エドワード・アズナー]])※フジテレビ版 * [[お熱いのがお好き]](マリガン警部 / [[パット・オブライエン]]〉) * [[王になろうとした男 (映画)|王になろうとした男]](ピーチ・カーネハン / [[マイケル・ケイン]]) ※機内上映版 * [[おかしな二人|おかしなカップル]](オスカー・マディソン) * [[おかしなおかしな石器人]](トンダ / [[ジョン・マトゥザック]]) * [[おしゃれ泥棒]]([[ヒュー・グリフィス]]) ※テレビ東京版 * [[俺たちに明日はない]](バック・バロー / [[ジーン・ハックマン]]) ※テレビ朝日版 * [[片腕カンフー対空とぶギロチン]](封神無忌) * [[キャッツ&ドッグス]](マスティフ / 声:[[チャールトン・ヘストン]]) * [[キングコング2]](アンドリュー・インガーソル博士)※VHS版 * [[黒い罠]](ハンク・クインラン / [[オーソン・ウェルズ]]<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.star-ch.jp/channel/detail.php?movie_id=29637 |title= 黒い罠[吹]土曜映画劇場版 |publisher=スターチャンネル |accessdate=2023-11-02}}</ref>) * [[ケイン号の叛乱]](トーマス・キーファー大尉 / [[フレッド・マクマレイ]])※フジテレビ版 * [[ザ・コップ]](ダッチ・ペルツ / [[チャールズ・ダーニング]]) * [[地獄に堕ちた勇者ども]](ヨアヒム・フォン・エッセンベック)※テレビ朝日版 * [[シャラコ]](シャラコ / [[ショーン・コネリー]]) * [[シンドバッド黄金の航海]](精霊 / [[ロバート・ショウ]]) * [[スーパーマン|スーパーマン(TVシリーズ)]]('''クラーク・ケント'''〈'''[[スーパーマン (架空の人物)|スーパーマン]]'''〉 / [[ジョージ・リーヴス]]) * [[スーパーマン (1978年の映画)|スーパーマン(映画:1978年版)]](ジョー・エル〈スーパーマンの父〉 / [[マーロン・ブランド]])※WOWOW版の追加収録にも参加。 * [[スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス]](ボス・ナス<ref>{{Cite web|和書| url = https://kinro.jointv.jp/lineup/151225/| title = スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス| publisher = 金曜ロードSHOW!| accessdate = 2016-07-30 |deadlinkdate=2018-01-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151225120044/https://kinro.jointv.jp/lineup/151225/ |archivedate=2015-12-25}}</ref>) * [[続・荒野の用心棒]](ジャクソン / エドゥアルド・ファヤルド) * [[ターゲット (1985年の映画)|ターゲット]](シュローダー)※フジテレビ版 * ダイナウォーズ 恐竜王国への大冒険(ビッグ) * [[脱出 (1972年のアメリカ合衆国の映画)|脱出]](保安官) ※テレビ朝日版 * [[007 ロシアより愛をこめて]]([[エルンスト・スタヴロ・ブロフェルド]] / [[アンソニー・ドーソン]]) ※TBS版 * [[超人ハルク (テレビドラマ)|超人ハルク'90]](ウィルソン・フィスク / [[ジョン・リス=デイヴィス]])※ビデオ版 * [[特攻野郎Aチーム]]・必殺!炎の大血戦(ギャングのボス) * [[謎の大陸アトランティス]](大僧正、ナレーション) * [[ネバーエンディング・ストーリー]](ロックバイター)※テレビ朝日版(BD収録) * [[ネバーエンディング・ストーリー 第2章]](ロックバイター)※テレビ朝日版 * [[ネバーエンディング・ストーリー3]](ロックバイター)※テレビ朝日版 * [[ハスラー (映画)|ハスラー]](ミネソタ・ファッツ / ジャッキー・グリーソン) * [[バットマン (映画)|バットマン]]([[ジョーカー (バットマン)|ジョーカー]] / [[ジャック・ニコルソン]]) ※TBS版 * [[ビーン (映画)|ビーン]](ブルータス警部補) ※フジテレビ版 * [[ファンタジア2000]]([[クインシー・ジョーンズ]]) * [[ブラス・ターゲット]]([[ジョージ・パットン]]将軍 / [[ジョージ・ケネディ]]) * [[ブラッダ]](チャンドラー・モファット) * [[フレンチ・コネクション]](シャルニエ / [[フェルナンド・レイ]]) ** [[フレンチ・コネクション2]](シャルニエ / フェルナンド・レイ) * [[プロジェクトA]](総督) ※テレビ朝日版 * [[ペイバック]](ヒックス / [[ビル・デューク]]) ※テレビ朝日版 * [[北京原人の逆襲]](ナレーター) * [[マジェスティック (1974年の映画)|マジェステック]](フランク・レンダ / アル・レッティエリ) * [[まぼろしの市街戦]](アレクサンダー・マクビベンブルック大佐 / [[アドルフォ・チェリ]]) * [[マンハッタン無宿]](マッケルロイ / [[リー・J・コッブ]]) * [[ミスター・ノーボディ]](サリヴァン / ジャン・マルタン) ※テレビ朝日版、DVD版 * [[ミッション:インポッシブル]](指令の声) ※フジテレビ版 * [[未知との遭遇]](ワイルドビル)※テレビ朝日旧録版 * [[ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ (映画)#ミュータント・ニンジャ・タートルズ2|ミュータント・ニンジャ・タートルズ2]](スプリンター)※劇場公開版 * [[ヤング・フランケンシュタイン]](ケンプ警部 / [[ケネス・マース]])※テレビ朝日版 ==== ドラマ ==== * [[海底大戦争 スティングレイ]] 無敵戦艦ケチラス号(ワンマン大統領) * [[刑事コロンボ]] 5時30分の目撃者(カール・ドナー / ステファン・エリオット) * [[ジェシカおばさんの事件簿]] #5(アナトーリ・カルゾフ大佐)、#45(サル・ドミノ) * [[スカイキング]](スカイキング〈カービィ・グラント〉) * [[スパイ大作戦]](指令の声) ** [[新スパイ大作戦]] * [[スペース1999]] 宇宙の悪魔・地獄のマシーン(グエント) * [[世界残酷物語]] 総集版(ナレーター) * [[0011ナポレオン・ソロ]] #42(ブロジェット)、第68話(ハリー・ベルドン / [[アルバート・デッカー]]) ** 0011/ナポレオン・ソロ 地獄へ道づれ * 平原児シスコ・キッド(キャントウェル<ref >{{Cite journal|和書|date = 1957-03|journal = 小説倶楽部|volume =三月特大號|page = <!--ページ数表記無し-->|publisher = 桃園書房}}</ref>) * [[名探偵ポワロ]] [[ゴルフ場殺人事件]](ジロー / ビル・ムーディ) * [[名探偵モンク|名探偵モンク5]](ハンク・ジョハンソン) ==== アニメ ==== * [[原始家族フリントストーン|恐妻天国]]('''フレッド・フリントストーン''') * [[ゴーストバスターズ]](主審) * [[ザ・シンプソンズ]]('''[[ホーマー・シンプソン]]〈初代〉'''、プーチー、爆発親父役の声優) ** [[ザ・シンプソンズ MOVIE]]('''ホーマー・シンプソン''')※DVDオリジナル版 * [[スター・ウォーズ 反乱者たち]](ダース・ベイダー)※シーズン1のみ * スター・ウォーズ/ロボットチキン(ダース・ベイダー) * [[スワットカッツ]](モルブルス) * [[ディズニー|ディズニーシリーズ]]([[ピート (ディズニーキャラクター)|'''ピート''']]'''〈初代〉''') ** [[ハウス・オブ・マウス]] ** [[パパはグーフィー]] ** [[ミッキーマウス! (テレビアニメ)|ミッキーマウス!]] ** [[ミッキーマウス クラブハウス]] * 鳥たちの戦争 オリバーとオリビア(ヴァーギン) * [[ナイトメアー・ビフォア・クリスマス]](町長) * [[眠れる森の美女 (1959年の映画)|眠れる森の美女]](グーン)※1960年版 * [[秘密探偵クルクル]](イエローピンキー) * {{仮リンク|ベニーの冒険旅行|en|Beany and Cecil}}('''セシル''') * ボンバッド・バウンティ(ダース・ベイダー) * [[ムーラン (1998年の映画)|ムーラン]](初代のご先祖様) ** [[ムーラン2]](ファ家の先祖) * [[モンスターズ・インク]]('''ウォーターヌース''') * [[レゴ スター・ウォーズ#LEGO スター・ウォーズ エンパイア・ストライクス・アウト|LEGO スター・ウォーズ エンパイア・ストライクス・アウト]](ダース・ベイダー、ボス・ナス) * [[レゴ スター・ウォーズ#LEGO スター・ウォーズ パダワン・メナス|LEGO スター・ウォーズ パダワン・メナス]](ダース・ベイダー) * [[わんわん物語]](ボリス)※1956年版 === 特撮 === {{dl2 | 1964年 | * [[忍者部隊月光]](ナレーター) | 1965年 | * [[スパイキャッチャーJ3]](タイガー首領の声) | 1966年 | * [[マグマ大使 (テレビドラマ)|マグマ大使]](ゴアの声およびスーツアクター) | 1967年 | * マグマ大使(藤波博士、ニュースキャスター) | 1968年 | * [[ジョー90]] 第1話 - 第5話(ナレーター) | 1971年 | * [[スペクトルマン|宇宙猿人ゴリ]]([[スペクトルマン]])(倉田室長) | 1973年 | * [[風雲ライオン丸]](アグダーの声〈初代〉) | 1975年 | * [[アクマイザー3]](ダルニアの父の声) * [[秘密戦隊ゴレンジャー]](ナレーター〈15話からの2代目〉) | 1976年 | * [[秘密戦隊ゴレンジャー 爆弾ハリケーン]](ナレーター) | 1977年 | * [[ジャッカー電撃隊]](ナレーター) | 1978年 | * [[ジャッカー電撃隊VSゴレンジャー]](ナレーター) * [[スパイダーマン (東映)|スパイダーマン]](ナレーター) | 1979年 | * [[バトルフィーバーJ]](ナレーター) | 1980年 | * [[電子戦隊デンジマン]](ナレーター) * [[電子戦隊デンジマン#映画作品|劇場版 電子戦隊デンジマン]](ナレーター) | 1981年 | * [[太陽戦隊サンバルカン]](ナレーター) * [[太陽戦隊サンバルカン#映画作品|劇場版 太陽戦隊サンバルカン]](ナレーター) | 1982年 | * [[大戦隊ゴーグルファイブ]](ナレーター) * [[大戦隊ゴーグルファイブ#劇場版|劇場版 大戦隊ゴーグルファイブ]](ナレーター) | 1983年 | * [[科学戦隊ダイナマン]](ナレーター) * [[科学戦隊ダイナマン#劇場版|劇場版 科学戦隊ダイナマン]](ナレーター) | 1984年 | * [[宇宙刑事シャイダー]](ナレーター) | 1985年 | * [[巨獣特捜ジャスピオン]](ナレーター) | 1986年 | * [[時空戦士スピルバン]](ナレーター) | 1988年 | * [[世界忍者戦ジライヤ]](ナレーター) | 1989年 | * [[機動刑事ジバン]](ナレーター) | 1992年 | * [[恐竜戦隊ジュウレンジャー]](ナレーター) | 1995年 | * [[超力戦隊オーレンジャー]](皇帝バッカスフンドの声) * [[超力戦隊オーレンジャー#劇場版|劇場版 超力戦隊オーレンジャー]](皇帝バッカスフンドの声) | 1996年 | * [[超力戦隊オーレンジャー オーレVSカクレンジャー]](皇帝バッカスフンドの声) }} === ラジオ === * ルーテル・アワー * この人を見よ - 『ルーテル・アワー』の姉妹番組。 * 心の友 - キリスト教視聴覚センター(AVACO)製作の宗教番組。 * [[赤胴鈴之助]]([[TBSラジオ|ラジオ東京]]) * シーグラー・ゴルフジョッキー「大平透のナイスショット」([[ラジオ関西]] 他) * [[FMバラエティ]]内「大平透の歌謡大作戦」([[エフエム愛知|FM愛知]]・[[エフエム福岡|FM福岡]] 他) * 証拠(1959年、通訳<ref>{{Cite book|和書|author= 木下順二 |authorlink=木下順二|year = 1962|title=口笛が 冬の空に… 木下順二作品集IV|publisher=[[未来社]]|page = 421|chapter=解題}}</ref>) * [[TBSラジオ]]『[[爆笑問題の日曜サンデー]]』特集「[[タツノコプロ]] 50周年」(2012年7月29日放送) === レコード === * コロムビアステレオ試聴用レコード([[日本コロムビア]]) - ナレーター === CD === * [[m-flo]]「[[m-flo inside]]」 - 喪黒福造に扮したナレーションで[[インタールード]]に参加 * [[紫電改のタカ]] - 当時のことを知る本人が、語り部として出演。2015年に収録。 === バラエティ === * [[オレたちひょうきん族]]「[[タケちゃんマン]]7」(ナレーション) * [[開運!なんでも鑑定団]](喪黒福造の声) * [[ザ・チーター]](ザ・チーターの声) * [[THE フィッシング]](ナレーターだが、取材現場で顔出しすることもあった) * [[シルシルミシル|シルシルミシルさんデー]](ショベルカーの声) * [[追跡(テレビ番組)|追跡]]([[小林完吾]]の代役で小林司会時のみ影の声を担当) * [[とんねるずのみなさんのおかげです]]「スパイ大作戦'90」(ナレーション / 指令テープの声) * [[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]](一部のナレーション) * [[光子の窓]] * [[料理の別人]](ナレーション) * [[リンカーン (テレビ番組)|リンカーン]](1000円ヒーローのコーナーナレーション) * [[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]「[https://www.youtube.com/watch?v=fgW05948B_I ザックリいきまショー]」(ゲスト出演) === CM === * [[田辺三菱製薬|田辺製薬]] - 長期契約していた関係から、『[[八木治郎ショー]]』から『[[すてきな出逢い いい朝8時]]』まで続いたバラエティ番組で生CM、「新ノバポンGO」のCMではCMキャラクター・ハクション大魔王の声で出演 * [[ウイルソン・スポーティング・グッズ|ウィルソン]]「テンオール」 - 顔出し出演 * 岐阜メガネセンター(1980年代前半) - 顔出し出演 * [[日本電気|NEC]]「speax5」 - 喪黒福造の声 * [[サントリー]]「[[カールスバーグ]]」(1995年 - 1996年) * [[サントリーフーズ]]「[[C.C.レモン]]」 - ホーマー・シンプソンの声 * 関西服装「シーグラー」(紳士服) * [[豊田商事事件|豊田商事]](1983年) - 顔出し出演 * 大ジャスコ祭り(1984年) - ナレーション * [[大原老舗|大原松露饅頭]] * [[BSA]]と[[ACCS]]の共同製作CM * [[東京都]]「悪質商法撲滅キャンペーン」(1991年) - 喪黒福造の声 * [[任天堂]] 「[[スーパーゲームボーイ]]」(1994年) - [[ドンキーコング (ゲームキャラクター・初代)|ドンキーコング]]の声 * 違法コピー撲滅キャンペーン(2000年 - 2001年) - 喪黒福造の声 * [[ミスタードーナツ]]「ふわふわモンブラン」 - ホーマー・シンプソンの声 * [[日産・キューブ]](2009年) - 今だけナビキャンペーン・ブルドッグの声 * [[日本振興銀行]](2009年) - ハクション大魔王の声 * [[キリンビール]] 氷結(2009年) - ナレーション * [[大日本除虫菊|KINCHO]]「ノロキンクリア」(2009年) * [[NTTドコモ]](2010年) - ダース・ベイダーの声 * 花粉症対策広報(2011年) - ハクション大魔王の声 * [[サントリー]]「[[黒烏龍茶]]」(2011年 - ) - 喪黒福造の声 * [[パナソニック]]「家じゅうどこでもドアホン」(2013年) - 喪黒福造の声 * [[健康保険組合連合会]]「あしたの健保プロジェクト」(2014年) - 喪黒福造の声 === その他 === * シンプソンズファン感謝祭(主催者) * [[スター・ウォーズシリーズ#パチンコ|CRフィーバースター・ウォーズ ダース・ベイダー降臨]]('''ダース・ベイダー''') == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Ras}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2 |refs= <ref name="声優事典">{{Cite book|和書 |chapter= 男性篇 |date=1996-03-30 |isbn= 4-87376-160-3 |page=64 |publisher=[[キネマ旬報社]] |title=声優事典 第二版}}</ref> <ref name="ポールのミラクル大作戦">{{Cite web|和書| accessdate=2022-12-24 | publisher=タツノコプロ | title=作品データベース ポールのミラクル大作戦 | url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/paul.html}}</ref> <ref name="一発貫太くん">{{Cite web|和書| accessdate=2022-12-24 | publisher=タツノコプロ | title=作品データベース | url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/ippatsu_kantakun.html}}</ref> <ref name="OKAWARI-BOY スターザンS">{{Cite web|和書| accessdate=2022-12-24 | publisher=タツノコプロ | title=作品データベース OKAWARI-BOY スターザンS | url=https://tatsunoko.co.jp/works_animation/archive/starzans.html}}</ref> <ref name="おそ松くん">{{Cite web|和書| accessdate = 2016-05-04 | publisher = ぴえろ | title = おそ松くん | url = https://pierrot.jp/archive/1985/tv80_17.html | website = スタジオぴえろ 公式サイト}}</ref> <ref name="おれは直角">{{Cite web|和書| accessdate = 2016-06-09 | publisher = ぴえろ | title = おれは直角 | url = https://pierrot.jp/archive/1990/tv90_04.html | website = スタジオぴえろ 公式サイト}}</ref> <ref name="サイボーグ009 超銀河伝説">{{Cite web|和書| url=https://lineup.toei-anim.co.jp/ja/movie/movie_cyborg009_choginga/character/| title=サイボーグ009 超銀河伝説|キャラクター/キャスト| publisher=東映アニメーション| accessdate=2023-01-13}}</ref> }} == 参考文献 == * {{Cite book |和書 |author=但馬オサム |year=2013 |title=世界の子供たちに夢を タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡 |publisher=メディアックス |isbn=978-4-86201-653-9 |ref=harv}} * {{Cite book |和書 |author=とり・みき |authorlink=とり・みき |date =2011-11-14|publisher =[[洋泉社]] |title=別冊[[映画秘宝]] 『[[電人ザボーガー (映画)|電人ザボーガー]]』&[[ピー・プロダクション|ピー・プロ]]特撮大図鑑 |series=洋泉社MOOK |pages=pp.111-114 |chapter=大平透 ゴア/倉田室長役 |isbn=978-4-86248-805-3 |ref ={{SfnRef|ザボーガー&ピープロ|2011}} }} == 外部リンク == * {{81プロフィール}} * [https://thetv.jp/person/0000023322/ 大平透のプロフィール・画像・写真 - WEBザテレビジョン] * {{Kinejun name|49849}} * {{Oricon name|233003}} * {{Movie Walker name|46340}} * {{映画.com name|22386}} * {{Allcinema name|60401}} * {{JMDb name|0258290}} * {{imdb name|id=0959984|name=大平透}} * {{Tvdrama-db name}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:おおひら とおる}} [[Category:日本の男性声優]] [[Category:日本の男優]] [[Category:フリーアナウンサー]] [[Category:ニッポン放送のアナウンサー]] [[Category:過去の81プロデュース所属者]] [[Category:帰国子女]] [[Category:明治大学出身の人物]] [[Category:明治大学野球部の選手]] [[Category:日本基督教団の人物]] [[Category:東京都区部出身の人物]] [[Category:1929年生]] [[Category:2016年没]]
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3月10日
3月10日(さんがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から69日目(閏年では70日目)にあたり、年末まであと296日ある。
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3月10日(さんがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から69日目(閏年では70日目)にあたり、年末まであと296日ある。
{{カレンダー 3月}} '''3月10日'''(さんがつとおか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から69日目([[閏年]]では70日目)にあたり、年末まであと296日ある。 == できごと == [[File:Yuan Shikai sworn in as Provisional President - 10 March 1912.jpg|thumb|180px|[[1912年]]、袁世凱、中華民国総統就任]] [[Image:After Bombing of Tokyo on March 1945 19450310.jpg|thumb|180px|1945年、[[東京大空襲]]]] [[File:Fuji TV headquarters and Aqua City Odaiba - 2006-05-03-2009-25-01.jpg|thumb|180px|[[1997年]]、フジテレビ、[[お台場]]に移転]] * [[1016年]]([[長和]]5年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]) - [[三条天皇]]が譲位し、敦成親王が第68代[[天皇]]・[[後一条天皇]]として即位。[[藤原道長]]が[[摂政]]となる。 * [[1559年]]([[永禄]]2年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]) - [[織田信長]]が上洛し[[足利義輝]]に謁見する。 * [[1661年]] - [[フランス王国|フランス]]国王[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]が、国政を担当していた[[ジュール・マザラン]]の死去を受けて[[親政]]を宣言<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Louis-XIV-king-of-France |title=Louis XIV|king of France |access-date=15 Mar 2023 |publisher=Britannica}}</ref>。 * [[1793年]] - [[フランス革命]]: [[国民公会]]が政治犯を審理するために[[革命裁判所 (フランス革命)|革命裁判所]]を[[パリ]]に設置。 * [[1831年]] - フランス国王[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ]]が[[フランス外人部隊]]の設立詔書に署名、フランス外人部隊の設置を布告。 * [[1864年]] - [[南北戦争]]: [[レッド川方面作戦]]開始。 * [[1872年]] - 日本で最初のプロテスタント教会「[[横浜海岸教会]]」が設立される。 * [[1876年]] - [[アレクサンダー・グラハム・ベル|グラハム・ベル]]が[[電話]]による会話に成功。第一声は 「ワトソン君、ちょっと来てくれ。用事がある(Mr. Watson. Come here; I want to see you)」<ref>{{Cite web|和書|url=https://gendai.media/articles/-/79990 |title=グラハム・ベルが電話の実験に初成功…最初の言葉は「ワトソン君、ちょっと来てくれ」 |access-date=15 Mar 2023 |publisher=[[講談社]] |date=10 Mar 2021 |work=サイエンス365days}}</ref>。 * [[1900年]] - [[治安警察法]]公布。 * [[1902年]] - [[ボーア戦争]]: [[南アフリカ]]のボーア人が[[イギリス軍]]に最終的に勝利し、将軍を捕らえる。 * [[1905年]] - [[日露戦争]]: [[奉天会戦]]が日本軍の勝利で終結。 * 1905年 - [[名古屋コーチン]]が日本家禽協会によって国内初の実用鶏種として認定された<ref>{{Cite web|和書|url=http://keimei.ne.jp/article/%E3%80%8C%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%97%A5%E3%80%8D%E5%A4%9A%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E4%BA%88%E5%AE%9A%E3%80%80%E5%90%8D.html |title=「名古屋コーチンの日」多くのイベント予定 名古屋コーチン協会 |work=鶏鳴新聞 |accessdate=15 Mar 2023}}</ref><ref>{{Cite news | title = 3月10日「名古屋コーチンの日」 地鶏で初 |newspaper=[[中日新聞]] | date = 2016-09-29| page=33頁(朝刊)}}</ref>。 * [[1906年]] - 第1回[[陸軍記念日]]。前年の奉天会戦勝利を記念したもの。以降、第二次世界大戦終結まで、毎年3月10日は陸軍記念日となった。 * [[1910年]] - [[箕面有馬電気軌道]](現在の[[阪急電鉄]])の初の開業区間、[[大阪梅田駅 (阪急)|梅田駅]] - [[宝塚駅]]間と[[石橋阪大前駅|石橋駅]] - [[箕面駅]]間が開業。 * [[1912年]] - [[袁世凱]]が[[中華民国大総統|中華民国臨時大総統]]に就任。 * [[1926年]] - 日本初の国産潜水艦「[[伊号第一潜水艦 (初代)]]」が竣工。 * [[1935年]] - 日本初の国産[[ハンググライダー]]「[[頓所式1型]]」が初飛行。 * [[1941年]] - 日本で[[治安維持法]]改正。これにより[[予防拘禁]]が導入。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]・[[日本本土空襲]]: [[東京大空襲]]。 * 1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: 第1回[[平空襲]]。 * [[1947年]] - [[全国労働組合連絡協議会 (1947-1950)|全国労働組合連絡協議会]](全労連)結成。 * [[1948年]] - [[芦田均]]が47代内閣総理大臣に就任し、民主・社会・国民協同の連立による[[芦田内閣]]が成立。 * [[1952年]] - [[キューバ]]で軍事クーデター。[[フルヘンシオ・バティスタ]]が独裁政権を樹立。 * 1952年 - [[北海道]]初の民間放送・[[北海道放送|北海道放送(HBC)ラジオ]]開局<ref>{{Twitter status|HBC_radio1287|1501412700198674434}}</ref>。 * 1952年 - [[ヨシフ・スターリン]]が東西ドイツ統一に関する交渉を求める覚書を西側占領国に送る([[スターリン・ノート]])。 * [[1954年]] - [[島田事件]]が発生。 * [[1956年]] - [[福岡県]][[北九州市]]小倉で日本初の[[スーパーマーケット]]「[[丸和]]フードセンター」開店<ref>{{Cite journal|和書|author=瀬岡和子 |date=2014-05 |url=https://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013518 |title=昭和30年代におけるスーパーマーケットの誕生と「主婦の店」運動 : 吉田日出男と中内功を中心にして |journal=社会科学 |ISSN=0419-6759 |publisher=同志社大学人文科学研究所 |volume=44 |issue=1 |page=1<!--1-34--> |doi=10.14988/pa.2017.0000013518 |id={{CRID|1390853649844227840}}}}</ref>。 * [[1959年]] - [[1959年のチベット蜂起|チベット蜂起]]。 * [[1960年]] - [[昭和天皇]]の五女[[島津貴子|清宮貴子内親王]]が[[島津久永]]と結婚。 * [[1965年]] - [[気象庁]]が[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]山頂で[[富士山レーダー]]を用いた観測を開始。 * [[1968年]] - [[成田空港問題]]: [[第2次成田デモ事件]]。([[TBS成田事件]]) * [[1974年]] - [[ルバング島]]に残留していた[[大日本帝国陸軍|陸軍]]少尉の[[小野田寛郎]]が救出される。 * [[1975年]] - [[山陽新幹線]]の[[岡山駅]] - [[博多駅]]間の全線が開業。これに伴う[[1975年3月10日国鉄ダイヤ改正|大規模ダイヤ改正]]が実施される。 * [[1977年]] - [[天王星の環]]が発見される。 * [[1978年]] - [[新潟市]]の[[雑居ビル]]で火災が発生([[今町会館ビル火災]])。死者11人、軽症者2人<ref>新潟の雑居ビル火災 死者11人に 出口一つ、逃げ場失う『朝日新聞』1978年(昭和53年)3月10日夕刊、3版、15面</ref>。 * [[1981年]] - [[横綱]]・[[輪島大士|輪島]]が現役引退。 * [[1982年]] - [[惑星直列]]。全ての惑星が太陽から見て95度以内に入る。 * [[1985年]] - [[青函トンネル]]本坑が貫通。 * [[1990年]] - [[京葉線]]が全線開通。 * [[1997年]] - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]が[[東京都]][[新宿区]][[河田町]]から同[[港区 (東京都)|港区]][[お台場|台場]]へ移転し、本放送開始。 * [[2000年]] - [[インターネット・バブル]]: [[ナスダック総合指数]]が最高値の5132.52を記録。 * 2000年 - [[東海道・山陽新幹線]]の[[食堂車]]が廃止される。 * [[2001年]] - [[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東京スタジアム]]が開業。 * [[2005年]] - [[島根県議会]]が、[[2月22日]]を「[[竹島の日]]」とする[[条例]]案を可決。 * [[2006年]] - アメリカの[[火星探査機]]「[[マーズ・リコネッサンス・オービター]]」が[[火星]]の軌道に投入。 * 2006年 - [[全日本空輸]]から[[ボーイング747SR]]型機が全機退役(最終便は[[鹿児島空港|鹿児島]]発[[東京国際空港|羽田]]行のANA624便)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.travelvision.jp/news/detail.php?id=22684 |title=NH、「スーパージャンボ」ボーイング747SR-100を3月10日で退役に |accessdate=15 Mar 2023 |publisher=Travel vision |date=14 Jan 2006}}</ref>。 * [[2008年]] - [[2008年のチベット騒乱|チベット騒乱]]が始まる。 * [[2009年]] - [[1985年]]の[[阪神タイガース]]優勝時にファンから胴上げされて[[道頓堀川]]に投げ込まれた[[カーネル・サンダース]]人形が、24年ぶりに発見される<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-36926420090311 |title=道頓堀川に投げ込まれたカーネル人形、24年ぶりに発見 |access-date=15 Mar 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=11 Mar 2009}}</ref>。 * 2009年 - [[日経平均株価]]が終値ベースで[[バブル崩壊]]後の最安値7054円98銭を記録。 * [[2010年]] - [[鶴岡八幡宮]]の「[[公暁]]の隠れ銀杏」と呼ばれる[[イチョウ]]が強風により倒壊。 * [[2013年]] - [[パンスターズ彗星 (C/2011 L4)]]が太陽に最も近いた<ref>{{Cite web|和書|date=2013-03-10 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1002U_Q3A310C1CR8000/ |title=パンスターズ彗星、太陽に最接近 |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=15 Mar 2023}}</ref>。 * [[2017年]] - [[東京メトロ銀座線]]の[[営団01系電車|01系]]が営業運転終了<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokyometro.jp/news/images_h/metroNews20170127_09.pdf |title=銀座線01系車両が引退します!2017年3月10日(金)に営業運転終了 |date=2017-01-27 |accessdate=15 Mar 2023 |publisher=[[東京メトロ]] |format=[[PDF]]}}</ref>。 * 2017年 - [[朴槿恵]][[大統領 (大韓民国)|大統領]]、友人の国政介入を可能にした職権濫用を理由に、[[大韓民国]][[憲法裁判所]]が罷免を決定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/03/post-7143.php |title=朴槿恵大統領、韓国憲法裁が罷免を決定 疑惑発覚から半年で |publisher=Newsweek日本版 |date=2017-03-10 |accessdate=15 Mar 2023}}</ref>。 * [[2019年]] - [[エチオピア]]、[[ボレ国際空港]]発の[[エチオピア航空]]302便が墜落事故。乗客乗員157人全員が死亡([[エチオピア航空302便墜落事故]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bbc.com/japanese/47492815 |title=エチオピア航空機墜落「生存者なし」 同型機の事故は半年で2度も |access-date=15 Mar 2023 |publisher=BBC NEWS JAPAN |date=11 Mar 2019}}</ref>。 * 2019年 - [[スキージャンプ・ワールドカップ]]2018/19で、[[小林陵侑]]が総合優勝。同大会におけるヨーロッパ人以外初の総合優勝<ref>{{Cite web|和書|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/838643 |title=日本人初のジャンプW杯総合優勝。小林陵侑は「他の惑星の人間だ」 |publisher=[[文藝春秋]] |date=2019-03-17 |accessdate=15 Mar 2023 |website=Number Web}}</ref>。 == 誕生日 == === 人物 === [[Image:MarcelloMalphigiMiall.jpg|thumb|224x224px|[[マルチェロ・マルピーギ]](1628-1694)]] [[File:Grassi, Josef Mathias - Luise von Mecklenburg-Strelitz.jpg|thumb|247x247px|[[ルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ|ルイーゼ王妃]](1776-1810)]] [[Image:Sarasate.gif|thumb|180x180px|[[パブロ・デ・サラサーテ]](1844-1908)]] [[File:Heydar Aliyev 1997.jpg|thumb|254x254px|[[ヘイダル・アリエフ]](1923-2003)]] [[File:Chunichi1967-11-27-1.jpg|thumb|254x254px|[[渥美清]] (1928-1996)]] [[ファイル:Sharon Stone-portrait.jpg|代替文=|サムネイル|195x195px|[[シャロン・ストーン]](1958-)]] [[ファイル:Robin Thicke 2014.jpg|代替文=|サムネイル|261x261px|[[ロビン・シック]](1977-)]] * [[1452年]] - [[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド2世]]<ref>{{Cite web |title=Ferdinand II {{!}} Biography, Facts, Accomplishments, & Isabella I |url=https://www.britannica.com/biography/Ferdinand-II-king-of-Spain |website=Britannica |access-date=2023-03-15 |language=en}}</ref>、[[アラゴン王国|アラゴン国王]](+ [[1516年]]) * [[1503年]] - [[フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント1世]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/フェルディナント1世-123267 |title=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「フェルディナント1世」 |publisher=コトバンク |accessdate=15 Mar 2023}}</ref>、[[神聖ローマ皇帝]](+ [[1564年]]) * [[1522年]]([[大永]]2年[[2月13日 (旧暦)|2月13日]]) - [[三好長慶]]、[[戦国大名]](+ [[1564年]]) * [[1536年]] - [[トマス・ハワード (第4代ノーフォーク公)]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Thomas-Howard-4th-duke-of-Norfolk |title=Thomas Howard, 4th duke of Norfolk |access-date=15 Mar 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[イングランド王国|イングランド]]貴族(+ [[1572年]]) * [[1628年]] - [[マルチェロ・マルピーギ]]、[[医学|医学者]]、[[解剖学|解剖学者]](+ [[1694年]]) * [[1686年]]([[貞享]]3年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]) - [[小笠原信辰]]、第2代[[越前勝山藩|越前勝山藩主]](+ [[1736年]]) * [[1693年]]([[元禄]]6年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]) - [[藤堂高敏]]、第5代[[津藩|津藩主]](+ [[1728年]]) * [[1709年]] - [[ゲオルク・シュテラー]]、[[博物学|博物学者]]、[[探検家]]、[[医師]](+ [[1746年]]) * [[1731年]]([[享保]]16年[[2月3日 (旧暦)|2月3日]]) - [[水野忠友]]、初代[[沼津藩|沼津藩主]](+ [[1802年]]) * [[1729年]]([[享保]]14年[[2月11日 (旧暦)|2月11日]]) - [[島津重年]]、第7代[[薩摩藩|薩摩藩主]](+ [[1755年]]) * [[1734年]](享保19年[[2月6日 (旧暦)|2月6日]]) - [[麻田剛立]]、[[天文学者]](+ [[1799年]]) * [[1749年]] - [[ロレンツォ・ダ・ポンテ]]、[[詩人]]、[[台本]]作家(+ [[1838年]]) * [[1754年]]([[宝暦]]4年[[2月17日 (旧暦)|2月17日]]) - [[池田延俊]]、第5代[[鹿奴藩|鹿奴藩主]](+ [[1771年]]) * [[1762年]] - [[イェレミアス・リヒター]]、[[化学者]](+ [[1807年]]) * [[1764年]](宝暦14年[[2月8日 (旧暦)|2月8日]]) - [[阿部正実]]、第4代[[佐貫藩|佐貫藩主]](+ [[1832年]]) * [[1772年]] - [[フリードリヒ・シュレーゲル]]、[[思想家]]、詩人、[[小説家]](+ [[1829年]]) * [[1776年]] - [[ルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツ]]、[[プロイセン王国|プロイセン]]王妃(+ [[1810年]]) * [[1788年]] - [[ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ]]、小説家、詩人(+ [[1857年]]) * [[1809年]]([[文化 (元号)|文化]]6年[[1月25日 (旧暦)|1月25日]]) - [[奥平昌暢]]、第6代[[中津藩|中津藩主]](+ [[1832年]]) * [[1844年]] - [[パブロ・デ・サラサーテ]]、[[作曲家]](+ [[1908年]]) * 1844年 - [[マリー・スパルタリ・スティルマン]]、[[画家]](+ [[1927年]]) * [[1845年]] - [[アレクサンドル3世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル3世]]、[[ロシア皇帝]](+ [[1894年]]) * [[1846年]] - [[エディ・リンカーン]]、[[エイブラハム・リンカーン]]の次男(+ [[1850年]]) * [[1852年]]([[嘉永]]5年[[2月20日 (旧暦)|2月20日]]) - [[小野梓]]、[[法学者]](+ [[1886年]]) * [[1858年]]([[安政]]5年[[1月25日 (旧暦)|1月25日]]) - [[御木本幸吉]]、[[真珠]]養殖法の開発者(+ [[1954年]]) * [[1867年]] - [[エクトール・ギマール]]、[[建築家]](+ [[1942年]]) * [[1870年]]([[明治]]3年[[2月9日 (旧暦)|2月9日]]) - [[中馬庚]]、[[教育関係人物一覧|教育者]](+ [[1932年]]) * [[1871年]] - [[高橋久野]]、牧師(+[[1944年]]) * [[1879年]] - [[橋戸信]]、[[野球選手]]、[[新聞記者]](+ [[1936年]]) * 1879年 - [[ハンス・ルター]]、[[ドイツ]]の第9代[[ドイツ国首相|首相]](+ [[1962年]]) * [[1885年]] - [[タマーラ・カルサヴィナ]]、[[バレリーナ]](+ [[1978年]]) * [[1888年]] - [[バリー・フィッツジェラルド]]、俳優(+ [[1961年]]) * [[1890年]] - [[中村岳陵]]、[[日本画家]](+ [[1969年]]) * [[1892年]] - [[アルチュール・オネゲル]]、作曲家、[[フランス6人組]]の1人(+ [[1955年]]) * 1892年 - [[出隆]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1980年]]) * [[1899年]] - [[守随憲治]]、[[日本文学研究者|国文学者]](+ [[1983年]]) * [[1900年]] - [[ヴァイオレット・ブラウン]]、長寿世界一(+ 2017年) * [[1901年]] - [[伊能繁次郎]]、[[政治家]](+ [[1981年]]) * 1901年 - [[小林十九二]]、俳優(+ [[1964年]]) * [[1902年]] - [[久邇邦久]]、[[華族]]、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍人]](+ [[1935年]]) * [[1903年]] - [[ビックス・バイダーベック]]、[[ジャズ]][[コルネット]]奏者(+ [[1931年]]) * [[1904年]] - [[牛島辰熊]]、柔道家(+ [[1985年]]) * [[1906年]] - [[横沢四郎]]、[[プロ野球選手]](+ [[1981年]]) * 1906年 - [[大貫賢]]、プロ野球選手(+ [[1975年]]) * [[1907年]] - [[石井桃子]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](+ [[2008年]]) * [[1912年]] - [[ジークフリート・ボリース]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1980年]]) * [[1915年]] - [[チャールズ・グローヴズ]]、[[指揮者]](+ [[1992年]]) * [[1918年]] - [[ギュンター・ラル]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[2009年]]) * [[1920年]] - [[ボリス・ヴィアン]]、[[作家]]、[[詩人]](+ [[1959年]]) * [[1922年]] - [[山下清]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/3400/239192.html |title=画家・山下清の素顔について考える |access-date=15 Mar 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |date=7 Mar 2016}}</ref>、[[画家]](+ [[1971年]]) * 1922年 - [[大出俊 (政治家)|大出俊]]、政治家(+ [[2001年]]) * [[1923年]] - [[郡司利男]]、英語学者、言語学者(+[[1999年]]) * 1923年 - [[日高澄子]]、女優(+ [[2002年]]) * 1923年 - [[ヘイダル・アリエフ]]、[[アゼルバイジャン]]大統領(+ [[2003年]]) * 1923年 - [[ヴァル・フィッチ]]、[[物理学者]](+ [[2015年]]) * [[1924年]] - [[金庸]]、[[武侠小説]]家(+ [[2018年]]) * [[1926年]] - [[瀬戸わんや]]、[[漫才師]](+ [[1993年]]) * [[1927年]] - [[稲葉三千男]]、[[社会学者]](+ [[2002年]]) * [[1928年]] - [[渥美清]]、[[俳優]](+ [[1996年]]) * 1928年 - [[ジェームズ・アール・レイ]]、[[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア|キング牧師]]暗殺の実行犯(+ [[1998年]]) * 1928年 - [[岡田善雄]]、[[生物学者]](+ [[2008年]]) * [[1930年]] - [[柴田義人]]、経済学者、[[北海学園大学]]名誉教授(+2002年) * [[1932年]] - [[世良譲]]、ジャズ[[ピアニスト]](+ [[2004年]]) * [[1934年]] - [[藤子不二雄A]]、[[漫画家]](+ [[2022年]]) * 1934年 - [[フー・ツォン]]、ピアニスト(+ [[2020年]]) * 1934年 - [[和田八束]]、経済学者、[[立教大学]]名誉教授 * 1934年 - [[石原舜三]]、[[地球科学者]] * 1934年 - [[江上重孝]]、元プロ野球選手 * [[1935年]] - [[陳鋼]]、[[作曲家]]、ピアニスト * [[1936年]] - [[ゼップ・ブラッター]]、元[[国際サッカー連盟|国際サッカー連盟(FIFA)]]会長 * 1936年 - [[サミュエル・ダニシェフスキー]]、[[化学者|有機化学者]] * 1936年 - [[袴田巌]]、プロボクサー、[[袴田事件]]の当事者 * [[1937年]] - [[ピンヨー・スワンキリ]]、建築家 * 1937年 - [[信田邦雄]]、政治家 * [[1938年]] - [[古今亭志ん朝]](三代目)、[[落語家]]、俳優(+[[2001年]]) * 1938年 - [[月亭可朝]]、落語家、[[タレント]](+ [[2018年]]) * 1938年 - [[石川文洋]]、[[報道写真家]] * 1938年 - [[天野正子]]、[[社会学者]]、[[お茶の水女子大学]]名誉教授(+ [[2015年]]) * [[1939年]] - [[高岡英司]]、元プロ野球選手 * 1939年 - [[此島愛子]]、女優 * [[1940年]] - [[大空眞弓]]、女優 * 1940年 - [[チャック・ノリス]]、俳優、[[空手家]] * 1940年 - [[足立光宏]]、元プロ野球選手 * 1940年 - [[村山幸子]]、将棋棋士 * [[1941年]] - [[徳光和夫]]、[[フリーアナウンサー]](戸籍上。実際は[[3月3日]]) * 1941年 - [[真崎守]]、漫画家、[[演出家]] * 1941年 - [[西野忠臣]]、元プロ野球選手 * [[1942年]] - [[藤嶋昭]]、[[化学者]] * [[1943年]] - [[道上洋三]]、アナウンサー、ラジオパーソナリティ * [[1945年]] - [[東久邇信彦]]、元皇族(+ [[2019年]]) * 1945年 - [[田中泯]]、[[舞踊家]] * 1945年 - [[大石勝彦]]、元プロ野球選手 * 1945年 - [[佐藤輝]]、俳優 * [[1946年]] - [[高橋博士]]、元プロ野球選手 * [[1947年]] - [[郡司健]]、会計学者 * 1947年 - [[キム・キャンベル]]、政治家、元[[カナダの首相|カナダ首相]] * [[1948年]] - [[岡村定矩]]、[[天文学者]] * 1948年 - [[大原和男]]、元プロ野球選手 * 1948年 - [[井上三次]]、元競輪選手 * [[1949年]] - [[大門正明]]、俳優 * 1949年 - [[佐々木隆博]]、政治家 * 1949年 - [[三笠優子]]、[[演歌歌手]]、浪曲師 * [[1950年]] - [[三橋貴風]]、尺八奏者 * [[1951年]] - [[神出政巳]]、政治家、建築士 * 1951年 - [[芹洋子]]、[[歌手]] * 1951年 - [[嵯峨春平]]、実業家(+ [[2004年]]) * 1951年 - [[井口俊英]]、小説家(+ [[2019年]]) * [[1953年]] - [[ポール・ハギス]]、[[映画監督]]、[[映画プロデューサー]]、[[脚本家]] * [[1954年]] - [[天木雅和]]、彫刻家 * 1954年 - [[板東一彦]]、官僚 * [[1955年]] - [[鈴木利男]]、レーシングドライバー * [[1956年]] - [[北村晴男]]、[[弁護士]] * 1956年 - [[ランディ・ジョンソン (内野手)|ランディ・ジョンソン]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[ウサーマ・ビン・ラーディン|ウサマ・ビンラディン]]、[[アルカーイダ]]指導者(+ [[2011年]]) * 1957年 - [[鹿取義隆]]、元プロ野球選手 * 1957年 - [[川村和夫 (実業家)|川村和夫]]、実業家、元アナウンサー * 1957年 - [[青山純]]、[[ドラマー]](+ [[2013年]]) * [[1958年]] - [[シャロン・ストーン]]、女優 * 1958年 - [[家中宏]]、[[声優]] * 1958年 - [[スティーヴ・ハウ (野球)|スティーヴ・ハウ]]、プロ野球選手(+ [[2006年]]) * [[1959年]] - [[桶谷顕]]、[[脚本家]](+ [[2007年]]) * 1959年 - [[井藤英忠]]、元ハンドボール選手 * [[1960年]] - [[熊谷真実]]、女優 * 1960年 - [[白木美貴子]]、女優、歌手 * 1960年 - [[向坂樹興]]、アナウンサー * [[1961年]] - [[マイク・バークベック]]、元プロ野球選手 * 1961年 - [[うすね正俊]]、漫画家 * 1961年 - [[村﨑太郎|村崎太郎]]、猿回し師 * [[1962年]] - [[道蔦岳史]]、[[クイズ王]]、放送作家 * 1962年 - [[久田典子]]、作曲家 * 1962年 - [[本田恵子]]、漫画家 * 1962年 - [[松田聖子]]、歌手 * 1962年 - [[多田野曜平]]、俳優、声優 * [[1963年]] - [[藤谷美和子]]、女優 * 1963年 - [[坂口千仙]]、元プロ野球選手 * 1963年 - [[北森郁子]]、陸上選手 * 1963年 - [[ジェフ・アメン]]、[[ミュージシャン]]([[パール・ジャム]]) * [[1964年]] - [[足立祐二]]、ギタリスト([[DEAD END (バンド)|DEAD END]])、ミュージシャン(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/06/19/kiji/20200619s00041000156000c.html |title=DEAD ENDギタリスト・YOUさん 敗血症で16日に死去 |access-date=15 Mar 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |website=Sponichi Annex}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/383919 |title=DEAD ENDギタリスト足立“YOU”祐二が敗血症のため死去 |date=2020-06-19 |work=[[ナタリー (ニュースサイト)|音楽ナタリー]] |accessdate=15 Mar 2023}}</ref>) * 1964年 - [[アントン・ポルスター]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]] * 1964年 - [[小林深雪]]、小説家、漫画原作者 * [[1965年]] - [[森純太]]、ミュージシャン([[JUN SKY WALKER(S)]]) * [[1966年]] - [[フィル・X]]、[[ギタリスト]] * 1966年 - [[デイヴ・クルーセン]]、[[ドラマー]] * 1966年 - [[植草朋樹]]、アナウンサー * 1966年 - [[鳥井信宏]]、実業家 * 1966年 - [[山田雅彦]]、[[厚生労働省|厚生労働]][[官僚]] * [[1967年]] - [[鈴木大地]]、[[競泳]]選手、[[順天堂大学]]講師 * 1967年 - [[深澤真紀]]、コラムニスト、編集者 * 1967年 - [[岸本光正]]、俳優、声優 * 1967年 - [[亀山房代]]、お笑いタレント(+ [[2009年]]) * [[1969年]] - [[森恵 (女優)|森恵]]、女優、歌手、[[作詞家]] * 1969年 - [[木崎文智|木﨑文智]]、[[アニメーション監督]]、[[アニメーター]] * 1969年 - [[豊田利晃]]、映画監督 * [[1970年]] - [[鈴木平]]、元プロ野球選手 * 1970年 - [[石川康]]、元サッカー選手 * 1970年 - [[坂田周大]]、アナウンサー * 1970年 - [[中島久美子]]、[[テレビプロデューサー]] * [[1971年]] - [[博多大吉]]、[[お笑いタレント]]([[博多華丸・大吉]]) * 1971年 - [[ティンバランド]]、[[音楽プロデューサー]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1971年 - [[つぶやきシロー]]、お笑いタレント * 1971年 - [[藤崎竜]]、漫画家 * 1971年 - [[桐山明佳]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[藤井隆]]、お笑いタレント * 1972年 - [[ロブ・スタニファー]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[坪田敦史]]、ジャーナリスト * 1973年 - [[ダン・スワノ]]、ミュージシャン、音楽プロデューサー、[[レコーディング・エンジニア]] * 1973年 - [[エヴァ・ハーツィゴヴァ]]、[[スーパーモデル]]、女優 * 1973年 - [[名波はるか]]、女優、タレント * 1973年 - [[森本光]]、アナウンサー * 1973年 - [[クリス・サットン]]、元サッカー選手 * [[1974年]] - [[山崎依里奈]]、声優 * 1974年 - [[小林敦]]、元バレーボール選手 * [[1975年]] - [[逸見愛]]、タレント * 1975年 - [[佐々木六華|佐々木立華]]、アナウンサー * 1975年 - [[山田花子 (タレント)|山田花子]]、お笑いタレント * [[1976年]] - [[ハイファ・ワハビ]]、歌手 * 1976年 - [[相橋愛子]]、声優 * [[1977年]] - [[中田有紀 (陸上選手)|中田有紀]]、陸上選手 * 1977年 - [[永山美穂]]、フリーアナウンサー * 1977年 - [[ロビン・シック]]、[[シンガーソングライター]] * [[1978年]] - [[内田滋]]、俳優 * 1978年 - 山本聖治、ミュージシャン、ベーシスト(元[[Bivattchee]]) * [[1979年]] - [[小川正和]]、アニメーションプロデューサー * 1979年 - [[魔裟斗]]、[[キックボクサー]] * [[1980年]] - [[広瀬仁美]]、女優 * [[1981年]] - [[サミュエル・エトオ]]、元サッカー選手 * 1981年 - [[黒海太]]、元[[大相撲]][[力士]] * 1981年 - [[伊藤亮]]、フィールドホッケー選手 * 1981年 - [[杉浦太陽]]、俳優 * 1981年 - [[小林明実]]、ファッションモデル、女優 * [[1982年]] - [[大坂孝之介]]、ミュージシャン、作曲家 * 1982年 - [[高橋光臣]]、俳優 * 1982年 - [[ダニイル・バランツェフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1982年 - [[金子光希]]、騎手 * [[1983年]] - [[石橋敬三]]、マンドリン奏者 * 1983年 - [[ソニン (タレント)|ソニン]]、歌手、女優 * 1983年 - [[キャリー・アンダーウッド]]、歌手 * 1983年 - [[緒川尊]]、俳優 * 1983年 - [[ラシンダ・ディーマス]]、陸上競技選手 * [[1984年]] - [[川奈栞]]、元[[グラビアアイドル]] * 1984年 - [[榮徳多賀子]]、タレント * 1984年 - [[桃瀬ツカサ]]、タレント * 1984年 - [[オリヴィア・ワイルド]]、女優 * 1984年 - [[ダヴィ・ジョゼ・シルバ・ド・ナシメント|ダヴィ]]、サッカー選手 * 1984年 - [[中井孝治]]、元スノーボード選手 * [[1985年]] - [[ラッサナ・ディアッラ]]、サッカー選手 * 1985年 - [[土佐豊祐哉]]、元大相撲力士 * [[1986年]] - [[野田りさ]]、[[ファッションモデル]] * 1986年 - [[伊藤朱里]]、小説家 * 1986年 - [[飯田一弥]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[永野亮比己]]、ミュージカル俳優 * [[1988年]] - [[橘美里]]、女優 * 1988年 - [[南千尋]]、女優 * 1988年 - [[織田菜月]]、[[アイドル]] * 1988年 - [[横井美沙]]、バスケットボール選手 * 1988年 - [[イヴァン・ラキティッチ]]、サッカー選手 * [[1989年]] - [[ダヤン・ビシエド]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[大場達也]]、元プロ野球選手 * 1989年 - [[高橋理]]、サッカー指導者 * [[1990年]] - [[まらしぃ]]、ピアニスト * 1990年 - [[浅場佳苗]]、シンガーソングライター * 1990年 - [[慶天海孔晴]]、大相撲力士 * [[1991年]] - [[米津玄師]]、[[シンガーソングライター]] * 1991年 - はまやねん、お笑いタレント([[8.6秒バズーカー]]) * [[1992年]] - [[エミリー・オスメント]]、女優、歌手 * 1992年 - [[彩尊光]]、元大相撲力士 * [[1993年]] - [[篠原愛実]]、元女優 * 1993年 - [[来栖梨紗]]、女優、モデル * 1993年 - [[土屋希美]]、ファッションモデル * 1993年 - やっぴー、お笑いタレント([[ぶたマンモス]]) * 1993年 - [[アレハンドロ・メヒア]]、プロ野球選手 * 1993年 - [[プニエル]]、アイドル([[BTOB]]) * [[1994年]] - [[永尾まりや]]、タレント(元[[AKB48]]) * 1994年 - [[奥山かずさ]]、女優 * 1994年 - [[堺小春]]、女優 * 1994年 - [[坂下陽春]]、俳優 * 1994年 - [[トリンドル瑠奈]]、ファッションモデル * [[1995年]] - [[佐久間由衣]]、モデル、女優 * 1995年 - [[山内美咲]]、バレーボール選手 * [[1996年]] - [[斉藤みのり]]、女優 * 1996年 - [[呂彦青]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - [[東拓海]]、俳優 * 1997年 - [[ジャリエル・ロドリゲス]]、プロ野球選手 * 1997年 - [[野原有希]]、サッカー選手 * [[1998年]] - [[ジャスティン・ハーバート]]、[[アメリカンフットボール]]選手 * 1998年 - [[河実里夏]]、声優 * 1998年 - 仁、お笑い芸人([[軍艦 (お笑いコンビ)|軍艦]]) * 1998年 - [[星☆美優]]、元アイドル * 1998年 - [[長坂有紗]]、[[レースクイーン]] * [[1999年]] - [[白鳥羽純]]、女優、タレント(元[[X21]]) * 1999年 - [[寺田宇多菜]]、柔道選手 * 1999年 - [[山中尭之]]、プロ野球選手 * 1999年 - [[原田海]]、スポーツクライマー * [[2000年]] - [[川嶋紗南]]、女優 * 2000年 - 大江れな、アイドル([[KissBee]]) * 2000年 - [[山内彰]]、サッカー選手 * [[2002年]] - [[池谷匠翔]]、[[騎手]] * [[2003年]] - [[山田愛乃]]、新体操選手 * 2003年 - [[吉田美月喜]]、モデル、女優 * [[2004年]] - [[若林学歩]]、サッカー選手 * [[2009年]] - 林美澪、アイドル([[SKE48]]) * 生年不明 - [[大河内雅子]]、声優 * 生年不明 - [[大坪純子]]、声優 * 生年不明 - [[金松由花]]、声優 * 生年不明 - [[松本慎也]]、俳優 * 生年不明 - [[優木かな]]、声優 * 生年不明 - そうま、歌い手([[KnightA-騎士A-]]) * 生年不明 - [[汀万里]]、漫画家 * 生年不明 - [[上乃龍也]]、漫画家 * 生年不明 - [[佐々木聡美]]、気象予報士 === 人物以外(動物など) === * [[1990年]] - [[ビワハヤヒデ]]、[[競走馬]](+ [[2020年]]) * 1990年 - [[ユキノビジン]]、競走馬(+ [[2016年]]) * [[2010年]] - [[ロゴタイプ (競走馬)|ロゴタイプ]]、競走馬 * [[2012年]] - [[サトノクラウン]]、競走馬 * 2012年 - [[キタサンブラック]]、競走馬 * [[2014年]] - [[スワーヴリチャード]]、競走馬 * [[2015年]] - [[アーモンドアイ]]、競走馬 * [[2018年]] - [[エフフォーリア]]、競走馬 == 忌日 == [[File:Domingos Antônio Sequeira - Retrato de D. João VI.jpg|thumb|220x220px|[[ジョアン6世 (ポルトガル王)|ジョアン6世]](1767-1826)]] [[ファイル:Seigetsu1.jpg|thumb|198x198px|[[井上井月]](1822-1887)]] [[Image:Guido_Herman_Fridolin_Verbeck.jpg|thumb|180x180px|[[グイド・フルベッキ]](1830-1898)]] [[File:Karl Lueger um 1900.jpg|thumb|250x250px|[[カール・ルエーガー]](1844-1910)]] [[Image:Kaneko_Misuzu.jpg|thumb|280x280px|[[金子みすゞ]](1903-1930)]] [[File:Kijuro Shidehara diplomat.jpg|thumb|255x255px|[[幣原喜重郎]](1872-1951)]] * [[483年]] - [[シンプリキウス (ローマ教皇)|シンプリキウス]]、第47代[[教皇|ローマ教皇]] * [[720年]]([[養老]]4年[[1月27日 (旧暦)|1月27日]]) - [[阿倍宿奈麻呂]]、[[公卿]] * [[1291年]] - [[アルグン]]、[[イルハン朝]]第4代君主(* [[1258年]]?) * [[1513年]] - 第13代[[オックスフォード伯]][[ジョン・ド・ヴィアー (第13代オックスフォード伯)|ジョン・ド・ヴィアー]](* [[1442年]]) * [[1792年]] - 第3代[[ビュート伯爵]][[ジョン・ステュアート (第3代ビュート伯)|ジョン・ステュアート]]、[[イギリス]]の[[イギリスの首相|首相]](* [[1713年]]) * [[1823年]] - [[ジョージ・エルフィンストーン]]、[[イギリス海軍]][[提督]](* [[1746年]]) * [[1825年]] - [[カール・モルワイデ]]、[[モルワイデ図法]]発案者(* [[1774年]]) * [[1826年]] - [[ジョアン6世 (ポルトガル王)|ジョアン6世]]、[[ポルトガル王]](* [[1767年]]) * [[1832年]] - [[ムツィオ・クレメンティ]]、[[作曲家]](* [[1752年]]) * [[1847年]] - [[チャールズ・ハチェット]]、[[化学者]](* [[1765年]]) * [[1855年]] - [[カルロス・マリア・イシドロ・デ・ボルボーン]]、[[スペイン]]の王位請求者(* [[1788年]]) * [[1861年]] - [[タラス・シェフチェンコ]]、[[詩人]](* [[1814年]]) * [[1864年]] - [[マクシミリアン2世 (バイエルン王)|マクシミリアン2世]]、[[バイエルン国王|バイエルン王]](* [[1811年]]) * [[1870年]] - [[イグナーツ・モシェレス]]、作曲家(* [[1794年]]) * [[1872年]] - [[ジュゼッペ・マッツィーニ]]、革命家(* [[1805年]]) * [[1887年]] - [[井上井月]]、[[俳人]](* [[1822年]]?) * [[1898年]] - [[グイド・フルベッキ]]、[[キリスト教]][[宣教師]](* [[1830年]]) * [[1900年]] - [[カール・ドップラー]]、[[指揮者]]、[[作曲家]]、[[フルート奏者]](* [[1825年]]) * [[1903年]] - [[ソフィー・アンダーソン]]、[[画家]](* [[1823年]]) * [[1910年]] - [[カール・ライネッケ]]、作曲家、[[指揮者]](* [[1824年]]) * 1910年 - [[カール・ルエーガー]]、[[ウィーン]]市長(* [[1844年]]) * [[1916年]] - [[ウォルター・S・サットン]]、[[生物学者の一覧|生物学者]]、[[医学|医学者]](* [[1877年]]) * [[1918年]] - [[ジム・マコーミック]]、[[野球選手]](* [[1856年]]) * [[1920年]] - [[岩谷松平]]、[[実業家]](* [[1850年]]?) * [[1925年]] - [[ジョン・フィルモア・ヘイフォード]]、[[測地学|測地学者]](* [[1868年]]) * 1925年 - [[マイヤー・プリンスタイン]]、[[陸上競技]]選手(* [[1878年]]) * [[1930年]] - [[金子みすゞ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/4341/ |title=金子みすゞ |access-date=15 Mar 2023 |publisher=国立国会図書館}}</ref>、[[童謡]]詩人(* [[1903年]]) * [[1934年]] - [[武藤山治 (実業家)|武藤山治]]、実業家(* [[1867年]]) * [[1937年]] - [[エヴゲーニイ・ザミャーチン]]、[[小説家]](* [[1884年]]) * [[1939年]] - [[山本懸蔵]]、[[労働運動家]]、[[日本共産党]]党員(* [[1895年]]) * [[1940年]] - [[ミハイル・ブルガーコフ]]、[[小説家]](* [[1891年]]) * [[1945年]] - [[河井荃廬]]、[[篆刻|篆刻家]](* [[1871年]]) * 1945年 - [[古屋慶隆]]、[[政治家]](* [[1879年]]) * 1945年 - [[太田仲三郎]]、実業家(* [[1887年]]) * 1945年 - [[琴ヶ浦善治郎]]、[[大相撲]][[力士]](* [[1890年]]) * 1945年 - [[吉村操]]、[[映画監督]](* [[1905年]]) * 1945年 - [[豊嶌雅男]]、大相撲力士、[[関脇]](* [[1919年]]) * 1945年 - [[枩浦潟達也]]、大相撲力士、[[小結]](* [[1915年]]) * 1945年 - [[小野欣助]]、[[野球選手]](* [[1917年]]) * 1945年 - [[徳三宝]]、[[柔道家]](* [[1887年]]) * [[1948年]] - [[エヴゲニー・スルツキー]]、[[経済学者]](* [[1880年]]) * 1948年 - [[ヤン・マサリク]]、[[チェコスロヴァキア]]外相(* [[1886年]]) * [[1951年]] - [[幣原喜重郎]]、政治家、第44代[[内閣総理大臣]]、第40代[[衆議院議長]](* [[1872年]]) * [[1953年]] - [[峠三吉]]、詩人(* [[1917年]]) * [[1960年]] - [[石黒忠篤]]、[[政治家]](* [[1884年]]) * 1960年 - [[瑛九]]、[[画家]]、[[版画家]]、[[写真家]](* [[1911年]]) * [[1963年]] - [[清元榮壽郎]]、[[清元節]][[三味線]]方(* [[1904年]]) * [[1969年]] - [[ジミー・ワイルド]]、[[プロボクサー]](* [[1892年]]) * [[1971年]] - [[土井虎賀寿]]、[[哲学|哲学者]](* [[1902年]]) * [[1978年]] - [[長谷川才次]]、[[時事通信社]]初代代表取締役(* [[1903年]]) * [[1980年]] - [[ティーブ・釜萢]]、[[ジャズ]][[ミュージシャン]](* [[1911年]]) * [[1982年]] - [[代田稔]]、[[医学博士]]、[[ヤクルト本社#主な製品|ヤクルト]]開発者(* [[1899年]]) * [[1985年]] - [[イスラエル・リガルディー]]、[[魔術師]](* [[1907年]]) * 1985年 - [[コンスタンティン・チェルネンコ]]、[[ソビエト連邦共産党|ソ連共産党]][[書記長]](* [[1911年]]) * 1985年 - [[ボブ・ニーマン]]、[[プロ野球選手]](* [[1927年]]) * [[1995年]] - [[相沢治夫]]、[[俳優]](* [[1923年]]) * [[1997年]] - [[萬屋錦之介]]、俳優(* [[1932年]]) * [[1998年]] - [[ロイド・ブリッジス]]、俳優(* [[1913年]]) * 1998年 - [[剣晃敏志]]、大相撲力士(* [[1967年]]) * [[2005年]] - [[照屋林助]]、[[音楽家]](* [[1929年]]) * 2005年 - [[星ルイス]]、[[漫才師]](* [[1947年]]) * 2005年 - [[赤羽根義章]]、[[国語学者]](* [[1958年]]) * 2005年 - [[ケント・ハドリ]]、プロ野球選手(* [[1934年]]) * [[2006年]] - [[アンナ・モッフォ]]、[[ソプラノ]]歌手 * [[2007年]] - [[時実新子]]、[[川柳]]作家(* [[1929年]]) * 2007年 - 藤永善作<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yakuji.co.jp/entry2501.html |title=【訃報】藤永善作氏(藤永製薬代表取締役会長)死去 |access-date=20 Apr 2023 |publisher=薬事日報 |date=14 Mar 2007}}</ref>、藤永製薬代表取締役会長 * [[2008年]] - [[田形竹尾]]、[[日本文化チャンネル桜]][[相談役]](* [[1916年]]) * 2008年 - [[李昊星]]、プロ野球選手(* [[1967年]]) * [[2009年]] - [[秋山光和]]、[[美術史|美術史家]]、[[東京大学]]名誉教授(* [[1918年]]) * 2009年 - [[三佳令二]]、[[作詞家]]、[[音楽プロデューサー]](* [[1928年]]) * [[2010年]] - [[コリー・ハイム]]、俳優(* [[1971年]]) * [[2011年]] - [[坂上二郎]]、[[コント55号|コメディアン]]、[[歌手]]、[[俳優]](* [[1934年]]) * 2011年 - [[毛利千代子]]、[[ラジオパーソナリティ]](* [[1943年]]) * 2011年 - [[竹林滋]]、英語学者、[[東京外国語大学]]名誉教授(* [[1926年]]) * [[2012年]] - [[酒井光子]]、喜劇女優(* [[1922年]]) * 2012年 - [[ジャン・ジロー]]、[[漫画家]](* [[1938年]]) * [[2013年]] - [[山口昌男]]、[[文化人類学|文化人類学者]](* [[1931年]]) * 2013年 - [[堀井令以知]]、言語学者、[[関西外国語大学]]名誉教授(* [[1925年]]) * 2013年 - [[滝下毅]]、[[声優]](* [[1975年]]) * [[2015年]] - 立田清朗、化学者、[[九州大学]]名誉教授(* [[1931年]]) * [[2016年]] - [[聖日出夫]]、[[漫画家]](* [[1946年]]) * 2016年 - [[キース・エマーソン]]、[[キーボーディスト]]、[[作曲家]](* [[1944年]]) * [[2017年]] - [[佐島直子]]、政治学者、[[専修大学]]教授(* [[1955年]]) * [[2019年]] - [[及川和男]]、小説家、「[[北の文学]]」元編集委員(* [[1933年]]) * 2019年 - [[ウォーリー山口]]、[[著作家|ライター]]、[[レフェリー (プロレス)|レフェリー]]、[[マネージャー (プロレス)|プロレスマネージャー]](* [[1958年]]) * [[2020年]] - [[ジョージ大塚]]、ジャズ[[ドラマー]](* [[1937年]]) * [[2021年]] - 山口栄鉄<ref>{{Cite web|和書|url=https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1287940.html |title=国際琉球学研究者 山口栄鉄さん死去 82歳 バジル・ホール研究会名誉会長 |access-date=20 Apr 2023 |publisher=[[琉球新報]] |date=17 Mar 2021}}</ref>、琉球研究者(* [[1938年]]) * [[2022年]] - [[下野敏見]]、[[民俗学者]](* [[1929年]]) * [[2023年]] - [[伊藤雅俊 (1924年生の実業家)|伊藤雅俊]]、[[セブン&アイ・ホールディングス]]名誉会長、[[イトーヨーカ堂]]設立者(* [[1924年]]) * 2023年 - [[金田誠一]]、元[[衆議院議員]](* [[1947年]]) * 2023年 - [[藤井直伸]]、[[バレーボール]]選手(* [[1992年]]) == 記念日・年中行事 == * 東京都平和の日({{JPN}}) *: [[1945年]]のこの日、アメリカ空軍の[[B-29 (航空機)|B29爆撃機]]による[[東京大空襲]]が行われ、最大級の被害をもたらしたことから、都民一人ひとりが平和を考える日として[[東京都]]が1990年に制定。 * [[陸軍記念日]]({{JPN}}、[[1906年]] - [[1945年]]) *: [[1905年]]のこの日の、[[日露戦争]]・[[奉天会戦]]での日本の勝利を記念。 * [[チベット民族蜂起記念日]] *: [[1959年]]のこの日の[[1959年のチベット蜂起|チベット蜂起]]を記念。 * 農山漁村女性の日({{JPN}}) *: [[農林水産省]]婦人・生活課が[[1988年]](昭和63年)に制定。各地域にある婦人だけの休息日が農閑期の10日であることが多かったことから。 * [[佐渡島|佐渡]]の日({{JPN}}) *: 佐渡観光協会が1998年に制定。「さ(3)ど(10)」の語呂合せ。 * [[水戸市|水戸]]の日({{JPN}}) *: 「み(3)と(10)」の語呂合せ。 * [[サボテン]]の日({{JPN}}) *: 「さ(3)ぼてん(10)」の語呂合せ。 * [[見合い]]の日({{JPN}}) *: 出会いの機会を提供し、幸せな結婚を推奨していくことを目的に、エン婚活エージェント株式会社が制定。日付けは、「み(3)あい(1)=見合い」「ミー(3)ト(10)=meet」「0=円=縁」の語呂合せから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=84|isbn=978-4422021140 }}</ref>。 * [[砂糖]]の日({{JPN}}) *: 「さ(3)とう(10)」の語呂合せ。 * [[ミント]]の日({{JPN}}) *: [[クラシエフーズ|カネボウフーズ]]が2000年に制定。「ミ(3)ント(10)」の語呂合せ。 * [[横浜三塔]]の日({{JPN}}) *: 横浜観光コンベンション・ビューローが2007年に制定<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.arukikata.co.jp/web/article/item/2131311/ |title=3月10日は横浜三塔の日 |access-date=15 Mar 2023 |publisher=Arukikata. Co.,Ltd. |website=地球の歩き方web}}</ref>。「さん(3)とう(10)」の語呂合せ。 * [[名古屋コーチン]]の日({{JPN}}) *: 旧尾張藩士の海部壮平・正秀兄弟によって作出された[[地鶏]]・名古屋コーチンが、1905(明治38)年3月10日、日本家禽協会から国産実用品種第1号として認定された。これにちなみ、3月10日を「名古屋コーチンの日」として[[記念日#一般社団法人日本記念日協会|日本記念日協会]]に登録申請し、2016年に認定された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.library.city.nagoya.jp/img/reference/chosahoukoku_51.pdf |title=調査団報告書 |access-date=15 Mar 2023 |publisher=名古屋市図書館 |format=[[PDF]]}}</ref>。 * たけのこの里の日 *: [[明治 (企業)|株式会社明治]]が自社で販売している菓子・[[たけのこの里]]の記念日として日本記念日協会に申請して正式に受理、2017年に制定。商品名「たけのこの里」から「さ(3)と(10)」の語呂合せ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.oricon.co.jp/news/2086056/ |title=『たけのこの里の日』を3月10日に制定 中の人が“きのこ派”に勝利宣言? |access-date=15 Mar 2023 |publisher=[[ORICON NEWS]] |date=16 Feb 2017}}</ref>。 * [[マリオ (ゲームキャラクター)|マリオ]]の日({{USA}}) *: 3月10日の英語表記の一つに「Mar.10」があり、これが「MARIO」に似ていることから<ref>{{Cite web|和書|url=https://topics.nintendo.co.jp/article/f4b4a8bc-1d11-11e8-a129-063b7ac45a6d |title=3月10日はマリオの日!スマートフォン向けアプリの情報を3つご紹介。 |date=2018-03-10 |accessdate=15 Mar 2023 |publisher=[[任天堂]]}}</ref>。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0310|date=2023年3月}} === 誕生日(フィクション) === * 生年不明 - グラン、ゲーム・アニメ『[[グランブルーファンタジー]]』の主人公 * 生年不明 - ジータ、ゲーム・アニメ『グランブルーファンタジー』の主人公・『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1104562537943560192}}</ref> * 生年不明 - 沙慈・クロスロード、アニメ『[[機動戦士ガンダム00]]』のもう一人の主人公 * 生年不明 - 佐藤さん、漫画『佐藤さんはPJK』の主人公<ref>{{Cite book|和書 |title=佐藤さんはPJK |date=27 Feb 2020 |publisher=[[芳文社]] |page=4 |author=わらびもちきなこ |volume=2}}</ref> * 生年不明 - 希咲美桜、ゲーム・アニメ『[[ワルキューレロマンツェ 少女騎士物語|ワルキューレ・ロマンツェ]]』のヒロインのひとり * 生年不明 - 山代八咫、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://onsen-musume.jp/character/yamashiro_yata |title=石川 山代 八咫 |work=『温泉むすめ』 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |accessdate=2023-03-15}}</ref> * 生年不明 - [[みとちゃん (水戸市)|みとちゃん]]、[[茨城県]][[水戸市]]公式マスコットキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mitokoumon.com/mitochan_room/ |title=みとちゃん プロフィール |work=『みとちゃんの部屋』 |accessdate=15 Mar 2023 |publisher=水戸市産業経済部観光課}}</ref> * 生年不明 - デビルミント鬼龍、[[サンリオ]]のキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanrio.co.jp/characters/devilmintkiryu/ |title=デビルミント鬼龍 |access-date=2022-09-04 |publisher=[[サンリオ]]}}</ref> * 生年不明 - 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モリー・C・クイン、小説・アニメ『[[メルヘン・メドヘン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://maerchen-anime.com/chara/molly.html |title=モリー・ C・クイン |access-date=15 Mar 2023 |publisher=MMM/メルヘン・メドヘン製作委員会 |work=『メルヘン・メドヘン』}}</ref> * 生年不明 - セリス・シェール、ゲーム『[[ファイナルファンタジーVI]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ファイナルファンタジーVI ザ・コンプリート|publisher=[[NTT出版]]|year=1994|page=162|ISBN=4-87188-303-5}}</ref> * 生年不明 - ローズ・シナモン、ゲーム『[[ビストロ・きゅーぴっと]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 黒沢典子、ゲーム・アニメ『[[アマガミSS]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - チナミ、ゲーム『[[遙かなる時空の中で5]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#ルーキートレーナー|青木慶]]、ゲーム・アニメ『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 降神陽奈、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/hina.html |title=降神 陽奈 |publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX CO.]] |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate=2023-03-15}}</ref> * 生年不明 - 瑠璃川春乃、ゲーム『[[グリモア〜私立グリモワール魔法学園〜]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://grimoire.applibot.co.jp/detail.html?char |title=Character 瑠璃川 春乃 |work=『グリモアA~私立グリモワール魔法学園~』 |accessdate=2022-09-04 |publisher=Applibot, Inc.}}</ref> * 生年不明 - 佐藤虎太郎、ゲーム・アニメ『[[ワガママハイスペック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://wagahigh.com/character_sub.php#char5 |title=佐藤 虎太郎 |access-date=2022-09-04 |publisher=まどそふと |work=『ワガママハイスペック』}}</ref> * 生年不明 - 明智光秀、ゲーム『茜さすセカイでキミと詠う』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aka_seka|1501754724579688457}}</ref> * 生年不明 - 小鳥遊柚、ゲーム『[[八月のシンデレラナイン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://hachinai.com/character/takanashi |publisher=[[アカツキ (企業)|Akatusuki Inc.]] |work=『八月のシンデレラナイン』 |title=小鳥遊 柚 |accessdate=2023-03-15}}</ref> * 生年不明 - ビワハヤヒデ、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=biwahayahide |title=ビワハヤヒデ |publisher=[[Cygames]] |accessdate=2023-03-15 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref> * 生年不明 - キタサンブラック、ゲーム・アニメ『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=kitasanblack |title=キタサンブラック |publisher=[[Cygames]] |accessdate=2023-03-15 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref> * 生年不明 - 斉藤和樹、メディアミックス『[[博多豚骨ラーメンズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://note.com/kisakichiaki/n/n45700921bd7f |title=『博多豚骨ラーメンズ』のキャラクター設定について |accessdate=2022-09-04 |publisher=木崎ちあき |website=note}}</ref> * 生年不明 - 螢、メディアミックス『[[シャインポスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://shinepost.jp/character/hotaru/ |title=螢|CHARACTER |publisher=[[コナミデジタルエンタテインメント|Konami Digital Entertainment]],[[ストレートエッジ (企業)|Straight Edge Inc.]]/シャインポスト製作委員会 |work=『SHINE POST』 |accessdate=2023-03-15}}</ref> == 歌 == * 江田聖明とザ・ブレイズの楽曲「卒業の季節」の歌詞中の台詞に登場する日付。同楽曲のシングル発売日と同日である([[1969年]])。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|30em}} == 関連項目 == {{commons&cat|March 10|10 March}} {{新暦365日|3|9|3|11|[[2月10日]]|[[4月10日]]|[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]|0310|3|10}} {{1年の月と日}}
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サンプリング周波数
サンプリング周波数(サンプリングしゅうはすう)、または標本化周波数は、音声等のアナログ波形をデジタルデータにするために必要な処理である標本化(サンプリング)において、単位時間あたりに標本を採る頻度。単位はHzが一般に使われるが、sps (sample per second) を使うこともある。 サンプリングレート、サンプルレートとも呼ばれる。 ある波形を正しく標本化するには、波形の持つ周波数成分の帯域幅の2倍より高い周波数で標本化する必要がある(これをサンプリング定理と呼ぶ)。 逆に、サンプリング周波数の1/2の帯域幅の外側の周波数成分は、復元時に折り返し雑音となるため、標本化の前に帯域制限フィルタにより遮断しておかなければならない。 音楽CDで使用されるサンプリング周波数は44.1kHzであるため、直流から22.05kHzまでの音声波形を損なわずに標本化できる。あらかじめ、カットオフ周波数20kHzないし22kHz程度のローパスフィルタで前処理が行なわれているが、人の可聴域の上限20kHzにほぼ一致しているため、実用上問題なく音声を再現できることになる。理論的には22.05kHzまで伝送可能だが、いかに急峻な減衰特性を持つフィルタといえども無限の減衰勾配を持つことはできない。22.05kHz以上で所定の減衰特性を持ち、かつできるだけ広い通過帯域と許容できる位相特性を持つフィルタとして、古いCDでは20kHz前後のカットオフ特性が選ばれることが多く、最低18kHzあたりから急激に減衰し21kHz付近でほぼ音は出なくなっていた。ただし現在ほとんどのCDでは22kHzぎりぎりまで音が出るようになっており、スペクトラムアナライザーソフトで容易に確認できる。 50kHzから60kHz以上のサンプリング周波数は人間にとって有用な情報をもたらさない。初期のプロオーディオメーカーが50kHz周辺のサンプリング周波数を選んだのはその理由による。 オーディオ機器で96kHzや192kHzなどのより高いサンプリング周波数が販売面で好まれる場合もあるが、研究の結果、人間にとって超音波が聴覚できないことがわかっている。しかしながら、超音波が相互変調歪みの形で聴こえる場合もある。これは元の音源にはなかった音である。 高サンプリング周波数の利点は、ADCやDACのローパスフィルタの設計の要求を緩和できることにある。ただし、最近のΔΣ変調によるオーバーサンプリングコンバータにとって、この利点は重要ではない。 プロのエンジニアの国際団体であるAudio Engineering Society(英語版)は音源の制作、編集過程においてPCM 48kHzを多くの場面で適用することを推奨している。コンシューマ用途ではCDなど44.1kHz、通信用途では32kHz、アンチエイリアシング・フィルタを緩和するためには96kHzを使用することも可能としている。 また、フィルム映画やテレビジョン信号も、本来時間的に連続した画像を離散的な時刻で撮影した「コマ」を記録・再生するので、フレームレートも広い意味でのサンプリング周波数ととらえ、三次元ビデオ信号処理として扱われる。これは特にフレームレート変換を伴う方式変換技術や、インターレース/プログレッシブ走査変換、フレーム間圧縮を伴う高効率符号化技術などでは重要な概念である。 サンプリング周波数は、原理的には標本化すべき原信号の最も高い周波数成分(帯域幅)の2倍より高い任意の周波数でよいが、放送や録音などでは一度決めると互換性の点から変更することが難しい。T1回線の電話の8kHzのように「キリのよい」周波数が選ばれるとともに、既存のシステムとの互換性(または非互換性)をもとに選ばれることも多い。 CD-DAなどのサンプリング周波数44.1kHzは、一見するとキリの悪い意味のない周波数に見えるが、これはPCMプロセッサーに由来する。すなわちテレビとその映像信号の水平同期周波数15.75kHzの 3×(14/15)倍である。1水平走査内に6標本(ステレオ各チャンネル3標本ずつ)をビデオ信号の形に変調して記録する。PCMプロセッサーで利用したVTRでは、垂直帰線区間をヘリカルスキャン方式の回転ヘッドの切替えタイミングとしており記録に使えないため、その付近の各フィールド毎17.5本(総走査線数の1/15)の走査線の部分を使っていない。 ただし、カラーテレビ放送のNTSCの水平同期周波数は(約)15.734 kHzで、VTRには15.734 kHzのものと15.75 kHzのものが混在していたため、サンプリング周波数も44.056 kHzと44.1 kHzが混在していた時期があった(CD-DAでは44.1 kHzに統一されている)。(NTSCのHSYNCは正確には 15.75 × (1000/1001) = 15.73426573426...(kHz) で、15.73426573426... × 3 × (14/15) = 44.0559440559... ≒ 44.056、15.75 × 3 × 14 / 15 = 44.1) 1970年代に世界で初めて実用デジタル音楽録音を実現した日本コロムビアのDN-023R(PCMプロセッサではない)では、どれかのヘッドが常に記録状態にあり、垂直帰線区間も全てそのまま記録できる2インチVTRを改造・使用したので、映像信号のすべてに記録でき、サンプリング周波数は47.25kHzと、水平同期周波数15.75kHzのちょうど3倍となっている。 1980年代末に開始した日本における衛星放送(及び、のちのDVDなど)の音声は48kHzのサンプリング周波数を使っている。 サンプリング周波数が異なる機器同士でも録音が出来るようにする装置を、サンプリングレートコンバータと呼ぶ。 例えば、BSのBモード音声をMD、または音楽用CD-R/CD-RWに録音しようとすると、サンプリング周波数はそれぞれ48kHzと44.1kHzとなり、そのままでは録音ができない。そこでサンプリングレートコンバータを用いると、MDレコーダー、およびCDレコーダー側でサンプリング周波数が44.1kHzに変換され、録音が可能になる。2010年現在の時点におけるデジタル入力端子が装備された(例外あり)MDレコーダー(据え置き型、ポータブル型)、およびCDレコーダーの大部分の機種にはサンプリングレートコンバータが内蔵されている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "サンプリング周波数(サンプリングしゅうはすう)、または標本化周波数は、音声等のアナログ波形をデジタルデータにするために必要な処理である標本化(サンプリング)において、単位時間あたりに標本を採る頻度。単位はHzが一般に使われるが、sps (sample per second) を使うこともある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "サンプリングレート、サンプルレートとも呼ばれる。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ある波形を正しく標本化するには、波形の持つ周波数成分の帯域幅の2倍より高い周波数で標本化する必要がある(これをサンプリング定理と呼ぶ)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "逆に、サンプリング周波数の1/2の帯域幅の外側の周波数成分は、復元時に折り返し雑音となるため、標本化の前に帯域制限フィルタにより遮断しておかなければならない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "音楽CDで使用されるサンプリング周波数は44.1kHzであるため、直流から22.05kHzまでの音声波形を損なわずに標本化できる。あらかじめ、カットオフ周波数20kHzないし22kHz程度のローパスフィルタで前処理が行なわれているが、人の可聴域の上限20kHzにほぼ一致しているため、実用上問題なく音声を再現できることになる。理論的には22.05kHzまで伝送可能だが、いかに急峻な減衰特性を持つフィルタといえども無限の減衰勾配を持つことはできない。22.05kHz以上で所定の減衰特性を持ち、かつできるだけ広い通過帯域と許容できる位相特性を持つフィルタとして、古いCDでは20kHz前後のカットオフ特性が選ばれることが多く、最低18kHzあたりから急激に減衰し21kHz付近でほぼ音は出なくなっていた。ただし現在ほとんどのCDでは22kHzぎりぎりまで音が出るようになっており、スペクトラムアナライザーソフトで容易に確認できる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "50kHzから60kHz以上のサンプリング周波数は人間にとって有用な情報をもたらさない。初期のプロオーディオメーカーが50kHz周辺のサンプリング周波数を選んだのはその理由による。 オーディオ機器で96kHzや192kHzなどのより高いサンプリング周波数が販売面で好まれる場合もあるが、研究の結果、人間にとって超音波が聴覚できないことがわかっている。しかしながら、超音波が相互変調歪みの形で聴こえる場合もある。これは元の音源にはなかった音である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "高サンプリング周波数の利点は、ADCやDACのローパスフィルタの設計の要求を緩和できることにある。ただし、最近のΔΣ変調によるオーバーサンプリングコンバータにとって、この利点は重要ではない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "プロのエンジニアの国際団体であるAudio Engineering Society(英語版)は音源の制作、編集過程においてPCM 48kHzを多くの場面で適用することを推奨している。コンシューマ用途ではCDなど44.1kHz、通信用途では32kHz、アンチエイリアシング・フィルタを緩和するためには96kHzを使用することも可能としている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "また、フィルム映画やテレビジョン信号も、本来時間的に連続した画像を離散的な時刻で撮影した「コマ」を記録・再生するので、フレームレートも広い意味でのサンプリング周波数ととらえ、三次元ビデオ信号処理として扱われる。これは特にフレームレート変換を伴う方式変換技術や、インターレース/プログレッシブ走査変換、フレーム間圧縮を伴う高効率符号化技術などでは重要な概念である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "サンプリング周波数は、原理的には標本化すべき原信号の最も高い周波数成分(帯域幅)の2倍より高い任意の周波数でよいが、放送や録音などでは一度決めると互換性の点から変更することが難しい。T1回線の電話の8kHzのように「キリのよい」周波数が選ばれるとともに、既存のシステムとの互換性(または非互換性)をもとに選ばれることも多い。", "title": "サンプリング周波数の選択" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "CD-DAなどのサンプリング周波数44.1kHzは、一見するとキリの悪い意味のない周波数に見えるが、これはPCMプロセッサーに由来する。すなわちテレビとその映像信号の水平同期周波数15.75kHzの 3×(14/15)倍である。1水平走査内に6標本(ステレオ各チャンネル3標本ずつ)をビデオ信号の形に変調して記録する。PCMプロセッサーで利用したVTRでは、垂直帰線区間をヘリカルスキャン方式の回転ヘッドの切替えタイミングとしており記録に使えないため、その付近の各フィールド毎17.5本(総走査線数の1/15)の走査線の部分を使っていない。", "title": "サンプリング周波数の選択" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ただし、カラーテレビ放送のNTSCの水平同期周波数は(約)15.734 kHzで、VTRには15.734 kHzのものと15.75 kHzのものが混在していたため、サンプリング周波数も44.056 kHzと44.1 kHzが混在していた時期があった(CD-DAでは44.1 kHzに統一されている)。(NTSCのHSYNCは正確には 15.75 × (1000/1001) = 15.73426573426...(kHz) で、15.73426573426... × 3 × (14/15) = 44.0559440559... ≒ 44.056、15.75 × 3 × 14 / 15 = 44.1)", "title": "サンプリング周波数の選択" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1970年代に世界で初めて実用デジタル音楽録音を実現した日本コロムビアのDN-023R(PCMプロセッサではない)では、どれかのヘッドが常に記録状態にあり、垂直帰線区間も全てそのまま記録できる2インチVTRを改造・使用したので、映像信号のすべてに記録でき、サンプリング周波数は47.25kHzと、水平同期周波数15.75kHzのちょうど3倍となっている。", "title": "サンプリング周波数の選択" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1980年代末に開始した日本における衛星放送(及び、のちのDVDなど)の音声は48kHzのサンプリング周波数を使っている。", "title": "サンプリング周波数の選択" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "サンプリング周波数が異なる機器同士でも録音が出来るようにする装置を、サンプリングレートコンバータと呼ぶ。", "title": "サンプリング周波数の選択" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "例えば、BSのBモード音声をMD、または音楽用CD-R/CD-RWに録音しようとすると、サンプリング周波数はそれぞれ48kHzと44.1kHzとなり、そのままでは録音ができない。そこでサンプリングレートコンバータを用いると、MDレコーダー、およびCDレコーダー側でサンプリング周波数が44.1kHzに変換され、録音が可能になる。2010年現在の時点におけるデジタル入力端子が装備された(例外あり)MDレコーダー(据え置き型、ポータブル型)、およびCDレコーダーの大部分の機種にはサンプリングレートコンバータが内蔵されている。", "title": "サンプリング周波数の選択" } ]
サンプリング周波数(サンプリングしゅうはすう)、または標本化周波数は、音声等のアナログ波形をデジタルデータにするために必要な処理である標本化(サンプリング)において、単位時間あたりに標本を採る頻度。単位はHzが一般に使われるが、sps を使うこともある。 サンプリングレート、サンプルレートとも呼ばれる。
'''サンプリング周波数'''(サンプリングしゅうはすう)、または'''標本化周波数'''<ref>{{Cite web|和書|title=サンプリング周波数とは - IT用語辞典 |url=https://e-words.jp/w/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E5%91%A8%E6%B3%A2%E6%95%B0.html |website=IT用語辞典 e-Words |access-date=2022-08-12 |language=ja}}</ref>は、[[音声]]等の[[アナログ]]波形を[[デジタル]]データにするために必要な処理である[[標本化]](サンプリング)において、単位[[時間]]あたりに標本を採る頻度。単位は[[ヘルツ (単位)|Hz]]が一般に使われるが、sps (sample per second) を使うこともある。 サンプリングレート、サンプルレートとも呼ばれる。 ==概要== ある波形を正しく標本化するには、波形の持つ周波数成分の帯域幅の2倍より高い周波数で標本化する必要がある(これを[[サンプリング定理]]と呼ぶ)。 逆に、'''サンプリング周波数'''の1/2の帯域幅の外側の周波数成分は、復元時に[[折り返し雑音]]となるため、標本化の前に帯域制限[[フィルタ回路|フィルタ]]により遮断しておかなければならない。 音楽[[コンパクトディスク|CD]]で使用される'''サンプリング周波数'''は44.1kHzであるため、直流から22.05kHzまでの音声波形を損なわずに標本化できる。あらかじめ、[[カットオフ周波数]]20kHzないし22kHz程度の[[ローパスフィルタ]]で前処理が行なわれているが、[[人間|人]]の[[可聴域]]の上限20kHzにほぼ一致しているため、実用上問題なく音声を再現できることになる。理論的には22.05kHzまで伝送可能だが、いかに急峻な減衰特性を持つフィルタといえども無限の減衰勾配を持つことはできない。22.05kHz以上で所定の減衰特性を持ち、かつできるだけ広い[[通過帯域]]と許容できる位相特性を持つフィルタとして、古いCDでは20kHz前後のカットオフ特性が選ばれることが多く、最低18kHzあたりから急激に減衰し21kHz付近でほぼ音は出なくなっていた。ただし現在ほとんどのCDでは22kHzぎりぎりまで音が出るようになっており、スペクトラムアナライザーソフトで容易に確認できる。 50kHzから60kHz以上のサンプリング周波数は人間にとって有用な情報をもたらさない。初期のプロオーディオメーカーが50kHz周辺のサンプリング周波数を選んだのはその理由による。 [[ハイレゾリューションオーディオ|オーディオ機器で96kHzや192kHzなどのより高いサンプリング周波数]]が販売面で好まれる場合もある<ref>{{cite web|url=http://www.digitalprosound.com/Htm/SoapBox/soap2_Apogee.htm |title=Digital Pro Sound |accessdate=8 January 2014}}</ref>が、研究の結果、人間にとって超音波が聴覚できないことがわかっている<ref>{{cite journal |url=http://trustmeimascientist.com/2013/02/04/the-science-of-sample-rates-when-higher-is-better-and-when-it-isnt/ |title=The Science of Sample Rates (When Higher Is Better—And When It Isn’t) |last=Colletti |first=Justin |journal=Trust Me I'm A Scientist |date=February 4, 2013 |accessdate=February 6, 2013}}</ref>。しかしながら、超音波が[[w:en:Intermodulation|相互変調歪み]]の形で聴こえる場合もある。これは元の音源にはなかった音である<ref>{{cite web |url=http://world.std.com/~griesngr/intermod.ppt|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080501000000/http://world.std.com/~griesngr/intermod.ppt |archivedate=2008-05-01 |accessdate=2 November 2015|title=Perception of mid frequency and high frequency intermodulation distortion in loudspeakers, and its relationship to high-definition audio |author=David Griesinger |format=Powerpoint presentation}}</ref><ref>{{cite web |url=http://xiph.org/~xiphmont/demo/neil-young.html|title=24/192 Music Downloads are Very Silly Indeed: |author=Xiph.org |accessdate=2 November 2015}}</ref>。 高サンプリング周波数の利点は、[[アナログ-デジタル変換回路|ADC]]や[[デジタル-アナログ変換回路|DAC]]のローパスフィルタの設計の要求を緩和できることにある。ただし、最近の[[ΔΣ変調]]によるオーバーサンプリングコンバータにとって、この利点は重要ではない。 プロのエンジニアの国際団体である{{仮リンク|Audio Engineering Society|en|Audio Engineering Society}}は音源の制作、編集過程において[[PCM]] 48kHzを多くの場面で適用することを推奨している。コンシューマ用途では[[コンパクトディスク|CD]]など44.1kHz、通信用途では32kHz、[[w:en:anti-aliasing filter|アンチエイリアシング・フィルタ]]を緩和するためには96kHzを使用することも可能としている。<ref name=AES5>{{citation |url=http://www.aes.org/publications/standards/search.cfm?docID=14 |title=AES5-2008: AES recommended practice for professional digital audio - Preferred sampling frequencies for applications employing pulse-code modulation |publisher=Audio Engineering Society |year=2008 |accessdate=2010-01-18}}</ref> また、フィルム[[映画]]や[[テレビ|テレビジョン]]信号も、本来時間的に連続した画像を離散的な時刻で撮影した「コマ」を記録・再生するので、[[フレームレート]]も広い意味でのサンプリング周波数ととらえ、三次元ビデオ信号処理として扱われる。これは特にフレームレート変換を伴う方式変換技術や、インターレース/プログレッシブ[[走査]]変換、フレーム間圧縮を伴う高効率符号化技術などでは重要な概念である。 ==サンプリング周波数の選択== サンプリング周波数は、原理的には標本化すべき原信号の最も高い周波数成分(帯域幅)の2倍より高い任意の周波数でよいが、放送や録音などでは一度決めると互換性の点から変更することが難しい。T1回線の電話の8kHzのように「キリのよい」周波数が選ばれるとともに、既存のシステムとの互換性(または非互換性)をもとに選ばれることも多い。 [[CD-DA]]などのサンプリング周波数44.1kHzは、一見するとキリの悪い意味のない周波数に見えるが、これは[[PCMプロセッサー]]に由来する。すなわち[[テレビ]]とその[[映像信号]]の水平同期周波数15.75kHzの 3×(14/15)倍である。1水平走査内に6標本([[ステレオ]]各チャンネル3標本ずつ)をビデオ信号の形に変調して記録する。PCMプロセッサーで利用した[[ビデオテープレコーダ|VTR]]では、[[垂直帰線区間]]を[[ヘリカルスキャン方式]]の回転ヘッドの切替えタイミングとしており記録に使えないため、その付近の各フィールド毎17.5本(総走査線数の1/15)の走査線の部分を使っていない。 ただし、[[カラーテレビ]][[放送]]の[[NTSC]]の水平同期周波数は(約)15.734 kHzで、VTRには15.734 kHzのものと15.75 kHzのものが混在していたため、サンプリング周波数も44.056 kHzと44.1 kHzが混在していた時期があった(CD-DAでは44.1 kHzに統一されている)。(NTSCのHSYNCは正確には 15.75 × (1000/1001) = 15.73426573426...(kHz) で、15.73426573426... × 3 × (14/15) = 44.0559440559... ≒ 44.056、15.75 × 3 × 14 / 15 = 44.1) 1970年代に世界で初めて実用デジタル音楽録音を実現した[[日本コロムビア]]のDN-023R(PCMプロセッサではない)では、どれかのヘッドが常に記録状態にあり、垂直帰線区間も全てそのまま記録できる[[2インチVTR]]を改造・使用したので、映像信号のすべてに記録でき、サンプリング周波数は47.25kHzと、水平同期周波数15.75kHzのちょうど3倍となっている。 1980年代末に開始した[[日本における衛星放送]](及び、のちの[[DVD]]など)の音声は48kHzのサンプリング周波数を使っている。 {| class="wikitable" style="font-size:smaller" |+ 各種のデジタル化された音声信号のサンプリング周波数 |- ! 信号 ! 音声周波数帯域 ! サンプリング周波数 ! 備考 |- ! [[日本コロムビア]]([[デノン|DENON]])PCM録音機 | 20Hz~21kHz | 47.25kHz | 放送用バーティカルスキャン型VTRを使用 |- ! EIAJ PCM録音機 | 20Hz - 20kHz | 44.1kHz | [[ベータマックス]]や[[Uマチック]]などのヘリカルスキャン型VTRを使用 |- ! [[CD-DA]] | 20Hz~20kHz | 44.1kHz | ヘリカルスキャン型VTRを使用したPCM録音機との互換性 |- ! [[ミニディスク|MD/Hi-MD Audio]] | 20Hz - 20kHz | 44.1kHz | |- ! [[デジタルコンパクトカセット|DCC]] | 20Hz - 22kHz (48kHz) | 48kHz, 44.1kHz, 32kHz | |- ! [[DVD-Video]] | DC{{~}}44kHz (96kHz) | 48kHz, 96kHz | |- ! [[DVD-Audio]] | DC{{~}}88kHz (192kHz) | 48kHz, 96kHz, 192kHz | 44.1kHz, 88.2kHz, 176.4kHzにも対応。 |- ! [[HD DVD]] | DC{{~}}88kHz (192kHz) | 48kHz, 96kHz, 192kHz | |- ! [[Blu-ray Disc]] | DC{{~}}88kHz (192kHz) | 48kHz, 96kHz, 192kHz | [[DTS-HDマスターオーディオ]]と[[ドルビーTrueHD]]では、チャンネル数が5.1ch以下の場合は、192kHzまで対応、7.1chの場合は96kHzまで対応。 |- ! [[DV (ビデオ規格)|DVビデオ<br /> (MiniDVビデオ)]] | 20Hz{{~}}22kHz (48kHz) | 32kHz, 48kHz | |- ! [[DAT]] | DC{{~}}22kHz (48kHz) | 32kHz, 44.1kHz, 48kHz | ごく一部のメーカー【[[パイオニア]]製等】に限り88.2kHz, 96kHzのハイサンプリング記録をサポート。 |- ! [[デジタルマイクロカセット|NT<br/>(デジタルマイクロカセット)]] | 20Hz~15kHz | 32kHz | |- ! [[リニアPCMレコーダー]] | 20Hz - 44kHz (96kHz) | 44.1kHz, 48kHz, 96kHz | ごく一部の機種に限り96kHzのハイサンプリング記録は非サポートの場合がある。また、[[ソニー]]製のごく一部の機種に限り192kHzのハイサンプリング記録がサポートされる。 |- ! デジタル[[ケーブルテレビ]] | | 48kHz | |- ! デジタル[[衛星放送]]テレビジョン | 20Hz - 22kHz | 48kHz | |- ! CS-PCM放送 | 20Hz - 22kHz (48kHz) | 32kHz, 48kHz | |- ! 電話([[ISDN]]など) | 300Hz - 3.4kHz | 8kHz | いわゆるIP電話ではなく、旧来の公衆回線のデジタル交換システム |- ! 電話([[高音質IP電話]]) | 100Hz - (7kHz or 14kHz) | 16kHz or 32kHz | 高音質IP電話、または G.711.1 Annex D<ref>http://www.ntt.co.jp/journal/1209/files/jn201209074.html</ref> |- ! [[Super Audio CD]] | DC{{~}}50kHz | 2.8224MHz | 次世代CD規格の1つ。ライバル規格は[[DVD-Audio]]。 |- ! [[DSD]]レコーダー | DC{{~}}100kHz<br/> (5.6448MHz) | 5.6448MHz | 2.8224MHzまでしか対応していないものもある。[[SACD]]の制作において、DSD録音をする際に使う。 |- ! (参考)[[YouTube]] | | 48kHz | YouTube(モバイル含む)の動画のサンプリング周波数(WebM/Opus)<br />[[AAC]]または[[Opus (音声圧縮)]]が利用されており、Opusでは48kHzのみ。 |} {{注| ※ Super Audio CD と DSDは、[[パルス変調#パルス密度変調|パルス密度変調]]であり、[[パルス符号変調]]におけるサンプリング周波数とは単純に比較できない。}} ===サンプリングレートコンバータ=== {{main|サンプリング周波数変換}} サンプリング周波数が異なる機器同士でも録音が出来るようにする装置を、'''サンプリングレートコンバータ'''と呼ぶ。 例えば、BSのBモード音声をMD、または音楽用CD-R/CD-RWに録音しようとすると、サンプリング周波数はそれぞれ48kHzと44.1kHzとなり、そのままでは録音ができない。そこでサンプリングレートコンバータを用いると、[[MDレコーダー]]、および[[CDレコーダー]]側でサンプリング周波数が44.1kHzに変換され、録音が可能になる。2010年現在の時点におけるデジタル入力端子が装備された(例外あり)MDレコーダー(据え置き型、ポータブル型)、およびCDレコーダーの大部分の機種にはサンプリングレートコンバータが内蔵されている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references/> == 関連項目 == *[[ナイキスト周波数]] *[[デジタル制御]] {{デジタル信号処理}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:さんふりんくしゆうはすう}} [[category:標本化]]
2003-03-02T10:40:45Z
2023-10-16T07:04:23Z
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オカルト
オカルト(英語: occult)は、秘学・神秘(的なこと)・超自然的なものをさす用語。 ラテン語: occulere の過去分詞 occulta(隠されたもの)を語源とする。目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する。そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系は「オカルティズム」と呼ばれている。ただし、何をもって「オカルト」とするのかについては、時代や論者の立場等により見解が異なる。 オカルティズムはフランス人魔術師エリファス・レヴィが能動的な魔術体系を提唱した時に使用した語である。対して「オカルト」という形容詞が英語圏で一般に使用されるようになったのは、英国の神智学協会会員のアルフレッド・パーシー・シネット(英語版)が1881年に出版した神智学書『オカルトの世界(英語版)』(The Occult World)からとされる。オカルティズムが比較的限定的に用いられたのに比べて、オカルトは広く用いられた。 日本では、このような知識についての記事が学習研究社の児童用雑誌に掲載され好評であったため、そこから派生した同社の雑誌『ムー』により、人々に広く知られるところとなった。『ムー』はオウム真理教信者の中に愛読者が多かったことで知られ、宗教学者の大田俊寛はオウム真理教も『ムー』が始めた現代オカルトブームから発生したと語る。
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オカルトは、秘学・神秘(的なこと)・超自然的なものをさす用語。 ラテン語: occulere の過去分詞 occulta(隠されたもの)を語源とする。目で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する。そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系は「オカルティズム」と呼ばれている。ただし、何をもって「オカルト」とするのかについては、時代や論者の立場等により見解が異なる。 オカルティズムはフランス人魔術師エリファス・レヴィが能動的な魔術体系を提唱した時に使用した語である。対して「オカルト」という形容詞が英語圏で一般に使用されるようになったのは、英国の神智学協会会員のアルフレッド・パーシー・シネットが1881年に出版した神智学書『オカルトの世界』からとされる。オカルティズムが比較的限定的に用いられたのに比べて、オカルトは広く用いられた。 日本では、このような知識についての記事が学習研究社の児童用雑誌に掲載され好評であったため、そこから派生した同社の雑誌『ムー』により、人々に広く知られるところとなった。『ムー』はオウム真理教信者の中に愛読者が多かったことで知られ、宗教学者の大田俊寛はオウム真理教も『ムー』が始めた現代オカルトブームから発生したと語る。
{{Otheruses|オカルトという言葉}} {{複数の問題 |参照方法=2014年8月 |独自研究=2014年8月 }} [[File:Eliphas Levi.png|thumb|right|200px|[[隠秘学]]思想家[[エリファス・レヴィ]]]] '''オカルト'''({{lang-en|occult}})は、秘学・神秘(的なこと)・[[超自然]]的なものをさす用語<ref>{{Cite book|和書|author = [[国広哲弥|國廣哲彌]]ほか編|title = 小学館プログレッシブ英和中辞典|edition = 第4版|year = 2003|publisher = [[小学館]]|isbn = 4-09-510204-7|chapter = occult|chapterurl = http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/ej3/58438/m0u/occult/|accessdate = 2012-03-28}}</ref>。 {{Lang-la|occulere}} の[[過去分詞]] {{Lang|la|occulta}}(隠されたもの)を[[語源]]とする。[[目]]で見たり、触れて感じたりすることのできないことを意味する。そのような[[知識]]の探求とそれによって得られた知識体系は「[[神秘学|オカルティズム]]」と呼ばれている。ただし、何をもって「オカルト」とするのかについては、[[時代]]や論者の立場等により見解が異なる。 オカルティズムはフランス人魔術師[[エリファス・レヴィ]]が能動的な魔術体系を提唱した時に使用した語である<ref name="現代世界宗教事典">吉永進一 執筆 「オカルト」『現代宗教事典』 井上順孝 編、弘文堂、2005年、pp.66-67.</ref>。対して「オカルト」という形容詞が英語圏で一般に使用されるようになったのは、英国の[[神智学協会]]会員の{{仮リンク|アルフレッド・パーシー・シネット|en|Alfred Percy Sinnett}}が1881年に出版した[[神智学]]書『{{仮リンク|オカルトの世界|en|The Occult World}}』(The Occult World)からとされる<ref name="現代世界宗教事典"/>。オカルティズムが比較的限定的に用いられたのに比べて、オカルトは広く用いられた<ref name="現代世界宗教事典"/>。 [[日本]]では、このような知識についての記事が[[学研ホールディングス|学習研究社]]の児童用[[雑誌]]に掲載され好評であったため、そこから[[スピンオフ|派生]]した同社の雑誌『[[ムー (雑誌)|ムー]]』により、人々に広く知られるところとなった。『ムー』は[[オウム真理教]]信者の中に愛読者が多かったことで知られ、宗教学者の[[大田俊寛]]は[[オウム真理教]]も『ムー』が始めた現代オカルトブームから発生したと語る<ref>大田俊寛「[https://synodos.jp/society/8575/3 オウム真理教事件の真の犯人は「思想」だった]」 SYNODOS</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author = ローレンス・E.サリヴァン・編|translator = [[鶴岡賀雄]]、[[島田裕巳]]、[[奥山倫明]]|title = エリアーデ・オカルト事典|year = 2002|publisher = [[法藏館]]|isbn = 4-8318-7031-5}} * {{Cite book|和書|author = [[コリン・ウィルソン]]|translator = [[中村保男]]|title = オカルト|edition = 新版|year = 1985|publisher = [[平河出版社]]|isbn = 4-89203-101-1}} * {{Cite book|和書|author = [[大田俊寛]]|title = 現代オカルトの根源 - 霊性進化論の光と闇|series=ちくま新書|year = 2013|publisher = [[筑摩書房]]|isbn = 978-4-480-06725-8}} * {{Cite book|和書|author = [[H.P.ブラヴァツキー]]|translator = 田中恵美子、ジェフ・クラーク|title = シークレット・ドクトリン 宇宙発生論 上|year = 1989|publisher = [[神智学協会]]ニッポン・ロッジ|isbn = 4-89741-317-6}} == 関連項目 == {{Div col}} ;思想 * [[神秘学]](occultism) ** [[魔術]] *** [[黒魔術]] *** [[白魔術]] *** [[近代魔術]] *** [[ウイッカ]] ** [[錬金術]] ** [[数秘学]] ** [[神智学]] ** [[人智学]] ** [[神道霊学]] ** [[密教]] ** [[道教]] * [[新宗教]] * [[占星術]] * [[宗教学]] ;分類 * [[疑似科学]] * [[予言]] * [[超能力]] * [[超常現象]] * [[超心理学]] * [[心霊主義]] * [[精神世界]] * [[ニューエイジ]] * [[UFO|UFO(未確認飛行物体)]] * [[未確認潜水物体|USO(未確認潜水物体)]] * [[未確認動物|UMA(未確認動物)]] * [[宇宙人]] * [[オーパーツ]] * [[超古代文明]] ;その他 * [[ムー (雑誌)]] * [[韮澤潤一郎]] * [[大槻義彦]] * [[山口敏太郎]] * [[飛鳥昭雄]] * [[中沢健]] * [[中丸薫]] * [[偽史]] * [[古史古伝]] * [[ASIOS]] * [[と学会]] * [[掩蔽]] (えんぺい、occultation) {{Div col end}} == 外部リンク == {{Commonscat|Occult}} * {{Cite web|和書|url = https://web.archive.org/web/20140820165233/http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/|title = オカルトの部屋|accessdate = 2012-03-28}} * {{Cite web|和書|author = 服部順治|date = 2002-05-06|url = http://nvc.halsnet.com/jhattori/Spirits/SophiaReason.htm|title = 霊的世界観の哲学的根拠(長岡造形大学教授の菅原 浩)|work = <!-- スピリチュアリズムの真実~「オーラの泉」などの番組の背景にあるスピリチャリズム(スピリチュアリズム)を理解できるか?~ 命を大切に育みたい私たちの心を左脳の論理だけで理解できるでしょうか?~ -->|accessdate = 2012-03-28}} * {{Cite journal|和書|author = [[吉永進一]]|date = 1998-03-01|title = 2.オカルトとニューエイジ : 一種の思想史として|journal = 宗教と社会. 別冊, ワークショップ報告書|publisher = 「宗教と社会」学会|pages = 16-22|naid = 110007653781}} {{ゴス}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:おかると}} [[Category:オカルト|*]] [[Category:神秘主義]] [[Category:ラテン語起源の言葉]]
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レジスタ
レジスター、レジスタ
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レジスター、レジスタ
'''レジスター'''、'''レジスタ''' == register == * [[キャッシュレジスター]] - [[小売店]]で、[[販売]]時に[[取引]]を[[記録]]する[[機械]] * [[レジスタ (コンピュータ)]] - [[コンピュータ]]の[[プロセッサ]]が内蔵する、最高速の[[記憶装置]] * [[登録]]。[[登録商標]](レジスタードマーク)など。 * [[機体記号]]。[[航空機]]の国際的な登録記号。 * [[声区]]。ボイスレジスター、ボーカルレジスター。[[声域]]([[ソプラノ]]、[[アルト]]など)とは別。 * [[ストップ (オルガン)]]。[[オルガン]]の声区を変える部品。 * [[言語使用域]][[:en:Register (sociolinguistics)|(Register)]]。[[社会言語学]]の用語。言語変種の一種。 * レジスター[[:en:Register (phonology)|(Register)]] - [[音韻論]]の用語。非分節的音素である[[声調]]の対立の一種。発声[[:en:phonation|(phonation)]]の型の違いを弁別的特徴(意味の違うように)利用する場合、「レジスターの対立」という。 * [[流量]]調節可能な[[通気孔]]。[[換気]]レジスター、通気レジスター。 == resistor == * [[抵抗器]] - [[電子部品]] == regista == * レジスタ - [[イタリア]]の[[サッカー]]で、選手のタイプの一つを指す言葉。[[ミッドフィールダー]]を参照。 * [[レジスタ (ゲーム会社)]] - [[日本]]の[[ゲーム開発会社]] == resister == * [[RESISTER (曲)]] - [[ASCA (歌手)|ASCA]]の楽曲。 == その他 == * レジスタ大宮 - [[さいたま市営大宮球場]]のネーミングライツによる通称「レジデンシャルスタジアム大宮」の日本語表記での略称。 == 関連項目 == * [[レジ]] * [[レジスト]] * [[レジストリ]] * [[レジストレーション]] {{Aimai}} {{デフォルトソート:れしすた}}
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PNG
PNG
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PNG 画像フォーマットのPortable Network Graphicsの略称、またはその拡張子(.png)。 パプアニューギニア(Papua New Guinea)のISO 3166-1国名コード。 ポング語のISO 639-3言語コード。 エアラインズPNG - パプアニューギニアの航空会社 アメリカ合衆国のポーニー国立草原 の略称。 ペルソナ・ノン・グラータ
'''PNG''' * 画像フォーマットの[[Portable Network Graphics]]の略称、またはその[[拡張子]](.png)。 * [[パプアニューギニア]](Papua New Guinea)の[[ISO 3166-1]][[国名コード]]。 * [[ポング語]]の[[ISO 639-3]]言語コード。 * [[エアラインズPNG]] - パプアニューギニアの航空会社 * [[アメリカ合衆国]]のポーニー国立草原 (Pawnee National Grassland) の略称。 * [[ペルソナ・ノン・グラータ]] {{aimai}} [[Category:頭字語]]
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Portable Network Graphics
Portable Network Graphics(ポータブル・ネットワーク・グラフィックス、PNG、ピング、ピン)はコンピュータでビットマップ画像を扱うファイルフォーマットである。圧縮アルゴリズムとしてDeflateを採用している、圧縮による画質の劣化のない可逆圧縮の画像ファイルフォーマットである。 1996年に登場し、可逆圧縮の画像フォーマットとして既に普及していたGIFの後継フォーマットとなることを目指し、ネットワーク経由での使用を想定した機能や透過処理など、多くの機能をサポートした。ウェブブラウザやグラフィックソフトでのサポートも進み、インターネットを中心に普及した。 「PNG」は「ピング」や「ピン」と多く読まれる。 画像の色モデル(英語版)として、最大16ビットのグレースケール、24ビットと 48ビットのRGB、または8ビットまでのインデックスカラーモード(パレットカラー) を利用することができる。透過についてはクロマキーによる透過指定、および8ビットから16ビットのアルファチャンネルをサポートする。また、画像に付属するテキストなどのメタデータやガンマ値なども画像ごとに記録できる。 GIFと異なり、PNGにはアニメーション機能はない。ただし、PNGはチャンク(データのブロック)で自由に拡張できるようになっていて、1ファイルに複数の画像を含めることができる。これを使ってアニメーション機能を追加した MNG と APNG が別のフォーマットとして開発されている。他の拡張として、立体視用にステレオPNG (PNS) フォーマットがある。 PNGが開発された動機は、1994年末に、GIFに使われていた圧縮アルゴリズムLZWについて米ユニシスが特許を保有しているとし、GIFを使ったソフトウェアに特許権を行使すると発表したことによる。実際、PNGの頭文字は非公式に「PNG is not gif」という意味が込められている(再帰的頭字語)。また、当時256色以上表示可能なコンピュータが主流になってきたため、GIFフォーマットにある256色までという制限を解消する必要もあった。1999年、ユニシスが非商用ソフトについても特許使用料を請求することを決めると、PNGはさらに注目を集めるようになった。 詳しくは、仕様書を参照。 PNG ファイルはヘッダに 8 バイトのシグネチャ(マジックナンバー)を持つ。16進数の値は「89 50 4E 47 0D 0A 1A 0A」である(制御文字で表すと HTJ P N G CR LF SUB LF)。各値の意味は次の通り。 ファイルヘッダの後にはIHDRチャンクが必ず来て、IHDRチャンクのサイズは13バイト固定なため、シグネチャの次の8バイトも00 00 00 0D 49 48 44 52で固定されている。 ファイルヘッダに続いて、チャンクと呼ばれる複数のデータブロックが続く。各チャンクは画像についての様々な情報を保持するもので、必須チャンクと補助チャンクに分けられる。補助チャンクは任意的なもので、処理プログラム側によっては必ずしも処理されない。このチャンク構造により、PNGフォーマットは拡張性と前方互換性を両立する。 チャンクの構造は、 の順番で配置される。 チャンクの種類は、大文字と小文字が区別されるアルファベット4文字で表される。 PNGファイルの読み込みと表示に必要なチャンクで、デコーダが適切に処理する必要がある。 PLTEチャンクはカラータイプ 3 (インデックスカラー)を使用するときに必須となる。カラータイプ 2 と 6 (トゥルーカラー及び、アルファ情報付きトゥルーカラー)の場合は任意、さらにカラータイプ 0 と 4(グレースケール及び、アルファ情報付きグレースケール)の場合は存在してはいけない。 イメージについての付加情報を保持するための任意チャンク。 PNGのイメージデータはzlibにより圧縮されるが、画像の特徴を利用して圧縮の効率を良くするために、フィルタで事前に処理を行えるようになっている。(展開時には、逆のフィルタがかかる) 例えば、ピクセルの値が次のように並んでいたとする。 このデータには冗長な値が無く、このままDeflate圧縮を行っても効果は得られない。しかし例えば「左の値との差」をとると、データは以下のようになる。 この状態で圧縮すれば、最初の状態よりも高い効果が得られる。上記は極端な例であるが、このように事前に簡単な演算を行うことは、データによっては圧縮率の改善に役立つ。 PNGでは5種類のフィルタを定義している。 このフィルタは横一ライン毎に変更できる。どのフィルタをどこに使うかは使用する圧縮プログラムが選択できるため、プログラムによって同じ画像でも異なるサイズになりうる。 圧縮アルゴリズムはDeflate (RFC 1951) を使用し、フォーマットはzlib形式 (RFC 1950) と定められている。DeflateのアルゴリズムそのものはPNGの仕様書には書かれていない。圧縮後のデータは、そのまま IDAT チャンクに格納される。 なおPNGはDeflate以外の圧縮形式もサポート出来るように設計されており、IHDRチャンクやiTXtチャンクには、使用する圧縮形式を明示するCompression methodフィールドがある。ただしVer1.2時点ではCompression methodフィールドで使える値はDeflateを示す一種類だけである。 PNGを処理するための開発者向けライブラリとしてlibpngがある。これはPNG公式のライブラリであり、最も広く利用されている。C言語で開発されており、多くのプラットフォームで動作する。ライセンスはGPLよりも制限が緩やかである。 GIF の代替物として開発された経緯があるため、GIFと比較されることが多い。主な差異は以下の通り。 JPEGは、主に写真的なイメージデータを非可逆圧縮することでPNGよりも小さなファイルサイズに収めることができる。そのため、高画質に設定したJPEGと比較すると、ファイルサイズはJPEGの数倍(大抵は5 - 10倍程度)になる。 PNGは、テキストや線画など色の境界がはっきりしたイメージに適している。線画と写真が混在している場合では、目的に応じて濃淡が目立たない(シャープな)部分を重視する場合はPNG、保存時のファイルサイズを重視する場合はJPEGを選ぶことができる。 JPEGは、非可逆圧縮方式でありジェネレーションロス(英語版)が生じるため、編集中の一時データの保存には向かない。JPEGで保存をする段階で画像は劣化し、それを繰り返すたびに更に画像は劣化していく。 PNGとTIFFは、画像を可逆圧縮または無圧縮により劣化なしで画像の保存が可能という点は共通している。 同じ画像を保存する際、ファイルサイズでは一般的にPNGに利点があるとされる。 前述の特許権問題によりGIF排斥運動が起こったが、当初はPNGの普及はなかなか進まなかった。それは主に以下の理由からである。 特に、2000年代に絶大なシェアを誇ったInternet Explorerはバージョン6までアルファチャンネルを持つPNG画像を正しく描画できなかった。2006年11月にリリースされたバージョン7で、正確に描画できるようになった。(ただしPhotoshopで生成したPNG画像の場合、gAMAチャンクへの不適切な記述のため正常に表示されないことがある) PNGはGIFと同様な1色透過も扱え、こちらはInternet Explorer 5でも対応していた。なお、IE5.5はアルファチャンネル付きPNGを正しく表示できるActiveXプラグイン (AlphaImageLoader) を搭載しているため、この機能を使うようHTMLファイルに記述すれば表示できた。ただしIEの設定によってはアルファチャンネルとして機能せず、また他ブラウザとの互換を考えると、わざわざこの機能を利用する価値はほとんど無かった。 ユニシスの主張するLZW圧縮アルゴリズムに関する特許は、米国時間2003年6月20日をもって無効(期限切れ)になった。PNGはLZW圧縮アルゴリズム特許の有効期間内で全てのGIFファイルを代替するには至らなかった。特許問題が事実上消失したため、「特許に抵触しないGIFを代替可能なフォーマットのひとつ」としての存在意義は消失した。結果としてPNGは「GIFを代替可能なフォーマットのひとつ」という見方ができる。 正しくエンコード処理を行ってメタデータを含まないように作成したPNG画像は、同じように処理して作成したGIF画像より小さくなるはずである。しかしPNGはGIFより機能が多いため、大きなサイズになってしまうことがある。 GIFは256色に制限されているため、多くのソフトはフォーマットの変換を行うとき自動的に256色に減色して保存する。そのためフルカラーの画像をPNGとGIFに保存した場合、GIFの方がサイズが小さくなる(かわりに画質は落ちている)。GIF同様256色のPNGを作ればGIFよりサイズが小さくなるにもかかわらず、PNGは256色より多い色数を利用できるため変換時に自動で減色されない場合がある。その結果同じ画像をGIFにした場合よりサイズが大きくなってしまう。 インターレースPNGはインターレースGIFに比べ、圧縮率が低くファイルサイズが大きくなる場合が多い。また、インターレースPNGは通常のPNGより、ファイルサイズが大きくなりがちである。 ソフトウェアによっては、出力されるPNGファイルのサイズは必ずしも最適化されないため、ファイルサイズを減らすためにはPNG最適化ソフトウェアなどでPNGファイルを最適化するとよい。最適化のためのソフトウェアとしては、 OptiPNG、PNGOUT、pngrewrite、Pngcrushなどがある。また、Windows用ながらもBlastPNGのような複数の最適化ソフトウェアを一度に扱えるフロントエンドなどもある。 PNGはJPEGに取って代わるものではない。JPEGは写真の圧縮に適した非可逆圧縮方式であり、写真画像に限ってはJPEGのほうがファイルサイズが小さくなる。一方で、文字や線画などの保存はJPEGだと圧縮ノイズが目立ってしまうのでPNGのほうが適している上、ファイルサイズもかなり小さくなる。また、加工を繰り返す予定のある画像はJPEGでは劣化が進んでしまうのでPNG保存が望ましい。
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Portable Network Graphics(ポータブル・ネットワーク・グラフィックス、PNG、ピング、ピン)はコンピュータでビットマップ画像を扱うファイルフォーマットである。圧縮アルゴリズムとしてDeflateを採用している、圧縮による画質の劣化のない可逆圧縮の画像ファイルフォーマットである。 1996年に登場し、可逆圧縮の画像フォーマットとして既に普及していたGIFの後継フォーマットとなることを目指し、ネットワーク経由での使用を想定した機能や透過処理など、多くの機能をサポートした。ウェブブラウザやグラフィックソフトでのサポートも進み、インターネットを中心に普及した。 「PNG」は「ピング」や「ピン」と多く読まれる。
