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京都サンガF.C.
京都サンガF.C.(きょうとサンガエフシー、英: Kyoto Sanga F.C.)は、日本の京都府京都市、宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市、木津川市、亀岡市、南丹市、京丹波町、福知山市、舞鶴市、綾部市、八幡市、宮津市、大山崎町、久御山町、京丹後市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 1922年に創設された京都紫光クラブが前身となり、1993年に一般公募で愛称を募り、教育研究社FC京都パープルサンガ に改称。1994年に、京都パープルサンガと改称した。1996年にJリーグへ加盟。 2007年に現在のクラブ名となる京都サンガF.C.へ改称した。運営会社は株式会社京都パープルサンガである。 旧クラブの由来は、京都紫光サッカークラブの英語の『パープル』と、サンスクリット語で「仲間・群れ」を表す『samgha』と、山紫水明の京都をイメージさせる「山河」の響きを掛け合わせた『サンガ』を合わせたもの。 ホームタウンは2010年8月まで京都府京都市1市。2010年8月より宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市の5市、2012年4月より木津川市、2014年4月より亀岡市、2017年9月より南丹市と京丹波町、2019年9月より福知山市、舞鶴市、綾部市、2020年3月より八幡市、2022年4月より宮津市、2023年2月より大山崎町、久御山町、2023年5月より京丹後市 がホームタウンに追加された。なお、宇治市などへ広域化された際に、クラブ側は「よりホームタウンを活性化させるには試合の本拠地である京都市やクラブハウスのある城陽市を含め京都府南部の市町村の連携が不可欠」とコメントしている。 ホームスタジアムは亀岡市のサンガスタジアム by KYOCERA。練習場は京都サンガF.C.東城陽グラウンド(通称:サンガタウン城陽)である(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。クラブマスコットは1995年に誕生した「パーサくん」と2003年に誕生した女の子のお友達「コトノちゃん」であり、いずれも「鳳凰」と「不死鳥」をモチーフとしている。 1922年創設の京都紫光クラブ(設立時の名称は紫郊クラブ)が前身となり、Jリーグ加盟クラブの前身チームの中で最も古い。1993年に「教育研究社FC京都パープルサンガ」が発足。1994年1月、運営会社となる「株式会社京セラパープルサンガ」が設立された(6月に株式会社京都パープルサンガへ商号変更)。 1994年8月、Jリーグ準会員に承認。1995年にジャパンフットボールリーグ(JFL)で2位の成績を収めて、1996年からJリーグ加盟が決定した。 大野俊三や松橋力蔵といったJリーグ経験者を補強。開幕戦はV川崎に敗北。その後、シーズン開幕後17連敗を喫して、ジョゼ・オスカー・ベルナルディがシーズン途中で監督を解任された。5月にV川崎からラモス瑠偉、藤吉信次、ガンバ大阪から山口敏弘を獲得し、後半戦は8勝7敗と勝ち越した。 ペドロ・ローシャを監督に迎えたが、カポネとクレーベルの両外国人選手が振るわず、更にラモスが退団した。年間成績は17チーム中14位。なお、この年に西田吉洋が日本代表候補に選ばれた。 元日本代表監督のハンス・オフトが監督に就任。元日本代表の森保一・岩本輝雄・山田隆裕・黒崎久志を獲得したが、下位に低迷。オフトは6月に監督を退任し、清水秀彦が後任となり、2ndステージは勝ち越し。なお、横浜フリューゲルスが横浜Mと合併したことでJ1参入決定戦への出場は回避した。 清水体制2年目。1stステージが14位。6月に清水が退任して、7月に元日本代表監督の加茂周が監督に就任。また、同じ7月に元日本代表の三浦知良を獲得。2ndステージは9位。年間成績は12位となった。 加茂体制2年目。黒部光昭、松井大輔、朴智星が入団。リーグ戦は当初より不振で6月に加茂を解任。ゲルト・エンゲルスが後任の監督に就任したが、年間成績は15位に終わり、J2へ降格した。 エンゲルス体制2年目。三浦知良が神戸、遠藤保仁がG大阪へ移籍した。J2リーグ戦は28勝5分11敗の成績で優勝し、J1復帰を決めた。黒部は30得点を挙げ、J2得点ランク2位となった。 エンゲルス体制3年目。開幕直後こそ4連敗するものの、黒部、松井、朴に加えて平井直人・角田誠といった下部組織出身の選手も活躍。年間順位で5位に躍進。第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会は決勝で鹿島を破り、関西にホームを置くクラブでJリーグ発足後初のタイトルを獲得した。 朴がPSVアイントホーフェンへ移籍した一方、韓国・水原三星より高宗秀を獲得した。1stステージは最下位。6月にエンゲルスを解任、後任のピム・ファーベークも11月に解任し、木村文治が監督に就任。2ndステージも14位に終り、年間で最下位となり、2度目のJ2降格が決定した。 西村昭宏が監督に就任。市原から崔龍洙を獲得。一方、9月に松井がフランス・ル・マンUCへ期限付き移籍した(2005年7月に完全移籍へ移行)。リーグ戦は序盤戦から勝利に恵まれず、6月に西村を解任し、柱谷幸一を監督に迎えたが5位に終わった。 柱谷体制2年目。黒部がC大阪へ移籍した一方、山形から星大輔、福岡から米田兼一郎、湘南から加藤大志を完全移籍で獲得した。シーズンは7試合を残して2位以内が確定、第39節で2度目のJ2優勝を決めた。最終節は甲府に敗れて、2004年の川崎に次ぐシーズン勝点100以上はならなかった。なお、パウリーニョが22得点でJ2得点王を獲得し、15得点のアレモンと2人でチーム総得点(89)の4割強を占めた。 柱谷体制3年目。4月にG大阪から手島和希、5月に名古屋から角田誠を期限付き移籍で獲得したが、シーズン当初より低迷し10月に柱谷を監督から解任。ヘッドコーチの美濃部直彦が監督に就任したが、11月26日のG大阪戦に敗れ、最下位が決まり、J2降格が決定した。 美濃部体制2年目。2月からクラブ名称を京都サンガF.C.へ変更(ただし運営法人の商号は現在も株式会社京都パープルサンガのまま)。同時に新しいエンブレムも制定された。名古屋から元日本代表DF秋田豊、清水から森岡隆三、甲府から倉貫一毅を、福岡から平島崇を獲得した。開幕から大きな連勝はしないものの1度の連敗もなく安定して勝ち点を積み重ね、第44節終了時点で暫定3位と昇格圏内につけていた。10月13日に美濃部を解任して、総監督の加藤久が監督へ就任。リーグ戦は3位となり、J1・J2入れ替え戦で広島に勝利を収めてJ1復帰を決めた。また、当初は残り試合に限定された暫定監督扱いとして就任した加藤の総監督留任も決定した。 加藤体制2年目。柏からGK水谷雄一、G大阪から9シーズンぶりの京都復帰となるDFシジクレイ、FC東京からレンタル移籍でDF増嶋竜也、千葉からMF佐藤勇人、鹿島からFW柳沢敦と、各ポジションで実力者を獲得し、2年ぶりのJ1に臨んだ。シーズン途中にも、ディフェンス安定のためにG大阪からDF水本裕貴、怪我で長期離脱(登録抹消)したFWパウリーニョの穴を埋めるため、清水からFWフェルナンジーニョを獲得した。なお、シーズン成績は14位。天皇杯は5回戦で柏に敗北。 加藤体制3年目。名古屋から豊田陽平、東京Vからディエゴ、韓国代表の李正秀などを獲得。また、前年怪我でシーズン途中に登録抹消されたパウリーニョも復帰した。しかし、主力に怪我人が相次ぎ、パウリーニョがシーズン途中で退団しブラジルに帰国するなどメンバー編成に苦しんだが、第33節(11月28日)の浦和戦に勝利し、残り1試合を残してJ1残留を決め、同時にJ1通算100勝を達成し、12位でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で甲府に敗北した。 加藤体制4年目。李正秀(鹿島→アル・サッド)、林丈統、佐藤勇人(千葉)、松井謙弥(C大阪)が完全移籍、豊田陽平(鳥栖)がレンタル移籍、手島和希が引退、シジクレイが退団した。 一方で、大分から7年ぶりの復帰となる鈴木慎吾や、大宮から片岡洋介が移籍。ドゥトラ、郭泰輝、チエゴ(レンタル移籍)、ハウバート・ダン、児玉剛、福村貴幸らを獲得した。 リーグ戦は第4節終了時の8位が最高。第10節および第13節から第21節まで最下位で推移し、第14節終了後の7月27日に加藤を監督及びチーム統括職より解任し、コーチの秋田豊が後任の監督に就任した。第22節で17位に順位を上げたが以降も17位から順位は変わらず、第30節の浦和戦に敗れて4回目のJ2降格が決定した。天皇杯も3回戦で千葉に大敗した。 なお、秋田とは2011年までの契約で「J2に降格しても続投してもらう」方針 であったが、12月7日に監督を退任した。 監督に甲府元監督の大木武、ゼネラルマネージャー(GM)に千葉元GMの祖母井秀隆がそれぞれ就任した。 柳沢敦、角田誠が仙台、渡邉大剛、片岡洋介が大宮、増嶋竜也が柏、水本裕貴が広島、郭泰輝がKリーグ・蔚山現代FC、西野泰正が讃岐へ移籍、平井直人が引退、中谷勇介が退団(のちに東京Vへ入団)、チエゴはレンタル移籍期間満了により退団した。また、8月にディエゴが仙台へレンタル移籍した。 一方で、工藤浩平(千葉)、秋本倫孝(甲府)、アライール(愛媛)を完全移籍で獲得、酒井隆介、チョン・ウヨン、内藤洋平が加入、駒井善成、伊藤優汰らがユースから昇格した。 リーグ戦は、6月5日(第15節)まで2引き分けを挟んで5連敗を喫するなど、同節時点で僅か1勝(2分6敗)の19位に落ち込んだ。後半戦に入り、2種登録選手ながら10得点を挙げて、チーム得点王になった高校生FW久保裕也などの活躍もあり、最終順位は7位。 天皇杯は、第82回以来の決勝進出。決勝で同じJ2所属のFC東京に敗れたが、準優勝の成績を収めた。 大木体制2年目。森下俊が川崎へ完全移籍、中村太亮が新潟へ期限付き移籍した。 一方、中国・陝西宝栄からバヤリッツァ、徳島から倉貫一毅を完全移籍で、浦和から原一樹らを期限付き移籍で獲得した。 開幕前は天皇杯準優勝などの実績より昇格候補に挙げられ、第8節の東京V戦まで4連勝、第16節の北九州戦まで5連勝で同節で首位に立ったが、第17節から3連敗を含む7戦連続勝ちがなく、第23節時点で8位へ順位を下げた。第27節の鳥取戦まで4連勝して6位に浮上(その後連勝を6に伸ばす)して以降、J1昇格プレーオフ圏内となる6位以上を保ち、第39節ホーム岐阜戦の勝利で自動昇格圏内の2位に浮上。第41節時点で2位をキープしたが、最終節の甲府戦でスコアレスドローに終わり、最終節勝利した湘南と入れ替わって3位となり、J1昇格プレーオフへ回った。J1昇格プレーオフは準決勝で6位の大分にホームで敗北し、J1昇格はならなかった。天皇杯は3回戦で磐田にPK負けした。 大木体制3年目。中村充孝が鹿島、水谷雄一が福岡へ完全移籍、チョン・ウヨンが磐田へ期限付き移籍した。 一方、川崎から山瀬功治、湘南から三平和司(2012年は大分に期限付き移籍)、徳島からオ・スンフン、愛媛から田森大己、Honda FCから中村祐哉を完全移籍で、G大阪から横谷繁を期限付き移籍で獲得した。7月に久保裕也がBSCヤングボーイズへ完全移籍した。 開幕から4試合を2勝2分とし第4節時点で2位。第5節から2連敗を含め第9節まで1勝3敗1分に留まり第9節時点で11位に順位が低下するが、その後は第28節から第30節の3連敗を除いて連敗することなく推移し、第16節で4位に浮上して以降は昇格プレーオフ圏内をキープ。第32節からは7連勝し、第34節終了時点で3位に浮上したが、第40節・G大阪戦に敗れて自動昇格圏内の2位以内が消滅。なお、最終順位は2年連続の3位。J1昇格プレーオフ準決勝はホームで長崎に引き分け。規定により決勝へ進出したが、徳島に敗れて2年連続でプレーオフ敗退。天皇杯は3回戦で鹿島に敗北。シーズン終了後に大木が監督を退任した。 イラン代表元監督のヴァルデイル・ヴィエイラが監督に就任。安藤淳と染谷悠太がC大阪、倉貫一毅が鳥取、秋本倫孝が富山、原一樹が北九州、中村祐哉が長崎、児玉剛が愛媛へ完全移籍した。 一方、名古屋から石櫃洋祐、ブラジル・アメリカFCからアレッサンドロらを完全移籍で、神戸から有田光希、横浜FMから比嘉祐介、杭州緑城から大黒将志を期限付き移籍で獲得した。 開幕節終了直後に首位に立ったが、その後第18節時点で7勝5敗6分の11位に留まり、6月18日にバドゥを監督から解任。後任決定までコーチの森下仁志が監督代行を務めた後、6月29日より元東京V監督の川勝良一が監督に就任し、徳島からドウグラスを期限付き移籍で獲得したが第41節・富山戦での引き分けにより昇格プレーオフ進出が消滅し、最終順位も9位に終わった。シーズン終了後に監督の川勝、GMの祖母井秀隆、強化部テクニカルディレクターの高間武らが退任した。なお、新加入の大黒が26得点でJ2得点王を獲得した。天皇杯は3回戦で名古屋に敗れた。 元神戸監督の和田昌裕が監督に就任。オ・スンフン、ジャイロが退団。ドウグラス、比嘉祐介、田中英雄が期限付き移籍期間満了につき退団。高橋祐治が讃岐、田村亮介が鳥栖へ期限付き移籍。酒井隆介が松本、工藤浩平が広島、横谷繁が大宮、三平和司が大分、内野貴志が長野へそれぞれ完全移籍した。 一方で、宮吉拓実が富山から、原川力が愛媛から復帰。清水圭介(大分)、山口智(千葉)、菅沼駿哉(磐田)、金南一(全北現代)、黄辰成(AFCテュビズ)、佐々木勇人(仙台)、ダニエル・ロビーニョ(群馬)を完全移籍で獲得。奥川雅也らがユースから昇格した。 前半戦を終えて6勝12敗4引き分け。7月8日の徳島戦で敗北し、7月10日に成績不振を理由として和田が監督を解任され、ヘッドコーチの石丸清隆が後任の監督に就任した。10月25日の大宮戦の引き分けで7位以下が確定。最終順位は17位。天皇杯は3回戦で川崎に敗れた。 石丸体制2年目。ユース出身の駒井善成が浦和へ、伊藤優汰が新潟へ、原川力が川崎へ、宮吉拓実が広島へそれぞれ移籍。 一方で、名古屋から牟田雄祐と本多勇喜、柏から菅野孝憲、松本から岩沼俊介、甲府から堀米勇輝、長崎からイ・ヨンジェ、C大阪から染谷悠太などを獲得。名古屋などでスカウトを務めた小島卓が強化担当で入団した。 開幕から4試合連続引き分けを含む5試合勝利なしで、第5節終了時には15位まで順位を下げるものの、第6節でシーズン初勝利を挙げてからの10試合で7勝2分1敗と躍進、第15節終了時にはプレーオフ圏内の5位に浮上する。その後はシーズン終了までプレーオフ圏内となる6位以上をキープしたものの、第18、26各節終了時の4位が最高で、J1自動昇格となる2位以上とは勝点で引き離されたまま5位でシーズンを終えた。3シーズンぶりに出場したJ1昇格プレーオフは、準決勝でC大阪と引き分け。規定により決勝進出はならなかった。 シーズン終了後、石丸が監督を解任。また、平井、古邊の両コーチ、U-18監督の森岡隆三が退任。矢島卓郎が現役を引退した。天皇杯は2回戦でC大阪に延長戦の末敗れた。 監督に前柏ヘッドコーチの布部陽功が就任。 山瀬功治(福岡)、有田光希(愛媛)、佐藤健太郎(山口)らが完全移籍により、アンドレイ・ジロットが期限付き移籍満了でそれぞれ退団。永島悠史が岐阜、沼大希が鳥取、石田雅俊が群馬、山田元気が山口へ期限付き移籍した。 一方で、名古屋から小屋松知哉、望月嶺臣(昨年は山口に所属)、田中マルクス闘莉王を、熊本から永井建成を、山形から伊東俊、韓国クラブからハ・ソンミン、ケヴィン・オリスを完全移籍で、柏から湯澤聖人を期限付き移籍で獲得。大黒将志が山形から復帰、仙頭啓矢(東洋大学)、大野耀平(常葉大学)、岩崎悠人(京都橘高校)が入団した。 闘莉王等の獲得によりJ1昇格候補にも挙げられていたが、シーズンが始まると一時期はJ3降格圏内まで低迷、その後はDF登録の闘莉王がFWで15得点を挙げるなど奮起したがシーズン中1度も1桁順位に浮上することが出来ず最終順位は12位。天皇杯は初戦で沼津に敗れた。 布部が監督を続投。小島卓が強化部長、前名古屋監督のボスコ・ジュロヴスキーがコーチに就任した。山口から宮城雅史、水戸から湯澤洋介が完全移籍。重廣卓也(阪南大学)が入団した一方、高橋祐治が鳥栖、李勇載が岡山に完全移籍した他、吉野恭平(広島に復帰)らが退団した。 開幕から低迷し、10試合を終えた時点で1勝3分け6敗でクラブ史上初のJ2最下位に転落。第13節は休養した布部に代わりコーチのボスコ・ジュロヴスキーが指揮を執った。5月11日、布部の退任とジュロヴスキーの監督就任が発表された。第28節まで最下位で推移。第30節に残留圏内となる20位に上がり、以降は残留圏内を維持したが、最終順位はチーム史上最低の19位に終わった。シーズン終了後、11月18日に強化部長の小島、監督のジュロヴスキーがそれぞれ退任した。天皇杯は2回戦で金沢に延長戦の末敗れた。 クラブ設立25年目の節目のシーズン。中田一三が監督に就任。第22節から第24節まで首位に立ったが、8月以降に4連敗を喫した他、アウェイ戦でも2勝7敗と苦戦。最終節で柏に勝利すれば、プレーオフ進出の可能性があったが、まさかの13-1と大敗した。この記録は、1998年のC大阪対磐田戦で磐田が1-9と大勝した記録を大幅に更新した。この試合で、オルンガに8得点された。最終順位は8位。シーズン終了後、中田が監督を退任した他、ゲルト・エンゲルスがコーチを退任した(INAC神戸レオネッサ監督に就任)。DF田中マルクス闘莉王がこの年限りでの現役引退を発表した。天皇杯は2回戦で水戸に敗れた。 新監督にトップチームコーチの實好礼忠が就任。本拠地をサンガスタジアム by KYOCERAに移した最初のシーズンとなったが、ホームでは前半戦9試合無敗(7勝2分)と圧倒的な強さを見せたものの、逆にアウェーでは12試合で僅か2勝(5分5敗)に留まったこともあり、前半戦終了時点では勝点34、首位北九州に勝点差10の5位に留まった。後半戦に入るとホームでも5勝2分5敗と五分、アウェーでは2勝2分5敗で後半戦は勝点25と前半戦より勝点を挙げられず、年間では勝点59、最終順位は8位に終わった。新加入のピーター・ウタカは22得点でクラブ3人目のJ2得点王を獲得した。シーズン終了後實好が退任した。 また、この年限りで安藤淳、石櫃洋祐が現役を引退した。 新監督に元湘南ベルマーレ監督 曺貴裁が就任。湘南から曹のかつての教え子である、松田天馬と中川寛斗、浦和から武富孝介、岡山から武田将平(昨季は甲府に期限付き移籍)、鳥取から三沢直人が完全移籍加入。札幌から白井康介、FC東京から木村誠二、浦和から福島春樹、荻原拓也が期限付き移籍にて加入した。関西大学から長井一真が加入、ユースから中野桂太がトップ昇格。 上夷克典が大分へ、黒木聖仁が富山へ完全移籍。中川風希は過去在籍していた琉球へ期限付き移籍。 9選手が契約満了となり、宮城雅史が宮崎に、江川慶城がいわきFCに、金久保順が水戸に、ジュニーニョが栃木に、荻野広大がジェイリースFCに、服部航平がFC.Bomboneraに、加藤順大がマッチャモーレ京都山城に、レナンモッタがAAポンチ・プレッタへそれぞれ移籍。期限付き移籍の選手では、大野耀平が富山へ完全移籍移行。C大阪へ移籍中の島村拓弥が今治に完全移籍。横浜FMより加入していた仙頭啓矢は期間満了により退団した(後に鳥栖へ完全移籍)。 曺は試合内容の良さよりも合理性を重視し、湘南監督時に使用していた「湘南スタイル」(ミスを割り切りアグレッシブにトライする攻守一体の堅守速攻)的な堅守速攻を使用した。また2021年の京都はリヴァプールFCとの類似性があり、フォーメーション 4-3-3・ゲーゲンプレス的なハイプレス・ハイライン・中央突破のショートカウンター・3ボランチのハードワークなどアグレッシブな戦術が顕著となった。その結果、第6節からの6連勝を含む15戦は無敗で、第15節終了時に3位から首位浮上すると同年のJ1昇格圏の2位以内に留まり続ける。第21節に磐田に首位を明け渡したものの、後半戦も磐田と激しい首位争いを繰り広げ、5回首位が入れ替わった。しかし第31節長崎戦に敗れて首位を明け渡した後は首位に戻れず第38節の磐田との直接対決にも敗れてJ2優勝は逃した。しかし、その後も昇格圏内はキープし、11月28日の第41節千葉戦の引き分けによって、曹貴裁監督就任1年目で2010年以来12シーズンぶりのJ1復帰を果たした。ウタカがリーグ2位の21得点、2019年から復帰していた宮吉が10得点を挙げたが、総得点ではリーグ8位タイの59にとどまりながらリーグ最少の31失点の堅守が上位争いの原動力となった。 なお、シーズン途中の7月9日、福島からイスマイラが完全移籍加入。7月26日に木村が期限付き移籍期間満了により退団。同日に相模原への期限付き移籍が発表された。7月29日に谷内田哲平の栃木への期限付き移籍を発表。 曺体制2年目。12年ぶりJ1に向けて大型補強を敢行し、群馬から大前元紀と松原修平、名古屋から山﨑凌吾、C大阪から豊川雄太、岡山から井上黎生人、甲府からメンデス、仙台からアピアタウィア久、徳島から上福元直人、山形からマルティノス、オランダのアルメレ・シティFCからニュージーランド代表GKのマイケル・ウッドが完全移籍にて加入。浦和から金子大毅が期限付き移籍にて加入。法政大学から田中和樹が加入。昨季札幌から期限付き移籍にて加入していた白井康介が完全移籍加入に移行。荻原拓也は浦和からの期限付き移籍期間を延長し、この年も京都でプレー。谷内田哲平は栃木への期限付き移籍期間を延長している。 契約満了により退団したヨルディ・バイスが岡山へ、森脇良太が愛媛へ、李忠成がアルビレックス新潟シンガポール(シンガポールプレミアリーグ)へ、庄司悦大が岐阜へ、中野克哉が琉球へ、上月壮一郎が1.FCデューレン(ドイツ4部)へ移籍した。中川寛斗が大分に、野田隆之介が琉球へ、曽根田穣が水戸へ、清水圭介がC大阪へ、冨田康平が今治へそれぞれ完全移籍。期限付き移籍にて加入していた福島春樹が期間満了により退団。琉球へ期限付き移籍中の中川風希が、今治へ完全移籍にて退団した。 前年のスタイルを維持し、開幕戦ではウタカのゴールで1-0と浦和からJ1での12年ぶりの勝利を挙げる。序盤はウタカが3試合連続得点を挙げるなど4月終了時点でリーグトップの7得点の活躍を見せ、チームも第6節から第9節までの4試合を3勝1分と好調をキープ。第9節時点で5位と上位争いに絡む。しかし第10節以降は一転してなかなか勝ち星を挙げることができず、第16節では前年優勝チームの川崎に勝利したものの、後半戦は得点力不足が響いて徐々に順位を下げ、最終成績8勝12分14敗の16位でJ1参入プレーオフにまわった。38失点はリーグ3位タイと前年からの持ち味の堅守をJ1でも発揮した一方、30得点はリーグワースト2位だった。プレーオフでは参入決定戦でJ2・4位の熊本に1-1で引き分けてJ1残留を果たした。 12年ぶりに参戦したルヴァンカップでは、グループ首位でクラブ史上初のグループリーグ突破を果たしたが、プレーオフステージで名古屋に連敗を喫して敗退した。 天皇杯では高知ユナイテッドSC(高知県代表)、清水、栃木、東京Vを破って11年ぶりに準決勝進出。サンガスタジアムでの天皇杯初開催となった準決勝では、広島に延長戦の末に敗れて敗退となった。 なお、シーズン中には、松原が3月31日に札幌へ完全移籍。6月14日には鳥栖から曺の流通経済大学時代の教え子・佐藤響が期限付き移籍で、8月4日にはアル・アラダーFCからアラン・カリウスが完全移籍で、8月10日にはFCメタリスト・ハリコフからパウリーニョが期限付き移籍でそれぞれ加入した。8月18日には加藤久が強化アカデミー本部長を退任し、クラブのブランドアンバサダーの安藤淳が同職を退任して強化部長代理に就任した。 曺体制3年目。G大阪からパトリック、町田から平戸太貴、大分から三竿雄斗、水戸から木下康介、IFKヨーテボリからスリナム代表のヴァルネル・ハーン、徳島から一美和成が完全移籍で、広島からイヨハ理ヘンリーが期限付き移籍で加入した。 また昨季から期限付き移籍にて加入していた金子大毅、佐藤響がそれぞれ完全移籍にて加入。パウリーニョは期限付き移籍期間を延長。2021年夏頃から栃木に期限付き移籍をしていた谷内田哲平が1年半ぶりに復帰。新卒では2021シーズンから新加入内定及び特別指定選手として在籍していた関西学院大学の木村勇大、明治大学から福田心之助が新たに加入。ユースから平賀大空、植田悠太の2人がトップ昇格を果たした。 一方、昨季までチームの守護神を務めた上福元直人が川崎へ、長井一真が水戸へ、中野桂太が徳島へ完全移籍した他、荻原拓也が期限付き移籍期間満了に伴い浦和へ復帰、田中和樹は千葉へ期限付き移籍。契約満了により退団したピーター・ウタカと武富孝介は甲府へ、大前元紀は南葛FCへ、チーム最古参だった本多勇喜は神戸へそれぞれ移籍した。また、チーフトレーナーの岩城孝次が契約満了に伴い退団している。 前年まで松田天馬がキャプテンを務めたが、川﨑颯太が新キャプテンに就任した。 なお、シーズン途中には、7月3日にデポルティーボ・アラベスから原大智が完全移籍で、7月25日には北海道コンサドーレ札幌から具聖潤が期限付き移籍で加入することが発表された。一方でイスマイラが2月21日にFCシェリフ・ティラスポリへ、7月13日には新たに栃木SCへの期限付き移籍が発表された。7月4日には白井康介のFC東京への完全移籍が発表され、7月13日には飯田貴敬が大宮アルディージャ、8月16日には木村勇大がツエーゲン金沢、マイケル・ウッドがヴァンフォーレ甲府にそれぞれ期限付き移籍することが発表された。契約更新のアナウンスがなかった選手では、3月10日にマルティノス、4月17日にメンデスが退団することが発表されている。 ※2023年シーズン終了時点のJリーグ・J1リーグ及びJ2リーグでの出場試合数(カップ戦などその他の公式戦の記録は含まない)。 ※2023年シーズン終了時点のJリーグ・J1リーグ及びJ2リーグでの得点数(カップ戦などその他の公式戦の記録は含まない)。 カップ戦も含めた公式戦通算では、黒部光昭の70得点が最多となる。 ホームスタジアムは、京都府が亀岡市に建設した球技専用のサンガスタジアム by KYOCERA(京都府立京都スタジアム)。京都府が主導する球技専用スタジアム建設計画は建設規模や建設候補地の調整に時間がかかり、さらに亀岡への建設が決まっても天然記念物かつ国内希少野生動植物種であるアユモドキの生息地であったことから設計が二転三転したが、2018年から工事着手した。2020年1月に竣工式が行われ、同年シーズンからホームスタジアムとして使用している。 2019年シーズンまではたけびしスタジアム京都(京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)を使用していた。西京極はJリーグが定めるクラブライセンスでスタンドの屋根の占有率や、トイレ数などが充足していないが、西京極のライセンス充足化工事の実施及び新スタジアムの建設が計画されていることを理由に、クラブに対するライセンス交付上の制裁は2015年度以後については行われなかった。なお、ホームゲームではないものの、サンガスタジアム移転後も天皇杯では初戦にあたる2回戦は西京極で開催している。 その他の過去のホームゲーム開催スタジアムは「当項目」を参照のこと。 1998年より京都サンガF.C.東城陽グラウンド(通称:サンガタウン城陽)を使用している。なお、クラブ創設当初は京都府立山城総合運動公園(京都府宇治市)などの京都府及び滋賀県内のグラウンド、1995年から1997年まで「京セラ八日市総合グラウンド」(滋賀県東近江市)を使用していた。 育成組織(アカデミー)として、U-18、U-15、U-12SPコースを有する他、サッカースクールとして幼稚園・保育園在園児を対象とした「KIDSコース」、中学生、大人、女子、GKの4コースから構成される「クリニックコース」、小学2年生から6年生を対象とするプレミアコース・プレミアクラスも設置されている。また、U-18年代を対象とした「スカラーアスリートプロジェクト」も併せて運営している。 2005年時点で育成組織専用の練習場などが無かったため、当時サンガの監督であった柱谷幸一がサンフレッチェ広島のユースチームと地元高校の連携を例に挙げて育成組織の改善をクラブ幹部に提案した。 2006年度から、産の京セラ、学の立命館、民のサンガが提携し、高校年代の生徒が勉学は立命館宇治高校、練習は京都サンガF.C.東城陽グラウンドにある育成組織専用の照明を完備した人工芝グラウンドで、生活はサンガが建設した寮で行い、学費は立命館が、寮費・食費はサンガが全面的に負担する、「SCHOLAR-ATHLETE PROJECT(スカラーアスリートプロジェクト、以下SAP)」が開始された。2011年度にSAP開始以降初めて、SAP対象者がトップチームへ昇格した。 2014年1月22日、SP京都FC(当時は佐川印刷京都)と選手育成、強化などを目的とする業務提携を締結した。業務提携の契約期間は2014年2月から2016年1月までであった。2014年は森岡隆三(サンガ元コーチ)がSP京都FCのヘッドコーチに就任し、國領一平および齊藤隆成が育成型期限付き移籍で加入した。 1996年のJリーグカップ、柏レイソル戦(8月14日、大分市営陸上競技場=サンガ主催ゲーム)が台風のため中止となったが、Jリーグ公式戦が中止となった初めてのケースである。 なお、代替試合は西京極が芝生の張替え工事中につき使用できなかったため、G大阪の許可を得て、G大阪のホームスタジアムである万博記念競技場で8月24日に開催された。 毎年8月16日の夜に、京都の夏を代表する風物詩として知られる「五山送り火」が行われる。当日はネオンや照明灯などの灯火を自粛するよう京都市から呼びかけが行われるため、サンガのホームゲームが重複する際は以下のような対応がとられた。 Jリーグ2ndステージ・第5節の横浜M戦が8月15日に開催された(他クラブは8月16日開催)。なお、試合は1-4でサンガの敗戦。 J2第34節の札幌戦が8月16日の17時20分キックオフの薄暮開催となった。なお、試合は2-3でサンガの敗戦。 京都サンガの決算は、つぎのとおり。 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010 金額の単位: 百万円 人件費は事業費に含まれる。 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016 金額の単位: 百万円
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "京都サンガF.C.(きょうとサンガエフシー、英: Kyoto Sanga F.C.)は、日本の京都府京都市、宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市、木津川市、亀岡市、南丹市、京丹波町、福知山市、舞鶴市、綾部市、八幡市、宮津市、大山崎町、久御山町、京丹後市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1922年に創設された京都紫光クラブが前身となり、1993年に一般公募で愛称を募り、教育研究社FC京都パープルサンガ に改称。1994年に、京都パープルサンガと改称した。1996年にJリーグへ加盟。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2007年に現在のクラブ名となる京都サンガF.C.へ改称した。運営会社は株式会社京都パープルサンガである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "旧クラブの由来は、京都紫光サッカークラブの英語の『パープル』と、サンスクリット語で「仲間・群れ」を表す『samgha』と、山紫水明の京都をイメージさせる「山河」の響きを掛け合わせた『サンガ』を合わせたもの。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ホームタウンは2010年8月まで京都府京都市1市。2010年8月より宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市の5市、2012年4月より木津川市、2014年4月より亀岡市、2017年9月より南丹市と京丹波町、2019年9月より福知山市、舞鶴市、綾部市、2020年3月より八幡市、2022年4月より宮津市、2023年2月より大山崎町、久御山町、2023年5月より京丹後市 がホームタウンに追加された。なお、宇治市などへ広域化された際に、クラブ側は「よりホームタウンを活性化させるには試合の本拠地である京都市やクラブハウスのある城陽市を含め京都府南部の市町村の連携が不可欠」とコメントしている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ホームスタジアムは亀岡市のサンガスタジアム by KYOCERA。練習場は京都サンガF.C.東城陽グラウンド(通称:サンガタウン城陽)である(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。クラブマスコットは1995年に誕生した「パーサくん」と2003年に誕生した女の子のお友達「コトノちゃん」であり、いずれも「鳳凰」と「不死鳥」をモチーフとしている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "1922年創設の京都紫光クラブ(設立時の名称は紫郊クラブ)が前身となり、Jリーグ加盟クラブの前身チームの中で最も古い。1993年に「教育研究社FC京都パープルサンガ」が発足。1994年1月、運営会社となる「株式会社京セラパープルサンガ」が設立された(6月に株式会社京都パープルサンガへ商号変更)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1994年8月、Jリーグ準会員に承認。1995年にジャパンフットボールリーグ(JFL)で2位の成績を収めて、1996年からJリーグ加盟が決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "大野俊三や松橋力蔵といったJリーグ経験者を補強。開幕戦はV川崎に敗北。その後、シーズン開幕後17連敗を喫して、ジョゼ・オスカー・ベルナルディがシーズン途中で監督を解任された。5月にV川崎からラモス瑠偉、藤吉信次、ガンバ大阪から山口敏弘を獲得し、後半戦は8勝7敗と勝ち越した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ペドロ・ローシャを監督に迎えたが、カポネとクレーベルの両外国人選手が振るわず、更にラモスが退団した。年間成績は17チーム中14位。なお、この年に西田吉洋が日本代表候補に選ばれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "元日本代表監督のハンス・オフトが監督に就任。元日本代表の森保一・岩本輝雄・山田隆裕・黒崎久志を獲得したが、下位に低迷。オフトは6月に監督を退任し、清水秀彦が後任となり、2ndステージは勝ち越し。なお、横浜フリューゲルスが横浜Mと合併したことでJ1参入決定戦への出場は回避した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "清水体制2年目。1stステージが14位。6月に清水が退任して、7月に元日本代表監督の加茂周が監督に就任。また、同じ7月に元日本代表の三浦知良を獲得。2ndステージは9位。年間成績は12位となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "加茂体制2年目。黒部光昭、松井大輔、朴智星が入団。リーグ戦は当初より不振で6月に加茂を解任。ゲルト・エンゲルスが後任の監督に就任したが、年間成績は15位に終わり、J2へ降格した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "エンゲルス体制2年目。三浦知良が神戸、遠藤保仁がG大阪へ移籍した。J2リーグ戦は28勝5分11敗の成績で優勝し、J1復帰を決めた。黒部は30得点を挙げ、J2得点ランク2位となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "エンゲルス体制3年目。開幕直後こそ4連敗するものの、黒部、松井、朴に加えて平井直人・角田誠といった下部組織出身の選手も活躍。年間順位で5位に躍進。第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会は決勝で鹿島を破り、関西にホームを置くクラブでJリーグ発足後初のタイトルを獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "朴がPSVアイントホーフェンへ移籍した一方、韓国・水原三星より高宗秀を獲得した。1stステージは最下位。6月にエンゲルスを解任、後任のピム・ファーベークも11月に解任し、木村文治が監督に就任。2ndステージも14位に終り、年間で最下位となり、2度目のJ2降格が決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "西村昭宏が監督に就任。市原から崔龍洙を獲得。一方、9月に松井がフランス・ル・マンUCへ期限付き移籍した(2005年7月に完全移籍へ移行)。リーグ戦は序盤戦から勝利に恵まれず、6月に西村を解任し、柱谷幸一を監督に迎えたが5位に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "柱谷体制2年目。黒部がC大阪へ移籍した一方、山形から星大輔、福岡から米田兼一郎、湘南から加藤大志を完全移籍で獲得した。シーズンは7試合を残して2位以内が確定、第39節で2度目のJ2優勝を決めた。最終節は甲府に敗れて、2004年の川崎に次ぐシーズン勝点100以上はならなかった。なお、パウリーニョが22得点でJ2得点王を獲得し、15得点のアレモンと2人でチーム総得点(89)の4割強を占めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "柱谷体制3年目。4月にG大阪から手島和希、5月に名古屋から角田誠を期限付き移籍で獲得したが、シーズン当初より低迷し10月に柱谷を監督から解任。ヘッドコーチの美濃部直彦が監督に就任したが、11月26日のG大阪戦に敗れ、最下位が決まり、J2降格が決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "美濃部体制2年目。2月からクラブ名称を京都サンガF.C.へ変更(ただし運営法人の商号は現在も株式会社京都パープルサンガのまま)。同時に新しいエンブレムも制定された。名古屋から元日本代表DF秋田豊、清水から森岡隆三、甲府から倉貫一毅を、福岡から平島崇を獲得した。開幕から大きな連勝はしないものの1度の連敗もなく安定して勝ち点を積み重ね、第44節終了時点で暫定3位と昇格圏内につけていた。10月13日に美濃部を解任して、総監督の加藤久が監督へ就任。リーグ戦は3位となり、J1・J2入れ替え戦で広島に勝利を収めてJ1復帰を決めた。また、当初は残り試合に限定された暫定監督扱いとして就任した加藤の総監督留任も決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "加藤体制2年目。柏からGK水谷雄一、G大阪から9シーズンぶりの京都復帰となるDFシジクレイ、FC東京からレンタル移籍でDF増嶋竜也、千葉からMF佐藤勇人、鹿島からFW柳沢敦と、各ポジションで実力者を獲得し、2年ぶりのJ1に臨んだ。シーズン途中にも、ディフェンス安定のためにG大阪からDF水本裕貴、怪我で長期離脱(登録抹消)したFWパウリーニョの穴を埋めるため、清水からFWフェルナンジーニョを獲得した。なお、シーズン成績は14位。天皇杯は5回戦で柏に敗北。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "加藤体制3年目。名古屋から豊田陽平、東京Vからディエゴ、韓国代表の李正秀などを獲得。また、前年怪我でシーズン途中に登録抹消されたパウリーニョも復帰した。しかし、主力に怪我人が相次ぎ、パウリーニョがシーズン途中で退団しブラジルに帰国するなどメンバー編成に苦しんだが、第33節(11月28日)の浦和戦に勝利し、残り1試合を残してJ1残留を決め、同時にJ1通算100勝を達成し、12位でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で甲府に敗北した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "加藤体制4年目。李正秀(鹿島→アル・サッド)、林丈統、佐藤勇人(千葉)、松井謙弥(C大阪)が完全移籍、豊田陽平(鳥栖)がレンタル移籍、手島和希が引退、シジクレイが退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "一方で、大分から7年ぶりの復帰となる鈴木慎吾や、大宮から片岡洋介が移籍。ドゥトラ、郭泰輝、チエゴ(レンタル移籍)、ハウバート・ダン、児玉剛、福村貴幸らを獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "リーグ戦は第4節終了時の8位が最高。第10節および第13節から第21節まで最下位で推移し、第14節終了後の7月27日に加藤を監督及びチーム統括職より解任し、コーチの秋田豊が後任の監督に就任した。第22節で17位に順位を上げたが以降も17位から順位は変わらず、第30節の浦和戦に敗れて4回目のJ2降格が決定した。天皇杯も3回戦で千葉に大敗した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "なお、秋田とは2011年までの契約で「J2に降格しても続投してもらう」方針 であったが、12月7日に監督を退任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "監督に甲府元監督の大木武、ゼネラルマネージャー(GM)に千葉元GMの祖母井秀隆がそれぞれ就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "柳沢敦、角田誠が仙台、渡邉大剛、片岡洋介が大宮、増嶋竜也が柏、水本裕貴が広島、郭泰輝がKリーグ・蔚山現代FC、西野泰正が讃岐へ移籍、平井直人が引退、中谷勇介が退団(のちに東京Vへ入団)、チエゴはレンタル移籍期間満了により退団した。また、8月にディエゴが仙台へレンタル移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "一方で、工藤浩平(千葉)、秋本倫孝(甲府)、アライール(愛媛)を完全移籍で獲得、酒井隆介、チョン・ウヨン、内藤洋平が加入、駒井善成、伊藤優汰らがユースから昇格した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "リーグ戦は、6月5日(第15節)まで2引き分けを挟んで5連敗を喫するなど、同節時点で僅か1勝(2分6敗)の19位に落ち込んだ。後半戦に入り、2種登録選手ながら10得点を挙げて、チーム得点王になった高校生FW久保裕也などの活躍もあり、最終順位は7位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "天皇杯は、第82回以来の決勝進出。決勝で同じJ2所属のFC東京に敗れたが、準優勝の成績を収めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "大木体制2年目。森下俊が川崎へ完全移籍、中村太亮が新潟へ期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "一方、中国・陝西宝栄からバヤリッツァ、徳島から倉貫一毅を完全移籍で、浦和から原一樹らを期限付き移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "開幕前は天皇杯準優勝などの実績より昇格候補に挙げられ、第8節の東京V戦まで4連勝、第16節の北九州戦まで5連勝で同節で首位に立ったが、第17節から3連敗を含む7戦連続勝ちがなく、第23節時点で8位へ順位を下げた。第27節の鳥取戦まで4連勝して6位に浮上(その後連勝を6に伸ばす)して以降、J1昇格プレーオフ圏内となる6位以上を保ち、第39節ホーム岐阜戦の勝利で自動昇格圏内の2位に浮上。第41節時点で2位をキープしたが、最終節の甲府戦でスコアレスドローに終わり、最終節勝利した湘南と入れ替わって3位となり、J1昇格プレーオフへ回った。J1昇格プレーオフは準決勝で6位の大分にホームで敗北し、J1昇格はならなかった。天皇杯は3回戦で磐田にPK負けした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "大木体制3年目。中村充孝が鹿島、水谷雄一が福岡へ完全移籍、チョン・ウヨンが磐田へ期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "一方、川崎から山瀬功治、湘南から三平和司(2012年は大分に期限付き移籍)、徳島からオ・スンフン、愛媛から田森大己、Honda FCから中村祐哉を完全移籍で、G大阪から横谷繁を期限付き移籍で獲得した。7月に久保裕也がBSCヤングボーイズへ完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "開幕から4試合を2勝2分とし第4節時点で2位。第5節から2連敗を含め第9節まで1勝3敗1分に留まり第9節時点で11位に順位が低下するが、その後は第28節から第30節の3連敗を除いて連敗することなく推移し、第16節で4位に浮上して以降は昇格プレーオフ圏内をキープ。第32節からは7連勝し、第34節終了時点で3位に浮上したが、第40節・G大阪戦に敗れて自動昇格圏内の2位以内が消滅。なお、最終順位は2年連続の3位。J1昇格プレーオフ準決勝はホームで長崎に引き分け。規定により決勝へ進出したが、徳島に敗れて2年連続でプレーオフ敗退。天皇杯は3回戦で鹿島に敗北。シーズン終了後に大木が監督を退任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "イラン代表元監督のヴァルデイル・ヴィエイラが監督に就任。安藤淳と染谷悠太がC大阪、倉貫一毅が鳥取、秋本倫孝が富山、原一樹が北九州、中村祐哉が長崎、児玉剛が愛媛へ完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "一方、名古屋から石櫃洋祐、ブラジル・アメリカFCからアレッサンドロらを完全移籍で、神戸から有田光希、横浜FMから比嘉祐介、杭州緑城から大黒将志を期限付き移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "開幕節終了直後に首位に立ったが、その後第18節時点で7勝5敗6分の11位に留まり、6月18日にバドゥを監督から解任。後任決定までコーチの森下仁志が監督代行を務めた後、6月29日より元東京V監督の川勝良一が監督に就任し、徳島からドウグラスを期限付き移籍で獲得したが第41節・富山戦での引き分けにより昇格プレーオフ進出が消滅し、最終順位も9位に終わった。シーズン終了後に監督の川勝、GMの祖母井秀隆、強化部テクニカルディレクターの高間武らが退任した。なお、新加入の大黒が26得点でJ2得点王を獲得した。天皇杯は3回戦で名古屋に敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "元神戸監督の和田昌裕が監督に就任。オ・スンフン、ジャイロが退団。ドウグラス、比嘉祐介、田中英雄が期限付き移籍期間満了につき退団。高橋祐治が讃岐、田村亮介が鳥栖へ期限付き移籍。酒井隆介が松本、工藤浩平が広島、横谷繁が大宮、三平和司が大分、内野貴志が長野へそれぞれ完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "一方で、宮吉拓実が富山から、原川力が愛媛から復帰。清水圭介(大分)、山口智(千葉)、菅沼駿哉(磐田)、金南一(全北現代)、黄辰成(AFCテュビズ)、佐々木勇人(仙台)、ダニエル・ロビーニョ(群馬)を完全移籍で獲得。奥川雅也らがユースから昇格した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "前半戦を終えて6勝12敗4引き分け。7月8日の徳島戦で敗北し、7月10日に成績不振を理由として和田が監督を解任され、ヘッドコーチの石丸清隆が後任の監督に就任した。10月25日の大宮戦の引き分けで7位以下が確定。最終順位は17位。天皇杯は3回戦で川崎に敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "石丸体制2年目。ユース出身の駒井善成が浦和へ、伊藤優汰が新潟へ、原川力が川崎へ、宮吉拓実が広島へそれぞれ移籍。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "一方で、名古屋から牟田雄祐と本多勇喜、柏から菅野孝憲、松本から岩沼俊介、甲府から堀米勇輝、長崎からイ・ヨンジェ、C大阪から染谷悠太などを獲得。名古屋などでスカウトを務めた小島卓が強化担当で入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "開幕から4試合連続引き分けを含む5試合勝利なしで、第5節終了時には15位まで順位を下げるものの、第6節でシーズン初勝利を挙げてからの10試合で7勝2分1敗と躍進、第15節終了時にはプレーオフ圏内の5位に浮上する。その後はシーズン終了までプレーオフ圏内となる6位以上をキープしたものの、第18、26各節終了時の4位が最高で、J1自動昇格となる2位以上とは勝点で引き離されたまま5位でシーズンを終えた。3シーズンぶりに出場したJ1昇格プレーオフは、準決勝でC大阪と引き分け。規定により決勝進出はならなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、石丸が監督を解任。また、平井、古邊の両コーチ、U-18監督の森岡隆三が退任。矢島卓郎が現役を引退した。天皇杯は2回戦でC大阪に延長戦の末敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "監督に前柏ヘッドコーチの布部陽功が就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "山瀬功治(福岡)、有田光希(愛媛)、佐藤健太郎(山口)らが完全移籍により、アンドレイ・ジロットが期限付き移籍満了でそれぞれ退団。永島悠史が岐阜、沼大希が鳥取、石田雅俊が群馬、山田元気が山口へ期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "一方で、名古屋から小屋松知哉、望月嶺臣(昨年は山口に所属)、田中マルクス闘莉王を、熊本から永井建成を、山形から伊東俊、韓国クラブからハ・ソンミン、ケヴィン・オリスを完全移籍で、柏から湯澤聖人を期限付き移籍で獲得。大黒将志が山形から復帰、仙頭啓矢(東洋大学)、大野耀平(常葉大学)、岩崎悠人(京都橘高校)が入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "闘莉王等の獲得によりJ1昇格候補にも挙げられていたが、シーズンが始まると一時期はJ3降格圏内まで低迷、その後はDF登録の闘莉王がFWで15得点を挙げるなど奮起したがシーズン中1度も1桁順位に浮上することが出来ず最終順位は12位。天皇杯は初戦で沼津に敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "布部が監督を続投。小島卓が強化部長、前名古屋監督のボスコ・ジュロヴスキーがコーチに就任した。山口から宮城雅史、水戸から湯澤洋介が完全移籍。重廣卓也(阪南大学)が入団した一方、高橋祐治が鳥栖、李勇載が岡山に完全移籍した他、吉野恭平(広島に復帰)らが退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "開幕から低迷し、10試合を終えた時点で1勝3分け6敗でクラブ史上初のJ2最下位に転落。第13節は休養した布部に代わりコーチのボスコ・ジュロヴスキーが指揮を執った。5月11日、布部の退任とジュロヴスキーの監督就任が発表された。第28節まで最下位で推移。第30節に残留圏内となる20位に上がり、以降は残留圏内を維持したが、最終順位はチーム史上最低の19位に終わった。シーズン終了後、11月18日に強化部長の小島、監督のジュロヴスキーがそれぞれ退任した。天皇杯は2回戦で金沢に延長戦の末敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "クラブ設立25年目の節目のシーズン。中田一三が監督に就任。第22節から第24節まで首位に立ったが、8月以降に4連敗を喫した他、アウェイ戦でも2勝7敗と苦戦。最終節で柏に勝利すれば、プレーオフ進出の可能性があったが、まさかの13-1と大敗した。この記録は、1998年のC大阪対磐田戦で磐田が1-9と大勝した記録を大幅に更新した。この試合で、オルンガに8得点された。最終順位は8位。シーズン終了後、中田が監督を退任した他、ゲルト・エンゲルスがコーチを退任した(INAC神戸レオネッサ監督に就任)。DF田中マルクス闘莉王がこの年限りでの現役引退を発表した。天皇杯は2回戦で水戸に敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "新監督にトップチームコーチの實好礼忠が就任。本拠地をサンガスタジアム by KYOCERAに移した最初のシーズンとなったが、ホームでは前半戦9試合無敗(7勝2分)と圧倒的な強さを見せたものの、逆にアウェーでは12試合で僅か2勝(5分5敗)に留まったこともあり、前半戦終了時点では勝点34、首位北九州に勝点差10の5位に留まった。後半戦に入るとホームでも5勝2分5敗と五分、アウェーでは2勝2分5敗で後半戦は勝点25と前半戦より勝点を挙げられず、年間では勝点59、最終順位は8位に終わった。新加入のピーター・ウタカは22得点でクラブ3人目のJ2得点王を獲得した。シーズン終了後實好が退任した。 また、この年限りで安藤淳、石櫃洋祐が現役を引退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "新監督に元湘南ベルマーレ監督 曺貴裁が就任。湘南から曹のかつての教え子である、松田天馬と中川寛斗、浦和から武富孝介、岡山から武田将平(昨季は甲府に期限付き移籍)、鳥取から三沢直人が完全移籍加入。札幌から白井康介、FC東京から木村誠二、浦和から福島春樹、荻原拓也が期限付き移籍にて加入した。関西大学から長井一真が加入、ユースから中野桂太がトップ昇格。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "上夷克典が大分へ、黒木聖仁が富山へ完全移籍。中川風希は過去在籍していた琉球へ期限付き移籍。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "9選手が契約満了となり、宮城雅史が宮崎に、江川慶城がいわきFCに、金久保順が水戸に、ジュニーニョが栃木に、荻野広大がジェイリースFCに、服部航平がFC.Bomboneraに、加藤順大がマッチャモーレ京都山城に、レナンモッタがAAポンチ・プレッタへそれぞれ移籍。期限付き移籍の選手では、大野耀平が富山へ完全移籍移行。C大阪へ移籍中の島村拓弥が今治に完全移籍。横浜FMより加入していた仙頭啓矢は期間満了により退団した(後に鳥栖へ完全移籍)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "曺は試合内容の良さよりも合理性を重視し、湘南監督時に使用していた「湘南スタイル」(ミスを割り切りアグレッシブにトライする攻守一体の堅守速攻)的な堅守速攻を使用した。また2021年の京都はリヴァプールFCとの類似性があり、フォーメーション 4-3-3・ゲーゲンプレス的なハイプレス・ハイライン・中央突破のショートカウンター・3ボランチのハードワークなどアグレッシブな戦術が顕著となった。その結果、第6節からの6連勝を含む15戦は無敗で、第15節終了時に3位から首位浮上すると同年のJ1昇格圏の2位以内に留まり続ける。第21節に磐田に首位を明け渡したものの、後半戦も磐田と激しい首位争いを繰り広げ、5回首位が入れ替わった。しかし第31節長崎戦に敗れて首位を明け渡した後は首位に戻れず第38節の磐田との直接対決にも敗れてJ2優勝は逃した。しかし、その後も昇格圏内はキープし、11月28日の第41節千葉戦の引き分けによって、曹貴裁監督就任1年目で2010年以来12シーズンぶりのJ1復帰を果たした。ウタカがリーグ2位の21得点、2019年から復帰していた宮吉が10得点を挙げたが、総得点ではリーグ8位タイの59にとどまりながらリーグ最少の31失点の堅守が上位争いの原動力となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "なお、シーズン途中の7月9日、福島からイスマイラが完全移籍加入。7月26日に木村が期限付き移籍期間満了により退団。同日に相模原への期限付き移籍が発表された。7月29日に谷内田哲平の栃木への期限付き移籍を発表。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "曺体制2年目。12年ぶりJ1に向けて大型補強を敢行し、群馬から大前元紀と松原修平、名古屋から山﨑凌吾、C大阪から豊川雄太、岡山から井上黎生人、甲府からメンデス、仙台からアピアタウィア久、徳島から上福元直人、山形からマルティノス、オランダのアルメレ・シティFCからニュージーランド代表GKのマイケル・ウッドが完全移籍にて加入。浦和から金子大毅が期限付き移籍にて加入。法政大学から田中和樹が加入。昨季札幌から期限付き移籍にて加入していた白井康介が完全移籍加入に移行。荻原拓也は浦和からの期限付き移籍期間を延長し、この年も京都でプレー。谷内田哲平は栃木への期限付き移籍期間を延長している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "契約満了により退団したヨルディ・バイスが岡山へ、森脇良太が愛媛へ、李忠成がアルビレックス新潟シンガポール(シンガポールプレミアリーグ)へ、庄司悦大が岐阜へ、中野克哉が琉球へ、上月壮一郎が1.FCデューレン(ドイツ4部)へ移籍した。中川寛斗が大分に、野田隆之介が琉球へ、曽根田穣が水戸へ、清水圭介がC大阪へ、冨田康平が今治へそれぞれ完全移籍。期限付き移籍にて加入していた福島春樹が期間満了により退団。琉球へ期限付き移籍中の中川風希が、今治へ完全移籍にて退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "前年のスタイルを維持し、開幕戦ではウタカのゴールで1-0と浦和からJ1での12年ぶりの勝利を挙げる。序盤はウタカが3試合連続得点を挙げるなど4月終了時点でリーグトップの7得点の活躍を見せ、チームも第6節から第9節までの4試合を3勝1分と好調をキープ。第9節時点で5位と上位争いに絡む。しかし第10節以降は一転してなかなか勝ち星を挙げることができず、第16節では前年優勝チームの川崎に勝利したものの、後半戦は得点力不足が響いて徐々に順位を下げ、最終成績8勝12分14敗の16位でJ1参入プレーオフにまわった。38失点はリーグ3位タイと前年からの持ち味の堅守をJ1でも発揮した一方、30得点はリーグワースト2位だった。プレーオフでは参入決定戦でJ2・4位の熊本に1-1で引き分けてJ1残留を果たした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "12年ぶりに参戦したルヴァンカップでは、グループ首位でクラブ史上初のグループリーグ突破を果たしたが、プレーオフステージで名古屋に連敗を喫して敗退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "天皇杯では高知ユナイテッドSC(高知県代表)、清水、栃木、東京Vを破って11年ぶりに準決勝進出。サンガスタジアムでの天皇杯初開催となった準決勝では、広島に延長戦の末に敗れて敗退となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "なお、シーズン中には、松原が3月31日に札幌へ完全移籍。6月14日には鳥栖から曺の流通経済大学時代の教え子・佐藤響が期限付き移籍で、8月4日にはアル・アラダーFCからアラン・カリウスが完全移籍で、8月10日にはFCメタリスト・ハリコフからパウリーニョが期限付き移籍でそれぞれ加入した。8月18日には加藤久が強化アカデミー本部長を退任し、クラブのブランドアンバサダーの安藤淳が同職を退任して強化部長代理に就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "曺体制3年目。G大阪からパトリック、町田から平戸太貴、大分から三竿雄斗、水戸から木下康介、IFKヨーテボリからスリナム代表のヴァルネル・ハーン、徳島から一美和成が完全移籍で、広島からイヨハ理ヘンリーが期限付き移籍で加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "また昨季から期限付き移籍にて加入していた金子大毅、佐藤響がそれぞれ完全移籍にて加入。パウリーニョは期限付き移籍期間を延長。2021年夏頃から栃木に期限付き移籍をしていた谷内田哲平が1年半ぶりに復帰。新卒では2021シーズンから新加入内定及び特別指定選手として在籍していた関西学院大学の木村勇大、明治大学から福田心之助が新たに加入。ユースから平賀大空、植田悠太の2人がトップ昇格を果たした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "一方、昨季までチームの守護神を務めた上福元直人が川崎へ、長井一真が水戸へ、中野桂太が徳島へ完全移籍した他、荻原拓也が期限付き移籍期間満了に伴い浦和へ復帰、田中和樹は千葉へ期限付き移籍。契約満了により退団したピーター・ウタカと武富孝介は甲府へ、大前元紀は南葛FCへ、チーム最古参だった本多勇喜は神戸へそれぞれ移籍した。また、チーフトレーナーの岩城孝次が契約満了に伴い退団している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "前年まで松田天馬がキャプテンを務めたが、川﨑颯太が新キャプテンに就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "なお、シーズン途中には、7月3日にデポルティーボ・アラベスから原大智が完全移籍で、7月25日には北海道コンサドーレ札幌から具聖潤が期限付き移籍で加入することが発表された。一方でイスマイラが2月21日にFCシェリフ・ティラスポリへ、7月13日には新たに栃木SCへの期限付き移籍が発表された。7月4日には白井康介のFC東京への完全移籍が発表され、7月13日には飯田貴敬が大宮アルディージャ、8月16日には木村勇大がツエーゲン金沢、マイケル・ウッドがヴァンフォーレ甲府にそれぞれ期限付き移籍することが発表された。契約更新のアナウンスがなかった選手では、3月10日にマルティノス、4月17日にメンデスが退団することが発表されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "※2023年シーズン終了時点のJリーグ・J1リーグ及びJ2リーグでの出場試合数(カップ戦などその他の公式戦の記録は含まない)。", "title": "成績" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "※2023年シーズン終了時点のJリーグ・J1リーグ及びJ2リーグでの得点数(カップ戦などその他の公式戦の記録は含まない)。", "title": "成績" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "カップ戦も含めた公式戦通算では、黒部光昭の70得点が最多となる。", "title": "成績" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "ホームスタジアムは、京都府が亀岡市に建設した球技専用のサンガスタジアム by KYOCERA(京都府立京都スタジアム)。京都府が主導する球技専用スタジアム建設計画は建設規模や建設候補地の調整に時間がかかり、さらに亀岡への建設が決まっても天然記念物かつ国内希少野生動植物種であるアユモドキの生息地であったことから設計が二転三転したが、2018年から工事着手した。2020年1月に竣工式が行われ、同年シーズンからホームスタジアムとして使用している。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "2019年シーズンまではたけびしスタジアム京都(京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)を使用していた。西京極はJリーグが定めるクラブライセンスでスタンドの屋根の占有率や、トイレ数などが充足していないが、西京極のライセンス充足化工事の実施及び新スタジアムの建設が計画されていることを理由に、クラブに対するライセンス交付上の制裁は2015年度以後については行われなかった。なお、ホームゲームではないものの、サンガスタジアム移転後も天皇杯では初戦にあたる2回戦は西京極で開催している。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "その他の過去のホームゲーム開催スタジアムは「当項目」を参照のこと。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "1998年より京都サンガF.C.東城陽グラウンド(通称:サンガタウン城陽)を使用している。なお、クラブ創設当初は京都府立山城総合運動公園(京都府宇治市)などの京都府及び滋賀県内のグラウンド、1995年から1997年まで「京セラ八日市総合グラウンド」(滋賀県東近江市)を使用していた。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "育成組織(アカデミー)として、U-18、U-15、U-12SPコースを有する他、サッカースクールとして幼稚園・保育園在園児を対象とした「KIDSコース」、中学生、大人、女子、GKの4コースから構成される「クリニックコース」、小学2年生から6年生を対象とするプレミアコース・プレミアクラスも設置されている。また、U-18年代を対象とした「スカラーアスリートプロジェクト」も併せて運営している。", "title": "アカデミー・育成" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "2005年時点で育成組織専用の練習場などが無かったため、当時サンガの監督であった柱谷幸一がサンフレッチェ広島のユースチームと地元高校の連携を例に挙げて育成組織の改善をクラブ幹部に提案した。", "title": "アカデミー・育成" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "2006年度から、産の京セラ、学の立命館、民のサンガが提携し、高校年代の生徒が勉学は立命館宇治高校、練習は京都サンガF.C.東城陽グラウンドにある育成組織専用の照明を完備した人工芝グラウンドで、生活はサンガが建設した寮で行い、学費は立命館が、寮費・食費はサンガが全面的に負担する、「SCHOLAR-ATHLETE PROJECT(スカラーアスリートプロジェクト、以下SAP)」が開始された。2011年度にSAP開始以降初めて、SAP対象者がトップチームへ昇格した。", "title": "アカデミー・育成" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "2014年1月22日、SP京都FC(当時は佐川印刷京都)と選手育成、強化などを目的とする業務提携を締結した。業務提携の契約期間は2014年2月から2016年1月までであった。2014年は森岡隆三(サンガ元コーチ)がSP京都FCのヘッドコーチに就任し、國領一平および齊藤隆成が育成型期限付き移籍で加入した。", "title": "アカデミー・育成" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "1996年のJリーグカップ、柏レイソル戦(8月14日、大分市営陸上競技場=サンガ主催ゲーム)が台風のため中止となったが、Jリーグ公式戦が中止となった初めてのケースである。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "なお、代替試合は西京極が芝生の張替え工事中につき使用できなかったため、G大阪の許可を得て、G大阪のホームスタジアムである万博記念競技場で8月24日に開催された。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "毎年8月16日の夜に、京都の夏を代表する風物詩として知られる「五山送り火」が行われる。当日はネオンや照明灯などの灯火を自粛するよう京都市から呼びかけが行われるため、サンガのホームゲームが重複する際は以下のような対応がとられた。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "Jリーグ2ndステージ・第5節の横浜M戦が8月15日に開催された(他クラブは8月16日開催)。なお、試合は1-4でサンガの敗戦。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "J2第34節の札幌戦が8月16日の17時20分キックオフの薄暮開催となった。なお、試合は2-3でサンガの敗戦。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "京都サンガの決算は、つぎのとおり。", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "人件費は事業費に含まれる。", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "決算" } ]
京都サンガF.C.は、日本の京都府京都市、宇治市、城陽市、向日市、長岡京市、京田辺市、木津川市、亀岡市、南丹市、京丹波町、福知山市、舞鶴市、綾部市、八幡市、宮津市、大山崎町、久御山町、京丹後市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
{{サッカークラブ | font-color = #FFF | background-color = #831978 | border-color= #000 | 原語表記 = 京都サンガF.C. | 呼称 = 京都サンガF.C. | 愛称 = サンガ | カラー = {{colorbox|#831978}} 紫<ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=http://www.jleague.jp/club/kyoto/profile|title=クラブガイド:京都サンガF.C.|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2020-3-17}}</ref> | 創設 = 1922 | リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]] | ディビジョン = [[J1リーグ]] | クラブライセンス = J1 | ホームタウン = [[京都府]][[京都市]]、[[宇治市]]、[[城陽市]]、[[向日市]]、[[長岡京市]]、[[京田辺市]]、[[木津川市]]、[[亀岡市]]、[[南丹市]]、[[京丹波町]]、[[福知山市]]、[[舞鶴市]]、[[綾部市]]、[[八幡市]]、[[宮津市]]、[[大山崎町]]、[[久御山町]]、[[京丹後市]]{{R|jleague}} | スタジアム = [[File:Sanga stadium by kyocera05.jpg|center|220px]][[サンガスタジアム by KYOCERA]]{{R|jleague}} | キャパ = 21,623{{R|jleague}} | 法人名 = 株式会社京都パープルサンガ{{R|jleague}} | 代表 = {{flagicon|JPN}} 伊藤雅章{{R|jleague}} | 監督 = {{flagicon|KOR}} [[曺貴裁]] | HP = https://www.sanga-fc.jp/ | pattern_la1= _Kyoto Sanga F.C. 2023 HOME FP|pattern_b1= _Kyoto Sanga F.C. 2023 HOME FP|pattern_ra1= _Kyoto Sanga F.C. 2023 HOME FP|pattern_sh1= _Kyoto Sanga F.C. 2023 HOME FP2|pattern_so1= _Kyoto Sanga F.C. 2023 HOME FP | leftarm1=800080|body1=800080|rightarm1=800080|shorts1=000000|socks1=000000 | pattern_la2= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP|pattern_b2= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP|pattern_ra2= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP|pattern_sh2= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP|pattern_so2= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP | leftarm2=FFFFFF|body2=FFFFFF|rightarm2=FFFFFF|shorts2=FFFFFF|socks2=FFFFFF }} {{基礎情報 会社 |社名 = 株式会社京都パープルサンガ |英文社名 = Kyoto Purple Sanga Co.,Ltd.<ref name="clubguide"/> |ロゴ = |種類 = [[株式会社]] |市場情報 = |略称 = |郵便番号 = 600-8009 |本社所在地 = 京都市下京区[[四条通]]室町東入凾谷鉾町87 ケイアイ興産京都ビル{{R|jleague}} |国籍 = |設立 = 1994年1月13日<ref name="clubguide"/> |業種 = 9050 |事業内容 = プロサッカークラブの運営他 |代表者 = 伊藤雅章{{R|jleague}} |資本金 = 36億0,500万円{{R|"clubguide"|"fy"}} |発行済株式総数 = |売上高 = 32億8898万5000円<br>(2022年12月31日時点)<ref name="fy">[https://catr.jp/settlements/fe5d1/297418 株式会社京都パープルサンガ 第30期決算公告]</ref> |営業利益 = 1億9294万6000円<br>(2022年12月31日時点)<ref name="fy" /> |経常利益 = 2億0922万1000円<br>(2022年12月31日時点)<ref name="fy" /> |純利益 = 1億3788万9000円<br>(2022年12月31日時点)<ref name="fy" /> |純資産 = 6億0583万9000円<br>(2022年12月31日時点)<ref name="fy" /> |総資産 = 13億0509万1000円<br>(2022年12月31日時点)<ref name="fy" /> |従業員数 = |決算期 = 12月期 |主要株主 = [[京セラ]]<ref name="clubguide">{{Cite web|和書|url=http://www.sanga-fc.jp/club/|title=プロフィール|work=京都サンガF.C.|accessdate=2018-1-17}}</ref><br>[[任天堂]]<ref name="clubguide"/> 他 |主要子会社 = |関係する人物 = [[稲盛和夫]] |外部リンク = https://www.sanga-fc.jp/ |特記事項 = 1994年6月に株式会社京セラパープルサンガから商号変更。 }} '''京都サンガF.C.'''(きょうとサンガエフシー、{{Lang-en-short|Kyoto Sanga F.C.}})は、[[日本]]の[[京都府]][[京都市]]、[[宇治市]]、[[城陽市]]、[[向日市]]、[[長岡京市]]、[[京田辺市]]、[[木津川市]]、[[亀岡市]]、[[南丹市]]、[[京丹波町]]、[[福知山市]]、[[舞鶴市]]、[[綾部市]]、[[八幡市]]、[[宮津市]]、[[大山崎町]]、[[久御山町]]、[[京丹後市]]をホームタウンとする、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロ[[サッカー]]クラブ。 == 概要 == [[1922年]]に創設された'''[[京都紫光サッカークラブ|京都紫光クラブ]]'''が前身となり{{R|jleague}}、[[1993年]]に一般公募で愛称を募り、'''教育研究社FC京都パープルサンガ''' に改称。[[1994年]]に、'''京都パープルサンガ'''と改称した。1996年にJリーグへ加盟{{R|jleague}}。 {{Main|サンガ}} [[2007年]]に現在のクラブ名となる'''京都サンガF.C.'''へ改称した{{R|jleague}}。運営会社は'''株式会社京都パープルサンガ'''である{{R|jleague}}。 旧クラブの由来は、京都'''紫'''光サッカークラブの英語の『パープル』と、[[サンスクリット|サンスクリット語]]で「仲間・群れ」を表す『[[僧伽|samgha]]』と{{R|jleague}}、山紫水明の京都をイメージさせる「山河」の響きを掛け合わせた『サンガ』を合わせたもの。 ホームタウンは2010年8月まで[[京都府]][[京都市]]1市。2010年8月より[[宇治市]]、[[城陽市]]、[[向日市]]、[[長岡京市]]、[[京田辺市]]の5市{{R|jleague}}、2012年4月より[[木津川市]]、2014年4月より[[亀岡市]]、2017年9月より[[南丹市]]と[[京丹波町]]<ref name=J170928>{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/release/post-50837/|title=京都サンガF.C.ホームタウン追加について|publisher=日本プロサッカーリーグ|date=2017-9-28|accessdate=2017-9-28}}</ref>、2019年9月より[[福知山市]]、[[舞鶴市]]、[[綾部市]]<ref name=J190924>{{Cite press release|和書|url=https://www.sanga-fc.jp/news/p/14467/|title=ホームタウン追加のお知らせ|publisher=京都サンガF.C.|date=2019-9-24|accessdate=2019-9-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190925032722/https://www.sanga-fc.jp/news/p/14467/|archivedate=2019-09-25}}</ref>、2020年3月より[[八幡市]]<ref name=J200317>{{Cite press release|和書|url=https://www.sanga-fc.jp/news/p/15000/|title=ホームタウン追加のお知らせ~八幡市が新たに追加となり、13市1町がホームタウンに~|publisher=京都サンガF.C.|date=2019-9-24|accessdate=2019-9-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200506064657/https://www.sanga-fc.jp/news/p/15000/|archivedate=2020-05-06}}</ref>、2022年4月より[[宮津市]]<ref name=J220426>{{Cite press release|和書|url=https://www.sanga-fc.jp/news/p/16862/|title=宮津市のホームタウン追加のお知らせ~宮津市が新たに追加となり、14市1町がホームタウンに~|publisher=京都サンガF.C.|date=2022-4-26|accessdate=2022-4-26}}</ref>、2023年2月より[[大山崎町]]、[[久御山町]]<ref name=J220209>{{Cite press release|和書|url=https://www.sanga-fc.jp/news/detail/17634|title=大山崎町及び久御山町のホームタウン追加のお知らせ~京都府下14市3町がサンガのホームタウンに~|publisher=京都サンガF.C.|date=2023-02-09|accessdate=2023-05-26}}</ref>、2023年5月より[[京丹後市]]<ref name=J220525>{{Cite press release|和書|url=https://www.sanga-fc.jp/news/p/16862/|title=京丹後市のホームタウン追加のお知らせ~京都府下15市3町がサンガのホームタウンに~|publisher=京都サンガF.C.|date=2023-05-25|accessdate=2023-05-26}}</ref> がホームタウンに追加された。なお、宇治市などへ広域化された際に、クラブ側は「よりホームタウンを活性化させるには試合の本拠地である京都市やクラブハウスのある城陽市を含め京都府南部の市町村の連携が不可欠」とコメントしている<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.jleague.jp/release/article-00003627|title=京都サンガF.C.のホームタウン広域化について|publisher=Jリーグ|date=2010-8-17|accessdate=2017-1-16}}</ref>。 ホームスタジアムは[[亀岡市]]の[[サンガスタジアム by KYOCERA]]。練習場は[[京都サンガF.C.東城陽グラウンド]]{{R|jleague}}(通称:サンガタウン城陽)である(詳細は[[#スタジアム・練習場]]を参照)。クラブマスコットは1995年に誕生した「[[パーサくん]]」と2003年に誕生した女の子のお友達「コトノちゃん」であり、いずれも「[[鳳凰]]」と「[[フェニックス|不死鳥]]」をモチーフとしている{{R|jleague}}<ref name="clubguide"/>。 == 歴史 == === 前史 === {{Main|京都紫光サッカークラブ}} [[1922年]]創設の[[京都紫光サッカークラブ|京都紫光クラブ]](設立時の名称は紫郊クラブ)が前身となり{{R|jleague}}、Jリーグ加盟クラブの前身チームの中で最も古い。[[1993年]]に「教育研究社FC京都パープルサンガ」が発足{{R|jleague}}。1994年1月、運営会社となる「株式会社京セラパープルサンガ」が設立された(6月に株式会社京都パープルサンガへ商号変更){{R|jleague}}。 1994年8月<ref group="注釈">1993年9月に準会員申請をしたが、ホームスタジアムの整備などに問題があったため、11月の実行委員会・理事会では承認されず保留扱いとなった。</ref>、[[Jリーグ準会員制度|Jリーグ準会員]]に承認<ref name="clubguide"/>。1995年に[[ジャパンフットボールリーグ]](JFL)で2位の成績を収めて、1996年からJリーグ加盟が決定した{{R|jleague}}。 === 1996年 - 1999年(Jリーグ)=== ;1996年 {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small; clear:right; float:right;" |+ [[1996年のJリーグ]]開幕17連敗のスコア |- !節!!会場!!スコア!!相手!!!!節!!会場!!スコア!!相手 |- |1||[[等々力陸上競技場|等々力]]||0-1●||[[東京ヴェルディ1969|V川崎]]||rowspan="9"| ||10||西京極||0-3●||[[アビスパ福岡|福岡]] |- |2||[[京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場|西京極]]||0-2●||[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]||11||[[日立柏サッカー場|日立柏]]||0-2●||[[柏レイソル|柏]] |- |3||[[茨城県立カシマサッカースタジアム|カシマ]]||1-5●||[[鹿島アントラーズ|鹿島]]||12||三ツ沢球||0-1●||[[横浜F・マリノス|横浜M]] |- |4||西京極||0-2●||[[セレッソ大阪|C大阪]]||13||西京極||1-2v●||[[ジュビロ磐田|磐田]] |- |5||[[三ツ沢公園球技場|三ツ沢球]]||0-3●||[[横浜フリューゲルス|横浜F]]||14||[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立]]||0-1v●||[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]] |- |6||西京極||1-5●||[[清水エスパルス|清水]]||15||[[鳥取市営サッカー場|鳥取]]||2-3●||[[名古屋グランパスエイト|名古屋]] |- |7||[[広島広域公園陸上競技場|広島ビ]]||0-3●||[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]||16||西京極||0-3●||横浜M |- |8||[[万博記念競技場|万博]]||2-4●||[[ガンバ大阪|G大阪]]||17||[[ヤマハスタジアム|磐田]]||1-2●||磐田 |- |9||西京極||0-2●||[[湘南ベルマーレ|平塚]]||18||西京極||1-0○||浦和 |} [[大野俊三 (サッカー選手)|大野俊三]]や[[松橋力蔵]]といったJリーグ経験者を補強。開幕戦は[[東京ヴェルディ1969|V川崎]]に敗北。その後、シーズン開幕後17連敗を喫して、[[ジョゼ・オスカー・ベルナルディ]]がシーズン途中で監督を解任された。5月にV川崎から[[ラモス瑠偉]]、[[藤吉信次]]、ガンバ大阪から[[山口敏弘]]を獲得し、後半戦は8勝7敗と勝ち越した。 ;[[1997年]] [[ペドロ・ローシャ]]を監督に迎えたが、[[カルロス・アルベルト・デ・オリベイラ|カポネ]]と[[クレーベル]]の両外国人選手が振るわず、更にラモスが退団した。年間成績は17チーム中14位。なお、この年に[[西田吉洋]]が[[サッカー日本代表|日本代表]]候補に選ばれた。 ;[[1998年]] 元日本代表監督の[[ハンス・オフト]]が監督に就任。元日本代表の[[森保一]]・[[岩本輝雄]]・[[山田隆裕]]・[[黒崎久志]]を獲得したが、下位に低迷。オフトは6月に監督を退任し、[[清水秀彦]]が後任となり、2ndステージは勝ち越し。なお、[[横浜フリューゲルス]]が横浜Mと合併したことで[[J1参入決定戦]]への出場は回避した。 ;[[1999年]] 清水体制2年目。1stステージが14位。6月に清水が退任して、7月に元日本代表監督の[[加茂周]]が監督に就任。また、同じ7月に元日本代表の[[三浦知良]]を獲得。2ndステージは9位。年間成績は12位となった。 === 2000年(J1) === 加茂体制2年目。[[黒部光昭]]、[[松井大輔]]、[[朴智星]]が入団。リーグ戦は当初より不振で6月に加茂を解任。[[ゲルト・エンゲルス]]が後任の監督に就任したが、年間成績は15位に終わり、[[J2リーグ|J2]]へ降格した。 === 2001年(J2) === エンゲルス体制2年目。[[三浦知良]]が神戸、[[遠藤保仁]]がG大阪へ移籍した。J2リーグ戦は28勝5分11敗の成績で優勝し、[[J1リーグ|J1]]復帰を決めた。黒部は30得点を挙げ、J2得点ランク2位となった。 === 2002年 - 2003年(J1) === ;2002年 エンゲルス体制3年目。開幕直後こそ4連敗するものの、黒部、松井、朴に加えて[[平井直人]]・[[角田誠]]といった下部組織出身の選手も活躍。年間順位で5位に躍進。[[第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会]]は決勝で[[鹿島アントラーズ|鹿島]]を破り、関西にホームを置くクラブでJリーグ発足後初のタイトルを獲得した。 ;2003年 朴が[[PSVアイントホーフェン]]へ移籍した一方、韓国・[[水原三星ブルーウィングス|水原三星]]より[[高宗秀]]を獲得した。1stステージは最下位。6月にエンゲルスを解任、後任の[[ピム・ファーベーク]]も11月に解任し、[[木村文治]]が監督に就任。2ndステージも14位に終り、年間で最下位となり、2度目のJ2降格が決定した。 === 2004年 - 2005年(J2) === ;2004年 [[西村昭宏]]が監督に就任。[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]から[[崔龍洙]]を獲得。一方、9月に松井がフランス・[[ル・マンFC|ル・マンUC]]へ期限付き移籍した(2005年7月に完全移籍へ移行)。リーグ戦は序盤戦から勝利に恵まれず、6月に西村を解任し、[[柱谷幸一]]を監督に迎えたが5位に終わった。 ;2005年 :クラブスローガン :「'''ONE for TEAM -すべては勝利のために-'''」 柱谷体制2年目。黒部がC大阪へ移籍した一方、山形から[[星大輔]]、福岡から[[米田兼一郎]]、湘南から[[加藤大志]]を完全移籍で獲得した。シーズンは7試合を残して2位以内が確定、第39節で2度目のJ2優勝を決めた。最終節は[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]に敗れて、2004年の[[川崎フロンターレ|川崎]]に次ぐシーズン勝点100以上はならなかった。なお、[[パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ|パウリーニョ]]が22得点でJ2得点王を獲得し、15得点の[[カルロス・アドリアーノ・デ・ジョス・ソアレス|アレモン]]と2人でチーム総得点(89)の4割強を占めた。 === 2006年(J1) === :クラブスローガン :「'''ONE FOR TEAM -情熱旋風-'''」 柱谷体制3年目。4月に[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[手島和希]]、5月に名古屋から[[角田誠]]を期限付き移籍で獲得したが、シーズン当初より低迷し10月に柱谷を監督から解任。ヘッドコーチの[[美濃部直彦]]が監督に就任したが、[[11月26日]]のG大阪戦に敗れ、最下位が決まり、J2降格が決定した。 === 2007年(J2) === 美濃部体制2年目。2月からクラブ名称を'''京都サンガF.C.'''へ変更{{R|jleague}}(ただし運営法人の商号は現在も株式会社京都パープルサンガのまま)。同時に新しいエンブレムも制定された。[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から元日本代表DF[[秋田豊]]、[[清水エスパルス|清水]]から[[森岡隆三]]、甲府から[[倉貫一毅]]を、[[アビスパ福岡|福岡]]から[[平島崇]]を獲得した。開幕から大きな連勝はしないものの1度の連敗もなく安定して勝ち点を積み重ね、第44節終了時点で暫定3位と昇格圏内につけていた。[[10月13日]]に美濃部を解任して、総監督の[[加藤久]]が監督へ就任。リーグ戦は3位となり、[[J1・J2入れ替え戦]]で[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]に勝利を収めてJ1復帰を決めた。また、当初は残り試合に限定された暫定監督扱いとして就任した加藤の総監督留任も決定した。 === 2008年 - 2010年(J1) === ;2008年 [[ファイル:Nishikyogoku stadium20080809A.jpg|300px|thumb|2008年J1第20節 川崎フロンターレ戦]] :クラブスローガン :「'''SMILE KYOTO for the better future'''」 加藤体制2年目。[[柏レイソル|柏]]からGK[[水谷雄一]]、[[ガンバ大阪|G大阪]]から9シーズンぶりの京都復帰となるDF[[シジクレイ・デ・ソウザ|シジクレイ]]、[[FC東京]]からレンタル移籍でDF[[増嶋竜也]]、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]からMF[[佐藤勇人]]、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]からFW[[柳沢敦]]と、各ポジションで実力者を獲得し、2年ぶりのJ1に臨んだ。シーズン途中にも、ディフェンス安定のためにG大阪からDF[[水本裕貴]]、怪我で長期離脱(登録抹消)したFWパウリーニョの穴を埋めるため、清水からFW[[エルディス・フェルナンド・ダマショ|フェルナンジーニョ]]を獲得した。なお、シーズン成績は14位。天皇杯は5回戦で柏に敗北。 ;2009年 :クラブスローガン :「'''前へ。PASSION REALITY OVATION'''」 加藤体制3年目。名古屋から[[豊田陽平]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]から[[ディエゴ・デ・ソウザ・ガマ・シルバ|ディエゴ]]、[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]の[[李正秀]]などを獲得。また、前年怪我でシーズン途中に登録抹消された[[パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ|パウリーニョ]]も復帰した。しかし、主力に怪我人が相次ぎ、パウリーニョがシーズン途中で退団しブラジルに帰国するなどメンバー編成に苦しんだが、第33節(11月28日)の[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦に勝利し、残り1試合を残してJ1残留を決め、同時にJ1通算100勝を達成し、12位でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で甲府に敗北した。 ;2010年 :クラブスローガン :「'''SHI・N・KA'''」 加藤体制4年目。[[李正秀]]([[鹿島アントラーズ|鹿島]]→[[アル・サッド]])、[[林丈統]]、[[佐藤勇人]]([[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]])、[[松井謙弥]]([[セレッソ大阪|C大阪]])が完全移籍、[[豊田陽平]]([[サガン鳥栖|鳥栖]])がレンタル移籍、[[手島和希]]が引退、[[シジクレイ・デ・ソウザ|シジクレイ]]が退団した。 一方で、[[大分トリニータ|大分]]から7年ぶりの復帰となる[[鈴木慎吾]]や、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[片岡洋介]]が移籍。[[セルジオ・ドゥトラ・ジュニオール|ドゥトラ]]、[[郭泰輝]]、[[ウィリアン・チエゴ・ジ・ジェズス|チエゴ]](レンタル移籍)、[[ハウバート・ダン]]、[[児玉剛]]、[[福村貴幸]]らを獲得した。 リーグ戦は第4節終了時の8位が最高。第10節および第13節から第21節まで最下位で推移し、第14節終了後の7月27日に加藤を監督及びチーム統括職より解任し、コーチの[[秋田豊]]が後任の監督に就任した。第22節で17位に順位を上げたが以降も17位から順位は変わらず、第30節の浦和戦に敗れて4回目のJ2降格が決定した。天皇杯も3回戦で千葉に大敗した。 なお、秋田とは2011年までの契約で「J2に降格しても続投してもらう」方針<ref>[https://web.archive.org/web/20101103223014/http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/soccer/jleague/news/20101103-OHO1T00080.htm スポーツ報知] 2010年11月2日</ref> であったが、12月7日に監督を退任した<ref>{{Cite press release |和書 |title=秋田豊監督 退任のお知らせ|publisher=京都サンガF.C.|date=2010.12.7|url=http://www.sanga-fc.jp/news/detail/10556|format= |language= |accessdate=2013.3.5|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140225205352/http://www.sanga-fc.jp/news/detail/10556|archivedate=2014-02-25}}</ref>。 === 2011年 - 2021年(J2) === :クラブスローガン :「'''Change'''」 監督に甲府元監督の[[大木武]]<ref>{{Cite press release |和書 |title=大木武氏 監督就任のお知らせ|publisher=京都サンガF.C.|date=2010.12.10|url=http://www.sanga-fc.jp/news/detail/10559|format= |language= |accessdate=2013.3.5|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130622223043/http://www.sanga-fc.jp/news/detail/10559|archivedate=2013-06-22}}</ref>、[[ゼネラルマネージャー]](GM)に千葉元GMの[[祖母井秀隆]]がそれぞれ就任した。 [[柳沢敦]]、[[角田誠]]が[[ベガルタ仙台|仙台]]、[[渡邉大剛]]、[[片岡洋介]]が大宮、[[増嶋竜也]]が[[柏レイソル|柏]]、[[水本裕貴]]が[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]、[[郭泰輝]]が[[Kリーグクラシック|Kリーグ]]・[[蔚山現代FC]]、[[西野泰正]]が[[カマタマーレ讃岐|讃岐]]へ移籍、[[平井直人]]が引退、[[中谷勇介]]が退団(のちに[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ入団)、[[ウィリアン・チエゴ・ジ・ジェズス|チエゴ]]はレンタル移籍期間満了により退団した。また、8月にディエゴが仙台へレンタル移籍した。 一方で、[[工藤浩平]](千葉)、[[秋本倫孝]]([[ヴァンフォーレ甲府|甲府]])、[[アライール・デ・ソウザ・カマルゴ・ジュニオール|アライール]]([[愛媛FC|愛媛]])を完全移籍で獲得、[[酒井隆介]]、[[鄭又榮|チョン・ウヨン]]、[[内藤洋平]]が加入、[[駒井善成]]、[[伊藤優汰]]らがユースから昇格した。 リーグ戦は、6月5日(第15節)まで2引き分けを挟んで5連敗を喫するなど、同節時点で僅か1勝(2分6敗)の19位に落ち込んだ。後半戦に入り、[[2種登録選手]]ながら10得点を挙げて、チーム得点王になった高校生FW[[久保裕也 (サッカー選手)|久保裕也]]などの活躍もあり、最終順位は7位。 [[第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は、[[第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第82回]]以来の決勝進出。決勝で同じJ2所属の[[FC東京]]に敗れたが、準優勝の成績を収めた。 ;2012年 :クラブスローガン :「'''Changing〜俺たちは変わり続ける〜'''」 大木体制2年目。[[森下俊]]が[[川崎フロンターレ|川崎]]へ完全移籍、[[中村太亮 (サッカー選手)|中村太亮]]が[[アルビレックス新潟|新潟]]へ期限付き移籍した。 一方、中国・[[北京人和足球倶楽部|陝西宝栄]]から[[ミロシュ・バヤリツァ|バヤリッツァ]]、[[徳島ヴォルティス|徳島]]から[[倉貫一毅]]を完全移籍で、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から[[原一樹]]らを期限付き移籍で獲得した。 開幕前は天皇杯準優勝などの実績より昇格候補に挙げられ、第8節の東京V戦まで4連勝、第16節の[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]戦まで5連勝で同節で首位に立ったが、第17節から3連敗を含む7戦連続勝ちがなく、第23節時点で8位へ順位を下げた。第27節の[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]戦まで4連勝して6位に浮上(その後連勝を6に伸ばす)して以降、[[J1昇格プレーオフ]]圏内となる6位以上を保ち、第39節ホーム[[FC岐阜|岐阜]]戦の勝利で自動昇格圏内の2位に浮上。第41節時点で2位をキープしたが、最終節の甲府戦でスコアレスドローに終わり、最終節勝利した[[湘南ベルマーレ|湘南]]と入れ替わって3位となり、[[J1昇格プレーオフ]]へ回った。J1昇格プレーオフは準決勝で6位の大分にホームで敗北し、J1昇格はならなかった。天皇杯は3回戦で[[ジュビロ磐田|磐田]]にPK負けした。 ;2013年 :クラブスローガン :「'''必昇'''」 大木体制3年目。[[中村充孝]]が鹿島、[[水谷雄一]]が[[アビスパ福岡|福岡]]へ完全移籍、[[鄭又榮|チョン・ウヨン]]が磐田へ期限付き移籍した。 一方、川崎から[[山瀬功治]]、[[湘南ベルマーレ|湘南]]から[[三平和司]](2012年は大分に期限付き移籍)、徳島から[[呉承訓|オ・スンフン]]、愛媛から[[田森大己]]、[[本田技研工業フットボールクラブ|Honda FC]]から[[中村祐哉]]を完全移籍で、[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[横谷繁]]を期限付き移籍で獲得した。7月に[[久保裕也 (サッカー選手)|久保裕也]]が[[BSCヤングボーイズ]]へ完全移籍した。 開幕から4試合を2勝2分とし第4節時点で2位。第5節から2連敗を含め第9節まで1勝3敗1分に留まり第9節時点で11位に順位が低下するが、その後は第28節から第30節の3連敗を除いて連敗することなく推移し、第16節で4位に浮上して以降は昇格プレーオフ圏内をキープ。第32節からは7連勝し、第34節終了時点で3位に浮上したが、第40節・G大阪戦に敗れて自動昇格圏内の2位以内が消滅。なお、最終順位は2年連続の3位。[[J1昇格プレーオフ]]準決勝はホームで[[V・ファーレン長崎|長崎]]に引き分け。規定により決勝へ進出したが、徳島に敗れて2年連続でプレーオフ敗退。天皇杯は3回戦で鹿島に敗北。シーズン終了後に大木が監督を退任した。 ;2014年 :クラブスローガン :「'''NEVER GIVE UP 勝利へ'''」 [[サッカーイラン代表|イラン代表]]元監督の[[ヴァルデイル・ヴィエイラ]]が監督に就任。[[安藤淳]]と[[染谷悠太]]がC大阪、[[倉貫一毅]]が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]、[[秋本倫孝]]が[[カターレ富山|富山]]、[[原一樹]]が北九州、[[中村祐哉]]が長崎、[[児玉剛]]が愛媛へ完全移籍した。 一方、[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[石櫃洋祐]]、ブラジル・[[アメリカFC (ミナスジェライス州)|アメリカFC]]から[[アレッサンドロ・ヌーネス・ナシメント|アレッサンドロ]]らを完全移籍で、[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[有田光希]]、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から[[比嘉祐介]]、[[浙江職業足球倶楽部|杭州緑城]]から[[大黒将志]]を期限付き移籍で獲得した。 開幕節終了直後に首位に立ったが、その後第18節時点で7勝5敗6分の11位に留まり、6月18日にバドゥを監督から解任。後任決定までコーチの[[森下仁志]]が監督代行を務めた後、6月29日より元東京V監督の[[川勝良一]]が監督に就任し、徳島から[[デャンフレス・ドウグラス・シャガス・マトス|ドウグラス]]を期限付き移籍で獲得したが第41節・富山戦での引き分けにより昇格プレーオフ進出が消滅し、最終順位も9位に終わった。シーズン終了後に監督の川勝、GMの[[祖母井秀隆]]、強化部テクニカルディレクターの[[高間武]]らが退任した。なお、新加入の大黒が26得点でJ2得点王を獲得した。天皇杯は3回戦で名古屋に敗れた。 ;2015年 :クラブスローガン :「'''SANGA INNOVATION'''」 元神戸監督の[[和田昌裕]]が監督に就任。[[呉承訓|オ・スンフン]]、[[ジャイロ・ルイス・ブルメル|ジャイロ]]が退団。ドウグラス、[[比嘉祐介]]、[[田中英雄]]が期限付き移籍期間満了につき退団。[[高橋祐治]]が讃岐、[[田村亮介]]が鳥栖へ期限付き移籍。[[酒井隆介]]が[[松本山雅FC|松本]]、[[工藤浩平]]が広島、[[横谷繁]]が大宮、[[三平和司]]が大分、[[内野貴志]]が[[AC長野パルセイロ|長野]]へそれぞれ完全移籍した。 一方で、[[宮吉拓実]]が富山から、[[原川力]]が愛媛から復帰。[[清水圭介]](大分)、[[山口智 (サッカー選手)|山口智]](千葉)、[[菅沼駿哉]](磐田)、[[金南一]]([[全北現代モータース|全北現代]])、[[黄辰成]]([[AFCテュビズ]])、[[佐々木勇人]](仙台)、[[ダニエル・サントス・シルバ|ダニエル・ロビーニョ]]([[ザスパクサツ群馬|群馬]])を完全移籍で獲得。[[奥川雅也]]らがユースから昇格した。 前半戦を終えて6勝12敗4引き分け。7月8日の徳島戦で敗北し、7月10日に成績不振を理由として和田が監督を解任され、ヘッドコーチの[[石丸清隆]]が後任の監督に就任した。[[10月25日]]の大宮戦の引き分けで7位以下が確定。最終順位は17位。天皇杯は3回戦で川崎に敗れた。 ;2016年 :クラブスローガン :「'''一丸 よみがえる不死鳥(サンガ)'''」 石丸体制2年目。ユース出身の[[駒井善成]]が浦和へ、[[伊藤優汰]]が新潟へ、[[原川力]]が川崎へ、[[宮吉拓実]]が広島へそれぞれ移籍。 一方で、名古屋から[[牟田雄祐]]と[[本多勇喜]]、柏から[[菅野孝憲]]、松本から[[岩沼俊介]]、甲府から[[堀米勇輝]]、長崎から[[李勇載|イ・ヨンジェ]]、C大阪から[[染谷悠太]]などを獲得。名古屋などでスカウトを務めた[[小島卓 (サッカー選手)|小島卓]]が強化担当で入団した。 開幕から4試合連続引き分けを含む5試合勝利なしで、第5節終了時には15位まで順位を下げるものの、第6節でシーズン初勝利を挙げてからの10試合で7勝2分1敗と躍進、第15節終了時にはプレーオフ圏内の5位に浮上する。その後はシーズン終了までプレーオフ圏内となる6位以上をキープしたものの、第18、26各節終了時の4位が最高で、J1自動昇格となる2位以上とは勝点で引き離されたまま5位でシーズンを終えた。3シーズンぶりに出場したJ1昇格プレーオフは、準決勝でC大阪と引き分け。規定により決勝進出はならなかった。{{See also|2016年のJリーグ#J1昇格プレーオフ}} シーズン終了後、石丸が監督を解任。また、平井、古邊の両コーチ、U-18監督の[[森岡隆三]]が退任。[[矢島卓郎]]が現役を引退した。天皇杯は2回戦でC大阪に延長戦の末敗れた。 ;2017年 :クラブスローガン :「'''Josho(上昇-常勝)魂 サンガノタメニ'''」 監督に前柏ヘッドコーチの[[布部陽功]]が就任。 [[山瀬功治]](福岡)、[[有田光希]](愛媛)、[[佐藤健太郎 (サッカー選手)|佐藤健太郎]]([[レノファ山口FC|山口]])らが完全移籍により、[[アンドレイ・ジロット]]が期限付き移籍満了でそれぞれ退団。[[永島悠史]]が[[FC岐阜|岐阜]]、[[沼大希]]が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]、[[石田雅俊]]が群馬、[[山田元気]]が山口へ期限付き移籍した。 一方で、名古屋から[[小屋松知哉]]、[[望月嶺臣]](昨年は山口に所属)、[[田中マルクス闘莉王]]を、[[ロアッソ熊本|熊本]]から[[永井建成]]を、山形から[[伊東俊]]、韓国クラブから[[河成敏|ハ・ソンミン]]、[[ケヴィン・オリス]]を完全移籍で、柏から[[湯澤聖人]]を期限付き移籍で獲得。[[大黒将志]]が山形から復帰、[[仙頭啓矢]](東洋大学)、[[大野耀平]]([[常葉大学浜松キャンパスサッカー部|常葉大学]])、[[岩崎悠人]](京都橘高校)が入団した。 闘莉王等の獲得によりJ1昇格候補にも挙げられていたが、シーズンが始まると一時期はJ3降格圏内まで低迷、その後はDF登録の闘莉王がFWで15得点を挙げるなど奮起したがシーズン中1度も1桁順位に浮上することが出来ず最終順位は12位。天皇杯は初戦で[[アスルクラロ沼津|沼津]]に敗れた。 ;2018年 :クラブスローガン :「'''団結心'''」 布部が監督を続投。[[小島卓 (サッカー選手)|小島卓]]が強化部長、前名古屋監督の[[ボスコ・ジュロヴスキー]]がコーチに就任した。山口から[[宮城雅史]]、水戸から[[湯澤洋介]]が完全移籍。[[重廣卓也]](阪南大学)が入団した一方、[[高橋祐治]]が鳥栖、[[李勇載]]が岡山に完全移籍した他、[[吉野恭平]](広島に復帰)らが退団した。 開幕から低迷し、10試合を終えた時点で1勝3分け6敗でクラブ史上初のJ2最下位に転落<ref>{{Cite news|date=2018-04-25|url=http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180425000129|title=自信喪失サンガ、J2最下位 課題山積も処方箋示せず|publisher=京都新聞|accessdate=2018-05-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180608002329/http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20180425000129|archivedate=2018-04-25}}</ref>。第13節は休養した布部に代わりコーチのボスコ・ジュロヴスキーが指揮を執った<ref>{{Cite web|和書|date=2018-05-07 |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/201805070000141.html |title=異例「監督不在」京都、コーチ指揮で黒星最下位転落 |publisher=日刊スポーツ |accessdate=2018-05-11}}</ref>。5月11日、布部の退任とジュロヴスキーの監督就任が発表された。第28節まで最下位で推移。第30節に残留圏内となる20位に上がり、以降は残留圏内を維持したが、最終順位はチーム史上最低の19位に終わった。シーズン終了後、11月18日に強化部長の小島、監督のジュロヴスキーがそれぞれ退任した。天皇杯は2回戦で金沢に延長戦の末敗れた。 ;2019年 クラブ設立25年目の節目のシーズン。[[中田一三]]が監督に就任。第22節から第24節まで首位に立ったが、8月以降に4連敗を喫した他、アウェイ戦でも2勝7敗と苦戦。最終節で[[柏レイソル|柏]]に勝利すれば、プレーオフ進出の可能性があったが、まさかの[[2019年J2最終節 柏対京都|13-1]]と大敗した。この記録は、1998年の[[セレッソ大阪|C大阪]]対[[ジュビロ磐田|磐田]]戦で磐田が1-9と大勝した記録を大幅に更新した。この試合で、[[オルンガ]]に8得点された。最終順位は8位<ref>{{Cite news|url=https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/86149|title=連載・J2サンガ「無念の失速」㊤ 一時首位も、最終節13失点… 新たな戦術、浸透は道半ば|publisher=京都新聞|date=2019-11-29|accessdate=2020-1-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191130000046/https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/86149|archivedate=2019-11-30}}</ref>。シーズン終了後、中田が監督を退任した他、[[ゲルト・エンゲルス]]がコーチを退任した([[INAC神戸レオネッサ]]監督に就任)。DF[[田中マルクス闘莉王]]がこの年限りでの現役引退を発表した。天皇杯は2回戦で水戸に敗れた。 ;2020年 新監督にトップチームコーチの[[實好礼忠]]が就任。本拠地を[[サンガスタジアム by KYOCERA]]に移した最初のシーズンとなったが、ホームでは前半戦9試合無敗(7勝2分)と圧倒的な強さを見せたものの、逆にアウェーでは12試合で僅か2勝(5分5敗)に留まったこともあり、前半戦終了時点では勝点34、首位[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]に勝点差10の5位に留まった。後半戦に入るとホームでも5勝2分5敗と五分、アウェーでは2勝2分5敗で後半戦は勝点25と前半戦より勝点を挙げられず、年間では勝点59、最終順位は8位に終わった。新加入の[[ピーター・ウタカ]]は22得点でクラブ3人目のJ2得点王を獲得した。シーズン終了後實好が退任した。 また、この年限りで[[安藤淳]]、[[石櫃洋祐]]が現役を引退した。 ;2021年 :クラブスローガン :「'''一心'''」<ref group="注釈">「一心」は野性的とも言える石刻の鋭い打ち込みからゴールに突き刺さるシュートの軌跡をイメージした「一」、あえて安定感を求めず右上がりの勢いを持たせて躍動感やクラブの一体感をイメージした「心」、勝利を目指す不動の信念の表現。</ref> :チームスローガン :「'''HUNT3'''」<ref group="注釈">「HUNT3」は「HIGH INTENSITY」「ULTIMATE」「NEWBORN」「TOUGH」「勝点3」の頭文字5文字を途切れのない集合体にすることで強い結束を表現し、見ている人が引き込まれるインテンシティと究極に勝負にこだわる姿勢を見せ、新しいチャレンジを恐れずにタフに戦い続け、一年間を通じてエネルギーを保つために外側に見える一気なパワーだけではなく内側にも凝縮するエネルギーを込める事の表現。</ref><ref name=":1">{{Cite web|和書|title=2021シーズン スローガンロゴについて|url=http://www.sanga-fc.jp/news/p/15667/|website=京都サンガF.C.オフィシャルサイト|accessdate=2021-11-29|language=ja}}</ref> 新監督に元[[湘南ベルマーレ]]監督 [[曺貴裁]]が就任。湘南から曹のかつての教え子である、[[松田天馬]]と[[中川寛斗]]、浦和から[[武富孝介]]、岡山から[[武田将平]](昨季は甲府に期限付き移籍)、鳥取から[[三沢直人]]が完全移籍加入。札幌から[[白井康介]]、FC東京から[[木村誠二]]、浦和から[[福島春樹]]、[[荻原拓也]]が期限付き移籍にて加入した。[[関西大学]]から[[長井一真]]が加入、ユースから[[中野桂太]]がトップ昇格。 [[上夷克典]]が[[大分トリニータ|大分]]へ、[[黒木聖仁]]が[[カターレ富山|富山]]へ完全移籍。[[中川風希]]は過去在籍していた[[FC琉球|琉球]]へ期限付き移籍。 9選手が契約満了となり、[[宮城雅史]]が[[テゲバジャーロ宮崎|宮崎]]に、[[江川慶城]]が[[いわきFC]]に、[[金久保順]]が[[水戸ホーリーホック|水戸]]に、[[ジュニオール・シウヴァ・フェレイラ|ジュニーニョ]]が[[栃木SC|栃木]]に、[[荻野広大]]が[[ジェイリースFC]]に、[[服部航平]]が[[FC.Bombonera]]に、[[加藤順大]]が[[マッチャモーレ京都山城]]に、[[レナン・カルバーリョ・モッタ|レナンモッタ]]が[[AAポンチ・プレッタ]]へそれぞれ移籍。期限付き移籍の選手では、[[大野耀平]]が富山へ完全移籍移行。[[セレッソ大阪|C大阪]]へ移籍中の[[島村拓弥]]が[[FC今治|今治]]に完全移籍。[[横浜F・マリノス|横浜FM]]より加入していた[[仙頭啓矢]]は期間満了により退団した(後に鳥栖へ完全移籍)。 曺は試合内容の良さよりも合理性を重視し、湘南監督時に使用していた「湘南スタイル」(ミスを割り切りアグレッシブにトライする攻守一体の堅守速攻)的な堅守速攻を使用した<ref>{{Cite web|和書|title=京都が12年ぶりJ1復帰 乱闘寸前の荒れ模様も失点許さずドローで昇格達成/デイリースポーツ online|url=https://www.daily.co.jp/soccer/2021/11/28/0014875719.shtml|website=デイリースポーツ online|accessdate=2021-11-29|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=J1昇格の京都・チョウ貴裁監督 チームも自身も改革 パワハラ問題反省し「選手に逃げ道つくれるように」 - スポニチ Sponichi Annex サッカー|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2021/11/29/kiji/20211129s00002180094000c.html|website=スポニチ Sponichi Annex|accessdate=2021-11-29|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=なぜ京都サンガは12年ぶりのJ1昇格を果たせたのか…パワハラ退任の過去がある指揮官が植え付けた挑戦のメンタル(Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE)|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/d1b70547dc1e0c9c7f8c1ebafd3290f4ccc4dd1d|website=Yahoo!ニュース|accessdate=2021-11-29|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=湘南ベルマーレ 2021 チームスタイル{{Nowiki|[攻撃セットプレー]}} {{!}} データによってサッカーはもっと輝く {{!}} Football LAB|url=https://www.football-lab.jp/shon/style/|website=www.football-lab.jp|accessdate=2021-11-29}}</ref><ref name=":03">{{Cite web|和書|title=トップチームフィロソフィ « 湘南ベルマーレ公式サイト|url=https://www.bellmare.co.jp/team/philosophy|website=www.bellmare.co.jp|accessdate=2021-11-29}}</ref>。また2021年の京都は[[リヴァプールFC]]との類似性があり<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=「Jで最も貪欲な集団」京都サンガが12季ぶりJ1で期待できる理由 |url=https://spaia.jp/column/soccer/jleague/15882 |website=SPAIA |accessdate=2022-01-17}}</ref>、フォーメーション 4-3-3・ゲーゲンプレス的なハイプレス・ハイライン・中央突破のショートカウンター・3ボランチのハードワークなどアグレッシブな戦術が顕著となった<ref name=":0"/>。その結果、第6節からの6連勝を含む15戦は無敗で、第15節終了時に3位から首位浮上すると同年のJ1昇格圏の2位以内に留まり続ける。第21節に[[ジュビロ磐田|磐田]]に首位を明け渡したものの、後半戦も磐田と激しい首位争いを繰り広げ、5回首位が入れ替わった。しかし第31節[[V・ファーレン長崎|長崎]]戦に敗れて首位を明け渡した後は首位に戻れず第38節の磐田との直接対決にも敗れてJ2優勝は逃した。しかし、その後も昇格圏内はキープし、11月28日の第41節[[ジェフユナイテッド千葉・市原|千葉]]戦の引き分けによって、曹貴裁監督就任1年目で2010年以来12シーズンぶりのJ1復帰を果たした。ウタカがリーグ2位の21得点、2019年から復帰していた宮吉が10得点を挙げたが、総得点ではリーグ8位タイの59にとどまりながらリーグ最少の31失点の堅守が上位争いの原動力となった。 なお、シーズン途中の7月9日、[[福島ユナイテッドFC|福島]]から[[オリグバッジョ・イスマイラ|イスマイラ]]が完全移籍加入。7月26日に木村が期限付き移籍期間満了により退団。同日に[[SC相模原|相模原]]への期限付き移籍が発表された。7月29日に[[谷内田哲平]]の[[栃木SC|栃木]]への期限付き移籍を発表。 === 2022年 - (J1) === ;2022年 :クラブスローガン :「'''みんな輝け ~サンガに関わる全ての人々が"笑顔で生き生き"と~'''」 :チームスローガン :「'''S Adventure 今、冒険が始まる'''」 曺体制2年目。12年ぶりJ1に向けて大型補強を敢行し、[[ザスパクサツ群馬|群馬]]から[[大前元紀]]と[[松原修平]]、[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[山﨑凌吾]]、[[セレッソ大阪|C大阪]]から[[豊川雄太]]、[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]から[[井上黎生人]]、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]から[[ホルネイケル・メンデス・マレイロス|メンデス]]、[[ベガルタ仙台|仙台]]から[[アピアタウィア久]]、[[徳島ヴォルティス|徳島]]から[[上福元直人]]、[[モンテディオ山形|山形]]から[[クエンテン・マルティノス|マルティノス]]、オランダの[[アルメレ・シティFC]]から[[サッカーニュージーランド代表|ニュージーランド代表]]GKの[[マイケル・コルネリス・ウッド|マイケル・ウッド]]が完全移籍で、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から[[金子大毅]]が期限付き移籍で加入。新卒では[[法政大学]]から[[田中和樹]]が加入した。昨季[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]から期限付き移籍にて加入していた[[白井康介]]が完全移籍加入に移行。[[荻原拓也]]は[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]からの期限付き移籍期間を延長し、この年も京都でプレー。[[谷内田哲平]]は[[栃木SC|栃木]]への期限付き移籍期間を延長している。 契約満了により退団した[[ヨルディ・バイス]]が[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]へ、[[森脇良太]]が[[愛媛FC|愛媛]]へ、[[李忠成]]が[[アルビレックス新潟シンガポール]]([[シンガポールプレミアリーグ]])へ、[[庄司悦大]]が[[FC岐阜|岐阜]]へ、[[中野克哉]]が[[FC琉球|琉球]]へ、[[上月壮一郎]]が[[1.FCデューレン]](ドイツ4部)へ移籍した。[[中川寛斗]]が[[大分トリニータ|大分]]に、[[野田隆之介]]が[[FC琉球|琉球]]へ、[[曽根田穣]]が[[水戸ホーリーホック|水戸]]へ、[[清水圭介]]が[[セレッソ大阪|C大阪]]へ、[[冨田康平]]が[[FC今治|今治]]へそれぞれ完全移籍。期限付き移籍にて加入していた[[福島春樹]]が期間満了により退団。琉球へ期限付き移籍中の[[中川風希]]が、今治へ完全移籍にて退団した。 前年のスタイルを維持し、開幕戦ではウタカのゴールで1-0と[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]からJ1での12年ぶりの勝利を挙げる。序盤はウタカが3試合連続得点を挙げるなど4月終了時点でリーグトップの7得点の活躍を見せ、チームも第6節から第9節までの4試合を3勝1分と好調をキープ。第9節時点で5位と上位争いに絡む。しかし第10節以降は一転してなかなか勝ち星を挙げることができず、第16節では前年優勝チームの[[川崎フロンターレ|川崎]]に勝利したものの、後半戦は得点力不足が響いて徐々に順位を下げ、最終成績8勝12分14敗の16位で[[J1参入プレーオフ]]にまわった。38失点はリーグ3位タイと前年からの持ち味の堅守をJ1でも発揮した一方、30得点はリーグワースト2位だった。プレーオフでは参入決定戦でJ2・4位の[[ロアッソ熊本|熊本]]に1-1で引き分けてJ1残留を果たした。 12年ぶりに参戦した[[Jリーグカップ|ルヴァンカップ]]では、グループ首位でクラブ史上初のグループリーグ突破を果たしたが<ref>{{Cite web|和書|title= 【京都】脳振とう疑いから復帰豊川雄太 18日柏戦「思ったよりも動けた」完全復活アピール |url= https://www.nikkansports.com/m/soccer/news/202205190000755_m.html?mode=all |website=nikkansports.com|accessdate=2022-11-02|language=ja}}</ref><ref group="注釈">最初からトーナメント形式でグループリーグを行わなかったシーズンもあるため、Jリーグカップにおける過去最高成績ではない。</ref>、プレーオフステージで[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]に連敗を喫して敗退した。 [[天皇杯 JFA 第102回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では[[高知ユナイテッドSC]]([[高知県]]代表)、[[清水エスパルス|清水]]、[[栃木SC|栃木]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]を破って11年ぶりに準決勝進出。サンガスタジアムでの天皇杯初開催となった準決勝では、[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]に延長戦の末に敗れて敗退となった。 なお、シーズン中には、松原が3月31日に[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ完全移籍。6月14日には[[サガン鳥栖|鳥栖]]から曺の[[流通経済大学]]時代の教え子・[[佐藤響]]が期限付き移籍で、8月4日には[[アル・アラダーFC]]から[[アラン・リマ・カリウス|アラン・カリウス]]が完全移籍で、8月10日には[[FCメタリスト・ハルキウ|FCメタリスト・ハリコフ]]から[[パウロ・エンヒキ・ペレイラ・ダ・シウヴァ|パウリーニョ]]が期限付き移籍でそれぞれ加入した。8月18日には[[加藤久]]が強化アカデミー本部長を退任し、クラブのブランドアンバサダーの[[安藤淳]]が同職を退任して強化部長代理に就任した。 ;2023年 :クラブスローガン :「'''超・感動 ~力を合わせ"今"を超える感動を~'''」 :チームスローガン :「'''Rev up 高みへ'''」 曺体制3年目。[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[アンデルソン・パトリック・アグウイアル・オリベイラ|パトリック]]、[[FC町田ゼルビア|町田]]から[[平戸太貴]]、[[大分トリニータ|大分]]から[[三竿雄斗]]、[[水戸ホーリーホック|水戸]]から[[木下康介]]、[[IFKヨーテボリ]]から[[サッカースリナム代表|スリナム代表]]の[[ワルネル・ハーン|ヴァルネル・ハーン]]、[[徳島ヴォルティス|徳島]]から2019年以来の復帰となる[[一美和成]]{{Efn|2019年はG大阪からの期限付き移籍にて在籍}}が完全移籍で、[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から[[イヨハ理ヘンリー]]{{Efn|前年は期限付き移籍で[[ロアッソ熊本|熊本]]に在籍}}が期限付き移籍で加入した。 また昨季から期限付き移籍にて加入していた[[金子大毅]]、[[佐藤響]]がそれぞれ完全移籍にて加入。[[パウロ・エンヒキ・ペレイラ・ダ・シウヴァ|パウリーニョ]]は期限付き移籍期間を延長。2021年夏頃から[[栃木SC|栃木]]に期限付き移籍をしていた[[谷内田哲平]]が1年半ぶりに復帰。新卒では2021シーズンから特別指定選手として在籍していた[[関西学院大学体育会サッカー部|関西学院大学]]の[[木村勇大 (サッカー選手)|木村勇大]]に加えて[[明治大学体育会サッカー部|明治大学]]から[[福田心之助]]が新たに加入。ユースから[[平賀大空]]、[[植田悠太]]の2人がトップ昇格を果たした。 一方、昨季までチームの守護神を務めた[[上福元直人]]が[[川崎フロンターレ|川崎]]へ、[[長井一真]]が[[水戸ホーリーホック|水戸]]へ、[[中野桂太]]が[[徳島ヴォルティス|徳島]]へ完全移籍した他、[[荻原拓也]]が期限付き移籍期間満了に伴い[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]へ復帰、[[田中和樹]]は[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]へ期限付き移籍。契約満了により退団した[[ピーター・ウタカ]]と[[武富孝介]]は[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]へ、[[大前元紀]]は[[南葛SC|南葛FC]]へ、チーム最古参だった[[本多勇喜]]は[[ヴィッセル神戸|神戸]]へそれぞれ移籍した。また、チーフトレーナーの[[岩城孝次]]が契約満了に伴い退団している。 また、前年まで[[松田天馬]]がキャプテンを務めたが、[[川﨑颯太]]が新キャプテンに就任した<ref>{{Cite web|和書|title=2023シーズン キャプテン等決定のお知らせ |url=http://www.sanga-fc.jp/news/detail/17571 |website=京都サンガF.C.オフィシャルサイト |access-date=2023-02-05 |language=ja}}</ref>。 リーグ戦開幕後は、第2節まで無得点で連敗スタートとなるが、第3節の[[FC東京]]戦でシーズン初勝利を挙げると、第5節までJ1では21年ぶりとなる3連勝で一気に5位まで浮上する<ref>{{Cite web|和書|title= 京都サンガ、4得点逆転勝ちで快勝 21年ぶりのJ1で3連勝 |url= https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/991471 |website=京都新聞|accessdate=2023-12-05|language=ja}}</ref>。しかし、その後は守備での勝負弱さが露呈し、2試合連続で[[オウンゴール]]での決勝点を献上するなど第11節から6連敗。第17節[[アルビレックス新潟|新潟]]戦で連敗を止めて前半戦を13位で折り返す<ref>{{Cite web|和書|title= 京都が連敗を6でストップ! パトリックの2発などで3-1快勝、新潟は伊藤のラストマッチを白星で飾れず4試合未勝利 |url= https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=133223 |website=サッカーダイジェスト|accessdate=2023-12-05|language=ja}}</ref>。後半戦では[[名古屋グランパス|名古屋]]や[[サンフレッチェ広島|広島]]など前半戦で苦戦した上位チームからも勝利を挙げた一方{{Efn|前半戦は自身(13位)よりも下位の5チームには無敗だった一方で上位相手には1勝11敗と苦戦したが、後半戦は前半に敗れた11チーム相手に6勝2敗3分と大きく勝ち越した。}}、サマーブレイクや[[FIFAインターナショナルマッチカレンダー|代表ウィーク]]によるリーグ戦の中断からの再開直後には得点が奪えず連敗してしまう傾向も目立ち、シーズン終盤には、第29節[[サガン鳥栖|鳥栖]]戦で[[アピアタウィア久]]が不適切な行為により試合終了間際に退場した直後の2失点で逆転負けを喫してから<ref>{{Cite web|和書|title= 京都 DFアピアタウィアが中指突き立て一発退場で謝罪 「自身の行為を深く反省…心よりお詫び」 |url= https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2023/10/01/kiji/20231001s00002179484000c.html?amp=1 |website=スポニチアネックス|accessdate=2023-12-05|language=ja}}</ref>、3週間の代表ウィークを挟んで第31節まで3連敗。残留決定まであと1勝としながら足踏みが続き、残留争いに巻き込まれつつあったが{{Efn|2024年からJ1のチーム数を20チームに増やすため、2023年の降格は1チームのみ。}}、途中加入の[[原大智]]の活躍もあって第33節の勝利で残留が確定。最終節でも前年優勝チームの[[横浜F・マリノス|横浜FM]]に勝利して連勝でシーズンを終えた。前年(2連勝が1回)を大きく上回る4度の連勝(3連勝1回、2連勝3回)を記録した一方で引き分けはリーグ最少タイの4分と連勝と連敗を繰り返すようなシーズンとなったが、最終成績12勝4分18敗の13位と前年からは順位、勝ち点ともに向上させた。 天皇杯は両チーム11人目までもつれたPK戦の末に2回戦で富山に敗れ、ルヴァンカップはグループリーグ敗退となった。 なお、シーズン途中には、7月3日に[[デポルティーボ・アラベス]]から原大智{{Efn|2022-23シーズン途中からは期限付き移籍で[[シント=トロイデンVV]]に在籍}}が完全移籍で、7月25日には[[北海道コンサドーレ札幌]]から[[具聖潤]]が期限付き移籍で加入することが発表された。一方で[[オリグバッジョ・イスマイラ|イスマイラ]]が2月21日に[[FCシェリフ・ティラスポリ]]へ、7月13日には新たに[[栃木SC]]への期限付き移籍が発表された。7月4日には[[白井康介]]のFC東京への完全移籍が発表され、7月13日には[[飯田貴敬]]が[[大宮アルディージャ]]、8月16日には[[木村勇大]]が[[ツエーゲン金沢]]、[[マイケル・ウッド]]が[[ヴァンフォーレ甲府]]にそれぞれ期限付き移籍することが発表された。契約更新のアナウンスがなかった選手では、3月10日に[[クエンテン・マルティノス|マルティノス]]、4月17日に[[ホルネイケル・メンデス・マレイロス|メンデス]]が退団することが発表されている。 == 成績 == {{Main|京都サンガF.C.の年度別成績一覧}} === 個人記録 === ==== リーグ戦通算出場上位 ==== {|class="wikitable" !||選手名||試合数||在籍期間 |- |1||[[手島和希]]||242||1999 - 2005、2006 - 2009 |- |2||[[安藤淳]]||234||2006 - 2013、2019 - 2020 |- |3||[[宮吉拓実]]||233||2008 - 2014、2015、2019 - |- |4||[[石櫃洋祐]]||230||2014 - 2020 |- |5||[[中山博貴]]||221||2004 - 2015 |- |rowspan="2"|6||[[平井直人]]||rowspan="2"|213||1997 - 2010 |- |[[本多勇喜]]||2016 - 2022 |- |8||[[斉藤大介]]||202||1999 - 2008 |- |9||[[角田誠]]||191||2000 - 2003、2006、2007 - 2010 |- |10||[[中払大介]]||183||2002 - 2007 |} ※2023年シーズン終了時点のJリーグ・J1リーグ及びJ2リーグでの出場試合数(カップ戦などその他の公式戦の記録は含まない)<ref name="total">{{Cite book|和書|title=サッカーマガジン4月号|date=2022-04-24|publisher=ベースボール・マガジン社|asin=B09RNWBC7D|pages=92-106|chapter=京都サンガF.C. 1996-2022在籍全選手&監督名鑑}}</ref>。 ==== リーグ戦通算得点上位 ==== {|class="wikitable" !||選手名||得点数||在籍期間 |- |1||[[パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ|パウリーニョ]]||66||2005 - 2009 |- |2||[[黒部光昭]]||62||2000 - 2004 |- |3||[[ピーター・ウタカ]]||52||2020 - 2022 |- |4||[[大黒将志]]||48||2014 - 2015、2017 |- |5||[[宮吉拓実]]||45||2008 - 2014、2015、2019 - |- |6||[[田原豊]]||32||2002 - 2008 |- |rowspan="2"|7||[[小屋松知哉]]||rowspan="2"|22||2017 - 2019 |- |[[仙頭啓矢]]||2017 - 2019、2020 |- |rowspan="3"|9||[[柳沢敦]]||rowspan="3"|21||2008 - 2010 |- |[[三浦知良]]||1999 - 2000 |- |[[中山博貴]]||2004 - 2015 |} ※2023年シーズン終了時点のJリーグ・J1リーグ及びJ2リーグでの得点数(カップ戦などその他の公式戦の記録は含まない)<ref name="total" />。 '''カップ戦も含めた公式戦通算では、黒部光昭の70得点が最多となる。''' ==== ハットトリック ==== {|class="wikitable" !||得点数||選手名||開催日||対戦クラブ||スタジアム||得点時間 |- |rowspan="4"|J1||rowspan="4"|3得点||[[黒崎久志|黒崎比差支]]||1998年8月8日(1st第17節)||[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]||rowspan="3"|[[京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場|西京極]]||{{goal|49||55||89}} |- |[[三浦知良]]||2000年11月23日(2nd第14節)||[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ川崎]]||{{goal|37||52||89}} |- |rowspan="2"|[[黒部光昭]]||2002年4月6日(1st第5節)||[[東京ヴェルディ1969]]||{{goal|08||46||65}} |- |2003年9月13日(2nd第5節)||[[セレッソ大阪]]||[[長居陸上競技場|長居]]||{{goal|39||43||57}} |- | rowspan="10" |J2 |4得点 |[[ピーター・ウタカ]] |2020年8月8日(第10節) |[[モンテディオ山形]] |[[山形県総合運動公園陸上競技場|NDスタ]] |{{goal|31||37||53||87}} |- | rowspan="9" |3得点||[[崔龍洙]]||2004年8月21日(第29節)||コンサドーレ札幌||西京極||{{goal|68||81||89}} |- |[[パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ|パウリーニョ]]||2005年10月1日(第34節)||モンテディオ山形||NDスタ||{{goal|08||78||87}} |- |[[アンドレ・ピント・カンダカン|アンドレ]]||2007年5月13日(第15節)||[[アビスパ福岡]]||[[東平尾公園博多の森球技場|博多球]]||{{goal|35||54||66}} |- |パウリーニョ||2007年6月6日(第22節)||[[ベガルタ仙台]]||[[テクノポート福井総合公園|福井]]||{{goal|21||55||76}} |- |[[久保裕也 (サッカー選手)|久保裕也]]||2013年6月9日(第18節)||[[ロアッソ熊本]]||[[熊本県民総合運動公園陸上競技場|うまスタ]]||{{goal|49||64||72}} |- | rowspan="2" |[[大黒将志]] |2014年4月5日(第6節) |大分トリニータ |大銀ド |{{goal|03||30||81}} |- |2014年6月21日(第19節) |[[ロアッソ熊本]] |[[熊本県民総合運動公園陸上競技場|うまスタ]] |{{goal|45||55||65}} |- |[[田中マルクス闘莉王]]||2017年4月15日(第8節)||[[愛媛FC]]||西京極||{{goal|52||72||90+2}} |- |ピーター・ウタカ |2021年4月17日(第8節) |[[ギラヴァンツ北九州]] |[[サンガスタジアム by KYOCERA|サンガS]] |{{goal|17||23||52}} |- |天皇杯 |3得点 |[[宮吉拓実]] |2011年11月16日(3回戦) |[[モンテディオ山形]] |NDスタ |{{goal|15|3=44|5=48}} |} {| class="wikitable" |- |} == タイトル == === クラブ === * '''[[J2リーグ]]:2回''' ** [[2001年のJリーグ|2001]], [[2005年のJリーグ|2005]] * '''[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会]]:1回''' ** [[第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2002]] === 個人別 === * [[J1リーグ]] ** [[Jリーグベストイレブン|ベストイレブン]] *** [[2008年のJリーグ#ベストイレブン|2008年]] - [[柳沢敦]] **[[月間MVP (日本プロサッカーリーグ)|月間MVP]] *** 2022年4月度 - [[ピーター・ウタカ]] * [[J2リーグ]] ** 得点王 *** [[2005年のJリーグ#得点王|2005年]] - [[パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ|パウリーニョ]] *** [[2014年のJリーグ#得点王|2014年]] - [[大黒将志]] *** [[2020年のJリーグ#得点王|2020年]] - [[ピーター・ウタカ]] **[[月間MVP (日本プロサッカーリーグ)|月間MVP]] *** 2013年5月度 - [[呉承訓|オ・スンフン]] *** 2013年7月度 - [[山瀬功治]] *** 2014年9月度 - [[大黒将志]] *** 2019年5月度 - [[仙頭啓矢]] *** 2021年4月度 - [[ピーター・ウタカ]] * [[ジャパンフットボールリーグ]] ** ベストイレブン *** [[第4回ジャパンフットボールリーグ|1995年]] : [[森下申一]]、[[望月聡]] == スタジアム・練習場 == === ホームスタジアム === ホームスタジアムは、京都府が[[亀岡市]]に建設した球技専用の'''[[サンガスタジアム by KYOCERA]]'''(京都府立京都スタジアム)。京都府が主導する球技専用スタジアム建設計画は建設規模や建設候補地の調整に時間がかかり、さらに亀岡への建設が決まっても[[天然記念物]]かつ[[国内希少野生動植物種]]である[[アユモドキ]]の生息地であったことから設計が二転三転したが、2018年から工事着手した。2020年1月に竣工式が行われ、同年シーズンからホームスタジアムとして使用している。 2019年シーズンまでは[[たけびしスタジアム京都]](京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場)を使用していた。西京極はJリーグが定める[[Jリーグクラブライセンス制度|クラブライセンス]]でスタンドの屋根の占有率や、トイレ数などが充足していないが、[[京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場#今後の整備計画|西京極のライセンス充足化工事]]の実施及び新スタジアムの建設が計画されていることを理由に、クラブに対するライセンス交付上の制裁は2015年度以後については行われなかった<ref name="gekisaka20140929">{{Cite news|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?148337-148337-fl|title=鳥取は「停止条件付き」のJ2ライセンス…北九州はプレーオフ圏内でもJ1昇格はなし|newspaper=[[ゲキサカ]]|date=2014-09-29|accessdate=2016-03-06}}</ref><ref name="gekisaka20150929-01">{{Cite news|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?173068-173068-fl|title=群馬と讃岐は練習場不備などでJ2ライセンスに…会計不正発覚した愛媛にもJ1ライセンス|newspaper=[[ゲキサカ]]|date=2015-09-29|accessdate=2015-09-29}}</ref>。なお、ホームゲームではないものの、サンガスタジアム移転後も天皇杯では初戦にあたる2回戦は西京極で開催している<ref group="注釈">主管はクラブではなく京都府サッカー協会のため中立開催扱い。サンガスタジアム移転初年度の[[天皇杯 JFA 第100回全日本サッカー選手権大会|2020年]]は、[[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|新型コロナウイルスの影響]]で変則的な開催となったため不出場。[[天皇杯 JFA 第101回全日本サッカー選手権大会|2021年]]は4回戦(ラウンド16)も開催。</ref>。 その他の過去のホームゲーム開催スタジアムは「[[京都サンガF.C.の年度別成績一覧#年度別入場者数|当項目]]」を参照のこと。 === 練習場 === [[1998年]]より[[京都サンガF.C.東城陽グラウンド]]{{R|jleague}}(通称:サンガタウン城陽)を使用している。なお、クラブ創設当初は[[京都府立山城総合運動公園]]([[京都府]][[宇治市]])などの京都府及び滋賀県内のグラウンド、1995年から1997年まで「京セラ八日市総合グラウンド」([[滋賀県]][[東近江市]])を使用していた<ref>『京都サンガF.C. オフィシャルイヤーブック 2014』、p.154</ref>。 <gallery> File:Nishikyogoku170930.jpg|[[京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場|たけびしスタジアム京都]]([[京都市]][[右京区]]) File:Sanga stadium by kyocera05.jpg|[[サンガスタジアム by KYOCERA]]([[亀岡市]]) File:Sanga town01.jpg|[[京都サンガF.C.東城陽グラウンド|サンガタウン城陽]]([[城陽市]]) </gallery> == ユニフォーム == {{ユニフォームの色 |F正シャツ=紫|F正パンツ=黒|F正ストッキング=紫 |F副シャツ=白×グレー|F副パンツ=白|F副ストッキング=白 |G正シャツ=オレンジ×赤|G正パンツ=オレンジ|G正ストッキング=オレンジ |G副シャツ=緑×黒|G副パンツ=緑|G副ストッキング=緑| | pattern_la1= _Kyoto Sanga F.C. 2023 HOME FP|pattern_b1= _Kyoto Sanga F.C. 2023 HOME FP|pattern_ra1= _Kyoto Sanga F.C. 2023 HOME FP|pattern_sh1= _Kyoto Sanga F.C. 2023 HOME FP2|pattern_so1= _Kyoto Sanga F.C. 2023 HOME FP | leftarm1=800080|body1=800080|rightarm1=800080|shorts1=000000|socks1=000000 | pattern_la2= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP|pattern_b2= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP|pattern_ra2= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP|pattern_sh2= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP|pattern_so2= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP | leftarm2=FFFFFF|body2=FFFFFF|rightarm2=FFFFFF|shorts2=FFFFFF|socks2=FFFFFF |pattern_la3=_redshoulders|pattern_b3=_thinredstripes|pattern_ra3=_redshoulders|pattern_sh3=_redsides|pattern_so3= |leftarm3=ffa500|body3=ffa500|rightarm3=ffa500|shorts3=ffa500|socks3=ffa500 |pattern_la4=_blackshoulders|pattern_b4=_thinblackstripes|pattern_ra4=_blackshoulders|pattern_sh4=_blacksides|pattern_so4= |leftarm4=339966|body4=339966|rightarm4=339966|shorts4=339966|socks4=339966 }} === チームカラー === * {{colorbox|#831978}} 紫{{R|jleague}} === ユニフォームスポンサー === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #000; 4px 4px 4px #E6002E;" |- style="text-align:center; background-color:#831978; color:#FFF; font-weight:bold;" |掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考 |- !胸 |[[京セラ]]||KyOCERa||1994年 - ||1995年 - 2021年は「京セラ」表記 |- !rowspan="2"|鎖骨 |[[ワコール]]||WACOAL||2019年 - ||右側に掲出<br/>1996年 - 2006年は袖<br/>2007年 - 2018年はユニフォームサプライヤー<br/>2019年 - 2020年は「Wacoal」表記 |- |[[堀場製作所]]||HORIBA||2020年 - ||左側に掲出 |- !背中上部 |[[任天堂]]||任天堂||1994年 - || |- !背中下部 |[[KDDI]]||RESPECT YOU, [[au (通信)|au]]||2017年 - ||2017年 - 2020年は「au」表記<br/>2021年 - 2022年は1stは「au [[第5世代移動通信システム|5G]]」、<br/>2ndは「au」表記 |- !袖 |[[京都銀行]]||京都銀行||2007年 - || |- !パンツ前面 |[[大和証券]]||大和証券||2002年4月 - ||2002年 - 2005年の2ndは「[[大和証券キャピタル・マーケッツ|大和証券SMBC]]」表記 |- !パンツ背面 |[[文化庁]]||{{small|Agency for Cultural Affairs ▶ moving to Kyoto}}<br/>文化庁<br/>京都へ||2023年 - || |} * 左胸のエンブレム上の星(★)は[[第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会]](2002年)の優勝を表している。 * 2013年からホームタウンの一つである[[城陽市]]の名産品である[[金銀糸|金糸]]を使って、エンブレム上の星とユニフォーム右腕の「京都」の文字を刺繍している<ref name="kyotofpvol11">{{Cite web|和書|url=http://www.sanga-fc.jp/pdf/freepaper/201303.pdf|format=PDF|title=京都サンガF.C.フリーペーパーvol.11|page=8|publisher=京都サンガF.C.|date=2013-03|accessdate=2023-11-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130513143416/http://www.sanga-fc.jp/pdf/freepaper/201303.pdf|archivedate=2013-05-13}} </ref>。 === トレーニングウェア === * KDDI(ロゴマークは2013年からau表記)、[[ニデック (電機メーカー)|ニデック]] === スーツサプライヤー === * [[オンリー (企業)|オンリー]] === ユニフォームサプライヤーの遍歴 === * 1994年 - 1995年:[[プーマ]] * 1996年:リーグ戦は[[ミズノ]]、カップ戦はプーマ * 1997年 - 2002年:[[アンブロ]] * 2003年 - 2006年:ミズノ * 2007年 - 2018年:[[ワコール]](2007年 - 2012年は「CW-X」、2013年 - 2018年は「Wacoal」表記) * 2019年<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.sanga-fc.jp/news/p/13601/ |title=プーマ ジャパン株式会社とのオフィシャルユニフォームサプライヤー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2018-12-10|accessdate=2018-12-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181211010431/http://www.sanga-fc.jp/news/p/13601/|archivedate=2018-12-11}}</ref> - 現在:プーマ === 歴代ユニフォーム === {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #000; font-size:smaller; 4px 4px 4px #E6002E;" |- style="color:#831978; font-weight:bold;" !colspan=5|FP 1st |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 1997 HOME FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 1997 HOME FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 1997 HOME FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 1997 HOME FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 1997 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=CE04A6|title={{Center|1997 - 1998}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2000 HOME FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 1999 HOME FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2000 HOME FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2000 HOME FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2000 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=CE04A6|title={{Center|1999}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2000 HOME FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2000 HOME FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2000 HOME FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2000 HOME FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2000 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=CE04A6|title={{Center|2000}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2001 HOME FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2001 HOME FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2001 HOME FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2001 HOME Fp|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2001 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=CE04A6|title={{Center|2001 - 2002}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2003 HOME FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2003 HOME FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2003 HOME FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2003 HOME FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2003 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=CE04A6|title={{Center|2003 - 2004}}}} |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _kyotopurplesanga0506h|pattern_b= _kyotopurplesanga0506h|pattern_ra= _kyotopurplesanga0506h|pattern_sh= _kyotopurplesanga0506h|pattern_so=_2 stripes white |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=CE04A6|title={{Center|2005 - 2006}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2007 HOME FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2007 HOME FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2007 HOME FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2007 HOME FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2007 HOME FP |leftarm=000|body=800080|rightarm=800080|shorts=000|socks=000|title={{Center|2007 - 2008}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2009 HOME FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2009 HOME FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2009 HOME FP2|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2009 HOME FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2007 HOME FP |leftarm=000|body=800080|rightarm=800080|shorts=000|socks=000|title={{Center|2009 - 2010}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_kyotosanga1112h|pattern_b=_kyotosanga1112h|pattern_ra=_kyotosanga1112h|pattern_sh=_kyotosanga13h|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2011 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=000|socks=000|title={{Center|2011 - 2012}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=|pattern_b=_kyotosanga1314h|pattern_ra=|pattern_sh=_kyotosanga13h|pattern_so=_Kyotosangafc_1314h |leftarm=800080|body=|rightarm=800080|shorts=000|socks=|title={{Center|2013}}}} |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=|pattern_b=_kyotosanga1314h|pattern_ra=|pattern_sh=|pattern_so=_Kyotosangafc_1314h |leftarm=800080|body=|rightarm=800080|shorts=800080|socks=|title={{Center|2014}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_sanga15h|pattern_b=__kyotosanga1516h|pattern_ra=_sanga15h|pattern_sh=_whiteside|pattern_so=_Kyotosangafc_1314h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=800080|socks=|title={{Center|2015 - 2016}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_sanga17H|pattern_b=_sanga17H|pattern_ra=_sanga17H|pattern_sh=_sanga17H|pattern_so=_sanga17H |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=000|title={{Center|2017 - 2018}}}} |{{Football kit|filetype=png | pattern_la=_kyotosanga_19H|pattern_b=_kyotosanga_19h|pattern_ra=_kyotosanga_19H|pattern_sh=_kyotosanga_19h|pattern_so=_kyotosanga_19h | leftarm=800080|body=800080|rightarm=800080|shorts=000000|socks=000000|title={{Center|2019}}}} |{{Football kit|filetype=png | pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2020 HOME FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2020 HOME FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2020 HOME FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2020 HOME FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2020 HOME FP | leftarm=800080|body=800080|rightarm=800080|shorts=000000|socks=000000|title={{Center|2020}}}} |- |{{Football kit|filetype=png | pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2021 HOME FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2021 HOME FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2021 HOME FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2021 HOME FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2021 HOME FP | leftarm=800080|body=800080|rightarm=800080|shorts=000000|socks=000000|title={{Center|2021}}}} |{{Football kit|filetype=png | pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2022 HOME FP|pattern_b= 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Sanga F.C. 2003 AWAY FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=CE04A6|title={{Center|2003 - 2004}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_kyotopurplesanga0506a|pattern_b=_kyotopurplesanga0506a|pattern_ra=_kyotopurplesanga0506a|pattern_sh=_kyotopurplesanga0506a|pattern_so=_blacktop |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=fff|title={{Center|2005 - 2006}}}} |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2007 2nd FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2007 2nd FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2007 2nd FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2007 2nd FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2007 2nd FP |leftarm=000|body=800080|rightarm=800080|shorts=000|socks=000|title={{Center|2007 - 2008}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2009 AWAY FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2009 AWAY FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2009 AWAY FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2009 AWAY FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2009 AWAY FP |leftarm=fff|body=fff|rightarm=fff|shorts=fff|socks=fff|title={{Center|2009}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2009 AWAY FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2009 AWAY FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2009 AWAY FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2010 AWAY FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2010 AWAY FP |leftarm=fff|body=fff|rightarm=fff|shorts=000|socks=fff|title={{Center|2010}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_kyotosanga1112a|pattern_b=_kyotosanga1112a|pattern_ra=_kyotosanga1112a|pattern_sh=_kyotosanga1112a|pattern_so=_Kyotosangafc_1112a |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2011 - 2012}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=|pattern_b=_kyotosanga1314a|pattern_ra=|pattern_sh=_whiteside|pattern_so=_Kyotosangafc_1314a |leftarm=fff|body=|rightarm=fff|shorts=000|socks=|title={{Center|2013}}}} |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=|pattern_b=_kyotosanga1314a|pattern_ra=|pattern_sh=|pattern_so=_Kyotosangafc_1314a |leftarm=fff|body=|rightarm=fff|shorts=fff|socks=|title={{Center|2014}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_sanga15a|pattern_b=_kyotosanga1516a|pattern_ra=_sanga15a|pattern_sh=_kyotosanga1516a|pattern_so=_Kyotosangafc_1314a |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=fff|socks=|title={{Center|2015 - 2016}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_sanga17A|pattern_b=_sanga17A|pattern_ra=_sanga17A|pattern_sh=_sanga17A|pattern_so=_sanga17A |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=fff|title={{Center|2017 - 2018}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _kyotosanga_19A|pattern_b=_kyotosanga_19a|pattern_ra=_kyotosanga_19A|pattern_sh=_kyotosanga_19a|pattern_so=_kyotosanga_19a |leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2019}}}} |{{Football kit|filetype=png | pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2020 AWAY FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2020 AWAY FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2020 AWAY FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2020 AWAY FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2020 AWAY FP | leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2020}}}} |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2021 AWAY FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2021 AWAY FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2021 AWAY FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2021 AWAY FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2021 AWAY FP |leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2021}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2022 AWAY FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2022 AWAY FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2022 AWAY FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2022 AWAY FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2022 AWAY FP |leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2022}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2023 AWAY FP |leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2023 - }}}} |- |||||||||| |} {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #000; font-size:smaller; 4px 4px 4px #E6002E;" |- style="color:#831978; font-weight:bold;" !colspan=5|FP Other |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2007 3rd FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2007 3rd Fp|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2007 3rd FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2007 HOME FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2007 HOME FP |leftarm=000|body=800080|rightarm=800080|shorts=000|socks=000|title={{Center|2007 - 2008 3rd}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2019 SP FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2019 SP FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2019 SP FP|pattern_sh=_kyotosanga_19a|pattern_so=_kyotosanga_19a |leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2019<br>{{Small|クラブ創立<br>25周年記念}}}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Kyoto Sanga F.C. 2022 SP FP|pattern_b= _Kyoto Sanga F.C. 2022 SP FP|pattern_ra= _Kyoto Sanga F.C. 2022 SP FP|pattern_sh= _Kyoto Sanga F.C. 2022 SP FP|pattern_so= _Kyoto Sanga F.C. 2022 SP FP |leftarm=FFFFFF|body=FFFFFF|rightarm=FFFFFF|shorts=FFFFFF|socks=FFFFFF|title={{Center|2022<br>{{Small|9月ホーム<br>リミテッド}}}}}} |- |||||| |} === 歴代ユニフォームスポンサー表記 === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #000; 4px 4px 4px #E6002E;" |- style="background-color:#831978; color:white; font-weight:bold;" |rowspan="2"|年度||colspan="8"|箇所||rowspan="2"|サプライヤー |- style="background-color:#831978; color:white; font-weight:bold;" |胸||鎖骨左||鎖骨右||背中上部||背中下部||袖||パンツ前面||パンツ背面 |- |1994||[[京セラ|KyOCERa]]||colspan="2" rowspan="24"|解禁前||rowspan="30"|[[任天堂]]||rowspan="22"|解禁前||rowspan="2"|-||rowspan="8"|解禁前||rowspan="26"|解禁前||rowspan="2"|[[プーマ|PUMA]] |- |1995||rowspan="27"|[[京セラ]] |- |1996||rowspan="11"|[[ワコール|Wacoal]]||[[ミズノ|Mizuno]] / <br/>[[プーマ|PUMA]] |- |1997||rowspan="6"|[[アンブロ|UMBRO]] |- |1998 |- |1999 |- |2000 |- |2001 |- |2002||rowspan="4"|[[大和証券]]<br/>(1st)<br/>[[大和証券キャピタル・マーケッツ|大和証券<br/>SMBC]]<br/>(2nd) |- |2003||rowspan="4"|[[ミズノ|Mizuno]] |- |2004 |- |2005 |- |2006||rowspan="18"|[[大和証券]] |- |2007||rowspan="17"|[[京都銀行]]||rowspan="6"|[[ワコール|CW-X]] |- |2008 |- |2009 |- |2010 |- |2011 |- |2012 |- |2013||rowspan="6"|[[ワコール|Wacoal]] |- |2014 |- |2015 |- |2016||- |- |2017||rowspan="4"|[[Au (通信)|au]] |- |2018||colspan="2"|- |- |2019||-||rowspan="2"|[[ワコール|Wacoal]]||rowspan="5"|[[プーマ|PUMA]] |- |2020||rowspan="4"|[[堀場製作所|HORIBA]]||rowspan="3"|- |- |2021||rowspan="4"|[[ワコール|WACOAL]]||rowspan="2"|[[Au (携帯電話)|au 5G<br/>(1st)<br />au<br/>(2nd)]] |- |2022||rowspan="2"|[[京セラ|KyOCERa]] |- |2023||[[au (通信)|RESPECT YOU, au]]||[[文化庁|{{small|Agency for Cultural Affairs ▶ moving to Kyoto}}<br/>文化庁<br/>京都へ]] |} == スポンサー == {{Main2|スポンサーについては、[http://www.sanga-fc.jp/other/sponsor/index/ スポンサー一覧] を}} == アカデミー・育成 == === 概要 === {{Main2|詳細は、[http://www.sanga-fc.jp/academy/ 外部サイト] を}} 育成組織(アカデミー)として、U-18、U-15、U-12SPコースを有する他、サッカースクールとして幼稚園・保育園在園児を対象とした「KIDSコース」、中学生、大人、女子、[[ゴールキーパー (サッカー)|GK]]の4コースから構成される「クリニックコース」、小学2年生から6年生を対象とするプレミアコース・プレミアクラスも設置されている<ref name="kyotofpvol11"/>。また、U-18年代を対象とした「スカラーアスリートプロジェクト」も併せて運営している。 === 主な大会の結果・成績 === * [[Jリーグユース選手権大会|Jユースカップ]]:優勝2回(2001年, 2017年) * [[日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会]]:優勝2回(1999年, 2007年) * [[高円宮杯 JFA 全日本U-15サッカー選手権大会]]:優勝2回(2011年) * [[JFA 全日本U-15サッカー大会|JFAプレミアカップ]]:優勝3回(2010年, 2011年, 2015年) * Manel Pons Cup:優勝1回(2010年) * Torneo de Futbol Virgen del Pilar:優勝1回(2010年) === 出身選手 === {{See|京都サンガF.C.の選手一覧#アカデミー出身者}} === スカラーアスリートプロジェクト === 2005年時点で育成組織専用の練習場などが無かったため、当時サンガの監督であった[[柱谷幸一]]が[[サンフレッチェ広島F.Cの育成組織|サンフレッチェ広島のユースチーム]]と地元高校の連携を例に挙げて育成組織の改善をクラブ幹部に提案した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-league.or.jp/document/jnews-plus/012/vol012.pdf|format=PDF|title=Jリーグニュースプラスvol.12|page=8|accessdate=2023-11-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110622110327/http://www.j-league.or.jp/document/jnews-plus/012/vol012.pdf|archivedate=2011-06-22}}</ref>。 2006年度から、産の[[京セラ]]、学の[[学校法人立命館|立命館]]、民のサンガが提携し、高校年代の生徒が勉学は[[立命館宇治中学校・高等学校|立命館宇治高校]]、練習は京都サンガF.C.東城陽グラウンドにある育成組織専用の照明を完備した人工芝グラウンドで、生活はサンガが建設した寮で行い、学費は立命館が、寮費・食費はサンガが全面的に負担する、「'''SCHOLAR-ATHLETE PROJECT'''(スカラーアスリートプロジェクト、以下SAP)」が開始された<ref name="SAP">{{Cite web|和書|url=http://www.sanga-fc.jp/academy/scholar.php|title=スカラーアスリートプロジェクト|publisher=京都サンガF.C|accessdate=2018-01-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180220212520/http://www.sanga-fc.jp/academy/scholar.php|archivedate=2018-02-20}}</ref>。2011年度にSAP開始以降初めて、SAP対象者がトップチームへ昇格した。 === SP京都FCとの提携 === 2014年1月22日、[[SP京都FC]](当時は佐川印刷京都)と選手育成、強化などを目的とする業務提携を締結した。業務提携の契約期間は2014年2月から2016年1月までであった。2014年は[[森岡隆三]](サンガ元コーチ)がSP京都FCのヘッドコーチに就任し、[[國領一平]]および[[齊藤隆成]]が育成型期限付き移籍で加入した<ref>{{Cite press release|和書|title=佐川印刷京都との業務提携について|publisher=京都サンガF.C.|date=2014-1-22|url=http://www.sanga-fc.jp/news/p/4936/|accessdate=2018-1-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180118011039/http://www.sanga-fc.jp/news/p/4936/|archivedate=2018-01-18}}</ref>。 == エピソード == === Jリーグ初の試合中止 === [[1996年のJリーグカップ]]、[[柏レイソル]]戦([[8月14日]]、[[大分市営陸上競技場]]=サンガ主催ゲーム)が[[台風]]のため中止となったが、Jリーグ公式戦が中止となった初めてのケースである。{{See|Jリーグの試合中止例}} なお、代替試合は西京極が芝生の張替え工事中につき使用できなかったため、[[ガンバ大阪|G大阪]]の許可を得て、G大阪のホームスタジアムである[[万博記念競技場]]で[[8月24日]]に開催された。 === 五山送り火と同日のホームゲーム=== 毎年[[8月16日]]の夜に、京都の夏を代表する風物詩として知られる「[[五山送り火]]」が行われる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kyokanko.or.jp/3dai/daimonji.html|title=五山送り火|work=公益社団法人京都市観光協会公式サイト|accessdate=2013-3-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130601053410/http://www.kyokanko.or.jp/3dai/daimonji.html|archivedate=2013-06-01}}</ref>。当日はネオンや照明灯などの灯火を自粛するよう[[京都市]]から呼びかけが行われるため、サンガのホームゲームが重複する際は以下のような対応がとられた。 ;[[1997年のJリーグ]] Jリーグ2ndステージ・第5節の横浜M戦が[[8月15日]]に開催された(他クラブは8月16日開催)。なお、試合は1-4でサンガの敗戦。 ;[[2007年のJリーグ ディビジョン2]] J2第34節の札幌戦が8月16日の17時20分キックオフの薄暮開催となった。なお、試合は2-3でサンガの敗戦。 === 守備放棄試合 === {{Main|大分トリニータ#守備放棄試合}} == メディア == ;[[京都放送|KBS京都]](テレビ) * [[エキサイティング!J]](ホーム全試合と一部のアウェーゲームを中継) * VALUE!サンガ(1995年) ** 旧JFL期の番組。[[TKO (お笑いコンビ)|TKO]]の2人が出演していた。 * サンガレボリューション(1998年 - 2000年) ** 1998年は週1回の15分番組として放送されたが、翌年以降縮小した。 * [[京スポ|京スポ〜SPORTS NEWS ENTERTAINMENT〜]](2004年 - 現在放送中) * サンガ@LOVE(2006年) ** 試合ハイライトや選手のインタビューを中心とした番組であった。 * [[ぽじポジたまご]] ;[[朝日放送テレビ|朝日放送]](ABC) * [[Jフットニスタ]](2015年 - 現在放送中) ;[[毎日放送]](テレビ) * [[KICK OFF! (テレビ番組)#各番組の詳細|KICK OFF! KANSAI]](2023年 - 現在放送中) ;KBS京都(ラジオ) * Sanga Today * [[伊舞なおみのみんながメダリスト]](番組内で実況中継を行う場合あり) ;[[NHK京都放送局]] * [[Jリーグ中継 (NHK)|Jリーグ中継]](不定期に京都ローカルで中継する場合がある) * [[ニュース610 京いちにち]](月曜日に「スポーツ京都版」を放送) ;[[J:COM 京都みやびじょん]] * Foot Style 京都(ホームゲームハイライトなどを放映) ;[[エフエム京都|α-STATION]] *[[α-MORNING KYOTO]](「What's Up with Sanga,Today」を放送) == 決算 == 京都サンガの決算は、つぎのとおり。 === 損益 === {| class="wikitable" |- !年度 !!{{abbr|収入|営業収入}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!事業費 !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|管理費|一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2005 ||style="background-color:wheat" |2,058 ||1,308 ||245 ||153 ||352 ||style="background-color:wheat" |1,830 ||1,435 ||N.A. ||395 ||style="background-color:wheat" |228 ||style="background-color:wheat" |158 |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||style="background-color:wheat" |2,230 ||1,447 ||334 ||251 ||198 ||style="background-color:wheat" |2,120 ||1,738 ||1,072 ||382 ||style="background-color:wheat" |110 ||style="background-color:wheat" |47 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||style="background-color:wheat" |2,125 ||1,460 ||301 ||131 ||233 ||style="background-color:wheat" |2,085 ||1,683 ||1,051 ||402 ||style="background-color:wheat" |40 ||style="background-color:wheat" |11 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||style="background-color:wheat" |2,502 ||1,571 ||450 ||233 ||248 ||style="background-color:wheat" |2,505 ||2,095 ||1,334 ||410 ||style="background-color:wheat" |-3 ||style="background-color:wheat" |1 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||style="background-color:wheat" |2,416 ||1,515 ||419 ||227 ||255 ||style="background-color:wheat" |2,596 ||2,216 ||1,503 ||380 ||style="background-color:wheat" |-180 ||style="background-color:wheat" |-248 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||style="background-color:wheat" |2,311 ||1,484 ||348 ||220 ||259 ||style="background-color:wheat" |2,416 ||2,030 ||1,308 ||386 ||style="background-color:wheat" |-105 ||style="background-color:wheat" |-251 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010] 金額の単位: 百万円 人件費は事業費に含まれる。 </div> {| class="wikitable" |- !年度 !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||style="background-color:wheat" |2,140 ||1,395 ||199 ||100 ||131 ||315 ||style="background-color:wheat" |1,896 ||895 ||174 ||156 ||126 ||0 ||545 ||style="background-color:wheat" |244 ||style="background-color:wheat" |253 |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||style="background-color:wheat" |2,039 ||1,354 ||250 ||89 ||129 ||217 ||style="background-color:wheat" |1,521 ||591 ||134 ||166 ||126 ||0 ||504 ||style="background-color:wheat" |518 ||style="background-color:wheat" |297 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||style="background-color:wheat" |1,930 ||1,235 ||260 ||107 ||134 ||194 ||style="background-color:wheat" |1,681 ||692 ||135 ||156 ||145 ||0 ||553 ||style="background-color:wheat" |249 ||style="background-color:wheat" |151 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||style="background-color:wheat" |1,761 ||1,136 ||229 ||100 ||138 ||158 ||style="background-color:wheat" |1,667 ||695 ||128 ||155 ||129 ||0 ||560 ||style="background-color:wheat" |94 ||style="background-color:wheat" |61 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||style="background-color:wheat" |1,897 ||1,133 ||193 ||89 ||150 ||332 ||style="background-color:wheat" |1,792 ||796 ||133 ||155 ||129 ||0 ||579 ||style="background-color:wheat" |105 ||style="background-color:wheat" |12 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015] 金額の単位: 百万円 </div> {| class="wikitable" |- !年度 !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!物販 !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!物販 !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2016 ||style="background-color:wheat" |1,743 ||1,122 ||200 ||93 ||136 ||58 ||134 ||style="background-color:wheat" |2,008 ||965 ||143 ||154 ||127 ||0 ||34 ||585 ||style="background-color:wheat" |-265 ||style="background-color:wheat" |-284 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016] 金額の単位: 百万円 </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円) |legend=凡例 |type=line |showSymbols=yes |colors=#0000aa, #00aa00, #ff8000 |y1Title=営業収益 |y2Title=営業費用 |y3Title=選手・チームスタッフ人件費 |x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016 |y1=2058, 2230, 2125, 2502, 2416, 2311, 2140, 2039, 1930, 1761, 1897, 1743 |y2=1830, 2120, 2085, 2505, 2596, 2416, 1896, 1521, 1681, 1667, 1792, 2008 |y3= , 1072, 1051, 1334, 1503, 1308, 895, 591, 692, 695, 796, 965 |yAxisMin=0 }} === 資産 === {| class="wikitable" |- !年度 !!総資産 !!総負債 !!純資産 !!資本金 |- |style="font-weight:bold;" |2005 ||1,000 ||787 ||213 ||3,605 |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||926 ||666 ||259 ||3,605 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||822 ||552 ||270 ||3,605 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||1,577 ||1,304 ||272 ||3,605 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||1,154 ||1,131 ||23 ||3,605 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||1,269 ||1,497 ||-228 ||3,605 |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||1,159 ||1,134 ||25 ||3,605 |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||1,314 ||992 ||322 ||3,605 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||1,045 ||572 ||473 ||3,605 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||1,037 ||503 ||535 ||3,605 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||1,055 ||508 ||547 ||3,605 |- |style="font-weight:bold;" |2016 ||765 ||502 ||263 ||3,605 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016] 金額の単位: 百万円 </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円)|legend=凡例 |type=area |colors=#0000aa,#ff8000 |y1Title=総資産 |y2Title=純資産 |x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016 |y1=1000, 926, 822, 1577, 1154, 1269, 1159, 1314, 1045, 1037, 1055, 765 |y2=213, 259, 270, 272, 23, -228, 25, 322, 473, 535, 547, 263 |showSymbols=yes }} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[京都サンガF.C.の選手一覧]] * [[関西ダービー]] * [[エレベータークラブ]] == 外部リンク == * {{Official website}} * {{Facebook|KyotoSangaofficial}} * {{Twitter|sangafc}} * {{Twitter|kotonochan12|コトノちゃん}} * {{Instagram|kyotosanga_official}} * {{LINE公式アカウント|kyotosanga}} * {{YouTube|user = kyotosangachannel|KYOTO SANGA F.C. CHANNEL}} * [https://www.kbs-kyoto.co.jp/tv/sanga/ エキサイティング! J KYOTO SANGA F.C.] - [[京都放送|KBS京都]] * [https://www.kyoto-np.co.jp/info/sports/sanga/ 京都サンガ応援特集] - [[京都新聞]]電子版 {{Navboxes|title =京都サンガF.C.関連テンプレート|titlestyle=background-color:#831978; color:#FFF; border:solid 3px #000; line-height:120%; |list1= {{京都サンガF.C.のメンバー}} {{京都サンガF.C.及びその前身チーム歴代監督}} {{京都サンガF.C.歴代主将}} }} {{日本プロサッカーリーグ}} {{Jリーグスタジアム}} {{日本プロサッカーリーグのマスコット}} {{Jリーグクラブ・チアリーディングチーム}} {{Navboxes|title=獲得タイトル |list1= {{J2優勝チーム}} {{天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝チーム}} }} {{高円宮杯U-18サッカーリーグ}} {{KYOCERA}} {{Normdaten}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=京都パープルサンガ |1-1=下京区の企業 |1-2=1994年設立の企業 |1-3=京都サンガF.C. |}} {{デフォルトソート:きようとさんかえふしい}} [[Category:京都サンガF.C.|*]] [[Category:1922年設立のスポーツチーム]] [[Category:Jリーグクラブ]] [[Category:過去のJリーグ百年構想クラブ]]
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エジプト九柱の神々
エジプト九柱の神々(エジプトきゅうはしらのかみがみ、Ennead(ギリシア語で「九人組」「九個一組」の意味))は、エジプト神話の中のヘリオポリス創世神話に関わる九柱の神と女神。ヘリオポリス九柱神、エニアド、エネアドとも。 エニアド(Ennead)は、これらの神々の集会を表記するのにも用いられる。 一部、ラー、トト、大ホルス、アメン=ラー、ホルスなどが入れ替わる場合もある。
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{{Egyptian mythology}} '''エジプト九柱の神々'''(エジプトきゅうはしらのかみがみ、Ennead([[ギリシア語]]で「九人組」「九個一組」の意味))は、[[エジプト神話]]の中の[[ヘリオポリス]][[創世神話]]に関わる九柱の[[神]]と[[女神]]。'''ヘリオポリス九柱神'''、'''エニアド'''、'''エネアド'''とも。 エニアド(Ennead)は、これらの神々の集会を表記するのにも用いられる。 ==一覧== *[[アトゥム]]([[w:Atum|Atum]]) - [[創造神]]、シューとテフヌトの父 *[[シュー (エジプト神話)|シュー]]([[w:Shu (Egyptian deity)|Shu]]) - ゲブとヌトの父 *[[テフヌト]]([[w:Tefnut|Tefnut]]) - ゲブとヌトの母 *[[ゲブ]]([[w:Geb|Geb]]) - オシリス、イシス、セト、ネフティスの父 *[[ヌト]]([[w:Nuit|Nuit]]) - オシリス、イシス、セト、ネフティスの母 *[[オシリス]]([[w:Osiris|Osiris]]) *[[イシス]]([[w:Isis|Isis]]) *[[セト]]([[w:Set (god)|Set]]) *[[ネフティス]]([[w:Nephthys|Nephthys]]) 一部、[[ラー]]、[[トート|トト]]、大ホルス、アメン=ラー、[[ホルス]]などが入れ替わる場合もある。 <!-- ---- 英語の原文:<br> In [[Egyptian mythology]], the '''Ennead''' were the nine most important [[god]]s and [[goddess]]es. They were: [[Atum]], [[Isis]], [[Nephthys]], [[Nuit]], [[Set (god)|Set]], [[Shu]] and [[Tefnut]]. The word is also used to describe the meetings of the gods. --> {{エジプト神話}} {{DEFAULTSORT:えしふと9はしらのかみかみ}} [[Category:エジプト神話の神|*]] [[Category:創造神話]] [[Category:神々]] [[Category:名数9|えしふとはしらのかみかみ]] [[ca:Llista de personatges de la mitologia egípcia#E]]
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ヴィッセル神戸
ヴィッセル神戸(ヴィッセルこうべ、英: Vissel Kobe)は、日本の兵庫県神戸市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 2010年代後半から国内外のスター選手を相次いで獲得し、2022年度時点でチーム人件費はJリーグ1位、J1クラブの平均値を大きく上回っている。 2014年まで三木谷浩史の個人資産管理会社が全額出資しており、現在の運営会社は楽天ヴィッセル神戸株式会社。2013年度まで当期純利益で10年連続単年度赤字を計上したが、三木谷氏の個人資産や楽天グループの資金調達で債務超過を解消させている。 1966年創部の川崎製鉄水島サッカー部(1987年に川崎製鉄サッカー部に改称)が前身。1997年にJリーグへ加盟した。ホームスタジアムはノエビアスタジアム神戸、練習場はいぶきの森球技場(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。 チーム名の「ヴィッセル」は、英語の「VICTORY(勝利)」と「VESSEL(船)」を合わせた造語。これは「勝利の船出」を意味し、国際港湾都市・神戸をイメージ。神戸市民の夢を乗せ、勝利に挑戦し続けるチームであることの誓いもこめている。 マスコットは神戸・兵庫に馴染みの深い、牛をモチーフとした「モーヴィ(MOVI)」。牛の鳴き声「モー」と勝利「ヴィクトリー」を合わせた造語。 運営会社は楽天ヴィッセル神戸株式会社(旧・株式会社クリムゾンフットボールクラブ)。2004年に同社が設立された当初は合同会社クリムゾングループ(楽天代表取締役の三木谷浩史の個人資産管理会社)からの全額出資であり、楽天からの出資は無かったが、2014年12月に楽天が運営会社の全株式を取得した。 1993年12月に「神戸にプロサッカーチームをつくる市民の会(オーレKOBE)」が地元市民の有志により発足。同時期に岡山県倉敷市を本拠地とする川崎製鉄サッカー部の誘致活動を行い、川崎製鉄本社の意向もあり1994年3月に1995年からの神戸市へ移転が決まった。1994年6月、当時神戸市に本社を置いていた総合スーパーのダイエーがメインスポンサーとなり株式会社神戸オレンジサッカークラブを設立。1994年9月、クラブ名称が「ヴィッセル神戸」に決定した。 1月1日、ヴィッセル神戸としてスタートしたが、練習初日の1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、選手らは岡山県倉敷市のグラウンドで初練習を行った(2月6日)。なお、神戸市内の練習場「いぶきの森球技場(旧)」は1995年7月に完成した。また6月に後にクラブの象徴的存在となり「ミスター神戸」と称されたFW永島昭浩が加入した。 運営会社の筆頭株主だったダイエー(資本金10億円のうち、50%を出資)が震災の影響から3月に撤退した。当時強化部長だった安達貞至がスポンサー獲得に奔走、5月31日に運営会社の商号を株式会社ヴィッセル神戸に変更。ユニフォームにも白と黒のストライプにオレンジのラインが襟と袖に入っていたがダイエー撤退に伴い、オレンジからエメラルドグリーン(ヴィッセルブルー)に変更した。 リーグ後半戦となる16節を前に当時現役デンマーク代表のミカエル・ラウドルップが加入。最終節でNTT関東に3-1で勝利したことで、ジャパンフットボールリーグ(JFL)準優勝、1997年シーズンからJリーグへ加盟した。 リーグ第2節の名古屋グランパスエイト戦では永島昭浩が2ゴールを挙げ、チームはJリーグ初勝利を挙げた。同年、Jリーグ史上初のフェアプレー賞(高円宮杯)を受賞した。 韓国代表FW金度勲を獲得し、永島との強力2トップを要したものの、シーズン途中には16連敗を喫するなど低迷。J1参入決定戦で札幌を下して何とかJ1残留を決めた。 シーズン終了後には伊藤ハムがユニフォーム胸スポンサーから撤退。 監督に川勝良一が就任。2ndステージ終盤に4連勝を記録するなど、年間7位となり、2016年に更新されるまで長年クラブの最高順位記録だった。 DF海本慶治がクラブ初の代表選手に選ばれた。2ndステージは連敗が続くなど苦しい戦いながらJ1に残留を果たした。この年限りで永島が現役を引退した。 京都を退団したFW三浦知良、MF望月重良、DFシジクレイ、清水からMFサントスらが加入。神戸ウイングスタジアムのこけら落としとなった試合ではクラブ史上最多の3万813人を動員した。 横浜から城彰二、G大阪から播戸竜二らを獲得するも、1stステージでは5連敗を喫するなど低迷し、川勝が辞任し後任にコーチを務めていた松田浩が昇格する形で就任した。2ndステージ開幕前にFWオゼアス、MFアリソンを獲得。最終節で清水を下しギリギリで残留を果たした。 新たに副島博志を新監督に迎え、公式戦3連勝スタートを切ったが、1stステージ第14節大分戦ではワースト記録となる8失点で敗れるなど、年間通して多くの失点を喫する(リーグワースト63失点)。それでも終盤にカズ、播戸らの活躍で最終節を待たずして残留を決めた。 2003年12月15日、運営会社の株式会社ヴィッセル神戸は東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請した。 1月14日、兵庫県出身で楽天の代表取締役である三木谷浩史が代表を務める株式会社クリムゾンフットボールクラブ(2004年1月5日設立)が2月1日付でチームの営業権を譲り受けた。神戸市はチーム運営から撤退し、スタジアム使用などの側面支援を行うことになった。 イワン・ハシェックが監督に就任。2002 FIFAワールドカップのトルコ代表FWのイルハン・マンスズが加入し話題を集めたが、イルハンは出場は3試合にとどまり、シーズン途中に自らの希望で退団。2ndステージ開幕直前には、元東京Vを退団したばかりだったFWパトリック・エムボマ、鹿島アントラーズからFW平瀬智行、チェコの名門FKテプリツェからMFホルヴィらを獲得するなどテコ入れをおこなった。クラブは下位にとどまったが、播戸がリーグ戦17得点をあげ、得点ランキング3位タイとなった。 東京Vから現役日本代表DF三浦淳宏を獲得。開幕戦で勝利して以降、公式戦12試合勝ちなしとなり、6節広島戦終了後に松永英機が辞任し、エメルソン・レオンが就任したが成績は上向かず、2か月余りで解任された。その後パベル・ジェハークが正式に監督に就任した。パベル就任後、戦力構想から外れた三浦知良が7月に横浜FCへ移籍。また同時期にDFホージェルと6月に加入したばかりのディエゴ・デ・ソウザがそれぞれクラブを去り、FWエムボマが怪我の影響もあり現役を引退した。 8月にブンデスリーガでのプレー経験もあるFWイヴォとDFマルティンを獲得。2004年加入のMFホルヴィを加えて、チェコ人3人体制となった。前年17得点を挙げた播戸が怪我で10月下旬まで離脱したことが響き、年間通して得点力不足を露呈。第7節に最下位に転落して以降、一度も最下位を脱出できず、11月20日の大宮戦に敗れ、J2に降格した。 また、監督は2004年から1年半の間にハシェック、加藤寛、松永英機、エメルソン・レオン、パベル・ジェハークとかわるがわる5人の指揮官が務めるなどクラブの迷走模様が浮き彫りとなった。 初代監督のスチュワート・バクスターが9年ぶりに監督に就任。GK掛川誠、DF菅原智、FW和多田充寿ら長年クラブに在籍した選手が戦力外通告に伴い退団したほか、FW播戸竜二も古巣G大阪へ移籍したものの、三浦淳を始め多くの主力が残留した。DFラインには長年イングランド・プレミアリーグで長年プレー経験のあるDFエメルソン・トーメを獲得。攻撃陣にはJ1で出番の少なかったFC東京FW近藤祐介、広島FW茂木弘人を獲得。 トップチームにおいてサテライトチームを「ヴィッセル神戸U-21」として若手選手の育成強化のためのチームに特化させると共に、出場経験が少ない選手に対する実践機会提供を図る観点からSC鳥取(現:ガイナーレ鳥取)と提携。また、横浜FMユース、ナショトレ関西地区担当の安達亮がU-21監督に就任。 4月10日、クリムゾンFC社長の三木谷が代表取締役会長に就任。安達がGM兼任で代表取締役社長に就任。5月、読売サッカークラブや浦和、日本サッカー協会などで重要職を担ってきた佐藤英男がGMアシスタントとして就任。また、人工芝グラウンドがいぶきの森に完成した。 8月24日、バクスターが家庭の事情で帰国することになり、4日前にコーチとして神戸に復帰していた松田浩が監督に昇格。リーグ戦は、横浜FC・柏と自動昇格を争い、最終節で柏に逆転され3位の成績。最終戦で退場処分になった三浦を欠いたホームでの初戦は引き分け、12月9日、福岡との入れ替え戦第2戦、後半、FW近藤のゴールで先制。その後同点とされ福岡の猛攻を受けたが耐え凌ぎJ1昇格を決めた。 松田体制2年目。育成部長に滝川第二高等学校サッカー部監督・黒田和生が就任。 横浜FMからGK榎本達也、C大阪からFW大久保嘉人を完全移籍で、山形からFWレアンドロ、元全北現代のMFボッティを期限付き移籍で獲得した。浦和からMF酒井友之、新潟からMFディビッドソン純マーカス、福岡からレンタルでMF古賀誠史らを獲得。シーズン途中に主将MF三浦淳宏が起用法をめぐり、クラブと衝突し退団した。 第21節から第26節まで5連敗したが、第31節の甲府戦に勝利してJ1残留が決まった。なお、最終順位は10位。目標とした一桁順位は届かなかったが、当時のクラブ最高勝ち点47を記録。また得点数58はリーグ4位を記録した。このシーズンをもってDFエメルソン・トーメが現役引退した。 松田体制3年目。 韓国代表主将のMF金南一、大分から元日本代表FW松橋章太、横浜FMからMF吉田孝行、FC東京からMF鈴木規郎、甲府からFW須藤大輔などを獲得。一方で近藤祐介が退団した。 大久保嘉人がキャプテン、北本久仁衛、榎本達也が副キャプテンとなった。開幕から好調を維持し、一時は2位につけていた。その後、レアンドロ、古賀誠史、北本久仁衛らが次々と怪我をし、一時は降格圏内まで順位が落ちたが、その後J1クラブ記録となる5連勝を達成するなどし、11月23日のFC東京戦で残留を決めた。天皇杯は4回戦で松本山雅FCにJリーグ加盟後の公式戦最多得点(8 - 0)で勝利したが、5回戦で鳥栖に敗退した。 共同通信によると11月時点で松田浩に監督続投を要請していたが、12月に松田が監督から解任された。また、栗原圭介、酒井友之らベテランに加え、ユース出身の4人もが契約満了により退団した。 監督にCRフラメンゴからカイオ・ジュニオールが就任。 FW大久保嘉人がVfLヴォルフスブルクへ、FWレアンドロがG大阪へ移籍した一方、ブラジル人のFWマルセウ、MFアラン・バイーア、川崎から我那覇和樹、オーストリアのレッドブル・ザルツブルクから元日本代表DF宮本恒靖を獲得した。 リーグ戦は第5節(4月11日)の横浜FM戦で2006年以来の5失点で大敗した。その後も下位に沈んだ。6月にFW大久保嘉人が復帰したが、6月30日にカイオ・ジュニオールがカタールクラブ監督を理由に監督を辞任。後任には和田昌裕がチーム統括本部長と兼任で就任した。さらに8月大宮や札幌の元監督の三浦俊也が監督に就任(和田はヘッドコーチに就任)。三浦の就任後は首位鹿島を下すなど8月は無敗で乗り切ったが、9月以降はなかなか勝ち点を伸ばせず、第33節に柏の降格が決定したため、残留が確定。シーズン成績は14位。 三浦俊也体制2年目。社長職が安達から叶屋宏一へ交代。 金南一がロシアリーグに移籍した一方、草津からJ2で23得点あげたFW都倉賢、大分からMFエジミウソンを獲得。更に古賀誠史と内山俊彦が抜けた左サイドに大宮からDF冨田大介、柏からMFポポを獲得した。また、新卒として、北越高校からFW有田光希、久御山高校からMF森岡亮太が入団した。FW小川慶治朗がクラブ初の2種登録選手となった。 開幕戦こそ勝利したが、代表戦で負傷した大久保嘉人のコンディションが上がらなかった事や、都倉や冨田といった新加入選手が出遅れた事もあり連勝できない状態が続いた。 W杯での中断明けに練習に参加していたFWイ・ジェミンと7月に契約した。一方でリーグ戦は17節から23節までの7試合で6人の退場者を出し、そのうちの2度がGK榎本達也の退場で、フィールドプレーヤーがGKを務める事態も2度生じた。9月11日の京都戦に敗北した翌9月12日に三浦俊也が解任され、和田が監督に就任。28節から7試合で勝ち点15を積み上げ、第33節終了時点で16位であったが、最終節で浦和戦に勝利し、第33節時点で15位のFC東京が敗れたため、最終順位15位でJ1残留が決まった。なお、2010年シーズンの反則ポイントが149となり150万円の反則金を課された(反則ポイント17位は大宮で100ポイント)。 和田体制2年目。 小林久晃、冨田大介が甲府へ、エジミウソンが熊本へ、榎本達也が徳島へ、高橋祐太郎がC大阪へ、我那覇和樹がJFL・FC琉球へ完全移籍、坪内秀介(大宮)、荻晃太(甲府)がレンタル移籍先へ完全移籍した。 補強として、C大阪からDF羽田憲司、UAEリーグアル・ワスルからMFホジェリーニョが完全移籍で加入、DF柳川雅樹、MF馬場賢治がレンタル移籍から復帰した。 序盤は好調だったものの、ホーム広島戦でのMF三原雅俊の負傷離脱以降は9戦で3分6敗と低迷する。その後は補強選手が機能せず怪我人が多く、9試合勝ちなしなど苦しい戦いを強いられた が、「よりボールを保持し相手を圧倒するサッカー」 が浸透し、新主将吉田、大久保、朴康造、ドイツ2部のコットブスを退団しシーズン途中に加入したDF相馬崇人らベテラン勢の活躍もあり最終的には過去最高順位となる9位でリーグ戦を終え、今季目標に掲げていた「一桁順位達成」をクリアした。また、年間合計入場者数が昨年から引き続きJ1に在籍したクラブの中で唯一昨年より増加した(前年比103.1%)。 和田体制3年目。 ボッティがフィゲイレンセFCへ、ホジェリーニョがセアラーSCへ、ポポが浦和へ、石櫃が名古屋へ、松岡が磐田へと移籍した。また、草津にレンタル移籍した柳川が栃木SCに、三島が水戸に、馬場が湘南に、楠瀬が松本に完全移籍。有田が愛媛に、紀氏が鳥取に、昨シーズン2種登録だった廣田がプロ契約後、岐阜にレンタル移籍。また、宮本が引退した。 補強は、G大阪から橋本英郎、高木和道、鹿島から田代有三、野沢拓也の計4人の元日本代表選手を獲得。また、山形からGK植草裕樹、ハイドゥク・スプリトを退団していた日本代表DF伊野波雅彦を獲得、またイ・グァンソン、奥井諒の2人の大卒選手が入団した。選手以外では3月に元FCバルセロナ副会長のマルク・イングラが取締役に就任。また、5月にはタイ・プレミアリーグのチョンブリーFCと業務提携を結んだ。 リーグ戦は開幕2連勝後に4連敗(ナビスコ杯を入れると6連敗)。第8節終了時で3勝5敗(ナビスコ杯を入れると3勝7敗)となった、4月30日に和田を監督から解任。ヘッドコーチの安達亮が暫定監督に就き。5月19日にG大阪元監督の西野朗が就任した。2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選によるリーグ戦中断が開けた第14節から3連勝したが、9月以降にリーグ戦および天皇杯のSAGAWA SHIGA FC戦で公式戦9試合連続勝ちなし、うち3試合連続で逆転負けを喫した。 11月7日の横浜FM戦に敗戦した翌8日に西野を監督から解任、ヘッドコーチの安達亮が後任監督に就任した が、第34節でサンフレッチェ広島戦に敗北して16位となり、J2降格が決定した。 安達体制2年目。トップチームコーチに千葉前監督の木山隆之が就任し、武田治郎GKコーチの後任にはシジマールが就任した。 大久保が川崎へ、野沢が鹿島へ、伊野波が磐田へ、近藤が水戸へ、高木が大分へそれぞれ移籍。フェルナンド、アンデルソン、ペ・チョンソクが退団し、朴と羽田が現役を引退した。また嘉味田と廣田が鳥取へ期限付き移籍した。 補強は、浦和から2011年まで在籍していたFWポポを、清水からGK山本海人を、蔚山現代FCからMFエステバンをそれぞれ完全移籍で獲得し、川崎から杉浦恭平を期限付きで獲得。期限付き移籍していた有田光希、河本裕之、大屋翼、紀氏隆秀がチームに復帰し、ユースから松村亮、前田凌佑、和田倫季が昇格した。2月にブラジル・パルメイラスからFWマジーニョが期限付きで加入した。 開幕から3連勝。第4節京都戦に敗れたが、第5節から9試合負けなし(6勝3分)の成績。しかし、第16節・鳥取戦に敗れ、同節終了時点で第2節以来キープしてきた首位をG大阪に明け渡した。その後は第34節まで2位を維持し、第35節から第38節までは再び首位に立った。また、第37節・松本戦ではリーグ戦クラブ記録となる1試合7得点を記録した。第39節、勝てば2位以内確定となる3位京都との直接対決に引き分け、自力でのJ1復帰決定を逃す と同時に、再びG大阪に首位を明け渡したものの、第40節、先に試合を行った京都がG大阪に敗れた時点で神戸のシーズン2位以上が確定、1年でのJ1復帰を決めた。なお、J2リーグ戦は2位の成績。天皇杯は3回戦でC大阪に敗れた。 安達体制3年目。2012年途中から就任したブローロフィジカルコーチが名古屋へ移籍し、2007年まで新潟でフィジカルコーチを務めたフラビオがフィジカルコーチに就任した。 ポポが磐田へ、イ・グァンソンが福岡へ、C大阪から期限付きの金、パルメイラスから期限付きのマジーニョが復帰、有田、三原がそれぞれ京都、長崎へ期限付き移籍、鳥取に期限付きしていた廣田、戦力外通告を受けた紀氏、都倉、林がチームを離れた。エステバンは選手登録を抹消され、済州ユナイテッドFCを経て2014年7月徳島ヴォルティスへ期限付き移籍となった。 補強は、前年J1で16得点をあげたFWマルキーニョスを横浜FMから、Kリーグで17得点をあげたFWペドロ・ジュニオールを済州ユナイテッドFCから獲得。その他DF増川隆洋、高橋峻希、MFシンプリシオ、チョン・ウヨンが加入。川崎から期限付きで加入していたMF杉浦恭平は完全移籍で獲得。ユースからGK吉丸絢梓が昇格し、FW金容輔が興國高校より入団した。 リーグ戦第8節鹿島とのアウェーゲームに15年ぶりに勝利し、クラブ史上初のリーグ戦首位に立つなど、ワールドカップ中断期間までは3位。ナビスコカップではクラブ史上初の決勝トーナメント進出を果たした一方、天皇杯は2回戦(初戦)で関西学院大学に敗れた。11月2日に第31節サガン鳥栖戦の敗戦でAFCチャンピオンズリーグの出場が消滅し、その直後に約2年間指揮をとった安達亮監督のシーズン終了後の契約満了が発表された。最終的にシーズン終盤はリーグ戦4連敗を喫するなど11位。12月9日には橋本英郎、茂木弘人との契約満了を発表した。12月12日にはシジマールGKコーチ・フラビオフィジカルコーチの退任が発表された。それに伴いアレックストップチームGKコーチ・ピメンテウフィジカルコーチの就任とネルシーニョの監督就任が発表された。 ネルシーニョ体制1年目。 植草が長崎、茂木が福島、橋本がC大阪、杉浦が仙台へ、河本が大宮へ完全移籍し、京都へ期限付き移籍していた有田はそのまま完全移籍となった。そのほか、シンプリシオと田代が退団した。松村は栃木へ1年間の期限付き移籍となった。 補強は、FC東京からFW渡邉千真、大宮からDF高橋祥平、鳥栖からDF安田理大、ブラジルからMFフェフージンと清水からブエノが期限付きで加入した。前年福岡から期限付きで加入したFW石津大介は期限を延長した。京都へ期限付き移籍していたMF田中英雄と長崎へ期限付き移籍していたMF三原雅俊が復帰。東福岡高校からMF増山朝陽、早稲田大学からGK松澤香輝が新人として入団した。 年間を通して故障で主力を欠くことが多く、4月以降はホームゲームで勝ち星を稼げず、1stステージは13位と低迷。2ndステージ開幕前にフェフージンとの契約を解除し、入れ替わる形で柏FWレアンドロが2008年以来7年ぶりにチームに復帰。2ndステージ開幕戦では、そのレアンドロも得点をあげるなど5-0と圧勝するスタートしたが、4節から6節まで3連敗。この時期はホームとして使用するノエビアスタジアムのピッチコンディションが悪く、試合後の記者会見で、ネルシーニョが「リズムを作れなかったのはピッチコンディションが影響した」と苦言を呈するほどだった。そのため、2ndステージ9節サガン鳥栖戦とナビスコカップ準々決勝柏レイソル戦は神戸ユニバー記念競技場に試合会場が変更された。9月から5連敗、2ndステージ14節時点で年間勝ち点15位と降格の可能性を残したが15・16節の残留を争うモンテディオ山形と松本山雅FCとの2連戦に連勝して残留を確定させた。ナビスコカップはベスト4、天皇杯はベスト8に入った。 ネルシーニョ体制2年目。 奥井が大宮に、安田が名古屋、増川が札幌、ブエノが鹿島、森岡がポーランド・ヴロツワフ、チョン・ウヨンが中国・重慶力帆FCへそれぞれ完全移籍。マルキーニョスと和田が退団。 補強は、水戸からDF田中雄大を、鳥栖からMF藤田直之を、韓国・蔚山現代から韓国代表GKキム・スンギュを完全移籍で獲得。清水からDF村松大輔を期限付き移籍で獲得。栃木に期限付き移籍していたMF松村亮が復帰。ユースからDF藤谷壮、DF東隼也、MF中坂勇哉がトップチームへ昇格。関西学院大学から元ユース所属のMF小林成豪、阪南大学からMF松下佳貴が新卒入団した。また2月9日に磐田を退団したDF伊野波雅彦が4年ぶりに復帰することが発表された。2ndステージからSCインテルナシオナルからMFニウトンと浦和からDF橋本和が加入。 開幕戦は甲府に敗れたものの、2節の新潟戦で6-3の逆転勝利で初勝利。前年は怪我に泣かされたFWペドロ・ジュニオールが復調し、レアンドロとの2トップが固定されて以降は攻撃面は安定感を発揮したが、ボランチのコンビがなかなか定まらず、毎試合構成を変更を余儀なくされた。1stステージは12位と苦しんだが、2ndステージは前述したMFニウトンとDF橋本和を獲得。2ndステージ8節FC東京戦以降はリーグ戦8勝1分1敗と好成績を収めた。2ndステージ15節仙台戦で敗れたため、ステージ優勝の夢は途切れたものの、2ndステージを2位で終えた。年間成績は過去最高の7位。またFWレアンドロが19得点を挙げ、クラブ初のJリーグ得点王に輝いた。 ネルシーニョ体制3年目。 相馬が引退、山本が千葉、高橋祥平が磐田、ペドロ・ジュニオールが鹿島、松澤が徳島、田中雄大が札幌へ完全移籍、松村が徳島、増山が横浜FCへ期限付き移籍、石津は期限付き移籍期間満了で福岡へ復帰、群馬へ期限付き移籍していた田代が退団した。 補強は、仙台からDF渡部博文、G大阪からMF大森晃太郎、FC東京からMF高橋秀人、湘南からFW大槻周平、ポルトガル1部リーグのスポルティングCPから昨年柏でプレーしたFW田中順也が完全移籍で加入。期限付き移籍だったDF橋本和が完全移籍で加入、吉丸、山口が期限付き移籍先から復帰した。また、元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキが加入して7月にチームへ合流。同じ7月にオランダ1部のADOデン・ハーグから、元日本代表FWハーフナー・マイクが加入した。 クラブ史上初の開幕4連勝を達成する好スタートを切ったものの、開幕戦で前年得点王のレアンドロが全治6か月の重傷を負うと(9月の復帰目前で再び同じ箇所を負傷しシーズン絶望となった)、4月中旬から下旬にかけて3連敗を喫するなど順位は低迷。ルーカス・ポドルスキが加入したものの、夏場に再び3連敗を喫し、8月16日にネルシーニョ監督との契約を解除し、吉田孝行ヘッドコーチが監督に就任した。守備を安定させ、攻撃では孤立気味だったポドルスキを自由にプレーさせるなどしたものの、シーズンラスト3ゲームはいずれも黒星でシーズン3度目の3連敗となった。リーグでの順位は9位となり、2年連続での1桁順位となった。天皇杯は準決勝でC大阪に敗れた。 吉田体制2年目。 岩波が浦和へ完全移籍したほか、ニウトンがブラジル・バイーアへ、高橋秀人が鳥栖へ、大森がFC東京へ、徳重が長崎へ、徳島へ期限付き移籍していた松村が長野へ、田中英雄が宮崎へ完全移籍。東が福島へ、山口が大分へ、小林がモンテディオ山形へ、ウエスクレイがブラジル・セアラーへ、向井がFC今治から復帰後MIOびわこ滋賀へそれぞれ期限付き移籍。 福岡でJ2リーグ19得点を挙げたFWウェリントンをはじめ、浦和で優勝経験もあるDF那須大亮、仙台で主力としてプレーしていたMF三田啓貴、11年ぶりの復帰となるGK荻晃太、2015年までプレーしていた韓国代表MFチョン・ウヨンを完全移籍で、タイ代表DFティーラトンを期限付き移籍で加入した。昨年2種登録されたユース出身FW佐々木大樹、びわこ成蹊スポーツ大学出身のDF宮大樹、青森山田高校出身のMF郷家友太から入団した。また、クラブのスポーツダイレクターに2007年まで在籍した三浦淳寛を迎えた。チームキャプテンにはルーカス・ポドルスキが就任。5月にはFCバルセロナから、スペイン代表MFアンドレス・イニエスタの完全移籍が発表された。シーズン途中に徳島からDF大崎玲央とFC岐阜よりFW古橋亨梧を完全移籍で獲得。レアンドロが東京Vへ、チョン・ウヨンがアル・サッドへ完全移籍で退団。ハーフナー、小川がそれぞれ仙台、湘南へ期限付き移籍した。 新加入の三田、ウェリントンが早々にフィットしたことや、ルーキー佐々木・郷家といった若手選手の活躍、そしてワールドカップ後に加入したイニエスタの活躍もあり、一時は4位に浮上し、目標としたACL出場の可能性も現実味を帯びていたが、8月下旬から5連敗を喫し一気に順位を落とす。9月17日に吉田の監督契約を解除。アシスタントコーチの林健太郎を監督代行に据えて2試合を戦った後、後任としてフアン・マヌエル・リージョが就任した。残留の大一番となった31節名古屋戦を勝利するなど、シーズン終盤6試合で1敗で乗り切り、33節にJ1残留が確定した。 リージョ体制2年目。 ニューヨーク・シティFCより元スペイン代表のFWダビド・ビジャが加入。他にもC大阪よりMF山口蛍、鹿島よりDF西大伍、G大阪よりDF初瀬亮が加入し、小川が期限付き移籍から復帰した。シーズン開幕後にはヴィトーリア・セトゥーバルよりDFダンクレー、FCバルセロナよりMFセルジ・サンペールが加入した。長沢、ティーラトン、ヤセルの期限付き移籍期間が満了したほか、藤田がC大阪へ、高橋が柏へ、大槻が山形へ、松下が仙台に移籍。神戸から期限付き移籍していた選手ではハーフナーは新たにバンコク・ユナイテッドFCへ、小林が山形への移籍期間満了を経て大分へ完全移籍した。 7月には、鳥栖でプレー経験のあるDFジョアン・オマリとバルセロナを退団したDFトーマス・フェルマーレンが完全移籍で加入した他、3年半在籍したGKキム・スンギュが退団した穴埋めとして横浜FMからGK飯倉大樹が完全移籍で加入。8月には佐々木大樹が期限付き移籍より復帰した他、大分から藤本憲明、ハンブルガーSVから酒井高徳が完全移籍で加入した。 開幕前の2月にはJリーグクラブでは初となるアメリカ合衆国を拠点にプレシーズンツアーを実施し、MLSのチームと試合を行った。また7月27日、FCバルセロナと「Rakuten Cup」にて、親善試合を行った。 4月17日、本人の意向により同日付でリージョの監督契約を解除。ヘッドコーチのイニーゴ・ドミンゲス、アシスタントコーチのホルヘ・ムニョスも同時に契約解除となった。後任には前年9月まで監督を務めた吉田が再び就任した。 その後4月から5月末にかけてリーグ戦クラブワーストとなる7連敗を喫するなど公式戦9連敗で順位を大きく落とし、中断期間中に吉田が退任。ドイツ人トルステン・フィンクが新指揮官に就任した。フィンク就任後に加入した酒井高徳、フェルマーレンが早々にフィットし、フォーメーションを3バックに固定して以降は不安定だった成績も安定。シーズン成績は8位に終わった。クラブ歴代最多の61得点をあげた一方で無失点試合がわずか5試合。59失点はリーグワースト2位となり、守備に課題を残すシーズンとなった。 その一方で、天皇杯は順調に勝ち上がり、新国立競技場のこけら落としとなった決勝で鹿島を下し、クラブ史上初タイトルを獲得。同時にAFCチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。 フィンク体制2年目。 ビジャ、那須、荻が現役を引退。橋本が岐阜へ、オマリがFC東京へ、宮が鳥栖へ、三原が柏へそれぞれ完全移籍。小林が横浜FCへ、増山が福岡へ期限付き移籍。その他、野田、ウェリントン、向井、ポドルスキ、ハーフナーが契約満了で退団した。 清水からドウグラス、筑波大学からDF山川哲史、山口から菊池流帆が加入。昨年期限付き移籍していたDF初瀬亮、MF中坂勇哉が復帰。 リーグ開幕に先駆けて開催されたFUJI XEROX SUPER CUP2020ではPK戦の末初優勝を飾った。コロナウイルスの中断期間やそれに伴うACLの日程変更などの影響で異例といえる過密な試合日程の中で勝ちきれない試合や試合終盤に競り負ける試合が多く、8月から9月にかけて7試合リーグ戦勝利なしとなった9月22日、家庭の事情でフィンクが退任。後任にはスポーツダイレクターの三浦淳寛が就任した。三浦新体制ではビべスアシスタントコーチが指揮した試合も含めて4連勝スタートを切ったものの、その後が続かず、リーグ戦は29節から34節にかけて6連敗を喫してシーズンを終えた。年間14位勝ち点36は2014年昇格以来最低となった。 初挑戦となったACLでは、2月のジョホール・ダルル・タクジムFC戦(後に大会を辞退したため無効試合)、水原三星ブルーウィングスに1-0と勝利。その後11月に再開され、広州恒大にも勝利しグループリーグを突破。決勝トーナメントでは上海上港と水原三星を下したが、準決勝で蔚山現代FCに延長戦の末敗れ、ベスト4で敗退した。 三浦淳寛体制2年目。 西が浦和へ、小川が横浜FCへ、吉丸と藤谷が北九州へ完全移籍、渡部とダンクレーが契約満了で退団した。 東京Vから井上潮音、広島から廣永遼太郎、磐田から櫻内渚、前橋育英高校から櫻井辰徳、CRフラメンゴからリンコン、ケニア代表アユブ・マシカが加入。期限付き移籍していた小林友希と増山朝陽が復帰した。 シーズン途中に、古橋がスコットランドのセルティックへ、安井が町田へ、増山が大分へそれぞれ完全移籍し、藤本が清水へ期限付き移籍し、マシカが契約解除で退団した。8月に入り、ニューカッスル・ユナイテッドを退団した元日本代表FW武藤嘉紀、ヴェルダー・ブレーメンから日本代表FW大迫勇也、CFモントリオールを退団していた元バルセロナFWボージャン・クルキッチを獲得した。 前年の失点の多さや試合終盤での競り負けを改善し、逆に試合終盤で勝ち点を拾う・勝ち点3を奪い取る粘り強さを発揮。初瀬や中坂など出番の少なかった若手が出場機会を大きく伸ばした。ACL出場権を争う名古屋戦も、前半2点を先行されたがFW武藤・MFイニエスタの得点もあり勝ち点差を維持。下位チームとの試合での取りこぼしもなく、第37節横浜FM戦で試合には敗れたものの他会場の結果もあり、2度目のACL出場権を獲得した。21勝10分7敗勝ち点73でリーグ戦3位はクラブ史上最高成績を大幅に更新した。リーグ戦での連敗なしもクラブ史上初となった。 三浦淳寛体制3年目。 DFトーマス・フェルマーレンが退団(後に現役引退)、FWドウグラスが柏へ、FW田中順也が岐阜へ完全移籍し、GK伊藤が群馬へ、MF櫻井が徳島へそれぞれ期限付き移籍。 清水へ期限付き移籍していたFW藤本が復帰し、そのほか浦和からDF槙野智章、MF汰木康也、横浜FMからMF扇原貴宏を完全移籍で獲得。また新卒として中央大学からGK坪井湧也とユースからDF尾崎優成が加入した。開幕後の3月27日にFIFAの暫定措置でロシア・FCロストフとの契約が一時停止となっていたMF橋本拳人が6月30日までの期限付き移籍で、4月1日には相生学院高校からMF日髙光揮が加入した。 シーズン途中の7月に、鳥栖からMF飯野七聖、韓国・仁川からFWステファン・ムゴシャ、韓国・江原から元日本代表MF小林祐希、CRフラメンゴからDFマテウス・トゥーレルを期限付き移籍で獲得した。一方で、7月に契約を延長したMF橋本がスペイン・SDウエスカへ移籍し、FWリンコンがブラジル・クルゼイロECへ2023年末までの期限付き移籍でチームを離れた。 3月15日に行われたACLプレーオフ・メルボルン・ビクトリー戦を延長の末4-3で下し、4月からの本選出場を決めた。一方リーグでは開幕から勝ち星に恵まれず、FW武藤、MFサンペールらがそれぞれ故障で長期離脱する苦しい流れに逆らえずクラブワースト更新となる7試合未勝利となり、3月20日付で三浦が契約解除となった。4月2日、6日の2試合はリュイス・プラナグマが暫定監督として指揮を執り、4月8日にミゲル・アンヘル・ロティーナが新監督として就任した。4月中旬より行われたACLグループリーグ4試合は2勝2分の戦績でグループステージを突破した。5月14日に行われた第14節のサガン鳥栖戦で開幕から12試合目にしてようやく初勝利を挙げた。しかしながらその後も流れに乗れず、前半戦17試合でわずか2勝と浮上のきっかけを見いだせないまま、第18節浦和レッズ戦後の6月29日、9試合で2勝1分6敗の責任を取らせる形でロティーナとの契約解除を発表。シーズン4人目の新指揮官として同クラブOBで2度指揮を執った経験のある吉田孝行が就任すると発表した。吉田就任後はリーグ戦3連勝を飾るなど順調な滑り出しを見せた。8月に集中開催されたACL決勝トーナメントはラウンド16の横浜FM戦に3-2で勝利し、ベスト8に進出。ラウンド8の全北現代モータース戦は延長の末1-3で敗れた。9月7日天皇杯準々決勝鹿島アントラーズ戦で敗北しシーズンの無冠が確定したものの、直後のリーグ戦以降は怪我から完全復活した大迫や途中加入の小林祐希の活躍もあり、残留争いをしていたG大阪、福岡との直接対決に勝利するなど2008年以来となる5連勝を達成した。10月22日に行われた静岡ダービーが引き分けに終わり、残り2試合を残して16位との勝ち点差が7に広がった為、来季J1残留が確定した。リーグ戦15試合消化時点での勝ち点一桁代からのJ1残留は2008年の千葉、2018年名古屋に次ぐ3例目となった。残留が決まって臨んだ上位川崎・横浜FM戦は2連敗で終え、勝ち点40の13位とシーズン前に期待された結果とは遠く及ばない結果でシーズンを終えた。 DF槙野が現役引退を表明したほか、FWボージャンが契約満了に伴い退団。GK伊藤とDF櫻内がFC今治、GK飯倉が横浜FM、DF小林友がセルティック(スコットランド)、MF小林祐が札幌、MF郷家が仙台、MF井上が横浜FC、FW藤本が鹿児島、FW小田がハート・オブ・ミドロシアンFCへ完全移籍。前年徳島へ期限付き移籍していたMF櫻井は引き続き徳島へ期限付き期限を延長した。 戦力補強として、京都からDF本多勇喜、東京VからMF井出遥也、C大阪からFWジェアン・パトリッキが完全移籍で加入し、湘南から齊藤未月、ポルティモネンセSC(ポルトガル)からFW川﨑修平が期限付き移籍で加入した。東福岡高校からMF浦十蔵、びわこ成蹊スポーツ大学からMF泉柊椰が入団。ユースからDF寺坂尚悟、MF安達秀都、FW冨永虹七が昇格。シーズン開幕後、町田から高橋祥平が期限付き移籍で加入。9月3日、ガラタサライSK(トルコ)を退団した元スペイン代表のMFフアン・マタ、フェレンツヴァーロシュTCからハンガリー代表のMFバーリント・ヴェーチェイを完全移籍で獲得。 前年終盤にフィットした大迫をターゲットとするサッカーに移行。現代サッカーらしい走れて強い選手を集めた。攻撃では大迫や武藤が個人レベルの高さを発揮し、怪我なく戦い続けたことで、チームは首位を走ったが、消化試合数が1試合少ない中、迎えたシーズン前半戦折り返しのセレッソ大阪戦で敗戦。首位から陥落したものの2位で折り返した。シーズン途中の7月に入団以来クラブの顔としてプレーしてきた主将MFイニエスタとサンペールが双方合意の元で退団し、ムゴシャが古巣仁川へ移籍した。 大迫、山口、武藤、酒井ら元日本代表の実力者がハードワークを厭わなかったことでチームは一丸となった。前線からの守備を志向する同じスタイルの相手との対戦では、元日本代表のメンタル、経験、技術の差で競り勝つことができた。MF齊藤未月が不運な大怪我を負った以外は怪我人が少なく、シーズン後半戦もチームは安定し、28節からの上位対決を全て制した。 大迫は11月12日に埼玉スタジアム2002で行われた第32節の浦和戦で、後半アディショナルタイムにゴールキーパーの西川周作がセットプレーで上がっていた隙を突き、前川からのロングボールを受けてそのまま流し込み、1997年に永島昭浩が記録して以来26年ぶりとなるシーズン22ゴール目を決め、チームのJ1最多得点記録に並んだ。なおこのゴールはDAZN配信の『Jリーグジャッジリプレイ』で取り上げられた際、元審判員の家本政明からオフサイドであることが指摘され、リーグ戦の重要な局面での見逃しに苦言が呈された。その後、第33節の名古屋戦では井出遥也と武藤のゴールで2-1の勝利。創設29年目、Jリーグ参入27年目で悲願のJ1リーグ初優勝を決め、2019年度の天皇杯に続く2つ目のタイトルを獲得した。参入20年目だった2012年の広島を上回る最も遅い初優勝となった。また前年13位からの優勝は、昇格1年目で優勝した柏とG大阪の例を除いては、2019年の横浜FM(前年12位)を上回る最大の躍進となった。シーズンオフに開催されたJリーグアウォーズでは、クラブ史上最多の4人(酒井、山口、武藤、大迫)がベストイレブンに選ばれ、大迫は神戸所属選手として初めての最優秀選手賞(MVP)受賞となり、個人3冠(得点王・ベストイレブン・MVP)を達成した。 ホームスタジアムはノエビアスタジアム神戸であり、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場でも不定期にホームゲームを開催している。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムはヴィッセル神戸の年度別成績一覧#年度別入場者数を参照のこと。 練習場は神戸市西区井吹台東町七丁目(西神南ニュータウン)にある「いぶきの森球技場」が使われていたが、2003年10月にビオフェルミン製薬が練習場用地を新工場建設のために取得(2004年3月に引渡し) したため、2005年2月より神戸ハイテクパークに隣接する神戸市西区櫨谷町に約5億円かけて建設した「いぶきの森球技場」(名称は同一)に移転した。 ヴィッセル神戸は2009年シーズンから2016年シーズンまでの間、リーグ戦において対戦相手によってチケット価格が異なる制度を導入していた(カップ戦は設定なし)。A価格はB価格に比べて大人で1,000円、小中生で500円高い。なお、各年度のカテゴリの対象クラブは下表の通りだった。2017年は設定がなくなり、その後はダイナミックプライシングが導入されている。 創設時に、神戸フットボールクラブからユース・ジュニアユースを移管して、アカデミーが発足した。 2005年、育成支援個人協賛会「Vitamin Club(ヴァイタミンクラブ)」が発足した。 2006年、伊丹ジュニアユースチームを設立。 2009年3月、「いぶきの森球技場」に近い神戸市西区櫨谷町福谷に選手寮(通称:三木谷ハウス)が完成した。総工費は約2億3,000万円で全額を三木谷が負担し、前札幌GMの村野晋が寮長に、また夫人である村野明子が寮母となった。また、育成部長の黒田和生がユース監督に就任した。 2011年12月、地域のスポーツ活動の普及・育成に寄与することを目的に、一般社団法人ヴィッセル神戸スポーツクラブが創設された。 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "ヴィッセル神戸(ヴィッセルこうべ、英: Vissel Kobe)は、日本の兵庫県神戸市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "2010年代後半から国内外のスター選手を相次いで獲得し、2022年度時点でチーム人件費はJリーグ1位、J1クラブの平均値を大きく上回っている。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "2014年まで三木谷浩史の個人資産管理会社が全額出資しており、現在の運営会社は楽天ヴィッセル神戸株式会社。2013年度まで当期純利益で10年連続単年度赤字を計上したが、三木谷氏の個人資産や楽天グループの資金調達で債務超過を解消させている。", "title": null }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1966年創部の川崎製鉄水島サッカー部(1987年に川崎製鉄サッカー部に改称)が前身。1997年にJリーグへ加盟した。ホームスタジアムはノエビアスタジアム神戸、練習場はいぶきの森球技場(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "チーム名の「ヴィッセル」は、英語の「VICTORY(勝利)」と「VESSEL(船)」を合わせた造語。これは「勝利の船出」を意味し、国際港湾都市・神戸をイメージ。神戸市民の夢を乗せ、勝利に挑戦し続けるチームであることの誓いもこめている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "マスコットは神戸・兵庫に馴染みの深い、牛をモチーフとした「モーヴィ(MOVI)」。牛の鳴き声「モー」と勝利「ヴィクトリー」を合わせた造語。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "運営会社は楽天ヴィッセル神戸株式会社(旧・株式会社クリムゾンフットボールクラブ)。2004年に同社が設立された当初は合同会社クリムゾングループ(楽天代表取締役の三木谷浩史の個人資産管理会社)からの全額出資であり、楽天からの出資は無かったが、2014年12月に楽天が運営会社の全株式を取得した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1993年12月に「神戸にプロサッカーチームをつくる市民の会(オーレKOBE)」が地元市民の有志により発足。同時期に岡山県倉敷市を本拠地とする川崎製鉄サッカー部の誘致活動を行い、川崎製鉄本社の意向もあり1994年3月に1995年からの神戸市へ移転が決まった。1994年6月、当時神戸市に本社を置いていた総合スーパーのダイエーがメインスポンサーとなり株式会社神戸オレンジサッカークラブを設立。1994年9月、クラブ名称が「ヴィッセル神戸」に決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1月1日、ヴィッセル神戸としてスタートしたが、練習初日の1月17日に阪神・淡路大震災が発生し、選手らは岡山県倉敷市のグラウンドで初練習を行った(2月6日)。なお、神戸市内の練習場「いぶきの森球技場(旧)」は1995年7月に完成した。また6月に後にクラブの象徴的存在となり「ミスター神戸」と称されたFW永島昭浩が加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "運営会社の筆頭株主だったダイエー(資本金10億円のうち、50%を出資)が震災の影響から3月に撤退した。当時強化部長だった安達貞至がスポンサー獲得に奔走、5月31日に運営会社の商号を株式会社ヴィッセル神戸に変更。ユニフォームにも白と黒のストライプにオレンジのラインが襟と袖に入っていたがダイエー撤退に伴い、オレンジからエメラルドグリーン(ヴィッセルブルー)に変更した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "リーグ後半戦となる16節を前に当時現役デンマーク代表のミカエル・ラウドルップが加入。最終節でNTT関東に3-1で勝利したことで、ジャパンフットボールリーグ(JFL)準優勝、1997年シーズンからJリーグへ加盟した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "リーグ第2節の名古屋グランパスエイト戦では永島昭浩が2ゴールを挙げ、チームはJリーグ初勝利を挙げた。同年、Jリーグ史上初のフェアプレー賞(高円宮杯)を受賞した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "韓国代表FW金度勲を獲得し、永島との強力2トップを要したものの、シーズン途中には16連敗を喫するなど低迷。J1参入決定戦で札幌を下して何とかJ1残留を決めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "シーズン終了後には伊藤ハムがユニフォーム胸スポンサーから撤退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "監督に川勝良一が就任。2ndステージ終盤に4連勝を記録するなど、年間7位となり、2016年に更新されるまで長年クラブの最高順位記録だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "DF海本慶治がクラブ初の代表選手に選ばれた。2ndステージは連敗が続くなど苦しい戦いながらJ1に残留を果たした。この年限りで永島が現役を引退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "京都を退団したFW三浦知良、MF望月重良、DFシジクレイ、清水からMFサントスらが加入。神戸ウイングスタジアムのこけら落としとなった試合ではクラブ史上最多の3万813人を動員した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "横浜から城彰二、G大阪から播戸竜二らを獲得するも、1stステージでは5連敗を喫するなど低迷し、川勝が辞任し後任にコーチを務めていた松田浩が昇格する形で就任した。2ndステージ開幕前にFWオゼアス、MFアリソンを獲得。最終節で清水を下しギリギリで残留を果たした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "新たに副島博志を新監督に迎え、公式戦3連勝スタートを切ったが、1stステージ第14節大分戦ではワースト記録となる8失点で敗れるなど、年間通して多くの失点を喫する(リーグワースト63失点)。それでも終盤にカズ、播戸らの活躍で最終節を待たずして残留を決めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "2003年12月15日、運営会社の株式会社ヴィッセル神戸は東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1月14日、兵庫県出身で楽天の代表取締役である三木谷浩史が代表を務める株式会社クリムゾンフットボールクラブ(2004年1月5日設立)が2月1日付でチームの営業権を譲り受けた。神戸市はチーム運営から撤退し、スタジアム使用などの側面支援を行うことになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "イワン・ハシェックが監督に就任。2002 FIFAワールドカップのトルコ代表FWのイルハン・マンスズが加入し話題を集めたが、イルハンは出場は3試合にとどまり、シーズン途中に自らの希望で退団。2ndステージ開幕直前には、元東京Vを退団したばかりだったFWパトリック・エムボマ、鹿島アントラーズからFW平瀬智行、チェコの名門FKテプリツェからMFホルヴィらを獲得するなどテコ入れをおこなった。クラブは下位にとどまったが、播戸がリーグ戦17得点をあげ、得点ランキング3位タイとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "東京Vから現役日本代表DF三浦淳宏を獲得。開幕戦で勝利して以降、公式戦12試合勝ちなしとなり、6節広島戦終了後に松永英機が辞任し、エメルソン・レオンが就任したが成績は上向かず、2か月余りで解任された。その後パベル・ジェハークが正式に監督に就任した。パベル就任後、戦力構想から外れた三浦知良が7月に横浜FCへ移籍。また同時期にDFホージェルと6月に加入したばかりのディエゴ・デ・ソウザがそれぞれクラブを去り、FWエムボマが怪我の影響もあり現役を引退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "8月にブンデスリーガでのプレー経験もあるFWイヴォとDFマルティンを獲得。2004年加入のMFホルヴィを加えて、チェコ人3人体制となった。前年17得点を挙げた播戸が怪我で10月下旬まで離脱したことが響き、年間通して得点力不足を露呈。第7節に最下位に転落して以降、一度も最下位を脱出できず、11月20日の大宮戦に敗れ、J2に降格した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "また、監督は2004年から1年半の間にハシェック、加藤寛、松永英機、エメルソン・レオン、パベル・ジェハークとかわるがわる5人の指揮官が務めるなどクラブの迷走模様が浮き彫りとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "初代監督のスチュワート・バクスターが9年ぶりに監督に就任。GK掛川誠、DF菅原智、FW和多田充寿ら長年クラブに在籍した選手が戦力外通告に伴い退団したほか、FW播戸竜二も古巣G大阪へ移籍したものの、三浦淳を始め多くの主力が残留した。DFラインには長年イングランド・プレミアリーグで長年プレー経験のあるDFエメルソン・トーメを獲得。攻撃陣にはJ1で出番の少なかったFC東京FW近藤祐介、広島FW茂木弘人を獲得。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "トップチームにおいてサテライトチームを「ヴィッセル神戸U-21」として若手選手の育成強化のためのチームに特化させると共に、出場経験が少ない選手に対する実践機会提供を図る観点からSC鳥取(現:ガイナーレ鳥取)と提携。また、横浜FMユース、ナショトレ関西地区担当の安達亮がU-21監督に就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "4月10日、クリムゾンFC社長の三木谷が代表取締役会長に就任。安達がGM兼任で代表取締役社長に就任。5月、読売サッカークラブや浦和、日本サッカー協会などで重要職を担ってきた佐藤英男がGMアシスタントとして就任。また、人工芝グラウンドがいぶきの森に完成した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "8月24日、バクスターが家庭の事情で帰国することになり、4日前にコーチとして神戸に復帰していた松田浩が監督に昇格。リーグ戦は、横浜FC・柏と自動昇格を争い、最終節で柏に逆転され3位の成績。最終戦で退場処分になった三浦を欠いたホームでの初戦は引き分け、12月9日、福岡との入れ替え戦第2戦、後半、FW近藤のゴールで先制。その後同点とされ福岡の猛攻を受けたが耐え凌ぎJ1昇格を決めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "松田体制2年目。育成部長に滝川第二高等学校サッカー部監督・黒田和生が就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "横浜FMからGK榎本達也、C大阪からFW大久保嘉人を完全移籍で、山形からFWレアンドロ、元全北現代のMFボッティを期限付き移籍で獲得した。浦和からMF酒井友之、新潟からMFディビッドソン純マーカス、福岡からレンタルでMF古賀誠史らを獲得。シーズン途中に主将MF三浦淳宏が起用法をめぐり、クラブと衝突し退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "第21節から第26節まで5連敗したが、第31節の甲府戦に勝利してJ1残留が決まった。なお、最終順位は10位。目標とした一桁順位は届かなかったが、当時のクラブ最高勝ち点47を記録。また得点数58はリーグ4位を記録した。このシーズンをもってDFエメルソン・トーメが現役引退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "松田体制3年目。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "韓国代表主将のMF金南一、大分から元日本代表FW松橋章太、横浜FMからMF吉田孝行、FC東京からMF鈴木規郎、甲府からFW須藤大輔などを獲得。一方で近藤祐介が退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "大久保嘉人がキャプテン、北本久仁衛、榎本達也が副キャプテンとなった。開幕から好調を維持し、一時は2位につけていた。その後、レアンドロ、古賀誠史、北本久仁衛らが次々と怪我をし、一時は降格圏内まで順位が落ちたが、その後J1クラブ記録となる5連勝を達成するなどし、11月23日のFC東京戦で残留を決めた。天皇杯は4回戦で松本山雅FCにJリーグ加盟後の公式戦最多得点(8 - 0)で勝利したが、5回戦で鳥栖に敗退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "共同通信によると11月時点で松田浩に監督続投を要請していたが、12月に松田が監督から解任された。また、栗原圭介、酒井友之らベテランに加え、ユース出身の4人もが契約満了により退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "監督にCRフラメンゴからカイオ・ジュニオールが就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "FW大久保嘉人がVfLヴォルフスブルクへ、FWレアンドロがG大阪へ移籍した一方、ブラジル人のFWマルセウ、MFアラン・バイーア、川崎から我那覇和樹、オーストリアのレッドブル・ザルツブルクから元日本代表DF宮本恒靖を獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "リーグ戦は第5節(4月11日)の横浜FM戦で2006年以来の5失点で大敗した。その後も下位に沈んだ。6月にFW大久保嘉人が復帰したが、6月30日にカイオ・ジュニオールがカタールクラブ監督を理由に監督を辞任。後任には和田昌裕がチーム統括本部長と兼任で就任した。さらに8月大宮や札幌の元監督の三浦俊也が監督に就任(和田はヘッドコーチに就任)。三浦の就任後は首位鹿島を下すなど8月は無敗で乗り切ったが、9月以降はなかなか勝ち点を伸ばせず、第33節に柏の降格が決定したため、残留が確定。シーズン成績は14位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "三浦俊也体制2年目。社長職が安達から叶屋宏一へ交代。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "金南一がロシアリーグに移籍した一方、草津からJ2で23得点あげたFW都倉賢、大分からMFエジミウソンを獲得。更に古賀誠史と内山俊彦が抜けた左サイドに大宮からDF冨田大介、柏からMFポポを獲得した。また、新卒として、北越高校からFW有田光希、久御山高校からMF森岡亮太が入団した。FW小川慶治朗がクラブ初の2種登録選手となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "開幕戦こそ勝利したが、代表戦で負傷した大久保嘉人のコンディションが上がらなかった事や、都倉や冨田といった新加入選手が出遅れた事もあり連勝できない状態が続いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "W杯での中断明けに練習に参加していたFWイ・ジェミンと7月に契約した。一方でリーグ戦は17節から23節までの7試合で6人の退場者を出し、そのうちの2度がGK榎本達也の退場で、フィールドプレーヤーがGKを務める事態も2度生じた。9月11日の京都戦に敗北した翌9月12日に三浦俊也が解任され、和田が監督に就任。28節から7試合で勝ち点15を積み上げ、第33節終了時点で16位であったが、最終節で浦和戦に勝利し、第33節時点で15位のFC東京が敗れたため、最終順位15位でJ1残留が決まった。なお、2010年シーズンの反則ポイントが149となり150万円の反則金を課された(反則ポイント17位は大宮で100ポイント)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "和田体制2年目。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "小林久晃、冨田大介が甲府へ、エジミウソンが熊本へ、榎本達也が徳島へ、高橋祐太郎がC大阪へ、我那覇和樹がJFL・FC琉球へ完全移籍、坪内秀介(大宮)、荻晃太(甲府)がレンタル移籍先へ完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "補強として、C大阪からDF羽田憲司、UAEリーグアル・ワスルからMFホジェリーニョが完全移籍で加入、DF柳川雅樹、MF馬場賢治がレンタル移籍から復帰した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "序盤は好調だったものの、ホーム広島戦でのMF三原雅俊の負傷離脱以降は9戦で3分6敗と低迷する。その後は補強選手が機能せず怪我人が多く、9試合勝ちなしなど苦しい戦いを強いられた が、「よりボールを保持し相手を圧倒するサッカー」 が浸透し、新主将吉田、大久保、朴康造、ドイツ2部のコットブスを退団しシーズン途中に加入したDF相馬崇人らベテラン勢の活躍もあり最終的には過去最高順位となる9位でリーグ戦を終え、今季目標に掲げていた「一桁順位達成」をクリアした。また、年間合計入場者数が昨年から引き続きJ1に在籍したクラブの中で唯一昨年より増加した(前年比103.1%)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "和田体制3年目。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "ボッティがフィゲイレンセFCへ、ホジェリーニョがセアラーSCへ、ポポが浦和へ、石櫃が名古屋へ、松岡が磐田へと移籍した。また、草津にレンタル移籍した柳川が栃木SCに、三島が水戸に、馬場が湘南に、楠瀬が松本に完全移籍。有田が愛媛に、紀氏が鳥取に、昨シーズン2種登録だった廣田がプロ契約後、岐阜にレンタル移籍。また、宮本が引退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "補強は、G大阪から橋本英郎、高木和道、鹿島から田代有三、野沢拓也の計4人の元日本代表選手を獲得。また、山形からGK植草裕樹、ハイドゥク・スプリトを退団していた日本代表DF伊野波雅彦を獲得、またイ・グァンソン、奥井諒の2人の大卒選手が入団した。選手以外では3月に元FCバルセロナ副会長のマルク・イングラが取締役に就任。また、5月にはタイ・プレミアリーグのチョンブリーFCと業務提携を結んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "リーグ戦は開幕2連勝後に4連敗(ナビスコ杯を入れると6連敗)。第8節終了時で3勝5敗(ナビスコ杯を入れると3勝7敗)となった、4月30日に和田を監督から解任。ヘッドコーチの安達亮が暫定監督に就き。5月19日にG大阪元監督の西野朗が就任した。2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選によるリーグ戦中断が開けた第14節から3連勝したが、9月以降にリーグ戦および天皇杯のSAGAWA SHIGA FC戦で公式戦9試合連続勝ちなし、うち3試合連続で逆転負けを喫した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "11月7日の横浜FM戦に敗戦した翌8日に西野を監督から解任、ヘッドコーチの安達亮が後任監督に就任した が、第34節でサンフレッチェ広島戦に敗北して16位となり、J2降格が決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "安達体制2年目。トップチームコーチに千葉前監督の木山隆之が就任し、武田治郎GKコーチの後任にはシジマールが就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "大久保が川崎へ、野沢が鹿島へ、伊野波が磐田へ、近藤が水戸へ、高木が大分へそれぞれ移籍。フェルナンド、アンデルソン、ペ・チョンソクが退団し、朴と羽田が現役を引退した。また嘉味田と廣田が鳥取へ期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "補強は、浦和から2011年まで在籍していたFWポポを、清水からGK山本海人を、蔚山現代FCからMFエステバンをそれぞれ完全移籍で獲得し、川崎から杉浦恭平を期限付きで獲得。期限付き移籍していた有田光希、河本裕之、大屋翼、紀氏隆秀がチームに復帰し、ユースから松村亮、前田凌佑、和田倫季が昇格した。2月にブラジル・パルメイラスからFWマジーニョが期限付きで加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "開幕から3連勝。第4節京都戦に敗れたが、第5節から9試合負けなし(6勝3分)の成績。しかし、第16節・鳥取戦に敗れ、同節終了時点で第2節以来キープしてきた首位をG大阪に明け渡した。その後は第34節まで2位を維持し、第35節から第38節までは再び首位に立った。また、第37節・松本戦ではリーグ戦クラブ記録となる1試合7得点を記録した。第39節、勝てば2位以内確定となる3位京都との直接対決に引き分け、自力でのJ1復帰決定を逃す と同時に、再びG大阪に首位を明け渡したものの、第40節、先に試合を行った京都がG大阪に敗れた時点で神戸のシーズン2位以上が確定、1年でのJ1復帰を決めた。なお、J2リーグ戦は2位の成績。天皇杯は3回戦でC大阪に敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "安達体制3年目。2012年途中から就任したブローロフィジカルコーチが名古屋へ移籍し、2007年まで新潟でフィジカルコーチを務めたフラビオがフィジカルコーチに就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ポポが磐田へ、イ・グァンソンが福岡へ、C大阪から期限付きの金、パルメイラスから期限付きのマジーニョが復帰、有田、三原がそれぞれ京都、長崎へ期限付き移籍、鳥取に期限付きしていた廣田、戦力外通告を受けた紀氏、都倉、林がチームを離れた。エステバンは選手登録を抹消され、済州ユナイテッドFCを経て2014年7月徳島ヴォルティスへ期限付き移籍となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "補強は、前年J1で16得点をあげたFWマルキーニョスを横浜FMから、Kリーグで17得点をあげたFWペドロ・ジュニオールを済州ユナイテッドFCから獲得。その他DF増川隆洋、高橋峻希、MFシンプリシオ、チョン・ウヨンが加入。川崎から期限付きで加入していたMF杉浦恭平は完全移籍で獲得。ユースからGK吉丸絢梓が昇格し、FW金容輔が興國高校より入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "リーグ戦第8節鹿島とのアウェーゲームに15年ぶりに勝利し、クラブ史上初のリーグ戦首位に立つなど、ワールドカップ中断期間までは3位。ナビスコカップではクラブ史上初の決勝トーナメント進出を果たした一方、天皇杯は2回戦(初戦)で関西学院大学に敗れた。11月2日に第31節サガン鳥栖戦の敗戦でAFCチャンピオンズリーグの出場が消滅し、その直後に約2年間指揮をとった安達亮監督のシーズン終了後の契約満了が発表された。最終的にシーズン終盤はリーグ戦4連敗を喫するなど11位。12月9日には橋本英郎、茂木弘人との契約満了を発表した。12月12日にはシジマールGKコーチ・フラビオフィジカルコーチの退任が発表された。それに伴いアレックストップチームGKコーチ・ピメンテウフィジカルコーチの就任とネルシーニョの監督就任が発表された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "ネルシーニョ体制1年目。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "植草が長崎、茂木が福島、橋本がC大阪、杉浦が仙台へ、河本が大宮へ完全移籍し、京都へ期限付き移籍していた有田はそのまま完全移籍となった。そのほか、シンプリシオと田代が退団した。松村は栃木へ1年間の期限付き移籍となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "補強は、FC東京からFW渡邉千真、大宮からDF高橋祥平、鳥栖からDF安田理大、ブラジルからMFフェフージンと清水からブエノが期限付きで加入した。前年福岡から期限付きで加入したFW石津大介は期限を延長した。京都へ期限付き移籍していたMF田中英雄と長崎へ期限付き移籍していたMF三原雅俊が復帰。東福岡高校からMF増山朝陽、早稲田大学からGK松澤香輝が新人として入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "年間を通して故障で主力を欠くことが多く、4月以降はホームゲームで勝ち星を稼げず、1stステージは13位と低迷。2ndステージ開幕前にフェフージンとの契約を解除し、入れ替わる形で柏FWレアンドロが2008年以来7年ぶりにチームに復帰。2ndステージ開幕戦では、そのレアンドロも得点をあげるなど5-0と圧勝するスタートしたが、4節から6節まで3連敗。この時期はホームとして使用するノエビアスタジアムのピッチコンディションが悪く、試合後の記者会見で、ネルシーニョが「リズムを作れなかったのはピッチコンディションが影響した」と苦言を呈するほどだった。そのため、2ndステージ9節サガン鳥栖戦とナビスコカップ準々決勝柏レイソル戦は神戸ユニバー記念競技場に試合会場が変更された。9月から5連敗、2ndステージ14節時点で年間勝ち点15位と降格の可能性を残したが15・16節の残留を争うモンテディオ山形と松本山雅FCとの2連戦に連勝して残留を確定させた。ナビスコカップはベスト4、天皇杯はベスト8に入った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "ネルシーニョ体制2年目。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "奥井が大宮に、安田が名古屋、増川が札幌、ブエノが鹿島、森岡がポーランド・ヴロツワフ、チョン・ウヨンが中国・重慶力帆FCへそれぞれ完全移籍。マルキーニョスと和田が退団。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "補強は、水戸からDF田中雄大を、鳥栖からMF藤田直之を、韓国・蔚山現代から韓国代表GKキム・スンギュを完全移籍で獲得。清水からDF村松大輔を期限付き移籍で獲得。栃木に期限付き移籍していたMF松村亮が復帰。ユースからDF藤谷壮、DF東隼也、MF中坂勇哉がトップチームへ昇格。関西学院大学から元ユース所属のMF小林成豪、阪南大学からMF松下佳貴が新卒入団した。また2月9日に磐田を退団したDF伊野波雅彦が4年ぶりに復帰することが発表された。2ndステージからSCインテルナシオナルからMFニウトンと浦和からDF橋本和が加入。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "開幕戦は甲府に敗れたものの、2節の新潟戦で6-3の逆転勝利で初勝利。前年は怪我に泣かされたFWペドロ・ジュニオールが復調し、レアンドロとの2トップが固定されて以降は攻撃面は安定感を発揮したが、ボランチのコンビがなかなか定まらず、毎試合構成を変更を余儀なくされた。1stステージは12位と苦しんだが、2ndステージは前述したMFニウトンとDF橋本和を獲得。2ndステージ8節FC東京戦以降はリーグ戦8勝1分1敗と好成績を収めた。2ndステージ15節仙台戦で敗れたため、ステージ優勝の夢は途切れたものの、2ndステージを2位で終えた。年間成績は過去最高の7位。またFWレアンドロが19得点を挙げ、クラブ初のJリーグ得点王に輝いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "ネルシーニョ体制3年目。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "相馬が引退、山本が千葉、高橋祥平が磐田、ペドロ・ジュニオールが鹿島、松澤が徳島、田中雄大が札幌へ完全移籍、松村が徳島、増山が横浜FCへ期限付き移籍、石津は期限付き移籍期間満了で福岡へ復帰、群馬へ期限付き移籍していた田代が退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "補強は、仙台からDF渡部博文、G大阪からMF大森晃太郎、FC東京からMF高橋秀人、湘南からFW大槻周平、ポルトガル1部リーグのスポルティングCPから昨年柏でプレーしたFW田中順也が完全移籍で加入。期限付き移籍だったDF橋本和が完全移籍で加入、吉丸、山口が期限付き移籍先から復帰した。また、元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキが加入して7月にチームへ合流。同じ7月にオランダ1部のADOデン・ハーグから、元日本代表FWハーフナー・マイクが加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "クラブ史上初の開幕4連勝を達成する好スタートを切ったものの、開幕戦で前年得点王のレアンドロが全治6か月の重傷を負うと(9月の復帰目前で再び同じ箇所を負傷しシーズン絶望となった)、4月中旬から下旬にかけて3連敗を喫するなど順位は低迷。ルーカス・ポドルスキが加入したものの、夏場に再び3連敗を喫し、8月16日にネルシーニョ監督との契約を解除し、吉田孝行ヘッドコーチが監督に就任した。守備を安定させ、攻撃では孤立気味だったポドルスキを自由にプレーさせるなどしたものの、シーズンラスト3ゲームはいずれも黒星でシーズン3度目の3連敗となった。リーグでの順位は9位となり、2年連続での1桁順位となった。天皇杯は準決勝でC大阪に敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "吉田体制2年目。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "岩波が浦和へ完全移籍したほか、ニウトンがブラジル・バイーアへ、高橋秀人が鳥栖へ、大森がFC東京へ、徳重が長崎へ、徳島へ期限付き移籍していた松村が長野へ、田中英雄が宮崎へ完全移籍。東が福島へ、山口が大分へ、小林がモンテディオ山形へ、ウエスクレイがブラジル・セアラーへ、向井がFC今治から復帰後MIOびわこ滋賀へそれぞれ期限付き移籍。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "福岡でJ2リーグ19得点を挙げたFWウェリントンをはじめ、浦和で優勝経験もあるDF那須大亮、仙台で主力としてプレーしていたMF三田啓貴、11年ぶりの復帰となるGK荻晃太、2015年までプレーしていた韓国代表MFチョン・ウヨンを完全移籍で、タイ代表DFティーラトンを期限付き移籍で加入した。昨年2種登録されたユース出身FW佐々木大樹、びわこ成蹊スポーツ大学出身のDF宮大樹、青森山田高校出身のMF郷家友太から入団した。また、クラブのスポーツダイレクターに2007年まで在籍した三浦淳寛を迎えた。チームキャプテンにはルーカス・ポドルスキが就任。5月にはFCバルセロナから、スペイン代表MFアンドレス・イニエスタの完全移籍が発表された。シーズン途中に徳島からDF大崎玲央とFC岐阜よりFW古橋亨梧を完全移籍で獲得。レアンドロが東京Vへ、チョン・ウヨンがアル・サッドへ完全移籍で退団。ハーフナー、小川がそれぞれ仙台、湘南へ期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "新加入の三田、ウェリントンが早々にフィットしたことや、ルーキー佐々木・郷家といった若手選手の活躍、そしてワールドカップ後に加入したイニエスタの活躍もあり、一時は4位に浮上し、目標としたACL出場の可能性も現実味を帯びていたが、8月下旬から5連敗を喫し一気に順位を落とす。9月17日に吉田の監督契約を解除。アシスタントコーチの林健太郎を監督代行に据えて2試合を戦った後、後任としてフアン・マヌエル・リージョが就任した。残留の大一番となった31節名古屋戦を勝利するなど、シーズン終盤6試合で1敗で乗り切り、33節にJ1残留が確定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "リージョ体制2年目。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "ニューヨーク・シティFCより元スペイン代表のFWダビド・ビジャが加入。他にもC大阪よりMF山口蛍、鹿島よりDF西大伍、G大阪よりDF初瀬亮が加入し、小川が期限付き移籍から復帰した。シーズン開幕後にはヴィトーリア・セトゥーバルよりDFダンクレー、FCバルセロナよりMFセルジ・サンペールが加入した。長沢、ティーラトン、ヤセルの期限付き移籍期間が満了したほか、藤田がC大阪へ、高橋が柏へ、大槻が山形へ、松下が仙台に移籍。神戸から期限付き移籍していた選手ではハーフナーは新たにバンコク・ユナイテッドFCへ、小林が山形への移籍期間満了を経て大分へ完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "7月には、鳥栖でプレー経験のあるDFジョアン・オマリとバルセロナを退団したDFトーマス・フェルマーレンが完全移籍で加入した他、3年半在籍したGKキム・スンギュが退団した穴埋めとして横浜FMからGK飯倉大樹が完全移籍で加入。8月には佐々木大樹が期限付き移籍より復帰した他、大分から藤本憲明、ハンブルガーSVから酒井高徳が完全移籍で加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "開幕前の2月にはJリーグクラブでは初となるアメリカ合衆国を拠点にプレシーズンツアーを実施し、MLSのチームと試合を行った。また7月27日、FCバルセロナと「Rakuten Cup」にて、親善試合を行った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "4月17日、本人の意向により同日付でリージョの監督契約を解除。ヘッドコーチのイニーゴ・ドミンゲス、アシスタントコーチのホルヘ・ムニョスも同時に契約解除となった。後任には前年9月まで監督を務めた吉田が再び就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "その後4月から5月末にかけてリーグ戦クラブワーストとなる7連敗を喫するなど公式戦9連敗で順位を大きく落とし、中断期間中に吉田が退任。ドイツ人トルステン・フィンクが新指揮官に就任した。フィンク就任後に加入した酒井高徳、フェルマーレンが早々にフィットし、フォーメーションを3バックに固定して以降は不安定だった成績も安定。シーズン成績は8位に終わった。クラブ歴代最多の61得点をあげた一方で無失点試合がわずか5試合。59失点はリーグワースト2位となり、守備に課題を残すシーズンとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "その一方で、天皇杯は順調に勝ち上がり、新国立競技場のこけら落としとなった決勝で鹿島を下し、クラブ史上初タイトルを獲得。同時にAFCチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "フィンク体制2年目。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "ビジャ、那須、荻が現役を引退。橋本が岐阜へ、オマリがFC東京へ、宮が鳥栖へ、三原が柏へそれぞれ完全移籍。小林が横浜FCへ、増山が福岡へ期限付き移籍。その他、野田、ウェリントン、向井、ポドルスキ、ハーフナーが契約満了で退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "清水からドウグラス、筑波大学からDF山川哲史、山口から菊池流帆が加入。昨年期限付き移籍していたDF初瀬亮、MF中坂勇哉が復帰。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "リーグ開幕に先駆けて開催されたFUJI XEROX SUPER CUP2020ではPK戦の末初優勝を飾った。コロナウイルスの中断期間やそれに伴うACLの日程変更などの影響で異例といえる過密な試合日程の中で勝ちきれない試合や試合終盤に競り負ける試合が多く、8月から9月にかけて7試合リーグ戦勝利なしとなった9月22日、家庭の事情でフィンクが退任。後任にはスポーツダイレクターの三浦淳寛が就任した。三浦新体制ではビべスアシスタントコーチが指揮した試合も含めて4連勝スタートを切ったものの、その後が続かず、リーグ戦は29節から34節にかけて6連敗を喫してシーズンを終えた。年間14位勝ち点36は2014年昇格以来最低となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "初挑戦となったACLでは、2月のジョホール・ダルル・タクジムFC戦(後に大会を辞退したため無効試合)、水原三星ブルーウィングスに1-0と勝利。その後11月に再開され、広州恒大にも勝利しグループリーグを突破。決勝トーナメントでは上海上港と水原三星を下したが、準決勝で蔚山現代FCに延長戦の末敗れ、ベスト4で敗退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "三浦淳寛体制2年目。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "西が浦和へ、小川が横浜FCへ、吉丸と藤谷が北九州へ完全移籍、渡部とダンクレーが契約満了で退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "東京Vから井上潮音、広島から廣永遼太郎、磐田から櫻内渚、前橋育英高校から櫻井辰徳、CRフラメンゴからリンコン、ケニア代表アユブ・マシカが加入。期限付き移籍していた小林友希と増山朝陽が復帰した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "シーズン途中に、古橋がスコットランドのセルティックへ、安井が町田へ、増山が大分へそれぞれ完全移籍し、藤本が清水へ期限付き移籍し、マシカが契約解除で退団した。8月に入り、ニューカッスル・ユナイテッドを退団した元日本代表FW武藤嘉紀、ヴェルダー・ブレーメンから日本代表FW大迫勇也、CFモントリオールを退団していた元バルセロナFWボージャン・クルキッチを獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "前年の失点の多さや試合終盤での競り負けを改善し、逆に試合終盤で勝ち点を拾う・勝ち点3を奪い取る粘り強さを発揮。初瀬や中坂など出番の少なかった若手が出場機会を大きく伸ばした。ACL出場権を争う名古屋戦も、前半2点を先行されたがFW武藤・MFイニエスタの得点もあり勝ち点差を維持。下位チームとの試合での取りこぼしもなく、第37節横浜FM戦で試合には敗れたものの他会場の結果もあり、2度目のACL出場権を獲得した。21勝10分7敗勝ち点73でリーグ戦3位はクラブ史上最高成績を大幅に更新した。リーグ戦での連敗なしもクラブ史上初となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "三浦淳寛体制3年目。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "DFトーマス・フェルマーレンが退団(後に現役引退)、FWドウグラスが柏へ、FW田中順也が岐阜へ完全移籍し、GK伊藤が群馬へ、MF櫻井が徳島へそれぞれ期限付き移籍。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "清水へ期限付き移籍していたFW藤本が復帰し、そのほか浦和からDF槙野智章、MF汰木康也、横浜FMからMF扇原貴宏を完全移籍で獲得。また新卒として中央大学からGK坪井湧也とユースからDF尾崎優成が加入した。開幕後の3月27日にFIFAの暫定措置でロシア・FCロストフとの契約が一時停止となっていたMF橋本拳人が6月30日までの期限付き移籍で、4月1日には相生学院高校からMF日髙光揮が加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "シーズン途中の7月に、鳥栖からMF飯野七聖、韓国・仁川からFWステファン・ムゴシャ、韓国・江原から元日本代表MF小林祐希、CRフラメンゴからDFマテウス・トゥーレルを期限付き移籍で獲得した。一方で、7月に契約を延長したMF橋本がスペイン・SDウエスカへ移籍し、FWリンコンがブラジル・クルゼイロECへ2023年末までの期限付き移籍でチームを離れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "3月15日に行われたACLプレーオフ・メルボルン・ビクトリー戦を延長の末4-3で下し、4月からの本選出場を決めた。一方リーグでは開幕から勝ち星に恵まれず、FW武藤、MFサンペールらがそれぞれ故障で長期離脱する苦しい流れに逆らえずクラブワースト更新となる7試合未勝利となり、3月20日付で三浦が契約解除となった。4月2日、6日の2試合はリュイス・プラナグマが暫定監督として指揮を執り、4月8日にミゲル・アンヘル・ロティーナが新監督として就任した。4月中旬より行われたACLグループリーグ4試合は2勝2分の戦績でグループステージを突破した。5月14日に行われた第14節のサガン鳥栖戦で開幕から12試合目にしてようやく初勝利を挙げた。しかしながらその後も流れに乗れず、前半戦17試合でわずか2勝と浮上のきっかけを見いだせないまま、第18節浦和レッズ戦後の6月29日、9試合で2勝1分6敗の責任を取らせる形でロティーナとの契約解除を発表。シーズン4人目の新指揮官として同クラブOBで2度指揮を執った経験のある吉田孝行が就任すると発表した。吉田就任後はリーグ戦3連勝を飾るなど順調な滑り出しを見せた。8月に集中開催されたACL決勝トーナメントはラウンド16の横浜FM戦に3-2で勝利し、ベスト8に進出。ラウンド8の全北現代モータース戦は延長の末1-3で敗れた。9月7日天皇杯準々決勝鹿島アントラーズ戦で敗北しシーズンの無冠が確定したものの、直後のリーグ戦以降は怪我から完全復活した大迫や途中加入の小林祐希の活躍もあり、残留争いをしていたG大阪、福岡との直接対決に勝利するなど2008年以来となる5連勝を達成した。10月22日に行われた静岡ダービーが引き分けに終わり、残り2試合を残して16位との勝ち点差が7に広がった為、来季J1残留が確定した。リーグ戦15試合消化時点での勝ち点一桁代からのJ1残留は2008年の千葉、2018年名古屋に次ぐ3例目となった。残留が決まって臨んだ上位川崎・横浜FM戦は2連敗で終え、勝ち点40の13位とシーズン前に期待された結果とは遠く及ばない結果でシーズンを終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "DF槙野が現役引退を表明したほか、FWボージャンが契約満了に伴い退団。GK伊藤とDF櫻内がFC今治、GK飯倉が横浜FM、DF小林友がセルティック(スコットランド)、MF小林祐が札幌、MF郷家が仙台、MF井上が横浜FC、FW藤本が鹿児島、FW小田がハート・オブ・ミドロシアンFCへ完全移籍。前年徳島へ期限付き移籍していたMF櫻井は引き続き徳島へ期限付き期限を延長した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "戦力補強として、京都からDF本多勇喜、東京VからMF井出遥也、C大阪からFWジェアン・パトリッキが完全移籍で加入し、湘南から齊藤未月、ポルティモネンセSC(ポルトガル)からFW川﨑修平が期限付き移籍で加入した。東福岡高校からMF浦十蔵、びわこ成蹊スポーツ大学からMF泉柊椰が入団。ユースからDF寺坂尚悟、MF安達秀都、FW冨永虹七が昇格。シーズン開幕後、町田から高橋祥平が期限付き移籍で加入。9月3日、ガラタサライSK(トルコ)を退団した元スペイン代表のMFフアン・マタ、フェレンツヴァーロシュTCからハンガリー代表のMFバーリント・ヴェーチェイを完全移籍で獲得。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "前年終盤にフィットした大迫をターゲットとするサッカーに移行。現代サッカーらしい走れて強い選手を集めた。攻撃では大迫や武藤が個人レベルの高さを発揮し、怪我なく戦い続けたことで、チームは首位を走ったが、消化試合数が1試合少ない中、迎えたシーズン前半戦折り返しのセレッソ大阪戦で敗戦。首位から陥落したものの2位で折り返した。シーズン途中の7月に入団以来クラブの顔としてプレーしてきた主将MFイニエスタとサンペールが双方合意の元で退団し、ムゴシャが古巣仁川へ移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "大迫、山口、武藤、酒井ら元日本代表の実力者がハードワークを厭わなかったことでチームは一丸となった。前線からの守備を志向する同じスタイルの相手との対戦では、元日本代表のメンタル、経験、技術の差で競り勝つことができた。MF齊藤未月が不運な大怪我を負った以外は怪我人が少なく、シーズン後半戦もチームは安定し、28節からの上位対決を全て制した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "大迫は11月12日に埼玉スタジアム2002で行われた第32節の浦和戦で、後半アディショナルタイムにゴールキーパーの西川周作がセットプレーで上がっていた隙を突き、前川からのロングボールを受けてそのまま流し込み、1997年に永島昭浩が記録して以来26年ぶりとなるシーズン22ゴール目を決め、チームのJ1最多得点記録に並んだ。なおこのゴールはDAZN配信の『Jリーグジャッジリプレイ』で取り上げられた際、元審判員の家本政明からオフサイドであることが指摘され、リーグ戦の重要な局面での見逃しに苦言が呈された。その後、第33節の名古屋戦では井出遥也と武藤のゴールで2-1の勝利。創設29年目、Jリーグ参入27年目で悲願のJ1リーグ初優勝を決め、2019年度の天皇杯に続く2つ目のタイトルを獲得した。参入20年目だった2012年の広島を上回る最も遅い初優勝となった。また前年13位からの優勝は、昇格1年目で優勝した柏とG大阪の例を除いては、2019年の横浜FM(前年12位)を上回る最大の躍進となった。シーズンオフに開催されたJリーグアウォーズでは、クラブ史上最多の4人(酒井、山口、武藤、大迫)がベストイレブンに選ばれ、大迫は神戸所属選手として初めての最優秀選手賞(MVP)受賞となり、個人3冠(得点王・ベストイレブン・MVP)を達成した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "ホームスタジアムはノエビアスタジアム神戸であり、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場でも不定期にホームゲームを開催している。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムはヴィッセル神戸の年度別成績一覧#年度別入場者数を参照のこと。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "練習場は神戸市西区井吹台東町七丁目(西神南ニュータウン)にある「いぶきの森球技場」が使われていたが、2003年10月にビオフェルミン製薬が練習場用地を新工場建設のために取得(2004年3月に引渡し) したため、2005年2月より神戸ハイテクパークに隣接する神戸市西区櫨谷町に約5億円かけて建設した「いぶきの森球技場」(名称は同一)に移転した。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "ヴィッセル神戸は2009年シーズンから2016年シーズンまでの間、リーグ戦において対戦相手によってチケット価格が異なる制度を導入していた(カップ戦は設定なし)。A価格はB価格に比べて大人で1,000円、小中生で500円高い。なお、各年度のカテゴリの対象クラブは下表の通りだった。2017年は設定がなくなり、その後はダイナミックプライシングが導入されている。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "創設時に、神戸フットボールクラブからユース・ジュニアユースを移管して、アカデミーが発足した。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "2005年、育成支援個人協賛会「Vitamin Club(ヴァイタミンクラブ)」が発足した。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "2006年、伊丹ジュニアユースチームを設立。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "2009年3月、「いぶきの森球技場」に近い神戸市西区櫨谷町福谷に選手寮(通称:三木谷ハウス)が完成した。総工費は約2億3,000万円で全額を三木谷が負担し、前札幌GMの村野晋が寮長に、また夫人である村野明子が寮母となった。また、育成部長の黒田和生がユース監督に就任した。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "2011年12月、地域のスポーツ活動の普及・育成に寄与することを目的に、一般社団法人ヴィッセル神戸スポーツクラブが創設された。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016", "title": "決算" } ]
ヴィッセル神戸は、日本の兵庫県神戸市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 2010年代後半から国内外のスター選手を相次いで獲得し、2022年度時点でチーム人件費はJリーグ1位、J1クラブの平均値を大きく上回っている。 2014年まで三木谷浩史の個人資産管理会社が全額出資しており、現在の運営会社は楽天ヴィッセル神戸株式会社。2013年度まで当期純利益で10年連続単年度赤字を計上したが、三木谷氏の個人資産や楽天グループの資金調達で債務超過を解消させている。