{{Infobox file format | name = Portable Network Graphics | icon = | screenshot =[[ファイル:PNG transparency demonstration 1.png|200px]]<br />[[ファイル:PNG transparency demonstration 2.png|200px]] | caption = 上は、8ビット透明チャネルを含むPNG画像。下は、同じ画像を[[市松模様]]の背景の上に重ねたもの。市松模様は透明であることを示すために[[グラフィックエディタ]]などでよく用いられる。 | extension = .png | mime = image/png | typecode = {{Ubl|<code>PNGf</code>|<code>PNG </code>}} | magic = <code>89 'PNG' 0d 0a 1a 0a</code> | uniform type = public.png | genre = [[可逆圧縮]][[ビットマップ画像|ビットマップ]][[画像]] | containerfor = [[画像]]、[[テキスト]] | containedby = | owner = [[World Wide Web Consortium|W3C]] | extendedfrom = | extendedto = [[Animated Portable Network Graphics|APNG]]、[[JPEG Network Graphics|JNG]]、[[Multiple-image Network Graphics|MNG]] | standard = [[International Organization for Standardization|ISO]] 15948、[[Internet Engineering Task Force|IETF]] {{IETF RFC|2083}} }} {{読み仮名_ruby不使用|'''Portable Network Graphics'''|ポータブル・ネットワーク・グラフィックス|'''PNG'''、ピング、ピン{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=Chapter 1. An Introduction to PNG}}}}は[[コンピュータ]]で[[ビットマップ画像]]を扱う[[ファイルフォーマット]]である。[[圧縮アルゴリズム]]として[[Deflate]]を採用している、圧縮による画質の劣化のない[[可逆圧縮]]の[[画像ファイルフォーマット]]である。 1996年に登場し、可逆圧縮の画像フォーマットとして既に普及していた[[Graphics Interchange Format|GIF]]の後継フォーマットとなることを目指し、ネットワーク経由での使用を想定した機能や透過処理など、多くの機能をサポートした。[[ウェブブラウザ]]や[[グラフィックソフト]]でのサポートも進み、インターネットを中心に普及した。 「PNG」は「'''ピング'''」や「'''ピン'''」と多く読まれる。 == 概説 == 画像の{{仮リンク|色モデル|en|Color model}}として、最大16ビットの[[グレースケール]]、24ビットと 48ビットの[[RGB]]、または8ビットまでのインデックスカラーモード([[パレットカラー]]) を利用することができる{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=1.2. What Is PNG Good For?}}{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=1.2.4. Compression}}{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.5. PNG Image Types}}。透過についてはクロマキーによる透過指定、および8ビットから16ビットの[[アルファチャンネル]]をサポートする{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=1.2.1. Alpha Channels}}。また、画像に付属するテキストなどの[[メタデータ]]や[[ビットマップ画像#ガンマ補正|ガンマ値]]なども画像ごとに記録できる{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=Chapter 1. An Introduction to PNG}}。 GIFと異なり、PNGには[[アニメーション]]機能はない{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=1.2. What Is PNG Good For?}}。ただし、PNGはチャンク(データのブロック)で自由に拡張できるようになっていて、1ファイルに複数の画像を含めることができる。これを使ってアニメーション機能を追加した [[Multiple-image Network Graphics|MNG]] と [[Animated Portable Network Graphics|APNG]] が別のフォーマットとして開発されている。他の拡張として、立体視用にステレオPNG (PNS) フォーマット<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.nvidia.co.jp/object/3d-vision-3d-pictures-jp-old.html|title=nvidia.com 製品情報 3D 画像|accessdate=2012-08-09}}</ref>がある。<!-- 仕様書はないようです [http://sourceforge.net/mailarchive/forum.php?forum_name=png-mng-misc&max_rows=25&style=nested&viewmonth=200603 SourceForge.net フォーラム (2006年3月)]--> == 歴史 == PNGが開発された動機は、1994年末に、GIFに使われていた圧縮アルゴリズム[[Lempel–Ziv–Welch|LZW]]について米[[ユニシス]]が特許を保有しているとし、GIFを使ったソフトウェアに特許権を行使すると発表したことによる{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=Chapter 7. History of the Portable Network Graphics Format}}。実際、PNGの頭文字は非公式に「{{lang|en|'''P'''NG is '''n'''ot '''g'''if}}」という意味が込められている<ref name="pnghist">{{cite web|url=http://www.libpng.org/pub/png/#history |title=History of PNG|author=Greg Roelofs |publisher=Libpng.org |date=2012-05-29 |accessdate=2012-08-09}}</ref><ref>{{cite web|url=http://web-building.crispen.org/formats/png.html|title=GIF,JPEG OR PNG?|accessdate=2012年8月8日}}</ref>{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=7.1. Anatomy of an Internet Working Group}}([[再帰的頭字語]])。また、当時256色以上表示可能なコンピュータが主流になってきたため、GIFフォーマットにある256色までという制限を解消する必要もあった。[[1999年]]、ユニシスが非商用ソフトについても特許使用料を請求することを決める<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gnu.org/philosophy/gif.ja.html |title=GNUのウェブページにGIFファイルが一つも無い理由 |accessdate=2021-12-28}}</ref>と、PNGはさらに注目を集めるようになった。 *[[1996年]]10月1日 - PNG Version 1.0の仕様リリース。後に{{IETF RFC|2083}}として承認{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=Table 7-1}}。同日、[[World Wide Web Consortium|W3C]]による勧告{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=Table 7-1}}。 *[[1998年]]12月31日 - Version 1.1リリース{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=Table 7-1}}。小規模な変更と三種類の新しいチャンクを追加。 *[[1999年]]8月11日 - Version 1.2リリース。一種類の追加チャンク。 *[[2002年]]8月20日 - 日本において[[日本工業規格]] JIS X4242 『コンピュータグラフィクス及び画像処理-ネットワーク用画像形式(PNG)』が制定される<ref>『[https://www.jisc.go.jp/app/jis/general/GnrDisuseJISStandardList?show&jisStdNo=X4242 日本産業標準調査会:廃止規格検索 X4242] [[日本工業標準調査会]]。</ref>。 *[[2003年]]11月10日 - 国際標準化 ([[国際標準化機構|ISO]]/[[国際電気標準会議|IEC]] 15948:2003) 。このバージョンは 1.2 とわずかな差異あり。新規追加チャンクはなし。 *[[2004年]]3月3日 - 国際標準化 (ISO/IEC 15948:2004) <ref name="iso" group="spec">{{cite book|title=ISO/IEC 15948:2004|year=2004|publisher=ISO|url=https://www.iso.org/standard/29581.html}}</ref> == 技術詳細 == 詳しくは、仕様書<ref name="iso" group="spec"/><ref group="spec">{{cite web|url=http://tech.millto.net/~pngnews/kndh/PngSpec1.2/PNGcontents.html |title=PNG 1.2 仕様書 日本語訳 |accessdate=2005-06-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050624081635/http://tech.millto.net/~pngnews/kndh/PngSpec1.2/PNGcontents.html |archivedate=2005-06-24}}</ref><ref group="spec">{{cite web|url=http://www.libpng.org/pub/png/spec/ |title=Portable Network Graphics (PNG) Specification and Extensions |language=en |accessdate=2012-08-09}}</ref>を参照。 === ファイルヘッダ === PNG ファイルはヘッダに 8 バイトのシグネチャ([[マジックナンバー (フォーマット識別子)|マジックナンバー]])を持つ{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.2. PNG Signature}}。16進数の値は「89 50 4E 47 0D 0A 1A 0A」である{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.2. PNG Signature}}(制御文字で表すと <code>HTJ</code> <code>P</code> <code>N</code> <code>G</code> <code>CR</code> <code>LF</code> <code>SUB</code> <code>LF</code>)。各値の意味は次の通り。 {|class=wikitable !ファイル先頭からのバイト位置 !値 !style="text-align:left"|説明 |- |1バイト目 |89 |8ビットデータをサポートしない転送システムを検知するためのハイビット値{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.2. PNG Signature}}。また、テキストファイルが誤ってPNGと認識されるのを防ぐ。 |- |2バイト目 |50 |rowspan=3|[[ASCII|アスキー]]コードで <code>P</code>、<code>N</code>、<code>G</code> を表す{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.2. PNG Signature}}。テキストエディタで開いた場合などに、フォーマットをわかりやすくするため。 |- |3バイト目 |4E |- |4バイト目 |47 |- |5バイト目 |0D |rowspan=2|[[MS-DOS]]スタイルの改行 (<code>CR</code> <code>LF</code>){{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.2. PNG Signature}}。MS-DOSからUNIXへの行末データ変換が行われていないかを検知する{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.2. PNG Signature}}。 |- |6バイト目 |0A |- |7バイト目 |1A |MS-DOSで <code>TYPE</code> コマンドを使ってファイル表示をさせた場合、<code>SUB</code> (EOF) として表示を停止させるバイト{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.2. PNG Signature}}。 |- |8バイト目 |0A |UNIXスタイルの行末 (<code>LF</code>){{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.2. PNG Signature}}。UNIXからMS-DOSへの行末変換が行われていないかを検知する{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.2. PNG Signature}}。 |} ファイルヘッダの後にはIHDRチャンクが必ず来て{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.4. The Simplest PNG}}、IHDRチャンクのサイズは13バイト固定なため、シグネチャの次の8バイトも00 00 00 0D 49 48 44 52で固定されている。 === チャンク === ファイルヘッダに続いて、チャンクと呼ばれる複数のデータブロックが続く。各チャンクは画像についての様々な情報を保持するもので、必須チャンクと補助チャンクに分けられる。補助チャンクは任意的なもので、処理プログラム側によっては必ずしも処理されない。このチャンク構造により、PNGフォーマットは拡張性と前方互換性を両立する。 チャンクの構造は、 #チャンクサイズ。ビッグ[[エンディアン]](4バイト) #チャンクの種類(4バイト) #実際のデータ #データの[[巡回冗長検査|CRC-32]](4バイト) の順番で配置される{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.1. Chunks}}。 チャンクの種類は、大文字と小文字が区別されるアルファベット4文字で表される{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.1. Chunks}}。 *1 文字目が大文字のときは、必須チャンクに分類される{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.1. Chunks}}。必須チャンクには、その画像ファイルを読み込むために必要な情報が含まれ、デコーダが解析不可能な必須チャンクに遭遇した場合、エラーとなる{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.1. Chunks}}。 *2 文字目の大文字小文字は、そのチャンクがパブリックかプライベートかを示す{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.1. Chunks}}。大文字がパブリック{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.1. Chunks}}。パブリックチャンクはその仕様が公開、定義されたもので、公開チャンクともいう。 *3 文字目は将来的な拡張のためにリザーブされている{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.1. Chunks}}。現在は常に大文字にしなければいけない{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.1. Chunks}}。 *4 文字目の大小は、そのチャンクがそのままコピーできるかどうかを示す{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.1. Chunks}}。小文字の場合、ファイルへの変更内容に関わらず、そのチャンクをコピーして継続的に使用できる。大文字の場合、他の必須チャンクへの変更の影響を受けることを表す。 ==== 必須チャンク ==== PNGファイルの読み込みと表示に必要なチャンクで、デコーダが適切に処理する必要がある{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=8.1. Chunks}}。 * IHDR - 最も先頭に配置されるチャンクで、以下の順番で13バイトの情報が含まれる。 **画像の幅(4バイト) **画像の高さ(4バイト) **[[色深度]](1バイト) **カラータイプ(1バイト) **圧縮形式(1バイト) **フィルタ形式(1バイト) **[[インターレース]]形式(1バイト) * PLTE - カラーパレット定義。 * IDAT - zlibにより圧縮されたイメージデータ。複数のIDATチャンクに分割することもできる。この場合ファイルサイズは若干増えるが、PNGをストリームとして生成することができるようになる。 * IEND - イメージの終端を示す。 PLTEチャンクはカラータイプ 3 ([[インデックスカラー]])を使用するときに必須となる。カラータイプ 2 と 6 (トゥルーカラー及び、アルファ情報付きトゥルーカラー)の場合は任意、さらにカラータイプ 0 と 4([[グレースケール]]及び、アルファ情報付きグレースケール)の場合は存在してはいけない。 ==== 補助チャンク ==== イメージについての付加情報を保持するための任意チャンク。 * acTL - アニメーテッドPNGである事を示し、総フレーム数やループ回数を保持する。 * bKGD - デフォルトの背景色を指定する。これは、単独のイメージビューアで表示するときなど、背景色が特に定まらない場合を想定している。ただし、Internet Explorer 6以前はアルファ値による透過表示をサポートせず、この値を背景色として使用する。 * cHRM - [[ホワイトバランス]]を指定する。 * eXIf - [[Exchangeable image file format|Exif]]メタデータを保持する。 * fcTL - アニメーテッドPNGのフレーム制御情報を保持する。 * fdAT - アニメーテッドPNGのフレーム画像データを保持する。 * gAMA - [[ガンマ補正]]値を指定する。 * hIST - [[ヒストグラム]]、またはイメージ内で使用されている各色の総量を保持する。 * iCCP - [[ICCプロファイル|ICCカラープロファイル]]を保持する。 * iTXt - [[UTF-8]]フォーマットのテキストを保持する。圧縮・非圧縮、[[IETF言語タグ]]を伴うことができる。 * pHYs - ピクセルの物理サイズ、またはイメージの[[アスペクト比]]を指定する。 * sBIT - 元データの有効なビット数を示す。 * sPLT - イメージが使用する色を全てカバーできない時に、代替となるパレットを提示する。 * sRGB - 標準的な[[色空間|sRGB]]の色空間が使われていることを示す。 * tEXt - [[ISO/IEC 8859-1|ISO 8859-1]]形式のテキストを保持する。キーワードと対になるチャンクを複数持つことができる。テキストの圧縮は行われない。 * tIME - イメージの最終更新日時を保持する。 * tRNS - 透過色情報を保持する。ピクセル単位のアルファ値指定が必要ない場合に使用する。インデックスカラーのイメージについてはインデックスに結びつけるアルファ値、トゥルーカラーやグレースケールのイメージについては、完全に透過とみなす色を指定する。 * zTXt - tEXtチャンクと同じ制限の圧縮テキスト。 === フィルタ処理 === PNGのイメージデータはzlibにより圧縮されるが、画像の特徴を利用して圧縮の効率を良くするために、フィルタで事前に処理を行えるようになっている{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=9.1. Filtering}}。(展開時には、逆のフィルタがかかる) 例えば、ピクセルの値が次のように並んでいたとする。 100,101,102,103,104,105 このデータには冗長な値が無く、このままDeflate圧縮を行っても効果は得られない。しかし例えば「左の値との差」をとると、データは以下のようになる。 100,1,1,1,1,1 この状態で圧縮すれば、最初の状態よりも高い効果が得られる。上記は極端な例であるが、このように事前に簡単な演算を行うことは、データによっては圧縮率の改善に役立つ。 PNGでは5種類のフィルタを定義している。 ;Sub :左隣のバイトとの差をとる{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=9.1. Filtering}}(上記)。 ;Up :真上のバイトとの差をとる{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=9.1. Filtering}}。 ;Average :左隣と真上のバイトの平均値との差をとる{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=9.1. Filtering}}。 ;Paeth :左隣、真上、左上の3つのバイトからPaeth値を計算し、その値との差をとる{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=9.1. Filtering}}。 ;None :何もしない{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=9.1. Filtering}}。 このフィルタは横一ライン毎に変更できる。どのフィルタをどこに使うかは使用する圧縮プログラムが選択できるため、プログラムによって同じ画像でも異なるサイズになりうる。 === 圧縮 === 圧縮アルゴリズムは[[Deflate]] ({{IETF RFC|1951}}) を使用し、フォーマットは[[zlib]]形式 ({{IETF RFC|1950}}) と定められている{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=9.2. The Deflate Compression Algorithm}}。DeflateのアルゴリズムそのものはPNGの仕様書には書かれていない。圧縮後のデータは、そのまま IDAT チャンクに格納される。 なおPNGはDeflate以外の圧縮形式もサポート出来るように設計されており、IHDRチャンクやiTXtチャンクには、使用する圧縮形式を明示するCompression methodフィールドがある。ただしVer1.2時点ではCompression methodフィールドで使える値はDeflateを示す一種類だけである。 === 開発者向けのツール === {{Main|libpng}} PNGを処理するための開発者向けライブラリとして[[libpng]]がある。これはPNG公式のライブラリであり、最も広く利用されている。C言語で開発されており、多くのプラットフォームで動作する。ライセンスはGPLよりも制限が緩やかである。 == 他のフォーマットとの比較 == [[ファイル:Glasses 800 edit.png|thumb|right|[[POV-Ray]]で作られたPNGの画像]] === GIF との比較 === GIF の代替物として開発された経緯があるため、GIFと比較されることが多い。主な差異は以下の通り。 * ほとんどの画像でPNGはGIFより圧縮率が高い{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=1.2. What Is PNG Good For?}}{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=9.3. Real-World Comparisons}}。 * GIFは1色透過だが、PNGはアルファチャンネルを持ち半透明の表現が可能{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=1.2.1. Alpha Channels}}。 * PNGはフルカラーが可能なため256色のGIFより精細な色表現が可能。 * GIFはアニメーションをサポートしているが、PNGはサポートしていない{{Sfn|Greg Roelofs|2003|loc=1.2. What Is PNG Good For?}}(アニメーションにはPNGの発展フォーマットであるMNG/APNG形式を用いる)。 * GIFと比較すると圧縮・展開に多少時間が掛かる(ただし前述の通り容量はGIFより小さいため、転送時間の短縮を加味すれば劣点とはならない。[[Webサーバ|サーバ]]側のプログラムが動的に画像を生成するような使用法では注意を要する)。 * インターレースGIFとインターレースPNG を比較すると、インターレースPNGの方が圧縮率が低い。 * インターレース形式のアルゴリズムが異なり、GIFよりも早い段階で全体像が見える。 === JPEGとの比較 === [[ファイル:Comparison of JPEG and PNG.png|thumb|200px|right|JPEGとPNGとの比較を示した画像。:JPEGでは均一な背景にノイズが出る]] [[JPEG]]は、主に写真的なイメージデータを[[非可逆圧縮]]することでPNGよりも小さなファイルサイズに収めることができる。そのため、高画質に設定したJPEGと比較すると、ファイルサイズはJPEGの数倍(大抵は5 - 10倍程度)になる。 PNGは、テキストや線画など色の境界がはっきりしたイメージに適している。線画と写真が混在している場合では、目的に応じて濃淡が目立たない(シャープな)部分を重視する場合はPNG、保存時のファイルサイズを重視する場合はJPEGを選ぶことができる。 JPEGは、非可逆圧縮方式であり{{仮リンク|ジェネレーションロス|en|Generation loss}}が生じるため、編集中の一時データの保存には向かない。JPEGで保存をする段階で画像は劣化し、それを繰り返すたびに更に画像は劣化していく。 ===TIFFとの比較=== PNGと[[Tagged Image File Format|TIFF]]は、画像を可逆圧縮または無圧縮により劣化なしで画像の保存が可能という点は共通している。 同じ画像を保存する際、ファイルサイズでは一般的にPNGに利点があるとされる{{要出典|date=2019年4月}}。 == ブラウザの対応 == 前述の特許権問題によりGIF排斥運動が起こったが、当初はPNGの普及はなかなか進まなかった。それは主に以下の理由からである。 * 当時の[[ウェブブラウザ|Webブラウザ]]でPNGに正しく対応していないものがあった。 * [[広告]]([[バナー]])には当時、[[GIFアニメ]]がよく用いられたが、PNGの仕様そのものにはアニメーション機能が含まれていないため、代替することができなかった。多くのブラウザで[[APNG]]に対応したのは2010年代以降のことである。 * 特許ライセンス料はGIF画像を読み書きできるソフトウェアの製作者が支払うものであり、ソフトウェア技術者などの間では話題になったものの、PhotoshopやPaintShop Proなど市販のソフトウェアを使用して画像を制作・利用する一般利用者にとってはそもそも無関係な話であり興味すら持たれなかった。 特に、2000年代に絶大なシェアを誇った[[Internet Explorer]]はバージョン6までアルファチャンネルを持つPNG画像を正しく描画できなかった。2006年11月にリリースされたバージョン7で、正確に描画できるようになった。(ただし[[Adobe Photoshop|Photoshop]]で生成したPNG画像の場合、gAMAチャンクへの不適切な記述のため正常に表示されないことがある) PNGはGIFと同様な1色透過も扱え、こちらはInternet Explorer 5でも対応していた。なお、IE5.5はアルファチャンネル付きPNGを正しく表示できる[[ActiveX]]プラグイン (AlphaImageLoader) を搭載しているため、この機能を使うようHTMLファイルに記述すれば表示できた。ただしIEの設定によってはアルファチャンネルとして機能せず、また他ブラウザとの互換を考えると、わざわざこの機能を利用する価値はほとんど無かった。 ユニシスの主張するLZW圧縮アルゴリズムに関する特許は、米国時間2003年6月20日をもって無効(期限切れ)になった。PNGはLZW圧縮アルゴリズム特許の有効期間内で全てのGIFファイルを代替するには至らなかった。特許問題が事実上消失したため、「'''特許に抵触しない'''GIFを代替可能なフォーマットのひとつ」としての存在意義は消失した。結果としてPNGは「GIFを代替可能なフォーマットのひとつ」という見方ができる。 == ファイルサイズ == 正しくエンコード処理を行ってメタデータを含まないように作成したPNG画像は、同じように処理して作成したGIF画像より小さくなるはずである。しかしPNGはGIFより機能が多いため、大きなサイズになってしまうことがある。 GIFは256色に制限されているため、多くのソフトはフォーマットの変換を行うとき自動的に256色に減色して保存する。そのためフルカラーの画像をPNGとGIFに保存した場合、GIFの方がサイズが小さくなる(かわりに画質は落ちている)。GIF同様256色のPNGを作ればGIFよりサイズが小さくなるにもかかわらず、PNGは256色より多い色数を利用できるため変換時に自動で減色されない場合がある。その結果同じ画像をGIFにした場合よりサイズが大きくなってしまう。 [[インターレース|インターレースPNG]]は[[インターレース|インターレースGIF]]に比べ、圧縮率が低くファイルサイズが大きくなる場合が多い。また、インターレースPNGは通常のPNGより、ファイルサイズが大きくなりがちである。 ソフトウェアによっては、出力されるPNGファイルのサイズは必ずしも最適化されないため、ファイルサイズを減らすためにはPNG最適化ソフトウェアなどでPNGファイルを最適化するとよい。最適化のためのソフトウェアとしては、 [http://optipng.sourceforge.net/ OptiPNG]、[http://advsys.net/ken/utils.htm PNGOUT]、[https://entropymine.com/jason/pngrewrite/ pngrewrite]、[http://pmt.sourceforge.net/pngcrush/ Pngcrush]などがある。また、Windows用ながらも[http://omoikane.my-sv.net/BlastPNG.htm BlastPNG]のような複数の最適化ソフトウェアを一度に扱えるフロントエンドなどもある。 PNGは[[JPEG]]に取って代わるものではない。JPEGは[[写真]]の圧縮に適した非可逆圧縮方式であり、写真画像に限ってはJPEGのほうがファイルサイズが小さくなる。一方で、文字や線画などの保存はJPEGだと圧縮ノイズが目立ってしまうのでPNGのほうが適している上、ファイルサイズもかなり小さくなる。また、加工を繰り返す予定のある画像はJPEGでは劣化が進んでしまうのでPNG保存が望ましい。 == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|30em}} ===仕様書=== {{reflist|group="spec"}} == 参考文献 == *{{Cite book|author=Greg Roelofs |title=PNG: The Definitive Guide |edition=2nd |year=2003 |publisher=O'Reilly & Associates |language=en |url=http://www.libpng.org/pub/png/book/toc.html |accessdate=2021-12-28 |ref=harv}} == 関連項目 == {{commonscat|Portable Network Graphics}} * [[Multiple-image Network Graphics|MNG]] * [[Animated Portable Network Graphics|APNG]] * [[libpng]] * [[ICO (ファイルフォーマット)]] == 外部リンク == * {{Official|http://www.libpng.org/pub/png/}} {{圧縮フォーマット}} {{Normdaten}} [[Category:ラスターグラフィックス・ファイルフォーマット]] [[Category:RFC|1766]] [[Category:ISO/IEC標準]] [[Category:JIS]] [[Category:可逆圧縮アルゴリズム]] [[Category:オープンフォーマット]]
2003-03-02T12:51:14Z
2023-11-10T17:50:35Z
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[ "Template:Reflist", "Template:Cite web", "Template:Normdaten", "Template:仮リンク", "Template:Sfn", "Template:IETF RFC", "Template:Cite book", "Template:圧縮フォーマット", "Template:要出典", "Template:Official", "Template:Infobox file format", "Template:Lang", "Template:Main", "Template:読み仮名 ruby不使用", "Template:脚注ヘルプ", "Template:Commonscat" ]
https://ja.wikipedia.org/wiki/Portable_Network_Graphics
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タロット
タロット(英:tarots [tǽrou] 、伊:tarocchi)、あるいはタロットカードは遊戯や占い(タロット占い)などに使用されるカードのこと。78枚1組がもっとも一般的で、その内訳はワンド、カップ、ソード、ペンタクルの4種類ごとにエース(1)から10までの数札、4枚のコートカードと呼ばれる札によって構成された56枚の小アルカナと、寓意画が描かれた22枚の大アルカナに分けられる。 日本では、小アルカナは大アルカナに比べ比較的認知度が低く、一般語のタロットは大アルカナのみを指す場合が多い 。 タロットの起源を古代エジプトや古代ユダヤに求める説もあるが学術的な根拠は無く、発祥は不明である。記録上辿れる限りでは1392年の「シャルル6世のタロット」が最古であるがこれは現存していない。これはシャルル6世が画家ジャックマン・グランゴヌール (Jacquemin Gringonneur) に作らせたものだが現存していないため現在のタロットとどの程度似ていたのか、あるいは全然違ったものだったのか、全く不明である。次いで古いのは、1415年にフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ公爵が秘書トルトナに作らせたという「ミンキアーテ版」である。これも当時のものは現存していないが、後世に作られた複製が残っており、内容を知ることはできる。これによると配列順や名称、絵柄が現在の大アルカナとは違っているところもあり、現在の大アルカナの「枚数・順番・名称・絵柄」は当時まだ確立されていなかったことがわかる。 現存するもので最古のものは15世紀半ばの北イタリアで製作された「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」である。これは、様々な博物館、図書館、そして世界中の個人コレクションに散らばる、約15デッキのタロットを総称したものである。このうちには1484年の日付の入ったものもあるが、それよりも古いもので1442年から1447年の間に作られたと推測されているものも存在する。この「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」はデッキごとにも微妙な違いがあるが、全体的にも後のいわゆる「マルセイユ版」とは図柄がかなり異なっており、番号がないためにいわゆる大アルカナに相当するカードの配列順番も現在のタロットと同じなのかどうか不明である。しかし、現在の大アルカナ22枚に相当するカードは少なくとも20枚はあったことはわかる。 ヴィスコンティ・スフォルツァ版とほぼ同時期のもので有名なものとしては「エステ家のタロット」と呼ばれるデッキがある。1442年の日付で、北イタリアのフェラーラ侯であった「エステ家」の帳簿の中に「トリオンフィ(Trionfi トライアンフと同義)のカードパックを購入した」との記述に続き、その後も1452年・1454年・1461年の日付入りで「トリオンフィ」に言及した記録があり、15世紀半ば頃には既にタロットカードが一般的に存在していたことがわかる。この頃、フェラーラでエステ家のために作られたと思われるデッキのうち15枚(うち大アルカナ8枚)がイェール大学に所蔵されている。またパリ国立図書館にも17枚(大アルカナは16枚)が残っており、これは1469年から1471年の間に上記のエステ家のボルソ・デステ (Borso d'Este) 侯爵のためにフェラーラでつくられたものと推測されている。このデッキの図像は上記ヴィスコンティ・スフォルツァ版とも後述のマルセイユ版とも異なる図案がみられる。 当時は、貴族や富豪のために画家が手描きで描いて作製していた。この頃のタロットは、まだ枚数や絵柄などもどの程度確定していたのか不明ではあるが、上述の諸々のデッキの構成から、すでに後世でいう大アルカナと小アルカナが合体したものであることは推察できる。一般的には、ゲーム用として用いられその遊びの中の一つとして占いに使うこともあっただろうと考えられている。とはいえゲーム用でも占い用でもない寓意画として観賞されたのかも知れず、正確なところは不明である。 その後、16世紀頃から木版画の量産品が出回るようになり、徐々に庶民へ、全ヨーロッパへと普及して行った。特にタロットゲームによるギャンブルは盛んで、風紀を乱すという理由から何度も禁止令が出たという。確実なタロット占いの記録が文献に現れるのは18世紀(後述のエッティラ)以降のことである。 フランス最古のタロットは、1557年にリヨンで作られた「ケイトリン・ジョフロイ版」(Catelin Geofroy) だが、このデッキのトランプ(いわゆる大アルカナ)は図像的にみるとかなり特徴的で、のちの「マルセイユ版」の元祖とは言い難い。 いわゆる現在の「マルセイユ版」とほぼ同じ図像、絵柄が確立したのは、1650年頃のパリで発行されたジャン・ノブレ(フランス語版)の「ジャン・ノブレ版」が最初で、これが遡りうる限りでのマルセイユ版の元祖と言い得る。マイケル・ダメットによると、最古のタロット占いの記録は、18世紀前半のタロット占いのやり方を記した手書きのシートである。この記録によれば、タロットカードにはそれぞれの意味が1枚ごとに割り振られていたようであるが、当初はもっぱらゲームに使われていた。 この系統のタロットは、18世紀頃にはミラノ辺りでも生産されたが、当時一大生産地となったマルセイユにちなみ「マルセイユ版タロット」と呼ばれる。この頃はまた、ちょうどフランス革命前後の不安定な社会を背景に、占い師エッティラが活躍していた頃に重なり、タロットを神秘的なものと見る風潮が高まって占いにも多用されるようになっていく。 アントワーヌ・クール・ド・ジェブラン(フランス語版)が『太古の世界』を著し、タロットのエジプト起源説を唱えると、それに触発されて、最初の職業タロット占い師でもあるエッティラ(フランス語版)が新解釈のタロットを作り出した。エッティラは上記のカード占いの方法をつかって最初の体系的なタロット占い術を編み出し、1783年から1785年にかけて『タロットと呼ばれるカードのパックで楽しむ方法』を出版した。かれはジェブランを信奉し、エジプト起源説によってタロットに神秘主義的な意味づけをした。またタロット占いに初めて「逆位置(リバース)」という解読法を加えた他、小アルカナの4スートに、四大元素を当てはめるなどし、さらに、初めてタロットと占星術を具体的に結びつけ、大アルカナから3枚を除いた19枚に7惑星や12星座との関連を与え「机上の占星術」という一面をもたらした。これらのタロット大革命により、エッティラは事実上、現代につながる神秘主義系タロットの開祖となった。また、それとは別に、タロットの順番が長い歴史の間に誤って伝わってきたと主張して、独自の考えに基づいて大幅なカードの順番入れ替えと絵柄の変更を行い、はじめて、占い専用でしかも美麗なオリジナルデザインの「エッティラ版タロット」デッキを作成した。このデッキはヘルメス哲学、錬金術、旧約聖書、ヌメロジーなども取り込んだもので、のちに数多くの独創的なオリジナルタロットが創作される嚆矢となった。 フランスでは一時期はタロットといえば「エッティラ版」が主流となり、一般の「マルセイユ版」をほとんど駆逐してしまったこともあった。この後、1854年には、エリファス・レヴィが『高等魔術の教義と儀式』を著し、タロットとカバラ(ユダヤ神秘主義)との関係を体系化し、その中で大アルカナ22枚とヘブライ文字22文字の対応関係を改めて主張した。ナポレオン3世に仕え一世を風靡した有名な占い師エドモン(フランス語版)は、このレヴィの説に基づいたオリジナルタロットを使用していた。続いて1889年にスタニスラス・ド・ガイタ(フランス語版)とともに「薔薇十字カバラ団」を設立したパピュス(フランス語版)は、カバラの基本文献である『形成の書』のヘブライ文字と世界の構成諸要素を対応させる思想に基づき(各カードを介して)ヘブライ文字を7惑星・12星座と対応させた。小アルカナについてもカバラの象意を配当した。即ちワンド・カップ・ソード・コインのスートに、それぞれヤハウェの名前Y・H・V・H、さらに各スートの1から10までの数札に生命の樹におけるケテルからマルクトまでのセフィラを関連付けた。またパピュスは神秘主義的タロット論『ジプシーのタロット』を著したが、同書に付された22枚のタロットはスタニスラス・ド・ガイタの弟子のオズヴァルド・ヴィルトの作画であった。これはレヴィやパピュス、ガイタ、そしてウィルトらの説に基づいてヘブライ文字と対応させた最初のタロットでもあった。 ここまでの流れはすべてフランスにおける展開であったが、フランスでの潮流に刺激され、英国でもレヴィのカバラ的解釈を継承する魔術結社「黄金の夜明け団」が生まれ、この系統から後にいくつかの名作タロットが生まれた。黄金の夜明け団では、タロットとヘブライ文字との関係付け、タロットと7惑星・12星座との関係付けも改めて行った上、小アルカナについてもワンド・カップ・ソード・ペンタクルにカバラの創世論におけるアツィルト・ブリアー・イェツィラー・アッシャーの四つの世界を、キング・クイーン・ナイト・ペイジにはコクマー・ビナー・ティファレト・マルクトのセフィラと四大元素の火・水・風・地を当てはめている。 タロット史の第二の革命は、アーサー・エドワード・ウェイトの黄金の夜明け団の解釈を元にデザインした「ウェイト版タロット」である。このデッキは単調な数札であった小アルカナすべてに絵柄を与えるという創作を加えた。これが多くのタロット愛好家に受け入れられ、ちょうどかつてのフランスで一時期はタロットといえば「エッティラ版」をさしたように、一時期の英米ではタロットといえば「ウェイト版」をさすほどであった。現在の多くの創作タロットも数札に絵柄を入れる場合はウェイト版のアイディアに準拠することが多い。またこのデッキは大アルカナの8番と11番を入れ替えていた。またこれまで「愚者」のカードは番号が与えられていないか、22番であったのを、0番の番号を与えた。しかしヘブライ文字の表記自体はカードから消し去っている。 他に、黄金の夜明け団の系統としてはアレイスター・クロウリーがデザインした「トート・タロット」も名作とされている。こちらは8番と11番のカードの位置は伝統的な配置のままである。 タロット史の第三の革命は、1972年、英国の「アルフレッド・ダグラス版」とよばれるタロットの出現である。このデッキはライダー版(ウェイト版)に準拠しつつも、シンプルで力強い大胆なデザインと原色を基調とした鮮やかな色彩で人気を博した。これより以前、エッティラの昔から、一家言をもった神秘家たちがおのおのの自説に基づくオリジナルタロットを出版することはよくあることだったが、現在のように、魔術系タロットのみならず、考えうるあらゆるものをモチーフとし、自由なアイディアを盛り込んだ多くのオリジナルデザインのタロットカードが無数に創作されるようになったのは、このアルフレッド・ダグラス版の大ヒットから始まったことである。これ以来、映画『007 死ぬのは奴らだ』の小道具として創作された「007タロット」、ヒンズー教のタントラに基づくタロット「ダーキニー・オラクル」、日本風の「浮世絵タロット」、不思議の国のアリスのタロット、サルバドール・ダリがデザインした巨大サイズのタロット、ユング心理学に基づく「ユングのタロット」等、多くの名作タロットが誕生した。まさにアルフレッド・ダグラス版こそが現代タロット文化の繁栄をもたらしたのであり、現在も珍奇で多彩かつ斬新な数々のタロットが世界中で次々に生み出され続けている。 大アルカナ(Major Arcana、22枚)と小アルカナ(Minor Arcana、56枚)の2種類があるが、小アルカナはカードゲーム以外では余り使用されないため、市販のカードには大アルカナのみのセットも多い。 一組のタロットカードのセットを、デッキという。 詳細については大アルカナを参照のこと。 ※ 1:「0」は番号無表示の場合もある。元々は番号が割り当てられていないか「22」であった。英国のウェイトが初めて愚者を0番としたとの説があるがこれは誤りで、正しくはジェブランである。 ※ 2:マルセイユ版など伝統的な物の場合。ウェイト版の影響をうけたタロットでは「VIII」と「XI」が逆になっている。 ※ 3:「XIII」13 (忌み数)は無記名の場合あり。 項目小アルカナも参照。以下の4種類に大別され、それぞれ1〜10・ペイジ(Page)・ナイト(Knight)・クィーン(Queen)・キング(King)で構成される。 ヨーロッパ大陸部では、タロットは現在でもゲームに使用されている。トランプと同じく様々な遊び方があるが、多くのゲームではトランプのトリックテイキングのルールに従う。特定のカードに得点がある、ポイントトリックゲームである。 とくにフランスと、旧ハプスブルク君主国諸地域(中央ヨーロッパのオーストリア・ハンガリーなどの諸国)で盛んであるが、両者でカードのデザインやルールがかなり異なる。 フランスでは、78枚のカードがそのまま使われる。切り札以外のスートはトランプと同じスペード・ハート・ダイヤ・クラブで、ジャックとクイーンの間に騎士(cavalier、略号C)が加わるため、56枚になる。切り札は1から21の番号がついており、番号の大きいほうが強い。そのデザインはオカルト用の大アルカナとはまったく異なっている(1=個人の狂気、2=幼年、3=青年、4=壮年、5=老年、6=朝、7=昼、8=夕方、9=夜、10=地・風、11=水・火、12=踊り、13=買い物、14=狩り、15=絵、16=春、17=夏、18=秋、19=冬、20=遊び、21=集団の狂気)。ゲームをプレイするにおいては番号のみに意味がある。愚者のカードは「l'Excuse」と呼ばれ、通常はマンドリンを持った道化師として描かれている。ゲームの上で切り札とは異なる独特の特徴を持つ。 中央ヨーロッパでもスートはフランス式のスペード・ハート・ダイヤ・クラブになっているが、トランプのスカートと同様、低位の数字札が存在しない。また、愚者は最強の切り札として扱われ、フランスでのような特殊な役割は持っていない。オーストリアでは通常54枚で、切り札22枚とそれ以外32枚(絵札16枚と高位の数字札16枚)よりなる。数字札は、黒いスート(スペード・クラブ)では数字が大きいほど強く(K > Q > C > J > 10 > 9 > 8 > 7)、赤いスート(ダイヤ・ハート)では数字が小さいほど強い(K > Q > C > J > 1 > 2 > 3 > 4)。これはうんすんカルタにも見られる古い特徴である。40枚しか使わない地域もある(切り札の2・3を使用せず、数字札は黒いスートの10と赤いスートの1しかない)。「ケーニヒルーフェン」というゲームでは、切り札の1・2・3・4は「Vogel(鳥)」と呼ばれ、特別な役割を持っている。 イタリアではラテン式スートが保たれており、数札は中央ヨーロッパと同様にスートによって強弱の順序が異なる。切り札のデザインも伝統的なデザインに近いが、順序はかなり異なっていて、天使( = 審判)がもっとも強い。フランス式と同様に、愚者は通常の切り札とは別の特徴を持つ。 以下はフランスの公式ルールにしたがって述べる。 原則として4人で遊ぶ。ゲームは反時計回りに進行する。競りと最初のトリックのリードはディーラーの右隣からはじめる。ディーラーはプレイごとに反時計回りに移動する。 手札は18枚で、残り6枚は伏せておく。この6枚を「chien(犬)」と呼ぶ。競技者は順に競りを行う。すなわち自分が立つことを宣言するか、パスする。宣言の種類は以下の4つのレベルがある。レベルの高い宣言はそれ以前のレベルの低い宣言に勝つ。 競りに勝った宣言者は、ひとりで残り3人の連合軍と戦う。chienを使用する契約の場合、宣言者はchienを表返してから手札に加え、かわりに不要な6枚を裏返しに出し(切り札は出してはならない)、それからプレイをはじめる。実際のプレイは通常のトリックテイキングのルールに従うが、リードと同じスートのカードを持っておらず、かつ切り札を持っている場合は、切り札を出さなくてはならない。また、切り札を出す場合は、場に出ているすべてのカードに勝てる切り札を持っている場合、それを出さなければならない。勝てる切り札がない場合は、どの切り札を出してもよい。切り札もない場合は、任意のカードを出してよい。 愚者はトリックテーキングのマストフォローのルールに従わず、いつでも出せる。愚者は通常もっとも低いカードなので、トリックに勝つことはできないが、愚者のカードはそのトリックに勝利した人ではなく、カードを出した人のものになる。 各カードはランクにより異なる点数を持っている。切り札の1・21および愚者の3枚は「oudlers」と呼ばれ、1枚あたり4.5点。それ以外はキングが4.5点、クイーンが3.5点、騎士が2.5点、ジャックが1.5点、それ以外が0.5点となる。全部のカードの点数を合計すると91点になる。 最終トリックで切り札の1が出た場合は、追加点10点がそのトリックに勝利した側に与えられる。 取らなければならないカードの点数には基本点があり、oudlersがなければ56点、1枚なら51点、2枚なら41点、3枚なら36点になる。宣言者が基本点以上の点数を取ったら宣言者の勝ちとなり、残り3人が点を宣言者に支払う。点数が基本点未満ならば、宣言者が残り3人に点を支払う。支払う点数は (25 + 基本点との差の絶対値 + 最終トリックで切り札の1が出た時の追加点)×(宣言により1・2・4・6のいずれか) となる。 全部のトリックを取った場合(グランドスラム)、200点のボーナス点がはいる。あらかじめ宣言しておけば倍の400点になるが、宣言しておいて失敗した場合は200点を支払わなければならない。 最初に配られたカードの中に切り札および愚者が10枚以上あったら20点、13枚以上なら30点、15枚以上なら40点のボーナス点がはいる。このボーナス点を得るには最初のトリックで自分の番が来た時にあらかじめカードをさらして宣言しておく必要がある。なお、カードをさらしておきながらプレイに負けた場合は、カードをさらした側のメンバーはそれぞれボーナス点を逆に相手に払う必要がある。 フランス語や英語ではtarotの語尾の t を発音せず日本語の「タロ(ー)」に近い発音となるが、日本語では語尾の t を発音し「タロット」と呼ぶのが一般的である。因みに他言語ではイタリア語: tarocchi(タロッキ、単数形は「tarocco」)、ドイツ語: Tarock(タロック)となっている。tarotの語源は不明である。 タロットは占いとしての完成度の高さから、様々な派生品を生み出す要因にもなっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "タロット(英:tarots [tǽrou] 、伊:tarocchi)、あるいはタロットカードは遊戯や占い(タロット占い)などに使用されるカードのこと。78枚1組がもっとも一般的で、その内訳はワンド、カップ、ソード、ペンタクルの4種類ごとにエース(1)から10までの数札、4枚のコートカードと呼ばれる札によって構成された56枚の小アルカナと、寓意画が描かれた22枚の大アルカナに分けられる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本では、小アルカナは大アルカナに比べ比較的認知度が低く、一般語のタロットは大アルカナのみを指す場合が多い 。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "タロットの起源を古代エジプトや古代ユダヤに求める説もあるが学術的な根拠は無く、発祥は不明である。記録上辿れる限りでは1392年の「シャルル6世のタロット」が最古であるがこれは現存していない。これはシャルル6世が画家ジャックマン・グランゴヌール (Jacquemin Gringonneur) に作らせたものだが現存していないため現在のタロットとどの程度似ていたのか、あるいは全然違ったものだったのか、全く不明である。次いで古いのは、1415年にフィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ公爵が秘書トルトナに作らせたという「ミンキアーテ版」である。これも当時のものは現存していないが、後世に作られた複製が残っており、内容を知ることはできる。これによると配列順や名称、絵柄が現在の大アルカナとは違っているところもあり、現在の大アルカナの「枚数・順番・名称・絵柄」は当時まだ確立されていなかったことがわかる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "現存するもので最古のものは15世紀半ばの北イタリアで製作された「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」である。これは、様々な博物館、図書館、そして世界中の個人コレクションに散らばる、約15デッキのタロットを総称したものである。このうちには1484年の日付の入ったものもあるが、それよりも古いもので1442年から1447年の間に作られたと推測されているものも存在する。この「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」はデッキごとにも微妙な違いがあるが、全体的にも後のいわゆる「マルセイユ版」とは図柄がかなり異なっており、番号がないためにいわゆる大アルカナに相当するカードの配列順番も現在のタロットと同じなのかどうか不明である。しかし、現在の大アルカナ22枚に相当するカードは少なくとも20枚はあったことはわかる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ヴィスコンティ・スフォルツァ版とほぼ同時期のもので有名なものとしては「エステ家のタロット」と呼ばれるデッキがある。1442年の日付で、北イタリアのフェラーラ侯であった「エステ家」の帳簿の中に「トリオンフィ(Trionfi トライアンフと同義)のカードパックを購入した」との記述に続き、その後も1452年・1454年・1461年の日付入りで「トリオンフィ」に言及した記録があり、15世紀半ば頃には既にタロットカードが一般的に存在していたことがわかる。この頃、フェラーラでエステ家のために作られたと思われるデッキのうち15枚(うち大アルカナ8枚)がイェール大学に所蔵されている。またパリ国立図書館にも17枚(大アルカナは16枚)が残っており、これは1469年から1471年の間に上記のエステ家のボルソ・デステ (Borso d'Este) 侯爵のためにフェラーラでつくられたものと推測されている。このデッキの図像は上記ヴィスコンティ・スフォルツァ版とも後述のマルセイユ版とも異なる図案がみられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "当時は、貴族や富豪のために画家が手描きで描いて作製していた。この頃のタロットは、まだ枚数や絵柄などもどの程度確定していたのか不明ではあるが、上述の諸々のデッキの構成から、すでに後世でいう大アルカナと小アルカナが合体したものであることは推察できる。一般的には、ゲーム用として用いられその遊びの中の一つとして占いに使うこともあっただろうと考えられている。とはいえゲーム用でも占い用でもない寓意画として観賞されたのかも知れず、正確なところは不明である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "その後、16世紀頃から木版画の量産品が出回るようになり、徐々に庶民へ、全ヨーロッパへと普及して行った。特にタロットゲームによるギャンブルは盛んで、風紀を乱すという理由から何度も禁止令が出たという。確実なタロット占いの記録が文献に現れるのは18世紀(後述のエッティラ)以降のことである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "フランス最古のタロットは、1557年にリヨンで作られた「ケイトリン・ジョフロイ版」(Catelin Geofroy) だが、このデッキのトランプ(いわゆる大アルカナ)は図像的にみるとかなり特徴的で、のちの「マルセイユ版」の元祖とは言い難い。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "いわゆる現在の「マルセイユ版」とほぼ同じ図像、絵柄が確立したのは、1650年頃のパリで発行されたジャン・ノブレ(フランス語版)の「ジャン・ノブレ版」が最初で、これが遡りうる限りでのマルセイユ版の元祖と言い得る。マイケル・ダメットによると、最古のタロット占いの記録は、18世紀前半のタロット占いのやり方を記した手書きのシートである。この記録によれば、タロットカードにはそれぞれの意味が1枚ごとに割り振られていたようであるが、当初はもっぱらゲームに使われていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "この系統のタロットは、18世紀頃にはミラノ辺りでも生産されたが、当時一大生産地となったマルセイユにちなみ「マルセイユ版タロット」と呼ばれる。この頃はまた、ちょうどフランス革命前後の不安定な社会を背景に、占い師エッティラが活躍していた頃に重なり、タロットを神秘的なものと見る風潮が高まって占いにも多用されるようになっていく。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "アントワーヌ・クール・ド・ジェブラン(フランス語版)が『太古の世界』を著し、タロットのエジプト起源説を唱えると、それに触発されて、最初の職業タロット占い師でもあるエッティラ(フランス語版)が新解釈のタロットを作り出した。エッティラは上記のカード占いの方法をつかって最初の体系的なタロット占い術を編み出し、1783年から1785年にかけて『タロットと呼ばれるカードのパックで楽しむ方法』を出版した。かれはジェブランを信奉し、エジプト起源説によってタロットに神秘主義的な意味づけをした。またタロット占いに初めて「逆位置(リバース)」という解読法を加えた他、小アルカナの4スートに、四大元素を当てはめるなどし、さらに、初めてタロットと占星術を具体的に結びつけ、大アルカナから3枚を除いた19枚に7惑星や12星座との関連を与え「机上の占星術」という一面をもたらした。これらのタロット大革命により、エッティラは事実上、現代につながる神秘主義系タロットの開祖となった。また、それとは別に、タロットの順番が長い歴史の間に誤って伝わってきたと主張して、独自の考えに基づいて大幅なカードの順番入れ替えと絵柄の変更を行い、はじめて、占い専用でしかも美麗なオリジナルデザインの「エッティラ版タロット」デッキを作成した。このデッキはヘルメス哲学、錬金術、旧約聖書、ヌメロジーなども取り込んだもので、のちに数多くの独創的なオリジナルタロットが創作される嚆矢となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "フランスでは一時期はタロットといえば「エッティラ版」が主流となり、一般の「マルセイユ版」をほとんど駆逐してしまったこともあった。この後、1854年には、エリファス・レヴィが『高等魔術の教義と儀式』を著し、タロットとカバラ(ユダヤ神秘主義)との関係を体系化し、その中で大アルカナ22枚とヘブライ文字22文字の対応関係を改めて主張した。ナポレオン3世に仕え一世を風靡した有名な占い師エドモン(フランス語版)は、このレヴィの説に基づいたオリジナルタロットを使用していた。続いて1889年にスタニスラス・ド・ガイタ(フランス語版)とともに「薔薇十字カバラ団」を設立したパピュス(フランス語版)は、カバラの基本文献である『形成の書』のヘブライ文字と世界の構成諸要素を対応させる思想に基づき(各カードを介して)ヘブライ文字を7惑星・12星座と対応させた。小アルカナについてもカバラの象意を配当した。即ちワンド・カップ・ソード・コインのスートに、それぞれヤハウェの名前Y・H・V・H、さらに各スートの1から10までの数札に生命の樹におけるケテルからマルクトまでのセフィラを関連付けた。またパピュスは神秘主義的タロット論『ジプシーのタロット』を著したが、同書に付された22枚のタロットはスタニスラス・ド・ガイタの弟子のオズヴァルド・ヴィルトの作画であった。これはレヴィやパピュス、ガイタ、そしてウィルトらの説に基づいてヘブライ文字と対応させた最初のタロットでもあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "ここまでの流れはすべてフランスにおける展開であったが、フランスでの潮流に刺激され、英国でもレヴィのカバラ的解釈を継承する魔術結社「黄金の夜明け団」が生まれ、この系統から後にいくつかの名作タロットが生まれた。黄金の夜明け団では、タロットとヘブライ文字との関係付け、タロットと7惑星・12星座との関係付けも改めて行った上、小アルカナについてもワンド・カップ・ソード・ペンタクルにカバラの創世論におけるアツィルト・ブリアー・イェツィラー・アッシャーの四つの世界を、キング・クイーン・ナイト・ペイジにはコクマー・ビナー・ティファレト・マルクトのセフィラと四大元素の火・水・風・地を当てはめている。", "title": "歴史" 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"項目小アルカナも参照。以下の4種類に大別され、それぞれ1〜10・ペイジ(Page)・ナイト(Knight)・クィーン(Queen)・キング(King)で構成される。", "title": "カードの種類" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ヨーロッパ大陸部では、タロットは現在でもゲームに使用されている。トランプと同じく様々な遊び方があるが、多くのゲームではトランプのトリックテイキングのルールに従う。特定のカードに得点がある、ポイントトリックゲームである。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "とくにフランスと、旧ハプスブルク君主国諸地域(中央ヨーロッパのオーストリア・ハンガリーなどの諸国)で盛んであるが、両者でカードのデザインやルールがかなり異なる。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "フランスでは、78枚のカードがそのまま使われる。切り札以外のスートはトランプと同じスペード・ハート・ダイヤ・クラブで、ジャックとクイーンの間に騎士(cavalier、略号C)が加わるため、56枚になる。切り札は1から21の番号がついており、番号の大きいほうが強い。そのデザインはオカルト用の大アルカナとはまったく異なっている(1=個人の狂気、2=幼年、3=青年、4=壮年、5=老年、6=朝、7=昼、8=夕方、9=夜、10=地・風、11=水・火、12=踊り、13=買い物、14=狩り、15=絵、16=春、17=夏、18=秋、19=冬、20=遊び、21=集団の狂気)。ゲームをプレイするにおいては番号のみに意味がある。愚者のカードは「l'Excuse」と呼ばれ、通常はマンドリンを持った道化師として描かれている。ゲームの上で切り札とは異なる独特の特徴を持つ。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "中央ヨーロッパでもスートはフランス式のスペード・ハート・ダイヤ・クラブになっているが、トランプのスカートと同様、低位の数字札が存在しない。また、愚者は最強の切り札として扱われ、フランスでのような特殊な役割は持っていない。オーストリアでは通常54枚で、切り札22枚とそれ以外32枚(絵札16枚と高位の数字札16枚)よりなる。数字札は、黒いスート(スペード・クラブ)では数字が大きいほど強く(K > Q > C > J > 10 > 9 > 8 > 7)、赤いスート(ダイヤ・ハート)では数字が小さいほど強い(K > Q > C > J > 1 > 2 > 3 > 4)。これはうんすんカルタにも見られる古い特徴である。40枚しか使わない地域もある(切り札の2・3を使用せず、数字札は黒いスートの10と赤いスートの1しかない)。「ケーニヒルーフェン」というゲームでは、切り札の1・2・3・4は「Vogel(鳥)」と呼ばれ、特別な役割を持っている。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "イタリアではラテン式スートが保たれており、数札は中央ヨーロッパと同様にスートによって強弱の順序が異なる。切り札のデザインも伝統的なデザインに近いが、順序はかなり異なっていて、天使( = 審判)がもっとも強い。フランス式と同様に、愚者は通常の切り札とは別の特徴を持つ。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "以下はフランスの公式ルールにしたがって述べる。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "原則として4人で遊ぶ。ゲームは反時計回りに進行する。競りと最初のトリックのリードはディーラーの右隣からはじめる。ディーラーはプレイごとに反時計回りに移動する。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "手札は18枚で、残り6枚は伏せておく。この6枚を「chien(犬)」と呼ぶ。競技者は順に競りを行う。すなわち自分が立つことを宣言するか、パスする。宣言の種類は以下の4つのレベルがある。レベルの高い宣言はそれ以前のレベルの低い宣言に勝つ。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "競りに勝った宣言者は、ひとりで残り3人の連合軍と戦う。chienを使用する契約の場合、宣言者はchienを表返してから手札に加え、かわりに不要な6枚を裏返しに出し(切り札は出してはならない)、それからプレイをはじめる。実際のプレイは通常のトリックテイキングのルールに従うが、リードと同じスートのカードを持っておらず、かつ切り札を持っている場合は、切り札を出さなくてはならない。また、切り札を出す場合は、場に出ているすべてのカードに勝てる切り札を持っている場合、それを出さなければならない。勝てる切り札がない場合は、どの切り札を出してもよい。切り札もない場合は、任意のカードを出してよい。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "愚者はトリックテーキングのマストフォローのルールに従わず、いつでも出せる。愚者は通常もっとも低いカードなので、トリックに勝つことはできないが、愚者のカードはそのトリックに勝利した人ではなく、カードを出した人のものになる。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "各カードはランクにより異なる点数を持っている。切り札の1・21および愚者の3枚は「oudlers」と呼ばれ、1枚あたり4.5点。それ以外はキングが4.5点、クイーンが3.5点、騎士が2.5点、ジャックが1.5点、それ以外が0.5点となる。全部のカードの点数を合計すると91点になる。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "最終トリックで切り札の1が出た場合は、追加点10点がそのトリックに勝利した側に与えられる。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "取らなければならないカードの点数には基本点があり、oudlersがなければ56点、1枚なら51点、2枚なら41点、3枚なら36点になる。宣言者が基本点以上の点数を取ったら宣言者の勝ちとなり、残り3人が点を宣言者に支払う。点数が基本点未満ならば、宣言者が残り3人に点を支払う。支払う点数は (25 + 基本点との差の絶対値 + 最終トリックで切り札の1が出た時の追加点)×(宣言により1・2・4・6のいずれか) となる。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "全部のトリックを取った場合(グランドスラム)、200点のボーナス点がはいる。あらかじめ宣言しておけば倍の400点になるが、宣言しておいて失敗した場合は200点を支払わなければならない。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "最初に配られたカードの中に切り札および愚者が10枚以上あったら20点、13枚以上なら30点、15枚以上なら40点のボーナス点がはいる。このボーナス点を得るには最初のトリックで自分の番が来た時にあらかじめカードをさらして宣言しておく必要がある。なお、カードをさらしておきながらプレイに負けた場合は、カードをさらした側のメンバーはそれぞれボーナス点を逆に相手に払う必要がある。", "title": "ゲームとしての現在のタロット" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "フランス語や英語ではtarotの語尾の t を発音せず日本語の「タロ(ー)」に近い発音となるが、日本語では語尾の t を発音し「タロット」と呼ぶのが一般的である。因みに他言語ではイタリア語: tarocchi(タロッキ、単数形は「tarocco」)、ドイツ語: Tarock(タロック)となっている。tarotの語源は不明である。", "title": "名称" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "タロットは占いとしての完成度の高さから、様々な派生品を生み出す要因にもなっている。", "title": "派生品" } ]
タロット、あるいはタロットカードは遊戯や占い(タロット占い)などに使用されるカードのこと。78枚1組がもっとも一般的で、その内訳はワンド、カップ、ソード、ペンタクルの4種類ごとにエース(1)から10までの数札、4枚のコートカードと呼ばれる札によって構成された56枚の小アルカナと、寓意画が描かれた22枚の大アルカナに分けられる。 日本では、小アルカナは大アルカナに比べ比較的認知度が低く、一般語のタロットは大アルカナのみを指す場合が多い。
{{出典の明記|date=2023年12月19日}} {{Otheruses|カード|[[ヘヴィメタル]][[バンド (音楽)|バンド]]|タロット (バンド)}} [[File:Viscontisforzatarot.jpg|thumb|250px|[[15世紀]]に描かれた(悪魔のカードを除く)[[ヴィスコンティ・スフォルツァ版タロット|ヴィスコンティ・スフォルツァ版]]デッキ]] '''タロット'''([[英語|英]]:tarots [tǽrou] 、[[イタリア語|伊]]:tarocchi)、あるいは'''タロットカード'''は[[ゲーム|遊戯]]や[[占い]]([[タロット占い]])などに使用される[[カード]]のこと。78枚1組がもっとも一般的で、その内訳は[[ワンド (タロット)|ワンド]]、[[カップ (タロット)|カップ]]、[[ソード (タロット)|ソード]]、[[ペンタクル]]の4種類の[[スート]]ごとにエース(1)から10までの数札、4枚のコートカードと呼ばれる札によって構成された56枚の[[小アルカナ]]と、[[寓意|寓意画]]が描かれた22枚の[[大アルカナ]]に分けられる。 [[日本]]では、{{要出典範囲|小アルカナは大アルカナに比べ比較的認知度が低く、一般語のタロットは大アルカナのみを指す場合が多い|date=2021年2月}} 。 __TOC__ == 歴史 == === 起源 === タロットの起源を[[古代エジプト]]や[[古代イスラエル|古代ユダヤ]]に求める説もあるが学術的な根拠は無く、発祥は不明である。記録上辿れる限りでは[[1392年]]の「'''[[シャルル6世#シャルル6世のタロット|シャルル6世のタロット]]'''」が最古であるがこれは現存していない。これは[[シャルル6世]]が画家[[ジャックマン・グランゴヌール]] (Jacquemin Gringonneur) <ref>占星術師でカバラ学者だったともいう。『TAROT』A・木星王 [[大陸書房]] 1975</ref>に作らせたもの<ref group="注">かつては後述の「エステ家のタロット」がこのシャルル6世のカードだと誤認されており、「グランゴヌール版」等と呼ばれていたが、全く別のものである。</ref>だが現存していないため現在のタロットとどの程度似ていたのか、あるいは全然違ったものだったのか、全く不明である。次いで古いのは、[[1415年]]に[[フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ]][[公爵]]が秘書トルトナに作らせたという「'''ミンキアーテ版'''」である。これも当時のものは現存していないが、後世に作られた複製が残っており、内容を知ることはできる。これによると配列順や名称、絵柄が現在の大アルカナとは違っているところ<ref group="注">現在{{いつ|date= 2017年3月}}でいう大アルカナに相当するカードが41枚もあり、そのうち20枚は現在{{いつ|date= 2017年3月}}のタロットには含まれていないカードである。</ref>もあり、現在の大アルカナの「枚数・順番・名称・絵柄」は当時まだ確立されていなかったことがわかる<ref group="注">ただし後世の複製なので、現在と同系の後世のタロットからどれぐらい影響を受けた上で作られたのか不明であり、これが[[1415年]]当時のそのままの完全な複製なのかどうかも確認の手段がない。</ref>。 現存するもので最古のものは[[15世紀]]半ばの北[[イタリア]]で製作された「'''ヴィスコンティ・スフォルツァ版'''」である。これは、様々な[[博物館]]、[[図書館]]、そして世界中の個人コレクションに散らばる、約15デッキのタロットを総称したものである。このうちには[[1484年]]の日付の入ったものもあるが、それよりも古いもので'''[[1442年]]から[[1447年]]'''の間に作られたと推測されているものも存在する。この「[[ヴィスコンティ・スフォルツァ版]]」はデッキごとにも微妙な違いがあるが、全体的にも後のいわゆる「マルセイユ版」とは図柄がかなり異なっており、番号がないためにいわゆる大アルカナに相当するカードの配列順番も現在のタロットと同じなのかどうか不明<ref group="注">前述の「ミンキアーテ版」にしろ、15世紀中頃より少し遡った頃に作られたと推定される「'''ボローニャ版'''」(これも現存するものは後世の複製)にしろ、大アルカナに相当するカードの配列は現在のタロットとかなりの違いがみられる。またヴィスコンティ・スフォルツァ版には現在のタロットカードにはない3枚のカードが含まれる他、小アルカナのコートカード(人物札)も各スートごとに6枚もあった。</ref>である。しかし、現在の大アルカナ22枚に相当するカードは少なくとも20枚はあった<ref group="注">「[[悪魔 (タロット)|悪魔]]」と「[[塔 (タロット)|塔]]」の凶札2枚が欠けており、最初から無かったのか、紛失によって欠損したのか、凶意を排除するために意図的に廃棄されたのかは、今でも研究家の間で意見が分かれている。ただし、ほぼ同時期の後述の「エステ家のタロット」には「塔」が含まれている。</ref>ことはわかる。 ヴィスコンティ・スフォルツァ版とほぼ同時期のもので有名なものとしては「エステ家のタロット」と呼ばれるデッキがある<ref group="注">かつてはこれが1392年にシャルル6世が画家グランゴヌールに作らせたものと推測とされ、「'''シャルル6世のタロット'''」とも「'''グランゴヌール版'''」とも呼ばれ、最古のタロットとされていたが、現在{{いつ|date= 2017年3月}}では否定されている。シャルル6世がグランゴヌールに作らせたのは未発見の別のカードであり、これはエステ家のカードとされている。</ref>。[[1442年]]の日付で、北[[イタリア]]の[[フェラーラ]]侯であった「[[エステ家]]」の帳簿の中に「トリオンフィ(Trionfi [[トライアンフ]]と同義)のカードパックを購入した」との記述に続き、その後も[[1452年]]・[[1454年]]・[[1461年]]の日付入りで「トリオンフィ」に言及した記録があり、[[15世紀]]半ば頃には既にタロットカードが一般的に存在していたことがわかる。この頃、フェラーラでエステ家のために作られたと思われるデッキのうち15枚(うち大アルカナ8枚)がイェール大学に所蔵されている<ref>イェール大学に所蔵の15枚 # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012096.jpg 剣の女王] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012097.jpg 剣の騎士] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012098.jpg 棒の王] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012099.jpg 棒の騎士] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012100.jpg 棒のペイジ] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012101.jpg 金貨の王] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012102.jpg 杯の女王] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012103.jpg 魔術師] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012104.jpg 教皇] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012105.jpg 節制] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012106.jpg 星] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012107.jpg 月] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012108.jpg 太陽] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size3/D0407/1012109.jpg 世界] # [http://brbl-images.library.yale.edu/PATREQIMG/size4/D0407/1012110.jpg 愚者] </ref>。また[[パリ国立図書館]]にも17枚(大アルカナは16枚)が残っており、これは1469年から1471年の間に上記の[[エステ家]]の[[ボルソ・デステ]] (Borso d'Este) 侯爵のためにフェラーラでつくられたものと推測されている<ref>[http://expositions.bnf.fr/renais/feuille/index4.htm パリ国立図書館HPより「シャルル6世のタロット」一覧]</ref>。このデッキの図像は上記ヴィスコンティ・スフォルツァ版とも後述のマルセイユ版とも異なる図案がみられる<ref group="注">イェール大学のものとパリ図書館のものを照合して重複を除くと大アルカナはなお4枚が未発見で、18枚の絵柄が判明している。またこれも番号が付されてないので配列順が不明なだけでなく、もともと大アルカナは18枚だけで構成されていたのか他のカードもあったのかも不明である。</ref>。 当時は、[[貴族]]や富豪のために画家が手描きで描いて作製していた。この頃のタロットは、まだ枚数や絵柄などもどの程度確定していたのか不明ではあるが、上述の諸々のデッキの構成から、すでに後世でいう大アルカナと小アルカナが合体したものであることは推察できる<ref group="注">プレイング・カード(日本でいうトランプ)とタロットの関係については、占いに使われるタロットの小アルカナに愚者(フール)の札を加えてトランプが発生したと言う説や、ゲームをより複雑で面白くするためにトランプに絵札を加えていって、最終的にトランプがタロットになったという説、その他にもいろいろな説があるが、いずれもその真偽について信憑性を欠いており、詳しい経緯はよくわかっていない。</ref>。一般的には、ゲーム用として用いられその遊びの中の一つとして占いに使うこともあっただろうと考えられている。とはいえゲーム用でも占い用でもない寓意画として観賞されたのかも知れず、正確なところは不明である。 その後、[[16世紀]]頃から[[木版画]]の量産品が出回るようになり、徐々に庶民へ、全[[ヨーロッパ]]へと普及して行った。特にタロットゲームによる[[ギャンブル]]は盛んで、風紀を乱すという理由から何度も禁止令が出たという。確実なタロット占いの記録が文献に現れるのは[[18世紀]](後述のエッティラ)以降のことである。 === マルセイユ版タロットの誕生 === フランス最古のタロットは、[[1557年]]に[[リヨン]]で作られた「[[ケイトリン・ジョフロイ版]]」(Catelin Geofroy) だが、このデッキのトランプ(いわゆる大アルカナ)は図像的にみるとかなり特徴的で、のちの「マルセイユ版」の元祖とは言い難い<ref group="注">現存する38枚(うち大アルカナ12枚)のみが[[フランクフルト]]の[[クンストハンドヴェルク博物館]]に所蔵され、カード番号は、現在のマルセイユ版と同じである。これまでの「ヴィスコンティ・スフォルツァ版」等には番号はなかった。奇術師のカードには複数の客が描かれる等、エステ家のタロットに似ているところもある。</ref>。 いわゆる現在の「マルセイユ版」とほぼ同じ図像、絵柄が確立したのは、'''[[1650年]]頃'''のパリで発行された{{仮リンク|ジャン・ノブレ|fr|Jean Noblet}}の「[[ジャン・ノブレ版]]」が最初で、これが遡りうる限りでのマルセイユ版の元祖と言い得る<ref group="注">「ジャン・ノブレ版」と同時期に同じパリで作られた「{{仮リンク|ジャック・ヴィーヴル版タロット|label=ジャック・ヴィーヴル版|fr|Tarot de Viéville}}」(Jacques Vieville) もあるが、こちらは図像が特徴的で、大アルカナのうち6枚ほどが典型的なマルセーユ版とは図案が異なる。そのうち星と月のカードは観測をする人物が描かれ「エステ家のタロット」などと似ている。またこの「ジャック・ヴィーヴル版」は大アルカナに相当するカードの配列順が通常と違っている(上述の「ボローニャ版」と同じではないがかなり似た配列順になっている)のも特徴。</ref>。[[マイケル・ダメット]]によると、最古のタロット占いの記録は、[[18世紀]]前半のタロット占いのやり方を記した手書きのシートである。この記録によれば、タロットカードにはそれぞれの意味が1枚ごとに割り振られていた<ref group="注">【参考】タロットでなくカード(日本でいうトランプ)の話であるが、一般的な印象と異なり、トランプ占いとタロット占いでは、トランプ占いの方が古い。トランプ占いの最古の記録は1540年にフェラーラ公ヘルキューレ・エステに献じられた占いの書物に記されたものである。なお、カード(日本でいうトランプ)による占いの方法は、古い時代には、あらかじめカードに意味が割り当てられているタイプのものではなく、易占いやサイコロ占いのように、出た数枚のカードの組み合わせに対して、それぞれ解説が割り当てられているという方式のものであり、いわばカード自体は、偶然性を提供する役をしているにすぎなかった。現在に通じる、カードに予め意味が割り当てられているタイプのカード占いを確立したのは、エッティラが著した1770年の書物である。この本の初版でエッティラは逆位置による意味の変化、カードに予め意味を割り当てる、といった点をトランプ占いに導入した。ただし、こうした占いの方法が、彼以前の数十年程度の範囲であれば、記録に残らないところで、すでに民間で生まれていた可能性もある。</ref>ようであるが、当初はもっぱらゲームに使われていた。 === マルセイユ版の隆盛と神秘主義的解釈の創始 === この系統のタロットは、18世紀頃には[[ミラノ]]辺りでも生産されたが、当時一大生産地となった[[マルセイユ]]にちなみ「[[マルセイユ版タロット]]」と呼ばれる。この頃はまた、ちょうどフランス革命前後の不安定な社会を背景に、占い師エッティラが活躍していた頃に重なり、タロットを神秘的なものと見る風潮が高まって[[占い]]にも多用されるようになっていく。 {{仮リンク|アントワーヌ・クール・ド・ジェブラン|fr|Antoine Court de Gébelin}}が『太古の世界』を著し、タロットのエジプト起源説を唱える<ref group="注">ジュブランは[[1781年]]にタロットを発行しているがこれはオリジナルではなく当時の普通のものをそのまま発行しただけである。また、このエジプト起源説は根拠のあるものではなく、当時、歴史的な箔付けのためにオカルト関係事の起源をエジプトに求めることが多かったことから、タロットもこれに倣って、神秘的な魔術用具として起源をエジプトに求めたものと考えられている。また、カード占いを生業とする者が多かった流浪の民が[[ジプシー]](エジプトからの流民)と呼ばれていたことも、エジプト起源説の一因となっている。しかし、現在ではジプシーはエジプトではなく西アジアからの移民である説が有力である。また、ジプシーの占いは、元来は手相占いが主であり、カード占いが行われるようになるのは、それがひろまってからのことである。</ref>と、それに触発されて、最初の職業タロット占い師でもある{{仮リンク|エッティラ|fr|Etteilla}}<ref group="注">本名ジャン・バプティスタ・アリエット。エッティラは本名を逆に綴ったもの。ただし英語読みであり、仏語ではエテイヤと発音する。日本では英語読みのエッティラまたはエッティーラで親しまれている。なお、一般にエッティラの前職が理髪師またはカツラ職人であったとされるがこれは誤解で、実際の前職は商人であった。</ref>が新解釈のタロットを作り出した。エッティラは上記のカード占いの方法をつかって最初の体系的なタロット占い術を編み出し、'''1783年から1785年'''にかけて『タロットと呼ばれるカードのパックで楽しむ方法』を出版した。かれはジェブランを信奉し、エジプト起源説によってタロットに神秘主義的な意味づけをした。またタロット占いに初めて「'''逆位置'''(リバース)」という解読法を加えた他、小アルカナの4スートに、[[四大元素]]を当てはめるなどし、さらに、初めて'''タロットと占星術'''を具体的に結びつけ、大アルカナから3枚を除いた19枚に[[七曜|7惑星]]や[[十二宮|12星座]]との関連を与え「机上の占星術」という一面をもたらした<ref group="注">ただしタロットと占星術の対応関係については、後世の「黄金の夜明け団」等の説とは異なっているが、現代の創作タロットでもフランスや中米産のものにエッティラ説を踏襲しているものが存在する。</ref>。これらのタロット大革命により、エッティラは事実上、現代につながる神秘主義系タロットの開祖となった。また、それとは別に、タロットの順番が長い歴史の間に誤って伝わってきたと主張して、独自の考えに基づいて大幅なカードの順番入れ替えと絵柄の変更を行い、はじめて、占い専用でしかも美麗なオリジナルデザインの「[[エッティラ版タロット]]」デッキを作成した。このデッキは[[ヘルメス文書|ヘルメス哲学]]、[[錬金術]]、[[旧約聖書]]、[[数秘術|ヌメロジー]]なども取り込んだもので、のちに数多くの独創的なオリジナルタロットが創作される嚆矢となった。 === 神秘主義的タロットの展開 === [[フランス]]では一時期はタロットといえば「エッティラ版」が主流となり、一般の「マルセイユ版」をほとんど駆逐してしまったこともあった。この後、[[1854年]]には、[[エリファス・レヴィ]]が『高等魔術の教義と儀式』を著し、タロットと[[カバラ]](ユダヤ神秘主義)との関係を体系化し、その中で大アルカナ22枚と[[ヘブライ文字]]22文字の対応関係を改めて主張した<ref group="注">大アルカナとヘブライ文字の対応関係を主張したのはレヴィが最初であるとの説があるが誤りで、上記のジェブランの同時代人[[メレ]]の説が最初である。ただし、メレの説は「世界」のカードがヘブライ文字のアレフ、「審判」がベート、というようにカードと文字の順番を逆向きに対応させるもので、レヴィの新説とは異なっていた。</ref>。ナポレオン3世に仕え一世を風靡した有名な占い師{{仮リンク|魔術師エドモン|fr|Mage Edmond|label=エドモン}}は、このレヴィの説に基づいたオリジナルタロットを使用していた<ref group="注">エドモンタロットは1950年代の占い師ベリーヌが発見し「[[グラン・タロー・ベリーヌ]]」という名で復刻されている。</ref>。続いて[[1889年]]に{{仮リンク|スタニスラス・ド・ガイタ|fr|Stanislas de Guaita}}とともに「薔薇十字カバラ団」を設立した{{仮リンク|パピュス|fr|Papus}}は、カバラの基本文献である『[[形成の書]]』のヘブライ文字と世界の構成諸要素を対応させる思想に基づき(各カードを介して)ヘブライ文字を7惑星・12星座と対応させた<ref group="注">「'''ヘブライ文字を介して'''各カードと占星術が結びついている」と誤解した説があるが、正しくは「'''カードを介して'''占星術とヘブライ文字が結び付けられた」のである。パピュスは大アルカナとヘブライ文字との対応関係についてはレヴィの説を踏襲し、大アルカナと7惑星・12星座との対応関係についてはエッティラの説を微修正した上で踏襲し、その上で両者を組み合わせ、カードとヘブライ文字と占星術の3者の対応関係を一覧にしたのであって、『形成の書』には3者を具体的に対応させる記述はない。</ref>。小アルカナについてもカバラの象意を配当した。即ちワンド・カップ・ソード・コインのスートに、それぞれ[[ヤハウェ]]の名前Y・H・V・H、さらに各スートの1から10までの数札に[[生命の樹 (旧約聖書)|生命の樹]]におけるケテルからマルクトまでのセフィラを関連付けた。またパピュスは神秘主義的タロット論『ジプシーのタロット』を著した<ref group="注">パピュスはタロットと占星術の対応関係についてほぼエッティラを踏襲したがわずかに変更を加えている。またレヴィが考えたヘブライ文字との対応に従って、ヘブライ文字のアルファベット順にカードを並べかえ、愚者のカード(当時は0番ではなく番号がなかった)に21番の番号を与え、通常なら21番とされる「世界」のカードを22番に変更した。</ref>が、同書に付された22枚のタロットはスタニスラス・ド・ガイタの弟子の[[オズヴァルド・ヴィルト]]の作画であった<ref group="注">ウィルトはタロットと占星術の対応関係についてはエッティラやパピュスとも、また黄金の夜明け団の説ともまったく異なる説を立てた。彼のタロットはその後何度か出たが[[1927年]]に『中世版画師のタロット』と題する黄金に輝く絢爛たるカードとして決定版が出された。これは早くから復刻された名作である。</ref>。これはレヴィやパピュス、ガイタ、そしてウィルトらの説に基づいてヘブライ文字と対応させた最初のタロットでもあった。 ここまでの流れはすべてフランスにおける展開であったが、フランスでの潮流に刺激され、英国でもレヴィのカバラ的解釈を継承する魔術結社「[[黄金の夜明け団]]」が生まれ、この系統から後にいくつかの名作タロットが生まれた。黄金の夜明け団では、タロットとヘブライ文字との関係付け、タロットと7惑星・12星座との関係付けも改めて行った<ref group="注">ただし、黄金の夜明け団では、「愚者」のカードにアレフ、「魔術師」にベートを当てはめ、以下、タロットの番号順にヘブライ文字を当てはめるという方式になっており、上記のレヴィの説とは異なっている。大アルカナと占星術との対応関係もエッティラ以来の伝統的な説とはまったく異なっている。</ref>上、小アルカナについてもワンド・カップ・ソード・ペンタクルにカバラの創世論におけるアツィルト・ブリアー・イェツィラー・アッシャーの四つの世界を、キング・クイーン・ナイト・ペイジにはコクマー・ビナー・ティファレト・マルクトのセフィラと四大元素の火・水・風・地を当てはめている。 === ウェイト版タロットの出現とその影響 === タロット史の第二の革命は、[[アーサー・エドワード・ウェイト]]の黄金の夜明け団の解釈を元にデザインした「[[ウェイト版タロット]]」<ref group="注">ウェイト版タロットを出版した「ライダー版」、イラストを担当したパメラ・コールマン・スミスの名を入れた「スミス・ウェイト版」と呼ばれることもある</ref>である。このデッキは単調な数札であった小アルカナすべてに絵柄を与えるという創作を加えた。これが多くのタロット愛好家に受け入れられ、ちょうどかつてのフランスで一時期はタロットといえば「エッティラ版」をさしたように、一時期の英米ではタロットといえば「ウェイト版」をさすほどであった。現在の多くの創作タロットも数札に絵柄を入れる場合はウェイト版のアイディアに準拠することが多い<ref group="注">ただしこれらの小アルカナに絵柄を付けるアイディアは必ずしもウェイトの独創ではなく16世紀の絵柄付きタロット「{{仮リンク|ソラ・ブスカ版タロット|label=ソラ・ブスカ版|en|Sola Busca tarot}}」を参考にしたものである。</ref>。またこのデッキは大アルカナの8番と11番を入れ替えていた<ref group="注">タロットと占星術の対応関係についての伝統的な説では星座の順番通りに配列されているが、黄金の夜明け団の新説では特定の星座だけカードの絵柄との類似にこだわって天秤の描かれたカードである「正義」に[[天秤宮]]を、獅子の描かれたカードである「力」に[[獅子宮]]を当てはめたため、伝統的なタロットの並び順からすると、天秤座と獅子座の位置に入れ替わりが生じてしまう。そこでこれを修正しようとして8番と11番の順番を入れ換えて12星座の配列順に合わせる説がでた。「ウェイト版」もこの入れ替え説に従ったものであるが、ウェイト自身の創案というわけではない。</ref>。またこれまで「愚者」のカードは番号が与えられていないか、22番であったのを、0番の番号を与えた<ref group="注">愚者のカードを0番としたのはウェイトのオリジナルではなく元々はジェブランの創案である。</ref>。しかしヘブライ文字の表記自体はカードから消し去っている<ref group="注">消した理由は、ウェイトは、ヘブライ文字との対応に関してはレヴィ、パピュスやウィルトの説を継承し「黄金の夜明け団」の公式見解とは異なっていたためである。またこれまで「愚者」のカードは冒頭か末尾に置かれていたのをウェイトが最初に20番と21番の間に置いたとの説があるが誤りで、ウェイトは「愚者」を冒頭に置いた。最初に20番と21番の間に置いたのはパピュスである。</ref>。 他に、黄金の夜明け団の系統としては[[アレイスター・クロウリー]]がデザインした「[[トート・タロット]]」も名作とされている。こちらは8番と11番のカードの位置は伝統的な配置のままである<ref group="注">黄金の夜明け団の公式見解とは別に、それぞれの自説をもったメンバーの内紛もあり、ウェイト版は世間では大ヒットしたが団の内部では必ずしも評判のよいものではなかった。黄金の夜明け団の系統に属する現代の魔術結社にも、自前のオリジナルカードを製作せず、[[アストラル・ネットワーク]]説を根拠にマルセイユ版を推奨する人がいるほどである。ウェイト自身の著作も、個人的な説を述べているところと自説は抑えて団の公式見解を述べているところが混在しているので注意が必要である。従って、一般的にウェイト版に分類されて黄金の夜明け団の系統とされる諸々のデッキも、必ずしもすべてが同一の説に基づいてはいるわけでもなく当然ながら絵柄も同じではない。</ref>。 === 現代のタロット === タロット史の第三の革命は、'''1972年'''、英国の「[[アルフレッド・ダグラス版]]」とよばれるタロットの出現である。このデッキはライダー版(ウェイト版)に準拠しつつも、シンプルで力強い大胆なデザインと原色を基調とした鮮やかな色彩で人気を博した。これより以前、エッティラの昔から、一家言をもった神秘家たちがおのおのの自説に基づくオリジナルタロットを出版することはよくあることだったが、現在のように、魔術系タロットのみならず、考えうるあらゆるものをモチーフとし、自由なアイディアを盛り込んだ多くのオリジナルデザインのタロットカードが無数に創作されるようになったのは、このアルフレッド・ダグラス版の大ヒットから始まったことである。これ以来、映画『[[007 死ぬのは奴らだ]]』の小道具として創作された「[[007タロット]]」、ヒンズー教のタントラに基づくタロット「[[ダーキニー・オラクル]]」、日本風の「[[浮世絵タロット]]」、不思議の国のアリスのタロット、[[サルバドール・ダリ]]がデザインした巨大サイズのタロット、[[ユング心理学]]に基づく「[[ユングのタロット]]」等、多くの名作タロットが誕生した。まさにアルフレッド・ダグラス版こそが現代タロット文化の繁栄をもたらしたのであり、現在も珍奇で多彩かつ斬新な数々のタロットが世界中で次々に生み出され続けている。 == カードの種類 == '''大アルカナ'''(''Major Arcana''、22枚)と'''小アルカナ'''(''Minor Arcana''、56枚)の2種類があるが、小アルカナはカードゲーム以外では余り使用されないため、市販のカードには大アルカナのみのセットも多い。 一組のタロットカードのセットを、デッキという。 === 大アルカナ(22枚) === {{Commons&cat|Tarot|Tarot cards}} 詳細については[[大アルカナ]]を参照のこと。 * '''0 [[愚者]]'''※1 * '''I [[魔術師 (タロット)|魔術師]]''' * '''II [[女教皇]]''' * '''III [[女帝 (タロット)|女帝]]''' * '''IV [[皇帝 (タロット)|皇帝]]''' * '''V [[教皇 (タロット)|教皇]]''' * '''VI [[恋人 (タロット)|恋人]]''' * '''VII [[戦車 (タロット)|戦車]]''' * '''VIII [[正義 (タロット)|正義]]'''※2 * '''IX [[隠者 (タロット)|隠者]]''' * '''X [[運命の輪]]''' * '''XI [[力 (タロット)|力]]'''※2 * '''XII [[吊された男]]''' * '''XIII [[死神 (タロット)|死神]]'''※3 * '''XIV [[節制 (タロット)|節制]]''' * '''XV [[悪魔 (タロット)|悪魔]]''' * '''XVI [[塔 (タロット)|塔]]''' * '''XVII [[星 (タロット)|星]]''' * '''XVIII [[月 (タロット)|月]]''' * '''XIX [[太陽 (タロット)|太陽]]''' * '''XX [[審判 (タロット)|審判]]''' * '''XXI [[世界 (タロット)|世界]]''' ※ 1:「0」は番号無表示の場合もある。元々は番号が割り当てられていないか「22」であった。英国の[[アーサー・エドワード・ウェイト|ウェイト]]が初めて愚者を0番としたとの説があるがこれは誤りで、正しくは[[アントワーヌ・クール・ド・ジェブラン|ジェブラン]]である。 ※ 2:[[マルセイユ版タロット|マルセイユ版]]など伝統的な物の場合。[[ウェイト版タロット|ウェイト版]]の影響をうけたタロットでは「VIII」と「XI」が逆になっている。 ※ 3:「XIII」[[13 (忌み数)]]は無記名の場合あり。 === 小アルカナ(56枚) === 項目[[小アルカナ]]も参照。以下の4種類に大別され、それぞれ1〜10・ペイジ(Page)・ナイト(Knight)・クィーン(Queen)・キング(King)で構成される。 ; [[ワンド (タロット)|ワンド]](Wand) : バトン(Baton)とも。棍棒。[[トランプ]]のクラブに相当。 ; [[ソード (タロット)|ソード]](Sword) : 剣。トランプのスペードに相当。 ; [[カップ (タロット)|カップ]](Cup) : 杯または聖杯。トランプのハートに相当。 ; [[コイン (タロット)|コイン]](Coin) : ペンタクル(Pentacle)、またはディスク(Disk)とも。金貨又は護符。トランプのダイヤに相当。 == ゲームとしての現在のタロット == [[File:Taroky trul.JPG|right|thumb|300px|中央ヨーロッパのゲーム用タロットより愚者・切り札の21・切り札の1]] ヨーロッパ大陸部では、タロットは現在でもゲームに使用されている。[[トランプ]]と同じく様々な遊び方があるが、多くのゲームではトランプの[[トリックテイキングゲーム|トリックテイキング]]のルールに従う。特定のカードに得点がある、ポイントトリックゲームである。 とくに[[フランス]]と、旧[[ハプスブルク君主国]]諸地域(中央ヨーロッパの[[オーストリア]]・[[ハンガリー]]などの諸国)で盛んであるが、両者でカードのデザインやルールがかなり異なる。 フランスでは、78枚のカードがそのまま使われる。切り札以外のスートはトランプと同じスペード・ハート・ダイヤ・クラブで、ジャックとクイーンの間に騎士(cavalier、略号C)が加わるため、56枚になる。切り札は1から21の番号がついており、番号の大きいほうが強い。そのデザインはオカルト用の大アルカナとはまったく異なっている('''1=個人の狂気、2=幼年、3=青年、4=壮年、5=老年、6=朝、7=昼、8=夕方、9=夜、10=地・風、11=水・火、12=踊り、13=買い物、14=狩り、15=絵、16=春、17=夏、18=秋、19=冬、20=遊び、21=集団の狂気''')。ゲームをプレイするにおいては番号のみに意味がある。愚者のカードは「'''l'Excuse'''」と呼ばれ、通常はマンドリンを持った[[道化師]]として描かれている。ゲームの上で切り札とは異なる独特の特徴を持つ。 [[中央ヨーロッパ]]でもスートはフランス式のスペード・ハート・ダイヤ・クラブになっているが、[[スカート (トランプゲーム)|トランプのスカート]]と同様、低位の数字札が存在しない。また、愚者は最強の切り札として扱われ、フランスでのような特殊な役割は持っていない。オーストリアでは通常54枚で、切り札22枚とそれ以外32枚(絵札16枚と高位の数字札16枚)よりなる。数字札は、黒いスート(スペード・クラブ)では数字が大きいほど強く(K > Q > C > J > 10 > 9 > 8 > 7)、赤いスート(ダイヤ・ハート)では数字が小さいほど強い(K > Q > C > J > 1 > 2 > 3 > 4)。これは[[うんすんカルタ]]にも見られる古い特徴である。40枚しか使わない地域もある(切り札の2・3を使用せず、数字札は黒いスートの10と赤いスートの1しかない)。「'''ケーニヒルーフェン'''」というゲームでは、切り札の1・2・3・4は「'''Vogel(鳥)'''」と呼ばれ、特別な役割を持っている。 [[イタリア]]ではラテン式スートが保たれており、数札は中央ヨーロッパと同様にスートによって強弱の順序が異なる。切り札のデザインも伝統的なデザインに近いが、順序はかなり異なっていて、[[天使]]( = 審判)がもっとも強い。フランス式と同様に、愚者は通常の切り札とは別の特徴を持つ。 以下はフランスの公式ルールにしたがって述べる<ref>[http://www.fftarot.fr/ Fédération française de tarot]の説明に従う</ref>。 原則として4人で遊ぶ。ゲームは反時計回りに進行する。競りと最初のトリックのリードはディーラーの右隣からはじめる。ディーラーはプレイごとに反時計回りに移動する。 手札は18枚で、残り6枚は伏せておく。この6枚を「'''chien(犬)'''」と呼ぶ。競技者は順に競りを行う。すなわち自分が立つことを宣言するか、パスする。宣言の種類は以下の4つのレベルがある。レベルの高い宣言はそれ以前のレベルの低い宣言に勝つ。 # '''prise''' (ふつうの宣言、chienを使用する。chienの点数は宣言者のものになる) # '''garde''' (priseと条件は同じだが、勝っても負けても点数が倍になる) # '''garde sans chien''' (chienを使用しない。chienの点数は宣言者のものになる。点数は4倍になる) # '''garde contre chien''' (chienを使用しない。chienの点数は宣言者の敵側のものになる。点数は6倍になる) 競りに勝った宣言者は、ひとりで残り3人の連合軍と戦う。chienを使用する契約の場合、宣言者はchienを表返してから手札に加え、かわりに不要な6枚を裏返しに出し(切り札は出してはならない)、それからプレイをはじめる。実際のプレイは通常のトリックテイキングのルールに従うが、リードと同じスートのカードを持っておらず、かつ切り札を持っている場合は、切り札を出さなくてはならない。また、切り札を出す場合は、場に出ているすべてのカードに勝てる切り札を持っている場合、それを出さなければならない。勝てる切り札がない場合は、どの切り札を出してもよい。切り札もない場合は、任意のカードを出してよい。 愚者はトリックテーキングのマストフォローのルールに従わず、いつでも出せる。愚者は通常もっとも低いカードなので、トリックに勝つことはできないが、愚者のカードはそのトリックに勝利した人ではなく、カードを出した人のものになる。 各カードはランクにより異なる点数を持っている。切り札の1・21および愚者の3枚は「'''oudlers'''」と呼ばれ、1枚あたり4.5点。それ以外はキングが4.5点、クイーンが3.5点、騎士が2.5点、ジャックが1.5点、それ以外が0.5点となる。全部のカードの点数を合計すると91点になる。 最終トリックで切り札の1が出た場合は、追加点10点がそのトリックに勝利した側に与えられる。 取らなければならないカードの点数には基本点があり、oudlersがなければ56点、1枚なら51点、2枚なら41点、3枚なら36点になる。宣言者が基本点以上の点数を取ったら宣言者の勝ちとなり、残り3人が点を宣言者に支払う。点数が基本点未満ならば、宣言者が残り3人に点を支払う。支払う点数は (25 + 基本点との差の絶対値 + 最終トリックで切り札の1が出た時の追加点)×(宣言により1・2・4・6のいずれか) となる。 全部のトリックを取った場合(グランドスラム)、200点のボーナス点がはいる。あらかじめ宣言しておけば倍の400点になるが、宣言しておいて失敗した場合は200点を支払わなければならない。 最初に配られたカードの中に切り札および愚者が10枚以上あったら20点、13枚以上なら30点、15枚以上なら40点のボーナス点がはいる。このボーナス点を得るには最初のトリックで自分の番が来た時にあらかじめカードをさらして宣言しておく必要がある。なお、カードをさらしておきながらプレイに負けた場合は、カードをさらした側のメンバーはそれぞれボーナス点を逆に相手に払う必要がある。 == 名称 == [[フランス語]]や[[英語]]では''tarot''の語尾の '''t''' を発音せず[[日本語]]の「'''タロ(ー)'''」に近い発音となるが、日本語では語尾の '''t''' を発音し「タロット」と呼ぶのが一般的である。因みに他言語では{{lang-it|''tarocchi''}}(タロッキ、単数形は「tarocco」)、{{lang-de|''Tarock''}}(タロック)となっている。''tarot''の語源は不明である。 == 派生品 == タロットは占いとしての完成度の高さから、様々な派生品を生み出す要因にもなっている。 *[[Osho]] Zen Tarot: The Transcendental Game of Zen 1995/04 Ma Deva Padma.St Martins Pr; Tcr Crds == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == * [[伊泉龍一]] 『タロット大全』 == 関連項目 == * [[タロット占い]] * [[大アルカナ]] * [[小アルカナ]] * [[うんすんカルタ]] * [[トランプ]] * [[占い]] * [[ボヘミアン (曲)|ボヘミアン]](歌詞の中にタロットが登場する) == 外部リンク == * [https://www.tokyo-tarot-museum.art/ 東京タロット美術館(Tokyo Tarot Museum)] * [https://web.archive.org/web/20090626102844/http://trionfi.com/0/s/ Tarot Museum] * [https://www.exstatica.org Renaissance Tarot for Psychology] * [http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/tarot.html タロット(Tarot) ] {{Tarot}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:たろつと}} [[Category:タロット|*]] [[Category:シンボル]] [[Category:イタリア・ルネサンス]]
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星座占い
星座占い(せいざうらない)は、星占い(ほしうらない)ともいい、西洋占星術を簡略化した占いの一種。サン・サイン占星術(Sun sign astrology、太陽星座占い)とも言う。ここでいう「星座」は占星術の「宮」(サイン)のことであり、現在の夜空の星座とは異なる概念である。 誕生時に太陽が十二宮のどの宮(サイン)に位置したかにより、その人物の性格や相性、運命などを占う。 太陽暦であるグレゴリオ暦では、誕生日さえ判れば太陽の位置も判るため、簡便な占いとして、急速に普及。 また、星座占いの占い師の中には、月星座占い(誕生時に月がどこの十二宮にあったかで占うもの。自分の「星座」とは必ずしも合致しない)を駆使し、ホロスコープ(天球図)を作り、さらに細かく占うという方法をとる者もある。 09年に宗教と国民生活に関するピュー・フォーラム(Pew Forum on Religion and Public Life)が行った世論調査によると、米国人の約4分の1が星座占いを信じているとされるなど、海外でも馴染み深い占いである。 今や、若者向け・主婦向け雑誌の多くに星座占いによる運勢判断コーナーが用意されているのみならず、『朝日新聞』のような全国紙にも、夕刊に「あすの運勢」(松村潔)が掲載されていた。 毎朝放送される民放の情報番組の多くにも星座占いによる運勢判断コーナーがあった。最近は番組のリニューアルや新番組化により占いコーナーを廃止する例も多い。現在星占いが放送されている番組は、テレビ朝日系の『グッド!モーニング』、フジテレビ系の『めざましテレビ』、テレビ東京の子供向け情報番組の『おはスタ』のみとなっている。また、かつてはテレビ東京系列の夕方の子供向けバラエティー番組『ピラメキーノ』でも星座占いによる運勢判断コーナーが放送されていた。 喫茶店などのテーブル上には、星座占いの機械が置かれていることがある。硬貨を投入して、レバーを動かすと、占いの内容が印刷された用紙が排出される。 なお、占いによっては期間が1日ほどずれる場合がある。
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星座占い(せいざうらない)は、星占い(ほしうらない)ともいい、西洋占星術を簡略化した占いの一種。サン・サイン占星術とも言う。ここでいう「星座」は占星術の「宮」(サイン)のことであり、現在の夜空の星座とは異なる概念である。
{{出典の明記|date=2012年3月9日 (金) 05:22 (UTC)}} '''星座占い'''(せいざうらない)は、'''星占い'''(ほしうらない)ともいい、[[西洋占星術]]を簡略化した[[占い]]の一種。[[サン・サイン]]占星術({{en|Sun sign astrology、}}太陽星座占い)とも言う。ここでいう「星座」は占星術の「宮」([[サイン (占星術)|サイン]])のことであり、現在の夜空の[[星座]]とは異なる概念である。 ==概要== 誕生時に太陽が[[十二宮]]のどの宮(サイン)に位置したかにより、その人物の性格や相性、運命などを占う。 [[太陽暦]]である[[グレゴリオ暦]]では、[[誕生日]]さえ判れば太陽の位置も判るため、簡便な占いとして、急速に普及。 また、星座占いの占い師の中には、月星座占い(誕生時に[[月]]がどこの十二宮にあったかで占うもの。自分の「星座」とは必ずしも合致しない)を駆使し、[[ホロスコープ]](天球図)を作り、さらに細かく占うという方法をとる者もある。 09年に宗教と国民生活に関するピュー・フォーラム(Pew Forum on Religion and Public Life)が行った世論調査によると、米国人の約4分の1が星座占いを信じているとされるなど、海外でも馴染み深い占いである。 ==日本のメディアにおける星座占い== 今や、若者向け・主婦向け雑誌の多くに星座占いによる運勢判断コーナーが用意されているのみならず、『[[朝日新聞]]』のような全国紙にも、夕刊に「あすの運勢」(松村潔)が掲載されていた。 毎朝放送される[[民放]]の[[情報番組]]の多くにも星座占いによる運勢判断コーナーがあった。最近は番組のリニューアルや新番組化により占いコーナーを廃止する例も多い。現在星占いが放送されている番組は、[[All-nippon News Network|テレビ朝日系]]の『[[グッド!モーニング (テレビ番組)|グッド!モーニング]]』、[[フジネットワーク|フジテレビ系]]の『[[めざましテレビ]]』、[[テレビ東京]]の子供向け情報番組の『[[おはスタ]]』のみとなっている。また、かつては[[テレビ東京]]系列の夕方の子供向けバラエティー番組『[[ピラメキーノ]]』でも星座占いによる運勢判断コーナーが放送されていた。 ==星座占いの機械== 喫茶店などのテーブル上には、星座占いの機械が置かれていることがある。硬貨を投入して、レバーを動かすと、占いの内容が印刷された用紙が排出される。 ==各星座の星座占い上の期間== {{See|サイン (占星術)#十二宮}} なお、占いによっては期間が1日ほどずれる場合がある。 ==関連項目== *[[十二支]] *[[血液型占い]] {{星座占い}} {{DEFAULTSORT:せいさうらない}} [[Category:占星術]]
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ラジオ
ラジオ(英: radio) もともとの意味は冒頭で示した定義文のように「電磁波による無線方式の送受信」全般を意味する言葉である。しかし、日本において一般的には、電波による音声放送(ラジオ放送)とその受信機(ラジオ放送受信機)を指して使っていることが多い。 当記事ではいずれも扱う。つまり、音響(音声や音楽など)を電磁波の信号に変換し無線でつまり送信側と受信側を電線で繋いだりせずに信号を送信・受信する技術、その技術を用いた放送、その放送を受信するための装置、いずれも扱う。 いくつかの方式があり、最も歴史の長いのは振幅変調による中波放送(AM放送)で、基本的な方式は100年間ほど変わらなかったが、同じく振幅変調方式であるが波長の短い短波放送(SW放送)も(国境を越えるような放送で)使われ、さらに1937年には周波数変調方式のFM放送も登場し、地域放送などで活用されるようになった。→#ラジオ放送の種類。 ラジオ放送の種類に応じて、AMラジオ(- 受信機)、SWラジオ(短波ラジオ受信機)、FMラジオ(- 受信機)などがあり、複数の方式を受信できるマルチバンド受信機もある。→#ラジオ放送受信機の種類 無線電信の英語表記であるradiotelegraphyの短縮語を語源とする。 カタカナでは「レディオ」「レイディオ」と表記される場合もあり、戦前はラヂオなどと表記した。 1950年(昭和25年)施行の日本の電波法では、当記事で扱っていること(無線で音声を送・受信すること)は「無線電話」と呼んでいる。古くは、現在のラジオ放送の前身にあたるものを「放送無線電話」などとも呼んだ。 極超短波以上を用いる地上波放送は、電波の性質上不適当であるために過去に実施されていたものも含めてどの国でも行われていない。 1950年代までは基本的に次のように分類していた。 鉱石ラジオは受信したものを増幅せず鉱石検波器やゲルマニウムダイオード等で直接検波し、クリスタル・イヤホン等で聴取するもの。それに対して真空管ラジオは真空管で増幅回路を組み増幅を行うものだった。真空管ラジオは、使う真空管の数で(1球/2球/3球/4球/5球...と)分類された。 トランジスタを用いたトランジスタラジオが登場した1950年代なかごろ以降は基本的に次のように分類された そしてトランジスタラジオはやはり、用いるトランジスタの数で(1石/2石/3石/4石/5石/6石...などと)分類されることになった。 真空管やトランジスタなどを用いるラジオ受信機は、主に増幅回路の方式により次のように分類できる。(鉱石ラジオも、異質な回路ながら併せて列挙することがある。) チューニング(tuning、同調、選局)方式による分類は以下の通りである。 厳密な線引きは必ずしもないが、形態によりおおよそ以下に分類できる。 送信機と組にする無線設備としての性能を重視したもので、外観としてはチューニング・ダイヤルが大きく操作しやすい、読みとりやすい周波数目盛りがあるかデジタル表示になっている、感度や選択度を可変できるつまみ類が付いている、電波型式を切り替えるスイッチがある、外部アンテナ端子があるなどの特徴がある。ただし必ずしもこれらすべてを満たしているとは限らず、また機能が豊富なものではよりたくさんのつまみ、スイッチ、接続端子を備えているものもある。一般に「レシーバー」とも呼ばれ、ラジオ放送帯域外にも対応する事が多い。出力音質は重視されない事が多い。 1900年、歪みはひどいものの世界で初めて電波に音声を乗せることに成功したのは、カナダ生まれでエジソンの会社で技師として勤めたこともある電気技術者レジナルド・フェッセンデンだった。これが無線電話の始まりである。 彼は引き続き、ヘテロダイン検波方式や、電動式の高周波発振器を開発して改良に取り組み、1906年12月24日に、アメリカ・マサチューセッツ州の自己の無線局から、自らのクリスマスの挨拶を無線電話で送信した。フェッセンデンはこの日、レコードでヘンデル作曲の「クセルクセスのラルゴ」を、そして自身のヴァイオリンと歌で“O Holy Night”をそれぞれ流し、聖書を朗読した。この実験はあらかじめ無線電信によって予告されたもので「世界初のラジオ放送」だっただけでなく「最初のクリスマス特別番組」でもある。そしてフェッセンデンは「史上初のラジオアナウンサー&プロデューサー」と言えるだろう。 しかしヒューゴー・ガーンズバックが1905年11月より一般人向けて通信販売を始めた大衆無線機「テリムコ」の受信機は電波から音声を復調できないコヒーラ検波器によるものである。またグリーンリーフ・ホイッティア・ピカードが電波に乗せた音声を復調する鉱石の検波作用を発見しその特許を得たのは遅く、1906年になってである。1906年当時のアマチュア無線家らはまだコヒーラ検波器を使っており、彼らの受信機が鉱石検波器へ切替わったのは1910年頃だった。こういった時代背景を勘案すると、フェッセンデンの実験は広く聴取者に向けて送信される「ラジオ放送」というよりも、限定された技術者・通信士を対象とした「無線電話」の実験に属するとも考えられる。 一般人で無線の受信機を所有していたのはアマチュア無線家達だけである。アマチュア無線は第一次世界大戦の勃発で禁止されていたが、その終戦で1919年4月12日より、まず受信活動が解禁された。戦後は一般アマチュアでも真空管が入手できるようになり、鉱石式受信機から真空管式受信機への置き換えが急速に進んでいた。 1920年1月17日、ワシントンD.C.アナスコティアにある海軍飛行場から、海軍省が娯楽音楽放送 NOFをはじめた。これをもって国営放送の嚆矢とするが、そのリスナー層は自分で受信機を組立てたアマチュア無線家だった。なお1923年1月3日、アナコスティア海軍航空局 NOFは本来の航空無線の研究に専念することとなり、娯楽放送を終了している。 また、一部のアマチュア無線家は無線電話を実験するようになり、無線電話で「放送したい」アマチュア無線家と、モールス電信で「交信したい」アマチュア無線家の混信問題がはじまったのもこの頃である。 民間企業による商業放送として世界で最初に許可されたものは、ウェスティングハウス電気製造会社が1920年11月2日にアメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグで放送を開始したKDKAである。その中波送信機は同社の技術者フランク・コンラッドが設計し、開局初日の番組は大統領選挙の開票情報で、ハーディング候補の当選を伝えた。 選択度(分離性能)が良くない受信機で起きる、商業放送(周波数833kHz)とアマチュア無線家の放送(周波数1,500kHz)の混信問題もくすぶっていたが、1922年と1923年の法改正でアマチュア無線のオペレーター資格では放送できない事になり、多くのアマチュア無線家が商業放送局のオーナーや技術者として転向したため、問題はやや軽減した。さらに1923年6月28日の規則改正では、アマチュア無線家は短波を申請する権利を失ったかわりに、1,500 - 2,000kHzの帯域免許を獲得した。同時に毎夜20時00分から22時30分と、日曜午前の礼拝タイムを送信禁止として、ラジオ放送とアマチュア無線の混信問題は一応の解決をみた。 極長距離を伝送できる短波ラジオ放送を最初に行ったのはオランダの国営放送で、1927年11月から海外植民地向けに放送を開始。翌1928年には当時オランダ領だったインドネシア・ジャワ島での受信に成功する。この実績に追随してドイツ、ソ連、フランス、イタリア、イギリス等が1929 - 1932年にかけて植民地向け放送や海外宣伝放送を短波で開始している。 1902年に周波数変調方式(FM方式)がフェッセンデンによって考案された。しかし、実用的なFMラジオは1933年12月26日にアメリカのエドウィン・H・アームストロングが特許を取得した技術による。アームストロングは世界初のFMラジオ局 W2XMNを1937年に開局させ放送を開始した。 2000年代に入って、先進国で地上デジタルラジオ放送が開始され、またアメリカのシリウスXMラジオのような衛星デジタルラジオサービスも開始されている。 2000年代にインターネットにおけるストリーミング配信を使ってラジオ番組を配信する方法が考案され、法人・個人含め様々なラジオ局が開設された他に、従来から電波を用いて放送してきたラジオ局もサイマル放送などで次々と参入した。PCやスマートフォンで手軽に聴取でき、従来の電波ラジオより音質も良いことから、2010年代後半以降はインターネットラジオが主流になった。アメリカでは各局のWebサイトでラジオ番組を配信しており、日本ではradikoが一括してラジオ番組のサイマル放送を行っている。 アメリカでは1926年11月5日にRCAの子会社としてNBCが設立され2波(NBC red network及びNBC blue network)の放送を開始した。 また、1927年9月18日にCBSがラジオ放送をスタートさせた。 1940年にはNBC red networkとNBC blue networkが分割され、1945年6月15日にRCAはNBC blue networkを売却。NBC blue networkは社名をThe Blue Networkとし、ネットワーク名をABCとした。 アメリカでは1961年に連邦通信委員会(FCC)がFMのステレオ技術を規格化して数百のFM局が開局した。この規格ではゼネラル・エレクトリックとゼニス社の共同に基づく「AM-FM」方式が標準ステレオ方式として採用された。 1966年には連邦通信委員会(FCC)がFMの放送内容をAMと分離することを決定し、FM放送の視聴者が増えるきっかけとなった。 日本のアマチュア無線家は1920年代初期から自作の無線機で個人間の無線交信を行っており、1922年にはラジオ受信機の製作に関する情報誌『ラヂオ』が創刊されている。 その後、現在はオーディオ雑誌に変わっているが誠文堂新光社刊の『無線と実験』などが数多く発売され、また新聞社による独自のラジオ中継が行われたりした。1924年には、大阪朝日新聞による皇太子裕仁親王(昭和天皇)御成婚奉祝式典や大阪毎日新聞による第15回衆議院議員総選挙開票の中継をはじめ、数多くの実験的要素の強い中継が行われている。 1923年12月、逓信省は放送用私設無線電話規則を制定。翌年、当面東京、名古屋、大阪の3地域で、公益法人として各1事業者ずつ、ラジオ放送事業を許可する方針を打ち出した。 日本初のラジオ放送は、1925年3月22日9時30分、社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK東京ラジオ第1放送。略称:AK)が東京・芝浦の東京高等工芸学校(千葉大学工学部の前身)内に設けた仮送信所から発した京田武男アナウンサーによるもので、第一声は だった。波長は375m(周波数800kHz)、空中線電力(出力)約220Wだった。当時の受信機の性能に比して出力が弱かったため、東京市内でないとよく聞こえなかった。 元々は3月1日に放送を開始する予定だったが、購入する予定だった、当時日本に1台しかないウェスタン・エレクトリック(WE)社製の放送用送信機が、前年12月に同じく設立準備中の社団法人大阪放送局(JOBK:現在のNHK大阪放送局、略称:BK)に買い取られてしまった。そこで東京放送局は、東京市電気局電気研究所が放送実施のために購入したゼネラル・エレクトリック社製の無線電信電話機を借り放送用に改造して使用することにしたが、2月26日の逓信省の検査で「放送設備が未完成のため3月1日の放送開始は時期尚早」と判断された。既に3月1日から放送を開始すると発表しており、また、大阪放送局よりも先に日本初のラジオ放送を行いたいということで、「試験送信」の名義で逓信省の許可を受け、何とか3月1日から放送を開始することができた。 3週間の試験放送の後、逓信省の検査に合格し、3月22日に仮放送(仮施設からの正式な放送という意味)を開始し、7月12日に東京府東京市芝区(現在の東京都港区)の愛宕山からの本放送が開始された。これには改めて購入した出力1kWのWE社製送信機を使用した。 大阪放送局はその年の6月1日から仮放送を出力500Wで開始した。 さらに、社団法人名古屋放送局(JOCK:現在のNHK名古屋放送局、略称:CK)も同年7月15日に、出力1kWのマルコーニ社製送信機を使用して放送を開始した。 1925年、ラジオ聴取契約者は東京13万1373、大阪4万7942、名古屋1万4290件、受信機は鉱石式10円、真空管式120円。 社団法人東京・大阪・名古屋放送局は翌年の1926年に「社団法人日本放送協会」として統合された。これは実質的には政府機関的な性格を持っていた。「全国鉱石化」(日本全国のどこでも鉱石受信機によるラジオ聴取を可能とするインフラの整備)を目標に日本各地に放送局を開設したほか、外地の南樺太(豊原放送局)や南洋群島(パラオ放送局)にも置局した。さらに、朝鮮には朝鮮放送協会、台湾には台湾放送協会が設立され、日本放送協会の番組を多く中継した。 1927年8月、ラジオで全国中等学校優勝野球大会が中継された(初のスポーツ中継)。 1928年11月には昭和天皇の即位の礼が全国中継された(初の本格的な全国ネット放送)。また、1930年2月にはロンドン軍縮会議の中継が行われた(初の国際中継)。 受信機としては、交流商用電源や大容量電池によって作動する真空管を使ったものが登場し、鉱石式のイヤホンに代わって、スピーカーで大きな音量の放送が聞けるようになる。ラジオ受信機自体は国内メーカーによって生産が可能となった。 アマチュアによる受信機自作も当時から趣味の一ジャンルとして広まり始めていた。雑誌『無線と実験』に1930年、匿名男性が寄稿した「ラジオをつくる話」は、岡本次雄が当時のアマチュアと東京のラジオ商の様子を見事に描いているとして『アマチュアのラジオ技術史』(1963)に収録した。 ラジオ聴取契約者は1931年に100万を突破した。聴取世帯数は1932年2月には100万、1935年2月には200万、1939年1月には400万を突破。ラジオ受信機の普及が進み、音楽、演芸、スポーツ中継、ラジオドラマなどの多彩なプログラムが提供されるようになったことで娯楽の主役となったが、1941年の太平洋戦争(大東亜戦争)開戦とその後の戦局の進行と共に大本営発表を行なうための機関と化しプロパガンダ的な番組が増えた。この傾向は終戦まで続いた。1941年12月25日、NHKは全国を軍管区にしたがって5群に分け各群ごとに同一周波数放送を実施した。 聴取世帯数は1940年代にも増加し続け、1940年5月には500万、1941年8月には600万、1943年3月には700万を突破した。しかし、1945年4月になると放送時間は大幅に減少し、1945年5月には名古屋中央放送局が空襲により焼失、8月6日には広島中央放送局が広島原爆で大打撃を受けた(25時間後に再開)。 1945年8月15日に終戦ノ詔勅(いわゆる玉音放送)が放送され、戦後は海外領土を失う。「社団法人日本放送協会」は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の管理・監督下に置かれ言論統制が行われた。アメリカ軍とイギリス軍を中心とした(中華民国軍及びソビエト連邦軍は日本に進駐していない)、いわゆる進駐軍向け放送局が主要都市に置かれた。アメリカ軍向けは後にFEN、現在のAFNの前身である。一部の局については日本放送協会から施設や役務の提供が行われた。 戦後、ラジオ受信世帯数は減少しており1946年7月には538万であった。 1950年に「社団法人日本放送協会」が公共企業体としての「特殊法人日本放送協会」に改組され、翌1951年には9月1日朝に中部日本放送(現在のCBCラジオ)、同日昼に新日本放送(現在のMBSラジオ)が日本初の民間放送を開始した。東京では、民間放送の申請を目指す会社が乱立。新聞社系の放送会社の一本化が行われたこともあり、同年12月25日になってラジオ東京(現在のTBSラジオ)に開始された。1953年にはテレビ放送も開始されたが、白米10kg680円、銭湯の入浴料15円程度だった時代にテレビ受像機の価格は20 - 30万円程度と高価で一般には買えず、ラジオが一家の主役であり続けた。 民間放送開始以前にはラジオ受信機の所持には政府の許可が必要であり、聴取料を納める必要があったが、無料で聴ける放送の開始によってラジオへの関心が高まり、『初歩のラジオ』『模型とラジオ』など少年向けのラジオ製作雑誌が相次いで創刊された。当時は物品税が高価で、メーカー製完成品を購入するよりは秋葉原などから真空管などの部品を買い集めて自作したほうが安かったために、受信機を製作する人が多かった。彼らは「少年技師(後のラジオ少年)」とも呼ばれ、高度成長期の日本のエレクトロニクス産業の発展の基礎を作る要因の一つともなった。 1955年には東京通信工業が日本初のトランジスタラジオを発売。1958年11月にはラジオ受信契約数が1481万件を越えピークとなった。しかし、当時の皇太子・明仁親王が1959年に正田美智子と結婚しパレードのテレビ中継が行なわれたのをきっかけに、テレビ受像機が普及し始め、ラジオは斜陽化の時代を迎える。 超短波を使用したFMラジオ放送については、1957年12月にNHK-FMが東京で試験放送を開始し、翌1958年12月には学校法人東海大学により、放送教育を目的とした「東海大学超短波放送実験局」が放送を開始した。1960年には日本最初の民放FM局であるFM東海となる。 この頃、部品のトランジスタの普及が進み、これを使ったトランジスタラジオの商品化や、さらにモータリゼーションにより、カーラジオが普及するなど、ラジオは一家に一台から一人に一台というパーソナル化の方向へ向かう。ラジオ放送は家族をターゲットにした編成から、個人をターゲットにした編成へと転換していく。情報トーク番組や音楽番組が増えた他、ターゲットを絞った深夜放送も盛んになった。 1950年代後半から試験放送を続けていたFMラジオ放送は、1969年にNHK-FMの本放送が開始され、同年には民放でもFM愛知が開局。1970年には、FM大阪、FM東海を東海大学から引き継いだFM東京、FM福岡の3局が相次いで開局した。いずれも音楽を中心とした編成で、高音質のステレオ放送により、レコードに次ぐHi-Fi音源として人気を集めることになる。同時期に登場したラジカセの普及によって、放送される楽曲をオープンリールテープやカセットテープで録音する「エアチェック」も流行し、エアチェックを目的として放送される楽曲が載ったFM情報誌も創刊された。しかし、民放局を中心に「楽曲そのものを楽しむ」から「トークの合間に楽曲が流れる」など番組スタイルの変化などから、次第にエアチェックという言葉自体が廃れていくようになる。 1970年代後半に、中東戦争やオイルショックをきっかけとして海外の国際放送を受信するBCLブームが中学生・高校生を中心に起こった。この時期には、日本向け日本語放送の充実を図る放送局も多く、時事ニュースに留まらずその国の文化などの理解を深めるうえで一定の役割を果たした。また、受信報告書を送ると受け取れるベリカードの収集も盛んに行われた。さらに、送信方向が日本向けではないなど、一般的には受信困難な放送を工夫を重ねて受信しようとするマニアも増えた。これに応じ、受信周波数帯域の広いラジオ受信機、いわゆるBCLラジオが各社より発売され、戦後2回目の黄金期だった。しかし、日本からの海外旅行の一般化や通信自由化を遠因とする国際放送の縮小などで、BCLブームも終わりを遂げ、BCLラジオメーカーも次々と撤退した(2006年時点で国内メーカーはソニー以外は撤退)。 1978年11月23日には国際電気通信連合(ITU)の取り決めによりAMラジオの周波数一斉変更(10kHz間隔→9kHz間隔。通称:9キロヘルツセパレーション)が行われた。 1982年のFM愛媛を皮切りに全国に民放FM放送局が相次いで開局する。1988年には東京で2番目となるエフエムジャパン(現在のJ-WAVE)が開局、大都市圏では複数の民放FM局が開設されるようになり、対象セグメントの多様化が進んだ。 1991年、衛星放送による有料ラジオ放送「セント・ギガ」開始。1992年にはコミュニティ放送が制度化され、都道府県単位よりもかなり狭い地域を対象としたラジオ放送が行われるようになった。同じく1992年にはAMステレオ放送開始、1995年にはFM文字多重放送もスタートするなど新技術導入が相次ぐ。 1995年の阪神・淡路大震災では、災害時における情報伝達メディアとしてのラジオの重要性がクローズアップされる結果となった。以降、各局とも災害への対応を重点に置くようになる。また災害時の情報発信用として大都市圏に外国語FM局が開局したが、後に経営難に苦しむこととなる。 不況に加えメディアの多様化が起因となりラジオ離れの動きが顕在化し、それに伴い広告費も減少し続けていることから、ラジオ局は厳しい運営状況を強いられていく(詳細はラジオ離れを参照)。 2000年12月、BSデジタル放送によるBSデジタル音声放送が開始されたが、2003年にセント・ギガが終了するなど衛星ラジオは市場規模が小さいまま終わり、他局も2005年以降順次廃局した。FM文字多重放送や、その後登場した地上デジタルラジオも失敗に終わっている。 AMステレオ放送を実施していた放送局も会社の合理化に加え、送信機更新の際に必要な装置が2000年半ばまでに生産中止になったのに伴い、AMステレオ放送を終了して元のモノラル放送に戻す放送事業者も2000年代後半に九州地区で出てきた。 一方で2000年代にはインターネットによるインターネットラジオが普及していった。 2010年3月15日0時(3月14日24時)より、地上波のラジオ放送と同内容をインターネットを利用してサイマル配信するIPサイマルラジオ「radiko」の実証実験が開始された(同年12月1日より本格的に開始)。radikoは当初、本来の放送エリア内での無料配信のみとしていたが、2014年4月1日からは放送エリア外からも有料で聴取が可能になるエリアフリーサービス「radikoプレミアム」がスタートした。 またこれとは別に、RNBラジオでは、独自で2010年10月1日にCATVサイマル放送を、同年12月18日から2011年3月31日までIPラジオ実験放送をした。 一方、2010年、AMステレオ放送を断念してAMモノラル放送へ復帰する局が相次いだ。MBSラジオとHBCラジオが2月28日深夜(3月1日未明)、ABCラジオが3月14日深夜(3月15日未明)、STVラジオが3月28日深夜(3月29日未明)の放送をもってAMステレオ放送を終了した。終了の理由としてステレオ放送対応のための機材の生産が終了していてメンテナンスの保証がなくなった事があげられている。2011年1月30日深夜(1月31日未明)にはTBSラジオも終了し、縮小していった。 AM放送については「都市型難聴対策」・「外国波混信対策」・「地理的・地形的難聴対策」・「災害対策」の観点から、2012年までに終了したアナログテレビ放送の周波数帯の一部を利用してFM波による補完放送が行われることになり、2014年12月1日の北日本放送・南海放送を皮切りに、翌2015年に名古屋・東京・広島・長崎・鹿児島など、2016年には大阪・福岡など全国各地でスタートしている。これらの放送は一般的に「ワイドFM」と呼ばれる。 2020年以降流行した新型コロナウイルスへの感染対策として、2020年4月以降は収録時におけるアクリル板設置やリモート出演などの措置をとる所もみられた。 2021年6月15日、民間放送のAM局のうち北海道・秋田の3社(北海道放送・STVラジオ・秋田放送)を除く44社が2028年秋を目処にAM放送からFM放送に転換し、在京局(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)を含む一部の社ではFM放送に一本化することを発表した。既に各社ともワイドFMを実施しているが、広告収入の低下が続く中でFMとAMの二重投資になっていること、特にAM送信施設の立地(水害に弱い河川敷など広い土地が必要)や設備更新費用の高さ、放送を継続したままでの設備更新が問題となるのに対し、FMは簡易な設備で費用が抑えられることがメリットとしている。一方で、ワイドFMが受信可能なラジオ受信機の普及は2019年(平成31年)2月調査の段階で53%にとどまり、受信機買い替えのために周知期間も必要として、2021年6月の段階で発表したとしている。2022年度にはAM局がFM局へ転換できるよう制度を改正し、2023年には停波の実証実験を行う考え。 また、NHKもAM放送は第1放送と第2放送を2025年度に一本化する方針を示している。 1950年代、NHKラジオ第1放送・第2放送や民放各社などが、2つの放送波を使ったステレオ放送(当時は立体放送と呼ばれた)を行った。NHKの例でいえば第1放送が左側の音声、第2放送は右側の音声をそれぞれ放送し、2つのラジオを並べて置いたり、2台分のチューナーを搭載したレシーバーを使ってステレオ音声を受信するものだった。テレビ放送が開始されると、ラジオとテレビを併用した立体放送も実施された。番組の冒頭では「左のラジオを○○放送に、右のラジオを○○放送に合わせ、私の声が中央から聞こえるように、受信機の音量を調節して下さい」といったアナウンスと、受信機の調整のための音楽が流された。 この方式では「モノラル放送との互換性がとれず、受信機を2台用意しないと片方のチャンネルしか聞くことができない」「左右の受信機に位相特性、周波数特性、レベル等の特性差があると、正しいステレオイメージが得られない」「NHKを除き、2局が協力しないと実現できない」などの問題が多かった。1963年以降、FMラジオ放送で、これらの問題点を解決したステレオ放送が行われるようになったことで、2つの放送波による立体放送は終了した。 日本では1963年6月25日から当時のFM東海によってこの方式による試験放送が開始される。 日本においてステレオ放送が開始された当初は、電電公社のステレオ中継回線が整備されていなかったため、ステレオでの生放送は東京近辺のごく限られた地域でしか聴取できなかった。ステレオ収録された番組を放送する場合、NHKでは各拠点局(札幌、仙台、東京、金沢、名古屋、大阪、広島、松山、福岡)にパッケージテープを送り、各地方局ではテープを流している拠点局の電波を再生する「放送波中継」方式がとられていた。また、FM東京をはじめとする民放でもパッケージテープを再生する方式がとられた。 その後、1978年10月1日からFM放送用のPCMステレオ回線が整備され、パッケージテープの送付が廃止される。1980年代には全国のNHK及び民放FM局に、PCMステレオ回線設備が導入され、全国でステレオ音声での生放送が聴取できるようになっている。 日本では1990年代から一部で導入されたが、普及しなかった。 インターネット回線を利用して放送や配信を行う。ネット回線の強力さから、日本でも2010年代より有力な聴取手段となっている。 室外アンテナが主流のテレビと異なり、受信機に備え付けのアンテナを使った室内での受信が普通なので、受信環境がチャンネル選択に影響を及ぼす。放送区域内だからといって必ずしも全ての局が安定して受信できる訳ではない。そのため、そういった環境下では、チューニングしやすい局がよく聴かれる傾向にある。特に、室内で受信する場合、建物(鉄筋コンクリート等)によって電波が遮られたり電気製品などのノイズを受けたりすることも多く、電波状態の良好な局が好まれる。受信環境は別売りの外部アンテナを使用したり、FMの場合はVHFアンテナを使用し改善できる場合もある(電界強度の弱い地域ではVHFアンテナを使用しても改善できない場合がある。この場合はFM帯域に対応した外部アンテナが必要となる)。ただし、VHFアンテナはアナログテレビ放送の終了にともない、2010年に大手メーカー各社が相次いで生産打ち切りを発表した。 仕事や作業をしながらでも番組を楽しむことができるため、職場やカーラジオなどで聴取されることも多い。首都圏では10:00 - 11:00にテレビの視聴率よりもラジオの聴取率が高くなる。地域・放送内容・機器などの影響により、長時間にわたり1つの局を聴取する傾向のリスナーもいる。番組ごとのスタッフ数は、テレビと比較して少ない。 放送局の選局は、ダイヤルを回してチューニング(いわゆる同調)するタイプが安価なものを中心に多数採用されており、テレビ同様プリセット式で局をボタンで一発選局(いわゆる電子チューナー)できる受信機もある。 短波による国際放送の場合、同じ内容の放送を同時に複数の周波数で放送し、聴取者が最も受信状態の良好な電波を選んで受信できるようにしているのが一般的である。 音声と画像を記録するテレビ番組は予約可能で録画機器が独立/内蔵レコーダー・パソコン・ワンセグ対応機器などとなっているが、音声のみ記録のラジオ番組を予約録音できる商品はラジカセ・CD/MDラジカセ・コンポ・ICレコーダー・HDDレコーダー・パソコン対応機器などの種類がある。また、ラジオ機器とタイマー・録音可能な機器などの機材を組み合わせて予約録音を行うことも可能であり、録音機器としてカセットデッキやMDデッキ以外にもテープ部分が機械式のラジカセ・ビデオデッキ・DVDレコーダー・HDDレコーダー・パソコン(適切なソフトが必要)が活用できる場合もある。 世界的にテレビがデジタル放送を開始しているのに対して、衛星放送を除きラジオのデジタル化は普及していない。過去に何度か地上波によるデジタルラジオの試験局が開設されているが、多くは実用化に至らないまま放送を終了し、モバイル回線の台頭により必要性も薄れてしまっている。 送信システムは比較的簡単な構造で、仮に地震などで放送局が破壊されても、肩に担げる程度の大きさの小型送信機から放送することも可能。これを活かし、大規模災害の発生時には臨時災害放送局が開設されることがあり、東日本大震災以降、この開局が盛んとなっている。一部のラジオ放送局ではこの特長を利用し、自分以外の局員が全員操作できない状態になっても、1人いれば、全てを遠隔操作して放送が続けられるようになっている。 和文通話表で、「ら」を送る際に「ラジオのラ」と発声する。
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"title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1950年(昭和25年)施行の日本の電波法では、当記事で扱っていること(無線で音声を送・受信すること)は「無線電話」と呼んでいる。古くは、現在のラジオ放送の前身にあたるものを「放送無線電話」などとも呼んだ。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "極超短波以上を用いる地上波放送は、電波の性質上不適当であるために過去に実施されていたものも含めてどの国でも行われていない。", "title": "ラジオ放送の種類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1950年代までは基本的に次のように分類していた。", "title": "ラジオ放送受信機の種類" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "鉱石ラジオは受信したものを増幅せず鉱石検波器やゲルマニウムダイオード等で直接検波し、クリスタル・イヤホン等で聴取するもの。それに対して真空管ラジオは真空管で増幅回路を組み増幅を行うものだった。真空管ラジオは、使う真空管の数で(1球/2球/3球/4球/5球...と)分類された。", "title": "ラジオ放送受信機の種類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "トランジスタを用いたトランジスタラジオが登場した1950年代なかごろ以降は基本的に次のように分類された", "title": "ラジオ放送受信機の種類" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "そしてトランジスタラジオはやはり、用いるトランジスタの数で(1石/2石/3石/4石/5石/6石...などと)分類されることになった。", "title": "ラジオ放送受信機の種類" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "真空管やトランジスタなどを用いるラジオ受信機は、主に増幅回路の方式により次のように分類できる。(鉱石ラジオも、異質な回路ながら併せて列挙することがある。)", "title": "ラジオ放送受信機の種類" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "チューニング(tuning、同調、選局)方式による分類は以下の通りである。", "title": "ラジオ放送受信機の種類" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "厳密な線引きは必ずしもないが、形態によりおおよそ以下に分類できる。", "title": "ラジオ放送受信機の種類" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "送信機と組にする無線設備としての性能を重視したもので、外観としてはチューニング・ダイヤルが大きく操作しやすい、読みとりやすい周波数目盛りがあるかデジタル表示になっている、感度や選択度を可変できるつまみ類が付いている、電波型式を切り替えるスイッチがある、外部アンテナ端子があるなどの特徴がある。ただし必ずしもこれらすべてを満たしているとは限らず、また機能が豊富なものではよりたくさんのつまみ、スイッチ、接続端子を備えているものもある。一般に「レシーバー」とも呼ばれ、ラジオ放送帯域外にも対応する事が多い。出力音質は重視されない事が多い。", "title": "通信用受信機" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1900年、歪みはひどいものの世界で初めて電波に音声を乗せることに成功したのは、カナダ生まれでエジソンの会社で技師として勤めたこともある電気技術者レジナルド・フェッセンデンだった。これが無線電話の始まりである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "彼は引き続き、ヘテロダイン検波方式や、電動式の高周波発振器を開発して改良に取り組み、1906年12月24日に、アメリカ・マサチューセッツ州の自己の無線局から、自らのクリスマスの挨拶を無線電話で送信した。フェッセンデンはこの日、レコードでヘンデル作曲の「クセルクセスのラルゴ」を、そして自身のヴァイオリンと歌で“O Holy Night”をそれぞれ流し、聖書を朗読した。この実験はあらかじめ無線電信によって予告されたもので「世界初のラジオ放送」だっただけでなく「最初のクリスマス特別番組」でもある。そしてフェッセンデンは「史上初のラジオアナウンサー&プロデューサー」と言えるだろう。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "しかしヒューゴー・ガーンズバックが1905年11月より一般人向けて通信販売を始めた大衆無線機「テリムコ」の受信機は電波から音声を復調できないコヒーラ検波器によるものである。またグリーンリーフ・ホイッティア・ピカードが電波に乗せた音声を復調する鉱石の検波作用を発見しその特許を得たのは遅く、1906年になってである。1906年当時のアマチュア無線家らはまだコヒーラ検波器を使っており、彼らの受信機が鉱石検波器へ切替わったのは1910年頃だった。こういった時代背景を勘案すると、フェッセンデンの実験は広く聴取者に向けて送信される「ラジオ放送」というよりも、限定された技術者・通信士を対象とした「無線電話」の実験に属するとも考えられる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "一般人で無線の受信機を所有していたのはアマチュア無線家達だけである。アマチュア無線は第一次世界大戦の勃発で禁止されていたが、その終戦で1919年4月12日より、まず受信活動が解禁された。戦後は一般アマチュアでも真空管が入手できるようになり、鉱石式受信機から真空管式受信機への置き換えが急速に進んでいた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1920年1月17日、ワシントンD.C.アナスコティアにある海軍飛行場から、海軍省が娯楽音楽放送 NOFをはじめた。これをもって国営放送の嚆矢とするが、そのリスナー層は自分で受信機を組立てたアマチュア無線家だった。なお1923年1月3日、アナコスティア海軍航空局 NOFは本来の航空無線の研究に専念することとなり、娯楽放送を終了している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "また、一部のアマチュア無線家は無線電話を実験するようになり、無線電話で「放送したい」アマチュア無線家と、モールス電信で「交信したい」アマチュア無線家の混信問題がはじまったのもこの頃である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "民間企業による商業放送として世界で最初に許可されたものは、ウェスティングハウス電気製造会社が1920年11月2日にアメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグで放送を開始したKDKAである。その中波送信機は同社の技術者フランク・コンラッドが設計し、開局初日の番組は大統領選挙の開票情報で、ハーディング候補の当選を伝えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "選択度(分離性能)が良くない受信機で起きる、商業放送(周波数833kHz)とアマチュア無線家の放送(周波数1,500kHz)の混信問題もくすぶっていたが、1922年と1923年の法改正でアマチュア無線のオペレーター資格では放送できない事になり、多くのアマチュア無線家が商業放送局のオーナーや技術者として転向したため、問題はやや軽減した。さらに1923年6月28日の規則改正では、アマチュア無線家は短波を申請する権利を失ったかわりに、1,500 - 2,000kHzの帯域免許を獲得した。同時に毎夜20時00分から22時30分と、日曜午前の礼拝タイムを送信禁止として、ラジオ放送とアマチュア無線の混信問題は一応の解決をみた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "極長距離を伝送できる短波ラジオ放送を最初に行ったのはオランダの国営放送で、1927年11月から海外植民地向けに放送を開始。翌1928年には当時オランダ領だったインドネシア・ジャワ島での受信に成功する。この実績に追随してドイツ、ソ連、フランス、イタリア、イギリス等が1929 - 1932年にかけて植民地向け放送や海外宣伝放送を短波で開始している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1902年に周波数変調方式(FM方式)がフェッセンデンによって考案された。しかし、実用的なFMラジオは1933年12月26日にアメリカのエドウィン・H・アームストロングが特許を取得した技術による。アームストロングは世界初のFMラジオ局 W2XMNを1937年に開局させ放送を開始した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2000年代に入って、先進国で地上デジタルラジオ放送が開始され、またアメリカのシリウスXMラジオのような衛星デジタルラジオサービスも開始されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2000年代にインターネットにおけるストリーミング配信を使ってラジオ番組を配信する方法が考案され、法人・個人含め様々なラジオ局が開設された他に、従来から電波を用いて放送してきたラジオ局もサイマル放送などで次々と参入した。PCやスマートフォンで手軽に聴取でき、従来の電波ラジオより音質も良いことから、2010年代後半以降はインターネットラジオが主流になった。アメリカでは各局のWebサイトでラジオ番組を配信しており、日本ではradikoが一括してラジオ番組のサイマル放送を行っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "アメリカでは1926年11月5日にRCAの子会社としてNBCが設立され2波(NBC red network及びNBC blue network)の放送を開始した。", "title": "アメリカのラジオ放送" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "また、1927年9月18日にCBSがラジオ放送をスタートさせた。", "title": "アメリカのラジオ放送" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1940年にはNBC red networkとNBC blue networkが分割され、1945年6月15日にRCAはNBC blue networkを売却。NBC blue networkは社名をThe Blue Networkとし、ネットワーク名をABCとした。", "title": "アメリカのラジオ放送" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "アメリカでは1961年に連邦通信委員会(FCC)がFMのステレオ技術を規格化して数百のFM局が開局した。この規格ではゼネラル・エレクトリックとゼニス社の共同に基づく「AM-FM」方式が標準ステレオ方式として採用された。", "title": "アメリカのラジオ放送" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "1966年には連邦通信委員会(FCC)がFMの放送内容をAMと分離することを決定し、FM放送の視聴者が増えるきっかけとなった。", "title": "アメリカのラジオ放送" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "日本のアマチュア無線家は1920年代初期から自作の無線機で個人間の無線交信を行っており、1922年にはラジオ受信機の製作に関する情報誌『ラヂオ』が創刊されている。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "その後、現在はオーディオ雑誌に変わっているが誠文堂新光社刊の『無線と実験』などが数多く発売され、また新聞社による独自のラジオ中継が行われたりした。1924年には、大阪朝日新聞による皇太子裕仁親王(昭和天皇)御成婚奉祝式典や大阪毎日新聞による第15回衆議院議員総選挙開票の中継をはじめ、数多くの実験的要素の強い中継が行われている。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "1923年12月、逓信省は放送用私設無線電話規則を制定。翌年、当面東京、名古屋、大阪の3地域で、公益法人として各1事業者ずつ、ラジオ放送事業を許可する方針を打ち出した。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "日本初のラジオ放送は、1925年3月22日9時30分、社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK東京ラジオ第1放送。略称:AK)が東京・芝浦の東京高等工芸学校(千葉大学工学部の前身)内に設けた仮送信所から発した京田武男アナウンサーによるもので、第一声は", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "だった。波長は375m(周波数800kHz)、空中線電力(出力)約220Wだった。当時の受信機の性能に比して出力が弱かったため、東京市内でないとよく聞こえなかった。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "元々は3月1日に放送を開始する予定だったが、購入する予定だった、当時日本に1台しかないウェスタン・エレクトリック(WE)社製の放送用送信機が、前年12月に同じく設立準備中の社団法人大阪放送局(JOBK:現在のNHK大阪放送局、略称:BK)に買い取られてしまった。そこで東京放送局は、東京市電気局電気研究所が放送実施のために購入したゼネラル・エレクトリック社製の無線電信電話機を借り放送用に改造して使用することにしたが、2月26日の逓信省の検査で「放送設備が未完成のため3月1日の放送開始は時期尚早」と判断された。既に3月1日から放送を開始すると発表しており、また、大阪放送局よりも先に日本初のラジオ放送を行いたいということで、「試験送信」の名義で逓信省の許可を受け、何とか3月1日から放送を開始することができた。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "3週間の試験放送の後、逓信省の検査に合格し、3月22日に仮放送(仮施設からの正式な放送という意味)を開始し、7月12日に東京府東京市芝区(現在の東京都港区)の愛宕山からの本放送が開始された。これには改めて購入した出力1kWのWE社製送信機を使用した。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "大阪放送局はその年の6月1日から仮放送を出力500Wで開始した。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "さらに、社団法人名古屋放送局(JOCK:現在のNHK名古屋放送局、略称:CK)も同年7月15日に、出力1kWのマルコーニ社製送信機を使用して放送を開始した。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "1925年、ラジオ聴取契約者は東京13万1373、大阪4万7942、名古屋1万4290件、受信機は鉱石式10円、真空管式120円。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "社団法人東京・大阪・名古屋放送局は翌年の1926年に「社団法人日本放送協会」として統合された。これは実質的には政府機関的な性格を持っていた。「全国鉱石化」(日本全国のどこでも鉱石受信機によるラジオ聴取を可能とするインフラの整備)を目標に日本各地に放送局を開設したほか、外地の南樺太(豊原放送局)や南洋群島(パラオ放送局)にも置局した。さらに、朝鮮には朝鮮放送協会、台湾には台湾放送協会が設立され、日本放送協会の番組を多く中継した。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "1927年8月、ラジオで全国中等学校優勝野球大会が中継された(初のスポーツ中継)。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "1928年11月には昭和天皇の即位の礼が全国中継された(初の本格的な全国ネット放送)。また、1930年2月にはロンドン軍縮会議の中継が行われた(初の国際中継)。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "受信機としては、交流商用電源や大容量電池によって作動する真空管を使ったものが登場し、鉱石式のイヤホンに代わって、スピーカーで大きな音量の放送が聞けるようになる。ラジオ受信機自体は国内メーカーによって生産が可能となった。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "アマチュアによる受信機自作も当時から趣味の一ジャンルとして広まり始めていた。雑誌『無線と実験』に1930年、匿名男性が寄稿した「ラジオをつくる話」は、岡本次雄が当時のアマチュアと東京のラジオ商の様子を見事に描いているとして『アマチュアのラジオ技術史』(1963)に収録した。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ラジオ聴取契約者は1931年に100万を突破した。聴取世帯数は1932年2月には100万、1935年2月には200万、1939年1月には400万を突破。ラジオ受信機の普及が進み、音楽、演芸、スポーツ中継、ラジオドラマなどの多彩なプログラムが提供されるようになったことで娯楽の主役となったが、1941年の太平洋戦争(大東亜戦争)開戦とその後の戦局の進行と共に大本営発表を行なうための機関と化しプロパガンダ的な番組が増えた。この傾向は終戦まで続いた。1941年12月25日、NHKは全国を軍管区にしたがって5群に分け各群ごとに同一周波数放送を実施した。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "聴取世帯数は1940年代にも増加し続け、1940年5月には500万、1941年8月には600万、1943年3月には700万を突破した。しかし、1945年4月になると放送時間は大幅に減少し、1945年5月には名古屋中央放送局が空襲により焼失、8月6日には広島中央放送局が広島原爆で大打撃を受けた(25時間後に再開)。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "1945年8月15日に終戦ノ詔勅(いわゆる玉音放送)が放送され、戦後は海外領土を失う。「社団法人日本放送協会」は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の管理・監督下に置かれ言論統制が行われた。アメリカ軍とイギリス軍を中心とした(中華民国軍及びソビエト連邦軍は日本に進駐していない)、いわゆる進駐軍向け放送局が主要都市に置かれた。アメリカ軍向けは後にFEN、現在のAFNの前身である。一部の局については日本放送協会から施設や役務の提供が行われた。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "戦後、ラジオ受信世帯数は減少しており1946年7月には538万であった。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "1950年に「社団法人日本放送協会」が公共企業体としての「特殊法人日本放送協会」に改組され、翌1951年には9月1日朝に中部日本放送(現在のCBCラジオ)、同日昼に新日本放送(現在のMBSラジオ)が日本初の民間放送を開始した。東京では、民間放送の申請を目指す会社が乱立。新聞社系の放送会社の一本化が行われたこともあり、同年12月25日になってラジオ東京(現在のTBSラジオ)に開始された。1953年にはテレビ放送も開始されたが、白米10kg680円、銭湯の入浴料15円程度だった時代にテレビ受像機の価格は20 - 30万円程度と高価で一般には買えず、ラジオが一家の主役であり続けた。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "民間放送開始以前にはラジオ受信機の所持には政府の許可が必要であり、聴取料を納める必要があったが、無料で聴ける放送の開始によってラジオへの関心が高まり、『初歩のラジオ』『模型とラジオ』など少年向けのラジオ製作雑誌が相次いで創刊された。当時は物品税が高価で、メーカー製完成品を購入するよりは秋葉原などから真空管などの部品を買い集めて自作したほうが安かったために、受信機を製作する人が多かった。彼らは「少年技師(後のラジオ少年)」とも呼ばれ、高度成長期の日本のエレクトロニクス産業の発展の基礎を作る要因の一つともなった。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "1955年には東京通信工業が日本初のトランジスタラジオを発売。1958年11月にはラジオ受信契約数が1481万件を越えピークとなった。しかし、当時の皇太子・明仁親王が1959年に正田美智子と結婚しパレードのテレビ中継が行なわれたのをきっかけに、テレビ受像機が普及し始め、ラジオは斜陽化の時代を迎える。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "超短波を使用したFMラジオ放送については、1957年12月にNHK-FMが東京で試験放送を開始し、翌1958年12月には学校法人東海大学により、放送教育を目的とした「東海大学超短波放送実験局」が放送を開始した。1960年には日本最初の民放FM局であるFM東海となる。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "この頃、部品のトランジスタの普及が進み、これを使ったトランジスタラジオの商品化や、さらにモータリゼーションにより、カーラジオが普及するなど、ラジオは一家に一台から一人に一台というパーソナル化の方向へ向かう。ラジオ放送は家族をターゲットにした編成から、個人をターゲットにした編成へと転換していく。情報トーク番組や音楽番組が増えた他、ターゲットを絞った深夜放送も盛んになった。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "1950年代後半から試験放送を続けていたFMラジオ放送は、1969年にNHK-FMの本放送が開始され、同年には民放でもFM愛知が開局。1970年には、FM大阪、FM東海を東海大学から引き継いだFM東京、FM福岡の3局が相次いで開局した。いずれも音楽を中心とした編成で、高音質のステレオ放送により、レコードに次ぐHi-Fi音源として人気を集めることになる。同時期に登場したラジカセの普及によって、放送される楽曲をオープンリールテープやカセットテープで録音する「エアチェック」も流行し、エアチェックを目的として放送される楽曲が載ったFM情報誌も創刊された。しかし、民放局を中心に「楽曲そのものを楽しむ」から「トークの合間に楽曲が流れる」など番組スタイルの変化などから、次第にエアチェックという言葉自体が廃れていくようになる。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "1970年代後半に、中東戦争やオイルショックをきっかけとして海外の国際放送を受信するBCLブームが中学生・高校生を中心に起こった。この時期には、日本向け日本語放送の充実を図る放送局も多く、時事ニュースに留まらずその国の文化などの理解を深めるうえで一定の役割を果たした。また、受信報告書を送ると受け取れるベリカードの収集も盛んに行われた。さらに、送信方向が日本向けではないなど、一般的には受信困難な放送を工夫を重ねて受信しようとするマニアも増えた。これに応じ、受信周波数帯域の広いラジオ受信機、いわゆるBCLラジオが各社より発売され、戦後2回目の黄金期だった。しかし、日本からの海外旅行の一般化や通信自由化を遠因とする国際放送の縮小などで、BCLブームも終わりを遂げ、BCLラジオメーカーも次々と撤退した(2006年時点で国内メーカーはソニー以外は撤退)。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "1978年11月23日には国際電気通信連合(ITU)の取り決めによりAMラジオの周波数一斉変更(10kHz間隔→9kHz間隔。通称:9キロヘルツセパレーション)が行われた。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "1982年のFM愛媛を皮切りに全国に民放FM放送局が相次いで開局する。1988年には東京で2番目となるエフエムジャパン(現在のJ-WAVE)が開局、大都市圏では複数の民放FM局が開設されるようになり、対象セグメントの多様化が進んだ。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "1991年、衛星放送による有料ラジオ放送「セント・ギガ」開始。1992年にはコミュニティ放送が制度化され、都道府県単位よりもかなり狭い地域を対象としたラジオ放送が行われるようになった。同じく1992年にはAMステレオ放送開始、1995年にはFM文字多重放送もスタートするなど新技術導入が相次ぐ。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "1995年の阪神・淡路大震災では、災害時における情報伝達メディアとしてのラジオの重要性がクローズアップされる結果となった。以降、各局とも災害への対応を重点に置くようになる。また災害時の情報発信用として大都市圏に外国語FM局が開局したが、後に経営難に苦しむこととなる。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "不況に加えメディアの多様化が起因となりラジオ離れの動きが顕在化し、それに伴い広告費も減少し続けていることから、ラジオ局は厳しい運営状況を強いられていく(詳細はラジオ離れを参照)。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "2000年12月、BSデジタル放送によるBSデジタル音声放送が開始されたが、2003年にセント・ギガが終了するなど衛星ラジオは市場規模が小さいまま終わり、他局も2005年以降順次廃局した。FM文字多重放送や、その後登場した地上デジタルラジオも失敗に終わっている。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "AMステレオ放送を実施していた放送局も会社の合理化に加え、送信機更新の際に必要な装置が2000年半ばまでに生産中止になったのに伴い、AMステレオ放送を終了して元のモノラル放送に戻す放送事業者も2000年代後半に九州地区で出てきた。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "一方で2000年代にはインターネットによるインターネットラジオが普及していった。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "2010年3月15日0時(3月14日24時)より、地上波のラジオ放送と同内容をインターネットを利用してサイマル配信するIPサイマルラジオ「radiko」の実証実験が開始された(同年12月1日より本格的に開始)。radikoは当初、本来の放送エリア内での無料配信のみとしていたが、2014年4月1日からは放送エリア外からも有料で聴取が可能になるエリアフリーサービス「radikoプレミアム」がスタートした。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "またこれとは別に、RNBラジオでは、独自で2010年10月1日にCATVサイマル放送を、同年12月18日から2011年3月31日までIPラジオ実験放送をした。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "一方、2010年、AMステレオ放送を断念してAMモノラル放送へ復帰する局が相次いだ。MBSラジオとHBCラジオが2月28日深夜(3月1日未明)、ABCラジオが3月14日深夜(3月15日未明)、STVラジオが3月28日深夜(3月29日未明)の放送をもってAMステレオ放送を終了した。終了の理由としてステレオ放送対応のための機材の生産が終了していてメンテナンスの保証がなくなった事があげられている。2011年1月30日深夜(1月31日未明)にはTBSラジオも終了し、縮小していった。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "AM放送については「都市型難聴対策」・「外国波混信対策」・「地理的・地形的難聴対策」・「災害対策」の観点から、2012年までに終了したアナログテレビ放送の周波数帯の一部を利用してFM波による補完放送が行われることになり、2014年12月1日の北日本放送・南海放送を皮切りに、翌2015年に名古屋・東京・広島・長崎・鹿児島など、2016年には大阪・福岡など全国各地でスタートしている。これらの放送は一般的に「ワイドFM」と呼ばれる。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "2020年以降流行した新型コロナウイルスへの感染対策として、2020年4月以降は収録時におけるアクリル板設置やリモート出演などの措置をとる所もみられた。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "2021年6月15日、民間放送のAM局のうち北海道・秋田の3社(北海道放送・STVラジオ・秋田放送)を除く44社が2028年秋を目処にAM放送からFM放送に転換し、在京局(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)を含む一部の社ではFM放送に一本化することを発表した。既に各社ともワイドFMを実施しているが、広告収入の低下が続く中でFMとAMの二重投資になっていること、特にAM送信施設の立地(水害に弱い河川敷など広い土地が必要)や設備更新費用の高さ、放送を継続したままでの設備更新が問題となるのに対し、FMは簡易な設備で費用が抑えられることがメリットとしている。一方で、ワイドFMが受信可能なラジオ受信機の普及は2019年(平成31年)2月調査の段階で53%にとどまり、受信機買い替えのために周知期間も必要として、2021年6月の段階で発表したとしている。2022年度にはAM局がFM局へ転換できるよう制度を改正し、2023年には停波の実証実験を行う考え。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "また、NHKもAM放送は第1放送と第2放送を2025年度に一本化する方針を示している。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "1950年代、NHKラジオ第1放送・第2放送や民放各社などが、2つの放送波を使ったステレオ放送(当時は立体放送と呼ばれた)を行った。NHKの例でいえば第1放送が左側の音声、第2放送は右側の音声をそれぞれ放送し、2つのラジオを並べて置いたり、2台分のチューナーを搭載したレシーバーを使ってステレオ音声を受信するものだった。テレビ放送が開始されると、ラジオとテレビを併用した立体放送も実施された。番組の冒頭では「左のラジオを○○放送に、右のラジオを○○放送に合わせ、私の声が中央から聞こえるように、受信機の音量を調節して下さい」といったアナウンスと、受信機の調整のための音楽が流された。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "この方式では「モノラル放送との互換性がとれず、受信機を2台用意しないと片方のチャンネルしか聞くことができない」「左右の受信機に位相特性、周波数特性、レベル等の特性差があると、正しいステレオイメージが得られない」「NHKを除き、2局が協力しないと実現できない」などの問題が多かった。1963年以降、FMラジオ放送で、これらの問題点を解決したステレオ放送が行われるようになったことで、2つの放送波による立体放送は終了した。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "日本では1963年6月25日から当時のFM東海によってこの方式による試験放送が開始される。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "日本においてステレオ放送が開始された当初は、電電公社のステレオ中継回線が整備されていなかったため、ステレオでの生放送は東京近辺のごく限られた地域でしか聴取できなかった。ステレオ収録された番組を放送する場合、NHKでは各拠点局(札幌、仙台、東京、金沢、名古屋、大阪、広島、松山、福岡)にパッケージテープを送り、各地方局ではテープを流している拠点局の電波を再生する「放送波中継」方式がとられていた。また、FM東京をはじめとする民放でもパッケージテープを再生する方式がとられた。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "その後、1978年10月1日からFM放送用のPCMステレオ回線が整備され、パッケージテープの送付が廃止される。1980年代には全国のNHK及び民放FM局に、PCMステレオ回線設備が導入され、全国でステレオ音声での生放送が聴取できるようになっている。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "日本では1990年代から一部で導入されたが、普及しなかった。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "インターネット回線を利用して放送や配信を行う。ネット回線の強力さから、日本でも2010年代より有力な聴取手段となっている。", "title": "日本のラジオ放送" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "室外アンテナが主流のテレビと異なり、受信機に備え付けのアンテナを使った室内での受信が普通なので、受信環境がチャンネル選択に影響を及ぼす。放送区域内だからといって必ずしも全ての局が安定して受信できる訳ではない。そのため、そういった環境下では、チューニングしやすい局がよく聴かれる傾向にある。特に、室内で受信する場合、建物(鉄筋コンクリート等)によって電波が遮られたり電気製品などのノイズを受けたりすることも多く、電波状態の良好な局が好まれる。受信環境は別売りの外部アンテナを使用したり、FMの場合はVHFアンテナを使用し改善できる場合もある(電界強度の弱い地域ではVHFアンテナを使用しても改善できない場合がある。この場合はFM帯域に対応した外部アンテナが必要となる)。ただし、VHFアンテナはアナログテレビ放送の終了にともない、2010年に大手メーカー各社が相次いで生産打ち切りを発表した。", "title": "ラジオメディアの特性" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "仕事や作業をしながらでも番組を楽しむことができるため、職場やカーラジオなどで聴取されることも多い。首都圏では10:00 - 11:00にテレビの視聴率よりもラジオの聴取率が高くなる。地域・放送内容・機器などの影響により、長時間にわたり1つの局を聴取する傾向のリスナーもいる。番組ごとのスタッフ数は、テレビと比較して少ない。", "title": "ラジオメディアの特性" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "放送局の選局は、ダイヤルを回してチューニング(いわゆる同調)するタイプが安価なものを中心に多数採用されており、テレビ同様プリセット式で局をボタンで一発選局(いわゆる電子チューナー)できる受信機もある。", "title": "ラジオメディアの特性" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "短波による国際放送の場合、同じ内容の放送を同時に複数の周波数で放送し、聴取者が最も受信状態の良好な電波を選んで受信できるようにしているのが一般的である。", "title": "ラジオメディアの特性" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "音声と画像を記録するテレビ番組は予約可能で録画機器が独立/内蔵レコーダー・パソコン・ワンセグ対応機器などとなっているが、音声のみ記録のラジオ番組を予約録音できる商品はラジカセ・CD/MDラジカセ・コンポ・ICレコーダー・HDDレコーダー・パソコン対応機器などの種類がある。また、ラジオ機器とタイマー・録音可能な機器などの機材を組み合わせて予約録音を行うことも可能であり、録音機器としてカセットデッキやMDデッキ以外にもテープ部分が機械式のラジカセ・ビデオデッキ・DVDレコーダー・HDDレコーダー・パソコン(適切なソフトが必要)が活用できる場合もある。", "title": "ラジオメディアの特性" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "世界的にテレビがデジタル放送を開始しているのに対して、衛星放送を除きラジオのデジタル化は普及していない。過去に何度か地上波によるデジタルラジオの試験局が開設されているが、多くは実用化に至らないまま放送を終了し、モバイル回線の台頭により必要性も薄れてしまっている。", "title": "ラジオメディアの特性" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "送信システムは比較的簡単な構造で、仮に地震などで放送局が破壊されても、肩に担げる程度の大きさの小型送信機から放送することも可能。これを活かし、大規模災害の発生時には臨時災害放送局が開設されることがあり、東日本大震災以降、この開局が盛んとなっている。一部のラジオ放送局ではこの特長を利用し、自分以外の局員が全員操作できない状態になっても、1人いれば、全てを遠隔操作して放送が続けられるようになっている。", "title": "ラジオメディアの特性" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "和文通話表で、「ら」を送る際に「ラジオのラ」と発声する。", "title": "フォネティックコード" } ]
ラジオ 電磁波による信号の、無線方式による送信や受信 電磁波を、音響を信号に変換して無線で伝えるのに使うこと。 (上で説明した)電磁波による信号を受信するための装置。
{{Otheruseslist|[[通信]]|[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の元[[野球選手]]|ブレイディー・ラジオ|[[接頭辞]]|RADIO|2013年のNHKの[[テレビドラマ]]|ラジオ (テレビドラマ)}} [[File:Signal processing system.png|thumb|220px|ラジオのしくみ。音響→[[マイクロフォン]]→[[電気信号]]→[[送信機]]([[変調]])→送信[[アンテナ]]→電磁波による無線方式の伝送→受信アンテナ→[[受信機]]([[復調]])→電気信号→[[スピーカー]]→音響。]] [[File:Radio WWOZ New Orleans studio October 2009 03.jpg|thumb|220px|[[ラジオ放送局]]の[[スタジオ]]]] [[File:Transmisor de bulbos AM Elcom Bauer 701 B XEQK.jpg|thumb|150px|ラジオ放送局の[[送信機]]]] [[File:KBRC AM radio antenna tower.JPG|thumb|150px|ラジオ放送の送信[[アンテナ]](AM、米国)]] [[File:Sony ICF-SW11 12-band World Band Radio, Winschoten (2019) 02.jpg|thumb|220px|[[#ラジオ放送受信機の種類|ラジオ放送受信機]]]] '''ラジオ'''({{Lang-en-short|radio}}) # [[電磁波]]による信号の、[[無線]]方式による送信や受信<ref name="MW">Merriam Webster, radio (noun 名詞)</ref> # 電磁波を、[[音響]]を信号に変換して無線で伝えるのに使うこと<ref name="MW" />。 # (上で説明した)電磁波による信号を受信するための装置<ref name="MW" />。 == 概要 == もともとの意味は冒頭で示した定義文のように「[[電磁波]]による[[無線]]方式の送受信」全般を意味する言葉である<ref name="NDHZ">『[[日本大百科全書]]』【ラジオ】</ref>。しかし、日本において一般的には、[[電波]]による音声放送('''[[ラジオ放送]]''')とその受信機('''ラジオ放送受信機''')を指して使っていることが多い<ref name="NDHZ" />。 当記事ではいずれも扱う。つまり、[[音響]]([[音声]]や[[音楽]]など)を電磁波の信号に変換し無線でつまり送信側と受信側を電線で繋いだりせずに信号を送信・受信する技術、その技術を用いた[[放送]]、その放送を受信するための装置、いずれも扱う。 ;電磁波による無線方式の送受信技術 {{Seealso|#無線電話の始まり|無線}} ;ラジオ放送 {{seealso|ラジオ放送}} いくつかの方式があり、最も歴史の長いのは[[振幅変調]]による[[中波放送]](AM放送)で、基本的な方式は100年間ほど変わらなかったが、同じく振幅変調方式であるが波長の短い[[短波放送]](SW放送)も(国境を越えるような放送で)使われ、さらに1937年には[[周波数変調]]方式の[[周波数変調#FM放送|FM放送]]も登場し、地域放送などで活用されるようになった。→[[#ラジオ放送の種類]]。 ;ラジオ放送受信機 ラジオ放送の種類に応じて、AMラジオ(- 受信機)、SWラジオ(短波ラジオ受信機)、FMラジオ(- 受信機)などがあり、複数の方式を受信できるマルチバンド受信機もある。→[[#ラジオ放送受信機の種類]] ;語源や表記 無線電信の[[英語]]表記である'''radiotelegraphy'''の短縮語を語源とする<ref>『広辞苑』「ラジオ」</ref>。 カタカナでは「レディオ」「レイディオ」と表記される場合もあり、[[戦前]]は'''ラヂオ'''などと表記した<ref group="注">[[戦前]]は多く用いられた。[[日本放送協会]](NHK)編『放送五十年史 資料編』([[NHK出版|日本放送出版協会]]、1977年3月10日発行)p.686によれば、[[1941年]]([[昭和]]16年)[[4月1日]]、[[文部省]]の用語・用字統一方針に従い、NHKでは「ラヂオ」を「ラジオ」、「スタヂオ」を「[[スタジオ]]」表記に改定した、としている。[[NHK出版|日本放送出版協会]]発行の『ラヂオ年鑑』は、[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1222640/3 昭和16年(1941年)版] 以前は「ラヂオ年鑑」表記であったが、[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1222657/3 昭和17年(1942年)版] からは「ラジオ年鑑」表記に改められている。<br/>『[[朝日新聞]]』では1941年4月1日夕刊2面に「ラヂオはラジオに [[国民学校]][[教科書]]も国語音へ」という見出しの記事が掲載されて以降「ラジオ」という表記が増えたという(『朝日新聞』2015年2月5日朝刊、10面)。</ref>。 1950年(昭和25年)施行の[[日本の電波法]]では、当記事で扱っていること([[無線]]で[[音声]]を送・受信すること)は「[[無線電話]]」と呼んでいる。古くは、現在のラジオ放送の前身にあたるものを「放送無線電話」などとも呼んだ<ref> 精選版 日本国語大辞典【放送無線電話】[https://kotobank.jp/word/%E6%94%BE%E9%80%81%E7%84%A1%E7%B7%9A%E9%9B%BB%E8%A9%B1-2081922] </ref>。 == ラジオ放送の種類 == ; [[アナログ]][[変調方式|変調]] :* [[AM放送]] - [[振幅変調]]方式で、[[中波]]で放送されている。 :* [[短波放送|短波ラジオ]] - 振幅変調を用いて、[[短波]]で放送されている。 :* [[FM放送]] - [[周波数変調]]方式で、[[超短波]]{{Efn2|振幅変調に比べ占有周波数帯幅が10倍必要なので超短波未満での運用はきわめて困難である。}}で放送されている。遠くまでは伝わりにくいが、雑音の影響を受けにくいという特徴がある<ref>ラジコム「今更聞けない!AMとFMの違いとは?」[https://www.radioad.jp/column/am-fm/]</ref>。 :* [[長波#長波放送|長波ラジオ]] - 振幅変調を用いて、[[長波]]で放送されている。日本では、放送されていないが、外国では放送されている<ref>{{Cite web|和書|url=http://kagura.pop.tc/radio/station.html |title=長波帯で受信出来るもの |accessdate=2022-02-09}}</ref>。 ; [[デジタル変調]] : [[衛星放送|衛星デジタル放送]]や地上デジタル放送では[[テレビジョン放送]]のみでなく、ラジオ放送にも用いられる。 :* アナログ音声放送 :** [[日本における衛星放送|BSアナログ放送]](独立音声放送) :* [[デジタルラジオ|デジタル音声放送]] :** 衛星デジタル音声放送 :*** [[BSデジタル音声放送]] :** CSデジタル音声放送 :*** [[CS-PCM音声放送]] :** [[地上デジタル音声放送]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]などでは本放送が開始された。日本でも[[2003年]][[10月10日]]に[[東京]]・[[大阪]]で[[試験放送]]を開始したが[[2011年]]3月末廃止。 : [[極超短波]]以上を用いる[[地上波]]放送は、電波の性質上不適当であるために過去に実施されていたものも含めてどの国でも行われていない。 ;ラジオ放送と日本の法規 ::日本の電波法では「電話」という用語で変調方式なども含めて指している→[[電話 (電波型式)]] == ラジオ放送受信機の種類 == [[File:Toshiba Vacuum tube Radio.jpg|thumb|真空管ラジオ]] [[File:Sony TR52 Radio.jpg|thumb|200px|東京通信工業(現・[[ソニー]])の'''TR-52'''(1952年発売)。<br />日本製[[トランジスタラジオ]]の1号機。]] {{Seealso|受信機}} ;分類史 1950年代までは基本的に次のように分類していた。 :: [[鉱石ラジオ]] / 真空管ラジオ 鉱石ラジオは受信したものを[[増幅]]せず[[鉱石検波器]]や[[ゲルマニウムダイオード]]等で直接検波し、クリスタル・イヤホン等で聴取するもの。それに対して真空管ラジオは[[真空管]]で増幅回路を組み増幅を行うものだった。真空管ラジオは、使う真空管の数で(1球/2球/3球/4球/5球...と)分類された。 トランジスタを用いた[[トランジスタラジオ]]が登場した1950年代なかごろ以降は基本的に次のように分類された :: 鉱石ラジオ / 真空管ラジオ / トランジスタラジオ  そしてトランジスタラジオはやはり、用いるトランジスタの数で(1石/2石/3石/4石/5石/6石...などと)分類されることになった。 === 回路の方式による分類 === 真空管やトランジスタなどを用いるラジオ受信機は、主に増幅回路の方式により次のように分類できる。(鉱石ラジオも、異質な回路ながら併せて列挙することがある。) ; [[ストレート受信機|ストレート]] : 受信した周波数のまま検波し増幅・[[復調]]を行う。[[戦前]]は殆んどがこのタイプが主流だった。[[戦後]]は[[電子回路]]を理解するための[[電子工作]]で製作する程度の利用のみ。正帰還を用いた[[再生検波]]も広く用いられた。 ; [[レフレックス受信機|レフレックス]] : ラジオ[[搬送波]]と復調後の音声の周波数帯域が異なるのを利用し、検波前の高周波増幅と検波後の音声増幅を一つの増幅素子で兼ねる方式。増幅素子には[[真空管]]や[[トランジスタ]]等を用いる。昔は高価だった増幅素子を節約するために考案された。原理的にはストレート、スーパーヘテロダイン共にレフレックス方式とする事が可能ではある。 ; [[スーパーヘテロダイン受信機|スーパーヘテロダイン]] : 受信した周波数を一定の周波数([[中間周波数]])に変換した上で増幅・復調を行う。太平洋戦中は規制されており、戦後に主流となる。 ; [[ダイレクトコンバージョン受信機|ダイレクトコンバージョン]] : 受信した周波数に近い高周波を発生させ、直接、音声信号を取り出す。近年、技術革新により安定して高周波を作り出すことが容易となり、中間周波数に変換する部品が省け小型化できるメリットから携帯電話などに盛んに用いられるようになった。 ; [[デジタル信号処理]](DSP) : 受信した周波数を一定の周波数(中間周波数)に変換し増幅・復調をデジタル信号処理して再びアナログ信号に変換してから音声信号を取り出す。近年、[[ソフトウェア無線|ソフトウェアラジオ]]などに用いられている。 === チューニング方式による分類 === チューニング(tuning、同調、選局)方式による分類は以下の通りである。 ; アナログ [[File:Arvin Eight Transistor 64R38 Radio circuit board.jpg|thumb|200px|アナログラジオ回路の例]] : 可変容量コンデンサ(バリコン)や可変インダクタンス(μ同調器)や[[バリキャップ]]と可変抵抗、などで選局するもの。大まかに振られた目盛りを頼りに(「コリンズ」のように精密なものもあるが)選局する。昔からあるタイプ。 ; デジタル表示式アナログ : 同調回路はアナログと同様であるが、デジタル表示の周波数カウンタが内蔵されたもの。デジタルのように周波数を数字で確認しながらの直感的な選局が可能だが、テンキーやメモリによる選局は出来ない。また、中間周波の周波数をカウントし定数を足して(または引いて)受信周波数として表示するものであるから、調整がズレていると正確ではない。PLLシンセサイザが安価になる以前に、高級機や[[BCL]]ラジオなどで採用が見られたが、次に述べるデジタル式の普及により[[1980年代]]末期にはほとんど見られなくなった。しかしPLLシンセサイザは消費電力が多くコスト高になるため、この方式を選択した商品が近年に入り再度見られるようになってきている。[[2018年]]から発売された中国製マルチオーディオプレイヤーの複数の機種(Bearmax、とうしょう など)は、これで表示されている。 ; アナログ表示式デジタル : [[2021年]]、東芝エルイートレーディングはデジタル表示の周波数カウンタは備わっていないが、手回しで選局するタイプのデジタルチューナーラジオを発表した<ref>{{Cite web|和書|url = https://tlet.co.jp/pro_radio/ty_ar66/|title = 大音量&高音質!便利なLEDライトもついたステレオホームラジオ|website = tlet.co.jp|publisher = tlet.co.jp|date = |accessdate = 2021-06-20}}</ref>。FMのみならずAMにも同調表示が出現する。 ; デジタル([[周波数シンセサイザ#PLLシンセサイザ|PLLシンセサイザ]]) : 基準周波数を元に、一定ステップの周波数を合成して同調回路を構成するもの。高級機や、近年は薄型機にも多く使われる。民生機では[[1970年代]]後半頃から登場している。オート選局機能が備わったラジオもある。 === 形態による分類 === 厳密な線引きは必ずしもないが、形態によりおおよそ以下に分類できる。 ; 大型 : 部屋などに置いて使う大型のもの。[[真空管]]時代は殆どこれに属する。 [[ファイル:TU-307 Sansui Radio tuner.jpg|thumb|コンポーネントオーディオとして製品化されたチューナーの一例。AM放送とFM放送に対応している。周波数を選択するためのダイヤルや、信号強度、同調の具合を示す計器などが付属している(SANSUI製 TU-307)。]] ; チューナー : コンポーネントオーディオのコンポーネントのひとつ。ラジオの受信機能のみ。[[アンプ (音響機器)|アンプ]]を通して[[スピーカー]]を鳴らす。 ; ポータブル : [[VHS]]カセット - [[紙巻きたばこ|タバコ]]の箱位の大きさ。[[乾電池]]で動作可能。真空管時代にも電池管という電池で動作するミニチュア管やサブミニチュア管を使い、数十ボルト程度の積層乾電池を用いたものがあったが、消費電力の少ない[[トランジスタ]]の登場により電池管ラジオは急速に衰退し、代わってトランジスタラジオが急速に普及していった。 ; 薄型 : [[シャツ]]の胸[[ポケット]]に入る程度のもの。スピーカーを内蔵していない[[ヘッドフォン|イヤホン]]専用のものもある。 === 受信周波数による分類 === ; 1バンド : 多くは中波(530 - 1605kHz)AMのみ、またはFMのみの製品で、安価な[[携帯機器|携帯]]ラジオやライトバン・トラックなどの[[商用車]]のカーラジオに多い。その他、ラジオNIKKEI受信専用の[[短波放送|短波ラジオ]]も市販されていて(受信周波数が固定されておりスイッチ切り替えだけで済む代わり、周辺の局を聴くことは出来ない)、数は少ないが、製造は続いている。近年は[[チップセット]]に実装されたFM放送受信音声出力機能を使用可能にした[[携帯電話]]機(特に[[スマートフォン]])がある。 ; 2バンド : 中波+FMが多い。[[アナログ]]チューニングの機器のFM受信周波数範囲は76 - 108MHzまでのものが主流である。FM放送の周波数範囲は76 - 90MHzだったが、隣接する周波数帯を利用するアナログテレビ放送1チャンネルから3チャンネルまでの音声を受信することを想定して108MHzまで受信できるように設計されていた。しかし、アナログテレビ放送の終了した[[2011年]]7月以降は90MHzまでのラジオが増えてきた。その後、[[2015年]]頃から[[FM補完中継局]]用にFM放送の周波数割り当てが拡大されたことにより108MHzまで、あるいはFM補完中継局の当初の割り当てである95MHzまで受信できるものが再び出始めている。FMステレオが受信できるものや、わずかではあるがFM・AMともにステレオで受信できるものがある。デジタルチューニングのうち、一部の携帯ラジオやラジカセなど90MHz以降が「[[テレビ]](TV)1ch - 3ch」のようにチャンネル(音声周波数)が決まっているものは海外では受信できない。なお、FM放送開始以前の[[1960年代]]前半<ref group="注">FM東海が動き出したのが[[1958年]]末、NHK-FMが動き出したのが[[1969年]]。</ref>までは中波+短波(3.9 - 12MHz)が多かった。現在でも、中波+短波(ラジオNIKKEI受信用)のラジオは市販されている。中波+FMのホームラジオ、ポケットラジオ、クロックラジオは[[2019年]]以降も新製品がどこかのメーカーから投入され、需要に衰えがない。 ; 3バンド [[ファイル:SONY ICF-SW77.jpg|thumb|3バンドラジオ]] : かつては中波+FM+テレビの1 - 12chの音声が受信できるもの、または中波+FM+短波の3バンドを搭載したホームラジオが多く市販された。中波+FM+複数の周波数域の短波(3.9 - 12MHzが主であるが、メーカーによってはBCL向け短波ラジオとして、それよりも上の22MHz、あるいは30MHzまでの後述「4バンド以上」に準じたものもある)が、現在OEMの形態で市販されている。現在は中波+FM+短波(ラジオNIKKEI受信用)のラジオが市販されているほか、[[2012年]]に入ってからは中波+FM+テレビUHF([[ワンセグ]])の音声が受信できるラジオも、少数市販されている。短波を搭載した3バンドラジカセ、という商品もかつてはあったが、現在では希少な存在になっている。 ; 4バンド [[File:Radio Selena B210.JPG|thumb|4バンドラジオ]] : 中波+FM+短波放送のバンド75 - 13Mの各バンド、あるいは長波・中波・短波の150 - 530 - 30000kHzを連続受信可能な、「ゼネラルカバレッジ」と呼ばれるもの。2019年現在の日本では[[アイワ|AIWA]]ほか。他にはソニーのICF-890V(生産終了)や、一部のラジカセなどで中波+FM+テレビVHF(1 - 12ch)+テレビUHF(13 - 62ch)というタイプもあったが、1 - 3chを除く([[ハワイ]]及び[[アメリカ合衆国|アメリカ]]本土では88 - 108MHzまでが放送バンドである。[[超短波放送]]参照)VHFバンドとUHFバンドは2011年[[7月24日]](岩手・宮城・福島の各県は2012年3月31日)に地上デジタルテレビ放送への完全移行による[[世界の放送方式|地上アナログテレビ放送]]の終了で受信できなくなるため生産が打ち切られ、中波+FM+テレビVHFの - 12chの音声が受信できる3バンドラジオや中波+FM+短波(ラジオNIKKEI受信用)+テレビVHFの4バンドラジオも同様の理由で生産が打ち切られた。このため4バンドラジカセは絶滅した。厳密な意味の4バンドとは、FM+中波+短波+長波を搭載したラジオを指す。他のメーカーで5バンド以上を謳う社は存在するが、短波を周波数帯で細かく割っている<ref>{{Cite web|和書|url =https://web.archive.org/web/20180917032505/http://www.ando-catalogue.com/sw_radio_top01.html |title =短波ラジオ |publisher =www.ando-catalogue.com |date = |accessdate =2019-01-24 }}</ref>だけである。 ; 5バンド : 中国のメーカー[[TECSUN]]、[[XHDATA]]、[[RADIWOW]]には中波+FMステレオ+エアバンド+長波+短波の5バンドに対応しているものが複数発売<ref>{{Cite web |url =https://www.tecsunradios.com.au/store/product/tecsun-pl-660-radio/ |title =Tecsun pl-660 |publisher =www.tecsunradios.com.au |date = |accessdate =2019-03-13 }}</ref><ref>{{Cite web |url =https://web.archive.org/web/20190312175541/https://swl.net.ru/wp-content/uploads/2018/01/XHDATA-D-808.pdf|title =Xhdata D-808 |publisher =swl.net.ru |date = |accessdate =2019-03-13 }}</ref><ref>{{Cite web |url =https://radiwow.com/radiwow-r-108-radio-digital-portable-radio-fm-stereo-lw-sw-mw-air-dsp-receiver-with-lcd-high-quality-sound-for-indoorampoutdoor_p0073.html|title =RADIWOW R-108 |publisher =radiwow.com |date = |accessdate =2019-03-13 }}</ref>されており、流通量は少ないが入手は可能である。日本メーカーの5バンドはELPAの[[2014年]]発売機種のみ入手できる<ref>{{Cite web |url =http://www.elpa.co.jp/product/av08/elpa1010.html |title =ER-C57WR |publisher =www.elpa.co.jp |date =2019-03-11 |accessdate =2019-03-12 }}</ref>。 ; [[受信機#ゼネラルカバレッジ受信機(ワイドバンドレシーバ)|ワイドバンドレシーバ]] : 基本的に無線電波通信広帯域受信機で、ラジオ放送・TV放送以外の業務用無線電波通信などの受信再生に対応し、受信可能電波帯域が広いだけでなく、多様な変調方式にも対応する事を目指している。前述の「ゼネラルカバレッジ」の概念を更に押し広げた物である。バンド数というより、対応広帯域バンドの一部が技術的理由で途切れているか、自主規制でマスクされていると理解すべき。 ==通信用受信機 == 送信機と組にする無線設備としての性能を重視したもので、外観としてはチューニング・ダイヤルが大きく操作しやすい、読みとりやすい周波数目盛りがあるかデジタル表示になっている、感度や選択度を可変できるつまみ類が付いている、電波型式を切り替えるスイッチがある、外部アンテナ端子があるなどの特徴がある。ただし必ずしもこれらすべてを満たしているとは限らず、また機能が豊富なものではよりたくさんのつまみ、スイッチ、接続端子を備えているものもある。一般に「レシーバー」とも呼ばれ、ラジオ放送帯域外にも対応する事が多い。出力音質は重視されない事が多い。 == 歴史 == === 無線電話の始まり === 1900年、歪みはひどいものの世界で初めて電波<ref group="注">当時は火花放電による電波。</ref>に音声を乗せることに成功したのは、[[カナダ]]生まれでエジソンの会社で技師として勤めたこともある電気技術者[[レジナルド・フェッセンデン]]だった。これが無線電話の始まりである。 彼は引き続き、ヘテロダイン検波方式や、電動式の高周波発振器を開発して改良に取り組み、1906年12月24日に、アメリカ・[[マサチューセッツ州]]の自己の無線局から、自らの[[クリスマス]]の挨拶を無線電話で送信した。フェッセンデンはこの日、[[レコード]]で[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]作曲の「[[オンブラ・マイ・フ|クセルクセスのラルゴ]]」を、そして自身の[[ヴァイオリン]]と歌で“O Holy Night”をそれぞれ流し、[[聖書]]を朗読した。この実験はあらかじめ無線電信によって予告されたもので「世界初のラジオ放送」だっただけでなく「最初の[[クリスマス]]特別番組」でもある。そしてフェッセンデンは「史上初のラジオ[[アナウンサー]]&[[プロデューサー]]」と言えるだろう。 === ラジオ放送の始まり === しかし[[ヒューゴー・ガーンズバック]]が1905年11月より一般人向けて通信販売を始めた大衆無線機「[[テリムコ]]」の受信機は電波から音声を[[復調]]できない[[コヒーラ検波器]]<ref group="注">コヒーラは電波の有無を検出するだけで音声を取り出せない。</ref>によるものである。また[[グリーンリーフ・ホイッティア・ピカード]]が電波に乗せた音声を復調する鉱石の検波作用を発見しその特許を得たのは遅く、1906年になってである。1906年当時のアマチュア無線家らはまだコヒーラ検波器を使っており<ref>Thomas Matthew "Home-Made Coherers" ''Wireless Telegraphy For Amateurs and Students'' 1906 Thomas M.ST.JOHN pp125-136</ref><ref>T.E. O'donnell "The Amateur's Workshop:An Experimental Wireless Telegraph Outfit" ''Electrician and Mechanic'' Aug.1907 Sampson Publishing Co. pp41-42</ref><ref>V.H. Laughter "Wireless Telegraphy Made Simple - Part 1: Construction of a Simple Wireless Telegraph Set" ''Popular Electricity'' May 1908 Popular Electricity Publishing Co. pp32-36</ref>、彼らの受信機が[[鉱石検波器]]へ切替わったのは1910年頃だった<ref>James D. Thomas "A Silicon Detector" ''Modern Electrics'' Dec.1909 Modern Electrics Publication pp426-427</ref>。こういった時代背景を勘案すると、フェッセンデンの実験は広く聴取者に向けて送信される「ラジオ放送」というよりも、限定された技術者・通信士を対象とした「無線電話」の実験に属するとも考えられる。 一般人で無線の受信機を所有していたのはアマチュア無線家達だけである<ref group="注">1912年12月に施行された無線通信取締法(Radio Act of 1912)により、無線をするにはオペレーター資格試験と無線局の免許状が必要となり、1905年から1911年頃まで[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で発売されていた大衆無線機テリムコは、無資格・無免許では使えなくなった。</ref>。アマチュア無線は第一次世界大戦の勃発で禁止されていたが、その終戦で1919年4月12日より、まず受信活動が解禁された<ref group="注">アマチュア無線の送信解禁は同年10月1日。</ref>。戦後は一般アマチュアでも真空管が入手できるようになり、鉱石式受信機から真空管式受信機への置き換えが急速に進んでいた。 1920年1月17日、[[ワシントンD.C.]][[:en:Anacostia|アナスコティア]]にある[[:en:Naval Support Facility Anacostia|海軍飛行場]]から、海軍省が[[:en:NOF (defunct)|娯楽音楽放送 '''NOF''']]をはじめた。これをもって国営放送の嚆矢とするが<ref>C. Austin ”The Romance of the Radio Telephone” ''Radio Broadcast'' May,1922 p16</ref><ref>栄谷平八郎 『ラジオ発展史』 1947 通信教育振興会 p48</ref>、そのリスナー層は自分で受信機を組立てたアマチュア無線家だった。なお1923年1月3日、アナコスティア海軍航空局 '''NOF'''は本来の航空無線の研究に専念することとなり、娯楽放送を終了している<ref>S.R.Winters The Passing of "NOF" As a Broadcasting Station ''Radio News'' Mar.1923 p1623</ref>。 また、一部のアマチュア無線家は無線電話を実験するようになり、無線電話で「放送したい」アマチュア無線家と、モールス電信で「交信したい」アマチュア無線家の混信問題がはじまったのもこの頃である<ref group="注">アマチュア無線家は1,500kHz以上の任意の周波数を申請し、許可を受けることができた。許可される最下限1,500kHzに人気が集中し大変混雑していたところへ、無線電話も参入したため1,500kHzは大混信となった。</ref>。 民間企業による商業放送として世界で最初に許可されたものは、[[ウェスティングハウス・エレクトリック|ウェスティングハウス電気製造会社]]が1920年11月2日にアメリカ・[[ペンシルベニア州]][[ピッツバーグ]]で放送を開始した[[:en:KDKA (AM)|KDKA]]である。その[[中波]]送信機は同社の技術者[[フランク・コンラッド]]が設計し、開局初日の番組は[[アメリカ合衆国大統領|大統領]][[選挙]]の開票情報で、[[ウオレン・G・ハーディング|ハーディング]]候補の当選を伝えた。 選択度(分離性能)が良くない受信機で起きる、商業放送(周波数833kHz)とアマチュア無線家の放送(周波数1,500kHz)の混信問題もくすぶっていたが、1922年と1923年の法改正でアマチュア無線のオペレーター資格では放送できない事になり、多くのアマチュア無線家が商業放送局のオーナーや技術者として転向したため、問題はやや軽減した。さらに1923年6月28日の規則改正<ref>"Regulations Governing General and Restricted Amateur Radio Stations and Amateur Operators" ''Radio Service Bulletin''(No.75) July.2,1923 Department of Commerce p16</ref>では、アマチュア無線家は短波を申請する権利を失ったかわりに、1,500 - 2,000kHzの帯域免許を獲得した。同時に毎夜20時00分から22時30分と、日曜午前の礼拝タイム<ref group="注">日曜午前は教会に出向けないリスナーのために、KDKAなど多くの局が教会から生中継し、人気番組となっていた。</ref>を送信禁止として、ラジオ放送とアマチュア無線の混信問題は一応の解決をみた。 === 短波ラジオ放送 === 極長距離を伝送できる短波ラジオ放送を最初に行ったのは[[オランダ]]の[[国営放送]]で、1927年11月から海外[[植民地]]向けに放送を開始<ref name="takagi205">高木利弘『スマートTVと動画ビジネス 次世代メディアをデザインするのは誰か?』2012年、インプレスジャパン、205頁</ref>。翌[[1928年]]には当時オランダ領だった[[インドネシア]]・[[ジャワ島]]での受信に成功する。この実績に追随して[[ドイツ]]、[[ソビエト連邦|ソ連]]、[[フランス]]、[[イタリア]]、[[イギリス]]等が1929 - 1932年にかけて[[植民地]]向け放送や海外宣伝放送を短波で開始している。 === FMラジオ放送 === 1902年に周波数変調方式(FM方式)がフェッセンデンによって考案された。しかし、実用的なFMラジオは1933年12月26日にアメリカの[[エドウィン・アームストロング|エドウィン・H・アームストロング]]が特許を取得した技術による<ref name="takagi205" />。アームストロングは世界初のFMラジオ局 W2XMNを1937年に開局させ放送を開始した<ref name="takagi205" />。 ::[[周波数変調]]および[[超短波放送]](FM放送)を参照 === デジタル化 === [[2000年代]]に入って、先進国で地上[[デジタルラジオ]]放送が開始され、またアメリカの[[シリウスXMラジオ]]のような衛星デジタルラジオサービスも開始されている。 === インターネットラジオ === 2000年代にインターネットにおけるストリーミング配信を使ってラジオ番組を配信する方法が考案され、法人・個人含め様々なラジオ局が開設された他に、従来から電波を用いて放送してきたラジオ局もサイマル放送などで次々と参入した。PCやスマートフォンで手軽に聴取でき、従来の電波ラジオより音質も良いことから、[[2010年代]]後半以降は[[インターネットラジオ]]が主流になった。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では各局の[[ウェブサイト|Webサイト]]でラジオ番組を配信しており、[[日本]]では[[radiko]]が一括してラジオ番組のサイマル放送を行っている。 == アメリカのラジオ放送 == === 3大ネットワークの誕生 === アメリカでは[[1926年]][[11月5日]]に[[RCA]]の子会社として[[NBC]]が設立され2波(NBC red network及びNBC blue network)の放送を開始した<ref name="takagi205" />。 また、[[1927年]][[9月18日]]に[[CBS]]がラジオ放送をスタートさせた<ref name="takagi205" />。 [[1940年]]にはNBC red networkとNBC blue networkが分割され、[[1945年]][[6月15日]]にRCAはNBC blue networkを売却<ref name="takagi205" />。NBC blue networkは社名をThe Blue Networkとし、ネットワーク名を[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]とした<ref name="takagi205" />。 === FMラジオの規格化と普及 === アメリカでは[[1961年]]に[[連邦通信委員会]](FCC)がFMのステレオ技術を規格化して数百のFM局が開局した<ref name="takagi206">高木利弘『スマートTVと動画ビジネス 次世代メディアをデザインするのは誰か?』2012年、インプレスジャパン、206頁</ref>。この規格では[[ゼネラル・エレクトリック]]と[[ゼニス・エレクトロニクス|ゼニス社]]の共同に基づく[[周波数変調#AM-FM方式|「AM-FM」方式]]が標準ステレオ方式として採用された。 [[1966年]]には連邦通信委員会(FCC)がFMの放送内容をAMと分離することを決定し、FM放送の視聴者が増えるきっかけとなった<ref name="takagi206" />。 == 日本のラジオ放送 == === 歴史 === ==== 国民のラジオ熱(免許制以前) ==== 日本のアマチュア無線家は1920年代初期から自作の無線機で個人間の無線交信を行っており、1922年にはラジオ受信機の製作に関する[[雑誌|情報誌]]『ラヂオ』が創刊されている<ref name="Mizojiri">溝尻真也 飯田豊(編)「声を伝える/技術を楽しむ」『メディア技術史:デジタル社会の系譜と行方』 改訂版第1刷 [[北樹出版]] 2017 pp.76 - 81.</ref>。 その後、現在はオーディオ雑誌に変わっているが[[誠文堂新光社]]刊の『[[無線と実験]]』などが数多く発売され、また[[新聞社]]による独自のラジオ中継が行われたりした。[[1924年]]には、[[大阪朝日新聞]]による皇太子裕仁親王([[昭和天皇]])御成婚奉祝式典や[[大阪毎日新聞]]による[[第15回衆議院議員総選挙]]開票の中継をはじめ、数多くの実験的要素の強い中継が行われている。 [[1923年]]12月、逓信省は[[放送用私設無線電話規則]]を制定。翌年、当面[[東京]]、[[名古屋市|名古屋]]、[[大阪]]の3地域で、[[公益法人]]として各1事業者ずつ、ラジオ放送事業を許可する方針を打ち出した。 ==== 日本初のラジオ放送 ==== [[ファイル:ラジオ番組表 (1925年).jpg|thumb|400px|1925年のラジオ番組表。『朝日年鑑 [[1925年|大正14年]] - [[1926年|大正15年]]』より。“米突”はメートルの当て字。つまり375m=800kHz、385m=779kHz]] [[日本初]]のラジオ放送は、[[1925年]][[3月22日]]9時30分<ref>『学研まんがでよくわかるシリーズ94 正露丸のひみつ』(2014年3月31日、学研パブリッシングコミュニケーション発行)62ページより。</ref>、'''社団法人東京放送局'''(JOAK:現在の[[NHK放送センター|NHK東京]][[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1放送]]。略称:AK)が東京・[[芝浦]]の[[東京高等工芸学校]]([[千葉大学]]工学部の前身)内に設けた仮送信所から発した[[京田武男]][[アナウンサー]]によるもので、第一声は {{Quotation|アーアー、聞こえますか。……JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します}} だった。<!--当時使われていたラジオは「[[鉱石ラジオ|探り式鉱石受信機]]」がほとんどで、第一声の「アーアー」は、この間に聴取者が鉱石の針先を一番感度の良い部分に調節できるようにするための配慮と言われている。--><!--正午の号砲などを除けば正確な時計さえろくに無い時代に(ラジオ等の時報「で」、ついこの間まで時計合わせをしていたではないか)そんな数秒のタイミングにジャストに合わせて探り針の調整などできるわけがない(だいたい、まずバリコンのチューニングが必要なのだし)。-->波長は375m(周波数800kHz)、[[空中線電力]](出力)約220[[ワット (単位)|W]]だった。当時の受信機の性能に比して出力が弱かったため、[[東京市]]内でないとよく聞こえなかった。 元々は[[3月1日]]に放送を開始する予定だったが、購入する予定だった、当時日本に1台しかない[[ウェスタン・エレクトリック]](WE)社製の放送用[[送信機]]が、前年12月に同じく設立準備中の社団法人大阪放送局(JOBK:現在の[[NHK大阪放送局]]、略称:BK)に買い取られてしまった。そこで東京放送局は、東京市電気局電気研究所が放送実施のために購入した[[ゼネラル・エレクトリック]]社製の無線電信電話機を借り放送用に改造して使用することにしたが、[[2月26日]]の[[逓信省]]の検査で「放送設備が未完成のため3月1日の放送開始は時期尚早」と判断された。既に3月1日から放送を開始すると発表しており、また、大阪放送局よりも先に日本初のラジオ放送を行いたいということで、「試験送信」の名義で逓信省の許可を受け、何とか3月1日から放送を開始することができた。 3週間の[[試験放送]]の後、逓信省の検査に合格し、3月22日に仮放送(仮施設からの正式な放送という意味)を開始し、[[7月12日]]に[[東京府]]東京市[[芝 (東京都港区)|芝区]](現在の[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]])の[[愛宕山 (港区)|愛宕山]]からの本放送が開始された。これには改めて購入した出力1kWのWE社製送信機を使用した。 大阪放送局はその年の[[6月1日]]から仮放送を出力500Wで開始した。 さらに、社団法人名古屋放送局(JOCK:現在の[[NHK名古屋放送局]]、略称:CK)も同年[[7月15日]]に、出力1kWの[[マルコーニ]]社製送信機を使用して放送を開始した。 1925年、ラジオ聴取契約者は東京13万1373、大阪4万7942、名古屋1万4290件、受信機は鉱石式10円、真空管式120円<ref name="名前なし-1">日本放送史 日本放送協会編</ref>。 ==== 1945年まで ==== [[File:Radio broadcasting Tokyo.jpg|thumb|1920年代末のラジオ放送収録風景。右は[[粟島すみ子]](中央)ら[[松竹蒲田撮影所]]の映画俳優たちによるラジオドラマ、左は演奏中の[[新橋芸者]]たち。]] [[File:Mobiliário (7.1), Acervo do Museu do Colono (Santa Leopoldina).jpg|thumb|220px]] 社団法人東京・大阪・名古屋放送局は翌年の[[1926年]]に「社団法人日本放送協会」として統合された。これは実質的には政府機関的な性格を持っていた。「全国鉱石化」(日本全国のどこでも鉱石受信機によるラジオ聴取を可能とするインフラの整備)を目標<ref group="注">この思想は現在も[[放送法]]の第15条に残っている。</ref>に日本各地に[[放送局]]を開設したほか、[[外地]]の[[樺太|南樺太]]([[豊原放送局]])や[[南洋諸島|南洋群島]]([[パラオ放送局]])にも置局した。さらに、[[朝鮮]]には[[朝鮮放送協会]]、[[台湾]]には[[台湾放送協会]]が設立され、日本放送協会の番組を多く中継した。 [[1927年]]8月、ラジオで全国中等学校優勝野球大会が中継された(初のスポーツ中継)<ref name="90th">{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.or.jp/bunken/research/domestic/pdf/20160130_2.pdf |title=放送90年シンポジウム「ラジオは未来の夢を見る」|publisher=[[日本放送協会]] |accessdate=2019-09-10}}</ref>。 [[1928年]]11月には[[昭和天皇]]の即位の礼が全国中継された(初の本格的な全国ネット放送)<ref name="90th" />。また、1930年2月にはロンドン軍縮会議の中継が行われた(初の国際中継)<ref name="90th" />。 受信機としては、[[交流]][[商用電源]]や大容量[[電池]]によって作動する[[真空管]]を使ったものが登場し、鉱石式の[[イヤホン]]に代わって、[[スピーカー]]で大きな音量の放送が聞けるようになる。ラジオ受信機自体は国内メーカーによって生産が可能となった。 アマチュアによる受信機自作も当時から趣味の一ジャンルとして広まり始めていた。雑誌『無線と実験』に1930年、匿名男性が寄稿した「ラジオをつくる話」は、岡本次雄が当時のアマチュアと東京のラジオ商の様子を見事に描いているとして『アマチュアのラジオ技術史』(1963)に収録した。 ラジオ聴取契約者は1931年に100万を突破した<ref name="名前なし-1"/>。聴取世帯数は[[1932年]]2月には100万、[[1935年]]2月には200万、[[1939年]]1月には400万を突破<ref name="90th" />。ラジオ受信機の普及が進み、音楽、演芸、スポーツ中継、ラジオドラマなどの多彩なプログラムが提供されるようになったことで[[エンターテインメント|娯楽]]の主役となった<ref>1932年5月1日、放送協会は第1回全国ラジオ調査を実施した。嗜好番組の1位は浪花節57%、以下講談・落語・人情噺・義太夫・民謡など。日本放送史 日本放送協会編。</ref>が、[[1941年]]の[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])開戦とその後の戦局の進行と共に[[大本営発表]]を行なうための機関と化し[[プロパガンダ]]的な番組が増えた。この傾向は終戦まで続いた。1941年12月25日、NHKは全国を軍管区にしたがって5群に分け各群ごとに同一周波数放送を実施した<ref name="名前なし-1"/>。 聴取世帯数は1940年代にも増加し続け、[[1940年]]5月には500万、[[1941年]]8月には600万、[[1943年]]3月には700万を突破した<ref name="90th" />。しかし、1945年4月になると放送時間は大幅に減少し、1945年5月には名古屋中央放送局が空襲により焼失<ref name="90th" />、8月6日には[[NHK広島放送局|広島中央放送局]]が[[広島市への原子爆弾投下|広島原爆]]で大打撃を受けた(25時間後に再開)<ref>[https://web.archive.org/web/20210725132526/https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/no-more-hibakusha/library/bangumi/ja/167/ NHK広島放送局開局80年ラジオドラマ「放送を続けよ ―広島中央放送局の8月6日―」]</ref><ref>白井久夫「幻の声 ―NHK広島8月6日―」岩波新書</ref>。 [[1945年]][[8月15日]]に終戦ノ詔勅(いわゆる[[玉音放送]])が放送され、戦後は海外領土を失う。「社団法人日本放送協会」は[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)の管理・監督下に置かれ[[言論統制]]が行われた。[[アメリカ軍]]と[[イギリス軍]]を中心とした([[中華民国軍]]及び[[ソビエト連邦軍]]は日本に進駐していない)、いわゆる進駐軍向け放送局が主要都市に置かれた。アメリカ軍向けは後にFEN、現在の[[AFN]]の前身である。一部の局については日本放送協会から施設や役務の提供が行われた。 ==== 1945年 - 1959年 ==== [[ファイル:5tubes-radio.jpg|thumb|200px|1955年頃のラジオ受信機、5球スーパー式。FM放送が始まる前の機種なのでバンドは中波と短波のみ]] 戦後、ラジオ受信世帯数は減少しており1946年7月には538万であった<ref name="90th" />。 [[1950年]]に「社団法人日本放送協会」が[[公共企業体]]としての「'''[[特殊法人]]日本放送協会'''」に改組され、翌[[1951年]]には[[9月1日]]朝に[[中部日本放送]](現在の[[CBCラジオ]])、同日昼に新日本放送(現在の[[MBSラジオ]])が日本初の[[民間放送]]を開始した。東京では、民間放送の申請を目指す会社が乱立。新聞社系の放送会社の一本化が行われたこともあり、同年[[12月25日]]になって[[東京放送ホールディングス|ラジオ東京]](現在の[[TBSラジオ]])に開始された<ref>「新たにラジオ東京 新聞関係一本で申請」『朝日新聞』昭和26年1月11日</ref>。[[1953年]]にはテレビ放送も開始されたが、白米10kg680円、[[銭湯]]の入浴料15円程度だった時代に[[テレビ受像機]]の価格は20 - 30万円程度と高価で一般には買えず、ラジオが一家の主役であり続けた。 民間放送開始以前にはラジオ受信機の所持には政府の許可が必要であり、聴取料を納める必要があったが、無料で聴ける放送の開始によってラジオへの関心が高まり、『初歩のラジオ』『模型とラジオ』など少年向けのラジオ製作雑誌が相次いで創刊された<ref name="Mizojiri"/>。当時は[[物品税]]が高価で、メーカー製完成品を購入するよりは[[秋葉原]]などから真空管などの部品を買い集めて自作したほうが安かったために、受信機を製作する人が多かった。彼らは「少年技師(後のラジオ少年)」とも呼ばれ、[[高度経済成長|高度成長期]]の日本の[[エレクトロニクス]]産業の発展の基礎を作る要因の一つともなった<ref name="Mizojiri"/>。 [[1955年]]には東京通信工業が日本初のトランジスタラジオを発売<ref name="90th" />。1958年11月にはラジオ受信契約数が1481万件を越えピークとなった<ref name="90th" />。しかし、当時の皇太子・[[明仁|明仁親王]]が[[1959年]]に正田美智子と結婚し[[パレード]]のテレビ中継が行なわれたのをきっかけに、テレビ受像機が普及し始め、ラジオは斜陽化の時代を迎える。 超短波を使用したFMラジオ放送については、[[1957年]]12月にNHK-FMが東京で試験放送を開始し、翌[[1958年]]12月には[[学校法人東海大学]]により、放送教育を目的とした「東海大学超短波放送実験局」が放送を開始した。[[1960年]]には日本最初の民放FM局<ref group="注">ただし、[[FM東海]]は当時実用化試験局として運用されており、民間企業によるFM放送は1969年開局の愛知音楽エフエム放送(現在の[[エフエム愛知]])が最初となる。また放送免許ではないが1953年から[[長岡教育放送]]が超短波放送を実施していた。</ref>である[[FM東海]]となる。 ==== 1960年 - 1974年 ==== この頃、部品のトランジスタの普及が進み、これを使った[[トランジスタラジオ]]の商品化や、さらに[[モータリゼーション]]により、[[カーオーディオ|カーラジオ]]が普及するなど、ラジオは一家に一台から一人に一台というパーソナル化の方向へ向かう。ラジオ放送は家族をターゲットにした編成から、個人をターゲットにした編成へと転換していく。情報トーク番組や音楽番組が増えた他、ターゲットを絞った[[深夜放送]]も盛んになった。 1950年代後半から試験放送を続けていたFMラジオ放送は、[[1969年]]に[[NHK-FM放送|NHK-FM]]の本放送が開始され、同年には民放でも[[エフエム愛知|FM愛知]]が開局。1970年には、[[エフエム大阪|FM大阪]]、FM東海を東海大学から引き継いだ[[FM東京]]、[[エフエム福岡|FM福岡]]の3局が相次いで開局した。いずれも音楽を中心とした編成で、高音質のステレオ放送により、[[レコード]]に次ぐ[[Hi-Fi]]音源として人気を集めることになる。同時期に登場した[[ラジオカセットレコーダー|ラジカセ]]の普及によって、放送される楽曲を[[オープンリール]]テープや[[コンパクトカセット|カセットテープ]]で録音する「[[エアチェック]]」も流行し、エアチェックを目的として放送される楽曲が載った[[FM情報誌]]も創刊された<ref name="Mizojiri"/>。しかし、民放局を中心に「楽曲そのものを楽しむ」から「トークの合間に楽曲が流れる」など番組スタイルの変化などから、次第にエアチェックという言葉自体が廃れていくようになる。 ==== 1975年 - 1981年 ==== [[ファイル:ICF5900.jpg|thumb|200px|代表的なBCLラジオ ソニー スカイセンサー5900]] [[1970年代]]後半に、[[中東戦争]]や[[オイルショック]]をきっかけとして海外の国際放送を受信するBCLブームが中学生・高校生を中心に起こった。この時期には、日本向け[[日本語放送]]の充実を図る放送局も多く、時事ニュースに留まらずその国の文化などの理解を深めるうえで一定の役割を果たした。また、受信報告書を送ると受け取れる[[ベリカード]]の収集も盛んに行われた。さらに、送信方向が日本向けではないなど、一般的には受信困難な放送を工夫を重ねて受信しようとするマニアも増えた。これに応じ、受信周波数帯域の広いラジオ受信機、いわゆるBCLラジオが各社より発売され、戦後2回目の黄金期だった。しかし、日本からの海外旅行の一般化や[[通信自由化]]を遠因とする国際放送の縮小などで、BCLブームも終わりを遂げ、BCLラジオメーカーも次々と撤退した(2006年時点で国内メーカーはソニー以外は撤退)。 [[1978年]][[11月23日]]には[[国際電気通信連合]](ITU)の取り決めによりAMラジオの周波数一斉変更(10kHz間隔→9kHz間隔。通称:9キロヘルツセパレーション)が行われた<ref>中村禎昭、「[https://doi.org/10.3169/itej1978.32.902 中波放送用周波数の変更]」『テレビジョン学会誌』 1978年 32巻 10号 p.902 - 904, {{NAID|110003697789}}, {{Doi|10.3169/itej1978.32.902}}。</ref>。 ==== 1982年 - 1999年 ==== [[1982年]]の[[エフエム愛媛|FM愛媛]]を皮切りに全国に民放FM放送局が相次いで開局する。[[1988年]]には東京で2番目となるエフエムジャパン(現在の[[J-WAVE]])が開局、大都市圏では複数の民放FM局が開設されるようになり、対象[[セグメント]]の多様化が進んだ。 [[1991年]]、衛星放送による有料ラジオ放送「[[セント・ギガ]]」開始。[[1992年]]には[[コミュニティ放送]]が制度化され、都道府県単位よりもかなり狭い地域を対象としたラジオ放送が行われるようになった。同じく1992年には[[AMステレオ放送]]開始、[[1995年]]にはFM[[文字多重放送]]もスタートするなど新技術導入が相次ぐ。 [[1995年]]の[[阪神・淡路大震災]]では、災害時における情報伝達メディアとしてのラジオの重要性がクローズアップされる結果となった。以降、各局とも災害への対応を重点に置くようになる。また災害時の情報発信用として大都市圏に[[外国語放送|外国語FM局]]が開局したが、後に経営難に苦しむこととなる。 ==== 2000年 - 2009年 ==== [[ファイル:IPod-5.5G-FM-Radio-connect-with-earphone.JPG|thumb|200px|iPodにおけるラジオ受信装置(左のリモコン)]] 不況に加えメディアの多様化が起因となり[[ラジオ離れ]]の動きが顕在化し、それに伴い広告費も減少し続けていることから、ラジオ局は厳しい運営状況を強いられていく(詳細は[[ラジオ離れ]]を参照)。 2000年12月、[[BSデジタル放送]]による[[BSデジタル音声放送]]が開始されたが、2003年にセント・ギガが終了するなど衛星ラジオは市場規模が小さいまま終わり、他局も2005年以降順次廃局した。FM[[文字多重放送]]や、その後登場した地上[[デジタルラジオ]]も失敗に終わっている。 [[AMステレオ]]放送を実施していた放送局も会社の合理化に加え、送信機更新の際に必要な装置が2000年半ばまでに生産中止になったのに伴い、AMステレオ放送を終了して元のモノラル放送に戻す放送事業者も[[2000年代]]後半に[[AMステレオ放送#過去に実施されていた放送局|九州地区]]で出てきた。 一方で2000年代にはインターネットによる[[インターネットラジオ]]が普及していった。 ==== 2010年 - 2020年 ==== 2010年3月15日0時(3月14日24時)より、地上波のラジオ放送と同内容をインターネットを利用してサイマル配信するIPサイマルラジオ「[[radiko]]」の実証実験が開始された(同年12月1日より本格的に開始)<ref>{{Cite news|url= http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=38868 |title= IPラジオ「radiko」好反響、初日聴取人数105万人、急きょシステム増強 |newspaper= 文化通信.com |date= 2010-03-17 |accessdate= 2022-12-11 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20100322213450/http://www.bunkatsushin.com/modules/bulletin/article.php?storyid=38868 |archivedate= 2010-03-22 }}</ref>。radikoは当初、本来の放送エリア内での無料配信のみとしていたが<ref group=注>但し、大都市圏の一部の県域ラジオ局では当初から近隣のエリア外でも無料配信を実施している。</ref>、[[2014年]]4月1日からは放送エリア外からも有料で聴取が可能になるエリアフリーサービス「radikoプレミアム」がスタートした。 またこれとは別に、[[南海放送|RNBラジオ]]では、独自で2010年[[10月1日]]にCATVサイマル放送を、同年[[12月18日]]から2011年3月31日までIPラジオ実験放送をした。 一方、2010年、[[AMステレオ]]放送を断念してAMモノラル放送へ復帰する局が相次いだ。[[MBSラジオ]]と[[HBCラジオ]]が[[2月28日]][[深夜]]([[3月1日]][[未明]])、[[朝日放送ラジオ|ABCラジオ]]が[[3月14日]]深夜([[3月15日]]未明)、[[STVラジオ]]が[[3月28日]]深夜([[3月29日]]未明)の放送をもってAMステレオ放送を終了した。終了の理由としてステレオ放送対応のための機材の生産が終了していてメンテナンスの保証がなくなった事があげられている<ref>{{Cite web|和書|url =https://web.archive.org/web/20180724213312/https://www.mbs1179.com/rinfo/ |title =AMステレオ終了のお知らせ |publisher =www.mbs1179.com |date = |accessdate =2019-01-22 }}</ref>。2011年[[1月30日]]深夜([[1月31日]]未明)には[[TBSラジオ]]も終了し、縮小していった。 AM放送については「都市型難聴対策」・「外国波混信対策」・「地理的・地形的難聴対策」・「災害対策」の観点から、2012年までに終了した[[NTSC|アナログテレビ放送]]の周波数帯の一部を利用して[[FM補完中継局|FM波による補完放送]]が行われることになり、2014年[[12月1日]]の[[北日本放送]]・南海放送を皮切りに、翌2015年に名古屋・東京・広島・長崎・鹿児島など、2016年には大阪・福岡など全国各地でスタートしている。これらの放送は一般的に「ワイドFM」と呼ばれる。 2020年以降流行した[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]への感染対策として、2020年4月以降は収録時におけるアクリル板設置やリモート出演などの措置をとる所もみられた。 {{See also|日本における2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響#放送}} ==== 2021年 - ==== 2021年6月15日、民間放送のAM局のうち北海道・秋田の3社([[HBCラジオ|北海道放送]]・[[STVラジオ]]・[[秋田放送]])を除く44社が[[2028年]]秋を目処にAM放送からFM放送に転換し、在京局(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)を含む一部の社ではFM放送に一本化することを発表した<ref name="sankei210615">{{Cite news | url=https://www.sankei.com/article/20210615-7LYQHU44IVJTHLII7DXG6QCDZU/ | title=全国の民放AMラジオ、令和10年までにFM転換 | newspaper=産経ニュース | publisher=産経デジタル | date=2021-06-15 | accessdate=2021-06-15}}</ref><ref name="asahi210615">{{Cite news | url=https://www.asahi.com/articles/ASP6H5R4MP6HUCLV009.html | title=民間AM局の大半、7年後までにFM化へ 対応端末必要 | newspaper=朝日新聞デジタル | publisher=朝日新聞社 | date=2021-06-15 | accessdate=2021-06-15}}</ref>。既に各社ともワイドFMを実施しているが、広告収入の低下が続く中でFMとAMの二重投資になっていること、特にAM送信施設の立地(水害に弱い河川敷など広い土地が必要)や設備更新費用の高さ、放送を継続したままでの設備更新が問題となるのに対し<ref name="sankei210615"/>、FMは簡易な設備で費用が抑えられることがメリットとしている<ref name="asahi210615"/>。一方で、ワイドFMが受信可能なラジオ受信機の普及は2019年(平成31年)2月調査の段階で53%にとどまり、受信機買い替えのために周知期間も必要として、2021年6月の段階で発表したとしている<ref name="sankei210615"/>。2022年度にはAM局がFM局へ転換できるよう制度を改正し、2023年には停波の実証実験を行う考え<ref name="asahi210615"/>。 また、NHKもAM放送は[[NHKラジオ第1放送|第1放送]]と[[NHKラジオ第2放送|第2放送]]を[[2025年]]度に一本化する方針を示している<ref name="asahi210615"/>。 === ステレオ放送 === ==== 複数の放送波によるステレオ放送(立体放送) ==== [[ファイル:AM Stereo 02.jpg|thumb|200px|二波利用のステレオ受信機]] [[1950年代]]、NHKラジオ第1放送・第2放送や民放各社などが、2つの放送波を使ったステレオ放送(当時は'''立体放送'''と呼ばれた)を行った。NHKの例でいえば第1放送が左側の音声、第2放送は右側の音声をそれぞれ放送し、2つのラジオを並べて置いたり、2台分のチューナーを搭載した[[レシーバー]]を使ってステレオ音声を受信するものだった。テレビ放送が開始されると、ラジオとテレビを併用した立体放送も実施された。番組の冒頭では「左のラジオを○○放送に、右のラジオを○○放送に合わせ、私の声が中央から聞こえるように、受信機の音量を調節して下さい」といったアナウンスと、受信機の調整のための音楽が流された。 この方式では「モノラル放送との互換性がとれず、受信機を2台用意しないと片方のチャンネルしか聞くことができない」「左右の受信機に位相特性、周波数特性、レベル等の特性差があると、正しいステレオイメージが得られない」「NHKを除き、2局が協力しないと実現できない」などの問題が多かった。[[1963年]]以降、[[超短波放送|FMラジオ放送]]で、これらの問題点を解決したステレオ放送が行われるようになったことで、2つの放送波による立体放送は終了した。 ===== 沿革 ===== * [[1952年]] ** [[12月5日]] - [[12月7日]] - 第1回[[オーディオフェア]]にちなみ、NHK東京第1・第2放送の放送終了後の0:35 - 1:00に立体放送の試験放送を実施。録音・再生機には[[ソニー|東京通信工業(現在のソニー)]]製の[[テープレコーダー]](ステレオ録音用の試作機)を使用した。 ** [[12月20日]] - NHK東京第1・第2放送、『土曜コンサート』の枠内で最初の立体放送の本放送実施。 * [[1953年]] ** [[1月9日]] - [[北海道放送]]・[[AFN|FEN]]北海道、共同で日米交歓音楽会の立体放送実施。 ** [[2月28日]] - NHKラジオ第1・第2放送、第2回の立体放送の本放送を全国中継で実施(『土曜コンサート』)。 ** [[3月22日]] - NHKラジオ第1・第2放送、明治座新派劇『息子の青春』をステレオ録音にて放送。 ** [[8月23日]] - NHKラジオ第1・第2放送、初の立体[[ラジオドラマ|放送劇]]『死んだ鶏』を放送。 * [[1954年]] ** [[11月13日]] - NHKラジオ第1・第2放送、世界初の立体放送による定時番組『[[立体音楽堂]]』放送開始<ref>宮坂榮一「放送の音声方式 : アナログ放送からディジタル放送まで」『日本音響学会誌 57巻9号』 日本音響学会、2001年9月、p.597-603、{{doi|10.20697/jasj.57.9_597}}</ref>(当番組の2波ステレオでの放送は[[1964年]][[4月5日]]まで。その後は当時同時に放送していた[[NHK-FM放送|FM]]のみでの放送に変更。同番組終了は[[1966年]][[4月2日]])。 ** [[11月27日]] - 第3回オーディオ・フェアにちなみ、[[TBSラジオ|ラジオ東京(現在のTBSラジオ)]]・[[文化放送]]・[[ニッポン放送]]による三元立体放送実施(ドラマ『われを呼ぶわれの唄』など3番組を連続放送)。 ** [[12月25日]] - NHK東京、『立体音楽堂』の時間にラジオ第1・第2・[[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]を使っての三元立体放送を実施(俳優座劇場中継 メノッティ作曲、歌劇『アマールと夜の訪問者』)。 * [[1958年]] ** [[6月28日]] - 北海道放送、ラジオ・テレビにより立体放送の実験実施。 ** 9月 - 文化放送・ニッポン放送、共同で立体放送実施。翌年からは立体放送による帯番組として『[[パイオニア]]・イブニング・ステレオ』放送開始。 ** 11月 - [[中部日本放送]](現在の[[CBCラジオ]])、ラジオ・テレビにより立体放送実施。 * [[1959年]] ** [[RKB毎日放送]]・[[九州朝日放送]]、共同で立体放送実施。 ** [[2月16日]] - [[MBSラジオ|毎日放送]]・[[朝日放送ラジオ|朝日放送]]、共同で立体放送による定時番組『[[ナショナルステレオホール]]』放送開始。 * [[1960年]] ** [[東北放送]]、ラジオ・テレビにより立体放送実施。 ** [[3月1日]] - NHK東京、『立体音楽堂』の時間にラジオ第1・第2・[[NHK教育テレビジョン|教育テレビ]]を使って三元立体放送実施(第2回NHKイタリア歌劇公演より[[ジョルジュ・ビゼー|ビゼー]]作曲・歌劇『[[カルメン (オペラ)|カルメン]]』ハイライト)。 ** [[3月27日]] - [[関西テレビ放送]]・[[ラジオ関西]]、ラジオ・テレビによりステラマ(ステレオ・ドラマの略)『コルトを持つ男』を放送。 ** [[10月4日]] - 中部日本放送(現在のCBCラジオ)・[[東海ラジオ放送]]、共同で立体放送開始。 ** [[11月5日]] - [[琉球放送]]がKSAR(日本語)とKSBK(英語)の2波を使って立体放送開始。 * 1960年代中期(時期不明) ** 当時宗教放送局の[[FEBC]]沖縄放送局(後の一般放送局・[[極東放送 (沖縄)|極東放送]]、現・[[エフエム沖縄]])がKSDX(日本語)とKSAB(英語)の2波で立体放送開始。 * [[1965年]][[4月3日]] - 前年に[[NHK-FM放送]]によるステレオ放送が全都道府県で聴けるようになったことを機に、NHKラジオ第1・第2放送はこの日に放送された『夜のステレオ』の最終回を最後に中波2波によるステレオ放送を終了する。 ==== FMステレオ放送 ==== 日本では[[1963年]][[6月25日]]から当時の[[FM東海]]によってこの方式による試験放送が開始される。 日本においてステレオ放送が開始された当初は、[[日本電信電話公社|電電公社]]のステレオ[[放送線|中継回線]]が整備されていなかったため、ステレオでの生放送は東京近辺のごく限られた地域でしか聴取できなかった。ステレオ収録された番組を放送する場合、NHKでは各[[拠点局]]([[NHK札幌放送局|札幌]]、[[NHK仙台放送局|仙台]]、[[NHK放送センター|東京]]、[[NHK金沢放送局|金沢]]、[[NHK名古屋放送局|名古屋]]、[[NHK大阪放送局|大阪]]、[[NHK広島放送局|広島]]、[[NHK松山放送局|松山]]、[[NHK福岡放送局|福岡]])にパッケージテープを送り、各地方局ではテープを流している拠点局の電波を再生する「放送波中継」方式がとられていた。また、[[エフエム東京|FM東京]]をはじめとする民放でもパッケージテープを再生する方式がとられた。 その後、[[1978年]][[10月1日]]からFM放送用のPCMステレオ回線が整備され、パッケージテープの送付が廃止される。[[1980年代]]には全国のNHK及び民放FM局に、PCMステレオ回線設備が導入され、全国でステレオ音声での生放送が聴取できるようになっている。 ===== 沿革 ===== * 1960年8月 - FM東海が、アメリカ・クロスビー研究所が開発したFM-FM方式によるステレオ実験放送を開始(1961年にAM-FM方式が標準ステレオ方式になるまで実施)。 * [[1963年]] ** [[6月25日]] - FM東海が、日本初のAM-FM方式によるステレオ実験放送を開始。 ** [[12月16日]] - NHK東京FM放送局が、AM-FM方式によるステレオ放送を開始。 * [[1964年]] - NHK-FMが全国に放送局を相次いで開局させ(この時に同時にステレオ放送を開始した局も多い)、遂にFMステレオ放送が全都道府県で聴けるようになる。 * [[1969年]]3月1日 - 全国のNHK-FMの本放送開始。 * [[1977年]]12月 - 全国のNHK-FMのローカル放送ステレオ化工事完了。NHK-FMのローカル番組が全局でステレオで放送できるようになる。これに伴い、[[NHK沖縄放送局|NHK沖縄]]のFM放送でもローカル番組のみステレオで聴けるようになる(全国放送はモノラル放送のまま)。 * [[1978年]][[10月1日]] - NHKのFM放送用PCMステレオ回線が東京-名古屋-大阪間で開通し、運用を開始する。 * [[1979年]][[12月24日]] - 全国のNHK-FMの基幹局全てにFM放送用PCMステレオ回線が開通し、運用を開始する。これに伴い、ステレオ放送開始当初から行っていた各基幹局へのパッケージテープの送付が廃止される。 * [[1980年]] - FM民放4局間([[エフエム東京|FM東京]] - [[エフエム愛知|FM愛知]] - [[エフエム大阪|FM大阪]] - [[エフエム福岡|FM福岡]])にFM放送用PCMステレオ回線が開通、運用開始。 * [[1984年]] - NHK沖縄にFM放送用PCMステレオ回線が開通し、同県及び鹿児島県の奄美大島地域がようやく全国放送のFM番組がステレオでの放送が可能になった。 * [[1985年]]頃{{いつ|date=2012年9月}} - 全てのNHK放送局に、FM放送用PCMステレオ回線が導入される。 * [[2010年]]頃{{いつ|date=2012年9月}} - 全てのNHK放送局でこれまで使用していたFM放送用PCMステレオ回線から、AM(ラジオ第1・第2)・FMラジオ共用の光デジタル回線に切換。 ==== AMステレオ放送 ==== {{main|AMステレオ放送}} 日本では1990年代から一部で導入されたが、普及しなかった。 === インターネットを利用した展開 === {{Main|radiko|NHKネットラジオ らじる★らじる|SimulRadio|インターネットラジオ}} インターネット回線を利用して放送や配信を行う。ネット回線の強力さから、日本でも2010年代より有力な聴取手段となっている。 == ラジオメディアの特性 == === テレビとの違い === 室外アンテナが主流のテレビと異なり、受信機に備え付けのアンテナを使った室内での受信が普通なので、受信環境がチャンネル選択に影響を及ぼす。放送区域内だからといって必ずしも全ての局が安定して受信できる訳ではない。そのため、そういった環境下では、チューニングしやすい局がよく聴かれる傾向にある。特に、室内で受信する場合、建物(鉄筋コンクリート等)によって電波が遮られたり電気製品などのノイズを受けたりすることも多く、電波状態の良好な局が好まれる。受信環境は別売りの外部アンテナを使用したり、FMの場合はVHFアンテナを使用し改善できる場合もある(電界強度の弱い地域ではVHFアンテナを使用しても改善できない場合がある。この場合はFM帯域に対応した外部アンテナが必要となる)。ただし、VHFアンテナはアナログテレビ放送の終了にともない、2010年に大手メーカー各社が相次いで生産打ち切りを発表した。 仕事や作業をしながらでも番組を楽しむことができるため、職場やカーラジオなどで聴取されることも多い。首都圏では10:00 - 11:00にテレビの視聴率よりもラジオの聴取率が高くなる。<!--情報はTBSラジオのリクルートページより-->地域・放送内容・機器などの影響により、長時間にわたり1つの局を聴取する傾向のリスナーもいる。番組ごとのスタッフ数は、テレビと比較して少ない<ref>[http://www.econ.kyoto-u.ac.jp/~chousa/WP/j-68.pdf 番組制作における多様な雇用形態 -中堅ラジオ局の事例を中心に-] - 2008年5月 久本憲夫(京都大学大学院経済学研究科 教授)、川島広明(日本民間放送労働組合連合会 近畿地方連合会 執行委員)</ref>。 放送局の選局は、ダイヤルを回してチューニング(いわゆる同調)するタイプが安価なものを中心に多数採用されており、テレビ同様プリセット式で局をボタンで一発選局(いわゆる[[電子チューナー]])できる受信機もある。 短波による国際放送の場合、同じ内容の放送を同時に複数の周波数で放送し、聴取者が最も受信状態の良好な電波を選んで受信できるようにしているのが一般的である。 音声と画像を記録するテレビ番組は予約可能で録画機器が独立/内蔵レコーダー・パソコン・ワンセグ対応機器などとなっているが、音声のみ記録のラジオ番組を予約録音できる商品は[[ラジオカセットレコーダー|ラジカセ・CD/MDラジカセ]]・[[ミニコンポ|コンポ]]・[[ICレコーダー]]・[[ハードディスク・レコーダー|HDDレコーダー]]・パソコン対応機器などの種類がある。また、ラジオ機器と[[タイマー]]・録音可能な機器などの機材を組み合わせて予約録音を行うことも可能であり、録音機器として[[テープレコーダー|カセットデッキ]]や[[MDレコーダー|MDデッキ]]以外にもテープ部分が機械式のラジカセ・ビデオデッキ・DVDレコーダー・HDDレコーダー・パソコン(適切なソフトが必要)が活用できる場合もある。 世界的にテレビがデジタル放送を開始しているのに対して、衛星放送を除きラジオのデジタル化は普及していない。過去に何度か[[デジタルラジオ#地上波による放送|地上波によるデジタルラジオ]]の試験局が開設されているが、多くは実用化に至らないまま放送を終了し、モバイル回線の台頭により必要性も薄れてしまっている。 === 災害耐性 === 送信システムは比較的簡単な構造で、仮に地震などで放送局が破壊されても、肩に担げる程度の大きさの小型送信機から放送することも可能。これを活かし、大規模災害の発生時には[[臨時災害放送局]]が開設されることがあり、[[東日本大震災]]以降、この開局が盛んとなっている。一部のラジオ放送局ではこの特長を利用し、自分以外の局員が全員操作できない状態になっても、1人いれば、全てを遠隔操作して放送が続けられるようになっている。 == ラジオをテーマにした作品 == * 映画 ** [[オレンジロード急行]](1978年) ** [[グッドモーニング, ベトナム]]([[:en:Good Morning, Vietnam]])(1987年) ** [[ラジオ・デイズ]](1987年) ** [[波の数だけ抱きしめて]](1991年) ** [[ラヂオの時間]](1997年)後述の演劇の映画化 ** [[F (エフ)|F(エフ)]](1998年)[[鷺沢萠]]『F 落第生』を元にした映画 民放ラジオ95社企画制作 ** [[FM89.3MHz]](2007年) ** [[引き出しの中のラブレター]](2009年) ** [[パイレーツ・ロック]]([[:en:The Boat That Rocked]])(2009年) ** [[きみの声をとどけたい]](2017年) * 演劇 - [[ラヂオの時間]](1993年初演) * テレビドラマ ** [[ラジオびんびん物語]](1987年) ** [[1242kHz こちらニッポン放送]](2005年) ** [[つばさ (2009年のテレビドラマ)|つばさ]](2009年) ** [[ラジオ (テレビドラマ)|特集ドラマ「ラジオ」]](2013年) ** [[おかえりモネ]](2021年) * 小説 ** [[こちら、FM遊々です!]]([[かんべむさし]])(2001年) ** [[オートリバース]]([[高崎卓馬]])(2019年) *: ラジオそのものを題材としてはいないが、ラジオに関する話題が度々出てくる。翌年に民放ラジオ99局の順次放送でラジオドラマ化。 * 漫画 ** [[D.J一平の青春アングル]]([[あつたゆりこ]])(1979年) ** [[リグ・ログ・ラグ]]([[関口シュン]])(1979年) ** [[とりあえずON AIR]]([[原秀則]])(1983年) ** [[ラジオでGO!]]([[なぐも。]])(2007年 - 2010年) ** [[波よ聞いてくれ]]([[沙村広明]])(2014年 - ) ** [[リクエストをよろしく]]([[河内遙]])(2014年 - 2019年) * 音楽 ** [[放射能 (アルバム)|Radio-Aktivität]]([[クラフトワーク]])(1975年)タイトルはラジオと[[放射能]]を掛けたもの<ref>[http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gota/swmusic/kwerk.htm 片手にラヂヲ♪Kraftwerk]</ref><ref>[[明石政紀]]『ドイツのロック音楽 またはカン、ファウスト、クラフトワーク』 p.139。</ref>。 ** ラジオ([[スティーヴ・ヒレッジ]])(1977年) ** [[ラジオ・スターの悲劇]]([[バグルス]])(1979年) 初期のMTVでヘビーローテーションで流れていた ** [[EPLP#収録曲|トランジスタ・ラジオ]]([[RCサクセション]])(1980年) ** [[悲しきRADIO]]、ラジオ・デイズ([[佐野元春]])(1981年) ** ラヂオ([[ザ・ぼんち]])(1981年) ** [[RADIO GA GA]]([[クイーン (バンド)|クイーン]])(1984年) メンバーの[[ロジャー・テイラー]]がラジオに対する愛着を詞にした曲 ** Radio Magic([[EARTHSHAKER]])(1984年) ** [[壊れかけのRadio]]([[徳永英明]])(1990年) ** [[LOVE WARS (松任谷由実のアルバム)|Valentine's RADIO]]([[松任谷由実]])(1991年) ** [[Hello! Orange Sunshine/RADIO|RADIO]]([[JUDY AND MARY]])(1994年) ** [[ミュージック・アワー]]([[ポルノグラフィティ]])(2000年) パーソナリティーとリスナーの投稿をテーマにした作品 ** [[ラヂオのうた]]([[ビリー・バンバン]])(2008年) ** [[Oh! RADIO]]([[忌野清志郎]]の遺作)(2009年) ** ラジオ([[aiko]])(2011年) == フォネティックコード == [[通話表#和文通話表|和文通話表]]で、「[[ら]]」を送る際に「ラジオのラ」と発声する。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|ラジオ}} {{Sisterlinks|commons=Radio|commonscat=Radio|d=Q872}} * [[ラジオ放送局]] * [[ラジオ放送局の一覧]] * [[ラテ兼営]] * [[ラジオネットワーク]] * [[ラジオ番組]] * [[デジタルラジオ]] * [[鉱石ラジオ]] * [[トランジスタラジオ]] * [[聴取率]] * [[テレビ]] * [[有線ラジオ放送]] * [[深夜放送]] * [[国際放送]] * [[ケーブルテレビ]] * [[インターネットラジオ]] * [[ポッドキャスト]] * [[スマートスピーカー]] * [[ラジオカー]] * [[ラジコン]] * [[フェージング]] * [[AMステレオ対応受信機の歴史]] * [[FM補完中継局]] == 外部リンク == * {{Wayback|url=https://www.nhk.or.jp/archives/search/special/comic/?movie#vol01 |title=ウグイスは鳴かなかった 〜ラジオのはじまり〜 - マンガで読むNHKヒストリー |date=20150927095703}} * {{Kotobank}} {{Telecommunications}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:らしお}} [[Category:ラジオ|*]] [[Category:放送局]] [[Category:家電機器]] [[Category:イギリスの発明]] [[Category:イタリアの発明]] [[Category:マスメディア]] [[Category:コミュニケーション]]
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イントラネット
イントラネット(英語: Intranet)は、組織内におけるプライベートネットワークで、インターネットの機器やプロトコルを利用してコスト削減と利便性の向上を図りつつ、企業内の情報をその中で扱うために必要な防護等の措置が講じられたものである。 イントラネット間の接続は専用線で構築する場合と、インターネット上に仮想の専用線を構築する場合がある。一般的に専用線を用いるケースの方がコストが高いが、セキュリティは強固である。 昨今ではインターネットが普及したこととコスト削減のため、Virtual Private Networkの利用も多い。 インターネットの普及以前は独自のプロトコルや汎用機系のネットワークを使用していた企業内ネットワークにインターネットが導入され始めた頃に、「インターネット」からの転で使われ始めた語である。 当初においては、メーカー毎に独自のプロトコルで行っていたLANやWANにFTPやTCP/IP等インターネットで標準化している通信プロトコルを取り込み、汎用的なハードウェアの導入によるシステム構築の低価格化が目的であった。 導入当初は、メインフレームと言われる汎用コンピュータやオフィスコンピュータ等や端末機と通信機器が高価な専用機であったが、導入の容易な通信機器の分野から導入が始まった。 まず、各コンピュータや端末機がモデルチェンジする際に10BASE等のインターネットで標準化されているインターフェイスを追加することにより通信の為のインターフェイスを共通化させ、他社装置間の通信を容易にし、通信に掛かる開発コストなどを押し下げた。導入当初はパーソナルコンピュータが高価であったため、専用端末を使用していたが、Windows 3.1が登場した付近からパーソナルコンピュータの低価格化が進み、パーソナルコンピュータに専用端末機のエミュレーション機能を盛り込むことなどによって、システムの低価格化を推し進めた。 当初は同一社屋内の汎用コンピュータやオフィスコンピュータ等と端末機間の通信に限られていた。後に、光モデム(専用線仕様)等が登場し、離れた地点同士でイントラネットの環境を使えるようになり、現在のイントラネットとしての形が整った。また、光ファイバーによるトークンリングと呼ばれる高速LAN設備などが登場するなどイントラネット専用機器も増えて行った。 外部からのネットワークへの侵入を嫌うため(事務処理系を除き)通信手段のみの導入に限っていることも多い。そういった場合、いわゆる「物理的な隔離」により、内外の機器間は絶対に直接接続せず、同一の機器は内外のネットワークの必ず片方だけにしか接続しない、という構成とする。
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イントラネットは、組織内におけるプライベートネットワークで、インターネットの機器やプロトコルを利用してコスト削減と利便性の向上を図りつつ、企業内の情報をその中で扱うために必要な防護等の措置が講じられたものである。
{{出典の明記|date=2021年3月}} '''イントラネット'''({{lang-en|Intranet}})は、組織内における[[プライベートネットワーク]]で、[[インターネット]]の機器やプロトコルを利用してコスト削減と利便性の向上を図りつつ、企業内の情報をその中で扱うために必要な防護等の措置が講じられたものである。 == イントラネット間の接続 == イントラネット間の接続は専用線で構築する場合と、インターネット上に仮想の専用線を構築する場合がある。一般的に専用線を用いるケースの方がコストが高いが、セキュリティは強固である。 昨今ではインターネットが普及したこととコスト削減のため、[[Virtual Private Network]]の利用も多い。 == 歴史 == インターネットの普及以前は独自のプロトコルや汎用機系のネットワークを使用していた企業内ネットワークにインターネットが導入され始めた頃に、「インターネット」からの転で使われ始めた語である。 当初においては、メーカー毎に独自のプロトコルで行っていた[[Local Area Network|LAN]]や[[Wide Area Network|WAN]]に[[File Transfer Protocol|FTP]]や[[インターネット・プロトコル・スイート|TCP/IP]]等インターネットで標準化している[[通信プロトコル]]を取り込み、汎用的なハードウェアの導入によるシステム構築の低価格化が目的であった。 導入当初は、メインフレームと言われる[[メインフレーム|汎用コンピュータ]]や[[オフィスコンピュータ]]等や端末機と通信機器が高価な専用機であったが、導入の容易な通信機器の分野から導入が始まった。 まず、各コンピュータや端末機がモデルチェンジする際に10BASE等のインターネットで標準化されているインターフェイスを追加することにより通信の為のインターフェイスを共通化させ、他社装置間の通信を容易にし、通信に掛かる開発コストなどを押し下げた。導入当初は[[パーソナルコンピュータ]]が高価であったため、専用端末を使用していたが、[[Microsoft Windows 3.x|Windows 3.1]]が登場した付近からパーソナルコンピュータの低価格化が進み、パーソナルコンピュータに専用端末機のエミュレーション機能を盛り込むことなどによって、システムの低価格化を推し進めた。 当初は同一社屋内の汎用コンピュータや[[オフィスコンピュータ]]等と端末機間の通信に限られていた。後に、光モデム(専用線仕様)等が登場し、離れた地点同士でイントラネットの環境を使えるようになり、現在のイントラネットとしての形が整った。また、[[光ファイバー]]によるトークンリングと呼ばれる高速LAN設備などが登場するなどイントラネット専用機器も増えて行った。 == 工業系・流通系・金融系のイントラネット == 外部からのネットワークへの侵入を嫌うため(事務処理系を除き)通信手段のみの導入に限っていることも多い。そういった場合、いわゆる「物理的な隔離」により、内外の機器間は絶対に直接接続せず、同一の機器は内外のネットワークの必ず片方だけにしか接続しない、という構成とする。 * オールトヨタイントラネット(ATI) - [[トヨタシステムズ]]が提供する世界最大級の[[トヨタグループ]]各社向けイントラネットワーク * G-Net - [[NTTコムウェア]]が提供する[[NTTグループ]]各社向けイントラネットワーク * [[JNX_(自動車)|JNX]](Japanese automotive Network eXchange) - 自動車産業をはじめとする産業界をつなぐ業界共通ネットワーク ==関連項目== *[[Virtual Private Network]] *[[ネットワーク外部性]] *[[パソコン通信]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:いんとらねつと}} [[Category:コンピュータネットワーク]] [[Category:インターネット接続]] [[Category:英語の語句]]
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ブラウザ
ブラウザもしくはブラウザー(英: browser)は、コンピュータ上の情報を一定の目的に沿って表示し閲覧に供するソフトウェア一般を指す語。ブラウザーを利用し情報を閲覧することをブラウジング(browsing)、ブラウズ(browse)する、のように言う。 原義は興味のあるものを流し読みすること、草食動物が植物の特定の部分を選択的に食べる食性ブラウジング(草食)(英語版)がある。 ブラウジングのことを「拾い読み調査」と呼ぶこともある。browserの語源は、browse という、本や雑誌をあちこち拾い読みする、という動詞からきている。 画像やテキスト、記録媒体上のファイルなど多種多様なブラウザが存在する。閲覧に特化することにより動作を軽快にしえたり、利用者の目的に応じたさまざまな閲覧方法を得られたりする。 基本的にはブラウズする対象に応じて、「画像ブラウザ」「ファイルブラウザ」のように呼ぶ。特に「ウェブブラウザ」(インターネットブラウザ)はブラウザの語を一般化させ、ウェブブラウザのことを単に「ブラウザ」と呼ぶ場合も多々ある。 ウェブブラウザの閲覧形態による呼び方も存在する。タブブラウザは1ウィンドウ内で複数ウェブページの閲覧をタブ切替で実現したものである。テキストブラウザはテキストベースでウェブページを閲覧(ネットサーフィン)する。テキストファイルを閲覧するものはテキストビューワ(ビューワ、ビューア、viewer)と呼んで区別される。
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ブラウザもしくはブラウザーは、コンピュータ上の情報を一定の目的に沿って表示し閲覧に供するソフトウェア一般を指す語。ブラウザーを利用し情報を閲覧することをブラウジング(browsing)、ブラウズ(browse)する、のように言う。 原義は興味のあるものを流し読みすること、草食動物が植物の特定の部分を選択的に食べる食性ブラウジング(草食)がある。 ブラウジングのことを「拾い読み調査」と呼ぶこともある。browserの語源は、browse という、本や雑誌をあちこち拾い読みする、という動詞からきている。
{{出典の明記|date=2010年11月}} '''ブラウザ'''もしくは'''ブラウザー'''({{Lang-en-short|browser}})は、[[コンピュータ]]上の情報を一定の目的に沿って表示し閲覧に供する[[ソフトウェア]]一般を指す語。ブラウザーを利用し情報を[[閲覧]]することを'''ブラウジング'''({{Lang|en|browsing}})、'''ブラウズ'''({{Lang|en|browse}})する、のように言う。 原義は興味のあるものを流し読みすること、[[草食動物]]が植物の特定の部分を選択的に食べる食性{{ill2|ブラウジング(草食)|en|Browsing (herbivory)}}がある。 ブラウジングのことを「'''拾い読み調査'''」と呼ぶこともある。browserの語源は、browse という、本や雑誌をあちこち拾い読みする、という動詞からきている<ref>{{Cite book|和書 | author= bit 編集部 |title= bit 単語帳 | year=1990 | date=1990-8-15 |page=207 |publisher=[[共立出版]]|isbn =4-320-02526-1 }}</ref>。 ==概要== [[画像]]や[[テキストファイル|テキスト]]、[[メディア (媒体)|記録媒体]]上の[[ファイル (コンピュータ)|ファイル]]など多種多様なブラウザが存在する。閲覧に特化することにより動作を軽快にしえたり、利用者の目的に応じたさまざまな閲覧方法を得られたりする。 基本的にはブラウズする対象に応じて、「[[画像ビューア|画像ブラウザ]]」「ファイルブラウザ」のように呼ぶ。特に「[[ウェブブラウザ]]」(インターネットブラウザ)はブラウザの語を一般化させ、ウェブブラウザのことを単に「ブラウザ」と呼ぶ場合も多々ある。 ウェブブラウザの閲覧形態による呼び方も存在する。[[タブブラウザ]]は1[[ウィンドウ]]内で複数[[ウェブページ]]の閲覧を[[タブ (GUI)|タブ]]切替で実現したものである。[[テキストブラウザ]]は[[キャラクタユーザインタフェース|テキストベース]]でウェブページを閲覧([[ネットサーフィン]])する。テキストファイルを閲覧するものは[[テキストビューワ]](ビューワ、ビューア、viewer)と呼んで区別される。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 関連項目 == {{wikt|ブラウザ|閲覧}} * [[ブラウザ (GUI)]] * [[ウェブブラウザ]] ** [[2ちゃんねるブラウザ]] * [[ネットサーフィン]] * [[ユーザーエージェント]] {{Software-stub}} {{デフォルトソート:ふらうさ}} [[Category:コンピュータのユーザインタフェース]] [[de:Browser]]
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振幅変調
振幅変調(しんぷくへんちょう、AM、英語: amplitude modulation・アンプリチュード・モデュレーション)は、変調方式の一つで、情報を搬送波の強弱で伝達する変調方式である。 振幅変調とは、通信変調方式の一つで、主として音声信号からなる情報を、電波や光の波の振幅を変化させることで伝達する。以下の図では、振幅変調により変調された変調波を、縦軸を電圧値[V]、横軸を時間[Sec.]として、時間の関数として説明する。 上図では、音声信号等の変調周波数帯(20Hz〜20kHz)に対し、それを伝送するための搬送波(キャリア、英語: carrier wave)の周波数として、相対的にかなり高い周波数帯(例えば日本の中波放送では526.5kHz~1606.5kHz)を使用するため、搬送波の波形の一部を拡大して表現した。 変調波は、電圧振幅値が正の最大値になると振幅変調波の振幅電圧値が最大になり、逆に、同変調波が負の最大値になると振幅電圧値が最小になる。詳細は理論の項を参照。ここでは、変調波を信号波(送信しようとしている原信号(音声や音楽等))と読み替えてよい。 振幅変調波の周波数成分は、正弦波による搬送波を中心にして、二つの対称な側波帯(英語版)(LSB (Lower Side Band) とUSB (Upper Side Band))で構成されており、振幅変調の電波は、片側の側波帯(LSBのみ、またはUSBのみ)だけを利用することも可能である。 それぞれ搬送波の信号電圧レベルにより、次のように分類することが出来る。 これらの変調方式の電波型式コードの第1文字目は、両側波を用いるものは搬送波の電圧レベルによらずすべて"A"、上側波または下側波のいずれか(単側波)を用いるものは全搬送波であれば"H"、低減搬送波であれば"R"、抑圧搬送波であれば"J"となる。 単に AM または DSB と言えば DSB-WC を指し、SSB と言えば SSB-SC を指すのが普通である。 以下、主要な方式について述べる。 全搬送波両側波帯(単にAM、またはDSB-WC、英語: double sideband with carrier)とは中波放送、短波放送や航空無線に用いられる方式である。 振幅変調方式には、送信機回路構成上、音声信号を電力増幅して終段送信デバイス(真空管、トランジスタ、またはFET)へ電圧振幅を与える大電力変調と、送信機初段デバイスに音声信号の振幅変調をかけた後、リニア増幅器にて必要な送信出力を得る低電力変調がある。 真空管回路では、最終段の真空管高周波アンプに電力増幅した音声信号の振幅電圧を与えるハイジング変調方式、プレート変調方式が使われる。これらの方式は、終段電力増幅真空管のプレート電圧を、変調トランスを介して電力増幅した音声低周波信号で変化させて変調し、高品質な振幅変調波を得ることが比較的容易である。トランジスタ回路では、コレクタ変調方式があり、終段電力増幅トランジスタのコレクタ電圧を、変調トランスを介して電力増幅した音声低周波信号で変化させて変調する。この方式では高周波最終増幅段の電力増幅トランジスタへ変調をかけるため、大きな電力を必要とし、大電力で高品位の変調をかけることが電気回路方式上困難になる。低電力変調にはベース変調や二重平衡変調器(DBM、英語: double balanced mixer)を利用したリング変調方式がある。ベース変調では、トランジスタのベースバイアス電圧点へ低周波電圧信号を入力させて変調をかける。二重平衡変調器 (DBM) は通常 DSB-SC を出力するが、音声信号を入力する端子に直流電流を重畳させると出力に搬送波を出力させる。振幅変調の原理は、音声低周波(ベースバンド)信号を増幅して直流電圧源の電圧振幅を変化させ、搬送波を増幅しているトランジスタのコレクタ電圧を変化させると、搬送波に低周波信号の振幅電圧変化が重畳され、振幅変調波が得られるという仕組みである。ダイオード DBM(ダイオードによる二重平衡変調器)は、送信機初段で振幅変調を行い、その振幅変調信号波をリニア増幅して必要な高周波電力を得るので実現が容易になっている。 抑圧搬送波両側波帯(DSB、英語: double sideband)両側波帯で同じ情報を伝送するもの。AM放送では搬送波の信号レベルをそのまま伝送するが、DSBでは搬送波をキャンセルし、両側波帯のみを伝送する。抑圧搬送波と呼ばれる。 なお、正確にはDSB-SC(英語: DSB with suppressed carrier)と呼ぶべきであるが、日本では単にDSBと省略して呼ぶ慣習がある。全搬送波両側波帯(単にAMと呼ばれることが多い)をDSBと呼ぶこともあるため、注意が必要である。例えば、総務省の文書に見られる「海上用DSB」と呼ばれる無線設備は全搬送波両側波帯である。 変調には平衡変調器が用いられる。DSB (DSB-SC) の場合は両側波帯が存在するが、SSBの受信機で受信可能で、送信機がSSBよりも簡単なことからSSBの代用として用いられることもある。しかし、電波法令上は両側波帯については全搬送波・抑圧搬送波を区別しない(電波型式の表記法を参照)ので、送信電力上で不利な扱いを受ける。FMステレオ放送の副信号がこの形式である。 抑圧搬送波単側波帯(SSB、英語: single sideband)とは情報を片側の側波帯のみで伝送するもの。短波の業務無線やアマチュア無線などで利用される。搬送波よりも上の周波数の側波帯をUSB (Upper Side Band)、下を使うものをLSB (Lower Side Band) という。アマチュア無線を除いては、原則としてUSBを使用する。アマチュア無線局では、7MHz帯以下ではLSB、10MHz帯以上ではUSBを使う慣習になっている。取り違えても法令違反ではないが交信相手がいない。 変調には二重平衡変調器等が用いられる。これは、周波数変換器に使われる回路と同じである。二重平衡変調器には、入力用のポートが2つあり、出力用のポートが1つある。入力用のポート1に搬送波を、ポート2に音声信号を入力すると、出力用のポートから、抑圧搬送波両側波帯 (DSB-SC) で変調された信号が出力される。これは搬送波を含まず、LSBおよびUSBの両側波帯のみが含まれた信号である。これを、クリスタル・フィルタ等の急峻な特性を持つフィルタに入力し、USBまたはLSBの希望の側波帯を得ると、SSBで変調された信号が得られる。これを希望の出力まで増幅すれば SSB送信機ができる。また、クリスタルフィルタを必要としないPSN (Phase Shift Network) 変調方式がある。近年ではPSN変調方式を、マイクロコンピュータのソフトウェアによりアナログ信号をデジタル信号処理する数値演算変調方式が使われている。 SSBは、搬送波増幅の電力を使用としないため、AMより省電力でエネルギー効率が良い。また、同じ距離までの通信であればはるかに少ない電力の送信機で済み、また選択性フェージングの影響を受けにくく、同時に占有周波数帯域が狭くて済む。なお、側波帯だけに着目すれば、AMもSSBも同じものであるため、隣接大出力局の混信を避けるために、SSB受信機で混信がないほうの側波帯だけを受信し、AMの混信を避けることが可能であり、AM放送の受信テクニックとして使われている。 一方、SSBの音声通信は搬送波(キャリア)が無いために、受信機での周波数同調操作がやや難しくなる。また、良好な音調を得るためには受信周波数を数10Hzの単位で微妙な同調を調整しなければならない。SSBは受信周波数の同調点がずれると、音楽を受信する時などに顕著に音調がおかしいように聞こえる。これは送信されたSSB電波に受信機の同調がずれていると復調音の周波数がずれるために起こる。受信周波数を正確に合わせる操作をゼロインと呼ぶ。 残留側波帯(VSB、英語: vestigial sideband)とは帯域幅を節約するため片方の側波帯だけにしたいが、ほぼ直流の成分(搬送波の周波数の直近となる)まで送信する必要があるため、現実的なフィルタの性能から、反対側の側波帯の一部まで送信する方式。アナログテレビジョン放送の映像信号の伝送に用いられる。 カーン方式は、USB、LSBそれぞれの側波帯を左右の音声信号とするもので、independent sideband (ISB) ともいう。米と日では標準としての採用は無かった。 モトローラ方式は、和信号により搬送波を平衡変調した信号と、差信号に25Hzのパイロット信号を加えた信号で直交する搬送波を平衡変調した信号とを合成し、振幅制限したものを搬送波として、和信号で振幅変調する。通常のAMラジオ波としての問題が少ないことから Compatible Quadrature Amplitude Modulation (C-QUAM) という名称がある(QAMの記事も参照)。日米で以前に中波AMラジオ放送のステレオ化がされた際、標準方式として採用された。 振幅変調によるラジオ放送は、主に中波および短波でおこなわれている。ロシアやヨーロッパの一部地域では長波でも行われている。 航空無線では、超短波でも振幅変調を利用している。これは、周波数変調では混信の際に弱い側がかき消されてしまう性質が極めて強いのに対し、振幅変調ではそのまま混信となることが、むしろ航空無線では利点だからである。アマチュア無線では、周波数帯域幅の節約のため、もっぱらSSBが使われているが、バンドプランに余裕のある50MHz帯(6mバンド)などAMも生き残っている。 無線の他、有線電気通信において「搬送」などと呼ばれた初期の多重化の方式もAMによるごく単純なFDMAであった。1960年代に開始された(主に国際電話の)海底ケーブルによる大陸間通信の頃でもAMは用いられており、キャリア周波数を変えて変調を掛けることで、128chの通信を1本の海底ケーブルに収容した。 無線電信で多く使われるのは、いわゆる電波型式のA1である、単なるオン・オフによる搬送波の断続であるが、技術的観点などからはこれを振幅0%と振幅100%の振幅変調であるとみなすこともある(デジタル変調#振幅偏移変調も参照)。振幅変調によって可聴域で電信を行う場合のA2という分類もある(ただし、A2Aによる「可聴変調波を使用するモールス符号電信」には、アマチュア無線ではA1と同様に第三級以上が必要)。 振幅変調波は電気信号として、次のように搬送波、変調波を、時間と電圧に関する三角関数の合成式で表現できる。 搬送波電圧 v c {\displaystyle v_{\mathrm {c} }} は、振幅を V c {\displaystyle V_{\mathrm {c} }} 、搬送波角周波数を ω c ( = 2 π f c ) {\displaystyle \omega _{\mathrm {c} }(=2\pi f_{\mathrm {c} })} とすると、 v c = V c cos ω c t {\displaystyle v_{\mathrm {c} }=V_{\mathrm {c} }\cos \omega _{\mathrm {c} }t} 同様に、信号波電圧 v s {\displaystyle v_{\mathrm {s} }} は、振幅を V s {\displaystyle V_{\mathrm {s} }} 、信号波角周波数を ω s ( = 2 π f s ) {\displaystyle \omega _{\mathrm {s} }(=2\pi f_{\mathrm {s} })} とすると、 v s = V s cos ω s t {\displaystyle v_{\mathrm {s} }=V_{\mathrm {s} }\cos \omega _{\mathrm {s} }t} と表せる。このとき、変調された搬送波振幅 V m {\displaystyle V_{\mathrm {m} }} は、 V m = V c + V s cos ω s t {\displaystyle V_{\mathrm {m} }=V_{\mathrm {c} }+V_{\mathrm {s} }\cos \omega _{\mathrm {s} }t} となり、変調波 v m {\displaystyle v_{\mathrm {m} }} は、 v m = V m cos ω c t = ( V c + V s cos ω s t ) cos ω c t = V c ( 1 + m cos ω s t ) cos ω c t = V c cos ω c t + m V c cos ω s t cos ω c t = V c cos ω c t + m V c 2 [ cos ( ω c + ω s ) t + cos ( ω c − ω s ) t ] {\displaystyle {\begin{aligned}v_{\mathrm {m} }&=V_{\mathrm {m} }\cos \omega _{\mathrm {c} }t\\&=(V_{\mathrm {c} }+V_{\mathrm {s} }\cos \omega _{\mathrm {s} }t)\cos \omega _{\mathrm {c} }t\\&=V_{\mathrm {c} }(1+m\cos \omega _{\mathrm {s} }t)\cos \omega _{\mathrm {c} }t\\&=V_{\mathrm {c} }\cos \omega _{\mathrm {c} }t+mV_{\mathrm {c} }\cos \omega _{\mathrm {s} }t\cos \omega _{\mathrm {c} }t\\&=V_{\mathrm {c} }\cos \omega _{\mathrm {c} }t+{\frac {mV_{\mathrm {c} }}{2}}[\cos(\omega _{\mathrm {c} }+\omega _{\mathrm {s} })t+\cos(\omega _{\mathrm {c} }-\omega _{\mathrm {s} })t]\end{aligned}}} この式において、 m = V s / V c {\displaystyle m=V_{\mathrm {s} }/V_{\mathrm {c} }} は変調度といい、信号波と搬送波の振幅の比と定義する値である。また、 ω c + ω s {\displaystyle \omega _{\mathrm {c} }+\omega _{\mathrm {s} }} を上側波、 ω c − ω s {\displaystyle \omega _{\mathrm {c} }-\omega _{\mathrm {s} }} を下側波という(変調波が複数の周波数を含む場合はそれぞれ上側波帯 (USB)、下側波帯 (LSB) という)。 変調度の値が大きいほど信号波の振幅が大きくなり了解度の良い変調具合になる。ただし100%を超える状態を過変調といい、復調信号の波形が歪み、また実装上は不要波を発生して他の通信に妨害を与えるので、放送では変調度の最大値が厳しく規定されている。 占有帯域幅は、次の式で表される。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "振幅変調(しんぷくへんちょう、AM、英語: amplitude modulation・アンプリチュード・モデュレーション)は、変調方式の一つで、情報を搬送波の強弱で伝達する変調方式である。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "振幅変調とは、通信変調方式の一つで、主として音声信号からなる情報を、電波や光の波の振幅を変化させることで伝達する。以下の図では、振幅変調により変調された変調波を、縦軸を電圧値[V]、横軸を時間[Sec.]として、時間の関数として説明する。", "title": "概念" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "", "title": "概念" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "上図では、音声信号等の変調周波数帯(20Hz〜20kHz)に対し、それを伝送するための搬送波(キャリア、英語: carrier wave)の周波数として、相対的にかなり高い周波数帯(例えば日本の中波放送では526.5kHz~1606.5kHz)を使用するため、搬送波の波形の一部を拡大して表現した。", "title": "概念" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "変調波は、電圧振幅値が正の最大値になると振幅変調波の振幅電圧値が最大になり、逆に、同変調波が負の最大値になると振幅電圧値が最小になる。詳細は理論の項を参照。ここでは、変調波を信号波(送信しようとしている原信号(音声や音楽等))と読み替えてよい。", "title": "概念" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "振幅変調波の周波数成分は、正弦波による搬送波を中心にして、二つの対称な側波帯(英語版)(LSB (Lower Side Band) とUSB (Upper Side Band))で構成されており、振幅変調の電波は、片側の側波帯(LSBのみ、またはUSBのみ)だけを利用することも可能である。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "それぞれ搬送波の信号電圧レベルにより、次のように分類することが出来る。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "これらの変調方式の電波型式コードの第1文字目は、両側波を用いるものは搬送波の電圧レベルによらずすべて\"A\"、上側波または下側波のいずれか(単側波)を用いるものは全搬送波であれば\"H\"、低減搬送波であれば\"R\"、抑圧搬送波であれば\"J\"となる。 単に AM または DSB と言えば DSB-WC を指し、SSB と言えば SSB-SC を指すのが普通である。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "以下、主要な方式について述べる。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "全搬送波両側波帯(単にAM、またはDSB-WC、英語: double sideband with carrier)とは中波放送、短波放送や航空無線に用いられる方式である。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "振幅変調方式には、送信機回路構成上、音声信号を電力増幅して終段送信デバイス(真空管、トランジスタ、またはFET)へ電圧振幅を与える大電力変調と、送信機初段デバイスに音声信号の振幅変調をかけた後、リニア増幅器にて必要な送信出力を得る低電力変調がある。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "真空管回路では、最終段の真空管高周波アンプに電力増幅した音声信号の振幅電圧を与えるハイジング変調方式、プレート変調方式が使われる。これらの方式は、終段電力増幅真空管のプレート電圧を、変調トランスを介して電力増幅した音声低周波信号で変化させて変調し、高品質な振幅変調波を得ることが比較的容易である。トランジスタ回路では、コレクタ変調方式があり、終段電力増幅トランジスタのコレクタ電圧を、変調トランスを介して電力増幅した音声低周波信号で変化させて変調する。この方式では高周波最終増幅段の電力増幅トランジスタへ変調をかけるため、大きな電力を必要とし、大電力で高品位の変調をかけることが電気回路方式上困難になる。低電力変調にはベース変調や二重平衡変調器(DBM、英語: double balanced mixer)を利用したリング変調方式がある。ベース変調では、トランジスタのベースバイアス電圧点へ低周波電圧信号を入力させて変調をかける。二重平衡変調器 (DBM) は通常 DSB-SC を出力するが、音声信号を入力する端子に直流電流を重畳させると出力に搬送波を出力させる。振幅変調の原理は、音声低周波(ベースバンド)信号を増幅して直流電圧源の電圧振幅を変化させ、搬送波を増幅しているトランジスタのコレクタ電圧を変化させると、搬送波に低周波信号の振幅電圧変化が重畳され、振幅変調波が得られるという仕組みである。ダイオード DBM(ダイオードによる二重平衡変調器)は、送信機初段で振幅変調を行い、その振幅変調信号波をリニア増幅して必要な高周波電力を得るので実現が容易になっている。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "抑圧搬送波両側波帯(DSB、英語: double sideband)両側波帯で同じ情報を伝送するもの。AM放送では搬送波の信号レベルをそのまま伝送するが、DSBでは搬送波をキャンセルし、両側波帯のみを伝送する。抑圧搬送波と呼ばれる。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "なお、正確にはDSB-SC(英語: DSB with suppressed carrier)と呼ぶべきであるが、日本では単にDSBと省略して呼ぶ慣習がある。全搬送波両側波帯(単にAMと呼ばれることが多い)をDSBと呼ぶこともあるため、注意が必要である。例えば、総務省の文書に見られる「海上用DSB」と呼ばれる無線設備は全搬送波両側波帯である。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "変調には平衡変調器が用いられる。DSB (DSB-SC) の場合は両側波帯が存在するが、SSBの受信機で受信可能で、送信機がSSBよりも簡単なことからSSBの代用として用いられることもある。しかし、電波法令上は両側波帯については全搬送波・抑圧搬送波を区別しない(電波型式の表記法を参照)ので、送信電力上で不利な扱いを受ける。FMステレオ放送の副信号がこの形式である。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "抑圧搬送波単側波帯(SSB、英語: single sideband)とは情報を片側の側波帯のみで伝送するもの。短波の業務無線やアマチュア無線などで利用される。搬送波よりも上の周波数の側波帯をUSB (Upper Side Band)、下を使うものをLSB (Lower Side Band) という。アマチュア無線を除いては、原則としてUSBを使用する。アマチュア無線局では、7MHz帯以下ではLSB、10MHz帯以上ではUSBを使う慣習になっている。取り違えても法令違反ではないが交信相手がいない。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "変調には二重平衡変調器等が用いられる。これは、周波数変換器に使われる回路と同じである。二重平衡変調器には、入力用のポートが2つあり、出力用のポートが1つある。入力用のポート1に搬送波を、ポート2に音声信号を入力すると、出力用のポートから、抑圧搬送波両側波帯 (DSB-SC) で変調された信号が出力される。これは搬送波を含まず、LSBおよびUSBの両側波帯のみが含まれた信号である。これを、クリスタル・フィルタ等の急峻な特性を持つフィルタに入力し、USBまたはLSBの希望の側波帯を得ると、SSBで変調された信号が得られる。これを希望の出力まで増幅すれば SSB送信機ができる。また、クリスタルフィルタを必要としないPSN (Phase Shift Network) 変調方式がある。近年ではPSN変調方式を、マイクロコンピュータのソフトウェアによりアナログ信号をデジタル信号処理する数値演算変調方式が使われている。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "SSBは、搬送波増幅の電力を使用としないため、AMより省電力でエネルギー効率が良い。また、同じ距離までの通信であればはるかに少ない電力の送信機で済み、また選択性フェージングの影響を受けにくく、同時に占有周波数帯域が狭くて済む。なお、側波帯だけに着目すれば、AMもSSBも同じものであるため、隣接大出力局の混信を避けるために、SSB受信機で混信がないほうの側波帯だけを受信し、AMの混信を避けることが可能であり、AM放送の受信テクニックとして使われている。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "一方、SSBの音声通信は搬送波(キャリア)が無いために、受信機での周波数同調操作がやや難しくなる。また、良好な音調を得るためには受信周波数を数10Hzの単位で微妙な同調を調整しなければならない。SSBは受信周波数の同調点がずれると、音楽を受信する時などに顕著に音調がおかしいように聞こえる。これは送信されたSSB電波に受信機の同調がずれていると復調音の周波数がずれるために起こる。受信周波数を正確に合わせる操作をゼロインと呼ぶ。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "残留側波帯(VSB、英語: vestigial sideband)とは帯域幅を節約するため片方の側波帯だけにしたいが、ほぼ直流の成分(搬送波の周波数の直近となる)まで送信する必要があるため、現実的なフィルタの性能から、反対側の側波帯の一部まで送信する方式。アナログテレビジョン放送の映像信号の伝送に用いられる。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "カーン方式は、USB、LSBそれぞれの側波帯を左右の音声信号とするもので、independent sideband (ISB) ともいう。米と日では標準としての採用は無かった。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "モトローラ方式は、和信号により搬送波を平衡変調した信号と、差信号に25Hzのパイロット信号を加えた信号で直交する搬送波を平衡変調した信号とを合成し、振幅制限したものを搬送波として、和信号で振幅変調する。通常のAMラジオ波としての問題が少ないことから Compatible Quadrature Amplitude Modulation (C-QUAM) という名称がある(QAMの記事も参照)。日米で以前に中波AMラジオ放送のステレオ化がされた際、標準方式として採用された。", "title": "種類" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "振幅変調によるラジオ放送は、主に中波および短波でおこなわれている。ロシアやヨーロッパの一部地域では長波でも行われている。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "航空無線では、超短波でも振幅変調を利用している。これは、周波数変調では混信の際に弱い側がかき消されてしまう性質が極めて強いのに対し、振幅変調ではそのまま混信となることが、むしろ航空無線では利点だからである。アマチュア無線では、周波数帯域幅の節約のため、もっぱらSSBが使われているが、バンドプランに余裕のある50MHz帯(6mバンド)などAMも生き残っている。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "無線の他、有線電気通信において「搬送」などと呼ばれた初期の多重化の方式もAMによるごく単純なFDMAであった。1960年代に開始された(主に国際電話の)海底ケーブルによる大陸間通信の頃でもAMは用いられており、キャリア周波数を変えて変調を掛けることで、128chの通信を1本の海底ケーブルに収容した。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "無線電信で多く使われるのは、いわゆる電波型式のA1である、単なるオン・オフによる搬送波の断続であるが、技術的観点などからはこれを振幅0%と振幅100%の振幅変調であるとみなすこともある(デジタル変調#振幅偏移変調も参照)。振幅変調によって可聴域で電信を行う場合のA2という分類もある(ただし、A2Aによる「可聴変調波を使用するモールス符号電信」には、アマチュア無線ではA1と同様に第三級以上が必要)。", "title": "利用" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "振幅変調波は電気信号として、次のように搬送波、変調波を、時間と電圧に関する三角関数の合成式で表現できる。", "title": "理論" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "搬送波電圧 v c {\\displaystyle v_{\\mathrm {c} }} は、振幅を V c {\\displaystyle V_{\\mathrm {c} }} 、搬送波角周波数を ω c ( = 2 π f c ) {\\displaystyle \\omega _{\\mathrm {c} }(=2\\pi f_{\\mathrm {c} })} とすると、", "title": "理論" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "v c = V c cos ω c t {\\displaystyle v_{\\mathrm {c} }=V_{\\mathrm {c} }\\cos \\omega _{\\mathrm {c} }t}", "title": "理論" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "同様に、信号波電圧 v s {\\displaystyle v_{\\mathrm {s} }} は、振幅を V s {\\displaystyle V_{\\mathrm {s} }} 、信号波角周波数を ω s ( = 2 π f s ) {\\displaystyle \\omega _{\\mathrm {s} }(=2\\pi f_{\\mathrm {s} })} とすると、", "title": "理論" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "v s = V s cos ω s t {\\displaystyle v_{\\mathrm {s} }=V_{\\mathrm {s} }\\cos \\omega _{\\mathrm {s} }t}", "title": "理論" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "と表せる。このとき、変調された搬送波振幅 V m {\\displaystyle V_{\\mathrm {m} }} は、", "title": "理論" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "V m = V c + V s cos ω s t {\\displaystyle V_{\\mathrm {m} }=V_{\\mathrm {c} }+V_{\\mathrm {s} }\\cos \\omega _{\\mathrm {s} }t}", "title": "理論" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "となり、変調波 v m {\\displaystyle v_{\\mathrm {m} }} は、", "title": "理論" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "v m = V m cos ω c t = ( V c + V s cos ω s t ) cos ω c t = V c ( 1 + m cos ω s t ) cos ω c t = V c cos ω c t + m V c cos ω s t cos ω c t = V c cos ω c t + m V c 2 [ cos ( ω c + ω s ) t + cos ( ω c − ω s ) t ] {\\displaystyle {\\begin{aligned}v_{\\mathrm {m} }&=V_{\\mathrm {m} }\\cos \\omega _{\\mathrm {c} }t\\\\&=(V_{\\mathrm {c} }+V_{\\mathrm {s} }\\cos \\omega _{\\mathrm {s} }t)\\cos \\omega _{\\mathrm {c} }t\\\\&=V_{\\mathrm {c} }(1+m\\cos \\omega _{\\mathrm {s} }t)\\cos \\omega _{\\mathrm {c} }t\\\\&=V_{\\mathrm {c} }\\cos \\omega _{\\mathrm {c} }t+mV_{\\mathrm {c} }\\cos \\omega _{\\mathrm {s} }t\\cos \\omega _{\\mathrm {c} }t\\\\&=V_{\\mathrm {c} }\\cos \\omega _{\\mathrm {c} }t+{\\frac {mV_{\\mathrm {c} }}{2}}[\\cos(\\omega _{\\mathrm {c} }+\\omega _{\\mathrm {s} })t+\\cos(\\omega _{\\mathrm {c} }-\\omega _{\\mathrm {s} })t]\\end{aligned}}}", "title": "理論" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "この式において、 m = V s / V c {\\displaystyle m=V_{\\mathrm {s} }/V_{\\mathrm {c} }} は変調度といい、信号波と搬送波の振幅の比と定義する値である。また、 ω c + ω s {\\displaystyle \\omega _{\\mathrm {c} }+\\omega _{\\mathrm {s} }} を上側波、 ω c − ω 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振幅変調は、変調方式の一つで、情報を搬送波の強弱で伝達する変調方式である。
{{出典の明記|date=2015年6月27日 (土) 08:19 (UTC)}} {{変調方式}} '''振幅変調'''(しんぷくへんちょう、AM、{{lang-en|amplitude modulation}}・アンプリチュード・モデュレーション)は、[[変調方式]]の一つで、[[情報]]を[[搬送波]]の強弱で伝達する変調方式である。 == 概念 == 振幅変調とは、通信変調方式の一つで、主として音声信号からなる情報を、[[電波]]や光の波の振幅を変化させることで伝達する。以下の図では、振幅変調により変調された変調波を、縦軸を電圧値[V]、横軸を時間[Sec.]として、時間の関数として説明する。 [[ファイル:Amplitude modulation ja.png]] 上図では、音声信号等の変調周波数帯(20Hz〜20kHz)に対し、それを伝送するための搬送波(キャリア、{{lang-en|carrier wave}})の周波数として、相対的にかなり高い周波数帯(例えば日本の[[中波放送]]では526.5kHz~1606.5kHz)を使用するため、搬送波の波形の一部を拡大して表現した。 変調波は、電圧振幅値が正の最大値になると振幅変調波の振幅電圧値が最大になり、逆に、同変調波が負の最大値になると振幅電圧値が最小になる。詳細は[[振幅変調#理論|理論]]の項を参照。ここでは、変調波を信号波(送信しようとしている原信号([[音声]]や[[音楽]]等))と読み替えてよい。 == 種類 == [[ファイル:AM pattern diagrams.png|thumb|300px|振幅変調のスペクトラム模式図]] 振幅変調波の周波数成分は、[[正弦波]]による搬送波を中心にして、二つの対称な{{仮リンク|側波帯|en|Sideband}}(LSB (Lower Side Band) とUSB (Upper Side Band))で構成されており、振幅変調の電波は、片側の側波帯(LSBのみ、またはUSBのみ)だけを利用することも可能である。 それぞれ搬送波の信号電圧レベルにより、次のように分類することが出来る。 ; 全搬送波 (With Carrier) : 搬送波の信号レベルをそのままで伝送するもの。復調には[[包絡線検波]]が使われることが多い。 : [[総務省|総務]][[省令]][[電波法施行規則]]第2条第1項第67号では、「両側波帯用の受信機で受信可能となるよう搬送波を一定のレベルで送出する電波」と定義している。 : ; 低減搬送波 (Reduced Carrier) : 搬送波の信号レベルをある程度まで落として伝送するもの。 : 電波法施行規則第2条第1項第66号では、「受信側において局部周波数の制御等に利用するため一定のレベルまで搬送波を低減して送出する電波」と定義している。 : ; 抑圧搬送波 (Suppressed Carrier) : 搬送波を全く伝送しないもの。全搬送波よりも小さい送信[[電力]]で同じ伝送特性が得られる。 : 電波法施行規則第2条第1項第65号では、「受信側において利用しないため搬送波を抑圧して送出する電波」と定義している。 これらの変調方式の[[電波型式の表記法|電波型式コード]]の第1文字目は、両側波を用いるものは搬送波の電圧レベルによらずすべて"A"、上側波または下側波のいずれか(単側波)を用いるものは全搬送波であれば"H"、低減搬送波であれば"R"、抑圧搬送波であれば"J"となる。 単に AM または DSB と言えば DSB-WC を指し、SSB と言えば SSB-SC を指すのが普通である<ref name="shin_jokyuham">「新・上級ハムになる本」([[丹羽一夫]]著、[[CQ出版社]]、[[2006年]][[2月1日]]発行、ISBN 4-7898-1168-9) pp. 183-148</ref>。 以下、主要な方式について述べる。 === 全搬送波両側波帯 === [[ファイル:Collector modulation circuit.png|thumb|300px|コレクタ変調の原理]] 全搬送波両側波帯(単にAM、またはDSB-WC、{{lang-en|double sideband with carrier}})とは[[中波放送]]、[[短波放送]]や[[エアバンド|航空無線]]に用いられる方式である。 振幅変調方式には、送信機回路構成上、音声信号を電力増幅して終段送信デバイス(真空管、トランジスタ、またはFET)へ電圧振幅を与える大電力変調と、送信機初段デバイスに音声信号の振幅変調をかけた後、リニア増幅器にて必要な送信出力を得る低電力変調がある。 真空管回路では、最終段の真空管高周波アンプに電力増幅した音声信号の振幅電圧を与えるハイジング変調方式、プレート変調方式が使われる。これらの方式は、終段電力増幅真空管のプレート電圧を、変調トランスを介して電力増幅した音声低周波信号で変化させて変調し、高品質な振幅変調波を得ることが比較的容易である。トランジスタ回路では、コレクタ変調方式があり、終段電力増幅トランジスタのコレクタ電圧を、変調トランスを介して電力増幅した音声低周波信号で変化させて変調する。この方式では高周波最終増幅段の電力増幅トランジスタへ変調をかけるため、大きな電力を必要とし、大電力で高品位の変調をかけることが電気回路方式上困難になる。低電力変調にはベース変調や[[混合器 (ヘテロダイン)#DBM|二重平衡変調器]](DBM、{{lang-en|double balanced mixer}})を利用したリング変調方式がある。ベース変調では、トランジスタのベースバイアス電圧点へ低周波電圧信号を入力させて変調をかける。二重平衡変調器 (DBM) は通常 DSB-SC を出力するが、音声信号を入力する端子に直流電流を重畳させると出力に搬送波を出力させる。振幅変調の原理は、音声低周波(ベースバンド)信号を増幅して直流電圧源の電圧振幅を変化させ、搬送波を増幅しているトランジスタのコレクタ電圧を変化させると、搬送波に低周波信号の振幅電圧変化が重畳され、振幅変調波が得られるという仕組みである。[[混合器 (ヘテロダイン)#ダイオードDBM|ダイオード DBM]](ダイオードによる二重平衡変調器)は、送信機初段で振幅変調を行い、その振幅変調信号波をリニア増幅して必要な高周波電力を得るので実現が容易になっている<ref>{{Cite book|和書 |author=山村英穂 |editor=編者 |title=改訂新版 定本 トロイダル・コア活用百科 |edition=改訂新版 |date=2006-12-15 |publisher=CQ出版社 |location=東京都豊島区 |series=定本シリーズ |language=日本語 |isbn=978-4-7898-3067-6 |pages=p.285 |chapter=第7.2章 }}</ref>。 === 抑圧搬送波両側波帯 === [[ファイル:DSB_wave-form.png|thumb|300px|DSB-SC]] [[ファイル:Balanced-moulator.png|thumb|300px|'''平衡変調の原理''']] 抑圧搬送波両側波帯(DSB、{{lang-en|double sideband}})両側波帯で同じ情報を伝送するもの。[[AM放送]]では搬送波の信号レベルをそのまま伝送するが、DSBでは搬送波をキャンセルし、両側波帯のみを伝送する。抑圧搬送波と呼ばれる。 なお、正確にはDSB-SC({{lang-en|DSB with suppressed carrier}})と呼ぶべきであるが、日本では単にDSBと省略して呼ぶ慣習がある。全搬送波両側波帯(単にAMと呼ばれることが多い)をDSBと呼ぶこともあるため、注意が必要である。例えば、総務省の文書に見られる「海上用DSB」と呼ばれる無線設備は全搬送波両側波帯である。 変調には平衡変調器が用いられる。DSB (DSB-SC) の場合は両側波帯が存在するが、SSBの受信機で受信可能で、[[送信機]]がSSBよりも簡単なことからSSBの代用として用いられることもある。しかし、[[電波法]]令上は両側波帯については全搬送波・抑圧搬送波を区別しない([[電波型式の表記法]]を参照)ので、送信電力上で不利な扱いを受ける。FMステレオ放送の副信号がこの形式である。 === 抑圧搬送波単側波帯 === [[ファイル:USB pattern diagrams.png|thumb|300px|SSB ('''USB''') のスペクトラム模式図]] [[ファイル:LSB pattern diagrams.png|thumb|300px|SSB ('''LSB''') のスペクトラム模式図]] 抑圧搬送波単側波帯(SSB、{{lang-en|single sideband}})とは情報を片側の側波帯のみで伝送するもの。短波の[[業務無線]]や[[アマチュア無線]]などで利用される。搬送波よりも上の周波数の側波帯を'''USB''' ({{lang|en|Upper Side Band}})、下を使うものを'''LSB''' ({{lang|en|Lower Side Band}}) という。アマチュア無線を除いては、原則としてUSBを使用する。[[アマチュア無線局]]では、7MHz帯以下ではLSB、10MHz帯以上ではUSBを使う慣習になっている。取り違えても法令違反ではないが交信相手がいない。 変調には[[混合器 (ヘテロダイン)#DBM|二重平衡変調器]]等が用いられる。これは、周波数変換器に使われる回路と同じである。二重平衡変調器には、入力用のポートが2つあり、出力用のポートが1つある。入力用のポート1に搬送波を、ポート2に音声信号を入力すると、出力用のポートから、抑圧搬送波両側波帯 (DSB-SC) で変調された信号が出力される。これは搬送波を含まず、LSBおよびUSBの両側波帯のみが含まれた信号である。これを、クリスタル・フィルタ等の急峻な特性を持つフィルタに入力し、USBまたはLSBの希望の側波帯を得ると、SSBで変調された信号が得られる。これを希望の出力まで増幅すれば SSB送信機ができる。また、クリスタルフィルタを必要としないPSN (Phase Shift Network) 変調方式がある。近年ではPSN変調方式を、マイクロコンピュータのソフトウェアによりアナログ信号をデジタル信号処理する数値演算変調方式が使われている{{efn|現在、Software Defined Radioとして広く使われている。}}。 SSBは、搬送波増幅の電力を使用としないため、AMより省電力でエネルギー効率が良い。また、同じ距離までの通信であればはるかに少ない電力の送信機で済み、また選択性フェージングの影響を受けにくく、同時に占有周波数帯域が狭くて済む。なお、側波帯だけに着目すれば、AMもSSBも同じものであるため、隣接大出力局の混信を避けるために、SSB受信機で混信がないほうの側波帯だけを受信し、AMの混信を避けることが可能であり、AM放送の受信テクニックとして使われている。 一方、SSBの音声通信は搬送波(キャリア)が無いために、受信機での周波数同調操作がやや難しくなる。また、良好な音調を得るためには受信周波数を数10Hzの単位で微妙な同調を調整しなければならない。SSBは受信周波数の同調点がずれると、音楽を受信する時などに顕著に音調がおかしいように聞こえる。これは送信されたSSB電波に受信機の同調がずれていると復調音の周波数がずれるために起こる。受信周波数を正確に合わせる操作をゼロインと呼ぶ。 * SSBでは、占有周波数帯域が狭いという利点を生かすため、伝送帯域を狭く設定している。 * 数MHzの[[中間周波数]]において、数100Hz離れた側波帯の片側だけを消去するような特性が非常にシビアな[[フィルタ回路]]が要求されるため、振幅や位相などについて良好な特性を持つフィルタ回路を作ることが困難である{{efn|現代では中間周波数増幅器を使用しないダイレクトコンバージョン方式へ回路構成が変化してきている。また従来は実現が困難であった高性能フィルタも、マイコンとソフトウェアによる信号処理(FIR,IIRフィルタ)で再現性よく実現されている。}}。 * 抑圧搬送波には搬送波の情報が含まれていないので、送信信号と等しい<!--周波数特性-->[[スペクトル]]を持つ受信信号を得ることは困難である。最終的には、原音と同じ音質になるよう、人間の聴感で周波数を合わせることになる。<!--([[アマチュア無線]]家には特にこの技に優れた人が多い)--> * SSB受信時の受信信号強度の変化を補正するにはAGC([[自動利得制御]])を使うが、搬送波が無いためAGCの基準になるものは、例えば音声通信の場合は、音声のエンベロープを基準にAGCが動作する。そのため、大きな声も小さな声も同じ大きさの声になるほか、無音時は受信ゲインが最大となり、耳障りな雑音が出力される{{efn|現代では微小な受信信号から大変強い電界強度の受信でも歪みを起こさないダイナミックレンジが非常に広い受信機が実現されており、さらに信号処理によるノイズ除去処理、SSBでのスケルチ動作も可能になっている。}}。 * 変調に使う搬送波と復調に使う搬送波が異なるため、搬送波のC/Nが悪いと(残留FM成分が多いと)瞬時的に搬送周波数が変動することとなり、復調音声の品質が損なわれる{{efn|現代ではデバイス技術の進歩により、高品位C/Nで周波数が極めて安定した発信器が実現されているため、この問題は解決されている。}}。 * SSBは、FMのようにチャネルで区切って隣接チャネルとの間に十分なガードバンドを設けて使うということをしないため、隣接した周波数で行われる通信が雑音となって可聴周波数に落ち込んできて、耳障りとなる{{efn|SSB運用はアマチュア無線では7MHz帯が最も運用者が多く混信が多い時代もあったが、現在ではそうした混信は少ない。}}。 === 残留側波帯 === 残留側波帯(VSB、{{lang-en|vestigial sideband}})とは帯域幅を節約するため片方の側波帯だけにしたいが、ほぼ直流の成分(搬送波の周波数の直近となる)まで送信する必要があるため、現実的なフィルタの性能から、反対側の側波帯の一部まで送信する方式。アナログ[[テレビジョン放送]]の映像信号の伝送に用いられる。 === AMステレオの方式 === {{seealso|AMステレオ放送}} ==== カーン方式 ==== カーン方式は、USB、LSBそれぞれの側波帯を左右の音声信号とするもので、independent sideband (ISB) ともいう。米と日では標準としての採用は無かった。 ==== モトローラ方式 ==== モトローラ方式は、和信号により搬送波を平衡変調した信号と、差信号に25Hzのパイロット信号を加えた信号で直交する搬送波を平衡変調した信号とを合成し、振幅制限したものを搬送波として、和信号で振幅変調する。通常のAMラジオ波としての問題が少ないことから Compatible Quadrature Amplitude Modulation (C-QUAM) という名称がある([[QAM]]の記事も参照)。日米で以前に中波AMラジオ放送のステレオ化がされた際、標準方式として採用された。 ==== その他 ==== * ハリス方式 (VCPM) * マグナボックス方式 (AM-PM) - [[米国]]で一度、標準方式に仮決定されたが、他方式も認可され、結局は市場淘汰された。 * ベラー方式 (AM-FM) == 利用 == === 放送 === 振幅変調による[[ラジオ放送]]は、主に[[中波]]および[[短波]]でおこなわれている。[[ロシア]]や[[ヨーロッパ]]の一部地域では[[長波]]でも行われている。 * それぞれ、[[中波放送]]と[[短波放送]]の記事を参照。長波放送については[[長波#長波放送]]を参照。 * アナログ[[テレビジョン放送]]の映像信号に、前述の残留側波帯方式が使われている。 === 通信 === [[航空無線]]では、[[超短波]]でも振幅変調を利用している。これは、周波数変調では[[混信]]の際に弱い側がかき消されてしまう性質が極めて強いのに対し、振幅変調ではそのまま混信となることが、むしろ航空無線では利点だからである。[[アマチュア無線]]では、周波数帯域幅の節約のため、もっぱらSSBが使われているが、バンドプランに余裕のある50MHz帯(6mバンド)などAMも生き残っている。 無線の他、有線電気通信において「搬送」などと呼ばれた初期の多重化の方式もAMによるごく単純な[[周波数分割多元接続|FDMA]]であった。1960年代に開始された(主に[[国際電話]]の)[[海底ケーブル]]による[[大陸間通信]]の頃でもAMは用いられており、キャリア周波数を変えて変調を掛けることで、128chの通信を1本の海底ケーブルに収容した。 === 電信 === 無線電信で多く使われるのは、いわゆる電波型式のA1である、単なるオン・オフによる搬送波の断続であるが、技術的観点などからはこれを振幅0%と振幅100%の振幅変調であるとみなすこともある([[デジタル変調#振幅偏移変調]]も参照){{efn|無限長の無変調波(N0)以外では、単なる断続であってもスペクトルとしては搬送波以外の帯域の信号も厳密には発生するといったこともあり、規定ではA1も「両側波帯あり」という分類になる。}}。振幅変調によって可聴域で電信を行う場合のA2という分類もある(ただし、A2Aによる「可聴変調波を使用するモールス符号電信」には、アマチュア無線ではA1と同様に第三級以上が必要)。 == 理論 == 振幅変調波は電気信号として、次のように搬送波、変調波を、時間と電圧に関する三角関数の合成式で表現できる<ref name="elec-1">沖村浩史・高橋清 『エレクトロニクス概論』 pp.106-108、[[裳華房]]、1999年</ref><ref name="elec-2">桜庭一郎・大塚敏ほか 『基礎電気・電子工学シリーズ3 電子回路』 pp.145-148、[[森北出版]]、1994年</ref>。 搬送波電圧<math>v_\mathrm{c}</math>は、振幅を<math>V_\mathrm{c}</math>、搬送波角周波数を<math>\omega_\mathrm{c}(=2\pi f_\mathrm{c})</math>とすると、 {{Indent|<math>v_\mathrm{c} = V_\mathrm{c}\cos \omega_\mathrm{c}t</math>}} 同様に、信号波電圧<math>v_\mathrm{s}</math>は、振幅を<math>V_\mathrm{s}</math>、信号波角周波数を<math>\omega_\mathrm{s}(=2\pi f_\mathrm{s})</math>とすると、 {{Indent|<math>v_{\mathrm{s}} = V_\mathrm{s}\cos \omega_\mathrm{s}t</math>}} と表せる。このとき、変調された搬送波振幅<math>V_\mathrm{m}</math>は、 {{Indent|<math>V_\mathrm{m} = V_\mathrm{c} + V_\mathrm{s} \cos \omega_\mathrm{s}t</math>}} となり、変調波<math>v_\mathrm{m}</math>は、 {{Indent|<math> \begin{align} v_\mathrm{m} & = V_\mathrm{m}\cos \omega_\mathrm{c}t \\ & = (V_\mathrm{c} +V_\mathrm{s} \cos \omega_\mathrm{s}t ) \cos \omega_\mathrm{c}t \\ & = V_\mathrm{c} ( 1 +m\cos \omega_\mathrm{s}t ) \cos \omega_\mathrm{c}t \\ & = V_\mathrm{c} \cos \omega_\mathrm{c}t +mV_\mathrm{c}\cos \omega_\mathrm{s}t \cos \omega_\mathrm{c}t \\ & = V_\mathrm{c} \cos \omega_\mathrm{c}t + \frac{mV_\mathrm{c}}{2} [ \cos ( \omega_\mathrm{c} + \omega_\mathrm{s} )t + \cos ( \omega_\mathrm{c} - \omega_\mathrm{s} )t] \end{align} </math>}} この式において、<math>m = V_\mathrm{s} / V_\mathrm{c}</math>は変調度といい、信号波と搬送波の振幅の比と定義する値である。また、<math>\omega_\mathrm{c} + \omega_\mathrm{s}</math>を上側波、<math>\omega_\mathrm{c} - \omega_\mathrm{s}</math>を下側波という(変調波が複数の周波数を含む場合はそれぞれ上側波帯 (USB)、下側波帯 (LSB) という)。 変調度の値が大きいほど信号波の振幅が大きくなり了解度の良い変調具合になる。ただし100%を超える状態を'''過変調'''といい、復調信号の波形が歪み、<!--占有帯域幅が増加して--><!-- ← 数式的には占有帯域幅は増加しない -->また実装上は不要波を発生して他の通信に妨害を与えるので、放送では変調度の最大値が厳しく規定されている。 [[占有帯域幅]]は、次の式で表される。 * 両側波帯 (DSB) ** <math>BW = (f_{\mathrm{c}} + f_{\mathrm{s}}) - (f_{\mathrm{c}} - f_{\mathrm{s}}) = 2f_{\mathrm{s}}\,</math> * 単側波帯 (SSB) ** <math>BW = f_{\mathrm{s}}\,</math> *** <math>BW</math> :占有帯域幅 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ===注釈=== {{notelist}} ===出典=== {{Reflist}} == 関連項目 == * [[変調方式]] * [[AMステレオ放送]] * [[デジタル変調]] * [[デジタル・ラジオ・モンディエール]] * [[レジナルド・フェッセンデン]] {{DEFAULTSORT:しんふくへんちよう}} [[Category:変調方式]] [[Category:無線]]
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周波数変調
周波数変調(しゅうはすうへんちょう、FM、英語: frequency modulation・フリクエンシー・モデュレーション)とは、情報を搬送波の周波数の変化で伝達する変調方式である。 FMラジオ放送、アマチュア無線、業務無線(航空交通管制を除く。航空交通管制では振幅変調が利用されている)、アナログテレビジョン放送の音声信号(FMラジオの受信機でも聴くことができたのはこのため)などに広く利用される。 周波数変調では、情報を表す信号電圧によって搬送波の周波数を上下に変移させる。結果として、搬送波の疎密によって信号が表されることになる。図の例では、信号電圧最大で搬送波周波数を最も高く、最低で周波数を最も低くなるようにしているが、信号の変化方向と周波数の変化方法は逆でも良い。搬送波の周波数が無変調時から信号によって変化した変化分を周波数偏移という。 もともと真空管をリアクタンス管として用いてきたが、トランジスタの発明以降は、発振周波数を電圧で制御できる発振器、すなわち電圧制御発振器(VCO)の制御電圧に変調信号を加えることによりFM変調波が得られる方法が主流。復調は、共振回路のスロープ特性を利用した周波数弁別器(ディスクリミネータ)が用いられることが多い。他に、受信信号をPLL回路の比較入力信号として入力し、PLL回路内のVCO制御電圧の変化を復調出力とする方法もある。→変調方式・復調方式 FMは、単に発振器の周波数を変化させるだけなので、送信電力の変動がない。つまり、常に最大電力であり電力が弱くなる瞬間がない。また、受信はAGCを使わないでリミッタで飽和増幅するため、振幅成分は完全に失われる。これらの理由により、同一の搬送波周波数の強い信号を受信した場合、弱い信号は強い信号によって隠されてしまう(マスキング)ため、存在が確認できなくなる。これを弱肉強食特性と言う(一般にFMが多用されるVHF帯であるが、地上の航空管制官と上空の飛行機との間で通信する航空無線が「あえて振幅変調を使っている」のは、この特性により、無線通信が不可能になるのを防ぐためである)。技術者やアマチュア無線家の間で一般に広く使われている専門用語(ジャーゴン)である。 一般の無線通信では、通信中に被ってくる弱い信号は「有害な混信」と見なされるので、完全に排除できることが望ましい。FM受信機では、コチャンネル特性(英語: cochannel selectivity:同一チャネル選択度)という指標で排除能力を示す。 V c = V c m cos ω c t = V c m cos 2 π f c t {\displaystyle V_{\mathrm {c} }=V_{\mathrm {cm} }\cos \omega _{\mathrm {c} }t=V_{\mathrm {cm} }\cos 2\pi f_{\mathrm {c} }t\,} V s = V s m cos ω s t = V s m cos 2 π f s t {\displaystyle V_{\mathrm {s} }=V_{\mathrm {sm} }\cos \omega _{\mathrm {s} }t=V_{\mathrm {sm} }\cos 2\pi f_{\mathrm {s} }t\,} ただし、 V c {\displaystyle V_{\mathrm {c} }} : 搬送波, V c m {\displaystyle V_{\mathrm {cm} }} : 搬送波最大値, f c {\displaystyle f_{\mathrm {c} }} : 中心周波数(搬送波周波数) V s {\displaystyle V_{\mathrm {s} }} : 信号波, V s m {\displaystyle V_{\mathrm {sm} }} : 信号波最大値, f s {\displaystyle f_{\mathrm {s} }} : 信号波周波数 とするとき、被変調波は以下のように表される。 V m = V c m sin θ m {\displaystyle V_{\mathrm {m} }=V_{\mathrm {cm} }\sin \theta _{\mathrm {m} }\,} 被変調波位相角は信号波により変化するので時間積分すると次のようになる。 θ m = ∫ 0 t ω m d t = ω c t + Δ ω ω s sin ω s t {\displaystyle \theta _{\mathrm {m} }=\int _{0}^{t}\omega _{\mathrm {m} }\ dt=\omega _{\mathrm {c} }t+{\frac {\Delta \omega }{\omega _{\mathrm {s} }}}\sin \omega _{\mathrm {s} }t\,} V m = V c m sin θ m = V c m sin { ω c t + Δ ω ω s sin ω s t } = V c m sin ( ω c t + m sin ω s t ) {\displaystyle {\begin{aligned}V_{\mathrm {m} }&=V_{\mathrm {cm} }\sin \theta _{\mathrm {m} }=V_{\mathrm {cm} }\sin \left\{\omega _{\mathrm {c} }t+{\frac {\Delta \omega }{\omega _{\mathrm {s} }}}\sin \omega _{\mathrm {s} }t\right\}\\&=V_{\mathrm {cm} }\sin(\omega _{\mathrm {c} }t+m\sin \omega _{\mathrm {s} }t)\\\end{aligned}}} ただし、 ω m = ω c + Δ ω cos ω s t {\displaystyle \omega _{\mathrm {m} }=\omega _{\mathrm {c} }+\Delta \omega \cos \omega _{\mathrm {s} }t\,} f m = f c + Δ f cos 2 π f s t {\displaystyle f_{\mathrm {m} }=f_{\mathrm {c} }+\Delta f\cos 2\pi f_{\mathrm {s} }t\,} ω m {\displaystyle \omega _{\mathrm {m} }} : 被変調波角周波数, f m {\displaystyle f_{\mathrm {m} }} : 被変調波周波数, Δ f {\displaystyle \Delta f} : 最大周波数偏移, V m {\displaystyle V_{\mathrm {m} }} : 被変調波, θ m {\displaystyle \theta _{\mathrm {m} }} : 被変調波位相角 m = ( Δ ω / ω s ) = ( Δ f / f s ) {\displaystyle m=(\Delta \omega /\omega _{\mathrm {s} })=(\Delta f/f_{\mathrm {s} })} m {\displaystyle m} : 変調指数 この変調波の周波数軸上のスペクトルはベッセル関数によって表現される。 また、占有帯域幅、最大周波数偏移は次のように表される。 B W = 2 f s m ( m + 1 ) {\displaystyle BW=2f_{\mathrm {sm} }(m+1)} Δ f = m f s m {\displaystyle \Delta f=mf_{\mathrm {sm} }} B W {\displaystyle BW} : 占有帯域幅, Δ f {\displaystyle \Delta f} : 最大周波数偏移, f s m {\displaystyle f_{\mathrm {sm} }} : 信号波の最大周波数, m {\displaystyle m} : 変調指数 さらに、変調指数が1未満程度の場合において、95%以上の電力が存在する占有帯域幅は次のカーソンの式で近似的に表される。 B W = 2 ( Δ f + f s m ) {\displaystyle BW=\ 2(\Delta f+f_{\mathrm {sm} })} この近似式で計算した占有帯域幅を、真の占有帯域幅と区別してカーソン帯域という。 FMの歴史は1933年12月26日にアメリカのエドウィン・アームストロングが周波数変調の特許を取得して始まった。アームストロングは1937年には世界初のFMラジオ放送局W2XMNを開設して放送を行った。 事業として初のFMラジオ放送は1941年開局のテネシー州ナッシュビルのWSM-FMで、初の民間放送でもある。 1961年には連邦通信委員会(FCC)がFMラジオのステレオ技術を規格化して数百のFMラジオ局が開局。連邦通信委員会(FCC)は1966年にはFMラジオの放送内容をAMラジオと分離することを決定し、FMラジオ放送の聴取者が増えるきっかけとなった。 日本ではFM技術による音声放送はテレビ放送の音声部分の放送が先行する形になり1953年に放送開始した。世界的にはFM音声放送は88-108Mc(当初は90-100Mc)を使用しているが、日本国内のFMのバンドについては、当初は60-68Mcおよび87-90Mcが割り当てられた。テレビのチャンネルプランの1から3チャンネルが、駐留米軍の使用帯域との競合や放送会社間の様々の問題が原因でこの帯域に割り当てられたため、日本独自の帯域となった。当初のバンドは3Mcと狭すぎたため、後に80-90Mcに拡大された。(なお60-68Mcは現在は防災無線などで使用されている。) 日本国内のFMラジオの実験放送はNHKにより1957年12月24日にNHK千代田送信所のテレビ用鉄塔を利用し周波数87.3Mc、空中線電力1kWで行われたのが最初である。 NHKは1957年に大阪でもFMラジオの実験放送を開始した。 1957年にはFMラジオ放送免許申請が多くの民間の放送事業者・新聞社・宗教法人などから行われ、翌1958年4月には学校法人東海大学に対して実験局の予備免許が交付され、JS2AOのコールサインで1958年12月26日に開局し、周波数は86.5Mcで、渋谷区富ヶ谷の東海大学校舎屋上のアンテナから送信された。これが日本で最初の民間ラジオ放送のFM局、FM東海(現東京FM)の始まりとなった。1960年3月にはFM東海に実用化試験局の予備免許が交付された。 モノラル放送との互換性を保つため、和差方式が一般的に用いられる。この和差方式は、FMステレオ受信機を用いればステレオを聞くことができ、ステレオに対応していないFM受信機では、右・左の和であるモノラル音声のみを再生するので互換性が保たれる。主信号を左右の和であるL+R信号とし、副信号は可聴周波数よりも十分に高く設定した副搬送波を差信号のL-R信号で変調したものとする。この主信号と副信号とを合成したコンポジット信号で放送の主搬送波(基本搬送波)を変調する。モノラルの受信機しか有さない場合、主信号のL+R信号のみを再生すれば左右の偏らない放送を聞くことができる。ステレオを再生する場合、主信号のL+Rと副信号のL-Rの両方を再生した後、それぞれの和と差を取れば、(L+R)+(L-R)=2L、(L+R)-(L-R)=2R、となり、左右の信号が再生される。FMステレオ放送の場合、副搬送波を振幅変調するか周波数変調するかにより方式が異なってくる。 第二音声または差信号で副搬送波を周波数変調した信号とパイロット信号とを主信号または和信号に多重して周波数変調するもので、日本におけるテレビの音声多重放送(二か国語音声・ステレオ音声)方式として用いられている。ステレオの再生方法は和差方式である。
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"FMは、単に発振器の周波数を変化させるだけなので、送信電力の変動がない。つまり、常に最大電力であり電力が弱くなる瞬間がない。また、受信はAGCを使わないでリミッタで飽和増幅するため、振幅成分は完全に失われる。これらの理由により、同一の搬送波周波数の強い信号を受信した場合、弱い信号は強い信号によって隠されてしまう(マスキング)ため、存在が確認できなくなる。これを弱肉強食特性と言う(一般にFMが多用されるVHF帯であるが、地上の航空管制官と上空の飛行機との間で通信する航空無線が「あえて振幅変調を使っている」のは、この特性により、無線通信が不可能になるのを防ぐためである)。技術者やアマチュア無線家の間で一般に広く使われている専門用語(ジャーゴン)である。", "title": "弱肉強食特性" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "一般の無線通信では、通信中に被ってくる弱い信号は「有害な混信」と見なされるので、完全に排除できることが望ましい。FM受信機では、コチャンネル特性(英語: cochannel selectivity:同一チャネル選択度)という指標で排除能力を示す。", "title": "弱肉強食特性" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "V c = V c m cos ω c t = V c m cos 2 π f c t {\\displaystyle V_{\\mathrm {c} }=V_{\\mathrm {cm} }\\cos \\omega _{\\mathrm {c} }t=V_{\\mathrm {cm} }\\cos 2\\pi f_{\\mathrm {c} }t\\,}", "title": "理論" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "V s = V s m cos ω s t = V s m cos 2 π f s t {\\displaystyle V_{\\mathrm {s} }=V_{\\mathrm {sm} }\\cos \\omega _{\\mathrm {s} }t=V_{\\mathrm {sm} }\\cos 2\\pi f_{\\mathrm {s} 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"日本ではFM技術による音声放送はテレビ放送の音声部分の放送が先行する形になり1953年に放送開始した。世界的にはFM音声放送は88-108Mc(当初は90-100Mc)を使用しているが、日本国内のFMのバンドについては、当初は60-68Mcおよび87-90Mcが割り当てられた。テレビのチャンネルプランの1から3チャンネルが、駐留米軍の使用帯域との競合や放送会社間の様々の問題が原因でこの帯域に割り当てられたため、日本独自の帯域となった。当初のバンドは3Mcと狭すぎたため、後に80-90Mcに拡大された。(なお60-68Mcは現在は防災無線などで使用されている。)", "title": "FM放送" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "日本国内のFMラジオの実験放送はNHKにより1957年12月24日にNHK千代田送信所のテレビ用鉄塔を利用し周波数87.3Mc、空中線電力1kWで行われたのが最初である。 NHKは1957年に大阪でもFMラジオの実験放送を開始した。", "title": "FM放送" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1957年にはFMラジオ放送免許申請が多くの民間の放送事業者・新聞社・宗教法人などから行われ、翌1958年4月には学校法人東海大学に対して実験局の予備免許が交付され、JS2AOのコールサインで1958年12月26日に開局し、周波数は86.5Mcで、渋谷区富ヶ谷の東海大学校舎屋上のアンテナから送信された。これが日本で最初の民間ラジオ放送のFM局、FM東海(現東京FM)の始まりとなった。1960年3月にはFM東海に実用化試験局の予備免許が交付された。", "title": "FM放送" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "モノラル放送との互換性を保つため、和差方式が一般的に用いられる。この和差方式は、FMステレオ受信機を用いればステレオを聞くことができ、ステレオに対応していないFM受信機では、右・左の和であるモノラル音声のみを再生するので互換性が保たれる。主信号を左右の和であるL+R信号とし、副信号は可聴周波数よりも十分に高く設定した副搬送波を差信号のL-R信号で変調したものとする。この主信号と副信号とを合成したコンポジット信号で放送の主搬送波(基本搬送波)を変調する。モノラルの受信機しか有さない場合、主信号のL+R信号のみを再生すれば左右の偏らない放送を聞くことができる。ステレオを再生する場合、主信号のL+Rと副信号のL-Rの両方を再生した後、それぞれの和と差を取れば、(L+R)+(L-R)=2L、(L+R)-(L-R)=2R、となり、左右の信号が再生される。FMステレオ放送の場合、副搬送波を振幅変調するか周波数変調するかにより方式が異なってくる。", "title": "FMステレオ方式" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "第二音声または差信号で副搬送波を周波数変調した信号とパイロット信号とを主信号または和信号に多重して周波数変調するもので、日本におけるテレビの音声多重放送(二か国語音声・ステレオ音声)方式として用いられている。ステレオの再生方法は和差方式である。", "title": "FMステレオ方式" } ]
周波数変調とは、情報を搬送波の周波数の変化で伝達する変調方式である。 FMラジオ放送、アマチュア無線、業務無線(航空交通管制を除く。航空交通管制では振幅変調が利用されている)、アナログテレビジョン放送の音声信号(FMラジオの受信機でも聴くことができたのはこのため)などに広く利用される。