{{半保護}} {{pathnav|楽天グループ|frame=1}} {{サッカークラブ | font-color = #FFFFFF | background-color = #9D0020 | border-color= #000000 | image = Vissel Kobe logo.svg | image_size = 160px | 原語表記 = ヴィッセル神戸 | 呼称 = ヴィッセル神戸、ヴィッセル | 愛称 = | カラー = {{colorbox|#9d0020}} クリムゾンレッド<ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/club/kobe|title=プロフィール:ヴィッセル神戸|work=[[日本プロサッカーリーグ]]|accessdate=2020-09-06}}</ref><br/>{{colorbox|#FFFFFF}} 白<br/>{{colorbox|#000000}} 黒 | 創設 = 1966 | リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]] | ディビジョン = [[J1リーグ]] | クラブライセンス = J1 | ホームタウン = [[兵庫県]][[神戸市]]<ref name="jleague" /> | スタジアム = [[ファイル:Inside View of Kobe Wing Stadium.jpg|220px]]<br />[[御崎公園球技場|ノエビアスタジアム神戸]]<ref name="jleague" /> | キャパ = 30,132人<ref name="stadium">{{cite web|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/stadium/|title=ヴィッセル神戸 スタジアム/観戦:ノエビアスタジアム神戸|website=ヴィッセル神戸オフィシャルサイト|accessdate=2023-12-01}}</ref> | 法人名 = 楽天ヴィッセル神戸株式会社<ref name="jleague"/> | 代表 = {{Flagicon|JPN}} [[三木谷浩史]] <br />{{Flagicon|JPN}} 千布勇気<ref name="profile"/> | スポーツダイレクター = {{Flagicon|JPN}} [[永井秀樹]] | 監督 = {{Flagicon|JPN}} [[吉田孝行]] | pattern_la1 = _Vissel Kobe 2023 HOME FP | pattern_b1 = _Vissel Kobe 2023 HOME FP | pattern_ra1 = _Vissel Kobe 2023 HOME FP2 | pattern_sh1 = _Vissel Kobe 2023 HOME FP | pattern_so1 = _Vissel Kobe 2023 HOME FP | leftarm1 = 5F0101|body1=5F0101|rightarm1=5F0101|shorts1=5F0101|socks1=5F0101 | pattern_la2 = _Vissel Kobe 2023 AWAY FP | pattern_b2 = _Vissel Kobe 2023 AWAY FP | pattern_ra2 = _Vissel Kobe 2023 AWAY FP | pattern_sh2 = _Vissel Kobe 2023 AWAY FP | pattern_so2 = _Vissel Kobe 2023 AWAY FP | leftarm2 = 000000 | body2 = 000000 | rightarm2 = 000000 | shorts2 = 000000 | socks2 = 000000 | pattern_la3 = | pattern_b3 = | pattern_ra3 = | pattern_sh3 = | pattern_so3 = | leftarm3 = | body3 = | rightarm3 = | shorts3 = | socks3 = | HP = https://www.vissel-kobe.co.jp/ }} {{基礎情報 会社 | 社名 = 楽天ヴィッセル神戸株式会社 | 英文社名 = Rakuten Vissel Kobe, Inc. | ロゴ = | 種類 = [[株式会社]] | 市場情報 = 非上場 | 略称 = | 国籍 = | 本社郵便番号 = 650-0024<ref name="jleague" /> | 本社所在地 = [[兵庫県]][[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]]海岸通1-2-31神戸フコク生命海岸通ビル4階<ref name="jleague" /> | 設立 = [[2004年]][[1月5日]] | 業種 = 9050 | 事業内容 = サッカークラブの運営 | 代表者 = 代表取締役社長 千布勇気<ref name="profile"/> | 資本金 = 9,800万円<ref name="profile"/> | 発行済株式総数 = | 売上高 = 52億3,700万円<br>(2017年12月期)<ref name="jl2017">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf|title=2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2018-08-07}}</ref> | 営業利益 = ▲1億円<br> (2017年12月期)<ref name="jl2017"/> | 経常利益 = ▲1億5,300万円<br> (2017年12月期)<ref name="jl2017"/> |純利益 = 271万3000円<br>(2022年12月期)<ref name="fy">[https://catr.jp/settlements/b312f/298249 楽天ヴィッセル神戸株式会社 第19期決算公告]</ref> |純資産 = |総資産 = 35億0238万6000円<br>(2022年12月期)<ref name="fy" /> | 従業員数 = | 決算期 = 12月期 | 主要株主 = [[楽天グループ]]株式会社 100% | 主要子会社 = | 関係する人物 = [[三木谷浩史]] | 外部リンク = https://www.vissel-kobe.co.jp/ | 特記事項 = 2017年1月に株式会社クリムゾンフットボールクラブから、同年4月に楽天フットボールクラブ株式会社から商号変更 }} '''ヴィッセル神戸'''(ヴィッセルこうべ、{{Lang-en-short|Vissel Kobe}})は、[[日本]]の[[兵庫県]][[神戸市]]をホームタウンとする<ref name="jleague" />、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロ[[サッカー]]クラブ。 2010年代後半から国内外のスター選手を相次いで獲得し、2022年度時点でチーム人件費はJリーグ1位、J1クラブの平均値を大きく上回っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?384990-384990-fl |title= TOP > NEWS > Jリーグ > 記事詳細 2022年度のJクラブトップチーム人件費が判明!! 最多は48億円超の神戸、王者横浜FMが8.7億増で2位に急浮上 |publisher = |accessdate=2023-07-15}}</ref>。 2014年まで[[三木谷浩史]]の個人資産管理会社が全額出資しており、現在の運営会社は楽天ヴィッセル神戸株式会社。2013年度まで当期純利益で10年連続単年度赤字を計上したが、三木谷氏の個人資産や楽天グループの資金調達で債務超過を解消させている<ref>{{Cite web|和書|url=https://diamond.jp/articles/-/290146?page=3 |title=楽天・三木谷会長「巨額投資」の野望、ヴィッセル神戸の年俸総額は60億超! |publisher = |accessdate=2023-07-15}}</ref>。 == 概要 == 1966年創部の[[川崎製鉄水島サッカー部]]([[1987年]]に川崎製鉄サッカー部に改称)が前身<ref name="jleague" />。[[1997年]]にJリーグへ加盟した<ref name="jleague" />。ホームスタジアムは[[御崎公園球技場|ノエビアスタジアム神戸]]<ref name="jleague" />、練習場はいぶきの森球技場<ref name="jleague" />(詳細は[[#スタジアム・練習場]]を参照)。 チーム名の「ヴィッセル」は、英語の「VICTORY(勝利)」と「VESSEL(船)」を合わせた造語<ref name="jleague" />。これは「勝利の船出」を意味し、国際港湾都市・神戸をイメージ<ref name="jleague" />。神戸市民の夢を乗せ、勝利に挑戦し続けるチームであることの誓いもこめている<ref name="jleague" />。 [[マスコット]]は神戸・兵庫に馴染みの深い、[[ウシ|牛]]をモチーフとした「モーヴィ(MOVI)」<ref name="jleague" />。牛の鳴き声「モー」と勝利「ヴィクトリー」を合わせた造語。 運営会社は楽天ヴィッセル神戸株式会社(旧・株式会社クリムゾンフットボールクラブ)<ref name="profile">{{Cite web|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/club/|title=クラブ概要|work=ヴィッセル神戸|accessdate=2021-05-15}}</ref>。2004年に同社が設立された当初は[[合同会社]][[クリムゾングループ]]([[楽天グループ|楽天]][[代表取締役]]の[[三木谷浩史]]の個人資産管理会社)からの全額出資であり、[[楽天グループ|楽天]]からの出資は無かったが<ref name="rakuten-yuho">株式会社楽天 第16期[[有価証券報告書]](p.50、p.181-p.183) 2013年7月5日閲覧</ref>、[[2014年]][[12月]]に[[楽天グループ|楽天]]が運営会社の全株式を取得した<ref name="renofa20131119">{{Cite press release|和書|url=https://corp.rakuten.co.jp/news/press/2014/1206_01.html|title=楽天、ヴィッセル神戸の全株式を取得し、Jリーグに参入|publisher=楽天|date=2014-11-6|accessdate=2017-11-25}}</ref>。 == 歴史 == === 創設 === {{main|川崎製鉄水島サッカー部}} [[1993年]]12月に「神戸にプロサッカーチームをつくる市民の会(オーレKOBE)」が地元市民の有志により発足<ref name="history1994">{{Cite web|和書|url=http://www.vissel-kobe.co.jp/club/history/1994.html|title=クラブヒストリー1994|work=ヴィッセル神戸公式サイト|accessdate=2013-3-4}}</ref>。同時期に[[岡山県]][[倉敷市]]を本拠地とする[[川崎製鉄水島サッカー部|川崎製鉄サッカー部]]の誘致活動を行い、川崎製鉄本社の意向もあり[[1994年]]3月に[[1995年]]からの神戸市へ移転が決まった。1994年6月、当時神戸市に本社を置いていた[[総合スーパー]]の[[ダイエー]]がメインスポンサーとなり'''株式会社神戸オレンジサッカークラブ'''を設立<ref name="jleague" /><ref name="history1994"/>。1994年9月、クラブ名称が「ヴィッセル神戸」に決定した<ref name="history1994"/>。 === 1995年 - 2003年 === ====[[1995年]]==== [[1月1日]]、ヴィッセル神戸としてスタートしたが<ref name="jleague" />、練習初日の[[1月17日]]に[[阪神・淡路大震災]]が発生し<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20220117-GKJOSNCLDVM4ZO5RQYKAHR24BM/|title=震災の日にヴィッセル始動 選手黙禱、イニエスタ「特別な日にシーズンスタートとても大事」|publisher=産経ニュース|date=2022-01-17|accessdate=2022-01-17}}</ref>、選手らは岡山県倉敷市のグラウンドで初練習を行った<ref name="history1994"/>(2月6日)。なお、神戸市内の練習場「いぶきの森球技場(旧)」は1995年7月に完成した。また6月に後にクラブの象徴的存在となり「'''ミスター神戸'''」と称されたFW[[永島昭浩]]が加入した。 運営会社の筆頭株主だったダイエー(資本金10億円のうち、50%を出資)が震災の影響から3月に撤退した。当時強化部長だった安達貞至がスポンサー獲得に奔走、5月31日に運営会社の商号を株式会社ヴィッセル神戸に変更。ユニフォームにも白と黒のストライプにオレンジのラインが襟と袖に入っていたがダイエー撤退に伴い、オレンジからエメラルドグリーン(ヴィッセルブルー)に変更した。 ====[[1996年]]==== リーグ後半戦となる16節を前に当時現役[[サッカーデンマーク代表|デンマーク代表]]の[[ミカエル・ラウドルップ]]が加入<ref>[[週刊サッカーマガジン]] 1996年9月11日 no.571号 p.26-28 [[ベースボールマガジン社]]</ref>。最終節でNTT関東に3-1で勝利したことで、[[ジャパンフットボールリーグ]](JFL)準優勝<ref>[[週刊サッカーマガジン]] 1996年11月13日 no.580号 p.118-121、 JFL第29-最終節 ヴィッセルJ昇格、優勝目指して最後の戦い [[ベースボールマガジン社]]</ref>、1997年シーズンからJリーグへ加盟した<ref name="jleague" />。 ====[[1997年]]==== リーグ第2節の[[名古屋グランパスエイト]]戦では永島昭浩が2ゴールを挙げ、チームはJリーグ初勝利を挙げた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/match/result97.html| title=ヴィッセル神戸 1997| publisher=ヴィッセル神戸| accessdate =21 January 2021}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=2880| title=1997Jリーグ 1stステージ 第2節| publisher=data.j-league| accessdate =21 January 2021}}</ref>。同年、Jリーグ史上初の[[Jリーグアウォーズ|フェアプレー賞(高円宮杯)]]を受賞した。 ====[[1998年]]==== 韓国代表FW[[金度勲]]を獲得し、永島との強力2トップを要したものの、シーズン途中には16連敗を喫するなど低迷。J1参入決定戦で札幌を下して何とかJ1残留を決めた。 シーズン終了後には[[伊藤ハム]]がユニフォーム胸スポンサーから撤退。 ====[[1999年]]==== 監督に[[川勝良一]]が就任。2ndステージ終盤に4連勝を記録するなど、年間7位となり、2016年に更新されるまで長年クラブの最高順位記録だった。 ====[[2000年]]==== DF[[海本慶治]]がクラブ初の代表選手に選ばれた。2ndステージは連敗が続くなど苦しい戦いながらJ1に残留を果たした。この年限りで永島が現役を引退した。 ====[[2001年]]==== 京都を退団したFW[[三浦知良]]、MF[[望月重良]]、DF[[シジクレイ・デ・ソウザ|シジクレイ]]、清水からMF[[カルロス・アルベルト・ソーザ・ドス・サントス|サントス]]らが加入。[[御崎公園球技場|神戸ウイングスタジアム]]のこけら落としとなった試合ではクラブ史上最多の3万813人を動員した。 ====[[2002年]]==== 横浜から[[城彰二]]、G大阪から[[播戸竜二]]らを獲得するも、1stステージでは5連敗を喫するなど低迷し、川勝が辞任し後任にコーチを務めていた[[松田浩]]が昇格する形で就任した。2ndステージ開幕前にFW[[オゼアス・レイス・ドス・サントス|オゼアス]]、MF[[アリソン・ダ・シルバ・ネリ|アリソン]]を獲得。最終節で清水を下しギリギリで残留を果たした。 ====[[2003年]]==== 新たに[[副島博志]]を新監督に迎え、公式戦3連勝スタートを切ったが、1stステージ第14節大分戦ではワースト記録となる8失点で敗れるなど、年間通して多くの失点を喫する(リーグワースト63失点)。それでも終盤にカズ、播戸らの活躍で最終節を待たずして残留を決めた。 2003年12月15日、運営会社の株式会社ヴィッセル神戸は[[東京地方裁判所]]に[[民事再生法]]の適用を申請した<ref name="j040120"/><ref name="history2003">{{Cite web|和書|url=http://www.vissel-kobe.co.jp/club/history/2003.html|title=クラブヒストリー2003|work=ヴィッセル神戸|accessdate=2013-3-4}}</ref>。 === 2004年 - 2005年 === ====[[2004年]]==== 1月14日、兵庫県出身で[[楽天グループ|楽天]]の代表取締役である[[三木谷浩史]]が代表を務める株式会社クリムゾンフットボールクラブ([[2004年]][[1月5日]]設立)が[[2月1日]]付でチームの営業権を譲り受けた<ref name="j040120">{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/release/article-00000011/|title=(株)ヴィッセル神戸と(株)クリムゾンフットボールクラブの営業譲渡を承認|publisher=日本プロサッカーリーグ|date=2004-1-20|accessdate=2017-9-16}}</ref><ref name="history2003"/>。神戸市はチーム運営から撤退し、スタジアム使用などの側面支援を行うことになった。 [[イワン・ハシェック]]が監督に就任。[[2002 FIFAワールドカップ]]の[[サッカートルコ代表|トルコ代表]][[フォワード (サッカー)|FW]]の[[イルハン・マンスズ]]が加入し話題を集めたが、イルハンは出場は3試合にとどまり、シーズン途中に自らの希望で退団。2ndステージ開幕直前には、元東京Vを退団したばかりだったFW[[パトリック・エムボマ]]、[[鹿島アントラーズ]]からFW[[平瀬智行]]、チェコの名門[[FKテプリツェ]]からMF[[パベル・ホルバト|ホルヴィ]]らを獲得するなどテコ入れをおこなった。クラブは下位にとどまったが、播戸がリーグ戦17得点をあげ、得点ランキング3位タイとなった。 ====[[2005年]]==== [[東京ヴェルディ|東京V]]から現役日本代表DF[[三浦淳宏]]を獲得。開幕戦で勝利して以降、公式戦12試合勝ちなしとなり、6節広島戦終了後に松永英機が辞任し、エメルソン・レオンが就任したが成績は上向かず、2か月余りで解任された。その後パベル・ジェハークが正式に監督に就任した。パベル就任後、戦力構想から外れた三浦知良が7月に[[横浜FC]]へ移籍。また同時期にDF[[ホージェル・マシャド・マルケス|ホージェル]]と6月に加入したばかりの[[ディエゴ・デ・ソウザ・ガマ・シルバ|ディエゴ・デ・ソウザ]]がそれぞれクラブを去り、FW[[パトリック・エムボマ|エムボマ]]が怪我の影響もあり現役を引退した。 8月にブンデスリーガでのプレー経験もあるFW[[イヴォ・ウリヒ|イヴォ]]とDF[[マルティン・ミュラー|マルティン]]を獲得。[[2004年]]加入のMFホルヴィを加えて、チェコ人3人体制となった。前年17得点を挙げた播戸が怪我で10月下旬まで離脱したことが響き、年間通して得点力不足を露呈。第7節に最下位に転落して以降、一度も最下位を脱出できず、[[11月20日]]の[[大宮アルディージャ|大宮]]戦に敗れ、J2に降格した。 また、監督は[[2004年]]から1年半の間にハシェック、[[加藤寛 (サッカー指導者)|加藤寛]]、[[松永英機]]、[[エメルソン・レオン]]、[[パベル・ジェハーク]]とかわるがわる5人の指揮官が務めるなどクラブの迷走模様が浮き彫りとなった。 === [[2006年]](J2) === :チームスローガン:'''Kobe Forever Forward''' 初代監督の[[スチュワート・バクスター]]が9年ぶりに監督に就任。GK[[掛川誠]]、DF[[菅原智]]、FW[[和多田充寿]]ら長年クラブに在籍した選手が戦力外通告に伴い退団したほか、FW[[播戸竜二]]も古巣[[ガンバ大阪|G大阪]]へ移籍したものの、三浦淳を始め多くの主力が残留した。DFラインには長年イングランド・[[プレミアリーグ]]で長年プレー経験のあるDF[[エメルソン・アウグスト・トーメ|エメルソン・トーメ]]を獲得。攻撃陣にはJ1で出番の少なかった[[FC東京]]FW[[近藤祐介]]、[[サンフレッチェ広島|広島]]FW[[茂木弘人]]を獲得。 トップチームにおいて[[Jサテライトリーグ|サテライトチーム]]を「ヴィッセル神戸U-21」として若手選手の育成強化のためのチームに特化させると共に、出場経験が少ない選手に対する実践機会提供を図る観点から[[SC鳥取]](現:[[ガイナーレ鳥取]])と提携。また、横浜FMユース、ナショトレ関西地区担当の[[安達亮]]がU-21監督に就任。 [[4月10日]]、クリムゾンFC社長の三木谷が[[代表取締役]][[会長]]に就任。安達がGM兼任で代表取締役[[社長]]に就任。5月、[[東京ヴェルディ1969|読売サッカークラブ]]や[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]、[[日本サッカー協会]]などで重要職を担ってきた佐藤英男がGMアシスタントとして就任。また、人工芝グラウンドがいぶきの森に完成した。 8月24日、バクスターが家庭の事情で帰国することになり、4日前にコーチとして神戸に復帰していた[[松田浩]]が監督に昇格。リーグ戦は、[[横浜FC]]・[[柏レイソル|柏]]と自動昇格を争い、最終節で柏に逆転され3位の成績。最終戦で退場処分になった三浦を欠いたホームでの初戦は引き分け、[[12月9日]]、[[アビスパ福岡|福岡]]との入れ替え戦第2戦、後半、FW近藤のゴールで先制。その後同点とされ福岡の猛攻を受けたが耐え凌ぎJ1昇格を決めた。 === 2007年 - 2012年(J1) === ====[[2007年]]==== :チームスローガン:'''トモニイコウ We walk together forever''' {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #99B3FF solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 10pt;">{{Color|Black|'''2008年基本布陣'''}}</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[松田浩|<span style="font-size:small;color:crimson">監督 '''松田浩'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[榎本達也|<span style="font-size:small;color:white">'''榎本達也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.80|scale=220|text=[[石櫃洋祐|<span style="font-size:small;color:white">'''石櫃洋祐'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.93|scale=220|text=[[小林久晃 (1979年生のサッカー選手)|<span style="font-size:small;color:white">'''小林久晃'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.93|scale=220|text=[[北本久仁衛|<span style="font-size:small;color:white">'''北本久仁衛'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.80|scale=220|text=[[内山俊彦 (1978年生のサッカー選手)|<span style="font-size:small;color:white">'''内山俊彦'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.43|scale=220|text=[[ラファエル・ジョゼ・ボッティ・ザカリアス・セナ|<span style="font-size:small;color:white">'''ボッティ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.63|scale=220|text=[[金南一|<span style="font-size:small;color:white">'''金南一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.63|scale=220|text=[[田中英雄|<span style="font-size:small;color:white">'''田中英雄'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.43|scale=220|text=[[大久保嘉人|<span style="font-size:small;color:white">'''大久保嘉人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.26|scale=220|text=[[吉田孝行|<span style="font-size:small;color:white">'''吉田孝行'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.26|scale=220|text=[[レアンドロ・モンテーラ・ダ・シルバ|<span style="font-size:small;color:white">'''レアンドロ'''</span>]]}} </div> |} {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #99B3FF solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 10pt;">{{Color|Black|'''2007年基本布陣'''}}</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[松田浩|<span style="font-size:small;color:crimson">監督 '''松田浩'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[榎本達也|<span style="font-size:small;color:white">'''榎本達也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.80|scale=220|text=[[石櫃洋祐|<span style="font-size:small;color:white">'''石櫃洋祐'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.93|scale=220|text=[[北本久仁衛|<span style="font-size:small;color:white">'''北本久仁衛'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.93|scale=220|text=[[河本裕之|<span style="font-size:small;color:white">'''河本裕之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.80|scale=220|text=[[茂木弘人|<span style="font-size:small;color:white">'''茂木弘人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.43|scale=220|text=[[栗原圭介|<span style="font-size:small;color:white">'''栗原圭介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.63|scale=220|text=[[ラファエル・ジョゼ・ボッティ・ザカリアス・セナ|<span style="font-size:small;color:white">'''ボッティ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.63|scale=220|text=[[田中英雄|<span style="font-size:small;color:white">'''田中英雄'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.43|scale=220|text=[[古賀誠史|<span style="font-size:small;color:white">'''古賀誠史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.26|scale=220|text=[[大久保嘉人|<span style="font-size:small;color:white">'''大久保嘉人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.26|scale=220|text=[[レアンドロ・モンテーラ・ダ・シルバ|<span style="font-size:small;color:white">'''レアンドロ'''</span>]]}} </div> |} 松田体制2年目。育成部長に[[滝川第二高等学校]]サッカー部監督・[[黒田和生]]が就任。 [[横浜F・マリノス|横浜FM]]からGK[[榎本達也]]、[[セレッソ大阪|C大阪]]からFW[[大久保嘉人]]を完全移籍で、[[モンテディオ山形|山形]]からFW[[レアンドロ・モンテーラ・ダ・シルバ|レアンドロ]]、元[[全北現代]]のMF[[ラファエル・ジョゼ・ボッティ・ザカリアス・セナ|ボッティ]]を期限付き移籍で獲得した。[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]からMF[[酒井友之]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]からMF[[ディビッドソン純マーカス]]、福岡からレンタルでMF[[古賀誠史]]らを獲得。シーズン途中に主将MF三浦淳宏が起用法をめぐり、クラブと衝突し退団した。 第21節から第26節まで5連敗したが、第31節の甲府戦に勝利してJ1残留が決まった。なお、最終順位は10位。目標とした一桁順位は届かなかったが、当時のクラブ最高勝ち点47を記録。また得点数58はリーグ4位を記録した。このシーズンをもってDFエメルソン・トーメが現役引退した。 ====[[2008年]]==== :チームスローガン:'''トモニイコウ We walk together forever''' 松田体制3年目。 韓国代表主将のMF[[金南一]]、[[大分トリニータ|大分]]から元日本代表FW[[松橋章太]]、[[横浜Fマリノス|横浜FM]]からMF[[吉田孝行]]、[[FC東京]]からMF[[鈴木規郎]]、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]からFW[[須藤大輔]]などを獲得。一方で[[近藤祐介]]が退団した。 大久保嘉人がキャプテン、[[北本久仁衛]]、榎本達也が副キャプテンとなった。開幕から好調を維持し、一時は2位につけていた。その後、レアンドロ、[[古賀誠史]]、北本久仁衛らが次々と怪我をし、一時は降格圏内まで順位が落ちたが、その後J1クラブ記録となる5連勝を達成するなどし、11月23日のFC東京戦で残留を決めた。[[第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は4回戦で[[松本山雅FC]]にJリーグ加盟後の公式戦最多得点(8 - 0)で勝利したが、5回戦で[[サガン鳥栖|鳥栖]]に敗退した。 共同通信によると11月時点で[[松田浩]]に監督続投を要請していたが、12月に松田が監督から解任された<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20140214011105/http://www.47news.jp/CN/200812/CN2008120401000326.html|title=J1神戸が松田監督を解任 続投要請から方針転換|work=[[共同通信]]|date=2008-12-4|accessdate=2013-7-3}}{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。また、[[栗原圭介]]、[[酒井友之]]らベテランに加え、ユース出身の4人もが契約満了により退団した。 ====[[2009年]]==== :チームスローガン:'''トモニイコウ We walk together forever''' {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #99B3FF solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 10pt;">{{Color|Black|'''2009年開幕予想布陣'''}}</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[カイオ・ジュニオール|<span style="font-size:small;color:crimson">監督 '''カイオ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.38|y=1.09|scale=220|text=[[榎本達也|<span style="font-size:small;color:white">'''榎本達也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.82|scale=220|text=[[石櫃洋祐|<span style="font-size:small;color:white">'''石櫃洋祐'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.95|scale=220|text=[[宮本恒靖|<span style="font-size:small;color:white">'''宮本恒靖'''</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=0.95|scale=220|text=[[北本久仁衛|<span style="font-size:small;color:white">'''北本久仁衛'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[内山俊彦 (1978年生のサッカー選手)|<span style="font-size:small;color:white">'''内山俊彦'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.70|scale=220|text=[[アラン・バイーア|<span style="font-size:small;color:white">'''アラン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.70|scale=220|text=[[金南一|<span style="font-size:small;color:white">'''金南一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.38|y=0.48|scale=220|text=[[馬場賢治|<span style="font-size:small;color:white">'''馬場賢治'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.33|scale=220|text=[[吉田孝行|<span style="font-size:small;color:white">'''吉田孝行'''</span>]]}} {{Image label|x=0.38|y=0.18|scale=220|text=[[マルセウ・アウグスト・オルトラン|<span style="font-size:small;color:white">'''マルセウ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.33|scale=220|text=[[鈴木規郎|<span style="font-size:small;color:white">'''鈴木規郎'''</span>]]}} </div> |} 監督に[[CRフラメンゴ]]から[[カイオ・ジュニオール]]が就任。 FW大久保嘉人が[[VfLヴォルフスブルク]]へ、FWレアンドロが[[ガンバ大阪|G大阪]]へ移籍した一方、ブラジル人のFW[[マルセウ・アウグスト・オルトラン|マルセウ]]、MF[[アラン・バイーア]]、川崎から[[我那覇和樹]]、オーストリアの[[レッドブル・ザルツブルク]]から元日本代表DF[[宮本恒靖]]を獲得した。 リーグ戦は第5節(4月11日)の横浜FM戦で2006年以来の5失点で大敗した。その後も下位に沈んだ。6月にFW大久保嘉人が復帰したが、6月30日にカイオ・ジュニオールがカタールクラブ監督を理由に監督を辞任。後任には[[和田昌裕]]がチーム統括本部長と兼任で就任した。さらに8月大宮や札幌の元監督の[[三浦俊也]]が監督に就任(和田はヘッドコーチに就任)。三浦の就任後は首位鹿島を下すなど8月は無敗で乗り切ったが、9月以降はなかなか勝ち点を伸ばせず、第33節に柏の降格が決定したため、残留が確定。シーズン成績は14位。 ====[[2010年]]==== :チームスローガン:'''トモニイコウ We walk together forever''' 三浦俊也体制2年目。社長職が安達から叶屋宏一へ交代。 金南一がロシアリーグに移籍した一方、[[ザスパクサツ群馬|草津]]からJ2で23得点あげたFW[[都倉賢]]、大分からMF[[エジミウソン・アウベス|エジミウソン]]を獲得。更に古賀誠史と内山俊彦が抜けた左サイドに大宮からDF[[冨田大介]]、柏からMF[[アジウソン・ペレイラ・デ・ソウザ|ポポ]]を獲得した。また、新卒として、北越高校からFW[[有田光希]]、久御山高校からMF[[森岡亮太]]が入団した。FW[[小川慶治朗]]がクラブ初の2種登録選手となった。 開幕戦こそ勝利したが、代表戦で負傷した大久保嘉人のコンディションが上がらなかった事や、都倉や冨田といった新加入選手が出遅れた事もあり連勝できない状態が続いた。 W杯での中断明けに練習に参加していたFW[[李在敏|イ・ジェミン]]と7月に契約した。一方でリーグ戦は17節から23節までの7試合で6人の退場者を出し、そのうちの2度がGK榎本達也の退場で、フィールドプレーヤーがGKを務める事態も2度生じた。9月11日の京都戦に敗北した翌9月12日に三浦俊也が解任され、和田が監督に就任。28節から7試合で勝ち点15を積み上げ、第33節終了時点で16位であったが、最終節で浦和戦に勝利し、第33節時点で15位のFC東京が敗れたため、最終順位15位でJ1残留が決まった。なお、2010年シーズンの[[反則ポイント]]が149となり150万円の反則金を課された(反則ポイント17位は大宮で100ポイント)。 ====[[2011年]]==== :チームスローガン:'''トモニイコウ We walk together forever''' 和田体制2年目。 [[小林久晃 (1979年生のサッカー選手)|小林久晃]]、[[冨田大介]]が[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]へ、[[エジミウソン・アウベス|エジミウソン]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]へ、[[榎本達也]]が[[徳島ヴォルティス|徳島]]へ、[[高橋祐太郎]]が[[セレッソ大阪|C大阪]]へ、[[我那覇和樹]]が[[日本フットボールリーグ|JFL]]・[[FC琉球]]へ完全移籍、[[坪内秀介]]([[大宮アルディージャ|大宮]])、[[荻晃太]](甲府)がレンタル移籍先へ完全移籍した。 補強として、C大阪からDF[[羽田憲司]]、[[UAEリーグ]][[アル・ワスルFC|アル・ワスル]]からMF[[ホジェリオ・ミランダ・シウヴァ|ホジェリーニョ]]が完全移籍で加入、DF[[柳川雅樹]]、MF[[馬場賢治]]がレンタル移籍から復帰した。 序盤は好調だったものの、ホーム広島戦でのMF[[三原雅俊]]の負傷離脱以降は9戦で3分6敗と低迷する。その後は補強選手が機能せず怪我人が多く、9試合勝ちなしなど苦しい戦いを強いられた<ref name="history2011"/> が、「よりボールを保持し相手を圧倒するサッカー」<ref name="history2011"/> が浸透し、新主将吉田、大久保、朴康造、[[2. ブンデスリーガ (ドイツサッカー)|ドイツ2部]]の[[エネルギー・コットブス|コットブス]]を退団しシーズン途中に加入したDF[[相馬崇人]]らベテラン勢の活躍もあり最終的には過去最高順位となる9位でリーグ戦を終え、今季目標に掲げていた「一桁順位達成」をクリアした<ref name="history2011">{{Cite web|和書|url=http://www.vissel-kobe.co.jp/club/history/2011.html|title=クラブヒストリー2011|work=ヴィッセル神戸公式サイト|accessdate=2013-3-5}}</ref>。また、年間合計入場者数が昨年から引き続きJ1に在籍したクラブの中で唯一昨年より増加した(前年比103.1%)。 ====[[2012年]]==== :チームスローガン:'''トモニイコウ We walk together forever''' {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #99B3FF solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: 10pt;">{{Color|Black|'''2012年開幕予想布陣([[Jリーグアフターゲームショー|JAGS]])'''}}</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[和田昌裕|<span style="font-size:small;color:crimson">監督 '''和田昌裕'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[徳重健太|<span style="font-size:small;color:white">'''徳重健太'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.80|scale=220|text=[[近藤岳登|<span style="font-size:small;color:white">'''近藤岳登'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.93|scale=220|text=[[伊野波雅彦|<span style="font-size:small;color:white">'''伊野波雅彦'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.93|scale=220|text=[[北本久仁衛|<span style="font-size:small;color:white">'''北本久仁衛'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.80|scale=220|text=[[相馬崇人|<span style="font-size:small;color:white">'''相馬崇人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.43|scale=220|text=[[野沢拓也|<span style="font-size:small;color:white">'''野沢拓也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.63|scale=220|text=[[橋本英郎|<span style="font-size:small;color:white">'''橋本英郎'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.63|scale=220|text=[[田中英雄|<span style="font-size:small;color:white">'''田中英雄'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.43|scale=220|text=[[大久保嘉人|<span style="font-size:small;color:white">'''大久保嘉人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.26|scale=220|text=[[田代有三|<span style="font-size:small;color:white">'''田代有三'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.26|scale=220|text=[[吉田孝行|<span style="font-size:small;color:white">'''吉田孝行'''</span>]]}} </div> |} 和田体制3年目。 ボッティが[[フィゲイレンセFC]]へ、ホジェリーニョが[[セアラーSC]]へ、ポポが[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]へ、石櫃が[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]へ、松岡が[[ジュビロ磐田|磐田]]へと移籍した。また、[[ザスパクサツ群馬|草津]]にレンタル移籍した柳川が[[栃木SC]]に、三島が[[水戸ホーリーホック|水戸]]に、馬場が[[湘南ベルマーレ|湘南]]に、楠瀬が[[松本山雅FC|松本]]に完全移籍。有田が[[愛媛FC|愛媛]]に、紀氏が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]に、昨シーズン2種登録だった廣田がプロ契約後、[[FC岐阜|岐阜]]にレンタル移籍。また、宮本が引退した。 補強は、[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[橋本英郎]]、[[高木和道]]、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から[[田代有三]]、[[野沢拓也]]の計4人の元日本代表選手を獲得。また、[[モンテディオ山形|山形]]からGK[[植草裕樹]]、[[ハイドゥク・スプリト]]を退団していた日本代表DF[[伊野波雅彦]]を獲得、また[[李光善|イ・グァンソン]]、[[奥井諒]]の2人の大卒選手が入団した。選手以外では3月に元[[FCバルセロナ]]副会長の[[マルク・イングラ]]が取締役に就任。また、5月には[[タイ・プレミアリーグ]]の[[チョンブリーFC]]と業務提携を結んだ。 リーグ戦は開幕2連勝後に4連敗(ナビスコ杯を入れると6連敗)。第8節終了時で3勝5敗(ナビスコ杯を入れると3勝7敗)となった、[[4月30日]]に和田を監督から解任。ヘッドコーチの[[安達亮]]が暫定監督に就き<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/3444.html|title=監督交代のお知らせ|publisher=ヴィッセル神戸|date=2012-4-30|accessdate=2013-3-15}}</ref>。5月19日にG大阪元監督の[[西野朗]]が就任した。[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選]]によるリーグ戦中断が開けた第14節から3連勝したが、9月以降にリーグ戦および天皇杯の[[SAGAWA SHIGA FC]]戦で公式戦9試合連続勝ちなし、うち3試合連続で逆転負けを喫した。 11月7日の横浜FM戦に敗戦した翌8日に西野を監督から解任、ヘッドコーチの安達亮が後任監督に就任した<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/4670.html|title=監督交代のお知らせ|publisher=ヴィッセル神戸|date=2012-11-8|accessdate=2012-11-8}}</ref><ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/soccer/2012/11/08/0005512520.shtml サッカーJ1神戸、西野監督解任]([[デイリースポーツ|DAILYSPORT]]ONLINE 2012年11月8日配信記事(配信日に閲覧))</ref> が、[[2012年J1最終節|第34節]]で[[サンフレッチェ広島]]戦に敗北して16位となり、J2降格が決定した。 === [[2013年]](J2)=== :チームスローガン:'''トモニイコウ。 We walk together forever''' 安達体制2年目。トップチームコーチに千葉前監督の[[木山隆之]]が就任し、[[武田治郎]]GKコーチの後任には[[シジマール・アントニオ・マルチンス|シジマール]]が就任した。 大久保が[[川崎フロンターレ|川崎]]へ、野沢が[[鹿島アントラーズ|鹿島]]へ、伊野波が[[ジュビロ磐田|磐田]]へ、近藤が[[水戸ホーリーホック|水戸]]へ、高木が[[大分トリニータ|大分]]へそれぞれ移籍。フェルナンド、アンデルソン、ペ・チョンソクが退団し、朴と羽田が現役を引退した。また嘉味田と廣田が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]へ期限付き移籍した。 補強は、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から2011年まで在籍していたFW[[アジウソン・ペレイラ・デ・ソウザ|ポポ]]を、[[清水エスパルス|清水]]からGK[[山本海人]]を、[[蔚山現代FC]]からMF[[フアン・エステバン・ベレス|エステバン]]をそれぞれ完全移籍で獲得し、[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[杉浦恭平]]を期限付きで獲得。期限付き移籍していた[[有田光希]]、[[河本裕之]]、[[大屋翼]]、[[紀氏隆秀]]がチームに復帰し、ユースから[[松村亮]]、[[前田凌佑]]、[[和田倫季]]が昇格した。2月にブラジル・[[パルメイラス]]からFW[[アンデルソン・ソアレス・ダ・シルバ|マジーニョ]]が期限付きで加入した。 開幕から3連勝。第4節[[京都サンガF.C.|京都]]戦に敗れたが、第5節から9試合負けなし(6勝3分)の成績。しかし、第16節・[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]戦に敗れ、同節終了時点で第2節以来キープしてきた首位を[[ガンバ大阪|G大阪]]に明け渡した。その後は第34節まで2位を維持し、第35節から第38節までは再び首位に立った。また、第37節・松本戦ではリーグ戦クラブ記録となる1試合7得点を記録した。第39節、勝てば2位以内確定となる3位京都との直接対決に引き分け、自力でのJ1復帰決定を逃す<ref>{{cite news|date=2013-11-03|url=http://web.gekisaka.jp/406324_127748_fl|title=「最高のシチュエーション」もドロー…神戸は昇格まで勝ち点1|publisher=ゲキサカ|accessdate=2013-11-14}}</ref> と同時に、再びG大阪に首位を明け渡したものの、第40節、先に試合を行った京都がG大阪に敗れた時点で神戸のシーズン2位以上が確定、1年でのJ1復帰を決めた<ref>{{cite news|date=2013-11-10|url=http://www.kobe-np.co.jp/news/sports/201311/0006486352.shtml|title=ヴィッセル神戸、J1に昇格 3位京都が敗戦|publisher=神戸新聞|accessdate=2013-11-14}}</ref>。なお、J2リーグ戦は2位の成績。天皇杯は3回戦でC大阪に敗れた。 === 2014年 - (J1) === ====[[2014年]]==== :チームスローガン:'''一致団結~One Team, One Family, One Dream~''' 安達体制3年目。2012年途中から就任した[[ルイス・カルロス・ブローロ|ブローロ]]フィジカルコーチが[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]へ移籍し、2007年まで[[アルビレックス新潟|新潟]]でフィジカルコーチを務めた[[フラビオ・エンリケ・デ・オリベイラ|フラビオ]]がフィジカルコーチに就任した。 ポポが[[ジュビロ磐田|磐田]]へ、イ・グァンソンが[[アビスパ福岡|福岡]]へ、[[セレッソ大阪|C大阪]]から期限付きの金、[[SEパルメイラス|パルメイラス]]から期限付きのマジーニョが復帰、有田、三原がそれぞれ[[京都サンガF.C.|京都]]、[[V・ファーレン長崎|長崎]]へ期限付き移籍、[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]に期限付きしていた廣田、戦力外通告を受けた紀氏、都倉、林がチームを離れた。エステバンは選手登録を抹消され、[[済州ユナイテッドFC]]を経て2014年7月[[徳島ヴォルティス]]へ期限付き移籍となった。 補強は、前年J1で16得点をあげたFW[[マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ|マルキーニョス]]を[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から、[[Kリーグ]]で17得点をあげたFW[[ペドロ・ビスポ・モレイラ・ジュニオール|ペドロ・ジュニオール]]を[[済州ユナイテッドFC]]から獲得。その他DF[[増川隆洋]]、[[高橋峻希]]、MF[[ファビオ・エンリケ・シンプリシオ|シンプリシオ]]、[[鄭又榮|チョン・ウヨン]]が加入。[[川崎フロンターレ|川崎]]から期限付きで加入していたMF[[杉浦恭平]]は完全移籍で獲得。ユースからGK[[吉丸絢梓]]が昇格し、FW金容輔が[[興國高等学校|興國高校]]より入団した。 リーグ戦第8節鹿島とのアウェーゲームに15年ぶりに勝利し、クラブ史上初のリーグ戦首位に立つなど、ワールドカップ中断期間までは3位。[[Jリーグカップ|ナビスコカップ]]ではクラブ史上初の決勝トーナメント進出を果たした一方、天皇杯は2回戦(初戦)で[[関西学院大学体育会サッカー部|関西学院大学]]に敗れた。11月2日に第31節[[サガン鳥栖]]戦の敗戦で[[AFCチャンピオンズリーグ]]の出場が消滅し、その直後に約2年間指揮をとった安達亮監督のシーズン終了後の契約満了が発表された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/8260.html |title=ヴィッセル神戸 ニュース/レポート : 安達亮監督 退任のお知らせ|publisher= ヴィッセル神戸|date=2014-11-03 |accessdate=2014-11-04}}</ref>。最終的にシーズン終盤はリーグ戦4連敗を喫するなど11位。12月9日には橋本英郎、茂木弘人との契約満了を発表した。12月12日にはシジマールGKコーチ・フラビオフィジカルコーチの退任が発表された。それに伴いアレックストップチームGKコーチ・ピメンテウフィジカルコーチの就任と[[ネルソン・バプティスタ・ジュニオール|ネルシーニョ]]の監督就任が発表された。 ====[[2015年]]==== :チームスローガン:'''一致団結~One Team, One Family, One Dream~''' ネルシーニョ体制1年目。 植草が[[V・ファーレン長崎|長崎]]、茂木が[[福島ユナイテッドFC|福島]]、橋本が[[セレッソ大阪|C大阪]]、杉浦が[[ベガルタ仙台|仙台]]へ、河本が[[大宮アルディージャ|大宮]]へ完全移籍し、[[京都サンガF.C.|京都]]へ期限付き移籍していた有田はそのまま完全移籍となった。そのほか、シンプリシオと田代が退団した。松村は[[栃木SC|栃木]]へ1年間の期限付き移籍となった。 補強は、[[FC東京]]からFW[[渡邉千真]]、[[大宮アルディージャ|大宮]]からDF[[高橋祥平]]、[[サガン鳥栖|鳥栖]]からDF[[安田理大]]、ブラジルからMF[[ウェベルトン・アルメイダ・サントス|フェフージン]]と[[清水エスパルス|清水]]から[[ウェリントン・ダニエル・ブエノ|ブエノ]]が期限付きで加入した。前年[[アビスパ福岡|福岡]]から期限付きで加入したFW[[石津大介]]は期限を延長した。[[京都サンガF.C.|京都]]へ期限付き移籍していたMF[[田中英雄]]と[[V・ファーレン長崎|長崎]]へ期限付き移籍していたMF[[三原雅俊]]が復帰。[[東福岡自彊館中学校・東福岡高等学校|東福岡高校]]からMF[[増山朝陽]]、[[早稲田大学]]からGK[[松澤香輝]]が新人として入団した。 年間を通して故障で主力を欠くことが多く、4月以降はホームゲームで勝ち星を稼げず、1stステージは13位と低迷。2ndステージ開幕前にフェフージンとの契約を解除し、入れ替わる形で柏FW[[レアンドロ・モンテーラ・ダ・シルバ|レアンドロ]]が2008年以来7年ぶりにチームに復帰。2ndステージ開幕戦では、そのレアンドロも得点をあげるなど5-0と圧勝するスタートしたが、4節から6節まで3連敗。この時期はホームとして使用する[[御崎公園球技場|ノエビアスタジアム]]のピッチコンディションが悪く、試合後の記者会見で、ネルシーニョが「リズムを作れなかったのはピッチコンディションが影響した」と苦言を呈するほどだった<ref>[http://www.vissel-kobe.co.jp/match/gamereport/2015/j1_2_02.html?tab3 2015 明治安田生命J1リーグ 2ndステージ 第2節] ヴィッセル神戸公式サイト</ref><ref>[https://www.daily.co.jp/newsflash/soccer/2015/07/15/0008213313.shtml?pg=2 神戸ネルシーニョ監督 ノエスタに苦言] デイリースポーツ 2015年7月15日</ref>。そのため、2ndステージ9節サガン鳥栖戦とナビスコカップ準々決勝柏レイソル戦は[[神戸ユニバー記念競技場]]に試合会場が変更された。9月から5連敗、2ndステージ14節時点で年間勝ち点15位と降格の可能性を残したが15・16節の残留を争う[[モンテディオ山形]]と[[松本山雅FC]]との2連戦に連勝して残留を確定させた。[[Jリーグカップ|ナビスコカップ]]はベスト4、天皇杯はベスト8に入った。 ====[[2016年]]==== :チームスローガン:'''一致団結~One Team, One Family, One Dream~''' ネルシーニョ体制2年目。 奥井が大宮に、安田が名古屋、増川が札幌、ブエノが鹿島、森岡がポーランド・[[シロンスク・ヴロツワフ|ヴロツワフ]]、チョン・ウヨンが中国・[[重慶力帆足球倶楽部|重慶力帆FC]]へそれぞれ完全移籍。マルキーニョスと和田が退団。 補強は、[[水戸ホーリーホック|水戸]]からDF[[田中雄大 (1988年生のサッカー選手)|田中雄大]]を、鳥栖からMF[[藤田直之]]を、韓国・[[蔚山現代]]から韓国代表GK[[金承奎|キム・スンギュ]]を完全移籍で獲得。清水からDF[[村松大輔]]を期限付き移籍で獲得。栃木に期限付き移籍していたMF松村亮が復帰。ユースからDF[[藤谷壮]]、DF[[東隼也]]、MF[[中坂勇哉]]がトップチームへ昇格。[[関西学院大学]]から元ユース所属のMF[[小林成豪]]、[[阪南大学]]からMF[[松下佳貴]]が新卒入団した。また2月9日に磐田を退団したDF[[伊野波雅彦]]が4年ぶりに復帰することが発表された。2ndステージから[[SCインテルナシオナル]]からMF[[ニウトン・フェヘイラ・ジュニオール|ニウトン]]と浦和からDF[[橋本和]]が加入。 開幕戦は甲府に敗れたものの、2節の新潟戦で6-3の逆転勝利で初勝利。前年は怪我に泣かされたFWペドロ・ジュニオールが復調し、レアンドロとの2トップが固定されて以降は攻撃面は安定感を発揮したが、ボランチのコンビがなかなか定まらず、毎試合構成を変更を余儀なくされた。1stステージは12位と苦しんだが、2ndステージは前述したMFニウトンとDF橋本和を獲得。2ndステージ8節FC東京戦以降はリーグ戦8勝1分1敗と好成績を収めた。2ndステージ15節仙台戦で敗れたため、ステージ優勝の夢は途切れたものの、2ndステージを2位で終えた。年間成績は過去最高の7位。またFWレアンドロが19得点を挙げ、クラブ初のJリーグ得点王に輝いた。 ====[[2017年]]==== :チームスローガン:'''一致団結~One Team, One Family, One Dream~''' ネルシーニョ体制3年目。 相馬が引退、山本が[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]、高橋祥平が[[ジュビロ磐田|磐田]]、ペドロ・ジュニオールが[[鹿島アントラーズ|鹿島]]、松澤が[[徳島ヴォルティス|徳島]]、田中雄大が[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ完全移籍、松村が徳島、増山が[[横浜FC]]へ期限付き移籍、石津は期限付き移籍期間満了で[[アビスパ福岡|福岡]]へ復帰、[[ザスパクサツ群馬|群馬]]へ期限付き移籍していた田代が退団した。 補強は、[[ベガルタ仙台|仙台]]からDF[[渡部博文]]、[[ガンバ大阪|G大阪]]からMF[[大森晃太郎]]、[[FC東京]]からMF[[高橋秀人]]、[[湘南ベルマーレ|湘南]]からFW[[大槻周平]]、[[プリメイラ・リーガ|ポルトガル1部リーグ]]の[[スポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガル|スポルティングCP]]から昨年[[柏レイソル|柏]]でプレーしたFW[[田中順也]]が完全移籍で加入。期限付き移籍だったDF[[橋本和]]が完全移籍で加入、吉丸、山口が期限付き移籍先から復帰した。また、元ドイツ代表FW[[ルーカス・ポドルスキ]]が加入して7月にチームへ合流。同じ7月にオランダ1部の[[ADOデン・ハーグ]]から、元日本代表FW[[ハーフナー・マイク]]が加入した。 クラブ史上初の開幕4連勝を達成する好スタートを切ったものの、開幕戦で前年得点王のレアンドロが全治6か月の重傷を負うと(9月の復帰目前で再び同じ箇所を負傷しシーズン絶望となった)、4月中旬から下旬にかけて3連敗を喫するなど順位は低迷。ルーカス・ポドルスキが加入したものの、夏場に再び3連敗を喫し、8月16日にネルシーニョ監督との契約を解除し、[[吉田孝行]]ヘッドコーチが監督に就任した<ref>[https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/13605.html 吉田孝行ヘッドコーチ 監督就任のお知らせ] ヴィッセル神戸 2017年8月16日</ref>。守備を安定させ、攻撃では孤立気味だったポドルスキを自由にプレーさせるなどしたものの、シーズンラスト3ゲームはいずれも黒星でシーズン3度目の3連敗となった。リーグでの順位は9位となり、2年連続での1桁順位となった。[[第97回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は準決勝でC大阪に敗れた。 ====[[2018年]]==== :チームスローガン:'''一致団結~To Become the No.1 CLUB in Asia~''' 吉田体制2年目。 岩波が[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]へ完全移籍したほか、ニウトンがブラジル・[[ECバイーア|バイーア]]へ、高橋秀人が[[サガン鳥栖|鳥栖]]へ、大森が[[FC東京]]へ、徳重が[[V・ファーレン長崎|長崎]]へ、徳島へ期限付き移籍していた松村が[[AC長野パルセイロ|長野]]へ、田中英雄が[[テゲバジャーロ宮崎|宮崎]]へ完全移籍。東が[[福島ユナイテッドFC|福島]]へ、山口が[[大分トリニータ|大分]]へ、小林が[[モンテディオ山形]]へ、ウエスクレイがブラジル・[[セアラーSC|セアラー]]へ、向井が[[FC今治]]から復帰後[[レイラック滋賀FC|MIOびわこ滋賀]]へそれぞれ期限付き移籍。 福岡でJ2リーグ19得点を挙げたFW[[ウェリントン・ルイス・デ・ソウザ|ウェリントン]]をはじめ、浦和で優勝経験もあるDF[[那須大亮]]、仙台で主力としてプレーしていたMF[[三田啓貴]]、11年ぶりの復帰となるGK[[荻晃太]]、2015年までプレーしていた韓国代表MF[[鄭又榮|チョン・ウヨン]]を完全移籍で、タイ代表DF[[テーラトン・ブンマタン|ティーラトン]]を期限付き移籍で加入した。昨年2種登録されたユース出身FW[[佐々木大樹 (サッカー選手)|佐々木大樹]]、[[びわこ成蹊スポーツ大学サッカー部|びわこ成蹊スポーツ大学]]出身のDF[[宮大樹]]、[[青森山田中学高等学校|青森山田高校]]出身のMF[[郷家友太]]から入団した。また、クラブのスポーツダイレクターに2007年まで在籍した[[三浦淳寛]]を迎えた。チームキャプテンにはルーカス・ポドルスキが就任。5月には[[FCバルセロナ]]から、スペイン代表MF[[アンドレス・イニエスタ]]の完全移籍が発表された<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/14813.html |title=アンドレス イニエスタ選手完全移籍加入のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2018-5-24|accessdate=2018-5-30}}</ref>。シーズン途中に[[徳島ヴォルティス|徳島]]からDF[[大崎玲央]]と[[FC岐阜]]よりFW[[古橋亨梧]]を完全移籍で獲得。レアンドロが[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ、チョン・ウヨンが[[アル・サッド]]へ完全移籍で退団。ハーフナー、小川がそれぞれ仙台、湘南へ期限付き移籍した。 新加入の三田、ウェリントンが早々にフィットしたことや、ルーキー佐々木・郷家といった若手選手の活躍、そしてワールドカップ後に加入したイニエスタの活躍もあり、一時は4位に浮上し、目標としたACL出場の可能性も現実味を帯びていたが、8月下旬から5連敗を喫し一気に順位を落とす。9月17日に吉田の監督契約を解除。アシスタントコーチの[[林健太郎]]を監督代行に据えて2試合を戦った後、後任として[[フアン・マヌエル・リージョ]]が就任した。残留の大一番となった31節名古屋戦を勝利するなど、シーズン終盤6試合で1敗で乗り切り、33節にJ1残留が確定した。 ====[[2019年]]==== :チームスローガン:'''the No.1 Club in Asia ~ 一致団結 ~''' リージョ体制2年目。 [[ニューヨーク・シティFC]]より元スペイン代表のFW[[ダビド・ビジャ]]が加入。他にもC大阪よりMF[[山口蛍]]、鹿島よりDF[[西大伍]]、G大阪よりDF[[初瀬亮]]が加入し、小川が期限付き移籍から復帰した。シーズン開幕後には[[ヴィトーリアFC (ポルトガル)|ヴィトーリア・セトゥーバル]]よりDF[[ダンクレー・ルイス・デ・ジェズス・ペドレイラ|ダンクレー]]、FCバルセロナよりMF[[セルジ・サンペール]]が加入した<ref>https://news.livedoor.com/article/detail/16122946/</ref>。長沢、ティーラトン、ヤセルの期限付き移籍期間が満了したほか、藤田がC大阪へ、高橋が柏へ、大槻が山形へ、松下が仙台に移籍。神戸から期限付き移籍していた選手ではハーフナーは新たに[[バンコク・ユナイテッドFC]]へ、小林が山形への移籍期間満了を経て大分へ完全移籍した。 7月には、[[サガン鳥栖|鳥栖]]でプレー経験のあるDF[[ジョアン・オマリ]]とバルセロナを退団したDF[[トーマス・フェルメーレン|トーマス・フェルマーレン]]が完全移籍で加入した他、3年半在籍したGK[[キム・スンギュ]]が退団した穴埋めとして[[横浜F・マリノス|横浜FM]]からGK[[飯倉大樹]]が完全移籍で加入。8月には[[佐々木大樹 (サッカー選手)|佐々木大樹]]が期限付き移籍より復帰した他、大分から[[藤本憲明]]、[[ハンブルガーSV]]から[[酒井高徳]]が完全移籍で加入した。 開幕前の2月にはJリーグクラブでは初となる[[アメリカ合衆国]]を拠点にプレシーズンツアーを実施し、[[メジャーリーグサッカー|MLS]]のチームと試合を行った<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20181229/883131.html ヴィッセル神戸、アメリカでプレシーズンツアー実施! Jリーグのクラブでは史上初] サッカーキング 2018年12月29日</ref>。また7月27日、[[FCバルセロナ]]と「Rakuten Cup」にて、親善試合を行った<ref>{{Cite press release|和書|title=楽天、7月に「Rakuten Cup」を開催|publisher=楽天|date=2019-04-18|url=https://corp.rakuten.co.jp/news/press/2019/0418_03.html|accessdate=2019-07-05}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|title=「Rakuten Cup」試合結果|publisher=楽天|date=2019-07-27|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/match/game/?gid=20197777040120190727|accessdate=2019-07-27}}</ref>。 4月17日、本人の意向により同日付でリージョの監督契約を解除。ヘッドコーチの[[イニーゴ・ドミンゲス]]、アシスタントコーチの[[ホルヘ・ムニョス]]も同時に契約解除となった<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/16042.html|title=フアン マヌエル リージョ監督契約解除のお知らせ|publisher=ヴィッセル神戸|date=2019-04-17|accessdate=2019-04-17}}</ref>。後任には前年9月まで監督を務めた吉田が再び就任した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/16043.html|title=ヴィッセル神戸トップチーム新体制のお知らせ|publisher=ヴィッセル神戸|date=2019-04-17|accessdate=2019-04-17}}</ref>。 その後4月から5月末にかけてリーグ戦クラブワーストとなる7連敗を喫するなど公式戦9連敗で順位を大きく落とし、中断期間中に吉田が退任。ドイツ人[[トルステン・フィンク]]が新指揮官に就任した。フィンク就任後に加入した酒井高徳、フェルマーレンが早々にフィットし、フォーメーションを3バックに固定して以降は不安定だった成績も安定。シーズン成績は8位に終わった。クラブ歴代最多の61得点をあげた一方で無失点試合がわずか5試合。59失点はリーグワースト2位となり、守備に課題を残すシーズンとなった。 その一方で、天皇杯は順調に勝ち上がり、[[国立競技場|新国立競技場]]のこけら落としとなった決勝で[[鹿島アントラーズ|鹿島]]を下し、クラブ史上初タイトルを獲得。同時に[[AFCチャンピオンズリーグ]]の出場権を獲得した。 ====[[2020年]]==== :チームスローガン:'''the No.1 Club in Asia ~ 一致団結 ~''' フィンク体制2年目。 ビジャ、那須、荻が現役を引退。橋本が岐阜へ、オマリがFC東京へ、宮が鳥栖へ、三原が柏へそれぞれ完全移籍。小林が横浜FCへ、増山が福岡へ期限付き移籍。その他、野田、ウェリントン、向井、ポドルスキ、ハーフナーが契約満了で退団した。 清水から[[デャンフレス・ドウグラス・シャガス・マトス|ドウグラス]]、筑波大学からDF[[山川哲史]]、山口から[[菊池流帆]]が加入。昨年期限付き移籍していたDF[[初瀬亮]]、MF[[中坂勇哉]]が復帰。 リーグ開幕に先駆けて開催された[[FUJI XEROX SUPER CUP2020]]ではPK戦の末初優勝を飾った。コロナウイルスの中断期間やそれに伴うACLの日程変更などの影響で異例といえる過密な試合日程の中で勝ちきれない試合や試合終盤に競り負ける試合が多く、8月から9月にかけて7試合リーグ戦勝利なしとなった9月22日、家庭の事情でフィンクが退任。後任にはスポーツダイレクターの[[三浦淳寛]]が就任した<ref>{{Cite press release |和書 |title=三浦 淳寛新監督就任およびトップチーム新体制発表のお知らせ |publisher=ヴィッセル神戸 |date=2020-09-24 |url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/17861.html |accessdate=2020-09-24}}</ref>。三浦新体制ではビべスアシスタントコーチが指揮した試合も含めて4連勝スタートを切ったものの、その後が続かず、リーグ戦は29節から34節にかけて6連敗を喫してシーズンを終えた。年間14位勝ち点36は2014年昇格以来最低となった。 初挑戦となったACLでは、2月の[[ジョホール・ダルル・タクジムFC]]戦(後に大会を辞退したため無効試合)、[[水原三星ブルーウィングス]]に1-0と勝利。その後11月に再開され、[[広州恒大淘宝足球倶楽部|広州恒大]]にも勝利しグループリーグを突破。決勝トーナメントでは[[上海上港集団足球倶楽部|上海上港]]と水原三星を下したが、準決勝で[[蔚山現代FC]]に延長戦の末敗れ、ベスト4で敗退した。 ====[[2021年]]==== 三浦淳寛体制2年目。 西が浦和へ、小川が横浜FCへ、吉丸と藤谷が北九州へ完全移籍、渡部とダンクレーが契約満了で退団した。 東京Vから[[井上潮音]]、広島から[[廣永遼太郎]]、磐田から[[櫻内渚]]、前橋育英高校から[[櫻井辰徳]]、[[CRフラメンゴ]]から[[リンコン・コレア・ドス・サントス|リンコン]]、ケニア代表[[アユブ・マシカ]]が加入。期限付き移籍していた[[小林友希]]と[[増山朝陽]]が復帰した。 シーズン途中に、古橋がスコットランドの[[セルティックFC|セルティック]]へ、安井が町田へ、増山が大分へそれぞれ完全移籍し、藤本が清水へ期限付き移籍し、マシカが契約解除で退団した。8月に入り、[[ニューカッスル・ユナイテッドFC|ニューカッスル・ユナイテッド]]を退団した元日本代表FW[[武藤嘉紀]]、[[ヴェルダー・ブレーメン]]から日本代表FW[[大迫勇也]]、[[CFモントリオール]]を退団していた元バルセロナFW[[ボージャン・クルキッチ]]を獲得した。 前年の失点の多さや試合終盤での競り負けを改善し、逆に試合終盤で勝ち点を拾う・勝ち点3を奪い取る粘り強さを発揮。初瀬や中坂など出番の少なかった若手が出場機会を大きく伸ばした。ACL出場権を争う名古屋戦も、前半2点を先行されたがFW武藤・MFイニエスタの得点もあり勝ち点差を維持。下位チームとの試合での取りこぼしもなく、第37節横浜FM戦で試合には敗れたものの他会場の結果もあり、2度目のACL出場権を獲得した。21勝10分7敗勝ち点73でリーグ戦3位はクラブ史上最高成績を大幅に更新した。リーグ戦での連敗なしもクラブ史上初となった。 ==== [[2022年]] ==== 三浦淳寛体制3年目。 DFトーマス・フェルマーレンが退団(後に現役引退)、FWドウグラスが柏へ、FW田中順也が岐阜へ完全移籍し、GK伊藤が群馬へ、MF櫻井が徳島へそれぞれ期限付き移籍。 清水へ期限付き移籍していたFW藤本が復帰し、そのほか浦和からDF[[槙野智章]]、MF[[汰木康也]]、横浜FMからMF[[扇原貴宏]]を完全移籍で獲得。また新卒として中央大学からGK[[坪井湧也]]とユースからDF[[尾崎優成]]が加入した。開幕後の3月27日にFIFAの暫定措置でロシア・[[FCロストフ]]との契約が一時停止となっていたMF[[橋本拳人]]が6月30日までの期限付き移籍で、4月1日には相生学院高校からMF[[日髙光揮]]が加入した。 シーズン途中の7月に、鳥栖からMF[[飯野七聖]]、韓国・仁川からFW[[ステファン・ムゴシャ]]、韓国・江原から元日本代表MF[[小林祐希]]、[[CRフラメンゴ]]からDF[[マテウス・ソアレス・トゥーレル|マテウス・トゥーレル]]を期限付き移籍で獲得した。一方で、7月に契約を延長したMF橋本がスペイン・[[SDウエスカ]]へ移籍し、FWリンコンがブラジル・[[クルゼイロEC]]へ2023年末までの期限付き移籍でチームを離れた。 3月15日に行われたACLプレーオフ・[[メルボルン・ビクトリーFC|メルボルン・ビクトリー]]戦を延長の末4-3で下し、4月からの本選出場を決めた。一方リーグでは開幕から勝ち星に恵まれず、FW武藤、MFサンペールらがそれぞれ故障で長期離脱する苦しい流れに逆らえずクラブワースト更新となる7試合未勝利となり、3月20日付で三浦が契約解除となった。4月2日、6日の2試合は[[リュイス・プラナグマ]]が暫定監督として指揮を執り、4月8日に[[ミゲル・アンヘル・ロティーナ]]が新監督として就任した。4月中旬より行われたACLグループリーグ4試合は2勝2分の戦績でグループステージを突破した。5月14日に行われた第14節のサガン鳥栖戦で開幕から12試合目にしてようやく初勝利を挙げた。しかしながらその後も流れに乗れず、前半戦17試合でわずか2勝と浮上のきっかけを見いだせないまま、第18節浦和レッズ戦後の6月29日、9試合で2勝1分6敗の責任を取らせる形でロティーナとの契約解除を発表。シーズン4人目の新指揮官として同クラブOBで2度指揮を執った経験のある吉田孝行が就任すると発表した。吉田就任後はリーグ戦3連勝を飾るなど順調な滑り出しを見せた。8月に集中開催されたACL決勝トーナメントはラウンド16の横浜FM戦に3-2で勝利し、ベスト8に進出。ラウンド8の[[全北現代モータース]]戦は延長の末1-3で敗れた。9月7日天皇杯準々決勝鹿島アントラーズ戦で敗北しシーズンの無冠が確定したものの、直後のリーグ戦以降は怪我から完全復活した大迫や途中加入の小林祐希の活躍もあり、残留争いをしていたG大阪、福岡との直接対決に勝利するなど2008年以来となる5連勝を達成した。10月22日に行われた静岡ダービーが引き分けに終わり、残り2試合を残して16位との勝ち点差が7に広がった為、来季J1残留が確定した。リーグ戦15試合消化時点での勝ち点一桁代からのJ1残留は2008年の千葉、2018年名古屋に次ぐ3例目となった。残留が決まって臨んだ上位川崎・横浜FM戦は2連敗で終え、勝ち点40の13位とシーズン前に期待された結果とは遠く及ばない結果でシーズンを終えた。 ==== [[2023年]] ==== DF槙野が現役引退を表明したほか、FWボージャンが契約満了に伴い退団。GK伊藤とDF櫻内がFC今治、GK飯倉が横浜FM、DF小林友がセルティック(スコットランド)、MF小林祐が札幌、MF郷家が仙台、MF井上が横浜FC、FW藤本が鹿児島、FW小田が[[ハート・オブ・ミドロシアンFC]]へ完全移籍。前年徳島へ期限付き移籍していたMF櫻井は引き続き徳島へ期限付き期限を延長した。 戦力補強として、京都からDF[[本多勇喜]]、東京VからMF[[井出遥也]]、C大阪からFW[[ジェアン・パトリッキ・リマ・ドス・ヘイス|ジェアン・パトリッキ]]が完全移籍で加入し、湘南から[[齊藤未月]]、[[ポルティモネンセSC]](ポルトガル)からFW[[川﨑修平]]が期限付き移籍で加入した。東福岡高校からMF[[浦十蔵]]、[[びわこ成蹊スポーツ大学]]からMF[[泉柊椰]]が入団。ユースからDF[[寺坂尚悟]]、MF[[安達秀都]]、FW[[冨永虹七]]が昇格。シーズン開幕後、町田から[[高橋祥平]]が期限付き移籍で加入。9月3日、[[ガラタサライSK]](トルコ)を退団した元スペイン代表のMF[[フアン・マタ]]、[[フェレンツヴァーロシュTC]]からハンガリー代表のMF[[ヴェーチェイ・バーリント|バーリント・ヴェーチェイ]]を完全移籍で獲得<ref>{{Cite web|和書 |title=MFフアン マタ選手 完全移籍加入のお知らせ |url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/21947.html |website=ヴィッセル神戸オフィシャルサイト |access-date=2023-09-04 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |title=MFバーリント ヴェーチェイ選手 完全移籍加入のお知らせ |url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/21944.html |website=ヴィッセル神戸オフィシャルサイト |access-date=2023-09-04 |language=ja}}</ref>。 前年終盤にフィットした大迫をターゲットとするサッカーに移行。現代サッカーらしい走れて強い選手を集めた。攻撃では大迫や武藤が個人レベルの高さを発揮し、怪我なく戦い続けたことで、チームは首位を走ったが、消化試合数が1試合少ない中、迎えたシーズン前半戦折り返しのセレッソ大阪戦で敗戦。首位から陥落したものの2位で折り返した。シーズン途中の7月に入団以来クラブの顔としてプレーしてきた主将MFイニエスタとサンペールが双方合意の元で退団し、ムゴシャが古巣仁川へ移籍した。 大迫、山口、武藤、酒井ら元日本代表の実力者がハードワークを厭わなかったことでチームは一丸となった。前線からの守備を志向する同じスタイルの相手との対戦では、元日本代表のメンタル、経験、技術の差で競り勝つことができた。MF[[齊藤未月]]が不運な大怪我を負った以外は怪我人が少なく、シーズン後半戦もチームは安定し、28節からの上位対決を全て制した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/match/j1/2023/092901/live/#live/ |title=横浜FMvs神戸の試合結果・データ(明治安田生命J1リーグ:2023年9月29日) |publisher = |accessdate=2023-09-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/match/j1/2023/092310/live/#coach |title=神戸vsC大阪の試合結果・データ(明治安田生命J1リーグ:2023年9月23日) |publisher = |accessdate=2023-09-24}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20231021-4M5SGLUUCJPTPJETMIVNDWQONQ/ |title=ヴィッセル神戸が初優勝に前進、乱れなく鹿島を3-1で下す |publisher = |accessdate=2023-10-22}}</ref>。 大迫は11月12日に[[埼玉スタジアム2002]]で行われた第32節の浦和戦で、後半アディショナルタイムにゴールキーパーの[[西川周作]]がセットプレーで上がっていた隙を突き、前川からのロングボールを受けてそのまま流し込み、1997年に[[永島昭浩]]が記録して以来26年ぶりとなるシーズン22ゴール目を決め、チームのJ1最多得点記録に並んだ<ref>{{cite web|url=https://hochi.news/articles/20231112-OHT1T51202.html?page=1|title=神戸、GK前川からパス大迫勇也 劇的V弾で初優勝王手「得点はオマケ。全員がハードワークしたご褒美」|website=スポーツ報知|date=2023-11-13|accessdate=2023-11-27}}</ref>。なおこのゴールはDAZN配信の『Jリーグジャッジリプレイ』で取り上げられた際、元審判員の[[家本政明]]からオフサイドであることが指摘され、リーグ戦の重要な局面での見逃しに苦言が呈された<ref>{{Cite web |title=「考えられない動きをした」大迫勇也の決勝弾、家本元審判員はオフサイドと判断。副審の位置取りを疑問視「適切な競技規則が適用されなかった」(SOCCER DIGEST Web) |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/f681ec83d10115dbce98a46d4f7f34806bbaf179 |website=Yahoo!ニュース |access-date=2023-11-28 |language=ja}}</ref>。その後、第33節の名古屋戦では[[井出遥也]]と[[武藤嘉紀|武藤]]のゴールで2-1の勝利。創設29年目、Jリーグ参入27年目で悲願のJ1リーグ初優勝を決め、2019年度の天皇杯に続く2つ目のタイトルを獲得した<ref>{{cite web|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202311250000488.html|title=【神戸】悲願の初優勝 J参入27年目…震災、経営難、2度のJ2落ちなど経てついに頂点|website=日刊スポーツ|date=2023-11-25|accessdate=2023-11-27}}</ref><ref group="注釈">神戸が11クラブ目のJ1リーグ優勝を果たしたことにより、'''Jリーグの優勝クラブ数が[[1993年のJリーグ]]開幕時のチーム数([[オリジナル10]])を上回った。'''</ref>。参入20年目だった2012年の広島を上回る最も遅い初優勝となった。また前年13位からの優勝は、昇格1年目で優勝した柏とG大阪の例を除いては、2019年の横浜FM(前年12位)を上回る最大の躍進となった<ref>{{Cite web|title=【神戸】J参入27年目での優勝は最遅、J1前年13位からの大躍進/神戸記録的優勝アラカルト|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202311250000995.html|website=日刊スポーツ|date=2023-11-25|accessdate=2023-11-28|language=ja}}</ref>。シーズンオフに開催された[[Jリーグアウォーズ]]では、クラブ史上最多の4人(酒井、山口、武藤、大迫)がベストイレブンに選ばれ、大迫は神戸所属選手として初めての最優秀選手賞(MVP)受賞となり、個人3冠(得点王・ベストイレブン・MVP)を達成した。 == 成績 == {{main|ヴィッセル神戸の年度別成績一覧}} == タイトル・表彰 == === クラブ(国内) === * '''[[J1リーグ]]:1回''' ** [[2023年のJ1リーグ|2023]] * '''[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会]]:1回''' ** [[天皇杯 JFA 第99回全日本サッカー選手権大会|2019]] * '''[[スーパーカップ (日本サッカー)|スーパーカップ]]:1回''' ** [[2020年のスーパーカップ (日本サッカー)|2020]] === その他タイトル === * [[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞(高円宮杯)|J1フェアプレー賞高円宮杯]]:1回([[1997年のJリーグ|1997年]]) * J1フェアプレー賞:1回([[2019年のJ1リーグ|2019年]]) * J2フェアプレー賞:1回([[2013年のJリーグ ディビジョン2|2013年]]) === 個人別 === * [[J1リーグ]] ** 得点王 *** [[2016年のJ1リーグ|2016年]] - [[レアンドロ・モンテーラ・ダ・シルバ|レアンドロ]] *** [[2023年のJ1リーグ|2023年]] - [[大迫勇也]] ** [[Jリーグベストイレブン|ベストイレブン]] *** 2016年 - レアンドロ *** 2019年 - [[アンドレス・イニエスタ]] *** [[2021年のJ1リーグ|2021年]] - アンドレス・イニエスタ *** [[2023年のJ1リーグ|2023年]] - [[酒井高徳]]・[[山口蛍]]・[[武藤嘉紀]]・[[大迫勇也]] ** フェアプレー個人賞 *** 1997年 - [[永島昭浩]] *** [[2014年のJリーグ ディビジョン1|2014年]] - [[森岡亮太]] *** 2023年 - [[前川黛也]] ** 年間優秀監督賞 *** 2023年 - [[吉田孝行]] ** 最優秀ゴール賞 *** 2019年 - [[ダビド・ビジャ]] **[[月間MVP (日本プロサッカーリーグ)|月間MVP]] *** 2016年9月度 - レアンドロ *** 2021年6月度 - [[古橋亨梧]] *** 2021年10月度 - アンドレス・イニエスタ *** 2023年11・12月度 - 大迫勇也 ** 月間ベストゴール *** [[2018年のJ1リーグ|2018年]]8月度 - アンドレス・イニエスタ *** 2018年11月度 - [[ルーカス・ポドルスキ]] *** 2019年6月度 - ダビド・ビジャ *** 2019年8月度 - [[田中順也]] ** 月間優秀監督賞 *** 2021年7月度 - [[三浦淳寛]] *** 2021年10月度 - 三浦淳寛 *** 2023年11・12月度 - 吉田孝行 *[[J2リーグ]] **月間MVP ***2013年3月度 - [[アジウソン・ペレイラ・デ・ソウザ|ポポ]] ***2013年9月度 - [[小川慶治朗]] == スタジアム・練習場 == ホームスタジアムは[[御崎公園球技場|ノエビアスタジアム神戸]]であり<ref name="jleague" />、[[神戸総合運動公園ユニバー記念競技場]]でも不定期にホームゲームを開催している。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは[[ヴィッセル神戸の年度別成績一覧#年度別入場者数]]を参照のこと。 練習場は神戸市[[西区 (神戸市)|西区]]井吹台東町七丁目(西神南ニュータウン)にある「いぶきの森球技場」が使われていたが、2003年10月に[[ビオフェルミン製薬]]が練習場用地を新工場建設のために取得(2004年3月に引渡し)<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.biofermin.co.jp/ir/oshirase/index.html|title=固定資産(土地)の取得に関するお知らせ|publisher=ビオフェルミン製薬|date=2003年10月20日|accessdate=2013年3月4日}}</ref> したため、[[2005年]][[2月]]より神戸ハイテクパークに隣接する神戸市西区櫨谷町に約5億円かけて建設した「いぶきの森球技場」(名称は同一)に移転した。 === チケットの価格設定 === ヴィッセル神戸は2009年シーズンから2016年シーズンまでの間、リーグ戦において対戦相手によってチケット価格が異なる制度を導入していた(カップ戦は設定なし)。A価格はB価格に比べて大人で1,000円、小中生で500円高い。なお、各年度のカテゴリの対象クラブは下表の通りだった。2017年は設定がなくなり、その後はダイナミックプライシングが導入されている。 {| class="wikitable" style="border:double #000000; box-shadow: 4px 4px 4px #9D0020;" |- style="text-align:center; background-color:#9D0020; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||所属||A価格||B価格 |- |2009 |rowspan="4" style="text-align:center;"|J1 |浦和、FC東京、横浜FM、G大阪||山形、鹿島、大宮、千葉、柏、川崎、新潟、清水、磐田、名古屋、京都、広島、大分 |- |2010||鹿島、浦和、G大阪、広島||仙台、山形、大宮、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、新潟、清水、磐田、名古屋、京都、C大阪 |- |2011||浦和、G大阪、C大阪||仙台、山形、鹿島、大宮、柏、川崎、横浜FM、甲府、新潟、清水、磐田、名古屋、広島、福岡 |- |2012||浦和、名古屋、G大阪、広島||札幌、仙台、鹿島、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、新潟、清水、磐田、C大阪、鳥栖 |- |2013 |style="text-align:center;"|J2 |style="text-align:center;" colspan="2"|''設定無し'' |- |2014 |rowspan="4" style="text-align:center;"|J1 |浦和、G大阪、C大阪、広島||仙台、鹿島、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、甲府、新潟、清水、名古屋、徳島、鳥栖 |- |2015 |鹿島、浦和、柏、松本、名古屋、G大阪||仙台、山形、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、甲府、新潟、清水、広島、鳥栖 |- |2016 |鹿島、浦和、G大阪、広島||仙台、大宮、柏、FC東京、川崎、横浜FM、湘南、甲府、新潟、磐田、名古屋、福岡、鳥栖 |- |2017 |style="text-align:center;" colspan="2"|''設定無し'' |- |} == ユニフォーム == {| style="margin-left:16px; float:right;" |- | {| class="wikitable" style="text-align:center;" |+ style="font-size:120%; font-weight:bold;"|ユニフォームの色 |- ! style="background-color:#efefef;" |カラー ! style="background-color:#efefef;" |シャツ ! style="background-color:#efefef;" |パンツ ! style="background-color:#efefef;" |ストッキング |- |FP(1st) |臙脂 |臙脂 |臙脂 |- |FP(2nd) |白 |黒 |白 |- |GK(1st) |緑 |緑 |緑 |- |GK(2nd) |水色 |水色 |水色 |} |- | class="toccolours" style="padding:0; text-align:center;" colspan="2"| {| style="width:100%; text-align:center;" |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = _Vissel Kobe 2023 HOME FP| pattern_b = _Vissel Kobe 2023 HOME FP| pattern_ra = _Vissel Kobe 2023 HOME FP2| pattern_sh = _Vissel Kobe 2023 HOME FP| pattern_so = _Vissel Kobe 2023 HOME FP | 左袖 = 5F0101 | 胴 = 5F0101 | 右袖 = 5F0101 | パンツ = 5F0101 | ストキング = 5F0101 | 種別 = FP 1st }} |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = _Vissel Kobe 2023 AWAY FP| pattern_b = _Vissel Kobe 2023 AWAY FP| pattern_ra = _Vissel Kobe 2023 AWAY FP| pattern_sh = _Vissel Kobe 2023 AWAY FP| pattern_so = _Vissel Kobe 2023 AWAY FP | 左袖 = 000000 | 胴 = 000000 | 右袖 = 000000 | パンツ = 000000 | ストキング = FFFFFF | 種別 = FP 2nd }} |} |- | class="toccolours" style="padding:0; text-align:center;" colspan="2"| {| style="width:100%; text-align:center;" |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = | pattern_b = | pattern_ra =| pattern_sh = | pattern_so = | 左袖 = 244E38 | 胴 = 244E38 | 右袖 = 244E38 | パンツ = 244E38 | ストキング = 244E38 | 種別 = GK 1st }} |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = | pattern_b = | pattern_ra = | pattern_sh = | pattern_so = | 左袖 = 72BCE9 | 胴 = 72BCE9 | 右袖 = 72BCE9 | パンツ = 72BCE9 | ストキング = 72BCE9 | 種別 = GK 2nd }} |} |} === チームカラー === *{{colorbox|#9D0020}} クリムゾンレッド([[臙脂]]、2005年 - ):希望と歓喜、アグレッシブ<ref name="clubguide">[https://www.vissel-kobe.co.jp/club/ クラブ概要 - ヴィッセル神戸オフィシャルサイト]</ref> *{{colorbox|#FFFFFF}} 白:フェアプレー<ref name="clubguide"/> *{{colorbox|#000000}} 黒:力強さと闘争心<ref name="clubguide"/> === チームカラーの変遷 === *創立 - 1995年5月:白({{colorbox|#FFFFFF}})、黒({{colorbox|#000000}})、オレンジ({{colorbox|#FF6600}}) **前身の[[川崎製鉄水島サッカー部|川崎製鉄サッカー部]]のチームカラーは赤({{colorbox|#FA2F0F}})。 *1995年6月 - 2004年12月:白({{colorbox|#FFFFFF}})、黒({{colorbox|#000000}})、ヴィッセルブルー({{colorbox|#00A7B9}}) **白:フェアプレー、黒:力強さと闘争心、ヴィッセルブルー:神戸の海と希望 **白と黒の縦縞(ヴィッセルストライプ)は協調を表し、黒が全ての光(市民の声、支援)を吸収し、白がそれを発していくことを意味。 *2002年から2004年までアウェー用ユニフォームに採用されたシルバーは「パールのごときチームの珠玉の輝き」を表していた。 **2004年3月、ヴィッセルの経営権を2月に取得(経緯は上述)した株式会社クリムゾンフットボールクラブは、「停滞してきた経営イメージの払拭」や「力強いパッション(情熱)の表現」などを理由として、[[2005年]]からチームカラーを「クリムゾンレッド([[臙脂]])」を基調としたものに変更すると発表した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/official/kobe/00006078.html|title=「チームカラーの変更」について|work=[[J's GOAL]]|date=2004-3-11|accessdate=2013-7-5}}</ref>。2004年12月、新しいロゴ、エンブレムおよび2005年シーズンのユニフォームなどが発表された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/official/kobe/00006078.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140401195226/http://www.jsgoal.jp/official/kobe/00006078.html|title=「チームカラーの変更」について [ 神戸 ](04.03.11)|work=[[J's GOAL]]|date=2004-3-11|archivedate=2004-4-1|accessdate=2020-12-31|deadlinkdate=2020-12-28}}</ref>。 === ユニフォームのうつりかわり === * 1997年から1998年の2シーズン、袖スポンサーの下部にJリーグから特例として認められたメッセージワッペン、「明日へ!!神戸」を付けていた。同じ神戸を本拠地とする[[プロ野球]]・[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]は「がんばろうKOBE」と付けていた。 * 1995年第4回JFLリーグ戦前期(5月-7月末)は袖スポンサーがなかった。さらに、1999年から2003年3月まで胸スポンサーがなく、チームロゴを付けていた。 * 2005年は[[阪神・淡路大震災]]から10年の節目を迎えるにあたり、神戸市主催の「震災10年 神戸からの発信」事業に協賛し、オリジナルロゴを右袖のJリーグマークの下部に付けていた。 * 2005年から、[[サッカーの背番号|背番号]]の下部に選手名が入るようになった。 * 2008年から、右袖のJリーグマークの下部に地域名「KOBE」が入るようになった。 * 2010年から、GKユニフォームのみ3rdユニフォーム(シャツ:緑、パンツ:緑、ストッキング:緑)を使用。 * 2007年から2009年まで番号の縁取り、2008年から2009年までユニフォームのパイピングに「ゴールド」が使用。 * 2010年から2012年までユニフォームのパイピングに「ベージュ」が使用。 * 2015年のGKユニフォームの2ndのカラーリングは、従来の緑色ではなく青色を採用。それに伴い1stのカラーリングが黄色から緑色に変更された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/8589.html |title=ヴィッセル神戸 ニュース/レポート : 2015シーズンユニフォームデザイン&ユニフォームスポンサー決定のお知らせ|publisher= ヴィッセル神戸|date=2015-01-20 |accessdate=2015-01-30}}</ref>。なお、黄色は2015年のスペシャルユニフォームのGKのカラーリングとして採用された。<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/9219.html|title=ヴィッセル神戸 ニュース/レポート : 「ヴィッセル神戸20周年記念ユニフォーム」GK用ユニフォーム決定及び販売予約受付について|publisher=ヴィッセル神戸|date=2015年5月26日|accessdate=2015年8月8日}}</ref> * 2016年は1stユニフォームとして黒を基調としたストライプ柄を12年ぶりに採用<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/10400.html|title=ヴィッセル神戸 ニュース/レポート : 2016シーズンユニフォームデザイン決定のお知らせ|publisher=ヴィッセル神戸|date=2015年12月21日|accessdate=2015年12月21日}}</ref>。ユニフォームの袖部分にクラブ名の由来にもなっている船のシルエット、裾部分に錨マークがプリントされている。また、GKユニフォームの2ndのカラーリングが青から黄色へと戻っている。 * 2015年から襟の内部にロゴがつけられるようになり、2015年は「VISSEL 20 YEARS」、2016年は「一致団結」のロゴがつけられている。 * 2018年はクラブ初となるフィールドプレーヤーの3rdユニフォームを採用。3rdユニフォーム採用に伴い2ndユニフォームは白ではなく水色となっている。 * 2022年のACLユニフォームはリーグ戦ユニフォームからサイドパネルのカラーを変更したものが使用されていたが、AFCよりユニフォームデザインの一部がACLのレギュレーションに反すると指摘が入ったため、菱形に[[六甲山]]と[[神戸ポートタワー]]のイラストが入った部分を削除し、「Rakuten」ロゴのみにしたものがノックアウトステージにて使用された<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/20211.html|title=ヴィッセル神戸 ニュース/レポート : ACLノックアウトステージ着用ユニフォームデザイン変更のお知らせ|publisher=ヴィッセル神戸|date=2022年7月1日|accessdate=2023年11月26日}}</ref>。 ;スペシャルユニフォーム * 2014年 ** 当時の運営会社であった株式会社クリムゾンフットボールクラブの10周年を記念して緑を基調としたユニフォームを採用。川崎重工業が協賛する試合<ref group="注釈">第15節鳥栖戦と第32節横浜FM戦。</ref> で着用<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/7189.html |title=ヴィッセル神戸 ニュース/レポート : (株)クリムゾンフットボールクラブ10周年記念ユニフォーム決定及び着用試合と販売のお知らせ|publisher= ヴィッセル神戸|date=2014-04-18 |accessdate=2014-11-19}}</ref>。スペシャルユニフォームで唯一夏季以外のホームゲームで着用された(第32節横浜FM戦)。 * 2015年 ** クラブ創立から20年を記念して神戸の夜景をイメージした黒いユニフォームを採用<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/8772.html|title=ヴィッセル神戸 ニュース/レポート : 20周年記念ユニフォーム決定および着用予定試合と予約受付開始のお知らせ|publisher=ヴィッセル神戸|date=2015年2月25日|accessdate=2015年8月8日}}</ref>。2ndステージのホーム5試合で着用<ref group="注釈">第4節G大阪戦、第5節広島戦、第7節川崎F戦、第9節鳥栖戦、第11節新潟戦</ref>。ちなみに、GKユニフォームは神戸の朝焼けをイメージしている。 * 2017年 ** [[神戸港]]の開港150周年を記念し、神戸市民の花である紫陽花をモチーフとしたピンクと紫のツートンカラーのユニフォームを採用<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/13253.html|title=ヴィッセル神戸 ニュース/レポート : 「神戸開港150年記念ユニフォーム」に関するお知らせ|publisher=ヴィッセル神戸|date=2017年6月8日|accessdate=2017年8月30日}}</ref>。夏季のホーム4試合で着用<ref group="注釈">第18節仙台戦、第19節大宮戦、第21節鹿島戦、第23節横浜FM戦</ref>。GKユニフォームは2ndユニフォームと同じ黒だがスペシャルユニフォームに合わせたデザインとなっている。 * 2020年 ** クラブ創立から25年を記念して創立~2004年まで使用していた黒と白のストライプユニフォームを採用<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/17532.html|title=ヴィッセル神戸 ニュース/レポート :「25周年記念ユニフォーム」デザイン決定&レプリカ販売のお知らせ|publisher=ヴィッセル神戸|date=2020年8月5日|accessdate=2023年11月26日}}</ref>。夏季のホーム3試合で着用<ref group="注釈">第13節横浜FM戦、第16節FC東京戦、第25節C大阪戦</ref>。黄と水色のGKユニフォームもスペシャルユニフォームに合わせたデザインとなっている。 === ユニフォームスポンサー === {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; border:double #000000; 4px 4px 4px #9D0020;" |- style="background-color:#9D0020; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考 |- !胸 |[[楽天モバイル (企業)|楽天モバイル]]||[[楽天モバイル|Rakuten Mobile]]||2023年 - ||レプリカユニフォームのみ「[[楽天グループ|Rakuten]]」表記 |- !rowspan="2"|鎖骨 |[[ショーワグローブ]]||ショーワグローブ||2023年 - ||左側に表記 |- |[https://toto.rakuten.co.jp/ 楽天toto]||Rakuten toto||2018年7月 - ||右側に表記 |- !背中上部 |シュゼット||[[アンリ・シャルパンティエ]]||2019年 - ||2016年 - 2018年は背中下部<br/>2019年のFP 1st・3rd / GK 1stは「HENRI CHARPENTIER」表記 |- !背中下部 |[[川崎重工業]]||Kawasaki||2019年 - ||2003年は胸<br/>2004年 - 2018年は背中上部<br/>2014年は「Kawasaki {{smaller|Powering your potential}}」表記<br/>2015年 - 2017年の2nd / GK 3rd及び<br/>2014年 - 2015年の特別ユニフォームは「川崎重工」表記 |- !袖 |[[ノエビア]]||NOEVIR||2016年 - || |- !パンツ前面 |[[デジアラホールディングス]]||デジアラ<br/>{{small|HOLDINGS}}<br/>(1st / GK 1st)<br/>ガーデンプラス<br/>(2nd / GK 2nd)||2023年 - ||2022年はパンツ背面<br/>2022年は1stは「エクスショップ」、3rdは「デジアラ {{small|HOLDINGS}}」表記 |- !パンツ背面 |なし||-||-|| |} === ユニフォームサプライヤーの遍歴 === * 1995年 - 1996年:[[アシックス]] ** 1995年のみサテライトリーグでは[[ミズノ]]製を着用。 * 1997年 - 1998年:[[アディダス]] * 1999年 - 現在:アシックス === 歴代ユニフォーム === {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #000000; font-size:smaller; 4px 4px 4px #9D0020;" !colspan=5|FP 1st |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _Vissel Kobe 1997 -1998 HOME FP |pattern_b = _Vissel Kobe 1997 -1998 HOME FP |pattern_ra = _Vissel Kobe 1997 -1998 HOME FP |pattern_sh = _Vissel Kobe 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|胸||鎖骨左||鎖骨右||背中上部||背中下部||袖||パンツ前面||パンツ背面 |- |1995||rowspan="4"|[[伊藤ハム]]||rowspan="23" colspan="2"|解禁前||[[アシックス|asics]] / <br/>[[ノーリツ]]||rowspan="21"|解禁前||- / <br/>[[ナガタ薬品|ARKA]]||rowspan="9"|-||rowspan="25"|解禁前||rowspan="2"|[[アシックス|asics]] |- |1996||rowspan="8"|[[ノーリツ]]||[[ナガタ薬品|ARKA]] |- |1997||rowspan="3"|[[麒麟麦酒|KIRIN]]||rowspan="2"|[[アディダス|adidas]] |- |1998 |- |1999||rowspan="4"|-||rowspan="25"|[[アシックス|asics]] |- |2000||[[神戸市|KOBE]] |- |2001||[[神戸市|KOBE]] /<br/>HAA神戸 |- |2002||rowspan="2"|HAA神戸 |- |2003||[[川崎重工業|Kawasaki]] |- |2004||rowspan="9"|[[楽天グループ|楽®天]]||rowspan="10"|[[川崎重工業|Kawasaki]]||[[フルキャスト (人材派遣会社)|FULLCAST]]||[[大和証券キャピタル・マーケッツ|大和証券<br/>SMBC]] |- |2005||rowspan="7"|[[アルペン (企業)|{{smaller|SPORTS}}<br/>DEPO]]||rowspan="2"|[[伊藤ハム]] |- |2006 |- |2007||rowspan="2"|[[北電子|KitΔC]] |- |2008 |- |2009||rowspan="3"|[[アンファー|スカルプD]] |- |2010 |- |2011 |- |2012||rowspan="4"|[[アンファー|スカルプD]]||[https://www.mation.co.jp/ スマ婚] |- |2013||[[楽天グループ|®Rakuten]]||[https://zootie.co.jp/ es {{smaller|e-zakkamania}}] |- |2014||rowspan="3"|[[楽天グループ|®]]||[[川崎重工業|Kawasaki<br/>{{smaller|Powering your potential}}<br/>(通常)<br/>川崎重工<br/>(特別)]]||rowspan="2"|[https://zootie.co.jp/ es<br/>{{smaller|e-zakka<br/>mania}}] |- |2015||[[川崎重工業|Kawasaki<br/>(1st)<br/>川崎重工<br/>(2nd / GK 3rd / 特別)]] |- |2016||rowspan="2"|[[川崎重工業|Kawasaki<br/>(1st)<br/>川崎重工<br/>(2nd / GK 3rd)]]||rowspan="3"|[[アンリ・シャルパンティエ]]||rowspan="8"|[[ノエビア|NOEVIR]]||rowspan="3"|[https://zootie.co.jp/ e-zakka<br/>mania] |- |2017||[[楽天グループ|®Rakuten]] |- |2018||rowspan="5"|[[楽天グループ|Rakuten]]||- / <br/>[https://rakuten-med.com/jp/ {{smaller|Rakuten Aspyrian}}<br/>がん克服。生きる。<br/>{{smaller|CONQUERING Cancer.}}]||- / <br/>[https://toto.rakuten.co.jp/ Rakuten toto]||[[川崎重工業|Kawasaki]] |- |2019||[https://rakuten-med.com/jp/ {{smaller|Rakuten Aspyrian}}<br/>がん克服。生きる。<br/>{{smaller|CONQUERING Cancer.}}]||rowspan="5"|[https://toto.rakuten.co.jp/ Rakuten toto]||[[アンリ・シャルパンティエ|HENRI CHARPENTIER<br/>(1st / 3rd / GK 1st)<br/>アンリ・シャルパンティエ<br/>(2nd / GK 2nd)]]||rowspan="5"|[[川崎重工業|Kawasaki]]||rowspan="4"|[[ケンミン食品|{{smaller|ケンミン}}<br/>焼ビーフン]] |- |2020||rowspan="2"|[https://rakuten-med.jp/ {{smaller|Rakuten Medical}}<br/>がん克服。生きる。<br/>{{smaller|CONQUERING Cancer.}}]||rowspan="4"|[[アンリ・シャルパンティエ]]||rowspan="2"|- |- |2021 |- |2022||[[リゲイン|Regain]]<ref>スポンサーは[[アイム (企業)|アイム]]。</ref>||[[デジアラホールディングス|エクスショップ<br/>(1st / GK 1st)<br/>ガーデンプラス<br/>(2nd / GK 2nd)<br/>デジアラ<br/>{{small|HOLDINGS}}<br/>(3rd)]] |- |2023||[[楽天モバイル|Rakuten Mobile]]||[[ショーワグローブ]]||[[デジアラホールディングス|デジアラ<br/>{{small|HOLDINGS}}<br/>(1st / GK 1st)<br/>ガーデンプラス<br/>(2nd / GK 2nd)]]||- |} == スポンサー == {{Main2|スポンサーについては、[http://www.vissel-kobe.co.jp/partner/ 当項目] を}} == アカデミー == 創設時に、[[神戸フットボールクラブ]]からユース・ジュニアユースを移管して、アカデミーが発足した<ref name="KFC">{{Cite web|和書|url=http://www.kobe-fc.com/top/Jr.html|title=KFCジュニアユース紹介|work=神戸フットボールクラブ公式サイト|accessdate=2013-3-5}}</ref>。 2005年、育成支援個人協賛会「Vitamin Club(ヴァイタミンクラブ)」が発足した<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/3733.html|title=2012年度ヴィタミンクラブ会員募集のお知らせ|publisher=ヴィッセル神戸|date=2012-6-20|accessdate=2013-3-4}}</ref>。 2006年、伊丹ジュニアユースチームを設立<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/official/00024000/00024863.html|title=伊丹ジュニアユース設立と選手募集のお知らせ|work=[[J's GOAL]]|date=2005-10-13|accessdate=2013-7-5}}</ref>。 2009年3月、「いぶきの森球技場」に近い神戸市西区櫨谷町福谷に選手寮(通称:三木谷ハウス)が完成した。総工費は約2億3,000万円で全額を三木谷が負担し、前札幌GMの村野晋が寮長に、また夫人である村野明子が寮母となった。また、育成部長の[[黒田和生]]がユース監督に就任した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/photo/00043200/00043292.html|title= ヴィッセル神戸『三木谷ハウス』の竣工式|work=[[J's GOAL]]|date=2009-3-6|accessdate=2013-3-5}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www8.kobe-np.co.jp/sports/vissel/news/news-00304.shtml|title=選手寮「三木谷ハウス」が完成|work=神戸新聞|date=2009-3-6|accessdate=2013-3-5}}</ref>。 2011年12月、地域のスポーツ活動の普及・育成に寄与することを目的に、一般社団法人ヴィッセル神戸スポーツクラブが創設された<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/2928.html|title=一般社団法人ヴィッセル神戸スポーツクラブ設立のお知らせ|publisher=ヴィッセル神戸|date=2011-12-26|accessdate=2013-3-5}}</ref>。 === 出身選手 === {{Main|ヴィッセル神戸の選手一覧#アカデミー出身者}} === 主なタイトル === ==== ユース ==== *[[Jリーグユース選手権大会]] : 優勝2回(1999, 2013) *[[高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ|高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグウエスト]] : 優勝2回(2013, 2017) * [[サニックス杯国際ユースサッカー大会]] : 優勝1回(2011) *[[高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ関西|JFAプリンスリーグU-18関西]] : 優勝3回(2006, 2009, 2011) ==== ジュニアユース ==== *[[日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会]] : 優勝1回([[第24回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会|2009年]]) *[[高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会]] : 優勝1回([[高円宮杯第21回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会|2009年]]) == メディア == * [[毎日放送]](MBS) ** 「VVヴィッセル」(2014年7月16日-)※2014年度は月一回放送、2015年度は11月を除き偶数月のみ放送。 ** 「[[KICK OFF! (テレビ番組)#各番組の詳細|KICK OFF! KANSAI]]」(2023年4月1日-) *[[朝日放送テレビ]](ABC) ** 「Jフットニスタ」(2015年4月7日-) * [[サンテレビジョン]](SUN) ** 「ヴィッセルスタジアム」(不定期放送)※2016年度は月一回放送 ** 「[[ヴィッセルLive!]]」(試合中継番組。2017年 - ) == 決算 == === 損益 === {| class="wikitable" style="border:double #000000; box-shadow: 4px 4px 4px #9D0020;" |- style="text-align:center; background-color:#9D0020; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||リーグ||{{abbr|収入|営業収入}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||事業費||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|管理費|一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2005 ||J1 ||style="background-color:wheat" |1,876 ||692 ||439 ||250 ||495 ||style="background-color:wheat" |3,105 ||2,621 ||1,500 ||484 ||style="background-color:wheat" |-1,228 ||style="background-color:wheat" |-1,054 |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||J2 ||style="background-color:wheat" |1,362 ||528 ||215 ||134 ||482 ||style="background-color:wheat" |2,031 ||1,600 ||1,024 ||430 ||style="background-color:wheat" |-669 ||style="background-color:wheat" |-488 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||J1 ||style="background-color:wheat" |1,865 ||660 ||329 ||243 ||633 ||style="background-color:wheat" |2,422 ||1,926 ||1,317 ||496 ||style="background-color:wheat" |-557 ||style="background-color:wheat" |-75 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||J1 ||style="background-color:wheat" |2,026 ||725 ||392 ||227 ||682 ||style="background-color:wheat" |2,505 ||2,019 ||1,369 ||486 ||style="background-color:wheat" |-479 ||style="background-color:wheat" |-354 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||J1 ||style="background-color:wheat" |2,446 ||715 ||421 ||228 ||1,082 ||style="background-color:wheat" |2,722 ||2,273 ||1,545 ||449 ||style="background-color:wheat" |-276 ||style="background-color:wheat" |-538 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||J1 ||style="background-color:wheat" |2,035 ||710 ||401 ||210 ||714 ||style="background-color:wheat" |2,275 ||1,810 ||1,167 ||465 ||style="background-color:wheat" |-240 ||style="background-color:wheat" |-53 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 * 人件費は事業費に含まれる。 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010] </div> {| class="wikitable" style="border:double #000000; box-shadow: 4px 4px 4px #9D0020;" |- style="text-align:center; background-color:#9D0020; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||リーグ||{{abbr|収益|営業収益}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||{{abbr|育成|アカデミー}}||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|試合|試合関連経費}}||{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}}||{{abbr|育成|アカデミー運営経費}}||{{abbr|女子|女子チーム運営経費}}||{{abbr|販売|販売費および一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||J1 ||style="background-color:wheat" |2,059 ||708 ||392 ||206 ||219 ||534 ||style="background-color:wheat" |2,149 ||1,010 ||186 ||243 ||100 ||0 ||610 ||style="background-color:wheat" |-90 ||style="background-color:wheat" |-133 |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||J1 ||style="background-color:wheat" |2,250 ||742 ||454 ||202 ||225 ||627 ||style="background-color:wheat" |2,364 ||1,157 ||176 ||264 ||107 ||0 ||660 ||style="background-color:wheat" |-114 ||style="background-color:wheat" |-296 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||J2 ||style="background-color:wheat" |1,960 ||682 ||339 ||104 ||231 ||604 ||style="background-color:wheat" |2,401 ||1,160 ||187 ||304 ||115 ||0 ||635 ||style="background-color:wheat" |-441 ||style="background-color:wheat" |-370 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||J1 ||style="background-color:wheat" |2,471 ||945 ||486 ||211 ||247 ||582 ||style="background-color:wheat" |2,954 ||1,348 ||215 ||439 ||124 ||0 ||828 ||style="background-color:wheat" |-483 ||style="background-color:wheat" |1,746 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||J1 ||style="background-color:wheat" |3,663 ||2,198 ||425 ||188 ||240 ||612 ||style="background-color:wheat" |3,561 ||1,767 ||271 ||496 ||111 ||0 ||916 ||style="background-color:wheat" |102 ||style="background-color:wheat" |11 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015] </div> {| class="wikitable" style="border:double #000000; 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VISSEL] - [[神戸新聞]] * [https://www.daily.co.jp/soccer/vissel-kobe/ ヴィッセル神戸バックナンバー] - [[デイリースポーツ]] {{Navboxes|title =ヴィッセル神戸 関連テンプレート|titlestyle=background:#9D0020; border:solid 3px #000000; color:#FFFFFF; line-height:110%; |list1= {{ヴィッセル神戸のメンバー}} {{ヴィッセル神戸歴代監督}} }} {{日本プロサッカーリーグ}} {{高円宮杯U-18サッカーリーグ}} {{Navboxes|title=獲得タイトル |list1= {{Jリーグ優勝チーム}} {{天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝チーム}} }} {{楽天}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=楽天ヴィッセル神戸 |1-1=兵庫区の企業 |1-2=2004年設立の企業 |1-3=ヴィッセル神戸 |redirect2=神戸オレンジサッカークラブ |2-1=ダイエーの歴史 |}} {{デフォルトソート:ういつせるこうへ}} [[Category:ヴィッセル神戸|*]] [[Category:1996年設立のスポーツチーム]] [[Category:Jリーグクラブ]]
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ガウス=ルジャンドルのアルゴリズム
ガウス=ルジャンドルのアルゴリズム(英語: Gauss–Legendre algorithm)は、円周率を計算する際に用いられる数学の反復計算アルゴリズムである。円周率を計算するものの中では非常に収束が速く、2009年にこの式を用いて2,576,980,370,000桁(約2兆6000億桁)の計算がなされた。 このアルゴリズムはカール・フリードリヒ・ガウスとアドリアン=マリ・ルジャンドルがそれぞれ別個に研究したものである。これは2つの数値の算術幾何平均を求めるために、それぞれの数値を算術平均(相加平均)と幾何平均(相乗平均)で置き換えていくものである。 これによる円周率の計算方法は以下の通りである。 a, b が希望する精度(桁数)になるまで以下の計算を繰り返す。小数第n位まで求めるとき log2 n 回程度の反復でよい。 円周率 π は、a, b, t を用いて以下のように近似される。 最初の3回の反復で得られる数値(最後の桁は真値とは異なる)は以下の通りである。 この計算過程は二次収束する。つまり反復のたびに正しい桁数が直前のもののほぼ2倍になるのである。ガウス自身もこの式を用いて反復を4回まで行って12桁まで正しいことを確認したことが知られている。 二つの数 a 0 , b 0 {\displaystyle a_{0},b_{0}} の算術幾何平均とは、数列 の極限のことである。両数列は同一の極限値を持つ。 a 0 = 1 , b 0 = cos φ {\displaystyle a_{0}=1,\ b_{0}=\cos \varphi } のとき、算術幾何平均は π 2 K ( sin φ ) {\displaystyle {\frac {\pi }{2K(\sin \varphi )}}} となる。ここで、 K ( k ) {\displaystyle K(k)} は第一種完全楕円積分である。また、 c 0 = sin φ {\displaystyle c_{0}=\sin \varphi } かつ c i + 1 = a i − a i + 1 {\displaystyle c_{i+1}=a_{i}-a_{i+1}} なる数列について、 が成立する。ここで、 E ( k ) {\displaystyle E(k)} は第二種完全楕円積分である。 ガウスはこれらの結果を知っていたとされる。 φ + θ = π 2 {\displaystyle \varphi +\theta ={\frac {\pi }{2}}} なる φ , θ {\displaystyle \varphi ,\theta } について、ルジャンドルは次の恒等式を得た。 この式は、任意の φ {\displaystyle \varphi } について、以下のようにも書き表すことができる。 ガウス=ルジャンドルのアルゴリズムは楕円モジュラー関数を用いずに示すこともできる。初等的な積分を用いた証明が Lord (1992)、Milla (2019) によりなされている。
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ガウス=ルジャンドルのアルゴリズムは、円周率を計算する際に用いられる数学の反復計算アルゴリズムである。円周率を計算するものの中では非常に収束が速く、2009年にこの式を用いて2,576,980,370,000桁(約2兆6000億桁)の計算がなされた。 このアルゴリズムはカール・フリードリヒ・ガウスとアドリアン=マリ・ルジャンドルがそれぞれ別個に研究したものである。これは2つの数値の算術幾何平均を求めるために、それぞれの数値を算術平均(相加平均)と幾何平均(相乗平均)で置き換えていくものである。
{{出典の明記|date=2016年3月}} '''ガウス=ルジャンドルのアルゴリズム'''({{lang-en|Gauss–Legendre algorithm}})は、[[円周率]]を計算する際に用いられる数学の反復計算[[アルゴリズム]]である。[[円周率]]を計算するものの中では非常に[[収束]]が速く、[[2009年]]にこの式を用いて{{Math|2,576,980,370,000}}桁(約{{Math|2}}兆{{Math|6000}}億桁)の計算がなされた。 このアルゴリズムは[[カール・フリードリヒ・ガウス]]と[[アドリアン=マリ・ルジャンドル]]がそれぞれ別個に研究したものである。これは{{Math|2}}つの数値の[[算術幾何平均]]を求めるために、それぞれの数値を[[算術平均]](相加平均)と[[幾何平均]](相乗平均)で置き換えていくものである。 == アルゴリズム == これによる[[円周率]]の計算方法は以下の通りである。 === 初期値の設定 === :<math>a_0 =1\qquad b_0 =\frac{1}{\sqrt{2}} \qquad t_0 =\frac{1}{4} \qquad p_0 =1</math> === 反復式 === {{Math|''a'',&nbsp;''b''}} が希望する精度(桁数)になるまで以下の計算を繰り返す。小数第{{Math|''n''}}位まで求めるとき {{Math|log{{sub|2}}&thinsp;''n''}} 回程度の反復でよい。 :<math>\begin{align} a_{n+1} &=\frac{a_n +b_n}{2} \\ b_{n+1} &=\sqrt{a_n b_n} \\ t_{n+1} &=t_n -p_n(a_n - a_{n+1})^2 \\ p_{n+1} &= 2p_n \end{align}</math> === {{π}} の算出 === 円周率 {{π}} は、{{Math|''a'',&nbsp;''b'',&nbsp;''t''}} を用いて以下のように近似される。 :<math>\pi \approx \frac{(a+b)^2}{4t}</math> 最初の3回の反復で得られる数値(最後の桁は真値とは異なる)は以下の通りである。 :<math>3.140\dots</math> (小数点以下{{Math|2}}桁目までが正しい) :<math>3.14159 264\dots</math> (小数点以下{{Math|7}}桁目までが正しい) :<math>3.14159 26535 89793 2382\dots</math>(小数点以下{{Math|18}}桁目までが正しい) この計算過程は二次収束する。つまり反復のたびに正しい桁数が直前のもののほぼ{{Math|2}}倍になるのである。ガウス自身もこの式を用いて反復を{{Math|4}}回まで行って{{Math|12}}桁まで正しいことを確認したことが知られている。 ===Python3による実装例=== <syntaxhighlight lang="python"> #!/usr/bin/python3 import sys from decimal import * def picalc(): a = Decimal(1) b = Decimal(1) / Decimal(2).sqrt() t = Decimal(1) / Decimal(4) p = Decimal(1) r = Decimal(0) rn = Decimal(3) while r != rn: r = rn an = (a + b) / 2 bn = (a * b).sqrt() tn = t - p * (a - an) * (a - an) pn = 2 * p rn = ((a + b) * (a + b)) / (4 * t) a = an b = bn t = tn p = pn return rn if __name__ == "__main__": if len(sys.argv) < 2: getcontext().prec = 10000 else: try: getcontext().prec = int(sys.argv[1]) except: print("引数が不正です。桁数を数値で指定して下さい。") sys.exit(1) print(picalc()) </syntaxhighlight> == 数学的背景 == === 算術幾何平均 === 二つの数<math>a_0, b_0</math>の[[算術幾何平均]]とは、数列 :<math>a_{n+1}=\frac{a_n+b_n}{2},\ b_{n+1}=\sqrt{a_n b_n}</math> の極限のことである。両数列は同一の極限値を持つ。 <math>a_0=1,\ b_0=\cos\varphi</math>のとき、算術幾何平均は<math>\frac{\pi}{2K(\sin\varphi)}</math>となる。ここで、<math>K(k)</math>は[[楕円積分|第一種完全楕円積分]]である。また、<math>c_0=\sin\varphi</math>かつ<math>c_{i+1}=a_i-a_{i+1}</math>なる数列について、 :<math>\sum_{i=0}^\infty2^{i-1}{c_i}^2=1-\frac{E(\sin\varphi)}{K(\sin\varphi)}</math> が成立する。ここで、<math>E(k)</math>は[[楕円積分|第二種完全楕円積分]]である。 ガウスはこれらの結果を知っていたとされる<ref>{{Cite book|title=Analytic Computational Complexity|url=http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/B9780126975604500149|publisher=Academic Press|date=1976-01-01|isbn=978-0-12-697560-4|pages=151–176|doi=10.1016/b978-0-12-697560-4.50014-9|language=en|first=Richard P.|last=Brent|editor-first=J. F.|editor-last=Traub}}</ref><ref>{{Cite journal|last=Salamin|first=Eugene|date=1976-07|title=Computation of π Using Arithmetic-Geometric Mean|url=https://www.jstor.org/stable/2005327?origin=crossref|journal=Mathematics of Computation|volume=30|issue=135|pages=565|doi=10.2307/2005327}}</ref><ref>Salamin, Eugene, ''Computation of pi'', Charles Stark Draper Laboratory ISS memo 74–19, 30 January 1974, Cambridge, Massachusetts</ref>。 === ルジャンドル恒等式 === <math>\varphi+\theta=\frac{\pi}{2}</math>なる<math>\varphi,\theta</math>について、ルジャンドルは次の恒等式を得た。 :<math>K(\sin\varphi)E(\sin\theta)+K(\sin\theta)E(\sin\varphi)-K(\sin\varphi)K(\sin\theta)=\frac{\pi}{2}.</math> この式は、任意の<math>\varphi</math>について、以下のようにも書き表すことができる。 :<math>K(\sin\varphi)\left\{E(\cos\varphi)-K(\cos\varphi)\right\}+K(\cos\varphi)E(\sin\varphi)=\frac{\pi}{2}.</math> === 初等的な証明 === ガウス=ルジャンドルのアルゴリズムは楕円モジュラー関数を用いずに示すこともできる。初等的な積分を用いた証明が Lord (1992)<ref>{{Cite journal|last=Lord|first=Nick|date=1992-07|title=Recent Calculations of p: The Gauss-Salamin Algorithm|url=https://www.jstor.org/stable/3619132?origin=crossref|journal=The Mathematical Gazette|volume=76|issue=476|pages=231|doi=10.2307/3619132}}</ref>、Milla (2019)<ref>Milla, Lorenz (2019), Easy Proof of Three Recursive π-Algorithms, [[arxiv:1907.04110|arXiv:1907.04110]]</ref> によりなされている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == *[[スーパーπ|スーパー{{π}}]] {{Mathanalysis-stub}} {{DEFAULTSORT:かうするしやんとるのあるこりすむ}} [[Category:円周率]] [[Category:アルゴリズム]] [[Category:カール・フリードリヒ・ガウス]] [[Category:アドリアン=マリ・ルジャンドル]] [[Category:数学のエポニム]] [[Category:数学に関する記事]]
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算術平均
算術平均(さんじゅつへいきん、英: arithmetic mean)または相加平均(そうかへいきん)とは、広義の平均の中で最も代表的な値のことで、数の集合やデータ、確率分布に対して、個数と合計を保ったまま均一に1つの値に代表させた(つまり均した)値のことである。統計学においてだけでなく、数学のその他の分野、物理学、経済学、社会学、歴史学などあらゆる学問分野で算術平均が使われている。 例えば、国内総生産を人口で割った算術平均からその国民の平均収入を推定することができる。 数学などでは、幾何平均や調和平均などの他の広義の平均と区別するため、区別が必要な場合は算術平均または相加平均と呼ばれる。特に統計学では、データ(母集団、標本)の代表値の一つであり、他の広義平均との区別が明らかであれば平均値と呼ばれる。 上記の平均年収の例を見ても分かるように、算術平均を代表値として使う場合には、ロバスト統計量ではないことに注意が必要である。外れ値の影響を大きく受ける。特に歪度の大きい分布では算術平均は最大値と最小値の「真ん中」から外れることがあり、中央値などのロバスト統計量の方が代表値としてふさわしい場合がある。 標準偏差や相関係数を定義するために、算術平均は必要な概念となる。 数の集合、またはデータ(母集団、標本)を考えるとき、それがとる値全体を a1, a2, ..., an とすると、その算術平均 m は次の式で定義される。 統計学においては、他の広義の平均(幾何平均、調和平均など)と区別されることがことわりなくても明らかである場合は、算術平均は単に「平均値」と呼ばれる。平均値を考える対象が何であるかによって呼称と表記が異なる。 変量 x のデータの平均値を x ̄ {\displaystyle {\bar {x}}} で表す。 母集団の平均を母平均 (population mean)、標本の平均は標本平均 (sample mean) と呼ぶ。母平均を μ、標本平均を m などと書いて区別する。 確率分布に対して、その確率変数が離散型である場合は、データの平均値と同様に平均(期待値)が定義される。 確率空間 (Ω, F, P) において、確率変数 X が高々可算個 x1, x2, ... を取るとき(離散型確率変数)、X の期待値 E[X] は で定義される。 特に確率変数のとりうる値が有限個であるとき、この定義は#データの平均値の定義と同じである。 算術平均には、代表値として用いるのに適した次のような属性がある。 算術平均は、多くの場合に中央値とは異なる。例えば、標本空間 {1,2,3,4} の算術平均は2.5であり、中央値と一致する。しかし {1,2,4,8,16} のように偏った標本空間では中央値と算術平均は大きく異なる。この場合の算術平均は6.2だが、中央値は4である。算術平均と中央値との差は、その標本空間の偏りを表している。 この性質は経済学などで応用されている。例えば1980年代以降のアメリカ合衆国では、収入の中央値は収入の算術平均より低く、その差は広がり続けている。これは貧富の差が広がっていることを意味する。 位相や角度などの周期的データを扱う場合は、特別な配慮が必要である。1°と 359°の単純な算術平均は 180°になってしまうが、これは2つの意味で正しくない。 一般にこのような場合に単純に算術平均を求めると、平均値が値の範囲の中央付近になる傾向がある。これを防ぐには、ばらつきが最小となるような点を平均値とし、円周上の2点の角度の小さい方を2点の角度とするよう再定義する。 算術平均は加法とスカラー倍が定義された数(実数、複素数、ベクトル等)に対して定義できる。 例えば、n本のベクトル x1, ..., xn に対して、その算術平均は となる。 特に n = 3 の場合、 x 1 + x 2 + x 3 3 {\displaystyle {\frac {{\boldsymbol {x}}_{1}+{\boldsymbol {x}}_{2}+{\boldsymbol {x}}_{3}}{3}}} となり、これは x1, x2, x3 が表す点を頂点とする三角形の重心の位置ベクトルに等しい。 一般には、 x 1 + ⋯ + x n n {\displaystyle {\frac {{\boldsymbol {x}}_{1}+\dots +{\boldsymbol {x}}_{n}}{n}}} は x1, ..., xn を頂点とするn単体の重心の位置ベクトルである。
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算術平均または相加平均(そうかへいきん)とは、広義の平均の中で最も代表的な値のことで、数の集合やデータ、確率分布に対して、個数と合計を保ったまま均一に1つの値に代表させた(つまり均した)値のことである。統計学においてだけでなく、数学のその他の分野、物理学、経済学、社会学、歴史学などあらゆる学問分野で算術平均が使われている。 例えば、国内総生産を人口で割った算術平均からその国民の平均収入を推定することができる。 数学などでは、幾何平均や調和平均などの他の広義の平均と区別するため、区別が必要な場合は算術平均または相加平均と呼ばれる。特に統計学では、データ(母集団、標本)の代表値の一つであり、他の広義平均との区別が明らかであれば平均値と呼ばれる。 上記の平均年収の例を見ても分かるように、算術平均を代表値として使う場合には、ロバスト統計量ではないことに注意が必要である。外れ値の影響を大きく受ける。特に歪度の大きい分布では算術平均は最大値と最小値の「真ん中」から外れることがあり、中央値などのロバスト統計量の方が代表値としてふさわしい場合がある。 標準偏差や相関係数を定義するために、算術平均は必要な概念となる。
'''算術平均'''(さんじゅつへいきん<ref>{{Cite web|和書|title=算術平均とは |author=金融・経済用語辞典 |url=http://www.finance-dictionay.com/2008/04/post_249.html |accessdate=2011-04-13}}</ref>、{{lang-en-short|arithmetic mean}})または'''相加平均'''(そうかへいきん<ref>[https://kotobank.jp/word/%E7%9B%B8%E5%8A%A0%E5%B9%B3%E5%9D%87-89170 相加平均とは - コトバンク]</ref>)とは、広義の[[平均]]の中で最も代表的な値のことで、数の[[集合]]や[[データ]]、[[確率分布]]に対して、個数と合計を保ったまま均一に1つの値に代表させた(つまり均した)値のことである。[[統計学]]においてだけでなく、[[数学]]のその他の分野、[[物理学]]<ref>[[伏見康治]]「[[確率論及統計論]]」第 VII 章 確率と統計 63節 算術平均、標準偏差 p.413 https://ci.nii.ac.jp/naid/110002452602</ref>、[[経済学]]、[[社会学]]、[[歴史学]]などあらゆる学問分野で算術平均が使われている。 例えば、[[国内総生産]]を人口で割った算術平均からその国民の平均収入を推定することができる。 数学などでは、[[幾何平均]]や[[調和平均]]などの他の広義の平均と区別するため、区別が必要な場合は算術平均または相加平均と呼ばれる。特に統計学では、データ([[母集団]]、[[標本 (統計学)|標本]])の[[要約統計量|代表値]]の一つであり、他の広義平均との区別が明らかであれば平均値と呼ばれる。 上記の平均年収の例を見ても分かるように、算術平均を代表値として使う場合には、[[ロバストネス|ロバスト]]統計量ではないことに注意が必要である。[[外れ値]]の影響を大きく受ける。特に[[歪度]]の大きい分布では算術平均は最大値と最小値の「真ん中」から外れることがあり、[[中央値]]などのロバスト統計量の方が代表値としてふさわしい場合がある。 [[標準偏差]]や[[相関係数]]を定義するために、算術平均は必要な概念となる。 == 定義 == 数の[[集合]]、または[[データ]]([[母集団]]、[[標本 (統計学)|標本]])を考えるとき、それがとる値全体を {{math2|''a''{{sub|1}}, ''a''{{sub|2}}, …, ''a{{sub|n}}''}} とすると、その算術平均 {{mvar|m}} は次の式で定義される。 :<math>m = \frac{1}{n} \textstyle\sum\limits_{k=1}^n a_k = \dfrac{a_1 + a_2 + \cdots + a_n}{n}</math> === 統計学における平均値 === [[統計学]]においては、他の広義の平均([[幾何平均]]、[[調和平均]]など)と区別されることがことわりなくても明らかである場合は、算術平均は単に「'''平均値'''」と呼ばれる。平均値を考える対象が何であるかによって呼称と表記が異なる。 ==== データの平均値 ==== [[変量]] {{mvar|x}} のデータの平均値を <math>\bar{x}</math> で表す。 ==== 標本調査における平均値 ==== [[母集団]]の平均を'''母平均''' (population mean)、[[標本 (統計学)|標本]]の平均は'''標本平均''' (sample mean) と呼ぶ。母平均を {{mvar|μ}}、標本平均を {{mvar|m}} などと書いて区別する。 ==== 確率分布の平均 ==== [[確率分布]]に対して、その[[確率変数]]が離散型である場合は、データの平均値と同様に平均([[期待値]])が定義される。 {{See also|期待値#離散型確率変数}} [[確率空間]] {{math|(Ω, ''F'', ''P'')}} において、[[確率変数]] {{mvar|X}} が高々[[可算集合|可算]]個 {{math2|''x''{{sub|1}}, ''x''{{sub|2}}, …}} を取るとき([[離散確率分布|離散型確率変数]])、{{mvar|X}} の期待値 {{math|''E''[''X'']}} は :<math>E[X] = \textstyle\sum\limits_{i=1}^{\infty} x_i P(X = x_i)</math> で定義される。 特に確率変数のとりうる値が有限個であるとき、この定義は[[#データの平均値]]の定義と同じである。 {{main2|連続型確率分布の平均|期待値#連続型確率変数}} == 動機となる属性 == 算術平均には、代表値として用いるのに適した次のような属性がある。 * <math>a_1,\cdots,a_n</math> の算術平均を <math>m</math> とすると、[[偏差]]の[[総和]](合計)は必ず 0 になる: *:<math>(a_1-m) + \cdots + (a_n-m) = \textstyle\sum\limits_{k=1}^n a_k - nm = 0</math> :この等式は、[[力学]]的には次のような意味になる:データの値 {{mvar|a{{sub|k}}}} を横軸、度数を縦軸とする[[ヒストグラム]]を作成すると、ヒストグラムの形をした物体の[[重心]]は平均値 {{mvar|m}} が表す点の上にある。 * 数 <math>x</math> に対して、データの値との差の[[自乗|平方]]の[[総和]] <math>\textstyle\sum\limits_{k=1}^n (a_k-x)^2</math> をとる[[関数 (数学)|関数]]を考えるとき、この関数はデータの算術平均値 <math>x=\frac{1}{n} \textstyle\sum\limits_{k=1}^n a_k</math>(のみ)で最小となる。 * [[正規分布]]などの左右対称な確率分布においては、平均値は[[中央値]]と等しくなる。 == 算術平均と中央値 == 算術平均は、多くの場合に中央値とは異なる。例えば、標本空間 {1,2,3,4} の算術平均は2.5であり、中央値と一致する。しかし {1,2,4,8,16} のように偏った標本空間では中央値と算術平均は大きく異なる。この場合の算術平均は6.2だが、中央値は4である。算術平均と中央値との差は、その標本空間の偏りを表している。 この性質は経済学などで応用されている。例えば1980年代以降のアメリカ合衆国では、収入の中央値は収入の算術平均より低く、その差は広がり続けている。これは貧富の差が広がっていることを意味する<ref>{{Cite web |title=The Level and Distribution of Economic Well-Being|author=[[ベン・バーナンキ]] |url=http://www.federalreserve.gov/newsevents/speech/bernanke20070206a.htm |accessdate=2010-07-23}}</ref>。 == 角度 == {{Main|方向統計学}} 位相や[[角度]]などの周期的データを扱う場合は、特別な配慮が必要である。1°と 359°の単純な算術平均は 180°になってしまうが、これは2つの意味で正しくない。 * 角度の値は360[[度 (角度)|°]](単位が[[ラジアン]]の場合は {{math|2''π'')}}の[[除法|剰余]]として定義される。したがって、1°と 359°を、1°と &minus;1°とみなすこともできるし、1°と 719°とみなすこともでき、それぞれの単純な算術平均は異なる。 * この例では 0°(または 360°)が幾何学的により良い「平均」であり、これの方が[[統計的ばらつき|ばらつき]]が小さい。 一般にこのような場合に単純に算術平均を求めると、平均値が値の範囲の中央付近になる傾向がある。これを防ぐには、ばらつきが最小となるような点を平均値とし、円周上の2点の角度の小さい方を2点の角度とするよう再定義する。 == 一般の代数系への拡張 == 算術平均は[[加法]]とスカラー倍が定義された数([[実数]]、[[複素数]]、[[ベクトル空間|ベクトル]]等)に対して定義できる。 例えば、{{mvar|n}}本のベクトル {{math2|'''''x'''''{{sub|1}}, …, '''''x'''{{sub|n}}''}} に対して、その算術平均は :<math>\frac{\boldsymbol{x}_1+\dots+\boldsymbol{x}_n}{n}</math> となる。 特に {{math2|1=''n'' = 3}} の場合、<math>\frac{\boldsymbol{x}_1+\boldsymbol{x}_2+\boldsymbol{x}_3}{3}</math> となり、これは {{math2|'''''x'''''{{sub|1}}, '''''x'''''{{sub|2}}, '''''x'''''{{sub|3}}}} が表す点を頂点とする[[三角形]]の[[幾何中心|重心]]の[[位置]]ベクトルに等しい。 一般には、<math>\frac{\boldsymbol{x}_1+\dots+\boldsymbol{x}_n}{n}</math> は {{math2|'''''x'''''{{sub|1}}, …, '''''x'''{{sub|n}}''}} を頂点とする{{mvar|n}}[[単体 (数学)|単体]]の重心の位置ベクトルである。 == 脚注・出典 == {{Reflist}} == 参考文献 == * [[ダレル・ハフ]]、''How to lie with statistics'', Victor Gollancz, 1954 (ISBN 0-393-31072-8). == 関連項目 == * [[平均]] * [[幾何平均]] * [[中央値]] * [[最頻値]] * [[期待値]] * [[標準偏差]] * [[要約統計量]] == 外部リンク == * [http://www.sengpielaudio.com/calculator-geommean.htm Calculations and comparisons between arithmetic and geometric mean of two numbers] * [https://people.revoledu.com/kardi/tutorial/BasicMath/Average/index.html Mean or Average] * {{MathWorld |urlname=ArithmeticMean |title=Arithmetic Mean}} {{統計学}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:さんしゆつへいきん}} [[Category:平均]] [[Category:数学に関する記事]]
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基底関数
基底関数(きていかんすう、英: basis function)とは、関数空間の基底ベクトルのことである。すなわち対象となる空間に属する全ての元(関数)は、この基底関数の線型結合で表される。 線形基底展開(英: linear basis expansion)とは、 h m ( X ) {\displaystyle h_{m}(X)} を基底関数として、下記の形で展開する事。 例えば、実数値関数のフーリエ変換(コサイン変換・サイン変換)ではコサイン関数もしくはサイン関数、ウェーブレット変換ではウェーブレット関数とスケーリング関数、スプライン曲線では区分的多項式が基底関数として用いられる。 基底関数同士の内積を定義する事で、正規直交系(正規直交基底)かどうか規定できる。異なる基底関数の内積が常に 0 であれば直交とよび、同じ基底関数の内積が常に 1 なら正規と呼ぶ。 例えば、ウェーブレット変換では以下のように L(R) における内積を定義する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "基底関数(きていかんすう、英: basis function)とは、関数空間の基底ベクトルのことである。すなわち対象となる空間に属する全ての元(関数)は、この基底関数の線型結合で表される。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "線形基底展開(英: linear basis expansion)とは、 h m ( X ) {\\displaystyle h_{m}(X)} を基底関数として、下記の形で展開する事。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "例えば、実数値関数のフーリエ変換(コサイン変換・サイン変換)ではコサイン関数もしくはサイン関数、ウェーブレット変換ではウェーブレット関数とスケーリング関数、スプライン曲線では区分的多項式が基底関数として用いられる。", "title": null }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "基底関数同士の内積を定義する事で、正規直交系(正規直交基底)かどうか規定できる。異なる基底関数の内積が常に 0 であれば直交とよび、同じ基底関数の内積が常に 1 なら正規と呼ぶ。", "title": "内積と正規直交基底" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "例えば、ウェーブレット変換では以下のように L(R) における内積を定義する。", "title": "内積と正規直交基底" } ]
基底関数とは、関数空間の基底ベクトルのことである。すなわち対象となる空間に属する全ての元(関数)は、この基底関数の線型結合で表される。 線形基底展開とは、 h m を基底関数として、下記の形で展開する事。 例えば、実数値関数のフーリエ変換(コサイン変換・サイン変換)ではコサイン関数もしくはサイン関数、ウェーブレット変換ではウェーブレット関数とスケーリング関数、スプライン曲線では区分的多項式が基底関数として用いられる。
{{出典の明記|date=2016年3月}} '''基底関数'''(きていかんすう、{{lang-en-short|basis function}})とは、[[関数空間]]の[[ベクトル空間#基底|基底ベクトル]]のことである。すなわち対象となる空間に属する全ての[[集合|元]]([[関数 (数学)|関数]])は、この基底関数の[[線型結合]]で表される。 '''線形基底展開'''({{lang-en-short|linear basis expansion}})とは、<math>h_m(X)</math> を基底関数として、下記の形で展開する事。 : <math>f(X) = \sum_m \beta_m h_m(X)</math> 例えば、実数値関数の[[フーリエ変換]](コサイン変換・サイン変換)では[[余弦関数|コサイン関数]]もしくは[[正弦関数|サイン関数]]、[[ウェーブレット変換]]では[[ウェーブレット]]関数とスケーリング関数、[[スプライン曲線]]では区分的[[多項式]]が基底関数として用いられる。 == 内積と正規直交基底 == 基底関数同士の[[内積]]を定義する事で、[[正規直交系]]([[正規直交基底]])かどうか規定できる。異なる基底関数の内積が常に 0 であれば[[直交]]とよび、同じ基底関数の内積が常に 1 なら正規と呼ぶ。 例えば、ウェーブレット変換では以下のように L<sup>2</sup>(R) における内積を定義する。 : <math>\langle f, g \rangle = \int_{ \mathbf{R} } f(t) \overline{g(t)} dt</math> == 関連項目 == * [[正規直交基底]] * [[平面波基底]] * [[局在基底]] * [[放射基底関数]] * [[線形代数学]] * [[直交多項式]] {{Mathanalysis-stub}} {{DEFAULTSORT:きていかんすう}} [[Category:関数]] [[Category:関数の種類]] [[Category:数学に関する記事]]
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アビスパ福岡
アビスパ福岡(アビスパふくおか、英: Avispa Fukuoka)は、日本の福岡県福岡市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 1982年創部の中央防犯サッカー部が前身。1994年にJリーグ準会員となり、1996年よりJリーグへ加盟している。クラブ名のアビスパは、スペイン語で「熊ん蜂(スズメバチ)」の意味。ハチの持つ集団的行動や俊敏性が「軽快で統制のとれた多様なグループ攻撃」という、チームの目指すスタイルを象徴する。運営会社はアビスパ福岡株式会社である。 ホームタウンは福岡市1市のみであるが、2017年4月29日にホームスタジアムのある東平尾公園の近郊に位置する糟屋郡宇美町、志免町との間で「地域活性化とスポーツ文化の振興」並びに、「地域に根ざしたスポーツクラブ」および「地域に生活する人々とともにスポーツを通じて子どもたちに夢と感動を、地域に誇りと活力を与える」ことを目的とした「フレンドリータウン協定」を締結している 。このフレンドリータウン協定は2021年10月時点で12市町村と締結されている。 ホームスタジアムは東平尾公園博多の森球技場(命名権名称、ベスト電器スタジアム)、練習場は福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場である(詳細は#スタジアムを参照)。 運営会社の出資企業・団体の多くは福岡市に主要拠点を置く、もしくは福岡が発祥の企業であり、取締役には主要株主であるコカ・コーラウエスト・福岡市(市民局)・九州電力・西日本新聞社・九電工・ふくや・福岡銀行・西日本シティ銀行の幹部が就いている。なお、主要な出資者にセコムが入っているのはクラブの母体となった中央防犯アクトサービス(現・中央防犯)がセコムの販売代理店を請け負っていた縁があり、大都技研が入っているのは2008年の増資時に大都からの出資の意向を受け入れたことによる(後述)。2014年に増資を行い、アパマンショップホールディングス(現:APAMAN)子会社のシステムソフトが筆頭株主となった(後述)。 福岡市の姉妹都市でもあるボルドー(フランス)をホームタウンとするFCジロンダン・ボルドー(リーグ・アン)と技術提携し、若い選手の短期留学やコーチングスタッフの交流などを行っていた。 2021年DMM.comが経営参入、同社COOの村中悠介が取締役に就任した。 1982年に静岡県藤枝市で創部された中央防犯サッカー部が前身であり、1991年に日本サッカーリーグ2部、1993年にジャパンフットボールリーグ1部に昇格した。1994年に中央防犯FC藤枝ブルックスと改名し、同年にJリーグ準会員となったが、当時藤枝市内にJリーグ基準を満たすスタジアムが存在しなかったことなどからJリーグクラブ誘致に動いていた福岡市の要請を受け、1995年に福岡市にホームタウンを移すと共に福岡ブルックスへ改名した。 1996年、横浜M元監督の清水秀彦が監督に就任。マラドーナ、トログリオ、マジョールの3外国籍選手らが残留。元日本代表の都並敏史、広島から森秀昭などベテラン選手、中払・藤本・久永・石丸らも入団したが、順位は15位。1997年は17位、1998年は18位と2年連続シーズン最下位。1998年はJ1参入決定戦に参加したが、1回戦で川崎、第3参入クラブ決定戦で札幌を破り、J1残留を果たした。なお、1998年に千代反田充(東福岡高校3年)を強化指定選手第1号(現在の特別指定選手)として受け入れた。 松田体制4年目。薮田光教(前神戸)、布部陽功、久藤清一(共に前C大阪)などを補強したが、12節終了時点で1勝6敗5分の16位。5月22日に松田を監督から解任。後任にV川崎と神戸の元監督の川勝良一が就任。 2006 FIFAワールドカップによるリーグ戦中断期間に神戸からバロンを完全移籍、また大宮から佐伯直哉、東京Vから飯尾一慶を期限付き移籍で獲得。シーズン成績は16位。J1・J2入れ替え戦でJ2・3位の神戸に2分ながらアウェーゴール差で敗れ、1年でのJ2降格が決まった。 シーズン終了後に川勝が監督を辞任。5回戦へ勝ち残っていた天皇杯は沖野等が代行監督を務めた。なお、この年に運営会社の商号が福岡ブルックス株式会社からアビスパ福岡株式会社へ変更された。 ホームスタジアムは福岡市博多区の東平尾公園内にある東平尾公園博多の森球技場(命名権名称:ベスト電器スタジアム)。 2008年以降のリーグ公式戦は全て同競技場で開催しているが、同競技場がラグビーワールドカップ2019の会場の一つとなったことから、これに向けての改修工事のため2017年11月26日のJ1昇格プレーオフ準決勝は熊本県民総合運動公園陸上競技場(命名権名称:えがお健康スタジアム)で開催したほか、2019年のリーグ戦では東平尾公園博多の森陸上競技場をホームスタジアムとして併用する。 なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「アビスパ福岡の年度別成績一覧#年度別入場者数」を参照のこと。 練習場は福岡市東区の福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場である。 2003年までは1stユニフォームがシルバー、2ndユニフォームがネイビーブルーであったが、2004年からは前述のサポーターのアンケート結果を受けて、1stユニフォームがネイビーブルー、2ndユニフォームがシルバーに変更された。クラブカラーについてもメインカラーがネイビーブルーと定められていたが、2020年にクラブとサポーターとの間でカラーに対して意識の隔たりがあった事を理由として、メインカラーをネイビー(カラーコード:PANTONE281C)に変更した。 U-18 U-15 1999年11月に、韓国の漢陽大学校に所属していた李官雨(当時韓国五輪代表)の獲得を発表したが、Kリーグからドラフト規約違反と反発があったため、入団契約を解除した。 2000年のJリーグカップ予選・湘南ベルマーレ戦(4月12日)で、アビスパは主力を温存し、若手・中堅選手が中心となって出場し、「最強メンバーで試合を戦うこと」というリーグ規定に反するのではないかということで問題になったものの、試合は勝利を収めた。 福岡移転後から、1998年に福岡市が4億円の増資引き受けと最大9億円の融資を拠出、2006年には資本金34億円の99%減資と大株主からの追加支援を受ける など、慢性的な赤字体質が続いていた。そんな中、ユニフォームの胸スポンサー(「GEORGIA」のロゴを掲出)であった筆頭株主の北九州コカ・コーラボトリング→コカ・コーラウエストジャパン(CCWJ、リコー三愛グループ)が2007年シーズンを最後にユニフォームスポンサーを撤退。その他のユニフォームスポンサーもすべて交替となったが、胸スポンサーだけは後継が埋まらず(#歴代ユニフォームスポンサー表記も参照)、経営問題がクローズアップされることになる。 2008年6月、パチスロ機メーカーの大都技研がクラブに資本参加し、ユニフォームスポンサーとなると報道された。同社の関連会社がパチンコホール経営を行っていることなどを理由に一時Jリーグ側が難色を示したが、同年9月に正式に同社の資本参加が発表された。ただし、ユニフォームスポンサーとしての参加は見送られた。 2009年シーズンはパンツの九州電力以外のユニフォームスポンサーが無い状態でシーズンに突入するという異常事態となった。袖スポンサーは開幕節前日の3月6日にCREレジデンシャルに決定したものの、胸スポンサー及び背中スポンサーはリーグが開幕した後も決定しなかった(その後、3月27日にエバーライフが胸スポンサーに、4月10日にオデッセイコミュニケーションズが背中スポンサーに決定した)。2010年には電通出身の大塚唯史が社長に就任、大口スポンサー頼みの企業体質からの脱却を図るべく広告スポンサー数を約90社から約150社にまで増やし、経営問題に改善の傾向が見られたかに思われた。 しかし2013年、2014年度のJリーグクラブライセンスで経営状態について「是正通達」より一段階軽い「個別通知」の付帯付きのJ1ライセンスが交付された直後の10月15日に、地元紙の西日本新聞(西日本スポーツ)が、アビスパがJリーグ退会の可能性もある極めて厳しい経営状態にあることを報じた。具体的には2013年5月ごろから運営会社の資金繰りが厳しくなり、数千万円の短期借入で運転資金を回したが、9月末現在でも約9億6000万円の営業収入を見込んだ予算に対し実際の営業収入が約8億2000万円に留まる一方、10月の時点で運転資金について新規の借入が出来なくなったため、手元資金が底を付く11月末に運営資金約5000万円が決済不能になり、12月分の選手の給与が遅配になる可能性があるというものであり、アビスパの小学生招待事業「アビスパKidsパートナー」の協賛金募集に際して、福岡県サッカー協会が傘下の少年サッカークラブに対し「アビスパ福岡が資金面で最大の危機に面しております。11月30日までに5000万円の運転資金が準備できなければ、お金の流れが滞り、最悪の結果を招くことになります」という趣旨の文書を送付したことで明らかになったものであった。 アビスパ社長の大塚唯史は「最悪の場合は、Jリーグから借金して、勝点マイナス10となることを覚悟している」とコメントし、大株主らに協賛金の要請を行ったが、2006年当時の経緯もあり、大株主の福岡市や西部ガス、ふくおかフィナンシャルグループ、西日本鉄道 などがアビスパに対する追加支援に否定的な見解を示した。しかし「アビスパKidsパートナー」協賛金をはじめとする個人・法人からの小口協賛金2645万円や、大株主のふくやによる間接的な支援(支援商品を販売し、売り上げをアビスパに寄付・最大約1776万円)などが集まり、11月16日時点で年内の資金繰りは手当てできたことを発表。11月30日には一連の経営問題の責任を取って大塚唯史が代表取締役を辞任し、後任には元鹿島アントラーズ強化担当部長の野見山篤が就任し、野見山をサポートする役割として常勤の取締役に市文化振興部課長の樽見哲が就任した。 翌2014年2月5日、クラブ経営強化を図るためにアドバイザリーボード(経営諮問委員会)を設置。7月23日に発表されたJリーグ参加51クラブの2013年度決算において、2期連続赤字で約2800万円の債務超過となっていることが報告された。大河正明Jリーグ常務理事は「黒字化はなんとかなるが、債務超過(解消)は確証が持てない」と指摘、報告時点において債務超過であった11のクラブのうち、9月のライセンス審査までに債務超過を解消させる目処が立っていないクラブは福岡のみであった。 2014年8月25日、この日行われた臨時取締役会で、福岡市発祥で基幹・業務系システムの開発やWebアプリの開発を手がけるシステムソフトを対象に約1億円の第三者割当増資を実施することを9月の臨時株主総会に諮ることを決議。8月29日付けでシステムソフトがアビスパへの資本参加決定を発表した ことから、懸念されていた債務超過の解消と、Jリーグクラブライセンス制度の剥奪は回避される見通しとなった。第三者割当増資は9月22日付けで実施されシステムソフトが筆頭株主となり、同社社長の吉尾春樹とシステムソフトの親会社であるアパマンショップホールディングス常務取締役(アパマンショップネットワーク代表取締役、あるあるCity代表取締役)の川森敬史が新たに非常勤の取締役に就任。川森は2015年3月30日に開かれた株主総会および取締役会で社長に就任(前社長の野見山は常勤の取締役に交代)した。 社長に就任した川森敬史は、経営再建と効率化に向けた様々な改革を実施。業務限定社員の導入を含めた営業体制の拡充、社員それぞれのスキルを生かせる雇用環境の確立、キャッシュフローの改善等を進めた。その結果、スポンサー数が186社(2014年度)から1010社(2015年度)と約5倍以上に増加。観客動員においても「レベスタ1.5万人プロジェクト」を始め、トップチームはもちろん、アカデミー・スクール生に対する理念共有を含めた様々な取り組みを重ねた結果、2016年では2015年との比較で観客動員数172%へアップした。 アビスパ福岡の決算は、つぎのとおり。 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021、 2022 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021、 2022
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "アビスパ福岡(アビスパふくおか、英: Avispa Fukuoka)は、日本の福岡県福岡市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "1982年創部の中央防犯サッカー部が前身。1994年にJリーグ準会員となり、1996年よりJリーグへ加盟している。クラブ名のアビスパは、スペイン語で「熊ん蜂(スズメバチ)」の意味。ハチの持つ集団的行動や俊敏性が「軽快で統制のとれた多様なグループ攻撃」という、チームの目指すスタイルを象徴する。運営会社はアビスパ福岡株式会社である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "ホームタウンは福岡市1市のみであるが、2017年4月29日にホームスタジアムのある東平尾公園の近郊に位置する糟屋郡宇美町、志免町との間で「地域活性化とスポーツ文化の振興」並びに、「地域に根ざしたスポーツクラブ」および「地域に生活する人々とともにスポーツを通じて子どもたちに夢と感動を、地域に誇りと活力を与える」ことを目的とした「フレンドリータウン協定」を締結している 。このフレンドリータウン協定は2021年10月時点で12市町村と締結されている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ホームスタジアムは東平尾公園博多の森球技場(命名権名称、ベスト電器スタジアム)、練習場は福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場である(詳細は#スタジアムを参照)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "運営会社の出資企業・団体の多くは福岡市に主要拠点を置く、もしくは福岡が発祥の企業であり、取締役には主要株主であるコカ・コーラウエスト・福岡市(市民局)・九州電力・西日本新聞社・九電工・ふくや・福岡銀行・西日本シティ銀行の幹部が就いている。なお、主要な出資者にセコムが入っているのはクラブの母体となった中央防犯アクトサービス(現・中央防犯)がセコムの販売代理店を請け負っていた縁があり、大都技研が入っているのは2008年の増資時に大都からの出資の意向を受け入れたことによる(後述)。2014年に増資を行い、アパマンショップホールディングス(現:APAMAN)子会社のシステムソフトが筆頭株主となった(後述)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "福岡市の姉妹都市でもあるボルドー(フランス)をホームタウンとするFCジロンダン・ボルドー(リーグ・アン)と技術提携し、若い選手の短期留学やコーチングスタッフの交流などを行っていた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2021年DMM.comが経営参入、同社COOの村中悠介が取締役に就任した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1982年に静岡県藤枝市で創部された中央防犯サッカー部が前身であり、1991年に日本サッカーリーグ2部、1993年にジャパンフットボールリーグ1部に昇格した。1994年に中央防犯FC藤枝ブルックスと改名し、同年にJリーグ準会員となったが、当時藤枝市内にJリーグ基準を満たすスタジアムが存在しなかったことなどからJリーグクラブ誘致に動いていた福岡市の要請を受け、1995年に福岡市にホームタウンを移すと共に福岡ブルックスへ改名した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1996年、横浜M元監督の清水秀彦が監督に就任。マラドーナ、トログリオ、マジョールの3外国籍選手らが残留。元日本代表の都並敏史、広島から森秀昭などベテラン選手、中払・藤本・久永・石丸らも入団したが、順位は15位。1997年は17位、1998年は18位と2年連続シーズン最下位。1998年はJ1参入決定戦に参加したが、1回戦で川崎、第3参入クラブ決定戦で札幌を破り、J1残留を果たした。なお、1998年に千代反田充(東福岡高校3年)を強化指定選手第1号(現在の特別指定選手)として受け入れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "松田体制4年目。薮田光教(前神戸)、布部陽功、久藤清一(共に前C大阪)などを補強したが、12節終了時点で1勝6敗5分の16位。5月22日に松田を監督から解任。後任にV川崎と神戸の元監督の川勝良一が就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2006 FIFAワールドカップによるリーグ戦中断期間に神戸からバロンを完全移籍、また大宮から佐伯直哉、東京Vから飯尾一慶を期限付き移籍で獲得。シーズン成績は16位。J1・J2入れ替え戦でJ2・3位の神戸に2分ながらアウェーゴール差で敗れ、1年でのJ2降格が決まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "シーズン終了後に川勝が監督を辞任。5回戦へ勝ち残っていた天皇杯は沖野等が代行監督を務めた。なお、この年に運営会社の商号が福岡ブルックス株式会社からアビスパ福岡株式会社へ変更された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "ホームスタジアムは福岡市博多区の東平尾公園内にある東平尾公園博多の森球技場(命名権名称:ベスト電器スタジアム)。", "title": "スタジアム" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "2008年以降のリーグ公式戦は全て同競技場で開催しているが、同競技場がラグビーワールドカップ2019の会場の一つとなったことから、これに向けての改修工事のため2017年11月26日のJ1昇格プレーオフ準決勝は熊本県民総合運動公園陸上競技場(命名権名称:えがお健康スタジアム)で開催したほか、2019年のリーグ戦では東平尾公園博多の森陸上競技場をホームスタジアムとして併用する。", "title": "スタジアム" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「アビスパ福岡の年度別成績一覧#年度別入場者数」を参照のこと。", "title": "スタジアム" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "練習場は福岡市東区の福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場である。", "title": "スタジアム" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "2003年までは1stユニフォームがシルバー、2ndユニフォームがネイビーブルーであったが、2004年からは前述のサポーターのアンケート結果を受けて、1stユニフォームがネイビーブルー、2ndユニフォームがシルバーに変更された。クラブカラーについてもメインカラーがネイビーブルーと定められていたが、2020年にクラブとサポーターとの間でカラーに対して意識の隔たりがあった事を理由として、メインカラーをネイビー(カラーコード:PANTONE281C)に変更した。", "title": "ユニフォーム" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "U-18", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "U-15", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1999年11月に、韓国の漢陽大学校に所属していた李官雨(当時韓国五輪代表)の獲得を発表したが、Kリーグからドラフト規約違反と反発があったため、入団契約を解除した。", "title": "問題・トラブル" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "2000年のJリーグカップ予選・湘南ベルマーレ戦(4月12日)で、アビスパは主力を温存し、若手・中堅選手が中心となって出場し、「最強メンバーで試合を戦うこと」というリーグ規定に反するのではないかということで問題になったものの、試合は勝利を収めた。", "title": "問題・トラブル" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "福岡移転後から、1998年に福岡市が4億円の増資引き受けと最大9億円の融資を拠出、2006年には資本金34億円の99%減資と大株主からの追加支援を受ける など、慢性的な赤字体質が続いていた。そんな中、ユニフォームの胸スポンサー(「GEORGIA」のロゴを掲出)であった筆頭株主の北九州コカ・コーラボトリング→コカ・コーラウエストジャパン(CCWJ、リコー三愛グループ)が2007年シーズンを最後にユニフォームスポンサーを撤退。その他のユニフォームスポンサーもすべて交替となったが、胸スポンサーだけは後継が埋まらず(#歴代ユニフォームスポンサー表記も参照)、経営問題がクローズアップされることになる。", "title": "問題・トラブル" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "2008年6月、パチスロ機メーカーの大都技研がクラブに資本参加し、ユニフォームスポンサーとなると報道された。同社の関連会社がパチンコホール経営を行っていることなどを理由に一時Jリーグ側が難色を示したが、同年9月に正式に同社の資本参加が発表された。ただし、ユニフォームスポンサーとしての参加は見送られた。", "title": "問題・トラブル" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2009年シーズンはパンツの九州電力以外のユニフォームスポンサーが無い状態でシーズンに突入するという異常事態となった。袖スポンサーは開幕節前日の3月6日にCREレジデンシャルに決定したものの、胸スポンサー及び背中スポンサーはリーグが開幕した後も決定しなかった(その後、3月27日にエバーライフが胸スポンサーに、4月10日にオデッセイコミュニケーションズが背中スポンサーに決定した)。2010年には電通出身の大塚唯史が社長に就任、大口スポンサー頼みの企業体質からの脱却を図るべく広告スポンサー数を約90社から約150社にまで増やし、経営問題に改善の傾向が見られたかに思われた。", "title": "問題・トラブル" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "しかし2013年、2014年度のJリーグクラブライセンスで経営状態について「是正通達」より一段階軽い「個別通知」の付帯付きのJ1ライセンスが交付された直後の10月15日に、地元紙の西日本新聞(西日本スポーツ)が、アビスパがJリーグ退会の可能性もある極めて厳しい経営状態にあることを報じた。具体的には2013年5月ごろから運営会社の資金繰りが厳しくなり、数千万円の短期借入で運転資金を回したが、9月末現在でも約9億6000万円の営業収入を見込んだ予算に対し実際の営業収入が約8億2000万円に留まる一方、10月の時点で運転資金について新規の借入が出来なくなったため、手元資金が底を付く11月末に運営資金約5000万円が決済不能になり、12月分の選手の給与が遅配になる可能性があるというものであり、アビスパの小学生招待事業「アビスパKidsパートナー」の協賛金募集に際して、福岡県サッカー協会が傘下の少年サッカークラブに対し「アビスパ福岡が資金面で最大の危機に面しております。11月30日までに5000万円の運転資金が準備できなければ、お金の流れが滞り、最悪の結果を招くことになります」という趣旨の文書を送付したことで明らかになったものであった。", "title": "問題・トラブル" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": 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アビスパ福岡は、日本の福岡県福岡市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
{{半保護}} {{サッカークラブ | font-color = #FFFFFF | background-color = #00205C | border-color = #009CA7 | 原語表記 = アビスパ福岡 | 呼称 = アビスパ福岡 | 愛称 = アビスパ | カラー = {{color box|#00205C}} ネイビー<ref name="jleague"/><br/>{{color box|#009CA7}} ブルーヴェールダンス<ref name="jleague"/><br/>{{color box|#8B8D8F}} シルバー<ref name="jleague"/> | 創設 = 1982 | リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]] | ディビジョン = [[J1リーグ]] | クラブライセンス = J1 | ホームタウン = [[福岡県]][[福岡市]]<ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/club/fukuoka/#profile|title=アビスパ福岡|publisher=[[日本プロサッカーリーグ]]|accessdate=2023-11-09}}</ref> | スタジアム = [[ファイル:Level5 Stadium 02.JPG|250px]][[東平尾公園博多の森球技場|ベスト電器スタジアム]]<ref name="jleague"/> | キャパ = 21,562<ref name="jleague"/> | 法人名 = アビスパ福岡株式会社<ref name="jleague"/><ref name="company-info"/> | 代表 = {{Flagicon|JPN}} 川森敬史<ref name="jleague"/> | 監督 = {{Flagicon|JPN}} [[長谷部茂利]] | HP = https://www.avispa.co.jp/ | pattern_la1= _Avispa Fukuoka 2021 HOME FP | pattern_b1= _Avispa Fukuoka 2023 HOME FP | pattern_ra1= _Avispa Fukuoka 2021 HOME FP | 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name="company-info">{{Cite web|和書|url=https://www.avispa.co.jp/club-info/company_info|title=会社概要|publisher=アビスパ福岡|accessdate=2023-11-09}}</ref> |設立 = 1994年9月29日<ref name="company-info"/> |業種 = 9050 |事業内容 = サッカークラブの運営 |代表者 = 代表取締役社長 川森敬史<ref name="jleague"/><ref name="company-info"/> |資本金 = 3億7155万円<ref name="company-info"/> |発行済株式総数 = |売上高 = 19億7,900万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf|title=2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2018-08-07}}</ref> |営業利益 = 5,200万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017"/> |経常利益 = 3,400万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017"/> |純利益 = △1億0703万2000円(2020年1月期)<ref name="fy">{{Cite web|和書|url=https://catr.jp/settlements/737b4/149978|title=アビスパ福岡株式会社 第26期決算公告|publisher=官報決算データベース|accessdate=2023-11-09}}</ref> |純資産 = |総資産 = 6億4994万3000円(2020年1月31日現在)<ref name="fy"/> |従業員数 = |決算期 = 1月31日 |主要株主 = [[システムソフト]] 45.8%<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.systemsoft.co.jp/aboutus/history|title=沿革|publisher=[[システムソフト]]|accessdate=2023-11-09}}</ref> |主要子会社 = |関係する人物 = [[村中悠介]](取締役)<br/>[[野見山篤]](元社長) |外部リンク = https://www.avispa.co.jp/ |特記事項 = 2006年に福岡ブルックス株式会社から商号変更 }} '''アビスパ福岡'''(アビスパふくおか、{{Lang-en-short|Avispa Fukuoka}})は、[[日本]]の[[福岡県]][[福岡市]]をホームタウンとする<ref name="jleague"/>、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 == 概要 == 1982年創部の[[中央防犯サッカー部]]が前身。1994年にJリーグ準会員となり、1996年よりJリーグへ加盟している<ref name="jleague"/>。クラブ名のアビスパは、[[スペイン語]]で「熊ん蜂([[スズメバチ]])」の意味<ref name="jleague"/>。ハチの持つ集団的行動や俊敏性が「軽快で統制のとれた多様なグループ攻撃」という、チームの目指すスタイルを象徴する<ref name="jleague"/>。運営会社はアビスパ福岡株式会社である<ref name="jleague"/>。 ホームタウンは[[福岡市]]1市のみであるが、[[2017年]][[4月29日]]にホームスタジアムのある[[東平尾公園]]の近郊に位置する[[糟屋郡]][[宇美町]]、[[志免町]]との間で「地域活性化とスポーツ文化の振興」並びに、「地域に根ざしたスポーツクラブ」および「地域に生活する人々とともにスポーツを通じて子どもたちに夢と感動を、地域に誇りと活力を与える」ことを目的とした「フレンドリータウン協定」を締結している <ref>{{Cite press release|和書|title=宇美町および志免町との「フレンドリータウンに関する協定書」締結調印式についてのお知らせ|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-10536|publisher=アビスパ福岡|date=2017-04-24|accessdate=2019-10-31}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.town.umi.lg.jp/soshiki/23/4274.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191031151103/https://www.town.umi.lg.jp/soshiki/23/4274.html|title=アビスパ福岡と「フレンドリータウンに関する協定書」を締結いたしました!|publisher=[[宇美町]]|date=2017-05-01|archivedate=2019-10-31|accessdate=2023-11-09}}</ref>。このフレンドリータウン協定は2021年10月時点で12市町村{{Refnest|group="注"|宇美町、志免町以外の締結自治体と締結日とは以下の通り(2020年12月20日現在)。 * 2018年[[12月13日]]:[[飯塚市]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-21619|title=『飯塚市との「フレンドリータウンに関する協定書」締結調印式についてのお知らせ』|publisher=アビスパ福岡|date=2018-12-13|accessdate=2019-10-31}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.city.iizuka.lg.jp/jyohokoho/shise/koho/machi/taiku/h3012/1219.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181223043637/http://www.city.iizuka.lg.jp/jyohokoho/shise/koho/machi/taiku/h3012/1219.html|title=アビスパ福岡と「フレンドリータウン協定」を締結しました|publisher=[[飯塚市]]|date=2018-12-19|archivedate=2018-12-23|accessdate=2023-11-09}}</ref> * 2019年[[10月19日]]:[[糟屋郡]][[粕屋町]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-27027|title=10/19(土)アルビレックス新潟戦 粕屋町応援デー のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2019-10-18|accessdate=2019-10-31}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/552485/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191031151103/https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/552485/|title=J2福岡、ハーフタイムに粕屋町と調印 4試合ぶりに勝利|newspaper=[[西日本スポーツ]]|date=2019-10-19|archivedate=2019-10-31|accessdate=2023-11-09}}</ref> * 2019年[[11月2日]]:糟屋郡[[篠栗町]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-27293|title=篠栗町との「フレンドリータウンに関する協定書」締結に伴う調印式についてのお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2019-10-31|accessdate=2019-10-31}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.town.sasaguri.fukuoka.jp/soshiki/sangyo/1/2775.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191031151105/https://www.town.sasaguri.fukuoka.jp/soshiki/sangyo/1/2775.html|title=アビスパ福岡公式戦「篠栗町応援デー」開催!|publisher=[[篠栗町]]|date=2019-10-31|archivedate=2019-10-31|accessdate=2023-11-09}}</ref> * 2019年[[11月16日]]:糟屋郡[[須恵町]]・[[朝倉郡]][[東峰村]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-27502|title=須恵町・東峰村との「フレンドリータウンに関する協定書」締結にともなう合同調印式についてのお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2019-11-13|accessdate=2019-11-29}}</ref> * 2019年[[11月20日]]:糟屋郡[[新宮町]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-27603|title=新宮町との「フレンドリータウンに関する協定書」締結に伴う調印式についてのお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2019-11-19|accessdate=2019-11-29}}</ref> * 2019年[[12月11日]]:[[古賀市]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-27602|title=古賀市との「フレンドリータウンに関する協定書」締結に伴う調印式についてのお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2019-11-19|accessdate=2019-11-29}}</ref> * 2020年[[9月13日]]:[[朝倉市]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-32800|title=朝倉市との「フレンドリータウンに関する協定書」 締結にともなう調印式について|publisher=アビスパ福岡|date=2020-09-11|accessdate=2021-01-04}}</ref> * 2021年[[3月10日]]:[[那珂川市]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-38106|title=那珂川市との「フレンドリータウンに関する協定書」締結にともなう調印式について|publisher=アビスパ福岡|date=2021-03-05|accessdate=2021-10-31}}</ref> * 2021年[[5月9日]]:糟屋郡[[久山町]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-39800|title=久山町との「フレンドリータウンに関する協定書」締結にともなう調印式について|publisher=アビスパ福岡|date=2021-04-30|accessdate=2021-10-31}}</ref>}}と締結されている。 ホームスタジアムは[[東平尾公園博多の森球技場]](命名権名称、ベスト電器スタジアム)<ref name="jleague"/>、練習場は[[福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場]]である<ref name="jleague"/>(詳細は[[#スタジアム]]を参照)。 運営会社の出資企業・団体の多くは福岡市に主要拠点を置く、もしくは福岡が発祥の企業であり{{Refnest|group="注"|2008年9月25日時点の資本構成は、[[コカ・コーラウエストホールディングス]] 14.95%、福岡市 14.10%、[[セコム]] 7.05%、[[三洋信販]] 6.69%、[[リコー]] 5.64%、[[大都技研]] 4.94%であった<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.avispa.co.jp/release/news/topic0809.html#tag29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20081019193757/http://www.avispa.co.jp/release/news/topic0809.html|title=アビスパ福岡株式会社 増資等についてのお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2008-09-25|archivedate=2018-10-19|accessdate=2023-11-09}}</ref>。}}、取締役には主要株主である[[コカ・コーラウエスト]]・[[福岡市役所|福岡市(市民局)]]・[[九州電力]]・[[西日本新聞社]]・[[九電工]]・[[ふくや]]・[[福岡銀行]]・[[西日本シティ銀行]]の幹部が就いている。なお、主要な出資者に[[セコム]]が入っているのはクラブの母体となった[[中央防犯アクトサービス|中央防犯アクトサービス(現・中央防犯)]]がセコムの販売代理店を請け負っていた縁があり、[[大都技研]]が入っているのは2008年の増資時に大都からの出資の意向を受け入れたことによる(後述)。2014年に増資を行い、アパマンショップホールディングス(現:[[APAMAN]])子会社の[[システムソフト]]が筆頭株主となった(後述)。 [[福岡市]]の姉妹都市でもある[[ボルドー]]([[フランス]])をホームタウンとする[[FCジロンダン・ボルドー]]([[リーグ・アン]])と技術提携し、若い選手の短期留学やコーチングスタッフの交流などを行っていた<ref>{{cite press release|和書|url=http://www.avispa.co.jp/index_box/release/release_2011_090.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160315171029/http://www.avispa.co.jp/news/release_2011_090.html|title=FCジロンダン・ド・ボルドー(フランス・リーグ1) 練習参加のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2011-03-18|archivedate=2016-03-15|accessdate=2023-11-09}}</ref>。 2021年[[DMM.com]]が経営参入、同社[[最高執行責任者|COO]]の[[村中悠介]]が取締役に就任した<ref>{{Cite news|url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?330120-330120-fl|title=DMMが福岡に経営参入! 村中COOが取締役就任「“ここから、世界へ”チャレンジしましょう」|newspaper=[[ゲキサカ]]|date=2014-11-30|accessdate=2023-11-09}}</ref>。 == 歴史 == === 前身 === {{Main|中央防犯サッカー部}} 1982年に[[静岡県]][[藤枝市]]で創部された[[中央防犯サッカー部]]が前身であり<ref name="jleague"/>、[[1991年]]に[[日本サッカーリーグ]]2部<ref name="jleague"/>、[[1993年]]に[[ジャパンフットボールリーグ]]1部に昇格した<ref name="jleague"/>。1994年に'''中央防犯FC藤枝ブルックス'''と改名し、同年にJリーグ準会員となった<ref name="jleague"/>が、当時藤枝市内にJリーグ基準を満たすスタジアムが存在しなかったことなどからJリーグクラブ誘致に動いていた[[福岡市]]の要請を受け、1995年に福岡市にホームタウンを移すと共に'''福岡ブルックス'''へ改名した<ref name="jleague"/>。 === 1995年(JFL) === {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #233285 solid 1px" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.48|y=1.21|scale=220|text=[[ホルヘ・マリオ・オルギン|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''オルギン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[佐野友昭|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''佐野友昭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.32|y=1.12|scale=220|text=[[慶越雄二|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''(慶越雄二)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68.5|y=0.80|scale=220|text=[[梅山修|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''梅山修'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.92|scale=220|text=[[礒田由和|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''礒田由和'''</span>]]}} {{Image label|x=0.45|y=0.97|scale=220|text=[[前田浩二|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''(前田浩二)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21.5|y=0.91|scale=220|text=[[カルロス・アルベルト・マジョール|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''マジョール'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.80|scale=220|text=[[中込正行|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中込正行'''</span>]]}} {{Image label|x=0.03|y=0.85|scale=220|text=[[古邊考功|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''(古邊考功)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=0.72|scale=220|text=[[ペドロ・トログリオ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''トログリオ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.50|scale=220|text=[[宮村正志|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''宮村正志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.60|y=0.55|scale=220|text=[[永井篤志|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''(永井篤志)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.50|scale=220|text=[[其田秀太|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''其田秀太'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=0.40|scale=220|text=[[ウーゴ・マラドーナ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''マラドーナ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.31.5|y=0.45|scale=220|text=[[永井秀樹|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''(永井秀樹)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.26|scale=220|text=[[簔口祐介|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''簑口祐介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.45|y=0.31|scale=220|text=[[ネストール・オマール・ピッコリ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''(ピッコリ)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.26|scale=220|text=[[竹元義幸|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''竹元義幸'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21.5|y=0.31|scale=220|text=[[ホルヘ・アルベーロ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''(ホルヘ)'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|1995年JFL優勝主要メンバー}} |} :チームスローガン:'''iARRIBA!(上へ向かってさあ行こう)''' :監督に[[1978 FIFAワールドカップ]]で[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン代表]]であった[[ホルヘ・マリオ・オルギン]]が就任。 :[[鳥栖フューチャーズ|鳥栖F]]より[[ウーゴ・マラドーナ]]、[[簔口祐介]]、[[中込正行]]らを獲得、引き続き中央防犯時代より所属の元アルゼンチン代表[[ペドロ・トログリオ]]らを擁し、[[京都サンガF.C.|京都]]、鳥栖F、[[ヴィッセル神戸|神戸]]などと争った結果、24勝6敗の成績でJFLで優勝し、1996年からのJリーグ加盟を決めた<ref name="jleague"/>。なお、シーズン終了後にマリオ・オルギンが監督を退任した。 :また、Jリーグ加盟に合わせ「アビスパ福岡」へ改称した<ref name="jleague"/>。これは「ブルックス」の呼称が紳士服メーカー「[[ブルックス・ブラザーズ]]社」の[[商標]]であり、ブルックスの名称を付したユニフォームを販売することが商標権侵害の恐れを生じるためであった。 {{-}} === 1996年 - 1998年(Jリーグ) === {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: 1px solid #233285;" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.48|y=1.21|scale=220|text=[[森孝慈|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''森孝慈'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[佐野友昭|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''佐野友昭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.61|y=0.87|scale=220|text=[[西ヶ谷隆之|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''西ヶ谷隆之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.87|scale=220|text=[[岩井厚裕|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''岩井厚裕'''</span>]]}} {{Image label|x=0.13|y=0.87|scale=220|text=[[森秀昭|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''森秀昭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.67|scale=220|text=[[石丸清隆|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''石丸清隆'''</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.67|scale=220|text=[[フェルナンド・エンリケ・マリアーノ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''フェルナンド'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.45|scale=220|text=[[久永辰徳|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''久永辰徳'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.45|scale=220|text=[[藤本主税|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''藤本主税'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.45|scale=220|text=[[栄井健太郎|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''栄井健太郎'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.25|scale=220|text=[[山下芳輝|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''山下芳輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.25|scale=220|text=[[上野優作|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''上野優作'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|1998年 J 2nd 第4節 清水戦<br/>(年間総合順位最下位)}} |} {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: 1px solid #233285;" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.25|y=1.21|scale=220|text=[[カルロス・パチャメ|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''オスカール・パチャメ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[塚本秀樹|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''塚本秀樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.88|scale=220|text=[[森秀昭|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''森秀昭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.88|scale=220|text=[[セルヒオ・バスケス|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''バスケス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.88|scale=220|text=[[古邊芳昇|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''古邊芳昇'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.52|scale=220|text=[[梅山修|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''梅山修'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.68|scale=220|text=[[中田一三|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中田一三'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.68|scale=220|text=[[永井篤志|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''永井篤志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.52|scale=220|text=[[中払大介|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中払大介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=0.40|scale=220|text=[[マルセロ・カラセード|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''カラセード'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.25|scale=220|text=[[フリオ・エルナン・ロッシ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''ロッシ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.25|scale=220|text=[[上野優作|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''上野優作'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|1997年 J 1st 第2節 磐田戦}} |} {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: 1px solid #233285;" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.48|y=1.21|scale=220|text=[[清水秀彦|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''清水秀彦'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[佐野友昭|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''佐野友昭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.87|scale=220|text=[[古邊考功|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''古邊考功'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.95|scale=220|text=[[カルロス・アルベルト・マジョール|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''マジョール'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.95|scale=220|text=[[岩井厚裕|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''岩井厚裕'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.87|scale=220|text=[[都並敏史|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''都並敏史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.68|scale=220|text=[[篠田善之|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''篠田善之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.68|scale=220|text=[[中田一三|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中田一三'''</span>]]}} {{Image label|x=0.61|y=0.50|scale=220|text=[[ペドロ・トログリオ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''トログリオ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.50|scale=220|text=[[永井篤志|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''永井篤志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=0.35|scale=220|text=[[ウーゴ・マラドーナ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''マラドーナ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.25|scale=220|text=[[上野優作|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''上野優作'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|1996年 J 第2節 浦和戦<br/>(Jリーグホームゲーム初戦)}} |} 1996年、[[横浜F・マリノス|横浜M]]元監督の[[清水秀彦]]が監督に就任。マラドーナ、トログリオ、マジョールの3外国籍選手らが残留。元日本代表の[[都並敏史]]、[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から[[森秀昭]]などベテラン選手、中払・藤本・久永・石丸らも入団したが、順位は15位。1997年は17位、1998年は18位と2年連続シーズン最下位。[[1998年]]は[[J1参入決定戦]]に参加したが、[[J1参入決定戦1回戦|1回戦]]で[[川崎フロンターレ|川崎]]、第3参入クラブ決定戦で札幌を破り、J1残留を果たした。なお、1998年に[[千代反田充]]([[東福岡自彊館中学校・東福岡高等学校|東福岡高校]]3年)を強化指定選手第1号(現在の[[特別指定選手]])として受け入れた。 {{-}} === 1999年 - 2001年(J1) === ;[[1999年]] {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: 1px solid #233285;" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.48|y=1.21|scale=220|text=[[ネストール・オマール・ピッコリ|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''ピッコリ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[塚本秀樹|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''塚本秀樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68.5|y=0.83|scale=220|text=[[平島崇|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''平島崇'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.91|scale=220|text=[[河口真一|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''河口真一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.91|scale=220|text=[[小島光顕|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''小島光顕'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.83|scale=220|text=[[藤崎義孝|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''藤崎義孝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68.5|y=0.44|scale=220|text=[[盧廷潤|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''盧廷潤'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.66|scale=220|text=[[篠田善之|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''篠田善之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26.5|y=0.66|scale=220|text=[[パベル・バデア|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''バデア'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.44|scale=220|text=[[中払大介|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中払大介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.25|scale=220|text=[[山下芳輝|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''山下芳輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.25|scale=220|text=[[服部浩紀|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''服部浩紀'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2001年 J1 2nd 第10節 [[FC東京]]戦<br/>(J2降格前最終勝利)}} |} :チームスローガン:'''{{JIS2004フォント|¡}}MAS ARRIBA!(もっと上を目指そう)''' :監督に[[菊川凱夫]]が就任。前年、監督を務めた[[森孝慈]]はGMに就任。 :[[湘南ベルマーレ|平塚]]から[[小島伸幸]]、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から[[水筑優文]]、[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から[[小島光顕]]、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から[[野田知]]、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]から[[ネナド・マスロバル]]、[[東京ヴェルディ1969|V川崎]]から[[三浦泰年]]などを獲得したが、最終順位は14位。 {{-}} ;[[2000年]] {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: 1px solid #233285;" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.48|y=1.21|scale=220|text=[[ネストール・オマール・ピッコリ|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''ピッコリ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[小島伸幸|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''小島伸幸'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.83|scale=220|text=[[藤崎義孝|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''藤崎義孝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.91|scale=220|text=[[河口真一|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''河口真一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.91|scale=220|text=[[前田浩二|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''前田浩二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.83|scale=220|text=[[三浦泰年|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''三浦泰年'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.44|scale=220|text=[[久永辰徳|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''久永辰徳'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.66|scale=220|text=[[石丸清隆|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''石丸清隆'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26.5|y=0.66|scale=220|text=[[野田知|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''野田知'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.44|scale=220|text=[[中払大介|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中払大介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.47.5|y=0.25|scale=220|text=[[ブストス・アリエル・モントージャ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''モントージャ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.25|scale=220|text=[[江口倫司|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''江口倫司'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2000年 J1 1st 第11節 清水戦}} |} :チームスローガン:'''{{JIS2004フォント|¡}}JUNTOS,PODEMOS!(一丸となれば、やれる)''' :元福岡所属で、前年アシスタントコーチの[[ネストール・オマール・ピッコリ]]が監督に就任。 :例年下位に低迷するチーム状態からの脱却を目指すことを念頭に置き、キャンプは朝・昼・晩練習することや戦術面などはそこそこにし砂浜での走り込みなどを中心にまず徹底してフィジカルトレーニングを課して精神・肉体面の基礎力向上(スキルアップ)を選手に求めた。第2ステージでは最後まで優勝争いに加わり、結果として6位の成績を収めた。 :新加入の高卒ルーキー[[平島崇]]が主力として機能したことや、外国人も元[[横浜F・マリノス|横浜M]]の[[ダビド・ビスコンティ]]、[[湘南ベルマーレ|平塚]]や[[柏レイソル|柏]]で活躍した[[パヴェル・バデア|バデア]]、エースフォワードの[[ブストス・アリエル・モントージャ|モントージャ]]も活躍した。 {{-}} ;2001年 {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: 1px solid #233285;" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.48|y=1.21|scale=220|text=[[菊川凱夫|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''菊川凱夫'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[小島伸幸|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''小島伸幸'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68.5|y=0.90|scale=220|text=[[森秀昭|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''森秀昭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.90|scale=220|text=[[小島光顕|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''小島光顕'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.90|scale=220|text=[[藤崎義孝|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''藤崎義孝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.68|scale=220|text=[[西田吉洋|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''西田吉洋'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.73|scale=220|text=[[篠田善之|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''篠田善之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.68|scale=220|text=[[三浦泰年|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''三浦泰年'''</span>]]}} {{Image label|x=0.61|y=0.45|scale=220|text=[[中払大介|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中払大介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10.5|y=0.45|scale=220|text=[[ネナド・マスロバル|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''マスロバル'''</span>]]}} {{Image label|x=0.31|y=0.35|scale=220|text=[[フェルナンド・エンリケ・マリアーノ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''フェルナンド'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.25|scale=220|text=[[山下芳輝|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''山下芳輝'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|1999年 J1 2nd 第08節 浦和戦<br/>(連勝時)}} |} :チームスローガン:'''{{JIS2004フォント|¡}}MAS JUNTOS,PODEMOS MAS!(もっと一丸となれば、もっとやれる)''' :ピッコリ体制2年目。元韓国代表で[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]や[[セレッソ大阪|C大阪]]に所属した[[盧廷潤]]、元[[U-23サッカー日本代表|U-23日本代表]]の[[松原良香]]を補強したが、年間成績15位となりJ2へ降格。なお、所属の[[平島崇]]が児童買春等禁止法違反で逮捕された(当時は19歳であったため、実名では報じられていない)。 :シーズン終了後にオマール・ピッコリが監督を退任。また、三浦泰年らベテランも運営費縮小に伴って、退団した。 {{-}} === 2002年 - 2005年(J2) === {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: 1px solid #233285;" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.53|y=1.21|scale=220|text=[[松田浩|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''松田浩'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[水谷雄一|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''水谷雄一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.83|scale=220|text=[[川島眞也|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''川島眞也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.47.5|y=0.91|scale=220|text=[[千代反田充|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''千代反田充'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.91|scale=220|text=[[藏田茂樹|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''藏田茂樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.83|scale=220|text=[[アレックス・アントニオ・デ・メロ・サントス|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''アレックス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.44|scale=220|text=[[宮崎光平|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''宮崎光平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.68|scale=220|text=[[原田武男|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''原田武男'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21.5|y=0.68|scale=220|text=[[米田兼一郎|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''米田兼一郎'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.44|scale=220|text=[[古賀誠史|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''古賀誠史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.30|scale=220|text=[[アントニオ・ベント・ドス・サントス|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''ベンチーニョ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26.5|y=0.25|scale=220|text=[[林祐征|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''林祐征'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2003年 J2 第39節 広島戦}} |} ;2002年 :チームスローガン:'''Just in ONE''' :[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]元コーチの[[今井雅隆]]が監督に就任。 :[[中払大介]]・[[山下芳輝]]らが退団した一方、[[呂比須ワグナー]]・[[内藤就行]]・[[盧廷潤]]などが残留し、横浜FMから[[古賀誠史]]、[[ジュビロ磐田|磐田]]から元日本代表の[[大神友明]]などを補強し1年でのJ1復帰を目指したが、後半戦はわずか3勝に留まり、8位の成績。 {{-}} ;2003年 {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: 1px solid #233285;" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.48|y=1.21|scale=220|text=[[今井雅隆|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''今井雅隆'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[大神友明|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''大神友明'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.83|scale=220|text=[[内藤就行|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''内藤就行'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.91|scale=220|text=[[藏田茂樹|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''藏田茂樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.91|scale=220|text=[[小島光顕|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''小島光顕'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.83|scale=220|text=[[飯島寿久|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''飯島寿久'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68.5|y=0.44|scale=220|text=[[牛鼻健|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''牛鼻健'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.66|scale=220|text=[[原田武男|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''原田武男'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.66|scale=220|text=[[篠田善之|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''篠田善之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.44|scale=220|text=[[古賀誠史|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''古賀誠史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.25|scale=220|text=[[服部浩紀|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''服部浩紀'''</span>]]}} {{Image label|x=0.13|y=0.30|scale=220|text=[[ダビド・ビスコンティ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''ビスコンティ'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2002年 J2 第09節 C大阪戦}} |} :チームスローガン:'''新生''' :[[松田浩]]が監督に就任。前半戦は下位に低迷したが、千代反田・米田・宮崎・古賀・宮原・林ら若手を辛抱強く使い、後半戦は5連勝を含む16勝3分3敗(後半戦だけの成績ではトップ)の成績を残し、シーズン4位の成績を収めた。 {{-}} ;2004年 {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #233285 solid 1px" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.53|y=1.21|scale=220|text=[[松田浩|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''松田浩'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[水谷雄一|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''水谷雄一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68.5|y=0.83|scale=220|text=[[平島崇|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''平島崇'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.91|scale=220|text=[[増川隆洋|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''増川隆洋'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21.5|y=0.91|scale=220|text=[[千代反田充|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''千代反田充'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.83|scale=220|text=[[アレックス・アントニオ・デ・メロ・サントス|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''アレックス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.44|scale=220|text=[[山形恭平|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''山形恭平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.66|scale=220|text=[[ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''ホベルト'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21.5|y=0.66|scale=220|text=[[米田兼一郎|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''米田兼一郎'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.44|scale=220|text=[[古賀誠史|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''古賀誠史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52.5|y=0.25|scale=220|text=[[林祐征|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''林祐征'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.25|scale=220|text=[[太田恵介|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''太田恵介'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2004年 J2 第35節 大宮戦}} |} :チームスローガン:'''We WILL make it! 成し遂げる!''' :松田体制2年目。前年に行った[[サポーター (サッカー)|サポーター]]へのアンケートを受けてユニフォームの色を変更した(1stがシルバー、2ndがネイビーだったのを逆にした)。 :リーグ戦では第37節から最終節まで8連勝して3位。[[J1・J2入れ替え戦]]に進出したが、[[柏レイソル|柏]]に敗れて昇格はならなかった。 {{-}} ;2005年 {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #233285 solid 1px" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.53|y=1.21|scale=220|text=[[松田浩|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''松田浩'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[水谷雄一|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''水谷雄一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.83|scale=220|text=[[中村北斗|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中村北斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52.5|y=0.91|scale=220|text=[[宮本亨|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''宮本亨'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21.5|y=0.91|scale=220|text=[[千代反田充|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''千代反田充'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.83|scale=220|text=[[アレックス・アントニオ・デ・メロ・サントス|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''アレックス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.44|scale=220|text=[[宮崎光平|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''宮崎光平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.66|scale=220|text=[[ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''ホベルト'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.66|scale=220|text=[[山形恭平|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''山形恭平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.44|scale=220|text=[[古賀誠史|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''古賀誠史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.29|scale=220|text=[[田中佑昌|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''田中佑昌'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21.5|y=0.24|scale=220|text=[[グラウシオ・デ・ジェズス・カルヴァリオ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''グラウシオ'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2005年 J2 第27節 京都戦}} |} :チームスローガン:'''挑戦 〜Try it again to J1 !''' :松田体制3年目。チームの育成路線が実を結び高卒2年目の中村・同じく2年目ユース出身の田中、新加入の元[[U-20サッカーブラジル代表|U-20ブラジル]]代表[[グラウシオ・デ・ジェズス・カルヴァリオ|グラウシオ]]らが活躍。[[11月23日]]のホームでの第42節[[徳島ヴォルティス|徳島]]戦を引き分けて2位を確定。5年ぶりのJ1復帰を決めた。 :6月の[[2005 FIFAワールドユース選手権]]に[[中村北斗]]・[[柳楽智和]]が日本代表として出場した。 {{-}} === 2006年(J1) === {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #233285 solid 1px" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.53|y=1.21|scale=220|text=[[松田浩|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''松田浩'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[水谷雄一|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''水谷雄一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.82|scale=220|text=[[中村北斗|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中村北斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.94|scale=220|text=[[金古聖司|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''金古聖司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21.5|y=0.94|scale=220|text=[[千代反田充|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''千代反田充'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.82|scale=220|text=[[アレックス・アントニオ・デ・メロ・サントス|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''アレックス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.43|scale=220|text=[[久藤清一|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''久藤清一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52.5|y=0.67|scale=220|text=[[城後寿|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''城後寿'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.67|scale=220|text=[[ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''ホベルト'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.43|scale=220|text=[[薮田光教|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''薮田光教'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.28|scale=220|text=[[田中佑昌|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''田中佑昌'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21.5|y=0.26|scale=220|text=[[グラウシオ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''グラウシオ'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2006年 J1 第09節 新潟戦<br/>(J1復帰後初勝利)}} |} :チームスローガン:'''Climb to the top !''' 松田体制4年目。[[薮田光教]](前[[ヴィッセル神戸|神戸]])、[[布部陽功]]、[[久藤清一]](共に前[[セレッソ大阪|C大阪]])などを補強したが、12節終了時点で1勝6敗5分の16位。[[5月22日]]に松田を監督から解任。後任に[[東京ヴェルディ1969|V川崎]]と[[ヴィッセル神戸|神戸]]の元監督の[[川勝良一]]が就任。 [[2006 FIFAワールドカップ]]によるリーグ戦中断期間に神戸から[[マルセロ・バロン・ポランクジック|バロン]]を完全移籍、また[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[佐伯直哉]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]から[[飯尾一慶]]を期限付き移籍で獲得。シーズン成績は16位。[[J1・J2入れ替え戦]]でJ2・3位の[[ヴィッセル神戸|神戸]]に2分ながら[[アウェーゴール]]差で敗れ、1年でのJ2降格が決まった。 シーズン終了後に川勝が監督を辞任。5回戦へ勝ち残っていた[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は[[沖野等]]が代行監督を務めた。なお、この年に運営会社の商号が福岡ブルックス株式会社からアビスパ福岡株式会社へ変更された。 {{-}} === 2007年 - 2010年(J2) === ;2007年 {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #233285 solid 1px" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.30|y=1.21|scale=220|text=[[ピエール・リトバルスキー|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''リトバルスキー'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[神山竜一|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''神山竜一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.82|scale=220|text=[[山形辰徳|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''山形辰徳'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.92|scale=220|text=[[川島眞也|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''川島眞也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26.5|y=0.92|scale=220|text=[[宮本亨|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''宮本亨'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.82|scale=220|text=[[アルビン・チェッコリ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''チェッコリ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.71|scale=220|text=[[布部陽功|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''布部陽功'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.54|scale=220|text=[[城後寿|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''城後寿'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.54|scale=220|text=[[久永辰徳|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''久永辰徳'''</span>]]}} {{Image label|x=0.56|y=0.34|scale=220|text=[[田中佑昌|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''田中佑昌'''</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=0.34|scale=220|text=[[アレックス・アントニオ・デ・メロ・サントス|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''アレックス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39.5|y=0.17|scale=220|text=[[アブラゥン・リンコン・マルチンス|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''リンコン'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2007年 J2 第43節 山形戦}} |} :チームスローガン:'''SUFFER FOR SUCCESS!''' :[[シドニーFC]]元監督の[[ピエール・リトバルスキー]]が監督に就任。[[水谷雄一]]が[[柏レイソル|柏]]、[[千代反田充]]が[[アルビレックス新潟|新潟]]にそれぞれ移籍。さらに前年キャプテンを務めた[[ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド|ホベルト]]が退団した。一方で、[[ブラジル]]から[[アブラゥン・リンコン・マルチンス|リンコン]]、かつてリトバルスキー監督の下でプレイした[[アルビン・チェッコリ|チェッコリ]]を獲得した。そのリンコン、アレックスのコンビは2007年チームにとって重要な得点源となった。 :開幕戦の[[サガン鳥栖|鳥栖]]との[[九州クラシコ|ダービー]]で攻撃的布陣が機能し5-0で完勝するなど第1クールを1位で終えた。第2クールに入って以降も上位に入っていたが、第36節[[京都サンガF.C.|京都]]戦から第40節[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦まで5年ぶりとなる5連敗。第48節の[[ベガルタ仙台|仙台]]戦に敗れてJ1昇格が消滅。最終順位は7位で終了した。なお、シーズン終了後にチーム統括グループ長の[[小林伸二]]、同副長の[[中村重和]]、育成統括の[[沖野等]]を解任した。 {{-}} ;2008年 {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #233285 solid 1px" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.30|y=1.21|scale=220|text=[[篠田善之|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''篠田善之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[吉田宗弘|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''吉田宗弘'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.83|scale=220|text=[[山形辰徳|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''山形辰徳'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52.5|y=0.92|scale=220|text=[[丹羽大輝|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''丹羽大輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26.5|y=0.92|scale=220|text=[[柳楽智和|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''柳楽智和'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.83|scale=220|text=[[中島崇典|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中島崇典'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.42|scale=220|text=[[中村北斗|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中村北斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52.5|y=0.66|scale=220|text=[[ウフク・タレイ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''タレイ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.66|scale=220|text=[[城後寿|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''城後寿'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.42|scale=220|text=[[久永辰徳|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''久永辰徳'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.25|scale=220|text=[[大久保哲哉|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''大久保哲哉'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.25|scale=220|text=[[ハーフナー・マイク|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''ハーフナー'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2008年 J2 第40節 横浜FC戦}} |} :チームスローガン:'''ココロ粋 !''' :リトバルスキー体制2年目。前年の登録メンバー31人の半数以上にあたる16人(レンタル選手、外国籍選手含む)と契約を結ばなかったため、選手が大幅に入れ替わった。また、外国籍選手は全員退団し、新たにいずれも[[オーストラリア]]出身の[[マーク・ルダン|ルダン]]、[[ウフク・タレイ|タレイ]]、[[ジョエル・グリフィス|グリフィス]]を獲得した。また、[[京都サンガF.C.|京都]]から元福岡所属の[[中払大介]]、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]から[[黒部光昭]]、[[横浜FC]]から[[中島崇典]]、[[セレッソ大阪|C大阪]]から[[吉田宗弘]]らが加入。[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から[[ハーフナー・マイク]]、[[柏レイソル|柏]]から[[大久保哲哉]]の両FWが期限付き移籍、[[鈴木惇]]、[[大山恭平]]の両名をユースチームから昇格した(鈴木は[[2007年のJリーグ|2007年シーズン]]に2種登録で出場)。 :4月12日の[[FC岐阜|岐阜]]戦では5分間で4失点<ref>{{Cite web|和書|url=https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=11152|title=2008Jリーグ ディビジョン2 第7節第1日|publisher=J. League Data Site|accessdate=2023-11-09}}</ref> するなど守備が崩壊、第1クールは15チーム中14位に終わった。[[7月11日]]、成績不振により監督のリトバルスキー、ヘッドコーチの[[イアン・クルーク]]およびフィジカルコーチの[[アンソニー・クレア]]を解任し、[[篠田善之]]が監督に就任したが、最終順位は8位に終わった。 {{-}} ;2009年 {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: 1px solid #233285;" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.48|y=1.21|scale=220|text=[[篠田善之|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''篠田善之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[六反勇治|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''六反勇治'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.83|scale=220|text=[[山形辰徳|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''山形辰徳'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52.5|y=0.92|scale=220|text=[[丹羽大輝|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''丹羽大輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.92|scale=220|text=[[長野聡|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''長野聡'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.83|scale=220|text=[[中島崇典|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中島崇典'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68.5|y=0.44|scale=220|text=[[田中佑昌|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''田中佑昌'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52.5|y=0.66|scale=220|text=[[鈴木惇|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''鈴木惇'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.66|scale=220|text=[[久藤清一|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''久藤清一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.44|scale=220|text=[[岡本英也|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''岡本英也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.47.5|y=0.25|scale=220|text=[[大久保哲哉|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''大久保哲哉'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26.5|y=0.25|scale=220|text=[[高橋泰|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''高橋泰'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2009年 J2 第51節 [[横浜FC]]戦}} |} :チームスローガン:'''結心 〜全ての心をひとつに〜''' :前年途中から監督に就任した篠田が引き続き指揮を執る。[[中村北斗]]が[[FC東京]]へ完全移籍した他、昨季所属した外国籍選手もすべて退団。一方で[[ロアッソ熊本|熊本]]から[[高橋泰]]、[[ジュビロ磐田|磐田]]から元[[サッカー日本代表|日本代表]]の[[田中誠 (サッカー選手)|田中誠]]を獲得。シーズン序盤は、この年よりJリーグに加盟した[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]にJ2初勝利を献上するなど、第1クール(17試合)終了時点で4勝5分8敗の勝点17。第41節[[徳島ヴォルティス|徳島]]戦の引き分けにより、J2残留が決定。最終順位も11位。また、鳥栖との[[九州クラシコ|ダービー]]でクラブ史上初めて未勝利に終わった。その一方でJ2を優勝した[[ベガルタ仙台|仙台]]には2勝1敗と勝ち越した。 {{-}} ;2010年 {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: 1px solid #233285;" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.48|y=1.21|scale=220|text=[[篠田善之|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''篠田善之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[神山竜一|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''神山竜一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.83|scale=220|text=[[山形辰徳|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''山形辰徳'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.92|scale=220|text=[[丹羽大輝|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''丹羽大輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26.5|y=0.92|scale=220|text=[[田中誠 (サッカー選手)|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''田中誠'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.83|scale=220|text=[[中島崇典|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中島崇典'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.45|scale=220|text=[[久藤清一|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''久藤清一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.66|scale=220|text=[[中町公祐|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中町公祐'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.66|scale=220|text=[[末吉隼也|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''末吉隼也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.45|scale=220|text=[[永里源気|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''永里源気'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34.5|y=0.35|scale=220|text=[[大久保哲哉|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''大久保哲哉'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39.5|y=0.25|scale=220|text=[[城後寿|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''城後寿'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2010年 J2 第34節 大分戦}} |} :チームスローガン:'''福岡 維心''' :篠田体制3年目。前年度のオフに[[吉田宗弘]]や[[黒部光昭]]らベテランを中心に選手9人との契約を打ち切り、監督以外のコーチ陣も一斉に退団。30歳を越える選手が久藤、田中誠だけと大きく若返り、下部組織から昇格した[[朝鮮籍]]の[[孫正倫]]以外は日本人選手だけでシーズンに臨んだ(7月に韓国人の[[李鍾民]]が加入)。なおシーズン直前の1月27日にJ1時代の2006年途中からクラブ社長に就いていた都筑興が辞任し、3月4日に後任として電通九州大分支社長の大塚唯史が就任した。 :東京Vから加入した[[永里源気]]が得点源として、更には大卒選手の[[中町公祐]](高校卒業後の2004年 - 2007年に[[湘南ベルマーレ|湘南]]在籍)と[[末吉隼也]]がボランチコンビを形成し中盤の要として、移籍2年目の田中誠が守備の中心としてチームを牽引した。 :開幕戦で[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]に3-1と快勝。4月には4連敗を喫したが、5月5日の11節[[ロアッソ熊本|熊本]]戦で6-1と大勝するとそれ以降は順調に勝点を積み上げて9月12日に千葉、11月20日に東京Vと昇格争いのライバル相手にホームゲームで勝利を収め、アウェイで岐阜を破った[[11月23日]]に4位の千葉が[[ザスパクサツ群馬|草津]]に敗れ3位以内が確定、5年ぶりのJ1復帰を決めた(最終順位は3位)。外国籍選手は李と孫の2人のみであったため、この年のリーグ戦での全得点を日本人選手が挙げた(ちなみに天皇杯では孫が1ゴールを挙げている)。 :天皇杯では[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]、[[大宮アルディージャ|大宮]]とJ1勢を連覇して15年ぶりでアビスパ福岡となってからは初のベスト8へ進出(準々決勝は[[FC東京]]に延長戦の末に2-3で敗退)。 {{-}} === 2011年(J1) === {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: 1px solid #233285;" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.48|y=1.21|scale=220|text=[[篠田善之|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''篠田善之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[神山竜一|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''神山竜一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.83|scale=220|text=[[山形辰徳|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''山形辰徳'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.92|scale=220|text=[[丹羽大輝|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''丹羽大輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26.5|y=0.92|scale=220|text=[[小原章吾|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''小原章吾'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.83|scale=220|text=[[金旼弟|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''キム・ミンジェ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.45|scale=220|text=[[田中佑昌|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''田中佑昌'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.66|scale=220|text=[[鈴木惇|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''鈴木惇'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.66|scale=220|text=[[末吉隼也|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''末吉隼也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.45|scale=220|text=[[松浦拓弥|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''松浦拓弥'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34.5|y=0.35|scale=220|text=[[成岡翔|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''成岡翔'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39.5|y=0.25|scale=220|text=[[城後寿|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''城後寿'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2011年 基本布陣}} |} :チームスローガン:'''福岡力! 〜Run with the ALL〜''' :篠田体制4年目。長年在籍した[[久藤清一]]が引退、前シーズン15ゴールを挙げた[[永里源気]]が甲府へ、[[中島崇典]]が[[柏レイソル|柏]]へ、[[大久保哲哉]]が[[モンテディオ山形|山形]]へ、[[柳楽智和]]が[[FC東京]]へ、[[阿部嵩]]が[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ移籍、[[大山恭平]]、[[平石健太]]が退団した。 :補強は、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]から[[和田拓三]]、[[ジュビロ磐田|磐田]]から[[成岡翔]]、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から[[清水範久]]が完全移籍で、磐田から[[松浦拓弥]]、FC東京から[[重松健太郎]]がレンタル移籍で加入。[[金旼弟|キム・ミンジェ]]、[[畑本時央]]、[[牛之濵拓]]が新加入した。また[[丹羽大輝]]のレンタル移籍期間も延長した。 :開幕戦で[[アルビレックス新潟|新潟]]に敗れて以降、開幕から9連敗(Jリーグ杯・磐田戦を含めると公式戦10連敗)。6月15日の第15節(リーグ10戦目)の[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦に引き分けて初の勝点を得た。その後、3連敗で13試合連続勝ち無しとなったが、7月2日のリーグ戦14試合目の甲府戦で初勝利を挙げたが、8月に篠田を解任し、ヘッドコーチの[[浅野哲也]]が監督に就任した。 :10月22日に新潟に敗戦してJ2降格が決定<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.avispa.co.jp/index_box/info/info_201110_23.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111025214620/http://www.avispa.co.jp/index_box/info/info_201110_23.html|title=アビスパ福岡を応援してくださったすべての皆さまへ|publisher=アビスパ福岡|date=2011-10-23|archivedate=2011-10-25|accessdate=2023-11-09}}</ref>。最終順位は17位でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で仙台に敗退した。 {{-}} === 2012年 - 2015年(J2) === ;2012年 :チームスローガン:'''ガムシャラ!! {{smaller|今年だから出せる力がある。2012福岡ヂカラ}}''' :クラブOBで[[ヴィッセル神戸|神戸]]元コーチの[[前田浩二]]が監督に就任。[[田中誠 (サッカー選手)|田中誠]]が引退、[[田中佑昌]]が[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]へ、[[岡本英也]]が[[鹿島アントラーズ|鹿島]]へ、[[中町公祐]]、[[六反勇治]]が[[横浜F・マリノス|横浜FM]]へ、[[山形辰徳]]が[[栃木SC|栃木]]へ完全移籍、[[丹羽大輝]]([[ガンバ大阪|G大阪]]へ復帰)、[[松浦拓弥]]([[ジュビロ磐田|磐田]]へ復帰)、[[重松健太郎]]([[FC東京]]へ復帰)がレンタル移籍期間満了、[[清水範久]]、[[ハファエル・ハマゾッチ・デ・クアドロス|ハマゾッチ]]が退団した。一方で[[横浜FC]]から[[西田剛]]、[[セレッソ大阪|C大阪]]から[[尾亦弘友希]]、磐田から[[古賀正紘]]、FC東京から[[坂田大輔]]、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から[[堤俊輔]]を完全移籍で、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[木原正和]]、G大阪から[[河田晃兵]]、磐田から[[岡田隆]]をレンタル移籍で獲得、 [[呉昌炫|オ・チャンヒョン]]、[[石津大介]]が新加入した。 :[[鹿児島市]]出身の前田を始めとして九州にゆかりのある人物で戦っていく「オール九州」の方針を打ち出し、同時に1年でのJ1復帰を目指したが、開幕2連勝を挙げて4位タイとなったが、それが最高順位となりその後はJ2ワースト2となる失点の多さ(68失点53得点 得失点差-15)などで、第6節[[京都サンガF.C.|京都]]戦、第7節[[愛媛FC|愛媛]]戦と連敗して5位→8位→13位と転落して以降は一度も一ケタ順位に復帰できず、第35節の熊本戦に敗れてJ1自動昇格となる2位以内の可能性が、第36節の横浜FC戦に引き分けて[[J1昇格プレーオフ]]に出場できる6位以内の可能性も消滅した。8月26日の第31節[[松本山雅FC|松本]]戦から10試合連続勝利なしとなった10月28日、第40節大分戦での敗戦後に前田を監督から解任、[[池田太]]が監督代行に就任したが、結局シーズン終了まで12戦連続勝利なし(5分7敗)のまま、J1在籍経験のあるクラブとして[[2011年のJリーグ|2011年]]の[[横浜FC]]と並びシーズン終了時最低の順位となるJ2リーグ戦18位<ref group="注">但し、[[横浜FC]]は20クラブ中18位、福岡は22クラブ中18位。</ref> でシーズンを終えた。[[九州ダービー|バトル・オブ・九州]]は、全てホームゲームだった前半3戦は2勝1分ながら、後半は3戦全敗し最終的に最下位となった。 :[[第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は3回戦で大宮に敗退した。 ;2013年 :チームスローガン:'''一燃蜂起 〜2013 福岡ヂカラ〜''' :[[1.SNL|スロバキア1部]]・[[NKツェリェ]]前監督の[[マリヤン・プシュニク]]が監督に就任。[[成岡翔]]が[[アルビレックス新潟|新潟]]へ、[[鈴木惇]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ、[[高橋泰]]および[[小原章吾]]が愛媛へ完全移籍、[[和田拓三]]が引退、[[河田晃兵]]は期限付き移籍期間満了でG大阪に復帰した一方、2006年まで福岡に所属していた[[水谷雄一]]が京都から完全移籍で獲得、前年[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]に[[特別指定選手]]として所属した[[中原秀人]]が[[福岡教育大学]]から加入した。 :開幕から連勝スタートで第2節終了時には2位となるが、直後に3連敗を含む5試合勝ちなしとなり15位まで順位を下げる。第8節、北九州との[[福岡ダービー]]で勝利し、第9節で連勝した時点で8位まで再浮上して以降、前半戦終了の第21節までは8位から11位の間を推移する。6月19日には、元[[フォルトゥナ・デュッセルドルフ]]U-19で5月から練習生として参加していた[[金城クリストファー達樹]]が加入。また、8月に入って、[[V・ファーレン長崎|長崎]]に期限付き移籍していたオ・チャンヒョンが期間満了前の契約解除で復帰し、[[リーガ2|ルーマニア2部]]・[[ASAトゥルグ・ムレシュ (2013)|FCMトゥルグ・ムレシュ]]から[[ブラティスラフ・プノセバッチ]]を獲得した。第24、25節終了時には[[J1昇格プレーオフ]]圏内の6位となるが、その直後10試合で3連敗5連敗各1回を含む1勝1分8敗と低迷し、第34節終了時には15位まで転落。11月10日、第40節の時点で6位以内の可能性が消滅し、最終的に14位でシーズンを終了した。ただし、バトル・オブ・九州では、福岡ダービーで連勝するなど3勝3分で、2010年シーズン以来2度目の制覇となった。 :[[第93回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では、初戦(2回戦)で栃木に敗北。また、10月に経営問題が表面化した(詳細は[[#経営問題]]を参照)。 ;2014年 :チームスローガン:'''協力同心 福岡ヂカラ2014''' :プシュニク体制2年目。[[宮本卓也]]、[[船山祐二]]、[[尾亦弘友希]]らと契約を更新せず、[[岡田隆]]、[[金久保順]]、[[金永基]]が期限付き移籍満了(金久保は後に[[川崎フロンターレ|川崎]]に期限付き移籍、金は[[AC長野パルセイロ|長野]]に完全移籍)、[[水谷雄一]]が[[カターレ富山|富山]]、[[西田剛]]、[[金旼弟|キム・ミンジェ]]が[[愛媛FC|愛媛]]、[[木原正和]]が[[カンボジア・リーグ|カンボジア1部]]の[[アンコールタイガーFC|トライアジア・プノンペンFC]]にそれぞれ完全移籍し、[[畑本時央]]が[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ期限付き移籍した。一方、[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]から[[森村昂太]]、[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[李光善|イ・グァンソン]]、[[松本山雅FC|松本]]から[[阿部巧]]、[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[平井将生]]がいずれも完全移籍、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から[[野崎雅也]]、[[大分トリニータ|大分]]から[[清水圭介]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から[[酒井宣福]]、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から[[武田英二郎]]がいずれも期限付き移籍でそれぞれ加入した。 :[[第94回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では、2回戦で[[水戸ホーリーホック|水戸]]に敗れ、2年連続の初戦敗退となった。 :前半戦は第9節終了時に5位にまで上昇し、その後16位まで順位を下げたものの、第17節からの4連勝で第21節終了時点で9勝5分7敗の勝点32、プレーオフ圏内の6位となる。後半戦に入り一旦10位まで順位を下げたものの、第30節終了時点でも12勝8分10敗の勝点44で6位と勝点差1の7位につけていた。しかし第31節から最終節までの12試合で1勝3分8敗、第35節以降8試合連続勝利なしという結果に終わり、最終成績は13勝11分18敗の勝点50で順位は前年度を下回る16位。バトル・オブ・九州は最下位となった。 :このシーズンを以てプシュニクが監督を退任した。 ;2015年 {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #233285 solid 1px" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.55|y=1.20|scale=220|text=[[井原正巳|<span style="font-size: 80%; color: navy;">監督 '''井原正巳'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.07|scale=220|text=[[中村航輔|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中村航輔'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.88|scale=220|text=[[田村友|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''田村友'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.88|scale=220|text=[[濱田水輝|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''濱田水輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.88|scale=220|text=[[堤俊輔|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''堤俊輔'''</span>]]}} {{Image label|x=0.67|y=0.70|scale=220|text=[[中村北斗|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中村北斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.70|scale=220|text=[[亀川諒史|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''亀川諒史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.55|scale=220|text=[[中原秀人|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''中原秀人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.25|y=0.55|scale=220|text=[[末吉隼也|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''末吉隼也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.38|scale=220|text=[[城後寿|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''城後寿'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.38|scale=220|text=[[酒井宣福|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''酒井宣福'''</span>]]}} {{Image label|x=0.32|y=0.23|scale=220|text=[[ウェリントン・ルイス・デ・ソウザ|<span style="font-size: 80%; color: white;">'''ウェリントン'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2015年 J1昇格プレーオフ 決勝}} |} :チームスローガン:'''福岡MOVEMENT 鼓動。躍動。感動。''' :元日本代表で前[[柏レイソル|柏]]のヘッドコーチだった[[井原正巳]]が監督に就任。[[鈴木健仁]]がチーム統括部長に、[[三浦文丈]]がコーチに就任。選手では、[[金城クリストファー達樹]]、[[タム・シイアンツン]]、[[畑本時央]]との契約を満了<ref>{{Cite news|url=https://web.gekisaka.jp/news/detail/?152631-152631-fl|title=福岡が3選手の契約満了を発表|newspaper=ゲキサカ|date=2014-11-30|accessdate=2015-11-29}}</ref>、[[山口和樹 (1986年生のサッカー選手)|山口和樹]]が現役引退。また、[[野崎雅也]]、[[武田英二郎]]、[[鍋田亜人夢]]、[[清水圭介]]が期限付き移籍期間満了で退団。[[呉昌炫|オ・チャンヒョン]]が[[Kリーグ2|韓国2部]]・[[ソウルイーランドFC]]に移籍。一方、[[鈴木惇]]、[[中村北斗]]、[[末吉隼也]]が完全移籍により復帰したほか、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から[[濱田水輝]]と[[ベガルタ仙台|仙台]]から[[中原貴之]]がそれぞれ完全移籍で、[[柏レイソル|柏]]から[[中村航輔]]と[[湘南ベルマーレ|湘南]]から[[亀川諒史]]がそれぞれ期限付き移籍で加入。また、浦和ユース出身の[[邦本宜裕]]、[[福岡大学]]から[[田村友]]が新加入した。 :開幕節から3連敗し一時は最下位に沈んだものの、井原が挑んだ3バックによる守備の再構築が功を奏し第4節からクラブ記録を更新する11戦無敗(8勝3分)と戦績が向上<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20151208/377877.html|title=“井原マジック”の真実。福岡J1昇格へ指揮官が施した一年間の取り組み|publisher=[[Jリーグサッカーキング|サッカーキング]]|author=藤江直人|date=2015-12-08|accessdate=2015-12-08}}</ref>。さらに夏の移籍期間には湘南などでプレーした[[ウェリントン・ルイス・デ・ソウザ|ウェリントン]]を完全移籍で獲得すると攻撃にも厚みを増すようになり、相手によって3バックと4バックを使い分けるシステムも機能し始め、シーズン後半には自動昇格争いにも絡めるようになる。終盤には8連勝を含む12戦負け無し(11勝1分)でシーズンを終え、最終的に2位磐田に同勝点ながら得失点差で4点届かず3位で[[J1昇格プレーオフ]]に駒を進めることになった<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/1570384.html|title=井原福岡が4発8連勝も自動昇格に4得点届かず|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2015-11-24|accessdate=2015-11-29}}</ref>。 :昇格プレーオフは、準決勝で[[V・ファーレン長崎|長崎]]戦に勝利。決勝で[[セレッソ大阪|C大阪]]に引き分けでレギュレーションにより5年ぶりのJ1昇格が決まった。 :{{See also|2015年のJリーグ#J1昇格プレーオフ}} :[[第95回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は、2回戦で磐田を下し3年ぶりに初戦を突破するも、3回戦でJ3の[[FC町田ゼルビア|町田]]に敗れた。 === 2016年 (J1) === :チームスローガン:'''子供たちに夢と感動を!''' :井原体制2年目。コーチの[[三浦文丈]]が[[AC長野パルセイロ|長野]]監督に就任のため退団。前年守備の要として活躍した[[中村航輔]]が[[柏レイソル|柏]]に、[[酒井宣福]]が[[アルビレックス新潟|新潟]]に復帰したものの、[[湘南ベルマーレ|湘南]]から期限付き移籍中だった[[亀川諒史]]を完全移籍で獲得。また、[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[ダニルソン・コルドバ|ダニルソン]]、[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[實藤友紀]]、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]から[[金炫訓|キム・ヒョヌン]]、[[V・ファーレン長崎|長崎]]から[[古部健太]]、[[大分トリニータ|大分]]から[[為田大貴]]を獲得したほか、[[Kリーグ1|韓国1部]]・[[釜山アイパーク]]から[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]の[[李範永|イ・ボムヨン]]が加入した。 :5年振りのJ1は、開幕から7試合勝ちがなく(3分4敗)、第9節[[FC東京]]戦で初勝利を挙げるも、結局1stステージはわずか2勝にとどまり最下位に終わる。夏の移籍期間には巻き返しのためにFC東京から[[駒野友一]]、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から[[三門雄大]]を獲得するも、得点源の[[ウェリントン・ルイス・デ・ソウザ|ウェリントン]]が7月に持病の左膝痛を悪化させて出場機会が激減したことも影響し、8月から9月にかけては今季チーム最長の5連敗を喫する<ref>{{Cite news|url=http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/276745|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160923123516/http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/276745|title=アビスパ「J1残留」正念場 守備に甘さ? ミスも多く|newspaper=[[西日本新聞]]|date=2016-09-23|archivedate=2016-09-23|accessdate=2023-11-09}}</ref>。2nd第14節で[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]に敗れ、残留を争っていた[[アルビレックス新潟|新潟]]が勝利したことにより、年間順位16位以下が決定し、1年でJ2降格となった。 :4度目のJ1からの降格はJリーグ史上最多タイ、またJ1最下位でのJ2降格はクラブ初で、J1年間総合順位で最下位となるのもJ2創設前の[[1998年のJリーグ|1998年]]([[J1参入決定戦]]で勝ち残りJ1残留)以来18シーズンぶりとなった。 :[[2016年のJリーグカップ|YBCルヴァンカップ]]では、Bグループ第6節終了時点では6位だったものの、最終節対新潟戦の勝利により逆転でグループ2位となり、クラブ史上初の準々決勝進出を果たす。準々決勝でFC東京に敗れた。 :[[第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は2回戦で[[レノファ山口FC|山口]]にPK戦で敗れた。 === 2017年 - 2020年(J2) === ;2017年 :チームスローガン:'''子供たちに夢と感動を!''' :井原体制3年目。[[金森健志]]が[[鹿島アントラーズ|鹿島]]、[[古部健太]]が[[V・ファーレン長崎|長崎]]、[[アスルクラロ沼津|沼津]]へ期限付き移籍していた[[光永祐也]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]、[[李範永|イ・ボムヨン]]が[[Kリーグ1|韓国1部]]・[[江原FC]]へ完全移籍、[[田村友]]が[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]、[[鈴木惇]]が[[大分トリニータ|大分]]へ期限付き移籍、[[阿部巧]]([[ザスパクサツ群馬|群馬]]へ移籍)、[[中原秀人]]、[[平井将生]](以上[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]へ移籍)が契約満了になった一方で、[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[松田力]]、[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[岩下敬輔]]、[[清水エスパルス|清水]]から[[杉山力裕]]、[[京都サンガF.C.|京都]]から[[山瀬功治]]を完全移籍で獲得。[[石津大介]]が[[ヴィッセル神戸|神戸]]への期限付き移籍から復帰、期限付き移籍加入だった[[駒野友一]]が完全移籍で加入し、U-18の[[崎村祐丞]]が昇格、[[静岡学園中学校・高等学校|静岡学園高校]]の[[山ノ井拓己]]が加入、新外国人選手として[[ジュビロ磐田|磐田]]・[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]・[[FC岐阜|岐阜]]でプレーしていた[[ジウソン・ド・アマラウ|ジウシーニョ]]が[[カンピオナート・ブラジレイロ・セリエB|ブラジル2部]]・[[アトレチコ・ゴイアニエンセ]]から加入した。 :シーズン中に[[ダニルソン・コルドバ|ダニルソン]]が家庭の事情により退団したが、韓国・[[漢陽大学校]]から[[元斗才|ウォン・ドゥジェ]]を獲得、さらに[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から[[仲川輝人]]が期限付き移籍で加入した。 :開幕戦は大分に敗れたが、第3節からは1桁順位を維持、第12節からの4連勝で、第15節終了時に首位に立つ。第16節には2位となるも、第17節から前半戦終了の第21節まで首位をキープする。第22節に[[湘南ベルマーレ|湘南]]に首位を明け渡すと、その後は2位をキープしていたが、第28節から6試合未勝利で第33節にはついに長崎に抜かれ3位となる。第34節から3連勝し再び2位に浮上するが、第39節には長崎だけでなく名古屋にも抜かれ4位に落ちる。最終的に長崎を抜き返すことは出来ず、4位でシーズンを終え、2シーズンぶりの[[J1昇格プレーオフ]]に回ることとなった。[[熊本県民総合運動公園陸上競技場|えがお健康スタジアム]]で開催された<ref group ="注">リーグ4位の福岡にホーム開催権があったが、本来のホームスタジアムである[[東平尾公園博多の森球技場|レベルファイブスタジアム]]が改修工事の為使用できなかった為、[[ロアッソ熊本]]のホームスタジアムである[[熊本県民総合運動公園陸上競技場|えがお健康スタジアム]]で開催した。</ref>プレーオフ初戦の5位・東京V戦は[[山瀬功治]]のゴールで1-0で勝利。3位名古屋とのプレーオフ決勝に進むも、アウェーの[[豊田スタジアム]]で0-0の引き分けに終わり、規定により名古屋が[[2018年のJ1リーグ]]昇格となり、1年でのJ1復帰を逃した。 :リーグ戦では42試合で僅か36失点、次に少ない優勝した湘南の41失点よりさらに5点少ない守備力の高さを誇りながらも、得点は54点でリーグ12位タイ、うちウェリントンだけで19得点を挙げており、次点が石津の8得点、山瀬の6得点と差が大きく、ウェリントン以外の攻撃力が課題であった。 :天皇杯は3回戦で[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]に敗れた。 ;2018年 :チームスローガン:'''感動と勝ちにこだわる''' :井原体制4年目。[[坂田大輔]]が引退、[[兼田亜季重]]([[大分トリニータ|大分]])、[[冨安健洋]]([[ベルギー・ファースト・ディビジョンA|ベルギー1部]]・[[シント=トロイデンVV]])、[[中村北斗]]([[V・ファーレン長崎|長崎]])、[[亀川諒史]]([[柏レイソル|柏]])、[[濱田水輝]]、[[末吉隼也]](以上[[ファジアーノ岡山FC|岡山]])、[[三門雄大]]([[大宮アルディージャ|大宮]])、[[三島勇太]](JFL・[[テゲバジャーロ宮崎]])、[[ジウソン・ド・アマラウ|ジウシーニョ]]([[カンピオナート・ブラジレイロ・セリエD|ブラジル4部]]・[[ミラソウFC]])、[[ウェリントン・ルイス・デ・ソウザ|ウェリントン]]([[ヴィッセル神戸|神戸]])、[[中原貴之]]([[日本フットボールリーグ|JFL]]・[[ラインメール青森FC]])、[[ウィリアン・ポッピ]]([[Kリーグ1|韓国1部]]・[[富川FC1995]])が完全移籍、[[下坂晃城]]が[[FC町田ゼルビア|町田]]に期限付き移籍。期限付き移籍していた[[仲川輝人]]が[[横浜F・マリノス|横浜FM]]に復帰した。一方、[[篠原弘次郎]](岡山)、[[輪湖直樹]](柏)、[[森本貴幸]]([[川崎フロンターレ|川崎]])、[[トゥーリオ・ヴィニシウス・フロエス・デ・メロ|トゥーリオ・デ・メロ]](ブラジル・[[アソシアソン・シャペコエンセ・ジ・フチボウ|シャペコエンセ]])が完全移籍で、[[圍謙太朗]]([[セレッソ大阪|C大阪]])、[[兪仁秀|ユ・インス]]([[FC東京]])、[[枝村匠馬]]([[清水エスパルス|清水]])、[[平尾壮]]([[ガンバ大阪|G大阪]])、[[ルイス・エドゥアルド・ドス・サントス・ゴンザガ|ドゥドゥ]]([[ヴァンフォーレ甲府|甲府]])が期限付き移籍でそれぞれ加入、[[木戸皓貴]]([[明治大学体育会サッカー部|明治大学]])が新加入した。また[[田村友]]([[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]])と[[鈴木惇]](大分)が期限付き移籍から復帰した。シーズン中の6月には、[[シウヴァ・カヴァウカンチ・エロスマン・エウレー|エウレー]]とトゥーリオ・デ・メロが相次ぎ退団した一方、[[カンピオナート・ミネイロ|ブラジル・MG州選手権]]・[[コインブラ・エスポルチ・クルベ|コインブラEC]]から[[レオナルド・エンリケ・サントス・デ・ソウザ|レオミネイロ]]、FC東京から[[吉本一謙]]、柏から[[古賀太陽]]がいずれも期限付き移籍(古賀は育成型)で加入した。7月には田村友が山形に完全移籍した。 :開幕から3節は負けなし(2勝1分)だったが、直後に3戦未勝利(1分2敗)で一旦順位を11位まで下げた後、8戦負けなし(5勝3分)で3位まで浮上、1敗の後3連勝で、第17節終了時には暫定2位、第18節終了時には暫定首位に浮上する。しかし自動昇格圏内順位となったのはこの時だけで、直後に連敗し暫定4位となり、その後は第26節ホーム横浜FC戦が[[平成30年台風第12号|台風12号]]の影響で中止になった際に暫定8位、第29節栃木戦に敗れた直後と第33節から第34節にかけ暫定7位となった以外、第41節終了時点までプレーオフ進出圏内となる6位以内を維持していたが、最終節岐阜戦に引き分け、前節まで7位だった大宮が最終節勝利したことにより順位を逆転され、最終的に5位大宮、6位東京Vと勝点差1の勝点70(19勝13分10敗)、7位で終了、2年連続のプレーオフ進出を逃した<ref>{{Cite news|url=https://web.gekisaka.jp/news/detail/?259441-259441-fl|title=大宮が“窮地”からの逆転PO進出!!下位とドローの福岡は土壇場でPO圏外へ|newspaper=ゲキサカ|date=2018-11-17|accessdate=2018-11-18}}</ref>。ホームゲームでは6連勝するなどし、優勝した[[松本山雅FC|松本]]と並びJ2トップの勝点42(12勝6分3敗)を挙げながら、アウェーでは最終節含め勝ちきれない試合も多く、勝点28(7勝7分7敗)しか挙げられなかったことも、昇格を逃した原因の一つとなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20181122/866835.html|title=史上稀に見る大混戦…今シーズンのJ2を5つのポイントで振り返る|publisher=サッカーキング|date=2018-11-22|accessdate=2018-11-22}}</ref>。 :最終節終了後の11月19日、監督の井原の退任が発表され<ref>{{Cite news|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20181119/865425.html|title=福岡、井原正巳監督の退任を発表「一番長く指揮を執ったことは誇り」|newspaper=サッカーキング|date=2018-11-19|accessdate=2018-11-22}}</ref>、同月23日には、[[奥野僚右]]、[[山岸範之]]、[[竹原靖和]]、[[菊池忍]]各コーチの退団も発表された<ref>{{Cite press release|和書|date=2018-11-23|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-21454|title=チームスタッフ 契約満了のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|accessdate=2018-11-26}}</ref>。 ;2019年 :チームスローガン:'''感動と勝ちにこだわる''' :[[セリエA (サッカー)|イタリア1部]]・[[エラス・ヴェローナFC]]前監督の[[ファビオ・ペッキア]]が監督に就任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-21623|title=ファビオ ペッキア氏 監督就任のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2018-12-14|accessdate=2018-12-14}}</ref>。 :[[神山竜一]]、[[堤俊輔]]、[[山瀬功治]]<ref>{{Cite news|url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/sp/item/n/467783.amp|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201129045848/https://www.nishinippon.co.jp/nsp/sp/item/n/467783.amp|title=J2福岡 神山、堤が退団 山瀬契約満了も発表|newspaper=西日本スポーツ|date=2018-11-23|archivedate=2020-11-29|accessdate=2023-11-09}}</ref>、[[駒野友一]]<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/m/soccer/news/amp/201811250000448.html|title=元日本代表DF駒野が福岡退団「まだサッカーしたい」|newspaper=日刊スポーツ|date=2018-11-25|accessdate=2018-11-26}}</ref>が契約満了、枝村匠馬、ユ・インス、ドゥドゥら6選手が期限付き移籍期間終了で<ref>{{Cite press release|和書|date=2018-12-11|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-21587|title=枝村 匠馬 選手 期限付き移籍期間 満了のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|accessdate=2018-12-12}}</ref>それぞれ退団するなど計11人を放出。また町田に期限付き移籍中であった下坂晃城はそのまま町田に完全移籍となった。一方で、[[ジョン・アンデル・セランテス|セランテス]]、[[石原広教]]、[[菊地直哉]]、[[三國ケネディエブス]]、[[田邉草民]]ら計10人が新たに加入した。 :シーズン開幕直後には[[岩下敬輔]]が[[サガン鳥栖|鳥栖]]に期限付き移籍した一方で、[[セレッソ大阪|C大阪]]から[[梁東炫|ヤン・ドンヒョン]]が完全移籍で加入。夏の移籍期間では[[吉本一謙]]が[[清水エスパルス|清水]]へ完全移籍した一方で、[[初瀬亮]]、[[加藤大 (サッカー選手)|加藤大]]ら4選手が期限付き移籍で加入した。 :開幕から4戦未勝利で最下位に転落、第5節新潟戦でシーズン初勝利を挙げ20位に浮上するも、続く第6節に敗れ再び最下位となる。第7節栃木戦でようやくホーム初勝利を挙げ最下位は脱したが、順位は開幕から常に17位以下、第14節終了時にはJ3降格圏内の21位となるなど低迷。第16節終了翌日の6月3日、監督のペッキアが家庭の事情を理由に急遽退任、コーチを務めていた[[久藤清一]]が監督に昇格した。先述の栃木戦以降ホームゲーム10戦勝ちなし(3分7敗)や、第17節から21節、23節には再び21位になるなど低迷は続き、最終節の勝利により、同シーズン最高順位の16位に浮上してシーズンを終えた。シーズン終了後、久藤が監督を退任した。 ;2020年 :チームスローガン:'''感動と勝ちにこだわる''' :前年[[水戸ホーリーホック|水戸]]で監督を務めていた[[長谷部茂利]]が監督に就任<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-27808|title=長谷部 茂利氏 監督就任のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2019-11-26|accessdate=2020-05-27}}</ref>。 :菊地が現役を引退した他、[[元斗才|ウォン・ドゥジェ]]、石原広教、初瀬亮、加藤大、[[松田力]]、ヤン・ドンヒョンら計12人が退団。また、前年鳥栖に期限付き移籍していた岩下敬輔はそのまま鳥栖に完全移籍した。一方で前年水戸で長谷部の元でプレーした[[村上昌謙]]、[[前寛之]]、[[福満隆貴]]をはじめ、[[フアンマ・デルガド]]、[[エミル・サロモンソン]]、[[湯澤聖人]]、[[重廣卓也]]、[[菊池大介]]ら計14人が新たに加入した。 :シーズン開幕後には[[實藤友紀]]が[[横浜F・マリノス|横浜FM]]に完全移籍した一方で、[[藤井悠太]]が[[横浜FC]]から完全移籍で加入した。 :開幕戦、5シーズンぶりとなる[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]との[[福岡ダービー]]に1-0で勝利した後、[[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|新型コロナウイルス感染拡大]]の影響による4ヶ月余りの中断から再開すると、3試合勝利なしで第4節終了時には17位まで順位を下げたものの、直後の3連勝で、第8節終了時には3位まで浮上する。 :7月27日にスタッフ1名の新型コロナウイルス感染が判明したため、クラブ独自で他の選手とクラブ関係者計51人に対し[[ポリメラーゼ連鎖反応|PCR]]検査を施したところ全選手陰性だったものの<ref>{{Cite press release|和書|date=2020-07-27|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-31428|title=チームスタッフ 新型コロナウイルス感染症の陽性判定について|publisher=アビスパ福岡|accessdate=2020-08-06}}</ref>、8月2日になり、Jリーグ公式検査の結果、前が陽性である可能性が高いと診断され、同日夜の第9節[[大宮アルディージャ|大宮]]戦([[さいたま市大宮公園サッカー場|NACK5スタジアム大宮]])は試合開始2時間前を切った17時過ぎに急遽中止となり<ref>{{Cite news|url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/631958.amp|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200803200809/https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/631958.amp|title=J2福岡、寝耳に水の陽性疑いで試合前ミーティングから選手隔離 福岡スポーツ界にコロナ禍|newspaper=西日本スポーツ|date=2020-08-03|archivedate=2020-08-03|accessdate=2023-11-09}}</ref>、前は翌3日のPCR検査により陽性と診断され、無症状ながら医療施設にて経過観察となりチームを離脱した<ref>{{Cite press release|和書|date=2020-08-03|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-31623|title=新型コロナウイルス感染症の陽性判定について|publisher=アビスパ福岡|accessdate=2020-08-05}}</ref>。 :この中止後、第11節からの3連敗など、第10節から7試合で1勝2分4敗となり、第16節終了時には再び17位まで低下、同節首位の[[V・ファーレン長崎|長崎]]との勝点差は17にまで拡大した。その間、第13節終了後の8月20日、[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]からU-23日本代表の[[松本泰志]]が育成型期限付き移籍で加入、また第17節から前が復帰すると、同節から先述の第9節の振替試合を含む8試合を8連勝し9月は無敗で、第23節には長崎を抜き3位に再浮上<ref>{{Cite news|url=https://web.gekisaka.jp/news/amp/?312339-312339-fl|title=福岡がクラブ記録タイ破竹の8連勝!! 今季9度目“ウノゼロ”で3位に浮上|newspaper=ゲキサカ|date=2020-09-30|accessdate=2020-10-06}}</ref>、さらに10月4日、第24節ホームでの福岡ダービー北九州戦に2-0で勝利し、クラブ新記録の9連勝を達成すると同時に、北九州を抜きシーズン初の2位に浮上する<ref>{{Cite news|url=https://web.gekisaka.jp/news/amp/?312680-312680-fl|title=福岡がクラブ新の9連勝!上位対決“福岡ダービー”制し順位交代、自動昇格圏2位浮上!!|newspaper=ゲキサカ|date=2020-10-04|accessdate=2020-10-06}}</ref>。 :昇格圏浮上直後の10月6日、[[モンテディオ山形|山形]]から、今シーズンの同チーム得点王である[[山岸祐也]]を完全移籍で獲得する<ref>{{Cite press release|和書|date=2020-10-06|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-33517|title=山岸 祐也 選手 モンテディオ山形より完全移籍加入のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|accessdate=2020-10-06}}</ref>。 :その後第27節、勝点で並んでいた首位[[徳島ヴォルティス|徳島]]が敗れる中、アウェー群馬戦に1-0で勝利し、連勝を12まで伸ばした時点で、シーズン初の首位に浮上、その後連勝は12で止まったものの、連続無敗記録を15まで伸ばす。しかし第30節アウェー[[ジュビロ磐田|磐田]]戦に1-2で16試合ぶりに敗れると、同節勝利した徳島に勝点で並ばれ、得失点差で2位となる。その後首位に復帰することはなかったものの、3位長崎に逆転を許すこともなく、第41節アウェー[[愛媛FC|愛媛]]戦に2-0で勝利、同節長崎が引き分けたことにより、1試合を残して2位以上が確定、2005年、2010年、2015年に続く5年ぶり4度目のJ1昇格が決定し、"5年周期"神話が続くこととなった<ref>{{Cite news|url=https://web.gekisaka.jp/news/amp/?319060-319060-fl|title=福岡のJ1昇格決定!! J参入から続く驚異の“5年周期”神話またも継続|newspaper=ゲキサカ|date=2020-12-16|accessdate=2020-12-17}}</ref>。 :最終節、首位徳島にも勝利し、後半戦は全チーム中トップの14勝5分2敗で勝点47を挙げ、得失点差で徳島に及ばなかったものの、勝点84で徳島と並び2位で終わった。[[上島拓巳]]と並びチーム最多の41試合に出場した[[遠野大弥]]がチームトップの11得点、フアンマ・デルガドが8得点を挙げた以外は5得点以下ということもあり、チームの総得点は51でリーグ10位ながら、失点は全チーム中唯一30を下回る29という堅い守備で勝ち抜き、25勝のうち実に15勝が1-0の勝利だった。 === 2021年 - (J1) === ;2021年 :長谷部体制2年目。[[ジョン・アンデル・セランテス|セランテス]]と[[鈴木惇]]が契約満了により、また期限付き移籍で加入していた[[上島拓巳]]([[柏レイソル|柏]])、[[増山朝陽]]([[ヴィッセル神戸|神戸]])、[[松本泰志 (サッカー選手)|松本泰志]]([[サンフレッチェ広島F.C|広島]])、[[遠野大弥]]([[川崎フロンターレ|川崎]])がそれぞれのクラブに復帰するなど計12人が退団。一方、補強面では[[宮大樹]]([[サガン鳥栖|鳥栖]])、[[志知孝明]]([[横浜FC]])、[[杉本太郎]]([[松本山雅FC|松本]])、[[ジョルディ・クルークス]]([[エールステ・ディヴィジ|オランダ2部]]・[[ローダJC]])、[[カウエ・セシリオ・ダ・シルバ|カウエ]]([[プリメイラ・リーガ|ポルトガル1部]]・[[ベレネンセスSAD]])、[[渡大生]]([[大分トリニータ|大分]])、[[吉岡雅和]]([[V・ファーレン長崎|長崎]])、[[金森健志]](鳥栖)を完全移籍で、[[永石拓海]]([[セレッソ大阪|C大阪]])、[[奈良竜樹]]([[鹿島アントラーズ|鹿島]])、[[ブルーノ・ペレイラ・メンデス|ブルーノ・メンデス]]([[プリメーラ・ディビシオン (ウルグアイ)|ウルグアイ1部]]・[[デポルティーボ・マルドナド]])、[[ジョン・マリ]]([[中国サッカー・スーパーリーグ|中国1部]]・[[深圳市足球倶楽部]])を期限付き移籍で獲得した。また前年期限付き移籍で加入していた[[エミル・サロモンソン]]はそのまま完全移籍した。シーズン中、[[甲南大学体育会サッカー部|甲南大学]]から翌年加入予定の[[井上聖也]]がJFA・Jリーグ特別指定選手として加入する一方、[[三國ケネディエブス]]と[[桑原海人]]の二人がそれぞれ[[栃木SC|栃木]]と[[レノファ山口FC|山口]]に育成型期限付き移籍。夏の移籍期間には[[中村駿 (1994年生のサッカー選手)|中村駿]]([[湘南ベルマーレ|湘南]])を完全移籍で獲得した。 :J1リーグは開幕3試合無勝利で迎えた第4節[[徳島ヴォルティス|徳島]]戦でシーズン初勝利を挙げた。その後もJ1ではクラブ新記録となる6連勝を達成、第14節終了時点では順位を5位まで上げることに成功した。しかし5月26日の第16節横浜FC戦から8月9日の第23節広島戦まで5連敗を含む2分5敗と大ブレーキがかかってしまい、順位も11位まで下げた。8月15日の第24節C大阪戦で約2か月半ぶりの勝利を収めると、その後は再び上昇傾向に転じ、8月25日の川崎戦ではクルークスの得点で1-0で勝利し、前年度J1王者にシーズン初の土を付けることに成功した。9月の[[九州ダービー]]では鳥栖に3-0で圧勝。その後、自力で残留を決められる可能性があった10月16日の第32節神戸戦では敗れてしまったものの、他会場の結果を受けて残留が確定した。これにより[[2001年のJリーグ ディビジョン1|2001年]]に初めてJ2に降格して以降、5年周期で続いていた「J1に昇格した翌年、必ずJ2に降格する」という負のジンクスを終わらせた<ref>{{cite news|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202110160001196.html|title=福岡「5年周期」断ち切りJ1残留決定「通過点」長谷部監督|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2021-10-16|accessdate=2021-11-21}}</ref>。最終節、アウェーで勝点差1に迫る[[FC東京]]との直接対決に引き分け、クラブ史上最高順位となるJ1年間8位でシーズンを終了した。 :[[2021年のJリーグカップ|ルヴァンカップ]]はグループステージ敗退、[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は3回戦で鳥栖に敗れた。 ;2022年 :長谷部体制3年目。カウエが契約満了、ブルーノ・メンデスは期限付き移籍満了、エミル・サロモンソンが[[IFKヨーテボリ]]([[アルスヴェンスカン|スウェーデン1部]])、[[カルロス・グティエレス]]が栃木、吉岡雅和が山口へそれぞれ完全移籍のため退団。一方、永石拓海と奈良竜樹が完全移籍へ移行、[[前嶋洋太]](横浜FC)、[[2021年のJ2リーグ|前年J2]]得点王の[[ルキアン・アラウージョ・デ・アルメイダ|ルキアン]](磐田)、東福岡高校出身の[[熊本雄太]](山形)、アビスパ福岡U-15出身の[[田中達也 (1992年生のサッカー選手)|田中達也]](浦和)らを完全移籍で獲得、前年特別指定選手だった井上聖也(甲南大学)が正式加入。 :失点こそ優勝した横浜FMより3点多いリーグ3位の38失点にとどめる堅守だったものの、J1リーグ戦全34試合中半分の17試合が無得点であったことに象徴されるように得点力不足に苦しみ、チーム得点王の[[山岸祐也]]は10得点を挙げたものの、次に得点の多い[[フアンマ・デルガド]]、ジョルディ・クルークスでも4得点、得点を挙げた選手がそれら3選手を含めて10人しかおらず、総得点は同年のJ1リーグ18チームで唯一30を下回る29(うち相手オウンゴール1)。第15節から5戦連続(2分3敗)、第22節からは8戦連続(2分6敗)勝利なしで、変則日程により第30節前時点で一旦J2自動降格圏の17位まで落ちたものの、最終5戦を3勝1分1敗で終え、9勝11分14敗勝点38の14位で、2年連続のJ1残留を決めた。 :一方、[[天皇杯 JFA 第102回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では準々決勝、[[2022年のJリーグカップ|ルヴァンカップ]]では準決勝にそれぞれ進出、いずれもクラブ過去最高成績を残したものの、天皇杯ではJ2甲府、ルヴァンカップでは広島と、いずれも優勝を果たしたクラブに敗れた。 ;2023年 :長谷部体制4年目。[[輪湖直樹]]、[[杉山力裕]]が現役引退、[[北島祐二]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]に期限付き移籍、桑原海人が[[鈴鹿ポイントゲッターズ]]、熊本雄太が山形、ジョン・マリが[[チャイクル・リゼスポル]]([[TFF1.リグ|トルコ2部]])、ジョルディ・クルークスがC大阪、[[東家聡樹]]が[[高知ユナイテッドSC]]、渡大生が徳島、フアンマ・デルガドが長崎、志知孝明がサンフレッチェ広島へそれぞれ完全移籍。一方で[[鶴野怜樹]]が特別指定選手から正式加入。FC東京から[[紺野和也]]、東京Vから[[佐藤凌我]]、鹿島から[[小田逸稀]]、横浜FCから[[亀川諒史]]、湘南から[[ウェリントン・ルイス・デ・ソウザ|ウェリントン]]、[[いわきFC|いわき]]から[[坂田大樹]]を完全移籍、[[スコティッシュ・プレミアシップ|スコットランド1部]]・[[セルティックFC]]から[[井手口陽介]]を期限付き移籍でそれぞれ獲得した。シーズン途中には[[田代雅也]]が鳥栖から完全移籍で加入した。 :[[2023年のJリーグカップ|ルヴァンカップ]]ではグループステージDグループを鹿島、新潟、柏相手に首位で通過、プライムステージも準々決勝でFC東京を逆転で下し、準決勝名古屋には2戦合計2-0で勝利し、初の決勝進出を決める。そして11月4日、[[国立競技場]]で行われた[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]との決勝戦では前半に上げた2点を守り抜き2-1で勝利、クラブ史上初となるタイトルを獲得した<ref>{{Cite news|url=https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/levain-final-fukuoka-urawa-20231104/bltae3040a37817e5b5|title=福岡がルヴァンカップ初優勝!浦和を下し、クラブ史上初のタイトルを獲得|newspaper=[[Goal.com]]|date=2023-11-04|accessdate=2023-11-04}}</ref>。 :[[天皇杯 JFA 第103回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は準決勝で川崎に2-4で敗れたが、こちらもクラブ史上最高成績となるベスト4進出を果たしている。 :J1リーグでは過去最高を更新する7位で終えた。 ;2024年 :長谷部体制5年目。Jリーグ加盟後同一の監督が連続4年を超えて指揮するのはクラブ史上初となった。 :[[田邉草民]]が引退、[[山ノ井拓己]]が[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ、[[三國ケネディエブス]]と[[山岸祐也]]が[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]へいずれも完全移籍。一方北島祐二が期限付き移籍から復帰、鳥栖から[[岩崎悠人]]、清水から[[松岡大起]]が完全移籍し、前年から特別指定選手として[[福岡大学サッカー部|福岡大]]から加入していた[[重見柾斗]]が正式に加入。 == 成績 == {{Main|アビスパ福岡の年度別成績一覧}} == タイトル == === 国内タイトル === *'''[[Jリーグカップ]]:1回''' ** [[2023年のJリーグカップ|2023]] === その他タイトル === * '''[[ジャパンフットボールリーグ]]''':1回 ** [[第4回ジャパンフットボールリーグ|1995]] === 個人別 === * [[J1リーグ]] ** 優秀新人賞 *** [[2006年のJリーグ ディビジョン1|2006年]]:[[中村北斗]] **[[月間MVP (日本プロサッカーリーグ)|月間MVP]] *** 2023年9月:[[紺野和也]] ** 月間ベストゴール *** [[2016年のJ1リーグ|2016年]]6月:[[金森健志]] *** [[2021年のJ1リーグ|2021年]]4月:[[前寛之]] ** 月間優秀監督賞 *** 2023年7月:[[長谷部茂利]] *** 2023年9月:長谷部茂利 * [[J2リーグ]] ** 月間MVP *** [[2014年のJリーグ ディビジョン2|2014年]]6月:金森健志 *** [[2015年のJ2リーグ|2015年]]11月:[[ウェリントン・ルイス・デ・ソウザ|ウェリントン]] *** [[2017年のJ2リーグ|2017年]]5月:ウェリントン *** [[2020年のJ2リーグ|2020年]]9月:[[上島拓巳]] *** 2020年12月:[[遠野大弥]] ** 月間優秀監督賞 *** 2020年9月:長谷部茂利 * Jリーグカップ ** MVP *** 2023年:前寛之 * ジャパンフットボールリーグ ** ベストイレブン *** 1995年:[[梅山修]]、[[磯田由和]]、[[永井篤志]]、[[ペドロ・トログリオ]]、[[宮村正志]]、[[ウーゴ・マラドーナ]] ** 新人王 *** 1995年:永井篤志 ** ベストGK賞 *** 1995年:[[佐野友昭]] === ハットトリック === {| class="wikitable" style="border:solid 3px #009CA7; box-shadow:4px 4px 4px #8B8D8F;" |- style="text-align:center; background-color:#00205C; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |リーグ||得点数||選手名||開催日||対戦クラブ||スタジアム||得点時間 |- |[[J1リーグ|J1]]||3得点||[[ダビド・ビスコンティ|ビスコンティ]]||2000年11月18日(2nd第13節)||[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]]||[[市原緑地運動公園臨海競技場|市原臨海]]||{{goal|12||44||82}} |- |rowspan="3"|[[J2リーグ|J2]]||rowspan="3"|3得点||[[江口倫司]]||2002年7月24日(第20節)||[[セレッソ大阪]]||rowspan="2"|[[東平尾公園博多の森球技場|博多球]]||{{goal|19||28||29}} |- |[[宮崎光平]]||2003年5月31日(第15節)||[[サガン鳥栖]]||{{goal|19||39||80}} |- |[[アレックス・アントニオ・デ・メロ・サントス|アレックス]]||2007年7月25日(第30節)||[[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]]||[[群馬県立敷島公園県営陸上競技場|群馬陸]]||{{goal|11||31||34}} |- |rowspan="2"|[[ジャパンフットボールリーグ|旧JFL]]||rowspan="2"|3得点||rowspan="2"|[[ウーゴ・マラドーナ]]||1995年5月7日(第1節)||[[福島FC]]||rowspan="2"|[[平和台陸上競技場|平和台]]||{{goal|36||55||68}} |- |1995年6月11日(第7節)||[[NTT関東サッカー部]]||{{goal|15||40||70}} |- |} == スタジアム == [[ファイル:雁の巣レクリエーションセンター球技場.jpg|thumb|right|250px|雁の巣レクリエーションセンター球技場]] ホームスタジアムは福岡市[[博多区]]の[[東平尾公園]]内にある[[東平尾公園博多の森球技場]](命名権名称:ベスト電器スタジアム)。 2008年以降のリーグ公式戦は全て同競技場で開催しているが、同競技場が[[ラグビーワールドカップ2019]]の会場の一つとなったことから、これに向けての改修工事のため2017年11月26日の[[J1昇格プレーオフ#2017年|J1昇格プレーオフ]]準決勝は[[熊本県民総合運動公園陸上競技場]](命名権名称:えがお健康スタジアム)で開催した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-14501|title=2017 J1昇格プレーオフ 出場決定 11/26(日) 準決勝 チケット販売について|publisher=アビスパ福岡|date=2017-11-15|accessdate=2017-11-23}}</ref>ほか、[[2019年のJ2リーグ|2019年のリーグ戦]]では[[東平尾公園博多の森陸上競技場]]をホームスタジアムとして併用する<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-21929|title=2019明治安田生命J2リーグ 開幕カード決定!!|publisher=アビスパ福岡|date=2019-01-11|accessdate=2019-03-10}}</ref>。 なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「[[アビスパ福岡の年度別成績一覧#年度別入場者数]]」を参照のこと。 練習場は福岡市[[東区 (福岡市)|東区]]の[[福岡市雁の巣レクリエーションセンター球技場]]である。 == スタジアムDJ == * [[信川竜太]](1996年 - ) ;信川不在時 * [[EIJI (ディスクジョッキー)|EIJI]] * MAX - [[九州国際エフエム|LOVE FM]]AJ。(2008年) * [[Honey (タレント)|honey]] - [[CROSS FM]]ナビゲーター。 * [[TOM G]](2022年3月2日) == マスコットキャラクター == * アビー<ref name="jleague"/> * ビビー<ref name="jleague"/>(2000年2月27日「選手激励のつどい」にて初披露目) {{Main|アビー (アビスパ福岡)}} == ユニフォーム == {| style="margin-left:16px; float:right;" |- | {| class="wikitable" style="text-align:center" |+ style="font-size:120%; font-weight:bold;"|ユニフォームの色 |- ! style="background-color:#efefef;" |カラー ! style="background-color:#efefef;" |シャツ ! style="background-color:#efefef;" |パンツ ! style="background-color:#efefef;" |ストッキング |- |FP(1st) |ネイビー |ネイビー |ネイビー |- |FP(2nd) |シルバー |シルバー |シルバー |- |FP(3rd) |ネイビー×シルバー |ネイビー |ネイビー |- |GK(1st) |サンセットレッド |サンセットレッド |サンセットレッド |- |GK(2nd) |ネイビー |ネイビー |ネイビー |- |GK(3rd) |グリーン |グリーン |グリーン |} |- | class="toccolours" style="padding:0; text-align:center;" colspan="2"| {| style="width:100%; text-align:center;" |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = _Avispa Fukuoka 2021 HOME FP| pattern_b = _Avispa Fukuoka 2023 HOME FP| pattern_ra = _Avispa Fukuoka 2021 HOME FP| pattern_sh = _Avispa Fukuoka 2020 HOME FP| pattern_so = _Avispa Fukuoka 2020 HOME FP | 左袖 = 000021 | 胴 = 000021 | 右袖 = 000021 | パンツ = 000021 | ストキング = 000021 | 種別 = FP 1st }} |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = _Avispa Fukuoka 2020 AWAY FP| pattern_b = _Avispa Fukuoka 2023 AWAY FP| pattern_ra = _Avispa Fukuoka 2020 AWAY FP| pattern_sh = _Avispa Fukuoka 2020 AWAY FP| pattern_so = _Avispa Fukuoka 2020 AWAY FP | 左袖 = D9D9D9 | 胴 = D9D9D9 | 右袖 = D9D9D9 | パンツ = D9D9D9 | ストキング = D9D9D9 | 種別 = FP 2nd }} |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = _Avispa Fukuoka 2021 HOME FP| pattern_b = _Avispa Fukuoka 2023 3rd FP| pattern_ra = _Avispa Fukuoka 2021 HOME FP| pattern_sh = _Avispa Fukuoka 2020 HOME FP| pattern_so = _Avispa Fukuoka 2020 HOME FP | 左袖 = 000021 | 胴 = 000021 | 右袖 = 000021 | パンツ = 000021 | ストキング = 000021 | 種別 = FP 3rd }} |} |- | class="toccolours" style="padding:0; text-align:center;" colspan="2"| {| style="width:100%; text-align:center;" |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = | pattern_b = | pattern_ra = | pattern_sh = | pattern_so = | 左袖 = D4161C | 胴 = D4161C | 右袖 = D4161C | パンツ = D4161C | ストキング = D4161C | 種別 = GK 1st }} |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = | pattern_b = | pattern_ra = | pattern_sh = _| pattern_so = | 左袖 = 0D1635 | 胴 = 020321 | 右袖 = 0D1635 | パンツ = 020321 | ストキング = 020321 | 種別 = GK 2nd }} |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = | pattern_b = | pattern_ra = | pattern_sh = | pattern_so = | 左袖 = 478D37 | 胴 = 478D37 | 右袖 = 478D37 | パンツ = 478D37 | ストキング = 478D37 | 種別 = GK 3rd }} |} |} === クラブカラー === * {{color box|#00205C}} ネイビー<ref name="jleague"/> * {{color box|#009CA7}} ブルーベールダンス<ref name="jleague"/> * {{color box|#8B8D8F}} シルバー<ref name="jleague"/> 2003年までは1stユニフォームがシルバー、2ndユニフォームがネイビーブルーであったが、2004年からは[[アビスパ福岡#2002年 - 2005年(J2)|前述]]のサポーターのアンケート結果を受けて、1stユニフォームがネイビーブルー、2ndユニフォームがシルバーに変更された。クラブカラーについてもメインカラーがネイビーブルーと定められていたが、2020年にクラブとサポーターとの間でカラーに対して意識の隔たりがあった事を理由として、メインカラーをネイビー(カラーコード:PANTONE281C)に変更した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-28122|title=クラブのメインカラーについて|publisher=アビスパ福岡|date=2019-12-23|accessdate=2020-02-22}}</ref>。 === 限定ユニフォーム === ;2015年 * 1996年のJリーグ加盟から20周年目のシーズンを迎えた事を踏まえ「20周年記念ユニフォーム」を制作。デザインは事前にファン・サポーターから公募した結果<ref>{{Cite web|和書|url=https://qoly.jp/2015/05/16/avispa-fukuoka-20th-anniversary-kit|title=アビスパ福岡が「20周年記念ユニフォーム」のアイデアを急募!|publisher=Qoly|date=2015-05-16|accessdate=2018-10-02}}</ref>、J加盟初年度のユニフォームをベースにしたデザインに決まった。白地に縦ストライプ柄が入り、差し色の一部には前身・[[中央防犯サッカー部|中央防犯FC藤枝ブルックス]]のクラブカラーであった藤色も使用された。クラブ創設20周年記念試合となる9月20日の第32節[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]戦で着用した<ref>{{Cite web|和書|url=https://qoly.jp/2015/06/24/avispa-fukuoka-2015-athleta-20th-anniversary-kit|title=アビスパ福岡、20周年記念ユニフォームは懐かしのデザイン|publisher=Qoly|date=2015-06-24|accessdate=2018-10-02}}</ref>。 ;2017年 * 「2017ハチ祭り記念ユニフォーム」と題して制作。前身「福岡ブルックス」のユニフォームデザインをベースに、ネイビーとイエローのボーダー柄でクラブ名の由来である「蜂」をイメージしたデザインに仕上げられた。8月27日のJ2第30節[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦で着用した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-12724|title=2017ハチ祭り記念ユニフォームの着用およびレプリカユニフォーム販売のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2017-08-14|accessdate=2018-10-02}}</ref>。 ;2018年 * 「2018ハチ祭り記念ユニフォーム」と題して制作。「ビクトリー」のコンセプトもと、同シーズンの目標であるJ2優勝・J1昇格を胸のVラインで表現した。濃紺をベースに伝統のストライプで仕上げられたデザインは、ファン・サポーターの深い愛、太い束となって上昇するクラブ、ビクトリーの先にもつながる未来を表している<ref name="avispa180711">{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/goods/post-18678|title=2018ハチ祭り記念ユニフォームの着用およびレプリカユニフォーム販売のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2018-07-11|accessdate=2018-10-02}}</ref>。着用試合は当初の発表では8月11日の第28節水戸戦のみの予定であったが<ref name="avispa180711"/>、同試合を勝利し、多くのファン・サポーターからリクエストされた事を受け、9月1日の第31節[[大分トリニータ|大分]]戦でも着用した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-19559|title=9/1(土)バトルオブ九州 大分戦 2018ハチ祭り記念ユニフォームの着用試合追加日程のお知らせ ハチユニ&スティックバルーンで応援しよう!|publisher=アビスパ福岡|date=2017-08-17|accessdate=2018-10-02}}</ref>。大分戦でも勝利した事もあり、その後着用試合を9月の全ホームゲームに拡大した他<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-19923|title=9月のホームゲームは「ハチユニ」で勝利をつかみ取ろう! 2018ハチ祭り記念ユニフォームの着用試合追加日程のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2017-09-07|accessdate=2018-10-02}}</ref>、関東在住のサポーターからの要望を受けて、アウェー・[[フクダ電子アリーナ]]で行われた9月16日の第33節[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]戦でも着用した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-20173|title=9/16(日)アウェイ千葉戦 2018ハチ祭り記念ユニフォームの着用試合追加日程のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2017-09-14|accessdate=2018-10-02}}</ref>。 ;2019年 * 「2019ハチ祭り記念ユニフォーム」と題して制作。FP用にはネイビーブルーを、GK用にはグリーンをベースカラーに採用した。福岡県内の市町村を迷彩で表現し、福岡県内外からアビスパを応援するファン・サポーターに対する繋がりや彼らからの支援に対する感謝の気持ちが込められている。8月のホームゲーム3試合(4日[[横浜FC]]戦、17日[[徳島ヴォルティス|徳島]]戦、31日[[愛媛FC|愛媛]]戦)と最終節[[鹿児島ユナイテッドFC|鹿児島]]戦で着用した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/goods/post-25006|title=2019ハチ祭り記念ユニフォームの着用 および記念ユニフォーム販売のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2019-07-10|accessdate=2021-01-04}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-27759|title=11/24(日) 鹿児島ユナイテッドFC戦  グッズ販売のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2019-11-22|accessdate=2021-01-04}}</ref>。 ;2020年 * 1995年のクラブ創設から25周年を迎えた事を踏まえ「25周年記念ユニフォーム」を制作。福岡移転初年度(1995年)に旧JFLを優勝した福岡ブルックス時代のユニフォームをオマージュしたデザイン。FP用にはブルーヴェールダンスを、GK用には黒をベースカラーに使用し、2020年ユニフォームのストライプ柄がデザインされている。9月中旬から10月にかけてのホームゲーム5試合(9月13日[[FC町田ゼルビア|町田]]戦、23日[[ザスパクサツ群馬|群馬]]戦、30日[[栃木SC|栃木]]戦、10月4日[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]戦、25日千葉戦)で着用した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-31722|title=25周年記念ユニフォームの着用および記念ユニフォーム販売のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2020-08-07|accessdate=2021-01-04}}</ref>。 ;2021年 * 永遠や発展などを意味し縁起の良い柄と言われる[[市松模様]]がデザインされた「2021スペシャルユニフォーム」を制作。ユニフォームカラーにはネイビーとブルーヴェールダンスを採用した。9月25日の第30節[[サガン鳥栖|鳥栖]]戦、10月2日の[[清水エスパルス|清水]]戦、11月3日の大分戦のホームゲーム3試合を「勝負の秋の陣」と銘打ち、5年ごとにJ1に昇格し、1年でJ2に降格する所謂、"5年周期"の「ジンクス」を打破してJ1で戦い続けるクラブとなり、ファン・サポーターに愛され、伝統あるクラブへ永遠に発展し続けるという決意が込められている<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/goods/post-40039|title=ジンクスを打ち破れ!!【勝負の秋の陣】「2021スペシャルユニフォーム」着用試合および販売のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2021-05-09|accessdate=2023-11-09}}</ref>。 ;2022年 * 前年に続いて「2022スペシャルユニフォーム」を制作。ユニフォームスポンサー7社、ユニフォームサプライヤーの[[ヨネックス]]およびアビスパのエンブレムを白で統一することで一体感を表した。アビスパのロゴから切り取った「A」をユニフォームの前面・背面に大きく配置したデザインにすることで、アビスパが強豪クラブへと大きく成長する志・覚悟を表すとともに、これまでのアビスパの歴史をベースにこれまでのアビスパとは違う新たな魅力を表現したいとの想いが込められている。またユニフォームカラーには、アビスパのクラブカラーであり「[[勝色]]」とも呼ばれる濃紺を採用、アビスパの前身・中央防犯FC藤枝ブルックスを表す藤色も採用する事で、「勝利への想い」と「レガシーへのリスペクト」を表現した。9月17日の第30節清水戦と10月1日の第31節[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦のホームゲーム2試合で着用した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/goods/post-49767|title=2022スペシャルユニフォーム 試合着用および受注販売開始のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2022-04-28|accessdate=2023-11-09}}</ref>。 ;2023年 * 過去2年に引き続き「2023スペシャルユニフォーム」を制作。「躍進・革新を続けるアビスパの明るい未来」をコンセプトに、2001年から2002年にかけて使用されたユニフォームをオマージュしたデザイン・カラーを採用、当時のユニフォームに倣い、ユニフォーム掲出ロゴの色も統一されている。「レガシーへのリスペクト」として、中央防犯FC藤枝ブルックスを表す藤色も前年に引き続き採用されている。9月16日の第27節[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]戦、9月30日の第29節[[鹿島アントラーズ|鹿島]]戦、10月28日の第31節[[横浜F・マリノス|横浜FM]]戦のホームゲーム3試合で着用した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-61174|title=2023スペシャルユニフォーム 試合着用および受注販売開始のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2023-04-28|accessdate=2023-11-09}}</ref>。 === ユニフォームスポンサー === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:solid 3px #009CA7; box-shadow:4px 4px 4px #8B8D8F;" |- style="background-color:#00205C; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考 |- !胸 |[[新日本製薬]]||新日本製薬||2021年 - ||2018年 - 2020年は背中上部 |- !rowspan="2"|鎖骨 |[https://www.hakata-green.co.jp/ 博多グリーンホテル]||{{smaller|HAKATA}}<br/>GREEN<br/>HOTEL<br/>(通常)<br/>{{smaller|HAKATA}}<br/>GREEN HOTEL<br/>(SP)||2018年 - ||左側に表記 |- |[[エイジェック]]||エイジェック||2023年 - || |- !背中上部 |[[DMM.com]]||[[DMM TV]]||2021年<br/>2023年 - ||2022年は鎖骨右側<br/>2021年 - 2022年は「DMMほけん」表記 |- !背中下部 |無し||-||-|| |- !袖 |[[ふくや]]||{{smaller|味の明太子<br/>博多中洲}} ふくや<br/>{{smaller|WITH ALL SUPPORTERS}}||2011年7月 - 2021年<br/>2023年 - ||2011年7月 - 2012年は「{{smaller|味の明太子 博多中洲}} ふくや」表記 |- !パンツ前面 |[[ピエトロ (福岡県)|ピエトロ]]||ピエトロ||2020年 - ||2017年 - 2019年は背中下部 |- !パンツ背面 |無し||-||-|| |} === ユニフォームサプライヤーの遍歴 === * 1995年:[[アドミラルフットウェア|アドミラル]] * 1996年:リーグ戦は[[ミズノ]]、カップ戦はアドミラル * 1997年 - 2010年:ミズノ * 2011年 - 2014年:[[SVOLME|スボルメ]] * 2015年 - 2017年:[[アスレタ]] * 2018年 - 現在:[[ヨネックス]]<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.avispa.co.jp/news/post-15267|title=『ヨネックス株式会社』様との オフィシャルユニフォームサプライヤー契約締結のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2018-01-05|accessdate=2018-01-07}}</ref> === 歴代ユニフォーム === {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:solid 3px #009CA7; font-size:smaller; box-shadow:4px 4px 4px #8B8D8F;" |- style="text-align:center; background-color:#00205C; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |colspan=5|FP 1st |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Avispa Fukuoka 1996 HOME FP|pattern_b= _Avispa Fukuoka 1996 HOME FP|pattern_ra= _Avispa Fukuoka 1996 HOME FP|pattern_sh= _Avispa Fukuoka 1996 HOME FP|pattern_so= _Avispa Fukuoka 1996 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=F0F0F8|title={{Center|1996 - 1998}}}} |{{Football kit|filetype=png 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|1999||rowspan="3"|[[三洋信販]]||rowspan="4"|[[リコー|RICOH]] |- |2000 |- |2001||rowspan="7"|[[ジョージア (缶コーヒー)|{{smaller|Enjoy}}<br/>GEORGIA]] |- |2002||rowspan="6"|[[三洋信販|ポケットバンク]] |- |2003||- |- |2004||rowspan="4"|[[九州電力]] |- |2005||[[ジュピターテレコム|J:COM]] |- |2006||rowspan="2"|[[ゼンリン]] |- |2007 |- |2008||-||[https://www.accessjpn.co.jp/ アクセス・ジャパン]||rowspan="3"|[[コマーシャル・アールイー|.R<br/>{{smaller|ドッとあ~る}}]]||rowspan="4"|[[九州電力]] |- |2009||rowspan="3"|[[エバーライフ|{{smaller|everlife}} 皇潤]]||rowspan="2"|[https://www.odyssey-com.co.jp/index.html Odyssey<br/>{{smaller|Communications}}] |- |2010 |- |2011||- / <br/>[[西日本新聞社|西日本新聞]]||- / <br/>[[ふくや|{{smaller|味の明太子<br/>博多中洲}} ふくや]]||rowspan="4"|[[SVOLME|svolme]] |- |2012||- / <br/>[[西鉄グループ|Nishitetsu Group]]||rowspan="2"|-||rowspan="2"|[[ふくや|{{smaller|味の明太子<br/>博多中洲}} ふくや]]||rowspan="2"|[[西日本新聞社|西日本新聞]] |- |2013||[[西鉄グループ|Nishitetsu Group]] |- |2014||-||rowspan="2"|[https://www.b-minded.com/ Broad-minded]||rowspan="8"|[[ふくや|{{smaller|味の明太子<br/>博多中洲}} ふくや<br/>{{smaller|WITH ALL SUPPORTERS}}]]||[https://www.itoking.jp/ {{smaller|福岡県 糸島産あまおう苺 加工販売所}}<br/>伊都きんぐ] |- |2015||rowspan="6"|[[福岡地所|Fj.<br/>福岡地所]]||[https://www.itoking.jp/ 伊都きんぐ]||rowspan="3"|[[アスレタ|ATHLETA]] |- |2016||[http://www.as-communications.co.jp/ Toppa!]||[http://e-ehp.com/index.html E保険]||rowspan="4"|[https://www.bikentechno.co.jp/ BIKEN<br/>TECHNO] |- |2017||[http://www.as-communications.co.jp/ プレモバ<br/>{{smaller|Premiere Mobile}}]||rowspan="3"|[[ピエトロ (福岡県)|ピエトロ]] |- |2018||rowspan="4"|[https://www.hakata-green.co.jp/ {{smaller|HAKATA}}<br/>GREEN<br/>HOTEL]||rowspan="3"|-||rowspan="3"|[[新日本製薬]]||rowspan="6"|[[ヨネックス|YONEX]] |- |2019 |- |2020||[https://yupiesu.com/ プランテルEX]||rowspan="4"|[[ピエトロ (福岡県)|ピエトロ]]|||- |- |2021||rowspan="3"|[[新日本製薬]]||[[日本パーク]]||[[DMM.com|DMMほけん]]||rowspan="2"|[https://yupiesu.com/ ユーピーエス]||- /<br/>[https://www.bybit.com/ja-JP/ BYBIT] |- |2022||[[DMM.com|DMMほけん]]||rowspan="2"|[https://www.hakata-green.co.jp/ {{smaller|HAKATA}}<br/>GREEN<br/>HOTEL<br/>(通常)<br/>{{smaller|HAKATA}}<br/>GREEN HOTEL<br/>(SP)]||[https://www.bybit.com/ja-JP/ BYBIT]||[[キリンビバレッジ|KIRIN<br/>キリンビバレッジ]]||rowspan="2"|- |- |2023||[[エイジェック]]||[[DMM TV]]||-||[[ふくや|{{smaller|味の明太子<br/>博多中洲}} ふくや<br/>{{smaller|WITH ALL SUPPORTERS}}]] |} == スポンサー == {{Main2|スポンサーについては、[https://www.avispa.co.jp/sponsor スポンサー一覧] を}} == アカデミー == {{節スタブ|2017年7月}} * アビスパ福岡U-18 * アビスパ福岡U-15 * アビスパ福岡U-14 * アビスパ福岡U-13 === タイトル === '''U-18''' * [[高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ九州]]:2010年 '''U-15''' * [[九州ユース (U-15)サッカーリーグ]]:2010年、2011年 == 問題・トラブル == === 李官雨入団問題 === [[1999年]]11月に、[[大韓民国|韓国]]の[[漢陽大学校]]に所属していた[[李官雨]](当時[[U-23サッカー大韓民国代表|韓国五輪代表]])の獲得を発表したが、[[Kリーグ1|Kリーグ]]からドラフト規約違反と反発があったため、入団契約を解除した。{{Main|李官雨#来歴}} === 主力温存(Jリーグ規定)問題 === [[2000年のJリーグカップ]]予選・[[湘南ベルマーレ]]戦([[4月12日]])で、アビスパは主力を温存し、若手・中堅選手が中心となって出場し、「最強メンバーで試合を戦うこと」というリーグ規定に反するのではないかということで問題になったものの、試合は勝利を収めた。{{Main|ネストール・オマール・ピッコリ#ピッコリ事件}} === 経営問題 === 福岡移転後から、1998年に福岡市が4億円の増資引き受けと最大9億円の融資を拠出、2006年には資本金34億円の99%[[減資]]と大株主からの追加支援を受ける<ref name="sankei20131228">{{Cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/131228/fkk13122802050000-n1.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131227222743/http://sankei.jp.msn.com/region/news/131228/fkk13122802050000-n1.htm|title=再生なるか?アビスパ福岡 課題は脱・有力企業頼み…|newspaper=[[MSN産経ニュース]]|date=2013-12-28|archivedate=2013-12-27|accessdate=2017-10-20}}</ref> など、慢性的な赤字体質が続いていた。そんな中、ユニフォームの胸スポンサー(「[[ジョージア (缶コーヒー)|GEORGIA]]」のロゴを掲出)であった筆頭株主の[[北九州コカ・コーラボトリング]]→[[コカ・コーラウエストジャパン]](CCWJ、[[リコー三愛グループ]])が2007年シーズンを最後にユニフォームスポンサーを撤退<ref>{{Cite news|url=http://kyusyu.nikkansports.com/soccer/jleague/avispa/p-ka-tp0-20071122-286158.html|title=福岡胸スポンサー「GEORGIA」撤退|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2007-11-22|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110816131750/http://kyusyu.nikkansports.com/soccer/jleague/avispa/p-ka-tp0-20071122-286158.html|archivedate=2011-08-16|accessdate=2014-11-08}}</ref>。その他のユニフォームスポンサーもすべて交替となったが、胸スポンサーだけは後継が埋まらず([[#歴代ユニフォームスポンサー表記]]も参照)、経営問題がクローズアップされることになる。 2008年6月、[[パチスロ]]機メーカーの[[大都技研]]がクラブに資本参加し、ユニフォームスポンサーとなると報道された<ref>{{Cite news|url=http://kyushu.yomiuri.co.jp/sports/soccer/j_league/20080605-OYS1T00231.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080608090557/http://kyushu.yomiuri.co.jp/sports/soccer/j_league/20080605-OYS1T00231.htm|title=サッカー・J2福岡に遊技機メーカー「大都技研」が資本参加へ|newspaper=[[読売新聞]]|date=2008-06-05|archivedate=2008-06-08|accessdate=2014-11-08}}</ref>。同社の関連会社がパチンコホール経営を行っていることなどを理由に一時Jリーグ側が難色を示した<ref>{{Cite news|url=http://kyushu.yomiuri.co.jp/sports/soccer/j_league/20080607-OYS1T00177.htm|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080612073618/http://kyushu.yomiuri.co.jp/sports/soccer/j_league/20080607-OYS1T00177.htm|title=J2福岡への大都技研出資、自粛対象業種とリーグ難色|newspaper=[[読売新聞]]|date=2008-06-07|archivedate=2008-06-12|accessdate=2014-11-08}}</ref>が、同年9月に正式に同社の資本参加が発表された<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.daitogiken.com/contents/company/news/news_080925_01.pdf|title=Jリーグ アビスパ福岡への資本参加について|format=[[Portable Document Format|PDF]]|publisher=[[大都技研]]|date=2008-09-25|accessdate=2023-11-09}}{{リンク切れ|date=2023年11月}}</ref>。ただし、ユニフォームスポンサーとしての参加は見送られた。 2009年シーズンはパンツの[[九州電力]]以外のユニフォームスポンサーが無い状態でシーズンに突入するという異常事態となった<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/sports/update/0207/SEB200902070019.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090208161556/http://www.asahi.com/sports/update/0207/SEB200902070019.html|title=J2アビスパ、ユニホーム広告なしの非常事態に|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2009-02-07|archivedate=2009-02-08|accessdate=2023-11-09}}</ref>。袖スポンサーは開幕節前日の3月6日にCREレジデンシャルに決定した<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.avispa.co.jp/release/news/topic0903.html#tag10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090328153218/http://www.avispa.co.jp/release/news/topic0903.html#tag10|title=ユニフォームスポンサー(左袖)契約締結のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2009-03-06|archivedate=2009-03-28|accessdate=2023-11-09}}</ref>ものの、胸スポンサー及び背中スポンサーはリーグが開幕した後も決定しなかった(その後、3月27日に[[エバーライフ]]が胸スポンサーに、4月10日にオデッセイコミュニケーションズが背中スポンサーに決定した<ref>{{Cite news|url=https://web.gekisaka.jp/news/jleague/detail/?51540-32766-fl|title=福岡の胸スポンサー決まる|newspaper=ゲキサカ|date=2009-03-28|accessdate=2023-11-09}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.avispa.co.jp/release/news/topic0904.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090430092050/http://www.avispa.co.jp/release/news/topic0904.html|title=『株式会社 オデッセイ コミュニケーションズ』 様 ユニフォーム(背中)スポンサー決定のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2009-04-10|archivedate=2009-04-10|accessdate=2023-11-09}}</ref>)。2010年には[[電通]]出身の大塚唯史が社長に就任、大口スポンサー頼みの企業体質からの脱却を図るべく広告スポンサー数を約90社から約150社にまで増やし<ref name="sankei20131228"/>、経営問題に改善の傾向が見られたかに思われた。 しかし2013年、2014年度の[[Jリーグクラブライセンス制度|Jリーグクラブライセンス]]で経営状態について「是正通達」より一段階軽い「個別通知」の付帯付きのJ1ライセンスが交付された<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.j-league.or.jp/release/000/00005359.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131002031814/https://www.j-league.or.jp/release/000/00005359.html|title=クラブライセンス交付第一審機関(FIB)による 2014シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について|publisher=日本プロサッカーリーグ|date=2013-09-30|archivedate=2013-10-02|accessdate=2013-10-16}}</ref>直後の10月15日に、地元紙の[[西日本新聞]]([[西日本スポーツ]])が、アビスパがJリーグ退会の可能性もある極めて厳しい経営状態にあることを報じた<ref>{{Cite news|url=http://www.nishinippon.co.jp/nsp/avispa/article/46467|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131016034015/http://www.nishinippon.co.jp/nsp/avispa/article/46467|title=アビスパ危機 経営難 資金5000万円不足 Jリーグ退会も|newspaper=西日本スポーツ|date=2013-10-16|archivedate=2013-10-16|accessdate=2014-11-14}}</ref>。具体的には2013年5月ごろから運営会社の資金繰りが厳しくなり、数千万円の短期借入で運転資金を回したが、9月末現在でも約9億6000万円の営業収入を見込んだ予算に対し実際の営業収入が約8億2000万円に留まる一方、10月の時点で運転資金について新規の借入が出来なくなったため、手元資金が底を付く11月末に運営資金約5000万円が決済不能になり、12月分の選手の給与が遅配になる可能性があるというものであり、アビスパの小学生招待事業「アビスパKidsパートナー」の協賛金募集に際して、福岡県サッカー協会が傘下の少年サッカークラブに対し「アビスパ福岡が資金面で最大の危機に面しております。11月30日までに5000万円の運転資金が準備できなければ、お金の流れが滞り、最悪の結果を招くことになります」という趣旨の文書を送付したことで明らかになったものであった。 アビスパ社長の大塚唯史は「最悪の場合は、Jリーグから借金して、勝点マイナス10となることを覚悟している」とコメントし、大株主らに協賛金の要請を行ったが、2006年当時の経緯もあり、大株主の福岡市や[[西部ガス]]<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNZO61824910Z21C13A0LX0000/|title=アビスパ福岡へ追加支援、地元企業に慎重論広がる|publisher=[[日本経済新聞]]|date=2013-10-30|accessdate=2013-11-3}}</ref>、[[ふくおかフィナンシャルグループ]]、[[西日本鉄道]]<ref>{{Cite news|url=http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20131029-OYS1T00221.htm|title=アビスパ支援「ノー」、福岡銀・西鉄トップ表明|newspaper=[[読売新聞西部本社|読売新聞九州版]]|date=2013-10-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131031011638/http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20131029-OYS1T00221.htm|archivedate=2013-10-31|accessdate=2014-11-15}}</ref> などがアビスパに対する追加支援に否定的な見解を示した。しかし「アビスパKidsパートナー」協賛金をはじめとする個人・法人からの小口協賛金2645万円や、大株主の[[ふくや]]による間接的な支援(支援商品を販売し、売り上げをアビスパに寄付<ref>{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/10/31/kiji/K20131031006918760.html|title=明太子がアビスパを救う?スポンサー「ふくや」が支援商品販売へ|newspaper=スポーツニッポン|date=2013-10-31|accessdate=2014-11-15}}</ref>・最大約1776万円)などが集まり、11月16日時点で年内の資金繰りは手当てできたことを発表<ref>{{cite news|date=2013-11-16|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNZO62659030V11C13A1LX0000/|title=アビスパ社長「年内の資金繰りにはメド」|publisher=[[日本経済新聞]]|accessdate=2014-2-8}}</ref>。11月30日には一連の経営問題の責任を取って大塚唯史が代表取締役を辞任し<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASJC24010_U3A121C1ACY000/|title=サッカーJ2・アビスパ社長が辞任表明 資金難、責任を明確化|newspaper=日本経済新聞|date=2013-11-25|accessdate=2023-11-12}}</ref>、後任には元[[鹿島アントラーズ]]強化担当部長の[[野見山篤]]が就任し、野見山をサポートする役割として常勤の取締役に市文化振興部課長の樽見哲が就任した<ref name="sankei20131228"/>。 翌2014年2月5日、クラブ経営強化を図るためにアドバイザリーボード(経営諮問委員会)を設置<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.avispa.co.jp/index_box/release/release_2014_044.html|title=「アドバイザリーボード(経営諮問委員会)」設置のお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2014-02-05|accessdate=2014-02-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140214150116/http://www.avispa.co.jp/index_box/release/release_2014_044.html|archivedate=2014-02-14}}</ref>。7月23日に発表されたJリーグ参加51クラブの2013年度決算において、2期連続赤字で約2800万円の債務超過となっていることが報告された。[[大河正明]]Jリーグ常務理事は「黒字化はなんとかなるが、債務超過(解消)は確証が持てない」と指摘<ref>{{Cite news|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201407/2014072200891|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140808221043/http://www.jiji.com/jc/zc?k=201407/2014072200891|title=福岡の経営状況を注視=全51クラブの経営情報を開示-Jリーグ|newspaper=[[時事通信社|時事ドットコム]]|date=2014-07-22|archivedate=2014-08-08|accessdate=2023-11-09}}</ref>、報告時点において債務超過であった11のクラブのうち、9月のライセンス審査までに債務超過を解消させる目処が立っていないクラブは福岡のみであった<ref>{{Cite news|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKC0733_S4A720C1000000/|title=Jリーグ、福岡の債務超過を問題視 9月にライセンス審査|newspaper=日本経済新聞|date=2014-07-22|accessdate=2014-07-23}}</ref>。 2014年8月25日、この日行われた臨時取締役会で、福岡市発祥で基幹・業務系システムの開発やWebアプリの開発を手がける[[システムソフト]]を対象に約1億円の[[第三者割当増資]]を実施することを9月の臨時株主総会に諮ることを決議<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.avispa.co.jp/index_box/release/release_2014_264.html|title=アビスパ福岡株式会社 増資等に関するご報告|publisher=アビスパ福岡|date=2014-08-28|accessdate=2014-09-06|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141108063502/http://www.avispa.co.jp/index_box/release/release_2014_264.html|archivedate=2014-11-08}}</ref>。8月29日付けでシステムソフトがアビスパへの資本参加決定を発表した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.systemsoft.co.jp/wp-content/uploads/2014/08/shihonsanka_avispa20140829.pdf|title=アビスパ福岡株式会社への資本参加のお知らせ|format=PDF|publisher=システムソフト|date=2014-08-29|accessdate=2014-11-15}}</ref> ことから、懸念されていた債務超過の解消と、Jリーグクラブライセンス制度の剥奪は回避される見通しとなった。第三者割当増資は9月22日付けで実施されシステムソフトが筆頭株主となり、同社社長の吉尾春樹とシステムソフトの親会社である[[APAMAN|アパマンショップホールディングス]]常務取締役([[Apaman Network|アパマンショップネットワーク]]代表取締役、[[あるあるCity]]代表取締役)の川森敬史が新たに非常勤の取締役に就任<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.avispa.co.jp/index_box/release/release_2014_288.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141129021349/http://www.avispa.co.jp/index_box/release/release_2014_288.html|title=クラブライセンス交付第一審機関(FIB)による2015シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について|publisher=アビスパ福岡|date=2014-09-29|archivedate=2014-11-29|accessdate=2023-11-09}}</ref>。川森は2015年3月30日に開かれた株主総会および取締役会で社長に就任(前社長の野見山は常勤の取締役に交代)した<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.avispa.co.jp/index_box/release/release_2015_101.html|archiveurl=https://archive.is/IZDdu|title=役員人事に関するお知らせ|publisher=アビスパ福岡|date=2015-03-30|archivedate=2015-04-04|accessdate=2023-11-09}}</ref>。 社長に就任した川森敬史は、経営再建と効率化に向けた様々な改革を実施。業務限定社員の導入を含めた営業体制の拡充、社員それぞれのスキルを生かせる雇用環境の確立、キャッシュフローの改善等を進めた。その結果、スポンサー数が186社(2014年度)から1010社(2015年度)と約5倍以上に増加。観客動員においても「レベスタ1.5万人プロジェクト」を始め、トップチームはもちろん、アカデミー・スクール生に対する理念共有を含めた様々な取り組みを重ねた結果、2016年では2015年との比較で観客動員数172%へアップした<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/20160615/456075.html|title=【レポート】アビスパ福岡社長が語る、100億円クラブへの展望|publisher=サッカーキング|date=2016-06-15|accessdate=2018-04-16}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=http://kyushu.ikuboss.com/kawamori-avispa.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160921040736/http://kyushu.ikuboss.com/kawamori-avispa.html|title=【インタビュー】川森敬史さん|アビスパ福岡(株) 代表取締役 女性活躍が支えた、アビスパ福岡のJ1復帰|publisher=九州イクボスドットコム|date=2016-08-12|archivedate=2016-09-21|accessdate=2018-04-16}}</ref>。 == メディア == === テレビ === ==== 現在 ==== * [[ロクいち福岡]] ([[NHK福岡放送局]]、月曜 18時15分 - 19時00分) * [[夢空間スポーツ]] ([[福岡放送]]、日曜 16時55分 - 17時25分) * [[KICK OFF! (テレビ番組)#各番組の詳細|KICK OFF! FUKUOKA]] ([[テレビ西日本]]、日曜 6時30分 - 7時00分) * [[あみ〜ご!アビスパ]] ([[ジェイコム福岡|J:COM福岡]]) ==== 過去 ==== * [[瞬感スポーツ]] ([[RKB毎日放送]]、金曜 23時55分 - 24時15分) * [[VIVA!SPORTAS]] ([[TVQ九州放送]]、土曜 18時30分 - 19時00分) * [[アビスパッと!TV]] ([[テレビ西日本]]、土曜25時35分 - 25時40分) === ラジオ === ==== 現在 ==== * [[NEWSIC]] ([[CROSS FM]]、月曜-金曜 6時30分 - 9時00分) * [[FM FUKUOKA #ショートプログラム|D U Know? ~アビスパ MOVEMENT~]] ([[エフエム福岡|FM FUKUOKA]]、土曜 6時55分 - 7時00分) * アビトーーク!([[KBCラジオ]]「[[アサデス。ラジオ]]」内、金曜 11時19分 - 11時30分頃) * [[ヒルマニ]](KBCラジオ、金曜 12時00分 - 12時40分) ==== 過去 ==== * [[バモス!アビスパ]] ([[FREE WAVE]]、木曜 19時00分 - 19時30分) * [[NOBUKAWA SPORTS]] ([[CROSS FM]]、金曜 20時00分 - 23時00分) * [[オーレ!アビスパ]] ([[RKB毎日放送]]、土曜 6時00分 - 6時20分) == 決算 == アビスパ福岡の決算は、つぎのとおり。 === 損益 === {| class="wikitable" style="border:solid 3px #009CA7; box-shadow:4px 4px 4px #8B8D8F;" |- style="text-align:center; background-color:#00205C; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||{{abbr|収入|営業収入}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||事業費||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|管理費|一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;"|2005||style="background-color:wheat"|1,220||581||237||120||282||style="background-color:wheat"|1,243||908||N.A.||335||style="background-color:wheat"|-23||style="background-color:wheat"|-21 |- |style="font-weight:bold;"|2006||style="background-color:wheat"|1,575||767||387||235||186||style="background-color:wheat"|1,682||1,238||778||444||style="background-color:wheat"|-107||style="background-color:wheat"|-117 |- |style="font-weight:bold;"|2007||style="background-color:wheat"|1,421||669||266||121||365||style="background-color:wheat"|1,385||1,024||610||361||style="background-color:wheat"|36||style="background-color:wheat"|21 |- |style="font-weight:bold;"|2008||style="background-color:wheat"|1,157||552||245||110||250||style="background-color:wheat"|1,209||930||559||279||style="background-color:wheat"|-52||style="background-color:wheat"|-61 |- |style="font-weight:bold;"|2009||style="background-color:wheat"|1,006||424||201||103||278||style="background-color:wheat"|1,119||872||479||247||style="background-color:wheat"|-113||style="background-color:wheat"|-109 |- |style="font-weight:bold;"|2010||style="background-color:wheat"|938||377||206||105||250||style="background-color:wheat"|925||693||401||232||style="background-color:wheat"|13||style="background-color:wheat"|33 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 * 人件費は事業費に含まれる。 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010] </div> {| class="wikitable" style="border:solid 3px #009CA7; box-shadow:4px 4px 4px #8B8D8F;" |- style="text-align:center; background-color:#00205C; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||{{abbr|収益|営業収益}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||{{abbr|育成|アカデミー}}||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|試合|試合関連経費}}||{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}}||{{abbr|育成|アカデミー運営経費}}||{{abbr|女子|女子チーム運営経費}}||{{abbr|販売|販売費および一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;"|2011||style="background-color:wheat"|1,246||441||308||207||144||146||style="background-color:wheat"|1,122||428||101||157||71||0||365||style="background-color:wheat"|124||style="background-color:wheat"|130 |- |style="font-weight:bold;"|2012||style="background-color:wheat"|854||301||170||95||172||116||style="background-color:wheat"|1,015||411||86||155||63||0||300||style="background-color:wheat"|-161||style="background-color:wheat"|-158 |- |style="font-weight:bold;"|2013||style="background-color:wheat"|871||324||180||94||171||102||style="background-color:wheat"|986||390||73||161||58||0||284||style="background-color:wheat"|-95||style="background-color:wheat"|-87 |- |style="font-weight:bold;"|2014||style="background-color:wheat"|947||334||192||96||210||115||style="background-color:wheat"|942||417||76||121||65||0||263||style="background-color:wheat"|5||style="background-color:wheat"|9 |- |style="font-weight:bold;"|2015||style="background-color:wheat"|1,654||474||235||94||211||640||style="background-color:wheat"|1,595||626||96||374||73||0||426||style="background-color:wheat"|59||style="background-color:wheat"|49 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015] </div> {| class="wikitable" style="border:solid 3px #009CA7; box-shadow:4px 4px 4px #8B8D8F;" |- style="text-align:center; background-color:#00205C; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||{{abbr|収益|営業収益}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||{{abbr|育成|アカデミー}}||物販||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|試合|試合関連経費}}||{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}}||{{abbr|育成|アカデミー運営経費}}||{{abbr|女子|女子チーム運営経費}}||物販||{{abbr|販売|販売費および一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;"|2016||style="background-color:wheat"|1,836||618||275||207||175||112||449||style="background-color:wheat"|1,814||937||142||187||67||0||92||389||style="background-color:wheat"|22||style="background-color:wheat"|21 |- |style="font-weight:bold;"|2017||style="background-color:wheat"|1,979||621||190||159||220||110||679||style="background-color:wheat"|1,927||1,000||118||217||72||0||85||435||style="background-color:wheat"|52||style="background-color:wheat"|22 |- |style="font-weight:bold;"|2018||style="background-color:wheat"|1,831||990||174||154||177||97||239||style="background-color:wheat"|1,829||909||107||258||98||0||73||384||style="background-color:wheat"|2||style="background-color:wheat"|2 |- |style="font-weight:bold;"|2019||style="background-color:wheat"|1,577||693||137||155||198||93||301||style="background-color:wheat"|1,680||784||113||289||103||0||63||328||style="background-color:wheat"|-103||style="background-color:wheat"|-107 |- |style="font-weight:bold;"|2020||style="background-color:wheat"|1,538||747||144||158||168||93||228||style="background-color:wheat"|1,825||968||109||263||76||0||67||342||style="background-color:wheat"|-287||style="background-color:wheat"|-287 |- |style="font-weight:bold;"|2021||style="background-color:wheat"|2,132||803||312||399||164||173||281||style="background-color:wheat"|2,614||1,334||119||243||69||0||137||403||style="background-color:wheat"|-482||style="background-color:wheat"|-505 |- |style="font-weight:bold;"|2022||style="background-color:wheat"|2,829||1,202||464||409||152||174||428||style="background-color:wheat"|2,431||1,677||140||200||196||0||115||15||style="background-color:wheat"|17||style="background-color:wheat"|-1 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdf 2018]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h31kaiji.pdf 2019]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r2kaiji_1_20210729.pdf 2020]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20220728.pdf 2021]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20230725.pdf 2022] </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |type=line |showSymbols=yes |legend=凡例 |yAxisMin=0 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円) |colors=#0000aa,#00aa00,#ff8000 |y1Title=営業収益 |y2Title=営業費用 |y3Title=選手・チームスタッフ人件費 |x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020, 2021, 2022 |y1=1220, 1575, 1421, 1157, 1006, 938, 1246, 854, 871, 947, 1654, 1836, 1979, 1831, 1577, 1538, 2132, 2829 |y2=1243, 1682, 1385, 1209, 1119, 925, 1122, 1015, 986, 942, 1595, 1814, 1927, 1829, 1680, 1825, 2614, 2431 |y3= , 778, 610, 559, 479, 401, 428, 411, 390, 417, 626, 937, 1000, 909, 784, 968, 1334, 1677 }} === 資産 === {| class="wikitable" style="border:solid 3px #009CA7; box-shadow:4px 4px 4px #8B8D8F;" |- style="text-align:center; background-color:#00205C; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||総資産||総負債||純資産||資本金 |- |style="font-weight:bold;"|2005||449||196||252||3,370 |- |style="font-weight:bold;"|2006||558||424||134||90 |- |style="font-weight:bold;"|2007||439||284||155||90 |- |style="font-weight:bold;"|2008||437||273||164||125 |- |style="font-weight:bold;"|2009||463||409||54||125 |- |style="font-weight:bold;"|2010||440||353||87||125 |- |style="font-weight:bold;"|2011||515||298||217||217 |- |style="font-weight:bold;"|2012||415||355||60||126 |- |style="font-weight:bold;"|2013||345||373||-28||126 |- |style="font-weight:bold;"|2014||389||307||82||176 |- |style="font-weight:bold;"|2015||537||406||130||176 |- |style="font-weight:bold;"|2016||732||580||152||176 |- |style="font-weight:bold;"|2017||879||705||174||176 |- |style="font-weight:bold;"|2018||810||634||176||176 |- |style="font-weight:bold;"|2019||650||581||69||176 |- |style="font-weight:bold;"|2020||668||886||-217||176 |- |style="font-weight:bold;"|2021||954||1,309||-355||360 |- |style="font-weight:bold;"|2022||865||1,198||-333||372 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdf 2018]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h31kaiji.pdf 2019]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r2kaiji_1_20210729.pdf 2020]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20220728.pdf 2021]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20230725.pdf 2022] </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |type=area |colors=#0000aa,#ff8000 |showSymbols=yes |legend=凡例 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円) |y1Title=総資産 |y2Title=純資産 |x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020, 2021, 2022 |y1=449, 558, 439, 437, 463, 440, 515, 415, 345, 389, 537, 732, 879, 810, 650, 668, 954, 865 |y2=252, 134, 155, 164, 54, 87, 217, 60, -28, 82, 130, 152, 174, 176, 69, -217, -355, -333 }} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[アビスパ福岡の選手一覧]] * [[九州ダービー]] * [[福岡ダービー]] * [[福岡J・アンクラス]] - かつてアビスパのホームゲームでボールスタッフをしていた。 == 外部リンク == * {{Official website}} * {{Facebook|avispaf}} * {{Twitter|AvispaF}} * {{Instagram|avispaf}} * {{YouTube|user = avispachannel|AVISPA FUKUOKA CHANNEL}} * [http://avispaf.jugem.jp/ 広報ブログ] * [https://www.nishinippon.co.jp/nsp/category/soccer/jleague/avispa/ 西日本新聞/アビスパ福岡] {{Navboxes|title =アビスパ福岡 関連テンプレート|titlestyle=background-color:#00205C; 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北海道コンサドーレ札幌