{{出典の明記|date=2014年11月}} {{変調方式}} '''周波数変調'''(しゅうはすうへんちょう、'''FM'''、{{lang-en|frequency modulation}}・フリクエンシー・モデュレーション)とは、[[情報]]を[[搬送波]]の[[周波数]]の変化で伝達する[[変調方式]]である。 [[#FM放送|FMラジオ放送]]、[[アマチュア無線]]、[[業務無線]]([[航空交通管制]]を除く。航空交通管制では[[振幅変調]]が利用されている)、アナログ[[テレビジョン放送]]の音声信号(FMラジオの受信機でも聴くことができたのはこのため)などに広く利用される。 == 概要 == [[ファイル:Fm-waveform.png|thumb|200px|right|'''FM変調の各波形''' 上:変調前の搬送波、中:変調に用いる信号波、下:送信波]] 周波数変調では、情報を表す信号電圧によって搬送波の周波数を上下に変移させる。結果として、搬送波の疎密によって信号が表されることになる。図の例では、信号電圧最大で搬送波周波数を最も高く、最低で周波数を最も低くなるようにしているが、信号の変化方向と周波数の変化方法は逆でも良い。搬送波の周波数が無変調時から信号によって変化した変化分を周波数偏移という。 == FM変調回路・復調回路 == もともと真空管をリアクタンス管として用いてきたが、トランジスタの発明以降は、発振周波数を電圧で制御できる発振器、すなわち[[電圧制御発振器]](VCO)の制御電圧に変調信号を加えることによりFM変調波が得られる方法が主流。復調は、共振回路のスロープ特性を利用した周波数弁別器(ディスクリミネータ)が用いられることが多い。他に、受信信号を[[PLL]]回路の比較入力信号として入力し、PLL回路内のVCO制御電圧の変化を復調出力とする方法もある。→[[変調方式]]・[[復調方式]] == 弱肉強食特性 == FMは、単に発振器の周波数を変化させるだけなので、送信電力の変動がない。つまり、常に最大電力であり電力が弱くなる瞬間がない。また、受信は[[自動利得制御|AGC]]を使わないで[[リミッター (音響機器)|リミッタ]]で飽和[[増幅]]するため、振幅成分は完全に失われる。これらの理由により、同一の搬送波周波数の強い信号を受信した場合、弱い信号は強い信号によって隠されてしまう(マスキング)ため、存在が確認できなくなる。これを弱肉強食特性と言う(一般にFMが多用されるVHF帯であるが、地上の[[航空管制官]]と上空の飛行機との間で通信する[[航空無線]]が「あえて[[振幅変調]]を使っている」のは、この特性により、無線通信が不可能になるのを防ぐためである)。技術者やアマチュア無線家の間で一般に広く使われている[[専門用語]](ジャーゴン)である。 一般の無線通信では、通信中に被ってくる弱い信号は「有害な[[混信]]」と見なされるので、完全に排除できることが望ましい。FM受信機では、コチャンネル特性({{lang-en|cochannel selectivity}}:同一チャネル選択度)という指標で排除能力を示す。 == 理論 == {{節スタブ}} <math>V_{\mathrm{c}} = V_{\mathrm{cm}}\cos\omega_{\mathrm{c}}t = V_{\mathrm{cm}}\cos 2\pi f_{\mathrm{c}}t\,</math> <math>V_{\mathrm{s}} = V_{\mathrm{sm}}\cos\omega_{\mathrm{s}}t = V_{\mathrm{sm}}\cos 2\pi f_{\mathrm{s}}t\,</math> {{Indent|ただし、<br/> <math>V_{\mathrm{c}}</math>: 搬送波, <math>V_{\mathrm{cm}}</math>: 搬送波最大値, <math>f_{\mathrm{c}}</math>: [[中心周波数]](搬送波周波数)<br /> <math>V_{\mathrm{s}}</math>: 信号波, <math>V_{\mathrm{sm}}</math>: 信号波最大値, <math>f_{\mathrm{s}}</math>: 信号波周波数}} とするとき、被変調波は以下のように表される。 <math>V_{\mathrm{m}} = V_{\mathrm{cm}}\sin\theta_{\mathrm{m}}\,</math> 被変調波位相角は信号波により変化するので時間積分すると次のようになる。 <math>\theta_{\mathrm{m}} = \int_{0}^{t}\omega_{\mathrm{m}}\ dt = \omega_{\mathrm{c}}t + \frac{\Delta\omega}{\omega_{\mathrm{s}}}\sin\omega_{\mathrm{s}}t\,</math> <math> \begin{align} V_{\mathrm{m}} &= V_{\mathrm{cm}}\sin\theta_{\mathrm{m}} = V_{\mathrm{cm}}\sin\left\{\omega_{\mathrm{c}}t + \frac{\Delta\omega}{\omega_{\mathrm{s}}}\sin\omega_{\mathrm{s}}t\right\}\\ &= V_{\mathrm{cm}}\sin(\omega_{\mathrm{c}}t + m\sin\omega_{\mathrm{s}}t)\\ \end{align} </math> {{Indent|ただし、<br/> <math>\omega_{\mathrm{m}} = \omega_{\mathrm{c}} + \Delta\omega\cos\omega_{\mathrm{s}}t\,</math><br /> <math>f_{\mathrm{m}} = f_{\mathrm{c}} + \Delta f\cos 2\pi f_{\mathrm{s}}t\,</math><br /> <math>\omega_{\mathrm{m}}</math>: 被変調波角周波数, <math>f_{\mathrm{m}}</math>: 被変調波周波数, <math>\Delta f</math>: 最大周波数偏移, <math>V_{\mathrm{m}}</math>: 被変調波, <math>\theta_{\mathrm{m}}</math>: 被変調波位相角<br /> <math>m = (\Delta\omega/\omega_{\mathrm{s}}) = (\Delta f/f_{\mathrm{s}})</math> {{Indent|<math>m</math>: 変調指数}} }} この変調波の周波数軸上の[[スペクトル]]は[[ベッセル関数]]によって表現される。 また、[[占有帯域幅]]、最大周波数偏移は次のように表される<ref>第一級陸上特殊無線技士無線工学試験 JZ16B</ref>。 <math>BW = 2f_{\mathrm{sm}}(m+1)</math> <math>\Delta f =mf_{\mathrm{sm}}</math> {{Indent|<math>BW</math>: 占有帯域幅, <math>\Delta f</math>: 最大周波数偏移, <math>f_{\mathrm{sm}}</math>: 信号波の最大周波数, <math>m</math>: 変調指数}} さらに、変調指数が1未満程度の場合において、95%以上の電力が存在する占有帯域幅は次のカーソンの式で近似的に表される。 <math>BW =\ 2(\Delta f+f_{\mathrm{sm}})</math> この近似式で計算した占有帯域幅を、真の占有帯域幅と区別して'''カーソン帯域'''という。 == FM放送 == {{seealso|超短波放送}} ;歴史 FMの歴史は[[1933年]][[12月26日]]にアメリカの[[エドウィン・アームストロング]]が周波数変調の特許を取得して始まった<ref name="takagi205">高木利弘『スマートTVと動画ビジネス 次世代メディアをデザインするのは誰か?』2012年、インプレスジャパン、205頁</ref>。アームストロングは[[1937年]]には世界初のFMラジオ放送局W2XMNを開設して放送を行った<ref name="takagi205" />。 事業として初のFMラジオ放送は1941年開局の[[テネシー州]][[ナッシュビル]]の''[[:en:WSM-FM (defunct)|WSM-FM]]''で、初の[[民間放送]]でもある。 [[1961年]]には[[連邦通信委員会]](FCC)がFMラジオのステレオ技術を規格化して数百のFMラジオ局が開局<ref name="takagi206">高木利弘『スマートTVと動画ビジネス 次世代メディアをデザインするのは誰か?』2012年、インプレスジャパン、206頁</ref>。連邦通信委員会(FCC)は1966年にはFMラジオの放送内容をAMラジオと分離することを決定し、FMラジオ放送の聴取者が増えるきっかけとなった<ref name="takagi206" />。 ;日本国内の歴史 日本ではFM技術による音声放送は[[テレビ放送]]の音声部分の放送が先行する形になり1953年に放送開始した<ref name="JRM_beginning">[https://www.japanradiomuseum.com/fmradio#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AEFM%E6%94%BE%E9%80%81%E3%81%AE%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A 日本ラジオ博物館「FM放送の始まり」]</ref>。世界的にはFM音声放送は88-108Mc(当初は90-100Mc)を使用しているが、日本国内のFMのバンドについては、当初は60-68Mcおよび87-90Mcが割り当てられた<ref name="JRM_beginning" />。テレビのチャンネルプランの1から3チャンネルが、[[在日米軍|駐留米軍]]の使用帯域との競合や放送会社間の様々の問題が原因でこの帯域に割り当てられたため、日本独自の帯域となった<ref name="JRM_beginning" />。当初のバンドは3Mcと狭すぎたため、後に80-90Mcに拡大された<ref name="JRM_beginning" />。(なお60-68Mcは現在は[[防災無線]]などで使用されている<ref name="JRM_beginning" />。) 日本国内のFMラジオの実験放送は[[日本放送協会|NHK]]により1957年12月24日に[[千代田放送会館|NHK千代田送信所]]のテレビ用鉄塔を利用し周波数87.3Mc、空中線電力1kWで行われたのが最初である。 NHKは1957年に大阪でもFMラジオの実験放送を開始した<ref name="JRM_beginning" />。 1957年にはFMラジオ放送免許申請が多くの民間の放送事業者・新聞社・宗教法人などから行われ、翌1958年4月には学校法人[[東海大学]]に対して実験局の予備免許が交付され、JS2AOのコールサインで1958年12月26日に開局し、周波数は86.5Mcで、渋谷区富ヶ谷の東海大学校舎屋上のアンテナから送信された<ref name="JRM_beginning" />。これが日本で最初の民間ラジオ放送のFM局、[[FM東海]](現[[東京FM]])の始まりとなった<ref name="JRM_beginning" />。1960年3月にはFM東海に実用化試験局の予備免許が交付された<ref name="JRM_beginning" />。 == FMステレオ方式 == === 和差方式 === モノラル放送との互換性を保つため、和差方式が一般的に用いられる。この和差方式は、FMステレオ受信機を用いればステレオを聞くことができ、[[ステレオ]]に対応していないFM受信機では、右・左の和であるモノラル音声のみを再生するので互換性が保たれる。主信号を左右の和であるL+R信号とし、副信号は可聴周波数よりも十分に高く設定した副搬送波を差信号のL-R信号で変調したものとする。この主信号と副信号とを合成したコンポジット信号で放送の主搬送波(基本搬送波)を変調する。モノラルの受信機しか有さない場合、主信号のL+R信号のみを再生すれば左右の偏らない放送を聞くことができる。ステレオを再生する場合、主信号のL+Rと副信号のL-Rの両方を再生した後、それぞれの和と差を取れば、(L+R)+(L-R)=2L、(L+R)-(L-R)=2R、となり、左右の信号が再生される。FMステレオ放送の場合、副搬送波を振幅変調するか周波数変調するかにより方式が異なってくる。 === AM-FM方式 === [[ファイル:Stereo-moulator.png|thumb|250px|right|'''AM-FM方式ステレオ変調の原理''']] [[ファイル:Stereo-demoulator.png|thumb|250px|right|'''AM-FM方式ステレオ復調の原理''']] ; 和差方式 : 右・左の差信号で38kHzの副搬送波を平衡変調して副信号とする。その信号と19kHzのパイロット信号とを右・左の和信号に多重して放送の搬送波を変調する。ステレオを再生する場合は、19kHzのパイロット信号を2逓倍し38kHzの副搬送波を生成することで副信号をAM復調してL-R信号を再生し、FM復調した、主信号であるL+R信号との間で和差を取ることにより左右を分離する。送信側で差信号を平衡変調した結果FM変調のスペクトルには38kHzの副搬送波は含まれておらず、受信側で19kHzのパイロット信号を頼りに生成する必要がある。送信側で取り除いた副搬送波を受信側で生成するという手間を踏む理由は、FM変調の際に変調度のほとんどを音声信号に割り当てるための工夫である(副搬送波のパワースペクトルを変調に割り当てない)。こうすることでS/N比が高い送信波が得られる。日本におけるFMステレオ[[ラジオ]]放送方式として用いられている。 ; スイッチング方式 : 38kHzのスイッチング信号により、左右の信号を切り替えてコンポジット信号を生成する。再生する場合はこの逆で、コンポジット信号を38kHzのスイッチング信号で同期を取って左右に分離する。原理上は同期検波と同じである。ここで、スイッチング方式により得たコンポジット信号を分析すると、L+Rの信号と、L-Rの包絡線で38kHzを変調したDSB波との合成であることがわかる。したがって、スイッチング方式で変調したコンポジット信号は和差方式でも再生することができる。また、和差方式によりコンポジット信号を生成する際に、副信号を特定のレベルに合わせればスイッチング方式のコンポジット信号と等価な信号が得られる。したがって和差方式で変調したコンポジット信号をスイッチング方式で再生することも可能になる。実際にはスイッチング方式の方が回路の構成が簡単なため、FMステレオの再生はスイッチング方式またはスイッチング方式に準じた同期検波が使われる。 === FM-FM方式 === 第二音声または差信号で副搬送波を周波数変調した信号とパイロット信号とを主信号または和信号に多重して周波数変調するもので、日本における[[テレビ]]の[[音声多重放送]](二か国語音声・ステレオ音声)方式として用いられている。ステレオの再生方法は和差方式である。 === その他のFMステレオ方式 === * FM-PM方式 * FMXステレオ方式 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist|2}} == 関連項目 == * [[変調方式]] * [[位相変調]] * [[デジタル変調]] * [[FM音源]] {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:しゆうはすうへんちよう}} [[Category:変調方式]] [[Category:無線]] {{Electronics-stub}}
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生産者
生産者(せいさんしゃ)とは、実際に商品を生産する個人または企業のこと(商品に限らず、特定の物にとらわれない何かを作る者の事を言う場合もあり)。消費者と対になる概念。食物連鎖においては主に植物のことを指す。 生物学に於いては、生態学の分野で、食物連鎖や栄養段階、生態ピラミッドなどを考える上で生産者という言葉が用いられる。これは下に述べる様に通常は所謂植物(及び藻類)のことを指す。 自然環境には様々な生物が生息しているが、それぞれの環境にはある程度決まった組み合わせの生物相が認められる。ある区域に生息する生物の個体群、則ち生物群集に於いて、そこに生息する動物、菌類などの従属栄養生物は各〻、他の動植物を餌として捕食したり分解したりしてエネルギーを得ている。食物連鎖の元を辿って行くと詰まる所その最基底部は植物であり、群集のエネルギー源は植物の光合成によることがわかる。つまり植物は太陽光のエネルギーを用いて無機物から有機物を合成しており(炭酸固定)、これを栄養源として生育しているが(独立栄養生物)、この植物を捕食する生物(一次消費者)も、それを捕食するより高次の消費者も、或いはこれらに由来する有機物を利用する生物(分解者)も結局は光合成産物に由来するエネルギーを消費しており、このような意味で、光合成を行う植物はその群集における生産者と呼ばれる。尚、植物の中にも或種のランの如く葉緑体を失った従属栄養生物も存在するがこれは生産者ではない。また、或種の藻類の様に自身の生産したエネルギーだけでは生きられず、他の生き物の固定した有機物に一部依存する場合も純粋な生産者とは言えない。これに対し、地衣類(菌類と藻類の共生体)などは総体として生産者と看做すことができる。細菌類にも光合成を行うグループが存在し(光合成細菌)、光ではなく無機化合物を酸化させることでエネルギーを取り出す化学合成細菌も存在する。これらも独立栄養生物として有機物を生産するが、我々がよく知っているような環境に於いてはその活動は(わかっている限りでは)目立ったものではない。従って、陸上生態系における生産者として最も重要なのは陸上植物であり、通常(人類の身近な生態系におけるという意味で)生産者と言えば植物を指す事が多い。これに対し、水圏では(陸上植物の水草に比して)褐藻や紅藻、緑藻などの大型藻類や植物プランクトンが優占しており、生産者の主役はこれらとなる。また、深海底で発見された熱水鉱床の熱水噴出孔における生物群集(熱水生物群集)では化学合成細菌が生産者となった独自の生態系を形成していることが知られている。 何れの生物群集内でも一般に死亡や捕食・消化によるロスが存在する為、生産者よりそれを捕食する一次消費者、下位の消費者よりそれらを捕食する上位の消費者の現存量の方がより少なく、また生産者の現存量は生産者以外の全ての消費者・分解者の現存量を合わせたよりも多い(生態ピラミッドを参照)。
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生産者(せいさんしゃ)とは、実際に商品を生産する個人または企業のこと(商品に限らず、特定の物にとらわれない何かを作る者の事を言う場合もあり)。消費者と対になる概念。食物連鎖においては主に植物のことを指す。
{{出典の明記|date=2023年6月}} '''生産者'''(せいさんしゃ)とは、実際に商品を[[生産]]する個人または企業のこと(商品に限らず、特定の物にとらわれない何かを作る者の事を言う場合もあり)。[[消費者]]と対になる概念。[[食物連鎖]]においては主に植物のことを指す。 == 代表的な生産者 == * [[農家]] * [[漁師]] * [[工場]] == 生物学における生産者 == [[生物学]]に於いては、[[生態学]]の分野で、[[食物連鎖]]や[[栄養段階]]、[[生態ピラミッド]]などを考える上で'''生産者'''という言葉が用いられる。これは下に述べる様に通常は所謂[[植物]](及び[[藻類]])のことを指す。 自然環境には様々な生物が生息しているが、それぞれの環境にはある程度決まった組み合わせの[[生物相]]が認められる。ある区域に生息する生物の[[個体群]]、則ち[[生物群集]]に於いて、そこに生息する[[動物]]、[[菌類]]などの[[従属栄養]]生物は各〻、他の動植物を餌として捕食したり分解したりしてエネルギーを得ている。食物連鎖の元を辿って行くと詰まる所その最基底部は植物であり、群集のエネルギー源は植物の[[光合成]]によることがわかる。つまり植物は太陽光のエネルギーを用いて無機物から有機物を合成しており([[炭酸固定]])、これを栄養源として生育しているが([[独立栄養生物]])、この植物を捕食する生物(一次[[消費者]])も、それを捕食するより高次の消費者も、或いはこれらに由来する有機物を利用する生物([[分解者]])も結局は光合成産物に由来するエネルギーを消費しており、このような意味で、光合成を行う植物はその群集における'''生産者'''と呼ばれる。尚、植物の中にも或種のランの如く葉緑体を失った従属栄養生物も存在するがこれは生産者ではない。また、或種の藻類の様に自身の生産したエネルギーだけでは生きられず、他の生き物の固定した有機物に一部依存する場合も純粋な生産者とは言えない。これに対し、[[地衣類]](菌類と藻類の共生体)などは総体として生産者と看做すことができる。細菌類にも光合成を行うグループが存在し([[光合成細菌]])、光ではなく無機化合物を酸化させることでエネルギーを取り出す[[化学合成細菌]]も存在する。これらも独立栄養生物として有機物を生産するが、我々がよく知っているような環境に於いてはその活動は(わかっている限りでは)目立ったものではない。従って、陸上生態系における生産者として最も重要なのは陸上植物であり、通常(人類の身近な生態系におけるという意味で)生産者と言えば植物を指す事が多い。これに対し、水圏では(陸上植物の水草に比して)褐藻や紅藻、緑藻などの大型藻類や植物プランクトンが優占しており、生産者の主役はこれらとなる。また、深海底で発見された[[熱水鉱床]]の[[熱水噴出孔]]における生物群集([[熱水生物群集]])では化学合成細菌が生産者となった独自の生態系を形成していることが知られている。 何れの生物群集内でも一般に死亡や捕食・消化によるロスが存在する為、生産者よりそれを捕食する一次消費者、下位の消費者よりそれらを捕食する上位の消費者の現存量の方がより少なく、また生産者の現存量は生産者以外の全ての消費者・分解者の現存量を合わせたよりも多い([[生態ピラミッド]]を参照)。 == 関連項目 == * [[食物連鎖#関連する諸問題|消費者]] * [[分解者]] {{DEFAULTSORT:せいさんしや}} [[Category:生態学]] [[Category:産業]]
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生産
生産(せいさん)は、生活必要物資などを作り出すこと。人間が財・サービスを産み出し、採取・育成する活動。または出産のこと。出産の場合は「しょうさん」とも読む。 人間が生きるため、また社会が存続するためには常にさまざまな食料、衣服などの生活手段や商品・サービスが必要になる。原材料や資本、土地、労働力などを用いてこれを作り出すこと、または作り出す過程が生産と呼ばれる。経済学においては、生産に伴い商品には付加価値が付与されると考えられている。 生産活動としては、以下のものが挙げられる。 第二次産業の生産は製造ともいう。 第三次産業はサービスの特性上(在庫ができない)、生産=出荷(提供)=費消(使用)となる。 生産とは工場において原材料、製品などの商材を作る行為である。
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生産(せいさん)は、生活必要物資などを作り出すこと。人間が財・サービスを産み出し、採取・育成する活動。または出産のこと。出産の場合は「しょうさん」とも読む。
{{Otheruses||「生産(しょうさん)」|出産}} {{出典の明記|date=2023年3月}} '''生産'''(せいさん)は、生活必要物資などを作り出すこと。人間が財・サービスを産み出し、採取・育成する活動。または[[出産]]のこと。出産の場合は「しょうさん」とも読む<ref name=":0">{{Kotobank|生産|2=}}</ref>。 == 概説 == 人間が生きるため、また[[社会]]が存続するためには常にさまざまな食料、衣服などの[[生活手段]]や[[商品]]・[[サービス]]が必要になる。原材料や[[資本]]、土地、[[労働力]]などを用いてこれを作り出すこと、または作り出す過程が生産と呼ばれる。[[経済学]]においては、生産に伴い[[商品]]には[[付加価値]]が付与されると考えられている。 == 種類 == 生産活動としては、以下のものが挙げられる。 * [[第一次産業]] ** [[農業|農]]・[[林業]] - [[農産物]]を栽培・育成し、[[収穫]]すること。 ** [[水産業]] - [[魚介類]]を養殖・[[収穫]]すること。 * [[第二次産業]] ** [[鉱業]] - [[地下資源]]を採掘・[[精錬]]すること。 ** [[製造業]] - [[原材料]]・部品を組立・[[加工]]すること。 ** [[建設業]] - [[建物]]・[[施設]]等を[[建築]]・[[建設]]すること。 第二次産業の生産は製造ともいう。 * [[第三次産業]] ** サービス業 - サービスを提供すること。 第三次産業はサービスの特性上(在庫ができない)、生産=出荷(提供)=費消(使用)となる。 生産とは[[工場]]において[[原材料]]、[[製品]]などの商材を作る行為である。 == 関連 == * 第一次産業、第二次産業の場合、生産者は商品を出荷([[流通]]経路に乗せる)し、[[卸売]]、[[小売]]を経て[[消費者]]へと提供する。しかし、生産者自身が直接、消費者へ[[販売]]することもある([[農産物]]や[[パーソナルコンピュータ]]などの[[直接販売]]など)。これは、限定された販路ならば[[卸売]]業者を排除することによって流通コストを省き、商品価格の低下や、利益を増やすことが出来るからである。農業のこれに関連する活動については、[[6次産業]]も参照。 * 生産価格:商品の最終価格であり、内訳は、生産価格=[[付加価値]]額+原材料額となる。 * 生産と在庫の関係:市場の需要を超える量の商品が生産された場合、需要を越えた商品は消費されず生産者の在庫は積み上がる。在庫を削減するため、生産者は生産を減らすることによって積み上がった在庫を出荷し、処分しようとする。やがて在庫が減りすぎると、生産者は生産を増やし在庫を積み増そうとする。この一連の動きを'''在庫循環'''と言い、経済活動を計る上で一つの目安となる。ただし、在庫循環は製造業の一部業種のみに現れる現象であることに注意。 == 関連項目 == {{Wiktionary}} * [[経済]] | [[産業]] | [[製造業]] * 物的生産 - [[農林水産業]]・[[鉱業]]・[[工業]]・[[建設業]]<ref name=":0" /> * [[経済学]] | [[マルクス経済学]] | [[生産性]] | [[付加価値]] * [[生産工学]] * [[生産国]] * [[ノックダウン生産]] - 他国から部品を輸入し、組み立てること。 * [[ライセンス生産]] - 他の企業の製品を、ライセンス料を払うことによって設計・技術等をそのまま使用して生産すること。 * [[消費]] - [[対義語]] == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{Kotobank}} {{Economy-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:せいさん}} [[Category:製造]] [[Category:経済現象]]
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セブン
セブン、セヴン (seven) は数字の7の意。
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セブン、セヴン (seven) は数字の7の意。
'''セブン'''、'''セヴン''' (seven) は数字の[[7]]の意。 == セブン、セヴン == * [[セブン (映画)]] (SE7EN) - 1995年のアメリカ映画。ブラッド・ピット主演。 * [[セヴン (ナイト・レンジャーのアルバム)]] - [[ナイト・レンジャー]]のアルバム。 * [[セヴン (CANTAのアルバム)]] - [[CANTA]]のアルバム。 * [[7〜モールモースの騎兵隊〜]] - ナムコのPS2用ゲームソフト。 * [[セブン・オブ・ナイン]] - SFドラマ『[[スタートレック:ヴォイジャー]]』の登場人物。 ; 企業名 * [[セブン (徳島県のスーパーマーケット)]] * [[アニメーションスタジオ・セブン]] * [[セブン工業]] === セブンの略称が用いられるもの === * [[ウルトラセブン]] - [[円谷プロダクション|円谷プロ]]制作の特撮テレビドラマ作品。『[[ウルトラシリーズ]]』の一つ。 ** [[ウルトラセブン (キャラクター)]] - 上記作品に登場するキャラクター。 * [[鉄人タイガーセブン]] - [[ピー・プロダクション]]制作の特撮テレビドラマ作品。 * [[Microsoft Windows 7]]の略称 - [[マイクロソフト]]が開発した[[オペレーティングシステム]]。 * [[ソードアート・オンラインのゲーム作品|ソードアート・オンライン -ロスト・ソング-]]の登場人物及び七色・アルシャービンのハンドルネーム ; 企業等 * [[セブン&アイホールディングス]] ** [[セブン-イレブン]] - 上記同社の子会社「セブン-イレブン・ジャパン」が運営するコンビニエンスストア。 * セブンアカデミー - [[世界文化社]]が運営するカルチャー講座。 ; 日本たばこ産業株式会社(JT)が発売するたばこの銘柄 * [[セブンスター]] * マイルドセブン(現在は「[[メビウス (たばこ)|メビウス]]」) ; 自動車の名称又は形式の愛称 * [[マツダ・RX-7]] * [[ロータス・セブン]] - イギリスの自動車メーカー[[ロータス・カーズ]]が製造していたスポーツカー。『スーパーセブン』とも。 * [[BMW・7シリーズ]] * [[トヨタ7]] - [[トヨタ自動車]]が[[ヤマハ発動機]]と共同で開発した[[レーシングカー]]。 == SEVEN、Seven == * [[SEVEN (新聞)]] - 朝日新聞社が2001年に発行していたタブロイド紙。 * [[SEVEN (ラジオ番組)]] - TOKYO FMで月~木曜夜に放送されていたラジオ番組。 * [[SEVEN (中島美嘉の曲)]] - 中島美嘉の楽曲。 * [[seVen (V6のアルバム)]] - V6のアルバム。 * [[SEVEN (12012のアルバム)]] - 12012のアルバム。 * [[7 -seven- (曲)]] - [[FLOW]]×[[GRANRODEO]]の楽曲。 * [[7-SEVEN- (175Rのアルバム)]] - [[175R]]のアルバム。 * [[7-seven- (キリンジのアルバム)]] - [[キリンジ]]のアルバム。 * [[7 seven (相川七瀬のアルバム)]] - [[相川七瀬]]のアルバム。 * [[Seven Network]] - オーストラリアのメディア企業。 * [[Seven Cycle]] - 米国の自転車製造メーカ * SEVEN - [[NEWS (グループ)|NEWS]]の楽曲。11thアルバム「[[STORY (NEWSのアルバム)|STORY]]」に収録。 * [[セヴン (デヴィッド・ボウイの曲)]] - [[デヴィッド・ボウイ]]の曲。 == SE7EN == * [[オースチン・7|オースチン・セブン]](SE7EN - SEVEN) - 1)1922年発売の小型車の車名。 2)1959年発売の[[ミニ (BMC)|ミニ]]の初代モデル車名。 * ミニセブン - オースチン・セブンに因んで2006年にBMWミニが発売した「[[ミニ (BMW)|ミニ]]」のグレード名-SE7EN。 * 1995年のアメリカ映画『[[セブン (映画)|セブン]]』の原題。 * [[SE7EN|SE7EN 崔東昱]] - 韓国の歌手。 == 関連項目 == * [[7 (曖昧さ回避)]] * [[7 seven]] * [[セブンズ]] * [[セヴンス]] {{Aimai}} {{デフォルトソート:せふん}} [[Category:英語の語句]] [[Category:同名の作品]]
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ケール
ケール(緑葉甘藍、英: kale, borecole、学名: Brassica oleracea var. acephala)はアブラナ科アブラナ属の野菜。地中海沿岸が原産で、キャベツの原種であるヤセイカンラン に近い品種。和名はリョクヨウカンラン(緑葉甘藍)やハゴロモカンラン(羽衣甘藍)。葉は縮れているものや平滑なコラード系、細長いものなど多様な品種がある。コラード系は日本では明確に区別されず一般にケールと呼ばれている。苦味や青臭さがあり、青汁やグリーンスムージーの材料として利用されるが、ヨーロッパやアフリカなどでは一般的に料理の食材として使われる。生食できるように苦味や食感を改善した品種も数多く開発されている。 「ケール」(Kale)の名前は、様々なキャベツを意味する北部中世英語「cale」に由来し、起源はラテン語の「caulis」である。「コラード」(Collard)の名前は、頭のないBrassica属を意味する中世英語「colewort」に由来する。 和名では、キャベツ(甘藍、カンラン)の仲間で結球していない姿から「リョクヨウカンラン(緑葉甘藍)」といい、特に縮れた葉のものは「ハゴロモカンラン(羽衣甘藍)」、コラードは「カキバカンラン」という。中国語で縮れた葉のケールは「羽衣甘蓝」、コラードは「宽叶羽衣甘蓝」という。「宽叶」は「幅広の葉」の意味である。 学名(属名+種小名+変種)は“Brassica oleracea variety acephala“であり、属名“Brassica“はキャベツの古いラテン名、種小名の“oleracea“は“畑に栽培の”を意味し、変種の“acephala“は、結球しないことを示す“無頭の”を意味し、直訳すると「頭のない畑のキャベツ」になる。同じ学名“Brassica oleracea“を持つ植物にカリフラワー、キャベツ、芽キャベツ、ブロッコリーなどがあり、すべて原種のヤセイカンランから派生した。その中でもケールは最も原種に近いものである。 地中海沿岸に自生していたヤセイカンランが原産とされ、紀元前200年には古代ギリシアで薬用や食用として栽培されていた。ヨーロッパへは6世紀ごろに、航海中のビタミンCを補うために船に積んでいたケルト人によって伝えられた。イギリス、オランダ、ドイツなどで食用を目的に栽培され、多くの品種が作り出された。耐暑性・耐寒性が強いケールは、中世のヨーロッパで最も一般的な緑黄色野菜であり、食糧難の時代にヨーロッパを飢餓から救った。 ケールは、冬が訪れる地域では地表に大きく葉を広げ、1年中暑い地域では背が高くなるなど、その土地の風土や気候に合わせて姿を変えてきた。栽培しやすく栄養価が高いため、ヨーロッパ、北米、南米、アフリカ、アジアと世界各地に広がり、重要な野菜として栽培されている。しかし冷涼な気候を好むため、熱帯地方ではほとんどが高地に限定される。東アフリカや南部アフリカでは、最も重要な葉野菜の1つである。コラード系ケールは、スワヒリ語で「(次の)週を何とか乗り切る」を意味する「スクマウィキ」と言う。東アフリカと南部アフリカでは、葉を繰り返し収穫する背の高いタイプが人気だが、中央アフリカではあまり見られず、西アフリカではまれである。熱帯アフリカでは、広く分布するポルトガルケールやマローステムケールを除けば、カーリーケール(curly kale)のような西洋系タイプはほとんど見られない。輸入品種は収量や均一性には優れているが、現地品種に見られるような病害虫への耐性がなく、消費者の好みに合わない、低地での栽培に適さない、などの問題がある。 スコットランドでは、スコッチケール (Scotch Kale)が伝統的な食生活の中で重要な位置を占めており、いくつかの方言でケールは「食べ物」と同義語である。"off one's kale "は「体調が悪くて食べられないこと」を意味する。イギリスでは第二次世界大戦中、「Dig for Victory」キャンペーンによりケールなどの野菜栽培が奨励され、欠乏する栄養素を補った。 ポルトガルではポルトガルケール(コラード系)が多く栽培され、ポルトガルの入植者によってブラジルに渡った。イタリアではトスカーナケール(カーボロネロ)が、中国では8世紀頃からチャイニーズケール(芥藍、カイラン)の茎や葉、花のつぼみが一般的に食べられている。 アメリカには17世紀に伝わったが、サラダの飾り用や花束などの装飾用が主だった。1990年代初頭から栄養的に注目され、2010年頃にセレブの間でスーパーフードとしてブレイクし、グリーンスムージーやサラダ、ケールチップスなどの人気の食材して使われている。コラード系ケールは、アフリカから奴隷とともにアメリカに渡った。アメリカ南部の家庭菜園では冬の定番野菜であり、貧しい農民の貴重なミネラルとビタミンの供給源になった。今でもアメリカ南部では重要な野菜のひとつであり、アフリカ系アメリカ人のソウルフードである。 日本へは、江戸時代に伝わった。貝原益軒が編纂した『大和本草』(1709年)にオランダナ、サンネンナの名称で記載が見られ、明治時代の『改訂増補舶来穀菜要覧』(1887年)に開拓使によってアメリカから3品種が導入されたという記録がみられる。当初は日本人の好みには合わず、食用としてはほとんど利用されることはなかった。観賞用として、葉が紫紅色や黄色、斑入りのものが多く栽培されて、品種改良によりハボタンが生まれた。日本で食用にされたのは明治以降であり、栽培が普及したのは1990年代の青汁人気からである。現在も主に青汁の原料として栽培されるが、近年のアメリカのケールブームを受け、日本でも苦味が少なく食べやすい料理用ケールが次々と商品化されている。 1・2年生または多年生の植物で、種子または茎の挿し木から栽培される。収穫は、株ごと切り取るか、成長してくる葉を摘み取って繰り返し行う。寒さに強く温暖な気候であれば一年中栽培できる。ピークは晩冬から早春で、糖分を蓄えて甘くなる。 各種土壌に適応するが、排水性が良く、有機分の多い砂壌土が栽培に最も適している。ただし、肥料を必要とする作物で、畑は肥料を十分に施しておく必要がある。また、気温20度くらいの冷涼な気候を好み多湿を嫌うが、耐暑性・耐寒性ともに強い。高冷地では夏栽培もできる。旺盛に生育することから、栽培難度はキャベツよりもさらに容易である。他のアブラナ科作物と同様に、同じ畑では連作不可とされる。 種まきは春から秋までの間にいつでもできるが、ふつう縮葉ケールは6 - 7月に行い、10月下旬 - 2月に収穫される。コラードは、3月に種をまき、6月下旬 - 8月に収穫する春まき栽培と、7 - 8月に種まきし、10 - 1月に収穫する夏まき栽培の方法がある。畑の畝に30 - 40センチメートル (cm) 間隔で点まきし、2 - 3回ほど間引きしながら育てていく。平坦地は夏まきして秋から冬の間に収穫するのが一般的である。寒冷地では春まきで、ハウスで育苗したら5 - 6月に定植して、秋から初冬にかけて収穫する。種をまいてから収穫するまで、ふつう3 - 4か月を要する。 育苗する場合は、育苗ポットに点まき、あるいは苗床に筋まきして、子葉展開後に1度目の間引きを行ってから、本葉2枚ほどになったら苗を1本に間引きする。種まきから30 - 40日後に本葉5 - 6枚になるまで育苗し、株間40 cm程度で定植する。寒くなる12月までの間は、旺盛に生長する期間であり、この間は施肥が重要となる。本葉10枚になるころに、株元に肥料を施したら土寄せも行う。その後は2週間ごとに追肥を行うようにする。収穫は、若い葉の長さが30 - 40 cmになって緑色が濃くなったら、外葉から適時掻き取って順次収穫する。収穫期間は長く、おおよそ2 - 3か月間である。 病虫害としては、キャベツやカリフラワーと同じで、根こぶ病、萎黄病、べと病、軟腐病、ウイルス病などにかかる場合があり、またアブラムシ、コナガ、アオムシなどの食害を受ける。また土壌はセンチュウに汚染されていないことが栽培の条件となる。 アブラナ科の多くは自家受粉せず別株の花粉を受粉するため、亜種が生じやすく品種改良がしやすい。さまざまな色や形や大きさのものがあり、品種は茎の長さや葉の形状の違いで区別されることがある。茎は4メートルになるものから30センチメートルほどのものまである。葉のタイプには、日本で最も一般的な縮れのないコラード系ケール、縮れたタイプのカーリーケール、縮れが少ないシベリアンケール、細長くて凹凸があるトスカーナケールなどがある。他にも、茎が長いツリーケール、茎が肥大するマローステムケールなど多くのタイプがあり、それぞれの中に多様な品種がある。家畜の飼料用や観賞用としても、特殊な品種が栽培されている。 コラード(Collard)系ケールは、葉は幅広の楕円形や円形で、縮れがほとんど無い。キャベツの外葉やブロッコリーの葉に似て、肉厚で歯ごたえがある。灰緑色から濃い緑色で、対照的な葉脈があり、強くアブラナ科の味がする。直立した茎は、単一で生長すると長さ1メートルになり、葉を次々と収穫して食べられる。耐暑性・耐寒性が強く、ポルトガル、ブラジル、スペイン、アメリカ南部、アフリカ諸国、インドのカシミールなどで主要な野菜として栽培されてきた。ブラジルでコラードは「コウヴィ(Couve)」、ポルトガルでは「コウヴィ・ガレガ(Couve Galega)」、東アフリカでは「スクマウィキ(Sukuma wiki)」と呼ばれている。人気の品種には、Georgia Southern、Vates、Morris Heading、Blue Max、Top Bunchなどがある。ポルトガルケール(Couve Galega、Couve Tronchuda)は、コウヴェ・マンティガ(Couve Manteiga、Butter Collard)や、ポルトガルキャベツ(Tronchuda cabbage、Portugese Cabagge)としても知られる。ジューシーグリーンは、コラード系ケールとツリー系ケールの交雑品種であり、搾汁量が多いので青汁に向いている。スウィートグリーンは、ジューシーグリーンより背丈は低いが一株当たりの葉の数が多く、青汁に向いている。ハイクロップ - タキイ種苗が開発した品種で青汁に向いている。サンバカーニバルは、柔らかく苦みが少ないため、開発した増田採種場が「ソフトケール」という商品名で販売している。 カーリーケール(curly kale)は、葉が縮れた濃い緑色のケールの総称。苦みが少なく、サラダでも食べやすい。デンマークやスウェーデンなどヨーロッパで、古くから食べられてきた。日本では、ちりめんケールとも呼ばれる。狭義のケールはこれを指す。スコッチケール (Scotch Kale) - 葉は灰緑色で、極端なちりめん状の縮みとしわがある。草丈が高いものと低いものがあり、一般には低いのものが多く用いられる。エキストラ・カールド・スコッチ (Extra Curled Scotch)、トール・スコッチ (Tall Scotch)。ノーフォーク (Norfork)、ドワーフ・カールド・スコッチ (Dwarf Curled Scotch)などの品種がある。カリーノケール - トキタ種苗が開発した品種。しっかりした食感で、食べやすいサラダ向けケール。葉の縁が縮れフリルのように愛らしいところから、イタリア語で「愛らしい」を意味する「カリーノ」と命名された。苦味や青臭さが少なく、生のサラダとしても食べられるほか、素揚げのチップス、スープや、発色がよいことから、スムージーでも飲まれる。ロイヤルホストにて2018年2月14日から4月上旬まで開催された新作料理フェアで採用されたほか、デニーズのメニューに採用されたことがある。キッチンケール - 葉がパセリのように縮れ、茎の先端にロゼッタ状につく。草丈は1m以下。 シベリアンケール(Siberian kale)は、葉が青々とし縮れが少ない。最も耐寒性が高い。クラシックな品種で苦みが強い。草丈が高いものと低いものがあり、一般には低いのものが多く用いられる。スコッチケールよりもやや遅れて生長する。アーリー・カールド・シベリアン (Early Curled Siberian)、ドワーフ・ブルー・カールド (Dwarf Blue Curied)、トール・グリーン・カールド (Tall Green Curied)、レッド・ロシアンケール(Red Russian Kale、RAGGED JACK KALE)などの品種がある。 トスカーナケール(Tuscan kale)は、葉は細長く黒に近い濃い緑色で、亀の甲羅のようにひび割れた模様が入る。イタリアのトスカーナ地方で古くから栽培されている。冬の作物であり、冬のシーズン中ずっと摘み取って収穫ができる。繊維質で固いので、煮込み料理によく使われる。カーボロネロ(cavolo nero)やラシネートケール(Lacinato kale)、イタリアンケール(Italian kale)、ダイナソーケール(dinosaur kale)、カーボロトスカーノ(cavolo toscano)、パームツリーケール(Palmtree Kale)、ブラックリーフケール(black leaf kale)、黒キャベツ(black cabbage)などとも呼ばれる。 ツリーケール(Tree Kale)は、大型の直立した姿で、草丈は2 - 4メートルにも達する。葉も大型で、葉身が厚くて蝋質が強く、切れ込みがあるものとないものがある。多くは家畜の飼料として葉を繰り返し収穫して利用される。食用にも使われ、特に春に葉のつけ根から出る新芽は良い食材とされる。ジャージーケール(Jersey Kale)、Jersey cabbage、Cow cabbage、Tree cabbage、Walking Stick Kaleは、チャンネル諸島で栽培され、長い茎はステッキ素材、葉は動物用飼料として輸出されていた。高さが普通1.8 - 3m、20年以上で6mに達するものもある。下から葉を摘み取っていくと、ヤシの木のようになる。 マローステムケール(Marrow Stem Kale)は、茎が太く背骨のようになる。若葉や、茎(stem)の髄(marrow)を食用とするが、一般には家畜の飼料として栽培される。ヨーロッパで広く栽培され、イタリア、ギリシャ、トルコなどで食用に栽培されていた。コンドル (Condor)、エンノーブルド・グリーン・マロー・ステム・ケール (Ennobled Green Marrow Stem Kale)、エンノーブルド・パープル・マロー・ステム・ケール (Ennobled Purple Marrow Stem Kale)などの品種がある。 サウザンドヘッドケール (Thousand Head Kale)は、直立した姿でよく枝分かれし、高さ1 - 2メートル、横幅も高さと同じ程度に広がる。枝分かれは、地上高20 - 50センチメートルから始まり、各枝の先は、茎がやや太くなり、ロゼット状の葉を数多く生やしてやぶ状になる。サウザンドヘッドの名は、枝分かれした多数の茎や枝の先端にロゼット葉がつくことに由来する。主に家畜の飼料として栽培される。貧弱な土壌でも強く育ち、冬に他の野菜がほとんど収穫できない時期にちなんで「ハングリーギャップ ケール」としても知られる。ブッシュケール (Bush Kale) 、ブランチング (Blanching)、ドーレコール (Dorecole) などとも呼ばれる。 ゴズィラーナ(カーボロリーフグリーン)は、コラード系ケールにカーボロネロを交配した品種であり、カーボロネロよりも葉の幅が広い。プチヴェールは、メキャベツとケールを掛け合わせ、1990年に品種登録された野菜で、結球しないメキャベツ。アレッタは、ブロッコリーとケールを掛け合わせ、2011年に品種登録された野菜。苦みはなく茎には甘みがあり、葉も茎も花蕾も全部食べられる。ケロッコは、ブロッコリーとケールを掛け合わせ、2018年に品種登録された野菜でアレッタと似ている。花蕾がスティック状のブロッコリーで、葉の部分がケール。ケーリッシュは、ダイコンとケールを掛け合わせ、2019年に品種登録された野菜。サラダや加熱調理で食べられ、生で食べるとダイコンのような辛味がある。 香りが独特で苦味が強いため、日本では青汁などジュースの材料として利用される。葉をフリーズドライして常温で顆粒状にした粉末青汁は、水や牛乳に溶かして飲料にしたり、料理に使用できる。 ヨーロッパやアフリカ、ブラジル、アメリカ、韓国などでは料理の食材として一般的に使われる。キャベツ同様に温野菜、他の野菜と合わせてソテーや、ポタージュ、揚げ物、煮物、炒め物などの具材となる。茎は硬く通常は取り除かれる。若く柔らかい葉は、生のままサラダとして食べられる。アフリカの伝統的な調理法として細切れの葉を煮て作る料理がある。ケニアではコラードの油炒め「スクマウィキ(sukuma wiki)」が家庭料理の定番である。ジンバブエでは、生の葉を天日干しして長期保存している。アメリカ南部では、栄養が濃縮されているコラードの葉を煮たあとの汁に、コーンブレッドを浸して食べる習慣がある。ブラジルでは、「フェイジョアーダ(feijoada)」にコラードのソテーが添えられる。イタリアのトスカーナで、カーボロネロは「リボリータ(Ribollita)」や「ミネストローネ」などの伝統的な食材の一つとして使われる。オランダの「ブーレンコールスタムポット(Boerenkool stamppot)」と呼ばれる伝統的な冬の料理は、カーリーケールとマッシュポテトを混ぜたもので、揚げたベーコンや燻製ソーセージが添えられる。北ドイツでは、「Kohlfahrt」(「ケールの旅」)と呼ばれる冬の伝統があり、日中にグループで森の中をハイキングしてから宿や民家に集まり、ベーコンとソーセージと共にケールが出される。ポルトガルの伝統的なスープ、「カルドヴェルデ(Caldo verde、緑のスープ)」は、ピューレ状にしたジャガイモ、細かく切ったケール、オリーブオイルと塩で作る。この料理はブラジルやアンゴラ、モザンビーク、カシミールでも知られている。アイルランドではケールをマッシュポテトと混ぜて伝統的なハロウィン料理「コルカノン(colcannon)」を作る。トルコには、ピラフをケールで巻く「パンジャールサルマス(Pancar Sarması)という定番メニューがある。韓国の「サムパプ」(쌈밥)は、ケールなどの葉野菜でご飯や肉を包んで食べる。欧米諸国では、ケールとコラードは缶詰や冷凍などの加工が行われている。ポテトチップスの代替品として、ケールチップス も生産されている。若芽や花芽をつけた穂先も、料理に使われることがある。色とりどりの品種は、料理の飾り用としても使われる。 栄養成分は品種や収穫地によって大きく異なるため、栄養成分表はあくまで目安である。 生のケールは、89.6%が水分、4.4%が炭水化物、2.9%がたんぱく質、1.5%が脂質で構成されている(表)。100gで43キロカロリーのエネルギーと、1日摂取目安量の3.7倍という大量のビタミンKを供給する(表)。ビタミンA、ビタミンC、ビタミンB6、葉酸も豊富であり(表「ケール、生」参照)、マンガン、鉄、カルシウム、マグネシウム、カリウム、リンなどのミネラルのよい供給源でもある(表「ケール、生」参照)。生のケールを茹でると、これらの栄養素のほとんどが減少するが、ビタミンA、K、マンガンはかなりの値を維持する(表「ケール、調理済み」参照)。 他の葉野菜と比べ、特にβ-カロテン、ビタミンB2、カルシウムの含有量が多く、β-カロテンはキャベツの50倍以上で小松菜に匹敵するほど含まれる。食物繊維も多い(表)。 栄養素以外の成分も豊富であることがケールに高い健康機能を期待させる一方で、ケール特有の食べにくさに繋がっている。ファイトケミカルの含有量は、品種や収穫地によって大きく異なり、含有量が極めて少ないものもある。 カロテノイドであるルテインとゼアキサンチンを多く含む(表)。シュウ酸を含むが、調理によって減らすことができる。フェルラ酸などのポリフェノールを多く含む。ブロッコリーや他のアブラナ科の野菜と同様に、スルフォラファンの形成に寄与するグルコシノレート化合物を含み、ヒトの健康に有益な影響を与える可能性について予備研究がされている。茹でるとグルコシノレート化合物が減少するが、蒸したり、電子レンジで加熱したり、炒めたりしても大きな損失はない。 スルフォラファンの形成に寄与するグルコシノレートを始め、構造の異なるグルコシノレートが何種類も含まれている。ヒトが苦味やえぐ味として感知しているのはそれらグルコシノレートの分解物である。スルフォラファンなどイソチオシアネートは、植物中では前駆体のグルコシノレートの形で存在し、咀嚼などにより細胞が壊れ、分解反応が進むとイソチオシアネートが生成する。またグルコシノレートの分解時に硫黄を含む揮発性物質も生成するため青臭さにも影響する。 「便通改善」や「コレステロール低下」など様々な健康機能に注目が集まるが、ヒトでの有効性について信頼できる十分な情報は見当たらない。 食薬区分においては、「医薬品的効能効果を標ぼうしない限り医薬品と判断しない成分本質 (原材料)」(非医薬品)にあたり、医薬品的な効能効果を表示することができない。ただしケールの葉のように「明らか食品(医薬品に該当しないことが明らかに認識される食品)」であれば効能を表示しても薬機法(旧薬事法)には違反しない。しかし「癌が治る」「血糖値が下がる」「血液を浄化する」といった誇大な医薬品的効果効能表示(店頭や説明会における口頭での説明も含む)を行うと、景品表示法や健康増進法の規制の対象となる 。 ケールに加えた難消化性デキストリンや、ケールに含まれるGABAを機能性関与成分とした加工品が、機能性表示食品として届けられている。また、ケールに含まれるGABAやルテイン、スルフォラファンを機能性関与成分とした生鮮野菜が、機能性表示食品として届けられている。機能性表示食品とは、国が審査は行わず、事業者が自らの責任において機能性の表示を行うものである。機能性の根拠には、実際の商品を用いた臨床試験ではなく、成分の文献調査を採用した。 通常の食品として摂取する場合はおそらく安全であるが、妊婦・授乳婦は情報が不足しているため、多量摂取は控えるようにする。 ビタミンK(血液凝固に寄与)を多く含むため、ワルファリン(抗凝固薬)を飲んでいる患者の摂取は注意が必要である。ワルファリンは、ビタミンKの作用を阻害することで血を固まりにくくする薬であり、納豆、ケール、クロレラなどビタミンK含有量の多い食品を食べると、ワルファリンの働きが弱まって血の塊ができやすくなる恐れがある。 多量摂取により、高カリウム血症を引き起こす場合がある。特に腎疾患患者は注意が必要である。 ケールを含むアブラナ科の植物は、S-メチルシステインスルフォキシドを含み、反芻動物の腸内での化学反応の結果、ジメチルジスルフィド へと変化し、牛や羊などでは溶血性貧血を起こす。ヒトにおいては、適切に摂取される限りにおいては安全性に問題はない。
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"日本へは、江戸時代に伝わった。貝原益軒が編纂した『大和本草』(1709年)にオランダナ、サンネンナの名称で記載が見られ、明治時代の『改訂増補舶来穀菜要覧』(1887年)に開拓使によってアメリカから3品種が導入されたという記録がみられる。当初は日本人の好みには合わず、食用としてはほとんど利用されることはなかった。観賞用として、葉が紫紅色や黄色、斑入りのものが多く栽培されて、品種改良によりハボタンが生まれた。日本で食用にされたのは明治以降であり、栽培が普及したのは1990年代の青汁人気からである。現在も主に青汁の原料として栽培されるが、近年のアメリカのケールブームを受け、日本でも苦味が少なく食べやすい料理用ケールが次々と商品化されている。", "title": "起源と地理的分布" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1・2年生または多年生の植物で、種子または茎の挿し木から栽培される。収穫は、株ごと切り取るか、成長してくる葉を摘み取って繰り返し行う。寒さに強く温暖な気候であれば一年中栽培できる。ピークは晩冬から早春で、糖分を蓄えて甘くなる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "各種土壌に適応するが、排水性が良く、有機分の多い砂壌土が栽培に最も適している。ただし、肥料を必要とする作物で、畑は肥料を十分に施しておく必要がある。また、気温20度くらいの冷涼な気候を好み多湿を嫌うが、耐暑性・耐寒性ともに強い。高冷地では夏栽培もできる。旺盛に生育することから、栽培難度はキャベツよりもさらに容易である。他のアブラナ科作物と同様に、同じ畑では連作不可とされる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "種まきは春から秋までの間にいつでもできるが、ふつう縮葉ケールは6 - 7月に行い、10月下旬 - 2月に収穫される。コラードは、3月に種をまき、6月下旬 - 8月に収穫する春まき栽培と、7 - 8月に種まきし、10 - 1月に収穫する夏まき栽培の方法がある。畑の畝に30 - 40センチメートル (cm) 間隔で点まきし、2 - 3回ほど間引きしながら育てていく。平坦地は夏まきして秋から冬の間に収穫するのが一般的である。寒冷地では春まきで、ハウスで育苗したら5 - 6月に定植して、秋から初冬にかけて収穫する。種をまいてから収穫するまで、ふつう3 - 4か月を要する。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "育苗する場合は、育苗ポットに点まき、あるいは苗床に筋まきして、子葉展開後に1度目の間引きを行ってから、本葉2枚ほどになったら苗を1本に間引きする。種まきから30 - 40日後に本葉5 - 6枚になるまで育苗し、株間40 cm程度で定植する。寒くなる12月までの間は、旺盛に生長する期間であり、この間は施肥が重要となる。本葉10枚になるころに、株元に肥料を施したら土寄せも行う。その後は2週間ごとに追肥を行うようにする。収穫は、若い葉の長さが30 - 40 cmになって緑色が濃くなったら、外葉から適時掻き取って順次収穫する。収穫期間は長く、おおよそ2 - 3か月間である。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "病虫害としては、キャベツやカリフラワーと同じで、根こぶ病、萎黄病、べと病、軟腐病、ウイルス病などにかかる場合があり、またアブラムシ、コナガ、アオムシなどの食害を受ける。また土壌はセンチュウに汚染されていないことが栽培の条件となる。", "title": "栽培" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "アブラナ科の多くは自家受粉せず別株の花粉を受粉するため、亜種が生じやすく品種改良がしやすい。さまざまな色や形や大きさのものがあり、品種は茎の長さや葉の形状の違いで区別されることがある。茎は4メートルになるものから30センチメートルほどのものまである。葉のタイプには、日本で最も一般的な縮れのないコラード系ケール、縮れたタイプのカーリーケール、縮れが少ないシベリアンケール、細長くて凹凸があるトスカーナケールなどがある。他にも、茎が長いツリーケール、茎が肥大するマローステムケールなど多くのタイプがあり、それぞれの中に多様な品種がある。家畜の飼料用や観賞用としても、特殊な品種が栽培されている。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "コラード(Collard)系ケールは、葉は幅広の楕円形や円形で、縮れがほとんど無い。キャベツの外葉やブロッコリーの葉に似て、肉厚で歯ごたえがある。灰緑色から濃い緑色で、対照的な葉脈があり、強くアブラナ科の味がする。直立した茎は、単一で生長すると長さ1メートルになり、葉を次々と収穫して食べられる。耐暑性・耐寒性が強く、ポルトガル、ブラジル、スペイン、アメリカ南部、アフリカ諸国、インドのカシミールなどで主要な野菜として栽培されてきた。ブラジルでコラードは「コウヴィ(Couve)」、ポルトガルでは「コウヴィ・ガレガ(Couve Galega)」、東アフリカでは「スクマウィキ(Sukuma wiki)」と呼ばれている。人気の品種には、Georgia Southern、Vates、Morris Heading、Blue Max、Top Bunchなどがある。ポルトガルケール(Couve Galega、Couve Tronchuda)は、コウヴェ・マンティガ(Couve Manteiga、Butter Collard)や、ポルトガルキャベツ(Tronchuda cabbage、Portugese Cabagge)としても知られる。ジューシーグリーンは、コラード系ケールとツリー系ケールの交雑品種であり、搾汁量が多いので青汁に向いている。スウィートグリーンは、ジューシーグリーンより背丈は低いが一株当たりの葉の数が多く、青汁に向いている。ハイクロップ - タキイ種苗が開発した品種で青汁に向いている。サンバカーニバルは、柔らかく苦みが少ないため、開発した増田採種場が「ソフトケール」という商品名で販売している。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "カーリーケール(curly kale)は、葉が縮れた濃い緑色のケールの総称。苦みが少なく、サラダでも食べやすい。デンマークやスウェーデンなどヨーロッパで、古くから食べられてきた。日本では、ちりめんケールとも呼ばれる。狭義のケールはこれを指す。スコッチケール (Scotch Kale) - 葉は灰緑色で、極端なちりめん状の縮みとしわがある。草丈が高いものと低いものがあり、一般には低いのものが多く用いられる。エキストラ・カールド・スコッチ (Extra Curled Scotch)、トール・スコッチ (Tall Scotch)。ノーフォーク (Norfork)、ドワーフ・カールド・スコッチ (Dwarf Curled Scotch)などの品種がある。カリーノケール - トキタ種苗が開発した品種。しっかりした食感で、食べやすいサラダ向けケール。葉の縁が縮れフリルのように愛らしいところから、イタリア語で「愛らしい」を意味する「カリーノ」と命名された。苦味や青臭さが少なく、生のサラダとしても食べられるほか、素揚げのチップス、スープや、発色がよいことから、スムージーでも飲まれる。ロイヤルホストにて2018年2月14日から4月上旬まで開催された新作料理フェアで採用されたほか、デニーズのメニューに採用されたことがある。キッチンケール - 葉がパセリのように縮れ、茎の先端にロゼッタ状につく。草丈は1m以下。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "シベリアンケール(Siberian kale)は、葉が青々とし縮れが少ない。最も耐寒性が高い。クラシックな品種で苦みが強い。草丈が高いものと低いものがあり、一般には低いのものが多く用いられる。スコッチケールよりもやや遅れて生長する。アーリー・カールド・シベリアン (Early Curled Siberian)、ドワーフ・ブルー・カールド (Dwarf Blue Curied)、トール・グリーン・カールド (Tall Green Curied)、レッド・ロシアンケール(Red Russian Kale、RAGGED JACK KALE)などの品種がある。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "トスカーナケール(Tuscan kale)は、葉は細長く黒に近い濃い緑色で、亀の甲羅のようにひび割れた模様が入る。イタリアのトスカーナ地方で古くから栽培されている。冬の作物であり、冬のシーズン中ずっと摘み取って収穫ができる。繊維質で固いので、煮込み料理によく使われる。カーボロネロ(cavolo nero)やラシネートケール(Lacinato kale)、イタリアンケール(Italian kale)、ダイナソーケール(dinosaur kale)、カーボロトスカーノ(cavolo toscano)、パームツリーケール(Palmtree Kale)、ブラックリーフケール(black leaf kale)、黒キャベツ(black cabbage)などとも呼ばれる。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ツリーケール(Tree Kale)は、大型の直立した姿で、草丈は2 - 4メートルにも達する。葉も大型で、葉身が厚くて蝋質が強く、切れ込みがあるものとないものがある。多くは家畜の飼料として葉を繰り返し収穫して利用される。食用にも使われ、特に春に葉のつけ根から出る新芽は良い食材とされる。ジャージーケール(Jersey Kale)、Jersey cabbage、Cow cabbage、Tree cabbage、Walking Stick Kaleは、チャンネル諸島で栽培され、長い茎はステッキ素材、葉は動物用飼料として輸出されていた。高さが普通1.8 - 3m、20年以上で6mに達するものもある。下から葉を摘み取っていくと、ヤシの木のようになる。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "マローステムケール(Marrow Stem Kale)は、茎が太く背骨のようになる。若葉や、茎(stem)の髄(marrow)を食用とするが、一般には家畜の飼料として栽培される。ヨーロッパで広く栽培され、イタリア、ギリシャ、トルコなどで食用に栽培されていた。コンドル (Condor)、エンノーブルド・グリーン・マロー・ステム・ケール (Ennobled Green Marrow Stem Kale)、エンノーブルド・パープル・マロー・ステム・ケール (Ennobled Purple Marrow Stem Kale)などの品種がある。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "サウザンドヘッドケール (Thousand Head Kale)は、直立した姿でよく枝分かれし、高さ1 - 2メートル、横幅も高さと同じ程度に広がる。枝分かれは、地上高20 - 50センチメートルから始まり、各枝の先は、茎がやや太くなり、ロゼット状の葉を数多く生やしてやぶ状になる。サウザンドヘッドの名は、枝分かれした多数の茎や枝の先端にロゼット葉がつくことに由来する。主に家畜の飼料として栽培される。貧弱な土壌でも強く育ち、冬に他の野菜がほとんど収穫できない時期にちなんで「ハングリーギャップ ケール」としても知られる。ブッシュケール (Bush Kale) 、ブランチング (Blanching)、ドーレコール (Dorecole) などとも呼ばれる。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ゴズィラーナ(カーボロリーフグリーン)は、コラード系ケールにカーボロネロを交配した品種であり、カーボロネロよりも葉の幅が広い。プチヴェールは、メキャベツとケールを掛け合わせ、1990年に品種登録された野菜で、結球しないメキャベツ。アレッタは、ブロッコリーとケールを掛け合わせ、2011年に品種登録された野菜。苦みはなく茎には甘みがあり、葉も茎も花蕾も全部食べられる。ケロッコは、ブロッコリーとケールを掛け合わせ、2018年に品種登録された野菜でアレッタと似ている。花蕾がスティック状のブロッコリーで、葉の部分がケール。ケーリッシュは、ダイコンとケールを掛け合わせ、2019年に品種登録された野菜。サラダや加熱調理で食べられ、生で食べるとダイコンのような辛味がある。", "title": "品種" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "香りが独特で苦味が強いため、日本では青汁などジュースの材料として利用される。葉をフリーズドライして常温で顆粒状にした粉末青汁は、水や牛乳に溶かして飲料にしたり、料理に使用できる。", "title": "調理法" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "ヨーロッパやアフリカ、ブラジル、アメリカ、韓国などでは料理の食材として一般的に使われる。キャベツ同様に温野菜、他の野菜と合わせてソテーや、ポタージュ、揚げ物、煮物、炒め物などの具材となる。茎は硬く通常は取り除かれる。若く柔らかい葉は、生のままサラダとして食べられる。アフリカの伝統的な調理法として細切れの葉を煮て作る料理がある。ケニアではコラードの油炒め「スクマウィキ(sukuma wiki)」が家庭料理の定番である。ジンバブエでは、生の葉を天日干しして長期保存している。アメリカ南部では、栄養が濃縮されているコラードの葉を煮たあとの汁に、コーンブレッドを浸して食べる習慣がある。ブラジルでは、「フェイジョアーダ(feijoada)」にコラードのソテーが添えられる。イタリアのトスカーナで、カーボロネロは「リボリータ(Ribollita)」や「ミネストローネ」などの伝統的な食材の一つとして使われる。オランダの「ブーレンコールスタムポット(Boerenkool stamppot)」と呼ばれる伝統的な冬の料理は、カーリーケールとマッシュポテトを混ぜたもので、揚げたベーコンや燻製ソーセージが添えられる。北ドイツでは、「Kohlfahrt」(「ケールの旅」)と呼ばれる冬の伝統があり、日中にグループで森の中をハイキングしてから宿や民家に集まり、ベーコンとソーセージと共にケールが出される。ポルトガルの伝統的なスープ、「カルドヴェルデ(Caldo verde、緑のスープ)」は、ピューレ状にしたジャガイモ、細かく切ったケール、オリーブオイルと塩で作る。この料理はブラジルやアンゴラ、モザンビーク、カシミールでも知られている。アイルランドではケールをマッシュポテトと混ぜて伝統的なハロウィン料理「コルカノン(colcannon)」を作る。トルコには、ピラフをケールで巻く「パンジャールサルマス(Pancar Sarması)という定番メニューがある。韓国の「サムパプ」(쌈밥)は、ケールなどの葉野菜でご飯や肉を包んで食べる。欧米諸国では、ケールとコラードは缶詰や冷凍などの加工が行われている。ポテトチップスの代替品として、ケールチップス も生産されている。若芽や花芽をつけた穂先も、料理に使われることがある。色とりどりの品種は、料理の飾り用としても使われる。", "title": "調理法" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "栄養成分は品種や収穫地によって大きく異なるため、栄養成分表はあくまで目安である。 生のケールは、89.6%が水分、4.4%が炭水化物、2.9%がたんぱく質、1.5%が脂質で構成されている(表)。100gで43キロカロリーのエネルギーと、1日摂取目安量の3.7倍という大量のビタミンKを供給する(表)。ビタミンA、ビタミンC、ビタミンB6、葉酸も豊富であり(表「ケール、生」参照)、マンガン、鉄、カルシウム、マグネシウム、カリウム、リンなどのミネラルのよい供給源でもある(表「ケール、生」参照)。生のケールを茹でると、これらの栄養素のほとんどが減少するが、ビタミンA、K、マンガンはかなりの値を維持する(表「ケール、調理済み」参照)。", "title": "栄養価" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "他の葉野菜と比べ、特にβ-カロテン、ビタミンB2、カルシウムの含有量が多く、β-カロテンはキャベツの50倍以上で小松菜に匹敵するほど含まれる。食物繊維も多い(表)。", "title": "栄養価" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "栄養素以外の成分も豊富であることがケールに高い健康機能を期待させる一方で、ケール特有の食べにくさに繋がっている。ファイトケミカルの含有量は、品種や収穫地によって大きく異なり、含有量が極めて少ないものもある。", "title": "栄養価" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "カロテノイドであるルテインとゼアキサンチンを多く含む(表)。シュウ酸を含むが、調理によって減らすことができる。フェルラ酸などのポリフェノールを多く含む。ブロッコリーや他のアブラナ科の野菜と同様に、スルフォラファンの形成に寄与するグルコシノレート化合物を含み、ヒトの健康に有益な影響を与える可能性について予備研究がされている。茹でるとグルコシノレート化合物が減少するが、蒸したり、電子レンジで加熱したり、炒めたりしても大きな損失はない。", "title": "栄養価" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "スルフォラファンの形成に寄与するグルコシノレートを始め、構造の異なるグルコシノレートが何種類も含まれている。ヒトが苦味やえぐ味として感知しているのはそれらグルコシノレートの分解物である。スルフォラファンなどイソチオシアネートは、植物中では前駆体のグルコシノレートの形で存在し、咀嚼などにより細胞が壊れ、分解反応が進むとイソチオシアネートが生成する。またグルコシノレートの分解時に硫黄を含む揮発性物質も生成するため青臭さにも影響する。", "title": "栄養価" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "「便通改善」や「コレステロール低下」など様々な健康機能に注目が集まるが、ヒトでの有効性について信頼できる十分な情報は見当たらない。", "title": "有効性" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "食薬区分においては、「医薬品的効能効果を標ぼうしない限り医薬品と判断しない成分本質 (原材料)」(非医薬品)にあたり、医薬品的な効能効果を表示することができない。ただしケールの葉のように「明らか食品(医薬品に該当しないことが明らかに認識される食品)」であれば効能を表示しても薬機法(旧薬事法)には違反しない。しかし「癌が治る」「血糖値が下がる」「血液を浄化する」といった誇大な医薬品的効果効能表示(店頭や説明会における口頭での説明も含む)を行うと、景品表示法や健康増進法の規制の対象となる 。", "title": "有効性" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "ケールに加えた難消化性デキストリンや、ケールに含まれるGABAを機能性関与成分とした加工品が、機能性表示食品として届けられている。また、ケールに含まれるGABAやルテイン、スルフォラファンを機能性関与成分とした生鮮野菜が、機能性表示食品として届けられている。機能性表示食品とは、国が審査は行わず、事業者が自らの責任において機能性の表示を行うものである。機能性の根拠には、実際の商品を用いた臨床試験ではなく、成分の文献調査を採用した。", "title": "有効性" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "通常の食品として摂取する場合はおそらく安全であるが、妊婦・授乳婦は情報が不足しているため、多量摂取は控えるようにする。", "title": "安全性" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "ビタミンK(血液凝固に寄与)を多く含むため、ワルファリン(抗凝固薬)を飲んでいる患者の摂取は注意が必要である。ワルファリンは、ビタミンKの作用を阻害することで血を固まりにくくする薬であり、納豆、ケール、クロレラなどビタミンK含有量の多い食品を食べると、ワルファリンの働きが弱まって血の塊ができやすくなる恐れがある。", "title": "安全性" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "多量摂取により、高カリウム血症を引き起こす場合がある。特に腎疾患患者は注意が必要である。", "title": "安全性" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ケールを含むアブラナ科の植物は、S-メチルシステインスルフォキシドを含み、反芻動物の腸内での化学反応の結果、ジメチルジスルフィド へと変化し、牛や羊などでは溶血性貧血を起こす。ヒトにおいては、適切に摂取される限りにおいては安全性に問題はない。", "title": "安全性" } ]
ケールはアブラナ科アブラナ属の野菜。地中海沿岸が原産で、キャベツの原種であるヤセイカンラン に近い品種。和名はリョクヨウカンラン(緑葉甘藍)やハゴロモカンラン(羽衣甘藍)。葉は縮れているものや平滑なコラード系、細長いものなど多様な品種がある。コラード系は日本では明確に区別されず一般にケールと呼ばれている。苦味や青臭さがあり、青汁やグリーンスムージーの材料として利用されるが、ヨーロッパやアフリカなどでは一般的に料理の食材として使われる。生食できるように苦味や食感を改善した品種も数多く開発されている。
{{Otheruses|野菜|その他}} {{生物分類表 |名称 = ケール |色 = lightgreen |画像 = [[ファイル:Boerenkool.jpg|250px]] |画像キャプション = 多様な品種の中のカーリーケール(curly kale) |界 = [[植物界]] {{Sname||Plantae}} |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||angiosperms}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||eudicots}} |目 = [[アブラナ目]] {{Sname||Brassicales}} |科 = [[アブラナ科]] {{Sname||Brassicaceae}} |属 = [[アブラナ属]] {{Snamei||Brassica}} |種 = [[ヤセイカンラン]] ''B. oleracea'' |変種 = ''[[:en:Acephala_group|acephala]]'' |学名 = ''Brassica oleracea'' L. var. ''acephala'' DC.<ref name="YList">{{YList|id=10318|taxon=Brassica oleracea L. var. acephala DC.|accessdate=2021-09-07}}</ref> |和名 = リョクヨウカンラン(緑葉甘藍)、ハゴロモカンラン(羽衣甘藍) |英名 = Kale }} {{生物分類表 |名称 = コラード |色 = lightgreen |画像 = [[File:Collard-Greens-Bundle.jpg|250px]] |画像キャプション = コラード系ケール |界 = [[植物界]] {{Sname||Plantae}} |門階級なし = [[被子植物]] {{Sname||angiosperms}} |綱階級なし = [[真正双子葉類]] {{Sname||eudicots}} |目 = [[アブラナ目]] {{Sname||Brassicales}} |科 = [[アブラナ科]] {{Sname||Brassicaceae}} |属 = [[アブラナ属]] {{Snamei||Brassica}} |種 = [[ヤセイカンラン]] ''B. oleracea'' |変種 = ''[[:en:Acephala_group|acephala]]'' |学名 = ''Brassica oleracea'' L. var. ''acephala'' DC.<ref name="YList" /> |和名 = カキバカンラン |英名 = Collard }} [[File:Lacinato_kale.jpg|right|thumb|250px|[[:en:Lacinato kale|トスカーナケール(''カーボロネロ'')]]]] '''ケール'''(緑葉甘藍<ref>{{Citation|和書|author1=富益良一|author2=田中万逸|year=1911|contribution=甘藍|title=実用園芸全書:蔬菜・果樹・花卉・盆栽|publisher=実業之日本社|pages=198}}</ref>、{{Lang-en-short|kale, borecole}}、[[学名]]: ''Brassica oleracea'' var. ''acephala'')は[[アブラナ科]][[アブラナ属]]の[[葉野菜|野菜]]。地中海沿岸が原産で、[[キャベツ]]の原種である[[ヤセイカンラン]] に近い品種<ref name="botanistinthekitchen" />。[[和名]]は'''リョクヨウカンラン'''(緑葉甘藍)や'''ハゴロモカンラン'''(羽衣甘藍){{sfn|農文協編|2004|p=98}}。葉は縮れているものや平滑な[[:en:Collard (plant)|コラード]]系、細長いものなど多様な品種がある<ref name="nigaikara_oishiihe" /><ref name="curly" />。[[:en:Collard (plant)|コラード]]系は日本では明確に区別されず一般にケールと呼ばれている<ref name="aggie horticulture" /><ref name="kotobank" />。苦味や青臭さがあり、[[青汁]]や[[:en:Smoothie#Green_smoothie|グリーンスムージー]]の材料として利用されるが、[[ヨーロッパ]]や[[アフリカ]]などでは一般的に料理の食材として使われる<ref name="cuisine-kingdom" /><ref name="cornell">{{cite web|url=http://www.gardening.cornell.edu/homegardening/scene57dc.html|title=Growing guide for kale|date=2006|publisher=Cornell University, Ithaca, NY|archive-url=https://web.archive.org/web/20161104123947/http://www.gardening.cornell.edu/homegardening/scene57dc.html|archive-date=4 November 2016|url-status=live|accessdate=2022-06-18|df=dmy-all}}</ref>。生食できるように苦味や食感を改善した品種も数多く開発されている<ref name="nakamura">{{Cite web|和書|url=https://researchmap.jp/1000060324381/misc/33835494 |title=中村宜督、食品に見る 機能性成分のひみつ(第28回)青汁の材料として有名な葉野菜 スルフォラファンとルテイン ケール |publisher =女子栄養大学出版部 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。 ==語源== 「ケール」([[:en:Kale|Kale]])の名前は、様々なキャベツを意味する北部[[中世英語]]「cale」に由来し、起源は[[ラテン語]]の「caulis」である<ref>{{cite web|url=http://www.etymonline.com/index.php?term=kale|title=Kale|publisher=Online Etymology Dictionary, Douglas Harper|date=2016|accessdate=2022-06-18|url-status=live|archive-url=https://web.archive.org/web/20160911152535/http://www.etymonline.com/index.php?term=kale|archive-date=11 September 2016|df=dmy-all}}</ref>。「[[:en:Collard (plant)|コラード]]」([[:en:Collard (plant)|Collard]])の名前は、頭のない[[:en:Brassica_oleracea|Brassica]]属を意味する[[中世英語]]「colewort」に由来する<ref name="aggie horticulture" />。 和名では、キャベツ(甘藍、カンラン)の仲間で結球していない姿から「リョクヨウカンラン(緑葉甘藍)」といい、特に縮れた葉のものは「ハゴロモカンラン(羽衣甘藍)」{{sfn|農文協編|2004|p=98}}、[[:en:Collard (plant)|コラード]]は「カキバカンラン」という<ref name="kotobank" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/en/collard/ |title=collardの意味 - 小学館 プログレッシブ英和中辞典 |publisher =goo辞書 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。中国語で縮れた葉のケールは「[[:zh:羽衣甘藍|羽衣甘蓝]]」<ref>{{Cite web |url=https://ja.glosbe.com/zh/ja/羽衣甘蓝 |title=羽衣甘蓝 日本語に 中国語-日本語 辞書 |publisher =Glosbe |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="mikawa" />、[[:en:Collard (plant)|コラード]]は「[[:zh:羽衣甘藍|宽叶羽衣甘蓝]]」という<ref>{{Cite web |url=https://baike.baidu.com/item/宽叶羽衣甘蓝/4219356 |title=宽叶羽衣甘蓝 |publisher =Baidu |accessdate=2022-06-18}}</ref>。「宽叶」は「幅広の葉」の意味である<ref>{{Cite web|和書|url=https://cjjc.weblio.jp/content/宽叶 |title=宽叶 |publisher =weblio |accessdate=2022-06-18}}</ref>。 [[学名]](属名+種小名+変種)は“Brassica oleracea variety acephala“であり、属名“Brassica“はキャベツの古いラテン名、種小名の“oleracea“は“畑に栽培の”を意味し、変種の“[[:en:Acephala group|acephala]]“は、結球しないことを示す“無頭の”を意味し、直訳すると「頭のない畑のキャベツ」になる<ref name="Saskatchewan">{{Cite web|url=http://agbio.usask.ca/community-outreach/gardenline/vegetables.php|title=Vegetables - University of Saskatchewan|website=agbio.usask.ca|accessdate=2022-06-18|archive-url=https://web.archive.org/web/20160329102224/http://agbio.usask.ca/community-outreach/gardenline/vegetables.php|archive-date=2016-03-29|url-status=dead}}</ref>。同じ[[学名]]“Brassica oleracea“を持つ植物に[[カリフラワー]]、[[キャベツ]]、[[芽キャベツ]]、[[ブロッコリー]]などがあり、すべて[[原種]]の[[ヤセイカンラン]]から派生した<ref name="botanistinthekitchen">{{Cite web|url=https://botanistinthekitchen.wordpress.com/2012/11/05/the-extraordinary-diversity-of-brassica-oleracea/|title=The extraordinary diversity of Brassica oleracea|last=Osnas|first=Jeanne L. D.|website=The Botanist in the Kitchen|accessdate=2022-06-18|date=2012-11-05}}</ref>。その中でもケールは最も原種に近いものである<ref name="prota4u" />。 ==起源と地理的分布 == [[地中海]]沿岸に自生していた[[ヤセイカンラン]]が原産とされ、紀元前200年には[[古代ギリシア]]で薬用や食用として栽培されていた<ref name="nakamura" /><ref name="nigaikara_oishiihe" />。[[ヨーロッパ]]へは6世紀ごろに、航海中のビタミンCを補うために船に積んでいた[[ケルト人]]によって伝えられた<ref name="nakamura" /><ref name="diamond_nishikawa" />。[[イギリス]]、[[オランダ]]、[[ドイツ]]などで食用を目的に栽培され、多くの品種が作り出された{{sfn|農文協編|2004|p=97}}<ref name="nakamura" />。耐暑性・耐寒性が強いケールは、中世のヨーロッパで最も一般的な緑黄色野菜であり<ref name="PerryCoolCrop">{{cite web |last1=Perry |first1=Leonard |title=Interesting cool crops |url=https://pss.uvm.edu/ppp/articles/cabbage.html |website=University of Vermont Extension, Department of Plant and Soil Science |accessdate=2022-06-18}}</ref>、食糧難の時代にヨーロッパを飢餓から救った<ref name="nigaikara_oishiihe" />。 ケールは、冬が訪れる地域では地表に大きく葉を広げ、1年中暑い地域では背が高くなるなど、その土地の風土や気候に合わせて姿を変えてきた<ref name="diamond_nishikawa" />。栽培しやすく栄養価が高いため、ヨーロッパ、北米、南米、アフリカ、アジアと世界各地に広がり、重要な野菜として栽培されている<ref name="nigaikara_oishiihe" />。しかし冷涼な気候を好むため、熱帯地方ではほとんどが高地に限定される<ref name="prota4u" />。[[東アフリカ]]や[[南部アフリカ]]では、最も重要な葉野菜の1つである<ref name="prota4u" />。[[:en:Collard (plant)|コラード]]系ケールは、[[スワヒリ語]]で「(次の)週を何とか乗り切る」を意味する「[[:en:Sukuma_wiki|スクマウィキ]]」と言う<ref name="prota4u" /><ref name="nigaikara_oishiihe" />。東アフリカと南部アフリカでは、葉を繰り返し収穫する背の高いタイプが人気だが、[[中央アフリカ]]ではあまり見られず、[[西アフリカ]]ではまれである<ref name="prota4u" />。熱帯アフリカでは、広く分布する[[:pt:Couve-galega|ポルトガルケール]]やマローステムケールを除けば、カーリーケール(curly kale)のような西洋系タイプはほとんど見られない<ref name="prota4u" />。輸入品種は収量や均一性には優れているが、現地品種に見られるような病害虫への耐性がなく、消費者の好みに合わない、低地での栽培に適さない、などの問題がある<ref name="prota4u">{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20170202001030/http://www.prota4u.org/protav8.asp?h=M5&t=kale&p=Brassica+oleracea+%28leaf+cabbage%29#VernacularNamesOthers |title=PROTAbase on ''Brassica oleracea'' (leaf cabbage)] |publisher = |accessdate=2022-06-18}}</ref>。 スコットランドでは、スコッチケール (Scotch Kale)が伝統的な食生活の中で重要な位置を占めており、いくつかの方言でケールは「食べ物」と同義語である<ref name="kale_7631" />。"off one's kale "は「体調が悪くて食べられないこと」を意味する<ref name="kale_7631" />。イギリスでは第二次世界大戦中、「[[:en:Victory_garden#Britain|Dig for Victory]]」キャンペーンによりケールなどの野菜栽培が奨励され、欠乏する栄養素を補った<ref>{{Cite web |url=https://www.express.co.uk/life-style/garden/574261/Gardening-during-wartime |title= Land army: Alan Titchmarsh on how gardening became essential for survival during wartime |publisher =Daily Express |date=2015-03-03 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。 ポルトガルでは[[:pt:Couve-galega|ポルトガルケール]]([[:en:Collard (plant)|コラード]]系)が多く栽培され、ポルトガルの入植者によって[[ブラジル]]に渡った<ref name="Auchan & Eu" /><ref>{{Cite web |url=https://www.sementerara.com.br/couve-portuguesa-tronchuda-sementes |title=Sementes de Couve Portuguesa Tronchuda |publisher =Semente Rara |accessdate=2022-06-18}}</ref>。イタリアでは[[:en:Lacinato kale|トスカーナケール(カーボロネロ)]]が、中国では8世紀頃から[[:en:Chinese Kale|チャイニーズケール]]([[:zh:芥藍|芥藍]]、[[カイラン]])の茎や葉、花のつぼみが一般的に食べられている<ref>{{Cite web |url=https://www.evergreenseeds.com/gai-lan/ |title=Chinese Kale (Gai Lan): Growing and Cooking Authentic Flavors |publisher =evergreenseeds |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="diamond_nishikawa" />。 アメリカには17世紀に伝わったが、サラダの飾り用や花束などの装飾用が主だった{{sfn|農文協編|2004|p=97}}<ref name="NewsPicks" /><ref>{{Cite web |url=https://gastropod.com/transcript-meet-the-man-who-found-finagled-and-ferried-home-the-foods-we-eat-today/ |title=TRANSCRIPT Meet the Man Who Found, Finagled, and Ferried Home the Foods We Eat Today |publisher =Gastropod |accessdate=2022-06-18}}</ref>。1990年代初頭から栄養的に注目され、2010年頃に[[セレブ]]の間で[[スーパーフード]]として[[ブレイク]]し、[[:en:Smoothie#Green_smoothie|グリーンスムージー]]やサラダ、[[:en:Vegetable_chip#Kale_chips|ケールチップス]]などの人気の食材して使われている<ref name="syokuzaihyakka" /><ref name="NewsPicks">{{Cite web|和書|url=https://newspicks.com/news/1696093/body/ |title=青汁のもと“ケール”ブームを仕掛けたNY敏腕PRウーマン |publisher =NewsPicks |date=2016-07-31 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。[[:en:Collard (plant)|コラード]]系ケールは、アフリカから[[アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史|奴隷]]とともにアメリカに渡った<ref name="dalmatian-cabbage">{{Cite web |url=https://koanga.org.nz/gardens/product/dalmatian-cabbage/ |title=Cabbage Dalmatian (aka: Collards or Loose-leafed Cabbage) |publisher =Koanga Gardens |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="African American foodways">{{Cite web |url=https://archive.org/details/africanamericanf0000unse/page/34/mode/2up |title=African American foodways : explorations of history and culture |publisher = |accessdate=2022-06-18}}</ref>。[[アメリカ南部]]の家庭菜園では冬の定番野菜であり、貧しい農民の貴重なミネラルとビタミンの供給源になった<ref name="aggie horticulture">{{Cite web |url=https://aggie-horticulture.tamu.edu/archives/parsons/publications/vegetabletravelers/kale.html |title=Greeks and Romans Grew Kale and Collards |publisher =aggie horticulture |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name=":1">{{cite journal |last=Wortman |first=Stefanie |date=2012 |title=Greens |journal=Southwest Review |issn=0038-4712 |volume=97 |issue=3 |pages=400-407 |jstor=43473220 |url=https://www.jstor.org/stable/43473220}}</ref>。今でも[[アメリカ南部]]では重要な野菜のひとつであり、[[:en:African_Americans|アフリカ系アメリカ人]]の[[:en:Soul_food|ソウルフード]]である<ref name="dalmatian-cabbage" /><ref name="African American foodways" />。 ===日本=== 日本へは、江戸時代に伝わった<ref name="kotobank">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/ケール-60077 |title=ケール |publisher =コトバンク |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="syokuzaihyakka" />。[[貝原益軒]]が編纂した『[[大和本草]]』(1709年)にオランダナ、サンネンナの名称で記載が見られ、明治時代の『改訂増補舶来穀菜要覧』(1887年)に開拓使によってアメリカから3品種が導入されたという記録がみられる{{sfn|農文協編|2004|p=97}}<ref name="cuisine-kingdom">{{Cite web|和書|url=https://cuisine-kingdom.com/beetroot-kale/ |title=スーパーフード「ビーツ」と「ケール」のルーツを知る |publisher =料理王国 |date=2021-11-18 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。当初は日本人の好みには合わず、食用としてはほとんど利用されることはなかった{{sfn|農文協編|2004|p=97}}。観賞用として、葉が紫紅色や黄色、斑入りのものが多く栽培されて、品種改良により[[ハボタン]]が生まれた{{sfn|農文協編|2004|p=97}}<ref name="nakamura" />。日本で食用にされたのは明治以降であり、栽培が普及したのは1990年代の[[青汁]]人気からである<ref name="nigaikara_oishiihe" />。現在も主に青汁の原料として栽培されるが、近年のアメリカのケールブームを受け<ref>{{Cite web|和書|url=https://digitalpr.jp/r/11817 |title=アメリカで今、注目の野菜“ケール”「ドールのケール」新発売 |publisher =Digital PR Platform |date=2015-06-02 |accessdate=2022-06-18}}</ref>、日本でも苦味が少なく食べやすい料理用ケールが次々と商品化されている<ref name="nigaikara_oishiihe">{{Cite web|和書|url=https://vegetable.alic.go.jp/yasaijoho/wadai/2002_wadai.html |title=苦いからおいしいへ~今、注目されるケール~ |publisher =農畜産業振興機構 |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="nakamura" />。 ==栽培 == 1・2年生または多年生の植物で<ref name="nigaikara_oishiihe" /><ref name="evergreen">{{Cite web|和書|url=https://love-evergreen.com/zukan/plant/15745 |title=ケール |publisher =EVERGREEN |accessdate=2022-06-18}}</ref>、種子または茎の挿し木から栽培される<ref name="prota4u" />。収穫は、株ごと切り取るか、成長してくる葉を摘み取って繰り返し行う<ref name="prota4u" /><ref name="curly" />。寒さに強く温暖な気候であれば一年中栽培できる<ref name="cornell" />。ピークは晩冬から早春で、糖分を蓄えて甘くなる<ref name="aggie horticulture" /><ref name="specialtyproduce_collard" /><ref name="Colorado State University" />。 各種土壌に適応するが、排水性が良く、有機分の多い砂壌土が栽培に最も適している{{sfn|農文協編|2004|p=98}}。ただし、肥料を必要とする作物で、畑は肥料を十分に施しておく必要がある{{sfn|農文協編|2004|p=98}}。また、気温20度くらいの冷涼な気候を好み多湿を嫌うが、耐暑性・耐寒性ともに強い{{sfn|農文協編|2004|p=98}}。高冷地では夏栽培もできる{{sfn|農文協編|2004|p=98}}。旺盛に生育することから、栽培難度はキャベツよりもさらに容易である{{sfn|農文協編|2004|p=98}}。他のアブラナ科作物と同様に、同じ畑では[[連作]]不可とされる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=232}}。 種まきは春から秋までの間にいつでもできるが、ふつう縮葉ケールは6 - 7月に行い、10月下旬 - 2月に収穫される{{sfn|農文協編|2004|p=101}}。コラードは、3月に種をまき、6月下旬 - 8月に収穫する春まき栽培と、7 - 8月に種まきし、10 - 1月に収穫する夏まき栽培の方法がある{{sfn|農文協編|2004|p=101}}。畑の[[畝]]に30 - 40[[センチメートル]] (cm) 間隔で点まきし、2 - 3回ほど間引きしながら育てていく{{sfn|農文協編|2004|p=98}}。平坦地は夏まきして秋から冬の間に収穫するのが一般的である{{sfn|農文協編|2004|p=98}}。寒冷地では春まきで、ハウスで育苗したら5 - 6月に定植して、秋から初冬にかけて収穫する{{sfn|農文協編|2004|p=98}}。種をまいてから収穫するまで、ふつう3 - 4か月を要する{{sfn|農文協編|2004|p=101}}。 育苗する場合は、育苗ポットに点まき、あるいは苗床に筋まきして、子葉展開後に1度目の間引きを行ってから、本葉2枚ほどになったら苗を1本に間引きする{{sfn|農文協編|2004|p=98}}{{sfn|主婦の友社編|2011|p=232}}。種まきから30 - 40日後に本葉5 - 6枚になるまで育苗し、株間40&nbsp;cm程度で定植する{{sfn|農文協編|2004|p=98}}{{sfn|主婦の友社編|2011|p=232}}。寒くなる12月までの間は、旺盛に生長する期間であり、この間は施肥が重要となる{{sfn|農文協編|2004|p=98}}。本葉10枚になるころに、株元に肥料を施したら土寄せも行う{{sfn|主婦の友社編|2011|p=232}}。その後は2週間ごとに追肥を行うようにする{{sfn|主婦の友社編|2011|p=232}}。収穫は、若い葉の長さが30 - 40&nbsp;cmになって緑色が濃くなったら、外葉から適時掻き取って順次収穫する{{sfn|農文協編|2004|p=98}}{{sfn|主婦の友社編|2011|p=232}}。収穫期間は長く、おおよそ2 - 3か月間である{{sfn|農文協編|2004|p=101}}。 病虫害としては、キャベツや[[カリフラワー]]と同じで、[[:en:Clubroot|根こぶ病]]、[[萎黄病]]、[[べと病]]、[[:en:Bacterial_soft_rot|軟腐病]]、ウイルス病などにかかる場合があり{{sfn|農文協編|2004|p=100}}、また[[アブラムシ]]、[[コナガ]]、[[アオムシ]]などの食害を受ける{{sfn|農文協編|2004|p=101}}{{sfn|主婦の友社編|2011|p=232}}。また土壌は[[センチュウ]]に汚染されていないことが栽培の条件となる{{sfn|農文協編|2004|p=100}}。 == 品種 == [[File:Ornamental Kale.jpg|left|thumb|白とラベンダー色の観賞用ケール([[ハボタン]])<ref>{{Cite web |url=https://www.walterreeves.com/landscaping/ornamental-kaleornamental-cabbage/ |title=Ornamental Kale/Ornamental Cabbage |publisher =Walter Reeves |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref>{{cite web|title=The ornamental cabbage|url=http://www.gardenersworld.com/blogs/plants/the-ornamental-cabbage/2897.html|author=James Alexander-Sinclair|publisher=[[:en:Immediate Media Company Ltd|Immediate Media Company Ltd]]|website=Gardenersworld.com|accessdate=2022-06-18|archive-url=https://web.archive.org/web/20140711101414/http://www.gardenersworld.com/blogs/plants/the-ornamental-cabbage/2897.html|archive-date=2014-07-11|url-status=dead}}</ref>]] アブラナ科の多くは[[自家受粉]]せず別株の花粉を受粉するため、亜種が生じやすく品種改良がしやすい<ref name="diamond_nishikawa" /><ref name="nakamura" />。さまざまな色や形や大きさのものがあり、品種は茎の長さや葉の形状の違いで区別されることがある<ref name="kale_7631" /><ref name="Colorado State University" />。茎は4[[メートル]]になるものから30[[センチメートル]]ほどのものまである{{sfn|農文協編|2004|p=98}}。葉のタイプには、日本で最も一般的な縮れのない[[:en:Collard (plant)|コラード]]系ケール、縮れたタイプの[[:en:Kale|カーリーケール]]、縮れが少ないシベリアンケール、細長くて凹凸がある[[:en:Lacinato kale|トスカーナケール]]などがある<ref name="kale_7631" /><ref name="Colorado State University">{{Cite web |url=https://fsi.colostate.edu/kale-and-collard-greens/ |title=ale and collard greens |publisher =Colorado State University |accessdate=2022-06-18}}</ref>。他にも、茎が長いツリーケール、茎が肥大するマローステムケールなど多くのタイプがあり<ref name="kotobank" />、それぞれの中に多様な品種がある<ref name="syokuzaihyakka">{{Cite web|和書|url=https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/Kale.htm |title=ケール/Kale:特徴と旬の時期 |publisher =フーズリンク |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="nigaikara_oishiihe" />。家畜の飼料用や観賞用としても、特殊な品種が栽培されている<ref name="cornell" /><ref name="prota4u" />。 [[File:Collards.jpg|right|thumb|[[:en:Collard (plant)|コラード]]]] === コラード=== [[:en:Collard (plant)|コラード(Collard)]]系ケールは、葉は幅広の楕円形や円形で、縮れがほとんど無い<ref name="specialtyproduce_collard">{{Cite web |url=https://specialtyproduce.com/produce/collard_greens_1717.php |title=Collard Greens |publisher =Specialty Produce |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="syokuzaihyakka" />。キャベツの外葉やブロッコリーの葉に似て、肉厚で歯ごたえがある<ref name="specialtyproduce_collard" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://kinarino.jp/cat4-グルメ/36622 |title=注目野菜【ケール】人気レシピ24選!栄養を摂れる食べ方はスープ/サラダがおすすめ* |publisher =キナリノ |date=2021-01-28 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。灰緑色から濃い緑色で、対照的な葉脈があり、強くアブラナ科の味がする<ref name="specialtyproduce_collard" />。直立した茎は、単一で生長すると長さ1メートルになり、葉を次々と収穫して食べられる<ref name="masudaseed" />{{sfn|農文協編|2004|p=99}}。耐暑性・耐寒性が強く、ポルトガル、ブラジル、スペイン、アメリカ南部、アフリカ諸国、インドの[[カシミール]]などで主要な野菜として栽培されてきた<ref name="afrifoodnetwork">{{Cite web |url=https://afrifoodnetwork.com/recipes/gomen-wat/ |title=Gomen Wat – (Ethiopian Collard Greens) |publisher =African Food Network |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="mikawa" />。ブラジルでコラードは「[[:pt:Couve|コウヴィ]]([[:pt:Couve|Couve]])」<ref>{{Cite web |url=https://revistajardins.pt/cultura-da-couve-portuguesa/ |title=CULTURA DA COUVE-PORTUGUESA |publisher =Jardins |accessdate=2022-06-18}}</ref>、ポルトガルでは「[[:pt:couve galega|コウヴィ・ガレガ]]([[:pt:couve galega|Couve Galega]])」、東アフリカでは「[[:en:Sukuma_wiki|スクマウィキ]]([[:en:Sukuma_wiki|Sukuma wiki]])」と呼ばれている<ref name="prota4u" />。人気の品種には、'''Georgia Southern'''、'''Vates'''、'''Morris Heading'''、'''Blue Max'''、'''Top Bunch'''などがある<ref>{{Cite web |url=http://vegvariety.cce.cornell.edu/main/showVarieties.php?searchCriteria=collards&searchIn=1&crop_id=0&sortBy=overallrating&order=DESC |title=Vegetable Varieties for Gardeners is a citizen science program |publisher =Cornell University |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="Genetic Diversity">{{Cite journal|last1=Pelc |first1=Sandra E. |last2=Couillard |first2=David M. |last3=Stansell |first3=Zachary J. |last4=Farnham |first4=Mark W. |date=2015 |title=Genetic Diversity and Population Structure of Collard Landraces and their Relationship to Other ''Brassica oleracea'' Crops |journal=The Plant Genome |volume=8 |issue=3 |pages=eplantgenome2015.04.0023 |doi=10.3835/plantgenome2015.04.0023 |pmid=33228266 |s2cid=55772782 |issn=1940-3372 |doi-access=free}}</ref>。'''[[:pt:Couve-galega|ポルトガルケール]]'''(Couve Galega、Couve Tronchuda)は、'''コウヴェ・マンティガ'''(Couve Manteiga、Butter Collard)や、ポルトガルキャベツ(Tronchuda cabbage、Portugese Cabagge)としても知られる<ref name="Auchan & Eu">{{Cite web |url=https://auchaneeu.auchan.pt/vida-saudavel/nutricao/couve-portuguesa/ |title=A mais portuguesa de todas as couves |publisher =Auchan & Eu |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="mikawa" />。'''ジューシーグリーン'''は、コラード系ケールとツリー系ケールの交雑品種であり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.weblio.jp/content/ジューシーグリーン |title=ジューシーグリーン【ジューシーグリーン】(野菜) |publisher =weblio |accessdate=2022-06-18}}</ref>、搾汁量が多いので青汁に向いている<ref name="masudaseed" />。'''スウィートグリーン'''は、ジューシーグリーンより背丈は低いが一株当たりの葉の数が多く、青汁に向いている<ref name="masudaseed">{{Cite web|和書|url=https://www.masudaseed.com/products/seed/kale.html |title=ケール種 |publisher =増田採種場 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。'''ハイクロップ''' - [[タキイ種苗]]が開発した品種で青汁に向いている{{sfn|農文協編|2004|p=99}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.takii.co.jp/CGI/tsk/shohin/shohin.cgi?breed_seq=00000090&hinmoku_cd=ACA&area_cd=5&daigi_flg=0 |title=ハイクロップ |publisher =タキイ種苗 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。'''サンバカーニバル'''は、柔らかく苦みが少ないため、開発した[[増田採種場]]が「ソフトケール」という商品名で販売している<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/articles/DA3S13058175.html|title=(旬ネタ!!)サラダ用ケール もう苦くない|work=|publisher=『[[be (朝日新聞) |朝日新聞be]]』|date=2017年7月29日}}</ref><ref name="masudaseed" />。 [[File:Kale-Bundle.jpg|right|thumb|カーリーケール]] === カーリーケール=== カーリーケール(curly kale)は、葉が縮れた濃い緑色のケールの総称<ref name="curly">{{Cite web|和書|url=https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun-vegetable/キャベツ・ケール/kale/kale-curly.htm |title=カリーノケール・ミスタ/カーリー・ケール |publisher =フーズリンク |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="matsunaga-seed" />。苦みが少なく、サラダでも食べやすい<ref name="curly" /><ref name="sankyoseed" />。デンマークやスウェーデンなどヨーロッパで、古くから食べられてきた<ref name="mikawa" />。日本では、ちりめんケールとも呼ばれる<ref name="sankyoseed">{{Cite web|和書|url=https://www.sankyoseed.co.jp/shop/products/detail.php?product_id=200 |title=カーリーグリーン(ちりめんケール) |publisher =信州山峡採種場 |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="matsunaga-seed">{{Cite web|和書|url=https://matsunaga-seed.ocnk.net/product/859 |title=青ちりめんケール カーリー・グリーン |publisher =松永種苗 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。狭義のケールはこれを指す<ref name="mikawa">{{Cite web|和書|url=https://flora-of-mikawa.sakura.ne.jp/data/habotan.htm |title=ハボタン 葉牡丹 |publisher =三河の植物図鑑 |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="kale_7631" />。'''スコッチケール (Scotch Kale)''' <ref>{{Cite web |url=https://www.lexico.com/definition/Scotch_kale |title=Meaning of Scotch kale in English:Scotch kale |publisher =Lexico.com |accessdate=2022-06-18}}</ref>- 葉は灰緑色で、極端なちりめん状の縮みとしわがある。草丈が高いものと低いものがあり、一般には低いのものが多く用いられる{{sfn|農文協編|2004|p=99}}。'''エキストラ・カールド・スコッチ''' (Extra Curled Scotch)、'''トール・スコッチ''' (Tall Scotch)。'''ノーフォーク''' (Norfork)、'''ドワーフ・カールド・スコッチ''' (Dwarf Curled Scotch)などの品種がある。'''カリーノケール''' - トキタ種苗が開発した品種。しっかりした食感で、食べやすい[[サラダ]]向けケール。[[葉]]の縁が縮れ[[フリル]]のように愛らしいところから、イタリア語で「愛らしい」を意味する「カリーノ」と命名された。苦味や青臭さが少なく、生の[[サラダ]]としても食べられるほか、素揚げのチップス、[[スープ]]や、発色がよいことから、[[スムージー]]でも飲まれる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tokitaseed.co.jp/ck/ |title=カリーノケール |publisher =トキタ種苗 |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tokitaseed.co.jp/utopicall.php |title=最新情報 |publisher =トキタ種苗 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。[[ロイヤルホスト]]にて2018年2月14日から4月上旬まで開催された新作料理フェアで採用されたほか、[[デニーズ (日本)|デニーズ]]のメニューに採用されたことがある<ref>{{Cite web|和書|url=http://innoplex.org/archives/41173|title=植物工場・農業ビジネスオンライン|accessdate=2020-3-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.royal-holdings.co.jp/release/backnumber/2018/3656.php|title=ロイヤルホールディングス公式サイト - ロイヤルホスト、2月14日より「Meat & Green」を開催|accessdate=2020-3-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tokitaseed.co.jp/utopic.php?id=545|title=トキタ種苗公式サイト - 2018-03-03 「カリーノケール」の【おいしい”ケール”サラダ】が全国のロイヤルホスト217店舗で楽しめます。|accessdate=2020-3-13}}</ref>。'''キッチンケール''' - 葉がパセリのように縮れ、茎の先端にロゼッタ状につく。草丈は1m以下<ref name="masudaseed" />。 [[File:CSA-Red-Russian-Kale.jpg|right|thumb|レッドロシアンケール]] === シベリアンケール=== シベリアンケール(Siberian kale)は、葉が青々とし縮れが少ない<ref name="specialtyproduce_Siberian Kale">{{Cite web |url=https://specialtyproduce.com/produce/Siberian_Kale_10425.php |title=Siberian Kale |publisher =specialtyproduce |accessdate=2022-06-18}}</ref>。最も耐寒性が高い<ref name="kale_7631">{{Cite web |url=https://specialtyproduce.com/produce/kale_7631.php |title=Kale |publisher =Specialty Produce |accessdate=2022-06-18}}</ref>。クラシックな品種で苦みが強い。草丈が高いものと低いものがあり、一般には低いのものが多く用いられる。スコッチケールよりもやや遅れて生長する{{sfn|農文協編|2004|p=99}}。'''アーリー・カールド・シベリアン''' (Early Curled Siberian)、'''ドワーフ・ブルー・カールド''' (Dwarf Blue Curied)、'''トール・グリーン・カールド''' (Tall Green Curied)、'''レッド・ロシアンケール'''(Red Russian Kale、RAGGED JACK KALE)<ref>{{Cite web|和書|url=https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/Kale-Russian.htm |title=レッド・ロシアンケール:特徴や産地と旬 |publisher =フーズリンク |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.gardenersworld.com/plants/brassica-oleracea-ragged-jack/ |title=Brassica oleracea ‘Ragged Jack’ |publisher =Immediate Media |accessdate=2022-06-18}}</ref>などの品種がある。 [[File:20170526-AMS-LSC-0326 (34137217614).jpg|left|thumb|220x150px|[[:en:Lacinato kale|トスカーナケール]]]] ===トスカーナケール=== [[:en:Lacinato kale|トスカーナケール(Tuscan kale)]]は、葉は細長く黒に近い濃い緑色で、亀の甲羅のようにひび割れた模様が入る<ref name="dinosaur_kale_6611">{{Cite web |url=https://specialtyproduce.com/produce/dinosaur_kale_6611.php |title=Dinosaur Kale |publisher =Specialty Produce |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="junglecity_kale">{{Cite web|和書|url=https://www.junglecity.com/people/eat-the-seasons-in-the-northwest/kale/ |title=シアトルの夏:ビタミン&カルシウムが豊富!スーパーフード「ケール」 |publisher =junglecity.com |date=2018-08-01 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。イタリアの[[トスカーナ]]地方で古くから栽培されている<ref name=appleman>{{cite book|last1=Appleman|first1=Nate|last2=Lindgren|first2=Shelley|last3=Leahy|first3=Kate|title=A16: Food + Wine|url=https://books.google.com/books?id=1gIWoYep8-kC&pg=PA230|year=2008|publisher=Random House|isbn=978-1-58008-907-4|page=230}}</ref>。冬の作物であり、冬のシーズン中ずっと摘み取って収穫ができる<ref name="dinosaur_kale_6611" />。繊維質で固いので、煮込み料理によく使われる<ref name="about-cavolo-nero">{{Cite web|和書|url=https://bacchetteepomodoro.com/ja/about-cavolo-nero/ |title=カーボロ・ネロ(黒キャベツ) |publisher = |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="Tuscan_Kale_4595" />。'''カーボロネロ'''(cavolo nero)やラシネートケール([[:en:Lacinato kale|Lacinato kale]])、イタリアンケール(Italian kale)、ダイナソーケール(dinosaur kale)、カーボロトスカーノ(cavolo toscano)、パームツリーケール(Palmtree Kale)<ref name=goin>{{cite book|last1=Goin|first1=Suzanne|last2=Gelber|first2=Teri|title=Sunday Suppers at Lucques: Seasonal Recipes from Market to Table |url=https://books.google.com/books?id=F8i3E4emYJIC&q=cavolo+nero+lacinato+kale&pg=PT236|year=2005|publisher=Random House Digital, Inc.|isbn=9780307547675|page=236}}</ref><ref name=thorness>{{cite book|last1=Thorness|first1=Bill|title=Edible Heirlooms: Heritage Vegetables for the Maritime Garden |url=https://books.google.com/books?id=xCobUshBhpoC&q=lacinato+kale+gardening&pg=PA90|year=2009|publisher=Skipstone|isbn=978-1-59485-142-1|page=90}}</ref>、ブラックリーフケール(black leaf kale)、黒キャベツ(black cabbage)などとも呼ばれる<ref name="syokuzaihyakka_CavoloNero">{{Cite web|和書|url=https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/CavoloNero.htm |title=カーボロネロ/黒キャベツ/cavolo nero<イタリア野菜 |publisher =フーズリンク |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="Tuscan_Kale_4595">{{Cite web |url=https://specialtyproduce.com/produce/Tuscan_Kale_4595.php |title=Tuscan Kale |publisher =Specialty Produce |accessdate=2022-06-18}}</ref>。 [[File:Tree cabbage.jpg|right|thumb|[[:en:Jersey cabbage|ジャージーケール]]]] ===ツリーケール=== ツリーケール(Tree Kale)は、大型の直立した姿で、草丈は2 - 4メートルにも達する{{sfn|農文協編|2004|p=100}}。葉も大型で、葉身が厚くて蝋質が強く、切れ込みがあるものとないものがある{{sfn|農文協編|2004|p=100}}。多くは家畜の飼料として葉を繰り返し収穫して利用される{{sfn|農文協編|2004|p=100}}。食用にも使われ、特に春に葉のつけ根から出る新芽は良い食材とされる{{sfn|農文協編|2004|p=100}}。'''ジャージーケール'''(Jersey Kale)、Jersey cabbage、Cow cabbage、Tree cabbage、Walking Stick Kaleは、[[チャンネル諸島]]で栽培され、長い茎は[[ステッキ]]素材、葉は動物用飼料として輸出されていた<ref name="jerseyeveningpost">{{cite web|title=Giant cabbage|url=http://jerseyeveningpost.com/island-life/history-heritage/giant-cabbage/|website=Jersey Evening Post|accessdate=2022-06-18|archive-url=https://web.archive.org/web/20140606222118/http://jerseyeveningpost.com/island-life/history-heritage/giant-cabbage/|archive-date=2014-06-06|url-status=dead}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://homeguides.sfgate.com/grow-giant-walking-stick-cabbage-76144.html |title=How to Grow Giant Walking Stick Cabbage |publisher =SFGATE |accessdate=2022-06-18}}</ref>。高さが普通1.8 - 3m、20年以上で6mに達するものもある<ref name="mikawa" /><ref>{{cite web|title=Jersey Kale, Walking Stick Cabbage, Cow Cabbage, Tree Cabbage, Chou Cavalier|website=Chiltern Seeds|url=http://www.chilternseeds.co.uk/item_1360c_jersey_kale_or_walking_stick_cabbage_seeds|accessdate=2022-06-18|archive-url=https://archive.today/20141126115043/http://www.chilternseeds.co.uk/item_1360c_jersey_kale_or_walking_stick_cabbage_seeds|archive-date=2014-11-26|url-status=dead}}</ref>。下から葉を摘み取っていくと、[[ヤシ]]の木のようになる<ref>{{Cite web |url=https://www.epicurious.com/shopping/you-should-grow-this-rare-giant-kale-in-your-garden-article |title=You Should Grow This Rare Giant Kale in Your Garden |publisher =epicurious |date=2021-08-19 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。 [[File:MarkstammkohlBestand.jpg|left|thumb|マローステムケール]] === マローステムケール=== マローステムケール(Marrow Stem Kale)は、茎が太く背骨のようになる<ref name="mikawa" /><ref>{{Cite web |url=https://pfaf.org/user/Plant.aspx?LatinName=Brassica+oleracea+medullosa |title=Brassica oleracea medullosa - Thell. |publisher =Plants For A Future |accessdate=2022-06-18}}</ref>。若葉や、茎(stem)の髄(marrow)を食用とするが、一般には家畜の飼料として栽培される{{sfn|農文協編|2004|p=99}}<ref>{{Cite web |url=https://tuinzaden.eu/en/kale-seeds/922099-tronchuda-fodder-kale-marrow-stem-seeds.html |title=tronchuda fodder kale marrow stem seeds |publisher =tuinzaden |accessdate=2022-06-18}}</ref>。ヨーロッパで広く栽培され、イタリア、ギリシャ、トルコなどで食用に栽培されていた<ref name="mikawa" />。'''コンドル''' (Condor)、'''エンノーブルド・グリーン・マロー・ステム・ケール''' (Ennobled Green Marrow Stem Kale)、'''エンノーブルド・パープル・マロー・ステム・ケール''' (Ennobled Purple Marrow Stem Kale)などの品種がある。 === サウザンドヘッドケール=== サウザンドヘッドケール (Thousand Head Kale)は、直立した姿でよく枝分かれし、高さ1 - 2メートル、横幅も高さと同じ程度に広がる{{sfn|農文協編|2004|p=100}}。枝分かれは、地上高20 - 50センチメートルから始まり、各枝の先は、茎がやや太くなり、[[ロゼット]]状の葉を数多く生やしてやぶ状になる{{sfn|農文協編|2004|p=100}}。サウザンドヘッドの名は、枝分かれした多数の茎や枝の先端にロゼット葉がつくことに由来する{{sfn|農文協編|2004|p=100}}。主に家畜の飼料として栽培される<ref name="mikawa" />。貧弱な土壌でも強く育ち、冬に他の野菜がほとんど収穫できない時期にちなんで「[[:en:Hungry_gap|ハングリーギャップ]] ケール」としても知られる<ref name="mikawa" /><ref>{{Cite web |url=https://southernharvest.com.au/kale-thousand-headed |title=KALE ‘Thousand Headed’ |publisher =southernharvest |accessdate=2022-06-18}}</ref>。'''ブッシュケール (Bush Kale) '''、ブランチング (Blanching)、ドーレコール (Dorecole) などとも呼ばれる{{sfn|農文協編|2004|p=100}}。 === 交配種=== '''ゴズィラーナ'''(カーボロリーフグリーン)は、コラード系ケールに[[:en:cavolo nero|カーボロネロ]]を交配した品種であり、カーボロネロよりも葉の幅が広い<ref name="gozy">{{Cite web|和書|url=https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun-vegetable/キャベツ・ケール/kale/gozy.htm |title=ゴズィラーナ/カーボロリーフグリーン |publisher =旬の食材百科辞典 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。'''プチヴェール'''は、[[メキャベツ]]とケールを掛け合わせ、1990年に品種登録された野菜で、結球しない[[メキャベツ]]<ref name="petit-vert">{{Cite web|和書|url=https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/vegitable/petit-vert.htm |title=プチヴェール:旬の時期と主な産地 |publisher =旬の食材百科 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。'''アレッタ'''は、[[ブロッコリー]]とケールを掛け合わせ、2011年に品種登録された野菜<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.alic.go.jp/koho/kikaku03_000844.html |title=【まめ知識】ブロッコリーとケールから生まれた「アレッタ」 |publisher =農畜産業振興機構 |date=2016-01-06 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。苦みはなく茎には甘みがあり、葉も茎も花蕾も全部食べられる<ref>{{Cite web|和書|url=https://delishkitchen.tv/articles/713 |title=アレッタとは?スティックセニョールとの違いやレシピをご紹介 |publisher =DELISH KITCHEN |date=2021-06-07 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。'''ケロッコ'''は、[[ブロッコリー]]とケールを掛け合わせ、2018年に品種登録された野菜でアレッタと似ている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yasainavi.com/blog/archive/513 |title=ブロッコリー ケロッコ |publisher =野菜ナビ |date=2021-04-11 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。花蕾がスティック状のブロッコリーで、葉の部分がケール<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.alic.go.jp/content/001197314.pdf |title=これからの野菜の売り方 価値創造 ~多様性とWKWK(ワクワク)♪感を~ |format=PDF |publisher =農畜産業振興機構 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。'''ケーリッシュ'''は、[[ダイコン]]とケールを掛け合わせ、2019年に品種登録された野菜<ref name="kalish" />。サラダや加熱調理で食べられ、生で食べるとダイコンのような辛味がある<ref name="kalish">{{Cite web|和書|url=https://www.kagome.co.jp/library/company/news/2019/img/20191101001.pdf |title=ケールとダイコンから生まれた「ケーリッシュ」の販売開始 |format=PDF |publisher =カゴメ |date=2019-11-01 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。 == 調理法 == 香りが独特で苦味が強いため、[[日本]]では[[青汁]]などジュースの材料として利用される{{sfn|主婦の友社編|2011|p=232}}<ref name="syokuzaihyakka" />。葉を[[フリーズドライ]]して常温で顆粒状にした粉末青汁は、水や牛乳に溶かして飲料にしたり、料理に使用できる{{sfn|農文協編|2004|p=97}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kyusai.co.jp/aojiru/powder/recipe/ |title= ザ・ケール(青汁)おすすめレシピ |publisher =キューサイ |accessdate=2022-06-18}}</ref>。 ヨーロッパやアフリカ、ブラジル、アメリカ、韓国などでは料理の食材として一般的に使われる<ref name="cuisine-kingdom" /><ref name="prota4u" />。キャベツ同様に[[温野菜]]、他の野菜と合わせて[[ソテー]]や、[[ポタージュ]]、[[揚げ物]]、[[煮物]]、[[炒め物]]などの具材となる{{sfn|主婦の友社編|2011|p=232}}{{sfn|農文協編|2004|p=97}}。茎は硬く通常は取り除かれる<ref name="kale_7631" />。若く柔らかい葉は、生のまま[[サラダ]]として食べられる<ref name="cornell">{{cite web|url=http://www.gardening.cornell.edu/homegardening/scene57dc.html|title=Growing guide for kale|date=2006|publisher=Cornell University, Ithaca, NY|archive-url=https://web.archive.org/web/20161104123947/http://www.gardening.cornell.edu/homegardening/scene57dc.html|archive-date=4 November 2016|url-status=live|accessdate=2022-06-18|df=dmy-all}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.waitrose.com/ecom/recipes/vegetable/kale |title=Kale Recipes |publisher =Waitrose |accessdate=2022-06-18}}</ref>。アフリカの伝統的な調理法として細切れの葉を煮て作る料理がある<ref name="prota4u" /><ref name="afrifoodnetwork" />。[[ケニア]]では[[:en:Collard (plant)|コラード]]の油炒め「[[:en:sukuma wiki|スクマウィキ]]([[:en:sukuma wiki|sukuma wiki]])」が家庭料理の定番である<ref name="prota4u" /><ref name="arukikata">{{Cite book|和書|author=地球の歩き方編集室 |title=地球の歩き方 旅の図鑑 W07 世界のグルメ図鑑 |publisher=学研プラス |date=2021-7-26 |page=208 |isbn=978-4058016596}}</ref>。[[ジンバブエ]]では、生の葉を天日干しして長期保存している<ref name="prota4u" />。[[アメリカ南部]]では、栄養が濃縮されている[[:en:Collard (plant)|コラード]]の[[:en:Collard liquor|葉を煮たあとの汁]]に、[[:en:Cornbread|コーンブレッド]]を浸して食べる習慣がある<ref>{{Cite book|last=Bower|first=Anne|title=African American Foodways Explorations of History & Culture|publisher=University of Illinois Press|year=2007|isbn=9780252031854|pages=48}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.npr.org/sections/thesalt/2013/08/06/209543044/pot-liquor-a-southern-tip-to-save-nutritious-broth-from-greens |title=Pot Liquor: A Southern Tip To Save Nutritious Broth From Greens |publisher =npr |date=2013-08-07 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。ブラジルでは、「[[フェイジョアーダ]]([[:pt:feijoada|feijoada]])」にコラードのソテーが添えられる<ref>{{Cite web |url=https://www.smithsonianmag.com/arts-culture/Celebrate-Brazil-with-Emerils-Feijoada-180951699/ |title=How to Make Feijoada, Brazil’s National Dish, Including a Recipe From Emeril Lagasse |publisher =Smithsonian Magazine |date=2014-06-13 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。イタリアの[[トスカーナ]]で、[[:en:Lacinato kale|カーボロネロ]]は「[[:en:Ribollita|リボリータ]]([[:en:Ribollita|Ribollita]])」<ref>{{Cite web|和書|url=https://hash-casa.com/2021/12/27/ribollita/ |title=煮込むほど美味しいイタリア野菜”カーボロネロ”を使った食べるスープ「リボリータ」 |publisher =#casa |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.cookist.it/ribollita-di-cavolo-nero/ |title=Ribollita di cavolo nero: la ricetta della zuppa simbolo della cucina toscana continua su: https://www.cookist.it/ribollita-di-cavolo-nero/ https://www.cookist.it/ |publisher =cookist |accessdate=2022-06-18}}</ref>や「[[ミネストローネ]]」などの伝統的な食材の一つとして使われる<ref name=appleman /><ref>{{cite book|last1=Brennan|first1=Georgeanna|last2=Koons|first2=Todd|last3=Frankeny|first3=Frankie|title=Great Greens: Fresh, Flavorful, and Innovative Recipes|url=https://books.google.com/books?id=fRBbX-G3XW4C&pg=PA30|year=2003|publisher=Chronicle|isbn=978-0-8118-3907-5|page=30}}</ref>。オランダの「[[:nl:Boerenkool_(gerecht)|ブーレンコールスタムポット]]([[:nl:Boerenkool_(gerecht)|Boerenkool stamppot]])」と呼ばれる伝統的な冬の料理は、カーリーケールとマッシュポテトを混ぜたもので、揚げたベーコンや[[:de:Pinkel|燻製ソーセージ]]が添えられる<ref>{{cite book | last=Harvard Student Agencies | first=Inc. | title=Let's Go Paris, Amsterdam & Brussels: The Student Travel Guide | publisher=Avalon Travel Publishing | series=Let's go travel guide | year=2013 | isbn=978-1-61237-028-6 | url=https://books.google.com/books?id=GTRKAAAAQBAJ&pg=PT503 | access-date=April 2, 2017 | page=503}}</ref>。北ドイツでは、「[[:de:Pinkel#Kohlfahrten|Kohlfahrt]]」(「ケールの旅」)と呼ばれる冬の伝統があり、日中にグループで森の中をハイキングしてから宿や民家に集まり、ベーコンと[[:de:Kohlwurst|ソーセージ]]と共にケールが出される<ref>{{Cite web |url=https://taz.de/Norddeutsches-Winterbrauchtum/!5481120/ |title=Eine Kohlfahrt, die ist lustig |publisher =taz |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref>{{cite news |last1=Gorman |first1=Louise |title=On the kale tour trail in Germany, schnapps in hand |url=https://www.sbs.com.au/food/article/2016/04/08/kale-tour-trail-germany-schnapps-hand |accessdate=2022-06-18 |work=sbs.com.au |date=11 April 2016 |language=en}}</ref>。ポルトガルの伝統的なスープ、「[[:pt:Caldo_verde|カルドヴェルデ]]([[:pt:Caldo_verde|Caldo verde、緑のスープ)]]」は、ピューレ状にしたジャガイモ、細かく切ったケール、オリーブオイルと塩で作る<ref>{{cite book | title=The Illustrated Cook's Book of Ingredients | publisher=DK Publishing | series=The Illustrated Cook's Book of Ingredients | year=2010 | isbn=978-0-7566-7673-5 | url=https://books.google.com/books?id=TZdT_Kndq_8C&pg=PA193 | access-date=April 2, 2017 | page=193}}</ref>。この料理はブラジル<ref name="diamond_nishikawa">{{Cite book|和書|author=西川敦子 |title=ケールのチカラ |publisher=ダイヤモンド社 |date=2012-09-28 |page= |isbn=978-4478022535}}</ref>やアンゴラ、モザンビーク、[[カシミール]]でも知られている<ref name="prota4u" /><ref>{{Cite web |url=https://marryamhreshii.com/haakh-or-collard-greens/ |title=Haakh or Collard Greens |publisher =marryamhreshii |date=2015-11-03 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。アイルランドではケールをマッシュポテトと混ぜて伝統的なハロウィン料理「[[コルカノン]]([[:en:Colcannon|colcannon]])」を作る<ref>{{cite book | last1=Wise | first1=V. | last2=Hawken | first2=S. | title=The Gardeners' Community Cookbook | publisher=Workman Pub. | year=1999 | isbn=978-0-7611-1772-8 | url=https://archive.org/details/gardenerscommuni0000wise | url-access=registration | accessdate=2022-06-18 | page=[https://archive.org/details/gardenerscommuni0000wise/page/276 276]}}</ref><ref>{{cite book | last=Rogers | first=N. | title=Halloween: From Pagan Ritual to Party Night | publisher=Oxford University Press | year=2003 | isbn=978-0-19-516896-9 | url=https://books.google.com/books?id=stWZ_UDteMIC&pg=PA47 | accessdate=2022-06-18 | page=47 | url-status=live | archive-url=https://web.archive.org/web/20160502070117/https://books.google.com/books?id=stWZ_UDteMIC | archive-date=2 May 2016 | df=dmy-all }}</ref>。[[トルコ]]には、ピラフをケールで巻く「[[:tr:Karalahana_sarması|パンジャールサルマス]]([[:tr:Karalahana_sarması|Pancar Sarması]])という定番メニューがある<ref>{{Cite web|和書|url=https://recipe.rakuten.co.jp/recipe/1170012601/ |title=トルコ料理★ベジタリアン用ケールの葉っぱロール レシピ・作り方 |publisher =Rakutenレシピ |accessdate=2022-06-18}}</ref>。[[韓国]]の「[[:ko:쌈|サムパプ]]」([[:ko:쌈|쌈]][[:ko:밥|밥]])は、ケールなどの葉野菜でご飯や肉を包んで食べる<ref>{{Cite web|和書|url=https://japan.ajunews.com/view/20160808162947235 |title=[AJU VIDEO] 韓国料理レシピ⑤・・・体に優しいヘルシーな「サムパプ」 |publisher =亜洲経済 |date=2016-08-08 |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="diamond_nishikawa" />。欧米諸国では、ケールとコラードは缶詰や冷凍などの加工が行われている<ref name="prota4u" /><ref name="aggie horticulture" />。ポテトチップスの代替品として、[[:en:Vegetable_chip#Kale_chips|ケールチップス]] も生産されている<ref>{{cite web | title=A kid-friendly potato chip alternative | website=The Washington Post | date=June 23, 2015 | url=https://www.washingtonpost.com/lifestyle/wellness/a-kid-friendly-potato-chip-alternative/2015/06/23/de383eba-0fc2-11e5-9726-49d6fa26a8c6_story.html | accessdate=2022-06-18 | url-status=live | archive-url=https://web.archive.org/web/20170402165954/https://www.washingtonpost.com/lifestyle/wellness/a-kid-friendly-potato-chip-alternative/2015/06/23/de383eba-0fc2-11e5-9726-49d6fa26a8c6_story.html | archive-date=2 April 2017 | df=dmy-all }}</ref>。若芽や花芽をつけた穂先も、料理に使われることがある<ref name="prota4u" />。色とりどりの品種は、料理の飾り用としても使われる<ref name="cornell" />。 <gallery widths="220" heights="150"> Ugali & Sukuma Wiki.jpg|[[東アフリカ]]の[[:en:sukuma wiki|スクマウィキ]]と[[:en:Ugali|ウガリ]]([[:en:Collard (plant)|コラード]]) US Navy 081127-N-7571S-011 Culinary Specialist Seaman Freddie Green prepares collard greens for the crew's Thanksgiving dinner.jpg|[[アメリカ南部]]の[[:en:Collard (plant)|コラード]]を煮る料理 Ribollita_Siena.jpg|イタリア、[[トスカーナ]]の[[:it:Ribollita|リボリータ]]([[:en:Lacinato kale|トスカーナケール]]) Boerenkool stamppot.jpg|オランダの[[:nl:Boerenkool_(gerecht)|ブーレンコールスタムポット]](カーリーケール) Caldo verde.jpg|ポルトガルの[[:pt:Caldo_verde|カルドヴェルデ]]([[:pt:Couve-galega|ポルトガルケール]]) Colcannon (5532418361).jpg|アイルランドの[[コルカノン]](カーリーケール) Kara lahana sarma.jpg|トルコの[[:tr:Karalahana_sarması|パンジャールサルマス]]([[:en:Collard (plant)|コラード]]) Ssam vegetables and ssamjang.jpg|韓国のサムパプ([[:ko:쌈|쌈]][[:ko:밥|밥]]) Making kale chips in Lockport, Illinois.jpg|[[イリノイ州]]、[[:en:Vegetable_chip#Kale_chips|ケールチップス]] の製造 Kogt skinke brunede kartofler grønlangkål.jpg|伝統的な新年の[[デンマーク料理]]。茹でたハム、ポテト、煮込んだケール Mas huni-roshi087.JPG|[[モルディブ]]の[[マスフニ]]([[:en:Collard (plant)|コラード]]) Vegan Stack at Two Mountains (cropped).jpg|オーストラリアのカフェで提供されるケール、マッシュルーム、[[:en:sourdough bread|サワードウブレッド]]などの料理 </gallery> == 栄養価 == {{Nutritional value | name = ケール、生<br />&nbsp; | water = 89.6 g | kJ = 180 | protein = 2.9 g | fat = 1.5 g | carbs = 4.4 g | fiber = 4.1 g | sugars = 0.8 g | calcium_mg = 254 | iron_mg = 1.6 | magnesium_mg = 33 | phosphorus_mg = 55 | potassium_mg = 348 | sodium_mg = 53 | zinc_mg = 0.39 | manganese_mg = 0.92 | vitC_mg = 93.4 | thiamin_mg = 0.11 | riboflavin_mg = 0.35 | niacin_mg = 1.18 | pantothenic_mg = 0.37 | vitB6_mg = 0.15 | folate_ug = 62 | vitA_ug = 241 | betacarotene_ug=2780 | lutein_ug = 6260 | vitE_mg = 0.66 | vitK_ug = 390 | source_usda = yes | noRDA = | float = }} {{stack begin}} {{Nutritional value | name = ケール、調理済み、茹で、水切り、塩なし | water = 89.8 g | kJ = 151 | protein = 2.9 g | fat = 1.2 g | carbs = 5.3 g | fiber = 4 g | sugars = 1.2 g | calcium_mg = 150 | iron_mg = 0.8 | magnesium_mg = 25 | phosphorus_mg = 42 | potassium_mg = 144 | sodium_mg = 16 | zinc_mg = 0.27 | manganese_mg = 0.54 | vitC_mg = 17.8 | thiamin_mg = 0.06 | riboflavin_mg = 0.14 | niacin_mg = 0.46 | pantothenic_mg = 0.17 | vitB6_mg = 0.06 | folate_ug = 65 | vitA_ug = 146 | betacarotene_ug=1730 | lutein_ug = 4983 | vitE_mg = 1.61 | vitK_ug = 418 | source_usda = yes | noRDA = | float = }} {{stack end}} 栄養成分は品種や収穫地によって大きく異なるため、[[栄養成分表]]はあくまで目安である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/__icsFiles/afieldfile/2017/02/22/QA_2015.pdf |title=日本食品標準成分表に関するQ&A |format=PDF |publisher =文部科学省 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。 生のケールは、89.6%が水分、4.4%が炭水化物、2.9%がたんぱく質、1.5%が脂質で構成されている(表)。100gで43キロカロリーのエネルギーと、1日摂取目安量の3.7倍という大量の[[ビタミンK]]を供給する(表)。ビタミンA、ビタミンC、ビタミンB6、葉酸も豊富であり(表「ケール、生」参照)、マンガン、鉄、カルシウム、マグネシウム、カリウム、リンなどのミネラルのよい供給源でもある(表「ケール、生」参照)。生のケールを茹でると、これらの栄養素のほとんどが減少するが、ビタミンA、K、マンガンはかなりの値を維持する(表「ケール、調理済み」参照)。 他の葉野菜と比べ、特に[[β-カロテン]]、[[ビタミンB2]]、[[カルシウム]]の含有量が多く{{sfn|農文協編|2004|p=97}}、β-カロテンは[[キャベツ]]の50倍以上で小松菜に匹敵するほど含まれる<ref name="nakamura" />。[[食物繊維]]も多い(表)。 ; ファイトケミカル 栄養素以外の成分も豊富であることがケールに高い健康機能を期待させる一方で、ケール特有の食べにくさに繋がっている<ref name="nakamura" />。[[ファイトケミカル]]の含有量は、品種や収穫地によって大きく異なり、含有量が極めて少ないものもある<ref name="nakamura" /><ref name=":0">{{Cite journal |last1=Zietz|first1=Michaela |last2=Weckmüller|first2=Annika |last3=Schmidt|first3=Susanne |last4=Rohn|first4=Sascha |last5=Schreiner|first5=Monika |last6=Krumbein|first6=A |last7=Kroh|first7=Lothar W |title=Genotypic and Climatic Influence on the Antioxidant Activity of Flavonoids in Kale (''Brassica oleracea'' var. sabellica) |journal=Journal of Agricultural and Food Chemistry |volume=58|issue=4 |pages=2123-2130 |year=2010 |doi=10.1021/jf9033909 |pmid=20095605}}</ref>。 [[カロテノイド]]である[[ルテイン]]と[[ゼアキサンチン]]を多く含む(表)<ref name="lpi" />。[[シュウ酸]]を含むが、調理によって減らすことができる<ref name="Armesto">{{cite journal | last1=Armesto | first1=Jorge | last2=Gómez-Limia | first2=Lucía | last3=Carballo | first3=Javier | last4=Martínez | first4=Sidonia | title=Effects of different cooking methods on the antioxidant capacity and flavonoid, organic acid and mineral contents of Galega kale (''Brassica oleracea'' var. acephala cv. Galega) | journal=International Journal of Food Sciences and Nutrition | volume=70 | issue=2 | date=23 July 2018 | issn=0963-7486 | doi=10.1080/09637486.2018.1482530 | pages=136-149|pmid=30037287| s2cid=51712893 }}</ref>。[[フェルラ酸]]などの[[ポリフェノール]]を多く含む<ref name="antioxidative" />。ブロッコリーや他のアブラナ科の野菜と同様に、[[スルフォラファン]]の形成に寄与する[[グルコシノレート]]化合物を含み、ヒトの健康に有益な影響を与える可能性について[[:en:Pilot_experiment|予備研究]]がされている<ref name="lpi">{{cite news |title=Isothiocyanates |newspaper=Linus Pauling Institute |url=https://lpi.oregonstate.edu/mic/dietary-factors/phytochemicals/isothiocyanates |publisher=Micronutrient Information Center, Linus Pauling Institute, Oregon State University |accessdate=2022-06-18 |date=March 2017}}</ref>。茹でると[[グルコシノレート]]化合物が減少するが、蒸したり、電子レンジで加熱したり、炒めたりしても大きな損失はない<ref name="antioxidative">{{Cite journal |last1=Korus|first1=Anna |last2=Lisiewska|first2=Zofia |title=Effect of preliminary processing and method of preservation on the content of selected antioxidative compounds in kale (''Brassica oleracea'' L. var. acephala) leaves |journal=Food Chemistry |volume=129 |issue=1 |pages=149-154 |doi=10.1016/j.foodchem.2011.04.048 |year=2011}}</ref>。 ; 苦味成分 [[スルフォラファン]]の形成に寄与する[[グルコシノレート]]を始め、構造の異なる[[グルコシノレート]]が何種類も含まれている<ref name="nakamura" /><ref name="lpi" />。ヒトが苦味やえぐ味として感知しているのはそれら[[グルコシノレート]]の分解物である<ref name="nakamura" />。[[スルフォラファン]]など[[イソチオシアネート]]は、植物中では[[前駆体]]の[[グルコシノレート]]の形で存在し、咀嚼などにより細胞が壊れ、分解反応が進むと[[イソチオシアネート]]が生成する<ref name="lpi" />。また[[グルコシノレート]]の分解時に[[硫黄]]を含む揮発性物質も生成するため青臭さにも影響する<ref name="nakamura" />。 ==有効性== 「便通改善」や「コレステロール低下」など様々な健康機能に注目が集まるが、ヒトでの有効性について信頼できる十分な情報<ref>{{Cite web|和書|url=https://satoru-blog.com/post-397/ |title=どんな論文が本当に治療効果を証明しているのか? |publisher =大須賀覚 |date=2019-06-20 |accessdate=2022-03-19}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://hfnet.nibiohn.go.jp/contents/detail771.html |title=その情報は「確かな情報」ですか? |publisher =国立健康・栄養研究所 |accessdate=2021-07-30}}</ref>は見当たらない<ref name="hfnet4372" /><ref name="nakamura" />。 ===食薬区分=== [[医薬品#食薬区分|食薬区分]]においては、「[[成分本質_(原材料)_では医薬品でないもの|医薬品的効能効果を標ぼうしない限り医薬品と判断しない成分本質 (原材料)]]」([[成分本質_(原材料)_では医薬品でないもの|非医薬品]])にあたり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11130500-Shokuhinanzenbu/0000086063_1.pdf |title=医薬品的効能効果を標ぼうしない限り医薬品と判断しない成分本質(原材料)リスト |format=PDF |publisher =厚生労働省 |accessdate=2021-07-26}}</ref><ref name="hfnet4372" />、医薬品的な効能効果を表示することができない。ただしケールの葉のように「明らか食品(医薬品に該当しないことが明らかに認識される食品)」であれば効能を表示しても[[薬事法|薬機法(旧薬事法)]]には違反しない<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.doyaku.or.jp/guidance/data/H26-10.pdf |title=「明らか食品」とは? |format=PDF |publisher =北海道薬剤師会 |accessdate=2021-07-25}}</ref>。しかし「癌が治る」「血糖値が下がる」「血液を浄化する」といった誇大な医薬品的効果効能表示(店頭や説明会における口頭での説明も含む)を行うと、[[景品表示法]]や[[健康増進法]]の規制の対象となる<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hokeniryo.metro.tokyo.lg.jp/shokuhin/hyouji/shokuhyouhou_eiyou_kodai.html |title=誇大表示の禁止 |publisher =東京都福祉保健局 |accessdate=2021-08-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.caa.go.jp/policies/policy/representation/fair_labeling/pdf/160630premiums_8.pdf |title=健康食品に関する景品表示法及び健康増進法上の留意事項について |format=PDF |publisher =消費者、|date=2016-06-30 |accessdate=2021-07-23}}</ref> <ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/kenkou/kenko_shokuhin/ken_syoku/kanshi/kounou.html |title=医薬品的な効能効果について |publisher =東京都健康福祉局 |accessdate=2021-07-23}}</ref>。 {{Main|薬事法と食品表示・食品広告}} ケールに加えた[[難消化性デキストリン]]<ref name="detail4510">{{Cite web|和書|url=https://hfnet.nibiohn.go.jp/contents/detail4510.html |title=特定保健用食品 ケール青汁+食物繊維 |publisher =国立健康・栄養研究所 |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="detail4554">{{Cite web|和書|url=https://hfnet.nibiohn.go.jp/contents/detail4554.html |title=特定保健用食品 ケール自慢のよろこび青汁 |publisher =国立健康・栄養研究所 |accessdate=2022-06-18}}</ref>や、ケールに含まれる[[GABA]]<ref name="fld_sb">{{Cite web|和書|url=https://www.fld.caa.go.jp/caaks/cssc02/?recordSeq=42201190061101 |title=有機ケール青汁、届出食品の科学的根拠等に関する基本情報(一般消費者向け) |publisher =消費者庁 |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="fld_masuda">{{Cite web|和書|url=https://www.fld.caa.go.jp/caaks/cssc02/?recordSeq=42205120601201 |title=GABA(ギャバ)ケール、届出食品の科学的根拠等に関する基本情報(一般消費者向け) |publisher =消費者庁 |accessdate=2022-06-18}}</ref>を機能性関与成分とした加工品が、[[機能性表示食品]]として届けられている。また、ケールに含まれる[[GABA]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.alic.go.jp/y-keiyaku/93.html |title=出展者情報:株式会社増田採種場 |publisher =農畜産業振興機構 |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="soft">{{Cite web|和書|url=https://www.fld.caa.go.jp/caaks/cssc02/?recordSeq=42205120591001 |title=ソフトケールGABA(ギャバ)、届出食品の科学的根拠等に関する基本情報(一般消費者向け) |publisher =消費者庁 |accessdate=2022-06-18}}</ref>や[[ルテイン]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fld.caa.go.jp/caaks/cssc02/?recordSeq=42205310250701 |title=きらベジ ルテインケール、届出食品の科学的根拠等に関する基本情報(一般消費者向け) |publisher =消費者庁 |accessdate=2022-06-18}}</ref>、[[スルフォラファン]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fld.caa.go.jp/caaks/cssc02/?recordSeq=42203170480401 |title=ケールスルフォラファンスプラウト、届出食品の科学的根拠等に関する基本情報(一般消費者向け) |publisher =消費者庁 |accessdate=2022-06-18}}</ref>を機能性関与成分とした生鮮野菜が、[[機能性表示食品]]として届けられている。機能性表示食品とは、国が審査は行わず、事業者が自らの責任において機能性の表示を行うものである<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.caa.go.jp/policies/policy/food_labeling/foods_with_function_claims/ |title=機能性表示食品について |publisher =消費者庁 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。機能性の根拠には、実際の商品を用いた[[臨床試験]]ではなく、成分の[[:en:Literature_review|文献調査]]を採用した<ref name="fld_sb" /><ref name="soft" />。 == 安全性 == 通常の食品として摂取する場合はおそらく安全であるが、妊婦・授乳婦は情報が不足しているため、多量摂取は控えるようにする<ref name="hfnet4372">{{hfnet|4372|ケール}}</ref>。 [[ビタミンK]]([[血液凝固]]に寄与)を多く含むため、[[ワルファリン]]([[抗凝固薬]])を飲んでいる患者の摂取は注意が必要である<ref name="pmda">{{Cite web|和書|url=https://www.info.pmda.go.jp/go/pack/3332001D1023_1_11/ |title=ワーファリン錠 添付文書 |publisher =PMDA医薬品医療機器総合機構 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。ワルファリンは、ビタミンKの作用を阻害することで血を固まりにくくする薬であり、[[納豆]]、ケール、[[クロレラ]]などビタミンK含有量の多い食品を食べると、ワルファリンの働きが弱まって血の塊ができやすくなる恐れがある<ref name="hfnet77">{{hfnet|77|ナットウ (納豆)、ナットウ菌}}</ref><ref name="hfnet3875">{{hfnet|3875|青汁の健康効果って?}}</ref>。 多量摂取により、[[高カリウム血症]]を引き起こす場合がある<ref name="hfnet3074">{{hfnet|3074|青汁}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=健康食品の青汁を摂取し高カリウム血症にて搬送された1例 |author=道下貴弘, 大井康史, 山縣英尋, 高橋充, 白澤彩, 伊巻尚平, 竹内一郎 |journal=日本救急医学会関東地方会雑誌 |volume=41 |issue=2 |pages=329-332 |year=2020 |doi=10.24697/jaamkanto.41.2_329 |url=https://doi.org/10.24697/jaamkanto.41.2_329 |publisher=日本救急医学会関東地方会 |accessdate=2022-08-08}}</ref>。特に[[腎疾患]]患者は注意が必要である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jinzouzaidan.or.jp/jigyou/fkzn_qa/56/vol56_3.pdf |title=サプリメントの摂取 透析を受けている人がサプリメントを摂る場合に、注意することはありますか? |format=PDF |publisher = 日本腎臓財団 |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.msdmanuals.com/ja-jp/ホーム/12-ホルモンと代謝の病気/電解質のバランス/高カリウム血症-血液中のカリウム濃度が高いこと |title=高カリウム血症 |publisher =MSDマニュアル家庭版 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。 ケールを含むアブラナ科の植物は、''S''-メチルシステインスルフォキシドを含み、[[反芻]]動物の腸内での化学反応の結果、[[ジメチルジスルフィド]] へと変化し、[[牛]]や[[羊]]などでは溶血性[[貧血]]を起こす<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20160410141117/http://www.naro.affrc.go.jp/org/niah/disease_poisoning/plants/kale.html |title=ケール |publisher =農研機構 | 国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構 |date=2008-02-04 |accessdate=2022-06-18}}</ref><ref name="fsc">{{Cite web|和書|url=https://www.fsc.go.jp/hyouka/hy/hy-tuuchi-160916aojiru.pdf |title=食品健康影響評価の結果について |format=PDF |publisher =食品安全委員会 |date=2004-09-16 |accessdate=2022-06-18}}</ref>。ヒトにおいては、適切に摂取される限りにおいては安全性に問題はない<ref name="fsc" />。 ==出典== {{Reflist|30em}} == 参考文献 == * {{Cite book|和書|author =主婦の友社編|title = 野菜まるごと大図鑑|date=2011-02-20|publisher = [[主婦の友社]]|isbn=978-4-07-273608-1|page =232|ref=harv}} * {{Cite book|和書|author = 農文協編|title = 野菜園芸大百科 第2版 20:特産野菜70種|date = 2004-03-31|publisher = [[農山漁村文化協会]]|isbn = 4-540-04123-1|pages = 97 - 101|ref=harv}} == 関連項目 == {{div col|small=yes|colwidth=20em}} * [[ヤセイカンラン]] * [[:en:Acephala group|アセファラグループ]] {{small|(英語版)}} - 結球しないアブラナ属 * [[:en:Kale|ケール]] {{small|(英語版)}} * [[:en:Collard (plant)|コラード]] {{small|(英語版)}} * [[:pt:Couve-galega|ポルトガルケール]] {{small|(ポルトガル版)}} * [[:en:Lacinato_kale|トスカーナケール]] {{small|(英語版)}} * [[:en:Chinese Kale|チャイニーズケール]] {{small|(英語版)}} * [[ハボタン]] * [[青汁]] * [[:en:Smoothie#Green_smoothie|グリーンスムージー]] {{small|(英語版)}} * [[:en:Collard liquor|コラードリカー]] {{small|(英語版)}} * [[:de:Pinkel#Grünkohl_und_Pinkel,_Brauchtum|ケールと燻製ソーセージ、風習]] {{small|(ドイツ版)}} * [[スルフォラファン]] * [[ルテイン]] {{div col end}} == 外部リンク == * {{Hfnet|4372|ケール}} * {{Hfnet|3074|青汁}} * {{Hfnet|3875|青汁の健康効果って?}} * {{Commons-inline|Brassica oleracea|''Brassica oleracea''}} * {{Commons category-inline|Brassica oleracea var. acephala|''Brassica oleracea'' var. 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業種