北海道コンサドーレ札幌(ほっかいどうコンサドーレさっぽろ、英: Hokkaido Consadole Sapporo)は、日本の札幌市を中心とする北海道をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 1935年創部の東芝堀川町サッカー部が前身。1996年に同サッカー部が北海道へ移転すると同時に運営会社として株式会社北海道フットボールクラブを設立。同年Jリーグ準会員に承認。1998年よりJリーグ加盟した。2016年より運営会社を「株式会社コンサドーレ」に変更。ホームタウンは「札幌市を中心とする北海道」、ホームスタジアムは札幌ドーム(詳細は#ホームスタジアムを参照)。 チーム名の「consadole(コンサドーレ)」は道民を意味する「道産子(読:どさんこ)」の逆さ読みと、ラテン語の響きを持つ「-ole(オーレ)」を組み合わせたもので、一般公募によって決定された。発足当初のクラブ名はコンサドーレ札幌(コンサドーレさっぽろ)でホームタウンも札幌市1市だけだったが、創立20周年を迎える2016年シーズンからチーム名を「北海道コンサドーレ札幌」に変更し、ホームタウンのエリアも拡大された。 エンブレムは、北海道に生息する日本最大のフクロウ『シマフクロウ』を象徴的に図案化。頂点に羽ばたく翼を持つシマフクロウの盾型の中に、11個の星(結束したイレブン)、勝利を見据えるシマフクロウの眼光(闘志)、ブリザードを表す白ストライプ(攻撃性)を配し、それらが、ホームタウンを意味するリボンの円弧に根ざすデザイン。シマフクロウがモチーフとなり、1997年にマスコットの「ドーレくん」が誕生した。 練習場はオフィシャルスポンサーの石屋製菓が所有する「宮の沢白い恋人サッカー場」と、札幌ドームの敷地内にある天然芝の「屋外サッカー練習場」。クラブ事務所はかつては札幌ドーム内にあったが、2014年1月29日に宮の沢白い恋人サッカー場内のコレクションハウスを改修して事務所を移転した。その後、2023年6月5日に再び札幌ドーム内に移転した。 コンサドールズは、日本サッカークラブ史上初のクラブ専属オフィシャルダンスドリルチームである。1997年5月15日、札幌厚別公園競技場でデビュー。試合開始50分前、選手紹介、選手入場前、ハーフタイム、ゴール後、ゲーム終了後(勝利試合のみ)にパフォーマンスを行う。ミスダンスドリルチーム日本大会で優勝の経験もある。サテライト、ユースなどの下部組織を持ち、若手の育成にも力を入れている。 2014年1月19日、漫画「キャプテン翼」の登場人物であり、作中では所属選手である松山光を現実の当クラブにも入団を発表。同時にユース年代の強化を目的とする「松山光プロジェクト」を始動した。 「北海道からJリーグチームを」を合言葉に、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加。東芝時代から監督を務めていた高橋武夫が初代監督を務めた。V川崎からJリーグでの実績を持つブラジル人選手のアルシンドとペレイラを獲得。元ウルグアイ代表経験のあるMFオテーロを獲得した他、第74回全国高等学校サッカー選手権大会の得点王となった初芝橋本高校の吉原宏太が入団した。Jリーグから移籍してきたプロ選手と川合孝治を含む東芝サッカー部から出向してきた社員選手が混在する41人体制のチーム編成となった。 第1節福島FC戦で吉原宏太がクラブ第一号となるゴールを決めた。同年に獲得したFWアルシンドが第2節富士通川崎戦で審判への暴言で4試合の出場停止処分となり、更に第9節大塚製薬戦で一発退場を受けると、2日後に自らの申し出によって退団することになった。7月30日にチェコの一部リーグからヨゼフ、ルボシュを獲得し入団。これにより外国人が6人となり外国人枠が5枠しか無かった為、ペルー国籍を持つ吉成大がペルーへ研修生として半年間派遣されることになった。その後、ペレイラが第20節本田技研戦で負傷退場し、守備の要が欠く形となり、チームは流れに乗れず第23節鳥栖戦と第24節東京ガス戦に連敗してしまいJリーグ昇格ができる2位以内が絶望となった。残り6試合をチームが意地を見せ5勝1敗と健闘した。初年度は20勝10敗の5位(全16チーム)の成績でJリーグ昇格できず終わった。 シーズン終了後、東芝社員選手の契約更新については、チームに残留する意思を示した社員選手は東芝を退社してプロ契約を結んだ。また、チーム得点王の8点をマークした川合孝治が戦力外通告を受け、1987年から1996年まで東芝サッカー部から務めていた高橋武夫監督が今シーズンを持って退任した。 元ウルグアイ代表経験を持つウーゴ・フェルナンデスが監督に就任した。茶木裕司(仙台へ移籍)、平岡宏章(新潟へ移籍)、加藤剛と木島敦と川合孝治と後藤静臣(大分へ移籍)、新明正広と渡邉晋と笠原恵太(甲府へ移籍)、小池大樹と村田信行(熊本へ移籍)、白井淳(市原へ移籍)、パベル、オテーロ、金鍾成ら1996年まで所属していた選手の多くが退団した。 新たに鳥栖から前身の東芝に在籍していたこともあるパナマ代表のバルデスが復帰、福岡から世界的に有名なディエゴ・マラドーナの実弟であるウーゴ・マラドーナ、磐田からハーフナー・ディド、大塚FCから古川毅と田渕龍二、C大阪から渡辺卓と山橋貴史、コスモ四日市から鳥居塚伸人、市原から新村泰彦ら数名を獲得し、新人では法政大学から赤池保幸、初芝橋本高校の大野貴史、亜細亜大学から黄川田賢司ら数名が加入。 『チームはファミリー』を合言葉に、リーグ戦前に行われたナビスコカップ予選リーグでV川崎、G大阪、横浜MのJリーグ勢を抑え、2勝3分1敗で1位通過し決勝トーナメントに進出を決めるなどの成績も残した。リーグ戦が開幕し、開幕から6連勝と快進撃を続け、5月25日の第7節川崎戦(厚別)では後半43分に1-3とされ後半44分から怒涛の攻撃を見せバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦へ、最後はバルデスの延長Vゴールによって4-3で勝利した。9月4日の第20節に等々力で川崎と再び対戦し、後半31分に1-3からバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦でバルデスが延長Vゴールを決めた。川崎戦の2試合とも1-3からの延長Vゴールで逆転勝利を収めてた。バルデスとマラドーナのホットラインなどの活躍もあり、10月22日の厚別競技場で行われた第28節大分戦で2-1で勝利して昇格と優勝を決めた。リーグの最終戦も勝利して26勝4敗(全16チーム)でホーム無敗の成績でJFL優勝、Jリーグ昇格を果たした。バルデスは40得点でリーグ得点王となり、この年に7回のハットトリックを成し遂げた。11月18日にJリーグの臨時理事会が東京で開かれ、Jリーグ正会員として正式に承認された。 1996年6月13日JFL第10節の鳥栖戦から1997年10月29日第30節ジャトコ戦までの2年間、厚別競技場でリーグ戦21勝0敗の成績を残し『厚別不敗神話』『厚別神話』という神話が生まれた。 戦いの場をJリーグに移したシーズン。フェルナンデス体制2年目。工藤英章(青森へ移籍)、中吉裕司(大分へ移籍)、小野甲介(新日鉄室蘭へ移籍)、石塚啓次(V川崎へ復帰)、新村泰彦(ジャトコへ移籍)、朝倉徳明ら数名が退団し、森敦彦と冨樫剛一が引退した。 新戦力としてC大阪から深川友貴と梶野智、G大阪から木山隆之、柏から加藤竜二と有馬賢二のJリーグ経験者を獲得、本田技研から村主博正とバウテルらを獲得し、Jリーグで戦える戦力を補強した。 1stステージ開幕戦の清水戦ではいきなり1-4と大敗。第4節のG大阪戦でJリーグ加盟後初勝利をあげたが、第7節以降は毎試合2点以上失点し、磐田戦では中山雅史に4試合連続となるハットトリックを献上。1stステージ4勝13敗の16位に低迷。2ndステージは10月中旬の第11節の時点で5勝6敗と持ち直したが、フロントとの意見の不一致からフェルナンデス監督が解任された。後任に石井肇コーチが監督に就き第12節から指揮を執った。10月のシーズン中の補強で柏から棚田伸、横浜Fから埜下荘司、東京ガスから関浩二を獲得。2ndステージの残りの試合は3勝3敗となり、2ndステージ8勝9敗の10位で、年間順位は12勝22敗の14位(全18チーム)となった。 1999年からJリーグが2部制に移行するため、Jリーグ下位4チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦に参加した。コンサドーレが勝利すればJ1参入が決まるという状況で神戸と福岡にホームとアウェイともに敗れ4連敗を喫して、Jリーグ史上初のJ2リーグへの降格チームとなった。 「1年でのJ1復帰」を目指して1998年FIFAワールドカップ(フランス大会)で日本代表監督として指揮を執っていた岡田武史を監督に招聘。1996年から1998年まで活躍したペレイラ、マラドーナ、バルデスと、渡辺卓(水戸へ移籍)、太田貴光(ジャトコへ移籍)、後藤義一と有馬賢二(横浜FCへ移籍)、バウテル(山形へ移籍)、鳥居塚伸人(図南SCへ移籍)らが退団。ディドと赤池保幸と木山隆之と浅沼達也と山橋貴史が引退した。 新たに平塚から名塚善寛、鹿島から佐藤洋平と池内友彦と栗田泰次郎、柏から加藤竜二、横浜FMから桜井孝司、ロナウジーニョの実兄アシス、リカルジーニョ、クレーベルらを獲得。藤枝東高校から河村優と北海道札幌市出身の佐賀一平、磐田東高校から藤ヶ谷陽介らが入団。 「1年でのJ1復帰」を目標として掲げていたが、第8節時点で3勝5敗と波に乗れずにいた。外国人の活躍が乏しくリカルジーニョとクレーベルの契約を解除し、代わりにビジュ、ジネイを獲得し第15節から出場した。第24節の時点で12勝6分6敗という成績だったが、第25節以降は負けが込み昇格争いに絡むことなく17勝6分13敗の5位(全10チーム)に終わった。 しかし、明るい兆しがあった。吉原宏太が第9節にハットトリックを記録し、チーム得点王となる15得点を取った。U-22オリンピック代表に選出、シドニーオリンピック代表の予備登録メンバーになった。更にはFW中山雅史が負傷離脱したためコパ・アメリカ(南米選手権)に追加招集された。 岡田体制2年目。吉原宏太(G大阪へ移籍)、栗田泰次郎(清水へ移籍)、アシスと棚田伸と関浩二ら数名が退団。期限付き移籍していた林晃平(G大阪)と井手口純(横浜FM)が移籍元へ復帰。埜下荘司と梶野智が引退。 一方、市原から 野々村芳和、G大阪から播戸竜二、京都から大森健作、FC東京からアウミール、V川崎から高木琢也、福岡から森秀昭、川崎から小松崎保、伊藤優津樹、ブラジルのサンパウロFCからエメルソンらを獲得。初めて札幌の下部組織(札幌ユース)から遠国信也がトップ昇格、北海高校の山瀬功治、四日市中央工高校から中尾康二、筑波大学から井上敦史らが入団した。 少ない予算でJ1昇格を狙うために、主力選手を期限付き移籍で集めてメンバーを固定して戦った。その結果、エメルソンを含む8人がレンタル選手というチーム編成だった。J2を戦うための戦術を確立して、それを実行することができる選手を各ポジションに揃え、14連勝を含む17試合無敗(16勝1分) を含む31勝5分4敗でJ2優勝(全11チーム)し、J1昇格が決まった。また、エメルソンが31得点でJ2得点王を獲得、山瀬功治と藤ヶ谷陽介がU-19日本代表に選出された。 創立5周年を迎えた2001年シーズン。岡田体制3年目。レンタルで獲得した選手、特にエメルソンを完全移籍で残留させるためにサポーターから増資を募り、3億円近くの資金を集めた。増資の最大の目的であったエメルソンは退団したが、大分のウィルをレンタルで獲得した。 開幕戦でC大阪、第2節で柏に連勝。一時は2位に付け、10勝5分15敗の11位(全16チーム)でJ1残留を果たした。ウィルが24得点で得点王を獲得した他、山瀬功治がJ1最優秀新人選手賞を受賞。この年も新人の今野泰幸が高卒1年目でレギュラーを獲得した。シーズン終了後に岡田が監督を退任した。同年完成した札幌ドームの集客効果も加わり、平均観客動員数は2万人を突破した。 監督に元日本代表の柱谷哲二が就任。ウィルが横浜FMへ、播戸竜二が神戸へ移籍。また、名塚善寛、野々村芳和が引退した。ウィルに替わるストライカーとして、ロシアサッカー・プレミアリーグのFCスパルタク・モスクワからブラジル人ロブソン、東京Vから小倉隆史、G大阪から小島宏美らを獲得した。しかし、ロシアリーグ得点王(後にこの経歴は虚偽と判明)、UEFAチャンピオンズリーグ出場という肩書きをひっさげて鳴り物入りで加入したロブソンが全く振るわず、さらにワールドカップ開催による札幌ドームの利用制約からホームゲームすら遠隔地で開催せざるを得ないというスケジュールの厳しさもあり、チームは開幕から黒星を重ねた。結局ロブソンは同年加入したマクサンドロと共に5月末に退団。6月に柱谷は監督を解任された。 後任の監督として リーガ・エスパニョーラ「レアル・オビエド」のチームコーディネータを務めていたラドミロ・イバンチェビッチを招聘し、また同じくユーゴスラビア(現セルビア)人バーヤック、ブラジル人ジャディウソンの2人の外国人選手をはじめ、日本人選手も次々と獲得して立て直しを図ったが、成績は上向かずにイバンチェビッチは9月に辞任した。後任に張外龍が就任したが、2ndステージ第11節の鹿島戦に敗れて、2度目のJ2降格が決定。シーズン通算で5勝1分24敗の最下位(全16チーム)に終わった。 1年でのJ1復帰を掲げ、監督に鹿島や名古屋で監督を務めたジョアン・カルロスを招聘。また横浜FMを退団したウィルが復帰し、ホベルッチ、ベットという2人の元ブラジル代表選手を獲得した。一方、ジョアン・カルロスと確執のあった小倉が退団した他、山瀬功治が浦和へ移籍した。 シーズンに入り、ベットがホームシックで退団、ケガで療養中のウィルが深夜の繁華街で傷害事件を起こしそのまま退団、ホベルッチもジョアン・カルロスとの確執で退団と、外国人選手全員がシーズン半ばで退団した。その後ビタウ、元大分のアンドラジーニャ、元名古屋のウリダを獲得したが、第26節の新潟戦で大敗を喫しジョアン・カルロスが辞任。後任は再び張外龍となったが、昇格争いに絡めないまま13勝13分18敗の9位(全12チーム)でシーズンを終えた。 人件費等の経費圧縮により経営の黒字化を図り、若手主体のチーム編成とユースチームの強化を軸とする長期育成計画の「5段階計画」を立て、レンタル移籍や外国籍選手に頼らずにJ1で安定して戦えるチーム作りを目指す方針を制定。中心選手だった今野泰幸や高年俸のベテラン・外国籍選手が退団した一方、ユースから鈴木智樹と蛯沢匠吾、高卒で上田常幸、上里一将、桑原剛、斉川雄介、大卒で河端和哉、鎌田安啓など新人選手8人、テスト生から入団した静岡FCの清野智秋を獲得した。また、磐田元監督の柳下正明が監督に就任した。 開幕から第4節まで負けなしだったが、三原廣樹が怪我で戦線離脱したことや新居辰基と中尾康二の不祥事による契約解除(解雇)といった事態が起こったため、シーズン途中で横浜FMから金子勇樹、神戸から西嶋弘之を獲得、前年に特別指定選手としてチームに加わっていた権東勇介と正式契約したが、勝利を度外視して若手育成にあてたメンバー構成のチームでなかなか勝ち点を重ねることが出来ず、5勝15分24敗でJ1経験チーム初のJ2最下位(全12チーム 当時は下位リーグとの降格制度はなかった)に終わった。天皇杯はJ1の市原、大分を破りベスト8に進出した。 柳下体制2年目。GK藤ヶ谷陽介がG大阪へ移籍した一方、広島から林卓人と中山元気、鹿島から池内友彦、磐田から高原寿康と加賀健一を獲得し、大卒の徐暁飛、ユースの石井謙伍と野田達郎が入団した。 前年と同じく5位以内を目標に掲げてシーズンに臨んだが、堀井岳也、上里一将、西澤淳二らが負傷により長期離脱を余儀なくされたことによりチーム力が低下したものの、シーズン中盤に浦和から西谷正也、水戸からデルリスを獲得。西谷は攻撃力の向上に大きく寄与した一方、得点力が期待されたデルリスはチーム戦術に合わず、満足な成績を挙げることができないまま2006年限りで退団した。チームは17勝12分15敗の6位(全12チーム)でシーズンを終え、当初目標としていた5位以内には入らなかったものの、第4クール後半までJ1昇格戦線に食い込む活躍を見せた。特に、DFの要として期待された池内はチームトップの11得点と2桁得点を挙げ、守備だけではなく攻撃でもチームに貢献した。 シーズン中にクラブ取締役が女子中学生買春容疑で逮捕されるという不祥事があった。3月、札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設。 創立10周年を迎えた2006年シーズン。柳下体制3年目。川崎からフッキ、千葉から芳賀博信、山形から大塚真司と川崎健太郎、水戸から関隆倫、アルビレックス新潟シンガポールから野本安啓、名古屋からセバスティアンを獲得し、ユースから藤田征也と西大伍が昇格した。 リーグ戦序盤はフッキの出場停止や大塚ら主力の怪我も影響し、10試合連続未勝利など成績は低迷した。中盤戦以降は状況は改善していったが、20勝12分16敗の6位(全13チーム)で終了した。しかし、第41節湘南戦、第42節徳島戦ではクラブ史上初の2試合連続6得点を挙げるなど、歯車が噛み合った試合では爆発的な攻撃力を発揮した。「走って繋いで撃ちまくれ それが札幌スタイル」という横断幕も登場し、3年間継続した攻撃的サッカーが根付いたシーズンとなった。天皇杯ではJ1の千葉、新潟、甲府を破り初のベスト4に進出。シーズン終了後に柳下が退任。 元大宮監督の三浦俊也が監督に就任。フッキが東京Vへ移籍、加賀健一が所属元に復帰したが、2006年に途中加入したGK佐藤優也を甲府から完全移籍で獲得。さらにC大阪からDFブルーノ・クアドロス、ECヴィトーリアからFWダヴィ・MFカウエ、大宮からGK高木貴弘、高卒ルーキーの岡本賢明と岩沼俊介を獲得した。 堅守速攻を武器にリーグ序盤に7連勝を果たすなど順調に勝ち点を積み上げ、シーズン途中から首位に浮上。一時は2位に勝ち点差10以上をつける独走状態だったが、シーズン当初から連携強化の為に出場選手を固定してきたことによる主力選手の疲労の蓄積や、台風接近による試合順延で不運な日程を余儀なくされるなど、第3クールとなる8月後半頃から急激に失速、他チームに勝ち点差を詰められ熾烈な昇格争いに巻き込まれた。 この苦しい終盤戦に3年目の石井謙伍、2年目の西大伍、新人の岡本などの若い選手や横浜FCから途中移籍した鄭容臺が起用に応えて活躍し、第45節から48節まで4連勝を飾って首位を死守。最終節の水戸戦に勝利してJ1復帰を果たした。また、東京VがC大阪と引き分けたことでJ2優勝(27勝10分11敗)も決めた。 三浦体制2年目。広島から吉弘充志を完全移籍で、神戸の坪内秀介、清水の平岡康裕、新潟のMFディビッドソン純マーカスをレンタル移籍で獲得、新人は室蘭大谷高校の宮澤裕樹と柏U-18の堀田秀平が入団した。一方でブルーノ・クアドロスが退団。新加入した元柏のMFアルセウはキャンプ中に退団したが(その前日の親善試合で監督が指示した守備的なプレーに反発し、相手チームの選手に対する暴力行為で退場したことが発端)、新たにアトレチコPRから元名古屋のMFクライトンを獲得した。 リーグ戦は、中断期間突入時点で降格圏内の17位。FWアンデルソンや川崎から箕輪義信を獲得したが、10月19日の第29節柏戦に敗れて1年でのJ2降格、10月26日の川崎戦に敗れ、最下位が確定。12月6日の最終節で鹿島に敗れて目の前で優勝を決められた。年間順位は4勝6分24敗の最下位(全18チーム)となった。三浦は来シーズンも続投を要請されていたが、降格の責任としてシーズン終了後に辞任した。 大分や柏の元監督の石崎信弘が監督に就任。ダヴィが名古屋へ移籍、西澤淳二・池内友彦・西谷正也・アンデルソンなど10人以上の選手(レンタル選手も含む)が退団した。一方でチームの大黒柱でもあり、退団が噂されていたMFクライトンが残留、前シーズン途中に期限付きで加入した箕輪義信を完全移籍で獲得した。またダヴィの移籍に伴い、移籍先の名古屋から3億円近くの高額な移籍金が入った為、更なる補強を断行した。具体的には、スウェーデンのユールゴーデンIFからFWキリノ、コロンビアのインデペンディエンテ・メデジンからMFダニルソン、アジア枠で韓国の浦項からDF趙晟桓(チョウ・ソンファン)と3人の新外国人選手を獲得。また、日本人では大宮からGK荒谷弘樹を獲得した。新人は沖縄大学から上原慎也が入団、曵地裕哉、古田寛幸がユースから昇格した。7月、MFクライトンが以前から抱えていた怪我が悪化。残りのシーズンに出場出来ないと判断され退団、代わりにハファエルが加入した。さらに、シーズン途中には柏の石川直樹をレンタル移籍で獲得した。 若手中心の布陣のため連勝・連敗の浮き沈みが激しかった。勝ち切れない試合も多く(J2最多の16引分)、年間順位21勝16分14敗の6位(全18チーム)で終了した。 石崎体制2年目。西大伍が新潟へ、ダニルソンが名古屋へレンタル移籍、曽田雄志が現役を引退した一方、6チームとの競合を制して磐田から中山雅史を獲得。FC東京から藤山竜仁と近藤祐介、愛媛から内村圭宏、広島から李漢宰を獲得した。シーズン途中に清水の高木純平をレンタル移籍で獲得した。 開幕に躓き、5・6月は無敗も5分と勝ち点を伸ばせず、7月以降は怪我人が出るなど1年を通して昇格争いに加わることもなく、年間順位11勝13分12敗の13位(全19チーム)で終了した。終盤は怪我による離脱者が多く、ベンチ入り可能な18人のメンバーを埋められない試合もあった。 創立15周年を迎えた2011年シーズン。石崎体制3年目。6年半在籍した西嶋弘之が徳島へ、ユース時代から在籍していた藤田征也とキャプテンを務めた石川直樹が新潟へ、佐藤優也が北九州へ、吉弘充志が愛媛へ、堀田秀平が新潟シンガポールへ、李漢宰が岐阜へ、新潟にレンタル移籍していた西大伍が鹿島へ完全移籍した。また、藤山竜仁が引退、箕輪義信が退団するなどし、多くの選手がチームを去った。一方、新潟から高木貴弘、C大阪から山下達也、鳥栖から日高拓磨、横浜FMから河合竜二を獲得、レンタル移籍だった高木純平は完全移籍となり、三上陽輔がユースから昇格し、室蘭大谷高校の櫛引一紀が入団した。外国人ではチアゴ(元京都)、ユニバーシアード韓国代表のイ・ホスン、ブラジルのクラブからブルーノ、元徳島のアンドレジーニョを獲得した。なお、また、砂川誠は2010年シーズン後に退団したが、2011年シーズン前に再契約した。また、キャンプに練習生として参加していた西村卓朗と契約を締結した。 シーズン中に、アンドレジーニョがAリーグのパース・グローリーFCへ移籍、チアゴが退団するも、浦項スティーラースから岡山一成、ブラジルのクラブからジオゴ、レモスが加入した。 J2開幕戦の愛媛戦に敗れ、東日本大震災の影響による1ヶ月半の中断期間を挟んだ後のホーム開幕戦となる湘南戦にも敗れるなど第11節(4試合目)時点で18位と低迷したが、7月から9月まで10勝3分2敗の成績で9月21日に3位へ浮上。徳島と勝ち点で並んだ第38節、札幌ドームに歴代2位となる観客数39,243人を記録したFC東京戦に勝利。21勝5分12敗の3位(全20チーム)となり、4年ぶりにJ1復帰を果たした。 石崎体制4年目。山下達也がC大阪に、2年間レンタル移籍していたダニルソンが名古屋に、ブルーノがグアラニFCに、ジオゴが徳島にそれぞれ完全移籍、レモスは契約満了により退団、西村卓朗が引退、上里一将が徳島にレンタル移籍した。一方で、鹿島から杉山哲、広島から髙柳一誠、大分から前田俊介、清水から山本真希、新潟から大島秀夫、FC東京からオーストラリア代表のジェイド・ノースを完全移籍で、ジュニーニョをレンタル移籍で獲得。前年に大邱FCにレンタル移籍していたキリノが復帰。さらにユースからシーズン終盤に活躍した奈良竜樹をはじめ、荒野拓馬、小山内貴哉、前貴之、榊翔太がトップへ昇格した。なお、湘南から完全移籍の松尾直人はFC大阪へ移籍した。 なお、室蘭市入江運動公園陸上競技場と函館市千代台公園陸上競技場がJリーグクラブライセンス制度のスタジアム基準を満たさなかったため、初めて全ホームゲームを札幌で開催した。 リーグ戦は第2節から7連敗。第9節のC大阪戦で初勝利を挙げたが、第10節から9連敗を喫した。7月、全北現代モータースより金載桓(キム ジェファン)をレンタル(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消)、ナウチコからハモンとフォス・ド・イグアスFCからテレを完全移籍で獲得。一方でキリノが湘南へ完全移籍、横野純貴が金沢へレンタル移籍し、ジュニーニョと契約解除した。その後も成績は伸びないどころか逆に敗退を重ね、これで負けてしまえば自力での挽回が不可能という状態となった9月29日の第27節の川崎戦でも惨敗。これによってJ2降格が完全に決定(9月中の降格決定はJリーグ史上初、7試合を残しての降格決定は史上最速)。年間順位は4勝2分28敗の勝点14で最下位(全18チーム)。連勝は無く、アウェー13連敗、年間28敗、総失点88、得失点差-63はJ1ワースト記録。勝点14はJ1がリーグ戦18チーム年間34試合制となって以降最低の記録である。シーズン終了後、石崎は監督を退任した。 監督に札幌のユース及びトップチームコーチを務めた室蘭市出身の財前恵一が就任。財前はチーム初のOB、北海道出身者の監督となった。また、3月に札幌OBの野々村芳和が北海道フットボールクラブの代表取締役社長に就任。強化費が前年の推定5億円から推定2億5000万程度に減額されるのを受けて本来なら契約延長を行いたい主力級の選手にも契約満了後他チームへの移籍を容認せざるを得ない状況に追い込まれた。中山雅史、元主将の芳賀博信が引退、高原寿康及び高木純平(共に清水へ移籍)、岡山一成(奈良クラブへ移籍)、高木貴弘(岐阜へ移籍)、山本真希(川崎へ移籍)、髙柳一誠(神戸へ移籍)、大島秀夫(北九州へ移籍)が契約満了に伴い退団、金載桓がレンタル終了で全北現代へ復帰、ハモンがブラジルクラブに、ジェイド・ノースがブリスベン・ロアーFCに、近藤祐介が栃木SCに、岩沼俊介が松本山雅に完全移籍した。 一方、讃岐から趙成眞(チョ ソンジン)を完全移籍で、ブラジルのクラブからパウロンをレンタル移籍、2年間FC東京・徳島にレンタル移籍していた上里一将、金沢にレンタル移籍していた横野純貴が復帰、また、東洋大学で札幌ユースU-18出身の松本怜大が入団、前年度にJユースカップで全カテゴリを通じて初の全国優勝を達成したユースから中原彰吾、永坂勇人、堀米悠斗、神田夢実、阿波加俊太、深井一希の6人がトップへ昇格した。3月にタイのコーンケンFCとクラブ間提携パートナーシップを結び、シーズン中に中原、永坂がコーンケンFCへレンタル移籍した。シーズン中にはテレが規律違反で退団(その後町田へ移籍)したが、2014シーズンの加入が内定している阪南大学の工藤光輝を特別指定選手で登録。7月、練習生として参加していたフェホ、ベトナム代表のレ・コン・ビンをレンタル移籍で獲得(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消。契約は継続。)。 開幕戦で2006年以来の勝利を収めたが、第2節から3連敗し第4節終了時点で21位まで落ちる。その後は大きな連敗はないものの大きな連勝もないという一進一退の展開が続き、第2節から第24節までは2桁順位が続く。第25節で開幕戦以来の1桁順位となる9位に浮上した後は、第29節で11位、第36、38節で10位になった以外1桁順位を維持し、第39節からシーズン初の3連勝を達成したことにより、最終節に勝利すれば得失点差と他の対戦カードの関係で自力でのプレーオフ進出が決まるところまで迫ったが、最終節の北九州戦で引き分けたためプレーオフ出場は成らなかった。なお、最終成績は20勝4分18敗の8位(全22チーム)。天皇杯は4回戦で甲府に敗北した。 財前体制2年目。曵地裕哉(愛媛へ移籍)、三上陽輔(富山へ移籍)が退団、岡本賢明が熊本へ、フェホが中国の北京八喜足球倶楽部へ、趙成眞が韓国の水原三星へ完全移籍、横野純貴がタイのコーンケンFCへ、堀米悠斗が福島へ、神田夢実と阿波加俊太が相模原へレンタル移籍、レ・コン・ビンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。 一方、愛媛から5年ぶりに復帰になる石井謙伍、長崎から金山隼樹、栃木から菊岡拓朗、川崎から薗田淳、神戸から都倉賢、韓国の慶南FCから丁成勳(チョン ソンフン)、オランダ2部のアルメレ・シティFCからステファノを完全移籍で、ブラジルのクラブからヘナンをレンタル移籍で獲得、中原彰吾、永坂勇人がレンタル移籍から復帰、昨シーズン特別指定選手で登録していた工藤光輝、北海道教育大学の上原拓郎が加入、ユースから前寛之、内山裕貴がトップへ昇格した。 シーズン中には、1月に仮契約していた小野伸二がオーストラリアAリーグのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCから完全移籍で加入、李昊乗の負傷離脱に伴い相模原へレンタル移籍していた阿波加俊太が育成型レンタル移籍契約を解除し復帰した。また、前貴之が富山、古田寛幸が讃岐へレンタル移籍した。 開幕戦で前年J2降格の磐田にアウェーで勝利するも下位に低迷。一時は17位まで順位を落とし、第24節から第28節までの間5戦連続で勝利がなかったことや、途中加入の都倉賢の起用に消極的であったことから、8月28日に成績不振を理由に財前監督を解任し、新監督にかつて愛媛で監督をしていたイヴィッツァ・バルバリッチが就任した。なお来日の関係で指揮を振るうのが第31節の岐阜戦からのため、第29・30節はコーチの名塚善寛が監督代行として指揮することになった。監督交代後は、都倉が積極的に起用されるようになり、都倉もバルバリッチの期待に応える活躍を見せた。また、3バックを使用するようになった。監督交代後4勝2敗5分の成績を残したが、最終的には15勝14分13敗の10位(全22チーム)の成績に終わりプレーオフ進出を逃したものの、チームの状況を立て直した手腕を高く評価してバルバリッチの続投が決まった。天皇杯は2回戦で清水に敗北した。また、女子サッカーチームとして「北海道リラ・コンサドーレ」を創設し、宗像訓子が初代監督に就任した。 バルバリッチ体制2年目。日高拓磨(富山へ移籍)、前年タイリーグにレンタル移籍していた横野純貴(福島へ移籍)、松本怜大(町田へ移籍)、上原拓郎(熊本へ移籍)、丁成勳、ステファノ(インドネシア・スーパーリーグのペルシジャ・ジャカルタへ移籍)が契約満了、ヘナンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。またイ・ホスンが湘南へ完全移籍、奈良竜樹がFC東京へ、工藤光輝が相模原(7月からは盛岡)、内山裕貴がシンガポールSリーグのホウガン・ユナイテッドFCへレンタル移籍した。シーズン中には、小山内貴哉が長野、砂川誠が岐阜へレンタル移籍した。 一方、川崎から元日本代表の稲本潤一、岐阜から前年J2得点4位のナザリト、甲府からインドネシア代表のイルファン、C大阪から韓国U-21代表のク・ソンユン(具聖潤)を完全移籍で、川崎から福森晃斗、ブラジルのアヴァイFCから前年東京Vに所属していたニウドをレンタル移籍で獲得、古田寛幸・前寛之・前貴之・堀米悠斗・神田夢実がレンタル移籍から復帰、ユースから進藤亮佑がトップへ昇格した。 開幕戦で勝利し、5月には都倉が6得点でJ2月間MVPを獲得する活躍などがありチームも好調。前半21試合でアウェー戦負けなしのプレーオフ圏内の6位で折り返した。ところが後半戦に入ると3連敗するなど第19節から7試合勝利がなく、7月24日にバルバリッチ監督を解任してU-18監督の四方田修平が就任したが、新監督就任直後から4試合連続無得点、前監督時代から含めて12戦連続勝利なしなどチームは勝ちきれず、最終的には14勝15分13敗の10位(全22チーム)でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で鳥栖に敗北した。 創立20周年を迎えた2016年シーズン。運営会社名を株式会社北海道フットボールクラブから株式会社コンサドーレへ、チーム名をコンサドーレ札幌から北海道コンサドーレ札幌へ(但し公式記録などの略称については従前に同じ)、ホームタウンを札幌市から札幌市を中心とする北海道へ変更。 また、リージョナルマーケティング及びF-Powerと共同事業契約を結び、「株式会社エゾデン」を設立。小売電気事業者として電気事業に参入した。また、博報堂DYメディアパートナーズと7年にわたってクラブビジネス戦略パートナー契約を締結した。 四方田体制2年目。前年に岐阜へレンタル移籍していた砂川誠が引退、古田寛幸(金沢へ移籍)、前田俊介(鳥取へ移籍)、薗田淳(熊本へ移籍)、菊岡拓朗(相模原へ移籍)、ナザリトが契約満了、二ウドがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。また、FC東京にレンタル移籍していた奈良竜樹が川崎へ完全移籍、長野にレンタル移籍していた小山内貴哉とパウロンが福島へレンタル移籍した。 一方、神戸から増川隆洋、ブラジルのECバイーアからヘイスとマセード、オペラリオ・フェロヴィアリオECからジュリーニョを完全移籍で獲得。さらに、阿波加俊太と内山裕貴がレンタル移籍先から復帰した。またシーズン途中には鳥栖から菊地直哉が期限付き移籍で加入した。 開幕5戦で3勝1分1敗といいスタートを切ると、5月3日の第11節で首位に立った。試合では先制した後に無失点に抑える1-0での勝利(ウノゼロ勝利が11試合)、5年ぶりの函館開催となった第21節横浜FC戦や第25節岐阜戦のような5点を取っての勝利など、攻守がかみ合い好調をキープし、ホームでは開幕から18試合無敗(16勝2分)で昨年から続いていた無敗記録がJ2タイ記録の23試合まで伸ばした。しかし、終盤に差し掛かり第37節東京Vにホームで敗戦し、ホーム無敗のJ2新記録を逃してからの4試合を1勝3敗で昇格へ足踏みが続いた。サポーター3000人以上がアウェーに駆け付けた第41節千葉戦で劇的な逆転勝利。引き分け以上でJ1昇格とJ2優勝が決まる最終節のホーム金沢戦で引き分けて、25勝10分7敗の1位(全22チーム)となり、J2最多記録となる9年ぶり3回目のJ2優勝と、5年ぶり5回目 のJ1昇格が決まった。天皇杯は2回戦で岡山に敗北した。 四方田体制3年目。11年間在籍していた上里一将(熊本へ移籍)をはじめ、神田夢実(愛媛へ移籍)、内山裕貴(鳥取へ移籍)、イルファン(バリ・ユナイテッドへ移籍)、盛岡へ期限付き移籍していた工藤光輝(引退)が契約満了、前貴之が山口、櫛引一紀が名古屋、中原彰吾がG大阪、福島へレンタル移籍していたパウロンが水戸へレンタル移籍、堀米悠斗が新潟、小山内貴哉がレンタル移籍先の福島へ完全移籍した。また、シーズン途中には阿波加俊太が育成型期限付き移籍で愛媛へ、永坂勇人が水戸へレンタル移籍した。 一方で、仙台からキム・ミンテと金園英学、鳥栖から早坂良太、神戸から田中雄大、横浜FMから兵藤慎剛を完全移籍で、大宮から横山知伸をレンタル移籍で獲得。レンタル移籍だった福森晃斗は完全移籍となり、菊地直哉はレンタル移籍期間が延長され、U-18から前年2種登録選手で出場していた菅大輝と濱大耀が昇格した。またシーズン中には、2016年12月に仮契約していたタイ代表のチャナティップ・ソングラシンがタイ・リーグのムアントン・ユナイテッドFCからレンタル移籍で、仙台から6年半ぶりの復帰となる石川直樹を完全移籍で獲得。また昨年まで磐田でプレーしていたジェイが加入した(それに伴い外国籍枠の関係で負傷で長期離脱が決まっていたジュリーニョの選手登録を抹消)。 開幕5戦を1勝1分3敗の勝ち点4と2005年以降のJ1昇格チームがJ1残留している勝ち点5に届かず、第11~16節には6連敗するなど前半は残留圏ぎりぎりの15位で折り返した。後半初戦となる第18節大宮戦では0-2から福森がJ1史上7人目となるFKでの2得点で同点とし、第24節仙台戦・第25節磐田戦に勝利して16年ぶりのJ1で連勝した。その後夏以降に加入したチャナティップ、ジェイ、石川直樹らがかみ合うと10月以降も第29節柏戦・第30節FC東京戦でも連勝、第32節清水戦に勝利して2001年以来16年ぶりとなるJ1残留を決めた。その後も16年ぶりとなる3連勝で締めくくり12勝7分15敗の11位(全18チーム)で終了した。5年ぶりの出場となったルヴァンカップはプレーオフステージでC大阪に敗退、天皇杯は2回戦で福島県代表のいわきFCに敗れ、初戦敗退となった。 監督に約11年に亘って広島と浦和で指揮し、2017年J1第19節の札幌戦翌日に浦和を解任となったミハイロ・ペトロヴィッチが就任。前年まで監督を務めていた四方田修平は監督を退任し、ヘッドコーチに就任した。増川隆洋(京都へ移籍)、石井謙伍(タイのサムットサーコーンFCへ移籍)、マセード(ブラジルのCAブラガンチーノへ移籍)が契約満了、杉山哲が東京ユナイテッドFC、金山隼樹が岡山、上原慎也が愛媛、前貴之が前年レンタル移籍先の山口、櫛引一紀が前年レンタル移籍先の名古屋に完全移籍した。また、前寛之が水戸、金園英学が甲府、前年G大阪にレンタル移籍していた中原が長崎へレンタル移籍した。 一方で、愛媛から白井康介、広島から宮吉拓実を完全移籍で、川崎から三好康児、浦和から駒井善成、京都から菅野孝憲をレンタル移籍で獲得。レンタル移籍だった菊地直哉と横山知伸は完全移籍となり、U-18から前年2種登録選手でカップ戦に出場していた藤村怜が昇格、レンタル移籍だった阿波加俊太、昨シーズン途中でケガにより登録抹消されていたジュリーニョが再登録された。 シーズン開始前の、2018年2月8日と2月10日の2日間、アロハスタジアムで開催された「パシフィックリムカップ2018」に出場し、優勝した。 シーズン中には横山知伸が熊本、ジュリーニョが山口へレンタル移籍、ヘイスは契約解除(のちに新潟へ移籍)した。 フォーメーションは前年までと同じ[3-4-2-1]だが、攻撃時にはボランチの一人が下がり左右のCBがサイドに広がってSBのようになり、両WBが高い位置を取ることで5トップの形になる[4-1-5]、また守備時には両WBが最終ラインまで下がって5バックの形になる[5-4-1]で、いわゆる「ミシャ式」と呼ばれる可変システムを採用した。また左右CBの福森と進藤の攻撃力を生かすために、攻撃時に両ボランチを1列下げて中央CBと3CBを形成し、左右CBを1列上げる[5-0-5]システムを採用することもあった。前年までのしっかり守ってロングボールなどで長身FWにあてる形を時折織り交ぜつつ、GKを含めた最終ラインからボールをしっかりつないでいくスタイルをキャンプから繰り返し練習してシーズンを迎えた。 序盤は連携面でのミスが重なりカップ戦を含む公式戦5試合で1勝4敗11失点と結果が出せなかったが、第4節に前年J1昇格をした長崎戦にシーズン初勝利すると第14節のFC東京戦までクラブ最長記録となる11試合負け無し(7勝4分)で第12節終了時には3位に浮上、ロシアワールドカップによるJ1リーグ戦中断前を5位で終えた。再開後も第23節FC東京戦は0-2から逆転で3-2にするなど好調を維持し、第25節までの3試合を3連勝で9月の中断期間に入った。中断期間中の9月6日に北海道胆振東部地震が発生して北海道全域がブラックアウトとなるなど大きな被害を受け、選手やスタッフは自宅待機となるなど練習やコンデションに影響を及ぼした。再開後の第26節の川崎戦では0-7と大敗し次節の鹿島戦にも負けて連敗したが、第30節まで暫定4位から7位の間を推移し台風の影響で延期していた第18節の振替試合 に勝利してクラブ初となる2年連続J1残留を決めた。第33節の磐田戦に勝利して勝ち点54とすると最終第34節は勝ち点56で2位の広島と直接対決となり、勝利すれば2位となる可能性のあるホームに34,250人が集まる中、試合は前半21分までに2点をリードしながらも後半に同点に追いつかれそのまま引き分けた。その結果、AFCチャンピオンズリーグ2019の出場権は獲得できなかったが、15勝10分9敗の4位(全18チーム)とクラブ史上J1最高成績で終え、大躍進のシーズンとなった。なお、ルヴァンカップは予選敗退、天皇杯はベスト16だった。 シーズン終了後の2018Jリーグアウォーズにおいて、チャナティップがベストイレブン、ペトロヴィッチが優秀監督賞(J1)に選出された。 ペトロヴィッチ体制2年目。9年間在籍していた内村圭宏(FC今治へ移籍)や8年間在籍していた河合竜二(引退)をはじめ、田中雄大(秋田へ移籍)、菊地直哉(福岡へ移籍)、稲本潤一(相模原へ移籍)、熊本へレンタル移籍していた横山知伸(9月に岐阜へ移籍)、山口へレンタル移籍していたジュリーニョ、水戸へレンタル移籍していた永坂勇人(7月に北海道リーグ・十勝へ移籍)が契約満了、三好康児がレンタル移籍期間満了に伴い退団(その後横浜FMへレンタル移籍)、都倉賢がC大阪、宮吉拓実が京都、兵藤慎剛が仙台へ完全移籍、前寛之が前年レンタル移籍先の水戸、金園英学が前年レンタル移籍先の甲府に完全移籍した。 一方で、京都から岩崎悠人、長崎から鈴木武蔵、仙台から中野嘉大、FCソウルから元広島のアンデルソン・ロペスを完全移籍で、ECヴィトーリアからルーカス・フェルナンデスをレンタルで獲得。U-18から前年2種登録選手でカップ戦に出場していた中村桐耶が昇格、直前の高校サッカー選手権で優勝した青森山田高校から檀崎竜孔が加入。菅野孝憲はレンタル移籍期間が延長され、2年間G大阪と長崎へレンタル移籍していた中原彰吾が復帰、レンタル移籍で加入していたチャナティップ、駒井善成が完全移籍となった。 シーズン中には2020シーズンの加入が内定している日本大学の金子拓郎と札幌ユース出身で筑波大学の高嶺朋樹、大阪体育大学の田中駿汰を特別指定選手で登録した。小野伸二が琉球に、中原彰吾が仙台に完全移籍、中村桐耶がHonda FCに育成型期限付き移籍した。 シーズン序盤では第2節アウェー浦和戦に完勝し、第3節ではロペスの4得点の活躍などで13シーズン振りにホーム開幕戦に勝利した。その後失点が多く3連敗したが、第7節にキム・ミンテを中央CBに入れてから守備が安定してクラブ初のJ1リーグ4連勝を記録するなど前半を6位で終えた。同時期にクラブの選手が各国代表に選出されるようになった。3月には鈴木がクラブ20年ぶりに日本代表に選出されると、菅はユース出身で初となるコパ・アメリカに臨む東京五輪世代中心で構成された日本代表に選出された。また、進藤も11月の国際親善試合での日本代表に選出された。韓国代表のクソンユン、タイ代表のチャナティップ、日本代表の鈴木はFIFAワールドカップ・アジア2次予選に定期的に選出されるようになると、J1リーグ戦・ルヴァン杯・代表戦で過密日程となり、シーズン後半は1度も連勝できずに最終的に13勝7分14敗の10位(全18チーム)で終了した。天皇杯は2回戦敗退となった。 シーズン終了後のEAFF E-1サッカー選手権2019の日本代表に鈴木と菅と特別指定選手の田中が選出され、鈴木は中国戦、菅は香港戦で代表初ゴールを記録した。 ルヴァンカップではJ2に降格した長崎、前年のファイナリスト(優勝した湘南、準優勝の横浜FM)が同居するグループAを1位で突破。プレーオフの磐田戦はロペスの3得点などの活躍で2戦合計4-2(アウェー:第1戦2-1、ホーム:第2戦2-1)で1997年以来21年ぶりに決勝トーナメント(プライムステージ)に進出。準々決勝の広島戦でもアンデルソン・ロペスの3得点の活躍や福森の直接FKなど2戦合計4-3(ホーム:第1戦3-2、アウェー:第2戦1-1)で準決勝に進出。準決勝は直前のリーグ戦と合わせて10日間で3連戦となるG大阪が相手。直前のリーグ戦で0-5と大敗した同地でのアウェー第1戦は、先制点を許したが後半42分にCKからキム・ミンテが同点ゴール。終了間際に失点して1-2で敗れはしたが、貴重なアウェーゴールを獲得した。ホーム第2戦はJリーグ杯でのクラブ史上最多となる15996人の観客動員を記録する中、後半31分の鈴木のゴールを守りきり1-0で勝利。2戦合計2-2もアウェーゴール数の差で公式戦初となる決勝に進出した。 決勝はJ1リーグ戦でこれまで1度も勝利をした事がない川崎と対戦。前日の関東地方の悪天候の影響で当日の飛行機が一部欠航する中、北海道から会場となる埼玉スタジアム2002まで別の移動手段を急遽手配して何とか辿り着いたり、行けなくなったサポーターも多くいた。それでもゴール裏を埋め尽くす程の多くのサポーターが駆けつけて48119人の観客動員を記録。試合は前半10分に右WBの白井からのクロスを左WBに入った菅のボレーシュートで先制するも、その後は川崎が徐々に押し返す展開となりアディショナルタイムに左CKから阿部浩之に押し込まれて1-1で前半を終了した。後半も川崎に主導権を握られ、後半43分に小林悠に決められて1-2となるも、後半アディショナルタイムのラストプレーで福森の右CKに深井が頭で得点し同点に追いつき試合は延長戦に突入した。延長前半4分にピッチ中央付近から個人技で中央突破を図ったチャナティップに対して川崎の谷口彰悟が後ろから倒してファールの判定。一度はイエローカードを提示されたが、ビデオ・アシスタント・レフェリー (VAR)が介入しオンフィールドレビューとなった結果、「決定的な得点の機会の阻止」と判断されてレッドカードが提示され退場となった。さらに、このファウルで得たフリーキックを10月21日のトレーニング中に負傷して左腓腹筋の肉離れで欠場した宮澤に代わってキャプテンを務めた福森が直接ゴールし勝ち越しに成功。しかし延長後半4分に再び小林に決められ3-3のまま120分でも決着つかずにPK戦となった。PK戦では4人全員(ジェイと替わって途中出場のロペス、鈴木、深井、白井と替わって途中出場のフェルナンデス)が成功したのに対して川崎は4番手の車屋紳太郎が失敗し、5人目を終えて3-2。福森との交代で出場した5番手の石川が決めれば初優勝となる(聖杯が津軽海峡を超える)状況で新井章太に横っ飛びでセーブされてサドンデスに突入。川崎は6番手の長谷川竜也が決めた一方、決めて7人目に持ち込まなければならない6番手の進藤が新井に立て続けにセーブされて試合終了。川崎を退場で10人に追い込み、尚且つPK戦でも先に失敗したのは川崎だったにも関わらず準優勝という結果となり、ペトロヴィッチは史上初めて3クラブを跨いで のJリーグカップ準優勝監督となった。 ペトロヴィッチ体制3年目。岩崎悠人が湘南にレンタル移籍した。またシーズン途中には鈴木武蔵がベルギーのKベールスホトVAに完全移籍、檀崎竜孔がオーストラリアAリーグのブリスベン・ロアーFCにレンタル移籍した。 一方で、前年までレンタル移籍だった菅野孝憲とルーカス・フェルナンデスを完全移籍で、ブラジルのルヴェルデンセECからドゥグラス・オリベイラ、ベルギーのOHルーヴェンからタイ代表のカウィン・タンマサッチャーナンをレンタルで獲得した。また、前年特別指定選手の金子拓郎、高嶺朋樹、田中駿汰が加入、2021シーズンの加入が内定している法政大学の中野小次郎と明治大学の小柏剛と国見高校の中島大嘉を特別指定選手で登録した。またシーズン途中にはポルトガルのジル・ヴィセンテFCを退団したウーゴ・ヴィエイラが加入した。 新型コロナウイルス感染拡大で2月26日(ルヴァン杯第2節)から7月4日まで長期にわたって公式戦が中断となった。4月6日には大幅な収益減を余儀なくされるクラブに対して、外国籍選手を含めた28人の全所属選手が年俸の一部を返納することを申し出た。また5月29日に、6年間在籍したク・ソンユンが兵役義務のため当初の予定よりも早く韓国へ帰国することを決め、韓国の大邱FCへの完全移籍が発表された。また新型コロナウイルスを受けてブラジルに一時帰国していたアンデルソン・ロペスは、出入国制限のためにJ1再開までに日本への入国が認められなかったが、7月に入国許可が下り2週間の隔離措置を取った上でチームに合流し、8月5日のルヴァンカップ第2節広島戦での試合復帰した。 感染予防の観点から近隣クラブとの対戦を優先的に実施するJリーグの方針 により飛行機移動の繰り返しを避けるため、6月22日から約1カ月間にわたり千葉県にあるサッカー日本代表の新拠点である高円宮記念JFA夢フィールドを日本サッカー協会の協力で提供され、アウェイ4連戦(開幕戦を含めると5連戦)となった。 中断明け後の第4節鹿島戦では敵地でリーグ初勝利を飾るなどアウェイ4連戦を2勝2分の負けなしとして、7月下旬にホーム開幕戦を迎えた。同時期に当時チーム得点王の鈴木武蔵が移籍し、アンデルソン・ロペスも帰国後の隔離措置でコンデションが上がらない中、第7節の横浜FM戦で初めて「ゼロトップ」の役割の荒野を最前線に入れると、豊富な運動量で前線から中盤までの広い範囲で守備に貢献。局面での優位性を保つ事で相手の特徴であるパスワークをうまく封じこみ3-1と勝利した。また「オールコートマンツーマンデイフェンス」で1対1でボールを奪ってショートカウンターから得点する戦術で挑んでいった。しかし、前線から激しいプレスによる体力の消耗の激しさやコロナ禍による試合間隔の短さによるコンディションの調整や戦術の落とし込みが出来ず、第10節川崎戦で6失点を始め、その後の3試合でも4失点を喫すなど守備が崩壊。8-9月の13試合を1勝2分10敗(31失点)と大きく負け越した。10月になると主力選手のコンデションが上がり戦術の理解度も深まっていき、第23節では鹿島相手に初となるシーズンダブルとなる勝利した。第26節では12連勝中で圧倒的な強さで首位に立つ川崎にアウェイで再び荒野を最前線に置く「ゼロトップ」かつ「オールコートマンツーマンデイフェンス」で挑んだ。川崎の得意なパスワークを封じて主導権を握り幾度もチャンスを作り出すと、高い位置でボールを奪ってショートカウンターで2得点。終盤でも菅野が好セーブを連発して終始相手を圧倒する試合で完勝。川崎にリーグ戦で初めての勝ち点3をアウェイの地でつかんだ。その後も第34節浦和戦もシュート20本で2-0で完勝するなど攻守両面において完成度高い試合も出る一方、チャンスは多いけれどもなかなか決め切れない試合も多くあり、最終的に10勝9分15敗の12位(全18チーム)で終了した。天皇杯はコロナの影響でリーグ戦上位2チームのみの参加となったため未出場となった。 ペトロヴィッチ体制4年目。石川直樹と早坂良太が引退、ウーゴ・ヴィエイラが契約満了、カウィンが期限付き移籍期間満了に伴い退団、進藤亮佑がC大阪に完全移籍、前年湘南にレンタル移籍していた岩崎悠人が千葉(8月に鳥栖へ移籍)、白井康介が京都、濱大耀が富山、藤村怜が山形、シーズン途中で中野嘉大が鳥栖、7月までAリーグのブリスベンにレンタル移籍していた檀崎竜孔が千葉、キムミンテが名古屋にレンタル移籍した。 一方で、群馬から岡村大八、新潟から大谷幸輝、FC東京から柳貴博、名古屋から青木亮太、モロッコのウィダード・カサブランカからガブリエル・オケチュク(8月に福島へレンタル移籍)、琉球から1年半ぶりの復帰となる小野伸二を完全移籍で獲得した。また、Honda FCにレンタル移籍していた中村桐耶が復帰、前年特別指定選手の中野小次郎、小柏剛、中島大嘉が加入した。また2022シーズンの加入が内定している立正大学の田中宏武を特別指定選手で登録した。またシーズン途中には、ベルギーのOHルーヴェンからミラン・トゥチッチが完全移籍で加入、札幌U-18の西野奨太がクラブ史上初となる高校在学中でのトップチーム昇格 となった。 開幕前にペトロヴィッチ監督が母国で怪我で手術、杉浦大輔コーチ兼通訳が病気で手術、ジェイが母国で新型コロナウイルス感染症のPCR検査を受けて陽性判定、新加入のガブリエルが2020年1月に2度目となる緊急事態宣言による検疫の強化に伴い同宣言が解除されるまでの期間入国制限 となり、キャンプの合流に遅れる事となった。 9年ぶりとなる第1節でのホーム開幕戦の横浜FC戦は5-1と勝利するも、第6節神戸戦では3-0から4失点での逆転負けなどシーズン序盤では苦しんだ。その中でゴールを量産していたアンデルソン・ロペスが6月に移籍したが、第18節大分戦で金子が2得点、第23節浦和戦から第25節大分戦で小柏が3試合連続得点するなど若手が躍動し、4チームが降格する厳しいレギュレーションの中で残留争いすること無く残留を決めた。最終的には14勝9分15敗の10位(全20チーム)で終了した。ルヴァン杯はベスト8、天皇杯は3回戦敗退となった。 シーズン終了後には小柏剛が日本代表に選出された。 1月11日付けの取締役会において、代表取締役社長・CEOの野々村芳和が代表取締役会長に就任、後任の社長・CEOは置かずにゼネラルマネージャーの三上大勝が代表取締役GMに就任した。野々村は3月15日に行われた公益社団法人日本プロサッカーリーグ理事会で第六代Jリーグチェアマンに就任し、同日クラブの会長職を退任した。また、4月27日には株式会社CREATIVE OFFICE CUE取締役会長でコンサドーレオフィシャルサポーターでもある鈴井貴之が社外取締役に就任した。 ペトロヴィッチ体制5年目。ジェイと福島にレンタル移籍していたガブリエル・オケチュクが契約満了、白井康介が前年レンタル移籍先の京都、中野嘉大が前年レンタル移籍先の鳥栖、前年名古屋にレンタル移籍していたキムミンテが鹿島に完全移籍した。また、チャナティップが国内移籍における移籍金としては過去最高と思われる金額提示を受けて川崎に完全移籍した。また、ヘッドコーチであり前チーム監督であった四方田修平が横浜FC監督に就任するためチームを離れた。またシーズン中に柳貴博が福岡にレンタル移籍(7月に福岡にて選手契約解除)した。 一方で、浦和から興梠慎三がレンタル移籍、名古屋からガブリエル・シャビエルを完全移籍で獲得した。また、千葉にレンタル移籍していた檀崎竜孔(7月に再びAリーグのブリスベンにレンタル移籍)、山形にレンタル移籍していた藤村怜が復帰、前年特別指定選手の田中宏武、札幌ユース出身で筑波大学の井川空が加入した。さらに浦和を契約満了となり沖縄キャンプに練習生として参加していた西大伍が完全移籍で13年ぶりに復帰した。またシーズン途中には、タイのブリーラム・ユナイテッドFCからスパチョークがレンタル移籍、京都からユース出身の松原修平、韓国の水原三星からキム・ゴンヒが完全移籍で加入した。 開幕節から6試合連続引き分けでスタート。その後も主力に怪我人が続いてベストが組めずに守備が崩れて大量失点で負ける試合が多くなり、8月までJ1残留圏ギリギリの順位が続いた。声出し応援が解禁され始めた9月以降は怪我人も戻り始め、第28節5位のC大阪戦は後半ATでの逆転勝利、第30節アウェーでの首位横浜FM戦は引き分け、第31節厚別での2位川崎戦でも点の取り合いの上後半ATに逆転とし4-3で勝利するなど、ラスト8試合を5勝2分1敗(上位チームにも3勝1分)として6年連続J1残留となる11勝12分11敗の10位(全18チーム)で終了した。ルヴァン杯はベスト8、天皇杯は3回戦敗退となった。 ペトロヴィッチ体制6年目。レンタル移籍満了に伴い興梠慎三が退団(浦和に復帰)。ガブリエル・シャビエル、Aリーグのブリスベンにレンタル移籍していた檀崎竜孔(スコティッシュ・プレミアシップ・マザーウェルFCに移籍)、濱大耀(サッカースクールのコーチに就任)が契約満了で退団、高嶺朋樹が柏、岩崎悠人が前年レンタル移籍先の鳥栖、藤村怜が岩手に完全移籍した。また中野小次郎が金沢、井川空が岡山、ドゥグラス・オリベイラが盛岡にレンタル移籍した。またシーズン中には中島が名古屋、金子がクロアチアのNKディナモ・ザグレブ、田中宏武が藤枝、西が盛岡にレンタル移籍した。 一方で、広島から浅野雄也、神戸から小林祐希、東京Vから馬場晴也、レンタル移籍で加入していたスパチョークを完全移籍で獲得。ク・ソンユンが2020年以来の復帰(同年7月に京都へレンタル移籍)、順天堂大学の大森真吾が加入した。また、2024シーズンの加入が内定している福岡大学の岡田大和、2025年シーズン加入内定の大阪体育大学の木戸柊摩を特別指定選手で登録した。 前半は点の取り合いとなる試合が多く、失点数はワースト3位となる32失点も加入した浅野を始め金子や小柏などがゴールを量産して、得点数リーグ1位の38得点を記録し7勝5分5敗の8位で折り返した。後半も失点は改善されずに29失点する一方で、右サイドで攻撃の柱になっていた金子が海外移籍した戦力を埋められず18得点に留まり、3勝5分9敗と前半の半分の勝ち点しか取れずに苦しい結果となった。それでも7年連続J1残留となる10勝10分14敗の12位(全18チーム)で終了した。ルヴァン杯はベスト8、天皇杯はベスト16となった。 またこの年で引退発表をしていた小野伸二が第34節浦和戦に11年ぶりのJ1先発出場をした。前半22分の交代時には両チームの選手が歩み寄り、場内からスタンディングオベーションが送られた。 ホームスタジアムは札幌ドームである。過去のホームゲーム開催スタジアムは『北海道コンサドーレ札幌の年度別成績一覧#ホームゲームの入場者数・主催試合数(年度別・会場別)』を参照。 Jリーグ加盟後に開催したのは札幌厚別公園競技場(札幌厚別)、室蘭市入江運動公園陸上競技場および函館市千代台公園陸上競技場であるが、函館では2016年に5年ぶりのホームゲームを開催した一方、室蘭では2012年から開催されていない。 コンサドーレ札幌発足当初よりホームスタジアムとしていた札幌厚別も、のちにJリーグの基準(Jリーグクラブライセンス制度)を満たさないこととなり、2014年からはJリーグからの許諾を得た特例開催の扱いで数試合に制限して実施しており、Jリーグから2014年度のJ1ライセンス交付時に、札幌厚別の改善計画案について書面での提出を求める「制裁」を受けていた。 2015年から登録上のホームスタジアムは札幌ドームのみとなっており、札幌厚別での開催は北海道日本ハムファイターズや音楽イベント等で札幌ドームを使用する場合など、限られた試合数のみとなっていた。さらに2023年からファイターズの本拠地が北広島市のエスコンフィールドHOKKAIDOに移転する予定であることを受け、コンサドーレの全主管試合(リーグ戦・ルヴァン杯)を開催する意向であると発表。その後発表された2023年度の試合日程にて、札幌ドームではコンサドーレのホームゲームのうちJ1の15試合とルヴァンの予選リーグ3試合の18試合(J1の1試合のみ厚別、残り1試合は会場調整中)を行う予定となった。 札幌ドームは2023年からファイターズの本拠地移転に伴い、コンサドーレの専用スタジアムに事実上なることから、2022年に札幌ドームの運営会社とホームタウン連携協定を締結。経費削減のため、一旦宮の沢白い恋人サッカー場のクラブハウスに移転していたクラブ事務所を同6月の予定で2014年以来7年ぶりに札幌ドームの敷地内に戻すことになった。 また厚別は2024年度から2年間の予定でスタンドなど老朽化所の全面改修を行う関係で閉鎖されるため、2024年度以後は札幌ドームのみで主管試合を行う予定である。 札幌厚別の改修工事(1996年、1998年)、冬季間の積雪による競技場閉鎖、ナイトマッチ用の照明設備が備えられていない等の理由により、道外で公式戦のホームゲームを開催したことがある。 2001年と2002年の高知県での開催は、同年の最初のホームゲームだった。クラブは高知県を準ホームタウンとして定め、2002年には同県でキャンプも実施した。札幌(新千歳空港)と高知(高知空港)を往復するチャーター航空機利用ツアーなども実施したが、入場者数が伸び悩んだため、2002年限りで高知県との準ホームタウン関係を解消した。 なお2018年のJ1の終盤、コンサドーレにAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場の可能性があった際(最終的には出場権は得られなかった)、2月のホームゲーム を札幌ドームであっても開催できず、北海道外でのホームゲーム開催となる可能性が示されていた。 ホームのユニフォームは前身の東芝時代に採用されていた「赤と黒の縦縞」を引き継いでいる。この赤と黒の縦縞を発案したのは、当時東芝サッカー部に選手として在籍していた石崎信弘である。 2023年12月10日現在 アカデミー(育成組織)として、以下のチームを保有している。 クラブ創設の翌年1997年4月にトップチームが当時の練習場として使用されていた栗山町の藤野スポーツ広場を拠点として活動、札幌U-18、札幌U-15も同時に開設された。遠方から栗山町に通うユース選手のために、1998年4月にユース尞を栗山町に開設したが、2003年3月に活動拠点を札幌市東区東雁来に移すため栗山町のユース尞を閉鎖した。同年5月に活動拠点を栗山町から東雁来に移しユース専用の東雁来グラウンドを開設。2005年3月に札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設され、トップ選手と混ざり一部のユース選手が入寮した。同年6月にクラブパートナーでもある進藤病院の院長が練習場運営会社ジャパンスポーツラボを設立し、上川郡東川町に練習場「コンサフィールド東川」を開設した。2016年に釧路で活動していたR・シュペルブ釧路を母体として釧路U-15、釧路U-12を開設し合同でアカデミー活動を開始。2017年4月に東川U-12を発足し、札幌U-12は昨年の活動拠点を更に増やして2カ所で活動。2019年4月に室蘭U-15、室蘭U-12が発足し、現在活動しているジェネラーレ室蘭と合同で活動する。 高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 プレミアリーグは奈良竜樹や榊翔太らを擁して 優勝し初代王者となった。これにより出場したチャンピオンシップは準優勝。2012年のJリーグユース選手権大会で北海道のサッカーのチームとして初めて全国大会を制した。 ベスト4以上を記載 ベスト4以上を記載 ベスト4以上を記載 ベスト4以上を記載 釧路市を本拠地とするR・シュペルブ釧路のU-15を母体にして合同でアカデミー活動。 室蘭市を本拠地とするジェネラーレ室蘭スポーツクラブのU-15を母体にして合同でアカデミー活動。 ベスト4以上を記載 釧路市を本拠地とするR・シュペルブ釧路のU-12を母体にして合同でアカデミー活動。 一般社団法人コンサドーレ北海道スポーツクラブは、株式会社北海道フットボールクラブ(当時)と、学習塾「明光義塾」で知られ、首都圏でサッカースクールも展開する株式会社明光ネットワークジャパンの出資により2014年に設立された一般社団法人による総合型地域スポーツクラブ。代表理事は北海道コンサドーレ札幌ゼネラルマネージャーの三上大勝が兼任。 2001年に北海道フットボールクラブ(当時)により開始。 2014年のコンサドーレ北海道スポーツクラブ設立と同時に移管された。 2014年に、コンサドーレ北海道スポーツクラブを運営母体として、女子サッカーチームが設立 された。チーム名は一般公募により、ライラックのフランス語で『リラ』に決まる。花言葉は『pride(誇り)・beauty(美)』の意味を持つ。2015年度より活動を開始 した(上述)。設立当初は目標として『5年でなでしこリーグ参入』をかかげていたが、『時間をかけた育成』へ転換。セレクション等は行っているものの、現時点では設立以来外部からの補強は行われていない。 2016年度は、A(一軍)・Bチームに分かれて各リーグ戦に参加。全日本女子ユース (U-15)サッカー選手権大会で全国規模の大会デビューを果たした。また、札幌市民体育大会サッカー大会(一般女子の部)にて初優勝し、チーム初のタイトル獲得となった。 2017年度は、所属選手の一部がU-16世代に入り、U-18カテゴリーの試合にも参加。Bチームが参戦している札幌なでしこリーグにて初優勝し、チーム初のリーグタイトル獲得となった。 2018年度は、北海道コンサドーレ札幌が、Jリーグクラブ初となる女子単独U-12チームを設立し札幌地区のカップ・リーグ戦に参加。このチームが将来的に当チームの下部組織的な役割を果たす事が期待されている。 2019年度は、社会人世代が加入し、初めて全世代が揃う事となった。 2020年度は、皇后杯北海道予選で2位となったものの、優勝チームの出場辞退による代替出場チームとなり、これが皇后杯初出場となった。 2021年度は、なでしこリーグ2部入替戦予選大会へ初参加し、上位リーグへの挑戦をスタート。 最高成績を記載 2017年4月8日、日本のプロサッカークラブとして初めて、『北海道コンサドーレ札幌バドミントンチーム』が発足した。監督は吉田仁。5月19日のメンバー追加を経て、9名の選手で活動を開始した。 9月24日、同じくJリーククラブを母体とするAC長野パルセイロバドミントンクラブとの交流戦を開催。 2019年、2部リーグに当たるS/JリーグII昇格を決める。 2018年8月1日、『北海道コンサドーレ札幌カーリングチーム』として発足。 母体となる「4REAL」は2012年に札幌市で設立され、2017年からは北見市移転し、同年と翌2018年に日本選手権準優勝を果たす。 トリノ・バンクーバー五輪女子日本代表監督だった阿部晋也を始めとする同チームの4名にSC軽井沢クラブの一員として平昌五輪に出場した清水徹郎が加入。練習拠点は引き続き北見のままする。 チームの初戦は8月2日から5日まで開かれたどうぎんカーリングクラシック2018。 2018年パシフィックアジア選手権日本代表決定戦を制す。 パシフィックアジア選手権本大会でも日本男子として2年ぶりとなる優勝。 2019年日本選手権で4REAL時代含め初優勝。 同年、初出場となる世界選手権で3位決定戦で敗れメダルを逃すも2016年大会(SC軽井沢クラブ)と並ぶ日本男子最高タイとなる4位。セカンド谷田康真は大会オールスターに選ばれた。 60歳以上の女性によるシニアチアリーディングクラブ。当初はコンサドールズとともに試合を盛り上げる単発イベントだったが、2011年より通年スクールとして開講。 「北海道とともに世界へ」というスローガンを掲げ、このコンセプトに合致するサッカー以外の選手を「コンサドーレパートナーアスリート」と称してコンサドーレ北海道スポーツクラブが協力に当たる。第一号はトライアスロンの細田雄一選手。 2011年6月に札幌市の姉妹都市の大田広域市で開催された「It's Daejeon国際サッカー大会」に出場。本大会がクラブ初の国際試合となる。 2017年7月にタイでムアントンと親善試合を行った。試合は1-0で敗北した。なお、チャナティップは前半は札幌の選手として後半はムアントンの選手として出場した。 1998年、北海道と札幌市からそれぞれ5億円の融資を受けた。 1999年に、札幌市から毎年9000万円の補助金が開始された。2001年には、札幌ドームの年間3000万円近くする使用料を札幌市が負担し、補助金を間接的に受けるかたちとなった。2000年には、北海道からの補助金が開始された。北海道からの補助金は、2000年から2007年は毎年1億円、2008年からは毎年減少して2015年は6600万円となった。 2008年5月に、債務超過解消に向けて約20.5億円の減資を実施し、あわせて増資により2億8421万円の資金を調達した。その結果、債務超過が解消された。 同年4月28日付けで札幌市は、コンサドーレ札幌についての住民監査請求を受けている。その中で、貸付金や補助金等に係る札幌市の支出額全額(貸付金と補助金の合計で約17億円)が損害にあたるという主張がされた。監査請求の回答書には、全国のJリーグ31チームのうち21チームが自治体から補助金を受け、2007年だけの総額で約7億円が自治体からJリーグに補助金として支出されていることが記載された。 2012年、債務超過を解消するため8070万円の増資を行った。 Jリーグライセンスで2014年末時点で債務超過がないことがリーグ戦参加資格の財務基準となり、超過債務状態のコンサドーレ札幌は2013年9月30日付けで、2014年度末までに債務超過を解消する方法についてJリーグクラブライセンス事務局に具体的に提出することが求められた。その後、コンサドーレ札幌は2013年度と2014年度の2年連続で単年度黒字を達成し、債務超過も解消した。 金額の単位: 百万円 金額の単位: 百万円 One Hokkaido Project「私たちの道」(宮澤裕樹、荒野拓馬、進藤亮佑が参加、2019年、 WESS RECORDS) One Hokkaido Project「私たちの道」(宮澤裕樹、荒野拓馬、進藤亮佑が参加) チーム創設時から現在までのキャンプ地の変遷は以下のとおり。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "北海道コンサドーレ札幌(ほっかいどうコンサドーレさっぽろ、英: Hokkaido Consadole Sapporo)は、日本の札幌市を中心とする北海道をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1935年創部の東芝堀川町サッカー部が前身。1996年に同サッカー部が北海道へ移転すると同時に運営会社として株式会社北海道フットボールクラブを設立。同年Jリーグ準会員に承認。1998年よりJリーグ加盟した。2016年より運営会社を「株式会社コンサドーレ」に変更。ホームタウンは「札幌市を中心とする北海道」、ホームスタジアムは札幌ドーム(詳細は#ホームスタジアムを参照)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "チーム名の「consadole(コンサドーレ)」は道民を意味する「道産子(読:どさんこ)」の逆さ読みと、ラテン語の響きを持つ「-ole(オーレ)」を組み合わせたもので、一般公募によって決定された。発足当初のクラブ名はコンサドーレ札幌(コンサドーレさっぽろ)でホームタウンも札幌市1市だけだったが、創立20周年を迎える2016年シーズンからチーム名を「北海道コンサドーレ札幌」に変更し、ホームタウンのエリアも拡大された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "エンブレムは、北海道に生息する日本最大のフクロウ『シマフクロウ』を象徴的に図案化。頂点に羽ばたく翼を持つシマフクロウの盾型の中に、11個の星(結束したイレブン)、勝利を見据えるシマフクロウの眼光(闘志)、ブリザードを表す白ストライプ(攻撃性)を配し、それらが、ホームタウンを意味するリボンの円弧に根ざすデザイン。シマフクロウがモチーフとなり、1997年にマスコットの「ドーレくん」が誕生した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "練習場はオフィシャルスポンサーの石屋製菓が所有する「宮の沢白い恋人サッカー場」と、札幌ドームの敷地内にある天然芝の「屋外サッカー練習場」。クラブ事務所はかつては札幌ドーム内にあったが、2014年1月29日に宮の沢白い恋人サッカー場内のコレクションハウスを改修して事務所を移転した。その後、2023年6月5日に再び札幌ドーム内に移転した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "コンサドールズは、日本サッカークラブ史上初のクラブ専属オフィシャルダンスドリルチームである。1997年5月15日、札幌厚別公園競技場でデビュー。試合開始50分前、選手紹介、選手入場前、ハーフタイム、ゴール後、ゲーム終了後(勝利試合のみ)にパフォーマンスを行う。ミスダンスドリルチーム日本大会で優勝の経験もある。サテライト、ユースなどの下部組織を持ち、若手の育成にも力を入れている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2014年1月19日、漫画「キャプテン翼」の登場人物であり、作中では所属選手である松山光を現実の当クラブにも入団を発表。同時にユース年代の強化を目的とする「松山光プロジェクト」を始動した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "「北海道からJリーグチームを」を合言葉に、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加。東芝時代から監督を務めていた高橋武夫が初代監督を務めた。V川崎からJリーグでの実績を持つブラジル人選手のアルシンドとペレイラを獲得。元ウルグアイ代表経験のあるMFオテーロを獲得した他、第74回全国高等学校サッカー選手権大会の得点王となった初芝橋本高校の吉原宏太が入団した。Jリーグから移籍してきたプロ選手と川合孝治を含む東芝サッカー部から出向してきた社員選手が混在する41人体制のチーム編成となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "第1節福島FC戦で吉原宏太がクラブ第一号となるゴールを決めた。同年に獲得したFWアルシンドが第2節富士通川崎戦で審判への暴言で4試合の出場停止処分となり、更に第9節大塚製薬戦で一発退場を受けると、2日後に自らの申し出によって退団することになった。7月30日にチェコの一部リーグからヨゼフ、ルボシュを獲得し入団。これにより外国人が6人となり外国人枠が5枠しか無かった為、ペルー国籍を持つ吉成大がペルーへ研修生として半年間派遣されることになった。その後、ペレイラが第20節本田技研戦で負傷退場し、守備の要が欠く形となり、チームは流れに乗れず第23節鳥栖戦と第24節東京ガス戦に連敗してしまいJリーグ昇格ができる2位以内が絶望となった。残り6試合をチームが意地を見せ5勝1敗と健闘した。初年度は20勝10敗の5位(全16チーム)の成績でJリーグ昇格できず終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、東芝社員選手の契約更新については、チームに残留する意思を示した社員選手は東芝を退社してプロ契約を結んだ。また、チーム得点王の8点をマークした川合孝治が戦力外通告を受け、1987年から1996年まで東芝サッカー部から務めていた高橋武夫監督が今シーズンを持って退任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "元ウルグアイ代表経験を持つウーゴ・フェルナンデスが監督に就任した。茶木裕司(仙台へ移籍)、平岡宏章(新潟へ移籍)、加藤剛と木島敦と川合孝治と後藤静臣(大分へ移籍)、新明正広と渡邉晋と笠原恵太(甲府へ移籍)、小池大樹と村田信行(熊本へ移籍)、白井淳(市原へ移籍)、パベル、オテーロ、金鍾成ら1996年まで所属していた選手の多くが退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "新たに鳥栖から前身の東芝に在籍していたこともあるパナマ代表のバルデスが復帰、福岡から世界的に有名なディエゴ・マラドーナの実弟であるウーゴ・マラドーナ、磐田からハーフナー・ディド、大塚FCから古川毅と田渕龍二、C大阪から渡辺卓と山橋貴史、コスモ四日市から鳥居塚伸人、市原から新村泰彦ら数名を獲得し、新人では法政大学から赤池保幸、初芝橋本高校の大野貴史、亜細亜大学から黄川田賢司ら数名が加入。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "『チームはファミリー』を合言葉に、リーグ戦前に行われたナビスコカップ予選リーグでV川崎、G大阪、横浜MのJリーグ勢を抑え、2勝3分1敗で1位通過し決勝トーナメントに進出を決めるなどの成績も残した。リーグ戦が開幕し、開幕から6連勝と快進撃を続け、5月25日の第7節川崎戦(厚別)では後半43分に1-3とされ後半44分から怒涛の攻撃を見せバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦へ、最後はバルデスの延長Vゴールによって4-3で勝利した。9月4日の第20節に等々力で川崎と再び対戦し、後半31分に1-3からバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦でバルデスが延長Vゴールを決めた。川崎戦の2試合とも1-3からの延長Vゴールで逆転勝利を収めてた。バルデスとマラドーナのホットラインなどの活躍もあり、10月22日の厚別競技場で行われた第28節大分戦で2-1で勝利して昇格と優勝を決めた。リーグの最終戦も勝利して26勝4敗(全16チーム)でホーム無敗の成績でJFL優勝、Jリーグ昇格を果たした。バルデスは40得点でリーグ得点王となり、この年に7回のハットトリックを成し遂げた。11月18日にJリーグの臨時理事会が東京で開かれ、Jリーグ正会員として正式に承認された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1996年6月13日JFL第10節の鳥栖戦から1997年10月29日第30節ジャトコ戦までの2年間、厚別競技場でリーグ戦21勝0敗の成績を残し『厚別不敗神話』『厚別神話』という神話が生まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "戦いの場をJリーグに移したシーズン。フェルナンデス体制2年目。工藤英章(青森へ移籍)、中吉裕司(大分へ移籍)、小野甲介(新日鉄室蘭へ移籍)、石塚啓次(V川崎へ復帰)、新村泰彦(ジャトコへ移籍)、朝倉徳明ら数名が退団し、森敦彦と冨樫剛一が引退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "新戦力としてC大阪から深川友貴と梶野智、G大阪から木山隆之、柏から加藤竜二と有馬賢二のJリーグ経験者を獲得、本田技研から村主博正とバウテルらを獲得し、Jリーグで戦える戦力を補強した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "1stステージ開幕戦の清水戦ではいきなり1-4と大敗。第4節のG大阪戦でJリーグ加盟後初勝利をあげたが、第7節以降は毎試合2点以上失点し、磐田戦では中山雅史に4試合連続となるハットトリックを献上。1stステージ4勝13敗の16位に低迷。2ndステージは10月中旬の第11節の時点で5勝6敗と持ち直したが、フロントとの意見の不一致からフェルナンデス監督が解任された。後任に石井肇コーチが監督に就き第12節から指揮を執った。10月のシーズン中の補強で柏から棚田伸、横浜Fから埜下荘司、東京ガスから関浩二を獲得。2ndステージの残りの試合は3勝3敗となり、2ndステージ8勝9敗の10位で、年間順位は12勝22敗の14位(全18チーム)となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "1999年からJリーグが2部制に移行するため、Jリーグ下位4チームとJFL優勝チームによるJ1参入決定戦に参加した。コンサドーレが勝利すればJ1参入が決まるという状況で神戸と福岡にホームとアウェイともに敗れ4連敗を喫して、Jリーグ史上初のJ2リーグへの降格チームとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "「1年でのJ1復帰」を目指して1998年FIFAワールドカップ(フランス大会)で日本代表監督として指揮を執っていた岡田武史を監督に招聘。1996年から1998年まで活躍したペレイラ、マラドーナ、バルデスと、渡辺卓(水戸へ移籍)、太田貴光(ジャトコへ移籍)、後藤義一と有馬賢二(横浜FCへ移籍)、バウテル(山形へ移籍)、鳥居塚伸人(図南SCへ移籍)らが退団。ディドと赤池保幸と木山隆之と浅沼達也と山橋貴史が引退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "新たに平塚から名塚善寛、鹿島から佐藤洋平と池内友彦と栗田泰次郎、柏から加藤竜二、横浜FMから桜井孝司、ロナウジーニョの実兄アシス、リカルジーニョ、クレーベルらを獲得。藤枝東高校から河村優と北海道札幌市出身の佐賀一平、磐田東高校から藤ヶ谷陽介らが入団。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "「1年でのJ1復帰」を目標として掲げていたが、第8節時点で3勝5敗と波に乗れずにいた。外国人の活躍が乏しくリカルジーニョとクレーベルの契約を解除し、代わりにビジュ、ジネイを獲得し第15節から出場した。第24節の時点で12勝6分6敗という成績だったが、第25節以降は負けが込み昇格争いに絡むことなく17勝6分13敗の5位(全10チーム)に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "しかし、明るい兆しがあった。吉原宏太が第9節にハットトリックを記録し、チーム得点王となる15得点を取った。U-22オリンピック代表に選出、シドニーオリンピック代表の予備登録メンバーになった。更にはFW中山雅史が負傷離脱したためコパ・アメリカ(南米選手権)に追加招集された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "岡田体制2年目。吉原宏太(G大阪へ移籍)、栗田泰次郎(清水へ移籍)、アシスと棚田伸と関浩二ら数名が退団。期限付き移籍していた林晃平(G大阪)と井手口純(横浜FM)が移籍元へ復帰。埜下荘司と梶野智が引退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "一方、市原から 野々村芳和、G大阪から播戸竜二、京都から大森健作、FC東京からアウミール、V川崎から高木琢也、福岡から森秀昭、川崎から小松崎保、伊藤優津樹、ブラジルのサンパウロFCからエメルソンらを獲得。初めて札幌の下部組織(札幌ユース)から遠国信也がトップ昇格、北海高校の山瀬功治、四日市中央工高校から中尾康二、筑波大学から井上敦史らが入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "少ない予算でJ1昇格を狙うために、主力選手を期限付き移籍で集めてメンバーを固定して戦った。その結果、エメルソンを含む8人がレンタル選手というチーム編成だった。J2を戦うための戦術を確立して、それを実行することができる選手を各ポジションに揃え、14連勝を含む17試合無敗(16勝1分) を含む31勝5分4敗でJ2優勝(全11チーム)し、J1昇格が決まった。また、エメルソンが31得点でJ2得点王を獲得、山瀬功治と藤ヶ谷陽介がU-19日本代表に選出された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "創立5周年を迎えた2001年シーズン。岡田体制3年目。レンタルで獲得した選手、特にエメルソンを完全移籍で残留させるためにサポーターから増資を募り、3億円近くの資金を集めた。増資の最大の目的であったエメルソンは退団したが、大分のウィルをレンタルで獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "開幕戦でC大阪、第2節で柏に連勝。一時は2位に付け、10勝5分15敗の11位(全16チーム)でJ1残留を果たした。ウィルが24得点で得点王を獲得した他、山瀬功治がJ1最優秀新人選手賞を受賞。この年も新人の今野泰幸が高卒1年目でレギュラーを獲得した。シーズン終了後に岡田が監督を退任した。同年完成した札幌ドームの集客効果も加わり、平均観客動員数は2万人を突破した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "監督に元日本代表の柱谷哲二が就任。ウィルが横浜FMへ、播戸竜二が神戸へ移籍。また、名塚善寛、野々村芳和が引退した。ウィルに替わるストライカーとして、ロシアサッカー・プレミアリーグのFCスパルタク・モスクワからブラジル人ロブソン、東京Vから小倉隆史、G大阪から小島宏美らを獲得した。しかし、ロシアリーグ得点王(後にこの経歴は虚偽と判明)、UEFAチャンピオンズリーグ出場という肩書きをひっさげて鳴り物入りで加入したロブソンが全く振るわず、さらにワールドカップ開催による札幌ドームの利用制約からホームゲームすら遠隔地で開催せざるを得ないというスケジュールの厳しさもあり、チームは開幕から黒星を重ねた。結局ロブソンは同年加入したマクサンドロと共に5月末に退団。6月に柱谷は監督を解任された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "後任の監督として リーガ・エスパニョーラ「レアル・オビエド」のチームコーディネータを務めていたラドミロ・イバンチェビッチを招聘し、また同じくユーゴスラビア(現セルビア)人バーヤック、ブラジル人ジャディウソンの2人の外国人選手をはじめ、日本人選手も次々と獲得して立て直しを図ったが、成績は上向かずにイバンチェビッチは9月に辞任した。後任に張外龍が就任したが、2ndステージ第11節の鹿島戦に敗れて、2度目のJ2降格が決定。シーズン通算で5勝1分24敗の最下位(全16チーム)に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "1年でのJ1復帰を掲げ、監督に鹿島や名古屋で監督を務めたジョアン・カルロスを招聘。また横浜FMを退団したウィルが復帰し、ホベルッチ、ベットという2人の元ブラジル代表選手を獲得した。一方、ジョアン・カルロスと確執のあった小倉が退団した他、山瀬功治が浦和へ移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "シーズンに入り、ベットがホームシックで退団、ケガで療養中のウィルが深夜の繁華街で傷害事件を起こしそのまま退団、ホベルッチもジョアン・カルロスとの確執で退団と、外国人選手全員がシーズン半ばで退団した。その後ビタウ、元大分のアンドラジーニャ、元名古屋のウリダを獲得したが、第26節の新潟戦で大敗を喫しジョアン・カルロスが辞任。後任は再び張外龍となったが、昇格争いに絡めないまま13勝13分18敗の9位(全12チーム)でシーズンを終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "人件費等の経費圧縮により経営の黒字化を図り、若手主体のチーム編成とユースチームの強化を軸とする長期育成計画の「5段階計画」を立て、レンタル移籍や外国籍選手に頼らずにJ1で安定して戦えるチーム作りを目指す方針を制定。中心選手だった今野泰幸や高年俸のベテラン・外国籍選手が退団した一方、ユースから鈴木智樹と蛯沢匠吾、高卒で上田常幸、上里一将、桑原剛、斉川雄介、大卒で河端和哉、鎌田安啓など新人選手8人、テスト生から入団した静岡FCの清野智秋を獲得した。また、磐田元監督の柳下正明が監督に就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "開幕から第4節まで負けなしだったが、三原廣樹が怪我で戦線離脱したことや新居辰基と中尾康二の不祥事による契約解除(解雇)といった事態が起こったため、シーズン途中で横浜FMから金子勇樹、神戸から西嶋弘之を獲得、前年に特別指定選手としてチームに加わっていた権東勇介と正式契約したが、勝利を度外視して若手育成にあてたメンバー構成のチームでなかなか勝ち点を重ねることが出来ず、5勝15分24敗でJ1経験チーム初のJ2最下位(全12チーム 当時は下位リーグとの降格制度はなかった)に終わった。天皇杯はJ1の市原、大分を破りベスト8に進出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "柳下体制2年目。GK藤ヶ谷陽介がG大阪へ移籍した一方、広島から林卓人と中山元気、鹿島から池内友彦、磐田から高原寿康と加賀健一を獲得し、大卒の徐暁飛、ユースの石井謙伍と野田達郎が入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "前年と同じく5位以内を目標に掲げてシーズンに臨んだが、堀井岳也、上里一将、西澤淳二らが負傷により長期離脱を余儀なくされたことによりチーム力が低下したものの、シーズン中盤に浦和から西谷正也、水戸からデルリスを獲得。西谷は攻撃力の向上に大きく寄与した一方、得点力が期待されたデルリスはチーム戦術に合わず、満足な成績を挙げることができないまま2006年限りで退団した。チームは17勝12分15敗の6位(全12チーム)でシーズンを終え、当初目標としていた5位以内には入らなかったものの、第4クール後半までJ1昇格戦線に食い込む活躍を見せた。特に、DFの要として期待された池内はチームトップの11得点と2桁得点を挙げ、守備だけではなく攻撃でもチームに貢献した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "シーズン中にクラブ取締役が女子中学生買春容疑で逮捕されるという不祥事があった。3月、札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "創立10周年を迎えた2006年シーズン。柳下体制3年目。川崎からフッキ、千葉から芳賀博信、山形から大塚真司と川崎健太郎、水戸から関隆倫、アルビレックス新潟シンガポールから野本安啓、名古屋からセバスティアンを獲得し、ユースから藤田征也と西大伍が昇格した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "リーグ戦序盤はフッキの出場停止や大塚ら主力の怪我も影響し、10試合連続未勝利など成績は低迷した。中盤戦以降は状況は改善していったが、20勝12分16敗の6位(全13チーム)で終了した。しかし、第41節湘南戦、第42節徳島戦ではクラブ史上初の2試合連続6得点を挙げるなど、歯車が噛み合った試合では爆発的な攻撃力を発揮した。「走って繋いで撃ちまくれ それが札幌スタイル」という横断幕も登場し、3年間継続した攻撃的サッカーが根付いたシーズンとなった。天皇杯ではJ1の千葉、新潟、甲府を破り初のベスト4に進出。シーズン終了後に柳下が退任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "元大宮監督の三浦俊也が監督に就任。フッキが東京Vへ移籍、加賀健一が所属元に復帰したが、2006年に途中加入したGK佐藤優也を甲府から完全移籍で獲得。さらにC大阪からDFブルーノ・クアドロス、ECヴィトーリアからFWダヴィ・MFカウエ、大宮からGK高木貴弘、高卒ルーキーの岡本賢明と岩沼俊介を獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "堅守速攻を武器にリーグ序盤に7連勝を果たすなど順調に勝ち点を積み上げ、シーズン途中から首位に浮上。一時は2位に勝ち点差10以上をつける独走状態だったが、シーズン当初から連携強化の為に出場選手を固定してきたことによる主力選手の疲労の蓄積や、台風接近による試合順延で不運な日程を余儀なくされるなど、第3クールとなる8月後半頃から急激に失速、他チームに勝ち点差を詰められ熾烈な昇格争いに巻き込まれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "この苦しい終盤戦に3年目の石井謙伍、2年目の西大伍、新人の岡本などの若い選手や横浜FCから途中移籍した鄭容臺が起用に応えて活躍し、第45節から48節まで4連勝を飾って首位を死守。最終節の水戸戦に勝利してJ1復帰を果たした。また、東京VがC大阪と引き分けたことでJ2優勝(27勝10分11敗)も決めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "三浦体制2年目。広島から吉弘充志を完全移籍で、神戸の坪内秀介、清水の平岡康裕、新潟のMFディビッドソン純マーカスをレンタル移籍で獲得、新人は室蘭大谷高校の宮澤裕樹と柏U-18の堀田秀平が入団した。一方でブルーノ・クアドロスが退団。新加入した元柏のMFアルセウはキャンプ中に退団したが(その前日の親善試合で監督が指示した守備的なプレーに反発し、相手チームの選手に対する暴力行為で退場したことが発端)、新たにアトレチコPRから元名古屋のMFクライトンを獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "リーグ戦は、中断期間突入時点で降格圏内の17位。FWアンデルソンや川崎から箕輪義信を獲得したが、10月19日の第29節柏戦に敗れて1年でのJ2降格、10月26日の川崎戦に敗れ、最下位が確定。12月6日の最終節で鹿島に敗れて目の前で優勝を決められた。年間順位は4勝6分24敗の最下位(全18チーム)となった。三浦は来シーズンも続投を要請されていたが、降格の責任としてシーズン終了後に辞任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "大分や柏の元監督の石崎信弘が監督に就任。ダヴィが名古屋へ移籍、西澤淳二・池内友彦・西谷正也・アンデルソンなど10人以上の選手(レンタル選手も含む)が退団した。一方でチームの大黒柱でもあり、退団が噂されていたMFクライトンが残留、前シーズン途中に期限付きで加入した箕輪義信を完全移籍で獲得した。またダヴィの移籍に伴い、移籍先の名古屋から3億円近くの高額な移籍金が入った為、更なる補強を断行した。具体的には、スウェーデンのユールゴーデンIFからFWキリノ、コロンビアのインデペンディエンテ・メデジンからMFダニルソン、アジア枠で韓国の浦項からDF趙晟桓(チョウ・ソンファン)と3人の新外国人選手を獲得。また、日本人では大宮からGK荒谷弘樹を獲得した。新人は沖縄大学から上原慎也が入団、曵地裕哉、古田寛幸がユースから昇格した。7月、MFクライトンが以前から抱えていた怪我が悪化。残りのシーズンに出場出来ないと判断され退団、代わりにハファエルが加入した。さらに、シーズン途中には柏の石川直樹をレンタル移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "若手中心の布陣のため連勝・連敗の浮き沈みが激しかった。勝ち切れない試合も多く(J2最多の16引分)、年間順位21勝16分14敗の6位(全18チーム)で終了した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "石崎体制2年目。西大伍が新潟へ、ダニルソンが名古屋へレンタル移籍、曽田雄志が現役を引退した一方、6チームとの競合を制して磐田から中山雅史を獲得。FC東京から藤山竜仁と近藤祐介、愛媛から内村圭宏、広島から李漢宰を獲得した。シーズン途中に清水の高木純平をレンタル移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "開幕に躓き、5・6月は無敗も5分と勝ち点を伸ばせず、7月以降は怪我人が出るなど1年を通して昇格争いに加わることもなく、年間順位11勝13分12敗の13位(全19チーム)で終了した。終盤は怪我による離脱者が多く、ベンチ入り可能な18人のメンバーを埋められない試合もあった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "創立15周年を迎えた2011年シーズン。石崎体制3年目。6年半在籍した西嶋弘之が徳島へ、ユース時代から在籍していた藤田征也とキャプテンを務めた石川直樹が新潟へ、佐藤優也が北九州へ、吉弘充志が愛媛へ、堀田秀平が新潟シンガポールへ、李漢宰が岐阜へ、新潟にレンタル移籍していた西大伍が鹿島へ完全移籍した。また、藤山竜仁が引退、箕輪義信が退団するなどし、多くの選手がチームを去った。一方、新潟から高木貴弘、C大阪から山下達也、鳥栖から日高拓磨、横浜FMから河合竜二を獲得、レンタル移籍だった高木純平は完全移籍となり、三上陽輔がユースから昇格し、室蘭大谷高校の櫛引一紀が入団した。外国人ではチアゴ(元京都)、ユニバーシアード韓国代表のイ・ホスン、ブラジルのクラブからブルーノ、元徳島のアンドレジーニョを獲得した。なお、また、砂川誠は2010年シーズン後に退団したが、2011年シーズン前に再契約した。また、キャンプに練習生として参加していた西村卓朗と契約を締結した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "シーズン中に、アンドレジーニョがAリーグのパース・グローリーFCへ移籍、チアゴが退団するも、浦項スティーラースから岡山一成、ブラジルのクラブからジオゴ、レモスが加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "J2開幕戦の愛媛戦に敗れ、東日本大震災の影響による1ヶ月半の中断期間を挟んだ後のホーム開幕戦となる湘南戦にも敗れるなど第11節(4試合目)時点で18位と低迷したが、7月から9月まで10勝3分2敗の成績で9月21日に3位へ浮上。徳島と勝ち点で並んだ第38節、札幌ドームに歴代2位となる観客数39,243人を記録したFC東京戦に勝利。21勝5分12敗の3位(全20チーム)となり、4年ぶりにJ1復帰を果たした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "石崎体制4年目。山下達也がC大阪に、2年間レンタル移籍していたダニルソンが名古屋に、ブルーノがグアラニFCに、ジオゴが徳島にそれぞれ完全移籍、レモスは契約満了により退団、西村卓朗が引退、上里一将が徳島にレンタル移籍した。一方で、鹿島から杉山哲、広島から髙柳一誠、大分から前田俊介、清水から山本真希、新潟から大島秀夫、FC東京からオーストラリア代表のジェイド・ノースを完全移籍で、ジュニーニョをレンタル移籍で獲得。前年に大邱FCにレンタル移籍していたキリノが復帰。さらにユースからシーズン終盤に活躍した奈良竜樹をはじめ、荒野拓馬、小山内貴哉、前貴之、榊翔太がトップへ昇格した。なお、湘南から完全移籍の松尾直人はFC大阪へ移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "なお、室蘭市入江運動公園陸上競技場と函館市千代台公園陸上競技場がJリーグクラブライセンス制度のスタジアム基準を満たさなかったため、初めて全ホームゲームを札幌で開催した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "リーグ戦は第2節から7連敗。第9節のC大阪戦で初勝利を挙げたが、第10節から9連敗を喫した。7月、全北現代モータースより金載桓(キム ジェファン)をレンタル(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消)、ナウチコからハモンとフォス・ド・イグアスFCからテレを完全移籍で獲得。一方でキリノが湘南へ完全移籍、横野純貴が金沢へレンタル移籍し、ジュニーニョと契約解除した。その後も成績は伸びないどころか逆に敗退を重ね、これで負けてしまえば自力での挽回が不可能という状態となった9月29日の第27節の川崎戦でも惨敗。これによってJ2降格が完全に決定(9月中の降格決定はJリーグ史上初、7試合を残しての降格決定は史上最速)。年間順位は4勝2分28敗の勝点14で最下位(全18チーム)。連勝は無く、アウェー13連敗、年間28敗、総失点88、得失点差-63はJ1ワースト記録。勝点14はJ1がリーグ戦18チーム年間34試合制となって以降最低の記録である。シーズン終了後、石崎は監督を退任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "監督に札幌のユース及びトップチームコーチを務めた室蘭市出身の財前恵一が就任。財前はチーム初のOB、北海道出身者の監督となった。また、3月に札幌OBの野々村芳和が北海道フットボールクラブの代表取締役社長に就任。強化費が前年の推定5億円から推定2億5000万程度に減額されるのを受けて本来なら契約延長を行いたい主力級の選手にも契約満了後他チームへの移籍を容認せざるを得ない状況に追い込まれた。中山雅史、元主将の芳賀博信が引退、高原寿康及び高木純平(共に清水へ移籍)、岡山一成(奈良クラブへ移籍)、高木貴弘(岐阜へ移籍)、山本真希(川崎へ移籍)、髙柳一誠(神戸へ移籍)、大島秀夫(北九州へ移籍)が契約満了に伴い退団、金載桓がレンタル終了で全北現代へ復帰、ハモンがブラジルクラブに、ジェイド・ノースがブリスベン・ロアーFCに、近藤祐介が栃木SCに、岩沼俊介が松本山雅に完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "一方、讃岐から趙成眞(チョ ソンジン)を完全移籍で、ブラジルのクラブからパウロンをレンタル移籍、2年間FC東京・徳島にレンタル移籍していた上里一将、金沢にレンタル移籍していた横野純貴が復帰、また、東洋大学で札幌ユースU-18出身の松本怜大が入団、前年度にJユースカップで全カテゴリを通じて初の全国優勝を達成したユースから中原彰吾、永坂勇人、堀米悠斗、神田夢実、阿波加俊太、深井一希の6人がトップへ昇格した。3月にタイのコーンケンFCとクラブ間提携パートナーシップを結び、シーズン中に中原、永坂がコーンケンFCへレンタル移籍した。シーズン中にはテレが規律違反で退団(その後町田へ移籍)したが、2014シーズンの加入が内定している阪南大学の工藤光輝を特別指定選手で登録。7月、練習生として参加していたフェホ、ベトナム代表のレ・コン・ビンをレンタル移籍で獲得(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消。契約は継続。)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "開幕戦で2006年以来の勝利を収めたが、第2節から3連敗し第4節終了時点で21位まで落ちる。その後は大きな連敗はないものの大きな連勝もないという一進一退の展開が続き、第2節から第24節までは2桁順位が続く。第25節で開幕戦以来の1桁順位となる9位に浮上した後は、第29節で11位、第36、38節で10位になった以外1桁順位を維持し、第39節からシーズン初の3連勝を達成したことにより、最終節に勝利すれば得失点差と他の対戦カードの関係で自力でのプレーオフ進出が決まるところまで迫ったが、最終節の北九州戦で引き分けたためプレーオフ出場は成らなかった。なお、最終成績は20勝4分18敗の8位(全22チーム)。天皇杯は4回戦で甲府に敗北した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "財前体制2年目。曵地裕哉(愛媛へ移籍)、三上陽輔(富山へ移籍)が退団、岡本賢明が熊本へ、フェホが中国の北京八喜足球倶楽部へ、趙成眞が韓国の水原三星へ完全移籍、横野純貴がタイのコーンケンFCへ、堀米悠斗が福島へ、神田夢実と阿波加俊太が相模原へレンタル移籍、レ・コン・ビンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "一方、愛媛から5年ぶりに復帰になる石井謙伍、長崎から金山隼樹、栃木から菊岡拓朗、川崎から薗田淳、神戸から都倉賢、韓国の慶南FCから丁成勳(チョン ソンフン)、オランダ2部のアルメレ・シティFCからステファノを完全移籍で、ブラジルのクラブからヘナンをレンタル移籍で獲得、中原彰吾、永坂勇人がレンタル移籍から復帰、昨シーズン特別指定選手で登録していた工藤光輝、北海道教育大学の上原拓郎が加入、ユースから前寛之、内山裕貴がトップへ昇格した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "シーズン中には、1月に仮契約していた小野伸二がオーストラリアAリーグのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCから完全移籍で加入、李昊乗の負傷離脱に伴い相模原へレンタル移籍していた阿波加俊太が育成型レンタル移籍契約を解除し復帰した。また、前貴之が富山、古田寛幸が讃岐へレンタル移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "開幕戦で前年J2降格の磐田にアウェーで勝利するも下位に低迷。一時は17位まで順位を落とし、第24節から第28節までの間5戦連続で勝利がなかったことや、途中加入の都倉賢の起用に消極的であったことから、8月28日に成績不振を理由に財前監督を解任し、新監督にかつて愛媛で監督をしていたイヴィッツァ・バルバリッチが就任した。なお来日の関係で指揮を振るうのが第31節の岐阜戦からのため、第29・30節はコーチの名塚善寛が監督代行として指揮することになった。監督交代後は、都倉が積極的に起用されるようになり、都倉もバルバリッチの期待に応える活躍を見せた。また、3バックを使用するようになった。監督交代後4勝2敗5分の成績を残したが、最終的には15勝14分13敗の10位(全22チーム)の成績に終わりプレーオフ進出を逃したものの、チームの状況を立て直した手腕を高く評価してバルバリッチの続投が決まった。天皇杯は2回戦で清水に敗北した。また、女子サッカーチームとして「北海道リラ・コンサドーレ」を創設し、宗像訓子が初代監督に就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "バルバリッチ体制2年目。日高拓磨(富山へ移籍)、前年タイリーグにレンタル移籍していた横野純貴(福島へ移籍)、松本怜大(町田へ移籍)、上原拓郎(熊本へ移籍)、丁成勳、ステファノ(インドネシア・スーパーリーグのペルシジャ・ジャカルタへ移籍)が契約満了、ヘナンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。またイ・ホスンが湘南へ完全移籍、奈良竜樹がFC東京へ、工藤光輝が相模原(7月からは盛岡)、内山裕貴がシンガポールSリーグのホウガン・ユナイテッドFCへレンタル移籍した。シーズン中には、小山内貴哉が長野、砂川誠が岐阜へレンタル移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "一方、川崎から元日本代表の稲本潤一、岐阜から前年J2得点4位のナザリト、甲府からインドネシア代表のイルファン、C大阪から韓国U-21代表のク・ソンユン(具聖潤)を完全移籍で、川崎から福森晃斗、ブラジルのアヴァイFCから前年東京Vに所属していたニウドをレンタル移籍で獲得、古田寛幸・前寛之・前貴之・堀米悠斗・神田夢実がレンタル移籍から復帰、ユースから進藤亮佑がトップへ昇格した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "開幕戦で勝利し、5月には都倉が6得点でJ2月間MVPを獲得する活躍などがありチームも好調。前半21試合でアウェー戦負けなしのプレーオフ圏内の6位で折り返した。ところが後半戦に入ると3連敗するなど第19節から7試合勝利がなく、7月24日にバルバリッチ監督を解任してU-18監督の四方田修平が就任したが、新監督就任直後から4試合連続無得点、前監督時代から含めて12戦連続勝利なしなどチームは勝ちきれず、最終的には14勝15分13敗の10位(全22チーム)でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で鳥栖に敗北した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "創立20周年を迎えた2016年シーズン。運営会社名を株式会社北海道フットボールクラブから株式会社コンサドーレへ、チーム名をコンサドーレ札幌から北海道コンサドーレ札幌へ(但し公式記録などの略称については従前に同じ)、ホームタウンを札幌市から札幌市を中心とする北海道へ変更。 また、リージョナルマーケティング及びF-Powerと共同事業契約を結び、「株式会社エゾデン」を設立。小売電気事業者として電気事業に参入した。また、博報堂DYメディアパートナーズと7年にわたってクラブビジネス戦略パートナー契約を締結した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "四方田体制2年目。前年に岐阜へレンタル移籍していた砂川誠が引退、古田寛幸(金沢へ移籍)、前田俊介(鳥取へ移籍)、薗田淳(熊本へ移籍)、菊岡拓朗(相模原へ移籍)、ナザリトが契約満了、二ウドがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。また、FC東京にレンタル移籍していた奈良竜樹が川崎へ完全移籍、長野にレンタル移籍していた小山内貴哉とパウロンが福島へレンタル移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "一方、神戸から増川隆洋、ブラジルのECバイーアからヘイスとマセード、オペラリオ・フェロヴィアリオECからジュリーニョを完全移籍で獲得。さらに、阿波加俊太と内山裕貴がレンタル移籍先から復帰した。またシーズン途中には鳥栖から菊地直哉が期限付き移籍で加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "開幕5戦で3勝1分1敗といいスタートを切ると、5月3日の第11節で首位に立った。試合では先制した後に無失点に抑える1-0での勝利(ウノゼロ勝利が11試合)、5年ぶりの函館開催となった第21節横浜FC戦や第25節岐阜戦のような5点を取っての勝利など、攻守がかみ合い好調をキープし、ホームでは開幕から18試合無敗(16勝2分)で昨年から続いていた無敗記録がJ2タイ記録の23試合まで伸ばした。しかし、終盤に差し掛かり第37節東京Vにホームで敗戦し、ホーム無敗のJ2新記録を逃してからの4試合を1勝3敗で昇格へ足踏みが続いた。サポーター3000人以上がアウェーに駆け付けた第41節千葉戦で劇的な逆転勝利。引き分け以上でJ1昇格とJ2優勝が決まる最終節のホーム金沢戦で引き分けて、25勝10分7敗の1位(全22チーム)となり、J2最多記録となる9年ぶり3回目のJ2優勝と、5年ぶり5回目 のJ1昇格が決まった。天皇杯は2回戦で岡山に敗北した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "四方田体制3年目。11年間在籍していた上里一将(熊本へ移籍)をはじめ、神田夢実(愛媛へ移籍)、内山裕貴(鳥取へ移籍)、イルファン(バリ・ユナイテッドへ移籍)、盛岡へ期限付き移籍していた工藤光輝(引退)が契約満了、前貴之が山口、櫛引一紀が名古屋、中原彰吾がG大阪、福島へレンタル移籍していたパウロンが水戸へレンタル移籍、堀米悠斗が新潟、小山内貴哉がレンタル移籍先の福島へ完全移籍した。また、シーズン途中には阿波加俊太が育成型期限付き移籍で愛媛へ、永坂勇人が水戸へレンタル移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "一方で、仙台からキム・ミンテと金園英学、鳥栖から早坂良太、神戸から田中雄大、横浜FMから兵藤慎剛を完全移籍で、大宮から横山知伸をレンタル移籍で獲得。レンタル移籍だった福森晃斗は完全移籍となり、菊地直哉はレンタル移籍期間が延長され、U-18から前年2種登録選手で出場していた菅大輝と濱大耀が昇格した。またシーズン中には、2016年12月に仮契約していたタイ代表のチャナティップ・ソングラシンがタイ・リーグのムアントン・ユナイテッドFCからレンタル移籍で、仙台から6年半ぶりの復帰となる石川直樹を完全移籍で獲得。また昨年まで磐田でプレーしていたジェイが加入した(それに伴い外国籍枠の関係で負傷で長期離脱が決まっていたジュリーニョの選手登録を抹消)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "開幕5戦を1勝1分3敗の勝ち点4と2005年以降のJ1昇格チームがJ1残留している勝ち点5に届かず、第11~16節には6連敗するなど前半は残留圏ぎりぎりの15位で折り返した。後半初戦となる第18節大宮戦では0-2から福森がJ1史上7人目となるFKでの2得点で同点とし、第24節仙台戦・第25節磐田戦に勝利して16年ぶりのJ1で連勝した。その後夏以降に加入したチャナティップ、ジェイ、石川直樹らがかみ合うと10月以降も第29節柏戦・第30節FC東京戦でも連勝、第32節清水戦に勝利して2001年以来16年ぶりとなるJ1残留を決めた。その後も16年ぶりとなる3連勝で締めくくり12勝7分15敗の11位(全18チーム)で終了した。5年ぶりの出場となったルヴァンカップはプレーオフステージでC大阪に敗退、天皇杯は2回戦で福島県代表のいわきFCに敗れ、初戦敗退となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "監督に約11年に亘って広島と浦和で指揮し、2017年J1第19節の札幌戦翌日に浦和を解任となったミハイロ・ペトロヴィッチが就任。前年まで監督を務めていた四方田修平は監督を退任し、ヘッドコーチに就任した。増川隆洋(京都へ移籍)、石井謙伍(タイのサムットサーコーンFCへ移籍)、マセード(ブラジルのCAブラガンチーノへ移籍)が契約満了、杉山哲が東京ユナイテッドFC、金山隼樹が岡山、上原慎也が愛媛、前貴之が前年レンタル移籍先の山口、櫛引一紀が前年レンタル移籍先の名古屋に完全移籍した。また、前寛之が水戸、金園英学が甲府、前年G大阪にレンタル移籍していた中原が長崎へレンタル移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "一方で、愛媛から白井康介、広島から宮吉拓実を完全移籍で、川崎から三好康児、浦和から駒井善成、京都から菅野孝憲をレンタル移籍で獲得。レンタル移籍だった菊地直哉と横山知伸は完全移籍となり、U-18から前年2種登録選手でカップ戦に出場していた藤村怜が昇格、レンタル移籍だった阿波加俊太、昨シーズン途中でケガにより登録抹消されていたジュリーニョが再登録された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "シーズン開始前の、2018年2月8日と2月10日の2日間、アロハスタジアムで開催された「パシフィックリムカップ2018」に出場し、優勝した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "シーズン中には横山知伸が熊本、ジュリーニョが山口へレンタル移籍、ヘイスは契約解除(のちに新潟へ移籍)した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "フォーメーションは前年までと同じ[3-4-2-1]だが、攻撃時にはボランチの一人が下がり左右のCBがサイドに広がってSBのようになり、両WBが高い位置を取ることで5トップの形になる[4-1-5]、また守備時には両WBが最終ラインまで下がって5バックの形になる[5-4-1]で、いわゆる「ミシャ式」と呼ばれる可変システムを採用した。また左右CBの福森と進藤の攻撃力を生かすために、攻撃時に両ボランチを1列下げて中央CBと3CBを形成し、左右CBを1列上げる[5-0-5]システムを採用することもあった。前年までのしっかり守ってロングボールなどで長身FWにあてる形を時折織り交ぜつつ、GKを含めた最終ラインからボールをしっかりつないでいくスタイルをキャンプから繰り返し練習してシーズンを迎えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "序盤は連携面でのミスが重なりカップ戦を含む公式戦5試合で1勝4敗11失点と結果が出せなかったが、第4節に前年J1昇格をした長崎戦にシーズン初勝利すると第14節のFC東京戦までクラブ最長記録となる11試合負け無し(7勝4分)で第12節終了時には3位に浮上、ロシアワールドカップによるJ1リーグ戦中断前を5位で終えた。再開後も第23節FC東京戦は0-2から逆転で3-2にするなど好調を維持し、第25節までの3試合を3連勝で9月の中断期間に入った。中断期間中の9月6日に北海道胆振東部地震が発生して北海道全域がブラックアウトとなるなど大きな被害を受け、選手やスタッフは自宅待機となるなど練習やコンデションに影響を及ぼした。再開後の第26節の川崎戦では0-7と大敗し次節の鹿島戦にも負けて連敗したが、第30節まで暫定4位から7位の間を推移し台風の影響で延期していた第18節の振替試合 に勝利してクラブ初となる2年連続J1残留を決めた。第33節の磐田戦に勝利して勝ち点54とすると最終第34節は勝ち点56で2位の広島と直接対決となり、勝利すれば2位となる可能性のあるホームに34,250人が集まる中、試合は前半21分までに2点をリードしながらも後半に同点に追いつかれそのまま引き分けた。その結果、AFCチャンピオンズリーグ2019の出場権は獲得できなかったが、15勝10分9敗の4位(全18チーム)とクラブ史上J1最高成績で終え、大躍進のシーズンとなった。なお、ルヴァンカップは予選敗退、天皇杯はベスト16だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "シーズン終了後の2018Jリーグアウォーズにおいて、チャナティップがベストイレブン、ペトロヴィッチが優秀監督賞(J1)に選出された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "ペトロヴィッチ体制2年目。9年間在籍していた内村圭宏(FC今治へ移籍)や8年間在籍していた河合竜二(引退)をはじめ、田中雄大(秋田へ移籍)、菊地直哉(福岡へ移籍)、稲本潤一(相模原へ移籍)、熊本へレンタル移籍していた横山知伸(9月に岐阜へ移籍)、山口へレンタル移籍していたジュリーニョ、水戸へレンタル移籍していた永坂勇人(7月に北海道リーグ・十勝へ移籍)が契約満了、三好康児がレンタル移籍期間満了に伴い退団(その後横浜FMへレンタル移籍)、都倉賢がC大阪、宮吉拓実が京都、兵藤慎剛が仙台へ完全移籍、前寛之が前年レンタル移籍先の水戸、金園英学が前年レンタル移籍先の甲府に完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "一方で、京都から岩崎悠人、長崎から鈴木武蔵、仙台から中野嘉大、FCソウルから元広島のアンデルソン・ロペスを完全移籍で、ECヴィトーリアからルーカス・フェルナンデスをレンタルで獲得。U-18から前年2種登録選手でカップ戦に出場していた中村桐耶が昇格、直前の高校サッカー選手権で優勝した青森山田高校から檀崎竜孔が加入。菅野孝憲はレンタル移籍期間が延長され、2年間G大阪と長崎へレンタル移籍していた中原彰吾が復帰、レンタル移籍で加入していたチャナティップ、駒井善成が完全移籍となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "シーズン中には2020シーズンの加入が内定している日本大学の金子拓郎と札幌ユース出身で筑波大学の高嶺朋樹、大阪体育大学の田中駿汰を特別指定選手で登録した。小野伸二が琉球に、中原彰吾が仙台に完全移籍、中村桐耶がHonda FCに育成型期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "シーズン序盤では第2節アウェー浦和戦に完勝し、第3節ではロペスの4得点の活躍などで13シーズン振りにホーム開幕戦に勝利した。その後失点が多く3連敗したが、第7節にキム・ミンテを中央CBに入れてから守備が安定してクラブ初のJ1リーグ4連勝を記録するなど前半を6位で終えた。同時期にクラブの選手が各国代表に選出されるようになった。3月には鈴木がクラブ20年ぶりに日本代表に選出されると、菅はユース出身で初となるコパ・アメリカに臨む東京五輪世代中心で構成された日本代表に選出された。また、進藤も11月の国際親善試合での日本代表に選出された。韓国代表のクソンユン、タイ代表のチャナティップ、日本代表の鈴木はFIFAワールドカップ・アジア2次予選に定期的に選出されるようになると、J1リーグ戦・ルヴァン杯・代表戦で過密日程となり、シーズン後半は1度も連勝できずに最終的に13勝7分14敗の10位(全18チーム)で終了した。天皇杯は2回戦敗退となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "シーズン終了後のEAFF E-1サッカー選手権2019の日本代表に鈴木と菅と特別指定選手の田中が選出され、鈴木は中国戦、菅は香港戦で代表初ゴールを記録した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ルヴァンカップではJ2に降格した長崎、前年のファイナリスト(優勝した湘南、準優勝の横浜FM)が同居するグループAを1位で突破。プレーオフの磐田戦はロペスの3得点などの活躍で2戦合計4-2(アウェー:第1戦2-1、ホーム:第2戦2-1)で1997年以来21年ぶりに決勝トーナメント(プライムステージ)に進出。準々決勝の広島戦でもアンデルソン・ロペスの3得点の活躍や福森の直接FKなど2戦合計4-3(ホーム:第1戦3-2、アウェー:第2戦1-1)で準決勝に進出。準決勝は直前のリーグ戦と合わせて10日間で3連戦となるG大阪が相手。直前のリーグ戦で0-5と大敗した同地でのアウェー第1戦は、先制点を許したが後半42分にCKからキム・ミンテが同点ゴール。終了間際に失点して1-2で敗れはしたが、貴重なアウェーゴールを獲得した。ホーム第2戦はJリーグ杯でのクラブ史上最多となる15996人の観客動員を記録する中、後半31分の鈴木のゴールを守りきり1-0で勝利。2戦合計2-2もアウェーゴール数の差で公式戦初となる決勝に進出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "決勝はJ1リーグ戦でこれまで1度も勝利をした事がない川崎と対戦。前日の関東地方の悪天候の影響で当日の飛行機が一部欠航する中、北海道から会場となる埼玉スタジアム2002まで別の移動手段を急遽手配して何とか辿り着いたり、行けなくなったサポーターも多くいた。それでもゴール裏を埋め尽くす程の多くのサポーターが駆けつけて48119人の観客動員を記録。試合は前半10分に右WBの白井からのクロスを左WBに入った菅のボレーシュートで先制するも、その後は川崎が徐々に押し返す展開となりアディショナルタイムに左CKから阿部浩之に押し込まれて1-1で前半を終了した。後半も川崎に主導権を握られ、後半43分に小林悠に決められて1-2となるも、後半アディショナルタイムのラストプレーで福森の右CKに深井が頭で得点し同点に追いつき試合は延長戦に突入した。延長前半4分にピッチ中央付近から個人技で中央突破を図ったチャナティップに対して川崎の谷口彰悟が後ろから倒してファールの判定。一度はイエローカードを提示されたが、ビデオ・アシスタント・レフェリー (VAR)が介入しオンフィールドレビューとなった結果、「決定的な得点の機会の阻止」と判断されてレッドカードが提示され退場となった。さらに、このファウルで得たフリーキックを10月21日のトレーニング中に負傷して左腓腹筋の肉離れで欠場した宮澤に代わってキャプテンを務めた福森が直接ゴールし勝ち越しに成功。しかし延長後半4分に再び小林に決められ3-3のまま120分でも決着つかずにPK戦となった。PK戦では4人全員(ジェイと替わって途中出場のロペス、鈴木、深井、白井と替わって途中出場のフェルナンデス)が成功したのに対して川崎は4番手の車屋紳太郎が失敗し、5人目を終えて3-2。福森との交代で出場した5番手の石川が決めれば初優勝となる(聖杯が津軽海峡を超える)状況で新井章太に横っ飛びでセーブされてサドンデスに突入。川崎は6番手の長谷川竜也が決めた一方、決めて7人目に持ち込まなければならない6番手の進藤が新井に立て続けにセーブされて試合終了。川崎を退場で10人に追い込み、尚且つPK戦でも先に失敗したのは川崎だったにも関わらず準優勝という結果となり、ペトロヴィッチは史上初めて3クラブを跨いで のJリーグカップ準優勝監督となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "ペトロヴィッチ体制3年目。岩崎悠人が湘南にレンタル移籍した。またシーズン途中には鈴木武蔵がベルギーのKベールスホトVAに完全移籍、檀崎竜孔がオーストラリアAリーグのブリスベン・ロアーFCにレンタル移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "一方で、前年までレンタル移籍だった菅野孝憲とルーカス・フェルナンデスを完全移籍で、ブラジルのルヴェルデンセECからドゥグラス・オリベイラ、ベルギーのOHルーヴェンからタイ代表のカウィン・タンマサッチャーナンをレンタルで獲得した。また、前年特別指定選手の金子拓郎、高嶺朋樹、田中駿汰が加入、2021シーズンの加入が内定している法政大学の中野小次郎と明治大学の小柏剛と国見高校の中島大嘉を特別指定選手で登録した。またシーズン途中にはポルトガルのジル・ヴィセンテFCを退団したウーゴ・ヴィエイラが加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "新型コロナウイルス感染拡大で2月26日(ルヴァン杯第2節)から7月4日まで長期にわたって公式戦が中断となった。4月6日には大幅な収益減を余儀なくされるクラブに対して、外国籍選手を含めた28人の全所属選手が年俸の一部を返納することを申し出た。また5月29日に、6年間在籍したク・ソンユンが兵役義務のため当初の予定よりも早く韓国へ帰国することを決め、韓国の大邱FCへの完全移籍が発表された。また新型コロナウイルスを受けてブラジルに一時帰国していたアンデルソン・ロペスは、出入国制限のためにJ1再開までに日本への入国が認められなかったが、7月に入国許可が下り2週間の隔離措置を取った上でチームに合流し、8月5日のルヴァンカップ第2節広島戦での試合復帰した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "感染予防の観点から近隣クラブとの対戦を優先的に実施するJリーグの方針 により飛行機移動の繰り返しを避けるため、6月22日から約1カ月間にわたり千葉県にあるサッカー日本代表の新拠点である高円宮記念JFA夢フィールドを日本サッカー協会の協力で提供され、アウェイ4連戦(開幕戦を含めると5連戦)となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "中断明け後の第4節鹿島戦では敵地でリーグ初勝利を飾るなどアウェイ4連戦を2勝2分の負けなしとして、7月下旬にホーム開幕戦を迎えた。同時期に当時チーム得点王の鈴木武蔵が移籍し、アンデルソン・ロペスも帰国後の隔離措置でコンデションが上がらない中、第7節の横浜FM戦で初めて「ゼロトップ」の役割の荒野を最前線に入れると、豊富な運動量で前線から中盤までの広い範囲で守備に貢献。局面での優位性を保つ事で相手の特徴であるパスワークをうまく封じこみ3-1と勝利した。また「オールコートマンツーマンデイフェンス」で1対1でボールを奪ってショートカウンターから得点する戦術で挑んでいった。しかし、前線から激しいプレスによる体力の消耗の激しさやコロナ禍による試合間隔の短さによるコンディションの調整や戦術の落とし込みが出来ず、第10節川崎戦で6失点を始め、その後の3試合でも4失点を喫すなど守備が崩壊。8-9月の13試合を1勝2分10敗(31失点)と大きく負け越した。10月になると主力選手のコンデションが上がり戦術の理解度も深まっていき、第23節では鹿島相手に初となるシーズンダブルとなる勝利した。第26節では12連勝中で圧倒的な強さで首位に立つ川崎にアウェイで再び荒野を最前線に置く「ゼロトップ」かつ「オールコートマンツーマンデイフェンス」で挑んだ。川崎の得意なパスワークを封じて主導権を握り幾度もチャンスを作り出すと、高い位置でボールを奪ってショートカウンターで2得点。終盤でも菅野が好セーブを連発して終始相手を圧倒する試合で完勝。川崎にリーグ戦で初めての勝ち点3をアウェイの地でつかんだ。その後も第34節浦和戦もシュート20本で2-0で完勝するなど攻守両面において完成度高い試合も出る一方、チャンスは多いけれどもなかなか決め切れない試合も多くあり、最終的に10勝9分15敗の12位(全18チーム)で終了した。天皇杯はコロナの影響でリーグ戦上位2チームのみの参加となったため未出場となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "ペトロヴィッチ体制4年目。石川直樹と早坂良太が引退、ウーゴ・ヴィエイラが契約満了、カウィンが期限付き移籍期間満了に伴い退団、進藤亮佑がC大阪に完全移籍、前年湘南にレンタル移籍していた岩崎悠人が千葉(8月に鳥栖へ移籍)、白井康介が京都、濱大耀が富山、藤村怜が山形、シーズン途中で中野嘉大が鳥栖、7月までAリーグのブリスベンにレンタル移籍していた檀崎竜孔が千葉、キムミンテが名古屋にレンタル移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "一方で、群馬から岡村大八、新潟から大谷幸輝、FC東京から柳貴博、名古屋から青木亮太、モロッコのウィダード・カサブランカからガブリエル・オケチュク(8月に福島へレンタル移籍)、琉球から1年半ぶりの復帰となる小野伸二を完全移籍で獲得した。また、Honda FCにレンタル移籍していた中村桐耶が復帰、前年特別指定選手の中野小次郎、小柏剛、中島大嘉が加入した。また2022シーズンの加入が内定している立正大学の田中宏武を特別指定選手で登録した。またシーズン途中には、ベルギーのOHルーヴェンからミラン・トゥチッチが完全移籍で加入、札幌U-18の西野奨太がクラブ史上初となる高校在学中でのトップチーム昇格 となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "開幕前にペトロヴィッチ監督が母国で怪我で手術、杉浦大輔コーチ兼通訳が病気で手術、ジェイが母国で新型コロナウイルス感染症のPCR検査を受けて陽性判定、新加入のガブリエルが2020年1月に2度目となる緊急事態宣言による検疫の強化に伴い同宣言が解除されるまでの期間入国制限 となり、キャンプの合流に遅れる事となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "9年ぶりとなる第1節でのホーム開幕戦の横浜FC戦は5-1と勝利するも、第6節神戸戦では3-0から4失点での逆転負けなどシーズン序盤では苦しんだ。その中でゴールを量産していたアンデルソン・ロペスが6月に移籍したが、第18節大分戦で金子が2得点、第23節浦和戦から第25節大分戦で小柏が3試合連続得点するなど若手が躍動し、4チームが降格する厳しいレギュレーションの中で残留争いすること無く残留を決めた。最終的には14勝9分15敗の10位(全20チーム)で終了した。ルヴァン杯はベスト8、天皇杯は3回戦敗退となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "シーズン終了後には小柏剛が日本代表に選出された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "1月11日付けの取締役会において、代表取締役社長・CEOの野々村芳和が代表取締役会長に就任、後任の社長・CEOは置かずにゼネラルマネージャーの三上大勝が代表取締役GMに就任した。野々村は3月15日に行われた公益社団法人日本プロサッカーリーグ理事会で第六代Jリーグチェアマンに就任し、同日クラブの会長職を退任した。また、4月27日には株式会社CREATIVE OFFICE CUE取締役会長でコンサドーレオフィシャルサポーターでもある鈴井貴之が社外取締役に就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "ペトロヴィッチ体制5年目。ジェイと福島にレンタル移籍していたガブリエル・オケチュクが契約満了、白井康介が前年レンタル移籍先の京都、中野嘉大が前年レンタル移籍先の鳥栖、前年名古屋にレンタル移籍していたキムミンテが鹿島に完全移籍した。また、チャナティップが国内移籍における移籍金としては過去最高と思われる金額提示を受けて川崎に完全移籍した。また、ヘッドコーチであり前チーム監督であった四方田修平が横浜FC監督に就任するためチームを離れた。またシーズン中に柳貴博が福岡にレンタル移籍(7月に福岡にて選手契約解除)した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "一方で、浦和から興梠慎三がレンタル移籍、名古屋からガブリエル・シャビエルを完全移籍で獲得した。また、千葉にレンタル移籍していた檀崎竜孔(7月に再びAリーグのブリスベンにレンタル移籍)、山形にレンタル移籍していた藤村怜が復帰、前年特別指定選手の田中宏武、札幌ユース出身で筑波大学の井川空が加入した。さらに浦和を契約満了となり沖縄キャンプに練習生として参加していた西大伍が完全移籍で13年ぶりに復帰した。またシーズン途中には、タイのブリーラム・ユナイテッドFCからスパチョークがレンタル移籍、京都からユース出身の松原修平、韓国の水原三星からキム・ゴンヒが完全移籍で加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "開幕節から6試合連続引き分けでスタート。その後も主力に怪我人が続いてベストが組めずに守備が崩れて大量失点で負ける試合が多くなり、8月までJ1残留圏ギリギリの順位が続いた。声出し応援が解禁され始めた9月以降は怪我人も戻り始め、第28節5位のC大阪戦は後半ATでの逆転勝利、第30節アウェーでの首位横浜FM戦は引き分け、第31節厚別での2位川崎戦でも点の取り合いの上後半ATに逆転とし4-3で勝利するなど、ラスト8試合を5勝2分1敗(上位チームにも3勝1分)として6年連続J1残留となる11勝12分11敗の10位(全18チーム)で終了した。ルヴァン杯はベスト8、天皇杯は3回戦敗退となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "ペトロヴィッチ体制6年目。レンタル移籍満了に伴い興梠慎三が退団(浦和に復帰)。ガブリエル・シャビエル、Aリーグのブリスベンにレンタル移籍していた檀崎竜孔(スコティッシュ・プレミアシップ・マザーウェルFCに移籍)、濱大耀(サッカースクールのコーチに就任)が契約満了で退団、高嶺朋樹が柏、岩崎悠人が前年レンタル移籍先の鳥栖、藤村怜が岩手に完全移籍した。また中野小次郎が金沢、井川空が岡山、ドゥグラス・オリベイラが盛岡にレンタル移籍した。またシーズン中には中島が名古屋、金子がクロアチアのNKディナモ・ザグレブ、田中宏武が藤枝、西が盛岡にレンタル移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "一方で、広島から浅野雄也、神戸から小林祐希、東京Vから馬場晴也、レンタル移籍で加入していたスパチョークを完全移籍で獲得。ク・ソンユンが2020年以来の復帰(同年7月に京都へレンタル移籍)、順天堂大学の大森真吾が加入した。また、2024シーズンの加入が内定している福岡大学の岡田大和、2025年シーズン加入内定の大阪体育大学の木戸柊摩を特別指定選手で登録した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "前半は点の取り合いとなる試合が多く、失点数はワースト3位となる32失点も加入した浅野を始め金子や小柏などがゴールを量産して、得点数リーグ1位の38得点を記録し7勝5分5敗の8位で折り返した。後半も失点は改善されずに29失点する一方で、右サイドで攻撃の柱になっていた金子が海外移籍した戦力を埋められず18得点に留まり、3勝5分9敗と前半の半分の勝ち点しか取れずに苦しい結果となった。それでも7年連続J1残留となる10勝10分14敗の12位(全18チーム)で終了した。ルヴァン杯はベスト8、天皇杯はベスト16となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "またこの年で引退発表をしていた小野伸二が第34節浦和戦に11年ぶりのJ1先発出場をした。前半22分の交代時には両チームの選手が歩み寄り、場内からスタンディングオベーションが送られた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "ホームスタジアムは札幌ドームである。過去のホームゲーム開催スタジアムは『北海道コンサドーレ札幌の年度別成績一覧#ホームゲームの入場者数・主催試合数(年度別・会場別)』を参照。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "Jリーグ加盟後に開催したのは札幌厚別公園競技場(札幌厚別)、室蘭市入江運動公園陸上競技場および函館市千代台公園陸上競技場であるが、函館では2016年に5年ぶりのホームゲームを開催した一方、室蘭では2012年から開催されていない。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "コンサドーレ札幌発足当初よりホームスタジアムとしていた札幌厚別も、のちにJリーグの基準(Jリーグクラブライセンス制度)を満たさないこととなり、2014年からはJリーグからの許諾を得た特例開催の扱いで数試合に制限して実施しており、Jリーグから2014年度のJ1ライセンス交付時に、札幌厚別の改善計画案について書面での提出を求める「制裁」を受けていた。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "2015年から登録上のホームスタジアムは札幌ドームのみとなっており、札幌厚別での開催は北海道日本ハムファイターズや音楽イベント等で札幌ドームを使用する場合など、限られた試合数のみとなっていた。さらに2023年からファイターズの本拠地が北広島市のエスコンフィールドHOKKAIDOに移転する予定であることを受け、コンサドーレの全主管試合(リーグ戦・ルヴァン杯)を開催する意向であると発表。その後発表された2023年度の試合日程にて、札幌ドームではコンサドーレのホームゲームのうちJ1の15試合とルヴァンの予選リーグ3試合の18試合(J1の1試合のみ厚別、残り1試合は会場調整中)を行う予定となった。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "札幌ドームは2023年からファイターズの本拠地移転に伴い、コンサドーレの専用スタジアムに事実上なることから、2022年に札幌ドームの運営会社とホームタウン連携協定を締結。経費削減のため、一旦宮の沢白い恋人サッカー場のクラブハウスに移転していたクラブ事務所を同6月の予定で2014年以来7年ぶりに札幌ドームの敷地内に戻すことになった。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "また厚別は2024年度から2年間の予定でスタンドなど老朽化所の全面改修を行う関係で閉鎖されるため、2024年度以後は札幌ドームのみで主管試合を行う予定である。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "札幌厚別の改修工事(1996年、1998年)、冬季間の積雪による競技場閉鎖、ナイトマッチ用の照明設備が備えられていない等の理由により、道外で公式戦のホームゲームを開催したことがある。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "2001年と2002年の高知県での開催は、同年の最初のホームゲームだった。クラブは高知県を準ホームタウンとして定め、2002年には同県でキャンプも実施した。札幌(新千歳空港)と高知(高知空港)を往復するチャーター航空機利用ツアーなども実施したが、入場者数が伸び悩んだため、2002年限りで高知県との準ホームタウン関係を解消した。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "なお2018年のJ1の終盤、コンサドーレにAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場の可能性があった際(最終的には出場権は得られなかった)、2月のホームゲーム を札幌ドームであっても開催できず、北海道外でのホームゲーム開催となる可能性が示されていた。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "ホームのユニフォームは前身の東芝時代に採用されていた「赤と黒の縦縞」を引き継いでいる。この赤と黒の縦縞を発案したのは、当時東芝サッカー部に選手として在籍していた石崎信弘である。", "title": "ユニフォーム" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "2023年12月10日現在", "title": "スポンサー" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "アカデミー(育成組織)として、以下のチームを保有している。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "クラブ創設の翌年1997年4月にトップチームが当時の練習場として使用されていた栗山町の藤野スポーツ広場を拠点として活動、札幌U-18、札幌U-15も同時に開設された。遠方から栗山町に通うユース選手のために、1998年4月にユース尞を栗山町に開設したが、2003年3月に活動拠点を札幌市東区東雁来に移すため栗山町のユース尞を閉鎖した。同年5月に活動拠点を栗山町から東雁来に移しユース専用の東雁来グラウンドを開設。2005年3月に札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設され、トップ選手と混ざり一部のユース選手が入寮した。同年6月にクラブパートナーでもある進藤病院の院長が練習場運営会社ジャパンスポーツラボを設立し、上川郡東川町に練習場「コンサフィールド東川」を開設した。2016年に釧路で活動していたR・シュペルブ釧路を母体として釧路U-15、釧路U-12を開設し合同でアカデミー活動を開始。2017年4月に東川U-12を発足し、札幌U-12は昨年の活動拠点を更に増やして2カ所で活動。2019年4月に室蘭U-15、室蘭U-12が発足し、現在活動しているジェネラーレ室蘭と合同で活動する。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 プレミアリーグは奈良竜樹や榊翔太らを擁して 優勝し初代王者となった。これにより出場したチャンピオンシップは準優勝。2012年のJリーグユース選手権大会で北海道のサッカーのチームとして初めて全国大会を制した。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "ベスト4以上を記載", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "ベスト4以上を記載", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "ベスト4以上を記載", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "ベスト4以上を記載", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "釧路市を本拠地とするR・シュペルブ釧路のU-15を母体にして合同でアカデミー活動。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "室蘭市を本拠地とするジェネラーレ室蘭スポーツクラブのU-15を母体にして合同でアカデミー活動。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "ベスト4以上を記載", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "釧路市を本拠地とするR・シュペルブ釧路のU-12を母体にして合同でアカデミー活動。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "一般社団法人コンサドーレ北海道スポーツクラブは、株式会社北海道フットボールクラブ(当時)と、学習塾「明光義塾」で知られ、首都圏でサッカースクールも展開する株式会社明光ネットワークジャパンの出資により2014年に設立された一般社団法人による総合型地域スポーツクラブ。代表理事は北海道コンサドーレ札幌ゼネラルマネージャーの三上大勝が兼任。", "title": "コンサドーレ北海道スポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "2001年に北海道フットボールクラブ(当時)により開始。", "title": "コンサドーレ北海道スポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "2014年のコンサドーレ北海道スポーツクラブ設立と同時に移管された。", "title": "コンサドーレ北海道スポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "2014年に、コンサドーレ北海道スポーツクラブを運営母体として、女子サッカーチームが設立 された。チーム名は一般公募により、ライラックのフランス語で『リラ』に決まる。花言葉は『pride(誇り)・beauty(美)』の意味を持つ。2015年度より活動を開始 した(上述)。設立当初は目標として『5年でなでしこリーグ参入』をかかげていたが、『時間をかけた育成』へ転換。セレクション等は行っているものの、現時点では設立以来外部からの補強は行われていない。", "title": "コンサドーレ北海道スポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "2016年度は、A(一軍)・Bチームに分かれて各リーグ戦に参加。全日本女子ユース (U-15)サッカー選手権大会で全国規模の大会デビューを果たした。また、札幌市民体育大会サッカー大会(一般女子の部)にて初優勝し、チーム初のタイトル獲得となった。", "title": "コンサドーレ北海道スポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "2017年度は、所属選手の一部がU-16世代に入り、U-18カテゴリーの試合にも参加。Bチームが参戦している札幌なでしこリーグにて初優勝し、チーム初のリーグタイトル獲得となった。", "title": "コンサドーレ北海道スポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "2018年度は、北海道コンサドーレ札幌が、Jリーグクラブ初となる女子単独U-12チームを設立し札幌地区のカップ・リーグ戦に参加。このチームが将来的に当チームの下部組織的な役割を果たす事が期待されている。", "title": "コンサドーレ北海道スポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "2019年度は、社会人世代が加入し、初めて全世代が揃う事となった。", "title": "コンサドーレ北海道スポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "2020年度は、皇后杯北海道予選で2位となったものの、優勝チームの出場辞退による代替出場チームとなり、これが皇后杯初出場となった。", "title": "コンサドーレ北海道スポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "2021年度は、なでしこリーグ2部入替戦予選大会へ初参加し、上位リーグへの挑戦をスタート。", "title": "コンサドーレ北海道スポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "最高成績を記載", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "2017年4月8日、日本のプロサッカークラブとして初めて、『北海道コンサドーレ札幌バドミントンチーム』が発足した。監督は吉田仁。5月19日のメンバー追加を経て、9名の選手で活動を開始した。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "9月24日、同じくJリーククラブを母体とするAC長野パルセイロバドミントンクラブとの交流戦を開催。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "2019年、2部リーグに当たるS/JリーグII昇格を決める。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "2018年8月1日、『北海道コンサドーレ札幌カーリングチーム』として発足。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "母体となる「4REAL」は2012年に札幌市で設立され、2017年からは北見市移転し、同年と翌2018年に日本選手権準優勝を果たす。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "トリノ・バンクーバー五輪女子日本代表監督だった阿部晋也を始めとする同チームの4名にSC軽井沢クラブの一員として平昌五輪に出場した清水徹郎が加入。練習拠点は引き続き北見のままする。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "チームの初戦は8月2日から5日まで開かれたどうぎんカーリングクラシック2018。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "2018年パシフィックアジア選手権日本代表決定戦を制す。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "パシフィックアジア選手権本大会でも日本男子として2年ぶりとなる優勝。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "2019年日本選手権で4REAL時代含め初優勝。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "同年、初出場となる世界選手権で3位決定戦で敗れメダルを逃すも2016年大会(SC軽井沢クラブ)と並ぶ日本男子最高タイとなる4位。セカンド谷田康真は大会オールスターに選ばれた。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "60歳以上の女性によるシニアチアリーディングクラブ。当初はコンサドールズとともに試合を盛り上げる単発イベントだったが、2011年より通年スクールとして開講。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "「北海道とともに世界へ」というスローガンを掲げ、このコンセプトに合致するサッカー以外の選手を「コンサドーレパートナーアスリート」と称してコンサドーレ北海道スポーツクラブが協力に当たる。第一号はトライアスロンの細田雄一選手。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "2011年6月に札幌市の姉妹都市の大田広域市で開催された「It's Daejeon国際サッカー大会」に出場。本大会がクラブ初の国際試合となる。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "2017年7月にタイでムアントンと親善試合を行った。試合は1-0で敗北した。なお、チャナティップは前半は札幌の選手として後半はムアントンの選手として出場した。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "1998年、北海道と札幌市からそれぞれ5億円の融資を受けた。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "1999年に、札幌市から毎年9000万円の補助金が開始された。2001年には、札幌ドームの年間3000万円近くする使用料を札幌市が負担し、補助金を間接的に受けるかたちとなった。2000年には、北海道からの補助金が開始された。北海道からの補助金は、2000年から2007年は毎年1億円、2008年からは毎年減少して2015年は6600万円となった。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "2008年5月に、債務超過解消に向けて約20.5億円の減資を実施し、あわせて増資により2億8421万円の資金を調達した。その結果、債務超過が解消された。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "同年4月28日付けで札幌市は、コンサドーレ札幌についての住民監査請求を受けている。その中で、貸付金や補助金等に係る札幌市の支出額全額(貸付金と補助金の合計で約17億円)が損害にあたるという主張がされた。監査請求の回答書には、全国のJリーグ31チームのうち21チームが自治体から補助金を受け、2007年だけの総額で約7億円が自治体からJリーグに補助金として支出されていることが記載された。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "2012年、債務超過を解消するため8070万円の増資を行った。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "Jリーグライセンスで2014年末時点で債務超過がないことがリーグ戦参加資格の財務基準となり、超過債務状態のコンサドーレ札幌は2013年9月30日付けで、2014年度末までに債務超過を解消する方法についてJリーグクラブライセンス事務局に具体的に提出することが求められた。その後、コンサドーレ札幌は2013年度と2014年度の2年連続で単年度黒字を達成し、債務超過も解消した。", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "One Hokkaido Project「私たちの道」(宮澤裕樹、荒野拓馬、進藤亮佑が参加、2019年、 WESS RECORDS)", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "One Hokkaido Project「私たちの道」(宮澤裕樹、荒野拓馬、進藤亮佑が参加)", "title": "国際試合" }, { "paragraph_id": 169, "tag": "p", "text": "チーム創設時から現在までのキャンプ地の変遷は以下のとおり。", "title": "国際試合" } ]
北海道コンサドーレ札幌は、日本の札幌市を中心とする北海道をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
{{Redirect|コンサドーレ|天体|コンサドーレ (小惑星)}} {{サッカークラブ | font-color = #fff | background-color = #c00 | border-color= #000 | 原語表記 = 北海道コンサドーレ札幌 | 呼称 = | 愛称 = コンサドーレ、コンサ | カラー = {{colorbox|#cc0000}} レッド<ref name="td"/><br />{{Colorbox|#003850}} ブルーグレイ<ref name="td"/><br />{{colorbox|#000}} ブラック<ref name="td"/><br />{{colorbox|#FFF}} ホワイト<ref name="td"/> | 創設 = 1935 | リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]] | ディビジョン = [[J1リーグ]] | クラブライセンス = J1 | ホームタウン = [[札幌市]]を中心とする[[北海道]]<ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=http://www.jleague.jp/club/sapporo|title=クラブガイド:北海道コンサドーレ札幌|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2016-1-31}}</ref> | スタジアム = [[ファイル:Sapporodome201108171.JPG|216px]]<br />[[札幌ドーム]]<ref name="jleague" /><br />([[札幌厚別公園競技場]]) | キャパ = 38,794<ref name="jleague" /> | 法人名 = 株式会社コンサドーレ<ref name="jleague" /> | 代表 = {{Flagicon|JPN}} [[三上大勝]] | 監督 = {{Flagicon|SRB}} {{Flagicon|AUT}} [[ミハイロ・ペトロヴィッチ]] | HP = https://www.consadole-sapporo.jp |pattern_la1= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 HOME FP |pattern_b1= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 HOME FP |pattern_ra1= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 HOME FP |pattern_sh1= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 HOME FP |pattern_so1= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 HOME FP |leftarm1=|body1=|rightarm1=|shorts1=|socks1=f00 |pattern_la2= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 AWAY FP |pattern_b2= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 AWAY FP |pattern_ra2= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 AWAY FP |pattern_sh2= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 AWAY FP |pattern_so2= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 AWAY FP |leftarm2=|body2=|rightarm2=|shorts2=|socks2=f00 |pattern_la3= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 3rd FP |pattern_b3= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 3rd FP |pattern_ra3= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 3rd FP |pattern_sh3= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 3rd FP |pattern_so3= _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 3rd FP |leftarm3=|body3=|rightarm3=|shorts3=|socks3=f00 }} {{基礎情報 会社 | 社名 = 株式会社コンサドーレ | 英文社名 = Consadole Co., Ltd. | ロゴ = | 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]] | 市場情報 = <!-- 株式非公開会社において「非上場」などと書く必要はありません --> | 略称 = | 国籍 = {{JPN}} | 郵便番号 = 062-0054 | 本社所在地 = [[北海道]][[札幌市]][[西区 (札幌市)|豊平区]]羊ヶ丘1番地(札幌ドーム内) | 設立 = [[1996年]][[4月16日]]<ref name="corpabout">{{Cite web|和書|url=https://www.consadole-sapporo.jp/club/about/|title=株式会社コンサドーレ会社概要|work=北海道コンサドーレ札幌オフィシャルサイト|accessdate=2018-09-06}}</ref> | 業種 = 9050 | 事業内容 = サッカークラブの運営他 | 代表者 = 代表取締役 [[三上大勝]] | 資本金 = 17億3,600万円 (2023年1月現在)<ref name="jl2022">{{Cite web|和書|url=https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20230725.pdf|title=2022年度 クラブ決算一覧|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2023-12-05}}</ref> | 発行済株式総数 = | 売上高 = 36億0,500万円(2023年1月期)<ref name="jl2022" /> | 営業利益 = △9億0,900万円(2023年1月期)<ref name="jl2022" /> | 経常利益 = △8億1,100万円(2023年1月期)<ref name="jl2022" /> | 純利益 = △7億1,700万円(2023年1月期)<ref name="jl2022" /> | 純資産 = 4億1,600万円(2023年1月31日現在)<ref name="jl2022" /> | 総資産 = 20億3,400万円(2023年1月31日現在)<ref name="jl2022" /> | 従業員数 = 30名(2014年12月期)<ref name="yuho2015">{{PDFlink|[https://www.consadole-sapporo.jp/wp-content/uploads/2015/05/yukashoken-h2512.pdf 平成25年12月期有価証券報告書]}} 株式会社コンサドーレ 2018年9月6日閲覧。</ref> | 決算期 = 1月31日 | 主要株主 = {{Plainlist| * [[石屋製菓]] 48.5%<ref name="stockreport2023">{{Cite web|和書|url=https://www.consadole-sapporo.jp/club/mochikabu/outline/images/2023/03/mochikabu_2023.pdf|title=業務報告書(2023)|work=コンサドーレサポーターズ持株会|accessdate=2023-12-05}}</ref> * ダイアモンドヘッド 15.4%<ref name="stockreport2023"/> * カタギリコーポレーション 10.2%<ref name="stockreport2023"/> * [[進学会|進学会ホールディングス]] 5.1%<ref name="stockreport2023"/> * コンサドーレサポーターズ持株会 4.8%<ref name="stockreport2023"/> }} | 主要子会社 = 株式会社エゾデン | 関係する人物 = [[石水勲]](元最高顧問)<br />[[野々村芳和]]([[Jリーグチェアマン|第6代Jリーグチェアマン]]) | 外部リンク = https://www.consadole-sapporo.jp/ | 特記事項 = 「[[北海道の関与団体の一覧|北海道の関与団体]]」として指定。<br />[[継続企業の前提|ゴーイングコンサーン]]付帯<ref name="yuho2015"/>。 }} '''北海道コンサドーレ札幌'''(ほっかいどうコンサドーレさっぽろ、{{Lang-en-short|Hokkaido Consadole Sapporo}})は、[[日本]]の[[札幌市]]を中心とする[[北海道]]を[[ホームタウン]]とする、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 == 概要 == [[ファイル:Miyanosawa Shiroi-Koibito Football Stadium 2009-05-16 005.jpg|thumb|宮の沢白い恋人サッカー場]] [[1935年]]創部の'''[[東芝堀川町サッカー部]]'''が前身<ref name="jleague" />。[[1996年]]に同サッカー部が北海道へ移転すると同時に運営会社として'''株式会社北海道フットボールクラブ'''を設立。同年[[Jリーグ準会員制度|Jリーグ準会員]]に承認。[[1998年]]よりJリーグ加盟した<ref name="jleague" />。[[2016年]]より運営会社を「'''株式会社コンサドーレ'''」に変更。ホームタウンは「'''札幌市を中心とする北海道'''」、ホームスタジアムは[[札幌ドーム]](詳細は[[#ホームスタジアム]]を参照)<ref name="jleague" />。 チーム名の「consadole(コンサドーレ)」は道民を意味する「[[どさんこ|道産子(読:どさんこ)]]」の逆さ読みと、[[ラテン語|ラテン]]語の響きを持つ「-ole(オーレ)」を組み合わせたもので<ref name="jleague" />、一般公募によって決定された。発足当初のクラブ名は'''コンサドーレ札幌'''(コンサドーレさっぽろ)でホームタウンも札幌市1市だけだったが、創立20周年を迎える2016年シーズンからチーム名を「'''北海道コンサドーレ札幌'''」に変更し、ホームタウンのエリアも拡大された<ref name="consadole20"/>。 [[ペットマーク|エンブレム]]は、北海道に生息する日本最大のフクロウ『[[シマフクロウ]]』を象徴的に図案化。頂点に羽ばたく翼を持つシマフクロウの盾型の中に、11個の星(結束したイレブン)、勝利を見据えるシマフクロウの眼光(闘志)、ブリザードを表す白ストライプ(攻撃性)を配し、それらが、ホームタウンを意味するリボンの円弧に根ざすデザイン。シマフクロウが[[話題|モチーフ]]となり、[[1997年]]にマスコットの「[[ドーレくん]]」が誕生した<ref name="jleague" />。 練習場はオフィシャルスポンサーの[[石屋製菓]]が所有する「宮の沢白い恋人サッカー場」と、札幌ドームの敷地内にある天然芝の「屋外サッカー練習場」<ref name="jleague" />。クラブ事務所はかつては札幌ドーム内にあったが、[[2014年]][[1月29日]]に宮の沢白い恋人サッカー場内のコレクションハウスを改修して事務所を移転した。その後、[[2023年]][[6月5日]]に再び札幌ドーム内に移転した。 [[コンサドールズ]]は、日本サッカークラブ史上初のクラブ専属[[チアリーダー|オフィシャルダンスドリルチーム]]である。1997年[[5月15日]]、[[札幌厚別公園競技場]]でデビュー。試合開始50分前、選手紹介、選手入場前、ハーフタイム、ゴール後、ゲーム終了後(勝利試合のみ)にパフォーマンスを行う。ミスダンスドリルチーム日本大会で優勝の経験もある。サテライト、ユースなどの下部組織を持ち、若手の育成にも力を入れている。 2014年1月19日、漫画「[[キャプテン翼]]」の登場人物であり、作中では所属選手である[[松山光]]を現実の当クラブにも入団を発表。同時にユース年代の強化を目的とする「松山光プロジェクト」を始動した<ref name="consadole-sapporo_20140201">{{Cite web|和書|title=みんなで"自分たちのクラブ"を作ろう!コンサドーレ札幌『松山 光プロジェクト』いよいよ始動!!|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/2014/02/016092.html|date=2014-02-01|publisher=北海道フットボールクラブ|accessdate=2014-02-07}}</ref>。 === フロント === {{表3列| ; 代表取締役会長 * 今井春雄(1996年4月16日 - 1998年1月15日) * 坂野上明(1998年2月16日 - 2003年1月15日) * 石水勲(2005年3月11日 - 2005年5月12日) * [[野々村芳和]](2022年1月11日 - 2022年3月15日) | ; 代表取締役社長 * 斉藤達(1996年4月16日 - 1997年2月9日) * 金井英明(1997年2月10日 - 1998年2月9日) * 田中良明(1998年2月10日 - 2003年1月15日) * 佐々木利幸(2003年1月16日 - 2005年3月10日) * 児玉芳明(2005年3月11日 - 2008年7月10日) * 矢萩竹美(2008年7月11日 - 2013年3月21日) * 野々村芳和(2013年3月22日 - 2022年1月10日) * [[三上大勝]](2022年1月11日 - )<ref>呼称は代表取締役GM</ref> | ; ゼネラルマネージャー * 村野晋(2008年2月 - 2008年12月) * 三上大勝(2013年1月 - ) }} == 歴史 == === 前身 === {{Main|東芝堀川町サッカー部}} * 東芝堀川町サッカー部 ([[1935年]] - [[1979年]]) * 東芝サッカー部 ([[1980年]] - [[1995年]]) ;移転経緯<ref>北海道コンサドーレ札幌20年史 11-14P(北海道新聞社)</ref> :Jリーグブームの高まりを受け1993年10月に札幌青年会議所が中心となり、Jリーグチーム誘致に向けた誘致推進特別委員会を設置して署名活動を開始、1994年1月27日には誘致活動母体となる「札幌SJクラブ」を立ち上げ9月22日までに約31万人の署名を集めた。1995年3月25日には官民の代表を集めた「Jリーグ札幌ホームタウンチーム設立推進協議会」を設立、その後プロ化や実業団チームとしての存続に消極的だった東芝サッカー部に札幌への移転を提案し、同年7月に「札幌フットボール設立企画」を発足させる。1996年1月11日に東芝サッカー部の札幌移転を正式発表、2月8日に日本サッカー協会が移転を正式承認し、3月2日に新チーム名「コンサドーレ札幌」を発表。同年4月に運営会社「北海道フットボールクラブ」を設立した。 === 1996年 - 1997年(旧JFL) === ==== 1996年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''1996年開幕スタメン'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[高橋武夫|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''高橋武夫'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.09|scale=220|text=[[白井淳|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''白井淳'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.93|scale=220|text=[[平岡宏章|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''平岡宏章'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.93|scale=220|text=[[ペレイラ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ペレイラ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.77|scale=220|text=[[平川弘|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''平川弘'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.77|scale=220|text=[[足立恵蔵|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''足立恵蔵'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.61|scale=220|text=[[後藤義一|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''後藤義一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.61|scale=220|text=[[太田貴光|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''太田貴光'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.45|scale=220|text=[[ラウル・オマール・オテーロ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''オテーロ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.45|scale=220|text=[[財前恵一|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''財前恵一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.29|scale=220|text=[[アルシンド・サルトーリ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''アルシンド'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.29|scale=220|text=[[吉原宏太|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''吉原宏太'''</span>]]}} </div> |} 「北海道からJリーグチームを」を合言葉に、[[ジャパンフットボールリーグ]](旧JFL)へ参加。東芝時代から[[監督]]を務めていた[[高橋武夫]]が初代監督を務めた。[[東京ヴェルディ1969|V川崎]]からJリーグでの実績を持つ[[ブラジル人]]選手の[[アルシンド・サルトーリ|アルシンド]]と[[ルイス・カルロス・ペレイラ|ペレイラ]]を獲得。元[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ代表]]経験のあるMF[[ラウル・オマール・オテーロ|オテーロ]]を獲得した他、[[第74回全国高等学校サッカー選手権大会]]の得点王となった[[初芝橋本中学校・高等学校|初芝橋本高校]]の[[吉原宏太]]が入団した。Jリーグから移籍してきたプロ選手と[[川合孝治]]を含む東芝サッカー部から出向してきた[[社員選手]]が混在する41人体制のチーム編成となった。 第1節[[福島FC]]戦で吉原宏太がクラブ第一号となるゴールを決めた。同年に獲得したFWアルシンドが第2節[[富士通サッカー部|富士通川崎]]戦で[[審判員|審判]]への暴言で4試合の[[出場停止|出場停止処分]]となり、更に第9節[[大塚製薬サッカー部|大塚製薬]]戦で一発退場を受けると、2日後に自らの申し出によって退団することになった。[[7月30日]]に[[チェコ]]の一部リーグからヨゼフ、ルボシュを獲得し入団。これにより外国人が6人となり外国人枠が5枠しか無かった為、[[ペルー]]国籍を持つ[[吉成大]]がペルーへ研修生として半年間派遣されることになった。その後、ペレイラが第20節[[本田技研工業フットボールクラブ|本田技研]]戦で負傷退場し、守備の要が欠く形となり、チームは流れに乗れず第23節[[鳥栖フューチャーズ|鳥栖]]戦と第24節[[東京ガスサッカー部|東京ガス]]戦に連敗してしまいJリーグ昇格ができる2位以内が絶望となった。残り6試合をチームが意地を見せ5勝1敗と健闘した。初年度は'''20勝10敗の5位'''(全16チーム)の成績でJリーグ昇格できず終わった。 シーズン終了後、東芝社員選手の契約更新については、チームに残留する意思を示した社員選手は東芝を退社してプロ契約を結んだ。また、チーム得点王の8点をマークした川合孝治が戦力外通告を受け、[[1987年]]から[[1996年]]まで東芝サッカー部から務めていた高橋武夫監督が今シーズンを持って退任した。 ==== 1997年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''1997年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.12|y=1.26|scale=220|text=[[ウーゴ・フェルナンデス|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''ウーゴ・フェルナンデス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.09|scale=220|text=[[ハーフナー・ディド|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ディド'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[冨樫剛一|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''冨樫剛一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=1.00|scale=220|text=[[古川毅 (サッカー選手)|<span style="font-size:70%; color:white;">(古川毅)</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.93|scale=220|text=[[ルイス・カルロス・ペレイラ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ペレイラ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.93|scale=220|text=[[渡辺卓 (サッカー選手)|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''渡辺卓'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.77|scale=220|text=[[太田貴光|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''太田貴光'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.61|scale=220|text=[[村田達哉|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''村田達哉'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.61|scale=220|text=[[田渕龍二|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''田渕龍二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.45|scale=220|text=[[後藤義一|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''後藤義一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.45|scale=220|text=[[ウーゴ・マラドーナ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''マラドーナ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.29|scale=220|text=[[吉原宏太|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''吉原宏太'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.36|scale=220|text=[[山橋貴史|<span style="font-size:70%; color:white;">(山橋貴史)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.29|scale=220|text=[[ホルヘ・デリー・バルデス|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''バルデス'''</span>]]}} </div> |} 元[[サッカーウルグアイ代表|ウルグアイ代表]]経験を持つ[[ウーゴ・フェルナンデス]]が監督に就任した。茶木裕司([[東北電力サッカー部|仙台]]へ移籍)、[[平岡宏章]]([[アルビレックス新潟|新潟]]へ移籍)、加藤剛と[[木島敦]]と川合孝治と後藤静臣([[大分トリニータ|大分]]へ移籍)、[[新明正広]]と[[渡邉晋]]と[[笠原恵太]]([[甲府サッカークラブ|甲府]]へ移籍)、小池大樹と村田信行([[ブレイズ熊本|熊本]]へ移籍)、[[白井淳]]([[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]へ移籍)、パベル、オテーロ、[[金鍾成]]ら1996年まで所属していた選手の多くが退団した。 新たに鳥栖から前身の東芝に在籍していたこともある[[サッカーパナマ代表|パナマ代表]]の[[ホルヘ・デリー・バルデス|バルデス]]が復帰、[[アビスパ福岡|福岡]]から世界的に有名な[[ディエゴ・マラドーナ]]の実弟である[[ウーゴ・マラドーナ]]、[[ジュビロ磐田|磐田]]から[[ハーフナー・ディド]]、大塚FCから[[古川毅 (サッカー選手)|古川毅]]と[[田渕龍二]]、[[セレッソ大阪|C大阪]]から[[渡辺卓 (サッカー選手)|渡辺卓]]と[[山橋貴史]]、[[コスモ石油四日市FC|コスモ四日市]]から[[鳥居塚伸人]]、市原から[[新村泰彦]]ら数名を獲得し、新人では[[法政大学]]から[[赤池保幸]]、初芝橋本高校の[[大野貴史]]、[[亜細亜大学]]から[[黄川田賢司]]ら数名が加入。 『チームはファミリー』を[[合言葉]]に、リーグ戦前に行われた[[1997年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]予選リーグでV川崎、[[ガンバ大阪|G大阪]]、[[横浜F・マリノス|横浜M]]のJリーグ勢を抑え、2勝3分1敗で1位通過し決勝トーナメントに進出を決めるなどの成績も残した。リーグ戦が開幕し、開幕から6連勝と快進撃を続け、[[5月25日]]の第7節[[川崎フロンターレ|川崎]]戦(厚別)では後半43分に1-3とされ後半44分から怒涛の攻撃を見せバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦へ、最後はバルデスの延長Vゴールによって4-3で勝利した。[[9月4日]]の第20節に等々力で川崎と再び対戦し、後半31分に1-3からバルデスの2ゴールで3-3まで追いつき延長戦でバルデスが延長Vゴールを決めた。川崎戦の2試合とも1-3からの延長Vゴールで逆転勝利を収めてた。バルデスとマラドーナのホットラインなどの活躍もあり、[[10月22日]]の厚別競技場で行われた第28節大分戦で2-1で勝利して昇格と優勝を決めた。リーグの最終戦も勝利して'''26勝4敗'''(全16チーム)でホーム無敗の成績で'''JFL優勝'''、Jリーグ昇格を果たした。バルデスは40得点でリーグ得点王となり、この年に7回のハットトリックを成し遂げた。11月18日にJリーグの臨時理事会が東京で開かれ、Jリーグ正会員として正式に承認された。 [[1996年]][[6月13日]]JFL第10節の鳥栖戦から[[1997年]][[10月29日]]第30節[[ジヤトコサッカー部|ジャトコ]]戦までの2年間、[[札幌厚別公園競技場|厚別競技場]]でリーグ戦21勝0敗の成績を残し『厚別不敗神話』『厚別神話』という神話が生まれた<ref>[https://tournet.jp/archives/948 札幌厚別公園競技場‐厚別不敗神話] 北海道観光情報 2018年11月6日閲覧。</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/news/201805060000324.html 札幌10戦不敗 都倉J通算100点目は3位死守弾](2018年5月6日付) 日刊スポーツ 2018年11月6日閲覧。</ref>。 === 1998年(Jリーグ) === 戦いの場をJリーグに移したシーズン。フェルナンデス体制2年目。工藤英章([[アステール青森FC|青森]]へ移籍)、中吉裕司(大分へ移籍)、小野甲介([[新日鐵住金室蘭サッカー部|新日鉄室蘭]]へ移籍)、[[石塚啓次]](V川崎へ復帰)、新村泰彦(ジャトコへ移籍)、朝倉徳明ら数名が退団し、[[森敦彦]]と[[冨樫剛一]]が引退した。 新戦力としてC大阪から[[深川友貴]]と[[梶野智]]、G大阪から[[木山隆之]]、[[柏レイソル|柏]]から[[加藤竜二]]と[[有馬賢二]]のJリーグ経験者を獲得、[[Honda FC|本田技研]]から[[村主博正]]と[[バウテル・エンリケ・デ・オリベイラ|バウテル]]らを獲得し、Jリーグで戦える戦力を補強した。 1stステージ開幕戦の[[清水エスパルス|清水]]戦ではいきなり1-4と大敗。第4節のG大阪戦でJリーグ加盟後初勝利をあげたが、第7節以降は毎試合2点以上失点し、[[ジュビロ磐田|磐田]]戦では[[中山雅史]]に4試合連続となる[[ハットトリック]]を献上。1stステージ4勝13敗の16位に低迷。2ndステージは10月中旬の第11節の時点で5勝6敗と持ち直したが、フロントとの意見の不一致からフェルナンデス監督が解任された。後任に[[石井肇]]コーチが監督に就き第12節から指揮を執った。10月のシーズン中の補強で[[柏レイソル|柏]]から[[棚田伸]]、[[横浜フリューゲルス|横浜F]]から[[埜下荘司]]、東京ガスから[[関浩二]]を獲得。2ndステージの残りの試合は3勝3敗となり、2ndステージ8勝9敗の10位で、年間順位は'''12勝22敗の14位'''(全18チーム)となった。 [[1999年]]からJリーグが2部制に移行するため、Jリーグ下位4チームとJFL優勝チームによる[[J1参入決定戦]]に参加した<ref group="注">参加対象は1997-98年のJリーグ2シーズン通算の順位ポイントによるものだったが、1997年シーズンは下部リーグJFLにいた札幌には1998年1シーズンのみの順位ポイントしか計算されなかった。</ref>。コンサドーレが勝利すればJ1参入が決まるという状況で[[ヴィッセル神戸|神戸]]と[[アビスパ福岡|福岡]]にホームとアウェイともに敗れ4連敗を喫して、Jリーグ史上初のJ2リーグへの降格チームとなった。 {{Main|J1参入決定戦}} === 1999年 - 2000年(J2) === ==== 1999年 ==== 「1年でのJ1復帰」を目指して[[1998 FIFAワールドカップ|1998年FIFAワールドカップ(フランス大会)]]で[[サッカー日本代表|日本代表]]監督として指揮を執っていた[[岡田武史]]を監督に招聘。1996年から1998年まで活躍したペレイラ、マラドーナ、バルデスと、渡辺卓(水戸へ移籍)、太田貴光(ジャトコへ移籍)、後藤義一と有馬賢二(横浜FCへ移籍)、バウテル(山形へ移籍)、鳥居塚伸人([[tonan前橋|図南SC]]へ移籍)らが退団。ディドと赤池保幸と木山隆之と浅沼達也と山橋貴史が引退した。 新たに[[湘南ベルマーレ|平塚]]から[[名塚善寛]]、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から[[佐藤洋平]]と[[池内友彦]]と[[栗田泰次郎]]、[[柏レイソル|柏]]から[[加藤竜二]]、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から[[桜井孝司]]、[[ロナウジーニョ]]の実兄[[ロベルト・デ・アシス・モレイラ|アシス]]、[[リカルド・モデスト・ダ・シルバ|リカルジーニョ]]、クレーベルらを獲得。[[静岡県立藤枝東高等学校|藤枝東高校]]から[[河村優]]と北海道札幌市出身の[[佐賀一平]]、[[磐田東中学校・高等学校|磐田東高校]]から[[藤ヶ谷陽介]]らが入団。 「1年でのJ1復帰」を目標として掲げていたが、第8節時点で3勝5敗と波に乗れずにいた。外国人の活躍が乏しくリカルジーニョとクレーベルの契約を解除し、代わりに[[アンドレ・ルイス・デ・ソウザ・シルバ|ビジュ]]、ジネイを獲得し第15節から出場した。第24節の時点で12勝6分6敗という成績だったが、第25節以降は負けが込み昇格争いに絡むことなく'''17勝6分13敗の5位'''(全10チーム)に終わった。 しかし、明るい兆しがあった。吉原宏太が第9節にハットトリックを記録し、チーム得点王となる15得点を取った。U-22オリンピック代表に選出、[[オリンピックサッカー日本代表選手#シドニーオリンピック(2000年)代表登録メンバー|シドニーオリンピック代表]]の予備登録メンバーになった。更にはFW中山雅史が負傷離脱したため[[コパ・アメリカ]](南米選手権)に追加招集された。 ==== 2000年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2000年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[岡田武史|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''岡田武史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[佐藤洋平|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''佐藤洋平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[大森健作|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''大森健作'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.93|scale=220|text=[[名塚善寛|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''名塚善寛'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.93|scale=220|text=[[森秀昭|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''森秀昭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.73|scale=220|text=[[野々村芳和|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''野々村芳和'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.73|scale=220|text=[[アンドレ・ルイス・デ・ソウザ・シルバ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ビジュ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.05|y=0.52|scale=220|text=[[伊藤優津樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''伊藤優津樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[田渕龍二|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''田渕龍二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=0.34|scale=220|text=[[アウミール・モラエス・アンドレーデ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''アウミール'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.16|scale=220|text=[[播戸竜二|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''播戸竜二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.16|scale=220|text=[[マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''エメルソン'''</span>]]}} </div> |} 岡田体制2年目。吉原宏太(G大阪へ移籍)、栗田泰次郎(清水へ移籍)、アシスと棚田伸と関浩二ら数名が退団。期限付き移籍していた林晃平(G大阪)と井手口純(横浜FM)が移籍元へ復帰。埜下荘司と梶野智が引退。 一方、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]から [[野々村芳和]]、G大阪から[[播戸竜二]]、[[京都サンガF.C.|京都]]から[[大森健作]]、[[FC東京]]から[[アウミール・モラエス・アンドレーデ|アウミール]]、V川崎から[[高木琢也]]、福岡から[[森秀昭]]、川崎から[[小松崎保]]、[[伊藤優津樹]]、ブラジルの[[サンパウロFC]]から[[マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ|エメルソン]]らを獲得。初めて札幌の下部組織(札幌ユース)から[[遠国信也]]がトップ昇格、[[北海高等学校|北海高校]]の[[山瀬功治]]、[[三重県立四日市中央工業高等学校|四日市中央工高校]]から[[中尾康二]]、[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]から[[井上敦史]]らが入団した。 少ない予算でJ1昇格を狙うために、主力選手を[[期限付き移籍]]で集めてメンバーを固定して戦った。その結果、エメルソンを含む8人がレンタル選手というチーム編成だった<ref group="注">佐藤洋平、森秀昭、大森健作、ビジュ、アウミール、伊藤優津樹、エメルソン、播戸竜二</ref>。J2を戦うための戦術を確立して、それを実行することができる選手を各ポジションに揃え、14連勝を含む17試合無敗(16勝1分)<ref group="注">当時は引き分けを挟んでも連勝記録として認定されていたため、J2記録となる16連勝として記録されていた。</ref><ref>[http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00019414 Jリーグ・公式戦における「連勝・連敗」の定義について]</ref> を含む'''31勝5分4敗でJ2優勝'''(全11チーム)し、J1昇格が決まった。また、エメルソンが31得点でJ2得点王を獲得、山瀬功治と藤ヶ谷陽介がU-19日本代表に選出された。 === 2001年 - 2002年(J1) === ==== 2001年 ==== 創立5周年を迎えた2001年シーズン。岡田体制3年目。レンタルで獲得した選手、特にエメルソンを完全移籍で残留させるためにサポーターから増資を募り、3億円近くの資金を集めた。増資の最大の目的であったエメルソンは退団したが、[[大分トリニータ|大分]]の[[ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ|ウィル]]をレンタルで獲得した。 開幕戦でC大阪、第2節で柏に連勝。一時は2位に付け、'''10勝5分15敗の11位'''(全16チーム)でJ1残留を果たした。ウィルが24得点で得点王を獲得した他、山瀬功治が[[Jリーグアウォーズ|J1最優秀新人選手賞]]を受賞。この年も新人の[[今野泰幸]]が高卒1年目でレギュラーを獲得した。シーズン終了後に岡田が監督を退任した。同年完成した札幌ドームの集客効果も加わり、平均観客動員数は2万人を突破した。 ==== 2002年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2002年開幕戦スタメン'''</span>}} {{Image label|x=0.50|y=1.26|scale=220|text=[[柱谷哲二|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''柱谷哲二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[佐藤洋平|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''佐藤洋平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.93|scale=220|text=[[吉川京輔|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''吉川京輔'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.93|scale=220|text=[[マクサンドロ・バルボサ・デ・オリベイラ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''マクサンドロ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.77|scale=220|text=[[大森健作|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''大森健作'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.77|scale=220|text=[[森下仁志|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''森下仁志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.57|scale=220|text=[[アンドレ・ルイス・デ・ソウザ・シルバ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ビジュ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.57|scale=220|text=[[今野泰幸|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''今野泰幸'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.40|scale=220|text=[[平間智和|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''平間智和'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.40|scale=220|text=[[山瀬功治|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''山瀬功治'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.23|scale=220|text=[[小島宏美|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''小島宏美'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.23|scale=220|text=[[ロブソン・ルイス・ペレイラ・ダ・シルバ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ロブソン'''</span>]]}} </div> |} 監督に元日本代表の[[柱谷哲二]]が就任。ウィルが横浜FMへ、播戸竜二が神戸へ移籍。また、名塚善寛、野々村芳和が引退した。ウィルに替わるストライカーとして、[[ロシアサッカー・プレミアリーグ]]の[[FCスパルタク・モスクワ]]からブラジル人[[ロブソン・ルイス・ペレイラ・ダ・シルバ|ロブソン]]、東京Vから[[小倉隆史]]、G大阪から[[小島宏美]]らを獲得した。しかし、ロシアリーグ得点王(後にこの経歴は虚偽と判明)、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]出場という肩書きをひっさげて鳴り物入りで加入したロブソンが全く振るわず、さらにワールドカップ開催による札幌ドームの利用制約からホームゲームすら遠隔地で開催せざるを得ないというスケジュールの厳しさもあり<ref group="注">ワールドカップによる中断前のリーグ戦は4月20日の第7節までで終了だったため、[[札幌厚別公園競技場]]も利用できず、中断前のホームゲーム3試合は高知、室蘭、函館での開催だった。札幌市でホームゲームを開催したのは4月30日、厚別でのヤマザキナビスコカップ第2節、その次はリーグ再開後の7月24日1stステージ第10節、札幌ドームにおける同年初の公式戦ホームゲーム開催であった。</ref>、チームは開幕から黒星を重ねた。結局ロブソンは同年加入した[[マクサンドロ・バルボサ・デ・オリベイラ|マクサンドロ]]と共に5月末に退団。6月に柱谷は監督を解任された。 後任の監督として [[プリメーラ・ディビシオン|リーガ・エスパニョーラ]]「[[レアル・オビエド]]」のチームコーディネータを務めていた[[ラドミロ・イバンチェビッチ]]を招聘し、また同じく[[ユーゴスラビア]](現[[セルビア]])人[[スルジャン・バーヤック|バーヤック]]、ブラジル人[[ジョゼ・ジャディウソン・ドス・サントス|ジャディウソン]]の2人の外国人選手をはじめ、日本人選手も次々と獲得して立て直しを図ったが、成績は上向かずにイバンチェビッチは9月に辞任した。後任に[[張外龍]]が就任したが、2ndステージ第11節の鹿島戦に敗れて、2度目のJ2降格が決定。シーズン通算で'''5勝1分24敗の最下位'''(全16チーム)に終わった。 {{-}} === 2003年 - 2007年(J2) === ==== 2003年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2003年開幕戦スタメン'''</span>}} {{Image label|x=0.23|y=1.26|scale=220|text=[[ジョアン・カルロス・ダ・シウバ・コスタ|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''ジョアン・カルロス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[佐藤洋平|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''佐藤洋平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.91|scale=220|text=[[森秀昭|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''森秀昭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.91|scale=220|text=[[西澤淳二|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西澤淳二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.77|scale=220|text=[[大森健作|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''大森健作'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.77|scale=220|text=[[和波智広|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''和波智広'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.57|scale=220|text=[[森下仁志|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''森下仁志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.57|scale=220|text=[[今野泰幸|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''今野泰幸'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.40|scale=220|text=[[砂川誠|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''砂川誠'''</span>]]}} {{Image label|x=0.69|y=0.40|scale=220|text=[[ジョベルト・アラウジョ・マルチンス|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ベット'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.23|scale=220|text=[[新居辰基|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''新居辰基'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.23|scale=220|text=[[堀井岳也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''堀井岳也'''</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''We Shall Return''' 1年でのJ1復帰を掲げ、監督に鹿島や名古屋で監督を務めた[[ジョアン・カルロス・ダ・シウバ・コスタ|ジョアン・カルロス]]を招聘。また横浜FMを退団したウィルが復帰し、[[ホベルッチ・ダ・シウバ・アウメイダ|ホベルッチ]]、[[ジョベルト・アラウジョ・マルチンス|ベット]]という2人の元ブラジル代表選手を獲得した。一方、ジョアン・カルロスと確執のあった小倉が退団した他、山瀬功治が[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]へ移籍した。 シーズンに入り、ベットがホームシックで退団、ケガで療養中のウィルが深夜の繁華街で傷害事件を起こしそのまま退団、ホベルッチもジョアン・カルロスとの確執で退団と、外国人選手全員がシーズン半ばで退団した。その後[[ジョゼ・レジナウド・ビタウ|ビタウ]]、元大分の[[エジ・カルロス・ディアス・マルサウ|アンドラジーニャ]]、元名古屋の[[タリック・ウリダ|ウリダ]]を獲得したが、第26節の[[アルビレックス新潟|新潟]]戦で大敗を喫しジョアン・カルロスが辞任。後任は再び張外龍となったが、昇格争いに絡めないまま'''13勝13分18敗の9位'''(全12チーム)でシーズンを終えた。 {{-}} ==== 2004年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2004年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[柳下正明|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''柳下正明'''</span>]]}} {{Image label|x=0.33|y=1.09|scale=220|text=[[藤ヶ谷陽介|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''藤ヶ谷陽介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[西嶋弘之|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西嶋弘之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.93|scale=220|text=[[曽田雄志|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''曽田雄志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.93|scale=220|text=[[西澤淳二|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西澤淳二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.73|scale=220|text=[[田畑昭宏|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''田畑昭宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[鈴木智樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''鈴木智樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.80|scale=220|text=[[権東勇介|<span style="font-size: 70%; color: white;">(権東勇介)</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.52|scale=220|text=[[和波智広|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''和波智広'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[市村篤司|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''市村篤司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=0.59|scale=220|text=[[岡田佑樹|<span style="font-size: 70%; color: white;">(岡田佑樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.34|scale=220|text=[[砂川誠|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''砂川誠'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.16|scale=220|text=[[清野智秋|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''清野智秋'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.16|scale=220|text=[[相川進也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''相川進也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.23|scale=220|text=[[新居辰基|<span style="font-size: 70%; color: white;">(新居辰基)</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''全力蹴球''' 人件費等の経費圧縮により経営の黒字化を図り、若手主体のチーム編成とユースチームの強化を軸とする長期育成計画の「5段階計画」を立て、レンタル移籍や外国籍選手に頼らずにJ1で安定して戦えるチーム作りを目指す方針を制定。中心選手だった今野泰幸や高年俸のベテラン・外国籍選手が退団した一方、ユースから[[鈴木智樹]]と[[蛯沢匠吾]]、高卒で[[上田常幸]]、[[上里一将]]、[[桑原剛]]、斉川雄介、大卒で[[河端和哉]]、[[鎌田安啓]]など新人選手8人、テスト生から入団した[[静岡FC]]の[[清野智秋]]を獲得した。また、磐田元監督の[[柳下正明]]が監督に就任した。 開幕から第4節まで負けなしだったが、[[三原廣樹]]が怪我で戦線離脱したことや[[新居辰基]]と[[中尾康二]]の不祥事による契約解除(解雇)といった事態が起こったため、シーズン途中で横浜FMから[[金子勇樹]]、神戸から[[西嶋弘之]]を獲得、前年に[[特別指定選手]]としてチームに加わっていた[[権東勇介]]と正式契約したが、勝利を度外視して若手育成にあてたメンバー構成のチームでなかなか勝ち点を重ねることが出来ず、'''5勝15分24敗'''でJ1経験チーム初の'''J2最下位'''(全12チーム 当時は下位リーグとの降格制度はなかった)に終わった。天皇杯はJ1の市原、大分を破りベスト8に進出した。 {{-}} ==== 2005年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2005年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[柳下正明|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''柳下正明'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.09|scale=220|text=[[林卓人|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''林卓人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[池内友彦|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''池内友彦'''</span>]]}} {{Image label|x=0.05|y=1.00|scale=220|text=[[和波智広|<span style="font-size: 70%; color: white;">(和波智広)</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.93|scale=220|text=[[曽田雄志|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''曽田雄志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.93|scale=220|text=[[加賀健一|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''加賀健一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.73|scale=220|text=[[田畑昭宏|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''田畑昭宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[金子勇樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''金子勇樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.52|scale=220|text=[[西谷正也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西谷正也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.05|y=0.59|scale=220|text=[[和波智広|<span style="font-size: 70%; color: white;">(和波智広)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[岡田佑樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''岡田佑樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.34|scale=220|text=[[砂川誠|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''砂川誠'''</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=0.16|scale=220|text=[[清野智秋|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''清野智秋'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.16|scale=220|text=[[相川進也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''相川進也'''</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''真っ攻勝負!''' 柳下体制2年目。GK[[藤ヶ谷陽介]]がG大阪へ移籍した一方、[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から[[林卓人]]と[[中山元気]]、鹿島から[[池内友彦]]、磐田から[[高原寿康]]と[[加賀健一]]を獲得し、大卒の[[徐暁飛]]、ユースの[[石井謙伍]]と野田達郎が入団した。 前年と同じく5位以内を目標に掲げてシーズンに臨んだが、[[堀井岳也]]、上里一将、[[西澤淳二]]らが負傷により長期離脱を余儀なくされたことによりチーム力が低下したものの、シーズン中盤に浦和から[[西谷正也]]、[[水戸ホーリーホック|水戸]]から[[デルリス・ハヴィエル・フロレンティン・ノゲラ|デルリス]]を獲得。西谷は攻撃力の向上に大きく寄与した一方、得点力が期待されたデルリスはチーム戦術に合わず、満足な成績を挙げることができないまま2006年限りで退団した。チームは'''17勝12分15敗の6位'''(全12チーム)でシーズンを終え、当初目標としていた5位以内には入らなかったものの、第4クール後半までJ1昇格戦線に食い込む活躍を見せた。特に、DFの要として期待された池内はチームトップの11得点と2桁得点を挙げ、守備だけではなく攻撃でもチームに貢献した。 シーズン中にクラブ[[取締役]]が女子[[中学生]][[買春]]容疑で[[逮捕]]されるという不祥事があった。3月、札幌市西区に選手寮「しまふく寮」が開設<ref name="yuho2013">{{PDFlink|[http://www.consadole-sapporo.jp/wp-content/uploads/2015/05/yukashoken-h2512.pdf 平成25年12月期有価証券報告書]}} 株式会社北海道フットボールクラブ 2017年2月19日閲覧。</ref>。 {{-}} ==== 2006年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2006年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[柳下正明|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''柳下正明'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.09|scale=220|text=[[林卓人|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''林卓人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[西嶋弘之|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西嶋弘之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.93|scale=220|text=[[曽田雄志|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''曽田雄志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.93|scale=220|text=[[加賀健一|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''加賀健一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.73|scale=220|text=[[鈴木智樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''鈴木智樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[大塚真司|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''大塚真司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.52|scale=220|text=[[西谷正也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西谷正也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[芳賀博信|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''芳賀博信'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.34|scale=220|text=[[砂川誠|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''砂川誠'''</span>]]}} {{Image label|x=0.25|y=0.16|scale=220|text=[[フッキ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''フッキ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.16|scale=220|text=[[相川進也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''相川進也'''</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''闘''' 創立10周年を迎えた2006年シーズン。柳下体制3年目。川崎から[[ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ|フッキ]]、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]から[[芳賀博信]]、[[モンテディオ山形|山形]]から[[大塚真司]]と[[川崎健太郎]]、水戸から[[関隆倫]]、[[アルビレックス新潟シンガポール]]から[[野本安啓]]、名古屋から[[ホルヘ・セバスティアン・ヌニエス|セバスティアン]]を獲得し、ユースから[[藤田征也]]と[[西大伍]]が昇格した。 リーグ戦序盤はフッキの出場停止や大塚ら主力の怪我も影響し、10試合連続未勝利など成績は低迷した。中盤戦以降は状況は改善していったが、'''20勝12分16敗の6位'''(全13チーム)で終了した。しかし、第41節湘南戦、第42節[[徳島ヴォルティス|徳島]]戦ではクラブ史上初の2試合連続6得点を挙げるなど、歯車が噛み合った試合では爆発的な攻撃力を発揮した。「走って繋いで撃ちまくれ それが札幌スタイル」という横断幕も登場し、3年間継続した攻撃的サッカーが根付いたシーズンとなった。[[第86回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]ではJ1の千葉、新潟、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]を破り初のベスト4に進出。シーズン終了後に柳下が退任。 {{-}} ==== 2007年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2007年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[三浦俊也|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''三浦俊也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[高木貴弘|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''高木貴弘'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.91|scale=220|text=[[ブルーノ・エベルトン・クアドロス|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ブルーノ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.91|scale=220|text=[[曽田雄志|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''曽田雄志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.77|scale=220|text=[[西嶋弘之|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西嶋弘之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.77|scale=220|text=[[西澤淳二|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西澤淳二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.57|scale=220|text=[[大塚真司|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''大塚真司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.57|scale=220|text=[[芳賀博信|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''芳賀博信'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.40|scale=220|text=[[西谷正也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西谷正也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.47|scale=220|text=[[砂川誠|<span style="font-size: 70%; color: white;">(砂川誠)</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.40|scale=220|text=[[藤田征也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''藤田征也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.25|y=0.23|scale=220|text=[[ダヴィ・ジョゼ・シルバ・ド・ナシメント|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ダヴィ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.23|scale=220|text=[[中山元気|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''中山元気'''</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''Power to 1''' 元[[大宮アルディージャ|大宮]]監督の[[三浦俊也]]が監督に就任。フッキが東京Vへ移籍、加賀健一が所属元に復帰したが、2006年に途中加入したGK[[佐藤優也]]を甲府から完全移籍で獲得。さらにC大阪からDF[[ブルーノ・エベルトン・クアドロス|ブルーノ・クアドロス]]、[[ECヴィトーリア]]からFW[[ダヴィ・ジョゼ・シルバ・ド・ナシメント|ダヴィ]]・MF[[カウエ・サントス・ダ・マッタ|カウエ]]、大宮からGK[[高木貴弘]]、高卒ルーキーの[[岡本賢明]]と[[岩沼俊介]]を獲得した。 堅守速攻を武器にリーグ序盤に7連勝を果たすなど順調に勝ち点を積み上げ、シーズン途中から首位に浮上。一時は2位に勝ち点差10以上をつける独走状態だったが、シーズン当初から連携強化の為に出場選手を固定してきたことによる主力選手の疲労の蓄積や、台風接近による試合順延で不運な日程を余儀なくされるなど、第3クールとなる8月後半頃から急激に失速、他チームに勝ち点差を詰められ熾烈な昇格争いに巻き込まれた。 この苦しい終盤戦に3年目の石井謙伍、2年目の西大伍、新人の岡本などの若い選手や[[横浜FC]]から途中移籍した[[鄭容臺]]が起用に応えて活躍し、第45節から48節まで4連勝を飾って首位を死守。最終節の水戸戦に勝利してJ1復帰を果たした。また、東京VがC大阪と引き分けたことで'''J2優勝(27勝10分11敗)'''も決めた。 {{-}} === 2008年(J1) === {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2008年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[三浦俊也|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''三浦俊也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[高木貴弘|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''高木貴弘'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.16|scale=220|text=[[佐藤優也|<span style="font-size: 70%;color: white;">(佐藤優也)</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.91|scale=220|text=[[西澤淳二|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西澤淳二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.14|y=0.98|scale=220|text=[[箕輪義信|<span style="font-size: 70%; color: white;">(箕輪義信)</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.91|scale=220|text=[[西嶋弘之|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西嶋弘之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.55|y=0.98|scale=220|text=[[柴田慎吾|<span style="font-size: 70%; color: white;">(柴田慎吾)</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.77|scale=220|text=[[池内友彦|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''池内友彦'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.77|scale=220|text=[[坪内秀介|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''坪内秀介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.57|scale=220|text=[[クライトン・アルベルト・フォントーラ・ドス・サントス|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''クライトン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.57|scale=220|text=[[芳賀博信|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''芳賀博信'''</span>]]}} {{Image label|x=0.43|y=0.64|scale=220|text=[[ディビッドソン純マーカス|<span style="font-size:50%; color: white;">(ディビッドソン純マーカス)</span>]]}} {{Image label|x=0.09|y=0.40|scale=220|text=[[西大伍|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西大伍'''</span>]]}} {{Image label|x=0.04|y=0.47|scale=220|text=[[西谷正也|<span style="font-size: 70%; color: white;">(西谷正也)</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.40|scale=220|text=[[藤田征也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''藤田征也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.25|y=0.23|scale=220|text=[[ダヴィ・ジョゼ・シルバ・ド・ナシメント|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ダヴィ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.23|scale=220|text=[[中山元気|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''中山元気'''</span>]]}} {{Image label|x=0.48|y=0.30|scale=220|text=[[アンデルソン・ホベルト・ダ・シウバ・ルイス|<span style="font-size: 70%; color: white;">(アンデルソン)</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''Progress''' 三浦体制2年目。広島から[[吉弘充志]]を完全移籍で、神戸の[[坪内秀介]]、清水の[[平岡康裕]]、新潟のMF[[ディビッドソン純マーカス]]をレンタル移籍で獲得、新人は[[室蘭大谷高等学校|室蘭大谷高校]]の[[宮澤裕樹]]と柏U-18の[[堀田秀平]]が入団した。一方でブルーノ・クアドロスが退団。新加入した元柏のMF[[アルセウ・ホドリゲス・シモーニ・フィーリョ|アルセウ]]はキャンプ中に退団したが(その前日の親善試合で監督が指示した守備的なプレーに反発し、相手チームの選手に対する暴力行為で退場したことが発端)、新たに[[アトレチコ・パラナエンセ|アトレチコPR]]から元名古屋のMF[[クライトン・アルベルト・フォントーラ・ドス・サントス|クライトン]]を獲得した。 リーグ戦は、中断期間突入時点で降格圏内の17位。FW[[アンデルソン・ホベルト・ダ・シウバ・ルイス|アンデルソン]]や川崎から[[箕輪義信]]を獲得したが、[[10月19日]]の第29節柏戦に敗れて1年でのJ2降格、10月26日の川崎戦に敗れ、最下位が確定。[[12月6日]]の最終節で鹿島に敗れて目の前で優勝を決められた。年間順位は'''4勝6分24敗の最下位'''(全18チーム)となった。三浦は来シーズンも続投を要請されていたが、降格の責任としてシーズン終了後に辞任した。 {{-}} === 2009年 - 2011年(J2) === ==== 2009年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2009年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[石崎信弘|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''石崎信弘'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[荒谷弘樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''荒谷弘樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.16|scale=220|text=[[高原寿康|<span style="font-size: 70%; color: white;">(高原寿康)</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.91|scale=220|text=[[吉弘充志|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''吉弘充志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.14|y=0.98|scale=220|text=[[石川直樹 (サッカー選手)|<span style="font-size: 70%; color: white;">(石川直樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.60|y=0.91|scale=220|text=[[趙晟桓|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''趙晟桓'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.77|scale=220|text=[[西嶋弘之|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西嶋弘之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.67|y=0.77|scale=220|text=[[西大伍|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西大伍'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.84|scale=220|text=[[芳賀博信|<span style="font-size: 70%; color: white;">(芳賀博信)</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.57|scale=220|text=[[ダニルソン・コルドバ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ダニルソン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.57|scale=220|text=[[上里一将|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''上里一将'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.40|scale=220|text=[[藤田征也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''藤田征也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.47|scale=220|text=[[砂川誠|<span style="font-size: 70%; color: white;">(砂川誠)</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.40|scale=220|text=[[古田寛幸|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''古田寛幸'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.27|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.32|y=0.34|scale=220|text=[[ハファエル・バストス|<span style="font-size: 70%; color: white;">(ハファエル)</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.15|scale=220|text=[[チアゴ・キリーノ・ダ・シウヴァ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''キリノ'''</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''戦''' 大分や柏の元監督の[[石崎信弘]]が監督に就任。ダヴィが名古屋へ移籍、西澤淳二・池内友彦・西谷正也・アンデルソンなど10人以上の選手(レンタル選手も含む)が退団した。一方でチームの大黒柱でもあり、退団が噂されていたMFクライトンが残留、前シーズン途中に期限付きで加入した箕輪義信を完全移籍で獲得した。またダヴィの移籍に伴い、移籍先の名古屋から3億円近くの高額な移籍金が入った為、更なる補強を断行した。具体的には、[[アルスヴェンスカン|スウェーデン]]の[[ユールゴーデンIF]]からFW[[チアゴ・キリーノ・ダ・シウヴァ|キリノ]]、[[コロンビア・プロサッカーリーグ|コロンビア]]の[[インデペンディエンテ・メデジン]]からMF[[ダニルソン・コルドバ|ダニルソン]]、アジア枠で[[Kリーグ|韓国]]の[[浦項スティーラース|浦項]]からDF[[趙晟桓]](チョウ・ソンファン)と3人の新外国人選手を獲得。また、日本人では大宮からGK[[荒谷弘樹]]を獲得した。新人は[[沖縄大学]]から[[上原慎也]]が入団、[[曵地裕哉]]、[[古田寛幸]]がユースから昇格した。7月、MFクライトンが以前から抱えていた怪我が悪化。残りのシーズンに出場出来ないと判断され退団、代わりに[[ハファエル・バストス|ハファエル]]が加入した。さらに、シーズン途中には柏の[[石川直樹 (サッカー選手)|石川直樹]]をレンタル移籍で獲得した。 若手中心の布陣のため連勝・連敗の浮き沈みが激しかった。勝ち切れない試合も多く(J2最多の16引分)、年間順位'''21勝16分14敗の6位'''(全18チーム)で終了した。 {{-}} ==== 2010年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2010年開幕布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[石崎信弘|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''石崎信弘'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[高原寿康|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''高原寿康'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.91|scale=220|text=[[石川直樹 (サッカー選手)|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''石川直樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.91|scale=220|text=[[西嶋弘之|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''西嶋弘之'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.77|scale=220|text=[[岩沼俊介|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''岩沼俊介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.77|scale=220|text=[[芳賀博信|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''芳賀博信'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.57|scale=220|text=[[上里一将|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''上里一将'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.57|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.40|scale=220|text=[[藤田征也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''藤田征也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.40|scale=220|text=[[古田寛幸|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''古田寛幸'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.23|scale=220|text=[[近藤祐介|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''近藤祐介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.23|scale=220|text=[[内村圭宏|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''内村圭宏'''</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''「MOVE」 -より速く、より正確に、よりタフに-''' 石崎体制2年目。西大伍が新潟へ、ダニルソンが名古屋へレンタル移籍、[[曽田雄志]]が現役を引退した一方、6チームとの競合を制して磐田から[[中山雅史]]を獲得。FC東京から[[藤山竜仁]]と[[近藤祐介]]、[[愛媛FC|愛媛]]から[[内村圭宏]]、広島から[[李漢宰]]を獲得した。シーズン途中に清水の[[高木純平]]をレンタル移籍で獲得した。 開幕に躓き、5・6月は無敗も5分と勝ち点を伸ばせず、7月以降は怪我人が出るなど1年を通して昇格争いに加わることもなく、年間順位'''11勝13分12敗の13位'''(全19チーム)で終了した。終盤は怪我による離脱者が多く、ベンチ入り可能な18人のメンバーを埋められない試合もあった。 {{-}} ==== 2011年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2011年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[石崎信弘|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''石崎信弘'''</span>]]}} {{Image label|x=0.38|y=1.09|scale=220|text=[[李昊乗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''李昊乗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.91|scale=220|text=[[櫛引一紀|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''櫛引一紀'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.91|scale=220|text=[[山下達也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''山下達也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.77|scale=220|text=[[岩沼俊介|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''岩沼俊介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.77|scale=220|text=[[高木純平|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''高木純平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.57|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.57|scale=220|text=[[河合竜二|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''河合竜二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.40|scale=220|text=[[近藤祐介|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''近藤祐介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.40|scale=220|text=[[砂川誠|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''砂川誠'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.30|scale=220|text=[[内村圭宏|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''内村圭宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.15|scale=220|text=[[ジオゴ・コヘア・デ・オリベイラ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ジオゴ'''</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''{{Color|#cc0000|C}}hallenge for {{Color|#cc0000|S}}mile''' 創立15周年を迎えた2011年シーズン。石崎体制3年目。6年半在籍した西嶋弘之が徳島へ、ユース時代から在籍していた藤田征也とキャプテンを務めた石川直樹が新潟へ、佐藤優也が[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]へ、吉弘充志が愛媛へ、堀田秀平が新潟シンガポールへ、李漢宰が[[FC岐阜|岐阜]]へ、新潟にレンタル移籍していた西大伍が鹿島へ完全移籍した。また、藤山竜仁が引退、箕輪義信が退団するなどし、多くの選手がチームを去った。一方、新潟から高木貴弘、C大阪から[[山下達也]]、[[サガン鳥栖|鳥栖]]から[[日高拓磨]]、横浜FMから[[河合竜二]]を獲得、レンタル移籍だった高木純平は完全移籍となり、[[三上陽輔]]がユースから昇格し、室蘭大谷高校の[[櫛引一紀]]が入団した。外国人では[[チアゴ・プラド・ノゲイラ|チアゴ]](元京都)、[[ユニバーシアード]][[サッカー韓国代表|韓国代表]]の[[李昊乗|イ・ホスン]]、ブラジルのクラブから[[ブルーノ・フェラス・ダス・ネヴェス|ブルーノ]]、元徳島の[[アンドレ・ルイス・ロドリゲス・ロペス|アンドレジーニョ]]を獲得した。なお、また、[[砂川誠]]は2010年シーズン後に退団したが、2011年シーズン前に再契約した。また、キャンプに練習生として参加していた[[西村卓朗]]と契約を締結した。 シーズン中に、アンドレジーニョが[[Aリーグ]]の[[パース・グローリーFC]]へ移籍、チアゴが退団するも、[[浦項スティーラース]]から[[岡山一成]]、ブラジルのクラブから[[ジオゴ・コヘア・デ・オリベイラ|ジオゴ]]、[[ダニエル・ソアレス・デ・ソウザ・レモス|レモス]]が加入した。 J2開幕戦の愛媛戦に敗れ、[[東日本大震災]]の影響による1ヶ月半の中断期間を挟んだ後のホーム開幕戦となる湘南戦にも敗れるなど第11節(4試合目)時点で18位と低迷したが、7月から9月まで10勝3分2敗の成績で9月21日に3位へ浮上。徳島と勝ち点で並んだ[[2011年J2最終節|第38節]]、札幌ドームに歴代2位となる観客数39,243人を記録したFC東京戦に勝利。'''21勝5分12敗の3位'''(全20チーム)となり、4年ぶりにJ1復帰を果たした。 {{Main|2011年J2最終節}} {{-}} === 2012年(J1) === {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2012年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[石崎信弘|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''石崎信弘'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[高原寿康|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''高原寿康'''</span>]]}} {{Image label|x=0.27|y=1.16|scale=220|text=[[李昊乗|<span style="font-size: 70%; color: white;">(李昊乗・</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=1.16|scale=220|text=[[杉山哲|<span style="font-size: 70%; color: white;">杉山哲)</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.91|scale=220|text=[[奈良竜樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''奈良竜樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=0.98|scale=220|text=[[櫛引一紀|<span style="font-size: 70%; color: white;">(櫛引一紀)</span>]]}} {{Image label|x=0.56|y=0.91|scale=220|text=[[ジェイド・ノース|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ノース'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.98|scale=220|text=[[金載桓|<span style="font-size: 70%; color: white;">(金載桓)</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.77|scale=220|text=[[岩沼俊介|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''岩沼俊介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.77|scale=220|text=[[日高拓磨|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''日高拓磨'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.84|scale=220|text=[[高木純平|<span style="font-size: 70%; color: white;">(高木純平)</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.57|scale=220|text=[[山本真希|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''山本真希'''</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.64|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: 70%; color: white;">(宮澤裕樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.57|scale=220|text=[[河合竜二|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''河合竜二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.64|scale=220|text=[[芳賀博信|<span style="font-size: 70%; color: white;">(芳賀博信)</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.40|scale=220|text=[[岡本賢明|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''岡本賢明'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.47|scale=220|text=[[砂川誠|<span style="font-size: 70%; color: white;">(砂川誠)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.40|scale=220|text=[[近藤祐介|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''近藤祐介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.30|scale=220|text=[[古田寛幸|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''古田寛幸'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.37|scale=220|text=[[前貴之|<span style="font-size: 70%; color: white;">(前貴之)</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.15|scale=220|text=[[内村圭宏|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''内村圭宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.22|scale=220|text=[[前田俊介|<span style="font-size: 70%; color: white;">(前田俊介・</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.22|scale=220|text=[[大島秀夫|<span style="font-size: 70%; color: white;">大島秀夫)</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''「We Go On」 -ただ、ひたすらに-''' 石崎体制4年目。山下達也がC大阪に、2年間レンタル移籍していたダニルソンが名古屋に、ブルーノが[[グアラニFC]]に、ジオゴが徳島にそれぞれ完全移籍、レモスは契約満了により退団、西村卓朗が引退、上里一将が徳島にレンタル移籍した。一方で、鹿島から[[杉山哲]]、広島から[[髙柳一誠]]、大分から[[前田俊介]]、清水から[[山本真希]]、新潟から[[大島秀夫]]、FC東京から[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア代表]]の[[ジェイド・ノース]]を完全移籍で、[[アルシデス・ピント・デ・メロ・ジュニオール|ジュニーニョ]]をレンタル移籍で獲得。前年に[[大邱FC]]にレンタル移籍していたキリノが復帰。さらにユースからシーズン終盤に活躍した[[奈良竜樹]]をはじめ、[[荒野拓馬]]、[[小山内貴哉]]、[[前貴之]]、[[榊翔太]]がトップへ昇格した。なお、湘南から完全移籍の[[松尾直人]]は[[FC大阪]]へ移籍した。 なお、[[室蘭市入江運動公園陸上競技場]]と[[函館市千代台公園陸上競技場]]が[[Jリーグクラブライセンス制度]]のスタジアム基準を満たさなかったため、初めて全ホームゲームを札幌で開催した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20120202-898077.html|title=札幌 基準満たせず室蘭、函館開催なし|work=[[日刊スポーツ|nikkansports.com]]|date=2012-02-02|accessdate=2012-03-02}}</ref>。 リーグ戦は第2節から7連敗。第9節のC大阪戦で初勝利を挙げたが、第10節から9連敗を喫した。7月、[[全北現代モータース]]より[[金載桓|金載桓(キム ジェファン)]]をレンタル(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消<ref>[http://www.j-league.or.jp/release/000/00004579.html 登録選手追加・変更・抹消のお知らせ] Jリーグ公式サイト 2012.07.13</ref>)、[[クルーベ・ナウチコ・カピバリベ|ナウチコ]]から[[ハモン・オズニ・モレイラ・ラジェ|ハモン]]と[[フォス・ド・イグアス|フォス・ド・イグアスFC]]から[[マルシオ・アウベス・ドス・サントス|テレ]]を完全移籍で獲得。一方でキリノが湘南へ完全移籍、横野純貴が[[ツエーゲン金沢|金沢]]へレンタル移籍し、ジュニーニョと契約解除した。その後も成績は伸びないどころか逆に敗退を重ね、これで負けてしまえば自力での挽回が不可能という状態となった9月29日の第27節の川崎戦でも惨敗。これによってJ2降格が完全に決定(9月中の降格決定はJリーグ史上初、7試合を残しての降格決定は史上最速)。年間順位は'''4勝2分28敗の勝点14で最下位'''(全18チーム)。連勝は無く、アウェー13連敗、年間28敗、総失点88、得失点差-63はJ1ワースト記録。勝点14はJ1がリーグ戦18チーム年間34試合制となって以降最低の記録である<ref group="注">実数値では、[[1999年のJリーグ|1999年]]、リーグ戦16チーム30試合時代に湘南が記録した年間通算13が最低。</ref>。シーズン終了後、石崎は監督を退任した。 === 2013年 - 2016年(J2) === ==== 2013年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size:smaller; color:#000;">'''2013年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[財前恵一|<span style="font-size:smaller; color:#000;">監督 '''財前恵一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.09|scale=220|text=[[杉山哲|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''杉山哲'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.93|scale=220|text=[[奈良竜樹|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''奈良竜樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=1.00|scale=220|text=[[櫛引一紀|<span style="font-size:70%; color:white;">(櫛引一紀)</span>]]}} {{Image label|x=0.56|y=0.93|scale=220|text=[[趙成眞|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''趙成眞'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=1.00|scale=220|text=[[ルイス・パウロ・ダ・シルバ|<span style="font-size:70%; color:white;">(パウロン)</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.77|scale=220|text=[[上原慎也|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''上原慎也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.05|y=0.84|scale=220|text=[[松本怜大|<span style="font-size:70%; color:white;">(松本怜大)</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.77|scale=220|text=[[日高拓磨|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''日高拓磨'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.57|scale=220|text=[[上里一将|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''上里一将'''</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.64|scale=220|text=[[河合竜二|<span style="font-size:70%; color:white;">(河合竜二)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.57|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.64|scale=220|text=[[深井一希|<span style="font-size:70%; color:white;">(深井一希)</span>]]}} {{Image label|x=0.11|y=0.40|scale=220|text=[[砂川誠|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''砂川誠'''</span>]]}} {{Image label|x=0.05|y=0.47|scale=220|text=[[岡本賢明|<span style="font-size:70%; color:white;">(岡本賢明)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.40|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''荒野拓馬'''</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.47|scale=220|text=[[レ・コン・ビン|<span style="font-size:70%; color:white;">(レコンビン)</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.30|scale=220|text=[[前田俊介|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''前田俊介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=0.37|scale=220|text=[[三上陽輔|<span style="font-size:70%; color:white;">(三上陽輔)</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.15|scale=220|text=[[内村圭宏|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''内村圭宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26|y=0.22|scale=220|text=[[フェリペ・アルメイダ・フェリックス・クヴァシャンチラーヅェ|<span style="font-size:70%; color:white;">(フェホ・</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.22|scale=220|text=[[榊翔太|<span style="font-size:70%; color:white;">榊翔太)</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''北海道とともに、世界へ''' 監督に札幌のユース及びトップチームコーチを務めた[[室蘭市]]出身の[[財前恵一]]が就任。財前はチーム初のOB、北海道出身者の監督となった。また、3月に札幌OBの[[野々村芳和]]が北海道フットボールクラブの代表取締役社長に就任。強化費が前年の推定5億円から推定2億5000万程度に減額されるのを受けて本来なら契約延長を行いたい主力級の選手にも契約満了後他チームへの移籍を容認せざるを得ない状況に追い込まれた。中山雅史、元主将の芳賀博信が引退、高原寿康及び高木純平(共に清水へ移籍)、岡山一成([[奈良クラブ]]へ移籍)、高木貴弘(岐阜へ移籍)、山本真希(川崎へ移籍)、髙柳一誠(神戸へ移籍)、大島秀夫(北九州へ移籍)が契約満了に伴い退団、金載桓がレンタル終了で全北現代へ復帰、[[ハモン・オズニ・モレイラ・ラジェ|ハモン]]がブラジルクラブに、ジェイド・ノースが[[ブリスベン・ロアーFC]]に、近藤祐介が[[栃木SC]]に、[[岩沼俊介]]が[[松本山雅FC|松本山雅]]に完全移籍した。 一方、[[カマタマーレ讃岐|讃岐]]から[[趙成眞|趙成眞(チョ ソンジン)]]を完全移籍で、ブラジルのクラブから[[ルイス・パウロ・ダ・シルバ|パウロン]]をレンタル移籍、2年間FC東京・徳島にレンタル移籍していた[[上里一将]]、金沢にレンタル移籍していた横野純貴が復帰、また、[[東洋大学]]で札幌ユースU-18出身の[[松本怜大]]が入団、前年度に[[Jリーグユース選手権大会|Jユースカップ]]で全カテゴリを通じて初の全国優勝を達成したユースから[[中原彰吾]]、[[永坂勇人]]、[[堀米悠斗]]、[[神田夢実]]、[[阿波加俊太]]、[[深井一希]]の6人がトップへ昇格した。3月に[[タイ・ディヴィジョン1リーグ|タイ]]の[[コーンケンFC]]とクラブ間提携パートナーシップを結び、シーズン中に中原、永坂がコーンケンFCへレンタル移籍した。シーズン中には[[マルシオ・アウベス・ドス・サントス|テレ]]が規律違反で退団(その後[[FC町田ゼルビア|町田]]へ移籍)したが、2014シーズンの加入が内定している[[阪南大学]]の[[工藤光輝]]を[[特別指定選手]]で登録。7月、練習生として参加していた[[フェリペ・アルメイダ・フェリックス・クヴァシャンチラーヅェ|フェホ]]、[[サッカーベトナム代表|ベトナム代表]]の[[レ・コン・ビン]]をレンタル移籍で獲得(それに伴い李昊乗の選手登録を抹消。契約は継続。)。 開幕戦で2006年以来の勝利を収めたが、第2節から3連敗し第4節終了時点で21位まで落ちる。その後は大きな連敗はないものの大きな連勝もないという一進一退の展開が続き、第2節から第24節までは2桁順位が続く。第25節で開幕戦以来の1桁順位となる9位に浮上した後は、第29節で11位、第36、38節で10位になった以外1桁順位を維持し、第39節からシーズン初の3連勝を達成したことにより、最終節に勝利すれば得失点差と他の対戦カードの関係で自力でのプレーオフ進出が決まるところまで迫ったが、最終節の北九州戦で引き分けたためプレーオフ出場は成らなかった。なお、最終成績は'''20勝4分18敗の8位'''(全22チーム)。天皇杯は4回戦で甲府に敗北した。 ==== 2014年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''バルバリッチ体制基本布陣 3-4-2-1'''</span>}} {{Image label|x=0.25|y=1.26|scale=220|text=[[イヴィッツァ・バルバリッチ|<span style="font-size:smaller; color:#000;">監督 '''イヴィッツァ・バルバリッチ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.09|scale=220|text=[[李昊乗|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''李昊乗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.16|scale=220|text=[[金山隼樹|<span style="font-size:70%; color:white;">(金山隼樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.93|scale=220|text=[[奈良竜樹|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''奈良竜樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=1.00|scale=220|text=[[河合竜二|<span style="font-size:70%; color:white;">(河合竜二)</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[櫛引一紀|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''櫛引一紀'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=1.00|scale=220|text=[[薗田淳|<span style="font-size:70%; color:white;">(薗田淳)</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.93|scale=220|text=[[ルイス・パウロ・ダ・シルバ|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''パウロン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.73|scale=220|text=[[上里一将|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''上里一将'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''荒野拓馬'''</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=0.59|scale=220|text=[[日高拓磨|<span style="font-size:70%; color:white;">(日高拓磨)</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.52|scale=220|text=[[石井謙伍|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''石井謙伍'''</span>]]}} {{Image label|x=0.04|y=0.59|scale=220|text=[[上原慎也|<span style="font-size:70%; color:white;">(上原慎也)</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.34|scale=220|text=[[中原彰吾|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''中原彰吾'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.41|scale=220|text=[[菊岡拓朗|<span style="font-size:70%; color:white;">(菊岡拓朗)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.34|scale=220|text=[[前田俊介|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''前田俊介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.16|scale=220|text=[[都倉賢|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''都倉賢'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.23|scale=220|text=[[内村圭宏|<span style="font-size:70%; color:white;">(内村圭宏)</span>]]}} </div> |} {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size:smaller; color:#000;">'''財前体制基本布陣 4-4-1-1'''</span>}} {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[財前恵一|<span style="font-size:smaller; color:#000;">監督 '''財前恵一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[金山隼樹|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''金山隼樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=1.16|scale=220|text=[[李昊乗|<span style="font-size:70%; color:white;">(李昊乗)</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.93|scale=220|text=[[奈良竜樹|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''奈良竜樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.93|scale=220|text=[[ルイス・パウロ・ダ・シルバ|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''パウロン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=1.00|scale=220|text=[[櫛引一紀|<span style="font-size:70%; color:white;">(櫛引一紀)</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.77|scale=220|text=[[上原慎也|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''上原慎也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.04|y=0.84|scale=220|text=[[上原拓郎|<span style="font-size:70%; color:white;">(上原拓郎)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.77|scale=220|text=[[石井謙伍|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''石井謙伍'''</span>]]}} {{Image label|x=0.60|y=0.84|scale=220|text=[[小山内貴哉|<span style="font-size:70%; color:white;">(小山内貴哉)</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.57|scale=220|text=[[河合竜二|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''河合竜二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.64|scale=220|text=[[上里一将|<span style="font-size:70%; color:white;">(上里一将)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.57|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.11|y=0.40|scale=220|text=[[砂川誠|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''砂川誠'''</span>]]}} {{Image label|x=0.05|y=0.47|scale=220|text=[[菊岡拓朗|<span style="font-size:70%; color:white;">(菊岡拓朗)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.40|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''荒野拓馬'''</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=0.47|scale=220|text=[[日高拓磨|<span style="font-size:70%; color:white;">(日高拓磨)</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.30|scale=220|text=[[前田俊介|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''前田俊介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.15|scale=220|text=[[内村圭宏|<span style="font-size:smaller; color:white;">'''内村圭宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.22|scale=220|text=[[都倉賢|<span style="font-size:70%; color:white;">(都倉賢)</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''北海道とともに、世界へ''' 財前体制2年目。曵地裕哉(愛媛へ移籍)、三上陽輔([[カターレ富山|富山]]へ移籍)が退団、岡本賢明が[[ロアッソ熊本|熊本]]へ、フェホが[[中国サッカー・甲級リーグ|中国]]の[[北京八喜足球倶楽部]]へ、趙成眞が[[Kリーグクラシック|韓国]]の[[水原三星ブルーウィングス|水原三星]]へ完全移籍、横野純貴がタイのコーンケンFCへ、堀米悠斗が[[福島ユナイテッドFC|福島]]へ、神田夢実と阿波加俊太が[[SC相模原|相模原]]へレンタル移籍、レ・コン・ビンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。 一方、愛媛から5年ぶりに復帰になる石井謙伍、[[V・ファーレン長崎|長崎]]から[[金山隼樹]]、栃木から[[菊岡拓朗]]、川崎から[[薗田淳]]、神戸から[[都倉賢]]、韓国の[[慶南FC]]から[[丁成勳|丁成勳(チョン ソンフン)]]、[[エールステ・ディヴィジ|オランダ2部]]の[[アルメレ・シティFC]]から[[ステファノ・リリパリ|ステファノ]]を完全移籍で、ブラジルのクラブから[[マルコス・ヘナン・オリベイラ・サンターナ|ヘナン]]をレンタル移籍で獲得、中原彰吾、永坂勇人がレンタル移籍から復帰、昨シーズン特別指定選手で登録していた工藤光輝、[[北海道教育大学]]の[[上原拓郎]]が加入、ユースから[[前寛之]]、[[内山裕貴]]がトップへ昇格した。 シーズン中には、1月に仮契約していた[[小野伸二]]が[[オーストラリア]][[Aリーグ]]の[[ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC]]から完全移籍で加入、李昊乗の負傷離脱に伴い相模原へレンタル移籍していた阿波加俊太が育成型レンタル移籍契約を解除し復帰した。また、前貴之が富山、古田寛幸が讃岐へレンタル移籍した。 開幕戦で前年J2降格の磐田にアウェーで勝利するも下位に低迷。一時は17位まで順位を落とし、第24節から第28節までの間5戦連続で勝利がなかったことや、途中加入の[[都倉賢]]の起用に消極的であったことから、8月28日に成績不振を理由に財前監督を解任し、新監督にかつて愛媛で監督をしていた[[イヴィッツァ・バルバリッチ]]が就任した。なお来日の関係で指揮を振るうのが第31節の岐阜戦からのため、第29・30節はコーチの名塚善寛が監督代行として指揮することになった<ref group="注">名塚は本来Jリーグの監督をするのに必要なS級ライセンスを保持はしていないが、新監督が決まっていることもあり特例で監督代行になった。</ref>。監督交代後は、都倉が積極的に起用されるようになり、都倉もバルバリッチの期待に応える活躍を見せた。また、3バックを使用するようになった。監督交代後4勝2敗5分の成績を残したが、最終的には'''15勝14分13敗の10位'''(全22チーム)の成績に終わりプレーオフ進出を逃したものの、チームの状況を立て直した手腕を高く評価してバルバリッチの続投が決まった。天皇杯は2回戦で清水に敗北した。また、女子サッカーチームとして「'''北海道リラ・コンサドーレ'''」を創設し、宗像訓子が初代監督に就任した。 ==== 2015年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''四方田体制基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.45|y=1.26|scale=220|text=[[四方田修平|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''四方田修平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.30|y=1.09|scale=220|text=[[具聖潤|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ク・ソンユン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.16|scale=220|text=[[金山隼樹|<span style="font-size:70%; color:white;">(金山隼樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[福森晃斗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''福森晃斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.93|scale=220|text=[[河合竜二|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''河合竜二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.93|scale=220|text=[[櫛引一紀|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''櫛引一紀'''</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=1.00|scale=220|text=[[ルイス・パウロ・ダ・シルバ|<span style="font-size:70%; color:white;">(パウロン)</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.73|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.80|scale=220|text=[[上里一将|<span style="font-size:70%; color:white;">(上里一将)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[稲本潤一|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''稲本潤一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.80|scale=220|text=[[深井一希|<span style="font-size:70%; color:white;">(深井一希)</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.52|scale=220|text=[[堀米悠斗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''堀米悠斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.05|y=0.59|scale=220|text=[[上原慎也|<span style="font-size:70%; color:white;">(上原慎也)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[石井謙伍|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''石井謙伍'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.59|scale=220|text=[[前寛之|<span style="font-size:70%; color:white;">(前寛之)</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.34|scale=220|text=[[小野伸二|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''小野伸二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=0.41|scale=220|text=[[中原彰吾|<span style="font-size:70%; color:white;">(中原彰吾)</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=0.16|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''荒野拓馬'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.23|scale=220|text=[[内村圭宏|<span style="font-size:70%; color:white;">(内村圭宏)</span>]]}} {{Image label|x=0.55|y=0.16|scale=220|text=[[都倉賢|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''都倉賢'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.23|scale=220|text=[[クリスティアン・ナザリト|<span style="font-size:70%; color:white;">(ナザリト)</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''北海道とともに、世界へ''' バルバリッチ体制2年目。日高拓磨(富山へ移籍)、前年タイリーグにレンタル移籍していた横野純貴(福島へ移籍)、松本怜大(町田へ移籍)、上原拓郎(熊本へ移籍)、丁成勳、ステファノ([[インドネシア・スーパーリーグ]]のペルシジャ・ジャカルタへ移籍)が契約満了、ヘナンがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。またイ・ホスンが湘南へ完全移籍、奈良竜樹がFC東京へ、工藤光輝が相模原(7月からは[[いわてグルージャ盛岡|盛岡]])、内山裕貴が[[Sリーグ|シンガポールSリーグ]]の[[ホウガン・ユナイテッドFC]]へレンタル移籍した。シーズン中には、小山内貴哉が[[AC長野パルセイロ|長野]]、砂川誠が岐阜へレンタル移籍した。 一方、川崎から元日本代表の[[稲本潤一]]、岐阜から前年J2得点4位の[[クリスティアン・ナザリト|ナザリト]]、甲府から[[サッカーインドネシア代表|インドネシア代表]]の[[イルファン・バフディム|イルファン]]、C大阪から韓国U-21代表の[[具聖潤|ク・ソンユン(具聖潤)]]を完全移籍で、川崎から[[福森晃斗]]、ブラジルの[[アヴァイFC]]から前年東京Vに所属していた[[ジョゼニウド・ブリト・ダ・シウヴァ|ニウド]]をレンタル移籍で獲得、古田寛幸・前寛之・前貴之・堀米悠斗・神田夢実がレンタル移籍から復帰、ユースから[[進藤亮佑]]がトップへ昇格した。 開幕戦で勝利し、5月には都倉が6得点でJ2月間MVPを獲得する活躍などがありチームも好調。前半21試合でアウェー戦負けなしのプレーオフ圏内の6位で折り返した。ところが後半戦に入ると3連敗するなど第19節から7試合勝利がなく、7月24日にバルバリッチ監督を解任してU-18監督の[[四方田修平]]が就任したが、新監督就任直後から4試合連続無得点、前監督時代から含めて12戦連続勝利なしなどチームは勝ちきれず、最終的には'''14勝15分13敗の10位'''(全22チーム)でシーズンを終えた。天皇杯は3回戦で鳥栖に敗北した。 ==== 2016年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2016年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.45|y=1.26|scale=220|text=[[四方田修平|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''四方田修平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.30|y=1.09|scale=220|text=[[具聖潤|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ク・ソンユン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.16|scale=220|text=[[金山隼樹|<span style="font-size:70%; color:white;">(金山隼樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[福森晃斗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''福森晃斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.93|scale=220|text=[[増川隆洋|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''増川隆洋'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.93|scale=220|text=[[進藤亮佑|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''進藤亮佑'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=1.00|scale=220|text=[[菊地直哉|<span style="font-size:70%; color:white;">(菊地直哉)</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.73|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.80|scale=220|text=[[上里一将|<span style="font-size:70%; color:white;">(上里一将)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[深井一希|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''深井一希'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.80|scale=220|text=[[前寛之|<span style="font-size:70%; color:white;">(前寛之)</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.52|scale=220|text=[[堀米悠斗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''堀米悠斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[石井謙伍|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''石井謙伍'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.59|scale=220|text=[[ジエゴ・マセード・プラド・ドス・サントス|<span style="font-size:70%; color:white;">(マセード)</span>]]}} {{Image label|x=0.32|y=0.34|scale=220|text=[[ジュリオ・セザル・ゴジーニョ・カトーレ|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ジュリーニョ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=0.41|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size:70%; color:white;">(荒野拓馬)</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=0.16|scale=220|text=[[内村圭宏|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''内村圭宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=0.23|scale=220|text=[[ジョナタン・レイス|<span style="font-size:70%; color:white;">(ヘイス)</span>]]}} {{Image label|x=0.55|y=0.16|scale=220|text=[[都倉賢|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''都倉賢'''</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''北海道とともに、世界へ''' 創立20周年を迎えた2016年シーズン。運営会社名を株式会社北海道フットボールクラブから株式会社コンサドーレへ、チーム名をコンサドーレ札幌から北海道コンサドーレ札幌へ(但し公式記録などの略称については従前に同じ)、ホームタウンを札幌市から札幌市を中心とする北海道へ変更<ref name="consadole20">{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/2015119827/|title=株式会社北海道フットボールクラブ(コンサドーレ札幌) 社名・チーム名変更及びホームタウン追加のお知らせ|accessdate=2015-11-28}}</ref>。 また、[[サッポロドラッグストアー|リージョナルマーケティング]]及び[[F-Power]]と共同事業契約を結び、「株式会社エゾデン」を設立。[[小売電気事業者]]として電気事業に参入した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/20160110825/|title=電力自由化に伴う新会社「エゾデン」設立のお知らせ、ならびに3社合同記者発表実施報告|accessdate=2016-1-16}}</ref>。また、[[博報堂DYメディアパートナーズ]]と7年にわたってクラブビジネス戦略パートナー契約を締結した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20160115-OHT1T50142.html|title=【札幌】博報堂DYMPと戦略パートナー契約へ…1年2億円、7年契約|accessdate=2016-1-16}}</ref>。 四方田体制2年目。前年に岐阜へレンタル移籍していた砂川誠が引退、古田寛幸(金沢へ移籍)、前田俊介([[ガイナーレ鳥取|鳥取]]へ移籍)、薗田淳(熊本へ移籍)、菊岡拓朗(相模原へ移籍)、ナザリトが契約満了、二ウドがレンタル移籍期間満了に伴い退団した。また、FC東京にレンタル移籍していた奈良竜樹が川崎へ完全移籍、長野にレンタル移籍していた小山内貴哉とパウロンが福島へレンタル移籍した。 一方、神戸から[[増川隆洋]]、ブラジルの[[ECバイーア]]から[[ジョナタン・レイス|ヘイス]]と[[ジエゴ・マセード・プラド・ドス・サントス|マセード]]、[[オペラリオ・フェロヴィアリオEC]]から[[ジュリオ・セザル・ゴジーニョ・カトーレ|ジュリーニョ]]を完全移籍で獲得。さらに、阿波加俊太と内山裕貴がレンタル移籍先から復帰した。またシーズン途中には鳥栖から[[菊地直哉]]が期限付き移籍で加入した。 開幕5戦で3勝1分1敗といいスタートを切ると、5月3日の第11節で首位に立った<ref group="注">第12節アウェー熊本戦は4月に起きた[[熊本地震 (2016年)|熊本地震]]の影響で試合延期。そのため第12節で3位に落ちたが続く第13節で再び首位となった</ref>。試合では先制した後に無失点に抑える1-0での勝利(ウノゼロ勝利が11試合)、5年ぶりの函館開催となった第21節横浜FC戦や第25節岐阜戦のような5点を取っての勝利など、攻守がかみ合い好調をキープし、ホームでは開幕から18試合無敗(16勝2分)で昨年から続いていた無敗記録がJ2タイ記録の23試合まで伸ばした。しかし、終盤に差し掛かり第37節東京Vにホームで敗戦し、ホーム無敗のJ2新記録を逃してからの4試合を1勝3敗で昇格へ足踏みが続いた。サポーター3000人以上がアウェーに駆け付けた第41節千葉戦で劇的な逆転勝利。引き分け以上でJ1昇格とJ2優勝が決まる最終節のホーム金沢戦で引き分けて、'''25勝10分7敗の1位'''(全22チーム)となり、J2最多記録となる9年ぶり3回目のJ2優勝と、5年ぶり5回目<ref group="注">1997年の[[第6回ジャパンフットボールリーグ|旧JFL]]から当時1部制のJリーグへの昇格の1回を含む</ref> のJ1昇格が決まった。天皇杯は2回戦で岡山に敗北した。 {{Main|2016年J2第41節・最終節}} {{-}} === 2017年 - (J1) === ==== 2017年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2017年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.45|y=1.26|scale=220|text=[[四方田修平|<span style="font-size: smaller; color: #000;">監督 '''四方田修平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.30|y=1.09|scale=220|text=[[具聖潤|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ク・ソンユン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[福森晃斗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''福森晃斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.93|scale=220|text=[[横山知伸|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''横山知伸'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.00|scale=220|text=[[河合竜二|<span style="font-size:70%; color:white;">(河合竜二)</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.93|scale=220|text=[[菊地直哉|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菊地直哉'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=1.00|scale=220|text=[[金眠泰|<span style="font-size:70%; color:white;">(金眠泰)</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.73|scale=220|text=[[兵藤慎剛|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''兵藤慎剛'''</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.80|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size:70%; color:white;">(荒野拓馬)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.52|scale=220|text=[[石川直樹 (サッカー選手)|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''石川直樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.59|scale=220|text=[[菅大輝 (サッカー選手)|<span style="font-size:70%; color:white;">(菅大輝)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[早坂良太|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''早坂良太'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.59|scale=220|text=[[ジエゴ・マセード・プラド・ドス・サントス|<span style="font-size:70%; color:white;">(マセード)</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.34|scale=220|text=[[チャナティップ・ソングラシン|<span style="font-size:80%; color: white;">'''チャナティップ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.34|scale=220|text=[[都倉賢|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''都倉賢'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.16|scale=220|text=[[ジェイ・ボスロイド|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ジェイ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.23|scale=220|text=[[ジョナタン・レイス|<span style="font-size:70%; color:white;">(ヘイス)</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''北海道とともに、世界へ''' (シーズンスローガン:WE LOVE A CHALLENGE) 四方田体制3年目。11年間在籍していた上里一将(熊本へ移籍)をはじめ、神田夢実(愛媛へ移籍)、内山裕貴(鳥取へ移籍)、イルファン(バリ・ユナイテッドへ移籍)、盛岡へ期限付き移籍していた工藤光輝(引退)が契約満了、前貴之が[[レノファ山口FC|山口]]、櫛引一紀が名古屋、中原彰吾がG大阪、福島へレンタル移籍していたパウロンが水戸へレンタル移籍、堀米悠斗が新潟、小山内貴哉がレンタル移籍先の福島へ完全移籍した。また、シーズン途中には阿波加俊太が育成型期限付き移籍で愛媛へ、永坂勇人が水戸へレンタル移籍した。 一方で、[[ベガルタ仙台|仙台]]から[[金眠泰|キム・ミンテ]]と[[金園英学]]、鳥栖から[[早坂良太]]、神戸から[[田中雄大 (1988年生のサッカー選手)|田中雄大]]、横浜FMから[[兵藤慎剛]]を完全移籍で、大宮から[[横山知伸]]をレンタル移籍で獲得。レンタル移籍だった福森晃斗は完全移籍となり、菊地直哉はレンタル移籍期間が延長され、U-18から前年2種登録選手で出場していた[[菅大輝 (サッカー選手)|菅大輝]]と[[濱大耀]]が昇格した。またシーズン中には、2016年12月に仮契約していた<ref>{{Cite news|title=札幌 “タイのメッシ”ソングラシンと仮契約 来年7月から加入へ|date=2016-12-22|publisher=[[スポーツニッポン]]|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/12/22/kiji/20161222s00002000188000c.html}}</ref>[[サッカータイ王国代表|タイ代表]]の[[チャナティップ・ソングラシン]]が[[タイ・リーグ]]の[[ムアントン・ユナイテッドFC]]からレンタル移籍で、仙台から6年半ぶりの復帰となる[[石川直樹 (サッカー選手)|石川直樹]]を完全移籍で獲得。また昨年まで磐田でプレーしていた[[ジェイ・ボスロイド|ジェイ]]が加入した(それに伴い外国籍枠の関係で負傷で長期離脱が決まっていたジュリーニョの選手登録を抹消)。 開幕5戦を1勝1分3敗の勝ち点4と2005年以降のJ1昇格チームがJ1残留している勝ち点5に届かず、第11~16節には6連敗するなど前半は残留圏ぎりぎりの15位で折り返した。後半初戦となる第18節大宮戦では0-2から福森がJ1史上7人目となる[[フリーキック (サッカー)|FK]]での2得点で同点とし、第24節仙台戦・第25節磐田戦に勝利して16年ぶりのJ1で連勝した。その後夏以降に加入したチャナティップ、ジェイ、石川直樹らがかみ合うと10月以降も第29節柏戦・第30節FC東京戦でも連勝、第32節清水戦に勝利して2001年以来16年ぶりとなるJ1残留を決めた。その後も16年ぶりとなる3連勝で締めくくり'''12勝7分15敗の11位'''(全18チーム)で終了した。5年ぶりの出場となった[[2017年のJリーグカップ|ルヴァンカップ]]はプレーオフステージでC大阪に敗退、天皇杯は2回戦で福島県代表の[[いわきFC]]に敗れ、初戦敗退となった。 ==== 2018年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2018年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.10|y=1.26|scale=220|text=[[ミハイロ・ペトロヴィッチ|<span style="font-size:80%; color: #000;">監督 '''ミハイロ・ペトロヴィッチ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.30|y=1.09|scale=220|text=[[具聖潤|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ク・ソンユン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[福森晃斗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''福森晃斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.93|scale=220|text=[[金眠泰|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''金眠泰'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.00|scale=220|text=[[石川直樹 (サッカー選手)|<span style="font-size:70%; color:white;">(石川直樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.93|scale=220|text=[[進藤亮佑|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''進藤亮佑'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.73|scale=220|text=[[深井一希|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''深井一希'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.80|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size:70%; color:white;">(荒野拓馬)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.80|scale=220|text=[[兵藤慎剛|<span style="font-size:70%; color:white;">(兵藤慎剛)</span>]]}} {{Image label|x=0.09|y=0.52|scale=220|text=[[菅大輝 (サッカー選手)|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菅大輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.03|y=0.59|scale=220|text=[[白井康介|<span style="font-size:70%; color:white;">(白井康介)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[駒井善成|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''駒井善成'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.59|scale=220|text=[[早坂良太|<span style="font-size:70%; color:white;">(早坂良太)</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.34|scale=220|text=[[チャナティップ・ソングラシン|<span style="font-size:80%; color: white;">'''チャナティップ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.34|scale=220|text=[[三好康児|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''三好康児'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.41|scale=220|text=[[都倉賢|<span style="font-size:70%; color:white;">(都倉賢)</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.16|scale=220|text=[[ジェイ・ボスロイド|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ジェイ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=0.23|scale=220|text=[[宮吉拓実|<span style="font-size:70%; color:white;">(宮吉拓実)</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''北海道とともに、世界へ''' (シーズンスローガン:冒険コンサドーレ) 監督に約11年に亘って広島と浦和で指揮し、2017年J1第19節の札幌戦翌日に浦和を解任となった[[ミハイロ・ペトロヴィッチ]]が就任<ref>{{Cite news|title=ミハイロ ペトロヴィッチ氏 監督就任のお知らせ|date=2018-1-10|publisher=北海道コンサドーレ札幌《公式》|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/20180136426/}}</ref>。前年まで監督を務めていた四方田修平は監督を退任し、ヘッドコーチに就任した。増川隆洋(京都へ移籍)、石井謙伍(タイのサムットサーコーンFCへ移籍)、マセード(ブラジルの[[CAブラガンチーノ]]へ移籍)が契約満了、杉山哲が[[東京ユナイテッドFC]]、金山隼樹が岡山、上原慎也が愛媛、前貴之が前年レンタル移籍先の山口、櫛引一紀が前年レンタル移籍先の名古屋に完全移籍した。また、前寛之が水戸、金園英学が甲府、前年G大阪にレンタル移籍していた中原が長崎へレンタル移籍した。 一方で、愛媛から[[白井康介]]、広島から[[宮吉拓実]]を完全移籍で、川崎から[[三好康児]]、浦和から[[駒井善成]]、京都から[[菅野孝憲]]をレンタル移籍で獲得。レンタル移籍だった菊地直哉と横山知伸は完全移籍となり、U-18から前年2種登録選手でカップ戦に出場していた[[藤村怜]]が昇格、レンタル移籍だった阿波加俊太、昨シーズン途中でケガにより登録抹消されていたジュリーニョが再登録された。 シーズン開始前の、2018年2月8日と2月10日の2日間、アロハスタジアムで開催された「パシフィックリムカップ2018」に出場し、優勝した。<ref>{{Cite news|title=パシフィックリムカップ2018はコンサドーレ札幌が優勝!都倉が千金の決勝弾!|date=2018-2-15|publisher=スポナビハワイ|url=http://www.sponavihawaii.com/article_index/details/ArtMID/6359/ArticleID/3751/%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%972018%E3%81%AF%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AC%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E3%81%8C%E5%84%AA%E5%8B%9D%EF%BC%81%E9%83%BD%E5%80%89%E3%81%8C%E5%8D%83%E9%87%91%E3%81%AE%E6%B1%BA%E5%8B%9D%E5%BC%BE }}</ref> シーズン中には横山知伸が熊本、ジュリーニョが山口へレンタル移籍、ヘイスは契約解除(のちに新潟へ移籍)した。 フォーメーションは前年までと同じ[3-4-2-1]だが、攻撃時にはボランチの一人が下がり左右のCBがサイドに広がってSBのようになり、両WBが高い位置を取ることで5トップの形になる[4-1-5]、また守備時には両WBが最終ラインまで下がって5バックの形になる[5-4-1]で、いわゆる「[[ミシャ式]]」と呼ばれる可変システムを採用した。また左右CBの福森と進藤の攻撃力を生かすために、攻撃時に両ボランチを1列下げて中央CBと3CBを形成し、左右CBを1列上げる[5-0-5]システムを採用することもあった。前年までのしっかり守ってロングボールなどで長身FWにあてる形を時折織り交ぜつつ、GKを含めた最終ラインからボールをしっかりつないでいくスタイルをキャンプから繰り返し練習してシーズンを迎えた。 序盤は連携面でのミスが重なりカップ戦を含む公式戦5試合で1勝4敗11失点と結果が出せなかったが、第4節に前年J1昇格をした長崎戦にシーズン初勝利すると第14節のFC東京戦までクラブ最長記録となる11試合負け無し(7勝4分)で第12節終了時には3位に浮上、[[2018 FIFAワールドカップ|ロシアワールドカップ]]によるJ1リーグ戦中断前を5位で終えた。再開後も第23節FC東京戦は0-2から逆転で3-2にするなど好調を維持し、第25節までの3試合を3連勝で9月の中断期間に入った。中断期間中の9月6日に[[北海道胆振東部地震]]が発生して北海道全域が[[ブラックアウト]]となるなど大きな被害を受け、選手やスタッフは自宅待機となるなど練習やコンデションに影響を及ぼした<ref>{{Cite news|title=北海道胆振地方中東部で発生した地震による影響について|date=2018-9-6|publisher=北海道コンサドーレ札幌《公式》|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/20180944240/}}</ref><ref>{{Cite news|title=トップチーム練習見学について(平成30年北海道胆振東部地震)|date=2018-9-8|publisher=北海道コンサドーレ札幌《公式》|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/20180944254/}}</ref>。再開後の第26節の川崎戦では0-7と大敗し次節の鹿島戦にも負けて連敗したが、第30節まで暫定4位から7位の間を推移し[[平成30年台風第12号|台風]]の影響で延期していた第18節の振替試合<ref>{{Cite news|title=台風12号の影響による試合開催情報について【Jリーグ】|date=2018-8-29|publisher=Jリーグ公式HP|url=https://www.jleague.jp/news/article/12534/}}</ref> に勝利してクラブ初となる2年連続J1残留を決めた。第33節の磐田戦に勝利して勝ち点54とすると最終第34節は勝ち点56で2位の広島と直接対決となり、勝利すれば2位となる可能性のあるホームに34,250人が集まる中、試合は前半21分までに2点をリードしながらも後半に同点に追いつかれそのまま引き分けた。その結果、[[AFCチャンピオンズリーグ2019]]の出場権は獲得できなかったが、'''15勝10分9敗の4位(全18チーム)'''とクラブ史上J1最高成績で終え、大躍進のシーズンとなった。なお、[[2018年のJリーグカップ|ルヴァンカップ]]は予選敗退、[[天皇杯 JFA 第98回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]はベスト16だった。 シーズン終了後の2018Jリーグアウォーズにおいて、チャナティップが[[Jリーグベストイレブン|ベストイレブン]]<ref>{{Cite news|title=2018Jリーグアウォーズ チャナティップ選手が「2018Jリーグ ベストイレブン」に選出されました|date=2018-12-18|publisher=北海道コンサドーレ札幌《公式》|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/20181246887/}}</ref>、ペトロヴィッチが優秀監督賞(J1)に選出された<ref>{{Cite news|title=2018Jリーグ ペトロヴィッチ監督が優秀監督賞(J1)、チャナティップ選手が優秀選手賞を受賞|date=2018-12-7|publisher=北海道コンサドーレ札幌《公式》|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/20181246716/}}</ref>。 ==== 2019年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2019年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.10|y=1.26|scale=220|text=[[ミハイロ・ペトロヴィッチ|<span style="font-size:80%; color: #000;">監督 '''ミハイロ・ペトロヴィッチ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.30|y=1.09|scale=220|text=[[具聖潤|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ク・ソンユン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[福森晃斗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''福森晃斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.93|scale=220|text=[[金眠泰|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''金眠泰'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.00|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size:70%; color:white;">(宮澤裕樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.93|scale=220|text=[[進藤亮佑|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''進藤亮佑'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.73|scale=220|text=[[深井一希|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''深井一希'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.80|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size:70%; color:white;">(荒野拓磨)</span>]]}} {{Image label|x=0.09|y=0.52|scale=220|text=[[菅大輝 (サッカー選手)|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菅大輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.03|y=0.59|scale=220|text=[[中野嘉大|<span style="font-size:70%; color:white;">(中野嘉大)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[ルーカス・フェルナンデス|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ルーカス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.59|scale=220|text=[[白井康介|<span style="font-size:70%; color:white;">(白井康介)</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.34|scale=220|text=[[チャナティップ・ソングラシン|<span style="font-size:80%; color: white;">'''チャナティップ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.34|scale=220|text=[[鈴木武蔵|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''鈴木武蔵'''</span>]]}} {{Image label|x=0.55|y=0.41|scale=220|text=[[アンデルソン・ロペス|<span style="font-size:70%; color:white;">(A.ロペス)</span>]]}} {{Image label|x=0.40|y=0.16|scale=220|text=[[ジェイ・ボスロイド|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ジェイ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=0.22|scale=220|text=[[鈴木武蔵|<span style="font-size:70%; color:white;">(鈴木武蔵)</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''北海道とともに、世界へ''' (シーズンスローガン:ミシャ、第2章。) ペトロヴィッチ体制2年目。9年間在籍していた内村圭宏([[FC今治]]へ移籍)や8年間在籍していた河合竜二(引退)をはじめ、田中雄大([[ブラウブリッツ秋田|秋田]]へ移籍)、菊地直哉(福岡へ移籍)、稲本潤一(相模原へ移籍)、熊本へレンタル移籍していた横山知伸(9月に岐阜へ移籍)、山口へレンタル移籍していたジュリーニョ、水戸へレンタル移籍していた永坂勇人(7月に[[北海道サッカーリーグ|北海道リーグ]]・[[北海道十勝スカイアース|十勝]]へ移籍)が契約満了、三好康児がレンタル移籍期間満了に伴い退団(その後横浜FMへレンタル移籍)、都倉賢がC大阪、宮吉拓実が京都、兵藤慎剛が仙台へ完全移籍、前寛之が前年レンタル移籍先の水戸、金園英学が前年レンタル移籍先の甲府に完全移籍した。 一方で、京都から[[岩崎悠人]]、長崎から[[鈴木武蔵]]、仙台から[[中野嘉大]]、[[FCソウル]]から元広島の[[アンデルソン・ジョゼ・ロペス・デ・ソウザ|アンデルソン・ロペス]]を完全移籍で、ECヴィトーリアから[[ルーカス・フェルナンデス (1994年生のサッカー選手)|ルーカス・フェルナンデス]]をレンタルで獲得。U-18から前年2種登録選手でカップ戦に出場していた[[中村桐耶]]が昇格、直前の[[第97回全国高等学校サッカー選手権大会|高校サッカー選手権]]で優勝した[[青森山田中学高等学校|青森山田高校]]から[[檀崎竜孔]]が加入。菅野孝憲はレンタル移籍期間が延長され、2年間G大阪と長崎へレンタル移籍していた中原彰吾が復帰、レンタル移籍で加入していたチャナティップ、駒井善成が完全移籍となった。 シーズン中には2020シーズンの加入が内定している[[日本大学]]の[[金子拓郎]]と札幌ユース出身で筑波大学の[[高嶺朋樹]]、[[大阪体育大学]]の[[田中駿汰]]を特別指定選手で登録した。小野伸二が[[FC琉球|琉球]]に、中原彰吾が仙台に完全移籍、中村桐耶が[[本田技研工業フットボールクラブ|Honda FC]]に育成型期限付き移籍した。 シーズン序盤では第2節アウェー浦和戦に完勝し、第3節ではロペスの4得点の活躍などで13シーズン振りにホーム開幕戦に勝利した。その後失点が多く3連敗したが、第7節にキム・ミンテを中央CBに入れてから守備が安定してクラブ初のJ1リーグ4連勝を記録するなど前半を6位で終えた。同時期にクラブの選手が各国代表に選出されるようになった。3月には鈴木がクラブ20年ぶりに日本代表に選出されると、菅はユース出身で初となる[[コパ・アメリカ2019|コパ・アメリカ]]に臨む東京五輪世代中心で構成された日本代表に選出された。また、進藤も11月の国際親善試合での日本代表に選出された。韓国代表のクソンユン、タイ代表のチャナティップ、日本代表の鈴木は[[2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選|FIFAワールドカップ・アジア2次予選]]に定期的に選出されるようになると、J1リーグ戦・ルヴァン杯・代表戦で過密日程となり、シーズン後半は1度も連勝できずに最終的に'''13勝7分14敗の10位(全18チーム)'''で終了した。[[天皇杯 JFA 第99回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は2回戦敗退となった。 シーズン終了後の[[EAFF E-1サッカー選手権2019]]の日本代表に鈴木と菅と特別指定選手の田中が選出され、鈴木は中国戦、菅は香港戦で代表初ゴールを記録した。 ; 初のルヴァンカップ決勝 [[File:2019 J.League Cup Final.jpg|thumb|2019年YBCルヴァンカップ決勝戦|right|220px]] [[2019年のJリーグカップ|ルヴァンカップ]]ではJ2に降格した[[V・ファーレン長崎|長崎]]、前年のファイナリスト(優勝した[[湘南ベルマーレ|湘南]]、準優勝の[[横浜F・マリノス|横浜FM]])が同居するグループAを1位で突破。プレーオフの磐田戦はロペスの3得点などの活躍で2戦合計4-2(アウェー:第1戦2-1、ホーム:第2戦2-1)で1997年以来21年ぶりに決勝トーナメント(プライムステージ)に進出。準々決勝の広島戦でもアンデルソン・ロペスの3得点の活躍や福森の直接FKなど2戦合計4-3(ホーム:第1戦3-2、アウェー:第2戦1-1)で準決勝に進出。準決勝は直前のリーグ戦と合わせて10日間で3連戦となるG大阪が相手。直前のリーグ戦で0-5と大敗した同地でのアウェー第1戦は、先制点を許したが後半42分にCKからキム・ミンテが同点ゴール。終了間際に失点して1-2で敗れはしたが、貴重なアウェーゴールを獲得した。ホーム第2戦はJリーグ杯でのクラブ史上最多となる15996人の観客動員を記録する中、後半31分の鈴木のゴールを守りきり1-0で勝利。2戦合計2-2もアウェーゴール数の差で公式戦初となる決勝に進出した。 決勝はJ1リーグ戦でこれまで1度も勝利をした事がない川崎と対戦。前日の関東地方の悪天候の影響で当日の飛行機が一部欠航する中、北海道から会場となる[[埼玉スタジアム2002]]まで別の移動手段を急遽手配して何とか辿り着いたり、行けなくなったサポーターも多くいた。それでもゴール裏を埋め尽くす程の多くのサポーターが駆けつけて48119人の観客動員を記録。試合は前半10分に右WBの白井からのクロスを左WBに入った菅のボレーシュートで先制するも、その後は川崎が徐々に押し返す展開となりアディショナルタイムに左CKから[[阿部浩之]]に押し込まれて1-1で前半を終了した。後半も川崎に主導権を握られ、後半43分に[[小林悠 (サッカー選手)|小林悠]]に決められて1-2となるも、後半アディショナルタイムのラストプレーで福森の右CKに深井が頭で得点し同点に追いつき試合は延長戦に突入した。延長前半4分にピッチ中央付近から個人技で中央突破を図ったチャナティップに対して川崎の[[谷口彰悟]]が後ろから倒してファールの判定。一度はイエローカードを提示されたが、[[ビデオ・アシスタント・レフェリー|ビデオ・アシスタント・レフェリー (VAR)]]が介入しオンフィールドレビューとなった結果、「決定的な得点の機会の阻止」と判断されてレッドカードが提示され退場となった。さらに、このファウルで得たフリーキックを10月21日のトレーニング中に負傷して左腓腹筋の肉離れで欠場した宮澤に代わってキャプテンを務めた福森が直接ゴールし勝ち越しに成功。しかし延長後半4分に再び小林に決められ3-3のまま120分でも決着つかずにPK戦となった。PK戦では4人全員(ジェイと替わって途中出場のロペス、鈴木、深井、白井と替わって途中出場のフェルナンデス)が成功したのに対して川崎は4番手の[[車屋紳太郎]]が失敗し、5人目を終えて3-2。福森との交代で出場した5番手の石川が決めれば初優勝となる(聖杯が津軽海峡を超える)状況で[[新井章太]]に横っ飛びでセーブされてサドンデスに突入。川崎は6番手の[[長谷川竜也]]が決めた一方、決めて7人目に持ち込まなければならない6番手の進藤が新井に立て続けにセーブされて試合終了。川崎を退場で10人に追い込み、尚且つPK戦でも先に失敗したのは川崎だったにも関わらず準優勝という結果となり、ペトロヴィッチは史上初めて3クラブを跨いで<ref>[[2010年のJリーグカップ|2010年]]の広島、[[2013年のJリーグカップ|2013年]]の浦和に続いてである。</ref> のJリーグカップ準優勝監督となった。 ==== 2020年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2020年基本布陣(3-2-4-1)'''</span>}} {{Image label|x=0.10|y=1.26|scale=220|text=[[ミハイロ・ペトロヴィッチ|<span style="font-size:80%; color: #000;">監督 '''ミハイロ・ペトロヴィッチ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.16|scale=220|text=[[菅野孝憲|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菅野孝憲'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[福森晃斗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''福森晃斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.04|y=1.00|scale=220|text=[[高嶺朋樹|<span style="font-size:70%; color:white;">(高嶺朋樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.93|scale=220|text=[[金眠泰|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''金眠泰'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.00|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size:70%; color:white;">(宮澤裕樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.93|scale=220|text=[[田中駿汰|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''田中駿汰'''</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=1.00|scale=220|text=[[進藤亮佑|<span style="font-size:70%; color:white;">(進藤亮佑)</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.73|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''荒野拓馬'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.80|scale=220|text=[[高嶺朋樹|<span style="font-size:70%; color:white;">(高嶺朋樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.80|scale=220|text=[[駒井善成|<span style="font-size:70%; color:white;">(駒井善成)</span>]]}} {{Image label|x=0.09|y=0.52|scale=220|text=[[菅大輝 (サッカー選手)|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菅大輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.03|y=0.59|scale=220|text=[[白井康介|<span style="font-size:70%; color:white;">(白井康介)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[ルーカス・フェルナンデス|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ルーカス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.59|scale=220|text=[[金子拓郎|<span style="font-size:70%; color:white;">(金子拓郎)</span>]]}} {{Image label|x=0.12|y=0.34|scale=220|text=[[チャナティップ・ソングラシン|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''チャナティップ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.13|y=0.41|scale=220|text=[[ドウグラス・フェリスビーノ・デ・オリベイラ|<span style="font-size:70%; color: white;">(ドウグラス)</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.34|scale=220|text=[[駒井善成|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''駒井善成'''</span>]]}} {{Image label|x=0.55|y=0.41|scale=220|text=[[アンデルソン・ロペス|<span style="font-size:70%; color: white;">(A.ロペス)</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.16|scale=220|text=[[アンデルソン・ロペス|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''A.ロペス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.23|scale=220|text=[[ジェイ・ボスロイド|<span style="font-size:70%; color: white;">(ジェイ)</span>]]}} </div> |} {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2020年基本布陣(0トップ)'''</span>}} {{Image label|x=0.10|y=1.26|scale=220|text=[[ミハイロ・ペトロヴィッチ|<span style="font-size:80%; color: #000;">監督 '''ミハイロ・ペトロヴィッチ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.16|scale=220|text=[[菅野孝憲|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菅野孝憲'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[福森晃斗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''福森晃斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.93|scale=220|text=[[金眠泰|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''金眠泰'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.93|scale=220|text=[[田中駿汰|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''田中駿汰'''</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=1.00|scale=220|text=[[進藤亮佑|<span style="font-size:70%; color:white;">(進藤亮佑)</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.73|scale=220|text=[[高嶺朋樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''高嶺朋樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.80|scale=220|text=[[深井一希|<span style="font-size:70%; color:white;">(深井一希)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.09|y=0.52|scale=220|text=[[菅大輝 (サッカー選手)|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菅大輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.03|y=0.59|scale=220|text=[[ルーカス・フェルナンデス|<span style="font-size:70%; color:white;">(ルーカス)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[ルーカス・フェルナンデス|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ルーカス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.59|scale=220|text=[[金子拓郎|<span style="font-size:70%; color:white;">(金子拓郎)</span>]]}} {{Image label|x=0.12|y=0.34|scale=220|text=[[チャナティップ・ソングラシン|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''チャナティップ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.41|scale=220|text=[[駒井善成|<span style="font-size:70%; color: white;">(駒井善成)</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.34|scale=220|text=[[駒井善成|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''駒井善成'''</span>]]}} {{Image label|x=0.55|y=0.41|scale=220|text=[[金子拓郎|<span style="font-size:70%; color: white;">(金子拓郎)</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.20|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''荒野拓馬'''</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''北海道とともに、世界へ''' (シーズンスローガン:乗り越えろ ~ BEYOND THE LIMITS) ペトロヴィッチ体制3年目。岩崎悠人が湘南にレンタル移籍した。またシーズン途中には鈴木武蔵が[[ベルギー・ファースト・ディビジョンA|ベルギー]]の[[KベールスホトVA]]に完全移籍、檀崎竜孔がオーストラリアAリーグの[[ブリスベン・ロアーFC]]にレンタル移籍した。 一方で、前年までレンタル移籍だった菅野孝憲とルーカス・フェルナンデスを完全移籍で、ブラジルの[[ルヴェルデンセEC]]から[[ドウグラス・フェリスビーノ・デ・オリヴェイラ|ドゥグラス・オリベイラ]]、ベルギーの[[OHルーヴェン]]からタイ代表の[[カウィン・タンマサッチャーナン]]をレンタルで獲得した。また、前年特別指定選手の金子拓郎、高嶺朋樹、田中駿汰が加入、2021シーズンの加入が内定している法政大学の[[中野小次郎]]と[[明治大学体育会サッカー部|明治大学]]の[[小柏剛]]と[[長崎県立国見高等学校|国見高校]]の[[中島大嘉]]を特別指定選手で登録した。またシーズン途中には[[プリメイラ・リーガ|ポルトガル]]の[[ジル・ヴィセンテFC]]を退団した[[ウーゴ・ヴィエイラ]]が加入した。 [[SARSコロナウイルス2|新型コロナウイルス]][[日本における2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響#スポーツ|感染拡大]]で2月26日(ルヴァン杯第2節)から7月4日まで長期にわたって公式戦が中断となった。4月6日には大幅な収益減を余儀なくされるクラブに対して、外国籍選手を含めた28人の全所属選手が年俸の一部を返納することを申し出た<ref>{{Cite news|title=宮澤裕樹キャプテンを始めとした、北海道コンサドーレ札幌選手一同からのメッセージ|date=2020-4-6|publisher=北海道コンサドーレ札幌《公式》|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/2020/04/5019/}}</ref>。また5月29日に、6年間在籍したク・ソンユンが[[徴兵制度#大韓民国|兵役義務]]のため当初の予定よりも早く韓国へ帰国することを決め、韓国の[[大邱FC]]への完全移籍が発表された<ref>{{Cite news|title=ク ソンユン選手 大邱FC(韓国・Kリーグ)完全移籍のお知らせ|date=2020-5-29|publisher=北海道コンサドーレ札幌《公式》|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/2020/05/5083/}}</ref>。また新型コロナウイルスを受けてブラジルに一時帰国していたアンデルソン・ロペスは、出入国制限のためにJ1再開までに日本への入国が認められなかったが、7月に入国許可が下り2週間の隔離措置を取った上でチームに合流し<ref>{{Cite news|title=札幌アンデルソン・ロペスに入国許可 11日再来日|date=2020-7-12|publisher=日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202007110000653.html}}</ref>、8月5日のルヴァンカップ第2節広島戦での試合復帰した。 感染予防の観点から近隣クラブとの対戦を優先的に実施するJリーグの方針<ref>{{Cite news|title=2020明治安田生命Jリーグ 開催方式の変更について|date=2020-6-5|publisher=日刊スポーツ|url=https://www.jleague.jp/release/post-63475/}}</ref> により飛行機移動の繰り返しを避けるため、6月22日から約1カ月間にわたり千葉県にあるサッカー日本代表の新拠点である[[高円宮記念JFA夢フィールド]]を日本サッカー協会の協力で提供され<ref group="注">2020年4月7日に開所式を予定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため開場が延期され、日本代表よりも先に札幌が利用することとなった。</ref>、アウェイ4連戦(開幕戦を含めると5連戦)となった。 中断明け後の第4節鹿島戦では敵地でリーグ初勝利を飾るなどアウェイ4連戦を2勝2分の負けなしとして、7月下旬にホーム開幕戦を迎えた。同時期に当時チーム得点王の鈴木武蔵が移籍し、アンデルソン・ロペスも帰国後の隔離措置でコンデションが上がらない中、第7節の横浜FM戦で初めて「ゼロトップ」の役割の荒野を最前線に入れると、豊富な運動量で前線から中盤までの広い範囲で守備に貢献。局面での優位性を保つ事で相手の特徴であるパスワークをうまく封じこみ3-1と勝利した。また「オールコートマンツーマンデイフェンス」で1対1でボールを奪ってショートカウンターから得点する戦術で挑んでいった。しかし、前線から激しいプレスによる体力の消耗の激しさやコロナ禍による試合間隔の短さによるコンディションの調整や戦術の落とし込みが出来ず、第10節川崎戦で6失点を始め、その後の3試合でも4失点を喫すなど守備が崩壊。8-9月の13試合を1勝2分10敗(31失点)と大きく負け越した。10月になると主力選手のコンデションが上がり戦術の理解度も深まっていき、第23節では鹿島相手に初となるシーズンダブルとなる勝利した。第26節では12連勝中で圧倒的な強さで首位に立つ川崎にアウェイで再び荒野を最前線に置く「ゼロトップ」かつ「オールコートマンツーマンデイフェンス」で挑んだ。川崎の得意なパスワークを封じて主導権を握り幾度もチャンスを作り出すと、高い位置でボールを奪ってショートカウンターで2得点。終盤でも菅野が好セーブを連発して終始相手を圧倒する試合で完勝。川崎にリーグ戦で初めての勝ち点3をアウェイの地でつかんだ。その後も第34節浦和戦もシュート20本で2-0で完勝するなど攻守両面において完成度高い試合も出る一方、チャンスは多いけれどもなかなか決め切れない試合も多くあり、最終的に'''10勝9分15敗の12位(全18チーム)'''で終了した。天皇杯はコロナの影響でリーグ戦上位2チームのみの参加となったため未出場となった。 ==== 2021年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2021年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.10|y=1.26|scale=220|text=[[ミハイロ・ペトロヴィッチ|<span style="font-size:80%; color: #000;">監督 '''ミハイロ・ペトロヴィッチ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.16|scale=220|text=[[菅野孝憲|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菅野孝憲'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[福森晃斗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''福森晃斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.06|y=1.00|scale=220|text=[[菅大輝|<span style="font-size:70%; color:white;">(菅大輝)</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.93|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.00|scale=220|text=[[高嶺朋樹|<span style="font-size:70%; color:white;">(高嶺朋樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.93|scale=220|text=[[田中駿汰|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''田中駿汰'''</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=1.00|scale=220|text=[[岡村大八|<span style="font-size:70%; color:white;">(岡村大八)</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.73|scale=220|text=[[駒井善成|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''駒井善成'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.80|scale=220|text=[[深井一希|<span style="font-size:70%; color:white;">(深井一希)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[高嶺朋樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''高嶺朋樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.80|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size:70%; color:white;">(荒野拓馬)</span>]]}} {{Image label|x=0.09|y=0.52|scale=220|text=[[菅大輝 (サッカー選手)|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菅大輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.03|y=0.59|scale=220|text=[[青木亮太|<span style="font-size:70%; color:white;">(青木亮太)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[ルーカス・フェルナンデス|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ルーカス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.59|scale=220|text=[[柳貴博|<span style="font-size:70%; color:white;">(柳貴博)</span>]]}} {{Image label|x=0.12|y=0.34|scale=220|text=[[チャナティップ・ソングラシン|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''チャナティップ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.41|scale=220|text=[[青木亮太|<span style="font-size:70%; color: white;">(青木亮太)</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.34|scale=220|text=[[金子拓郎|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''金子拓郎'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.41|scale=220|text=[[小柏剛|<span style="font-size:70%; color:white;">(小柏剛)</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.16|scale=220|text=[[小柏剛|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''小柏剛'''</span>]]}} {{Image label|x=0.33|y=0.23|scale=220|text=[[アンデルソン・ロペス|<span style="font-size:70%; color: white;">(A.ロペス)</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''北海道とともに、世界へ''' (シーズンスローガン:仕掛けろ ~ NO CHALLENGE, NO CHANGE.) ペトロヴィッチ体制4年目。石川直樹と早坂良太が引退、ウーゴ・ヴィエイラが契約満了、カウィンが期限付き移籍期間満了に伴い退団、進藤亮佑がC大阪に完全移籍、前年湘南にレンタル移籍していた岩崎悠人が千葉(8月に鳥栖へ移籍)、白井康介が京都、濱大耀が富山、藤村怜が山形、シーズン途中で中野嘉大が鳥栖、7月までAリーグのブリスベンにレンタル移籍していた檀崎竜孔が千葉、キムミンテが名古屋にレンタル移籍した。 一方で、[[ザスパクサツ群馬|群馬]]から[[岡村大八]]、新潟から[[大谷幸輝]]、FC東京から[[柳貴博]]、名古屋から[[青木亮太]]、[[ボトラ|モロッコ]]の[[ウィダード・カサブランカ]]から[[ガブリエル・オケチュク]](8月に福島へレンタル移籍)、琉球から1年半ぶりの復帰となる小野伸二を完全移籍で獲得した。また、Honda FCにレンタル移籍していた中村桐耶が復帰、前年特別指定選手の中野小次郎、小柏剛、中島大嘉が加入した。また2022シーズンの加入が内定している[[立正大学]]の[[田中宏武]]を特別指定選手で登録した。またシーズン途中には、[[ベルギー・ファースト・ディビジョンA|ベルギー]]の[[OHルーヴェン]]から[[ミラン・トゥチッチ]]が完全移籍で加入、札幌U-18の[[西野奨太]]がクラブ史上初となる高校在学中でのトップチーム昇格<ref>{{Cite news|title=北海道コンサドーレ札幌 U-18 西野 奨太 選手 プロ契約締結のお知らせ|date=2021-11-18|publisher=北海道コンサドーレ札幌《公式》|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/2021/10/6549/}}</ref> となった。 開幕前にペトロヴィッチ監督が母国で怪我で手術<ref>{{Cite news|title=ペトロヴィッチ監督 手術に関するお知らせ|date=2021-1-16|publisher=北海道コンサドーレ札幌《公式》|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/2021/01/5721/}}</ref>、杉浦大輔コーチ兼通訳が病気で手術<ref>{{Cite news|title=杉浦大輔コーチ兼通訳 手術に関するお知らせ|date=2021-1-16|publisher=北海道コンサドーレ札幌《公式》|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/2021/01/5722/}}</ref>、ジェイが母国で[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス感染症]]の[[COVID-19の検査|PCR検査]]を受けて陽性判定<ref>{{Cite news|title=新型コロナウイルス感染症 陽性判定のお知らせ|date=2021-1-9|publisher=北海道コンサドーレ札幌《公式》|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/2021/01/5705/}}</ref>、新加入のガブリエルが2020年1月に2度目となる[[2019年コロナウイルス感染症の流行に対する日本の行政の対応|緊急事態宣言]]による検疫の強化に伴い同宣言が解除されるまでの期間入国制限<ref>{{Cite news|title=新型コロナウイルス感染症に関する水際対策の強化に係る措置について|date=2021-1-15|publisher=外務省《公式》|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/ca/fna/page4_005130.html}}</ref> となり、キャンプの合流に遅れる事となった。 9年ぶりとなる第1節でのホーム開幕戦の横浜FC戦は5-1と勝利するも、第6節神戸戦では3-0から4失点での逆転負けなどシーズン序盤では苦しんだ。その中でゴールを量産していたアンデルソン・ロペスが6月に移籍したが、第18節大分戦で金子が2得点、第23節浦和戦から第25節大分戦で小柏が3試合連続得点するなど若手が躍動し、4チームが降格する厳しいレギュレーションの中で残留争いすること無く残留を決めた。最終的には'''14勝9分15敗の10位(全20チーム)'''で終了した。[[2021年のJリーグカップ|ルヴァン杯]]はベスト8、[[天皇杯 JFA 第101回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は3回戦敗退となった。 シーズン終了後には小柏剛が日本代表に選出された。 ==== 2022年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2022年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.10|y=1.26|scale=220|text=[[ミハイロ・ペトロヴィッチ|<span style="font-size:80%; color: #000;">監督 '''ミハイロ・ペトロヴィッチ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.16|scale=220|text=[[菅野孝憲|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菅野孝憲'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[福森晃斗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''福森晃斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.06|y=1.00|scale=220|text=[[菅大輝|<span style="font-size:70%; color:white;">(菅大輝)</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.93|scale=220|text=[[岡村大八|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''岡村大八'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.00|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size:70%; color:white;">(宮澤裕樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.93|scale=220|text=[[田中駿汰|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''田中駿汰'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.73|scale=220|text=[[駒井善成|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''駒井善成'''</span>]]}} {{Image label|x=0.14|y=0.80|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size:70%; color:white;">(宮澤・</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=0.80|scale=220|text=[[深井一希|<span style="font-size:70%; color:white;">深井)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[高嶺朋樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''高嶺朋樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.80|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size:70%; color:white;">(荒野拓馬)</span>]]}} {{Image label|x=0.09|y=0.52|scale=220|text=[[菅大輝 (サッカー選手)|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菅大輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.03|y=0.59|scale=220|text=[[ルーカス・フェルナンデス|<span style="font-size:70%; color:white;">(ルーカス)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[ルーカス・フェルナンデス|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ルーカス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.59|scale=220|text=[[金子拓郎|<span style="font-size:70%; color:white;">(金子拓郎)</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.34|scale=220|text=[[青木亮太|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''青木亮太'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.41|scale=220|text=[[駒井善成|<span style="font-size:70%; color: white;">(駒井善成)</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.34|scale=220|text=[[金子拓郎|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''金子拓郎'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.41|scale=220|text=[[小柏剛|<span style="font-size:70%; color:white;">(小柏剛)</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.16|scale=220|text=[[ガブリエル・シャビエル|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ガブリエル・シャビエル'''</span>]]}} {{Image label|x=0.33|y=0.23|scale=220|text=[[興梠慎三|<span style="font-size:70%; color: white;">(興梠慎三)</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''北海道とともに、世界へ''' (シーズンスローガン:突き進め Our Legacy,Our Future.) 1月11日付けの取締役会において、代表取締役社長・CEOの野々村芳和が代表取締役会長に就任、後任の社長・CEOは置かずにゼネラルマネージャーの三上大勝が代表取締役GMに就任した<ref>{{Cite news|title=役員人事に関するお知らせ|date=2022-1-12|publisher=北海道コンサドーレ札幌《公式》|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/2022/01/6809/}}</ref>。野々村は3月15日に行われた公益社団法人日本プロサッカーリーグ理事会で第六代Jリーグチェアマンに就任し<ref>{{Cite news|title=第六代Jリーグチェアマンに野々村 芳和が就任 理事・監事・特任理事 一覧|date=2022-3-15|publisher=公益社団法人 日本プロサッカーリーグ|url=https://www.jleague.jp/release/%e7%ac%ac%e5%85%ad%e4%bb%a3%ef%bd%8a%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%82%b0%e3%83%81%e3%82%a7%e3%82%a2%e3%83%9e%e3%83%b3%e3%81%ab%e9%87%8e%e3%80%85%e6%9d%91%e3%80%80%e8%8a%b3%e5%92%8c%e3%81%8c%e5%b0%b1%e4%bb%bb/}}</ref>、同日クラブの会長職を退任した。また、[[4月27日]]には株式会社[[CREATIVE OFFICE CUE]]取締役会長でコンサドーレオフィシャルサポーターでもある[[鈴井貴之]]が社外取締役に就任した。 ペトロヴィッチ体制5年目。ジェイと福島にレンタル移籍していたガブリエル・オケチュクが契約満了、白井康介が前年レンタル移籍先の京都、中野嘉大が前年レンタル移籍先の鳥栖、前年名古屋にレンタル移籍していたキムミンテが鹿島に完全移籍した。また、チャナティップが国内移籍における移籍金としては過去最高と思われる金額提示を受けて川崎に完全移籍した。また、ヘッドコーチであり前チーム監督であった四方田修平が横浜FC監督に就任するためチームを離れた。またシーズン中に柳貴博が福岡にレンタル移籍(7月に福岡にて選手契約解除)した。 一方で、浦和から[[興梠慎三]]がレンタル移籍、名古屋から[[ガブリエル・アウグスト・シャビエル|ガブリエル・シャビエル]]を完全移籍で獲得した。また、千葉にレンタル移籍していた檀崎竜孔(7月に再びAリーグのブリスベンにレンタル移籍)、山形にレンタル移籍していた藤村怜が復帰、前年特別指定選手の田中宏武、札幌ユース出身で筑波大学の[[井川空]]が加入した。さらに浦和を契約満了となり沖縄キャンプに練習生として参加していた西大伍が完全移籍で13年ぶりに復帰した。またシーズン途中には、タイの[[ブリーラム・ユナイテッドFC]]から[[スパチョーク・サラチャート|スパチョーク]]がレンタル移籍、京都からユース出身の[[松原修平]]、韓国の水原三星から[[金健熙|キム・ゴンヒ]]が完全移籍で加入した。 開幕節から6試合連続引き分けでスタート。その後も主力に怪我人が続いてベストが組めずに守備が崩れて大量失点で負ける試合が多くなり、8月までJ1残留圏ギリギリの順位が続いた。声出し応援が解禁され始めた9月以降は怪我人も戻り始め、第28節5位のC大阪戦は後半ATでの逆転勝利、第30節アウェーでの首位横浜FM戦は引き分け、第31節厚別での2位川崎戦でも点の取り合いの上後半ATに逆転とし4-3で勝利するなど、ラスト8試合を5勝2分1敗(上位チームにも3勝1分)として6年連続J1残留となる'''11勝12分11敗の10位(全18チーム)'''で終了した。[[2022年のJリーグカップ|ルヴァン杯]]はベスト8、[[天皇杯 JFA 第102回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は3回戦敗退となった。 ==== 2023年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.02|scale=300|text=<span style="font-size: smaller; color: #000;">'''2023年基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.10|y=1.29|scale=220|text=[[ミハイロ・ペトロヴィッチ|<span style="font-size:80%; color: #000;">監督 '''ミハイロ・ペトロヴィッチ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=1.16|scale=220|text=[[菅野孝憲|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菅野孝憲'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.23|scale=220|text=[[高木駿|<span style="font-size: smaller; color: white;">(高木駿)</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.93|scale=220|text=[[福森晃斗|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''福森晃斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.04|y=1.00|scale=220|text=[[中村桐耶|<span style="font-size:70%; color:white;">(中村桐耶)</span>]]}} {{Image label|x=0.37|y=0.93|scale=220|text=[[岡村大八|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''岡村大八'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.00|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size:70%; color:white;">(宮澤裕樹)</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.93|scale=220|text=[[田中駿汰|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''田中駿汰'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.73|scale=220|text=[[宮澤裕樹|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''宮澤裕樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.80|scale=220|text=[[馬場晴也|<span style="font-size:70%; color:white;">(馬場晴也)</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.73|scale=220|text=[[荒野拓馬|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''荒野拓馬'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.80|scale=220|text=[[駒井善成|<span style="font-size:70%; color:white;">(駒井善成)</span>]]}} {{Image label|x=0.09|y=0.52|scale=220|text=[[菅大輝 (サッカー選手)|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''菅大輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.03|y=0.59|scale=220|text=[[青木亮太|<span style="font-size:70%; color:white;">(青木亮太)</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[ルーカス・フェルナンデス|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''ルーカス'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.59|scale=220|text=[[金子拓郎|<span style="font-size:70%; color:white;">(金子拓郎)</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.34|scale=220|text=[[駒井善成|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''駒井善成'''</span>]]}} {{Image label|x=0.09|y=0.41|scale=220|text=[[スパチョーク|<span style="font-size:70%; color: white;">(スパチョーク)</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.34|scale=220|text=[[浅野雄也|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''浅野雄也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.56|y=0.41|scale=220|text=[[小林祐希|<span style="font-size:70%; color:white;">(小林祐希)</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.16|scale=220|text=[[小柏剛|<span style="font-size: smaller; color: white;">'''小柏剛'''</span>]]}} {{Image label|x=0.29|y=0.23|scale=220|text=[[キム・ゴンヒ|<span style="font-size:70%; color: white;">(キム・ゴンヒ)</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''北海道とともに、世界へ''' (シーズンスローガン:共に勝利を、わかち合おう Fight together, Win together.) ペトロヴィッチ体制6年目。レンタル移籍満了に伴い興梠慎三が退団(浦和に復帰)。ガブリエル・シャビエル、Aリーグのブリスベンにレンタル移籍していた檀崎竜孔([[スコティッシュ・プレミアシップ]]・[[マザーウェルFC]]に移籍)、濱大耀(サッカースクールのコーチに就任)が契約満了で退団、高嶺朋樹が柏、岩崎悠人が前年レンタル移籍先の鳥栖、藤村怜が岩手に完全移籍した。また中野小次郎が金沢、井川空が岡山、ドゥグラス・オリベイラが盛岡にレンタル移籍した。またシーズン中には中島が名古屋、金子が[[クロアチア]]の[[NKディナモ・ザグレブ]]、田中宏武が[[藤枝MYFC|藤枝]]、西が盛岡にレンタル移籍した。 一方で、広島から[[浅野雄也]]、神戸から[[小林祐希]]、東京Vから[[馬場晴也]]、レンタル移籍で加入していたスパチョークを完全移籍で獲得。ク・ソンユンが2020年以来の復帰(同年7月に京都へレンタル移籍)、[[順天堂大学]]の[[大森真吾]]が加入した。また、2024シーズンの加入が内定している[[福岡大学]]の[[岡田大和]]、2025年シーズン加入内定の大阪体育大学の[[木戸柊摩]]を特別指定選手で登録した。またシーズン途中には、大分から[[高木駿]]が完全移籍で加入した。 前半は点の取り合いとなる試合が多く、失点数はワースト3位となる32失点も加入した浅野を始め金子や小柏などがゴールを量産して、得点数リーグ1位の38得点を記録し7勝5分5敗の8位で折り返した。後半も失点は改善されずに29失点する一方で、右サイドで攻撃の柱になっていた金子が海外移籍した戦力を埋められず18得点に留まり、3勝5分9敗と前半の半分の勝ち点しか取れずに苦しい結果となった。それでも7年連続J1残留となる'''10勝10分14敗の12位(全18チーム)'''で終了した。[[2023年のJリーグカップ|ルヴァン杯]]はベスト8、[[天皇杯 JFA 第103回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]はベスト16となった。 またこの年で引退発表をしていた小野伸二が第34節浦和戦に11年ぶりのJ1先発出場をした。前半22分の交代時には両チームの選手が歩み寄り、場内からスタンディングオベーションが送られた。 == 所属選手 == <!--データの更新は下記のページにお願いします--> {{main|北海道コンサドーレ札幌の選手一覧}} * 現役選手・スタッフ * 外国籍選手 * 背番号の変遷 * 過去の在職スタッフ・在籍選手 * アカデミー出身者 * 特別指定選手 == 成績 == <!--データの更新は下記のページにお願いします--> {{main|北海道コンサドーレ札幌の年度別成績一覧}} * 年度別成績・歴代監督 * クラブ別公式戦通算対戦成績 == 記録 == === Jリーグ記録 === <!--データの更新は下記のページにお願いします--> {{main|北海道コンサドーレ札幌の年度別成績一覧#Jリーグ記録}} * J1最年長出場 など === その他 === <!--データの更新は下記のページにお願いします--> {{main|北海道コンサドーレ札幌の年度別成績一覧#記録}} * クラブ記録 * クラブ個人記録 * 最多得点 / 失点試合 * 年度別チーム得点王 * ハットトリック * リーグ戦通算得点 == タイトル == <!--データの更新は下記のページにお願いします--> {{main|北海道コンサドーレ札幌の年度別成績一覧#タイトル・表彰}} * 国内タイトル * その他タイトル * 表彰 * その他表彰 == 代表選出選手 == <!--データの更新は下記のページにお願いします--> {{main|北海道コンサドーレ札幌の年度別成績一覧#代表選出選手}} <!--データの更新はシーズン終了後にお願いします--> {| class="wikitable" style="font-size:smaller; border:double black" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |代表||大会名||開催国/年||選手名||備考 |- !rowspan="14"|A代表 |rowspan="4" align="center"|[[FIFAワールドカップ]] |{{flagicon|BRA}} [[2014 FIFAワールドカップ|2014]]||{{flagicon|AUS}} [[ジェイド・ノース]]||2012年、[[2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選|アジア4次予選]](最終予選)に選出。 |- |{{flagicon|RUS}} [[2018 FIFAワールドカップ|2018]]||{{flagicon|THA}} チャナティップ||2017年、[[2018 FIFAワールドカップ・アジア予選#3次予選(最終予選)|アジア3次予選]](最終予選)に選出。 |- |{{flagicon|QAT}} [[2022 FIFAワールドカップ|2022]]||{{flagicon|THA}} チャナティップ、{{flagicon|KOR}} [[具聖潤|ク・ソンユン]]、{{flagicon|JPN}} [[鈴木武蔵]]||2019年、[[2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選|アジア2次予選]]に選出。 |- |{{flagicon|CAN}}{{flagicon|MEX}}{{flagicon|USA}} [[2026 FIFAワールドカップ|2026]]||{{flagicon|THA}} [[スパチョーク・サラチャート|スパチョーク]] ||2023年、[[2026 FIFAワールドカップ・アジア2次予選|アジア2次予選]]に選出。 |- |rowspan="2" align="center"|[[コパ・アメリカ]] |{{flagicon|PAR}} [[コパ・アメリカ1999|1999]]||{{flagicon|JPN}} 吉原宏太|| |- |{{flagicon|BRA}} [[コパ・アメリカ2019|2019]]||{{flagicon|JPN}} [[菅大輝 (サッカー選手)|菅大輝]]|| |- |rowspan="2" align="center"|[[EAFF E-1サッカー選手権]] |{{flagicon|CHN}} [[東アジアカップ2015|2015]]||{{flagicon|KOR}} ク・ソンユン|| |- |{{flagicon|KOR}} [[EAFF E-1サッカー選手権2019|2019]]||{{flagicon|KOR}} ク・ソンユン、{{flagicon|JPN}} 鈴木武蔵、{{flagicon|JPN}} 菅大輝、{{flagicon|JPN}} [[田中駿汰]]||菅は追加招集、田中は特別指定選手(2020年より加入内定) |- |rowspan="2" align="center"|[[AFCアジアカップ]] |{{flagicon|AUS}} [[AFCアジアカップ2015|2015]]||{{flagicon|VNM}} [[レ・コン・ビン]]||2013年、[[AFCアジアカップ2015 (予選)|予選]]に選出。 |- |{{flagicon|UAE}} [[AFCアジアカップ2019|2019]]||{{flagicon|THA}} チャナティップ|| |- |align="center"|[[東南アジアサッカー選手権]] |{{flagicon|SIN}} [[東南アジアサッカー選手権2021|2021]]||{{flagicon|THA}} チャナティップ|| |- |rowspan="3" align="center"|国際親善試合||align="center"|2019||{{flagicon|THA}} チャナティップ、{{flagicon|KOR}} ク・ソンユン、{{flagicon|JPN}} 鈴木武蔵、{{flagicon|JPN}} 進藤亮佑|| |- |align="center"|2021||{{flagicon|JPN}} [[小柏剛]]|| |- |align="center"|2022||{{flagicon|THA}} スパチョーク、{{flagicon|KOR}} ク・ソンユン|| |- |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |代表||大会名||開催国/年||選手名||備考 |- !rowspan="13"|U-23代表 |rowspan="2" align="center"|[[近代オリンピック|オリンピック]] |{{flagicon|AUS}} [[シドニーオリンピックにおけるサッカー競技・男子|2000]]||{{flagicon|JPN}} 吉原宏太||1999年、アジア1次予選、本大会のバックアップメンバーに選出。 |- |{{flagicon|BRA}} [[リオデジャネイロオリンピックにおけるサッカー競技・男子|2016]]||{{flagicon|KOR}} ク・ソンユン、{{flagicon|JPN}} 荒野拓馬||2015年、荒野はアジア1次予選に選出。 |- |rowspan="4" align="center"|[[AFC U23アジアカップ]]<br />(旧AFC U-23選手権) |{{flagicon|QAT}} [[AFC U-23選手権2016|2016]]||{{flagicon|KOR}} ク・ソンユン、{{flagicon|JPN}} 荒野拓馬||2015年、荒野は[[AFC U-23選手権2016 (予選)|予選]]に選出。 |- |{{flagicon|CHN}} [[AFC U-23選手権2018|2018]]||{{flagicon|JPN}} [[三好康児]]||本大会に選出。2015年の[[AFC U-23選手権2018 (予選)|予選]]は川崎の選手として選出。 |- |{{flagicon|THA}} [[AFC U-23選手権2020|2020]]||{{flagicon|JPN}} [[岩崎悠人]]、{{flagicon|JPN}} 菅大輝、{{flagicon|JPN}} 田中駿汰||岩崎は2019年の[[AFC U-23選手権2020 (予選)|予選]]に選出。菅と田中は2020年の本大会に選出。 |- |{{flagicon|UZB}} [[AFC U23アジアカップ2022|2022]]||{{flagicon|JPN}} [[中島大嘉]]||本大会に選出。 |- |rowspan="3" align="center"|[[トゥーロン国際大会]] |{{flagicon|FRA}} 2002||{{flagicon|JPN}} [[藤ヶ谷陽介]]、{{flagicon|JPN}} 山瀬功治|| |- |{{flagicon|FRA}} 2018||{{flagicon|JPN}} 三好康児、{{flagicon|JPN}} 菅大輝|| |- |{{flagicon|FRA}} 2019||{{flagicon|JPN}} 岩崎悠人|| |- |rowspan="4" align="center"|[[アジア競技大会]] |{{flagicon|KOR}} [[2002年アジア競技大会におけるサッカー競技|2002]]||{{flagicon|JPN}} 藤ヶ谷陽介|| |- |{{flagicon|KOR}} [[2014年アジア競技大会におけるサッカー競技|2014]]||{{flagicon|JPN}} 荒野拓馬|| |- |{{flagicon|IDN}} [[2018年アジア競技大会におけるサッカー競技|2018]]||{{flagicon|JPN}} 三好康児|| |- |{{flagicon|CHN}} [[2022年アジア競技大会におけるサッカー競技|2023]]||{{flagicon|JPN}} [[馬場晴也]]|| |- |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |代表||大会名||開催国/年||選手名||備考 |- !rowspan="10"|U-20代表 |rowspan="3" align="center"|[[FIFA U-20ワールドカップ]]<br /><small>(FIFAワールドユース選手権)</small> |{{flagicon|ARG}} [[2001 FIFAワールドユース選手権|2001]]||{{flagicon|JPN}} 藤ヶ谷陽介、{{flagicon|JPN}} 山瀬功治|| |- |{{flagicon|UAE}} [[2003 FIFAワールドユース選手権|2003]]||{{flagicon|JPN}} [[今野泰幸]]|| |- |{{flagicon|CAN}} [[2007 FIFA U-20ワールドカップ|2007]]||{{flagicon|JPN}} [[藤田征也]]|| |- |rowspan="6" align="center"|[[AFC U-19選手権]]<br /><small>(AFCユース選手権)</small> |{{flagicon|IRN}} [[AFCユース選手権2000|2000]]||{{flagicon|JPN}} 藤ヶ谷陽介、{{flagicon|JPN}} 山瀬功治|| |- |{{flagicon|QAT}} [[AFCユース選手権2002|2002]]||{{flagicon|JPN}} 今野泰幸|| |- |{{flagicon|KSA}} [[AFC U-19選手権2008|2008]]||{{flagicon|JPN}} 宮澤裕樹|| |- |{{flagicon|CHN}} [[AFC U-19選手権2010|2010]]||{{flagicon|JPN}} 古田寛幸|| |- |{{flagicon|ARE}} [[AFC U-19選手権2012|2012]]||{{flagicon|JPN}} [[奈良竜樹]]、{{flagicon|JPN}} [[榊翔太]]|| |- |{{flagicon|MYA}} [[AFC U-19選手権2014|2014]]||{{flagicon|JPN}} [[内山裕貴]]|| |- |align="center"|[[ニューイヤーユースサッカー|ジャパンユースカップ]] |{{flagicon|JPN}} 2001||{{flagicon|JPN}} 今野泰幸|| |} == ホームスタジアム == [[ファイル:Atsubetsu Stadium 1.JPG|thumb|札幌厚別公園競技場]] ホームスタジアムは[[札幌ドーム]]である。過去のホームゲーム開催スタジアムは『[[北海道コンサドーレ札幌の年度別成績一覧#ホームゲーム]]の入場者数・主催試合数(年度別・会場別)』を参照。 Jリーグ加盟後に開催したのは[[札幌厚別公園競技場]](札幌厚別)、[[室蘭市入江運動公園陸上競技場]]および[[函館市千代台公園陸上競技場]]であるが、函館では[[2016年]]に5年ぶりのホームゲームを開催した一方、室蘭では[[2012年]]から開催されていない。 コンサドーレ札幌発足当初よりホームスタジアムとしていた札幌厚別も、のちにJリーグの基準([[Jリーグクラブライセンス制度]])を満たさないこととなり、[[2014年]]からはJリーグからの許諾を得た特例開催の扱いで数試合に制限して実施しており、Jリーグから2014年度のJ1ライセンス交付時に、札幌厚別の改善計画案について書面での提出を求める「制裁」を受けていた<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.jleague.jp/release/article-00005359|title=クラブライセンス交付第一審機関 (FIB) による 2014シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について|publisher=公益社団法人日本プロサッカーリーグ|date=2013-09-30|accessdate=2015-11-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|publisher=[[北海道新聞]]|date=2013-12-27|url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/512457.html|title=【道スポ】札幌ドーム開催確保へ コンサ来季日程“特例”を要望 3連続ホームなど土日開催死守|accessdate=2015-11-10|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140121014913/http://www.hokkaido-np.co.jp/news/consadole/512457.html|archivedate=2014年1月21日}}</ref>。 [[2015年]]から登録上のホームスタジアムは札幌ドームのみとなっており<ref name="jleague" />、札幌厚別での開催は[[北海道日本ハムファイターズ]]や[[演奏会|音楽イベント]]等で札幌ドームを使用する場合など、限られた試合数のみとなっていた。さらに[[2023年]]からファイターズの本拠地が[[北広島市]]の[[エスコンフィールドHOKKAIDO]]に移転する予定であることを受け、コンサドーレの全主管試合(リーグ戦・ルヴァン杯)を開催する意向であると発表<ref>[https://www.hokkaido-np.co.jp/article/686534 札幌ドーム、日本ハム移転後も黒字 市が23~27年度収支試算](北海道新聞)</ref>。その後発表された2023年度の試合日程にて、札幌ドームではコンサドーレのホームゲームのうちJ1の15試合とルヴァンの予選リーグ3試合の18試合(J1の1試合のみ厚別、残り1試合は会場調整中)<ref>[https://www.consadole-sapporo.jp/game/gamelist/ 2023年度試合日程]</ref>を行う予定となった。 札幌ドームは2023年からファイターズの本拠地移転に伴い、コンサドーレの専用スタジアムに事実上なることから、[[2022年]]に札幌ドームの運営会社とホームタウン連携協定を締結<ref>[https://www.consadole-sapporo.jp/news/2022/11/8105/ 株式会社札幌ドームと株式会社コンサドーレ「スポーツのチカラ×まちのミライ」パートナーシップ締結について](北海道コンサドーレ札幌)</ref>。経費削減のため、一旦宮の沢白い恋人サッカー場のクラブハウスに移転していたクラブ事務所を同6月の予定で[[2014年]]以来7年ぶりに札幌ドームの敷地内に戻すことになった<ref>[https://www.hokkaido-np.co.jp/article/837426 コンサドーレ事務所、札幌ドーム敷地内に移転 6月上旬にも](北海道新聞)</ref>。 また厚別は[[2024年]]度から2年間の予定でスタンドなど老朽化所の全面改修を行う関係で閉鎖<ref>[https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20230715/7000059224.html コンサドーレ敗れる 厚別競技場改修前の最後の試合](NHK札幌)</ref>されるため、2024年度以後は札幌ドームのみで主管試合を行う予定である。 ; 道外での公式戦ホームゲーム 札幌厚別の改修工事(1996年、1998年)、冬季間の積雪による競技場閉鎖、ナイトマッチ用の照明設備が備えられていない等の理由により、道外で公式戦のホームゲームを開催したことがある。 2001年と2002年の高知県での開催は、同年の最初のホームゲームだった。クラブは高知県を準ホームタウンとして定め、2002年には同県で[[キャンプ]]も実施した。札幌([[新千歳空港]])と高知([[高知空港]])を往復するチャーター航空機利用ツアーなども実施したが、入場者数が伸び悩んだため、2002年限りで高知県との準ホームタウン関係を解消した<ref>[http://www.kochinews.co.jp/consa/consa02.htm 高知新聞 コンサドーレ札幌情報2002]</ref>。 なお[[2018年のJ1リーグ|2018年のJ1]]の終盤、コンサドーレに[[AFCチャンピオンズリーグ]](ACL)出場の可能性があった際(最終的には出場権は得られなかった)、2月のホームゲーム<ref group="注">例えば[[AFCチャンピオンズリーグ2019]]の場合、予選が2月に組まれており、コンサドーレが進出する可能性のあった日本第3代表ならびに第4代表は2月19日にホームゲームを行うものとされていた。</ref> を札幌ドームであっても開催できず、北海道外でのホームゲーム開催となる可能性が示されていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/doshinweb/status/1061063673643323392|title=ACL出場決めても… #コンサドーレ、2月はドーム使えず 天然芝は屋外で「冬眠中」 厚別も積雪で使用困難|work=[[北海道新聞]]([[Twitter]])|publisher=[[北海道新聞社]]|date=2018-11-10|accessdate=2019-03-22}}</ref>。 {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |年||会場||colspan="2"|試合日||対戦チーム||勝敗||入場者数 |- |rowspan="2"|1996||[[町田市立陸上競技場|町田]]||5月5日||JFL 第3節||[[コスモ石油四日市FC|コスモ四日市]]||1-2 ●||style="text-align: right;"|966 |- |[[平塚競技場|平塚]]||5月16日||JFL 第5節||甲府||2-1 ○||style="text-align: right;"|615 |- |rowspan="3"|1997||[[長崎県立総合運動公園陸上競技場|長崎県立]]||3月15日||rowspan="3"|ナビスコ杯予選||V川崎||2-2 △||style="text-align: right;"|4,823 |- |[[岐阜メモリアルセンター長良川競技場|長良川]]||3月26日||横浜M||1-2 ●||style="text-align: right;"|2,913 |- |[[熊本市水前寺競技場|水前寺]]||3月29日||G大阪||1-0 ○||style="text-align: right;"|2,881 |- |rowspan="2"|1998||rowspan="2"|[[仙台スタジアム|仙台ス]]||3月25日||J 1st 第2節||鹿島||1-3 ●||style="text-align: right;"|14,682 |- |4月15日||J 1st 第6節||浦和||2-0 ○||style="text-align: right;"|12,171 |- |2001||rowspan="2"|[[高知県立春野総合運動公園陸上競技場|高知陸]]||3月17日||J1 1st 第2節||柏||2-1 ○||style="text-align: right;"|6,276 |- |2002||3月2日||J1 1st 第2節||仙台||0-1 ●||style="text-align: right;"|7,236 |- |2007||[[国立西が丘サッカー場|西が丘]]||4月11日||J2 第8節||福岡||0-0 △||style="text-align: right;"|2,161 |} ; スタジアム観戦マナーについて {{Main2|[http://www.consadole-sapporo.jp/info/stadium/manner.html 公式サイトの観戦マナー・ルール]}} === ホームゲーム入場者数・主催試合数など === {{main|北海道コンサドーレ札幌の年度別成績一覧#ホームゲーム}} * リーグ戦 ** 入場者数(年度別・最多/最少入場者数) ** 開幕戦・最終戦 ** 入場者数・主催試合数(年度別・会場別) * Jリーグカップ戦 ** 入場者数・試合会場 === スタジアムDJ === * FMノースウェーブ DJ ** [[タック・ハーシー]] (1996- ) ** [[GUCHY]]/[http://www.fmnorth.co.jp/dj/dj_guchy.asp グッチー] (1996- ) ** [http://www.fmnorth.co.jp/dj/dj_sione.asp 潮音] (1996- ) * AIR-G' DJ ** [[高山秀毅]] (2010- ) * FM-JAGA DJ ** 栗谷昌宏(不明) === 入場曲 === * Moon Over The Castle - ホームゲーム入場曲(演奏者:[[安藤正容|ANDY'S]]、1997年)TVゲーム『[[グランツーリスモシリーズ|グランツーリスモ]]』と同じ曲としても知られるが曲調が多少異なる。 === 配布物 === * [[マッチデープログラム]] ホーム全試合会場入り口にて無料配布。2021シーズンは配布はせず、クラブのホームページ上にてデジタル版を配信。 ** 2003年 - 2005年 : MATCH DAY PROGRAM ** 2006年 - 2008年 : kattare-カッターレ- ** 2009年 : {{colorbox|#cc0000}}{{colorbox|#000000}}-アカクロ- ** 2010年 - 2015年 : VOCS-ヴォックス- ** 2016年 - 現在 : Matchday PROGRAM == ユニフォーム == {| style="margin-left:16px; float:right;" |- | {| class="wikitable" style="text-align:center;" |+ style="font-size:120%; font-weight:bold;"|ユニフォームの色 |- ! style="background-color:#efefef;" |カラー ! style="background-color:#efefef;" |シャツ ! style="background-color:#efefef;" |パンツ ! style="background-color:#efefef;" |ストッキング |- |FP(1st) |赤×黒 |黒 |黒 |- |FP(2nd) |黒 |黒 |黒 |- |FP(3rd) |白 |白 |白 |- |GK(1st) |黒×グレー |黒 |グレー |- |GK(2nd) |緑 |緑 |緑 |- |GK(3rd) |黄 |黄 |黄 |} |- | class="toccolours" style="padding:0; text-align:center;" colspan="2"| {| style="width:100%; text-align:center;" |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 HOME FP| pattern_b = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 HOME FP| pattern_ra = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 HOME FP| pattern_sh = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 HOME FP| pattern_so = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 HOME FP| | 左袖 = | 胴 = | 右袖 = | パンツ = 533C82 | ストキング = 533C82 | 種別 = FP 1st }} |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 AWAY FP| pattern_b = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 AWAY FP| pattern_ra = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 AWAY FP| pattern_sh = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 AWAY FP| pattern_so = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 AWAY FP| | 左袖 = fff | 胴 = | 右袖 = fff | パンツ = E20018 | ストキング = fff | 種別 = FP 2nd }} |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 3rd FP| pattern_b = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 3rd FP| pattern_ra = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 3rd FP| pattern_sh = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 3rd FP| pattern_so = _Hokkaido Consadole Sapporo 2023 3rd FP| | 左袖 = fff | 胴 = | 右袖 = fff | パンツ = E20018 | ストキング = fff | 種別 = FP 3rd }} |} |- | class="toccolours" style="padding:0; text-align:center;" colspan="2"| {| style="width:100%; text-align:center;" |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = | pattern_b = | pattern_ra = | pattern_sh = | pattern_so = | 左袖 = 696969 | 胴 = 696969 | 右袖 = 696969 | パンツ = 696969 | ストキング = 696969 | 種別 = GK 1st }} |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = | pattern_b = | pattern_ra = | pattern_sh = | pattern_so = | 左袖 = 008000 | 胴 = 008000 | 右袖 = 008000 | パンツ = 008000 | ストキング = 008000 | 種別 = GK 2nd }} |{{サッカーユニフォーム | pattern_la = | pattern_b = | pattern_ra = | pattern_sh = | pattern_so = | | 左袖 = ffd700 | 胴 = ffd700 | 右袖 = ffd700 | パンツ = ffd700 | ストキング = ffd700 | 種別 = GK 3rd }} |} |} ホームの[[ユニフォーム]]は前身の[[東芝堀川町サッカー部|東芝]]時代に採用されていた「赤と黒の縦縞」を引き継いでいる。この赤と黒の縦縞を発案したのは、当時東芝サッカー部に選手として在籍していた[[石崎信弘]]である。 * 1996年:東芝時代と同じ赤黒の縦縞を使用。 * 1997年 - 1998年:赤黒の縦縞を基調に白とブルーグレーを追加。 * 1999年 - 2000年:色が赤黒のみになる。 * 2001年 - 2002年:赤黒の間に白のラインを入る。 * 2003年 - 2004年:中央を黒、サイドを赤になる。 * 2005年:正面を赤一色、背面を赤ベースに黒の三本線へ変更。 * 2006年:サプライヤーを[[アディダス|adidas]]から[[Kappa]]に変更したことに伴い、赤黒の縦縞が復活。 * 2010年:1stユニフォームのソックスを黒へ変更。2ndユニフォームの前面に赤黒の帯が付いた。 * 2011年:15周年メモリアルとしてゴールド[[ステッチ]]を使用<ref>[https://web.archive.org/web/20140830053901/http://www.consadole-sapporo.jp/news/2011/01/000478.html 2011 コンサドーレ札幌 新ユニフォーム 決定のお知らせ] 2011年1月16日 コンサドーレ札幌 2017年1月29日閲覧。</ref>。 * 2013年:赤黒の縦縞線が従来よりも細くなる<ref>[https://web.archive.org/web/20141202033257/http://www.consadole-sapporo.jp/news/2013/01/013756.html 2013コンサドーレ札幌 新ユニフォーム 決定のお知らせ] 2013年1月16日 コンサドーレ札幌 2017年1月29日閲覧。</ref>。 * 2014年:袖とサイドに「[[アイヌ文化#文様|アイヌ文様]]」の柄を採用<ref>[https://web.archive.org/web/20140830111501/http://www.consadole-sapporo.jp/news/2014/01/015952.html 2014コンサドーレ札幌 新ユニフォーム決定のお知らせ] 2014年1月16日 コンサドーレ札幌 2017年1月29日閲覧。</ref>。 * 2015年:2ndユニフォームのパンツが赤へ変更。 * 2016年:1stユニフォームのソックスを黒から赤へ変更。クラブ創設20周年記念と[[北海道新幹線]]開業に伴い、FPは1stユニフォームを白とグリーンの縦縞でパンツが紫、GKは1stユニフォームを赤と黒の縦縞を函館開催のみ着用<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/20160516427/ 20周年函館開催記念ユニフォーム「選手着用」および「レプリカユニフォーム発売」のお知らせ] 2016年5月26日 北海道コンサドーレ札幌 2017年1月29日閲覧。</ref>。ユニフォーム右袖に[[北海道旗]]が入る。 * 2018年:ユニフォーム右袖の北海道旗に代えて、「北海道150年事業<ref>{{Cite web|和書|url=https://hokkaido150.jp/|title=北海道150年事業公式サイト|work=北海道150年事業実行委員会|accessdate=2018-1-18}}</ref>」シンボルロゴマークが入る。また北海道150年を記念して、8・9月、および最終節の計6試合で北海道命名150年 記念ユニフォームを着用。デザインはFPが赤と黒の縦縞だが、黒の縦縞部分が北海道179市町村の名前で出来ている。パンツは黒。GKはグリーンと黒の縦縞でFP同様黒の縦縞部分が北海道179市町村の名前で出来ている。パンツはグリーン。 * 2019年:ユニフォーム右袖に、ホームタウンマークとして「HOKKAIDO」の文字が入る<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.kappa.ne.jp/news/2018120301.html |title=2019年 スポーツブランド「Kappa」が製作する 北海道コンサドーレ札幌 新ユニフォーム発表 ‼|publisher=カッパ公式サイト|date=2018-12-8|accessdate=2019-2-3}}</ref>。 * 2020年:チームとして初めてFPの3rdユニフォームを採用。これまで2ndとして使用していた白を3rdとして、今までGKの3rdとして使用されていた紺をFPの2ndとしても採用した。<br />前年まで腹部(胸部下)に入っていた背番号表示が無くなった。 * 2021年:サプライヤーがKappaから[[ミズノ]]に変更、ユニフォームデザインをクリエイティブディレクターの[[相澤陽介]]が担当した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/2021/01/5635/ |title=【GK2nd・3rdデザイン追加】2021北海道コンサドーレ札幌 ユニフォームデザイン画を公開!|publisher=公式サイト|date=2021-1-27|accessdate=2021-3-8}}</ref>。 === クラブカラー === * {{colorbox|#c00}} '''コンサドーレレッド'''(暖かい炎=ファイティングスピリットの[[象徴]])<ref name="td">{{Cite web|和書|url=http://www.consadole-sapporo.jp/club/design/|title=チームデザイン メインクラブカラーとそのイメージ|work=北海道コンサドーレ札幌|accessdate=2017-1-29}}</ref> * {{Colorbox|#003850}} '''コンサドーレブルーグレイ'''([[針葉樹林]]の茂る深い森=冷静な[[判断力]]の象徴)<ref name="td"/> * {{colorbox|#000}} '''コンサドーレブラック'''(北海道の大地=[[無限|無限大]]のパワーを象徴)<ref name="td"/> * {{Colorbox|#FFF}} '''コンサドーレホワイト'''(雪、シマフクロウ=フェアプレー精神の象徴)<ref name="td"/> === ユニフォームスポンサー === {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; border:double black; font-size:smaller; 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考 |- !胸 |[[石屋製菓]]||ISHIYA||1998年<br/>2002年 - 2007年<br/>2010年 - ||1997年は袖<br/>1999年 - 2001年、2008年 - 2009年は背中上部<br/>1998年 - 2018年は「[[白い恋人]]」<br />2019年 - 2020年、2022年 - は「ISHIYA」表記<br/>2021年は1st・2ndは「ISHIYA」、3rdは「白い恋人」表記 |- !鎖骨 |[http://www.apg-aiplan.com/ あいプラングループ]||あいプラン||2023年 - ||左側に表記<br/>2016年7月 - 2017年は背中下部<br/>2018年 - 2022年は背中上部<br/>2016年7月 - 2017年は1stは「あいプラン」、2ndは「あいプラングループ 日本互助会」表記<br/>2018年 - 2020年、2022年 - は「あいプラン」表記<br/>2021年 - 2022年は1st・3rdは「あいプラン」、2ndは「AIPLAN」表記 |- !背中上部 |[http://www.leo.fun/ レオファン リミテッド]||レオファン||2023年 - || |- !背中下部 |[http://diamondhead.jp/ ダイアモンドヘッド]||Diamond head||2018年 - || |- !袖 |[[サッポロビール]]||CLASSIC [[サッポロクラシック]](1st)<br />☆SAPPORO(2nd・3rd)||2008年 - 2009年<br />2017年 - ||1999年 - 2001年は胸<br />1997年 - 1998年、2002年 - 2007年、2010年 - 2016年は背中上部<br />1996年 - 2004年は「サッポロビール」表記<br />1st、2ndで分割表記は2014年 - |- !パンツ |なし||-||-|| |} === ユニフォームサプライヤーの遍歴 === * 1996年 - 1998年:[[プーマ]] * 1999年 - 2005年:[[アディダス]] * 2006年 - 2020年<ref>{{Cite web|和書|date=2020-10-05 |url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/2020/10/5412/ |title=株式会社フェニックス【Kappa】様とのオフィシャルトップサプライヤー契約満了のお知らせ |publisher=北海道コンサドーレ札幌 |accessdate=2020-10-11}}</ref>:[[Kappa|カッパ]] * 2021年<ref>{{Cite web|和書|date=2020-12-05 |url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/2020/12/5608/ |title=「ミズノ株式会社」様 2021シーズンオフィシャルトップサプライヤー新規決定のお知らせ |publisher=北海道コンサドーレ札幌 |accessdate=2020-12-05}}</ref> - 現在:[[ミズノ]] === 歴代ユニフォーム === {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #000; font-size:smaller; 4px 4px 4px #c00;" !colspan=5|FP 1st |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Hokkaido Consadole Sapporo 1997 HOME FP|pattern_b= _Hokkaido Consadole Sapporo 1997 HOME FP|pattern_ra= _Hokkaido Consadole Sapporo 1997 HOME FP|pattern_sh= _Hokkaido Consadole Sapporo 1997 HOME FP|pattern_so= _Hokkaido Consadole Sapporo 1997 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=000|socks=f00|title={{Center|1997 - 1998}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Hokkaido Consadole Sapporo 1999 - 2000 HOME FP|pattern_b= _Hokkaido Consadole Sapporo 1999 - 2000 HOME FP|pattern_ra= _Hokkaido Consadole Sapporo 1999 - 2000 HOME FP|pattern_sh= _Hokkaido Consadole Sapporo 1999 - 2000 HOME FP|pattern_so= _Hokkaido Consadole Sapporo 1999 - 2000 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=000|socks=f00|title={{Center|1999 - 2000}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Hokkaido Consadole Sapporo 2001 - 2002 HOME FP|pattern_b= _Hokkaido Consadole Sapporo 2001 - 2002 HOME FP|pattern_ra= _Hokkaido Consadole Sapporo 2001 - 2002 HOME FP|pattern_sh= _Hokkaido Consadole Sapporo 2001 - 2002 HOME FP|pattern_so= _Hokkaido Consadole Sapporo 2001 - 2002 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=000|socks=f00|title={{Center|2001 - 2002}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_sapporo0304h|pattern_b=_sapporo0304H|pattern_ra=_sapporo0304h|pattern_sh=_red stripes adidas|pattern_so=_adidasfootball3blackstripes |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=000|socks=f00|title={{Center|2003 - 2004}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_sapporo05h|pattern_b=_sapporo05h|pattern_ra=_sapporo05h|pattern_sh=_sapporo05h|pattern_so=_black small top |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=ED1C24|title={{Center|2005}}}} |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Hokkaido Consadole Sapporo 2006 HOME FP|pattern_b= _Hokkaido Consadole Sapporo 2006 HOME FP|pattern_ra= _Hokkaido Consadole Sapporo 2006 HOME FP|pattern_sh= _Hokkaido Consadole Sapporo 2006 HOME FP|pattern_so= _Hokkaido Consadole Sapporo 2006 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=ED1C24|title={{Center|2006}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Hokkaido Consadole Sapporo 2007 HOME FP|pattern_b= _Hokkaido Consadole Sapporo 2007 HOME FP|pattern_ra= _Hokkaido Consadole Sapporo 2007 HOME FP|pattern_sh= _Hokkaido Consadole Sapporo 2007 HOME FP|pattern_so= _Hokkaido Consadole Sapporo 2007 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=ED1C24|title={{Center|2007 - 2008}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Hokkaido Consadole Sapporo 2009 HOME FP|pattern_b= _Hokkaido Consadole Sapporo 2009 HOME FP|pattern_ra= _Hokkaido Consadole Sapporo 2009 HOME FP|pattern_sh=_Hokkaido Consadole Sapporo 2009 HOME FP|pattern_so=_Hokkaido Consadole Sapporo 2009 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=ED1C24|title={{Center|2009}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Hokkaido Consadole Sapporo 2009 HOME FP|pattern_b= _Hokkaido Consadole Sapporo 2009 HOME FP|pattern_ra= _Hokkaido Consadole Sapporo 2009 HOME FP|pattern_sh=_Hokkaido Consadole Sapporo 2009 HOME FP|pattern_so=_Hokkaido Consadole Sapporo 2010 HOME FP 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class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #000; font-size:smaller; 4px 4px 4px #c00;" !colspan=5|FP Other |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Hokkaido Consadole Sapporo 2016 20th Anniversary FP|pattern_b= _Hokkaido Consadole Sapporo 2016 20th Anniversary FP|pattern_ra= _Hokkaido Consadole Sapporo 2016 20th Anniversary FP|pattern_sh= _Hokkaido Consadole Sapporo 2016 20th Anniversary FP|pattern_so= _Hokkaido Consadole Sapporo 2016 20th Anniversary FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=CE000D|title={{Center|2016<br/>20周年<br/>函館開催記念}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _Hokkaido Consadole Sapporo 2018 HOME FP|pattern_b= _Hokkaido Consadole Sapporo 2018 SP HOME FP |pattern_ra= _Hokkaido Consadole Sapporo 2018 HOME FP|pattern_sh= _Hokkaido Consadole Sapporo 2018 HOME FP|pattern_so= _Hokkaido Consadole Sapporo 2018 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=f00|title={{Center|2018<br/>北海道命名<br/>150年記念}}}} |{{Football 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|胸||鎖骨左||鎖骨右||背中上部||背中下部||袖||パンツ前面||パンツ背面 |- |1996||rowspan="2"|[[ハドソン|HUDSON]]||colspan="2" rowspan="22"|解禁前||[[東芝|TOSHIBA]]||rowspan="20"|解禁前||[[サッポロビール]]||rowspan="6"|-||rowspan="24"|解禁前||rowspan="3"|[[プーマ|PUMA]] |- |1997||rowspan="2"|[[サッポロビール]]||[[石屋製菓|白い恋人]] |- |1998||[[白い恋人]]||rowspan="2"|[[日本航空|JALグループ]] |- |1999||rowspan="3"|[[サッポロビール]]||rowspan="3"|[[白い恋人]]||rowspan="7"|[[アディダス|adidas]] |- |2000||rowspan="8"|[[日本航空|JAL]] |- |2001 |- |2002||rowspan="6"|[[白い恋人]]||rowspan="3"|[[サッポロビール]]||rowspan="6"|[[北海道旅客鉄道|JR北海道]] |- |2003 |- |2004 |- |2005||rowspan="3"|[[サッポロビール|☆<br/>SAPPORO]] |- |2006||rowspan="15"|[[Kappa]] |- |2007 |- |2008||rowspan="2"|[[ニトリ]]||rowspan="2"|[[白い恋人]]||rowspan="2"|[[サッポロビール|☆<br/>SAPPORO]]||rowspan="11"|[[日本航空|JAL]] |- |2009 |- |2010||rowspan="9"|[[白い恋人]]||rowspan="4"|[[サッポロビール|☆<br/>SAPPORO]]||[[ニトリ]] |- |2011||- |- |2012||rowspan="5"|[http://ja-dosanko.jp/ JA北海道] |- |2013 |- |2014||rowspan="3"|[[サッポロクラシック|CLASSIC<br/>サッポロ<br/>クラシック]]<br/>(1st)<br/>[[サッポロビール|☆<br/>SAPPORO]]<br/>(2nd) |- |2015 |- |2016||- / <br/>[http://www.apg-aiplan.com/ あいプラン<br/>(1st)<br/>あいプラングループ<br/>日本互助会<br/>(2nd)]<ref group="注">第26節のレノファ山口戦からロゴ入りユニフォーム着用。</ref> |- |2017||[[F-Power]]||[http://www.apg-aiplan.com/ あいプラン<br/>(1st)<br/>あいプラングループ<br/>日本互助会<br/>(2nd)]||rowspan="3"|[[サッポロクラシック|CLASSIC<br/>サッポロ<br/>クラシック]]<br/>(1st)<br/>[[サッポロビール|☆<br/>SAPPORO]]<br/>(2nd) |- |2018||[[F-Power]]||rowspan="2"|[[トーホウリゾート]]||rowspan="3"|[http://www.apg-aiplan.com/ あいプラン]||rowspan="6"|[http://diamondhead.jp/ Diamond head] |- |2019||rowspan="2"|[[石屋製菓|ISHIYA]]||rowspan="2"|-||- |- |2020||[[トーホウリゾート|TOHO<br/>RESORT]]||rowspan="4"|[[サッポロクラシック|CLASSIC<br/>サッポロ<br/>クラシック]]<br/>(1st)<br/>[[サッポロビール|☆<br/>SAPPORO]]<br/>(2nd・3rd)||colspan="2"|- |- |2021||[[石屋製菓|ISHIYA]]<br/>(1st・2nd)<br/>[[白い恋人]]<br/>(3rd)||colspan="2" rowspan="2"|-||rowspan="2"|[http://www.apg-aiplan.com/ あいプラン<br/>(1st・3rd)<br/>AIPLAN<br/>(2nd)]||[[札幌ドーム]]<br/>(1st)||[[札幌ドーム]]<br/>(2nd・3rd)||rowspan="3"|[[ミズノ|Mizuno]] |- |2022||rowspan="2"|[[石屋製菓|ISHIYA]]||colspan="2" rowspan="2"|- |- |2023||[http://www.apg-aiplan.com/ あいプラン]||-||[http://www.leo.fun/ レオファン] |} == スポンサー == === オフィシャルトップパートナー === {{Col-begin}} {{Col-3}} * [[石屋製菓|石屋製菓株式会社]] * [http://www.apg-aiplan.com/ あいプラングループ] * [http://diamondhead.jp/ ダイアモンドヘッド株式会社] * [[ミズノ|ミズノ株式会社]] * [https://www.leo.fun/ レオファンリミテッド] * [[サッポロビール|サッポロビール株式会社]] * [[片桐機械|片桐企業グループ]] * [[北海道新聞|株式会社北海道新聞社]] * [[日本航空|日本航空株式会社]] * ソリューションプラス株式会社 {{Col-end}} 2023年12月10日現在 == アカデミー == {{Anchors|下部組織}} {{Location map+|Japan Hokkaido|float=right|width=300|places= {{Location map~|Japan Hokkaido|label=札幌U-18<br />U-15/U-12|position=left|marksize=10|lat=43.15|long=141.35}} {{Location map~|Japan Hokkaido|label=旭川U-15|position=top|marksize=10|lat=43.70|long=142.3}} {{Location map~|Japan Hokkaido|label=東川U-12|position=right|marksize=10|lat=43.65|long=142.51}} {{Location map~|Japan Hokkaido|label=釧路U-15/U-12|position=bottom|marksize=10|lat=43.10|long=144.39}} {{Location map~|Japan Hokkaido|label=室蘭U-15/U-12|position=bottom|marksize=10|lat=42.33|long=141.00}} |caption=アカデミー本拠地(2018年) }} アカデミー(育成組織)として、以下のチームを保有している<ref name="sapporo academy3">コンサドーレ札幌オフィシャルガイドブック2012 コンサドーレ札幌アカデミー 15年の軌跡 p58</ref>。 {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |カテゴリー||colspan="4"|クラブ名 |- !高校生年代 |colspan="4"|札幌U-18<br /><small>([[1997年]]4月)</small> |- !中学生年代 |札幌U-15<br /><small>(1997年4月)</small>||旭川U-15<br /><small>(2004年4月)</small>||釧路U-15<br /><small>(2016年4月)</small>||室蘭U-15<br /><small>(2019年4月)</small> |- !小学生年代 |札幌U-12<br /><small>(2002年4月)</small>||東川U-12<br /><small>(2017年4月<ref name="higashikawa2">[http://www.consadole-sapporo.jp/news/20161224496/ 北海道コンサドーレ札幌 アカデミーグループ成長戦略における組織改革のお知らせ] (2016年12月20日) 北海道コンサドーレ札幌 2017年2月2日閲覧。</ref>)</small>||釧路U-12<br /><small>(2016年4月)</small>||室蘭U-12<br /><small>(2019年4月)</small> |} * クラブ名は北海道コンサドーレを省略。 * () は設立年月。 === 歴史 === クラブ創設の翌年1997年4月にトップチームが当時の練習場として使用されていた[[栗山町]]の藤野スポーツ広場を拠点として活動、札幌U-18、札幌U-15も同時に開設された。遠方から栗山町に通うユース選手のために、1998年4月にユース尞を栗山町に開設したが、2003年3月に活動拠点を札幌市[[東区 (札幌市)|東区]][[東雁来]]に移すため栗山町のユース尞を閉鎖した。同年5月に活動拠点を栗山町から東雁来に移しユース専用の東雁来グラウンドを開設。2005年3月に札幌市[[西区 (札幌市)|西区]]に選手寮「しまふく寮」が開設され、トップ選手と混ざり一部のユース選手が入寮した。同年6月にクラブパートナーでもある進藤病院の院長が練習場運営会社ジャパンスポーツラボを設立し、[[上川郡 (石狩国)|上川郡]][[東川町]]に練習場「コンサフィールド東川」を開設した<ref name="sapporo academy2">コンサドーレ札幌オフィシャルガイドブック2007 コンサフィールド東川 p45</ref>。2016年に釧路で活動していた[[R・シュペルブ釧路]]を母体として釧路U-15、釧路U-12を開設し合同でアカデミー活動を開始<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.consadole-sapporo.jp/news/20160313362/ |title=北海道コンサドーレ釧路U-15/U-12発足のお知らせ |work=北海道コンサドーレ札幌 |accessdate=2016-04-22}}</ref>。2017年4月に東川U-12を発足し<ref name="higashikawa2"/>、札幌U-12は昨年の活動拠点を更に増やして2カ所で活動<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/20170225695/ 2017 北海道コンサドーレ札幌 アカデミーグループスタッフ決定のお知らせ] (2017年2月1日) 北海道コンサドーレ札幌 2017年2月2日閲覧。</ref>。2019年4月に室蘭U-15、室蘭U-12が発足し、現在活動しているジェネラーレ室蘭と合同で活動する<ref>[https://www.consadole-sapporo.jp/news/20181045253/ 北海道コンサドーレ室蘭U-15、U-12発足] 北海道コンサドーレ札幌 (2018年10月14日) 2018年10月14日閲覧。</ref>。 <gallery> SSAP NaturalTurf 20120513.jpg|[[札幌サッカーアミューズメントパーク]]天然芝グラウンド </gallery> ; 全カテゴリースタッフ {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:left; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |役職||コーチ||前職||在職年||備考 |- |アカデミー[[ディレクター|ダイレクター]]||{{Flagicon|JPN}} [[北原次郎]]||旭川U-15監督||2016年 - ||北海道リラ・コンサドーレダイレクター兼任 |- |アカデミーヘッドオブコーチ||{{Flagicon|JPN}} 財前恵一||ロアッソ熊本ヘッドコーチ||2017年 - || |- |アカデミー[[コーディネーター]]||{{Flagicon|JPN}} 小山哲司||[[城西国際大学]]サッカー部監督||2016年<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/20160515569/ 小山哲司氏 トップチーム・アカデミーコーディネーター就任のお知らせ] (2016年5月1日) 北海道コンサドーレ札幌 2017年2月2日閲覧。</ref> - || |- |アカデミーサブダイレクター||{{Flagicon|JPN}} 青山剛||札幌U-18コーチ||2020年 - ||札幌U-13担当兼任 |- |アカデミースカウト||{{Flagicon|JPN}} 堀井健仁||札幌U-12コーチ||2020年 - ||札幌U-8担当兼任 |- |アカデミーフィジカルコーチ兼トレーナー||{{Flagicon|JPN}} 栗山渉||アカデミートレーナー||2017年 - || |- |アカデミーフィジカルコーチ||{{Flagicon|JPN}} 横山知伸||FC岐阜||2017年 - ||2017-18はトップチーム選手 |} === 札幌U-18 === {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #e60000 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.35|y=1.07|scale=220|text=[[阿波加俊太|<span style="font-size:80%; color: white;"># 1 '''阿波加'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.80|scale=220|text=[[小野能寛|<span style="font-size:80%; color: white;"># 2 '''小野'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.93|scale=220|text=[[近藤涼太|<span style="font-size:80%; color: white;"># 12 '''近藤'''</span>]]}} {{Image label|x=0.23|y=0.93|scale=220|text=[[内山裕貴|<span style="font-size:80%; color: white;"># 4 '''内山'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.80|scale=220|text=[[濱下賢|<span style="font-size:80%; color: white;"># 8 '''濱下'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.43|scale=220|text=[[中原彰吾|<span style="font-size:80%; color: white;"># 7 '''中原'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.65|scale=220|text=[[堀米悠斗|<span style="font-size:80%; color: white;"># 6 '''堀米(C)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.25|y=0.65|scale=220|text=[[前寛之|<span style="font-size:80%; color: white;"># 14 '''前'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.43|scale=220|text=[[神田夢実|<span style="font-size:80%; color: white;"># 10 '''神田'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.26|scale=220|text=[[國分将|<span style="font-size:80%; color: white;"># 11 '''國分'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.26|scale=220|text=[[松尾雄斗|<span style="font-size:80%; color: white;"># 18 '''松尾'''</span>]]}} </div> |- |style="font-size: smaller;"|2012年12月24日 [[第20回Jリーグユース選手権大会]] vs[[ガンバ大阪|G大阪ユース]]戦([[長居陸上競技場|長居スタジアム]])の決勝スターティングメンバー。数字は背番号、(C)はキャプテン。 |} [[高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 プレミアリーグ]]は[[奈良竜樹]]や[[榊翔太]]らを擁して<ref>{{Cite web|和書|url= http://www.jfa.or.jp/match/league/2011/takamadonomiya18/premier/team/east01.html |title=チーム紹介 |work=日本サッカー協会 |accessdate=2014-08-15}}</ref> 優勝し初代王者となった。これにより出場した[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 プレミアリーグ#チャンピオンシップ|チャンピオンシップ]]は準優勝。2012年のJリーグユース選手権大会で北海道のサッカーのチームとして初めて全国大会を制した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-league.or.jp/youth/2012/special/commnt_02-01.html|title=Jユースカップ - 決勝:ガンバ大阪ユース、コンサドーレ札幌U-18 両監督・選手コメント|work=Jリーグ公式サイト|accessdate=2013-12-10}}</ref>。 * 創設年:1997年 * 本拠地:札幌市東区東雁来 * 練習場:東雁来グラウンド、札幌サッカーアミューズメントパーク ; 所属選手 {{Main2|[https://www.consadole-sapporo.jp/academy/team/u18/ 札幌U-18 選手一覧]}} ; スタッフ {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:left; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |役職||コーチ||前職||在職年||備考 |- |U-18,17担当(監督)||{{Flagicon|JPN}} 森下仁之||[[バレイン下関FC]]監督||2020年 - || |- |U-18,17担当(コーチ)||{{Flagicon|JPN}} 森川拓巳||U-16担当||2020年 - || |- |U-16担当||{{Flagicon|JPN}} 柴田慎吾||札幌U-15担当||2020年 - || |- |アカデミーグループGKコーチ(U-18,17,16担当)||{{Flagicon|JPN}} 高木貴弘||北海道コンサドーレ旭川U-15 コーチ兼GKコーチ||2017年 - || |} ; 過去のスタッフ {{表2列| ; 監督 * {{Flagicon|JPN}} [[保坂不二夫]] (1997年 - 2000年) * {{Flagicon|JPN}} 財前恵一 (2001年 - 2003年、2019年) * {{Flagicon|JPN}} 四方田修平 (2004年 - 2015年) * {{Flagicon|JPN}} [[川口卓哉]] (2015年 - 2018年) | ; コーチ * {{Flagicon|JPN}} 及川真行 (1997年 - 1998年、2001年 - 2002年) * {{Flagicon|JPN}} 財前恵一 (1999年 - 2000年、2007年 - 2009年) * {{Flagicon|JPN}} 赤池保幸 (1999年 - 2001年、2003年 - 2006年) * {{Flagicon|JPN}} 四方田修平 (2002年) * {{Flagicon|JPN}} 深川友貴 (2003年 - 2010年) * {{Flagicon|JPN}} 佐賀一平 (2005年) * {{Flagicon|JPN}} 賀谷英司 (2006年) * {{Flagicon|JPN}} 阿部勝弘 (2007年 - 2015年) * {{Flagicon|JPN}} [[蛯沢匠吾]] (2009年 - 2012年) * {{Flagicon|JPN}} 川口卓哉 (2011年 - 2014年) * {{Flagicon|JPN}} 相川雄介 (2014年 - 2017年) * {{Flagicon|JPN}} 関浩二 (2015年) <ref name="HFC2015087073">{{Cite press release|和書|title=コンサドーレ札幌U-18監督及びコーチ交代のお知らせ|publisher=[[北海道フットボールクラブ]]|date=2015-08-07|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/2015087073/|accessdate=2015-10-26}}</ref> * {{Flagicon|JPN}} 鈴木健士 (2016年) * {{Flagicon|JPN}} 青山剛 (2017年) * {{Flagicon|JPN}} 砂川誠 (2018年) * {{Flagicon|JPN}} 大野貴史 (2019年) }} ==== 成績 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |rowspan="2"|年度||colspan="7"|リーグ戦||rowspan="2"|[[高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会|旧高円宮杯]]||rowspan="2"|[[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|クラブユース<br />選手権]]||rowspan="2"|[[Jリーグユース選手権大会|Jユースカップ]]||rowspan="2"|U-18監督 |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |所属||試合||勝点||勝||分||敗||順位 |- |1997||-||-||-||-||-||-||-||-||GL敗退||GL敗退||rowspan="4" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 保坂不二夫 |- |1998||-||-||-||-||-||-||-||-||GL敗退||GL敗退 |- |1999||-||-||-||-||-||-||-||-||GL敗退||GL敗退 |- |2000||-||-||-||-||-||-||-||-||GL敗退||ベスト16 |- |2001||-||-||-||-||-||-||-||ベスト16||bgcolor="silver"|'''[[第25回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|準優勝]]'''||GL敗退||rowspan="3" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 財前恵一 |- |2002||-||-||-||-||-||-||-||ベスト8||bgcolor="#deb678"|'''ベスト4'''||ベスト16 |- |2003||rowspan="8"|[[高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ北海道|プリンスリーグ<br />北海道]]||7||19||6||1||0||bgcolor="gold"|'''優勝'''||GL敗退||GL敗退||GL敗退 |- |2004||7||19||6||1||0||bgcolor="gold"|'''優勝'''||GL敗退||GL敗退||GL敗退||rowspan="7" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 四方田修平 |- |2005||9||19||6||1||2||bgcolor="gold"|'''優勝'''||bgcolor="silver"|'''準優勝'''||GL敗退||[[2005Jユースカップ|GL敗退]] |- |2006||9||15||4||3||2||[[2006年のJFAプリンスリーグU-18|5位]]||-||[[第30回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|GL敗退]]||[[2006Jユースカップ|GL敗退]] |- |2007||9||25||8||1||0||bgcolor="gold"|'''[[2007年のJFAプリンスリーグU-18|優勝]]'''||[[高円宮杯第18回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会|ベスト16]]||[[第31回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|GL敗退]]||[[2007Jユースカップ|GL敗退]] |- |2008||9||27||9||0||0||bgcolor="gold"|'''[[2008年のJFAプリンスリーグU-18|優勝]]'''||[[高円宮杯第19回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会|ベスト16]]||[[第32回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|GL敗退]]||[[2008Jユースカップ|GL敗退]] |- |2009||9||23||7||2||0||bgcolor="gold"|'''[[2009年のJFAプリンスリーグU-18|優勝]]'''||[[高円宮杯第20回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会|GL敗退]]||[[第33回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|ベスト8]]||[[2009Jユースカップ|GL敗退]] |- |2010||7||19||6||1||0||bgcolor="gold"|'''[[2010年のJFAプリンスリーグU-18|優勝]]'''||[[高円宮杯第21回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会|ベスト8]]||[[第34回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|GL敗退]]||[[2010Jユースカップ|ベスト16]] |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |rowspan="2"|年度||colspan="8"|リーグ戦||rowspan="2"|クラブユース<br />選手権||rowspan="2"|Jユースカップ||rowspan="2"|U-18監督 |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |所属||試合||勝点||勝||分||敗||colspan="2"|順位 |- |2011||rowspan="6"|[[高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ|プレミアリーグ]]<br />イースト||18||35||10||5||3||colspan="2" bgcolor="gold"|'''[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 プレミアリーグ|優勝]]'''<ref group="注">[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 プレミアリーグ#チャンピオンシップ|高円宮杯U-18サッカーリーグ チャンピオンシップ]]準優勝</ref>||[[第35回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|ベスト8]]||[[2011Jユースカップ|ベスト8]]||rowspan="5" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 四方田修平 |- |2012||18||30||9||3||6||colspan="2" bgcolor="silver"|'''[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2012 プレミアリーグ|2位]]'''||[[第36回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|GL敗退]]||bgcolor="gold"|[[2012Jユースカップ|'''優勝''']] |- |2013||18||29||9||2||7||colspan="2"|[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2013 プレミアリーグ|5位]]||ベスト8||bgcolor="#deb678"|'''[[2013Jユースカップ|ベスト4]]''' |- |2014||18||20||5||5||8||colspan="2"|[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2014 プレミアリーグ|8位]]||bgcolor="#deb678"|'''[[第38回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|ベスト4]]'''||[[2014Jユースカップ|GL敗退]] |- |rowspan="2"|2015||rowspan="2"|18||rowspan="2"|13||rowspan="2"|3||rowspan="2"|4||rowspan="2"|11||colspan="2" rowspan="2"|[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2015 プレミアリーグ|9位]]||rowspan="2"|[[第39回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|ベスト8]]||rowspan="2"|[[2015Jユースカップ|ベスト16]] |- |rowspan="4" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 川口卓哉 |- |2016||rowspan="8"|プリンスリーグ<br />北海道||14||34||11||1||2||colspan="2" bgcolor="gold"|'''[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2016#プリンスリーグ北海道|優勝]]'''||[[第40回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|ベスト16]]||[[2016Jユースカップ|ベスト32]] |- |2017||14||36||12||0||2||colspan="2" bgcolor="gold"|'''[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2017#プリンスリーグ|優勝]]'''||[[第41回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|ベスト16]]||[[2017Jユースカップ|ベスト32]] |- |2018||14||30||9||3||2||colspan="2" bgcolor="silver"|[[高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ2018#プリンスリーグ|2位]]||[[第42回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|GL敗退]]||[[2018Jユースカップ|ベスト8]] |- |2019||14||34||11||1||2||colspan="2" bgcolor="gold"|'''[[高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ2019#プリンスリーグ|優勝]]'''||[[第43回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|ベスト16]]||[[2019Jユースカップ|ベスト32]]||style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 財前恵一 |- |2020||6||15||5||0||1||colspan="2" bgcolor="silver"|[[高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ2020#プリンスリーグ|2位]]||[[第44回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|ベスト16]]||開催中止||rowspan="3" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 森下仁之 |- |2021||14||39||13||0||1||colspan="2" bgcolor="gold"|'''[[高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ2021#プリンスリーグ|優勝]]'''||bgcolor="silver"|[[第45回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|準優勝]]||[[2021Jユースリーグ|D組5位]] |- |2022||14||24||7||3||4||colspan="2" bgcolor="#deb678"|[[高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ 2022#プリンスリーグ|3位]]||[[第46回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|ベスト16]]||[[2022Jユースリーグ|-]] |- |2023|| || || || || ||colspan="2"|[[高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ2023#プリンスリーグ|-]]||[[第47回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|-]]||[[2023Jユースリーグ|-]] |} ;主な全国大会結果 ''ベスト4以上を記載'' * [[高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会]] **準優勝:2005年 * [[高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ#概要|高円宮杯U-18サッカーリーグ チャンピオンシップ]] ** 準優勝:[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 プレミアリーグ#チャンピオンシップ|2011年]] * [[高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ]] イースト ** 優勝:[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2011 プレミアリーグ#プレミアリーグイースト|2011年]] ** 2位:[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2012 プレミアリーグ#プレミアリーグイースト|2012年]] * [[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会]] **準優勝:2001年、[[第45回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|2021年]] **ベスト4:2002年、[[第38回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|2014年]] * [[Jリーグユース選手権大会]] ** 優勝:[[第20回Jリーグユース選手権大会|2012年]] ** ベスト4:[[第21回Jリーグユース選手権大会|2013年]] ; 主な北海道大会結果 ''ベスト4以上を記載'' * [[北海道チャンピオンズスーパーリーグ]] ** 優勝:2009年 * [[知事杯全道サッカー選手権大会]] ** 準優勝:2010年 ** ベスト4:2008年、2012年 : 2013年よりプレミアリーグとの日程調整がつかず不参加。2015年より第2種(U-18)チームは出場不可。 ==== 国際大会 ==== * [[日・韓・中ジュニア交流競技会]] ** 出場:2005年 * ダラスカップ ** 出場:2006年 * ゴシアカップ ** U18部 準優勝:2016年 ** U16部 準優勝:2013年 * [[国際スポーツ競技大会「アジアの子供たち」]] ** 優勝:2016年<ref name="cs20160718624">[http://www.consadole-sapporo.jp/news/20160718624/ ロシア/サハ共和国遠征結果、及び優勝カップ展示のお知らせ] (2016年7月19日) 株式会社コンサドーレ 2016年7月27日閲覧</ref> * U-19ミャンマー国際招待ユース (KBZ Bank U19 Cup 2016) ** 準優勝:2016年<ref name="thethao247_d130682">{{Cite news|title={{Lang|vi|U19 Việt Nam vô địch giải giao hữu quốc tế sau loạt penalty cân não}}|url=http://thethao247.vn/bong-da-viet-nam/tuyen-quoc-gia-vn/truc-tiep-u19-viet-nam-vs-u18-sapporo-tranh-chuc-vo-dich-d130682.html|publisher=[[Thể Thao 247]]|date=2016-08-28|accessdate=2016-11-26}}</ref> * U16 TOYO TIRES CUP 2019<ref name="cs20190552162">[https://www.consadole-sapporo.jp/news/20190552162/ 北海道コンサドーレ札幌U-16 ドイツ遠征のお知らせ] (2019年5月29日) 株式会社コンサドーレ 2019年6月10日閲覧</ref> ** 準優勝<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/1138094072566956032 U-16ドイツ通信⑪ (2019年6月10日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2019年6月12日閲覧。</ref> {| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |年||大会名||試合日||対戦相手||会場||結果||備考 |- |rowspan="3"|2006||rowspan="3"|ダラスカップ2006||GL第1戦(4月9日)||align=left|{{Flagicon|MEX}} [[サントス・ラグナ]]||ピザハット・パーク・フィールド 7||1-5 ●|| |- |GL第2戦(4月10日)||align=left|{{Flagicon|GER}} [[アイントラハト・フランクフルト]]||リッチランド・カレッジ・フィールド 10||0-4 ●|| |- |GL第3戦(4月12日)||align=left|{{Flagicon|ENG}} [[ブラックバーン・ローヴァーズFC]]||ピザハット・パーク・フィールド 7||2-1 ○|| |- |rowspan="9"|2013||rowspan="9"|ゴシアカップ2013<br />U-16部||GL第1戦(7月15日)||align=left|{{Flagicon|SWE}} {{仮リンク|IFKエステルスンド|sv|IFK Ostersund}}||ヘーデン 4||5-0 ○|| |- |GL第2戦(7月16日)||align=left|{{Flagicon|PRT}} ロバトス・フット||rowspan="2"|ゴシア・アリーナ||0-0 △|| |- |GL第3戦(7月17日)||align=left|{{Flagicon|NOR}} {{仮リンク|FKフィヤールハンメル|no|Fjellhamar Fotballklubb}}||4-0 ○|| |- |決勝T 1回戦(7月18日)||align=left|{{Flagicon|NOR}} {{仮リンク|FKリレハンメル|no|Lillehammer Fotballklubb}}||ヘーデン 4||7-0 ○|| |- |決勝T 2回戦(7月18日)||align=left|{{Flagicon|ENG}} キネティック・アカデミー||ゴシア・アリーナ||5-0 ○|| |- |決勝T 3回戦(7月19日)||align=left|{{Flagicon|GER}} {{仮リンク|MTVトリュブント・リューネブルク|de|MTV Treubund Luneburg v. 1848}}||Harlanda 1||5-0 ○|| |- |決勝T 準々決勝(7月19日)||align=left|{{Flagicon|SWE}} {{仮リンク|グンニルセIS|sv|Gunnilse IS}}||ヘーデン 4||3-0 ○|| |- |決勝T 準決勝(7月19日)||align=left|{{Flagicon|SWE}} [[IFエルフスボリ]]||Slottskogsvallen||2-2 (5PK4) ○|| |- |決勝T 決勝(7月19日)||align=left|{{Flagicon|UGA}} カンパラ・ジュニア||ゴシア・アリーナ||2-3 ●|| |- |rowspan="15"|2016||rowspan="4"|第6回[[国際スポーツ競技大会「アジアの子供たち」|国際スポーツ競技大会<br />「アジアの子供たち」]]||第1戦(7月7日)||align=left|{{Flagicon|RUS}} 極東選抜||rowspan="4"|ユノスト競技場||7-1 ○||rowspan="4"|<ref name="cs20160718624" /> |- |第2戦(7月9日)||align=left|{{Flagicon|KGZ}} キルギス代表||2-1 ○ |- |第3戦(7月12日)||align=left|{{Flagicon|RUS}} シベリア選抜||3-1 ○ |- |第4戦(7月16日)||align=left|{{Flagicon|Sakha}} サハ選抜||7-0 ○ |- |rowspan="7"|ゴシアカップ・チャイナ2016<br />U-18部||GL第1戦(8月14日)||align=left|{{Flagicon|CHN}} 沈朝一中||rowspan="3"|哥德足球公园A6||10-0 ○||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/765043113232445440 瀋陽通信⑤ (2016年8月14日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |GL第2戦(8月14日)||align=left|{{Flagicon|CHN}} 沈阳17中||23-0 ○||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/765045884304265216 瀋陽通信⑥ (2016年8月14日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |GL第3戦(8月15日)||align=left|{{Flagicon|CHN}} 无锡1中||12-0 ○||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/765494250578423808 瀋陽通信⑦ (2016年8月16日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |GL第4戦(8月16日)||align=left|{{Flagicon|BGD}} Team Manarat||哥德足球公园A5||3-0 ○||不戦勝<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/765683044191576064 瀋陽通信⑧ (2016年8月16日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |決勝T 準々決勝(8月17日)||align=left|{{Flagicon|ARE}} CF Football Academy||rowspan="2"|哥德足球公园A4||17-0 ○||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/766059573543219200 瀋陽通信⑨ (2016年8月17日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |決勝T 準決勝(8月18日)||align=left|{{Flagicon|CHN}} 沈阳市回民中学||4-0 ○||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/766225096096620544 瀋陽通信⑩ (2016年8月18日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |決勝T 決勝(8月19日)||align=left|{{Flagicon|ESP}} CSKH||哥德足球公园A3||1-1 (10PK11) ●||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/766577645685399553 瀋陽通信⑪ (2016年8月19日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |rowspan="4"|U-19ミャンマー国際招待ユース2016<br />(KBZ Bank U19 Cup 2016)||GL第1戦(8月22日)||align=left|{{Flagicon|MMR}} U-19ミャンマー代表||rowspan="4"|[[マンダラーティエリースタジアム]]||4-1 ○||<ref>{{Cite web|title={{Lang|th|เมียนมา U-19 vs ซัปโปโร U-18}}|url=http://fathailand.org/archives/event/6423|accessdate=2016-08-20}}</ref> |- |GL第2戦(8月24日)||align=left|{{Flagicon|THA}} U-19タイ代表||1-3 ●||<ref>{{Cite web|title={{Lang|th|ซัปโปโร U-18 vs ไทย U-19}}|url=http://fathailand.org/archives/event/6425|accessdate=2016-08-20}}</ref> |- |GL第3戦(8月26日)||align=left|{{Flagicon|VNM}} U-19ベトナム代表||1-1 △||<ref>{{Cite web|title={{Lang|th|เวียดนาม U-19 vs ซัปโปโร U-18}}|url=http://fathailand.org/archives/event/6429|accessdate=2016-08-20}}</ref> |- |決勝(8月28日)||align=left|{{Flagicon|VNM}} U-19ベトナム代表||0-0 (4PK5) ●||<ref name="thethao247_d130682" /><ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/769906742004027392 ミャンマー通信⑩ (2016年8月28日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |rowspan="6"|2019||rowspan="6"|U16 TOYO TIRES CUP 2019||GL第1戦(6月9日)||align=left|{{Flagicon|GER}} [[ボルシア・メンヒェングラートバッハ|ボルシアMG]]||rowspan="6"|[[デュッセルドルフ]]市内||4-1 ○||rowspan="6"|<ref name="cs20190552162" /> |- |GL第2戦(6月9日)||align=left|{{Flagicon|FRA}} [[オリンピック・マルセイユ]]||0-0 △ |- |GL第3戦(6月9日)||align=left|{{Flagicon|GER}} SGベンラート・ハッセルス||7-2 ○ |- |決勝T 準々決勝(6月10日)||align=left|{{Flagicon|CZE}} [[FCスロヴァン・リベレツ]]||2-0 ○ |- |決勝T 準決勝(6月10日)||align=left|{{Flagicon|GER}} [[ハンブルガーSV]]||3-0 ○ |- |決勝T 決勝(6月10日)||align=left|{{Flagicon|GER}} [[ヘルタ・ベルリン]]||0-1 ● |- |} ==== 海外遠征 ==== {| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |年||遠征名||試合日||対戦相手||結果||備考 |- |rowspan="3"|2015||rowspan="3"|[[シュトゥットガルト]]遠征||第1戦(12月8日)||align=left|{{Flagicon|GER}} [[VfBシュトゥットガルト]]U-19||4-5 ●||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/766577645685399553 #U18 #Stuttgart 通信③ (2015年12月8日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |第2戦(12月9日)||align=left|{{Flagicon|GER}} [[シュトゥットガルト・キッカーズ]]||1-3 ●||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/674793901593460736 #U18 #Stuttgart 通信⑤ (2015年12月9日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |第3戦(12月10日)||align=left|{{Flagicon|GER}} [[SGゾネンホフ・グロースアスパッハ]]||10-0 ○||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/675209234821357568 #U18 #Stuttgart 通信⑧ (2015年12月10日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref><ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/675468026712428544 北海道コンサドーレ札幌《公式》のツイート(2015年12月11日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |rowspan="3"|2016||rowspan="3"|[[昌寧郡|昌寧]]遠征||第1戦(12月27日)||align=left|{{Flagicon|KOR}} [[釜山アイパーク]]U-18||5-5 △||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/814432754876067840 昌寧通信② (2016年12月29日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月30日閲覧。</ref> |- |第2戦(12月28日)||align=left|{{Flagicon|KOR}} [[FCソウル]]U-18||0-3 ●||<ref name="consaofficial814649553970266112">[https://twitter.com/consaofficial/status/814649553970266112 昌寧通信③ (2016年12月30日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月30日閲覧。</ref> |- |第3戦(12月29日)||align=left|{{Flagicon|KOR}} [[光州FC]] U-18||0-2 ●||<ref name="consaofficial814649553970266112" /> |- |rowspan="5"|2017||rowspan="5"|[[リオデジャネイロ]]遠征||第1戦(3月26日)||align=left|{{Flagicon|BRA}} [[フルミネンセFC|フルミネンセ]]U-18||1-5 ●||rowspan="5"|<ref name="cs20170327442">{{Cite news|title=北海道コンサドーレ札幌U-18ブラジル/リオデジャネイロ遠征のお知らせ|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/20170327442/|date=2017-03-24|publisher='''北海道コンサドーレ札幌'''|accessdate=2017-03-25}}</ref> |- |第2戦(3月27日)||align=left|{{Flagicon|BRA}} [[ボタフォゴFR|ボタフォゴ]]U-18||3-6 ● |- |第3戦(3月28日)||align=left|{{Flagicon|BRA}} [[CRフラメンゴ|フラメンゴ]]U-17||3-1 ○ |- |第4戦(3月30日)||align=left|{{Flagicon|BRA}} [[CRヴァスコ・ダ・ガマ|ヴァスコ・ダ・ガマ]]U-18||1-4 ● |- |第5戦(3月31日)||align=left|{{Flagicon|BRA}} [[フルミネンセFC|フルミネンセ]]U-20||3-2 ○ |- |rowspan="5"|2018||rowspan="5"|[[バルセロナ]]遠征||第1戦(3月28日)||align=left|{{Flagicon|BRA}} BR10 SPORTS BRASIL||4-0 ○||rowspan="5"|<ref name="cs20180338833">{{Cite news|title=北海道コンサドーレ札幌U-18スペイン/バルセロナ遠征のお知らせ|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/20180338833/|date=2018-03-26|publisher='''北海道コンサドーレ札幌'''|accessdate=2018-03-31}}</ref> |- |第2戦(3月29日)||align=left|{{Flagicon|ESP}} CF LLORET||6-1 ○ |- |第3戦(3月29日)||align=left|{{Flagicon|ESP}} KS ACADEMY||6-0 ○ |- |第4戦(3月30日)||align=left|{{Flagicon|NOR}} OPPSAL IF FOTBALL||3-1 ○ |- |第5戦(3月30日)||align=left|{{Flagicon|ESP}} [[ジローナFC|ジローナ]]U-18||0-0(PK4-5) ● |} === 札幌U-15 === * 創設年:1997年 * 本拠地:札幌市東区東雁来 * 練習場:東雁来グラウンド ; 所属選手 {{Main2|[https://www.consadole-sapporo.jp/academy/team/u15-sapporo/ 札幌U-15 選手一覧]}} ; スタッフ {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:left; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |役職||コーチ||前職||在職年||備考 |- |U-15担当||{{Flagicon|JPN}} 砂川誠||札幌U-14担当||2020年 - || |- |U-14担当||{{Flagicon|JPN}} 大野貴史||U-18,17担当(コーチ)||2020年 - || |- |U-13担当||{{Flagicon|JPN}} 青山剛||U-18担当(コーチ)||2018年 - ||アカデミーサブダイレクター兼任 |- |アカデミーグループGKコーチ(U-15,14,13担当)||{{Flagicon|JPN}} 阿部勝弘||屯田北中学校サッカー部コーチ||2007年 - || |} ; 過去のスタッフ {{表2列| ; 監督 * {{Flagicon|JPN}} 三浦雅之 (1997年 - 2002年) * {{Flagicon|JPN}} 森下仁之 (2003年 - 2006年) * {{Flagicon|JPN}} 名塚善寛 (2007年 - 2012年) * {{Flagicon|JPN}} 関浩二 (2013年 - 2014年) * {{Flagicon|JPN}} 佐藤尽 (2015年) * {{Flagicon|JPN}} 森川拓巳 (2016年 - 2017年) * {{Flagicon|JPN}} 柴田慎吾 (2018年 - 2019年) | ; コーチ * {{Flagicon|JPN}} 財前恵一 (1997年 - 1998年) * {{Flagicon|JPN}} 及川真行 (1999年 - 2000年, 2003年) * {{Flagicon|JPN}} 赤池保幸 (1999年 - 2002年) * {{Flagicon|JPN}} 浅沼達也 (2000年 - 2001年) * {{Flagicon|JPN}} 森下仁之 (2001年 - 2002年) * {{Flagicon|JPN}} 冨樫剛一 (2002年9月 - 2002年) * {{Flagicon|JPN}} 賀谷英司 (2003年 - 2005年, 2016年 - 2017年) * {{Flagicon|JPN}} 松山大地 (2003年 - 2011年) * {{Flagicon|JPN}} 関浩二 (2006年 - 2012年, 2015年) * {{Flagicon|JPN}} 池内友彦 (2012年 - 2014年) * {{Flagicon|JPN}} 蛯沢匠吾 (2013年) * {{Flagicon|JPN}} 村田達哉 (2013年) * {{Flagicon|JPN}} 中村拓朗 (2014年 - 2017年) * {{Flagicon|JPN}} 村井一俊 (2018年) }} ==== 成績 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |rowspan="2"|年度||rowspan="2"|所属||rowspan="2"|部||colspan="6"|リーグ戦||rowspan="2"|[[高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会|高円宮杯<br />U-15]]||rowspan="2"|[[日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会|クラブユース<br />U-15]]||rowspan="2"|[[JFAプレミアカップ|JFA<br />プレミアカップ]]||rowspan="2"|U-15監督 |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |試合||勝点||勝||分||敗||順位 |- |1997||-||||-||-||-||-||-||-||-||北海道大会敗退||北海道大会敗退||rowspan="6" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 三浦雅之 |- |1998||-||||-||-||-||-||-||-||-||北海道大会敗退||北海道大会敗退 |- |1999||-||||-||-||-||-||-||-||北海道大会敗退||北海道大会敗退||GL敗退 |- |2000||-||||-||-||-||-||-||-||ベスト16||北海道大会敗退||GL敗退 |- |2001||-||||-||-||-||-||-||-||ベスト8||GL敗退||GL敗退 |- |2002||-||||-||-||-||-||-||-||bgcolor="silver"|'''準優勝'''||北海道大会敗退||北海道大会敗退 |- |2003||-||||-||-||-||-||-||-||bgcolor="silver"|'''準優勝'''||北海道大会敗退||北海道大会敗退||rowspan="4" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 森下仁之 |- |2004||-||||-||-||-||-||-||-||ベスト16||ベスト8||北海道大会敗退 |- |2005||-||||-||-||-||-||-||-||[[高円宮杯第17回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会|北海道大会敗退]]||ベスト16||北海道大会敗退 |- |2006||-||||-||-||-||-||-||-||[[高円宮杯第18回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会|北海道大会敗退]]||GL敗退||北海道大会敗退 |- |2007||rowspan="15"|[[北海道カブスリーグU-15|北海道<br />カブスリーグ]]||rowspan="15"|1部||7||21||7||0||0||bgcolor="gold"|'''優勝'''||[[高円宮杯第19回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会|北海道大会敗退]]||北海道大会敗退||北海道大会敗退||rowspan="6" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 名塚善寛 |- |2008||9||27||9||0||0||bgcolor="gold"|'''優勝'''||bgcolor="#deb678"|[[高円宮杯第20回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会|'''ベスト4''']]||ベスト16||北海道大会敗退 |- |2009||10||28||9||1||0||bgcolor="gold"|'''優勝'''||bgcolor="silver"|[[高円宮杯第21回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会|'''準優勝''']]||ベスト8||北海道大会敗退 |- |2010||10||27||9||0||1||bgcolor="gold"|'''優勝'''||[[高円宮杯第22回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会|ベスト16]]||ベスト8||北海道大会敗退 |- |2011||15||39||13||0||2||bgcolor="gold"|'''優勝'''||ベスト32||ベスト8||北海道大会敗退 |- |2012||14||27||8||3||3||bgcolor="#deb678"|'''3位'''||北海道大会敗退||ベスト16||GL敗退 |- |2013||14||42||14||0||0||bgcolor="gold"|'''優勝'''||ベスト32||[[第28回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会|ベスト32]]||GL敗退||rowspan="2" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 関浩二 |- |2014||14||35||11||2||1||bgcolor="gold"|'''優勝'''||[[高円宮杯第26回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会|ベスト16]]||ベスト8||GL敗退 |- |2015||14||38||12||2||0||bgcolor="gold"|'''優勝'''||ベスト32||[[第30回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会|ベスト16]]||bgcolor="silver"|'''準優勝'''||style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 佐藤尽 |- |2016||14||38||12||2||0||bgcolor="gold"|'''優勝'''||bgcolor="silver"|'''準優勝'''||bgcolor="#deb678"|[[第31回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会|'''ベスト4''']]||bgcolor="#deb678"|'''ベスト4'''||rowspan="2" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 森川拓巳 |- |2017||14||31||10||1||3||bgcolor="silver"|'''2位'''||[[高円宮杯第29回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会|ベスト32]]||[[第32回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会|北海道大会敗退]]||[[JFAプレミアカップ2017|GL敗退]] |- |2018||14||40||13||1||0||bgcolor="gold"|'''優勝'''||[[高円宮杯 JFA 第30回全日本 U-15 サッカー選手権大会|ベスト32]]||bgcolor="#deb678"|[[第33回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会|'''ベスト4''']]||[[JFA 第22回全日本U-15サッカー大会|GL敗退]]||rowspan="2" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 柴田慎吾 |- |2019||14||36||11||3||0||bgcolor="gold"|'''優勝'''||[[高円宮杯 JFA 第31回全日本 U-15 サッカー選手権大会|ベスト8]]||[[第33回日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会|ベスト16]]||rowspan="3"|- |- |2020||9||22||7||1||1||bgcolor="gold"|'''優勝'''||[[高円宮杯 JFA 第32回全日本 U-15 サッカー選手権大会|ベスト32]]||開催中止||rowspan="2" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 砂川誠 |- |2021|| || || || || || || || |} ;主な全国大会結果 ''ベスト4以上を記載'' * [[高円宮杯 JFA 全日本U-15サッカー選手権大会]] ** 準優勝:2002年、2003年<ref name="sapporo academy3"/>、[[高円宮杯第21回全日本ユースサッカー選手権 (U-15)大会|2009年]]、2016年 ** ベスト4:2008年 * [[日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会]] ** ベスト4:2016年、2018年 * [[JFAプレミアカップ]] ** 準優勝:2015年 ** ベスト4:2016年 * [[全日本ユース(U-15)フットサル大会]] ** 優勝:2002年 ** ベスト4:2016年 ==== 国際大会 ==== * 中国足協青少年足球U15冠軍杯賽 ** 準優勝:2016年<ref name="n474171967">{{Cite news|title={{Lang|zh-Hans|中国足协U15冠军杯鲁能夺季军,孙启航获最佳门将}}|url=http://sports.sohu.com/20161125/n474171967.shtml|date=2016-11-25|publisher={{Lang|zh-Hans|山东鲁能泰山足球俱乐部mp}}|accessdate=2016-11-26}}</ref> * BOAL国際U-14大会 **出場:2017年<ref>{{Cite web|title=Wedstrijdprogramma 2017 - FC s-Gravenzande BOAL Toernooi |url=http://boal-toernooi.fcsgravenzande.nl/nl/wedstrijdprogramma-2017|publisher= FC 's-Gravenzande|accessdate=2017-08-15}}</ref>、2019年<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/1164116699664117760 U-13オランダ通信2019① (2019年8月21日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2017年9月8日閲覧。</ref> {| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:center; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |年||大会名||試合日||対戦相手||会場||結果||備考 |- |rowspan="5"|2016||rowspan="5"|中国足協青少年足球U15冠軍杯賽||第1戦(11月18日)||align=left|{{Flagicon|CHN}} [[新疆宋慶齡足校]]||rowspan="5"|武漢塔子湖体育中心体育場||9-1 ○||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/799863045367287808 U15武漢通信③ (2016年11月18日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref><ref>{{Cite news|title={{Lang|zh-Hans|同样是联赛U15亚军,中国球队竟被日本球队打个9-1}}|url=http://sports.ifeng.com/a/20161118/50281230_0.shtml|publisher=[[凤凰网]]|date=2016-11-19|accessdate=2016-11-22}}</ref><ref>{{Cite news|title={{Lang|zh-Hans|全国U15冠军赛首日——札幌9:1大胜新疆,日本球员表现惊艳全场}}|url=http://m.najiaoluo.com/yundong/1698954.html|publisher=[[那角落]]|date=2016-11-19|accessdate=2016-11-22}}</ref><ref>{{Cite news|title=<サッカー>中国のチームが日本のチームに9失点惨敗!中国メディアに衝撃=「希望がまったく見えなかった」「日本との差は20年も」|url=https://www.recordchina.co.jp/b155524-s0-c30-d0052.html|publisher=[[Record China]]|date=2016-11-19|accessdate=2016-11-22}}</ref><ref>{{Cite news|title={{Lang|zh-Hans|1-9惨败折射训练手段落后 靠拼搏精神能撑多久?}}|url=http://sports.sina.com.cn/china/other/2016-11-19/doc-ifxxwsix4105000.shtml|publisher=[[新浪网]]|date=2016-11-19|accessdate=2016-11-22}}</ref><ref>{{Cite news|title=中国U-15リーグ準優勝クラブ、日本のクラブに1-9で惨敗 今も未来も絶望的な中国サッカー|url=http://news.searchina.net/id/1623396|publisher=[[SBIサーチナ]]|date=2016-11-20|accessdate=2016-11-22}}</ref> |- |第2戦(11月19日)||align=left|{{Flagicon|CHN}} [[成都棠中外校]]||1-0 ○||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/800534726062637056 U15武漢通信④ (2016年11月20日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref><ref>{{Cite news|title={{Lang|zh-Hans|U15冠军赛第二比赛日——成都稳守66分钟被札幌破城,新疆0:4水原三星再尝败绩}}|url=http://m.najiaoluo.com/yundong/1729686.html|publisher=[[那角落]]|date=2016-11-20|accessdate=2016-11-22}}</ref> |- |第3戦(11月21日)||align=left|{{Flagicon|CHN}} [[山東魯能泰山足球倶楽部|山東魯能]]U15||2-1 ○||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/800904003286536192 U15武漢通信⑤ (2016年11月21日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |第4戦(11月23日)||align=left|{{Flagicon|KOR}} [[水原三星ブルーウィングス|水原三星]]U15||1-3 ●||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/801387962705420288 U15武漢通信⑥ (2016年11月23日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |第5戦(11月25日)||align=left|{{Flagicon|CHN}} [[湖北足球協会]]U15||3-1 ○||<ref name="n474171967" /><ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/802078240865034241 U15武漢通信⑦ (2016年11月25日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2016年12月26日閲覧。</ref> |- |rowspan="10"|2017||rowspan="10"|BOAL国際U-14大会||GL第1戦(8月18日)||align=left|{{Flagicon|NLD}} [[AZアルクマール]]||rowspan="10"|ユリアナ・スポルトパルク||1-3 ●||rowspan="2"|<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/899055011140837376 オランダ通信⑤ (2017年8月19日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2017年8月21日閲覧。</ref> |- |GL第2戦(8月18日)||align=left|{{Flagicon|BEL}} [[クラブ・ブルッヘ|クラブ・ブリュージュ]]||0-0 △ |- |GL第3戦(8月19日)||align=left|{{Flagicon|ENG}} [[スウィンドン・タウンFC]]||1-2 ●||rowspan="3"|<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/899266685483458560 オランダ通信⑦ (2017年8月20日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2017年8月21日閲覧。</ref> |- |GL第4戦(8月19日)||align=left|{{Flagicon|NLD}} [[PSVアイントホーフェン]]||0-2 ● |- |GL第5戦(8月19日)||align=left|{{Flagicon|GER}} [[ボルシア・ドルトムント]]||0-2 ● |- |GL第6戦(8月19日)||align=left|{{Flagicon|ENG}} [[チェルシーFC]]||1-0 ○||rowspan="2"|<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/899268597221965824 オランダ通信⑧ (2017年8月20日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2017年8月21日閲覧。</ref> |- |GL第7戦(8月19日)||align=left|{{Flagicon|NLD}} [[ADOデン・ハーグ]]||0-1 ● |- |順位決定戦(8月20日)||align=left|{{Flagicon|NLD}} [[フェイエノールト]]||1-1 (2PK4) ●||rowspan="2"|<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/899471723375939585 オランダ通信⑨ (2017年8月20日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2017年8月21日閲覧。</ref> |- |順位決定戦(8月20日)||align=left|{{Flagicon|GER}} [[VfLヴォルフスブルク]]||0-0 (3PK4) ● |- |順位決定戦(8月20日)||align=left|{{Flagicon|ENG}} スウィンドン・タウンFC||4-0 ○||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/899473383494008833 オランダ通信⑩ (2017年8月20日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2017年8月21日閲覧。</ref> |- |rowspan="9"|2019||rowspan="9"|BOAL国際U-14大会||GL第1戦(8月23日)||align=left|{{Flagicon|HUN}} [[ブダペスト・ホンヴェードFC]]||rowspan="9"|ユリアナ・スポルトパルク||1-3 ●||rowspan="2"|<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/1165500184891015168 U-13オランダ通信④ (2019年8月25日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2019年9月8日閲覧。</ref> |- |GL第2戦(8月23日)||align=left|{{Flagicon|ENG}} [[サウサンプトンFC]]||0-1 ● |- |GL第3戦(8月24日)||align=left|{{Flagicon|BEL}} クラブ・ブリュージュ||0-1 ●||rowspan="6"|<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/1165881088016695303 U-13オランダ通信⑥ (2019年8月26日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2019年9月8日閲覧。</ref> |- |GL第4戦(8月24日)||align=left|{{Flagicon|NLD}} グラーヴェンザンデ||2-0 ○ |- |GL第5戦(8月24日)||align=left|{{Flagicon|FRA}} [[スタッド・ブレスト29]]||0-0 △ |- |GL第6戦(8月24日)||align=left|{{Flagicon|NLD}} [[アヤックス・アムステルダム|アヤックス]]||0-4 ● |- |GL第7戦(8月25日)||align=left|{{Flagicon|DEN}} [[ブレンビーIF]]||0-2 ● |- |GL第8戦(8月25日)||align=left|{{Flagicon|NLD}} [[スパルタ・ロッテルダム]]||1-1 △ |- |順位決定戦(8月25日)||align=left|{{Flagicon|ENG}} チェルシーFC||1-3 ●||<ref>[https://twitter.com/consaofficial/status/1165882558388662273 U-13オランダ通信⑦ (2019年8月26日付)] (@consaofficial) 北海道コンサドーレ札幌《公式》 2019年9月8日閲覧。</ref> |- |} === 旭川U-15 === * 創設年:2004年 * 本拠地:[[上川郡 (石狩国)|上川郡]][[東川町]] * 練習場:コンサフィールド東川 ; 所属選手 {{Main2|[https://www.consadole-sapporo.jp/academy/team/u15-asahikawa/ 旭川U-15 選手一覧]}} ; スタッフ {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:left; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |役職||コーチ||前職||在職年||備考 |- |旭川エリアチーフ||{{Flagicon|JPN}} 木崎拓也||東川U-12監督||2020年 - ||東川U-12担当兼任 |- |U-15担当(監督)||{{Flagicon|JPN}} 中村拓朗||旭川U-14,13担当||2020年 - || |- |U-15担当(コーチ)||{{Flagicon|JPN}} 宮本恭兵||アルティスタ浅間Jr コーチ(選手兼任)||2020年 - ||東川U-12コーチ兼任 |- |U-15担当(コーチ)||{{Flagicon|JPN}} [[山下泰明]]|| ||2020年 - || |- |アカデミーグループGKコーチ(旭川・東川担当)||{{Flagicon|JPN}} 花田倖基||北海道コンサドーレ札幌アカデミーGKコーチ||2018年 - || |} ; 過去のスタッフ {{表2列| ; 監督 * {{Flagicon|JPN}} 三浦雅之 (2004年 - 2006年) * {{Flagicon|JPN}} 賀谷英司 (2007年) * {{Flagicon|JPN}} 佐藤尽 (2008年 - 2014年) * {{Flagicon|JPN}} 北原次郎 (2015年) * {{Flagicon|JPN}} 柴田慎吾 (2016年 - 2017年) * {{Flagicon|JPN}} 中三川哲治 (2018年 - 2019年) | ; コーチ * {{Flagicon|JPN}} 川口卓哉 (2004年 - 2007年) * {{Flagicon|JPN}} 松山育司 (2004年 - 2018年) * {{Flagicon|JPN}} [[竹原靖和]] (2008年 - 2011年) * {{Flagicon|JPN}} 柴田慎吾 (2012年 - 2015年) * {{Flagicon|JPN}} 日高拓磨 (2016年 - 2017年) * {{Flagicon|JPN}} 高木貴弘 (2016年) }} ==== 成績 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |rowspan="2"|年度||rowspan="2"|所属||rowspan="2"|部||colspan="6"|リーグ戦||rowspan="2"|高円宮杯<br />U-15||rowspan="2"|クラブユース<br />U-15||rowspan="2"|JFA<br />プレミアカップ||rowspan="2"|U-15監督 |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |試合||勝点||勝||分||敗||順位 |- |2004||-||||-||-||-||-||-||-||旭川地区大会敗退||道央地区予選敗退||-||rowspan="3" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 三浦雅之 |- |2005||-||||-||-||-||-||-||-||道北ブロック大会敗退||北海道大会敗退||- |- |2006||-||||-||-||-||-||-||-||北海道大会敗退||北海道大会敗退||- |- |2007||-||||-||-||-||-||-||-||ベスト16||北海道大会敗退||-||style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 賀谷英司 |- |2008||rowspan="14"|北海道<br />カブスリーグ||1部||9||13||4||1||4||6位||GL敗退||北海道大会敗退||-||rowspan="7" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 佐藤尽 |- |2009||rowspan="3"|2部||10||13||4||1||5||4位||北海道大会敗退||北海道大会敗退||- |- |2010||10||18||5||3||2||bgcolor="gold"|'''優勝'''||北海道大会敗退||北海道大会敗退||- |- |2011||15||37||12||1||2||bgcolor="gold"|'''B組優勝'''||北海道大会敗退||北海道大会敗退||- |- |2012||1部||14||5||1||2||11||8位||北海道大会敗退||北海道大会敗退||- |- |2013||2部||14||31||10||1||3||bgcolor="silver"|'''2位'''||北海道大会敗退||北海道大会敗退||- |- |2014||rowspan="8"|1部||14||20||6||2||6||4位||北海道大会敗退||北海道大会敗退||- |- |2015||14||16||5||1||8||6位||北海道大会敗退||北海道大会敗退||北海道大会敗退||style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 北原次郎 |- |2016||14||22||7||1||6||bgcolor="#deb678"|'''3位'''||-||GL敗退||-||rowspan="2" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 柴田慎吾 |- |2017||14||25||8||1||5||5位||-||GL敗退||北海道大会敗退 |- |2018||14||28||9||1||4||bgcolor="silver"|'''2位'''||ベスト32||ベスト32||-||rowspan="2" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 中三川哲治 |- |2019||14||27||9||0||5||bgcolor="#deb678"|'''3位'''||-||北海道大会敗退||rowspan="3"| - |- |2020||9||13||4||1||4||5位||-||開催中止||rowspan="2"|{{Flagicon|JPN}} 中村拓朗 |- |2021|| || || || || || || || |} ;主な全国大会結果 ''ベスト4以上を記載'' * [[全日本ユース(U-15)フットサル大会]] ** 準優勝:2014年 ** ベスト4:2015年、2017年 === 釧路U-15 === 釧路市を本拠地とする[[R・シュペルブ釧路]]のU-15を母体にして合同でアカデミー活動。 * 創設年:2016年 * 本拠地:[[釧路市]]・[[釧路郡]][[釧路町]] * 練習場:釧路町運動公園など ; スタッフ {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:left; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |役職||コーチ||前職||在職年||備考 |- |釧路エリアチーフ||{{Flagicon|JPN}} 安田一行||ジュニアサッカースクール コーチ||2020年 - ||釧路U-15、U-12担当兼任 |- |U-15担当(監督)||{{Flagicon|JPN}} 山内博志|| ||2016年 - || |- |U-15担当||{{Flagicon|JPN}} 中町正樹|| ||2019年 - || |- |U-15担当||{{Flagicon|JPN}} 高橋勇気|| ||2019年 - || |- |U-15担当||{{Flagicon|JPN}} 野瀬誉斗|| ||2019年 - || |- |U-15担当||{{Flagicon|JPN}} 寺倉良太|| ||2019年 - || |} {{表2列| ; 監督 * {{Flagicon|JPN}} 山内博志 (2016年 - 現在) | ; 所属選手 {{Main2|[https://www.consadole-sapporo.jp/academy/team/u15-kushiro/ 釧路U-15 選手一覧]}} }} ==== 成績 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |rowspan="2"|年度||rowspan="2"|所属||rowspan="2"|部||colspan="6"|リーグ戦||rowspan="2"|高円宮杯<br />U-15||rowspan="2"|クラブユース<br />U-15||rowspan="2"|JFA<br />プレミアカップ||rowspan="2"|U-15監督 |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |試合||勝点||勝||分||敗||順位 |- |2016||rowspan="6"|北海道<br />カブスリーグ||rowspan="2"|道東||14||27||9||0||5||bgcolor="silver"|'''2位'''||-||北海道大会敗退||-||rowspan="6"|{{Flagicon|JPN}} 山内博志 |- |2017||14||42||14||0||0||bgcolor="gold"|'''優勝'''||-||北海道大会敗退||- |- |2018||rowspan="4"|2部||18||12||3||3||12||8位||-||北海道大会敗退||- |- |2019||18||37||12||1||5||4位||-||北海道大会敗退||rowspan="3"|- |- |2020||9||16||5||1||3||2位||-||開催中止 |- |2021|| || || || || || || || |} === 室蘭U-15 === 室蘭市を本拠地とするジェネラーレ室蘭スポーツクラブのU-15を母体にして合同でアカデミー活動。 * 創設年:2019年 * 本拠地:[[室蘭市]] * 練習場:室蘭市立旧鶴ヶ崎中グラウンド ; 所属選手 {{Main2|[https://www.consadole-sapporo.jp/academy/team/u15-muroran/ 室蘭U-15 選手一覧]}} ; スタッフ {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:left; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |役職||コーチ||前職||在職年||備考 |- |室蘭エリアチーフ||{{Flagicon|JPN}} 清川浩行|| ||2020年 - ||室蘭U-15担当兼任 |- |U-15担当||{{Flagicon|JPN}} 米澤秀行|| ||2019年 - || |- |U-15担当||{{Flagicon|JPN}} 佐藤祐行||室蘭U-13担当||2020年 - || |- |U-15担当||{{Flagicon|JPN}} 今利行||室蘭U-14担当||2020年 - || |- |U-15担当||{{Flagicon|JPN}} 矢田信昭||室蘭U-12担当||2020年 - || |- |GKコーチ||{{Flagicon|JPN}} 中村和広|| ||2019年 - || |- |GKコーチ||{{Flagicon|JPN}} 吉田英員|| ||2019年 - || |- |トレーナー||{{Flagicon|JPN}} 手塚祐規|| ||2019年 - || |- |トレーナー||{{Flagicon|JPN}} 高橋健人|| ||2020年 - || |} ==== 成績 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |rowspan="2"|年度||rowspan="2"|所属||rowspan="2"|部||colspan="6"|リーグ戦||rowspan="2"|高円宮杯<br />U-15||rowspan="2"|クラブユース<br />U-15||rowspan="2"|U-15監督 |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |試合||勝点||勝||分||敗||順位 |- |2019||rowspan="3"|北海道<br />カブスリーグ||2部||18||45||14||3||1||bgcolor="gold"|'''優勝'''||-||北海道大会敗退||rowspan="3"|{{Flagicon|JPN}} 米澤秀行 |- |2020||rowspan="2"|1部||9||22||7||1||1||bgcolor="silver"|'''2位'''||ベスト32||開催中止 |- |2021|| || || || || || || || |} === 札幌U-12 === * 創設年:2002年 * 本拠地:札幌市東区東雁来 * 練習場:東雁来グラウンド ; 所属選手 {{Main2|[http://www.consadole-sapporo.jp/academy/class/u12/ 札幌U-12 選手一覧]}} ; スタッフ {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:left; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |役職||コーチ||前職||在職年||備考 |- |U-12担当||{{Flagicon|JPN}} 村井一俊||札幌U-14担当||2019年 - || |- |U-11担当||{{Flagicon|JPN}} 飛澤開||ベアフット北海道U-12コーチ||2018年 - || |- |U-10担当||{{Flagicon|JPN}} 鈴木健士||U-18コーチ||2017年 - || |- |U-9担当||{{Flagicon|JPN}} 倉持卓史||U-18,17,16担当||2020年 - || |- |U-8担当||{{Flagicon|JPN}} 堀井健仁||札幌U-12コーチ||2018年 - ||アカデミースカウト兼任 |- |アカデミーグループGKコーチ(U-12,11,10,9担当)||{{Flagicon|JPN}} 相川雄介||北海道コンサドーレ札幌U-18GK コーチ||2017年 - || |} ; 過去のスタッフ {{表2列| ; 監督 * {{Flagicon|JPN}} 浅沼達也 (2002年 - 2017年) | ; コーチ * {{Flagicon|JPN}} 名塚善寛 (2002年 - 2006年) * {{Flagicon|JPN}} 関浩二 (2004年 - 2005年) * {{Flagicon|JPN}} 佐賀一平 (2006年 - 2007年) * {{Flagicon|JPN}} 川口卓哉 (2008年 - 2010年) * {{Flagicon|JPN}} 木崎拓也 (2011年 - 2016年) * {{Flagicon|JPN}} 花田倖基 (2016年) * {{Flagicon|JPN}} 佐藤慶幸 (2017年) * {{Flagicon|JPN}} 津元靖史 (2017年 - 2018年) | }} ;主な全国大会結果 ''ベスト4以上を記載'' * [[JFA 全日本U-12サッカー選手権大会]] ** 準優勝:[[第41回全日本少年サッカー大会|第41回(2017)]] * [[JFA 全日本U-12フットサル選手権大会]] ** ベスト4:2017年 === 東川U-12 === * 創設年:2017年 * 本拠地:上川郡東川町 * 練習場:東川町ゆめ公園、コンサフィールド東川など ; 所属選手 {{Main2|[http://www.consadole-sapporo.jp/academy/class/u12h/ 東川U-12 選手一覧]}} ; スタッフ {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:left; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |役職||コーチ||前職||在職年||備考 |- |東川U-12担当(監督)||{{Flagicon|JPN}} 木崎拓也||札幌U-12コーチ||2017年 - ||旭川エリアチーフ、旭川U-15コーチ兼任 |- |東川U-12担当(コーチ)||{{Flagicon|JPN}} 松山育司||旭川U-14担当)||2019年 - || |- |アカデミーグループGKコーチ(旭川・東川担当)||{{Flagicon|JPN}} 花田倖基||北海道コンサドーレ札幌アカデミーGKコーチ||2018年 - || |} === 釧路U-12 === 釧路市を本拠地とする[[R・シュペルブ釧路]]のU-12を母体にして合同でアカデミー活動。 * 創設年:2016年 * 本拠地:釧路市・釧路郡釧路町 * 練習場:釧路町運動公園など {{表2列| ; 監督 * {{Flagicon|JPN}} 重巣建治 (2016年 - 現在) | ; 所属選手 {{Main2|[http://www.consadole-sapporo.jp/academy/class/u12k/ 釧路U-12 選手一覧]}} }} === アカデミー出身者 === {{Main|北海道コンサドーレ札幌の選手一覧#アカデミー出身者}} == コンサドーレ北海道スポーツクラブ == {{基礎情報 非営利団体 | 名称 = 一般社団法人コンサドーレ北海道スポーツクラブ | ロゴ = | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 創立者 = 株式会社コンサドーレ、[[明光ネットワークジャパン|株式会社明光ネットワークジャパン]] | 団体種類 = [[社団法人#一般社団法人|一般社団法人]] | 設立 = 2014年2月14日 | 所在地 = 北海道札幌市中央区北3条西2丁目1-13<br>NC北専北三条ビル7階 | 緯度度 = | 緯度分 = | 緯度秒 = | 経度度 = | 経度分 = | 経度秒 = | 地図国コード = | 法人番号 = 2430005011848 | 起源 = | 主要人物 = [[代表理事]] [[三上大勝]] | 活動地域 = {{JPN}} | 製品 = | 主眼 = サッカークラブである北海道コンサドーレ札幌が、サッカークラブの枠を越え、道内の地域活性化やスポーツを通じた子どもたちの心身の育成、生涯スポーツの実現やコミュニティの創出を目指す。 | 活動内容 = スポーツクラブの運営事業<br>スポーツイベント、スポーツ教室、スポーツ大会の開催事業<br>スポーツ選手の養成・指導並びに管理業務<br>指導者及び審判員の講習会の開催事業<br>スポーツに関する調査、研究、情報の提供事業<br>スポーツを通じた国際交流事業<br>スポーツ施設の管理運営事業 | 活動手段 = コンサドーレジュニアサッカースクール 他 | 収入 = | 支出 = | 基本財産 = | ボランティア人数 = | 従業員数 = | 会員数 = | 親団体 = | 子団体 = | 標語 = | ウェブサイト = http://chsc.jp/ | 解散 = | 特記事項 = }} 一般社団法人コンサドーレ北海道スポーツクラブは、株式会社北海道フットボールクラブ(当時)と、学習塾「明光義塾」で知られ、首都圏でサッカースクールも展開する[[明光ネットワークジャパン|株式会社明光ネットワークジャパン]]の出資により2014年に設立された一般社団法人による総合型地域スポーツクラブ。代表理事は北海道コンサドーレ札幌ゼネラルマネージャーの[[三上大勝]]が兼任。 === コンサドーレジュニアサッカースクール === 2001年に北海道フットボールクラブ(当時)により開始。 2014年のコンサドーレ北海道スポーツクラブ設立と同時に移管された<ref>{{Cite press release |和書 |title=「一般社団法人コンサドーレ北海道スポーツクラブ」設立のお知らせ~コンサドーレ札幌と協業し、スポーツ・文化事業を道内展開~ |url=https://www.meikonet.co.jp/news/detail/year/2014/id/394 |publisher=株式会社明光ネットワークジャパン |date=2014-02-14 |accessdate=2017-06-26 }}</ref>。 * カテゴリー内訳:U-5・U-6(幼稚園クラス)、U-7・U-8(小学校1・2年生クラス)、U-9・U-10(小学校3・4年生クラス)、U-11・U-12(小学校5・6年生クラス) {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |rowspan="2"|スクール||rowspan="2"|エリア||rowspan="2"|会場||rowspan="2"|活動場所||colspan="4"|カテゴリー |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |U-5/U-6||U-7/U-8||U-9/U-10||U-11/U-12 |- |rowspan="9"|札幌校||rowspan="6"|札幌||東雁来会場||札幌市[[東区 (札幌市)|東区]]||○||○||夏||夏 |- |[[サッポロ・イーワン・スタジアム|イーワン]]会場||[[札幌市]][[白石区]]||○||○||○||○ |- |ばんけい会場||札幌市[[中央区 (札幌市)|中央区]]||○||○||○||○ |- |ほのか会場||札幌市[[手稲区]]||○||○||-||- |- |[[学校法人吉田学園 (北海道)#北海道スポーツ専門学校|吉田学園 SPORTS BOX]]会場||札幌市東区||○||○||-||- |- |宮の沢会場||札幌市[[西区 (札幌市)|西区]]||夏||夏||-||- |- |rowspan="3"|[[道央]]||岩見沢会場||[[岩見沢市]]||○||○||○||- |- |恵庭会場||[[恵庭市]]||○||○||○||○ |- |室蘭会場||[[室蘭市]]||○||○||○||○ |- |rowspan="3"|旭川校||rowspan="4"|[[道北]]||東川会場||[[東川町]]||○||○||○||- |- |グリーンヒル会場||[[旭川市]]||○||○||冬||- |- |あつま~る会場||旭川市||冬||冬||冬||- |- |士別校||士別会場||[[士別市]]||夏||夏||-||- |- |釧路校||rowspan="3"|[[道東]]||釧路会場||[[釧路市]]、[[釧路町]]||○||○||○||○ |- |中標津校||中標津会場||[[中標津町]]||○||○||-||- |- |根室校||根室会場||[[根室市]]||-||○||○||- |} * 「夏」:夏季限定の会場 * 「冬」:冬季限定の会場 ==== 主なコーチ ==== * [[吉原宏太]](移管前の2013年就任)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.aafa.jp/4syu/pdf/15-consa-U8-soccer-kyousitu-ann.pdf |title=2015 オホーツク二建会旗 「コンサドーレ U-8 サッカー教室」 |publisher=オホーツク地区サッカー協会 |accessdate=2019-02-11 |format=PDF }}</ref> === 北海道リラ・コンサドーレ === {{サッカークラブ | font-color= #fff | background-color= #c00 | border-color= #000 | 原語表記=北海道リラ・コンサドーレ | 愛称=リラ・コンサドーレ、リラ・コンサ | カラー= {{colorbox|#cc0000}} レッド<br />{{colorbox|#000}} ブラック<br />{{colorbox|#FFF}} ホワイト | 創設=2014 | リーグ=[[北海道女子サッカーリーグ]] | ディビジョン= [[地域リーグ (女子サッカー)|地域リーグ]] | ホームタウン= [[札幌市]]を中心とする[[北海道]] | スタジアム= | キャパ= | 代表=岩崎亮輔 | 監督=佐々木滋 | HP=https://chsc.jp/lira/ }} 2014年に、コンサドーレ北海道スポーツクラブを運営母体として、女子サッカーチームが設立<ref>[http://chsc.jp/news/2014/12/000036.html 「コンサドーレ女子サッカーチーム設立」及び「2015年度入団セレクション」のお知らせ], 一般社団法人コンサドーレ北海道スポーツクラブ, 2014年12月17日, 2016年9月12日閲覧。</ref> された。チーム名は一般公募により、[[ライラック]]の[[フランス語]]で『リラ』に決まる。花言葉は『pride(誇り)・beauty(美)』の意味を持つ<ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/03/03/kiji/K20150303009908590.html 誇り高く美しく J2札幌“妹分”名称は「北海道リラ・コンサドーレ」], スポニチ, 2015年3月3日付, 2016年9月12日閲覧。</ref>。2015年度より活動を開始<ref>[http://mainichi.jp/articles/20160510/ddl/k01/050/247000c 道女子リーグ 北海道リラ・コンサ 中学生チームが健闘 結成2季目、開幕戦で手ごたえ /北海道], 毎日新聞, 2016年5月10日付, 2016年9月12日閲覧。</ref> した([[#2014年|上述]])。設立当初は目標として『5年でなでしこリーグ参入』をかかげていたが、『時間をかけた育成』へ転換。セレクション等は行っているものの、現時点では設立以来外部からの補強は行われていない。 2016年度は、A(一軍)・Bチームに分かれて各リーグ戦に参加<ref>[http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/consa-club/2-0058844.html リラ・コンサ、道女子リーグ初戦 見せた気迫のプレー], 北海道新聞社, 2016年5月12日付, 2016年10月26日閲覧。</ref>。[[JFA 全日本U-15女子サッカー選手権大会|全日本女子ユース (U-15)サッカー選手権大会]]で全国規模の大会デビューを果たした。また、札幌市民体育大会サッカー大会(一般女子の部)にて初優勝し、チーム初のタイトル獲得となった。 2017年度は、所属選手の一部がU-16世代に入り、U-18カテゴリーの試合にも参加。Bチームが参戦している札幌なでしこリーグにて初優勝し、チーム初のリーグタイトル獲得となった。 2018年度は、北海道コンサドーレ札幌が、Jリーグクラブ初となる女子単独U-12チームを設立し札幌地区のカップ・リーグ戦に参加。このチームが将来的に当チームの下部組織的な役割を果たす事が期待されている。 2019年度は、社会人世代が加入し、初めて全世代が揃う事となった。 2020年度は、皇后杯北海道予選で2位となったものの、優勝チームの出場辞退による代替出場チームとなり、これが皇后杯初出場となった<ref name="Hokkaido-Womens-League-2020" group="注" />。 2021年度は、[[2021 日本女子サッカーリーグ#なでしこリーグ2部入替戦予選大会|なでしこリーグ2部入替戦予選大会]]へ初参加し、上位リーグへの挑戦をスタート<ref>{{Cite web|和書|title=【2021プレナスなでしこリーグ2部入替戦予選大会】大会結果のお知らせ|publisher=コンサドーレ北海道スポーツクラブ|url=https://chsc.jp/news/2021/09/001674.html|date=2021-09-27|accessdate=2021-10-22}}</ref>。 ==== スタッフ・所属選手 ==== {{表5列| ; 監督 * {{Flagicon|JPN}} 宗像訓子(2015年 - 2017年) * {{Flagicon|JPN}} 浮田あきな(2018年 - 2021年) * {{Flagicon|JPN}} 佐々木滋(2022年 - 現在) | ; コーチ * {{Flagicon|JPN}} 佐々木滋(U15担当、2015年 - 2021年) * {{Flagicon|JPN}} 藤村茉由(U15担当、2022年) * {{Flagicon|JPN}} 林穂乃花(U15担当、2023年 - 現在) | ; GKコーチ * {{Flagicon|JPN}} 今岡亮介(2016年 - 現在) | ; ダイレクター * {{Flagicon|JPN}} 北原次郎(2020年 - 2021年) * {{Flagicon|JPN}} 浮田あきな(2022年 - 現在) * {{Flagicon|JPN}} 河合竜二(SD、2022年 - 現在) | ; 所属選手 {{Main2|[http://chsc.jp/lira/ 選手一覧]}} }} ==== 成績 ==== {| class="wikitable" style="font-size:smaller; text-align:center; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |年度||リーグ||チーム数||試合||勝点||勝||分||敗||順位||[[皇后杯全日本女子サッカー選手権大会|皇后杯]]||他公式戦||監督 |- |2015 |札幌地区||8||7||'''18'''||6||0||1||bgcolor="silver"|2位<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sfa-net.jp/taikai/women/2015_Nadesiko_kekka.pdf|archiveurlarchivedate=2016-08-27|title=平成27年度 第10回 札幌なでしこリーグ(第32回札幌女子サッカーリーグ) 結果|publisher=札幌地区サッカー協会|accessdate=2016-08-27}}</ref>||rowspan="5"|-||rowspan="6"|-||rowspan="3" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 宗像訓子 |- |2016 |rowspan="8"|[[北海道女子サッカーリーグ|北海道]]||rowspan="2"|6||rowspan="2"|10||'''6'''||2||0||8||rowspan="2"|5位 |- |2017||'''6'''||2||0||8 |- |2018||7||9||'''16'''||5||1||3||bgcolor="#deb678"|3位||rowspan="4" style="text-align:left;"|{{Flagicon|JPN}} 浮田あきな |- |2019||rowspan="5"|6||10||'''12'''||3||3||4||4位 |- |2020||3||-||2||0||1||bgcolor="silver"|2位<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hfa-dream.or.jp/wp-content/uploads/2020/09/2020090104-01.pdf|archiveurl=https://megalodon.jp/ref/2020-0924-1440-42/https://www.hfa-dream.or.jp:443/wp-content/uploads/2020/09/2020090104-01.pdf|archivedate=2020-09-24|title=2020年度 第15回北海道女子サッカーリーグ 兼 皇后杯 JFA 第42回全日本女子サッカー選手権大会北海道大会 結果|publisher=北海道サッカー協会|accessdate=2020-11-04}}</ref>{{refnest|2020年の北海道女子サッカーリーグは、皇后杯予選を兼ねる[[ノックアウトトーナメント]]として実施された<ref>{{Cite web|和書|title=第15回北海道女子サッカーリーグ 兼 皇后杯 JFA 第42回全日本女子サッカー選手権大会北海道大会 開催要項|publisher=[[北海道サッカー協会]]|url=https://www.hfa-dream.or.jp/wp-content/uploads/2020/03/2020071301.pdf|archiveurl=https://megalodon.jp/ref/2020-0713-1527-55/https://www.hfa-dream.or.jp:443/wp-content/uploads/2020/03/2020071301.pdf|archivedate=2020-07-13|accessdate=2020-11-04}}</ref>。皇后杯の出場権を得ていた[[札幌大学サッカー部#その他|札幌大学ヴィスタ]]が出場を辞退したため、予選で次点のチームとして皇后杯に出場することとなった<ref>{{Cite web|和書|title=出場チーム変更のお知らせ 皇后杯 JFA 第42回全日本女子サッカー選手権大会|publisher=[[日本サッカー協会]]|url=http://www.jfa.jp/match/empressscup_2020/news/00025803/|date=2020-11-25|accessdate=2020-11-30}}</ref>。|name=Hokkaido-Womens-League-2020|group=注}}||[[皇后杯 JFA 第42回全日本女子サッカー選手権大会#1回戦|1回戦敗退]]<ref name="Hokkaido-Womens-League-2020" group="注" /> |- |2021||rowspan="3"|10||'''8'''||2||2||6||5位||rowspan="3"|-||[[2021 日本女子サッカーリーグ#なでしこリーグ2部入替戦予選大会|なでしこリーグ2部入替戦予選大会]]<br>グループリーグ敗退 |- |2022||'''18'''||5||3||2||bgcolor="silver"|2位||[[2022 日本女子サッカーリーグ#なでしこリーグ2部入替戦予選大会|なでしこリーグ2部入替戦予選大会]]<br>グループリーグ敗退||rowspan="2"|{{Flagicon|JPN}} 佐々木滋 |- |2023||'''19'''||6||1||3||bgcolor="silver"|2位||[[2023 日本女子サッカーリーグ#なでしこリーグ2部入替戦予選大会|なでしこリーグ2部入替戦予選大会]]<br> |} ''最高成績を記載'' ; 全国大会 * [[JFA 全日本U-18女子サッカー選手権大会]] ** 1回戦敗退:2018年、2020年 * [[JFA 全日本U-15女子サッカー選手権大会]] ** ベスト8:2018年 ; 交流大会 * JCYレディースサッカーフェスティバル ** 準優勝:2016年 * 北海道女子サッカーフェスティバル ** 3位:2015年 * XF CUP 日本クラブユース女子サッカー大会(U-18) ** グループステージ敗退:2019年、2023年 ; リーグ戦 * U-18女子サッカーリーグ北海道1部 ** 6位:2022年 * JFA U-15女子サッカーリーグ北海道 ** 優勝:2020年 - 2023年 ; フットサル * 全道フットサル選手権大会 女子の部 ** ベスト8:2016年 * 全道女子ユース(U-15)フットサル大会 ** 準優勝:2017年 <!--; カップ戦(札幌地区) * 札幌市民体育大会サッカー大会 ** 優勝:2016年、2017年、2019年 * 会長杯札幌女子サッカー大会 ** 優勝:2017年--> ==== 表彰 ==== ; 北海道女子サッカーリーグ * '''フェアプレー賞''': 2016年、2022年 * '''ベストイレブン''' ** 2016年:{{Flagicon|JPN}} 齊藤菜々香 ** 2017年:{{Flagicon|JPN}} 大谷理紗 ** 2018年:{{Flagicon|JPN}} 今立のどか ** 2019年:{{Flagicon|JPN}} 遠藤美音 ** 2021年:{{Flagicon|JPN}} 川端ありさ ** 2022年:{{Flagicon|JPN}} 遠藤美音、垣野令佳 ** 2023年:{{Flagicon|JPN}} 川端ありさ 、⼀ノ瀬茉⽉ ==== 世代代表選出選手 ==== ; U-16選抜 * {{Flagicon|JPN}} 伊藤楓夏(JENESYS U-17 Women’s Football Memorial Cup2023、3月16 - 21日) ; U-15選抜 * {{Flagicon|JPN}} 宮林桜生(EAFF U-15 Girls Tournament2017、4月16 - 20日) * {{Flagicon|JPN}} 川本美羽(EAFF U-15 Girls Football Festival2019、8月3 - 11日) ; U-14選抜 * {{Flagicon|JPN}} 今立のどか(AFC U-14 Girls Regional Championship2016、5月17日 - 22日) * {{Flagicon|JPN}} 川本美羽(CFA International Women’s Youth Football Tournament Weifang2018、8月22日 - 26日) ==== スポンサー ==== ; オフィシャルパートナー(2021年度時点) * 2015年から:美冬→ISHIYA(石屋製菓株式会社、2015年 - )、キレートレモン→SPORTS WATER(商品名、[[ポッカサッポロフード&ビバレッジ]])、[[アインファーマシーズ|アイングループ]] * 2020年から:[[三和シヤッター工業]] * 2021年から:Mizuno(ユニフォームサプライヤー) ===== 過去 ===== * 2015 - 2020年:Kappa(ユニフォームサプライヤー) === 北海道コンサドーレ札幌バドミントンチーム === [[2017年]][[4月8日]]、日本のプロサッカークラブとして初めて、『北海道コンサドーレ札幌[[バドミントン]]チーム』が発足した<ref>[http://www.hochi.co.jp/sports/ballsports/20170409-OHT1T50005.html コンサドーレにバドミントンチームが発足…S/Jリーグ入り誓う] - スポーツ報知(2017年4月9日)</ref><ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/20170428016/ バドミントンチーム発足のお知らせ] - 北海道コンサドーレ札幌・公式サイト(2017年4月10日)</ref>。監督は吉田仁。5月19日のメンバー追加を経て、9名の選手で活動を開始した<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/news/20170530144/ 北海道コンサドーレ札幌バドミントンチーム 新加入選手のお知らせ] - 北海道コンサドーレ札幌・公式サイト(2017年5月19日)</ref><ref>[http://chsc.jp/badminton/player.html 北海道コンサドーレ札幌バドミントンチーム・選手一覧](2017年5月20日閲覧。)</ref>。 9月24日、同じくJリーククラブを母体とする[[AC長野パルセイロ]]バドミントンクラブとの交流戦を開催<ref>[https://chsc.jp/news/2017/09/000626.html AC長野パルセイロ バドミントンクラブとの交流戦開催のお知らせ] 2017年9月1日</ref>。 2019年、2部リーグに当たるS/JリーグII昇格を決める<ref>[https://www.owl-fudosan.jp/owlmedia/about/post.shtml アウルは「北海道コンサドーレ札幌バドミントンチーム」を応援しています](2020年1月29日閲覧)</ref>。 ==== スタッフ・所属選手 ==== ; 監督 * {{Flagicon|JPN}} 吉田仁 ; 所属選手 * [http://chsc.jp/badminton/player.html 選手一覧] 参照 ==== 過去の主な所属選手 ==== * [[高階知也]] * [[竹内宏気]] ==== 成績 ==== ;2017年度 * 第67回全日本実業団バドミントン選手権大会2回戦 * 第71回[[全日本総合バドミントン選手権大会]]ダブルス予選2回戦(竹内宏気・大越泉) * チャレンジリーグ男子2部優勝 ;2018年度 * 第68回全日本実業団バドミントン選手権大会準々決勝 * 第61回全日本社会人バドミントン選手権大会シングルス4回戦(三枝力起) * チャレンジリーグ男子1部優勝 ;2019年度 * 第73回全日本総合バドミントン選手権大会 ** ダブルス本戦1回戦(大越泉・三浦將誓) ** シングルス本戦1回戦(三枝力起) ** 混合ダブルス本戦1回戦(大越泉・[[與猶くるみ]](ヨネックス)) * S/JリーグII準優勝 === 北海道コンサドーレ札幌カーリングチーム === {{カーリングチーム | 名前 = 北海道コンサドーレ札幌カーリングチーム | 文字色 = #fff; | 背景色 = #c00; | 枠線色 = #000; | 創設 = 2018年 (前身チームは2012年) | 所在地 = [[北海道]][[北見市]] | 施設 = [[北見市常呂町カーリングホール|アドヴィックス常呂カーリングホール]] | 五輪出場回数 = | 五輪出場大会 = | 五輪最高 = | 世界出場回数 = 2回 | 世界最高 = 4位 | 世界出場大会 = * {{WMCC|2019|}} * {{WMCC|2021|}} | W杯優勝回数 = | W杯優勝大会 = | PA出場回数 = 2回 | PA最高 = {{Gold medal}} ({{PACC|2018|}}) | PA出場大会 = * {{PACC|2018|}} * {{PACC|2019|}} | 冬季アジア出場回数 = | 冬季アジア最高 = | 冬季アジア出場大会 = | 所属地域 = 日本 | 国内優勝回数 = 3回 | 国内優勝大会 = * [[第36回日本カーリング選手権大会|2019]] * [[第37回日本カーリング選手権大会|2020]] * [[第38回日本カーリング選手権大会|2021]] | medals = {{Medal |Country |{{JPN}}}} {{Medal |Comp | {{PACC||パシフィックアジア選手権}} }} {{Medal |Gold | {{PACC|2018|2018 江陵}} | 4人制 }} {{Medal |Silver | {{PACC|2019|2019 深圳}} | 4人制 }} | 公式サイト = https://www.consadole-curling.jp/ | 更新日 = 2021年4月25日 }} 2018年8月1日、『北海道コンサドーレ札幌[[カーリング]]チーム』として発足<ref>{{Cite press release |和書 |title=北海道コンサドーレ札幌カーリングチーム発足会見実施報告 |url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/20180742638/ |date=2018-07-22 |accessdate=2018-07-29 }}</ref><ref name="press release">{{Cite press release |和書 |title=北海道コンサドーレ札幌カーリングチーム始動、「どうぎんカーリングクラシック2018」出場について |url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/20180842872/ |date=2018-08-01 |accessdate=2018-10-07 }}</ref>。 母体となる「4REAL」は2012年に札幌市で設立され<ref>{{Cite news |title=8月から運営基盤を移管 |url=https://denshobato.com/BD/N/page.php?id=109653 |newspaper=伝書鳩 |date=2018-07-21 |accessdate=2018-11-28 }}</ref>、2017年からは[[北見市]]移転し、同年と翌2018年に[[日本カーリング選手権大会|日本選手権]]準優勝を果たす<ref>{{Cite news|title=カーリング 男子日本選手権準優勝 「4REAL」北見に新拠点|url=http://sports.47news.jp/smp/sports/localsports/2017/08/600_940485.html|newspaper=[[47NEWS]]|date=2017-08-29|accessdate=2018-11-28|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181128164745/http://sports.47news.jp/smp/sports/localsports/2017/08/600_940485.html|archivedate=2018-11-28}}</ref>。 トリノ・バンクーバー五輪女子日本代表監督だった[[阿部晋也]]を始めとする同チームの4名に[[スポーツコミュニティー軽井沢クラブ|SC軽井沢クラブ]]の一員として平昌五輪に出場した[[清水徹郎]]が加入<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/sports/news/201808180000314.html|title=コンサドーレのカーリングチーム発足 北京五輪目標|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2018-08-18|accessdate=2023-09-30}}</ref>。練習拠点は引き続き北見のままする<ref>{{Cite news|title=コンサドーレ北海道が男子カーリングチーム設立 22年北京五輪目指す/北海道|url=https://mainichi.jp/articles/20180724/ddl/k01/050/132000c|newspaper=毎日新聞|date=2018-07-24|accessdate=2018-07-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180729141449/https://mainichi.jp/articles/20180724/ddl/k01/050/132000c|archivedate=2018-07-29}}</ref>。 チームの初戦は8月2日から5日まで開かれたどうぎんカーリングクラシック2018<ref name="press release" />。 [[2018年パシフィックアジアカーリング選手権大会|2018年パシフィックアジア選手権]]日本代表決定戦を制す<ref>{{Cite news|title=コンサドーレ、2連勝で日本代表に決定/カーリング|url=https://www.sanspo.com/sports/news/20181001/spo18100113200004-n1.html|newspaper=サンケイスポーツ|date=2018-10-01|accessdate=2018-10-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181007111745/https://www.sanspo.com/sports/news/20181001/spo18100113200004-n1.html|archivedate=2018-10-07}}</ref>。 パシフィックアジア選手権本大会でも日本男子として2年ぶりとなる優勝<ref>{{Cite news |title=カーリング、男子はコンサドーレ優勝 PA選手権 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK60458_Q8A111C1000000/ |newspaper=日本経済新聞 |date=2018-11-10 |accessdate=2018-11-28 }}</ref>。 [[第36回日本カーリング選手権大会|2019年日本選手権]]で4REAL時代含め初優勝<ref>{{Cite news |title=カーリング 日本選手権 男子、コンサ初V 堅実な攻守で圧倒「世界の舞台で力発揮」 /北海道 |url=https://mainichi.jp/articles/20190219/ddl/k01/050/073000c |newspaper=毎日新聞 |date=2019-02-18 |accessdate=2019-02-24 }}</ref>。 同年、初出場となる[[2019年世界男子カーリング選手権大会|世界選手権]]で3位決定戦で敗れメダルを逃すも2016年大会(SC軽井沢クラブ)と並ぶ日本男子最高タイとなる4位<ref>{{Cite news|title=コンサドーレ、3位決定戦で敗れ4位「悔しい」/カーリング|url=https://www.sanspo.com/sports/news/20190408/spo19040807280001-n1.html|newspaper=SANSPO.COM|date=2019-04-08|accessdate=2019-04-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190414091953/https://www.sanspo.com/sports/news/20190408/spo19040807280001-n1.html|archivedate=2019-04-14}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASM482FP8M48KTQ2004.html|title=カーリング男子、初のメダル逃す 世界選手権4位|newspaper=朝日新聞デジタル |date=2019-04-08|accessdate=2019-04-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190411054400/https://www.asahi.com/articles/ASM482FP8M48KTQ2004.html|archivedate=2019-04-11}}</ref>。セカンド[[谷田康真]]は大会オールスターに選ばれた<ref>{{Cite news|title=コンサドーレ・谷田がオールスター選出「結果が認められているのがうれしい」/カーリング|url=https://www.sanspo.com/sports/news/20190408/spo19040820560008-n1.html|newspaper=SANSPO.COM|date=2019-04-08|accessdate=2019-04-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190414091957/https://www.sanspo.com/sports/news/20190408/spo19040820560008-n1.html|archivedate=2019-04-14}}</ref>。 ==== スタッフ・所属選手 ==== ; 所属選手 * [[清水徹郎]](フォース) * [[大内遥斗]](サード) * [[阿部晋也]](セカンド・スキップ) * [[鈴木実倫]](リード) * [[敦賀爽太]](リザーブ) ; 過去の所属選手 * [[松村雄太]] * [[谷田康真]] * [[相田晃輔]] ==== 成績 ==== ; 2018–19シーズン * {{PACC|2018|パシフィックアジア選手権}}:優勝 * [[2018-19 カーリング・ワールドカップ 第2節|ワールドカップ 第2節]]:予選敗退 * ワールドカーリングツアー(WCT)軽井沢国際:準優勝 * [[第36回日本カーリング選手権大会|日本選手権]]:優勝 * {{WMCC|2019|世界選手権}}:4位 * [[グランドスラム・オブ・カーリング|グランドスラム]](GSOC)チャンピオンズカップ:予選敗退 ; 2019–20シーズン * [[2019年どうぎんカーリングクラシック|WCTどうぎんクラシック]]:優勝 * {{PACC|2019|パシフィックアジア選手権}}:準優勝 * GSOCナショナル:予選敗退 * [[2019年軽井沢国際カーリング選手権大会|WCT軽井沢国際]]:優勝 * [[第37回日本カーリング選手権大会|日本選手権]]:優勝 ; 2020–21シーズン * [[第38回日本カーリング選手権大会|日本選手権]]:優勝<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.curling.or.jp/competitions/jcc/2021/2021jcc-top.html |title=38回 全農 日本カーリング選手権 |website=日本カーリング協会 |date=2021 |access-date=2021-04-25 }}</ref> * {{WMCC|2021|世界選手権}}:9位<ref>{{Cite web |url=http://results.worldcurling.org/Championship/Details/676 |title=BKT Tires & OK Tire World Men’s Curling Championship 2021 |language=en |website=世界カーリング連盟 |date=2021 |access-date=2021-04-25 }}</ref> === コンサドールズ『月下美人』 === 60歳以上の女性によるシニアチアリーディングクラブ<ref>[http://chsc.jp/gekka/ コンサドールズ 『月下美人』]</ref>。当初は[[コンサドールズ]]とともに試合を盛り上げる単発イベントだったが、2011年より通年スクールとして開講。 === コンサドーレパートナーアスリート === 「北海道とともに世界へ」というスローガンを掲げ、このコンセプトに合致するサッカー以外の選手を「コンサドーレパートナーアスリート」と称してコンサドーレ北海道スポーツクラブが協力に当たる<ref>{{Cite web|和書|url=http://chsc.jp/news/2015/10/000256.html |title=トライアスリート細田 雄一選手  コンサドーレパートナーアスリート第一号決定のお知らせ |publisher=一般社団法人コンサドーレ北海道スポーツクラブ |date=2015-10-07 |accessdate=2017-07-12 }}</ref>。第一号はトライアスロンの細田雄一選手。 * [[細田雄一]]([[トライアスロン]]) * [[茅原悠紀]]([[競艇|ポートレース]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/20170428242/ |title=ボートレーサー 茅原悠紀 選手 パートナーアスリート決定のお知らせ |date=2017-04-16 |accessdate=2019-02-11 }}</ref> * [[加藤条治]]([[スピードスケート]])<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.consadole-sapporo.jp/news/20171034689/ |title=スピードスケート 加藤条治選手 パートナーアスリート決定のお知らせ |date=2017-10-14 |accessdate=2019-02-11 }}</ref> * [[孫崎百世]](ボートレース、釧路市出身)<ref>{{cite news |title=孫崎百世 コンサドーレ魂から“後押し” |url=https://www.daily.co.jp/horse/boatrace/momoiro/2018/04/13/0011184253.shtml |newspaper=デイリースポーツ |date=2018-04-13 |accessdate=2019-02-11 }}</ref> == 国際試合 == {{main|北海道コンサドーレ札幌の年度別成績一覧#国際試合}} 2011年6月に[[札幌市]]の姉妹都市の[[大田広域市]]で開催された「It's Daejeon国際サッカー大会」に出場。本大会がクラブ初の国際試合となる。<ref>{{Cite web|和書|publisher=J's GOAL|date=2011-06-10|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00120246.html|title=【J2日記】札幌:It's Daejeon|accessdate=2014-02-03}}</ref> * 親善試合 [[2017年]][[7月]]に[[タイ王国|タイ]]で[[ムアントン・ユナイテッドFC|ムアントン]]と親善試合を行った。試合は1-0で敗北した。なお、[[チャナティップ・ソングラシン|チャナティップ]]は前半は札幌の選手として後半は[[ムアントン・ユナイテッドFC|ムアントン]]の選手として出場した。 == 提携クラブ == * {{Flagicon|THA}} [[コーンケンFC]] (2013年締結) * {{Flagicon|VNM}} [[ドンタム・ロンアンFC]] (2013年締結) * {{Flagicon|IDN}} [[アレマ・インドネシアFC|アレマ クロノスFC]] (2014年締結) * {{Flagicon|MYS}} [[ジョホール・ダルル・タクジムFC]] (2016年締結<ref>{{Cite web|和書|publisher=株式会社コンサドーレ|date=2016-04-25|url=http://www.consadole-sapporo.jp/news/20160415154/|title=Johor Darul Ta’zim(ジョホール・ダルル・タクジム)FC (マレーシア・スーパーリーグ) とのクラブ間提携 締結のお知らせ|accessdate=2016-04-26}}</ref>) * {{Flagicon|BEL}} [[シント=トロイデンVV]] (2019年締結<ref>[https://www.consadole-sapporo.jp/news/20190450678/ シント=トロイデンVV、株式会社コンサドーレの業務提携締結] (2019年4月19日) 株式会社コンサドーレ 2019年4月20日閲覧。</ref>) == クラブ経営 == === 北海道と札幌市からの融資と補助金 === 1998年、北海道と札幌市からそれぞれ5億円の融資を受けた<ref name="consa_keiei">{{Cite web|和書|pdf |url=http://www.hkk.or.jp/kouhou/file/no518_contribution.pdf |title=コンサドーレ札幌、この10年の軌跡 |author=北海道新聞情報研究所 専任研究員 僧都儀尚 |accessdate=2017-02-12}}</ref>。 1999年に、札幌市から毎年9000万円の[[補助金]]が開始された。2001年には、札幌ドームの年間3000万円近くする使用料を札幌市が負担し、補助金を間接的に受けるかたちとなった。2000年には、北海道からの補助金が開始された。北海道からの補助金は、2000年から2007年は毎年1億円、2008年からは毎年減少して2015年は6600万円となった<ref name="consa_keiei" />。 === 2008年の減資と2012年の増資 === 2008年5月に、債務超過解消に向けて約20.5億円の減資を実施し、あわせて増資により2億8421万円の資金を調達した。その結果、債務超過が解消された<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/wp-content/uploads/2015/05/yukashoken-h2006.pdf 平成20年6月期半期報告書] 北海道フットボールクラブ株式会社 2017年2月12日閲覧</ref>。 同年4月28日付けで札幌市は、コンサドーレ札幌についての住民監査請求を受けている。その中で、貸付金や補助金等に係る札幌市の支出額全額(貸付金と補助金の合計で約17億円)が損害にあたるという主張がされた<ref>[https://www.city.sapporo.jp/kansa/f02keka/documents/jy200410.pdf 減資に関する請求「住民監査請求監査結果」] 札幌市 2017年2月12日閲覧。</ref>。監査請求の回答書には、全国のJリーグ31チームのうち21チームが自治体から補助金を受け、2007年だけの総額で約7億円が自治体からJリーグに補助金として支出されていることが記載された。 2012年、債務超過を解消するため8070万円の増資を行った<ref>[http://www.consadole-sapporo.jp/wp-content/uploads/2015/05/yukashoken-h2412.pdf 平成24年12月期有価証券報告書] 株式会社北海道フットボールクラブ 2017年2月12日閲覧。</ref>。 === Jリーグライセンスへの対応 === [[Jリーグクラブライセンス制度|Jリーグライセンス]]で2014年末時点で債務超過がないことがリーグ戦参加資格の財務基準となり、超過債務状態のコンサドーレ札幌は2013年9月30日付けで、2014年度末までに債務超過を解消する方法についてJリーグクラブライセンス事務局に具体的に提出することが求められた<ref>{{Cite press release|和書|date=2013-09-30|url=http://www.jleague.jp/release/article-00005359/ |title=クラブライセンス交付第一審機関(FIB)による 2014シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について|publisher=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2016-1-31}}</ref>。その後、コンサドーレ札幌は2013年度と2014年度の2年連続で単年度黒字を達成し、債務超過も解消した<ref>{{cite news |newspaper=日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/1452598.html |title=札幌が定時株主総会で債務超過解消を報告 |date=2015-03-27 |accessdate=2017-02-12}}</ref>。 === 決算 === ==== 損益 ==== {| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:right; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |年度 ||所属 ||{{abbr|収入|営業収入}} ||広告料 ||入場料 ||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} ||物販 ||その他 ||{{abbr|費用|営業費用}} ||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} ||{{abbr|管理費|一般管理費}} ||{{abbr|利益|営業利益}} ||{{abbr|純利益|当期純利益}} ||出典 |- |style="font-weight:bold;" |1996 ||align="center"|JFL ||style="background-color:wheat"|465 || || || || || ||style="background-color:wheat"|1,257 || || ||style="background-color:wheat"|-792 ||style="background-color:wheat"|-793 ||rowspan="9" align="center"|<ref name="kessan1">{{Cite web|和書|pdf |url=http://www.hkk.or.jp/kouhou/file/no518_contribution.pdf |title=コンサドーレ札幌、この10年の軌跡 |author=北海道新聞情報研究所 専任研究員 僧都儀尚 |accessdate=2017年2月12日}}</ref><ref>月刊コンサドーレ 5月号 2001年 p26</ref><ref>月刊コンサドーレ 5月号 2002年 p30</ref><ref>[https://www.consadole-sapporo.jp/wp-content/uploads/2015/05/kyouka.pdf コンサドーレ強化計画] コンサドーレ札幌 p10</ref><ref>月刊コンサドーレ 5月号 2005年 p30</ref> |- |style="font-weight:bold;" |1997 ||align="center"|JFL ||style="background-color:wheat"|851 || || || || || ||style="background-color:wheat"|1,841 || || ||style="background-color:wheat"|-990 ||style="background-color:wheat"|-984 |- |style="font-weight:bold;" |1998||align="center"|J ||style="background-color:wheat"|1,088 ||332 ||421 || ||125 ||209 ||style="background-color:wheat"|1,669 ||843 ||307 ||style="background-color:wheat"|-581 ||style="background-color:wheat"|-970 |- |style="font-weight:bold;" |1999||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat"|1,047 ||331 ||303 || ||150 ||264 ||style="background-color:wheat"|1,415 ||642 ||226 ||style="background-color:wheat"|-368 ||style="background-color:wheat"|-215 |- |style="font-weight:bold;" |2000 ||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat"|1,192 ||397 ||420 || ||177 ||197 ||style="background-color:wheat"|1,358 ||545 ||216 ||style="background-color:wheat"|-166 ||style="background-color:wheat"|75 |- |style="font-weight:bold;" |2001||align="center"|J1 ||style="background-color:wheat"|1,867 ||517 ||710 || ||273 ||367 ||style="background-color:wheat"|1,936 ||798 ||257 ||style="background-color:wheat"|-69 ||style="background-color:wheat"|158 |- |style="font-weight:bold;" |2002 ||align="center"|J1 ||style="background-color:wheat"|1,794 ||570 ||711 || ||160 ||353 ||style="background-color:wheat"|2,016 ||853 ||196 ||style="background-color:wheat"|-222 ||style="background-color:wheat"|-87 |- |style="font-weight:bold;" |2003||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat"|1,572 ||416 ||481 ||242 ||133 ||301 ||style="background-color:wheat"|1,881 ||740 ||224 ||style="background-color:wheat"|-309 ||style="background-color:wheat"|-194 |- |style="font-weight:bold;" |2004 ||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat"|1,375 ||422 ||378 ||206 ||57 ||312 ||style="background-color:wheat"|1,235 ||318 ||202 ||style="background-color:wheat"|140 ||style="background-color:wheat"|357 |} {| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:right; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |年度 ||所属 ||{{abbr|収入|営業収入}} ||広告料 ||入場料 ||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} ||物販 ||その他 ||{{abbr|費用|営業費用}} ||事業費 ||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} ||{{abbr|管理費|一般管理費}} ||{{abbr|利益|営業利益}} ||{{abbr|純利益|当期純利益}} ||出典 |- |style="font-weight:bold;" |2005 ||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat" |1,254 ||404 ||403 ||173 ||- ||274 ||style="background-color:wheat" |1,391 ||1,202 ||498 ||188 ||style="background-color:wheat" |-136 ||style="background-color:wheat" |55 ||rowspan="6" align="center"|<ref name="kessan2">[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010] 各年度のJクラブ決算一覧 2017年11月12日閲覧。</ref> |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat" |1,177 ||445 ||358 ||113 ||101 ||261 ||style="background-color:wheat" |1,527 ||1,319 ||607 ||208 ||style="background-color:wheat" |-350 ||style="background-color:wheat" |-156 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat" |1,255 ||433 ||464 ||144 ||88 ||214 ||style="background-color:wheat" |1,442 ||1,214 ||537 ||228 ||style="background-color:wheat" |-187 ||style="background-color:wheat" |6 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||align="center"|J1 ||style="background-color:wheat" |1,618 ||605 ||520 ||261 ||106 ||232 ||style="background-color:wheat" |1,770 ||1,497 ||787 ||273 ||style="background-color:wheat" |-152 ||style="background-color:wheat" |-28 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat" |1,548 ||561 ||355 ||118 ||71 ||514 ||style="background-color:wheat" |1,683 ||1,437 ||699 ||246 ||style="background-color:wheat" |-135 ||style="background-color:wheat" |-42 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat" |1,132 ||440 ||305 ||107 ||65 ||280 ||style="background-color:wheat" |1,366 ||1,119 ||500 ||247 ||style="background-color:wheat" |-234 ||style="background-color:wheat" |-116 |} {| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:right; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |年度 ||所属 ||{{abbr|収益|営業収益}} ||広告料 ||入場料 ||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} ||{{abbr|育成|アカデミー}} ||物販 ||その他 ||{{abbr|費用|営業費用}} ||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} ||{{abbr|試合|試合関連経費}} ||{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} ||{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} ||{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} ||物販 ||{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} ||{{abbr|利益|営業利益}} ||{{abbr|純利益|当期純利益}} ||出典 |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat" |1,297 ||399 ||310 ||102 ||41 ||69 ||445 ||style="background-color:wheat" |1,383 ||513 ||205 ||166 ||56 ||0 ||67 ||443 ||style="background-color:wheat" |-86 ||style="background-color:wheat" |17||rowspan="12" align="center"|<ref name="kessan3">[https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017][https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdff 2018] [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-h31kaiji_1_20200731.pdf 2019] [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r2kaiji_1_20210729.pdf 2020] [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20220728.pdf 2021] [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20230526.pdf 2022] 各年度のJクラブ決算一覧 2021年5月28日閲覧。</ref> |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||align="center"|J1 ||style="background-color:wheat" |1,347 ||475 ||397 ||209 ||44 ||69 ||222 ||style="background-color:wheat" |1,468 ||495 ||254 ||176 ||58 ||0 ||71 ||485 ||style="background-color:wheat" |-121 ||style="background-color:wheat" |-38 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat" |1,071 ||432 ||330 ||103 ||54 ||77 ||152 ||style="background-color:wheat" |1,236 ||359 ||212 ||176 ||59 ||0 ||70 ||430 ||style="background-color:wheat" |-165 ||style="background-color:wheat" |6 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat" |1,328 ||589 ||390 ||103 ||31 ||90 ||215 ||style="background-color:wheat" |1,374 ||430 ||243 ||162 ||57 ||0 ||71 ||482 ||style="background-color:wheat" |-46 ||style="background-color:wheat" |47 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat" |1,420 ||613 ||424 ||100 ||20 ||101 ||263 ||style="background-color:wheat" |1,536 ||550 ||271 ||173 ||53 ||0 ||81 ||489 ||style="background-color:wheat" |-116 ||style="background-color:wheat" |3 |- |style="font-weight:bold;" |2016 ||align="center"|J2 ||style="background-color:wheat" |1,902 ||882 ||457 ||107 ||22 ||173 ||261 ||style="background-color:wheat" |1,978 ||703 ||285 ||205 ||63 ||0 ||142 ||580 ||style="background-color:wheat" |-76 ||style="background-color:wheat" |0 |- |style="font-weight:bold;" |2017 ||align="center"|J1 ||style="background-color:wheat" |2,676 ||1,070 ||622 ||488 ||25 ||183 ||288 ||style="background-color:wheat" |2,685 ||1,206 ||351 ||214 ||63 ||0 ||161 ||690 ||style="background-color:wheat" |-9 ||style="background-color:wheat" |33 |- |style="font-weight:bold;" |2018 ||align="center"|J1 ||style="background-color:wheat" |2,988 ||1,306 ||636 ||392 ||25 ||189 ||440 ||style="background-color:wheat" |3,233 ||1,502 ||327 ||268 ||168 ||0 ||143 ||825 ||style="background-color:wheat" |-254 ||style="background-color:wheat" |-165 |- |style="font-weight:bold;" |2019 ||align="center"|J1 ||style="background-color:wheat" |3,599 ||1,440||779||585||26||259||510||style="background-color:wheat" |3,826 ||1,698||376||261||68||0||188||1,235||style="background-color:wheat" |-227 ||style="background-color:wheat" |-149 |- |style="font-weight:bold;" |2020 ||align="center"|J1 ||style="background-color:wheat" |3,096 ||1,736||244||411||26||271||480||style="background-color:wheat" |3,487 ||1,614||211||269||58||0||189||1,146||style="background-color:wheat" |-391 ||style="background-color:wheat" |-271 |- |style="font-weight:bold;" |2021 ||align="center"|J1 ||style="background-color:wheat" |3,392 ||1,445||440||434||25||329||719||style="background-color:wheat" |3,705 ||1,660||313||287||50||0||258||1,137||style="background-color:wheat" |-313 ||style="background-color:wheat" |-19 |- |style="font-weight:bold;" |2022 ||align="center"|J1 ||style="background-color:wheat" |3,605 ||1,488||446||446||27||295||719||style="background-color:wheat" |3,576 ||1,814||504||444||187||0||239||939||style="background-color:wheat" |-909 ||style="background-color:wheat" |-717 |} <div style="font-size:small"> 金額の単位: 百万円 * 2005年から2010年の人件費は事業費に含まれる。 * 2016年は、決算日が12月31日がら1月31日へ変更となったため、13ヶ月の変則決算期間 </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円) |legend=凡例 |type=line |showSymbols=yes |colors=#0000aa, #00aa00, #ff8000 |y1Title=営業収益 |y2Title=営業費用 |y3Title=選手・チームスタッフ人件費 |x=1996, 1997, 1998, 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020 |y1=465, 851, 1088, 1047, 1192, 1867, 1794, 1572, 1375, 1254, 1177, 1255, 1618, 1548, 1132, 1297, 1347, 1071, 1328, 1420, 1902, 2676, 2988, 3599, 3096 |y2=1257, 1841, 1669, 1415, 1358, 1936, 2016, 1881, 1235, 1391, 1527, 1442, 1770, 1683, 1366, 1383, 1468, 1236, 1374, 1536, 1978, 2685, 3233, 3826, 3487 |y3= , ,843 ,642 ,545 ,798 ,853 ,740 ,318 , 498, 607, 537, 787, 699, 500, 513, 495, 359, 430, 550, 703, 1206, 1502, 1698, 1614 |yAxisMin=0 }} ==== 資産 ==== {| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:right; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |年度 ||純資産 ||累積損益 ||資本金 ||出典 |- |style="font-weight:bold;" |1996 ||-707 ||-793 ||1,500 ||rowspan="9" align="center"|<ref name="kessan1" /> |- |style="font-weight:bold;" |1997 ||-407 ||-1,777 ||2,184 |- |style="font-weight:bold;" |1998 ||-531 ||-2,747 ||2,216 |- |style="font-weight:bold;" |1999||-735 ||-2,960 ||2,226 |- |style="font-weight:bold;" |2000 ||-644 ||-2,890 ||2,243 |- |style="font-weight:bold;" |2001||-173 ||-2,730 ||2,556 |- |style="font-weight:bold;" |2002 ||-260 ||-2,820 ||2,556 |- |style="font-weight:bold;" |2003||-455 ||-3,010 ||2,556 |- |style="font-weight:bold;" |2004 ||-98 ||-2,650 ||2,556 |} {| class="wikitable" style="font-size:80%; text-align:right; border:double black; box-shadow: 4px 4px 4px #c00;" |- style="text-align:center; background-color:#c00; color:#fff; font-weight:bold;" |年度 ||総資産 ||総負債 ||純資産 ||累積損益 ||資本金 ||出典 |- |style="font-weight:bold;" |2005 ||1,126 ||1,168 ||-42 ||-2,598 ||2,556||rowspan="18" align="center"|<ref name="kessan2" /> <ref name="kessan3" /> |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||983 ||1,181 ||-198 ||-2,754 ||2,556 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||983 ||1,175 ||-192 ||-2,748 ||2,556 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||1,196 ||1,132 ||64 ||-731 ||795 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||1,022 ||1,001 ||22 ||-773 ||795 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||840 ||937 ||-97 ||-892 ||795 |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||847 ||927 ||-80 ||-875 ||795 |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||751 ||788 ||-37 ||-913 ||876 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||685 ||716 ||-31 ||-907 ||876 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||741 ||726 ||16 ||-860 ||876 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||693 ||674 ||18 ||-858 ||876 |- |style="font-weight:bold;" |2016 ||1,054 ||1,035 ||19 ||-857 ||876 |- |style="font-weight:bold;" |2017 ||1,394 ||942 ||452 ||-824 ||1,076 |- |style="font-weight:bold;" |2018 ||1,867 ||1,192 ||674 ||-988 ||1,287 |- |style="font-weight:bold;" |2019 ||1,906 ||1,381 ||525 ||-1,138 ||1,287 |- |style="font-weight:bold;" |2020 ||1,732 ||1,478 ||253 ||-1,410 ||1,287 |- |style="font-weight:bold;" |2021 ||1,953 ||1,718 ||235 ||-1,429 ||1,287 |- |style="font-weight:bold;" |2022 ||2,034 ||1,619 ||416 ||-2,146 ||1,736 |} <div style="font-size:small"> 金額の単位: 百万円 * 2016年は、決算日が12月31日がら1月31日へ変更となったため、13ヶ月の変則決算期間 </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円)|legend=凡例 |type=area |colors=#0000aa,#ff8000 |y1Title=総資産 |y2Title=純資産 |x=1996, 1997, 1998, 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020 |y1= , , , , , , , , , 1126, 983, 983, 1196, 1022, 840, 847, 751, 685, 741, 693, 1054, 1394, 1867, 1906, 1732 |y2=-707, -407, -531, -735, -644, -173, -260, -455, -98, -42, -198, -192, 64, 22, -97, -80, -37, -31, 16, 18, 19, 452, 674, 525, 253 |showSymbols=yes }} == メディア == === 雑誌 === *[[月刊コンサドーレ]] 毎月25日 [[道新スポーツ]]350円で販売 *オフィシャルガイドブック 毎年3月初旬 道新スポーツ1,200円で販売 === テレビ === *[[ほっとニュース北海道]]([[NHK札幌放送局]]) *[[今日ドキッ!]]内「Bravo!スポーツ」([[北海道放送]]) *[[どさんこワイド朝]]・[[どさんこワイド|どさんこワイド179]]内「GO!GO!コンサドーレ」([[札幌テレビ放送|札幌テレビ]]) *[[イチモニ!]]・[[イチオシ!!]]内「イチスポ」([[北海道テレビ放送|北海道テレビ]]) *[[みんテレ]]内「みんスポ」([[北海道文化放送]]) *[[コンサラボ]](北海道文化放送) *コンサにアシスト!([[テレビ北海道]]) *頂-ITADAKI-アスリート内「GO!コンサドーレ!!」([[ジェイコム札幌|J:COM札幌]]) *Challenge! Consadole([[スカパーJSAT|スカパー!]]) *[[KICK_OFF!_(テレビ番組)#各番組の詳細|KICK OFF! HOKKAIDO]](札幌テレビ) ;過去 *コンサ梟の穴(北海道放送) *[[のんのん。]](北海道放送) *[[[E]スポーツ|[E]スポーツ]](北海道放送) *VIVA!ジョカトーレ(北海道放送) *もっと!コンサドーレ→もっtotoコンサドーレ→もっと!コンサドーレ→スポーツどーむ(北海道放送) *[[特報!スポーツギア]]→[[スポーツどーむ北海道]](北海道放送) *朝からコンサドーレ(札幌テレビ) *[[勝利に乾杯!コンサドーレ]](札幌テレビ) *スポーツSpirits→D(どさんこ)スポーツ→[[ぞっこん!スポーツ]](札幌テレビ) *[[マハトマパンチ]](札幌テレビ) *on!コンサドーレ(北海道テレビ) *VIVA!コンサドーレ(北海道テレビ) *[[みんスポSATURDAY]](北海道文化放送) *[[サタすぽ]](北海道文化放送) *[[週刊コンサドーレ]]→[[スポーツワイド Fの炎〜SPORT HOKKAIDO〜]](北海道文化放送) *[[ファイコンEXP.]](北海道文化放送) *月曜サポスタ(J:COM札幌) === ラジオ === *[[コンサドーレライブスタジアム]](HBCラジオ) *[[朝刊さくらい]]内「コンサドーレ井戸端会議」(HBCラジオ) *[[GO!GO!サタデー (STVラジオ)#姉妹番組|GO!GO!コンサドーレ]]([[STVラジオ]]) *LOVE CONSADOLE([[エフエム北海道|AIR-G']]) *[[にーはち.スポーツ]](AIR-G') *CONSA Ole([[FM NORTH WAVE|FMノースウェーブ]]) *コンサドーレ GO WEST!([[らむれす|三角山放送局]]) *Radio CONSADOLE(三角山放送局) *Everyday, Smile!内「コンサタウン」([[エフエムとよひら|FMアップル]]) *WITH-CONSADOLE([[北海道綜合放送|エフエムしろいし With-S]]) *VIVA!コンサドーレ([[エフエムなかそらち|FM G'sky]]) ;過去 *フォルサ・コンサドーレ(AIR-G') *白い恋人Presents週刊コンサ・マニア!!(HBCラジオ) *トクラジ9(FMノースウェーブ) *コンサ!ラジオブログ([[さっぽろ村ラジオ]]) *炎のサポーター([[札幌コミュニティ放送局|ラジオカロスサッポロ]]) *熱狂!!コンサライブ(FMアップル) === 新聞 === *燃えろ!コンサドーレ [[平川弘]]の通信簿([[北海道新聞]]) === 音楽 === [[One Hokkaido Project]]「[[私たちの道]]」([[宮澤裕樹]]、[[荒野拓馬]]、[[進藤亮佑]]が参加、2019年、 WESS RECORDS)<ref>{{Cite web|和書|title=北海道の歌、参加歌手|One Hokkaido project|url=https://one-hokkaido.jp/artist/|website=one-hokkaido.jp|accessdate=2020-07-11}}</ref> === MV === One Hokkaido Project「私たちの道」(宮澤裕樹、荒野拓馬、進藤亮佑が参加)<ref>{{Cite web|title=YouTube|url=https://www.youtube.com/watch?v=L6OiwrgylzU|website=www.youtube.com|accessdate=2020-07-11}}</ref> == シーズン前キャンプ地 == チーム創設時から現在までのキャンプ地の変遷は以下のとおり。 {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="font-size:70%; width:100%" ! width="1000" style="background:#cc0000; color:#ffffff;" colspan="4" |キャンプ地及び対戦相手 |- style="text-align:center; background:#cc0000; color:#ffffff;" |'''年'''||width=140|'''キャンプ地'''||width=220|'''場所'''||'''対戦相手(勝敗)''' |- |rowspan="2"|1996||{{Flagicon|AUS|size=18px}}[[オーストラリア]]|| || |- |神奈川県[[横浜市]]|| || |- |rowspan="2"|1997||[[宮崎県]]綾町|| || |- |{{Flagicon|AUS|size=18px}}オーストラリア|| || |- |rowspan="3"|1998||{{Flagicon|MEX|size=18px}}[[メキシコ]]|| ||style="text-align:left"|{{Flagicon|MEX|size=18px}}プエブラユース(2-0○) |- |{{Flagicon|PAN|size=18px}}[[パナマ]]|| ||{{Flagicon|PAN|size=18px}}ラベ・ウニードス(2-0○)、 {{Flagicon|PAN|size=18px}}パナマリーグ選抜(2-1○) |- |[[静岡県]]|| || |- |rowspan="3"|1999||[[沖縄県]][[石垣市]]|| ||神戸(0-2●) |- |高知県春野町|| || |- |愛知県豊川市||シロキ工業SEGグラウンド|| |- |rowspan="3"|2000||{{Flagicon|AUS|size=18px}}オーストラリア|| ||{{Flagicon|AUS|size=18px}}キャンベラ選抜(3-3△)、 {{Flagicon|AUS|size=18px}}カンバーランド(6-0○)、V川崎(0-2●)、 {{Flagicon|AUS|size=18px}}サウスオーストラリア州選抜(1-0○)、 広島(1-0○)、 市原(2-0○) |- |静岡県|| || |- |宮崎県|| || |- |rowspan="3"|2001||{{Flagicon|AUS|size=18px}}オーストラリア|| || |- |静岡県[[御殿場市]]|| ||{{Flagicon|KOR|size=18px}}[[全北現代|全北]](2-2△)、 横浜FC(1-0○) |- |宮崎県|| || |- |rowspan="3"|2002||{{Flagicon|AUS|size=18px}}オーストラリア|| ||{{Flagicon|AUS|size=18px}}南オーストラリア州選抜(4-0○)、 {{Flagicon|AUS|size=18px}}アデレード・ブルーイーグルス(1-0○) 、 {{Flagicon|AUS|size=18px}}アデレードシティフォース(1-1△)、 東京V(0-0△) |- |宮崎県[[宮崎市]]||[[シーガイア]]||[[阪南大学サッカー部|阪南大学]](2-2△)、 {{Flagicon|KOR|size=18px}}[[城南FC|城南]](3-0○) 、 [[エストレーラ宮崎|宮崎]](4-4△)、 [[アイゴッソ高知|南国高知FC]](4-0○) |- |高知県[[高知市]]||春野運動公園陸上競技場|| |- |rowspan="2"|2003||{{Flagicon|AUS|size=18px}}オーストラリア|| || |- |[[鹿児島県]][[指宿市]]|| ||京セラ川内FC(2-0○)、 [[ヴォルカ鹿児島|鹿児島]](1-0○)、 [[鹿屋体育大学体育会サッカー部|鹿屋体育大学]](4-0○,3-0○) 、 本田技研(2-1○)、 福岡(1-1○)、 [[流通経済大学サッカー部|流通経済大学]](5-0○,3-0○) |- |rowspan="2"|2004||{{Flagicon|GUM|size=18px}}[[グアム]]|| ||{{Flagicon|GUM|size=18px}}グアム代表(7-0○)、 東京V(0-1●) |- |鹿児島県指宿市|| ||柏(0-1●,0-1●)、 名古屋(0-3●)、 [[SP京都FC|佐川印刷]](2-2△)、 本田技研(0-0△)、 [[静岡産業大学サッカー部|静岡産業大学]]2-0○) 、 新潟(0-1●) |- |rowspan="3"|2005||静岡県静岡市||[[J-STEP]]|| |- |鹿児島県指宿市|| ||京都(0-2●,0-1●)、 {{Flagicon|KOR|size=18px}}城南(1-1△,1-3●,1-1△)、 熊本(0-0△,0-0△,1-2●) |- |静岡県[[沼津市]]||[[愛鷹広域公園多目的競技場]]||磐田(2-1○,0-1●) |- |rowspan="3"|2006||宮崎県宮崎市||国際海浜エントランスプラザ||ホンダロック(6-3○)、 福岡(2-1○) 、 川崎(1-2●) 、 横浜FM(1-1△)、 甲府(2-3●) |- |[[熊本県]][[熊本市]]||[[熊本県民総合運動公園陸上競技場|KK WING]]||横浜FC(3-0○) 、 {{Flagicon|KOR|size=18px}}水原(0-2●) 、 熊本(8-2○) |- |鹿児島県[[薩摩町]]||インターナショナルゴルフリゾート京セラ||広島(2-3●)、 鹿屋体育大学(4-1○) 、 [[ヴォルカ鹿児島|鹿児島]](2-1○) |- |rowspan="3"|2007 |rowspan="2"|沖縄県国頭村||ふれあい広場|| |- |赤間総合運動公園|| |- |熊本県熊本市||KK WING||川崎(2-2△)、 {{Flagicon|KOR|size=18px}}城南(4-4△)、 {{Flagicon|KOR|size=18px}}水原(3-1○)、 甲府(1-1△)、 神戸(2-0○)、{{Flagicon|KOR|size=18px}}[[国民銀行 (韓国)|国民銀行]](2-2△)、 U-22日本代表(1-0○)、福岡(1-1△) 、[[三菱化成黒崎サッカー部|NW北九州]](2-2△) |- |rowspan="2"|2008||{{Flagicon|GUM|size=18px}}グアム||[[レオパレスリゾート・グアム]]||{{Flagicon|KOR|size=18px}}[[仁川ユナイテッドFC|仁川]](1-1△,2-2△)、 [[FC東京]](1-1△)、 大宮(0-2●)、 新潟(1-1△) |- |熊本県熊本市||KK WING||{{Flagicon|KOR|size=18px}}水原(0-4●)、 {{Flagicon|CHN|size=18px}}上海申花(2-2△,0-0△)、 鳥栖(0-1●,0-1●)、 福岡(3-2○)、 [[福岡大学サッカー部|福岡大学]](1-1△)、 熊本(2-1○) |- |rowspan="2"|2009||{{Flagicon|GUM|size=18px}}グアム||レオパレスリゾート・グアム||大宮(1-0○)、 神戸(2-2△) |- |熊本県熊本市||KK WING||清水(0-2●)、 {{Flagicon|KOR|size=18px}}浦項(3-2○,0-1●)、 FC東京(2-1○)、 NW北九州(2-1○) |- |rowspan="2"|2010||{{Flagicon|GUM|size=18px}}グアム||レオパレスリゾート・グアム||大宮(1-2●)、 柏(0-2●) |- |熊本県熊本市||KK WING||鹿屋体育大学(4-0○)、 神戸(1-2●)、 大分(2-2△) |- |rowspan="2"|2011||{{Flagicon|GUM|size=18px}}グアム||レオパレスリゾート・グアム||大宮(1-4●)、 柏(2-2△) |- |熊本県熊本市||KK WING||熊本(3-3△)、 仙台(0-4●)、 大分(3-2○) |- |rowspan="2"|2012||{{Flagicon|GUM|size=18px}}グアム||レオパレスリゾート・グアム||{{Flagicon|KOR|size=18px}}仁川(0-1●) |- |熊本県熊本市||KK WING||北九州(1-2●)、 [[関西大学体育会サッカー部|関西大学]](2-1○)、 福岡(0-0△) 、 大分(1-2●)、 鳥栖(4-0○)、 鹿屋体育大学(2-1○) |- |rowspan="2"|2013||北海道札幌市||[[サッポロ・イーワン・スタジアム]]|| |- |熊本県[[大津町]]||[[大津町運動公園球技場|大津町運動公園]]||[[レノファ山口FC|山口]](3-3△)、 {{Flagicon|KOR|size=18px}}水原(2-4●)、 長崎(1-0○)、 仙台(1-0○)、 金沢(0-0△)、 熊本(1-1△)、{{Flagicon|KOR|size=18px}}仁川(1-3●)、 福岡(2-1○)、 福岡大学(3-1○) |- |rowspan="2"|2014||沖縄県金武町||金武町陸上競技場||[[琉球大学]](5-0○) |- |熊本県熊本市||うまスタ/ラグビー場||熊本(3-0○)、 山形(0-2●)、 鳥栖(2-4●)、 福岡大学(1-1△)、 仙台(1-2●)、 福岡大学(0-0△)、 [[東海大学]](1-0○) |- |rowspan="2"|2015||沖縄県金武町||金武町陸上競技場||川崎(1-1△)、 [[岐阜経済大学]](9-2○)、 名古屋(0-5●) |- |熊本県大津町||大津町運動公園||町田(0-0△)、 長崎(1-2●)、 山口(3-0○)、 金沢(非公開) |- |rowspan="2"|2016||沖縄県金武町||金武町陸上競技場||[[Jリーグ・スカパー! 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プログレッシブ・ロック
プログレッシブ・ロック(英: Progressive rock)は、1960年代後半のイギリスに登場したロックのジャンルの1つ。進歩的、革新的なロックを意味する。世界ではプログ・ロック(「prog」または「prog rock」)、日本での一般的な略称は「プログレ」。代表的なグループには、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどがある。 プログレッシブ・ロックは、実験的・革新的なロックとして、それまでのシングル中心のロックから、より進歩的なアルバム志向のロックを目指した。1960年代後半に誕生し、全盛期は1970年代前半である。当初の進歩的・前衛的なロック志向から、一部のクラシック音楽寄りな音楽性が、復古的で古色蒼然としていると見られ、1970年代半ばから後半にかけて衰退したとされている。ピーター・バラカンはプログレッシブ・ロックの全盛期が短かかったことを指摘している。後年、マリリオン、アネクドテンなどの登場により、復活してきている。 プログレッシブ・ロックとは進歩的ロック、クラシック的ロック、アート・ロック、前衛ロック、実験的ロックなどの概念を包括したジャンルである。プログレッシブ・ロック・バンドはロックに、クラシックやジャズ、フォーク、地域音楽などを融合させた。 「アート・ロック」や「ニュー・ロック」、あるいは「シンフォニック・ロック」と呼ばれる場合もあるが、それぞれ微妙な差異を持ち、それらをプログレッシブ・ロックの一派に含めることもある。また、イギリス以外のイタリア、フランス、オランダ、ドイツ、北欧にも、有力なバンドが存在し、ユーロロックとも呼ばれた。 現在「progressive rock」は英語でも普通に使われている言葉である。省略形は「prog」。 日本におけるこの音楽用語の初出に関する一つの説として、1970年に発売されたピンク・フロイドの『原子心母/Atom Heart Mother』の日本盤のタスキに、「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」 (東芝EMIの石坂敬一が発案)というコピーが掲げられたのが初であるという説が有力とされる。 「プログレッシブ」とは、「進歩的」「先進的」「前衛的」というような意味だが、プログレッシブ・ロック・バンドという場合、そのアルバムや楽曲などには次のような特徴がある。 上記の特徴は、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエス、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、ジェネシスなどのバンドに見られる。ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどのプログレッシブ・ロック・バンドのメンバーは、イギリスの中流階級出身者が多かった。ピンク・フロイド以前の1967年ごろには、すでにムーディー・ブルース、プロコル・ハルム、ナイスらの一部の曲に、プログレッシブな曲調が見られた。フランク・ザッパらは、その音楽は十分に先進的、前衛的ながら、上記条件にあまり該当しないためにプログレッシブ・ロックにはカテゴライズされないこともあった。それらはアヴァンギャルド・ロックや実験音楽、アート・ロックなどの別のジャンルに含まれる。 上記のバンドのほかに、イギリスでは、ソフト・マシーンをはじめとするカンタベリー出身のジャズ・ロック・バンドが体系化したカンタベリー・ロックが登場した。さらに、1960年代から1970年代にかけてドイツで生まれた実験的な音楽を指すクラウトロックもプログレッシブ・ロックの一派とされる。一方、1970年代のアメリカでは、カンサスやボストン、ジャーニーなどが台頭し、アメリカン・プログレ・ハードというジャンルが登場し、ヒット曲を連発した。だが、このジャンルはコーポレート・ロック、産業ロックなどと英米、日本の音楽ジャーナリズム、ロック・ファンから批判された。1970年代後半、パンク、ニュー・ウェイヴの登場により、ハードロックやプログレなど既存の勢力はパンク勢から激しい攻撃を受けた。その結果、プログレは衰退していった。だが、のちにマリリオンらのネオ・プログレッシブ・ロックが現れ、再度注目されるようになっている。また、プログレッシブ・ロックの分野というよりもヘヴィメタルの分野に分類されるが、1990年代以降はドリーム・シアターなどによるプログレッシブ・メタルと呼ばれる音楽形態も生まれた。 プログレッシブという言葉を日本人が聞くとロックという言葉だけを連想するが、英語圏では「プログレッシブ・カントリー」や「プログレッシブ・ブルーグラス」など、気軽かつ頻繁に使用される。他にも、プログレッシブハウスやプログレッシブトランスというスタイルもクラブ・ミュージックのジャンルに存在する。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "プログレッシブ・ロック(英: Progressive rock)は、1960年代後半のイギリスに登場したロックのジャンルの1つ。進歩的、革新的なロックを意味する。世界ではプログ・ロック(「prog」または「prog rock」)、日本での一般的な略称は「プログレ」。代表的なグループには、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどがある。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "プログレッシブ・ロックは、実験的・革新的なロックとして、それまでのシングル中心のロックから、より進歩的なアルバム志向のロックを目指した。1960年代後半に誕生し、全盛期は1970年代前半である。当初の進歩的・前衛的なロック志向から、一部のクラシック音楽寄りな音楽性が、復古的で古色蒼然としていると見られ、1970年代半ばから後半にかけて衰退したとされている。ピーター・バラカンはプログレッシブ・ロックの全盛期が短かかったことを指摘している。後年、マリリオン、アネクドテンなどの登場により、復活してきている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "プログレッシブ・ロックとは進歩的ロック、クラシック的ロック、アート・ロック、前衛ロック、実験的ロックなどの概念を包括したジャンルである。プログレッシブ・ロック・バンドはロックに、クラシックやジャズ、フォーク、地域音楽などを融合させた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "「アート・ロック」や「ニュー・ロック」、あるいは「シンフォニック・ロック」と呼ばれる場合もあるが、それぞれ微妙な差異を持ち、それらをプログレッシブ・ロックの一派に含めることもある。また、イギリス以外のイタリア、フランス、オランダ、ドイツ、北欧にも、有力なバンドが存在し、ユーロロックとも呼ばれた。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "現在「progressive rock」は英語でも普通に使われている言葉である。省略形は「prog」。", "title": "詳細:歴史・定義" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "日本におけるこの音楽用語の初出に関する一つの説として、1970年に発売されたピンク・フロイドの『原子心母/Atom Heart Mother』の日本盤のタスキに、「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」 (東芝EMIの石坂敬一が発案)というコピーが掲げられたのが初であるという説が有力とされる。", "title": "詳細:歴史・定義" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "「プログレッシブ」とは、「進歩的」「先進的」「前衛的」というような意味だが、プログレッシブ・ロック・バンドという場合、そのアルバムや楽曲などには次のような特徴がある。", "title": "詳細:歴史・定義" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "上記の特徴は、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエス、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、ジェネシスなどのバンドに見られる。ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどのプログレッシブ・ロック・バンドのメンバーは、イギリスの中流階級出身者が多かった。ピンク・フロイド以前の1967年ごろには、すでにムーディー・ブルース、プロコル・ハルム、ナイスらの一部の曲に、プログレッシブな曲調が見られた。フランク・ザッパらは、その音楽は十分に先進的、前衛的ながら、上記条件にあまり該当しないためにプログレッシブ・ロックにはカテゴライズされないこともあった。それらはアヴァンギャルド・ロックや実験音楽、アート・ロックなどの別のジャンルに含まれる。", "title": "詳細:歴史・定義" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "上記のバンドのほかに、イギリスでは、ソフト・マシーンをはじめとするカンタベリー出身のジャズ・ロック・バンドが体系化したカンタベリー・ロックが登場した。さらに、1960年代から1970年代にかけてドイツで生まれた実験的な音楽を指すクラウトロックもプログレッシブ・ロックの一派とされる。一方、1970年代のアメリカでは、カンサスやボストン、ジャーニーなどが台頭し、アメリカン・プログレ・ハードというジャンルが登場し、ヒット曲を連発した。だが、このジャンルはコーポレート・ロック、産業ロックなどと英米、日本の音楽ジャーナリズム、ロック・ファンから批判された。1970年代後半、パンク、ニュー・ウェイヴの登場により、ハードロックやプログレなど既存の勢力はパンク勢から激しい攻撃を受けた。その結果、プログレは衰退していった。だが、のちにマリリオンらのネオ・プログレッシブ・ロックが現れ、再度注目されるようになっている。また、プログレッシブ・ロックの分野というよりもヘヴィメタルの分野に分類されるが、1990年代以降はドリーム・シアターなどによるプログレッシブ・メタルと呼ばれる音楽形態も生まれた。", "title": "詳細:歴史・定義" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "プログレッシブという言葉を日本人が聞くとロックという言葉だけを連想するが、英語圏では「プログレッシブ・カントリー」や「プログレッシブ・ブルーグラス」など、気軽かつ頻繁に使用される。他にも、プログレッシブハウスやプログレッシブトランスというスタイルもクラブ・ミュージックのジャンルに存在する。", "title": "詳細:歴史・定義" } ]
プログレッシブ・ロックは、1960年代後半のイギリスに登場したロックのジャンルの1つ。進歩的、革新的なロックを意味する。世界ではプログ・ロック、日本での一般的な略称は「プログレ」。代表的なグループには、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどがある。
{{Infobox Music genre | name = プログレッシブ・ロック<br />Progressive rock | bgcolor = #BB0022 | color = white | stylistic_origins = [[ロック (音楽)|ロック]]<br />[[ポップ・ミュージック]]<br />[[サイケデリック・ロック]]<br />[[ジャズ]]<br />[[フォークソング|フォーク]]<br />[[クラシック音楽]] | cultural_origins = [[1960年代]]後期 - {{GBR}} {{USA}} | derivatives = [[クラウトロック]]<br />[[ニューエイジ・ミュージック]]<br />[[ポストロック]]<br />[[シンフォニック・ロック]] | subgenres = [[カンタベリー・ロック]]<br />[[ネオ・プログレッシブ・ロック]]<br />[[ロック・イン・オポジション]]<br />[[マスロック]] | fusiongenres = [[アヴァン・プログ]]<br />[[プログレッシブ・メタル]]<br />[[プログレッシブ・フォーク]] | local_scenes = | regional_scenes = | other_topics = [[オルタナティヴ・ロック]]<br />[[スタジアム・ロック|アリーナ・ロック]]<br />[[コンセプト・アルバム]]<br />[[エクスペリメンタル・ロック]]<br />[[フォークロック]]<br />[[ハードロック]]<br />[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]<br />[[ポストパンク]]<br />[[プロト・プログ]]<br />[[ロック・オペラ]]<br />[[スペース・ロック]] }} '''プログレッシブ・ロック'''({{Lang-en-short|Progressive rock}})は、[[1960年代]]後半のイギリスに登場した[[ロック (音楽)|ロック]]のジャンルの1つ。進歩的、革新的なロックを意味する。世界ではプログ・ロック(「prog」または「prog rock」)、日本での一般的な略称は「'''プログレ'''」。代表的なグループには、[[ピンク・フロイド]]、[[キング・クリムゾン]]、[[イエス (バンド)|イエス]]<ref>http://www.allmusic.com/artist/yes-mn0000685647</ref>などがある。 == 概要 == プログレッシブ・ロックは、実験的・革新的なロックとして、それまでのシングル中心のロックから、より進歩的なアルバム志向のロックを目指した。1960年代後半に誕生し、全盛期は1970年代前半である。当初の進歩的・前衛的なロック志向から、一部のクラシック音楽寄りな音楽性が、復古的で[[古色蒼然]]としていると見られ、1970年代半ばから後半にかけて衰退した<ref group="注">「プログレッシブ・ロック入門」141ページ、プログレ評論家、船曳将仁の分析。プログ・ロックは1974年を境に急降下した。河出書房新社刊行</ref>とされている。[[ピーター・バラカン]]はプログレッシブ・ロックの全盛期が短かったことを指摘している。後年、[[マリリオン]]、[[アネクドテン]]<ref>http://www.allmusic.com/artist/anekdoten-mn0000696551</ref>などの登場により、復活してきている。 プログレッシブ・ロックとは進歩的ロック、クラシック的ロック、[[アート・ロック]]、前衛ロック、実験的ロックなどの概念を包括したジャンルである。プログレッシブ・ロック・バンドはロックに、[[クラシック音楽|クラシック]]や[[ジャズ]]、[[フォークソング|フォーク]]、地域音楽などを融合させた。 「[[アート・ロック]]」<ref>http://www.allmusic.com/subgenre/prog-rock-ma0000002798</ref>や「[[ニュー・ロック (音楽)|ニュー・ロック]]」、あるいは「[[シンフォニック・ロック]]」と呼ばれる場合もあるが、それぞれ微妙な差異を持ち、それらをプログレッシブ・ロックの一派に含めることもある。また、イギリス以外の[[イタリア]]、[[フランス]]、[[オランダ]]、[[ドイツ]]、北欧にも、有力なバンドが存在し、[[ユーロロック]]とも呼ばれた<ref>http://www.allmusic.com/subgenre/euro-rock-ma0000012305</ref>。 == 詳細:歴史・定義 == 現在「progressive rock」は英語でも普通に使われている言葉である。省略形は「prog」。 日本におけるこの音楽用語の初出に関する一つの説として、[[1970年]]に発売された[[ピンク・フロイド]]の『[[原子心母 (代表的なトピック)|原子心母]]/Atom Heart Mother』の日本盤のタスキに、「[[ピンク・フロイド]]の道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」 (東芝EMIの[[石坂敬一]]が発案<ref>http://www.tapthepop.net/extra/56100</ref>)というコピーが掲げられたのが初であるという説が有力とされる<ref group="注">「[[1968年]]に発売されたキャラヴァンの[[:en:Caravan (Caravan album)|セルフ・タイトルのデビュー・アルバム]]のライナーノーツにも"progressive rock"という言葉が出ている」という指摘があったが日本盤の発売は1982年になってからである。</ref>。 「プログレッシブ」とは、「進歩的」「先進的」「前衛的」というような意味だが、プログレッシブ・ロック・バンドという場合、そのアルバムや[[楽曲]]などには次のような特徴がある。 * 一部のバンドはアルバム全体を一つの作品とする概念([[コンセプト・アルバム]]<ref>http://www.urbandictionary.com/</ref>)も制作した * 大作・長尺主義傾向にある長時間の曲 * [[演奏]]技術重視で、[[器楽曲|インストゥルメンタル]]の楽曲も多い * 技巧的で複雑に構成された楽曲([[変拍子]]・[[転調]]などの多用) * [[クラシック音楽]]や[[ジャズ]]、あるいは[[現代音楽]]との融合を試みたものも多く、演奏技術を必要とする * [[シンセサイザー]]や[[メロトロン]]などといった、当時の最新テクノロジーを使用した楽器の積極的使用<ref>「プログレッシブ・ロック入門」河出書房新社</ref> * イギリスのバンドの場合、中流階級出身者が多かった<ref>http://www.bbc.co.uk/music/reviews/gncz/</ref> 上記の特徴は、[[ピンク・フロイド]]<ref>http://history.sakura-maru.com/progressive.html</ref>、[[キング・クリムゾン]]<ref group="注">デビュー作『[[クリムゾン・キングの宮殿]]』は[[全英アルバムチャート]]5位まで上昇したが、当時から雑誌のレコード・レビューなどで「1969年に、[[ビートルズ]]の『[[アビイ・ロード]]』を1位から転落させたアルバム」という内容で紹介される都市伝説もあった。</ref>、[[イエス (バンド)|イエス]]<ref group="注">オリジナル・メンバーは全員が中流階級出身。</ref>、[[エマーソン・レイク・アンド・パーマー]]<ref group="注">キング・クリムゾン、アトミック・ルースター、ナイスの3つのバンド出身者が結成。</ref>、[[ジェネシス (バンド)|ジェネシス]]<ref group="注">オリジナル・メンバーは全員、中流階級出身である。後に加入したフィル・コリンズは労働者階級出身。</ref>などのバンドに見られる。ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエスなどのプログレッシブ・ロック・バンドのメンバーは、イギリスの[[中流階級]]出身者が多かった。ピンク・フロイド以前の1967年ごろには、すでに[[ムーディー・ブルース]]、[[プロコル・ハルム]]、[[ナイス (バンド)|ナイス]]らの一部の曲に、プログレッシブな曲調が見られた<ref>http://www.allmusic.com/subgenre/prog-rock-ma0000002798  [[AllMusic]]</ref>。[[フランク・ザッパ]]らは、その音楽は十分に先進的、前衛的ながら、上記条件にあまり該当しないためにプログレッシブ・ロックにはカテゴライズされないこともあった。それらはアヴァンギャルド・ロックや[[実験音楽]]、アート・ロックなどの別のジャンルに含まれる。 上記のバンドのほかに、イギリスでは、[[ソフト・マシーン]]をはじめとするカンタベリー出身の[[ジャズ・ロック]]・バンドが体系化した[[カンタベリー・ロック]]が登場した。さらに、1960年代から1970年代にかけてドイツで生まれた実験的な音楽を指す[[クラウトロック]]もプログレッシブ・ロックの一派とされる。一方、1970年代の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では、[[カンサス (バンド)|カンサス]]や[[ボストン (バンド)|ボストン]]、[[ジャーニー (バンド)|ジャーニー]]などが台頭し、[[アメリカン・プログレ・ハード]]というジャンルが登場し、ヒット曲を連発した。だが、このジャンルはコーポレート・ロック、[[産業ロック]]などと英米、日本の音楽ジャーナリズム、ロック・ファンから批判された。1970年代後半、[[パンク・ロック|パンク]]、[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]の登場により、ハードロックやプログレなど既存の勢力はパンク勢から激しい攻撃を受けた。その結果、プログレは衰退していった<ref>『プログレッシブ・ロック入門』ロック・クラシック研究会著</ref>。だが、のちに[[マリリオン]]らの[[ネオ・プログレッシブ・ロック]]が現れ、再度注目されるようになっている。また、プログレッシブ・ロックの分野というよりも[[ヘヴィメタル]]の分野に分類されるが、1990年代以降は[[ドリーム・シアター]]などによる[[プログレッシブ・メタル]]と呼ばれる音楽形態も生まれた。 プログレッシブという言葉を日本人が聞くとロックという言葉だけを連想するが、英語圏では「プログレッシブ・カントリー」<ref group="注">オルタナ・カントリーと音楽家が重なる。[[スティーヴ・アール]]らが、このジャンルに含まれる</ref>や「プログレッシブ・ブルーグラス」<ref group="注">[[パンチブラザーズ]]がこのジャンルに属する。</ref>など、気軽かつ頻繁に使用される。他にも、プログレッシブ[[ハウス (音楽)|ハウス]]やプログレッシブ[[トランス (音楽)|トランス]]というスタイルもクラブ・ミュージックのジャンルに存在する。 == 地域、サブジャンルと主なアーティスト == <!--概略を記載するので、もし修正すべき点があれば、詳しい方の修正をお願いします。エッセイ的な文章は避けてください--> ;プログレ五大バンド :[[キング・クリムゾン]]、[[ピンク・フロイド]]、[[イエス (バンド)|イエス]]、[[ジェネシス (バンド)|ジェネシス]]、[[エマーソン・レイク・アンド・パーマー|エマーソン・レイク&パーマー(EL&P)]] ;[[イギリス]]のプログレの五大バンド以外の主なミュージシャン、バンド :[[ムーディー・ブルース]]、[[ジェントル・ジャイアント]]、[[ルネッサンス (バンド)|ルネッサンス]]、[[ストローブス]]、[[カーヴド・エア]]、[[ヴァン・ダー・グラフ・ジェネレーター]]<ref>http://britishrock.nomaki.jp/progrock/vdgg.html</ref>、[[バークレイ・ジェイムス・ハーヴェスト]]<ref>http://www.allmusic.com/</ref>、[[ダリル・ウェイ|ダリル・ウェイズ・ウルフ]]、[[ザ・ムーブ (バンド)|ザ・ムーブ]]、[[ジェイド・ウォリアー]]<ref>http://www.allmusic.com/artist/jade-warrior-mn0000105336</ref>、[[ファミリー (バンド)|ファミリー]]、[[キャメル (バンド)|キャメル]]、[[グリーンスレイド]]、[[クワイエット・サン]]、[[ジェスロ・タル]]、[[ホークウインド]]、[[マイク・オールドフィールド]]、[[ナイス (バンド)|ナイス]]、[[アトミック・ルースター]]、[[マイティ・ベイビー]]、[[アフィニティー (バンド)|アフィニティー]]、[[グリフォン (バンド)|グリフォン]]、[[ゴドレイ&クレーム]]、[[アラン・パーソンズ・プロジェクト]]<ref>http://www.allmusic.com/artist/alan-parsons-mn0000031274</ref>、[[UK (バンド)|U.K.]] ;[[カンタベリー・ロック]]の主なバンド :[[ソフト・マシーン]]、[[キャラヴァン (バンド)|キャラヴァン]]、[[ゴング (バンド)|ゴング]]、[[ハットフィールド・アンド・ザ・ノース]]、[[ナショナル・ヘルス]]、[[エッグ (バンド)|エッグ]]、[[ギルガメッシュ (イギリスのバンド)|ギルガメッシュ]]、[[ヘンリー・カウ]] :1960年代後半に[[カンタベリー]]で結成された[[ワイルド・フラワーズ]]を祖とする。複雑な変拍子や[[即興演奏]]を多用しジャズ・ロック色が強いものが、カンタベリー派の曲調の一つとされる。 ;[[チェンバー・ロック|チェンバー・ロックの主なバンド]] :[[サード・イアー・バンド]]、[[アート・ベアーズ]]<ref>http://www.allmusic.com/artist/the-art-bears-mn0000039350</ref>、[[ユニヴェル・ゼロ]]、[[アール・ゾイ]]、[[プレザン]]、[[アクサク・マブール]] :ロック以外のジャンルと結びつきが強いプログレのなかでも、とりわけ[[室内楽]]的なアプローチを大きく打ち出したジャンル。プログレッシブ・ロックと言っても、ロックの要素はあまりみられないことも多い。 ;[[シンフォニック・ロック|シンフォニック・ロックの主なバンド]] :[[エニド]] :キーボードや電子楽器を駆使し、プログレッシブ・ロックの壮麗な要素を強調した音像のバンド。エニドは、ほとんどクラシック音楽に聴こえる。 ;多国籍プログレの主なバンド :[[ツトム・ヤマシタ]]ズ・ゴー ;イタリアン・プログレの主なバンド :[[プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ|PFM]]、[[イ・プー]]、[[バンコ・デル・ムトゥオ・ソッコルソ]]、[[オザンナ]]、[[ゴブリン (バンド)|ゴブリン]]、[[ニュー・トロルス]]、[[アレア (バンド)|アレア]]、[[レ・オルメ]]、[[アルティ・エ・メスティエリ]]、[[オパス・アヴァントラ]]、[[ロヴェッショ・デッラ・メダーリャ]]、[[マクソフォーネ]]、[[イル・ヴォーロ]]、[[クエラ・ヴェッキア・ロカンダ]]、[[ロカンダ・デッレ・ファーテ]]、[[ラッテ・エ・ミエーレ]]、[[イル・バレット・ディ・ブロンゾ]]、[[チェルヴェッロ]]、ムゼオ・ローゼンバッハ ;フランスのプログレの主なバンド :[[ゴング (バンド)|ゴング]]、[[クリアライト]]、[[マグマ (バンド)|マグマ]]、[[アンジュ (バンド)|アンジュ]]、[[タイ・フォン (バンド)|タイ・フォン]]、[[アトール (バンド)|アトール]]、[[エルドン]]、[[ワパスー]]、[[ザオ (バンド)|ザオ]]、アジア・ミノール、サンドローズ ;[[北欧]]のプログレの主なバンド :[[アネクドテン]](スウェーデン)、[[サムラ・ママス・マンナ]](スウェーデン)、[[ザ・フラワー・キングス]](スウェーデン)、[[カイパ]](スウェーデン)、[[アングラガルド]](スウェーデン)、[[ウィグワム (バンド)|ウィグワム]](フィンランド) ;東欧のプログレの主なバンド :[[コラージュ (ポーランドのバンド)|コラージュ]](ポーランド)、[[SBB (バンド)|SBB]](ポーランド)、[[クィダム]](ポーランド)、[[アフター・クライング]](ハンガリー)、[[ソラリス (バンド)|ソラリス]](ハンガリー)、[[イースト (バンド)|イースト]](ハンガリー)、Blue Effect/MODRY EFEKT(チェコ)、SHESHET(イスラエル) :ベルリンの壁崩壊、東欧民主化以前は、ソ連製の音楽機材を使用しているバンドが多かった。 ;[[クラウトロック]](ジャーマン・プログレ)の主なミュージシャン、バンド :[[クラフトワーク]]、[[ヘルダーリン (バンド)|ヘルダーリン]]、[[ノイ!]]、[[タンジェリン・ドリーム]]、[[アモン・デュールII]]、[[アシュ・ラ・テンペル]]、[[カン (バンド)|カン]]、[[ファウスト (バンド)|ファウスト]]、[[グル・グル]]、[[ホルガー・シューカイ]]、[[スラップ・ハッピー]]、[[ノヴァリス]]、[[エロイ (バンド)|エロイ]]、[[エデン (バンド)|エデン]]、[[エンブリオ (バンド)|エンブリオ]]、[[ポポル・ヴー]] :ドイツのプログレで、実験的な音楽性を持つ。[[電子楽器]]の導入や[[ミニマル・ミュージック|ミニマル]]な曲展開を特徴とするバンドも多く、後の[[テクノポップ|テクノ音楽]]にも影響を与えた。 ;[[西欧]]、南欧のプログレの主なバンド :[[フォーカス (バンド)|フォーカス]](オランダ)、[[スーパーシスター (バンド)|スーパーシスター]](オランダ)、[[アース・アンド・ファイアー]](オランダ)、[[トレース (バンド)|トレース]](オランダ)、[[フィンチ (オランダのバンド)|フィンチ]](オランダ)、コーダ(オランダ)、[[カヤック (バンド)|カヤック]](オランダ)、[[アフロディテス・チャイルド]](ギリシャ)、[[サーカス (スイスのバンド)|サーカス]](スイス)、[[アイランド (バンド)|アイランド]](スイス)、[[イーラ・クレイグ]](オーストリア)、[[ユニヴェル・ゼロ]](ベルギー)、[[X-レッグド・サリー]](ベルギー)、ゴティック(スペイン) ;日本のプログレの主なミュージシャン、バンド :[[四人囃子]]、[[マジカル・パワー・マコ]]、[[ファー・イースト・ファミリー・バンド]]、[[コスモスファクトリー]]、[[ゴダイゴ]]、[[マンドレイク (バンド)|マンドレイク]]([[平沢進]])、[[ミスターシリウス]]、[[Pageant|ページェント]]、ヴァーミリオン・サンズ、マグダレーナ、プロビデンス(PROVIDENCE)、オーガスト、KBB、[[ZABADAK|ザバダック]]、[[金属恵比須]]、[[是巨人]]、[[美狂乱]]、[[SCOPE (バンド)|スコープ]]、[[ノヴェラ]]、[[ノヴェラ|シェラザード]]、[[KENSO]]、[[新●月]]、[[だててんりゅう]]、[[ASTURIAS|アストゥーリアス]]、[[難波弘之|SENSE OF WONDER]]、[[後藤忠司]]、[[人間椅子 (バンド)|人間椅子]]、[[Yuka & Chronoship]]、[[YBO2]]、[[ティポグラフィカ]]、[[高円寺百景]]、[[ルインズ]]、[[TERU'S SYMPHONIA]]、[[アウター・リミッツ (バンド)|アウター・リミッツ]]、[[夢幻 (バンド)|夢幻 ]]、[[ミダス (バンド)|ミダス]]、[[Ain Soph|アイン・ソフ]]、[[ALI PROJECT]]、[[THE ALFEE]]、[[石川浩司]]、[[凛として時雨]] ;[[北米]]のプログレの主なバンド :[[ラッシュ (カナダのバンド)|ラッシュ]](カナダ)、ハルモニウム(カナダ/ケベック)、[[クラトゥ]](カナダ)、[[マネイジュ]](カナダ)、[[パヴロフス・ドッグ]](アメリカ)、[[スターキャッスル]](アメリカ)、[[マハヴィシュヌ・オーケストラ]](アメリカ)、[[ハッピー・ザ・マン]](アメリカ)、[[ファイアーバレー]](アメリカ) ;[[南米]]のプログレの主なバンド :[[バカマルテ]](ブラジル)、[[サグラド・コラソン・ダ・テッラ]](ブラジル)、[[クルーシス]](アルゼンチン)、[[ミア (バンド)|ミア]](アルゼンチン)、アナクルーサ(アルゼンチン)、パブロ・エル・エンテラドール(アルゼンチン)、バナナ (アルゼンチン) 、エイヴ・ロック(アルゼンチン)、Rayuela(アルゼンチン) ;[[オセアニア]]のプログレの主なバンド :[[セバスチャン・ハーディー]](オーストラリア)、レインボー・シアター(オーストラリア) ;[[伝統音楽|トラッド]]・[[フォークソング|フォーク]]系の主なミュージシャン、バンド :[[ジェスロ・タル]]、[[フループ]]、[[アンソニー・フィリップス]]、アイオナ(イギリス) ;[[ニューエイジ・ミュージック|ニューエイジ]]系の主なバンド :[[マイク・オールドフィールド]]、[[ヴァンゲリス]]、[[冨田勲]]など ;[[ネオ・プログレッシブ・ロック]](ポンプ・ロックとも)の主なバンド :[[マグナム (バンド)|マグナム]]、[[マリリオン]]、[[ペンドラゴン (バンド)|ペンドラゴン]]、[[IQ (バンド)|IQ]]、[[アリーナ (バンド)|アリーナ]] :1980年代初頭に英国で生まれたロック・バンドの中で、[[キーボード (楽器)|キーボード]]を多用し1970年代プログレの音楽的要素を多く取り入れたバンドを指す。 ;[[前衛]]ロックの主なミュージシャン、バンド :[[フランク・ザッパ]]、[[キャプテン・ビーフハート]]、[[レジデンツ]]、[[巻上公一]]、[[ヒカシュー]]、[[大友良英]] :演奏技法で変拍子やリズムチェンジ・転調等、曲の複雑性・難解性を追求した。エキセントリック、フリーキーな音楽を演奏。 == 関連ジャンル == <!--エッセイ的な文章は避けてください--> ;[[ズール (音楽)|ズール]] :フランスの[[マグマ (バンド)|マグマ]]周辺のバンドやミュージシャンによる音楽がこれにあたる。独自の音楽形態を昇華してプログレとして扱われつつもひとつのジャンルに確立されたもの。 ;[[ジャズ・ロック]] :1970年前後にアメリカの[[ジャズ]]の[[マイルス・デイヴィス]]やイギリスのギタリスト、[[ジョン・マクラフリン]]らが伝統的な手法に縛られないエレクトリック・ジャズというスタイルを追求した。ロックでは英国人の[[ジェフ・ベック]]などが、ジャズ・ロックやフュージョンへのアプローチを見せていた。またイギリスのジャズ・ロックでは、[[イアン・カー]]の[[ニュークリアス (バンド)|ニュークリアス]]、[[マイク・ウェストブルック]]、[[ニール・アードレイ]]、[[ジョン・ハイズマン]]の[[コロシアム (バンド)|コロシアム]]など多くのアーティストがジャズとロックの融合に挑戦していた。([[ブライアン・オーガー]]などは1967年には[[ブライアン・オーガー・アンド・ザ・トリニティー|ザ・トリニティー]]を結成していた)なお、イタリアのジャズ・ロックでは、[[アレア (バンド)|アレア]]と[[アルティ・エ・メスティエリ]]が筆頭に挙げられる。 ;[[ハードロック]]、[[ヘヴィメタル]] :プログレが生まれた1970年代はハードロック・バンドのアルバム中に、プログレの曲が含まれることも多かった。[[レッド・ツェッペリン]]の「[[天国への階段 (レッド・ツェッペリンの曲)|天国への階段]]」や[[ユーライア・ヒープ]]の「七月の朝」などが、その代表的な例である。ツェッペリンの[[ジョン・ポール・ジョーンズ (ミュージシャン)|ジョン・ポール・ジョーンズ]]には、クラシック音楽の素養があった。ジョン・ポール・ジョーンズと[[ジミー・ペイジ]]は、中流階級出身者である。 ;[[シアトリカル・ロック]] :[[クイーン (バンド)|クイーン]]、[[ミートローフ (歌手)|ミートローフ]]、[[アリス・クーパー]]などのドラマ性のある大仰なロック。プログレにカテゴライズされないケースが多いが、プログレ的な要素として語られることがある。なお、プログレ的側面からこのように語られるバンドも普段は別のジャンル名で呼ばれる場合も多い。 ;[[アメリカン・プログレ・ハード]]、[[スタジアム・ロック|アリーナ・ロック]]、[[産業ロック]] :[[カンサス (バンド)|カンサス]]、[[ボストン (バンド)|ボストン]]、[[ジャーニー (バンド)|ジャーニー]]、[[スティクス (バンド)|スティクス]]、[[TOTO (バンド)|TOTO]]が有名で、コーポレート・ロック、産業ロックとも呼ばれている。米国のバンドが多いが、英国の[[エイジア]]、[[スーパートランプ]]も、このジャンルに属する。プログレの大仰で華やかな部分を押さえながら、難解さ・複雑さは少なく、商業主義的なポップ・ロックと言ってよい。 ;[[プログレッシブ・メタル]] :前述の通りプログレとHR/HMの融合は両者の隆盛期から行われてきたが、特に1980年代中盤にアメリカで結成された[[クイーンズライク]]、[[ドリーム・シアター]]、[[ペイン・オヴ・サルヴェイション]]、[[シンフォニー・エックス]]、[[フェイツ・ウォーニング]]らのバンド、及びそのフォロワーに使用されることが多い。ラッシュからの影響も指摘されている。元ドリーム・シアターの[[マイク・ポートノイ]]はフェイツ・ウォーニングが元祖であると述べている。 == 主な楽曲 == * 「[[クレイジー・ダイアモンド]]」 - [[ピンク・フロイド]] * 「[[21世紀のスキッツォイド・マン]]」 - [[キング・クリムゾン]] * 「[[ラウンドアバウト (曲)|ラウンドアバウト]]」 - [[イエス (バンド)|イエス]] * 「ナット・ロッカー」「[[タルカス]]」 - [[エマーソン・レイク・アンド・パーマー]] * 「サパーズ・レディ」 - [[ジェネシス (バンド)|ジェネシス]] == プログレッシブ・ロックのレコード・レーベル == {{seealso|w:Category:Progressive rock record labels}} {{Colbegin|2}} * [[アルカード・ミュージック]] (Alucard Music) * [[アンセム・レコード]] (Anthem Records) * [[アトコ・レコード]] (Atco Records) * [[バーニング・シェッド]] (Burning Shed) * [[カリスマ・レコード]] (Charisma Records) * [[クリサリス・レコード]] (Chrysalis Records) * [[キュニフォーム・レコード]] (Cuneiform Records) * [[ドーン・レコード]] (Dawn Records) * [[デラム・レコード]] (Deram Records) * [[キング・クリムゾン#独立レーベル「ディシプリン・グローバル・モービル」|ディシプリン・グローバル・モービル]] (Discipline Global Mobile) * [[DVSレコード]] (DVS Records) * [[EGレコード]] (E.G. 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川崎フロンターレ
川崎フロンターレ(かわさきフロンターレ、英: Kawasaki Frontale)は、日本の神奈川県川崎市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 1955年に富士通サッカー部として創部。1997年にJリーグ準会員に承認され、1999年にJリーグへ加盟。ホームスタジアムは中原区の等々力陸上競技場、練習場は麻生区の川崎フロンターレ麻生グラウンド。最前線で挑戦し続ける開拓精神を基軸としており、クラブ名も「フロンティアスピリッツ」が由来としている。エンブレムは川崎市の花 ツツジ、チームマスコット イルカ、チームカラーを基に、世界に向けて開かれた活力と、魅力ある臨海都市 川崎をシンボライズしたマークである。クラブマスコットは先進技術やスピードをモチーフとしているふろん太、カブレラ。ワルンタ 呼称に関しては、川崎市をホームタウンとするクラブで、Jリーグ公式サイトやDAZNのテロップ表記では「川崎F」の略称を用いている。Jリーグ創成期に東京ヴェルディ1969が等々力陸上競技場を本拠地とし、チーム呼称を「ヴェルディ川崎」としていた名残による物である。ただし、一部のスポーツ新聞(スポーツニッポン・日刊スポーツなど)を除き新聞のスコアテーブルなどでは「川崎」とだけ表記している。 1955年に創部された「富士通サッカー部」が前身であり、1972年に日本サッカーリーグへ昇格、1992年からジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加。1996年に「富士通川崎フットボールクラブ」へ改称し、11月21日に運営会社となる「富士通川崎スポーツマネジメント株式会社」を設立。 1997年にJリーグ準会員となり、名称が公募によって川崎フロンターレと決定された。 Jリーグ昇格条件の2位以内を目指すため、小浜誠二が事実上の責任者となる常務に就任。監督を富士通社員の城福浩からプロ契約の斉藤和夫へと交代し、選手では名古屋の中西哲生、平塚のベッチーニョ、横浜Fの桂秀樹、清水の向島建、横浜Mの小泉淳嗣等を獲得。 ブラジルのグレミオとの業務提携も発表した。現在のチームカラーが水色と黒なのは、グレミオのチームカラーを模した名残である。 最終成績は3位となり、勝ち点1差でJリーグ昇格を逃した。 ベットが監督に就任。鹿島から鬼木達が加わり、ヴァルディネイやツゥットなどのブラジル人FWが活躍した。前年は桐光学園高校からの新入団直後にグレミオにサッカー留学していた佐原秀樹も試合に出場し、社員選手でも川元正英や久野智昭がレギュラーでプレーした。準優勝となったが、J1参入決定戦1回戦の福岡戦でVゴール負けを喫し、Jリーグ ディビジョン2 (J2) への参入が決まった。 ベット体制2年目。元日本代表の岩本輝雄を獲得して同時に主将に据えた。リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第5節のヴァンフォーレ甲府戦に勝利した後、ベットを監督から解任。Jリーグカップ1回戦のG大阪戦 を挟み、第6節、4月18日の札幌戦から松本育夫に監督が交代した。松本に反発した岩本はやがてチーム構想から外されたが、岩本に代わって主将に就任した中西の起用や柏から途中加入したDF森川拓巳などが守備を安定させ、攻撃面ではブラジル人のティンガが活躍した。松本就任後のチームは順調に勝ち点を伸ばし、7月30日・第19節の大宮戦に勝利して首位に立ち、11月5日の鳥栖戦(等々力)に勝利し、J1昇格条件のJ2の2位以内が確定。11月8日にJ2優勝も決めた。 前年のJ1参入戦に続くこの年の戦いは中西が自身のホームページで日記として書き続け、シーズン終了後に『魂の叫び J2聖戦記』として出版された この年の開幕戦にチーム初のマスコットとしてふろん太を発表。5月には練習場が富士通南多摩グラウンドから、川崎市麻生区片平にある麻生グラウンド(旧・大東学園高等学校グラウンド)に移転。市内全体での広報活動を強化し、川崎市も市民後援会を発足させた。 松本が監督を退いて社長となり、後任としてヘッドコーチのゼッカが監督に就任。鹿島から奥野僚右、鈴木隆行、マジーニョ、鬼木達(再移籍)などを獲得。パラグアイ代表MFアルバレンガ、元日本代表FW森山泰行等が加入した。 シーズン途中にヘッドコーチの今井敏明が後任の監督に就任。第15節(最終節)のC大阪戦では我那覇和樹の得点と浦田尚希が延長Vゴールを決め、2 - 1で勝利してC大阪の優勝を阻止した 1stステージは16チーム中15位で終えた。シーズン2度目の監督交代で小林寛が就任した。ナビスコ杯決勝では鹿島に敗れて準優勝。リーグはJ2降格が決定した。 シーズン後には、監督小林の他、ゼネラルアドバイザー・杉本、社長・松本、副社長・小浜、奥野僚右、中西などがクラブを退団した。 ヴェルディ川崎が調布に移転したことで、川崎唯一のJ1チームとなった。 堀井美晴を監督、ピッタをコーチに迎え、前年にサンパウロFCから札幌へレンタル移籍していたエメルソンを完全移籍により獲得した。7月14日の第20節・甲府戦に引き分けた時点で8位。堀井を監督から解任し、石崎信弘を新監督に迎えた。新人DFの伊藤宏樹は出場停止の最終節を除く43試合に出場した。 シーズンは7位。第81回天皇杯はベスト4。 クラブ体制自体も一新され、富士通サッカー部のマネージャーや日本サッカーリーグの運営委員、富士通本社の部長などを務めてきた武田信平が前年12月から社長に、強化本部長(GM)に元富士通サッカー部監督の福家三男、強化部長に同サッカー部の元選手である庄子春男が就任し、福家と庄子が強化責任者となった。運営面では地域社会との関係強化が図られ、運営会社の商号が「株式会社川崎フロンターレ」へ変更され、川崎市や他企業、およびサポーター持株会などからの資本を受け入れた。また、クラブによる従来のファンクラブと、川崎市が組織していた川崎市民後援会が統合された。 石崎体制2年目。ベンチーニョ、マルキーニョや途中加入のマーロン、アレックスなどのブラジル人選手が攻撃を担った。リーグ戦は4位。第82回天皇杯はベスト8。 新加入の岡山一成は試合後にバックスタンドの前でサポーターからメガホンを借り、ビールケースの上に乗って観客に対する「マイクパフォーマンス」を度々行った。これは「岡山劇場」と呼ばれ、クラブ・チームとファン・サポーターの一体化に大きく貢献し、岡山の退団後もクラブの伝統として他選手や来賓・ゲストなどに引き継がれた。 石崎体制3年目。ブラジルのSEパルメイラスから獲得したFWジュニーニョが我那覇和樹とともに前線で活躍、また鹿島から移籍したDFアウグストも攻守にわたりチームをまとめ上げた。大宮からFWバルデスを獲得したが、シーズン途中に退団した。日本人の新加入選手では、大分からMF山根巌、中央大学からMF中村憲剛などが加わった。 リーグ最多の88得点、リーグ最少の7敗ながらリーグ最多タイの13引き分けと、最終的には2位と勝ち点1差の3位に終わり、J1昇格に失敗した。シーズン終了後にチームから、石崎の契約満了が発表された。第83回天皇杯ではベスト16に進出し、2回戦の国見高校戦(等々力)の後には選手やサポーターによる石崎の胴上げが行われた。 関塚隆が監督に就任。鹿島からDF相馬直樹、新潟から2年連続でJ2リーグ得点王のマルクスを補強した。リーグ戦では開幕直後から首位を独走し、9月26日・第36節の水戸戦(笠松)でマルクスの2ゴールにより2 - 1で勝利してJ2の2位以内によるJ1昇格が決まり、続く10月2日・第37節の横浜FC戦(等々力)にも勝利して5年ぶり2度目のJ2優勝が確定。シーズン最終成績も当時のJ2としては史上最多となる勝ち点105、2023年現在でもJ2のシーズン最多である得点104と、昇格後に設定した「ダブル・トリプル」の目標を達成。2位の大宮に当時としては最多となる18の勝ち点差をつけてJ2を制した。また、ジュニーニョは37得点を挙げてJ2得点王を獲得した。第84回天皇杯ではベスト16に入った。なお、この年のスローガン「Mind-1」は、2011年からの東日本大震災復興支援活動で再び利用されている。 関塚体制2年目。地域密着に更に力を入れるため、エンブレムからFUJITSUの企業名をはずす。 現有戦力をベースにし、若干名の補強選手を加えて臨んだが、終盤戦ではチーム新記録となる6連勝を記録。また、川崎市出身のDF箕輪義信が日本代表に選出された。鹿島、千葉、柏、東京V、磐田、名古屋から初勝利を挙げ、シーズン成績は8位となり、J1残留を果たした。天皇杯は2年ぶりにベスト8へ進出した。 関塚体制3年目。アウグストが退団、相馬・久野が現役を引退。マルコンを獲得。開幕となる新潟戦で我那覇和樹が日本人初の開幕戦ハットトリック などにより6 - 0、第2節の京都戦でもジュニーニョのハットトリックを含む7 - 2で勝利、開幕2試合で13得点のJリーグ新記録を打ち立てて好スタートを切り、2006 FIFAワールドカップ前の中断期間を暫定ながら首位で折り返した。中断期間中にマルクスが東京Vに移籍した一方、MFマギヌンを獲得した。 W杯終了後に日本代表に我那覇、続いて中村憲剛がそれぞれ初招集された。 リーグは2位。ジュニーニョ、我那覇、中村、谷口博之の4選手がリーグ戦で2桁得点を挙げ、シーズン84ゴール(リーグ1位)と前年にJリーグを制したG大阪が持っていた82ゴールを上回り、2回戦総当たりになった1996年以降では2位、延長戦が廃止された2003年以降のJ1シーズン最多得点記録となった。中村と谷口はJベストイレブンに選出。 前年の天皇杯で優勝し、既にAFCチャンピオンズリーグ (ACL) 出場権を得ている浦和がリーグ優勝を達成した為、規定によりAFCチャンピオンズリーグ2007への出場権を獲得した。 関塚体制4年目。シーズン前の練習試合で新加入のフランシスマールが左膝靱帯断裂の重傷を負った。 4月21日に埼玉スタジアム2002で行われた第7節では、浦和のホーム連続不敗のJリーグ記録を25試合で止めた。 4月23日、我那覇和樹が試合後に受けた疲労回復の静脈注射(点滴)がJリーグのドーピング(禁止薬物使用)規定違反と認定され、自粛期間を含めて公式戦6試合の出場停止、チームにも1000万円の罰金が課された。2008年にスポーツ仲裁裁判所で審理される事になったが、仲裁の結果は我那覇にドーピングの事実が認められないとされ、かつ、Jリーグ側に仲裁費用の負担を求める異例の裁定となった。 名古屋から獲得したGK川島永嗣は全34試合フル出場。プロ2年目の鄭大世が12得点し、ジュニーニョは22得点で得点王に輝き、リーグ2位の計66得点を挙げた。5位でシーズンを終了した。 AFCチャンピオンズリーグ2007は、グループリーグF組を1位で通過したが、準々決勝でセパハンにPK戦で敗退した。 また、9月23日のJ1第26節・柏戦(柏)で、セパハンとの第1戦から先発選手8人を入れ替えて臨んだ。Jリーグ専務理事(当時)の犬飼基昭 は「ベストメンバーの出場を求めた自分達への背信行為であってサポーターへの裏切り行為だ」と怒りを顕わにしたが、川崎側は当該試合の前にJリーグ事務局へ予めベストメンバー規定に抵触していない旨を事前確認していた。また犬飼の発言を受け、サポーター団体はクラブの選手起用を支持する弾幕を提示した。 ナビスコ杯は決勝でG大阪に敗れて準優勝。天皇杯はベスト4。 AFCアジアカップ2007に中村および川島が日本代表に選出。中村は決勝まで5試合連続で先発起用された。また、代表候補合宿には森勇介と黒津勝も初招集された。FW鄭大世も北朝鮮代表に初選出され、東アジアサッカー選手権2008予選大会で3試合8得点で得点王となり、翌年2月の本大会進出に貢献した。 関塚体制5年目。MFマギヌンが名古屋へ移籍。東京Vへ期限付き移籍していた吉原慎也、フッキらがチームに復帰し、千葉より山岸智を獲得。また、青山学院大学からMF田坂祐介、駒澤大学からMF菊地光将、早稲田大学からDF横山知伸、下部組織よりトップチームへ昇格のDF吉田勇樹らが加入。 起用法を不満としたフッキが4月2日に退団、東京Vへ完全移籍した。罹患していた持病の不整脈の悪化もあり、関塚が検査入院のため離脱。同月24日に監督を辞任。ヘッドコーチの高畠勉が監督に昇格した。 一方、5月27日には我那覇和樹が、スポーツ仲裁裁判所 (CAS) にJリーグが科した処分(ドーピング禁止規定違反)の取り消しを求めた問題で、スポーツ仲裁裁判所は我那覇の訴えを認める裁定を下した(ただし、Jリーグ側は誤訳を盾に我那覇本人、及び当時のチームドクターへの正式な謝罪は未だ行われていない)。 6月21日には箕輪義信を札幌へ期限付きで放出し、7月8日にはサントスFCのMFヴィトール・ジュニオールを期限付移籍で獲得。7月29日にはFW都倉賢を草津に期限付きで放出、8月5日にはサントスのFWレナチーニョを期限付き移籍で獲得した。 8月に川崎フロンターレ後援会の会員数が初の2万人を突破。また、この頃から等々力陸上競技場の老朽化及び混雑に対し、競技場の全面改修を求める請願書の提出の一環として、シーズン終盤に10万筆目標の署名活動を行った(最終的に15万4020筆を集め、2月18日に川崎市へ提出)。 リーグは準優勝でシーズンを終え、AFCチャンピオンズリーグ2009の出場権を獲得した。 関塚が再び監督に、高畠は再びヘッドコーチに就任した。 我那覇と箕輪がそれぞれ神戸、札幌に完全移籍し、原田拓が熊本へ、大橋正博がKリーグ江原へ、レンタル移籍だった都倉賢、西山貴永が完全移籍。前年に東京Vのレンタル移籍から復帰した吉原慎也が磐田へ再度レンタル移籍した。FC東京にレンタル移籍していた佐原秀樹のレンタル期間が1年延長された。 主な補強はC大阪へ期限付き移籍していた相澤貴志の復帰、新戦力として、特別指定選手として2004年・2005年に所属していた清水の矢島卓郎を完全移籍で獲得、レンタル移籍だったヴィトール・ジュニオールを完全移籍で獲得。 ナビスコカップは準優勝。この決勝戦後の表彰式において、一部選手が首にかけて頂いた準優勝メダルを外すといった行動 をとった。これを受けて、クラブ側は謝罪、準優勝賞金5000万円の自主返還、社長ら役員3人の減俸、森勇介の最低1試合の出場停止などの処分を発表した。Jリーグ側は賞金返還をホームタウン活動への使用を提案。サッカーボールや図書、少年サッカーチームへのビブスなどの物品の他、残額は全て川崎市への寄付とされた。 リーグは準優勝。関塚が監督を辞任した。 12月26日に『公益のため多額の私財を寄附した』功に対して、日本政府より褒状を受けた。 監督にヘッドコーチの高畠勉が就任。U-18で指導に当たっていたクラブOBの鬼木達がトップチームコーチに就任。 横浜FMから小宮山尊信が完全移籍、スタッド・レンヌから9年ぶりのJリーグ復帰となる稲本潤一を獲得。佐原秀樹がFC東京への期限付き移籍から2年ぶりに復帰した。村上和弘が大宮へ移籍。吉原慎也が退団(のち柏に加入)、山岸智や、養父雄仁、久木野聡・杉浦恭平などがそれぞれ期限付き移籍した。 2010年のACLは予選敗退。 2010 FIFAワールドカップ日本代表に川島永嗣、稲本潤一、中村憲剛の3人が選出され、川島は日本の全4試合にフル出場し、ベスト16進出に貢献した。また稲本が2試合、中村が1試合出場した。北朝鮮代表には鄭大世が選出された。 W杯終了後の7月、川島がベルギー1部のリールセSKへ、鄭がドイツ2部のVfLボーフムへ移籍。レナチーニョが高畠の采配に不満を訴え、練習ボイコットからブラジルへ無断帰国し、8月末にポルトガル1部のポルティモネンセへ期限付き移籍した。 川島の穴を相澤貴志が埋めた一方、鄭の穴を埋めるには至らず、5位でシーズンを終了。高畠はシーズン終了後に監督を退任した。 この年からユニフォームサプライヤーがプーマに変更。 町田元監督の相馬直樹が監督に就任。DF森勇介が東京V、谷口博之が横浜FM、植草裕樹がレンタル移籍先の山形、木村祐志が北九州へそれぞれ移籍した。 横浜FMから山瀬功治と田中裕介、東京Vから柴崎晃誠、U-21代表の實藤友紀ら6人の新人選手が加入した。 強化本部長には福家が退任し、庄子春男が就任した。 7月23日(第6節)の新潟戦から9月11日(第25節)の神戸戦までリーグ8連敗を喫した。9月17日(第26節)の山形戦に勝利して、連敗を止めた 。リーグは11位。 同年3月11日に発生した東日本大震災に対する復興支援活動として、フロンターレは「Mind-1」キャンペーンとしての支援活動を開始し、津波で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市などへの物資提供などを開始し、翌年以降も継続した(地域密着の項目を参照)。 4月23日のリーグ再開初戦、仙台戦はJクロニクルベストの「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズの「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれた。 相馬体制2年目。ジュニーニョが鹿島へ完全移籍したほか、相澤貴志 が町田に、横山知伸がC大阪に、菊地光将が大宮に、久木野聡が栃木SCに完全移籍、棗佑喜が栃木SCに、薗田淳が町田にレンタル移籍、松本拓也がレンタル移籍期間満了につき湘南に復帰、昨シーズン甲府にレンタル移籍していた養父雄仁が熊本へ完全移籍、吉田勇樹が現役を引退し、スクール・普及コーチに就任した。 補強は、湘南から西部洋平、C大阪から小松塁、京都から森下俊を完全移籍で、コリチーバFCからレナト、ジェシ。グレミオからレネ・サントスをレンタル移籍で獲得、2年間愛媛にレンタル移籍していた杉浦恭平が復帰した。 4月11日に相馬を解任した。望月達也が監督代行し、同月23日、筑波大監督の風間八宏が監督に就任した。7月1日に風間監督の長男である風間宏希と次男の風間宏矢が入団し、Jリーグ史上初めて同時に父が監督、息子が選手として所属した。 リーグは8位。 本拠の等々力が大型改築に入った。 風間体制2年目。黒津勝が横浜FC、山瀬功治が京都、楠神順平がC大阪、小松塁が大分に、昨シーズン途中から古巣の東京Vに期限付き移籍していた柴崎晃誠が徳島へそれぞれ完全移籍。同じくシーズン途中から栃木SCへ期限付き移籍していた田中雄大が鳥取に、杉浦恭平が神戸へ、安藤駿介が湘南へ、森下俊が横浜FCへ期限付き移籍した。 補強では横浜FMから森谷賢太郎、札幌から山本真希、G大阪から中澤聡太、神戸から大久保嘉人、東京Vから新井章太を、新外国人としてパトリックを獲得。棗佑喜と薗田淳が期限付き移籍から復帰した。風間の強い要望でトレーニングコーチとして西本直が入閣した(5月に一身上の都合で退団)。 ナビスコカップでは、2010年以来3シーズンぶりに決勝トーナメント進出を果たした。準決勝の浦和戦は2戦合計3-3アウェーゴール数の差で敗退した。 Jリーグでは開幕から6戦勝ちなしと苦しいスタートとなったが、7節から17節は僅か2敗で8勝1分で前半を折り返すと、後半戦も3試合勝ちなしから持ち直して最後8試合は7勝1敗で締めくくり、最終節で対戦した横浜FMとの神奈川ダービーを1-0で勝利。横浜FMの優勝を阻止し、共に敗れた3位の鹿島と4位の浦和を抜いて3位に入りAFCチャンピオンズリーグ2014出場権を獲得した。 天皇杯では高知大学、東京V、山形に順調に勝ち進み、ベスト8で鳥栖に延長戦の末敗れた。 風間体制3年目。伊藤宏樹が現役を引退、風間宏矢が大分、矢島卓郎が横浜FM、棗佑喜が松本、風間宏希が北九州へ、薗田淳が札幌、鳥取へ期限付き移籍していた田中雄大が水戸へ完全移籍、高木駿が千葉へ期限付き移籍、アラン・ピニェイロ、ロブソンが期限付き移籍期間満了、谷尾昂也(鳥取)杉浦恭平(神戸)が期限付き移籍先に完全移籍、昨年横浜FCに期限付き移籍していた森下俊は磐田に期限付き移籍した。 補強は、大分から森島康仁、横浜FCから武岡優斗を完全移籍で、栃木からパウリーニョ、大宮から金久保順を期限付き移籍で獲得、安藤駿介が期限付き移籍から復帰、昨年途中に特別指定選手として登録された筑波大学のMF谷口彰悟、阪南大学のMF可児壮隆が入団した。 2014年のACLでは3回目の決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメントでは前年のファイナリストであるFCソウルと対戦しトータルスコア4-4だったものの、アウェーゴールの差でベスト16。天皇杯は3回戦で愛媛FCに敗れる。ナビスコカップは小林が代表招集され準決勝のG大阪に2戦合計4-5で敗れ、ベスト4。リーグ戦では15節から26節までは当時首位だった浦和を破る等僅か2敗で突き進みACL圏内の順位で推移していたが、鬼門だった新潟市のデンカビッグスワンスタジアムでは相変わらず勝てず、当時残留争いを強いられていた甲府や清水に2試合連続で逆転負けしたのに加え、その清水戦で主将の中村が右足関節捻挫で離脱したのも重なり、27節からの8試合で2勝1分け5敗と急失速してしまい6位。 風間体制4年目。田中裕介がオーストラリアのウエスタン・シドニーへ、稲本潤一が札幌へ、杉山力裕が清水へ完全移籍、福森晃斗が札幌へ、可児壮隆が湘南へ、森島康仁が磐田へ、中澤聡太がC大阪へ期限付き移籍、パウリーニョ、ジェシ、金久保順が期限付き移籍期間満了につき退団した。また高木駿、森下俊の期限付き移籍期間が延長した。 補強は、仙台から角田誠、大宮から橋本晃司、松本から船山貴之、C大阪から杉本健勇、徳島から松井謙弥を完全移籍で、アメリカFCからエウシーニョを期限付き移籍で獲得。ユースから板倉滉、三好康児が昇格し、昨年途中に特別指定選手として登録された筑波大学の車屋紳太郎、同じく筑波大学の中野嘉大が入団した。 4月25日のJ1リーグ1st7節ヴァンフォーレ甲府戦にてホーム等々力陸上競技場でのJ1リーグ戦通算100勝目を達成。 2000年から社長を務めていた武田信平が会長に就任。後任の社長には藁科義弘が就任した。 6月には、VfLボーフムに所属していた田坂祐介が3年ぶりに復帰した。 9節のFC東京戦では大久保嘉人がJ1の通算得点で横浜FCの三浦知良と並んだ。終盤に3連勝を飾り1stステージは5位で終えた。 7月にはホーム等々力に香川真司擁するブンデスリーガのドルトムントを迎えての親善試合を行ったが、試合は香川の得点を含む0-6で敗戦した。 ナビスコカップでは予選リーグ敗退となった。 2ndステージ開幕戦直後にレナトが中国・広州富力へ移籍した。リーグ戦は2ndステージ7位、年間順位は6位で終えた。また大久保がシーズン23得点を挙げ史上初となる3年連続J1単独得点王に輝いた。 天皇杯では2回戦で中国リーグ所属の松江シティFC に、3回戦でJ2の京都に勝利、4回戦では前年チャンピオンのG大阪に敗戦。 また、等々力陸上競技場のメインスタンド改修工事も完成し、3月のJ1開幕から供用された。これに合わせてチームは新スタンドのグラフィックや断面図をデザインした特別ユニフォームを試合で着用した。 風間体制5年目。西部洋平が清水、船山貴之、山本真希が千葉、杉本健勇がC大阪、山越享太郎が栃木、實藤友紀が福岡、松井謙弥が大宮へ完全移籍、湘南に期限付き移籍していた可児壮隆、千葉に期限付き移籍していた安柄俊が金沢へ期限付き移籍、角田誠(清水)、中澤聡太(C大阪)、森島康仁、森下俊(磐田)はそれぞれ期限付き移籍先へ完全移籍、福森晃斗は札幌への期限付き移籍期間が延長、アルトゥール・マイアが期限付き移籍期間満了により退団した。 補強は、北九州から大塚翔平、千葉から森本貴幸、柏から狩野健太、京都から原川力、札幌から昨シーズンFC東京に期限付き移籍していた奈良竜樹、水原三星ブルーウィングスから鄭成龍(チョン・ソンリョン)、アヴァイFCからエドゥアルド・ネットを完全移籍で獲得、高木駿が期限付き移籍先から復帰、順天堂大学から長谷川竜也が入団した。大島僚太がクラブで初めて日本人選手が10番を付ける事になった。シーズン中に柏からエドゥアルドを期限付き移籍で獲得した。 1stステージは2位。 2ndステージは小林が開幕節の仙台戦から湘南戦までジュニーニョのクラブ記録を更新する6試合連続ゴールを挙げた。同試合でクラブ史上新記録となる15戦無敗を記録したのに加え、17クラブ全てに勝利した。 年間2位でクラブ史上初のJリーグチャンピオンシップ出場。チャンピオンシップ準決勝で鹿島に0-1で敗れ、総合順位としては年間3位 。 天皇杯は準決勝では大宮を下して翌2017年シーズンのACL本戦出場権獲得した。2017年1月1日に行われた天皇杯決勝では準優勝。 10月14日に風間の契約満了に伴う退任、11月7日にコーチを務めていた鬼木達の来季新監督就任が発表された。 鬼木達が監督に就任。大久保嘉人がFC東京、高木駿が大分、金沢へ期限付き移籍していた安柄俊が熊本に移籍。原川力が鳥栖、中野嘉大が仙台に期限付き移籍、福森晃斗が期限付き移籍先の札幌へ完全移籍した。 補強は大宮から家長昭博、G大阪から阿部浩之、新潟から舞行龍ジェームズを完全移籍で獲得、エドゥアルド・ネット、エドゥアルドが完全移籍に移行、ユースから田中碧、桐光学園高校からタビナス・ジェファーソン、愛知学院大学から知念慶が入団した。 2017年のJ1は連敗が一度もなく19節の磐田戦以降15戦を無敗で突き進み、最終節大宮戦では5-0の勝利し、悲願のリーグ優勝。クラブ創設21年目にして初めての主要タイトル獲得を達成した。1999年のJ2発足初年度に所属していたクラブとして初のJ1リーグ優勝 Jリーグ史上4チーム目の2年連続勝ち点70以上となり、リーグ優勝が得失点差で決まったのはJリーグ史上初。年間4敗は2005年に1シーズン制が始まってからはリーグ史上最少タイで、4敗でのリーグ優勝は史上最少。得失点差+39でのリーグ優勝は史上最多タイ。最終節まで1度も首位に立たずに逆転優勝したのは2007年の鹿島に次いで、連勝は長くても3で止まっていた為4連勝以上を記録せずにリーグ優勝を果たしたのは2012年の広島に次いでいずれも史上2例目である。 個人では、鬼木が優勝監督賞を受賞したほか、23得点を記録した小林が最優秀選手賞と得点王を受賞した。また小林に加え、エウシーニョ、車屋、中村がベストイレブンに、さらにこの4人に加え、谷口、阿部、大島の7選手が優秀選手賞に それぞれ選出された。 3シーズンぶりの出場となったACLは水原三星ブルーウィングス、広州恒大淘宝、香港の東方足球隊と同組。グループステージを首位で通過した。決勝トーナメント準々決勝では浦和とのJリーグクラブ同士の対決で第1戦は3-1で勝利、第2戦もエウシーニョのゴールで先制するも興梠慎三のゴールで1-1の同点にされると車屋が退場した事で10人となってしまい、ズラタン、ラファエル・シルバに続け様にゴールを奪われて遂に2戦合計でも4-4と同点に追いつかれると、後半41分に高木俊幸に決められて2戦合計で4-5と2戦合計4-1からの逆転負けでベスト8敗退となってしまった。 ルヴァンカップではACL出場に伴って決勝トーナメントからの出場。初戦のFC東京には2戦合計7-1で3年ぶりに準決勝に進出。準決勝はベガルタ仙台と対戦。第1戦の前半は0-3とリードを許したが、後半アディショナルタイムに知念がプロ初ゴールを奪う等2-3として望みを繋ぐと等々力での第2戦では三好がシーズン初ゴールを決めたが、後半にセンターバックの奈良が退場し一時は2戦合計4-4となるも途中出場の長谷川の追加点で2戦合計5-4とし、8年ぶり4度目の決勝進出を果たした。決勝戦はセレッソ大阪と対戦。早々に奈良に代わって先発のエドゥアルドがクリアを空振りした末杉本に先制ゴールを奪われ、その後も得点を奪えずアディショナルタイムに前掛かりになった所をカウンターでソウザにゴールを奪われ試合終了。Jリーグカップ決勝で史上初の4試合ノーゴール かつJリーグカップ決勝の連敗が最長の4となった。 鬼木体制2年目。狩野健太、大塚翔平が契約満了、井川祐輔が香港の東方足球隊、森本貴幸が福岡、JFL・今治へ期限付き移籍していた可児壮隆が鳥取へ完全移籍、板倉滉が仙台、三好康児が札幌に期限付き移籍、中野嘉大(仙台)、原川が期限付き移籍先の鳥栖へ完全移籍、ハイネルが期限付き移籍期間満了で退団した。 補強はFC東京から2シーズンぶりに加入する大久保、横浜FMから齋藤学、鹿島 から赤﨑秀平、山形から鈴木雄斗、湘南から下田北斗を完全移籍で獲得。ポープ・ウィリアムが完全移籍に移行し、阪南大学から脇坂泰斗、流通経済大学から守田英正が入団した。 初出場したFUJI XEROX SUPER CUPでは、C大阪と対戦。小林、大久保が得点するも2-3で敗れ準優勝。 リーグ戦では、昨年の第20節のFC東京戦から第4節の名古屋戦までクラブ新記録となる19試合連続無敗を記録。2年連続で出場したAFCチャンピオンズリーグ2018では、ヒュンダイ・A・リーグ2位だったメルボルン・ヴィクトリー、中国スーパーリーグ2位の上海上港集団、韓国FAカップ優勝の蔚山現代と同組であったが、グループステージ敗退。エドゥアルド・ネットが名古屋に、大久保が磐田に移籍した。 ACLに出場していた関係で2年連続で決勝トーナメントからの出場で、YBCルヴァンカップでは鹿島と対戦。カシマスタジアムでの準々決勝1stレグでは開始19分で先制を許すも、その12分後に知念慶がPKを決めて1-1のドロー。しかしホームの等々力が第87回日本学生陸上競技対校選手権大会で使われる為使用出来ず、味の素スタジアムで開催された2ndレグでは、前半に2ゴールを奪われ、後半阿部のゴールで1点を返すも準々決勝敗退。 天皇杯は準々決勝で山形に2-3敗戦。 リーグ戦は、11月3日の第31節柏戦で3-0で勝利しクラブ史上初となる3年連続ACL出場権獲得を確定させ、11月10日に行われた第32節のC大阪戦で敗れたものの、広島も仙台に0-1で敗れた為、史上3例目となる最終節を待たずしてのリーグ優勝を達成した。これにより、Jリーグ史上5チーム目、オリジナル10以外では史上初となるJリーグ連覇を果たした。歴代のリーグ優勝チームの中で、2005年にJリーグが1シーズン制になってからは2015年からの2年間を除いて2位に12の勝ち点差をつけて優勝したのは史上最大である。得点数(57得点)と失点数(27失点と2年連続でクラブ史上最少を更新、当時Jリーグ史上3位 )と両項目でリーグトップを記録したのも最後の中断期間を挟まずにリーグ優勝を決めたのもいずれもJリーグ史上初である。 鬼木体制3年目。武岡優斗、田坂祐介、森谷賢太郎、エウシーニョが契約満了、エドゥアルドが松本、仙台に期限付き移籍していた板倉滉がマンチェスター・シティへ完全移籍、札幌に期限付き移籍していた三好が横浜FMに期限付き移籍、ポープ・ウィリアムが大分に期限付き移籍、赤崎秀平が名古屋に期限付き移籍、タビナス・ジェファーソンが岐阜に期限付き移籍した。 補強は藤嶋栄介を山口から、ジェジエウをパラナ・クルーベからそれぞれ期限付き移籍、マギーニョをヴィラ・ノヴァFCから、元ブラジル代表でロンドン五輪の得点王のレアンドロ・ダミアンをSCインテルナシオナルから、馬渡和彰を広島から、山村和也をC大阪からそれぞれ完全移籍で獲得。昌平高校から原田虹輝が入団。 2年連続出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、天皇杯優勝の浦和と対戦。レアンドロ・ダミアンが決勝点を挙げ、初優勝を飾った。 ACLではシドニーFC、上海上港、蔚山現代と同組。グループリーグ3位で決勝T進出を逃した。 7月19日、チェルシーFCと「明治安田生命Jリーグワールドチャレンジ2019」にて対戦。ダミアンのゴールで1-0で勝利した。 天皇杯では、神戸に敗れ4回戦で敗退。 YBCルヴァンカップは3年連続で決勝トーナメントから出場。前任の風間が率いる名古屋に等々力での第1戦は2-0で勝利し、パロマ瑞穂スタジアムでの第2戦は2-2で引き分け準決勝進出、準決勝は鹿島に等々力での第1戦は3-1で逆転勝ちし、第2戦はスコアレスドローで2年ぶりの決勝戦に進出した。決勝戦で札幌と対戦。前半10分に先制されるが、アディショナルタイムに脇坂のコーナーキックから阿部が押し込んでJリーグカップ決勝で初めての得点を挙げて前半を折り返す。後半43分に途中出場の小林が逆転弾を決めたが、後半アディショナルタイムにゴールキーパーの具聖潤も上がったコーナーキックから深井一希にヘディングで叩き込まれて2-2の同点となり延長戦に突入。延長前半4分に谷口がチャナティップの突破を止めたシーンで一度はイエローカードを提示されたが、その後VARの末に決定機阻止としてレッドカードが提示された。その直後のFKを試合前まで過去3年のJ1で当時6発決めている福森に直接決められ2-3と勝ち越されるが、延長後半4分に中村のコーナーキックから山村のシュート性で折り返した所を小林が合わせ史上8人目のJリーグカップ決勝で2ゴール。その後のPK戦では4番手の車屋が失敗するも新井が札幌の5番手・石川直樹を横っ飛びで防ぐとサドンデス戦で6番手の進藤亮佑も防ぎ5度目の決勝にして初優勝(2019年のJリーグカップ#決勝の欄も参照)。鬼木は国内3大タイトルを3年連続で獲得した日本人監督 となった。 リーグ戦では、第5節の松本戦から第20節の大分戦まで15試合連続無敗を記録。6月30日に行われた第17節の磐田戦に3-1で勝利した事で関塚、風間に次いでクラブ史上3人目のJ1監督通算50勝を84試合目というクラブ史上最速 で達成したが、上位3クラブがホームで10勝以上(横浜FMとFC東京が12勝、鹿島が11勝)挙げた一方で残留争いを強いられたクラブを中心に下位(10位以下)から7分1敗と勝ち点を取り零し、この内6クラブにホームで引き分けて シーズン12分け と勝ちきれない試合が多く、等々力での勝利数は5勝どまり。負け数が1つ減ったにも関わらず年間順位は4位と鹿島が上位3チームの中で唯一天皇杯の決勝に進出していた為、ACL出場権獲得に望みを繋いでいたが、鹿島は決勝で神戸に0-2で敗れた為4年連続のACL出場権獲得は果たせなかった。 鬼木体制4年目。新井章太が千葉、奈良竜樹が鹿島、名古屋にレンタル移籍していた赤崎秀平が仙台、阿部浩之が名古屋へそれぞれ完全移籍、長崎にレンタル移籍していたカイオ・セザールがレンタル移籍期間を延長し、ポープ・ウィリアムが岡山に、タビナス・ジェファーソンがG大阪に、鈴木雄斗が松本に、マギーニョが横浜FC、馬渡和彰が湘南へ、知念慶が大分にそれぞれ期限付き移籍した。またHonda FCから遠野大弥を完全移籍で獲得し福岡へ、宮城天はユースから昇格し富山へそれぞれ期限付きで移籍した。 補強は宮代大聖が復帰。レンタルで加入していた藤嶋、馬渡洋樹、ジェジエウを完全移籍で契約。ジオゴ・マテウス、イ・キョンテを期限付き移籍、丹野研太、山根視来を完全移籍で獲得。筑波大学から三笘薫、順天堂大学から旗手怜央、東海学園大学から神谷凱士、桐蔭横浜大学からイサカ・ゼインが入団した。 リーグ戦は鳥栖と引き分け開幕戦引き分けが8年連続に伸びたものの、新型コロナウイルスの影響で国内全ての公式戦が中断。8月15日の札幌戦で三笘と小林がそれぞれ2ゴールを挙げJ1で途中出場選手の2人が複数得点を挙げた史上初の記録。また小林がジュニーニョの持っていたクラブ最多得点記録を更新した。第11節C大阪戦では10連勝を達成。引き分けの制度が導入された現行の2003年以降では同一シーズンでのJ1新記録を達成した。第22節の広島戦を2-0で勝利しJリーグ史上初となる2度目の10連勝を記録。第25節のFC東京戦に勝利して12連勝を達成。クラブ史上初の神奈川ダービー(横浜FM、横浜FC、湘南)6戦全勝。11月25日、G大阪戦で5-0で勝利し2年ぶり3回目のリーグ優勝。4試合を残しての優勝はJ1史上最速。2006年に記録した延長戦廃止後の2003年以降のシーズン最多得点記録(84ゴール)を更新し、88ゴールと2回戦総当たりになった1996年以降では2位、延長戦が廃止された2003年以降では最多記録を更新した。シーズン3敗はJリーグ開幕後最小、シーズン26勝は2回戦総当たり制の現行ルールで最多記録。得失点差+57で優勝したのは1993年以降、2位に18の勝ち点差をつけて優勝したのはJリーグに勝ち点制が導入された1995年以降いずれもリーグ新記録。44試合制だった2004年のJ2でも104ゴールとJ2のシーズン最多得点記録を更新して優勝した為、J1とJ2でシーズン最多得点での優勝はJリーグ史上初である。また鬼木は国内3大タイトルを4年連続で獲得した史上初の日本人監督となった。 個人では、鬼木が2年ぶりに優勝監督賞、家長、三笘、守田、田中、谷口、ジェジエウ、山根、登里、鄭成龍がベストイレブンに、さらにこの9人に加え、レアンドロ・ダミアン、小林、脇坂、大島の4選手が優秀選手賞にそれぞれ選出された。なおベストイレブンに9人選出されたのは1クラブ当たりの選出数としては史上最多である。 YBCルヴァンカップは4年ぶりのグループステージステージからの参加で4年連続のプライムステージ進出。ベスト8の神戸戦ではノエビアスタジアムで6-0とJリーグカップ決勝トーナメントのアウェイチーム最多得点差で勝利するも準決勝戦でFC東京に敗れてベスト4。 100回目の天皇杯はコロナウイルスの影響による日程変更のため準決勝から参加となり、J3を制した秋田と対戦。前半39分に三笘が、後半36分に田中が自身初の直接フリーキックを決め2-0で勝利。決勝はG大阪と対戦して後半10分にレアンドロ・ダミアンのスルーパスに反応して抜け出した三笘が得点。1-0で制して天皇杯初優勝。Jリーグと天皇杯の2冠を達成した。J2からスタートしたチームとしては史上初の国内3大タイトル完全制覇となった。 また、2003年からチームを牽引してきた中村憲剛が現役を引退した。 鬼木体制5年目。中村が引退、湘南に期限付き移籍していた馬渡和彰が大宮に、松本に期限付き移籍していた鈴木雄斗が磐田に、岡山に期限付き移籍していたポープ・ウィリアムが大分に、G大阪に期限付き移籍していたタビナス・ジェファーソンが水戸に、下田が大分に、守田がCDサンタ・クララに、齋藤が名古屋に、カイオ・セザールが期限付き移籍先の長崎にそれぞれ完全移籍、コリチーバFCから期限付き移籍していたジオゴ・マテウスが退団した。横浜FCに期限付き移籍していたマギーニョが移籍期間を延長し、原田が鳥取に、宮代が徳島にそれぞれ期限付き移籍した。 補強は福岡から遠野、大分から知念、富山から宮城がそれぞれ期限付き移籍から復帰。大分から小塚和季、松本から塚川孝輝、名古屋からジョアン・シミッチを完全移籍で獲得。静岡学園高校から田邉秀斗、桐蔭横浜大学から橘田健人が入団した。 2年ぶりの出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、Jリーグと天皇杯でいずれも準優勝のG大阪と対戦。三笘が公式戦3試合連続ゴールを挙げ、大会史上6人目の1試合2ゴールを挙げた。後半追いつかれるものの途中出場だった小林のゴールで勝ち越し2回目の優勝を飾った。 リーグ戦は開幕戦で横浜FMに2-0で勝利し、等々力開催で9年ぶりの開幕戦勝利を挙げて鬼木は監督通算85勝目。前任の風間を抜きクラブの通算監督勝利数で単独トップを挙げた後、C大阪、仙台、徳島、柏にも勝ち開幕5連勝。J2時代だった2004年の開幕3連勝を抜きクラブ史上最長となった。 4月29日の第22節・5月4日の第12節は2位・名古屋との異例の2連戦であったが豊田スタジアムで4-0、等々力で3-2と連勝した 6月27日から7月11日のACLの6試合はウズベキスタンで、帰国後の7月17日から9月1日までの国内大会の9試合はすべてアウェイの会場での試合であり、約3ヶ月間は等々力で試合をする事ができなかった。 5月16日に札幌に2-0で勝利した事で、連続無敗記録が22試合となりJ1リーグ記録を更新。5月30日に鬼木が156試合目というJリーグ史上最速かつクラブ史上初の監督通算100勝目を達成。同時に開幕からの無敗記録を更新(最終的に30試合連続無敗となった)。11月3日、ホームで浦和と1-1で引き分け、横浜FMがG大阪に0-1で敗れた為、2年連続4回目のリーグ優勝を決めた。鬼木は国内3大タイトルを5年連続で獲得し、また一人で4回目のリーグ優勝を果たし、単独最多優勝監督となった。更に鬼木はYBCルヴァンカップと天皇杯のタイトルも1つずつ獲得しているので、獲得した国内三大大会で獲得したタイトル数は6と西野朗(G大阪時代に当たる2008年のACLも含めて)と並んで日本人監督で最多タイとなった。2年連続の年間勝ち点80以上もJリーグ史上初である。さらに、11月27日に等々力でG大阪に4-1で勝利し1996年以降ではリーグ史上初の年間勝ち点90以上。現行の勝ち点制に換算しても52試合制だった1995年のV川崎に次いで史上2番目に多い勝ち点92となった。また史上2チーム目のホームゲーム無敗を達成したのに続き、2020年の11月19日以降22戦無敗とクラブのホーム無敗記録を更新した。レアンドロ・ダミアンが23ゴールで得点王のタイトル を獲得、ジュニーニョが2007年に記録したクラブの外国人選手によるJ1最多得点記録を更新した。またシーズンは38試合に増えたにも関わらず28勝8分け2敗とシーズンの最少敗戦記録を更新した。イエローカードの枚数は18枚しか受けず、1試合平均0・47枚とJ1記録を24年ぶりに塗り替え、無警告試合は25試合で27年ぶりに塗り替えた。 個人では、鬼木が2年連続で優勝監督賞、レアンドロ・ダミアン、家長、脇坂、旗手、谷口、ジェジエウ、山根がベストイレブン。さらにこの7人に加え、橘田、登里、鄭成龍の3選手が優秀選手賞に選出された。なおこれにより、通算40人とリーグ最多ベストイレブン輩出クラブになった。レアンドロ・ダミアンが2016年の中村、2017年の小林、2018年の家長に続きチーム史上4人目のJリーグMVPに選出された。 2年ぶりのACLでは、大島が怪我からの復帰を果たすも、田中が海外移籍を前提とした渡欧によりチームを離脱しデュッセルドルフへの期限付き移籍が決定した。グループステージでは6戦合計27得点の全勝で突破。第3戦のユナイテッド・シティFC(フィリピン)戦では橘田がクラブ史上初のACLハットトリック を達成したのに続き、国内外の公式戦ではクラブ史上最多となる1試合8得点をマークした。ラウンドオブ16で蔚山現代と対戦。0-0でPK戦の末敗退。 ルヴァンカップは準々決勝で浦和と対戦。アウェイでの第1戦は家長のPKで追いつき1-1。およそ3か月ぶりのホーム等々力での第2戦は3-3のドロー。2戦合計4-4ながら等々力でアウェーゴールを3点も奪われて敗退しベスト8。 2連覇を目指した天皇杯では、2回戦でJ3のAC長野パルセイロを、3回戦でJ2千葉をそれぞれPK戦の末勝ち上がり、ベスト16ではJ1の清水を、ベスト8では鹿島を下して準決勝進出。大分との準決勝では、延長後半に小林のゴールで先制するも、下田のクロスをエンリケ・トレヴィザンに決められ同点に追いつかれこの大会3度目のPK戦の末、2番手の山村と7番手の山根が高木に止められてベスト4。結果的に、シーズンにおいてカップ戦(ACL・ルヴァンカップ・天皇杯)では1度の敗戦もなかったものの、いずれのタイトルも獲得出来なかった。 鬼木体制6年目。イ・キョンテが岡山に復帰、旗手がセルティックに、長谷川が横浜FCにそれぞれ完全移籍、横浜FCに期限付き移籍していたマギーニョが期限付き移籍期間を満了し退団した。原田が長野に、宮代が鳥栖に、イサカ・ゼインが横浜FCに、神谷が藤枝にそれぞれ期限付き移籍した。 補強は横浜FCから瀬古樹、札幌からチャナティップをそれぞれ完全移籍 で獲得、ユースから五十嵐太陽と高井幸大、興国高校から永長鷹虎、桐蔭横浜大学からユース出身者の早坂勇希、流通経済大学から佐々木旭、法政大学から松井蓮之が入団した。 4月2日に行われた第6節のC大阪戦に敗れるまでに記録したホーム25試合連続無敗は浦和とG大阪に並ぶリーグタイ記録、4月10日に行われた第8節の柏戦で鬼木は通算184試合目の指揮を執り、関塚を抜いて単独最多となった。またその柏戦からACLを挟んで5月21日に行われた第14節の鳥栖戦まで5試合連続で無失点となり、クラブ新記録となったが、守備陣は前年の11月7日に駅前不動産スタジアムで行われた鳥栖戦でジェジエウを左膝の前十字靭帯と内側側副靭帯を損傷する大怪我で失った影響が大きく、前半17試合終了時点で21失点と2015年以来7年ぶりに試合の半数を終えて6年ぶりにシーズンの失点数が試合数を超えた。また攻撃陣もJ1に初めて昇格した2000年以来22年ぶりとなる16試合連続3得点未満 と得点力も低下し、左ウィングで主に先発する事の多かったマルシーニョと宮城が合わせて5ゴールと前年ベルギーへ移籍する前に8ゴールを挙げた三笘の半数を超えるのが関の山だった。7月30日にジェジエウが復帰して以降8月は全勝。試合数の違いがありながら暫定で首位にも返り咲いたがその一方でレアンドロ・ダミアンが8月20日の福岡戦で右足関節の外側靱帯損傷と右腓骨筋肉離れで離脱しシーズン終了。9月に入り湘南に1-2で敗れてJ1でクラブ史上初の神奈川ダービー3敗目を喫するとそこから1勝2分1敗と失速し、3勝1分で乗り切った横浜FMに引き離され、10月1日に当時2020年以外はリーグ戦で無敗の札幌に3-4で敗れ鬼木体制で最多にして2014年以来8年ぶりの8敗目で勝ち点差を8にまで広げられた。その後清水や京都と残留を争っていた相手や神戸に全勝し、横浜FMが当時残留争いの渦中にいたG大阪と磐田に日産スタジアムで連敗し足踏みした事もあり勝ち点差を2まで縮めて最終節まで優勝の望みを繋いだ。最終節では退場者を出しながらもFC東京に勝利する意地を見せたが、横浜FMも勝利した事で最終順位は2位。ジェジエウがピッチにいない時に(途中交代で退いた時も含めて)前年と同じ28失点と全42失点の66%にのぼり、2010年以来12年ぶりにアウェー6勝どまり。18クラブ中唯一ホームの等々力で勝ち点40以上(43)を記録しながらアウェーでの勝ち点が23と優勝した横浜FM(勝ち点29)だけではなく7位の柏(勝ち点26)、4位の鹿島や5位のC大阪(いずれも勝ち点25)よりも少なく、特に敵地で下位(10位以下)のクラブ相手に3勝3分け3敗の勝ち点12 と取り零し続けた事が祟り2019年に続いてまたしても横浜FMにリーグ3連覇を阻まれた。なお去年も横浜FMと共にワンツーフィニッシュとなった為、同県同士のクラブが2年連続で2位以内に入ったのはJリーグ史上初である。 2年連続9回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグはマレーシアでグループリーグが集中開催された。マレーシア・スーパーリーグ王者・ジョホール・ダルル・タクジム、Kリーグ1で2位の蔚山現代、中国スーパーリーグの広州足球倶楽部と同組。広州に2勝したものの3勝2分1敗でグループIの2位。しかしACLに参加する予定だった上海海港足球倶楽部が上海での新型コロナウイルス拡大に伴って参加を辞退した為例年とは違うレギュレーション により5月を待たずしてグループステージ敗退が決定した。 天皇杯は札幌大学に5-0で勝利したものの、当時J2で11位だった東京Vに0-1で敗れ8年ぶりの3回戦敗退。なおカタールワールドカップが11月21日から12月18日にかけて開催される関係で日程が大幅に前倒しになった為、前身の富士通サッカー部時代も合わせて1977年に初出場して以降6月中に天皇杯で敗退したのはクラブ史上初である。 ACLに出場した関係でプライムステージから参加となったYBCルヴァンカップは準々決勝でC大阪と対戦。トップチーム関係者が新型コロナウィルスの陽性判断を受け、ベンチメンバーをゴールキーパー3人で埋めなければならなかったヨドコウ桜スタジアムでの第1戦は脇坂のゴールで1-1。等々力での第2戦はマルシーニョの2ゴールで2戦合計3-1とリードするも後半ATに加藤陸次樹に、実質ラストプレーで山田寛人にヘディングで押し込まれて痛恨の引き分け。2年連続で2点のリードを試合終了間際に途中出場の選手に奪われてアウェーゴール差による準々決勝敗退となった。なお2006年にJリーグカップ決勝トーナメントにアウェーゴール制度が導入されて以降2年続けてアウェーゴールで敗退したのはJリーグカップ史上初である。 この年は、国内とアジアの合わせて5つのタイトル獲得に挑戦しながらジェジエウの離脱時にスーパーカップとACLと天皇杯のタイトルを失い、6年ぶりに無冠でシーズンを終えた。 鬼木体制7年目。知念が鹿島に、イサカ・ゼインが山形に、丹野が岩手に、谷口がアル・ラーヤンにそれぞれ完全移籍、原田が長野に、田邊が千葉に、五十嵐が山口にそれぞれ育成型期限付き移籍、神谷が甲府に、宮城が長崎にそれぞれ期限付き移籍した。 補強は鳥栖から宮代が期限付き移籍から復帰。湘南から瀬川祐輔、京都から上福元直人、柏から大南拓磨を完全移籍で獲得。ユースから大関友翔、松長根悠仁、桐蔭横浜大学から山田新、履正社高校から名願斗哉が入団した。 横浜FM対甲府による富士フイルムスーパーカップのハーフタイムに行われた最後のJリーグマスコット総選挙でワルンタは2位に入賞。それまでは2015年のふろん太が6位だったので、過去最高順位と共にクラブ史上初のトップ3に入った。 AFCチャンピオンズリーグの開催時期が秋に変わった為、全クラブ参加となったJリーグYBCルヴァンカップでは、J2の清水、浦和、湘南と同組。センターバック中心に怪我人が続出した状態で開幕し、清水に2-3とJ2のクラブも参加する制度に変わった2019年以降では初めてJ2のクラブに敗れ、湘南と浦和にホームで2戦連続スコアレスドロー。4節の清水に6発大勝したものの、マルシーニョが左ハムストリング肉離れで離脱した状態で臨んだ第5節の浦和戦で瀬川のゴールで先制するも逆転負け。レモンガススタジアムで湘南に2点ビハインドからの逆転勝ちを収めたが、直接対決のレギュレーションが優先される為、7年ぶりのグループリーグ敗退となった。 年明け早々にレアンドロ・ダミアンが右足関節の手術で合流が遅れ、1月のトレーニング中に小林が左第5趾基節骨骨折で、翌月のトレーニングでは登里が左ヒラメ筋肉離れでそれぞれ開幕戦を棒に振った中で始まったリーグ戦では、開幕戦の横浜FM戦に敗北しジェジエウがレッドカードで退場し車屋が右ハムストリングの肉離れで2年連続の開幕戦負傷退場。3節の湘南戦でそのジェジエウが左膝外側半月板損傷で、4節の新潟戦では2節の鹿島戦で退場したセンターバックの山村とインサイドハーフの大島がそれぞれ負傷交代と離脱者続出に歯止めがかからなかった上、センターバックの高井がウズベキスタンで行われたAFC U23アジアカップの代表招集で失っていた事も重なってしまい、千葉に育成型期限付き移籍で放出していた田邊(千葉では2試合で22分しか出場出来ず)を復帰させても最終ラインが手薄となった序盤は9節終了時点で2勝3分4敗と負けが先行する形となった。その田邊も4月7日のG大阪戦で左膝の内側側副靭帯を損傷し全治4~5か月の離脱を余儀なくされ、その後3連勝を飾るが連敗も目立ち、かつて圧倒的な強さを誇ったホーム等々力で競り負ける試合が増えた。第29節で新潟に2-3で敗れた事で、5試合を残して優勝の可能性が消滅した。鹿島には相性の良さを発揮し、3年連続のシーズンダブルを達成した一方で残留争いのG大阪、昇格したばかりの新潟にシーズンダブルを食らう等不安定だった。 また、10月29日に行われた第31節の柏戦で遠野がレッドカードを受け、シーズン7枚目かつ7人目の退場者を出す。当時J2だった2002年と2003年の6枚を抜き、加えて全員違う選手が退場処分を受けている為、レッドカードの枚数・選手共にクラブ史上最多となった。 また、前述のマルシーニョが左ハムストリング肉離れで、レアンドロ・ダミアンが前述の右足関節の手術に加えて、6月21日に左足関節捻挫で再び離脱する等外国人選手も怪我に苦しんだ為、開幕戦から外国人選手のノーゴールが続きリーグ戦での初ゴールは、開幕して27戦目にあたる9月15日に等々力で行われたFC東京との多摩川クラシコまで待たなければならず、ガラタサライから補強しクラブ史上初のヨーロッパ諸国出身選手となったバフェティンビ・ゴミスを獲得してもゴールを奪えず、外国人選手のゴール数は5(マルシーニョとジョアン・シミッチが1ゴール、レアンドロ・ダミアンが3ゴール)と「富士通川崎フットボールクラブ」から改めて現在のクラブ名になったジャパンフットボールリーグ時代も含めてクラブ史上最少タイと足を引っ張ってしまい、最終順位は2012シーズン以来11年ぶりの8位で2013シーズン以降では最低記録となった。しかし、天皇杯では、決勝での柏戦でスコアレスドローでPK戦の末3年ぶり2度目の優勝を果たし、来季のACL出場権を獲得した。なおACL出場権を獲得するのは4年連続でクラブ史上最長である。また鬼木は西野を抜いて日本人監督最多となる7個目の国内三大タイトル獲得となり、鹿島時代に率いたオズワルド・オリヴェイラの6個を抜いて1クラブでの最多タイトル獲得となった。 功労選手賞 富士通サッカー部は1996年にプロ化を推進するにあたり、Jリーグの理念に沿った地域社会との共生を目指すことをテーマに掲げた。地元川崎市の各行政区でのサッカースクール(学校巡回スクール含む)の実施といったサッカーに関わることだけでなく、地域の市民・区民まつりへの参加、市内各商店街等の行事への選手らの派遣(お年始など)、また地元商店街加盟店舗などの協賛によるマン・オブ・ザ・マッチの表彰制度「あんたが大賞」、週末のホームゲームでのサイン会等を積極的に行うように務めた。特に、クリスマスシーズンに行われる入院児への訪問活動「青いサンタクロース」は毎年恒例の奉仕活動として定着している。 ホームタウンである川崎市も2004年9月に「川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー」を制定。フロンターレはこの創設メンバーとして認定を受けた。また、川崎市は他の地元企業・団体、またサポーター持株会と共に、運営会社の株式の一部を取得した。現在は富士電機・富士通グループ各社のほか、川崎市に本社や事業所を持つ企業・公益法人など36の団体が出資している。2016年からは男子バスケットボールのジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)でとどろきアリーナをホームとする「川崎ブレイブサンダース」とのコラボレーション企画を発表し、ホームゲーム同日開催時のチケット割引サービスなどを実施している。 2006年はクラブ創立10周年に当たり、川崎市商店街連合会を通じ、市内の全商店街の街灯にチームの応援タペストリーを配布。2014年には同連合会に加盟する市内全域の11地区の商店街連合会 全てと市連合会の青年部が「あんたが大賞」として、フロンターレの主催試合で最も印象に残る活躍をした同チームの選手 に各地区の名産品などの商品を贈り、持株会の理事長には川崎市商店街連合会の相談役(元会長)である和田義盛が就任している。 また広報担当者のインタビュー記事には、後援会員の75%が等々力陸上競技場と富士通本店・川崎工場のある中原区、クラブ事務所のある高津区、そして市が整備しフロンターレが指定管理者となって2006年4月に開業した「フロンタウン・さぎぬま」(フットサル場)のある宮前区の3区在住者で占められる。 川崎競馬場で2006年11月2日にJBCマイル競走の前座として「祝10周年・フロンターレ特別」が行われた。 トップチームの麻生練習場がある麻生区では2009年に「麻生アシストクラブ」が発足した。「しんゆり・芸術のまちづくりフォーラム」内に事務所が置かれ、商店街や各種団体などが構成する同クラブを川崎市役所(麻生区役所)やフロンターレが後援する形を取って、同区内での広報・支援活動を展開する事になった。同クラブでは小田急電鉄の協力も受け、麻生練習場の最寄り駅である小田急多摩線栗平駅のホーム脇陸橋に告知看板を出すなどの活動をしている。 スポーツ交流パートナー事業以外の異競技交流では大相撲・中川部屋が川崎市にある という縁で、フロンターレのファン感謝デーに中川部屋の力士をゲスト出演として招き、フロンターレの主催試合では中川部屋の所属力士が同部屋のちゃんこを販売する屋台が競技場外の広場に毎回出店されていた。また、毎年1度は同部屋の力士が等々力陸上競技場を訪れ、相撲にちなんだイベントを行う「イッツァスモウワールド」 を実施していた。2014年は開催が途切れたが、2015年4月29日のJ1・1stステージ第8節、柏レイソル戦では2年ぶりに開催され、同部屋力士によるアトラクション、特製ちゃんこなどの飲食販売、等々力陸上競技場での枡席の設置、選手入場前の呼出による両チーム名の読み上げなどが行われた。なお、この時の開催は日本相撲協会も後援し、本場所(五月場所)のチケット販売、特製焼き鳥の販売、マスコット「ひよの山」の来場、始球式では振分親方(高見盛精彦)の参加した。2016年10月に春日山部屋が閉鎖されたため2017年は開催が見送られたが、中川部屋としての再興により2018年には再開された。2019年は中川部屋勢に加え、川崎市出身久々の幕内力士となった友風勇太(尾車部屋)が参加し、始球式を行った。2020年は新型コロナウイルスの影響により開催されていない。2009年からは毎年1回、両国国技館での本場所でフロンターレが告知してサポーターが集まる中川(春日山)部屋応援ツアーが実施された。2011年も九月場所(秋場所)9日目の9月19日に実施された。春日王は2011年4月に引退したが、同年の「イッツ・ア・スモウワールド」開催日となった5月3日のジュビロ磐田戦では春日王が試合前にグラウンドに登場して引退報告と今までの支援への感謝を述べ、5月28日に行われた春日王の断髪式には武田社長が参加した。 元プロボクサーの新田渉世が川崎市多摩区に開いている川崎新田ボクシングジムとも協力関係にあり、2011年8月16日にとどろきアリーナで行われた同ジム主催の興行ではふろん太が登場し、「日本マスコット級タイトル決定戦(非公認)」として一平くん(愛媛FC応援マスコット)と対戦して勝利した後、メインイベントだった黒田雅之の日本ライトフライ級タイトルマッチでのラウンドボーイを務めた。 2009年からは地元密着のための事業の一つとして、小学6年生用のオリジナル算数ドリルを作成し市内の小学校に配布している。これはプレミアリーグのアーセナルがロンドン市と共同で毎年製作している外国語学習教材にヒントを得たもので、初年度は市内の1校のみに配布されたが、2010年は前年のナビスコ杯準優勝の賞金を原資に市内の全小学校及び特別支援学校に配布先を拡大。2011年からは川崎市からも補助金が出るようになった。このドリルを題材とした小学生と選手の交流授業「算数ドリル・ゲストティーチャー」も行われている他、2011年には東日本大震災で被害を受けた岩手県陸前高田市の小学校にも同ドリルが寄付された 2015年、旧川崎球場をリニューアルしてオープンした川崎富士見球技場(富士通スタジアム川崎)の指定管理者に、東急コミュニティーと共同で認定され、フロンターレのサッカースクール生による練習、並びにユースチームの公式戦に使用されている。 2016年3月現在、Jリーグが実施しているスタジアム観戦者調査において、2010年シーズンから5年連続で地域貢献度1位の評価を得ている。 毎試合、審判・両チーム選手入場前にサポーターが川崎市民の歌『好きです かわさき 愛の街』を歌うことが慣例となっている。 2023年3月、「Anker フロンタウン生田」を開業。 1997年のクラブ発足当初から存在していたファンクラブと、1999年に川崎市が設立した市民後援会が合流し、2001年から現在の川崎フロンターレ後援会の形となった。愛称は「ブルーフレンズ」。後援会長は事実上川崎市長の充て職で、初代は高橋清、その後は長く阿部孝夫が務めた後、2013年11月からは福田紀彦が就任している。毎年7月1日の市制記念日 付近で行われる「市制記念試合」では、後援会長を兼任する市長が試合前に挨拶をするのが恒例となっている。 後援会員には個人・ファミリー・ジュニア(小中学生) の3種別。 2014年は27,051人で初めて2万5千人を超え、2016年に3万人、2018年に4万人、2019年には4万5千人を超えた。 地域別では川崎市在住者が26,104人で全体の57%を占める。川崎市外の会員数では横浜市が4,032人で最も多く、次いで中原区に隣接する東京都大田区、世田谷区などとなっている。 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010 金額の単位: 百万円 人件費は事業費に含まれる。 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016 2017 2018 2019 2020 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016 2017 2018 2019 2020 金額の単位: 百万円
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "川崎フロンターレ(かわさきフロンターレ、英: Kawasaki Frontale)は、日本の神奈川県川崎市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1955年に富士通サッカー部として創部。1997年にJリーグ準会員に承認され、1999年にJリーグへ加盟。ホームスタジアムは中原区の等々力陸上競技場、練習場は麻生区の川崎フロンターレ麻生グラウンド。最前線で挑戦し続ける開拓精神を基軸としており、クラブ名も「フロンティアスピリッツ」が由来としている。エンブレムは川崎市の花 ツツジ、チームマスコット イルカ、チームカラーを基に、世界に向けて開かれた活力と、魅力ある臨海都市 川崎をシンボライズしたマークである。クラブマスコットは先進技術やスピードをモチーフとしているふろん太、カブレラ。ワルンタ", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "呼称に関しては、川崎市をホームタウンとするクラブで、Jリーグ公式サイトやDAZNのテロップ表記では「川崎F」の略称を用いている。Jリーグ創成期に東京ヴェルディ1969が等々力陸上競技場を本拠地とし、チーム呼称を「ヴェルディ川崎」としていた名残による物である。ただし、一部のスポーツ新聞(スポーツニッポン・日刊スポーツなど)を除き新聞のスコアテーブルなどでは「川崎」とだけ表記している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1955年に創部された「富士通サッカー部」が前身であり、1972年に日本サッカーリーグへ昇格、1992年からジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加。1996年に「富士通川崎フットボールクラブ」へ改称し、11月21日に運営会社となる「富士通川崎スポーツマネジメント株式会社」を設立。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1997年にJリーグ準会員となり、名称が公募によって川崎フロンターレと決定された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "Jリーグ昇格条件の2位以内を目指すため、小浜誠二が事実上の責任者となる常務に就任。監督を富士通社員の城福浩からプロ契約の斉藤和夫へと交代し、選手では名古屋の中西哲生、平塚のベッチーニョ、横浜Fの桂秀樹、清水の向島建、横浜Mの小泉淳嗣等を獲得。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "ブラジルのグレミオとの業務提携も発表した。現在のチームカラーが水色と黒なのは、グレミオのチームカラーを模した名残である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "最終成績は3位となり、勝ち点1差でJリーグ昇格を逃した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "ベットが監督に就任。鹿島から鬼木達が加わり、ヴァルディネイやツゥットなどのブラジル人FWが活躍した。前年は桐光学園高校からの新入団直後にグレミオにサッカー留学していた佐原秀樹も試合に出場し、社員選手でも川元正英や久野智昭がレギュラーでプレーした。準優勝となったが、J1参入決定戦1回戦の福岡戦でVゴール負けを喫し、Jリーグ ディビジョン2 (J2) への参入が決まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "ベット体制2年目。元日本代表の岩本輝雄を獲得して同時に主将に据えた。リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第5節のヴァンフォーレ甲府戦に勝利した後、ベットを監督から解任。Jリーグカップ1回戦のG大阪戦 を挟み、第6節、4月18日の札幌戦から松本育夫に監督が交代した。松本に反発した岩本はやがてチーム構想から外されたが、岩本に代わって主将に就任した中西の起用や柏から途中加入したDF森川拓巳などが守備を安定させ、攻撃面ではブラジル人のティンガが活躍した。松本就任後のチームは順調に勝ち点を伸ばし、7月30日・第19節の大宮戦に勝利して首位に立ち、11月5日の鳥栖戦(等々力)に勝利し、J1昇格条件のJ2の2位以内が確定。11月8日にJ2優勝も決めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "前年のJ1参入戦に続くこの年の戦いは中西が自身のホームページで日記として書き続け、シーズン終了後に『魂の叫び J2聖戦記』として出版された", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "この年の開幕戦にチーム初のマスコットとしてふろん太を発表。5月には練習場が富士通南多摩グラウンドから、川崎市麻生区片平にある麻生グラウンド(旧・大東学園高等学校グラウンド)に移転。市内全体での広報活動を強化し、川崎市も市民後援会を発足させた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "松本が監督を退いて社長となり、後任としてヘッドコーチのゼッカが監督に就任。鹿島から奥野僚右、鈴木隆行、マジーニョ、鬼木達(再移籍)などを獲得。パラグアイ代表MFアルバレンガ、元日本代表FW森山泰行等が加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "シーズン途中にヘッドコーチの今井敏明が後任の監督に就任。第15節(最終節)のC大阪戦では我那覇和樹の得点と浦田尚希が延長Vゴールを決め、2 - 1で勝利してC大阪の優勝を阻止した 1stステージは16チーム中15位で終えた。シーズン2度目の監督交代で小林寛が就任した。ナビスコ杯決勝では鹿島に敗れて準優勝。リーグはJ2降格が決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "シーズン後には、監督小林の他、ゼネラルアドバイザー・杉本、社長・松本、副社長・小浜、奥野僚右、中西などがクラブを退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "ヴェルディ川崎が調布に移転したことで、川崎唯一のJ1チームとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "堀井美晴を監督、ピッタをコーチに迎え、前年にサンパウロFCから札幌へレンタル移籍していたエメルソンを完全移籍により獲得した。7月14日の第20節・甲府戦に引き分けた時点で8位。堀井を監督から解任し、石崎信弘を新監督に迎えた。新人DFの伊藤宏樹は出場停止の最終節を除く43試合に出場した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "シーズンは7位。第81回天皇杯はベスト4。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "クラブ体制自体も一新され、富士通サッカー部のマネージャーや日本サッカーリーグの運営委員、富士通本社の部長などを務めてきた武田信平が前年12月から社長に、強化本部長(GM)に元富士通サッカー部監督の福家三男、強化部長に同サッカー部の元選手である庄子春男が就任し、福家と庄子が強化責任者となった。運営面では地域社会との関係強化が図られ、運営会社の商号が「株式会社川崎フロンターレ」へ変更され、川崎市や他企業、およびサポーター持株会などからの資本を受け入れた。また、クラブによる従来のファンクラブと、川崎市が組織していた川崎市民後援会が統合された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "石崎体制2年目。ベンチーニョ、マルキーニョや途中加入のマーロン、アレックスなどのブラジル人選手が攻撃を担った。リーグ戦は4位。第82回天皇杯はベスト8。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "新加入の岡山一成は試合後にバックスタンドの前でサポーターからメガホンを借り、ビールケースの上に乗って観客に対する「マイクパフォーマンス」を度々行った。これは「岡山劇場」と呼ばれ、クラブ・チームとファン・サポーターの一体化に大きく貢献し、岡山の退団後もクラブの伝統として他選手や来賓・ゲストなどに引き継がれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "石崎体制3年目。ブラジルのSEパルメイラスから獲得したFWジュニーニョが我那覇和樹とともに前線で活躍、また鹿島から移籍したDFアウグストも攻守にわたりチームをまとめ上げた。大宮からFWバルデスを獲得したが、シーズン途中に退団した。日本人の新加入選手では、大分からMF山根巌、中央大学からMF中村憲剛などが加わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "リーグ最多の88得点、リーグ最少の7敗ながらリーグ最多タイの13引き分けと、最終的には2位と勝ち点1差の3位に終わり、J1昇格に失敗した。シーズン終了後にチームから、石崎の契約満了が発表された。第83回天皇杯ではベスト16に進出し、2回戦の国見高校戦(等々力)の後には選手やサポーターによる石崎の胴上げが行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "関塚隆が監督に就任。鹿島からDF相馬直樹、新潟から2年連続でJ2リーグ得点王のマルクスを補強した。リーグ戦では開幕直後から首位を独走し、9月26日・第36節の水戸戦(笠松)でマルクスの2ゴールにより2 - 1で勝利してJ2の2位以内によるJ1昇格が決まり、続く10月2日・第37節の横浜FC戦(等々力)にも勝利して5年ぶり2度目のJ2優勝が確定。シーズン最終成績も当時のJ2としては史上最多となる勝ち点105、2023年現在でもJ2のシーズン最多である得点104と、昇格後に設定した「ダブル・トリプル」の目標を達成。2位の大宮に当時としては最多となる18の勝ち点差をつけてJ2を制した。また、ジュニーニョは37得点を挙げてJ2得点王を獲得した。第84回天皇杯ではベスト16に入った。なお、この年のスローガン「Mind-1」は、2011年からの東日本大震災復興支援活動で再び利用されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "関塚体制2年目。地域密着に更に力を入れるため、エンブレムからFUJITSUの企業名をはずす。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "現有戦力をベースにし、若干名の補強選手を加えて臨んだが、終盤戦ではチーム新記録となる6連勝を記録。また、川崎市出身のDF箕輪義信が日本代表に選出された。鹿島、千葉、柏、東京V、磐田、名古屋から初勝利を挙げ、シーズン成績は8位となり、J1残留を果たした。天皇杯は2年ぶりにベスト8へ進出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "関塚体制3年目。アウグストが退団、相馬・久野が現役を引退。マルコンを獲得。開幕となる新潟戦で我那覇和樹が日本人初の開幕戦ハットトリック などにより6 - 0、第2節の京都戦でもジュニーニョのハットトリックを含む7 - 2で勝利、開幕2試合で13得点のJリーグ新記録を打ち立てて好スタートを切り、2006 FIFAワールドカップ前の中断期間を暫定ながら首位で折り返した。中断期間中にマルクスが東京Vに移籍した一方、MFマギヌンを獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "W杯終了後に日本代表に我那覇、続いて中村憲剛がそれぞれ初招集された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "リーグは2位。ジュニーニョ、我那覇、中村、谷口博之の4選手がリーグ戦で2桁得点を挙げ、シーズン84ゴール(リーグ1位)と前年にJリーグを制したG大阪が持っていた82ゴールを上回り、2回戦総当たりになった1996年以降では2位、延長戦が廃止された2003年以降のJ1シーズン最多得点記録となった。中村と谷口はJベストイレブンに選出。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "前年の天皇杯で優勝し、既にAFCチャンピオンズリーグ (ACL) 出場権を得ている浦和がリーグ優勝を達成した為、規定によりAFCチャンピオンズリーグ2007への出場権を獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "関塚体制4年目。シーズン前の練習試合で新加入のフランシスマールが左膝靱帯断裂の重傷を負った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "4月21日に埼玉スタジアム2002で行われた第7節では、浦和のホーム連続不敗のJリーグ記録を25試合で止めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "4月23日、我那覇和樹が試合後に受けた疲労回復の静脈注射(点滴)がJリーグのドーピング(禁止薬物使用)規定違反と認定され、自粛期間を含めて公式戦6試合の出場停止、チームにも1000万円の罰金が課された。2008年にスポーツ仲裁裁判所で審理される事になったが、仲裁の結果は我那覇にドーピングの事実が認められないとされ、かつ、Jリーグ側に仲裁費用の負担を求める異例の裁定となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "名古屋から獲得したGK川島永嗣は全34試合フル出場。プロ2年目の鄭大世が12得点し、ジュニーニョは22得点で得点王に輝き、リーグ2位の計66得点を挙げた。5位でシーズンを終了した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "AFCチャンピオンズリーグ2007は、グループリーグF組を1位で通過したが、準々決勝でセパハンにPK戦で敗退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "また、9月23日のJ1第26節・柏戦(柏)で、セパハンとの第1戦から先発選手8人を入れ替えて臨んだ。Jリーグ専務理事(当時)の犬飼基昭 は「ベストメンバーの出場を求めた自分達への背信行為であってサポーターへの裏切り行為だ」と怒りを顕わにしたが、川崎側は当該試合の前にJリーグ事務局へ予めベストメンバー規定に抵触していない旨を事前確認していた。また犬飼の発言を受け、サポーター団体はクラブの選手起用を支持する弾幕を提示した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ナビスコ杯は決勝でG大阪に敗れて準優勝。天皇杯はベスト4。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "AFCアジアカップ2007に中村および川島が日本代表に選出。中村は決勝まで5試合連続で先発起用された。また、代表候補合宿には森勇介と黒津勝も初招集された。FW鄭大世も北朝鮮代表に初選出され、東アジアサッカー選手権2008予選大会で3試合8得点で得点王となり、翌年2月の本大会進出に貢献した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "関塚体制5年目。MFマギヌンが名古屋へ移籍。東京Vへ期限付き移籍していた吉原慎也、フッキらがチームに復帰し、千葉より山岸智を獲得。また、青山学院大学からMF田坂祐介、駒澤大学からMF菊地光将、早稲田大学からDF横山知伸、下部組織よりトップチームへ昇格のDF吉田勇樹らが加入。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "起用法を不満としたフッキが4月2日に退団、東京Vへ完全移籍した。罹患していた持病の不整脈の悪化もあり、関塚が検査入院のため離脱。同月24日に監督を辞任。ヘッドコーチの高畠勉が監督に昇格した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "一方、5月27日には我那覇和樹が、スポーツ仲裁裁判所 (CAS) にJリーグが科した処分(ドーピング禁止規定違反)の取り消しを求めた問題で、スポーツ仲裁裁判所は我那覇の訴えを認める裁定を下した(ただし、Jリーグ側は誤訳を盾に我那覇本人、及び当時のチームドクターへの正式な謝罪は未だ行われていない)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "6月21日には箕輪義信を札幌へ期限付きで放出し、7月8日にはサントスFCのMFヴィトール・ジュニオールを期限付移籍で獲得。7月29日にはFW都倉賢を草津に期限付きで放出、8月5日にはサントスのFWレナチーニョを期限付き移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "8月に川崎フロンターレ後援会の会員数が初の2万人を突破。また、この頃から等々力陸上競技場の老朽化及び混雑に対し、競技場の全面改修を求める請願書の提出の一環として、シーズン終盤に10万筆目標の署名活動を行った(最終的に15万4020筆を集め、2月18日に川崎市へ提出)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "リーグは準優勝でシーズンを終え、AFCチャンピオンズリーグ2009の出場権を獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "関塚が再び監督に、高畠は再びヘッドコーチに就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "我那覇と箕輪がそれぞれ神戸、札幌に完全移籍し、原田拓が熊本へ、大橋正博がKリーグ江原へ、レンタル移籍だった都倉賢、西山貴永が完全移籍。前年に東京Vのレンタル移籍から復帰した吉原慎也が磐田へ再度レンタル移籍した。FC東京にレンタル移籍していた佐原秀樹のレンタル期間が1年延長された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "主な補強はC大阪へ期限付き移籍していた相澤貴志の復帰、新戦力として、特別指定選手として2004年・2005年に所属していた清水の矢島卓郎を完全移籍で獲得、レンタル移籍だったヴィトール・ジュニオールを完全移籍で獲得。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "ナビスコカップは準優勝。この決勝戦後の表彰式において、一部選手が首にかけて頂いた準優勝メダルを外すといった行動 をとった。これを受けて、クラブ側は謝罪、準優勝賞金5000万円の自主返還、社長ら役員3人の減俸、森勇介の最低1試合の出場停止などの処分を発表した。Jリーグ側は賞金返還をホームタウン活動への使用を提案。サッカーボールや図書、少年サッカーチームへのビブスなどの物品の他、残額は全て川崎市への寄付とされた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "リーグは準優勝。関塚が監督を辞任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "12月26日に『公益のため多額の私財を寄附した』功に対して、日本政府より褒状を受けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "監督にヘッドコーチの高畠勉が就任。U-18で指導に当たっていたクラブOBの鬼木達がトップチームコーチに就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "横浜FMから小宮山尊信が完全移籍、スタッド・レンヌから9年ぶりのJリーグ復帰となる稲本潤一を獲得。佐原秀樹がFC東京への期限付き移籍から2年ぶりに復帰した。村上和弘が大宮へ移籍。吉原慎也が退団(のち柏に加入)、山岸智や、養父雄仁、久木野聡・杉浦恭平などがそれぞれ期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2010年のACLは予選敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "2010 FIFAワールドカップ日本代表に川島永嗣、稲本潤一、中村憲剛の3人が選出され、川島は日本の全4試合にフル出場し、ベスト16進出に貢献した。また稲本が2試合、中村が1試合出場した。北朝鮮代表には鄭大世が選出された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "W杯終了後の7月、川島がベルギー1部のリールセSKへ、鄭がドイツ2部のVfLボーフムへ移籍。レナチーニョが高畠の采配に不満を訴え、練習ボイコットからブラジルへ無断帰国し、8月末にポルトガル1部のポルティモネンセへ期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "川島の穴を相澤貴志が埋めた一方、鄭の穴を埋めるには至らず、5位でシーズンを終了。高畠はシーズン終了後に監督を退任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "この年からユニフォームサプライヤーがプーマに変更。 町田元監督の相馬直樹が監督に就任。DF森勇介が東京V、谷口博之が横浜FM、植草裕樹がレンタル移籍先の山形、木村祐志が北九州へそれぞれ移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "横浜FMから山瀬功治と田中裕介、東京Vから柴崎晃誠、U-21代表の實藤友紀ら6人の新人選手が加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "強化本部長には福家が退任し、庄子春男が就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "7月23日(第6節)の新潟戦から9月11日(第25節)の神戸戦までリーグ8連敗を喫した。9月17日(第26節)の山形戦に勝利して、連敗を止めた 。リーグは11位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "同年3月11日に発生した東日本大震災に対する復興支援活動として、フロンターレは「Mind-1」キャンペーンとしての支援活動を開始し、津波で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市などへの物資提供などを開始し、翌年以降も継続した(地域密着の項目を参照)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "4月23日のリーグ再開初戦、仙台戦はJクロニクルベストの「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズの「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "相馬体制2年目。ジュニーニョが鹿島へ完全移籍したほか、相澤貴志 が町田に、横山知伸がC大阪に、菊地光将が大宮に、久木野聡が栃木SCに完全移籍、棗佑喜が栃木SCに、薗田淳が町田にレンタル移籍、松本拓也がレンタル移籍期間満了につき湘南に復帰、昨シーズン甲府にレンタル移籍していた養父雄仁が熊本へ完全移籍、吉田勇樹が現役を引退し、スクール・普及コーチに就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "補強は、湘南から西部洋平、C大阪から小松塁、京都から森下俊を完全移籍で、コリチーバFCからレナト、ジェシ。グレミオからレネ・サントスをレンタル移籍で獲得、2年間愛媛にレンタル移籍していた杉浦恭平が復帰した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "4月11日に相馬を解任した。望月達也が監督代行し、同月23日、筑波大監督の風間八宏が監督に就任した。7月1日に風間監督の長男である風間宏希と次男の風間宏矢が入団し、Jリーグ史上初めて同時に父が監督、息子が選手として所属した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "リーグは8位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "本拠の等々力が大型改築に入った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "風間体制2年目。黒津勝が横浜FC、山瀬功治が京都、楠神順平がC大阪、小松塁が大分に、昨シーズン途中から古巣の東京Vに期限付き移籍していた柴崎晃誠が徳島へそれぞれ完全移籍。同じくシーズン途中から栃木SCへ期限付き移籍していた田中雄大が鳥取に、杉浦恭平が神戸へ、安藤駿介が湘南へ、森下俊が横浜FCへ期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "補強では横浜FMから森谷賢太郎、札幌から山本真希、G大阪から中澤聡太、神戸から大久保嘉人、東京Vから新井章太を、新外国人としてパトリックを獲得。棗佑喜と薗田淳が期限付き移籍から復帰した。風間の強い要望でトレーニングコーチとして西本直が入閣した(5月に一身上の都合で退団)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "ナビスコカップでは、2010年以来3シーズンぶりに決勝トーナメント進出を果たした。準決勝の浦和戦は2戦合計3-3アウェーゴール数の差で敗退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "Jリーグでは開幕から6戦勝ちなしと苦しいスタートとなったが、7節から17節は僅か2敗で8勝1分で前半を折り返すと、後半戦も3試合勝ちなしから持ち直して最後8試合は7勝1敗で締めくくり、最終節で対戦した横浜FMとの神奈川ダービーを1-0で勝利。横浜FMの優勝を阻止し、共に敗れた3位の鹿島と4位の浦和を抜いて3位に入りAFCチャンピオンズリーグ2014出場権を獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "天皇杯では高知大学、東京V、山形に順調に勝ち進み、ベスト8で鳥栖に延長戦の末敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "風間体制3年目。伊藤宏樹が現役を引退、風間宏矢が大分、矢島卓郎が横浜FM、棗佑喜が松本、風間宏希が北九州へ、薗田淳が札幌、鳥取へ期限付き移籍していた田中雄大が水戸へ完全移籍、高木駿が千葉へ期限付き移籍、アラン・ピニェイロ、ロブソンが期限付き移籍期間満了、谷尾昂也(鳥取)杉浦恭平(神戸)が期限付き移籍先に完全移籍、昨年横浜FCに期限付き移籍していた森下俊は磐田に期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "補強は、大分から森島康仁、横浜FCから武岡優斗を完全移籍で、栃木からパウリーニョ、大宮から金久保順を期限付き移籍で獲得、安藤駿介が期限付き移籍から復帰、昨年途中に特別指定選手として登録された筑波大学のMF谷口彰悟、阪南大学のMF可児壮隆が入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "2014年のACLでは3回目の決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメントでは前年のファイナリストであるFCソウルと対戦しトータルスコア4-4だったものの、アウェーゴールの差でベスト16。天皇杯は3回戦で愛媛FCに敗れる。ナビスコカップは小林が代表招集され準決勝のG大阪に2戦合計4-5で敗れ、ベスト4。リーグ戦では15節から26節までは当時首位だった浦和を破る等僅か2敗で突き進みACL圏内の順位で推移していたが、鬼門だった新潟市のデンカビッグスワンスタジアムでは相変わらず勝てず、当時残留争いを強いられていた甲府や清水に2試合連続で逆転負けしたのに加え、その清水戦で主将の中村が右足関節捻挫で離脱したのも重なり、27節からの8試合で2勝1分け5敗と急失速してしまい6位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "風間体制4年目。田中裕介がオーストラリアのウエスタン・シドニーへ、稲本潤一が札幌へ、杉山力裕が清水へ完全移籍、福森晃斗が札幌へ、可児壮隆が湘南へ、森島康仁が磐田へ、中澤聡太がC大阪へ期限付き移籍、パウリーニョ、ジェシ、金久保順が期限付き移籍期間満了につき退団した。また高木駿、森下俊の期限付き移籍期間が延長した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "補強は、仙台から角田誠、大宮から橋本晃司、松本から船山貴之、C大阪から杉本健勇、徳島から松井謙弥を完全移籍で、アメリカFCからエウシーニョを期限付き移籍で獲得。ユースから板倉滉、三好康児が昇格し、昨年途中に特別指定選手として登録された筑波大学の車屋紳太郎、同じく筑波大学の中野嘉大が入団した。 4月25日のJ1リーグ1st7節ヴァンフォーレ甲府戦にてホーム等々力陸上競技場でのJ1リーグ戦通算100勝目を達成。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "2000年から社長を務めていた武田信平が会長に就任。後任の社長には藁科義弘が就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "6月には、VfLボーフムに所属していた田坂祐介が3年ぶりに復帰した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "9節のFC東京戦では大久保嘉人がJ1の通算得点で横浜FCの三浦知良と並んだ。終盤に3連勝を飾り1stステージは5位で終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "7月にはホーム等々力に香川真司擁するブンデスリーガのドルトムントを迎えての親善試合を行ったが、試合は香川の得点を含む0-6で敗戦した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ナビスコカップでは予選リーグ敗退となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "2ndステージ開幕戦直後にレナトが中国・広州富力へ移籍した。リーグ戦は2ndステージ7位、年間順位は6位で終えた。また大久保がシーズン23得点を挙げ史上初となる3年連続J1単独得点王に輝いた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "天皇杯では2回戦で中国リーグ所属の松江シティFC に、3回戦でJ2の京都に勝利、4回戦では前年チャンピオンのG大阪に敗戦。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "また、等々力陸上競技場のメインスタンド改修工事も完成し、3月のJ1開幕から供用された。これに合わせてチームは新スタンドのグラフィックや断面図をデザインした特別ユニフォームを試合で着用した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "風間体制5年目。西部洋平が清水、船山貴之、山本真希が千葉、杉本健勇がC大阪、山越享太郎が栃木、實藤友紀が福岡、松井謙弥が大宮へ完全移籍、湘南に期限付き移籍していた可児壮隆、千葉に期限付き移籍していた安柄俊が金沢へ期限付き移籍、角田誠(清水)、中澤聡太(C大阪)、森島康仁、森下俊(磐田)はそれぞれ期限付き移籍先へ完全移籍、福森晃斗は札幌への期限付き移籍期間が延長、アルトゥール・マイアが期限付き移籍期間満了により退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "補強は、北九州から大塚翔平、千葉から森本貴幸、柏から狩野健太、京都から原川力、札幌から昨シーズンFC東京に期限付き移籍していた奈良竜樹、水原三星ブルーウィングスから鄭成龍(チョン・ソンリョン)、アヴァイFCからエドゥアルド・ネットを完全移籍で獲得、高木駿が期限付き移籍先から復帰、順天堂大学から長谷川竜也が入団した。大島僚太がクラブで初めて日本人選手が10番を付ける事になった。シーズン中に柏からエドゥアルドを期限付き移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "1stステージは2位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "2ndステージは小林が開幕節の仙台戦から湘南戦までジュニーニョのクラブ記録を更新する6試合連続ゴールを挙げた。同試合でクラブ史上新記録となる15戦無敗を記録したのに加え、17クラブ全てに勝利した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "年間2位でクラブ史上初のJリーグチャンピオンシップ出場。チャンピオンシップ準決勝で鹿島に0-1で敗れ、総合順位としては年間3位 。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "天皇杯は準決勝では大宮を下して翌2017年シーズンのACL本戦出場権獲得した。2017年1月1日に行われた天皇杯決勝では準優勝。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "10月14日に風間の契約満了に伴う退任、11月7日にコーチを務めていた鬼木達の来季新監督就任が発表された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "鬼木達が監督に就任。大久保嘉人がFC東京、高木駿が大分、金沢へ期限付き移籍していた安柄俊が熊本に移籍。原川力が鳥栖、中野嘉大が仙台に期限付き移籍、福森晃斗が期限付き移籍先の札幌へ完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "補強は大宮から家長昭博、G大阪から阿部浩之、新潟から舞行龍ジェームズを完全移籍で獲得、エドゥアルド・ネット、エドゥアルドが完全移籍に移行、ユースから田中碧、桐光学園高校からタビナス・ジェファーソン、愛知学院大学から知念慶が入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "2017年のJ1は連敗が一度もなく19節の磐田戦以降15戦を無敗で突き進み、最終節大宮戦では5-0の勝利し、悲願のリーグ優勝。クラブ創設21年目にして初めての主要タイトル獲得を達成した。1999年のJ2発足初年度に所属していたクラブとして初のJ1リーグ優勝 Jリーグ史上4チーム目の2年連続勝ち点70以上となり、リーグ優勝が得失点差で決まったのはJリーグ史上初。年間4敗は2005年に1シーズン制が始まってからはリーグ史上最少タイで、4敗でのリーグ優勝は史上最少。得失点差+39でのリーグ優勝は史上最多タイ。最終節まで1度も首位に立たずに逆転優勝したのは2007年の鹿島に次いで、連勝は長くても3で止まっていた為4連勝以上を記録せずにリーグ優勝を果たしたのは2012年の広島に次いでいずれも史上2例目である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "個人では、鬼木が優勝監督賞を受賞したほか、23得点を記録した小林が最優秀選手賞と得点王を受賞した。また小林に加え、エウシーニョ、車屋、中村がベストイレブンに、さらにこの4人に加え、谷口、阿部、大島の7選手が優秀選手賞に それぞれ選出された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "3シーズンぶりの出場となったACLは水原三星ブルーウィングス、広州恒大淘宝、香港の東方足球隊と同組。グループステージを首位で通過した。決勝トーナメント準々決勝では浦和とのJリーグクラブ同士の対決で第1戦は3-1で勝利、第2戦もエウシーニョのゴールで先制するも興梠慎三のゴールで1-1の同点にされると車屋が退場した事で10人となってしまい、ズラタン、ラファエル・シルバに続け様にゴールを奪われて遂に2戦合計でも4-4と同点に追いつかれると、後半41分に高木俊幸に決められて2戦合計で4-5と2戦合計4-1からの逆転負けでベスト8敗退となってしまった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "ルヴァンカップではACL出場に伴って決勝トーナメントからの出場。初戦のFC東京には2戦合計7-1で3年ぶりに準決勝に進出。準決勝はベガルタ仙台と対戦。第1戦の前半は0-3とリードを許したが、後半アディショナルタイムに知念がプロ初ゴールを奪う等2-3として望みを繋ぐと等々力での第2戦では三好がシーズン初ゴールを決めたが、後半にセンターバックの奈良が退場し一時は2戦合計4-4となるも途中出場の長谷川の追加点で2戦合計5-4とし、8年ぶり4度目の決勝進出を果たした。決勝戦はセレッソ大阪と対戦。早々に奈良に代わって先発のエドゥアルドがクリアを空振りした末杉本に先制ゴールを奪われ、その後も得点を奪えずアディショナルタイムに前掛かりになった所をカウンターでソウザにゴールを奪われ試合終了。Jリーグカップ決勝で史上初の4試合ノーゴール かつJリーグカップ決勝の連敗が最長の4となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "鬼木体制2年目。狩野健太、大塚翔平が契約満了、井川祐輔が香港の東方足球隊、森本貴幸が福岡、JFL・今治へ期限付き移籍していた可児壮隆が鳥取へ完全移籍、板倉滉が仙台、三好康児が札幌に期限付き移籍、中野嘉大(仙台)、原川が期限付き移籍先の鳥栖へ完全移籍、ハイネルが期限付き移籍期間満了で退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "補強はFC東京から2シーズンぶりに加入する大久保、横浜FMから齋藤学、鹿島 から赤﨑秀平、山形から鈴木雄斗、湘南から下田北斗を完全移籍で獲得。ポープ・ウィリアムが完全移籍に移行し、阪南大学から脇坂泰斗、流通経済大学から守田英正が入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "初出場したFUJI XEROX SUPER CUPでは、C大阪と対戦。小林、大久保が得点するも2-3で敗れ準優勝。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "リーグ戦では、昨年の第20節のFC東京戦から第4節の名古屋戦までクラブ新記録となる19試合連続無敗を記録。2年連続で出場したAFCチャンピオンズリーグ2018では、ヒュンダイ・A・リーグ2位だったメルボルン・ヴィクトリー、中国スーパーリーグ2位の上海上港集団、韓国FAカップ優勝の蔚山現代と同組であったが、グループステージ敗退。エドゥアルド・ネットが名古屋に、大久保が磐田に移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "ACLに出場していた関係で2年連続で決勝トーナメントからの出場で、YBCルヴァンカップでは鹿島と対戦。カシマスタジアムでの準々決勝1stレグでは開始19分で先制を許すも、その12分後に知念慶がPKを決めて1-1のドロー。しかしホームの等々力が第87回日本学生陸上競技対校選手権大会で使われる為使用出来ず、味の素スタジアムで開催された2ndレグでは、前半に2ゴールを奪われ、後半阿部のゴールで1点を返すも準々決勝敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "天皇杯は準々決勝で山形に2-3敗戦。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "リーグ戦は、11月3日の第31節柏戦で3-0で勝利しクラブ史上初となる3年連続ACL出場権獲得を確定させ、11月10日に行われた第32節のC大阪戦で敗れたものの、広島も仙台に0-1で敗れた為、史上3例目となる最終節を待たずしてのリーグ優勝を達成した。これにより、Jリーグ史上5チーム目、オリジナル10以外では史上初となるJリーグ連覇を果たした。歴代のリーグ優勝チームの中で、2005年にJリーグが1シーズン制になってからは2015年からの2年間を除いて2位に12の勝ち点差をつけて優勝したのは史上最大である。得点数(57得点)と失点数(27失点と2年連続でクラブ史上最少を更新、当時Jリーグ史上3位 )と両項目でリーグトップを記録したのも最後の中断期間を挟まずにリーグ優勝を決めたのもいずれもJリーグ史上初である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "鬼木体制3年目。武岡優斗、田坂祐介、森谷賢太郎、エウシーニョが契約満了、エドゥアルドが松本、仙台に期限付き移籍していた板倉滉がマンチェスター・シティへ完全移籍、札幌に期限付き移籍していた三好が横浜FMに期限付き移籍、ポープ・ウィリアムが大分に期限付き移籍、赤崎秀平が名古屋に期限付き移籍、タビナス・ジェファーソンが岐阜に期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "補強は藤嶋栄介を山口から、ジェジエウをパラナ・クルーベからそれぞれ期限付き移籍、マギーニョをヴィラ・ノヴァFCから、元ブラジル代表でロンドン五輪の得点王のレアンドロ・ダミアンをSCインテルナシオナルから、馬渡和彰を広島から、山村和也をC大阪からそれぞれ完全移籍で獲得。昌平高校から原田虹輝が入団。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "2年連続出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、天皇杯優勝の浦和と対戦。レアンドロ・ダミアンが決勝点を挙げ、初優勝を飾った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "ACLではシドニーFC、上海上港、蔚山現代と同組。グループリーグ3位で決勝T進出を逃した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "7月19日、チェルシーFCと「明治安田生命Jリーグワールドチャレンジ2019」にて対戦。ダミアンのゴールで1-0で勝利した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "天皇杯では、神戸に敗れ4回戦で敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "YBCルヴァンカップは3年連続で決勝トーナメントから出場。前任の風間が率いる名古屋に等々力での第1戦は2-0で勝利し、パロマ瑞穂スタジアムでの第2戦は2-2で引き分け準決勝進出、準決勝は鹿島に等々力での第1戦は3-1で逆転勝ちし、第2戦はスコアレスドローで2年ぶりの決勝戦に進出した。決勝戦で札幌と対戦。前半10分に先制されるが、アディショナルタイムに脇坂のコーナーキックから阿部が押し込んでJリーグカップ決勝で初めての得点を挙げて前半を折り返す。後半43分に途中出場の小林が逆転弾を決めたが、後半アディショナルタイムにゴールキーパーの具聖潤も上がったコーナーキックから深井一希にヘディングで叩き込まれて2-2の同点となり延長戦に突入。延長前半4分に谷口がチャナティップの突破を止めたシーンで一度はイエローカードを提示されたが、その後VARの末に決定機阻止としてレッドカードが提示された。その直後のFKを試合前まで過去3年のJ1で当時6発決めている福森に直接決められ2-3と勝ち越されるが、延長後半4分に中村のコーナーキックから山村のシュート性で折り返した所を小林が合わせ史上8人目のJリーグカップ決勝で2ゴール。その後のPK戦では4番手の車屋が失敗するも新井が札幌の5番手・石川直樹を横っ飛びで防ぐとサドンデス戦で6番手の進藤亮佑も防ぎ5度目の決勝にして初優勝(2019年のJリーグカップ#決勝の欄も参照)。鬼木は国内3大タイトルを3年連続で獲得した日本人監督 となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "リーグ戦では、第5節の松本戦から第20節の大分戦まで15試合連続無敗を記録。6月30日に行われた第17節の磐田戦に3-1で勝利した事で関塚、風間に次いでクラブ史上3人目のJ1監督通算50勝を84試合目というクラブ史上最速 で達成したが、上位3クラブがホームで10勝以上(横浜FMとFC東京が12勝、鹿島が11勝)挙げた一方で残留争いを強いられたクラブを中心に下位(10位以下)から7分1敗と勝ち点を取り零し、この内6クラブにホームで引き分けて シーズン12分け と勝ちきれない試合が多く、等々力での勝利数は5勝どまり。負け数が1つ減ったにも関わらず年間順位は4位と鹿島が上位3チームの中で唯一天皇杯の決勝に進出していた為、ACL出場権獲得に望みを繋いでいたが、鹿島は決勝で神戸に0-2で敗れた為4年連続のACL出場権獲得は果たせなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "鬼木体制4年目。新井章太が千葉、奈良竜樹が鹿島、名古屋にレンタル移籍していた赤崎秀平が仙台、阿部浩之が名古屋へそれぞれ完全移籍、長崎にレンタル移籍していたカイオ・セザールがレンタル移籍期間を延長し、ポープ・ウィリアムが岡山に、タビナス・ジェファーソンがG大阪に、鈴木雄斗が松本に、マギーニョが横浜FC、馬渡和彰が湘南へ、知念慶が大分にそれぞれ期限付き移籍した。またHonda FCから遠野大弥を完全移籍で獲得し福岡へ、宮城天はユースから昇格し富山へそれぞれ期限付きで移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "補強は宮代大聖が復帰。レンタルで加入していた藤嶋、馬渡洋樹、ジェジエウを完全移籍で契約。ジオゴ・マテウス、イ・キョンテを期限付き移籍、丹野研太、山根視来を完全移籍で獲得。筑波大学から三笘薫、順天堂大学から旗手怜央、東海学園大学から神谷凱士、桐蔭横浜大学からイサカ・ゼインが入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "リーグ戦は鳥栖と引き分け開幕戦引き分けが8年連続に伸びたものの、新型コロナウイルスの影響で国内全ての公式戦が中断。8月15日の札幌戦で三笘と小林がそれぞれ2ゴールを挙げJ1で途中出場選手の2人が複数得点を挙げた史上初の記録。また小林がジュニーニョの持っていたクラブ最多得点記録を更新した。第11節C大阪戦では10連勝を達成。引き分けの制度が導入された現行の2003年以降では同一シーズンでのJ1新記録を達成した。第22節の広島戦を2-0で勝利しJリーグ史上初となる2度目の10連勝を記録。第25節のFC東京戦に勝利して12連勝を達成。クラブ史上初の神奈川ダービー(横浜FM、横浜FC、湘南)6戦全勝。11月25日、G大阪戦で5-0で勝利し2年ぶり3回目のリーグ優勝。4試合を残しての優勝はJ1史上最速。2006年に記録した延長戦廃止後の2003年以降のシーズン最多得点記録(84ゴール)を更新し、88ゴールと2回戦総当たりになった1996年以降では2位、延長戦が廃止された2003年以降では最多記録を更新した。シーズン3敗はJリーグ開幕後最小、シーズン26勝は2回戦総当たり制の現行ルールで最多記録。得失点差+57で優勝したのは1993年以降、2位に18の勝ち点差をつけて優勝したのはJリーグに勝ち点制が導入された1995年以降いずれもリーグ新記録。44試合制だった2004年のJ2でも104ゴールとJ2のシーズン最多得点記録を更新して優勝した為、J1とJ2でシーズン最多得点での優勝はJリーグ史上初である。また鬼木は国内3大タイトルを4年連続で獲得した史上初の日本人監督となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "個人では、鬼木が2年ぶりに優勝監督賞、家長、三笘、守田、田中、谷口、ジェジエウ、山根、登里、鄭成龍がベストイレブンに、さらにこの9人に加え、レアンドロ・ダミアン、小林、脇坂、大島の4選手が優秀選手賞にそれぞれ選出された。なおベストイレブンに9人選出されたのは1クラブ当たりの選出数としては史上最多である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "YBCルヴァンカップは4年ぶりのグループステージステージからの参加で4年連続のプライムステージ進出。ベスト8の神戸戦ではノエビアスタジアムで6-0とJリーグカップ決勝トーナメントのアウェイチーム最多得点差で勝利するも準決勝戦でFC東京に敗れてベスト4。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "100回目の天皇杯はコロナウイルスの影響による日程変更のため準決勝から参加となり、J3を制した秋田と対戦。前半39分に三笘が、後半36分に田中が自身初の直接フリーキックを決め2-0で勝利。決勝はG大阪と対戦して後半10分にレアンドロ・ダミアンのスルーパスに反応して抜け出した三笘が得点。1-0で制して天皇杯初優勝。Jリーグと天皇杯の2冠を達成した。J2からスタートしたチームとしては史上初の国内3大タイトル完全制覇となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "また、2003年からチームを牽引してきた中村憲剛が現役を引退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "鬼木体制5年目。中村が引退、湘南に期限付き移籍していた馬渡和彰が大宮に、松本に期限付き移籍していた鈴木雄斗が磐田に、岡山に期限付き移籍していたポープ・ウィリアムが大分に、G大阪に期限付き移籍していたタビナス・ジェファーソンが水戸に、下田が大分に、守田がCDサンタ・クララに、齋藤が名古屋に、カイオ・セザールが期限付き移籍先の長崎にそれぞれ完全移籍、コリチーバFCから期限付き移籍していたジオゴ・マテウスが退団した。横浜FCに期限付き移籍していたマギーニョが移籍期間を延長し、原田が鳥取に、宮代が徳島にそれぞれ期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "補強は福岡から遠野、大分から知念、富山から宮城がそれぞれ期限付き移籍から復帰。大分から小塚和季、松本から塚川孝輝、名古屋からジョアン・シミッチを完全移籍で獲得。静岡学園高校から田邉秀斗、桐蔭横浜大学から橘田健人が入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "2年ぶりの出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、Jリーグと天皇杯でいずれも準優勝のG大阪と対戦。三笘が公式戦3試合連続ゴールを挙げ、大会史上6人目の1試合2ゴールを挙げた。後半追いつかれるものの途中出場だった小林のゴールで勝ち越し2回目の優勝を飾った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "リーグ戦は開幕戦で横浜FMに2-0で勝利し、等々力開催で9年ぶりの開幕戦勝利を挙げて鬼木は監督通算85勝目。前任の風間を抜きクラブの通算監督勝利数で単独トップを挙げた後、C大阪、仙台、徳島、柏にも勝ち開幕5連勝。J2時代だった2004年の開幕3連勝を抜きクラブ史上最長となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "4月29日の第22節・5月4日の第12節は2位・名古屋との異例の2連戦であったが豊田スタジアムで4-0、等々力で3-2と連勝した", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "6月27日から7月11日のACLの6試合はウズベキスタンで、帰国後の7月17日から9月1日までの国内大会の9試合はすべてアウェイの会場での試合であり、約3ヶ月間は等々力で試合をする事ができなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "5月16日に札幌に2-0で勝利した事で、連続無敗記録が22試合となりJ1リーグ記録を更新。5月30日に鬼木が156試合目というJリーグ史上最速かつクラブ史上初の監督通算100勝目を達成。同時に開幕からの無敗記録を更新(最終的に30試合連続無敗となった)。11月3日、ホームで浦和と1-1で引き分け、横浜FMがG大阪に0-1で敗れた為、2年連続4回目のリーグ優勝を決めた。鬼木は国内3大タイトルを5年連続で獲得し、また一人で4回目のリーグ優勝を果たし、単独最多優勝監督となった。更に鬼木はYBCルヴァンカップと天皇杯のタイトルも1つずつ獲得しているので、獲得した国内三大大会で獲得したタイトル数は6と西野朗(G大阪時代に当たる2008年のACLも含めて)と並んで日本人監督で最多タイとなった。2年連続の年間勝ち点80以上もJリーグ史上初である。さらに、11月27日に等々力でG大阪に4-1で勝利し1996年以降ではリーグ史上初の年間勝ち点90以上。現行の勝ち点制に換算しても52試合制だった1995年のV川崎に次いで史上2番目に多い勝ち点92となった。また史上2チーム目のホームゲーム無敗を達成したのに続き、2020年の11月19日以降22戦無敗とクラブのホーム無敗記録を更新した。レアンドロ・ダミアンが23ゴールで得点王のタイトル を獲得、ジュニーニョが2007年に記録したクラブの外国人選手によるJ1最多得点記録を更新した。またシーズンは38試合に増えたにも関わらず28勝8分け2敗とシーズンの最少敗戦記録を更新した。イエローカードの枚数は18枚しか受けず、1試合平均0・47枚とJ1記録を24年ぶりに塗り替え、無警告試合は25試合で27年ぶりに塗り替えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "個人では、鬼木が2年連続で優勝監督賞、レアンドロ・ダミアン、家長、脇坂、旗手、谷口、ジェジエウ、山根がベストイレブン。さらにこの7人に加え、橘田、登里、鄭成龍の3選手が優秀選手賞に選出された。なおこれにより、通算40人とリーグ最多ベストイレブン輩出クラブになった。レアンドロ・ダミアンが2016年の中村、2017年の小林、2018年の家長に続きチーム史上4人目のJリーグMVPに選出された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "2年ぶりのACLでは、大島が怪我からの復帰を果たすも、田中が海外移籍を前提とした渡欧によりチームを離脱しデュッセルドルフへの期限付き移籍が決定した。グループステージでは6戦合計27得点の全勝で突破。第3戦のユナイテッド・シティFC(フィリピン)戦では橘田がクラブ史上初のACLハットトリック を達成したのに続き、国内外の公式戦ではクラブ史上最多となる1試合8得点をマークした。ラウンドオブ16で蔚山現代と対戦。0-0でPK戦の末敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "ルヴァンカップは準々決勝で浦和と対戦。アウェイでの第1戦は家長のPKで追いつき1-1。およそ3か月ぶりのホーム等々力での第2戦は3-3のドロー。2戦合計4-4ながら等々力でアウェーゴールを3点も奪われて敗退しベスト8。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "2連覇を目指した天皇杯では、2回戦でJ3のAC長野パルセイロを、3回戦でJ2千葉をそれぞれPK戦の末勝ち上がり、ベスト16ではJ1の清水を、ベスト8では鹿島を下して準決勝進出。大分との準決勝では、延長後半に小林のゴールで先制するも、下田のクロスをエンリケ・トレヴィザンに決められ同点に追いつかれこの大会3度目のPK戦の末、2番手の山村と7番手の山根が高木に止められてベスト4。結果的に、シーズンにおいてカップ戦(ACL・ルヴァンカップ・天皇杯)では1度の敗戦もなかったものの、いずれのタイトルも獲得出来なかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "鬼木体制6年目。イ・キョンテが岡山に復帰、旗手がセルティックに、長谷川が横浜FCにそれぞれ完全移籍、横浜FCに期限付き移籍していたマギーニョが期限付き移籍期間を満了し退団した。原田が長野に、宮代が鳥栖に、イサカ・ゼインが横浜FCに、神谷が藤枝にそれぞれ期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "補強は横浜FCから瀬古樹、札幌からチャナティップをそれぞれ完全移籍 で獲得、ユースから五十嵐太陽と高井幸大、興国高校から永長鷹虎、桐蔭横浜大学からユース出身者の早坂勇希、流通経済大学から佐々木旭、法政大学から松井蓮之が入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "4月2日に行われた第6節のC大阪戦に敗れるまでに記録したホーム25試合連続無敗は浦和とG大阪に並ぶリーグタイ記録、4月10日に行われた第8節の柏戦で鬼木は通算184試合目の指揮を執り、関塚を抜いて単独最多となった。またその柏戦からACLを挟んで5月21日に行われた第14節の鳥栖戦まで5試合連続で無失点となり、クラブ新記録となったが、守備陣は前年の11月7日に駅前不動産スタジアムで行われた鳥栖戦でジェジエウを左膝の前十字靭帯と内側側副靭帯を損傷する大怪我で失った影響が大きく、前半17試合終了時点で21失点と2015年以来7年ぶりに試合の半数を終えて6年ぶりにシーズンの失点数が試合数を超えた。また攻撃陣もJ1に初めて昇格した2000年以来22年ぶりとなる16試合連続3得点未満 と得点力も低下し、左ウィングで主に先発する事の多かったマルシーニョと宮城が合わせて5ゴールと前年ベルギーへ移籍する前に8ゴールを挙げた三笘の半数を超えるのが関の山だった。7月30日にジェジエウが復帰して以降8月は全勝。試合数の違いがありながら暫定で首位にも返り咲いたがその一方でレアンドロ・ダミアンが8月20日の福岡戦で右足関節の外側靱帯損傷と右腓骨筋肉離れで離脱しシーズン終了。9月に入り湘南に1-2で敗れてJ1でクラブ史上初の神奈川ダービー3敗目を喫するとそこから1勝2分1敗と失速し、3勝1分で乗り切った横浜FMに引き離され、10月1日に当時2020年以外はリーグ戦で無敗の札幌に3-4で敗れ鬼木体制で最多にして2014年以来8年ぶりの8敗目で勝ち点差を8にまで広げられた。その後清水や京都と残留を争っていた相手や神戸に全勝し、横浜FMが当時残留争いの渦中にいたG大阪と磐田に日産スタジアムで連敗し足踏みした事もあり勝ち点差を2まで縮めて最終節まで優勝の望みを繋いだ。最終節では退場者を出しながらもFC東京に勝利する意地を見せたが、横浜FMも勝利した事で最終順位は2位。ジェジエウがピッチにいない時に(途中交代で退いた時も含めて)前年と同じ28失点と全42失点の66%にのぼり、2010年以来12年ぶりにアウェー6勝どまり。18クラブ中唯一ホームの等々力で勝ち点40以上(43)を記録しながらアウェーでの勝ち点が23と優勝した横浜FM(勝ち点29)だけではなく7位の柏(勝ち点26)、4位の鹿島や5位のC大阪(いずれも勝ち点25)よりも少なく、特に敵地で下位(10位以下)のクラブ相手に3勝3分け3敗の勝ち点12 と取り零し続けた事が祟り2019年に続いてまたしても横浜FMにリーグ3連覇を阻まれた。なお去年も横浜FMと共にワンツーフィニッシュとなった為、同県同士のクラブが2年連続で2位以内に入ったのはJリーグ史上初である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "2年連続9回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグはマレーシアでグループリーグが集中開催された。マレーシア・スーパーリーグ王者・ジョホール・ダルル・タクジム、Kリーグ1で2位の蔚山現代、中国スーパーリーグの広州足球倶楽部と同組。広州に2勝したものの3勝2分1敗でグループIの2位。しかしACLに参加する予定だった上海海港足球倶楽部が上海での新型コロナウイルス拡大に伴って参加を辞退した為例年とは違うレギュレーション により5月を待たずしてグループステージ敗退が決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "天皇杯は札幌大学に5-0で勝利したものの、当時J2で11位だった東京Vに0-1で敗れ8年ぶりの3回戦敗退。なおカタールワールドカップが11月21日から12月18日にかけて開催される関係で日程が大幅に前倒しになった為、前身の富士通サッカー部時代も合わせて1977年に初出場して以降6月中に天皇杯で敗退したのはクラブ史上初である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "ACLに出場した関係でプライムステージから参加となったYBCルヴァンカップは準々決勝でC大阪と対戦。トップチーム関係者が新型コロナウィルスの陽性判断を受け、ベンチメンバーをゴールキーパー3人で埋めなければならなかったヨドコウ桜スタジアムでの第1戦は脇坂のゴールで1-1。等々力での第2戦はマルシーニョの2ゴールで2戦合計3-1とリードするも後半ATに加藤陸次樹に、実質ラストプレーで山田寛人にヘディングで押し込まれて痛恨の引き分け。2年連続で2点のリードを試合終了間際に途中出場の選手に奪われてアウェーゴール差による準々決勝敗退となった。なお2006年にJリーグカップ決勝トーナメントにアウェーゴール制度が導入されて以降2年続けてアウェーゴールで敗退したのはJリーグカップ史上初である。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "この年は、国内とアジアの合わせて5つのタイトル獲得に挑戦しながらジェジエウの離脱時にスーパーカップとACLと天皇杯のタイトルを失い、6年ぶりに無冠でシーズンを終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "鬼木体制7年目。知念が鹿島に、イサカ・ゼインが山形に、丹野が岩手に、谷口がアル・ラーヤンにそれぞれ完全移籍、原田が長野に、田邊が千葉に、五十嵐が山口にそれぞれ育成型期限付き移籍、神谷が甲府に、宮城が長崎にそれぞれ期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "補強は鳥栖から宮代が期限付き移籍から復帰。湘南から瀬川祐輔、京都から上福元直人、柏から大南拓磨を完全移籍で獲得。ユースから大関友翔、松長根悠仁、桐蔭横浜大学から山田新、履正社高校から名願斗哉が入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "横浜FM対甲府による富士フイルムスーパーカップのハーフタイムに行われた最後のJリーグマスコット総選挙でワルンタは2位に入賞。それまでは2015年のふろん太が6位だったので、過去最高順位と共にクラブ史上初のトップ3に入った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "AFCチャンピオンズリーグの開催時期が秋に変わった為、全クラブ参加となったJリーグYBCルヴァンカップでは、J2の清水、浦和、湘南と同組。センターバック中心に怪我人が続出した状態で開幕し、清水に2-3とJ2のクラブも参加する制度に変わった2019年以降では初めてJ2のクラブに敗れ、湘南と浦和にホームで2戦連続スコアレスドロー。4節の清水に6発大勝したものの、マルシーニョが左ハムストリング肉離れで離脱した状態で臨んだ第5節の浦和戦で瀬川のゴールで先制するも逆転負け。レモンガススタジアムで湘南に2点ビハインドからの逆転勝ちを収めたが、直接対決のレギュレーションが優先される為、7年ぶりのグループリーグ敗退となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "年明け早々にレアンドロ・ダミアンが右足関節の手術で合流が遅れ、1月のトレーニング中に小林が左第5趾基節骨骨折で、翌月のトレーニングでは登里が左ヒラメ筋肉離れでそれぞれ開幕戦を棒に振った中で始まったリーグ戦では、開幕戦の横浜FM戦に敗北しジェジエウがレッドカードで退場し車屋が右ハムストリングの肉離れで2年連続の開幕戦負傷退場。3節の湘南戦でそのジェジエウが左膝外側半月板損傷で、4節の新潟戦では2節の鹿島戦で退場したセンターバックの山村とインサイドハーフの大島がそれぞれ負傷交代と離脱者続出に歯止めがかからなかった上、センターバックの高井がウズベキスタンで行われたAFC U23アジアカップの代表招集で失っていた事も重なってしまい、千葉に育成型期限付き移籍で放出していた田邊(千葉では2試合で22分しか出場出来ず)を復帰させても最終ラインが手薄となった序盤は9節終了時点で2勝3分4敗と負けが先行する形となった。その田邊も4月7日のG大阪戦で左膝の内側側副靭帯を損傷し全治4~5か月の離脱を余儀なくされ、その後3連勝を飾るが連敗も目立ち、かつて圧倒的な強さを誇ったホーム等々力で競り負ける試合が増えた。第29節で新潟に2-3で敗れた事で、5試合を残して優勝の可能性が消滅した。鹿島には相性の良さを発揮し、3年連続のシーズンダブルを達成した一方で残留争いのG大阪、昇格したばかりの新潟にシーズンダブルを食らう等不安定だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "また、10月29日に行われた第31節の柏戦で遠野がレッドカードを受け、シーズン7枚目かつ7人目の退場者を出す。当時J2だった2002年と2003年の6枚を抜き、加えて全員違う選手が退場処分を受けている為、レッドカードの枚数・選手共にクラブ史上最多となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "また、前述のマルシーニョが左ハムストリング肉離れで、レアンドロ・ダミアンが前述の右足関節の手術に加えて、6月21日に左足関節捻挫で再び離脱する等外国人選手も怪我に苦しんだ為、開幕戦から外国人選手のノーゴールが続きリーグ戦での初ゴールは、開幕して27戦目にあたる9月15日に等々力で行われたFC東京との多摩川クラシコまで待たなければならず、ガラタサライから補強しクラブ史上初のヨーロッパ諸国出身選手となったバフェティンビ・ゴミスを獲得してもゴールを奪えず、外国人選手のゴール数は5(マルシーニョとジョアン・シミッチが1ゴール、レアンドロ・ダミアンが3ゴール)と「富士通川崎フットボールクラブ」から改めて現在のクラブ名になったジャパンフットボールリーグ時代も含めてクラブ史上最少タイと足を引っ張ってしまい、最終順位は2012シーズン以来11年ぶりの8位で2013シーズン以降では最低記録となった。しかし、天皇杯では、決勝での柏戦でスコアレスドローでPK戦の末3年ぶり2度目の優勝を果たし、来季のACL出場権を獲得した。なおACL出場権を獲得するのは4年連続でクラブ史上最長である。また鬼木は西野を抜いて日本人監督最多となる7個目の国内三大タイトル獲得となり、鹿島時代に率いたオズワルド・オリヴェイラの6個を抜いて1クラブでの最多タイトル獲得となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "功労選手賞", "title": "タイトル・表彰" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "富士通サッカー部は1996年にプロ化を推進するにあたり、Jリーグの理念に沿った地域社会との共生を目指すことをテーマに掲げた。地元川崎市の各行政区でのサッカースクール(学校巡回スクール含む)の実施といったサッカーに関わることだけでなく、地域の市民・区民まつりへの参加、市内各商店街等の行事への選手らの派遣(お年始など)、また地元商店街加盟店舗などの協賛によるマン・オブ・ザ・マッチの表彰制度「あんたが大賞」、週末のホームゲームでのサイン会等を積極的に行うように務めた。特に、クリスマスシーズンに行われる入院児への訪問活動「青いサンタクロース」は毎年恒例の奉仕活動として定着している。", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "ホームタウンである川崎市も2004年9月に「川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー」を制定。フロンターレはこの創設メンバーとして認定を受けた。また、川崎市は他の地元企業・団体、またサポーター持株会と共に、運営会社の株式の一部を取得した。現在は富士電機・富士通グループ各社のほか、川崎市に本社や事業所を持つ企業・公益法人など36の団体が出資している。2016年からは男子バスケットボールのジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)でとどろきアリーナをホームとする「川崎ブレイブサンダース」とのコラボレーション企画を発表し、ホームゲーム同日開催時のチケット割引サービスなどを実施している。", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "2006年はクラブ創立10周年に当たり、川崎市商店街連合会を通じ、市内の全商店街の街灯にチームの応援タペストリーを配布。2014年には同連合会に加盟する市内全域の11地区の商店街連合会 全てと市連合会の青年部が「あんたが大賞」として、フロンターレの主催試合で最も印象に残る活躍をした同チームの選手 に各地区の名産品などの商品を贈り、持株会の理事長には川崎市商店街連合会の相談役(元会長)である和田義盛が就任している。", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "また広報担当者のインタビュー記事には、後援会員の75%が等々力陸上競技場と富士通本店・川崎工場のある中原区、クラブ事務所のある高津区、そして市が整備しフロンターレが指定管理者となって2006年4月に開業した「フロンタウン・さぎぬま」(フットサル場)のある宮前区の3区在住者で占められる。", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "川崎競馬場で2006年11月2日にJBCマイル競走の前座として「祝10周年・フロンターレ特別」が行われた。", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "トップチームの麻生練習場がある麻生区では2009年に「麻生アシストクラブ」が発足した。「しんゆり・芸術のまちづくりフォーラム」内に事務所が置かれ、商店街や各種団体などが構成する同クラブを川崎市役所(麻生区役所)やフロンターレが後援する形を取って、同区内での広報・支援活動を展開する事になった。同クラブでは小田急電鉄の協力も受け、麻生練習場の最寄り駅である小田急多摩線栗平駅のホーム脇陸橋に告知看板を出すなどの活動をしている。", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "スポーツ交流パートナー事業以外の異競技交流では大相撲・中川部屋が川崎市にある という縁で、フロンターレのファン感謝デーに中川部屋の力士をゲスト出演として招き、フロンターレの主催試合では中川部屋の所属力士が同部屋のちゃんこを販売する屋台が競技場外の広場に毎回出店されていた。また、毎年1度は同部屋の力士が等々力陸上競技場を訪れ、相撲にちなんだイベントを行う「イッツァスモウワールド」 を実施していた。2014年は開催が途切れたが、2015年4月29日のJ1・1stステージ第8節、柏レイソル戦では2年ぶりに開催され、同部屋力士によるアトラクション、特製ちゃんこなどの飲食販売、等々力陸上競技場での枡席の設置、選手入場前の呼出による両チーム名の読み上げなどが行われた。なお、この時の開催は日本相撲協会も後援し、本場所(五月場所)のチケット販売、特製焼き鳥の販売、マスコット「ひよの山」の来場、始球式では振分親方(高見盛精彦)の参加した。2016年10月に春日山部屋が閉鎖されたため2017年は開催が見送られたが、中川部屋としての再興により2018年には再開された。2019年は中川部屋勢に加え、川崎市出身久々の幕内力士となった友風勇太(尾車部屋)が参加し、始球式を行った。2020年は新型コロナウイルスの影響により開催されていない。2009年からは毎年1回、両国国技館での本場所でフロンターレが告知してサポーターが集まる中川(春日山)部屋応援ツアーが実施された。2011年も九月場所(秋場所)9日目の9月19日に実施された。春日王は2011年4月に引退したが、同年の「イッツ・ア・スモウワールド」開催日となった5月3日のジュビロ磐田戦では春日王が試合前にグラウンドに登場して引退報告と今までの支援への感謝を述べ、5月28日に行われた春日王の断髪式には武田社長が参加した。", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "元プロボクサーの新田渉世が川崎市多摩区に開いている川崎新田ボクシングジムとも協力関係にあり、2011年8月16日にとどろきアリーナで行われた同ジム主催の興行ではふろん太が登場し、「日本マスコット級タイトル決定戦(非公認)」として一平くん(愛媛FC応援マスコット)と対戦して勝利した後、メインイベントだった黒田雅之の日本ライトフライ級タイトルマッチでのラウンドボーイを務めた。", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "2009年からは地元密着のための事業の一つとして、小学6年生用のオリジナル算数ドリルを作成し市内の小学校に配布している。これはプレミアリーグのアーセナルがロンドン市と共同で毎年製作している外国語学習教材にヒントを得たもので、初年度は市内の1校のみに配布されたが、2010年は前年のナビスコ杯準優勝の賞金を原資に市内の全小学校及び特別支援学校に配布先を拡大。2011年からは川崎市からも補助金が出るようになった。このドリルを題材とした小学生と選手の交流授業「算数ドリル・ゲストティーチャー」も行われている他、2011年には東日本大震災で被害を受けた岩手県陸前高田市の小学校にも同ドリルが寄付された", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "2015年、旧川崎球場をリニューアルしてオープンした川崎富士見球技場(富士通スタジアム川崎)の指定管理者に、東急コミュニティーと共同で認定され、フロンターレのサッカースクール生による練習、並びにユースチームの公式戦に使用されている。", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "2016年3月現在、Jリーグが実施しているスタジアム観戦者調査において、2010年シーズンから5年連続で地域貢献度1位の評価を得ている。", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "毎試合、審判・両チーム選手入場前にサポーターが川崎市民の歌『好きです かわさき 愛の街』を歌うことが慣例となっている。", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "2023年3月、「Anker フロンタウン生田」を開業。", "title": "地域密着" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "1997年のクラブ発足当初から存在していたファンクラブと、1999年に川崎市が設立した市民後援会が合流し、2001年から現在の川崎フロンターレ後援会の形となった。愛称は「ブルーフレンズ」。後援会長は事実上川崎市長の充て職で、初代は高橋清、その後は長く阿部孝夫が務めた後、2013年11月からは福田紀彦が就任している。毎年7月1日の市制記念日 付近で行われる「市制記念試合」では、後援会長を兼任する市長が試合前に挨拶をするのが恒例となっている。", "title": "後援会" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "後援会員には個人・ファミリー・ジュニア(小中学生) の3種別。", "title": "後援会" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "2014年は27,051人で初めて2万5千人を超え、2016年に3万人、2018年に4万人、2019年には4万5千人を超えた。", "title": "後援会" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "地域別では川崎市在住者が26,104人で全体の57%を占める。川崎市外の会員数では横浜市が4,032人で最も多く、次いで中原区に隣接する東京都大田区、世田谷区などとなっている。", "title": "後援会" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "人件費は事業費に含まれる。", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 169, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016 2017 2018 2019 2020", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 170, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 171, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016 2017 2018 2019 2020", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 172, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "決算" } ]
川崎フロンターレは、日本の神奈川県川崎市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
{{サッカークラブ |font-color = #FFFFFF |background-color = #23B1EA |border-color = #221615 |原語表記 = 川崎フロンターレ |愛称 = 川崎、川崎F、フロンターレ、FRO |カラー = {{colorbox|#23B1EA}} サックスブルー<ref name="jleague" /><br />{{colorbox|#221615}} ブラック<ref name="jleague" /><br />{{colorbox|#FFFFFF}} ホワイト<ref name="jleague" /> |創設 = 1955 |リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]] |ディビジョン = [[J1リーグ]] |クラブライセンス = J1 |ホームタウン = [[神奈川県]][[川崎市]]<ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/club/kawasakif/day/|title=クラブガイド:川崎フロンターレ|publisher=[[日本プロサッカーリーグ]]|accessdate=2014-07-23}}</ref> |スタジアム = [[ファイル:Kawasaki Frontale 2008.11.23.JPG|216px]]<br/>[[等々力陸上競技場]]<ref name="jleague" /> |キャパ = 26,827<ref name="jleague" /> |法人名 = 株式会社川崎フロンターレ<ref name="jleague" /> |代表 = 吉田 明宏<ref name="jleague" /> |監督 = {{Flagicon|JPN}} [[鬼木達]] |HP = https://www.frontale.co.jp/ |pattern_la1 = _kawasaki frontale 2023 HOME FP |pattern_b1 = _kawasaki frontale 2023 HOME FP |pattern_ra1 = _kawasaki frontale 2023 HOME FP |pattern_sh1 = _kawasaki frontale 2023 HOME 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統一金融機関コード = | SWIFTコード = | 事業内容 = サッカークラブの運営他 | 代表者 = 吉田 明宏<ref name="jleague" /> | 資本金 = 3億4,900万円 | 発行済株式総数 = | 売上高 = 69億6,900万円 (2020年1月期)<ref name="jl2019">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h31kaiji-1.pdf|title=2019年度(平成31年度)Jクラブ個別情報開示資料|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2020-10-15}}</ref> | 営業利益 = 8億100万円 (2020年1月期)<ref name="jl2019"/> | 経常利益 = 8億200万円 (2020年1月期)<ref name="jl2019"/> | 純利益 = 5億6,200万円 (2020年1月期)<ref name="jl2019"/> | 純資産 = 21億200万円 (2020年1月期)<ref name="jl2019"/> | 総資産 = 33億7,600万円 (2020年1月期)<ref name="jl2019"/> | 従業員数 = | 決算期 = 1月期 | 主要株主 = [[富士通]]・[[川崎市]]他36法人・団体 | 主要子会社 = | 関係する人物 = | 外部リンク = {{Official website}} | 特記事項 = | 郵便番号 = 213-0013 }} '''川崎フロンターレ'''(かわさきフロンターレ、{{Lang-en-short|Kawasaki Frontale}})は、[[日本]]の[[神奈川県]][[川崎市]]をホームタウンとする<ref name="jleague" />、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 == 概要 == [[1955年]]に'''[[富士通サッカー部]]'''として創部。[[1997年]]に[[Jリーグ準会員制度|Jリーグ準会員]]に承認され、[[1999年]]にJリーグへ加盟。ホームスタジアムは[[中原区]]の[[等々力陸上競技場]]、練習場は[[麻生区]]の[[川崎フロンターレ麻生グラウンド]]。最前線で挑戦し続ける開拓精神を基軸としており、クラブ名も「フロンティアスピリッツ」が由来としている<ref name=":422">{{Cite web|和書|title=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|url=http://www.frontale.co.jp/|website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|accessdate=2021-05-31|language=ja}}</ref><ref name=":522">{{Cite web|和書|title=川崎フロンターレについて:KAWASAKI FRONTALE|url=https://www.frontale.co.jp/about/club_profile.html#|website=www.frontale.co.jp|accessdate=2021-05-31}}</ref><ref name=":622">{{Cite web|和書|title=新チーム名称は「川崎フロンターレ」に決定!!~98年Jリーグ昇格を目指す富士通川崎FC、新チーム名称を発表~|url=https://pr.fujitsu.com/jp/news/1997/Feb/25.html|website=pr.fujitsu.com|accessdate=2021-05-31}}</ref>。エンブレムは川崎市の花 [[ツツジ]]、チームマスコット イルカ、チームカラーを基に、世界に向けて開かれた活力と、魅力ある臨海都市 川崎をシンボライズしたマークである<ref name=":422" /><ref name=":522" />。クラブマスコットは先進技術やスピードをモチーフとしている[[ふろん太]]<ref name=":422" /><ref name=":522" />、[[カブレラ]]、ワルンタ。 呼称に関しては、川崎市をホームタウンとするクラブで、Jリーグ公式サイトやDAZNのテロップ表記では「川崎F」の略称を用いている。Jリーグ創成期に[[東京ヴェルディ1969]]が等々力陸上競技場を本拠地とし、チーム呼称を「ヴェルディ川崎」としていた名残による物である。ただし、一部のスポーツ新聞([[スポーツニッポン]]・[[日刊スポーツ]]など)を除き新聞のスコアテーブルなどでは「川崎」とだけ表記している。 <!--記述の必要性についてノートで議論中につきコメントアウト === 大宮アルディージャとの縁故 === {{独自研究|section=1|date=2021年11月12日 (金) 22:48 (UTC)}} [[大宮アルディージャ]]は1999年に川崎と同時にJリーグに参入し、2004年に川崎と同時にJ1昇格が確定した縁故があり、ライバル関係とされている<ref>{{Cite web|title=J1リーグ2006/第20節試合結果 | 大宮アルディージャ公式サイト {{!}} 試合日程・結果 アーカイブ {{!}} 大宮アルディージャ公式サイト|url=https://www.ardija.co.jp/match/archive/detail/archive/2006j/0826.html|website=www.ardija.co.jp|accessdate=2021-06-23|language=ja}}</ref>。クラブ同士のスタイルも正反対であり、川崎が開拓精神的な攻撃的サッカーを主軸としていることに対し、大宮は堅守やバランスを提唱している<ref name=":42">{{Cite web|title=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|url=https://www.frontale.co.jp/about/club_profile_jp.html|website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|accessdate=2021-05-31|language=ja}}</ref><ref name=":52">{{Cite web|title=クラブプロフィール|url=https://www.frontale.co.jp/about/club_profile.html|website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|accessdate=2021-11-13}}</ref><ref name=":62">{{Cite web|title=�$B?7%A!>N$O!V@n:j%U%m%s%?!|url=https://pr.fujitsu.com/jp/news/1997/Feb/25.html|website=pr.fujitsu.com|accessdate=2021-05-31}}</ref><ref>{{Cite web|title=クラブ概要 {{!}} 大宮アルディージャ公式サイト|url=https://www.ardija.co.jp/club/outline.html|website=www.ardija.co.jp|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref>。2016年後半では、川崎と大宮間での選手同士・サポーター同士のトラブルが発生<ref>{{Cite web|title=大久保退場で10人の川崎、一時は逆転も乱打戦落とす 大宮MF江坂が劇的決勝弾|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160917/494355.html|website=サッカーキング|accessdate=2021-05-26|language=ja|first=FromOne|last=co.,Ltd}}</ref><ref>{{Cite web|title=川崎サポーターへの処罰が決定 大宮選手バス妨害で5試合入場禁止|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160925/497111.html|website=サッカーキング|accessdate=2021-05-26|language=ja|first=FromOne|last=co.,Ltd}}</ref>。また、大宮の中心選手であった[[家長昭博]]が川崎へ移籍することになった(家長の2014年の大宮移籍後初ゴールは第3節 川崎戦であり、同時にJ1通算17500ゴールとなった)。2017年最終節では大宮に5-0で大勝した。この試合で川崎のリーグ初優勝が確定し、大宮のJ1最下位によるJ2降格が確定した<ref name=":1">{{Cite web|title=川崎逆転、歴史動いた 川崎5―0大宮 サッカーJ1:朝日新聞デジタル|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S13256859.html|website=朝日新聞デジタル|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref><ref name=":2">{{Cite web|title=【J1採点&寸評】川崎 5-0 大宮|川崎のエースに最高点の「9」! 先制弾の阿部、2アシストの家長も高評価|url=https://news.livedoor.com/article/detail/13973623/|website=ライブドアニュース|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref><ref name=":3">{{Cite web|title=劇的逆転、歓喜の涙 開始早々、主導権 12月2日・大宮戦 {{!}} カナロコ by 神奈川新聞|url=https://www.kanaloco.jp/sports/entry-22695.html|website=カナロコ|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref>。大宮監督の[[石井正忠]]にとっては、前年度では鹿島を優勝させて[[レアル・マドリード]]との試合で世界2位という結果になったのにも関わらず、2017年度では優勝チームとの試合での大敗による最下位・J2降格という正反対の結果となった<ref name=":1" /><ref name=":2" /><ref name=":3" />。2021年には大宮がJ2最下位になったことに対し、川崎はJ1首位で大宮のJ1通算21戦連続無敗記録を更新した<ref>{{Cite web|title=【データが語る】21戦無敗の12~13年大宮と20~21年川崎Fを比較 - データが語る - サッカーコラム : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/soccer/column/data/news/202105120001108.html|website=nikkansports.com|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|title=川崎FがJ1新記録、22試合連続無敗を達成! 三笘薫と小林悠の得点で札幌下す|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20210516/1428543.html|website=サッカーキング|accessdate=2021-05-28|language=ja|first=FromOne|last=co.,Ltd}}</ref><ref>{{Cite web|title=川崎フロンターレがJ1新記録達成!大宮アルディージャ上回る22戦連続無敗|url=https://www.footballchannel.jp/2021/05/16/post421577/|website=フットボールチャンネル|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|title=J1川崎、22戦無敗の新記録 G大阪は完敗(写真=共同)|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK00797_W1A510C2000000/|website=日本経済新聞|date=2021-05-16|accessdate=2021-05-28|language=ja}}</ref>。 --> == 歴史 == === 前史 === {{main|富士通サッカー部}} 1955年に創部された「[[富士通サッカー部]]」が前身であり<ref name="jleague" />、[[1972年]]に[[日本サッカーリーグ]]へ昇格、1992年から[[ジャパンフットボールリーグ]](旧JFL)へ参加<ref name="jleague" />。[[1996年]]に「'''富士通川崎フットボールクラブ'''」へ改称し、11月21日に運営会社となる「'''富士通川崎スポーツマネジメント株式会社'''」を設立。 1997年に[[Jリーグ準会員制度|Jリーグ準会員]]となり<ref name="jleague" />、名称が公募によって'''川崎フロンターレ'''と決定された。 === 1997年 - 1998年 (JFL) === ====1997年==== [[ファイル:Todoroki Athletics Stadium.jpg|thumb|right|320px|川崎フロンターレ試合風景 (2006年11月26日)]] Jリーグ昇格条件の2位以内を目指すため、小浜誠二が事実上の責任者となる常務に就任。監督を富士通社員の[[城福浩]]からプロ契約の[[斉藤和夫]]へと交代し<ref group=注釈>城福は監督続投を希望したが容れられず、社業専念となった。1998年、FC東京設立準備室に招かれた城福は富士通を退社してプロ指導者へ転身、2008年-2010年途中にはFC東京のトップチーム監督に就任してフロンターレと「多摩川クラシコ」で対戦した。</ref>、選手では[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]の[[中西哲生]]、[[湘南ベルマーレ|平塚]]の[[ジウベルト・カルロス・ナシメント|ベッチーニョ]]、[[横浜フリューゲルス|横浜F]]の[[桂秀樹]]、[[清水エスパルス|清水]]の[[向島建]]、[[横浜F・マリノス|横浜M]]の[[小泉淳嗣]]等を獲得。 ブラジルの[[グレミオFBPA|グレミオ]]との業務提携も発表した<ref>{{Cite web|和書|title=川崎フロンターレ、「グレミオ」と姉妹クラブ関係を締結|url=https://pr.fujitsu.com/jp/news/1997/Mar/27-2.html|website=pr.fujitsu.com|accessdate=2020-05-05|publisher=富士通}}</ref>。現在のチームカラーが水色と黒なのは、グレミオのチームカラーを模した名残である<ref>{{Cite web|和書|title=意外!デザインのルーツが「他のチームだった」ユニフォーム5着|url=https://qoly.jp/2020/04/24/football-jersey-design-roots-lfb-1?part=5|website=Qoly|accessdate=2020-05-05}}</ref>。 最終成績は3位となり、勝ち点1差でJリーグ昇格を逃した。 ==== 1998年 ==== [[ロベルト・デ・アルメイダ|ベット]]が監督に就任。[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から[[鬼木達]]が加わり、[[ヴァルディネイ・フレイタス・ダ・マッタ|ヴァルディネイ]]や[[リボニール・ルッシェル|ツゥット]]などの[[ブラジル人]][[フォワード (サッカー)|FW]]が活躍した。前年は[[桐光学園中学校・高等学校|桐光学園高校]]からの新入団直後にグレミオにサッカー留学していた[[佐原秀樹]]も試合に出場し、社員選手でも[[川元正英]]や[[久野智昭]]がレギュラーでプレーした。準優勝となったが、[[J1参入決定戦1回戦]]の[[アビスパ福岡|福岡]]戦で[[ゴールデンゴール|Vゴール]]負けを喫し、[[J2リーグ|Jリーグ ディビジョン2]] (J2) への参入が決まった。{{Main|J1参入決定戦1回戦}} === 1999年 (J2) === ベット体制2年目。元日本代表の[[岩本輝雄]]を獲得して同時に主将に据えた。リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第5節の[[ヴァンフォーレ甲府]]戦に勝利した後、ベットを監督から解任。[[Jリーグカップ]]1回戦の[[ガンバ大阪|G大阪]]戦<ref group=注釈>2試合で1勝1敗、合計得点数の差で敗退した。</ref> を挟み、第6節、4月18日の札幌戦から[[松本育夫]]に監督が交代した<ref group=注釈>2000年3月に出版された松本の著書『尽くしてみないか、全力を-サッカーがくれた熱血意識革命』の中で、この監督就任は[[メキシコシティオリンピック]]でのチームメイト(主将)だった元富士通監督の[[八重樫茂生]]からの要請だった事を明かしている。</ref>。松本に反発した岩本はやがてチーム構想から外されたが<ref group=注釈>岩本はこのシーズン限りで退団し、その後もフロンターレへのわだかまりを口にしていたが、2006年に岩本がNHK衛星放送の『東海道五十三次完全踏破 [[街道てくてく旅]]』で旧[[東海道]]の約500kmを徒歩で歩いた際には、[[川崎宿]](川崎市川崎区)通過時にフロンターレスタッフ・ふろん太・サポーター有志が応援のため集まった。</ref>、岩本に代わって主将に就任した中西の起用や[[柏レイソル|柏]]から途中加入した[[ディフェンダー (サッカー)|DF]][[森川拓巳]]などが守備を安定させ、攻撃面ではブラジル人の[[パウロ・セザール・フォンセカ・ド・ナシメント|ティンガ]]が活躍した。松本就任後のチームは順調に勝ち点を伸ばし、7月30日・第19節の[[大宮アルディージャ|大宮]]戦に勝利して首位に立ち、[[11月5日]]の[[サガン鳥栖|鳥栖]]戦(等々力)に勝利し、J1昇格条件のJ2の2位以内が確定。[[11月8日]]にJ2優勝も決めた<ref group=注釈>2位のFC東京が大宮に敗れたため。</ref>。 前年のJ1参入戦に続くこの年の戦いは中西が自身のホームページで日記として書き続け、シーズン終了後に『魂の叫び J2聖戦記』として出版された<ref group=注釈>サッカーライターの[[金子達仁]]・[[戸塚啓]]との共著。</ref> この年の開幕戦にチーム初のマスコットとして[[ふろん太]]を発表<ref group=注釈>ふろん太の公式プロフィールでは、生年月日をこの開幕戦が行われた1999年3月14日としている。出典:フロンターレ公式サイト、選手・スタッフプロフィール内「マスコット ふろん太」</ref>。5月には練習場が富士通南多摩グラウンドから、川崎市[[麻生区]]片平にある[[川崎フロンターレ麻生グラウンド|麻生グラウンド]](旧・[[大東学園高等学校]]グラウンド)に移転。市内全体での広報活動を強化し、川崎市も市民後援会を発足させた。 === 2000年 (J1) === 松本が監督を退いて社長となり、後任としてヘッドコーチの[[ゼッカ]]が監督に就任。[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から[[奥野僚右]]、[[鈴木隆行]]、[[バルデマール・アウレリアーノ・デ・オリベイラ・フィリョ|マジーニョ]]、[[鬼木達]](再移籍)などを獲得。[[サッカーパラグアイ代表|パラグアイ代表]][[ミッドフィールダー|MF]][[ギド・アルバレンガ|アルバレンガ]]、元[[サッカー日本代表|日本代表]]FW[[森山泰行]]等が加入した。 シーズン途中にヘッドコーチの[[今井敏明]]が後任の監督に就任。第15節(最終節)の[[セレッソ大阪|C大阪]]戦では[[我那覇和樹]]の得点と[[浦田尚希]]が延長Vゴールを決め、2 - 1で勝利してC大阪の優勝を阻止した<ref group=注釈>1stステージの優勝は横浜M。この試合は「長居の悲劇」と呼ばれるようになった。</ref> 1stステージは16チーム中15位で終えた。シーズン2度目の監督交代で[[小林寛 (サッカー選手)|小林寛]]が就任した。ナビスコ杯決勝では鹿島に敗れて準優勝。リーグはJ2降格が決定した。 シーズン後には、監督小林の他、ゼネラルアドバイザー・杉本、社長・松本、副社長・小浜、[[奥野僚右]]、中西などがクラブを退団した。 === 2001年 - 2004年 (J2) === ==== 2001年 ==== ヴェルディ川崎が調布に移転したことで、川崎唯一のJ1チームとなった。 [[堀井美晴]]を監督、[[エジヴァウド・オリヴェイラ・シャヴェス|ピッタ]]をコーチに迎え、前年に[[サンパウロFC]]から[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へレンタル移籍していた[[マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ|エメルソン]]を完全移籍により獲得した。7月14日の第20節・甲府戦に引き分けた時点で8位。堀井を監督から解任し、[[石崎信弘]]を新監督に迎えた。新人DFの[[伊藤宏樹]]は出場停止の最終節を除く43試合に出場した。 シーズンは7位。[[第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第81回天皇杯]]はベスト4<ref group=注釈>これは「[[リストラ]]選手の活躍」(参照:[[ノート:リストラ選手の活躍|ノート]])として話題となり、2006年に出版された『クラブ創設10周年メモリアルブック』(兼2006年イヤーブック)でもこの表現で紹介された。</ref>。 クラブ体制自体も一新され、富士通サッカー部のマネージャーや[[日本サッカーリーグ]]の運営委員、富士通本社の部長などを務めてきた<ref>川崎市立大師小学校でのPTA講演会の「[http://www.tomuraya.co.jp/syougakkou-68.htm 後援者紹介]」、2003年作成、2013年9月29日閲覧。</ref>[[武田信平]]が前年12月から社長に、強化本部長(GM)に元富士通サッカー部監督の[[福家三男]]、強化部長に同サッカー部の元選手である[[庄子春男]]が就任し、福家と庄子が強化責任者となった。運営面では地域社会との関係強化が図られ、運営会社の商号が「株式会社川崎フロンターレ」へ変更され、川崎市や他企業、およびサポーター持株会などからの資本を受け入れた。また、クラブによる従来のファンクラブと、川崎市が組織していた川崎市民後援会が統合された。 ==== 2002年 ==== 石崎体制2年目。[[アントニオ・ベント・ドス・サントス|ベンチーニョ]]、[[マルコス・ボニファシオ・ダ・ローシャ|マルキーニョ]]や途中加入の[[マーロン・デ・ソウザ・ロペス|マーロン]]、[[アレックス・アントニオ・デ・メロ・サントス|アレックス]]などのブラジル人選手が攻撃を担った。リーグ戦は4位。[[第82回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第82回天皇杯]]はベスト8。 新加入の岡山一成は試合後にバックスタンドの前でサポーターから[[メガホン]]を借り、ビールケースの上に乗って観客に対する「マイクパフォーマンス」を度々行った。これは「岡山劇場」と呼ばれ、クラブ・チームとファン・サポーターの一体化に大きく貢献し、岡山の退団後もクラブの伝統として他選手や来賓・ゲストなどに引き継がれた<ref group=注釈>岡山自身もこのパフォーマンスで注目され、その後も移籍先のチームで「岡山劇場」を続けて、サポーターから根強い人気を得るようになった。</ref>。 ==== 2003年 ==== 石崎体制3年目。ブラジルの[[SEパルメイラス]]から獲得したFW[[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]が[[我那覇和樹]]とともに前線で活躍、また[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から移籍したDF[[アウグスト・ペドロ・デ・ソウザ|アウグスト]]も攻守にわたりチームをまとめ上げた。[[大宮アルディージャ|大宮]]からFW[[ホルヘ・デリー・バルデス|バルデス]]を獲得したが<ref group=注釈>バルデスは札幌時代の1997年にフロンターレとの2試合ともにVゴールを決め、札幌のJFL優勝に貢献していた。</ref>、シーズン途中に退団した。日本人の新加入選手では、大分からMF[[山根巌]]、中央大学からMF[[中村憲剛]]などが加わった。 リーグ最多の88得点、リーグ最少の7敗ながらリーグ最多タイの13引き分けと、最終的には2位と勝ち点1差の3位に終わり、J1昇格に失敗した。シーズン終了後にチームから、石崎の契約満了が発表された。[[第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第83回天皇杯]]ではベスト16に進出し、2回戦の[[長崎県立国見高等学校|国見高校]]戦(等々力)の後には選手やサポーターによる石崎の胴上げが行われた。 ==== 2004年 ==== :チームスローガン:「'''Mind-1 勝点1への執念―こころ1つにJ1へ。'''」 [[関塚隆]]が監督に就任。鹿島からDF[[相馬直樹]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から2年連続でJ2リーグ得点王の[[マルクス・ビニシウス・デ・モライス|マルクス]]を補強した。リーグ戦では開幕直後から首位を独走し、[[9月26日]]・第36節の[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦([[笠松運動公園陸上競技場|笠松]])でマルクスの2ゴールにより2 - 1で勝利してJ2の2位以内によるJ1昇格が決まり<ref group=注釈>Jリーグ理事会での決定が必要な為、この表現を用いた。</ref>、続く[[10月2日]]・第37節の[[横浜FC]]戦(等々力)にも勝利して5年ぶり2度目のJ2優勝が確定。シーズン最終成績も当時のJ2としては史上最多となる勝ち点105<ref>その後仙台が51試合制だった2009年に勝ち点106を達成した為、J2では史上2位である。</ref>、2023年現在でもJ2のシーズン最多である得点104と、昇格後に設定した「ダブル・トリプル」の目標を達成。2位の大宮に当時としては最多となる18の勝ち点差をつけてJ2を制した。また、ジュニーニョは37得点を挙げてJ2得点王を獲得した。[[第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会|第84回天皇杯]]ではベスト16に入った。なお、この年のスローガン「Mind-1」は、2011年からの[[東日本大震災]]復興支援活動で再び利用されている。 === 2005年 - (J1) === {{独自研究|section=1|date=2019年1月}} ==== 2005年 ==== :チームスローガン:「'''FRONTALE FORTISSIMO -強く激しく!!-'''」 関塚体制2年目。地域密着に更に力を入れるため、エンブレムからFUJITSUの企業名をはずす。 現有戦力をベースにし、若干名の補強選手を加えて臨んだが、終盤戦ではチーム新記録となる6連勝を記録。また、[[川崎市]]出身のDF[[箕輪義信]]が日本代表に選出された。鹿島、千葉、柏、東京V、磐田、名古屋から初勝利を挙げ、シーズン成績は8位となり、J1残留を果たした。天皇杯は2年ぶりにベスト8へ進出した。 ==== 2006年 ==== :チームスローガン:「'''Challenge the Future'''」 関塚体制3年目。アウグストが退団、相馬・久野が現役を引退。[[マルコス・アルベルト・スカビンスキ|マルコン]]を獲得。開幕となる新潟戦で[[我那覇和樹]]が日本人初の開幕戦ハットトリック<ref>鹿島にいた[[柳沢敦]]も広島との開幕戦でハットトリックを達成し、2人同時にハットトリックを達成している。</ref> などにより6 - 0、第2節の[[京都サンガF.C.|京都]]戦でもジュニーニョのハットトリックを含む7 - 2で勝利、開幕2試合で13得点のJリーグ新記録を打ち立てて好スタートを切り、[[2006 FIFAワールドカップ]]前の中断期間を暫定ながら首位で折り返した。中断期間中にマルクスが[[東京ヴェルディ1969|東京V]]に移籍した一方、MF[[マギヌン・ラファエル・ファリアス・タバレス|マギヌン]]を獲得した。 W杯終了後に日本代表に我那覇、続いて[[中村憲剛]]がそれぞれ初招集された。 リーグは2位。ジュニーニョ、我那覇、中村、[[谷口博之]]の4選手がリーグ戦で2桁得点を挙げ、シーズン84ゴール(リーグ1位)と前年にJリーグを制したG大阪が持っていた82ゴールを上回り、2回戦総当たりになった1996年以降では2位、延長戦が廃止された2003年以降のJ1シーズン最多得点記録となった。中村と谷口はJベストイレブンに選出。 前年の天皇杯で優勝し、既に[[AFCチャンピオンズリーグ]] (ACL) 出場権を得ている浦和がリーグ優勝を達成した為、規定により[[AFCチャンピオンズリーグ2007]]への出場権を獲得した。 ==== 2007年 ==== [[画像:Nabisco Final 2007 Kawasaki.JPG|thumb|right|300px|ナビスコカップ決勝時のコレオグラフィー]] :チームスローガン:「'''One for Goal, Goal for One'''」 関塚体制4年目。シーズン前の練習試合で新加入の[[フランシスマール・カリオカ・デ・オリベイラ|フランシスマール]]が左膝[[靭帯損傷|靱帯断裂]]の重傷を負った。 4月21日に[[埼玉スタジアム2002]]で行われた第7節では、浦和のホーム連続不敗のJリーグ記録を25試合で止めた。 4月23日、[[我那覇和樹]]が試合後に受けた疲労回復の静脈注射(点滴)がJリーグの[[ドーピング]](禁止薬物使用)規定違反と認定され、自粛期間を含めて公式戦6試合の出場停止、チームにも1000万円の罰金が課された。2008年に[[スポーツ仲裁裁判所]]で審理される事になったが、仲裁の結果は我那覇にドーピングの事実が認められないとされ、かつ、Jリーグ側に仲裁費用の負担を求める異例の裁定となった。 [[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から獲得したGK[[川島永嗣]]は全34試合フル出場。プロ2年目の[[鄭大世]]が12得点し、ジュニーニョは22得点で得点王に輝き、リーグ2位の計66得点を挙げた。5位でシーズンを終了した。 [[AFCチャンピオンズリーグ2007]]は、グループリーグF組を1位で通過したが、準々決勝で[[フーラッド・モバラケ・セパハンFC|セパハン]]にPK戦で敗退した。 また、9月23日のJ1第26節・[[柏レイソル|柏]]戦(柏)で、セパハンとの第1戦から先発選手8人を入れ替えて臨んだ。Jリーグ専務理事(当時)の[[犬飼基昭]]<ref group=注釈>ACLプロジェクトチームを主宰。イランからの帰国時に[[アラブ首長国連邦|UAE]]のドバイまでのチャーター便費用を補助していた。</ref> は「ベストメンバーの出場を求めた自分達への背信行為であってサポーターへの裏切り行為だ」と怒りを顕わにしたが、川崎側は当該試合の前にJリーグ事務局へ予め[[ベストメンバー規定]]に抵触していない旨を事前確認していた。また犬飼の発言を受け、サポーター団体はクラブの選手起用を支持する弾幕を提示した。 ナビスコ杯は決勝で[[ガンバ大阪|G大阪]]に敗れて準優勝。天皇杯はベスト4。 [[AFCアジアカップ2007]]に[[中村憲剛|中村]]および川島が日本代表に選出。中村は決勝まで5試合連続で先発起用された。また、代表候補合宿には[[森勇介]]と[[黒津勝]]も初招集された。FW[[鄭大世]]も[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|北朝鮮代表]]に初選出され、[[東アジアサッカー選手権2008]]予選大会で3試合8得点で得点王となり、翌年2月の本大会進出に貢献した。 ==== 2008年 ==== :チームスローガン:「'''With 12 (supporters) '''」 関塚体制5年目。MFマギヌンが名古屋へ移籍。[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ期限付き移籍していた[[吉原慎也]]、[[ジヴァニウド・ヴィエイラ・ジ・ソウザ|フッキ]]らがチームに復帰し、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]より[[山岸智]]を獲得。また、[[青山学院大学]]からMF[[田坂祐介]]、[[駒澤大学体育会サッカー部|駒澤大学]]からMF[[菊地光将]]、[[早稲田大学ア式蹴球部|早稲田大学]]からDF[[横山知伸]]、下部組織よりトップチームへ昇格のDF[[吉田勇樹]]らが加入。 起用法を不満としたフッキが4月2日に退団、東京Vへ完全移籍した。罹患していた持病の[[不整脈]]の悪化もあり、関塚が検査入院のため離脱。同月24日に監督を辞任。ヘッドコーチの[[高畠勉]]が監督に昇格した。 一方、5月27日には[[我那覇和樹]]が、[[スポーツ仲裁裁判所]] (CAS) にJリーグが科した処分(ドーピング禁止規定違反)の取り消しを求めた問題で、スポーツ仲裁裁判所は我那覇の訴えを認める裁定を下した(ただし、Jリーグ側は誤訳を盾に我那覇本人、及び当時のチームドクターへの正式な謝罪は未だ行われていない)。 6月21日には[[箕輪義信]]を[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ期限付きで放出し、7月8日には[[サントスFC]]のMF[[ヴィトール・シルバ・アシス・デ・オリベイラ・ジュニオール|ヴィトール・ジュニオール]]を期限付移籍で獲得。7月29日にはFW[[都倉賢]]を[[ザスパクサツ群馬|草津]]に期限付きで放出、8月5日にはサントスのFW[[レナト・カルロス・マルティンス・ジュニオール|レナチーニョ]]を期限付き移籍で獲得した。 8月に川崎フロンターレ後援会の会員数が初の2万人を突破。また、この頃から[[等々力陸上競技場]]の老朽化及び混雑に対し、競技場の全面改修を求める請願書の提出の一環として、シーズン終盤に10万筆目標の署名活動を行った(最終的に15万4020筆を集め、2月18日に川崎市へ提出)。 リーグは準優勝でシーズンを終え、[[AFCチャンピオンズリーグ2009]]の出場権を獲得した。 ==== 2009年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #99B3FF solid 1px" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.65|y=1.21|scale=220|text=[[関塚隆|<span style="font-size: 10pt; color: navy;">監督 '''関塚'''</span>]]}} {{Image label|x=0.43|y=1.07|scale=220|text=[[川島永嗣|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''川島'''</span>]]}} {{Image label|x=0.75|y=0.83|scale=220|text=[[森勇介|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''森'''</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.92|scale=220|text=[[菊地光将|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''菊地'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26|y=0.92|scale=220|text=[[伊藤宏樹|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''伊藤'''</span>]]}} {{Image label|x=0.13|y=0.83|scale=220|text=[[村上和弘|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''村上'''</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.42|scale=220|text=[[レナト・カルロス・マルティンス・ジュニオール|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''レナチーニョ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.66|scale=220|text=[[横山知伸|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''横山'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26.5|y=0.66|scale=220|text=[[谷口博之|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''谷口'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.42|scale=220|text=[[中村憲剛|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''中村'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.25|scale=220|text=[[鄭大世|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''鄭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.22|y=0.25|scale=220|text=[[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''ジュニーニョ'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2009年シーズン基本フォーメーション}} |} :チームスローガン:「'''ONE STEP'''」 関塚が再び監督に、高畠は再びヘッドコーチに就任した。 我那覇と箕輪がそれぞれ[[ヴィッセル神戸|神戸]]、[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]に完全移籍し、[[原田拓]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]へ、[[大橋正博]]が[[Kリーグクラシック|Kリーグ]][[江原FC|江原]]へ、レンタル移籍だった[[都倉賢]]、[[西山貴永]]が完全移籍。前年に[[東京ヴェルディ1969|東京V]]のレンタル移籍から復帰した吉原慎也が[[ジュビロ磐田|磐田]]へ再度レンタル移籍した。[[FC東京]]にレンタル移籍していた[[佐原秀樹]]のレンタル期間が1年延長された。 主な補強は[[セレッソ大阪|C大阪]]へ期限付き移籍していた[[相澤貴志]]の復帰、新戦力として、[[特別指定選手]]として[[2004年]]・[[2005年]]に所属していた[[清水エスパルス|清水]]の[[矢島卓郎]]を完全移籍で獲得、レンタル移籍だったヴィトール・ジュニオールを完全移籍で獲得。 [[2009年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]は準優勝。この決勝戦後の表彰式において、一部選手が首にかけて頂いた準優勝メダルを外すといった行動<ref name=f20091104>[http://www.frontale.co.jp/info/2009/1104_1.html 弊クラブ所属選手の行為について (お詫び)]、川崎フロンターレ公式サイト、2009年11月4日</ref> をとった。これを受けて、クラブ側は謝罪<ref name=f20091104/>、準優勝賞金5000万円の自主返還、社長ら役員3人の減俸、[[森勇介]]の最低1試合の出場停止などの処分を発表した<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2009/1105_5.html 弊クラブ所属選手の行為について (対応・処分)]、川崎フロンターレリリース、2009年11月5日</ref>。Jリーグ側は賞金返還をホームタウン活動への使用を提案。サッカーボールや図書、少年サッカーチームへのビブスなどの物品の他、残額は全て川崎市への寄付とされた<ref>天野春果「僕がバナナを売って算数ドリルを作るワケ」37頁(2011年・小学館)</ref>。 リーグは準優勝。関塚が監督を辞任した。 [[12月26日]]に『公益のため多額の私財を寄附した』功に対して、[[日本国政府|日本政府]]より褒状を受けた<ref>『[[官報]]』 [[2010年]](平成22年)1月8日付 第10頁 褒賞に告知されている。</ref>。 ==== 2010年 ==== :チームスローガン:「'''+α -Plus ALFA-'''」 監督にヘッドコーチの[[高畠勉]]が就任。U-18で指導に当たっていたクラブOBの[[鬼木達]]がトップチームコーチに就任。 横浜FMから[[小宮山尊信]]が完全移籍、[[スタッド・レンヌ]]から9年ぶりのJリーグ復帰となる[[稲本潤一]]を獲得。[[佐原秀樹]]が[[FC東京]]への期限付き移籍から2年ぶりに復帰した。[[村上和弘]]が大宮へ移籍。[[吉原慎也]]が退団(のち[[柏レイソル|柏]]に加入)、[[山岸智]]や、[[養父雄仁]]、[[久木野聡]]・[[杉浦恭平]]などがそれぞれ期限付き移籍した。 [[AFCチャンピオンズリーグ2010|2010年のACL]]は予選敗退。 [[2010 FIFAワールドカップ日本代表]]に[[川島永嗣]]、[[稲本潤一]]、[[中村憲剛]]の3人が選出され、川島は日本の全4試合にフル出場し、ベスト16進出に貢献した。また稲本が2試合、中村が1試合出場した。[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|北朝鮮代表]]には[[鄭大世]]が選出された。 W杯終了後の7月、川島が[[ベルギー]][[ベルギー・ファースト・ディビジョンA|1部]]の[[リールセSK]]へ、鄭が[[ドイツ]][[2. ブンデスリーガ (ドイツサッカー)|2部]]の[[VfLボーフム]]へ移籍。レナチーニョが高畠の采配に不満を訴え、練習ボイコットからブラジルへ無断帰国し、8月末に[[ポルトガル]][[プリメイラ・リーガ|1部]]の[[ポルティモネンセSC|ポルティモネンセ]]へ期限付き移籍した。 川島の穴を[[相澤貴志]]が埋めた一方、鄭の穴を埋めるには至らず、5位でシーズンを終了。高畠はシーズン終了後に監督を退任した。 ==== 2011年 ==== :チームスローガン:「'''挑 -いどむ-'''」 この年からユニフォームサプライヤーがプーマに変更。 [[FC町田ゼルビア|町田]]元監督の[[相馬直樹]]が監督に就任。DF[[森勇介]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]、[[谷口博之]]が[[横浜F・マリノス|横浜FM]]、[[植草裕樹]]がレンタル移籍先の[[モンテディオ山形|山形]]、[[木村祐志]]が[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]へそれぞれ移籍した。 横浜FMから[[山瀬功治]]と[[田中裕介]]、東京Vから[[柴崎晃誠]]、U-21代表の[[實藤友紀]]ら6人の新人選手が加入した。 強化本部長には福家が退任し、[[庄子春男 (サッカー選手)|庄子春男]]が就任した。 7月23日(第6節)の[[アルビレックス新潟|新潟]]戦から9月11日(第25節)の[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦までリーグ8連敗を喫した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00125214.html|title=【J1:第25節 川崎F vs 神戸】|work=J's Goal|date=2011-09-12|accessdate=2012-12-04}}</ref>。9月17日(第26節)の[[モンテディオ山形|山形]]戦に勝利して、連敗を止めた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00125542.html|title=【J1:第26節 山形 vs 川崎F】|work=J's Goal|date=2011-09-18|accessdate=2012-12-04}}</ref> 。リーグは11位。 同年3月11日に発生した[[東日本大震災]]に対する復興支援活動として、フロンターレは「Mind-1」キャンペーンとしての支援活動を開始し、津波で甚大な被害を受けた[[岩手県]][[陸前高田市]]などへの物資提供などを開始し、翌年以降も継続した(地域密着の項目を参照)。 4月23日のリーグ再開初戦、[[ベガルタ仙台|仙台]]戦は[[Jクロニクルベスト]]の「ベストマッチ (10試合) 」、[[J30ベストアウォーズ]]の「[[J30ベストアウォーズ・ベストマッチ|ベストマッチ (1試合)]] 」にも選ばれた。 {{Main|J30ベストアウォーズ・ベストマッチ}} ==== 2012年 ==== :チームスローガン:「'''一体感'''」 相馬体制2年目。ジュニーニョが[[鹿島アントラーズ|鹿島]]へ完全移籍したほか、[[相澤貴志]]<ref group=注釈>2000年-2007年、2009年-2011年まで在籍(2008年は[[セレッソ大阪]]にレンタル移籍。)</ref> が[[FC町田ゼルビア|町田]]に、[[横山知伸]]が[[セレッソ大阪|C大阪]]に、[[菊地光将]]が[[大宮アルディージャ|大宮]]に、[[久木野聡]]が[[栃木SC]]に完全移籍、[[棗佑喜]]が栃木SCに、[[薗田淳]]が町田にレンタル移籍、[[松本拓也 (サッカー選手)|松本拓也]]がレンタル移籍期間満了につき[[湘南ベルマーレ|湘南]]に復帰、昨シーズン[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]にレンタル移籍していた[[養父雄仁]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]へ完全移籍、[[吉田勇樹]]が現役を引退し、スクール・普及コーチに就任した。 補強は、湘南から[[西部洋平]]、C大阪から[[小松塁]]、京都から[[森下俊]]を完全移籍で、[[コリチーバFC]]から[[レナト・リベイロ・カリスト|レナト]]、[[ジェシマウロ・ジョゼ・ボルゲス|ジェシ]]。[[グレミオFBPA|グレミオ]]から[[レネ・フェレイラ・ドス・サントス|レネ・サントス]]をレンタル移籍で獲得、2年間[[愛媛FC|愛媛]]にレンタル移籍していた[[杉浦恭平]]が復帰した。 4月11日に相馬を解任した。[[望月達也]]が監督代行し、同月23日、筑波大監督の[[風間八宏]]が監督に就任した。7月1日に風間監督の長男である[[風間宏希]]と次男の[[風間宏矢]]が入団し、Jリーグ史上初めて同時に父が監督、息子が選手として所属した<ref>[[ゲキサカ]]記事、「[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?101505-103021-fl J初の親子鷹誕生!!川崎Fが風間兄弟の加入を正式発表]」、2012年7月1日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。 リーグは8位。 本拠の等々力が大型改築に入った。 ==== 2013年 ==== :チームスローガン:「'''Wing -勝利に向かって進み続ける-'''」 風間体制2年目。[[黒津勝]]が[[横浜FC]]、[[山瀬功治]]が京都、[[楠神順平]]がC大阪、[[小松塁]]が大分に、昨シーズン途中から古巣の東京Vに期限付き移籍していた[[柴崎晃誠]]が[[徳島ヴォルティス|徳島]]へそれぞれ完全移籍。同じくシーズン途中から栃木SCへ期限付き移籍していた[[田中雄大 (1988年生のサッカー選手)|田中雄大]]が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]に、[[杉浦恭平]]が[[ヴィッセル神戸|神戸]]へ、[[安藤駿介]]が湘南へ、[[森下俊]]が横浜FCへ期限付き移籍した。 補強では横浜FMから[[森谷賢太郎]]、札幌から[[山本真希]]、[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[中澤聡太]]、神戸から[[大久保嘉人]]、東京Vから[[新井章太]]を、新外国人としてパトリックを獲得。棗佑喜と薗田淳が期限付き移籍から復帰した。風間の強い要望でトレーニングコーチとして[[西本直]]が入閣した(5月に一身上の都合で退団)。 [[2013年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]では、[[2010年のJリーグカップ|2010年]]以来3シーズンぶりに決勝トーナメント進出を果たした。準決勝の浦和戦は2戦合計3-3アウェーゴール数の差で敗退した。 Jリーグでは開幕から6戦勝ちなしと苦しいスタートとなったが、7節から17節は僅か2敗で8勝1分で前半を折り返すと、後半戦も3試合勝ちなしから持ち直して最後8試合は7勝1敗で締めくくり、最終節で対戦した横浜FMとの[[神奈川ダービー]]を1-0で勝利。横浜FMの優勝を阻止し、共に敗れた3位の鹿島と4位の浦和を抜いて3位に入り[[AFCチャンピオンズリーグ2014]]出場権を獲得した。 天皇杯では[[高知大学体育会サッカー部|高知大学]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]、[[モンテディオ山形|山形]]に順調に勝ち進み、ベスト8で[[サガン鳥栖|鳥栖]]に延長戦の末敗れた。 ==== 2014年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #99B3FF solid 1px" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.65|y=1.21|scale=220|text=[[風間八宏|<span style="font-size: 10pt; color: navy;">監督 '''風間'''</span>]]}} {{Image label|x=0.43|y=1.07|scale=220|text=[[西部洋平|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''西部'''</span>]]}} {{Image label|x=0.75|y=0.83|scale=220|text=[[武岡優斗|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''武岡'''</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.92|scale=220|text=[[實藤友紀|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''實藤'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26|y=0.92|scale=220|text=[[谷口彰悟|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''谷口'''</span>]]}} {{Image label|x=0.13|y=0.83|scale=220|text=[[登里享平|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''登里'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.45|scale=220|text=[[森谷賢太郎|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''森谷'''</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.66|scale=220|text=[[中村憲剛|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''中村'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26.5|y=0.66|scale=220|text=[[大島僚太|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''大島'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.45|scale=220|text=[[レナト・リベイロ・カリスト|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''レナト'''</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.25|scale=220|text=[[大久保嘉人|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''大久保'''</span>]]}} {{Image label|x=0.28|y=0.25|scale=220|text=[[小林悠 (サッカー選手)|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''小林'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2014年シーズン基本フォーメーション}} |} :チームスローガン:「'''OURS'''」 風間体制3年目。[[伊藤宏樹]]が現役を引退、[[風間宏矢]]が[[大分トリニータ|大分]]、[[矢島卓郎]]が横浜FM、[[棗佑喜]]が[[松本山雅FC|松本]]、[[風間宏希]]が[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]へ、[[薗田淳]]が札幌、鳥取へ期限付き移籍していた[[田中雄大 (1988年生のサッカー選手)|田中雄大]]が[[水戸ホーリーホック|水戸]]へ完全移籍、[[高木駿]]が千葉へ期限付き移籍、[[アラン・ロペス・ピニェイロ|アラン・ピニェイロ]]、[[ロブソン・ジャヌアリオ・デ・パウラ|ロブソン]]が期限付き移籍期間満了、[[谷尾昂也]](鳥取)[[杉浦恭平]](神戸)が期限付き移籍先に完全移籍、昨年横浜FCに期限付き移籍していた[[森下俊]]は[[ジュビロ磐田|磐田]]に期限付き移籍した。 補強は、大分から[[森島康仁]]、横浜FCから[[武岡優斗]]を完全移籍で、栃木から[[パウロ・ロベルト・ゴンサガ|パウリーニョ]]、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[金久保順]]を期限付き移籍で獲得、[[安藤駿介]]が期限付き移籍から復帰、昨年途中に[[特別指定選手]]として登録された[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]のMF[[谷口彰悟]]、[[阪南大学サッカー部|阪南大学]]のMF[[可児壮隆]]が入団した。 [[AFCチャンピオンズリーグ2014|2014年のACL]]では3回目の決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメントでは前年のファイナリストである[[FCソウル]]と対戦しトータルスコア4-4だったものの、アウェーゴールの差でベスト16。天皇杯は3回戦で[[愛媛FC]]に敗れる。ナビスコカップは小林が代表招集され準決勝のG大阪に2戦合計4-5で敗れ、ベスト4。リーグ戦では15節から26節までは当時首位だった浦和を破る等僅か2敗で突き進みACL圏内の順位で推移していたが、鬼門だった新潟市のデンカビッグスワンスタジアムでは相変わらず勝てず、当時残留争いを強いられていた甲府や清水に2試合連続で逆転負けしたのに加え、その清水戦で主将の中村が右足関節捻挫で離脱したのも重なり、27節からの8試合で2勝1分け5敗と急失速してしまい6位。 ==== 2015年 ==== :チームスローガン:「'''ATTRACTIVE'''」 風間体制4年目。[[田中裕介]]が[[オーストラリア]]の[[ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC|ウエスタン・シドニー]]へ、[[稲本潤一]]が札幌へ、[[杉山力裕]]が[[清水エスパルス|清水]]へ完全移籍、[[福森晃斗]]が札幌へ、[[可児壮隆]]が[[湘南ベルマーレ|湘南]]へ、[[森島康仁]]が磐田へ、[[中澤聡太]]が[[セレッソ大阪|C大阪]]へ期限付き移籍、[[パウロ・ロベルト・ゴンサガ|パウリーニョ]]、[[ジェシマウロ・ジョゼ・ボルゲス|ジェシ]]、[[金久保順]]が期限付き移籍期間満了につき退団した。また[[高木駿]]、[[森下俊]]の期限付き移籍期間が延長した。 補強は、[[ベガルタ仙台|仙台]]から[[角田誠]]、大宮から[[橋本晃司]]、松本から[[船山貴之]]、C大阪から[[杉本健勇]]、[[徳島ヴォルティス|徳島]]から[[松井謙弥]]を完全移籍で、[[アメリカFC (ミナスジェライス州)|アメリカFC]]から[[エルソン・フェレイラ・デ・ソウザ|エウシーニョ]]を期限付き移籍で獲得。ユースから[[板倉滉]]、[[三好康児]]が昇格し、昨年途中に[[特別指定選手]]として登録された[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]の[[車屋紳太郎]]、同じく筑波大学の[[中野嘉大]]が入団した。 [[4月25日]]のJ1リーグ1st7節[[ヴァンフォーレ甲府]]戦にてホーム[[等々力陸上競技場]]でのJ1リーグ戦通算100勝目を達成。 2000年から社長を務めていた武田信平が会長に就任。後任の社長には藁科義弘が就任した。 6月には、[[VfLボーフム]]に所属していた[[田坂祐介]]が3年ぶりに復帰した。 9節のFC東京戦では大久保嘉人がJ1の通算得点で横浜FCの三浦知良と並んだ。終盤に3連勝を飾り1stステージは5位で終えた。 7月にはホーム等々力に[[香川真司]]擁するブンデスリーガの[[ボルシア・ドルトムント|ドルトムント]]を迎えての親善試合を行ったが、試合は香川の得点を含む0-6で敗戦した。 ナビスコカップでは予選リーグ敗退となった。 2ndステージ開幕戦直後にレナトが中国・[[広州城足球倶楽部|広州富力]]へ移籍した。リーグ戦は2ndステージ7位、年間順位は6位で終えた。また大久保がシーズン23得点を挙げ史上初となる3年連続J1単独得点王に輝いた。 天皇杯では2回戦で中国リーグ所属の[[FC神楽しまね|松江シティFC]]<ref group=注釈>松江には谷尾昂也が所属していて、この試合にフル出場し、川崎所属時には実現しなかった等々力での公式戦出場を果たした。出典:ゲキサカ「[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?171254-171254-fl 念願の等々力でプレーした松江シティFC FW谷尾「こんな形でできるとは」]」、2015年9月6日付、2017年4月23日閲覧。</ref> に、3回戦でJ2の京都に勝利、4回戦では前年チャンピオンのG大阪に敗戦。 また、等々力陸上競技場のメインスタンド改修工事も完成し、3月のJ1開幕から供用された。これに合わせてチームは新スタンドのグラフィックや断面図をデザインした特別ユニフォームを試合で着用した<ref>川崎フロンターレ、「[http://www.frontale.co.jp/info/2015/0622_16.html 「新メインスタンド完成記念ユニフォーム」着用と販売のお知らせ]」、2015年6月22日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。 ==== 2016年 ==== :チームスローガン:「'''CHALLENGE THE FUTURE'''」 風間体制5年目。[[西部洋平]]が清水、[[船山貴之]]、[[山本真希]]が千葉、[[杉本健勇]]がC大阪、[[山越享太郎]]が栃木、[[實藤友紀]]が[[アビスパ福岡|福岡]]、[[松井謙弥]]が大宮へ完全移籍、湘南に期限付き移籍していた[[可児壮隆]]、千葉に期限付き移籍していた[[安柄俊]]が[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ期限付き移籍、[[角田誠]](清水)、[[中澤聡太]](C大阪)、[[森島康仁]]、[[森下俊]](磐田)はそれぞれ期限付き移籍先へ完全移籍、[[福森晃斗]]は札幌への期限付き移籍期間が延長、[[アルトゥール・ブラジリアーノ・マイア|アルトゥール・マイア]]が期限付き移籍期間満了により退団した。 補強は、[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]から[[大塚翔平]]、千葉から[[森本貴幸]]、柏から[[狩野健太]]、京都から[[原川力]]、札幌から昨シーズンFC東京に期限付き移籍していた[[奈良竜樹]]、[[水原三星ブルーウィングス]]から[[鄭成龍|鄭成龍(チョン・ソンリョン)]]、[[アヴァイFC]]から[[エドゥアルド・ダ・シルヴァ・ナシメント・ネット|エドゥアルド・ネット]]を完全移籍で獲得、[[高木駿]]が期限付き移籍先から復帰、[[順天堂大学]]から[[長谷川竜也]]が入団した。大島僚太がクラブで初めて日本人選手が10番を付ける事になった。シーズン中に柏から[[カルロス・エドゥアルド・ベンディニ・ジュスティ|エドゥアルド]]を期限付き移籍で獲得した。 1stステージは2位。 2ndステージは小林が開幕節の[[ベガルタ仙台|仙台]]戦から[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦までジュニーニョのクラブ記録を更新する6試合連続ゴールを挙げた。同試合でクラブ史上新記録となる15戦無敗を記録したのに加え、17クラブ全てに勝利した。 年間2位でクラブ史上初の[[Jリーグチャンピオンシップ]]出場。チャンピオンシップ準決勝で鹿島に0-1で敗れ、総合順位としては年間3位<ref group=注釈>年間勝ち点では3位だった鹿島がチャンピオンシップで優勝し、順位が繰り下がった。</ref> 。 [[第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は準決勝では大宮を下して翌2017年シーズンの[[AFCチャンピオンズリーグ2017|ACL]]本戦出場権獲得した<ref group=注釈>決勝で対戦する鹿島は既にJ1優勝による本戦出場権を得ていた為、仮に決勝で敗れても天皇杯優勝チームに与えられる本戦出場権が繰り上げで与えられる事になっていた。</ref>。2017年1月1日に行われた天皇杯決勝では準優勝。 10月14日に風間の契約満了に伴う退任、11月7日にコーチを務めていた[[鬼木達]]の来季新監督就任が発表された<ref group=注釈>11月上旬には大久保のFC東京移籍が公然となり、本人も来季からの移籍を認めていた。なお、公式発表は天皇杯決勝終了後の2017年1月になった。出典:スポニチアネックス、大西純一「[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/11/23/kiji/K20161123013772700.html なぜ川崎F大久保のFC東京移籍がこんなに早く決まったのか]」、2016年11月23日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。 ==== 2017年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #99B3FF solid 1px" |- |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.65|y=1.21|scale=220|text=[[鬼木達|<span style="font-size: 10pt; color: navy;">監督 '''鬼木'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.07|scale=220|text=[[鄭成龍|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''鄭成龍'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.83|scale=220|text=[[エウシーニョ|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''エウシーニョ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.92|scale=220|text=[[奈良竜樹|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''奈良'''</span>]]}} {{Image label|x=0.26|y=0.92|scale=220|text=[[谷口彰悟|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''谷口'''</span>]]}} {{Image label|x=0.13|y=0.83|scale=220|text=[[車屋紳太郎|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''車屋'''</span>]]}} {{Image label|x=0.72|y=0.45|scale=220|text=[[家長昭博|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''家長'''</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.66|scale=220|text=[[大島僚太|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''大島'''</span>]]}} {{Image label|x=0.23|y=0.66|scale=220|text=[[エドゥアルド・ネット|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''ネット'''</span>]]}} {{Image label|x=0.42.5|y=0.45|scale=220|text=[[中村憲剛|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''中村'''</span>]]}} {{Image label|x=0.13|y=0.45|scale=220|text=[[阿部浩之|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''阿部'''</span>]]}} {{Image label|x=0.42.5|y=0.25|scale=220|text=[[小林悠 (サッカー選手)|<span style="font-size: 10pt; color: white;">'''小林'''</span>]]}} </div> |- |{{smaller|2017年シーズン基本フォーメーション}} |} :チームスローガン:'''Paint it Blue''' [[鬼木達]]が監督に就任。[[大久保嘉人]]がFC東京、[[高木駿]]が[[大分トリニータ|大分]]、金沢へ期限付き移籍していた[[安柄俊]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]に移籍。[[原川力]]が鳥栖、[[中野嘉大]]が仙台に期限付き移籍、[[福森晃斗]]が期限付き移籍先の札幌へ完全移籍した。 補強は大宮から[[家長昭博]]、G大阪から[[阿部浩之]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から[[フィッツジェラルド舞行龍ジェームズ|舞行龍ジェームズ]]を完全移籍で獲得、[[エドゥアルド・ダ・シルヴァ・ナシメント・ネット|エドゥアルド・ネット]]、[[カルロス・エドゥアルド・ベンディニ・ジュスティ|エドゥアルド]]が完全移籍に移行、ユースから[[田中碧 (サッカー選手)|田中碧]]、[[桐光学園中学校・高等学校|桐光学園高校]]から[[タビナス・ジェファーソン]]、[[愛知学院大学]]から[[知念慶]]が入団した。 [[2017年のJ1リーグ|2017年のJ1]]は連敗が一度もなく19節の磐田戦以降15戦を無敗で突き進み、最終節大宮戦では5-0の勝利し、悲願のリーグ優勝。クラブ創設21年目にして初めての主要タイトル獲得を達成した。1999年のJ2発足初年度に所属していたクラブとして初のJ1リーグ優勝<ref>{{Cite web|和書|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/829422?page=4 |title=川崎優勝を象徴する最後の5点目。「甘い」と言われても貫いた攻撃姿勢。|publisher=Number Web |date=2017-12-04 |accessdate=2017-12-06}}</ref> Jリーグ史上4チーム目の2年連続勝ち点70以上となり、リーグ優勝が得失点差で決まったのはJリーグ史上初<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20171203-4SH7QQGWWRNOVJZK4472R7EZ3I/ |title=川崎逆転Vは史上初の得失点差決着!2チームならんだ勝ち点72 |publisher=SANSPO.COM |date=2017-12-03 |accessdate=2017-12-06}}</ref>。年間4敗は2005年に1シーズン制が始まってからはリーグ史上最少タイで、4敗でのリーグ優勝は史上最少。得失点差+39でのリーグ優勝は史上最多タイ<ref group=注釈>2ステージ制時代にあたる2015年、2016年、2004年以前を含めても1994年のV川崎(+44)、2015年の広島(+43)、2002年の磐田(+42)、1993年のV川崎(+41)に次いで5番目に多い差である。</ref>。最終節まで1度も首位に立たずに逆転優勝したのは2007年の鹿島に次いで、連勝は長くても3で止まっていた為4連勝以上を記録せずにリーグ優勝を果たしたのは2012年の広島に次いでいずれも史上2例目である。 個人では、鬼木が優勝監督賞を受賞したほか<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/201712050000599.html |title=川崎F鬼木監督が優勝監督賞を受賞「うれしく思う」 |publisher=日刊スポーツ |date=2017-12-05 |accessdate=2017-12-06}}</ref>、23得点を記録した小林が最優秀選手賞と得点王を受賞した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=33365 |title=【Jアウォーズ】川崎の小林悠がMVP!! 得点王とダブル受賞は史上6人目の快挙 |publisher=サッカーダイジェストWeb |date=2017-12-05 |accessdate=2017-12-06}}</ref>。また小林に加え、エウシーニョ、車屋、中村がベストイレブンに<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/201712050000647.html |title=小林悠ら川崎Fから最多4人/ベストイレブン一覧 |publisher=日刊スポーツ |date=2017-12-06 |accessdate=2017-12-06}}</ref>、さらにこの4人に加え、谷口、阿部、大島の7選手が優秀選手賞に<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20171203/678457.html |title=JリーグがJ1優秀選手賞33名を発表! 鹿島から最多8名選出 |publisher=サッカーキング |date=2017-12-03 |accessdate=2017-12-06}}</ref> それぞれ選出された。 3シーズンぶりの出場となったACLは[[水原三星ブルーウィングス]]、[[広州足球倶楽部|広州恒大淘宝]]、[[香港プレミアリーグ|香港]]の[[東方足球隊]]と同組。グループステージを首位で通過した。決勝トーナメント準々決勝では浦和とのJリーグクラブ同士の対決で第1戦は3-1で勝利、第2戦もエウシーニョのゴールで先制するも[[興梠慎三]]のゴールで1-1の同点にされると車屋が退場した事で10人となってしまい、[[ズラタン・リュビヤンキッチ|ズラタン]]、[[ラファエル・ダ・シルバ|ラファエル・シルバ]]に続け様にゴールを奪われて遂に2戦合計でも4-4と同点に追いつかれると、後半41分に[[高木俊幸]]に決められて2戦合計で4-5と2戦合計4-1からの逆転負けでベスト8敗退となってしまった。 [[Jリーグカップ|ルヴァンカップ]]ではACL出場に伴って決勝トーナメントからの出場。初戦の[[FC東京]]には2戦合計7-1で3年ぶりに準決勝に進出。準決勝は[[ベガルタ仙台]]と対戦。第1戦の前半は0-3とリードを許したが、後半アディショナルタイムに知念がプロ初ゴールを奪う等2-3として望みを繋ぐと等々力での第2戦では三好がシーズン初ゴールを決めたが、後半にセンターバックの奈良が退場し一時は2戦合計4-4となるも途中出場の長谷川の追加点で2戦合計5-4とし、8年ぶり4度目の決勝進出を果たした。決勝戦は[[セレッソ大阪]]と対戦。早々に奈良に代わって先発のエドゥアルドがクリアを空振りした末杉本に先制ゴールを奪われ、その後も得点を奪えずアディショナルタイムに前掛かりになった所をカウンターで[[エリアス・バルボサ・デ・ソウザ|ソウザ]]にゴールを奪われ試合終了。Jリーグカップ決勝で史上初の4試合ノーゴール<ref>それまでは浦和の3回(PK戦まで縺れ込んだ[[2004年のJリーグカップ|2004年]]、[[2011年のJリーグカップ|2011年]]、[[2013年のJリーグカップ|2013年]])が最多である。</ref> かつJリーグカップ決勝の連敗が最長の4となった。 ==== 2018年 ==== :チームスローガン:'''GO Sensational !''' 鬼木体制2年目。[[狩野健太]]、[[大塚翔平]]が契約満了、[[井川祐輔]]が[[香港プレミアリーグ|香港]]の東方足球隊、[[森本貴幸]]が[[アビスパ福岡|福岡]]、[[日本フットボールリーグ|JFL]]・[[FC今治|今治]]へ期限付き移籍していた[[可児壮隆]]が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]へ完全移籍、[[板倉滉]]が仙台、[[三好康児]]が札幌に期限付き移籍、[[中野嘉大]](仙台)、原川が期限付き移籍先の鳥栖へ完全移籍、[[ハイネル・サントス・ナシメント|ハイネル]]が期限付き移籍期間満了で退団した。 補強はFC東京から2シーズンぶりに加入する大久保、横浜FMから[[齋藤学]]、鹿島<ref group=注釈>昨シーズンはG大阪へ期限付き移籍</ref> から[[赤崎秀平|赤﨑秀平]]、[[モンテディオ山形|山形]]から[[鈴木雄斗]]、[[湘南ベルマーレ|湘南]]から[[下田北斗]]を完全移籍で獲得。[[ポープ・ウィリアム]]が完全移籍に移行し、[[阪南大学]]から[[脇坂泰斗]]、[[流通経済大学]]から[[守田英正]]が入団した。 初出場した[[スーパーカップ (日本サッカー)|FUJI XEROX SUPER CUP]]では、C大阪と対戦。小林、大久保が得点するも2-3で敗れ準優勝。 リーグ戦では、[[2017年のJ1リーグ|昨年]]の第20節のFC東京戦から第4節の[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]戦までクラブ新記録となる19試合連続無敗を記録。2年連続で出場した[[AFCチャンピオンズリーグ2018]]では、[[Aリーグ|ヒュンダイ・A・リーグ]]2位だった[[メルボルン・ビクトリーFC|メルボルン・ヴィクトリー]]、[[中国サッカー・スーパーリーグ|中国スーパーリーグ]]2位の[[上海海港足球倶楽部|上海上港集団]]、[[韓国FAカップ]]優勝の[[蔚山現代FC|蔚山現代]]と同組であったが、グループステージ敗退。エドゥアルド・ネットが名古屋に、大久保が磐田に移籍した。 ACLに出場していた関係で2年連続で決勝トーナメントからの出場で、[[2018年のJリーグカップ|YBCルヴァンカップ]]では鹿島と対戦。カシマスタジアムでの準々決勝1stレグでは開始19分で先制を許すも、その12分後に[[知念慶]]がPKを決めて1-1のドロー。しかしホームの等々力が第87回日本学生陸上競技対校選手権大会で使われる為使用出来ず、味の素スタジアムで開催された2ndレグでは、前半に2ゴールを奪われ、後半阿部のゴールで1点を返すも準々決勝敗退。 天皇杯は準々決勝で山形に2-3敗戦。 リーグ戦は、11月3日の第31節柏戦で3-0で勝利しクラブ史上初となる3年連続ACL出場権獲得を確定させ、11月10日に行われた第32節のC大阪戦で敗れたものの、広島も仙台に0-1で敗れた為、史上3例目となる最終節を待たずしてのリーグ優勝を達成した。これにより、Jリーグ史上5チーム目、[[オリジナル10]]以外では史上初となるJリーグ連覇を果たした。歴代のリーグ優勝チームの中で、2005年にJリーグが1シーズン制になってからは2015年からの2年間を除いて2位に12の勝ち点差をつけて優勝したのは史上最大である<ref group=注釈>2ステージ制時代にあたる2015年、2016年、2004年以前を含めてもJリーグに勝ち点制が導入された1995年以降では2位・横浜FMに16の勝ち点差をつけて優勝した2002年の磐田に次いで2番目である。</ref>。得点数(57得点)と失点数(27失点と2年連続でクラブ史上最少を更新、当時Jリーグ史上3位<ref group=注釈>2008年の大分が24失点、2011年の仙台と2019年のC大阪がいずれも25失点である。</ref> )と両項目でリーグトップを記録したのも最後の中断期間を挟まずにリーグ優勝を決めたのもいずれもJリーグ史上初である。 ==== 2019年 ==== :チームスローガン:'''EVER BLUE''' 鬼木体制3年目。武岡優斗、田坂祐介、森谷賢太郎、エウシーニョが契約満了、エドゥアルドが松本、仙台に期限付き移籍していた板倉滉が[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]へ完全移籍、札幌に期限付き移籍していた三好が横浜FMに期限付き移籍、ポープ・ウィリアムが大分に期限付き移籍、赤崎秀平が名古屋に期限付き移籍、タビナス・ジェファーソンが岐阜に期限付き移籍した。 補強は[[藤嶋栄介]]を山口から、[[ジェジエウ・カルドソ・ミランダ|ジェジエウ]]を[[パラナ・クルーベ]]からそれぞれ期限付き移籍、[[マグノ・ジョゼ・ダ・シルバ|マギーニョ]]を[[ヴィラ・ノヴァFC]]から、元ブラジル代表でロンドン五輪の得点王の[[レアンドロ・ダミアン・ダ・シウバ・ドス・サントス|レアンドロ・ダミアン]]を[[SCインテルナシオナル]]から、[[馬渡和彰]]を広島から、[[山村和也]]をC大阪からそれぞれ完全移籍で獲得。[[昌平中学・高等学校|昌平高校]]から[[原田虹輝]]が入団。 2年連続出場となった[[スーパーカップ (日本サッカー)|FUJI XEROX SUPER CUP]]では、天皇杯優勝の浦和と対戦。レアンドロ・ダミアンが決勝点を挙げ、初優勝を飾った<ref group=注釈>因みに2019年のFUJI XEROX SUPER CUPの入場者数は52587人と21世紀に入ってからは最多、1995年の[[東京ヴェルディ1969|V川崎]]対[[湘南ベルマーレ|平塚(今の湘南)]]戦に記録した53,167人に次ぐ記録である。</ref>。 [[AFCチャンピオンズリーグ2019|ACL]]ではシドニーFC、上海上港、蔚山現代と同組。グループリーグ3位で決勝T進出を逃した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/j%E7%8E%8B%E8%80%85%E5%B7%9D%E5%B4%8Ef%E3%81%AE%E3%81%BFacl%E6%95%97%E9%80%80%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E3%81%8C%E9%80%9A%E9%81%8E%E3%81%AA%E3%82%89%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8B%A23%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%8916%E5%85%A5%E3%82%8A/1je7iynwrvbea1a55zjc7ydlse|title=J王者・川崎FのみACL敗退…鹿島が通過なら日本勢3チームラウンド16入り|publisher=GOAL|date=2019-05-21|accessdate=2019-05-22}}</ref>。 7月19日、[[チェルシーFC]]と「[[Jリーグワールドチャレンジ|明治安田生命Jリーグワールドチャレンジ2019]]」にて対戦。ダミアンのゴールで1-0で勝利した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/match/jwc/2019/071902/live/|title=7/19「明治安田生命Jリーグワールドチャレンジ2019」試合結果|publisher=公式サイト|date=2019-07-19|accessdate=2019-07-19}}</ref>。 天皇杯では、神戸に敗れ4回戦で敗退。 YBCルヴァンカップは3年連続で決勝トーナメントから出場。前任の風間が率いる名古屋に等々力での第1戦は2-0で勝利し、[[名古屋市瑞穂公園陸上競技場|パロマ瑞穂スタジアム]]での第2戦は2-2で引き分け準決勝進出、準決勝は鹿島に等々力での第1戦は3-1で逆転勝ちし、第2戦はスコアレスドローで2年ぶりの決勝戦に進出した。決勝戦で[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]と対戦。前半10分に先制されるが、アディショナルタイムに脇坂のコーナーキックから阿部が押し込んでJリーグカップ決勝で初めての得点を挙げて前半を折り返す。後半43分に途中出場の小林が逆転弾を決めたが、後半アディショナルタイムにゴールキーパーの[[具聖潤]]も上がったコーナーキックから[[深井一希]]にヘディングで叩き込まれて2-2の同点となり延長戦に突入。延長前半4分に谷口が[[チャナティップ・ソングラシン|チャナティップ]]の突破を止めたシーンで一度はイエローカードを提示されたが、その後VARの末に決定機阻止としてレッドカードが提示された。その直後のFKを試合前まで過去3年のJ1で当時6発決めている福森に直接決められ2-3と勝ち越されるが、延長後半4分に中村のコーナーキックから山村のシュート性で折り返した所を小林が合わせ史上8人目のJリーグカップ決勝で2ゴール<ref group=注釈>Jリーグカップの決勝で2ゴールを挙げたのは、唯一決勝がホームアンドアウエー制度だった1997年の[[バルデマール・アウレリアーノ・デ・オリベイラ・フィリョ|マジーニョ]]、1998年の[[川口信男]]、2003年の[[マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ|エメルソン]]、2010年の[[前田遼一]]、2012年の[[柴崎岳]]、2014年の[[佐藤寿人]]と[[アンデルソン・パトリック・アグウイアル・オリベイラ|パトリック]]で何れも先発で2ゴールを挙げているので、途中出場での2ゴールは史上初である。</ref>。その後のPK戦では4番手の車屋が失敗するも新井が札幌の5番手・[[石川直樹 (サッカー選手)|石川直樹]]を横っ飛びで防ぐとサドンデス戦で6番手の[[進藤亮佑]]も防ぎ5度目の決勝にして初優勝<ref group=注釈>因みにJリーグカップ決勝の歴史上PK戦はこの試合も含めて7例あり、いずれも先に失敗したクラブは全て準優勝となっている為、先に失敗したクラブが逆転で制して優勝したのはJリーグカップ史上初。準々決勝と準決勝を含めても[[2018年のJリーグカップ|2018JリーグYBCルヴァンカップ]]準決勝の湘南対柏戦以来2例目である。</ref>([[2019年のJリーグカップ#決勝]]の欄も参照)。鬼木は国内3大タイトルを3年連続で獲得した日本人監督<ref group=注釈>因みに外国人監督も合わせると、日本人ではG大阪時代の西野(2007年から2009年)、ブラジル人ではいずれも鹿島時代の[[トニーニョ・セレーゾ]](2000年から2002年)と[[オズワルド・オリヴェイラ]](2007年から2011年の在任期間全て)、第1次柏時代の[[ネルソン・バプティスタ・ジュニオール|ネルシーニョ]](2011年から2013年)に続いて5人目である。</ref> となった。 [[2019年のJ1リーグ|リーグ戦]]では、第5節の[[松本山雅FC|松本]]戦から第20節の[[大分トリニータ|大分]]戦まで15試合連続無敗を記録。6月30日に行われた第17節の磐田戦に3-1で勝利した事で関塚、風間に次いでクラブ史上3人目のJ1監督通算50勝を84試合目というクラブ史上最速<ref group=注釈>因みに関塚は103試合目で、風間は106試合目で監督通算50勝を達成している。</ref> で達成したが、上位3クラブがホームで10勝以上(横浜FMとFC東京が12勝、鹿島が11勝)挙げた一方で残留争いを強いられたクラブを中心に下位(10位以下)から7分1敗と勝ち点を取り零し、この内6クラブにホームで引き分けて<ref>名古屋、浦和、札幌、鳥栖、J2に降格した松本、清水</ref> シーズン12分け<ref group=注釈>2005年にJ1再昇格を果たしてからどころかJ2にいた頃を含めてもJ2優勝を果たした1999年は1分け、2002年は4分け、2003年は5分け、2度目のJ2優勝を果たした2004年に至っては引き分けがなかったので、ホーム・等々力での9分けはJリーグ加盟後クラブ史上最多である。</ref> と勝ちきれない試合が多く、等々力での勝利数は5勝どまり。負け数が1つ減ったにも関わらず年間順位は4位と鹿島が上位3チームの中で唯一天皇杯の決勝に進出していた為、ACL出場権獲得に望みを繋いでいたが、鹿島は決勝で神戸に0-2で敗れた為4年連続のACL出場権獲得は果たせなかった。 ==== 2020年 ==== :チームスローガン:'''GET NEXT 青き意志とともに。''' 鬼木体制4年目。新井章太が千葉、奈良竜樹が鹿島、名古屋にレンタル移籍していた赤崎秀平が仙台、阿部浩之が名古屋へそれぞれ完全移籍、長崎にレンタル移籍していたカイオ・セザールがレンタル移籍期間を延長し、ポープ・ウィリアムが岡山に、タビナス・ジェファーソンがG大阪に、鈴木雄斗が松本に、マギーニョが横浜FC、馬渡和彰が湘南へ、知念慶が大分にそれぞれ期限付き移籍した。また[[本田技研工業株式会社フットボールクラブ|Honda FC]]から[[遠野大弥]]を完全移籍で獲得し[[アビスパ福岡|福岡]]へ、[[宮城天]]はユースから昇格し[[カターレ富山|富山]]へそれぞれ期限付きで移籍した。 補強は宮代大聖が復帰。レンタルで加入していた藤嶋、馬渡洋樹、ジェジエウを完全移籍で契約<ref group=注釈>その後、馬渡洋樹は3月21日に[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]に完全移籍、藤嶋は9月28日に契約解除した。</ref>。ジオゴ・マテウス、イ・キョンテを期限付き移籍、[[丹野研太]]、[[山根視来]]を完全移籍で獲得<ref group=注釈>イ・キョンテの獲得は10月8日。</ref>。[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]から[[三笘薫]]、[[順天堂大学]]から[[旗手怜央]]、[[東海学園大学]]から[[神谷凱士]]、[[桐蔭横浜大学]]から[[イサカ・ゼイン]]が入団した。 [[2020年のJ1リーグ|リーグ戦]]は鳥栖と引き分け開幕戦引き分けが8年連続に伸びたものの、[[SARSコロナウイルス2|新型コロナウイルス]]の影響で国内全ての公式戦が中断。8月15日の札幌戦で三笘と小林がそれぞれ2ゴールを挙げJ1で途中出場選手の2人が複数得点を挙げた史上初の記録。また小林がジュニーニョの持っていたクラブ最多得点記録を更新した。第11節[[セレッソ大阪|C大阪]]戦では10連勝を達成。引き分けの制度が導入された現行の2003年以降では同一シーズンでのJ1新記録を達成した。第22節の広島戦を2-0で勝利しJリーグ史上初となる2度目の10連勝を記録。第25節のFC東京戦に勝利して12連勝を達成。クラブ史上初の神奈川ダービー(横浜FM、横浜FC、湘南)6戦全勝。11月25日、G大阪戦で5-0で勝利し2年ぶり3回目のリーグ優勝。4試合を残しての優勝はJ1史上最速。2006年に記録した延長戦廃止後の2003年以降のシーズン最多得点記録(84ゴール)を更新し、88ゴールと2回戦総当たりになった1996年以降では2位、延長戦が廃止された2003年以降では最多記録を更新した。シーズン3敗はJリーグ開幕後最小、シーズン26勝は2回戦総当たり制の現行ルールで最多記録。得失点差+57で優勝したのは1993年以降、2位に18の勝ち点差をつけて優勝したのはJリーグに勝ち点制が導入された1995年以降いずれもリーグ新記録。44試合制だった[[2004年のJリーグ ディビジョン2|2004年のJ2]]でも104ゴールとJ2のシーズン最多得点記録を更新して優勝した為、J1とJ2でシーズン最多得点での優勝はJリーグ史上初である。また鬼木は国内3大タイトルを4年連続で獲得した史上初の日本人監督となった<ref group=注釈>全ての監督を含めても鹿島時代の在任期間(2007年から2011年)全てで獲得したオリヴェイラ以来2人目である。</ref>。 個人では、鬼木が2年ぶりに優勝監督賞、家長、三笘、守田、田中、谷口、ジェジエウ、山根、登里、鄭成龍がベストイレブンに、さらにこの9人に加え、レアンドロ・ダミアン、小林、脇坂、大島の4選手が優秀選手賞にそれぞれ選出された。なおベストイレブンに9人選出されたのは1クラブ当たりの選出数としては史上最多である。 [[2020年のJリーグカップ|YBCルヴァンカップ]]は4年ぶりのグループステージステージからの参加で4年連続のプライムステージ進出。ベスト8の神戸戦では[[御崎公園球技場|ノエビアスタジアム]]で6-0とJリーグカップ決勝トーナメントのアウェイチーム最多得点差で勝利するも準決勝戦でFC東京に敗れてベスト4。 100回目の天皇杯はコロナウイルスの影響による日程変更のため準決勝から参加となり、J3を制した[[ブラウブリッツ秋田|秋田]]と対戦。前半39分に三笘が、後半36分に田中が自身初の直接フリーキックを決め2-0で勝利。決勝はG大阪と対戦して後半10分にレアンドロ・ダミアンのスルーパスに反応して抜け出した三笘が得点。1-0で制して天皇杯初優勝。Jリーグと天皇杯の2冠を達成した。J2からスタートしたチームとしては史上初の国内3大タイトル完全制覇となった。 また、2003年からチームを牽引してきた中村憲剛が現役を引退した。 ==== 2021年 ==== :チームスローガン:'''New Front.''' 鬼木体制5年目。中村が引退、湘南に期限付き移籍していた馬渡和彰が大宮に、松本に期限付き移籍していた鈴木雄斗が磐田に、岡山に期限付き移籍していたポープ・ウィリアムが大分に、G大阪に期限付き移籍していたタビナス・ジェファーソンが水戸に、下田が大分に、守田が[[CDサンタ・クララ]]に、齋藤が名古屋に、カイオ・セザールが期限付き移籍先の長崎にそれぞれ完全移籍、[[コリチーバFC]]から期限付き移籍していたジオゴ・マテウスが退団した。横浜FCに期限付き移籍していたマギーニョが移籍期間を延長し、原田が鳥取に、宮代が徳島にそれぞれ期限付き移籍した。 補強は福岡から遠野、大分から知念、富山から宮城がそれぞれ期限付き移籍から復帰。大分から[[小塚和季]]、松本から[[塚川孝輝]]、名古屋から[[ジョアン・フェリピ・シミッチ・ウルバノ|ジョアン・シミッチ]]を完全移籍で獲得。[[静岡学園中学校・高等学校|静岡学園高校]]から[[田邉秀斗]]、桐蔭横浜大学から[[橘田健人]]が入団した。 2年ぶりの出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、Jリーグと天皇杯でいずれも準優勝のG大阪と対戦。三笘が公式戦3試合連続ゴールを挙げ、大会史上6人目の1試合2ゴールを挙げた。後半追いつかれるものの途中出場だった小林のゴールで勝ち越し2回目の優勝を飾った。 リーグ戦は開幕戦で横浜FMに2-0で勝利し、等々力開催で9年ぶりの開幕戦勝利を挙げて鬼木は監督通算85勝目。前任の風間を抜きクラブの通算監督勝利数で単独トップを挙げた後、C大阪、仙台、[[徳島ヴォルティス|徳島]]、柏にも勝ち開幕5連勝。J2時代だった2004年の開幕3連勝を抜きクラブ史上最長となった。 4月29日の第22節・5月4日の第12節は2位・名古屋との異例の2連戦であったが<ref name=nikkann210427>{{cite news |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202104260001006.html |title=J1最強「矛盾対決」川崎F対名古屋GW異例の2連戦 指揮官修正力がカギ |newspaper=日刊スポーツ |date=2021-04-27 |accessdate=2021-04-30}}</ref>[[豊田スタジアム]]で4-0、等々力で3-2と連勝した<ref>{{cite news |url=https://www.chunichi.co.jp/article/245499 |title=【J1川碕】天王山第1ラウンド4発圧倒…名古屋の「最強盾」をあっけなく打ち砕いた |newspaper=中日スポーツ |date=2021-04-29 |accessdate=2021-04-30}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.chunichi.co.jp/article/248211 |title=【J1名古屋】「川崎相手には通用しなかった…」自慢の堅守も“崩壊” 直接対決2連敗に「何をするべきかを見つめ直す」 |newspaper=中日スポーツ |date=2021-05-04 |accessdate=2021-05-06}}</ref> 6月27日から7月11日のACLの6試合はウズベキスタンで、帰国後の7月17日から9月1日までの国内大会の9試合はすべてアウェイの会場での試合であり、約3ヶ月間は等々力で試合をする事ができなかった。 5月16日に札幌に2-0で勝利した事で、連続無敗記録が22試合となりJ1リーグ記録を更新<ref>{{cite news |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202105160001152.html |title=川崎Fが止まらない!J1最長22戦無敗でも「まだ修正できるところある」 |newspaper=日刊スポーツ |date=2021-05-16 |accessdate=2021-05-17}}</ref><ref>{{cite news |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/202105130000820.html |title=札幌福森、川崎Fの不敗記録阻止へ意欲「自分たちしかいない」昨季敵地勝利 |newspaper=日刊スポーツ |date=2021-05-15 |accessdate=2021-05-17}}</ref>。5月30日に鬼木が156試合目というJリーグ史上最速かつクラブ史上初の監督通算100勝目を達成。同時に開幕からの無敗記録を更新(最終的に30試合連続無敗となった)。11月3日、ホームで浦和と1-1で引き分け、横浜FMがG大阪に0-1で敗れた為、2年連続4回目のリーグ優勝を決めた。鬼木は国内3大タイトルを5年連続で獲得し、また一人で4回目のリーグ優勝を果たし、単独最多優勝監督となった。更に鬼木はYBCルヴァンカップと天皇杯のタイトルも1つずつ獲得しているので、獲得した国内三大大会で獲得したタイトル数は6と西野朗(G大阪時代に当たる2008年のACLも含めて)と並んで日本人監督で最多タイとなった。2年連続の年間勝ち点80以上もJリーグ史上初である。さらに、11月27日に等々力でG大阪に4-1で勝利し1996年以降ではリーグ史上初の年間勝ち点90以上。現行の勝ち点制に換算しても52試合制だった1995年のV川崎に次いで史上2番目に多い勝ち点92となった<ref>厳密には勝ち点108を稼いだV川崎の他に当時の横浜マリノスが勝ち点98、名古屋が勝ち点97を稼いだが、当時は延長戦やPK戦もありこれらを引き分けとすると、横浜マリノスは25勝11分15敗の勝ち点86、名古屋は23勝13分16敗の勝ち点82、V川崎は29勝11分12敗の勝ち点98という計算になる。</ref>。また史上2チーム目のホームゲーム無敗を達成したのに続き、2020年の11月19日以降22戦無敗とクラブのホーム無敗記録を更新した。レアンドロ・ダミアンが23ゴールで得点王のタイトル<ref group=注釈>ジュニーニョ、3年連続で獲得した大久保嘉人、チームメイトの小林に続いて4人目である。</ref> を獲得、ジュニーニョが2007年に記録したクラブの外国人選手によるJ1最多得点記録を更新した。またシーズンは38試合に増えたにも関わらず28勝8分け2敗とシーズンの最少敗戦記録を更新した。イエローカードの枚数は18枚しか受けず、1試合平均0・47枚とJ1記録を24年ぶりに塗り替え、無警告試合は25試合で27年ぶりに塗り替えた。 個人では、鬼木が2年連続で優勝監督賞、レアンドロ・ダミアン、家長、脇坂、旗手、谷口、ジェジエウ、山根がベストイレブン。さらにこの7人に加え、橘田、登里、鄭成龍の3選手が優秀選手賞に選出された。なおこれにより、通算40人とリーグ最多ベストイレブン輩出クラブになった。レアンドロ・ダミアンが2016年の中村、2017年の小林、2018年の家長に続きチーム史上4人目のJリーグMVPに選出された。 2年ぶりのACLでは、大島が怪我からの復帰を果たすも、田中が海外移籍を前提とした渡欧によりチームを離脱し[[フォルトゥナ・デュッセルドルフ|デュッセルドルフ]]への期限付き移籍が決定した。グループステージでは6戦合計27得点の全勝で突破。第3戦の[[ユナイテッド・シティFC]](フィリピン)戦では橘田がクラブ史上初のACLハットトリック<ref group="注釈">第5戦の[[大邱FC]]戦でレアンドロ・ダミアンもハットトリックを達成している。</ref> を達成したのに続き、国内外の公式戦ではクラブ史上最多となる1試合8得点をマークした。ラウンドオブ16で[[蔚山現代FC|蔚山現代]]と対戦。0-0でPK戦の末敗退。 ルヴァンカップは準々決勝で浦和と対戦。アウェイでの第1戦は家長のPKで追いつき1-1。およそ3か月ぶりのホーム等々力での第2戦は3-3のドロー。2戦合計4-4ながら等々力でアウェーゴールを3点も奪われて敗退しベスト8。 2連覇を目指した天皇杯では、2回戦でJ3の[[AC長野パルセイロ]]を、3回戦でJ2千葉をそれぞれPK戦の末勝ち上がり、ベスト16ではJ1の清水を、ベスト8では鹿島を下して準決勝進出。大分との準決勝では、延長後半に小林のゴールで先制するも、下田のクロスを[[エンリケ・デ・ソウザ・トレヴィザン|エンリケ・トレヴィザン]]に決められ同点に追いつかれこの大会3度目のPK戦の末、2番手の山村と7番手の山根が高木に止められてベスト4。結果的に、シーズンにおいてカップ戦(ACL・ルヴァンカップ・天皇杯)では1度の敗戦もなかった{{Efn|PK戦となった試合は、PK戦の結果にかかわらず記録上『引き分け』の扱いとなる。}}ものの、いずれのタイトルも獲得出来なかった。 ==== 2022年 ==== :チームスローガン:'''HEART BEATS!''' 鬼木体制6年目<ref group=注釈>通算監督在任年数で関塚(J2だった2004年から2009年)に並んだが、関塚は2008年4月24日に体調不良を訴えて辞任し高畠が後任に就いた為、就任から5年間を全うしたのはクラブ史上初である。</ref>。イ・キョンテが岡山に復帰、旗手が[[セルティックFC|セルティック]]に、長谷川が横浜FCにそれぞれ完全移籍、横浜FCに期限付き移籍していたマギーニョが期限付き移籍期間を満了し退団した。原田が長野に、宮代が鳥栖に、イサカ・ゼインが横浜FCに、神谷が[[藤枝MYFC|藤枝]]にそれぞれ期限付き移籍した。 補強は横浜FCから[[瀬古樹]]、札幌から[[チャナティップ・ソングラシン|チャナティップ]]をそれぞれ完全移籍<ref group=注釈>なおこの時の移籍金は推定4億6500万円(1億3400万バーツ)と、2009年に京都が東京Vから[[ディエゴ・デ・ソウザ・ガマ・シルバ|ディエゴ]]を獲得した際の推定4億5000万円を抜いて国内クラブ間の移籍金としては史上最高額である。</ref> で獲得、ユースから[[五十嵐太陽]]と[[高井幸大]]、[[興國高等学校|興国高校]]から[[永長鷹虎]]、桐蔭横浜大学からユース出身者の[[早坂勇希]]、流通経済大学から[[佐々木旭]]、法政大学から[[松井蓮之]]が入団した。 4月2日に行われた第6節のC大阪戦に敗れるまでに記録したホーム25試合連続無敗は浦和とG大阪に並ぶリーグタイ記録、4月10日に行われた第8節の柏戦で鬼木は通算184試合目の指揮を執り、関塚を抜いて単独最多となった。またその柏戦からACLを挟んで5月21日に行われた第14節の鳥栖戦まで5試合連続で無失点となり、クラブ新記録となったが、守備陣は前年の11月7日に[[鳥栖スタジアム|駅前不動産スタジアム]]で行われた鳥栖戦でジェジエウを左膝の前十字靭帯と内側側副靭帯を損傷する大怪我で失った影響が大きく、前半17試合終了時点で21失点と2015年以来7年ぶりに試合の半数を終えて6年ぶりにシーズンの失点数が試合数を超えた。また攻撃陣もJ1に初めて昇格した2000年以来22年ぶりとなる16試合連続3得点未満<ref>特に14節の鳥栖戦、15節の湘南戦、4年ぶりの連敗を喫した16節の京都戦は10年ぶりの3試合連続ノーゴールとなった。</ref> と得点力も低下し、左ウィングで主に先発する事の多かったマルシーニョと宮城が合わせて5ゴールと前年[[ロイヤル・ユニオン・サン=ジロワーズ|ベルギー]]へ移籍する前に8ゴールを挙げた三笘の半数を超えるのが関の山だった。7月30日にジェジエウが復帰して以降8月は全勝。試合数の違いがありながら暫定で首位にも返り咲いたがその一方でレアンドロ・ダミアンが8月20日の福岡戦で右足関節の外側靱帯損傷と右腓骨筋肉離れで離脱しシーズン終了。9月に入り湘南に1-2で敗れてJ1でクラブ史上初の神奈川ダービー3敗目を喫するとそこから1勝2分1敗と失速し、3勝1分で乗り切った横浜FMに引き離され、10月1日に当時2020年以外はリーグ戦で無敗の札幌に3-4で敗れ鬼木体制で最多にして2014年以来8年ぶりの8敗目で勝ち点差を8にまで広げられた。その後清水や京都と残留を争っていた相手や神戸に全勝し、横浜FMが当時残留争いの渦中にいたG大阪と磐田に日産スタジアムで連敗し足踏みした事もあり勝ち点差を2まで縮めて最終節まで優勝の望みを繋いだ。最終節では退場者を出しながらもFC東京に勝利する意地を見せたが、横浜FMも勝利した事で最終順位は2位。ジェジエウがピッチにいない時に(途中交代で退いた時も含めて)前年と同じ28失点と全42失点の66%にのぼり、[[2010年の川崎フロンターレ|2010年]]以来12年ぶりにアウェー6勝どまり。18クラブ中唯一ホームの等々力で勝ち点40以上(43)を記録しながらアウェーでの勝ち点が23と優勝した横浜FM(勝ち点29)だけではなく7位の柏(勝ち点26)、4位の鹿島や5位のC大阪(いずれも勝ち点25)よりも少なく、特に敵地で下位(10位以下)のクラブ相手に3勝3分け3敗の勝ち点12<ref>因みに横浜FMが敵地で下位クラブと対戦した時の成績は6勝2分1敗の勝ち点20である。</ref> と取り零し続けた事が祟り[[2019年のJ1リーグ|2019年]]に続いてまたしても横浜FMにリーグ3連覇を阻まれた。なお去年も横浜FMと共にワンツーフィニッシュとなった為、同県同士のクラブが2年連続で2位以内に入ったのはJリーグ史上初である。 2年連続9回目の出場となった[[AFCチャンピオンズリーグ2022|AFCチャンピオンズリーグ]]はマレーシアでグループリーグが集中開催された。[[マレーシア・スーパーリーグ]]王者・[[ジョホール・ダルル・タクジム]]、[[Kリーグ1]]で2位の蔚山現代<ref group=注釈>本戦の前に突破しなければならないプレーオフラウンドを勝ち抜いた。</ref>、[[中国サッカー・スーパーリーグ|中国スーパーリーグ]]の[[広州足球倶楽部]]と同組。広州に2勝したものの3勝2分1敗でグループIの2位。しかしACLに参加する予定だった[[上海海港足球倶楽部]]が上海での新型コロナウイルス拡大に伴って参加を辞退した為例年とは違うレギュレーション<ref group=注釈>上海海港が辞退した事で東地区で各グループ2位のチームの戦績を比較する際にグループ4位のチームとの対戦戦績を除外。その結果最終節までグループステージ突破の可能性を残していた末、最終節で広州に勝ち、両者が引き分けの場合に1位通過となっていたがジョホールが蔚山現代に勝った為、1位でグループステージを突破する可能性が消えた。更に2位でグループステージ突破の可能性も残していたものの最下位に沈んだ広州との対戦を除いた上位3チーム同士の対戦での勝ち点で5しか稼げなかった事でグループステージを突破する可能性が消えた為。</ref> により5月を待たずしてグループステージ敗退が決定した。 天皇杯は[[札幌大学]]に5-0で勝利したものの、当時J2で11位だった東京Vに0-1で敗れ8年ぶりの3回戦敗退。なお[[2022 FIFAワールドカップ|カタールワールドカップ]]が11月21日から12月18日にかけて開催される関係で日程が大幅に前倒しになった為、前身の富士通サッカー部時代も合わせて[[第57回天皇杯全日本サッカー選手権大会|1977年]]に初出場して以降6月中に天皇杯で敗退したのはクラブ史上初である。 ACLに出場した関係でプライムステージから参加となったYBCルヴァンカップは準々決勝でC大阪と対戦。トップチーム関係者が新型コロナウィルスの陽性判断を受け、ベンチメンバーをゴールキーパー3人で埋めなければならなかった[[キンチョウスタジアム|ヨドコウ桜スタジアム]]での第1戦は脇坂のゴールで1-1。等々力での第2戦はマルシーニョの2ゴールで2戦合計3-1とリードするも後半ATに[[加藤陸次樹]]に、実質ラストプレーで[[山田寛人]]にヘディングで押し込まれて痛恨の引き分け。2年連続で2点のリードを試合終了間際に途中出場の選手に奪われてアウェーゴール差による準々決勝敗退となった。なお2006年にJリーグカップ決勝トーナメントに[[アウェーゴール]]制度が導入されて以降2年続けてアウェーゴールで敗退したのはJリーグカップ史上初である。 この年は、国内とアジアの合わせて5つのタイトル獲得に挑戦しながらジェジエウの離脱時にスーパーカップとACLと天皇杯のタイトルを失い、6年ぶりに無冠でシーズンを終えた。 ====2023年==== :チームスローガン:'''Exceed_''' 鬼木体制7年目<ref group=注釈>通算監督在任年数で関塚(J2だった2004年から2009年)を抜いて、1997年にJリーグ準会員となって'''「富士通川崎フットボールクラブ」'''から現在の名称に公募で改称してからは史上最長である。</ref>。知念が鹿島に、イサカ・ゼインが山形に、丹野が[[いわてグルージャ盛岡|岩手]]に、谷口が[[アル・ラーヤンSC|アル・ラーヤン]]にそれぞれ完全移籍、原田が長野に、田邊が千葉に、五十嵐が[[レノファ山口FC|山口]]にそれぞれ育成型期限付き移籍<ref>原田の場合は、通常の期限付き移籍から育成型期限付き移籍に変更した上で期限付き移籍を延長した。</ref>、神谷が[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]に、宮城が長崎にそれぞれ期限付き移籍した。 補強は鳥栖から宮代が期限付き移籍から復帰。湘南から[[瀬川祐輔]]、京都から[[上福元直人]]、柏から[[大南拓磨]]を完全移籍で獲得。ユースから大関友翔、松長根悠仁、[[桐蔭横浜大学]]から[[山田新]]、[[履正社学園豊中中学校・履正社高等学校|履正社高校]]から[[名願斗哉]]が入団した。 横浜FM対[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]による[[スーパーカップ (日本サッカー)|富士フイルムスーパーカップ]]のハーフタイムに行われた最後の[[Jリーグマスコット総選挙]]でワルンタは2位に入賞。それまでは2015年の[[ふろん太]]が6位だったので、過去最高順位と共にクラブ史上初のトップ3に入った。 AFCチャンピオンズリーグの開催時期が秋に変わった為、全クラブ参加となった[[2023年のJリーグカップ|JリーグYBCルヴァンカップ]]では、J2の清水、浦和、湘南と同組。センターバック中心に怪我人が続出した状態で開幕し、清水に2-3とJ2のクラブも参加する制度に変わった[[2019年のJリーグカップ|2019年]]以降では初めてJ2のクラブに敗れ、湘南と浦和にホームで2戦連続スコアレスドロー。4節の清水に6発大勝したものの、マルシーニョが左ハムストリング肉離れで離脱した状態で臨んだ第5節の浦和戦で瀬川のゴールで先制するも逆転負け。[[平塚競技場|レモンガススタジアム]]で湘南に2点ビハインドからの逆転勝ちを収めたが、直接対決のレギュレーションが優先される為、7年ぶりのグループリーグ敗退となった。 年明け早々にレアンドロ・ダミアンが右足関節の手術で合流が遅れ、1月のトレーニング中に小林が左第5趾基節骨骨折で、翌月のトレーニングでは登里が左ヒラメ筋肉離れでそれぞれ開幕戦を棒に振った中で始まった[[2023年のJ1リーグ|リーグ戦]]では、開幕戦の[[横浜F・マリノス|横浜FM]]戦に敗北しジェジエウがレッドカードで退場し車屋が右ハムストリングの肉離れで2年連続の開幕戦負傷退場。3節の湘南戦でそのジェジエウが左膝外側半月板損傷で、4節の新潟戦では2節の鹿島戦で退場したセンターバックの山村<ref>なお開幕して2戦続けて退場処分を受けたのは、初めてのJ1にあたり2023年現在U-18監督の長橋康弘が福岡との開幕戦で、鬼木が鹿島との第2節でそれぞれレッドカードを受けた[[2000年のJリーグ|2000年]]以来23年ぶりである。</ref>とインサイドハーフの大島がそれぞれ負傷交代と離脱者続出に歯止めがかからなかった上、センターバックの高井が[[ウズベキスタン]]で行われた[[AFC U23アジアカップ]]の代表招集で失っていた事も重なってしまい、千葉に育成型期限付き移籍で放出していた田邊(千葉では2試合で22分しか出場出来ず)を復帰させても最終ラインが手薄となった序盤は9節終了時点で2勝3分4敗と負けが先行する形となった。その田邊も4月7日のG大阪戦で左膝の内側側副靭帯を損傷し全治4~5か月の離脱を余儀なくされ、その後3連勝を飾るが連敗も目立ち、かつて圧倒的な強さを誇ったホーム[[等々力陸上競技場|等々力]]で競り負ける試合が増えた。第29節で[[アルビレックス新潟|新潟]]に2-3で敗れた事で、5試合を残して優勝の可能性が消滅した。鹿島には相性の良さを発揮し、3年連続のシーズンダブルを達成した一方で残留争いの[[ガンバ大阪|G大阪]]、昇格したばかりの新潟にシーズンダブルを食らう等不安定だった。 また、10月29日に行われた第31節の柏戦で遠野がレッドカードを受け、シーズン7枚目かつ7人目の退場者を出す。当時J2だった[[2002年のJリーグ ディビジョン2|2002年]]と[[2003年のJリーグ ディビジョン2|2003年]]の6枚を抜き、加えて全員違う選手<ref>2002年は2回退場処分を受けた[[マルコス・ボニファシオ・ダ・ローシャ|マルキーニョ]]、[[久野智昭]]、当時コーチを務めた寺田、[[茂原岳人]]、[[渡辺匠]]。2003年は2回退場処分を受けたその茂原と渡辺、[[黄川田賢司]]、[[岡山一成]]。2023年はジェジエウ、山村、車屋、脇坂、シーズン途中に[[水原三星ブルーウィングス]]に移籍した小塚、大南、その試合の遠野である。</ref>が退場処分を受けている為、レッドカードの枚数・選手共にクラブ史上最多となった。 また、前述のマルシーニョが左ハムストリング肉離れで、レアンドロ・ダミアンが前述の右足関節の手術に加えて、6月21日に左足関節捻挫で再び離脱する等外国人選手も怪我に苦しんだ為、開幕戦から外国人選手のノーゴールが続きリーグ戦での初ゴールは、開幕して27戦目にあたる9月15日に等々力で行われたFC東京との多摩川クラシコまで待たなければならず<ref>[[ハイネル・サントス・ナシメント|ハイネル]]が決めるまで10戦もかかった[[2017年のJ1リーグ|2017年]]を大幅に更新し、Jリーグにおける開幕戦からのノーゴールはクラブ史上最長である。</ref>、[[ガラタサライSK (サッカー)|ガラタサライ]]から補強しクラブ史上初のヨーロッパ諸国出身選手となった[[バフェティンビ・ゴミス]]を獲得してもゴールを奪えず、外国人選手のゴール数は5(マルシーニョとジョアン・シミッチが1ゴール、レアンドロ・ダミアンが3ゴール)と「富士通川崎フットボールクラブ」から改めて現在のクラブ名になった[[ジャパンフットボールリーグ]]時代も含めてクラブ史上最少タイと足を引っ張ってしまい、最終順位は[[2012年のJリーグ ディビジョン1|2012シーズン]]以来11年ぶりの8位で2013シーズン以降では最低記録となった。しかし、[[天皇杯 JFA 第103回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では、決勝での柏戦でスコアレスドローでPK戦<ref>なお両クラブとも10人目まで縺れた為、天皇杯で10人以上かかったのは史上最多である。</ref>の末3年ぶり2度目の優勝を果たし、来季のACL出場権を獲得した。なおACL出場権を獲得するのは4年連続でクラブ史上最長である。また鬼木は西野を抜いて日本人監督最多となる7個目の国内三大タイトル獲得となり、鹿島時代に率いた[[オズワルド・オリヴェイラ]]の6個を抜いて1クラブでの最多タイトル獲得となった<ref>通算獲得タイトルでも、鬼木は浦和時代にあたる[[天皇杯 JFA 第98回全日本サッカー選手権大会|2018年の天皇杯]]も獲得したそのオリヴェイラと並んだ。</ref>。 == 現所属メンバー == {{Main|川崎フロンターレの選手一覧}} == 成績 == {{Main|川崎フロンターレの年度別成績一覧}} == タイトル・表彰 == === 国内タイトル === * '''[[J1リーグ]]:4回''' ** [[2017年のJリーグ|2017]], [[2018年のJリーグ|2018]], [[2020年のJリーグ|2020]], [[2021年のJリーグ|2021]] * '''[[J2リーグ]]:2回''' ** [[1999年のJリーグ|1999]], [[2004年のJリーグ|2004]] * '''[[Jリーグカップ]]:1回''' ** [[2019年のJリーグカップ|2019]] * '''[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会]]:2回''' ** [[天皇杯 JFA 第100回全日本サッカー選手権大会|2020]], [[天皇杯 JFA 第103回全日本サッカー選手権大会|2023]] * '''[[スーパーカップ (日本サッカー)|スーパーカップ]]:2回''' ** [[2019年のスーパーカップ (日本サッカー)|2019]], [[2021年のスーパーカップ (日本サッカー)|2021]] === 個人・チーム表彰 === ; [[Jリーグアウォーズ#最優秀選手賞(MVP)|最優秀選手(MVP)]] *2016:[[中村憲剛]] *2017:[[小林悠 (サッカー選手)|小林悠]] *2018:[[家長昭博]] *2021:[[レアンドロ・ダミアン・ダ・シウバ・ドス・サントス|レアンドロ・ダミアン]] ; [[Jリーグベストイレブン|ベストイレブン]] * 2006:[[中村憲剛]], [[谷口博之]] * 2007:[[中村憲剛]], [[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]] * 2008:[[中村憲剛]] * 2009:[[中村憲剛]], [[川島永嗣]] * 2010:[[中村憲剛]] * 2013:[[大久保嘉人]] * 2014:[[大久保嘉人]] * 2015:[[大久保嘉人]] * 2016:[[中村憲剛]], [[小林悠 (サッカー選手)|小林悠]] * 2017:[[中村憲剛]], [[小林悠 (サッカー選手)|小林悠]], [[車屋紳太郎]], [[エルソン・フェレイラ・デ・ソウザ|エウシーニョ]] * 2018:[[中村憲剛]], [[家長昭博]], [[車屋紳太郎]], [[エルソン・フェレイラ・デ・ソウザ|エウシーニョ]], [[鄭成龍|チョン・ソンリョン]], [[谷口彰悟]], [[大島僚太]] * 2020:[[三笘薫]], [[家長昭博]], [[守田英正]], [[田中碧 (サッカー選手)|田中碧]], [[谷口彰悟]], [[山根視来]], [[ジェジエウ・カルドソ・ミランダ|ジェジエウ]], [[登里享平]], [[鄭成龍|チョン・ソンリョン]] *2021 : [[ジェジエウ・カルドソ・ミランダ|ジェジエウ]],[[谷口彰悟]],[[脇坂泰斗]],[[レアンドロ・ダミアン・ダ・シウバ・ドス・サントス|レアンドロ・ダミアン,]][[山根視来]],[[家長昭博]],[[旗手怜央]] *2022 : [[谷口彰悟]],[[山根視来]],[[脇坂泰斗]],[[家長昭博]],[[マルシオ・アウグスト・ダ・シルバ・バルボサ|マルシーニョ]] *2023 : [[脇坂泰斗]] ; [[Jリーグアウォーズ#得点王|得点王]] * 2007:[[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]] * 2013:[[大久保嘉人]] * 2014:[[大久保嘉人]] * 2015:[[大久保嘉人]] * 2017:[[小林悠 (サッカー選手)|小林悠]] *2021 : [[レアンドロ・ダミアン・ダ・シウバ・ドス・サントス|レアンドロ・ダミアン]] ; フェアプレー個人賞 * 2009 : [[川島永嗣]] *2015 : [[谷口彰悟]] *2021 : [[山根視来]] ; 優勝監督賞 * 2017:[[鬼木達]] * 2018:[[鬼木達]] * 2020:[[鬼木達]] *2021 : [[鬼木達]] ; [[Jリーグカップ#最優秀選手賞|Jリーグカップ最優秀選手賞(MVP)]] * 2019:[[新井章太]] ; [[Jリーグカップ#ニューヒーロー賞|Jリーグカップニューヒーロー賞]] * 2006:[[谷口博之]] '''功労選手賞''' * 2006 : [[相馬直樹]] *2014 : [[伊藤宏樹]] * 2021 : [[中村憲剛]] * 2023 : [[鄭大世]] === その他 === *[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞(高円宮杯)|J1フェアプレー賞]]:8回 ** 2012, 2015, 2016, 2017, 2018,2019,2020,2021(高円宮杯受賞) *[[J30ベストアウォーズ]]:[[J30ベストアウォーズ・ベストマッチ|ベストマッチ]]受賞 == ユニフォーム == {{ユニフォームの色 | F正シャツ=水色|F正パンツ=黒|F正ストッキング=黒 | F副シャツ=ベージュ|F副パンツ=白|F副ストッキング=白 | G正シャツ=緑|G正パンツ=緑|G正ストッキング=緑 | G副シャツ=赤|G副パンツ=赤|G副ストッキング=赤 | pattern_la1= _kawasaki frontale 2023 HOME FP | pattern_b1= _kawasaki frontale 2023 HOME FP | pattern_ra1= _kawasaki frontale 2023 HOME FP | pattern_sh1= _kawasaki frontale 2023 HOME FP | pattern_so1= _kawasaki frontale 2022 HOME FP | leftarm1= | body1= | rightarm1= | shorts1= | socks1= | pattern_la2= _kawasaki frontale 2023 AWAY FP | pattern_b2= _kawasaki frontale 2023 AWAY FP | pattern_ra2= _kawasaki frontale 2023 AWAY FP | pattern_sh2= _kawasaki frontale 2023 AWAY FP | pattern_so2= _kawasaki frontale 2022 AWAY FP | leftarm2= | body2= | rightarm2= | shorts2= | socks2= | pattern_la3= | pattern_b3= | pattern_ra3= | pattern_sh3= | pattern_so3= _pumafootballwhitelogo | leftarm3=007211 | body3=007211 | rightarm3=007211 | shorts3=007211 | socks3=007211 | pattern_la4= | pattern_b4= | pattern_ra4= | pattern_sh4= | pattern_so4= _pumafootballwhitelogo | leftarm4=DD0000 | body4=DD0000 | rightarm4=DD0000 | shorts4=DD0000 | socks4=DD0000 }} === チームカラー === *{{color box|#23B1EA}} サックスブルー<ref name="jleague" />、{{colorbox|#221615}} ブラック<ref name="jleague" />、{{colorbox|#FFFFFF}} ホワイト<ref name="jleague" /> === ユニフォームデザイン === * 2004年から右袖に「KAWASAKI」の文字が書かれたワッペン、選手やスタッフ用には「市の花」である[[ツツジ]]の[[刺繍]]が付けられている。 * 2011年のユニホーム右脇部には川崎市高津区出身の[[岡本太郎]]デザインによる「挑」の文字が付けられていた。 * 2014年の1stユニフォームは川崎市の市制90周年を記念して川崎市の全7区のシンボルマークをモチーフとした市松模様となっている。また、背番号の下にふろん太のシルエットが隠れている。ただし、ACL仕様の1stユニフォームは2ndユニフォームの色違いである。 * 2016年の1stユニフォームは「原点回帰」をコンセプトに20周年記念として創立当時のストライプ柄を採用<ref name=2016uni>[http://www.frontale.co.jp/info/2016/0117_3.html お知らせ:KAWASAKI FRONTALE:2016シーズン 「1st/2nd/GK/カップ戦ユニフォーム」先行販売のお知らせ] 2016年1月17日</ref>。ただしサプライヤーはペナルティではなくプーマである。 * 2016年はクラブとしては初となるカップ戦限定デザインユニフォームを採用(1stユニフォームのみ)。2009 - 2010シーズンのデザインの復刻版となっている<ref name=2016uni />。こちらもサプライヤーはアシックスではなくプーマである。 * [[AFCチャンピオンズリーグ]]については規定によりスポンサーは1社に限られているため、FUJITSUの胸ロゴのみ<ref group=注釈>2021年出場時までは、FUJITSUの公式ロゴではなく角ゴシック体表記。これは胸ロゴの規格がJリーグより小さいという都合によるものと思われる(「JI」の上に「∞」があるため、ACLの規格に合わせるとロゴがかなり小さくなる。2022年出場時は小さい公式ロゴを使用)。ちなみに2013年出場時の[[ベガルタ仙台|仙台]]は、[[アイリスオーヤマ]]の胸ロゴデザイン小変更(IRIS OHYAMAの文字列を2段に)で対応した。</ref> 表記され、左袖に大会のロゴ、背番号上には選手名([[アルファベット]]表記)を入れている。 === ユニフォームスポンサー === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #221615; 4px 4px 4px #23B1EA;" |- style="background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考 |- !胸 |[[富士通]]||FUJITSU||1997年 - ||2013年 - 2015年の2ndは「[[arrows (携帯電話)|ARROWS]]」表記<br/>2016年 - 2017年は旧ロゴの「arrows」表記<br/>(ACLでは1st、2nd共に「FUJITSU」表記) |- !rowspan="2"|鎖骨 |[[GA technologies]]||RENOSY||2018年9月 - <ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.frontale.co.jp/info/2018/0914_3.html |title=株式会社GA technologiesとのユニフォームスポンサー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2018-9-14|accessdate=2018-9-18}}</ref>||左側に表記 |- |[[Anker#日本法人|アンカー・ジャパン]]||ANKER||2021年 - ||右側に表記<br/>2021年は「Anker {{smaller|Innovations JAPAN}}」表記 |- !背中上部 |[[SMBC日興証券]]||SMBC日興証券||2005年 - ||2005年 - 2007年途中は商品名の「[[ピーカブー (証券サービス)|ピーカブー]]」表記<br/>2007年途中 - 2011年3月は「日興コーディアル証券」表記 |- !背中下部 |[[PwCコンサルティング]]||pwc||2023年 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.frontale.co.jp/info/2023/0102_3.html|title=PwCコンサルティング合同会社とのユニフォームパートナー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2023-01-02|accessdate=2023-01-02}}</ref>|| |- !袖 |[[エバラ食品工業]]||エバラ||2023年 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.frontale.co.jp/info/2022/1029_1.html|title=エバラ食品工業株式会社とのユニフォームパートナー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2022-10-29|accessdate=2022-10-29}}</ref>|| |- !パンツ前面 |[https://www.matsuo-komuten.co.jp/ 松尾工務店]||MATSUO||2021年4月 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.frontale.co.jp/info/2021/0226_1.html|title=株式会社松尾工務店とのトップパートナー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2021-2-26|accessdate=2021-2-26}}</ref>|| |- !パンツ背面 |[[川崎信用金庫]]||川崎信用金庫 100<br/>{{smaller|KAWASHIN 100th Anniversary}}||2022年 - || |} === ユニフォームサプライヤーの遍歴 === * 1997年 - 1998年:[[ペナルティ (スポーツ用品)|ペナルティ]] * 1999年 - 2010年:[[アシックス]] * 2011年 - 現在:[[プーマ]] === 歴代ユニフォーム === {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #221615; font-size:smaller; 4px 4px 4px #23B1EA;" |- style="color:#221615; font-weight:bold;" !colspan=5|FP 1st |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_Kawasaki Frontale 1999 - 2000 HOME FP|pattern_b=_Kawasaki Frontale 1999 - 2000 HOME FP|pattern_ra=_Kawasaki Frontale 1999 - 2000 HOME FP|pattern_sh=_Kawasaki Frontale 1999 - 2000 HOME FP|pattern_so=_Kawasaki Frontale 1999 - 2000 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|1999 - 2000}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_Kawasaki Frontale 2001 - 2003 HOME FP|pattern_b=_Kawasaki Frontale 2001 - 2003 HOME FP|pattern_ra=_Kawasaki Frontale 2001 - 2003 HOME FP|pattern_sh=_Kawasaki Frontale 2001 - 2003 HOME FP|pattern_so=_Kawasaki Frontale 2001 - 2003 HOME FP 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|1998||rowspan="7"|[[富士通エフサス|Fsas]]||[[富士通ゼネラル|FUJITSU GENERAL]] |- |1999||[[富士通ゼネラル]]||rowspan="12"|[[アシックス|asics]] |- |2000||[[富士通ゼネラル|{{smaller|FUJITSU / GENERAL}}<br/>富士通ゼネラル]] |- |2001||rowspan="3"|[[富士通ゼネラル]] |- |2002 |- |2003||rowspan="3"|[[PFU]] |- |2004||rowspan="2"|[[ノエル (企業)|nOEL]] |- |2005||rowspan="2"|[[ピーカブー (証券サービス)|ピーカブー]] |- |2006||rowspan="3"|[[ノエル (企業)|NOEL]]||rowspan="3"|[[農業協同組合|ふくしまの米]] |- |2007||[[ピーカブー (証券サービス)|ピーカブー]] / <br/>[[SMBC日興証券|日興コーディアル証券]] |- |2008||rowspan="3"|[[SMBC日興証券|日興コーディアル証券]] |- |2009||rowspan="2"|[[富士通ゼネラル|{{smaller|富士通ゼネラル}}<br/>エアコン]]||rowspan="12"|[[PFU]] |- |2010 |- |2011||[[SMBC日興証券|日興コーディアル証券 /<br/>SMBC日興証券]]||rowspan="9"|[[富士通マーケティング|富士通<br/>マーケティング]]||rowspan="13"|[[プーマ|PUMA]] |- |2012||rowspan="12"|[[SMBC日興証券]] |- |2013||[[富士通|FUJITSU]]<br/>(1st)<br/>[[arrows (携帯電話)|ARROWS]]<br/>(2nd) |- |2014||[[富士通|FUJITSU]]<br/>(Jリーグ仕様1st・ACL用)<br/>[[arrows (携帯電話)|ARROWS]]<br/>(Jリーグ仕様2nd) |- |2015||[[富士通|FUJITSU]]<br/>(1st)<br/>[[arrows (携帯電話)|ARROWS]]<br/>(2nd) |- |2016||[[富士通|FUJITSU]]<br/>(1st・カップ戦)<br/>[[arrows (携帯電話)|arrows]]<br/>(2nd)||rowspan="2"|[[ニフティ|@nifty]] |- |2017||[[富士通|FUJITSU]]<br/>(Jリーグ仕様1st・ACL用)<br/>[[arrows (携帯電話)|arrows]]<br/>(Jリーグ仕様2nd) |- |2018||rowspan="6"|[[富士通|FUJITSU]]||- /<br/>[[GA technologies|RENOSY]]||- /<br/>[https://www.fujitsu.com/jp/group/bsc/ 富士通<br/>ビー・エス・シー]||rowspan="5"|[[富士通エフサス]] |- |2019||rowspan="5"|[[GA technologies|RENOSY]]||rowspan="2"|[https://www.fujitsu.com/jp/group/bsc/ 富士通<br/>ビー・エス・シー] |- |2020||[[富士通Japan|富士通<br/>マーケティング /<br/>富士通Japan]]||rowspan="2"|- |- |2021||[[Anker#日本法人|Anker<br/>{{smaller|Innovations<br/>JAPAN}}]]||rowspan="2"|[[富士通Japan]]||- / <br/>[https://www.matsuo-komuten.co.jp/ MATSUO] |- |2022||rowspan="2"|[[Anker#日本法人|ANKER]]||rowspan="2"|[https://www.matsuo-komuten.co.jp/ MATSUO]||rowspan="2"|[[川崎信用金庫|川崎信用金庫 100<br/>{{smaller|KAWASHIN 100th Anniversary}}]] |- |2023||[[PwCコンサルティング|pwc]]||[[エバラ食品工業|エバラ]] |} * この他、1997年 - 1998年は旧JFL、1999年 - はJリーグのロゴが右袖に付く。 * 1998年 - 2004年の背中スポンサー、富士通エフサス(Fsas)の会社名は「富士通サポートアンドサービス」。 * [[ノエル (企業)|ノエル]](NOEL)は、2005年途中にCIの変更によりロゴが変更されたが、2005年シーズンは旧ロゴのままで、2006年シーズンより新ロゴに変更された。 * 2007年9月30日の[[金融商品取引法]]施行に伴い、日興コーディアル証券(当時)はユニフォームでの掲示名を商品名の「ピーカブー」から自社名に変更。マスコットのピーカブーは2014年5月末まで応援マスコットとして主にホームゲームでふろん太と共に活動した。同年6月にキャラの使用権利が日興からクラブへ移籍されため頭の部分を青色にした上で公募で「'''カブレラ'''」と改名された。クラブ公式のマスコットとして活動している。 * 2013年 - 2017年の2ndユニフォーム胸スポンサーのARROWSは富士通の[[スマートフォン]]、[[タブレット (コンピュータ)|タブレット端末]]のブランド名。ただし、2014年及び2017年のACL仕様の2ndユニフォームはロゴが赤色のFUJITSUとなっている。 * ARROWSのロゴは2015年途中に従来の大文字から小文字のarrowsに変更されたが、2015年シーズンは旧ロゴのまま、2016年より変更された。 == スポンサー == {{Main2|スポンサーについては、[http://www.frontale.co.jp/sponsors/sponsors_list.html スポンサーズリスト] を}} {{main2|株主については [http://www.frontale.co.jp/about/stock_folders.html 株主の一覧]}} == アカデミー == * 川崎フロンターレU-18 * 川崎フロンターレU-15 * 川崎フロンターレU-13 * 川崎フロンターレU-12 * 川崎フロンターレU-10 == 運営会社 == * [[1997年]] - [[2001年]]: 富士通川崎スポーツマネージメント株式会社 * [[2002年]] - 現在: 株式会社川崎フロンターレ == 地域密着 == [[富士通サッカー部]]は[[1996年]]にプロ化を推進するにあたり、Jリーグの理念に沿った地域社会との共生を目指すことをテーマに掲げた。地元川崎市の各行政区でのサッカースクール(学校巡回スクール含む)の実施といったサッカーに関わることだけでなく、地域の市民・区民まつりへの参加、市内各商店街等の行事への選手らの派遣(お年始など)、また地元商店街加盟店舗などの協賛によるマン・オブ・ザ・マッチの表彰制度'''「あんたが大賞」'''、週末のホームゲームでのサイン会等を積極的に行うように務めた。特に、[[クリスマス]]シーズンに行われる入院児への訪問活動'''「青い[[サンタクロース]]」'''は毎年恒例の奉仕活動として定着している。 ホームタウンである川崎市も[[2004年]]9月に「'''[[川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー]]'''」を制定。フロンターレはこの創設メンバーとして認定を受けた。また、川崎市は他の地元企業・団体、またサポーター持株会と共に、運営会社の株式の一部を取得した。現在は[[富士電機]]・[[富士通]]グループ各社のほか、川崎市に本社や事業所を持つ企業・[[公益法人]]など36の団体が出資している。2016年からは男子バスケットボールの[[ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ]](Bリーグ)でとどろきアリーナをホームとする「[[川崎ブレイブサンダース]]」とのコラボレーション企画を発表し、ホームゲーム同日開催時のチケット割引サービスなどを実施している<ref>川崎フロンターレ、[http://www.frontale.co.jp/info/2016/1017_13.html 「かわさきスポーツパートナーpresents 10/22「川崎ブレイブサンダース×川崎フロンターレ」コラボ企画実施のお知らせ」]、2016年10月17日付、2017年4月23日閲覧。</ref>。 2006年はクラブ創立10周年に当たり、川崎市商店街連合会を通じ、市内の全商店街の街灯にチームの応援[[タペストリー]]を配布。2014年には同連合会に加盟する市内全域の11地区の商店街連合会<ref group=注釈>川崎区は4団体、幸区は2団体、他の5区は1団体が加盟。</ref> 全てと市連合会の青年部が「あんたが大賞」として、フロンターレの主催試合で最も印象に残る活躍をした同チームの選手 に各地区の名産品などの商品を贈り<ref>川崎市商店街連合会公式サイト、「[http://k-shouren.jp/?page_id=32 川崎市商店街連合会は、川崎フロンターレを応援しています!]」</ref>、持株会の理事長には川崎市商店街連合会の相談役(元会長)である和田義盛が就任している<ref>川崎フロンターレ持株会オフィシャルサイト、「[http://www.frontalemochikabukai.com/overview.html 概要]」、2015年5月11日閲覧。</ref>。 また広報担当者のインタビュー記事には、後援会員の75%が等々力陸上競技場と富士通本店・川崎工場のある中原区、クラブ事務所のある[[高津区]]、そして市が整備しフロンターレが[[指定管理者]]となって2006年4月に開業した「[[フロンタウン・さぎぬま]]」([[フットサル]]場)のある[[宮前区]]の3区在住者で占められる。 [[川崎競馬場]]で[[2006年]][[11月2日]]に[[JBCスプリント|JBCマイル]]競走の前座として「祝10周年・フロンターレ特別」が行われた<ref>[http://www.keiba.go.jp/topics/2006/1005.html 地方競馬全国協会ニュースリリース]、[http://www.nankankeiba.com/dirt4.kawasaki/ns_2006092821_4.html 川崎競馬場ニュースリリース]</ref>。 トップチームの麻生練習場がある麻生区では[[2009年]]に「麻生アシストクラブ」が発足した。「しんゆり・芸術のまちづくりフォーラム」内に事務所が置かれ、商店街や各種団体などが構成する同クラブを川崎市役所(麻生区役所)やフロンターレが後援する形を取って、同区内での広報・支援活動を展開する事になった<ref>[http://kpress.weblogs.jp/news/2009/08/post-9d54-1.html 川崎市麻生区で川崎麻生アシストクラブが発足] k-press 2009年8月23日付</ref>。同クラブでは[[小田急電鉄]]の協力も受け、麻生練習場の最寄り駅である[[小田急多摩線]][[栗平駅]]のホーム脇陸橋に告知看板を出すなどの活動をしている<ref>[http://www.frontale.co.jp/diary/2010/0519.html 新ランドマーク誕生!] 川崎公式サイト内「フロンターレ日記」2010年5月19日</ref>。 スポーツ交流パートナー事業以外の異競技交流では[[大相撲]]・[[中川部屋]]が川崎市にある<ref group=注釈>同部屋の前身である春日山部屋の師匠(20代)、[[春日山 (相撲)|春日山]]由晃(故人、現役時代の四股名は[[春日富士晃大]])は川崎市で育ち、同市立桜本中学校卒業後に角界入りしていた。なお、春日山部屋は2012年に21代(現役時代の四股名は[[濱錦竜郎]]、[[熊本市]]出身)に引き継がれ、その後20代と21代の間には民事訴訟も起こり、最終的に部屋も一時閉鎖となったが、2017年に15代[[中川 (相撲)|中川]](現役時代の四股名は[[旭里憲治]]、[[大阪府]][[池田市]]出身)により中川部屋として再興されて以降も所在地は川崎市のまま変わらず(2017年に川崎区から幸区に移転)、フロンターレとの協力関係も維持されている。</ref> という縁で、フロンターレのファン感謝デーに中川部屋の力士をゲスト出演として招き、フロンターレの主催試合では中川部屋の所属力士が同部屋のちゃんこを販売する屋台が競技場外の広場に毎回出店されていた。また、毎年1度は同部屋の力士が等々力陸上競技場を訪れ、相撲にちなんだイベントを行う「イッツァスモウワールド」<ref group=注釈>[[東京ディズニーランド]]などの[[ディズニーパーク]]にある[[イッツ・ア・スモールワールド]]をもじった名称。</ref> を実施していた。2014年は開催が途切れたが、2015年4月29日のJ1・1stステージ第8節、[[柏レイソル]]戦では2年ぶりに開催され、同部屋力士によるアトラクション、特製ちゃんこなどの飲食販売、等々力陸上競技場での[[枡席]]の設置、選手入場前の[[呼出]]による両チーム名の読み上げなどが行われた。なお、この時の開催は[[日本相撲協会]]も後援し、[[本場所]](五月場所)のチケット販売、特製焼き鳥の販売、マスコット「ひよの山」の来場<ref group=注釈>焼き鳥やひよの山が[[両国国技館]]以外で披露されるのは稀だとされている。</ref>、始球式では[[振分]]親方([[高見盛精彦]])の参加した<ref>フロンターレ日記、2015年5月9日付、「[http://www.frontale.co.jp/diary/2015/0509.html 柏戦 イッツァ スモウワールド報告!]」</ref>。2016年10月に春日山部屋が閉鎖されたため2017年は開催が見送られたが、中川部屋としての再興により2018年には再開された<ref>[https://kawasaki.keizai.biz/headline/453/ 川崎フロンターレと相撲部屋がコラボ 「イッツァ スモウワールド」] 川崎経済新聞、2018年3月26日</ref>。2019年は中川部屋勢に加え、川崎市出身久々の幕内力士となった[[友風勇太]]([[尾車部屋]])が参加し、始球式を行った<ref>フロンターレ日記、2019年5月12日付、「[http://www.frontale.co.jp/diary/2019/0512.html 令和初陣川崎勝利!]」</ref>。2020年は新型コロナウイルスの影響により開催されていない。2009年からは毎年1回、[[両国国技館]]での本場所でフロンターレが告知してサポーターが集まる中川(春日山)部屋応援ツアーが実施された。2011年も九月場所(秋場所)9日目の9月19日に実施された<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2011/0822_5.html JTBアウェイツアー「春日山部屋応援ツアー2011」参加者募集のお知らせ]</ref>。春日王は2011年4月に引退したが、同年の「イッツ・ア・スモウワールド」開催日となった5月3日のジュビロ磐田戦では春日王が試合前にグラウンドに登場して引退報告と今までの支援への感謝を述べ、5月28日に行われた春日王の[[断髪式]]には武田社長が参加した<ref>[http://www.frontale.co.jp/diary/2011/0607.html] フロンターレ日記2011年6月7日</ref>。 元[[プロボクサー]]の[[新田渉世]]が川崎市多摩区に開いている[[川崎新田ボクシングジム]]とも協力関係にあり、2011年8月16日にとどろきアリーナで行われた同ジム主催の興行ではふろん太が登場し、「日本マスコット級タイトル決定戦(非公認)」として[[一平くん]]([[愛媛FC]]応援マスコット)と対戦して勝利した後、メインイベントだった[[黒田雅之]]の日本[[ライトフライ級]]タイトルマッチでのラウンドボーイを務めた<ref>[http://www.frontale.co.jp/diary/2011/0816.html] フロンターレ日記2011年8月16日</ref>。 2009年からは地元密着のための事業の一つとして、小学6年生用のオリジナル[[算数]][[問題集|ドリル]]を作成し市内の小学校に配布している<ref>[https://web.archive.org/web/20090413214815/http://www.jsgoal.jp:80/official/00080000/00080508.html 「フロンターレ算数ドリル」完成のお知らせ] [[J's GOAL]]、2009年4月8日</ref>。これは[[プレミアリーグ]]の[[アーセナルFC|アーセナル]]がロンドン市と共同で毎年製作している外国語学習教材にヒントを得たもので<ref>[http://www.j-league.or.jp/100year/report/_/?c=&n=kawasaki&code=00000533 「川崎フロンターレ算数ドリル」完成] Jリーグ公式サイト・2009年4月28日</ref>、初年度は市内の1校のみに配布されたが、2010年は前年のナビスコ杯準優勝の賞金を原資に市内の全小学校及び特別支援学校に配布先を拡大<ref name=jsgoal101007>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00108033.html 川崎F:2010算数ドリル・ゲストティーチャー(稲本潤一選手、伊藤宏樹選手)レポート] [[J's GOAL]]、2010年10月7日</ref>。2011年からは川崎市からも補助金が出るようになった<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2011/0411_2.html 2011年度「川崎フロンターレ算数ドリル(上巻)」完成のお知らせ] 川崎フロンターレ・2011年4月11日</ref>。このドリルを題材とした小学生と選手の交流授業「算数ドリル・ゲストティーチャー」も行われている他<ref name=jsgoal101007 />、2011年には[[東日本大震災]]で被害を受けた[[岩手県]][[陸前高田市]]の小学校にも同ドリルが寄付された<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2011/0419_1.html 「川崎フロンターレ算数ドリル」の寄付について] 川崎フロンターレ・2011年4月19日</ref> 2015年、旧[[川崎球場]]をリニューアルしてオープンした[[川崎富士見球技場]](富士通スタジアム川崎)の[[指定管理者]]に、[[東急コミュニティー]]と共同で認定され、フロンターレのサッカースクール生による練習、並びにユースチームの公式戦に使用されている。 2016年3月現在、Jリーグが実施しているスタジアム観戦者調査において、2010年シーズンから5年連続で地域貢献度1位の評価を得ている。 毎試合、審判・両チーム選手入場前にサポーターが川崎市民の歌『[[好きです かわさき 愛の街]]』を歌うことが慣例となっている。 2023年3月、「[[フロンタウン生田|Anker フロンタウン生田]]」を開業<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kanaloco.jp/sports/soccer/frontale/article-976835.html |title=川崎・生田に新拠点 育成組織強化や地域活性化 |access-date=2023-04-08 |publisher=神奈川新聞}}</ref>。 == 応援番組 == * [[ファイト!川崎フロンターレ]] ([[テレビ神奈川|tvk]]) * [[SUKI!SUKI!フロンターレ]] ([[イッツ・コミュニケーションズ|iTSCOM]]) * [[かわさき市民放送#VAMOS!川崎フロンターレ|VAMOS!川崎フロンターレ]] ([[かわさき市民放送|FM K-City]]) *囲碁将棋と明日美のハッピーフロンターレ!!!([[アール・エフ・ラジオ日本|ラジオ日本]]) == 後援会 == 1997年のクラブ発足当初から存在していたファンクラブと、1999年に川崎市が設立した市民後援会が合流し、2001年から現在の川崎フロンターレ後援会の形となった。愛称は「ブルーフレンズ<ref group=注釈>この愛称を用いて、かわさきFMで放送されるホームゲームの実況放送の名前は「BLUE FRIENDS STADIUM○○○○」(○○○○部分には西暦年が入る)ともされている。</ref>」。後援会長は事実上川崎市長の[[充て職]]で、初代は[[高橋清 (川崎市長)|高橋清]]、その後は長く[[阿部孝夫]]が務めた後、2013年11月からは[[福田紀彦]]が就任している。毎年7月1日の市制記念日<ref group=注釈>[[1924年]]7月1日、川崎市が現在の川崎区の範囲で市制を施行。後の中原区となる[[中原町 (神奈川県)|中原町]]が川崎市に編入されたのは[[1933年]]8月1日。</ref> 付近で行われる「市制記念試合」では、後援会長を兼任する市長が試合前に挨拶をするのが恒例となっている。 後援会員には個人・ファミリー・ジュニア(小中学生)<ref group=注釈>2014年度では、個人会員が10,347人、ファミリー会員が12,450人、ジュニア会員が4,254人。</ref> の3種別。 2014年は27,051人で初めて2万5千人を超え、2016年に3万人、2018年に4万人、2019年には4万5千人を超えた。 {| class="wikitable" style="text-align:right; border:double #221615; box-shadow: 4px 4px 4px #23B1EA;" |- style="text-align:center; background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||後援会員数 |- |2005年 |12,406 |- |2006年 |12,681 |- |2007年 |16,686 |- |2008年 |20,189 |- |2009年 |21,522 |- |2010年 |24,004 |- |2011年 |24,588 |- |2012年 |23,778 |- |2013年 |23,187 |- |2014年 |27,051 |- |2015年 |28,019 |- |2016年 |30,904 |- |2017年 |36,894 |- |2018年 |43,838 |- |2019年 |45,643 |- |2020年 |44,600 |- |2021年 |45,966 |} {| class="wikitable" style="text-align:right; border:double #221615; box-shadow: 4px 4px 4px #23B1EA;" |- style="text-align:center; background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年代||後援会員数||百分比 |- |0-9歳 |3,892 |8% |- |10-19歳 |7,428 |16% |- |20-29歳 |6,212 |14% |- |30-39歳 |6,523 |14% |- |40-49歳 |10,202 |22% |- |50-59歳 |8,038 |17% |- |60歳以上 |3,656 |8% |- |年齢不明 |15 |0% |- | colspan="3" |2021年度集計 |} {| class="wikitable" style="text-align:right; border:double #221615; box-shadow: 4px 4px 4px #23B1EA;" |- style="text-align:center; background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |性別||後援会員数||百分比 |- |男性 |29,157 |63% |- |女性 |16,745 |36% |- |性別不明 |64 |0% |- | colspan="3" |2021年度集計 |} 地域別では川崎市在住者が26,104人で全体の57%を占める。川崎市外の会員数では[[横浜市]]が4,032人で最も多く、次いで中原区に隣接する[[東京都]][[大田区]]、[[世田谷区]]などとなっている<ref group=注釈>東京特別区を一つの市と考えると、会員数ベスト10の地域として挙げられている[[品川区]]・[[目黒区]]・[[杉並区]]との5区合計で横浜市を上回る。</ref>。 == 企画等 == === コラボ企画 === *[[2005年]]~ [[ガンプラ]](ガンダムプラモ) *2007年 **[[エースをねらえ!]]/[[4月15日]]の[[清水エスパルス|清水]]戦。Jリーグ加盟以来勝利を挙げていなかった清水を相手に「エス(パルス)をねらえ!」と題して初勝利を目指そうという企画を行った<ref>{{Cite web|和書|title=フロンターレ日記:イベント情報満載|url=http://www.frontale.co.jp/|website=川崎フロンターレ|accessdate=2021-05-22|date=2007-04-07}}</ref>。この時はアニメの「エースをねらえ!」で岡ひろみ役を演じた[[高坂真琴]]が「このゲームは絶対に負けられない!! 打倒オレンジ、ついに完結よ!!」といったフレーズの宣伝を行った。 **[[川崎麻世]]/[[6月30日]]の[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦で、川崎市のスポンサードマッチ「川崎市制記念試合」([[7月1日]]の市制施行記念日に合わせた記念試合)を実施<ref>{{Cite web|和書|title=川﨑麻世さん「YMCAヤングマンショー」バックダンサー募集のお知らせ|url=https://www.frontale.co.jp/info/2007/0608_1.html|website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|accessdate=2021-05-22|publisher=川崎フロンターレ|date=2007-06-08}}</ref>。その試合で川崎麻世が「[[YOUNG MAN (Y.M.C.A.)]]」をハーフタイムショーとして熱唱。 ***なお、川崎市制記念試合では川崎市により市民が招待されているが、2004年(市制施行70周年)から2006年までは当時川崎市内在住だった[[西城秀樹]]が毎年招聘され、ハーフタイムショーに出演していた。2008年から西城が再び出演するようになった。西城は死去する前年の2017年まで出演し、以降もハーフタイムショーでゲストがヤングマンのショーを行っている。 **[[朝日放送テレビ|朝日放送(現:朝日放送テレビ)]]・[[パネルクイズ アタック25|パネルクイズアタック25]]/[[8月25日]]の[[ガンバ大阪]]戦の試合において、同番組とのコラボレーション「アタック25日」を開催<ref>{{Cite web|和書|title=川崎がG大阪戦へ「アタック25日」作戦!|url=https://web.gekisaka.jp/news/detail/?27169-7797-fl|website=ゲキサカ|accessdate=2021-05-22|language=ja|publisher=講談社|date=2007-08-09}}</ref><ref name=":0">{{Cite web|和書|title=8/25(土)G大阪戦「アタック25日」企画スタートのお知らせ|url=https://www.frontale.co.jp/info/2007/0711_3.html|website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|accessdate=2021-05-22|date=2007-07-11}}</ref>。[[博多華丸]]が[[児玉清]]の物まねで「フロンターレ!! 大事なアタックチャーンス!!」とPRした他、同番組の特徴である回答者のカラーの入れ替わり(ガンバの青からフロンターレの水色)のパフォーマンスをバックスタンドのフロンターレ応戦席で行った。 **[[あいのり]]/[[5月11日]]のAFCチャンピオンズリーグ・アレマ・マラン(インドネシア)戦で、同大会初出場・初の決勝ラウンド進出決定の時にサポーターがそれをパロディー化した「はつのり」のTシャツを着用し祝福<ref>{{Cite web|和書|title=フロンターレ日記:はつのり!!|url=http://www.frontale.co.jp/|website=川崎フロンターレ|accessdate=2021-05-22|date=2007-05-10}}</ref>。 **[[プロジェクトX〜挑戦者たち〜]]/[[9月]]に行われるアウェーでの[[鹿島アントラーズ|鹿島]]([[9月1日]])、[[柏レイソル|柏]]([[9月22日]])の試合を、ホームタウンの頭文字が全て「K」(川崎=Kawasaki、鹿島=Kashima、柏=Kashiwa)で始まるということ、更に「決戦の9月」という意味合いも込めて、大応援団を川崎から繰り出そうという「プロジェクトK(打倒!! 鹿島&柏)」なる試みを行った<ref>{{Cite web|和書|title=アウェイ大動員計画発令!「プロジェクトK」実施のお知らせ|url=https://www.frontale.co.jp/info/2007/0817_1.html|website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト|accessdate=2021-05-22|date=2007-08-17}}</ref>。なお、2006年のホーム鹿島戦では[[スキージャンプ]]競技の極限点になぞらえた「[[K点]]越え」キャンペーンを実行した。 **スポンサーの[[和幸商事|とんかつ和幸]]協賛の下、パロディー弁当が発売された<ref name=":0" />。なお、このパロディー弁当が発売されると必ずチームは勝利を挙げている。 ***清水戦/「カツのよ!!フロンターレ弁当」(オレンジデザート入りのとんかつ弁当) ***神戸戦/「マヨわずカツ弁当」(とんかつにタルタルマヨネーズソースが添付されている) ***G大阪戦/「アカッツ!! チャンス!!弁当」(当日発売されたカツ弁当の半数に幸運をもたらすといわれる「ラッキーメンチカツ」が挿入されている) *[[2008年]]、漫画『[[GIANT KILLING]]』 **9月20日開催の[[多摩川クラシコ]](対[[FC東京]])のポスターイラスト、およびトレーディングカードにツジトモ書き下ろしで同作の登場人物『達海猛』のイラストが使われた。{{Main2|これにまつわるエピソード|ツジトモ}} *[[2009年]] **TVアニメ『[[天体戦士サンレッド]]』 ***中村、井川、谷口の3選手、社長の武田、マスコットキャラクター・[[ふろん太]]とその家族との共演アニメ(全4話)が制作され、『[[ファイト!川崎フロンターレ]]』内で放送された<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2008/1218_2.html 特別コラボアニメ「天体戦士サンレッド」×「川崎フロンターレ」製作について] - 川崎フロンターレ公式サイト(更新日: 2008年12月18日)]</ref>。『サンレッド』のDVD2〜5巻に映像特典として収録された。コラボレーション企画の一環として、[[髭男爵]]が開幕戦で始球式を行った(両者とも、同作のアニメに声優として出演)。 **[[モンテディオ山形|山形]]戦にて、新たにスポンサーになった[[ドール・フード・カンパニー|Dole]]より、[[ホーム・アンド・アウェー#概説|アウェー]]応援サポーターを含む来場者全員に[[バナナ]]1房をプレゼントした。 *[[2010年]] **[[川崎フロンターレ麻生グラウンド|麻生グランド]]近くに住んでいるということで[[平泉成]]が開幕キャンペーンに出演。[[開幕戦]]には[[始球式]]も務める。 **ファン感謝デーにおいて[[ピラメキーノ]]。スタジアムにピラメキパンダが登場し選手と一緒にピラメキたいそうを踊ったほかレギュラー<ref group=注釈>スタジオからの中継</ref> が聞いた質問に選手が答えた。 *[[2011年]]~[[2014年]]、コンビニエンスストアの[[ローソン]](高津駅前店)とコラボ店舗を営業した<ref>[https://www.ryutsuu.biz/backnumber/store/d080212.html ローソン/川崎フロンターレとのコラボ店舗オープン] - 流通ニュース(更新日: 2011年8月2日)</ref>。 *[[2012年]] **漫画・映画『[[テルマエ・ロマエ]]』<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/198777 川崎フロンターレ名物部長が企てた、漫画『テルマエ・ロマエ』と川崎市『銭湯』とのコラボ。『一緒におフロんたーれ] - Number Web(更新日: 2012年2月17日)</ref>。 **6月30日、[[フォーミュラ・ニッポン]]とコラボし、等々力の陸上トラックをフォーミュラカーが走った<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jleague/2012/text/201207130002-spnavi_1.html 川崎とF・ニッポンのありえないコラボ 等々力のトラックを疾走したフォーミュラカー] - スポーツナビ(更新日: 2012年7月13日)</ref>。同年11月に[[富士スピードウェイ]]で開催された[[JAFグランプリ#富士スプリントカップ|JAFグランプリ]]では、フォーミュラ・ニッポン予選での最高速度上位3名を『フォーミュラ・ニッポン 川崎フロンターレ賞』として表彰した。 *[[2013年]]~ [[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[武蔵中原駅]]の[[発車メロディ]]としてフロンターレの応援歌「FRONTALE2000」「FRONTALE20000」が採用された<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2013/0120_11.html 川崎フロンターレ「JR武蔵中原駅「発車メロディ」について」] - 川崎フロンターレ公式サイト(更新日: 2013年1月20日)</ref>。 *[[2014年]]5月3日、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]戦で「[[笑点]]」([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])とコラボ。水色の着物で大喜利に出演している落語家の[[三遊亭小遊三]]([[山梨県]]出身)が来場し、始球式も務める。 *2014年~ 東日本旅客鉄道(JR東日本)[[武蔵小杉駅]]の発車メロディとしてフロンターレの応援歌「[[ナンバーワン野郎!]]」([[ザ・クロマニヨンズ]])が採用された<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2014/0217_35.html JR南武線武蔵小杉駅「フロンターレ応援ソング発車メロディ」開始のお知らせ] - 川崎フロンターレ公式サイト(更新日: 2014年2月17日)</ref>。 *[[2016年]]、漫画『[[宇宙兄弟]]』及び[[宇宙航空研究開発機構|JAXA]](宇宙航空研究開発機構)とコラボ<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20160117/392282.html サポから天体望遠鏡を贈られた大久保「星からパワーをもらって4年連続得点王!」 | サッカーキング] 2016年1月17日</ref>。毎年恒例の算数ドリルも宇宙兄弟及びJAXAとのコラボレーション仕様として製作される。 *[[2020年]] **[[7月15日]]から2021年[[1月31日]]にかけて、[[SCRAP]]が周遊型の[[体験型ゲーム|体験型ゲーム・イベント]]「川崎フロンターレ 絶体絶命からの脱出」を開催した。 **[[12月9日]]に[[TBS]]で放送されたクイズバラエティ「[[東大王]]」で、「川崎市にあるJリーグのクラブチーム」を解答する問題で芸能人チームの解答者の一人だった[[木村有希 (モデル)|ゆきぽよ]]が、「マドレーヌ」と誤答したことがきっかけとなり、「ふろん太」の焼き印を入れた「川崎マドレーヌ」が発売された。 *2021年、[[有吉の壁]]/4月21日放送の同番組で、[[チョコレートプラネット]]が披露したコントの中でのセリフ「川崎のフロンターレ」に呼応する形で、5月4日の名古屋戦にて「チョコのプラネット」という名称の洋菓子を発売した<ref>{{Cite web|和書|title=「このクラブおかしい」「仕事早すぎ」川崎、“チョコプラ”とのまさかの急遽コラボに大反響! 本人もツイッターで反応 {{!}} サッカーダイジェストWeb|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=89939|website=www.soccerdigestweb.com|accessdate=2021-05-22|language=ja|publisher=日本スポーツ企画出版社|date=2021-04-22}}</ref>。 *[[2022年]] **[[8月13日]]京都サンガ戦で「フロンターレ26周年記念・ボーイズビーアンビシャス」<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/0801_18.html 26(フロ)周年記念特別企画 8/13 京都「ボーイズビーアンビシャス」開催のお知らせ]</ref> と題した格闘技とのコラボ企画を開催する予定であった。基は[[2020年]][[2月29日]]の北海道コンサドーレ札幌戦で、[[新日本プロレス]]とのコラボレーションで、[[真壁刀義]]の来場も予定されていた<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2020/0224_13.html 2/29 札幌「ボーイズビーアンビシャス」開催のお知らせ]</ref> が、コロナの感染拡大によるJリーグ自体の開催中止に伴いこのイベントも中止となり、2年越しの開催となる予定であったもので、[[RIZIN]]所属キックボクサーの[[矢地祐介]]、[[所英男]]、[["ブラックパンサー"ベイノア]]、[[川崎新田ボクシングジム]]所属プロボクサーらのエキシビション、[[那須川天心]]による始球式、[[大仁田厚]]が出場するJリーグ史上初の「電流爆破マッチ」を含むプロレスの試合2試合(男女1試合づつ)、元プロボクサー・[[黒田雅之]]の引退セレモニーとスパーリング公開、またウェブ通販限定の企画として「RIZIN×FRONTALEオープンフィンガーグローブ」の販売<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/0808_9.html WEB限定企画!「RIZIN×FRONTALEオープンフィンガーグローブ」販売のお知らせ]</ref> が予定されていた。しかし、台風8号の接近が予想されるため、一部のエキシビションとプロレスの試合は中止<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/pdf/220812_FronparkMAP_0813.pdf 8月13日会場MAP(8月12日17時現在)]</ref> し、大仁田による試合会場でのスピーチ、那須川の始球式など、一部のみ実施<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/news/202208120001113.html 川崎F 大仁田厚、怒りの電流爆破バット持参? ※大雨でも安全に実施出来るそうです](日刊スポーツ)</ref> することに一度変更されたが、台風の接近が試合時間と重なるため、試合自体が延期となり、またもイベントそのものも中止となった<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/0813_1.html 【重要!】8/13 京都「試合中止」のお知らせ]</ref>。なお京都戦の代替え・10月12日ではこれらのイベントは順延されなかった<REF>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/1003_19.html 10/12 京都「ホームゲーム開催情報」について]</REF>が、黒田は[[8月27日]]に行われた鹿島戦の試合前のアトラクションで改めて引退セレモニーのみを開催<ref>[https://boxingnews.jp/news/93015/ 元日本王者の黒田雅之が川崎フロンターレ試合で引退式 新田ジムは地元信金とコラボ](ボクシングニュース)</ref>、またフィンガーグローブは同年12月31日に「RIZIN40」が行われることを受けてそのタイミングで発売された<REF>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/1219_17.html WEB限定企画!「RIZIN×FRONTALEオープンフィンガーグローブ」販売のお知らせ]</REF>。 **[[8月31日]]サガン鳥栖戦で「LDH JAPAN×川崎フロンターレ 川崎市制記念試合」を開催した。[[GENERATIONS]]から[[中務裕太]]をゲストに招き、「Y.M.C.A」の歌謡ショー(ハーフタイム)のほか、[[コロッケ]]によるモノマネパフォーマンスなどを行う<ref>[https://www.frontale.co.jp/info/2022/0808_17.html 26(フロ)周年記念特別企画「LDH JAPAN」×「川崎フロンターレ」 8/31 鳥栖「川崎市制記念試合」実施のお知らせ]</ref>。 == アウェイゲーム観戦ツアー == {{Wikinews|サッカー・鹿島対川崎F戦が豪雨のため途中で取りやめ|サッカー・Jリーグ、史上初の「再開試合」は川崎Fが逃げ切る}} * [[2007年]][[10月28日]]のFC東京ホームゲームの多摩川クラシコで、多摩川の「[[丸子橋#沿革|丸子の渡し]]」を約70年ぶりに復活させて船で東京へ乗り込むアウェイツアーを実施<ref>[http://www.jsgoal.jp/official/kawasaki/00055565.html オフィシャルニュース|多摩川クラシコ「アウェイ舟ツアー」参加者募集のお知らせ] [[J's GOAL]]</ref>。 * 2009年4月12日の対清水エスパルス戦は、「何もしない」プロモーションを実施した。これはJ参入以降清水にアウェーで勝利したことがなく、それを打破するために2006年から3年続けて大々的なアウェーツアーをしたものの勝利できないことから、あえて「何もしない」こととした。なお、当日の試合は敗れ、清水戦アウェー未勝利は2011年まで続いた<ref>[http://www.frontale.co.jp/info/2009/0323_3.html お知らせ:KAWASAKI FRONTALE:4/12 清水「何もしない」プロモーション実施のお知らせ:]</ref>。 * [[2009年]][[5月24日]]のアウェイの多摩川クラシコで、試合前日の23日の夜に横浜から[[伊豆大島]]へ[[フェリー]]で行き、試合当日の24日に[[大島空港]]から飛行機で[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]]の隣にある[[調布飛行場]]へ行くという「多摩川クラシコエアーツアー」を実施<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00083110.html 【無事に味スタヘ到着!】多摩川クラシコ:川崎F「エアーツアー」レポート (2009年5月24日)] [[J's GOAL]]</ref>。 * [[2009年]][[7月11日]]のアルビレックス新潟ホームゲームのアウェイツアーではそれまで新潟に10連敗していたため、「新潟戦11連敗阻止キャンペーン『11回目のプロポーズ』」と題し、全員そろいの川崎のチームカラー[[パジャマ]]を着て貸切列車で移動するというツアーを実施。帰りの貸切夜行列車では、新潟まで来たふろん太らが見送っていた<ref>[http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00085772.html 川崎フロンターレ新潟戦アウェイツアー「11回目のプロポーズ」写真レポート] [[J's GOAL]]、2009年7月12日</ref>。 * [[2009年]][[10月7日]]の鹿島アントラーズとの16分間の再試合では、1,000円のバスツアーを実施。平日の再試合にも関わらずバス25台の規模となった。<ref>[http://sankei.jp.msn.com/sports/soccer/090929/scr0909291536001-n1.htm 「16分間」観戦ツアーにサポ殺到 豪雨中断の鹿島-川崎戦]([[MSN産経]] [[2009年]][[9月29日]])</ref> == 決算 == === 損益 === {| class="wikitable" style="border:double #221615; font-size:smaller; box-shadow: 4px 4px 4px #23B1EA;" |- style="text-align:center; background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||{{abbr|収入|営業収入}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||事業費||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|管理費|一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}} |-|style="font-weight:bold;" |2005 ||style="background-color:wheat" |1,913 ||1,262 ||277 ||231 ||143 ||style="background-color:wheat" |1,816 ||1,533 ||N.A. ||283 ||style="background-color:wheat" |97 ||style="background-color:wheat" |39 |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||style="background-color:wheat" |2,780 ||1,630 ||391 ||368 ||391 ||style="background-color:wheat" |2,765 ||2,319 ||1,535 ||446 ||style="background-color:wheat" |15 ||style="background-color:wheat" |2 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||style="background-color:wheat" |3,105 ||1,683 ||524 ||385 ||513 ||style="background-color:wheat" |3,096 ||2,600 ||1,639 ||496 ||style="background-color:wheat" |9 ||style="background-color:wheat" |24 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||style="background-color:wheat" |3,320 ||1,857 ||484 ||354 ||625 ||style="background-color:wheat" |3,250 ||2,721 ||1,743 ||529 ||style="background-color:wheat" |70 ||style="background-color:wheat" |9 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||style="background-color:wheat" |3,604 ||1,829 ||626 ||393 ||756 ||style="background-color:wheat" |3,543 ||3,029 ||1,951 ||514 ||style="background-color:wheat" |61 ||style="background-color:wheat" |6 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||style="background-color:wheat" |3,540 ||1,856 ||603 ||298 ||783 ||style="background-color:wheat" |3,493 ||2,831 ||1,743 ||662 ||style="background-color:wheat" |47 ||style="background-color:wheat" |7 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010] 金額の単位: 百万円 人件費は事業費に含まれる。 </div> {| class="wikitable" style="border:double #221615; font-size:smaller; box-shadow: 4px 4px 4px #23B1EA;" |- style="text-align:center; background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||{{abbr|収益|営業収益}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||{{abbr|育成|アカデミー}}||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|試合|試合関連経費}}||{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}}||{{abbr|育成|アカデミー運営経費}}||{{abbr|女子|女子チーム運営経費}}||{{abbr|販売|販売費および一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||style="background-color:wheat" |3,275 ||1,738 ||554 ||213 ||157 ||613 ||style="background-color:wheat" |3,212 ||1,587 ||165 ||239 ||95 ||0 ||1,126 ||style="background-color:wheat" |63 ||style="background-color:wheat" |42 |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||style="background-color:wheat" |3,073 ||1,373 ||558 ||214 ||158 ||770 ||style="background-color:wheat" |3,005 ||1,428 ||179 ||235 ||73 ||0 ||1,090 ||style="background-color:wheat" |68 ||style="background-color:wheat" |33 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||style="background-color:wheat" |3,214 ||1,702 ||540 ||218 ||164 ||590 ||style="background-color:wheat" |3,170 ||1,557 ||174 ||262 ||75 ||0 ||1,102 ||style="background-color:wheat" |44 ||style="background-color:wheat" |21 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||style="background-color:wheat" |3,359 ||1,794 ||571 ||228 ||171 ||595 ||style="background-color:wheat" |3,288 ||1,546 ||185 ||269 ||74 ||0 ||1,214 ||style="background-color:wheat" |71 ||style="background-color:wheat" |44 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||style="background-color:wheat" |4,077 ||1,569 ||777 ||197 ||179 ||1,355 ||style="background-color:wheat" |3,977 ||1,685 ||190 ||430 ||50 ||0 ||1,622 ||style="background-color:wheat" |100 ||style="background-color:wheat" |61 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015] 金額の単位: 百万円 </div> {| class="wikitable" style="border:double #221615; font-size:smaller; box-shadow: 4px 4px 4px #23B1EA;" |- style="text-align:center; background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||{{abbr|収益|営業収益}}||広告料||入場料||{{abbr|配分|Jリーグ配分金}}||{{abbr|育成|アカデミー}}||物販||その他||{{abbr|費用|営業費用}}||{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}}||{{abbr|試合|試合関連経費}}||{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}}||{{abbr|育成|アカデミー運営経費}}||{{abbr|女子|女子チーム運営経費}}||物販||{{abbr|販売|販売費および一般管理費}}||{{abbr|利益|営業利益}}||{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2016 ||style="background-color:wheat" |4,254 ||1,809 ||907 ||222 ||168 ||476 ||672 ||style="background-color:wheat" |3,923 ||1,643 ||195 ||279 ||44 ||0 ||378 ||1,384 ||style="background-color:wheat" |331 ||style="background-color:wheat" |217 |- |style="font-weight:bold;" |2017 ||style="background-color:wheat" |5,123 ||1,854 ||1,038 ||495 ||183 ||563 ||990 ||style="background-color:wheat" |4,730 ||2,339 ||229 ||298 ||60 ||0 ||420 ||1,384 ||style="background-color:wheat" |394 ||style="background-color:wheat" |261 |- |style="font-weight:bold;" |2018 ||style="background-color:wheat" |6,074 ||1,478 ||975 ||1,416 ||196 ||869 ||1,140 || style="background-color:wheat" |5,599 ||2,614 ||222 ||326 ||67 ||0 ||576 ||1,794 || style="background-color:wheat" |475 || style="background-color:wheat" |322 |- |style="font-weight:bold;" |2019 ||style="background-color:wheat" |6,969 ||2,143 ||1,042 ||1,792 ||216 ||835 ||941 || style="background-color:wheat" |6,168 ||2,958 ||260 ||359 ||78 ||0 ||689 ||1,824 || style="background-color:wheat" |801 || style="background-color:wheat" |562 |- |style="font-weight:bold;" |2020 ||style="background-color:wheat" |5,445 ||2,097 ||435 ||1,139 ||160 ||678 ||936 || style="background-color:wheat" |5,662 ||3,036 ||195 ||363 ||47 ||0 ||490 ||1,531 || style="background-color:wheat" |-217 || style="background-color:wheat" |-131 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdf 2018] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h31kaiji.pdf 2019] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-r2kaiji.pdf 2020] 金額の単位: 百万円 </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円) |legend=凡例 |type=line |showSymbols=yes |colors=#0000aa, #00aa00, #ff8000 |y1Title=営業収益 |y2Title=営業費用 |y3Title=選手・チームスタッフ人件費 |x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020 |y1=1913, 2780, 3105, 3320, 3604, 3540, 3275, 3073, 3214, 3359, 4077, 4254, 5123, 6074, 6969, 5445 |y2=1816, 2765, 3096, 3250, 3543, 3493, 3212, 3005, 3170, 3288, 3977, 3923, 4730, 5599, 6168, 5662 |y3= , 1535, 1639, 1743, 1951, 1743, 1587, 1428, 1557, 1546, 1685, 1643, 2339, 2614, 2958, 3036 |yAxisMin=0 }} === 資産 === {| class="wikitable" style="border:double #221615; font-size:smaller; box-shadow: 4px 4px 4px #23B1EA;" |- style="text-align:center; background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||総資産||総負債||純資産||資本金 |- |style="font-weight:bold;" |2005 ||786 ||296 ||489 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||996 ||504 ||491 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||1,104 ||588 ||515 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||1,075 ||549 ||525 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||1,097 ||566 ||531 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||1,039 ||501 ||538 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||962 ||381 ||581 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||988 ||374 ||614 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||1,241 ||607 ||635 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||1,195 ||516 ||679 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||2,278 ||1,539 ||739 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2016 ||1,958 ||1,001 ||957 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2017 ||2,234 ||1,016 ||1,218 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2018 ||2,833 ||1,292 ||1,540 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2019 ||3,376 ||1,273 ||2,102 ||349 |- |style="font-weight:bold;" |2020 ||2,840 ||868 ||1,972 ||349 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 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[[多摩川クラシコ]] * [[J1参入決定戦1回戦]] * [[神奈川県を本拠地にするスポーツチーム]] == 外部リンク == * {{Official website|mobile=http://www.frontale.info}} * {{Twitter|frontale_staff}} * {{Twitter|frontale_kids|川崎フロンターレ スクール・普及コーチ}} * {{Twitter|kawasaki_f|ふろん太}} * {{Twitter|frontale_kabu|カブレラ}} * {{Instagram|kawasaki_frontale}} * [https://www.frontown.com/ フロンタウン・さぎぬま] * [https://ikuta.frontown.com/ Anker フロンタウン生田] * [https://www.flashscore.co.jp/team/kawasaki-frontale/bF5XL0H9/ 川崎フロンターレ 試合結果 - 川崎フロンターレ 最新結果] {{Navboxes|title =川崎フロンターレ 関連テンプレート|titlestyle=background-color:#23B1EA; color:#FFFFFF; border:3px solid #221615; line-height:120%; |list1= {{川崎フロンターレのメンバー}} {{川崎フロンターレ及びその前身チーム歴代監督}} }} {{日本プロサッカーリーグ}} {{AFCチャンピオンズリーグ}} {{Navboxes|title =獲得タイトル |list1= {{J30ベストアウォーズ}} {{Jリーグ優勝チーム}} {{Jリーグカップ優勝チーム}} {{天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝チーム}} {{J2優勝チーム}} }} {{川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー}} {{富士通}} {{デフォルトソート:かわさきふろんたれ}} [[Category:川崎フロンターレ|*]] [[Category:1955年設立のスポーツチーム]] [[Category:1996年設立の企業]] [[Category:高津区の企業]] [[Category:富士通の関連企業]] 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FC東京