業種(ぎょうしゅ)は、事業や営業の種類という意味であり、「産業」より細かい分類として使われる。 日本の産業全体の業種分けとしては、多くの場合、日本標準産業分類の大分類を基準(リファレンス)として、証券コード協議会における業種区分が用いられることが多い。 証券コードによる業種は、基本的には総務省が定める「日本標準産業分類」に準拠している(業種コードは異なる)が、平成14年3月改訂による変更が反映されていないため、牛丼店やファミリーレストランチェーンといった、いわゆる外食産業が以前の項目である小売業(卸売・小売業、飲食店)の分類に入れられている(平成14年3月改訂の「日本標準産業分類」では「飲食店、宿泊業」という大分類として独立)など、一部異なる部分もある。 業種という場合は、おおよそこの区分の中分類をいうことが多い。 扱う商品や仕入れ先の卸売業者による分類である。 飲食業の業種とは、顧客に提供する料理による分類である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "業種(ぎょうしゅ)は、事業や営業の種類という意味であり、「産業」より細かい分類として使われる。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本の産業全体の業種分けとしては、多くの場合、日本標準産業分類の大分類を基準(リファレンス)として、証券コード協議会における業種区分が用いられることが多い。", "title": "日本標準産業分類の大分類" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "証券コードによる業種は、基本的には総務省が定める「日本標準産業分類」に準拠している(業種コードは異なる)が、平成14年3月改訂による変更が反映されていないため、牛丼店やファミリーレストランチェーンといった、いわゆる外食産業が以前の項目である小売業(卸売・小売業、飲食店)の分類に入れられている(平成14年3月改訂の「日本標準産業分類」では「飲食店、宿泊業」という大分類として独立)など、一部異なる部分もある。", "title": "証券コード協議会における業種" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "業種という場合は、おおよそこの区分の中分類をいうことが多い。", "title": "証券コード協議会における業種" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "扱う商品や仕入れ先の卸売業者による分類である。", "title": "小売業の業種" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "飲食業の業種とは、顧客に提供する料理による分類である。", "title": "飲食業の業種" } ]
業種(ぎょうしゅ)は、事業や営業の種類という意味であり、「産業」より細かい分類として使われる。
{{出典の明記|date=2021年2月}} '''業種'''(ぎょうしゅ)は、[[事業]]や[[営業]]の種類という意味であり、「[[産業]]」より細かい分類として使われる。 ==日本標準産業分類の大分類== 日本の産業全体の業種分けとしては、多くの場合、[[日本標準産業分類]]の大分類を基準(リファレンス)として、[[証券コード]]協議会における業種区分が用いられることが多い。 *A [[農業]],[[林業]] *B [[漁業]] *C [[鉱業]],[[採石業]],[[砂利採取業]] *D [[建設業]] *E [[製造業]] *F [[電力会社|電気]]・[[都市ガス|ガス]]・熱供給・[[水道|水道業]] *G [[情報通信業]] *H [[運輸業]],[[郵便業]] *I [[卸売|卸売業]]・[[小売|小売業]] *J [[金融|金融業]],[[保険|保険業]] *K [[不動産|不動産業]],[[物品賃貸業]] *L [[学術研究]],専門・技術サービス業 *M [[宿泊施設|宿泊]]業,[[飲食店]] *N 生活関連サービス業,娯楽業 *O [[教育学習支援業]] *P [[医療]],[[福祉]] *Q 複合サービス事業 *R [[サービス業]](他に分類されないもの) *S [[公務]](他に分類されるものを除く) *T 分類不能の産業 === 日本標準産業分類の中分類 === *01 農業 *02 林業 *03 漁業(水産養殖業を除く) *04 水産養殖業 *05 鉱業、採石業、砂利採取業 *06 総合工事業 *07 職別工事業(設備工事業を除く) *08 設備工事業 *09 食料品製造業 *10 飲料・たばこ・飼料製造業 *11 繊維工業 *12 木材・木製品製造業(家具を除く) *13 家具・装備品製造業 *14 パルプ・紙・紙加工品製造業 *15 印刷・同関連業 *16 化学工業 *17 石油製品・石炭製品製造業 *18 プラスチック製品製造業(別掲を除く) *19 ゴム製品製造業 *20 なめし革・同製品・毛皮製造業 *21 窯業・土石製品製造業 *22 鉄鋼業 *23 非鉄金属製造業 *24 金属製品製造業 *25 はん用機械器具製造業 *26 生産用機械器具製造業 *27 業務用機械器具製造業 *28 電子部品・デバイス・電子回路製造業 *29 電気機械器具製造業 *30 情報通信機械器具製造業 *31 輸送用機械器具製造業 *32 その他の製造業 *33 電気業 *34 ガス業 *35 熱供給業 *36 水道業 *37 通信業 *38 放送業 *39 情報サービス業 *40 インターネット附随サービス業 *41 映像・音声・文字情報制作業 *42 鉄道業 *43 道路旅客運送業 *44 道路貨物運送業 *45 水運業 *46 航空運輸業 *47 倉庫業 *48 運輸に附帯するサービス業 *49 郵便業(信書便事業を含む) *50 各種商品卸売業 *51 繊維・衣服等卸売業 *52 飲食料品卸売業 *53 建築材料、鉱物・金属材料等卸売業 *54 機械器具卸売業 *55 その他の卸売業 *56 各種商品小売業 *57 織物・衣服・身の回り品小売業 *58 飲食料品小売業 *59 機械器具小売業 *60 その他の小売業 *61 無店舗小売業 *62 銀行業 *63 協同組織金融業 *64 貸金業、クレジットカード業等非預金信用機関 *65 金融商品取引業、商品先物取引業 *66 補助的金融業等 *67 保険業(保険媒介代理業、保険サービス業を含む) *68 不動産取引業 *69 不動産賃貸業・管理業 *70 物品賃貸業 *71 学術・開発研究機関 *72 専門サービス業(他に分類されないもの) *73 広告業 *74 技術サービス業 *75 宿泊業 *76 飲食店 *77 持ち帰り・配達飲食サービス業 *78 洗濯・理容・美容・浴場業 *79 その他の生活関連サービス業 *80 娯楽業 *81 学校教育 *82 その他の教育、学習支援業 *83 医療業 *84 保健衛生 *85 社会保険・社会福祉・介護事業 *86 郵便局 *87 協同組合(他に分類されないもの) *88 廃棄物処理業 *89 自動車整備業 *90 機械等修理業(別掲を除く) *91 職業紹介・労働者派遣業 *92 その他の事業サービス業 *93 政治・経済・文化団体 *94 宗教 *95 その他のサービス業 *96 外国公務 *97 国家公務 *98 地方公務 *99 分類不能の産業 ==証券コード協議会における業種== 証券コードによる業種は、基本的には総務省が定める「日本標準産業分類」に準拠している(業種コードは異なる)が、平成14年3月改訂による変更が反映されていないため、牛丼店やファミリーレストランチェーンといった、いわゆる[[外食産業]]が以前の項目である小売業(卸売・小売業、飲食店)の分類に入れられている(平成14年3月改訂の「日本標準産業分類」では「飲食店、宿泊業」という大分類として独立)など、一部異なる部分もある。 業種という場合は、おおよそこの区分の中分類をいうことが多い。 *中分類の項目は、関連する[[:Category:日本の産業]]下のサブカテゴリにリンクしている。 {|class="wikitable" !colspan="2"|業種 !rowspan="2"|業種コード |- !大分類 !中分類 |- !水産・農林業 |[[:Category:日本の農林水産業|水産・農林業]] |style="text-align:right"|0050 |- !鉱業 |[[:Category:日本の鉱業会社|鉱業]] |style="text-align:right"|1050 |- !建設業 |[[:Category:日本の建設会社|建設業]] |style="text-align:right"|2050 |- !rowspan="16"|製造業 |[[:Category:日本の食品メーカー|食料品]] |style="text-align:right"|3050 |- |[[:Category:日本の繊維製品メーカー|繊維製品]] |style="text-align:right"|3100 |- |[[:Category:日本のパルプ・紙産業|パルプ・紙]] |style="text-align:right"|3150 |- |[[:Category:日本の化学工業メーカー|化学]] |style="text-align:right"|3200 |- |[[:Category:日本の医薬品メーカー|医薬品]] |style="text-align:right"|3250 |- |[[:Category:石油関連企業|石油・石炭製品]] |style="text-align:right"|3300 |- |[[:Category:日本のゴム製品メーカー|ゴム製品]] |style="text-align:right"|3350 |- |[[:Category:日本のガラス・土石製品産業|ガラス・土石製品]] |style="text-align:right"|3400 |- |[[:Category:日本の鉄鋼メーカー|鉄鋼]] |style="text-align:right"|3450 |- |[[:Category:日本の非鉄金属メーカー|非鉄金属]] |style="text-align:right"|3500 |- |[[:Category:日本の金属製品メーカー|金属製品]] |style="text-align:right"|3550 |- |[[:Category:日本の機械工業|機械]] |style="text-align:right"|3600 |- |[[:Category:日本の電気機器メーカー|電気機器]] |style="text-align:right"|3650 |- |[[:Category:日本の輸送機器メーカー|輸送用機器]] |style="text-align:right"|3700 |- |[[:Category:日本の精密機器メーカー|精密機器]] |style="text-align:right"|3750 |- |[[:Category:日本の工業製品メーカー|その他製品]] |style="text-align:right"|3800 |- !電気・ガス業 |[[:Category:日本の電気・ガス会社|電気・ガス業]] |style="text-align:right"|4050 |- !rowspan="5"|運輸・情報通信業 |[[:Category:日本の陸運業者|陸運業]] |style="text-align:right"|5050 |- |[[:Category:日本の海運業者|海運業]] |style="text-align:right"|5100 |- |[[:Category:日本の空運業者|空運業]] |style="text-align:right"|5150 |- |[[:Category:日本の倉庫・運輸関連業者|倉庫・運輸関連業]] |style="text-align:right"|5200 |- |[[:Category:日本の情報・通信業|情報・通信業]] |style="text-align:right"|5250 |- !rowspan="2"|商業 |[[:Category:日本の卸売企業|卸売業]] |style="text-align:right"|6050 |- |[[:Category:日本の小売業者|小売業]] |style="text-align:right"|6100 |- !rowspan="4"|金融・保険業 |[[:Category:日本の銀行|銀行業]] |style="text-align:right"|7050 |- |[[:Category:日本の証券会社|証券、商品先物取引業]] |style="text-align:right"|7100 |- |[[:Category:日本の保険業者|保険業]] |style="text-align:right"|7150 |- |その他金融業 |style="text-align:right"|7200 |- !不動産業 |[[:Category:日本の不動産会社|不動産業]] |style="text-align:right"|8050 |- !サービス業 |[[:Category:日本のサービス業|サービス業]] |style="text-align:right"|9050 |} ==小売業の業種== 扱う商品や仕入れ先の[[卸売]]業者による分類である。 *[[食品]] :[[野菜]]-[[魚]]-[[食肉|肉]]-[[果物]]-[[菓子]]-[[パン]]-[[米]] *[[衣服]] :[[洋品]]-[[靴]]-[[傘]]-[[和服]] *[[生活]] :[[家庭用電気機械器具]]-[[家具]]-[[寝具]]-[[食器]]-[[金物]]-[[工具]] *[[情報]] :[[本]]-[[音楽]] ==飲食業の業種== '''[[外食産業|飲食業]]の業種'''とは、顧客に提供する[[料理]]による分類である。 *[[日本料理]] *[[西洋料理]] ==関連項目== *[[業態]] *[[産業]] *[[職業]] {{就業}} {{デフォルトソート:きようしゆ}} [[Category:産業|*きようしゆ]] [[Category:分類]]
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3,250
舜天
舜天(しゅんてん、1166年(乾道2年) - 1237年(嘉煕元年))は、舜天王統の開祖とされる人物で、琉球の正史(史書)では初代琉球国王と位置づけられている。在位51年(1187年(淳煕14年) - 1237年(嘉煕元年))。神号は尊敦(そんとん)。 琉球に渡った源為朝を父とする出自伝説をもつが、舜天と彼を含む王統に関しては伝説上の人物と考えられる。舜天は15歳で浦添按司となり、その後、天孫氏を滅ぼした逆臣・利勇を討ち、22歳で琉球国中山王に即位したとされる(なお、歴史上国号が「琉球国中山」に定まるのは中国(明)に朝貢した1372年以降の事であり、これは史書による追封号と言う事になる)。 72歳で死去し、世子の舜馬順煕が王位を継いだ。「舜天」という名は、死後に付けられた諡号ではないかと考えられている。 「舜天」という名前は、「首里の王」という意味の「首里天(しゅりてん)」からの連想と考えられ、神号の「尊敦」もそれに近い音とされる。また、中国神話に現れる聖天子・舜を想起させる名前である。舜天をはじめとする舜天王統3代の名前は、『おもろさうし』や『歴代宝案』に見受けられる琉球の人名の漢字・かな表記とは特殊で、後世になって付けられた諡(おくりな)ではないかと思われる。また、『中山世譜』によれば、舜天の神号を「尊敦(そんとん)」としているが、『中山世鑑』は、「舜天尊敦」とだけ記されている。東恩納寛惇は、「尊敦(スントゥン)」と「舜天(シュンティン、スンティン)」の方言名から、これらは同じ根源をもつ語ではないかと述べている。 舜天の実在を証明する史料は全く残っていない。また、彼を祖とする舜天王統に関しても、存在さえ不明であり、実在しない伝説上の王統と考えられる。しかし、伊波普猷は、『沖縄歴史物語』において、1522年(嘉靖元年)の「国王頌徳碑(石門之東之碑文)」の碑文より、実在する人物と解し、舜天王統の成立から建立まで約3世紀しか経過しておらず、舜天の事績が伝説化されていたとしても、幾分は伝承されていたと述べた。また、喜舎場一隆によれば、舜天の活動期がおもろの盛行期の13世紀初頭でありながら、他の王統の始祖がおもろで聖王として謡われているのに対して舜天が脱落していることであり、舜天の実在はおもろからすると否定的に考えられるが、1543年(嘉靖22年)の「国王頌徳碑(かたのはなの碑)」に「大琉球国中山王尚清は、そんとんよりこのかた二十一代の王の御くらいを、つぎめしよわちへ」と記され、実在性をまったく否定することもできないと述べている。 『中山世鑑』や『中山世譜』によれば、舜天の父は「鎮西八郎為朝公」、すなわち源為朝としている。また『中山世譜』は、舜天の姓を「源(みなもと)」としているが、これは「鎮西八郎為朝公」を父としているからである。『中山世鑑』の為朝伝説は、『保元物語』を参考にしており、1165年(永万元年)に為朝が渡った鬼が島を琉球に置き換えて、舜天の出生につなげている。 舜天の母は「大里按司の妹」と伝えられる。ここで、「大里」は東の島添大里(南城市大里)、もしくは西の島尻大里(糸満市字大里)のどちらの地域に比定されるかが問題となる。また、洪武年間(1368年 - 1398年)における中国への使者名に、「大里(ウフザト)」と「島尻(シマジリ)」とあり、さらに、1450年の『海東諸国紀』所載の「琉球国図」に「島尻城」と記されていることから、島添大里は「大里」、島尻大里は「島尻」といわれ、大里按司は東の島添大里を支配していたと考えられる。『中山世鑑』には、沖縄本島南部の大里按司の妹と為朝が通じ合い、子・舜天は即位するまで、距離の離れた本島中部の浦添を拠点にしていたというが、島村幸一は、1795年に四国に漂着した琉球人の見聞録『琉球人話』から、為朝は大里按司の婿になり、この地で『琉球人話』にいう「大里親方」になったと考えるのが理解しやすいと述べた。 『中山世譜』によれば、舜天の誕生した年は「乾道二年(1166年)」とある。しかし、『中山世鑑』には、舜天の生誕年に関する記述は無く、「南宋淳煕七年 御年十五歳」から逆算して、『中山世譜』に生誕年を割り出したのではないかと思われる。 為朝は大里按司の妹と通じ合い、誕生した男子を「尊敦(そんとん)」と名付けた。『中山世鑑』には、為朝は望郷の念に駆られ、妻子とともに故郷へ向けて出港しようとするが、船に女房を乗せると龍神の怒りを買い、遭難してしまうと言われ、為朝は泣く泣く妻子を置いて帰ってしまった、とある。舜天(尊敦)とその母が、父の帰りを待ちわびたという洞窟(ガマ)が沖縄県浦添市牧港(まきみなと)に所在する。標高約20メートルの琉球石灰岩台地に形成された自然の洞窟で、「牧港テラブのガマ」と呼ばれる。 母親と共に浦添に居住を構えた尊敦は成長し、10歳になる頃には他よりも器量が優れていたという。1180年(淳煕7年)、15歳で人民から推挙され、浦添按司となった。その頃、首里城で天孫氏が琉球を治めていたが、臣下の利勇が、毒の入った酒を薬と偽り、王に飲ませて殺害し、自らを中山王と称した。この出来事を知った尊敦は、利勇を倒すべく、父の形見である鎧と兜を着け、弓と24本の矢、黄金作りの太刀を装備し、そして金覆輪の鞍を置いた鹿毛の馬に乗り、50余りの騎兵を連れて、首里城へ出陣した。尊敦率いる軍勢の奇襲により、利勇は戦意を無くし、妻子を刺殺した後、自らの腹を切り命を絶った。1187年(淳煕14年)、尊敦は22歳で中山王として即位した。 即位後の舜天の事績に関して、『中山世鑑』の舜天の治世を表した「恩光に照らされて」の箇所は、『保元物語』冒頭部の鳥羽天皇の統治を表現した部分を引用している。舜天は、新しく法律を制定し、それに則った政治を行ったとされる。また『球陽』によれば、舜天が王位に就いたとされる1187年(淳煕14年)頃から、暦は夏正が使用されたという。 『中山世譜』によれば、天孫氏王統が王城を首里に築き、舜天やその後の王統も首里城を居城としていたという。しかし、舜天王統は浦添城を居城としていたと伝えられ、首里に遷都したのは、察度王統もしくは三山統一後の第一尚氏王統と思われる。 『中山世鑑』によれば、舜天以降、「琉球国中山王」を継承したとしているが、「琉球国中山王」と君主号を自称したのは、明の朱元璋から招来を受けた察度が始まりとされ、次代の武寧以降から、明より「琉球国中山王」として冊封を受けた。『中山世鑑』などの琉球の正史は、初代の王を舜天としており、『中山世鑑』成立前の1522年(嘉靖元年)の「国王頌徳碑(石門之東之碑文)」と、1543年(嘉靖22年)の「国王頌徳碑(かたのはなの碑)」から、王国内で舜天を初代の琉球国王として認識していたと考えられる。しかし、舜天が統治していたとされる頃は小規模のグスクが各地に点在し、沖縄本島全域を支配した人物は存在しなかったとされ、浦添という一地域を統治していただけに過ぎないとも言われている。 舜天は生まれつき、頭の右上にこぶがあり、それを隠すために、右寄りに髪を結っていたとされ、即位後に人民もそれに倣って欹髻(かたかしら)を結ったという。これが、琉球における男性の髪型で、15 - 16世紀の漂流民の見聞を記録した『朝鮮王朝実録』によれば、左頭部に髪を結っていたと記され、片頭から頭頂へと位置が変化したとされる。 1237年(嘉煕元年)、在位51年にして72歳で死去し、世子の舜馬順煕が即位した。『中山世譜』によれば、妃は不伝とある。後世に尊称として「舜天」という諡号が与えられた。 1165年(長寛3年)3月に伊豆大島を脱出して鬼ヶ島に渡り、周辺の島々を征服したといわれる源為朝は、奄美の加計呂麻島を経由し沖縄本島北部の運天港に上陸した後、大里按司の妹と通じて後の舜天である尊敦を生んだとされる。琉球の為朝伝説に関する記述で最も古い文献は、月舟寿桂の『幻雲文集』(1572年)とされ、小葉田淳が最初に紹介した。しかし、『幻雲文集』によると、1527年(大永7年)頃に月舟が琉球の僧であった鶴翁に尋ねた際、舜天と為朝に関係する記述の内容は琉球において周知されていなかったと述べている。 薩摩侵入後の1650年に編纂された、『中山世鑑』の編集者である羽地朝秀は、いわゆる「日琉同祖論」を唱え、舜天と為朝伝説を合わせた人物であり、薩摩藩主・島津氏が「源氏」を称していることから、それにへつらった羽地の創作であると言われている。しかし、1605年(慶長10年)の袋中著『琉球神道記』に為朝伝説が記されており、日本の僧侶とはいえ、琉球で実際に活動していた僧侶による記述があるため、薩摩侵入以前からすでに琉球に当伝説はあった可能性があり、羽地朝秀の作為によるものと断定できない。小葉田はジョアン・ロドリゲスの『日本教会史』から、16世紀後半には為朝が琉球に渡来したという話が日本本土から琉球に伝わり、『琉球神道記』に琉球における為朝の記事が記されたとしている。 江戸時代には曲亭馬琴の『椿説弓張月』などに為朝伝説が取り入れられ、江戸で一大ブームを起こした。琉球処分後の1922年(大正11年)には、運天港近くに東郷平八郎の揮毫による「源為朝公上陸之跡石碑」が建立した。 『中山世鑑』の為朝伝説は、『保元物語』を基にしているが、東恩納寛惇は、『保元物語』が史実だとしても、どれほどの信頼性があるものか疑わしく、それを確かめる術はないとしている。しかし、加藤三吾が琉球の為朝伝説を否定した論文を発表した後の1906年(明治39年)から1908年(明治41年)にかけて、東恩納は計6本の反論文を書き上げ、どれも『中山世鑑』の舜天が為朝の子であるという記述は否定できないとする内容であった。東恩納は『おもろさうし』の中の一句を為朝の運天港上陸を詠ったおもろだと解して加藤に反論し、さらに伊波普猷と真境名安興も東恩納と基本的に同じ見解で、『中山世鑑』における為朝伝説の記事を否定してない。彼らが為朝伝説に関わる史記の記述を否定しなかった理由として、島村幸一は、舜天が源氏の血統を引き継いでいることで、「皇国」との関係を示唆し、琉球処分後に日本へ組み込まれた「沖縄」を擁護しようとしたのか、あるいは、為朝伝説が想像以上に琉球に定着していたのではないかと述べている。 沖縄県国頭郡今帰仁村の運天(うんてん)という地名があるが、為朝が「運を天に任せて」上陸した場所と言い伝えられ、「運天」となったとされ、また、琉球を離れた為朝を舜天とその母が帰りを待ちわびたとされる浦添市の牧港(まきみなと)は、「待ちみなと」に由来しているといわれている。しかし、古くから「運天」は「くもけな(雲慶名)」から、「牧港」は「まひなと(真比港)」から転訛した地名であって、為朝伝説による地名由来説は後世に付けられたものである。 なお、最近の遺伝子の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民は、縄文人を基礎として成立し、現在の東アジア大陸部の主要集団とは異なる遺伝的構成であり、同じ祖先を持つことが明らかになっている。高宮広土(鹿児島大学)が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であるとし、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘するように、近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されている。2021年11月10日、マックス・プランク人類史科学研究所を中心とした、中国、日本、韓国、ヨーロッパ、ニュージーランド、ロシア、アメリカの研究者を含む国際チームが『ネイチャー』に発表した論文によると、宮古島市の長墓遺跡の先史時代の人骨をDNA分析したところ「100%縄文人」だったことが分かり、先史時代の先島諸島の人々は沖縄諸島から来たことを示す研究成果となった。また、言語学および考古学からは、中世(グスク時代、11世紀~15世紀)に九州から「本土日本人」が琉球列島に移住したことが推定でき、高宮広土(鹿児島大学)は、「結果として、琉球方言の元となる言語を有した農耕民が本土から植民した。著名な『日本人二重構造論』を否定するという点で大変貴重だ」と指摘している。 曲亭馬琴は家族とともに、琉球使節団の行列(江戸上り)を見学した。これを機に、『椿説弓張月』は、『保元物語』に登場する源為朝を主人公とし、保元の乱で伊豆大島へ流刑となった為朝が琉球へ渡来したという伝説を構想にして書き上げた作品である。また、『水滸伝』の李俊が暹羅に渡り国王になったという話を為朝に置き換えて作られ、その子供・「舜天丸(すてまる)」が国王として琉球を治めるという内容を含んでいる。馬琴は琉球について、徐葆光の『中山伝信録』と森島中良の『琉球談』などを参考にして解説し、当時の日本人にとって、異国情緒のある琉球を舞台に仕上げている。『椿説弓張月』の登場人物は、『中山伝信録』と『琉球談』から多く取り入れられ、「舜天丸」は、舜天のモデルであるが、母は大里按司の妹ではなく、阿多忠国の娘「白縫(しらぬい)」としている。作中の「利勇」は、天孫氏25代を滅亡させた利勇がモデルであるが、作中における最大の敵は彼ではなく、馬琴が作り上げた妖僧「曚雲(もううん)」である。 「源為朝」と「白縫」の間に生まれた「舜天丸」は、為朝の臣下・「紀平治(きへいじ)」によって育てられた。「舜天丸」に武芸や文字を教えたところ、10歳で「紀平治」よりも全てにおいて優れた若者となった。その頃、琉球の国王の側近・「利勇」が実権を握り、政治をほしいままにしていたので、国は乱れ、衰退していた。しかし、「曚雲」という妖僧が、国王を殺害し、また「利勇」も討たれたので、「曚雲法君(もううんほうくん)」と名乗り、琉球を支配した。その後、「舜天丸」は「曚雲」を倒し、文治3年(1187年)12月15日、17歳にして中山王の位を授かり、「舜天王(しゅんてんおう)」と称した。彼は善政を行い、琉球は治世安楽となり、国民は繁盛したという。 沖縄県中頭郡北中城村の仲順(ちゅんじゅん)に、「ナスの御嶽」とよばれる御嶽がある。その中に石垣があり、その奥の岩が当御嶽の本体(イベ)で、さらにその岩の上に、舜天と舜馬順煕の二人の王を葬ったとされるコンクリート製の墓が存在する。また、伝承によれば、義本も葬られているとされ、「ナスの御嶽」は「義本王の墓」とも呼ばれている。 同県南城市字大里の南風原地区に所在する「食栄森(いいむい)御嶽」に、舜天を葬ったとされる墓がある。御嶽の基壇の中央に、頂上に宝珠のついた円筒形の墓があり、周辺住民はこれを「ボーントゥー墓」と呼んでいる。戦前まで、毎年中城御殿の使者も、この墓に拝みに来ていたという。沖縄戦終結直後に、修理をかねて墓の中を調査したところ、人骨と水晶、銅鏡が発見されている。また同字の西原地区に、舜天の母と伝えられる大里按司の妹の墓があり、「ウミナイ御墓」と呼ばれる。 崇元寺に、舜天から尚泰王までの歴代琉球国王の位牌が祀られていたが、沖縄戦により建物は焼失した。また、そこに舜天のものと言われる鏑矢が保管されていたという。浦添城東端部に位置する「為朝岩(ためともいわ)」と呼ばれる岩は、舜天と英祖の子息を祀った拝所となっている。
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16世紀の漂流民の見聞を記録した『朝鮮王朝実録』によれば、左頭部に髪を結っていたと記され、片頭から頭頂へと位置が変化したとされる。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1237年(嘉煕元年)、在位51年にして72歳で死去し、世子の舜馬順煕が即位した。『中山世譜』によれば、妃は不伝とある。後世に尊称として「舜天」という諡号が与えられた。", "title": "経歴" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1165年(長寛3年)3月に伊豆大島を脱出して鬼ヶ島に渡り、周辺の島々を征服したといわれる源為朝は、奄美の加計呂麻島を経由し沖縄本島北部の運天港に上陸した後、大里按司の妹と通じて後の舜天である尊敦を生んだとされる。琉球の為朝伝説に関する記述で最も古い文献は、月舟寿桂の『幻雲文集』(1572年)とされ、小葉田淳が最初に紹介した。しかし、『幻雲文集』によると、1527年(大永7年)頃に月舟が琉球の僧であった鶴翁に尋ねた際、舜天と為朝に関係する記述の内容は琉球において周知されていなかったと述べている。", "title": "琉球における為朝伝説" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "薩摩侵入後の1650年に編纂された、『中山世鑑』の編集者である羽地朝秀は、いわゆる「日琉同祖論」を唱え、舜天と為朝伝説を合わせた人物であり、薩摩藩主・島津氏が「源氏」を称していることから、それにへつらった羽地の創作であると言われている。しかし、1605年(慶長10年)の袋中著『琉球神道記』に為朝伝説が記されており、日本の僧侶とはいえ、琉球で実際に活動していた僧侶による記述があるため、薩摩侵入以前からすでに琉球に当伝説はあった可能性があり、羽地朝秀の作為によるものと断定できない。小葉田はジョアン・ロドリゲスの『日本教会史』から、16世紀後半には為朝が琉球に渡来したという話が日本本土から琉球に伝わり、『琉球神道記』に琉球における為朝の記事が記されたとしている。", "title": "琉球における為朝伝説" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "江戸時代には曲亭馬琴の『椿説弓張月』などに為朝伝説が取り入れられ、江戸で一大ブームを起こした。琉球処分後の1922年(大正11年)には、運天港近くに東郷平八郎の揮毫による「源為朝公上陸之跡石碑」が建立した。", "title": "琉球における為朝伝説" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "『中山世鑑』の為朝伝説は、『保元物語』を基にしているが、東恩納寛惇は、『保元物語』が史実だとしても、どれほどの信頼性があるものか疑わしく、それを確かめる術はないとしている。しかし、加藤三吾が琉球の為朝伝説を否定した論文を発表した後の1906年(明治39年)から1908年(明治41年)にかけて、東恩納は計6本の反論文を書き上げ、どれも『中山世鑑』の舜天が為朝の子であるという記述は否定できないとする内容であった。東恩納は『おもろさうし』の中の一句を為朝の運天港上陸を詠ったおもろだと解して加藤に反論し、さらに伊波普猷と真境名安興も東恩納と基本的に同じ見解で、『中山世鑑』における為朝伝説の記事を否定してない。彼らが為朝伝説に関わる史記の記述を否定しなかった理由として、島村幸一は、舜天が源氏の血統を引き継いでいることで、「皇国」との関係を示唆し、琉球処分後に日本へ組み込まれた「沖縄」を擁護しようとしたのか、あるいは、為朝伝説が想像以上に琉球に定着していたのではないかと述べている。", "title": "琉球における為朝伝説" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "沖縄県国頭郡今帰仁村の運天(うんてん)という地名があるが、為朝が「運を天に任せて」上陸した場所と言い伝えられ、「運天」となったとされ、また、琉球を離れた為朝を舜天とその母が帰りを待ちわびたとされる浦添市の牧港(まきみなと)は、「待ちみなと」に由来しているといわれている。しかし、古くから「運天」は「くもけな(雲慶名)」から、「牧港」は「まひなと(真比港)」から転訛した地名であって、為朝伝説による地名由来説は後世に付けられたものである。", "title": "琉球における為朝伝説" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "なお、最近の遺伝子の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民は、縄文人を基礎として成立し、現在の東アジア大陸部の主要集団とは異なる遺伝的構成であり、同じ祖先を持つことが明らかになっている。高宮広土(鹿児島大学)が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であるとし、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘するように、近年の考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されている。2021年11月10日、マックス・プランク人類史科学研究所を中心とした、中国、日本、韓国、ヨーロッパ、ニュージーランド、ロシア、アメリカの研究者を含む国際チームが『ネイチャー』に発表した論文によると、宮古島市の長墓遺跡の先史時代の人骨をDNA分析したところ「100%縄文人」だったことが分かり、先史時代の先島諸島の人々は沖縄諸島から来たことを示す研究成果となった。また、言語学および考古学からは、中世(グスク時代、11世紀~15世紀)に九州から「本土日本人」が琉球列島に移住したことが推定でき、高宮広土(鹿児島大学)は、「結果として、琉球方言の元となる言語を有した農耕民が本土から植民した。著名な『日本人二重構造論』を否定するという点で大変貴重だ」と指摘している。", "title": "琉球における為朝伝説" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "曲亭馬琴は家族とともに、琉球使節団の行列(江戸上り)を見学した。これを機に、『椿説弓張月』は、『保元物語』に登場する源為朝を主人公とし、保元の乱で伊豆大島へ流刑となった為朝が琉球へ渡来したという伝説を構想にして書き上げた作品である。また、『水滸伝』の李俊が暹羅に渡り国王になったという話を為朝に置き換えて作られ、その子供・「舜天丸(すてまる)」が国王として琉球を治めるという内容を含んでいる。馬琴は琉球について、徐葆光の『中山伝信録』と森島中良の『琉球談』などを参考にして解説し、当時の日本人にとって、異国情緒のある琉球を舞台に仕上げている。『椿説弓張月』の登場人物は、『中山伝信録』と『琉球談』から多く取り入れられ、「舜天丸」は、舜天のモデルであるが、母は大里按司の妹ではなく、阿多忠国の娘「白縫(しらぬい)」としている。作中の「利勇」は、天孫氏25代を滅亡させた利勇がモデルであるが、作中における最大の敵は彼ではなく、馬琴が作り上げた妖僧「曚雲(もううん)」である。", "title": "『椿説弓張月』にみる舜天" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "「源為朝」と「白縫」の間に生まれた「舜天丸」は、為朝の臣下・「紀平治(きへいじ)」によって育てられた。「舜天丸」に武芸や文字を教えたところ、10歳で「紀平治」よりも全てにおいて優れた若者となった。その頃、琉球の国王の側近・「利勇」が実権を握り、政治をほしいままにしていたので、国は乱れ、衰退していた。しかし、「曚雲」という妖僧が、国王を殺害し、また「利勇」も討たれたので、「曚雲法君(もううんほうくん)」と名乗り、琉球を支配した。その後、「舜天丸」は「曚雲」を倒し、文治3年(1187年)12月15日、17歳にして中山王の位を授かり、「舜天王(しゅんてんおう)」と称した。彼は善政を行い、琉球は治世安楽となり、国民は繁盛したという。", "title": "『椿説弓張月』にみる舜天" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "沖縄県中頭郡北中城村の仲順(ちゅんじゅん)に、「ナスの御嶽」とよばれる御嶽がある。その中に石垣があり、その奥の岩が当御嶽の本体(イベ)で、さらにその岩の上に、舜天と舜馬順煕の二人の王を葬ったとされるコンクリート製の墓が存在する。また、伝承によれば、義本も葬られているとされ、「ナスの御嶽」は「義本王の墓」とも呼ばれている。", "title": "陵墓・拝所" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "同県南城市字大里の南風原地区に所在する「食栄森(いいむい)御嶽」に、舜天を葬ったとされる墓がある。御嶽の基壇の中央に、頂上に宝珠のついた円筒形の墓があり、周辺住民はこれを「ボーントゥー墓」と呼んでいる。戦前まで、毎年中城御殿の使者も、この墓に拝みに来ていたという。沖縄戦終結直後に、修理をかねて墓の中を調査したところ、人骨と水晶、銅鏡が発見されている。また同字の西原地区に、舜天の母と伝えられる大里按司の妹の墓があり、「ウミナイ御墓」と呼ばれる。", "title": "陵墓・拝所" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "崇元寺に、舜天から尚泰王までの歴代琉球国王の位牌が祀られていたが、沖縄戦により建物は焼失した。また、そこに舜天のものと言われる鏑矢が保管されていたという。浦添城東端部に位置する「為朝岩(ためともいわ)」と呼ばれる岩は、舜天と英祖の子息を祀った拝所となっている。", "title": "陵墓・拝所" } ]
舜天は、舜天王統の開祖とされる人物で、琉球の正史(史書)では初代琉球国王と位置づけられている。在位51年。神号は尊敦(そんとん)。 琉球に渡った源為朝を父とする出自伝説をもつが、舜天と彼を含む王統に関しては伝説上の人物と考えられる。舜天は15歳で浦添按司となり、その後、天孫氏を滅ぼした逆臣・利勇を討ち、22歳で琉球国中山王に即位したとされる(なお、歴史上国号が「琉球国中山」に定まるのは中国に朝貢した1372年以降の事であり、これは史書による追封号と言う事になる)。 72歳で死去し、世子の舜馬順煕が王位を継いだ。「舜天」という名は、死後に付けられた諡号ではないかと考えられている。
{{基礎情報 君主 | 人名 = 舜天 | 各国語表記 = | 君主号 = [[琉球国王|琉球国中山王]] | 在位 = [[1187年]] - [[1237年]] | 戴冠日 = | 全名 = | native_lang1=[[神号]] | native_lang1_name1=尊敦 | native_lang2=居城 | native_lang2_name1=[[浦添城]] | 出生日 = [[1166年]] | 生地 = | 死亡日 = [[1237年]] | 没地 = | 埋葬日 = | 埋葬地 = | 継承者 = [[舜馬順煕]] | 継承形式 = [[王世子]] | 配偶者1 = ''不伝'' | 配偶者2 = | 配偶者3 = | 子女 = | 王家 = | 王朝 = [[舜天王統]] | 父親 = [[源為朝]] ? | 母親 = 大里按司の妹 ? }} '''舜天'''(しゅんてん、[[1166年]]([[乾道 (宋)|乾道]]2年) - [[1237年]]([[嘉煕]]元年)<ref name="okinawa-chu407-shunten">[[高良倉吉]]「舜天」、『沖縄大百科事典 中巻』(1983年)、p.407</ref>)は、[[舜天王統]]の開祖とされる人物で、琉球の正史(史書)では初代[[琉球国王]]と位置づけられている。在位51年([[1187年]]([[淳煕]]14年) - 1237年(嘉煕元年))。[[神号]]は尊敦(そんとん)<ref name="okinawa-chu478-shingo">糸数兼治「神号」、『沖縄大百科事典 中巻』(1983年)、p.478</ref>。 琉球に渡った[[源為朝]]を父とする出自伝説をもつが、舜天と彼を含む王統に関しては伝説上の人物と考えられる。舜天は15歳で[[浦添市|浦添]][[按司]]となり、その後、[[天孫氏]]を滅ぼした逆臣・[[利勇]]を討ち、22歳で琉球国中山王に即位したとされる(なお、歴史上国号が「琉球国中山」に定まるのは中国([[明]])に[[朝貢]]した[[1372年]]以降の事であり、これは史書による追封号と言う事になる)。 72歳で死去し、世子の[[舜馬順煕]]が王位を継いだ。「舜天」という名は、死後に付けられた[[諡|諡号]]ではないかと考えられている。 == 名前 == 「舜天」という名前は、「[[首里]]の王」という意味の「首里天(しゅりてん)」からの連想と考えられ、[[神号]]の「尊敦」もそれに近い音とされる<ref name="urasoe-336-337">池宮正治「舜天」、『浦添市史』(1989年)、pp.336 - 337</ref>。また、[[中国神話]]に現れる聖天子・[[舜]]を想起させる名前である<ref name="asato etc-62">安里ほか(2004年)、p.62</ref>。舜天をはじめとする舜天王統3代の名前は、『[[おもろさうし]]』や『[[歴代宝案]]』に見受けられる琉球の人名の[[漢字]]・[[仮名 (文字)|かな]]表記とは特殊で、後世になって付けられた[[諡]](おくりな)ではないかと思われる<ref name="asato etc-63">安里ほか(2004年)、p.63</ref>。また、『[[中山世譜]]』{{Refnest|group=注|『中山世譜』は、『中山世鑑』([[1650年]]編)を[[1701年]]に[[蔡鐸]]が改訂した「蔡鐸本」と、さらに蔡鐸本を[[蔡温]]が[[1725年]]に改訂した「蔡温本」の2種が存在する<ref name="asato-1">安里(2006年)、p.1</ref>。}}によれば、舜天の神号を「尊敦(そんとん)」としているが、『[[中山世鑑]]』は、「舜天尊敦」とだけ記されている<ref name="seikan-50-ref2">「注釈 2」、『訳注 中山世鑑』(2011年)、p.50</ref>。[[東恩納寛惇]]は、「尊敦(スントゥン)」と「舜天(シュンティン、スンティン)」の[[琉球語|方言名]]から、これらは同じ根源をもつ語ではないかと述べている<ref name="ryukyushinpo-442 443">琉球新報社編(1979年)、pp.442 - 443</ref>。 == 経歴 == === 実在性 === 舜天の実在を証明する史料は全く残っていない<ref name="okinawa-chu407-shunten"/>。また、彼を祖とする舜天王統に関しても、存在さえ不明であり<ref name="okinawa-chu408-shunten outo">[[高良倉吉]]「舜天王統」、『沖縄大百科事典 中巻』(1983年)、p.408</ref>、実在しない伝説上の王統と考えられる<ref name="asato-4">安里(2006年)、p.4</ref>。しかし、[[伊波普猷]]は、『沖縄歴史物語』において、[[1522年]]([[嘉靖]]元年)の「国王頌徳碑(石門之東之碑文)」の碑文より、実在する人物と解し、舜天王統の成立から建立まで約3世紀しか経過しておらず、舜天の事績が伝説化されていたとしても、幾分は伝承されていたと述べた<ref name="inoue-22">井上(1985年)、p.22</ref>。また、喜舎場一隆によれば、舜天の活動期が[[おもろ]]の盛行期の[[13世紀]]初頭でありながら、他の王統の始祖がおもろで聖王として謡われているのに対して舜天が脱落していることであり、舜天の実在はおもろからすると否定的に考えられるが、[[1543年]](嘉靖22年)の「国王頌徳碑(かたのはなの碑)」に「大琉球国中山王尚清は、そんとんよりこのかた二十一代の王の御くらいを、つぎめしよわちへ」と記され、実在性をまったく否定することもできないと述べている<ref name="mori293">喜舎場一隆「舜天王統と為朝渡来説について」、森・田中編(1975年)、p.293</ref>。 === 出自 === [[ファイル:Wadokina.JPG|thumb|[[沖縄県]]糸満市字大里にある「和解森(わどきな、ワドキナー)」。伝承によれば、源為朝が渡来した際、大里按司の妹と会った場所といわれる。周辺住民から「[[大和]]為朝の跡」とも呼ばれているが、その由来は不明である<ref name="okinawa-ge1001">嘉手納宗徳「和解森」、『沖縄大百科事典 下巻』(1983年)、p.1001</ref>。{{ウィキ座標|26|07|44.36|N|127|41|24.52|E|region:JP|地図|name=和解森(ワドキナー)}}]] 『中山世鑑』<ref name="seikan-41-42">『訳注 中山世鑑』(2011年)、pp.41 - 42</ref>や『中山世譜』<ref name="seifu-53">『蔡鐸本 中山世譜 現代語訳』(1998年)、p.53</ref>によれば、舜天の父は「鎮西八郎為朝公」、すなわち[[源為朝]]としている。また『中山世譜』は、舜天の[[姓]]を「[[源氏|源(みなもと)]]」としているが<ref name="seifu-53"/>、これは「鎮西八郎為朝公」を父としているからである<ref name="asato etc-61">安里ほか(2004年)、p.61</ref>。『中山世鑑』の為朝伝説は、『[[保元物語]]』を参考にしており、[[1165年]]([[永万]]元年)に為朝が渡った[[鬼が島]]を琉球に置き換えて、舜天の出生につなげている<ref name="seikan-49-50">「総注」、『訳注 中山世鑑』(2011年)、pp.49 - 50</ref>。 舜天の母は「大里按司の妹」と伝えられる<ref name="seifu-53"/>。ここで、「大里」は東の島添大里([[南城市]][[大里村 (沖縄県)|大里]])、もしくは西の島尻大里([[糸満市]]字[[高嶺村|大里]])のどちらの地域に比定されるかが問題となる<ref name="seikan-54-ref1">「注釈 1」、『訳注 中山世鑑』(2011年)、p.54</ref><ref name="okinawa-jo387-oozatoaji">嘉手納宗徳「大里按司」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.387</ref>。また、[[洪武]]年間(1368年 - 1398年)における中国への使者名に、「大里(ウフザト)」と「島尻(シマジリ)」とあり、さらに、[[1450年]]の『[[海東諸国紀]]』所載の「琉球国図」に「島尻城」と記されていることから、島添大里は「大里」、島尻大里は「島尻」といわれ、大里按司は東の島添大里を支配していたと考えられる<ref name="okinawa-jo387-oozatoaji"/>。『中山世鑑』には、[[沖縄本島]]南部の大里按司の妹と為朝が通じ合い、子・舜天は即位するまで、距離の離れた本島中部の浦添を拠点にしていたというが、[[島村幸一]]は、[[1795年]]に[[四国]]に漂着した琉球人の見聞録『琉球人話』から、為朝は大里按司の婿になり、この地で『琉球人話』にいう「大里親方」になったと考えるのが理解しやすいと述べた<ref name="shimamura349, 353">島村(2015年)、pp.349, 353</ref>。 『中山世譜』によれば、舜天の誕生した年は「[[乾道 (宋)|乾道]]二年([[1166年]])」とある<ref name="seifu-53"/>。しかし、『中山世鑑』には、舜天の生誕年に関する記述は無く、「[[南宋]][[淳煕]]七年 御年十五歳」から逆算して、『中山世譜』に生誕年を割り出したのではないかと思われる<ref name="seikan-55">「注釈 3」、『訳注 中山世鑑』(2011年)、p.55</ref>。 === 幼年・青年期 === [[ファイル:Makiminato Terabu Cave 04.JPG|thumb|[[テラブガマ|牧港テラブのガマ]]。{{ウィキ座標|26|16|02.2|N|127|43|28.3|E|region:JP|地図|name=牧港テラブのガマ}}]] 為朝は大里按司の妹と通じ合い、誕生した男子を「尊敦(そんとん)」と名付けた<ref name="seikan-51">『訳注 中山世鑑』(2011年)、p.51</ref>。『中山世鑑』には、為朝は望郷の念に駆られ、妻子とともに故郷へ向けて出港しようとするが、船に女房を乗せると龍神の怒りを買い、遭難してしまうと言われ、為朝は泣く泣く妻子を置いて帰ってしまった、とある<ref name="seikan-51-52">『訳注 中山世鑑』(2011年)、pp.51 - 52</ref>。舜天(尊敦)とその母が、父の帰りを待ちわびたという[[洞窟]](ガマ)が沖縄県[[浦添市]][[牧港]](まきみなと)に所在する<ref name="urasoe-391 392">又吉盛清「テラブのガマ」、『浦添市史』(1989年)、pp.391 - 392</ref>。標高約20[[メートル]]の[[琉球石灰岩]]台地に形成された自然の洞窟で<ref name="rekishi-312jo">「牧港ティランガマ」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.312上段</ref>、「[[テラブガマ|牧港テラブのガマ]]」と呼ばれる<ref>『浦添市 市勢要覧』(2008年)、p.34</ref>。 母親と共に浦添に居住を構えた尊敦は成長し、10歳になる頃には他よりも器量が優れていたという。[[1180年]]([[淳煕]]7年)、15歳で人民から推挙され、[[浦添市|浦添]][[按司]]となった。その頃、首里城で[[天孫氏]]が琉球を治めていたが、臣下の[[利勇]]が、[[毒]]の入った[[酒]]を[[薬]]と偽り、王に飲ませて殺害し、自らを中山王と称した。この出来事を知った尊敦は、利勇を倒すべく、父の形見である[[鎧]]と[[兜]]を着け、[[弓]]と24本の[[矢]]、黄金作りの[[太刀]]を装備し、そして金覆輪の[[鞍]]を置いた鹿毛の[[馬]]に乗り、50余りの騎兵を連れて、[[首里城]]へ出陣した。尊敦率いる軍勢の奇襲により、利勇は戦意を無くし、妻子を刺殺した後、[[切腹|自らの腹を切り]]命を絶った。[[1187年]](淳煕14年)、尊敦は22歳で中山王として即位した<ref name="seikan-52-54">『訳注 中山世鑑』(2011年)、pp.52 - 54</ref>。 === 即位後 === [[ファイル:Kokuo Shotoku Hi.jpg|thumb|国王頌徳碑(かたのはなの碑)、沖縄県[[那覇市]]に所在。{{ウィキ座標|26|13|5.54|N|127|43|22.65|E|region:JP|地図|name=国王頌徳碑(かたのはなの碑)}}]] 即位後の舜天の事績に関して、『中山世鑑』の舜天の治世を表した「恩光に照らされて」の箇所は、『[[保元物語]]』冒頭部の[[鳥羽天皇]]の統治を表現した部分を引用している<ref name="seikan-50-ref">「総注」、『訳注 中山世鑑』(2011年)、p.50</ref>。舜天は、新しく法律を制定し、それに則った政治を行ったとされる<ref name="urasoe-337">池宮正治「舜天」、『浦添市史』(1989年)、p.337</ref>。また『[[球陽]]』によれば、舜天が王位に就いたとされる1187年(淳煕14年)頃から、暦は[[三正|夏正]]が使用されたという<ref name="urasoe-556">「第四部 浦添歴史年表」、『浦添市史』(1989年)、p.556</ref>。 『中山世譜』によれば、天孫氏王統が王城を首里に築き<ref name="seifu-39">『蔡鐸本 中山世譜 現代語訳』(1998年)、p.39</ref>、舜天やその後の王統も首里城を居城としていたという<ref name="asato-2">安里(2006年)、p.2</ref>。しかし、舜天王統は[[浦添城]]を居城としていたと伝えられ<ref name="urasoe-225-227">知念勇「浦添グスク」、『浦添市史』(1989年)、pp.225 - 227</ref>、首里に遷都したのは、[[察度王統]]もしくは三山統一後の[[第一尚氏]]王統と思われる<ref name="asato-2-4">安里(2006年)、pp.2 - 4</ref>。 『中山世鑑』によれば、舜天以降、「[[琉球国王|琉球国中山王]]」を継承したとしているが、「琉球国中山王」と[[君主号]]を自称したのは、[[明]]の[[朱元璋]]から招来を受けた[[察度]]が始まりとされ、次代の[[武寧]]以降から、明より「琉球国中山王」として[[冊封]]を受けた<ref name="seikan-10-ref1">「注釈1」、『訳注 中山世鑑』(2011年)、p.10</ref><ref name="seikan-12-ref1">「注釈1」、『訳注 中山世鑑』(2011年)、p.12</ref>。『中山世鑑』などの琉球の正史は、初代の王を舜天としており<ref name="asato etc-60">安里ほか(2004年)、p.60</ref>、『中山世鑑』成立前の1522年(嘉靖元年)の「国王頌徳碑(石門之東之碑文)」と、1543年(嘉靖22年)の「国王頌徳碑(かたのはなの碑)」から、王国内で舜天を初代の琉球国王として認識していたと考えられる<ref name="mori293"/><ref name="seikan-12-ref3">「注釈3」、『訳注 中山世鑑』(2011年)、p.12</ref>。しかし、舜天が統治していたとされる頃は小規模の[[グスク]]が各地に点在し、沖縄本島全域を支配した人物は存在しなかったとされ<ref name="urasoe-338">池宮正治「舜天王統」、『浦添市史』(1989年)、p.338</ref>、浦添という一地域を統治していただけに過ぎないとも言われている<ref name="okinawa-chu407-shunten"/>。 舜天は生まれつき、頭の右上に[[こぶ]]があり、それを隠すために、右寄りに髪を結っていたとされ、即位後に人民もそれに倣って[[欹髻]](かたかしら)を結ったという<ref name="urasoe-337"/>。これが、琉球における[[男性]]の[[髪型]]で、15 - 16世紀の漂流民の見聞を記録した『[[朝鮮王朝実録]]』によれば、左頭部に髪を結っていたと記され、片頭から頭頂へと位置が変化したとされる<ref name="okinawa-jo714-katakashira">真栄平房敬「かたかしら〔欹髻〕」、『沖縄大百科事典 上巻』(1983年)、p.714</ref>。 [[1237年]]([[嘉煕]]元年)、在位51年にして72歳で死去し、世子の[[舜馬順煕]]が即位した<ref name="seikan-54">『訳注 中山世鑑』(2011年)、p.54</ref>。『中山世譜』によれば、[[王妃|妃]]は不伝とある<ref name="seifu-53"/>。後世に尊称として「舜天」という諡号が与えられた<ref name="higashionna-28">東恩納(1966年)、p.28</ref>。 == 琉球における為朝伝説 == [[ファイル:源為朝公上陸之趾.JPG|thumb|源為朝公上陸之跡碑。{{ウィキ座標|26|40|57.6|N|128|00|11.6|E|region:JP|地図|name=源為朝公上陸之跡碑}}]] [[1165年]]([[長寛]]3年)[[3月 (旧暦)|3月]]に[[伊豆大島]]を脱出して[[鬼ヶ島]]に渡り、周辺の島々を征服したといわれる源為朝は、奄美の[[加計呂麻島]]を経由し沖縄本島北部の[[運天港]]に上陸した後、大里按司の妹と通じて後の舜天である尊敦を生んだとされる。<ref name="mori293"/>琉球の為朝伝説に関する記述で最も古い文献は、[[月舟寿桂]]の『幻雲文集』([[1572年]]<ref name="urasoe-377">池宮正治「為朝伝説」、『浦添市史』(1989年)、p.377</ref>)とされ、[[小葉田淳]]が最初に紹介した<ref name="shimamura355">島村(2015年)、p.355</ref>。しかし、『幻雲文集』によると、1527年(大永7年)頃に月舟が琉球の僧であった鶴翁に尋ねた際、舜天と為朝に関係する記述の内容は琉球において周知されていなかったと述べている<ref name="shimamura356">島村(2015年)、p.356</ref>。 薩摩侵入後の[[1650年]]に編纂された、『中山世鑑』の編集者である[[羽地朝秀]]は、いわゆる「[[日琉同祖論]]」を唱え、舜天と為朝伝説を合わせた人物であり、[[薩摩藩]]主・[[島津氏]]が「源氏」を称していることから、それにへつらった羽地の創作であると言われている<ref name="asato etc-61"/>。しかし、[[1605年]]([[慶長]]10年)の[[袋中]]著『[[琉球神道記]]』<ref name="higashionna-25">東恩納(1966年)、p.25</ref>に為朝伝説が記されており、日本の僧侶とはいえ、琉球で実際に活動していた僧侶による記述があるため、薩摩侵入以前からすでに琉球に当伝説はあった可能性があり、羽地朝秀の作為によるものと断定できない<ref name="mori293"/>。小葉田は[[ジョアン・ロドリゲス]]の『日本教会史』から、16世紀後半には為朝が琉球に渡来したという話が日本本土から琉球に伝わり、『琉球神道記』に琉球における為朝の記事が記されたとしている<ref name="shimamura356"/>。 江戸時代には[[曲亭馬琴]]の『[[椿説弓張月]]』などに為朝伝説が取り入れられ<ref name="okinawa-chu728-tametomo">辺土名朝三「為朝伝説」、『沖縄大百科事典』、p.728</ref>、江戸で一大ブームを起こした。琉球処分後の[[1922年]]([[大正]]11年)には、運天港近くに[[東郷平八郎]]の[[揮毫]]による「源為朝公上陸之跡[[碑|石碑]]」が建立した<ref name="nakijin62">「運天港」、『山原の港』(1999年)、p.62</ref>。 『中山世鑑』の為朝伝説は、『[[保元物語]]』を基にしているが<ref name="seikan-49">「総注」、『訳注 中山世鑑』(2011年)、p.49</ref>、東恩納寛惇は、『保元物語』が史実だとしても、どれほどの信頼性があるものか疑わしく、それを確かめる術はないとしている<ref name="higashionna-25"/>。しかし、加藤三吾が琉球の為朝伝説を否定した論文を発表した後の[[1906年]]([[明治]]39年)から[[1908年]](明治41年)にかけて、東恩納は計6本の反論文を書き上げ、どれも『中山世鑑』の舜天が為朝の子であるという記述は否定できないとする内容であった<ref name="shimamura347-348">島村(2015年)、pp.347 - 348</ref>。東恩納は『おもろさうし』の中の一句を為朝の運天港上陸を詠った[[おもろ]]だと解して加藤に反論し、さらに伊波普猷と[[真境名安興]]も東恩納と基本的に同じ見解で、『中山世鑑』における為朝伝説の記事を否定してない<ref name="shimamura348">島村(2015年)、p.348</ref>。彼らが為朝伝説に関わる史記の記述を否定しなかった理由として、[[島村幸一]]は、舜天が源氏の血統を引き継いでいることで、「皇国」との関係を示唆し、琉球処分後に[[日本]]へ組み込まれた「沖縄」を擁護しようとしたのか、あるいは、為朝伝説が想像以上に琉球に定着していたのではないかと述べている<ref name="shimamura348-349">島村(2015年)、pp.348 - 349</ref>。 沖縄県[[国頭郡]][[今帰仁村]]の運天(うんてん)という地名があるが、為朝が「運を天に任せて」上陸した場所と言い伝えられ、「運天」となったとされ、また、琉球を離れた為朝を舜天とその母が帰りを待ちわびたとされる浦添市の牧港(まきみなと)は、「待ちみなと」に由来しているといわれている<ref name="hiraiwa-183">高野澄「弓張月ゆかりの旅」、平岩(1981年)、p.183</ref>。しかし、古くから「運天」は「くもけな(雲慶名)」から、「牧港」は「まひなと(真比港)」から転訛した地名であって、為朝伝説による地名由来説は後世に付けられたものである<ref name="higashionna-27">東恩納(1966年)、p.27</ref>。 なお、最近の[[遺伝子]]の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民は、[[縄文人]]を基礎として成立し、現在の東アジア大陸部の主要集団とは異なる遺伝的構成であり、同じ祖先を持つことが明らかになっている<ref>{{Cite news|author=[[篠田謙一]]|url=http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai5/5siryou.pdf|title=自然人類学から見たアイヌ民族|newspaper=|publisher=[[内閣総理大臣官邸]]|format=PDF|date=2009-02-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090414025044/http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainu/dai5/5siryou.pdf|archivedate=2009-04-14}}</ref><ref>{{Cite news|author=|url=http://idoushi.jp/?page_id=86|title=人類の移動誌|newspaper=|publisher=[[国立民族学博物館共同研究会]]|date=2010-09-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130514213710/http://idoushi.jp/?page_id=86|archivedate=2013-05-14}}</ref>。[[高宮広土]]([[鹿児島大学]])が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であるとし、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘するように、近年の[[考古学]]などの研究も含めて[[南西諸島]]の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であると推測されている<ref>{{Cite news|author=|url=http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274.html|title=ルーツ解明 沖縄に注目|newspaper=[[朝日新聞]]|publisher=|date=2010-04-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100420201708/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274.html|archivedate=2010-04-20}}</ref><ref>{{Cite news|author=|url=http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274_01.html|title=ルーツ解明 沖縄に注目|newspaper=[[朝日新聞]]|publisher=|date=2010-04-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110629171640/http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004160274_01.html|archivedate=2011-06-29}}</ref>。[[2021年]][[11月10日]]、[[マックス・プランク人類史科学研究所]]を中心とした、[[中華人民共和国|中国]]、[[日本]]、[[大韓民国|韓国]]、[[ヨーロッパ]]、[[ニュージーランド]]、[[ロシア]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の研究者を含む国際チームが『[[ネイチャー]]』に発表した論文によると、[[宮古島市]]の[[長墓遺跡]]の[[先史時代]]の[[人間の骨の一覧|人骨]]を[[DNA型鑑定|DNA分析]]したところ「100%[[縄文人]]」だったことが分かり、先史時代の[[先島諸島]]の人々は[[沖縄諸島]]から来たことを示す研究成果となった<ref name="沖縄タイムス1112"/>。また、[[言語学]]および[[考古学]]からは、[[中世]]([[グスク時代]]、[[11世紀]]~[[15世紀]])に[[九州]]から「本土日本人」が[[南西諸島|琉球列島]]に移住したことが推定でき、[[高宮広土]]([[鹿児島大学]])は、「結果として、[[琉球語|琉球方言]]の元となる言語を有した農耕民が本土から[[植民地|植民]]した。著名な『日本人二重構造論』を否定するという点で大変貴重だ」と指摘している<ref name="沖縄タイムス1112">{{Cite news|author=|url=https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/862140|title=宮古島先史の人々「北側の沖縄諸島から」「南から」説を覆す 人骨DNA分析で100%縄文人|newspaper=[[沖縄タイムス]]|publisher=|date=2021-11-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211113042120/https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/862140|archivedate=2021-11-13}}</ref><ref>{{Cite news|author=|url=https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/researches/view/696/|title=トランスユーラシア言語は農耕と共に新石器時代に拡散した|newspaper=[[九州大学]]|publisher=|date=2021-11-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211127021902/https://www.kyushu-u.ac.jp/ja/researches/view/696/|archivedate=2021-11-27}}</ref>。 == 『椿説弓張月』にみる舜天 == {{multiple image | align = | direction = | footer = 左右とも、画・[[葛飾北斎]]<ref name="hiraiwa-187">平岩(1981年)、p.187</ref>。<br/>(左)舜天丸は中山王として即位し、舜天王と称した<ref name="hiraiwa-155">平岩(1981年)、p.155</ref>。<br/>(右)画像中央やや左に、島烏を射抜く舜天丸、そして右に為朝、左下に紀平治がいる<ref name="hiraiwa-143">平岩(1981年)、p.143</ref>。 | footer_align = | width = | image1 = Chinsetsu Yumiharizuki 28-6 the enthronement of Sutemaru Cropped.jpg | width1 = 156 | caption1 = | image2 = Chinsetsu Yumiharizuki - Sutemaru shooting down a bird in flight.jpg | width2 = 220 | caption2 = }} [[曲亭馬琴]]は家族とともに、琉球使節団の行列([[江戸上り]])を見学した<ref name="asato etc-142">安里ほか(2004年)、p.142</ref>。これを機に、『椿説弓張月』は、『保元物語』に登場する源為朝を主人公とし<ref name="hiraiwa-12">平岩(1981年)、p.12</ref>、[[保元の乱]]で[[伊豆大島]]へ流刑となった為朝が琉球へ渡来したという伝説を構想にして書き上げた作品である<ref name="hiraiwa-168">柴田光彦「曲亭馬琴と『椿説弓張月』」、平岩(1981年)、p.168</ref>。また、『[[水滸伝]]』の[[李俊]]が[[暹羅]]に渡り国王になったという話を為朝に置き換えて作られ、その子供・「舜天丸(すてまる)」が国王として琉球を治めるという内容を含んでいる<ref name="hiraiwa-168"/>。馬琴は琉球について、[[徐葆光]]の『中山伝信録』と[[森島中良]]の『琉球談』などを参考にして解説し<ref name="hiraiwa-72">平岩(1981年)、p.72</ref>、当時の日本人にとって、異国情緒のある琉球を舞台に仕上げている<ref name="hiraiwa-12"/>。『椿説弓張月』の登場人物は、『中山伝信録』と『琉球談』から多く取り入れられ、「舜天丸」は、舜天のモデルであるが、母は大里按司の妹ではなく、阿多忠国の娘「白縫(しらぬい)」としている<ref name="shimamura392">島村(2015年)、p.392</ref>。作中の「利勇」は、天孫氏25代を滅亡させた利勇がモデルであるが、作中における最大の敵は彼ではなく、馬琴が作り上げた妖僧「曚雲(もううん)」である<ref name="shimamura393">島村(2015年)、p.393</ref>。 「源為朝」と「白縫」の間に生まれた「舜天丸」は、為朝の臣下・「紀平治(きへいじ)」によって育てられた<ref name="hiraiwa-184 sutemaru">椿説弓張月主要人物小事典「舜天丸」、平岩(1981年)、p.184</ref>。「舜天丸」に武芸や文字を教えたところ、10歳で「紀平治」よりも全てにおいて優れた若者となった<ref name="hiraiwa-83-85">平岩(1981年)、pp.83 - 85</ref>。その頃、琉球の国王の側近・「利勇」が実権を握り、政治をほしいままにしていたので、国は乱れ、衰退していた<ref name="hiraiwa-85">平岩(1981年)、p.85</ref>。しかし、「曚雲」という妖僧が、国王を殺害し、また「利勇」も討たれたので、「曚雲法君(もううんほうくん)」と名乗り、琉球を支配した<ref name="hiraiwa-185 mouun-riyuu">椿説弓張月主要人物小事典「曚雲」・「利勇」、平岩(1981年)、p.184</ref>。その後、「舜天丸」は「曚雲」を倒し<ref name="hiraiwa-184 sutemaru"/>、[[文治]]3年(1187年)[[12月15日 (旧暦)|12月15日]]、17歳にして中山王の位を授かり、「舜天王(しゅんてんおう)」と称した<ref name="hiraiwa-155"/>。彼は善政を行い、琉球は治世安楽となり、国民は繁盛したという<ref name="hiraiwa-155"/>。 == 陵墓・拝所 == {{multiple image | align = right | direction = horizontal | header = | header_align = | image1 = Nasu no Utaki 01.jpg | caption1 = ナスの御嶽。奥に舜天王統三代の王を葬ったとされる墓がある。{{ウィキ座標|26|18|17.96|N|127|47|50.66|E|region:JP|地図|name=ナスの御嶽}} | width1 = 220 | image2 = Imui Utaki 01.JPG | caption2 = 食栄森御嶽。中央が舜天を葬ったとされる墓。{{ウィキ座標|26|11|09.04|N|127|45|24.6|E|region:JP|地図|name=食栄森御嶽}} | width2 = 220 }} 沖縄県[[中頭郡]][[北中城村]]の仲順(ちゅんじゅん)に、「ナスの御嶽」とよばれる[[御嶽 (沖縄)|御嶽]]がある。その中に石垣があり、その奥の岩が当御嶽の本体(イベ)で、さらにその岩の上に、舜天と舜馬順煕の二人の王を葬ったとされる[[コンクリート]]製の墓が存在する。また、伝承によれば、[[義本]]も葬られているとされ、「ナスの御嶽」は「義本王の墓」とも呼ばれている<ref name="kitanakagusuku-11">「仲順の文化財 ナスの御嶽」、『北中城村の文化財』(1990年)、p.11</ref>。 同県南城市字大里の南風原地区に所在する「食栄森(いいむい)御嶽」に、舜天を葬ったとされる墓がある<ref name="iimui-67,87">『食榮森』(2010年)、p.67, 87</ref>。御嶽の基壇の中央に、頂上に[[宝珠]]のついた円筒形の墓があり、周辺住民はこれを「ボーントゥー墓」と呼んでいる<ref name="iimui-87">『食榮森』(2010年)、p. 87</ref>。戦前まで、毎年[[中城御殿]]の使者も、この墓に拝みに来ていたという<ref name="iimui-87, 88">『食榮森』(2010年)、pp. 87 - 88</ref>。[[沖縄戦]]終結直後に、修理をかねて墓の中を調査したところ、[[人骨]]と[[水晶]]、[[銅鏡]]が発見されている<ref name="iimui-88">『食榮森』(2010年)、p. 88</ref>。また同字の西原地区に、舜天の母と伝えられる大里按司の妹の墓があり、「ウミナイ御墓」と呼ばれる<ref name="oozato-27, 41">『大里の文化財』(2001年)、pp.27, 41</ref>。 [[崇元寺]]に、舜天から[[尚泰王]]までの歴代琉球国王の[[位牌]]が祀られていたが、沖縄戦により建物は焼失した<ref name="asato etc-62"/>。また、そこに舜天のものと言われる[[鏑矢]]が保管されていたという<ref name="higashionna-24-25">東恩納(1966年)、pp.24 - 25</ref>。浦添城東端部に位置する「為朝岩(ためともいわ)」と呼ばれる岩は、舜天と[[英祖 (琉球国王)|英祖]]の子息を祀った[[拝所]]となっている<ref name="urasoe-376">又吉盛清「為朝岩」、『浦添市史』(1989年)、p.376</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist|30em}} == 参考文献 == * 安里進 『琉球の王権とグスク』 [[山川出版社]]〈日本史リブレット 42〉、2006年12月20日。ISBN 4-634-54420-2 * 安里進ほか 『沖縄県の歴史』 山川出版社、2004年8月5日。ISBN 4-634-32470-9 * 井上秀雄「舜天王統滅亡の考察 - 英祖王への禅譲説に対する疑問 -」、[[沖縄女子短期大学]]紀要編集委員会編 『沖縄女子短期大学紀要 第4号』 pp.21 - 30、沖縄女子短期大学、1985年3月。 * [[浦添市]]史編集委員会編 『浦添市史 第一巻 通史編 <small>浦添のあゆみ</small>』 浦添市教育委員会、1989年3月29日。 * 浦添市企画部国際交流課広報広聴係編 『浦添市 市勢要覧 2008』 浦添市、2008年2月。 * 大里村教育委員会社会教育課編 『大里村文化財保護資料第3集 大里の文化財』 大里村教育委員会社会教育課、2001年3月30日(第3版)。 * 沖縄県今帰仁村歴史文化センター編 『山原の港』 沖縄県今帰仁村教育委員会今帰仁村歴史文化センター〈なきじん研究 9〉、1999年3月31日。 * 沖縄大百科事典刊行事務局編 『[[都道府県別百科事典|沖縄大百科事典]]』 [[沖縄タイムス|沖縄タイムス社]]、1983年5月30日。{{全国書誌番号|84009086}} * [[北中城村]]教育委員会社会教育課編 『北中城村の文化財 北中城村文化財調査報告書第1集』 北中城村教育委員会、1990年3月。 * [[蔡鐸]]著 原田禹雄訳注 『蔡鐸本 中山世譜 <small>現代語訳</small>』 [[榕樹書林]]〈琉球弧叢書 4〉、1998年7月30日。ISBN 4-947667-50-8 * [[島村幸一]] 『琉球文学の歴史叙述』 [[勉誠出版]]、2015年7月6日。ISBN 978-4-585-29098-8 * 首里王府([[羽地朝秀]] 他)編著、諸見友重訳注 『訳注 中山世鑑』 榕樹書林〈琉球弧叢書 24〉、2011年5月27日。ISBN 978-4-89805-152-8 * 南風原地区集落地域整備事業推進委員会編 『食榮森 <small>南風原地区集落地域整備統合事業完了記念誌</small>』 南城市南風原区自治会、2010年9月30日。 * [[東恩納寛惇]] 『琉球の歴史』 [[至文堂]]〈日本歴史新書 増補版〉、1966年11月10日。 * [[平岩弓枝]] 『[[椿説弓張月]]』 [[Gakken|学研]]〈現代語訳 日本の古典20〉、1981年4月20日。 * 平凡社地方資料センター編 『[[日本歴史地名大系]]第四八巻 沖縄県の地名』 [[平凡社]]、2002年12月10日。ISBN 4-582-49048-4 * [[森克己]]、[[田中健夫]]編、[[岩生成一]]監修 『海外交渉史の視点 第1巻 原始・古代・中世』 日本書籍株式会社、1975年10月10日。{{全国書誌番号|73015046}} * [[琉球新報|琉球新報社]]編 『[[東恩納寛惇]]全集 6』 [[第一書房]]、1979年12月10日(1993年7月25日再版)。ISBN 4-8042-0056-8 == 関連項目 == {{座標一覧}} * [[沖縄県の歴史]] * [[グスク時代]] * [[琉球王国]] == 外部リンク == * [http://www.urasoenavi.jp/tokushu/2015101800013/ 舜天・英祖・察度 「浦添三大王統」ゆかりの地を訪ねる] - うらそえナビ(浦添市観光振興課) * [http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch2/toitu_5.html 古琉球 / 統一王朝の成立 為朝伝説] - 琉球文化アーカイブ(沖縄県立総合教育センター) * {{Kotobank}} {{琉球国王|state=uncollasped}} {{Good article}} {{DEFAULTSORT:しゆんてん}} [[Category:琉球の君主]] [[Category:源為朝|伝]] [[Category:1166年生]] [[Category:1237年没]]
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ディラック方程式
ディラック方程式(ディラックほうていしき、英: Dirac equation)は、フェルミ粒子を記述するディラック場が従う基礎方程式である。ポール・ディラックにより相対論的量子力学として導入され、場の量子論に受け継がれている。 非相対論的なシュレーディンガー方程式を、相対論へ対応するための拡張として、最初クライン-ゴルドン方程式が考案された。これは負のエネルギー解と負の確率密度の問題が生じた(この問題は、その後の場の量子論においては回避される)。また、クライン-ゴルドン方程式にはスピンが出てこない問題もあった(これはクライン-ゴルドン方程式に従うスカラー場がスピンを持たない粒子を記述する為である)。 ポール・ディラックは1928年にディラック方程式を基礎方程式とする(特殊)相対論的量子力学を見出した。ディラック方程式からは負の確率密度は生じず、スピンの概念が自然に現れる。 しかしディラック方程式からは、自然界には存在しないような負のエネルギーの状態が現れるという問題があった。オスカル・クラインは、ある種の強いポテンシャルのもとで正エネルギーの電子が負エネルギー状態へ遷移しうることを示して、理論から負エネルギー状態を完全に排除することが困難であることを指摘した。 1930年にディラックは「真空とは、負エネルギーの電子が完全に満たされた状態である」とするディラックの海の概念(空孔理論、hole theory)を考案した。ディラックの海では負エネルギーの電子が取り除かれた「空孔」が生じることがあるが、ディラックは当初この空孔による粒子を陽子であると考えた。後に空孔は陽電子であることが指摘された(ヘルマン・ワイル、ロバート・オッペンハイマーによる)。ディラックの海の空孔は正のエネルギーを持ち、反粒子に対応する。光による電子と陽電子の生成は、真空中の負エネルギー電子が光を吸収して正エネルギー状態へ遷移し、あとに空孔を残す現象として説明される。1932年のデヴィッド・アンダーソンによる陽電子の発見により、ディラックの海は現実の現象を説明する優れた理論とされた。 その後、リチャード・P・ファインマン等により拡張、解釈の見直しが図られた(相対論的な場の量子論)。その結果、ディラックの海を考えなくとも、電子と陽電子を対称に扱うことができるようになった。 ディラック方程式は ħ = 1 , c = 1 {\displaystyle \hbar =1,c=1} とする自然単位系では i γ μ ∂ μ ψ ( x ) − m ψ ( x ) = 0 {\displaystyle i\gamma ^{\mu }\partial _{\mu }\psi (x)-m\psi (x)=0} と表される。ψ は4成分スピノルの場(ディラック場)である。 ψ ( x ) = ( ψ 1 ( x ) ψ 2 ( x ) ψ 3 ( x ) ψ 4 ( x ) ) {\displaystyle \psi (x)={\begin{pmatrix}\psi _{1}(x)\\\psi _{2}(x)\\\psi _{3}(x)\\\psi _{4}(x)\\\end{pmatrix}}} m は ψ の質量である。μ=0,1,2,3 についてはアインシュタインの縮約記法を用いる。微分 ∂ μ {\displaystyle \partial _{\mu }} は ∂ μ = ∂ ∂ x μ = ( ∂ ∂ t , ∇ ) {\displaystyle \partial _{\mu }={\frac {\partial }{\partial x^{\mu }}}=\left({\frac {\partial }{\partial t}},\nabla \right)} である。 γ μ {\displaystyle \gamma ^{\mu }} はガンマ行列(ディラック行列)と呼ばれる 4×4行列で { γ μ , γ ν } ≡ γ μ γ ν + γ ν γ μ = 2 η μ ν {\displaystyle \{\gamma ^{\mu },\gamma ^{\nu }\}\equiv \gamma ^{\mu }\gamma ^{\nu }+\gamma ^{\nu }\gamma ^{\mu }=2\eta ^{\mu \nu }} を満たす。 η μ ν = d i a g ( + 1 , − 1 , − 1 , − 1 ) {\displaystyle \eta _{\mu \nu }=\mathrm {diag} (+1,-1,-1,-1)} はミンコフスキー空間の計量テンソルである。ディラック方程式は3次元的に書けば i γ 0 ∂ ψ ∂ t + i γ ⋅ ∇ ψ − m ψ = 0 {\displaystyle i\gamma ^{0}{\frac {\partial \psi }{\partial t}}+i{\boldsymbol {\gamma }}\cdot \nabla \psi -m\psi =0} となる。移項して左から γ 0 {\displaystyle \gamma ^{0}} を掛ければ i ∂ ψ ∂ t = H ψ = − i α ⋅ ∇ ψ + β m ψ {\displaystyle i{\frac {\partial \psi }{\partial {}t}}=H\psi =-i{\boldsymbol {\alpha }}\cdot \nabla \psi +\beta m\psi } と表すことができる。 ただし α j = γ 0 γ j , β = γ 0 {\displaystyle \alpha ^{j}=\gamma ^{0}\gamma ^{j},\beta =\gamma ^{0}} である。ここで H = − i α ⋅ ∇ + β m {\displaystyle H=-i{\boldsymbol {\alpha }}\cdot \nabla +\beta m} はディラックのハミルトニアンと呼ばれる。 相対論的な量子力学の基礎方程式として考案されたクライン-ゴルドン方程式 − ∂ 2 ψ ∂ t 2 = − ∇ 2 ψ ( t , x ) + m 2 ψ ( t , x ) {\displaystyle -{\frac {\partial ^{2}\psi }{\partial t^{2}}}=-\nabla ^{2}\psi (t,{\boldsymbol {x}})+m^{2}\psi (t,{\boldsymbol {x}})} は、時間について2階の微分方程式であることから負の確率密度を生じ、確率解釈が困難となる問題を抱えていた。これを時間について1階の微分方程式 i ∂ ψ ∂ t = − i α ⋅ ∇ ψ ( t , x ) + β m ψ ( t , x ) {\displaystyle i{\frac {\partial \psi }{\partial t}}=-i{\boldsymbol {\alpha }}\cdot \nabla \psi (t,{\boldsymbol {x}})+\beta m\psi (t,{\boldsymbol {x}})} に帰着させるべく、ディラックは空間成分についての2階微分を1階微分に分解した関係式 ( − i α ⋅ ∇ + β m ) 2 = − ∇ 2 + m 2 {\displaystyle (-i{\boldsymbol {\alpha }}\cdot \nabla +\beta m)^{2}=-\nabla ^{2}+m^{2}} を満たすように4つの係数 α=(α1, α2, α3)、β を与えることを考えた。このとき、αi(i=1,2,3)、βに要求される代数関係は { α i , α j } = 0 i ≠ j , {\displaystyle \{\alpha _{i},\alpha _{j}\}=0\quad i\neq j,} { α i , β } = 0 , ( α i ) 2 = β 2 = 1 {\displaystyle \{\alpha _{i},\beta \}=0,~(\alpha _{i})^{2}=\beta ^{2}=1} となるが、こうした性質を満たすには係数は行列でなくてはならない。 ディラック方程式は相対論的な方程式であり、ローレンツ共変性を持つ。 即ち、ローレンツ変換 (μ,ν=0,1,2,3は時空の4成分、a, b = 1,2,3,4 はスピノルの4成分)に対して、 となる。ディラックスピノルの変換性をあらわす4×4行列 D(Λ) は によって定まる。 ワイル表示においては行列式 1 の2×2行列 M を用いて と書くことができる。例えば、z-方向のブーストの場合は となる。
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ディラック方程式は、フェルミ粒子を記述するディラック場が従う基礎方程式である。ポール・ディラックにより相対論的量子力学として導入され、場の量子論に受け継がれている。
{{Expand English|Dirac equation|date=2023-11}} {{出典の明記|date=2017年3月7日 (火) 14:35 (UTC)}} {{場の量子論}} '''ディラック方程式'''(ディラックほうていしき、{{lang-en-short|Dirac equation}})は、[[フェルミ粒子]]を記述する[[ディラック場]]が従う[[基礎方程式]]である。[[ポール・ディラック]]により[[相対論的量子力学]]として導入され、[[場の量子論]]に受け継がれている。 == 歴史 == 非相対論的な[[シュレーディンガー方程式]]を、[[相対性理論|相対論]]へ対応するための拡張として、最初[[クライン-ゴルドン方程式]]が考案された。これは負のエネルギー解と負の[[確率密度]]の問題が生じた(この問題は、その後の[[場の量子論]]においては回避される)。また、クライン-ゴルドン方程式には[[スピン角運動量|スピン]]が出てこない問題もあった(これはクライン-ゴルドン方程式に従う[[スカラー場]]がスピンを持たない粒子を記述する為である)。 [[ポール・ディラック]]は[[1928年]]に'''ディラック方程式'''を基礎方程式とする(特殊)相対論的量子力学を見出した。ディラック方程式からは負の確率密度は生じず、スピンの概念が自然に現れる。 しかしディラック方程式からは、自然界には存在しないような負のエネルギーの状態が現れるという問題があった。[[オスカル・クライン]]は、ある種の強いポテンシャルのもとで正エネルギーの電子が負エネルギー状態へ遷移しうることを示して、理論から負エネルギー状態を完全に排除することが困難であることを指摘した。 [[1930年]]にディラックは「真空とは、負エネルギーの電子が完全に満たされた状態である」とする'''[[ディラックの海]]'''の概念('''空孔理論'''、{{en|hole theory}})を考案した。ディラックの海では負エネルギーの電子が取り除かれた「空孔」が生じることがあるが、ディラックは当初この空孔による粒子を[[陽子]]であると考えた。後に空孔は[[陽電子]]であることが指摘された([[ヘルマン・ワイル]]、[[ロバート・オッペンハイマー]]による)。ディラックの海の空孔は正のエネルギーを持ち、[[反粒子]]に対応する。光による電子と陽電子の生成は、真空中の負エネルギー電子が光を吸収して正エネルギー状態へ遷移し、あとに空孔を残す現象として説明される。[[1932年]]の[[カール・デイヴィッド・アンダーソン|デヴィッド・アンダーソン]]による陽電子の発見により、ディラックの海は現実の現象を説明する優れた理論とされた。 その後、[[リチャード・P・ファインマン]]等により拡張、解釈の見直しが図られた(相対論的な場の量子論)。その結果、ディラックの海を考えなくとも、電子と陽電子を対称に扱うことができるようになった。 {{main|量子電磁力学}} == ディラック方程式 == ディラック方程式は <math>\hbar=1,c=1</math> とする[[自然単位系]]では {{Indent| <math>i\gamma^\mu\partial_\mu\psi(x) -m\psi(x)=0</math> }} と表される。&psi; は4成分[[スピノル]]の場([[ディラック場]])である。 {{Indent| <math> \psi(x) = \begin{pmatrix} \psi_1(x)\\ \psi_2(x)\\ \psi_3(x)\\ \psi_4(x)\\ \end{pmatrix} </math> }} m は &psi; の[[質量]]である。&mu;=0,1,2,3 については[[アインシュタインの縮約記法]]を用いる。微分<math>\partial_\mu</math> は {{Indent| <math>\partial_\mu =\frac{\partial}{\partial x^\mu} =\left( \frac{\partial}{\partial t}, \nabla \right)</math> }} である。 <math>\gamma^\mu</math> は'''[[ガンマ行列]]'''(ディラック行列)と呼ばれる 4&times;4行列で {{Indent| <math>\{ \gamma^\mu, \gamma^\nu \} \equiv \gamma^\mu\gamma^\nu + \gamma^\nu\gamma^\mu =2\eta^{\mu\nu}</math> }} を満たす。<math>\eta_{\mu\nu}=\mathrm{diag}(+1,-1,-1,-1)</math> は[[ミンコフスキー空間]]の[[計量テンソル]]である。ディラック方程式は3次元的に書けば {{Indent| <math>i\gamma^0\frac{\partial\psi}{\partial t} +i\boldsymbol{\gamma}\cdot\nabla\psi -m\psi=0</math> }} となる。移項して左から <math>\gamma^0</math> を掛ければ {{Indent| <math>i\frac{\partial\psi}{\partial{}t} =H\psi =-i\boldsymbol{\alpha}\cdot\nabla\psi +\beta m\psi</math> }} と表すことができる。 ただし <math>\alpha^j=\gamma^0\gamma^j, \beta=\gamma^0</math> である。ここで<math>H=-i\boldsymbol{\alpha}\cdot\nabla+\beta m</math> はディラックの[[ハミルトニアン]]と呼ばれる。 == ディラックの着想 == 相対論的な量子力学の基礎方程式として考案された[[クライン-ゴルドン方程式]] {{Indent| <math>-\frac{\partial^2\psi}{\partial t^2} =-\nabla^2\psi(t,\boldsymbol{x}) +m^2\psi(t,\boldsymbol{x})</math> }} は、時間について2階の微分方程式であることから負の確率密度を生じ、確率解釈が困難となる問題を抱えていた。これを時間について1階の微分方程式 {{Indent| <math>i\frac{\partial\psi}{\partial t} =-i\boldsymbol{\alpha}\cdot\nabla\psi(t,\boldsymbol{x}) +\beta m\psi(t,\boldsymbol{x})</math> }} に帰着させるべく、ディラックは空間成分についての2階微分を1階微分に分解した関係式 {{Indent| <math>( -i\boldsymbol{\alpha}\cdot\nabla +\beta m)^2 =-\nabla^2+ m^2</math> }} を満たすように4つの係数 '''&alpha;'''=(&alpha;<sub>1</sub>, &alpha;<sub>2</sub>, &alpha;<sub>3</sub>)、&beta; を与えることを考えた。このとき、&alpha;<sub>i</sub>(i=1,2,3)、&beta;に要求される代数関係は {{Indent| <math>\{ \alpha_i, \alpha_j \}=0\quad i\neq j,</math> }} {{Indent| <math>\{ \alpha_i, \beta \}=0,~ (\alpha_i)^2 = \beta^2 =1</math> }} となるが、こうした性質を満たすには係数は行列でなくてはならない。 == ローレンツ共変性 == ディラック方程式は相対論的な方程式であり、ローレンツ共変性を持つ。 即ち、[[ローレンツ変換]] :<math>x^\mu \rightarrow x'^\mu = \Lambda^\mu{}_\nu x^\nu</math> :<math>\psi_a(x) \rightarrow \psi'_a(x) = [D(\Lambda)]_a{}^b\,\psi_b(\Lambda^{-1}x)</math> (&mu;,&nu;=0,1,2,3は時空の4成分、a, b = 1,2,3,4 はスピノルの4成分)に対して、 :<math>(i\gamma^\mu\partial_\mu-m)\psi'(x)=0</math> となる。ディラックスピノルの変換性をあらわす4&times;4行列 D(&Lambda;) は :<math>[D(\Lambda)]_a{}^c \,[\gamma^\mu]_c{}^d \,[D(\Lambda)^{-1}]_d{}^b = (\Lambda^{-1})^\mu{}_\nu[\gamma^\nu]_a{}^b </math> によって定まる。 ワイル表示においては行列式 1 の2&times;2行列 M を用いて :<math>D(\Lambda) = \begin{pmatrix} M & \mathbf{0} \\ \mathbf{0} & (M^\dagger)^{-1} \\ \end{pmatrix} </math> :<math>M \sigma^\mu M^\dagger = (\Lambda^{-1})^\mu{}_\nu\sigma^\nu</math> と書くことができる。例えば、z-方向のブーストの場合は :<math>\Lambda^\mu{}_\nu = \begin{pmatrix} \cosh\beta & 0 & 0 & \sinh\beta \\ 0 & 1 & 0 & 0 \\ 0 & 0 & 1 & 0 \\ \sinh\beta & 0 & 0 & \cosh\beta \\ \end{pmatrix} </math> :<math>M = \begin{pmatrix} e^{-\beta/2} & 0 \\ 0 & e^{\beta/2} \\ \end{pmatrix} </math> となる。 ==参考文献== ;原論文 * {{cite journal|author=P.A.M. Dirac|authorlink=ポール・ディラック|url=http://rspa.royalsocietypublishing.org/content/117/778/610|title=The Quantum Theory of the Electron|journal=Proc. R. Soc. A|date=1928|volume=117|issue=778|pages=610-624|doi=10.1098/rspa.1928.0023}} ==関連項目== *[[相対性理論]] *[[量子力学]] *[[場の量子論]] *[[運動方程式]] **[[クライン=ゴルドン方程式]] - スピン0の相対論的ボース粒子。スカラー場。 <!-- **[[ディラック方程式]] - スピン1/2の相対論的フェルミ粒子。スピノル場。 --> **[[マクスウェル方程式]] - スピン1、質量0の相対論的ボース粒子。ベクトル場。 **[[プロカ方程式]] - スピン1、質量が0でない相対論的ボース粒子。ベクトル場。 **[[ラリタ=シュウィンガー方程式]] - スピン3/2。ベクトル・スピノル場('''ラリタ=シュウィンガー場''')。 **[[アインシュタイン方程式]] - スピン2。 **[[マクシモン]] - [[修正ディラック方程式]] {{量子力学}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ていらつくほうていしき}} [[Category:相対論的量子力学]] [[Category:場の量子論]] [[Category:スピノル]] [[Category:微分方程式]] [[Category:物理学の方程式]] [[Category:ポール・ディラック]] [[Category:人名を冠した数式]] [[Category:数学に関する記事]]
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3月11日
3月11日(さんがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から70日目(閏年では71日目)にあたり、年末まであと295日ある。
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3月11日(さんがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から70日目(閏年では71日目)にあたり、年末まであと295日ある。
{{カレンダー 3月}} '''3月11日'''(さんがつじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から70日目([[閏年]]では71日目)にあたり、年末まであと295日ある。 == できごと == [[ファイル:Kazunomiya.jpg|thumb|180px|{{Anchors|和宮}}[[和宮親子内親王]](皇女和宮)]] [[ファイル:Curtin MacArthur Blamey (042766).jpg|thumb|180px|{{Anchors|C.M.B. 1942}}マッカーサー、オーストラリアに後退(撮影日は[[1942年]][[3月26日]])]] [[ファイル:Pioneer plaque.svg|thumb|200px|{{Anchors|Pioneer10}}惑星探査機「パイオニア10号」に搭載された金属板図版]] [[ファイル:Ceausescu & Gorbachev 1985.jpg|thumb|180px|{{Anchors|Gorbachev 1985}}ソビエト連邦最高指導者への就任に先立って、[[1985年]][[1月]]、[[ルーマニア社会主義共和国]]大統領[[ニコラエ・チャウシェスク]](左)と会見する[[ミハイル・ゴルバチョフ]](右)]] {{multiple image | footer = [[東日本大震災]](2011) | image1 = Shinchi Sta 20110404.jpg | width1 = 140 | caption1 = 津波で壊滅した[[常磐線]][[新地駅]] | image2 = Fukushima I by Digital Globe B.jpg | width2 = 140 | caption2 = [[福島第一原子力発電所事故]]で爆発した原子炉建屋 }} * [[222年]] - [[帝政ローマ]]の皇帝[[ヘリオガバルス]]が近衛隊[[プラエトリアニ]]によって[[暗殺]]される。 * [[1510年]] - [[メディチ家]]出身の[[レオ10世 (ローマ教皇)|レオ10世]]が[[教皇|ローマ教皇]]に就任。 * [[1649年]] - [[フランス王国]]で起こった[[フロンドの乱]]の一局面として{{仮リンク|リュイユ和議|en|Peace of Rueil}}が締結される。 * [[1708年]] - [[イギリス]]女王[[アン (イギリス女王)|アン]]が[[スコットランド民兵法]]の裁可について[[拒否権]]を発動。 * [[1795年]] - [[マラーター王国]]を中心とする[[マラーター同盟]]と[[ニザーム王国]]の軍勢が激突し、マラーター側が勝利した([[カルダーの戦い]])。 * [[1851年]] - [[ジュゼッペ・ヴェルディ]]作曲のオペラ『[[リゴレット]]』が[[ヴェネツィア]]で初演。 * [[1862年]]([[文久]]2年[[2月11日 (旧暦)|2月11日]]) - [[皇女]]和宮の降嫁: [[幕末]]の[[日本]]で[[徳川家茂]]と[[和宮親子内親王]](皇女和宮)の[[結婚式|婚儀]]が執り行われる。 * [[1867年]] - [[ジュゼッペ・ヴェルディ]]作曲のオペラ『[[ドン・カルロ]]』が[[パリ]]で初演。 * [[1869年]] - [[アルマン・ダヴィド]]が[[ジャイアントパンダ]]の存在を“[[発見]]”する([[中国]][[四川省]]で配色の特殊な[[クマ]]の毛皮を見出す)。 * [[1879年]] - [[琉球王国#琉球処分|琉球処分]]: [[明治維新#明治政府|明治政府]]が[[琉球藩]]を廃して[[沖縄県]]を設置し、琉球藩王・[[尚泰王]]に[[東京]]居住を命じる。 * [[1881年]] - 日本訪問中の[[ハワイ王国]]国王[[カラカウア]]が[[赤坂御用地|赤坂仮御所]]を訪問、[[明治天皇]]との単独会談を行い、ハワイ・アジア連合を構築し明治天皇がその盟主となること、また姪の[[カイウラニ]]を日本の皇室に嫁がせることなどを提案する。 * [[1892年]] - [[品川弥二郎]]が[[第2回衆議院議員総選挙]]での[[選挙干渉]]を非難され、[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]を辞任。 * [[1901年]] - [[国木田独歩]]の初の作品集『武蔵野』が刊行。 * [[1906年]] - [[東京都]]で[[電車焼き討ち事件]]が発生。東京市内の東京市街鉄道・[[東京電車鉄道]]・東京電気鉄道の電車運賃値上げに市民が反対。鉄道会社・変電所・市庁舎を巡るデモが暴徒化し、電車の焼き討ち・新聞社への襲撃が発生した。 * [[1912年]] - [[中華民国]]臨時大統領・[[袁世凱]]統治下の同国が[[中華民国臨時約法]]を公布・施行する。 * [[1914年]] - [[イギリス]]の外交官[[ヘンリー・マクマホン]]が、[[イギリス領インド帝国]]、[[ロシア帝国]]、[[モンゴル]]、[[チベット]]、[[北京政府|中華民国北洋政府]]等の相互干渉地帯で、イギリス領インド帝国とチベット地方政府による国境線「[[マクマホンライン]]」を引く。 * [[1920年]] - [[ロシア]]で[[尼港事件]]が発生。[[シベリア]]はニコライエフスク(現・[[ニコラエフスク・ナ・アムーレ]])に出兵中の[[日本軍]]が、武装解除を要求した[[抗日パルチザン#シベリアの抗日パルチザン|抗日パルチザン]]に攻撃し、敗北する。 * [[1923年]] - 目黒蒲田電鉄([[東京急行電鉄]]の前身)[[東急目蒲線|目蒲線]]、[[目黒駅|目黒]] - 丸子(現・[[沼部駅|沼部]])間が開通。 * [[1924年]] - プロ野球団体[[阪神タイガース]]の本拠地、[[阪神甲子園球場]](当時は阪神電車甲子園大運動場)が起工。 * [[1933年]] - [[成田線]]にて[[笹川駅|笹川]]~[[松岸駅|松岸]]間が開通し、これにより成田線は全線開通を迎えた。 * [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: アメリカ大統領[[フランクリン・ルーズベルト]]により、[[レンドリース法]](武器貸与法)が制定される。 * [[1942年]] - 第二次世界大戦・[[フィリピンの戦い (1941-1942年)|フィリピンの戦い]]: [[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]将軍が[[コレヒドール島]]から退却。 * [[1945年]] - [[フランス領インドシナ]]が[[フランス]]から独立。[[ベトナム帝国]]を成立させ、日本への恭順を宣言。 * [[1948年]] - [[福岡県]]で起こった[[九州大学生体解剖事件]]の軍事裁判開廷(横浜軍事法廷、[[8月27日]]判決)。 * [[1955年]] - [[東京大学生産技術研究所]]AVSA班が、[[学校法人早稲田実業学校|早稲田実業学校]]校庭で初の[[ペンシルロケット]]の水平試射を行う<ref>[https://www.jaxa.jp/article/interview/sp1/episode-1_p2_j.html 的川泰宣~ペンシルロケット物語~ 第一章 国分寺のペンシル] [[宇宙航空研究開発機構|JAXA]]公式サイト</ref>。 * [[1960年]] - [[パイオニア計画]]: [[アメリカ合衆国]]の[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]が[[宇宙探査機|惑星探査機]]「[[パイオニア5号]]」を打ち上げる。 * [[1966年]] - [[インドネシア]]の[[スカルノ]]大統領が、政治権限を[[スハルト]]陸将に委譲する「3月11日命令書」にサインし、スハルトが大統領代行に就任する。 * 1966年 - [[菊富士ホテル火災]]が発生: [[群馬県]][[利根郡]][[水上町]](現・[[みなかみ町]])にある菊富士ホテルが全焼し、[[茨城県]]の[[タバコ]]組合の団体客など30人が死亡する。 * [[1970年]] - [[ボーイング747]](ジャンボジェット)が日本へ初飛行。 * 1970年 - [[ブラジル]]で大口サンパウロ総領事が誘拐される。ブラジル政府が誘拐犯の要求を受け入れ、同年3月15日に解放<ref>「誘拐犯は紳士的だった」 小部屋に不寝番『朝日新聞』1970年(昭和45年)3月17日夕刊 3版 11面</ref>。 * [[1980年]] - [[都市銀行]]6行の現金自動支払機(CD)相互接続ネットワーク「[[BANCS|SICS]]」が運用開始。 * [[1981年]] - [[日本国有鉄道経営再建促進特別措置法|国鉄再建法]]施行令公布。廃止対象となる[[特定地方交通線]]選定の基準を明確化。 * [[1983年]] - [[日本近距離航空機中標津空港事故|NKA497便]]([[札幌飛行場|札幌丘珠]]発中標津行)YS-11型が着陸に失敗、中標津空港付近の林に墜落する[[航空事故|事故]]が発生。幸い機体が炎上しなかったため、乗客53人に死者は出なかった。 * [[1984年]] - [[宮崎駿]]監督のアニメ映画『[[風の谷のナウシカ (映画)|風の谷のナウシカ]]』が、日本で公開開始。 * [[1985年]] - [[ミハイル・ゴルバチョフ]]が[[ソビエト連邦]]の最高指導者に就任。 * [[1988年]] - アメリカ大統領[[ロナルド・レーガン]]が[[パナマ]]に対して[[経済制裁]]を発動。 * [[1989年]] - [[東日本旅客鉄道|JR東日本]]が、[[新宿駅]]と[[渋谷駅]]で[[発車メロディ]]を導入。 * 1989年 - [[四国旅客鉄道|JR四国]]が[[鉄道総合研究所]]と共同開発した世界初の制御付振子式2000系気動車が運行開始。 * [[1990年]] - [[リトアニア]]が、[[1940年]]になされた[[ソビエト連邦]]への加入は強制併合であったと主張し、無効であるとして連邦からの脱退・[[独立#独立宣言|独立を宣言]]。 * [[1992年]] - [[中華人民共和国|中国]]が[[核拡散防止条約]]に批准。 * [[1994年]] - [[ゼネコン汚職事件]]で[[中村喜四郎]]前建設相が逮捕される。27年ぶりとなる国会会期中の現職国会議員の逮捕。 * [[1997年]] - [[茨城県]][[東海村]]にある[[動力炉・核燃料開発事業団|動燃]]再処理施設で[[動燃東海事業所火災爆発事故|爆発事故が発生]]し、労働者37人が低レベルの[[放射線]]に被曝する。 * [[1999年]] - [[インフォシス・テクノロジーズ]]が[[インド]]の企業では初めて[[NASDAQ]]に上場。 * [[2004年]] - [[マドリード列車爆破テロ事件]]発生: [[スペイン]]の[[マドリード]]で通勤列車の連続爆破[[テロリズム|テロ]]が発生し、死者191人を出す。 * 2004年 - [[群馬県]][[高崎市]]で[[高崎小1女児殺害事件]]が発生。 * [[2006年]] - [[ミシェル・バチェレ]]が[[チリ大統領の一覧|第34代チリ大統領]]に就任。 * [[2009年]] - [[イラク高等法廷]]が、元・[[イラク|イラク共和国]]副首相兼外相[[ターリク・ミハイル・アズィーズ|ターリク・アズィーズ]]に係る「[[人道に対する罪]]」「[[戦争犯罪]]」等を認め、禁固15年の判決を下す。 * 2009年 - [[ドイツ]]で[[ヴィネンデン銃乱射事件]]が発生。 * [[2010年]] - [[セバスティアン・ピニェラ]]が[[チリ大統領の一覧|第35代チリ大統領]]に就任<ref>{{Cite web|和書|date=2010年3月12日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2708600 |title=チリで大統領就任式、余震発生で会場は一時パニックに |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2020-07-24}}</ref>。 * 2010年 - [[チリ共和国|チリ]]の[[ピチレム]]を[[震源]]とする[[ピチレム地震]]が発生。 * 2010年 - [[農林水産省]]が「[[ため池百選]]」を選定<ref>{{Cite web|和書|date=2010年3月31日 |url=http://www.maff.go.jp/j/nousin/bousai/tameike/hyakusen.html |title=ため池百選一覧 |publisher=農林水産省 |accessdate=2020-07-24}}</ref>。 * 2010年 - [[茨城県]]にて、[[航空自衛隊]][[百里飛行場]]が茨城空港として民間共用を開始。 * [[2011年]] - [[三陸|三陸沖]]にて、[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])が発生<ref>{{Cite web|和書|date=2011年3月12日 |url=https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-19960520110311 |title=長野でも大きな揺れ、拡大する地震で死者は1000人超へ |publisher=ロイター |accessdate=2020-07-24}}</ref>。日本・[[本州]]北部沖の[[太平洋]]西部海底を震源とする[[マグニチュード]]9.0の[[超巨大地震]]、及び大[[津波]]が発生。死者・行方不明者2万2000人以上を出す大震災となった。 [[ファイル:Good-Bye Raicho Express (3).jpg|サムネイル|195x195ピクセル|特急「雷鳥」廃止(2011)]] * [[2012年]] - [[フランス]]の[[トゥールーズ]]で[[ミディ=ピレネー連続銃撃事件]]の最初の銃撃事件が発生<ref>{{Cite web|和書|date=2012年3月19日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2866616 |title=南仏のユダヤ人学校で発砲、4人死亡 バイク男の銃撃事件相次ぐ |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2020-07-24}}</ref>。 * [[2018年]] - [[中華人民共和国|中国]]、[[全国人民代表大会|全人代]]にて[[中華人民共和国主席|国家主席]]及び[[中華人民共和国副主席|副主席]]の任期(1期5年、再々任は認めない)を撤廃する[[中華人民共和国憲法|憲法]]改正案を可決。17日に[[習近平]]が主席に再選<ref>{{Cite news|url=http://www.sankei.com/world/news/180311/wor1803110030-n1.html|title=【中国全人代】国家主席の任期撤廃、改憲案を可決 中国政治体制の分岐点|newspaper=産経新聞社|date=2018-03-11|accessdate=2020-07-24}}</ref>。 * [[2020年]] - [[世界保健機関]](WHO)が[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|COVID-19]]の発生を世界的な[[パンデミック]]と宣言<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/pandemic/|title=WHOが表明 新型コロナウイルスは「パンデミック」|publisher=NHKオンライン|date=2020-03-12|accessdate=2020-10-14}}</ref>。 * 2020年 - [[日本高等学校野球連盟|日本高野連]]が、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症]]の拡大に伴い同年[[3月19日]]から開催される予定であった第92回[[選抜高等学校野球大会|選抜高校野球大会]]を中止とすることを発表。選抜大会において、戦時中を除き予定されていた大会が中止となるのは史上初<ref name="cancel">{{Cite web|和書|title=センバツ、史上初の中止 |url=https://archive.is/pLhkQ |work= 共同 |date=2020-03-11 |accessdate=2021-02-01}}</ref>。 == 誕生日 == === 人物 === [[ファイル:Torquato Tasso.jpg|thumb|180px|詩人[[トルクァート・タッソ]](1544-1595年)。代表作は『[[解放されたエルサレム]]』(1575年)。]] [[ファイル:Urbain Le Verrier.jpg|thumb|180px|天文学者[[ユルバン・ルヴェリエ]](1811-1877年)。[[海王星]]の発見者の1人。]] [[ファイル:Shigenobu Okuma 5.jpg|thumb|180px|政治家・[[大隈重信]](1838-1922年)。[[大日本帝国]]第8代・第17代内閣総理大臣等を務めた。]] [[ファイル:Rupert Murdoch 2011 Shankbone 3.JPG|thumb|right|180px|実業家[[ルパート・マードック]](1931年 - )。[[ニューズ・コープ]]の創設者にして[[会長]]兼[[最高経営責任者|CEO]]。]] [[ファイル:Hakuho fight Jan08.jpg|thumb|right|180px|投げを打つ[[横綱]]・[[白鵬翔]](1985年 - )。大相撲力士。]] * [[1544年]] - [[トルクァート・タッソ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Torquato-Tasso-Italian-poet Torquato Tasso Italian poet] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[詩人]](+ [[1591年]]) * [[1638年]]([[寛永]]15年[[1月26日 (旧暦)|1月26日]]) - [[藤堂高久]]、[[津藩]]主(+ [[1703年]]) * [[1738年]]([[元文]]3年[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]) - [[脇坂安弘]]、[[龍野藩]]主(+ [[1757年]]) * [[1751年]]([[宝暦]]元年[[2月14日 (旧暦)|2月14日]]) - [[松平治郷]]<ref>{{Harvnb|百目木|1918|p=2}}</ref>、[[松江藩]]主、[[茶道|茶人]](+ [[1818年]]) * [[1752年]]([[宝暦]]2年[[1月26日 (旧暦)|1月26日]]) - [[植村家久]]、[[高取藩]]主(+ [[1779年]]) * [[1779年]]([[安永 (元号)|安永]]8年[[1月24日 (旧暦)|1月24日]]) - [[欣子内親王]]、[[光格天皇]]の[[中宮]](+ [[1846年]]) * [[1785年]] - [[ジョン・マクレーン (郵政長官)|ジョン・マクレーン]]、第9代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1861年]]) * [[1786年]] - [[パウル・アントン・エステルハージ]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]の[[外交官]](+ [[1866年]]) * [[1811年]] - [[ユルバン・ルヴェリエ]]、[[天文学者]](+ [[1877年]]) * [[1812年]] - [[ジェイムズ・スピード]]、[[アメリカ合衆国司法長官]](+ [[1887年]]) * [[1813年]]([[文化 (元号)|文化]]10年[[2月9日 (旧暦)|2月9日]]) - [[藤堂高猷]]、[[津藩]]主(+ [[1895年]]) * [[1818年]] - [[アントニオ・バッジーニ]]、[[作曲家]]・[[ヴァイオリニスト]](+ [[1897年]]) * 1818年 - [[マリウス・プティパ]]、[[バレエダンサー]]、[[振付師]]、[[台本]]作家(+ [[1910年]]) * [[1822年]] - [[ジョゼフ・ベルトラン]]、[[数学者]](+ [[1890年]]) * [[1838年]]([[天保]]9年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]) - [[大隈重信]]、[[教育関係人物一覧|教育者]]、第5代[[内閣総理大臣]]、[[東京専門学校 (旧制)|東京専門学校]](現・[[早稲田大学]])創設者(+ [[1922年]]) * [[1868年]]([[慶応]]4年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]]) - [[小川芋銭]]、[[日本画家]](+ [[1938年]]) * [[1870年]] - [[ルイ・バシュリエ]]、[[数学者]](+ [[1946年]]) * [[1877年]] - [[モーリス・アルブヴァクス]]、[[社会学者]](+ [[1945年]]) * [[1878年]] - [[梅ヶ谷藤太郎 (2代)]]、[[大相撲]]第20代[[横綱]](+ [[1927年]]) * [[1881年]] - [[古今亭志ん上]]、[[落語家]](+ [[1938年]]) * [[1883年]] - [[加藤鐐五郎]]、[[政治家]](+ [[1970年]]) * [[1887年]] - [[ラオール・ウォルシュ]]、[[映画監督]](+ [[1980年]]) * [[1890年]] - [[ヴァネヴァー・ブッシュ]]、[[技術者]](+ [[1974年]]) * [[1891年]] - [[マイケル・ポランニー]]、[[物理化学|物理化学者]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1976年]]) * [[1892年]] - [[高柳光寿]]、[[歴史学者]](+ [[1969年]]) * [[1894年]] - [[オットー・グローテヴォール]]、[[ドイツ民主共和国]](東ドイツ)首相(+ [[1964年]]) * [[1897年]] - [[ヘンリー・カウエル]]、[[作曲家]](+ [[1965年]]) * [[1898年]] - [[綾櫻由太郎]]、大相撲[[力士]](+ [[1982年]]) * 1898年 - [[ドロシー・ギッシュ]]、[[俳優|女優]](+ [[1968年]]) * [[1899年]] - [[フレゼリク9世 (デンマーク王)|フレゼリク9世]]、[[デンマーク|デンマーク王]](+ [[1972年]]) * [[1901年]] - [[ローゼ・アウスレンダー]]、[[詩人]](+ [[1988年]]) * [[1902年]] - [[御手洗毅]]、[[キヤノン]]創始者の1人(+ [[1984年]]) * [[1903年]] - [[深田久弥]]、[[小説家]](+ [[1971年]]) * 1903年 - [[飛沢栄三]]、高校野球指導者(+ [[1967年]]) * [[1907年]] - [[ヘルムート・イェームス・フォン・モルトケ]]、反[[ナチス・ドイツ]]運動家(+ [[1945年]]) * 1907年 - [[安田光昭]]、教育者、政治家(+ [[1993年]]) * [[1910年]] - [[ジャシンタ・マルト]]、[[福者]](+ [[1920年]]) * [[1912年]] - [[岩本義行]]、[[プロ野球選手]](+ [[2008年]]) * [[1913年]] - [[ヴォルフ・ディートリッヒ・ヴィルケ]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]の[[エース・パイロット]](+ [[1944年]]) * 1913年 - [[ジョン・ワインツワイグ]]、[[作曲家]](+ [[2006年]]) * [[1915年]] - [[J・C・R・リックライダー]]、[[計算機科学|計算機科学者]](+ [[1990年]]) * [[1916年]] - [[ハロルド・ウィルソン]]、第67・69代[[イギリス首相]](+ [[1995年]]) * [[1917年]] - [[原田伴彦]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[1983年]]) * [[1920年]] - [[ニコラス・ブルームバーゲン]]、[[物理学者]](+ [[2017年]]) * [[1921年]] - [[アストル・ピアソラ]]、[[バンドネオン]]奏者(+ [[1992年]]) * 1921年 - [[福井敏雄]]、お天気キャスター(+ [[2005年]]) * [[1922年]] - [[和田寿郎]]、心臓外科医(+ [[2011年]]) * [[1923年]] - [[ルイーズ・ブラフ]]、[[テニス選手]](+ [[2014年]]) * 1923年 - [[梅田修 (経営コンサルタント)|梅田修]]、経営コンサルタント * [[1924年]] - [[フランコ・バザリア]]、[[精神科医]](+ [[1980年]]) * [[1925年]] - [[ピーター・R・ハント]]、映画監督(+ [[2002年]]) * [[1926年]] - [[ポール・パヴィオ]]、映画監督 * [[1927年]] - [[石牟礼道子]]、[[小説家]](+ [[2018年]]) * 1927年 - [[北村和夫]]、[[俳優]](+ [[2007年]]) * [[1928年]] - [[中村芝翫 (7代目)]]、[[歌舞伎]]役者(+ [[2011年]]) * [[1931年]] - [[ルパート・マードック]]、[[実業家]] * 1931年 - [[近藤信行]]、[[評論家]](+ [[2022年]])  * [[1932年]] - [[栗田勝]]、[[騎手]](+ [[1980年]]) * [[1935年]] - [[喜多道枝]]、女優、[[声優]] * [[1936年]] - [[ハラルド・ツア・ハウゼン]]、[[ウイルス学|ウイルス学者]](+ [[2023年]])  * [[1937年]] - [[池長潤]]、[[カトリック教会|カトリック]][[聖職者]] * [[1938年]] - [[梅宮辰夫]]、俳優(+ [[2019年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://hochi.news/articles/20191212-OHT1T50034.html |title=梅宮辰夫さん死去、慢性腎不全のため81歳…「モーニングショー」が伝える |accessdate=2020-11-07 |date=2019-12-12 |website=スポーツ報知 |language=ja}}</ref>) * [[1941年]] - [[古森義久]]、ジャーナリスト * [[1943年]] - [[周富徳]]、[[シェフ|料理人]](+ [[2014年]]) * [[1944年]] - [[本間正明]]、[[経済学者]] * [[1947年]] - [[市原稔]]、元プロ野球選手 * 1947年 - [[トリスタン・ミュライユ]]、作曲家 * [[1948年]] - [[ドミニク・サンダ]]、女優 * [[1949年]] - [[オスマン・サンコン]]、[[タレント]]、[[ギニア]]親善大使 * 1949年 - [[ソヘイラ・スィッディーキー]]、[[軍人]]、[[政治家]](+ [[2020年]]) * [[1950年]] - [[麻実れい]]、女優 * 1950年 - [[渡辺哲]]、俳優 * 1950年 - [[平口広美]]、[[漫画家]] * 1950年 - [[ジェリー・ザッカー]]、映画監督、[[映画プロデューサー]] * 1950年 - [[ボビー・マクファーリン]]、[[ジャズ]]歌手 * 1950年 - カティア・ラベック、[[ピアニスト]]([[ラベック姉妹]]) * [[1951年]] - 松崎悦子、歌手([[チェリッシュ (歌手グループ)|チェリッシュ]]) * 1951年 - [[西城賢策]]、政治家 * [[1952年]] - [[ダグラス・アダムス]]、[[小説家]](+ [[2001年]]) * 1952年 - [[簑田浩二]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[竹田和夫]]、[[ギタリスト]] * [[1953年]] - [[デレック・デイリー]]、元[[フォーミュラ1|F1]]レーサー * [[1954年]] - [[BORO]]、[[シンガーソングライター]] * 1954年 - [[デヴィッド・ニューマン (作曲家)|デヴィッド・ニューマン]]、作曲家 * [[1955年]] - [[ニーナ・ハーゲン]]、歌手 * 1955年 - [[高木文堂]]、政治家 * [[1956年]] - [[小宮孝泰]]、タレント * 1956年 - [[クリスチャン・ラッセン]]、[[画家]] * [[1957年]] - [[ガーセム・ソレイマーニー]]、軍人(+ [[2020年]]) * 1957年 - [[山形ユキオ]]、歌手 * 1957年 - [[シェリル・リン]]、歌手 * [[1958年]] - [[織田哲郎]]、歌手、[[作曲家]] * 1958年 - [[深沢茂之]]、裁判官 * 1958年 - [[藤本宗利]]、[[日本文学研究者|国文学者]] * 1958年 - [[松宮孝明]]、刑法学者 * 1958年 - [[エディ・ローソン]]、[[オートバイ競技|オートバイレーサー]] * [[1959年]] - [[板野一郎]]、演出家、[[アニメーター]] * 1959年 - [[ニナ・ハートレー]]、ポルノ女優 * 1959年 - [[フィル・ブラッドリー]]、元プロ野球選手 * [[1960年]] - [[佐藤順一]]、[[アニメ監督]] * [[1961年]] - [[イライアス・コティーズ]]、俳優 * 1961年 - [[小島正幸]]、アニメ監督 * [[1962年]] - [[斉藤ルミ子]]、タレント * [[1963年]] - [[デビッド・ラシャペル]]、[[写真家]] * 1963年 - [[河井克行]]、政治家 * 1963年 - [[谷村仁司]]、[[ものまねタレント]] * [[1965年]] - [[草刈滉一]]、俳優 * 1965年 - [[中井美穂]]、[[フリーアナウンサー]] * 1965年 - [[古本伸一郎]]、[[政治家]] * 1965年 - [[三木谷浩史]]、実業家、[[楽天グループ]]創業者・社長、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]会長 * 1965年 - [[佐藤伊知子]]、バレーボール指導者、元全日本代表選手 * [[1967年]] - [[ドゥエイン・ホージー]]、元プロ野球選手 * 1967年 - [[浅香守生]]、[[アニメーション]]監督 * 1967年 - [[ヘンゾ・グレイシー]]、プロ格闘家、柔術家 * 1967年 - [[竹下宏太郎]]、俳優 * [[1968年]] - [[大沢たかお]]、俳優 * 1968年 - [[リサ・ローブ]]、[[シンガーソングライター]] * [[1969年]] - [[中村江里子]]、タレント、アナウンサー * 1969年 - [[井浦秀知]]、俳優、歌手 * 1969年 - [[テレンス・ハワード]]、俳優 * 1969年 - [[小林十市]]、[[バレエ]]ダンサー、[[振付師]] * [[1970年]] - [[ペドロ・カステヤーノ]]、元プロ野球選手 * 1970年 - [[大平貴之]]、[[エンジニア]]、[[プラネタリウム]]クリエイター * 1970年 - [[高木延秀]]、元[[アイドル]](元[[忍者 (グループ)|忍者]]) * 1970年 - [[大達一真]]、[[ドラマー]] * [[1971年]] - [[李尚勲]](サムソン・リー)、元プロ野球選手 * 1971年 - [[角澤照治]]、[[テレビ朝日]][[アナウンサー]] * [[1972年]] - [[UA (歌手)|UA]]、歌手 * 1972年 - [[村瀬哲史]]、学習塾講師(地理)、コメンテーター * 1972年 - [[早稲田ちえ]]、[[漫画家]] * 1972年 - [[ティミィ・キーナン]]、元[[社会人野球]]選手 * 1972年 - [[サロモン・トーレス]]、元プロ野球選手 * [[1973年]] - [[南山真]]、プロ[[バスケットボール選手]] * 1973年 - [[坂田亘]]、[[プロレスラー]] * 1973年 - [[平井元喜]]、[[ピアニスト]]、[[作曲家]] * [[1974年]] - [[ボビー・アブレイユ]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[奥山佳恵]]、タレント * 1974年 - [[山崎智也]]、[[競艇]]選手 * 1974年 - [[アドゴニー・ロロ]]、タレント * [[1975年]] - [[八馬幹典]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[黒田雅之 (サックス奏者)|黒田雅之]]、サックス奏者 * [[1976年]] - [[ラデク・バボラーク]]、[[ホルン]]奏者 * 1976年 - [[三瀬幸司]]、元プロ野球選手 * 1976年 - [[トーマス・グラベセン]]、サッカー選手 * 1976年 - [[ピタ・アラティニ]]、ラグビー選手 * [[1978年]] - [[神門光太朗]]、[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー]] * 1978年 - [[本田俊介]]、NHKアナウンサー * 1978年 - [[EMI (モデル)|EMI]]、ファッションモデル * 1978年 - [[アルベルト・ルケ]]、サッカー選手 * 1978年 - [[ミハル・ドレジャル]]、[[スキージャンプ]]選手 * 1978年 - [[ディディエ・ドログバ]]、サッカー選手 * [[1979年]] - [[エルトン・ブランド]]、バスケットボール選手 * 1979年 - 平井俊輔、お笑い芸人([[どりあんず]]) * [[1980年]] - [[富田晶子]]、[[フレアバーテンダー]]兼[[ファッションモデル|モデル]] * [[1981年]] - 岩寺基晴、ミュージシャン([[サカナクション]]) * 1981年 - [[潘武雄]]、プロ野球選手 * [[1982年]] - [[ソーラ・バーチ]]、女優 * 1982年 - [[郷司利也子]]、プロボクサー * 1982年 - [[ブライアン・アンダーソン (外野手)|ブライアン・アンダーソン]]、プロ野球選手 * [[1983年]] - [[龍皇昇]]、元大相撲力士 * 1983年 - [[小西翔]]、プロ野球選手 * 1983年 - [[島田和菜]]、[[グラビアアイドル]] * 1983年 - [[藤本梨恵]]、オートレーサー、元プロボクサー * [[1984年]] - イシノユウキ、ミュージシャン([[Jam9]]) * 1984年 - [[高橋聡]]、サッカー選手 * 1984年 - [[土屋アンナ]]、モデル、女優、歌手 * [[1985年]] - [[白鵬翔]]、元大相撲力士、第69代[[横綱]]、年寄13代[[宮城野 (年寄名跡)|宮城野]] * 1985年 - [[ソーニャ・ラデヴァ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1985年 - [[ルイス・エルナンデス (フィギュアスケート選手)|ルイス・エルナンデス]]、フィギュアスケート選手 * [[1986年]] - [[篠田麻里子]]、タレント、歌手、ファッションモデル(元[[AKB48]]) * 1986年 - [[伊藤桃]]、タレント * [[1987年]] - [[滝ありさ]]、元グラビアアイドル * 1987年 - [[落合佑介]]、俳優 * 1987年 - [[朝倉ことみ]]、元[[AV女優]] * 1987年 - [[マイク・ボルセンブローク]]、野球選手 * 1987年 - [[長月達平]]、[[ライトノベル]]作家 * [[1988年]] - [[ファビオ・コエントラン]]、サッカー選手 * 1988年 - [[中嶋勝彦]]、[[プロレスラー]] * 1988年 - [[ピコ (歌手)|ピコ]]、[[歌手]] * 1988年 - [[佐藤飛鳥]]、ファッションモデル * [[1989年]] - [[アントン・イェルチン]]、俳優(+ [[2016年]]<ref>{{Cite web|和書|work=シネマトゥデイ|url=https://www.cinematoday.jp/news/N0083821|title=『スター・トレック』アントン・イェルチン死去、27歳…愛車に押し潰され|date=2016-06-20|accessdate=2020-10-29}}</ref>) * 1989年 - [[チェルシー舞花]]、ファッションモデル * [[1990年]] - [[森田あゆみ]]、プロ[[テニス選手一覧|テニス選手]] * 1990年 - [[菊池涼介]]、プロ野球選手 * 1990年 - [[西口杏里沙]]、声優 * 1990年 - [[山本詠美子]]、ミュージカル俳優、歌手、司会者 * [[1991年]] - [[中﨑雄太]]、元プロ野球選手 * 1991年 - [[京泉智士]]、ファッションモデル * 1991年 - [[リンリン (1991年生の歌手)|リンリン]]、歌手(元[[モーニング娘。]]) * 1991年 - [[桜井紗稀]]、グラビアアイドル * [[1992年]] - [[東山奈央]]、声優<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jvcmusic.co.jp/flyingdog/-/Profile/A023615.html|title=東山 奈央 Nao Toyama|work=[[フライングドッグ|Flying Dog]]|accessdate=2020-07-24}}</ref> * 1992年 - [[菅原隆一]]、騎手、元[[子役]] * 1992年 - [[三浦伊織]]、野球選手 * [[1993年]] - [[ささの友間]]、俳優 * [[1994年]] - [[榊原春奈]]、[[ボート競技]]選手 * 1994年 - [[熊谷望那]]、アナウンサー * [[1995年]] - [[里々佳]]、モデル、グラビアアイドル * 1995年 - [[才川コージ]]、俳優 * 1995年 - [[江里口裕輝]]、騎手 * 1995年 - [[深井一希]]、サッカー選手 * [[1996年]] - [[川口翔子]]、女優、モデル * 1996年 - [[瀬口黎弥]]、[[ダンサー|パフォーマー]]([[FANTASTICS from EXILE TRIBE]]) * [[1997年]] - [[百瀬大騎]]、元プロ野球選手 * 1997年 - [[野澤真央]]、プロゴルファー * 1997年 - [[岩谷翔吾]]、[[パフォーマー]]([[THE RAMPAGE from EXILE TRIBE]]) * [[1998年]] - [[遠坂めぐ]]、シンガーソングライター * [[2000年]] - [[みくぴ]]、元モデル * [[2002年]] - [[半井重幸]](Shigekix)、ブレイクダンサー * [[2003年]] - [[松本春姫]]、元子役 * 2003年 - 門脇実優菜、アイドル(元[[STU48]]) * [[2004年]] - [[久家心]]、子役 * 2004年 - [[ジャクソン・チョーリオ]]、プロ野球選手 * 生年不詳 - [[水森暦]]、[[漫画家]] * 生年不詳 - [[奥正史]]、声優 * 生年不詳 - [[翠千賀]]、オペラ歌手 * 生年不明 - [[細谷カズヨシ]]、声優 === 人物以外 === * [[2008年]] - [[ロードカナロア]]、競走馬 * [[2011年]] - [[トーホウジャッカル]]、競走馬 == 忌日 == [[ファイル:The Roses of Heliogabalus.jpg|thumb|180px|{{Anchors|Heliogabalus}}ローマ皇帝[[ヘリオガバルス]](203-222年)の放縦な生活を描いた、[[ローレンス・アルマ=タデマ]]の『ヘリオガバルスの薔薇』(1888年)]] [[ファイル:Tempietto di San Pietro in Montorio.jpg|サムネイル|272x272ピクセル|盛期[[ルネサンス]]の建築家[[ドナト・ブラマンテ]](1444-1514年)が遺した[[サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会]]のテンピエット(1502年頃)]] [[ファイル:BenjaminWestNGA.gif|thumb|180px|[[新古典主義]]の画家[[ベンジャミン・ウエスト]](1738-1820年)の自画像]] [[ファイル:Hofzinsergrab.JPG|thumb|180px|カード手品の父と呼ばれる奇術師[[ヨハン・ネポムク・ホーフツィンザー]](1806-1875年)]] [[ファイル:Yumeno Kyusaku.jpg|thumb|180px|作家・[[夢野久作]](1889-1936年)<br />代表作『[[ドグラ・マグラ]]』(1935年)は推理小説[[三大奇書]]に数えられる。]] * [[222年]] - [[ヘリオガバルス]]{{要出典|date=2021-03}}、[[ローマ皇帝]](* [[203年]]) * [[753年]]([[天平勝宝]]5年[[1月28日 (旧暦)|1月28日]]) - [[平群広成]]、[[遣唐使]]判官 * [[1486年]] - [[アルブレヒト・アヒレス (ブランデンブルク選帝侯)|アルブレヒト・アヒレス]]、[[ブランデンブルク辺境伯|ブランデンブルク選帝侯]](* [[1414年]]) * [[1514年]] - [[ドナト・ブラマンテ]]、[[建築家]](* [[1444年]]頃) * [[1576年]] - [[フアン・デ・サルセード]]、[[探検家]](* [[1549年]]) * [[1564年]]([[永禄]]7年1月28日) - [[原虎胤]]、[[武将|戦国武将]](* [[1497年]]) * [[1602年]] - [[エミリオ・デ・カヴァリエーリ]]、[[作曲家]](* [[1550年]]頃) * [[1628年]] - [[アルフォンソ・フェッラボスコ2世]]、作曲家、[[ヴィオラ・ダ・ガンバ|ヴァイオル]]奏者(* [[1575年]]頃) * [[1666年]]([[寛文]]6年[[2月6日 (旧暦)|2月6日]]) - [[千姫]]、[[徳川秀忠]]の娘、[[豊臣秀頼]]の[[正室]](* [[1597年]]<ref>『幕府祚胤伝』による。ただし、[[山科言経]]の日記『[[言経卿記]]』慶長二年五月十四日条では5月10日とされている。</ref>) * [[1672年]](寛文12年[[2月12日 (旧暦)|2月12日]]) - [[一条昭良]]<ref>{{Kotobank|一条昭良}}</ref>、[[江戸時代]]の[[公卿]](* [[1605年]]) * [[1689年]] - [[サンバージー|サンバージー・ボーンスレー]]、第2代マラーター王(+[[1657年]]) * [[1770年]]([[明和]]7年[[2月14日 (旧暦)|2月14日]]) - [[大石大三郎]]、[[広島藩|広島藩士]](* [[1702年]]) * [[1820年]] - [[ベンジャミン・ウエスト]]、[[画家]](* [[1738年]]) * 1820年 - [[アレグザンダー・マッケンジー (探検家)|アレグザンダー・マッケンジー]]、[[探検家]](* [[1764年]]) * [[1840年]] - [[ジョージ・ウォルフ]]、[[ペンシルベニア州知事]](* [[1777年]]) * [[1842年]]([[天保]]13年[[1月30日 (旧暦)|1月30日]]) - [[池田斉敏]]、第7代[[岡山藩|岡山藩主]](* [[1811年]]) * [[1863年]]([[文久]]3年[[1月22日 (旧暦)|1月22日]]) - [[池内大学]]、[[儒教|儒学者]](* [[1814年]]) * [[1866年]]([[慶応]]2年[[1月25日 (旧暦)|1月25日]]) - [[赤禰武人]]、[[奇兵隊]]総督(* [[1838年]]) * [[1875年]] - [[ヨハン・ネポムク・ホーフツィンザー]]、[[奇術師]](* [[1806年]]) * [[1883年]] - [[アレクサンドル・ゴルチャコフ]]、[[ロシア帝国|ロシア外相]](* [[1798年]]) * [[1900年]] - [[山田信道]]、[[農商務省 (日本)|農商務大臣]](* [[1833年]]) * [[1907年]] - [[フランツ・ザッハー]]、[[料理家]](* [[1816年]]) * [[1908年]] - [[エドモンド・デ・アミーチス]]、[[小説家]](* [[1846年]]) * [[1921年]] - [[シャーバーン・バーナム]]、[[天文学者]](* [[1838年]]) * [[1930年]] - [[シルビオ・ゲゼル]]、[[経済学者]](* [[1862年]]) * [[1931年]] - [[F・W・ムルナウ]]、[[映画監督]](* [[1888年]]) * [[1936年]] - [[夢野久作]]、小説家(* [[1889年]]) * [[1938年]] - [[大島正健]]、[[宗教家]]、[[言語学者の一覧|言語学者]]、[[教育関係人物一覧|教育者]](* [[1859年]]) * [[1950年]] - [[川村吾蔵]]、[[彫刻家]](* [[1884年]]) * [[1955年]] - [[アレクサンダー・フレミング]]、[[細菌学|細菌学者]](* [[1881年]]) * [[1957年]] - [[リチャード・バード]]、[[探検家]](* [[1888年]]) * 1957年 - [[神西清]]、[[翻訳家]](* [[1903年]]) * [[1959年]] - [[レスター・デント]]、[[SF作家]](* [[1904年]]) * [[1967年]] - [[ウォルター・A・シューハート]]、[[統計学|統計学者]](* [[1891年]]) * [[1969年]] - [[ジョン・ウィンダム]]、SF作家(* [[1903年]]) * [[1971年]] - [[フィロ・ファーンズワース]]、[[発明家]](* [[1906年]]) * 1971年 - [[沢東洋男]]、プロ野球審判員、プロ野球監督(* [[1890年]]) * [[1972年]] - [[ザック・ウィート]]、プロ野球選手(* [[1888年]]) * 1972年 - [[フレドリック・ブラウン]]、小説家(* [[1906年]]) * [[1976年]] - [[ボリス・イオファン]]、建築家(* [[1891年]]) * 1976年 - [[ゴードン・ドブソン]]、[[物理学者]]、[[気象学者の一覧|気象学者]](* [[1889年]]) * [[1980年]] - [[植木庚子郎]]、[[政治家]](* [[1900年]]) * 1980年 - [[伊藤雄之助]]、[[俳優]](* [[1919年]]) * [[1981年]] - [[ギー・レベル]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1941年]]) * [[1982年]] - [[エドマンド・クーパー]]、[[SF作家]](* [[1926年]]) * [[1985年]] - [[宝生弥一]]、[[能楽師]](* [[1908年]]) * 1985年 - [[佐々木勉]]、[[作詞家]]、作曲家(* [[1938年]]) * [[1992年]] - [[島崎蓊助]]、[[画家]](* [[1908年]]) * 1992年 - [[リチャード・ブルックス]]、映画監督、[[脚本家]](* [[1912年]]) * [[1994年]] - [[高品格]]、俳優(* [[1919年]]) * [[1998年]] - [[堺左千夫]]、俳優(* [[1925年]]) * [[1999年]] - [[多田かおる]]、[[漫画家]](* [[1960年]]) * 1999年 - [[舘信吾]]、レーサー(* [[1977年]]) * [[2000年]] - [[松坂佐一]]、[[法学者]](* [[1898年]]) * [[2001年]] - [[上村松篁]]、[[日本画家]](* [[1902年]]) * [[2002年]] - [[ジェームズ・トービン]]、[[経済学者]](* [[1918年]]) * 2002年 - [[古山高麗雄]]、小説家(* [[1920年]]) * 2002年 - [[佐川清]]、[[佐川急便]]創業者(* [[1922年]]) * 2002年 - [[卜部亮吾]]、[[昭和天皇]]の[[侍従]](* [[1924年]]) * [[2003年]] - [[日暮雅信]]、作曲家(* [[1927年]]) * [[2004年]] - [[フィリップ・フィッシャー]]、[[投資家]](* [[1907年]]) * 2004年 - [[島田彰]]、[[声優]](* [[1934年]]) * [[2006年]] - [[スロボダン・ミロシェヴィッチ]]、政治家、[[ユーゴスラビア]]第3代大統領(* [[1941年]]) * 2006年 - [[バーニー・ジョフリオン]]、[[アイスホッケー]]選手(* [[1931年]]) * [[2007年]] - [[ベティ・ハットン]]、[[俳優|女優]]、[[歌手]](* [[1921年]]) * [[2008年]] - [[根岸明美]]、女優(* [[1934年]]) * [[2010年]] - [[村松巌]]、[[七十七銀行]]元頭取(* [[1926年]]) * 2010年 - [[佐藤昭子]]、[[田中角栄]]の秘書(* [[1928年]]) * 2010年 - [[ガイ・ミッチェル]]、[[プロレスラー]](* [[1941年]]) * [[2011年]] - [[下川原孝]]、陸上競技選手(* [[1906年]]) * 2011年 - [[佐藤恵利子]]、サッカー選手(* [[1979年]]) * [[2014年]] - [[森下元晴]]、政治家(* [[1922年]]) * 2014年 - [[吉田栄勝]]、レスリング指導者(* [[1952年]]) * [[2015年]] - [[中田勝]]、漢学者(* [[1926年]]) * [[2023年]] - [[陳建一]]<ref>{{Cite web|和書|title=“中華の鉄人”陳建一さん、67歳で死去 昨年12月まで厨房に立つも年明けから療養生活 |url=https://encount.press/archives/430028/ |website=ENCOUNT |access-date=2023-03-14 |language=ja}}</ref>、[[中華料理]]([[四川料理]])の[[料理人]]、[[調理師]]、[[料理研究家]](* [[1956年]]) == 記念日・年中行事 == [[ファイル:Prankenbaer-drawing.jpg|thumb|right|270px|ジャイアントパンダの生態図<br />[[アルフレート・ブレーム]]編著『[[アルフレート・ブレーム#『ブレーム動物事典』|ブレーム動物事典]] ([[:en:Brehms Tierleben|en]])』(1927年刊)を飾る[[挿絵]]の1枚。]] * [[独立記念日]]({{LTU}}) *: [[1990年]]のこの日、[[リトアニア]]が[[ソビエト連邦]]からの[[独立]]を宣言した。 * [[ジョニー・アップルシード]]の日({{USA}}) * パンダ発見の日(厳密には、ジャイアントパンダ発見の日) *:[[1869年]]のこの日、[[中国]][[四川省]]の民家で、伝道中のフランス人[[神父]][[アルマン・ダヴィド]] ([[:en:Armand David|en]]) が、白と黒の奇妙な[[クマ]]の毛皮を見せられた。これが、[[欧米]]で[[ジャイアントパンダ]]が知られるきっかけとなった。なお、この日を「パンダ発見の日」とするのは日本独自のことであり、学術的に正確な話ではない。[[パンダ]]の[[生物学]]的発見は[[レッサーパンダ]]が先であり、体格の大きい種が新たに発見されたことによって元々「パンダ」と呼ばれていたものが「レッサーパンダ」、大きいほうを「ジャイアントパンダ」と呼び分けることになり、さらに後者のほうが有名になるに連れて「パンダ」の名が後者の略称のように認識されるに至ったものである。 {{-}} == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0311|date=2011年6月}} * [[1970年代|197X年]] - アメリカ測地学会が「[[日本列島]]弧を中心に巨大な地殻変動が起こりかけている」と電撃発表(小説『[[日本沈没]]』第6章沈み行く国 第8節) * 2010年 - ファブ・フォー(蜂矢翔、鳩村真琴、鶴野コンタ、鷹津礼)、[[1961年]]にタイムスリップ。(漫画『[[僕はビートルズ]]』){{要出典|date=2020-07-29}} * [[宇宙世紀|U.C.]]0079 - 第二次降下作戦開始。[[ジオン公国|ジオン軍]]がアメリカ大陸の[[宇宙世紀の施設と地名#ニューヤーク|ニューヤーク]]および[[宇宙世紀の施設と地名#キャリフォルニアベース|キャリフォルニア]]を占領。(アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』) === 誕生日(フィクション) === * 1990年 - 蒼樹紅(青木優梨子)、漫画・アニメ『[[バクマン。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author1=小畑健|authorlink1=小畑健|author2=大場つぐみ|authorlink2=大場つぐみ|date=2010-12-29 |title = バクマン。キャラクターブック キャラマン。|page =56|publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4088748498 }}</ref> * 1990年 - 安達明日夢、[[仮面ライダーシリーズ]]『[[仮面ライダー響鬼]]』 の主人公のひとり * [[2063年]] - 雑賀譲二、アニメ『[[PSYCHO-PASS サイコパス]]』に登場するキャラクター * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]515年 - ハナ、ゲーム『[[スターオーシャン5 -Integrity and Faithlessness-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=87|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - 伴省吾、漫画・ドラマ『[[バンビ~ノ!]]』の主人公 * 生年不明 - 青山琴葉、漫画・アニメ『[[三ツ星カラーズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - スパンダム、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Spandam.html|title=スパンダム|work=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]|accessdate=2020-07-24}}</ref> * 生年不明 - パームス、漫画・アニメ『ONE PIECE』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Palms.html|title=パームス|work=[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]|accessdate=2020-07-24}}</ref> * 生年不明 - ゲーマー星人(後輩)、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 梅宮薫、漫画・アニメ『[[べるぜバブ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 國神錬介、漫画『[[ブルーロック]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 後藤亜斗夢、アニメ『[[number24]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 穂積真琴、漫画・アニメ『[[砂沙美☆魔法少女クラブ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 品川トオル、漫画・アニメ『[[うわさの翠くん!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 大滝桜子、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ、メディアミックス『[[ストライクウィッチーズ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 篠崎ひのえ、ゲーム・ドラマCD『[[コープスパーティー BloodCovered]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 美深ふぶ、ゲーム『[[ステーションメモリーズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://ekimemo.wiki.fc2.com/wiki/%E7%BE%8E%E6%B7%B1%E3%81%B5%E3%81%B6|title=No.14 美深ふぶ|work=【駅メモ!】ステーションメモリーズ!情報wiki|accessdate=2020-07-24}}</ref> * 生年不明 - ヴィム、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=25&cate=name&cont=Vim |title=ヴィム |access-date=2022-07-14 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commons&cat|March 11|11 March}} {{新暦365日|3|10|3|12|[[2月11日]]|[[4月11日]]|[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]|0311|3|11}} {{1年の月と日}}