FC東京(FCとうきょう、英: FC TOKYO)は、日本の東京都をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 1999年にJリーグへ加盟。ホームタウンは東京都で、ホームスタジアムは味の素スタジアム(2001・2002年は「東京スタジアム」)である(ホームスタジアムについての詳細は後述)。練習場は、小平市のFC東京小平グランド(東京ガス武蔵野苑)である(2001年までは江東区猿江のFC東京深川グランド)。 このため、地域活動は調布市周辺エリア(三鷹市及び府中市を含む。)、小平市をメインとして、都心23区でも、特に上述の練習拠点があった江東区深川や、かつてJリーグ公式戦を開催したことがある江戸川区・北区・世田谷区を中心として行われている。 クラブ名の「FC東京」は、シンプルで誰にもわかり易く馴染みがあり「都民のためのJクラブ」を目指す観点から制定された。 マスコットキャラクターは『東京ドロンパ』であり、チーム創設10周年に向けてマスコットを選考して、2009年開幕戦より登場した。 2000年までは東京を名乗るJリーグクラブが他に無かったため、「東京」の呼称であったが、2001年に東京ヴェルディ1969(旧V川崎)がホームタウンを東京都に変更して以降、「FC東京」や「F東」などと表記されている。なお、Jリーグの公式情報やスポーツ振興くじ(toto)等での紙面が限られる公式発行物に関しては、F東京として掲載される場合が多い(但し日刊スポーツでは「FC」を入れず、上記の名残により単に「東京」と表記)。 プロ化以前の呼称東京ガスから来る『ガス』が現在でもFC東京を指し示す独自の呼称として残っているのはこうした理由にもよる。ニックネームにはこの他ユニフォームのカラーから採られた『青赤軍団』がある。 1998年10月1日、東京ガスなど161団体が出資した 運営法人『東京フットボールクラブ株式会社』を設立。 FC東京の運営法人については、東京に関わりを持つできるだけ多くの企業・自治体の共同出資とし、特定の企業の影響を受けない独立性の有るものとするという方針が採られた。1997年に東京ガスサッカー部部長鳥原光憲及びその上司でJFL評議会会長の上原英治が方針を固め、東京ガス上層部の了承を得てのものであった。 上記経緯から、設立当初から東京ガスとは親子会社の関係に無く、他の主要株主も持株比率は5%程度に留まっている。 歴代の代表取締役社長にはいずれも東京ガス出身者が就いており、役員の多数は主要株主からの出向である。 2021年11月22日、ミクシィ(現・MIXI)が東京フットボールクラブ株式会社に第三者割当増資にて発行する株式を引受け、子会社化した。第三者割当増資後のミクシィ(現・MIXI)の所有株式数は24,000株(議決権所有割合51.3%)となる。 役員出向元 (太字は現任) 詳細は「クラブスポンサー」を参照 クラブは2016年発表の「2020VISION」において、営業収入の数値目標として50億円を掲げている。 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016 2017 2018 2019 2020 2021 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021 金額の単位: 百万円 1935年に結成された「東京ガスサッカー部」が前身であり、1991年に日本サッカーリーグ2部へ昇格。1992年からジャパンフットボールリーグへ参加。 1997年に『東京ガスフットボールクラブ』へ改称し、Jリーグへの参加を表明。1998年には翌シーズンよりクラブ名称を『FC東京』とする改称及び東京都をホームタウンとしてプロクラブ化し、1999年からのJリーグ加盟とJリーグ ディビジョン2(J2)参加が決まった。 1999年、東京都を本拠地とする初めてのチームとしてJリーグ加盟。プロ契約を結ばない東京ガス時代からの選手が多数を占める中、堅実な戦いで シーズン中盤まで2位以内をキープ。第27節仙台戦でFWアマラオがクラブ初のハットトリックを達成。しかし、ナビスコカップを勝ち上がったことによる過密日程やアマラオの負傷欠場によって、終盤には4連敗を喫してJ1昇格圏外へ追い込まれた。最終節で大分をかわして2位に入り(1999年J2最終節参照)、Jリーグ ディビジョン1(J1)昇格を果たした。 Jリーグヤマザキナビスコカップでは、神戸、市原、横浜FMのJ1チームを下してベスト4に進出、MF佐藤由紀彦がニューヒーロー賞に選出された。 2000年は「東京」を名前に持つクラブとして初のJ1進出。10名の社員選手を有するなど、他のJ1クラブに比べ予算・戦力共に小規模ながら 開幕5節で4勝1敗の成績で首位に立つなど旋風を起こし、年間総合順位は7位。新加入のGK土肥洋一が好守を見せ、以後2006年に至るまでリーグ戦216試合連続フル出場というJリーグ記録を残した。 攻撃ではFWアマラオと、川崎Fから期限付き移籍で加入したツゥットのコンビが得点を量産。ツゥットはリーグ2位となる17得点を挙げて、クラブ初のJリーグベストイレブンにも選ばれた。なお、ツゥットはシーズン終了後に浦和へ完全移籍した。 天皇杯は初戦でJ2甲府に敗退。 2001年に収容人員49,000人の新本拠地・東京スタジアム(現:味の素スタジアム)が完成・使用開始となった 事により観客動員数が飛躍的に増加。スタジアムのこけら落しとなった開幕戦では、川崎市から移転し呼称変更した東京Vとの初の東京ダービーとなり、新加入の元日本代表FW呂比須ワグナーのVゴールで制した。 呂比須は4月4日のナビスコカップ甲府戦でハットトリックを挙げるなど序盤こそ活躍したものの、アマラオとプレースタイルが重複することなどから徐々に出場機会が減り、チーム加入後わずか半年で福岡へ完全移籍。しかし、その頃には開幕直前に急遽獲得したブラジル人MFケリーがチームにフィットし、司令塔として攻撃陣を掌握。以後4年間攻撃の核として活躍した。 天皇杯初戦で横浜FCに破れ、2年連続でJ2勢に初戦敗退を喫した。この試合を最後に、東京ガス時代以来7年間指揮を執った大熊清が監督を退任。 2002年、監督に原博実を迎えて攻撃サッカーを指向した強化を進め、開幕戦では前年優勝の鹿島から4点を奪い圧勝。しかしこの試合でMVP級の活躍を見せた小林成光は交通事故で、攻守の起点となった三浦文丈は第2節浦和戦で負傷し、共に長期離脱を強いられた。 一方、この年に移籍加入した選手達が5月以降レギュラーに成長。DF加地亮とMF石川直宏が右サイドでの攻撃を活性化させ、DF茂庭照幸も新加入のブラジル人CBジャーンとのコンビで堅守を築いた。また、入団2年目のMF宮沢正史もプレースキッカーとして能力を発揮し、ボランチのレギュラーを掴んだ。シーズン終了後、佐藤由紀彦が横浜FMへ期限付き移籍で退団した(その後完全移籍)。 また、この年尾亦弘友希・馬場憂太がチーム初のアカデミーからのトップチーム昇格を果たし、FC東京U-18所属の呉章銀がこれも初となる2種登録選手でJリーグデビューし、当時のJ1最年少記録となる16歳8ヶ月20日でJ1初出場を果たした。 チームスローガン:90分間、攻撃サッカー。 2003年は、原体制2年目。DF金沢浄が加入し、リーグ最小失点を記録。1st、2ndステージ共に優勝戦線に絡み、年間順位4位の成績。また、シーズン初戦だった3月8日のナビスコ杯・横浜FM戦(横浜国際総合競技場)で、FC東京U-18所属の高校生だった梶山陽平がトップチームでの公式戦に初出場した。一方で、天皇杯を最後に、旧JFL時代からチームを牽引し『KING OF TOKYO』として親しまれたFWアマラオが湘南へ移籍した。 8月にはスペイン・レアル・マドリードとクラブ史上初の国際親善試合を開催。 また、加地亮・茂庭照幸がクラブ所属選手初の日本代表として出場した。 チームスローガン:攻激、攻劇、攻撃サッカー。 原体制3年目。アマラオに代わってFWルーカスを獲得。また、MF今野泰幸が札幌から加入し、ユースからは李忠成、梶山陽平、呉章銀が昇格。 8月にはスペイン遠征を行い、デポルティーボ・ラ・コルーニャの恒例プレシーズンマッチ、トロフェオ・ファンアクーニャ(ガリシア語版)に招かれ、これを制し、帆船型のトロフィーを獲得。 リーグ戦は年間8位の成績。ナビスコカップでは、日本代表およびU-23日本代表によって複数の主力を欠く中決勝進出。同カップで初めてベストメンバーを揃えて臨んだ決勝戦では浦和を延長・PK戦の末に破り、初優勝を果たし、Jリーグ加盟後初の公式タイトルを獲得した。 チームスローガン:攻めて取る。攻めて獲る。 原体制4年目。ケリーが退団したが、若手へシフトする意味で大きな補強はしなかった。 開幕直後はそれまで苦手とした磐田に勝利し首位に立つなどしたが、それ以後は4-3-3の新布陣や新加入MFダニーロの不発などでチームワーストの6連敗を喫し、優勝戦線から早々に脱落。5月には原の監督解任が現実味を帯びた時期もあり、9月の横浜FM戦(日産スタジアム)で石川直宏の負傷退場(膝靭帯完全断裂により復帰まで約8か月を要した)、直後のルーカスの意識不明・救急車搬送による試合終了等もあった。終盤戦は12試合負けなしの成績も残して、年間順位は10位。最終節(右図)ではC大阪の優勝を阻止した。シーズン終了後に、原が監督を退任。また、加地亮がG大阪へ移籍した。 なお、この年は7月9日の東京ダービー(東京V戦、FC東京主催試合)の試合前、FC東京サポーターによる傷害事件が発生した(FC東京側のサポーター約200名がコンコースにて東京Vサポーターに向け挑発行為に及んだ際、FC東京サポーター1名が場内に設置されていた灰皿のフタを東京V側の群衆に投げつけて、東京Vのクラブ職員、警官、一般人を負傷させ傷害罪で逮捕)。この試合の管理責任者として、FC東京にはJリーグから1000万円の罰金が科せられた。 チームスローガン:Ousadia 〜信頼・勇気・挑戦〜 クラブ初の外国籍監督となるブラジル人・ガーロが監督就任。速攻主体のチームを、ボールの保持(ボールポゼッション)を主体とするパスサッカーへの転換を図ったが、3バックの採用や「マンマークを徹底する」守備を基本とし、短いパスで攻撃を構築しようとする戦術はなかなか奏功せず、4月15日の第8節千葉戦では前半に完全にゲームを支配され後半9分までに3失点を喫し惨敗。ブラジルと比較すると緩急が少なく、運動量とスピードでの攻めの多いJリーグでの相手攻撃を防ぐのに苦戦した。 加えて、怪我人も多発し戦術の刷り合わせも図れなくなり、ナビスコ杯では2分4敗の予選リーグ最下位で敗退。更にガーロの要望で獲得したブラジル人FWワシントンも、投入された試合ですぐさま退場処分を受けるなど不発。7月22日の鹿島戦で4失点を喫し敗れると(2 - 4)、29日の広島戦(0-2)、8月5日のプレシーズンマッチ・FCソウル戦(0-3)、12日の浦和戦(0 - 4)と連敗し、8月15日にクラブ初となるシーズン途中での監督解任が発表された。 後任監督には1995年から大熊や原の下で長くヘッドコーチを務め、この年からFC東京U-18の監督となっていた倉又寿雄が就任。第18節千葉戦から指揮を執り、布陣を4バックに戻すなど修正を施しリーグ戦を13位で終えた。 シーズン終了と共に倉又が監督を退任(U-18監督へと復帰)。12月5日に原が監督に再任された。また、この年限りでジャーン(湘南へ移籍)、三浦文丈(引退)、宮沢正史(大分へ移籍)、戸田光洋(清水へ移籍)などが退団。 2006 FIFAワールドカップ日本代表に土肥洋一と茂庭照幸の2人がクラブとして初めて選出され、茂庭はオーストラリア代表戦に出場。クラブ初のW杯出場選手となった。 チームスローガン:It's Our Time 〜青き疾風、赤い怒涛〜 2007年は再び原体制となり、コスタリカ代表FWのパウロ・ワンチョペ、磐田から元日本代表MF福西崇史、ブラジル人DFエバウドを獲得した。 しかし、ワンチョペの動きには一向にキレが戻らず、エバウドと茂庭照幸の両センターバックも負傷により低調で、攻守の軸が定まらず、開幕からつまづいた。J2だった1999年から2006年まで8季(旧JFL時代の1997年、1998年を含めると10季)続けて開幕戦に勝利していたが、広島に敗れ、開幕戦連勝記録も止まった(右表)。ワンチョペはシーズン途中で退団。更に、U-22代表として梶山陽平、伊野波雅彦、平山相太の三人が、フル代表として今野泰幸が常時招集されており、中でもスタメンであった梶山が代表戦での怪我で9月に離脱した。年間成績は12位で終了。なお、第28節横浜FM戦の勝利で、J1通算100勝を達成した。 原は1年限りで監督を退任。 チームスローガン:Moving Football 〜ボールも・身体も・観ている人の心も〜 2008年、U-17日本代表元監督の城福浩が監督に就任。 土肥洋一、福西崇史(共に東京Vへ移籍)に加え、MF馬場憂太(千葉へ)、鈴木規郎(神戸へ)、伊野波雅彦(鹿島へ)、FWルーカス(G大阪へ)らがそれぞれ移籍。一方でMF羽生直剛、FWカボレ、DF長友佑都(前年は特別指定)らを獲得。城福は戦術に「ムービングフットボール」を掲げ、2006年に臨んだポゼッションサッカーへ再挑戦した。 夏場には白星から遠ざかるが、第30節鹿島戦では長友、カボレらの得点で快勝するなど好調に転じ、シーズン終盤まで優勝の可能性を残した位置での戦いを続けた。 最終節ではJ2降格危機にあった千葉に対して終盤11分間で4点を奪われて逆転負けを喫した(その結果、千葉が残留し東京Vが降格)。 リーグ戦年間成績は6位に浮上。天皇杯でも東京ガス時代の1997年以来となるベスト4へ進出した。 城福体制2年目。福岡から中村北斗、水戸から平松大志を獲得した。序盤戦は低迷するが、MF今野泰幸をCBにコンバートし、ブルーノ・クアドロスとコンビを組ませ、またボランチに梶山陽平と高卒ルーキー米本拓司を固定した頃から守備が安定。更に、石川直宏の24試合で15得点を挙げる大活躍によってリーグ戦の順位も上がり、ACL出場圏内入りは逃したものの5位に入った。また、長友佑都と石川がJリーグベストイレブンに選出された。2名が受賞したのはクラブ初。また、GK権田修一がリーグ戦の年間完封試合数タイ記録を打ち立てた。 ナビスコカップは決勝で川崎Fに勝利して優勝。また、この試合で先制点を挙げた米本はニューヒーロー賞とMVPを獲得した。この年より、マスコットの『東京ドロンパ』が登場。 チームスローガン:Moving Football 〜心をひとつに〜 城福体制3年目。2002年からユニフォームの胸スポンサーだったENEOSが撤退し補強予算が狭められる中、浅利悟が引退し、藤山竜仁が札幌へ移籍。茂庭照幸に戦力外を通告、契約交渉で折り合わずブルーノ・クアドロスが退団、佐原秀樹が期限付き移籍期間満了に伴い、川崎Fに復帰した。退団が相次いだセンターバックには大分から森重真人、全州大学校からキム・ヨングンを、また、新潟からMF松下年宏を、ブラジルのABC FCからFWリカルジーニョを期限付き移籍で獲得するも、登録選手はJ1最少の26人、選手の平均年齢はJ1で2番目の若さという陣容だった。 シーズン開幕直前、米本拓司が前十字靭帯・半月板を損傷。梶山陽平も左足首手術からのコンディション調整に苦しみ、序盤は前年のレギュラーボランチ両名を欠く厳しい選手構成となった。開幕戦こそ4年ぶりに勝利を収めたが(1 - 0 対横浜FM・味スタ)、J1中断期間前までは得失点ともに少なく引き分ける試合が多かった。 また、2010 FIFAワールドカップ日本代表に今野泰幸、長友佑都が選出された。なお、長友はW杯終了後にイタリア・チェゼーナへ期限付き移籍で退団した。W杯期間中にFW大黒将志らを獲得。大黒の得点もあってスルガ銀行チャンピオンシップで勝利し、前年に続くタイトル獲得には成功したものの、なかなか勝ち点を伸ばせないまま、9月に城福を解任。 後任に大熊清が就任したが、最終節で京都に敗戦し、最終節に勝利した神戸に入れ替わりで年間順位が16位となり、J2降格が決まった。 チームスローガン:TOKYO SPIRIT 〜すべては勝つために〜 大熊体制2年目。赤嶺真吾(レンタル移籍していた仙台へ完全移籍)、キム・ヨングン(大宮へ完全移籍)、リカルジーニョなどが退団した。一方で、FWロベルト・セザーらを獲得、層の薄さに苦しんだ前年の経験を踏まえ、MF谷澤達也など各ポジションにJ2での経験を持つ選手を加えた。 2月には「FC東京のある“まち”」というテーマでの演劇が調布市せんがわ劇場にて公演され、FC東京からは特別審査員として新任の阿久根謙司代表取締役と藤山竜仁普及部コーチが出席した。 4月には東北地方太平洋沖地震及び長野県北部地震の復興支援のため、松本山雅FCとのチャリティーマッチを開催。また、宮城県出身の今野泰幸が発起人の1人となり、「東北人魂を持つJ選手の会」を設立。秋田県出身の下田光平もこれに参加し、東北地方のサッカー復興に向けて活動した。 リーグ戦序盤を勝ち切るためのキーマンとされたFW平山相太 が長期離脱するなど、立石敬之強化部長が「想像を超えて最悪に近いほど故障者が出た。しかも軸になる選手ばかり」と言う程の状況に陥り、序盤は7戦で4得点、2勝に留まり苦しんだが、田邉草民や高橋秀人の抜擢、羽生直剛をトップ下に据える 4-2-3-1布陣(右図)の採用により徐々に地力を見せ始めた。さらに、2007年まで在籍していたFWルーカスらを補強。第18節(12試合目)を終えた段階で昇格圏内に入り、以後上位をキープ。11月19日の鳥取戦で勝利し、1年でのJ1復帰を決めた。翌20日に2位の鳥栖が敗れ、J2優勝を決めた。 天皇杯は決勝で京都に勝利し、前身の東京ガスサッカー部を含めたクラブ創設後初、J2勢として初となる天皇杯制覇を果たし、クラブ初のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場権を獲得した。同決勝戦を以て大熊は監督を退任。 チームスローガン:C・O・A Football 監督に前町田監督のランコ・ポポヴィッチが就任。 今野泰幸がG大阪へ、鈴木達也が徳島へ完全移籍した一方、横浜FMから渡邉千真、長谷川アーリアジャスール、磐田から加賀健一、清水から太田宏介、東京Vから河野広貴を完全移籍で獲得、また、期限付き移籍していた選手を復帰させるなど、2年ぶりのJ1及び初のACLでの戦いに向け陣容を整えた。渡邉、長谷川らの活躍でACLはグループリーグを突破し、ベスト16進出(右図)したが、広州恒大に敗れた。中断期間中に谷澤達也が退団するも、新加入のネマニャ・ヴチチェヴィッチが穴を埋めた。リーグ戦は10位、ナビスコ杯はベスト4、天皇杯は2回戦敗退に終わった。 チームスローガン:C・O・A Football~さらなる進化をめざして~ ポポヴィッチ体制2年目。羽生直剛、梶山陽平らが期限付き移籍でチームを離れるも、大宮から東慶悟を完全移籍で、イングランド2部・サウサンプトンから李忠成を期限付き移籍で獲得。シーズン途中で李が所属元へ復帰、田邉草民が業務提携を結んだスペイン2部・サバデルへ期限付き移籍。 リーグ戦では第3節から4連敗し12位まで順位を下げたものの、得点源となった渡邉千真を中心にJ1におけるクラブ史上通年最多得点を記録。第8節からの3連勝と第24節からの4連勝でいずれも5位まで順位を上げたが、翌年のACL出場権を得られる3位以上には届かず、第33節柏戦での敗戦により賞金圏内の7位からも脱落、8位でシーズンを終えた。 ナビスコカップは決勝トーナメント進出を逃し、天皇杯では準決勝でPK戦の末広島に敗れ3位に終わった。 契約満了によりこの年限りでポポヴィッチ監督が退任。FWルーカスが現役を引退した。 なお、この年東京都が2020年に開催されるオリンピック・パラリンピックの招致に成功。FC東京は招致PRイベントを行うなど クラブを挙げてこの活動を支援しており、2016年大会招致活動の頃からの協力 が実った形となった。 チームスローガン:Bello e Aggressivo! -限界を超えて頂点へ- 新監督にACチェゼーナ元監督のマッシモ・フィッカデンティが就任。 ネマニャ・ヴチチェヴィッチが退団、長谷川アーリアジャスールがC大阪、中村北斗が大宮にそれぞれ完全移籍。FWエドゥー、MF武藤嘉紀(前々年から特別指定)らを獲得し、梶山陽平、羽生直剛が期限付き移籍から復帰した。 リーグ戦序盤はなかなか勝てなかったものの、中盤に入るとフィッカデンティの戦術が浸透し、試合運びが安定。守備面では2003年以来となる5試合(J1第16節から第20節まで)連続無失点を記録し、リーグ戦総失点も前年の47失点から33失点と大きく改善した。一方攻撃面ではFWに転向した武藤がリーグ新人最多得点記録タイの13得点を挙げる活躍を見せた。クラブ記録となる14試合(J1第13節から第26節まで。右図)無敗を記録し、一時は5位(J1第18節、第21節から第22節まで)にまで浮上したが、第27節で無敗記録が途切れてからは失速し、最終的には9位でシーズンを終えた。 ナビスコ杯はグループリーグ敗退、天皇杯はベスト16に終わった。また、昨年引退したルーカスが功労選手賞を受賞した。 チームスローガン:Bello e Aggressivo! -すべては勝利のために- フィッカデンティ体制2年目。エドゥー、塩田仁史、渡邉千真らが退団し、前田遼一、榎本達也らを獲得。丸山祐市、林容平、橋本拳人が期限付きから復帰。 1stステージはFW前田のフィットが遅れたものの、前年からの堅守を軸に前半戦だけで10得点を挙げた武藤嘉紀の頑張りと、キッカーの太田宏介を中心としたセットプレーで得点を重ね、2度の4連勝と健闘。2ステージ制のステージ毎の順位としては過去最高の2位に付けた。 1stステージ終了後には武藤がドイツ・マインツへ移籍し、ネイサン・バーンズ、サンダサの2人のFWが加入した。 2ndステージは復調した前田がFWの軸になり、新外国人の2人がそのパートナーを務めるようになったものの、武藤退団の穴は埋め切れず、終盤第13節からは東慶悟がFWを務めた(右図)。さらに正GKの権田修一がオーバートレーニング症候群で第5節を最後に離脱したためブラダ・アブラモフを緊急補強し、第10節以降の正GKを務めさせた。1stステージほど勝ち点を伸ばせなくなり、最終節開始時点では年間3位につけるも、同節の鳥栖戦を引分けたために、同節勝利のG大阪との入れ替わりで年間順位4位に転落。過去最高の勝ち点、最高タイの年間順位を記録したものの、チャンピオンシップの出場を逃した。その後、G大阪・浦和の天皇杯決勝進出に伴う繰り上がりで翌2016年のACLプレーオフ(PO)出場権を獲得。 ナビスコ杯、天皇杯は共にベスト8で終了。同年末にフィッカデンティが退任。 チームスローガン:Challenge the Top -頂戦- フィッカデンティ監督の後任に2008年から2010年途中まで指揮していた城福浩が再任。ブラダ・アブラモフ、太田宏介らが退団。権田修一がSVホルンにレンタル移籍。湘南から秋元陽太、鳥栖から水沼宏太、甲府から阿部拓馬、明治大学から室屋成(前年は特別指定選手)、磐田から駒野友一、中国・北京国安からハ・デソンらが加入した(駒野及びハは1stステージ終了後にそれぞれ福岡・名古屋へ期限付き移籍)。 また2月13日に、2015年シーズンに密着したドキュメンタリー映画『BAILE TOKYO』が公開。主題歌はRIP SLYMEの「Baile TOKYO」。 この年より「FC東京U-23」を発足させJ3リーグに参入。 同年の公式戦初戦となるAFCチャンピオンズリーグ2016のプレーオフではチョンブリーFCを相手にクラブ最多得点記録を更新した 9-0で大勝。4年ぶり2度目となるACL本戦出場権を掴んだ。本戦では全北現代(韓国)、江蘇蘇寧(中国)、ビンズオン(ベトナム)と対戦。グループリーグ突破は最終節までもつれたが、同節はビンズオンと対戦し前田遼一の2得点の活躍で勝利し決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦では上海上港(中国)と対戦。ホームでの第1戦は水沼が2得点を挙げ先勝したが(2-1)、アウェー・上海体育場での第2戦は試合終了間際に失点し(0-1)、1勝1敗。アウェーゴールの差で敗退した。 リーグ戦では序盤より怪我人が続出しメンバー繰りに苦戦。またACLプレーオフ出場のためオフやキャンプの期間が短くなった影響により、フィジカルコンディション不足・スタミナ不足に陥る。1stステージでは攻守のバランスに苦心しながらも堅守に立ち返って 徐々に浮上し9位で終えた。しかし、2ndステージでは先制しながらも試合終了間際に失点し逆転負けするゲームが頻発したため、7月23日の2ndステージ第5節川崎戦敗北後に城福を解任。後任にはコーチで元福岡監督の篠田善之が監督に昇格。篠田就任後、8勝2分2敗と安定感を取り戻し年間9位でリーグ戦を終えた。天皇杯はベスト8で川崎に敗れた。ルヴァンカップは準決勝で浦和に2試合合計2-5で敗れた。 チームスローガン:TOKYO GRIT~すべての力を~ 篠田体制2年目。榎本達也が引退(その後、普及部コーチに就任)、駒野友一、平山相太、高橋秀人らが退団。 名古屋から永井謙佑、鳥栖から林彰洋、川崎Fから大久保嘉人、FCソウルから髙萩洋次郎らを獲得。1月には太田宏介が完全移籍で2年ぶりにチームに復帰した。更に3月には広島から前年得点王のピーター・ウタカを期限付き移籍で獲得した。 夏の移籍情報ではリッピ・ヴェローゾ、チャン・ヒョンス、ジャキット・ワクピロムを獲得。また、バーンズが6月30日付で契約満了して広島に移籍。そして河野が鳥栖、阿部が蔚山現代FCに完全移籍、中島がポルティモネンセSCに期限付き移籍した。11月1日には、ユース所属の久保建英と平川怜がプロ契約を結んだ。 序盤こそ順調に勝ち点を稼いでいたものの14節清水エスパルス戦から6試合未勝利、その後22節のヴィッセル神戸戦から4試合未勝利と成績が低迷。YBCルヴァンカップではグループリーグ終盤で失速。広島とのプレーオフを制しノックアウトステージへと進んだものの1回戦で川崎にトータルスコア1-7を付けられ大敗。天皇杯でも2回戦で長野にPK戦の末敗戦しカップ戦は早期敗退となった。 9月10日、監督の篠田が成績不振により退任し、コーチの安間貴義が昇格してシーズン終了まで暫定監督を務めた。監督交代後の成績は1勝4分4敗とチームは低迷。特に第27節以降は勝ちがなくチームを立て直すことが出来ずJ1復帰後としては史上最低の13位でシーズンを終えた。 また、立石敬之が当年度をもってGMを退任(その後ベルギーリーグのシント=トロイデンVVのCEOに就任)。 チームスローガン:強く、愛されるチームを目指して 長谷川健太が新監督就任。神戸から大森晃太郎を完全移籍で獲得。横浜から富樫敬真、柏からディエゴ・オリベイラを期限付き移籍で加入。また、中央大学から矢島輝一、U-18から原大智と品田愛斗が新加入。 開幕戦こそ引き分けるも、その後ベガルタ仙台・ジュビロ磐田と2試合連続して敗戦。第4節の湘南ベルマーレ戦より新戦力のディエゴ・オリヴェイラがチームにフィットし始め長谷川健太が掲げる「ファストブレイク」戦法も定着した事もあり第20節のヴィッセル神戸戦まで順調に勝ち点を稼ぎ続けていた。 しかし夏の移籍市場で新戦力の獲得に失敗。ヴァンフォーレ甲府より期限付き移籍でリンスを獲得したのみに留まり選手編成も固定化。 更には戦術も対戦相手に研究され始めた事で攻撃陣は沈黙し徐々に順位を落とし始め最終的に14勝8分12敗の6位でフィニッシュした。 シーズン終了後、梶山陽平が引退を発表した。天皇杯はベスト16で山形にPK戦の末敗れた。 チームスローガン:強く愛されるチームを目指して ディエゴ・オリヴェイラが完全移籍に切り替わり、鳥栖から田川亨介、新潟から宮崎幾笑、山形から児玉剛を獲得、横浜FMの久保建英、福岡のユ・インスが期限付き移籍から復帰。また外国籍選手枠の拡大に目をつけ、グレミオからジャエル、光州FCからナ・サンホ、バンコク・ユナイテッドからナッタウット、ヴォトゥボランゲンセからアルトゥール・シルバと多数の助っ人を獲得。新人は東福岡高校の中村拓海、中央大学の渡辺剛を獲得した。 田邉草民が福岡、大久保択生が鳥栖、前田遼一が岐阜、米本拓司が名古屋へそれぞれ完全移籍。リンス、富樫敬真はレンタル期間満了のため退団した。 前半戦は久保建英が抜擢され大きくブレイク。戦術、メンバーともほぼ昨年からの踏襲だったが久保の活躍もあり開幕から12戦無敗(9勝3分)とスタートダッシュに成功。第8節で広島との無敗対決を制して首位に立つと、そのまま前半戦は首位を独走した。 しかし夏の移籍市場で久保はレアル・マドリードに移籍、チャン・ヒョンスがアル・ヒラル、太田宏介が名古屋と主力級選手が複数流出。味の素スタジアムがラグビーワールドカップ2019の試合会場となったこともあり、第24節からアウェー8連戦 の強行日程が組まれていた。 だが夏場に急失速した昨シーズンと異なり、件のアウェー8連戦も4勝2分2敗で乗り切るなど大崩れはせず、第27節まで首位をキープ。しかし調子を上げてきた鹿島、横浜FMに追い上げられ、28節で一度鹿島に首位を奪われる。31節で再度首位に浮上するも、ホーム味スタに帰還した32節から湘南、浦和と下位相手に連続で引き分け、ここを連勝した横浜FMに首位を奪われる。特に浦和戦はディエゴ・オリヴェイラと永井謙佑の2トップが揃って負傷する痛恨の引き分けとなった。最終節は横浜FMとの直接対決。優勝には4点差以上での勝利が必要な中、前節右肩を脱臼した永井が強行出場するも、0-3で敗戦しリーグ優勝には届かなかった。だがリーグ戦の19勝7分8敗の勝ち点64、2位という結果はともにクラブ史上最高記録を更新した。天皇杯は3回戦で甲府に敗れた。 チームスローガン:強く愛されるチームを目指して 2019年シーズンの好成績から、同年10月24日には早くも長谷川監督の契約が更新された。2020シーズンへ向け、ジュビロ磐田からアダイウトンを完全移籍で、また鹿島アントラーズからレアンドロを期限付き移籍でそれぞれ獲得した。U-18からは木村誠二、バングーナガンデ佳史扶、野澤大志ブランドンの3人を昇格させた。さらに大学卒ルーキーとして法政大学の紺野和也、明治大学の安部柊斗と中村帆高が加入した(3人はいずれも2019年シーズンに特別指定選手として登録されていた)。一方で大森晃太郎がジュビロ磐田へ完全移籍した。 2020年度は第1節(2月23日 対清水エスパルス)を行った後、新型コロナウイルスによる試合中止によって約4か月にわたって空白期間が生じた。久々の試合となった第2節(7月4日 対柏レイソル)では1-0で勝利するものの、第3節(7月8日 対川崎F ・第35回多摩川クラシコ)では0-4で敗戦。中盤戦は安定し最終的には17勝6分11敗でリーグ順位は6位と比較的上位で幕を閉じた。この間、7月には橋本拳人がFCロストフへ、8月には室屋成がハノーファー96へとそれぞれ移籍した。 YBCルヴァンカップはACL出場のためプライムステージからの登場となり、初戦は名古屋グランパスを豪雨の中の試合で3-0に降し、2回戦ではリーグ戦の首位を独走し前年王者でもある川崎フロンターレに勝利し、決勝戦に駒を進めた。 当初11月7日に予定していた決勝戦は、対戦相手の柏レイソルに多数の新型コロナウイルス感染者が出た影響で翌21年1月4日に延期となり、11月下旬に集中開催されたACLとの兼ね合いでチームは厳しい日程を余儀なくされたが、国立競技場で行われた決勝戦では2-1で勝利、11年振り3度目のJリーグカップ王者となった。 一方、ACLでは1月のプレーオフでセレス・ネグロスに勝利し、グループステージへと駒を進めた。しかし新型コロナウイルスの影響によって試合は3月で中断され、再延期や開催地変更の結果として11月にカタールでの集中開催方式で再開された。最終的に2位でグループFを突破したものの、12月6日の決勝トーナメント1回戦で北京国安を相手に0-1で惜敗し、2012年大会・2016年大会に次いでまたしてもベスト16で止まりであった。 チームスローガン:強く愛されるチームを目指して 今シーズンは、主力の大半が残留したが、宮崎幾笑がファジアーノ岡山へレンタル移籍、柳貴博が北海道コンサドーレ札幌へ完全移籍(昨シーズンはベガルタ仙台へレンタル)。一方阿部伸行をAC長野パルセイロから、B・ウヴィニをアル・イテハドから獲得した。 3月~4月初めにかけてホーム4連勝を遂げるが、その後失速し4月半ば~5月初めにリーグ5連敗を喫してしまった。ただ14節(5月15日 対柏)で4-0で今季初リーグ戦無失点勝利を達成し、連敗を止めた。その後G大阪にも勝利するが、16節のアウェー清水戦では、08年以来13年ぶりに敗れるなど不安定な戦いだった。中村帆高など多数のSBの負傷離脱により6月にはブラウブリッツ秋田から鈴木準弥を獲得。また9月12日には11年ぶりに長友佑都が復帰することが公式発表された。 6月19日から7月11日まで4連勝,7月21日まで5戦負けなしと好調だったが、アウェー連戦により2連敗を喫する。その後G大阪に引き分け仙台,神戸に勝利し、アウェー7連戦は3勝2分2敗で終えた。しかしその後も戦い方は安定しないままで、11月6日アウェイ横浜FM戦では、前田大然にハットトリックを許すなどし、チームの1試合における最大失点記録を更新する0-8で敗れた。翌11月7日に監督の長谷川健太が辞任。森下申一が監督に就任する。 ルヴァンカップグループステージは首位通過、無敗。4月28日の第4節徳島戦をもって、2021ルヴァンカップグループステージ突破が確定し、5月5日の第5節神戸戦をもってグループステージ首位通過が確定し、GS第6節は消化試合となったためか、ベンチに多くのユースの選手が入っていた。 6月5日,13日に行われたプレーオフステージは湘南と戦った。第1戦は0-1で敗戦したが、第2戦アウェーで4-1と快勝、2試合合計4-2で見事逆転突破。3年連続で9月に行われるプライムステージ(準々決勝)進出を決めた。プライムステージ準々決勝は札幌と対戦。第1戦は逆転負けを喫するも、第2戦レモンSで開催されたホームゲームで2-0で勝利し準決勝進出を決めたが、名古屋グランパスと対戦の末敗退。 6月9日に行われた天皇杯2回戦は、東京都北区にある味の素フィールド西が丘にて行われ、順天堂大学と対戦した。前後半90分で決着がつかず、延長戦に突入したがPKにより点を取られ逆転。点を奪えず2回戦敗退となった。 11月22日、クラブ運営会社(東京フットボールクラブ株式会社)の第三者割当増資(11億5000万円)を引き受け、発行済み株式の51.3%をクラブスポンサーであるミクシィ(現・MIXI)に譲渡することを発表した。 12月5日、森下申一監督が退任。リーグ最終成績は15勝8分15敗で9位。 チームスローガン:強く愛されるチームを目指して 前年度アルビレックス新潟を率いたアルベル・プッチ・オルトネダが監督に就任、また、キャプテンには森重が復帰。 また、山下敬大、エンリケ・トレヴィザン、ヤクブ・スウォビィク、木本恭生、高校サッカー選手権で活躍し注目された松木玖生などが加入。リーグ最終成績は14勝7分13敗で6位。ルヴァンカップはグループステージ敗退に終わった。 アルベル体制2年目。サガン鳥栖から小泉慶、横浜F・マリノスから仲川輝人、ファジアーノ岡山から徳元悠平を獲得した。また、いわてグルージャ盛岡に育成型期限付き移籍をしていた野沢大志ブランドンが復帰した。 開幕節となったホーム浦和戦では、オウンゴールと渡邊凌磨の得点で2-0で勝利。チームを勢いづけた。第10節終了時点での成績は4勝3分3敗の勝点15で順位も6位とまずまずの成績であった。しかし、苦手としているアウェイ福岡戦に敗れた後に、アウェイ札幌戦で大敗した。第13節、国立競技場で開催された多摩川クラシコでは、徳元と安部の得点でリーグ戦としては5年ぶりとなる勝利を遂げた。しかし、第14節から第17節にかけて1分3敗、12位と低迷したのち、第17節終了後の6月14日、アルベル監督の退任が発表された。 6月16日、清水エスパルスやモンテディオ山形を指揮したピーター・クラモフスキーが監督に就任した。 夏の移籍市場において、京都サンガFCから白井康介、アル・ナスルFC(UAE)からジャジャ・シルバを完全移籍で獲得、そしてセレッソ大阪から原川力を期限付き移籍で獲得した。 7月14日、安部柊斗のRWDモレンベーク(ベルギー)への完全移籍が発表された。 前述の通り、本拠地は東京スタジアム(調布市)であるが、過去には都心23区の国立競技場や国立西が丘サッカー場や江戸川区陸上競技場、駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場でもホームゲームを開催している。 2019年はラグビーワールドカップにより、味の素スタジアムが使用できない時期は、8月から11月はアウェイ8連戦となった。またルヴァンカップはグループステージは味スタがこれに伴う改修のため平日に使用できない都合で、2試合を秩父宮ラグビー場、残り1試合はさいたま市大宮公園サッカー場(NACK5スタジアム大宮)にて主催する。 また東京都外では鹿児島県立鴨池陸上競技場(2000年)、香川県立丸亀競技場(2000年・2001年)、石川県西部緑地公園陸上競技場(2000年)、長野県松本平広域公園総合球技場(2006年。2011年にはチャリティーマッチを開催)、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場(2011年)でホームゲームを開催した。 国立競技場については、新競技場への改修終了後、2020年東京オリンピックの大会後の活用後の一環として、球技場専用に改修の上で本拠地を味スタから移転させる構想が報道された が、ここを本拠地にするにしても使用料が高額になる恐れがあるとして、新国立にほど近い、代々木公園の代々木公園陸上競技場とサッカー・ホッケー球技場付近 を改修して、4万人程度が収容可能なサッカー専用の競技場を建設する案を、複数の民間事業者が東京都に提案していることも分かった と報じられている。 クラブは2012年発表の「2015VISION」 及び2016年発表の「2020VISION」において、1試合平均動員数3万人を目標に掲げている。 ※2020年度、2021年度は新型コロナウイルスの影響で当チームに限らず、Jリーグすべてのチームで観客数が減少した。 FC東京U-23(エフシーとうきょう・アンダートゥエンティスリー、略称表記:F東23)は、2016年から2019年までJ3リーグ(J3)に参加した、FC東京に所属する23歳以下の選手で構成されるサッカーチーム(U-23チーム)。 2015年9月にJリーグにおいてセカンドチームのJ3参加が提議されると、FC東京は真っ先に参加志望を表明。 同年12月15日、Jリーグ理事会において2016年シーズンよりJ1・J2クラブの「U-23チーム」がJ3に参加することが発表され、初年度参加チームの一つとして参戦することがクラブから発表された。ユニフォームはトップチームと異なるデザインのものを使用する。 トップとユースの中間のチームという位置付けで 23歳以下の選手の強化育成、アカデミーの各年代の底上げを目標としている。そのため、トップチームの成績と選手層の向上にセカンドチームを寄与させるべく、練習はトップとセカンドの練習を合同で一体的に、試合前に選手を選別するという形を採った。このため、連携面では他チームに遅れがちとなっている。また、トップチームにおける23歳以下の選手保有数をギリギリに制限することで2種登録選手の活用を促進。下部組織においては、上のカテゴリーへの飛び級を一般化させることで、学年別の編成から実力に応じた編成への移行が図られている。 U-23チームは、J3キャパシティー基準を充足した味の素フィールド西が丘(北区、約7,300人収容)、及びクラブオフィスのある江東区の夢の島競技場(約4,800人収容)や駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場(約20,000人収容)で開催。 主にテレビ中継はDAZN、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で行われている(以前は、TOKYO MXでは東京以外で行われるホーム戦やアウェー戦の試合も自社制作していた。一部日本放送協会(NHK)と同日中継の場合あり)。 ただし、2001年から続いていたTOKYO MXでの応援番組は2022年12月に年末特番が放送された「F.C. TOKYO CONNECT」をもって終了となった(FC東京ホームゲームの試合中継は2023年も実施)。 また、ジェイコム東京では「頂-ITADAKI-アスリート 東京」内で「FC東京VIVA Paradise」コーナーが放送されている。「VIVA」は2002年放送開始で、2021年9月の番組終了時には毎月2回更新(15日間のリピート放送)、30分間の放送だったが、「ITADAKI」では毎月1回更新、15分間の番組をなでしこリーグ1部所属の「スフィーダ世田谷FC」応援コーナーと分け合うことになった。 コミュニティーFM局の調布FM が、味の素スタジアム開催試合を中継している。1999年J2終盤戦ではTOKYO FMでも試合が生中継されたこともあった。 TOKYO FMでは『F.C. TOKYO SPIRIT 勝利への道』を2011年4月から放送。また、調布FM、FM西東京、レインボータウンFMなどでも、番組内にFC東京応援コーナーを設けている。 東京中日スポーツでは、紙面で「365日FC東京」と銘打ったクラブ情報をほぼ毎日掲載している。以前は、それに加えて有料登録制の携帯サイト「365日FC東京モバイル」を設けて情報を発信していた。 2014年よりクラブ公認の季刊誌である『F.C.TOKYO MAGAZINE BR TOKYO』を発刊していたが、2016年に休刊となった。 2013年1月31日、運営会社の東京フットボールクラブ株式会社(東京FC)の経理担当部長が2005年から2012年までの8年間に約2300万円の会社経費を私的に流用したことが発覚。東京FCは同日付で経理担当部長を懲戒解雇した。損失額については経理担当部長が全額を弁済し、東京FCの代表取締役が責任を取って報酬の20%を3ヶ月間自主返上すると発表した。 2023年7月12日、天皇杯3回戦の東京ヴェルディ戦において、味の素スタジアムの最寄駅である飛田給駅の私有地に設置されている企業広告看板への張り紙がなされたほか、生卵が投げつけ警察が器物損壊事件として捜査。また、試合前のスタンドでは発煙筒や花火が使用されたことも発覚。FC東京側ゴール裏自由席スタンド内で、火薬類等危険物の持ち込みおよび使用があった。この危険行為によって観客1名が火傷を負っていたことも明らかになった。 FC東京は同月14・15日の経過報告において、調査により火薬類等危険物の持ち込みおよび使用の申し出は4名であったこと、看板の器物損壊については犯人が出てこないことを公表し、火薬類を持ち込んだ当該人物に関しては同月28日付でJFAより日本国内で行われるすべての試合の無期限の入場禁止(本協会主催試合に加え、Jリーグや各種連盟等が主催する各カテゴリの試合を含む)処分となった。 その後同年9月1日、JFAはFC東京に対し「被害の発生及び拡大を防ぎ、観客や選手等の試合に関わる人の安全を確保するために適切な措置を講じなかった」として、罰金500万円と譴責(始末書の提出)の懲罰を課すことを決定した。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "FC東京(FCとうきょう、英: FC TOKYO)は、日本の東京都をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1999年にJリーグへ加盟。ホームタウンは東京都で、ホームスタジアムは味の素スタジアム(2001・2002年は「東京スタジアム」)である(ホームスタジアムについての詳細は後述)。練習場は、小平市のFC東京小平グランド(東京ガス武蔵野苑)である(2001年までは江東区猿江のFC東京深川グランド)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "このため、地域活動は調布市周辺エリア(三鷹市及び府中市を含む。)、小平市をメインとして、都心23区でも、特に上述の練習拠点があった江東区深川や、かつてJリーグ公式戦を開催したことがある江戸川区・北区・世田谷区を中心として行われている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "クラブ名の「FC東京」は、シンプルで誰にもわかり易く馴染みがあり「都民のためのJクラブ」を目指す観点から制定された。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "マスコットキャラクターは『東京ドロンパ』であり、チーム創設10周年に向けてマスコットを選考して、2009年開幕戦より登場した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2000年までは東京を名乗るJリーグクラブが他に無かったため、「東京」の呼称であったが、2001年に東京ヴェルディ1969(旧V川崎)がホームタウンを東京都に変更して以降、「FC東京」や「F東」などと表記されている。なお、Jリーグの公式情報やスポーツ振興くじ(toto)等での紙面が限られる公式発行物に関しては、F東京として掲載される場合が多い(但し日刊スポーツでは「FC」を入れず、上記の名残により単に「東京」と表記)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "プロ化以前の呼称東京ガスから来る『ガス』が現在でもFC東京を指し示す独自の呼称として残っているのはこうした理由にもよる。ニックネームにはこの他ユニフォームのカラーから採られた『青赤軍団』がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1998年10月1日、東京ガスなど161団体が出資した 運営法人『東京フットボールクラブ株式会社』を設立。", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "FC東京の運営法人については、東京に関わりを持つできるだけ多くの企業・自治体の共同出資とし、特定の企業の影響を受けない独立性の有るものとするという方針が採られた。1997年に東京ガスサッカー部部長鳥原光憲及びその上司でJFL評議会会長の上原英治が方針を固め、東京ガス上層部の了承を得てのものであった。", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "上記経緯から、設立当初から東京ガスとは親子会社の関係に無く、他の主要株主も持株比率は5%程度に留まっている。", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "歴代の代表取締役社長にはいずれも東京ガス出身者が就いており、役員の多数は主要株主からの出向である。", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "2021年11月22日、ミクシィ(現・MIXI)が東京フットボールクラブ株式会社に第三者割当増資にて発行する株式を引受け、子会社化した。第三者割当増資後のミクシィ(現・MIXI)の所有株式数は24,000株(議決権所有割合51.3%)となる。", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "役員出向元 (太字は現任)", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "詳細は「クラブスポンサー」を参照", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "クラブは2016年発表の「2020VISION」において、営業収入の数値目標として50億円を掲げている。", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016 2017 2018 2019 2020 2021", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "運営法人" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "1935年に結成された「東京ガスサッカー部」が前身であり、1991年に日本サッカーリーグ2部へ昇格。1992年からジャパンフットボールリーグへ参加。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1997年に『東京ガスフットボールクラブ』へ改称し、Jリーグへの参加を表明。1998年には翌シーズンよりクラブ名称を『FC東京』とする改称及び東京都をホームタウンとしてプロクラブ化し、1999年からのJリーグ加盟とJリーグ ディビジョン2(J2)参加が決まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "1999年、東京都を本拠地とする初めてのチームとしてJリーグ加盟。プロ契約を結ばない東京ガス時代からの選手が多数を占める中、堅実な戦いで シーズン中盤まで2位以内をキープ。第27節仙台戦でFWアマラオがクラブ初のハットトリックを達成。しかし、ナビスコカップを勝ち上がったことによる過密日程やアマラオの負傷欠場によって、終盤には4連敗を喫してJ1昇格圏外へ追い込まれた。最終節で大分をかわして2位に入り(1999年J2最終節参照)、Jリーグ ディビジョン1(J1)昇格を果たした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "Jリーグヤマザキナビスコカップでは、神戸、市原、横浜FMのJ1チームを下してベスト4に進出、MF佐藤由紀彦がニューヒーロー賞に選出された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2000年は「東京」を名前に持つクラブとして初のJ1進出。10名の社員選手を有するなど、他のJ1クラブに比べ予算・戦力共に小規模ながら 開幕5節で4勝1敗の成績で首位に立つなど旋風を起こし、年間総合順位は7位。新加入のGK土肥洋一が好守を見せ、以後2006年に至るまでリーグ戦216試合連続フル出場というJリーグ記録を残した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "攻撃ではFWアマラオと、川崎Fから期限付き移籍で加入したツゥットのコンビが得点を量産。ツゥットはリーグ2位となる17得点を挙げて、クラブ初のJリーグベストイレブンにも選ばれた。なお、ツゥットはシーズン終了後に浦和へ完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "天皇杯は初戦でJ2甲府に敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "2001年に収容人員49,000人の新本拠地・東京スタジアム(現:味の素スタジアム)が完成・使用開始となった 事により観客動員数が飛躍的に増加。スタジアムのこけら落しとなった開幕戦では、川崎市から移転し呼称変更した東京Vとの初の東京ダービーとなり、新加入の元日本代表FW呂比須ワグナーのVゴールで制した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "呂比須は4月4日のナビスコカップ甲府戦でハットトリックを挙げるなど序盤こそ活躍したものの、アマラオとプレースタイルが重複することなどから徐々に出場機会が減り、チーム加入後わずか半年で福岡へ完全移籍。しかし、その頃には開幕直前に急遽獲得したブラジル人MFケリーがチームにフィットし、司令塔として攻撃陣を掌握。以後4年間攻撃の核として活躍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "天皇杯初戦で横浜FCに破れ、2年連続でJ2勢に初戦敗退を喫した。この試合を最後に、東京ガス時代以来7年間指揮を執った大熊清が監督を退任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "2002年、監督に原博実を迎えて攻撃サッカーを指向した強化を進め、開幕戦では前年優勝の鹿島から4点を奪い圧勝。しかしこの試合でMVP級の活躍を見せた小林成光は交通事故で、攻守の起点となった三浦文丈は第2節浦和戦で負傷し、共に長期離脱を強いられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "一方、この年に移籍加入した選手達が5月以降レギュラーに成長。DF加地亮とMF石川直宏が右サイドでの攻撃を活性化させ、DF茂庭照幸も新加入のブラジル人CBジャーンとのコンビで堅守を築いた。また、入団2年目のMF宮沢正史もプレースキッカーとして能力を発揮し、ボランチのレギュラーを掴んだ。シーズン終了後、佐藤由紀彦が横浜FMへ期限付き移籍で退団した(その後完全移籍)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "また、この年尾亦弘友希・馬場憂太がチーム初のアカデミーからのトップチーム昇格を果たし、FC東京U-18所属の呉章銀がこれも初となる2種登録選手でJリーグデビューし、当時のJ1最年少記録となる16歳8ヶ月20日でJ1初出場を果たした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "チームスローガン:90分間、攻撃サッカー。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "2003年は、原体制2年目。DF金沢浄が加入し、リーグ最小失点を記録。1st、2ndステージ共に優勝戦線に絡み、年間順位4位の成績。また、シーズン初戦だった3月8日のナビスコ杯・横浜FM戦(横浜国際総合競技場)で、FC東京U-18所属の高校生だった梶山陽平がトップチームでの公式戦に初出場した。一方で、天皇杯を最後に、旧JFL時代からチームを牽引し『KING OF TOKYO』として親しまれたFWアマラオが湘南へ移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "8月にはスペイン・レアル・マドリードとクラブ史上初の国際親善試合を開催。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "また、加地亮・茂庭照幸がクラブ所属選手初の日本代表として出場した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "チームスローガン:攻激、攻劇、攻撃サッカー。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "原体制3年目。アマラオに代わってFWルーカスを獲得。また、MF今野泰幸が札幌から加入し、ユースからは李忠成、梶山陽平、呉章銀が昇格。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "8月にはスペイン遠征を行い、デポルティーボ・ラ・コルーニャの恒例プレシーズンマッチ、トロフェオ・ファンアクーニャ(ガリシア語版)に招かれ、これを制し、帆船型のトロフィーを獲得。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "リーグ戦は年間8位の成績。ナビスコカップでは、日本代表およびU-23日本代表によって複数の主力を欠く中決勝進出。同カップで初めてベストメンバーを揃えて臨んだ決勝戦では浦和を延長・PK戦の末に破り、初優勝を果たし、Jリーグ加盟後初の公式タイトルを獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "チームスローガン:攻めて取る。攻めて獲る。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "原体制4年目。ケリーが退団したが、若手へシフトする意味で大きな補強はしなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "開幕直後はそれまで苦手とした磐田に勝利し首位に立つなどしたが、それ以後は4-3-3の新布陣や新加入MFダニーロの不発などでチームワーストの6連敗を喫し、優勝戦線から早々に脱落。5月には原の監督解任が現実味を帯びた時期もあり、9月の横浜FM戦(日産スタジアム)で石川直宏の負傷退場(膝靭帯完全断裂により復帰まで約8か月を要した)、直後のルーカスの意識不明・救急車搬送による試合終了等もあった。終盤戦は12試合負けなしの成績も残して、年間順位は10位。最終節(右図)ではC大阪の優勝を阻止した。シーズン終了後に、原が監督を退任。また、加地亮がG大阪へ移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "なお、この年は7月9日の東京ダービー(東京V戦、FC東京主催試合)の試合前、FC東京サポーターによる傷害事件が発生した(FC東京側のサポーター約200名がコンコースにて東京Vサポーターに向け挑発行為に及んだ際、FC東京サポーター1名が場内に設置されていた灰皿のフタを東京V側の群衆に投げつけて、東京Vのクラブ職員、警官、一般人を負傷させ傷害罪で逮捕)。この試合の管理責任者として、FC東京にはJリーグから1000万円の罰金が科せられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "チームスローガン:Ousadia 〜信頼・勇気・挑戦〜", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "クラブ初の外国籍監督となるブラジル人・ガーロが監督就任。速攻主体のチームを、ボールの保持(ボールポゼッション)を主体とするパスサッカーへの転換を図ったが、3バックの採用や「マンマークを徹底する」守備を基本とし、短いパスで攻撃を構築しようとする戦術はなかなか奏功せず、4月15日の第8節千葉戦では前半に完全にゲームを支配され後半9分までに3失点を喫し惨敗。ブラジルと比較すると緩急が少なく、運動量とスピードでの攻めの多いJリーグでの相手攻撃を防ぐのに苦戦した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "加えて、怪我人も多発し戦術の刷り合わせも図れなくなり、ナビスコ杯では2分4敗の予選リーグ最下位で敗退。更にガーロの要望で獲得したブラジル人FWワシントンも、投入された試合ですぐさま退場処分を受けるなど不発。7月22日の鹿島戦で4失点を喫し敗れると(2 - 4)、29日の広島戦(0-2)、8月5日のプレシーズンマッチ・FCソウル戦(0-3)、12日の浦和戦(0 - 4)と連敗し、8月15日にクラブ初となるシーズン途中での監督解任が発表された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "後任監督には1995年から大熊や原の下で長くヘッドコーチを務め、この年からFC東京U-18の監督となっていた倉又寿雄が就任。第18節千葉戦から指揮を執り、布陣を4バックに戻すなど修正を施しリーグ戦を13位で終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "シーズン終了と共に倉又が監督を退任(U-18監督へと復帰)。12月5日に原が監督に再任された。また、この年限りでジャーン(湘南へ移籍)、三浦文丈(引退)、宮沢正史(大分へ移籍)、戸田光洋(清水へ移籍)などが退団。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "2006 FIFAワールドカップ日本代表に土肥洋一と茂庭照幸の2人がクラブとして初めて選出され、茂庭はオーストラリア代表戦に出場。クラブ初のW杯出場選手となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "チームスローガン:It's Our Time 〜青き疾風、赤い怒涛〜", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "2007年は再び原体制となり、コスタリカ代表FWのパウロ・ワンチョペ、磐田から元日本代表MF福西崇史、ブラジル人DFエバウドを獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "しかし、ワンチョペの動きには一向にキレが戻らず、エバウドと茂庭照幸の両センターバックも負傷により低調で、攻守の軸が定まらず、開幕からつまづいた。J2だった1999年から2006年まで8季(旧JFL時代の1997年、1998年を含めると10季)続けて開幕戦に勝利していたが、広島に敗れ、開幕戦連勝記録も止まった(右表)。ワンチョペはシーズン途中で退団。更に、U-22代表として梶山陽平、伊野波雅彦、平山相太の三人が、フル代表として今野泰幸が常時招集されており、中でもスタメンであった梶山が代表戦での怪我で9月に離脱した。年間成績は12位で終了。なお、第28節横浜FM戦の勝利で、J1通算100勝を達成した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "原は1年限りで監督を退任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "チームスローガン:Moving Football 〜ボールも・身体も・観ている人の心も〜", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "2008年、U-17日本代表元監督の城福浩が監督に就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "土肥洋一、福西崇史(共に東京Vへ移籍)に加え、MF馬場憂太(千葉へ)、鈴木規郎(神戸へ)、伊野波雅彦(鹿島へ)、FWルーカス(G大阪へ)らがそれぞれ移籍。一方でMF羽生直剛、FWカボレ、DF長友佑都(前年は特別指定)らを獲得。城福は戦術に「ムービングフットボール」を掲げ、2006年に臨んだポゼッションサッカーへ再挑戦した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "夏場には白星から遠ざかるが、第30節鹿島戦では長友、カボレらの得点で快勝するなど好調に転じ、シーズン終盤まで優勝の可能性を残した位置での戦いを続けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "最終節ではJ2降格危機にあった千葉に対して終盤11分間で4点を奪われて逆転負けを喫した(その結果、千葉が残留し東京Vが降格)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "リーグ戦年間成績は6位に浮上。天皇杯でも東京ガス時代の1997年以来となるベスト4へ進出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "城福体制2年目。福岡から中村北斗、水戸から平松大志を獲得した。序盤戦は低迷するが、MF今野泰幸をCBにコンバートし、ブルーノ・クアドロスとコンビを組ませ、またボランチに梶山陽平と高卒ルーキー米本拓司を固定した頃から守備が安定。更に、石川直宏の24試合で15得点を挙げる大活躍によってリーグ戦の順位も上がり、ACL出場圏内入りは逃したものの5位に入った。また、長友佑都と石川がJリーグベストイレブンに選出された。2名が受賞したのはクラブ初。また、GK権田修一がリーグ戦の年間完封試合数タイ記録を打ち立てた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "ナビスコカップは決勝で川崎Fに勝利して優勝。また、この試合で先制点を挙げた米本はニューヒーロー賞とMVPを獲得した。この年より、マスコットの『東京ドロンパ』が登場。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "チームスローガン:Moving Football 〜心をひとつに〜", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "城福体制3年目。2002年からユニフォームの胸スポンサーだったENEOSが撤退し補強予算が狭められる中、浅利悟が引退し、藤山竜仁が札幌へ移籍。茂庭照幸に戦力外を通告、契約交渉で折り合わずブルーノ・クアドロスが退団、佐原秀樹が期限付き移籍期間満了に伴い、川崎Fに復帰した。退団が相次いだセンターバックには大分から森重真人、全州大学校からキム・ヨングンを、また、新潟からMF松下年宏を、ブラジルのABC FCからFWリカルジーニョを期限付き移籍で獲得するも、登録選手はJ1最少の26人、選手の平均年齢はJ1で2番目の若さという陣容だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "シーズン開幕直前、米本拓司が前十字靭帯・半月板を損傷。梶山陽平も左足首手術からのコンディション調整に苦しみ、序盤は前年のレギュラーボランチ両名を欠く厳しい選手構成となった。開幕戦こそ4年ぶりに勝利を収めたが(1 - 0 対横浜FM・味スタ)、J1中断期間前までは得失点ともに少なく引き分ける試合が多かった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "また、2010 FIFAワールドカップ日本代表に今野泰幸、長友佑都が選出された。なお、長友はW杯終了後にイタリア・チェゼーナへ期限付き移籍で退団した。W杯期間中にFW大黒将志らを獲得。大黒の得点もあってスルガ銀行チャンピオンシップで勝利し、前年に続くタイトル獲得には成功したものの、なかなか勝ち点を伸ばせないまま、9月に城福を解任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "後任に大熊清が就任したが、最終節で京都に敗戦し、最終節に勝利した神戸に入れ替わりで年間順位が16位となり、J2降格が決まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "チームスローガン:TOKYO SPIRIT 〜すべては勝つために〜", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "大熊体制2年目。赤嶺真吾(レンタル移籍していた仙台へ完全移籍)、キム・ヨングン(大宮へ完全移籍)、リカルジーニョなどが退団した。一方で、FWロベルト・セザーらを獲得、層の薄さに苦しんだ前年の経験を踏まえ、MF谷澤達也など各ポジションにJ2での経験を持つ選手を加えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "2月には「FC東京のある“まち”」というテーマでの演劇が調布市せんがわ劇場にて公演され、FC東京からは特別審査員として新任の阿久根謙司代表取締役と藤山竜仁普及部コーチが出席した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "4月には東北地方太平洋沖地震及び長野県北部地震の復興支援のため、松本山雅FCとのチャリティーマッチを開催。また、宮城県出身の今野泰幸が発起人の1人となり、「東北人魂を持つJ選手の会」を設立。秋田県出身の下田光平もこれに参加し、東北地方のサッカー復興に向けて活動した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "リーグ戦序盤を勝ち切るためのキーマンとされたFW平山相太 が長期離脱するなど、立石敬之強化部長が「想像を超えて最悪に近いほど故障者が出た。しかも軸になる選手ばかり」と言う程の状況に陥り、序盤は7戦で4得点、2勝に留まり苦しんだが、田邉草民や高橋秀人の抜擢、羽生直剛をトップ下に据える 4-2-3-1布陣(右図)の採用により徐々に地力を見せ始めた。さらに、2007年まで在籍していたFWルーカスらを補強。第18節(12試合目)を終えた段階で昇格圏内に入り、以後上位をキープ。11月19日の鳥取戦で勝利し、1年でのJ1復帰を決めた。翌20日に2位の鳥栖が敗れ、J2優勝を決めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "天皇杯は決勝で京都に勝利し、前身の東京ガスサッカー部を含めたクラブ創設後初、J2勢として初となる天皇杯制覇を果たし、クラブ初のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場権を獲得した。同決勝戦を以て大熊は監督を退任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "チームスローガン:C・O・A Football", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "監督に前町田監督のランコ・ポポヴィッチが就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "今野泰幸がG大阪へ、鈴木達也が徳島へ完全移籍した一方、横浜FMから渡邉千真、長谷川アーリアジャスール、磐田から加賀健一、清水から太田宏介、東京Vから河野広貴を完全移籍で獲得、また、期限付き移籍していた選手を復帰させるなど、2年ぶりのJ1及び初のACLでの戦いに向け陣容を整えた。渡邉、長谷川らの活躍でACLはグループリーグを突破し、ベスト16進出(右図)したが、広州恒大に敗れた。中断期間中に谷澤達也が退団するも、新加入のネマニャ・ヴチチェヴィッチが穴を埋めた。リーグ戦は10位、ナビスコ杯はベスト4、天皇杯は2回戦敗退に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "チームスローガン:C・O・A Football~さらなる進化をめざして~", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "ポポヴィッチ体制2年目。羽生直剛、梶山陽平らが期限付き移籍でチームを離れるも、大宮から東慶悟を完全移籍で、イングランド2部・サウサンプトンから李忠成を期限付き移籍で獲得。シーズン途中で李が所属元へ復帰、田邉草民が業務提携を結んだスペイン2部・サバデルへ期限付き移籍。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "リーグ戦では第3節から4連敗し12位まで順位を下げたものの、得点源となった渡邉千真を中心にJ1におけるクラブ史上通年最多得点を記録。第8節からの3連勝と第24節からの4連勝でいずれも5位まで順位を上げたが、翌年のACL出場権を得られる3位以上には届かず、第33節柏戦での敗戦により賞金圏内の7位からも脱落、8位でシーズンを終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "ナビスコカップは決勝トーナメント進出を逃し、天皇杯では準決勝でPK戦の末広島に敗れ3位に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "契約満了によりこの年限りでポポヴィッチ監督が退任。FWルーカスが現役を引退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "なお、この年東京都が2020年に開催されるオリンピック・パラリンピックの招致に成功。FC東京は招致PRイベントを行うなど クラブを挙げてこの活動を支援しており、2016年大会招致活動の頃からの協力 が実った形となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "チームスローガン:Bello e Aggressivo! -限界を超えて頂点へ-", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "新監督にACチェゼーナ元監督のマッシモ・フィッカデンティが就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "ネマニャ・ヴチチェヴィッチが退団、長谷川アーリアジャスールがC大阪、中村北斗が大宮にそれぞれ完全移籍。FWエドゥー、MF武藤嘉紀(前々年から特別指定)らを獲得し、梶山陽平、羽生直剛が期限付き移籍から復帰した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "リーグ戦序盤はなかなか勝てなかったものの、中盤に入るとフィッカデンティの戦術が浸透し、試合運びが安定。守備面では2003年以来となる5試合(J1第16節から第20節まで)連続無失点を記録し、リーグ戦総失点も前年の47失点から33失点と大きく改善した。一方攻撃面ではFWに転向した武藤がリーグ新人最多得点記録タイの13得点を挙げる活躍を見せた。クラブ記録となる14試合(J1第13節から第26節まで。右図)無敗を記録し、一時は5位(J1第18節、第21節から第22節まで)にまで浮上したが、第27節で無敗記録が途切れてからは失速し、最終的には9位でシーズンを終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "ナビスコ杯はグループリーグ敗退、天皇杯はベスト16に終わった。また、昨年引退したルーカスが功労選手賞を受賞した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "チームスローガン:Bello e Aggressivo! -すべては勝利のために-", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "フィッカデンティ体制2年目。エドゥー、塩田仁史、渡邉千真らが退団し、前田遼一、榎本達也らを獲得。丸山祐市、林容平、橋本拳人が期限付きから復帰。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "1stステージはFW前田のフィットが遅れたものの、前年からの堅守を軸に前半戦だけで10得点を挙げた武藤嘉紀の頑張りと、キッカーの太田宏介を中心としたセットプレーで得点を重ね、2度の4連勝と健闘。2ステージ制のステージ毎の順位としては過去最高の2位に付けた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "1stステージ終了後には武藤がドイツ・マインツへ移籍し、ネイサン・バーンズ、サンダサの2人のFWが加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "2ndステージは復調した前田がFWの軸になり、新外国人の2人がそのパートナーを務めるようになったものの、武藤退団の穴は埋め切れず、終盤第13節からは東慶悟がFWを務めた(右図)。さらに正GKの権田修一がオーバートレーニング症候群で第5節を最後に離脱したためブラダ・アブラモフを緊急補強し、第10節以降の正GKを務めさせた。1stステージほど勝ち点を伸ばせなくなり、最終節開始時点では年間3位につけるも、同節の鳥栖戦を引分けたために、同節勝利のG大阪との入れ替わりで年間順位4位に転落。過去最高の勝ち点、最高タイの年間順位を記録したものの、チャンピオンシップの出場を逃した。その後、G大阪・浦和の天皇杯決勝進出に伴う繰り上がりで翌2016年のACLプレーオフ(PO)出場権を獲得。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "ナビスコ杯、天皇杯は共にベスト8で終了。同年末にフィッカデンティが退任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "チームスローガン:Challenge the Top -頂戦-", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "フィッカデンティ監督の後任に2008年から2010年途中まで指揮していた城福浩が再任。ブラダ・アブラモフ、太田宏介らが退団。権田修一がSVホルンにレンタル移籍。湘南から秋元陽太、鳥栖から水沼宏太、甲府から阿部拓馬、明治大学から室屋成(前年は特別指定選手)、磐田から駒野友一、中国・北京国安からハ・デソンらが加入した(駒野及びハは1stステージ終了後にそれぞれ福岡・名古屋へ期限付き移籍)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "また2月13日に、2015年シーズンに密着したドキュメンタリー映画『BAILE TOKYO』が公開。主題歌はRIP SLYMEの「Baile TOKYO」。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "この年より「FC東京U-23」を発足させJ3リーグに参入。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "同年の公式戦初戦となるAFCチャンピオンズリーグ2016のプレーオフではチョンブリーFCを相手にクラブ最多得点記録を更新した 9-0で大勝。4年ぶり2度目となるACL本戦出場権を掴んだ。本戦では全北現代(韓国)、江蘇蘇寧(中国)、ビンズオン(ベトナム)と対戦。グループリーグ突破は最終節までもつれたが、同節はビンズオンと対戦し前田遼一の2得点の活躍で勝利し決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦では上海上港(中国)と対戦。ホームでの第1戦は水沼が2得点を挙げ先勝したが(2-1)、アウェー・上海体育場での第2戦は試合終了間際に失点し(0-1)、1勝1敗。アウェーゴールの差で敗退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "リーグ戦では序盤より怪我人が続出しメンバー繰りに苦戦。またACLプレーオフ出場のためオフやキャンプの期間が短くなった影響により、フィジカルコンディション不足・スタミナ不足に陥る。1stステージでは攻守のバランスに苦心しながらも堅守に立ち返って 徐々に浮上し9位で終えた。しかし、2ndステージでは先制しながらも試合終了間際に失点し逆転負けするゲームが頻発したため、7月23日の2ndステージ第5節川崎戦敗北後に城福を解任。後任にはコーチで元福岡監督の篠田善之が監督に昇格。篠田就任後、8勝2分2敗と安定感を取り戻し年間9位でリーグ戦を終えた。天皇杯はベスト8で川崎に敗れた。ルヴァンカップは準決勝で浦和に2試合合計2-5で敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "チームスローガン:TOKYO GRIT~すべての力を~", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "篠田体制2年目。榎本達也が引退(その後、普及部コーチに就任)、駒野友一、平山相太、高橋秀人らが退団。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "名古屋から永井謙佑、鳥栖から林彰洋、川崎Fから大久保嘉人、FCソウルから髙萩洋次郎らを獲得。1月には太田宏介が完全移籍で2年ぶりにチームに復帰した。更に3月には広島から前年得点王のピーター・ウタカを期限付き移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "夏の移籍情報ではリッピ・ヴェローゾ、チャン・ヒョンス、ジャキット・ワクピロムを獲得。また、バーンズが6月30日付で契約満了して広島に移籍。そして河野が鳥栖、阿部が蔚山現代FCに完全移籍、中島がポルティモネンセSCに期限付き移籍した。11月1日には、ユース所属の久保建英と平川怜がプロ契約を結んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "序盤こそ順調に勝ち点を稼いでいたものの14節清水エスパルス戦から6試合未勝利、その後22節のヴィッセル神戸戦から4試合未勝利と成績が低迷。YBCルヴァンカップではグループリーグ終盤で失速。広島とのプレーオフを制しノックアウトステージへと進んだものの1回戦で川崎にトータルスコア1-7を付けられ大敗。天皇杯でも2回戦で長野にPK戦の末敗戦しカップ戦は早期敗退となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "9月10日、監督の篠田が成績不振により退任し、コーチの安間貴義が昇格してシーズン終了まで暫定監督を務めた。監督交代後の成績は1勝4分4敗とチームは低迷。特に第27節以降は勝ちがなくチームを立て直すことが出来ずJ1復帰後としては史上最低の13位でシーズンを終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "また、立石敬之が当年度をもってGMを退任(その後ベルギーリーグのシント=トロイデンVVのCEOに就任)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "チームスローガン:強く、愛されるチームを目指して", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "長谷川健太が新監督就任。神戸から大森晃太郎を完全移籍で獲得。横浜から富樫敬真、柏からディエゴ・オリベイラを期限付き移籍で加入。また、中央大学から矢島輝一、U-18から原大智と品田愛斗が新加入。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "開幕戦こそ引き分けるも、その後ベガルタ仙台・ジュビロ磐田と2試合連続して敗戦。第4節の湘南ベルマーレ戦より新戦力のディエゴ・オリヴェイラがチームにフィットし始め長谷川健太が掲げる「ファストブレイク」戦法も定着した事もあり第20節のヴィッセル神戸戦まで順調に勝ち点を稼ぎ続けていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "しかし夏の移籍市場で新戦力の獲得に失敗。ヴァンフォーレ甲府より期限付き移籍でリンスを獲得したのみに留まり選手編成も固定化。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "更には戦術も対戦相手に研究され始めた事で攻撃陣は沈黙し徐々に順位を落とし始め最終的に14勝8分12敗の6位でフィニッシュした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、梶山陽平が引退を発表した。天皇杯はベスト16で山形にPK戦の末敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "チームスローガン:強く愛されるチームを目指して", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "ディエゴ・オリヴェイラが完全移籍に切り替わり、鳥栖から田川亨介、新潟から宮崎幾笑、山形から児玉剛を獲得、横浜FMの久保建英、福岡のユ・インスが期限付き移籍から復帰。また外国籍選手枠の拡大に目をつけ、グレミオからジャエル、光州FCからナ・サンホ、バンコク・ユナイテッドからナッタウット、ヴォトゥボランゲンセからアルトゥール・シルバと多数の助っ人を獲得。新人は東福岡高校の中村拓海、中央大学の渡辺剛を獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "田邉草民が福岡、大久保択生が鳥栖、前田遼一が岐阜、米本拓司が名古屋へそれぞれ完全移籍。リンス、富樫敬真はレンタル期間満了のため退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "前半戦は久保建英が抜擢され大きくブレイク。戦術、メンバーともほぼ昨年からの踏襲だったが久保の活躍もあり開幕から12戦無敗(9勝3分)とスタートダッシュに成功。第8節で広島との無敗対決を制して首位に立つと、そのまま前半戦は首位を独走した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "しかし夏の移籍市場で久保はレアル・マドリードに移籍、チャン・ヒョンスがアル・ヒラル、太田宏介が名古屋と主力級選手が複数流出。味の素スタジアムがラグビーワールドカップ2019の試合会場となったこともあり、第24節からアウェー8連戦 の強行日程が組まれていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "だが夏場に急失速した昨シーズンと異なり、件のアウェー8連戦も4勝2分2敗で乗り切るなど大崩れはせず、第27節まで首位をキープ。しかし調子を上げてきた鹿島、横浜FMに追い上げられ、28節で一度鹿島に首位を奪われる。31節で再度首位に浮上するも、ホーム味スタに帰還した32節から湘南、浦和と下位相手に連続で引き分け、ここを連勝した横浜FMに首位を奪われる。特に浦和戦はディエゴ・オリヴェイラと永井謙佑の2トップが揃って負傷する痛恨の引き分けとなった。最終節は横浜FMとの直接対決。優勝には4点差以上での勝利が必要な中、前節右肩を脱臼した永井が強行出場するも、0-3で敗戦しリーグ優勝には届かなかった。だがリーグ戦の19勝7分8敗の勝ち点64、2位という結果はともにクラブ史上最高記録を更新した。天皇杯は3回戦で甲府に敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "チームスローガン:強く愛されるチームを目指して", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "2019年シーズンの好成績から、同年10月24日には早くも長谷川監督の契約が更新された。2020シーズンへ向け、ジュビロ磐田からアダイウトンを完全移籍で、また鹿島アントラーズからレアンドロを期限付き移籍でそれぞれ獲得した。U-18からは木村誠二、バングーナガンデ佳史扶、野澤大志ブランドンの3人を昇格させた。さらに大学卒ルーキーとして法政大学の紺野和也、明治大学の安部柊斗と中村帆高が加入した(3人はいずれも2019年シーズンに特別指定選手として登録されていた)。一方で大森晃太郎がジュビロ磐田へ完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "2020年度は第1節(2月23日 対清水エスパルス)を行った後、新型コロナウイルスによる試合中止によって約4か月にわたって空白期間が生じた。久々の試合となった第2節(7月4日 対柏レイソル)では1-0で勝利するものの、第3節(7月8日 対川崎F ・第35回多摩川クラシコ)では0-4で敗戦。中盤戦は安定し最終的には17勝6分11敗でリーグ順位は6位と比較的上位で幕を閉じた。この間、7月には橋本拳人がFCロストフへ、8月には室屋成がハノーファー96へとそれぞれ移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "YBCルヴァンカップはACL出場のためプライムステージからの登場となり、初戦は名古屋グランパスを豪雨の中の試合で3-0に降し、2回戦ではリーグ戦の首位を独走し前年王者でもある川崎フロンターレに勝利し、決勝戦に駒を進めた。 当初11月7日に予定していた決勝戦は、対戦相手の柏レイソルに多数の新型コロナウイルス感染者が出た影響で翌21年1月4日に延期となり、11月下旬に集中開催されたACLとの兼ね合いでチームは厳しい日程を余儀なくされたが、国立競技場で行われた決勝戦では2-1で勝利、11年振り3度目のJリーグカップ王者となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "一方、ACLでは1月のプレーオフでセレス・ネグロスに勝利し、グループステージへと駒を進めた。しかし新型コロナウイルスの影響によって試合は3月で中断され、再延期や開催地変更の結果として11月にカタールでの集中開催方式で再開された。最終的に2位でグループFを突破したものの、12月6日の決勝トーナメント1回戦で北京国安を相手に0-1で惜敗し、2012年大会・2016年大会に次いでまたしてもベスト16で止まりであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "チームスローガン:強く愛されるチームを目指して", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "今シーズンは、主力の大半が残留したが、宮崎幾笑がファジアーノ岡山へレンタル移籍、柳貴博が北海道コンサドーレ札幌へ完全移籍(昨シーズンはベガルタ仙台へレンタル)。一方阿部伸行をAC長野パルセイロから、B・ウヴィニをアル・イテハドから獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "3月~4月初めにかけてホーム4連勝を遂げるが、その後失速し4月半ば~5月初めにリーグ5連敗を喫してしまった。ただ14節(5月15日 対柏)で4-0で今季初リーグ戦無失点勝利を達成し、連敗を止めた。その後G大阪にも勝利するが、16節のアウェー清水戦では、08年以来13年ぶりに敗れるなど不安定な戦いだった。中村帆高など多数のSBの負傷離脱により6月にはブラウブリッツ秋田から鈴木準弥を獲得。また9月12日には11年ぶりに長友佑都が復帰することが公式発表された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "6月19日から7月11日まで4連勝,7月21日まで5戦負けなしと好調だったが、アウェー連戦により2連敗を喫する。その後G大阪に引き分け仙台,神戸に勝利し、アウェー7連戦は3勝2分2敗で終えた。しかしその後も戦い方は安定しないままで、11月6日アウェイ横浜FM戦では、前田大然にハットトリックを許すなどし、チームの1試合における最大失点記録を更新する0-8で敗れた。翌11月7日に監督の長谷川健太が辞任。森下申一が監督に就任する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "ルヴァンカップグループステージは首位通過、無敗。4月28日の第4節徳島戦をもって、2021ルヴァンカップグループステージ突破が確定し、5月5日の第5節神戸戦をもってグループステージ首位通過が確定し、GS第6節は消化試合となったためか、ベンチに多くのユースの選手が入っていた。 6月5日,13日に行われたプレーオフステージは湘南と戦った。第1戦は0-1で敗戦したが、第2戦アウェーで4-1と快勝、2試合合計4-2で見事逆転突破。3年連続で9月に行われるプライムステージ(準々決勝)進出を決めた。プライムステージ準々決勝は札幌と対戦。第1戦は逆転負けを喫するも、第2戦レモンSで開催されたホームゲームで2-0で勝利し準決勝進出を決めたが、名古屋グランパスと対戦の末敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "6月9日に行われた天皇杯2回戦は、東京都北区にある味の素フィールド西が丘にて行われ、順天堂大学と対戦した。前後半90分で決着がつかず、延長戦に突入したがPKにより点を取られ逆転。点を奪えず2回戦敗退となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "11月22日、クラブ運営会社(東京フットボールクラブ株式会社)の第三者割当増資(11億5000万円)を引き受け、発行済み株式の51.3%をクラブスポンサーであるミクシィ(現・MIXI)に譲渡することを発表した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "12月5日、森下申一監督が退任。リーグ最終成績は15勝8分15敗で9位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "チームスローガン:強く愛されるチームを目指して", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "前年度アルビレックス新潟を率いたアルベル・プッチ・オルトネダが監督に就任、また、キャプテンには森重が復帰。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "また、山下敬大、エンリケ・トレヴィザン、ヤクブ・スウォビィク、木本恭生、高校サッカー選手権で活躍し注目された松木玖生などが加入。リーグ最終成績は14勝7分13敗で6位。ルヴァンカップはグループステージ敗退に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "アルベル体制2年目。サガン鳥栖から小泉慶、横浜F・マリノスから仲川輝人、ファジアーノ岡山から徳元悠平を獲得した。また、いわてグルージャ盛岡に育成型期限付き移籍をしていた野沢大志ブランドンが復帰した。 開幕節となったホーム浦和戦では、オウンゴールと渡邊凌磨の得点で2-0で勝利。チームを勢いづけた。第10節終了時点での成績は4勝3分3敗の勝点15で順位も6位とまずまずの成績であった。しかし、苦手としているアウェイ福岡戦に敗れた後に、アウェイ札幌戦で大敗した。第13節、国立競技場で開催された多摩川クラシコでは、徳元と安部の得点でリーグ戦としては5年ぶりとなる勝利を遂げた。しかし、第14節から第17節にかけて1分3敗、12位と低迷したのち、第17節終了後の6月14日、アルベル監督の退任が発表された。 6月16日、清水エスパルスやモンテディオ山形を指揮したピーター・クラモフスキーが監督に就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "夏の移籍市場において、京都サンガFCから白井康介、アル・ナスルFC(UAE)からジャジャ・シルバを完全移籍で獲得、そしてセレッソ大阪から原川力を期限付き移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "7月14日、安部柊斗のRWDモレンベーク(ベルギー)への完全移籍が発表された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "前述の通り、本拠地は東京スタジアム(調布市)であるが、過去には都心23区の国立競技場や国立西が丘サッカー場や江戸川区陸上競技場、駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場でもホームゲームを開催している。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "2019年はラグビーワールドカップにより、味の素スタジアムが使用できない時期は、8月から11月はアウェイ8連戦となった。またルヴァンカップはグループステージは味スタがこれに伴う改修のため平日に使用できない都合で、2試合を秩父宮ラグビー場、残り1試合はさいたま市大宮公園サッカー場(NACK5スタジアム大宮)にて主催する。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "また東京都外では鹿児島県立鴨池陸上競技場(2000年)、香川県立丸亀競技場(2000年・2001年)、石川県西部緑地公園陸上競技場(2000年)、長野県松本平広域公園総合球技場(2006年。2011年にはチャリティーマッチを開催)、熊谷スポーツ文化公園陸上競技場(2011年)でホームゲームを開催した。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "国立競技場については、新競技場への改修終了後、2020年東京オリンピックの大会後の活用後の一環として、球技場専用に改修の上で本拠地を味スタから移転させる構想が報道された が、ここを本拠地にするにしても使用料が高額になる恐れがあるとして、新国立にほど近い、代々木公園の代々木公園陸上競技場とサッカー・ホッケー球技場付近 を改修して、4万人程度が収容可能なサッカー専用の競技場を建設する案を、複数の民間事業者が東京都に提案していることも分かった と報じられている。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "クラブは2012年発表の「2015VISION」 及び2016年発表の「2020VISION」において、1試合平均動員数3万人を目標に掲げている。", "title": "入場者記録" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "※2020年度、2021年度は新型コロナウイルスの影響で当チームに限らず、Jリーグすべてのチームで観客数が減少した。", "title": "入場者記録" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "", "title": "入場者記録" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "FC東京U-23(エフシーとうきょう・アンダートゥエンティスリー、略称表記:F東23)は、2016年から2019年までJ3リーグ(J3)に参加した、FC東京に所属する23歳以下の選手で構成されるサッカーチーム(U-23チーム)。", "title": "FC東京U-23" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "2015年9月にJリーグにおいてセカンドチームのJ3参加が提議されると、FC東京は真っ先に参加志望を表明。", "title": "FC東京U-23" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "同年12月15日、Jリーグ理事会において2016年シーズンよりJ1・J2クラブの「U-23チーム」がJ3に参加することが発表され、初年度参加チームの一つとして参戦することがクラブから発表された。ユニフォームはトップチームと異なるデザインのものを使用する。", "title": "FC東京U-23" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "トップとユースの中間のチームという位置付けで 23歳以下の選手の強化育成、アカデミーの各年代の底上げを目標としている。そのため、トップチームの成績と選手層の向上にセカンドチームを寄与させるべく、練習はトップとセカンドの練習を合同で一体的に、試合前に選手を選別するという形を採った。このため、連携面では他チームに遅れがちとなっている。また、トップチームにおける23歳以下の選手保有数をギリギリに制限することで2種登録選手の活用を促進。下部組織においては、上のカテゴリーへの飛び級を一般化させることで、学年別の編成から実力に応じた編成への移行が図られている。", "title": "FC東京U-23" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "U-23チームは、J3キャパシティー基準を充足した味の素フィールド西が丘(北区、約7,300人収容)、及びクラブオフィスのある江東区の夢の島競技場(約4,800人収容)や駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場(約20,000人収容)で開催。", "title": "FC東京U-23" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "主にテレビ中継はDAZN、東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で行われている(以前は、TOKYO MXでは東京以外で行われるホーム戦やアウェー戦の試合も自社制作していた。一部日本放送協会(NHK)と同日中継の場合あり)。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "ただし、2001年から続いていたTOKYO MXでの応援番組は2022年12月に年末特番が放送された「F.C. TOKYO CONNECT」をもって終了となった(FC東京ホームゲームの試合中継は2023年も実施)。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "また、ジェイコム東京では「頂-ITADAKI-アスリート 東京」内で「FC東京VIVA Paradise」コーナーが放送されている。「VIVA」は2002年放送開始で、2021年9月の番組終了時には毎月2回更新(15日間のリピート放送)、30分間の放送だったが、「ITADAKI」では毎月1回更新、15分間の番組をなでしこリーグ1部所属の「スフィーダ世田谷FC」応援コーナーと分け合うことになった。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "コミュニティーFM局の調布FM が、味の素スタジアム開催試合を中継している。1999年J2終盤戦ではTOKYO FMでも試合が生中継されたこともあった。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "TOKYO FMでは『F.C. TOKYO SPIRIT 勝利への道』を2011年4月から放送。また、調布FM、FM西東京、レインボータウンFMなどでも、番組内にFC東京応援コーナーを設けている。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "東京中日スポーツでは、紙面で「365日FC東京」と銘打ったクラブ情報をほぼ毎日掲載している。以前は、それに加えて有料登録制の携帯サイト「365日FC東京モバイル」を設けて情報を発信していた。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "2014年よりクラブ公認の季刊誌である『F.C.TOKYO MAGAZINE BR TOKYO』を発刊していたが、2016年に休刊となった。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "2013年1月31日、運営会社の東京フットボールクラブ株式会社(東京FC)の経理担当部長が2005年から2012年までの8年間に約2300万円の会社経費を私的に流用したことが発覚。東京FCは同日付で経理担当部長を懲戒解雇した。損失額については経理担当部長が全額を弁済し、東京FCの代表取締役が責任を取って報酬の20%を3ヶ月間自主返上すると発表した。", "title": "不祥事" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "2023年7月12日、天皇杯3回戦の東京ヴェルディ戦において、味の素スタジアムの最寄駅である飛田給駅の私有地に設置されている企業広告看板への張り紙がなされたほか、生卵が投げつけ警察が器物損壊事件として捜査。また、試合前のスタンドでは発煙筒や花火が使用されたことも発覚。FC東京側ゴール裏自由席スタンド内で、火薬類等危険物の持ち込みおよび使用があった。この危険行為によって観客1名が火傷を負っていたことも明らかになった。", "title": "サポーターによる不祥事" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "FC東京は同月14・15日の経過報告において、調査により火薬類等危険物の持ち込みおよび使用の申し出は4名であったこと、看板の器物損壊については犯人が出てこないことを公表し、火薬類を持ち込んだ当該人物に関しては同月28日付でJFAより日本国内で行われるすべての試合の無期限の入場禁止(本協会主催試合に加え、Jリーグや各種連盟等が主催する各カテゴリの試合を含む)処分となった。", "title": "サポーターによる不祥事" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "その後同年9月1日、JFAはFC東京に対し「被害の発生及び拡大を防ぎ、観客や選手等の試合に関わる人の安全を確保するために適切な措置を講じなかった」として、罰金500万円と譴責(始末書の提出)の懲罰を課すことを決定した。", "title": "サポーターによる不祥事" } ]
FC東京は、日本の東京都をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
{{Otheruses|[[日本プロサッカーリーグ]]のチーム|<br>[[プレミアリーグ (バレーボール)|V.プレミアリーグ]]のバレーボールチーム|FC東京バレーボールチーム}} {{出典の明記|date=2021年4月}} {{サッカークラブ |font-color = #be9664 |background-color = #000a6e |border-color = #ff0000 |原語表記 = FC東京 |愛称 = 瓦斯<br/>東京<br/>F東京<br/>青赤軍団 |カラー = {{colorbox|#000a6e}} TOKYO BLUE<br/>{{colorbox|#ff0000}} TOKYO RED<br/>{{colorbox|#be9664}} URBAN GOLD<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fctokyo.co.jp/newemblem/|title=FC東京ニューエンブレム|accessdate=2023-11-25}}</ref> |創設 = 1935 |リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]] |ディビジョン = [[J1リーグ]] |クラブライセンス = J1 |ホームタウン = [[東京都]]<ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/club/ftokyo/#profile|title=FC東京の速報・チケット情報:Jリーグ.jp|publisher=[[日本プロサッカーリーグ (法人)|日本プロサッカーリーグ]]|date=2022-02-01|accessdate=2022-02-19}}</ref> |スタジアム = [[ファイル:Ajinomoto Stadium 20101120.JPG|250px]]<br />[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東京スタジアム]]{{R|jleague}} |キャパ = 47,851{{R|jleague}} |法人名 = 東京フットボールクラブ株式会社{{R|jleague}} |代表 = 川岸滋也{{R|jleague}} |監督 = {{Flagicon|AUS}} [[ピーター・クラモフスキー]] |HP=https://www.fctokyo.co.jp/ | pattern_la1 = _FC Tokyo 2023 HOME FP | pattern_b1 = _FC Tokyo 2023 HOME FP | pattern_ra1 = _FC Tokyo 2023 HOME FP | pattern_sh1 = _FC Tokyo 2023 HOME FP | pattern_so1 = _FC Tokyo 2023 HOME FP | leftarm1 = FFFFFF | body1 = FFFFFF | rightarm1 = FFFFFF | shorts1 = 0000B8 | socks1 = FF0000 | pattern_la2 = _FC Tokyo 2023 AWAY FP | pattern_b2 = _FC Tokyo 2023 AWAY FP | pattern_ra2 = _FC Tokyo 2023 AWAY FP | pattern_sh2 = _FC Tokyo 2023 AWAY FP | pattern_so2 = _FC Tokyo 2023 AWAY FP | leftarm2 = FFFFFF | body2 = FFFFFF | rightarm2 = FFFFFF | shorts2 = 000000 | socks2 = FFFFFF |}} {{external media|topic=エンブレム|align=|width=|image1=[[:en:File:FCTokyo.png]]}} [[ファイル:Ajinomoto Stadium 10th anniversary.jpg|thumb|right|300px|FC東京のサポーター (2008年3月8日 対[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦)]] '''FC東京'''(FCとうきょう、{{Lang-en-short|FC TOKYO}})は、[[日本]]の[[東京都]]をホームタウンとする{{R|jleague}}、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 == 概要 == {{Location map+|Japan_Tokyo|width=300|float=right|border=#3333CC|caption=1.味の素スタジアム、2.小平グランド及びクラブハウス、3.深川グランド及び本社|places= {{Location_map~|Japan_Tokyo|lat_deg=35|lat_min=39|lat_sec=48.24|lon_deg=139|lon_min=31|lon_sec=31.57|mark=Red-blue pog.svg|position=bottom|label_size=90|background=#FF9|label='''1'''}} {{Location_map~|Japan_Tokyo|lat_deg=35|lat_min=44|lat_sec=27.76|lon_deg=139|lon_min=30|lon_sec=2.21|mark=Red-blue pog.svg|position=left|label_size=90|background=#FF9|label='''2'''}} {{Location_map~|Japan_Tokyo|lat_deg=35|lat_min=41|lat_sec=11.71|lon_deg=139|lon_min=49|lon_sec=7.84|mark=Red-blue pog.svg|position=bottom|label_size=90|background=#FF9 |label='''3'''}} }} [[1999年]]にJリーグへ加盟{{R|jleague}}。[[ホームタウン]]は[[東京都]]で、{{R|jleague}}ホームスタジアムは[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム(2001・2002年は「東京スタジアム」)]]である{{R|jleague}}(ホームスタジアムについての詳細は後述)。練習場は、[[小平市]]の[[FC東京小平グランド]]{{R|jleague}}([[東京ガス]]武蔵野苑)である(2001年までは[[江東区]][[猿江]]の[[FC東京深川グランド]]){{R|fb2010}}。 このため、地域活動は調布市周辺エリア([[三鷹市]]及び[[府中市 (東京都)|府中市]]を含む<ref group="注">[[東京スタジアム (多目的スタジアム)#沿革|東京スタジアムは、三鷹・府中・調布の3市にまたがる関東村の跡地利用の一環として建設された。]]</ref>。)、小平市をメインとして、[[東京都区部|都心23区]]でも、特に上述の練習拠点があった江東区[[深川 (江東区)|深川]]や<ref>{{Cite journal|和書|title=[[青山学院大学|青山経営論集]]|volume=41|issue=2|date=2006-09}}75-82頁</ref>、かつてJリーグ公式戦を開催したことがある[[江戸川区]]・[[北区 (東京都)|北区]]・[[世田谷区]]を中心として行われている。 クラブ名の「FC東京」は、シンプルで誰にもわかり易く馴染みがあり「都民のためのJクラブ」を目指す観点から制定された{{R|jleague}}。 [[マスコットキャラクター]]は『'''[[東京ドロンパ]]'''』であり{{R|jleague}}、チーム創設10周年に向けてマスコットを選考して、[[#2009年|2009年開幕戦]]より登場した。 2000年までは東京を名乗るJリーグクラブが他に無かったため、「東京」の呼称であったが、[[#2001年|2001年]]に[[東京ヴェルディ1969]](旧V川崎)がホームタウンを東京都に変更して以降、「FC東京」や「F東」などと表記されている。なお、Jリーグの公式情報や[[スポーツ振興くじ]](toto)等での紙面が限られる公式発行物に関しては、'''F東京'''として掲載される場合が多い{{R|js2007|hoc2014}}(但し日刊スポーツでは「FC」を入れず、上記の名残により単に「東京」と表記)。 プロ化以前の呼称'''東京ガス'''から来る『'''ガス'''』が現在でもFC東京を指し示す独自の呼称として残っているのはこうした理由にもよる<ref group="注" name="gas">海外メディアでは「The Gas Men」との表記も見られる。</ref>。ニックネームにはこの他ユニフォームのカラーから採られた『'''青赤軍団'''<ref>[http://web.gekisaka.jp/news/detail/?61343-45367-fl “脱・原トーキョー”に成功。城福監督が新・東京を作った] [[ゲキサカ]] (2009年11月3日)</ref><ref name="hoc2014">{{Cite news|url=http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20140808-OHT1T50115.html|title=【F東京】フィッカデンティ監督、9日C大阪戦に意欲「組織化された守備を続けて」|newspaper=[[スポーツ報知]]|date=2014-08-08|accessdate=2023-11-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140809020351/http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20140808-OHT1T50115.html|archivedate=2014-08-09}}</ref>』がある。{{-}} == 運営法人 == {{基礎情報 会社 |社名=東京フットボールクラブ株式会社{{R|jleague}} |英文社名=TOKYO FOOTBALL CLUB Co.,Ltd.<ref>[http://www.jleague.jp/en/aboutJ/aboutj/soshiki.html About J.League]{{en icon}}Jリーグ公式サイト</ref> |ロゴ= |種類=[[株式会社 (日本)|株式会社]] |市場情報= |略称= |国籍={{JPN}} |本社郵便番号=182-0034{{R|jleague}} |本社所在地=[[東京都]][[調布市]]下石原1丁目2−3 TSOビル |本社緯度度 = 35|本社緯度分 = 39|本社緯度秒 = 27.8|本社N(北緯)及びS(南緯) = N |本社経度度 = 139|本社経度分 = 32|本社経度秒 = 2.1|本社E(東経)及びW(西経) = E |座標右上表示 = Yes |本社地図国コード = JP |本店郵便番号 = 135-0003 |本店所在地 = [[東京都]][[江東区]][[猿江]]2丁目15-10 |本店緯度度 = 35|本店緯度分 = 41|本店緯度秒 = 9.3|本店N(北緯)及びS(南緯) = N |本店経度度 = 139|本店経度分 = 49|本店経度秒 = 3.2|本店E(東経)及びW(西経) = E |本店地図国コード = JP |設立=[[1998年]][[10月1日]] |業種=9050 |統一金融機関コード= |SWIFTコード= |事業内容=サッカークラブの運営 |代表者=川岸滋也([[代表取締役]][[社長]]){{R|jleague}} |資本金=1,762,000,000円 |発行済株式総数= |売上高 = 52億7449万1000円<br>(2023年1月期)<ref name="fy">[https://catr.jp/settlements/97936/297400 東京フットボールクラブ株式会社 第25期決算公告]</ref> |営業利益 = ▲8744万2000円<br>(2023年1月期)<ref name="fy" /> |経常利益 = ▲6329万4000円<br>(2023年1月期)<ref name="fy" /> |純利益 = ▲1億8177万6000円<br>(2023年1月期)<ref name="fy" /> |純資産 = 24億3900万4000円<br>(2023年1月期)<ref name="fy" /> |総資産 = 30億7250万3000円<br>(2023年1月期)<ref name="fy" /> |従業員数=49人<ref>[http://www.b-mall.ne.jp/CompanyDetail-JYbqCQctESey.aspx 企業概要 東京フットボールクラブ 株式会社] ザ・ビジネスモール (2014年5月19日)</ref> |決算期=毎年1月31日 |主要株主= *[[MIXI]] 51.3% |主要子会社= |関係する人物=[[鳥原光憲]] |外部リンク={{Official URL}} |特記事項= }} 1998年10月1日、[[東京ガス]]など161団体が出資した<ref>{{Cite book|和書|title=[[サッカー批評|サッカー批評ISSUE55]]|page=69|publisher=[[双葉社]]|year=2012|isbn=978-4575452754}}</ref> 運営法人『'''東京フットボールクラブ株式会社'''』を設立{{R|jleague}}<ref name="fb2010">{{Cite book|和書|title=FC東京ファンブック2010|pages=120-121|year=2010|publisher=[[朝日新聞出版|アサヒオリジナル]]}}</ref>。 FC東京の運営法人については、東京に関わりを持つできるだけ多くの企業・自治体の共同出資とし、特定の企業の影響を受けない独立性の有るものとするという方針が採られた。1997年に東京ガスサッカー部部長[[鳥原光憲]]及びその上司で[[ジャパンフットボールリーグ|JFL]]評議会会長の[[上原英治]]が方針を固め、東京ガス上層部の了承を得てのものであった<ref>{{Cite book|和書|title=FC東京の挑戦|author=荒川裕治|authorlink=荒川裕治|pages=87-88|year=2001|publisher=[[小学館]]}}</ref>。 上記経緯から、設立当初から東京ガスとは[[子会社|親子会社]]の関係に無く{{R|nikkei2000}}<ref>{{Cite book|和書|title=[[フットボールサミット]]第35回|page=180|year=2016|publisher=[[カンゼン]]}}</ref>、他の主要株主も持株比率は5%程度に留まっている<ref>[http://sports.sohu.com/20100212/n270227951.shtml J联赛豪门运作深度报告 中超可借鉴其成功经验] [[捜狐]] (2010年2月12日){{Zh icon}}</ref>。 歴代の代表取締役社長にはいずれも東京ガス出身者が就いており、役員の多数は主要株主からの[[人事|出向]]である。 2021年11月22日、[[ミクシィ|ミクシィ(現・MIXI)]]が東京フットボールクラブ株式会社に第三者割当増資にて発行する株式を引受け、子会社化した。第三者割当増資後のミクシィ(現・MIXI)の所有株式数は24,000株(議決権所有割合51.3%)となる<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.fctokyo.co.jp/news/13052|title=株式会社ミクシィによる第三者割当増資引受に関するお知らせ|publisher=FC東京|date=2021-11-22|accessdate=2021-12-11}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://mixi.co.jp/press/2021/1122/4079/index.html|title=FC東京を運営する東京フットボールクラブ株式会社の第三者割当増資引受(子会社化)に関するお知らせ|publisher=株式会社ミクシィ|date=2021-11-22|accessdate=2021-12-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211202064454/https://mixi.co.jp/press/2021/1122/4079/index.html|archivedate=2021-12-02}}</ref>。 {{Main2|歴代の役員|:Category:FC東京の役員}} 役員出向元 (太字は現任) *'''MIXI''' *'''[[清水建設]]''' *'''東京ガス''' *'''[[東京商工会議所]]''' *'''[[東京メトロポリタンテレビジョン]]''' *'''[[三井物産]]''' *'''[[三菱商事]]''' *'''[[きらぼし銀行]]''' *[[富士銀行]] / みずほコーポレート銀行 / '''[[みずほ銀行]]''' *[[東京電力]] / [[東京電力ホールディングス]] *日石三菱 / 新日本石油 / JX日鉱日石エネルギー / JXエネルギー / JXTGエネルギー / [[ENEOS]] *[[カルチュア・コンビニエンス・クラブ]] *[[テレビ東京]] *[[エーエム・ピーエム・ジャパン]] / [[ファミリーマート]] {{Main2|https://www.fctokyo.co.jp/club/company/ }} === 出資者 === {{Location map many|Japan_Tokyo|width=330|float=right|border=#3333CC|caption=1.三鷹市、2.府中市、3.調布市、<br />4.小平市、5.西東京市、6.小金井市 |label1={{Smaller|1}}|mark1=Red-blue pog.svg|position1=right|background1=#FF9|lat1_deg=35|lat1_min=41|lat1_sec=0.65|lon1_deg=139|lon1_min=33|lon1_sec34.5 |label2={{Smaller|2}}|mark2=Red-blue pog.svg|position2=bottom|background2=#FF9|lat3_deg=35|lat2_min=40|lat2_sec=8.3|lon2_deg=139|lon2_min=28|lon2_sec=39.58 |label3={{Smaller|3}}|mark3=Red-blue pog.svg|position3=bottom|background3=#FF9|lat2_deg=35|lat3_min=39|lat3_sec=2.21|lon3_deg=139|lon3_min=32|lon3_sec=26.5 |label4={{Smaller|4}}|mark4=Red-blue pog.svg|position4=top|background4=#FF9|lat4_deg=35|lat4_min=43|lat4_sec=42.88|lon4_deg=139|lon4_min=28|lon4_sec=38.84 |label5={{Smaller|5}}|mark5=Red-blue pog.svg|position5=top|background5=#FF9|lat5_deg=35|lat5_min=43|lat5_sec=32.12|lon5_deg=139|lon5_min=32|lon5_sec=17.74 |label6={{Smaller|6}}|mark6=Red-blue pog.svg|position6=top|background6=#FF9|lat6_deg=35|lat6_min=41|lat6_sec=58.1|lon6_deg=139|lon6_min=30|lon6_sec=10.77 }} ;株主{{Anchors|Kabunushi}} :設立時の161団体から増大を続け、2022年10月現在362団体。 :筆頭株主がMixiに代わってからも、東京ガスの関連企業が多く、[[市町村|区市町村]]からは1999年より[[三鷹市]]<ref>[https://www.city.mitaka.lg.jp/c_service/046/attached/attach_46609_11.pdf#page=20 平成24年度 財務諸表] 三鷹市</ref>、[[府中市 (東京都)|府中市]]<ref>{{Cite web|url=http://www.city.fuchu.tokyo.jp/gyosei/kansa/hokokusho.files/H25_kessan.pdf#page=50|format=PDF|title=各会計歳入歳出決算 及び 基金の運用状況審査意見書|publisher=府中市|date=2014-08-13|accessdate=2023-11-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150402090013/http://www.city.fuchu.tokyo.jp/gyosei/kansa/hokokusho.files/H25_kessan.pdf#page=50|archivedate=2015-04-02}}</ref>、[[調布市]]が<ref>[http://www.city.chofu.tokyo.jp/www/contents/1401355530477/files/zaimusyohyo.pdf#page=16 平成24年度 財務諸表] 調布市</ref>、2002年より[[小平市]]<ref name="kodaira-kessan">{{Cite web|url=http://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/039/attached/attach_39977_3.pdf#page=2|format=PDF|title=平成25年度小平市各会計決算及び基金の運用状況審査意見書3|publisher=小平市|accessdate=2023-11-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150402100942/http://www.city.kodaira.tokyo.jp/kurashi/039/attached/attach_39977_3.pdf#page=2|archivedate=2015-04-02}}</ref>、[[西東京市]]が、2004年より[[小金井市]]<ref>{{Cite web|url=http://www.city.koganei.lg.jp/kakuka/kikakuzaiseibu/zaiseika/zigyou/zaiseikohyo.files/25shimokizaiseikouhyou.pdf#page=14|format=PDF|title=平成25年度財政状況|publisher=小金井市|date=2014-03-31|accessdate=2023-11-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150402155347/http://www.city.koganei.lg.jp/kakuka/kikakuzaiseibu/zaiseika/zigyou/zaiseikohyo.files/25shimokizaiseikouhyou.pdf#page=14|archivedate=2015-04-02}}</ref> が名を連ね<!--(掲載順)-->、それぞれ100万円を[[出資]](20株保有{{R|kodaira-kessan}})している。''詳細は「[https://www.fctokyo.co.jp/club/shareholders/ 株主一覧]」を参照'' ;スポンサー ''詳細は「[https://www.fctokyo.co.jp/club/sponsor/ クラブスポンサー]」を参照'' ===経営情報=== クラブは2016年発表の「2020VISION{{R|2020vis}}」において、営業収入の数値目標として50億円を掲げている。 ==== 損益 ==== {| class="wikitable" |- !年度 !!{{abbr|収入|営業収入}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!事業費 !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|管理費|一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2005 ||style="background-color:wheat" |3,168 ||1,186 ||797 ||402 ||783 ||style="background-color:wheat" |3,054 ||2,387 ||N.A. ||667 ||style="background-color:wheat" |114 ||style="background-color:wheat" |9 |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||style="background-color:wheat" |3,299 ||1,217 ||747 ||274 ||1,061 ||style="background-color:wheat" |3,355 ||2,605 ||1,612 ||750 ||style="background-color:wheat" |-56 ||style="background-color:wheat" |-67 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||style="background-color:wheat" |3,347 ||1,243 ||778 ||278 ||1,048 ||style="background-color:wheat" |3,581 ||2,756 ||1,680 ||825 ||style="background-color:wheat" |-234 ||style="background-color:wheat" |-236 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||style="background-color:wheat" |3,433 ||1,251 ||765 ||276 ||1,141 ||style="background-color:wheat" |3,562 ||2,703 ||1,570 ||859 ||style="background-color:wheat" |-129 ||style="background-color:wheat" |-125 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||style="background-color:wheat" |3,763 ||1,357 ||828 ||375 ||1,203 ||style="background-color:wheat" |3,731 ||2,939 ||1,768 ||792 ||style="background-color:wheat" |32 ||style="background-color:wheat" |20 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||style="background-color:wheat" |3,671 ||1,372 ||779 ||284 ||1,236 ||style="background-color:wheat" |3,274 ||2,437 ||1,370 ||837 ||style="background-color:wheat" |397 ||style="background-color:wheat" |361 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 * 人件費は事業費に含まれる。 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010] </div> {| class="wikitable" |- !年度 !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||style="background-color:wheat" |3,334 ||1,336 ||551 ||110 ||355 ||982 ||style="background-color:wheat" |3,063 ||1,427 ||305 ||198 ||239 ||0 ||894 ||style="background-color:wheat" |271 ||style="background-color:wheat" |139 |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||style="background-color:wheat" |3,865 ||1,385 ||817 ||227 ||419 ||1,917 ||style="background-color:wheat" |3,622 ||1,574 ||427 ||337 ||245 ||0 ||1,039 ||style="background-color:wheat" |243 ||style="background-color:wheat" |145 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||style="background-color:wheat" |3,545 ||1,422 ||788 ||206 ||422 ||707 ||style="background-color:wheat" |3,482 ||1,637 ||373 ||284 ||255 ||0 ||933 ||style="background-color:wheat" |63 ||style="background-color:wheat" |67 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||style="background-color:wheat" |3,859 ||1,665 ||857 ||205 ||424 ||708 ||style="background-color:wheat" |3,822 ||1,709 ||405 ||376 ||263 ||0 ||1,070 ||style="background-color:wheat" |37 ||style="background-color:wheat" |4 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||style="background-color:wheat" |4,678 ||1,710 ||966 ||235 ||457 ||1,310 ||style="background-color:wheat" |3,993 ||1,641 ||385 ||429 ||350 ||0 ||1,188 ||style="background-color:wheat" |685 ||style="background-color:wheat" |376 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015] </div> {| class="wikitable" |- !年度 !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!物販 !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!物販 !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2016 ||style="background-color:wheat" |4,541 ||1,935 ||961 ||245 ||444 ||289 ||667 ||style="background-color:wheat" |4,447 ||2,025 ||482 ||472 ||258 ||0 ||240 ||970 ||style="background-color:wheat" |94 ||style="background-color:wheat" |83 |- |style="font-weight:bold;" |2017 ||style="background-color:wheat" |4,588 ||1,717 ||1,026 ||483 ||446 ||282 ||634 || style="background-color:wheat" |4,401 ||2,010 ||468 ||389 ||295 ||0 ||238 ||1,001 || style="background-color:wheat" |187 || style="background-color:wheat" |114 |- |style="font-weight:bold;" |2018 || style="background-color:wheat" |4,844 ||1,988 ||947 ||382 ||420 ||287 ||820 || style="background-color:wheat" |4,619 ||2,133 ||455 ||391 ||303 ||0 ||287 ||1,050 || style="background-color:wheat" | 225|| style="background-color:wheat" |134 |- |style="font-weight:bold;" |2019 || style="background-color:wheat" |5,635 ||2,419 ||1,104 ||406 ||418 ||297 ||991 || style="background-color:wheat" |5,552 ||2,736 ||492 ||501 ||259 ||0 ||247 ||1,317 || style="background-color:wheat" | 83|| style="background-color:wheat" |50 |- |style="font-weight:bold;" |2020 || style="background-color:wheat" |4,588 ||2,284 ||314 ||639 ||293 ||371 ||687 || style="background-color:wheat" |5,007 ||3,034 ||258 ||332 ||149 ||0 ||291 ||943 || style="background-color:wheat" | -419|| style="background-color:wheat" |-325 |- |style="font-weight:bold;" |2021 || style="background-color:wheat" |4,772 ||2,497 ||511 ||664 ||375 ||442 ||283 || style="background-color:wheat" |4,998 ||2,712 ||275 ||336 ||206 ||0 ||325 ||1,144 || style="background-color:wheat" | -226|| style="background-color:wheat" |-485 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017] [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdf 2018] [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-h31kaiji_1_20200731.pdf 2019] [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r2kaiji_1_20210729.pdf 2020] [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20220728.pdf 2021] </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円) |legend=凡例 |type=line |showSymbols=yes |colors=#0000aa, #00aa00, #ff8000 |y1Title=営業収益 |y2Title=営業費用 |y3Title=選手・チームスタッフ人件費 |x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020, 2021 |y1=3168, 3299, 3347, 3433, 3763, 3671, 3334, 3865, 3545, 3859, 4678, 4541, 4588, 4844, 5635, 4588, 4772 |y2=3054, 3355, 3581, 3562, 3731, 3274, 3063, 3622, 3482, 3822, 3993, 4447, 4401, 4619, 5552, 5007, 4998 |y3= , 1612, 1680, 1570, 1768, 1370, 1427, 1574, 1637, 1709, 1641, 2025, 2010, 2133, 2736, 3034, 2712 |yAxisMin=0 }} ==== 資産 ==== {| class="wikitable" |- !年度 !!総資産 !!総負債 !!純資産 !!資本金 |- |style="font-weight:bold;" |2005 ||982 ||190 ||792 ||783 |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||883 ||134 ||748 ||807 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||703 ||182 ||520 ||815 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||833 ||389 ||444 ||863 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||951 ||347 ||604 ||1,003 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||1,349 ||382 ||967 ||1,005 |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||1,698 ||535 ||1,163 ||1,062 |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||1,870 ||541 ||1,329 ||1,064 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||1,957 ||560 ||1,397 ||1,065 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||1,807 ||379 ||1,428 ||1,092 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||2,511 ||706 ||1,805 ||1,092 |- |style="font-weight:bold;" |2016 ||2,310 ||377 ||1,933 ||1,137 |- |style="font-weight:bold;" |2017 ||2,688 ||641 ||2,047 ||1,137 |- |style="font-weight:bold;" |2018 ||2,609 ||378 ||2,231 ||1,187 |- |style="font-weight:bold;" |2019 ||2,735 ||454 ||2,281 ||1,187 |- |style="font-weight:bold;" |2020 ||2,361 ||405 ||1,956 ||1,187 |- |style="font-weight:bold;" |2021 ||1,930 ||460 ||1,471 ||1,187 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdf 2018]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-h31kaiji_1_20200731.pdf 2019]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r2kaiji_1_20210729.pdf 2020]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20220728.pdf 2021] 金額の単位: 百万円 </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円)|legend=凡例 |type=area |colors=#0000aa,#ff8000 |y1Title=総資産 |y2Title=純資産 |x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020, 2021 |y1=982, 883, 703, 833, 951, 1349, 1698, 1870, 1957, 1807, 2511, 2310, 2688, 2609, 2735, 2361, 1930 |y2=792, 748, 520, 444, 604, 967, 1163, 1329, 1397, 1428, 1805, 1933, 2047, 2231, 2281, 1956, 1471 |showSymbols=yes |yAxisMin=0 }} == 歴史 == === 前史 === {{main|東京ガスサッカー部}} [[1935年]]に結成された「'''東京ガスサッカー部'''」が前身であり{{R|jleague}}、[[1991年-1992年のJSL|1991年]]に[[日本サッカーリーグ]]2部へ昇格{{R|jleague}}。[[第1回ジャパンフットボールリーグ|1992年]]から[[ジャパンフットボールリーグ]]へ参加{{R|jleague}}。 [[1997年]]に『'''東京ガスフットボールクラブ'''』へ改称し、Jリーグへの参加を表明。[[1998年]]には翌シーズンよりクラブ名称を『'''FC東京'''』とする改称及び東京都をホームタウンとしてプロクラブ化し、1999年からのJリーグ加盟と[[J2リーグ|Jリーグ ディビジョン2]](J2)参加が決まった{{R|jleague}}。 === 1999年(J2) === {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|''' 1999 J2最終節 新潟戦 布陣}}}} {{Image label|x=0.42|y=0.28|scale=200|text=[[ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''アマラオ'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.44|scale=200|text=[[加賀見健介|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''加賀見健介'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.56|scale=200|text=[[奥原崇|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''奥原崇'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.67|y=0.56|scale=200|text=[[佐藤由紀彦|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''佐藤由紀彦'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.72|scale=200|text=[[アウミール・モラエス・アンドレーデ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''アウミール'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.6|y=0.72|scale=200|text=[[浅利悟|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''浅利悟'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.87|scale=200|text=[[藤山竜仁|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''藤山竜仁'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.22|y=1.02|scale=200|text=[[小峯隆幸|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''小峯隆幸'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=1.02|scale=200|text=[[サンドロ・チャベス・デ・アシス・ロサ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''サンドロ'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.78|y=0.87|scale=200|text=[[梅山修|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''梅山修'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.4|y=1.17|scale=200|text=[[鈴木敬之|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''鈴木敬之'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=1.37|scale=200|text=[[大熊清|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''大熊清'''}}</span>]]}} </div> |} 1999年、東京都を本拠地とする初めてのチームとしてJリーグ加盟。プロ契約を結ばない東京ガス時代からの選手が多数を占める中<ref>{{Wayback|date=20000115223626|url=http://www3.yomiuri.co.jp/hochi/soccer/may/s19990505_60.htm|title=FC東京4連勝で奪首}}[[スポーツ報知]] (1999年5月5日)</ref>、堅実な戦いで<ref name="fb2002">{{Cite book|和書|title=FC東京ファンブック2002|pages=106-107|year=2002|publisher=[[毎日新聞社]]}}</ref> シーズン中盤まで2位以内をキープ。第27節[[ベガルタ仙台|仙台]]戦でFW[[ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ|アマラオ]]がクラブ初の[[ハットトリック]]を達成。しかし、ナビスコカップを勝ち上がったことによる過密日程や{{R|fb2002}}アマラオの負傷欠場によって<ref name="best10">{{Cite book|和書|title=サポーターが選んだFC東京 名勝負BEST10|pages=62-74|year=2012|publisher=[[コスミック出版]]}}</ref>、終盤には4連敗を喫してJ1昇格圏外へ追い込まれた。最終節で[[大分トリニータ|大分]]をかわして2位に入り([[1999年J2最終節]]参照)、[[J1リーグ|Jリーグ ディビジョン1]](J1)昇格を果たした。 [[1999年のJリーグカップ|Jリーグヤマザキナビスコカップ]]では、[[ヴィッセル神戸|神戸]]、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|市原]]、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]のJ1チームを下してベスト4に進出、MF[[佐藤由紀彦]]が[[Jリーグカップ#ニューヒーロー賞|ニューヒーロー賞]]に選出された{{R|fs11}}。 === 2000年 - 2010年(J1) === ==== 2000年 ==== [[2000年のJリーグ|2000年]]は「東京」を名前に持つクラブとして初のJ1進出。10名の[[社員選手]]を有するなど、他のJ1クラブに比べ予算・戦力共に小規模ながら<ref name="nikkei2000">{{Wayback|date=20000611225330|url=http://www.nikkei.co.jp/topic2/wcup98/rensai/20000124eimi137424.html|title=昇格・降格4クラブ (上)}} [[日本経済新聞]] (2000年1月25日)</ref> 開幕5節で4勝1敗の成績で首位に立つなど旋風を起こし{{R|fb2002|best10}}、年間総合順位は7位。新加入のGK[[土肥洋一]]が好守を見せ{{R|best10}}、以後[[#2006年|2006年]]に至るまでリーグ戦216試合連続フル出場というJリーグ記録を残した{{R|fb2010}}。 攻撃ではFW[[ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ|アマラオ]]と、[[川崎フロンターレ|川崎F]]から期限付き移籍で加入した[[リボニール・ルッシェル|ツゥット]]のコンビが得点を量産{{R|fb2002|best10}}。ツゥットはリーグ2位となる17得点を挙げて、クラブ初の[[Jリーグベストイレブン]]にも選ばれた{{R|best10}}。なお、ツゥットはシーズン終了後に[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]へ完全移籍した。 [[第80回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は初戦でJ2[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]に敗退。 ==== 2001年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|'''2001 J1 1st第1節<br />「東京ダービー」布陣'''}}</span>}} {{Image label|x=0.45|y=0.29|scale=200|text=[[呂比須ワグナー|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''呂比須ワグナー'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.23|y=0.39|scale=200|text=[[ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''アマラオ'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.52|scale=200|text=[[小林成光|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''小林成光'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.67|y=0.52|scale=200|text=[[佐藤由紀彦|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''佐藤由紀彦'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.69|scale=200|text=[[三浦文丈|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''三浦文丈'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.6|y=0.69|scale=200|text=[[浅利悟|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''浅利悟'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.85|scale=200|text=[[藤山竜仁|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''藤山竜仁'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.22|y=1.01|scale=200|text=[[伊藤哲也|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''伊藤哲也'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=1.01|scale=200|text=[[サンドロ・チャベス・デ・アシス・ロサ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''サンドロ'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.71|y=0.85|scale=200|text=[[内藤就行|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''内藤就行'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.17|scale=200|text=[[土肥洋一|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''土肥洋一'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=1.37|scale=200|text=[[大熊清|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''大熊清'''}}</span>]]}} </div> |} [[2001年のJリーグ|2001年]]に収容人員49,000人の新本拠地・[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東京スタジアム(現:味の素スタジアム)]]が完成・使用開始となった<ref name="fs11">{{Cite book|和書|title=フットボールサミット第11回|pages=7-11|year=2013|publisher=[[カンゼン]]}}</ref> 事により観客動員数が飛躍的に増加{{R|best10}}。スタジアムの[[こけら落し]]となった開幕戦では、川崎市から移転し呼称変更した[[東京ヴェルディ1969|東京V]]との初の[[東京ダービー (サッカー)|東京ダービー]]となり、新加入の元日本代表FW[[呂比須ワグナー]]の[[ゴールデンゴール|Vゴール]]で制した{{R|fb2002}}。 呂比須は4月4日の[[2001年のJリーグカップ|ナビスコカップ]][[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]戦で[[ハットトリック]]を挙げるなど序盤こそ活躍したものの、[[ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ|アマラオ]]とプレースタイルが重複することなどから徐々に出場機会が減り{{R|best10}}、チーム加入後わずか半年で[[アビスパ福岡|福岡]]へ完全移籍。しかし、その頃には開幕直前に急遽獲得した[[ブラジル人]]MF[[クレズリー・エバンドロ・ギマラエンス|ケリー]]がチームにフィットし、司令塔として攻撃陣を掌握{{R|fb2002}}。以後4年間攻撃の核として活躍した。 [[第81回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]初戦で[[横浜FC]]に破れ、2年連続でJ2勢に初戦敗退を喫した。この試合を最後に、東京ガス時代以来7年間指揮を執った[[大熊清]]が[[監督]]を退任{{R|fb2002|best10|fs11}}。 ==== 2002年 ==== [[2002年のJリーグ|2002年]]、監督に[[原博実]]を迎えて攻撃サッカーを指向した強化を進め{{R|best10}}、開幕戦では前年優勝の[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から4点を奪い圧勝{{R|best10}}。しかしこの試合でMVP級の活躍を見せた[[小林成光]]は交通事故で、攻守の起点となった[[三浦文丈]]は第2節[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦で負傷し、共に長期離脱を強いられた{{R|best10}}。 一方、この年に移籍加入した選手達が5月以降レギュラーに成長。DF[[加地亮]]とMF[[石川直宏]]が右サイドでの攻撃を活性化させ、DF[[茂庭照幸]]も新加入のブラジル人CB[[ジャーン・カルロ・ウィッテ|ジャーン]]とのコンビで堅守を築いた{{R|best10}}。また、入団2年目のMF[[宮沢正史]]もプレースキッカーとして能力を発揮し、ボランチのレギュラーを掴んだ{{R|best10}}。シーズン終了後、[[佐藤由紀彦]]が[[横浜F・マリノス|横浜FM]]へ期限付き移籍で退団した(その後完全移籍)。 また、この年[[尾亦弘友希]]・[[馬場憂太]]がチーム初のアカデミーからのトップチーム昇格を果たし{{R|fs11|fb2010}}、FC東京U-18所属の[[呉章銀]]がこれも初となる2種登録選手でJリーグデビューし{{R|best10}}、当時のJ1最年少記録となる16歳8ヶ月20日でJ1初出場を果たした。 ==== 2003年 ==== チームスローガン:'''90分間、攻撃サッカー。''' [[2003年のJリーグ|2003年]]は、原体制2年目。DF[[金沢浄]]が加入し、リーグ最小失点を記録。1st、2ndステージ共に優勝戦線に絡み{{R|best10}}、年間順位4位の成績。また、シーズン初戦だった[[3月8日]]の[[2003年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]・横浜FM戦([[横浜国際総合競技場]])で、FC東京U-18所属の高校生だった[[梶山陽平]]がトップチームでの公式戦に初出場した{{R|fs11|best10}}。一方で、[[第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]を最後に、旧JFL時代からチームを牽引し『KING OF TOKYO』として親しまれたFW[[ワグネル・ペレイラ・カルドーゾ|アマラオ]]が[[湘南ベルマーレ|湘南]]へ移籍した。 8月にはスペイン・[[レアル・マドリード]]とクラブ史上初の国際親善試合を開催{{R|fb2010}}。 {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|''' 2004ナビスコカップ決勝 布陣'''}}</span>}} {{Image label|x=0.41|y=0.29|scale=200|text=[[ルーカス・セベリーノ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''ルーカス'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.44|y=0.47|scale=200|text=[[クレズリー・エバンドロ・ギマラエンス|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''ケリー'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.47|scale=200|text=[[戸田光洋|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''戸田光洋'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.7|y=0.47|scale=200|text=[[石川直宏|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''石川直宏'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.66|scale=200|text=[[今野泰幸|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''今野泰幸'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.66|scale=200|text=[[三浦文丈|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''三浦文丈'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.83|scale=200|text=[[金沢浄|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''金沢浄'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.22|y=1|scale=200|text=[[茂庭照幸|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''茂庭照幸'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=1|scale=200|text=[[ジャーン・カルロ・ウィッテ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''ジャーン'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.78|y=0.83|scale=200|text=[[加地亮|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''加地亮'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.17|scale=200|text=[[土肥洋一|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''土肥洋一'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=1.37|scale=200|text=[[原博実|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''原博実'''}}</span>]]}} </div> |} また、[[加地亮]]・[[茂庭照幸]]がクラブ所属選手初の日本代表として出場した{{R|fb2010}}。 ==== 2004年 ==== チームスローガン:'''攻激、攻劇、攻撃サッカー。''' 原体制3年目。アマラオに代わって{{R|best10}}FW[[ルーカス・セベリーノ|ルーカス]]を獲得。また、MF[[今野泰幸]]が[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]から加入し、ユースからは[[李忠成]]、[[梶山陽平]]、[[呉章銀]]が昇格{{R|fs11}}。 8月にはスペイン遠征を行い、[[デポルティーボ・ラ・コルーニャ]]の恒例プレシーズンマッチ、{{仮リンク|トロフェオ・ファンアクーニャ|gl|Trofeo_Juan_Acuña}}に招かれ、これを制し{{R|fs11}}、帆船型のトロフィーを獲得。 リーグ戦は年間8位の成績。[[2004年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]では、日本代表およびU-23日本代表によって複数の主力を欠く中{{R|best10}}決勝進出。同カップで初めてベストメンバーを揃えて臨んだ{{R|best10}}決勝戦では[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]を延長・PK戦の末に破り、初優勝を果たし、Jリーグ加盟後初の公式タイトルを獲得した{{R|fb2010}}。 ==== 2005年 ==== チームスローガン:'''攻めて取る。攻めて獲る。''' 原体制4年目。[[クレズリー・エバンドロ・ギマラエンス|ケリー]]が退団したが、若手へシフトする意味で大きな補強はしなかった。 {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|''' 2005 J1最終節 C大阪戦 布陣}}</span>}} {{Image label|x=0.39|y=0.31|scale=200|text=[[阿部吉朗|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''阿部吉朗'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.48|scale=200|text=[[栗澤僚一|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''栗澤僚一'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.48|scale=200|text=[[鈴木規郎|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''鈴木規郎'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.7|y=0.48|scale=200|text=[[戸田光洋|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''戸田光洋'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.66|scale=200|text=[[今野泰幸|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''今野泰幸'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.6|y=0.66|scale=200|text=[[梶山陽平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''梶山陽平'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.83|scale=200|text=[[金沢浄|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''金沢浄'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.22|y=1|scale=200|text=[[茂庭照幸|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''茂庭照幸'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=1|scale=200|text=[[ジャーン・カルロ・ウィッテ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''ジャーン'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.71|y=0.83|scale=200|text=[[藤山竜仁|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''藤山竜仁'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.17|scale=200|text=[[土肥洋一|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''土肥洋一'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=1.37|scale=200|text=[[原博実|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''原博実'''}}</span>]]}} </div> |} 開幕直後はそれまで苦手とした[[ジュビロ磐田|磐田]]に勝利し首位に立つなどしたが、それ以後は4-3-3の新布陣や新加入MF[[ダニーロ・グスターボ・ヴェルグネ・ゴメス|ダニーロ]]の不発{{R|best10}}などでチームワーストの6連敗を喫し、優勝戦線から早々に脱落。5月には原の監督解任が現実味を帯びた時期もあり、9月の[[横浜F・マリノス|横浜FM]]戦([[横浜国際総合競技場|日産スタジアム]])で[[石川直宏]]の負傷退場(膝靭帯完全断裂により復帰まで約8か月を要した){{R|best10}}、直後の[[ルーカス・セベリーノ|ルーカス]]の意識不明・救急車搬送による試合終了等もあった{{R|best10}}。終盤戦は12試合負けなしの成績も残して、年間順位は10位。最終節(右図)では[[セレッソ大阪|C大阪]]の優勝を阻止した{{R|best10}}。シーズン終了後に、原が監督を退任。また、[[加地亮]]が[[ガンバ大阪|G大阪]]へ移籍した。 なお、この年は[[7月9日]]の東京ダービー(東京V戦、FC東京主催試合)の試合前、FC東京サポーターによる傷害事件が発生した(FC東京側のサポーター約200名が[[コンコース]]にて東京Vサポーターに向け挑発行為に及んだ際、FC東京サポーター1名が場内に設置されていた灰皿のフタを東京V側の群衆に投げつけて、東京Vのクラブ職員、警官、一般人を負傷させ[[傷害罪]]で逮捕)。この試合の管理責任者として、FC東京にはJリーグから1000万円の罰金が科せられた。 ==== 2006年 ==== チームスローガン:'''[[:wikt:pt:ousadia|Ousadia]] 〜信頼・勇気・挑戦〜''' [[ファイル:Saitama Stadium 1.jpg|thumb|left|250px|[[埼玉スタジアム2002]]で行われた浦和戦]] クラブ初の外国籍監督となるブラジル人・[[アレッシャンドレ・タデウ・ガーロ|ガーロ]]が監督就任。速攻主体のチームを、[[ポゼッションフットボール|ボールの保持(ボールポゼッション)を主体とするパスサッカー]]への転換を図ったが{{R|best10}}、3バックの採用や「マンマークを徹底する」守備を基本とし、短いパスで攻撃を構築しようとする戦術はなかなか奏功せず、[[4月15日]]の第8節[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]戦では前半に完全にゲームを支配され後半9分までに3失点を喫し惨敗。ブラジルと比較すると緩急が少なく、運動量とスピードでの攻めの多いJリーグでの相手攻撃を防ぐのに苦戦した。 {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|'''2006 J1第18節-第20節 布陣'''}}</span>}} {{Image label|x=0.23|y=0.31|scale=200|text=[[ルーカス・セベリーノ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''ルーカス'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.31|scale=200|text=[[赤嶺真吾|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''赤嶺真吾'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.1|y=0.48|scale=200|text=[[川口信男|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''川口信男'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.48|scale=200|text=[[石川直宏|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''石川直宏'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.66|scale=200|text=[[梶山陽平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''梶山陽平'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.66|scale=200|text=[[浅利悟|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''浅利悟'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.83|scale=200|text=[[藤山竜仁|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''藤山竜仁'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=1|scale=200|text=[[茂庭照幸|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''茂庭照幸'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=1|scale=200|text=[[ジャーン・カルロ・ウィッテ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''ジャーン'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.71|y=0.83|scale=200|text=[[徳永悠平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''徳永悠平'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.17|scale=200|text=[[土肥洋一|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''土肥洋一'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.56|y=1.37|scale=200|text=[[倉又寿雄|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''倉又寿雄'''}}</span>]]}} </div> |} 加えて、怪我人も多発し戦術の刷り合わせも図れなくなり、[[2006年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]では2分4敗の予選リーグ最下位で敗退。更にガーロの要望で獲得したブラジル人FW[[ワシントン・ルイス・マスカレニャス・シルバ|ワシントン]]も、投入された試合ですぐさま退場処分を受けるなど不発。[[7月22日]]の[[鹿島アントラーズ|鹿島]]戦で4失点を喫し敗れると(2 - 4)、[[7月29日|29日]]の[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]戦(0-2)、[[8月5日]]のプレシーズンマッチ・[[FCソウル]]戦(0-3)、[[8月12日|12日]]の[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦(0 - 4)と連敗し、[[8月15日]]にクラブ初となるシーズン途中での監督解任が発表された。 後任監督には1995年から[[大熊清|大熊]]や[[原博実|原]]の下で長くヘッドコーチを務め、この年からFC東京U-18の監督となっていた[[倉又寿雄]]が就任。第18節千葉戦から指揮を執り、布陣を4バックに戻すなど修正を施しリーグ戦を13位で終えた。 シーズン終了と共に倉又が監督を退任(U-18監督へと復帰)。[[12月5日]]に原が監督に再任された。また、この年限りで[[ジャーン・カルロ・ウィッテ|ジャーン]]([[湘南ベルマーレ|湘南]]へ移籍)、[[三浦文丈]](引退)、[[宮沢正史]]([[大分トリニータ|大分]]へ移籍)、[[戸田光洋]]([[清水エスパルス|清水]]へ移籍)などが退団。 [[2006 FIFAワールドカップ日本代表]]に[[土肥洋一]]と[[茂庭照幸]]の2人がクラブとして初めて選出され{{R|fs11}}、茂庭は[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア代表]]戦に出場。クラブ初のW杯出場選手となった。 ==== 2007年 ==== {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small; float:right;" |+ 開幕戦結果 |- !年!!会場!!スコア!!相手!!!!年!!会場!!スコア!!相手 |- |1997||[[駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場|駒沢陸]]||1-0||[[福島FC]]||rowspan="6"| ||[[#2003年|2003]]||[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味スタ]]||2-1||[[柏レイソル|柏]] |- |1998||駒沢陸||3-0||[[国士舘大学サッカー部|国士大]]||[[#2004年|2004]]||味スタ||1-0||[[アルビレックス新潟|新潟]] |- |[[#1999年(J2)|1999]]||[[国立西が丘サッカー場|西が丘]]||2-0||[[サガン鳥栖|鳥栖]]||[[#2005年|2005]]||味スタ||4-0||新潟 |- |[[#2000年|2000]]||[[横浜国際総合競技場|横浜国]]||1-0||[[横浜F・マリノス|横浜FM]]||[[#2006年|2006]]||味スタ||2-0||[[大分トリニータ|大分]] |- |[[#2001年|2001]]||[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東スタ]]||2-1||[[東京ヴェルディ1969|東京V]]||2007||味スタ||2-4||[[サンフレッチェ広島F.C|広島]] |- |[[#2002年|2002]]||東スタ||4-2||[[鹿島アントラーズ|鹿島]] |} チームスローガン:'''It's Our Time 〜青き疾風、赤い怒涛〜''' [[2007年のJリーグ|2007年]]は再び原体制となり、[[サッカーコスタリカ代表|コスタリカ代表]]FWの[[パウロ・ワンチョペ]]、[[ジュビロ磐田|磐田]]から元日本代表MF[[福西崇史]]、ブラジル人DF[[エバウド・シルバ・ドス・サントス|エバウド]]を獲得した。 しかし、ワンチョペの動きには一向にキレが戻らず、エバウドと[[茂庭照幸]]の両センターバックも負傷により低調で{{R|best10}}、攻守の軸が定まらず、開幕からつまづいた<ref name="js2007">[http://www.jleague.jp/jsgoal_archive/jsgoal/detail.php?press_code=00050790 【J1:第18節】鹿島 vs F東京:原博実監督(FC東京)記者会見コメント] Jリーグ:[[J's GOAL]]アーカイブ (2007年6月30日)</ref>。J2だった[[#1999年(J2)|1999年]]から[[#2006年|2006年]]まで8季(旧JFL時代の1997年、1998年を含めると10季)続けて開幕戦に勝利していたが、[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]に敗れ、開幕戦連勝記録も止まった(右表)。ワンチョペはシーズン途中で退団。更に、U-22代表として[[梶山陽平]]、[[伊野波雅彦]]、[[平山相太]]の三人が、フル代表として[[今野泰幸]]が常時招集されており、中でもスタメンであった梶山が代表戦での怪我で9月に離脱した。年間成績は12位で終了。なお、第28節[[横浜F・マリノス|横浜FM]]戦の勝利で、J1通算100勝を達成した{{R|fb2010}}。 原は1年限りで監督を退任。 ==== 2008年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|''' 2008 J1第25節 川崎戦<br />「多摩川クラシコ」布陣'''}}</span>}} {{Image label|x=0.39|y=0.29|scale=200|text=[[赤嶺真吾|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''赤嶺真吾'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.1|y=0.41|scale=200|text=[[エヴェラルド・デ・ヘスス・ペレイラ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''カボレ'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.69|y=0.41|scale=200|text=[[エメルソン・デ・アンドラーデ・サントス|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''エメルソン'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=0.61|scale=200|text=[[今野泰幸|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''今野泰幸'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.61|y=0.61|scale=200|text=[[梶山陽平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''梶山陽平'''}}]]}} {{Image label|x=0.42|y=0.75|scale=200|text=[[浅利悟|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''浅利悟'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.85|scale=200|text=[[長友佑都|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''長友佑都'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=1.01|scale=200|text=[[茂庭照幸|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''茂庭照幸'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=1.01|scale=200|text=[[佐原秀樹|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''佐原秀樹'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.71|y=0.85|scale=200|text=[[徳永悠平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''徳永悠平'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.17|scale=200|text=[[塩田仁史|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''塩田仁史'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=1.37|scale=200|text=[[城福浩|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''城福浩'''}}</span>]]}} </div> |} チームスローガン:'''Moving Football 〜ボールも・身体も・観ている人の心も〜''' {{multiple image |align=left|direction=vertical|width=250 |image1=Ajinomoto_stadium_10th_anniversary.jpg|alt1=FC東京サポーター|caption1=J1第1節[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦 (味の素スタジアム)<br />コレオグラフィ中央の「10」はJリーグ加盟10周年を表す。 |image2=Fukuda Denshi Arena 2008-12-06.jpg|caption2=J1第34節[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]戦 (フクダ電子アリーナ)|alt2=FC東京サポーター }} [[2008年のJリーグ|2008年]]、[[U-17サッカー日本代表|U-17日本代表]]元監督の[[城福浩]]が監督に就任。 [[土肥洋一]]、[[福西崇史]](共に[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ移籍)に加え、MF[[馬場憂太]]([[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]へ)、[[鈴木規郎]]([[ヴィッセル神戸|神戸]]へ)、[[伊野波雅彦]]([[鹿島アントラーズ|鹿島]]へ)<!-- 背番号順 -->、FW[[ルーカス・セベリーノ|ルーカス]]([[ガンバ大阪|G大阪]]へ)らがそれぞれ移籍{{R|fs11}}。一方でMF[[羽生直剛]]、FW[[エヴェラルド・デ・ヘスス・ペレイラ|カボレ]]、DF[[長友佑都]](前年は特別指定)らを獲得。城福は戦術に「[[ムービングフットボール]]」を掲げ、[[#2006年|2006年]]に臨んだポゼッションサッカーへ再挑戦した{{R|best10}}。 夏場には白星から遠ざかるが、第30節[[鹿島アントラーズ|鹿島]]戦では長友、カボレらの得点で快勝するなど好調に転じ{{R|best10}}、シーズン終盤まで優勝の可能性を残した位置での戦いを続けた。 [[2008年J1最終節|最終節]]ではJ2降格危機にあった千葉に対して終盤11分間で4点を奪われて逆転負けを喫した(その結果、千葉が残留し東京Vが降格)。 リーグ戦年間成績は6位に浮上。[[第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]でも[[東京ガスサッカー部|東京ガス]]時代の[[第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会|1997年]]以来となるベスト4へ進出した。{{-}} ==== 2009年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|''' 2009 ナビスコカップ決勝 布陣'''}}</span>}} {{Image label|x=0.21|y=0.31|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">[[平山相太|{{colors|#0000AA|white|'''平山相太'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.31|scale=200|text=[[赤嶺真吾|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''赤嶺真吾'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.1|y=0.48|scale=200|text=[[羽生直剛|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''羽生直剛'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.48|scale=200|text=[[鈴木達也 (1982年生のサッカー選手)|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''鈴木達也'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.66|scale=200|text=[[梶山陽平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''梶山陽平'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.66|scale=200|text=[[米本拓司|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''米本拓司'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.83|scale=200|text=[[徳永悠平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''徳永悠平'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=1|scale=200|text=[[今野泰幸|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''今野泰幸'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=1|scale=200|text=[[ブルーノ・エベルトン・クアドロス|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''ブルーノ'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.71|y=0.83|scale=200|text=[[椋原健太|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''椋原健太'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.17|scale=200|text=[[権田修一|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''権田修一'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=1.37|scale=200|text=[[城福浩|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''城福浩'''}}</span>]]}} </div> |} :チームスローガン:'''Moving Football 〜観ている人の心を動かせ〜''' [[ファイル:Tobitakyu 2009.jpg|thumb|left|270px|[[飛田給駅]]構内。ナビスコカップ優勝を讃える横断幕が掲げられている。]] 城福体制2年目。[[アビスパ福岡|福岡]]から[[中村北斗]]、[[水戸ホーリーホック|水戸]]から[[平松大志]]を獲得した。序盤戦は低迷するが、MF[[今野泰幸]]をCBにコンバートし{{R|best10}}、[[ブルーノ・エベルトン・クアドロス|ブルーノ・クアドロス]]とコンビを組ませ、またボランチに[[梶山陽平]]と高卒ルーキー[[米本拓司]]を固定した頃から守備が安定。更に、[[石川直宏]]の24試合で15得点を挙げる大活躍によってリーグ戦の順位も上がり、[[AFCチャンピオンズリーグ|ACL]]出場圏内入りは逃したものの5位に入った。また、[[長友佑都]]と石川がJリーグベストイレブンに選出された{{R|fs11}}。2名が受賞したのはクラブ初。また、GK[[権田修一]]がリーグ戦の年間完封試合数タイ記録を打ち立てた。 [[2009年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]は決勝で[[川崎フロンターレ|川崎F]]に勝利して優勝。また、この試合で先制点を挙げた米本はニューヒーロー賞とMVPを獲得した。この年より、マスコットの『[[東京ドロンパ]]』が登場{{R|fs11|fb2010}}。{{-}} ==== 2010年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|'''スルガ銀行杯2010 布陣'''}}</span>}} {{Image label|x=0.12|y=0.31|scale=200|text=[[リカルド・アウベス・ペレイラ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''リカルジーニョ'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.31|scale=200|text=[[平山相太|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''平山相太'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.1|y=0.48|scale=200|text=[[大竹洋平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''大竹洋平'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.48|scale=200|text=[[石川直宏|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''石川直宏'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.66|scale=200|text=[[田邉草民|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''田邉草民'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.66|scale=200|text=[[森重真人|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''森重真人'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.83|scale=200|text=[[中村北斗|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''中村北斗'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.13|y=1|scale=200|text=[[金英權|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''キム・ヨングン'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=1|scale=200|text=[[今野泰幸|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''今野泰幸'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.71|y=0.83|scale=200|text=[[椋原健太|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''椋原健太'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.17|scale=200|text=[[権田修一|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''権田修一'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=1.37|scale=200|text=[[城福浩|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''城福浩'''}}</span>]]}} </div> |} チームスローガン:'''Moving Football 〜心をひとつに〜''' 城福体制3年目。[[#2002年|2002年]]からユニフォームの胸スポンサーだったENEOSが撤退し補強予算が狭められる中<ref>{{Wayback|date=20090819173622|url=http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2009/08/17/08.html|title=“FC東京の顔”ENEOSが今季限りで撤退}} [[スポーツニッポン]] (2009年8月17日)</ref>、[[浅利悟]]が引退し{{R|fs11}}、[[藤山竜仁]]が[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ移籍。[[茂庭照幸]]に戦力外を通告、契約交渉で折り合わず[[ブルーノ・エベルトン・クアドロス|ブルーノ・クアドロス]]が退団、[[佐原秀樹]]が[[期限付き移籍]]期間満了に伴い、[[川崎フロンターレ|川崎F]]に復帰した。退団が相次いだセンターバックには[[大分トリニータ|大分]]から[[森重真人]]、[[全州大学校]]から[[金英權|キム・ヨングン]]を、また、[[アルビレックス新潟|新潟]]からMF[[松下年宏]]を、ブラジルの[[ABC FC]]からFW[[リカルド・アウベス・ペレイラ|リカルジーニョ]]を期限付き移籍で獲得するも、登録選手はJ1最少の26人、選手の平均年齢はJ1で2番目の若さという陣容だった。 シーズン開幕直前、[[米本拓司]]が[[前十字靭帯]]・[[半月板]]を損傷。[[梶山陽平]]も左足首手術からのコンディション調整に苦しみ{{R|best10}}、序盤は前年のレギュラーボランチ両名を欠く厳しい選手構成となった。開幕戦こそ4年ぶりに勝利を収めたが(1 - 0 対[[横浜F・マリノス|横浜FM]]・味スタ)、J1中断期間前までは得失点ともに少なく引き分ける試合が多かった。 また、[[2010 FIFAワールドカップ日本代表]]に[[今野泰幸]]、[[長友佑都]]が選出された{{R|fs11}}。なお、長友はW杯終了後に[[セリエA (サッカー)|イタリア]]・[[ACチェゼーナ|チェゼーナ]]へ期限付き移籍で退団した。W杯期間中にFW[[大黒将志]]らを獲得。大黒の得点もあって[[スルガ銀行チャンピオンシップ2010|スルガ銀行チャンピオンシップ]]で勝利し、前年に続くタイトル獲得には成功したものの、なかなか勝ち点を伸ばせないまま、9月に城福を解任。 後任に[[大熊清]]が就任したが、最終節で[[京都サンガF.C.|京都]]に敗戦し、最終節に勝利した[[ヴィッセル神戸|神戸]]に入れ替わりで年間順位が16位となり、J2降格が決まった。 === 2011年(J2) === チームスローガン:'''TOKYO SPIRIT<ref group="注">「SPIRIT」には、'''S'''peed(スピード)、'''P'''ersonality(個性)、'''I'''ndependence(自立)、'''R'''ace(競争)、'''I'''nsight(状況判断)、'''T'''echnique(テクニック)の意味が込められている。</ref> 〜すべては勝つために〜''' {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|''' 2011 J2第36節 鳥取戦 布陣}}</span>}} {{Image label|x=0.42|y=0.31|scale=200|text=[[ルーカス・セベリーノ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''ルーカス'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.48|scale=200|text=[[羽生直剛|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''羽生直剛'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.48|scale=200|text=[[田邉草民|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''田邉草民'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.7|y=0.48|scale=200|text=[[谷澤達也|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''谷澤達也'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.66|scale=200|text=[[高橋秀人|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''高橋秀人'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.6|y=0.66|scale=200|text=[[梶山陽平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''梶山陽平'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.83|scale=200|text=[[椋原健太|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''椋原健太'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=1|scale=200|text=[[今野泰幸|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''今野泰幸'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=1|scale=200|text=[[森重真人|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''森重真人'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.71|y=0.83|scale=200|text=[[徳永悠平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''徳永悠平'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.17|scale=200|text=[[塩田仁史|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''塩田仁史'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=1.37|scale=200|text=[[大熊清|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''大熊清'''}}</span>]]}} </div> |} 大熊体制2年目。[[赤嶺真吾]](レンタル移籍していた[[ベガルタ仙台|仙台]]へ完全移籍)、[[金英權|キム・ヨングン]]([[大宮アルディージャ|大宮]]へ完全移籍)、[[リカルド・アウベス・ペレイラ|リカルジーニョ]]などが退団した。一方で、FW[[ロベルト・セザー・ザルディン・ロドリゲス|ロベルト・セザー]]らを獲得、層の薄さに苦しんだ[[#2010年|前年]]の経験を踏まえ、MF[[谷澤達也]]など各ポジションにJ2での経験を持つ選手を加えた。 2月には「FC東京のある“まち”」というテーマでの演劇が[[調布市せんがわ劇場]]にて公演され、FC東京からは特別審査員として新任の[[阿久根謙司]]代表取締役と[[藤山竜仁]]普及部コーチが出席した<ref>[http://www.sengawa-gekijo.jp/kouen/04400.html 第2回せんがわ劇場演劇コンクール 参加団体(者)及び市民審査員 大募集!!!] せんがわ劇場ウェブサイト 2010.08.04</ref>。 4月には[[東北地方太平洋沖地震]]及び[[長野県北部地震 (2011年)|長野県北部地震]]の復興支援のため、[[東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!#Jリーグクラブの慈善試合|松本山雅FCとのチャリティーマッチ]]を開催<ref group="注">Jリーグからの「[[東北電力]]・[[東京電力]]管内での慈善試合開催は不可」との通達もあり、[[長野県松本平広域公園総合球技場]]で行われた。</ref>。また、[[宮城県]]出身の[[今野泰幸]]が発起人の1人となり、「[[東北人魂を持つJ選手の会]]」を設立。[[秋田県]]出身の[[下田光平]]もこれに参加し、東北地方のサッカー復興に向けて活動した。 リーグ戦序盤を勝ち切るためのキーマンとされたFW[[平山相太]]<ref>{{Cite web|url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/jleague/2012/columndtl/201105030005-spnavi|title=FC東京は20年前の志で東京Vに立ち向かえるか 味スタ決戦! 春の東京ダービー祭り|publisher=スポーツナビ|date=2011-05-03|accessdate=2023-11-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131004213712/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/jleague/2012/columndtl/201105030005-spnavi|archivedate=2013-10-04}}</ref> が長期離脱するなど、[[立石敬之]]強化部長が「想像を超えて最悪に近いほど故障者が出た。しかも軸になる選手ばかり<ref>{{Cite book|和書|author=加部究|authorlink=加部究|year=2011|title=[[サッカー批評]] ISSUE53「FC東京の未来像」|publisher=[[双葉社]]}}</ref>」と言う程の状況に陥り、序盤は7戦で4得点、2勝に留まり苦しんだが、[[田邉草民]]や[[高橋秀人]]の抜擢、[[羽生直剛]]をトップ下に据える<ref name="js2012">[http://www.jsgoal.jp/fujixerox2012/team/#ftokyo FUJI XEROX SUPER CUP 2012特集:出場クラブ紹介] ([https://archive.is/wgFh0 archive]) [[J's GOAL]]</ref> 4-2-3-1布陣(右図)の採用により徐々に地力を見せ始めた。さらに、[[#2007年|2007年]]まで在籍していたFW[[ルーカス・セベリーノ|ルーカス]]らを補強。第18節(12試合目<ref group="注">[[東日本大震災によるスポーツへの影響#Jリーグ|東日本大震災による公式戦休止のため]]、リーグ戦の日程が変則的なものとなっていた。</ref>)を終えた段階で昇格圏内に入り{{R|best10}}、以後上位をキープ。11月19日の[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]戦で勝利し、1年でのJ1復帰を決めた。翌20日に2位の[[サガン鳥栖|鳥栖]]が敗れ、J2優勝を決めた。 [[第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は決勝で[[京都サンガF.C.|京都]]に勝利し、前身の[[東京ガスサッカー部]]を含めたクラブ創設後初、J2勢として初となる天皇杯制覇を果たし、クラブ初の[[AFCチャンピオンズリーグ]](ACL)の出場権を獲得した。同決勝戦を以て大熊は監督を退任。 === 2012年 - (J1) === ==== 2012年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|''' 2012ACL R16 広州恒大戦 布陣}}</span>}} {{Image label|x=0.39|y=0.31|scale=200|text=[[渡邉千真|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''渡邉千真'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.48|scale=200|text=[[梶山陽平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''梶山陽平'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.1|y=0.48|scale=200|text=[[ルーカス・セベリーノ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''ルーカス'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.7|y=0.48|scale=200|text=[[石川直宏|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''石川直宏'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.66|scale=200|text=[[長谷川アーリアジャスール|<span style="font-size: 8pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''長谷川アーリアジャスール'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.71|y=0.66|scale=200|text=[[米本拓司|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''米本拓司'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.83|scale=200|text=[[椋原健太|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''椋原健太'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=1|scale=200|text=[[森重真人|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''森重真人'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=1|scale=200|text=[[高橋秀人|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''高橋秀人'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.71|y=0.83|scale=200|text=[[徳永悠平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''徳永悠平'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.17|scale=200|text=[[権田修一|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''権田修一'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.3|y=1.37|scale=200|text=[[ランコ・ポポヴィッチ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''ランコ・ポポヴィッチ'''}}</span>]]}} </div> |} チームスローガン:'''C・O・A Football'''{{Refnest|group="注"|name="coa"|「C・O・A」には、'''C'''ollective(組織的に)、'''O'''ffensive(攻撃的に)、'''A'''ttractive(魅力的に)戦い{{R|js2012}}、サッカーにおいて日本のコア(中心)を目指す意味が込められている。}} 監督に前[[FC町田ゼルビア|町田]]監督の[[ランコ・ポポヴィッチ]]が就任。 [[今野泰幸]]が[[ガンバ大阪|G大阪]]へ、[[鈴木達也 (1982年生のサッカー選手)|鈴木達也]]が[[徳島ヴォルティス|徳島]]へ完全移籍した一方、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から[[渡邉千真]]、[[長谷川アーリアジャスール]]、[[ジュビロ磐田|磐田]]から[[加賀健一]]、[[清水エスパルス|清水]]から[[太田宏介]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]から[[河野広貴]]を完全移籍で獲得、また、期限付き移籍していた選手を復帰させるなど、2年ぶりのJ1及び初のACLでの戦いに向け陣容を整えた{{R|js2012}}。渡邉、長谷川らの活躍でACLはグループリーグを突破し、ベスト16進出(右図)したが、[[広州恒大淘宝足球倶楽部|広州恒大]]に敗れた。中断期間中に[[谷澤達也]]が退団するも、新加入の[[ネマニャ・ヴチチェヴィッチ]]が穴を埋めた。リーグ戦は10位、ナビスコ杯はベスト4、天皇杯は2回戦敗退に終わった。 ==== 2013年 ==== チームスローガン:'''C・O・A Football~さらなる進化をめざして~'''{{R|coa|group=注}} ポポヴィッチ体制2年目。[[羽生直剛]]、[[梶山陽平]]らが期限付き移籍でチームを離れるも、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[東慶悟]]を完全移籍で、[[イングランド]][[フットボールリーグ・チャンピオンシップ|2部]]・[[サウサンプトンFC|サウサンプトン]]から[[李忠成]]を期限付き移籍で獲得。シーズン途中で李が所属元へ復帰、[[田邉草民]]が業務提携を結んだ[[セグンダ・ディビシオン|スペイン2部]]・[[CEサバデル|サバデル]]へ期限付き移籍。 リーグ戦では第3節から4連敗し12位まで順位を下げたものの、得点源となった[[渡邉千真]]を中心にJ1におけるクラブ史上通年最多得点を記録。第8節からの3連勝と第24節からの4連勝でいずれも5位まで順位を上げたが、[[AFCチャンピオンズリーグ2014|翌年のACL]]出場権を得られる3位以上には届かず、第33節柏戦での敗戦により賞金圏内の7位からも脱落、8位でシーズンを終えた。 [[2013年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]は決勝トーナメント進出を逃し、[[第93回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では準決勝で[[PK戦]]の末[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]に敗れ3位に終わった。 契約満了によりこの年限りでポポヴィッチ監督が退任<ref>{{Cite web|date=2013-10-23|url=http://www.fctokyo.co.jp/?p=177934|title=ランコ ポポヴィッチ氏との契約について|publisher=F.C.TOKYO OFFICIAL WEBSITE|accessdate=2013-10-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131029191201/http://www.fctokyo.co.jp/?p=177934|archivedate=2013-10-29}}</ref>。FW[[ルーカス・セベリーノ|ルーカス]]が現役を引退した。 なお、この年[[東京都]]が[[2020年東京オリンピック構想|2020年に開催されるオリンピック・パラリンピックの招致]]に成功。FC東京は招致PRイベントを行うなど<ref>{{Cite web|url=http://tokyo2020.jp/jp/news/index.php?mode=page&id=957|title=FC東京 VS サガン鳥栖戦における招致 PR イベント実施について|publisher=東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会|date=2013-08-26|accessdate=2023-11-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131212032153/http://tokyo2020.jp/jp/news/index.php?mode=page&id=957|archivedate=2013-12-12}}</ref> クラブを挙げてこの活動を支援しており{{Refnest|group="注"|招致委員会による「招致応援宣言」に名を連ねたスポーツチームは、[[ナショナルチーム]]以外ではFC東京のみである<ref>{{Cite web|url=http://tokyo2020.jp/jp/promotion/backup/|title=プロモーション 招致応援宣言|publisher=東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会|accessdate=2023-11-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130508161634/http://tokyo2020.jp/jp/promotion/backup/|archivedate=2013-05-08}}</ref>。}}<ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20130915-1189515.html 東京-浦和、史上初の5発全ヘッド/J1] [[日刊スポーツ]] (2013年9月15日)</ref>、[[2016年東京オリンピック構想|2016年大会招致活動]]の頃からの協力<ref>{{Cite web|url=http://www.shochi-honbu.metro.tokyo.jp/bid-committee/jp/news/2009/04/1vs.html|title=J1リーグ「FC東京vsジェフユナイテッド千葉」戦で、東京招致活動応援イベント「聖火点灯式」開催!|publisher=東京オリンピック・パラリンピック招致委員会|date=2009-04-19|accessdate=2023-11-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20131213115849/http://www.shochi-honbu.metro.tokyo.jp/bid-committee/jp/news/2009/04/1vs.html|archivedate=2013-12-13}}</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.shochi-honbu.metro.tokyo.jp/bid-committee/jp/press/pdf/Tokyo2016PressRelease090414_01_jp.pdf Jリーグ公式戦における招致PRについて]}} 東京オリンピック・パラリンピック招致委員会 (2009年4月14日)</ref> が実った形となった。 ==== 2014年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|''' 2014 J1第13節-第26節 布陣}}</span>}} <!-- 14試合中3試合以上先発した選手のみ記載。 --> {{Image label|x=0.21|y=0.20|scale=200|text=[[武藤嘉紀|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''武藤嘉紀'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.20|scale=200|text=[[エドゥアルド・ゴンザウヴェス・デ・オリヴェイラ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''エドゥー'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.2|y=0.29|scale=200|text=[[渡邉千真|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|(渡邉千真)}}</span>]]}} {{Image label|x=0.56|y=0.29|scale=200|text=[[平山相太|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|(平山相太)}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.43|scale=200|text=[[河野広貴|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''河野広貴'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.63|scale=200|text=[[米本拓司|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''米本拓司'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.63|scale=200|text=[[羽生直剛|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''羽生直剛'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.72|scale=200|text=[[三田啓貴|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|(三田啓貴)}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.83|scale=200|text=[[高橋秀人|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''高橋秀人'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.92|scale=200|text=[[太田宏介|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''太田宏介'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=1.05|scale=200|text=[[森重真人|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''森重真人'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=1.05|scale=200|text=[[吉本一謙|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''吉本一謙'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.71|y=0.92|scale=200|text=[[徳永悠平|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''徳永悠平'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.17|scale=200|text=[[権田修一|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''権田修一'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=1.37|scale=200|text=[[マッシモ・フィッカデンティ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''マッシモ・フィッカデンティ'''}}</span>]]}} </div> |} チームスローガン:'''Bello e Aggressivo! -限界を超えて頂点へ-''' 新監督に[[ACチェゼーナ]]元監督の[[マッシモ・フィッカデンティ]]が就任。 [[ネマニャ・ヴチチェヴィッチ]]が退団、[[長谷川アーリアジャスール]]がC大阪、[[中村北斗]]が大宮にそれぞれ完全移籍。FW[[エドゥアルド・ゴンザウヴェス・デ・オリヴェイラ|エドゥー]]、MF[[武藤嘉紀]](前々年から特別指定)らを獲得し、[[梶山陽平]]、[[羽生直剛]]が期限付き移籍から復帰した。 リーグ戦序盤はなかなか勝てなかったものの、中盤に入るとフィッカデンティの戦術が浸透し、試合運びが安定。守備面では[[#2003年|2003年]]以来となる5試合(J1第16節から第20節まで)連続無失点を記録し、リーグ戦総失点も前年の47失点から33失点と大きく改善した。一方攻撃面ではFWに転向した武藤がリーグ新人最多得点記録タイの13得点を挙げる活躍を見せた。クラブ記録となる14試合(J1第13節から第26節まで。右図)無敗を記録し<ref>[http://data.j-league.or.jp/SFMS01/search?competition_years=2014&competition_frame_ids=1&team_ids=22&home_away_select=0&section_months=5&section_months=6&section_months=7&section_months=8&section_months=9&section_months=10&tv_relay_station_name= 日程・結果] Jリーグ</ref>、一時は5位(J1第18節、第21節から第22節まで)にまで浮上したが、第27節で無敗記録が途切れてからは失速し、最終的には9位でシーズンを終えた。 ナビスコ杯はグループリーグ敗退、天皇杯はベスト16に終わった。また、昨年引退したルーカスが功労選手賞を受賞した。 {{-}} ==== 2015年 ==== チームスローガン:'''Bello e Aggressivo! -すべては勝利のために-''' フィッカデンティ体制2年目。[[エドゥアルド・ゴンザウヴェス・デ・オリヴェイラ|エドゥー]]、[[塩田仁史]]、[[渡邉千真]]らが退団し、[[前田遼一]]、[[榎本達也]]らを獲得。[[丸山祐市]]、[[林容平]]、[[橋本拳人]]が期限付きから復帰。 1stステージはFW前田のフィットが遅れたものの、前年からの堅守を軸に前半戦だけで10得点を挙げた[[武藤嘉紀]]の頑張りと、キッカーの[[太田宏介]]を中心としたセットプレーで得点を重ね、2度の4連勝と健闘。2ステージ制のステージ毎の順位としては過去最高の2位に付けた。 1stステージ終了後には武藤がドイツ・[[1.FSVマインツ05|マインツ]]へ移籍し、[[ネイサン・バーンズ]]、[[フランシスコ・サンダサ|サンダサ]]の2人のFWが加入した。 2ndステージは復調した前田がFWの軸になり、新外国人の2人がそのパートナーを務めるようになったものの、武藤退団の穴は埋め切れず、終盤第13節からは[[東慶悟]]がFWを務めた(右図)。さらに正GKの[[権田修一]]がオーバートレーニング症候群で第5節を最後に離脱したため[[ブラダ・アブラモフ]]を緊急補強し、第10節以降の正GKを務めさせた。1stステージほど勝ち点を伸ばせなくなり、最終節開始時点では年間3位につけるも、同節の鳥栖戦を引分けたために、同節勝利の[[ガンバ大阪|G大阪]]との入れ替わりで年間順位4位に転落。過去最高の勝ち点、最高タイの年間順位を記録したものの、[[2015年のJリーグチャンピオンシップ|チャンピオンシップ]]の出場を逃した。その後、G大阪・[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]の[[第95回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]決勝進出に伴う繰り上がりで[[#2016年|翌2016年のACLプレーオフ(PO)]]出場権を獲得{{Refnest|group=注|J1終了時点ではPO出場権はJ1年間3位の浦和にあった。しかし天皇杯決勝戦において、浦和は勝てば自力で、敗れても他力でACL本戦出場権を得られ(POを回避でき)るという状況にあったため、決勝戦の結果を問わずFC東京はPO出場権を得ることができた<ref>[http://www.jfa.jp/news/00008473/ AFCチャンピオンズリーグ2016 浦和レッズの本大会出場決定およびFC東京のプレーオフ出場権獲得のお知らせ] [[日本サッカー協会]] (2015年12月29日)</ref>。}}。 ナビスコ杯、天皇杯は共にベスト8で終了。同年末にフィッカデンティが退任。 ==== 2016年 ==== チームスローガン:'''Challenge the Top -頂戦-''' フィッカデンティ監督の後任に2008年から2010年途中まで指揮していた[[城福浩]]が再任。[[ブラダ・アブラモフ]]、[[太田宏介]]らが退団。[[権田修一]]が[[SVホルン]]にレンタル移籍。[[湘南ベルマーレ|湘南]]から[[秋元陽太]]、[[サガン鳥栖|鳥栖]]から[[水沼宏太]]、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]から[[阿部拓馬]]、[[明治大学体育会サッカー部|明治大学]]から[[室屋成]](前年は特別指定選手)<ref group="注">現役大学生が大学在籍中に加入するのは[[長友佑都]]、[[武藤嘉紀]]に続いて3人目。</ref>、[[ジュビロ磐田|磐田]]から[[駒野友一]]、中国・[[北京国安足球倶楽部|北京国安]]から[[河大成|ハ・デソン]]らが加入した(駒野及びハは1stステージ終了後にそれぞれ福岡・名古屋へ期限付き移籍)。 また2月13日に、[[#2015年|2015年シーズン]]に密着したドキュメンタリー映画『BAILE TOKYO』が公開<ref>{{Cite web|和書|url=http://eiga.com/news/20151124/7/|title=Jリーグ・FC東京に密着したドキュメンタリー映画、16年2月公開決定!|publisher=映画.com|date=2015-11-24|accessdate=2015-11-24}}</ref>。主題歌は[[RIP SLYME]]の「Baile TOKYO」<ref>{{Cite web|和書|url=https://natalie.mu/music/news/169745|title=RIP SLYME、FC東京ドキュメンタリー映画に書き下ろし主題歌提供|publisher=音楽ナタリー|date=2015-12-18|accessdate=2015-12-18}}</ref>。 この年より「[[#FC東京U-23|FC東京U-23]]」を発足させ[[J3リーグ]]に参入。 同年の公式戦初戦となる[[AFCチャンピオンズリーグ2016]]のプレーオフでは[[チョンブリーFC]]を相手にクラブ最多得点記録を更新した<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/japan/acl/20160209/399882.html FC東京が4年ぶりACL本戦進出…クラブ最多得点の9発大勝で公式戦初戦を飾る] [[サッカーキング]] (2016年2月9日)</ref> 9-0で大勝。4年ぶり2度目となるACL本戦出場権を掴んだ<ref>[http://www.jfa.jp/news/00008803/ FC東京、9得点の大勝でACL本大会へ -ACLプレーオフ チョンブリFC戦-] [[日本サッカー協会]] (2016年2月10日)</ref>。本戦では[[全北現代モータース|全北現代]](韓国)、[[江蘇蘇寧足球倶楽部|江蘇蘇寧]](中国)、[[ベカメックス・ビンズオン|ビンズオン]](ベトナム)と対戦。グループリーグ突破は最終節までもつれたが、同節は[[ベカメックス・ビンズオン|ビンズオン]]と対戦し[[前田遼一]]の2得点の活躍で勝利し決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦では[[上海上港集団足球倶楽部|上海上港]](中国)と対戦。ホームでの第1戦は水沼が2得点を挙げ先勝したが(2-1)、アウェー・[[上海体育場]]での第2戦は試合終了間際に失点し(0-1)、1勝1敗。[[アウェーゴール]]の差で敗退した。 リーグ戦では序盤より怪我人が続出しメンバー繰りに苦戦。またACLプレーオフ出場のためオフやキャンプの期間が短くなった影響により、フィジカルコンディション不足・スタミナ不足に陥る。1stステージでは攻守のバランスに苦心しながらも堅守に立ち返って<ref>[http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=16726 【FC東京】「リーグワースト3位の総得点をどう思う?」に、ベテランの羽生が味わい深い回答] サッカーダイジェスト (2016年6月17日)</ref> 徐々に浮上し9位で終えた。しかし、2ndステージでは先制しながらも試合終了間際に失点し逆転負けするゲームが頻発したため、7月23日の2ndステージ第5節川崎戦敗北後に城福を解任。後任にはコーチで元福岡監督の[[篠田善之]]が監督に昇格。篠田就任後、8勝2分2敗と安定感を取り戻し年間9位でリーグ戦を終えた。[[第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]はベスト8で川崎に敗れた。ルヴァンカップは準決勝で浦和に2試合合計2-5で敗れた。 ==== 2017年 ==== チームスローガン:'''TOKYO GRIT~すべての力を~''' 篠田体制2年目。[[榎本達也]]が引退(その後、普及部コーチに就任)、[[駒野友一]]、[[平山相太]]、[[高橋秀人]]らが退団。 [[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[永井謙佑]]、[[サガン鳥栖|鳥栖]]から[[林彰洋]]、[[川崎フロンターレ|川崎F]]から[[大久保嘉人]]、[[FCソウル]]から[[髙萩洋次郎]]らを獲得。1月には[[太田宏介]]が完全移籍で2年ぶりにチームに復帰した<ref>[https://news.yahoo.co.jp/articles/42226fd979c490533b9140e18cb312f7bdefa79d 大補強したFC東京が10年ぶりの敵地での鹿島撃破に見せた変革の一端] THE PAGE (2017年2月26日)</ref>。{{要出典範囲|更に3月には[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から前年得点王の[[ピーター・ウタカ]]を[[期限付き移籍]]で獲得した。|date=2022年11月}} 夏の移籍情報では[[ルイス・フェリペ・ヴェローゾ・サントス|リッピ・ヴェローゾ]]、[[チャン・ヒョンス]]、[[ジャキット・ワクピロム]]を獲得。また、バーンズが6月30日付で契約満了して広島に移籍。そして河野が鳥栖、阿部が[[蔚山現代FC]]に完全移籍、中島が[[ポルティモネンセSC]]に期限付き移籍した。11月1日には、ユース所属の[[久保建英]]と[[平川怜]]がプロ契約を結んだ。 序盤こそ順調に勝ち点を稼いでいたものの14節清水エスパルス戦から6試合未勝利、その後22節のヴィッセル神戸戦から4試合未勝利と成績が低迷。[[2017年のJリーグカップ|YBCルヴァンカップ]]ではグループリーグ終盤で失速。広島とのプレーオフを制しノックアウトステージへと進んだものの1回戦で川崎にトータルスコア1-7を付けられ大敗。[[第97回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]でも2回戦で[[AC長野パルセイロ|長野]]にPK戦の末敗戦しカップ戦は早期敗退となった。 9月10日、監督の篠田が成績不振により退任し、コーチの[[安間貴義]]が昇格してシーズン終了まで暫定監督を務めた。監督交代後の成績は1勝4分4敗とチームは低迷。特に第27節以降は勝ちがなくチームを立て直すことが出来ずJ1復帰後としては史上最低の13位でシーズンを終えた。 また、立石敬之が当年度をもってGMを退任(その後ベルギーリーグのシント=トロイデンVVのCEOに就任)。 ==== 2018年 ==== チームスローガン:'''強く、愛されるチームを目指して''' [[長谷川健太]]が新監督就任。[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[大森晃太郎]]を完全移籍で獲得。[[横浜F・マリノス|横浜]]から[[富樫敬真]]、[[柏レイソル|柏]]から[[ディエゴ・オリベイラ]]を期限付き移籍で加入。また、[[中央大学]]から[[矢島輝一]]、U-18から[[原大智 (サッカー選手)|原大智]]と[[品田愛斗]]が新加入。 開幕戦こそ引き分けるも、その後ベガルタ仙台・ジュビロ磐田と2試合連続して敗戦。第4節の湘南ベルマーレ戦より新戦力のディエゴ・オリヴェイラがチームにフィットし始め長谷川健太が掲げる「ファストブレイク」戦法も定着した事もあり第20節のヴィッセル神戸戦まで順調に勝ち点を稼ぎ続けていた。 しかし夏の移籍市場で新戦力の獲得に失敗。ヴァンフォーレ甲府より期限付き移籍でリンスを獲得したのみに留まり選手編成も固定化。 更には戦術も対戦相手に研究され始めた事で攻撃陣は沈黙し徐々に順位を落とし始め最終的に14勝8分12敗の6位でフィニッシュした。 シーズン終了後、梶山陽平が引退を発表した。[[第98回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]はベスト16で山形にPK戦の末敗れた。 ==== 2019年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|'''2019 J1 第7節 鹿島戦 布陣'''}}</span>}} {{Image label|x=0.14|y=0.31|scale=200|text=[[永井謙佑|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''永井謙佑'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.41|y=0.31|scale=200|text=[[ディエゴ・オリヴェイラ|<span style="font-size: 8pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''ディエゴ・オリヴェイラ'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.1|y=0.48|scale=200|text=[[東慶悟|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''東慶悟'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.48|scale=200|text=[[久保建英|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''久保建英'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.66|scale=200|text=[[髙萩洋次郎|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''髙萩洋次郎'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.59|y=0.66|scale=200|text=[[橋本拳人|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''橋本拳人'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.83|scale=200|text=[[小川諒也|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''小川諒也'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.13|y=1|scale=200|text=[[森重真人|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''森重真人'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=1|scale=200|text=[[張賢秀|<span style="font-size: 8pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''チャン・ヒョンス'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.8|y=0.83|scale=200|text=[[室屋成|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''室屋成'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.44|y=1.17|scale=200|text=[[林彰洋|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''林彰洋'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=1.37|scale=200|text=[[長谷川健太|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''長谷川健太'''}}</span>]]}} </div> |} チームスローガン:'''強く愛されるチームを目指して'''<ref>{{Cite web|和書|title=【2019シーズン始動!】FC東京:2019新体制発表会での出席者コメント(1)|url=https://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/n-00104082/|website=J's GOALニュース|accessdate=2020-01-18}}</ref> ディエゴ・オリヴェイラが完全移籍に切り替わり、[[サガン鳥栖|鳥栖]]から[[田川亨介]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から[[宮崎幾笑]]、[[モンテディオ山形|山形]]から[[児玉剛]]を獲得、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]の[[久保建英]]、[[アビスパ福岡|福岡]]の[[兪仁秀|ユ・インス]]が期限付き移籍から復帰。また外国籍選手枠の拡大に目をつけ、[[グレミオFBPA|グレミオ]]から[[ジャエル・フェレイラ・ヴィエイラ|ジャエル]]、[[光州FC]]から[[羅相浩|ナ・サンホ]]、[[バンコク・ユナイテッドFC|バンコク・ユナイテッド]]から[[ナッタウット・スクム|ナッタウット]]、[[CAヴォトゥポランゲンセ|ヴォトゥボランゲンセ]]から[[アルトゥール・シルバ・フェイトーザ|アルトゥール・シルバ]]と多数の助っ人を獲得。新人は東福岡高校の[[中村拓海]]、中央大学の[[渡辺剛 (サッカー選手)|渡辺剛]]を獲得した。 [[田邉草民]]が福岡、[[大久保択生]]が鳥栖、[[前田遼一]]が[[FC岐阜|岐阜]]、[[米本拓司]]が[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]へそれぞれ完全移籍。リンス、富樫敬真はレンタル期間満了のため退団した<ref>{{Cite web|和書|title=FC東京 2019 移籍情報 {{!}} データによってサッカーはもっと輝く {{!}} Football LAB|url=https://www.football-lab.jp/fctk/transfer/|website=www.football-lab.jp|accessdate=2019-12-13}}</ref>。 前半戦は久保建英が抜擢され大きくブレイク。戦術、メンバーともほぼ昨年からの踏襲だったが久保の活躍もあり開幕から12戦無敗(9勝3分)とスタートダッシュに成功。第8節で広島との無敗対決を制して首位に立つと、そのまま前半戦は首位を独走した。 しかし夏の移籍市場で久保は[[レアル・マドリード]]に移籍、[[チャン・ヒョンス]]が[[アル・ヒラル]]、[[太田宏介]]が名古屋と主力級選手が複数流出。[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]]が[[ラグビーワールドカップ2019]]の試合会場となったこともあり、第24節からアウェー8連戦<ref group="注">途中で行われた[[Jリーグカップ|ルヴァンカップ]]準々決勝も含めると事実上10連戦(決勝トーナメントはホーム・アンド・アウェー方式のため[[さいたま市大宮公園サッカー場|NACK5スタジアム大宮]]をホームとして使用した試合も含む)。なお、リーグ戦で8戦連続アウェーゲームを戦うのはFC東京が史上初である。</ref> の強行日程が組まれていた。 だが夏場に急失速した昨シーズンと異なり、件のアウェー8連戦も4勝2分2敗で乗り切るなど大崩れはせず、第27節まで首位をキープ。しかし調子を上げてきた[[鹿島アントラーズ|鹿島]]、横浜FMに追い上げられ、28節で一度鹿島に首位を奪われる。31節で再度首位に浮上するも、ホーム味スタに帰還した32節から[[湘南ベルマーレ|湘南]]、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]と下位相手に連続で引き分け、ここを連勝した横浜FMに首位を奪われる。特に浦和戦はディエゴ・オリヴェイラと永井謙佑の2トップが揃って負傷する痛恨の引き分けとなった。最終節は横浜FMとの直接対決。優勝には4点差以上での勝利が必要な中、前節右肩を脱臼した永井が強行出場するも、0-3で敗戦しリーグ優勝には届かなかった。だがリーグ戦の19勝7分8敗の勝ち点64、2位という結果はともにクラブ史上最高記録を更新した<ref>{{Cite web|和書|title=22節にわたり首位死守も…FC東京はなぜ初優勝を逃したのか|六川亨のフットボール縦横無尽|url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/266040|website=日刊ゲンダイDIGITAL|accessdate=2019-12-13}}</ref>。天皇杯は3回戦で甲府に敗れた。 ==== 2020年 ==== チームスローガン:'''強く愛されるチームを目指して''' [[File:2020 J.League Cup Final 2.jpg|250px|right|thumb|YBCルヴァンカップ決勝戦]] 2019年シーズンの好成績から、同年10月24日には早くも長谷川監督の契約が更新された。2020シーズンへ向け、ジュビロ磐田から[[アダイウトン・ドス・サントス・ダ・シルバ|アダイウトン]]を完全移籍で、また鹿島アントラーズから[[ウェベルソン・レアンドロ・オリベイラ・モウラ|レアンドロ]]を期限付き移籍でそれぞれ獲得した。U-18からは[[木村誠二]]、[[バングーナガンデ佳史扶]]、[[野澤大志ブランドン]]の3人を昇格させた。さらに大学卒ルーキーとして[[法政大学]]の[[紺野和也]]、明治大学の安部柊斗と[[中村帆高]]が加入した(3人はいずれも2019年シーズンに特別指定選手として登録されていた)。一方で大森晃太郎がジュビロ磐田へ完全移籍した。 2020年度は第1節(2月23日 対[[清水エスパルス]])を行った後、[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|新型コロナウイルス]]による試合中止によって約4か月にわたって空白期間が生じた。久々の試合となった第2節(7月4日 対[[柏レイソル]])では1-0で勝利するものの、第3節(7月8日 対[[川崎フロンターレ|川崎F]] ・第35回[[多摩川クラシコ]])では0-4で敗戦。中盤戦は安定し最終的には17勝6分11敗でリーグ順位は6位と比較的上位で幕を閉じた。この間、7月には橋本拳人が[[FCロストフ]]へ、8月には室屋成が[[ハノーファー96]]へとそれぞれ移籍した。 [[Jリーグカップ|YBCルヴァンカップ]]はACL出場のためプライムステージからの登場となり、初戦は[[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパス]]を豪雨の中の試合で3-0に降し、2回戦ではリーグ戦の首位を独走し前年王者でもある川崎フロンターレに勝利し、決勝戦に駒を進めた。 当初11月7日に予定していた決勝戦は、対戦相手の柏レイソルに多数の新型コロナウイルス感染者が出た影響で[[2021年|翌21年]]1月4日に延期となり、11月下旬に集中開催されたACLとの兼ね合いでチームは厳しい日程を余儀なくされたが、[[国立競技場]]で行われた決勝戦では2-1で勝利、11年振り3度目のJリーグカップ王者となった。 一方、[[AFCチャンピオンズリーグ2020|ACL]]では1月のプレーオフで[[ユナイテッド・シティFC|セレス・ネグロス]]に勝利し、[[AFCチャンピオンズリーグ2020 グループリーグ|グループステージ]]へと駒を進めた。しかし新型コロナウイルスの影響によって試合は3月で中断され、再延期や開催地変更の結果として11月に[[カタール]]での[[集中開催]]方式で再開された。最終的に2位でグループFを突破したものの、12月6日の[[AFCチャンピオンズリーグ2020 決勝トーナメント|決勝トーナメント]]1回戦で[[北京中赫国安足球倶楽部|北京国安]]を相手に0-1で惜敗し、2012年大会・2016年大会に次いでまたしてもベスト16で止まりであった。 ==== 2021年 ==== チームスローガン:'''強く愛されるチームを目指して''' 今シーズンは、主力の大半が残留したが、宮崎幾笑がファジアーノ岡山へレンタル移籍、[[柳貴博]]が北海道コンサドーレ札幌へ完全移籍(昨シーズンはベガルタ仙台へレンタル)。一方阿部伸行を[[AC長野パルセイロ]]から、[[ブルーノ・ウヴィニ・ボルトランサ|B・ウヴィニ]]を[[アル・イテハド]]から獲得した。 3月~4月初めにかけてホーム4連勝を遂げるが、その後失速し4月半ば~5月初めにリーグ5連敗を喫してしまった。ただ14節(5月15日 対[[柏レイソル|柏]])で4-0で今季初リーグ戦無失点勝利を達成し、連敗を止めた。その後G大阪にも勝利するが、16節のアウェー清水戦では、08年以来13年ぶりに敗れるなど不安定な戦いだった。中村帆高など多数のSBの負傷離脱により6月にはブラウブリッツ秋田から[[鈴木準弥]]を獲得。また9月12日には11年ぶりに[[長友佑都]]が復帰することが公式発表された。 6月19日から7月11日まで4連勝,7月21日まで5戦負けなしと好調だったが、アウェー連戦により2連敗を喫する。その後G大阪に引き分け仙台,神戸に勝利し、アウェー7連戦は3勝2分2敗で終えた。しかしその後も戦い方は安定しないままで、11月6日アウェイ横浜FM戦では、前田大然にハットトリックを許すなどし、チームの1試合における最大失点記録を更新する0-8で敗れた。翌11月7日に監督の[[長谷川健太]]が辞任。[[森下申一]]が監督に就任する。 ルヴァンカップグループステージは首位通過、無敗。4月28日の第4節徳島戦をもって、2021ルヴァンカップグループステージ突破が確定し<ref>{{Cite web|和書|title=FC東京 HP|url=https://www.fctokyo.co.jp/news/12390|website=FC東京|accessdate=2021-04-29|language=ja|publisher=FC東京}}</ref>、5月5日の第5節神戸戦をもってグループステージ首位通過が確定し、GS第6節は消化試合となったためか、ベンチに多くのユースの選手が入っていた。 6月5日,13日に行われたプレーオフステージは湘南と戦った。第1戦は0-1で敗戦したが、第2戦アウェーで4-1と快勝、2試合合計4-2で見事逆転突破。3年連続で9月に行われるプライムステージ(準々決勝)進出を決めた。プライムステージ準々決勝は[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]と対戦。第1戦は逆転負けを喫するも、第2戦[[平塚競技場|レモンS]]で開催されたホームゲームで2-0で勝利し準決勝進出を決めたが、[[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパス]]と対戦の末敗退。 6月9日に行われた[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]2回戦は、東京都北区にある[[国立西が丘サッカー場|味の素フィールド西が丘]]にて行われ、[[順天堂大学]]と対戦した。前後半90分で決着がつかず、延長戦に突入したが[[PK戦|PK]]により点を取られ逆転。点を奪えず2回戦敗退となった。 11月22日、クラブ運営会社(東京フットボールクラブ株式会社)の第三者割当増資(11億5000万円)を引き受け、発行済み株式の51.3%をクラブスポンサーである[[ミクシィ|ミクシィ(現・MIXI)]]に譲渡することを発表した。 12月5日、森下申一監督が退任。リーグ最終成績は15勝8分15敗で9位。 ==== 2022年 ==== {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #0000AA solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text=<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|''' 2022 J1 第16節 鹿島戦 布陣'''}}</span>}} {{Image label|x=0.27|y=0.31|scale=200|text=[[ディエゴ・オリヴェイラ|<span style="font-size: 8pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''ディエゴ・オリヴェイラ'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.48|scale=200|text=[[アダイウトン・ドス・サントス・ダ・シルバ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''アダイウトン'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.74|y=0.48|scale=200|text=[[渡邊凌磨|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''渡邊凌磨'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.63|scale=200|text=[[松木玖生|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''松木玖生'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.63|scale=200|text=[[安部柊斗|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''安部柊斗'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.72|scale=200|text=[[青木拓矢|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''青木拓矢'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.42|y=0.81|scale=200|text=[[東慶悟|<span style="font-size: 8pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''(東慶悟)'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.85|scale=200|text=[[小川諒也|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''小川諒也'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.92|scale=200|text=[[バングーナガンデ佳史扶|<span style="font-size: 5pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''(バングーナガンデ佳史扶)'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=1.05|scale=200|text=[[森重真人|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''森重真人'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=1.05|scale=200|text=[[木本恭生|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''木本恭生'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.77|y=0.85|scale=200|text=[[長友佑都|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''長友佑都'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.27|y=1.2|scale=200|text=[[ヤクブ・スウォビィク|<span style="font-size: 8pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#0000AA|white|'''ヤクブ・スウォビィク'''}}</span>]]}} {{Image label|x=0.6|y=1.37|scale=200|text=[[アルベル・プッチ・オルトネダ|<span style="font-size: 9pt; font-family:MS UI Gothic">{{colors|#EF0000|white|監督:'''アルベル'''}}</span>]]}} </div> |} チームスローガン:'''強く愛されるチームを目指して''' 前年度[[アルビレックス新潟]]を率いた[[アルベルト・プッチ・オルトネダ|アルベル・プッチ・オルトネダ]]が監督に就任、また、キャプテンには森重が復帰。 また、[[山下敬大]]、[[エンリケ・デ・ソウザ・トレヴィザン|エンリケ・トレヴィザン]]、[[ヤクブ・スウォビィク]]、[[木本恭生]]、高校サッカー選手権で活躍し注目された[[松木玖生]]などが加入。リーグ最終成績は14勝7分13敗で6位。ルヴァンカップはグループステージ敗退に終わった。 ==== 2023年 ==== アルベル体制2年目。[[サガン鳥栖]]から[[小泉慶]]、[[横浜F・マリノス]]から[[仲川輝人]]、[[ファジアーノ岡山FC|ファジアーノ岡山]]から[[徳元悠平]]を獲得した。また、[[いわてグルージャ盛岡]]に育成型期限付き移籍をしていた[[野沢大志ブランドン]]が復帰した。 開幕節となったホーム浦和戦では、オウンゴールと[[渡邊凌磨]]の得点で2-0で勝利。チームを勢いづけた。第10節終了時点での成績は4勝3分3敗の勝点15で順位も6位とまずまずの成績であった。しかし、苦手としているアウェイ[[アビスパ福岡|福岡]]戦に敗れた後に、アウェイ[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]戦で大敗した。第13節、国立競技場で開催された[[多摩川クラシコ]]では、徳元と安部の得点でリーグ戦としては5年ぶりとなる勝利を遂げた。しかし、第14節から第17節にかけて1分3敗、12位と低迷したのち、第17節終了後の6月14日、アルベル監督の退任が発表された。 6月16日、[[清水エスパルス]]や[[モンテディオ山形]]を指揮した[[ピーター・クラモフスキー]]が監督に就任した。 夏の移籍市場において、[[京都サンガFC]]から[[白井康介]]、[[アル・ナスルFC]](UAE)から[[ジャンジ・ブレノ・ソウザ・シウヴァ|ジャジャ・シルバ]]を完全移籍で獲得、そして[[セレッソ大阪]]から[[原川力]]を期限付き移籍で獲得した。 7月14日、安部柊斗の[[RWDモレンベーク]]([[ベルギー]])への完全移籍が発表された。 == 成績 == {{Main|FC東京の年度別成績一覧}} == 所属選手 == {{Main|FC東京の選手一覧}} === 国際大会選出選手 === <!-- FC東京及び下部組織在籍中に選出された選手に限る --> {| valign=top |valign=top| *[[FIFAワールドカップ]] **[[2006 FIFAワールドカップ|2006年]] - [[土肥洋一]]、[[茂庭照幸]] **[[2010 FIFAワールドカップ|2010年]] - [[今野泰幸]]、[[長友佑都]] **[[2014 FIFAワールドカップ|2014年]] - [[森重真人]]、[[権田修一]] **[[2022 FIFAワールドカップ|2022年]] - 長友佑都 *[[FIFAコンフェデレーションズカップ]] **[[FIFAコンフェデレーションズカップ2003|2003年]] - 土肥洋一 **[[FIFAコンフェデレーションズカップ2005|2005年]] - 土肥洋一、[[加地亮]]、茂庭照幸 **[[FIFAコンフェデレーションズカップ2013|2013年]] - [[高橋秀人]]、権田修一 *[[AFCアジアカップ]] **[[AFCアジアカップ2004|2004年]] - 土肥洋一、加地亮 **[[AFCアジアカップ2007|2007年]] - 今野泰幸、[[伊野波雅彦]] **[[AFCアジアカップ2011|2011年]] - 今野泰幸、権田修一 **[[AFCアジアカップ2015|2015年]] - 森重真人、[[太田宏介]]、[[武藤嘉紀]] **[[AFCアジアカップ2019|2019年]] - [[室屋成]] |valign=top| *[[オリンピックのサッカー競技|オリンピック]] **[[2004年アテネオリンピックのサッカー競技|2004年]] - 茂庭照幸、石川直宏、今野泰幸、[[徳永悠平]]<ref>{{Wayback|date=20120716155744|url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=2169|title=第28回オリンピック競技大会(アテネ/2004)サッカー男子 日本代表メンバーに茂庭照幸、今野泰幸、石川直宏、徳永悠平選手選出のお知らせ}} FC東京 2004.07.16</ref> **[[2008年北京オリンピックのサッカー競技|2008年]] - [[梶山陽平]]、長友佑都<ref>{{Wayback|date=20120714224151|url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=6495|title=国際親善試合(7/24@神戸)、キリンチャレンジカップALL FOR 2010!(7/29@東京)、第29回オリンピック競技大会(2008/北京)サッカー男子メンバーに長友佑都選手、梶山陽平選手選出のお知らせ}} FC東京 2008.07.14</ref> **[[2012年ロンドンオリンピックのサッカー競技|2012年]] - 徳永悠平、権田修一<ref>[http://www.fctokyo.co.jp/?p=148793 ロンドンオリンピック2012日本代表メンバー 徳永悠平選手、権田修一選手選出のお知らせ] FC東京 2012.07.02</ref> **2016年 - 室屋成、[[中島翔哉]] *[[アジア競技大会サッカー競技|アジア競技大会]] ** [[2002年アジア競技大会におけるサッカー競技|2002年]] - 石川直宏、茂庭照幸 ** [[2006年アジア競技大会におけるサッカー競技|2006年]] - [[平山相太]] ** [[2014年アジア競技大会におけるサッカー競技|2014年]] - [[中島翔哉]]、[[野澤英之]] ** [[2018年アジア競技大会におけるサッカー競技|2018年]] - [[岡崎慎]] |valign=top| *[[FIFA U-20ワールドカップ]] **[[2003 FIFAワールドユース選手権|2003年]] - 徳永悠平、[[鈴木規郎]]<ref>{{Wayback|date=20120716160138|url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=1751|title=U-20 日本代表FIFAワールドユース選手権大会UAE2003メンバーに鈴木規郎選手、徳永悠平選手選出のお知らせ}} FC東京 2003.11.17</ref> **[[2005 FIFAワールドユース選手権|2005年]] - [[増嶋竜也]]、梶山陽平<ref>{{Wayback|date=20120715030435|url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=2787|title=U-20日本代表(6/2~7/4)~FIFAワールドユース選手権大会オランダ2005~メンバーに、増嶋竜也選手、梶山陽平選出のお知らせ}} FC東京 2005.05.28</ref> **[[2017 FIFA U-20ワールドカップ|2017年]] - [[波多野豪]]、[[久保建英]] **[[2019 FIFA U-20ワールドカップ|2019年]] - [[田川亨介]]、[[原大智 (サッカー選手)|原大智]] *[[FIFA U-17ワールドカップ]] **[[2007 FIFA U-17ワールドカップ|2007年]] - [[廣永遼太郎]]<ref>{{Wayback|date=20120714180315|url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=5201|title=U-17日本代表チーム FIFA U-17ワールドカップ韓国2007(8/8〜9/13)メンバーにFC東京U-18所属の廣永遼太郎選手選出のお知らせ}} FC東京 (2007年8月6日)</ref> **[[2009 FIFA U-17ワールドカップ|2009年]] - [[廣木雄磨]]<ref>{{Wayback|date=20120507213453|url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=u_item&item=8549|title=FIFA U-17ワールドカップ ナイジェリア2009 U-17日本代表メンバーにFC東京U-18所属の廣木 雄磨選手選出のお知らせ}} FC東京 2009.10.05</ref> **[[2011 FIFA U-17ワールドカップ|2011年]] - [[野澤英之]]<ref>[http://www.fctokyo.co.jp/?p=154886 U-17日本代表 FIFA U-17ワールドカップ メキシコ2011(6/18~7/10)メンバーに、FC東京U-18所属の野沢 英之選手選出のお知らせ] FC東京 2011.06.03</ref> **[[2017 FIFA U-17ワールドカップ|2017年]] - 久保建英、[[平川怜]] **[[2019 FIFA U-17ワールドカップ|2019年]] - [[野澤大志ブランドン]]、[[角昂志郎]] |} ==ホームスタジアム== 前述の通り、本拠地は東京スタジアム(調布市)であるが、過去には[[東京都区部|都心23区]]の[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場|国立競技場]]や[[国立西が丘サッカー場]]{{R|jnews50}}や[[江戸川区陸上競技場]]、[[駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場]]でもホームゲームを開催している{{Refnest|group="注"|name="home-s"|東京スタジアム(味の素スタジアム)完成前の1999年は登録上は西が丘だったが<ref name="jnews50">{{Wayback|date=20010208112137|url=http://www.j-league.or.jp/j-news/J-News50-j.html#news50-3|title=Jリーグニュース第50号 ('99/01/01-'99/02/16)}} Jリーグ</ref>、夏季は芝生の張替え・育成や他のアマチュア大会に使う関係で江戸川を中心に、また秋季はアマチュア大会の日程の都合もあり駒沢で3試合主催した。2000年は西が丘がJ1基準を満たさないため、収容人員でJ1基準を満たす駒沢が名目上のホームスタジアムとなったが、夜間照明設備の不備により過半数を国立で開催<ref>{{Wayback|date=20000517134625|url=http://www.yomiuri.co.jp/hochi/soccer/nov/s19991130_60.htm|title=FC東京来季は国立が“ホーム”}}[[スポーツ報知]] (1999年11月30日)</ref>。}}。 [[2019年]]は[[ラグビーワールドカップ]]により、味の素スタジアムが使用できない時期は、8月から11月はアウェイ8連戦となった<ref name="hochi-190122">{{Cite web|和書|url=https://hochi.news/articles/20190121-OHT1T50199.html|title=【F東京】ルヴァン杯1次リーグで55年ぶり秩父宮開催|work=[[スポーツ報知]]|date=2019-01-22|accessdate=2019-02-15}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.football-zone.net/archives/164673|title=FC東京、敵地8連戦の"死のロード" ラグビーW杯開催の影響で本拠地が約3カ月使えず|work=Football ZONE WEB|date=2019-01-23|accessdate=2019-02-15}}</ref>。またルヴァンカップはグループステージは味スタがこれに伴う改修のため平日に使用できない都合で、2試合を[[秩父宮ラグビー場]]、残り1試合は[[さいたま市大宮公園サッカー場]](NACK5スタジアム大宮)にて主催する<ref name="hochi-190122" />。 また東京都外では[[鹿児島県立鴨池陸上競技場]]([[#2000年|2000年]])、[[香川県立丸亀競技場]](2000年・[[#2001年|2001年]])、[[石川県西部緑地公園陸上競技場]](2000年)、[[長野県松本平広域公園総合球技場]]([[#2006年|2006年]]。[[#2011年(J2)|2011年]]にはチャリティーマッチを開催)、[[熊谷スポーツ文化公園陸上競技場]](2011年)でホームゲームを開催した。 ===新スタジアム構想=== [[国立競技場]]については、新競技場への改修終了後、[[2020年東京オリンピック]]の大会後の活用後の一環として、球技場専用に改修の上で本拠地を味スタから移転させる構想が報道された<ref>[http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20161230-OHT1T50055.html 新国立、東京五輪後にJ本拠地に…F東京と鹿島が候補](2016年12月30日 スポーツ報知 2017年1月7日閲覧)</ref> が、ここを本拠地にするにしても使用料が高額になる恐れがあるとして、新国立にほど近い、[[代々木公園]]の[[代々木公園陸上競技場]]とサッカー・ホッケー球技場付近<ref>[https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/facilities039.html 施設について(サッカー・ホッケー場参照)]</ref> を改修して、4万人程度が収容可能なサッカー専用の競技場を建設する案を、複数の民間事業者が東京都に提案していることも分かった<ref>[http://www.hochi.co.jp/topics/20170729-OHT1T50036.html 代々木公園にサッカー専用スタジアム…25年まで完成へ複数民間事業者が都に提案](2017年7月29日 スポーツ報知 当日閲覧)</ref> と報じられている。 == 入場者記録 == {{色}} クラブは2012年発表の「2015VISION」<ref>[http://www.fctokyo.co.jp/?p=148001 「FC東京2015ビジョン」について] FC東京 (2012年2月1日)</ref> 及び2016年発表の「2020VISION」において<ref name="2020vis">[http://www.fctokyo.co.jp/?p=227507 FC東京2020VISION発表] FC東京 (2016年1月16日)</ref>、1試合平均動員数3万人を目標に掲げている。 {{Legend|#254294|'''J1'''}}{{Legend|#C50030|'''J2'''}} *略表記 {| valign=top |valign=top| *東・味:[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]](2001年以後登記本拠地) *西:[[国立西が丘サッカー場]](1999年登記本拠地) *駒:[[駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場|駒沢陸上競技場]](2000年登記本拠地) *江:[[江戸川区陸上競技場]] *国:[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場]] *秩:[[秩父宮ラグビー場]](2019年ルヴァン杯で使用) |valign=top| *鴨:[[鹿児島県立鴨池陸上競技場]] *丸:[[香川県立丸亀競技場]] *石:[[石川県西部緑地公園陸上競技場]] *松:[[長野県松本平広域公園総合球技場|サンプロ アルウィン]] *熊:[[熊谷スポーツ文化公園陸上競技場]] *N:[[さいたま市大宮公園サッカー場|NACK5スタジアム大宮]](2019年ルヴァン杯で使用) *レ:[[平塚競技場|レモンガススタジアム平塚]](2021年ルヴァン杯で使用) |} <!-- Databarの分母は「総数」の最大値を入力。2019年現在は2019年の536187。 --> {| class="wikitable" style="line-height:100%; white-space:nowrap; box-shadow: 4px 4px 4px #254294;" !年度!!総数!!1試合<br />平均!!ホーム<br />試合数!!会場!!{{0|00000000}}1試合平均入場者 / 総入場者{{0|00000000}}!!Jリーグ<br />公式!!備考 |- |1999||{{0}}62,963||{{0}}3,498||{{Center|18}}||{{Nowrap|西10、江5<br/>駒3}}{{R|home-s|group=注}} |{{DataBar|62963/536187|color=#FFAABF|ext={{DataBar/element|3498/536187|color=#C50030}}|title=3,498人 / 62,963人}}||[http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j2data/20100200_1_W0810_J.html]||{{R|home-s|group=注}} |- |2000||177,107||11,807||rowspan=5|{{Center|15}}||国10、駒2{{R|home-s|group=注}}<br />鴨1、丸1<br/>石1 |{{DataBar|177107/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|11807/536187|#254294}}|title=11,807人 / 177,107人}}||rowspan="2"|[http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j1data/20100100_2_W0810_J.html]||{{R|home-s|group=注}} |- |2001||334,698||22,313||東13、国1<br/>丸1 |{{DataBar|334698/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|22313/536187|#254294}}|title=22,313人 / 334,698人}}||<ref group=注>東京スタジアム完成</ref> |- |2002||332,597||22,173||東12、国3 |{{DataBar|332597/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|22173/536187|#254294}}|title=22,173人 / 332,597人}}||[http://www.j-league.or.jp/data/view.php?d=j1f&t=c_visitor&y=2002][http://www.j-league.or.jp/data/view.php?d=j1s&t=c_visitor&y=2002]|| rowspan="2" | |- |2003||373,978||24,932||味14、国1 |{{DataBar|373978/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|24932/536187|#254294}}|title=24,932人 / 373,978人}}||[http://www.j-league.or.jp/data/view.php?d=j1f&t=c_visitor&y=2003][http://www.j-league.or.jp/data/view.php?d=j1s&t=c_visitor&y=2003] |- |2004||381,575||25,438||味13、国2 |{{DataBar|381575/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|25438/536187|#254294}}|title=25,438人 / 381,575人}}||[http://www.j-league.or.jp/data/view.php?d=j1f&t=c_visitor&y=2004][http://www.j-league.or.jp/data/view.php?d=j1s&t=c_visitor&y=2004]||<ref group=注>東京スタジアム、命名権採用につき味の素スタジアムに改称</ref> |- |2005||460,721||27,101||rowspan=6|{{Center|17}}||味15、国2 |{{DataBar|460721/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|27101/536187|#254294}}|title=27,101人 / 460,721人}}||[http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j1f/2005010001_1_W0313_J.html]|| rowspan="5" | |- |2006||409,634||24,096||味14、国2<br/>松1 |{{DataBar|409634/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|24096/536187|#254294}}|title=24,096人 / 409,634人}}||[http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j1f/2006010001_1_W0313_J.html] |- |2007||429,934||25,290||味16、国1 |{{DataBar|429934/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|25290/536187|#254294}}|title=25,290人 / 429,934人}}||[http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j1f/2007010001_1_W0313_J.html] |- |2008||437,176||25,716||rowspan=3|味15、国2 |{{DataBar|437176/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|25716/536187|#254294}}|title=25,716人 / 437,176人}}||[http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j1f/2008010001_1_W0313_J.html] |- |2009||440,032||25,884 |{{DataBar|440032/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|25884/536187|#254294}}|title=25,884人 / 440,032人}}||[http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j1f/2009010001_1_W0313_J.html] |- |2010||426,899||25,112 |{{DataBar|426899/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|25112/536187|#254294}}|title=25,112人 / 426,889人}}||[http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j1f/2010010001_1_W0313_J.html]||<ref group=注>J2降格</ref> |- |2011||333,680||17,562||{{Center|19}}||味14、国3<br/>駒1、熊1 |{{DataBar|333680/536187|color=#FFAABF|ext={{DataBar/element|17562/536187|color=#C50030}}|title=17,562人 / 333,680人}}||[http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j2/2011020003_1_W0313_J.html]||<ref group=注>J1昇格(復帰)。天皇杯初優勝。</ref> |- |2012||407,243||23,955|| rowspan="9" |{{Center|17}}||味16、国1 |{{DataBar|407243/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|23955/536187|#254294}}|title=23,955人 / 407,243人}}||[http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j1f/2012010001_1_W0313_J.html]||<ref group=注>ACL初出場</ref> |- |2013||426,246||25,073||味14、国3 |{{DataBar|426246/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|25073/536187|#254294}}|title=25,073人 / 426,246人}}||[http://www.j-league.or.jp/SS/jpn/j1f/2013010001_1_W0313_J.html]|| rowspan="3" | |- |2014||428,184||25,187||味16、国1 |{{DataBar|428184/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|25187/536187|#254294}}|title=25,187人 / 428,184人}}||[http://data.j-league.or.jp/SFTD11/search?competition_year=2014&competition_frame=1&teamIds=22&teamType=1&teamFlag=0] |- |2015||489,336||28,784|| rowspan="6" |味17 |{{DataBar|489336/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|28784/536187|#254294}}|title=28,784人 / 489,336人}}||[http://data.j-league.or.jp/SFTD11/search?competition_year=2015&competition_frame=1&teamIds=22&teamType=1&teamFlag=0] |- |2016||408,623||24,037 |{{DataBar|408623/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|24037/536187|#254294}}|title=24,037人 / 489,336人}}||[http://data.j-league.or.jp/SFTD11/search?competition_year=2016&competition_frame=1&teamIds=22&teamType=1&teamFlag=0]||<ref group=注>ACL出場</ref> |- |2017||450,331||26,490 |{{DataBar|450331/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|26490/536187|#254294}}|title=26,490人 / 450,331人}}||[http://data.j-league.or.jp/SFTD11/search?competition_year=2017&competition_frame=1&teamIds=22&teamType=1&teamFlag=0]|| rowspan="2" | |- |2018||449,338||26,432 |{{DataBar|449338/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|26432/536187|#254294}}|title=26,432人 / 449,338人}}||[http://data.j-league.or.jp/SFTD11/search?competition_year=2018&competition_frame=1&teamIds=22&teamType=1&teamFlag=0] |- |2019||536,187||31,540 |{{DataBar|536187/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|31540/536187|#254294}}|title=31,540人 / 536,187人}}||[http://data.j-league.or.jp/SFTD11/search?competition_year=2019&competition_frame=1&teamIds=22&teamType=1&teamFlag=0]||<ref group="注">[[ラグビーワールドカップ2019]]開催に伴い、味スタでの主催試合を前半戦に集中し、後半戦はアウェー8連戦となった。</ref> |- |2020||100,522||5,913 |{{DataBar|100522/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|5913/536187|#254294}}|title=5,913人 / 100,522人}} |<ref>{{Cite web|title=J. League Data Site|url=https://data.j-league.or.jp/SFTD12/search?competitionFrameName=%EF%BC%AA%EF%BC%91%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0&teamFlag=0&page=&startCompetitionYear=2020&endCompetitionYear=2020&competitionFrame=1&teamIds=22|website=data.j-league.or.jp|accessdate=2021-04-03}}</ref> |- |2021||135,637||7,139||{{Center|19}}||味19 |{{DataBar|135637/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|7139/536187|#254294}}|title=5,913人 / 100,522人}} |<ref>{{Cite web |title=J. League Data Site |url=https://data.j-league.or.jp/SFTD12/search?competitionFrameName=%EF%BC%AA%EF%BC%91%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0&teamFlag=0&page=&startCompetitionYear=2021&endCompetitionYear=2021&competitionFrame=1&teamIds=22# |website=data.j-league.or.jp |accessdate=2022-02-09}}</ref>||<ref group="注">新型コロナウイルスの影響による特例ルールで2020年はJ2への降格チームが無く20チームでの開催</ref> |- |2022||379,256||22,309|| rowspan="2" |{{Center|17}}||味15、国2 |{{DataBar|379256/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|22309/536187|#254294}}|title=22,309人 / 379,256人}} |<ref>{{Cite web |title=J. League Data Site |url=https://data.j-league.or.jp/SFTD12/search?competitionFrameName=%EF%BC%AA%EF%BC%91%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0&teamFlag=0&page=&startCompetitionYear=2021&endCompetitionYear=2022&competitionFrame=1&teamIds=22# |website=data.j-league.or.jp |accessdate=2023-05-31}}</ref>|| |- |2023|| 499,965|| 29,410|| 味15、国2 |{{DataBar|499965/536187|color=#a7c9ef|ext={{DataBar/element|29410/536187|#254294}}|title=29,410人 / 499,965人}} | |- | | | | | | | |} ※2020年度、2021年度は新型コロナウイルスの影響で当チームに限らず、Jリーグすべてのチームで観客数が減少した。 {{Location_map_with_crop|Japan |resizeX=620|resizeY=560|cWidth=320|cHeight=210|oTop=310|oLeft=50|width=320|float=right |places={{Location_map~|Japan|lat_deg=36|lat_min=9|lat_sec=49.92|lon_deg=139|lon_min=24|lon_sec=39.55|mark=Red-blue pog.svg|position=right|label_size=90|background=#FF9|label=熊}} {{Location_map~|Japan|lat_deg=36|lat_min=10|lat_sec=46.93|lon_deg=137|lon_min=55|lon_sec=1.79|mark=Red-blue pog.svg|position=top|label_size=90|background=#FF9|label=松}} {{Location_map~|Japan|lat_deg=36|lat_min=34|lat_sec=32.88|lon_deg=136|lon_min=36|lon_sec=19.28|mark=Red-blue pog.svg|position=left|label_size=90|background=#FF9|label=石}} {{Location_map~|Japan|lat_deg=34|lat_min=15|lat_sec=41.86|lon_deg=133|lon_min=47|lon_sec=9.29|mark=Red-blue pog.svg|position=bottom|label_size=90|background=#FF9|label=丸}} {{Location_map~|Japan|lat_deg=31|lat_min=33|lat_sec=53.39|lon_deg=130|lon_min=33|lon_sec=63.37|mark=Red-blue pog.svg|position=right|label_size=90|background=#FF9|label=鴨}} |caption=都外試合会場の所在地}} * リーグ戦のみ(関連:[[日本プロサッカーリーグ#歴代入場者数]])。 *総入場者数 **2001年{{0}}9月29日:{{0}}50万人到達 - J1 2nd第{{0}}7節 vs[[浦和レッドダイヤモンズ]] (国立霞ヶ丘陸上競技場) **2003年{{0}}7月{{0}}6日:100万人到達 - J1 1st第11節 vs[[ベガルタ仙台]] (味の素スタジアム) **2005年10月15日:200万人到達 - J1第27節 vs[[サンフレッチェ広島F.C]] (味の素スタジアム) **2008年{{0}}3月30日:300万人到達 - J1第{{0}}3節 vs[[京都サンガF.C.]] (味の素スタジアム) **2010年{{0}}7月17日:400万人到達 - J1第13節 vs[[ヴィッセル神戸]] (味の素スタジアム) **2012年12月{{0}}1日:500万人到達 - J1第34節 vsベガルタ仙台 (味の素スタジアム) **2015年{{0}}5月10日:600万人到達 - J1 1st第11節 vs[[鹿島アントラーズ]] (味の素スタジアム)<ref>[http://www.jleague.jp/news/article/1435 【FC東京】Jリーグ通算来場者数600万人達成] Jリーグ (2015年5月11日)</ref> **2017年{{0}}7月13日:700万人到達 - J1 1st第18節 vs鹿島アントラーズ (味の素スタジアム)<ref>[https://www.fctokyo.co.jp/news/detail?p=267438 【御礼】Jリーグ通算来場者数700万人達成に関して] FC東京 (2017年7月13日)</ref> **2019年{{0}}7月14日:800万人到達 - J1 1st第19節 vs[[川崎フロンターレ]] (味の素スタジアム)<ref>[https://www.fctokyo.co.jp/news/10360 【御礼】Jリーグ通算来場者数800万人達成に関して] FC東京 (2019年7月15日)</ref> ===カップ戦(Jリーグカップ・ACL)主催試合会場別試合数=== {| class="wikitable" style="line-height:90%; box-shadow: 4px 4px 4px #254294;" !年度!!Jリーグ杯!!ACL||備考 |- |1999||西2、江1||rowspan="13"|{{Center|不参加}}|| |- |2000||江1||(リーグ杯)2回戦からシード |- |2001||東2|| |- |2002||東2、国1<br/>駒1||(リーグ杯)東スタ=決勝T1を含む |- |2003||味1、国1<br/>駒2||(リーグ杯)味スタ=決勝T1のみ |- |2004||味3、国2||(リーグ杯)味スタ・国立とも=決勝T各1含む<ref group="注" name="ナ杯決勝">国立で行われる決勝戦は中立地開催扱いのため含めず。</ref> |- |2005||味3|| |- |2006||味2、国3|| |- |2007||味2、国2||rowspan=2|(リーグ杯)味スタ=決勝T1含む |- |2008||味3、国1、松1 |- |2009||味3、国1、駒1||(リーグ杯)味スタ=決勝T2を含む{{R|ナ杯決勝|group=注}} |- |2010||味2、国1、駒1||(リーグ杯)味スタ=決勝T1を含む |- |2011||{{Center|不参加}}|| |- |2012||味2||東<ref group="注" name="acl">ACLにおいては、ネーミングライツが禁じられていることから「東京スタジアム」の表記を用いる。</ref> 1、国2||(リーグ杯)ACL出場のため決勝Tにシード |- |2013||味1、国1、駒1||rowspan=3|{{Center|不参加}}|| |- |2014||味3|| |- |2015||味4||(リーグ杯)味スタ=決勝T1を含む |- |2016||味2||東{{R|acl|group=注}}5||(ACL)プレーオフ1を含む<br>(リーグ杯)ACLプレーオフ勝利のためリーグ杯予選は免除<ref group="注">プレーオフに敗退した場合、リーグ杯予選を味スタで3試合開催予定だった。</ref> |- |2017||味4||rowspan=3|{{Center|不参加}}||(リーグ杯)プライムステージ(決勝トーナメント)1を含む。 |- |2018||味3 |- |2019||秩2、N2||(リーグ杯)味スタが[[ラグビーワールドカップ2019]]開催に伴う施設改修工事のため、<br/>主催試合を秩父宮ラグビー場とNACK5スタジアム大宮に変更、うちNACKはプライムS1を含む。 |- |2020||味1||東{{R|acl|group=注}}1||(ACL)プレーオフ1を含む<br>第三戦以降は新型コロナ対策のため中立地開催<br>(リーグ杯)ACLプレーオフ勝利のためリーグ杯予選は免除 |- |2021||味4、駒1、レ1|| rowspan="3" |{{Center|不参加}}||(リーグ杯)味スタが[[2020年東京オリンピック]]開催のため、<br/>主催試合の一部を駒沢とレモンSに変更、うちレモンSはプレーオフステージで使用。 |- |2022||味3|| |- |2023 |味4 | |- | |} === 年齢構成 === <ref>[http://www.jleague.jp/aboutj/spectator-survey/ 観戦者調査 サマリーレポート] Jリーグ</ref> {| class="wikitable" style="text-align:center; white-space:nowrap; line-height:90%; box-shadow: 4px 4px 4px #254294;" !rowspan=2|年度!!rowspan=2|平均年齢<br />{{smaller|(Jリーグ平均)}}!!colspan=7|年齢構成分布 |- !18歳<br/>以下!!19~<br/>22歳!!23~<br/>29歳!!30~<br/>39歳!!40~<br/>49歳!!50~<br />59歳!!60歳<br />以上 |- |rowspan=2|2004||rowspan=2|32.5歳{{smaller|(34.7歳)}}||12.0||6.8||23.9||34.2||15.4||colspan=2|7.7 |- |colspan=7|{{DataBar|1|flip=1|color=#F00|ext={{DataBar/element|.888|flip=1|#FF0}}{{DataBar/element|.812|flip=1|#0F0}}{{DataBar/element|.573|flip=1}}{{DataBar/element|.231|flip=1|#00F}}|{{DataBar|.077|flip=1|gradient={{gradient|#F0F|#000}}}}}} |- |rowspan=2|2005||rowspan=2|31.7歳{{smaller|(35.4歳)}}||9.5||9.7||24.7||35.0||16.6||colspan=2|4.5 |- |colspan=7|{{DataBar|1|flip=1|color=#F00|ext={{DataBar/element|.905|flip=1|#FF0}}{{DataBar/element|.808|flip=1|#0F0}}{{DataBar/element|.561|flip=1}}{{DataBar/element|.211|flip=1|#00F}}|{{DataBar|.045|flip=1|gradient={{gradient|#F0F|#000}}}}}} |- |rowspan=2|2006||rowspan=2|35.1歳{{smaller|(35.9歳)}}||5.6||3.6||23.0||37.2||20.1||colspan=2|10.5 |- |colspan=7|{{DataBar|1|flip=1|color=#F00|ext={{DataBar/element|.944|flip=1|#FF0}}{{DataBar/element|.908|flip=1|#0F0}}{{DataBar/element|.678|flip=1}}{{DataBar/element|.306|flip=1|#00F}}|{{DataBar|.105|flip=1|gradient={{gradient|#F0F|#000}}}}}} |- |rowspan=2|2007||rowspan="2"|34.0歳{{smaller|(36.5歳)}}||5.8||9.5||22.0||35.3||21.1||colspan=2|6.4 |- |colspan=7|{{DataBar|1|flip=1|color=#F00|ext={{DataBar/element|.943|flip=1|#FF0}}{{DataBar/element|.848|flip=1|#0F0}}{{DataBar/element|.628|flip=1}}{{DataBar/element|.275|flip=1|#00F}}|{{DataBar|.064|flip=1|gradient={{gradient|#F0F|#000}}}}}} |- |rowspan=2|2008||rowspan="2"|37.5歳{{smaller|(37.4歳)}}||5.8||4.7||13.2||33.4||30.1||colspan=2|12.9 |- |colspan=7|{{DataBar|1|flip=1|color=#F00|ext={{DataBar/element|.943|flip=1|#FF0}}{{DataBar/element|.896|flip=1|#0F0}}{{DataBar/element|.764|flip=1}}{{DataBar/element|.430|flip=1|#00F}}|{{DataBar|.129|flip=1|gradient={{gradient|#F0F|#000}}}}}} |- |rowspan=2|2009||rowspan="2"|38.1歳{{smaller|(37.3歳)}}||6.1||4.3||13.8||32.9||26.8||colspan=2|16.1 |- |colspan=7|{{DataBar|1|flip=1|color=#F00|ext={{DataBar/element|.939|flip=1|#FF0}}{{DataBar/element|.896|flip=1|#0F0}}{{DataBar/element|.758|flip=1}}{{DataBar/element|.429|flip=1|#00F}}|{{DataBar|.161|flip=1|gradient={{gradient|#F0F|#000}}}}}} |- |rowspan=2|2010||rowspan="2"|38.8歳{{smaller|(38.2歳)}}||3.8||8.3||11.2||29.6||28.7||colspan=2|18.3 |- |colspan=7|{{DataBar|1|flip=1|color=#F00|ext={{DataBar/element|.961|flip=1|#FF0}}{{DataBar/element|.878|flip=1|#0F0}}{{DataBar/element|.766|flip=1}}{{DataBar/element|.470|flip=1|#00F}}|{{DataBar|.183|flip=1|gradient={{gradient|#F0F|#000}}}}}} |- |rowspan=2|2011||rowspan=2|37.6歳{{smaller|(38.6歳)}}||8.1||5.2||15.1||25.3||30.5||colspan=2|15.7 |- |colspan=7|{{DataBar|1|flip=1|color=#F00|ext={{DataBar/element|.918|flip=1|#FF0}}{{DataBar/element|.866|flip=1|#0F0}}{{DataBar/element|.715|flip=1}}{{DataBar/element|.462|flip=1|#00F}}|{{DataBar|.157|flip=1|gradient={{gradient|#F0F|#000}}}}}} |- |rowspan=2|2012||rowspan=2|37.2歳{{smaller|(39.0歳)}}||11.1||7.5||12.9||23.7||26.9||colspan=2|18.0 |- |colspan=7|{{DataBar|1|flip=1|color=#F00|ext={{DataBar/element|.890|flip=1|#FF0}}{{DataBar/element|.815|flip=1|#0F0}}{{DataBar/element|.686|flip=1}}{{DataBar/element|.449|flip=1|#00F}}|{{DataBar|.180|flip=1|gradient={{gradient|#F0F|#000}}}}}} |- |rowspan=2|2013||rowspan=2|39.8歳{{Smaller|(39.5歳)}}||6.7||3.5||11.0||25.5||31.7||14.8||6.7 |- |colspan=7|{{DataBar|1|color=#000|ext={{DataBar/element|.932|#F0F}}{{DataBar/element|.784|#00F}}{{DataBar/element|.467}}{{DataBar/element|.212|#0F0}}{{DataBar/element|.102|#FF0}}|{{DataBar|.067|color=#F00}}}} |- |rowspan=2|2014||rowspan=2|43.1歳{{Smaller|(40.4歳)}}||3.1||4.0||9.3||20.7||32.3||18.9||11.6 |- |colspan=7|{{DataBar|1|color=#000|ext={{DataBar/element|.883|#F0F}}{{DataBar/element|.694|#00F}}{{DataBar/element|.371}}{{DataBar/element|.164|#0F0}}{{DataBar/element|.071|#FF0}}|{{DataBar|.031|color=#F00}}}} |- |rowspan=2|2015||rowspan=2|42.2歳{{Smaller|(41.1歳)}}||5.2||5.7||8.1||19.0||31.0||20.6||10.4 |- |colspan=7|{{DataBar|1|color=#000|ext={{DataBar/element|.896|#F0F}}{{DataBar/element|.690|#00F}}{{DataBar/element|.380}}{{DataBar/element|.190|#0F0}}{{DataBar/element|.109|#FF0}}|{{DataBar|.052|color=#F00}}}} |- |rowspan=2|2016||rowspan=2|40.2歳{{Smaller|(41.6歳)}}||9.1||5.1||10.0||20.3||28.1||19.2||8.1 |- |colspan=7|{{DataBar|1|color=#000|ext={{DataBar/element|.918|#F0F}}{{DataBar/element|.726|#00F}}{{DataBar/element|.445}}{{DataBar/element|.242|#0F0}}{{DataBar/element|.142|#FF0}}|{{DataBar|.091|color=#F00}}}} |- |rowspan=2|2017||rowspan=2|42.1歳{{Smaller|(41.7歳)}}||9.8||7.3||8.1||12.0||28.3||22.4||12.0 |- |colspan=7|{{DataBar|1|color=#000|ext={{DataBar/element|.879|#F0F}}{{DataBar/element|.656|#00F}}{{DataBar/element|.373}}{{DataBar/element|.253|#0F0}}{{DataBar/element|.172|#FF0}}|{{DataBar|.098|color=#F00}}}} |- |rowspan=2|2018||rowspan=2|42.1歳{{Smaller|(41.9歳)}}||5.7||7.9||9.8||15.8||28.8||21.5||10.6 |- |colspan=7|{{DataBar|1|color=#000|ext={{DataBar/element|.894|#F0F}}{{DataBar/element|.679|#00F}}{{DataBar/element|.391}}{{DataBar/element|.233|#0F0}}{{DataBar/element|.135|#FF0}}|{{DataBar|.057|color=#F00}}}} |- |rowspan=2|2019||rowspan=2|42.4歳{{Smaller|(42.8歳)}}||6.7||7.0||8.6||11.6||27.0||22.2||12.0 |- |colspan=7|{{DataBar|1|color=#000|ext={{DataBar/element|.880|#F0F}}{{DataBar/element|.658|#00F}}{{DataBar/element|.388}}{{DataBar/element|.222|#0F0}}{{DataBar/element|.136|#FF0}}|{{DataBar|.067|color=#F00}}}} |} == タイトル == {{multiple image |align=right|direction=vertical|width=300 |image1=Yamazaki-nabisco-Cup_final_2004.jpg|caption1=2004年のJリーグヤマザキナビスコカップ決勝|alt1=国立霞ヶ関陸上競技場 |image2=|caption2=2009年のJリーグヤマザキナビスコカップ決勝|alt2=国立霞ヶ関陸上競技場 }} === 国内タイトル === * '''[[J2リーグ]]:1回''' ** [[2011年のJリーグ|2011]] * '''[[Jリーグカップ]]:3回''' ** [[2004年のJリーグカップ|2004]], [[2009年のJリーグカップ|2009]], [[2020年のJリーグカップ|2020]] * '''[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会]]:1回''' ** [[第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2011]] === 国際タイトル === * '''[[Jリーグカップ/コパ・スダメリカーナ王者決定戦]]:1回''' ** [[スルガ銀行チャンピオンシップ2010|2010]] === その他 === * [[静岡第一テレビ|SDT]]カップ ([[プレシーズンマッチ]]):1回 ** 2003 * [[JリーグDAZNニューイヤーカップ]] ** 沖縄ラウンド:1回 *** 2016 * {{仮リンク|トロフェオ・ファンアクーニャ|label=フアン・アクーニャカップ|gl|Trofeo_Juan_Acuña}} ([[プレシーズンマッチ]]):1回 ** 2004 === 個人別 === ==== Jリーグ ==== {| valign=top |- |valign=top| ;[[Jリーグベストイレブン|ベストイレブン]] :* [[2000年のJリーグ|2000年]] {{Flagicon|BRA}}[[リボニール・ルッシェル|ツゥット]] :* [[2004年のJリーグ|2004年]] [[土肥洋一]] :* [[2009年のJリーグ|2009年]] [[長友佑都]]、[[石川直宏]] :* [[2013年のJリーグ|2013年]] [[森重真人]] :* [[2014年のJリーグ|2014年]] 森重真人、[[太田宏介]]、[[武藤嘉紀]] :* [[2015年のJリーグ|2015年]] 森重真人、太田宏介 :* [[2016年のJリーグ|2016年]] 森重真人 :* [[2019年のJリーグ|2019年]] [[林彰洋]]、[[室屋成]]、森重真人、[[橋本拳人]]、[[ディエゴ・オリヴェイラ]]、[[永井謙佑]] ;優秀選手賞(ベストイレブンは除く) :* [[2001年のJリーグ|2001年]] [[佐藤由紀彦]] :* [[2002年のJリーグ|2002年]] 土肥洋一 :* [[2003年のJリーグ|2003年]] 土肥洋一、[[宮沢正史]]、石川直宏、{{Flagicon|BRA}}[[クレズリー・エバンドロ・ギマラエンス|ケリー]] :* 2004年 [[茂庭照幸]]、{{Flagicon|BRA}}[[ジャーン・カルロ・ウィッテ|ジャーン]]、[[今野泰幸]] :* [[2005年のJリーグ|2005年]] 土肥洋一、今野泰幸 :* [[2008年のJリーグ|2008年]] 長友佑都 :* 2009年 [[徳永悠平]]、今野泰幸 :* [[2010年のJリーグ|2010年]] 今野泰幸 :* 2013年 太田宏介 :* 2019年 [[髙萩洋次郎]] :* [[2020年のJリーグ|2020年]] 森重真人、ディエゴ・オリヴェイラ |valign=top| ;優秀新人賞 :* 2002年 宮沢正史 :* 2004年 [[梶山陽平]] :* 2008年 長友佑都 :* 2009年 [[米本拓司]] ;[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー個人賞|フェアプレー個人賞]] :* 2003年 石川直宏 :* 2005年 茂庭照幸 :* 2016年 [[秋元陽太]] ;[[Jリーグアウォーズ#過去に存在した表彰|J2 Most Exciting Player]] :* [[2011年のJリーグ|2011年]] 今野泰幸 ;[[月間MVP (日本プロサッカーリーグ)|月間MVP]] :*2013年9月 [[長谷川アーリアジャスール]] :*2015年3月 武藤嘉紀 :*2018年4月 ディエゴ・オリヴェイラ :*2019年4月 ディエゴ・オリヴェイラ ;月間優秀監督賞 :*2019年4月 [[長谷川健太]] :*2021年6月 長谷川健太 |} ==== Jリーグ杯 ==== * [[Jリーグカップ#ニューヒーロー賞|ニューヒーロー賞]] ** [[1999年のJリーグカップ|1999年]] 佐藤由紀彦 ** [[2009年のJリーグカップ|2009年]] 米本拓司 * [[Jリーグカップ#最優秀選手賞|最優秀選手(MVP)]] ** [[2004年のJリーグカップ|2004年]] 土肥洋一 ** 2009年 米本拓司 ** 2020年 [[ウェベルソン・レアンドロ・オリベイラ・モウラ|レアンドロ]] === その他受賞 === *[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞(高円宮杯)|Jリーグフェアプレー賞高円宮杯]] ** 2019年 *[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞(高円宮杯)|J1フェアプレー賞]] ** 2017年、2018年、2021年 *[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞(高円宮杯)|J2フェアプレー賞]] ** 2011年 *[[Jリーグアウォーズ#最優秀育成クラブ賞|最優秀育成クラブ賞]] ** 2010年、2017年、2023年 *[[アジアサッカー連盟]] 月間最優秀監督賞 ** 2000年3月 [[大熊清]] *東京都環境賞 ** 2007年 *府中市民スポーツ優秀賞 ** 2009年 == ユニフォーム == {{ユニフォームの色2 | F正シャツ=青×赤|F正パンツ=青|F正ストッキング=青 | F副シャツ=白|F副パンツ=白|F副ストッキング=白 | G正シャツ=黄|G正パンツ=黄|G正ストッキング=黄 | G副シャツ=黒|G副パンツ=黒|G副ストッキング=黒 | G第3シャツ=水色|G第3パンツ=水色|G第3ストッキング=水色 | pattern_la1 = _FC Tokyo 2023 HOME FP | pattern_b1 = _FC Tokyo 2023 HOME FP | pattern_ra1 = _FC Tokyo 2023 HOME FP | pattern_sh1 = _FC Tokyo 2023 HOME FP | pattern_so1 = _FC Tokyo 2023 HOME FP | leftarm1 = FFFFFF | body1 = FFFFFF | rightarm1 = FFFFFF | shorts1 = 0000B8 | socks1 = FF0000 | pattern_la2 = _FC Tokyo 2023 AWAY FP | pattern_b2 = _FC Tokyo 2023 AWAY FP | pattern_ra2 = _FC Tokyo 2023 AWAY FP | pattern_sh2 = _FC Tokyo 2023 AWAY FP | pattern_so2 = _FC Tokyo 2023 AWAY FP | leftarm2 = FFFFFF | body2 = FFFFFF | rightarm2 = FFFFFF | shorts2 = 000000 | socks2 = FFFFFF |pattern_la3= |pattern_b3= |pattern_ra3= |pattern_sh3= |pattern_so3= |leftarm3= ffd900 |body3= ffd900 |rightarm3= ffd900 |shorts3= ffd900 |socks3= ffd900 |pattern_la4= |pattern_b4= |pattern_ra4= |pattern_sh4= |pattern_so4= |leftarm4= 2b2b2b |body4= 2b2b2b |rightarm4= 2b2b2b |shorts4= 2b2b2b |socks4= 2b2b2b |pattern_la5= |pattern_b5= |pattern_ra5= |pattern_sh5= |pattern_so5= |leftarm5=aad5ff |body5=aad5ff |rightarm5=aad5ff |shorts5=aad5ff |socks5=aad5ff }} === チームカラー === *{{colorbox|#254294}} 青、{{colorbox|#C50030}} 赤{{R|jleague}}<ref group="注">ガスの炎の色を表す。東京ガスを母体とするスポーツチームの多くが、ユニフォームを同系統の配色としている。詳細は[[東京ガス#スポーツとのかかわり]]を参照。</ref> === ユニフォームスポンサー === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #C50030; 4px 4px 4px #254294;" |- style="text-align:center; background-color:#254294; color:#FFF; font-weight:bold;" |掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考 |- !胸 |[[MIXI]]||MIXI||2019年 - ||2018年は鎖骨右側に表記<br/>2018年 - 2021年は「XFLAG」表記 |- !rowspan="2"|鎖骨 |[[東京ガス]]||TOKYO GAS||2016年<br/>2020年 - ||左側に提出<br/>2020年は胸(ACL用)<br/>2016年、2020年 - 2022年は鎖骨両側 |- |[[三井物産]]||MITSUI&CO.||2023年 - ||右側に提出<br/>2021年 - 2022年は袖 |- !背中上部 |[[三菱商事]]||Mitsubishi<br/>Corporation||2017年 - ||2010年 - 2011年は袖<br/>2012年 - 2016年は背中下部 |- !背中下部 |なし||-||-|| |- !袖 |なし||-||-|| |- !パンツ前面 |東京ガス||TOKYO GAS||2003年 - || |- !パンツ背面 |なし||-||-|| |} === ユニフォームサプライヤーの遍歴 === * 1999年 - 2014年:[[アディダス]] * 2015年 - 2020年:[[アンブロ]] * 2021年<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.fctokyo.co.jp/news/11876 |title=ニューバランスとのオフィシャルサプライヤー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2020-12-02|accessdate=2020-12-03}}</ref> - 現在:[[ニューバランス]] === 歴代ユニフォーム === {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #C50030; font-size:smaller; 4px 4px 4px #254294;" |- style="color:#254294; font-weight:bold;" !colspan=5|FP 1st |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_FCTOKYO_99h|pattern_b= _FC Tokyo 1999 - 2000 HOME FP|pattern_ra=_FCTOKYO_99h|pattern_sh=_FCTOKYO_99h|pattern_so= _FC Tokyo 1999 - 2000 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=00F|title={{Center|1999 - 2000}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_FCTOKYO_01h|pattern_b= _FC Tokyo 2001 HOME FP|pattern_ra=_FCTOKYO_01h|pattern_sh=_FCTOKYO_01h|pattern_so= _FC Tokyo 2001 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=00F|title={{Center|2001 - 2002}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_FCTOKYO_03h|pattern_b= _FC Tokyo 2003 HOME FP|pattern_ra=_FCTOKYO_03h|pattern_sh=_ALBIREX_03h|pattern_so=_3_stripes_red |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=F00|socks=00F|title={{Center|2003 - 2004}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_FCTOKYO_05h|pattern_b= _FC Tokyo 2005 HOME FP|pattern_ra=_FCTOKYO_05h|pattern_sh=_FCTOKYO_05h|pattern_so=_redtopline |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=00F|title={{Center|2005 - 2006}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_tokyo07h|pattern_b=_tokyo07h|pattern_ra=_tokyo07h|pattern_sh=_FCTOKYO_07h|pattern_so=_FCTOKYO_07h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=00F|title={{Center|2007}}}} |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_FCTOKYO_08h|pattern_b= _FC Tokyo 2008 - 2009 HOME FP|pattern_ra=_FCTOKYO_08h|pattern_sh=_FCTOKYO_08h|pattern_so= _FC Tokyo 2008 - 2009 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=00F|title={{Center|2008 - 2009}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_tokyo1011h|pattern_b=_tokyo1011h|pattern_ra=_tokyo1011h|pattern_sh=_FCTOKYO_10h|pattern_so=_3_stripes_red |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=00F|title={{Center|2010 - 2011}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_tokyo1112h|pattern_b=_tokyo1112h|pattern_ra=_tokyo1112h|pattern_sh=_FCTOKYO_12h|pattern_so=_FCTOKYO_12h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2012}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_FCTOKYO_13h|pattern_b= _FC Tokyo 2013 - 2014 HOME FP|pattern_ra=_FCTOKYO_13h|pattern_sh=_FCTOKYO_13h|pattern_so=_FCTOKYO_12h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2013 - 2014}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_fctokyo15h|pattern_b=_fctokyo15H|pattern_ra=_fctokyo15h|pattern_sh=_manutda0203|pattern_so= |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=00F|socks=00F|title={{Center|2015}}}} |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la= _FC Tokyo 2016 HOME FP|pattern_b= _FC Tokyo 2016 HOME FP|pattern_ra= _FC Tokyo 2016 HOME FP|pattern_sh= 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rowspan="19"|解禁前||rowspan="10"|[[東京ガスライフバル|Enesta]]||rowspan="10"|-||rowspan="11"|[[東京電力|TEPCO]]||rowspan="3"|解禁前||rowspan="21"|解禁前||rowspan="16"|[[アディダス|adidas]] |- |2000 |- |2001 |- |2002||rowspan="8"|[[新日本石油|ENEOS]]||[[am/pm]] |- |2003||rowspan="16"|[[東京ガス|TOKYO GAS]] |- |2004 |- |2005 |- |2006 |- |2007 |- |2008 |- |2009||rowspan="8"|-||[[東京ガスライフバル|LIFEVAL]] |- |2010||rowspan="2"|[[東京ガスライフバル|LIFEVAL]]||[[東京電力|TEPCO]]||rowspan="2"|[[三菱商事|Mitsubishi<br>Corporation]] |- |2011||[[東京電力|TEPCO]] / <br/>-{{Refnest|group="注"|2011年4月に諸事情<!--[[福島第一原子力発電所事故]]の影響-->により掲示を中止<ref>[http://www.fctokyo.co.jp/?p=146800 東京電力様に関する対応について] FC東京 2011.04.28</ref>。}} |- |2012||[[東京ガスライフバル|LIFEVAL]]<ref group="注">ACL予選ラウンド</ref> / <br/>[[:en:Malaysia LNG|MALAYSIA<br/>LNG]]<ref group="注">ACL決勝ラウンド</ref>||[[三菱商事|Mitsubishi Corporation]]||rowspan="6"|[[JXTGエネルギー|ENEOS]] |- |2013||rowspan="3"|[[東京ガスライフバル|LIFEVAL]]||rowspan="4"|[[三菱商事|Mitsubishi<br/>Corporation]] |- |2014 |- |2015||rowspan="6"|[[アンブロ|UMBRO]] |- |2016||[[東京ガスライフバル|LIFEVAL]] / <br/>[[東京ガス|TOKYO GAS]]<br/>(ACL) |- |2017||rowspan="2"|[[東京ガスライフバル|LIFEVAL]]||rowspan="7"|[[三菱商事|Mitsubishi<br/>Corporation]]||rowspan="2"|- |- |2018||-||[[ミクシィ|XFLAG]]||[[ユーロスポーツ (商業施設)|ES<br/>{{smaller|EURO SPORTS}}]] |- |2019||[[ミクシィ|XFLAG]]||colspan="2" rowspan="2"|-||rowspan="4"|[[東京ガスライフバル|LIFEVAL]]||rowspan="2" colspan="2"|[[東京ガス|TOKYO GAS]] |- |2020||[[ミクシィ|XFLAG]] / <br/>[[東京ガス|TOKYO GAS]]<br/>(ACL)||rowspan="4"|- |- |2021||[[ミクシィ|XFLAG]]||rowspan="2" colspan="2"|[[東京ガス|TOKYO GAS]]||rowspan="2"|[[三井物産|MITSUI&CO.]]||rowspan="3"|[[東京ガス|TOKYO GAS]]||rowspan="3"|[[ニューバランス|New Balance]] |- |2022||rowspan="2"|[[ミクシィ|MIXI]] |- |2023||[[東京ガス|TOKYO GAS]]||[[三井物産|MITSUI&CO.]]||-||- |} * Jリーグの他チームは背番号の上にスポンサー・下に選手名を表記しているが、FC東京は2009年 - 2016年は反対(背番号の上に選手名・下にスポンサー)表記だった<ref group="注">Jリーグでは2016年から背中の広告に関してこれまでの上部だけでなく裾部分の下部にも掲出が可能になったが、FC東京ではそれ以前から下部にスポンサーを掲出していたことになる。2016年以前に下部にロゴを提出していた例として[[ガンバ大阪]]と[[柏レイソル]]がある(G大阪は1992年 - 1996年の間、FC東京と同様背番号の下の箇所に当時スポンサーだった[[パナソニック|松下電器産業]](「National/Panasonic」、もしくは「Matsushita Electric Industrial Co., Ltd. 」)のロゴを入れていた。柏の場合は2014年から上部にスポンサーの[[アメリカンファミリー生命保険会社|Aflac]]、下部に柏が支援している[[セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン]]のロゴが無償提出されていた。また、2016年 - 2018年は下部に無償ロゴのセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンに加え有償のスポンサーの [http://www.zeal-holdings.co.jp/ ジールホールディングス] を掲出していた。)</ref>。 * タイトル獲得チームであるが、タイトル獲得を表す星は入っていない<ref group="注">他のタイトル獲得経験のあるJリーグチームでは[[清水エスパルス]]が挙げられる。2012年までは[[湘南ベルマーレ]]も同様だった。</ref>。 == FC東京U-23 == {{サッカークラブ| |font-color= #FFF |background-color= #254294 |border-color= #C50030 |クラブ名=FC東京U-23 |原語表記=FC東京U-23 |愛称= |カラー= |創設=2016 |解散=2019 |ディビジョン= |クラブライセンス= |ホームタウン= |スタジアム= |キャパ= |法人名= |監督= |HP= }} '''FC東京U-23'''(エフシーとうきょう・アンダートゥエンティスリー、略称表記:F東23)は、2016年から2019年まで[[J3リーグ]](J3)に参加した、FC東京に所属する23歳以下の選手で構成されるサッカーチーム(U-23チーム)。 === 概要(FC東京U-23) === [[J3リーグ#U-23チームの参加|2015年9月にJリーグにおいてセカンドチームのJ3参加が提議されると]]、FC東京は真っ先に参加志望を表明<ref>[http://cyclestyle.net/article/2016/11/08/42855.html 【THE REAL】史上最年少でのJデビュー…15歳の逸材・久保建英の育成計画に込められたFC東京の狙い] CYCLE (2016年11月8日)</ref>。 同年12月15日、Jリーグ理事会において[[2016年のJ3リーグ|2016年シーズン]]よりJ1・J2クラブの「U-23チーム」がJ3に参加することが発表され<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.jleague.jp/release/post-40975/|title=2016明治安田生命J3リーグへ参加するU-23チームが決定!|publisher=日本プロサッカーリーグ|date=2015-12-15|accessdate=2016-01-25}}</ref>、初年度参加チームの一つとして参戦することがクラブから発表された<ref name="fct2016">{{Cite press release|和書|url=http://www.fctokyo.co.jp/226198/|title=2016明治安田生命J3リーグ参加決定のお知らせ|publisher=FC東京|date=2015-12-15|accessdate=2016-01-25}}</ref>。ユニフォームはトップチームと異なるデザインのものを使用する。 トップとユースの中間のチームという位置付けで<ref>{{Cite book|和書|title=フットボールサミット 第23回|page=44|year=2014|publisher=[[カンゼン]]}}</ref> 23歳以下の選手の強化育成、アカデミーの各年代の底上げを目標としている{{R|fct2016}}。そのため、トップチームの成績と選手層の向上にセカンドチームを寄与させるべく、練習はトップとセカンドの練習を合同で一体的に<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/column/article/418/ |title=「三者三様」U-23チームのJ3参戦はいかに(♯35) |author=川端暁彦 |work=J.LEAGUE.jp|date=2016-04-25 |accessdate=2017-09-12}}</ref>、試合前に選手を選別するという形を採った{{R|hochi2016|navi2016}}。このため、連携面では他チームに遅れがちとなっている<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/828018?page=2 久保建英がJ1でも「できること」。なぜ彼は自分を見失わないのか。(2/4)] Number Web (2017年5月9日)</ref>。また、トップチームにおける23歳以下の選手保有数をギリギリに制限することで<ref name="navi2016">[http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201602070004-spnavi U−23が参戦するJ3、成功の鍵は?FC東京、G大阪、C大阪それぞれの事情] スポーツナビ (2016年2月8日)</ref>[[2種登録選手]]の活用を促進<ref name="hochi2016">[http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20160224-OHT1T50141.html 【J27日開幕】セカンドチームから次世代スター発掘] [[スポーツ報知]] (2016年2月25日)</ref>。下部組織においては、上のカテゴリーへの[[飛び級]]を一般化させることで、学年別の編成から実力に応じた編成への移行が図られている<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/japan/20160428/435132.html 首都東京で舵を取る―FC東京社長が描く未来予想図/後編] [[フロムワン|サッカーキング]] (2016年4月28日)</ref>。 === 略歴(U-23) === ;2016年 :初年度監督はトップチームコーチの[[安間貴義]]が兼務していたが、7月にトップチームの監督交代に伴い安間はトップチームのコーチに専任、FC東京U-18コーチを務めていた[[中村忠 (サッカー選手)|中村忠]]に変更された(中村は同時にトップチームコーチにも就任)。第28節[[AC長野パルセイロ|長野]]戦において[[久保建英]]がJリーグ最年少出場記録を更新<ref>[http://www.jleague.jp/release/post-46494/ 2016明治安田生命J3リーグ 第28節 久保建英 選手(F東23)J3リーグ戦最年少出場記録更新 15歳5ヶ月01日] Jリーグ (2016年11月5日)</ref> U-18では、U-23に登用された選手のみならず下級生にも成長を促す好循環をもたらし<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/825651?page=3 FC東京のユース世代は急成長中!? U-23チームがJ3参戦した好事例。(3/3)] Number WEB (2016年5月10日)</ref>、[[第40回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|同年のクラブユース選手権]]及び[[2016Jユースカップ|Jユースカップ]]を制した。 ;2017年 :中村体制2年目。開幕戦の[[カターレ富山]]戦では[[波多野豪]]、[[鈴木喜丈]]、[[山田将之 (サッカー選手)|山田将之]]がプロデビュー。久保建英は第5節[[セレッソ大阪#セレッソ大阪U-23|C大23]]戦でJリーグ最年少得点記録を更新した<ref>[http://www.jleague.jp/release/post-48648/ 2017明治安田生命J3リーグ 第5節 久保建英 選手(F東23)J3リーグ戦最年少得点記録更新 15歳10ヶ月11日] Jリーグ (2017年4月15日)</ref>。また、今季もユースの選手がJ3リーグと[[高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ|プレミアリーグ]]を並行して戦い、J3でユースの選手が参加している場合はさまざま選手を使いながら底上げをし、[[高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ]]EASTでの初優勝を成し遂げた<ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171211-00033585-sdigestw-socc 【高円宮杯】昨年のリベンジを果たしたFC東京U-18。優勝の要因はU-23チームの存在にあり] サッカーダイジェスト(2017年11月10日)</ref>。 ;2018年 :中村に代わり、再び安間が監督に就任。 ;2019年 :安間がトップチームコーチへ転属し、前[[ファジアーノ岡山FC|ファジアーノ岡山]]監督の[[長澤徹]]が新たに監督に就任。順位こそ過去最低の16位に沈むが、[[原大智 (サッカー選手)|原大智]]が19得点を挙げて得点王となった。 ;2020年 :引き続き長澤が指揮を執ってJ3リーグに参戦予定であったが、[[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|新型コロナウイルス感染症の流行]]の影響で開幕が遅れ、同様に他競技も活動中断となったことから、ホームスタジアムとして活用を予定していた3競技場の確保が困難になり{{Efn2|FC東京のメディアブリーフィングによれば、[[国立西が丘サッカー場|味の素フィールド西が丘]]は[[日本女子サッカーリーグ|なでしこリーグ]]や[[関東サッカーリーグ|関東リーグ]]、[[関東大学サッカーリーグ戦|関東大学リーグ]]等との、[[駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場]]は陸上競技との調整が発生し、[[江東区夢の島陸上競技場|夢の島競技場]]は[[2020年東京オリンピック|オリンピック]]の関係で利用が制限されるとのことであった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.targma.jp/wasshoi/2020/06/06/post17106/|title=「FC東京U-23のJ3リーグ参加辞退」続報~メディアブリーフィングにおける大金直樹社長のコメント【無料公開】|website=[[後藤勝 (ライター)|後藤勝]]責任編集「トーキョーワッショイ!プレミアム」|date=2020-06-06|accessdate=2020-06-06}}</ref>。}}、Jリーグに参加辞退を申し出、2020年6月5日のJリーグ理事会で参加辞退が承認された<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/release/post-63482/|title=FC東京U-23 J3リーグへの参加辞退について|publisher=日本プロサッカーリーグ|date=2020-06-05|accessdate=2020-06-05}}</ref>。 === 成績(U-23) === {| class="wikitable" style="border:double #C50030; box-shadow: 4px 4px 4px #254294;" |- style="text-align:center; background-color:#254294; color:#FFF; font-weight:bold;" |年度||所属||順位||試合||勝点||style="width:1.8em;"|勝||style="width:1.8em;"|引||style="width:1.8em;"|負||得点||失点||得失点||style="width:18em;"|監督 |- | [[2016年のFC東京U-23|2016]] || rowspan="4"|[[J3リーグ|J3]] ||10位||30||36||9||9||12||32||31||+1|| align=left|{{flagicon|JPN}} [[安間貴義]] / {{flagicon|JPN}} [[中村忠 (サッカー選手)|中村忠]] |- | [[2017年のFC東京U-23|2017]] ||11位||32||43||12||7||13||36||47||-11|| align=left|{{flagicon|JPN}} 中村忠 |- | [[2018年のFC東京U-23|2018]] ||14位||32||36||10||6||16||38||45||-7|| align=left|{{flagicon|JPN}} 安間貴義 |- | [[2019年のFC東京U-23|2019]] ||16位||34||36||9||9||16||43||52||-9|| align=left|{{flagicon|JPN}} [[長澤徹]] |} === 表彰 === *[[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞(高円宮杯)|J3フェアプレー賞]] ** 2018、2019年 === 主催ホームゲーム開催地(U-23) === U-23チームは、J3キャパシティー基準を充足した[[国立西が丘サッカー場|味の素フィールド西が丘]]([[北区 (東京都)|北区]]、約7,300人収容)、及びクラブオフィスのある[[江東区]]の[[江東区夢の島陸上競技場|夢の島競技場]](約4,800人収容)や[[駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場]](約20,000人収容)で開催。 {| class="wikitable" !年度!!味フィ西!!夢の島!!駒沢!!味スタ!!その他 |- |2016||8||4||2||1|| |- |2017||9||5||1||1|| |- |2018||9||7||0||0|| |- |2019||12||1||1||0||[[Jヴィレッジスタジアム|Jスタ]]2<br>[[宮崎市生目の杜運動公園|生目の杜]]1 |} === 歴代ユニフォーム (U-23) === {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #C50030; box-shadow: 4px 4px 4px #254294;" !colspan=5|FP 1st |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _FC Tokyo 2016 U-23 HOME FP |pattern_b = _FC Tokyo 2016 U-23 HOME FP |pattern_ra = _FC Tokyo 2016 U-23 HOME FP |pattern_sh = _FC Tokyo 2016 U-23 HOME FP |pattern_so = _FC Tokyo 2016 U-23 HOME FP |leftarm = |body = |rightarm = |shorts = |socks = | title = {{Center|2016}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _fctokyoII17h |pattern_b = _fctokyoII17h |pattern_ra = _fctokyoII17h |pattern_sh = _fctokyoII17h |pattern_so = _fctokyoII17h |leftarm = |body = |rightarm = |shorts = |socks = 0000FA | title = {{Center|2017}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _FC Tokyo 2018 U-23 HOME FP |pattern_b = _FC Tokyo 2018 U-23 HOME FP |pattern_ra = _FC Tokyo 2018 U-23 HOME FP |pattern_sh = _FC Tokyo 2018 U-23 HOME FP |pattern_so = _FC Tokyo 2018 U-23 HOME FP |leftarm = |body = |rightarm = |shorts = |socks = | title = {{Center|2018}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _FC Tokyo 2019 U-23 HOME FP |pattern_b = _FC Tokyo 2019 U-23 HOME FP |pattern_ra = _FC Tokyo 2019 U-23 HOME FP |pattern_sh = _FC Tokyo 2019 U-23 HOME FP |pattern_so = _FC Tokyo 2019 U-23 HOME FP |leftarm = |body = |rightarm = |shorts = |socks = | title = {{Center|2019}}}} |- |||||||| |} {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #C50030; box-shadow: 4px 4px 4px #254294;" !colspan=5|FP 2nd |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _FC Tokyo 2016 U-23 AWAY FP |pattern_b = _FC Tokyo 2016 U-23 AWAY FP |pattern_ra = _FC Tokyo 2016 U-23 AWAY FP |pattern_sh = _FC Tokyo 2016 U-23 AWAY FP |pattern_so = _FC Tokyo 2016 U-23 AWAY FP |leftarm = |body = |rightarm = |shorts = |socks = | title = {{Center|2016}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _fctokyoII17a |pattern_b = _fctokyoII17a |pattern_ra = _fctokyoII17a |pattern_sh = _fctokyoII17a |pattern_so = _fctokyoII17a |leftarm = |body = |rightarm = |shorts = |socks = C3C3D7 | title = {{Center|2017}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _FC Tokyo 2018 U-23 AWAY FP |pattern_b = _FC Tokyo 2018 U-23 AWAY FP |pattern_ra = _FC Tokyo 2018 U-23 AWAY FP |pattern_sh = _FC Tokyo 2018 U-23 AWAY FP |pattern_so = _FC Tokyo 2018 U-23 AWAY FP |leftarm = |body = |rightarm = |shorts = |socks = | title = {{Center|2018}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _FC Tokyo 2019 U-23 AWAY FP |pattern_b = _FC Tokyo 2019 U-23 AWAY FP |pattern_ra = _FC Tokyo 2019 U-23 AWAY FP |pattern_sh = _FC Tokyo 2019 U-23 AWAY FP |pattern_so = _FC Tokyo 2019 U-23 AWAY FP |leftarm = |body = |rightarm = |shorts = |socks = | title = {{Center|2019}}}} |- |||||||| |} === ユニフォームスポンサー遍歴 (U-23) === {| class="wikitable" style="text-align:center; line-height:90%; white-space:nowrap; border:double #C50030; box-shadow: 4px 4px 4px #254294;" |- style="background-color:#254294; color:#FFF; font-weight:bold;" |年度||胸||鎖骨||背中上部||背中下部||袖||パンツ||サプライヤー |- |2016|| rowspan="4" |[[三井物産|MITSUI & CO.]]||rowspan="2"|解禁前|| rowspan="4" |-|| rowspan="4" |-||rowspan="3"|[http://osso-japan.com/ OSSO ITALY]|| rowspan="4" |[[東京ガス|TOKYO GAS]]|| rowspan="4" |[[アンブロ|UMBRO]] |- |2017 |- |2018|| rowspan="3" |- |- |2019|| rowspan="2" |- |} == 下部組織 == {{Main|FC東京の下部組織}} == 異競技間交流 == *男子バレーボールチームの[[FC東京バレーボールチーム]]と連携しており、2002年度からバレーボール教室を実施していた。 *2006年7月より、[[プロ野球]]・[[東京ヤクルトスワローズ]]と共同で東京のスポーツ振興を図ることになった<ref>{{Wayback|date=20120715030908|url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=3518|title=「東京ヤクルトスワローズ」と、東京のスポーツ振興に向けて協力}} FC東京 2006.07.03</ref>。双方のファンの来場を促進するキャンペーンなどを展開し、東京ドロンパとヤクルトのマスコット・[[つば九郎]]が互いの試合を訪問したり、[[平山相太]]や、[[今野泰幸]]、東慶悟がヤクルトの始球式に登板するなどの交流イベントが行われている。 *2009年夏には[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]後援のサッカー・野球・競馬のコラボレーションイベント『ワッショイTOKYO夏ラリー!』で、共にイベントを盛り上げた。 *[[日本プロバスケットボールリーグ]](bjリーグ)の[[東京アパッチ]]と、上述のヤクルトの三者で提携していた。 === その他=== * [[学芸大クラブ]] - 2004年4月に[[小金井市]]、[[東京学芸大学]]と共に創設。[[産学連携|産官学の連携]]による地域スポーツの発展を目指す。 * [[指定管理者]] ** 上井草スポーツセンター - 2009年4月から、[[東京アスレティッククラブ]](TAC)、[[三菱電機ビルテクノサービス]](MELTEC)との共同で指定管理者となった。 ** 小金井市総合体育館 - 同上。 ** 小金井市栗山公園健康運動センター - 同上。 *[[FC東京パーク小平天神]] - 2010年10月オープンのフットサルコート。 *[[FC東京パーク府中]] - 2014年4月オープンのフットサルコート。 == メディア == {{Main2|http://www.fctokyo.co.jp/tvradio }} === テレビ === 主にテレビ中継は[[DAZN]]、[[東京メトロポリタンテレビジョン]](TOKYO MX)で行われている(以前は、TOKYO MXでは東京以外で行われるホーム戦やアウェー戦の試合も自社制作していた。一部[[日本放送協会]](NHK)と同日中継の場合あり)。 ただし、2001年から続いていたTOKYO MXでの応援番組は2022年12月に年末特番が放送された「[[F.C. TOKYO COLORS|F.C. TOKYO CONNECT]]」をもって終了となった(FC東京ホームゲームの試合中継は2023年も実施)。 また、[[ジェイコム東京]]では「[[頂-ITADAKI-アスリート 東京]]」内で「[[FC東京VIVA Paradise]]」コーナーが放送されている。「VIVA」は2002年放送開始で、2021年9月の番組終了時には毎月2回更新(15日間のリピート放送)、30分間の放送だったが、「ITADAKI」では毎月1回更新、15分間の番組を[[日本女子サッカーリーグ|なでしこリーグ]]1部所属の「[[スフィーダ世田谷FC]]」応援コーナーと分け合うことになった。 === ラジオ === コミュニティーFM局の[[調布エフエム放送|調布FM]]<ref group="注">2014年までは、[[エフエム西東京|FM西東京]]にもネットされていた。</ref> が、[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]]開催試合を中継している。1999年J2終盤戦では[[エフエム東京|TOKYO FM]]でも試合が生中継されたこともあった。 TOKYO FMでは『[[F.C. TOKYO SPIRIT 勝利への道]]』を2011年4月から放送。また、調布FM、[[エフエム西東京|FM西東京]]、[[レインボータウンエフエム放送|レインボータウンFM]]などでも、番組内にFC東京応援コーナーを設けている。 === 新聞・雑誌 === [[東京中日スポーツ]]では、紙面で「365日FC東京」と銘打ったクラブ情報をほぼ毎日掲載している。以前は、それに加えて有料登録制の携帯サイト「365日FC東京モバイル」を設けて情報を発信していた。 2014年よりクラブ公認の季刊誌である『[[F.C.TOKYO MAGAZINE BR TOKYO]]』を発刊していたが、2016年に[[休刊]]となった。 == 出版 == === 書籍 === {| class=wikitable style="white-space:nowrap; line-height:90%; box-shadow: 4px 4px 4px #254294;" |+ style="text-align:left"|オフィシャルファンブック !書籍名!!出版社!!発売日!!頁数!!ISBN |- |FC東京ファンブック 2000||rowspan="10"|[[毎日新聞社]]||2000年4月||{{Center|162}}||{{ISBN2|4620791458}}<br />(ISBN-13 978-4620791456) |- |FC東京ファンブック 2001||2001年4月||{{Center|130}}||{{ISBN2|4620791768}}<br />(ISBN-13 978-4620791760) |- |FC東京ファンブック 2002||2002年2月||{{Center|126}}||{{ISBN2|4620792004}}<br />(ISBN-13 978-4620792002) |- |FC東京ファンブック 2003||2003年3月||{{Center|129}}||{{ISBN2|4620792225}}<br />(ISBN-13 978-4620792224) |- |FC東京ファンブック 2004||2004年3月||{{Center|130}}||{{ISBN2|462079239X}}<br />(ISBN-13 978-4620792392) |- |FC東京ファンブック 2005||2005年2月||{{Center|130}}||{{ISBN2|4620792535}}<br />(ISBN-13 978-4620792538) |- |FC東京ファンブック 2006||2006年2月||{{Center|130}}||{{ISBN2|4620792721}}<br />(ISBN-13 978-4620792729) |- |FC東京ファンブック 2007||2007年2月||{{Center|130}}||{{ISBN2|4620792926}}<br />(ISBN-13 978-4620792927) |- |FC東京ファンブック 2008||2008年3月||{{Center|130}}||{{ISBN2|4620793132}}<br />(ISBN-13 978-4620793139) |- |FC東京ファンブック 2009||2009年3月||{{Center|130}}||{{ISBN2|4620793361}}<br />(ISBN-13 978-4620793368) |- |FC東京ファンブック 2010||rowspan="2"|[[朝日新聞出版]]||2010年3月||{{Center|130}}||{{ISBN2|4021902139}}<br />(ISBN-13 978-4021902130) |- |FC東京ファンブック 2011||2011年3月||{{Center|132}}||{{ISBN2|4021902163}}<br />(ISBN-13 978-4021902161) |- |FC東京オフィシャルファンブック2012||rowspan=9|[[フロムワン]]||2012年3月||{{Center|132}}|| |- |FC東京オフィシャルファンブック2013||2013年2月||{{Center|132}}|| |- |FC東京オフィシャルファンブック2014||2014年2月||{{Center|132}}|| |- |FC東京オフィシャルファンブック2015||2015年2月||{{Center|132}}|| |- |FC東京オフィシャルファンブック2016||2016年2月||{{Center|132}}|| |- |FC東京オフィシャルファンブック2017||2017年2月||{{Center|132}}|| |- |FC東京オフィシャルファンブック2018||2018年2月||{{Center|132}}|| |- |FC東京オフィシャルファンブック2019||2019年2月||{{Center|100}}|| |- |FC東京オフィシャルファンブック2020||2020年2月||{{Center|104}}|| |} {| class=wikitable style="white-space:nowrap; box-shadow: 4px 4px 4px #0000C0;" |+ style="text-align:left"|その他の書籍 !書籍名!!出版社!!発売日!!頁数!!ISBN |- |ゴールをめざせ! 攻撃サッカー<br />点を取るための戦術と練習メニュー<ref>{{Wayback|date=20120714212813|url=http://www.fctokyo.co.jp/home/index.phtml?cont=item&item=628|title=サッカー攻撃指南書『ゴールをめざせ!攻撃サッカー』発行のお知らせ}} FC東京、2001.06.12</ref>||[[池田書店]]||2001年6月||{{Center|191}}||{{ISBN2|4262162400}}<br />(ISBN-13 978-4262162409) |} === VHS・DVD === {| class="sortable wikitable" style="white-space:nowrap; line-height:90%; box-shadow: 4px 4px 4px #254294;" |+ style="text-align:left" |シーズンレビュー !タイトル!!発売日!!収録時間!!ASIN |- |FC東京 J-1への軌跡 [VHS]||2000年4月21日||{{Center|40分}}||{{ASIN|B00005FD5E}} |- |Tokyo 2000 (ミレニアム)||2000年4月21日||{{Center|130分}}||{{ASIN|B00005FCAH}} |- |FC東京 2000-2002 シーズンレビュー (限定生産)||||{{Center| }}|| |- |FC東京 2002 シーズンレビュー||2003年8月22日||{{Center|103分}}||{{ASIN|B0000BHH8U}} |- |FC東京 2003 シーズンレビュー||2004年4月23日||{{Center|110分}}||{{ASIN|B0001N1OF6}} |- |FC東京 シーズンレビュー2004||2005年3月21日||{{Center|110分}}||{{ASIN|B0007OE4CE}} |- |FC東京 2005シーズンレビュー||2006年3月24日||{{Center|110分}}||{{ASIN|B000EPFPAG}} |- |FC東京 2006シーズンレビュー||2007年6月{{0}}8日||{{Center|99分}}||{{ASIN|B000NVLBQ8}} |- |FC東京 2007シーズンレビュー||2008年5月{{0}}9日||{{Center|94分}}||{{ASIN|B0015RA7GY}} |- |FC東京 2008シーズンレビュー||2009年5月{{0}}8日||{{Center|90分}}||{{ASIN|B001RIJZ8M}} |- |FC東京 シーズンレビュー2009||2010年3月26日||{{Center|120分}}||{{ASIN|B0036BO5KG}} |- |FC東京 2010シーズンレビュー||2011年3月28日||{{Center|129分}}||{{ASIN|B004O6LZH8}} |- |FC東京 2011シーズンレビュー||2012年3月20日||{{Center|132分}}||{{ASIN|B007JOZON8}} |- |FC東京 2012シーズンレビュー||2013年3月31日||{{Center|103分}}||{{ASIN|B00BN39RRK}} |- |FC東京 2013シーズンレビュー||2014年3月26日||{{Center|144分}}||{{ASIN|B00IM92QJE}} |- |FC東京 2014シーズンレビュー||2015年4月{{0}}8日||{{Center|145分}}||{{ASIN|B00UEWL8Y6}} |- |FC東京 2015シーズンレビュー||2016年3月30日||{{Center|138分}}||{{ASIN|B01BTPMW8M}} |- |FC東京 2016シーズンレビュー||2017年3月31日||{{Center|159分}}||{{ASIN|B06X41L46T}} |- |FC東京 2017シーズンレビュー [DVD]||2018年3月30日||{{Center|158分}}||{{ASIN|B079Y65V48}} |- |FC東京 2017シーズンレビュー [Blu-ray]||2018年3月30日||{{Center|158分}}||{{ASIN|B079Y4VQLT}} |- |FC東京 2018シーズンレビュー 20years [DVD]||2019年3月29日||{{Center|265分}}||{{ASIN|B07NRFRVRB}} |- |FC東京 2018シーズンレビュー 20years [Blu-ray]||2018年3月29日||{{Center|265分}}||{{ASIN|B07PB2W4LV}} |- |FC東京 2019シーズンレビュー [DVD]||2020年3月27日||{{Center|168分}}||{{ASIN|B0852196VV}} |- |FC東京 2019シーズンレビュー [Blu-ray]||2020年3月27日||{{Center|168分}}||{{ASIN|B08521BKH2}} |- |F.C.TOKYO CUP WINNERS -2020J.LEAGUE YBC Levain CUP 総集編 [DVD]||2021年3月{{0}}3日||{{Center|60分}}|| |- |F.C.TOKYO CUP WINNERS -2020J.LEAGUE YBC Levain CUP 総集編 [Blu-ray]||2021年3月{{0}}3日||{{Center|60分}}|| |} {| class="sortable wikitable" style="white-space:nowrap; line-height:90%; box-shadow: 4px 4px 4px #254294;" |+ style="text-align:left" |その他のDVD !タイトル!!販売元!!発売日!!収録時間!!全国書誌番号 / ASIN |- |2004 Jリーグヤマザキナビスコカップ総集編<br />初制覇!FC東京カップウィナーズへの軌跡!||日活||2005年1月21日||{{Center|105分}}||{{ASIN|B0006VL9M6}} |- |FC東京 スターズ 1999-2008||日活||2009年7月24日||{{Center|118分}}||{{ASIN|B002AR5O7U}} |- |JリーグオフィシャルDVD 2009 Jリーグヤマザキナビスコカップ<br />FC東京 カップウイナーズへの軌跡「TOKYO AT THE TOP」||データ・スタジアム||2010年1月29日||{{Center|56分}}||{{ASIN|B00322S1FO}} |- |JリーグオフィシャルDVD 俺たちの国立 (ロード・トゥ・国立)<br />2009 Jリーグヤマザキナビスコカップ 激闘の軌跡!||データ・スタジアム||2010年1月29日||{{Center|50分}}||{{ASIN|B00322S1FY}} |- |次代を担うプレーヤー養成プログラム<br />FC東京U-15むさしのチームプラクティス||T&H||2008年||{{Center|195分}}||{{全国書誌番号|21698016}} |} == 不祥事 == [[2013年]][[1月31日]]、運営会社の東京フットボールクラブ株式会社(東京FC)の経理担当部長が2005年から2012年までの8年間に約2300万円の会社経費を私的に流用したことが発覚。東京FCは同日付で経理担当部長を[[懲戒解雇]]した。損失額については経理担当部長が全額を弁済し、東京FCの代表取締役が責任を取って報酬の20%を3ヶ月間自主返上すると発表した<ref>{{Cite press release|和書|title=ファンのみなさまへ【お詫び】|publisher=FC東京|date=2013-01-31|url=http://www.fctokyo.co.jp/?p=160126|accessdate=2013-03-14|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130202183759/http://www.fctokyo.co.jp/?p=160126|archivedate=2013-02-02}}</ref>。 == サポーターによる不祥事 == 2023年7月12日、天皇杯3回戦の東京ヴェルディ戦において、味の素スタジアムの最寄駅である飛田給駅の私有地に設置されている企業広告看板への張り紙がなされたほか、生卵が投げつけ警察が器物損壊事件として捜査。また、試合前のスタンドでは発煙筒や花火が使用されたことも発覚。FC東京側ゴール裏自由席スタンド内で、火薬類等危険物の持ち込みおよび使用があった。この危険行為によって観客1名が火傷を負っていたことも明らかになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=446347&from=related_text_link_2 |title=FC東京が違反行為の複数人からの申告を発表…一時的な入場禁止処分も事情聴取後に厳正処分、看板の器物損壊は引き続き捜査協力 |publisher = |accessdate=2023-07-14}}</ref>。 FC東京は同月14・15日の経過報告において、調査により火薬類等危険物の持ち込みおよび使用の申し出は4名であったこと、看板の器物損壊については犯人が出てこないことを公表し、火薬類を持ち込んだ当該人物に関しては同月28日付でJFAより日本国内で行われるすべての試合の無期限の入場禁止(本協会主催試合に加え、Jリーグや各種連盟等が主催する各カテゴリの試合を含む)処分となった<ref>[https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=447157 花火や発煙筒使用のFC東京サポーター4名、JFAが日本国内での無期限試合入場禁止の処分を発表] - 超ワールドサッカー! 2023年7月28日</ref>。 その後同年9月1日、JFAはFC東京に対し「被害の発生及び拡大を防ぎ、観客や選手等の試合に関わる人の安全を確保するために適切な措置を講じなかった」として、罰金500万円と譴責(始末書の提出)の懲罰を課すことを決定した<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20230901/1804642.html FC東京に罰金500万円…天皇杯“東京ダービー”でサポーターが花火・発煙筒使用、JFA「極めて危険な重大な行為」] - サッカーキング 2023年9月1日</ref>。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2|2}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{commonscat|FC Tokyo}} * [[FC東京の選手一覧]] * [[FC東京の下部組織]] * [[東京ダービー (サッカー)]] - 東京ヴェルディとのダービーマッチ * [[多摩川クラシコ]] - 川崎フロンターレとのダービーマッチ * [[FC東京小平グランド]] * [[FC東京深川グランド]] * [[FC東京バレーボールチーム]] - 2022年を持って休部。 * [[U-12サッカーフェスティバル大林カップin木島平]] - 2010年までは主管。Jリーグが撤退した2011年から主催。 * [[サラリーマンサッカー|東京ガス サラリーマンミニサッカー大会]] * [[明治大学体育会サッカー部]] - コーチ、GKコーチの多くをFC東京のコーチが兼任 * [[ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン]] - サポーターソング * [[ガゼレク・アジャクシオ]] - フランスのサッカークラブ。FC東京と同じく、ガス・電気会社の企業チームを母体としており、クラブカラーも赤と青である。 == 外部リンク == * {{Official website|mobile=http://fctokyo.sportsinfo.jp/}} * {{Facebook|fctokyo|FC東京 / F.C.TOKYO}} * {{Twitter|fctokyoofficial|FC東京【公式】}} * [http://p.mixi.jp/fct FC東京 / F.C.TOKYO] - [[mixi]] * {{YouTube|u=fctokyochannel|FC東京公式チャンネル}} * {{Instagram|fctokyoofficial|FC東京【公式】}} * {{LINE公式アカウント|fctokyo}} * [http://s.mxtv.jp/fctokyo/ トーキョー魂!] - [[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]] * [http://fctokyopark.com/ FC東京パーク 小平天神] * [http://www.fctokyoparkfuchu.jp/ FC東京パーク 府中] {{Navboxes |title={{color|#FFF|FC東京 関連テンプレート}} |titlestyle=background:#254294; color:#FFF; border:2px solid #C50030 |list1= {{FC東京のメンバー}} {{FC東京及びその前身チーム歴代監督}} {{FC東京社長}} }} {{日本プロサッカーリーグ}} {{Navboxes |title=獲得タイトル・記録 |titlestyle =background:gold; color:black; |list1= {{Jリーグカップ優勝チーム}} {{J2優勝チーム}} {{天皇杯全日本サッカー選手権大会 優勝チーム}} }} {{Normdaten}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=東京フットボールクラブ |1-1=調布市の企業 |1-2=江東区の企業 |1-3=1998年設立の企業 |1-4=FC東京 |}} {{デフォルトソート:えふしいとうきよう}} [[Category:FC東京|*]] [[Category:1935年設立のサッカークラブ]] [[Category:1935年設立のスポーツチーム]] [[Category:Jリーグクラブ]]
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1月30日
1月30日(いちがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から30日目に当たり、年末まであと335日(閏年では336日)ある。
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1月30日(いちがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から30日目に当たり、年末まであと335日(閏年では336日)ある。
{{カレンダー 1月}} '''1月30日'''(いちがつさんじゅうにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から30日目に当たり、年末まであと335日([[閏年]]では336日)ある。 == できごと == * [[1165年]]([[長寛]]2年[[12月17日 (旧暦)|12月17日]]) - 蓮華王院本堂([[三十三間堂]])が落慶する{{要出典|date=2021-05}}。 <!-- おそらく旧暦1月30日 * [[1573年]]([[元亀]]3年[[12月27日 (旧暦)|12月27日]]) - [[征夷大将軍|将軍]]・[[足利義昭]]が[[織田信長]]討伐のため挙兵する。 --> * [[1649年]] - [[絶対王政]]を強行し議会と対立した[[イングランド王国|イングランド]]国王[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]が、[[清教徒革命]]で{{仮リンク|チャールズ1世の処刑|en|Execution of Charles I|label=処刑}}される。 * [[1661年]] - 2年前に亡くなった[[オリバー・クロムウェル]]が、国王チャールズ1世を処刑した反逆者として墓を暴かれ遺体が斬首される。 * [[1703年]]([[元禄]]15年[[12月14日 (旧暦)|12月14日]])- [[大石良雄]]ら[[赤穂浪士|旧赤穂藩士]]47人が[[吉良義央]]邸に討ち入り。([[赤穂事件]]) * [[1810年]]([[文化 (元号)|文化]]6年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]) - 『[[大日本史]]』が[[江戸幕府]]に献上される。 * [[1835年]] - {{仮リンク|リチャード・ローレンス|en|Richard Lawrence (failed assassin)}}が[[アンドリュー・ジャクソン]]米大統領の暗殺未遂事件を起こす。初の米大統領暗殺未遂事件。 * [[1856年]]([[安政]]2年[[12月23日 (旧暦)|12月23日]]) - [[日蘭和親条約]]締結。 * [[1862年]] - [[アメリカ合衆国海軍]]初の[[装甲艦]]「[[モニター (装甲艦)|モニター]]」が進水。 * [[1877年]] - [[西郷隆盛]]が[[鹿児島県]]で主宰していた私学校の生徒が新政府に反発し、政府の武器を奪取。([[西南戦争]]の発端) * [[1877年]] - [[パトリス・ド・マクマオン]]仏大統領が辞任。 * [[1889年]] - [[オーストリア=ハンガリー帝国|オーストリア]]皇太子[[ルドルフ (オーストリア皇太子)|ルドルフ]]と愛人[[マリー・フォン・ヴェッツェラ]]がマイヤーリングの狩猟館のベッドの上で拳銃で撃たれて死んでいるのを発見。({{仮リンク|マイヤーリンク事件|en|Mayerling incident}}) * [[1902年]] - [[日英同盟]]が[[ロンドン]]で締結。 * 1902年 - [[ウラジオストク]] - [[ハバロフスク]]の開通により[[シベリア鉄道]]がほぼ全通。 * [[1918年]] - 豊田紡織(現:[[トヨタ紡織]])設立。 * [[1920年]] - 東洋コルク工業(現:[[マツダ]])創立。 * [[1925年]] - [[トルコ]]の[[共和人民党]]政権が[[コンスタンディヌーポリ全地総主教]][[コンスタンディノス6世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|コンスタンディノス6世]]を国外追放。 * [[1926年]] - 日本で[[若槻禮次郎]]が第25代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第1次若槻内閣]]が発足。 * [[1933年]] - [[ドイツ国|ドイツ]]で[[パウル・フォン・ヒンデンブルク|ヒンデンブルク]]大統領が[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]を首相に指名。 * [[1943年]] - [[大分県]][[上津江村]]で[[大火]]。約815棟が焼失したほか、古刹の[[羅漢寺 (中津市)|羅漢寺]]に延焼。本堂が焼失した<ref>「古刹・耶馬渓羅漢寺が炎上」『毎お日新聞』1943年1月31日大阪版(昭和ニュース事典編纂委員会編『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p.26 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: [[東プロイセン]]の避難民や傷病兵を乗せた客船「[[ヴィルヘルム・グストロフ (客船)|ヴィルヘルム・グストロフ]]」がソ連海軍の潜水艦により撃沈。9,343人が死亡。 * [[1948年]] - [[マハトマ・ガンディー]]が[[ヒンドゥー至上主義]]者によって{{仮リンク|マハトマ・ガンディー暗殺事件|en|Assassination of Mahatma Gandhi|label=暗殺|preserve=1}}<!--日本語版が削除、再作成されるまで強制表示-->される。 * 1948年 - 第5回[[冬季オリンピック]]、[[サンモリッツオリンピック (1948年)|サンモリッツ大会]]開催。[[2月8日]]まで。 * [[1949年]] - [[千葉県]]で暴風。[[浦安市|浦安町]]沖合で来日中の[[UPI通信社|UP通信社]]副社長らが乗る和船が転覆して死者4人。また、[[利根川]]の[[渡し船]]が[[高岡村 (千葉県)|高岡村]]付近で転覆して死者・行方不明者19人<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=71|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1950年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]]が「[[国鉄80系電車|湘南型電車]]」を完成。長距離用電車の基本となる。 * [[1952年]] - [[モスクワ地下鉄]]5号線[[環状線 (モスクワ地下鉄)|環状線]]が[[ベラルースカヤ駅 (環状線)|ベラルースカヤ駅]]まで延伸。 * [[1957年]] - [[相馬原駐屯地|相馬ヶ原演習場]]の[[アメリカ合衆国軍|アメリカ軍]]射撃場内で[[薬莢]]拾いの農婦がアメリカ軍兵士ジラードにより射殺される。([[ジラード事件]]) * [[1959年]] - 客船「[[ハンス・ヘトフト (客船)|ハンス・ヘトフト]]」が処女航海中に[[氷山]]に衝突して沈没。乗船していた95人が死亡した。 * [[1962年]] - [[新潟県]][[新発田市]]の加治川発電所建設現場で[[雪崩]]が発生。作業員9人が死亡、3人が重軽傷<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=158|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1964年]] - [[レインジャー計画]]: アメリカの月探査機「[[レインジャー6号]]」が打ち上げ。 * [[1968年]] - [[南ベトナム解放民族戦線]]が[[ホーチミン市|サイゴン]]・[[フエ]]など南ベトナムの主要都市で大攻勢。([[テト攻勢]]) * [[1969年]] - [[ビートルズ]]が予告無しで[[イギリス]]・[[ロンドン]]にある[[アップル・レコード|アップル]]社屋上にて、最後のライブ「[[ルーフトップ・コンサート]]」を行う。<!-- 詳述は当該項目で→ いわゆるゲリラライブである。[[ゲット・バック]]などを演奏し、騒音公害などの理由で警官に制止させられるまでの間続いた。 --> * [[1970年]] - [[日本]]にてこの日から[[公衆電話]]の市内通話料金が3分10円になる。 * [[1972年]] - [[北アイルランド]]・[[ロンドンデリー]]でカトリック系住民のデモと[[イギリス]][[治安部隊]]が衝突。市民13人死亡。([[血の日曜日事件 (1972年)|血の日曜日事件]]) * 1972年 - [[パキスタン]]が[[イギリス連邦]]から脱退。 * [[1974年]] - 「[[日韓大陸棚協定]]」締結。 * 1974年 - [[パンアメリカン航空806便墜落事故]]。[[パンアメリカン航空]]の旅客機が[[アメリカ領サモア]]の[[パゴパゴ国際空港]]へ着陸中に墜落、乗員乗客101人のうち91人が死亡した<ref>101人乗せ墜落 サモア諸島でパンナム機『朝日新聞』1974年2月1日朝刊、13版、19面</ref>。 * [[1976年]] - [[ジョージ・H・W・ブッシュ]]が[[アメリカ中央情報局|CIA]]長官に就任。1977年1月20日まで。 * [[1979年]] - [[ヴァリグ・ブラジル航空967便遭難事故]]。 * [[1982年]] - 15歳の学生{{仮リンク|リッチ・スクレンタ|en|Rich Skrenta}}が世界初の[[コンピュータウイルス]]「エルク・クローナ」を作成。 * [[1987年]] - [[東京証券取引所]]の平均株価が初めて2万円の大台を突破。 * [[1988年]] - 漫画家コンビ・[[藤子不二雄]]がコンビ解消を発表。 * [[1990年]] - [[運輸大臣]]の[[江藤隆美]]が[[三里塚芝山連合空港反対同盟]](熱田派)と対話。([[成田空港問題]]) * [[1996年]] - [[百武裕司]]が[[百武彗星 (C/1996 B2)|百武彗星]]を発見。 <!-- 独立項目ができたら * [[2003年]] - [[沖縄県]][[中城湾]]で[[朝鮮民主主義人民共和国]]の[[貨物船]]が[[座礁]]。 --> * [[2004年]] - [[東急東横線]]のうち、[[横浜駅]] - [[桜木町駅]]間の運行終了。 <!-- * [[2009年]] - [[大相撲]][[十両]]の[[鈴川真一|若麒麟]]が、[[大麻取締法]]違反容疑で逮捕される。 --> <!-- * 2009年 - [[巡音ルカ]]が発売される。 --> * [[2011年]] - [[東京ドームシティアトラクションズ]]の「[[スピニングコースター舞姫]]」で男性が転落死する事故が発生<ref>{{Cite web|和書 |date=2011-01-30 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG30008_Q1A130C1000000/ |title=東京ドーム隣接コースターから転落、34歳男性が死亡 |work=日本経済新聞 |publisher=日本経済新聞社 |accessdate=2018-01-19}}</ref>。 * [[2017年]] - [[フランス共和国]][[海外県]][[レユニオン]]島の[[フルネーズ火山]]が[[噴火]]を開始<ref>[https://www.afpbb.com/articles/-/3116307 噴き出す溶岩、仏海外領フルネーズ火山が噴火] AFP(2017年2月2日)2017年2月4日閲覧</ref>。 == 誕生日 == === 人物 === * [[133年]] - [[ディディウス・ユリアヌス]]、[[ローマ皇帝]](+ [[193年]]<ref>Cassius Dio, lxxiv, 17.5; Historia Augusta, ''Didius Julianus'', 8.8</ref>) * [[1697年]] - [[ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ]]、[[フルート]]演奏家、[[作曲家]](+ [[1773年]]) * [[1720年]] - [[ベルナルド・ベッロット]]、[[画家]](+ [[1780年]]) * [[1781年]] - [[アーデルベルト・フォン・シャミッソー]]、[[詩人]]、[[植物学|植物学者]](+ [[1838年]]) * [[1836年]] ([[天保]]6年[[12月13日 (旧暦)|12月13日]])- [[真田幸教]]、第9代[[松代藩|松代藩主]] (+ [[1869年]]) * [[1869年]]([[明治元年]][[12月18日 (旧暦)|12月18日]])- [[永井道明]]、[[スポーツ科学|体育学者]](+ [[1950年]]) <!--勝海舟の誕生日1月30日は「旧暦」なので注意!ここにはグレゴリオ暦のみ記載可能です--> * [[1879年]] - [[鳥井信治郎]]、[[経営者]]、[[サントリー]]創業者(+ [[1962年]]) * [[1882年]] - [[フランクリン・ルーズベルト]]、第32代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1945年]]) * [[1883年]] - [[秋田雨雀]]、[[劇作家]]、[[詩人]]、[[童話作家]](+ [[1962年]]) * [[1888年]] - [[緒方竹虎]]、[[政治家]]、[[自由党 (日本 1950-1955)|自由党]][[総裁]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1956年]]) * [[1889年]] - [[賀屋興宣]]、政治家(+ [[1977年]]) * [[1894年]] - [[ボリス3世 (ブルガリア王)|ボリス3世]]、[[ブルガリア王国 (近代)|ブルガリア王]](+ [[1943年]]) * [[1895年]] - [[ヴィルヘルム・グストロフ]]、スイス・ナチスの指導者(+ [[1936年]]) * [[1897年]] - [[中島武市]]、政治家、[[実業家]](+ [[1978年]]) * [[1898年]] - [[佐々木孝丸]]、[[俳優]]、[[プロレタリア作家]]、[[演出家]](+ [[1986年]]) * [[1899年]] - [[マックス・タイラー]]、[[ウイルス学|ウイルス学者]](+ [[1972年]]) * [[1901年]] - [[ルドルフ・カラツィオラ]]、[[レーシングドライバー]](+ [[1959年]]) * [[1903年]] - [[近藤真柄]]、[[社会主義|社会主義者]](+ [[1983年]]) * 1903年 - [[ジョージ・イヴリン・ハッチンソン]]、[[動物学者]](+ [[1991年]]) * [[1905年]] - [[斎藤寅次郎]]、[[映画監督]](+ [[1982年]]) * [[1907年]] - [[高見順]]、[[小説家]](+ [[1965年]]) * [[1912年]] - [[川上源一]]、経営者、[[ヤマハ発動機]]創業者(+ [[2002年]]) * [[1915年]] - [[ジョン・プロヒューモ]]、[[イギリス]]陸相(+ [[2006年]]) * [[1916年]] - [[下畑卓]]、[[児童文学作家]](+ [[1944年]]) * [[1919年]] - [[フレッド・コレマツ]]、[[日系人の強制収容]]に反対した権利擁護活動家 (+ [[2005年]]) * [[1920年]] - [[長谷川町子]]、[[漫画家]](+ [[1992年]]) * [[1924年]] - [[ロイド・アリグザンダー]]、[[児童文学]]・[[ファンタジー]]作家(+ [[2007年]]) * 1924年 - [[長船騏郎]]、[[全日本アマチュア野球連盟]]会長(+ [[2007年]]) * [[1925年]] - [[ダグラス・エンゲルバート]]、[[マウス (コンピュータ)|マウス]]発明者(+ [[2013年]]) * 1925年 - [[ドロシー・マローン]]、[[俳優|女優]](+ [[2018年]]) * [[1926年]] - [[駒田桂二]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2012年]]) * [[1927年]] - [[オロフ・パルメ]]、[[スウェーデンの首相|スウェーデン首相]](+ [[1986年]]) * [[1927年]] - [[熊倉一雄]]、俳優、声優、[[演出家]](+ [[2015年]]) * [[1928年]] - [[大野靖子]]、[[脚本家]](+ [[2011年]]) * 1928年 - [[遠藤太津朗]]、俳優(+ [[2012年]]) * [[1929年]] - [[ロジャー・シェパード]]、[[認知科学|認知科学者]] * [[1930年]] - [[ジーン・ハックマン]]、[[俳優]] * [[1932年]] - [[横山ノック]]、[[政治家]]、[[漫才師]](+ [[2007年]]) * [[1935年]] - [[リチャード・ブローディガン]]、[[詩人]](+ [[1984年]]) * [[1937年]] - [[斑目力曠]]、実業家 * 1937年 - [[常田富士男]]、俳優、[[ナレーター]](+ [[2018年]]) * 1937年 - [[ボリス・スパスキー]]、[[チェス]]プレイヤー * 1937年 - [[ヴァネッサ・レッドグレイヴ]]、女優 * [[1938年]] - [[イスラム・カリモフ]]、[[ウズベキスタン]]大統領(+ [[2016年]]<ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3099630|title=カリモフ大統領死去、ウズベク政府が正式発表 |work=AFP通信|publisher=[[AFP通信]]|date=2016-09-03|accessdate=2020-11-28}}</ref>) * [[1941年]] - [[ディック・チェイニー]]、政治家 * 1941年 - [[グレゴリー・ベンフォード]]、[[SF作家]] * 1941年 - [[みつはしちかこ]]、漫画家 * [[1943年]] - [[デーブ・ジョンソン]]、元[[プロ野球選手]] * [[1944年]] - [[リン・ハレル]]、[[チェリスト]](+ [[2020年]]) * [[1948年]] - [[芥川澄夫]]、歌手([[トワ・エ・モワ]])、[[音楽プロデューサー]] * 1948年 - [[柳ジョージ]]、[[ミュージシャン]](+ [[2011年]]) * 1948年 - [[吉野彰]]、[[化学者]]、[[ノーベル化学賞]]受賞者 * [[1949年]] - [[団時朗]]、俳優(+ [[2023年]]) * 1949年 - [[ピーター・アグレ]]、[[分子生物学|分子生物学者]] * 1949年 - [[亀和田武]]、雑誌[[編集者]]、[[作家]] * [[1951年]] - [[フィル・コリンズ]]、[[ミュージシャン]] * [[1954年]] - [[外山千也]]、[[医師]]、[[厚生労働技官]]、[[地方公務員]] * [[1956年]] - [[土屋圭市]]、元[[レーシングドライバー]] * [[1958年]] - [[石川さゆり]]、[[歌手]] * [[1959年]] - [[セルゲイ・バブーリン]]、政治家 * [[1962年]] - [[アブドゥッラー2世]]、[[ヨルダン]]国王 * [[1963年]] - [[鮫島克也]]、[[騎手]] * [[1964年]] - [[川添智久]]、[[音楽家]] * 1964年 - [[谷川竜太郎]]、元俳優、実業家 * [[1965年]] - [[青山穣]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.eiga.com/person/100505/|title=青山 穣 : 声優情報|work=アニメハック|publisher=映画.com|accessdate=2021-01-10}}</ref>、[[声優]] * 1965年 - [[田鹿千華]]、元アナウンサー * [[1968年]] - [[松本典子]]、[[アイドル]]、[[タレント]] * 1968年 - [[ぜんじろう]]、[[お笑いタレント]] * 1968年 - [[小林至]]、元プロ野球選手 * 1968年 - [[飛鳥幸一]]、俳優 * [[1970年]] - [[岸川登俊]]、元プロ野球選手 * 1970年 - [[鈴木麻里子]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://dictionary.goo.ne.jp/word/person/鈴木麻里子/#person-110077006|title=鈴木麻里子(すずきまりこ)の解説|work=goo人名事典|accessdate=2021-01-05}}</ref>、声優 * [[1972年]] - [[山中聡]]、俳優 * [[1973年]] - [[加藤紀子]]、[[俳優|女優]] * [[1974年]] - [[クリスチャン・ベール]]、俳優 * 1974年 - [[本田誠人]]、俳優(+ [[2021年]]) * [[1975年]] - [[吉村由美]]、歌手([[PUFFY]]) * 1975年 - [[ジュニーニョ・ペルナンブカーノ]]、元サッカー選手 * [[1976年]] - [[北林実季]]、女優 * 1976年 - [[小野大介]]、実業家 * [[1977年]] - [[新井貴浩]]、元プロ野球選手、監督 * 1977年 - [[夕樹舞子]]、[[AV女優]]、[[ストリッパー一覧|ストリッパー]] * [[1978年]] - [[板倉俊之]]、お笑いタレント([[インパルス (お笑いコンビ)|インパルス]]) * 1978年 - [[梅津弥英子]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[アナウンサー]] * [[1979年]] - [[川島令美]]、タレント * [[1980年]] - [[菅野文]]、漫画家 * [[1981年]] - [[ディミタール・ベルバトフ]]、サッカー選手 * 1981年 - [[ピーター・クラウチ]]、元サッカー選手 * 1981年 - [[久保田智之]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[樋口智恵子]]、声優 * 1981年 - [[榎木智一]]、[[俳優]] * [[1982年]] - [[岩政大樹]]、サッカー選手 * 1982年 - [[徳山秀典]]、俳優、歌手 * [[1983年]] - [[庄司紗矢香]]、[[ヴァイオリニスト]] * [[1984年]] - [[会田有志]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[琴奨菊和弘]]、元大相撲力士、年寄14代[[秀ノ山 (年寄名跡)|秀ノ山]] * 1984年 - [[葛岡碧]]、[[ファッションモデル]] * 1984年 - [[ジェレミー・ハーミダ]]、プロ野球選手 * [[1985年]] - [[中込真理子]]、アナウンサー * 1985年 - [[森下悠里]]、タレント、元[[グラビアアイドル]] * 1985年 - [[尾上松也 (2代目)]]、歌舞伎役者、俳優 * [[1986年]] - [[下田麻美]]、声優 * 1986年 - たかし、お笑いタレント([[トレンディエンジェル]]) * 1986年 - [[マーク・ロジャース (野球)|マーク・ロジャース]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[ニック・エバンス]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[河本ロバート]]、元プロ野球選手 * [[1987年]] - [[アルダ・トゥラン]]、サッカー選手 * 1987年 - [[ルイス・ガルシア (1987年生の投手)|ルイス・ガルシア]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[アザマト・ムカノフ]]、[[柔道]]選手 * [[1988年]] - [[鈴原あいみ]]、モデル、タレント * [[1990年]] - [[藤岡涼音]]、女優 * 1990年 - [[乾達朗]]、元サッカー選手 * [[1991年]] - [[あすか (アイドル)|あすか]]、アイドル * [[1992年]] - [[吉村紗也香]]、カーリング選手 * [[1993年]] - 赤間信一、元アイドル(元[[関西ジャニーズJr.]]) * 1993年 - [[千賀滉大]]、プロ野球選手 * [[1994年]] - [[稲瀬葵|いなせあおい]]、声優 * 1994年 - [[佐藤頼子]]、ファッションモデル * 1994年 - 白戸佳奈、元アイドル(元[[Dorothy Little Happy]]) * 1994年 - [[大筋由里桂]]、元タレント、元キャスター * [[1995年]] - [[岩佐美咲]]、演歌歌手(元[[AKB48]]) * 1995年 - [[鬼頭さくら]]、プロゴルファー * 1995年 - [[田中真琴]]、モデル * [[1999年]] - 竹内菜々、アイドル(元Dorothy Little Happy) * 1999年 - [[あおい (アイドル)|今川碧海]]、アイドル([[MeseMoa.]]) * [[2000年]] - [[西田有志]]、[[バレーボール選手一覧|バレーボール選手]] * 2000年 - [[駒木根葵汰]]、俳優 * [[2002年]] - [[清原果耶]]、女優、ファッションモデル * [[2003年]] - [[村上悠華]]、AV女優 * [[2005年]] - [[まいきち]]、[[TikToker]]、[[YouTuber]] * 2005年 - [[古川結菜]]、ファッションモデル * [[2006年]] - [[佐々木心菜]]、アイドル([[ME:I]]) * 2006年 - [[佐々木ほのか]]、アイドル([[アップアップガールズ(2)]]) * [[2007年]] - [[江端妃咲]]、アイドル([[Juice=Juice]]) * [[2009年]] - [[五十嵐陽向]]、子役 * 生年不明 - [[大藪拓]]、ミュージシャン(元[[三枝夕夏IN db]]) * 生年不明 - [[川庄美雪]]<ref>{{Cite web|和書 | url = https://www.aoni.co.jp/search/kawasho-miyuki.html | archiveurl = https://web.archive.org/web/20150828013728/http://www.aoni.co.jp/actress/ka/kawasho-miyuki.html | archivedate = 2015-08-28 |title=青二プロダクション 川庄美雪 |accessdate=2021-01-22}}</ref>、[[声優]] * 生年不明 - [[計名さや香]]、声優 === 人物以外(動物など) === * [[2013年]] - [[サトノダイヤモンド]]、[[競走馬]] == 忌日 == <!--吉良上野介の没日は翌日なので注意!--> * [[757年]]([[天平勝宝]]9年[[1月6日 (旧暦)|1月6日]]) - [[橘諸兄]]、[[政治家]]、[[歌人]](* [[684年]]) * [[1181年]]([[治承]]5年[[1月14日 (旧暦)|1月14日]]) - [[高倉天皇]]、第80代[[天皇]](* [[1161年]]) * [[1649年]] - [[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]、[[イングランド王国|イングランド]]王(* [[1600年]]) * [[1652年]] - [[ジョルジュ・ド・ラ・トゥール]]、[[画家]](* [[1593年]]) * [[1743年]]([[寛保]]3年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]]) - [[生島新五郎]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1671年]]) * [[1781年]]([[安永]]10年[[1月7日 (旧暦)|1月7日]]) - [[曾我蕭白]]、[[絵師]](* [[1730年]]) * [[1858年]] - [[コンラート・ヤコブ・テミンク]]、[[鳥類学|鳥類学者]](* [[1778年]]) * [[1867年]]([[慶応 (元号)|慶応]]2年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]) - [[孝明天皇]]、第121代[[天皇]](* [[1831年]]) * [[1914年]] - [[石井十次]]、[[岡山孤児院]]創設者(* [[1865年]]) * [[1945年]] - [[橋本進吉]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](* [[1882年]]) * [[1946年]] - [[河上肇]]、[[経済学者]](* [[1879年]]) * [[1948年]] - [[マハトマ・ガンディー]]、[[インド]]の宗教家、独立運動家(* [[1869年]]) * 1948年 - [[ライト兄弟|オーヴィル・ライト]]、[[飛行機]]の[[発明家|発明者]](* [[1871年]]) * 1948年 - [[ハーブ・ペノック]]、[[プロ野球選手]](* [[1894年]]) * [[1951年]] - [[フェルディナント・ポルシェ]]、[[自動車]][[エンジニア]](* [[1875年]]) * [[1958年]] - [[エルンスト・ハインケル]]、[[飛行機]]設計者(* [[1888年]]) * [[1962年]] - [[グスタフ・ストレームベリ]]、[[天文学者]](* [[1882年]]) * [[1963年]] - [[フランシス・プーランク]]、[[作曲家]](* [[1899年]]) * [[1972年]] - [[パーヴェル・ロマン]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1943年]]) * [[1976年]] - [[アルノルト・ゲーレン]]、[[哲学者]]、[[社会学者]](* [[1904年]]) * [[1981年]] - [[宮本常一]]、[[民俗学|民俗学者]](* [[1907年]]) * [[1991年]] - [[河文雄]]、[[プロ野球選手]](* [[1924年]]) * 1991年 - [[ジョン・バーディーン]]、[[物理学者]](* [[1908年]]) * [[1992年]] - [[フランシス・バーチ]]、[[地球科学者]](* [[1903年]]) * [[1993年]] - [[服部良一]]、[[作曲家]](* [[1907年]]) * 1993年 - [[森泰吉郎]]、[[実業家]]、[[森ビル]]の創業者(* [[1904年]]) * [[1994年]] - [[豊田穣]]、[[小説家]](* [[1920年]]) * [[1997年]] - [[内堀保]]、元プロ野球選手(* [[1917年]]) * [[1998年]] - [[サミュエル・アイレンベルグ]]、[[数学者]](* [[1913年]]) * [[2006年]] - [[ウェンディ・ワッサースタイン]]、[[劇作家]](* [[1950年]]) * [[2007年]] - [[シドニィ・シェルダン]]、[[脚本家]]、小説家(* [[1917年]]) * [[2013年]] - [[加藤寛 (経済学者)|加藤寛]]、[[経済学者]](* [[1926年]]) * [[2015年]] - [[後藤健二 (ジャーナリスト)|後藤健二]]、[[フリージャーナリスト]](* [[1967年]]) * [[2018年]] - [[アゼリオ・ビチーニ]]、元[[サッカー選手]]、元[[サッカーイタリア代表]]監督(* [[1933年]]) * 2018年 - [[有賀さつき]]<ref>{{Cite news|title=有賀さつきさん父 病院からの連絡で知る「まったく予想外でした」|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/02/05/kiji/20180205s00041000222000c.html|newspaper=Sponichi ANNEX|agency=スポーツニッポン新聞社|date=2018-2-5|accessdate=2020-1-31}}</ref>、[[アナウンサー]]、[[タレント]](* [[1965年]]) * 2018年 - [[マーク・サリング]]<ref name="The Hollywood Reporter">{{cite web|url=https://www.hollywoodreporter.com/news/mark-salling-dead-glee-actor-dies-at-35-1080090|title='Glee' Actor Mark Salling Dies at 35|accessdate=November 20, 2020}}</ref>、俳優、歌手(* [[1982年]]) * [[2021年]] - [[峰さを理]]<ref>{{Cite news|title=峰さを理さん死去 元宝塚男役トップ68歳 甲状腺がん コロナ禍で「病院に行くのを我慢していた」|url=https://hochi.news/articles/20210131-OHT1T50082.html|newspaper=スポーツ報知|agency=スポーツ報知新聞社|date=2021-1-31|accessdate=2021-1-31}}</ref>、[[俳優#性別での分類|女優]](* [[1952年]]) * 2021年 - [[本田誠人]]<ref>{{Cite news|title=俳優本田誠人さん47歳で死去 17年にがん告知|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202102040000469.html|newspaper=デイリースポーツ|date=2021-2-4|accessdate=2021-2-4}}</ref>、俳優(* [[1974年]]) == 記念日・年中行事 == * {{仮リンク|殉教者の日 (インド)|en|Martyrs' Day (India)|label=殉教者の日}}({{IND}}) *: [[1948年]]のこの日、[[マハトマ・ガンディー]]が[[暗殺]]された。 * 孝明天皇祭({{JPN}}) *: [[宮中祭祀]]の一つ。[[孝明天皇]]が[[崩御]]した日で、皇居内の[[皇霊殿]]と孝明天皇の陵所である京都の月輪東山陵で祭典が行われる。孝明天皇が崩御したのは[[慶応]]2年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]([[旧暦]])で、当初は仏式で行われ、明治3年から神式で行われるようになった。明治5年の太陽暦採用に伴い、新暦に換算した1月30日に行われるようになった。 * 3分間電話の日({{JPN}}) *: [[1970年]](昭和45年)、公衆電話からの市内通話の料金が3分で10円になった。それまでは1通話10円で、時間は無制限だった。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0130|date=2011年6月}} * [[1973年]] - [[アメリカ合衆国]]が[[宇宙]][[ホテル]][[アメリカ合衆国|USA]]の打ち上げに成功。[[世界]]中から[[宿泊]][[予約]]が殺到し始める。([[ロアルド・ダール]]の[[小説]]『{{仮リンク|ガラスの大エレベーター|en|Charlie and the Great Glass Elevator}}』) === 誕生日(フィクション) === * [[1966年]] - [[吉良吉影]]、[[漫画]]・[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』に登場する[[キャラクター]] * [[1993年]] - [[葛葉紘汰]]、[[特撮]]『[[仮面ライダー鎧武]]』の[[主人公]]<ref group="注">第6話で「洋菓子店シャルモン」へ面接に行った際、店長に誕生日を聞かれて判明した。</ref> * [[2009年]] - [[巡音ルカ]]、『[[VOCALOID]]』『[[プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク|プロジェクトセカイカラフルステージ! feat.初音ミク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://piapro.net/pages/character |title=ピアプロキャラクターズとは? |work=piapro |accessdate=2022-10-01 |publisher=Art by KEI / iXima Crypton Future Media, INC.}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |url=https://pjsekai.sega.jp/character/virtualsinger/luka/index.html |title=巡音ルカ |access-date=2022-10-01 |publisher=セガ×Craft Egg/Colorful Palette}}</ref> * 生年不明 - [[ARIAの登場人物#主要人物|水無灯里]]、漫画・アニメ『[[ARIA (漫画)|ARIA]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=天野こずえ(監修)|authorlink=天野こずえ|year=2005|title=ARIA OFFICIAL NAVIGATION GUIDE|page=40|publisher=[[マッグガーデン]]|isbn=978-4-86127-212-7}}</ref> * 生年不明 - [[銀魂の登場人物一覧|川崎みち子]]、漫画『[[銀魂]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 鈴木アーデルハイト、漫画・アニメ『[[家庭教師ヒットマンREBORN!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 桃山遥、漫画・アニメ『[[ベイビーステップ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 六都、漫画『[[國崎出雲の事情]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 桐生敦郎、漫画・アニメ『[[快感・フレーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kaikanproject|1090459677370941441}}</ref> * 生年不明 - [[咲-Saki-の登場人物|志崎綾]]、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |title=志崎 綾(しざき あや) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=2022-10-01 |publisher=小林立公式サイト |work=咲-Saki-}}</ref> * 生年不明 - 海津泰人、漫画・アニメ『[[こえでおしごと!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 太宰ヒカル、漫画・アニメ『[[エリートジャック!!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 八雲凍子、小説・キャラクターCD『らぶバト!』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[星銃士ビスマルク|リチャード・ランスロット]]、アニメ『[[星銃士ビスマルク]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ゆきみ、ゲーム『[[どうぶつの森シリーズ|どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/index.html |title=住民名簿 1月 ゆきみ |access-date=2022-10-01 |publisher=[[任天堂]] |work=どうぶつの森}}</ref> * 生年不明 - 源忠勝、ゲーム・アニメ『[[真剣で私に恋しなさい!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://www.minatosoft.com/majikoi/ |title=2-F 人物紹介 源 忠勝 |access-date=2022-10-01 |publisher=みなとそふと |work=真剣で私に恋しなさい!}}</ref> * 生年不明 - キエル、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=46&cate=name&cont=Kihel |title=キエル |access-date=2022-10-01 |publisher=『夢王国と眠れる100人の王子様』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - デミア、[[ゲーム]]『[[キングスレイド]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://kings-raid.com/characters/#character-128 |title=デミア |publisher=【公式】キングスレイド|超本格リアルタイム3DバトルRPG |accessdate=2022-10-01 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20211104163712/https://kings-raid.com/characters/detail.php?cid=128 |archivedate=2022-07-24}}</ref> * 生年不明 - [[美園礼音]]、メディアミックス『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ARGONAVIS_info|1487636711001980931}}</ref> * 生年不明 - 立花唯、漫画『声がだせない少女は『彼女が優しすぎる』と思っている』に登場するキャラクター == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|30 January}} {{新暦365日|1|29|1|31|[[12月30日]]|無し([[2月30日]])|[[1月30日 (旧暦)|1月30日]]|0130|1|30}} {{1年の月と日}}
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3月31日
3月31日(さんがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から90日目(閏年では91日目)にあたり、年末まであと275日ある。3月の最終日(月末)。年度末。 日本では前年4月始まりの年度最終日とされている。 4月入学の学校で3月中に卒業を迎えた者は、この日を以て学籍が抹消される。それ以外の在籍生徒・学生は翌日(4月1日)から進級となる。 当日を事業年度の末日とし、決算日としている企業が多く、商業系施設・店舗や、各種サービスを廃止する際の最終営業日・提供日とされている事例が多い。 3月31日が属する週の最初の月曜日に、テレビ局やラジオ局の番組改編が組まれていることが多い。
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{{カレンダー 3月}} '''3月31日'''(さんがつさんじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から90日目([[閏年]]では91日目)にあたり、年末まであと275日ある。3月の[[月末|最終日(月末)]]。[[年度末]]。 ==概要== 日本では前年4月始まりの[[年度]]最終日とされている。 4月入学の学校で3月中に[[卒業]]を迎えた者は、この日を以て[[学籍]]が抹消される。それ以外の在籍[[生徒]]・[[学生]]は翌日(4月1日)から[[進級]]となる。 当日を事業年度の末日とし、[[決算]]日としている企業が多く、商業系施設・店舗や、各種サービスを廃止する際の最終営業日・提供日とされている事例が多い。 3月31日が属する週の最初の月曜日に、[[テレビ局]]や[[ラジオ局]]の[[番組改編]]が組まれていることが多い。 == できごと == [[Image:Russparis.jpg|thumb|250px|[[ナポレオン戦争]]の終結(1814)。画像は[[パリ]]に入城するロシア軍]] [[Image:KanagawaTreaty.gif|thumb|180px|[[日米和親条約]](1854)締結]] [[Image:Tour_Eiffel_Wikimedia_Commons.jpg|thumb|200px|[[パリ]]の[[エッフェル塔]]が完成(1889)]] [[Image:HMS_Prince_Of_Wales_in_Singapore.jpg|thumb|250px|イギリスの戦艦[[プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)|プリンス・オブ・ウェールズ]]就役(1941)]] [[Image:Enryakuji_Konponchudo04n4272.jpg|thumb|240px|[[比叡山延暦寺]]の総本堂、[[根本中堂]]が[[国宝]]となる(1953)]] [[Image:Hiroden-750.JPG|thumb|240px|[[大阪市電]]廃止(1969)。[[政令指定都市]]初であった。画像は広島に移籍した大阪市電電車]] [[Image:Mozilla_Application_Suite_for_Mac_OS_9_Startup_Screen.png|thumb|140px|[[ウェブブラウザ]]「[[Mozilla Application Suite|Mozilla]]」のソースコードが公開される(1998)]] [[Image:TOKAI-1_NPP.JPG|thumb|280px|[[東海発電所]]の営業停止(1998)。日本初の原子炉解体となった]] [[Image:Mount_Usu.jpg|thumb|180px|[[有珠山]]噴火(2000)。山麓は廃墟となった]] [[Image:USJ_Globe.JPG|thumb|300px|[[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]開園(2001)]] [[Image:Kobe-portopialand27.JPG|thumb|160px|[[神戸ポートピアランド]]閉園(2006)]] * [[1807年]] - [[ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク (第3代ポートランド公)|ポートランド公]]がイギリス首相に就任{{要出典|date=2021-03}}。 * [[1814年]] - [[第六次対仏大同盟]]がパリに入城し、[[ナポレオン戦争]]が終結、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]が捕えられる。 * [[1854年]]([[嘉永]]7年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[マシュー・ペリー|ペリー提督]]と[[江戸幕府]]の間に[[日米和親条約]](神奈川条約)が結ばれ、[[下田市|下田]]・[[函館市|函館]]が通商港とされる。 * [[1877年]] - [[西南戦争]]: [[大分県]]中津で[[西郷隆盛|西郷]]軍に呼応した士族が叛乱。 * [[1885年]] - [[イギリス]]が[[ボツワナ|ボツワナ共和国]]を保護領とする。 * [[1889年]] - [[エッフェル塔]]が完成。 * [[1905年]] - [[ドイツ帝国|ドイツ]]皇帝[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]が[[モロッコ]]の港である[[タンジェ|タンジール]]を訪問する。([[第一次モロッコ事件|タンジール事件]]) * [[1906年]] - [[鉄道国有法]]公布。 * [[1908年]] - 池田亀太郎([[出歯亀]]の由来)を強姦殺人容疑で拘引。 * [[1909年]] - [[セルビア]]が[[オーストリア]]による[[ボスニア]]・[[ヘルツェゴヴィナ]]の支配を承認する。 * [[1917年]] - アメリカ合衆国が[[デンマーク]]領西インド諸島を2500万ドルで購入し、[[アメリカ領ヴァージン諸島|ヴァージン諸島]]と改称。 * [[1918年]] - アメリカ合衆国で初めて[[夏時間|サマータイム]]を実施。不評のため、2年で廃止。 * [[1919年]] - [[ハイデラバード・ハイ・コート]]が完成。 * [[1921年]] - [[オーストラリア陸軍]]の航空部門を改組して[[オーストラリア空軍]]を設置。 * [[1922年]] - [[ドイツ]]で[[ヒンターカイフェック事件]]が起きる。 * [[1924年]] - [[村山貯水池]]完成。 * [[1929年]] - 大阪電気軌道(今の近畿日本鉄道)が伊賀電気鉄道を合併、[[伊賀鉄道伊賀線|伊賀線]]となる。 * [[1930年]] - [[MPAA|アメリカ映画製作配給業者協会]]が映画の検閲制度「[[ヘイズ・コード]]」を制定。 * [[1933年]] - アメリカで失業対策のための[[市民保全部隊]] (CCC) を創設。 * [[1936年]] - [[栃木県庁]]が火災により全焼<ref>「県庁が全焼、全焼六時間に及ぶ」『中外商業新報』1936年4月1日夕刊(昭和ニュース事典編纂委員会『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p.505 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1937年]] - 日本で[[衆議院解散]]。([[食い逃げ解散]]) * [[1938年]] - 岐阜県羽島郡笠松町の民家に隕石が落下。([[笠松隕石]]) * [[1941年]] - イギリスの戦艦[[プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)|プリンス・オブ・ウェールズ]]が就役。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: [[日本軍のクリスマス島占領|日本軍がクリスマス島を占領]]。 * [[1944年]] - 第二次世界大戦: [[海軍乙事件]]で[[古賀峯一]]日本海軍元帥が殉職。 * [[1946年]] - [[立命館土曜講座]]開始。(現在も続く) * [[1947年]] - [[教育基本法]]・[[学校教育法]]公布。 * 1947年 - 日本で、[[大日本帝国憲法]]下における[[衆議院]]が解散、[[貴族院 (日本)|貴族院]]が停会。 * 1947年 - [[室蘭本線]][[静狩駅]]([[北海道]][[長万部町]])付近のトンネル内で列車同士が正面衝突。乗客ら4人死亡、41人重軽傷<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=67 |isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1948年]] - [[近鉄奈良線列車暴走追突事故]]が起こる。 * [[1952年]] - [[文化放送|財団法人日本文化放送協会(現・文化放送)]]開局。 * [[1953年]] - [[比叡山]][[延暦寺]]の[[根本中堂]]を[[国宝]]建造物に指定。 * [[1958年]] - 翌日からの[[売春防止法]]の施行に伴い[[赤線]]が営業停止。 * [[1963年]] - [[吉展ちゃん誘拐殺人事件]]が発生。 * [[1965年]] - [[淀橋浄水場]]廃止。 * [[1966年]] - [[法務省]]が、日本の総[[人口]]が1億人を突破したと発表。 * 1966年 - [[ソビエト連邦|ソ連]]で無人月探査機「[[ルナ10号]]」を打ち上げ。4月3日に史上初めて[[月周回軌道]]を回る。 * [[1967年]] - [[東京駅]]の[[みどりの窓口]]付近にあった[[ゴミ箱]]に仕掛けられた[[爆弾]]が爆発。14人が重軽傷<ref>捜査本部解散へ みどりの窓口爆破事件『朝日新聞』1970年(昭和45年)12月30日朝刊 12版 18面</ref>。 * [[1968年]] - [[成田空港問題]]:[[第3次成田デモ事件]]。 * [[1969年]] - [[大阪市電]]がこの日限りで全線廃止。 * [[1970年]] - 赤軍派が[[日本航空]]機よど号をハイジャックする。([[よど号ハイジャック事件]]) * 1970年 - アメリカ初の人工衛星「[[エクスプローラー1号]]」が打上げから12年目で大気圏に再突入して消滅。 * [[1972年]] - [[横浜市電]]がこの日限りで全線廃止。 * 1972年 - [[汽車製造]]が[[川崎重工業]]との合併に伴い、営業を終了。 * [[1974年]] - [[名古屋市電]]がこの日限りで全線廃止。 * [[1975年]] - [[毎日放送]](MBS)と[[朝日放送グループホールディングス|朝日放送]]([[朝日放送テレビ|ABC]])の[[東京]][[キー局]]が[[ネットチェンジ]](「[[腸捻転]]」解消)。[[TBSホールディングス|東京放送]](TBS。現・[[TBSテレビ]])系列だったABCが日本教育テレビ(NET。現・[[テレビ朝日]])系列に、NET系列だったMBSがTBS系列に変わる。 * [[1976年]] - [[仙台市電]]がこの日限りで全線廃止。 * [[1977年]] - [[木曽駒ケ岳]]を縦走していた[[東京都立航空工業高等専門学校]]の山岳部員7人が[[雪崩]]に巻き込まれて死亡<ref>今日から本格捜索 木曽駒遭難『朝日新聞』1977年(昭和52年)4月1日朝刊、13版、23面</ref>。 [[ファイル:Mount Hoken.jpg|200px|thumb|right|宝剣岳と千畳敷カール(9月)]] * [[1980年]] - [[シカゴ・ロック・アイランド・アンド・パシフィック鉄道]]がこの日限りで廃止。 * 1980年 - [[国際プロレス]]の[[後楽園ホール]]大会でリング下に落ちた[[アニマル浜口]]が[[木村健悟]]の[[プランチャ・スイシーダ]]を受けて[[後頭部]]を打って[[失神]]、半年欠場する。 *[[1981年]] - [[福井鉄道]][[福井鉄道南越線|南越線]]がこの日限りで廃止。 * [[1984年]] - [[日本国有鉄道|国鉄]][[日中線]]・[[相模線]]西寒川支線・[[赤谷線]]・[[魚沼線]]・[[清水港線]]がこの日限りで廃止。 * [[1985年]] - 国鉄[[相生線]]・[[渚滑線]]・[[万字線]]・[[倉吉線]]・[[矢部線]]・[[勝田線]]・[[添田線]]・[[室木線]]・[[香月線]]がこの日限りで廃止。 * [[1986年]] - 国鉄[[漆生線]]が廃止。 * [[1987年]] - [[日本国有鉄道]]が廃止。翌日[[国鉄分割民営化|分割民営化]]。 * 1987年 - [[筑波鉄道筑波線]]が全線廃止。 * [[1990年]] - JR西日本[[鍛冶屋線]]・[[大社線]]がこの日限りで廃止。 * [[1991年]] - 東欧民主化、[[東西冷戦]]の終結に伴い、[[ワルシャワ条約機構]]が軍事機能を完全に停止。 * 1991年 - 北総開発鉄道(現・[[北総鉄道]])[[京成高砂駅]] - [[新鎌ヶ谷駅]]間が開通。 * [[1992年]] - 世界最後の現役戦艦だった[[アメリカ海軍]]の[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ]]が退役。 * [[1994年]] - [[野上電気鉄道]]が全線廃止。 * [[1998年]] - [[Mozilla Foundation|mozilla.org]]が [[Mozilla Application Suite|Mozilla]] の[[ソースコード]]を公開。 * 1998年 - [[山一證券]]が自主廃業に伴い営業を終了。 * 1998年 - [[日本原子力発電]]株式会社[[東海発電所]]の営業運転終了。 * [[2000年]] - [[有珠山]]が23年ぶりに[[噴火]]。 * [[2001年]] - [[ユニバーサル・スタジオ・ジャパン]]がオープン。 * 2001年 - [[北関東自動車道]]・[[高崎ジャンクション|高崎JCT]] - [[伊勢崎インターチェンジ|伊勢崎IC]]間が開通。 * 2001年 - [[のと鉄道七尾線]]の[[穴水駅]] - [[輪島駅]]間が廃止。 * [[2002年]] - [[向ヶ丘遊園]]が閉園。 * 2002年 - [[長野電鉄河東線]]の[[信州中野駅]] - [[木島駅]]間(通称:長野電鉄木島線)が廃止。 * [[2004年]] - [[名鉄三河線]]の[[猿投駅]] - [[西中金駅]]間、[[碧南駅]] - [[吉良吉田駅]]間が廃止。 * 2004年 - [[帝都高速度交通営団]]がこの日限りで廃止、翌4月1日に[[東京地下鉄]](東京メトロ)として民営化。 * [[2005年]] - [[名古屋鉄道]]の[[名鉄岐阜市内線|岐阜市内線]]・[[名鉄揖斐線|揖斐線]]・[[名鉄美濃町線|美濃町線]]・[[名鉄田神線|田神線]]、[[日立電鉄線]]、[[のと鉄道能登線]]が廃止。 * 2005年 - [[大阪近鉄バファローズ]]が消滅。選手の大半は[[オリックス・バファローズ]]もしくは[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]へ分配ドラフトで移籍。 * [[2006年]] - [[神戸ポートピアランド]]が閉園。 * [[2007年]] - [[イー・モバイル]]が東名阪においてHSDPAデータ通信サービス「EMモバイルブロードバンド」を開始。 * 2007年 - [[NTTドコモ]]が提供してきた無線呼出しサービス「[[無線呼び出し|クイックキャスト]](旧ポケットベル)」のサービス終了。全国展開のポケットベルサービスが消える。 * 2007年 - [[くりはら田園鉄道]]、[[鹿島鉄道]]が廃止。 * [[2008年]] - [[ツーカー]]がツーカー電話サービスを終了。 * [[2009年]] - [[福岡県]]の[[ブロック紙]]・[[西日本新聞]]が[[山口県]]においての取材及び販売から撤退。 * [[2012年]] - [[東日本大震災]]で大きな被害を受け、[[7月24日|8か月間延期されていた]][[岩手県]]、[[宮城県]]、[[福島県]]の地上波テレビのアナログ放送が終了し、[[日本]]全国で[[日本の地上デジタルテレビ放送|完全デジタル化]]が完了した。これで、日本のアナログ放送は完全に廃止された。 * 2012年 - [[荒尾競馬場]] が廃止。 * 2012年 - [[長野電鉄屋代線]]と[[十和田観光電鉄線]]が廃止。 * [[2014年]] - [[フジテレビ系]]昼の[[長寿番組の一覧|長寿番組]]『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』が放送終了。[[1982年]]の放送開始以来、31年半の歴史に幕を下ろす。 * 2014年 - [[岩泉線]]が廃止。 * 2014年 - [[全日本空輸|ANA]]の[[ボーイング747-400#747-400D型|B747-400D]]が[[那覇空港|沖縄]]発[[東京国際空港|東京]]行・NH126便を最後に退役。1979年1月25日の初就航(当時は、[[ボーイング747|B747SR-100]])以来、35年の[[ボーイング747|B747]]による営業運航に幕が下ろされた。また、これと同時に44年半続いた日本の航空会社におけるB747の旅客運用の歴史に幕が下ろされることとなった。 * [[2016年]] - [[東海テレビ制作昼の帯ドラマ]]が放送を終了。約52年の歴史に幕。 * [[2018年]] - フジテレビ系土8の[[長寿番組の一覧|長寿番組]]、[[めちゃ×2イケてるッ!]]が22年の歴史に幕を閉じる。 * 2018年 - JR西日本[[三江線]]が廃止。 * 2018年 - [[大阪市交通局|大阪市交通局(大阪市営地下鉄・大阪市営バス)]]が、[[大阪市高速電気軌道|Osaka Metro]]・[[大阪シティバス]]に経営移管のため廃止。公営地下鉄の経営移管は全国で初となる。 * [[2019年]] - JR北海道[[石勝線]]夕張支線が廃止。 * [[2020年]] - [[Dlife]]と[[ビーエスFOX|FOXスポーツ&エンターテイメント]]の放送が終了。 * [[2021年]] - JR北海道[[日高本線]]の[[鵡川駅]] - [[様似駅]]間が廃止。 * 2021年 - [[志摩マリンランド]]が老朽化に伴い営業終了。 * [[2023年]] - JR北海道[[留萌本線]]の[[石狩沼田駅]] - [[留萌駅]]間が廃止。 ===日本の自治体改編=== * [[1954年]] - 秋田県[[本荘市]](現[[由利本荘市]])・[[男鹿市]]・[[湯沢市]]、福島県[[須賀川市]]・[[喜多方市]]・[[常磐市]](現 [[いわき市]])・[[磐城市]](現いわき市)・福島県[[相馬市]]、茨城県[[那珂湊市]](現[[ひたちなか市]])、栃木県[[今市市]]・[[小山市]]、千葉県[[成田市]]・千葉県[[佐倉市]]、新潟県[[十日町市]]・[[見附市]]・[[村上市]]・[[燕市]]、石川県[[輪島市]]、静岡県[[藤枝市]]・[[掛川市]]・[[富士市]]、三重県[[名張市]]、滋賀県[[近江八幡市]]、岡山県[[総社市]]、広島県[[三次市]]・[[松永市]](現[[福山市]])・[[府中市 (広島県)|府中市]]・[[庄原市]]、山口県[[美祢市]]・[[長門市]]・[[柳井市]]、香川県[[善通寺市]]、高知県[[宿毛市]]・[[中村市]]、大分県[[鶴崎市]](現[[大分市]])・[[竹田市]]が市制施行。 * [[1955年]] - 長崎県[[松浦市]]が市制施行。 * [[1956年]] - 茨城県[[北茨城市]]が市制施行。 * [[1958年]] - 奈良県[[御所市]]が市制施行。 * [[2004年]] - 熊本県[[上天草市]]が市制施行。 * [[2005年]] - 岡山県[[美作市]]・[[真庭市]]、大分県[[豊後大野市]]が市制施行。島根県[[仁多郡]][[仁多町]]、[[横田町]]が合併して[[奥出雲町]]に。 * [[2006年]] - 長崎県[[南島原市]]、大分県[[国東市]]が市制施行。 == 誕生日 ==<!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。{{-}}などとは役割が違いますので置き換えないでください。 --> [[Image:Const.chlorus02_pushkin.jpg|thumb|upright|[[コンスタンティヌス朝]]の創始者[[コンスタンティウス・クロルス]](250-306)誕生]] [[Image:Frans_Hals_-_Portret_van_Ren%C3%A9_Descartes.jpg|thumb|200px|「[[我思う、ゆえに我あり]]」の[[哲学者]]、近代[[哲学]]の父[[ルネ・デカルト]](1596-1650)誕生]] [[Image:Haydn_portrait_by_Thomas_Hardy_%28small%29.jpg|thumb|180px|[[古典派音楽|古典派]]を代表する作曲家[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン]](1732-1809)。{{audio|The Clock.ogg|交響曲第101番ニ長調『時計』を聴く}}]] <!--{{listen|filename=The Clock.ogg|title=ハイドン 交響曲第101番ニ長調『時計』}}--> [[Image:Charles_Walcott.jpg|thumb|upright|[[無脊椎動物]]の[[古生物学者]][[チャールズ・ウォルコット]](1850-1927)]] [[Image:Sergej_Diaghilev_%281872-1929%29_ritratto_da_Valentin_Aleksandrovich_Serov.jpg|thumb|upright|[[ロシア]]の芸術プロデューサー、[[セルゲイ・ディアギレフ]](1872-1929)]] [[Image:Jules_Pascin_D%C3%A9jeuner.jpg|thumb|200px|「[[モンパルナス]]の王子」と呼ばれた画家[[ジュール・パスキン]](1885-1930)。画像は『昼食』(1923)]] [[Image:Tomonaga.jpg|thumb|upright|[[量子電磁力学]]に多大な貢献をした物理学者、[[朝永振一郎]](1906-1979)]] <!-- [[Image:Carlo_Rubbia_W_and_Z_bosons.jpg|thumb|upright|[[ウィークボソン]]の発見を導いた物理学者[[カルロ・ルビア]](1934-)]] --> <!-- [[Image:Algoretestifying.jpeg|thumb|upright|[[環境問題]]の啓発でも知られるアメリカ合衆国の政治家[[アル・ゴア]](1948-)]] --> === 人物 === * [[250年]] - [[コンスタンティウス・クロルス]]、西ローマ帝国皇帝、[[コンスタンティヌス朝]]の創始者 (+ [[306年]]) * [[1425年]] - [[ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ]]、[[ミラノ公国|ミラノ女公]](+ [[1468年]]) * [[1499年]] - [[ピウス4世 (ローマ教皇)|ピウス4世]]、第224代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1565年]]) * [[1519年]] - [[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]、[[フランス王国|フランス]]国王(+ [[1559年]]) * [[1536年]]([[天文 (元号)|天文]]5年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[足利義輝]]、[[室町幕府]]第13代[[征夷大将軍|将軍]](+ [[1565年]]) * [[1549年]](天文18年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[筒井順慶]]、[[戦国大名]](+ [[1584年]]) * [[1596年]] - [[ルネ・デカルト]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1650年]]) * [[1656年]]([[明暦]]2年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]) - [[井伊直興]]、第4・7代[[彦根藩|彦根藩主]](+ [[1717年]]) * [[1675年]] - [[ベネディクトゥス14世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス14世]]、第247代ローマ教皇(+ [[1758年]]) * [[1684年]]([[天和 (日本)|天和]]4年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]) - [[小出英貞]]、第4代[[園部藩|園部藩主]](+ [[1744年]]) * [[1685年]]<ref group="注釈">[[ユリウス暦]]では[[3月21日]]。</ref> - [[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]、[[作曲家]](+ [[1750年]]) * [[1723年]] - [[フレデリク5世 (デンマーク王)|フレデリク5世]]、[[デンマーク|デンマーク王]](+ [[1766年]]) * [[1732年]] - [[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン]]、[[作曲家]](+ [[1809年]]) * [[1777年]] - [[ルイ・コルディエ]]、[[地質学|地質学者]]、[[鉱物学|鉱物学者]](+ [[1861年]]) * [[1778年]]([[安永 (元号)|安永]]7年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[中村歌右衛門 (3代目)]]、[[歌舞伎]]役者(+ [[1838年]]) * 1778年 - [[コンラート・ヤコブ・テミンク]]、[[動物学|動物学者]](+ [[1858年]]) * [[1786年]]([[天明]]6年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[藤堂高邁]]、第12代[[久居藩|久居藩主]](+ [[1828年]]) * [[1788年]] - [[ラーマ3世]]、[[タイの国王|タイ国王]](+ [[1851年]]) * [[1794年]] - [[トマス・マッキーン・トンプソン・マッケナン]]、[[政治家]](+ [[1852年]]) * [[1802年]] ([[享和]]2年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[木下俊敦]]、[[日出藩]]主(+ [[1886年]]) * [[1811年]] - [[ロベルト・ブンゼン]]、[[化学者]](+ [[1899年]]) * [[1819年]] - [[クロートヴィヒ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト|ホーエンローエ=シリングスフュルスト]]、政治家(+ [[1901年]]) * [[1821年]] - [[フリッツ・ミューラー]]、[[博物学|博物学者]](+ [[1897年]]) * [[1850年]] - [[チャールズ・ウォルコット]]、[[古生物学|古生物学者]](+ [[1927年]]) * [[1853年]] - [[マクシミリアン・シュヴェードラー]]、[[フルート奏者]](+ [[1940年]]) * [[1868年]] - [[ジャック・スティベッツ]]、[[プロ野球選手]](+ [[1930年]]) * [[1870年]] - [[トミー・ライアン]]、[[プロボクサー]](+ [[1948年]]) * 1870年 - [[ジェイムズ・コックス]]、[[新聞社]]経営者、政治家(+ [[1957年]]) * [[1871年]] - [[アーサー・グリフィス]]、[[民族主義]]運動家(+ [[1922年]]) * [[1872年]] - [[アレクサンドラ・コロンタイ]]、[[ボリシェヴィキ]]の[[積極行動主義|活動家]](+ [[1952年]]) * 1872年 - [[セルゲイ・ディアギレフ]]、[[ロシア・バレエ団]]創設者(+ [[1929年]]) * [[1878年]] - [[ジャック・ジョンソン (ボクサー)|ジャック・ジョンソン]]、プロボクサー(+ [[1946年]]) * [[1884年]] - [[アドリアン・ヴァン・マーネン]]、[[天文学者]](+ [[1946年]]) * 1884年 - [[河野安通志]]、[[野球選手]](+ [[1946年]]) * [[1885年]] - [[ジュール・パスキン]]、[[画家]](+ [[1930年]]) * [[1890年]] - [[ローレンス・ブラッグ]]、[[物理学者]](+ [[1971年]]) * [[1893年]] - [[クレメンス・クラウス]]、[[指揮者]](+ [[1954年]]) * [[1894年]] - [[林家正蔵#7代|林家正蔵(7代目)]]、[[落語家]](+ [[1949年]]) * [[1898年]] - [[下総皖一]]、[[作曲家]](+ [[1962年]]) * 1898年 - [[伊奈信男]]、[[写真評論家]](+ [[1978年]]) * [[1900年]] - [[ヘンリー (グロスター公)|グロスター公ヘンリー]]、[[オーストラリアの総督|オーストラリア総督]](+ [[1974年]]) * [[1902年]] - [[廣川弘禅]]、政治家(+ [[1967年]]) * 1902年 - [[山内以九士]]、野球公式記録員(+ [[1972年]]) * [[1906年]] - [[朝永振一郎]]、[[物理学者]](+ [[1979年]]) * 1906年 - [[難波田春夫]]、[[経済学者]](+ [[1991年]]) * 1906年 - [[瀬川美能留]]、[[実業家]]、[[野村證券]]社長(+ [[1991年]]) * [[1907年]] - [[赤尾好夫]]、[[出版]]人(+ [[1985年]]) * [[1909年]] - [[貴志康一]]、作曲家(+ [[1937年]]) * 1909年 - [[ロベール・ブラジヤック]]、[[著作家]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1945年]]) * [[1911年]] - [[フレディ・グリーン]]、[[ジャズ]][[ギタリスト]](+ [[1987年]]) * [[1914年]] - [[船山馨]]、[[小説家]](+ [[1981年]]) * 1914年 - [[オクタビオ・パス]]、[[詩人]]、[[評論家]](+ [[1998年]]) * 1914年 - [[天池清次]]、[[労働運動|労働運動家]](+ [[2012年]]) * [[1915年]] - [[横井庄一]]、[[軍人]](+ [[1997年]]) * [[1916年]] - [[トミー・ボルト]]、[[ゴルフ|プロゴルファー]](+ [[2008年]]) * [[1917年]] - [[ドロシー・ディレイ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[2002年]]) * 1918年 - [[箕田源二郎]]、画家、[[絵本作家]](+ [[2000年]]) * [[1922年]] - [[中埜肇 (実業家)|中埜肇]]、[[実業家]](+ [[1985年]]) * [[1924年]] - [[レオ・ブスカーリア]]、[[教育学|教育学者]](+ [[1998年]]) * [[1925年]] - [[永井路子]]、[[小説家]](+ [[2023年]]) * [[1926年]] - [[ジョン・ファウルズ]]、小説家(+ [[2005年]]) * 1926年 - [[加古里子]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]](+ [[2018年]]) * [[1927年]] - [[福島譲二]]、[[政治家]](+ [[2000年]]) * 1927年 - [[無着成恭]]、[[教育評論家]](+ [[2023年]]) * 1927年 - [[ウィリアム・ダニエルズ]]、[[俳優]] * [[1928年]] - [[ゴーディ・ハウ]]、[[アイスホッケー]]選手(+ [[2016年]]) * [[1929年]] - [[三枝和子]]、小説家(+ [[2003年]]) * [[1930年]] - [[奥村公延]]、俳優(+ [[2009年]]) * [[1931年]] - [[清水徹]]、[[フランス文学者]] * 1931年 - [[柏木敏夫]]、プロ野球審判員(+ [[2003年]]) * [[1932年]] - [[大島渚]]、[[映画監督]](+ [[2013年]]) * 1932年 - [[今井健二]]、俳優 * [[1933年]] - [[中丸忠雄]]、俳優(+ [[2009年]]) * [[1934年]] - [[居作昌果]]、[[テレビプロデューサー]](+ [[2005年]]) * 1934年 - [[カルロ・ルビア]]、物理学者 * 1934年 - [[リチャード・チェンバレン]]、俳優、[[歌手]] * 1934年 - [[シャーリー・ジョーンズ]]、歌手、女優 * 1934年 - [[多田富雄]]、[[免疫学者]](+ [[2010年]]) * 1934年 - [[上前淳一郎]]、[[ノンフィクション作家]] * [[1935年]] - [[ハーブ・アルパート]]、[[音楽家]] * 1935年 - [[今橋恒]]、[[俳優]]、[[声優]](+ [[1995年]]) * [[1936年]] - [[毒蝮三太夫]]、[[タレント]] * [[1937年]] - [[クロード・アレグル]]、[[地球科学者]]、政治家 * 1937年 - [[大庭宏]]、元[[プロ野球選手]] * [[1938年]] - [[野村道子]]、声優 * 1938年 - [[村松英子]]、女優 * 1938年 - [[パトリック・ベイトソン]]、[[生物学者の一覧|生物学者]] * 1938年 - [[藤本伸]]、元プロ野球選手 * [[1939年]] - [[フォルカー・シュレンドルフ]]、映画監督 * 1939年 - [[ズヴィアド・ガムサフルディア]]、[[グルジアの大統領一覧|グルジア大統領]](+ [[1993年]]) * 1939年 - [[カール=ハインツ・シュネリンガー]]、[[サッカー選手一覧|サッカー選手]] * [[1940年]] - [[嵐圭史]]、[[歌舞伎役者]] * 1940年 - [[板東英二]]、元プロ野球選手、タレント * [[1942年]] - [[鈴木良武]]、アニメ原作者、[[脚本家]] * 1942年 - [[円谷文彦]]、声優(+ [[2005年]]) * [[1943年]] - [[クリストファー・ウォーケン]]、俳優 * 1943年 - [[藤島正之]]、弁護士 * 1943年 - [[坂東彦三郎 (8代目)]]、歌舞伎役者 * [[1944年]] - [[出久根達郎]]、小説家 * [[1947年]] - [[杉本一文]]、[[イラストレーター]]、[[版画家]] * [[1948年]] - [[盧山初雄]]、[[武道|武道家]]、[[空手道|空手家]] * 1948年 - [[アル・ゴア|アルバート・ゴア・ジュニア]]、政治家、第45代[[アメリカ合衆国副大統領]] * 1948年 - [[古沢憲司]]、元プロ野球選手(+ [[2023年]]) * [[1950年]] - [[近藤喜文]]、[[アニメ監督|アニメ映画監督]](+ [[1998年]]) * 1950年 - [[舘ひろし]]、俳優 * [[1951年]] - [[川崎ゆきお]]、[[漫画家]] * [[1953年]] - [[中野栄治]]、騎手、調教師 * 1953年 - [[桂文福]]、落語家 * [[1955年]]<ref group="注釈">[[1959年]]生まれとする説もある。{{Cite web|和書|author= HMV ONLINE |url= http://www.hmv.co.jp/artist_Angus-Young_500000000000160/biography/ |title= プロフィール|Angus Young (アンガスヤング) |publisher= ローソンHMVエンタテイメント|accessdate= 2014-03-30 }}</ref> - [[アンガス・ヤング]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[AC/DC]]) * 1955年 - [[青島広志]]、作曲家、タレント * [[1957年]] - [[小林健二 (将棋棋士)|小林健二]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]] * 1957年 - [[郡和子]]、政治家 * [[1961年]] - [[戸川純]]、タレント、ミュージシャン * 1961年 - [[寺島まゆみ]]、女優、歌手 * [[1962年]] - [[光吉一]]、[[官僚]] * [[1964年]] - [[鶴久政治]]、タレント、歌手(元[[チェッカーズ]]) * 1964年 - [[バルビーノ・ガルベス]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[杉山勇司]]、[[レコーディング・エンジニア]] * [[1968年]] - [[小川直也]]、[[プロレスラー]]、[[柔道|柔道家]] * 1968年 - [[セザール・サンパイオ]]、サッカー選手 * [[1969年]] - [[KYONO]]、ミュージシャン([[THE MAD CAPSULE MARKETS]]) * 1969年 - [[スティーブ・スミス (バスケットボール)|スティーブ・スミス]]、[[バスケットボール]]選手 * [[1970年]] - [[宮迫博之]]、[[YouTuber]]、[[お笑いタレント]](元[[雨上がり決死隊]]) * [[1971年]] - [[筒井道隆]]、俳優 * 1971年 - [[義家弘介]]、[[政治家]]、[[教育関係人物一覧|教育者]] * 1971年 - [[ユアン・マクレガー]]、俳優 * 1971年 - [[クレイグ・マクラッケン]]、[[アニメーター]] * [[1972年]] - [[アレハンドロ・アメナバル]]、[[映画監督]] * [[1973年]] - ホルスタイン・モリ夫、お笑いタレント([[モリマン]]) * [[1974年]] - [[駒田健吾]]、[[アナウンサー]] * 1974年 - [[ロヘル・マチャド]]、元野球選手 * [[1975年]] - [[矢部大]]、実業家、経営コンサルタント * 1975年 - [[ライアン・ループ]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[勝野慎子]]、[[シンガーソングライター]] * 1976年 - [[バイス・ガンダ]]、俳優、コメディアン * [[1977年]] - [[上原さくら]]、女優 * 1977年 - [[龍円愛梨]]、政治家、記者、元アナウンサー * 1977年 - [[Toshiya]]、[[ベーシスト]]([[DIR EN GREY]]) * 1977年 - [[ジェイミー・ブラウン]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[ジェイソン・デノミー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1978年]] - [[針谷桂樹]]、ナレーター * 1978年 - [[影山由高]]、元サッカー選手 * [[1980年]] - [[王建民]]、元プロ野球選手 * 1980年 - [[遠藤大志]]、元サッカー選手 * 1980年 - [[坂本真綾]]、声優 * 1980年 - 佐々木優介、お笑いタレント([[磁石 (お笑いコンビ)|磁石]]) <!-- 特筆性は? * 1980年 - 中村まいこ、お笑いタレント([[法薬女子大学]]) --> <!-- 特筆性は? * 1980年 - 和教、[[ボーカル]]([[少年カミカゼ]]) --> * [[1981年]] - [[AMADORI]]、ミュージシャン * 1981年 - [[新谷良子]]、声優 * [[1982年]] - [[柳田殖生]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[ジェシカ・ジョセフ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1983年]] - [[鈴木寛史]]、バレーボール選手 * 1983年 - [[ジェフ・マシス]]、プロ野球選手 * [[1984年]] - [[田久保賢植]]、元プロ野球選手 * [[1985年]] - [[オレクサンドル・クラトフ]]、[[オリエンテーリング]]選手 * [[1986年]] - [[セルゲイ・カレフ]]、フィギュアスケート選手 * [[1987年]] - [[ネッリ・ジガンシナ]]、フィギュアスケート選手 * 1987年 - [[ピーター・ボージャス]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[ブレット・ロリン]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[新子景視]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]] * [[1988年]] - [[ホーガン・エフレイム]]、サッカー選手 * 1988年 - [[ベアトリサ・リャン]]、フィギュアスケート選手 * [[1989年]] - [[大川雅大]]、元俳優 * 1989年 - [[劉子歌]]、[[競泳]]選手 * 1989年 - [[ホスミル・ピント]]、プロ野球選手 * 1989年 - よし、お笑いタレント([[トキヨアキイ]]) * [[1990年]] - [[山崎将平]]、俳優 * 1990年 - [[高橋春美]]、[[ラジオ]][[DJ]] * [[1991年]] - [[鳥越裕貴]]、俳優 * 1991年 - [[上原光紀]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー * 1991年 - [[栗原卓也]]、俳優 * [[1992年]] - [[倉内沙莉]]、ファッションモデル、グラビアアイドル * 1992年 - [[ベアートリチェー・ロジンスカイテー]]、フィギュアスケート選手 * [[1993年]] - [[ミカエル・イシャク]]、サッカー選手 * 1993年 - [[クリスタ・バンサント]]、バレーボール選手 * 1993年 - [[五郎谷俊]]、陸上選手 * [[1994年]] - [[西尾夕香]]、声優、歌手 * 1994年 - [[もりせいじゅ]]、お笑いタレント * [[1995年]] - [[大多和莉里亜]]、女優 * 1995年 - [[疋田英美]]、ファッションモデル * 1995年 - [[友永ありさ]]、元グラビアアイドル * [[1996年]] - [[下田裕太]]、陸上選手 * [[1997年]] - JU-NE、アイドル([[IKON|ikon]]) * [[1998年]] - [[篠崎みお]]、[[AV女優]] * [[2000年]] - [[長谷川ニイナ]]、元タレント * [[2003年]] - [[根本悠楓]]、プロ野球選手 * [[2004年]] - [[濱田ここね]]、女優 * [[2005年]] - [[雑賀サクラ]]、ファッションモデル * 生年非公表 - [[切符 (イラストレーター)|切符]]、[[イラストレーター]] * 生年非公表 - [[シルク (タレント)|シルク]]、お笑いタレント(元[[非常階段 (お笑いコンビ)|非常階段]]) * 生年不明 - ナアユ、アイドル([[WAgg]]) === 人物以外(動物など) === * [[1989年]] - [[エーピーインディ]]、[[競走馬]](+[[2020年]]) * [[1990年]] - [[ドージマムテキ]]、競走馬(+[[2010年]]) * [[1991年]] - [[ゴールデンジャック]]、競走馬(+[[2013年]]) * [[1994年]] - [[シンコウスプレンダ]]、競走馬 * [[1998年]] - [[クロフネ]]、競走馬(+[[2021年]]) * [[1999年]] - [[ヒシミラクル]]、競走馬 * [[2001年]] - [[アルティストロワイヤル]]、競走馬 * 2001年 - [[アロマ (盲導犬)|アロマ]]、[[盲導犬]](+[[2012年]]) * [[2002年]] - [[シーザリオ]]、競走馬(+[[2021年]]) * 2002年 - [[オースミグラスワン]]、競走馬 * [[2004年]] - [[カノヤザクラ]]、競走馬(+[[2010年]]) * [[2007年]] - [[ヴィクトワールピサ]]、競走馬 * 2007年 - [[カレンチャン]]、競走馬 == 忌日 == [[Image:Isaac_Newton_grave_in_Westminster_Abbey.jpg|thumb|upright|[[古典力学]]を確立した[[自然哲学者]][[アイザック・ニュートン]](1642-1727)没。画像は[[ウェストミンスター寺院]]にある墓]] [[Image:John_Constable_028.jpg|thumb|260px|風景画家[[ジョン・コンスタブル]](1776-1837)没。画像は『Wivenhoe Park』(1816)]] [[Image:Charlotte Brontë Richmond cropped.tif|thumb|upright|[[ブロンテ姉妹]]の長姉、作家[[シャーロット・ブロンテ]](1816-1855)没。代表作は『[[ジェーン・エア]]』(1847)]] <!-- [[Image:Morgan%2C_Sam.jpg|thumb|200px|モルガン財閥を創始した投資家[[ジョン・モルガン]](1837-1913)。その役割は政府よりも大きかったという(画像)]] --> <!-- 4月1日に移動* [[1204年]] - [[アリエノール・ダキテーヌ]]、[[アキテーヌ地域圏|アキテーヌ女公]](* [[1124年]])--> * [[1671年]] - [[アン・ハイド]]、[[ヨーク公]][[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ]]の最初の妃(* [[1637年]]) * [[1703年]] - [[ヨハン・クリストフ・バッハ]]、[[作曲家]](* [[1642年]]) * [[1727年]] - [[アイザック・ニュートン]]、[[科学者]](* [[1643年]]) * [[1821年]]([[文政]]4年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[山片蟠桃]]、[[経世論|経世論家]]、[[思想|思想家]](* [[1748年]]) * [[1837年]] - [[ジョン・コンスタブル]]、[[画家]](* [[1776年]]) * [[1841年]] - [[ジョージ・グリーン]]、[[物理学者]]、[[数学者]](* [[1793年]]) * [[1855年]] - [[シャーロット・ブロンテ]]、[[小説家]](* [[1816年]]) * [[1877年]] - [[アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー]]、[[哲学|哲学者]]、数学者、[[経済学者]](* [[1801年]]) * [[1880年]] - [[ヘンリク・ヴィエニャフスキ]]、作曲家、[[ヴァイオリニスト]](* [[1835年]]) * [[1888年]] - [[ジャン=マリー・ギュイヨー]]、哲学者、[[詩人]](* [[1854年]]) * [[1913年]] - [[ジョン・モルガン]]、[[実業家]](* [[1837年]]) * [[1915年]] - [[ナサニエル・ロスチャイルド (初代ロスチャイルド男爵)|初代ロスチャイルド男爵ナサニエル・ロスチャイルド]]、銀行家、政治家(* [[1840年]]) * [[1917年]] - [[エミール・アドルフ・フォン・ベーリング]]、[[医学|医学者]](* [[1854年]]) * [[1933年]] - [[山川彌千枝]]、『薔薇は生きてる』著者(* [[1918年]]) * [[1944年]] - [[古賀峯一]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]元帥(* [[1885年]]) * [[1945年]] - [[ハンス・フィッシャー]]、[[化学者]](* [[1881年]]) * [[1946年]] - [[武田麟太郎]]、小説家(* [[1904年]]) * [[1948年]] - [[河内源一郎]]、醸造学者(* [[1883年]]) * [[1952年]] - [[ヴァルター・シェレンベルク]]、[[ナチス・ドイツ]][[親衛隊少将]](* [[1910年]]) * [[1967年]] - [[伊藤熹朔]]、[[舞台美術家]](* [[1899年]]) * [[1968年]] - [[エリー・ナイ]]、[[ピアニスト]](* [[1882年]]) * [[1970年]] - [[井上博]]、ミュージシャン、元[[はしだのりひことシューベルツ]] (* [[1949年]]) * [[1976年]] - [[ポール・ストランド]]、[[写真家]](* [[1890年]]) * [[1980年]] - [[ジェシー・オーエンス]]、陸上競技選手(* [[1913年]]) * [[1983年]] - [[片岡千恵蔵]]、[[俳優]](* [[1903年]]) * 1983年 - [[尾崎一雄]]、小説家(* [[1899年]]) * [[1988年]] - [[ウィリアム・マクマホン]]、第20代[[オーストラリアの首相|オーストラリア首相]](* [[1908年]]) * [[1991年]] - [[生野幸吉]]、作家(* [[1924年]]) * [[1993年]] - [[ブランドン・リー]]、俳優(* [[1965年]]) * [[1994年]] - [[式守伊之助 (26代)]]、[[大相撲]]の[[立行司]](* [[1927年]]) * [[1995年]] - [[若ノ海正照]]、元大相撲[[力士]](* [[1945年]]) * [[1997年]] - [[ライマン・スピッツァー]]、[[天体物理学|天体物理学者]](* [[1914年]]) * [[1998年]] - [[ベラ・アブズグ]] ([[:en:Bella Abzug]])、女性解放運動活動家(* [[1920年]]) * 1998年 - [[小野寺百合子]]、[[翻訳家]](* [[1906年]]) * [[2001年]] - [[クリフォード・シャル]]、[[物理学者]](* [[1915年]]) * 2001年 - [[中村歌右衛門 (6代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1917年]]) * [[2006年]] - [[ジャッキー・マクリーン]]、[[サクソフォーン|アルトサックス]]奏者(* [[1932年]]) * [[2008年]] - [[ニコライ・バイバコフ]]、[[ゴスプラン]]議長(* [[1911年]]) * 2008年 - [[ジュールズ・ダッシン]]、[[映画監督]](* 1911年) * [[2009年]] - [[金田龍之介]]、[[俳優]](* [[1928年]]) * [[2013年]] - [[長石多可男]]、映画監督(* [[1945年]]) * [[2015年]] - [[藤原ここあ]]、[[漫画家]](* [[1983年]]) * [[2016年]] - [[ハンス・ディートリヒ・ゲンシャー]]、[[政治家]](* [[1927年]]) * 2016年 - [[ザハ・ハディッド]]、[[建築家]](* [[1950年]]) * [[2018年]] - [[吉田正高]]<ref name="contents">[http://www.contentshistory.org/2018/04/03/1637/【訃報】 コンテンツ文化史学会会長 吉田 正高 逝去のお知らせ] コンテンツ文化史学会</ref>、[[歴史学者]](* [[1969年]]) * [[2022年]] - [[山本圭]]、俳優(* [[1940年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Birgumonument.jpg|thumb|200px|[[マルタ]]の解放記念日]] * 日本における学校や役所などの一年の期間である[[会計年度]](日本の一般社会では単に[[年度]]と言うとこの会計年度のことを指す)の最終日である(例:2006年3月31日は2005年度の最終日である)。 ** 一般企業においては必ずしも3月31日が会計年度最終日であるとは限らない<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.keikazf4.com/zeimu/n125.html|title=税務会計用語 会計年度とは|publisher=経理・経営者必見!税務会計用語辞典|accessdate=2008-03-31}}</ref>。 * {{仮リンク|解放記念日 (マルタ)|en|Freedom Day (Malta)|label=解放記念日}}({{MLT}}) *: [[1979年]]のこの日、マルタからイギリス軍が撤退したことを記念。 * [[ラーマ3世|ナンクラオ]]王記念日({{THA}}) *: [[チャクリー王朝]]第3代国王ラーマ3世(ナンクラオ王)の[[1788年]]の誕生日。 * [[国際トランスジェンダー認知の日]] (世界) * [[オーケストラ]]の日({{JPN}}) *: [[日本オーケストラ連盟]]が[[2007年]]に制定。「み(3)み(3)に一番」「み(3)み(3)にいい(1)ひ」(耳に良い日)の語呂合せと、春休み期間中であり親子揃ってイベントに参加しやすいことから。 * [[エッフェル塔]]落成記念日 *: [[1889年]](明治22年)のこの日、[[フランス]]・[[パリ]]の[[シャン・ド・マルス公園]]の広場に立つ、エッフェル塔の落成式が行われた。高さは約320m。パリ万博に合わせて建設され、フランス人技師エッフェルが設計した。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0331|date=2011年6月}} * [[2004年]] - ホエールイマジンが現れる。電王ソードフォームに倒される(特撮『[[仮面ライダー電王]]』)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kamen-rider-official.com/zukan/phantoms/436 |title=ホエールイマジン |access-date=2022-11-13 |publisher=[[石森プロ]]・[[テレビ朝日]]・ADK EM・[[東映]]・[[東映ビデオ]] |work=「仮面ライダー図鑑」}}</ref>。 * [[2010年]] - 警視庁湾岸警察署 新庁舎の開署式が執り行われる。(映画『[[踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!]]』) * [[2016年]] - グレースメリア攻防戦、グレースメリアが解放される(ゲーム『[[エースコンバット6 解放への戦火]]』)<ref name="Ace Combat6">ゲーム内ミッションより。</ref>。 * 年不詳 - 児童小説『美輪神さまの秘密』の最初の舞台の日<ref>{{Cite book|和書|author=横山充男|authorlink=横山充男|year=2006|title=美輪神さまの秘密|page=6|publisher=文研出版|series=文研じゅべにーる|isbn=4-580-81569-6|date=}}</ref>。 <!-- * [[29世紀|2874年]] - ルパン十三世が魔毛狂介の一族を滅亡させる(アニメ『[[ルパン三世 (TV第1シリーズ)|ルパン三世]]』){{要出典|date=2019年3月31日 (日) 04:56 (UTC)}}。 2022年11月、3年半以上要出典のためコメントアウト --> === 誕生日(フィクション) === * [[1965年]] - [[槇村香]]、漫画『[[シティーハンター]]』のヒロイン<ref>{{Twitter status|cityhunter100t|1509184235457765379}}</ref> * [[未来世紀]]43年 - [[サイ・サイシー]]、アニメ『[[機動武闘伝Gガンダム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |editor=岸川靖|year = 1994 |title = 機動武闘伝Gガンダム テクニカルマニュアル 奥義大全 |page = 18 |publisher = [[徳間書店]] |series = ロマンアルバム エクストラ }}</ref> * 生年不明 - 栗山未来、小説・アニメ『[[境界の彼方]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=http://tv.anime-kyokai.com/character/mirai/ |title=栗山未来 |publisher=[[鳥居なごむ]]・[[京都アニメーション]]/境界の彼方製作委員会 |accessdate=2022-08-11 |work=『境界の彼方』}}</ref> * 生年不明 - 真田ユキ、アニメ『[[つり球]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tsuritama.com/character/index.html |title=CHARACTER 真田ユキ |accessdate=2022-08-31 |publisher= |website=TVアニメ「つり球」}}</ref> * 生年不明 - ペコリーヌ、ゲーム・アニメ『[[プリンセスコネクト!Re:Dive]]』のメインヒロイン<ref>{{Twitter status|priconne_redive|1377070662204809226}}</ref> * 生年不明 - バスカビル、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/anime/character/characters/Baskerville |title=バスカビル |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-08-31 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 南戸粋、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 南戸唯、漫画・アニメ『[[いちご100%]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 堀部糸成、漫画・アニメ『[[暗殺教室]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - [[ゆらぎ荘の幽奈さん#天狐流禅|天狐流禅]]、漫画『[[ゆらぎ荘の幽奈さん]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=ミウラタダヒロ|authorlink=ミウラタダヒロ|year=2020|title=ゆらぎ荘の幽奈さん|volume=24巻|page=163|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=978-4-08-882496-3}}</ref> * 生年不明 - 柊暮人、漫画・アニメ『[[終わりのセラフ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|owarino_seraph|715199573933731840}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://owarino-seraph.jp/chara/kureto.html|title=柊家-終わりのセラフ CHARACTER|work=鏡貴也・山本ヤマト・降矢大輔/[[集英社]]・終わりのセラフ製作委員会|accessdate=2020-06-10}}</ref> * 生年不明 - 森川竜司、漫画・アニメ『[[ファンタジスタ (漫画)|ファンタジスタ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 柊暦、漫画・アニメ『[[電波教師]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ブルーノ・フォン・グランツライヒ、漫画・アニメ『[[王室教師ハイネ]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 峰理子、小説・アニメ『[[緋弾のアリア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|akamatsuc|1377123352507125762}}</ref> * 生年不明 - フィリア、小説・アニメ『[[ソードアート・オンライン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|sao_gameinfo|1244640542387892226}}</ref> * 生年不明 - 野田大和、小説・漫画・アニメ『[[厨病激発ボーイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://chubyou.net/chara02.html |title=野田大和 |accessdate=2022-08-31 |publisher=アニメ「厨病激発ボーイ」公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 美保美穂、アニメ『[[マクロス7]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ヴァン、ゲーム『[[ジルオール]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 優木苗、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130326_145253/ |title=【ガールフレンド(仮)通信04】ちっちゃな妖精 優木苗ちゃん(CV:日高里菜) |access-date=2022-08-31 |publisher=ファミ通App |date=2013-03-26}}</ref> * 生年不明 - 一色愛瑠、ゲーム・アニメ『ガールフレンド(仮)』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://app.famitsu.com/20130605_170949/ |title=【ガールフレンド(仮)通信52】学園のアイドル? 一色愛瑠ちゃん(CV:内田愛美) |access-date=2022-08-31 |publisher=ファミ通App |date=2013-06-05}}</ref> * 生年不明 - カレンチャン、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=currenchan |title=カレンチャン |publisher=[[Cygames]] |accessdate=2022-08-11 |work=「ウマ娘 プリティーダービー」}}</ref> * 生年不明 - 朝日奈侑介、メディアミックス『[[BROTHERS CONFLICT]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bc-anime.com/contents/hp0005/index00040000.html |title=十一男 侑介 |access-date=2022-08-31 |publisher=TVアニメ『BROTHERS CONFLICT』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - [[七星蓮]]、メディアミックス『[[From ARGONAVIS]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://anime.argo-bdp.com/character/ |title=Argonavis VOCAL 七星 蓮 |access-date=2022-08-31 |publisher=TVアニメ『アルゴナビス from BanG Dream!』公式サイト}}</ref> * 生年不明 - 瑠璃葉るら、漫画『[[ばっどがーる]]』に登場するキャラクター === 忌日(フィクション) === * [[2016年]] - イリヤ・パステルナーク、ゲーム『[[エースコンバット6 解放への戦火]]』に登場するキャラクター<ref name="Ace Combat6"/> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注釈}} === 出典 === {{reflist}} == 関連項目 == {{commons&cat|March 31|31 March}} {{新暦365日|3|30|4|1|無し|無し|無し|0331|3|31}} {{1年の月と日}}
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3月30日
3月30日(さんがつさんじゅうにち)は、グレゴリオ暦で年始から89日目(閏年では90日目)にあたり、年末まであと276日ある。
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{{カレンダー 3月}} '''3月30日'''(さんがつさんじゅうにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から89日目([[閏年]]では90日目)にあたり、年末まであと276日ある。 == できごと == [[Image:Heptadecagon.svg|thumb|150px|[[正十七角形]]が[[定規とコンパスによる作図|定規とコンパスだけで作図可能]]だという発見(1796)]] [[Image:Treaty_of_Paris_1856_-_1.jpg|thumb|200x200px|[[パリ条約 (1856年)|パリ条約]](1856)が締結され[[クリミア戦争]]終結]] [[Image:Pencil_Eraser.jpg|thumb|200x200px|[[消しゴム]]つき[[鉛筆]]が発明される(1858)]] [[Image:Alaska_purchase.jpg|thumb|200x200px|[[アメリカ合衆国]]による[[アラスカ購入]](1867)]] [[Image:Van Gogh Vase with Fifteen Sunflowers.jpg|thumb|200px|安田火災がゴッホの「ひまわり」を落札(1987)]] * [[1282年]] - [[シチリア]]で[[カルロ1世 (シチリア王)|シャルル・ダンジュー]]の圧制に対して暴動が発生。([[シチリアの晩祷]]) * [[1492年]] - [[アラゴン王]][[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド2世]]とカスティーリャ女王[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]]が、[[カトリック教会|カトリック]]への改宗にかかわらず、[[スペイン]]から[[ユダヤ人]]を追放することを宣言する。 * [[1796年]] - [[十七角形|正十七角形]]が[[定規とコンパスによる作図|定規とコンパスだけで作図可能]]なことを[[カール・フリードリヒ・ガウス]]が発見。 * [[1806年]] - [[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の兄[[ジョゼフ・ボナパルト]]が[[ナポリ王国|ナポリ王]]に即位。 * [[1814年]] - [[ナポレオン戦争]]: [[第六次対仏大同盟]]がパリへの攻撃を開始。 * [[1822年]] - [[フロリダ準州]]を設立。 * [[1842年]] - [[クロウフォード・ロング]]が初めて[[ジエチルエーテル]]による[[麻酔]]を用いて手術を行う。 * [[1856年]] - [[パリ条約 (1856年)|パリ条約]]が調印され、[[クリミア戦争]]が終結。 * [[1858年]] - アメリカのハイマン・リップマンが、[[消しゴム]]をニカワで[[鉛筆]]に固定させる「消しゴム付き鉛筆」を発明。 * [[1863年]] - [[デンマーク]]王子ヴィルヘルム・ゲオルクが[[ギリシャ王国|ギリシャ]]王に選出され、[[ゲオルギオス1世 (ギリシャ王)|ゲオルギオス1世]]として即位。 * [[1867年]] - [[アメリカ合衆国]]の[[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]][[ウィリアム・スワード]]により、[[アラスカ州|アラスカ]]を720万ドル(1[[エーカー]]・約4047平方メートル当たり2[[セント (通貨)|セント]])でロシア帝国からアメリカ合衆国に売り渡す契約が締結される。当時は「スワードの愚行」などと呼ばれ、良い評価は受けなかった。([[アラスカ購入]]) * [[1911年]] - 日本の[[電気事業法]](旧法)公布。 * [[1912年]] - [[フェス条約]]により、[[フランス]]が[[モロッコ]]を保護領とする。 * [[1922年]] - 未成年者飲酒禁止法(現・[[二十歳未満ノ者ノ飲酒ノ禁止ニ関スル法律]])公布。 * [[1930年]] - [[ハインリヒ・ブリューニング]]が[[ヴァイマル共和政]]([[ドイツ]])の[[ドイツの首相|首相]]に就任。 * [[1940年]] - [[日中戦争]]: 日本政府が[[汪兆銘]]を首班とする[[汪兆銘政権|南京政府]]の樹立を宣言。 * [[1941年]] - ドイツで世界初の[[ジェット機|ジェット]][[戦闘機]][[He 280 (航空機)|He280]]が初飛行。 * [[1942年]] - [[ノルウェー]][[亡命政府]]が対日断交を宣言。 * [[1945年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ソビエト連邦|ソ連]]軍が[[オーストリア]]に侵入し、[[ウィーン]]を占領。 * 1945年 - [[翼賛政治会]]が解散され[[大日本政治会]]が発足。 * [[1949年]] - [[名立機雷爆発事件]]発生。多数の小中学生を含む63人が死亡。 * [[1951年]] - 福井県[[小浜市]]が市制施行。 * [[1953年]] - [[皇太子]][[明仁|明仁親王]]が[[エリザベス2世]][[戴冠式]]出席のために[[横浜港]]を出発。 * 1953年 - [[東京都]][[墨田区]]の[[賛育会病院]]で生まれた新生児が別の新生児と取り違えられる事故が発生。詳細は[[新生児取り違え]]を参照。 * [[1954年]] - [[トロント]]に[[カナダ]]初の地下鉄・{{仮リンク|ヤング‐ユニバーシティー‐スパダイナ線|en|Yonge–University–Spadina line}}が開業。 * [[1958年]] - [[明治神宮外苑]]に[[国立霞ヶ丘競技場]]が落成。 * [[1959年]] - [[砂川事件]]の第一審で、[[東京地方裁判所|東京地裁]]裁判長の[[伊達秋雄]]が「米軍駐留を認める[[日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法|刑事特別法]]は違憲であるので、同法により起訴された被告人は全員無罪」と判決。(伊達判決) * [[1961年]] - [[麻薬に関する単一条約]]調印。 * [[1963年]] - 新幹線の試験走行で、当時世界記録となる時速256kmを達成<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000265473.html |title=1963年 夢の超特急 走行試験で世界記録「貴重な映像」徹底的に解剖 |access-date=22 Jun 2023 |publisher=[[テレビ朝日]] |date=19 Aug 2022}}</ref>。 * [[1968年]] - テレビアニメ『[[巨人の星 (アニメ)|巨人の星]]』が放送開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tms-e.co.jp/alltitles/1960s/005101.html |title=巨人の星 |access-date=22 Jun 2023 |publisher=[[トムス・エンタテインメント|TMS ENTERTAINMENT CO., LTD.]]}}</ref>。「[[スポ根]]もの」のさきがけ。 * [[1969年]] - [[フランシーヌの場合|フランシーヌ・ルコントが政治活動中に焼身自殺]]。 * [[1977年]] - [[結城紬]]・[[赤津焼]]・[[近江上布]]・[[京焼]]・[[清水焼]]・八女福島仏壇を[[伝統工芸品]]に指定<ref>{{Cite web|和書|url=https://kougeihin.jp/system-manager/wp-content/uploads/20181107_3.pdf |title=伝統工芸品指定品目・指定順 |access-date=22 Jun 2023 |publisher=伝統工芸 青山スクエア |date=7 Nov 2018}}</ref>。 * [[1978年]] - [[第50回選抜高等学校野球大会]]で[[群馬県立前橋高等学校|群馬県立前橋高校]]の[[松本稔 (野球)|松本稔]]が春夏の甲子園を通じて大会史上初の[[完全試合]]を達成。 * [[1980年]] - [[富山・長野連続女性誘拐殺人事件]]:[[長野県]][[長野市]]内における[[長野信用金庫]]の女性職員(当時20歳)[[誘拐]]事件で、[[長野県警察]]が[[被疑者]]として[[富山県]]在住の男女2人(女は[[日本における死刑|死刑]]、男性は[[無罪]]がそれぞれ[[確定判決|確定]])を[[略取・誘拐罪#処罰類型|身代金目的誘拐]]容疑で[[逮捕 (日本法)|逮捕]]<ref>『[[中日新聞]]』1980年3月31日朝刊第12版一面1頁「【長野・富山】〇〇さん誘かい、安否いぜん不明 富山の男女を逮捕 長野県警 Mと△△ 犯行を否認 声紋、電話と一致 フェアレディZに同乗 有力目撃者出る」([[中日新聞社]]) - 『中日新聞』[[新聞縮刷版|縮刷版]] 1980年(昭和55年)3月号1003頁。事件関係者の実名を一部伏せ字とした。</ref>。 * [[1981年]] - アメリカ合衆国大統領[[ロナルド・レーガン]]が[[ワシントンD.C.]]近郊で[[ジョン・ヒックリー]]に狙撃される。警官2名と大統領補佐官1名が負傷。([[レーガン大統領暗殺未遂事件]]) * [[1987年]] - [[損害保険ジャパン|安田火災]]が[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ゴッホ]]の「[[ひまわり (絵画)|ひまわり]]」を58億円で落札。 * [[1989年]] - [[女子高生コンクリート詰め殺人事件|女子高校生コンクリート詰め殺人事件]]: [[埼玉県]][[三郷市]]の女子高校生を騙して暴行し、[[東京]][[足立区]]にある16歳の少年の自宅に監禁。暴行して死亡させ、遺体をドラム缶に入れコンクリート詰めにして遺棄した事件で、容疑者の少年らが逮捕<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/special/heisei/chronology/ |title=キーワードで見る年表 平成30年の歩み |access-date=22 Jun 2023 |publisher=[[日本放送協会|NHK]]}}</ref>。 * [[1990年]] - [[京王相模原線]]が全通。 * [[1991年]] - [[BBCワールドサービス]]の[[日本語放送]]が終了。 * [[1995年]] - 警察庁長官の[[國松孝次]]が自宅前で狙撃される。([[警察庁長官狙撃事件]]) * [[1996年]] - [[東京臨海高速鉄道りんかい線]][[新木場駅]] - [[東京テレポート駅]]間が開業。 * [[1997年]] - [[三井三池炭鉱]]が閉山<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mitsuipr.com/history/columns/021/#:~:text=平成9年(1997)3,が残されている%E3%80%82 |title=三井三池炭鉱史話(後編) |access-date=22 Jun 2023 |publisher=三井広報委員会}}</ref>。 * [[2002年]] - [[産経新聞]]が東京本社管内での夕刊発行を廃止、[[大阪新聞]]が廃刊。 * [[2005年]] - 超党派野党、参議院に選択的[[夫婦別姓]]制度導入を求める民法改正案を提出。 * [[2007年]] - [[東京ミッドタウン]]が街開き。 * 2007年 - [[フジテレビ系列]]の[[子供番組]]「[[ポンキッキシリーズ|ポンキッキ]]」が、34年間にわたるの地上波放送を終了<ref>{{Cite web|和書|url=http://music-calendar.jp/2016033001 |title=音楽の楽しさを最初に教えてくれたのはポンキッキだった…今日、3月30日は、34年間にわたる地上波でのポンキッキ・シリーズが幕を閉じた日 |access-date=22 Jun 2023 |publisher=大人のMusic Calendar |format=30 Mar 2016}}</ref>。 * [[2008年]] - [[東京都交通局日暮里・舎人ライナー]]が開業。 * 2008年 - [[横浜市営地下鉄グリーンライン]]が開業<ref>{{Cite web|和書|date=31 Mar 2008 |url=https://news.mynavi.jp/article/20080331-green/ |title=地上も走るリニア式地下鉄 - ヨコハマの新たな足、横浜市営地下鉄グリーンラインが開業 |publisher=[[マイナビニュース]] |accessdate=22 Jun 2023}}</ref>。 * [[2014年]] - [[茨城県]][[笠間市]]に「[[石の百年館]]」が開館。 == 誕生日 == === 人物 === {{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><!-- 日付に本質的な意味のある「できごと」の図版を優先的に紹介するためスペースを融通させています。{{-}}などとは役割が違いますので置き換えないでください。 --> [[Image:Nichiren_Daishonin_Hakii_Portrait.jpg|thumb|[[日蓮宗]]の開祖、[[日蓮]](1222-1282)誕生|184x184ピクセル]] [[Image:Francisco_de_Goya,_Saturno_devorando_a_su_hijo_(1819-1823).jpg|thumb|画家[[フランシスコ・デ・ゴヤ]](1746-1828)。画像は『我が子を喰らうサトゥルヌス』(1819-1823)|331x331ピクセル]] [[Image:Frédéric Bazille - Paul Verlaine.jpg|thumb|[[象徴主義|象徴派]]の詩人[[ポール・ヴェルレーヌ]](1844-1896)。画像は[[ギュスターヴ・クールベ|クールベ]]による肖像画|226x226ピクセル]] [[Image:Van_Gogh_self_portrait_as_an_artist.jpg|thumb|180px|画家[[フィンセント・ファン・ゴッホ]](1853-1890)。画像は自画像]] [[Image:Eclapton_cardiff.jpg|thumb|[[ギタリスト]]、[[エリック・クラプトン]](1945-)|240x240ピクセル]] [[ファイル:Celine Dion Concert Singing Taking Chances 2008.jpg|サムネイル|[[カナダ]]出身の歌手[[セリーヌ・ディオン]](1968-)|237x237ピクセル]] * [[1130年]] - [[モーシェ・ベン=マイモーン]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1204年]]) * [[1222年]]([[貞応]]元年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]) - [[日蓮]]、[[僧]]、[[日蓮宗]]開祖(+ [[1282年]]) * [[1432年]] - [[メフメト2世]]<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Mehmed-II-Ottoman-sultan |title=Mehmed II|Ottoman sultan |access-date=22 Jun 2023 |publisher=Britannica}}</ref>、[[オスマン帝国]]第7代[[皇帝]](+ [[1481年]]<ref>クロー『メフメト2世 トルコの征服王』、335頁</ref>) * [[1510年]] - [[アントニオ・デ・カベソン]]、[[作曲家]]、[[オルガニスト]](+ [[1566年]]) * [[1637年]]([[寛永]]14年[[3月4日 (旧暦)|3月4日]]) - [[細川行孝]]、第2代[[宇土藩|宇土藩主]](+ [[1690年]]) * [[1741年]]([[元文]]6年[[2月14日 (旧暦)|2月14日]]) - [[池田政香]]、第4代[[鴨方藩|鴨方藩主]](+ [[1768年]]) * [[1746年]] - [[フランシスコ・デ・ゴヤ]]、[[画家]](+ [[1828年]]) * [[1793年]] - [[フアン・マヌエル・デ・ロサス]]、[[アルゼンチン]]の指導者(+ [[1877年]]) * [[1799年]]([[寛政]]11年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[井伊直経]]、第8代[[与板藩|与板藩主]](+ [[1856年]]) * [[1804年]]([[文化 (元号)|文化]]元年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]]) - [[間部詮勝]]、第7代[[鯖江藩|鯖江藩主]]、[[老中]](+ [[1884年]]) * [[1809年]]([[文化 (元号)|文化]]6年[[2月15日 (旧暦)|2月14日]]) - [[脇坂安宅]]、第4代[[龍野藩|龍野藩主]](+ [[1874年]]) * [[1818年]]([[文化 (元号)|文化]]15年[[2月24日 (旧暦)|2月24日]]) - [[長谷信篤]]、[[幕末]]から[[明治時代|明治]]の[[公卿]]、[[華族]](+ [[1902年]]) * [[1820年]] - [[アンナ・シュウエル]]、[[作家]](+ [[1878年]]) * [[1822年]]([[文政]]5年[[2月8日 (旧暦) |2月8日]]) - [[松平信義 (丹波亀山藩主) |松平信義]]、第7代[[丹波亀山藩|亀山藩主]](+ [[1866年]]) * [[1834年]]([[天保]]5年[[2月21日 (旧暦)|2月21日]]) - [[青山忠敏]]、第6代[[篠山藩|篠山藩主]](+ [[1873年]]) * [[1844年]] - [[ポール・ヴェルレーヌ]]、[[詩人]](+ [[1896年]]) * [[1853年]] - [[フィンセント・ファン・ゴッホ]]、画家(+ [[1890年]]) * [[1864年]] - [[フランツ・オッペンハイマー]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[1943年]]) * [[1868年]] - [[コロマン・モーザー]]、[[美術家]]、[[デザイナー]](+ [[1918年]]) * [[1869年]] - [[エミリオ・アギナルド]]、初代[[フィリピンの大統領|フィリピン共和国大統領]](+ [[1964年]]) * [[1871年]]([[明治]]4年[[2月17日 (旧暦)|2月17日]]) - [[小野塚喜平次]]、[[政治学者]](+ [[1944年]]) * [[1879年]] - [[ベルンハルト・シュミット]]、[[光学]]技術者(+ [[1935年]]) * [[1880年]] - [[ショーン・オケーシー]]、[[劇作家]](+ [[1964年]]) * [[1881年]] - [[小坂順造]]、[[実業家]]、[[政治家]](+ [[1960年]]) * [[1882年]] - [[久野寧]]、[[生理学者]](+ [[1977年]]) * 1882年 - [[メラニー・クライン]]、[[精神分析家]](+ 1960年) * [[1885年]] - [[ノエル・ヌエット]]、[[詩人]]、[[画家]](+ [[1969年]]) * [[1886年]] - [[スタニスワフ・レシニェフスキ]]、[[論理学者]]、[[数学者]](+ [[1939年]]) * 1886年 - [[清水藤太郎]]、[[薬学|薬学者]](+ [[1976年]]) * [[1892年]] - [[野坂参三]]、[[日本共産党]]の指導者(+ [[1993年]]) * 1892年 - [[ステファン・バナフ]]、数学者(+ [[1945年]]) * 1892年 - [[フォルトゥナート・デペーロ]]、[[画家]]、[[デザイナー]]、[[彫刻家]](+ 1960年) * 1892年 - [[エルヴィン・パノフスキー]]、[[美術史|美術史家]](+ [[1968年]]) * 1892年 - [[エアハルト・ミルヒ]]、[[空軍]][[軍人]](+ [[1972年]]) * [[1893年]] - [[世耕弘一]]、政治家(+ [[1965年]]) * [[1894年]] - [[セルゲイ・イリューシン]]、[[航空機]]設計者(+ [[1977年]]) * [[1895年]] - [[ヨーゼフ・ビュルケル]]、政治家、[[ナチ党]]の指導者(+ [[1944年]]) * 1895年 - [[ジャン・ジオノ]]、作家(+ [[1970年]]) * [[1896年]] - [[波多野鼎]]、[[経済学者]]、政治家(+ [[1976年]]) * 1896年 - [[泉山三六]]、政治家(+ [[1981年]]) * [[1902年]] - [[梁川剛一]]、彫刻家、画家(+ [[1986年]]) * [[1903年]] - [[片岡千恵蔵]]、[[俳優]](+ [[1983年]]) * [[1904年]] - [[上田吉二郎]]、俳優(+ [[1972年]]) * [[1905年]] - [[織田幹雄]]、[[陸上競技]][[三段跳]]選手(+ [[1998年]]) * [[1907年]] - [[森田茂 (洋画家)|森田茂]]、[[洋画家]](+ [[2009年]]) * [[1908年]] - [[井野川利春]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1976年]]) * 1908年 - [[花村仁八郎]]、実業家(+ [[1997年]]) * [[1909年]] - [[エルンスト・ゴンブリッチ]]、[[美術史]]家(+ [[2001年]]) * [[1913年]] - [[井本農一]]、[[日本文学研究者|国文学者]](+ [[1998年]]) * 1913年 - [[マーク・デイヴィス (アニメーター)|マーク・デイヴィス]]、[[アニメーター]](+ [[2000年]]) * 1913年 - [[フランキー・レイン]]、[[歌手]]、俳優(+ [[2007年]]) * [[1914年]] - [[山本悍右]]、詩人、[[写真家]](+ [[1987年]]) * [[1919年]] - [[丸田祐三]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]](+ [[2015年]]) * [[1920年]] - [[芥川比呂志]]、俳優、[[演出家]](+ [[1981年]]) * 1920年 - [[安藤信和]]、アメリカンフットボール功労者(+ [[2014年]]) * 1920年 - [[伊東甚吉]]、元プロ野球選手(+ 没年不詳) * 1920年 - [[井野隆一]]、農業経済学者、マルクス主義者、日本共産党員(+ [[2001年]]) * [[1921年]] - [[石井歓]]、作曲家(+ [[2009年]]) * 1921年 - [[護雅夫]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[1996年]]) * [[1923年]] - [[幾代通]]、[[日本の法学者一覧|民法学者]](+ [[1991年]]) * 1923年 - [[古澤憲吾]]、[[映画監督]](+ [[1997年]]) * [[1924年]] - [[高田好胤]]、[[僧|僧侶]]、[[薬師寺]]124代管主(+ [[1998年]]) * 1924年 - [[徳網茂]]、プロ野球選手(+ [[1976年]]) * [[1925年]] - [[市村真一]]、経済学者 * [[1926年]] - [[中条静夫]]、俳優(+ [[1994年]]) * [[1927年]] - [[堤清二]]、実業家、[[小説家]]、詩人(+ [[2013年]]) * 1927年 - [[コロムビア・ライト]]、[[漫才師]]、[[漫談家]](+ [[2010年]]) * [[1928年]] - [[常見昇]]、元プロ野球選手(+ [[2005年]]) * [[1929年]] - [[イリヤ・ピアテツキー=シャピロ]]、数学者(+ [[2009年]]) * [[1933年]] - [[ジャン=クロード・ブリアリ]]、俳優(+ [[2007年]]) * [[1934年]] - [[ハンス・ホライン]]、[[建築家]](+ [[2014年]]) * [[1936年]] - [[原貢]]、野球指導者(+ [[2014年]]) * 1936年 - [[田原藤太郎]]、元プロ野球選手(+ [[2018年]]) * 1936年 - [[テツオ・ナジタ]]、[[歴史学者]] (+ [[2021年]]) * [[1937年]] - [[ウォーレン・ベイティ]]、俳優、映画監督 * [[1938年]] - [[島倉千代子]]、[[歌手]](+ [[2013年]]) * 1938年 - [[ジェームズ・マコーレー]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1999年]]) * [[1940年]] - [[ジェリー・ルーカス]]、元[[バスケットボール]]選手 * [[1942年]] - [[中島義雄]]、[[官僚]] * 1942年 - [[千原陽三郎]]、元プロ野球選手 * 1942年 - [[大和田稔]]、[[騎手]]、[[調教師]] * [[1943年]] - [[谷口守泰]]、アニメーター * 1943年 - [[谷間夢路]]、[[漫画家]](+ [[2012年]]) * [[1944年]] - [[島野育夫]]、元プロ野球選手(+ [[2007年]]) * [[1945年]] - [[エリック・クラプトン]]、[[音楽家|ミュージシャン]] * 1945年 - [[加藤タキ]]、[[コーディネーター]] * [[1947年]] - [[津島佑子]]、[[小説家]](+ [[2016年]]) * [[1948年]] - [[エディ・ジョーダン]]、[[ジョーダン・グランプリ]]創設者、元[[自動車競技|レーシングドライバー]] * [[1949年]] - [[桂雀三郎]]、[[落語家]]、ミュージシャン * 1949年 - [[ヴァシリー・サプリン]]、[[外交官]] * [[1950年]] - [[高橋春男]]、漫画家 * [[1951年]] - [[ジョン・ゴスデン]]、調教師 * [[1952年]] - [[佐伯かよの]]、漫画家(+ [[2021年]]) * [[1955年]] - [[寺沢武一]]、漫画家(+ [[2023年]]) * [[1956年]] - [[片峯誠]]、政治家(+ [[2023年]]) * [[1958年]] - [[石黒ケイ]]、歌手 * [[1959年]] - [[ザビーネ・マイヤー]]、[[クラリネット]]奏者 * [[1960年]] - [[安寿ミラ]]、[[俳優|女優]] * 1960年 - [[ダニエル・カール]]、[[タレント]] * 1960年 - [[目加田頼子]]、元[[アナウンサー]] * [[1961年]] - [[米倉ますみ]]、[[演歌歌手]]、[[浪曲師]] * [[1962年]] - [[藤臣柊子]]、エッセイスト * 1962年 - [[M.C.ハマー]]、ミュージシャン * 1962年 - [[小川洋子]]、[[小説家]] * [[1963年]] - [[高野孝子]]、冒険家 * 1963年 - [[岡村賢二]]、漫画家 * 1963年 - [[田中美羽]]、タレント(+ [[2004年]]) * 1963年 - [[ツァヒアギーン・エルベグドルジ]]、政治家、第4代モンゴル国大統領 * 1963年 - [[濵谷浩樹]]、[[厚生労働省|厚生労働]][[官僚]] * [[1964年]] - [[トレイシー・チャップマン]]、[[歌手]]、[[シンガーソングライター]] * 1964年 - [[アイアン・ジーリング]]、俳優 * [[1965年]] - [[破矢ジンタ]]、ミュージシャン([[ジッタリン・ジン]]) * 1966年 - [[RIKACO]]、タレント * [[1966年]] - [[テリー・ブロス]]、元プロ野球選手 * [[1967年]] - [[坂本冬美]]、演歌歌手 * 1967年 - [[林原めぐみ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/person/56644/ |title=林原めぐみ |access-date=22 Jun 2023 |publisher=eiga.com inc. |website=映画.com}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=日本音声製作者連盟|title=日本音声製作者名鑑2007|publisher=[[小学館]]|year=2007|page=224}}</ref>、[[声優]]、歌手 * 1967年 - [[クリストファー・ボウマン]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[2008年]]) * [[1968年]] - [[セリーヌ・ディオン]]、歌手 * [[1969年]] - [[伊平崇耶]]、アニメプロデューサー * 1969年 - [[樹原亜紀]]、タレント * 1969年 - [[黒井敦史]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]]([[全日本プロドリフト選手権]])(+ [[2010年]]) * 1969年 - [[竹岡圭]]、[[自動車評論|自動車評論家]] * 1969年 - [[安藤麻吹]]、女優、声優 * 1969年 - [[トロイ・ベイリス]]、[[オートバイ競技|オートバイレーサー]] * [[1971年]] - [[入江泰浩]]、[[アニメ監督]] * 1971年 - [[小川つぐみ]]、元[[AV女優]] * 1971年 - [[カンニング竹山]]、お笑いタレント(元[[カンニング (お笑いコンビ)|カンニング]]) ※実際の誕生日であり、戸籍上の誕生日は[[4月2日]] * 1971年 - [[高橋健一 (お笑い芸人)|高橋健一]] 、元お笑いタレント(元[[キングオブコメディ]]) * 1971年 - [[増田晋 (ナレーター)|増田晋]]、ナレーション、声優 * [[1972年]] - [[長野誠]]、[[漁師]]、[[SASUKEオールスターズ]] * 1972年 - [[カレル・ポボルスキー]]、元[[サッカー選手]] * [[1973年]] - [[ヤン・コレル]]、元サッカー選手 * 1973年 - [[淳士]]、ミュージシャン([[SIAM SHADE]]) * 1973年 - [[豊田麻里]]、女優 * [[1974年]] - [[千原ジュニア]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://profile.yoshimoto.co.jp/talent/detail?id=019 |title=千原兄弟 |publisher=[[吉本興業|吉本興業株式会社]] |accessdate=22 Jun 2023}}</ref>、お笑いタレント([[千原兄弟]]) * [[1976年]] - [[川澄綾子]]、声優 * 1976年 - [[山口寛雄]]、ミュージシャン * 1976年 - [[オバデレ・トンプソン]]、陸上選手 * [[1977年]] - [[田京恵]]、女優 * 1977年 - [[松川浩子]]、[[毎日放送]]アナウンサー * 1977年 - [[高橋正純]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]、アナウンサー * 1977年 - [[クリス・ロハス]]、野球選手 * [[1978年]] - [[奥村政佳]]、ミュージシャン([[RAGFAIR]])、[[気象予報士]] * 1978年 - [[友利新]]、医師 * 1978年 - [[ジョシュ・バード]]、元プロ野球選手 * [[1979年]] - [[ノラ・ジョーンズ]]、[[ジャズ]]のシンガーソングライター、歌手、[[ピアニスト]] * 1979年 - [[アナトリー・ティモシュチュク]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[ティエリー・ジョルジュ]]、[[オリエンテーリング選手]] * 1979年 - マタイン・ウェスターホルト、ギタリスト([[ウィズイン・テンプテーション]]) * [[1980年]] - [[カーター・ウィリアムス]]、[[格闘技|プロフェッショナルファイター]] * 1980年 - [[倉野麻里]]、[[テレビ東京]]アナウンサー * 1980年 - [[小倉沙耶]]、タレント * 1980年 - [[リカルド・オソリオ]]、サッカー選手 * 1980年 - [[ビビアーノ・フェルナンデス]]、[[総合格闘家]] * 1980年 - [[島尻政明]]、[[大山倍達|極真空手]]選手 * [[1981年]] - [[工藤隆人]]、元プロ野球選手 * 1981年 - [[田嶋悟士]]、[[ドラマー]]、元[[調理師]] * [[1982年]] - [[高木康成]]、元プロ野球選手 * 1982年 - [[香川絵馬]]、[[ファッションモデル]] * 1982年 - [[畑端省吾]]、[[騎手]] * 1982年 - [[レスリー・アンダーソン]]、プロ野球選手 * 1982年 - [[フィリップ・メクセス]]、サッカー選手 * [[1983年]] - ゆみみ、お笑いタレント([[マリア (お笑いコンビ)|マリア]]) * 1983年 - [[田馥甄]]、歌手([[S.H.E]]) * 1983年 - [[大勇武龍泉]]、元大相撲力士 * 1983年 - [[メルヴィン・ギラード]]、[[総合格闘家]] * 1983年 - [[デイビス・ロメロ]]、元プロ野球選手 * [[1984年]] - [[こまつ]]、[[芸人]] * 1984年 - [[マリオ・アンチッチ]]、[[テニス選手一覧|テニス選手]] * 1984年 - [[サマンサ・ストーサー]]、テニス選手 * 1984年 - [[スカイラー・ストロズモー]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[ジム・ハウザー]]、プロ野球選手 * 1984年 - [[千田美智子]]、女優 * [[1985年]] - [[藤原ゆか]]、漫画家 * 1985年 - [[峰竜太 (競艇選手)|峰竜太]]、[[競艇選手]] * 1985年 - [[ダン・ランズラー]]、プロ野球選手 * [[1986年]] - [[BENI]]、歌手 * 1986年 - [[菜菜美ねい]]、AV女優 * 1986年 - [[川崎成晃]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[セルヒオ・ラモス]]、サッカー選手 * 1986年 - [[里海 (モデル)|里海]]、ファッションモデル * 1986年 - [[香西咲]]、元AV女優、元レースクイーン * [[1987年]] - [[シャイロン・マルティス]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[蕭敬騰]]、歌手 * 1987年 - [[マイク・ブロードウェイ]]、プロ野球選手 * [[1988年]] - [[山口立花子]]、声優 * 1988年 - 佐藤大樹、お笑いタレント([[クマムシ (お笑いコンビ)|クマムシ]]) * 1988年 - [[雨宮琴音]]、元AV女優 * [[1989年]] - [[岡田彩菜]]、歌手、[[アイドル]] * 1989年 - [[乙井なずな]]、AV女優 * 1989年 - [[濱野大輝]]、声優 * 1989年 - [[クリス・セール]]、プロ野球選手 * 1989年 - [[リチャード・シャーマン (アメリカンフットボール)|リチャード・シャーマン]]、アメリカンフットボール選手 * [[1990年]] - 小幡康裕、ミュージシャン([[コアラモード.]]) * 1990年 - [[野村麻衣]]、タレント * 1990年 - [[藤城嘘]]、[[芸術家]] * 1990年 - [[ミハル・ブジェジナ]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1990年 - [[ローラ (モデル)|ローラ]]、モデル、タレント * 1990年 - [[島袋翔伍]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[河野広貴]]、サッカー選手 * 1990年 - [[涼本めぐみ]]、元グラビアアイドル * 1990年 - [[伏見心|伏見こころ]]、モデル、タレント * 1990年 - [[ベカ・シャンクラシュヴィリ]]、フィギュアスケート選手 * 1990年 - [[シモン・アーダーム]]、サッカー選手 * 1990年 - [[シモン・アンドラーシュ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[ロドニー・ストラッサー]]、サッカー選手 * 1990年 - [[あいだあい]]、タレント * 1990年 - [[イ・ギグァン]]、歌手 * [[1991年]] - [[佐々木未来]]、声優 * 1991年 - [[ジェイク・マリスニック]]、プロ野球選手 * 1991年 - [[ジル・スヌ]]、サッカー選手 * [[1992年]] - [[橋爪大佑]]、元プロ野球選手 * [[1993年]] - [[古畑恵介]]、声優、俳優 * [[1994年]] - [[石井陽菜]]、女優 * 1994年 - [[アレックス・ブレグマン]]、プロ野球選手 * 1994年 - [[イェトロ・ウィレムス]]、サッカー選手 * 1994年 - [[島崎遥香]]、女優(元[[AKB48]]) * 1994年 - [[布川桃花]]、ファッションモデル、女優 * [[1996年]] - [[MICHI]]、歌手、女優 * [[1997年]] - [[村瀬紗英]]、女優、アイドル(元[[NMB48]]) * 1997年 - [[チャウヌ]]、俳優、アイドル ([[ASTRO (音楽グループ)|ASTRO]]) * [[1998年]] - [[古賀成美]]、女優、アイドル(元NMB48) * [[1999年]] - [[ジョアン・フィリペ]]、サッカー選手 * 1999年 - みゆ、[[YouTuber]] ([[ばんばんざい]]) * [[2000年]] - [[マリウス葉]]、俳優、アイドル([[Sexy Zone]]) * 2000年 - [[祷キララ]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://sticker-inc.com/artist/祷%E3%80%80キララ/ |title=祷 キララ |publisher=株式会社ステッカー |accessdate=22 Jun 2023}}</ref> - 女優 * [[2001年]] - [[森日菜美]]、女優 * [[2003年]] - 村上和叶、アイドル([[元HKT48]]) * 非公開 - ななせぐみ、アイドル(元[[バンドじゃないもん!]]) === 人物以外(動物など) === * [[1970年]] - [[セクレタリアト]]、[[競走馬]](+ [[1989年]]) * [[1986年]] - [[ケンドール]]、競走馬(+ [[2007年]]) * [[1997年]] - [[チアズグレイス]]、競走馬(+ [[2017年]]) * [[1998年]] - [[ガリレオ (競走馬)|ガリレオ]]、競走馬(+ [[2021年]]) * [[2000年]] - [[オアシスドリーム]]、競走馬 * [[2002年]] - [[カネサブラック]]、競走馬(+ [[2019年]]) * [[2004年]] - [[アーキペンコ]]、競走馬(+ [[2017年]]) == 忌日 == [[ファイル:Hakodate Goryokaku Panorama 1.JPG|thumb|180x180px|攻城・築城に優れた[[セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン|ヴォーバン]](1633-1707)没。画像はヴォーバン式要塞である日本の[[五稜郭|函館五稜郭]]]] [[Image:Self-portrait_in_a_Straw_Hat_by_Elisabeth-Louise_Vigée-Lebrun.jpg|thumb|250x250px|画家[[エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン]](1755-1842)没。画像は自画像(1782)]] [[Image:Steiner_Berlin_1900_big.jpg|thumb|[[アントロポゾフィー]]の創始者、[[ルドルフ・シュタイナー]](1861-1925)|297x297ピクセル]] [[Image:Leon_Blum_memorial_in_kibbutz_kfar_blum%2C_Israel.jpg|thumb|フランス[[人民戦線]]内閣の首班を務めた政治家[[レオン・ブルム]](1872-1950)。画像は[[イスラエル]]にある記念碑|180x180ピクセル]] * [[940年]]([[天慶]]3年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]])- [[興世王]]、[[平安時代]]中期の[[皇族]](* 生年不明) * [[1472年]] - [[アメデーオ9世・ディ・サヴォイア]]、[[サヴォイア公]](* [[1435年]]) * [[1559年]] - [[アダム・リース (数学者)|アダム・リース]]、[[数学者]](* [[1492年]]) * [[1654年]]([[承応]]3年[[2月12日 (旧暦)|2月12日]]) - [[黒田忠之]]、第2代[[筑前国|筑前]][[福岡藩]]主(* [[1602年]]) * [[1678年]]([[延宝]]6年[[2月8日 (旧暦)|2月8日]]) - [[小笠原長矩]]、[[江戸幕府]][[寺社奉行]]、[[三河国|三河]][[三河吉田藩|吉田藩]]主(* [[1624年]]) * [[1707年]] - [[セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン]]、[[フランス]]軍の[[元帥]]、軍事技術者(* [[1633年]]) * [[1764年]] - [[ピエトロ・ロカテッリ]]、[[作曲家]](* [[1695年]]) * [[1830年]] - [[ルートヴィヒ1世 (バーデン大公)|ルートヴィヒ1世]]、[[バーデン (領邦)|バーデン大公]](* [[1763年]]) * [[1832年]] - [[スティーヴン・グルームブリッジ]]、[[天文学者]](* [[1755年]]) * [[1840年]] - [[ジョージ・ブライアン・ブランメル]]、[[セレブリティ]]、[[ダンディ|ダンディスト]](* [[1778年]]) * [[1842年]] - [[エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン]]、[[画家]](* [[1755年]]) * [[1861年]] - [[ルイ・コルディエ]]、[[地質学|地質学者]]、[[鉱物学|鉱物学者]](* [[1777年]]) * [[1871年]] - [[ルイーゼ・ファン・オラニエ=ナッサウ]]、[[スウェーデン]]王[[カール15世 (スウェーデン王)|カール15世]]の王妃(* [[1828年]]) * [[1879年]] - [[トマ・クチュール]]、[[画家]](* [[1815年]]) * [[1909年]] - 3代目[[笑福亭松鶴]]、[[落語家]](* [[1844年]]) * [[1912年]] - [[藤田伝三郎]]、[[実業家]]、[[DOWAホールディングス|藤田組]]創業者(* [[1841年]]) * [[1919年]] - [[高木徳子]]、[[ダンサー]](* [[1891年]]) * [[1924年]] - [[福原有信]]、実業家、[[資生堂]]創業者(* [[1848年]]) * [[1925年]] - [[ルドルフ・シュタイナー]]、[[思想家]]、[[哲学|哲学者]](* [[1861年]]) * [[1933年]] - [[ジョン・アイセル]]、[[陸上競技]]選手(* [[1884年]]) * [[1936年]] - [[コンチータ・スペルビア]]、[[メゾソプラノ]]歌手(* [[1895年]]) * [[1944年]] - [[チャールズ・バーノン・ボーイズ]]、[[物理学者]](* [[1855年]]) * [[1945年]] - [[小室翠雲]]、[[日本画家]](* [[1874年]]) * [[1947年]] - [[アーサー・マッケン]]、[[小説家]](* [[1863年]]) * [[1949年]] - [[フリードリッヒ・ベルギウス]]、[[化学者]](* [[1884年]]) * [[1950年]] - [[レオン・ブルム]]、[[フランス]]首相(* [[1872年]]) * [[1956年]] - [[E・C・ベントリー]]、[[推理作家]](* [[1875年]]) * [[1961年]] - [[フィリベール・ジャック・メロッテ]]、天文学者(* [[1880年]]) * [[1963年]] - [[アレクサンドル・ガウク]]、[[指揮者]](* [[1893年]]) * [[1966年]] - [[マックスフィールド・パリッシュ]]、[[画家]]、[[イラストレーター]](* [[1870年]]) * 1966年 - [[イェリー・ダラーニ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1893年]]) * [[1967年]] - [[細谷雄二]]、[[医学者]](* [[1897年]]) * [[1969年]] - [[ルシアン・ビアンキ]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]](* [[1934年]]) * [[1970年]] - [[ハインリヒ・ブリューニング]]、第12代[[ドイツの首相|ドイツ国首相]](* [[1885年]]) * [[1972年]] - [[武井大助]]、実業家(* [[1887年]]) * [[1974年]] - [[橘孝三郎]]、[[政治活動家|政治運動家]]、[[思想家]](* [[1893年]]) * [[1975年]] - [[中村英子]]、[[俳優|女優]](* [[1951年]]) * [[1976年]] - [[原田督三]]、元[[プロ野球選手]](* [[1919年]]) * [[1981年]] - [[ダグラス・ロウ]]、[[陸上競技]]選手(* [[1902年]]) * 1981年 - [[相模太郎 (2代目)|二代目相模太郎]]、[[浪曲|浪曲師]]、[[声優]](* [[1931年]]) * [[1984年]] - [[カール・ラーナー]]、[[カトリック教会]]の[[司祭]]、[[神学者]](* [[1904年]]) * 1984年 - [[金山次郎]]、元[[プロ野球選手]](* [[1922年]]) * [[1985年]] - [[野上弥生子]]、小説家(* [[1885年]]) * 1985年 - [[大島鎌吉]]、[[陸上競技]]選手(* [[1908年]]) * 1985年 - [[笠置シヅ子]]、[[歌手]](* [[1914年]]) * [[1986年]] - [[ジェームズ・キャグニー]]、[[俳優]](* [[1899年]]) * 1986年 - [[鈴木龍二]]、[[セントラル・リーグ]]会長(* [[1896年]]) * [[1988年]] - [[田谷力三]]、[[テノール]]歌手(* [[1899年]]) * [[1990年]] - [[岩崎忠雄]]、実業家(* [[1909年]]) * [[1993年]] - [[アンドレ・ブリュネ]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1901年]]) * 1993年 - [[リチャード・ディーベンコーン]]、画家(* [[1922年]]) * [[1996年]] - [[齊藤了英]]、実業家(* [[1916年]]) * [[1997年]] - [[鶴田六郎]]、歌手(* [[1916年]]) * [[1998年]] - [[田中龍夫]]、[[政治家]](* [[1910年]]) * [[1999年]] - [[南条あや]]、[[ネットアイドル]](* [[1980年]]) * [[2002年]] - [[エリザベス・ボーズ=ライアン]]、イギリス王[[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]]の王妃(* [[1900年]]) * [[2003年]] - [[ヴァレンチン・パヴロフ]]、[[ソビエト連邦]]首相(* [[1937年]]) * 2003年 - [[マイケル・ジェッター]]、俳優(* [[1952年]]) * [[2004年]] - [[林大]]、[[日本語学|日本語学者]](* [[1913年]]) * 2004年 - [[河邨文一郎]]、[[整形外科学|整形外科医]]、[[詩人]](* [[1917年]]) * 2004年 - [[トマ・アンドラーシュ]]、第二次世界大戦最後の捕虜(* [[1925年]]) * [[2006年]] - [[ジョン・マクガハン]]、小説家(* [[1934年]]) * [[2008年]] - [[清水基吉]]、[[俳人]]、小説家(* [[1918年]]) * [[2009年]] - 2代目[[露の五郎兵衛]]、[[上方噺家]]、大阪にわかの仁輪加師(* [[1932年]]) * 2009年 - [[村上アヤメ]]、日本初の女性[[バスガイド]](* [[1911年]]) * [[2013年]] - [[ボブ・ターリー]]、元プロ野球選手(* [[1930年]]) * [[2014年]] - [[蟹江敬三]]、俳優(* [[1944年]]) * 2014年 - [[宮田繁男]]<ref>{{Cite web|和書|title=元オリラブ宮田繁男さん死去「ユーミンも悲しんでる」 |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/04/01/kiji/K20140401007890310.html |website=Sponichi Annex |access-date=22 Jun 2023 |publisher=[[スポーツニッポン]] |date=1 Apr 2014}}</ref>、ドラマー、音楽プロデューサー(* [[1958年]]) * [[2017年]] - [[金基龍]]、[[政治家]]、[[ジャーナリスト]](* [[1941年]]) * [[2020年]] - [[加門亮]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202003310000194.html |title=「男の慕情」演歌歌手の加門亮さん死去 62歳 |access-date=22 Jun 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=31 Mar 2020}}</ref>、歌手(* [[1958年]]) == 記念日・年中行事 == * [[信長の野望シリーズ|信長の野望]]の日({{JPN}}) *: 1983年のこの日に日本の戦国時代をテーマとした歴史シミュレーションゲーム『[[信長の野望 (初代)|信長の野望]]』第1作が発売されたことに由来。 [[Image:Palestinian child holds a sign on Land Day.jpg|thumb|240px|[[パレスチナ]]の「[[土地の日]]」]] * [[マフィア]]の日 *: [[1282年]]のこの日、[[イタリア]][[シチリア島]]で「マフィア」という言葉の由来とされる[[シチリアの晩鐘]]事件が発生したことに由来。 * [[国立競技場]]落成記念日({{JPN}}) *: [[1958年]](昭和33年)のこの日、神宮外苑に国立霞ヶ丘陸上競技場が完成した。[[1964年]](昭和39年)には[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]の開閉会式の会場になった。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0330|date=Jun 2023}} * [[2010年]] - 鈴原奈緒が道木怜南(後の鈴原継美)に、「あなたを誘拐しようと思う」と告げる。(ドラマ『[[Mother (テレビドラマ)|Mother]]』) * [[宇宙世紀|U.C.]]0123年 - [[宇宙世紀#コスモ・バビロニア建国戦争|コスモ・バビロニア建国戦争]]終結。(アニメ映画『[[機動戦士ガンダムF91]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1977年]] - 碇ユイ、漫画・アニメ・映画『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=エヴァ用語事典編纂局 |year=1998 |title=エヴァンゲリオン用語事典 第二版 |page=14 |publisher=[[八幡書店]] |isbn=978-4-89350-327-5}}</ref> * 生年不明 - [[進撃の巨人の登場人物#エレン|エレン・イェーガー]]、漫画・アニメ『[[進撃の巨人]]』の主人公<ref>{{Twitter status|mappa_info|1376549714225598467}}</ref> * 生年不明 - 中野みわ、キャラクターコンテンツ『[[鉄道むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tateishi_aoba|1508942080390823940}}</ref> * 生年不明 - マンボシ、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Manboshi.html |title=マンボシ |access-date= 25 Jun 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - [[涅マユリ]]、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-bleach.com/chara/02/mayuri.html |title=涅 マユリ |access-date= 25 Jun 2023 |publisher=[[久保帯人]] / [[集英社]] |work=『BLEACH』}}</ref><ref name="souls" /> * 生年不明 - 涅ネム、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.j-bleach.com/chara/02/nemu.html |title=涅 ネム |access-date= 25 Jun 2023 |publisher=[[久保帯人]] / [[集英社]] |work=『BLEACH』}}</ref><ref name="souls">{{Cite book |和書 |author=久保帯人|authorlink=久保帯人|year = 2006 |title = BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs. |page = 158 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 4-08-874079-3 }}</ref> * 生年不明 - ビーゾン、漫画『[[エレメンタル ジェレイド|EREMENTAR GERAD]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=東まゆみ(監修)|authorlink=東まゆみ|year = 2005 |title = EREMENTAR GERAD オフィシャルガイド |page = 60 |publisher = [[マッグガーデン]] |series = ブレイドコミックス |isbn = 4-86127-152-5 }}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=東まゆみ(監修)|authorlink=東まゆみ|title=エレメンタルジェレイド アルティメットガイド|publisher=マッグガーデン|series=ブレイドコミックス|year=2009|page=46|isbn=978-4-86127-616-3}}</ref> * 生年不明 - パイプ、アニメ『[[歌舞伎町シャーロック]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://pipecat-kabukicho.jp/chara10.html |title=パイプキャットの看板ネコ パイプ |access-date= 25 Jun 2023 |publisher=歌舞伎町シャーロック製作委員会 |work=『歌舞伎町シャーロック』}}</ref> * 生年不明 - みかっち、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/m03.html |title=住民名簿 3月 みかっち |access-date= 25 Jun 2023 |publisher=[[任天堂]] |work=『どうぶつの森』}}</ref> * 生年不明 - 日向大和、ゲーム・アニメ『[[うたの☆プリンスさまっ♪]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.utapri.com/sp/heavens/member/?ch=yamato |title=日向大和 |access-date= 25 Jun 2023 |publisher=SAOTOME GAKUEN Illust.Chinatsu Kurahana, KOGADO STUDIO, Meina |work=『うたの プリンスさまっ』}}</ref> * 生年不明 - 大沼くるみ、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/20034 |title=大沼 くるみ(おおぬま くるみ) |access-date= 25 Jun 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 蘭丸、ゲーム『[[閃乱カグラ NewWave|閃乱カグラNewWave]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marv.jp/product/kagura_nw/character/ranmaru.php |title=蘭丸 |access-date= 25 Jun 2023 |publisher=[[マーベラス (企業)|Marvelous Inc.]] |work=『閃乱カグラ NewWave Gバースト』}}</ref> * 生年不明 - 小野ちよ、ゲーム『[[あんさんぶるガールズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ensemble_girls|847366470162014209}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター ミリオンライブ!の登場人物#福田のり子|福田のり子]]、ゲーム『[[アイドルマスター ミリオンライブ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/30029 |title=福田 のり子(ふくだ のりこ) |access-date= 25 Jun 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - ノエル=ジョーヌ・ベアール、ゲーム・アニメ『[[スクールガールストライカーズ|スクールガールストライカーズ2]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|publisher=[[スクウェア・エニックス|SQUARE ENIX]] |url=http://schoolgirlstrikers.jp/member/noel.html |title=ノエル=ジョーヌ・ベアール(愛称:ノエル) CV:堀江 由依 |work=『スクールガールストライカーズ2』 |accessdate= 25 Jun 2023 }}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター SideM#若里春名|若里春名]]、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/detail/40045 |title=若里 春名(わかざと はるな) |access-date= 25 Jun 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 花園きらら、ゲーム・アニメ『[[アイカツスターズ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.aikatsu.net/aikatsustars_02/character/chara_kirara.html |title=花園 きらら |access-date= 25 Jun 2023 |publisher=[[バンダイナムコピクチャーズ|BNP]]/[[バンダイ|BANDAI]], [[電通|DENTSU]], [[テレビ東京|TV TOKYO]] |work=『アイカツスターズ!』}}</ref> * 生年不明 - 赤羽根双海、ゲーム・アニメ『[[アイ★チュウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ichu_official|1111825373560557568}}</ref> * 生年不明 - 碓氷真澄、ゲーム・アニメ『[[A3!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.a3-liber.jp/character/ |title=キャラクター[春組]SPRING 碓氷 真澄 |accessdate= 25 Jun 2023 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|LIBER]] |website=『A3!』}}</ref> * 生年不明 - エンジェラ、メディアミックス『[[ジュエルペット]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanrio.co.jp/characters/jewelpet/ |title=マジカルグリーン エンジェラ |access-date=25 Jun 2023 |work=『ジュエルペット』 |publisher=[[サンリオ]]}}</ref> * 生年不明 - 大月凛、アイドルプロジェクト・アニメ『[[UniteUp!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://uniteup.info/character/lin.html |title=大月 凛 |access-date=25 Jun 2023 |publisher=[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|Sony Music Entertainment (Japan) Inc.]] |work=『UniteUp!』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commons&cat|March 30|30 March}} {{新暦365日|3|29|3|31|無し([[2月30日]])|[[4月30日]]|[[3月30日 (旧暦)|3月30日]]|0330|3|30}} {{1年の月と日}}
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1月31日
1月31日(いちがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から31日目に当たり、年末まであと334日(閏年では335日)ある。1月の最終日である。
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{{カレンダー 1月}} '''1月31日'''(いちがつさんじゅういちにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から31日目に当たり、年末まであと334日([[閏年]]では335日)ある。1月の[[月末|最終日]]である。 == できごと == * [[314年]] - [[シルウェステル1世 (ローマ教皇)|シルウェステル1世]]が[[ローマ教皇]]に即位<ref>{{Cite web |url=https://www.britannica.com/biography/Saint-Sylvester-I |title=St. Sylvester I |access-date=2023-02-05 |publisher=Britannica}}</ref>。 * [[1703年]]([[元禄]]15年[[12月15日 (旧暦)|12月15日]]) - [[赤穂事件]]で[[赤穂浪士]]が[[吉良義央]]を討ち取る<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.city.ako.lg.jp/kensetsu/kankou/terakoya3.html |title=忠臣蔵寺子屋-第3回 |access-date=2023-02-05 |publisher=[[赤穂市]] |date=2004-07-29}}</ref>。 * [[1862年]] - [[アルヴァン・グラハム・クラーク]]が[[シリウス]]の伴星シリウスBを発見。初めて観測された[[白色矮星]]。 * [[1876年]] - アメリカ合衆国政府が全ての[[インディアン]]に[[インディアン居留地]]への移住を命じる。 * [[1879年]] - 枕探し泥棒を見つかり相手を殺害した[[高橋お伝]]が、[[斬首刑]]に処される。 * [[1882年]] - 前年設立の[[日本初]]の[[保険|生命保険会社]]・[[明治生命]]が、[[1月20日]]に心臓病で急死した警部長の遺族に保険金1000円を支払う([[日本初]]の[[生命保険]]金支払い)。 * [[1893年]] - [[北村透谷]]・[[島崎藤村]]らが文芸雑誌『[[文学界 (明治)|文学界]]』を創刊。 * [[1906年]] - [[エクアドル]]・[[コロンビア]]沖で[[マグニチュード]]8.8の[[巨大地震|大地震]]。[[津波]]で死者多数([[エクアドル・コロンビア地震 (1906年)|エクアドル・コロンビア地震]])。 * [[1912年]] - [[中央本線|中央線]]・[[中野駅 (東京都)|中野]] - [[昌平橋駅|昌平橋]]に女学生の身辺保護のための婦人専用電車が登場。日本初の[[女性専用車両]]。 * [[1917年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ドイツ]]が[[Uボート]]による[[無制限潜水艦作戦]]を開始すると発表。 * [[1918年]] - [[スコットランド]]沖で演習に向かう[[イギリス海軍]]艦艇の間で連続した衝突事故。2隻の潜水艦が沈没([[メイ島の戦い]])。 * [[1920年]] - 全国普選連合会結成。[[普選運動]]が高まる。 * [[1926年]] - 講演会を開催していた[[黒色青年連盟]]の一部が暴徒化して[[銀座]]で商店を襲撃。[[資生堂]]の[[ショーウィンドウ]]などが破壊される<ref>講演会解散命令に憤慨し銀座で大暴れ『東京朝日新聞』大正15年2月1日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p193 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。 * [[1928年]] - [[ヨシフ・スターリン|スターリン]]と対立していた[[レフ・トロツキー]]が中央アジアの[[アルマトイ|アルマ・アタ]]へ追放。翌年2月には国外追放。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[マレー作戦]]: 日本軍により[[マレー半島]]最南端の[[ジョホールバル|ジョホール・バル]]が陥落。 * [[1943年]] - 第二次世界大戦・[[スターリングラード攻防戦]]: [[ドイツ軍]]の[[フリードリヒ・パウルス]]司令官と幕僚がソ連軍に降伏。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦: アメリカ陸軍の二等兵[[エディ・スロヴィク]]が[[脱走]]・[[敵前逃亡]]の罪で銃殺刑に処される。 * [[1946年]] - 初の連合国軍(進駐軍)専用列車である[[東京駅|東京]] - [[門司駅|門司]]間下り1005列車「Alied Limited」が運転を開始。 * [[1947年]] - [[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]最高司令官[[ダグラス・マッカーサー]]が翌日に予定されていた[[二・一ゼネスト]]の中止を命令。全官公庁共闘の[[伊井弥四郎]]委員長が命令に基づきスト中止をラジオで発表。 * [[1949年]] - [[国共内戦]]: [[人民解放軍|中国人民解放軍]]が[[北京市|北京]]に無血入城。 * [[1950年]] - [[ハリー・S・トルーマン]]米大統領が[[水素爆弾]]の開発計画を発表。 * 1950年 - 中国人民解放軍総司令部が[[チベット]]を除く中国本土全域の解放完了を宣言。 * [[1951年]] - [[ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス]]が[[ブラジル連邦共和国大統領|ブラジルの大統領]]に就任。 * [[1956年]] - [[1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピック|コルチナ=ダンペッツォ]][[冬季オリンピック|冬季五輪]]の[[スキー|スキー回転]]で[[猪谷千春]]が[[銀メダル]]を獲得。冬季オリンピックで[[日本]]初の[[メダル]]。 * [[1957年]] - 前年末に[[首相]]に就任した[[石橋湛山]]が脳梗塞で倒れ、[[岸信介]]が臨時首相代理となる。 * [[1958年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]初の[[人工衛星]]「[[エクスプローラー1号]]」が打ち上げ。 * 1958年 - [[ジェームズ・ヴァン・アレン]]が[[ヴァン・アレン帯]]を発見。 * [[1961年]] - [[マーキュリー計画]]: チンパンジー「[[ハム (チンパンジー)|ハム]]」が搭乗したアメリカの宇宙船「[[マーキュリー・レッドストーン2号]]」を打ち上げ。 * [[1966年]] - [[ルナ計画]]: ソ連の無人月探査機「[[ルナ9号]]」が打ち上げ。 * [[1968年]] - [[ナウル|ナウル共和国]]が[[オーストラリア]]から独立。 * [[1970年]] - [[南岸低気圧]]の影響で[[東日本]]・[[北日本]]を中心に荒天となり、甚大な被害が発生(死者・行方不明者25人)。[[気象庁]]はこの[[爆弾低気圧]]を「[[昭和45年1月低気圧]]」と命名した。 * [[1971年]] - 3番目の有人月宇宙船「[[アポロ14号]]」が打ち上げ。 * 1971年 - 『[[新婚さんいらっしゃい!]]』([[朝日放送テレビ|朝日放送〈現:朝日放送テレビ〉]]制作、[[TBSテレビ|TBS]]系→[[テレビ朝日]]系)が放送開始。 * [[1976年]] - [[鹿児島市立病院]]で日本初の[[多胎児#著名な多胎家族|五つ子]]が誕生。 * [[1979年]] - [[江川事件]]: [[江川卓 (野球)|江川卓]]が[[阪神タイガース|阪神]]に入団し、[[小林繁]]と即日トレードで[[読売ジャイアンツ|巨人]]に移籍。 * 1979年 - この年のみ、この日が[[お年玉付郵便はがき]]くじの抽選日であった。 * [[1980年]] - [[三重県]][[熊野市]][[二木島町]]で[[熊野一族7人殺害事件]]が発生。犯人は[[猟銃]]・斧で親族10人を殺傷して自殺した。 * 1980年 - [[在グアテマラ・スペイン大使館占拠事件]]。[[グアテマラ]]の[[スペイン]][[大使館]]が[[放火]]され37人が死亡。 * [[1983年]] - 7人への連続強盗殺人([[1972年]] - 1980年)を犯し、さらに前年([[1982年]])から「[[警察庁広域重要指定事件|警察庁広域重要指定]]113号事件」を起こした[[勝田清孝事件|勝田清孝]]が[[愛知県]][[名古屋市]][[昭和区]]内で逮捕される。 * [[1984年]] - 兵庫県の[[別府鉄道]]線がこの日限りで全線廃止。 * [[1986年]] - [[福岡市地下鉄箱崎線]]延長部([[馬出九大病院前駅]] - [[箱崎九大前駅]]間)が開業。 * [[1988年]] - [[青函トンネル]]([[海峡線]])の開通に先立ち、並行する[[北海道旅客鉄道|JR北海道]][[松前線]](木古内 - 松前間)がこの日限りで廃止。 * 1988年 - 愛知県のJR東海・[[愛知環状鉄道線|岡多線]]が[[第三セクター鉄道]]・[[愛知環状鉄道]]に転換。 * 1988年 - 熊本県・鹿児島県のJR九州・[[山野線]]がこの日限りで廃止。 * [[1989年]] - [[大行天皇]]の追号が[[昭和天皇]]に決定し、皇居で[[皇位継承|奉告の儀]]を行う。 * 1989年 - [[島田事件]]([[1954年]])で死刑が確定したが、その後再審開始が決定していた被告人に[[静岡地方裁判所|静岡地裁]]刑事第1部(尾崎俊信裁判長)が[[再審]]無罪の判決を言い渡した<ref>『[[朝日新聞]]』1989年1月31日夕刊第一総合面1頁「島田事件死刑囚赤堀さん、34年ぶり無罪 静岡地裁再審判決」([[朝日新聞社]])</ref>。被告人は同日、逮捕から34年ぶりに釈放された。 * [[1990年]] - [[モスクワ]]に[[マクドナルド]]の[[ロシアにおけるマクドナルド|ソ連1号店]]が開店。 * [[1994年]] - [[バルセロナ]]の[[歌劇場]]・[[リセウ大劇場]]が失火で内部全焼。 * [[1996年]] - [[海上保安庁]]が、この日の運用を最後に[[電信]]・[[モールス符号]]による通信を廃止。 * [[1997年]] - 『[[ファイナルファンタジーVII]]』発売。[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]普及の起爆剤に。 * [[1999年]] - [[東急百貨店]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]店(旧 [[白木屋 (デパート)|白木屋]])が開業から336年で閉店。 * [[2000年]] - [[アラスカ航空261便墜落事故]]が発生。 * [[2001年]] - [[日本航空機駿河湾上空ニアミス事故]]が発生。 * 2001年 - [[セガ]]が[[ドリームキャスト]]の生産終了と家庭用ゲーム機製造販売事業からの撤退を発表。 * [[2004年]] - [[東急東横線]]の一部([[横浜駅|横浜]] - [[桜木町駅|桜木町]]間)が廃止、[[反町駅]]・横浜駅が地下化。 * 2004年 - [[茨城女子大生殺害事件]]が発生。 * 2004年 - [[毎日新聞社長監禁事件]]が発生<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/special/mainichi-kankin/TKY200402270247.html|title=毎日新聞社長を監禁、取引業者6人起訴 1カ月後に発表|newspaper=朝日新聞|publisher=朝日新聞社|date=2004-02-28|accessdate=2020-10-06}}</ref>。 * <!-- https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1770569.html を見ると、「政府が、国民栄誉賞授与を検討」と書かれています。 [[2013年]] - [[1月19日]]に逝去した元[[横綱]][[大鵬幸喜]]こと納谷幸喜の[[国民栄誉賞]]受賞が決まる。 --> * [[2014年]] - [[東北地方太平洋沖地震]]を原因とする[[福島第一原子力発電所事故]]に伴い全発電設備が停止されていた[[福島第一原子力発電所]]が、この日限りで廃止<ref>[https://www.tepco.co.jp/news/2014/1233951_5918.html 福島第一原子力発電所5号機および6号機の廃止について] 東京電力 (2014年1月31日) 2021年4月12日閲覧。</ref>。 * [[2018年]] - [[2018年1月31日の月食]]が起きる。 * [[2020年]] - [[イギリス]]が午後11時([[グリニッジ標準時|GMT]])に[[欧州連合]](EU)から[[イギリスの欧州連合離脱|離脱]]<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20200201/k00/00m/030/008000c|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200201033645/https://mainichi.jp/articles/20200201/k00/00m/030/008000c|title=英国がEU離脱 加盟国の離脱は初|newspaper=毎日新聞|date=2020-02-01|accessdate=2020-02-01|archivedate=2020-02-01}}</ref>。 == 誕生日 == * [[1512年]] - [[エンリケ1世 (ポルトガル王)|エンリケ1世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](+ [[1580年]]) * [[1530年]]([[享禄]]3年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]])- [[大友義鎮]](宗麟)、[[戦国大名]](+ [[1587年]]) * [[1543年]]([[天文 (元号)|天文]]11年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]]) - [[徳川家康]]、[[江戸幕府]]初代[[征夷大将軍|将軍]](+ [[1616年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/3791|title=天下は天下の天下なり…徳川家康の遺言|work=WEB 歴史街道|date=2017-04-17|accessdate=2021-03-02}}</ref>) * [[1550年]] - [[アンリ1世 (ギーズ公)|アンリ1世]]、[[ギーズ公]](+ [[1588年]]) * [[1565年]]([[永禄]]7年[[12月29日 (旧暦)|12月29日]]) - [[池田輝政]]、[[武将]]、[[大名]](+ [[1613年]]) * [[1656年]]([[明暦]]2年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]]) - [[松平直明]]、[[明石藩|明石藩主]](+ [[1721年]]) * [[1686年]]([[貞享]]3年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]) - [[松平乗邑]]、[[佐倉藩|佐倉藩主]](+ [[1746年]]) * [[1759年]] - [[フランソワ・ドヴィエンヌ]]、[[作曲家]](+ [[1803年]]) * [[1769年]]([[明和]]5年[[12月24日 (旧暦)|12月24日]]) - [[松浦矩]]、[[平戸新田藩|平戸新田藩主]](+ [[1803年]]) * [[1775年]]([[安永 (元号)|安永]]5年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[佐竹義和]]、[[久保田藩|久保田藩主]](+ [[1815年]]) * [[1785年]] - [[チャールズ・グリーン (気球乗り)|チャールズ・グリーン]]、[[気球|気球家]](+ [[1870年]]) * [[1797年]] - [[フランツ・シューベルト]]、作曲家(+ [[1828年]]) * [[1799年]] - [[ロドルフ・テプフェール]]、[[教育者]]、作家、[[風刺画|風刺画家]](+ [[1846年]]) * [[1810年]] - [[エルンスト・クンマー]]、[[数学者]](+ [[1893年]]) * [[1837年]]([[天保]]7年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]) - [[高松凌雲]]、[[医師]](+ [[1916年]]) * [[1841年]] - [[サム・ロイド]]、[[パズル]]作家(+ [[1911年]]) * 1841年([[天保]]12年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]) - [[牧野康済]]、[[小諸藩|小諸藩主]](+ [[1918年]]) * [[1845年]] - [[ボブ・ファーガソン]]、元プロ野球選手(+ [[1894年]]) * [[1868年]] - [[セオドア・リチャーズ]]、[[化学者]](+ [[1928年]]) * [[1869年]] - [[アンリ・カルトン・ドゥ・ヴィアール]]、[[ベルギーの首相|ベルギー首相]](+ [[1951年]]) * [[1872年]] - [[ゼイン・グレイ]]、[[小説家]](+ [[1939年]]) * [[1881年]] - [[アーヴィング・ラングミュア]]、化学者(+ [[1957年]]) * [[1883年]] - [[緒方知三郎]]、[[病理学|病理学者]](+ [[1973年]]) * [[1884年]] - [[テオドール・ホイス]]、初代[[連邦大統領 (ドイツ)|西ドイツ大統領]](+ [[1963年]]) * [[1893年]] - [[ジョージ・バーンズ (内野手)|ジョージ・バーンズ]]、元プロ野球選手(+ [[1978年]]) * [[1894年]] - [[小島政二郎]]、小説家、[[随筆家]](+ [[1994年]]) * [[1896年]] - [[チャーリー・ロバートソン]]、元プロ野球選手(+ [[1984年]]) * [[1905年]] - [[万城目正]]、[[作曲家]](+ [[1968年]]) * [[1909年]] - [[海沼實]]、[[童謡]]作曲家(+ [[1971年]]) * [[1913年]] - [[畑福俊英]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1981年]]) * [[1914年]] - [[バルバドス・ジョー・ウォルコット|ジョー・ウォルコット]]、[[プロボクサー]](+ [[1994年]]) * [[1918年]] - [[木暮実千代]]、[[俳優|女優]](+ [[1990年]]) * [[1919年]] - [[ジャッキー・ロビンソン]]、元プロ野球選手(+ [[1972年]]) * [[1923年]] - [[ノーマン・メイラー]]、[[小説家]](+ [[2007年]]) * [[1929年]] - [[ジーン・シモンズ (女優)|ジーン・シモンズ]]、女優(+ [[2010年]]) * 1929年 - [[アンディ・ミリガン]]、[[劇作家]]、[[脚本家]]、[[映画監督]](+ [[1991年]]) * [[1930年]] - [[小此木啓吾]]、[[精神科医]](+ [[2003年]]) * 1930年 - [[ヨアキム・ボニエ]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(+ [[1972年]]) * 1930年 - [[川田利美]]、[[調教師]] * [[1931年]] - [[アーニー・バンクス]]、元プロ野球選手(+ [[2015年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/01/25/kiji/K20150125009690490.html|title=アーニー・バンクス氏死去 カブス一筋19年通算512発|publisher=Sponichi Annex|date=2015-01-25|accessdate=2020-10-30}}</ref>) * [[1932年]] - [[大谷泰司]]、プロ野球審判員(+ [[2012年]]) * [[1933年]] - [[石井敏郎]]、[[声優]] * [[1934年]] - [[モハンマド・タギー・メスバーフ・ヤズディー]]、[[政治家]]、[[ウラマー]](+ [[2021年]]) * [[1935年]] - [[大江健三郎]]、小説家、[[ノーベル文学賞]]受賞者(+ [[2023年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230313/k10014006861000.html |title=ノーベル文学賞 大江健三郞さん 死去 88歳 |accessdate=2023-03-17 |date=2023-03-13 |website=NEWS WEB |language=ja}}</ref>) * 1935年 - [[成田三樹夫]]、俳優(+ [[1990年]]) * 1935年 - [[石津祥介]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[2023年]] * [[1936年]] - [[宮川孝雄]]、元プロ野球選手(+ [[2016年]]) * [[1937年]] - [[フィリップ・グラス]]、[[作曲家]] * 1937年 - [[スザンヌ・プレシェット]]、女優(+ [[2008年]]) * 1937年 - [[伊藤孝雄]]、俳優 * [[1938年]] - [[ベアトリクス (オランダ女王)|ベアトリクス]]、オランダ[[女王]] * [[1941年]] - [[イナ・バウアー]]、[[フィギュアスケート選手]](+ [[2014年]]) * 1941年 - [[ジェラルド・マクダーモット]]、[[絵本作家]]、[[イラストレーター]]、[[グラフィックデザイナー]]、[[映像作家]](+ 2012年) * 1941年 - [[有田泰而]]、[[写真家]](+ [[2011年]]) * [[1942年]] - 青芝キック、元漫才師(元[[青芝フック・キック]]) * 1942年 - [[ダニエラ・ビアンキ]]、女優 * 1942年 - [[東野英心]]、俳優(+ [[2000年]]) * [[1944年]] - [[チャーリー・マッスルホワイト]]、ハーモニカ奏者 * 1944年 - [[根本美香]]、[[バレエダンサー]] * [[1945年]] - [[ジョセフ・コスース]]、[[美術家]] * 1945年 - [[泰道三八]]、[[政治家]] * [[1947年]] - [[加古隆]]、[[ピアニスト]] * 1947年 - [[岡田広]]、政治家 * 1947年 - [[ノーラン・ライアン]]、元プロ野球選手 * [[1948年]] - [[鈴木宗男]]、[[政治家]]、[[新党大地]]代表 * [[1949年]] - [[フレッド・ケンドール]]、元プロ野球選手 * [[1953年]] - [[秋山武史]]、俳優(+ [[1998年]]) * 1953年 - [[青木英美]]、女優 * [[1954年]] - [[目黒光祐]]、声優 * [[1956年]] - [[ジョン・ライドン]]、[[ミュージシャン]]([[セックス・ピストルズ]]) * 1956年 - [[根本康広]]、[[調教師]]、元[[騎手]]、俳優 * [[1957年]] - [[吉沢洋治]]、ギタリスト([[ゴダイゴ]]) * [[1959年]] - [[ケリー・リンチ]]、女優 * [[1961年]] - [[石野真子]]、女優 * 1961年 - [[河野誉彦]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[黒崎輝]]、俳優 * 1962年 - [[堀井哲也]]、[[野球選手]] * [[1964年]] - [[高柳良一]]、俳優・声優 * 1964年 - [[中嶋千尋]]、ゴルファー * 1964年 - [[松井一郎]]、政治家、[[大阪市長]] * 1964年 - [[真矢ミキ]]、女優、元[[宝塚歌劇団]][[花組 (宝塚歌劇)|花組]]トップスター * 1964年 - [[光原伸]]、[[漫画家]] * 1964年 - [[和智正喜]]、小説家 * 1964年 - [[令丈ヒロ子]]、児童文学作家<ref>{{Cite news|url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181226-00000093-sph-soci|title=アニメ映画公開からSNSでジワジワ人気「若おかみは小学生!」 令丈ヒロ子さん「新しいファンが拡散頑張ってくれた」|publisher=[[Yahoo! 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[[大地睦美]]、声優 * 生年不明 - [[小堀幸]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://thetv.jp/person/1000093487/|title=小堀幸(こぼりみゆき)のプロフィール・画像・出演スケジュール|【スタスケ】(1000093487)|publisher=ザテレビジョン|accessdate=2021-01-05}}</ref>、声優 * 生年不明 - [[猪狩秀平]]、ミュージシャン ([[HEY-SMITH]]) == 忌日 == * [[985年]]([[永観]]3年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]]) - [[良源]](元三大師)、厄除け大師、[[比叡山延暦寺]]中興の祖(* [[912年]]) * [[1398年]]([[応永]]5年[[1月13日 (旧暦)|1月13日]])- [[崇光天皇]]、[[北朝 (日本)|北朝]]第3代[[天皇]](* [[1334年]]) * [[1561年]] - [[メノ・シモンズ]]、[[アナバプテスト]]の指導者(* [[1496年]]) * [[1580年]] - [[エンリケ1世 (ポルトガル王)|エンリケ1世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](* [[1512年]]) * [[1606年]] - [[ガイ・フォークス]]、[[テロリスト]]、[[火薬陰謀事件]]の実行責任者 (* [[1570年]]) * [[1615年]]([[慶長]]20年1月3日)- [[宗義智]]、[[対馬国]]の領主(* [[1568年]]) * [[1632年]] - [[ヨスト・ビュルギ]]、[[時計]]職人、[[数学者]](* [[1558年]]) * [[1703年]]([[元禄]]15年[[12月15日 (旧暦)|12月15日]]) - [[吉良義央]]、江戸幕府[[高家 (江戸時代)|高家]]肝煎(* [[1641年]]) * [[1729年]] - [[ヤーコプ・ロッヘフェーン]]、[[探検家]](* [[1659年]]) * [[1736年]] - [[フィリッポ・ユヴァラ]]、[[建築家]](* [[1678年]]) * [[1740年]]([[元文]]5年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]])- [[志太野坡]]、[[俳諧|俳諧師]](* [[1662年]]) * [[1788年]] - [[チャールズ・エドワード・ステュアート]](小僭王)、[[イギリス]]の[[王位請求者]](* [[1720年]]) * [[1828年]] - [[アレクサンドル・イプシランチ]]、[[帝政ロシア]]の軍人(* [[1792年]]) * [[1866年]] - [[フリードリヒ・リュッケルト]]、[[詩人]](* [[1788年]]) * [[1888年]] - [[ヨハネ・ボスコ]]、[[カトリック教会]]の[[聖人]](* [[1815年]]) * [[1892年]] - [[チャールズ・ハッドン・スポルジョン]]、[[バプテスト派]][[牧師]](* [[1834年]]) * [[1897年]] - [[西周 (啓蒙家)|西周]]、啓蒙家・教育者(* [[1829年]]) * [[1905年]] - [[副島種臣]]、[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]、[[外務大臣 (日本)|外務卿]](* [[1828年]]) * [[1914年]] - [[広瀬宰平]]、[[実業家]](* [[1828年]]) * [[1917年]] - [[オットー・フィンシュ]]、[[民俗学|民俗学者]]、[[博物学|博物学者]]、[[探検家]](* [[1839年]]) * [[1918年]] - [[朝吹英二]]、実業家(* [[1849年]]) * [[1926年]] - [[ルー・バイアーバウアー]]、[[プロ野球選手]](* [[1865年]]) * [[1933年]] - [[ジョン・ゴールズワージー]]、[[小説家]](* [[1867年]]) * [[1944年]] - [[ジャン・ジロドゥ]]、[[作家]](* [[1882年]]) * [[1945年]] - [[エディ・スロヴィク]]、[[アメリカ陸軍]]の[[二等兵]](* [[1920年]]) * [[1946年]] - [[本橋精一]]、[[野球選手]](* [[1915年]]) * [[1950年]] - [[森本厚吉]]、[[経済学者]]、[[教育者]](* [[1877年]]) * [[1951年]] - [[費穆 (映画監督)|費穆]]、映画監督(* [[1906年]]) * [[1954年]] - [[香取秀真]]、[[鋳金]]作家(* [[1874年]]) * 1954年 - [[エドウィン・アームストロング]]、[[発明家]]、電子技術者(* [[1890年]]) * [[1955年]] - [[ジョン・モット]]、[[キリスト教青年会|YMCA]]指導者(* [[1865年]]) * [[1956年]] - [[A・A・ミルン]]、作家(* [[1882年]]) * [[1967年]] - [[エディ・トーラン]]、[[陸上競技]]選手(* [[1908年]]) * [[1969年]] - [[メハー・ババ]]、宗教家(* [[1894年]]) * [[1970年]] - [[スリム・ハーポ]]、[[ブルース]][[ミュージシャン]](* [[1924年]]) * 1970年 - [[ミハイル・ミーリ]]、[[航空エンジニア]](* [[1909年]]) * [[1972年]] - [[ハナ・マシュコヴァー]]、フィギュアスケート選手(* [[1949年]]) * [[1973年]] - [[ラグナル・フリッシュ]]、[[経済学者]](* [[1895年]]) * [[1974年]] - [[サミュエル・ゴールドウィン]]、[[映画プロデューサー]](* [[1882年]]) * [[1975年]] - [[迫畑正巳]]、プロ野球監督(* [[1912年]]) * [[1977年]] - [[万耀煌]]、[[中華民国]]の[[軍人]](* [[1891年]]) * [[1978年]] - [[ダミア]]、[[シャンソン]]歌手(* [[1889年]]) * [[1979年]] - [[グラント・グリーン]]、[[ジャズ]][[ギタリスト]](* [[1935年]]) * [[1984年]] - [[林家小染 (4代目)]]、[[落語家]](* [[1947年]]) * [[1985年]] - [[石川達三]]、小説家(* [[1905年]]) * 1985年 - [[田中六助]]、[[政治家]](* [[1924年]]) * [[1987年]] - [[渡辺晋]]、[[実業家]](* [[1927年]]) * [[1989年]] - [[芥川也寸志]]、[[作曲家]]、[[指揮者]](* [[1925年]]) * [[1990年]] - [[エベリーン・ド・ボリス=レイモンド・マルコス]]、[[生物学者の一覧|生物学者]](* [[1901年]]) * [[1999年]] - [[ジャイアント馬場]]、[[プロレスラー]]、プロ野球選手(* [[1938年]]) * [[2000年]] - [[吉川泰雄]]、[[日本語学者]](* [[1917年]]) * [[2001年]] - [[ゴードン・R・ディクスン]]、[[SF作家]]、[[ファンタジー]]作家(* [[1923年]]) * [[2002年]] - [[内藤幸三]]、プロ野球選手(* [[1916年]]) * [[2004年]] - [[加藤道子]]、[[俳優|女優]](* [[1919年]]) * 2004年 - [[桂文治 (10代目)]]、落語家、[[南画|南画家]](* [[1924年]]) * [[2005年]] - [[中尊寺ゆつこ]]、[[漫画家]](* [[1962年]]) * [[2006年]] - [[モイラ・シアラー]]、[[バレエ]][[ダンサー]]、女優(* [[1926年]]) * [[2007年]] - [[高橋揆一郎]]、小説家(* [[1928年]]) * [[2008年]] - [[フランティシェク・チャペック]]、[[カヌー]]選手(* [[1914年]]) * [[2009年]] - [[エルランド・フォン・コック]]、作曲家(* [[1910年]]) * [[2010年]] - [[伊藤ていじ]]、[[建築学|建築学者]](* [[1922年]]) * 2010年 - [[嵯峨野昇]]、プロ野球選手(* [[1942年]]) * [[2011年]] - [[古川能章]]、元サッカー選手(* [[1930年]]) * [[2012年]] - [[マイク・ケリー (現代美術家)|マイク・ケリー]]、[[近代美術と現代美術|現代美術家]](* [[1954年]]) * 2012年 - [[川勝正幸]]、[[フリーライター]]、[[編集者]](* [[1956年]]) * [[2014年]] - 指宿良彦、実業家、[[セントラル楽器]]創業者(* [[1925年]]) * [[2015年]] - [[リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー]]、[[連邦大統領 (ドイツ)|ドイツ連邦大統領]](* [[1920年]]) * [[2017年]] - [[ジョン・ウェットン]]、ミュージシャン(* [[1949年]]) * 2017年 - [[時天空慶晃]]、大相撲力士(* [[1979年]]) * [[2018年]] - [[佐々木正]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26639520X00C18A2000000/|title=世界が頼った「世紀のイノベーター」(日経ビジネス) |publisher=日本経済新聞|date=2018-02-13|accessdate=2020-12-11}}</ref>、[[電子工学]]の技術者、[[シャープ]]元副社長、[[工学博士]](* [[1915年]]) * 2018年 - [[いときん]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/02/01/kiji/20180131s00041000370000c.html|title=「ET-KING」いときんさん死去 38歳 昨年8月肺線がん公表|accessdate=2020年11月27日|publisher=スポニチアネックス}}</ref>、MC、トラックメーカー([[ET-KING]])(* [[1979年]]) * [[2020年]] - [[郷原洋行]]<ref name="sponichi_20200209">{{Cite news|title=郷原洋行氏が死去 76歳 ダービー2勝などG1・10勝の名騎手 14年競馬殿堂入り|newspaper=Sponichi Annex|date=2020-02-09|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2020/02/09/kiji/20200208s00004048526000c.html|agency=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2020-11-20}}</ref>、騎手、調教師(* [[1944年]]) * 2020年 - [[メアリ・H・クラーク]]、[[作家]](* [[1927年]]) * [[2021年]] - [[くず哲也]]<ref>{{Cite news|title=「日曜はダメよ」ラジオ番組で人気、くず哲也さん死去…73歳|newspaper=讀賣新聞オンライン|date=2021-02-02|url=https://www.yomiuri.co.jp/culture/20210202-OYT1T50103/|agency=読売新聞社|accessdate=2021-02-02}}</ref><ref>{{Cite news|title=ラジオパーソナリティーくず哲也さん、急性骨髄性白血病のため73歳で死去|newspaper=スポーツ報知|date=2021-02-02|url=https://hochi.news/articles/20210202-OHT1T50032.html|agency=報知新聞社|accessdate=2021-02-02}}</ref><ref>{{Cite news|title=ラジオパーソナリティー、くず哲也氏が死去 急性骨髄性白血病|newspaper=サンケイスポーツ|date=2021-02-02|url=https://www.sanspo.com/article/20210202-HHGEKPL3XJNYVHEJFGKJEFUINU/|agency=産経デジタル|accessdate=2021-02-02}}</ref>、タレント、ラジオパーソナリティ(* 1947年) * 2021年 - [[高橋里志]]<ref>{{Cite news|title=元カープ投手・高橋里志さん死去 72歳、セ・リーグ最多勝|newspaper=中国新聞デジタル|date=2020-02-03|url=https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/92617|agency=中国新聞社|accessdate=2021-02-03}}</ref><ref>{{Cite news|title=広島OB高橋里志さん死去 72歳、肺がん 77年に最多勝|newspaper=デイリースポーツ|date=2021-02-03|url=https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2021/02/03/0014051994.shtml|agency=神戸新聞社|accessdate=2021-02-03}}</ref>、プロ野球選手(* [[1948年]]) == 記念日・年中行事 == * [[独立記念日]]({{NRU}}) *: [[1968年]]のこの日、[[ナウル]]が[[イギリス]]・[[オーストラリア]]・[[ニュージーランド]]の信託統治から独立した。 * 晦日正月・晦日節({{JPN}}) *: [[正月]]最後の日。この日に、松の内に年始回りをしなかった家を訪ねる地方もある。 * [[生命保険]]の日({{JPN}}) *: [[1882年]]のこの日に日本初の生命保険金支払いが行われたことにちなみ、生命保険のトップセールスマンの集まりである[[:en:Million Dollar Round Table|MDRT]]日本会が制定<ref>{{Cite web|和書 |url=https://prtimes.jp/magazine/today/life-insurance/ |title=生命保険の日(1月31日)|意味や由来・広報PRに活用するポイントと事例を紹介 |access-date=2023-02-05 |publisher=PR TIMES MAGAGINE |date=2023-01-31}}</ref>。これとは別に、[[11月1日]]が[[生命保険協会]]が定めた生命保険の日となっている。 * 愛妻の日({{JPN}}) *: 日本愛妻家協会が[[2006年]]に制定。1月の1を"I"に見立て、「あい(I)さい(31)」の語呂合わせから<ref>{{Cite web|和書 |url=https://dime.jp/genre/1519031/ |title=愛妻の日は1月31日!語呂合わせが由来 |access-date=2023-02-05 |publisher=@DIME |date=2023-01-15}}</ref>。 <!-- * [[蕎麦|そば]]の日({{JPN}})(毎月最終日) --> == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0131|date=2011年6月}} * [[2010年]] - 特別課外活動部、タルタロス最上階でニュクスと戦う。(ゲーム『[[ペルソナ3]]』) * [[宇宙世紀|U.C.]]0079年 - ジオン公国政府と地球連邦政府は休戦条約の交渉に臨むが、調印直前に捕虜となっていたレビル将軍がジオン本国を脱出し、ジオン公国軍の内情を暴露する「'''ジオンに兵なし'''」演説を実施。これにより連邦政府は継戦に傾き[[#南極条約の締結|南極条約]]は休戦条約から戦時条約に変更、ジオン公国軍は地球侵攻作戦を開始。(アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1975年]] - 鈴原奈緒、テレビドラマ『[[Mother (テレビドラマ)|Mother]]』の主人公 * [[宇宙暦#スターオーシャンシリーズ|宇宙暦]]308年 - ロニキス・J・ケニー、ゲーム『[[スターオーシャン]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=スターオーシャン:アナムネシス オフィシャルアートワークス|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|year=2019|page=34|ISBN=978-4-7575-5997-4}}</ref> * 生年不明 - 黒子テツヤ、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』の主人公<ref>{{Twitter status|kurobasanime|1487802872394043393}}</ref><ref>{{Cite web|和書 |date=不明 |url=https://books.shueisha.co.jp/items/contents.html?isbn=978-4-08-870574-3 |title=黒子のバスケ オフィシャルファンブック CHARACTERS BIBLE|藤巻 忠俊|ジャンプコミックス| |accessdate=2012-7-27}}</ref> * 生年不明 - 小日向光、漫画・アニメ『[[あまんちゅ!]]』の主人公<ref>{{Twitter status|amanchu_anime|693594943852392448}}</ref> * 生年不明 - 白築慕、漫画 『[[咲-Saki-|シノハユ the dawn of age]]』の主人公<ref>{{Cite web|和書 |url=https://bibi-star.jp/posts/11924 |title=白築慕の誕生日は?プロフィールまとめ |date=2019-11-13 |publisher=BiBi |accessdate=2022-10-30}}</ref> * 生年不明 - 南房総日由美、『[[温泉むすめ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://onsen-musume.jp/character/minamiboso_hiyumi |title=千葉 南房総日由美 |access-date=2022-10-30 |publisher=ONSEN MUSUME PROJECT |work=温泉むすめ}}</ref> * 生年不明 - 雪村螢子、漫画・アニメ『[[幽☆遊☆白書]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - アラディン、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/Aladdin.html |title=アラディン |access-date=2023-02-05 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |work=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - [[朽木白哉]]、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=久保帯人|authorlink=久保帯人|year=2006|title=BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.|page=76|publisher=[[集英社]]|isbn=4-08-874079-3}}</ref> * 生年不明 - ヘニング、漫画・アニメ『[[進撃の巨人]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 御堂筋翔、漫画・アニメ『[[弱虫ペダル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yowapeda_anime|958361148830593024}}</ref><ref>渡辺航、週刊少年チャンピオン編集部編『弱虫ペダル公式ファンブック2』54.5巻、秋田書店、2018年、56頁、{{ISBN2|978-4-25-321399-8}}</ref> * 生年不明 - [[花より男子の登場人物|道明寺司]] 、漫画・アニメ・ドラマ・映画『[[花より男子]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|yokokamioo|1090803888255426560}}</ref> * 生年不明 - 山中さわ子、漫画・アニメ『[[けいおん!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1488049463604224002}}</ref> * 生年不明 - スー、漫画・アニメ『[[モンスター娘のいる日常]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.comic-ryu.jp/blog/2023/01/suu2023project_p/ |title=『モンスター娘のいる日常』連載10周年記念【スープレミアムセット】 |access-date=2023-02-05 |publisher=[[オカヤド]]/[[徳間書店]] |date=2023-01-17}}</ref> * 生年不明 - 大野彩優美、漫画・アニメ『[[球詠]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|tamayomi_pr|1253247238526111744}}</ref> * 生年不明 - 雨生龍之介、小説『[[Fate/Zero]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|ufotable|1090949842082263040}}</ref> * 生年不明 - 霞ヶ丘詩羽、ライトノベル・アニメ『[[冴えない彼女の育てかた]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://saenai-movie.com/character/utaha_kasumigaoka/ |title=霞ヶ丘詩羽 |work=劇場版「冴えない彼女の育てかた Fine」 |accessdate=2022-10-30 |publisher=[[丸戸史明]]・[[深崎暮人]]・KADOKAWA ファンタジア文庫刊/映画も冴えない製作委員会}}</ref><ref>ドラゴンマガジン 2014年1月号 通巻323号、富士見書房、p.6-12</ref> * 生年不明 - カチューシャ、アニメ『[[ガールズ&パンツァー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|garupan_app|826327368037904385}}</ref> * 生年不明 - カットリーヌ、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/index.html |title=住民名簿 1月 カットリーヌ |access-date=2022-10-30 |publisher=[[任天堂]] |work=どうぶつの森}}</ref> * 生年不明 - マキバスター、ゲーム『どうぶつの森』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.nintendo.co.jp/character/mori/namelist/index.html |title=住民名簿 1月 マキバスター |access-date=2022-10-31 |publisher=[[任天堂]] |work=どうぶつの森}}</ref> * 生年不明 - エステル・フリージア、ゲーム・アニメ『 [[夜明け前より瑠璃色な|夜明け前より瑠璃色な-Brighter than dawning blue-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://aria-soft.com/d_blue/character08.html |title=エステル・フリージア |access-date=2022-10-30 |publisher=ARIA |work=夜明け前より瑠璃色な - Brighter than dawning blue -}}</ref><ref>『夜明け前より瑠璃色な -Moonlight Cradle-』小冊子「Moonlight Chronicle」[[オーガスト (ブランド)|オーガスト]]、2009年、30頁。</ref> * 生年不明 - 霧矢あおい、ゲーム・アニメ『[[アイカツ!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|aikatsu_dcd|1223115556250738690}}</ref><ref>[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|サンライズ]](企画・原作)、[[バンダイ]](原案)、サンライズ、バンダイ(監修)『アイカツ! アイドル名鑑』[[小学館]]、2014年、16頁。{{ISBN2|978-4-09-280501-9}}。</ref> * 生年不明 - 玉井麗巳、ゲーム・アニメ『[[ガールフレンド(仮)]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://app.famitsu.com/20130819_209418/ |title=【ガールフレンド(仮)通信95 】天然ハレンチゴルファー 玉井麗巳ちゃん(CV:下屋則子) |access-date=2022-10-30 |publisher=ファミ通App |date=2013-08-19}}</ref> * 生年不明 - ダルファー、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=95&cate=name&cont=Dulfer |title=ダルファー |access-date=2023-02-05 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シャイニーカラーズ|斑鳩ルカ]]、ゲーム『[[アイドルマスター シャイニーカラーズ|アイドルマスターシャイニーカラーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://shinycolors.idolmaster.jp/idol/other/luca.html |title=斑鳩 ルカ(いかるが るか) |access-date=2022-10-30 |publisher=[[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER SHINY COLORS』}}</ref> * 生年不明 - 遠見鳴、ゲーム・アニメ『[[CUE!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.cue-liber.jp/character-16 |title=遠見 鳴 |access-date=2023-05-14 |publisher=[[リベル・エンタテインメント|Liber Entertainment Inc.]] |work=CUE!}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|31 January}} {{新暦365日|1|30|2|1|[[12月31日]]|無し|無し|0131|1|31}} {{1年の月と日}}
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1月29日
1月29日(いちがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から29日目に当たり、年末まであと336日(閏年では337日)ある。
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1月29日(いちがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から29日目に当たり、年末まであと336日(閏年では337日)ある。
{{カレンダー 1月}} '''1月29日'''(いちがつにじゅうくにち)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から29日目に当たり、年末まであと336日([[閏年]]では337日)ある。 == できごと == * [[904年]] - [[対立教皇]][[クリストフォルス (対立教皇)|クリストフォルス]]が退位し、[[セルギウス3世 (ローマ教皇)|セルギウス3世]]がローマ教皇に就任。 * [[1598年]]([[慶長]]2年[[12月22日 (旧暦)|12月22日]]) - [[文禄・慶長の役#慶長の役|慶長の役]]・[[蔚山城の戦い]](一次)始まる。 * [[1676年]](ユリウス暦[[1月19日]]) - [[フョードル3世]]が[[モスクワ・ロシア]]の[[ツァーリ]]に即位。 * [[1819年]] - トーマス・スタンフォード・ラッフルズがシンガポールに上陸 * [[1845年]] - [[エドガー・アラン・ポー]]が物語詩『[[大鴉]]』を発表。 * [[1850年]] - 米上院議員[[ヘンリー・クレイ]]が[[1850年協定]]を策定。 * [[1856年]] - [[イギリス]]女王[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア]]が[[ヴィクトリア十字章]]を創設。 * [[1861年]] - [[カンザス準州]]が州に昇格して、[[アメリカ合衆国]]34番目の州・[[カンザス州]]となる。 * [[1863年]] - [[南北戦争]]・[[太平洋岸戦線 (南北戦争)|太平洋岸戦線]]: [[ベア川の虐殺]]が起こる。 * [[1879年]] - [[日本]]が国際電信連合(現 [[国際電気通信連合]])に加盟。 * [[1886年]] - [[カール・ベンツ]]が世界初となるガソリン[[自動車]]「ベンツ・パテント・モーターカー」(3輪) の特許を取得。 * [[1891年]] - [[リリウオカラニ]]が[[ハワイ王国]]女王に即位。 * [[1900年]] - [[メジャーリーグベースボール|大リーグ]]の[[アメリカン・リーグ]]が[[フィラデルフィア]]で設立総会。大リーグが2リーグ制に。 * [[1916年]] - [[第一次世界大戦]]: [[パリ]]がドイツ軍の飛行船[[ツェッペリン]]により初めて空襲を受ける。 * [[1934年]] - [[官営八幡製鐵所|官営八幡製鉄所]]と民間の製鉄5事業者が合併して、半官半民の[[日本製鐵]]を設立。 * [[1936年]] - [[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ニューヨーク州]]の[[クーパーズタウン]]に「[[アメリカ野球殿堂|野球殿堂]]」を開設。[[ベーブ・ルース]]ら5人が殿堂入り。 * [[1940年]] - [[西成線列車脱線火災事故]]。 * [[1943年]] - [[第二次世界大戦]]・[[ソロモン諸島の戦い]]: [[レンネル島沖海戦]]が始まる。 * [[1944年]] - 『[[中央公論]]』『[[改造 (雑誌)|改造]]』の編集者が検挙される。([[横浜事件]]の発端) * [[1946年]] - [[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が[[琉球列島]]・[[小笠原諸島]]などに対する日本の行政権を停止。 * [[1951年]] - [[徳島県]][[鳴門市]][[大桑島|桑島岸壁]]で爆発事故。作業員ら100余人が重軽傷。周辺の被害は家屋全壊20戸、半壊100戸、機帆船8隻が沈没、大破した。[[サルベージ]]会社が旧軍の[[魚雷]]等の解体に失敗したことが原因<ref>「百余名が重軽傷 鳴門海岸 魚雷など大爆発」『朝日新聞』昭和26年1月30日</ref>。 * [[1957年]] - 日本の第一次[[南極地域観測隊|南極予備観測隊]]が[[南極]]の[[オングル島]]に上陸。[[昭和基地]]と命名。 * [[1960年]] - [[アラビア石油]]が[[クウェート]]沖の[[カフジ油田]]を掘り当てる。(戦後初の海外における油田開発) * [[1964年]] - 第9回[[冬季オリンピック]]、[[インスブルックオリンピック (1964年)|インスブルック大会]]開催。[[2月9日]]まで。 * [[1967年]] - [[第31回衆議院議員総選挙]]。 * [[1968年]] - [[東京大学]][[医学部]][[学生自治会|自治会]]が[[インターン]]制度の運用と[[医師法]]改正をめぐって無期限スト開始。([[東大紛争]]の発端) * [[1979年]] - [[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]の小学校で16歳の[[ブレンダ・アン・スペンサー]]が銃を乱射。2人死亡。 * [[1989年]] - [[ハンガリー]]が[[東側諸国]]では初めて[[大韓民国|韓国]]と国交を樹立。 * [[1994年]] - [[小選挙区]][[比例代表制|比例代表]]並立制導入などの[[政治改革四法]]が成立。 * [[1996年]] - フランス大統領[[ジャック・シラク]]が[[フランスの大量破壊兵器|フランスの核実験]]の無期限中止を発表。 * [[1999年]] - [[島根県]][[浜田市]]を皮切りに[[地域振興券]]の交付を開始。 * [[2002年]] - [[アメリカ合衆国大統領]][[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ]]が[[一般教書演説]]で[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]・[[イラク]]・[[イラン]]を「[[悪の枢軸]]」と名指し発言。 * 2002年 - [[首相]]の[[小泉純一郎]]が[[外務大臣]]の[[田中眞紀子]]を更迭<ref>[https://www.jiji.com/jc/daily?d=0129 2002年1月29日 小泉首相、田中真紀子外相を更迭] - 時事通信</ref>。 * [[2003年]] - 2場所連続優勝した大関・[[朝青龍明徳|朝青龍]]がモンゴル人では初、外国人では3人目となる[[横綱]]に昇進。 * [[2007年]] - 福岡県[[みやま市]]が市制施行。 * [[2008年]] - [[マツダ]]が2代目[[アテンザ]]を販売開始<ref>{{Cite web|和書|url=https://response.jp/article/2008/01/29/104907.html|title=【マツダ アテンザ 新型発表】環境・安全性能を強化|work=[[Response.]]|date=2008-01-29|accessdate=2020-06-21}}</ref> 。 * [[2011年]] - [[AFCアジアカップ2011]]で[[サッカー日本代表|日本]]が[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]を、延長戦の末1-0で下し、2大会ぶり4回目の優勝<ref>{{Cite web|和書 |date=2011年1月30日 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2783836 |title=日本、1-0で豪州下し優勝 アジアカップ |work=AFPBB News |publisher=フランス通信社 |accessdate=2018-04-01}}</ref>。 * [[2014年]] - 日本の[[理化学研究所]]など日米共同研究チームは、新たな[[万能細胞]]である[[刺激惹起性多能性獲得細胞]](STAP細胞)の生成に成功したと発表<ref>{{Cite web|和書 |date=2014年1月30日 |url=http://japanese.joins.com/article/214/181214.html |title=日本の研究陣が万能細胞を簡単に作る方法を発見 |publisher=中央日報 |accessdate=2018-04-01}}</ref>。 == 誕生日 == * [[1688年]] - [[エマヌエル・スヴェーデンボリ]]、[[科学者]]、[[政治家]]、[[神秘主義思想|神秘主義思想家]](+ [[1772年]]) * [[1701年]]([[元禄]]13年[[12月21日 (旧暦)|12月21日]]) - [[伏見宮貞建親王]]、[[江戸時代]]中期の[[皇族]]([[伏見宮]]15代当主)(+ [[1754年]]) * [[1718年]]([[享保]]2年[[12月28日 (旧暦)|12月28日]]) - [[伊勢貞丈]]、[[旗本]]、[[有職故実]]研究家(+ [[1784年]]) * [[1737年]] - [[トマス・ペイン]]、[[社会哲学]]・[[政治哲学|政治哲学者]](+ [[1809年]]) * [[1761年]] - [[アルバート・ギャラティン]]、[[民族学|民族学者]]、[[言語学者の一覧|言語学者]]、[[政治家]](+ [[1849年]]) * [[1782年]] - [[ダニエル=フランソワ=エスプリ・オベール]]、[[作曲家]](+ [[1871年]]) * [[1843年]] - [[ウィリアム・マッキンリー]]、第25代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1901年]]) * [[1844年]] - [[ワシーリー・マクシモフ]]、[[画家]](+ [[1911年]]) * [[1848年]] - [[デニー・マックナイト]]、メジャーリーグ監督(+ [[1900年]]) * [[1850年]] - [[ローレンス・ハーグレイヴ]]、[[発明家]](+ [[1915年]]) * [[1852年]]([[嘉永]]5年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]) - [[坪井玄道]]、[[スポーツ科学|体育学者]](+ [[1922年]]) * [[1853年]]([[嘉永]]5年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]]) - [[北里柴三郎]]、医学者、細菌学者(+ [[1931年]]) * [[1854年]](嘉永7年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[高平小五郎]]、[[外交官]](+ [[1926年]]) * [[1860年]] - [[アントン・チェーホフ]]、[[小説家]]、[[劇作家]](+ [[1904年]]) * [[1862年]] - [[フレデリック・ディーリアス]]、[[作曲家]](+ [[1934年]]) * [[1866年]] - [[ロマン・ロラン]]、小説家(+ [[1944年]]) * [[1867年]] - [[ビセンテ・ブラスコ・イバニェス]]、小説家(+ [[1928年]]) * [[1873年]] - [[ルイージ・アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ]]、[[登山家]]、[[探検家]](+ [[1933年]]) * [[1878年]] - [[吉野作造]]、[[政治学者]](+ [[1933年]]) * [[1880年]] - [[アレクサンダー・ゴールデンワイザー]]、[[人類学|人類学者]]、[[社会学者の一覧|社会学者]](+ [[1940年]]) * [[1903年]] - [[武藤清]]、[[建築家]](+ [[1989年]]) * [[1904年]] - [[アルノルト・ゲーレン]]、[[哲学|哲学者]]、社会学者(+ [[1976年]]) * [[1905年]] - [[大河内一男]]、[[経済学者]](+ [[1984年]]) * 1905年 - [[バーネット・ニューマン]]、[[画家]](+ [[1970年]]) * [[1907年]] - [[マキノ智子]]、[[俳優#性別での分類|映画女優]](+ [[1984年]]) * [[1911年]] - [[ブロニスワフ・ギンペル]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1979年]]) * [[1923年]] - [[パディ・チャイエフスキー]]、[[作家]]、[[脚本家]](+ [[1981年]]) * [[1924年]] - [[神沢利子]]、[[児童文学作家一覧|児童文学作家]] * 1924年 - [[ピーター・ヴォーコス]]、[[美術家]](+ [[2002年]]) * [[1926年]] - [[赤屋敷信一]]、政治家(+ [[2020年]]) * [[1927年]] - [[金井大]]、[[俳優]](+ [[2001年]]) * [[1930年]] - [[大賀典雄]]、実業家、[[ソニー]]社長・会長・名誉会長、声楽家、指揮者(+ [[2011年]]) * [[1931年]] - [[ジム・バーマ]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1996年]]) * 1931年 - [[大村高史]]、元プロ野球選手 * [[1932年]] - [[加藤正之]]、[[声優]](+ [[1993年]]) * [[1933年]] - [[75センツ]]、[[歌手]]、[[アコーディオン]]奏者(+ [[2010年]]) * 1933年 - [[宇佐美徹也]]、[[スポーツライター]]、プロ野球記録部(+ [[2009年]]) * 1933年 - [[金内喜久夫]]、俳優(+ 2020年<ref name="sanspo_20200429">{{Cite news|title=文学座俳優の金内喜久夫さん死去、87歳 がんのため|newspaper=サンケイスポーツ|date=2020-04-29|url=https://www.sanspo.com/article/20200429-B46GRGHX4JPDTN2ZVSOIJQPXE4/|agency=産経デジタル|accessdate=2020-11-01}}</ref>) * [[1935年]] - [[石濱朗]]、[[俳優]](+ [[2022年]]) * [[1940年]] - [[高橋国光]]、元[[レーシングドライバー]](+ 2022年) * [[1943年]] - [[ちばあきお]]、[[漫画家]](+ [[1984年]]) * 1943年 - [[田宮高麿]]、[[よど号グループ]]リーダー (+ [[1995年]]) * [[1945年]] - [[本間千代子]]、[[歌手]]、[[俳優|女優]] * [[1948年]] - [[リンダ・バック]]、[[生物学者]]、[[2004年]][[ノーベル生理学・医学賞]] * 1948年 - [[毛利衛]]、[[宇宙飛行士]] * 1948年 - [[斎藤喜]]、元プロ野球選手 * [[1949年]] - [[ジム・タイロン]]、元プロ野球選手 * [[1950年]] - [[ジョディー・シェクター]]、[[フォーミュラ1|F1]][[自動車競技|レーサー]] * [[1953年]] - [[テレサ・テン]]、[[歌手]](+ [[1995年]]) * [[1954年]] - [[星野之宣]]、漫画家 * 1954年 - [[山口富男]]、政治家 * [[1956年]] - [[石崎隆之]]、騎手 * [[1957年]] - [[マヌエラ・グロス]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1958年]] - [[堀井真吾]]、声優、俳優、[[ナレーター]] * [[1959年]] - [[荒井清和]]、[[漫画家]]、[[イラストレーター]] * [[1960年]] - [[渡邊あゆみ]]、[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー]] * [[1962年]] - [[岡村孝子]]、[[シンガーソングライター]]([[あみん]]) * 1962年 - [[貞本義行]]、[[キャラクターデザイナー]]、[[漫画家]] * [[1963年]] - [[川瀬眞由美]]、元アナウンサー * 1963年 - [[福地経人]]、元プロ野球選手 * [[1964年]] - [[望月峯太郎]]、[[漫画家]] * [[1965年]] - [[櫻田淳]]、[[政治学者]] * 1965年 - [[ドミニク・ハシェック]]、元[[アイスホッケー]]選手 * [[1966年]] - [[平塚克洋]]、元プロ野球選手 * 1966年 - [[ロマーリオ]]、[[サッカー|サッカー選手]] * [[1967年]] - [[小野正利]]、[[ミュージシャン]] * [[1968年]] - [[秋元宏作]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[hyde]]、ミュージシャン([[L'Arc〜en〜Ciel]]) * 1969年 - [[山口素弘]]、元[[プロサッカー選手]]、サッカー指導者 * 1969年 - [[呂比須ワグナー]]、元プロサッカー選手、サッカー指導者 * [[1970年]] - [[伊東浩司]]、[[甲南大学]][[准教授]]、[[陸上競技|陸上]]選手 * 1970年 - [[黒田有]]、お笑い芸人 ([[メッセンジャー (お笑いコンビ)|メッセンジャー]]) * 1970年 - [[ヘザー・グラハム]]、[[俳優|女優]] * [[1971年]] - 渡辺崇尉、ミュージシャン(元[[MOON CHILD (バンド)|MOON CHILD]]) * [[1972年]] - [[濱口優]]、お笑い芸人([[よゐこ]]) * 1972年 - [[ニコラ・ル・リッシュ]]、[[バレエ]]ダンサー * 1972年 - [[スコット・デイヴィス (フィギュアスケート選手)|スコット・デイヴィス]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1972年 - [[モーガン・バークハート]]、元プロ野球選手 * 1972年 - [[大東めぐみ]]、[[タレント]] * 1972年 - [[栄喜]]、ミュージシャン([[DETROX]]、元[[SIAM SHADE]]) * [[1973年]] - [[ジェイソン・シュミット]]、プロ野球選手 * [[1974年]] - [[小林幹英]]、元プロ野球選手 * 1974年 - [[中迫剛]]、[[格闘家]] * 1974年 - [[中山さら]]、声優 * 1974年 - [[青木勇人 (バスケットボール)|青木勇人]]、プロ[[バスケットボール選手]] * 1974年 - [[和田光司]]、歌手(+ [[2016年]]) * [[1975年]] - [[ガリト・チャイト]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1975年 - [[杉本ゆう]]、声優 * [[1977年]] - [[浅見帆帆子]]、エッセイスト * 1977年 - [[大嶺美香]]、[[俳優|女優]] * 1977年 - [[小山径]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー * 1977年 - [[宝生舞]]、元女優 * 1977年 - [[松田千奈]]、元[[グラビアアイドル]]、[[ファッションモデル]] * [[1978年]] - [[相葉健次]]、俳優、ファッションモデル * 1978年 - 石川俊克、ベーシスト、ラジオパーソナリティ([[THE TRANSFORMER]]) * [[1979年]] - [[ランス・ニークロ]]、元プロ野球選手 * [[1980年]] - [[AFRA]]、[[ヒューマンビートボクサー]] * 1980年 - [[ばらスィー]]、[[漫画家]] * [[1981年]] - 田崎佑一、お笑い芸人([[藤崎マーケット]]) * 1981年 - 若月亮、お笑い芸人(元[[若月 (お笑いコンビ)|若月]]) * 1981年 - [[青木隆治]]、ものまねタレント * [[1982年]] - [[鈴木奈穂子]]、NHKアナウンサー * [[1984年]] - [[川西賢志郎]]、お笑い芸人([[和牛 (お笑いコンビ)|和牛]]) * 1984年 - [[齋藤達則]]、元[[野球選手]] * [[1985年]] - [[サロメ・ステヴナン]]、女優 * [[1986年]] - [[ジェイアー・ジャージェンス]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[聡太郎]]、[[俳優]] * 1986年 - [[ブライス・デイヴィソン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * [[1987年]] - [[横山可奈子]]、元グラビアアイドル * 1987年 - [[マリア (日本の歌手)|マリア]]、歌手 * 1987年 - [[ペドロ・ジュニオール]]、サッカー選手 * 1987年 - [[ホセ・アブレイユ]]、プロ野球選手 * 1987年 - [[河原和寿]]、サッカー選手 * [[1988年]] - [[加治将樹]]、俳優 * 1988年 - [[小松愛]]、元女優 * 1988年 - [[ジェシカ・イスカンダル]]、女優 * 1988年 - [[マイク・ボルシンガー]]、プロ野球選手 * [[1990年]] - [[鈴木大輔 (サッカー選手)|鈴木大輔]]、[[サッカー]]選手 * 1990年 - [[のーでぃ]]、モデル、タレント * 1990年 - [[宮迫たまみ]]、サッカー選手 * 1990年 - [[矢澤曜]]、元陸上選手 * [[1991年]] - [[齊藤彩 (子役)|齊藤彩]]、女優 * 1991年 - [[鈴木聡美]]、競泳選手 * 1991年 - [[千小町]]、タレント * 1991年 - [[ヒュー・グローヴナー (第7代ウェストミンスター公爵)]]、英国貴族、大富豪 * [[1993年]] - [[佐藤貴規]]、元プロ野球選手 * 1993年 - [[きゃりーぱみゅぱみゅ]]、歌手、ファッションモデル * 1993年 - [[櫛引政敏]]、サッカー選手 * [[1994年]] - [[佐倉綾音]]、声優 * 1994年 - [[萩山沙貴]]、女優 * [[1995年]] - [[湯川なつめ]]、女優、モデル * [[1997年]] - [[長谷川唯 (サッカー選手)|長谷川唯]]、サッカー選手 * 1997年 - 赤澤萌乃、元アイドル(元[[NMB48]]) * 1997年 - [[平野紫耀]]<ref name="mantan-web">{{Cite news|url= https://mantan-web.jp/article/20131205dog00m200081000c.html|title= 平野紫耀:関西ジャニーズJr.の新鋭がドラマ初出演で初主演! ジャニーズJr.が競演|newspaper= [[毎日新聞デジタル]]|date= 2013-12-06|accessdate= 2020-11-07}}</ref>、アイドル([[Number_i]]、元[[King & Prince]]) * 1997年 - 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[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]、[[イギリス|イギリス王]](* [[1738年]]) * [[1829年]] - [[ティモシー・ピカリング]]、第3代[[アメリカ合衆国国務長官]](* [[1745年]]) * 1829年 - [[ポール・バラス]]、[[フランス革命]]期の政治家(* [[1755年]]) * [[1847年]]([[弘化]]3年[[12月13日 (旧暦)|12月13日]])- [[箕作省吾]]、[[地理学|地理学者]](* [[1821年]]) * [[1868年]]([[慶応]]4年[[1月5日 (旧暦)|1月5日]])- [[井上源三郎]]、[[新選組]]六番隊長(* [[1829年]]) * [[1870年]] - [[レオポルド2世 (トスカーナ大公)|レオポルド2世]]、[[トスカーナ大公国|トスカーナ大公]](* [[1797年]]) * [[1883年]] - [[本多忠民]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[岡崎藩|岡崎藩主]](* [[1817年]]) * [[1888年]] - [[エドワード・リア]]、[[画家]]・[[詩人]](* [[1812年]]) * [[1899年]] - [[アルフレッド・シスレー]]、画家(* [[1839年]]) * [[1906年]] - [[クリスチャン9世 (デンマーク王)|クリスチャン9世]]、[[デンマーク|デンマーク王]](* [[1818年]]) * [[1919年]] - [[リッカルド・ベリ]]、画家(* [[1858年]]) * [[1926年]] - [[古今亭志ん生 (4代目)]]、[[落語家]](* [[1877年]]) * [[1933年]] - [[サラ・ティーズデール]]、[[詩人]](* [[1884年]]) * [[1934年]] - [[フリッツ・ハーバー]]、[[化学者]](* [[1868年]]) * [[1940年]] - [[ネド・ナジ]]、[[フェンシング]]選手(* [[1894年]]) * [[1941年]] - [[イオアニス・メタクサス]]、[[ギリシャの首相|ギリシャ首相]](* [[1871年]]) * 1941年 - [[マット・マクグラス]]、[[陸上競技]]選手(* [[1878年]]) * [[1945年]] - [[中村政美]]、[[プロ野球選手]](* [[1924年]]) * [[1946年]] - [[鳩山秀夫]]、[[法学者]](* [[1884年]]) * [[1948年]] - [[トミスラヴ2世]]、[[クロアチア独立国]]の国王(* [[1900年]]) * [[1950年]] - [[北二郎]]、[[政治家]](* [[1918年]]) * [[1952年]] - [[本多静六]]、[[林学|林学者]](* [[1866年]]) * [[1954年]] - [[清水良雄]]、[[童画]][[画家]](* [[1891年]]) * 1954年 - [[井上金太郎]]、[[映画監督]](* [[1901年]]) * [[1955年]] - [[島田善介]]、[[野球選手]](* [[1888年]]) * [[1956年]] - [[日野草城]]、[[俳人]](* [[1901年]]) * [[1962年]] - [[フリッツ・クライスラー]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](* [[1875年]]) * [[1963年]] - [[ロバート・フロスト]]、[[詩人]](* [[1874年]]) * [[1964年]] - [[アラン・ラッド]]、[[俳優]](* [[1913年]]) * [[1965年]] - [[久原房之助]]、[[実業家]](* [[1869年]]) * [[1968年]] - [[藤田嗣治]](レオナルド・フジタ)、[[洋画家]](* [[1886年]]) * [[1969年]] - [[アレン・ウェルシュ・ダレス]]、[[アメリカ中央情報局|CIA長官]](* [[1893年]]) * [[1970年]] - [[ベイジル・リデル=ハート]]、軍事史家、戦略思想家(* [[1895年]]) * [[1979年]] - [[萩原雄祐]]、[[天文学者]](* [[1897年]]) * [[1980年]] - [[ジミー・デュランテ]]、俳優、[[コメディアン]](* [[1893年]]) * [[1982年]] - [[林家彦六]]、落語家(* [[1895年]]) * [[1985年]] - [[野村武史]]、プロ野球選手(* [[1919年]]) * [[1987年]] - [[大西寛介]]、プロ野球選手(* [[1921年]]) * [[1988年]] - [[相羽欣厚]]、プロ野球選手(* [[1943年]]) * [[1989年]] - [[ハリナ・コノパッカ]]、陸上競技選手(* [[1900年]]) * [[1991年]] - [[井上靖]]、[[小説家]](* [[1907年]]) * 1991年 - [[河内忠吾]]、プロ野球選手(* [[1930年]]) * [[1992年]] - [[ウィリー・ディクスン]]、[[ブルース]]の[[シンガーソングライター]]、[[ベーシスト]]、[[歌手]](* [[1915年]]) * 1992年 - [[井筒研一]]、元プロ野球選手(* [[1919年]]) * [[1995年]] - [[服部四郎]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](* [[1908年]]) * [[1996年]] - [[土浦亀城]]、[[建築家]](* [[1897年]]) * [[1997年]] - [[野田卯一]]、[[建設大臣]]、[[経済企画庁]]長官(* [[1903年]]) * 1997年 - [[原田憲]]、政治家(* [[1919年]]) * [[2000年]] - [[後藤正夫]]、政治家(* [[1913年]]) * [[2004年]] - [[The Water Of Life]]、[[シンガーソングライター]](* [[1971年]]) * [[2005年]] - [[エフライム・キション]]、作家(* [[1924年]]) * [[2006年]] - [[ナム・ジュン・パイク]]、現代美術家(* [[1932年]]) * [[2012年]] - [[牟礼慶子]]、詩人(* [[1929年]]) * [[2015年]] - [[河野多惠子]]、小説家(* [[1926年]]) * [[2016年]] - [[ジャック・リヴェット]]、[[映画監督]]、[[批評家]](* [[1928年]]) * 2016年 - [[オーレル・ニコレ]]、[[フルート]]奏者(* [[1926年]]) * [[2019年]] - [[橋本治]]、[[小説家]]、[[随筆家]](* [[1948年]]) * 2019年 - [[ジェームス・イングラム]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.barks.jp/news/?id=1000164058 |title=ジェイムス・イングラム、死去 |publisher=BARKS |date=2019-01-30 |accessdate=2020-12-11 }}</ref>、ミュージシャン(* [[1952年]]) * [[2020年]] - [[梓みちよ]]<ref name="sponichi">{{Cite news2|title=歌手の梓みちよさん死去 76歳「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」|newspaper=Sponichi Annex|date=2020-02-03|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/02/03/kiji/20200203s00041000338000c.html|agency=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2020-11-20}}</ref>、[[歌手]]、[[俳優#性別での分類|女優]](* [[1943年]]) * [[2021年]] - [[栃ノ海晃嘉]]<ref>{{Cite news |和書|title=元横綱栃ノ海が死去 小兵の技巧派横綱として活躍 |newspaper=日刊スポーツ |date=2021-01-29 |url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202101290000306.html |accessdate=2021-01-29}}</ref><ref>{{Cite news|title=元横綱・栃ノ海が死去 82歳 誤嚥性肺炎で|newspaper=Sponichi Annex|date=2021-01-29|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/01/29/kiji/20210129s00005000225000c.html|agency=スポーツニッポン新聞社|accessdate=2021-02-02}}</ref>、[[大相撲]]第49代[[横綱]](* [[1938年]]) * [[2023年]] - [[岡村浩二]]、プロ野球選手(* [[1940年]]) * 2023年 - [[鮎川誠]]、[[ギタリスト]]([[シーナ&ザ・ロケッツ]])(* [[1948年]]) === 人物以外(動物など) === * [[2007年]] - [[バーバロ]]、[[競走馬]](* [[2003年]]) == 記念日・年中行事 == * [[タウン情報誌|タウン情報]]の日({{JPN}}) *: [[1973年]](昭和48年)のこの日に日本初の地域情報誌『ながの情報』が発行されたことにちなみ、タウン情報全国ネットワークが制定。 * 人口調査記念日({{JPN}}) *: [[1872年]](明治5年)のこの日に日本初の全国戸籍調査が実施されたことにちなむ。 * 昭和基地開設記念日 *: [[1957年]](昭和32年)のこの日に日本の南極観測隊が南極・オングル島への上陸に成功し、昭和基地を開設した。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0129|date=2011年7月31日 (日) 15:31 (UTC)}} * [[1982年]](昭和57年)- [[七曲署|七曲警察署]]の滝隆一[[刑事]]が[[病死]]する。(『[[太陽にほえろ!]]』第493話「スコッチよ静かに眠れ」) * [[2000年]] - スーパータイムジャッカー・ティードが特異点の少年・久永シンゴを攫い、同時に最初の平成ライダー『[[仮面ライダークウガ]]』の力を奪いアナザークウガとなる。それにより歴史が改変され、『仮面ライダーが虚構の存在となった世界』となる。(映画『[[平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER]]』) * [[2008年]] - 午後9時からワルワルタウンの「GBミュージック」ライブハウスにおいて大規模なライブが行われる。(ゲーム『[[大合奏!バンドブラザーズ]]DX』)<ref group="注釈">ゲーム内多人数プレイモードのメニューの背景画がこのライブのポスターになっている。</ref> * [[2046年]] - ゴールディ・ポンド密猟場の鬼が倒される。密猟場が崩壊。(漫画『[[約束のネバーランド]]』)<ref>{{Cite book|和書|author1=白井カイウ|authorlink1=白井カイウ|author2=出水ぽすか|authorlink2=出水ぽすか|year=2018 |title=約束のネバーランド |volume=11巻 |publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|isbn=978-4-08-881622-7 |page=146}}</ref> === 誕生日(フィクション) === * [[1989年]] - 那波千鶴、漫画・アニメ『[[魔法先生ネギま!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://king-cr.jp/special/negima/21.html |title=21.那波 千鶴 |access-date=2022-09-01 |publisher=魔法先生ネギま!麻帆良学園中等部2-A}}</ref> * [[1995年]] - 雲南恵介、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=古舘春一 |authorlink=古舘春一 |date=2019-06-04 |title=ハイキュー!! |publisher=[[集英社]] |series=[[ジャンプ・コミックス]] |isbn=978-4088818634 |volume=38巻 |page=46}}</ref> * [[2000年]] - 久永アタル、映画『平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER』、『[[仮面ライダージオウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.kamen-rider-official.com/zukan/characters/1990 |title=久永アタル |access-date=2022-09-01 |publisher=石森プロ・テレビ朝日・ADK EM・東映 |website=仮面ライダーWEB}}</ref> * 生年不明 - 錦えもん、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://one-piece.com/log/character/detail/kinemon.html |title=錦えもん |work=ONE PIECE.com |accessdate=2022-09-01 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]]}}</ref> * 生年不明 - 石田英輝、漫画・アニメ『[[黒子のバスケ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|animatetimes|1355053154459660289}}</ref> * 生年不明 - 高野晶、漫画・アニメ『[[スクールランブル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 多田野樹、漫画・アニメ『[[ダイヤのA]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|diaace_anime|693666252930191360}}</ref> * 生年不明 - カルラ・イェーガー、漫画・アニメ『[[進撃の巨人]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - あきら、漫画『[[君と僕。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|date=2011-9-17|title=堀田きいち OFFICIAL FANBOOK 君と僕。-AFTER SCHOOL-|page=77|publisher=[[スクウェア・エニックス]]|isbn=978-4757533837}}</ref> * 生年不明 - 佐藤幸世、漫画・アニメ『[[Aチャンネル]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 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堺屋ユメノ、ゲーム・アニメ『[[Tokyo 7th シスターズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://t7s.jp/character/chara/23.html |title=堺屋ユメノ |access-date=2022-09-01 |publisher=Tokyo 7th シスターズ}}</ref> * 生年不明 - 響奏音、ゲーム・アニメ『[[マジきゅんっ!ルネッサンス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://magic-kyun-game.jp/character/?ch=kanato |title=響 奏音 CV.江口拓也 |access-date=2022-09-01 |publisher=マジきゅんっ!ルネッサンス}}</ref> * 生年不明 - サール、ゲーム『夢職人と忘れじの黒い妖精』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.yumekuro.com/character/meister/jounetsutaikai/searle/ |title=サール |access-date=2023-01-18 |publisher=[[ジークレスト|G CREST]] |work=『夢職人と忘れじの黒い妖精』}}</ref> * 生年不明 - 黒部蛍、メディアミックス『[[魔法少女大戦]]』に登場するキャラクター == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group=注釈}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{commonscat|29 January}} {{新暦365日|1|28|1|30|[[12月29日]]|([[2月29日]],[[閏年]])|[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]|0129|1|29}} {{1年の月と日}}
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ベガルタ仙台