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ユーロ
ユーロ(記号: €; コード: EUR)は 、欧州連合(EU)加盟27か国のうち20か国で公式に導入されている通貨である。ユーロが主要通貨として使われる国・地域はユーロ圏またはユーロゾーンとして知られており、2019年時点で約3億4,300万人の市民が暮らしている。1ユーロは100セントに相当する。 世界経済においては国際通貨(ハード・カレンシー)の一つとして扱われており、外国為替市場でアメリカ合衆国ドル(米ドル)に次いで2番目の規模と取引をされている通貨である。 ユーロはEUの各機関によって公式に使用されている。また、EU加盟国ではない4つの欧州の小国とモンテネグロ、コソボによって一方的に使用されている。欧州以外では、EU加盟国の多くの特別領土においても通貨として使用している。さらに、世界中で2億人以上の人々がユーロにペッグされた通貨を使用している。 ユーロは、米ドルに次ぐ世界第2位の国際通貨であり、取引高も世界第2位である。2019年12月時点、ユーロの流通総額は1兆3,000億ユーロを超え、ユーロ紙幣とユーロ硬貨を合わせて世界最大規模に達している。 ユーロという名前は1995年12月16日にスペインの首都マドリードで正式に採択された。1999年1月1日に、従来の欧州通貨単位(ECU)の1:1(1.1743ドル)比率での置き換えとして、国際金融市場に会計通貨として導入された。ユーロ硬貨と紙幣は2002年1月1日に流通開始され、ユーロは当初の参加国の日常業務通貨となり、2002年3月までに旧通貨から完全に置き換えられた。 ユーロは、その後2年間で0.83ドルまで下落した(2000年10月26日)。2002年末からは、2008年7月18日の1.60ドルをピークにドルを上回って推移している。 2009年末にユーロは欧州債務危機に陥ったが、その後、欧州金融安定ファシリティの創設など通貨の安定・強化に向けた改革につながった。 ヨーロッパに単一通貨が求められた理由は欧州統合と欧州連合の歴史に見ることができる。すなわち、1968年の関税同盟の結成による実体経済の統合と、ブレトン・ウッズ体制の崩壊による為替相場の不安定化がもたらす通商政策への障害である。 1965年、欧州通貨統合のイニシアティブがアメリカ合衆国国務省で開かれた会談でとられた。 1970年、ルクセンブルクの首相ピエール・ヴェルネとヨーロッパの経済通貨統合の研究者が作成したいわゆる「ヴェルネ計画」では、単一通貨の導入に触れられていた。このヴェルネらの構想では1980年までに経済通貨統合を達成することがうたわれていたが、ブレトン・ウッズ体制の崩壊のために挫折を余儀なくされた。 それでも1972年には欧州為替相場同盟を、1979年には欧州通貨制度を創設した。欧州通貨制度は各国の通貨の相場が大きく変動することを防ぐものとなった。またあわせて欧州通貨単位が導入され、のちのユーロの基礎となった。欧州通貨単位の紙幣が発行されることはなかったが、硬貨については欧州通貨単位を具現的に見せるという目的で特別に鋳造された。欧州共同体の加盟国の中には欧州通貨単位の額面で債券を発行しており、証券取引所でも欧州通貨単位で取引がなされたりした。1988年、当時の欧州委員会委員長であるジャック・ドロールのもとで経済通貨統合を検討する委員会はいわゆる「ドロール報告書」を作成し、その中で経済通貨統合に向けて3つの段階を示した。 1990年7月1日、通貨統合の第1段階に入り、欧州経済共同体の加盟国の間で資本の自由な移動が可能となった。1994年1月1日になると第2段階に移行し、欧州中央銀行の前身である欧州通貨機構が設立され、加盟国の財政状況を検査するようになった。1995年12月16日、マドリードで開かれた欧州理事会の会合において新通貨の名称を「ユーロ」とすることが決められた。 上述の欧州理事会で新通貨の名称が決定されるまで、多くの案が議論された。有力な案に「ヨーロッパ・フラン」があったが、フランのスペイン語表記である Franco がスペインの独裁者フランシスコ・フランコを連想させるために却下された。このほかにも「ヨーロッパ・クローネ」や「ヨーロッパ・ギルダー」といった案が出されていた。既存の通貨の名称を使うことで通貨としての連続性を示し、また新通貨に対する市民の信頼を固めようとした。さらに、一部の加盟国には従来の通貨の名称を残したいという希望があった一方で、決済通貨として使用されていた ECU(エキュもしくはエキュー) の名称がふさわしいと考える国もあった。しかしこれらの名称案はそれぞれに対して反対する国があり、特にイギリスは多くの名称案に反対して、いずれも採用されなかった。名称が定まらない中、ドイツの連邦財務相テオドール・ヴァイゲルは「ユーロ」という名称案を提示した。 通貨単位としてユーロという名称が刻まれた硬貨は、確認できる限りでは1965年に初めて鋳造されている。また1971年にはオランダで、ユーロと刻まれた硬貨の見本が製造されている。この見本ではユーロの先頭の文字がCに波線が引かれたものとなっていた。またその周囲にはラテン語で EUROPA FILIORUM NOSTRORUM DOMUS(日本語試訳:ヨーロッパはわれらの子たちの家である)と刻まれていた。 1992年に署名された欧州連合条約では、加盟国は経済通貨統合の第3段階への移行、つまりユーロの導入にあたっては収斂基準を満たさなければならないとした。またテオドール・ヴァイゲルが主導した結果、1996年にアイルランドの首都ダブリンで開かれた欧州理事会においてユーロ導入にあたっての2つの基準が定められた。さらに安定・成長協定ではユーロ導入国に対して、通常の経済情勢では財政の均衡を維持することを義務づけており、他方で景気が悪化している情勢では、経済の安定化のために単年度国内総生産(GDP)の3%を上限として国債の発行を認めている。累積債務残高については60%を上限としている。すなわち、収斂基準は物価の安定性・高すぎない長期金利・財政赤字および政府債務の健全性・為替の安定性の4つである。このうち為替の安定性に関しては、欧州為替相場メカニズム(ERM II)への参加が法的に求められている。この欧州為替相場メカニズムは、1979年に設立されたもともとのERMにかえて、1999年から実施されているERM IIと呼ばれるものであり、ERMとしては2番目のものである。このERM IIにおいて、ユーロに対する自国通貨の標準変動幅を2年間、上下15%の範囲とする必要がある。これを達成するとユーロ導入が認められ、ERM IIの対象から外れ、ユーロ導入となる。ただし、問題がある場合は期間が延長される。具体的には経済収斂基準とは次のようなものである。 物価:過去1年間、消費者物価上昇率が、消費者物価上昇率の最も低い3か国の平均値を1.5%より多く上回らないこと。 財政:過剰財政赤字状態でないこと。(財政赤字GDP比3%以下、債務残高GDP比60%以下) 為替:2年間、独自に切り下げを行わずに、深刻な緊張状態を与えることなく欧州通貨制度の為替相場メカニズムの通常の変動幅を尊重すること。 金利:過去1年間、長期金利が消費者物価上昇率の最も低い3か国の平均値を2%より多く上回らないこと。 ギリシャは2002年に収斂条件を満たしたとしてユーロを導入したが、2004年11月、ギリシャがユーロ導入の決定がなされた時点で収斂基準を満たしていなかったということが判明した。ギリシャは実際の財政赤字を偽って欧州委員会に報告書を提出していた。しかし、条約・協定では基準違反を想定していなかったため、ギリシャが法的な責任を問われることはなかった。 また、ドイツやフランスなどの大国を含む一部の国々は、ユーロ加盟後に安定・成長協定で定める基準に抵触している。 1998年12月31日、当時のユーロ参加予定国のそれぞれの通貨とユーロとの為替レートが固定され、1999年1月1日、ユーロがそれらの国において電子的決済通貨となった。このときユーロは欧州通貨単位に対して1:1で置き換えられた。翌1月2日、イタリア証券取引所(ミラノ)、パリ証券取引所、フランクフルト証券取引所は通貨単位をユーロとして取引を開始した。このほかにユーロの導入によって、外国為替相場の表示法が変更された。ドイツではユーロ導入以前まで、1 US$ = xxx ドイツマルク(DM)というかたちで表示されていたが、1999年1月1日からはドイツを含めてユーロを導入した国で、1 EUR = xxx US$ という表示法に変えられた。また同日から、振込みや口座自動引き落としについてもユーロ表記が用いられるようになった。銀行口座ではユーロあるいは従来の通貨単位での表示が行われていた。しかし、現金のユーロは存在しなかったため、ユーロ表記の口座でも、預金を下ろすと現地通貨、たとえばドイツであればドイツマルク紙幣が窓口で渡された。有価証券はユーロで表記されたものに移行した。 2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件を受けて、EU内に手形交換所が設立された。このころからドイツではいわゆる「フロントローディング方式」の枠組みでユーロが民間銀行に配付された。また銀行ではドイツマルクを回収してユーロを供給することで切り替え作業を進めていった。2001年12月17日からはドイツ国内の銀行で各種のユーロ硬貨が入ったスターターキットの販売が開始された。このスターターキットには合計10.23ユーロ(20.0081409マルク相当)の20枚の硬貨が入っていたが、販売価格は20マルクであり、切り捨てられた小数点以下の部分は国庫が負担した。オーストリアのスターターキットでは合計14.54ユーロの33枚のユーロ硬貨が200シリングで販売された。通常の現金、特に紙幣の流通は2002年1月1日から開始された。 ドイツではドイツ連邦銀行の各支店でドイツマルクをユーロに交換することができる。また特例的に一部の商店では代金支払の際にドイツマルクで受け取っている。 このようにユーロへの交換は簡易かつ費用負担がかからないにもかかわらず、2005年5月の時点で37億2,000万ユーロ相当のドイツマルク硬貨(2000年12月の発行量のおよそ46%)が流通していた。また紙幣についても39億4,000万ユーロが交換されないままでいた。この推定はドイツ連邦銀行によるものであるが、ほとんどの硬貨や紙幣は紛失または破損したものと見られている。 ユーロを導入した国ではそれぞれで、2002年の2月あるいは6月までを移行期間として代金の支払にユーロか旧通貨の使用が認められ、移行期間後は旧通貨の法的効力は消滅した。ただし、ほとんどの旧通貨は各国の中央銀行でユーロと交換することができる。 ユーロ導入国では旧通貨の取り扱いについてそれぞれの国で異なっている。ドイツではドイツマルクの紙幣および硬貨を、無期限・無手数料でユーロに交換することができる。ドイツ以外でもオーストリア、スペイン、アイルランド、エストニア、ラトビアにおいても同様で、それぞれの国の旧通貨とユーロとを交換することができる。ベルギー、ルクセンブルク、スロベニア、クロアチアではそれぞれの旧通貨の紙幣のみ、無期限でユーロとの交換ができる。これら以外の国ではそれぞれの旧通貨とユーロとの交換には期限が定められている。 ポルトガル・エスクード硬貨、フランス・フラン硬貨、ベルギーおよびルクセンブルク・フラン硬貨、オランダ・ギルダー硬貨、ギリシャ・ドラクマ硬貨は交換不能となっている。 通貨ユーロにかかわる政策はドイツのフランクフルト・アム・マインにある欧州中央銀行が担っている。欧州中央銀行は1998年6月1日に設立された機関である。実際の業務が開始されたのは、通貨統合の実施によって各国の中央銀行の業務を引き継いだ1999年1月1日のことである。欧州中央銀行は欧州連合の機能に関する条約第127条によって物価安定の確保に努め、また加盟国の経済政策を支えるという使命を持っている。このほかにも金融政策の決定と実施、加盟国の公的外貨準備の管理、外国為替市場への為替介入、市場への資金供給、円滑な決済の促進を担っている。欧州中央銀行の独立性を維持するために、欧州中央銀行および各国の中央銀行は加盟国政府の指示を受け入れることが禁止されている。欧州中央銀行に法的独立性が与えられているのは、欧州中央銀行が紙幣発行を一手に担う、つまり欧州中央銀行はユーロのマネーサプライに影響力を持っており、財政の不足額を補うためにマネーサプライを増やすということを避けるためである。欧州中央銀行の独立性が確保されなければユーロに対する信頼が失われ、通貨が不安定になる。 欧州中央銀行は各国の中央銀行とともに欧州中央銀行制度を作っている。欧州中央銀行の政策決定は、欧州中央銀行の役員会とユーロ圏各国の中央銀行総裁で構成される政策理事会が担う。欧州中央銀行の役員会は総裁、副総裁、理事4人で構成され、いずれも任期は8年でユーロ圏各国が選任し、再任は認められていない。 2023年1月1日にクロアチアが導入したことで、ユーロを法定通貨としているのは欧州連合加盟全27か国中20か国となっており、これらの国々はユーロ圏と呼ばれている。また欧州連合の経済通貨統合に参加していない6か国でもユーロを法定通貨として導入している。ユーロを法定通貨としている国のほかに、為替相場制度でユーロと連動させている国も多くある。そのような国には、欧州為替相場メカニズムに組み込まれている4つの欧州連合加盟国やCFAフランを使用している14か国がある。さらに36か国と、フランス領ポリネシア、ニューカレドニア、ウォリス・フツナの3つの地域でもユーロ、あるいはユーロと連動する通貨を使用している。 フランスの海外領土であるグアドループ、フランス領ギアナ、フランス領南方・南極地域、マルティニーク、マヨット、レユニオン、サン・バルテルミー島、サン・マルタン島、サンピエール島・ミクロン島でも同様にユーロを法定通貨としている。 またキプロスがユーロ圏入りしたことによって、イギリスの主権基地領域であるアクロティリおよびデケリアでもユーロが法定通貨として導入された。北キプロス・トルコ共和国では事実上、トルコリラが法定通貨として使用されているが、ユーロも広く流通している。 1998年5月3日に開かれた欧州理事会の会合において、各国首脳は1999年1月1日に収斂基準を満たした11か国で経済通貨統合を第3段階へ移行することを決定した。 2000年6月19日、欧州理事会は「ギリシャは高い水準で持続的な収斂性を有しており、ユーロの導入に必要な状況になった」という理解に達した。その後の経済・金融理事会において、2001年1月1日にギリシャでユーロを導入することが承認された。 スロベニアは2006年3月8日に、2004年の第5次拡大の際に欧州連合へ加盟した国としては初めて、2007年1月1日のユーロ導入を正式に求めた。2006年5月16日、欧州委員会はスロベニアのユーロ圏入りを提案し、翌月7月11日には経済・金融理事会において、スロベニアの2007年1月1日のユーロ導入を全会一致で承認した。このとき、1 EUR = 239.640 SITという交換比率が定められた。 2007年7月10日に欧州連合加盟国の財務相は、キプロスとマルタのユーロ圏入りを承認した。さらに2009年1月1日には旧東側諸国としては初めてスロバキアが、2011年1月1日には旧ソ連圏としては初めてエストニアがユーロ導入を果たしたことで、ユーロを導入した欧州連合加盟国数は17となった。2014年1月1日よりラトビアが、2015年1月1日にリトアニアにユーロを導入。旧ソ連圏では3国目となる。2023年1月1日よりクロアチアがユーロを導入した。 一部の国では従来からの通貨同盟などによって、相手国がユーロを導入したことで自らもユーロを法定通貨とした国がある。それらには以下のような通貨同盟がある。 モナコ、サンマリノとバチカン独自のユーロ硬貨を発行することについて欧州連合と合意しているが、アンドラについては同様の合意がなされていない。そもそもアンドラは独自の通貨を持っておらず、そのためユーロが事実上の法定通貨となっており、アンドラは独自に硬貨を発行しなくとも問題がない。アンドラ政府は2004年10月から欧州共同体と協議を行ったが、政治的要請、とりわけ金融機関の守秘性の緩和を実行する用意がなく、協議は数か月後に終了した。このほかにも企業税制を導入して非課税制度を撤廃することが受け入れられないということも正式な通貨同盟の合意に至らなかった理由となった。2016年1月現在、the Royal Spanish Mint よりアンドラ独自のユーロ硬貨が発行されている。 独立に向けて、モンテネグロは一方的にドイツマルクを通貨として導入した。またコソボでは紛争後に国際連合コソボ暫定行政ミッションが通貨としてドイツマルクを導入した。そのドイツマルクが廃止されてからは、両国においてユーロが法定通貨となった。ただし、両国は欧州連合とのあいだでユーロ導入の正式な合意をしておらず、また欧州連合も両国とのあいだで合意を模索する様子もない。そのため欧州中央銀行による金融政策の対象とならない。さらに独自のユーロ硬貨の発行も認められておらず、両国は通貨発行益を得ることができない。 ユーロ圏外でも多くのヨーロッパの国で、ユーロでの支払いが可能である。ただし、その多くの場合は販売者が独自に決めた交換比率が用いられ、また釣り銭は現地通貨で支払われることもある。 いくつかの国ではユーロと通貨をペッグしている国がある。そのような国々は3つのグループに分けることができる。まず、ユーロとのあいだで欧州為替相場メカニズムによる為替はバンド制をとっており、ユーロを法定通貨として導入していない欧州連合加盟国がある。次に、歴史的に為替が固定されていたかつてのフランスの植民地がある。最後に、一方的にユーロとペッグしている国がある。 ユーロを通貨として導入していないすべての欧州連合加盟国は欧州連合条約により、収斂基準を満たして単一通貨を導入することが義務づけられている。ユーロ導入にあたって求められる収斂基準の4つの要素の1つとして、2年間は現行通貨を欧州為替相場メカニズムに組み込まなければならない。ただし、デンマークについては適用除外規定が定められており、現行通貨を維持するということが認められている。 1979年、欧州為替相場メカニズムの核となる欧州通貨制度が創設された。本来はすべての加盟国が欧州為替相場メカニズムに組み込まれなければならないが、実際にはベルギー、デンマーク、西ドイツ、フランス、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダのみに適用された。1999年のユーロの創設により1974年より運営されていた従来の欧州為替相場メカニズムは廃止されたが、ユーロに移行していない欧州連合加盟国を対象とした新たな欧州為替相場メカニズムが1999年に設定された。これがERM IIと呼ばれるものである。欧州為替相場メカニズムのおもな目的は、物価の安定を確保するために為替相場とその変動を調整することであり、また欧州為替相場メカニズムはユーロ圏入りの前段階における必要条件となっている。現在、必要条件としてユーロに移行していない欧州連合加盟国に求められているのはERM IIへの参加であり、ERM IIはERMとしては2つ目のものである。この必要条件とは、具体的には、2年間、ERM IIのもとで、ユーロに対する自国通貨の標準変動幅を2年間、±15%の範囲とするというものである。ただし、問題がある場合は延長される。 当初リトアニアは2007年にユーロを導入するはずであった(導入は2015年となった)。2006年3月16日、リトアニア財務相ジグマンタス・バルチーティスは欧州委員会から時期尚早と正式に警告を受けていたにもかかわらず、ユーロ導入に関する必要書類を提出した。この書類などをもとにして審査した結果、欧州委員会はリトアニアのインフレーション率が基準よりも0.06%高いとしてリトアニアのユーロ導入を延期するよう欧州理事会に勧告し、2006年6月15日、16日にブリュッセルで行われた欧州理事会の会合でもリトアニアのユーロ導入は見送られた。当時のリトアニアのインフレーション率は既存のユーロ圏諸国と比べてもユーロを導入するには十分に低かった。しかし欧州連合条約ではユーロ未導入の加盟国に対して基準を厳格に守るように定めている。一部の欧州連合の高官からはリトアニアがユーロを導入しても問題がないという意見があったが、欧州委員会と欧州中央銀行はユーロの信頼性を損なわないためにもこの意見を認めなかった。2007年にユーロを導入していれば、リトアニアはスロベニアとともに中東欧諸国で最初のユーロ移行国となっていたことになる。 2010年5月12日、欧州委員会はエストニアが収斂基準を満たしたとする報告書を作成し、同国のユーロ移行を提案した。これを受けて同年7月13日に経済・財務理事会は、2011年1月1日にエストニアがユーロを導入することを認める決定を下した。また2014年にはラトビアもユーロを導入した。 2023年1月現在、2つの欧州連合加盟国が自国の通貨を欧州為替相場メカニズムに組み込ませている。欧州為替相場メカニズムではユーロとそれぞれの現行通貨との相場変動幅を基準値(セントラル・レート)の±15%としている。またデンマークは欧州連合との取り決めにより、ほかの通貨よりも変動幅が狭い、±2.25%としている。 欧州為替相場メカニズムが適用されている国は状況が整えば、ほかの国と比べて早い段階でユーロを導入することができる。しかし、2007年以降の金融危機により急激に財政状況が悪化し、ユーロの導入は困難なものとなった。 ブルガリアは急激なインフレーションが進み、欧州為替相場メカニズムの適用が拒否されたことがある。2009年8月、政権交代によって就任したばかりの財務相シメオン・ジャンコフはブルガリアのユーロ導入について、2013年ごろになるという考え方を示していた。2018年にはインフレが低水準であること、財政が健全であることからいくつかの条件を満たしているが汚職、一部の銀行にある問題が課題となっている。2020年7月10日、クロアチアとブルガリアはERMIIに加盟した。 デンマークを除くすべての欧州連合加盟国はユーロの導入が義務づけられているが、いまだ5か国が欧州為替相場メカニズムの適用を受けていない。このため5か国は少なくとも収斂基準の1つを満たしていないということになる。 欧州連合に加盟しているデンマークは基本条約でユーロ導入義務を課せられない「適用除外」を受けている。これはオプト・アウトとも呼ばれる。 デンマークは欧州為替相場メカニズムの適用国であるが、2000年9月28日の国民投票で適用除外の権限行使を決め、ユーロを導入していない。このときの国民投票では53.1%がユーロ導入に反対した。しかしその後、デンマーク政府は、2011年にも国民投票の再実施を検討している。しかし、デンマークのトーニング・シュミット首相はのちに適用除外に関する国民投票の約束を取り下げている。2013年5月16日のストックホルムのインタビューにおいて、トーニング・シュミット首相は「現政権下では非現実的だ」と述べ、2015 - 2019年に見込まれる「次期政権下でも、国民投票実施の選択肢を協議することには意味がないと思う」とした。ただし、欧州財政危機において、デンマークはほかの北欧諸国とともに資金の避難先となっており、ユーロ圏にいずれかの時点で加わる是非については協議を続けるとも述べている。 イギリスでは2006年に当時の首相のトニー・ブレアの発言により、ユーロ導入の是非については国民投票を実施予定であった。ところが2005年にフランスとオランダでの国民投票の結果、欧州憲法条約の批准が反対された。これを受け、イギリスでは欧州憲法条約の批准の是非を問う国民投票が無期限に延期された。また、ブレアの後任であるゴードン・ブラウンはユーロに対して懐疑的な立場を持つとされる。さらにブラウンがブレア政権で通貨政策を担う財務相を務めていたとき、ユーロ導入について両者が対立したこともあり、ブラウン政権下ではユーロ導入の議論が進まなかった。 ユーロに移行された旧通貨と相場を固定していた通貨は、ユーロが導入されたあとはユーロと相場を固定している。特にフランスの植民地だった赤道ギニア、ベナン、ブルキナファソ、コートジボワール、ガボン、ギニアビサウ、カメルーン、コンゴ共和国、マリ、ニジェール、セネガル、トーゴ、チャド、中央アフリカの14の西部・中部アフリカ諸国で使用されている CFAフランはユーロと相場が固定されている。CFAフランについてはフランス財務省が固定相場を保証している。 CFAフランと同様に、フランスの海外領土であるフランス領ポリネシア、ニューカレドニア、ウォリス・フツナで使用されている CFPフラン、かつてのフランスの植民地であるコモロのコモロ・フラン、ポルトガルの植民地だったカーボベルデのカーボベルデ・エスクードも対ユーロの為替相場が固定されている。 ボスニア・ヘルツェゴビナは1998年から独自の通貨を持つようになり、この通貨はドイツマルクと固定されていたため、対ユーロでも為替相場が固定されている。 euro という名称は1995年12月15日、16日にマドリードで開かれた欧州理事会の会合で採択され、その後規則で正式に定められた。この単一通貨が導入される国のすべての言語でも "euro" という表記が用いられている。ただしドイツ語では語頭が大文字で書かれ(Euro)、またギリシア文字の表記も別に定められている(ευρώ)。 他方で単一通貨の名称の綴りは同じであっても、言語によって以下のように発音が異なっている。 2006年初頭に一部の東欧の国々は、自らの使用言語の文法上の規則と "euro" という綴りがそぐわないとして、単一通貨の別の表記法を認めるよう求めた。たとえばロシア語でヨーロッパを指すキリル文字での表記は Европа、発音は [jɪˈvropə] となる。ところが数週間後には、この議論は成果もなく収束した。それでも一部の国では異なる表記法が用いられている。スロベニア語の "evro"(2007年ユーロ導入)、ラトビア語の "eiro"(2014年ユーロ導入)、リトアニア語の "euras"(2015年ユーロ導入)などがその例である。 単一通貨の正式名称は関連する欧州連合の法令に定めがあり、また欧州中央銀行が定期的に作成する収斂報告書にも以下のような文章が確認できる。 アングリシズム批判の立場からは、"euro" および "cent" という表現を使うことに対して、英語特有の表現の受容を推進するものだという意見が出されることがある。この意見に対しては、"euro" という単語はギリシア語の Εὐρώπη の略語に由来し、また "cent" もラテン語の centesimus(「100」または「100番目の」)に由来するものである。ヨーロッパのロマンス諸語で通貨の補助単位(例: céntimo, centime, centavo, centesimo)として使われてきた語であることから、必ずしも英語を受容したということではないという。特にイギリスの領土ではこれらの語が通貨の単位としては用いられていない。 ユーロの補助単位は「セント(cent)」であり、100セントが1ユーロに相当する。ただしギリシャでは λεπτό、フィンランドでは sentti が用いられる。セント硬貨には "EURO" と "CENT" の両方が刻まれており、このことはユーロ硬貨の外見の特徴についての欧州委員会の文書においても掲載されている。ただこの文書では、"EURO" の文字は "CENT" よりも小さく刻まれるものとするということが記載されている。 欧州連合の発行物に関する内規では、加盟国ごとで異なる表記を排除してはならないと定められている。これはユーロ導入前に補助単位として cent と同義の語を使用していた国に対する容認策であり、たとえばフランスやベルギーの centimes やポルトガルの centavo などがある。 口語ではほかの補助単位のセントと区別するために、ユーロ・セントという表現が用いられることがある。たとえばUSドルやユーロに移行される以前の通貨の補助単位と区別する際に用いられている。 欧州連合は euro と cent について、その複数形は変化させずに使うこととしている。しかしスペイン語とポルトガル語では複数形を euros や céntimos としている。フィンランド語では度量単位と同様に部分格が用いられ、euroa や senttiä となる。またドイツ語や英語では数詞が先行しない場合、通常の複数形の作り方にならう。複数形が用いられるのは紙幣や硬貨の枚数について言及するときであり、金額について言及するときには単数形が用いられる。 ユーロによる金額表示を行う際には、数に続いて通貨コードである "EUR" を加える。補助単位のセントには正式な記号や短縮形が定められていない。そのためユーロ圏では、セントの部分は "20 cent" や "0.20 €" などと表示する。ただし、正式なものではないが、短縮された形(Ct, Ct., ct, C, c)などが用いられることもある。USセントを示す記号 ¢ は、ユーロ・セントを示すものとして使われることはあまりない。 ユーロ記号は1997年に単一通貨を示す記号として、欧州委員会によって作成された。当初は通貨に独自の記号があるものは少ないため、欧州理事会でもユーロ記号についてはあまり議論されていなかった。1996年になるとユーロのロゴの募集が開始され、その中から図案が選考された。また1997年7月にはロゴに加えて通貨記号も定めることになった。 ユーロ記号は欧州経済共同体で主席グラフィックデザイナーを務めていたアルトゥール・アイセンメンガー(英語版)が1974年に作成した図案が元になっている。その図案は大きく丸みを帯びたEの文字の中央に2本の横線が入ったもの(Cの文字に等号を組み合わせたようなもの)である。またそれはギリシア文字のε、古典古代のヨーロッパを連想させるものでもある。2本の横線は、ユーロとヨーロッパ経済圏の安定を示している。ユーロの前身である欧州通貨単位の記号は短縮形のECUを図式化して使用されていたが、ユーロ記号はECUと同様に作成されたものではない。このユーロ記号の Unicode での符号位置は U+20AC である。 ところが、国際汎ヨーロッパ連合では1972年に発表した1、2、5、10、20、50、100ユーロの7つの図案にはユーロ記号が、正式に定められた記号とはわずかに異なるものの、大きい "C" の文字に等号をあわせた構成で描かれていた。この図案が発表された1972年は、国際汎ヨーロッパ連合の50周年、欧州石炭鉄鋼共同体の設立20周年にあたる年で、また同年には欧州諸共同体の北方拡大についての条約が調印されている。この図案に描かれた紙幣・硬貨の周縁には、"CONFŒDERATIO EUROPÆA" という文章が記載されていた。さらに肖像の人物として、カール1世、カール5世、ナポレオン・ボナパルト、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー、ジャン・モネ、ウィンストン・チャーチル、コンラート・アデナウアーが描かれていた。さらにヨーロッパを取り巻く状況としてこの1972年は、仏独協力条約の署名10周年でもあった。 欧州連合ではユーロ記号の画像使用に留保を設定しているが、促進を目的とする使用は認めている。 ユーロの省略表示は "EUR" と定められている。ISO 4217 では以下のようなコード指定の方法を講じているが、ユーロに対しては以下とは異なるコード指定の方法を講じている。 2009年6月末の時点で7,847億ユーロを超える金額に相当する紙幣・硬貨が流通している。 硬貨として発行されているのは1、2、5、10、20、50セントと1、2ユーロである。硬貨の表面はすべての発行国で共通したものとなっているが、裏面は発行国ごとに異なるモチーフが刻まれている。裏面のデザインが異なっていても、硬貨としての効力に違いが生じるものではなく、同様に使うことができる。2004年に欧州連合が拡大したことを受けて、2007年に表面のデザインが刷新された。ドイツで鋳造された硬貨の裏面には、鋳造所を示すミントマークが刻印されている。またギリシャのセント硬貨には CENT ではなくΛΕΠΤΟ / ΛΕΠΤΑで額面が表示されている。また表面にはLを2つ重ねた印があり、これは各硬貨共通の表面のデザインを担当したベルギーのリュク・ライクスを示すものである。 1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨には白銅と黄銅の合金が用いられている。 タイの10バーツ硬貨と2ユーロ硬貨は大きさと重量がほぼ同じであり、またそれぞれが2種類の金属の合金でできているため、ユーロ圏の硬貨識別能力が不十分な自動販売機は10バーツ硬貨を2ユーロ硬貨として認識することがある。10バーツ硬貨のほかにもトルコの1リラ硬貨、ケニアの5シリング硬貨、イタリアで使われていた500リラ硬貨についても同様の事象が起こりえる。 2004年以降、2ユーロ額面の記念硬貨が発行され、市中に流通している。この記念硬貨は裏面に描かれる主題が発行国ごとに異なるものであり、ユーロを使用する国で有効に使うことができる。 最初に発行された2ユーロ記念硬貨はアテネで開かれた2004年夏季オリンピック大会を記念したもので、ギリシャが作成した。2005年にはオーストリア国家条約署名・発行50周年を記念した硬貨を作成、2006年にはドイツが初めて記念硬貨を作成し、主題にはホルステン門が描かれた。その後、ドイツでは2007年にシュヴェリン城、2008年に聖ミヒャエル教会が描かれた記念硬貨が発行されている。これらの記念硬貨は大量に発行・流通されている。ドイツでは16年間は、通常版であるアドラーを描いた2ユーロ硬貨を発行せず、連邦州のモチーフを描いた2ユーロ硬貨を1年ごとに代えながら発行する予定になっている。ただ2008年には流通を目的として、通常版の2ユーロ硬貨が大量に鋳造されている。 2007年3月25日、ローマ条約署名50周年を記念して、当時のユーロ圏13か国は共通の図画とそれぞれの国の公用語およびラテン語での文章を刻んだ記念硬貨を発行した。また2009年1月1日には、経済通貨統合10周年を記念した2ユーロ硬貨が発行された。 上述の記念硬貨以外にもユーロ圏諸国では、2ユーロ以外の額面の特別記念硬貨を発行しており、中には100ユーロ以上の額面のものや記念金貨として発行されたものもある。オーストリアではユーロ額面として最高額の硬貨が鋳造されており、"Big Phil" と呼ばれるウィーン金貨には10万ユーロの額面がつけられている。このような特別硬貨はユーロが使用されているすべての国では通用せず、それぞれ発行国のみで有効であり、またおもに収集家向けにやりとりされている。 スロベニアが欧州連合理事会議長国だった2008年には3ユーロ硬貨が発行された。 ユーロ紙幣のデザインは欧州連合規模で行われた公募で集められた案の中から、オーストリアのロベルト・カリーナのものが選ばれた。また紙幣のデザインはすべての国で共通のものとなっている。発行されている額面は5、10、20、50、100、200、500ユーロの7種類である。 紙幣には「ヨーロッパのそれぞれの時代と建築様式」を主題としたモチーフが描かれている。またそのモチーフとして表面には窓が、裏面には橋が描かれている。ユーロ紙幣に描かれた建築物は実在のものではなく、それぞれの時代の特徴的な建築様式をもとに描かれたものである。具体的には、5ユーロ紙幣は古典建築、10ユーロ紙幣はロマネスク建築、20ユーロ紙幣はゴシック建築、50ユーロ紙幣はルネサンス建築、100ユーロ紙幣はバロック・ロココ建築、200ユーロ紙幣はアール・ヌーヴォー、500ユーロ紙幣は現代建築となっている。 2002年末までユーロ紙幣の裏面に記載されている記番号の頭文字によって、その紙幣がどの国で印刷されたものかを判別することができた。たとえばドイツで印刷されたものにはXの文字が記載されていた。2003年以降は、いわゆる「プーリング制度」によりそれぞれの額面の紙幣が一部の中央銀行だけで発行されるようになり、印刷工場からユーロ圏全域に発送されることとなった。また各中央銀行が発行を担当する額面の種類は4つを超えないとされている。 2003年以降は紙幣に記載された記番号を確認することで印刷工場を判別できるようになっている。たとえば5ユーロ紙幣では灰色で印刷された図柄の左端、EUROのOの文字の上方約1センチのところに記番号が記載されている。ほかの紙幣でも、この記番号は表面にある額面の上方に記載されている。記番号の先頭の文字は、その紙幣がどの工場で印刷されたものであるかを示している。たとえばRであれば、ベルリンの連邦印刷局で発行された紙幣ということを表している。印刷工場コードに続くのは3桁の数字、アルファベット1文字、1桁の数字である。 オーストリアは2ユーロ紙幣を、イタリアはさらに1ユーロ紙幣の導入を求めている。両国ではユーロ導入以前に低い額面の紙幣が流通しており、オーストリアでは20シリング(1.45ユーロに相当)紙幣が、イタリアでは1,000リラ(52セントに相当)紙幣がそれぞれ発行されていた。 2004年11月19日に欧州中央銀行の政策理事会は、現行よりも低い額面の紙幣発行は行わないということを決定した。2ユーロ紙幣についても現行の紙幣が10年間は改訂する予定がなく、導入する見込みはない。 一部のユーロ導入国では1セント硬貨と2セント硬貨が一般的に使われていない。実際にフィンランドではセント単位の下1桁が0または5しか使用されていないため、同国では1セント硬貨と2セント硬貨が導入されていない。このような端数の廃止はオランダでも同様に行われた。これは両硬貨の流通量が少なく、そのために需要が少ないということが指摘されている。しかし1セント硬貨、2セント硬貨は特に問題なく使うことができる。 廃止に反対する立場からは、価格が5セント単位となるよう切り上げられていくおそれがあり、いわば第2のトイロを引き起こしかねないということが指摘されている。これに対して、心理的価格設定を行う際に、従来は端数を99セントとしたものを廃止後は95セントにすることが見込まれるため、トイロ現象は起こらないという反論がある。さらにオランダやフィンランドの商店では、商品価格の端数をいまだに端数を99セントとしているところがある。このような商店では商品の合計購入額を支払いの際に切り上げ、または切り下げしている。 2009年、ドイツ連邦議会はインターネット上で500ユーロ紙幣による支払の廃止を求める請願の受付を開始した。この原因には、ガソリンスタンドや商店、あるいはドイチェポストの受付窓口でさえも、500ユーロ紙幣の受け取りが断られている実態にある。500ユーロ紙幣の受け取りが断られる背景には、釣銭が不足するというためではなく偽札を警戒するというものである。ところが統計ではこの懸念を裏付けることができない。これは実際に500ユーロの偽札が使われるという割合が全体の1%に満たないためである。 2016年5月4日に欧州中央銀行は、パナマ文書で明かされたユーロによる資金洗浄対策により、ドイツの反対を押し切り、500ユーロ紙幣の発行停止を2018年末までに実施することを決定した。廃止される500ユーロ紙幣は発行残高の20%程度、枚数にして2%程度に過ぎないと推測されている。2019年、ドイツとオーストリアを除くユーロ圏で500ユーロ紙幣の印刷が終了し、1月27日から回収開始。2019年4月26日、ドイツとオーストリアが500ユーロ紙幣の印刷を終了、4月29日から回収開始。ドイツとオーストリアの印刷終了が遅れたのは使用頻度が高かったためである。 ユーロ紙幣の偽札対策の水準は、世界的に見ても高いものと評価されている。紙幣の安全性を確保するためにさまざまな対策が講じられている。紙幣用の紙には製造段階において蛍光繊維が、また中心部には糸が入れられており、裏から光を当てると全体が黒ずみ、特に額面のあたりには極小文字が印刷されている。またユーロ紙幣は特殊な構造を持つ綿繊維で作られている。さらに図柄の部分は発光塗料で印刷されており、紫外線を当てるとその部分が発光するようになっており、赤外線を当てると違う色が反射される。紙幣の透かしに裏から光を当てると、それぞれの券種に描かれている図柄が浮かび上がり、額面が判断できるようになっている。 紙幣の表面左上隅にある確認用の見当は裏から光を当てて、裏面に印刷された見当と合わせると紙幣の額面が浮かび上がる。これは表面と裏面にはそれぞれ額面の一部しか印刷されておらず、両者を組み合わせることで額面が示されるようになっている。5、10、20ユーロ紙幣の縁には帯状の金属箔が貼りつけられており、光の加減でユーロ記号や額面が現れるキネグラムとなっている。50ユーロ以上の額面の紙幣に貼られている金属箔はホログラムとなっており、見る角度によってその紙幣に描かれている建造物や額面が現れるようになっている。 凹版印刷と、間接的な活版印刷を組み合わせた印刷法で製造された紙幣の表面にはレリーフが隆起しており、これは紙幣を偽造しにくくするのと同時に、視覚障がい者が紙幣を区別しやすくするためのものである。さらに紙幣に描かれた窓や扉の部分や欧州中央銀行の略称である BCE、ECB、EZB、EKT、EKPが印刷されている部分も隆起印刷が施されている。 低額紙幣の裏面には構造色を起こす筋があり、他方で50ユーロ以上の紙幣には光学的変化インクで額面が印刷されており、紙幣を傾けるとその色が変化するようになっている。さらにユーロ紙幣には機械で真券であるかを検査するための印がある。また偽造防止システムによって、複写機やパーソナルコンピュータを用いた偽造を防止するなどの対策もとられている。ドイツ連邦銀行では確認する安全対策の方法をひとつだけにすべきではないとし、同時に、非公開としている安全対策があるということを明らかにしている。 ユーロ硬貨は額面が低いため、偽造ユーロ紙幣に比べると影響が深刻ではない。しかしユーロ硬貨にも偽造対策が施されている。ユーロ硬貨には大きさと重さが厳密に定められている。1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨は2つの金属の合金で鋳造されている。合金で鋳造されていることと、複雑で3段階を経る製造過程によってユーロ硬貨の安全性が確保されている。1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨の中心部分にはわずかな強磁性を持つが、1、2、5セント硬貨は強い強磁性を持つ。1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨の外周は強磁性を持たないが、1、2、5セント硬貨は強磁性を持っている。偽造セント硬貨は本物のセント硬貨とは違う金属で製造されることがあるため、テーブルに落とした音で偽造硬貨を判別することがある。また紙に偽造硬貨で線を引くと、鉛筆で書いたような跡が残ることがある。2006年後半に回収された偽造硬貨のおよそ95%は2ユーロ額面のものだった。 ユーロの導入によって従来は共同体内部に存在していた為替相場リスクや、そのリスクヘッジのために企業が負担するコストが低減することとなり、ユーロ圏内での通商や経済協力が増大するということが期待される。そして通商は経済成長をもたらす大きな要因のひとつであることから、ユーロ圏入りはその国民にとって利益につながると考えられており、実際に2007年までにユーロ圏内での貿易は5 - 15% 増加してきた。つまりユーロによってヨーロッパの企業は巨大な経済圏で活動するという利益を享受することとなった。またユーロは商品、サービス、資本、労働力の自由な移動という、ヨーロッパ共同市場に欠けていた単一通貨となって、市場統合を完成させた。 さらにユーロによって、ユーロ圏諸国における商品およびサービスの価格格差が解消され、つまり裁定取引によって既存の価格格差は相殺される。このことによって企業間の競争が活発化し、またインフレーション率の低下とあわせて消費者に利益をもたらすこととなる。 一般に、欧州中央銀行はインフレとの戦いという主たる使命を成し遂げてきた。事実、欧州中央銀行が設定している2%というインフレーション・ターゲットはおおむね達成されているか、あるいは長期にわたる過度の超過は防がれてきた。インフレーション率が低いということはユーロ圏諸国の市民にとって経済安定性の基礎となっている。 ユーロに対する投機は、投資家にはリスクが大きすぎ、ほかの小規模の通貨と比べると困難なものとなっている。1990年代の通貨に対する投機はポンド危機など、欧州通貨制度に深刻な歪みをもたらし、さらにアジア通貨危機の発生原因のひとつとなった。特定の国の通貨に対する投機はその国の外貨準備を吐き出させ、また国民経済に深刻な損害をもたらしかねないものとなり、ユーロの導入はヘッジファンドによる通貨の空売りの目論見を防止することが可能となる。 またユーロは、とくに旅行者にとって利益をもたらしている。ユーロ圏内では両替やその手数料が不要になるうえ、通貨単位が異なることによる商品価格の比較が容易になる。 ユーロ圏内では複数の通貨を有する経済圏よりも自由な資本の移動が起きている。 さらにユーロの登場によって世界におけるヨーロッパの経済的重要性が再認識されている。金融に関するヨーロッパの動向はより大きな影響を持ち、またユーロ圏諸国の発言力も強くなっている。グローバル化した世界でユーロという単一通貨はアメリカやアジア諸国に対するヨーロッパの国際競争力を高める役割を持っている。 ユーロは経済心理面においてヨーロッパ諸国間の協力関係を表すものであり、またヨーロッパのシンボルとして統合の概念を具現化するものである。また政治面でもユーロは欧州連合の強化をもたらしている。 経済学者の中には、ユーロ圏のような巨大で特殊な経済圏にとっては単一の通貨を持つことについての危険性を懸念する意見がある。特に景気循環が非同期的であることによって適切な金融政策を打ち出すことの難しさが挙げられている。 実際にユーロが導入されてまもなく、国ごとで経済情勢は異なるにもかかわらず、単一の金融政策を実施することが困難なものであることが明らかとなった。たとえば、経済成長率が5%を超えていたアイルランドと、ほぼ0%のスペインやポルトガルとを調和させるということが挙げられる。従来の手法では政策金利の引き上げや通貨供給量の引き締めといった政策でアイルランドの経済情勢に臨む一方で、スペインやポルトガルに対しては金融緩和策が必要だった。しかし単一の金融政策ではこのような域内での格差を十分に反映することができない。 マクロ経済学上の大きな問題として、単一通貨への参加による為替相場の固定がある。これがもたらす問題として域内地域格差問題がある。為替レートが域内固定されることにより、人件費の安い南欧に工場建設などの長期投資が発生する一方で、独・仏・ベネルクスなどでは安価な商品サービスの提供が行われるようになった反面、失業率の高止まりと新たな雇用の創出という難題を抱えている。南欧諸国にしても、ERMに参加していない欧州諸国、とりわけイギリスやポーランド、チェコなどとの競争にさらされている。 国際金融のトリレンマに従えば、固定相場制と資本移動の自由を両立させているユーロ圏各国では独立な金融政策をとることができない。この事実はユーロ圏の加盟国が不況に陥ったときに、自国通貨を切り下げて輸出競争力を高め、経常収支を改善させることができなくなる。そのような状況下ではユーロ圏で経済が好調な国から不況の国へ財政支援が検討された場合のEUの力量が試される。しかしながら、実際にはアメリカのような財政連邦主義は現時点でのユーロ圏にはなく、頼みの綱の財政政策も安定成長協定(SGP)によって制限をかけられ、結果として各国の成長の足かせになりうる。 ユーロ圏は、アメリカと異なり、圏内各国で言語や文化が異なるために、ユーロ圏内での資本移動はアメリカほど自由ではない。各国は自国の人口をゼロにしたいとは思わない。こうして資本移動での経済の調整メカニズムはあまり機能しなくなる。さらに、圏内の唯一の発券銀行である欧州中央銀行が、ドイツの影響を非常に強く受けており、危機に対して民主的な裁量の余地が加盟国に乏しいことなどが想定される。 ミルトン・フリードマンは、ユーロの見通しの悪さを以下のように危惧していた。適切な金融政策がとれるのは変動相場制があるからであり、統一通貨ではそれは不可能である。さらに悪いことに、ユーロ圏のように、為替レート変動による経済の調整メカニズムを放棄している場合には、国内の価格や賃金あるいは資本移動によってでしか調整メカニズムが働かないため、ユーロ圏各国が各自独立した文化や規制を有している状態のままユーロを導入すれば、ユーロ圏各国の政府が各々異なる政治的圧力にさらされ、それら政府同士での政治的軋轢が生じる。これは、現在のPIIGSとドイツのように、救済される側とする側とで異なる政治的圧力が働き、ユーロ圏政府間での交渉が行き詰っている状態をさしており、このような経済的困難が現れることを、フリードマンは予見していたと言える。 また、クリストファー・ピサリデスは、現在のユーロシステムによって、失業率が高止まりし失われた世代が作り出されていると指摘し、ユーロ圏の順序だった解体を主張し始めた。かつては名案とされた通貨同盟だが、この通貨システムによってヨーロッパが低成長に苦しみ、加盟国が政治的に分断される結果となり、逆効果にしかなっていないとピサリデスは述べる。 ユーロ圏全体では既に2013年度の平均失業率が12.2%に達し、スペインでは前年より売り上げが10%落ち込み、ギリシャなど一部の国ではデフレーションに陥っている状況であるにもかかわらず、欧州中央銀行(ECB)が景気回復のための適切な金融政策をとっていないという批判がある。ユーロ圏の経済成長率は1%未満にまで低下している。スペインとギリシャの失業率は27%に達しており、IMFはECBに政策金利を下げるよう要請している。しかし、現段階でECBは、アメリカの連邦準備制度(FRB)などが行っているような量的緩和を検討はしないという。ジョージ・ソロスは、ECBの金融政策はその他の中央銀行が行っている量的緩和と同期していないと述べる。 加えて、政治的な面からも、欧州中央銀行や欧州委員会がユーロ導入国の赤字国債発行を阻止できるかということは疑わしいと考えられている。マーストリヒト条約では安定成長協定に反した場合の罰金制度が規定されているが、2003年にフランスが棚上げにさせたことなどもありその実効性は疑わしい。 一般に、単独または複数の国が財政政策上の義務を逃れるために大規模な国債増発に動いた場合、通常は国債価格の下落(金利の上昇)やインフレの進行、あるいは自国通貨の下落(通貨安)による輸入物価の高騰という形で報いを受けるが、ユーロ一本値の場合、インフレ率や為替への影響は域内全体に拡散、吸収されるため残りのユーロ圏諸国に間接的な影響(損害)を及ぼしかねない。すなわち国債増発国はリスクを負わず安易な債券の発行が可能になり、そのツケはほかの参加国が共同で負うというモラル・ハザードを生み出すことになる。 アメリカのように金利上昇により自国通貨が上昇(通貨高)する事例もあるが、民族資本の乏しい開発途上国では、為替相場におけるクラウドイン効果は期待できないと推測される。 国債発行の単年度GDPの3%制限は、財政政策を行う上での大きな足かせであり、なおかつ金融調整は欧州中央銀行の一本値である。政府支出と金利調整機能は自国の総需要管理の強力な誘導手段であり、この2つを放棄することは自国の雇用を域内市場の趨勢にまかせ、政府が国民に対する責任を果たす直接的な手段が大きく制約されることを意味する。 イギリスの再加盟反対派が掲げるおもな理由は「イギリス経済はユーロ経済と非常に異なっており、ユーロ圏の画一的な経済政策はイギリス経済にリスクをもたらす」「イギリスの自主性が失われる」「イギリスのマクロ経済政策は、ユーロ圏のそれより有効である」「ユーロ圏、特にドイツに構造的問題がある」とする。イギリス政府は、再加盟問題を検討するうえで5項目の経済テストを行い、結局「イギリスの金融部門に良好な影響をあたえる」以外の項目は満たさないとの結論を得た。なお、ほかの4項目は「ユーロ圏とイギリスの経済構造や景気サイクルが持続的に一致の方向に向かっている」「イギリスの労働・生産市場が経済的衝撃に耐えられる柔軟性を備えている」「イギリスへの投資が改善(拡大)する」「イギリスにおける雇用の機会が拡大する」である。 上述してきた影響のほかに、国際商品市場の値動き、特に経済において重要なものに原油価格が挙げられる。ほとんどの原油の取引にはUSドルが用いられ、1970年代以降、石油輸出国機構諸国はドル建てだけで取引してきた。ところが、ユーロの登場により原油輸出国側では外貨準備の分散の観点から一部の受け取りをUSドルからユーロに移行する国が増え、そのため輸入国側でもユーロ建てでの取引に移行せざるを得ないということが議論された。 各国中央銀行と民間資本によるドルによる外貨保有は、アメリカ国債の重要な引き受け先であり、輸出国側がユーロ建てを導入すれば、ながらく原油取引によって安定してきたUSドルとドル経済にきわめて不利な影響をもたらすことになる。2000年、サッダーム・フセイン統治下のイラクは原油取引をユーロ建てのみとしたが、のちにアメリカによる占領でドル建てに戻されている。またイランや、ユーロ建てへの移行を強く唱えているウゴ・チャベス政権下のベネズエラは、サッダームによるユーロ建て移行に対する支持を表明している。2008年2月17日、イランはキーシュ島に、USドル建ての取引を行わない石油取引所を開設したが、イランの原油輸出量はUSドルの「原油取引通貨」としての地位を脅かすほどのものではなかった。 ユーロの導入によって多くの消費者は商品やサービスの価格がインフレーション率以上に高くなったと感じている。この物価が上がったという消費者の感覚は、特定の地域で原価が上がったために個々の価格が上げられたことによるものであり、これらの価格上昇が特に印象に残った。一部では事前に、ユーロ導入後の価格の表示で端数の調整を実施するために、価格を緩やかに上昇させていたところもあった。 そのためドイツでは、ティタニック誌が作り出し、その後多くの新聞でも使われるようになった "Teuro" という言葉(「高価な」という意味のドイツ語 teuer と Euroをあわせた造語)が広まり、Teuro は2002年の言葉(Wort des Jahres 2002)に選ばれた。しかし政府の統計ではこの年に大きなインフレーションは起こっていない。たとえばオーストリア統計局によると、オーストリアの1998年12月31日での対1986年比での消費者物価指数(VPI 86)は133.7で、1987年から1998年の12年間の平均インフレーション率は2.45%である。これに対して対1996年比での消費者物価指数(VPI 96)は、1998年12月31日に102.2だったものが、2003年12月31日には112.0となっており、ユーロ導入後の平均インフレーション率は1.84%に下がっている。またドイツの対2000年比での消費者物価指数を見ると、1991年に81.9だったものが1998年には98.0となった一方で、ユーロ導入後の2003年には104.5となっている。つまり、ユーロ移行以前の平均インフレーション率が2.60%だったのに対して、移行後は1.29%と下がっている。 上記のような、統計上はインフレーション率が低下していることと、ユーロ導入によって消費者が実際のインフレーション率以上に物価が上昇していると感じたこととの矛盾についてはさまざまな解析がなされている。たとえば、たしかに食品など日常購入する商品の価格上昇率は全体のインフレーション率を上回っていたが、マーケットバスケット方式で調査された対象に含まれている電化製品などの価格上昇率は全体のインフレーション率より下回っていた。つまり後者の商品は日常的に購入するものではないため、消費者は統計以上に物価が上昇したと感じたのではないかということが指摘された。また旧通貨からユーロに頭の中で換算したときに、四捨五入するなどして発生した誤差(たとえば対ドイツマルクで 1:1.95583 とするところを 1:2、対オーストリア・シリングで 1:13.7603 とするところを 1:14 などとした)が影響したという見方もあり、特にスペイン・ペセタ(四捨五入で 1:166)の例がある。そして旧通貨を使っていた時間が長いほどユーロでの価格表示と旧通貨での表示を比べるために、物価が上昇したのではないかということが強く感じられたのではないかとも指摘されている。 通貨が共通化されたことにより、導入国では国内の経済政策の大部分を独自に実施するということがなくなった。このため単一通貨を批判する立場からは経済や政治における摩擦が増大する危険をもたらすのではないかと指摘し、他方で単一通貨を支持する立場からは導入国間での収斂基準の達成に基づく金融政策の統合は合理的であるとしている。 主要通貨に対してユーロ相場が安定した動きを見せていることとアメリカが長期にわたって財政政策の懸案事項を抱えていることから、経済専門家の中には世界における準備・基軸通貨としてのUSドルの地位をしだいに脅かし、最終的には凌駕するのではないかという見方を持つものがいる。もしユーロがUSドルに代わる地位を得ることとなれば、かつて第二次世界大戦後に、それまで世界の基軸通貨だったポンド・スターリングと取って代わったUSドルの時代が終焉するということになる。そのことは世界の準備通貨の割合においてユーロが着実に増えているということに示されている。 ほとんどの経済専門家は開発途上国や新興工業国が外貨準備の再検討や原油取引のユーロ建てへの移行について繰り返し表明していることを、具体的な意図があるのではなくアメリカに対して政治的な圧力をかけようとしていると考えている。しかし、ユーロ圏外の国の外貨準備におけるユーロの占める割合が過大になれば、それは外貨準備において従来の過小評価を改めただけと考えられ、多くの国の通商・経済関係では依然としてユーロは低く評価されている。 ユーロの現金発行残高は2006年にUSドルを抜いて、世界でもっとも多くなった。この年の10月に世界に流通しているユーロ紙幣の額面の合計は5,920億ユーロとなり、USドル紙幣の5,790億USドルを上回った。ただしこの背景には、アメリカ国内では決済手段としてクレジットカードが多く使用されているということがあり、そのため1人あたりの現金の所持額が少なくなる。ユーロは将来的に現金として最大の規模を持つ通貨となると見込まれている。 欧州為替相場メカニズム適用国においてユーロを導入する際には、欧州連合加盟国の財務相による経済・金融理事会において最終交換比率を決定することになる。この交換比率は、端数処理による誤差が最小限となるような有効桁数が6桁の数となるように決められる。 1998年12月31日に欧州連合加盟国の財務相は、ユーロを最初に導入する11か国の通貨とユーロとの最終交換比率を決定した。このときの交換比率は欧州通貨単位に基づいて設定されたものである。以後にユーロを導入した国(2001年のギリシャ、2007年のスロベニア、2008年のキプロスとマルタ、2009年のスロバキア)の旧通貨とユーロとの最終交換比率は、欧州為替相場メカニズムのセントラル・レートを基準として定められた。 ユーロが決済通貨として導入されると、導入国の旧通貨とほかの通貨との両替は「トライアンギュレーション」方式でのみ行われることとなった。つまり旧通貨とほかの通貨との両替にあたっては、いったんユーロに換算してから行なわれなければならなくなった。また端数処理はユーロおよび対象通貨の小数第3位で行うことが認められていた。トライアンギュレーションは直接換算で発生するおそれがある端数処理の誤差を防ぐため、欧州委員会はこの方式による両替の実施を義務づけた。 旧通貨単位での金額表示をユーロに切り替えるにあたって、切り替えのための計算の最後の時点においてのみ、端数を支払いが可能な額に丸めることが認められた。端数処理を計算の最後の時点としたのは、計算にあたって個々の要素や計算途中で出された結果を端数処理をするとまったく異なる結果が出るおそれがあったためである。異なる結果が出てしまえば、新通貨の導入によって契約の継続性に影響を及ぼさないとする原則に反することになる。 1999年1月4日、フランクフルト証券取引所において初めてユーロとUSドルの為替取引が開始され、このとき 1EUR = 1.1789USD の値がついた。ユーロ相場は対USドルで値を下げていき、取引開始から2年後には最安値をつけた。2000年1月27日にはユーロは対USドルで 1EUR = 1USD のパリティを下回り、同年10月26日に史上最安値の 1EUR = 0.8252USD となった。 2002年4月から2004年12月にかけてユーロは多少値を戻していく。2002年7月15日には 1EUR = 1USD のパリティを上回り、2004年12月28日には当時の史上最高値となる 1EUR = 1.3633USD をつけた。一部のアナリストは 1EUR = 1.4 - 1.6USD にまで達すると見込んでいたが 、その予想は外れ、連邦準備制度の政策金利引き上げを受けてユーロは2005年に入って値を下げていき、同年11月15日には年間最安値の 1EUR = 1.1667USD をつけた。ところが連邦準備制度の金利引き上げ策は2006年のアメリカ経済の後退を受けて継続されなかった。2007年後半に表面化したサブプライムローン危機のために、連邦準備制度は政策金利の引き下げを決め、これを受けてユーロは相対的に値を上げた。その結果、2008年7月15日に欧州中央銀行の基準相場は史上最高値の 1EUR = 1.5990USD をつけ、また市場では基準相場を上回る 1EUR = 1.6038USD で取引された。この値は1995年4月19日につけた1USドルが1.3455ドイツマルク、単純に1ユーロに換算すると 1EUR = 1.45361 USD という相場を超えたものとなった。 2008年サブプライムローン危機によるUSドルの下落によって、ユーロ圏の域内総生産をUSドルに換算すると一年間だけ一時的にアメリカ合衆国の国内総生産を上回った。しかし、その後はユーロ圏がむしろ経済危機の震源地になっており、ユーロは下落し、USドルに換算すると経済的に衰退している。2017年9月時点に於いて1EUR = 1.17171USDをつけた。 強いユーロはヨーロッパ経済に光も陰ももたらした。光とは、強いユーロによっていまだにUSドルで取引されることの多い原材料の価格を安く買い入れることができたことである。陰とは、強いユーロによってユーロ圏の輸出品が相手先で高くなり、ユーロ圏の経済成長がある程度阻害されたことである。しかしユーロ圏の規模もあって、為替相場とその変動幅によるリスクはそれぞれが異なる通貨を使用していたころよりもはるかに低減した。とくに2007年の初旬には、世界経済の成長が緩やかだったにもかかわらず、ヨーロッパ経済が平均を上回る成長率を達成した。 2002年までのユーロ相場の下落は、当時ユーロ紙幣や硬貨が存在しなかったということがその原因のひとつに挙げられ、そのために当初ユーロは、ファンダメンタルが適切なものだった場合に比べて低く評価されていた。ヨーロッパの共同市場における経済の問題のためにユーロ相場の下落傾向は強まり、またこの流れのために域外の投資家がヨーロッパへの投資に魅力を感じないということにもつながっていった。ユーロ紙幣・硬貨の流通が開始されるとまもなく、過小評価されていたユーロ相場は上昇に転じた。2005年以降のヨーロッパ経済、特に輸出の持ち直しはユーロ相場のさらなる上昇をもたらした。このほかにも中長期なユーロ相場の上昇をもたらしたと考えられる原因があり、特に以下の3つが挙げられる。 将来的にユーロ未導入の欧州連合加盟国が加わる予定となっており、またこれらの国々でもユーロが現行通貨に替わって法定通貨となることから、拡大を続ける欧州通貨同盟が心理的に有望視されているということもユーロが軽んじられない要因となっている。さらにこのことはユーロの強大化に少なからず寄与しており、またユーロの国際的評価や経済的重要性を上昇させている。 2002年、ユーロは「これまでのなかでヨーロッパを認識させるような統合への手段はほかになく、そのために諸国民の一体化をもたらす重大で新たな時代を切り開くような貢献をした」としてアーヘン市からカール大帝賞を受賞した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ユーロ(記号: €; コード: EUR)は 、欧州連合(EU)加盟27か国のうち20か国で公式に導入されている通貨である。ユーロが主要通貨として使われる国・地域はユーロ圏またはユーロゾーンとして知られており、2019年時点で約3億4,300万人の市民が暮らしている。1ユーロは100セントに相当する。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "世界経済においては国際通貨(ハード・カレンシー)の一つとして扱われており、外国為替市場でアメリカ合衆国ドル(米ドル)に次いで2番目の規模と取引をされている通貨である。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "ユーロはEUの各機関によって公式に使用されている。また、EU加盟国ではない4つの欧州の小国とモンテネグロ、コソボによって一方的に使用されている。欧州以外では、EU加盟国の多くの特別領土においても通貨として使用している。さらに、世界中で2億人以上の人々がユーロにペッグされた通貨を使用している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ユーロは、米ドルに次ぐ世界第2位の国際通貨であり、取引高も世界第2位である。2019年12月時点、ユーロの流通総額は1兆3,000億ユーロを超え、ユーロ紙幣とユーロ硬貨を合わせて世界最大規模に達している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ユーロという名前は1995年12月16日にスペインの首都マドリードで正式に採択された。1999年1月1日に、従来の欧州通貨単位(ECU)の1:1(1.1743ドル)比率での置き換えとして、国際金融市場に会計通貨として導入された。ユーロ硬貨と紙幣は2002年1月1日に流通開始され、ユーロは当初の参加国の日常業務通貨となり、2002年3月までに旧通貨から完全に置き換えられた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ユーロは、その後2年間で0.83ドルまで下落した(2000年10月26日)。2002年末からは、2008年7月18日の1.60ドルをピークにドルを上回って推移している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2009年末にユーロは欧州債務危機に陥ったが、その後、欧州金融安定ファシリティの創設など通貨の安定・強化に向けた改革につながった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ヨーロッパに単一通貨が求められた理由は欧州統合と欧州連合の歴史に見ることができる。すなわち、1968年の関税同盟の結成による実体経済の統合と、ブレトン・ウッズ体制の崩壊による為替相場の不安定化がもたらす通商政策への障害である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1965年、欧州通貨統合のイニシアティブがアメリカ合衆国国務省で開かれた会談でとられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1970年、ルクセンブルクの首相ピエール・ヴェルネとヨーロッパの経済通貨統合の研究者が作成したいわゆる「ヴェルネ計画」では、単一通貨の導入に触れられていた。このヴェルネらの構想では1980年までに経済通貨統合を達成することがうたわれていたが、ブレトン・ウッズ体制の崩壊のために挫折を余儀なくされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "それでも1972年には欧州為替相場同盟を、1979年には欧州通貨制度を創設した。欧州通貨制度は各国の通貨の相場が大きく変動することを防ぐものとなった。またあわせて欧州通貨単位が導入され、のちのユーロの基礎となった。欧州通貨単位の紙幣が発行されることはなかったが、硬貨については欧州通貨単位を具現的に見せるという目的で特別に鋳造された。欧州共同体の加盟国の中には欧州通貨単位の額面で債券を発行しており、証券取引所でも欧州通貨単位で取引がなされたりした。1988年、当時の欧州委員会委員長であるジャック・ドロールのもとで経済通貨統合を検討する委員会はいわゆる「ドロール報告書」を作成し、その中で経済通貨統合に向けて3つの段階を示した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1990年7月1日、通貨統合の第1段階に入り、欧州経済共同体の加盟国の間で資本の自由な移動が可能となった。1994年1月1日になると第2段階に移行し、欧州中央銀行の前身である欧州通貨機構が設立され、加盟国の財政状況を検査するようになった。1995年12月16日、マドリードで開かれた欧州理事会の会合において新通貨の名称を「ユーロ」とすることが決められた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "上述の欧州理事会で新通貨の名称が決定されるまで、多くの案が議論された。有力な案に「ヨーロッパ・フラン」があったが、フランのスペイン語表記である Franco がスペインの独裁者フランシスコ・フランコを連想させるために却下された。このほかにも「ヨーロッパ・クローネ」や「ヨーロッパ・ギルダー」といった案が出されていた。既存の通貨の名称を使うことで通貨としての連続性を示し、また新通貨に対する市民の信頼を固めようとした。さらに、一部の加盟国には従来の通貨の名称を残したいという希望があった一方で、決済通貨として使用されていた ECU(エキュもしくはエキュー) の名称がふさわしいと考える国もあった。しかしこれらの名称案はそれぞれに対して反対する国があり、特にイギリスは多くの名称案に反対して、いずれも採用されなかった。名称が定まらない中、ドイツの連邦財務相テオドール・ヴァイゲルは「ユーロ」という名称案を提示した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "通貨単位としてユーロという名称が刻まれた硬貨は、確認できる限りでは1965年に初めて鋳造されている。また1971年にはオランダで、ユーロと刻まれた硬貨の見本が製造されている。この見本ではユーロの先頭の文字がCに波線が引かれたものとなっていた。またその周囲にはラテン語で EUROPA FILIORUM NOSTRORUM DOMUS(日本語試訳:ヨーロッパはわれらの子たちの家である)と刻まれていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1992年に署名された欧州連合条約では、加盟国は経済通貨統合の第3段階への移行、つまりユーロの導入にあたっては収斂基準を満たさなければならないとした。またテオドール・ヴァイゲルが主導した結果、1996年にアイルランドの首都ダブリンで開かれた欧州理事会においてユーロ導入にあたっての2つの基準が定められた。さらに安定・成長協定ではユーロ導入国に対して、通常の経済情勢では財政の均衡を維持することを義務づけており、他方で景気が悪化している情勢では、経済の安定化のために単年度国内総生産(GDP)の3%を上限として国債の発行を認めている。累積債務残高については60%を上限としている。すなわち、収斂基準は物価の安定性・高すぎない長期金利・財政赤字および政府債務の健全性・為替の安定性の4つである。このうち為替の安定性に関しては、欧州為替相場メカニズム(ERM II)への参加が法的に求められている。この欧州為替相場メカニズムは、1979年に設立されたもともとのERMにかえて、1999年から実施されているERM IIと呼ばれるものであり、ERMとしては2番目のものである。このERM IIにおいて、ユーロに対する自国通貨の標準変動幅を2年間、上下15%の範囲とする必要がある。これを達成するとユーロ導入が認められ、ERM IIの対象から外れ、ユーロ導入となる。ただし、問題がある場合は期間が延長される。具体的には経済収斂基準とは次のようなものである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "物価:過去1年間、消費者物価上昇率が、消費者物価上昇率の最も低い3か国の平均値を1.5%より多く上回らないこと。 財政:過剰財政赤字状態でないこと。(財政赤字GDP比3%以下、債務残高GDP比60%以下) 為替:2年間、独自に切り下げを行わずに、深刻な緊張状態を与えることなく欧州通貨制度の為替相場メカニズムの通常の変動幅を尊重すること。 金利:過去1年間、長期金利が消費者物価上昇率の最も低い3か国の平均値を2%より多く上回らないこと。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ギリシャは2002年に収斂条件を満たしたとしてユーロを導入したが、2004年11月、ギリシャがユーロ導入の決定がなされた時点で収斂基準を満たしていなかったということが判明した。ギリシャは実際の財政赤字を偽って欧州委員会に報告書を提出していた。しかし、条約・協定では基準違反を想定していなかったため、ギリシャが法的な責任を問われることはなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "また、ドイツやフランスなどの大国を含む一部の国々は、ユーロ加盟後に安定・成長協定で定める基準に抵触している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "1998年12月31日、当時のユーロ参加予定国のそれぞれの通貨とユーロとの為替レートが固定され、1999年1月1日、ユーロがそれらの国において電子的決済通貨となった。このときユーロは欧州通貨単位に対して1:1で置き換えられた。翌1月2日、イタリア証券取引所(ミラノ)、パリ証券取引所、フランクフルト証券取引所は通貨単位をユーロとして取引を開始した。このほかにユーロの導入によって、外国為替相場の表示法が変更された。ドイツではユーロ導入以前まで、1 US$ = xxx ドイツマルク(DM)というかたちで表示されていたが、1999年1月1日からはドイツを含めてユーロを導入した国で、1 EUR = xxx US$ という表示法に変えられた。また同日から、振込みや口座自動引き落としについてもユーロ表記が用いられるようになった。銀行口座ではユーロあるいは従来の通貨単位での表示が行われていた。しかし、現金のユーロは存在しなかったため、ユーロ表記の口座でも、預金を下ろすと現地通貨、たとえばドイツであればドイツマルク紙幣が窓口で渡された。有価証券はユーロで表記されたものに移行した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件を受けて、EU内に手形交換所が設立された。このころからドイツではいわゆる「フロントローディング方式」の枠組みでユーロが民間銀行に配付された。また銀行ではドイツマルクを回収してユーロを供給することで切り替え作業を進めていった。2001年12月17日からはドイツ国内の銀行で各種のユーロ硬貨が入ったスターターキットの販売が開始された。このスターターキットには合計10.23ユーロ(20.0081409マルク相当)の20枚の硬貨が入っていたが、販売価格は20マルクであり、切り捨てられた小数点以下の部分は国庫が負担した。オーストリアのスターターキットでは合計14.54ユーロの33枚のユーロ硬貨が200シリングで販売された。通常の現金、特に紙幣の流通は2002年1月1日から開始された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "ドイツではドイツ連邦銀行の各支店でドイツマルクをユーロに交換することができる。また特例的に一部の商店では代金支払の際にドイツマルクで受け取っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "このようにユーロへの交換は簡易かつ費用負担がかからないにもかかわらず、2005年5月の時点で37億2,000万ユーロ相当のドイツマルク硬貨(2000年12月の発行量のおよそ46%)が流通していた。また紙幣についても39億4,000万ユーロが交換されないままでいた。この推定はドイツ連邦銀行によるものであるが、ほとんどの硬貨や紙幣は紛失または破損したものと見られている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ユーロを導入した国ではそれぞれで、2002年の2月あるいは6月までを移行期間として代金の支払にユーロか旧通貨の使用が認められ、移行期間後は旧通貨の法的効力は消滅した。ただし、ほとんどの旧通貨は各国の中央銀行でユーロと交換することができる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "ユーロ導入国では旧通貨の取り扱いについてそれぞれの国で異なっている。ドイツではドイツマルクの紙幣および硬貨を、無期限・無手数料でユーロに交換することができる。ドイツ以外でもオーストリア、スペイン、アイルランド、エストニア、ラトビアにおいても同様で、それぞれの国の旧通貨とユーロとを交換することができる。ベルギー、ルクセンブルク、スロベニア、クロアチアではそれぞれの旧通貨の紙幣のみ、無期限でユーロとの交換ができる。これら以外の国ではそれぞれの旧通貨とユーロとの交換には期限が定められている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "ポルトガル・エスクード硬貨、フランス・フラン硬貨、ベルギーおよびルクセンブルク・フラン硬貨、オランダ・ギルダー硬貨、ギリシャ・ドラクマ硬貨は交換不能となっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "通貨ユーロにかかわる政策はドイツのフランクフルト・アム・マインにある欧州中央銀行が担っている。欧州中央銀行は1998年6月1日に設立された機関である。実際の業務が開始されたのは、通貨統合の実施によって各国の中央銀行の業務を引き継いだ1999年1月1日のことである。欧州中央銀行は欧州連合の機能に関する条約第127条によって物価安定の確保に努め、また加盟国の経済政策を支えるという使命を持っている。このほかにも金融政策の決定と実施、加盟国の公的外貨準備の管理、外国為替市場への為替介入、市場への資金供給、円滑な決済の促進を担っている。欧州中央銀行の独立性を維持するために、欧州中央銀行および各国の中央銀行は加盟国政府の指示を受け入れることが禁止されている。欧州中央銀行に法的独立性が与えられているのは、欧州中央銀行が紙幣発行を一手に担う、つまり欧州中央銀行はユーロのマネーサプライに影響力を持っており、財政の不足額を補うためにマネーサプライを増やすということを避けるためである。欧州中央銀行の独立性が確保されなければユーロに対する信頼が失われ、通貨が不安定になる。", "title": "欧州中央銀行" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "欧州中央銀行は各国の中央銀行とともに欧州中央銀行制度を作っている。欧州中央銀行の政策決定は、欧州中央銀行の役員会とユーロ圏各国の中央銀行総裁で構成される政策理事会が担う。欧州中央銀行の役員会は総裁、副総裁、理事4人で構成され、いずれも任期は8年でユーロ圏各国が選任し、再任は認められていない。", "title": "欧州中央銀行" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2023年1月1日にクロアチアが導入したことで、ユーロを法定通貨としているのは欧州連合加盟全27か国中20か国となっており、これらの国々はユーロ圏と呼ばれている。また欧州連合の経済通貨統合に参加していない6か国でもユーロを法定通貨として導入している。ユーロを法定通貨としている国のほかに、為替相場制度でユーロと連動させている国も多くある。そのような国には、欧州為替相場メカニズムに組み込まれている4つの欧州連合加盟国やCFAフランを使用している14か国がある。さらに36か国と、フランス領ポリネシア、ニューカレドニア、ウォリス・フツナの3つの地域でもユーロ、あるいはユーロと連動する通貨を使用している。", "title": "導入国、地域" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "フランスの海外領土であるグアドループ、フランス領ギアナ、フランス領南方・南極地域、マルティニーク、マヨット、レユニオン、サン・バルテルミー島、サン・マルタン島、サンピエール島・ミクロン島でも同様にユーロを法定通貨としている。", "title": "導入国、地域" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "またキプロスがユーロ圏入りしたことによって、イギリスの主権基地領域であるアクロティリおよびデケリアでもユーロが法定通貨として導入された。北キプロス・トルコ共和国では事実上、トルコリラが法定通貨として使用されているが、ユーロも広く流通している。", "title": "導入国、地域" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "1998年5月3日に開かれた欧州理事会の会合において、各国首脳は1999年1月1日に収斂基準を満たした11か国で経済通貨統合を第3段階へ移行することを決定した。", "title": "導入国、地域" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2000年6月19日、欧州理事会は「ギリシャは高い水準で持続的な収斂性を有しており、ユーロの導入に必要な状況になった」という理解に達した。その後の経済・金融理事会において、2001年1月1日にギリシャでユーロを導入することが承認された。", "title": "導入国、地域" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "スロベニアは2006年3月8日に、2004年の第5次拡大の際に欧州連合へ加盟した国としては初めて、2007年1月1日のユーロ導入を正式に求めた。2006年5月16日、欧州委員会はスロベニアのユーロ圏入りを提案し、翌月7月11日には経済・金融理事会において、スロベニアの2007年1月1日のユーロ導入を全会一致で承認した。このとき、1 EUR = 239.640 SITという交換比率が定められた。", "title": "導入国、地域" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "2007年7月10日に欧州連合加盟国の財務相は、キプロスとマルタのユーロ圏入りを承認した。さらに2009年1月1日には旧東側諸国としては初めてスロバキアが、2011年1月1日には旧ソ連圏としては初めてエストニアがユーロ導入を果たしたことで、ユーロを導入した欧州連合加盟国数は17となった。2014年1月1日よりラトビアが、2015年1月1日にリトアニアにユーロを導入。旧ソ連圏では3国目となる。2023年1月1日よりクロアチアがユーロを導入した。", "title": "導入国、地域" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "一部の国では従来からの通貨同盟などによって、相手国がユーロを導入したことで自らもユーロを法定通貨とした国がある。それらには以下のような通貨同盟がある。", "title": "導入国、地域" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "モナコ、サンマリノとバチカン独自のユーロ硬貨を発行することについて欧州連合と合意しているが、アンドラについては同様の合意がなされていない。そもそもアンドラは独自の通貨を持っておらず、そのためユーロが事実上の法定通貨となっており、アンドラは独自に硬貨を発行しなくとも問題がない。アンドラ政府は2004年10月から欧州共同体と協議を行ったが、政治的要請、とりわけ金融機関の守秘性の緩和を実行する用意がなく、協議は数か月後に終了した。このほかにも企業税制を導入して非課税制度を撤廃することが受け入れられないということも正式な通貨同盟の合意に至らなかった理由となった。2016年1月現在、the Royal Spanish Mint よりアンドラ独自のユーロ硬貨が発行されている。", "title": "導入国、地域" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "独立に向けて、モンテネグロは一方的にドイツマルクを通貨として導入した。またコソボでは紛争後に国際連合コソボ暫定行政ミッションが通貨としてドイツマルクを導入した。そのドイツマルクが廃止されてからは、両国においてユーロが法定通貨となった。ただし、両国は欧州連合とのあいだでユーロ導入の正式な合意をしておらず、また欧州連合も両国とのあいだで合意を模索する様子もない。そのため欧州中央銀行による金融政策の対象とならない。さらに独自のユーロ硬貨の発行も認められておらず、両国は通貨発行益を得ることができない。", "title": "導入国、地域" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ユーロ圏外でも多くのヨーロッパの国で、ユーロでの支払いが可能である。ただし、その多くの場合は販売者が独自に決めた交換比率が用いられ、また釣り銭は現地通貨で支払われることもある。", "title": "導入国、地域" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "いくつかの国ではユーロと通貨をペッグしている国がある。そのような国々は3つのグループに分けることができる。まず、ユーロとのあいだで欧州為替相場メカニズムによる為替はバンド制をとっており、ユーロを法定通貨として導入していない欧州連合加盟国がある。次に、歴史的に為替が固定されていたかつてのフランスの植民地がある。最後に、一方的にユーロとペッグしている国がある。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ユーロを通貨として導入していないすべての欧州連合加盟国は欧州連合条約により、収斂基準を満たして単一通貨を導入することが義務づけられている。ユーロ導入にあたって求められる収斂基準の4つの要素の1つとして、2年間は現行通貨を欧州為替相場メカニズムに組み込まなければならない。ただし、デンマークについては適用除外規定が定められており、現行通貨を維持するということが認められている。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "1979年、欧州為替相場メカニズムの核となる欧州通貨制度が創設された。本来はすべての加盟国が欧州為替相場メカニズムに組み込まれなければならないが、実際にはベルギー、デンマーク、西ドイツ、フランス、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダのみに適用された。1999年のユーロの創設により1974年より運営されていた従来の欧州為替相場メカニズムは廃止されたが、ユーロに移行していない欧州連合加盟国を対象とした新たな欧州為替相場メカニズムが1999年に設定された。これがERM IIと呼ばれるものである。欧州為替相場メカニズムのおもな目的は、物価の安定を確保するために為替相場とその変動を調整することであり、また欧州為替相場メカニズムはユーロ圏入りの前段階における必要条件となっている。現在、必要条件としてユーロに移行していない欧州連合加盟国に求められているのはERM IIへの参加であり、ERM IIはERMとしては2つ目のものである。この必要条件とは、具体的には、2年間、ERM IIのもとで、ユーロに対する自国通貨の標準変動幅を2年間、±15%の範囲とするというものである。ただし、問題がある場合は延長される。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "当初リトアニアは2007年にユーロを導入するはずであった(導入は2015年となった)。2006年3月16日、リトアニア財務相ジグマンタス・バルチーティスは欧州委員会から時期尚早と正式に警告を受けていたにもかかわらず、ユーロ導入に関する必要書類を提出した。この書類などをもとにして審査した結果、欧州委員会はリトアニアのインフレーション率が基準よりも0.06%高いとしてリトアニアのユーロ導入を延期するよう欧州理事会に勧告し、2006年6月15日、16日にブリュッセルで行われた欧州理事会の会合でもリトアニアのユーロ導入は見送られた。当時のリトアニアのインフレーション率は既存のユーロ圏諸国と比べてもユーロを導入するには十分に低かった。しかし欧州連合条約ではユーロ未導入の加盟国に対して基準を厳格に守るように定めている。一部の欧州連合の高官からはリトアニアがユーロを導入しても問題がないという意見があったが、欧州委員会と欧州中央銀行はユーロの信頼性を損なわないためにもこの意見を認めなかった。2007年にユーロを導入していれば、リトアニアはスロベニアとともに中東欧諸国で最初のユーロ移行国となっていたことになる。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "2010年5月12日、欧州委員会はエストニアが収斂基準を満たしたとする報告書を作成し、同国のユーロ移行を提案した。これを受けて同年7月13日に経済・財務理事会は、2011年1月1日にエストニアがユーロを導入することを認める決定を下した。また2014年にはラトビアもユーロを導入した。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "2023年1月現在、2つの欧州連合加盟国が自国の通貨を欧州為替相場メカニズムに組み込ませている。欧州為替相場メカニズムではユーロとそれぞれの現行通貨との相場変動幅を基準値(セントラル・レート)の±15%としている。またデンマークは欧州連合との取り決めにより、ほかの通貨よりも変動幅が狭い、±2.25%としている。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "欧州為替相場メカニズムが適用されている国は状況が整えば、ほかの国と比べて早い段階でユーロを導入することができる。しかし、2007年以降の金融危機により急激に財政状況が悪化し、ユーロの導入は困難なものとなった。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "ブルガリアは急激なインフレーションが進み、欧州為替相場メカニズムの適用が拒否されたことがある。2009年8月、政権交代によって就任したばかりの財務相シメオン・ジャンコフはブルガリアのユーロ導入について、2013年ごろになるという考え方を示していた。2018年にはインフレが低水準であること、財政が健全であることからいくつかの条件を満たしているが汚職、一部の銀行にある問題が課題となっている。2020年7月10日、クロアチアとブルガリアはERMIIに加盟した。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "デンマークを除くすべての欧州連合加盟国はユーロの導入が義務づけられているが、いまだ5か国が欧州為替相場メカニズムの適用を受けていない。このため5か国は少なくとも収斂基準の1つを満たしていないということになる。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "欧州連合に加盟しているデンマークは基本条約でユーロ導入義務を課せられない「適用除外」を受けている。これはオプト・アウトとも呼ばれる。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "デンマークは欧州為替相場メカニズムの適用国であるが、2000年9月28日の国民投票で適用除外の権限行使を決め、ユーロを導入していない。このときの国民投票では53.1%がユーロ導入に反対した。しかしその後、デンマーク政府は、2011年にも国民投票の再実施を検討している。しかし、デンマークのトーニング・シュミット首相はのちに適用除外に関する国民投票の約束を取り下げている。2013年5月16日のストックホルムのインタビューにおいて、トーニング・シュミット首相は「現政権下では非現実的だ」と述べ、2015 - 2019年に見込まれる「次期政権下でも、国民投票実施の選択肢を協議することには意味がないと思う」とした。ただし、欧州財政危機において、デンマークはほかの北欧諸国とともに資金の避難先となっており、ユーロ圏にいずれかの時点で加わる是非については協議を続けるとも述べている。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "イギリスでは2006年に当時の首相のトニー・ブレアの発言により、ユーロ導入の是非については国民投票を実施予定であった。ところが2005年にフランスとオランダでの国民投票の結果、欧州憲法条約の批准が反対された。これを受け、イギリスでは欧州憲法条約の批准の是非を問う国民投票が無期限に延期された。また、ブレアの後任であるゴードン・ブラウンはユーロに対して懐疑的な立場を持つとされる。さらにブラウンがブレア政権で通貨政策を担う財務相を務めていたとき、ユーロ導入について両者が対立したこともあり、ブラウン政権下ではユーロ導入の議論が進まなかった。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "ユーロに移行された旧通貨と相場を固定していた通貨は、ユーロが導入されたあとはユーロと相場を固定している。特にフランスの植民地だった赤道ギニア、ベナン、ブルキナファソ、コートジボワール、ガボン、ギニアビサウ、カメルーン、コンゴ共和国、マリ、ニジェール、セネガル、トーゴ、チャド、中央アフリカの14の西部・中部アフリカ諸国で使用されている CFAフランはユーロと相場が固定されている。CFAフランについてはフランス財務省が固定相場を保証している。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "CFAフランと同様に、フランスの海外領土であるフランス領ポリネシア、ニューカレドニア、ウォリス・フツナで使用されている CFPフラン、かつてのフランスの植民地であるコモロのコモロ・フラン、ポルトガルの植民地だったカーボベルデのカーボベルデ・エスクードも対ユーロの為替相場が固定されている。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "ボスニア・ヘルツェゴビナは1998年から独自の通貨を持つようになり、この通貨はドイツマルクと固定されていたため、対ユーロでも為替相場が固定されている。", "title": "ユーロとペッグしている国" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "euro という名称は1995年12月15日、16日にマドリードで開かれた欧州理事会の会合で採択され、その後規則で正式に定められた。この単一通貨が導入される国のすべての言語でも \"euro\" という表記が用いられている。ただしドイツ語では語頭が大文字で書かれ(Euro)、またギリシア文字の表記も別に定められている(ευρώ)。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "他方で単一通貨の名称の綴りは同じであっても、言語によって以下のように発音が異なっている。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "2006年初頭に一部の東欧の国々は、自らの使用言語の文法上の規則と \"euro\" という綴りがそぐわないとして、単一通貨の別の表記法を認めるよう求めた。たとえばロシア語でヨーロッパを指すキリル文字での表記は Европа、発音は [jɪˈvropə] となる。ところが数週間後には、この議論は成果もなく収束した。それでも一部の国では異なる表記法が用いられている。スロベニア語の \"evro\"(2007年ユーロ導入)、ラトビア語の \"eiro\"(2014年ユーロ導入)、リトアニア語の \"euras\"(2015年ユーロ導入)などがその例である。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "単一通貨の正式名称は関連する欧州連合の法令に定めがあり、また欧州中央銀行が定期的に作成する収斂報告書にも以下のような文章が確認できる。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "アングリシズム批判の立場からは、\"euro\" および \"cent\" という表現を使うことに対して、英語特有の表現の受容を推進するものだという意見が出されることがある。この意見に対しては、\"euro\" という単語はギリシア語の Εὐρώπη の略語に由来し、また \"cent\" もラテン語の centesimus(「100」または「100番目の」)に由来するものである。ヨーロッパのロマンス諸語で通貨の補助単位(例: céntimo, centime, centavo, centesimo)として使われてきた語であることから、必ずしも英語を受容したということではないという。特にイギリスの領土ではこれらの語が通貨の単位としては用いられていない。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ユーロの補助単位は「セント(cent)」であり、100セントが1ユーロに相当する。ただしギリシャでは λεπτό、フィンランドでは sentti が用いられる。セント硬貨には \"EURO\" と \"CENT\" の両方が刻まれており、このことはユーロ硬貨の外見の特徴についての欧州委員会の文書においても掲載されている。ただこの文書では、\"EURO\" の文字は \"CENT\" よりも小さく刻まれるものとするということが記載されている。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "欧州連合の発行物に関する内規では、加盟国ごとで異なる表記を排除してはならないと定められている。これはユーロ導入前に補助単位として cent と同義の語を使用していた国に対する容認策であり、たとえばフランスやベルギーの centimes やポルトガルの centavo などがある。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "口語ではほかの補助単位のセントと区別するために、ユーロ・セントという表現が用いられることがある。たとえばUSドルやユーロに移行される以前の通貨の補助単位と区別する際に用いられている。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "欧州連合は euro と cent について、その複数形は変化させずに使うこととしている。しかしスペイン語とポルトガル語では複数形を euros や céntimos としている。フィンランド語では度量単位と同様に部分格が用いられ、euroa や senttiä となる。またドイツ語や英語では数詞が先行しない場合、通常の複数形の作り方にならう。複数形が用いられるのは紙幣や硬貨の枚数について言及するときであり、金額について言及するときには単数形が用いられる。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "ユーロによる金額表示を行う際には、数に続いて通貨コードである \"EUR\" を加える。補助単位のセントには正式な記号や短縮形が定められていない。そのためユーロ圏では、セントの部分は \"20 cent\" や \"0.20 €\" などと表示する。ただし、正式なものではないが、短縮された形(Ct, Ct., ct, C, c)などが用いられることもある。USセントを示す記号 ¢ は、ユーロ・セントを示すものとして使われることはあまりない。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "ユーロ記号は1997年に単一通貨を示す記号として、欧州委員会によって作成された。当初は通貨に独自の記号があるものは少ないため、欧州理事会でもユーロ記号についてはあまり議論されていなかった。1996年になるとユーロのロゴの募集が開始され、その中から図案が選考された。また1997年7月にはロゴに加えて通貨記号も定めることになった。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "ユーロ記号は欧州経済共同体で主席グラフィックデザイナーを務めていたアルトゥール・アイセンメンガー(英語版)が1974年に作成した図案が元になっている。その図案は大きく丸みを帯びたEの文字の中央に2本の横線が入ったもの(Cの文字に等号を組み合わせたようなもの)である。またそれはギリシア文字のε、古典古代のヨーロッパを連想させるものでもある。2本の横線は、ユーロとヨーロッパ経済圏の安定を示している。ユーロの前身である欧州通貨単位の記号は短縮形のECUを図式化して使用されていたが、ユーロ記号はECUと同様に作成されたものではない。このユーロ記号の Unicode での符号位置は U+20AC である。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "ところが、国際汎ヨーロッパ連合では1972年に発表した1、2、5、10、20、50、100ユーロの7つの図案にはユーロ記号が、正式に定められた記号とはわずかに異なるものの、大きい \"C\" の文字に等号をあわせた構成で描かれていた。この図案が発表された1972年は、国際汎ヨーロッパ連合の50周年、欧州石炭鉄鋼共同体の設立20周年にあたる年で、また同年には欧州諸共同体の北方拡大についての条約が調印されている。この図案に描かれた紙幣・硬貨の周縁には、\"CONFŒDERATIO EUROPÆA\" という文章が記載されていた。さらに肖像の人物として、カール1世、カール5世、ナポレオン・ボナパルト、リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー、ジャン・モネ、ウィンストン・チャーチル、コンラート・アデナウアーが描かれていた。さらにヨーロッパを取り巻く状況としてこの1972年は、仏独協力条約の署名10周年でもあった。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "欧州連合ではユーロ記号の画像使用に留保を設定しているが、促進を目的とする使用は認めている。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "ユーロの省略表示は \"EUR\" と定められている。ISO 4217 では以下のようなコード指定の方法を講じているが、ユーロに対しては以下とは異なるコード指定の方法を講じている。", "title": "名称、シンボル、コード" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "2009年6月末の時点で7,847億ユーロを超える金額に相当する紙幣・硬貨が流通している。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "硬貨として発行されているのは1、2、5、10、20、50セントと1、2ユーロである。硬貨の表面はすべての発行国で共通したものとなっているが、裏面は発行国ごとに異なるモチーフが刻まれている。裏面のデザインが異なっていても、硬貨としての効力に違いが生じるものではなく、同様に使うことができる。2004年に欧州連合が拡大したことを受けて、2007年に表面のデザインが刷新された。ドイツで鋳造された硬貨の裏面には、鋳造所を示すミントマークが刻印されている。またギリシャのセント硬貨には CENT ではなくΛΕΠΤΟ / ΛΕΠΤΑで額面が表示されている。また表面にはLを2つ重ねた印があり、これは各硬貨共通の表面のデザインを担当したベルギーのリュク・ライクスを示すものである。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨には白銅と黄銅の合金が用いられている。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "タイの10バーツ硬貨と2ユーロ硬貨は大きさと重量がほぼ同じであり、またそれぞれが2種類の金属の合金でできているため、ユーロ圏の硬貨識別能力が不十分な自動販売機は10バーツ硬貨を2ユーロ硬貨として認識することがある。10バーツ硬貨のほかにもトルコの1リラ硬貨、ケニアの5シリング硬貨、イタリアで使われていた500リラ硬貨についても同様の事象が起こりえる。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "2004年以降、2ユーロ額面の記念硬貨が発行され、市中に流通している。この記念硬貨は裏面に描かれる主題が発行国ごとに異なるものであり、ユーロを使用する国で有効に使うことができる。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "最初に発行された2ユーロ記念硬貨はアテネで開かれた2004年夏季オリンピック大会を記念したもので、ギリシャが作成した。2005年にはオーストリア国家条約署名・発行50周年を記念した硬貨を作成、2006年にはドイツが初めて記念硬貨を作成し、主題にはホルステン門が描かれた。その後、ドイツでは2007年にシュヴェリン城、2008年に聖ミヒャエル教会が描かれた記念硬貨が発行されている。これらの記念硬貨は大量に発行・流通されている。ドイツでは16年間は、通常版であるアドラーを描いた2ユーロ硬貨を発行せず、連邦州のモチーフを描いた2ユーロ硬貨を1年ごとに代えながら発行する予定になっている。ただ2008年には流通を目的として、通常版の2ユーロ硬貨が大量に鋳造されている。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "2007年3月25日、ローマ条約署名50周年を記念して、当時のユーロ圏13か国は共通の図画とそれぞれの国の公用語およびラテン語での文章を刻んだ記念硬貨を発行した。また2009年1月1日には、経済通貨統合10周年を記念した2ユーロ硬貨が発行された。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "上述の記念硬貨以外にもユーロ圏諸国では、2ユーロ以外の額面の特別記念硬貨を発行しており、中には100ユーロ以上の額面のものや記念金貨として発行されたものもある。オーストリアではユーロ額面として最高額の硬貨が鋳造されており、\"Big Phil\" と呼ばれるウィーン金貨には10万ユーロの額面がつけられている。このような特別硬貨はユーロが使用されているすべての国では通用せず、それぞれ発行国のみで有効であり、またおもに収集家向けにやりとりされている。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "スロベニアが欧州連合理事会議長国だった2008年には3ユーロ硬貨が発行された。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "ユーロ紙幣のデザインは欧州連合規模で行われた公募で集められた案の中から、オーストリアのロベルト・カリーナのものが選ばれた。また紙幣のデザインはすべての国で共通のものとなっている。発行されている額面は5、10、20、50、100、200、500ユーロの7種類である。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "紙幣には「ヨーロッパのそれぞれの時代と建築様式」を主題としたモチーフが描かれている。またそのモチーフとして表面には窓が、裏面には橋が描かれている。ユーロ紙幣に描かれた建築物は実在のものではなく、それぞれの時代の特徴的な建築様式をもとに描かれたものである。具体的には、5ユーロ紙幣は古典建築、10ユーロ紙幣はロマネスク建築、20ユーロ紙幣はゴシック建築、50ユーロ紙幣はルネサンス建築、100ユーロ紙幣はバロック・ロココ建築、200ユーロ紙幣はアール・ヌーヴォー、500ユーロ紙幣は現代建築となっている。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "2002年末までユーロ紙幣の裏面に記載されている記番号の頭文字によって、その紙幣がどの国で印刷されたものかを判別することができた。たとえばドイツで印刷されたものにはXの文字が記載されていた。2003年以降は、いわゆる「プーリング制度」によりそれぞれの額面の紙幣が一部の中央銀行だけで発行されるようになり、印刷工場からユーロ圏全域に発送されることとなった。また各中央銀行が発行を担当する額面の種類は4つを超えないとされている。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "2003年以降は紙幣に記載された記番号を確認することで印刷工場を判別できるようになっている。たとえば5ユーロ紙幣では灰色で印刷された図柄の左端、EUROのOの文字の上方約1センチのところに記番号が記載されている。ほかの紙幣でも、この記番号は表面にある額面の上方に記載されている。記番号の先頭の文字は、その紙幣がどの工場で印刷されたものであるかを示している。たとえばRであれば、ベルリンの連邦印刷局で発行された紙幣ということを表している。印刷工場コードに続くのは3桁の数字、アルファベット1文字、1桁の数字である。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "オーストリアは2ユーロ紙幣を、イタリアはさらに1ユーロ紙幣の導入を求めている。両国ではユーロ導入以前に低い額面の紙幣が流通しており、オーストリアでは20シリング(1.45ユーロに相当)紙幣が、イタリアでは1,000リラ(52セントに相当)紙幣がそれぞれ発行されていた。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "2004年11月19日に欧州中央銀行の政策理事会は、現行よりも低い額面の紙幣発行は行わないということを決定した。2ユーロ紙幣についても現行の紙幣が10年間は改訂する予定がなく、導入する見込みはない。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "一部のユーロ導入国では1セント硬貨と2セント硬貨が一般的に使われていない。実際にフィンランドではセント単位の下1桁が0または5しか使用されていないため、同国では1セント硬貨と2セント硬貨が導入されていない。このような端数の廃止はオランダでも同様に行われた。これは両硬貨の流通量が少なく、そのために需要が少ないということが指摘されている。しかし1セント硬貨、2セント硬貨は特に問題なく使うことができる。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "廃止に反対する立場からは、価格が5セント単位となるよう切り上げられていくおそれがあり、いわば第2のトイロを引き起こしかねないということが指摘されている。これに対して、心理的価格設定を行う際に、従来は端数を99セントとしたものを廃止後は95セントにすることが見込まれるため、トイロ現象は起こらないという反論がある。さらにオランダやフィンランドの商店では、商品価格の端数をいまだに端数を99セントとしているところがある。このような商店では商品の合計購入額を支払いの際に切り上げ、または切り下げしている。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "2009年、ドイツ連邦議会はインターネット上で500ユーロ紙幣による支払の廃止を求める請願の受付を開始した。この原因には、ガソリンスタンドや商店、あるいはドイチェポストの受付窓口でさえも、500ユーロ紙幣の受け取りが断られている実態にある。500ユーロ紙幣の受け取りが断られる背景には、釣銭が不足するというためではなく偽札を警戒するというものである。ところが統計ではこの懸念を裏付けることができない。これは実際に500ユーロの偽札が使われるという割合が全体の1%に満たないためである。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "2016年5月4日に欧州中央銀行は、パナマ文書で明かされたユーロによる資金洗浄対策により、ドイツの反対を押し切り、500ユーロ紙幣の発行停止を2018年末までに実施することを決定した。廃止される500ユーロ紙幣は発行残高の20%程度、枚数にして2%程度に過ぎないと推測されている。2019年、ドイツとオーストリアを除くユーロ圏で500ユーロ紙幣の印刷が終了し、1月27日から回収開始。2019年4月26日、ドイツとオーストリアが500ユーロ紙幣の印刷を終了、4月29日から回収開始。ドイツとオーストリアの印刷終了が遅れたのは使用頻度が高かったためである。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "ユーロ紙幣の偽札対策の水準は、世界的に見ても高いものと評価されている。紙幣の安全性を確保するためにさまざまな対策が講じられている。紙幣用の紙には製造段階において蛍光繊維が、また中心部には糸が入れられており、裏から光を当てると全体が黒ずみ、特に額面のあたりには極小文字が印刷されている。またユーロ紙幣は特殊な構造を持つ綿繊維で作られている。さらに図柄の部分は発光塗料で印刷されており、紫外線を当てるとその部分が発光するようになっており、赤外線を当てると違う色が反射される。紙幣の透かしに裏から光を当てると、それぞれの券種に描かれている図柄が浮かび上がり、額面が判断できるようになっている。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "紙幣の表面左上隅にある確認用の見当は裏から光を当てて、裏面に印刷された見当と合わせると紙幣の額面が浮かび上がる。これは表面と裏面にはそれぞれ額面の一部しか印刷されておらず、両者を組み合わせることで額面が示されるようになっている。5、10、20ユーロ紙幣の縁には帯状の金属箔が貼りつけられており、光の加減でユーロ記号や額面が現れるキネグラムとなっている。50ユーロ以上の額面の紙幣に貼られている金属箔はホログラムとなっており、見る角度によってその紙幣に描かれている建造物や額面が現れるようになっている。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "凹版印刷と、間接的な活版印刷を組み合わせた印刷法で製造された紙幣の表面にはレリーフが隆起しており、これは紙幣を偽造しにくくするのと同時に、視覚障がい者が紙幣を区別しやすくするためのものである。さらに紙幣に描かれた窓や扉の部分や欧州中央銀行の略称である BCE、ECB、EZB、EKT、EKPが印刷されている部分も隆起印刷が施されている。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "低額紙幣の裏面には構造色を起こす筋があり、他方で50ユーロ以上の紙幣には光学的変化インクで額面が印刷されており、紙幣を傾けるとその色が変化するようになっている。さらにユーロ紙幣には機械で真券であるかを検査するための印がある。また偽造防止システムによって、複写機やパーソナルコンピュータを用いた偽造を防止するなどの対策もとられている。ドイツ連邦銀行では確認する安全対策の方法をひとつだけにすべきではないとし、同時に、非公開としている安全対策があるということを明らかにしている。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "ユーロ硬貨は額面が低いため、偽造ユーロ紙幣に比べると影響が深刻ではない。しかしユーロ硬貨にも偽造対策が施されている。ユーロ硬貨には大きさと重さが厳密に定められている。1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨は2つの金属の合金で鋳造されている。合金で鋳造されていることと、複雑で3段階を経る製造過程によってユーロ硬貨の安全性が確保されている。1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨の中心部分にはわずかな強磁性を持つが、1、2、5セント硬貨は強い強磁性を持つ。1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨の外周は強磁性を持たないが、1、2、5セント硬貨は強磁性を持っている。偽造セント硬貨は本物のセント硬貨とは違う金属で製造されることがあるため、テーブルに落とした音で偽造硬貨を判別することがある。また紙に偽造硬貨で線を引くと、鉛筆で書いたような跡が残ることがある。2006年後半に回収された偽造硬貨のおよそ95%は2ユーロ額面のものだった。", "title": "硬貨、紙幣" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "ユーロの導入によって従来は共同体内部に存在していた為替相場リスクや、そのリスクヘッジのために企業が負担するコストが低減することとなり、ユーロ圏内での通商や経済協力が増大するということが期待される。そして通商は経済成長をもたらす大きな要因のひとつであることから、ユーロ圏入りはその国民にとって利益につながると考えられており、実際に2007年までにユーロ圏内での貿易は5 - 15% 増加してきた。つまりユーロによってヨーロッパの企業は巨大な経済圏で活動するという利益を享受することとなった。またユーロは商品、サービス、資本、労働力の自由な移動という、ヨーロッパ共同市場に欠けていた単一通貨となって、市場統合を完成させた。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "さらにユーロによって、ユーロ圏諸国における商品およびサービスの価格格差が解消され、つまり裁定取引によって既存の価格格差は相殺される。このことによって企業間の競争が活発化し、またインフレーション率の低下とあわせて消費者に利益をもたらすこととなる。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "一般に、欧州中央銀行はインフレとの戦いという主たる使命を成し遂げてきた。事実、欧州中央銀行が設定している2%というインフレーション・ターゲットはおおむね達成されているか、あるいは長期にわたる過度の超過は防がれてきた。インフレーション率が低いということはユーロ圏諸国の市民にとって経済安定性の基礎となっている。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "ユーロに対する投機は、投資家にはリスクが大きすぎ、ほかの小規模の通貨と比べると困難なものとなっている。1990年代の通貨に対する投機はポンド危機など、欧州通貨制度に深刻な歪みをもたらし、さらにアジア通貨危機の発生原因のひとつとなった。特定の国の通貨に対する投機はその国の外貨準備を吐き出させ、また国民経済に深刻な損害をもたらしかねないものとなり、ユーロの導入はヘッジファンドによる通貨の空売りの目論見を防止することが可能となる。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "またユーロは、とくに旅行者にとって利益をもたらしている。ユーロ圏内では両替やその手数料が不要になるうえ、通貨単位が異なることによる商品価格の比較が容易になる。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "ユーロ圏内では複数の通貨を有する経済圏よりも自由な資本の移動が起きている。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "さらにユーロの登場によって世界におけるヨーロッパの経済的重要性が再認識されている。金融に関するヨーロッパの動向はより大きな影響を持ち、またユーロ圏諸国の発言力も強くなっている。グローバル化した世界でユーロという単一通貨はアメリカやアジア諸国に対するヨーロッパの国際競争力を高める役割を持っている。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "ユーロは経済心理面においてヨーロッパ諸国間の協力関係を表すものであり、またヨーロッパのシンボルとして統合の概念を具現化するものである。また政治面でもユーロは欧州連合の強化をもたらしている。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "経済学者の中には、ユーロ圏のような巨大で特殊な経済圏にとっては単一の通貨を持つことについての危険性を懸念する意見がある。特に景気循環が非同期的であることによって適切な金融政策を打ち出すことの難しさが挙げられている。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "実際にユーロが導入されてまもなく、国ごとで経済情勢は異なるにもかかわらず、単一の金融政策を実施することが困難なものであることが明らかとなった。たとえば、経済成長率が5%を超えていたアイルランドと、ほぼ0%のスペインやポルトガルとを調和させるということが挙げられる。従来の手法では政策金利の引き上げや通貨供給量の引き締めといった政策でアイルランドの経済情勢に臨む一方で、スペインやポルトガルに対しては金融緩和策が必要だった。しかし単一の金融政策ではこのような域内での格差を十分に反映することができない。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "マクロ経済学上の大きな問題として、単一通貨への参加による為替相場の固定がある。これがもたらす問題として域内地域格差問題がある。為替レートが域内固定されることにより、人件費の安い南欧に工場建設などの長期投資が発生する一方で、独・仏・ベネルクスなどでは安価な商品サービスの提供が行われるようになった反面、失業率の高止まりと新たな雇用の創出という難題を抱えている。南欧諸国にしても、ERMに参加していない欧州諸国、とりわけイギリスやポーランド、チェコなどとの競争にさらされている。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "国際金融のトリレンマに従えば、固定相場制と資本移動の自由を両立させているユーロ圏各国では独立な金融政策をとることができない。この事実はユーロ圏の加盟国が不況に陥ったときに、自国通貨を切り下げて輸出競争力を高め、経常収支を改善させることができなくなる。そのような状況下ではユーロ圏で経済が好調な国から不況の国へ財政支援が検討された場合のEUの力量が試される。しかしながら、実際にはアメリカのような財政連邦主義は現時点でのユーロ圏にはなく、頼みの綱の財政政策も安定成長協定(SGP)によって制限をかけられ、結果として各国の成長の足かせになりうる。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "ユーロ圏は、アメリカと異なり、圏内各国で言語や文化が異なるために、ユーロ圏内での資本移動はアメリカほど自由ではない。各国は自国の人口をゼロにしたいとは思わない。こうして資本移動での経済の調整メカニズムはあまり機能しなくなる。さらに、圏内の唯一の発券銀行である欧州中央銀行が、ドイツの影響を非常に強く受けており、危機に対して民主的な裁量の余地が加盟国に乏しいことなどが想定される。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "ミルトン・フリードマンは、ユーロの見通しの悪さを以下のように危惧していた。適切な金融政策がとれるのは変動相場制があるからであり、統一通貨ではそれは不可能である。さらに悪いことに、ユーロ圏のように、為替レート変動による経済の調整メカニズムを放棄している場合には、国内の価格や賃金あるいは資本移動によってでしか調整メカニズムが働かないため、ユーロ圏各国が各自独立した文化や規制を有している状態のままユーロを導入すれば、ユーロ圏各国の政府が各々異なる政治的圧力にさらされ、それら政府同士での政治的軋轢が生じる。これは、現在のPIIGSとドイツのように、救済される側とする側とで異なる政治的圧力が働き、ユーロ圏政府間での交渉が行き詰っている状態をさしており、このような経済的困難が現れることを、フリードマンは予見していたと言える。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "また、クリストファー・ピサリデスは、現在のユーロシステムによって、失業率が高止まりし失われた世代が作り出されていると指摘し、ユーロ圏の順序だった解体を主張し始めた。かつては名案とされた通貨同盟だが、この通貨システムによってヨーロッパが低成長に苦しみ、加盟国が政治的に分断される結果となり、逆効果にしかなっていないとピサリデスは述べる。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "ユーロ圏全体では既に2013年度の平均失業率が12.2%に達し、スペインでは前年より売り上げが10%落ち込み、ギリシャなど一部の国ではデフレーションに陥っている状況であるにもかかわらず、欧州中央銀行(ECB)が景気回復のための適切な金融政策をとっていないという批判がある。ユーロ圏の経済成長率は1%未満にまで低下している。スペインとギリシャの失業率は27%に達しており、IMFはECBに政策金利を下げるよう要請している。しかし、現段階でECBは、アメリカの連邦準備制度(FRB)などが行っているような量的緩和を検討はしないという。ジョージ・ソロスは、ECBの金融政策はその他の中央銀行が行っている量的緩和と同期していないと述べる。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "加えて、政治的な面からも、欧州中央銀行や欧州委員会がユーロ導入国の赤字国債発行を阻止できるかということは疑わしいと考えられている。マーストリヒト条約では安定成長協定に反した場合の罰金制度が規定されているが、2003年にフランスが棚上げにさせたことなどもありその実効性は疑わしい。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "一般に、単独または複数の国が財政政策上の義務を逃れるために大規模な国債増発に動いた場合、通常は国債価格の下落(金利の上昇)やインフレの進行、あるいは自国通貨の下落(通貨安)による輸入物価の高騰という形で報いを受けるが、ユーロ一本値の場合、インフレ率や為替への影響は域内全体に拡散、吸収されるため残りのユーロ圏諸国に間接的な影響(損害)を及ぼしかねない。すなわち国債増発国はリスクを負わず安易な債券の発行が可能になり、そのツケはほかの参加国が共同で負うというモラル・ハザードを生み出すことになる。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "アメリカのように金利上昇により自国通貨が上昇(通貨高)する事例もあるが、民族資本の乏しい開発途上国では、為替相場におけるクラウドイン効果は期待できないと推測される。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "国債発行の単年度GDPの3%制限は、財政政策を行う上での大きな足かせであり、なおかつ金融調整は欧州中央銀行の一本値である。政府支出と金利調整機能は自国の総需要管理の強力な誘導手段であり、この2つを放棄することは自国の雇用を域内市場の趨勢にまかせ、政府が国民に対する責任を果たす直接的な手段が大きく制約されることを意味する。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "イギリスの再加盟反対派が掲げるおもな理由は「イギリス経済はユーロ経済と非常に異なっており、ユーロ圏の画一的な経済政策はイギリス経済にリスクをもたらす」「イギリスの自主性が失われる」「イギリスのマクロ経済政策は、ユーロ圏のそれより有効である」「ユーロ圏、特にドイツに構造的問題がある」とする。イギリス政府は、再加盟問題を検討するうえで5項目の経済テストを行い、結局「イギリスの金融部門に良好な影響をあたえる」以外の項目は満たさないとの結論を得た。なお、ほかの4項目は「ユーロ圏とイギリスの経済構造や景気サイクルが持続的に一致の方向に向かっている」「イギリスの労働・生産市場が経済的衝撃に耐えられる柔軟性を備えている」「イギリスへの投資が改善(拡大)する」「イギリスにおける雇用の機会が拡大する」である。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "上述してきた影響のほかに、国際商品市場の値動き、特に経済において重要なものに原油価格が挙げられる。ほとんどの原油の取引にはUSドルが用いられ、1970年代以降、石油輸出国機構諸国はドル建てだけで取引してきた。ところが、ユーロの登場により原油輸出国側では外貨準備の分散の観点から一部の受け取りをUSドルからユーロに移行する国が増え、そのため輸入国側でもユーロ建てでの取引に移行せざるを得ないということが議論された。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "各国中央銀行と民間資本によるドルによる外貨保有は、アメリカ国債の重要な引き受け先であり、輸出国側がユーロ建てを導入すれば、ながらく原油取引によって安定してきたUSドルとドル経済にきわめて不利な影響をもたらすことになる。2000年、サッダーム・フセイン統治下のイラクは原油取引をユーロ建てのみとしたが、のちにアメリカによる占領でドル建てに戻されている。またイランや、ユーロ建てへの移行を強く唱えているウゴ・チャベス政権下のベネズエラは、サッダームによるユーロ建て移行に対する支持を表明している。2008年2月17日、イランはキーシュ島に、USドル建ての取引を行わない石油取引所を開設したが、イランの原油輸出量はUSドルの「原油取引通貨」としての地位を脅かすほどのものではなかった。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "ユーロの導入によって多くの消費者は商品やサービスの価格がインフレーション率以上に高くなったと感じている。この物価が上がったという消費者の感覚は、特定の地域で原価が上がったために個々の価格が上げられたことによるものであり、これらの価格上昇が特に印象に残った。一部では事前に、ユーロ導入後の価格の表示で端数の調整を実施するために、価格を緩やかに上昇させていたところもあった。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "そのためドイツでは、ティタニック誌が作り出し、その後多くの新聞でも使われるようになった \"Teuro\" という言葉(「高価な」という意味のドイツ語 teuer と Euroをあわせた造語)が広まり、Teuro は2002年の言葉(Wort des Jahres 2002)に選ばれた。しかし政府の統計ではこの年に大きなインフレーションは起こっていない。たとえばオーストリア統計局によると、オーストリアの1998年12月31日での対1986年比での消費者物価指数(VPI 86)は133.7で、1987年から1998年の12年間の平均インフレーション率は2.45%である。これに対して対1996年比での消費者物価指数(VPI 96)は、1998年12月31日に102.2だったものが、2003年12月31日には112.0となっており、ユーロ導入後の平均インフレーション率は1.84%に下がっている。またドイツの対2000年比での消費者物価指数を見ると、1991年に81.9だったものが1998年には98.0となった一方で、ユーロ導入後の2003年には104.5となっている。つまり、ユーロ移行以前の平均インフレーション率が2.60%だったのに対して、移行後は1.29%と下がっている。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "上記のような、統計上はインフレーション率が低下していることと、ユーロ導入によって消費者が実際のインフレーション率以上に物価が上昇していると感じたこととの矛盾についてはさまざまな解析がなされている。たとえば、たしかに食品など日常購入する商品の価格上昇率は全体のインフレーション率を上回っていたが、マーケットバスケット方式で調査された対象に含まれている電化製品などの価格上昇率は全体のインフレーション率より下回っていた。つまり後者の商品は日常的に購入するものではないため、消費者は統計以上に物価が上昇したと感じたのではないかということが指摘された。また旧通貨からユーロに頭の中で換算したときに、四捨五入するなどして発生した誤差(たとえば対ドイツマルクで 1:1.95583 とするところを 1:2、対オーストリア・シリングで 1:13.7603 とするところを 1:14 などとした)が影響したという見方もあり、特にスペイン・ペセタ(四捨五入で 1:166)の例がある。そして旧通貨を使っていた時間が長いほどユーロでの価格表示と旧通貨での表示を比べるために、物価が上昇したのではないかということが強く感じられたのではないかとも指摘されている。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "通貨が共通化されたことにより、導入国では国内の経済政策の大部分を独自に実施するということがなくなった。このため単一通貨を批判する立場からは経済や政治における摩擦が増大する危険をもたらすのではないかと指摘し、他方で単一通貨を支持する立場からは導入国間での収斂基準の達成に基づく金融政策の統合は合理的であるとしている。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "主要通貨に対してユーロ相場が安定した動きを見せていることとアメリカが長期にわたって財政政策の懸案事項を抱えていることから、経済専門家の中には世界における準備・基軸通貨としてのUSドルの地位をしだいに脅かし、最終的には凌駕するのではないかという見方を持つものがいる。もしユーロがUSドルに代わる地位を得ることとなれば、かつて第二次世界大戦後に、それまで世界の基軸通貨だったポンド・スターリングと取って代わったUSドルの時代が終焉するということになる。そのことは世界の準備通貨の割合においてユーロが着実に増えているということに示されている。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "ほとんどの経済専門家は開発途上国や新興工業国が外貨準備の再検討や原油取引のユーロ建てへの移行について繰り返し表明していることを、具体的な意図があるのではなくアメリカに対して政治的な圧力をかけようとしていると考えている。しかし、ユーロ圏外の国の外貨準備におけるユーロの占める割合が過大になれば、それは外貨準備において従来の過小評価を改めただけと考えられ、多くの国の通商・経済関係では依然としてユーロは低く評価されている。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "ユーロの現金発行残高は2006年にUSドルを抜いて、世界でもっとも多くなった。この年の10月に世界に流通しているユーロ紙幣の額面の合計は5,920億ユーロとなり、USドル紙幣の5,790億USドルを上回った。ただしこの背景には、アメリカ国内では決済手段としてクレジットカードが多く使用されているということがあり、そのため1人あたりの現金の所持額が少なくなる。ユーロは将来的に現金として最大の規模を持つ通貨となると見込まれている。", "title": "ユーロ導入による経済への効果" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "欧州為替相場メカニズム適用国においてユーロを導入する際には、欧州連合加盟国の財務相による経済・金融理事会において最終交換比率を決定することになる。この交換比率は、端数処理による誤差が最小限となるような有効桁数が6桁の数となるように決められる。", "title": "ユーロ相場" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "1998年12月31日に欧州連合加盟国の財務相は、ユーロを最初に導入する11か国の通貨とユーロとの最終交換比率を決定した。このときの交換比率は欧州通貨単位に基づいて設定されたものである。以後にユーロを導入した国(2001年のギリシャ、2007年のスロベニア、2008年のキプロスとマルタ、2009年のスロバキア)の旧通貨とユーロとの最終交換比率は、欧州為替相場メカニズムのセントラル・レートを基準として定められた。", "title": "ユーロ相場" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "ユーロが決済通貨として導入されると、導入国の旧通貨とほかの通貨との両替は「トライアンギュレーション」方式でのみ行われることとなった。つまり旧通貨とほかの通貨との両替にあたっては、いったんユーロに換算してから行なわれなければならなくなった。また端数処理はユーロおよび対象通貨の小数第3位で行うことが認められていた。トライアンギュレーションは直接換算で発生するおそれがある端数処理の誤差を防ぐため、欧州委員会はこの方式による両替の実施を義務づけた。", "title": "ユーロ相場" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "旧通貨単位での金額表示をユーロに切り替えるにあたって、切り替えのための計算の最後の時点においてのみ、端数を支払いが可能な額に丸めることが認められた。端数処理を計算の最後の時点としたのは、計算にあたって個々の要素や計算途中で出された結果を端数処理をするとまったく異なる結果が出るおそれがあったためである。異なる結果が出てしまえば、新通貨の導入によって契約の継続性に影響を及ぼさないとする原則に反することになる。", "title": "ユーロ相場" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "1999年1月4日、フランクフルト証券取引所において初めてユーロとUSドルの為替取引が開始され、このとき 1EUR = 1.1789USD の値がついた。ユーロ相場は対USドルで値を下げていき、取引開始から2年後には最安値をつけた。2000年1月27日にはユーロは対USドルで 1EUR = 1USD のパリティを下回り、同年10月26日に史上最安値の 1EUR = 0.8252USD となった。", "title": "ユーロ相場" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "2002年4月から2004年12月にかけてユーロは多少値を戻していく。2002年7月15日には 1EUR = 1USD のパリティを上回り、2004年12月28日には当時の史上最高値となる 1EUR = 1.3633USD をつけた。一部のアナリストは 1EUR = 1.4 - 1.6USD にまで達すると見込んでいたが 、その予想は外れ、連邦準備制度の政策金利引き上げを受けてユーロは2005年に入って値を下げていき、同年11月15日には年間最安値の 1EUR = 1.1667USD をつけた。ところが連邦準備制度の金利引き上げ策は2006年のアメリカ経済の後退を受けて継続されなかった。2007年後半に表面化したサブプライムローン危機のために、連邦準備制度は政策金利の引き下げを決め、これを受けてユーロは相対的に値を上げた。その結果、2008年7月15日に欧州中央銀行の基準相場は史上最高値の 1EUR = 1.5990USD をつけ、また市場では基準相場を上回る 1EUR = 1.6038USD で取引された。この値は1995年4月19日につけた1USドルが1.3455ドイツマルク、単純に1ユーロに換算すると 1EUR = 1.45361 USD という相場を超えたものとなった。", "title": "ユーロ相場" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "2008年サブプライムローン危機によるUSドルの下落によって、ユーロ圏の域内総生産をUSドルに換算すると一年間だけ一時的にアメリカ合衆国の国内総生産を上回った。しかし、その後はユーロ圏がむしろ経済危機の震源地になっており、ユーロは下落し、USドルに換算すると経済的に衰退している。2017年9月時点に於いて1EUR = 1.17171USDをつけた。", "title": "ユーロ相場" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "強いユーロはヨーロッパ経済に光も陰ももたらした。光とは、強いユーロによっていまだにUSドルで取引されることの多い原材料の価格を安く買い入れることができたことである。陰とは、強いユーロによってユーロ圏の輸出品が相手先で高くなり、ユーロ圏の経済成長がある程度阻害されたことである。しかしユーロ圏の規模もあって、為替相場とその変動幅によるリスクはそれぞれが異なる通貨を使用していたころよりもはるかに低減した。とくに2007年の初旬には、世界経済の成長が緩やかだったにもかかわらず、ヨーロッパ経済が平均を上回る成長率を達成した。", "title": "ユーロ相場" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "2002年までのユーロ相場の下落は、当時ユーロ紙幣や硬貨が存在しなかったということがその原因のひとつに挙げられ、そのために当初ユーロは、ファンダメンタルが適切なものだった場合に比べて低く評価されていた。ヨーロッパの共同市場における経済の問題のためにユーロ相場の下落傾向は強まり、またこの流れのために域外の投資家がヨーロッパへの投資に魅力を感じないということにもつながっていった。ユーロ紙幣・硬貨の流通が開始されるとまもなく、過小評価されていたユーロ相場は上昇に転じた。2005年以降のヨーロッパ経済、特に輸出の持ち直しはユーロ相場のさらなる上昇をもたらした。このほかにも中長期なユーロ相場の上昇をもたらしたと考えられる原因があり、特に以下の3つが挙げられる。", "title": "ユーロ相場" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "将来的にユーロ未導入の欧州連合加盟国が加わる予定となっており、またこれらの国々でもユーロが現行通貨に替わって法定通貨となることから、拡大を続ける欧州通貨同盟が心理的に有望視されているということもユーロが軽んじられない要因となっている。さらにこのことはユーロの強大化に少なからず寄与しており、またユーロの国際的評価や経済的重要性を上昇させている。", "title": "ユーロ相場" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "2002年、ユーロは「これまでのなかでヨーロッパを認識させるような統合への手段はほかになく、そのために諸国民の一体化をもたらす重大で新たな時代を切り開くような貢献をした」としてアーヘン市からカール大帝賞を受賞した。", "title": "受賞" } ]
ユーロは 、欧州連合(EU)加盟27か国のうち20か国で公式に導入されている通貨である。ユーロが主要通貨として使われる国・地域はユーロ圏またはユーロゾーンとして知られており、2019年時点で約3億4,300万人の市民が暮らしている。1ユーロは100セントに相当する。 世界経済においては国際通貨(ハード・カレンシー)の一つとして扱われており、外国為替市場でアメリカ合衆国ドル(米ドル)に次いで2番目の規模と取引をされている通貨である。
{{Otheruses|[[通貨]]|その他}} {{出典の明記|date=2022-04}} {{Expand English|Euro|date=2022年4月|fa=yes}} {{Infobox Currency |currency_name_in_local={{EU-institution in official languages |name = ユーロ |flag = n |self = y |width = 20em |font-size=95% |bg = евро |es = euro |cs = euro |da = euro |de = Euro |et = euro |el = ευρώ |en = euro |fr = euro |ga = euro |hr = euro |it = euro |lv = eiro |lt = euras |hu = euró |mt = ewro |nl = euro |pl = euro |pt = euro |ro = euro |sk = euro |sl = evro |fi = euro |sv = euro }} |image_1= Euro Series Banknotes (2019).jpg |image_title_1=[[ユーロ紙幣]] |image_2= |image_title_2= |iso_code=EUR (num. 978) |using_countries={{Hidden|{{Flagicon|EU}} [[ユーロ圏|ユーロ圏20か国]]|{{AUT}}<br />{{BEL}}<br />{{CRO}}<br />{{CYP}}<br />{{DEU}}<br />{{ESP}}<br />{{EST}}<br />{{FIN}}<br />{{FRA}}<br />{{GRC}}<br />{{ITA}}<br />{{IRL}}<br />{{LAT}}<br />{{LIT}}<br />{{LUX}}<br />{{MLT}}<br >{{NLD}}<br />{{PRT}}<br />{{SVK}}<br />{{SVN}}}} {{Hidden|公式な協定により使用している6つの国・地域|{{AND}}<br 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|rarely_used_banknotes=200ユーロ、500ユーロ |issuing_authority=[[欧州中央銀行]] |issuing_authority_website={{URL|https://www.ecb.europa.eu/}} }} '''ユーロ'''(記号: €; コード: EUR)は 、[[欧州連合加盟国|欧州連合(EU)加盟]]27か国のうち20か国で公式に導入されている[[通貨]]である。ユーロが主要通貨として使われる国・地域は[[ユーロ圏]]またはユーロゾーンとして知られており、2019年時点で約3億4,300万人の市民が暮らしている。1ユーロは100[[セント (通貨)#ユーロ|セント]]に相当する。 [[世界経済]]においては[[国際通貨]]([[ハード・カレンシー]])の一つとして扱われており<ref>[https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=17845 【特集 金融危機後の欧州経済】国際通貨としてのユーロの将来像] [[日本総合研究所 (株式会社)|日本総研]](2010年03月25日)2022年7月13日閲覧</ref>、[[外国為替市場]]で[[アメリカ合衆国ドル]](米ドル)に次いで2番目の規模と取引をされている通貨である。 == 概要 == ユーロはEUの各機関によって公式に使用されている。また、EU加盟国ではない4つの欧州の小国と[[モンテネグロ]]、[[コソボ]]によって一方的に使用されている。欧州以外では、EU加盟国の多くの特別領土においても通貨として使用している。さらに、世界中で2億人以上の人々がユーロに[[固定相場制|ペッグ]]された通貨を使用している。 ユーロは、米ドルに次ぐ世界第2位の国際通貨であり、取引高も世界第2位である。2019年12月時点、ユーロの流通総額は1兆3,000億ユーロを超え、[[ユーロ紙幣]]と[[ユーロ硬貨]]を合わせて世界最大規模に達している。 ユーロという名前は1995年12月16日に[[スペイン]]の首都[[マドリード]]で正式に採択された。1999年1月1日に、従来の[[欧州通貨単位]](ECU)の1:1(1.1743ドル)比率での置き換えとして、[[国際金融市場]]に会計通貨として導入された。ユーロ硬貨と紙幣は2002年1月1日に流通開始され、ユーロは当初の参加国の日常業務通貨となり、2002年3月までに旧通貨から完全に置き換えられた。 ユーロは、その後2年間で0.83ドルまで下落した(2000年10月26日)。2002年末からは、2008年7月18日の1.60ドルをピークにドルを上回って推移している。 2009年末にユーロは[[欧州債務危機]]に陥ったが、その後、[[欧州金融安定ファシリティ]]の創設など通貨の安定・強化に向けた改革につながった。 == 歴史 == === 政治的な計画としてのユーロ === ヨーロッパに単一通貨が求められた理由は[[欧州統合]]と[[欧州連合の歴史]]に見ることができる。すなわち、[[1968年]]の[[関税同盟]]の結成による[[実体経済]]の統合と、[[ブレトン・ウッズ協定|ブレトン・ウッズ体制]]の崩壊による{{要出典範囲|為替相場の不安定化がもたらす通商政策への障害である|date=jan 2015}}。 [[1965年]]、欧州通貨統合のイニシアティブが[[アメリカ合衆国国務省]]で開かれた会談でとられた<ref>[https://www.upr.fr/wp-content/uploads/dossiers/DEPARTEMENT-D-ETAT-AMERICAIN-Note-du-11-juin-1965-V15.pdf La réunion secrète du 11 juin 1965 au département d’état américain sur l’union monétaire européenne] 2014年</ref>。 [[1970年]]、[[ルクセンブルクの首相]][[ピエール・ヴェルネ]]とヨーロッパの経済通貨統合の研究者が作成したいわゆる「ヴェルネ計画」では、単一通貨の導入に触れられていた。このヴェルネらの構想では[[1980年]]までに経済通貨統合を達成することがうたわれていたが、ブレトン・ウッズ体制の崩壊のために挫折を余儀なくされた。 それでも[[1972年]]には[[欧州為替相場同盟]]を、[[1979年]]には[[欧州通貨制度]]を創設した。欧州通貨制度は各国の通貨の相場が大きく変動することを防ぐものとなった。またあわせて[[欧州通貨単位]]が導入され、のちのユーロの基礎となった。欧州通貨単位の紙幣が発行されることはなかったが、硬貨については欧州通貨単位を具現的に見せるという目的で特別に鋳造された。[[欧州共同体]]の加盟国の中には欧州通貨単位の額面で債券を発行しており、証券取引所でも欧州通貨単位で取引がなされたりした。[[1988年]]、当時の[[欧州委員会委員長]]である[[ジャック・ドロール]]のもとで経済通貨統合を検討する委員会はいわゆる「[[ドロール報告書]]」を作成し、その中で経済通貨統合に向けて3つの段階を示した。 === ユーロ構想の実現 === ==== 導入に向けて ==== [[1990年]][[7月1日]]、通貨統合の第1段階に入り、[[欧州経済共同体]]の加盟国の間で資本の自由な移動が可能となった。[[1994年]][[1月1日]]になると第2段階に移行し、[[欧州中央銀行]]の前身である[[欧州通貨機構]]が設立され、加盟国の財政状況を検査するようになった。[[1995年]][[12月16日]]、マドリードで開かれた[[欧州理事会]]の会合において新通貨の名称を「ユーロ」とすることが決められた。 ==== 名称の決定 ==== 上述の欧州理事会で新通貨の名称が決定されるまで、多くの案が議論された。有力な案に「ヨーロッパ・フラン」があったが、フランの[[スペイン語]]表記である ''Franco'' がスペインの独裁者[[フランシスコ・フランコ]]を連想させるために却下された。このほかにも「ヨーロッパ・クローネ」や「ヨーロッパ・ギルダー」といった案が出されていた。既存の通貨の名称を使うことで通貨としての連続性を示し、また新通貨に対する市民の信頼を固めようとした。さらに、一部の加盟国には従来の通貨の名称を残したいという希望があった一方で、決済通貨として使用されていた [[欧州通貨単位|ECU(エキュもしくはエキュー)]] の名称がふさわしいと考える国もあった。しかしこれらの名称案はそれぞれに対して反対する国があり、特に[[イギリス]]は多くの名称案に反対して、いずれも採用されなかった。名称が定まらない中、[[ドイツ]]の連邦財務相[[テオドール・ヴァイゲル]]は「ユーロ」という名称案を提示した。 通貨単位としてユーロという名称が刻まれた硬貨は、確認できる限りでは[[1965年]]に初めて[[鋳造]]されている。また[[1971年]]には[[オランダ]]で、ユーロと刻まれた硬貨の見本が製造されている。この見本ではユーロの先頭の文字がCに波線が引かれたものとなっていた。またその周囲には[[ラテン語]]で ''{{Lang|la|EUROPA FILIORUM NOSTRORUM DOMUS}}''(日本語試訳:ヨーロッパはわれらの子たちの家である)と刻まれていた。 ==== 収斂基準と安定・成長協定 ==== [[1992年]]に署名された[[マーストリヒト条約|欧州連合条約]]では、加盟国は[[経済通貨同盟|経済通貨統合]]の第3段階への移行、つまりユーロの導入にあたっては[[収斂基準]]を満たさなければならないとした。またテオドール・ヴァイゲルが主導した結果、[[1996年]]に[[アイルランド]]の首都[[ダブリン]]で開かれた欧州理事会においてユーロ導入にあたっての2つの基準が定められた。さらに[[安定・成長協定]]ではユーロ導入国に対して、通常の経済情勢では財政の均衡を維持することを義務づけており、他方で景気が悪化している情勢では、経済の安定化のために単年度[[国内総生産]](GDP)の3%を上限として国債の発行を認めている。累積債務残高については60%を上限としている。すなわち、[[収斂基準]]は物価の安定性・高すぎない長期金利・財政赤字および政府債務の健全性・為替の安定性の4つである。このうち為替の安定性に関しては、[[欧州為替相場メカニズム]](ERM II)への参加が法的に求められている。この欧州為替相場メカニズムは、1979年に設立されたもともとのERMにかえて、1999年から実施されている[[欧州為替相場メカニズム#ユーロ移行とERM II|ERM II]]と呼ばれるものであり、ERMとしては2番目のものである。このERM IIにおいて、ユーロに対する自国通貨の標準変動幅を2年間、上下15%の範囲とする必要がある。これを達成するとユーロ導入が認められ、ERM IIの対象から外れ、ユーロ導入となる。ただし、問題がある場合は期間が延長される。具体的には経済収斂基準とは次のようなものである<ref name=gaimusyo>[[日本国外務省]]「[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/eu/euro_gaiyou.html EUにおける通貨統合]」(2014年8月29日閲覧)</ref>。 {{Quotation| 物価:過去1年間、消費者物価上昇率が、消費者物価上昇率の最も低い3か国の平均値を1.5%より多く上回らないこと。<br> 財政:過剰財政赤字状態でないこと。(財政赤字[[国内総生産|GDP]]比3%以下、債務残高GDP比60%以下)<br> 為替:2年間、独自に切り下げを行わずに、深刻な緊張状態を与えることなく欧州通貨制度の為替相場メカニズムの通常の変動幅を尊重すること。<br> 金利:過去1年間、長期金利が消費者物価上昇率の最も低い3か国の平均値を2%より多く上回らないこと。<ref>外務省(2014)[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/eu/euro_gaiyou.html EUにおける通貨統合]より引用</ref> |日本国外務省「EUにおける通貨統合」}} [[ギリシャ]]は[[2002年]]に収斂条件を満たしたとしてユーロを導入したが、[[2004年]]11月、ギリシャがユーロ導入の決定がなされた時点で収斂基準を満たしていなかったということが判明した。ギリシャは実際の財政赤字を偽って[[欧州委員会]]に報告書を提出していた。しかし、条約・協定では基準違反を想定していなかったため、ギリシャが法的な責任を問われることはなかった。 また、ドイツや[[フランス]]などの大国を含む一部の国々は、ユーロ加盟後に安定・成長協定で定める基準に抵触している。 ==== 決済通貨ユーロの導入 ==== [[1998年]][[12月31日]]、当時のユーロ参加予定国のそれぞれの通貨とユーロとの[[為替レート]]が固定され、1999年1月1日、ユーロがそれらの国において電子的決済通貨となった。このときユーロは欧州通貨単位に対して1:1で置き換えられた。翌[[1月2日]]、[[イタリア証券取引所]]([[ミラノ]])、[[ユーロネクスト・パリ|パリ証券取引所]]、[[フランクフルト証券取引所]]は通貨単位をユーロとして取引を開始した。このほかにユーロの導入によって、外国為替相場の表示法が変更された。ドイツではユーロ導入以前まで、1 US$ = xxx [[ドイツマルク]](DM)というかたちで表示されていたが、1999年1月1日からはドイツを含めてユーロを導入した国で、1 EUR = xxx US$ という表示法に変えられた。また同日から、[[振込み]]や口座自動引き落としについてもユーロ表記が用いられるようになった。[[銀行口座]]ではユーロあるいは従来の通貨単位での表示が行われていた。しかし、現金のユーロは存在しなかったため、ユーロ表記の口座でも、預金を下ろすと現地通貨、たとえばドイツであれば[[ドイツマルク]]紙幣が窓口で渡された。[[有価証券]]はユーロで表記されたものに移行した。 ==== ユーロへの完全移行 ==== [[2001年]]9月の[[アメリカ同時多発テロ事件]]を受けて、[[2010年欧州ソブリン危機#1967-2008年|EU内に手形交換所が設立された]]。このころからドイツではいわゆる「フロントローディング方式」の枠組みでユーロが民間銀行に配付された。また[[銀行]]ではドイツマルクを回収してユーロを供給することで切り替え作業を進めていった。2001年[[12月17日]]からはドイツ国内の銀行で各種のユーロ硬貨が入った[[ユーロ・スターターキット|スターターキット]]の[[販売]]が開始された。このスターターキットには合計10.23ユーロ(20.0081409マルク相当)の20枚の硬貨が入っていたが、販売価格は20マルクであり、切り捨てられた小数点以下の部分は[[国庫]]が負担した。[[オーストリア]]のスターターキットでは合計14.54ユーロの33枚のユーロ硬貨が200[[オーストリア・シリング|シリング]]で販売された。通常の現金、特に紙幣の流通は2002年1月1日から開始された。 ドイツでは[[ドイツ連邦銀行]]の各支店でドイツマルクをユーロに交換することができる。また特例的に一部の[[店|商店]]では代金支払の際にドイツマルクで受け取っている。 このようにユーロへの交換は簡易かつ費用負担がかからないにもかかわらず、[[2005年]]5月の時点で37億2,000万ユーロ相当のドイツマルク硬貨(2000年12月の発行量のおよそ46%)が流通していた。また紙幣についても39億4,000万ユーロが交換されないままでいた。この推定はドイツ連邦銀行によるものであるが、ほとんどの硬貨や紙幣は紛失または破損したものと見られている。 ユーロを導入した国ではそれぞれで、2002年の2月あるいは6月までを移行期間として代金の支払にユーロか旧通貨の使用が認められ、移行期間後は旧通貨の法的効力は消滅した。ただし、ほとんどの旧通貨は各国の中央銀行でユーロと交換することができる。 ユーロ導入国では旧通貨の取り扱いについてそれぞれの国で異なっている。ドイツではドイツマルクの紙幣および硬貨を、無期限・無手数料でユーロに交換することができる。ドイツ以外でもオーストリア、スペイン、アイルランド、[[エストニア]]、[[ラトビア]]においても同様で、それぞれの国の旧通貨とユーロとを交換することができる。[[ベルギー]]、[[ルクセンブルク]]、[[スロベニア]]、[[クロアチア]]ではそれぞれの旧通貨の紙幣のみ、無期限でユーロとの交換ができる。これら以外の国ではそれぞれの旧通貨とユーロとの交換には期限が定められている。 [[ポルトガル・エスクード]]硬貨、[[フランス・フラン]]硬貨、[[ベルギー・フラン|ベルギー]]および[[ルクセンブルク・フラン]]硬貨、[[ギルダー|オランダ・ギルダー]]硬貨、[[ドラクマ|ギリシャ・ドラクマ]]硬貨は交換不能となっている<ref>{{Cite web|url=http://www.ecb.europa.eu/euro/exchange/html/index.en.html|title=Exchanging national cash|publisher=European Central Bank|language=英語|accessdate=2009-07-19}}</ref>。 == 欧州中央銀行 == {{Main|欧州中央銀行}} 通貨ユーロにかかわる政策はドイツの[[フランクフルト・アム・マイン]]にある[[欧州中央銀行]]が担っている。欧州中央銀行は1998年6月1日に設立された機関である。実際の業務が開始されたのは、通貨統合の実施によって各国の中央銀行の業務を引き継いだ1999年1月1日のことである。欧州中央銀行は[[ローマ条約|欧州連合の機能に関する条約]]第127条によって物価安定の確保に努め、また加盟国の経済政策を支えるという使命を持っている。このほかにも[[金融政策]]の決定と実施、加盟国の公的[[外貨準備]]の管理、[[外国為替市場]]への[[為替介入]]、市場への資金供給、円滑な決済の促進を担っている。欧州中央銀行の独立性を維持するために、欧州中央銀行および各国の中央銀行は加盟国政府の指示を受け入れることが禁止されている。欧州中央銀行に法的独立性が与えられているのは、欧州中央銀行が紙幣発行を一手に担う、つまり欧州中央銀行はユーロの[[マネーサプライ]]に影響力を持っており、[[財政]]の不足額を補うためにマネーサプライを増やすということを避けるためである。欧州中央銀行の独立性が確保されなければユーロに対する信頼が失われ、通貨が不安定になる<ref>{{Cite book|title=Duden - Der Euro|origyear=1998|publisher=Bibliographisches Institut|language=ドイツ語|isbn=978-3411704613}}</ref>。 欧州中央銀行は各国の中央銀行とともに[[欧州中央銀行制度]]を作っている。欧州中央銀行の政策決定は、欧州中央銀行の役員会とユーロ圏各国の中央銀行総裁で構成される政策理事会が担う。欧州中央銀行の役員会は[[総裁]]、副総裁、理事4人で構成され、いずれも任期は8年でユーロ圏各国が選任し、再任は認められていない。 == 導入国、地域 == {| class="sortable wikitable" style="font-size:90%; float:right" |- ! 国 ! 導入年<br />{{Small|決済通貨}} ! 導入年<br />{{Small|現金}} ! class="unsortable" | 導入形態 ! class="unsortable" | 硬貨発行 |- | {{AND}} | 1999年 | 2002年 | [[フランス・フラン|FRF]]と[[ペセタ|ESP]]の移行に伴う | [[アンドラのユーロ硬貨|あり]] |- | {{AUT}} | 1999年 | 2002年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[オーストリアのユーロ硬貨|あり]] |- | {{BEL}} | 1999年 | 2002年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[ベルギーのユーロ硬貨|あり]] |- | {{CYP}} | 2008年 | 2008年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[キプロスのユーロ硬貨|あり]] |- | {{DEU}} | 1999年 | 2002年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[ドイツのユーロ硬貨|あり]] |- | {{ESP}} | 1999年 | 2002年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[スペインのユーロ硬貨|あり]] |- | {{EST}} | 2011年 | 2011年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[エストニアのユーロ硬貨|あり]] |- | {{FIN}} | 1999年 | 2002年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[フィンランドのユーロ硬貨|あり]] |- | {{FRA}} | 1999年 | 2002年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[フランスのユーロ硬貨|あり]] |- | {{GRC}} | 2001年 | 2002年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[ギリシャのユーロ硬貨|あり]] |- | {{HRV}} | 2023年 | 2023年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[クロアチアのユーロ硬貨|あり]] |- | {{IRL}} | 1999年 | 2002年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[アイルランドのユーロ硬貨|あり]] |- | {{ITA}} | 1999年 | 2002年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[イタリアのユーロ硬貨|あり]] |- | {{KOS}} | | 2002年 | [[ドイツマルク|DEM]]の移行に伴う | [[コソボのユーロ通貨|なし]] |- | {{LAT}} | 2014年 | 2014年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[ラトビアのユーロ硬貨|あり]] |- | {{LIT}} | 2015年 | 2015年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[リトアニアのユーロ硬貨|あり]] |- | {{LUX}} | 1999年 | 2002年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[ルクセンブルクのユーロ硬貨|あり]] |- | {{MCO}} | 1999年 | 2002年 | [[フランス・フラン|FRF]]の移行に伴う | [[モナコのユーロ硬貨|あり]] |- | {{MLT}} | 2008年 | 2008年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[ベルギーのユーロ硬貨|あり]] |- | {{MNE}} | | 2002年 | [[ドイツマルク|DEM]]の移行に伴う | [[モンテネグロのユーロ硬貨|なし]] |- | {{NLD}} | 1999年 | 2002年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[オランダのユーロ硬貨|あり]] |- | {{PRT}} | 1999年 | 2002年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[ポルトガルのユーロ硬貨|あり]] |- | {{SMR}} | 1999年 | 2002年 | [[イタリア・リラ|ITL]]の移行に伴う | [[サンマリノのユーロ硬貨|あり]] |- | {{SVK}} | 2009年 | 2009年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[スロバキアのユーロ硬貨|あり]] |- | {{SVN}} | 2007年 | 2007年 | [[欧州連合の経済通貨統合|経済通貨統合]]による | [[スロベニアのユーロ硬貨|あり]] |- | {{VAT}} | 1999年 | 2002年 | [[イタリア・リラ|ITL]]の移行に伴う | [[バチカンのユーロ硬貨|あり]] |} 2023年1月1日に[[クロアチア]]が導入したことで、ユーロを[[法定通貨]]としているのは[[欧州連合加盟国|欧州連合加盟全27か国]]中20か国となっており、これらの国々は'''[[ユーロ圏]]'''と呼ばれている。また欧州連合の経済通貨統合に参加していない6か国でもユーロを法定通貨として導入している。ユーロを法定通貨としている国のほかに、為替相場制度でユーロと連動させている国も多くある。そのような国には、欧州為替相場メカニズムに組み込まれている4つの欧州連合加盟国や[[CFAフラン]]を使用している14か国がある。さらに36か国と、[[フランス領ポリネシア]]、[[ニューカレドニア]]、[[ウォリス・フツナ]]の3つの地域でもユーロ、あるいはユーロと連動する通貨を使用している。 [[フランスの海外県・海外領土|フランスの海外領土]]である[[グアドループ]]、[[フランス領ギアナ]]、[[フランス領南方・南極地域]]、[[マルティニーク]]、[[マヨット]]、[[レユニオン]]、[[サン・バルテルミー島]]、[[サン・マルタン (西インド諸島)|サン・マルタン島]]、[[サンピエール島・ミクロン島]]でも同様にユーロを法定通貨としている。 また[[キプロス]]がユーロ圏入りしたことによって、[[イギリス]]の主権基地領域である[[アクロティリおよびデケリア]]でもユーロが法定通貨として導入された。[[北キプロス・トルコ共和国]]では事実上、[[新トルコリラ|トルコリラ]]が法定通貨として使用されているが、ユーロも広く流通している。 === ユーロ圏 === [[1998年]]5月3日に開かれた[[欧州理事会]]の会合において、各国首脳は[[1999年]][[1月1日]]に[[収斂基準]]を満たした11か国で経済通貨統合を第3段階へ移行することを決定した<ref>[http://eur-lex.europa.eu/smartapi/cgi/sga_doc?smartapi!celexplus!prod!CELEXnumdoc&numdoc=31998D0317&lg=en 98/317/EC: Council Decision of 3 May 1998 in accordance with Article 109j(4) of the Treaty] OJ L 139 , [1998] pp. 30-35</ref>。 [[2000年]]6月19日、欧州理事会は「[[ギリシャ]]は高い水準で持続的な収斂性を有しており、ユーロの導入に必要な状況になった」という理解に達した。その後の[[経済・金融理事会]]において、2001年1月1日にギリシャでユーロを導入することが承認された。 [[スロベニア]]は[[2006年]]3月8日に、[[2004年]]の第5次拡大の際に欧州連合へ加盟した国としては初めて、[[2007年]]1月1日のユーロ導入を正式に求めた。2006年5月16日、[[欧州委員会]]はスロベニアのユーロ圏入りを提案し、翌月7月11日には経済・金融理事会において、スロベニアの2007年1月1日のユーロ導入を全会一致で承認した。このとき、1 EUR = 239.640 [[トラール|SIT]]という交換比率が定められた。 2007年7月10日に欧州連合加盟国の財務相は、[[キプロス]]と[[マルタ]]のユーロ圏入りを承認した。さらに[[2009年]]1月1日には旧[[東側諸国]]としては初めて[[スロバキア]]が、[[2011年]]1月1日には旧[[ソビエト連邦|ソ連]]圏としては初めて[[エストニア]]がユーロ導入を果たしたことで、ユーロを導入した欧州連合加盟国数は17となった。[[2014年]]1月1日より[[ラトビア]]が、[[2015年]]1月1日に[[リトアニア]]にユーロを導入。旧ソ連圏では3国目となる。[[2023年]]1月1日より[[クロアチア]]がユーロを導入した<ref>[https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/07/9a74f5f13dca9b00.html ビジネス短信 クロアチア、2023年1月からのユーロ導入が正式決定、シェンゲン協定にも参加の見通し(JETRO)]</ref>。 === ユーロ圏以外の国 === 一部の国では従来からの[[通貨同盟]]などによって、相手国がユーロを導入したことで自らもユーロを法定通貨とした国がある。それらには以下のような通貨同盟がある。 * フランスと[[アンドラ]]、[[モナコ]] * イタリアと[[サンマリノ]]、[[バチカン]] * スペインとアンドラ モナコ、サンマリノとバチカン独自のユーロ硬貨を発行することについて欧州連合と合意しているが、アンドラについては同様の合意がなされていない。そもそもアンドラは独自の通貨を持っておらず、そのためユーロが事実上の法定通貨となっており、アンドラは独自に硬貨を発行しなくとも問題がない。アンドラ政府は2004年10月から[[欧州共同体]]と協議を行ったが、政治的要請、とりわけ[[金融機関]]の[[守秘義務|守秘]]性の緩和を実行する用意がなく、協議は数か月後に終了した。このほかにも企業税制を導入して非課税制度を撤廃することが受け入れられないということも正式な通貨同盟の合意に至らなかった理由となった。2016年1月現在、the Royal Spanish Mint よりアンドラ独自のユーロ硬貨が発行されている。 [[独立]]に向けて、[[モンテネグロ]]は一方的にドイツマルクを通貨として導入した。また[[コソボ]]では[[コソボ紛争|紛争]]後に[[国際連合コソボ暫定行政ミッション]]が通貨としてドイツマルクを導入した。そのドイツマルクが廃止されてからは、両国においてユーロが法定通貨となった。ただし、両国は欧州連合とのあいだでユーロ導入の正式な合意をしておらず、また欧州連合も両国とのあいだで合意を模索する様子もない。そのため欧州中央銀行による金融政策の対象とならない。さらに独自のユーロ硬貨の発行も認められておらず、両国は[[シニョリッジ|通貨発行益]]を得ることができない。 === 補完通貨としてのユーロ === ユーロ圏外でも多くのヨーロッパの国で、ユーロでの支払いが可能である。ただし、その多くの場合は販売者が独自に決めた交換比率が用いられ、また[[釣り銭]]は現地通貨で支払われることもある。 == ユーロとペッグしている国 == いくつかの国ではユーロと通貨を[[固定相場制|ペッグ]]している国がある。そのような国々は3つのグループに分けることができる。まず、ユーロとのあいだで欧州為替相場メカニズムによる為替はバンド制をとっており、ユーロを法定通貨として導入していない欧州連合加盟国がある。次に、歴史的に為替が固定されていたかつての[[フランス]]の[[植民地]]がある。最後に、一方的にユーロとペッグしている国がある。 === ユーロ導入が義務づけられている欧州連合加盟国 === ユーロを通貨として導入していないすべての欧州連合加盟国は欧州連合条約により、収斂基準を満たして単一通貨を導入することが義務づけられている。ユーロ導入にあたって求められる収斂基準の4つの要素の1つとして、2年間は現行通貨を欧州為替相場メカニズムに組み込まなければならない。ただし、[[デンマーク]]については適用除外規定が定められており、現行通貨を維持するということが認められている。 ==== 欧州為替相場メカニズム適用国(ERM) ==== {{Main|欧州為替相場メカニズム}} [[1979年]]、欧州為替相場メカニズムの核となる[[欧州通貨制度]]が創設された。本来はすべての加盟国が欧州為替相場メカニズムに組み込まれなければならないが、実際には[[ベルギー]]、デンマーク、[[西ドイツ]]、フランス、[[アイルランド]]、[[イタリア]]、[[ルクセンブルク]]、[[オランダ]]のみに適用された。[[1999年]]のユーロの創設により1974年より運営されていた従来の欧州為替相場メカニズムは廃止されたが、ユーロに移行していない欧州連合加盟国を対象とした新たな欧州為替相場メカニズムが1999年に設定された。これがERM IIと呼ばれるものである。欧州為替相場メカニズムのおもな目的は、物価の安定を確保するために為替相場とその変動を調整することであり、また欧州為替相場メカニズムはユーロ圏入りの前段階における必要条件となっている。現在、必要条件としてユーロに移行していない欧州連合加盟国に求められているのはERM IIへの参加であり、ERM IIはERMとしては2つ目のものである。この必要条件とは、具体的には、2年間、ERM IIのもとで、ユーロに対する自国通貨の標準変動幅を2年間、±15%の範囲とするというものである。ただし、問題がある場合は延長される。 当初リトアニアは2007年にユーロを導入するはずであった(導入は2015年となった)。2006年3月16日、リトアニア財務相[[ジグマンタス・バルチーティス]]は欧州委員会から時期尚早と正式に警告を受けていたにもかかわらず、ユーロ導入に関する必要書類を提出した。この書類などをもとにして審査した結果、欧州委員会はリトアニアのインフレーション率が基準よりも0.06%高いとしてリトアニアのユーロ導入を延期するよう欧州理事会に勧告し<ref>{{Cite web|date=2006-03-10|url=http://www.faz.net/s/Rub050436A85B3A4C64819D7E1B05B60928/Doc~E6F4B28C115034F9D97A4DDA78A6EB8E7~ATpl~Ecommon~Scontent.html|title=Die EU und Litauen streiten sich um den Euro|publisher=Frankfurter Allgemeine Zeitung|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>、2006年6月15日、16日にブリュッセルで行われた欧州理事会の会合でもリトアニアのユーロ導入は見送られた。当時のリトアニアのインフレーション率は既存のユーロ圏諸国と比べてもユーロを導入するには十分に低かった。しかし欧州連合条約ではユーロ未導入の加盟国に対して基準を厳格に守るように定めている。一部の欧州連合の高官からはリトアニアがユーロを導入しても問題がないという意見があったが<ref>{{Cite web|author=Claus Hecking|coauthors=Andrzej Rybak, Wolfgang Proissl, Mark Schrörs|date=2006-12-28|url=http://www.ftd.de/politik/europa/145221.html?p=1|title=Agenda: Stimmungswechsel|publisher=FTD.de|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25|archiveurl=https://archive.is/20120731191410/http://www.ftd.de/politik/europa/:agenda-stimmungswechsel/145221.html|archivedate=2012年7月31日|deadlinkdate=2013-11-01}}</ref>、欧州委員会と欧州中央銀行はユーロの信頼性を損なわないためにもこの意見を認めなかった。2007年にユーロを導入していれば、リトアニアはスロベニアとともに中東欧諸国で最初のユーロ移行国となっていたことになる。 [[2010年]]5月12日、欧州委員会はエストニアが収斂基準を満たしたとする報告書を作成し、同国のユーロ移行を提案した<ref>{{Cite web|date=2010-05-12|url=http://europa.eu/rapid/pressReleasesAction.do?reference=IP/10/562&format=HTML&aged=0&language=EN&guiLanguage=en|title=Convergence Report 2010 by the Commission assesses readiness of non-euro area EU countries to adopt the euro; proposes Estonia joins euro area in 2011|publisher=European Commission|language=英語|accessdate=2010-07-13}}</ref>。これを受けて同年7月13日に経済・財務理事会は、[[2011年]][[1月1日]]にエストニアがユーロを導入することを認める決定を下した。また[[2014年]]にはラトビアもユーロを導入した。 {| class="wikitable" style="font-size:90%; margin:0 auto" |+欧州為替相場メカニズム適用国<ref>{{Cite web|url=https://www.ecb.europa.eu/press/pr/date/2020/html/ecb.pr200713~a93cfb85a9.en.html|title=Euro central and compulsory intervention rates for Bulgarian lev and Croatian kuna in ERM II|accessdate=2020年7月26日|publisher=ECB}}</ref> |- ! 国 ! 通貨 ! [[ISO 4217]] ! 基準値<br />{{Smaller|対1ユーロ}} ! 適用日 ! ユーロ移行<br />予定日 |- | {{DNK}} | [[デンマーク・クローネ|クローネ]] | DKK | 7.46038 | 1999年1月1日 | 未定 |- | {{BGR}} | [[レフ (通貨)|レフ]] | BGN | 1.95583 | 2020年7月10日 | 2025年1月<ref>{{Cite news |title=ブルガリア、25年にもユーロ導入の可能性=EU上級副委員長 |url=https://jp.reuters.com/article/bulgaria-eu-euro-idJPKBN2UY05D |work=Reuters |date=2023-02-24 |access-date=2023-02-28 |language=ja}}</ref> |- |} 2023年1月現在、2つの欧州連合加盟国が自国の通貨を欧州為替相場メカニズムに組み込ませている。欧州為替相場メカニズムではユーロとそれぞれの現行通貨との相場変動幅を基準値(セントラル・レート)の±15%としている。またデンマークは欧州連合との取り決めにより、ほかの通貨よりも変動幅が狭い、±2.25%としている。 欧州為替相場メカニズムが適用されている国は状況が整えば、ほかの国と比べて早い段階でユーロを導入することができる。しかし、[[世界金融危機 (2007年-)|2007年以降の金融危機]]により急激に財政状況が悪化し、ユーロの導入は困難なものとなった。 [[ブルガリア]]は急激なインフレーションが進み、欧州為替相場メカニズムの適用が拒否されたことがある。2009年8月、政権交代によって就任したばかりの財務相[[シメオン・ジャンコフ]]はブルガリアのユーロ導入について、2013年ごろになるという考え方を示していた<ref>{{Cite web|date=2009-08-04|url=http://www.euro-anwaerter.de/news/newsdetail/artikel/bulgarien-plant-euro-einfuehrung-bis-2013-1249406261.html|title=Bulgarien plant Euro-Einführung bis 2013|publisher=euro-anwaerter|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-10}}</ref>。2018年にはインフレが低水準であること、財政が健全であることからいくつかの条件を満たしているが汚職、一部の銀行にある問題が課題となっている。2020年7月10日、クロアチアとブルガリアはERMIIに加盟した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-07-10/QD9J5HDWLU6U01|title=クロアチアとブルガリア、ERM2に加盟-ユーロ導入の準備過程入り|accessdate=2020年7月26日|publisher=ブルームバーグ}}</ref>。 ==== 欧州為替相場メカニズム未適用の欧州連合加盟国 ==== デンマークを除くすべての欧州連合加盟国はユーロの導入が義務づけられているが、いまだ5か国が欧州為替相場メカニズムの適用を受けていない。このため5か国は少なくとも収斂基準の1つを満たしていないということになる。 {| class="wikitable" style="font-size:90%; float:right;" |+ 欧州為替相場メカニズム未適用の欧州連合加盟国 |- ! 国 ! 通貨 ! ISO 4217 |- | {{POL}} | [[ズウォティ]] | PLN |- | {{ROU}} | [[ルーマニア・レウ|レウ]] | RON |- | {{SWE}} | [[スウェーデン・クローナ|クローナ]] | SEK |- | {{CZE}} | [[チェコ・コルナ|コルナ]] | CZK |- | {{HUN}} | [[フォリント]] | HUF |} * [[ポーランド]]では政界や[[社会]]におけるユーロ導入への支持が低く、欧州為替相場メカニズムに参加する見込みが少なかった。ところが2007年に[[政権]]が交代するとユーロ導入に前向きとなり、首相に就任した[[ドナルド・トゥスク]]は[[所信表明演説|所信表明]]で可及的速やかにユーロを導入すると述べた<ref>{{Cite web|date=2007-11-23|url=http://www.spiegel.de/politik/ausland/0,1518,519268,00.html|title=Tusk will Polen rasch in die Euro-Zone führen|publisher=Spiegel|language-ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。また、[[クリニツァ・ズドルイ|クリニツァ]]で開かれた経済[[フォーラム]]でトゥスクは2011年をユーロ導入の目標時期とした<ref>{{Cite web|date=2008-09-11|url=http://www.berlinonline.de/berliner-zeitung/archiv/.bin/dump.fcgi/2008/0911/wirtschaft/0267/index.html|title=Polen will den Euro im Jahr 2011 einführen|publisher=Berliner Zeitung|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。ところが2009年8月に財務次官[[ルドヴィク・コテツキ]]は、ポーランドのユーロ導入は[[2014年]]まではないということを明らかにした。その理由として、2009年のポーランドの経済成長率見込みは0.5%となるものの、[[世界金融危機 (2007年-)|2008年の金融危機]]がポーランドにも大きな影響を及ぼしたとしている<ref>{{Cite web|last=Krohn|first=Knut|date=2009-08-09|url=http://diepresse.com/home/wirtschaft/eastconomist/501221/index.do?_vl_backlink=/home/index.do|title=Polen: Traum vom "Euro zur Euro" geplatzt|publisher=DiePresse.com|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-10}}</ref>。2016年1月現在、ユーロ導入の日程については未定である。 * [[ルーマニア]]は2007年に欧州連合に加盟して以来、ユーロ導入を検討してきた。ブルガリアと同様に、ルーマニアも高いインフレーション率がユーロ導入の障害となっている。2019年時点では2024年のユーロ導入を目標としている<ref>{{Cite web|title=Romania aims to join eurozone in 2024 - PM|url=http://seenews.com/news/romania-aims-to-join-eurozone-in-2024-pm-641167|website=seenews.com|accessdate=2020-12-19|language=en}}</ref><ref>{{Cite news|title=Romania's 2024 euro adoption goal 'very ambitious': FinMin|url=https://www.reuters.com/article/us-romania-eurozone-idUSKBN1ZQ27E|work=Reuters|date=2020-01-27|accessdate=2020-12-19|language=en|first=Reuters|last=Staff}}</ref>。 * [[スウェーデン]]は2003年9月14日に実施された国民投票でユーロ導入が反対されている。スウェーデンは[[ローマ条約|欧州連合に加盟する際の条約]]において[[収斂基準]]の達成が義務づけられているが、欧州為替相場メカニズムへの不参加によってユーロ導入が不可能となっている<ref>{{Cite web|url=http://www.euro-anwaerter.de/anwaerter/schweden.html|title=Schweden|publisher=euro-anwaerter.de|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。[[2013年]]までは再度の[[国民投票]]が実施されないことになっているが、[[中道右派]]による連立政権内では再度の国民投票を早期に実施するという意見が高まっている<ref>{{Cite web|last=Olsson|first=Lova|date=2008-10-27|url=http://www.svd.se/nyheter/inrikes/artikel_236681.svd|title=Ny folkomröstning om euro före valet - Birgitta Ohlsson|publisher=Svenska Dagbladet|language=スウェーデン語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。さらに[[世界金融危機 (2007年-)|2008年秋の金融危機]]を受けてユーロ導入の議論は高まっており、スウェーデン政府は2013年という期日は守るとしているものの、財務相[[アンダース・ボルグ]]はユーロ導入について支持を表明している<ref>{{Cite web|date=2008-11-05|url=http://de.reuters.com/article/economicsNews/idDEBEE4A409920081105|title=Finanzminister: Schweden sollte Eurozone nach 2013 beitreten|publisher=Reuters|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。また有権者のあいだでもユーロ導入への支持が高まっている。2009年4月に実施された世論調査では、わずかながらも初めてユーロ導入に賛成する意見が反対を上回った<ref>{{Cite web|last=Bondesson|first=Mikael|date=2009-04-19|url=http://www.dn.se/nyheter/politik/euron-1.847456|title=Fler positiva till euron|publisher=Dagens Nyheter|language=スウェーデン語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。 * [[チェコ]]は当初、2010年のユーロ導入を目指していた。しかし、チェコでは社会基盤の整備のための出費よりも財政赤字のほうが大きいという見込みとなったことでこの導入目標は断念することとなり、政府は2012年か2013年の導入を目指すこととなった<ref>{{Cite web|url=http://www.euro-anwaerter.de/anwaerter/tschechien.html|title=Tschechien|publisher=euro-anwaerter.de|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。その後さらに、ユーロ導入の期日が遅れるということへの経済的影響から、[[チェコ国立銀行]]総裁のズデニェク・トゥーマはインタビューで、2019年のユーロ導入が適切であると発言した<ref>{{Cite web|date=2008-01-03|url=http://www.radio.cz/de/nachrichten/99233#2|title=Nationalbank-Chef Tůma: Tschechien soll Euro 2019 einführen|publisher=Radio Prag|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref><ref>{{Cite web|date=2008-08-07|url=http://www.nzz.ch/nachrichten/wirtschaft/aktuell/keine_europhorie_in_tschechien_1.800301.html|title=Keine ≪Europhorie≫ in Tschechien|publisher=Neue Zürcher Zeitung|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。ところがコルナの対ユーロ相場の変動幅が大きく、また近隣4か国が2012年までにユーロを導入する見込みが大きいため、チェコもまたこれらの国やポーランドと同時期の2012年1月1日にユーロを導入すると見られていた。チェコでは2009年中にユーロ導入までのロードマップを作成し、チェコ政府も2009年11月1日を導入の方針を定める期限としている<ref>{{Cite web|date=2009-01-01|url=http://www.radio.cz/de/nachrichten/111781#13|title=Topolánek: Im November wird das Datum der Euro-Einführung bekannt gegeben|publisher=Radio Prag|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。2016年1月現在、ユーロ導入の期日は未定である。 * [[ハンガリー]]は2010年にユーロに移行したいとしていた。ところが慢性的な財政不足からこの目標は断念された。ハンガリーでは対[[国内総生産]]比で毎年10%の赤字となっており、すべての欧州連合加盟国の中でももっとも高い数値となっている。2016年1月現在、ユーロ導入時期については未定である。 === 適用除外を受けている欧州連合加盟国 === 欧州連合に加盟しているデンマークは[[欧州連合基本条約|基本条約]]でユーロ導入義務を課せられない「適用除外」を受けている。これはオプト・アウトとも呼ばれる。 デンマークは欧州為替相場メカニズムの適用国であるが、2000年9月28日の国民投票で適用除外の権限行使を決め、ユーロを導入していない。このときの国民投票では53.1%がユーロ導入に反対した<ref>{{Cite web|url=http://www.eu-info.de/euro-waehrungsunion/5300/5318/5319/|title=Im Jahr 2000 stimmten 53,1 Prozent der Danen gegen die Euro-Einführung|publisher=EU-Info.Deutschland|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。しかしその後、デンマーク政府は、2011年にも国民投票の再実施を検討している<ref>{{Cite web|date=2008-10-31|url=http://www.euractiv.com/de/euro/dnemark-plant-zweite-euro-abstimmung-2011/article-176840|title=Danemark plant zweite Euro-Abstimmung fur 2011|publisher=EurActiv.com|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。しかし、デンマークのトーニング・シュミット首相はのちに適用除外に関する国民投票の約束を取り下げている<ref>EurActiv(2013)"[http://www.euractiv.com/elections/danes-move-closer-eu-opt-outs-re-news-529956?utm_source=feedly Denmark moves closer to referendum on EU opt-outs]"</ref>。2013年5月16日のストックホルムのインタビューにおいて、トーニング・シュミット首相は「現政権下では非現実的だ」と述べ、2015 - 2019年に見込まれる「次期政権下でも、国民投票実施の選択肢を協議することには意味がないと思う」とした<ref name="denmark president">ブルームバーグ(2013)「[http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MMXSU26JIJW301.html デンマーク、ユーロ導入は無期延期へ-ペッグ制が国守ると首相]」</ref>。ただし、欧州財政危機において、デンマークはほかの北欧諸国とともに資金の避難先となっており、ユーロ圏にいずれかの時点で加わる是非については協議を続けるとも述べている<ref name="denmark president"></ref>。 イギリスでは2006年に当時の首相の[[トニー・ブレア]]の発言により、ユーロ導入の是非については国民投票を実施予定であった。ところが2005年にフランスとオランダでの国民投票の結果、[[欧州憲法条約]]の批准が反対された。これを受け、イギリスでは欧州憲法条約の批准の是非を問う国民投票が無期限に延期された。また、ブレアの後任である[[ゴードン・ブラウン]]はユーロに対して懐疑的な立場を持つとされる。さらにブラウンがブレア政権で通貨政策を担う財務相を務めていたとき、ユーロ導入について両者が対立したこともあり、ブラウン政権下ではユーロ導入の議論が進まなかった。 === 上記以外でユーロと為替相場を固定している国・地域 === [[File:DOLLAR AND EURO IN THE WORLD.svg|thumb|right|250px|ユーロまたはUSドルと相場を固定している国・地域 {{Legend|#092D98|ユーロ圏}} {{Legend|#98b3ff|ユーロを使用している欧州連合非加盟国・地域}} {{Legend|#510999|ユーロとペッグしている国・地域}} {{Legend|#CC99FF|対ユーロの為替相場の変動幅を制限している国・地域}} {{Legend|#099811|アメリカ合衆国(USドル発行国)}} {{Legend|#99FF9E|USドルを使用している国・地域}} {{Legend|#999909|USドルとペッグしている国・地域}} {{Legend|#FFFF99|対USドルの為替相場の変動幅を制限している国・地域}} ]] {| class="wikitable" style="font-size:90%" |+ 欧州為替相場メカニズムを適用されていないが対ユーロとの為替相場が固定されている通貨 |- ! 国・地域 ! 通貨 ! レート<br />(1 EUR =) |- | {{BIH}} | [[兌換マルク|コンヴェルティビルナ・マルカ]] | 1.95583 BAM |- | [[中部アフリカ経済通貨共同体]]<br />[[西部アフリカ経済通貨同盟]] | [[CFAフラン]] | 655.957 XAF / XOF |- | [[ニューカレドニア]]<br />[[ウォリス・フツナ]]<br />[[フランス領ポリネシア]] | [[CFPフラン]] | 119.2529826 XPF |- | {{CPV}} | [[カーボベルデ・エスクード]] | 110.2651 CVE |- | {{COM}} | [[コモロ・フラン]] | 491.96775 KMF |} ユーロに移行された旧通貨と相場を固定していた通貨は、ユーロが導入されたあとはユーロと相場を固定している。特に[[フランス植民地帝国|フランスの植民地]]だった[[赤道ギニア]]、[[ベナン]]、[[ブルキナファソ]]、[[コートジボワール]]、[[ガボン]]、[[ギニアビサウ]]、[[カメルーン]]、[[コンゴ共和国]]、[[マリ共和国|マリ]]、[[ニジェール]]、[[セネガル]]、[[トーゴ]]、[[チャド]]、[[中央アフリカ]]の14の西部・中部アフリカ諸国で使用されている [[CFAフラン]]はユーロと相場が固定されている。CFAフランについてはフランス財務省が固定相場を保証している。 CFAフランと同様に、フランスの海外領土である[[フランス領ポリネシア]]、[[ニューカレドニア]]、[[ウォリス・フツナ]]で使用されている [[CFPフラン]]、かつてのフランスの植民地である[[コモロ]]の[[コモロ・フラン]]、ポルトガルの植民地だった[[カーボベルデ]]の[[カーボベルデ・エスクード]]も対ユーロの為替相場が固定されている。 [[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]は1998年から独自の通貨を持つようになり、この通貨はドイツマルクと固定されていたため、対ユーロでも為替相場が固定されている。 == 名称、シンボル、コード == === 名称 === '''euro''' という名称は1995年12月15日、16日に[[マドリード]]で開かれた欧州理事会の会合で採択され、その後[[規則 (EU)|規則]]<ref>[http://eur-lex.europa.eu/LexUriServ/LexUriServ.do?uri=CELEX:31998R0974:EN:NOT Council Regulation (EC) No 974/98] of 3 May 1998 on the introduction of the euro, OJ L 139, 11.5.1998, p. 1-5</ref>で正式に定められた。この単一通貨が導入される国のすべての言語でも "euro" という表記が用いられている。ただし[[ドイツ語]]では語頭が大文字で書かれ(Euro)、また[[ギリシア文字]]の表記も別に定められている({{Lang|el|ευρώ}})。 他方で単一通貨の名称の綴りは同じであっても、言語によって以下のように発音が異なっている。 * [[ドイツ語]] {{IPA|ˈoɪ̯ʁo}} '''オ'''イロ * [[英語]] {{IPA|ˈjuːɹəʊ}}、{{IPA|ˈjuərou}} ィ'''ユ'''ァロウ * [[フランス語]] {{IPA|øʀo}} ウロ、{{IPA|øʁo}} ウホ(「[[パリ]]の[[有声口蓋垂摩擦音|ʁ]]音」で発音した場合) * [[オランダ語]] {{IPA|ˈøːroː}} '''エー'''ロー * [[ギリシア語]] {{IPA|ɛvˈro}} エヴ'''ロ''' * [[フィンランド語]]、[[イタリア語]] {{IPA|ˈɛuro}} '''エ'''ウロ * [[スペイン語]] {{IPA|'euɾo}} '''エ'''ウロ 2006年初頭に一部の東欧の国々は、自らの使用言語の文法上の規則と "euro" という綴りがそぐわないとして、単一通貨の別の表記法を認めるよう求めた。たとえば[[ロシア語]]でヨーロッパを指すキリル文字での表記は {{Lang|ru|Европа}}、発音は {{IPA|jɪˈvropə}} となる。ところが数週間後には、この議論は成果もなく収束した。それでも一部の国では異なる表記法が用いられている。[[スロベニア語]]の "{{lang|sl|[[:sl:Evro|evro]]}}"([[2007年]]ユーロ導入)、[[ラトビア語]]の "{{lang|lv|[[:lv:Eiro|eiro]]}}"([[2014年]]ユーロ導入)、[[リトアニア語]]の "{{lang|lt|[[:lt:Euras|euras]]}}"([[2015年]]ユーロ導入)などがその例である。<!--この議論は言語上の問題が起こる可能性のある国においてユーロが導入されると再燃する可能性がある。--> 単一通貨の正式名称は関連する欧州連合の法令に定めがあり、また欧州中央銀行が定期的に作成する収斂報告書にも以下のような文章が確認できる<ref>{{Cite web|url=http://www.ecb.europa.eu/pub/pdf/conrep/cr200705de.pdf|title=Konvergenzbericht Mai 2007|publisher=Europäishe Zentralbank|language=ドイツ語|format=PDF|accessdate=2009-08-10}}</ref>。 {{Quotation|In Anbetracht der ausschließlichen Zuständigkeit der Gemeinschaft für die Festlegung des Namens der einheitlichen Währung sind jegliche Abweichungen von dieser Bestimmung mit dem EG-Vertrag unvereinbar und daher zu beseitigen.<br /><small>(日本語仮訳)</small>単一通貨の名称の決定に関する共同体の権限を考慮すると、規則に対するいかなる違背も欧州共同体設立条約に相いれないものであり、したがって排除されるべきものである。|Europäische Zentralbank|Konvergenzbericht Mai 2007}} {{仮リンク|アングリシズム|en|Anglicism}}批判の立場からは、"euro" および "cent" という表現を使うことに対して、英語特有の表現の受容を推進するものだという意見が出されることがある。この意見に対しては、"euro" という単語はギリシア語の {{Lang|el|Εὐρώπη}} の略語に由来し、また "cent" もラテン語の ''{{Lang|la|centesimus}}''(「100」または「100番目の」)に由来するものである。ヨーロッパの[[ロマンス諸語]]で通貨の補助単位(例: céntimo, centime, centavo, centesimo)として使われてきた語であることから、必ずしも英語を受容したということではないという。特にイギリスの領土ではこれらの語が通貨の単位としては用いられていない。 === 補助単位 === ユーロの[[通貨の補助単位|補助単位]]は「セント(cent)」であり、100セントが1ユーロに相当する。ただしギリシャでは {{Lang|el|''λεπτό''}}、フィンランドでは {{lang|fi|''sentti''}} が用いられる。セント硬貨には "EURO" と "CENT" の両方が刻まれており、このことはユーロ硬貨の外見の特徴についての欧州委員会の文書においても掲載されている。ただこの文書では、"EURO" の文字は "CENT" よりも小さく刻まれるものとするということが記載されている<ref>[http://eur-lex.europa.eu/LexUriServ/LexUriServ.do?uri=CELEX:52001XC1228(04):EN:NOT The visual characteristics of the euro coins], OJ C 373, 28.12.2001, p. 1-30</ref>。 欧州連合の発行物に関する内規では、加盟国ごとで異なる表記を排除してはならないと定められている。これはユーロ導入前に補助単位として cent と同義の語を使用していた国に対する容認策であり、たとえばフランスやベルギーの {{lang|fr|''centimes''}} やポルトガルの {{lang|pt|''centavo''}} などがある<ref>{{Cite web|url=http://publications.europa.eu/code/de/de-370300.htm|title=Interinstitutionelle Regeln für Veröffentlichungen|publisher=Publications Office of the European Union|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-10}}</ref>。 口語ではほかの補助単位の[[セント (通貨)|セント]]と区別するために、ユーロ・セントという表現が用いられることがある。たとえばUSドルやユーロに移行される以前の通貨の補助単位と区別する際に用いられている。 === 複数形 === 欧州連合は ''euro'' と ''cent'' について、その複数形は変化させずに使うこととしている。しかしスペイン語とポルトガル語では複数形を ''euros'' や ''céntimos'' としている。フィンランド語では度量単位と同様に部分格が用いられ、{{lang|fi|''euroa''}} や {{lang|fi|''senttiä''}} となる。またドイツ語や英語では数詞が先行しない場合、通常の複数形の作り方にならう。複数形が用いられるのは紙幣や硬貨の枚数について言及するときであり、金額について言及するときには単数形が用いられる<ref>{{Cite book|last=Sick|first=Bastian|title=Der Dativ ist dem Genitiv sein Tod|origyear=2006|publisher=Kiepenheuer & Witsch|language=ドイツ語|isbn=978-3462034486|pages=p. 216}}</ref>。 === 短縮形 === ユーロによる金額表示を行う際には、数に続いて[[ISO 4217|通貨コード]]である "EUR" を加える。補助単位のセントには正式な記号や短縮形が定められていない。そのためユーロ圏では、セントの部分は "20 cent" や "0.20 €" などと表示する。ただし、正式なものではないが、短縮された形(''Ct, Ct., ct, C, c'')などが用いられることもある。USセントを示す記号 ''¢'' は、ユーロ・セントを示すものとして使われることはあまりない。 === ユーロ記号 === {{Main|ユーロ記号}} [[ファイル:Euro symbol.svg|thumb|right|180px|ユーロ記号]] ユーロ記号は1997年に単一通貨を示す記号として、欧州委員会によって作成された。当初は通貨に独自の記号があるものは少ないため、欧州理事会でもユーロ記号についてはあまり議論されていなかった。1996年になるとユーロのロゴの募集が開始され、その中から図案が選考された。また1997年7月にはロゴに加えて通貨記号も定めることになった<ref>{{Cite web|date=2008-03-04|url=http://www.bundesfinanzministerium.de/nn_53848/DE/Wirtschaft__und__Verwaltung/Europa/Der__Euro/Euro__Muenzen__und__Scheine/2458.html?__nnn=true|title=Das Eurozeichen|publisher=Bundesministerium der Finanzen|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-10}}</ref>。 ユーロ記号は[[欧州経済共同体]]で主席グラフィックデザイナーを務めていた{{仮リンク|アルトゥール・アイセンメンガー|en|Arthur Eisenmenger}}が1974年に作成した図案が元になっている。その図案は大きく丸みを帯びた''E''の文字の中央に2本の横線が入ったもの(''C''の文字に等号を組み合わせたようなもの)である。またそれは[[ギリシア文字]]の[[ε]]、[[古典古代]]のヨーロッパを連想させるものでもある。2本の横線は、ユーロとヨーロッパ経済圏の安定を示している。ユーロの前身である欧州通貨単位の記号は短縮形の''ECU''を図式化して使用されていたが、ユーロ記号はECUと同様に作成されたものではない。このユーロ記号の Unicode での符号位置は U+20AC である。 ところが、[[国際汎ヨーロッパ連合]]では1972年に発表した1、2、5、10、20、50、100ユーロの7つの図案にはユーロ記号が、正式に定められた記号とはわずかに異なるものの、大きい "C" の文字に等号をあわせた構成で描かれていた。この図案が発表された1972年は、国際汎ヨーロッパ連合の50周年、[[欧州石炭鉄鋼共同体]]の設立20周年にあたる年で、また同年には[[欧州諸共同体]]の北方拡大についての条約が調印されている。この図案に描かれた紙幣・硬貨の周縁には、"CONFŒDERATIO EUROPÆA" という文章が記載されていた。さらに肖像の人物として、[[カール大帝|カール1世]]、[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]]、[[ナポレオン・ボナパルト]]、[[リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー]]、[[ジャン・モネ]]、[[ウィンストン・チャーチル]]、[[コンラート・アデナウアー]]が描かれていた。さらにヨーロッパを取り巻く状況としてこの1972年は、[[仏独協力条約]]の署名10周年でもあった。 欧州連合ではユーロ記号の画像使用に留保を設定しているが、促進を目的とする使用は認めている<ref>{{Cite web|url=http://publications.europa.eu/code/de/de-370303.htm|title=Schreibregeln für Währungsbezeichnungen|publisher=Publications Office of the European Union|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-16}}</ref>。 === ISOによる通貨コード === ユーロの省略表示は "EUR" と定められている。[[ISO 4217]] では以下のようなコード指定の方法を講じているが、ユーロに対しては以下とは異なるコード指定の方法を講じている。 * 通常、[[通貨同盟]]の通貨に与えられるコードの最初の文字には "X" が割り当てられる。したがって通例にならうと、ユーロに対しては "XEU" が指定されるはずだった。実際に''XEU''は、1979年から1998年にかけて[[欧州通貨単位]]のコードに指定されていた。 * 最初の文字に "X" が指定されない場合には、通貨コードの冒頭2文字は [[ISO 3166-1]] の[[国名コード]]が指定される。しかし欧州連合は主権国家でないため、通貨コードの冒頭2文字には欧州連合を示す省略表示 "EU" が指定された。 * 通常、通貨コードの最後の文字は通貨の最初の文字が指定される。そのためユーロに対しては上述の "EU" に "euro" の最初の文字である "E" をあわせて "EUE" とするはずだった。 ** ただし例外も存在し、たとえば[[ロシア・ルーブル]]({{lang|en|Russian Ruble}})のコードは "RUR" ではなく "RUB" となっている。 == 硬貨、紙幣 == 2009年6月末の時点で7,847億ユーロを超える金額に相当する紙幣・硬貨が流通している<ref>{{Cite web|url=http://www.ecb.europa.eu/stats/euro/circulation/html/index.en.html|title=Banknotes and coins circulation|publisher=European Central Bank|language=英語|accessdate=2009-08-16}}</ref>。 === 硬貨 === ==== 通常の硬貨 ==== {{Main|ユーロ硬貨}} 硬貨として発行されているのは1、2、5、10、20、50セントと1、2ユーロである。硬貨の表面はすべての発行国で共通したものとなっているが、裏面は発行国ごとに異なるモチーフが刻まれている。裏面のデザインが異なっていても、硬貨としての効力に違いが生じるものではなく、同様に使うことができる。2004年に欧州連合が拡大したことを受けて、2007年に表面のデザインが刷新された。ドイツで鋳造された硬貨の裏面には、鋳造所を示す[[ミントマーク]]が刻印されている。またギリシャのセント硬貨には ''CENT'' ではなく''ΛΕΠΤΟ'' / ''ΛΕΠΤΑ''で額面が表示されている。また表面にはLを2つ重ねた印があり、これは各硬貨共通の表面のデザインを担当したベルギーの[[リュク・ライクス]]を示すものである。 1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨には[[白銅]]と[[黄銅]]の合金が用いられている。 [[タイ王国|タイ]]の10[[バーツ]]硬貨と2ユーロ硬貨は大きさと重量がほぼ同じであり、またそれぞれが2種類の金属の合金でできているため、ユーロ圏の硬貨識別能力が不十分な自動販売機は10バーツ硬貨を2ユーロ硬貨として認識することがある。10バーツ硬貨のほかにも[[トルコ]]の1[[新トルコリラ|リラ]]硬貨、[[ケニア]]の5[[ケニア・シリング|シリング]]硬貨、イタリアで使われていた500[[イタリア・リラ|リラ]]硬貨についても同様の事象が起こりえる。 ==== 2ユーロ記念硬貨 ==== {{Main|2ユーロ記念硬貨}} 2004年以降、2ユーロ額面の記念硬貨が発行され、市中に流通している。この記念硬貨は裏面に描かれる主題が発行国ごとに異なるものであり、ユーロを使用する国で有効に使うことができる。 最初に発行された2ユーロ記念硬貨は[[アテネ]]で開かれた[[アテネオリンピック (2004年)|2004年夏季オリンピック大会]]を記念したもので、ギリシャが作成した。2005年には[[オーストリア国家条約]]署名・発行50周年を記念した硬貨を作成、2006年にはドイツが初めて記念硬貨を作成し、主題には[[ホルステン門]]が描かれた。その後、ドイツでは2007年に[[シュヴェリン城]]、2008年に[[聖ミヒャエル教会 (ハンブルク)|聖ミヒャエル教会]]が描かれた記念硬貨が発行されている。これらの記念硬貨は大量に発行・流通されている。ドイツでは16年間は、通常版である[[ドイツの国章|アドラー]]を描いた2ユーロ硬貨を発行せず、[[ドイツの地方行政区分|連邦州]]のモチーフを描いた2ユーロ硬貨を1年ごとに代えながら発行する予定になっている。ただ2008年には流通を目的として、通常版の2ユーロ硬貨が大量に鋳造されている<ref>{{Cite web|url=http://www.bundesbank.de/download/bargeld/muenzpraegung.pdf|title=Prägeaufträge Euro-Umlaufmünzen|publisher=Deutsche Bundesbank|language=ドイツ語|format=PDF|accessdate=2009-08-16}}</ref>。 2007年3月25日、[[ローマ条約]]署名50周年を記念して、当時のユーロ圏13か国は共通の図画とそれぞれの国の公用語およびラテン語での文章を刻んだ記念硬貨を発行した。また2009年1月1日には、経済通貨統合10周年を記念した2ユーロ硬貨が発行された。 ==== 上記以外の特別記念硬貨 ==== 上述の記念硬貨以外にもユーロ圏諸国では、2ユーロ以外の額面の特別記念硬貨を発行しており、中には100ユーロ以上の額面のものや記念金貨として発行されたものもある。オーストリアではユーロ額面として最高額の硬貨が鋳造されており、"Big Phil" と呼ばれる[[ウィーン金貨]]には10万ユーロの額面がつけられている<ref>{{Cite web|url=http://austrian-mint.at/1000Oz_Phil?l=de|title=15 Jahre Wiener Philharmoniker|publisher=Münze Österreich|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-16}}</ref>。このような特別硬貨はユーロが使用されているすべての国では通用せず、それぞれ発行国のみで有効であり、またおもに収集家向けにやりとりされている。 [[スロベニア]]が[[欧州連合理事会議長国]]だった2008年には3ユーロ硬貨が発行された。 === 紙幣 === {{Main|ユーロ紙幣}} ユーロ紙幣のデザインは欧州連合規模で行われた公募で集められた案の中から、オーストリアの[[ロベルト・カリーナ]]のものが選ばれた。また紙幣のデザインはすべての国で共通のものとなっている。発行されている額面は5、10、20、50、100、200、500ユーロの7種類である。 紙幣には「ヨーロッパのそれぞれの時代と建築様式」を主題としたモチーフが描かれている。またそのモチーフとして表面には窓が、裏面には橋が描かれている。ユーロ紙幣に描かれた建築物は実在のものではなく、それぞれの時代の特徴的な建築様式をもとに描かれたものである。具体的には、5ユーロ紙幣は[[古典建築]]、10ユーロ紙幣は[[ロマネスク建築]]、20ユーロ紙幣は[[ゴシック建築]]、50ユーロ紙幣は[[ルネサンス建築]]、100ユーロ紙幣は[[バロック建築|バロック]]・[[ロココ建築]]、200ユーロ紙幣は[[アール・ヌーヴォー]]、500ユーロ紙幣は[[モダニズム建築|現代建築]]となっている<ref>{{Cite book|last=Chabot|first=Christian N.|title=Understanding the Euro: The Clear and Concise Guide to the New Trans-European Currency|origyear=1999|publisher=Mcgraw-Hill|language=英語|isbn=978-0071343886|pages=p. 10}}</ref>。 ==== ユーロ紙幣の発行 ==== 2002年末までユーロ紙幣の裏面に記載されている記番号の頭文字によって、その紙幣がどの国で印刷されたものかを判別することができた。たとえばドイツで印刷されたものにはXの文字が記載されていた。2003年以降は、いわゆる「プーリング制度」によりそれぞれの額面の紙幣が一部の中央銀行だけで発行されるようになり、印刷工場からユーロ圏全域に発送されることとなった。また各中央銀行が発行を担当する額面の種類は4つを超えないとされている<ref>{{Cite web|url=http://www.ecb.europa.eu/stats/euro/production/html/index.en.html|title=Banknotes and coins production|language=英語|accessdate=2009-08-16}}</ref>。 2003年以降は紙幣に記載された記番号を確認することで印刷工場を判別できるようになっている。たとえば5ユーロ紙幣では灰色で印刷された図柄の左端、EUROのOの文字の上方約1センチのところに記番号が記載されている。ほかの紙幣でも、この記番号は表面にある額面の上方に記載されている。記番号の先頭の文字は、その紙幣がどの工場で印刷されたものであるかを示している。たとえばRであれば、[[ベルリン]]の[[連邦印刷局]]で発行された紙幣ということを表している<ref>{{Cite web|url=http://en.eurobilltracker.com/notes/?command=8;tab=3|title=Follow your Euro notes in their tracks|publisher=EuroBillTracker|language=英語|accessdate=2009-08-16}}</ref>。印刷工場コードに続くのは3桁の数字、アルファベット1文字、1桁の数字である。 === 紙幣・硬貨をめぐる問題 === ==== 1、2ユーロ紙幣の導入 ==== オーストリアは2ユーロ紙幣を、イタリアはさらに1ユーロ紙幣の導入を求めている。両国ではユーロ導入以前に低い額面の紙幣が流通しており、オーストリアでは20シリング(1.45ユーロに相当)紙幣が、イタリアでは1,000リラ(52セントに相当)紙幣がそれぞれ発行されていた。 2004年11月19日に欧州中央銀行の政策理事会は、現行よりも低い額面の紙幣発行は行わないということを決定した。2ユーロ紙幣についても現行の紙幣が10年間は改訂する予定がなく、導入する見込みはない<ref>{{Cite web|last=Diethelm|first=verena|date=2006-12-29|url=http://www.ftd.de/boersen_maerkte/geldanlage/144295.html|title=Top Secret: Der neue Euro|publisher=Financial Times Deutschland|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-16|archiveurl=https://archive.is/20120731132555/http://www.ftd.de/finanzen/geldanlage/:top-secret-der-neue-euro/144295.html|archivedate=2012年7月31日|deadlinkdate=2013-11-01}}</ref>。 ==== 1,2セント硬貨の廃止 ==== 一部のユーロ導入国では1セント硬貨と2セント硬貨が一般的に使われていない。実際にフィンランドではセント単位の下1桁が0または5しか使用されていないため、同国では1セント硬貨と2セント硬貨が導入されていない。このような端数の廃止はオランダでも同様に行われた。これは両硬貨の流通量が少なく、そのために需要が少ないということが指摘されている。しかし1セント硬貨、2セント硬貨は特に問題なく使うことができる。 廃止に反対する立場からは、価格が5セント単位となるよう切り上げられていくおそれがあり、いわば第2の[[トイロ]]を引き起こしかねないということが指摘されている。これに対して、[[心理的価格設定]]を行う際に、従来は端数を99セントとしたものを廃止後は95セントにすることが見込まれるため、トイロ現象は起こらないという反論がある。さらにオランダやフィンランドの商店では、商品価格の端数をいまだに端数を99セントとしているところがある。このような商店では商品の合計購入額を支払いの際に切り上げ、または切り下げしている。 ==== 500ユーロ紙幣の廃止 ==== 2009年、[[ドイツ連邦議会]]はインターネット上で500ユーロ紙幣による支払の廃止を求める請願の受付を開始した。この原因には、ガソリンスタンドや商店、あるいは[[ドイツポスト|ドイチェポスト]]の受付窓口でさえも、500ユーロ紙幣の受け取りが断られている実態にある。500ユーロ紙幣の受け取りが断られる背景には、釣銭が不足するというためではなく[[偽札]]を警戒するというものである。ところが統計ではこの懸念を裏付けることができない。これは実際に500ユーロの偽札が使われるという割合が全体の1%に満たないためである<ref>{{Cite web|last=Vitzthum|first=Thomas|date=2009-04-08|url=http://www.welt.de/politik/article3527314/Buerger-wollen-den-500-Euro-Schein-abschaffen.html|title=Bürger wollen den 500-Euro-Schein abschaffen|publisher=Welt Online|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-16}}</ref>。 2016年[[5月4日]]に[[欧州中央銀行]]は、[[パナマ文書]]で明かされたユーロによる[[資金洗浄]]対策により、[[ドイツ]]の反対を押し切り、500ユーロ紙幣の発行停止を[[2018年]]末までに実施することを決定した<ref>{{cite news | author = | url = http://www.sankei.com/economy/news/160505/ecn1605050008-n1.html | title = 高額すぎる…500ユーロ紙幣の廃止決定 犯罪対策で欧州中銀、2018年末に発行停止 | newspaper = [[共同通信社]] | publisher = [[産経新聞社]] | date = 2016-05-05 | accessdate = 2017-09-05 }}</ref>。廃止される500ユーロ紙幣は発行残高の20%程度、枚数にして2%程度に過ぎないと推測されている<ref>{{Cite web|和書|date= 2018-04-03|url= https://jp.reuters.com/article/miyanoya-idJPKCN1HA155|title= 1万円券廃止、慎重に考える必要=宮野谷日銀理事|publisher= ロイター|accessdate=2018-04-03}}</ref>。2019年、ドイツとオーストリアを除くユーロ圏で500ユーロ紙幣の印刷が終了し、1月27日から回収開始。2019年4月26日、ドイツとオーストリアが500ユーロ紙幣の印刷を終了<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20190428/k00/00m/030/089000c|title=500ユーロ紙幣の印刷終了 ドイツなど、犯罪資金源遮断狙う|accessdate=2019年5月5日|publisher=毎日新聞}}</ref>、4月29日から回収開始。ドイツとオーストリアの印刷終了が遅れたのは使用頻度が高かったためである<ref>{{Cite web|和書|url=https://hbol.jp/184580|title=1月27日から回収され始め、「500ユーロ紙幣」は市場から姿を消す|accessdate=2019年5月5日|publisher=}}</ref>。 === 偽造対策 === ==== 紙幣 ==== ユーロ紙幣の[[偽札]]対策の水準は、世界的に見ても高いものと評価されている。紙幣の安全性を確保するためにさまざまな対策が講じられている。紙幣用の紙には製造段階において蛍光繊維が、また中心部には糸が入れられており、裏から光を当てると全体が黒ずみ、特に額面のあたりには極小文字が印刷されている。またユーロ紙幣は特殊な構造を持つ綿繊維で作られている。さらに図柄の部分は発光塗料で印刷されており、[[紫外線]]を当てるとその部分が発光するようになっており、[[赤外線]]を当てると違う色が反射される。紙幣の[[透かし]]に裏から光を当てると、それぞれの券種に描かれている図柄が浮かび上がり、額面が判断できるようになっている。 [[ファイル:10 euro infrarot aufnahme.JPG|thumb|right|200px|左側の画像は赤外線を、右側の画像は通常の光を当てて撮影した10ユーロ紙幣]] 紙幣の表面左上隅にある確認用の見当は裏から光を当てて、裏面に印刷された見当と合わせると紙幣の額面が浮かび上がる。これは表面と裏面にはそれぞれ額面の一部しか印刷されておらず、両者を組み合わせることで額面が示されるようになっている。5、10、20ユーロ紙幣の縁には帯状の金属箔が貼りつけられており、光の加減でユーロ記号や額面が現れるキネグラムとなっている。50ユーロ以上の額面の紙幣に貼られている金属箔はホログラムとなっており、見る角度によってその紙幣に描かれている建造物や額面が現れるようになっている。 凹版印刷と、間接的な活版印刷を組み合わせた印刷法で製造された紙幣の表面にはレリーフが隆起しており、これは紙幣を偽造しにくくするのと同時に、視覚障がい者が紙幣を区別しやすくするためのものである。さらに紙幣に描かれた窓や扉の部分や欧州中央銀行の略称である BCE、ECB、EZB、EKT、EKPが印刷されている部分も隆起印刷が施されている。 低額紙幣の裏面には[[構造色]]を起こす筋があり、他方で50ユーロ以上の紙幣には光学的変化インクで額面が印刷されており、紙幣を傾けるとその色が変化するようになっている。さらにユーロ紙幣には機械で真券であるかを検査するための印がある。また偽造防止システムによって、[[複写機]]や[[パーソナルコンピュータ]]を用いた偽造を防止するなどの対策もとられている。ドイツ連邦銀行では確認する安全対策の方法をひとつだけにすべきではないとし<ref>{{Cite web|url=http://www.bundesbank.de/download/bildung/geld_sec1/geld1_02.pdf|title=Fälschungsschutz unserer Banknoten|publisher=Deutsche Bundesbank|language=ドイツ語|format=PDF|accessdate=2009-08-16}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.bundesbank.de/bargeld/bargeld_falschgeld_leitfaden.php|title=Falschgeldleitfaden Banknoten|publisher=Deutsche Bundesbank|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-16}}</ref>、同時に、非公開としている安全対策があるということを明らかにしている。 ==== 硬貨 ==== ユーロ硬貨は額面が低いため、偽造ユーロ紙幣に比べると影響が深刻ではない。しかしユーロ硬貨にも偽造対策が施されている。ユーロ硬貨には大きさと重さが厳密に定められている。1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨は2つの金属の合金で鋳造されている。合金で鋳造されていることと、複雑で3段階を経る製造過程によってユーロ硬貨の安全性が確保されている<ref>{{Cite book|last=Seeker|first=Petra|coauthors=Bauer-Emmerichs, Michael|title=Duden. Der Euro. Das Lexikon zur Währungsunion|origyear=1998|publisher=Dudenverlag|location=Mannheim|language=ドイツ語|isbn=978-3411704613|pages=pp. 130-131}}</ref>。1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨の中心部分にはわずかな[[強磁性]]を持つが、1、2、5セント硬貨は強い強磁性を持つ。1ユーロ硬貨と2ユーロ硬貨の外周は強磁性を持たないが、1、2、5セント硬貨は強磁性を持っている。偽造セント硬貨は本物のセント硬貨とは違う金属で製造されることがあるため、テーブルに落とした音で偽造硬貨を判別することがある。また紙に偽造硬貨で線を引くと、鉛筆で書いたような跡が残ることがある<ref>{{Cite web|url=http://www.bundesbank.de/bargeld/bargeld_falschgeld_muenzleitfaden.php|title=Leitfaden Münzen|publisher=Deutsche Bundesbank|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-16}}</ref>。2006年後半に回収された偽造硬貨のおよそ95%は2ユーロ額面のものだった。 == ユーロ導入による経済への効果 == === 好影響 === ユーロの導入によって従来は共同体内部に存在していた為替相場リスクや、そのリスクヘッジのために企業が負担するコストが低減することとなり、ユーロ圏内での通商や経済協力が増大するということが期待される。そして通商は経済成長をもたらす大きな要因のひとつであることから、ユーロ圏入りはその国民にとって利益につながると考えられており、実際に2007年までにユーロ圏内での貿易は5 - 15% 増加してきた<ref>{{Cite web|url=http://www.eu4journalists.eu/index.php/dossiers/german/C23/24/|title=Die Wirtschafts- und Währungsunion und der Euro|publisher=EU4Journalists|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。つまりユーロによってヨーロッパの企業は巨大な経済圏で活動するという利益を享受することとなった。またユーロは商品、サービス、資本、労働力の自由な移動という、ヨーロッパ共同市場に欠けていた単一通貨となって、市場統合を完成させた。 さらにユーロによって、ユーロ圏諸国における商品およびサービスの価格格差が解消され、つまり[[裁定取引]]によって既存の価格格差は相殺される。このことによって企業間の競争が活発化し、またインフレーション率の低下とあわせて消費者に利益をもたらすこととなる。 一般に、欧州中央銀行はインフレとの戦いという主たる使命を成し遂げてきた。事実、欧州中央銀行が設定している2%という[[インフレターゲット|インフレーション・ターゲット]]はおおむね達成されているか、あるいは長期にわたる過度の超過は防がれてきた<ref>{{Cite web|url=http://sdw.ecb.europa.eu/home.do?chart=t1.1|title=Inflation rate (HICP)|publisher=European Central Bank|language=英語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。{{要出典範囲|インフレーション率が低いということはユーロ圏諸国の市民にとって経済安定性の基礎|date=2014年5月}}となっている。 ユーロに対する投機は、投資家にはリスクが大きすぎ、ほかの小規模の通貨と比べると困難なものとなっている。1990年代の通貨に対する投機は[[ポンド危機]]など、欧州通貨制度に深刻な歪みをもたらし、さらに[[アジア通貨危機]]の発生原因のひとつとなった。特定の国の通貨に対する投機はその国の外貨準備を吐き出させ、また国民経済に深刻な損害をもたらしかねないものとなり<ref>{{Cite web|url=http://www.wirtschaftslexikon24.net/d/waehrungsspekulation/waehrungsspekulation.htm|title=Währungsspekulation|publisher=wirtschaftslexikon24.net|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>、ユーロの導入は[[ヘッジファンド]]による通貨の[[空売り]]の目論見を防止することが可能となる。 またユーロは、とくに旅行者にとって利益をもたらしている。ユーロ圏内では両替やその手数料が不要になるうえ、通貨単位が異なることによる商品価格の比較が容易になる。 ユーロ圏内では複数の通貨を有する経済圏よりも自由な資本の移動が起きている。 さらにユーロの登場によって世界におけるヨーロッパの経済的重要性が再認識されている。金融に関するヨーロッパの動向はより大きな影響を持ち、また{{要出典|ユーロ圏諸国の発言力も強くなっている|date=Sep 2014}}。グローバル化した世界でユーロという単一通貨はアメリカやアジア諸国に対するヨーロッパの[[国際競争力]]を高める役割を持っている。 ユーロは経済心理面においてヨーロッパ諸国間の協力関係を表すものであり、また[[ヨーロッパのシンボル]]として[[欧州統合|統合]]の概念を具現化するものである。{{要出典|また政治面でもユーロは欧州連合の強化をもたらしている|date=may 2015}}。 === 悪影響 === {{see also|PIIGS|2010年欧州ソブリン危機}} 経済学者の中には、ユーロ圏のような巨大で特殊な経済圏にとっては単一の通貨を持つことについての危険性を懸念する意見がある。特に[[景気循環]]が非同期的であることによって適切な金融政策を打ち出すことの難しさが挙げられている。 実際にユーロが導入されてまもなく、国ごとで経済情勢は異なるにもかかわらず、単一の金融政策を実施することが困難なものであることが明らかとなった。たとえば、経済成長率が5%を超えていたアイルランドと、ほぼ0%のスペインやポルトガルとを調和させるということが挙げられる。従来の手法では政策金利の引き上げや通貨供給量の引き締めといった政策でアイルランドの経済情勢に臨む一方で、スペインやポルトガルに対しては金融緩和策が必要だった。しかし単一の金融政策ではこのような域内での格差を十分に反映することができない。 マクロ経済学上の大きな問題として、単一通貨への参加による為替相場の固定がある。これがもたらす問題として域内地域格差問題がある。為替レートが域内固定されることにより、人件費の安い南欧に工場建設などの長期投資が発生する一方で、独・仏・ベネルクスなどでは安価な商品サービスの提供が行われるようになった反面、失業率の高止まりと新たな雇用の創出という難題を抱えている。南欧諸国にしても、[[欧州為替相場メカニズム|ERM]]に参加していない欧州諸国、とりわけイギリスやポーランド、チェコなどとの競争にさらされている。 [[国際金融のトリレンマ]]に従えば、固定相場制と資本移動の自由を両立させているユーロ圏各国では独立な[[金融政策]]をとることができない。この事実はユーロ圏の加盟国が不況に陥ったときに、自国通貨を切り下げて輸出競争力を高め、経常収支を改善させることができなくなる。そのような状況下ではユーロ圏で経済が好調な国から不況の国へ財政支援が検討された場合の[[欧州連合|EU]]の力量が試される。しかしながら、実際にはアメリカのような[[財政連邦主義]]は現時点でのユーロ圏にはなく、頼みの綱の財政政策も安定成長協定(SGP)によって制限をかけられ、結果として各国の成長の足かせになりうる<ref>P.R. Krugman, M.Obstfeld クルーグマンの国際経済学 理論と政策(下)金融編</ref>。 ユーロ圏は、アメリカと異なり、圏内各国で言語や文化が異なるために、ユーロ圏内での資本移動はアメリカほど自由ではない。各国は自国の人口をゼロにしたいとは思わない。こうして資本移動での経済の調整メカニズムはあまり機能しなくなる。さらに、圏内の唯一の発券銀行である欧州中央銀行が、ドイツの影響を非常に強く受けており、危機に対して民主的な裁量の余地が加盟国に乏しいこと<ref>[http://www.bbc.co.uk/news/business-15110053 Joseph Stiglitz: Austerity not the way to go for Europe] BBC News 2011年10月4日</ref>などが想定される。 [[ミルトン・フリードマン]]は、ユーロの見通しの悪さを以下のように危惧していた。適切な金融政策がとれるのは[[変動相場制]]があるからであり、統一通貨ではそれは不可能である。さらに悪いことに、ユーロ圏のように、為替レート変動による経済の調整メカニズムを放棄している場合には、国内の価格や賃金あるいは資本移動によってでしか調整メカニズムが働かないため、ユーロ圏各国が各自独立した文化や規制を有している状態のままユーロを導入すれば、ユーロ圏各国の政府が各々異なる政治的圧力にさらされ、それら政府同士での政治的軋轢が生じる<ref>[http://www.forbes.com/sites/jerrybowyer/2012/08/01/happy-birthday-milton-friedman-the-european-crisis-is-your-latest-vindication/ Happy birthday, Milton Friedman, The European crisis is your latest vindication] Forbes 2012年8月1日</ref>。これは、現在の[[PIIGS]]と[[ドイツ]]のように、救済される側とする側とで異なる政治的圧力が働き、ユーロ圏政府間での交渉が行き詰っている状態をさしており、このような経済的困難が現れることを、フリードマンは予見していたと言える。 また、[[クリストファー・ピサリデス]]は、現在のユーロシステムによって、失業率が高止まりし[[失われた世代]]が作り出されていると指摘し、ユーロ圏の順序だった解体を主張し始めた<ref>[http://www.telegraph.co.uk/finance/economics/10512678/Dismantle-the-euro-says-Nobel-winning-economist-who-once-backed-currency-union.html Dismantle the euro, says Nobel-winning economist who once backed currency union] The Telegraph 2013年12月12日</ref>。かつては名案とされた通貨同盟だが、この通貨システムによってヨーロッパが低成長に苦しみ、加盟国が政治的に分断される結果となり、逆効果にしかなっていないとピサリデスは述べる。 ユーロ圏全体では既に2013年度の平均失業率が12.2%に達し<ref>[http://www.bbc.co.uk/news/business-22425038 Eurozone retail sales fall for second consecutive month]BBC news, May 6, 2013 </ref>、スペインでは前年より売り上げが10%落ち込み、ギリシャなど一部の国ではデフレーションに陥っている状況であるにもかかわらず、[[欧州中央銀行|欧州中央銀行(ECB)]]が景気回復のための適切な金融政策をとっていないという批判がある<ref>[http://www.bloomberg.com/news/2013-04-17/the-ecb-is-the-odd-central-bank-out.html The ECB is the odd central bank out]Bloomberg April 17, 2013</ref>。ユーロ圏の経済成長率は1%未満にまで低下している。スペインとギリシャの失業率は27%に達しており、[[国際通貨基金|IMF]]はECBに[[政策金利]]を下げるよう要請している。しかし、現段階でECBは、アメリカの[[連邦準備制度|連邦準備制度(FRB)]]などが行っているような[[量的緩和]]を検討はしないという<ref>[http://money.cnn.com/2013/04/29/news/economy/ecb-interest-rates/index.html If not now, when will ECB cut rates]CNN Money, April 29, 2013 </ref>。[[ジョージ・ソロス]]は、ECBの金融政策はその他の中央銀行が行っている量的緩和と同期していないと述べる。 加えて、政治的な面からも、欧州中央銀行や欧州委員会がユーロ導入国の赤字国債発行を阻止できるかということは疑わしいと考えられている。マーストリヒト条約では安定成長協定に反した場合の罰金制度が規定されているが、2003年にフランスが棚上げにさせたことなどもありその実効性は疑わしい<ref>{{Cite web|date=2003-11-25|url=http://www.sueddeutsche.de/wirtschaft/84/347920/text/|title=Das war eine Niederlage für Europa|publisher=Süddeutsche Zeitung|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。 一般に、単独または複数の国が財政政策上の義務を逃れるために大規模な国債増発に動いた場合、通常は国債価格の下落(金利の上昇)やインフレの進行、あるいは自国通貨の下落(通貨安)による輸入物価の高騰という形で報いを受けるが、ユーロ一本値の場合、インフレ率や為替への影響は域内全体に拡散、吸収されるため残りのユーロ圏諸国に間接的な影響(損害)を及ぼしかねない。すなわち国債増発国はリスクを負わず安易な債券の発行が可能になり、そのツケはほかの参加国が共同で負うという[[モラル・ハザード]]を生み出すことになる。 アメリカのように金利上昇により自国通貨が上昇(通貨高)する事例もあるが、民族資本の乏しい開発途上国では、為替相場におけるクラウドイン効果は期待できないと推測される。 国債発行の単年度GDPの3%制限は、財政政策を行う上での大きな足かせであり、なおかつ金融調整は[[欧州中央銀行]]の一本値である。政府支出と金利調整機能は自国の総需要管理の強力な誘導手段であり、この2つを放棄することは自国の雇用を域内市場の趨勢にまかせ、政府が国民に対する責任を果たす直接的な手段が大きく制約されることを意味する。 イギリスの再加盟反対派が掲げるおもな理由は「イギリス経済はユーロ経済と非常に異なっており、ユーロ圏の画一的な経済政策はイギリス経済にリスクをもたらす」「イギリスの自主性が失われる」「イギリスのマクロ経済政策は、ユーロ圏のそれより有効である」「ユーロ圏、特にドイツに構造的問題がある」とする<ref>「英国のユーロ参加問題」JETROユーロトレンド2003.3[http://www.jetro.go.jp/jfile/report/05000371/05000371_001_BUP_0.pdf]</ref>。イギリス政府は、再加盟問題を検討するうえで5項目の経済テストを行い、結局「イギリスの金融部門に良好な影響をあたえる」以外の項目は満たさないとの結論を得た。なお、ほかの4項目は「ユーロ圏とイギリスの経済構造や景気サイクルが持続的に一致の方向に向かっている」「イギリスの労働・生産市場が経済的衝撃に耐えられる柔軟性を備えている」「イギリスへの投資が改善(拡大)する」「イギリスにおける雇用の機会が拡大する」である<ref>[http://www.jetro.be/jp/business/eurotrend/200309/report-9.pdf 「英国のユーロ参加問題」JETROユーロトレンド2003.9]</ref>。 === 商品市場 === 上述してきた影響のほかに、国際商品市場の値動き、特に経済において重要なものに原油価格が挙げられる。ほとんどの原油の取引には[[アメリカ合衆国ドル|USドル]]が用いられ、1970年代以降、[[石油輸出国機構]]諸国はドル建てだけで取引してきた。ところが、ユーロの登場により原油輸出国側では外貨準備の分散の観点から一部の受け取りをUSドルからユーロに移行する国が増え、そのため輸入国側でもユーロ建てでの取引に移行せざるを得ないということが議論された。 各国中央銀行と民間資本によるドルによる外貨保有は、アメリカ国債の重要な引き受け先であり、輸出国側がユーロ建てを導入すれば、ながらく原油取引によって安定してきたUSドルとドル経済にきわめて不利な影響をもたらすことになる<ref>{{Cite web|date=2006-05-29|url=http://www.esyoil.com/s11_Tendenz_zum_Euro_als_Oel-Waehrung_5287.php|title=Tendenz zum Euro als Öl-Währung|publisher=esyoil|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。2000年、[[サッダーム・フセイン]]統治下の[[イラク]]は原油取引をユーロ建てのみとしたが、のちにアメリカによる占領でドル建てに戻されている。また[[イラン]]や、ユーロ建てへの移行を強く唱えている[[ウゴ・チャベス]]政権下の[[ベネズエラ]]は、サッダームによるユーロ建て移行に対する支持を表明している<ref>{{Cite web|last=Steinberg|first=Thomas Immanuel|date=2006-03-21|url=http://www.steinbergrecherche.com/ueeurodollar.htm#T|title=In der Dollar-Klemme|publisher=SteinbergRecherche|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。2008年2月17日、イランは[[キーシュ島]]に、USドル建ての取引を行わない[[イラン石油取引所|石油取引所]]を開設したが、イランの原油輸出量はUSドルの「原油取引通貨」としての地位を脅かすほどのものではなかった<ref>{{Cite web|last=Kulik|first=Martin|date=2006-04-28|url=http://politik.germanblogs.de/archive/2006/04/28/px35z9ltmljk.htm#similarEntries|title=Die Iranische Ölbörse ? ein Gespenst das Niemanden erschreckt|publisher=germanblogs|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。 === インフレーション === ==== 実際の物価上昇と消費者の感覚 ==== ユーロの導入によって多くの消費者は商品やサービスの価格が[[インフレーション率]]以上に高くなったと感じている。この物価が上がったという消費者の感覚は、特定の地域で原価が上がったために個々の価格が上げられたことによるものであり、これらの価格上昇が特に印象に残った。一部では事前に、ユーロ導入後の価格の表示で端数の調整を実施するために、価格を緩やかに上昇させていたところもあった。 そのためドイツでは、[[ティタニック]]誌が作り出し、その後多くの新聞でも使われるようになった "Teuro" という言葉(「高価な」という意味のドイツ語 ''teuer'' と ''Euro''をあわせた造語)が広まり、Teuro は2002年の言葉(''Wort des Jahres 2002'')に選ばれた。しかし政府の統計ではこの年に大きなインフレーションは起こっていない。たとえばオーストリア統計局によると、オーストリアの1998年12月31日での対1986年比での消費者物価指数(VPI 86)は133.7で、1987年から1998年の12年間の平均インフレーション率は2.45%である。これに対して対1996年比での消費者物価指数(VPI 96)は、1998年12月31日に102.2だったものが、2003年12月31日には112.0となっており、ユーロ導入後の平均インフレーション率は1.84%に下がっている。またドイツの対2000年比での消費者物価指数を見ると、1991年に81.9だったものが1998年には98.0となった一方で、ユーロ導入後の2003年には104.5となっている。つまり、ユーロ移行以前の平均インフレーション率が2.60%だったのに対して、移行後は1.29%と下がっている。 ==== 矛盾の解析 ==== 上記のような、統計上はインフレーション率が低下していることと、ユーロ導入によって消費者が実際のインフレーション率以上に物価が上昇していると感じたこととの矛盾についてはさまざまな解析がなされている。たとえば、たしかに食品など日常購入する商品の価格上昇率は全体のインフレーション率を上回っていたが、[[マーケットバスケット方式]]で調査された対象に含まれている電化製品などの価格上昇率は全体のインフレーション率より下回っていた。つまり後者の商品は日常的に購入するものではないため、消費者は統計以上に物価が上昇したと感じたのではないかということが指摘された。また旧通貨からユーロに頭の中で換算したときに、四捨五入するなどして発生した誤差(たとえば対ドイツマルクで 1:1.95583 とするところを 1:2、対[[オーストリア・シリング]]で 1:13.7603 とするところを 1:14 などとした)が影響したという見方もあり、特に[[ペセタ|スペイン・ペセタ]](四捨五入で 1:166)の例がある。そして旧通貨を使っていた時間が長いほどユーロでの価格表示と旧通貨での表示を比べるために、物価が上昇したのではないかということが強く感じられたのではないかとも指摘されている。 === ユーロと各国の経済政策 === 通貨が共通化されたことにより、導入国では国内の[[経済政策]]の大部分を独自に実施するということがなくなった。このため単一通貨を批判する立場からは経済や政治における摩擦が増大する危険をもたらすのではないかと指摘し、他方で単一通貨を支持する立場からは導入国間での収斂基準の達成に基づく金融政策の統合は合理的であるとしている。 === 国際通貨制度におけるユーロ === {{See also|準備通貨}} <div style="height:auto; overflow: auto; text-align: left"> {{COFER}} </div> 主要通貨に対してユーロ相場が安定した動きを見せていることとアメリカが長期にわたって財政政策の懸案事項を抱えていることから、経済専門家の中には世界における準備・基軸通貨としてのUSドルの地位をしだいに脅かし、最終的には凌駕するのではないかという見方を持つものがいる<ref>{{Cite web|date=2007-09-17|url=http://www.spiegel.de/wirtschaft/0,1518,506054,00.html|title=Greenspan sieht Euro als künftige Reservewährung|publisher=Spiegel|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25}}</ref>。もしユーロがUSドルに代わる地位を得ることとなれば、かつて第二次世界大戦後に、それまで世界の基軸通貨だったポンド・スターリングと取って代わったUSドルの時代が終焉するということになる。そのことは世界の準備通貨の割合においてユーロが着実に増えているということに示されている。 ほとんどの経済専門家は[[開発途上国]]や[[新興工業国]]が外貨準備の再検討や原油取引のユーロ建てへの移行について繰り返し表明していることを、具体的な意図があるのではなくアメリカに対して政治的な圧力をかけようとしていると考えている。しかし、ユーロ圏外の国の外貨準備におけるユーロの占める割合が過大になれば、それは外貨準備において従来の過小評価を改めただけと考えられ、多くの国の通商・経済関係では依然としてユーロは低く評価されている。 ユーロの現金発行残高は2006年にUSドルを抜いて、世界でもっとも多くなった。この年の10月に世界に流通しているユーロ紙幣の額面の合計は5,920億ユーロとなり、USドル紙幣の5,790億USドルを上回った。ただしこの背景には、アメリカ国内では決済手段としてクレジットカードが多く使用されているということがあり、そのため1人あたりの現金の所持額が少なくなる。ユーロは将来的に現金として最大の規模を持つ通貨となると見込まれている<ref>{{Cite web|1=authorRalph Atkins|coauthors=Mark Schieritz|date=2006-12-28|url=http://www.ftd.de/politik/europa/145253.html|title=Euro läuft dem Dollar den Rang ab|publisher=Financial Times Deutschland|language=ドイツ語|accessdate=2009-07-25|archiveurl=https://archive.is/20120730160403/http://www.ftd.de/politik/europa/:euro-laeuft-dem-dollar-den-rang-ab/145253.html|archivedate=2012年7月30日|deadlinkdate=2013-11-01}}</ref>。 == ユーロ相場 == === 旧通貨からユーロへの移行 === {| class="wikitable" style="font-size:90%; float:right;" |+ 対1ユーロでの旧通貨の交換比率 |- | [[ベルギー・フラン]] || 40.3399 || [[キプロス・ポンド]] || 0.585274 |- | [[ドイツマルク|ドイツ・マルク]] || 1.95583 || [[クローン (通貨)|エストニア・クローン]] || 15.6466 |- | [[フィンランド・マルッカ]] || 5.94573 || [[フランス・フラン]] || 6.55957 |- | [[ドラクマ|ギリシャ・ドラクマ]] || 340.750 || [[アイルランド・ポンド]] || 0.787564 |- | [[イタリア・リラ]] || 1936.27 || [[ラッツ|ラトビア・ラッツ]] || 0.702804 |- | [[ルクセンブルク・フラン]] || 40.3399 || [[マルタ・リラ]] || 0.429300 |- | [[ギルダー|オランダ・ギルダー]] || 2.20371 || [[オーストリア・シリング]] || 13.7603 |- | [[ポルトガル・エスクード]] || 200.482 || [[トラール|スロベニア・トラール]] || 239.640 |- | [[スロバキア・コルナ]] || 30.1260 || [[ペセタ|スペイン・ペセタ]] || 166.386 |- | [[リタス|リトアニア・リタス]] || 3.4528 || [[クーナ|クロアチア・クーナ]] || 7.5345 |} 欧州為替相場メカニズム適用国においてユーロを導入する際には、欧州連合加盟国の財務相による経済・金融理事会において最終交換比率を決定することになる。この交換比率は、端数処理による誤差が最小限となるような有効桁数が6桁の数となるように決められる。 1998年12月31日に欧州連合加盟国の財務相は、ユーロを最初に導入する11か国の通貨とユーロとの最終交換比率を決定した。このときの交換比率は欧州通貨単位に基づいて設定されたものである。以後にユーロを導入した国(2001年のギリシャ、2007年のスロベニア、2008年のキプロスとマルタ、2009年のスロバキア)の旧通貨とユーロとの最終交換比率は、欧州為替相場メカニズムのセントラル・レートを基準として定められた。 ユーロが決済通貨として導入されると、導入国の旧通貨とほかの通貨との両替は「トライアンギュレーション」方式でのみ行われることとなった。つまり旧通貨とほかの通貨との両替にあたっては、いったんユーロに換算してから行なわれなければならなくなった。また端数処理はユーロおよび対象通貨の小数第3位で行うことが認められていた。トライアンギュレーションは直接換算で発生するおそれがある端数処理の誤差を防ぐため、欧州委員会はこの方式による両替の実施を義務づけた。 旧通貨単位での金額表示をユーロに切り替えるにあたって、切り替えのための計算の最後の時点においてのみ、端数を支払いが可能な額に丸めることが認められた。端数処理を計算の最後の時点としたのは、計算にあたって個々の要素や計算途中で出された結果を端数処理をするとまったく異なる結果が出るおそれがあったためである。異なる結果が出てしまえば、新通貨の導入によって契約の継続性に影響を及ぼさないとする原則に反することになる。 === 対USドル相場の推移 === {| class="wikitable" style="float:right; font-size:90%; width:25%; text-align:right; white-space:nowrap" |+ 対USドル基準相場の年間最高値と年間最安値<br />(1EUR = )<ref name="EZB-Wechselkurse">{{Cite web|url=http://www.ecb.europa.eu/stats/exchange/eurofxref/html/index.en.html|title=ECB: Euro foreign exchange rederence rates|publisher=European Central Bank|language=英語|accessdate=2009-08-01}}</ref> |- ! 年 !! 月日 !! 最安値 !! 月日 !! 最高値 |- | 1999 || 12月3日 || 1.0015 || 1月5日 || 1.1790 |- | 2000 || 10月26日 | style="background-color:#FFCCCC" | 0.8252 | 1月6日 || 1.0388 |- | 2001 || 7月6日 || 0.8384 || 1月5日 || 0.9545 |- | 2002 || 1月28日 || 0.8578 || 12月31日 || 1.0487 |- | 2003 || 1月8日 || 1.0377 || 12月31日 || 1.2630 |- | 2004 || 5月14日 || 1.1802 || 12月28日 || 1.3633 |- | 2005 || 11月15日 || 1.1667 || 1月3日 || 1.3507 |- | 2006 || 1月2日 || 1.1826 || 12月5日 || 1.3331 |- | 2007 || 1月12日 || 1.2893 || 11月27日 || 1.4874 |- | 2008 || 10月27日 || 1.2460 || 7月15日 | style="background-color:#CCFFCC" | 1.5590 |- | 2009 || 3月5日 || 1.2555 || 12月3日 || 1.5120 |- | 2010 || 6月8日 || 1.1942 || 1月13日 || 1.4563 |} 1999年1月4日、[[フランクフルト証券取引所]]において初めてユーロとUSドルの為替取引が開始され、このとき 1EUR = 1.1789USD の値がついた。ユーロ相場は対USドルで値を下げていき、取引開始から2年後には最安値をつけた。2000年1月27日にはユーロは対USドルで 1EUR = 1USD の[[パリティ]]を下回り、同年10月26日に史上最安値の 1EUR = 0.8252USD となった。 2002年4月から2004年12月にかけてユーロは多少値を戻していく。2002年7月15日には 1EUR = 1USD の[[パリティ]]を上回り、2004年12月28日には当時の史上最高値となる 1EUR = 1.3633USD をつけた。一部のアナリストは 1EUR = 1.4 - 1.6USD にまで達すると見込んでいたが<ref>{{Cite web|date=2005-01-03|url=http://www.bfinance.de/content/view/13741/|title=bfinance-Konsensus für Zinssätze und Wechselkurse (Februar 2005)|publisher=bfinance|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-01}}</ref><ref>{{Cite web|date=2004-12-28|url=http://www.abendblatt.de/wirtschaft/article297592/Euro-steigt-immer-weiter-mehr-als-1-36-Dollar-wert.html|title=Euro steigt immer weiter - mehr als 1,36 Dollar wert|publisher=Hamburger Abendblatt|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-01}}</ref> 、その予想は外れ、[[連邦準備制度]]の政策金利引き上げ<ref>{{Cite web|last=Wagner|first=Hans|date=2006-01-31|url=http://www.eurasischesmagazin.de/artikel/?artikelID=20060106|title=2006: Das Jahr des Euros|publisher=Eurasisches Magazin|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-01}}</ref>を受けてユーロは2005年に入って値を下げていき、同年11月15日には年間最安値の 1EUR = 1.1667USD をつけた。ところが連邦準備制度の金利引き上げ策は2006年のアメリカ経済の後退を受けて継続されなかった。2007年後半に表面化した[[サブプライム住宅ローン危機|サブプライムローン危機]]のために、連邦準備制度は政策金利の引き下げを決め、これを受けてユーロは相対的に値を上げた。その結果、2008年7月15日に欧州中央銀行の基準相場は史上最高値の 1EUR = 1.5990USD をつけ<ref name="EZB-Wechselkurse" />、また市場では基準相場を上回る 1EUR = 1.6038USD で取引された<ref>{{Cite web|last=Dretkluft|first=Joachim|date=2008-07-15|url=http://www.ftd.de/boersen_maerkte/aktien/marktberichte/:Krise%20Fannie%20Freddie%20Anleger%20Dollar/385896.html|title=Anleger flüchten aus dem Dollar|publisher=Financial Times Deutschland|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-01|archiveurl=https://archive.is/20120903145647/http://www.ftd.de/finanzen/maerkte/marktberichte/:krise-von-fannie-und-freddie-anleger-fluechten-aus-dem-dollar/385896.html|archivedate=2012年9月3日|deadlinkdate=2013-11-01}}</ref>。この値は1995年4月19日につけた1USドルが1.3455ドイツマルク、単純に1ユーロに換算すると 1EUR = 1.45361 USD という相場を超えたものとなった。 2008年サブプライムローン危機によるUSドルの下落によって、ユーロ圏の[[国内総生産|域内総生産]]をUSドルに換算すると一年間だけ一時的にアメリカ合衆国の国内総生産を上回った。しかし、その後はユーロ圏がむしろ経済危機の震源地になっており、ユーロは下落し、USドルに換算すると経済的に衰退している<ref>{{Cite web|date=2008-03-14|url=http://de.reuters.com/article/idDEHUM46144820080314|title=Euro-Zone lost USA als großter Wirtschaftsraum ab|publisher=Reuters|language=ドイツ語|accessdate=2009-08-01}}</ref>。2017年9月時点に於いて1EUR = 1.17171USDをつけた。 === USドル・ユーロ相場の位置づけ === [[File:Euro exchange rate to USD, JPY, and GBP.png|thumb|right|200px|ユーロの対USドル、日本円、UKポンド相場の推移 {{Legend-line|#00bf00 solid 1px|USD}} {{Legend-line|#bf0000 solid 1px|JPY}} {{Legend-line|#0000bf solid 1px|GBP}}]] 強いユーロはヨーロッパ経済に光も陰ももたらした。光とは、強いユーロによっていまだにUSドルで取引されることの多い[[原材料]]の価格を安く買い入れることができたことである。陰とは、強いユーロによってユーロ圏の輸出品が相手先で高くなり、ユーロ圏の経済成長がある程度阻害されたことである。しかしユーロ圏の規模もあって、為替相場とその変動幅によるリスクはそれぞれが異なる通貨を使用していたころよりもはるかに低減した。とくに2007年の初旬には、世界経済の成長が緩やかだったにもかかわらず、ヨーロッパ経済が平均を上回る成長率を達成した。 2002年までのユーロ相場の下落は、当時ユーロ紙幣や硬貨が存在しなかったということがその原因のひとつに挙げられ、そのために当初ユーロは、ファンダメンタルが適切なものだった場合に比べて低く評価されていた。ヨーロッパの共同市場における経済の問題のためにユーロ相場の下落傾向は強まり、またこの流れのために域外の投資家がヨーロッパへの投資に魅力を感じないということにもつながっていった。ユーロ紙幣・硬貨の流通が開始されるとまもなく、過小評価されていたユーロ相場は上昇に転じた。2005年以降のヨーロッパ経済、特に輸出の持ち直しはユーロ相場のさらなる上昇をもたらした。このほかにも中長期なユーロ相場の上昇をもたらしたと考えられる原因があり、特に以下の3つが挙げられる。 * アメリカの慢性的な財政・経常赤字とそれらにともなう累積債務の増大 * [[中華人民共和国|中国]]、[[インド]]、[[日本]]、[[ロシア]]などのおもな諸国の外貨準備の将来的な変動 * 石油輸出国による、USドルに加えてユーロを決済通貨としたい意向 将来的にユーロ未導入の欧州連合加盟国が加わる予定となっており、またこれらの国々でもユーロが現行通貨に替わって[[法定通貨]]となることから、拡大を続ける欧州通貨同盟が心理的に有望視されているということもユーロが軽んじられない要因となっている。さらにこのことはユーロの強大化に少なからず寄与しており、またユーロの国際的評価や経済的重要性を上昇させている。 == 受賞 == 2002年、ユーロは「これまでのなかでヨーロッパを認識させるような統合への手段はほかになく、そのために諸国民の一体化をもたらす重大で新たな時代を切り開くような貢献をした」として[[アーヘン|アーヘン市]]から[[カール大帝賞]]を受賞した。 == 関連人物 == * [[ロバート・マンデル]] - 「ユーロの父」とされる[[ノーベル経済学賞]]を受賞した経済学者<ref>[http://www.bloomberg.co.jp/news/123-KQHCNG1A74E901.html ユーロの「父」マンデル教授、ドルとの固定を提唱-危機の再発防止に]Bloomberg 2009年9月25日</ref>{{リンク切れ|date=2020年2月}}。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|last=Cohn-Bendit|first=Daniel|coauthors=Duhamel, Olivier; Vissol, Thierry|title=Euro für alle. Das Währungswörterbuch|origyear=1998|publisher=DuMont Reiseverlag|location=Ostfildern|language=ドイツ語|isbn=978-3770145898}} * {{Cite journal|author=European Central Bank|year=2005|month=December|title=Review of the International Role of the Euro|location=Frankfurt am Main|issn=1725-6593|url=https://www.ecb.europa.eu/pub/pdf/other/euro-international-role200512en.pdf|journal=|volume=|page=|format=PDF|accessdate=2009-08-16}} * {{Cite book|editor=DTP-Abteilung Leuchtturm|title=Euro-Katalog, Münzen und Banknoten 2005|publisher=Leuchtturm Albenverlag|location=Geesthacht|language=ドイツ語|isbn=978-3000126796}} * {{Cite book|last=Schön|first=Gerhard|title=Euro Münzkatalog. Alle Länder, Münzen, Münzstätten und Auflagen|origyear=2002|edition=1. Auflage|publisher=Battenberg Verlag|language=ドイツ語|isbn=978-3894415174}} * {{Cite book|last=Schön|first=Gerhard|title=Euro Münzkatalog. Alle Länder, Münzen, Münzstätten und Auflagen|origyear=2006|edition=5. Auflage|publisher=Battenberg Verlag|language=ドイツ語|isbn=978-3866460010}} * {{Cite book|last=Marsh|first=David|title=Der Euro: Die geheime Geschichte der neuen Weltwährung|origyear=2009|publisher=Murmann Verlag|location=Hamburg|language=ドイツ語|isbn=978-3867740456}} * {{Cite book|last=Chabot|first=Christian N.|title=Understanding the Euro: The Clear and Concise Guide to the New Trans-European Currency|origyear=1999|publisher=Mcgraw-Hill|location=New York|language=英語|isbn=978-0071343886}} == 関連項目 == * [[国際通貨]] * [[欧州連合の経済通貨統合]] == 外部リンク == * [https://www.ecb.europa.eu/ ECB: European Central Bank home page] {{en icon}} [[欧州中央銀行]] ** [https://www.ecb.europa.eu/euro/html/index.en.html The euro] {{en icon}} - [[紙幣]]の[[デザイン]]や[[保安|セキュリティ]]などの解説が載せられている。 * [https://www.bis-ans-ende-der-welt.net/Europa-B.htm ユーロ紙幣] {{Ref-de}} {{En icon}} * {{Kotobank}} {{ユーロ硬貨}} {{ヨーロッパの通貨}} {{アジアの通貨}} {{アフリカの通貨}} {{アメリカ州の通貨}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ゆうろ}} [[Category:ユーロ|*]] [[Category:通貨統合]]
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スイス
スイス連邦(スイスれんぽう、独: Schweizerische Eidgenossenschaft、仏: Confédération Suisse、伊: Confederazione Svizzera)、通称スイスは、中央ヨーロッパに位置する連邦共和制国家。歴史によって、西欧に分類されることもある。 ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインに囲まれた内陸に位置し、国内には多くの国際機関の本部が置かれている。首都はベルンで、主要都市にはチューリッヒ、ジュネーヴ、バーゼル、ローザンヌなどがある。永世中立国であるが、欧州自由貿易連合に加盟しているほか、バチカン市国の衛兵はスイス傭兵が務めている。日本語表記のスイスはフランス語名に由来している。 スイスの正式名称は4種の公用語(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)で定められているが、硬貨や切手などのように4種を併記する余裕がない場合、単独で使用することが許されるラテン語の国名(Helvetia、ヘルヴェティア共和国も参照)が定められている。 正式国名と同様に通称も5種類ある。 公用語ではないが、スイスドイツ語ではSchwiizerischi Eidgnosseschaft、略称Schwiiz(シュヴィーツ。通常はD′Schwiizと表記する)。ドイツ語およびスイスドイツ語の正式名称にあたるEidgenossenschaft(アイトゲノッセンシャフト)とは「誓約者同盟」という意味で、通常の「連邦(Bund)」とは異なる。 略称(国名コード ISO 3166-1 alpha-2:ラテン文字2文字による国名コード)には、CHを用いる。これはラテン語表記である「Confoederatio Helvetica」の頭文字に由来する。 公式の英語表記はSwiss Confederation(スウィス・コンフェデレイション)、通称はSwitzerland(スウィツァランド) で国民・形容詞ともSwiss(スウィス)。 日本語表記はスイス連邦、およびスイス。漢字による当て字では瑞西と表記し、瑞と略す(スウェーデンも瑞典と当て字し、瑞と略すが、両者を区別する時にはスウェーデンを典と略す)。まれにドイツ語の正式名称から「スイス誓約者同盟」と訳されることがある。また、古くはス井ス、スヰスと表記されることもあった。 国名は、スイス建国の中心的役割を果たしたシュヴィーツ州に由来する。「Schwyz(シュヴィーツ)」は古代ドイツ語で「酪農場」を意味する語が訛ったものだとされる。日本語表記の「スイス」はフランス語または英語形容詞に由来する。ラテン語名のヘルヴェティア(ヘルウェティア)は、本来現在のスイス西部から北部、ドイツ南部の一帯を指し、古代ローマの支配が及ぶ前よりベルン周辺に住んでいたケルト系先住民族ヘルウェティイ族に由来する。ドイツ語辞書によると「スイス人」を表すSchweizer(男性名詞)、Schweizerin(女性名詞)には「熟練乳搾り人」「教会堂番人」「ローマ教皇の近衛兵」、さらに「スイス産チーズ」の意味も含まれる。 スイスは内陸国であり、国土はスイス高原(英語版)が大半を占めている。また、国土は日本の約1割で九州より約1,500km(東京都区部の2倍程度)広い。なお、総面積は日本の内陸県のうち岐阜県、長野県、山梨県、群馬県、栃木県を併せた面積(約4万1,458km)に相当する。 スイスの気候区分は以下の通りとなっている。 スイスは現在、車の排気ガスによる大気汚染や水資源の水質汚染が深刻となっている。また、生態系においては生物多様性の喪失に直面しているといった危機的状況が問題視されている。 現在のスイスの連邦憲法は1999年に採択され、2000年1月1日に発効した。 スイスは、連邦国家であり連邦議会(独: Bundesversammlung、英: Federal Assembly)を最高機関とする議会統治制、つまり立法府が行政府を兼ねる統治形態をとっている。連邦議会は両院制で、直接選挙(比例代表制)で選ばれる200議席の国民議会(独:Nationalrat、英:National Council)と州代表の46議席の全州議会(独:Ständerat、英:Council of States)から構成される二院制である。 立法府を兼ねる連邦政府(内閣)は、連邦議会から選出される7人の連邦参事(ただし閣僚や大臣とは呼ばない)で形成される合議体である。内閣は、ドイツ語圏の諸国と異なり連邦参事会(独:Bundesrat、英:Federal Council)と呼ばれる。7人の連邦参事(7 Bundesraete)が各省を統括し、その中の1人が連邦参事兼任のまま任期1年の連邦大統領となる。連邦議会の議場と連邦政府の各省庁のオフィスはともにベルンの連邦議会議事堂Bundeshaus(連邦院とも訳される)の中にある。大統領の権限は儀礼的なものに限られる。 また、スイスの連邦参事は議会の獲得議席数に応じて自動的に割り振られる。そのため、政党は一定の議席を得ている限り、また意図的に下野しない限り自動的に連立与党の一員となる(比例代表制であるため、1党による単独過半数は過去に例がない)。マジック・フォーミュラーも参照のこと。 国民の政治参加に関して、国民発議(イニシアティヴ)と国民投票(レファレンダム)という、直接民主制の制度が憲法上で認められているのも大きな特徴である。 国民議会、全州議会共に任期は4年で、解散はない。 2019年10月20日に行われた国民議会議員選挙では、移民排斥を主張しているスイス国民党が53議席を獲得し、第1党を維持した。以下、スイス社会民主党が39議席、スイス自由民主党(急進民主党)が29議席、スイス緑の党が28議席、キリスト教民主人民党が25議席、自由緑の党が16議席、その他が10議席となった。 1959年以来の主要4党の獲得議席数は、立法:連邦議会 - スイスの情報を参照。 スイス連邦憲法は、連邦政府に委任すべき事項を規定している。憲法に規定のない事項については州政府が主権をもつ。たとえば参政権の規定は州政府に主権があり、1971年に憲法で婦人参政権が確立したあとも、1990年に至るまでアッペンツェル・アウサーローデン準州では婦人参政権が制限されていた。憲法改正は比較的容易であり、10万人の改正要求があった場合は改正提案に対する国民投票が実施される。憲法改正が多い国で、現行の1999年憲法が施行される前の1874年憲法(旧憲法)は、過去140回以上にもわたる部分改正が行われており、全面改正後の現行憲法(2000年施行)も2003年時点ですでに6回改正されている。 スイスでは連邦政府、州、市町村の3段階の行政組織が課税権を有している。税率は平均20%。それぞれが独自に税率を設定できるため、個人の税率を低く設定して外国の富裕層の取り込みを図る州もある。 法人税についても優遇措置をとっており、外国から本社をスイスへ移転する企業がある。そのため、OECD(経済協力開発機構)の有害税制リストに挙げられている。 スイスには、26のカントン(canton)と呼ばれる州が存在する。そのうち、6は準州と呼ばれ、全州議会の議員定数配分が通常の州の2名に対し1名だけとなっている。カントンは全部で2,889の市町村に分かれている。 スイスにおける国防の基本戦略は、拒否的抑止力である。敵国にとって、スイスを侵略することによって得られる利益よりも、スイス軍の抵抗や国際社会からの制裁によって生じる損失の方が大きくなる状況を作り出すことによって、国際紛争を未然に防ぐ戦略である。2002年の国連加盟後も、この基本戦略は変わっていない。 現代におけるスイスは、国軍として約4,000名の職業軍人と約21万名の予備役から構成されるスイス軍を有し、有事の際は焦土作戦も辞さない毅然とした国家意思を表明しながら、永世中立を堅持してきた平和・重武装中立国家として知られる。スイスは国際連合平和維持活動(PKO)への参加に積極的で、国外に武装したスイス軍部隊を派兵しているが、決して武力行使をせず、PKOでは武器を用いない人道支援に徹している。 多数の成人男子が、予備役もしくは民間防衛隊(民兵)として有事に備えている。平和国家であるスイスではあるが、スイス傭兵の精強さは、ヨーロッパの歴史上、殊に有名である。現在でも、軍事基地が岩山をくり抜いた地下に建設されるなど高度に要塞化されており、国境地帯の橋やトンネルといったインフラストラクチャには、有事の際速やかに国境を封鎖する必要が生じた場合に焦土作戦を行うため、解体処分用の爆薬を差し込む準備が整っている。 仮に、国境の封鎖に失敗して外国の侵略を受けても主要な一般道路には戦車の侵入を阻止するための障害物や、トーチカが常設してある。東西冷戦の名残で、2006年までは、家を建てる際には防空壕(核シェルター)の設置が義務づけられていた。その数・収容率と強固な構造は、他国の防空壕と比べても群を抜いている。古い防空壕は、地下倉庫や商店などとしても利用されている。 第二次世界大戦中のスイス空軍は、1907年のハーグ陸戦条約で定められた国際法上の「中立義務」を果たすため、領空侵犯する航空機があれば連合国側・枢軸国側を問わず迎撃した。ちなみに、当時のスイス軍の航空機は、一部の国産機を除いてはフランスとドイツの戦闘機を輸入、またはライセンス生産したものだった。 当時、仮に外国の軍隊がスイスを侵略しスイスの存立が絶望的となる最終局面に陥った場合は、外国の軍隊がスイスのインフラを強奪する寸前のところで放火や爆破などの焦土作戦を実施し、侵略者に一切の戦利品を与えないように計画していた。その一方で、当時のスイス政府は柔軟な姿勢で外交と通商を展開した。第二次世界大戦においては、「資源を持たないスイスが、資源を持つ国と通商することは生存権の行使であって、中立義務に違反するものではない」と主張して、国民の生活を守るために必要な資源や武器を枢軸国・連合国双方から輸入し、国益を確保した。 焦土作戦も辞さない悲壮な防衛努力の一方で、外国において武力行使をしない柔軟な外交政策は、現在も変わらない。2008年には、当時の大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国のムアンマル・アル=カッザーフィーが、スイス人ビジネスマン2人を犯罪の容疑者と断定し拘留する事件が発生した。カッザーフィーは、ただちにリビアからスイスへの石油輸出を止め、「スイスは、イスラム教のモスクを破壊する異教徒の国だ」として、スイスに対する「聖戦」を訴えてスイス政府を恫喝した。これに対して、スイス政府は、旅行者に扮した軍人と公安関係者からなる特殊部隊をリビアに派遣し、現地で密かに情報収集を行ったが、この特殊部隊は非武装だった。戦力投射能力のないスイス軍に自国民を救出する術はなく、当時のスイス大統領が自らリビアに赴いて、カッザーフィーに謝罪し石油は確保された。 スイスは陸軍と空軍を有するが、他国を攻撃しうる戦力投射能力は有しない。陸軍は船舶部隊(水軍・海軍とも呼ばれる)を有する。船舶部隊は、おもに国境をなすレマン湖(ジュネーヴ湖)、国際河川のライン川、コンスタンス湖(ボーデン湖)に配置されている。特に、フランスとの国境にあるバーゼルの街は別名スイス港とも呼ばれ、石油などを積んだ排水量3,000トン未満の船が、オランダのアムステルダム港から、ドイツとフランスを経由してライン川を遡行してくる。バーゼルは、内陸国であるスイスが水運を通じて海とつながる唯一の貿易港となっている。20隻の哨戒艇が主力である船舶部隊は、有事の際にはライン川を遡行する商船を臨検、徴用することとなる。 冷戦の一時期、スイスは自立能力を高める為に兵器の国産化に取り組んだ。かつては戦車や航空機も国産していたが、開発費用の高騰と技術的課題のため断念した。エリコン社といったスイスを代表するメーカーは、かつては防衛産業を担っていたが、現在では軍事に関与しない企業に生まれ変わっている。一方で、小火器や装甲車は依然として高い国際競争力を持ち、世界中に輸出されている。スイスの銃器メーカーであるシグ社の製品は日本にも輸出され、警察庁・都道府県警察、自衛隊、海上保安庁で採用されており、ピラーニャ装甲車などの兵器は、アメリカ軍の採用を勝ち取ったことで有名である。 スイスでは国民皆兵を国是としており、徴兵制度を採用している。20歳から30歳の男性に兵役義務があり、女性は任意である。スイス男性の大多数は予備役軍人であるため、各家庭に自動小銃が貸与され、予備役の立場を離れるまで各自で保管している。かつては冷戦下の厳しい国際情勢に即応するため、包装された弾薬と手榴弾が貸与され、悪用防止の封印を施した容器に入れて各自が保管していた時期もあった。 対戦車兵器や迫撃砲などより大型の武器は、地区単位で設置されている武器庫に収められ、厳重に管理されている。これらの支給火器が犯罪に用いられることはごくまれであったが、2007年9月から予備役に貸与されていた弾薬は回収され、スイス軍が集中管理するようになった。現在、予備役の立場にある国民は、自動小銃は持っていても弾薬は持っていない。有事の際は、動員令を受けた予備役に対して速やかに弾薬が貸与される予定である。 銃が手軽に手に入る社会であるため、スイスでは自殺にも銃を用いる傾向がある。自殺者の24%から28%が銃で自殺しており、その割合はアメリカ合衆国に次ぐ世界2位で、ヨーロッパの中では最高である。また男性が銃による自殺を選択する傾向があり、銃による自殺者の95%は男性である。しかし、「世界平和度指数」の軽火器へのアクセスしやすさによると、スイスは5段階評価で2点で、台湾やドイツと同レベルであり、スイスはアメリカのように弾薬が簡単に手に入る社会ではないことがうかがえる。 冷戦の時代には、スイス連邦政府によってスイスの一般家庭に配布された小冊子「民間防衛」の内容からも窺い知れるように、スイス国民はあまねく民間防衛組織に加入し、有事に備えていた。冷戦の終結後は、民間防衛組織の多くが役割を失って消滅したか、人員や装備を大幅に削減したため、現在のスイスには「民間防衛」が発行された当時のような高度な防衛体制は、もはや存在しない。それでも、政府が食糧を計画的に備蓄し、スイス軍の施設と公立の学校については核戦争への備えとして核シェルターが常設されている。民間でも、過去には自宅や職場にシェルターを装備する義務があったが、現在では撤廃された。それでも、任意でシェルターを装備している企業や個人が多いことで有名である。 世界銀行によると、2020年のスイスの購買力平価ベースの一人当たり実質GNIは69,190ドルで、カタール、シンガポール、ルクセンブルク、アイルランドに次いで、すべての国の中で世界第5位となっている。国際通貨基金によると、2013年のスイスのGDPは6,508億ドルであり、世界第20位である。同年の一人当たりのGDPは8万1,323ドルであり、世界でもトップクラスの水準である。2016年の一人あたり国民総所得(GNI)は84,240ドルで、世界第2位である。 なお、スイスは世界でもっとも国際競争力の高い国のひとつであり、2011年の世界経済フォーラムの研究報告書において、世界第1位の国と評価された。富裕層も非常に多く、9.5%の世帯が金融資産で100万ドル以上を保有しているとされる。 2016年10月14日、アメリカ合衆国財務省が為替報告書を公表したうえで、スイスの不正な為替介入の有無を監視するようになった。通貨のスイスフラン(CHF)は「金(地金)よりも堅い」と言われるほど、世界でもっとも安定した通貨である。1870年代にデザインされた硬貨が、大きな変更を経ずに製造され流通している。国内の物価および賃金水準は高く、国民の貯蓄高も日本並みに高い。輸入関税率は低く、高級外車などが比較的安く購入できる。 スイスフランの利子率は、通貨の安定性とねじれて低かった。これに目をつけ、東中欧を中心にフラン建ての住宅ローンが多く組まれている。このため、もしスイスフランが不安定となると、他国の家計にパニックを起こすリスクが生じている。スイスフランは、2011年からユーロに対して為替相場の上限を設けていたが、2015年初頭に突然撤廃された。詳しくはスイス国立銀行の項目を参照されたい。 近世に至るまで、スイスのおもな産業のひとつとして存在したのが傭兵であった。スイスはその地形から農業などの産業を発達させにくかったため、戦力を輸出することで産業不足を補っていた。 現在は戦力の輸出は禁止されているものの、バチカンのスイス衛兵は唯一の例外として認められている。スイス企業の産業分野は手広い。金融業(銀行、保険)、電力、観光業、精密機械工業(時計、光学器械)、化学薬品工業が挙げられる。 リャマやアルパカを飼育する農家が乳や毛の生産に使うためスイス国内で増えている。 スイスにおけるエネルギー部門は、その構造と重要性から先進国の典型として現在も世界各国の手本にされている。 チューリッヒに本部を置くABBグループが世界規模で事業展開しており、同社が1988年に吸収したスウェーデン企業のASEAは地中海を取り巻くスーパーグリッドの敷設に参画している。 スイスの鉱業は、岩塩の採掘のみに頼っている。浅海の堆積物と海水が褶曲、もしくは押しかぶせ断層によって地層中に閉じ込められたことに由来し、採掘量は2002年時点で30万トンである。ただし、岩塩精製ではカリウムが副産物として得られる(ドイツ帝国#経済)。 グレンコアなど海外で採掘事業を行う企業もある。 第一次世界大戦以来、ノバルティスの前身3社であるチバ・サンド・ガイギーがシンジケートを形成していた。1929年4月、この3社とIG・ファルベンインドゥストリーとフランスの染料組合Centrale des Matières Colorantes は国際カルテルを組んだ。このカルテルは世界輸出の5分の4を掌握し、内輪で全染料売上げをスイス19.00%、ドイツ71.67%、フランス9.33%の比率で分配した。1932年2月、ここへインペリアル・ケミカル・インダストリーズが参加して日米がアウトサイダーとなった。 スイスには中世からの銀行業の歴史があり、多数の金融機関がある。UBS、クレディ・スイスなど、日本に進出している銀行もある。 スイス銀行と言われる個人銀行(いわゆるプライベートバンク)は、顧客の情報の守秘義務に関して国際的に有名で、刑事事件が起こっても、原則として顧客の情報は外部に漏らさない。このことからマネーロンダリングの中継地として、しばしばスイス銀行の口座が使われることがある。この秘密主義の方針は、しばしば世界的な批判の的となっている。 経済協力開発機構は、スイスに対して資産の出所を確かめる義務を履行するよう勧告している。この他、独裁者や犯罪者の隠し財産として利用されることもあるため「独裁者の金庫番」「犯罪者の金庫番」と揶揄され、スイス人のあいだでもスイスの名誉を傷つけているという批判がある。有名なところでは、フィリピンのマルコス元大統領や、コンゴのモブツ元大統領、ハイチのデュヴァリエ元大統領などは、国民の財産を強奪して私物化した資金をスイスの銀行に預けていることが分かっており、スイスの銀行は彼らの略奪行為について共犯性があるという指摘がある。 スイスリークス事件発覚後はスイス政府も、各国の警察および金融当局に対して柔軟な対応をしており、犯罪収益金の没収などの処置を行い当該国に一部返還する動きもある。ただし、法の制定などはまだ不十分である。 観光産業はスイス経済にとって重要な分野のひとつであり、総就労人口の約4%が観光産業に従事している。たとえば2015年、スイスの観光産業は3560万人の宿泊客を迎え入れ、その収益は174億フランに達し、国内総生産の約2.8%を占めた。2015年、ヨーロッパからスイスへともっとも多くの宿泊客が来訪した国はドイツであり、約400万人であった。 スイスの主な観光地は、チューリヒ、山岳地域のグラウビュンデン州、ベルン州、ヴァリス州などである。 歴史をふりかえると、スイスは昔から観光客を魅了していた。スイスはヨーロッパの交差点のような場所に位置し、18世紀と19世紀には文学作品の舞台やロマン派絵画の題材となり、世界の人々がスイスの山の世界に熱狂し、そのころに、イギリスの旅行代理店トーマス・クックが初のスイスツアーを企画した。 第二次世界大戦後にはウィンタースポーツがさかんになり、スイスでもウィンタースポーツが楽しめる保養地として人気を集めた。 最近ではスイス政府観光局などスイスの観光関連組織は、インド・ロシア・中国などといった新興国からの観光客を迎えるために努力している。 スイスの鉄道はSBB(スイス連邦鉄道、旧スイス国鉄)が主要幹線を網羅しており、山岳部では、私鉄の登山列車などが運行している。空港のある都市は、チューリッヒ・ジュネーヴ(ジュネーヴ空港)・バーゼル(ユーロエアポート・バーゼル=ミュールーズ空港)・ベルン・サメーダン(エンガディン空港)・ルガノなど。日本からの直行便は、スイス インターナショナル エアラインズのチューリッヒ・東京(成田空港)便とチューリッヒ・大阪(関西国際空港)便がある。チューリッヒ空港では、ドイツ語の案内放送のあと、英語で案内放送がある。 他にも、ドイツやオーストリアのようにアウトバーンと呼ばれる高速道路を持っている。 パラケルススやフェルディナン・ド・ソシュール生誕の地域として知られており、学問的分野ならび科学技術が最も発達している国家の一つに数え上げられる。 スイスでは天然資源と成り得るものが殆ど存在しない為、科学技術は同国経済の発展において重要な役割を果たしている。 現在のドイツ語圏は5世紀にローマ人が撤退したあと、北からやってきたゲルマン系アレマン人が支配した地域であり、ヘルウェティイ族などのケルト系先住民と混血した。フランス語圏は同時期のゲルマン系ブルグント人の支配地域でヘルヴェティア共和国以降の19世紀にフランス語化したものであり、イタリア語圏はゲルマン系ランゴバルド人、ロマンシュ語圏はケルト系ラエティア人の地域の名残とも考えられる。その後、現在のスイス全土はゲルマン系のフランク王国や神聖ローマ帝国に支配されたため、ラテン化されたケルト人にゲルマン系が加わった流れはほぼ共通する。いずれにせよ混成民族であることはすべての欧州国家の例にもれない。 外国人の定住者ないし短期労働者は全人口の2割に及び、2007年には145万人に達した。欧州内の移民が多く、もっとも多いのはイタリア29万5,507人、次にドイツ22万4,324人となっているが、特に旧ユーゴスラビア諸国出身者は非常に多く、35万人前後にもなる(セルビア・モンテネグロ19万6,078人、マケドニア6万509人、ボスニア4万1,654人、クロアチア3万8,144人)。また、中東からはトルコ人も7万5,382人と多い。 2004年には、3万5,700人がスイス国籍を取得した。その半数以上が旧ユーゴスラビア諸国出身者である。スイスは世界中から多くの難民を受け入れている。移民は通常、ストレスのために健康を比較的に害するが、2013年の学術誌『PLoS ONE』によると、スイスに住むポルトガル系移民の心血管疾患はポルトガル在住者と変わらない。しかし移民に対する反発は根強くあり、2014年6月には国民党が提案した「大量移民反対イニシアチブ」によって4か月を超えてスイスに滞在する外国人には人数制限を行う方針となった。 2020年に流行した新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、アジア人が差別的言動を受ける例も報告されている。 2022年、スイスはできるだけ迅速かつ効率的に庇護を受け入れるため、庇護申請に対する回答期間を当初の400日から140日に短縮した。その結果、中国などからの亡命希望者は大きな恩恵を受けている。2022年2月の時点で、スイスは他のヨーロッパ諸国よりもはるかに多くの難民を受け入れている。亡命希望者が第三国に住んでいる場合、ダブリンルールによりスイスで庇護を受けることができなくなるため、スイスで直接庇護を求めるべきである。 スイスでは、各地方の地理的・歴史的な理由から使用言語が分かれているためドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つを公用語と定めている。これに合わせ、スイスの公共放送・SRG SSR(スイス放送協会)も、4つの公用語を使用して放送している。 北部と中部ではおもにドイツ語が使われている(全人口の64%、右図の黄色)。その多くはアレマン語系のスイスドイツ語と呼ばれる方言であるが、新聞やテレビ、ラジオのニュース番組ではドイツの標準語である高地ドイツ語が使われる。ただし地方の放送局ではニュース以外の一般番組もほとんどスイスドイツ語で、全国放送でもなぜかテレビの天気予報だけはスイスドイツ語である。 西部ではフランス語が(20%、紫色)、南部ではイタリア語が(6%、緑色)使われている。スイス・フランス語は標準フランスとほとんど変わりはないが、数の数え方に若干特徴がある(数字の70、80、90をフランスのsoixante-dix、quatre-vingt、quatre-vingt-dixではなくseptante、huitante、nonanteと言う)。イタリア語はロンバルド語の系統に属する西ロンバルド語が混じる。ティチーノ州で使われるロンバルド語系イタリア語はティチーノ語とも呼ばれる。 ロマンシュ語は、南東部にあるグラウビュンデン州のごく一部の人々の間で使われているだけであり、いまだ絶滅の危機にある(0.5%、赤色 - 面積は広いが人口は少ない)。ドイツ語圏以外のスイスでは、ドイツ語を学習する場合、普通標準ドイツ語を学ぶため、かなり差異のあるスイスドイツ語の理解がスムーズにできないことがある。したがって、ドイツ語圏スイス人と非ドイツ語圏スイス人の間で会話する時、ドイツ語圏のスイス人は標準ドイツ語を理解できるものの、会話の上では障害となることが多く、公用語であるフランス語のほかに英語を用いることも多くなっている。学校教育において英語を必修科目とし、母語以外の公用語を選択科目とする学校が増えていることも、若年層における英語の使用に拍車をかけている。 そのほか、移民の出身地域である旧ユーゴスラビアの国々の言語やトルコ語が使われる。 婚姻時、2013年以前は夫の氏が優先であった。正当な利益があれば、妻の氏を称することもできた(同氏)。自己の氏を前置することもできるとされていたが、2013年以降、婚前に特に手続きしないかぎり原則として婚前の氏を保持すると変更され、完全な選択的夫婦別姓が実現された。配偶者の氏に変更するためにはそのように婚姻前に手続きを行わなければならない。2022年7月1日から同性結婚が可能となった。 スイス国民が信仰する宗教は、カトリックが人口の約43%、プロテスタントが約35%と、この2つでほとんど大部分を占める。ほかにはイスラム教が約4%、正教会が約2%、ヒンドゥー教、仏教、ユダヤ教などが、各1%未満であり、約11%が無宗教となっている。 2009年12月16日、ジュネーヴのイスラム関係者が、モスクの塔(ミナレット)新設禁止に抗議して、欧州人権裁判所に提訴したことが明らかになった。同年11月には、スイス国民投票においてモスク新設は禁止が賛成多数で承認されていた。 ユニバーサルヘルスケアが達成され、市民は公的または民間保険会社から医療保険を購入する義務があり、保険者は引き受けを拒むことはできない。医療制度はほかの欧州諸国と比べ費用は高いがアウトカムは良好であり、患者の満足度は高く、2017年のEuro Health Consumer Indexでオランダに次いで34か国中総合2位であった。2016年での平均余命は83.3歳(男性が81.2歳、女性が85.2歳)で、日本に次いで世界2位であり、男性は世界一、女性は世界5位となった。しかし、保健支出は高く2015年にはGDPの12.1%を占め、これはドイツやフランスの約11%より少し高く、アンドラ並の値である。1990年より医療の高度化、市民の長寿命化を受けて徐々に費用が増加傾向にある。 市民の生活満足度は高く、国連世界幸福度報告では第2位(2016年)、OECDの人生満足度(Life Satisfaction)ではデンマーク、アイスランドに次いで第3位、世界幸福地図では世界178か国で第2位(2006年)であった。 アメリカ誌の「USニュース&ワールド・リポート」が発表した世界最高の国ランキングに、スイスは第1位(2020年)に選ばれた。 スイスでは、国際基準による高水準の動物福祉政策ならび保護政策を行なっている。 スイスでは他者の人権の受け入れ、汚職の少なさ、情報の自由な流れ、良好なビジネス環境、高いレベルの人的資本、資源の公平な配分、十分に機能する政府、および近隣諸国との良好な関係によって決まる2023年の「積極的平和指数」で世界第4位を獲得した。 スイスの税関は2018年に、日本の大規模な同人誌即売会であるコミケから戻ってきたファンによって家に送られた漫画を没収した。スイス刑法第197条により、図面や仮想描写などの純粋に架空の形式の非実在児童ポルノはスイスでは違法である。この法律には、コミック(マンガ)やその他の仮想バージョンでの児童ポルノの描写も罰せられる。刑法第197条は、「未成年者との非実際的な性行為」の描写も罰せられると明確に述べている。この背後にある考え方は、児童ポルノの消費が模倣行為につながる可能性があるため、未成年者が「本物」であるか「唯一」の仮想であるかは関係ない。しかし、スイスは多くの欧米諸国と比較して、非実在児童ポルノに対してそれほど厳しくはない。カナダとイギリスはどちらも、未成年のキャラクターが登場する非実在児童ポルノを所持している人々を刑務所に入れている。一方、フィンランド、ドイツ、オランダ、スウェーデン、デンマークなどの欧州諸国では、実写風でない非実在児童ポルノは合法とされている。 スイスの治安は比較的良好であるといわれているが、スイスの犯罪統計によれば、2019年の犯罪件数(麻薬法・入国管理法違反を除く)は43万2,000件(前年比±0%)(多い順に、チューリッヒ州:91,174件、ベルン州:53,942件、ジュネーブ州:47,499件、ヴォー州:45,805件)となっている。内訳は、財産犯罪(窃盗・車両盗難・強盗・詐欺・恐喝など)が286,207件で約66%を占めるほか、殺人:46件、傷害:8,347件、脅迫:10,834件、性犯罪:8,189件などが挙げられる。また麻薬法違反:75,757件(-0.7%)、入国管理法違反:37,024件(-3.6%)とされている。 観光が盛んなことから観光客を狙った犯罪が多い。特にチューリッヒ、ルツェルン、バーゼル、ジュネーブ及びベルンといった都市部において、ホテルのロビー及びレストランでの置き引き、公共交通機関内でのスリ、空港でのクレジットカード詐欺被害が報告されている。 スイス連邦政府は一般的な法執行機関を持っておらず、国内の法執行機関の調整は州の警察司令部の委員会によって行なわれている。 2023年現在、26の州警察機関と多数の地方警察機関が、同国の法執行機関を支えている。 スイスには 124の拘留施設が存在し、施設の全てが州によって運営されている。収容人数は最大 6,736人。 アルザス料理も含むドイツ料理、フランス料理、イタリア料理といった周辺の国や地域の影響を受けながらも、スイス特有の多くの料理を有する。 スイスは歴史的な農業国であり、伝統的なスイス料理は素朴で、ジャガイモとチーズのような質素な食材で作る傾向がある。 バーゼルを拠点に、異文化交流を目的とした『カルチャスケープス(英語版)』と呼ばれる学際的な芸術祭が毎年秋に開催されている。 国内における言語の違いと文化的多様性が、スイスにおける映画史を形づくっている。ドキュメンタリー映画、アートフィルムや実験映画、そして大衆的な商業映画が存在し、作品群についても作家たちについても、情報源の多様さより以上の多様性が存在している。 スイスには700を超える様々な伝統衣装が存在する。特に女性の衣装は、地域毎に異なることがよくあるといわれている。 国民を啓発する目的から考案された「連邦祭(ドイツ語版)」やワイン生産者の祭典「フェット・デ・ヴィニュロン(フランス語版、英語版)」が開催されている。 スイス国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が7件、自然遺産が3件存在する。 法定祝祭日は以下の通りとなっている。 このほか、地域ごとの祝日がある。 スイス国内ではサッカーが最も人気のスポーツとなっており、今から120年以上前の1897年にプロサッカーリーグの「スーパーリーグ」が創設された。スイスサッカー協会によって編成されるサッカースイス代表は、FIFAワールドカップには12度の出場歴があり1954年大会は自国開催された。 UEFA欧州選手権には5度出場しており、2021年大会では過去最高位のベスト8の成績を収めた。なお、UEFA EURO 2008を隣国のオーストリアと共同開催している。スイス人の著名な選手としては、ジェルダン・シャキリ、グラニト・ジャカ、リカルド・ロドリゲス、ステファン・リヒトシュタイナーなどが存在する。 1954年から2016年まで、スイス国内でモータースポーツの開催が認められていない時期があった。しかしながら、スイスを拠点に国外で活躍する有力なレーシングチームやレーシングドライバーはこの期間中も存在していた。ただし、時計を通じて争うタイムアタックだけのレースは認可されていたため、ラリーやヒルクライムのイベントは開催されていた。 スイスではテニスも盛んであり、有名な選手としてはロジャー・フェデラーが挙げられる。またウィンタースポーツも盛んで、スキージャンプ、アルペンスキー、スノーボード、カーリングといった競技も行われている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "スイス連邦(スイスれんぽう、独: Schweizerische Eidgenossenschaft、仏: Confédération Suisse、伊: Confederazione Svizzera)、通称スイスは、中央ヨーロッパに位置する連邦共和制国家。歴史によって、西欧に分類されることもある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインに囲まれた内陸に位置し、国内には多くの国際機関の本部が置かれている。首都はベルンで、主要都市にはチューリッヒ、ジュネーヴ、バーゼル、ローザンヌなどがある。永世中立国であるが、欧州自由貿易連合に加盟しているほか、バチカン市国の衛兵はスイス傭兵が務めている。日本語表記のスイスはフランス語名に由来している。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "スイスの正式名称は4種の公用語(ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語)で定められているが、硬貨や切手などのように4種を併記する余裕がない場合、単独で使用することが許されるラテン語の国名(Helvetia、ヘルヴェティア共和国も参照)が定められている。", "title": "国名" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "正式国名と同様に通称も5種類ある。", "title": "国名" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "公用語ではないが、スイスドイツ語ではSchwiizerischi Eidgnosseschaft、略称Schwiiz(シュヴィーツ。通常はD′Schwiizと表記する)。ドイツ語およびスイスドイツ語の正式名称にあたるEidgenossenschaft(アイトゲノッセンシャフト)とは「誓約者同盟」という意味で、通常の「連邦(Bund)」とは異なる。", "title": "国名" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "略称(国名コード ISO 3166-1 alpha-2:ラテン文字2文字による国名コード)には、CHを用いる。これはラテン語表記である「Confoederatio Helvetica」の頭文字に由来する。", "title": "国名" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "公式の英語表記はSwiss Confederation(スウィス・コンフェデレイション)、通称はSwitzerland(スウィツァランド) で国民・形容詞ともSwiss(スウィス)。", "title": "国名" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "日本語表記はスイス連邦、およびスイス。漢字による当て字では瑞西と表記し、瑞と略す(スウェーデンも瑞典と当て字し、瑞と略すが、両者を区別する時にはスウェーデンを典と略す)。まれにドイツ語の正式名称から「スイス誓約者同盟」と訳されることがある。また、古くはス井ス、スヰスと表記されることもあった。", "title": "国名" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "国名は、スイス建国の中心的役割を果たしたシュヴィーツ州に由来する。「Schwyz(シュヴィーツ)」は古代ドイツ語で「酪農場」を意味する語が訛ったものだとされる。日本語表記の「スイス」はフランス語または英語形容詞に由来する。ラテン語名のヘルヴェティア(ヘルウェティア)は、本来現在のスイス西部から北部、ドイツ南部の一帯を指し、古代ローマの支配が及ぶ前よりベルン周辺に住んでいたケルト系先住民族ヘルウェティイ族に由来する。ドイツ語辞書によると「スイス人」を表すSchweizer(男性名詞)、Schweizerin(女性名詞)には「熟練乳搾り人」「教会堂番人」「ローマ教皇の近衛兵」、さらに「スイス産チーズ」の意味も含まれる。", "title": "国名" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "スイスは内陸国であり、国土はスイス高原(英語版)が大半を占めている。また、国土は日本の約1割で九州より約1,500km(東京都区部の2倍程度)広い。なお、総面積は日本の内陸県のうち岐阜県、長野県、山梨県、群馬県、栃木県を併せた面積(約4万1,458km)に相当する。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "スイスの気候区分は以下の通りとなっている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "スイスは現在、車の排気ガスによる大気汚染や水資源の水質汚染が深刻となっている。また、生態系においては生物多様性の喪失に直面しているといった危機的状況が問題視されている。", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "", "title": "地理" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "現在のスイスの連邦憲法は1999年に採択され、2000年1月1日に発効した。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "スイスは、連邦国家であり連邦議会(独: Bundesversammlung、英: Federal Assembly)を最高機関とする議会統治制、つまり立法府が行政府を兼ねる統治形態をとっている。連邦議会は両院制で、直接選挙(比例代表制)で選ばれる200議席の国民議会(独:Nationalrat、英:National Council)と州代表の46議席の全州議会(独:Ständerat、英:Council of States)から構成される二院制である。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "立法府を兼ねる連邦政府(内閣)は、連邦議会から選出される7人の連邦参事(ただし閣僚や大臣とは呼ばない)で形成される合議体である。内閣は、ドイツ語圏の諸国と異なり連邦参事会(独:Bundesrat、英:Federal Council)と呼ばれる。7人の連邦参事(7 Bundesraete)が各省を統括し、その中の1人が連邦参事兼任のまま任期1年の連邦大統領となる。連邦議会の議場と連邦政府の各省庁のオフィスはともにベルンの連邦議会議事堂Bundeshaus(連邦院とも訳される)の中にある。大統領の権限は儀礼的なものに限られる。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "また、スイスの連邦参事は議会の獲得議席数に応じて自動的に割り振られる。そのため、政党は一定の議席を得ている限り、また意図的に下野しない限り自動的に連立与党の一員となる(比例代表制であるため、1党による単独過半数は過去に例がない)。マジック・フォーミュラーも参照のこと。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "国民の政治参加に関して、国民発議(イニシアティヴ)と国民投票(レファレンダム)という、直接民主制の制度が憲法上で認められているのも大きな特徴である。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "国民議会、全州議会共に任期は4年で、解散はない。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2019年10月20日に行われた国民議会議員選挙では、移民排斥を主張しているスイス国民党が53議席を獲得し、第1党を維持した。以下、スイス社会民主党が39議席、スイス自由民主党(急進民主党)が29議席、スイス緑の党が28議席、キリスト教民主人民党が25議席、自由緑の党が16議席、その他が10議席となった。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1959年以来の主要4党の獲得議席数は、立法:連邦議会 - スイスの情報を参照。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "スイス連邦憲法は、連邦政府に委任すべき事項を規定している。憲法に規定のない事項については州政府が主権をもつ。たとえば参政権の規定は州政府に主権があり、1971年に憲法で婦人参政権が確立したあとも、1990年に至るまでアッペンツェル・アウサーローデン準州では婦人参政権が制限されていた。憲法改正は比較的容易であり、10万人の改正要求があった場合は改正提案に対する国民投票が実施される。憲法改正が多い国で、現行の1999年憲法が施行される前の1874年憲法(旧憲法)は、過去140回以上にもわたる部分改正が行われており、全面改正後の現行憲法(2000年施行)も2003年時点ですでに6回改正されている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "スイスでは連邦政府、州、市町村の3段階の行政組織が課税権を有している。税率は平均20%。それぞれが独自に税率を設定できるため、個人の税率を低く設定して外国の富裕層の取り込みを図る州もある。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "法人税についても優遇措置をとっており、外国から本社をスイスへ移転する企業がある。そのため、OECD(経済協力開発機構)の有害税制リストに挙げられている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "スイスには、26のカントン(canton)と呼ばれる州が存在する。そのうち、6は準州と呼ばれ、全州議会の議員定数配分が通常の州の2名に対し1名だけとなっている。カントンは全部で2,889の市町村に分かれている。", "title": "政治" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "スイスにおける国防の基本戦略は、拒否的抑止力である。敵国にとって、スイスを侵略することによって得られる利益よりも、スイス軍の抵抗や国際社会からの制裁によって生じる損失の方が大きくなる状況を作り出すことによって、国際紛争を未然に防ぐ戦略である。2002年の国連加盟後も、この基本戦略は変わっていない。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "現代におけるスイスは、国軍として約4,000名の職業軍人と約21万名の予備役から構成されるスイス軍を有し、有事の際は焦土作戦も辞さない毅然とした国家意思を表明しながら、永世中立を堅持してきた平和・重武装中立国家として知られる。スイスは国際連合平和維持活動(PKO)への参加に積極的で、国外に武装したスイス軍部隊を派兵しているが、決して武力行使をせず、PKOでは武器を用いない人道支援に徹している。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "多数の成人男子が、予備役もしくは民間防衛隊(民兵)として有事に備えている。平和国家であるスイスではあるが、スイス傭兵の精強さは、ヨーロッパの歴史上、殊に有名である。現在でも、軍事基地が岩山をくり抜いた地下に建設されるなど高度に要塞化されており、国境地帯の橋やトンネルといったインフラストラクチャには、有事の際速やかに国境を封鎖する必要が生じた場合に焦土作戦を行うため、解体処分用の爆薬を差し込む準備が整っている。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "仮に、国境の封鎖に失敗して外国の侵略を受けても主要な一般道路には戦車の侵入を阻止するための障害物や、トーチカが常設してある。東西冷戦の名残で、2006年までは、家を建てる際には防空壕(核シェルター)の設置が義務づけられていた。その数・収容率と強固な構造は、他国の防空壕と比べても群を抜いている。古い防空壕は、地下倉庫や商店などとしても利用されている。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦中のスイス空軍は、1907年のハーグ陸戦条約で定められた国際法上の「中立義務」を果たすため、領空侵犯する航空機があれば連合国側・枢軸国側を問わず迎撃した。ちなみに、当時のスイス軍の航空機は、一部の国産機を除いてはフランスとドイツの戦闘機を輸入、またはライセンス生産したものだった。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "当時、仮に外国の軍隊がスイスを侵略しスイスの存立が絶望的となる最終局面に陥った場合は、外国の軍隊がスイスのインフラを強奪する寸前のところで放火や爆破などの焦土作戦を実施し、侵略者に一切の戦利品を与えないように計画していた。その一方で、当時のスイス政府は柔軟な姿勢で外交と通商を展開した。第二次世界大戦においては、「資源を持たないスイスが、資源を持つ国と通商することは生存権の行使であって、中立義務に違反するものではない」と主張して、国民の生活を守るために必要な資源や武器を枢軸国・連合国双方から輸入し、国益を確保した。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "焦土作戦も辞さない悲壮な防衛努力の一方で、外国において武力行使をしない柔軟な外交政策は、現在も変わらない。2008年には、当時の大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国のムアンマル・アル=カッザーフィーが、スイス人ビジネスマン2人を犯罪の容疑者と断定し拘留する事件が発生した。カッザーフィーは、ただちにリビアからスイスへの石油輸出を止め、「スイスは、イスラム教のモスクを破壊する異教徒の国だ」として、スイスに対する「聖戦」を訴えてスイス政府を恫喝した。これに対して、スイス政府は、旅行者に扮した軍人と公安関係者からなる特殊部隊をリビアに派遣し、現地で密かに情報収集を行ったが、この特殊部隊は非武装だった。戦力投射能力のないスイス軍に自国民を救出する術はなく、当時のスイス大統領が自らリビアに赴いて、カッザーフィーに謝罪し石油は確保された。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "スイスは陸軍と空軍を有するが、他国を攻撃しうる戦力投射能力は有しない。陸軍は船舶部隊(水軍・海軍とも呼ばれる)を有する。船舶部隊は、おもに国境をなすレマン湖(ジュネーヴ湖)、国際河川のライン川、コンスタンス湖(ボーデン湖)に配置されている。特に、フランスとの国境にあるバーゼルの街は別名スイス港とも呼ばれ、石油などを積んだ排水量3,000トン未満の船が、オランダのアムステルダム港から、ドイツとフランスを経由してライン川を遡行してくる。バーゼルは、内陸国であるスイスが水運を通じて海とつながる唯一の貿易港となっている。20隻の哨戒艇が主力である船舶部隊は、有事の際にはライン川を遡行する商船を臨検、徴用することとなる。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "冷戦の一時期、スイスは自立能力を高める為に兵器の国産化に取り組んだ。かつては戦車や航空機も国産していたが、開発費用の高騰と技術的課題のため断念した。エリコン社といったスイスを代表するメーカーは、かつては防衛産業を担っていたが、現在では軍事に関与しない企業に生まれ変わっている。一方で、小火器や装甲車は依然として高い国際競争力を持ち、世界中に輸出されている。スイスの銃器メーカーであるシグ社の製品は日本にも輸出され、警察庁・都道府県警察、自衛隊、海上保安庁で採用されており、ピラーニャ装甲車などの兵器は、アメリカ軍の採用を勝ち取ったことで有名である。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "スイスでは国民皆兵を国是としており、徴兵制度を採用している。20歳から30歳の男性に兵役義務があり、女性は任意である。スイス男性の大多数は予備役軍人であるため、各家庭に自動小銃が貸与され、予備役の立場を離れるまで各自で保管している。かつては冷戦下の厳しい国際情勢に即応するため、包装された弾薬と手榴弾が貸与され、悪用防止の封印を施した容器に入れて各自が保管していた時期もあった。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "対戦車兵器や迫撃砲などより大型の武器は、地区単位で設置されている武器庫に収められ、厳重に管理されている。これらの支給火器が犯罪に用いられることはごくまれであったが、2007年9月から予備役に貸与されていた弾薬は回収され、スイス軍が集中管理するようになった。現在、予備役の立場にある国民は、自動小銃は持っていても弾薬は持っていない。有事の際は、動員令を受けた予備役に対して速やかに弾薬が貸与される予定である。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "銃が手軽に手に入る社会であるため、スイスでは自殺にも銃を用いる傾向がある。自殺者の24%から28%が銃で自殺しており、その割合はアメリカ合衆国に次ぐ世界2位で、ヨーロッパの中では最高である。また男性が銃による自殺を選択する傾向があり、銃による自殺者の95%は男性である。しかし、「世界平和度指数」の軽火器へのアクセスしやすさによると、スイスは5段階評価で2点で、台湾やドイツと同レベルであり、スイスはアメリカのように弾薬が簡単に手に入る社会ではないことがうかがえる。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "冷戦の時代には、スイス連邦政府によってスイスの一般家庭に配布された小冊子「民間防衛」の内容からも窺い知れるように、スイス国民はあまねく民間防衛組織に加入し、有事に備えていた。冷戦の終結後は、民間防衛組織の多くが役割を失って消滅したか、人員や装備を大幅に削減したため、現在のスイスには「民間防衛」が発行された当時のような高度な防衛体制は、もはや存在しない。それでも、政府が食糧を計画的に備蓄し、スイス軍の施設と公立の学校については核戦争への備えとして核シェルターが常設されている。民間でも、過去には自宅や職場にシェルターを装備する義務があったが、現在では撤廃された。それでも、任意でシェルターを装備している企業や個人が多いことで有名である。", "title": "軍事" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "世界銀行によると、2020年のスイスの購買力平価ベースの一人当たり実質GNIは69,190ドルで、カタール、シンガポール、ルクセンブルク、アイルランドに次いで、すべての国の中で世界第5位となっている。国際通貨基金によると、2013年のスイスのGDPは6,508億ドルであり、世界第20位である。同年の一人当たりのGDPは8万1,323ドルであり、世界でもトップクラスの水準である。2016年の一人あたり国民総所得(GNI)は84,240ドルで、世界第2位である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "なお、スイスは世界でもっとも国際競争力の高い国のひとつであり、2011年の世界経済フォーラムの研究報告書において、世界第1位の国と評価された。富裕層も非常に多く、9.5%の世帯が金融資産で100万ドル以上を保有しているとされる。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "2016年10月14日、アメリカ合衆国財務省が為替報告書を公表したうえで、スイスの不正な為替介入の有無を監視するようになった。通貨のスイスフラン(CHF)は「金(地金)よりも堅い」と言われるほど、世界でもっとも安定した通貨である。1870年代にデザインされた硬貨が、大きな変更を経ずに製造され流通している。国内の物価および賃金水準は高く、国民の貯蓄高も日本並みに高い。輸入関税率は低く、高級外車などが比較的安く購入できる。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "スイスフランの利子率は、通貨の安定性とねじれて低かった。これに目をつけ、東中欧を中心にフラン建ての住宅ローンが多く組まれている。このため、もしスイスフランが不安定となると、他国の家計にパニックを起こすリスクが生じている。スイスフランは、2011年からユーロに対して為替相場の上限を設けていたが、2015年初頭に突然撤廃された。詳しくはスイス国立銀行の項目を参照されたい。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "近世に至るまで、スイスのおもな産業のひとつとして存在したのが傭兵であった。スイスはその地形から農業などの産業を発達させにくかったため、戦力を輸出することで産業不足を補っていた。 現在は戦力の輸出は禁止されているものの、バチカンのスイス衛兵は唯一の例外として認められている。スイス企業の産業分野は手広い。金融業(銀行、保険)、電力、観光業、精密機械工業(時計、光学器械)、化学薬品工業が挙げられる。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "リャマやアルパカを飼育する農家が乳や毛の生産に使うためスイス国内で増えている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "スイスにおけるエネルギー部門は、その構造と重要性から先進国の典型として現在も世界各国の手本にされている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "チューリッヒに本部を置くABBグループが世界規模で事業展開しており、同社が1988年に吸収したスウェーデン企業のASEAは地中海を取り巻くスーパーグリッドの敷設に参画している。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "スイスの鉱業は、岩塩の採掘のみに頼っている。浅海の堆積物と海水が褶曲、もしくは押しかぶせ断層によって地層中に閉じ込められたことに由来し、採掘量は2002年時点で30万トンである。ただし、岩塩精製ではカリウムが副産物として得られる(ドイツ帝国#経済)。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "グレンコアなど海外で採掘事業を行う企業もある。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "第一次世界大戦以来、ノバルティスの前身3社であるチバ・サンド・ガイギーがシンジケートを形成していた。1929年4月、この3社とIG・ファルベンインドゥストリーとフランスの染料組合Centrale des Matières Colorantes は国際カルテルを組んだ。このカルテルは世界輸出の5分の4を掌握し、内輪で全染料売上げをスイス19.00%、ドイツ71.67%、フランス9.33%の比率で分配した。1932年2月、ここへインペリアル・ケミカル・インダストリーズが参加して日米がアウトサイダーとなった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "スイスには中世からの銀行業の歴史があり、多数の金融機関がある。UBS、クレディ・スイスなど、日本に進出している銀行もある。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "スイス銀行と言われる個人銀行(いわゆるプライベートバンク)は、顧客の情報の守秘義務に関して国際的に有名で、刑事事件が起こっても、原則として顧客の情報は外部に漏らさない。このことからマネーロンダリングの中継地として、しばしばスイス銀行の口座が使われることがある。この秘密主義の方針は、しばしば世界的な批判の的となっている。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "経済協力開発機構は、スイスに対して資産の出所を確かめる義務を履行するよう勧告している。この他、独裁者や犯罪者の隠し財産として利用されることもあるため「独裁者の金庫番」「犯罪者の金庫番」と揶揄され、スイス人のあいだでもスイスの名誉を傷つけているという批判がある。有名なところでは、フィリピンのマルコス元大統領や、コンゴのモブツ元大統領、ハイチのデュヴァリエ元大統領などは、国民の財産を強奪して私物化した資金をスイスの銀行に預けていることが分かっており、スイスの銀行は彼らの略奪行為について共犯性があるという指摘がある。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "スイスリークス事件発覚後はスイス政府も、各国の警察および金融当局に対して柔軟な対応をしており、犯罪収益金の没収などの処置を行い当該国に一部返還する動きもある。ただし、法の制定などはまだ不十分である。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "観光産業はスイス経済にとって重要な分野のひとつであり、総就労人口の約4%が観光産業に従事している。たとえば2015年、スイスの観光産業は3560万人の宿泊客を迎え入れ、その収益は174億フランに達し、国内総生産の約2.8%を占めた。2015年、ヨーロッパからスイスへともっとも多くの宿泊客が来訪した国はドイツであり、約400万人であった。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "スイスの主な観光地は、チューリヒ、山岳地域のグラウビュンデン州、ベルン州、ヴァリス州などである。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "歴史をふりかえると、スイスは昔から観光客を魅了していた。スイスはヨーロッパの交差点のような場所に位置し、18世紀と19世紀には文学作品の舞台やロマン派絵画の題材となり、世界の人々がスイスの山の世界に熱狂し、そのころに、イギリスの旅行代理店トーマス・クックが初のスイスツアーを企画した。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "第二次世界大戦後にはウィンタースポーツがさかんになり、スイスでもウィンタースポーツが楽しめる保養地として人気を集めた。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "最近ではスイス政府観光局などスイスの観光関連組織は、インド・ロシア・中国などといった新興国からの観光客を迎えるために努力している。", "title": "経済" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "スイスの鉄道はSBB(スイス連邦鉄道、旧スイス国鉄)が主要幹線を網羅しており、山岳部では、私鉄の登山列車などが運行している。空港のある都市は、チューリッヒ・ジュネーヴ(ジュネーヴ空港)・バーゼル(ユーロエアポート・バーゼル=ミュールーズ空港)・ベルン・サメーダン(エンガディン空港)・ルガノなど。日本からの直行便は、スイス インターナショナル エアラインズのチューリッヒ・東京(成田空港)便とチューリッヒ・大阪(関西国際空港)便がある。チューリッヒ空港では、ドイツ語の案内放送のあと、英語で案内放送がある。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "他にも、ドイツやオーストリアのようにアウトバーンと呼ばれる高速道路を持っている。", "title": "交通" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "パラケルススやフェルディナン・ド・ソシュール生誕の地域として知られており、学問的分野ならび科学技術が最も発達している国家の一つに数え上げられる。", "title": "科学技術" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "スイスでは天然資源と成り得るものが殆ど存在しない為、科学技術は同国経済の発展において重要な役割を果たしている。", "title": "科学技術" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "現在のドイツ語圏は5世紀にローマ人が撤退したあと、北からやってきたゲルマン系アレマン人が支配した地域であり、ヘルウェティイ族などのケルト系先住民と混血した。フランス語圏は同時期のゲルマン系ブルグント人の支配地域でヘルヴェティア共和国以降の19世紀にフランス語化したものであり、イタリア語圏はゲルマン系ランゴバルド人、ロマンシュ語圏はケルト系ラエティア人の地域の名残とも考えられる。その後、現在のスイス全土はゲルマン系のフランク王国や神聖ローマ帝国に支配されたため、ラテン化されたケルト人にゲルマン系が加わった流れはほぼ共通する。いずれにせよ混成民族であることはすべての欧州国家の例にもれない。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "外国人の定住者ないし短期労働者は全人口の2割に及び、2007年には145万人に達した。欧州内の移民が多く、もっとも多いのはイタリア29万5,507人、次にドイツ22万4,324人となっているが、特に旧ユーゴスラビア諸国出身者は非常に多く、35万人前後にもなる(セルビア・モンテネグロ19万6,078人、マケドニア6万509人、ボスニア4万1,654人、クロアチア3万8,144人)。また、中東からはトルコ人も7万5,382人と多い。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "2004年には、3万5,700人がスイス国籍を取得した。その半数以上が旧ユーゴスラビア諸国出身者である。スイスは世界中から多くの難民を受け入れている。移民は通常、ストレスのために健康を比較的に害するが、2013年の学術誌『PLoS ONE』によると、スイスに住むポルトガル系移民の心血管疾患はポルトガル在住者と変わらない。しかし移民に対する反発は根強くあり、2014年6月には国民党が提案した「大量移民反対イニシアチブ」によって4か月を超えてスイスに滞在する外国人には人数制限を行う方針となった。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "2020年に流行した新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、アジア人が差別的言動を受ける例も報告されている。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "2022年、スイスはできるだけ迅速かつ効率的に庇護を受け入れるため、庇護申請に対する回答期間を当初の400日から140日に短縮した。その結果、中国などからの亡命希望者は大きな恩恵を受けている。2022年2月の時点で、スイスは他のヨーロッパ諸国よりもはるかに多くの難民を受け入れている。亡命希望者が第三国に住んでいる場合、ダブリンルールによりスイスで庇護を受けることができなくなるため、スイスで直接庇護を求めるべきである。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "スイスでは、各地方の地理的・歴史的な理由から使用言語が分かれているためドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語の4つを公用語と定めている。これに合わせ、スイスの公共放送・SRG SSR(スイス放送協会)も、4つの公用語を使用して放送している。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "北部と中部ではおもにドイツ語が使われている(全人口の64%、右図の黄色)。その多くはアレマン語系のスイスドイツ語と呼ばれる方言であるが、新聞やテレビ、ラジオのニュース番組ではドイツの標準語である高地ドイツ語が使われる。ただし地方の放送局ではニュース以外の一般番組もほとんどスイスドイツ語で、全国放送でもなぜかテレビの天気予報だけはスイスドイツ語である。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "西部ではフランス語が(20%、紫色)、南部ではイタリア語が(6%、緑色)使われている。スイス・フランス語は標準フランスとほとんど変わりはないが、数の数え方に若干特徴がある(数字の70、80、90をフランスのsoixante-dix、quatre-vingt、quatre-vingt-dixではなくseptante、huitante、nonanteと言う)。イタリア語はロンバルド語の系統に属する西ロンバルド語が混じる。ティチーノ州で使われるロンバルド語系イタリア語はティチーノ語とも呼ばれる。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "ロマンシュ語は、南東部にあるグラウビュンデン州のごく一部の人々の間で使われているだけであり、いまだ絶滅の危機にある(0.5%、赤色 - 面積は広いが人口は少ない)。ドイツ語圏以外のスイスでは、ドイツ語を学習する場合、普通標準ドイツ語を学ぶため、かなり差異のあるスイスドイツ語の理解がスムーズにできないことがある。したがって、ドイツ語圏スイス人と非ドイツ語圏スイス人の間で会話する時、ドイツ語圏のスイス人は標準ドイツ語を理解できるものの、会話の上では障害となることが多く、公用語であるフランス語のほかに英語を用いることも多くなっている。学校教育において英語を必修科目とし、母語以外の公用語を選択科目とする学校が増えていることも、若年層における英語の使用に拍車をかけている。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "そのほか、移民の出身地域である旧ユーゴスラビアの国々の言語やトルコ語が使われる。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "婚姻時、2013年以前は夫の氏が優先であった。正当な利益があれば、妻の氏を称することもできた(同氏)。自己の氏を前置することもできるとされていたが、2013年以降、婚前に特に手続きしないかぎり原則として婚前の氏を保持すると変更され、完全な選択的夫婦別姓が実現された。配偶者の氏に変更するためにはそのように婚姻前に手続きを行わなければならない。2022年7月1日から同性結婚が可能となった。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "スイス国民が信仰する宗教は、カトリックが人口の約43%、プロテスタントが約35%と、この2つでほとんど大部分を占める。ほかにはイスラム教が約4%、正教会が約2%、ヒンドゥー教、仏教、ユダヤ教などが、各1%未満であり、約11%が無宗教となっている。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "2009年12月16日、ジュネーヴのイスラム関係者が、モスクの塔(ミナレット)新設禁止に抗議して、欧州人権裁判所に提訴したことが明らかになった。同年11月には、スイス国民投票においてモスク新設は禁止が賛成多数で承認されていた。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "ユニバーサルヘルスケアが達成され、市民は公的または民間保険会社から医療保険を購入する義務があり、保険者は引き受けを拒むことはできない。医療制度はほかの欧州諸国と比べ費用は高いがアウトカムは良好であり、患者の満足度は高く、2017年のEuro Health Consumer Indexでオランダに次いで34か国中総合2位であった。2016年での平均余命は83.3歳(男性が81.2歳、女性が85.2歳)で、日本に次いで世界2位であり、男性は世界一、女性は世界5位となった。しかし、保健支出は高く2015年にはGDPの12.1%を占め、これはドイツやフランスの約11%より少し高く、アンドラ並の値である。1990年より医療の高度化、市民の長寿命化を受けて徐々に費用が増加傾向にある。", "title": "国民" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "市民の生活満足度は高く、国連世界幸福度報告では第2位(2016年)、OECDの人生満足度(Life Satisfaction)ではデンマーク、アイスランドに次いで第3位、世界幸福地図では世界178か国で第2位(2006年)であった。", "title": "社会" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "アメリカ誌の「USニュース&ワールド・リポート」が発表した世界最高の国ランキングに、スイスは第1位(2020年)に選ばれた。", "title": "社会" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "スイスでは、国際基準による高水準の動物福祉政策ならび保護政策を行なっている。", "title": "社会" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "スイスでは他者の人権の受け入れ、汚職の少なさ、情報の自由な流れ、良好なビジネス環境、高いレベルの人的資本、資源の公平な配分、十分に機能する政府、および近隣諸国との良好な関係によって決まる2023年の「積極的平和指数」で世界第4位を獲得した。", "title": "社会" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "スイスの税関は2018年に、日本の大規模な同人誌即売会であるコミケから戻ってきたファンによって家に送られた漫画を没収した。スイス刑法第197条により、図面や仮想描写などの純粋に架空の形式の非実在児童ポルノはスイスでは違法である。この法律には、コミック(マンガ)やその他の仮想バージョンでの児童ポルノの描写も罰せられる。刑法第197条は、「未成年者との非実際的な性行為」の描写も罰せられると明確に述べている。この背後にある考え方は、児童ポルノの消費が模倣行為につながる可能性があるため、未成年者が「本物」であるか「唯一」の仮想であるかは関係ない。しかし、スイスは多くの欧米諸国と比較して、非実在児童ポルノに対してそれほど厳しくはない。カナダとイギリスはどちらも、未成年のキャラクターが登場する非実在児童ポルノを所持している人々を刑務所に入れている。一方、フィンランド、ドイツ、オランダ、スウェーデン、デンマークなどの欧州諸国では、実写風でない非実在児童ポルノは合法とされている。", "title": "社会" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "スイスの治安は比較的良好であるといわれているが、スイスの犯罪統計によれば、2019年の犯罪件数(麻薬法・入国管理法違反を除く)は43万2,000件(前年比±0%)(多い順に、チューリッヒ州:91,174件、ベルン州:53,942件、ジュネーブ州:47,499件、ヴォー州:45,805件)となっている。内訳は、財産犯罪(窃盗・車両盗難・強盗・詐欺・恐喝など)が286,207件で約66%を占めるほか、殺人:46件、傷害:8,347件、脅迫:10,834件、性犯罪:8,189件などが挙げられる。また麻薬法違反:75,757件(-0.7%)、入国管理法違反:37,024件(-3.6%)とされている。", "title": "治安" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "観光が盛んなことから観光客を狙った犯罪が多い。特にチューリッヒ、ルツェルン、バーゼル、ジュネーブ及びベルンといった都市部において、ホテルのロビー及びレストランでの置き引き、公共交通機関内でのスリ、空港でのクレジットカード詐欺被害が報告されている。", "title": "治安" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "スイス連邦政府は一般的な法執行機関を持っておらず、国内の法執行機関の調整は州の警察司令部の委員会によって行なわれている。", "title": "治安" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "2023年現在、26の州警察機関と多数の地方警察機関が、同国の法執行機関を支えている。", "title": "治安" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "スイスには 124の拘留施設が存在し、施設の全てが州によって運営されている。収容人数は最大 6,736人。", "title": "治安" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "アルザス料理も含むドイツ料理、フランス料理、イタリア料理といった周辺の国や地域の影響を受けながらも、スイス特有の多くの料理を有する。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "スイスは歴史的な農業国であり、伝統的なスイス料理は素朴で、ジャガイモとチーズのような質素な食材で作る傾向がある。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "バーゼルを拠点に、異文化交流を目的とした『カルチャスケープス(英語版)』と呼ばれる学際的な芸術祭が毎年秋に開催されている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "国内における言語の違いと文化的多様性が、スイスにおける映画史を形づくっている。ドキュメンタリー映画、アートフィルムや実験映画、そして大衆的な商業映画が存在し、作品群についても作家たちについても、情報源の多様さより以上の多様性が存在している。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "スイスには700を超える様々な伝統衣装が存在する。特に女性の衣装は、地域毎に異なることがよくあるといわれている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "国民を啓発する目的から考案された「連邦祭(ドイツ語版)」やワイン生産者の祭典「フェット・デ・ヴィニュロン(フランス語版、英語版)」が開催されている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "スイス国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が7件、自然遺産が3件存在する。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "法定祝祭日は以下の通りとなっている。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "このほか、地域ごとの祝日がある。", "title": "文化" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "スイス国内ではサッカーが最も人気のスポーツとなっており、今から120年以上前の1897年にプロサッカーリーグの「スーパーリーグ」が創設された。スイスサッカー協会によって編成されるサッカースイス代表は、FIFAワールドカップには12度の出場歴があり1954年大会は自国開催された。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "UEFA欧州選手権には5度出場しており、2021年大会では過去最高位のベスト8の成績を収めた。なお、UEFA EURO 2008を隣国のオーストリアと共同開催している。スイス人の著名な選手としては、ジェルダン・シャキリ、グラニト・ジャカ、リカルド・ロドリゲス、ステファン・リヒトシュタイナーなどが存在する。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "1954年から2016年まで、スイス国内でモータースポーツの開催が認められていない時期があった。しかしながら、スイスを拠点に国外で活躍する有力なレーシングチームやレーシングドライバーはこの期間中も存在していた。ただし、時計を通じて争うタイムアタックだけのレースは認可されていたため、ラリーやヒルクライムのイベントは開催されていた。", "title": "スポーツ" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "スイスではテニスも盛んであり、有名な選手としてはロジャー・フェデラーが挙げられる。またウィンタースポーツも盛んで、スキージャンプ、アルペンスキー、スノーボード、カーリングといった競技も行われている。", "title": "スポーツ" } ]
スイス連邦、通称スイスは、中央ヨーロッパに位置する連邦共和制国家。歴史によって、西欧に分類されることもある。 ドイツ、フランス、イタリア、オーストリア、リヒテンシュタインに囲まれた内陸に位置し、国内には多くの国際機関の本部が置かれている。首都はベルンで、主要都市にはチューリッヒ、ジュネーヴ、バーゼル、ローザンヌなどがある。永世中立国であるが、欧州自由貿易連合に加盟しているほか、バチカン市国の衛兵はスイス傭兵が務めている。日本語表記のスイスはフランス語名に由来している。
{{基礎情報 国 |略名 = スイス |日本語国名 = スイス連邦 |公式国名 = <small>{{Lang|de|'''Schweizerische Eidgenossenschaft'''}}{{de icon}}<br/>{{Lang|fr|'''Confédération Suisse'''}}{{fr icon}}<br/>{{Lang|it|'''Confederazione Svizzera'''}}{{it icon}}<br/>{{Lang|rm|'''Confederaziun Svizra'''}}{{rm icon}}<br/>'''{{la|Confoederatio Helvetica}}'''{{la icon}}</small> |国旗画像 = Flag of Switzerland.svg |国旗幅 = 110 |国章画像 = [[ファイル:Coat of Arms of Switzerland.svg|110px|スイスの国章]] |国章リンク = ([[スイスの国章|国章]]) |標語 = {{la|[[Unus pro omnibus, omnes pro uno]]}}<br/>([[ラテン語]]:一人はすべてのために、そして、すべては一人のために) |位置画像 = Europe-Switzerland.svg |公用語 = {{Plainlist|*[[ドイツ語]]([[スイスドイツ語]])<!--公文書などは標準ドイツ語使用--> *[[フランス語]] *[[イタリア語]] *[[ロマンシュ語]] }} |首都 = [[ベルン]]<ref group="注釈">[[スイス連邦憲法]]では正式な首都は定められていない。憲法上ベルンは「連邦都市」と定められており、これを事実上の首都と見なしている。</ref> |最大都市 = [[チューリッヒ]] |元首等肩書 = [[連邦参事会]] |元首等氏名 = {{Plainlist|*[[アラン・ベルセ]]('''[[連邦大統領 (スイス)|連邦大統領]]''') *[[ヴィオラ・アムヘルト]]('''連邦副大統領''') *[[ギー・パルムラン]] *[[イニャツィオ・カシス]] *[[カリン・ケラー=ズッター]] *{{ill2|アルバート・レスティ|en|Albert Rösti}} *{{ill2|エリーザベト・ボーム=シュナイダー|en|Élisabeth Baume-Schneider}} }} |首相等肩書 = [[連邦事務総長]] |首相等氏名 = {{ill2|ヴァルター・トゥルンヘア|de|Walter Thurnherr|fr|Walter Thurnherr}} |他元首等肩書1 = [[全州議会|全州議会議長]] |他元首等氏名1 = ブリギッテ・ヘベルリ=コラー |他元首等肩書2 = [[国民議会 (スイス)|国民議会議長]] |他元首等氏名2 = マルティン・カンディナス |面積順位 = 132 |面積大きさ = 1 E10 |面積値 = 41,290 |水面積率 = 3.7% |人口統計年 = 2020 |人口順位 = 99 |人口大きさ = 1 E6 |人口値 = 865万5000<ref name=population>{{Cite web |url=http://data.un.org/en/iso/ch.html |title=UNdata |publisher=国連 |accessdate=2021-11-5}}</ref> |人口密度値 = 219<ref name=population/> |GDP統計年元 =2020 |GDP値元 = 7058億9300万<ref name="economy">{{Cite web |url=https://www.imf.org/en/Publications/WEO/weo-database/2021/October/weo-report?c=146,&s=NGDP_R,NGDP_RPCH,NGDP,NGDPD,PPPGDP,NGDP_D,NGDPRPC,NGDPRPPPPC,NGDPPC,NGDPDPC,PPPPC,PPPSH,PPPEX,NID_NGDP,NGSD_NGDP,PCPI,PCPIPCH,PCPIE,PCPIEPCH,TM_RPCH,TMG_RPCH,TX_RPCH,TXG_RPCH,LUR,LE,LP,GGR,GGR_NGDP,GGX,GGX_NGDP,GGXCNL,GGXCNL_NGDP,GGSB,GGSB_NPGDP,GGXONLB,GGXONLB_NGDP,GGXWDN,GGXWDN_NGDP,GGXWDG,GGXWDG_NGDP,NGDP_FY,BCA,BCA_NGDPD,&sy=2019&ey=2026&ssm=0&scsm=1&scc=0&ssd=1&ssc=0&sic=0&sort=country&ds=.&br=1|title=IMF Data and Statistics |accessdate=2021-10-15}}</ref> |GDP統計年MER = 2020 |GDP順位MER = 18 |GDP値MER = 7518億7700万<ref name="economy"/> |GDP MER/人 = 8万7366.598<ref name="economy"/> |GDP統計年 = 2020 |GDP順位 = 39 |GDP値 = 6303億5600万<ref name="economy"/> |GDP/人 = 7万3246.113<ref name="economy"/> |建国形態 = 建国 |確立形態1 = [[永久盟約]]締結 |確立年月日1 = [[1291年]][[8月1日]] |確立形態2 = [[ヴェストファーレン条約]](独立の承認) |確立年月日2 = [[1648年]][[10月24日]] |確立形態3 = [[スイス連邦憲法|連邦憲法]]制定 |確立年月日3 = [[1848年]][[9月12日]] |通貨 = [[スイス・フラン]] |通貨コード = CHF |時間帯 = +1 |夏時間 = +2 |国歌 = {{Plainlist|*[[スイスの賛歌|{{lang|de|Schweizerpsalm}}]]{{de icon}} *[[スイスの賛歌|{{lang|fr|Cantique Suisse}}]]{{fr icon}} *[[スイスの賛歌|{{lang|it|Salmo Svizzero}}]]{{it icon}} *[[スイスの賛歌|{{lang|roh|Psalm Svizzer}}]]{{rm icon}} }}''スイスの賛歌''{{center|[[ファイル:Swiss Psalm.ogg]]}} |ISO 3166-1 = CH / CHE |ccTLD = [[.ch]] |国際電話番号 = 41 |注記 = <references /> }} '''スイス連邦'''(スイスれんぽう、{{Lang-de-short|Schweizerische Eidgenossenschaft}}、{{Lang-fr-short|Confédération Suisse}}、{{Lang-it-short|Confederazione Svizzera}})、通称'''スイス'''は、[[中央ヨーロッパ]]に位置する[[連邦共和国|連邦共和制国家]]<ref name="kotobank">{{kotobank|スイス連邦}}</ref>。歴史によって、[[西ヨーロッパ|西欧]]に分類されることもある。 [[ドイツ]]、[[フランス]]、[[イタリア]]、[[オーストリア]]、[[リヒテンシュタイン]]に囲まれた内陸に位置し、国内には多くの[[国際機関]]の本部が置かれている。[[首都]]は[[ベルン]]で、主要都市には[[チューリッヒ]]、[[ジュネーヴ]]、[[バーゼル]]、[[ローザンヌ]]などがある。[[永世中立国]]であるが、[[欧州自由貿易連合]]に加盟しているほか、[[バチカン市国]]の[[衛兵]]は[[バチカンのスイス衛兵|スイス傭兵]]が務めている。日本語表記のスイスは[[フランス語]]名に由来している<ref name="kotobank"/>。 == 国名 == スイスの正式名称は4種の[[公用語]]([[ドイツ語]]、[[フランス語]]、[[イタリア語]]、[[ロマンシュ語]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E9%80%A3%E9%82%A6-1345524#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 デジタル大辞泉] [[コトバンク]]. 2018年10月5日閲覧。</ref>)で定められているが、硬貨や切手などのように4種を併記する余裕がない場合、単独で使用することが許されるラテン語の国名({{Lang|lt|'''Helvetia'''}}、[[ヘルヴェティア共和国]]も参照)が定められている。 *[[ドイツ語]]名:{{Lang|de|'''Schweizerische Eidgenossenschaft'''}} *[[フランス語]]名:{{Lang|fr|'''Confédération Suisse<!--Helvétique-->'''}} *[[イタリア語]]名:{{Lang|it|'''Confederazione Svizzera<!-- Confederazione Elvetica -->'''}} *[[ロマンシュ語]]名:{{Lang|roh|'''Confederaziun Svizra'''}} *[[ラテン語]]名:{{Lang|la|'''Confoederatio Helvetica'''}}<!--Confoederatioにつづけるときは、Helvetiaではなく、形容詞のHelveticaになる--> 正式国名と同様に通称も5種類ある。 *ドイツ語名:{{Lang|de|'''Schweiz'''}}、シュヴァイツ<ref group="注釈">シュヴァイツ。通常は[[ドイツ語の文法#冠詞|女性定冠詞]]を付して{{Lang|de|die Schweiz}}と表記する</ref>、シュワイツ<ref name="kotobank"/> *フランス語名:{{Lang|fr|'''Suisse'''}}、シュイス<ref group="注釈">{{Lang|fr|la Suisse}}</ref>、スイス<ref name="kotobank"/> *イタリア語名:{{Lang|it|'''Svizzera'''}}、ズヴィッツェラ<ref group="注釈">ズヴィッツェラ([[小学館]]『伊和中辞典』1983年、1485頁)。{{Lang|it|la Svizzera}}</ref>、ズビッツェラ<ref name="kotobank"/> *ロマンシュ語名:{{Lang|roh|'''Svizra'''}}<ref group="注釈">(ジュヴィーツラ、ジュヴィーツッラ。{{Lang|roh|la Svizra}}</ref> *ラテン語名:{{Lang|la|'''Helvetia'''}}<ref group="注釈">ヘルウェティア、[[ヘルヴェティア]]</ref> 公用語ではないが、[[スイスドイツ語]]では'''Schwiizerischi Eidgnosseschaft'''、略称'''Schwiiz'''(シュヴィーツ。通常は'''D′Schwiiz'''と表記する)。ドイツ語およびスイスドイツ語の正式名称にあたる{{Lang|de|Eidgenossenschaft}}(アイトゲノッセンシャフト)とは「誓約者同盟」という意味で、通常の「[[連邦]](Bund)」とは異なる。 略称([[国名コード]] [[ISO 3166-1]] alpha-2:ラテン文字2文字による国名コード)には、'''CH'''を用いる。これはラテン語表記である「Confoederatio Helvetica」の頭文字に由来する。 公式の[[英語]]表記はSwiss Confederation(スウィス・コンフェデレイション)、通称はSwitzerland(スウィツァランド) で国民・形容詞ともSwiss(スウィス)。 [[日本語]]表記は'''スイス連邦'''、および'''スイス'''。[[外国地名および国名の漢字表記一覧|漢字による当て字]]では'''瑞西'''と表記し、'''瑞'''と略す([[スウェーデン]]も瑞典と当て字し、瑞と略すが、両者を区別する時にはスウェーデンを典と略す)。まれにドイツ語の正式名称から「'''スイス誓約者同盟'''」と訳されることがある。また、古くは'''ス井ス'''<ref>『國際聯盟年鑑 1929年』,青木節一著,[[朝日新聞社]],[[1929年]],p4,([https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2390925 国立国会図書館デジタルコレクション] コマ番号20),p8,p11</ref>、'''スヰス'''<ref>『國際外交録』 杉村陽太郎著 [[1933年]]</ref>と表記されることもあった。 国名は、スイス建国の中心的役割を果たした[[シュヴィーツ州]]に由来する。「Schwyz(シュヴィーツ)」は古代ドイツ語で「酪農場」を意味する語が訛ったものだとされる。日本語表記の「スイス」はフランス語または英語形容詞に由来する。ラテン語名のヘルヴェティア(ヘルウェティア)は、本来現在のスイス西部から北部、ドイツ南部の一帯を指し、[[古代ローマ]]の支配が及ぶ前よりベルン周辺に住んでいた[[ケルト人|ケルト]]系先住民族[[ヘルウェティイ族]]に由来する。ドイツ語辞書によると「[[スイス人]]」を表すSchweizer(男性名詞)、Schweizerin(女性名詞)には「熟練乳搾り人」「教会堂番人」「[[ローマ教皇]]の[[バチカンのスイス衛兵|近衛兵]]」、さらに「スイス産[[チーズ]]」の意味も含まれる。 == 歴史 == {{Main|スイスの歴史|{{仮リンク|アルプスの歴史|en|History of the Alps}}}} *[[1291年]][[8月1日]] - [[ウーリ州|ウリ]]、[[シュヴィーツ]]、[[ウンターヴァルデン]]の原始3州が、既得権益であった自由と自治を守るため、{{仮リンク|原初同盟|de|Alte Eidgenossenschaft|en|Old Swiss Confederacy|label=誓約同盟}}(Eidgenossenschaft)を結成。この日がスイス建国の日とされている([[永久盟約]]も参照のこと)。 *[[1315年]] - [[モルガルテンの戦い]]で、農民兵で構成される同盟軍が、[[レオポルト1世 (オーストリア公)|オーストリア公レオポルト1世]]の精鋭部隊に大勝。 *[[アッペンツェル戦争]]([[1401年]] - [[1429年]]) *[[1474年]] - [[ブルゴーニュ戦争]]([[1474年]]-[[1477年]]) *[[1499年]] - [[シュヴァーベン戦争]]で[[神聖ローマ帝国]]から実質的に独立。その後、加盟準州(カントン)を増やしていくが({{仮リンク|カントン・アッペンツェル|de|Kanton Appenzell|en|Appenzell}}、{{仮リンク|カントン・バーゼル|als|Kanton Basel|en|Canton of Basel}})、各州間では[[宗教改革]]([[スイスの宗教改革]])などをめぐって争いが絶えなかった([[第一次カッペル戦争]]、{{仮リンク|第二次カッペル戦争|de|Zweiter Kappelerkrieg|en|Second War of Kappel}})。 *[[1648年]] - [[ヴェストファーレン条約]]によって正式に神聖ローマ帝国からの独立を達成。 *[[1685年]] - [[フォンテーヌブローの勅令]]が[[フランス王国|フランス]]で発せられ、中産[[ユグノー]]がスイスへ亡命してきた。彼らは時計細工をスイスの花形産業にまで昇華させた。工業全般で実力を示し、金融業でもある程度活躍した。 [[ファイル:Löwendenkmal Luzern 20101115 1315 photo by Pcs34560.jpg|thumb|200px|スイスの[[ルツェルン]]の砂岩の断崖に刻まれたライオン記念碑<ref>{{Cite web|和書|url = https://kotobank.jp/word/ライオン記念碑-806233 |title = 世界の観光地名がわかる事典の解説 |publisher = コトバンク |accessdate = 2018-05-03 }}</ref>。[[フランス革命]]の際に[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]の命令を守り、降伏後に市民に無抵抗のまま殺害された[[スイス傭兵|スイス人傭兵]]達を偲んで作られた。<br />国土の大半が[[山岳]]地帯であり、[[農業|農]][[工業]]が育ちにくく貧しかったスイスを支えたのは「血の輸出」と呼ばれる[[傭兵]]の派遣だった。|代替文=]] *[[1798年]] - フランス[[総裁政府]]からの強力な圧力を受け、傀儡国家の[[ヘルヴェティア共和国]]が成立する。近代憲法に基づく中央集権国家であったが1802年に瓦解。 *[[1803年]] - [[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の仲裁により従来の盟約者団が復活。 *[[1815年]] - [[ウィーン会議]]で、国家としての「[[永世中立国]]」が認められた<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.teikokushoin.co.jp/journals/geography/pdf/200206/geography200206-22-23.pdf/高図2002.06-22-23「スイスがついに~」長島信之.pdf |title = スイスがついに国連加盟へ|publisher = 帝国書院|author = 長島信之|date = 2002-06|accessdate = 2014-01-04}}</ref>。 *[[1847年]] - [[分離同盟戦争]] *[[1848年]] - 連邦憲法を制定したが、国家連合としての性格が強かった。連邦国家体制が確立するのは、[[1874年]]の改正連邦憲法以降のことである。 *[[1852年]] - 7月27日付の条約で[[バーデン大公国邦有鉄道|バーデン大公国]]に[[バーゼル]]と[[シャフハウゼン]]での鉄道敷設、経営を無償で許可する。 *[[1920年]] - [[国際連盟]]に原加盟国として加盟。連盟本部は[[ジュネーヴ]]に設置された。 *[[1928年]] - IGケミーが設立された([[IG・ファルベンインドゥストリー]]を参照)。 *[[1939年]]から[[1945年]] - [[第二次世界大戦]]では、フランスの降伏により四方を枢軸国のドイツとイタリアに囲まれながら、[[アンリ・ギザン]]将軍の指導のもとでなお武装中立を維持していたが、戦後になって中立違反についての多くの批判を受けることになった。 *[[1945年]] - [[国際連合]]が成立した。スイスは中立が維持されるという前提での参加を望んでいたが、[[サンフランシスコ会議]]には中立であったため参加できず、また連合国も中立という考えを嫌っていた。1946年にスイスは国連に参加しないという書簡を国連総会議長宛に送付した<ref>[[広瀬孝文]]・[[ボーチェック・ボレスラフ]]「[https://ci.nii.ac.jp/naid/110000187459 永世中立と国際連合 : スイスとオーストリアの国連外交の比較研究]」34p</ref>。ただし国連機関の設置や、国連の非軍事組織には参加している。 *[[2002年]][[9月10日]] - 国民投票の結果を受けて190番目の[[国際連合加盟国|国連加盟国]]となる<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=32220006|title = 10年前、やっと国連加盟したスイス|publisher = swissinfo.ch|author = アルマンド・モンベリ|date = 2012-03-02|accessdate = 2014-01-04}}</ref>。 == 地理 == [[ファイル:Sz-map-ja.png|thumb|450px|center|スイスの地図]] {{Main|スイスの地理|{{仮リンク|スイスアルプス|en|Swiss Alps}}}} スイスは[[内陸国]]であり、国土は{{仮リンク|スイス高原|en|Swiss Plateau}}が大半を占めている。また、国土は日本の約1割で[[九州]]より約1,500[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]([[東京都区部]]の2倍程度)広い。なお、総面積は日本の[[内陸県]]のうち[[岐阜県]]、[[長野県]]、[[山梨県]]、[[群馬県]]、[[栃木県]]を併せた面積(約4万1,458km<sup>2</sup>)に相当する。 {{See also|{{仮リンク|アルプスの地理|en|Geography of the Alps}}|{{仮リンク|アルプスの地質|en|Geology of the Alps}}|{{仮リンク|リトルスイス(風景)|en|Little Switzerland (landscape)}}}} {{See also|{{仮リンク|スイス連邦地形局|en|Swisstopo}}}} === 気候 === スイスの気候区分は以下の通りとなっている。 [[ファイル:Koppen-Geiger Map CHE present.svg|thumb|center|450px|スイスの[[ケッペンの気候区分]]<br /> {| |- style="vertical-align:top"| | {{Legend|#C6FF4E|[[温暖湿潤気候|温暖湿潤気候 (Cfa)]]}} {{Legend|#66FF33|[[西岸海洋性気候|西岸海洋性気候 (Cfb)]]}} | {{Legend|#38C7FF|[[湿潤大陸性気候|湿潤大陸性気候 (Dfb)]]}} {{Legend|#007E7D|[[亜寒帯気候|亜寒帯気候 (Dfc)]]}} | {{Legend|#B2B2B2|[[ツンドラ|ツンドラ (ET)]]}} {{Legend|#686868|[[氷雪気候|氷雪気候 (EF)]]}} |} ]] === 環境 === スイスは現在、車の排気ガスによる[[大気汚染]]や水資源の[[水質汚染]]が深刻となっている。また、生態系においては[[生物多様性の喪失]]に直面しているといった危機的状況が問題視されている。 {{節スタブ}} {{See also|{{仮リンク|スイスの環境運動|en|Environmental movement in Switzerland}}|{{仮リンク|スイスにおける生物の多様性の監視|en|Biodiversity Monitoring Switzerland}}|{{仮リンク|スイスにおける反核運動|en|Anti-nuclear movement in Switzerland}}}} === 水文学 === {{Main|{{仮リンク|スイスの水文学|en|Hydrology of Switzerland}}}} {{節スタブ}} == 政治 == [[ファイル:Logo der Schweizerischen Eidgenossenschaft.svg|thumb|right|[[連邦参事会]]のロゴ。]] [[ファイル:CH-Bundeshaus-Nord.jpg|thumb|200px|首都の[[ベルン]]にある[[連邦院]]。]] [[ファイル:Pascal Couchepin and Yasuo Fukuda 20080126.jpg|thumb|200px|スイス[[連邦大統領 (スイス)|連邦大統領]][[パスカル・クシュパン]](左)と[[内閣総理大臣]][[福田康夫]](右)([[2008年]][[1月26日]]、[[グラウビュンデン州]][[ダボス]]にて)]] {{Main|スイスの政治|スイス法}} 現在のスイスの[[憲法|連邦憲法]]は[[1999年]]に採択され、[[2000年]][[1月1日]]に発効した。 スイスは、連邦国家であり連邦議会({{Lang-de-short|Bundesversammlung}}、{{Lang-en-short|Federal Assembly}})を最高機関とする[[議会統治制]]、つまり立法府が行政府を兼ねる統治形態をとっている。連邦議会は[[両院制]]で、直接選挙([[比例代表制]])で選ばれる200議席の[[国民議会 (スイス)|国民議会]](独:Nationalrat、英:National Council)と州代表の46議席の[[全州議会]](独:Ständerat、英:Council of States)から構成される二院制である。 立法府を兼ねる連邦政府(内閣)は、連邦議会から選出される7人の連邦参事(ただし[[閣僚]]や大臣とは呼ばない)で形成される合議体である。内閣は、ドイツ語圏の諸国と異なり[[連邦参事会]](独:Bundesrat、英:Federal Council)と呼ばれる。7人の連邦参事(7 Bundesraete)が各省を統括し、その中の1人が連邦参事兼任のまま任期1年の[[連邦大統領 (スイス)|連邦大統領]]となる。連邦議会の議場と連邦政府の各省庁のオフィスはともにベルンの連邦議会議事堂Bundeshaus([[連邦院]]とも訳される)の中にある。大統領の権限は儀礼的なものに限られる。 また、スイスの連邦参事は議会の獲得議席数に応じて自動的に割り振られる。そのため、政党は一定の議席を得ている限り、また意図的に[[野党|下野]]しない限り自動的に連立与党の一員となる(比例代表制であるため、1党による単独過半数は過去に例がない)。[[マジック・フォーミュラー]]も参照のこと。 国民の政治参加に関して、[[発案|国民発議(イニシアティヴ)]]と[[国民投票]](レファレンダム)という、[[直接民主制]]の制度が憲法上で認められているのも大きな特徴である。 === 議会 === 国民議会、[[全州議会]]共に任期は4年で、[[解散 (議会)|解散]]はない。 2019年10月20日に行われた国民議会議員選挙では、移民排斥を主張している[[スイス国民党]]が53議席を獲得し、第1党を維持した。以下、[[スイス社会民主党]]が39議席、[[スイス自由民主党|スイス自由民主党(急進民主党)]]が29議席、[[スイス緑の党]]が28議席、[[キリスト教民主人民党 (スイス)|キリスト教民主人民党]]が25議席、自由緑の党が16議席、その他が10議席となった。 [[1959年]]以来の主要4党の獲得議席数は、[http://www.swissworld.org/jp/politics/government_and_parliament/parliament/ 立法:連邦議会 - スイスの情報]を参照。 === 憲法 === [[スイス連邦憲法]]は、連邦政府に委任すべき事項を規定している。憲法に規定のない事項については州政府が[[主権]]をもつ。たとえば[[参政権]]の規定は州政府に主権があり、1971年に憲法で婦人参政権が確立したあとも、1990年に至るまで[[アッペンツェル・アウサーローデン準州]]では婦人参政権が制限されていた。[[憲法改正]]は比較的容易であり、10万人の改正要求があった場合は改正提案に対する国民投票が実施される。[[憲法改正]]が多い国で、現行の1999年憲法が施行される前の1874年憲法(旧憲法)は、過去140回以上にもわたる部分改正が行われており、全面改正後の現行憲法(2000年施行)も2003年時点ですでに6回改正されている<ref>最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会「[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi024.pdf/$File/shukenshi024.pdf 硬性憲法としての改正手続に関する基礎的資料]」</ref>。 === 税制 === スイスでは連邦政府、州、市町村の3段階の行政組織が課税権を有している<ref name="20080522nikkeibo">{{Cite web|和書|url = http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20080516/157141/|title = スイス:“有害税制”の是正に見る永世中立国の岐路|publisher = 日経ビジネスオンライン|author = スティーブ・モリヤマ|date = 2008-05-16|accessdate = 2014-01-04}}</ref>。税率は平均20%<ref name="20080522nikkeibo"/>。それぞれが独自に税率を設定できるため、個人の税率を低く設定して外国の富裕層の取り込みを図る州もある<ref name="20080522nikkeibo"/>。 法人税についても優遇措置をとっており、外国から本社をスイスへ移転する企業がある<ref name="20080522nikkeibo"/>。そのため、OECD([[経済協力開発機構]])の[[タックス・ヘイヴン|有害税制]]リストに挙げられている<ref name="20080522nikkeibo"/>。 === 地方行政区分 === [[ファイル:Kantone der Schweiz.svg|thumb|350px|スイスの行政図]] {{Main|スイスの地方行政区画}} スイスには、26の[[スイスの州|カントン]](canton)と呼ばれる州が存在する。そのうち、6は準州と呼ばれ、全州議会の議員定数配分が通常の州の2名に対し1名だけとなっている。カントンは全部で2,889の市町村に分かれている。 === 主要都市 === {{Main|スイスの都市の一覧|Category:スイスの都市}} *[[ベルン]] - スイスの首都(厳密には「連邦都市」という位置付け)。スイス第4の人口規模を有する。[[万国郵便連合]](UPU)本部の所在地。旧市街は[[世界遺産]]となっている。 *[[チューリッヒ]] - スイス最大の都市、ドイツ語圏。スイスの[[金融センター]]として発展してきた。[[国際サッカー連盟]](FIFA)の本部もここにある。なお、日本からの直行航空便は[[チューリッヒ空港]]発着となる。 *[[ジュネーヴ]] - スイス第2の都市、国内のフランス語圏最大の都市。[[世界保健機関 |世界保健機関(WHO)]]や[[国際連合ジュネーブ事務局|国際連合欧州本部]]をはじめ多数の国際機関の本部が置かれている。 *[[バーゼル]] - スイス第3の人口規模を有する都市で、フランスおよびドイツとの国境に面した商業都市。唯一の貿易港として発展していった。 *[[ローザンヌ]] - スイス第5の人口規模を有する都市。フランス語圏。[[国際オリンピック委員会]](IOC)本部や[[オリンピック・ミュージアム|オリンピック博物館]]の所在地もここにある。[[第一次世界大戦]]におけるトルコと[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]との講和の地としても有名。 == 国際関係 == {{main|{{仮リンク|スイスの国際関係|en|Foreign relations of Switzerland}}}} {{節スタブ}} === 対日関係 === {{main|[[日本とスイスの関係]]}} == 軍事 == {{main|スイス軍}} スイスにおける[[防衛|国防]]の基本戦略は、拒否的抑止力である。敵国にとって、スイスを侵略することによって得られる利益よりも、スイス軍の抵抗や国際社会からの制裁によって生じる損失の方が大きくなる状況を作り出すことによって、国際紛争を未然に防ぐ戦略である。[[2002年]]の[[国際連合|国連]]加盟後も、この基本戦略は変わっていない。 === 武装中立 === 現代におけるスイスは、国軍として約4,000名の[[職業軍人]]と約21万名の[[予備役]]から構成されるスイス軍を有し、有事の際は[[焦土作戦]]も辞さない毅然とした国家意思を表明しながら、[[永世中立国|永世中立]]を堅持してきた[[平和]]・重[[武装中立]]国家として知られる。スイスは[[国際連合平和維持活動]](PKO)への参加に積極的で、国外に武装したスイス軍部隊を派兵しているが、決して武力行使をせず、PKOでは武器を用いない[[人道支援]]に徹している。 多数の成人男子が、[[予備役]]もしくは民間防衛隊([[民兵]])として有事に備えている。平和国家であるスイスではあるが、[[スイス傭兵]]の精強さは、ヨーロッパの歴史上、殊に有名である。現在でも、[[軍事基地]]が岩山をくり抜いた地下に建設されるなど高度に要塞化されており、国境地帯の[[橋]]や[[トンネル]]といった[[インフラストラクチャ]]には、有事の際速やかに国境を封鎖する必要が生じた場合に焦土作戦を行うため、解体処分用の爆薬を差し込む準備が整っている。 仮に、国境の封鎖に失敗して外国の侵略を受けても主要な一般道路には戦車の侵入を阻止するための障害物や、[[トーチカ]]が常設してある。東西冷戦の名残で、[[2006年]]までは、家を建てる際には[[防空壕]]([[核シェルター]])の設置が義務づけられていた<ref>[http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=752520 まだスイスだけが作り続ける防空壕]</ref><ref>[http://www.mbs.jp/888/blogeur/archives/201212/048584.shtml 不思議な穴]</ref>。その数・収容率と強固な構造は、他国の防空壕と比べても群を抜いている。古い防空壕は、地下倉庫や商店などとしても利用されている。 [[第二次世界大戦]]中のスイス空軍は、[[1907年]]の[[ハーグ陸戦条約]]で定められた国際法上の「中立義務」を果たすため、[[領空侵犯]]する航空機があれば連合国側・枢軸国側を問わず迎撃した。ちなみに、当時のスイス軍の航空機は、一部の国産機を除いてはフランスとドイツの戦闘機を輸入、またはライセンス生産したものだった。 当時、仮に外国の軍隊がスイスを侵略しスイスの存立が絶望的となる最終局面に陥った場合は、外国の軍隊がスイスのインフラを強奪する寸前のところで放火や爆破などの焦土作戦を実施し、侵略者に一切の戦利品を与えないように計画していた。その一方で、当時のスイス政府は柔軟な姿勢で外交と通商を展開した。第二次世界大戦においては、「資源を持たないスイスが、資源を持つ国と通商することは生存権の行使であって、中立義務に違反するものではない」と主張して、国民の生活を守るために必要な資源や武器を枢軸国・連合国双方から輸入し、国益を確保した。 [[焦土作戦]]も辞さない悲壮な防衛努力の一方で、外国において武力行使をしない柔軟な外交政策は、現在も変わらない。2008年には、当時の[[大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国]]の[[ムアンマル・アル=カッザーフィー]]が、スイス人ビジネスマン2人を犯罪の容疑者と断定し拘留する事件が発生した。カッザーフィーは、ただちにリビアからスイスへの石油輸出を止め、「スイスは、[[イスラム教]]の[[モスク]]を破壊する異教徒の国だ」として、スイスに対する「聖戦」を訴えてスイス政府を恫喝した。これに対して、スイス政府は、旅行者に扮した軍人と公安関係者からなる特殊部隊をリビアに派遣し、現地で密かに情報収集を行ったが、この特殊部隊は非武装だった。戦力投射能力のないスイス軍に自国民を救出する術はなく、当時のスイス大統領が自らリビアに赴いて、カッザーフィーに謝罪し[[石油]]は確保された。 ==== 構成・軍力 ==== [[ファイル:Swiss Army marching Fcb981.JPG|thumb|[[グラールス]]近郊でのスイス陸軍の訓練。]] スイスは[[陸軍]]と[[空軍]]を有するが、他国を攻撃しうる戦力投射能力は有しない。陸軍は船舶部隊(水軍・海軍とも呼ばれる)を有する。船舶部隊は、おもに国境をなす[[レマン湖]](ジュネーヴ湖)、[[国際河川]]の[[ライン川]]、コンスタンス湖([[ボーデン湖]])に配置されている。特に、フランスとの国境にある[[バーゼル]]の街は別名スイス港とも呼ばれ、石油などを積んだ排水量3,000トン未満の船が、[[オランダ]]のアムステルダム港から、ドイツとフランスを経由してライン川を遡行してくる。バーゼルは、内陸国であるスイスが水運を通じて海とつながる唯一の貿易港となっている。20隻の[[哨戒艇]]が主力である船舶部隊は、有事の際にはライン川を遡行する商船を[[臨検]]、徴用することとなる。 冷戦の一時期、スイスは自立能力を高める為に兵器の国産化に取り組んだ。かつては戦車や航空機も国産していたが、開発費用の高騰と技術的課題のため断念した。[[エリコン]]社といったスイスを代表するメーカーは、かつては防衛産業を担っていたが、現在では軍事に関与しない企業に生まれ変わっている。一方で、[[小火器]]や[[装甲車]]は依然として高い国際競争力を持ち、世界中に輸出されている。スイスの銃器メーカーである[[シグ]]社の製品は日本にも輸出され、警察庁・都道府県警察、自衛隊、海上保安庁で採用されており、[[ピラーニャ]]装甲車などの兵器は、[[アメリカ軍]]の採用を勝ち取ったことで有名である。 === 国民皆兵 === [[ファイル:Caroline-Migros-p1000507.jpg|thumb|[[SIG SG550]][[アサルトライフル]]を携行したまま買い物をする男性。]] スイスでは[[国民皆兵]]を国是としており、[[徴兵制度]]を採用している。20歳から30歳の男性に兵役義務があり、女性は任意である。スイス男性の大多数は予備役軍人であるため、各家庭に[[自動小銃]]が貸与され、予備役の立場を離れるまで各自で保管している。かつては[[冷戦]]下の厳しい国際情勢に即応するため、包装された弾薬と手榴弾が貸与され、悪用防止の封印を施した容器に入れて各自が保管していた時期もあった<ref>{{Cite web|和書|url = http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=6811064|title = 小型兵器の横流しでスイスに調査|publisher = swissinfo.ch|author = トーマス・ステファンズ|date = 2008-07-22|accessdate = 2014-01-04}}</ref>。 [[対戦車兵器]]や[[迫撃砲]]などより大型の武器は、地区単位で設置されている武器庫に収められ、厳重に管理されている。これらの支給火器が[[犯罪]]に用いられることはごくまれであったが、2007年9月から予備役に貸与されていた弾薬は回収され、スイス軍が集中管理するようになった。現在、予備役の立場にある国民は、自動小銃は持っていても弾薬は持っていない。有事の際は、動員令を受けた予備役に対して速やかに弾薬が貸与される予定である。 銃が手軽に手に入る社会であるため、スイスでは自殺にも銃を用いる傾向がある。自殺者の24%から28%が銃で自殺しており、その割合は[[アメリカ合衆国]]に次ぐ世界2位で、[[ヨーロッパ]]の中では最高である。また男性が銃による自殺を選択する傾向があり、銃による自殺者の95%は男性である<ref>{{cite news |title=痛ましい記録-銃による自殺 |newspaper=[[スイス放送協会]] |date=2010-3-22|url=http://www.swissinfo.ch/jpn/detail/content.html?cid=8413586|accessdate=2013-12-30}}</ref>。しかし、「世界平和度指数」の軽火器へのアクセスしやすさによると、スイスは5段階評価で2点で、台湾やドイツと同レベルであり、スイスはアメリカのように弾薬が簡単に手に入る社会ではないことがうかがえる<ref>{{Cite web |title=Global Peace Index Map » The Most & Least Peaceful Countries |url=https://www.visionofhumanity.org/maps/ |website=Vision of Humanity |date=2020-07-24 |access-date=2023-03-04 |language=en-US}}</ref>。 冷戦の時代には、スイス連邦政府によってスイスの一般家庭に配布された小冊子「[[民間防衛#スイス|民間防衛]]」の内容からも窺い知れるように、スイス国民はあまねく民間防衛組織に加入し、有事に備えていた。冷戦の終結後は、民間防衛組織の多くが役割を失って消滅したか、人員や装備を大幅に削減したため、現在のスイスには「民間防衛」が発行された当時のような高度な防衛体制は、もはや存在しない。それでも、政府が食糧を計画的に備蓄し、スイス軍の施設と公立の学校については核戦争への備えとして[[核シェルター]]が常設されている。民間でも、過去には自宅や職場にシェルターを装備する義務があったが、現在では撤廃された。それでも、任意でシェルターを装備している企業や個人が多いことで有名である。 == 経済 == [[ファイル:Zurich in night1.jpg|thumb|チューリッヒはスイス経済の中枢であり、欧州屈指の[[金融センター]]である。]] {{See also|en:Switzerland#Economy and labour law}} [[世界銀行]]によると、[[2020年]]のスイスの[[購買力平価説|購買力平価]]ベースの一人当たり実質[[GNI]]は69,190ドルで、[[カタール]]、[[シンガポール]]、[[ルクセンブルク]]、[[アイルランド]]に次いで、すべての国の中で世界第5位となっている<ref>{{Cite web |title=GNI per capita, PPP (current international $) {{!}} Data |url=https://data.worldbank.org/indicator/NY.GNP.PCAP.PP.CD?end=2021&most_recent_value_desc=true&start=2021&year_high_desc=true |website=data.worldbank.org |accessdate=2022-02-08}}</ref>。[[国際通貨基金]]によると、[[2013年]]のスイスの[[国内総生産|GDP]]は6,508億[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]であり、世界第20位である<ref>[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2014/01/weodata/weorept.aspx?pr.x=51&pr.y=9&sy=2013&ey=2013&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=146&s=NGDPD%2CNGDPDPC&grp=0&a= IMF: World Economic Outlook Database]</ref>。同年の[[一人当たりのGDP]]は8万1,323ドルであり、[[世界]]でもトップクラスの水準である。[[2016年]]の一人あたり[[国民総所得]](GNI)は84,240ドルで、世界第2位である<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000018853.pdf 「1.2 名目GDP(国内総生産)及び一人当たりGNI(国民総所得)順位」]外務省</ref>。 なお、スイスは世界でもっとも[[競争力|国際競争力]]の高い国のひとつであり、[[2011年]]の[[世界経済フォーラム]]の研究報告書において、世界第1位の国と評価された<ref>[http://www.weforum.org/issues/global-competitiveness 世界経済フォーラム 国際競争力レポート] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20141210040419/http://www.weforum.org/issues/global-competitiveness |date=2014年12月10日 }}</ref>。[[富裕層]]も非常に多く、9.5%の世帯が金融資産で100万ドル以上を保有しているとされる<ref>[https://www.bcg.com/industries/financial-institutions/wealth-management BCG Global Wealth]</ref>。<!--通貨高なのに競争力が高いという矛盾が起きているので、理由が分かる出典と分析が必要--> [[2016年]][[10月14日]]、[[アメリカ合衆国財務省]]が為替報告書を公表したうえで、スイスの不正な為替介入の有無を監視するようになった<ref>[[ロイター]] [http://jp.reuters.com/article/usa-currency-idJPKBN12E2IU 米為替報告書、スイスを「監視対象」に追加 日中独など監視継続] 2016/10/15</ref>。通貨の[[スイスフラン]](CHF)は「金([[地金]])よりも堅い」と言われるほど、世界でもっとも安定した通貨である。[[1870年代]]にデザインされた硬貨が、大きな変更を経ずに製造され流通している。国内の物価および賃金水準は高く、国民の貯蓄高も日本並みに高い。輸入関税率は低く、高級外車などが比較的安く購入できる。 スイスフランの利子率は、通貨の安定性とねじれて低かった。これに目をつけ、東中欧を中心にフラン建ての住宅ローンが多く組まれている。このため、もしスイスフランが不安定となると、他国の家計にパニックを起こすリスクが生じている<ref name="20080522nikkeibo"/>。スイスフランは、[[2011年]]から[[ユーロ]]に対して為替相場の上限を設けていたが、2015年初頭に突然撤廃された。詳しくは[[スイス国立銀行]]の項目を参照されたい。 近世に至るまで、スイスのおもな産業のひとつとして存在したのが[[スイス傭兵|傭兵]]であった。スイスはその地形から農業などの産業を発達させにくかったため、戦力を輸出することで産業不足を補っていた。 現在は戦力の輸出は禁止されているものの、[[バチカンのスイス衛兵]]は唯一の例外として認められている。[[スイスの企業一覧|スイス企業]]の産業分野は手広い。金融業(銀行、保険)、電力、観光業、精密機械工業(時計、光学器械)、化学薬品工業が挙げられる。 === 農家 === [[リャマ]]や[[アルパカ]]を飼育する農家が乳や毛の生産に使うためスイス国内で増えている<ref>{{cite news|url=https://www.swissinfo.ch/jpn/%E7%A7%8B%E3%81%AE%E9%A2%A8%E7%89%A9%E8%A9%A9_%E7%89%9B%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%A9-%E7%89%A7%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%82%8A-/43552274|title=牛じゃないけど「牧くだり」|newspaper=|publisher=|date=2017-09-26|accessdate=2022-01-14}}</ref>。 === エネルギー === {{main|{{仮リンク|スイスのエネルギー|en|Energy in Switzerland}}}} スイスにおけるエネルギー部門は、その構造と重要性から先進国の典型として現在も世界各国の手本にされている。 {{節スタブ}} ==== 電力 ==== チューリッヒに本部を置く[[ABBグループ]]が世界規模で事業展開しており、同社が1988年に吸収した[[スウェーデン]]企業の[[:en:Allmänna Svenska Elektriska Aktiebolaget|ASEA]]は[[地中海]]を取り巻く[[:en:Super grid|スーパーグリッド]]の敷設に参画している。 === 鉱業 === スイスの鉱業は、岩塩の採掘のみに頼っている。浅海の堆積物と海水が褶曲、もしくは押しかぶせ断層によって地層中に閉じ込められたことに由来し、採掘量は2002年時点で30万トンである。ただし、岩塩精製では[[カリウム]]が副産物として得られる([[ドイツ帝国#経済]])。 [[グレンコア]]など海外で採掘事業を行う企業もある。 [[ファイル:Basel - Roche-Turm mit Stadtansicht bei Abenddämmerung.jpg|サムネイル|バーゼルのロッシュタワー]] === 化学薬品 === [[第一次世界大戦]]以来、[[ノバルティス]]の前身3社であるチバ・サンド・ガイギーがシンジケートを形成していた。1929年4月、この3社と[[IG・ファルベンインドゥストリー]]とフランスの染料組合''Centrale des Matières Colorantes'' は国際[[カルテル]]を組んだ。このカルテルは世界輸出の5分の4を掌握し、内輪で全染料売上げをスイス19.00%、ドイツ71.67%、フランス9.33%の比率で分配した<ref>工藤章 「IGファルベンの成立と展開(2)」 東京大学『社会科学研究』29巻6号 1978年 pp.91-92.</ref>。1932年2月、ここへ[[インペリアル・ケミカル・インダストリーズ]]が参加して日米がアウトサイダーとなった。 === 銀行業 === スイスには中世からの銀行業の歴史があり、多数の金融機関がある。[[UBS]]、[[クレディ・スイス]]など、日本に進出している銀行もある。 [[スイス銀行]]と言われる個人銀行(いわゆる[[プライベートバンク]])は、顧客の情報の[[守秘義務]]に関して国際的に有名で、刑事事件が起こっても、原則として顧客の情報は外部に漏らさない。このことから[[資金洗浄|マネーロンダリング]]の中継地として、しばしばスイス銀行の口座が使われることがある。この秘密主義の方針は、しばしば世界的な批判の的となっている。 [[経済協力開発機構]]は、スイスに対して資産の出所を確かめる義務を履行するよう勧告している。この他、[[独裁者]]や犯罪者の隠し財産として利用されることもあるため「独裁者の金庫番」「犯罪者の金庫番」と揶揄され、スイス人のあいだでもスイスの名誉を傷つけているという批判がある。有名なところでは、[[フィリピン]]の[[フェルディナンド・マルコス|マルコス]]元大統領や、[[コンゴ民主共和国|コンゴ]]の[[モブツ・セセ・セコ|モブツ]]元大統領、[[ハイチ]]の[[フランソワ・デュヴァリエ|デュヴァリエ]]元大統領などは、国民の財産を強奪して私物化した資金をスイスの銀行に預けていることが分かっており、スイスの銀行は彼らの略奪行為について共犯性があるという指摘がある<ref name="swissinfo41668974">{{cite news |title=スイス、独裁者の隠し資産になぜ決着がつかないのか? |newspaper=[[swissinfo.ch|スイス放送協会]] |date=2015-9-18 |url=http://www.swissinfo.ch/jpn/%E7%8B%AC%E8%A3%81%E8%80%85%E3%81%AE%E9%9A%A0%E3%81%97%E8%B3%87%E7%94%A3_%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9-%E7%8B%AC%E8%A3%81%E8%80%85%E3%81%AE%E9%9A%A0%E3%81%97%E8%B3%87%E7%94%A3%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%B1%BA%E7%9D%80%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84-/41668974|accessdate=2015-9-23 }}</ref>。 [[スイスリークス事件]]発覚後はスイス政府も、各国の警察および金融当局に対して柔軟な対応をしており、犯罪収益金の没収などの処置を行い当該国に一部返還する動きもある。ただし、法の制定などはまだ不十分である<ref name="swissinfo41668974" />。 === 観光産業と代表的な観光地 === [[観光産業]]はスイス経済にとって重要な分野のひとつであり、総就労人口の約4%が観光産業に従事している<ref name="eda_tourismus">[https://www.eda.admin.ch/aboutswitzerland/ja/home/wirtschaft/taetigkeitsgebiete/tourismus.html スイス国の公式サイト、日本語版、「観光産業」]</ref>。たとえば2015年、スイスの観光産業は3560万人の宿泊客を迎え入れ、その収益は174億フランに達し、[[国内総生産]]の約2.8%を占めた<ref name="eda_tourismus" />。2015年、ヨーロッパからスイスへともっとも多くの宿泊客が来訪した国はドイツであり、約400万人であった<ref name="eda_tourismus" />。 スイスの主な観光地は、[[チューリヒ]]、山岳地域の[[グラウビュンデン州]]、[[ベルン州]]、[[ヴァリス州]]などである<ref name="eda_tourismus" />。 歴史をふりかえると、スイスは昔から観光客を魅了していた<ref name="eda_tourismus" />。スイスはヨーロッパの交差点のような場所に位置し、18世紀と19世紀には[[文学]]作品の舞台や[[ロマン派]]絵画の題材となり、世界の人々がスイスの山の世界に熱狂し、そのころに、イギリスの旅行代理店[[トーマス・クック]]が初のスイスツアーを企画した<ref name="eda_tourismus" />。 第二次世界大戦後には[[ウィンタースポーツ]]がさかんになり、スイスでもウィンタースポーツが楽しめる保養地として人気を集めた<ref name="eda_tourismus" />。 最近ではスイス政府観光局などスイスの観光関連組織は、インド・ロシア・中国などといった新興国からの観光客を迎えるために努力している<ref name="eda_tourismus" />。 ;代表的な観光地 *[[ツェルマット]] - [[マッターホルン]]、[[モンテ・ローザ]]の登山拠点。 *[[サンモリッツ]] *[[ルツェルン]] *[[インターラーケン]] - [[ベルナー・オーバーラント]](ベルン高地)観光、[[ユングフラウ]][[登山]]などへの拠点。 *[[グリンデルワルト]] - [[アイガー]]北壁に面した村。[[ユングフラウ]]の登山拠点。 *[[マイエンフェルト]] - [[アルプスの少女ハイジ|ハイジ]]の里としても有名。 *[[ルガーノ]] == 交通 == {{main|{{仮リンク|スイスの交通|en|Transport in Switzerland}}}} [[スイスの鉄道]]は[[SBB-CFF-FFS|SBB]]([[スイス連邦鉄道]]、旧スイス国鉄)が主要幹線を網羅しており、山岳部では、私鉄の登山列車などが運行している。空港のある都市は、チューリッヒ・ジュネーヴ([[ジュネーヴ空港]])・バーゼル([[ユーロエアポート・バーゼル=ミュールーズ空港]])・ベルン・[[サメーダン]]([[エンガディン空港]])・[[ルガノ]]など。日本からの直行便は、[[スイス インターナショナル エアラインズ]]のチューリッヒ・東京([[成田国際空港|成田空港]])便とチューリッヒ・大阪([[関西国際空港]])便がある。[[チューリッヒ空港]]では、ドイツ語の案内放送のあと、英語で案内放送がある。 他にも、ドイツやオーストリアのように[[スイスの高速道路|アウトバーン]]と呼ばれる[[高速道路]]を持っている。 == 科学技術 == {{main|{{仮リンク|スイスの科学技術|en|Science and technology in Switzerland}}}} [[パラケルスス]]や[[フェルディナン・ド・ソシュール]]生誕の地域として知られており、[[学問]]的分野ならび[[科学技術]]が最も発達している国家の一つに数え上げられる。 スイスでは[[天然資源]]と成り得るものが殆ど存在しない為、科学技術は同国経済の発展において重要な役割を果たしている。 {{節スタブ}} == 国民 == [[ファイル:Population pyramid of Switzerland 2015.png|thumb|right|[[人口ピラミッド]]]] {{Main|{{仮リンク|スイスの人口統計|en|Demographics of Switzerland}}}} === 民族 === {{Bar box |title=民族構成(スイス) |titlebar=#ddd |float=right |bars= {{Bar percent|[[スイス人]]|blue|78}} {{Bar percent|その他|red|22}} }} 現在のドイツ語圏は5世紀にローマ人が撤退したあと、北からやってきた[[ゲルマン人|ゲルマン系]][[アレマン人]]が支配した地域であり<ref name="k"/>、ヘルウェティイ族などの[[ケルト人|ケルト系]]先住民と混血した。フランス語圏は同時期のゲルマン系[[ブルグント人]]の支配地域で<ref name="k">[http://www.myswitzerland.com/ja/switzerland-after-the-romans.html スイスの歴史・ローマ時代以降] - スイス政府観光局「新たな言語の障壁」の節を参照。</ref>[[ヘルヴェティア共和国]]以降の19世紀にフランス語化したものであり、イタリア語圏はゲルマン系[[ランゴバルド人]]、ロマンシュ語圏はケルト系[[ラエティア|ラエティア人]]の地域の名残とも考えられる<ref name="k"/>。その後、現在のスイス全土はゲルマン系の[[フランク王国]]や[[神聖ローマ帝国]]に支配されたため、[[ラテン人|ラテン化]]されたケルト人にゲルマン系が加わった流れはほぼ共通する。いずれにせよ混成民族であることはすべての欧州国家の例にもれない。 外国人の定住者ないし短期労働者は全人口の2割に及び、2007年には145万人に達した。欧州内の移民が多く、もっとも多いのは[[イタリア]]29万5,507人、次に[[ドイツ]]22万4,324人となっているが、特に旧[[ユーゴスラビア]]諸国出身者は非常に多く、35万人前後にもなる([[セルビア]]・[[モンテネグロ]]19万6,078人、[[マケドニア共和国|マケドニア]]6万509人、[[ボスニア]]4万1,654人、[[クロアチア]]3万8,144人)。また、中東からは[[トルコ人]]も7万5,382人と多い。 ==== 亡命難民の受け入れ ==== 2004年には、3万5,700人がスイス国籍を取得した。その半数以上が旧ユーゴスラビア諸国出身者である。スイスは世界中から多くの難民を受け入れている。移民は通常、ストレスのために健康を比較的に害するが、2013年の学術誌『PLoS ONE』によると、スイスに住むポルトガル系移民の心血管疾患はポルトガル在住者と変わらない<ref>{{Cite journal|last=Alves|first=Luís|last2=Azevedo|first2=Ana|last3=Barros|first3=Henrique|last4=Paccaud|first4=Fred|last5=Marques-Vidal|first5=Pedro|editor-last=Baradaran|editor-first=Hamid Reza|date=2013-10-08|title=Portuguese Migrants in Switzerland: Healthcare and Health Status Compared to Portuguese Residents|url=https://dx.plos.org/10.1371/journal.pone.0077066|journal=PLoS ONE|volume=8|issue=10|pages=e77066|language=en|doi=10.1371/journal.pone.0077066|issn=1932-6203|pmc=PMC3792909|pmid=24116201}}</ref>。しかし移民に対する反発は根強くあり、2014年6月には[[スイス国民党|国民党]]が提案した「大量移民反対イニシアチブ」によって4か月を超えてスイスに滞在する外国人には人数制限を行う方針となった<ref>{{cite news |title=スイス、移民の人数制限に関する政府案発表 |newspaper=[[スイス放送協会]] |url=http://www.swissinfo.ch/jpn/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9-%E7%A7%BB%E6%B0%91%E3%81%AE%E4%BA%BA%E6%95%B0%E5%88%B6%E9%99%90%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%94%BF%E5%BA%9C%E6%A1%88%E7%99%BA%E8%A1%A8/40474340 |accessdate=2014-9-6|date=2014-06-27 }}</ref>。 2020年に流行した[[新型コロナウイルス感染症の世界的流行 (2019年-)|新型コロナウイルスの感染拡大]]の影響で、アジア人が差別的言動を受ける例も報告されている<ref>{{Cite web|title=Coronavirus: ‘Fears, rumours and stigma’ cause bullying in Switzerland|url=https://www.swissinfo.ch/eng/society/opinion_coronavirus---fears--rumours-and-stigma--cause-bullying-in-switzerland/45614186|website=SWI swissinfo.ch|accessdate=2021-07-09|language=en|first=Lisa Chang|last=swissinfo.ch}}</ref>。 2022年、スイスはできるだけ迅速かつ効率的に庇護を受け入れるため、庇護申請に対する回答期間を当初の400日から140日に短縮した。その結果、中国などからの亡命希望者は大きな恩恵を受けている。2022年2月の時点で、スイスは他のヨーロッパ諸国よりもはるかに多くの難民を受け入れている。亡命希望者が第三国に住んでいる場合、ダブリンルールによりスイスで庇護を受けることができなくなるため、スイスで直接庇護を求めるべきである<ref>{{Cite web |title=Como apresentar um pedido de asilo em Suíça? Requisitos e procedimentos legais |url=https://solicitudasilo.com/pt/pedido-de-asilo-na-suica/ |website=Pedido de asilo |date=2022-02-10 |access-date=2023-07-07 |language=pt-PT |first=Pablo |last=Oliveira}}</ref>。 === 言語 === {{Main|{{仮リンク|スイスの言語|de|Sprachen in der Schweiz}}}} [[ファイル:Swiss languages 1.png|thumb|300px|スイスの言語分布{{Small|{{Hlist-comma|{{Legend inline|#cf65ff|フランス語|text=紫}}|{{Legend inline|#ffff69|ドイツ語(アレマン語)|text=黄}}|{{Legend inline|#86ff41|イタリア語|text=緑}}|{{Legend inline|#ff6569|ロマンシュ語|text=赤}}}}}}]] {{Bar box |title=言語話者(スイス) |titlebar=#ddd |float=left |bars= {{Bar percent|[[ドイツ語]]|yellow|63.67}} {{Bar percent|[[フランス語]]|Purple|20.38}} {{Bar percent|[[イタリア語]]|yellowgreen|6.46}} {{Bar percent|[[ロマンシュ語]]|red|0.48}} {{Bar percent|その他|gray|9.01}} }} <ref>スイス連邦統計局 ©2013 BFS /OFS/UST/SFSO</ref> スイスでは、各地方の地理的・歴史的な理由から使用言語が分かれているため[[ドイツ語]]、[[フランス語]]、[[イタリア語]]、[[ロマンシュ語]]の4つを[[公用語]]と定めている。これに合わせ、スイスの[[公共放送]]・[[スイス放送協会|SRG SSR(スイス放送協会)]]も、4つの公用語を使用して放送している。 北部と中部ではおもにドイツ語が使われている(全人口の64%、右図の黄色)。その多くは[[アレマン語]]系の[[スイスドイツ語]]と呼ばれる方言であるが、新聞やテレビ、ラジオのニュース番組ではドイツの標準語である[[高地ドイツ語]]が使われる。ただし地方の放送局ではニュース以外の一般番組もほとんどスイスドイツ語で、全国放送でもなぜかテレビの天気予報だけはスイスドイツ語である。 西部ではフランス語が(20%、紫色)、南部ではイタリア語が(6%、緑色)使われている。[[スイス・フランス語]]は標準フランスとほとんど変わりはないが、数の数え方に若干特徴がある(数字の70、80、90をフランスのsoixante-dix、quatre-vingt、quatre-vingt-dixではなくseptante、huitante、nonanteと言う)。イタリア語は[[ロンバルド語]]の系統に属する[[西ロンバルド語]]が混じる。[[ティチーノ州]]で使われるロンバルド語系イタリア語は[[ティチーノ語]]とも呼ばれる。 ロマンシュ語は、南東部にあるグラウビュンデン州のごく一部の人々の間で使われているだけであり、いまだ絶滅の危機にある(0.5%、赤色 - 面積は広いが人口は少ない)。ドイツ語圏以外のスイスでは、ドイツ語を学習する場合、普通標準ドイツ語を学ぶため、かなり差異のある[[スイスドイツ語]]の理解がスムーズにできないことがある。したがって、ドイツ語圏スイス人と非ドイツ語圏スイス人の間で会話する時、ドイツ語圏のスイス人は[[標準ドイツ語]]を理解できるものの、会話の上では障害となることが多く、公用語であるフランス語のほかに英語を用いることも多くなっている。学校教育において英語を必修科目とし、母語以外の公用語を選択科目とする学校が増えていることも、若年層における英語の使用に拍車をかけている。 そのほか、移民の出身地域である旧[[ユーゴスラビア]]の国々の言語や[[トルコ語]]が使われる。 === 婚姻 === 婚姻時、2013年以前は夫の氏が優先であった。正当な利益があれば、妻の氏を称することもできた(同氏)。自己の氏を前置することもできる<ref name="chukanmatome">平成13年10月11日男女共同参画会議基本問題専調査会 [https://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/kihon/yousi/pdf/bessi-chukan.pdf 選択的夫婦別氏制度に関する審議の中間まとめ 資料15 夫婦の氏に関する各国法制]</ref>とされていたが、2013年以降、婚前に特に手続きしないかぎり原則として婚前の氏を保持すると変更され、完全な選択的[[夫婦別姓]]が実現された。配偶者の氏に変更するためにはそのように婚姻前に手続きを行わなければならない<ref>[https://www.expatica.com/ch/living/love/getting-married-in-switzerland-106051/ Getting married in Switzerland], Expatica.</ref>。2022年7月1日から[[同性結婚]]が可能となった。 === 宗教 === [[ファイル:Karte Religionen der Schweiz 2015.01.01.png|thumb|400px|スイスの宗教分布(2014年)赤はカトリックが強く、緑はプロテスタントが強い<ref name=BfSReligion2015>{{cite web |url=https://www.bfs.admin.ch/bfs/de/home/statistiken/bevoelkerung/sprachen-religionen/religionen.assetdetail.1822034.html |title=Ständige Wohnbevölkerung ab 15 Jahren nach Religionszugehörigkeit |format=XLS |type=official site |publisher=Federal Statistical Office FSO |date=31 January 2017 |language=de, fr, it |location=Neuchâtel, Switzerland |accessdate=2018-07-15}}</ref>。]] {{main|{{仮リンク|スイスの宗教|en|Religion in Switzerland}}}} スイス国民が信仰する[[宗教]]は、[[カトリック教会|カトリック]]が人口の約43%、[[プロテスタント]]が約35%と、この2つでほとんど大部分を占める。ほかには[[イスラム教]]が約4%、[[正教会]]が約2%、[[ヒンドゥー教]]、[[仏教]]、[[ユダヤ教]]などが、各1%未満であり、約11%が[[無宗教]]となっている。 {{See also|{{仮リンク|スイスの民間伝承|en|Swiss folklore}}}} [[2009年]][[12月16日]]、[[ジュネーヴ]]の[[イスラム]]関係者が、[[モスク]]の塔([[ミナレット]])新設禁止に抗議して、[[欧州人権裁判所]]に提訴したことが明らかになった。同年11月には、スイス国民投票においてモスク新設は禁止が賛成多数で承認されていた<ref>[http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-12697020091130 スイスでモスク尖塔の建設を禁止、国民投票で可決 2009年 11月 30日 ロイター]</ref>。 === 教育 === {{main|{{仮リンク|スイスの教育|en|Education in Switzerland}}}} {{節スタブ}} === 保健 === {{Main|スイスの医療}} [[ユニバーサルヘルスケア]]が達成され、市民は公的または民間保険会社から[[医療保険]]を購入する義務があり、保険者は引き受けを拒むことはできない。[[医療制度]]はほかの欧州諸国と比べ費用は高いがアウトカムは良好であり、患者の満足度は高く、2017年の[[:en:Euro health consumer index|Euro Health Consumer Index]]でオランダに次いで34か国中総合2位であった<ref>{{cite web|url=https://healthpowerhouse.com/media/EHCI-2017/EHCI-2017-index-matrix-A3-sheet.pdf|title=EuroHealth Consumer Index 2017|publisher=[[:en:Health Consumer Powerhouse|Health Consumer Powerhouse]]|date=2017-01-20|accessdate=2018-12-05}}</ref>。2016年での[[平均余命]]は83.3歳(男性が81.2歳、女性が85.2歳)で、日本に次いで世界2位であり、男性は世界一、女性は世界5位となった<ref>{{cite web|url=https://www.who.int/gho/publications/world_health_statistics/2018/EN_WHS2018_AnnexB.pdf?ua=1|title=World Health Statistics 2018 ANNEX B Tables of health-related SDG statistics by country, WHO region and globally(2018年世界保健統計 付録B:国別保健関連SDG統計表)|publisher=WHO|date=2016|accessdate=2018-12-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://memorva.jp/ranking/unfpa/who_whs_life_expectancy.php|title=世界の平均寿命ランキング・男女国別順位、WHO 2018年版|publisher=MEMORVA|date=2016|accessdate=2018-12-05}}</ref>。しかし、保健支出は高く2015年にはGDPの12.1%を占め、これはドイツやフランスの約11%より少し高く、[[アンドラ]]並の値である<ref name="WHO CHE-GDP">{{Cite web|和書|url=http://apps.who.int/gho/data/node.main.GHEDCHEGDPSHA2011?lang=enCurrent|title=Current health expenditure (CHE) as percentage of gross domestic product (GDP) (%)Data by country(国別保険支出GDP比のデータ)|date=2017-12-11|accessdate=2018-12-05}}</ref>。1990年より医療の高度化、市民の長寿命化を受けて徐々に費用が増加傾向にある<ref name = OECD>[http://www.oecd.org/document/47/0,2340,en_2649_201185_37562223_1_1_1_1,00.html OECD and WHO survey of Switzerland’s health system] oecd.org. Retrieved on 29 June 2009</ref>。 == 社会 == 市民の生活満足度は高く、国連[[世界幸福度報告]]では第2位(2016年)、[[OECD]]の人生満足度(Life Satisfaction)ではデンマーク、アイスランドに次いで第3位、[[世界幸福地図]]では世界178か国で第2位(2006年)であった。 アメリカ誌の「USニュース&ワールド・リポート」が発表した世界最高の国ランキングに、スイスは第1位(2020年)に選ばれた<ref>{{Cite web|和書|title=「世界最高の国」ランキング、日本は3位 首位…(写真=ロイター)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54495780X10C20A1000000/|website=日本経済新聞 電子版|accessdate=2020-06-28|language=ja}}</ref>。 === 動物福祉 === スイスでは、国際基準による高水準の[[動物福祉]]政策ならび保護政策を行なっている。 {{See also|{{仮リンク|スイスにおける動物福祉と権利|en|Animal welfare and rights in Switzerland}}}} === 平和 === スイスでは他者の人権の受け入れ、[[汚職]]の少なさ、情報の自由な流れ、良好なビジネス環境、高いレベルの人的資本、資源の公平な配分、十分に機能する政府、および近隣諸国との良好な関係によって決まる2023年の「[[世界平和度指数#積極的平和指数|積極的平和指数]]」で世界第4位を獲得した<ref name=":7">{{Cite web |url=https://www.visionofhumanity.org/wp-content/uploads/2023/05/Positive-Peace-2023-briefing.pdf |title=Positive Peace 2023 Briefing |access-date=2023-05-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=経済平和研究所 |url=https://www.rotary.org/ja/institute-economics-and-peace |website=www.rotary.org |accessdate=2021-11-10 |language=ja}}</ref>。 === 非実在児童ポルノに対する態度 === スイスの税関は2018年に、日本の大規模な同人誌即売会であるコミケから戻ってきたファンによって家に送られた漫画を没収した<ref name=":0">{{Cite web |title=66 Pounds of Hentai Confiscated by Swiss Customs – Comic Book Legal Defense Fund |url=http://cbldf.org/2018/08/66-pounds-of-hentai-confiscated-by-swiss-customs/ |accessdate=2022-02-13 |language=en-US |first=Patricia |last=Mastricolo}}</ref>。スイス刑法第197条により、図面や仮想描写などの純粋に架空の形式の非実在児童ポルノはスイスでは違法である。この法律には、コミック(マンガ)やその他の仮想バージョンでの児童ポルノの描写も罰せられる。刑法第197条は、「未成年者との非実際的な性行為」の描写も罰せられると明確に述べている。この背後にある考え方は、児童ポルノの消費が模倣行為につながる可能性があるため、未成年者が「本物」であるか「唯一」の仮想であるかは関係ない<ref>{{Cite web |title=Welche Pornos sind ist illegal? |url=https://www.skppsc.ch/de/faq/welche-pornos-sind-ist-illegal/ |website=Schweizerische Kriminalprävention |accessdate=2022-02-13 |language=de-DE}}</ref>。しかし、スイスは多くの欧米諸国と比較して、非実在児童ポルノに対してそれほど厳しくはない。[[カナダ]]と[[イギリス]]はどちらも、未成年のキャラクターが登場する非実在児童ポルノを所持している人々を刑務所に入れている<ref name=":0" />。一方、フィンランド<ref>{{Cite web |url=https://www.finlex.fi/en/laki/kaannokset/1889/en18890039.pdf |title=Translation from Finnish Legally binding only in Finnish and Swedish Ministry of Justice, Finland The Criminal Code of Finland (39/1889, amendments up to 766/2015 included) |accessdate=2022-02-13}}</ref>、ドイツ<ref>{{Citation|title=Verbreitung, Erwerb und Besitz kinderpornographischer Inhalte|url=https://dejure.org/gesetze/StGB/184b.html|accessdate=2022-02-13}}</ref>、オランダ<ref>{{Cite web |url=https://uitspraken.rechtspraak.nl/inziendocument?id=ECLI:NL:RBSHE:2010:BL8876 |title=Rechtspraak.nl, zaaknummer 01/821140-09 |access-date=2021-09-14 |archive-date=2021-09-14 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210914195059/https://uitspraken.rechtspraak.nl/inziendocument?id=ECLI:NL:RBSHE:2010:BL8876 |url-status=live}}</ref>、スウェーデン<ref>{{Cite web |title=Manga images ‘not child porn’: Supreme Court |url=https://www.thelocal.se/20120615/41460/ |website=The Local Sweden |date=2012-06-15 |accessdate=2022-02-07 |language=en-US}}</ref>、デンマーク<ref>{{Cite web |title=Report: cartoon paedophilia harmless - News - The Copenhagen Post |url=https://web.archive.org/web/20140118043546/https://cphpost.dk/news/report-cartoon-paedophilia-harmless.2255.html |website=web.archive.org |date=2014-01-18 |accessdate=2022-02-13}}</ref>などの欧州諸国では、実写風でない非実在児童ポルノは合法とされている。 == 治安 == {{main|{{仮リンク|スイスにおける犯罪|en|Crime in Switzerland}}}} スイスの治安は比較的良好であるといわれているが、スイスの犯罪統計によれば、2019年の犯罪件数(麻薬法・入国管理法違反を除く)は43万2,000件(前年比±0%)(多い順に、チューリッヒ州:91,174件、ベルン州:53,942件、ジュネーブ州:47,499件、ヴォー州:45,805件)となっている。内訳は、財産犯罪([[窃盗]]・車両[[盗難]]・[[強盗]]・[[詐欺]]・恐喝など)が286,207件で約66%を占めるほか、[[殺人]]:46件、[[傷害]]:8,347件、[[脅迫]]:10,834件、[[性犯罪]]:8,189件などが挙げられる。また麻薬法違反:75,757件(-0.7%)、入国管理法違反:37,024件(-3.6%)とされている。 観光が盛んなことから観光客を狙った犯罪が多い。特にチューリッヒ、ルツェルン、バーゼル、ジュネーブ及びベルンといった都市部において、[[ホテル]]のロビー及び[[レストラン]]での[[置き引き]]、公共交通機関内での[[スリ]]、空港での[[クレジットカード]]詐欺被害が報告されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcsafetymeasure_159.html|title=スイス 安全対策基礎データ「犯罪発生状況、防犯対策」|accessdate=2021-12-11|publisher=外務省}}</ref>。 {{節スタブ}} === 法執行機関 === [[Image:Toyota Geneva police 4110.JPG|thumb|200px|[[ジュネーブ州]]警察の[[パトカー]] <br> ベースとなっている車両は[[トヨタ・ランドクルーザー]]である]] {{main|{{仮リンク|スイスの法執行機関|en|Law enforcement in Switzerland}}}} スイス連邦政府は一般的な法執行機関を持っておらず、国内の法執行機関の調整は州の警察司令部の委員会によって行なわれている。 2023年現在、26の州警察機関と多数の地方警察機関が、同国の法執行機関を支えている。 {{節スタブ}} ==== 刑務所 ==== スイスには 124の拘留施設が存在し、施設の全てが州によって運営されている。収容人数は最大 6,736人。 {{See also|{{仮リンク|スイスの刑務所の一覧|en|List of prisons in Switzerland}}}} === 人権 === {{main|{{仮リンク|スイスにおける人権|en|Human rights in Switzerland}}}} {{節スタブ}} == マスコミ == {{main|{{仮リンク|スイスのメディア|en|Mass media in Switzerland}}}} {{節スタブ}} == 文化 == [[ファイル:Bern luftaufnahme.png|thumb|250px|[[世界遺産]]の[[ベルン旧市街]]]] {{Main|{{仮リンク|スイスの文化|en|Culture of Switzerland}}|{{仮リンク|スイスの民間伝承|en|Swiss folklore}}}} === 食文化 === {{Main|スイス料理}} [[アルザス料理]]も含む[[ドイツ料理]]、[[フランス料理]]、[[イタリア料理]]といった周辺の国や地域の影響を受けながらも、スイス特有の多くの料理を有する。 スイスは歴史的な農業国であり、伝統的なスイス料理は素朴で、[[ジャガイモ]]と[[チーズ]]のような質素な食材で作る傾向がある。 {{See also|{{仮リンク|スイスの料理遺産|en|Culinary Heritage of Switzerland}}}} === 文学 === {{main|スイス文学}} {{See also|{{仮リンク|チューリッヒ文学祭|en|Literaturfestival Zürich}}}} {{節スタブ}} === 音楽 === {{main|{{仮リンク|スイスの音楽|en|Music of Switzerland}}}} {{See also|ルツェルン音楽祭}} {{節スタブ}} === 美術 === {{main|スイスの芸術}} [[バーゼル]]を拠点に、異文化交流を目的とした『{{仮リンク|カルチャスケープス|en|Culturescapes}}』と呼ばれる学際的な芸術祭が毎年秋に開催されている。 {{See also|国際タイポグラフィー様式|アート・バーゼル|}} {{節スタブ}} === 映画 === {{Main|スイスの映画}} 国内における言語の違いと文化的多様性が、スイスにおける映画史を形づくっている。ドキュメンタリー映画、アートフィルムや実験映画、そして大衆的な商業映画が存在し、作品群についても作家たちについても、情報源の多様さより以上の多様性が存在している。 === 被服・ファッション === {{main|{{仮リンク|スイスの伝統衣装|de|Trachten in der Schweiz}}}} スイスには700を超える様々な伝統衣装が存在する。特に女性の衣装は、地域毎に異なることがよくあるといわれている<ref group="注釈">一例では[[ディアンドル]]の着用が確認されているなど。</ref>。 === 建築 === {{main|{{仮リンク|スイスの建築|en|Architecture of Switzerland}}}} {{節スタブ}} === 祭礼 === 国民を啓発する目的から考案された「{{仮リンク|連邦祭|de|Eidgenössische Feste}}」やワイン生産者の祭典「{{仮リンク|フェット・デ・ヴィニュロン|fr|Fête des Vignerons|en|Fête des Vignerons}}」が開催されている。 === 世界遺産 === {{Main|スイスの世界遺産}} スイス国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が7件、[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が3件存在する。 === 祝祭日 === {{main|{{仮リンク|スイスの祝日|en|Public holidays in Switzerland}}}} 法定祝祭日は以下の通りとなっている。 {| class="wikitable" style="margin-left:1em; font-size:90%" !日付 !日本語表記 !独語表記 !仏語表記 !英語表記 !備考 |- |[[1月1日]] |[[元日]] |Neujahrstag |Jour de l'An |New Year's Day | |- | |聖金曜日 |Karfreitag |Vendredi Saint |Good Friday |{{small|移動祝祭日。復活祭の前々日。}} |- | |[[復活祭]] |Ostern |Pâques |Easter |{{small|移動祝祭日。春分後の最初の満月の次の日曜。}} |- | |復活祭月曜日 |Osternmontag |Lundi de Pâques |Easter Monday |{{small|移動祝祭日。}} |- | |[[キリストの昇天|キリスト昇天祭]] |Auffahrt |Ascension |Ascension |{{small|移動祝祭日。復活祭から数えて40日目。}} |- | |[[聖霊降臨|聖霊降臨祭]]・五旬節 |Pfingsten |Pentecôte |Whit Suntide |{{small|移動祝祭日。復活祭から数えて50日目。}} |- | |聖霊降臨祭月曜日 |Pfingstmontag |Lundi de Pentecôte |Whit Monday |{{small|移動祝祭日。}} |- |[[8月1日]] |[[建国記念日]] |Bundesfeier |Fête de la Confédération |Confederation Day |{{small|[[ロマンシュ語]]の一種である{{仮リンク|ルマンチュ・グリシュン|de|Rumantsch Grischun}}における名称は「[[:en:Bundesfeiertag|Bundesfeiertag]]」(「連邦の休日」の意)である。}} |- |[[12月25日]] |[[クリスマス]] |Weihnachtstag |Noël |Christmas Day | |- |[[12月26日]] |[[ボクシング・デー]] |Stephanstag |Saint-Étienne |St. Stephen's Day | |} このほか、地域ごとの祝日がある。 == スポーツ == {{main|{{仮リンク|スイスのスポーツ|en|Sport in Switzerland}}}} [[File:DielautrerheldenvonBern.JPG|thumb|[[1954 FIFAワールドカップ]]]] === サッカー === {{main|{{仮リンク|スイスのサッカー|en|Football in Switzerland}}}} スイス国内では[[サッカー]]が最も人気の[[スポーツ]]となっており、今から120年以上前の[[1897年]]にプロサッカーリーグの「[[スーパーリーグ (スイス)|スーパーリーグ]]」が創設された。[[スイスサッカー協会]]によって編成される[[サッカースイス代表]]は、[[FIFAワールドカップ]]には12度の出場歴があり[[1954 FIFAワールドカップ|1954年大会]]は自国開催された。 [[UEFA欧州選手権]]には5度出場しており、[[UEFA EURO 2020|2021年大会]]では過去最高位のベスト8の成績を収めた。なお、[[UEFA EURO 2008]]を隣国の[[オーストリア]]と共同開催している。[[スイス人]]の著名な選手としては、[[ジェルダン・シャチリ|ジェルダン・シャキリ]]、[[グラニト・ジャカ]]、[[リカルド・イヴァン・ロドリゲス・アラジャ|リカルド・ロドリゲス]]、[[ステファン・リヒトシュタイナー]]などが存在する。 === モータースポーツ === [[1954年]]から[[2016年]]まで、スイス国内で[[モータースポーツ]]の開催が認められていない時期があった<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.motorsport.com/formula-e/news/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9-%E7%B4%8460%E5%B9%B4%E3%81%B6%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84%E8%A7%A3%E7%A6%81-%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%96%E3%81%A7fe%E9%96%8B%E5%82%AC%E6%B1%BA%E5%AE%9A-956225/2127635/ |title=スイス、約60年ぶりモータースポーツ開催解禁。チューリッヒFEが決定 |publisher=motorsport.com |date=2017-09-22 |accessdate=2021-09-15}}</ref>。しかしながら、スイスを拠点に国外で活躍する有力なレーシングチームやレーシングドライバーはこの期間中も存在していた<ref group="注釈">チームとしては[[ザウバー]]や[[レベリオン・レーシング]]、ドライバーとしては[[セバスチャン・ブエミ]]がいる。</ref>。ただし、時計を通じて争う[[タイムアタック]]だけのレースは認可されていたため、[[ラリー]]や[[ヒルクライム]]のイベントは開催されていた。 === その他の競技 === スイスでは[[テニス]]も盛んであり、有名な選手としては[[ロジャー・フェデラー]]が挙げられる。また[[ウィンタースポーツ]]も盛んで、[[スキージャンプ]]、[[アルペンスキー]]、[[スノーボード]]、[[カーリング]]といった競技も行われている。 {{See also|オリンピックのスイス選手団}} == 著名な出身者 == {{Main|スイス人の一覧}} {{colbegin|2}} *[[ウィリアム・テル]] - 伝説の[[英雄]]。 *[[フルドリッヒ・ツヴィングリ]] - [[宗教家]]。 *[[ジャン=ジャック・ルソー|ジャン=ジャック・ルソー]] - [[思想家]]。 *[[フェルディナント・ホドラー]] - [[画家]]。 *[[アンリ・デュナン]] - [[赤十字社]]の創設者。 *[[マルセル・ジュノー]] - [[医師]]・[[赤十字国際委員会]]駐日首席代表・「[[広島市|ヒロシマ]]の恩人」。 *[[ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ]] - [[教育者]]。 *[[カール・グスタフ・ユング]] - [[精神科医]]。 *[[フェルディナン・ド・ソシュール]] - [[言語学者]]。 *[[レオンハルト・オイラー]] - [[数学者]]。 *[[パウル・クレー]] - 画家。 *[[オーギュスト・ピカール]] - [[科学者]]。 *[[アンリ・ギザン]] - 第二次世界大戦時のスイス軍総司令官。 *[[ヨハンナ・シュピーリ]](ヨハンナ・スピリ)(Johanna Spyri 1827-1901) - 『[[アルプスの少女ハイジ]]』の原作者。 *[[ヨハン・ダビット・ウィース]] - [[スイスのロビンソン]]の著者。 *[[デビット・ゾペティ]] - [[作家]]。『いちげんさん』で[[すばる文学賞]]受賞。 *[[マリオ・ボッタ]] - [[建築家]]。 *[[クレイ・レガツォーニ]] (Clay Regazzoni 1939-2006) - 元[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー。 *[[アンディ・フグ]](Andy Hug 1964-2000) - [[K-1]]チャンピオン。 *[[マルチナ・ヒンギス]](Martina Hingis) - 女子プロテニス選手。 *[[ロジャー・フェデラー]](Roger Federer) - 男子プロテニス選手。 *[[スタニスラス・ワウリンカ]] - 男子プロテニス選手。 *[[ファビアン・カンチェラーラ]] - 自転車プロロードレース選手。 *[[ステファン・ランビエール]] - 男子フィギュアスケート選手。 *[[ミリアム・オット]](Mirjam Ott) - [[カーリング]]選手。 *[[デニス・ビールマン]] - 女子フィギュアスケート選手(ビールマンスピンは、ビールマンの名に因んで付けられた) *[[ル・コルビュジエ]](Le Corbusier, 1887-1965) - 建築家。10[[スイス・フラン#紙幣|フラン札]]の顔。 *[[アルテュール・オネゲル]](Arthur Honegger 1892-1955) - [[作曲家]]。20フラン札の顔。 *[[ゾフィー・トイバー=アルプ]](Sophie Taeuber-Arp 1889-1943) - [[抽象画|抽象画家]]。[[ジャン・アルプ]]の[[妻]]。50フラン札の顔。 *[[アルベルト・ジャコメッティ]](Alberto Giacometti 1901-1966) - [[彫刻家]]。100フラン札の顔。 *[[シャルル・フェルディナン・ラミューズ]](Charles Ferdinand Ramuz 1878-1947) - [[作家]]。200フラン札の顔。 *[[ヤーコプ・ブルクハルト]](Jacob Burckhardt 1818-1897) - [[歴史学者]]。1000フラン札の顔。 *[[フランコ・チェザリーニ]] - 「アルプスの詩」「青い水平線」などの作曲者。 *[[オトマール・シェック]](Othmar Schoeck 1886-1957) - 作曲家。 *[[ジョー・シフェール]] - レーシングドライバー。 *[[シルビオ・モーザー]] - レーシングドライバー。 *[[グレガー・フォイテク]] - レーシングドライバー。 *[[セバスチャン・ブエミ]] - レーシングドライバー。[[トヨタ]]・[[ホンダ]]・[[日産自動車|日産]]のレース活動に同時に関わっていた。[[FIA 世界耐久選手権|WEC]]と[[フォーミュラE]]のチャンピオン。 *[[ロマン・グロージャン]] - レーシングドライバー(国籍上ではフランス人)。 *[[ペーター・ザウバー]] - F1チームの[[ザウバー]]のチーム創始者・元チームオーナー。 *[[ゼップ・ブラッター]] - [[国際サッカー連盟]]第8代会長。 *[[ステファン・シャプイサ]] - 元[[サッカー選手]]。 *[[アレクサンダー・フライ]] - 元サッカー選手。 *[[ステファン・リヒトシュタイナー]] - 元サッカー選手。 *[[ジェルダン・シャチリ]] - [[プロサッカー選手|サッカー選手]]。 *[[グラニト・ジャカ]] - サッカー選手。 *[[シモーネ・ニグリ=ルーダー]] - [[オリエンテーリング]]選手。 *[[シモン・アマン]] - [[2002年ソルトレークシティオリンピック]] [[2002年ソルトレークシティオリンピックのスキージャンプ競技|ノルディック・スキー(ジャンプ)]] 金メダリスト。 *[[アイランド_(バンド)|アイランド]] - [[プログレッシヴ・ロック]]・バンド。 *[[H・R・ギーガー]] - 画家。映画『エイリアン』のデザイナーとして有名。 *[[カール・バルト]](Karl Barth 1886-1968) - キリスト教[[神学者]]。 *[[パトリック・モラーツ]] ‐ [[音楽家]]・[[シンセシスト]]。 *[[春香クリスティーン]] ‐ [[タレント]] {{colend}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}} === 出典 === {{Reflist|25em}} == 参考文献 == *[[犬養道子]]『私のスイス』[[中公文庫]] *[[森田安一]]『スイス 歴史から現代へ』[[刀水書房]] *[[スイス文学研究会]]編『スイスを知るための60章』[[明石書店]] *[[八木あき子]]『二十世紀の迷信──理想国家スイス』[[新潮社]]、[[1980年]]8月。 *[[福原直樹]]『黒いスイス』新潮社〈[[新潮新書]]〉[[2004年]]3月。ISBN 4-10-610059-2。 == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|スイス}} *[[スイス関係記事の一覧]] *[[スイス銀行]] *[[民間防衛]] *[[欧州評議会]] *[[シェンゲン圏]]、[[シェンゲン協定]] == 外部リンク == {{Commons&cat|Switzerland|Switzerland}} ; 政府 :*[https://www.admin.ch/ スイス連邦政府]{{de icon}}{{fr icon}}{{it icon}}{{rm icon}}{{en icon}} :*[https://web.archive.org/web/20110117152158/http://www.admin.ch/br/org/bp/index.html?lang=de スイス大統領府]{{de icon}}{{fr icon}}{{it icon}}{{rm icon}}{{en icon}} : ; 日本政府 :*[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/switzerland/ 日本外務省 - スイス]{{Ja icon}} :*[https://www.ch.emb-japan.go.jp/itprtop_de/index.html 在スイス日本国大使館]{{Ja icon}} : ; 観光 :*[https://www.myswitzerland.com/ja/ スイス政府観光局]{{Ja icon}} : ; その他 :*[https://www.eda.admin.ch/aboutswitzerland/ja/home.html/jp/ swissworld.org] - スイスの公式情報サイト :*[https://www.jetro.go.jp/world/europe/ch/ JETRO - スイス] :* {{Kotobank}} {{Small|英 - 英語、独 - ドイツ語、仏 - フランス語、伊 -イタリア語、羅 - ロマンシュ語}} {{ヨーロッパ}} {{OECD}} {{欧州自由貿易連合 (EFTA)}} {{OIF}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:すいす}} [[Category:スイス|*]] [[Category:ヨーロッパの国]] [[Category:内陸国]] [[Category:共和国]] [[Category:連邦制国家]] [[Category:フランコフォニー加盟国]] [[Category:国際連合加盟国]] [[Category:経済協力開発機構加盟国]] [[Category:先進国]] [[Category:フランス語圏]] [[Category:ドイツ語圏]]
2003-03-02T18:49:24Z
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ディラック
ディラック
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ディラック ポール・ディラック - イギリス出身の理論物理学者。 ディラック - 『聖剣伝説2』の登場人物。
'''ディラック''' * [[ポール・ディラック]] - [[イギリス]]出身の[[理論物理学者]]。 * ディラック - 『[[聖剣伝説2]]』の登場人物。 {{aimai}} {{デフォルトソート:ていらつく}}
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ドルビーデジタル
ドルビーデジタル(Dolby Digital、AC-3:Audio Code number 3)とはドルビーラボラトリーズ(Dolby Laboratories, Inc.)が開発した、音声のデジタル符号化方式。 映画の音声やDVDビデオ、BDビデオ、Xbox・Xbox 360・Xbox One用ゲームソフト、PlayStation2、PlayStation 3・PlayStation 4用ゲームソフト、PC用ゲームソフト、BDレコーダーやDVDレコーダー、HDDレコーダー、ハイビジョンビデオカメラ等の幅広い規格媒体での音声記録に利用される。 ドルビーデジタルは1.0chモノラルから5.1chサラウンドまでの音をデジタル的に圧縮してデータ量を減らし、フィルムやDVDビデオなどに記録するのに用いられる。S/PDIF、またはHDMIケーブルを使用することで音声を伝送できる。1996年に初めて販売され始めたDVDにより家庭でもドルビーデジタルの音声が再生できるようになった。 映画の場合、音声をエンコード処理しフィルムのパーフォレーションの間(フィルムの両端に等間隔であいている穴と穴の間)に信号を光学的に記録している。ほとんどの映画作品には5.1chサラウンドを使ったサウンド方式(センター、左、右、リア左、リア右、サブウーファー)を採用しており、これをドルビーデジタルでエンコーディングする事が多い。一般的にはドルビーデジタルそのものがAC-3を指しているわけであるが、5.1chサラウンドを示しているわけではない。 映画館やシネマコンプレックスでは、設備が規格に対応しているかを表記している場合も多く、日本国内の映画館においては、9割以上の劇場で再生が可能なデジタル音響システムである。 映画では『バットマン リターンズ』(1992年)で世界初採用。日本においては『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)での試験採用を経て、『耳をすませば』(1995年)で本格導入された。 近年は最低限の設備であるためほとんどの映画でこの音声に対応しており、家庭用ゲーム機(Xbox・Xbox 360・Xbox One・PlayStation 3・PlayStation 4)やPCゲームでもドルビーデジタルが採用されている。ハードウェアまたはソフトウェアによるリアルタイムデコードで、効果音などを5.1chサラウンドで出力できるゲームソフトが多い。 初採用から25年後となる2017年3月20日をもって関連特許も含め特許期間が終了、特許権が消滅した。ゲーム機では第八世代まで使用され続け、その後はドルビーアトモス、およびPlayStation 5向けの3Dオーディオ(独自規格)などが使用されている。 2022年以降は「DOLBY DIGITAL」の表記が廃止され、「DOLBY AUDIO」の表記が記載されることが多い。 現在はほとんどの映画館で導入されている。
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ドルビーデジタルとはドルビーラボラトリーズが開発した、音声のデジタル符号化方式。 映画の音声やDVDビデオ、BDビデオ、Xbox・Xbox 360・Xbox One用ゲームソフト、PlayStation2、PlayStation 3・PlayStation 4用ゲームソフト、PC用ゲームソフト、BDレコーダーやDVDレコーダー、HDDレコーダー、ハイビジョンビデオカメラ等の幅広い規格媒体での音声記録に利用される。
{{出典の明記|date=2021年3月}} {{Infobox file format | name = ドルビーデジタル | icon = [[file:Dolby-Digital.svg|250px]] | extension = .ac3 .avi .vob .m2ts .mp4 | mime = | type code = | uniform type = | owner = [[ドルビーラボラトリーズ]] | genre = [[音声]] | container for = | contained by = [[Audio Video Interleave|AVI]], [[MPEG-2システム]], [[MP4]] | extended from = | extended to = | standard = }} '''ドルビーデジタル'''(''Dolby Digital''、'''AC-3''':Audio Code number 3)とは[[ドルビーラボラトリーズ]](Dolby Laboratories, Inc.)が開発した、音声のデジタル[[符号化方式]]。 [[映画]]の音声や[[DVDビデオ]]、[[Blu-ray Disc|BD]]ビデオ、[[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]・[[Xbox 360]]・[[Xbox One]]用ゲームソフト、[[PlayStation 2]]{{Efn|[[ファイナルファンタジーX]]などのごく一部のドルビープロロジック2が流行する前に誕生した作品、および末期の一部作品のみ。}}、[[PlayStation 3]]・[[PlayStation 4]]用ゲームソフト、[[パーソナルコンピュータ|PC]]用ゲームソフト、BDレコーダーや[[DVD]]レコーダー、[[ハードディスクドライブ|HDD]]レコーダー、[[ハイビジョン]][[ビデオカメラ]]等の幅広い規格媒体での音声記録に利用される。 == 概要 == ドルビーデジタルは1.0chモノラル{{Efn|1.0chモノラルで制作された作品の場合、DVDビデオ化の際には2.0ch[[モノステレオ]]として収録される場合が多い。}}から5.1ch[[サラウンド]]までの音をデジタル的に圧縮してデータ量を減らし、[[フィルム]]やDVDビデオなどに記録するのに用いられる。[[S/PDIF]]、または[[HDMI]]ケーブルを使用することで音声を伝送できる。1996年に初めて販売され始めた[[DVD]]により家庭でもドルビーデジタルの音声が再生できるようになった。 [[映画]]の場合、音声をエンコード処理しフィルムのパーフォレーションの間(フィルムの両端に等間隔であいている穴と穴の間)に信号を光学的に記録している。ほとんどの映画作品には5.1chサラウンドを使ったサウンド方式(センター、左、右、リア左、リア右、サブウーファー)を採用しており、これをドルビーデジタルでエンコーディングする事が多い。一般的にはドルビーデジタルそのものがAC-3を指しているわけであるが、5.1chサラウンドを示しているわけではない{{Efn|[[2007年]]までに発売されたXbox 360用ソフトでは、ドルビーデジタルのロゴの横に5.1chであることを示すために四角形の四隅・上辺の中央・四角形の中央に点が打たれた[[ロゴマーク]]が表記されていた。}}。 [[映画館]]や[[シネマコンプレックス]]では、設備が規格に対応しているかを表記している場合も多く、日本国内の映画館においては、9割以上の劇場で再生が可能なデジタル音響システムである。 映画では『[[バットマン リターンズ]]』([[1992年]])で世界初採用。日本においては『[[ゴジラvsメカゴジラ]]』([[1993年]])での試験採用を経て{{R|平成P152}}{{efn|[[TOHOシネマズ日劇|日劇東宝]]と梅田東宝のみ上映{{R|平成P152}}。}}、『[[耳をすませば]]』([[1995年]])で本格導入された。 近年は最低限の設備であるためほとんどの映画でこの音声に対応しており、家庭用[[ゲーム機]]([[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]・[[Xbox 360]]・[[Xbox One]]・[[PlayStation 3]]・[[PlayStation 4]])や[[パーソナルコンピュータ|PC]]ゲームでもドルビーデジタルが採用されている。ハードウェアまたはソフトウェアによるリアルタイムデコードで、[[効果音]]などを5.1chサラウンドで出力できる[[ゲームソフト]]が多い。 初採用から25年後となる[[2017年]]3月20日をもって関連特許も含め特許期間が終了、特許権が消滅した<ref>{{Cite web|和書|url=http://gigazine.net/news/20170321-ac-3-patent-expired/|title=ついにドルビーデジタル(AC-3)の特許権が消滅|publisher=Gigazine|date=2017-03-21|accessdate=2017-03-22}}</ref>。ゲーム機では第八世代まで使用され続け、その後は[[ドルビーアトモス]]、および[[PlayStation 5]]向けの3Dオーディオ(独自規格)などが使用されている。 2022年以降は「DOLBY DIGITAL」の表記が廃止され、「DOLBY AUDIO」の表記が記載されることが多い。 == 拡張規格 == ; ドルビーデジタルサラウンドEX : リアセンターを加えた6.1chサラウンド形式。ドルビーデジタルと[[上位互換]]性があり、EX非対応の環境で使用すると5.1chサラウンドで再生される。初の規格採用作品は映画『[[スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス]]』([[1999年]])である。 ; ドルビーデジタルライブ : PC用で採用されているサラウンド規格。これまでのサウンドカードはDVDではサラウンド信号を[[S/PDIF]]で出力する事は可能だが、サラウンド対応のPCゲームにおいてはS/PDIFで接続してもサラウンド信号を出す事が出来ない。その場合はアナログオーディオケーブルを3本接続しなければならず配線が煩雑になってしまう欠点があった。この規格を採用したサウンドカードを使用する事により、DVDでもPCゲーム{{Efn|対応ゲームが必要。}}でもS/PDIFでサラウンド信号の出力が可能になる。採用されている製品は、[[クリエイティブ・テクノロジー]]の「[[Sound Blaster|PCI Express Sound Blaster X-Fi Titanium Professional Audio]]」等がある。 ; ドルビーデジタルプラス(Enhanced AC-3またはE-AC-3) : [[第3世代光ディスク]]規格([[Blu-ray Disc]]・[[HD DVD]])や[[Amazon.com|アマゾン]]の[[Kindle Fire HD]]などの[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]、[[富士通モバイルコミュニケーションズ|富士通モバイル]]の[[ARROWS (携帯電話)|ARROWS NX]] [[F-06E]]、および[[京セラ]]の[[DIGNO|DIGNO M]] [[KYL22]]などの[[スマートフォン]]などで採用されている次世代サラウンド規格。競合規格は[[DTS (サウンドシステム)|DTS-HDハイレゾリューションオーディオ]]。最大7.1chまで収録できる。BDに収録されるドルビーデジタルプラスでは、5.1chまではドルビーデジタル音声しか認められていないという制約がある。これにより、ドルビーデジタルプラスが再生できない機器では、ドルビーデジタル(5.1chサラウンド)に変換することができる。ドルビーデジタルプラスのデジタル転送(ビットストリーム出力)には[[HDMI]] ver.1.3以降が必要となる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.stereosound.co.jp/hivi/hdaudio/hdmi_dolby_dts.html |title=HDオーディオの音声フォーマット、HDMIのバージョン比較、ドルビープロロジックIIzとAudyssey DSXの紹介 |accessdate=2010-03-04 |deadlinkdate=2021-02-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100629145929/http://www.stereosound.co.jp/hivi/hdaudio/hdmi_dolby_dts.html |archivedate=2010-06-29}}</ref>{{Efn|ドルビーデジタルにエンコードすれば、S/PDIFでのサラウンド出力も可能。}}。光デジタル端子ではTrueHDも含めこの信号の伝送は不可能。 ; [[ドルビーTrueHD]](Dolby TrueHD, ドルビートゥルーエイチディー) : BDビデオやHD DVDに採用された音声技術で、DVDオーディオで採用されている「MLPロスレス」の機能拡張版。拡張規格は[[DTS-HDマスターオーディオ]]。HD DVDでは必須となるほか、BDビデオではオプションとなる。最大7.1chサラウンド(96kHz/24bit)形式をサポート。なお、MLPロスレスの呼称は今後もDVDオーディオには使われる。ドルビーTrueHDはDVDオーディオフォーマットでは使用不可。BDビデオやHD DVDに使用される場合にのみドルビーTrueHDが使われるが、近年はブルーレイディスクにDTS-HDとドルビーデジタル信号のみが入り、TrueHDやデジタルプラスは省略される傾向にある。{{Efn|正確性の為に記述すると、ドルビーTrueHDはMLPの拡張技術であり、ドルビーデジタルの拡張技術ではない。ドルビーデジタルにエンコードすることで、S/PDIFでのサラウンド出力が可能になる。}}ただし、[[ドルビーアトモス]]に対応したブルーレイディスクの場合は、事実上ドルビーデジタルプラスとの下位互換性を持つ。<ref>{{Cite web |url=https://professionalsupport.dolby.com/s/article/Dolby-Atmos-Backward-Compatible?language=en_US |title=Is Dolby Digital Plus with Dolby Atmos backward compatible? |access-date=2023-09-10}}</ref> === 記録用音声技術 === ; ドルビーデジタルレコーディング : [[DVDレコーダー]]やHDD内蔵[[ビデオカメラ]]で、2.0chステレオを「ドルビーデジタル」の圧縮信号で記録出来るフォーマット。 ; ドルビーデジタルステレオクリエーター : 2.0chステレオを圧縮信号で記録できるフォーマットで、音声トラックを編集可能。 ; ドルビーデジタル5.1クリエーター : 5.1chサラウンドを比較的容易に記録できるフォーマット。DVDオーサリングソフト、DVD・ブルーレイレコーダー、5.1チャンネル記録対応ビデオカメラ等に採用されている。 ==主な導入劇場== ;国内 現在はほとんどの映画館で導入されている。 ==主な採用作品== ;洋画 *[[僕のワンダフル・ライフ]](2016年 [[ラッセ・ハルストレム]]監督) *[[ダンケルク (2017年の映画)|ダンケルク]](2017年 [[クリストファー・ノーラン]]監督) ;邦画 *[[寄生獣 (映画)|寄生獣]](日テレ×MOVIE 2014年 [[山崎貴]]監督) *[[妖映画 妖怪ウォッチ 誕生の秘密だニャン!]](TV TOKYO開局50周年記念作品 2014年 [[ウシロシンジ]]/[[高橋滋春]]共同監督) *[[イニシエーション・ラブ]](日テレ×MOVIE 2015年 [[堤幸彦]]監督) *[[映画 妖怪ウォッチ エンマ大王と5つの物語だニャン!]](2015年 ウシロシンジ/高橋滋春共同監督) *[[劇場版ポケットモンスター みんなの物語]](2018年 [[矢嶋哲生]]監督) *[[未来のミライ]](日テレ×MOVIE 日本テレビ開局65周年記念作品 2018年 [[細田守]]監督) *[[映画 妖怪ウォッチ FOREVER FRIENDS]](TV TOKYO開局55周年記念作品 2018年 高橋滋春監督) *[[ウルトラマンR/B#映画|劇場版 ウルトラマンR/B セレクト!絆のクリスタル]](2019年 [[武居正能]]監督) *[[劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲#ミュウツーの逆襲 EVOLUTION|ミュウツーの逆襲 EVOLUTION]](TV TOKYO開局55周年記念作品 2019年 [[湯山邦彦]]/[[榊原幹典]]共同監督) *[[騎士竜戦隊リュウソウジャー THE MOVIE タイムスリップ!恐竜パニック!!]](tv asahi movie 劇場版『ジオウ・リュウソウジャー』製作委員会 tv asahi開局60周年記念作品 2019年 [[上堀内佳寿也]]監督) *[[ルパン三世 THE FIRST]](日テレ×MOVIE 2019年 山崎貴監督) *[[映画 妖怪学園Y 猫はHEROになれるか]](TV TOKYO開局55周年記念作品 2019年 高橋滋春監督) {{節スタブ}} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist |refs= <ref name="平成P152">{{Cite book|和書|date=2012-02-10|others=監修:[[川北紘一]]|title= 平成ゴジラパーフェクション|publisher=[[アスキー・メディアワークス]]|series= DENGEKI HOBBY BOOKS|page=152|chapter=平成ゴジラバーニング・コラム NO.015 『VSメカゴジラ』5.1チャンネル版って?|isbn= 978-4-04-886119-9}}</ref> }} == 関連項目 == * [[ドルビーラボラトリーズ]] *[[ドルビーシネマ]] *[[ドルビーアトモス]] * [[デジタル音響システム]] * [[ホームシアター]] * [[サラウンド]] == 外部リンク == * [https://www.dolby.com/jp/ja/technologies/dolby-digital.html ドルビー - ドルビーデジタル5.1]{{Ja icon}} * [https://www.dolby.com/jp/ja/technologies/dolby-digital-plus.html ドルビー - ドルビーデジタルプラス]{{Ja icon}} {{圧縮フォーマット}} {{Tech-stub}} {{デフォルトソート:とるひてしたる}} [[Category:映画]] [[Category:ドルビーラボラトリーズ]] [[Category:音声ファイルフォーマット]] [[Category:高精細度テレビジョン放送]] [[Category:サラウンドサウンド]] [[Category:アメリカ合衆国の発明]]
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フェルミ粒子
フェルミ粒子(フェルミりゅうし)は、量子力学上の粒子の分類のための呼称であり、 ħ {\displaystyle \hbar } の半整数 (1/2, 3/2, 5/2, ...) 倍の強度のスピン角運動量を伴う粒子を指す。フェルミオン(Fermion)とも呼ばれる。代表例として電子が挙げられる。名称はイタリア=アメリカの物理学者エンリコ・フェルミ (Enrico Fermi) に由来する。 場の量子論から、半整数スピンを持つ粒子2つを入れ替えたとき波動関数の符号が逆転する。すなわち、同種の複数のフェルミ粒子からなる系の全波動関数は、いずれかの2個の粒子の交換に関して反対称となる。これは系の全波動関数をψ、i番目の粒子の座標をxiとしたとき、 のようにあらわされる。式の左辺と右辺とでは i 番目と j 番目の粒子が入れ替わっており、波動関数ψの正負が逆転している。 このため、2つのフェルミ粒子について各個の波動関数を φ, χ とするとき、2粒子を合わせた全体の波動関数ψは、単に とすると成立しない。 入れ替えによる符号逆転を踏まえて と定義される。 仮に2つのフェルミ粒子双方が同一の波動関数をとるとき 2つのフェルミ粒子が同じ状態に重複する時は、ψ = 0 以外にないという結果となる。結局フェルミ粒子は、1つの系内のひとつの量子状態を複数粒子が重複することはない。すなわち、フェルミ粒子はパウリの排他原理に従う。 この規則から、熱平衡状態にある同種フェルミ粒子群からなる系の従う量子統計が導かれ、これをフェルミ=ディラック統計という。 素粒子のうちクォークとレプトンはフェルミ粒子に属し、電子やミュー粒子、ニュートリノが含まれる。また、3つのクォークからなる複合粒子であるバリオンのうち、陽子や中性子がフェルミ粒子である。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "フェルミ粒子(フェルミりゅうし)は、量子力学上の粒子の分類のための呼称であり、 ħ {\\displaystyle \\hbar } の半整数 (1/2, 3/2, 5/2, ...) 倍の強度のスピン角運動量を伴う粒子を指す。フェルミオン(Fermion)とも呼ばれる。代表例として電子が挙げられる。名称はイタリア=アメリカの物理学者エンリコ・フェルミ (Enrico Fermi) に由来する。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "場の量子論から、半整数スピンを持つ粒子2つを入れ替えたとき波動関数の符号が逆転する。すなわち、同種の複数のフェルミ粒子からなる系の全波動関数は、いずれかの2個の粒子の交換に関して反対称となる。これは系の全波動関数をψ、i番目の粒子の座標をxiとしたとき、", "title": "複数のフェルミ粒子の系" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "のようにあらわされる。式の左辺と右辺とでは i 番目と j 番目の粒子が入れ替わっており、波動関数ψの正負が逆転している。", "title": "複数のフェルミ粒子の系" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "このため、2つのフェルミ粒子について各個の波動関数を φ, χ とするとき、2粒子を合わせた全体の波動関数ψは、単に", "title": "複数のフェルミ粒子の系" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "とすると成立しない。", "title": "複数のフェルミ粒子の系" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "入れ替えによる符号逆転を踏まえて", "title": "複数のフェルミ粒子の系" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "と定義される。", "title": "複数のフェルミ粒子の系" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "仮に2つのフェルミ粒子双方が同一の波動関数をとるとき", "title": "複数のフェルミ粒子の系" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "2つのフェルミ粒子が同じ状態に重複する時は、ψ = 0 以外にないという結果となる。結局フェルミ粒子は、1つの系内のひとつの量子状態を複数粒子が重複することはない。すなわち、フェルミ粒子はパウリの排他原理に従う。", "title": "複数のフェルミ粒子の系" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "この規則から、熱平衡状態にある同種フェルミ粒子群からなる系の従う量子統計が導かれ、これをフェルミ=ディラック統計という。", "title": "複数のフェルミ粒子の系" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "素粒子のうちクォークとレプトンはフェルミ粒子に属し、電子やミュー粒子、ニュートリノが含まれる。また、3つのクォークからなる複合粒子であるバリオンのうち、陽子や中性子がフェルミ粒子である。", "title": "フェルミ粒子の例" } ]
フェルミ粒子(フェルミりゅうし)は、量子力学上の粒子の分類のための呼称であり、 ℏ の半整数 倍の強度のスピン角運動量を伴う粒子を指す。フェルミオン(Fermion)とも呼ばれる。代表例として電子が挙げられる。名称はイタリア=アメリカの物理学者エンリコ・フェルミ に由来する。
{{Infobox particle | 背景色 = | 名前 = フェルミ粒子(フェルミオン) | 画像 = | 説明 = | 型数 = | 分類 = | 組成 = [[素粒子]]、[[クォーク]] | 統計 = フェルミ粒子 | グループ = | 世代 = 第一、第二、第三世代 | 相互作用 = [[強い相互作用]]<br />[[弱い相互作用]]<br />[[電磁相互作用]]<br />[[重力相互作用]] | 粒子 = | 反粒子 = 反クォーク、[[陽電子]]など | ステータス = | 理論化 = | 発見 = | 記号 = | 質量 = | 平均寿命 = | 崩壊粒子 = | 電荷 = | 荷電半径 = | 電気双極子モーメント = | 電気的分極率 = | 磁気モーメント = | 磁気的分極率 = | 色荷 = | スピン = <math>\hbar</math>の[[半整数]]倍 | スピン状態数 = | レプトン数 = | バリオン数 = | ストレンジネス = | チャーム = | ボトムネス = | トップネス = | アイソスピン = | 弱アイソスピン = | 弱アイソスピン_3 = | 超電荷 = | 弱超電荷 = | カイラリティ = | B-L = | X荷 = | パリティ = | Gパリティ = | Cパリティ = | Rパリティ = }} '''フェルミ粒子'''(フェルミりゅうし)は、[[量子力学]]上の粒子の分類のための呼称であり、 <math>\hbar</math> の[[半整数]] (1/2, 3/2, 5/2, …) 倍の強度の[[スピン角運動量]]を伴う粒子を指す。'''フェルミオン'''(Fermion)とも呼ばれる。代表例として[[電子]]が挙げられる。名称はイタリア=アメリカの物理学者[[エンリコ・フェルミ]] (Enrico Fermi) に由来する。 ==複数のフェルミ粒子の系== {{main|同種粒子}} [[Image:Asymmetricwave2.png|right|thumb|フェルミオンの二粒子状態に対応する反対称な波動関数]] [[場の量子論]]から、[[半整数]]スピンを持つ粒子2つを入れ替えたとき[[波動関数]]の符号が逆転する。すなわち、同種の複数のフェルミ粒子からなる系の全[[波動関数]]は、いずれかの2個の粒子の交換に関して反対称となる。これは系の全波動関数を&psi;、i番目の粒子の座標をx<sub>i</sub>としたとき、 :<math>{\psi}( \ldots , x_{i}, \ldots, x_{j} , \ldots ) = - {\psi}( \ldots , x_{j}, \ldots , x_{i} , \ldots )</math> のようにあらわされる。式の左辺と右辺とでは ''i'' 番目と ''j'' 番目の粒子が入れ替わっており、波動関数ψの正負が逆転している。 このため、2つのフェルミ粒子について各個の波動関数を &phi;, &chi; とするとき、2粒子を合わせた全体の波動関数ψは、単に :<math>\psi(x_1, x_2) = \phi(x_1) \chi(x_2)</math> とすると成立しない。 入れ替えによる符号逆転を踏まえて :<math>\psi(x_1, x_2) = \phi(x_1) \chi(x_2) - \phi(x_2) \chi(x_1)</math> と定義される。 仮に2つのフェルミ粒子双方が同一の波動関数をとるとき :<math>\psi(x_1, x_2) = \phi(x_1) \phi(x_2) - \phi(x_2) \phi(x_1) = 0</math> '''2つのフェルミ粒子が同じ状態に重複する時は、&psi; = 0 以外にない'''という結果となる。結局フェルミ粒子は、1つの系内のひとつの[[量子状態]]を複数粒子が重複することはない。すなわち、フェルミ粒子は[[パウリの排他原理]]に従う。 この規則から、[[熱平衡]]状態にある同種フェルミ粒子群からなる系の従う量子統計が導かれ、これを'''フェルミ=ディラック統計'''という。 ==フェルミ粒子の例== 素粒子のうち[[クォーク]]と[[レプトン (素粒子)|レプトン]]はフェルミ粒子に属し、[[電子]]や[[ミュー粒子]]、[[ニュートリノ]]が含まれる。また、3つのクォークからなる複合粒子である[[バリオン]]のうち、[[陽子]]や[[中性子]]がフェルミ粒子である。 == 参考文献 == {{No footnotes|date=2019年10月|section=1}} *{{cite book|和書 | author = 長岡 洋介 | year = 1994 | title = 統計力学 | series = 岩波基礎物理シリーズ | publisher = 岩波書店 | isbn = 978-4000079273 }} *{{cite book|和書 | author = ガシオロウィッツ | year = 1998 | title = 量子力学Ⅰ | others = 林 武見、北角 新作(共訳) | publisher = 丸善出版 | isbn = 978-4-621-04529-9 }} == 関連項目 == *[[統計力学]] *[[ボース粒子]] *[[フェルミ縮退]] *[[フェルミ準位]] *[[フェルミ分布関数]] {{粒子の一覧}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ふえるみりゆうし}} [[Category:素粒子]] [[Category:統計力学]] [[Category:量子力学]] [[Category:フェルミ粒子|*]] [[Category:エンリコ・フェルミ]] [[Category:物理学のエポニム]]
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