ベガルタ仙台(ベガルタせんだい、英: Vegalta Sendai)は、日本の仙台市を中心とする宮城県全県をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 1988年創部の東北電力サッカー部が前身であり、1999年にJリーグへ加盟した。ホームタウンは仙台市を中心とする宮城県全県。ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台(詳細は#ホームスタジアムを参照)、練習場はアイリストレーニングフィールドおよび泉サッカー場である。 チーム名の「ベガルタ」は、仙台七夕にちなんで七夕の「織り姫」と「彦星」とされる星の名前、「ベガ (Vega)」と「アルタイル (Altair)」を合わせた造語。マスコットは「ベガッ太」とルターナ(ベガッ太の妹)。 1988年創部の東北電力サッカー部が前身。1994年に東北社会人サッカーリーグ及び全国地域サッカーリーグ決勝大会で優勝。1995年よりジャパンフットボールリーグ(JFL)へ昇格。また、1994年10月に運営法人として「株式会社東北ハンドレッド」(現在の「株式会社ベガルタ仙台」)を設立し、クラブ名を「ブランメル仙台」(後述)に改称した。 1995年にJリーグ準会員となり、1999年からのJリーグの2部制開始とともにJ2に参加した。なお、商標権の関係から、翌1999年1月よりクラブ名称を「ブランメル仙台」から「ベガルタ仙台」に改称した。また、チームカラーもゴールド(「ベガルタゴールド」)へ変更した。メインとなる色は、鮮やかなベガルタ・ゴールド。これは流星の色であると共に、宮城県が日本最初の黄金の産地である事から。次にベガルタ・ブルーは銀河の色を表し、伝統と品位を象徴。最後にベガルタ・レッドは情熱と勝利への意欲を表している。 J2リーグ戦は、前期(第2クール)終了時点で最下位となり、前期終了を以って壱岐洋治が総監督を、鈴木武一が監督を共に辞任。後任として清水秀彦が監督に就任。なお、最終順位は9位。ナビスコ杯は、1回戦で広島に敗退。 一校目となるジュニアサッカースクール「泉校」開校。 1チーム増の11チームで争われたリーグ戦は、開幕から5連敗を喫したがその後巻き返し、最終順位は5位。ナビスコ杯は1回戦でC大阪に敗退。 FWマルコス、元日本代表MF岩本輝雄等が新加入。J2開始3年目は1チーム増の12チームで争われ、第1クールを8勝1分2敗で終えると、以降の3クールで6勝ずつ勝利を挙げ、勝点80の3位で最終節(第44節)を迎える。 最終節(11月18日)で、京都を破り、前節まで2位の山形が川崎にVゴール負けしたため、リーグ2位が決まり、東北地方のクラブとして初のJ1昇格が決定した。 この試合は鼻骨骨折で4試合欠場していた村田はフェイスガードを付け、怪我で離脱して4試合離脱していた岩本等が戻って満身創痍で臨んだ一戦であった。 ナビスコ杯は1回戦で福岡に敗退。 この年のチームスローガンはなし。FW山下芳輝、MFシルビーニョ、MF森保一、DF小村徳男らが加入。 第1ステージは2年連続J1年間王者の鹿島にアウェーで勝利するなど、昇格チーム初となる開幕から5連勝。特に、山下は7試合で5得点を挙げ、J1得点ランキング2位タイの活躍で日本代表候補に選出された。しかし、2002 FIFAワールドカップ開催によるリーグ戦中断から再開後、第1ステージ残り8試合を1勝7敗。それでも序盤の貯金でこのステージは9位で終わるも、続く第2ステージではわずか4勝(1分10敗)で15位に終わった(年間総合順位は全16チーム中13位)。 ナビスコ杯は、グループリーグ3位で敗退。 GK高桑大二朗、FW佐藤寿人、DF根本裕一らが新加入。 開幕から4戦無敗(3勝1分)と好調なスタートを切ったが、その後は負けが込んで、第1ステージは3勝3分9敗の15位。第2ステージも低迷し、9月に清水秀彦監督を解任。市原、名古屋で監督を歴任したスロベニア出身のズデンコ・ベルデニックが監督に就任したが、9月27日(第2ステージ・第8節)の浦和戦(宮城)で19試合連続未勝利を喫した(当時のJリーグ記録)。最終節(11月29日)の大分戦に引分け、年間総合15位(全16チーム中)となり、J2降格が決定した。 練習場を「泉サッカー場」に移転。 サンパウロ(ブラジル)と友好関係を締結。 ナビスコ杯はグループリーグ3位で敗退。 シーズン終了をもってジャパンヘルスサミットがスポンサーから撤退。ユニフォームから「カニトップ」の名が消える。 ベルデニック体制2年目。阪南大から梁勇基が加入し1年でのJ1復帰を目標に掲げたが、開幕から3連敗。4戦目でようやく初勝利を挙げるも、その後また3連敗とつまづく。しかし、その後はチームを修正しつつ、若手選手の台頭で盛り返し、J1昇格争いに絡んだ。しかし、第4クールで再び失速し、早い段階で昇格争いから脱落。結局、全12チーム中6位に終わった。シーズン終了後、ベルデニックが監督を解任、FW佐藤寿人が広島へ移籍した。 オフィシャルショップ「オーレ·ベガルタ」が開店。 「アイリスオーヤマ」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結(2000年に背中部分のスポンサーとして契約し、前年まで背番号上部にロゴを入れていたが、「ジャパンヘルスサミット」のスポンサー撤退に伴い、胸部分のスポンサーに"昇格"する形となった)。また、「アイリスオーヤマ」に替わる背中部分の新スポンサーとして大手出版社「廣済堂」と契約(同社で発行する求人情報誌「Workin」のロゴが入った)。 2月にクラブ10周年記念イベント開催。 8月に公式オンラインショップ(グッズショップ)開設。 元日本代表の都並敏史が監督に就任。一時は全12チーム中11位にまで後退したが、第2クール以降は持ち直し、第4クールでは8戦負けなし(6勝2分)と調子を挙げ、一時は入れ替え戦出場となる3位にまで浮上したが、最終節(12月3日)で福岡に引き分けたことで、甲府に勝ち点で追い抜かれ、4位。入れ替え戦出場を逃した。 シーズン終了後、GMの田中孝司、監督の都並がそれぞれ退任。また、財前宣之ら7選手が退団し、ゲームメーカーのシルビーニョも新潟へ移籍した。 ブラジル人のジョエル・サンタナが監督に就任。この年、仙台スタジアムが命名権導入に伴い、「ユアテックスタジアム仙台(略称:ユアスタ仙台)」に改称。 序盤は4バック3ボランチの日本人8人で守って、新加入のブラジル人トリオ(ロペス、チアゴ・ネーヴィス、ボルジェス)の3人でカウンター、という戦術が当たり、第1クール終了時は自動昇格圏の2位につけ、第2クールも好調を維持。入れ替え戦出場となる3位でリーグ戦前半を折り返す。 ところが、DF白井博幸がケガで長期離脱したころからそれまでの戦術が機能しなくなる。リーグ戦後半となる第3クールでは下位チームには勝てても上位チームには勝てなくなった。同クール終了時には3位との勝ち点差7の4位に後退。その後、MFチアゴ・ネーヴィスの負傷による戦線離脱も重なり、最終・第4クールでも浮上のきっかけを掴めず、昇格争いから脱落。5位に終わった。 シーズン終了後、サンタナが退任。また、GK高桑、ベテランFW大柴克友など4選手が契約期間満了により退団。また、J2得点王となったFWボルジェスがサンパウロFCへ期限付き移籍(その後、2008年に完全移籍)。期限付き移籍でプレーしていたチアゴ・ネーヴィスは移籍期間を延長せず。その一方で、MFロペスは期限付き移籍期間を延長した。 この他、ユニフォーム(背中部分)のスポンサーだった廣済堂が同年シーズン終了を以って撤退。 前年ヘッドコーチを務めた望月達也が監督に昇格。望月はヘッドコーチの傍ら、サテライトチームの監督を務めた。また、サンタナが体調不良で欠場した際、1試合のみだがトップチームの監督代行を務め、勝利を収めていた。 山形からMF永井篤志、鳥栖からGKシュナイダー潤之介等を獲得。第1クールは開幕から11戦無敗(6勝5分)、第2クールは一時負けが込んだが、3位でリーグ戦前半を折り返す。第3クールに入って失点が増えたことなどから、6月に札幌から林卓人を、7月に元新潟のMFファビーニョを、8月には柏からDF岡山一成を、いずれも期限付き移籍で獲得。 第3クール終盤で戦術を若干修正。攻撃の手駒を減らし、SBの攻撃参加を限定的にすることでカウンターへの対処と守備の安定化を図った。これが功を奏し、第3クール終盤以降は失点が減少。第4クール序盤から中盤では昇格を争うライバルチームとの直接対決に勝利したが、第50節の湘南戦と第51節の京都戦に連敗し、入れ替え戦出場を逃した。最終順位は4位。 GK小針清允、DF白井博幸等7選手がシーズン終了をもって退団。また、ジョニウソン、ロペス、ファビーニョのブラジル人3選手全員もチームを退団。さらに、チーム最多得点を挙げたFW萬代宏樹も磐田へ完全移籍。望月も監督を退任した(「クラブスタッフ」としてフロント入り)。 新選手寮「ヴィステーラ泉」完成。 なお、廣済堂に替わるユニフォーム(背中部分)の新スポンサーが決まらず、開幕からしばらくの間は“空白”のままであったが、8月に「NECトーキン」とスポンサー契約を締結。9月から同社のロゴが背番号上部に入れられた。 前年、ヘッドコーチを務めた手倉森誠が監督に就任。また、手倉森誠の双子の弟・浩がヘッドコーチに就任。 明治大学からGK関憲太郎、筑波大学からMF三澤純一が新加入。神戸から元日本代表FW平瀬智行、柏からMF佐藤由紀彦、鹿島からFW田中康平、川崎からMF飛弾暁をそれぞれ完全移籍、東京VからDF一柳夢吾、大分から宮沢正史、川崎から西山貴永をそれぞれ期限付き移籍で獲得。期限付き移籍していたFW中島裕希とDF岡山一成がいずれも完全移籍に移行。GK林卓人も移籍期間を延長し、チームに留まった。 宮崎県延岡市でのキャンプ中の2月6日に、一柳夢吾、金子慎二、細川淳矢、富田晋伍の4選手が、酒に酔って一般人の車を傷つけるという不祥事を起こした。騒ぎを聞きつけた手倉森監督が駆け付け、その場で示談が成立したため被害届は出されなかったが、4選手には3か月の減俸が課せられた。 第1クール終了時で7勝5分け2敗の3位。第2クール以降は決定力不足が目立つようになり、韓国Kリーグで外国人初の年間MVPを獲得した経験を持つブラジル人FWナジソンを獲得。また、京都からMF斉藤大介を期限付き移籍で獲得。 第3クールは、山形に敗れ、9年ぶりとなるみちのくダービーシーズン負け越し。また、これまで無敗であった水戸に初黒星。その後は第2クールまでいずれも1分1敗と苦しめられた愛媛、C大阪に連勝。 30日に鳥栖に敗れ、自動昇格(=2位以内)が消滅したが、最終節で草津に勝利し、シーズン3位を確保して、入れ替え戦へ出場。入れ替え戦でJ1第16位の磐田と対戦したが、1分1敗に終わり、J1復帰はならなかった。 この試合はサッカーダイジェストの「識者7人の記憶 忘れられない一戦」に清水英斗より選ばれた。 シーズン終了後、岡山、GKシュナイダー潤之介らが退団。ナジソンはECヴィトーリア、大分から期限付き移籍中だった宮沢も元のチームへ戻った。「クラブスタッフ」としてフロント入りしていた前監督の望月も退団。その一方で、手倉森は翌年も引き続き指揮を執ることになった。仙台にとっては5年ぶりに監督交代のないシーズンオフとなった。 運営会社の「株式会社東北ハンドレッド」が6月1日付で「株式会社ベガルタ仙台」へ商号を変更。シーズン終了後、NECトーキンがスポンサーから撤退した。 手倉森体制2年目。スローガンとは別に「完全昇格」を目標に掲げた。MF梁勇基、関口訓充、DF菅井直樹が残留。札幌から期限付き移籍中のGK林卓人も移籍期間を再延長して残留。前年まで期限付き移籍であったDF一柳夢吾、MF斉藤大介、西山貴永は完全移籍した。また、山形からGK桜井繁、横浜FCからDFエリゼウ、神戸からMF曽我部慶太、韓国の水原三星から元同国代表DF朴柱成をそれぞれ完全移籍で、ブラジルのポンチ・プレッタからマルセロ・ソアレスを期限付き移籍で獲得。 リーグ戦は第2クール終了時点で20勝6分8敗(勝ち点66)の2位。最終・第3クールは第39節(9月13日)で福岡に敗れた以外は無敗をキープ。11月8日(第48節)に水戸に勝利してJ1昇格条件の3位以内が確定。 続く第49節(11月22日)では首位C大阪との直接対決に勝利し、入れ替わりで首位に浮上。第51節(12月5日)は愛媛と引き分けたものの、2位のC大阪が鳥栖に敗れたため、J2初優勝を果たした(最終戦績は32勝10分9敗の勝ち点106。2004年に川崎が記録した「105」を上回り、J2歴代最多勝ち点を記録。 守備が非常に安定し、総失点はリーグ最少の39、1試合あたりの平均失点は0.76点。3失点以上を喫した試合は1度もなかった。また前年に引き続きファウルの少なさも目立った。反則ポイントはフェアプレー賞の選考基準51ポイント以下に対して僅か17ポイントで、2位の湘南(86ポイント)を大きく引き離し、2年連続のJ2フェアプレー賞を獲得すると共に、チェアマン特別賞も受賞した。 天皇杯ではチーム初のベスト4へ進出(準決勝でG大阪に敗戦)。 このシーズンはユアスタ仙台が芝の全面張替え工事のため6月まで使用できず、その間のホームゲーム(11試合)を宮城スタジアム(それとは別に福島県営あづま陸上競技場で1試合)で開催。春先に宮スタで2敗を喫したものの、その後は安定した戦いを見せ、通算で19勝5分2敗。ホーム23戦無敗というJ2新記録を打ち立てた。同じく記録したホーム12連勝もJ2新記録。天皇杯も含め、ユアスタ仙台で無敗のままシーズンを終えた。 背中部分のスポンサーとして地元・仙台に本社を構える酒類量販店「やまや」、パンツ部分のスポンサーとして 阿部蒲鉾店 とそれぞれ契約した。 シーズン終了後、DF木谷公亮、6月に完全移籍で加入したFWサーレス、FWマルセロ・ソアレスらが退団した。 手倉森体制3年目。札幌から期限付き移籍中だったGK林卓人が完全移籍に移行。柏からDF鎌田次郎、鳥栖からMF高橋義希、前年7月まで磐田に在籍していた太田吉彰、大分からフェルナンジーニョがそれぞれ完全移籍、ブラジル・クルゼイロからはFWレイナルドが期限付き移籍で新加入した。 リーグ戦は開幕2連勝を皮切りに、第5節ではJ1リーグ3連覇中の鹿島を降すなど好調なスタートを切った。しかし、続く第6節で清水に1-5の大敗を喫すると、第7節ではホーム・ユアスタ仙台で神戸に0-1で敗戦(この敗戦でJ2時代から続いていたリーグ戦におけるホーム不敗記録が25でストップ)。その後攻撃陣に怪我人が続出した影響もあり、鹿島戦以降未勝利のまま2010 FIFAワールドカップ開催に伴うリーグ戦中断期間を迎える。 W杯中断期間中、FWレイナルドが退団した一方で、Kリーグ・大田シチズンよりFW朴成鎬を期限付き移籍で獲得。また、リーグ戦再開後の8月にFC東京からFW赤嶺真吾を期限付き移籍で獲得。その後、第20節(8月22日・対大宮)でリーグ戦15試合ぶりの勝利を挙げると、第30節までの11試合を7勝1分3敗で乗り切り、最後は最終節でJ1残留を決めた。シーズン通算成績は10勝9分15敗(勝点39)の14位。 ナビスコ杯は、グループリーグA組を3勝3分けの2位で通過。初の決勝トーナメント(準々決勝)進出を果たした。準々決勝では磐田と対戦したが、1分1敗で敗退。天皇杯は初戦(2回戦)でソニー仙台FCに敗退。 代表関連では5月10日、MF梁勇基の南アフリカW杯・北朝鮮代表候補へ選出された。しかし、最終登録メンバーには選出されず、仙台所属選手として初のW杯出場は果たせなかった。9月30日にはMF関口訓充の日本代表メンバー選出が発表される。仙台所属選手の日本代表入りは2003年の山下芳輝以来3人目であるが、仙台でプロキャリアをスタートさせた生え抜き選手としては初の代表入りとなった。関口は10月8日のアルゼンチン戦で代表デビューを果たした。 5月15日の浦和戦後、仙台の外国籍選手(選手名は非公表)が浦和サポーターから人種差別的な発言を浴びせられたとして、Jリーグが調査を開始。差別発言をしたとされる人物は確認できなかったが、仙台に200万円、浦和に500万円の制裁金が課せられた。 シーズン終了後、MF千葉直樹とFW平瀬智行が引退。また、GK萩原達郎、DF一柳夢吾、MF三澤純一、永井篤志、FWフェルナンジーニョが契約期間満了、FW朴成鎬は期限付き移籍期間満了、DFエリゼウは徳島へ完全移籍のためそれぞれ退団した。 手倉森体制4年目。前年引退した平瀬智行がチームの第2代アンバサダーに就任。初代アンバサダーの岩本輝雄は退任。 選手補強は京都から元日本代表FW柳沢敦とDF角田誠、鹿島からFWマルキーニョスをそれぞれ完全移籍、FC東京からMF松下年宏、鹿島からGK川俣慎一郎をともに期限付き移籍、新外国人選手として韓国Kリーグの城南一和からDF曺秉局を完全移籍、ブラジル・イパチンガFCからMFマックスを期限付き移籍でそれぞれ獲得。ソニー仙台へ期限付き移籍していたFW大久保剛志が4シーズンぶりにチームへ復帰し、FC東京から期限付き移籍中だったFW赤嶺真吾を完全移籍で獲得。 1月25日から始まった40日間の春季キャンプを終え、そのまま広島入りして開幕戦を戦い帰仙したチームであるが、ホーム開幕を翌日に控えた3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)および福島第一原子力発電所事故が発生。これによりリーグ戦、ナビスコ杯が中断。チームも活動を停止。外国籍選手が一時帰国したほか、下部組織選手やMF関口訓充などが避難所生活を強いられることとなった。3月28日、選手達はクラブに再集合した後に足早に石巻市へと向かった。「声も出ない程の光景でした(大久保)」津波で甚大な被害を受けた被災地の光景に選手達は言葉を失った。翌日、練習前のミーティングで手倉森監督は「被災地のチームとして、この地の希望の光になろう」と呼びかけた。同日には震災チャリティマッチ「日本代表vs.Jリーグ選抜(TEAM AS ONE)」に関口とMF梁勇基が出場。チームでは、練習時間外に監督・選手・スタッフでボランティア活動を行うなど、被災地のために動いた。地元でのトレーニングが難しくなり仙台は再びホームタウンを離れて、千葉県市原市と埼玉県さいたま市でキャンプを張り、リーグ再開に備えた。なお、中断期間中の4月9日にマルキーニョスが退団した。 4月23日、中断明けの第7節(2試合目)で川崎Fに逆転勝利を収める。この試合はJクロニクルベストの「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズの「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれた。続くホーム開幕戦で浦和を1-0で下し、公式戦での浦和戦初勝利を記録。以後、6月26日のアウェイ清水戦に0-1で敗れるまで、開幕から12試合を6勝6分の無敗(1シーズン制となった2005年以降のJ1記録)でキープした。 その後、京都からディエゴをレンタル移籍で獲得。また、8月20日に名古屋戦に勝利し、公式戦での名古屋戦初勝利を記録。10月2日のC大阪戦での勝利でリーグ戦6試合を残しJ1残留が確定。最終成績は14勝14分6敗(勝点56)で、順位も過去最高の4位となった。なお、失点数は2位の名古屋を11下回る25失点でリーグトップ、先制した試合では無敗であった。 ナビスコ杯は2回戦で前回大会優勝の磐田に1分1敗で敗退。天皇杯は4回戦でC大阪にPK戦の末敗れた。 シーズン終了後、DF細川淳矢が契約満了、GK川俣慎一郎、MFマックス、FWディエゴがレンタル移籍期間満了につき退団、DF曺秉局が磐田へ、FW大久保剛志がJFLのソニー仙台へ完全移籍、MF高橋義希が鳥栖へ、DF島川俊郎が東京Vへ、FW中島裕希が山形へ期限付き移籍した。また、横浜FCへ期限付き移籍している関憲太郎の移籍期間も延長された。 10月14日、株式会社ベガルタ仙台が、休部していた東京電力女子サッカー部マリーゼの受け皿として、新たにベガルタ仙台レディースを発足させた。仙台Lは翌年からの日本女子サッカーリーグ2部(チャレンジリーグ)への参加が決まった。 手倉森体制5年目。甲府から内山俊彦、C大阪から上本大海、中国スーパーリーグ・陝西宝栄からFWウイルソン、ブラジル・パルメイラスからMFサッコーニを獲得。FC東京から期限付き移籍中だったMF松下年宏が完全移籍へ移行した。新人選手では盛岡商業高校からMF藤村慶太、仙台大学からMF奥埜博亮が加入。仙台ユースからMF越後雄太が昇格した。開幕直後には前年途中に横浜FMを退団していたGK阿部陽輔が加入した。 開幕から9試合負けなし(7勝2分)で早い段階から首位をキープし、第2節から第17節終了時まで首位をキープした。中盤まではウイルソンの加入で向上した攻撃力と昨年から引き継ぐ堅守のバランスも良く、広島と優勝争いを繰り広げたが、第18節で名古屋に引き分けたことで、同節勝利した広島に首位を明け渡し、後半戦は第20節、第24節各終了時にこそ首位に立ったもののいずれも直後の試合で敗れ再び首位に立った広島を追う展開となる。自慢の堅守が崩壊し、リードを奪いながらも終盤に失点し、勝ちきれない試合も増えるようになった。第29節終了時には、一旦首位の広島に勝ち点で並び得失点差で2位という状況まで追いすがったものの、その後最終5試合で3分2敗と1勝も出来ず優勝争いから脱落、第33節終了時に広島の優勝決定を許す形となった。それでも11月17日の第32節で3位以上が確定し、クラブ史上初のACL出場権を獲得した。最終成績は15勝12分7敗(勝点57)の2位となり、1度も3位以下に落ちることなくシーズンを終えた。総得点は59とリーグ3位であったが、総失点は43と昨年と比較して大幅に悪化した。Jリーグアウォーズでは、優勝の広島と並ぶ8名が優秀選手賞に選ばれ、その中からウイルソンがクラブ初のベストイレブンを獲得した。 ナビスコ杯はグループリーグA組を4勝2敗の2位で通過したが、準々決勝でFC東京に1分1敗で敗退。天皇杯は3回戦で熊本に延長戦の末敗れた。 シーズン終了後、DF朴柱成、DF内山俊彦、MFサッコーニが契約満了に伴い退団。この他、MF関口訓充が浦和、GK阿部陽輔が金沢へ完全移籍。DF原田圭輔が栃木SCへ期限付き移籍した。また、山形に期限付き移籍中だったFW中島裕希、鳥栖に期限付き移籍中だったMF高橋義希もそれぞれ完全移籍に移行となった。 手倉森体制6年目。草津(途中C大阪にレンタル移籍)からMFヘベルチ、東京VからDF和田拓也、新潟からDF石川直樹、G大阪からMF佐々木勇人を完全移籍で、スポルチ・レシフェからMFジオゴをレンタル移籍で獲得。昨年途中に特別指定選手として登録された仙台大学のDF蜂須賀孝治が加入。また、東京V(のちに秋田)に期限付き移籍していたDF島川俊郎、横浜FCに期限付き移籍していたGK関憲太郎がそれぞれ復帰。シーズン開幕後、GK石川慧がS仙台、DF島川俊郎が秋田、MF奥埜博亮が長崎へそれぞれ期限付き移籍。DF和田拓也が大宮へ完全移籍。広島からDF石川大徳が期限付き移籍で加入した。 リーグ戦は、ACL出場に伴う過密日程や怪我人の続出、得点力不足などもあり2011年・2012年ほどの目覚ましい成績は残せず、J1残留決定後の終盤は1分け4敗(ラスト3戦で、シーズン唯一の連敗となる3連敗)と息切れし、通算成績は11勝12分け11敗の13位に終わった。なおJ1在籍シーズンでは初となるフェアプレー賞を受賞した。 初出場となったACLは1勝3分2敗でグループリーグ敗退。ナビスコ杯はACL出場により予選リーグ免除となり準々決勝からの出場となったが、その準々決勝で川崎に2敗し敗退となった。天皇杯は2009年(ベスト4)以来となるベスト8入り(準々決勝でFC東京に延長戦の末、敗戦)。 10月10日、手倉森監督が2014年より2016年 リオデジャネイロ五輪出場を目指すU-21(21歳以下)男子日本代表監督に就任することが決定したため、2013年シーズン終了をもって退任することを発表。シーズン終了後、MFヘベルチが契約満了、MFジオゴがレンタル移籍期間満了に伴いそれぞれ退団。GK林卓人が広島、MF松下年宏が横浜FC、MF田村直也が東京V、MF越後雄太が盛岡へそれぞれ完全移籍。秋田へ期限付き移籍のDF島川俊郎が完全移籍へ移行。DF原田圭輔が町田へ、GK石川慧が秋田へ期限付き移籍、長崎へ期限付き移籍したMF奥埜博亮は移籍期間を延長した。 新監督にオーストラリア出身のグラハム・アーノルドが就任。昨年途中に特別指定選手として登録された阪南大学のDF二見宏志、中央大学(東北学院中・高卒)からGKシュミット・ダニエル、駒澤大学からFW山本大貴が加入。G大阪からMF武井択也、大宮からMF鈴木規郎をそれぞれ完全移籍、セントラルコーストからMFマグリンチィ、清水からMF八反田康平をそれぞれ期限付き移籍で獲得。広島から期限付き移籍中のDF石川大徳は移籍期間を延長して残留した。 シーズン開幕後、パースからGKヴコヴィッチを期限付き移籍で獲得。しかし、約3ヵ月で契約を解除しパースに復帰。MFマグリンチィもシーズン途中で契約を解除した。また、GKシュミット・ダニエルが4月20日から1ヶ月間、熊本へ育成型期限付き移籍。FW山本大貴も松本へ育成型期限付き移籍した。W杯開催に伴う中断期間中に、ルーツィクからMFハモン・ロペスを完全移籍で獲得。さらに前半戦折り返し後、大宮からDF村上和弘(8年ぶりに仙台に復帰)を期限付き移籍で、鹿島からMF野沢拓也を完全移籍で獲得した。 チームは開幕からナビスコ杯を含めた公式戦8戦未勝利と不振に陥り、4月9日、アーノルド監督が退任。リーグ戦の成績は、0勝2分4敗(勝点2)得失点差-11の17位だった。後任監督にヘッドコーチの渡邉晋が就任。第14節を終えて5勝3分6敗(勝ち点18)得失点差−9、第14節を終えて5勝3分6敗(勝点18)得失点差-9の第14節を終えて5勝3分6敗(勝点18)得失点差-9の暫定11位まで順位を押し上げ、リーグ戦4連勝でリーグ戦中断期間を迎えた。夏場に5連敗を喫するなどの苦戦を強いられるも、辛くもJ1残留圏に踏みとどまり、第33節・徳島戦勝利でJ1残留を決めた。最終成績は9勝11分14敗の勝ち点38で14位。なお、渡邉監督就任後のリーグ戦成績は、9勝9分10敗(勝点36)得失点差-4。 ナビスコ杯は予選リーグ・1勝1分4敗で敗退。天皇杯は初戦(2回戦)で関西リーグ所属・奈良クラブ(奈良県代表)に敗れ、敗退した。 シーズン終了後、FW柳沢敦は鹿島のコーチとなり、になり、町田に期限付き移籍していたDF原田圭輔がそれぞれ引退。DF鈴木規郎が契約満了により、MF八反田康平とDF石川大徳がレンタル移籍期間満了によりそれぞれ退団。FW武藤雄樹が浦和、DF角田誠が川崎、DF渡辺広大が山形、FW赤嶺真吾がG大阪、MF太田吉彰が磐田、FW中原貴之が福岡、GK桜井繁が栃木SC、MF佐々木勇人が京都へそれぞれ完全移籍。また、佐藤洋平GKコーチがU-15日本代表GKコーチ就任のため退任した。 8月、クラブ創立20周年記念試合「ベガルタ仙台OB×ユベントスOB」を開催。 渡邉体制2年目。昨年途中より特別指定選手として登録されていたユースのMF茂木駿佑が昇格。富山第一高からFW西村拓真、韓国・光云大からMFキム・ミンテがそれぞれ加入。長崎からMF奥埜博亮、秋田からGK石川慧、松本からFW山本大貴がそれぞれ期限付き移籍から復帰。昨年途中より加入したDF村上和弘が完全移籍へ移行。松本からDF多々良敦斗、横浜FMからGK六反勇治、磐田からFW金園英学、神戸からMF杉浦恭平、柏からDF渡部博文、大宮からMF金久保順、ブラジル・カンブリウFCからDFフェリペをそれぞれ完全移籍で獲得。フェリペは獲得と同時に栃木SCへ期限付き移籍となった。 シーズン途中の6月にGKシュミット・ダニエルが熊本へ、7月にMF茂木駿佑が金沢へ、それぞれ期限付き移籍。 このシーズンよりJ1リーグ戦は2ステージ制での開催。第1ステージは開幕5試合を2勝3分と好調なスタートを切ったものの、その後5連敗。さらにFWウイルソンらが怪我で離脱する状況にも直面したが、6勝5分6敗(勝点23)・得失点差+7の7位。続く第2ステージは3連敗を3度喫するなど苦戦を強いられ、3勝3分11敗(勝点12)・得失点差-11の16位に終わるも第1ステージの貯金が効く形となり、年間総合14位。J1残留を果たした(第15節のホーム・G大阪戦前 に確定)。 「J1リーグ 5月度 月間ベストゴール」に梁勇基のゴールが選出された。 ナビスコ杯はグループリーグ1勝2分3敗(勝点5)の最下位で敗退。天皇杯は2年ぶりのベスト8進出を果たした(準々決勝で柏にPK戦の末、敗退)。シーズン終了後、村上が現役を引退。上本大海が長崎、山本と武井択也が松本、鎌田次郎が柏、多々良が千葉へそれぞれ完全移籍、熊本へ期限付き移籍していたシュミットは松本へ期限付き移籍した。 渡邉体制3年目。ユースから小島雅也と佐々木匠が昇格。青森山田高から常田克人、市立船橋高から椎橋慧也、明治大から差波優人が新加入。他クラブからは千葉から大岩一貴と水野晃樹を完全移籍、清水から平岡康裕、FC東京から三田啓貴を期限付き移籍で獲得。金沢へ期限付き移籍していた茂木駿佑が復帰。 2ndステージ開幕後の7月、DF二見宏志が清水へ完全移籍。また、同月にブラジルのアトレチコ・ミネイロから、パブロ・ジオゴを期限付き移籍で獲得した。 J1リーグ戦・第1ステージは序盤に4連敗を喫するなど苦戦を強いられ、第10節終了時点で降格圏となる17位にまで沈んだものの、その後は4連勝するなどの巻き返しを見せ、通算7勝2分8敗(勝ち点23)・得失点差-5の10位。第2ステージも第1ステージ同様に調子の波が大きい戦いぶりが続くが、第14節の鳥栖戦に勝利してJ1残留が確定。同ステージは通算6勝2分9敗(勝ち点20)・得失点差-4の12位で、年間成績は13勝4分17敗(勝ち点43)・得失点差-9の12位。 ナビスコ杯 は最初の4試合を無敗(2勝2分)、首位を走ったものの、残りの2試合を連敗。この連敗が響き、結局、7チーム中5位(勝ち点は3位タイだが、得失点差で2チームを下回った)でグループステージ敗退となった。天皇杯はJ3の盛岡に敗れ、初戦(2回戦)敗退。 なお、2ndステージ第14節・鳥栖戦で、ハモン・ロペスがハットトリックを達成、J1のリーグ戦ではクラブ史上初となった。 シーズン終了後、水野が鳥栖、ウイルソンが甲府、渡部博文が神戸、キム・ミンテと金園英学が札幌、杉浦恭平が金沢、六反勇治が清水、ハモン・ロペスが柏へそれぞれ完全移籍した。 チームスローガン: Be STRONG 興せ、未来を 渡邉体制4年目。法政大から永戸勝也が新加入。FC東京から平山相太が完全移籍、柏から増嶋竜也、浦和から石原直樹、川崎から中野嘉大、SCブラガからクリスランがそれぞれ期限付き移籍加入。松本へ期限付き移籍していたシュミット・ダニエルが復帰。また、前年に期限付き移籍で仙台へ加入した三田啓貴と平岡康裕がともに完全移籍に移行。 シーズン開幕直後の3月に中東高校のイ・ユノを獲得、リーグ戦中断期間の7月には名古屋から古林将太が期限付き移籍で加入した一方、石川直樹が札幌へ完全移籍した。 3シーズンぶりに1ステージ制に戻ったJ1リーグ戦は第3節の神戸戦で、東日本大震災の発生後初めて3月11日に試合が開催された。また、翌週の同月18日に行われた第4節柏戦でJ1通算100勝を達成。シーズン通して好不調の波が大きかったが、最終成績は11勝8分15敗の勝ち点41で12位。 ルヴァン杯(旧・ナビスコ杯)は、グループステージ第1節のFC東京戦で0-6の大敗を喫するも、その後4勝1分けと立て直し、A組1位(勝ち点13・得失点差0)でノックアウトステージに進出。ノックアウトステージ・準々決勝では鹿島と対戦し、1勝1敗も2戦合計スコアで上回り、チーム初のベスト4進出を果たす。準決勝では川崎と対戦。ホームでの第1戦を3-2で勝利するも、続くアウェーでの第2戦を1-3で落とし、2戦合計4-5で敗退。決勝進出はならなかった。なお、西村拓真が同大会のニューヒーロー賞を獲得した。 天皇杯は2回戦で筑波大学に2-3で敗れ、前年に続き初戦敗退となった。 シーズン終了後、石川慧が栃木、三田が神戸へそれぞれ完全移籍。この他、増嶋とクリスランが期限付き移籍期間満了、ヴィニシウスと野沢拓也がともに契約満了となり退団。また、小島雅也が町田、藤村慶太が金沢へそれぞれ期限付き移籍。盛岡へ期限付き移籍していた差波優人が富山、徳島へ期限付き移籍していた佐々木匠が讃岐へそれぞれ期限付き移籍。 博報堂DYメディアパートナーズと10年間にわたるビジネス戦略パートナー契約を締結。 チームスローガン: Be STRONG 興せ、「シン」の力を 渡邊体制5年目。流通経済大からジャーメイン良が新加入、G大阪から金正也、新潟から川浪吾郎、岐阜から庄司悦大、韓国・蔚山現代から阿部拓馬がそれぞれ完全移籍で、川崎から板倉滉が期限付き移籍で加入した。また、前年に期限付き移籍で加入した野津田岳人が移籍期間を延長し、中野嘉大、古林将太、石原直樹がそれぞれ完全移籍に移行した。一方で、同シーズンの契約更新が発表されていた平山相太が、キャンプイン後に現役引退を表明し退団、ECヴィトーリアからラファエルソンを期限付き移籍で獲得。4月10日には昨季までC大阪に在籍していた関口訓充が6シーズンぶりにチームに復帰。6月25日にはG大阪から矢島慎也、7月9日には神戸からハーフナー・マイクがともに期限付き移籍でそれぞれ加入、9月11日には前々年まで在籍していたハモン・ロペスが完全移籍で復帰。その一方で6月11日には茂木駿佑が水戸、7月14日には庄司が京都へそれぞれ期限付き移籍。7月24日には金久保順が京都、9月1日には西村拓真がロシアのPFC CSKAモスクワへそれぞれ完全移籍。西村は24節終了時点で日本人トップの11得点を挙げて仙台の攻撃を牽引し、サッカーダイジェストのブレイクランキングで1位の評価を得た。 J1リーグは開幕5試合を無敗(3勝2分)と幸先良いスタートを見せる。その後は勝ったり負けたりの繰り返し。終盤になり失速(第27節からの8試合を1勝1分6敗)するが、それでも最終的には13勝6分15敗(勝ち点45)の11位でJ1残留。ルヴァン杯は、グループステージを3勝2分1敗の勝ち点11・得失点差+4で2年連続の1位通過。プレーオフステージ で湘南と対戦し1勝1敗となるも、2戦合計スコア3-4で敗退(湘南は同大会で優勝を果たす)。天皇杯はクラブ史上初の決勝へ進出(決勝で浦和に0-1で敗れ、準優勝となった)。 シーズン終了後、16年間チームに在籍し続けた菅井直樹が引退。この他、古林が湘南、中野が札幌へそれぞれ完全移籍。期限付き移籍で加入していたハーフナー、野津田、矢島、板倉、ラファエルソンがそれぞれ期間満了で退団。また仙台から他クラブへ期限付き移籍中の庄司、藤村慶太、茂木が完全移籍に移行し正式に退団。富山へ期限付き移籍していた差波優人も契約満了により退団(移籍先の富山も退団)。イ・ユノが福島へ期限付き移籍した。また、町田へ期限付き移籍していた小島雅也が金沢、讃岐へ期限付き移籍していた佐々木匠が山口へそれぞれ育成型期限付き移籍した。板倉は翌年1月、プレミアリーグのマンチェスター・シティに完全移籍。 チームスローガン: ReVolution 渡邉体制6年目。桐生第一高から田中渉、成立学園高から照山颯人が新加入。この他、長崎から飯尾竜太朗、札幌から兵藤慎剛、神戸から松下佳貴、松本から石原崇兆、甲府から道渕諒平(仙台ユース出身)、G大阪から神戸へ期限付き移籍していた長沢駿、前年までアル・アハリSCでプレーしていたモザンビーク代表のシマオ・マテが完全移籍、横浜FMから吉尾海夏が期限付き移籍でそれぞれ加入。シーズン中の6月28日にはディバ・アル・フジャイラからジオゴ・アコスタ、7月2日にはシロンスク・ヴロツワフからヤクブ・スウォビィク、7月25日には札幌から中原彰吾が完全移籍でそれぞれ加入し、7月18日には日本代表としても活躍するようになったシュミット・ダニエルがシント=トロイデンVVへ完全移籍。 J1リーグは選手の大幅な入れ替わりもあって第4,5,13節終了時は最下位に沈むが、システムを4バックに、次いで堅守速攻の戦術に変更すると、3バック時に適正ポジションが見つからなかったシマオ・マテがセンターバックに定着し(クラブ7年ぶりの優秀選手賞を受賞)、左サイドバックの永戸勝也がアシストを量産(公式記録とはならないが、リーグ最多の10アシスト)するなどして復調。最終的には12勝5分17敗(勝ち点41)の11位でJ1残留。ルヴァン杯は、グループステージを3勝3分0敗の勝ち点12・得失点差+4で3年連続の1位通過。プレーオフステージで名古屋と対戦し1勝1敗となるも、2戦合計スコア1-2で敗退。天皇杯はラウンド16(4回戦)で手倉森誠監督率いる長崎に敗れた。 シーズン終了後、渡邉監督が退任。選手では16年間在籍し続けた梁勇基が鳥栖、主将の大岩一貴および石原直樹が湘南、永戸勝也が鹿島、阿部拓馬が琉球、金沢へ期限付き移籍していた小島雅也が群馬へそれぞれ完全移籍。横浜FMからの期限付き移籍でプレーしていた吉尾は町田へ期限付き移籍。ジオゴ・アコスタとハモン・ロペスも契約満了により退団した。 ベガッ太の妹、ルターナが開幕戦より初登場。 チームスローガン: 熱結 LINK to the FUTURE 前年まで山形を指揮していた木山隆之が新監督に就任。選手ではユースから小畑裕馬が昇格。この他、広島から地元・仙台出身の吉野恭平、ボタフォゴSP(ブラジル)からパラ、鳥栖からスペイン出身のイサック・クエンカ、名古屋から赤﨑秀平、水戸から浜崎拓磨がそれぞれ完全移籍、ヴィトーリアSC(ポルトガル)からアレクサンドレ・ゲデス、C大阪から山田寛人、FC東京から前年、山形でプレーしていた柳貴博がそれぞれ期限付き移籍で新加入。また、山口へ期限付き移籍していた佐々木匠と福島へ期限付き移籍していたイ・ユノが復帰。 リーグ戦では17試合連続未勝利を喫する等、シーズンを通して苦戦。終盤にやや巻き返しがあったものの、最終的には6勝10分18敗(勝点28)の17位で本来ならばJ2降格となる順位だったが、新型コロナウイルス感染症流行に伴う特別レギュレーションにより"降格なし"となりJ1残留。6勝は全てアウェーで挙げたもので、ホームでは1勝も挙げる事ができなかった。 9月1日、従来の運営会社である株式会社ベガルタ仙台とマイナビとの間で、マイナビベガルタ仙台レディースの経営権譲渡に関する基本合意書を締結したことが明らかにされた。2020年シーズンは従来の体制のままチームを運営し、シーズン終了後に正式に経営権を譲渡となった。 10月20日、道渕諒平が交際女性とのトラブルにより9月に逮捕されていたと報じられ、事実関係を確認した上で契約を解除した。 また、新型コロナウイルスの影響による大幅な減収により、債務超過に陥る見込みとなった。これを受けて緊急募金を実施していたが、道渕の契約解除により募金は中断された。 シーズン終了後、木山は監督を退任、強化育成本部長の丹治も退任。選手では10年間在籍した関憲太郎が契約満了により山口へ移籍、椎橋慧也が柏、ジャーメイン良が横浜FC、川浪吾郎が広島、常田克人と浜崎拓磨が松本へそれぞれ完全移籍。セレッソ大阪から期限付き移籍でプレーしていた山田寛人は移籍期間が満了。兵藤慎剛、飯尾竜太朗、金正也、アレクサンドレ・ゲデス、パラ、イ・ユノも契約満了により退団した。 チームスローガン: Standin' together☆Revival 立ち上がれ復興へ 2013年まで6年間チームを指揮していた手倉森誠が8シーズンぶりに監督に復帰。 阪南大学から真瀬拓海、流通経済大学から加藤千尋とアピアタウィア久、仙台大学から井岡海都が新加入。この他、長崎から氣田亮真、横浜FCから皆川佑介、浦和からマルティノス、名古屋から秋山陽介、岐阜から長倉颯が完全移籍、磐田から上原力也が期限付き移籍でそれぞれ加入。ポルティモネンセからストイシッチ、FCヴィゼラからオッティ、サントスFCからカルドーゾ、アヴァイFCからフォギーニョも加入となったが新型コロナウイルス感染拡大防止のために入国は加入発表より数か月遅くなった。 本年も主力選手に故障が相次ぎ中々ベストメンバーが揃えられなかった。契約更新したクエンカとシマオ・マテ、新加入のマルティノスはシーズン途中に双方合意の元で契約解除となった。 7月に田中渉は山口への育成型期限付き移籍が決定。8月に富樫敬真、福森直也が加入。 前年に降格が行われなかった関係で20チームの参加で行われたJ1リーグ戦は開幕戦こそ引き分けるも、2戦目から6連敗。11戦目でようやく初勝利を挙げた後は一時的に巻き返しを見せるも、東京五輪開催による中断が明けてからはまたしても負けが込むようになり、11月20日に2試合残してのJ2降格が決定。同22日をもって手倉森が監督を退任。翌23日よりヘッドコーチを務めてきた原崎政人が"暫定"監督に就任し、残り2試合の指揮を執った。最終成績は5勝13分20敗(勝ち点28)の19位で、12年間留まり続けたJ1から去る事になった。 ルヴァン杯はグループステージ2勝4敗(勝ち点6)の3位で敗退。 2年ぶりの出場となった天皇杯では岩手県代表として出場したJ3リーグ所属の岩手と初戦で対戦するも、0-1で敗戦。 シーズン終了後、石野智顕GKコーチが清水へ移籍。選手ではユース出身の佐々木匠が愛媛、6年間在籍した西村拓真が横浜FM、GKのヤクブ・スウォビィクがFC東京、アピアタウィア久が京都へそれぞれ完全移籍。ベテランの関口訓充(後に南葛SC入団)、長倉颯、オッティも契約満了により退団した。 初のユニフォーム胸上部スポンサーとして、株式会社エス・ブイ・シー(SVC)と契約を締結。同社のロゴが鎖骨左部分に掲出。 また、ベガルタチアリーダーズユニフォーム前面スポンサーとしても支援を開始。 チームスローガン:CRAWL UP 這い上がる 前年11月に暫定監督に就任した原崎政人がそのまま続投し、アシスタントコーチに角田誠、GKコーチに大神友明、フィジカルコーチに松本純一らが入閣。選手では2019年まで16年間在籍していた梁勇基が鳥栖からの完全移籍で3シーズンぶりに復帰。その他にも、鹿島から地元・仙台出身の遠藤康、水戸から中山仁斗、福島から鎌田大夢、長崎から期限付き移籍で名倉巧などを新戦力として迎えた。蔚山現代FCから期限付き移籍でキム テヒョン、ロサリオ セントラルからデサバトも加入となったが新型コロナウイルス感染拡大防止の為に入国は加入発表より数か月遅くなった。田中は山口への期限付き移籍期間の延長が決定。 木下グループとユニフォーム(鎖骨右部分&背中上)スポンサー契約を新たに締結。また、デジタルマーケティングパートナー、セプテーニ・ホールディングスと、ユニフォームショーツ背面スポンサーとしての契約を新たに締結した。 4月6日、6日前に赤﨑秀平が一身上の都合で退団(後に南葛SC入団)しセレッソ大阪より中島元彦を育成型期限付き移籍で獲得。4月26日、ホームタウンを「仙台市」から「仙台市を中心とする宮城県全県」に変更することを発表。 6月1日、25周年を迎えたユアスタにて天皇杯2回戦ホンダFCに勝利。 7月7日、ガンバ大阪より佐藤瑶大を育成型期限付き移籍で獲得。7月16日、盛岡戦でJ2通算200勝を達成。 9月6日、先月の4連敗を受けて原崎監督解任ならびに8月まで磐田の監督を務めていた伊藤彰の新監督就任を発表。 チームは序盤好調を維持。一時首位に立ち、前半戦終了時点でも首位新潟と勝点差2の2位に立っていたが、後半戦に入ると失速。特に第31節からの12試合で2勝2分8敗と大ブレーキがかかり、優勝並びに自動昇格争いからは遠ざかってしまう。最終節の秋田戦に勝利すればプレーオフ進出の可能性があったもののスコアレスドローに終わり、結局前節まで8位だった山形に逆転され7位で終了した。後半戦で6勝5分10敗、勝点23しか挙げられなかったことが響いた形となった。 シーズン終了後、7年間在籍した平岡康裕が契約満了で愛媛へ、ストイシッチも満了で町田へ、カルドーゾと名倉巧と佐藤瑶大は期限付き期間満了、デサバトや大神GKコーチも退団となった。吉野恭平は横浜FC、富樫敬真は鳥栖、田中渉は山形、石原崇兆は金沢へ移籍し、18年在籍した富田晋伍は現役引退を表明した。 チームスローガン:GRAV 協創 前年最終戦の翌日、伊藤彰監督の続投が発表された。コーチの人事にも動きがありヘッドコーチに渋谷洋樹、コーチに堀孝史、GKコーチに工藤輝央らが入閣。選手では中島元彦が期限付き期間を延長し、山田寛人も3季ぶりに復帰、神戸から郷家友太、ポルティモネンセからエヴェルトン、FC東京から林彰洋、浦項からホ ヨンジュン、鳥栖から相良竜之介、大分から小出悠太、熊本から菅田真啓を新戦力として迎えた。新卒ではオナイウ情滋、工藤蒼生、梅田陸空、菅原龍之助が入団し、大曽根広汰は藤枝へ期限付き移籍が決定。例年よりも早いペースで年内に既存選手の契約更新を終わらせた。 2023年1月10日、運営会社が広告主となり泉中央駅に副駅名として「ベガルタ仙台・ユアスタ前」と命名した。1月11日、平成の森 多目的運動場が「ベガルタ仙台平成の森運動場」となった。 2月8日、トップチームの練習場である「ベガルタ仙台紫山サッカー場」の呼称が「アイリストレーニングフィールド」となった。 5月3日、秋田戦はマイナビ仙台レディースの長野戦と史上初のダブルヘッダーで開催。5月15日、J30ベストアウォーズにおいて、ベストマッチを受賞。 6月8日、庄子春男がGMに就任。 しかし、開幕戦から上昇気流に乗り切れず成績が低迷、7月の段階で13位に転落し13日に伊藤彰監督退任ならびに堀孝史コーチの監督就任を発表した。シーズン途中での監督交代は3年連続となる。 6月11日の磐田戦から2ヶ月勝ち星なし、昇格組のいわきと藤枝から一度も勝ち星を挙げられず(2分2敗)、最下位で降格した金沢に唯一シーズンダブル(2敗)を食らうなど、シーズンを通して低空飛行を続けた。最終的に12勝12分18敗の16位となり、1999年のJリーグ参入以来最低順位を更新するという不名誉な結果に終わった。シーズン終了後に堀監督が退任。 U-17サッカー日本代表の監督を務めた森山佳郎が新監督に就任。 Jリーグ加盟以降はユアテックスタジアム仙台 (仙台スタジアム / 仙台市泉区。以下「ユアスタ」)をホームスタジアムとしているが、キューアンドエースタジアムみやぎ(宮城スタジアム / 宮城郡利府町。北緯38度20分7.5秒 東経140度57分1.2秒。以下「宮スタ」)でも不定期にホームゲームを開催する。 2009年は1月 - 6月に掛けてユアスタで芝の全面張り替え工事が行われたため、その間のホームゲームを宮スタで11試合、福島県営あづま陸上競技場(現:とうほう・みんなのスタジアム)で1試合を開催した(宮城県外でホームゲーム開催はJリーグ加盟後初。なお、ブランメル仙台(JFL)時代に岩手県で開催経験がある)。 また、2011年3月の東日本大震災に伴ってユアスタ仙台が大きな被害を受け、宮スタは救援拠点として使用されることになった。ユアスタの損傷は使用可能の範囲とされたため、当初宮スタで開催が予定されていた4月29日の浦和戦はユアスタに会場が変更された。 2016年にベストピッチ賞を貰ったり、サッカーダイジェストのスタジアム部門ランキングで2位に輝くなど関係者からの評価は高い。臨場感、快適さ、アクセスのどこから見てもポイントが高く、サッカーへの造詣が深い平畠啓史氏の評は次の通りである。 「地下鉄南北線の終点 · 泉中央駅からわずか4分とアクセスに優れている。大きすぎず小さすぎず、サッカーを楽しむには最適な規模。サポーターの声援がスタンドを覆う屋根に、ほど良く反響するので、目だけでなく耳でも熱気を味わえる。」 キー局でも反響があった「カレーは飲み物」を絡めたスタジアムグルメ や「ふわふわベガッ太(有料)」で子供が遊べる等スタジアム環境も年々進化させている。 座席は屋根で覆われてるので前方の席でなければ雨で濡れない。また、3~5名利用の為のテーブル付きのボックスシートの販売、高密度Wi-fiサービス「VEGALTA FREE Wi-Fi」も充実させて年々観戦環境を向上。 尚「VPORT」というホームゲーム限定コンテンツはVEGALTA FREE Wi-Fiからのみアクセスが出来て、試合毎にマッチデープログラム、限定壁紙のダウンロードなどが利用可能。 各メディアに伝説の試合として多く挙げられるのが次の試合。1と2は Youtube Jリーグ公式チャンネルの「もう一度見たいあの試合」に選ばれており、2はJクロニクルベストの「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズの「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれている。サッカーダイジェストにおいても2つは番記者セレクト名勝負ベスト3に選ばれている。 ※対戦カード・開催スタジアムの表記は試合の行われた当時のもの。 東日本大震災に伴うリーグ戦中断明けから始まった復興支援試合。仙台と川崎の再開初戦はJ30ベストアウォーズでベストマッチに選ばれた。 翌年から3.11より日付が一番近い試合は「復興応援試合」と銘打って大々的に行われる様になったが、クラブによっては「復興祈念試合」と謳う場合もある。 試合前の募金活動や被災者の無料招待等の支援活動が主であり、沢山のJリーグクラブが行った。10年経っても支援活動を続けているクラブはありその内容は多岐にわたる。 仙台も日頃のホームタウン活動において震災復興支援として下記の活動をしている。 2016年には「5周年 復興祈念ユニフォーム」を着用。 2021年には新しく『東日本大震災10年プロジェクト』と標榜した活動をし選手達のユニフォームに「全ての仲間にありがとう。がんばろう!宮城·東北」と掲出し全試合で発信した。本年の対戦カードは10年前と同じ川崎。 毎年のトップチーム始動日には全員で被災地訪問をするのが恒例である。 対戦相手は同じ震災で被害を受けたチームもしくは違う災害を経験したチームになる事が多くテレビ中継率も高い。 ※2015と2016シーズンは2ステージ制 ユアテックスタジアム仙台で行われるリーグ戦では、(メインスタンドから見て)左側のゴール裏スタンドからバックスタンドの一部に渡る部分が「サポーター自由席」と称されており、ここをメインに応援が行われている。特に、ゲート入り口から最前列までのスタンド部分に、熱心なサポーターが集まっている。なお、この席ではチームカラーである黄色(「ベガルタゴールド」と呼ばれる)の服(ユニフォームのレプリカ、パーカー、Tシャツ等)を着用するのが「暗黙のルール」とされている。 コールリーダーは、サポーター自由席のバックスタンド側に位置し、戦況によって応援指示を行う。 コールリーダーのいる位置には、サポーター有志によって設置されたマイクがあり、ゴール裏スタンド中央部に設置されているスピーカーに音声が出るようになっている。これによって音声のずれが生じることなくサポーター自由席での一体感のある応援を行うことが可能となる。 ユアテックスタジアム仙台は観客席全てに屋根がかかっている構造になっており、声が屋根に反響する効果がある。メガホンなどの鳴り物グッズを使ってしまうと屋根によって声援がかき消されてしまうため、応援時のメガホン使用が禁止されている。また、ベガルタ仙台のグッズのラインナップにもメガホンが用意されていない。J2初期の頃は、メガホンも販売されていたが上記の理由からサポーターが運営会社に販売中止を申し入れている。 荒木飛呂彦氏の出身地の為、ジョジョをモチーフにした旗も見受けられる。 仙台サポーターのチャントは他サポの模倣ではなく、ロック調の楽曲をアレンジしたものが多い。 選手入場時には「カントリーロード」を謳うが、他にも認知されているチャントは「TWISTED」と「スタンディング仙台」と言える。 震災時は仙台サポーターのYoutube動画に世界中のサッカーファンからコメントが寄せられた。 この他にも、太鼓のリズムのみのものもある。 チームに対してのものと現役選手に対してのものに関しては、河北新報社が運営していた「ベガルタ☆モバイル」にて着信メロディとして用意されていた。ダウンロードは月に3曲のみ可能であるが、一部の曲は含まれない。 ''vegaltachannel''はYoutubeにあるベガルタ仙台の公式アカウント。試合のハイライトやプロモーションの他に独自色が強いコンテンツとして下記がある。 「DAZN(ダゾーン)」はスポーツ専門の同時配信サービス、VOD(見逃し配信なら、期間内であればいつでも観れる)、サブスク。 見逃し配信であれ、いつでもどこでも好きなコンテンツを選んで再生、一時停止、巻き戻しながら自分のスタイルで視聴することが可能。JリーグとPerform Groupが提供するスポーツのライブストリーミングサービス「DAZN」が2017年より10年間、約2100億円の放映権契約を締結。その後、2023年から2033年までの11年間で約2,395億円という新たな放映権契約を締結。仙台のオンラインストアから同クラブデザインの年間視聴パスを買うと、クラブに強化費が還元される。 宮城の地上波5局の中継スタイル チーム発足直後より、仙台市若林区荒井には市民後援会運営の「べがる田」がある。2021年7月に「七ヶ宿空き家再生プロジェクト:ベガルタハウスをつくろう」をスタート。これは、SDGs基本指針の目標11「住み続けられるまちづくりを」、目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」に即した社会連携活動である。2022 Jリーグシャレン!アウォーズにおいて一般投票(TwitterによるRT数)で1位を獲得するなど反響は大きく、申請すれば宿泊も可能。(ベガッ太ブログにて最新情報は見られる。) 他のSDGs活動としてはタイの子供たちにユニフォームを寄贈したり、松川だるまや涌谷町の黄金レモンとコラボレーション。 2023年6月11日に開催された対ジュビロ磐田戦の試合終了後にベガルタ仙台の100人を超えるサポーターが、磐田の選手が行ったゴールパフォーマンスが不満だったため、スタジアムの立入禁止区域に侵入して、磐田の選手らが乗ったバスを取り囲んで、30分以上にわたって罵声を浴びせ威嚇した。これによりクラブに対して、500万円の罰金とけん責の処分が下された。 ベガルタ仙台の元社員が2015年12月から2023年6月16日までに、顧客からチケットなどの代金を受領していた現金と顧客に対して販売するためにクラブから交付されたチケットなど、合わせておよそ1100万円分を着服した上で横領したことについても、クラブに対して、500万円の罰金とけん責の処分を下した。 ベガルタ仙台の決算は、下記のとおり。 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010 金額の単位: 百万円 人件費は事業費に含まれる。 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021、 2022 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021、 2022 金額の単位: 百万円 ホームゲーム開催時のユアテックスタジアム仙台でもグッズが購入可能。 限定商品 (例:こけし、ミニ四駆、ビール、ドトール) や先行販売のグッズもある。 アウェイゲーム先でも販売する場合あり。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "ベガルタ仙台(ベガルタせんだい、英: Vegalta Sendai)は、日本の仙台市を中心とする宮城県全県をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1988年創部の東北電力サッカー部が前身であり、1999年にJリーグへ加盟した。ホームタウンは仙台市を中心とする宮城県全県。ホームスタジアムはユアテックスタジアム仙台(詳細は#ホームスタジアムを参照)、練習場はアイリストレーニングフィールドおよび泉サッカー場である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "チーム名の「ベガルタ」は、仙台七夕にちなんで七夕の「織り姫」と「彦星」とされる星の名前、「ベガ (Vega)」と「アルタイル (Altair)」を合わせた造語。マスコットは「ベガッ太」とルターナ(ベガッ太の妹)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1988年創部の東北電力サッカー部が前身。1994年に東北社会人サッカーリーグ及び全国地域サッカーリーグ決勝大会で優勝。1995年よりジャパンフットボールリーグ(JFL)へ昇格。また、1994年10月に運営法人として「株式会社東北ハンドレッド」(現在の「株式会社ベガルタ仙台」)を設立し、クラブ名を「ブランメル仙台」(後述)に改称した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1995年にJリーグ準会員となり、1999年からのJリーグの2部制開始とともにJ2に参加した。なお、商標権の関係から、翌1999年1月よりクラブ名称を「ブランメル仙台」から「ベガルタ仙台」に改称した。また、チームカラーもゴールド(「ベガルタゴールド」)へ変更した。メインとなる色は、鮮やかなベガルタ・ゴールド。これは流星の色であると共に、宮城県が日本最初の黄金の産地である事から。次にベガルタ・ブルーは銀河の色を表し、伝統と品位を象徴。最後にベガルタ・レッドは情熱と勝利への意欲を表している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "J2リーグ戦は、前期(第2クール)終了時点で最下位となり、前期終了を以って壱岐洋治が総監督を、鈴木武一が監督を共に辞任。後任として清水秀彦が監督に就任。なお、最終順位は9位。ナビスコ杯は、1回戦で広島に敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "一校目となるジュニアサッカースクール「泉校」開校。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1チーム増の11チームで争われたリーグ戦は、開幕から5連敗を喫したがその後巻き返し、最終順位は5位。ナビスコ杯は1回戦でC大阪に敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "FWマルコス、元日本代表MF岩本輝雄等が新加入。J2開始3年目は1チーム増の12チームで争われ、第1クールを8勝1分2敗で終えると、以降の3クールで6勝ずつ勝利を挙げ、勝点80の3位で最終節(第44節)を迎える。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "最終節(11月18日)で、京都を破り、前節まで2位の山形が川崎にVゴール負けしたため、リーグ2位が決まり、東北地方のクラブとして初のJ1昇格が決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "この試合は鼻骨骨折で4試合欠場していた村田はフェイスガードを付け、怪我で離脱して4試合離脱していた岩本等が戻って満身創痍で臨んだ一戦であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "ナビスコ杯は1回戦で福岡に敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "この年のチームスローガンはなし。FW山下芳輝、MFシルビーニョ、MF森保一、DF小村徳男らが加入。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "第1ステージは2年連続J1年間王者の鹿島にアウェーで勝利するなど、昇格チーム初となる開幕から5連勝。特に、山下は7試合で5得点を挙げ、J1得点ランキング2位タイの活躍で日本代表候補に選出された。しかし、2002 FIFAワールドカップ開催によるリーグ戦中断から再開後、第1ステージ残り8試合を1勝7敗。それでも序盤の貯金でこのステージは9位で終わるも、続く第2ステージではわずか4勝(1分10敗)で15位に終わった(年間総合順位は全16チーム中13位)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "ナビスコ杯は、グループリーグ3位で敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "GK高桑大二朗、FW佐藤寿人、DF根本裕一らが新加入。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "開幕から4戦無敗(3勝1分)と好調なスタートを切ったが、その後は負けが込んで、第1ステージは3勝3分9敗の15位。第2ステージも低迷し、9月に清水秀彦監督を解任。市原、名古屋で監督を歴任したスロベニア出身のズデンコ・ベルデニックが監督に就任したが、9月27日(第2ステージ・第8節)の浦和戦(宮城)で19試合連続未勝利を喫した(当時のJリーグ記録)。最終節(11月29日)の大分戦に引分け、年間総合15位(全16チーム中)となり、J2降格が決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "練習場を「泉サッカー場」に移転。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "サンパウロ(ブラジル)と友好関係を締結。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "ナビスコ杯はグループリーグ3位で敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "シーズン終了をもってジャパンヘルスサミットがスポンサーから撤退。ユニフォームから「カニトップ」の名が消える。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "ベルデニック体制2年目。阪南大から梁勇基が加入し1年でのJ1復帰を目標に掲げたが、開幕から3連敗。4戦目でようやく初勝利を挙げるも、その後また3連敗とつまづく。しかし、その後はチームを修正しつつ、若手選手の台頭で盛り返し、J1昇格争いに絡んだ。しかし、第4クールで再び失速し、早い段階で昇格争いから脱落。結局、全12チーム中6位に終わった。シーズン終了後、ベルデニックが監督を解任、FW佐藤寿人が広島へ移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "オフィシャルショップ「オーレ·ベガルタ」が開店。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "「アイリスオーヤマ」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結(2000年に背中部分のスポンサーとして契約し、前年まで背番号上部にロゴを入れていたが、「ジャパンヘルスサミット」のスポンサー撤退に伴い、胸部分のスポンサーに\"昇格\"する形となった)。また、「アイリスオーヤマ」に替わる背中部分の新スポンサーとして大手出版社「廣済堂」と契約(同社で発行する求人情報誌「Workin」のロゴが入った)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "2月にクラブ10周年記念イベント開催。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "8月に公式オンラインショップ(グッズショップ)開設。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "元日本代表の都並敏史が監督に就任。一時は全12チーム中11位にまで後退したが、第2クール以降は持ち直し、第4クールでは8戦負けなし(6勝2分)と調子を挙げ、一時は入れ替え戦出場となる3位にまで浮上したが、最終節(12月3日)で福岡に引き分けたことで、甲府に勝ち点で追い抜かれ、4位。入れ替え戦出場を逃した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、GMの田中孝司、監督の都並がそれぞれ退任。また、財前宣之ら7選手が退団し、ゲームメーカーのシルビーニョも新潟へ移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ブラジル人のジョエル・サンタナが監督に就任。この年、仙台スタジアムが命名権導入に伴い、「ユアテックスタジアム仙台(略称:ユアスタ仙台)」に改称。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "序盤は4バック3ボランチの日本人8人で守って、新加入のブラジル人トリオ(ロペス、チアゴ・ネーヴィス、ボルジェス)の3人でカウンター、という戦術が当たり、第1クール終了時は自動昇格圏の2位につけ、第2クールも好調を維持。入れ替え戦出場となる3位でリーグ戦前半を折り返す。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "ところが、DF白井博幸がケガで長期離脱したころからそれまでの戦術が機能しなくなる。リーグ戦後半となる第3クールでは下位チームには勝てても上位チームには勝てなくなった。同クール終了時には3位との勝ち点差7の4位に後退。その後、MFチアゴ・ネーヴィスの負傷による戦線離脱も重なり、最終・第4クールでも浮上のきっかけを掴めず、昇格争いから脱落。5位に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、サンタナが退任。また、GK高桑、ベテランFW大柴克友など4選手が契約期間満了により退団。また、J2得点王となったFWボルジェスがサンパウロFCへ期限付き移籍(その後、2008年に完全移籍)。期限付き移籍でプレーしていたチアゴ・ネーヴィスは移籍期間を延長せず。その一方で、MFロペスは期限付き移籍期間を延長した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "この他、ユニフォーム(背中部分)のスポンサーだった廣済堂が同年シーズン終了を以って撤退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "前年ヘッドコーチを務めた望月達也が監督に昇格。望月はヘッドコーチの傍ら、サテライトチームの監督を務めた。また、サンタナが体調不良で欠場した際、1試合のみだがトップチームの監督代行を務め、勝利を収めていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "山形からMF永井篤志、鳥栖からGKシュナイダー潤之介等を獲得。第1クールは開幕から11戦無敗(6勝5分)、第2クールは一時負けが込んだが、3位でリーグ戦前半を折り返す。第3クールに入って失点が増えたことなどから、6月に札幌から林卓人を、7月に元新潟のMFファビーニョを、8月には柏からDF岡山一成を、いずれも期限付き移籍で獲得。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "第3クール終盤で戦術を若干修正。攻撃の手駒を減らし、SBの攻撃参加を限定的にすることでカウンターへの対処と守備の安定化を図った。これが功を奏し、第3クール終盤以降は失点が減少。第4クール序盤から中盤では昇格を争うライバルチームとの直接対決に勝利したが、第50節の湘南戦と第51節の京都戦に連敗し、入れ替え戦出場を逃した。最終順位は4位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "GK小針清允、DF白井博幸等7選手がシーズン終了をもって退団。また、ジョニウソン、ロペス、ファビーニョのブラジル人3選手全員もチームを退団。さらに、チーム最多得点を挙げたFW萬代宏樹も磐田へ完全移籍。望月も監督を退任した(「クラブスタッフ」としてフロント入り)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "新選手寮「ヴィステーラ泉」完成。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "なお、廣済堂に替わるユニフォーム(背中部分)の新スポンサーが決まらず、開幕からしばらくの間は“空白”のままであったが、8月に「NECトーキン」とスポンサー契約を締結。9月から同社のロゴが背番号上部に入れられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "前年、ヘッドコーチを務めた手倉森誠が監督に就任。また、手倉森誠の双子の弟・浩がヘッドコーチに就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "明治大学からGK関憲太郎、筑波大学からMF三澤純一が新加入。神戸から元日本代表FW平瀬智行、柏からMF佐藤由紀彦、鹿島からFW田中康平、川崎からMF飛弾暁をそれぞれ完全移籍、東京VからDF一柳夢吾、大分から宮沢正史、川崎から西山貴永をそれぞれ期限付き移籍で獲得。期限付き移籍していたFW中島裕希とDF岡山一成がいずれも完全移籍に移行。GK林卓人も移籍期間を延長し、チームに留まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "宮崎県延岡市でのキャンプ中の2月6日に、一柳夢吾、金子慎二、細川淳矢、富田晋伍の4選手が、酒に酔って一般人の車を傷つけるという不祥事を起こした。騒ぎを聞きつけた手倉森監督が駆け付け、その場で示談が成立したため被害届は出されなかったが、4選手には3か月の減俸が課せられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "第1クール終了時で7勝5分け2敗の3位。第2クール以降は決定力不足が目立つようになり、韓国Kリーグで外国人初の年間MVPを獲得した経験を持つブラジル人FWナジソンを獲得。また、京都からMF斉藤大介を期限付き移籍で獲得。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "第3クールは、山形に敗れ、9年ぶりとなるみちのくダービーシーズン負け越し。また、これまで無敗であった水戸に初黒星。その後は第2クールまでいずれも1分1敗と苦しめられた愛媛、C大阪に連勝。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "30日に鳥栖に敗れ、自動昇格(=2位以内)が消滅したが、最終節で草津に勝利し、シーズン3位を確保して、入れ替え戦へ出場。入れ替え戦でJ1第16位の磐田と対戦したが、1分1敗に終わり、J1復帰はならなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "この試合はサッカーダイジェストの「識者7人の記憶 忘れられない一戦」に清水英斗より選ばれた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、岡山、GKシュナイダー潤之介らが退団。ナジソンはECヴィトーリア、大分から期限付き移籍中だった宮沢も元のチームへ戻った。「クラブスタッフ」としてフロント入りしていた前監督の望月も退団。その一方で、手倉森は翌年も引き続き指揮を執ることになった。仙台にとっては5年ぶりに監督交代のないシーズンオフとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "運営会社の「株式会社東北ハンドレッド」が6月1日付で「株式会社ベガルタ仙台」へ商号を変更。シーズン終了後、NECトーキンがスポンサーから撤退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "手倉森体制2年目。スローガンとは別に「完全昇格」を目標に掲げた。MF梁勇基、関口訓充、DF菅井直樹が残留。札幌から期限付き移籍中のGK林卓人も移籍期間を再延長して残留。前年まで期限付き移籍であったDF一柳夢吾、MF斉藤大介、西山貴永は完全移籍した。また、山形からGK桜井繁、横浜FCからDFエリゼウ、神戸からMF曽我部慶太、韓国の水原三星から元同国代表DF朴柱成をそれぞれ完全移籍で、ブラジルのポンチ・プレッタからマルセロ・ソアレスを期限付き移籍で獲得。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "リーグ戦は第2クール終了時点で20勝6分8敗(勝ち点66)の2位。最終・第3クールは第39節(9月13日)で福岡に敗れた以外は無敗をキープ。11月8日(第48節)に水戸に勝利してJ1昇格条件の3位以内が確定。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "続く第49節(11月22日)では首位C大阪との直接対決に勝利し、入れ替わりで首位に浮上。第51節(12月5日)は愛媛と引き分けたものの、2位のC大阪が鳥栖に敗れたため、J2初優勝を果たした(最終戦績は32勝10分9敗の勝ち点106。2004年に川崎が記録した「105」を上回り、J2歴代最多勝ち点を記録。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "守備が非常に安定し、総失点はリーグ最少の39、1試合あたりの平均失点は0.76点。3失点以上を喫した試合は1度もなかった。また前年に引き続きファウルの少なさも目立った。反則ポイントはフェアプレー賞の選考基準51ポイント以下に対して僅か17ポイントで、2位の湘南(86ポイント)を大きく引き離し、2年連続のJ2フェアプレー賞を獲得すると共に、チェアマン特別賞も受賞した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "天皇杯ではチーム初のベスト4へ進出(準決勝でG大阪に敗戦)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "このシーズンはユアスタ仙台が芝の全面張替え工事のため6月まで使用できず、その間のホームゲーム(11試合)を宮城スタジアム(それとは別に福島県営あづま陸上競技場で1試合)で開催。春先に宮スタで2敗を喫したものの、その後は安定した戦いを見せ、通算で19勝5分2敗。ホーム23戦無敗というJ2新記録を打ち立てた。同じく記録したホーム12連勝もJ2新記録。天皇杯も含め、ユアスタ仙台で無敗のままシーズンを終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "背中部分のスポンサーとして地元・仙台に本社を構える酒類量販店「やまや」、パンツ部分のスポンサーとして 阿部蒲鉾店 とそれぞれ契約した。 シーズン終了後、DF木谷公亮、6月に完全移籍で加入したFWサーレス、FWマルセロ・ソアレスらが退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "手倉森体制3年目。札幌から期限付き移籍中だったGK林卓人が完全移籍に移行。柏からDF鎌田次郎、鳥栖からMF高橋義希、前年7月まで磐田に在籍していた太田吉彰、大分からフェルナンジーニョがそれぞれ完全移籍、ブラジル・クルゼイロからはFWレイナルドが期限付き移籍で新加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "リーグ戦は開幕2連勝を皮切りに、第5節ではJ1リーグ3連覇中の鹿島を降すなど好調なスタートを切った。しかし、続く第6節で清水に1-5の大敗を喫すると、第7節ではホーム・ユアスタ仙台で神戸に0-1で敗戦(この敗戦でJ2時代から続いていたリーグ戦におけるホーム不敗記録が25でストップ)。その後攻撃陣に怪我人が続出した影響もあり、鹿島戦以降未勝利のまま2010 FIFAワールドカップ開催に伴うリーグ戦中断期間を迎える。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "W杯中断期間中、FWレイナルドが退団した一方で、Kリーグ・大田シチズンよりFW朴成鎬を期限付き移籍で獲得。また、リーグ戦再開後の8月にFC東京からFW赤嶺真吾を期限付き移籍で獲得。その後、第20節(8月22日・対大宮)でリーグ戦15試合ぶりの勝利を挙げると、第30節までの11試合を7勝1分3敗で乗り切り、最後は最終節でJ1残留を決めた。シーズン通算成績は10勝9分15敗(勝点39)の14位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ナビスコ杯は、グループリーグA組を3勝3分けの2位で通過。初の決勝トーナメント(準々決勝)進出を果たした。準々決勝では磐田と対戦したが、1分1敗で敗退。天皇杯は初戦(2回戦)でソニー仙台FCに敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "代表関連では5月10日、MF梁勇基の南アフリカW杯・北朝鮮代表候補へ選出された。しかし、最終登録メンバーには選出されず、仙台所属選手として初のW杯出場は果たせなかった。9月30日にはMF関口訓充の日本代表メンバー選出が発表される。仙台所属選手の日本代表入りは2003年の山下芳輝以来3人目であるが、仙台でプロキャリアをスタートさせた生え抜き選手としては初の代表入りとなった。関口は10月8日のアルゼンチン戦で代表デビューを果たした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "5月15日の浦和戦後、仙台の外国籍選手(選手名は非公表)が浦和サポーターから人種差別的な発言を浴びせられたとして、Jリーグが調査を開始。差別発言をしたとされる人物は確認できなかったが、仙台に200万円、浦和に500万円の制裁金が課せられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、MF千葉直樹とFW平瀬智行が引退。また、GK萩原達郎、DF一柳夢吾、MF三澤純一、永井篤志、FWフェルナンジーニョが契約期間満了、FW朴成鎬は期限付き移籍期間満了、DFエリゼウは徳島へ完全移籍のためそれぞれ退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "手倉森体制4年目。前年引退した平瀬智行がチームの第2代アンバサダーに就任。初代アンバサダーの岩本輝雄は退任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "選手補強は京都から元日本代表FW柳沢敦とDF角田誠、鹿島からFWマルキーニョスをそれぞれ完全移籍、FC東京からMF松下年宏、鹿島からGK川俣慎一郎をともに期限付き移籍、新外国人選手として韓国Kリーグの城南一和からDF曺秉局を完全移籍、ブラジル・イパチンガFCからMFマックスを期限付き移籍でそれぞれ獲得。ソニー仙台へ期限付き移籍していたFW大久保剛志が4シーズンぶりにチームへ復帰し、FC東京から期限付き移籍中だったFW赤嶺真吾を完全移籍で獲得。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "1月25日から始まった40日間の春季キャンプを終え、そのまま広島入りして開幕戦を戦い帰仙したチームであるが、ホーム開幕を翌日に控えた3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)および福島第一原子力発電所事故が発生。これによりリーグ戦、ナビスコ杯が中断。チームも活動を停止。外国籍選手が一時帰国したほか、下部組織選手やMF関口訓充などが避難所生活を強いられることとなった。3月28日、選手達はクラブに再集合した後に足早に石巻市へと向かった。「声も出ない程の光景でした(大久保)」津波で甚大な被害を受けた被災地の光景に選手達は言葉を失った。翌日、練習前のミーティングで手倉森監督は「被災地のチームとして、この地の希望の光になろう」と呼びかけた。同日には震災チャリティマッチ「日本代表vs.Jリーグ選抜(TEAM AS ONE)」に関口とMF梁勇基が出場。チームでは、練習時間外に監督・選手・スタッフでボランティア活動を行うなど、被災地のために動いた。地元でのトレーニングが難しくなり仙台は再びホームタウンを離れて、千葉県市原市と埼玉県さいたま市でキャンプを張り、リーグ再開に備えた。なお、中断期間中の4月9日にマルキーニョスが退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "4月23日、中断明けの第7節(2試合目)で川崎Fに逆転勝利を収める。この試合はJクロニクルベストの「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズの「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれた。続くホーム開幕戦で浦和を1-0で下し、公式戦での浦和戦初勝利を記録。以後、6月26日のアウェイ清水戦に0-1で敗れるまで、開幕から12試合を6勝6分の無敗(1シーズン制となった2005年以降のJ1記録)でキープした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "その後、京都からディエゴをレンタル移籍で獲得。また、8月20日に名古屋戦に勝利し、公式戦での名古屋戦初勝利を記録。10月2日のC大阪戦での勝利でリーグ戦6試合を残しJ1残留が確定。最終成績は14勝14分6敗(勝点56)で、順位も過去最高の4位となった。なお、失点数は2位の名古屋を11下回る25失点でリーグトップ、先制した試合では無敗であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "ナビスコ杯は2回戦で前回大会優勝の磐田に1分1敗で敗退。天皇杯は4回戦でC大阪にPK戦の末敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、DF細川淳矢が契約満了、GK川俣慎一郎、MFマックス、FWディエゴがレンタル移籍期間満了につき退団、DF曺秉局が磐田へ、FW大久保剛志がJFLのソニー仙台へ完全移籍、MF高橋義希が鳥栖へ、DF島川俊郎が東京Vへ、FW中島裕希が山形へ期限付き移籍した。また、横浜FCへ期限付き移籍している関憲太郎の移籍期間も延長された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "10月14日、株式会社ベガルタ仙台が、休部していた東京電力女子サッカー部マリーゼの受け皿として、新たにベガルタ仙台レディースを発足させた。仙台Lは翌年からの日本女子サッカーリーグ2部(チャレンジリーグ)への参加が決まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "手倉森体制5年目。甲府から内山俊彦、C大阪から上本大海、中国スーパーリーグ・陝西宝栄からFWウイルソン、ブラジル・パルメイラスからMFサッコーニを獲得。FC東京から期限付き移籍中だったMF松下年宏が完全移籍へ移行した。新人選手では盛岡商業高校からMF藤村慶太、仙台大学からMF奥埜博亮が加入。仙台ユースからMF越後雄太が昇格した。開幕直後には前年途中に横浜FMを退団していたGK阿部陽輔が加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "開幕から9試合負けなし(7勝2分)で早い段階から首位をキープし、第2節から第17節終了時まで首位をキープした。中盤まではウイルソンの加入で向上した攻撃力と昨年から引き継ぐ堅守のバランスも良く、広島と優勝争いを繰り広げたが、第18節で名古屋に引き分けたことで、同節勝利した広島に首位を明け渡し、後半戦は第20節、第24節各終了時にこそ首位に立ったもののいずれも直後の試合で敗れ再び首位に立った広島を追う展開となる。自慢の堅守が崩壊し、リードを奪いながらも終盤に失点し、勝ちきれない試合も増えるようになった。第29節終了時には、一旦首位の広島に勝ち点で並び得失点差で2位という状況まで追いすがったものの、その後最終5試合で3分2敗と1勝も出来ず優勝争いから脱落、第33節終了時に広島の優勝決定を許す形となった。それでも11月17日の第32節で3位以上が確定し、クラブ史上初のACL出場権を獲得した。最終成績は15勝12分7敗(勝点57)の2位となり、1度も3位以下に落ちることなくシーズンを終えた。総得点は59とリーグ3位であったが、総失点は43と昨年と比較して大幅に悪化した。Jリーグアウォーズでは、優勝の広島と並ぶ8名が優秀選手賞に選ばれ、その中からウイルソンがクラブ初のベストイレブンを獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "ナビスコ杯はグループリーグA組を4勝2敗の2位で通過したが、準々決勝でFC東京に1分1敗で敗退。天皇杯は3回戦で熊本に延長戦の末敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、DF朴柱成、DF内山俊彦、MFサッコーニが契約満了に伴い退団。この他、MF関口訓充が浦和、GK阿部陽輔が金沢へ完全移籍。DF原田圭輔が栃木SCへ期限付き移籍した。また、山形に期限付き移籍中だったFW中島裕希、鳥栖に期限付き移籍中だったMF高橋義希もそれぞれ完全移籍に移行となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "手倉森体制6年目。草津(途中C大阪にレンタル移籍)からMFヘベルチ、東京VからDF和田拓也、新潟からDF石川直樹、G大阪からMF佐々木勇人を完全移籍で、スポルチ・レシフェからMFジオゴをレンタル移籍で獲得。昨年途中に特別指定選手として登録された仙台大学のDF蜂須賀孝治が加入。また、東京V(のちに秋田)に期限付き移籍していたDF島川俊郎、横浜FCに期限付き移籍していたGK関憲太郎がそれぞれ復帰。シーズン開幕後、GK石川慧がS仙台、DF島川俊郎が秋田、MF奥埜博亮が長崎へそれぞれ期限付き移籍。DF和田拓也が大宮へ完全移籍。広島からDF石川大徳が期限付き移籍で加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "リーグ戦は、ACL出場に伴う過密日程や怪我人の続出、得点力不足などもあり2011年・2012年ほどの目覚ましい成績は残せず、J1残留決定後の終盤は1分け4敗(ラスト3戦で、シーズン唯一の連敗となる3連敗)と息切れし、通算成績は11勝12分け11敗の13位に終わった。なおJ1在籍シーズンでは初となるフェアプレー賞を受賞した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "初出場となったACLは1勝3分2敗でグループリーグ敗退。ナビスコ杯はACL出場により予選リーグ免除となり準々決勝からの出場となったが、その準々決勝で川崎に2敗し敗退となった。天皇杯は2009年(ベスト4)以来となるベスト8入り(準々決勝でFC東京に延長戦の末、敗戦)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "10月10日、手倉森監督が2014年より2016年 リオデジャネイロ五輪出場を目指すU-21(21歳以下)男子日本代表監督に就任することが決定したため、2013年シーズン終了をもって退任することを発表。シーズン終了後、MFヘベルチが契約満了、MFジオゴがレンタル移籍期間満了に伴いそれぞれ退団。GK林卓人が広島、MF松下年宏が横浜FC、MF田村直也が東京V、MF越後雄太が盛岡へそれぞれ完全移籍。秋田へ期限付き移籍のDF島川俊郎が完全移籍へ移行。DF原田圭輔が町田へ、GK石川慧が秋田へ期限付き移籍、長崎へ期限付き移籍したMF奥埜博亮は移籍期間を延長した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "新監督にオーストラリア出身のグラハム・アーノルドが就任。昨年途中に特別指定選手として登録された阪南大学のDF二見宏志、中央大学(東北学院中・高卒)からGKシュミット・ダニエル、駒澤大学からFW山本大貴が加入。G大阪からMF武井択也、大宮からMF鈴木規郎をそれぞれ完全移籍、セントラルコーストからMFマグリンチィ、清水からMF八反田康平をそれぞれ期限付き移籍で獲得。広島から期限付き移籍中のDF石川大徳は移籍期間を延長して残留した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "シーズン開幕後、パースからGKヴコヴィッチを期限付き移籍で獲得。しかし、約3ヵ月で契約を解除しパースに復帰。MFマグリンチィもシーズン途中で契約を解除した。また、GKシュミット・ダニエルが4月20日から1ヶ月間、熊本へ育成型期限付き移籍。FW山本大貴も松本へ育成型期限付き移籍した。W杯開催に伴う中断期間中に、ルーツィクからMFハモン・ロペスを完全移籍で獲得。さらに前半戦折り返し後、大宮からDF村上和弘(8年ぶりに仙台に復帰)を期限付き移籍で、鹿島からMF野沢拓也を完全移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "チームは開幕からナビスコ杯を含めた公式戦8戦未勝利と不振に陥り、4月9日、アーノルド監督が退任。リーグ戦の成績は、0勝2分4敗(勝点2)得失点差-11の17位だった。後任監督にヘッドコーチの渡邉晋が就任。第14節を終えて5勝3分6敗(勝ち点18)得失点差−9、第14節を終えて5勝3分6敗(勝点18)得失点差-9の第14節を終えて5勝3分6敗(勝点18)得失点差-9の暫定11位まで順位を押し上げ、リーグ戦4連勝でリーグ戦中断期間を迎えた。夏場に5連敗を喫するなどの苦戦を強いられるも、辛くもJ1残留圏に踏みとどまり、第33節・徳島戦勝利でJ1残留を決めた。最終成績は9勝11分14敗の勝ち点38で14位。なお、渡邉監督就任後のリーグ戦成績は、9勝9分10敗(勝点36)得失点差-4。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "ナビスコ杯は予選リーグ・1勝1分4敗で敗退。天皇杯は初戦(2回戦)で関西リーグ所属・奈良クラブ(奈良県代表)に敗れ、敗退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、FW柳沢敦は鹿島のコーチとなり、になり、町田に期限付き移籍していたDF原田圭輔がそれぞれ引退。DF鈴木規郎が契約満了により、MF八反田康平とDF石川大徳がレンタル移籍期間満了によりそれぞれ退団。FW武藤雄樹が浦和、DF角田誠が川崎、DF渡辺広大が山形、FW赤嶺真吾がG大阪、MF太田吉彰が磐田、FW中原貴之が福岡、GK桜井繁が栃木SC、MF佐々木勇人が京都へそれぞれ完全移籍。また、佐藤洋平GKコーチがU-15日本代表GKコーチ就任のため退任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "8月、クラブ創立20周年記念試合「ベガルタ仙台OB×ユベントスOB」を開催。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "渡邉体制2年目。昨年途中より特別指定選手として登録されていたユースのMF茂木駿佑が昇格。富山第一高からFW西村拓真、韓国・光云大からMFキム・ミンテがそれぞれ加入。長崎からMF奥埜博亮、秋田からGK石川慧、松本からFW山本大貴がそれぞれ期限付き移籍から復帰。昨年途中より加入したDF村上和弘が完全移籍へ移行。松本からDF多々良敦斗、横浜FMからGK六反勇治、磐田からFW金園英学、神戸からMF杉浦恭平、柏からDF渡部博文、大宮からMF金久保順、ブラジル・カンブリウFCからDFフェリペをそれぞれ完全移籍で獲得。フェリペは獲得と同時に栃木SCへ期限付き移籍となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "シーズン途中の6月にGKシュミット・ダニエルが熊本へ、7月にMF茂木駿佑が金沢へ、それぞれ期限付き移籍。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "このシーズンよりJ1リーグ戦は2ステージ制での開催。第1ステージは開幕5試合を2勝3分と好調なスタートを切ったものの、その後5連敗。さらにFWウイルソンらが怪我で離脱する状況にも直面したが、6勝5分6敗(勝点23)・得失点差+7の7位。続く第2ステージは3連敗を3度喫するなど苦戦を強いられ、3勝3分11敗(勝点12)・得失点差-11の16位に終わるも第1ステージの貯金が効く形となり、年間総合14位。J1残留を果たした(第15節のホーム・G大阪戦前 に確定)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "「J1リーグ 5月度 月間ベストゴール」に梁勇基のゴールが選出された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "ナビスコ杯はグループリーグ1勝2分3敗(勝点5)の最下位で敗退。天皇杯は2年ぶりのベスト8進出を果たした(準々決勝で柏にPK戦の末、敗退)。シーズン終了後、村上が現役を引退。上本大海が長崎、山本と武井択也が松本、鎌田次郎が柏、多々良が千葉へそれぞれ完全移籍、熊本へ期限付き移籍していたシュミットは松本へ期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "渡邉体制3年目。ユースから小島雅也と佐々木匠が昇格。青森山田高から常田克人、市立船橋高から椎橋慧也、明治大から差波優人が新加入。他クラブからは千葉から大岩一貴と水野晃樹を完全移籍、清水から平岡康裕、FC東京から三田啓貴を期限付き移籍で獲得。金沢へ期限付き移籍していた茂木駿佑が復帰。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "2ndステージ開幕後の7月、DF二見宏志が清水へ完全移籍。また、同月にブラジルのアトレチコ・ミネイロから、パブロ・ジオゴを期限付き移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "J1リーグ戦・第1ステージは序盤に4連敗を喫するなど苦戦を強いられ、第10節終了時点で降格圏となる17位にまで沈んだものの、その後は4連勝するなどの巻き返しを見せ、通算7勝2分8敗(勝ち点23)・得失点差-5の10位。第2ステージも第1ステージ同様に調子の波が大きい戦いぶりが続くが、第14節の鳥栖戦に勝利してJ1残留が確定。同ステージは通算6勝2分9敗(勝ち点20)・得失点差-4の12位で、年間成績は13勝4分17敗(勝ち点43)・得失点差-9の12位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "ナビスコ杯 は最初の4試合を無敗(2勝2分)、首位を走ったものの、残りの2試合を連敗。この連敗が響き、結局、7チーム中5位(勝ち点は3位タイだが、得失点差で2チームを下回った)でグループステージ敗退となった。天皇杯はJ3の盛岡に敗れ、初戦(2回戦)敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "なお、2ndステージ第14節・鳥栖戦で、ハモン・ロペスがハットトリックを達成、J1のリーグ戦ではクラブ史上初となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、水野が鳥栖、ウイルソンが甲府、渡部博文が神戸、キム・ミンテと金園英学が札幌、杉浦恭平が金沢、六反勇治が清水、ハモン・ロペスが柏へそれぞれ完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "チームスローガン: Be STRONG 興せ、未来を", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "渡邉体制4年目。法政大から永戸勝也が新加入。FC東京から平山相太が完全移籍、柏から増嶋竜也、浦和から石原直樹、川崎から中野嘉大、SCブラガからクリスランがそれぞれ期限付き移籍加入。松本へ期限付き移籍していたシュミット・ダニエルが復帰。また、前年に期限付き移籍で仙台へ加入した三田啓貴と平岡康裕がともに完全移籍に移行。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "シーズン開幕直後の3月に中東高校のイ・ユノを獲得、リーグ戦中断期間の7月には名古屋から古林将太が期限付き移籍で加入した一方、石川直樹が札幌へ完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "3シーズンぶりに1ステージ制に戻ったJ1リーグ戦は第3節の神戸戦で、東日本大震災の発生後初めて3月11日に試合が開催された。また、翌週の同月18日に行われた第4節柏戦でJ1通算100勝を達成。シーズン通して好不調の波が大きかったが、最終成績は11勝8分15敗の勝ち点41で12位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "ルヴァン杯(旧・ナビスコ杯)は、グループステージ第1節のFC東京戦で0-6の大敗を喫するも、その後4勝1分けと立て直し、A組1位(勝ち点13・得失点差0)でノックアウトステージに進出。ノックアウトステージ・準々決勝では鹿島と対戦し、1勝1敗も2戦合計スコアで上回り、チーム初のベスト4進出を果たす。準決勝では川崎と対戦。ホームでの第1戦を3-2で勝利するも、続くアウェーでの第2戦を1-3で落とし、2戦合計4-5で敗退。決勝進出はならなかった。なお、西村拓真が同大会のニューヒーロー賞を獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "天皇杯は2回戦で筑波大学に2-3で敗れ、前年に続き初戦敗退となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、石川慧が栃木、三田が神戸へそれぞれ完全移籍。この他、増嶋とクリスランが期限付き移籍期間満了、ヴィニシウスと野沢拓也がともに契約満了となり退団。また、小島雅也が町田、藤村慶太が金沢へそれぞれ期限付き移籍。盛岡へ期限付き移籍していた差波優人が富山、徳島へ期限付き移籍していた佐々木匠が讃岐へそれぞれ期限付き移籍。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "博報堂DYメディアパートナーズと10年間にわたるビジネス戦略パートナー契約を締結。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "チームスローガン: Be STRONG 興せ、「シン」の力を", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "渡邊体制5年目。流通経済大からジャーメイン良が新加入、G大阪から金正也、新潟から川浪吾郎、岐阜から庄司悦大、韓国・蔚山現代から阿部拓馬がそれぞれ完全移籍で、川崎から板倉滉が期限付き移籍で加入した。また、前年に期限付き移籍で加入した野津田岳人が移籍期間を延長し、中野嘉大、古林将太、石原直樹がそれぞれ完全移籍に移行した。一方で、同シーズンの契約更新が発表されていた平山相太が、キャンプイン後に現役引退を表明し退団、ECヴィトーリアからラファエルソンを期限付き移籍で獲得。4月10日には昨季までC大阪に在籍していた関口訓充が6シーズンぶりにチームに復帰。6月25日にはG大阪から矢島慎也、7月9日には神戸からハーフナー・マイクがともに期限付き移籍でそれぞれ加入、9月11日には前々年まで在籍していたハモン・ロペスが完全移籍で復帰。その一方で6月11日には茂木駿佑が水戸、7月14日には庄司が京都へそれぞれ期限付き移籍。7月24日には金久保順が京都、9月1日には西村拓真がロシアのPFC CSKAモスクワへそれぞれ完全移籍。西村は24節終了時点で日本人トップの11得点を挙げて仙台の攻撃を牽引し、サッカーダイジェストのブレイクランキングで1位の評価を得た。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "J1リーグは開幕5試合を無敗(3勝2分)と幸先良いスタートを見せる。その後は勝ったり負けたりの繰り返し。終盤になり失速(第27節からの8試合を1勝1分6敗)するが、それでも最終的には13勝6分15敗(勝ち点45)の11位でJ1残留。ルヴァン杯は、グループステージを3勝2分1敗の勝ち点11・得失点差+4で2年連続の1位通過。プレーオフステージ で湘南と対戦し1勝1敗となるも、2戦合計スコア3-4で敗退(湘南は同大会で優勝を果たす)。天皇杯はクラブ史上初の決勝へ進出(決勝で浦和に0-1で敗れ、準優勝となった)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、16年間チームに在籍し続けた菅井直樹が引退。この他、古林が湘南、中野が札幌へそれぞれ完全移籍。期限付き移籍で加入していたハーフナー、野津田、矢島、板倉、ラファエルソンがそれぞれ期間満了で退団。また仙台から他クラブへ期限付き移籍中の庄司、藤村慶太、茂木が完全移籍に移行し正式に退団。富山へ期限付き移籍していた差波優人も契約満了により退団(移籍先の富山も退団)。イ・ユノが福島へ期限付き移籍した。また、町田へ期限付き移籍していた小島雅也が金沢、讃岐へ期限付き移籍していた佐々木匠が山口へそれぞれ育成型期限付き移籍した。板倉は翌年1月、プレミアリーグのマンチェスター・シティに完全移籍。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "チームスローガン: ReVolution", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "渡邉体制6年目。桐生第一高から田中渉、成立学園高から照山颯人が新加入。この他、長崎から飯尾竜太朗、札幌から兵藤慎剛、神戸から松下佳貴、松本から石原崇兆、甲府から道渕諒平(仙台ユース出身)、G大阪から神戸へ期限付き移籍していた長沢駿、前年までアル・アハリSCでプレーしていたモザンビーク代表のシマオ・マテが完全移籍、横浜FMから吉尾海夏が期限付き移籍でそれぞれ加入。シーズン中の6月28日にはディバ・アル・フジャイラからジオゴ・アコスタ、7月2日にはシロンスク・ヴロツワフからヤクブ・スウォビィク、7月25日には札幌から中原彰吾が完全移籍でそれぞれ加入し、7月18日には日本代表としても活躍するようになったシュミット・ダニエルがシント=トロイデンVVへ完全移籍。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "J1リーグは選手の大幅な入れ替わりもあって第4,5,13節終了時は最下位に沈むが、システムを4バックに、次いで堅守速攻の戦術に変更すると、3バック時に適正ポジションが見つからなかったシマオ・マテがセンターバックに定着し(クラブ7年ぶりの優秀選手賞を受賞)、左サイドバックの永戸勝也がアシストを量産(公式記録とはならないが、リーグ最多の10アシスト)するなどして復調。最終的には12勝5分17敗(勝ち点41)の11位でJ1残留。ルヴァン杯は、グループステージを3勝3分0敗の勝ち点12・得失点差+4で3年連続の1位通過。プレーオフステージで名古屋と対戦し1勝1敗となるも、2戦合計スコア1-2で敗退。天皇杯はラウンド16(4回戦)で手倉森誠監督率いる長崎に敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、渡邉監督が退任。選手では16年間在籍し続けた梁勇基が鳥栖、主将の大岩一貴および石原直樹が湘南、永戸勝也が鹿島、阿部拓馬が琉球、金沢へ期限付き移籍していた小島雅也が群馬へそれぞれ完全移籍。横浜FMからの期限付き移籍でプレーしていた吉尾は町田へ期限付き移籍。ジオゴ・アコスタとハモン・ロペスも契約満了により退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "ベガッ太の妹、ルターナが開幕戦より初登場。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "チームスローガン: 熱結 LINK to the FUTURE", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "前年まで山形を指揮していた木山隆之が新監督に就任。選手ではユースから小畑裕馬が昇格。この他、広島から地元・仙台出身の吉野恭平、ボタフォゴSP(ブラジル)からパラ、鳥栖からスペイン出身のイサック・クエンカ、名古屋から赤﨑秀平、水戸から浜崎拓磨がそれぞれ完全移籍、ヴィトーリアSC(ポルトガル)からアレクサンドレ・ゲデス、C大阪から山田寛人、FC東京から前年、山形でプレーしていた柳貴博がそれぞれ期限付き移籍で新加入。また、山口へ期限付き移籍していた佐々木匠と福島へ期限付き移籍していたイ・ユノが復帰。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "リーグ戦では17試合連続未勝利を喫する等、シーズンを通して苦戦。終盤にやや巻き返しがあったものの、最終的には6勝10分18敗(勝点28)の17位で本来ならばJ2降格となる順位だったが、新型コロナウイルス感染症流行に伴う特別レギュレーションにより\"降格なし\"となりJ1残留。6勝は全てアウェーで挙げたもので、ホームでは1勝も挙げる事ができなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "9月1日、従来の運営会社である株式会社ベガルタ仙台とマイナビとの間で、マイナビベガルタ仙台レディースの経営権譲渡に関する基本合意書を締結したことが明らかにされた。2020年シーズンは従来の体制のままチームを運営し、シーズン終了後に正式に経営権を譲渡となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "10月20日、道渕諒平が交際女性とのトラブルにより9月に逮捕されていたと報じられ、事実関係を確認した上で契約を解除した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "また、新型コロナウイルスの影響による大幅な減収により、債務超過に陥る見込みとなった。これを受けて緊急募金を実施していたが、道渕の契約解除により募金は中断された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、木山は監督を退任、強化育成本部長の丹治も退任。選手では10年間在籍した関憲太郎が契約満了により山口へ移籍、椎橋慧也が柏、ジャーメイン良が横浜FC、川浪吾郎が広島、常田克人と浜崎拓磨が松本へそれぞれ完全移籍。セレッソ大阪から期限付き移籍でプレーしていた山田寛人は移籍期間が満了。兵藤慎剛、飯尾竜太朗、金正也、アレクサンドレ・ゲデス、パラ、イ・ユノも契約満了により退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "チームスローガン: Standin' together☆Revival 立ち上がれ復興へ", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "2013年まで6年間チームを指揮していた手倉森誠が8シーズンぶりに監督に復帰。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "阪南大学から真瀬拓海、流通経済大学から加藤千尋とアピアタウィア久、仙台大学から井岡海都が新加入。この他、長崎から氣田亮真、横浜FCから皆川佑介、浦和からマルティノス、名古屋から秋山陽介、岐阜から長倉颯が完全移籍、磐田から上原力也が期限付き移籍でそれぞれ加入。ポルティモネンセからストイシッチ、FCヴィゼラからオッティ、サントスFCからカルドーゾ、アヴァイFCからフォギーニョも加入となったが新型コロナウイルス感染拡大防止のために入国は加入発表より数か月遅くなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "本年も主力選手に故障が相次ぎ中々ベストメンバーが揃えられなかった。契約更新したクエンカとシマオ・マテ、新加入のマルティノスはシーズン途中に双方合意の元で契約解除となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "7月に田中渉は山口への育成型期限付き移籍が決定。8月に富樫敬真、福森直也が加入。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "前年に降格が行われなかった関係で20チームの参加で行われたJ1リーグ戦は開幕戦こそ引き分けるも、2戦目から6連敗。11戦目でようやく初勝利を挙げた後は一時的に巻き返しを見せるも、東京五輪開催による中断が明けてからはまたしても負けが込むようになり、11月20日に2試合残してのJ2降格が決定。同22日をもって手倉森が監督を退任。翌23日よりヘッドコーチを務めてきた原崎政人が\"暫定\"監督に就任し、残り2試合の指揮を執った。最終成績は5勝13分20敗(勝ち点28)の19位で、12年間留まり続けたJ1から去る事になった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "ルヴァン杯はグループステージ2勝4敗(勝ち点6)の3位で敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "2年ぶりの出場となった天皇杯では岩手県代表として出場したJ3リーグ所属の岩手と初戦で対戦するも、0-1で敗戦。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、石野智顕GKコーチが清水へ移籍。選手ではユース出身の佐々木匠が愛媛、6年間在籍した西村拓真が横浜FM、GKのヤクブ・スウォビィクがFC東京、アピアタウィア久が京都へそれぞれ完全移籍。ベテランの関口訓充(後に南葛SC入団)、長倉颯、オッティも契約満了により退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "初のユニフォーム胸上部スポンサーとして、株式会社エス・ブイ・シー(SVC)と契約を締結。同社のロゴが鎖骨左部分に掲出。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "また、ベガルタチアリーダーズユニフォーム前面スポンサーとしても支援を開始。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "チームスローガン:CRAWL UP 這い上がる", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "前年11月に暫定監督に就任した原崎政人がそのまま続投し、アシスタントコーチに角田誠、GKコーチに大神友明、フィジカルコーチに松本純一らが入閣。選手では2019年まで16年間在籍していた梁勇基が鳥栖からの完全移籍で3シーズンぶりに復帰。その他にも、鹿島から地元・仙台出身の遠藤康、水戸から中山仁斗、福島から鎌田大夢、長崎から期限付き移籍で名倉巧などを新戦力として迎えた。蔚山現代FCから期限付き移籍でキム テヒョン、ロサリオ セントラルからデサバトも加入となったが新型コロナウイルス感染拡大防止の為に入国は加入発表より数か月遅くなった。田中は山口への期限付き移籍期間の延長が決定。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "木下グループとユニフォーム(鎖骨右部分&背中上)スポンサー契約を新たに締結。また、デジタルマーケティングパートナー、セプテーニ・ホールディングスと、ユニフォームショーツ背面スポンサーとしての契約を新たに締結した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "4月6日、6日前に赤﨑秀平が一身上の都合で退団(後に南葛SC入団)しセレッソ大阪より中島元彦を育成型期限付き移籍で獲得。4月26日、ホームタウンを「仙台市」から「仙台市を中心とする宮城県全県」に変更することを発表。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "6月1日、25周年を迎えたユアスタにて天皇杯2回戦ホンダFCに勝利。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 135, "tag": "p", "text": "7月7日、ガンバ大阪より佐藤瑶大を育成型期限付き移籍で獲得。7月16日、盛岡戦でJ2通算200勝を達成。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 136, "tag": "p", "text": "9月6日、先月の4連敗を受けて原崎監督解任ならびに8月まで磐田の監督を務めていた伊藤彰の新監督就任を発表。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 137, "tag": "p", "text": "チームは序盤好調を維持。一時首位に立ち、前半戦終了時点でも首位新潟と勝点差2の2位に立っていたが、後半戦に入ると失速。特に第31節からの12試合で2勝2分8敗と大ブレーキがかかり、優勝並びに自動昇格争いからは遠ざかってしまう。最終節の秋田戦に勝利すればプレーオフ進出の可能性があったもののスコアレスドローに終わり、結局前節まで8位だった山形に逆転され7位で終了した。後半戦で6勝5分10敗、勝点23しか挙げられなかったことが響いた形となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 138, "tag": "p", "text": "シーズン終了後、7年間在籍した平岡康裕が契約満了で愛媛へ、ストイシッチも満了で町田へ、カルドーゾと名倉巧と佐藤瑶大は期限付き期間満了、デサバトや大神GKコーチも退団となった。吉野恭平は横浜FC、富樫敬真は鳥栖、田中渉は山形、石原崇兆は金沢へ移籍し、18年在籍した富田晋伍は現役引退を表明した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 139, "tag": "p", "text": "チームスローガン:GRAV 協創", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 140, "tag": "p", "text": "前年最終戦の翌日、伊藤彰監督の続投が発表された。コーチの人事にも動きがありヘッドコーチに渋谷洋樹、コーチに堀孝史、GKコーチに工藤輝央らが入閣。選手では中島元彦が期限付き期間を延長し、山田寛人も3季ぶりに復帰、神戸から郷家友太、ポルティモネンセからエヴェルトン、FC東京から林彰洋、浦項からホ ヨンジュン、鳥栖から相良竜之介、大分から小出悠太、熊本から菅田真啓を新戦力として迎えた。新卒ではオナイウ情滋、工藤蒼生、梅田陸空、菅原龍之助が入団し、大曽根広汰は藤枝へ期限付き移籍が決定。例年よりも早いペースで年内に既存選手の契約更新を終わらせた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 141, "tag": "p", "text": "2023年1月10日、運営会社が広告主となり泉中央駅に副駅名として「ベガルタ仙台・ユアスタ前」と命名した。1月11日、平成の森 多目的運動場が「ベガルタ仙台平成の森運動場」となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 142, "tag": "p", "text": "2月8日、トップチームの練習場である「ベガルタ仙台紫山サッカー場」の呼称が「アイリストレーニングフィールド」となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 143, "tag": "p", "text": "5月3日、秋田戦はマイナビ仙台レディースの長野戦と史上初のダブルヘッダーで開催。5月15日、J30ベストアウォーズにおいて、ベストマッチを受賞。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 144, "tag": "p", "text": "6月8日、庄子春男がGMに就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 145, "tag": "p", "text": "しかし、開幕戦から上昇気流に乗り切れず成績が低迷、7月の段階で13位に転落し13日に伊藤彰監督退任ならびに堀孝史コーチの監督就任を発表した。シーズン途中での監督交代は3年連続となる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 146, "tag": "p", "text": "6月11日の磐田戦から2ヶ月勝ち星なし、昇格組のいわきと藤枝から一度も勝ち星を挙げられず(2分2敗)、最下位で降格した金沢に唯一シーズンダブル(2敗)を食らうなど、シーズンを通して低空飛行を続けた。最終的に12勝12分18敗の16位となり、1999年のJリーグ参入以来最低順位を更新するという不名誉な結果に終わった。シーズン終了後に堀監督が退任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 147, "tag": "p", "text": "U-17サッカー日本代表の監督を務めた森山佳郎が新監督に就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 148, "tag": "p", "text": "", "title": "成績 · 表彰" }, { "paragraph_id": 149, "tag": "p", "text": "", "title": "成績 · 表彰" }, { "paragraph_id": 150, "tag": "p", "text": "", "title": "成績 · 表彰" }, { "paragraph_id": 151, "tag": "p", "text": "", "title": "成績 · 表彰" }, { "paragraph_id": 152, "tag": "p", "text": "", "title": "成績 · 表彰" }, { "paragraph_id": 153, "tag": "p", "text": "", "title": "成績 · 表彰" }, { "paragraph_id": 154, "tag": "p", "text": "Jリーグ加盟以降はユアテックスタジアム仙台 (仙台スタジアム / 仙台市泉区。以下「ユアスタ」)をホームスタジアムとしているが、キューアンドエースタジアムみやぎ(宮城スタジアム / 宮城郡利府町。北緯38度20分7.5秒 東経140度57分1.2秒。以下「宮スタ」)でも不定期にホームゲームを開催する。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 155, "tag": "p", "text": "2009年は1月 - 6月に掛けてユアスタで芝の全面張り替え工事が行われたため、その間のホームゲームを宮スタで11試合、福島県営あづま陸上競技場(現:とうほう・みんなのスタジアム)で1試合を開催した(宮城県外でホームゲーム開催はJリーグ加盟後初。なお、ブランメル仙台(JFL)時代に岩手県で開催経験がある)。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 156, "tag": "p", "text": "また、2011年3月の東日本大震災に伴ってユアスタ仙台が大きな被害を受け、宮スタは救援拠点として使用されることになった。ユアスタの損傷は使用可能の範囲とされたため、当初宮スタで開催が予定されていた4月29日の浦和戦はユアスタに会場が変更された。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 157, "tag": "p", "text": "2016年にベストピッチ賞を貰ったり、サッカーダイジェストのスタジアム部門ランキングで2位に輝くなど関係者からの評価は高い。臨場感、快適さ、アクセスのどこから見てもポイントが高く、サッカーへの造詣が深い平畠啓史氏の評は次の通りである。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 158, "tag": "p", "text": "「地下鉄南北線の終点 · 泉中央駅からわずか4分とアクセスに優れている。大きすぎず小さすぎず、サッカーを楽しむには最適な規模。サポーターの声援がスタンドを覆う屋根に、ほど良く反響するので、目だけでなく耳でも熱気を味わえる。」", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 159, "tag": "p", "text": "キー局でも反響があった「カレーは飲み物」を絡めたスタジアムグルメ や「ふわふわベガッ太(有料)」で子供が遊べる等スタジアム環境も年々進化させている。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 160, "tag": "p", "text": "座席は屋根で覆われてるので前方の席でなければ雨で濡れない。また、3~5名利用の為のテーブル付きのボックスシートの販売、高密度Wi-fiサービス「VEGALTA FREE Wi-Fi」も充実させて年々観戦環境を向上。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 161, "tag": "p", "text": "尚「VPORT」というホームゲーム限定コンテンツはVEGALTA FREE Wi-Fiからのみアクセスが出来て、試合毎にマッチデープログラム、限定壁紙のダウンロードなどが利用可能。", "title": "ホームスタジアム" }, { "paragraph_id": 162, "tag": "p", "text": "各メディアに伝説の試合として多く挙げられるのが次の試合。1と2は Youtube Jリーグ公式チャンネルの「もう一度見たいあの試合」に選ばれており、2はJクロニクルベストの「ベストマッチ (10試合) 」、J30ベストアウォーズの「ベストマッチ (1試合) 」にも選ばれている。サッカーダイジェストにおいても2つは番記者セレクト名勝負ベスト3に選ばれている。", "title": "ベストマッチ" }, { "paragraph_id": 163, "tag": "p", "text": "※対戦カード・開催スタジアムの表記は試合の行われた当時のもの。", "title": "ベストマッチ" }, { "paragraph_id": 164, "tag": "p", "text": "東日本大震災に伴うリーグ戦中断明けから始まった復興支援試合。仙台と川崎の再開初戦はJ30ベストアウォーズでベストマッチに選ばれた。", "title": "ベストマッチ" }, { "paragraph_id": 165, "tag": "p", "text": "翌年から3.11より日付が一番近い試合は「復興応援試合」と銘打って大々的に行われる様になったが、クラブによっては「復興祈念試合」と謳う場合もある。", "title": "ベストマッチ" }, { "paragraph_id": 166, "tag": "p", "text": "試合前の募金活動や被災者の無料招待等の支援活動が主であり、沢山のJリーグクラブが行った。10年経っても支援活動を続けているクラブはありその内容は多岐にわたる。", "title": "ベストマッチ" }, { "paragraph_id": 167, "tag": "p", "text": "仙台も日頃のホームタウン活動において震災復興支援として下記の活動をしている。", "title": "ベストマッチ" }, { "paragraph_id": 168, "tag": "p", "text": "2016年には「5周年 復興祈念ユニフォーム」を着用。", "title": "ベストマッチ" }, { "paragraph_id": 169, "tag": "p", "text": "2021年には新しく『東日本大震災10年プロジェクト』と標榜した活動をし選手達のユニフォームに「全ての仲間にありがとう。がんばろう!宮城·東北」と掲出し全試合で発信した。本年の対戦カードは10年前と同じ川崎。", "title": "ベストマッチ" }, { "paragraph_id": 170, "tag": "p", "text": "毎年のトップチーム始動日には全員で被災地訪問をするのが恒例である。", "title": "ベストマッチ" }, { "paragraph_id": 171, "tag": "p", "text": "対戦相手は同じ震災で被害を受けたチームもしくは違う災害を経験したチームになる事が多くテレビ中継率も高い。", "title": "ベストマッチ" }, { "paragraph_id": 172, "tag": "p", "text": "※2015と2016シーズンは2ステージ制", "title": "ベストマッチ" }, { "paragraph_id": 173, "tag": "p", "text": "ユアテックスタジアム仙台で行われるリーグ戦では、(メインスタンドから見て)左側のゴール裏スタンドからバックスタンドの一部に渡る部分が「サポーター自由席」と称されており、ここをメインに応援が行われている。特に、ゲート入り口から最前列までのスタンド部分に、熱心なサポーターが集まっている。なお、この席ではチームカラーである黄色(「ベガルタゴールド」と呼ばれる)の服(ユニフォームのレプリカ、パーカー、Tシャツ等)を着用するのが「暗黙のルール」とされている。", "title": "サポーター" }, { "paragraph_id": 174, "tag": "p", "text": "コールリーダーは、サポーター自由席のバックスタンド側に位置し、戦況によって応援指示を行う。", "title": "サポーター" }, { "paragraph_id": 175, "tag": "p", "text": "コールリーダーのいる位置には、サポーター有志によって設置されたマイクがあり、ゴール裏スタンド中央部に設置されているスピーカーに音声が出るようになっている。これによって音声のずれが生じることなくサポーター自由席での一体感のある応援を行うことが可能となる。", "title": "サポーター" }, { "paragraph_id": 176, "tag": "p", "text": "ユアテックスタジアム仙台は観客席全てに屋根がかかっている構造になっており、声が屋根に反響する効果がある。メガホンなどの鳴り物グッズを使ってしまうと屋根によって声援がかき消されてしまうため、応援時のメガホン使用が禁止されている。また、ベガルタ仙台のグッズのラインナップにもメガホンが用意されていない。J2初期の頃は、メガホンも販売されていたが上記の理由からサポーターが運営会社に販売中止を申し入れている。", "title": "サポーター" }, { "paragraph_id": 177, "tag": "p", "text": "荒木飛呂彦氏の出身地の為、ジョジョをモチーフにした旗も見受けられる。", "title": "サポーター" }, { "paragraph_id": 178, "tag": "p", "text": "仙台サポーターのチャントは他サポの模倣ではなく、ロック調の楽曲をアレンジしたものが多い。", "title": "サポーター" }, { "paragraph_id": 179, "tag": "p", "text": "選手入場時には「カントリーロード」を謳うが、他にも認知されているチャントは「TWISTED」と「スタンディング仙台」と言える。", "title": "サポーター" }, { "paragraph_id": 180, "tag": "p", "text": "震災時は仙台サポーターのYoutube動画に世界中のサッカーファンからコメントが寄せられた。", "title": "サポーター" }, { "paragraph_id": 181, "tag": "p", "text": "この他にも、太鼓のリズムのみのものもある。", "title": "サポーター" }, { "paragraph_id": 182, "tag": "p", "text": "チームに対してのものと現役選手に対してのものに関しては、河北新報社が運営していた「ベガルタ☆モバイル」にて着信メロディとして用意されていた。ダウンロードは月に3曲のみ可能であるが、一部の曲は含まれない。", "title": "サポーター" }, { "paragraph_id": 183, "tag": "p", "text": "''vegaltachannel''はYoutubeにあるベガルタ仙台の公式アカウント。試合のハイライトやプロモーションの他に独自色が強いコンテンツとして下記がある。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 184, "tag": "p", "text": "「DAZN(ダゾーン)」はスポーツ専門の同時配信サービス、VOD(見逃し配信なら、期間内であればいつでも観れる)、サブスク。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 185, "tag": "p", "text": "見逃し配信であれ、いつでもどこでも好きなコンテンツを選んで再生、一時停止、巻き戻しながら自分のスタイルで視聴することが可能。JリーグとPerform Groupが提供するスポーツのライブストリーミングサービス「DAZN」が2017年より10年間、約2100億円の放映権契約を締結。その後、2023年から2033年までの11年間で約2,395億円という新たな放映権契約を締結。仙台のオンラインストアから同クラブデザインの年間視聴パスを買うと、クラブに強化費が還元される。", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 186, "tag": "p", "text": "宮城の地上波5局の中継スタイル", "title": "メディア" }, { "paragraph_id": 187, "tag": "p", "text": "チーム発足直後より、仙台市若林区荒井には市民後援会運営の「べがる田」がある。2021年7月に「七ヶ宿空き家再生プロジェクト:ベガルタハウスをつくろう」をスタート。これは、SDGs基本指針の目標11「住み続けられるまちづくりを」、目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」に即した社会連携活動である。2022 Jリーグシャレン!アウォーズにおいて一般投票(TwitterによるRT数)で1位を獲得するなど反響は大きく、申請すれば宿泊も可能。(ベガッ太ブログにて最新情報は見られる。)", "title": "社会連携活動" }, { "paragraph_id": 188, "tag": "p", "text": "他のSDGs活動としてはタイの子供たちにユニフォームを寄贈したり、松川だるまや涌谷町の黄金レモンとコラボレーション。", "title": "社会連携活動" }, { "paragraph_id": 189, "tag": "p", "text": "2023年6月11日に開催された対ジュビロ磐田戦の試合終了後にベガルタ仙台の100人を超えるサポーターが、磐田の選手が行ったゴールパフォーマンスが不満だったため、スタジアムの立入禁止区域に侵入して、磐田の選手らが乗ったバスを取り囲んで、30分以上にわたって罵声を浴びせ威嚇した。これによりクラブに対して、500万円の罰金とけん責の処分が下された。", "title": "不祥事" }, { "paragraph_id": 190, "tag": "p", "text": "ベガルタ仙台の元社員が2015年12月から2023年6月16日までに、顧客からチケットなどの代金を受領していた現金と顧客に対して販売するためにクラブから交付されたチケットなど、合わせておよそ1100万円分を着服した上で横領したことについても、クラブに対して、500万円の罰金とけん責の処分を下した。", "title": "不祥事" }, { "paragraph_id": 191, "tag": "p", "text": "ベガルタ仙台の決算は、下記のとおり。", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 192, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 193, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 194, "tag": "p", "text": "人件費は事業費に含まれる。", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 195, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 196, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 197, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021、 2022", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 198, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 199, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016、 2017、 2018、 2019、 2020、 2021、 2022", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 200, "tag": "p", "text": "金額の単位: 百万円", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 201, "tag": "p", "text": "ホームゲーム開催時のユアテックスタジアム仙台でもグッズが購入可能。", "title": "公式ストア" }, { "paragraph_id": 202, "tag": "p", "text": "限定商品 (例:こけし、ミニ四駆、ビール、ドトール) や先行販売のグッズもある。", "title": "公式ストア" }, { "paragraph_id": 203, "tag": "p", "text": "アウェイゲーム先でも販売する場合あり。", "title": "公式ストア" } ]
ベガルタ仙台は、日本の仙台市を中心とする宮城県全県をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
{{Otheruses|日本のサッカークラブ|同クラブの運営法人|ベガルタ仙台 (企業)}} {{サッカークラブ | font-color = #0000CD | background-color = #FFD700;color:#0000CD;border:1px solid #dc0038; | 原語表記 = ベガルタ仙台 | 呼称 = ベガルタ仙台 | 愛称 = ベガルタ、ベガ | カラー = {{color box|#FFDf00}} ゴールド<ref name="jleague"/><br>{{color box|mediumblue}} ブルー<ref name="jleague"/><br />{{color box|red}} レッド<ref name="jleague"/> | 創設 = 1988 | リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]] | ディビジョン = [[J2リーグ]] | クラブライセンス=J1 | ホームタウン = [[仙台市]]を中心とする[[宮城県]]全県<ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=http://www.jleague.jp/club/sendai|title=プロフィール:ベガルタ仙台|work=[[日本プロサッカーリーグ]]|accessdate=2015-10-30}}</ref> | スタジアム = [[ファイル:Sendaistadium2.JPG|center|200px]][[仙台スタジアム|ユアテックスタジアム仙台]]<ref name="jleague" /> | キャパ = 19,526<ref name="jleague" /> | 法人名 = [[ベガルタ仙台 (企業)|株式会社ベガルタ仙台]]<ref name="jleague" /> | 代表 = {{Flagicon|JPN}} [[板橋秀樹]]<ref name="jleague" /> | 監督 = | HP = https://www.vegalta.co.jp/ | pattern_la1= _VEGALTA SENDAI 2023 HOME FP | pattern_b1= _VEGALTA SENDAI 2023 HOME FP | pattern_ra1= _VEGALTA 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{{Instagram|vegaltasendai}} * {{TikTok|vegalta_}} * {{LINE公式アカウント|vegalta}} * {{Facebook|vegalta.sendai.official}} * [https://www.jleague-ticket.jp/club/vs/ チケット] * [https://store.jleague.jp/club/sendai/ オンラインストア] | pseudonym = | channel_name = | channel_url = UC7QdJ-ssV4jfLKbBNo-LRKg | channel_direct_url = | channel_display_name = vegaltachannel | years_active = 2012年9月19日 - | genre = サッカー | subscribers = 約2.1万人 | subscriber_date = | views = 約859万回 | view_date = | network = | associated_acts = | catchphrase(s) = | silver_button = | silver_year = | gold_button = | gold_year = | diamond_button = | diamond_year = | ruby_button = | ruby_year = | stats_update = {{dts|2023-05-15}} }} '''ベガルタ仙台'''(ベガルタせんだい、{{Lang-en-short|Vegalta Sendai}})は、[[日本]]の[[仙台市]]を中心とする[[宮城県]]全県をホームタウンとする<ref name="jleague"/>、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 == 概要 == {{座標一覧}} [[1988年]]創部の'''[[東北電力サッカー部]]'''が前身であり、[[1999年]]にJリーグへ加盟した<ref name="jleague" />。[[ホームタウン]]は[[仙台市]]<ref name="jleague" />を中心とする[[宮城県]]全県。ホームスタジアムは[[仙台スタジアム|ユアテックスタジアム仙台]]<ref name="jleague" />(詳細は[[#ホームスタジアム]]を参照)、練習場は[[ベガルタ仙台紫山サッカー場|アイリストレーニングフィールド]]および[[泉サッカー場]]<ref name="jleague" />である。 [[File:Vegalta SENDAI Tanabata, the decorations of Sendai Star Festival.JPG|right|thumb|300px|名称の由来となった[[仙台七夕|仙台七夕まつり]]で飾られているベガルタ仙台応援七夕飾り(2009年8月6日)]] チーム名の「ベガルタ」は、[[仙台七夕]]にちなんで[[七夕]]の「織り姫」と「彦星」とされる[[恒星|星]]の名前、「[[ベガ]] (Vega)」と「[[アルタイル]] (Altair)」を合わせた[[造語]]。[[マスコット]]は「[[ベガッ太]]」と[[ルターナ]](ベガッ太の妹)<ref name="jleague" />。 == 歴史 == === Jリーグ加盟以前 === {{main|東北電力サッカー部}} [[1988年]]創部の'''[[東北電力サッカー部]]'''が前身。1994年に[[東北社会人サッカーリーグ]]及び[[全国地域サッカーチャンピオンズリーグ|全国地域サッカーリーグ決勝大会]]で優勝。[[1995年]]より[[ジャパンフットボールリーグ]](JFL)へ昇格<ref name="jleague" />。また、[[1994年]]10月に運営法人として「'''株式会社東北ハンドレッド'''」(現在の「'''[[ベガルタ仙台 (企業)|株式会社ベガルタ仙台]]'''」)を設立し、クラブ名を「'''ブランメル仙台'''」(後述)に改称した<ref name="jleague" />。 1995年に[[Jリーグ準会員制度|Jリーグ準会員]]となり、1999年からのJリーグの2部制開始とともに[[J2リーグ|J2]]に参加した。なお、[[商標|商標権]]の関係から、翌1999年1月よりクラブ名称を「ブランメル仙台」から「'''ベガルタ仙台'''」に改称した<ref name="jleague" />。また、チームカラーも[[金色|ゴールド]](「ベガルタゴールド」)へ変更した。メインとなる色は、鮮やかなベガルタ・ゴールド。これは流星の色であると共に、宮城県が<u>日本最初の黄金の産地</u>である事から<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.town.wakuya.miyagi.jp/sangyo/kanko/mesho/rensai/h3002sakintori.html#:~:text=%E6%B6%8C%E8%B0%B7%E7%94%BA%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A7,%E3%81%A7%E3%82%82%E9%87%91%E3%81%8C%E6%8E%A1%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 |title=涌谷町は日本で初めて金が採れた地 |access-date=2022-10-03}}</ref>。次にベガルタ・ブルーは銀河の色を表し、伝統と品位を象徴。最後にベガルタ・レッドは情熱と勝利への意欲を表している。 === 1999年 - 2001年(J2) === ==== 1999年 ==== J2リーグ戦は、前期(第2クール)終了時点で最下位となり、前期終了を以って壱岐洋治が総監督を、[[鈴木武一]]が監督を共に辞任。後任として[[清水秀彦]]が監督に就任。なお、最終順位は9位。[[1999年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]は、1回戦で[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]に敗退。 一校目となるジュニアサッカースクール「泉校」開校。 ==== 2000年 ==== :チームスローガン:'''あなたとJ1''' 1チーム増の11チームで争われたリーグ戦は、開幕から5連敗を喫したがその後巻き返し、最終順位は5位。[[2000年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]は1回戦で[[セレッソ大阪|C大阪]]に敗退。 ==== 2001年 ==== :チームスローガン:'''あなたとJ1''' FW[[マルコス・パウロ・ソウザ・リベイロ|マルコス]]、元[[サッカー日本代表|日本代表]]MF[[岩本輝雄]]等が新加入。J2開始3年目は1チーム増の12チームで争われ、第1クールを8勝1分2敗で終えると、以降の3クールで6勝ずつ勝利を挙げ、勝点80の3位で最終節(第44節)を迎える。 最終節([[11月18日]])で、京都を破り、前節まで2位の[[モンテディオ山形|山形]]が[[川崎フロンターレ|川崎]]にVゴール負けしたため、リーグ2位が決まり、東北地方のクラブとして初の[[J1リーグ|J1]]昇格が決定した<ref>本試合はJリーグ公式チャンネルの【もう一度見たいあの試合】42選に選ばれた。</ref>。 この試合は鼻骨骨折で4試合欠場していた[[村田達哉|村田]]はフェイスガードを付け、怪我で離脱して4試合離脱していた[[岩本輝雄|岩本]]等が戻って満身創痍で臨んだ一戦であった。{{Main|2001年J2最終節}} [[2001年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]は1回戦で[[アビスパ福岡|福岡]]に敗退。 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.50|y=1.27|scale=220|text='''[[清水秀彦|{{font|監督 '''清水秀彦'''|size=small|color=Khaki}}]]'''}} {{Image label|x=0.34|y=1.10|scale=220|text='''[[高橋範夫|{{font|'''1高橋範夫'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.07|y=0.81|scale=220|text='''[[村田達哉|{{font|'''30村田達哉'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.20|y=0.95|scale=220|text='''[[小村徳男|{{font|'''4小村徳男'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.54|y=0.95|scale=220|text='''[[リカルド|{{font|'''6リカルド'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.66|y=0.81|scale=220|text='''[[森勇介|{{font|'''18森勇介'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.09|y=0.44|scale=220|text='''[[岩本輝雄|{{font|'''14岩本輝雄'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.50|y=0.64|scale=220|text='''[[シルビオ・ホセ・カヌート|{{font|'''8シルビーニョ'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.18|y=0.64|scale=220|text='''[[森保一|{{font|'''27森保一'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.60|y=0.44|scale=220|text='''[[福永泰|{{font|'''20福永泰'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.20|y=0.25|scale=220|text='''[[マルコス・パウロ・ソウザ・リベイロ|{{font|'''9マルコス'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.52|y=0.25|scale=220|text='''[[山下芳輝|{{font|'''13山下芳輝'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Small|2002年基本フォーメーション}} |} === 2002年 - 2003年(J1) === ==== 2002年 ==== この年のチームスローガンはなし。FW[[山下芳輝]]、MF[[シルビオ・ホセ・カヌート|シルビーニョ]]、MF[[森保一]]、DF[[小村徳男]]らが加入。 第1ステージは2年連続J1年間王者の[[鹿島アントラーズ|鹿島]]にアウェーで勝利するなど、昇格チーム初となる開幕から5連勝。特に、山下は7試合で5得点を挙げ、J1得点ランキング2位タイの活躍で[[サッカー日本代表|日本代表]]候補に選出された。しかし、[[2002 FIFAワールドカップ]]開催によるリーグ戦中断から再開後、第1ステージ残り8試合を1勝7敗。それでも序盤の貯金でこのステージは9位で終わるも、続く第2ステージではわずか4勝(1分10敗)で15位に終わった(年間総合順位は全16チーム中13位)。 [[2002年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]は、グループリーグ3位で敗退。 [[ファイル:Hajime Moriyasu at Iran-Japan pre-match conference 1.jpg|サムネイル|[[森保一]]:[[サッカー日本代表監督|日本代表監督]] (仙台でも主将を歴任)]] ==== 2003年 ==== :チームスローガン:'''もっと、高く・強く''' GK[[高桑大二朗]]、FW[[佐藤寿人]]、DF[[根本裕一]]らが新加入。 開幕から4戦無敗(3勝1分)と好調なスタートを切ったが、その後は負けが込んで、第1ステージは3勝3分9敗の15位。第2ステージも低迷し、9月に[[清水秀彦]]監督を解任。[[ジェフユナイテッド千葉|市原]]、[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]で監督を歴任した[[スロベニア]]出身の[[ズデンコ・ベルデニック]]が監督に就任したが、[[9月27日]](第2ステージ・第8節)の[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦([[宮城スタジアム|宮城]])で19試合連続未勝利を喫した(当時のJリーグ記録)。最終節([[11月29日]])の[[大分トリニータ|大分]]戦に引分け、年間総合15位(全16チーム中)となり、J2降格が決定した。 練習場を「泉サッカー場」に移転。 [[サンパウロFC|サンパウロ(ブラジル)]]と友好関係を締結。 [[2003年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]はグループリーグ3位で敗退。 シーズン終了をもって[[ジャパンヘルスサミット]]がスポンサーから撤退。ユニフォームから「カニトップ」の名が消える。 === 2004年 - 2009年(J2) === ==== 2004年 ==== :チームスローガン:'''Be Creative & Run 考えよ、疾走せよ''' ベルデニック体制2年目。[[阪南大学サッカー部|阪南大]]から[[梁勇基]]が加入し1年でのJ1復帰を目標に掲げたが、開幕から3連敗。4戦目でようやく初勝利を挙げるも、その後また3連敗とつまづく。しかし、その後はチームを修正しつつ、若手選手の台頭で盛り返し、J1昇格争いに絡んだ。しかし、第4クールで再び失速し、早い段階で昇格争いから脱落。結局、全12チーム中6位に終わった。シーズン終了後、ベルデニックが監督を解任、FW[[佐藤寿人]]が[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]へ移籍した。 オフィシャルショップ「オーレ·ベガルタ」が開店<ref>2016年3月13日閉店</ref>。 「'''[[アイリスオーヤマ]]'''」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結([[2000年]]に背中部分のスポンサーとして契約し、前年まで背番号上部にロゴを入れていたが、「ジャパンヘルスサミット」のスポンサー撤退に伴い、胸部分のスポンサーに"昇格"する形となった)。また、「アイリスオーヤマ」に替わる背中部分の新スポンサーとして大手出版社「[[廣済堂]]」と契約(同社で発行する求人情報誌「Workin」のロゴが入った)。 ==== 2005年 ==== :チームスローガン:'''熱く 楽しく そしてひとつに''' 2月にクラブ10周年記念イベント開催。 8月に公式オンラインショップ(グッズショップ)開設。 元日本代表の[[都並敏史]]が監督に就任。一時は全12チーム中11位にまで後退したが、第2クール以降は持ち直し、第4クールでは8戦負けなし(6勝2分)と調子を挙げ、一時は[[J1・J2入れ替え戦|入れ替え戦]]出場となる3位にまで浮上したが、最終節([[12月3日]])で[[アビスパ福岡|福岡]]に引き分けたことで、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]に勝ち点で追い抜かれ、4位。入れ替え戦出場を逃した。 シーズン終了後、GMの[[田中孝司 (サッカー選手)|田中孝司]]、監督の都並がそれぞれ退任。また、[[財前宣之]]ら7選手が退団し、ゲームメーカーの[[シルビオ・ホセ・カヌート|シルビーニョ]]も[[アルビレックス新潟|新潟]]へ移籍した。 ==== 2006年 ==== :チームスローガン:'''勝利or勝利 〜絆を力に変えて〜''' [[ブラジル人]]の[[ジョエル・サンタナ]]が監督に就任。この年、[[仙台スタジアム]]が[[命名権]]導入に伴い、「'''ユアテックスタジアム仙台'''(略称:ユアスタ仙台)」に改称。 [[ファイル:Humberlito Borges Teixeira 01.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|史上2人目の[[J2リーグ#表彰|J2得点王]]に輝いた[[ウンベルリート・ボルジェス・テイシェイラ|ボルジェス]]]] 序盤は4バック3ボランチの日本人8人で守って、新加入のブラジル人トリオ([[ウェリントン・ノゲイラ・ロペス|ロペス]]、[[チアゴ・ネーヴィス・アウグスト|チアゴ・ネーヴィス]]、[[ウンベルリート・ボルジェス・テイシェイラ|ボルジェス]])の3人でカウンター、という戦術が当たり、第1クール終了時は自動昇格圏の2位につけ、第2クールも好調を維持。入れ替え戦出場となる3位でリーグ戦前半を折り返す。 ところが、DF[[白井博幸]]がケガで長期離脱したころからそれまでの戦術が機能しなくなる。リーグ戦後半となる第3クールでは下位チームには勝てても上位チームには勝てなくなった。同クール終了時には3位との勝ち点差7の4位に後退。その後、MFチアゴ・ネーヴィスの負傷による戦線離脱も重なり、最終・第4クールでも浮上のきっかけを掴めず、昇格争いから脱落。5位に終わった。 シーズン終了後、サンタナが退任。また、GK高桑、ベテランFW[[大柴克友]]など4選手が契約期間満了により退団。また、J2得点王となったFWボルジェスが[[サンパウロFC]]へ[[レンタル移籍|期限付き移籍]](その後、[[2008年]]に完全移籍)。期限付き移籍でプレーしていたチアゴ・ネーヴィスは移籍期間を延長せず。その一方で、MFロペスは期限付き移籍期間を延長した。 この他、ユニフォーム(背中部分)のスポンサーだった廣済堂が同年シーズン終了を以って撤退。 ==== 2007年 ==== :チームスローガン:'''新仙走破 〜そして進化。〜''' 前年ヘッドコーチを務めた[[望月達也]]が監督に昇格。望月はヘッドコーチの傍ら、[[Jサテライトリーグ|サテライト]]チームの監督を務めた。また、サンタナが体調不良で欠場した際、1試合のみだがトップチームの監督代行を務め、勝利を収めていた。 [[モンテディオ山形|山形]]からMF[[永井篤志]]、[[サガン鳥栖|鳥栖]]からGK[[シュナイダー潤之介]]等を獲得。第1クールは開幕から11戦無敗(6勝5分)、第2クールは一時負けが込んだが、3位でリーグ戦前半を折り返す。第3クールに入って失点が増えたことなどから、6月に[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]から[[林卓人]]を、7月に元[[アルビレックス新潟|新潟]]のMF[[ファビオ・ジョゼ・ドス・サントス|ファビーニョ]]を、8月には[[柏レイソル|柏]]からDF[[岡山一成]]を、いずれも[[レンタル移籍|期限付き移籍]]で獲得。 第3クール終盤で戦術を若干修正。攻撃の手駒を減らし、SBの攻撃参加を限定的にすることでカウンターへの対処と守備の安定化を図った。これが功を奏し、第3クール終盤以降は失点が減少。第4クール序盤から中盤では昇格を争うライバルチームとの直接対決に勝利したが、第50節の[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦と第51節の京都戦に連敗し、入れ替え戦出場を逃した。最終順位は4位。 GK[[小針清允]]、DF[[白井博幸]]等7選手がシーズン終了をもって退団。また、[[ジョニウソン・クロヴィス・ナシメント・ブレヴィス|ジョニウソン]]、[[ウェリントン・ノゲイラ・ロペス|ロペス]]、ファビーニョのブラジル人3選手全員もチームを退団。さらに、チーム最多得点を挙げたFW[[萬代宏樹]]も[[ジュビロ磐田|磐田]]へ完全移籍。望月も監督を退任した(「クラブスタッフ」としてフロント入り)。 新選手寮「ヴィステーラ泉」完成。 なお、廣済堂に替わるユニフォーム(背中部分)の新スポンサーが決まらず、開幕からしばらくの間は“空白”のままであったが、[[8月]]に「[[NECトーキン]]」とスポンサー契約を締結。[[9月]]から同社のロゴが背番号上部に入れられた。 ==== 2008年 ==== :チームスローガン:'''感動一体 絆は次なるステージへ''' 前年、ヘッドコーチを務めた[[手倉森誠]]が監督に就任。また、手倉森誠の双子の弟・[[手倉森浩|浩]]がヘッドコーチに就任。 [[明治大学体育会サッカー部|明治大学]]からGK[[関憲太郎]]、[[筑波大学]]からMF[[三澤純一]]が新加入。[[ヴィッセル神戸|神戸]]から元日本代表FW[[平瀬智行]]、[[柏レイソル|柏]]からMF[[佐藤由紀彦]]、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]からFW[[田中康平 (1985年生のサッカー選手)|田中康平]]、[[川崎フロンターレ|川崎]]からMF[[飛弾暁]]をそれぞれ完全移籍、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]からDF[[一柳夢吾]]、[[大分トリニータ|大分]]から[[宮沢正史]]、[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[西山貴永]]をそれぞれ[[レンタル移籍|期限付き移籍]]で獲得。期限付き移籍していたFW[[中島裕希]]とDF[[岡山一成]]がいずれも完全移籍に移行。GK[[林卓人]]も移籍期間を延長し、チームに留まった。 [[宮崎県]][[延岡市]]でのキャンプ中の2月6日に、一柳夢吾、[[金子慎二]]、[[細川淳矢]]、[[富田晋伍]]の4選手が、酒に酔って一般人の車を傷つけるという不祥事を起こした。騒ぎを聞きつけた手倉森監督が駆け付け、その場で示談が成立したため被害届は出されなかったが、4選手には3か月の減俸が課せられた。 第1クール終了時で7勝5分け2敗の3位。第2クール以降は決定力不足が目立つようになり、韓国Kリーグで外国人初の年間MVPを獲得した経験を持つブラジル人FW[[ナドソン・ロドリゲス・デ・ソウザ|ナジソン]]を獲得。また、[[京都サンガF.C.|京都]]からMF[[斉藤大介]]を期限付き移籍で獲得。 第3クールは、[[モンテディオ山形|山形]]に敗れ、9年ぶりとなる[[みちのくダービー]]シーズン負け越し。また、これまで無敗であった[[水戸ホーリーホック|水戸]]に初黒星。その後は第2クールまでいずれも1分1敗と苦しめられた[[愛媛FC|愛媛]]、[[セレッソ大阪|C大阪]]に連勝。 [[11月30日|30日]]に[[サガン鳥栖|鳥栖]]に敗れ、自動昇格(=2位以内)が消滅したが、最終節で[[ザスパクサツ群馬|草津]]に勝利し、シーズン3位を確保して、入れ替え戦へ出場<ref>最終節の関口のゴールはJ2全体で7,000点目のメモリアルゴール</ref>。入れ替え戦でJ1第16位の[[ジュビロ磐田|磐田]]と対戦したが、1分1敗に終わり、J1復帰はならなかった。 この試合はサッカーダイジェストの「識者7人の記憶 忘れられない一戦」に清水英斗より選ばれた<ref>{{Cite book|和書|title=『No.1507「名勝負列伝」』|date=2022年5月26日|publisher=日本スポーツ企画出版社}}</ref>。 シーズン終了後、岡山、GK[[シュナイダー潤之介]]らが退団。ナジソンは[[ECヴィトーリア]]、大分から期限付き移籍中だった宮沢も元のチームへ戻った。「クラブスタッフ」としてフロント入りしていた前監督の望月も退団。その一方で、手倉森は翌年も引き続き指揮を執ることになった。仙台にとっては5年ぶりに監督交代のないシーズンオフとなった。 運営会社の「株式会社東北ハンドレッド」が6月1日付で「'''[[ベガルタ仙台 (企業)|株式会社ベガルタ仙台]]'''」へ商号を変更。シーズン終了後、NECトーキンがスポンサーから撤退した。 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.50|y=1.27|scale=220|text='''[[手倉森誠|{{font|監督 '''手倉森誠'''|size=small|color=Khaki}}]]'''}} {{Image label|x=0.36|y=1.08|scale=220|text='''[[林卓人|{{font|'''16林卓人'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.08|y=0.77|scale=220|text='''[[朴柱成|{{font|'''27朴柱成'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.20|y=0.91|scale=220|text='''[[渡辺広大|{{font|'''3渡辺広大'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.54|y=0.91|scale=220|text='''[[エリゼウ・フェレイラ・マルシアーノ|{{font|'''6エリゼウ'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.62|y=0.77|scale=220|text='''[[菅井直樹|{{font|'''25菅井直樹'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.09|y=0.43|scale=220|text='''[[関口訓充|{{font|'''11関口訓充'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.52|y=0.59|scale=220|text='''[[千葉直樹|{{font|'''7千葉直樹'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.17|y=0.59|scale=220|text='''[[富田晋伍|{{font|'''17富田晋伍'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.62|y=0.43|scale=220|text='''[[梁勇基|{{font|'''10梁勇基'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.20|y=0.25|scale=220|text='''[[平瀬智行|{{font|'''14平瀬智行'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.53|y=0.25|scale=220|text='''[[中島裕希|{{font|'''13中島裕希'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Small|2009年基本フォーメーション}} |} ==== 2009年 ==== :チームスローガン:'''闘志躍動 思いを胸に…''' 手倉森体制2年目。スローガンとは別に「'''完全昇格'''」を目標に掲げた。MF[[梁勇基]]、[[関口訓充]]、DF[[菅井直樹]]が残留。[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]から期限付き移籍中のGK[[林卓人]]も移籍期間を再延長して残留。前年まで期限付き移籍であったDF[[一柳夢吾]]、MF[[斉藤大介]]、[[西山貴永]]は完全移籍した。また、山形からGK[[桜井繁]]、[[横浜FC]]からDF[[エリゼウ・フェレイラ・マルシアーノ|エリゼウ]]、[[ヴィッセル神戸|神戸]]からMF[[曽我部慶太]]、[[大韓民国|韓国]]の[[水原三星ブルーウィングス|水原三星]]から元同国代表DF[[朴柱成]]をそれぞれ完全移籍で、ブラジルの[[AAポンチ・プレッタ|ポンチ・プレッタ]]から[[マルセロ・ゴメス・ソアレス|マルセロ・ソアレス]]を期限付き移籍で獲得。 リーグ戦は第2クール終了時点で20勝6分8敗(勝ち点66)の2位。最終・第3クールは第39節([[9月13日]])で福岡に敗れた以外は無敗をキープ。[[11月8日]](第48節)に[[水戸ホーリーホック|水戸]]に勝利してJ1昇格条件の3位以内が確定。 続く第49節([[11月22日]])では首位[[セレッソ大阪|C大阪]]との直接対決に勝利し、入れ替わりで首位に浮上。[[2009年J2最終節|第51節]]([[12月5日]])は[[愛媛FC|愛媛]]と引き分けたものの、2位のC大阪が[[サガン鳥栖|鳥栖]]に敗れたため、J2初優勝を果たした(最終戦績は32勝10分9敗の勝ち点106。[[2004年のJリーグ ディビジョン2|2004年]]に[[川崎フロンターレ|川崎]]が記録した「105」を上回り、J2歴代最多勝ち点を記録<ref group="注">ただし、2004年は1チーム44試合で2009年より7試合少なかった。4回戦総当り制であったが、参加クラブ数が少なかったためである(12チーム)。</ref>。 守備が非常に安定し、総失点はリーグ最少の39、1試合あたりの平均失点は0.76点。3失点以上を喫した試合は1度もなかった。また前年に引き続きファウルの少なさも目立った。[[反則ポイント]]はフェアプレー賞の選考基準51ポイント以下に対して僅か17ポイントで、2位の湘南(86ポイント)を大きく引き離し、2年連続のJ2フェアプレー賞を獲得すると共に、チェアマン特別賞も受賞した。 [[第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]ではチーム初のベスト4へ進出(準決勝で[[ガンバ大阪|G大阪]]に敗戦)。 このシーズンはユアスタ仙台が芝の全面張替え工事のため6月まで使用できず、その間のホームゲーム(11試合)を[[宮城スタジアム]](それとは別に[[福島県営あづま陸上競技場]]で1試合)で開催。春先に宮スタで2敗を喫したものの、その後は安定した戦いを見せ、通算で19勝5分2敗。'''ホーム23戦無敗'''というJ2新記録を打ち立てた。同じく記録した'''ホーム12連勝'''もJ2新記録。天皇杯も含め、ユアスタ仙台で無敗のままシーズンを終えた。 背中部分のスポンサーとして地元・仙台に本社を構える酒類量販店「[[やまや]]」、パンツ部分のスポンサーとして [http://www.abekama.co.jp/ 阿部蒲鉾店] とそれぞれ契約した。 シーズン終了後、DF[[木谷公亮]]、6月に完全移籍で加入したFW[[ジョアン・フランシスコ・デ・サレス|サーレス]]、FWマルセロ・ソアレスらが退団した。 [[ファイル:梁勇基.jpg|サムネイル|[[梁勇基#エピソード|連続試合出場記録]]を持つ梁勇基|282x282px]] === 2010年 - 2021年(J1) === ==== 2010年 ==== :チームスローガン:'''闘志躍動 より高みへの挑戦''' 手倉森体制3年目。[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]から[[期限付き移籍]]中だったGK[[林卓人]]が完全移籍に移行。[[柏レイソル|柏]]からDF[[鎌田次郎]]、[[サガン鳥栖|鳥栖]]からMF[[高橋義希]]、前年7月まで磐田に在籍していた[[太田吉彰]]、[[大分トリニータ|大分]]から[[エルディス・フェルナンド・ダマショ|フェルナンジーニョ]]がそれぞれ完全移籍、[[ブラジル]]・[[クルゼイロEC|クルゼイロ]]からはFW[[レイナルド・ゴンサルヴェス・フェリックス|レイナルド]]が期限付き移籍で新加入した。 リーグ戦は開幕2連勝を皮切りに、第5節ではJ1リーグ3連覇中の[[鹿島アントラーズ|鹿島]]を降すなど好調なスタートを切った。しかし、続く第6節で[[清水エスパルス|清水]]に1-5の大敗を喫すると、第7節ではホーム・ユアスタ仙台で[[ヴィッセル神戸|神戸]]に0-1で敗戦(この敗戦でJ2時代から続いていたリーグ戦におけるホーム不敗記録が25でストップ)。その後攻撃陣に怪我人が続出した影響もあり、鹿島戦以降未勝利のまま[[2010 FIFAワールドカップ]]開催に伴うリーグ戦中断期間を迎える。 W杯中断期間中、FWレイナルドが退団した一方で、[[Kリーグ]]・[[大田シチズン]]よりFW[[朴成鎬]]を期限付き移籍で獲得。また、リーグ戦再開後の8月に[[FC東京]]からFW[[赤嶺真吾]]を期限付き移籍で獲得。その後、第20節(8月22日・対大宮)でリーグ戦15試合ぶりの勝利を挙げると、第30節までの11試合を7勝1分3敗で乗り切り、最後は最終節でJ1残留を決めた。シーズン通算成績は10勝9分15敗(勝点39)の14位。 [[2010年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]は、グループリーグA組を3勝3分けの2位で通過。初の決勝トーナメント(準々決勝)進出を果たした。準々決勝では[[ジュビロ磐田|磐田]]と対戦したが、1分1敗で敗退。[[第90回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は初戦(2回戦)で[[ソニー仙台FC]]に敗退。 代表関連では[[5月10日]]、MF[[梁勇基]]の南アフリカW杯・[[サッカー朝鮮民主主義人民共和国代表|北朝鮮代表]]候補へ選出された。しかし、最終登録メンバーには選出されず、仙台所属選手として初のW杯出場は果たせなかった。[[9月30日]]にはMF[[関口訓充]]の[[サッカー日本代表|日本代表]]メンバー選出が発表される。仙台所属選手の日本代表入りは2003年の[[山下芳輝]]以来3人目であるが、仙台でプロキャリアをスタートさせた生え抜き選手としては初の代表入りとなった。関口は[[10月8日]]の[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]戦で代表デビューを果たした。 [[5月15日]]の浦和戦後、仙台の外国籍選手(選手名は非公表)が浦和サポーターから人種差別的な発言を浴びせられたとして、Jリーグが調査を開始。差別発言をしたとされる人物は確認できなかったが、仙台に200万円、浦和に500万円の制裁金が課せられた。 シーズン終了後、MF[[千葉直樹]]とFW[[平瀬智行]]が引退。また、GK[[萩原達郎]]、DF[[一柳夢吾]]、MF[[三澤純一]]、[[永井篤志]]、FWフェルナンジーニョが契約期間満了、FW[[朴成鎬]]は期限付き移籍期間満了、DF[[エリゼウ・フェレイラ・マルシアーノ|エリゼウ]]は[[徳島ヴォルティス|徳島]]へ完全移籍のためそれぞれ退団した。 ==== 2011年 ==== :チームスローガン:'''V Shift 杜が変わる、上がる、熱くなる。''' 手倉森体制4年目。前年引退した平瀬智行がチームの第2代アンバサダーに就任。初代アンバサダーの岩本輝雄は退任。 選手補強は[[京都サンガF.C.|京都]]から元日本代表FW[[柳沢敦]]とDF[[角田誠]]、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]からFW[[マルコス・ゴメス・デ・アラウージョ|マルキーニョス]]をそれぞれ完全移籍、[[FC東京]]からMF[[松下年宏]]、鹿島からGK[[川俣慎一郎]]をともに期限付き移籍、新外国人選手として韓国[[Kリーグ]]の[[城南一和天馬|城南一和]]からDF[[曺秉局]]を完全移籍、ブラジル・[[イパチンガFC]]からMF[[マックス・ウィリアン・カラスコ|マックス]]を期限付き移籍でそれぞれ獲得。ソニー仙台へ期限付き移籍していたFW[[大久保剛志]]が4シーズンぶりにチームへ復帰し、FC東京から期限付き移籍中だったFW[[赤嶺真吾]]を完全移籍で獲得。 1月25日から始まった40日間の春季キャンプを終え、そのまま広島入りして開幕戦を戦い帰仙したチームであるが、ホーム開幕を翌日に控えた3月11日、[[東北地方太平洋沖地震]]([[東日本大震災]])および[[福島第一原子力発電所事故]]が発生。これによりリーグ戦、ナビスコ杯が中断。チームも活動を停止。外国籍選手が一時帰国したほか、下部組織選手やMF[[関口訓充]]などが避難所生活を強いられることとなった。3月28日、選手達はクラブに再集合した後に足早に[[石巻市]]へと向かった。「声も出ない程の光景でした([[大久保剛志|大久保]])」津波で甚大な被害を受けた被災地の光景に選手達は言葉を失った。翌日、練習前のミーティングで手倉森監督は「被災地のチームとして、この地の希望の光になろう」と呼びかけた。同日には[[東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!|震災チャリティマッチ「日本代表vs.Jリーグ選抜(TEAM AS ONE)」]]に関口とMF[[梁勇基]]が出場。チームでは、練習時間外に監督・選手・スタッフでボランティア活動を行うなど、被災地のために動いた<ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/03/28/kiji/K20110328000517320.html 仙台が再始動 FW柳沢敦ら避難所でバケツリレー手伝う] スポニチ 2011.03.28</ref><ref>[http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110330t13053.htm 練習の後はボランティア J1仙台・選手ら後片付けに汗] 河北新報 2011.03.30</ref>。地元でのトレーニングが難しくなり仙台は再びホームタウンを離れて、[[千葉県]][[市原市]]と[[埼玉県]][[さいたま市]]でキャンプを張り、リーグ再開に備えた。なお、中断期間中の[[4月9日]]にマルキーニョスが退団した。 4月23日、中断明けの第7節(2試合目)で川崎Fに逆転勝利を収める。この試合は[[Jクロニクルベスト]]の「ベストマッチ (10試合) 」、[[J30ベストアウォーズ]]の「[[2011年J1第7節 川崎F対仙台|ベストマッチ (1試合)]] 」にも選ばれた。続くホーム開幕戦で浦和を1-0で下し、公式戦での浦和戦初勝利を記録。以後、6月26日のアウェイ[[清水エスパルス|清水]]戦に0-1で敗れるまで、開幕から12試合を6勝6分の無敗(1シーズン制となった2005年以降のJ1記録)でキープした<ref>[http://diamond.jp/articles/-/12800 「負けない」ベガルタ仙台の戦いぶりは、サッカーには戦力を補う“何か”があることを教えてくれる] -ダイヤモンド・オンライン: 2011年6月21日</ref>。 その後、京都から[[ディエゴ・デ・ソウザ・ガマ・シルバ|ディエゴ]]をレンタル移籍で獲得。また、8月20日に[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]戦に勝利し、公式戦での名古屋戦初勝利を記録。10月2日の[[セレッソ大阪|C大阪]]戦での勝利でリーグ戦6試合を残しJ1残留が確定。最終成績は14勝14分6敗(勝点56)で、順位も過去最高の4位となった。なお、失点数は2位の名古屋を11下回る25失点でリーグトップ、先制した試合では無敗であった。 [[2011年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]は2回戦で前回大会優勝の磐田に1分1敗で敗退。[[第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は4回戦でC大阪にPK戦の末敗れた。 シーズン終了後、DF[[細川淳矢]]が契約満了、GK川俣慎一郎、MFマックス、FWディエゴがレンタル移籍期間満了につき退団、DF曺秉局が[[ジュビロ磐田|磐田]]へ、FW大久保剛志が[[日本フットボールリーグ|JFL]]のソニー仙台へ完全移籍、MF[[高橋義希]]が[[サガン鳥栖|鳥栖]]へ、DF[[島川俊郎]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ、FW[[中島裕希]]が[[モンテディオ山形|山形]]へ期限付き移籍した。また、[[横浜FC]]へ期限付き移籍している[[関憲太郎]]の移籍期間も延長された。 10月14日、株式会社ベガルタ仙台が、休部していた[[東京電力女子サッカー部マリーゼ]]の受け皿として、新たに[[ベガルタ仙台レディース]]を発足させた。仙台Lは翌年からの[[日本女子サッカーリーグ]]2部(チャレンジリーグ)への参加が決まった。 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.50|y=1.27|scale=220|text='''[[手倉森誠|{{font|監督 '''手倉森誠'''|size=small|color=Khaki}}]]'''}} {{Image label|x=0.36|y=1.08|scale=220|text='''[[林卓人|{{font|'''16林卓人'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.07|y=0.77|scale=220|text='''[[田村直也|{{font|'''23田村直也'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.20|y=0.91|scale=220|text='''[[上本大海|{{font|'''29上本大海'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.54|y=0.91|scale=220|text='''[[鎌田次郎|{{font|'''2鎌田次郎'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.62|y=0.77|scale=220|text='''[[菅井直樹|{{font|'''25菅井直樹'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.10|y=0.44|scale=220|text='''[[梁勇基|{{font|'''10梁勇基'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.53|y=0.59|scale=220|text='''[[角田誠|{{font|'''6角田誠'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.18|y=0.59|scale=220|text='''[[富田晋伍|{{font|'''17富田晋伍'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.58|y=0.44|scale=220|text='''[[太田吉彰|{{font|'''15太田吉彰'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.13|y=0.25|scale=220|text='''[[ウイルソン・ロドリゲス・フォンセカ|{{font|'''18ウイルソン'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.53|y=0.25|scale=220|text='''[[赤嶺真吾|{{font|'''24赤嶺真吾'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Small|2012年基本フォーメーション}} |} ==== 2012年 ==== :チームスローガン:'''V Shift 杜が進む、越える、輝く☆''' 手倉森体制5年目。[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]から[[内山俊彦 (1978年生のサッカー選手)|内山俊彦]]、[[セレッソ大阪|C大阪]]から[[上本大海]]、[[中国サッカー・スーパーリーグ|中国スーパーリーグ]]・[[陝西宝栄]]からFW[[ウイルソン・ロドリゲス・フォンセカ|ウイルソン]]、ブラジル・[[SEパルメイラス|パルメイラス]]からMF[[デイビッド・フランク・シウバ・サッコーニ|サッコーニ]]を獲得。FC東京から期限付き移籍中だったMF[[松下年宏]]が完全移籍へ移行した。新人選手では[[岩手県立盛岡商業高等学校|盛岡商業高校]]からMF[[藤村慶太]]、[[仙台大学]]からMF[[奥埜博亮]]が加入。仙台ユースからMF[[越後雄太]]が昇格した。開幕直後には前年途中に[[横浜F・マリノス|横浜FM]]を退団していたGK[[阿部陽輔]]が加入した。 開幕から9試合負けなし(7勝2分)で早い段階から首位をキープし、第2節から第17節終了時まで首位をキープした。中盤まではウイルソンの加入で向上した攻撃力と昨年から引き継ぐ堅守のバランスも良く、広島と優勝争いを繰り広げたが、第18節で名古屋に引き分けたことで、同節勝利した広島に首位を明け渡し、後半戦は第20節、第24節各終了時にこそ首位に立ったもののいずれも直後の試合で敗れ再び首位に立った広島を追う展開となる。自慢の堅守が崩壊し、リードを奪いながらも終盤に失点し、勝ちきれない試合も増えるようになった。第29節終了時には、一旦首位の広島に勝ち点で並び得失点差で2位という状況まで追いすがったものの、その後最終5試合で3分2敗と1勝も出来ず優勝争いから脱落、第33節終了時に広島の優勝決定を許す形となった。それでも11月17日の第32節で3位以上が確定し、クラブ史上初の[[AFCチャンピオンズリーグ2013|ACL]]出場権を獲得した。最終成績は15勝12分7敗(勝点57)の2位となり、1度も3位以下に落ちることなくシーズンを終えた。総得点は59とリーグ3位であったが、総失点は43と昨年と比較して大幅に悪化した。[[Jリーグアウォーズ]]では、優勝の広島と並ぶ8名が優秀選手賞に選ばれ、その中から[[ウイルソン・ロドリゲス・フォンセカ|ウイルソン]]がクラブ初の[[ベストイレブン]]を獲得した<ref group="注">J's GOAL J1月間MIPにも選ばれた</ref>。 [[2012年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]はグループリーグA組を4勝2敗の2位で通過したが、準々決勝でFC東京に1分1敗で敗退。[[第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は3回戦で[[ロアッソ熊本|熊本]]に延長戦の末敗れた。 シーズン終了後、DF[[朴柱成]]、DF内山俊彦、MFサッコーニが契約満了に伴い退団。この他、MF[[関口訓充]]が[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]、GK阿部陽輔が[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ完全移籍。DF[[原田圭輔]]が[[栃木SC]]へ期限付き移籍した。また、[[モンテディオ山形|山形]]に期限付き移籍中だったFW[[中島裕希]]、[[サガン鳥栖|鳥栖]]に期限付き移籍中だったMF[[高橋義希]]もそれぞれ完全移籍に移行となった。 ==== 2013年 ==== :チームスローガン:''' Vision 継がれる力は、新しいステージへ ''' 手倉森体制6年目。[[ザスパクサツ群馬|草津]](途中[[セレッソ大阪|C大阪]]にレンタル移籍)からMF[[ヘベルチ・フェルナンデス・デ・アンドラーデ|ヘベルチ]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]からDF[[和田拓也 (サッカー選手)|和田拓也]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]からDF[[石川直樹 (サッカー選手)|石川直樹]]、[[ガンバ大阪|G大阪]]からMF[[佐々木勇人]]を完全移籍で、[[スポルチ・レシフェ]]からMF[[ジオゴ・アントゥネス・デ・オリヴェイラ|ジオゴ]]をレンタル移籍で獲得。昨年途中に[[特別指定選手]]として登録された[[仙台大学]]のDF[[蜂須賀孝治]]が加入。また、東京V(のちに[[ブラウブリッツ秋田|秋田]])に期限付き移籍していたDF[[島川俊郎]]、[[横浜FC]]に期限付き移籍していたGK[[関憲太郎]]がそれぞれ復帰。シーズン開幕後、GK[[石川慧]]が[[ソニー仙台FC|S仙台]]、DF島川俊郎が秋田、MF[[奥埜博亮]]が[[V・ファーレン長崎|長崎]]へそれぞれ期限付き移籍。DF和田拓也が[[大宮アルディージャ|大宮]]へ完全移籍。[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]からDF[[石川大徳]]が期限付き移籍で加入した。 リーグ戦は、[[AFCチャンピオンズリーグ2013|ACL]]出場に伴う過密日程や怪我人の続出、得点力不足などもあり2011年・2012年ほどの目覚ましい成績は残せず、J1残留決定後の終盤は1分け4敗(ラスト3戦で、シーズン唯一の連敗となる3連敗)と息切れし、通算成績は11勝12分け11敗の13位に終わった。なおJ1在籍シーズンでは初となるフェアプレー賞を受賞した。 初出場となったACLは1勝3分2敗でグループリーグ敗退。[[2013年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]はACL出場により予選リーグ免除となり準々決勝からの出場となったが、その準々決勝で[[川崎フロンターレ|川崎]]に2敗し敗退となった。[[第93回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は[[第89回天皇杯全日本サッカー選手権大会|2009年]](ベスト4)以来となるベスト8入り(準々決勝で[[FC東京]]に延長戦の末、敗戦)。 10月10日、手倉森監督が[[2014年]]より[[リオデジャネイロオリンピック|2016年 リオデジャネイロ五輪]]出場を目指すU-21(21歳以下)男子日本代表監督に就任することが決定したため、2013年シーズン終了をもって退任することを発表<ref>{{Cite press release|和書|date=2013-10-10|url=http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2013/10/post-1077.html|title=手倉森誠監督の来シーズン指揮について|publisher=ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト|accessdate=2013-10-10}}</ref>。シーズン終了後、MFヘベルチが契約満了、MFジオゴがレンタル移籍期間満了に伴いそれぞれ退団。GK[[林卓人]]が広島、MF[[松下年宏]]が[[横浜FC]]、MF[[田村直也 (サッカー選手)|田村直也]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]、MF[[越後雄太]]が[[いわてグルージャ盛岡|盛岡]]へそれぞれ完全移籍。秋田へ期限付き移籍のDF島川俊郎が完全移籍へ移行。DF[[原田圭輔]]が[[FC町田ゼルビア|町田]]へ、GK[[石川慧]]が秋田へ期限付き移籍、長崎へ期限付き移籍したMF奥埜博亮は移籍期間を延長した。 ==== 2014年 ==== :チームスローガン:''' Challenge 誇りを胸に、歴史を刻む '''(アーノルド監督時代)→ ''' ReVital あふれる力を呼び覚ませ '''(渡邉監督時代) 新監督に[[オーストラリア]]出身の[[グラハム・アーノルド]]が就任<ref>{{Cite press release|和書|date=2013-11-14|url=http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2013/11/post-1171.html|title=2014シーズン新監督にグラハム・アーノルド氏 就任のお知らせ|publisher=ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト|accessdate=2013-12-22}}</ref>。昨年途中に[[特別指定選手]]として登録された[[阪南大学]]のDF[[二見宏志]]、[[中央大学]]([[東北学院中学校・高等学校|東北学院中・高]]卒)からGK[[シュミット・ダニエル]]<ref>2019年宮城スタジアムのエルサルバドル戦にて先発し仙台OBが監督と選手で同じ舞台に立った。</ref>、[[駒澤大学]]からFW[[山本大貴 (サッカー選手)|山本大貴]]が加入。[[ガンバ大阪|G大阪]]からMF[[武井択也]]、[[大宮アルディージャ|大宮]]からMF[[鈴木規郎]]をそれぞれ完全移籍、[[セントラルコースト・マリナーズFC|セントラルコースト]]からMF[[マイケル・マグリンチィ|マグリンチィ]]、[[清水エスパルス|清水]]からMF[[八反田康平]]をそれぞれ期限付き移籍で獲得。[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から期限付き移籍中のDF[[石川大徳]]は移籍期間を延長して残留した。 シーズン開幕後、[[パース・グローリーFC|パース]]からGK[[ダニエル・ヴコヴィッチ|ヴコヴィッチ]]を期限付き移籍で獲得。しかし、約3ヵ月で契約を解除しパースに復帰。MFマグリンチィもシーズン途中で契約を解除した。また、GKシュミット・ダニエルが4月20日から1ヶ月間、[[ロアッソ熊本|熊本]]へ育成型期限付き移籍。FW山本大貴も[[松本山雅FC|松本]]へ育成型期限付き移籍した。[[2014 FIFAワールドカップ|W杯]]開催に伴う中断期間中に、[[FCヴォリン・ルーツィク|ルーツィク]]からMF[[ハモン・ロペス・デ・フレイタス|ハモン・ロペス]]を完全移籍で獲得。さらに前半戦折り返し後、大宮からDF[[村上和弘]](8年ぶりに仙台に復帰)を期限付き移籍で、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]からMF[[野沢拓也]]を完全移籍で獲得した。 チームは開幕から[[2014年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]を含めた公式戦8戦未勝利と不振に陥り、[[4月9日]]、アーノルド監督が退任<ref>{{Cite press release|和書|date=2014-04-09|url=http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2014/04/post-1476.html|title=グラハム・アーノルド監督 退任のお知らせ|publisher=ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト|accessdate=2014-04-09}}</ref>。リーグ戦の成績は、0勝2分4敗(勝点2)得失点差-11の17位だった。後任監督にヘッドコーチの[[渡邉晋]]が就任<ref>{{Cite press release|和書|date=2014-04-09|url=http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2014/04/post-1478.html|title=渡邉晋ヘッドコーチ 監督就任のお知らせ|publisher=ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト|accessdate=2014-04-09}}</ref>。第14節を終えて5勝3分6敗(勝ち点18)得失点差⁻9、第14節を終えて5勝3分6敗(勝点18)得失点差-9の第14節を終えて5勝3分6敗(勝点18)得失点差-9の暫定11位まで順位を押し上げ、リーグ戦4連勝でリーグ戦中断期間を迎えた。夏場に5連敗を喫するなどの苦戦を強いられるも、辛くもJ1残留圏に踏みとどまり、第33節・[[徳島ヴォルティス|徳島]]戦勝利でJ1残留を決めた。最終成績は9勝11分14敗の勝ち点38で14位。なお、渡邉監督就任後のリーグ戦成績は、9勝9分10敗(勝点36)得失点差-4。 [[2014年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]は予選リーグ・1勝1分4敗で敗退。[[第94回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は初戦(2回戦)で[[関西サッカーリーグ|関西リーグ]]所属・[[奈良クラブ]](奈良県代表)に敗れ、敗退した。 シーズン終了後、FW[[柳沢敦]]は鹿島のコーチとなり、になり、[[FC町田ゼルビア|町田]]に期限付き移籍していたDF[[原田圭輔]]がそれぞれ引退。DF鈴木規郎が契約満了により、MF八反田康平とDF石川大徳がレンタル移籍期間満了によりそれぞれ退団。FW[[武藤雄樹]]が[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]、DF[[角田誠]]が[[川崎フロンターレ|川崎]]、DF[[渡辺広大]]が[[モンテディオ山形|山形]]、FW[[赤嶺真吾]]が[[ガンバ大阪|G大阪]]、MF[[太田吉彰]]が[[ジュビロ磐田|磐田]]、FW[[中原貴之]]が[[アビスパ福岡|福岡]]、GK[[桜井繁]]が[[栃木SC]]、MF[[佐々木勇人]]が[[京都サンガF.C.|京都]]へそれぞれ完全移籍。また、[[佐藤洋平]]GKコーチが[[U-17サッカー日本代表|U-15日本代表]]GKコーチ就任のため退任した。 8月、クラブ創立20周年記念試合「ベガルタ仙台OB×ユベントスOB」を開催<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/blogs/photographer/?p=2903 |title=ベガルタ仙台20周年記念試合 vsユヴェントス レジェンズ |access-date=2022年8月15日}}</ref>。 ==== 2015年 ==== :チームスローガン: '''挽回 SENDAI 2015''' 渡邉体制2年目。昨年途中より[[特別指定選手]]として登録されていたユースのMF[[茂木駿佑]]が昇格。[[富山第一高等学校|富山第一高]]からFW[[西村拓真]]、韓国・[[光云大学校|光云大]]からMF[[金眠泰|キム・ミンテ]]がそれぞれ加入。[[V・ファーレン長崎|長崎]]からMF[[奥埜博亮]]、[[ブラウブリッツ秋田|秋田]]からGK[[石川慧]]、[[松本山雅FC|松本]]からFW[[山本大貴 (サッカー選手)|山本大貴]]がそれぞれ期限付き移籍から復帰。昨年途中より加入したDF[[村上和弘]]が完全移籍へ移行。松本からDF[[多々良敦斗]]、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]からGK[[六反勇治]]、[[ジュビロ磐田|磐田]]からFW[[金園英学]]、[[ヴィッセル神戸|神戸]]からMF[[杉浦恭平]]、[[柏レイソル|柏]]からDF[[渡部博文]]、[[大宮アルディージャ|大宮]]からMF[[金久保順]]、ブラジル・[[カンブリウFC]]からDF[[フェリペ・ボルトルッチ・ピレシュ|フェリペ]]をそれぞれ完全移籍で獲得。フェリペは獲得と同時に[[栃木SC]]へ期限付き移籍となった。 シーズン途中の6月にGK[[シュミット・ダニエル]]が[[ロアッソ熊本|熊本]]へ、7月にMF茂木駿佑が[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ、それぞれ期限付き移籍。 このシーズンよりJ1リーグ戦は2ステージ制での開催。第1ステージは開幕5試合を2勝3分と好調なスタートを切ったものの、その後5連敗。さらにFWウイルソンらが怪我で離脱する状況にも直面したが、6勝5分6敗(勝点23)・得失点差+7の7位。続く第2ステージは3連敗を3度喫するなど苦戦を強いられ、3勝3分11敗(勝点12)・得失点差-11の16位に終わるも第1ステージの貯金が効く形となり、年間総合14位。J1残留を果たした(第15節のホーム・[[ガンバ大阪|G大阪]]戦前<ref group="注">G大阪の試合日程の兼ね合いで他会場より1日遅れで開催。</ref> に確定)。 「J1リーグ 5月度 月間ベストゴール」に梁勇基のゴールが選出された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2015/news/press_release/2015/06/post-2651.html |title=「2015明治安田生命J1リーグ 5月度 月間ベストゴール」に梁勇基選手のゴールが選出!! |publisher=ベガルタ仙台公式サイト |date=2015-06-17 |accessdate=2023-02-26}}</ref>。 [[2015年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]はグループリーグ1勝2分3敗(勝点5)の最下位で敗退。[[第95回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は2年ぶりのベスト8進出を果たした(準々決勝で柏にPK戦の末、敗退)。シーズン終了後、村上が現役を引退。[[上本大海]]が長崎、山本と[[武井択也]]が松本、[[鎌田次郎]]が柏、多々良が[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]へそれぞれ完全移籍、熊本へ期限付き移籍していたシュミットは松本へ期限付き移籍した。 ==== 2016年 ==== :チームスローガン: '''Build Up 興 興せ思いを。走らせろ己を。繋げ力を。''' 渡邉体制3年目。ユースから[[小島雅也]]と[[佐々木匠]]が昇格。[[青森山田中学校・高等学校|青森山田高]]から[[常田克人]]、[[船橋市立船橋高等学校|市立船橋高]]から[[椎橋慧也]]、[[明治大学サッカー部|明治大]]から[[差波優人]]が新加入。他クラブからは[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]から[[大岩一貴]]と[[水野晃樹]]を完全移籍、[[清水エスパルス|清水]]から[[平岡康裕]]、[[FC東京]]から[[三田啓貴]]を[[期限付き移籍]]で獲得。[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ期限付き移籍していた[[茂木駿佑]]が復帰。 2ndステージ開幕後の7月、DF[[二見宏志]]が清水へ完全移籍。また、同月に[[ブラジル]]の[[アトレチコ・ミネイロ]]から、[[パブロ・ジオゴ・ロペス・デ・リマ|パブロ・ジオゴ]]を期限付き移籍で獲得した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2016/07/post-3816.html |title=アトレチコ・ミネイロ(ブラジル) パブロ ジオゴ選手 期限付き移籍加入のお知らせ |publisher=ベガルタ仙台公式サイト |date=2016-07-06|accessdate=2016-09-24}}</ref>。 J1リーグ戦・第1ステージは序盤に4連敗を喫するなど苦戦を強いられ、第10節終了時点で降格圏となる17位にまで沈んだものの、その後は4連勝するなどの巻き返しを見せ、通算7勝2分8敗(勝ち点23)・得失点差-5の10位。第2ステージも第1ステージ同様に調子の波が大きい戦いぶりが続くが、第14節の鳥栖戦に勝利してJ1残留が確定。同ステージは通算6勝2分9敗(勝ち点20)・得失点差-4の12位で、年間成績は13勝4分17敗(勝ち点43)・得失点差-9の12位。 [[2016年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]<ref group="注">同年度のノックアウトステージ(決勝トーナメント)より「JリーグYBCルヴァンカップ」(ルヴァン杯)に大会名を変更。</ref> は最初の4試合を無敗(2勝2分)、首位を走ったものの、残りの2試合を連敗。この連敗が響き、結局、7チーム中5位(勝ち点は3位タイだが、得失点差で2チームを下回った)でグループステージ敗退となった。[[第96回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は[[J3リーグ|J3]]の[[いわてグルージャ盛岡|盛岡]]に敗れ、初戦(2回戦)敗退。 なお、2ndステージ第14節・鳥栖戦で、[[ハモン・ロペス・デ・フレイタス|ハモン・ロペス]]が[[ハットトリック]]を達成、J1のリーグ戦ではクラブ史上初となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?199903-199903-fl |title=仙台、6戦ぶり勝利でJ1残留決定!ハモン・ロペスがクラブ史上J1初ハット |publisher=[[ゲキサカ]] |date=2016-10-01 |accessdate=2016-10-01}}</ref>。 シーズン終了後、水野が鳥栖、[[ウイルソン・ロドリゲス・フォンセカ|ウイルソン]]が[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]、[[渡部博文]]が[[ヴィッセル神戸|神戸]]、[[金眠泰|キム・ミンテ]]と[[金園英学]]が[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]、[[杉浦恭平]]が金沢、[[六反勇治]]が清水、ハモン・ロペスが[[柏レイソル|柏]]へそれぞれ完全移籍した。 [[ファイル:Sendai-Stadion 2019 Panorama.jpg|サムネイル|[[Jリーグアウォーズ#Jリーグベストピッチ賞|Jリーグベストピッチ賞]]|350x350ピクセル]] ==== 2017年 ==== チームスローガン: '''Be STRONG 興せ、未来を''' 渡邉体制4年目。[[法政大学|法政大]]から[[永戸勝也]]が新加入。[[FC東京]]から[[平山相太]]が完全移籍<ref>[http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2016/12/post-4318.html]</ref>、[[柏レイソル|柏]]から[[増嶋竜也]]、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から[[石原直樹]]、[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[中野嘉大]]、[[SCブラガ]]から[[クリスラン・エンリケ・ダ・シルバ・デ・ソウザ|クリスラン]]がそれぞれ期限付き移籍加入。[[松本山雅FC|松本]]へ期限付き移籍していた[[シュミット・ダニエル]]が復帰。また、前年に期限付き移籍で仙台へ加入した[[三田啓貴]]と[[平岡康裕]]がともに完全移籍に移行。 シーズン開幕直後の3月に[[中東高等学校|中東高校]]の[[イ・ユノ]]を獲得、リーグ戦中断期間の7月には[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[古林将太]]が期限付き移籍で加入した一方、[[石川直樹 (サッカー選手)|石川直樹]]が[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ完全移籍した。 3シーズンぶりに1ステージ制に戻ったJ1リーグ戦は第3節の[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦で、[[東日本大震災]]の発生後初めて3月11日に試合が開催された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20170311-OHT1T50265.html |title=【仙台】神戸との「3・11」マッチ飾れず今季初黒星 通算100勝もお預け |publisher=スポーツ報知 |date=2017-03-12 |accessdate=2017-04-07}}</ref>。また、翌週の同月18日に行われた第4節柏戦でJ1通算100勝を達成<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sanspo.com/article/20170319-C7SU3EYUPZN75DM5KTM3HYXWRE/ |title=ベガルタJ1通算100勝!奥埜ロスタイム弾で柏に1-0完封勝ち |publisher=サンケイスポーツ |date=2017-03-19 |accessdate=2017-04-07}}</ref>。シーズン通して好不調の波が大きかったが、最終成績は11勝8分15敗の勝ち点41で12位。 [[ファイル:Crislan Henrique da Silva de Sousa 2021.jpg|サムネイル|281x281ピクセル|[[2017年のJリーグカップ|ルヴァン杯得点王]]の[[クリスラン・エンリケ・ダ・シルバ・デ・ソウザ|クリスラン]](ホーム新潟戦で5月度ベストゴール受賞) {{YouTube|m131tc1e910?t|月間ベストゴール}}]] [[2017年のJリーグカップ|ルヴァン杯]](旧・ナビスコ杯)は、グループステージ第1節のFC東京戦で0-6の大敗を喫するも、その後4勝1分けと立て直し、A組1位(勝ち点13・得失点差0)でノックアウトステージに進出<ref group="注">プレーオフステージ(ホーム・アンド・アウェイ方式)の導入により、同年はノックアウトステージに直接進出できるのがグループステージ1位のみとなった(そして異なる組の2位と3位がプレーオフステージによりノックアウトステージ進出を競う)。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=26346 |title=【ルヴァン杯】仙台がAグループ首位で決勝Tへ。FC東京、札幌がプレーオフ進出 |publisher=サッカーダイジェストWeb |date=2017-06-01 |accessdate=2017-06-29}}</ref>。ノックアウトステージ・準々決勝では[[鹿島アントラーズ|鹿島]]と対戦し、1勝1敗も2戦合計スコアで上回り、チーム初のベスト4進出を果たす。準決勝では[[川崎フロンターレ|川崎]]と対戦。ホームでの第1戦を3-2で勝利するも、続くアウェーでの第2戦を1-3で落とし、2戦合計4-5で敗退。決勝進出はならなかった。なお、[[西村拓真]]が同大会のニューヒーロー賞を獲得した。 [[第97回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は2回戦で[[筑波大学蹴球部|筑波大学]]に2-3で敗れ、前年に続き初戦敗退となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2017/06/21/kiji/20170621s00002011260000c.html |title=J1仙台が筑波大に敗れる波乱 天皇杯は2年連続で格下に苦杯 |publisher=スポニチアネックス |date=2017-06-21 |accessdate=2017-06-29}}</ref>。 シーズン終了後、[[石川慧]]が[[栃木SC|栃木]]、三田が神戸へそれぞれ完全移籍。この他、増嶋とクリスランが期限付き移籍期間満了、[[ルイス・ヴィニシウス・ダ・シウヴァ・マトス|ヴィニシウス]]と[[野沢拓也]]がともに契約満了となり退団。また、[[小島雅也]]が[[FC町田ゼルビア|町田]]、[[藤村慶太]]が[[ツエーゲン金沢|金沢]]へそれぞれ期限付き移籍。[[いわてグルージャ盛岡|盛岡]]へ期限付き移籍していた[[差波優人]]が[[カターレ富山|富山]]、[[徳島ヴォルティス|徳島]]へ期限付き移籍していた[[佐々木匠]]が[[カマタマーレ讃岐|讃岐]]へそれぞれ期限付き移籍。 [[博報堂DYメディアパートナーズ]]と10年間にわたるビジネス戦略パートナー契約を締結<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2017/news/press_release/2017/01/post-4370.html |title=ベガルタ仙台と博報堂DYメディアパートナーズ、 ビジネス戦略パートナー契約を締結 |access-date=2022年8月14日}}</ref>。 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.50|y=1.27|scale=220|text='''[[渡邉晋|{{font|監督 '''渡邉晋'''|size=small|color=Khaki}}]]'''}} {{Image label|x=0.34|y=1.085|scale=220|text='''[[シュミット・ダニエル|{{font|'''1シュミット'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.625|y=0.95|scale=220|text='''[[平岡康裕|{{font|'''13平岡康裕'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.305|y=0.95|scale=220|text='''[[大岩一貴|{{font|'''27大岩一貴'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.08|y=0.95|scale=220|text='''[[板倉滉|{{font|'''6板倉滉'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.62|y=0.60|scale=220|text='''[[中野嘉大|{{font|'''23中野嘉大'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.20|y=0.78|scale=220|text='''[[奥埜博亮|{{font|'''7奥埜博亮'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.51|y=0.78|scale=220|text='''[[野津田岳人|{{font|'''16野津田岳人'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.09|y=0.60|scale=220|text='''[[関口訓充|{{font|'''40関口訓充'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.33|y=0.47|scale=220|text='''[[西村拓真|{{font|'''30西村拓真'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.09|y=0.305|scale=220|text='''[[石原直樹|{{font|'''11石原直樹'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Image label|x=0.42|y=0.305|scale=220|text='''[[ジャーメイン良|{{font|'''19ジャーメイン良'''|size=small|color=gold}}]]'''}} {{Small|2018年基本フォーメーション}} |} ==== 2018年 ==== チームスローガン: '''Be STRONG 興せ、「シン」の力を''' 渡邊体制5年目。[[流通経済大学サッカー部|流通経済大]]から[[ジャーメイン良]]が新加入、[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[金正也]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から[[川浪吾郎]]、[[FC岐阜|岐阜]]から[[庄司悦大]]、[[Kリーグクラシック|韓国]]・[[蔚山現代FC|蔚山現代]]から[[阿部拓馬]]がそれぞれ完全移籍で、[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[板倉滉]]が期限付き移籍で加入した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201801/20180114_14006.html |title=<ベガルタ>新入団の5選手が会見 阿部「一つでも多く勝利を」 |publisher=河北新報 |date=2018-01-14 |accessdate=2018-01-26}}</ref>。また、前年に期限付き移籍で加入した[[野津田岳人]]が移籍期間を延長し、[[中野嘉大]]、[[古林将太]]、[[石原直樹]]がそれぞれ完全移籍に移行した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20180106/697384.html |title=仙台、浦和からFW石原直樹を完全移籍で獲得…2017年は期限付きで加入 |publisher=サッカーキング |date=2018-01-06 |accessdate=2018-01-26}}</ref>。一方で、同シーズンの契約更新が発表されていた[[平山相太]]が<ref name="sk171228">{{Cite web|和書|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20171228/691417.html |title=仙台、MF野津田岳人の“残留”が決定…FW平山相太の契約更新も発表 |publisher=サッカーキング |date=2017-12-28 |accessdate=2018-01-27}}</ref>、キャンプイン後に現役引退を表明し退団<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2018/01/26/kiji/20180126s00002179189000c.html |title=なぜ…”怪物”平山が電撃引退 昨年末に契約更新「勝利に貢献したい」 |publisher=サンケイスポーツ |date=2018-01-26 |accessdate=2018-01-26}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/201801260000487.html |title=「怪物」平山相太が引退、13年のプロ生活に終止符 |publisher=日刊スポーツ |date=2018-01-26 |accessdate=2018-01-26}}</ref>、[[ECヴィトーリア]]から[[ラファエルソン・ベゼラ・フェルナンデス|ラファエルソン]]を期限付き移籍で獲得。4月10日には昨季まで[[セレッソ大阪|C大阪]]に在籍していた[[関口訓充]]が6シーズンぶりにチームに復帰<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2018/04/post-5844.html |title=関口訓充選手 加入のお知らせ |publisher=ベガルタ仙台・オフィシャルウェブサイト |date=2018-04-10 |accessdate=2018-04-10}}</ref>。6月25日にはG大阪から[[矢島慎也]]、7月9日には[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[ハーフナー・マイク]]がともに期限付き移籍でそれぞれ加入、9月11日には前々年まで在籍していた[[ハモン・ロペス・デ・フレイタス|ハモン・ロペス]]が完全移籍で復帰。その一方で6月11日には[[茂木駿佑]]が[[水戸ホーリーホック|水戸]]、7月14日には庄司が[[京都サンガF.C.|京都]]へそれぞれ期限付き移籍。7月24日には[[金久保順]]が京都、9月1日には[[西村拓真]]がロシアの[[PFC CSKAモスクワ]]へそれぞれ完全移籍。西村は24節終了時点で日本人トップの11得点を挙げて仙台の攻撃を牽引し、[[サッカーダイジェスト]]のブレイクランキングで1位の評価を得た<ref>{{Cite book|和書|title=サッカーダイジェスト(No.1420)|date=2018年9月27日|publisher=日本スポーツ企画出版社}}</ref>。 [[ファイル:2018 Emperor's Cup Final.jpg|サムネイル|[[天皇杯 JFA 第98回全日本サッカー選手権大会|初の天皇杯決勝進出]]]] [[2018年のJ1リーグ|J1リーグ]]は開幕5試合を無敗(3勝2分)と幸先良いスタートを見せる。その後は勝ったり負けたりの繰り返し。終盤になり失速(第27節からの8試合を1勝1分6敗)するが、それでも最終的には13勝6分15敗(勝ち点45)の11位でJ1残留。[[2018年のJリーグカップ|ルヴァン杯]]は、グループステージを3勝2分1敗の勝ち点11・得失点差+4で2年連続の1位通過。プレーオフステージ<ref group="注">同年以降のプレーオフステージは、異なる組の1位と2位がプライムステージ(決勝トーナメント)進出を競う。</ref> で[[湘南ベルマーレ|湘南]]と対戦し1勝1敗となるも、2戦合計スコア3-4で敗退(湘南は同大会で優勝を果たす)。[[天皇杯 JFA 第98回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]はクラブ史上初の決勝へ進出(決勝で[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]に0-1で敗れ、準優勝となった)。 シーズン終了後、16年間チームに在籍し続けた[[菅井直樹]]が引退。この他、古林が湘南、中野が[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へそれぞれ完全移籍。期限付き移籍で加入していたハーフナー、野津田、矢島、板倉、ラファエルソンがそれぞれ期間満了で退団。また仙台から他クラブへ期限付き移籍中の庄司、[[藤村慶太]]、茂木が完全移籍に移行し正式に退団。[[カターレ富山|富山]]へ期限付き移籍していた[[差波優人]]も契約満了により退団(移籍先の富山も退団)。[[イ・ユノ]]が[[福島ユナイテッドFC|福島]]へ期限付き移籍した。また、[[FC町田ゼルビア|町田]]へ期限付き移籍していた[[小島雅也]]が金沢、[[カマタマーレ讃岐|讃岐]]へ期限付き移籍していた[[佐々木匠]]が[[レノファ山口FC|山口]]へそれぞれ育成型期限付き移籍した。[https://www.frontale.co.jp/info/2019/0115_1.html 板倉は翌年1月、プレミアリーグのマンチェスター・シティに完全移籍。]<ref>{{Cite web|和書|title=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト |url=https://www.frontale.co.jp/ |website=川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト |access-date=2022-08-11}}</ref> ==== 2019年 ==== チームスローガン: '''ReVolution''' 渡邉体制6年目。[[桐生大学附属中学校・桐生第一高等学校|桐生第一高]]から[[田中渉 (サッカー選手)|田中渉]]、[[成立学園中学・高等学校|成立学園高]]から[[照山颯人]]が新加入。この他、[[V・ファーレン長崎|長崎]]から[[飯尾竜太朗]]、[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]から[[兵藤慎剛]]、[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[松下佳貴]]、[[松本山雅FC|松本]]から[[石原崇兆]]、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]から[[道渕諒平]](仙台ユース出身)、[[ガンバ大阪|G大阪]]から神戸へ期限付き移籍していた[[長沢駿]]、前年まで[[アル・アハリ・ドーハ|アル・アハリSC]]でプレーしていた[[サッカーモザンビーク代表|モザンビーク代表]]の[[シマオ・マテ・ジュニオール|シマオ・マテ]]が完全移籍、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から[[吉尾海夏]]が期限付き移籍でそれぞれ加入。シーズン中の6月28日には[[ディバ・アル・フジャイラ]]から[[ジオゴ・ダ・シウヴァ・ファリアス|ジオゴ・アコスタ]]、7月2日には[[シロンスク・ヴロツワフ]]から[[ヤクブ・スウォビィク]]、7月25日には札幌から[[中原彰吾]]が完全移籍でそれぞれ加入し、7月18日には日本代表としても活躍するようになった[[シュミット・ダニエル]]が[[シント=トロイデンVV]]へ完全移籍。 [[2019年のJ1リーグ|J1リーグ]]は選手の大幅な入れ替わりもあって第4,5,13節終了時は最下位に沈むが、システムを4バックに、次いで堅守速攻の戦術に変更すると、3バック時に適正ポジションが見つからなかったシマオ・マテがセンターバックに定着し(クラブ7年ぶりの優秀選手賞を受賞)、左サイドバックの[[永戸勝也]]がアシストを量産(公式記録とはならないが、リーグ最多の10アシスト)するなどして復調。最終的には12勝5分17敗(勝ち点41)の11位でJ1残留。[[2019年のJリーグカップ|ルヴァン杯]]は、グループステージを3勝3分0敗の勝ち点12・得失点差+4で3年連続の1位通過。プレーオフステージで[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]と対戦し1勝1敗となるも、2戦合計スコア1-2で敗退。[[天皇杯 JFA 第99回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]はラウンド16(4回戦)で手倉森誠監督率いる[[V・ファーレン長崎|長崎]]に敗れた。 シーズン終了後、渡邉監督が退任<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/news-team/2019/12/post-1107.html|title=渡邉晋監督 退任のお知らせ|publisher=ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト|date=2019-12-09 |accessdate=2019-12-09}}</ref>。選手では16年間在籍し続けた[[梁勇基]]が[[サガン鳥栖|鳥栖]]、主将の[[大岩一貴]]および[[石原直樹]]が[[湘南ベルマーレ|湘南]]、[[永戸勝也]]が[[鹿島アントラーズ|鹿島]]、[[阿部拓馬]]が[[FC琉球|琉球]]、[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ期限付き移籍していた[[小島雅也]]が[[ザスパクサツ群馬|群馬]]へそれぞれ完全移籍。横浜FMからの期限付き移籍でプレーしていた吉尾は[[FC町田ゼルビア|町田]]へ期限付き移籍。[[ジオゴ・ダ・シウヴァ・ファリアス|ジオゴ・アコスタ]]と[[ハモン・ロペス・デ・フレイタス|ハモン・ロペス]]も契約満了により退団した。 [[ベガッ太]]の妹、[[ルターナ]]が開幕戦より初登場。 ==== 2020年 ==== チームスローガン: '''熱結 LINK to the FUTURE''' 前年まで[[モンテディオ山形|山形]]を指揮していた[[木山隆之]]が新監督に就任<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/news-team/2019/12/post-1143.html|title=木山隆之氏 監督就任のお知らせ|publisher=ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト|date=2019-12-19 |accessdate=2019-12-19}}</ref>。選手ではユースから[[小畑裕馬]]が昇格。この他、[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から地元・仙台出身の[[吉野恭平]]、[[ボタフォゴFC (サンパウロ州)|ボタフォゴSP]](ブラジル)から[[アンデルソン・フェレイラ・ダ・シウバ|パラ]]、[[サガン鳥栖|鳥栖]]から[[スペイン]]出身の[[イサック・クエンカ]]、[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[赤崎秀平|赤﨑秀平]]、[[水戸ホーリーホック|水戸]]から[[浜崎拓磨]]がそれぞれ完全移籍、[[ヴィトーリアSC]](ポルトガル)から[[アレクサンドレ・ゲデス]]、[[セレッソ大阪|C大阪]]から[[山田寛人]]、[[FC東京]]から前年、山形でプレーしていた[[柳貴博]]がそれぞれ期限付き移籍で新加入。また、[[レノファ山口FC|山口]]へ期限付き移籍していた[[佐々木匠]]と[[福島ユナイテッドFC|福島]]へ期限付き移籍していた[[イ・ユノ]]が復帰。 [[2020年のJ1リーグ|リーグ戦]]では17試合連続未勝利を喫する等、シーズンを通して苦戦。終盤にやや巻き返しがあったものの、最終的には6勝10分18敗(勝点28)の17位で本来ならばJ2降格となる順位だったが、新型コロナウイルス感染症流行に伴う特別レギュレーションにより"降格なし"となりJ1残留。6勝は全てアウェーで挙げたもので、ホームでは1勝も挙げる事ができなかった。 9月1日、従来の運営会社である[[ベガルタ仙台 (企業)|株式会社ベガルタ仙台]]と[[マイナビ]]との間で、[[マイナビ仙台レディース|マイナビベガルタ仙台レディース]]の経営権譲渡に関する基本合意書を締結したことが明らかにされた。<ref>{{Cite web|和書|title=マイナビベガルタ仙台レディースの経営権譲渡 株式会社マイナビと合意書締結のお知らせ {{!}} ベガルタ仙台オフィシャルサイト |url=https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2020/news-club/2020/09/post-471.html |website=www.vegalta.co.jp |access-date=2022-08-11}}</ref>2020年シーズンは従来の体制のままチームを運営し、シーズン終了後に正式に経営権を譲渡となった。 10月20日、[[道渕諒平]]が交際女性とのトラブルにより9月に逮捕されていたと報じられ<ref>{{Cite news|url=https://smart-flash.jp/sports/119562/|title=ベガルタ仙台MF選手が「交際相手にDV」で逮捕…女性タレントの顔を蹴り、包丁を振り上げても公表されず|publisher=[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]]|date=2020-10-20|accessdate=2020-11-22}}</ref>、事実関係を確認した上で契約を解除した<ref>{{Cite press release|和書|date=2020-10-20|url=https://www.vegalta.co.jp/news-team/2020/10/post-632.html|title=本日発売の週刊誌報道および選手の処分について|publisher=ベガルタ仙台|accessdate=2020-10-20}}</ref>。 また、新型コロナウイルスの影響による大幅な減収により、[[債務超過]]に陥る見込みとなった。これを受けて緊急募金を実施していたが、道渕の契約解除により募金は中断された<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/contents/donation/|title=ベガルタ仙台クラブ緊急募金|publisher=ベガルタ仙台|accessdate=2020-11-22}}</ref>。 シーズン終了後、木山は監督を退任<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/news-team/2020/12/post-883.html |title=木山隆之監督 退任のお知らせ |publisher=ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト |date=2020-12-18 |accessdate=2020-12-18}}</ref>、強化育成本部長の丹治も退任。選手では10年間在籍した[[関憲太郎]]が契約満了により[[レノファ山口FC|山口]]へ移籍、[[椎橋慧也]]が[[柏レイソル|柏]]、[[ジャーメイン良]]が[[横浜FC]]、[[川浪吾郎]]が[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]、[[常田克人]]と[[浜崎拓磨]]が[[松本山雅FC|松本]]へそれぞれ完全移籍。[[セレッソ大阪]]から期限付き移籍でプレーしていた[[山田寛人]]は移籍期間が満了。[[兵藤慎剛]]、[[飯尾竜太朗]]、[[金正也]]、[[ジオゴ・ダ・シウヴァ・ファリアス|アレクサンドレ・ゲデス]]、[[ハモン・ロペス・デ・フレイタス|パラ]]、[[イ・ユノ]]も契約満了により退団した。 ==== 2021年 ==== チームスローガン: '''Standin' together☆Revival 立ち上がれ復興へ''' 2013年まで6年間チームを指揮していた[[手倉森誠]]が8シーズンぶりに監督に復帰。 [[阪南大学]]から[[真瀬拓海]]、[[流通経済大学]]から[[加藤千尋 (サッカー選手)|加藤千尋]]と[[アピアタウィア久]]、[[仙台大学]]から[[井岡海都]]が新加入。この他、[[V・ファーレン長崎|長崎]]から[[氣田亮真]]、[[横浜FC]]から[[皆川佑介]]、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から[[クエンテン・マルティノス|マルティノス]]、[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[秋山陽介]]、[[FC岐阜|岐阜]]から[[長倉颯]]が完全移籍、[[ジュビロ磐田|磐田]]から[[上原力也]]が期限付き移籍でそれぞれ加入。[[ポルティモネンセSC|ポルティモネンセ]]から[[ネデリコ・ストイシッチ|ストイシッチ]]、[[FCヴィゼラ]]から[[エマヌエル・オッティ|オッティ]]、[[サントスFC]]から[[ヴァンデルソン・フェリペ・カルドーゾ・ドス・サントス|カルドーゾ]]、[[アヴァイFC]]から[[ギリェルミ・ゼーフェルト・クローロウ|フォギーニョ]]も加入となったが新型コロナウイルス感染拡大防止のために入国は加入発表より数か月遅くなった。 本年も主力選手に故障が相次ぎ中々ベストメンバーが揃えられなかった。契約更新した[[イサック・クエンカ|クエンカ]]と[[シマオ・マテ・ジュニオール|シマオ・マテ]]、新加入の[[クエンテン・マルティノス|マルティノス]]はシーズン途中に双方合意の元で契約解除となった。 7月に[[田中渉 (サッカー選手)|田中渉]]は[[レノファ山口FC|山口]]への[[育成型期限付き移籍]]が決定。8月に[[富樫敬真]]、[[福森直也]]が加入。 前年に降格が行われなかった関係で20チームの参加で行われた[[2021年のJ1リーグ|J1リーグ戦]]は開幕戦こそ引き分けるも、2戦目から6連敗。11戦目でようやく初勝利を挙げた後は一時的に巻き返しを見せるも、[[2020年東京オリンピック|東京五輪]]開催による中断が明けてからはまたしても負けが込むようになり、11月20日に2試合残してのJ2降格が決定。同22日をもって手倉森が監督を退任。翌23日よりヘッドコーチを務めてきた[[原崎政人]]が"暫定"監督に就任し、残り2試合の指揮を執った。最終成績は5勝13分20敗(勝ち点28)の19位で、12年間留まり続けたJ1から去る事になった<ref group="注">この年のJ1は17位から20位の4チームが降格する規定になっていた。</ref>。 [[2021年のJリーグカップ|ルヴァン杯]]はグループステージ2勝4敗(勝ち点6)の3位で敗退。 2年ぶりの出場となった[[天皇杯 JFA 第101回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では岩手県代表として出場した[[J3リーグ]]所属の[[いわてグルージャ盛岡|岩手]]と初戦で対戦するも、0-1で敗戦。 シーズン終了後、[[石野智顕]]GKコーチが[[清水エスパルス|清水]]へ移籍。選手ではユース出身の[[佐々木匠]]が[[愛媛FC|愛媛]]、6年間在籍した[[西村拓真]]が[[横浜F・マリノス|横浜FM]]、GKの[[ヤクブ・スウォビィク]]が[[FC東京]]、[[アピアタウィア久]]が[[京都サンガF.C.|京都]]へそれぞれ完全移籍。ベテランの[[関口訓充]](後に[[南葛SC]]入団)、[[長倉颯]]、[[エマヌエル・オッティ|オッティ]]も契約満了により退団した。 初のユニフォーム胸上部スポンサーとして、[https://www.sv-c.jp/ 株式会社エス・ブイ・シー(SVC)]と契約を締結。同社のロゴが鎖骨左部分に掲出。 また、[[ベガルタチアリーダーズ]]ユニフォーム前面スポンサーとしても支援を開始<ref>{{Cite web|和書|title=株式会社エス・ブイ・シー 初のユニフォーム胸上部スポンサーに決定 {{!}} ベガルタ仙台オフィシャルサイト |url=https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2020/news-club/2020/12/post-901.html |website=www.vegalta.co.jp |access-date=2022-08-11}}</ref>。 === 2022年 - (J2) === ==== 2022年 ==== チームスローガン:'''CRAWL UP 這い上がる''' 前年11月に暫定監督に就任した[[原崎政人]]がそのまま続投し、アシスタントコーチに[[角田誠]]、GKコーチに[[大神友明]]、フィジカルコーチに[[松本純一]]らが入閣。選手では2019年まで16年間在籍していた[[梁勇基]]が[[サガン鳥栖|鳥栖]]からの完全移籍で3シーズンぶりに復帰。その他にも、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から地元・仙台出身の[[遠藤康]]、[[水戸ホーリーホック|水戸]]から[[中山仁斗]]、[[福島ユナイテッドFC|福島]]から[[鎌田大夢]]、[[V・ファーレン長崎|長崎]]から期限付き移籍で[[名倉巧]]などを新戦力として迎えた。[[蔚山現代FC]]から期限付き移籍で[[金太鉉|キム テヒョン]]、[[CAロサリオ・セントラル|ロサリオ セントラル]]から[[レアンドロ・デサバト (1990年生のサッカー選手)|デサバト]]も加入となったが新型コロナウイルス感染拡大防止の為に入国は加入発表より数か月遅くなった。[[田中渉 (サッカー選手)|田中]]は[[レノファ山口FC|山口]]への期限付き移籍期間の延長が決定。 [[木下グループ]]とユニフォーム(鎖骨右部分&背中上)スポンサー契約を新たに締結<ref group="注">[[2009年のJリーグ ディビジョン2|2009年]]から13年間背中上のスポンサーとして契約していた[[やまや]]は撤退となった。</ref><ref>{{Cite web|和書|title=株式会社木下グループ ユニフォーム 背中、胸上部右スポンサーに決定のお知らせ {{!}} ベガルタ仙台オフィシャルサイト |url=https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2021/news-club/2021/12/post-885.html |website=www.vegalta.co.jp |access-date=2022-08-11}}</ref>。また、[[デジタルマーケティング]]パートナー、[[セプテーニ・ホールディングス]]と、ユニフォームショーツ背面スポンサーとしての契約を新たに締結した<ref>{{Cite web|和書|title=株式会社セプテーニ・ホールディングス ユニフォーム ショーツ背面スポンサーに決定のお知らせ {{!}} ベガルタ仙台オフィシャルサイト |url=https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2021/news-club/2021/12/post-912.html |website=www.vegalta.co.jp |access-date=2022-08-11}}</ref>。 4月6日、6日前に[[赤﨑秀平]]が一身上の都合で退団(後に[[南葛SC]]入団)し[[セレッソ大阪]]より[[中島元彦]]を[[育成型期限付き移籍]]で獲得。4月26日、ホームタウンを「[[仙台市]]」から「仙台市を中心とする[[宮城県]]全県」に変更することを発表<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/news-hometown/2022/04/post-240.html|title=ベガルタ仙台 ホームタウンの追加について|publisher=ベガルタ仙台 オフィシャルウェブサイト|date=2022-4-26|accessdate=2022-4-26}}</ref>。 6月1日、25周年を迎えた[[仙台スタジアム|ユアスタ]]にて天皇杯2回戦[[本田技研工業フットボールクラブ|ホンダFC]]に勝利<ref group="注">奇しくも25年前のこけら落としがあった日と同じ対戦カードが組まれた</ref>。 7月7日、[[ガンバ大阪]]より[[佐藤瑶大]]を[[育成型期限付き移籍]]で獲得。7月16日、[[いわてグルージャ盛岡|盛岡]]戦でJ2通算200勝を達成<ref>{{Cite web|和書|title=2022明治安田生命J2 第27節 いわてグルージャ盛岡 |url=https://www.vegalta.co.jp/leagues/post-27.html |website=ベガルタ仙台オフィシャルサイト |access-date=2022-08-11 |language=ja}}</ref>。 9月6日、先月の4連敗を受けて原崎監督解任ならびに8月まで[[ジュビロ磐田|磐田]]の監督を務めていた[[伊藤彰 (サッカー選手)|伊藤彰]]の新監督就任を発表<ref>{{Cite web|和書|title=原崎政人監督 解任のお知らせ|url=https://www.vegalta.co.jp/news-team/2022/09/post-647.html|website=ベガルタ仙台オフィシャルサイト |access-date=2022-09-06 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=伊藤彰監督就任のお知らせ|url=https://www.vegalta.co.jp/news-team/2022/09/post-648.html|website=ベガルタ仙台オフィシャルサイト |access-date=2022-09-06 |language=ja}}</ref>。 チームは序盤好調を維持。一時首位に立ち、前半戦終了時点でも首位新潟と勝点差2の2位に立っていたが、後半戦に入ると失速。特に第31節からの12試合で2勝2分8敗と大ブレーキがかかり、優勝並びに自動昇格争いからは遠ざかってしまう。最終節の秋田戦に勝利すればプレーオフ進出の可能性があったもののスコアレスドローに終わり、結局前節まで8位だった山形に逆転され7位で終了した。後半戦で6勝5分10敗、勝点23しか挙げられなかったことが響いた形となった。 シーズン終了後、7年間在籍した[[平岡康裕]]が契約満了で[[愛媛FC|愛媛]]へ、ストイシッチも満了で[[FC町田ゼルビア|町田]]へ、[[ヴァンデルソン・フェリペ・カルドーゾ・ドス・サントス|カルドーゾ]]と[[名倉巧]]と[[佐藤瑶大]]は期限付き期間満了、[[レアンドロ・デサバト (1990年生のサッカー選手)|デサバト]]や[[大神友明|大神]]GKコーチも退団となった<ref group="注">カルドーゾは[[カーザ・ピアAC|ポルトガル1部]]へ移籍</ref>。[[吉野恭平]]は[[横浜FC]]、[[富樫敬真]]は[[サガン鳥栖|鳥栖]]、[[田中渉 (サッカー選手)|田中渉]]は[[モンテディオ山形|山形]]、[[石原崇兆]]は[[ツエーゲン金沢|金沢]]へ移籍し、18年在籍した[[富田晋伍]]は現役引退を表明した。 ==== 2023年 ==== チームスローガン:'''GRAV 協創''' <ref group="注">(読み方) グラブ きょうそう</ref> 前年最終戦の翌日、[[伊藤彰 (サッカー選手)|伊藤彰]]監督の続投が発表された。コーチの人事にも動きがありヘッドコーチに[[渋谷洋樹]]、コーチに[[堀孝史]]、GKコーチに[[工藤輝央]]らが入閣。選手では[[中島元彦]]が期限付き期間を延長し、[[山田寛人]]も3季ぶりに復帰、[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[郷家友太]]、[[ポルティモネンセSC|ポルティモネンセ]]から[[エヴェルトン・ダ・シウヴァ・ペレイラ|エヴェルトン]]、[[FC東京]]から[[林彰洋]]、[[浦項スティーラース|浦項]]から[[許熔埈|ホ ヨンジュン]]、[[サガン鳥栖|鳥栖]]から[[相良竜之介]]、[[大分トリニータ|大分]]から[[小出悠太]]、[[ロアッソ熊本|熊本]]から[[菅田真啓]]を新戦力として迎えた。新卒では[[オナイウ情滋]]、[[工藤蒼生]]、[[梅田陸空]]、[[菅原龍之助]]が入団し、[[大曽根広汰]]は[[藤枝MYFC|藤枝]]へ期限付き移籍が決定。例年よりも早いペースで年内に既存選手の契約更新を終わらせた。 2023年1月10日、運営会社が広告主となり[[泉中央駅]]に副駅名として「ベガルタ仙台・[[仙台スタジアム|ユアスタ前]]」と命名した<ref>{{Cite web|和書|url=https://kahoku.news/articles/20230110khn000043.html |title=「ベガルタ仙台・ユアスタ前」 仙台市地下鉄泉中央駅の副駅名に |access-date=2023-01-11 |publisher=河北新報}}</ref>。1月11日、[[平成の森#ベガルタ仙台平成の森運動場|平成の森 多目的運動場]]が「ベガルタ仙台平成の森運動場」となった<ref>{{Cite web|和書|url=http://sanrikushimpo.co.jp/2023/01/13/9235/ |title=平成の森グラウンドの名称「ベガルタ仙台平成の森運動場」に |access-date=2023-01-13 |publisher=三陸新報}}</ref>。 2月8日、トップチームの練習場である「ベガルタ仙台紫山サッカー場」の呼称が「[[ベガルタ仙台紫山サッカー場|アイリストレーニングフィールド]]」となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/news-club/2023/02/post-974.html |title=【ベガルタ仙台紫山サッカー場 命名権】アイリストレーニングフィールドに決定いたしました。 |access-date=2023-02-08 |publisher=ベガルタ仙台}}</ref>。 5月3日、[[ブラウブリッツ秋田|秋田]]戦は[[マイナビ仙台レディース]]の[[AC長野パルセイロ・レディース|長野]]戦と史上初のダブルヘッダーで開催。5月15日、[[J30ベストアウォーズ]]において、[[2011年J1第7節 川崎F対仙台|ベストマッチ]]を受賞<ref>{{Cite web|和書|url=https://twitter.com/vega_official_/status/1657957833676328966 |title=【ベストマッチ受賞】 |access-date=2023-05-26 |publisher=Twitter}}</ref>。 6月8日、[[庄子春男 (サッカー選手)|庄子春男]]がGMに就任<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/news-team/2023/06/post-437.html |title=庄子春男氏 GM 就任のお知らせ |access-date=2023-06-09 |publisher=ベガルタ仙台}}</ref>。 しかし、開幕戦から上昇気流に乗り切れず成績が低迷、7月の段階で13位に転落し13日に伊藤彰監督退任ならびに堀孝史コーチの監督就任を発表した<ref>{{Cite web|和書|title=伊藤彰監督 退任のお知らせ |url=https://www.vegalta.co.jp/news-team/2023/07/post-547.html |website=ベガルタ仙台オフィシャルサイト |access-date=2023-07-13 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=堀孝史 監督就任のお知らせ |url=https://www.vegalta.co.jp/news-team/2023/07/post-548.html |website=ベガルタ仙台オフィシャルサイト |access-date=2023-07-13 |language=ja}}</ref>。シーズン途中での監督交代は3年連続となる。 6月11日の[[ジュビロ磐田|磐田]]戦から2ヶ月勝ち星なし、昇格組の[[いわきFC|いわき]]と[[藤枝MYFC|藤枝]]から一度も勝ち星を挙げられず(2分2敗)、最下位で降格した[[ツエーゲン金沢|金沢]]に唯一シーズンダブル(2敗)を食らうなど、シーズンを通して低空飛行を続けた。最終的に12勝12分18敗の16位となり、1999年のJリーグ参入以来最低順位を更新するという不名誉な結果に終わった。シーズン終了後に堀監督が退任。 ==== 2024年 ==== [[U-17サッカー日本代表]]の監督を務めた[[森山佳郎]]が新監督に就任。 == 成績 · 表彰 == {{Main|ベガルタ仙台の年度別成績一覧}} === 国内タイトル === * '''[[J2リーグ]]:1回''' ** [[2009年のJリーグ|2009]] ==== 個人別 ==== ==== リーグ ==== * '''[[Jリーグベストイレブン|ベストイレブン]]''' ** [[2012年]]:{{Flagicon|BRA}} [[ウイルソン・ロドリゲス・フォンセカ|ウイルソン]] * '''フェアプレー個人賞''' ** [[2003年]]:{{Flagicon|JPN}} [[根本裕一]] ** [[2011年]]:{{Flagicon|PRK}} [[梁勇基]] * '''優秀選手賞''' ** [[2011年]]:{{Flagicon|JPN}} [[林卓人]] {{Flagicon|JPN}} [[角田誠]] {{Flagicon|JPN}} [[鎌田次郎]] ** [[2012年]]:{{Flagicon|JPN}} [[林卓人]] {{Flagicon|JPN}} [[上本大海]] {{Flagicon|JPN}} [[角田誠]] {{Flagicon|JPN}} [[鎌田次郎]] {{Flagicon|JPN}} [[菅井直樹]] {{Flagicon|PRK}} [[梁勇基]] {{Flagicon|JPN}} [[赤嶺真吾]] ** [[2019年]]:{{Flagicon|MOZ}} [[シマオ・マテ・ジュニオール|シマオ・マテ]] * '''功労選手賞''' ** [[2009年]]:{{Flagicon|JPN}} [[小村徳男]] ** [[2015年]]:{{Flagicon|JPN}} [[柳沢敦]] ** [[2021年]]:{{Flagicon|JPN}} [[佐藤寿人]] ** [[2022年]]:{{Flagicon|JPN}} [[角田誠]] {{Flagicon|JPN}} [[石原直樹]] {{Flagicon|JPN}} [[高橋義希]] * '''J2得点王''' ** [[2001年]]:{{Flagicon|BRA}} [[マルコス・パウロ・ソウザ・リベイロ|マルコス]] ** [[2006年]]:{{Flagicon|BRA}} [[ウンベルリート・ボルジェス・テイシェイラ|ボルジェス]] *'''明治安田生命Jリーグ KONAMI 月間優秀監督賞/MVP''' ** [[2014年]]:{{Flagicon|JPN}} [https://www.vegalta.co.jp/blogs/photographer/?p=2731 赤嶺真吾] ** [[2019年]]:{{Flagicon|JPN}} [https://www.jleague.jp/monthly_awards/2019/06/ 渡邉晋] {{Flagicon|MOZ}} [https://www.jleague.jp/monthly_awards/2019/06/ シマオ・マテ] ** [[2022年]]:{{Flagicon|JPN}} [https://www.jleague.jp/monthly_awards/2022/04/ 原崎政人] {{Flagicon|JPN}} [https://www.jleague.jp/monthly_awards/2022/04/ 氣田亮真] *'''月間ベストゴール''' ** [[2015年]]:{{Flagicon|PRK}} [[梁勇基]] ** [[2017年のJリーグ|2017年]]:{{Flagicon|BRA}} [[クリスラン・エンリケ・ダ・シルバ・デ・ソウザ|クリスラン]] *'''TAG Heuer YOUNG GUNS AWARD''' ** [[2017年]]:{{Flagicon|JPN}} [[西村拓真]] ** [[2018年]]:{{Flagicon|JPN}} [[板倉滉]] *'''J's GOAL J1月間MIP''' ** [[2012年]]:{{Flagicon|BRA}} [[ウイルソン・ロドリゲス・フォンセカ|ウイルソン]] *'''JPFAアワード J2ベストイレブン''' ** [[2022年]]:{{Flagicon|JPN}} [[中山仁斗]] ==== リーグ杯 ==== * '''ニューヒーロー賞''' ** [[2017年のJリーグカップ|2017年]]:{{Flagicon|JPN}} [[西村拓真]] *'''得点王''' ** [[2017年のJリーグカップ|2017年]]:{{Flagicon|BRA}} [[クリスラン・エンリケ・ダ・シルバ・デ・ソウザ|クリスラン]] ==== その他 ==== * '''フェアプレー賞 J1''' ** [[2013年のJリーグ|2013年]]、[[2014年のJリーグ|2014年]]、[[2017年のJリーグ|2017年]]、[[2018年のJリーグ|2018年]] * '''フェアプレー賞 J2''' ** [[2008年のJリーグ|2008年]]、[[2009年のJリーグ|2009年]] * '''Join賞(チェアマン特別賞)''' ** [[2009年]] - J2フェアプレー賞を2年連続で受賞した為 * '''Jリーグベストピッチ賞'''<ref>翌年より廃止</ref> **[[2016年]] *'''J30ベストアウォーズ''' ** [[J30ベストアウォーズ#ベストマッチ|ベストマッチ]] === 国際大会出場 === {{hidden begin |toggle = right |title = A代表 |titlestyle = background:#f0f0f0; }} {{Col-begin}} {{Col-2}} ;FIFAワールドカップ * [[2018 FIFAワールドカップ|2018年]] ** {{Flagicon|AUS}} [[ダニエル・ヴコヴィッチ]](2014年在籍) * [[2022 FIFAワールドカップ|2022年]] ** {{Flagicon|JPN}} [[シュミット・ダニエル]](新卒としては初) ** {{Flagicon|JPN}} [[板倉滉]](2018年) ** {{Flagicon|AUS}} ダニエル・ヴコヴィッチ {{Col-2}} ;FIFAワールドカップ (監督) * [[2022 FIFAワールドカップ|2022年]] ** {{Flagicon|JPN}} [[森保一]](2002-2003年) ** {{Flagicon|AUS}} [[グラハム・アーノルド]](2014年) {{Col-end}} {{Col-begin}} ;FIFAコンフェデレーションズカップ * [[FIFAコンフェデレーションズカップ2017|2017年]] ** {{Flagicon|AUS}} ダニエル・ヴコヴィッチ ** {{Flagicon|NZL}} [[マイケル・マグリンチィ]](2014年) {{Col-end}} {{Col-begin}} {{Col-2}} ;AFCアジアカップ * [[AFCアジアカップ2011|2011年]]/[[AFCアジアカップ2015|2015年]] ** {{Flagicon|PRK}} [[梁勇基]](2004-2019,2022年-) * [[AFCアジアカップ2019|2019年]] ** {{Flagicon|JPN}} シュミット・ダニエル<br>※準優勝 ** {{Flagicon|AUS}} ダニエル・ヴコヴィッチ {{Col-2}} ;AFCアジアカップ (監督) * [[AFCアジアカップ2019|2019年]] ** {{Flagicon|JPN}} 森保一 ※準優勝 ** {{Flagicon|AUS}} グラハム・アーノルド {{Col-end}} {{Col-begin}} {{Col-2}} ;コパ・アメリカ * [[コパ・アメリカ2019|2019年]] ** {{Flagicon|JPN}} 板倉滉 ** {{Flagicon|JPN}} 森保一 {{Col-2}} ;OFCネイションズカップ * [[OFCネイションズカップ2016|2016年]] ** {{Flagicon|NZL}} マイケル・マグリンチィ<br>※優勝 {{Col-end}} {{Col-begin}} ;EAFF東アジアカップ * [[EAFF東アジアカップ2015|2015年]] ** {{Flagicon|JPN}} [[六反勇治]](2015-2016年) * [[EAFF E-1サッカー選手権2022|2022年]] ** {{Flagicon|JPN}} [[西村拓真]](2015-2018,2020-2021年) ** {{Flagicon|JPN}} 森保一<br>※優勝 {{Col-end}} {{hidden end}} {{hidden begin |toggle = right |title = 年代別代表 |titlestyle = background:#f0f0f0; }} {{Col-begin}} {{Col-2}} ;夏季五輪 (U-23) * [[2020年東京オリンピックのサッカー競技・男子|2020年]] ** {{Flagicon|JPN}} 板倉滉 {{Col-2}} ;夏季五輪 (U-23監督) * [[2016年リオデジャネイロオリンピックのサッカー競技|2016年]] ** {{Flagicon|JPN}} [[手倉森誠]] * [[2020年東京オリンピックのサッカー競技・男子|2020年]] ** {{Flagicon|JPN}} 森保一 ** {{Flagicon|AUS}} グラハム・アーノルド {{Col-end}} {{Col-begin}} ;AFC U-23選手権 * [[AFC U-23選手権2016|2016年]] ** {{Flagicon|JPN}} 手倉森誠<br>※優勝 * [[AFC U-23選手権2020|2020年]] ** {{Flagicon|AUS}} グラハム・アーノルド<br>※3位 {{Col-end}} {{Col-begin}} {{Col-2}} ;アジア大会 (U-23) * [[2018年アジア競技大会におけるサッカー競技|2018年]] ** {{Flagicon|JPN}} 板倉滉<br>※準優勝 {{Col-2}} ;アジア大会 (U-23監督) * [[2014年アジア競技大会におけるサッカー競技|2014年]] ** {{Flagicon|JPN}} 手倉森誠 {{Col-end}} {{Col-begin}} ;トゥーロン国際大会 (U-22) * [[第47回トゥーロン国際大会|2019年]] ** {{Flagicon|JPN}} [[椎橋慧也]](2016-2020年)<br>※準優勝、ベストイレブン受賞 {{Col-end}} {{Col-begin}} ;FIFA U-20ワールドカップ (監督) * [[2023 FIFA U-20ワールドカップ|2023年]] ** {{Flagicon|KOR}} [[金殷中|キム・ウンジュン]](2003年)<br>※ベスト4 {{Col-end}} {{hidden end}} === リーグ戦の主な記録 === ==== チーム記録 ==== ===== 最多得点試合 ===== {| class="wikitable" ! ||[[ホーム・アンド・アウェー|H & A]]||スコア||試合日||対戦相手 |- | rowspan="3" |[[J1リーグ|J1]]||[[ホームタウン|ホーム]]||6-0||2013年第25節(9月14日)||[[大分トリニータ]] |- | rowspan="2" |アウェー||4-1||2017年第27節(9月23日)||[[セレッソ大阪]] |- |4-0||2020年第27節(11月14日)||[[ガンバ大阪]] |- | rowspan="7" |[[J2リーグ|J2]]|| rowspan="3" |[[ホームタウン|ホーム]]||5-1||2006年第17節(5月20日)|| rowspan="2" |[[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]] |- |5-2||2006年第43節(9月30日) |- |5-2||2007年第9節(4月14日)||[[サガン鳥栖]] |- | rowspan="4" |アウェー||5-1||2000年第30節(8月27日)|| rowspan="2" |[[水戸ホーリーホック]] |- |5-0||2009年第18節(5月30日) |- |5-1||2006年第18節(5月28日)||[[サガン鳥栖]] |- |5-1 |2022年第27節(7月26日) |[[いわてグルージャ盛岡]] |} ===== 最多失点試合 ===== {| class="wikitable" ! ||[[ホーム・アンド・アウェー|H & A]]||スコア||試合日||対戦相手 |- | rowspan="2" |[[J1リーグ|J1]]||[[ホームタウン|ホーム]]||2-8||2018年第16節(7月18日)||[[横浜F・マリノス]] |- |アウェー||0-7||2017年第6節(4月7日)||[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]] |- | rowspan="4" |[[J2リーグ|J2]]||[[ホームタウン|ホーム]]||2-6||2000年第31節(9月3日)||[[湘南ベルマーレ]] |- | rowspan="3" |アウェー||1-5||1999年第17節(7月11日)||[[川崎フロンターレ]] |- |0-5||2000年第28節(8月12日)||[[大分トリニータ]] |- |1-5||2007年第22節(6月16日)||[[京都サンガF.C.]] |} ===== 最多連勝 ===== {| class="wikitable" ! ||連勝試合数||期間||備考 |- |[[J1リーグ|J1]]||6連勝||2011年第24節(8月27日)- 第29節(10月15日)||<br /> |- |[[J2リーグ|J2]]||7連勝||2009年第8節(4月15日)- 第14節(5月10日)||<br /> |} ===== 開幕連勝記録 ===== {| class="wikitable" ! ||連勝試合数||期間||備考 |- |[[J1リーグ|J1]]||5連勝||2002年第1節(3月3日)- 第5節(4月6日)||昇格チーム新記録 |} ===== 最多連敗 ===== {| class="wikitable" |- ! ||連敗試合数||期間||備考 |- |[[J1リーグ|J1]]||6連敗||2003年1st第7節(5月5日)- 第12節(7月12日)||<br /> |- |[[J2リーグ|J2]]||12連敗||1999年第9節(5月2日)- 第20節(8月7日)||<br /> |} === 個人記録 === ==== 通算最多試合出場 ==== {| class="wikitable" ! ||試合数||氏名||備考 |- |通算 |569試合 |{{Flagicon|PRK}} [[梁勇基]] | |- |[[J1リーグ|J1]]||322試合||{{Flagicon|JPN}} [[富田晋伍]]|| |- |[[J2リーグ|J2]]||337試合||{{Flagicon|JPN}} [[千葉直樹]]|| |} ==== 年度別チーム得点王 ==== {| class="wikitable" ! !年度 !チーム得点王 !得点 !備考 |- | rowspan="3" |[[J2リーグ|J2]] |[[1999年のJリーグ ディビジョン2|1999]] ||{{Flagicon|JPN}} [[阿部良則]] |7得点 | |- |[[2000年のJリーグ ディビジョン2|2000]] ||{{Flagicon|JPN}} [[藤吉信次]] {{Flagicon|JPN}} [[大友慧]] |10得点 | |- |[[2001年のJリーグ ディビジョン2|2001]] ||{{Flagicon|BRA}} [[マルコス・パウロ・ソウザ・リベイロ|マルコス]] |'''34得点''' |'''J2得点王''' |- | rowspan="2" |[[J1リーグ|J1]] |[[2002年のJリーグ ディビジョン1|2002]] ||{{Flagicon|BRA}} マルコス |18得点 | |- |[[2003年のJリーグ ディビジョン1|2003]] ||{{Flagicon|JPN}} [[佐藤寿人]] |9得点 | |- | rowspan="6" |[[J2リーグ|J2]] |[[2004年のJリーグ ディビジョン2|2004]] ||{{Flagicon|JPN}} 佐藤寿人 |20得点 | |- |[[2005年のJリーグ ディビジョン2|2005]] ||{{Flagicon|BRA}} [[マルセロ・バロン・ポランクジック|バロン]] |14得点 | |- |[[2006年のJリーグ ディビジョン2|2006]] ||{{Flagicon|BRA}} [[ウンベルリート・ボルジェス・テイシェイラ|ボルジェス]] |'''26得点''' |'''J2得点王''' |- |[[2007年のJリーグ ディビジョン2|2007]] ||{{Flagicon|BRA}} [[ウェリントン・ノゲイラ・ロペス|ロペス]] {{Flagicon|JPN}} [[萬代宏樹]] |14得点 | |- |[[2008年のJリーグ ディビジョン2|2008]] ||{{Flagicon|PRK}} [[梁勇基]] |13得点 | |- |[[2009年のJリーグ ディビジョン2|2009]] ||{{Flagicon|BRA}} [[マルセロ・ゴメス・ソアレス|マルセロソアレス]] |16得点 | |- | rowspan="12" |[[J1リーグ|J1]] |[[2010年のJリーグ ディビジョン1|2010]] ||{{Flagicon|PRK}} 梁勇基 |11得点 | |- |[[2011年のJリーグ ディビジョン1|2011]] ||{{Flagicon|JPN}} [[赤嶺真吾]] |14得点 | |- |[[2012年のJリーグ ディビジョン1|2012]] ||{{Flagicon|JPN}} 赤嶺真吾 |14得点 | |- |[[2013年のJリーグ ディビジョン1|2013]] ||{{Flagicon|BRA}} [[ウイルソン・ロドリゲス・フォンセカ|ウイルソン]] |13得点 | |- |[[2014年のJリーグ ディビジョン1|2014]] ||{{Flagicon|JPN}} 赤嶺真吾 |9得点 | |- |[[2015年のJ1リーグ|2015]] ||{{Flagicon|JPN}} [[奥埜博亮]] {{Flagicon|JPN}} [[金園英学]] {{Flagicon|BRA}} [[ハモン・ロペス・デ・フレイタス|ハモンロペス]] |7得点 | |- |[[2016年のJ1リーグ|2016]] ||{{Flagicon|BRA}} ハモンロペス |10得点 | |- |[[2017年のJ1リーグ|2017]] ||{{Flagicon|JPN}} [[石原直樹]] |10得点 | |- |[[2018年のJ1リーグ|2018]] ||{{Flagicon|JPN}} [[西村拓真]] |11得点 |'''海外移籍''' |- |[[2019年のJ1リーグ|2019]] ||{{Flagicon|JPN}} [[長沢駿]] |7得点 | |- |[[2020年のJ1リーグ|2020]]||{{Flagicon|JPN}} 長沢駿||9得点|| |- |[[2021年のJ1リーグ|2021]] ||{{Flagicon|JPN}} 西村拓真 |6得点 | |- |[[J2リーグ|J2]] |[[2022年のJ2リーグ|2022]] |{{Flagicon|JPN}} [[中山仁斗]] |14得点 | |} ==== サポーターが選ぶ年間MVP ==== {| class="wikitable" !年度 !選手 !スポンサー |- |[[2002年のJリーグ|2002]] ||{{Flagicon|BRA}} [[シルビオ・ホセ・カヌート|シルビーニョ]] |ー |- |[[2003年のJリーグ|2003]] ||ー |ー |- |[[2004年のJリーグ|2004]] ||ー |ー |- |[[2005年のJリーグ|2005]] ||{{Flagicon|JPN}} [[高桑大二朗]] |ー |- |[[2006年のJリーグ|2006]] ||{{Flagicon|BRA}} [[ウェリントン・ノゲイラ・ロペス|ロペス]] |ー |- |[[2007年のJリーグ|2007]] ||ー |ー |- |[[2008年のJリーグ|2008]] ||{{Flagicon|PRK}} [[梁勇基]] |ー |- |[[2009年のJリーグ|2009]] ||{{Flagicon|PRK}} 梁勇基 |ー |- |[[2010年のJリーグ|2010]] ||{{Flagicon|PRK}} 梁勇基 |[[アシアナ航空]] |- |[[2011年のJリーグ|2011]] ||{{Flagicon|JPN}} [[菅井直樹]] |アシアナ航空 |- |[[2012年のJリーグ|2012]] ||{{Flagicon|JPN}} [[赤嶺真吾]] |アシアナ航空 |- |[[2013年のJリーグ|2013]] ||{{Flagicon|JPN}} [[林卓人]] |アシアナ航空 |- |[[2014年のJリーグ|2014]] ||{{Flagicon|JPN}} [[富田晋伍]] |アシアナ航空 |- |[[2015年のJリーグ|2015]] ||{{Flagicon|JPN}} [[奥埜博亮]] |アシアナ航空 |- |[[2016年のJリーグ|2016]] ||{{Flagicon|JPN}} [[三田啓貴]] |アシアナ航空 |- |[[2017年のJリーグ|2017]] ||{{Flagicon|JPN}} [[石原直樹]] |[[NTTドコモ]] |- |[[2018年のJリーグ|2018]] ||{{Flagicon|JPN}} 石原直樹 |NTTドコモ |- |[[2019年のJリーグ|2019]] ||{{Flagicon|MOZ}} [[シマオ・マテ・ジュニオール|シマオ・マテ]] |NTTドコモ |- |[[2020年のJリーグ|2020]]||{{Flagicon|POL}} [[ヤクブ・スウォビィク]]||NTTドコモ |- |[[2021年のJリーグ|2021]] ||{{Flagicon|POL}} ヤクブ・スウォビィク |NTTドコモ |- |[[2022年のJリーグ|2022]] |{{Flagicon|JPN}} [[中島元彦]] |NTTドコモ |} ==== 通算最多得点 ==== {| class="wikitable" ! ||得点数||氏名||備考 |- |[[J1リーグ|J1]]||44得点||{{Flagicon|JPN}} [[赤嶺真吾]]|| |- |[[J2リーグ|J2]]||47得点||{{Flagicon|PRK}} [[梁勇基]]|| |} ==== シーズン最多得点 ==== {| class="wikitable" ! ||得点数||氏名||達成年度 |- |[[J1リーグ|J1]]||18得点|| rowspan="2" |{{Flagicon|BRA}} [[マルコス・パウロ・ソウザ・リベイロ|マルコス]]||2002年 |- |[[J2リーグ|J2]]||34得点||2001年 |} ==== [[ハットトリック]] ==== {| class="wikitable" ! ||得点数||氏名||達成日||対戦相手 |- | rowspan="2" |[[J1リーグ|J1]]|| rowspan="2" |3得点||{{Flagicon|BRA}} [[ハモン・ロペス・デ・フレイタス|ハモン・ロペス]]||2016年10月1日(2nd第14節)||[[サガン鳥栖]] |- |{{Flagicon|JPN}} [[長沢駿]] |2020年11月14日(第27節) |[[ガンバ大阪]] |- | rowspan="4" |[[J2リーグ|J2]]|| rowspan="4" |3得点||{{Flagicon|BRA}} [[マルコス・パウロ・ソウザ・リベイロ|マルコス]]||2001年4月28日(第8節)||[[京都サンガF.C.|京都パープルサンガ]] |- | rowspan="2" |{{Flagicon|BRA}} [[ウンベルリート・ボルジェス・テイシェイラ|ボルジェス]]||2006年5月20日(第17節)|| rowspan="2" |[[ザスパクサツ群馬|ザスパ草津]] |- |2006年9月30日(第43節) |- |{{Flagicon|JPN}} [[萬代宏樹]]||2007年4月14日(第9節)||[[サガン鳥栖]] |} ==== 最多入場者数試合 ==== {| class="wikitable" ! ||[[ホーム・アンド・アウェー|H & A]]||入場者数||試合日||対戦相手||スタジアム |- | rowspan="3" |[[J1リーグ|J1]]|| rowspan="2" |[[ホームタウン|ホーム]]||43,092人<ref>[https://www.jubilo-iwata.co.jp/live/2002/J021020_10.php]</ref>||2002年2nd第9節(10月20日)||[[ジュビロ磐田]]||[[宮城スタジアム]] |- |19,503人||2019年第3節(3月10日)||[[ヴィッセル神戸]]||[[ユアテックスタジアム仙台]] |- |アウェー||39,545人||2012年第15節(6月23日)||[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]||[[埼玉スタジアム2002]] |- | rowspan="3" |[[J2リーグ|J2]]|| rowspan="2" |[[ホームタウン|ホーム]]||19,412人||2001年第43節(11月11日)||[[サガン鳥栖]]||[[仙台スタジアム]] |- |23,745人 |2008年第42節(11月9日) |[[サンフレッチェ広島]] |[[宮城スタジアム]] |- |アウェー||32,979人||2022年第40節(10月8日)||[[アルビレックス新潟]] |[[新潟スタジアム|デンカビッグスワンスタジアム]] |} ==== 最少入場者数試合 ==== {| class="wikitable" ! ||[[ホーム・アンド・アウェー|H & A]]||入場者数||試合日||対戦相手||スタジアム |- | rowspan="3" |[[J1リーグ|J1]]|| rowspan="2" |[[ホームタウン|ホーム]]|| style="text-align: right" |17,183人||2013年第31節(11月10日)||[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]||[[宮城スタジアム]] |- | style="text-align: right" |10,931人||2019年第5節(3月30日)||[[セレッソ大阪]]||[[仙台スタジアム|ユアテックスタジアム仙台]] |- |アウェー|| style="text-align: right" |3,287人||2002年2nd第4節(9月18日)||[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]]||[[市原緑地運動公園臨海競技場|市原臨海競技場]] |- | rowspan="3" |[[J2リーグ|J2]]|| rowspan="2" |[[ホームタウン|ホーム]]|| style="text-align: right" |2,568人||1999年第7節(4月25日)||[[大分トリニータ]]||[[仙台スタジアム]] |- | style="text-align: right" |7,154人||2009年第4節(3月25日)||[[ヴァンフォーレ甲府]]||[[宮城スタジアム]] |- |アウェー|| style="text-align: right" |951人||2000年第4節(3月30日)||[[ヴァンフォーレ甲府]]||[[山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場]] |} == ホームスタジアム == [[ファイル:MiyagiStadiumTrackField.jpg|thumb|260px|宮城スタジアム]] Jリーグ加盟以降は[[仙台スタジアム|ユアテックスタジアム仙台]] (仙台スタジアム / [[仙台市]][[泉区 (仙台市)|泉区]]。以下「ユアスタ」)をホームスタジアムとしているが、[[宮城スタジアム|キューアンドエースタジアムみやぎ]](宮城スタジアム / [[宮城郡]][[利府町]]。{{ウィキ座標|38|20|7.5|N|140|57|1.2|E|region:JP|地図|name=準ホームスタジアム(2002年 - ):宮城スタジアム}}。以下「宮スタ」)でも不定期にホームゲームを開催する。 2009年は1月 - 6月に掛けてユアスタで芝の全面張り替え工事が行われたため、その間のホームゲームを宮スタで11試合、[[福島県営あづま陸上競技場]](現:とうほう・みんなのスタジアム)で1試合を開催した(宮城県外でホームゲーム開催はJリーグ加盟後初。なお、[[ブランメル仙台]]([[ジャパンフットボールリーグ|JFL]])時代に[[岩手県]]で開催経験がある)。 また、2011年3月の[[東日本大震災]]に伴ってユアスタ仙台が大きな被害を受け、宮スタは救援拠点として使用されることになった。ユアスタの損傷は使用可能の範囲とされたため、当初宮スタで開催が予定されていた4月29日の浦和戦はユアスタに会場が変更された。 2016年にベストピッチ賞を貰ったり、[[サッカーダイジェスト]]のスタジアム部門ランキングで2位に輝くなど関係者からの評価は高い<ref>{{Cite book|和書 |title=No.1420「Jリーグクラブ番付」 |publisher=日本スポーツ企画出版社 |date=2018年9月27日}}</ref>。臨場感、快適さ、アクセスのどこから見てもポイントが高く、サッカーへの造詣が深い[[平畠啓史]]氏の評は次の通りである。 「地下鉄南北線の終点 · 泉中央駅からわずか4分とアクセスに優れている。大きすぎず小さすぎず、サッカーを楽しむには最適な規模。サポーターの声援がスタンドを覆う屋根に、ほど良く反響するので、目だけでなく耳でも熱気を味わえる<ref>{{Cite book|和書|title=サッカーダイジェスト(No.1420)|publisher=日本スポーツ企画出版社|date=2018年9月27日}}</ref>。」 {{multiple image |footer = |align = right |width = 170 |image1 = Sendaistadium2023-3.jpg |caption1 = ボックスシート |image2 = ふわふわベガッ太2023.jpg |caption2 = ふわふわベガッ太 }} [[キー局]]でも反響があった「[[カレーは飲み物]]」を絡めた[https://www.vegalta.co.jp/game/foods.html スタジアムグルメ] や「[https://www.vegalta.co.jp/news-game/2022/08/post-555.html ふわふわベガッ太](有料)」で子供が遊べる等スタジアム環境も年々進化させている<ref>「カレーは飲み物。」を運営する"[https://www.vegalta.co.jp/news-game/2022/09/post-729.html 株式会社のみもの]"が実際に出店。また、[[大郷町]]・[[仙台大学附属明成高等学校|明成高校]]と三者共同で[[大郷みそカレー]]を開発してスタジアムで販売した。</ref>。 座席は屋根で覆われてるので前方の席でなければ[[雨]]で濡れない。また、3~5名利用の為のテーブル付きのボックスシートの販売、高密度Wi-fiサービス「VEGALTA FREE Wi-Fi」も充実させて年々観戦環境を向上<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/contents/free-wifi-vport/ |title=スタジアムで無料Wi-Fiを楽しもう! |access-date=2022-10-01}}</ref>。 尚「VPORT」というホームゲーム限定コンテンツはVEGALTA FREE Wi-Fiからのみアクセスが出来て、試合毎にマッチデープログラム、限定壁紙のダウンロードなどが利用可能<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/news-game/2023/05/post-382.html |title=VEGALTA FREE Wi-Fi / VPORTのご案内 |access-date=2023-05-26 |publisher=ベガルタ仙台}}</ref><ref>以前は[[V PRESS|V☆PRESS]]を発行していた</ref>。{{Main2|初めての方については、[https://www.vegalta.co.jp/contents/beginners-guide/ こちら] を}} ;ホームゲーム開催地一覧<ref>[http://footballgeist.com/ フットボールガイスト]</ref> {| class="wikitable sortable" style="text-align: center; font-size: smaller;" |- !rowspan="2"|年度!!colspan="3"|リーグ戦!!rowspan="2"|Jリーグ杯!!rowspan="2"|ACL!!rowspan="2"|備考 |- !仙台ス<br/><small>(ユアスタ)</small>!!宮スタ<br/><small>(Qスタ)</small>!!その他 |- |1999||18||-||  ||rowspan="2"|仙台ス1||rowspan="14"|不参加|| |- |2000||20||-|| || |- |2001||22||-|| ||rowspan="3"|仙台ス3||style="text-align: left"|J1昇格 |- |2002||14||1||  || |- |2003||12||3||  ||style="text-align: left"|J2降格 |- |2004||21||1||  ||rowspan="6"|不参加|| |- |2005||22||rowspan="3"|0||  || |- |2006||24||  ||style="text-align: left"|仙台ス=命名権導入によりユアテックスタジアム仙台に変更 |- |2007||23||  || |- |2008||20||1||  || |- |2009||rowspan="2"|14||11||福島1||style="text-align: left"|J1昇格 |- |2010||3||  ||ユアスタ3|| |- |2011||rowspan="2"|17||rowspan="2"|0||  ||ユアスタ2||style="text-align: left"|リーグ戦:当初予定していた宮スタの1試合が<br/>震災の影響でユアスタに変更 |- |2012||  ||ユアスタ4||style="text-align: left"|リーグ杯:決勝T2(準々決勝・準決勝)を含む |- |2013||16||1||  ||ユアスタ1||仙台ス<ref group="注" name="ACL">ACLは「仙台スタジアム」名義</ref> 3||style="text-align: left"|リーグ杯:ACL出場につき、決勝トーナメントのみ |- |2014|| rowspan="7" |17|| rowspan="10" |0|| ||rowspan="3"|ユアスタ3|| rowspan="10" |不参加||style="text-align: left"|宮スタ=命名権導入によりひとめぼれスタジアム宮城に変更 |- |2015||  || |- |2016||  || |- |2017||  ||rowspan="3"|ユアスタ4||style="text-align: left"|リーグ杯:ノックアウトS1(準々決勝)を含む |- |2018||  ||rowspan="2" style="text-align: left"|リーグ杯:プレーオフ1含む |- |2019|| |- |2020 | |ユアスタ1 | |- |2021 |19 | |ユアスタ3 |J2降格 |- |2022 | rowspan="2" |21 | | rowspan="2" |不参加 | |- |2023 | | |} === JFL時代に使用された上記以外のスタジアム === *[[仙台市陸上競技場|宮城県陸上競技場]] *[[宮城県サッカー場]] *[[岩手県営運動公園陸上競技場]] === スタジアムDJ === *[[MiC]](2019年-) ; 過去のスタジアムDJ * [[ウイリー佐々木]](1996年-1997年) * [[ワッキー貝山]](2007年:大坂ともおの代役として) * [[大坂ともお]](1998年-2018年:ブランメル仙台時代より担当) == ベストマッチ == === Jリーグ表彰 === 各メディアに伝説の試合として多く挙げられるのが次の試合。①と②は [[YouTube|Youtube]] Jリーグ公式チャンネルの「もう一度見たいあの試合」に選ばれており、②は[[Jクロニクルベスト]]の「ベストマッチ (10試合) 」、[[J30ベストアウォーズ]]の「[[2011年J1第7節 川崎F対仙台|ベストマッチ (1試合)]] 」にも選ばれている。[[サッカーダイジェスト]]においても2つは番記者セレクト名勝負ベスト3に選ばれている<ref>{{Cite book|和書 |title=No.1435「日本サッカー激動の30年史」 |date=2019年5月9日 |year=2019年 |publisher=日本スポーツ企画出版社}}</ref><ref>太田のゴールシーンはNHKのOPタイトル“J30年”名場面11にも選ばれている。([https://twitter.com/NHK_soccer/status/1643507073152348161?s=20 記事])</ref>。 ※対戦カード・開催スタジアムの表記は試合の行われた当時のもの。 {| class="wikitable" ! !対戦カード !開催日/開催スタジアム !概要 !動画 !試合データ |- ![[2001年J2最終節|①]] |[[2001年のJリーグ ディビジョン2|2001 Jリーグ ディビジョン2]] 第44節 京都パープルサンガ 0-1 ベガルタ仙台 |2001年11月18日Ⅰ [[京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場]] |悲願のJ1初昇格試合。 最終節での首位京都と3位仙台の直接対決。東北地方のクラブとして初の[[J1リーグ|J1]]昇格が決定。 |{{YouTube|ZwDpCToXC8I|ハイライト}} |[https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=6203 公式記録] |- ![[2011年J1第7節 川崎F対仙台|②]] |[[2011年のJリーグ ディビジョン1|2011 Jリーグ ディビジョン1]] 第7節 川崎フロンターレ 1-2 ベガルタ仙台 |2011年4月23日 [[等々力陸上競技場]] |[[東日本大震災]]に伴うリーグ戦中断明けの初戦。 クラブ自身も甚大な被害を受けた仙台が逆転勝利。等々力でのクラブ初勝利を記録。 |{{YouTube|j-F2uYYfkjE|もう一度見たいあの試合}}<br>{{YouTube|XvVz_RjyAtk|Jクロニクルベスト}}<br>{{YouTube|PXAP53clryw|J30ベストアウォーズ}} |[https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=13296 公式記録] |} === 復興応援試合 === [[東日本大震災]]に伴うリーグ戦中断明けから始まった復興支援試合。仙台と川崎の再開初戦は[[J30ベストアウォーズ]]で[[2011年J1第7節 川崎F対仙台|ベストマッチ]]に選ばれた<ref>[[Jクロニクルベスト]]の「ベストマッチ10選」にも選ばれている。</ref>。 翌年から[[東日本大震災|3.11]]より日付が一番近い試合は「復興応援試合」と銘打って大々的に行われる様になったが、クラブによっては「復興祈念試合」と謳う場合もある。 試合前の募金活動や被災者の無料招待等の支援活動が主であり、沢山のJリーグクラブが行った。10年経っても支援活動を続けているクラブはありその内容は多岐にわたる。 仙台も日頃のホームタウン活動において震災復興支援として下記の活動をしている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/hometown/about.html |title=ホームタウン活動 |access-date=2022年8月13日}}</ref>。 * 選手被災地訪問 * 東日本大震災追悼式典参列 * 復興支援サッカーキャラバン * 復興支援in石巻 * 宮城・東北Dream Project (被災地招待事業) * こころもからだも元気Project * 被災地商店街訪問 2016年には「5周年 復興祈念ユニフォーム」を着用<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2016/news/press_release/2016/06/post-3699.html |title=東日本大震災・5周年 復興祈念ユニフォーム 着用のお知らせ |access-date=2022年8月13日}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2016/news/goods_shop_news/2016/06/post-3692.html |title=『東日本大震災・5周年 復興祈念ユニフォーム』 |access-date=2022年8月13日}}</ref>。 2021年には新しく[https://www.vegalta.co.jp/contents/thanks-tohoku-miyagi/ 『東日本大震災10年プロジェクト』]と標榜した活動をし選手達のユニフォームに「全ての仲間にありがとう。がんばろう!宮城·東北」と掲出し全試合で発信した<ref>2011シーズンはユニフォームの袖に「がんばろう!宮城」のワッペンを掲出</ref>。本年の対戦カードは10年前と同じ川崎。 {{Main2|デザインについては {{YouTube|yQFtniXy1LE|こちら}} を}} 毎年のトップチーム始動日には全員で被災地訪問をするのが恒例である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/news-team/2022/01/post-1037.html |title=宮城県石巻市の石巻南浜津波復興祈念公園を訪問いたしました。 |access-date=2022年8月13日}}</ref>。 対戦相手は同じ震災で被害を受けたチームもしくは違う災害を経験したチームになる事が多くテレビ中継率も高い。 ※2015と2016シーズンは2ステージ制 {| class="wikitable" style="border-collapse:collapse; text-align:center; font-size:90%;" ! !シーズン ! width="60" |節 ! width="130" |ホーム ! width="60" |スコア ! width="130" |アウェイ !中継 !備考 |- | rowspan="11" |J1 |2011 |[https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=13296 第7節] |[[川崎フロンターレ|川崎]] |1 - 2 | style="color:#312F2F; background:#E6CE84" |'''仙台''' |NHK BS1 スカパー! スカパー光 ひかりTV e2 |[https://www.frontale.co.jp/info/2011/0418_6.html 開催情報] |- |2012 |[https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=13994 第1節] | style="color:#312F2F; background:#E6CE84" |'''仙台''' |1 - 0 |[[鹿島アントラーズ|鹿島]] |NHK総合 スカパー! スカパー光 e2 |[https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2012/news/press_release/2012/03/post_800.html 開催情報] |- |2013 |[https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=14846 第2節] |鹿島 |3 - 2 |仙台 |NHK BS1 スカパー! スカパー!プレミアムサービス |[https://www.antlers.co.jp/news/game_info/34957 開催情報] |- |2014 |[https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=15685 第2節] |鹿島 |2 - 0 |仙台 |NHK BS1 スカパー! スカパー!プレミアムサービス |[https://www.antlers.co.jp/news/game_info/42127 開催情報] |- |2015 |[https://www.jleague.jp/match/j1/2015/030701/live/ 1st第1節] | style="color:#312F2F; background:#E6CE84" |'''仙台''' |2 - 0 |[[モンテディオ山形|山形]] |NHK(東北6県) スカパー! スカパー!プレミアムサービス |[https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2015/news/press_release/2015/03/post-2358.html 開催情報] |- |2016 |[https://www.jleague.jp/match/j1/2016/031202/live/ 1st第3節] | style="color:#312F2F; background:#E6CE84" |'''仙台''' |1 - 0 |鹿島 |NHK総合 スカパー! スカパー!プレミアムサービス |[https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2016/news/press_release/2016/03/post-3373.html 開催情報] |- |2017 |[https://www.jleague.jp/match/j1/2017/031105/live/ 第3節] |仙台 |0 - 2 |[[ヴィッセル神戸|神戸]] |サンテレビ |[https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2017/news/press_release/2017/03/post-4499.html 開催情報] |- |2018 |[https://www.jleague.jp/match/j1/2018/031003/live/ 第3節] |仙台 | bgcolor="#c0c0c0" |1 - 1 |神戸 |ミヤギテレビ サンテレビ(録) |[https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2018/news/press_release/2018/03/post-5743.html 開催情報] |- |2019 |[https://www.jleague.jp/match/j1/2019/031001/live/ 第3節] |仙台 |1 - 3 |神戸 |NHK BS1 |[https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2019/news-game/2019/03/post-163.html 開催情報] |- |2020 | colspan="6" |[[コロナ禍]]により開催中止 |- |2021 |[https://www.jleague.jp/match/j1/2021/030601/live/ 第2節] |仙台 |1 - 5 |川崎 |仙台放送 NHK BS1 |[https://www.vegalta.co.jp/contents/thanks-tohoku-miyagi/report-01.html 開催情報] |- | rowspan="2" |J2 |2022 |[https://www.jleague.jp/match/j2/2022/031208/live/ 第4節] | style="color:#312F2F; background:#E6CE84" |'''仙台''' |3 - 0 |[[いわてグルージャ盛岡|盛岡]] |NHK BS1 |[https://www.vegalta.co.jp/news-game/2022/03/post-84.html 開催情報] |- |2023 |[https://www.jleague.jp/match/j2/2023/031208/live/ 第4節] |仙台 | 0 - 1 |[[いわきFC|いわき]] |NHK BS1 |[https://www.vegalta.co.jp/news-game/2023/03/post-52.html 開催情報] |} == ユニフォーム == {{ユニフォームの色 |F正シャツ=ゴールド<ref name="jleague" />|F正パンツ=ゴールド|F正ストッキング=ゴールド| |F副シャツ=白|F副パンツ=白|F副ストッキング=白| |G正シャツ=赤|G正パンツ=赤|G正ストッキング=赤| |G副シャツ=ブルー|G副パンツ=ブルー|G副ストッキング=ブルー |pattern_la1= _VEGALTA SENDAI 2023 HOME FP |pattern_b1= _VEGALTA SENDAI 2023 HOME FP |pattern_ra1= _VEGALTA SENDAI 2023 HOME FP |pattern_sh1= _VEGALTA SENDAI 2023 HOME FP |pattern_so1= _VEGALTA SENDAI 2021 HOME FP |leftarm1=FFFFFF|body1=FFFFFF|rightarm1=FFFFFF|shorts1=FFFFFF|socks1=FFEE00 |pattern_la2= _VEGALTA SENDAI 2023 AWAY FP |pattern_b2= _VEGALTA SENDAI 2023 AWAY FP |pattern_ra2= _VEGALTA SENDAI 2023 AWAY FP |pattern_sh2= _VEGALTA SENDAI 2023 AWAY FP |pattern_so2= _VEGALTA SENDAI 2023 AWAY FP |leftarm2=FFFFFF|body2=FFFFFF|rightarm2=FFFFFF|shorts2=FFFFFF|socks2=FFFFFF | pattern_la3= _adidastirogk23r | pattern_b3= _adidastirogk23r | pattern_ra3= _adidastirogk23r | pattern_sh3= _adidastirogk23r | pattern_so3= _adidastirogk23r | leftarm3= ff0000 | body3= ff0000 | rightarm3= ff0000 | shorts3= ff0000 | socks3= ff0000 |pattern_la4= _adidastirogk23sb |pattern_b4= _adidastirogk23sb |pattern_ra4= _adidastirogk23sb |pattern_sh4= _adidastirogk23sb |pattern_so4= _3_stripes_white |leftarm4=FFFFFF |body4=FFFFFF |rightarm4=FFFFFF |shorts4=00b9fe |socks4= 1e90ff |}} === チームカラー === * {{color box|#FFD700}} ゴールド<ref name="jleague" />、{{color box|#0000CD}} ブルー === デザイン・配色 === * シャツの首下(2011年 - 2014年は裾、2015年以降のモデルは右袖の「SENDAI」ロゴの両端)とソックス(2011年 - 2012年モデル以降は廃止)ならびにパンツの後ろには、織姫と彦星を意味する緑と黄色の星がアクセントとして刺繍もしくはプリントされている(これは1999年-2001年使用のベガルタ初代モデルから続いている)。 * フィールドプレーヤー用2ndユニフォームは白を基調としたモデルが多いが、2007年 - 2010年まではシャツ、パンツ、ストッキング共にシルバーを使用。2015年・2016年は、シャツ、ストッキングにそれぞれ青、パンツに白を使用。 * ゴールキーパー用ユニフォームは、1stユニフォームは2007年 - 2010年まで薄いピンク、2017年は鮮やかなピンクだったのを除き、赤(2018年 - 2020年は蛍光色)が採用されている。また緑色ユニフォームは2006年までと2013年 - 2014年に、水色ユニフォームは2007年 - 2014年と2018年に採用。グレーユニフォームは2006年まで採用されていたが2007年 - 2014年は設定がなかった。2015年に再びゴールキーパー用2ndユニフォームとしてグレーを採用。 * 2009年10月のリーグ戦ホームゲームでは、クラブ創設15周年を記念して黒をベースに右袖などにはベージュに近い金色を配した特別ユニフォームを着用(GKは、10月7日のみフィールドプレーヤー用1stユニフォームを着用)。2014年10月のリーグ戦ホームゲームも、クラブ創設20周年を記念して同じ配色の特別ユニフォームを着用した(前年12月に発表)。 * 2011年 - 2012年モデル以降はフィールドプレーヤー用1stユニフォームのストッキングが、青からゴールドに変更。なお対戦相手のユニフォームに合わせて青のストッキングも引き続き用意されている。 * 2015年シーズンより[[アディダス|アディダスジャパン]]とサプライヤー契約を結んだと発表<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2014/12/post-2167.html |title=2015年オフィシャルパートナーとして アディダスとの契約締結のお知らせ |publisher=ベガルタ仙台 |date=2014-12-08 |accessdate=2014-12-08 }}</ref>。サプライヤーの変更は、Jリーグに加盟した1999年以来となる。 * 2016年シーズンよりサマーユニフォームを開始している。 **2016年夏季のリーグ戦ホームゲームでは、東日本大震災から5年が経過し、その復興を祈念してベージュに近い金色をベースにした襟付きユニフォームを着用<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2016/06/post-3699.html |title=東日本大震災・5周年 復興祈念ユニフォーム 着用のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2016-6-2|accessdate=2018-7-20}}</ref>。 **2017年夏季のコンセプトは、ユアテックスタジアム仙台開場20周年を記念して黒(ゴールキーパー用は赤)をベースに、ブランメル仙台の緑色とベガルタゴールドの襷掛けをデザイン。夏季のリーグ戦(およびヴィッセル神戸とのプレシーズンマッチ)ホームゲームで着用された<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2017/07/post-4930.html |title=『ユアスタ20周年記念ユニフォーム』着用のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2017-7-7|accessdate=2018-7-20}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.vegalta.co.jp/news/goods_shop_news/2017/07/post-4928.html |title=『ユアスタ20周年記念オーセンティックユニフォーム』数量限定販売 ネーム&ナンバー加工開始のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2017-7-7|accessdate=2018-7-20}}</ref>。 **2018年夏季のコンセプトは「一体感」。クラブ史上初となる試みで、ユニフォームスポンサーをゴールド一色に統一。7月下旬から8月のホームゲームで着用する<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.vegalta.co.jp/news/press_release/2018/07/post-6175.html |title=「2018サマーユニフォーム」デザイン発表のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2018-7-18|accessdate=2018-7-20}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.vegalta.co.jp/contents/2018_summer_uniform/closed-pg.html |title=グッズ|publisher=公式サイト|accessdate=2018-7-20}}</ref>。 **2019年夏季のコンセプトは「闘志継承」。クラブ創立25周年を記念して黒と紺のボーダー柄をベースに、襟と袖にブランメルグリーンをあしらい、ネームナンバーのフォントはブランメル時代のフォントを再現。ブランメルエンブレムとベガルタエンブレムの特別なロゴもつき、クラブの歴史を感じるデザインとなっている<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/news-goods/2019/06/post-537.html|title=【クラブ創立25周年記念ユニフォーム】デザイン決定および販売のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2019-6-15|accessdate=2019-10-20}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/contents/25th_anniversary_uniform/|title=グッズ|publisher=公式サイト|accessdate=2019-10-20}}</ref>。 * 2019シーズンはJリーグ史上初めて、ユニフォームにマスコット([[ベガッ太]]と妹のルターナ)の顔がデザインされている<ref>{{Cite web|和書|date=2019-1-12 |url=https://www.vegalta.co.jp/news-goods/2019/01/post-27.html |title=【明日(1/13)予約受付開始!】『2019オーセンティックユニフォーム販売のお知らせ』|publisher=ベガルタ仙台 |accessdate=2019-1-13}}</ref>。 * 2021シーズンは、2年ぶりにリミテッドユニフォームをリリース。ベガルタブルーをベースにしたデザインになっている。10月の[[サンフレッチェ広島|広島]]戦より、ホームゲーム3試合で着用する<ref>{{Cite web|和書|date=2021-9-10 |url=https://www.vegalta.co.jp/news-goods/2021/09/post-611.html |title=2021リミテッドユニフォーム着用および販売のお知らせ|publisher=ベガルタ仙台 |accessdate=2021-9-15}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/contents/2021-limited-uniform/ |title=ベガルタ仙台 2021リミテッドユニフォーム|publisher=ベガルタ仙台 |accessdate=2021-9-15}}</ref>。 * 2022シーズンは、仙台の夏の風物詩 七夕まつりで願いを込める短冊がモチーフ。クラブ史上初のネイビーを基調とし真夏の夜空に輝く無数の短冊を表現。ホーム長崎戦、千葉戦で着用した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/news-team/2022/08/post-355.html |title=ベガルタ仙台 2022リミテッドユニフォーム |access-date=2022-11-03 |publisher=ベガルタ仙台}}</ref>。 === ユニフォームスポンサー === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #ffdf00; font-size:smaller; 4px 4px 4px royalblue;" |- style="text-align:center; background-color:#0000CD; color:royalblue; font-weight:bold;" !掲出箇所!!スポンサー名!!表記!!掲出年!!備考 |- !胸 |[[アイリスオーヤマ]]||IRIS<br/>IRIS OHYAMA||2004年 - ||2000年 - 2003年は背中<br/>2000年 - 2003年は「アイリスオーヤマ」表記<br/>2004年 - 2022年は「IRIS OHYAMA」表記 |- !rowspan="2"|鎖骨 |[https://www.sv-c.jp/ エス・ブイ・シー]||SVC{{sup|!}}||2021年 - ||左側に表記 |- |rowspan="2"|[[木下グループ]]||木下工務店<br/>{{small|KINOSHITA GROUP}}||rowspan="2"|2022年 - <ref>{{Cite web|和書|date=2021-12-17 |url=https://www.vegalta.co.jp/news-club/2021/12/post-885.html|title=株式会社木下グループ ユニフォーム 背中、胸上部右スポンサーに決定のお知らせ|publisher=ベガルタ仙台|accessdate=2021-12-17}}</ref>||右側に表記<br/>2022年は「木下グループ」表記<br/>2022リミテッドは「木下のリフォーム」表記<ref>{{Cite web|和書|date=2022-6-3 |url=https://www.vegalta.co.jp/news-team/2022/06/post-359.html |title=願いを込めた短冊を身に纏(まと)う 2022リミテッドユニフォームのお知らせ|publisher=ベガルタ仙台 |accessdate=2022-6-3}}</ref> |- !背中上部 |木下グループ<br/>{{small|KINOSHITA GROUP}}||2022年は「木下グループ」表記<br/>2022リミテッドは「木下不動産」表記 |- !背中下部 |なし||-||-|| |- !袖 |[[七十七銀行]]||七十七銀行||1998年 - || |- !パンツ前面 |[[マイナビ]]||MN<br/>マイナビ||2021年 - ||2021年 - 2022年は「マイナビ」表記 |- !パンツ背面 |[[セプテーニ・ホールディングス]]||SEPTENI||2022年 - <ref>{{Cite web|和書|date=2021-12-24|url=https://www.vegalta.co.jp/news-club/2021/12/post-912.html|title=株式会社セプテーニ・ホールディングス ユニフォーム ショーツ背面スポンサーに決定のお知らせ|publisher=ベガルタ仙台|accessdate=2021-12-24}}</ref>|| |} === ユニフォームサプライヤーの遍歴 === * 1995年 - 1998年:[http://www.topper.com.ar/ TOPPER](カメイ・スポーツ) * 1999年 - 2014年:[[アシックス]] * 2015年 - 現在:[[アディダス]] === 歴代ユニフォーム === {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #ffdf00; font-size:smaller; 4px 4px 4px #0000C0;" !colspan=5|FP 1st |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _VEGALTA SENDAI 1999 - 2001 HOME FP |pattern_b = _VEGALTA SENDAI 1999 - 2001 HOME FP |pattern_ra = _VEGALTA SENDAI 1999 - 2001 HOME FP |pattern_sh = _VEGALTA SENDAI 1999 - 2001 HOME FP |pattern_so = _VEGALTA SENDAI 2002 - 2003 HOME FP |leftarm = FFFFFF |body = FFFFFF |rightarm = FFFFFF |shorts = FFFFFF |socks = FFFFFF | title = {{Center|1999 - 2001}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _VEGALTA SENDAI 2002 - 2003 HOME FP |pattern_b = _VEGALTA SENDAI 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style="background-color:#ffdf00; color:#0000CD; font-weight:bold;" |胸||鎖骨左||鎖骨右||背中上部||背中下部||袖||パンツ前面||パンツ背面 |- |1998||rowspan="6"|[[ジャパンヘルスサミット|カニトップ]]||colspan="2" rowspan="20"|解禁前||rowspan="2"|-||rowspan="18"|解禁前||rowspan="26"|[[七十七銀行]]||rowspan="4"|解禁前||rowspan="22"|解禁前||[http://www.topper.com.ar/ TOPPER] |- |1999||rowspan="16"|[[アシックス|asics]] |- |2000||rowspan="4"|[[アイリスオーヤマ]] |- |2001 |- |2002||rowspan="2"|[[ストロベリーコーンズ|PIZZA<br/>STRAWBERRYCONES]] |- |2003 |- |2004||rowspan="19"|[[アイリスオーヤマ|IRIS OHYAMA]]<ref group="注">[[AFCチャンピオンズリーグ]]では規定によりユニフォームスポンサーは1社に限られ、胸スポンサーの「IRIS OHYAMA」(ロゴの大きさも規定によって小さく、「IRIS」「OHYAMA」は2段表記に)のみ。2015年以降のモデルでも採用。</ref>||rowspan="3"|[[廣済堂|Workin]]||rowspan="4"|[[仙台進学プラザ]] |- |2005 |- |2006 |- |2007||- /<br/>[[NECトーキン|NEC/TOKIN]]<br /><!---{{0|00}}(2007年9月 - )---> |- |2008||[[NECトーキン|NEC/TOKIN]]||- |- |2009||rowspan="13"|[[やまや]]|| - / <br/>[https://www.abekama.co.jp/index.shtml 阿部かま]<br /><!---(2009年4月 - )---> |- |2010||rowspan="6"|[https://www.abekama.co.jp/index.shtml 阿部かま] |- |2011 |- |2012 |- |2013 |- |2014 |- |2015||rowspan="9"|[[アディダス|adidas]] |- |2016||- / <br/>[https://selcohome.jp セルコホーム]<br /><!---{{0|00}}(2016年4月 - )--->||rowspan="3"|[[花壇自動車大学校|KADAN]] |- |2017||[https://selcohome.jp セルコホーム] |- |2018||colspan="2" rowspan="3"|-||- |- |2019||rowspan="2"|[[花壇自動車大学校|KADAN]]||rowspan="2"|[https://www.hashimototen.co.jp/ HASHIMOTOTEN] |- |2020||- |- |2021||rowspan="3"|[https://www.sv-c.jp/ SVC{{sup|!}}]||-||rowspan="3"|-||rowspan="2"|[[マイナビ]]||- / <br/>[[花壇自動車大学校|KADAN]] |- |2022||[[木下グループ|木下グループ<br/>(通常)<br/>木下のリフォーム<br/>(Limited)]]||[[木下グループ|木下グループ<br/>(通常)<br/>木下不動産<br/>(Limited)]]||rowspan="2"|[[セプテーニ・ホールディングス|SEPTENI]] |- |2023||[[アイリスオーヤマ|IRIS<br/>IRIS OHYAMA]]||[[木下グループ|木下工務店<br/>{{small|KINOSHITA GROUP}}]]||[[木下グループ|木下グループ<br/>{{small|KINOSHITA GROUP}}]]||[[マイナビ|MN<br/>マイナビ]] |} == マスコット == * [[ベガッ太]] ** クラブ名の由来でもある彦星([[アルタイル]])の属する「[[わし座]]」にちなみ、[[ギリシア神話]]で「勝利をもたらす」としてクラブエンブレムにも用いられている[[鷲]]をモチーフとしている。名前は一般公募で決定。 マスコットらしからぬふてぶてしさといたずら好きでサッカーファンから愛され、毎日更新されるSNS([https://www.vegalta.co.jp/blogs/vegatta/ BLOG]、[https://twitter.com/vegatta_0502 Twitter])は人気がある。 * [[ルターナ]] ** チーム名の由来でもある仙台夏の風物詩「[[仙台七夕]]」から、[[ベガ]](織姫)と[[アルタイル]](彦星)の「ルタ」、七夕(たなばた)の「ターナ」、開催日であり誕生日でもある8月7日の「ナ」を組み合わせた、女の子らしい名前として命名。仙台の公式Twitterにて【#ルターナ】で発信する時がある。ベガッ太の妹。 {{Main2|マスコットについては {{YouTube|FmwUvLqY6cM&t|こちら}} を}} == サポーター == === 応援スタイル === [[仙台スタジアム|ユアテックスタジアム仙台]]で行われるリーグ戦では、(メインスタンドから見て)左側のゴール裏スタンドからバックスタンドの一部に渡る部分が「'''サポーター自由席'''」と称されており、ここをメインに応援が行われている。特に、ゲート入り口から最前列までのスタンド部分に、熱心なサポーターが集まっている。なお、この席ではチームカラーである黄色(「'''ベガルタゴールド'''」と呼ばれる)の服(ユニフォームのレプリカ、パーカー、Tシャツ等)を着用するのが「暗黙のルール」とされている。 コールリーダーは、サポーター自由席のバックスタンド側に位置し、戦況によって応援指示を行う。 コールリーダーのいる位置には、サポーター有志によって設置されたマイクがあり、ゴール裏スタンド中央部に設置されているスピーカーに音声が出るようになっている。これによって音声のずれが生じることなくサポーター自由席での一体感のある応援を行うことが可能となる。 ユアテックスタジアム仙台は観客席全てに屋根がかかっている構造になっており、声が屋根に反響する効果がある。メガホンなどの鳴り物グッズを使ってしまうと屋根によって声援がかき消されてしまうため、応援時のメガホン使用が禁止されている。また、ベガルタ仙台のグッズのラインナップにもメガホンが用意されていない。J2初期の頃は、メガホンも販売されていたが上記の理由からサポーターが運営会社に販売中止を申し入れている。 [[荒木飛呂彦]]氏の出身地の為、ジョジョをモチーフにした旗も見受けられる。 === チャント === 仙台サポーターのチャントは他サポの模倣ではなく、ロック調の楽曲をアレンジしたものが多い。 選手入場時には「[[故郷へかえりたい|カントリーロード]]」を謳うが、他にも認知されているチャントは「TWISTED」と「スタンディング仙台」と言える。 震災時は仙台サポーターのYoutube動画に世界中のサッカーファンからコメントが寄せられた<ref>{{Cite web|和書|url=https://blog.domesoccer.jp/archives/51677742.html |title=ベガルタ仙台サポーターのYouTube動画に世界のサッカーファンから応援コメント |access-date=2022年8月14日}}</ref>。 * カントリーロード(選手入場時にタオルマフラーを空に掲げたサポーターがチャントと共に敵地スタジアムをジャックする光景はJリーグ公式アカウントに紹介されて記事になった事も<ref>{{Cite web |url=https://soccerhihyo.futabanet.jp/articles/-/97306 |title=「※アウェイです」「まるでホーム」J2開幕戦でベガルタ仙台サポーターが敵スタジアムを「完全ジャック」! Jリーグ公式が英語で世界に発信した「衝撃の光景」 |access-date=2023-03-12 |publisher=サッカー批評Web}}</ref>。) * TWISTED(原曲は[[Twisted Sister]]の「We're Not Gonna Take It」。[[東北放送|TBCテレビ]]「[[ウォッチン!みやぎ]]」のスポーツコーナーで、ベガルタの話題を伝える時のBGMとしても使用されている。2008年11月22日に行われたJ2第43節・アウェイの横浜FC戦で同曲をサポーターが歌うYouTUBE動画は世界中で多く見られており、Twisted Sisterの公式サイトにも貼られているほどである<ref>{{Cite web|和書|url=https://blog.domesoccer.jp/archives/51687016.html |title=話題になったベガルタ仙台の応援動画、応援歌の原曲バンドが公式サイトにメッセージつきで掲載 |access-date=2022年8月14日}}</ref>。アメリカのトランプ大統領も選挙活動中に原曲を使用したり、[[やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜|やべっちFC]]の世界に広がったチャントのコーナーで紹介された事がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://zlatanvegalta.com/?p=5178 |title=【Twisted】チャントのツイステッドについて解説します【TVでも紹介】 |access-date=2022年8月14日}}</ref>。[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]の草野マサムネさんがラジオ番組でTwisted Sisterとベガルタ仙台のチャントのエピソードを紹介した事もある<ref>{{Cite web|和書|url=https://blog.domesoccer.jp/archives/60101324.html |title=スピッツ草野マサムネさんがラジオ番組でTwisted Sisterとベガルタ仙台のチャントのエピソードを紹介 |access-date=2022年8月15日}}</ref>。[[2023年]][[5月3日]][[日本放送協会|NHK]]放送の「Jリーグと私 30年の物語 スペシャル」内で [世界に広がるJのチャント] の特集でも[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]]のチームが採用してると話題になった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nhk.jp/p/ts/PV43YYMPK1/episode/te/PNG3Y5JVX6/ |title=~Jリーグと私 30年の物語~ |access-date=2023-05-06 |publisher=NHK}}</ref>。) * スィンギン仙台(原曲は[[氣志團]]の「スウィンギン・ニッポン」。熊林親吾のものを転用。2010年現在は「AURA」の前にプレ祝勝歌として歌われる。氣志團が「スタンディング仙台」として逆カバーし、2011年5月19日より無料配信された。2011年7月2日の名古屋戦では氣志團の強い希望により、ハーフタイムに生で氣志團により「スタンディング仙台」が披露された<ref>{{Cite web|和書|url=https://blog.domesoccer.jp/archives/51723492.html |title=仙台の応援歌「スタンディング・センダイ」を氣志團が歌う! |access-date=2022年8月14日}}</ref><ref>[http://www.vegalta.co.jp/contents/news/press_release/2011/06/j-live-in.html 【J1第2節 名古屋】「スタンディング・センダイ」氣志團LIVE in ユアテックスタジアム仙台開催のお知らせ]</ref>。) === 選手入場曲 === * [[ファンファーレ 闘志躍動]](コラボレーション企画の一環として[[仙台フィルハーモニー管弦楽団]]から提供された。) {{Main2|音響については {{YouTube|gAtxfNXP_a4|こちら}} を}} === チームに対してのもの === * カントリーロード(原曲は[[ジョン・デンバー]]の「[[故郷へかえりたい|Take Me Home, Country Roads]]」。フェアプレーフラッグ&選手入場時に歌われる。タオルマフラーを使う)<ref group="注">カラオケで歌われるサポーターソングのランキングで1位を記録した。(2010年2月28日放送のTBS S1 SuperSoccerより)</ref> * C'mon(原曲は[[LAUGHIN' NOSE]]の「C'mon Everybody C'mon」。サポーター側に向かって攻めている時に歌われる。尚、[[LAUGHIN' NOSE]]のVo.CHARMYは宮城県気仙沼出身である) * COBRA(原曲は[[COBRA (バンド)|COBRA]]の「やっちまえ!POPSTAR」) * FORZA(振り付けあり) * KISS(原曲は[[キッス|KISS]]の「ラヴィン・ユー・ベイビー」) * シャンゼリゼ(原曲は[[越路吹雪]]の「オー・[[シャンゼリゼ通り|シャンゼリゼ]]」。得点した時と勝利して試合が終了した直後に歌われる。タオルマフラーを使う。ただし、個人応援歌を持つ選手が得点した場合はそれぞれの個人応援歌が優先される) * AURA(原曲は[[AURA (ロックバンド)|AURA]]の「愛・オーランド」。勝利した時のみ試合後に歌われる) * ベガルタオーレ(主に試合前のアップ時に行われ、左右への激しい揺れを伴う。) * TWISTED(原曲は[[Twisted Sister]]の「We're Not Gonna Take It」。[[東北放送|TBCテレビ]]「[[ウォッチン!みやぎ]]」のスポーツコーナーで、ベガルタの話題を伝える時のBGMとしても使用されている。2008年11月22日に行われたJ2第43節・アウェイの横浜FC戦で同曲をサポーターが歌うYouTUBE動画は世界中で多く見られており、Twisted Sisterの公式サイトにも貼られているほどである) * 電光石火(原曲は[[THE BLUE HEARTS]]の「電光石火」) * Flash Dance(原曲は[[アイリーン・キャラ]]の「[[フラッシュダンス…ホワット・ア・フィーリング|Flashdance... What a Feeling]]」。振り付けあり。2パターン存在する) * 仙台レッツゴー!(原曲は[[ラモーンズ]]の「BLITZKRIEG BOP」。攻め込んでいる時にコールされる。相手にボールが渡った時点でコールが終了される) * SA(原曲は[[SA (バンド)|SA]]の「NAUGHTY BOYS」) * 仙台カモン(原曲は[[STANCE PUNKS]]の「モニー・モニー・モニー」) * 刃(原曲は[[THE BACK HORN]]の「刃」) この他にも、太鼓のリズムのみのものもある。 === 選手に対してのもの === ==== 現役選手 ==== * 梁勇基:元[[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]の[[ジウベルト・カルロス・ナシメント|ベッチーニョ]]の応援歌(隣あった人と肩を組んで右へ左へ移動しながら歌う。シルビーニョから流用。) * 内田裕斗:お前は虎になれ * 菅田真啓:[[仮面ライダーBLACK (曲)|仮面ライダーBLACK]] * 中島元彦:NEW FIRST STEP * 中山仁斗:No Rain, No Rainbow * 林彰洋:行け!タイガーマスク ==== 退団選手 ==== * [[平聡]]:[[野猿]]・叫び * 瀬川誠:[[蒲田行進曲]] * 阿部良則・藤吉信次・大柴克友・フェルナンジーニョ・石原直樹:恋のメキシカンロック ** 阿部良則は2001年に所属していた川崎でも同曲が使用された(歌詞も同じ)。 * 小林康剛・財前宣之・佐藤由紀彦:[[ビューティフル・ネーム]] ** 小林は2002年から2003年に所属していた川崎でも同曲が使用された(歌詞も同じ)。 * 越後和男・山田隆裕・三田啓貴:Dreamin' * マルコス・萬代宏樹:Saturday Night * 岩本輝雄:Shy Boy * 中村伸:Livin'On A Prayer * 福永泰・松下年宏、 西村拓真:ゴーゴーヘドロマン * 山下芳輝・中原貴之:PRISONER(野獣を野に放て) * 阿部敏之・永井篤志:ゆかいな牧場 * ボルジェス・赤嶺真吾:[[1000のバイオリン]] ** ボルジェスの入団当初の応援歌は[[GOING STEADY]]の「[[さくらの唄 (GOING STEADYのアルバム)|愛しておくれ]]」だった。 ** 赤嶺が2016年に所属しているファジアーノ岡山でも同曲が使用されている(歌詞も同じ)。 * チアゴ・ネーヴィス:[[たらこ・たらこ・たらこ]] * 熊林親吾:スウィンギン・ニッポン * ロペス:アゲ アゲ EVERY☆騎士(振り付けあり) ** 入団当初の応援歌は爆風スランプの涙2〜ラブ・バージョンだった。 * ジョニウソン:ジョニウソン本人の応援歌(以前所属していたクラブで実際に使われていたもの) * 岡山一成:[[360°モンキーズ]](元[[阪神タイガース|阪神]]・[[ランディ・バース|バース]]選手の応援歌、おもちゃのバットを使う) * マルセロ・ソアレス:えびの「保険人生おくれ」 * 平瀬智行:SAの「GET UP! WARRIORS」 ** 2008年は[[ロート製薬]]の[[オープニングキャッチ]]の曲 * 中島裕希:[[JUN SKY WALKER(S)]]の「[[歩いてゆこう]]」 * 林卓人:炎のファイター 〜INOKI BOM-BA-YE〜 * 角田誠:[[角田信朗]]の[[よっしゃあ漢唄]] **移籍先の川崎でも歌詞一部変更の上、同曲が使用される ** 2013年以前は「ゆかいな牧場」(阿部敏之・永井篤志から流用) * 柳沢敦:[[ザ・クロマニヨンズ]]の「ひらきっぱなし」 * ウイルソン:[[オフスプリング|The Offspring]]のHit That及びSaturday Night * 野沢拓也:[[THE POGO]]のESCAPE * 奥埜博亮:[[LAUGHIN' NOSE]]のLAST TEEN * 菅井直樹:[[THE BOLDIES]]の「Killer-Oh」([[club Prince]]の「チューナイ!」が、2007年の終盤の1試合にのみ使用された) * 関口訓充:[[ザ・クロマニヨンズ]]の「[[ギリギリガガンガン]]」 * ハモン・ロペス︰[[MAN WITH A MISSION]]の「FLY AGAIN」 === サポーターソング === チームに対してのものと現役選手に対してのものに関しては、河北新報社が運営していた「ベガルタ☆モバイル」にて着信メロディとして用意されていた。ダウンロードは月に3曲のみ可能であるが、一部の曲は含まれない。 == スポンサー == {{Main2|スポンサーについては、[https://www.vegalta.co.jp/club/sponsor.html こちら] を}} == アカデミー == {{Main2|アカデミー概要については、[https://www.vegalta.co.jp/academy/about.html こちら] を}} {{Main2|ベガルタ仙台ユースについては、[https://www.vegalta.co.jp/academy/team-youth.html こちら] を}} {{Main2|ベガルタ仙台ジュニアユースについては、[https://www.vegalta.co.jp/academy/team-jr-youth.html こちら] を}} {{Main2|ベガルタ仙台ジュニアについては、[https://www.vegalta.co.jp/academy/about.html こちら] を}} {{Main2|アカデミースタッフについては、[https://www.vegalta.co.jp/academy/academy-staff.html こちら] を}} {{Main2|アカデミー練習場については、[https://www.vegalta.co.jp/academy/academy-training.html こちら] を}} {{Main2|ユース公式アカウントについては、[https://twitter.com/VEGALTA_YOUTH こちら] を}} {{Main2|サッカースクールについては、[https://twitter.com/VEGALTA_SCHOOL こちら] を}} == メディア == {{Main2|出演日程については、[https://www.vegalta.co.jp/calendar-media.html こちら] を}} === ベガルタチャンネル === <nowiki>''vegaltachannel''</nowiki>は[[YouTube|Youtube]]にあるベガルタ仙台の公式アカウント<ref>[https://www.youtube.com/@vegaltachannel @vegaltachannel]</ref>。試合のハイライトやプロモーションの他に独自色が強いコンテンツとして下記がある。 * 広報カメラ(試合の舞台裏や普段の練習、開幕前のキャンプを見れて一番再生数がある。) * VEGALTA CHANNEL☆RADIO(試合毎に監督や選手の生の声が聴ける。) * EXCLUSIVE HIGHLIGHTS(仙台のハイライトのみ。) === コラボレーション === * [[緑仙]] - タイアップ楽曲「WE ARE YOU」提供<ref>本曲は、応援する気持ちは自分ごとであり、うまくいかなかったとしても終わったり離れたりしない関係であることを歌っている。メジャー1stミニアルバム『パラグラム』に収録される。({{YouTube|cD_-A5nhUfQ|楽曲}})({{YouTube|mf6mat-lsZ0|挨拶}})</ref>。 *[[いぎなり東北産]] - 応援アンバサダーとして来場。コラボチケットやコラボグッズも販売<ref>({{YouTube|EKaFwZ2sjTw|動画}})([https://www.youtube.com/shorts/rr3dv5fIfCE 動画2]- [[YouTube]])</ref>。 *[[かっつー]] - 応援アンバサダーとして、自身のSNSチャンネルを活用<ref>[https://twitter.com/vega_official_/status/1667085167113162752?s=20 大人気動画クリエイター「かっつー」さんの来場が決定🙌] ([https://youtube.com/shorts/JeMJUshnrRQ?feature=share 動画])</ref>。 *[[神堂きょうか]] - 応援アンバサダーとして、自身のSNSチャンネルにてスタジアム観戦やコラボグッズ、キャンプレポートを公開<ref>({{YouTube|2-0vgY7Oo4M|動画}})([https://youtube.com/shorts/lD7E3oa1xVU?feature=share 動画2]- [[YouTube]])([https://youtube.com/shorts/iE8mCJl2NyU?feature=share 動画3]- [[YouTube]])([https://twitter.com/kyokasan01/status/1665253713642942464 Twitter])</ref>。 *[[MONKEY MAJIK]] - 応援アンバサダーとして、自身のSNSチャンネルを活用<ref>([https://www.vegalta.co.jp/news-game/2023/06/post-457.html News])([https://twitter.com/mm_official_/status/1670008683554836480 Twitter])</ref>。 === 関連番組 === * [[東日本放送]] - 毎週土曜日(7:45〜8:00)に[[KICK OFF! (テレビ番組)#各番組の詳細|KICK OFF! MIYAGI]]を放映している<ref>{{Cite web |url=https://www.khb-tv.co.jp/kick_off_miyagi/index.html |title=KICK OFF! MIYAGI |access-date=2023-06-02 |publisher=KHB東日本放送}}</ref>。 *[[てれまさ]] - 毎週月曜日(18:20〜18:45の間)に試合結果だけでなく特集する事もある。休日の場合は休日明けの平日。 *[[スポルたん!LIVE|スポルたん!]] - 毎週土曜日(18:30〜19:00)に放映。 *[[ミヤテレスタジアム]] - 毎週日曜日(16:55〜17:25)に放映。 *[[ヒーローインタビュー (テレビ番組)|ヒーローインタビュー]] - 毎週日曜日(24:50〜25:05)に放映。[[TVer|Tver]]で見逃し配信出来る場合もあるが、出ない回もある。 * [[仙台シティエフエム|ラジオ3(FM76.2MHz)]]は毎週金曜日(20:00〜)『Vega-style☆Gold』をオンエア、試合の実況生中継もあり<ref>([https://twitter.com/radio3_fm762/status/1664580434913824773?s=20 Vega-style☆Gold])([https://twitter.com/radio3_fm762/status/1657250617327513601 実況生中継])</ref>。 === インターネットテレビ === 「[[DAZN|DAZN(ダゾーン)]]」はスポーツ専門の同時配信サービス、[[ビデオ・オン・デマンド|VOD]](見逃し配信なら、期間内であればいつでも観れる)、[[サブスクリプション|サブスク]]。 見逃し配信であれ、いつでもどこでも好きなコンテンツを選んで再生、一時停止、巻き戻しながら自分のスタイルで視聴することが可能。JリーグとPerform Groupが提供するスポーツのライブストリーミングサービス「DAZN」が2017年より10年間、約2100億円の放映権契約を締結。その後、2023年から2033年までの11年間で約2,395億円という新たな放映権契約を締結<ref>([https://www.jleague.jp/news/article/6462/ 記事1])([https://www.jleague.jp/news/article/24893/ 記事2])</ref>。仙台のオンラインストアから同クラブデザインの年間視聴パスを買うと、クラブに強化費が還元される。 === 地上波テレビ中継 === [[宮城県|宮城]]の地上波5局の中継スタイル ; [[NHK仙台放送局]] : [[仙台スタジアム|仙台]]での[[ホームタウン|ホーム]]戦を中継しているが、[[2007年]]は[[ホーム・アンド・アウェー|アウェー]]の対[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦と対[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦、[[2008年]]は[[6月]](アウェー)の[[みちのくダービー]]を中継した。2023年のホーム山形戦はJリーグ30周年記念試合として[[NHK山形放送局|NHK山形]]と共同放送した。 ; [[東北放送]] : 解説はブランメル時代から2007年シーズンまでは松原悟([[東北学院大学|東北学院大]]サッカー部監督)が務めており他には[[鈴木正治]]や[[岩本輝雄]]も担当、2008年と2009年のリーグ最終戦は[[TBSテレビ|TBS]]が主な活動の場としている[[金田喜稔]]が務めた。2009年6月にベガルタ初代監督の[[鈴木武一]]が登場、実況は[[佐藤修 (アナウンサー)|佐藤修]]・[[石黒新平]]([[圭三プロ]]→[[ニッポン放送]]→[[アール・エフ・ラジオ日本|RFラジオ日本]]契約アナ→[[広島ホームテレビ]])・[[小林徹夫]](現[[九州朝日放送|KBC]])・[[大井健郎]](現・報道記者)。2007年からは[[守屋周]]が2008年途中から[[飯野雅人]]と[[松尾武 (アナウンサー)|松尾武]]が担当、また2007年からは[[スカパー!プレミアムサービス|スカパー!]]においてホームゲーム中継を制作しており2007年は元仙台放送の下田恒幸が実況。2008年は前述の守屋・飯野・松尾が2009年は主に松尾、2010年からは松尾と守屋が交互で担当している。※2008年3月の[[ザスパクサツ群馬|草津]]戦は下田が担当した(この日はプロ野球・[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]のホーム開幕戦をテレビ・ラジオで中継したための人員不足と思われる)、第1期J1時代に仙台で行われた[[鹿島アントラーズ|鹿島]]戦を全国ネットした経験がある(TBS主導)[[横浜国際総合競技場]]で行われた[[横浜Fマリノス|横浜FM]]戦はTBSが製作する映像を見ながら応援実況の形式で放送されたこともある。2008年は4月に放送された[[サガン鳥栖|鳥栖]]戦が編成の関係上、深夜の放送となりスカパー!と同じスタッフで放送されたため解説の鈴木武一とリポーター担当でフリーの[[村林いづみ]]が同局テレビ中継初登場となった、中継スタイルとしてはハーフタイムにCMを多くいれるケースが目立ち放送席の顔出しが全くない。なお2010年以降、地上波での中継は行っていない。 ; [[仙台放送]] : 解説は単発契約なのか固定されていない、実況はブランメル時代に1試合だけ[[浅見博幸]]が担当。以降2005年まで[[下田恒幸]](現[[フリーアナウンサー|フリー]])が務めていたのは有名、試合開始前には必ず「'''下田恒幸が心を込めてお伝えします'''」のフレーズがあった。下田退社後は[[金澤聡]]が担当している、そのためか金澤がキャスターを務める番組名を冠して「[[スポルたん!LIVE]] Special」のタイトルで放送されており試合直後のユアスタ内で「スポルたん!LIVE」の中継をしたこともある。下田退社後の中継では在仙局としては珍しくダブル解説で行うことが多い、ベガルタがJ1に復帰した2010年シーズンは[[フジテレビワンツーネクスト]]で放送される[[2010年のJリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]]にて仙台放送中継の全国進出(2003年シーズンに経験あり)が期待されたが予選リーグ唯一のホームゲーム中継だったFC東京戦では技術協力に留まった。が、10月の決勝トーナメント磐田戦は解説:[[清水秀彦]]・実況:金澤聡・リポーター:[[広瀬修一]]の体制でフジテレビワンツーネクストと仙台放送に中継された。2007年シーズンのSKY PerfecTV![[モンテディオ山形|山形]]ホームゲーム中継を制作していた(2008年からは[[山形テレビ]]が担当)。 ; [[宮城テレビ放送|ミヤギテレビ]] : [[2000年]]ごろから[[セルジオ越後]]が解説を務めていたが、仙台放送と同じく単発契約で固定されていない。実況はブランメルの[[ジャパンフットボールリーグ]](JFL)昇格決定試合([[愛知県]][[刈谷市]]で行われ系列の[[中京テレビ放送|中京テレビ]]が技術協力した)を[[竹鼻純]]が、ブランメル時代から2006年まで[[三雲茂晴]]が担当していた。2007年は[[柳瀬洋平]]が実況を務めていたが、2008年より夕方のニュースキャスター就任に伴い再び三雲が担当。しかし2009年は[[外賀幸一]]が担当した。(2010年シーズンからは中継なし)2001年J1昇格を決めた[[京都サンガFC|京都]]戦([[西京極陸上競技場|西京極]])は同局で放送され[[岩瀬裕子]]がリポーターで乗り込み[[京都放送|KBS京都]]の製作で放送された、なおテロップはミヤギテレビ独自のものを使用。2002年はアウェーの東京V戦を[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の製作で生中継、(日テレは深夜録画放送)こちらも岩瀬がリポーターとして登場した。2008年途中から字幕テロップが日テレとほぼ同形となった(当局初お目見えは9月の仙台カップ国際ユース大会)。因みにリポーターは相手地域に放送されるされないに関わらず相手チームにも配するケースが多い。 ; [[東日本放送]] : 解説はかつて[[宮本征勝]]・[[原博実]]・'''[[清水秀彦]]'''が務め、2010年より[[高桑大二朗]]が担当。2015年は[[城福浩]]<ref group="注">兄の城福敬が[[仙台育英学園高等学校|仙台育英高]]サッカー部監督を務めているという縁がある。</ref> が出演した。実況はブランメル1年目のみ[[熊谷博之]]が務めた後、現在まで[[加川潤]]が実況を担当している。 === ラジオ中継 === * [[仙台シティエフエム|'''RADIO3''']]がアウェイ戦全試合を中継。宮城県内の[[コミュニティ放送]]局([[せんだい泉エフエム放送|'''FMいずみ''']]、[[エフエムベイエリア|BAY WAVE]]([[塩竈市]])、[[エフエムいわぬま|FMいわぬま]]、[[石巻コミュニティ放送|ラジオ石巻]])にネット配信されることがある。2010年シーズンよりホーム戦も実況中継をしていたが、2015年からアウェイ戦のみに戻った(RADIO3はこれは製作費の不足によるものであるとし、[[クラウドファンディング]]による資金集めを試みたが、不成立に終わった<ref>[https://readyfor.jp/projects/radio3 Jリーグ・ベガルタ仙台の試合中継ラジオ番組を存続させたい! - READYFOR?]</ref>)。2020年は[[新型コロナウイルス感染症]]の影響により、リーグ再開後から翌21年までホーム戦のみの中継となった。2022年はホーム戦に加え多くのアウェイ戦も中継予定となっている。 * その他、東北放送(TBC)は年1回ほど、2007年までホームゲームの中継をしていた(最近はみちのくダービーの中継のみ)2008年以降のリーグ戦は全く中継しなかったが2008年12月10日の[[仙台スタジアム|ホーム]]で行なわれた[[ジュビロ磐田|磐田]]との入れ替え戦を中継した。2010年は7月にホームで行われたプレシーズンマッチ浦項戦とアウェーで行われた山形戦を実況中継した(山形戦はYBCラジオが製作したものを放送、TBCからは松尾武アナウンサーがリポーターとして派遣された)。2011年は中継は行わず、2012年は9月に首位攻防戦のアウェー[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]戦を([[中国放送|RCCラジオ]]が制作したものを放送)、11月にはホーム[[アルビレックス新潟|新潟]]戦を放送した。 * またNHK仙台放送局も不定期に中継を行っている。 == 社会連携活動 == チーム発足直後より、仙台市若林区荒井には市民後援会運営の「べがる田」がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/blogs/hometown/?p=17324 |title=ベガルタ仙台・市民後援会「べがる田田植え」実施 |access-date=2023-05-26 |publisher=ベガルタ仙台}}</ref>。2021年7月に「[[七ヶ宿町|七ヶ宿]]空き家再生プロジェクト:ベガルタハウスをつくろう」をスタート<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.vegalta.co.jp/backnumber/2021/news-hometown/2021/11/post-763.html |title=【七ヶ宿空き家再生プロジェクト】ベガルタハウス! |access-date=2022-10-18}}</ref>。これは、[[持続可能な開発目標|SDGs]]基本指針の目標11「住み続けられるまちづくりを」、目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」に即した社会連携活動である。2022 Jリーグシャレン!アウォーズにおいて一般投票(TwitterによるRT数)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/sharen/article/2784/ |title=2022Jリーグシャレン!アウォーズ RT反響の大きかったクラブをご紹介 |access-date=2022-10-18}}</ref>で1位を獲得するなど反響は大きく、申請すれば宿泊も可能<ref>{{Cite web|和書|url=https://shichikashuku-miyagi.co.jp/news/event/4053/ |title=ベガルタハウスに宿泊できます! |access-date=2022-10-18}}</ref>。([https://www.vegalta.co.jp/blogs/vegatta/ ベガッ太ブログ]にて最新情報は見られる<ref group="注">[[大郷町]]・[[仙台大学附属明成高等学校|明成高校]]と三者共同で[[大郷みそカレー]]を開発([https://www.vegalta.co.jp/blogs/hometown/?p=18560 記事])、[[東松島市]]で麦踏みサッカー教室を開催するなど地域交流も積極的に行っている([https://www.vegalta.co.jp/blogs/hometown/?p=18543 記事])</ref>。) 他のSDGs活動としてはタイの子供たちにユニフォームを寄贈したり、[[だるま#だるまの種類|松川だるま]]や[[涌谷町]]の[[黄金レモン]]とコラボレーション<ref>{{Cite web|和書|url=https://kahoku.news/articles/20230114khn000001.html |title=タイのスラムの子どもたちを支援 ユニホームなどグッズを送り、現地でサッカー教室も |access-date=2023-01-14 |publisher=河北新報}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/sendai/20230314/6000022824.html |title=県内の伝統工芸品19品目を紹介 展示会 |access-date=2023-03-15 |publisher=NHK仙台放送局}}</ref>。 {{Main2|詳細については {{YouTube|62HmI4kOMJU?t|制作風景}} を}} == 不祥事 == 2023年6月11日に開催された対[[ジュビロ磐田]]戦の試合終了後にベガルタ仙台の100人を超えるサポーターが、磐田の選手が行ったゴールパフォーマンスが不満だったため、スタジアムの立入禁止区域に侵入して、磐田の選手らが乗ったバスを取り囲んで、30分以上にわたって罵声を浴びせ威嚇した。これによりクラブに対して、500万円の罰金とけん責の処分が下された<ref name="J_20231027">{{Cite web|和書|url= https://aboutj.jleague.jp/corporate/release/26436/|title= 懲罰決定について|publisher= 日本プロサッカーリーグ|date= 2023-10-27|accessdate=2023-10-28}}</ref>。 ベガルタ仙台の元社員が2015年12月から2023年6月16日までに、顧客からチケットなどの代金を受領していた現金と顧客に対して販売するためにクラブから交付されたチケットなど、合わせておよそ1100万円分を着服した上で横領したことについても、クラブに対して、500万円の罰金とけん責の処分を下した<ref name="J_20231027"/>。 == 運営会社 == {{Main|ベガルタ仙台 (企業)}} {{基礎情報 会社 | 社名 = 株式会社ベガルタ仙台 | 英文社名 = VEGALTA SENDAI CO., LTD. | 種類 = [[株式会社]] | 本社郵便番号 = 980-0014 | 本社所在地 = [[宮城県]][[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]]本町三丁目6番16号 | 設立 = [[1994年]](平成6年)[[10月7日]]<br />(株式会社東北ハンドレッド) | 業種 = サービス業 | 代表者 = [[板橋秀樹|板橋 秀樹]](代表取締役社長) | 資本金 = 4億5384万1122円 | 主要株主 = [[宮城県]] 24.9%<br/ >[[仙台市]] 23.5% <br />[[日本ハウスホールディングス|(株)日本ハウスホールディングス]] 8.8% | 外部リンク = https://www.vegalta.co.jp/ }} == 決算 == ベガルタ仙台の決算は、下記のとおり。 === 損益 === {| class="wikitable" |- !年度 !!{{abbr|収入|営業収入}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!事業費 !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|管理費|一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2005 ||style="background-color:wheat" |1,607 ||425 ||655 ||138 ||389 ||style="background-color:wheat" |1,948 ||1,741 ||1,091 ||207 ||style="background-color:wheat" |-341 ||style="background-color:wheat" |-162 |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||style="background-color:wheat" |1,609 ||440 ||675 ||117 ||377 ||style="background-color:wheat" |1,685 ||1,498 ||798 ||187 ||style="background-color:wheat" |-76 ||style="background-color:wheat" |26 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||style="background-color:wheat" |1,543 ||399 ||658 ||124 ||362 ||style="background-color:wheat" |1,601 ||1,389 ||732 ||212 ||style="background-color:wheat" |-58 ||style="background-color:wheat" |6 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||style="background-color:wheat" |1,421 ||394 ||568 ||126 ||333 ||style="background-color:wheat" |1,467 ||1,239 ||606 ||228 ||style="background-color:wheat" |-46 ||style="background-color:wheat" |34 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||style="background-color:wheat" |1,529 ||427 ||541 ||142 ||419 ||style="background-color:wheat" |1,651 ||1,428 ||711 ||223 ||style="background-color:wheat" |-122 ||style="background-color:wheat" |-98 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||style="background-color:wheat" |2,041 ||611 ||790 ||233 ||407 ||style="background-color:wheat" |1,863 ||1,593 ||858 ||270 ||style="background-color:wheat" |178 ||style="background-color:wheat" |192 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010] 金額の単位: 百万円 人件費は事業費に含まれる。 </div> {| class="wikitable" |- !年度 !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||style="background-color:wheat" |2,097 ||682 ||689 ||238 ||67 ||421 ||style="background-color:wheat" |2,038 ||1,007 ||117 ||150 ||71 ||0 ||693 ||style="background-color:wheat" |59 ||style="background-color:wheat" |59 |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||style="background-color:wheat" |2,303 ||770 ||764 ||248 ||86 ||435 ||style="background-color:wheat" |2,271 ||1,079 ||132 ||190 ||75 ||26 ||769 ||style="background-color:wheat" |32 ||style="background-color:wheat" |32 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||style="background-color:wheat" |2,429 ||901 ||757 ||225 ||88 ||458 ||style="background-color:wheat" |2,431 ||1,169 ||144 ||189 ||68 ||56 ||805 ||style="background-color:wheat" |-2 ||style="background-color:wheat" |9 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||style="background-color:wheat" |2,249 ||922 ||660 ||203 ||96 ||368 ||style="background-color:wheat" |2,377 ||1,141 ||125 ||194 ||62 ||44 ||811 ||style="background-color:wheat" |-128 ||style="background-color:wheat" |-107 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||style="background-color:wheat" |2,239 ||909 ||660 ||201 ||91 ||378 ||style="background-color:wheat" |2,222 ||1,031 ||118 ||169 ||58 ||44 ||802 ||style="background-color:wheat" |17 ||style="background-color:wheat" |35 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015] 金額の単位: 百万円 </div> {| class="wikitable" |- !年度 !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!物販 !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!物販 !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2016 ||style="background-color:wheat" |2,285 ||908 ||608 ||211 ||81 ||183 ||294 ||style="background-color:wheat" |2,428 ||1,187 ||115 ||215 ||64 ||44 ||116 ||687 ||style="background-color:wheat" |-143 ||style="background-color:wheat" |-119 |- |style="font-weight:bold;" |2017 ||style="background-color:wheat" |2,709 ||1,183 ||619 ||458 ||76 ||173 ||200 || style="background-color:wheat" |2,702 ||1,165 ||163 ||291 ||90 ||95 ||128 ||770 || style="background-color:wheat" |7 || style="background-color:wheat" |13 |- |style="font-weight:bold;" |2018 ||style="background-color:wheat" |2,684 ||1,137 ||608 ||363 ||78 ||219 ||279 || style="background-color:wheat" |2,765 ||1,232 ||145 ||252 ||96 ||118 ||146 ||776 || style="background-color:wheat" |-81 || style="background-color:wheat" |-73 |- |style="font-weight:bold;" |2019 ||style="background-color:wheat" |2,711 ||1,165 ||615 ||360 ||77 ||244 ||250 || style="background-color:wheat" |2,956 ||1,296 ||150 ||237 ||83 ||129 ||167 ||894 || style="background-color:wheat" |-245 || style="background-color:wheat" |-428 |- |style="font-weight:bold;" |2020 ||style="background-color:wheat" | 1,997|| 1,015|| 168|| 367|| 60|| 193|| 194|| style="background-color:wheat" |2,493 ||1,246 ||75 ||207 ||56 ||90 ||168 ||651 || style="background-color:wheat" |-496 || style="background-color:wheat" |-480 |- |style="font-weight:bold;" |2021 ||style="background-color:wheat" | 2,121|| 1,104|| 268|| 395|| 59|| 46|| 249|| style="background-color:wheat" |2,259 ||1,156 ||91 ||262 ||71 ||0 ||35 ||644 || style="background-color:wheat" |-138 || style="background-color:wheat" |-140 |- |style="font-weight:bold;" |2022 ||style="background-color:wheat" | 2,666|| 1,754|| 316|| 303|| 63|| 16|| 214|| style="background-color:wheat" |2,054 ||1,062 ||102 ||254 ||258 ||0 ||3 ||438 || style="background-color:wheat" |174 || style="background-color:wheat" |154 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdf 2018]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-h31kaiji_1_20200731.pdf 2019]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r2kaiji_1_20210729.pdf 2020]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20220728.pdf 2021]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20230526.pdf 2022] 金額の単位: 百万円 </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円) |legend=凡例 |type=line |showSymbols=yes |colors=#0000aa, #00aa00, #ff8000 |y1Title=営業収益 |y2Title=営業費用 |y3Title=選手・チームスタッフ人件費 |x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020, 2021 |y1=1607, 1609, 1543, 1421, 1529, 2041, 2097, 2303, 2429, 2249, 2239, 2285, 2709, 2684, 2711, 1997, 2121 |y2=1948, 1685, 1601, 1467, 1651, 1863, 2038, 2271, 2431, 2377, 2222, 2428, 2702, 2765, 2956, 2493, 2259 |y3=1091, 798, 732, 606, 711, 858, 1007, 1079, 1169, 1141, 1031, 1187, 1165, 1232, 1296, 1246, 1156 |yAxisMin=0 }} === 資産 === {| class="wikitable" |- !年度 !!総資産 !!総負債 !!純資産 !!資本金 |- |style="font-weight:bold;" |2005 ||977 ||556 ||421 ||2,328 |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||902 ||454 ||447 ||2,328 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||777 ||323 ||453 ||2,328 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||873 ||385 ||488 ||453 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||623 ||232 ||390 ||453 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||1,152 ||570 ||582 ||453 |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||1,319 ||678 ||640 ||453 |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||1,351 ||678 ||673 ||454 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||1,208 ||527 ||681 ||454 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||1,315 ||741 ||574 ||454 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||1,208 ||599 ||609 ||454 |- |style="font-weight:bold;" |2016 ||1,336 ||846 ||490 ||454 |- |style="font-weight:bold;" |2017 ||1,298 ||794 ||504 ||454 |- |style="font-weight:bold;" |2018 ||1,717 ||1,019 ||698 ||587 |- |style="font-weight:bold;" |2019 ||1,360 ||1,004 ||356 ||630 |- |style="font-weight:bold;" |2020 ||1,258 ||1,382 ||-124 ||630 |- |style="font-weight:bold;" |2021 ||1,195 ||1,460 ||-265 ||630 |- |style="font-weight:bold;" |2022 ||1,592 ||1,403 ||189 ||780 |} <div style="font-size:small"> 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdf 2018]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-h31kaiji_1_20200731.pdf 2019]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r2kaiji_1_20210729.pdf 2020]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20220728.pdf 2021]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r3kaiji_1_20230526.pdf 2022] 金額の単位: 百万円 </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円)|legend=凡例 |type=area |colors=#0000aa,#ff8000 |y1Title=総資産 |y2Title=純資産 |x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020, 2021, 2022 |y1=977, 902, 777, 873, 623, 1152, 1319, 1351, 1208, 1315, 1208, 1336, 1298, 1717, 1360, 1258, 1195, 1592 |y2=421, 447, 453, 488, 390, 582, 640, 673, 681, 574, 609, 490, 504, 698, 356, -124, -265, 189 |showSymbols=yes }} == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"|}} === 出典 === {{Reflist|colwidth=30em}} == 関連項目 == * [[ベガルタ仙台の選手一覧]] * [[緑仙]] (公式応援歌「WE ARE YOU」タイアップ) * [[いぎなり東北産]] / [[かっつー]] / [[神堂きょうか]] / [[MONKEY MAJIK]] (応援アンバサダー) * [[マイナビ仙台レディース]] (2012年 - 2020年にかけて経営権を保有) * [[みちのくダービー]] / [[仙台ダービー]] * [[2001年J2最終節]] / [[2009年J2最終節]] / [[2011年J1第7節 川崎F対仙台]] * [[V PRESS|V☆PRESS]] (ホームゲーム時に発行される[[マッチデープログラム]]) * [[ベガルタ仙台・プレミアムファンブック]] * [[four four two]] * [[ユアスタ・ラストスパート・プロジェクト]] * [[戦術君]] * [[羽生結弦]] * [[サンドウィッチマン (お笑いコンビ)|サンドウィッチマン]] * [[弥生、三月-君を愛した30年-]] (撮影協力) * [[カレーは飲み物]] == 公式ストア == ホームゲーム開催時のユアテックスタジアム仙台でもグッズが購入可能。 限定商品 (例:[https://www.vegalta.co.jp/news-game/2022/06/post-419.html こけし]、[https://www.vegalta.co.jp/news-game/2022/08/post-600.html ミニ四駆]、[https://www.vegalta.co.jp/news-hometown/2022/09/post-672.html ビール]、[https://www.vegalta.co.jp/news-game/2023/06/post-433.html ドトール]) や先行販売のグッズもある。 アウェイゲーム先でも販売する場合あり。 * [https://www.jleague-ticket.jp/club/vs/ チケット] * [https://www.vegalta.co.jp/shop.html カーサ ベガルタ] * [https://store.jleague.jp/club/sendai/ オンラインストア] * [https://store.line.me/search/ja?q=%E3%83%99%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%82%BF%E4%BB%99%E5%8F%B0 LINE STORE] * [https://nft.line.me/drop/brand/31 LINE NFT] * [https://www.vegalta-socio-club.com/ SOCIO FANCLUB] == 外部リンク == * {{Official website}} * [https://www.vegalta.co.jp/hometown/vegalta-cheerleaders.html ベガルタチアリーダーズ] * {{YouTube|user = vegaltachannel|ベガルタチャンネル}} * {{Twitter|vega_official_|ベガルタ仙台 (認証付き)}} * {{Facebook|vegalta.sendai.official}} * {{Instagram|vegaltasendai}} * {{TikTok|vegalta_}} * {{LINE公式アカウント|vegalta}} * {{Twitter|vegatta_0502|ベガッ太}} * {{Twitter|VEGALTA_LTAANA|ルターナ}} * {{Twitter|VEGALTA_YOUTH|ユース}} * {{Twitter|VEGALTA_SCHOOL|スクール}} {{Navboxes|title =ベガルタ仙台 関連テンプレート|titlestyle=background:#FFD700;color:#0000CD;border:1px solid #dc0038; |list1= {{ベガルタ仙台のメンバー}} {{ベガルタ仙台及びその前身チーム歴代監督}} {{ベガルタ仙台ユニフォームスポンサー}} }} {{Navboxes|title=獲得タイトル・記録 |list1={{J2優勝チーム}}{{J30ベストアウォーズ}} }}{{Navboxes|title =Jリーグ 関連テンプレート |list1={{日本プロサッカーリーグ}}{{日本プロサッカーリーグのマスコット}}{{Jリーグクラブ・チアリーディングチーム}} }}{{Radio-Tohoku}}{{仙台プロスポーツネット}} {{デフォルトソート:へかるたせんたい}} [[Category:ベガルタ仙台|*]] [[Category:1988年設立のスポーツチーム]] [[Category:仙台市のスポーツ史]] [[Category:Jリーグクラブ]] [[Category:過去のJリーグ百年構想クラブ]]
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4,734
4月4日
4月4日(しがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から94日目(閏年では95日目)にあたり、年末まであと271日ある。
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4月4日(しがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から94日目(閏年では95日目)にあたり、年末まであと271日ある。
{{カレンダー 4月}} '''4月4日'''(しがつよっか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から94日目([[閏年]]では95日目)にあたり、年末まであと271日ある。 == できごと == [[Image:Truman_signing_the_North_Atlantic_Treaty.gif|thumb|180px|[[北大西洋条約]]が締結され[[北大西洋条約機構|NATO]]発足(1949)]] [[Image:World Trade Center, New York City - aerial view (March 2001).jpg|thumb|[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|ワールドトレードセンター]]落成(1973)|254x254ピクセル]] * [[1081年]] - [[アレクシオス1世コムネノス]]が[[東ローマ帝国]]皇帝に即位。[[コムネノス王朝]]が始まる。 * [[1573年]]- [[織田信長]]が、[[室町幕府]]の[[将軍]]・[[足利義昭]]の[[二条御所]]を取り囲む。7日に[[勅命]]により、[[和睦]]。 * [[1581年]] - [[海賊]][[フランシス・ドレーク]]が[[エリザベス1世|エリザベス女王]]から[[ナイト]]の爵位を受ける。 * [[1660年]] - [[清教徒革命]]: オランダに亡命中の元スコットランド王[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]が[[ブレダ宣言]]を発布。 * [[1814年]] - フランス皇帝[[ナポレオン・ボナパルト]]が将軍連の反乱により退位させられる。 * [[1840年]]([[天保]]11年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[水野忠邦]]の抜擢により勘定奉行・[[遠山景元]]が呉服橋の[[町奉行|北町奉行]]に着任<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.1242.com/surprise/nikki2/main.php?did=2868 |title=『遠山の金さんの日』 |access-date=25 Mar 2023 |publisher=[[ニッポン放送]]}}</ref>。 * [[1841年]] - アメリカ大統領[[ウィリアム・ハリソン]]が就任1か月で死去。副大統領[[ジョン・タイラー]]が大統領に就任。 * [[1873年]] - イギリスで世界最古の[[ケネルクラブ]]である[[ケネルクラブ|ザ・ケネルクラブ]]設立。 * [[1875年]] - [[明治天皇]]に木村屋(現:[[木村屋總本店]])の[[あんパン]]が献上される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kimuraya-sohonten.co.jp/ec/2013anpan |title=4月4日 あんぱんの日 |access-date=25 Mar 2023 |publisher=木村屋總本店}}</ref>。 * [[1884年]] - [[ボリビア]]と[[チリ]]が[[太平洋戦争 (1879年-1884年)|太平洋戦争]]の休戦条約・[[バルパライソ条約]]を締結。 * [[1890年]] - ラフカディオ・ハーン([[小泉八雲]])が来日<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hearn-museum-matsue.jp/hearn.html |title=小泉八雲の生涯 40歳 |access-date=25 Mar 2023 |publisher=小泉八雲記念館}}</ref>。 * [[1917年]] - 日本がロシアの臨時政府を承認。 * [[1923年]] - アメリカで[[ハリー・ワーナー|ハリー]]、アルバート、サム、[[ジャック・L・ワーナー|ジャック]]のワーナー4兄弟が[[ワーナー・ブラザース]]を設立。 * [[1924年]] - [[ダグラス DWC]]が、編成部隊による[[:en:First aerial circumnavigation|初の航空機世界一周]]へ出発する。175日をかけて、[[9月28日]]に達成。 * [[1939年]] - [[イラク王国|イラク]]国王[[ガージー (イラク王)|ガージー]]が交通事故死。3歳の[[ファイサル2世 (イラク王)|ファイサル2世]]が即位。 * [[1949年]] - ワシントンで西側12か国が[[北大西洋条約]]に調印。[[8月24日]]に[[北大西洋条約機構]](NATO)が発足。 * [[1954年]] - [[アルトゥーロ・トスカニーニ]]の最後の演奏会([[NBC交響楽団]]。オール・[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]・プログラム)。 * [[1960年]] - [[セネガル]]が[[フランス]]から独立<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000467811.pdf |title=セネガル共和国話題集 |access-date=25 Mar 2023 |publisher=Ministry of Foreign Affairs of Japan |format=[[PDF]] |page=2}}</ref>。 * [[1964年]] - アメリカ[[ビルボード]]ヒットチャートの1位から5位までを[[ビートルズ]]が独占する(1位「[[キャント・バイ・ミー・ラヴ]]」、2位「[[ツイスト・アンド・シャウト]]」、3位「[[シー・ラヴズ・ユー]]」、4位「[[抱きしめたい (代表的なトピック)|抱きしめたい]]」、5位「[[プリーズ・プリーズ・ミー (曲)|プリーズ・プリーズ・ミー]]」)。 * [[1968年]] - [[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア|マーティン・ルーサー・キング]](キング牧師)が{{仮リンク|マーティン・ルーサー・キング・ジュニア暗殺事件|en|Assassination of Martin Luther King, Jr.|label=暗殺}}される<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bbc.com/japanese/video-43654339 |title=キング牧師暗殺を知った瞬間 当時の米国の表情 |access-date=25 Mar 2023 |publisher=BBC NEWS JAPAN |date=5 Apr 2018}}</ref>。 * 1968年 - アメリカで無人宇宙船「[[アポロ6号]]」が打ち上げ。 * [[1972年]] - [[西山事件]]: [[沖縄返還協定|沖縄返還交渉]]の機密を漏洩した容疑で、毎日新聞社の[[西山太吉]]記者らを逮捕。 * [[1973年]] - [[ニューヨーク]]の[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|ワールドトレードセンター]]が正式にオープンする。 * 1973年 - [[日本]]の[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が[[尊属殺]]の重罰規定は[[違憲判決|違憲]]と判決([[尊属殺重罰規定違憲判決]])。日本の最高裁にとって初めて[[違憲審査制|違憲立法審査権]]の行使。 * [[1975年]] - [[ビル・ゲイツ]]と[[ポール・アレン]]が[[ニューメキシコ州]][[アルバカーキ]]に[[マイクロソフト|Microsoft]]を設立<ref>{{Cite web|和書|url=https://bunshun.jp/articles/-/1985 |title=ご存知ですか? 4月4日はマイクロソフト設立の日です |access-date=25 Mar 2023 |publisher=[[文藝春秋]] |website=文春オンライン |date=4 Apr 2017}}</ref>。 * 1975年 - [[ベトナム戦争]]: アメリカ軍が[[南ベトナム]]の孤児をアメリカ合衆国本土などに避難させる作戦・[[オペレーション・ベビーリフト]]を開始。第1便の飛行機が墜落し、78人の子供を含む130人以上が死亡<ref>{{Cite web |url=https://www.washingtonpost.com/history/2021/08/29/operation-babylift-saigon-kabul-airport/ |title=Operation Babylift: A frantic Saigon rescue effort is echoed in Kabul’s chaos |access-date=25 Mar 2023 |publisher=The Washington Post |date=29 Aug 2021}}</ref>。 * [[1977年]] - [[サザン航空242便墜落事故]]: アメリカ[[ジョージア州]]で航空機が市街地に墜落<ref>民家に旅客機墜落 炎上、六十七人が死亡『朝日新聞』1977年(昭和52年)4月5日夕刊、3版、9面</ref>。 * [[1978年]] - [[キャンディーズ]]が解散。後楽園に55,000人を動員し、4時間にわたるコンサートを開催。 * 1978年 - [[バングラデシュ]]に[[サイクロン]]が接近。小舟約100隻が転覆して約1000人が行方不明<ref>小舟百隻沈み千人が不明 ベンガル湾でサイクロン『朝日新聞』1978年(昭和53年)4月10日朝刊、13版、23面</ref>。 * [[1979年]] - [[パキスタン]]前首相[[ズルフィカール・アリー・ブットー]]が処刑される。 * [[1982年]] - お笑いコンビ、[[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]結成。 * [[1983年]] - [[スペースシャトル]]「[[スペースシャトル・チャレンジャー|チャレンジャー]]」が[[STS-6]]で初飛行。 * 1983年 - NHK[[連続テレビ小説]]『[[おしん]]』が放送開始。[[1984年]][[3月31日]]まで約1年にわたって放送された。 * [[1994年]] - [[ジム・クラーク (事業家)|ジム・クラーク]]と[[マーク・アンドリーセン]]がモザイク・コミュニケーションズ(後の[[ネットスケープコミュニケーションズ]])を設立。 * [[1997年]] - [[オレンジ共済組合事件]]で起訴された[[友部達夫]]議員の[[議員辞職勧告決議]]が可決。 * [[1998年]] - プロレスラー[[アントニオ猪木]]が引退。 * [[1999年]] - [[第71回選抜高等学校野球大会]]で、[[沖縄尚学高等学校]]が沖縄県勢として初優勝<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/paper/sports/senbatu99/0404.html |title=沖縄尚学が初の頂点 |access-date=25 Mar 2023 |publisher=[[朝日新聞]]}}</ref>。 *1999年 - [[新潟交通電車線]]がこの日限りで全廃。 * [[2016年]] - [[バスタ新宿]]が開業<ref>{{Cite web|和書|date=3 Apr 2019 |url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO43269140T00C19A4EAC000/ |title=4月4日 「バスタ新宿」開業、東京の新たな玄関口に |publisher=[[日本経済新聞]] |accessdate=25 Mar 2023}}</ref>。 * [[2017年]] - [[シリア]]の内戦で、化学兵器の爆弾が使用され、子どもを含む70人以上が犠牲になる<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.ambafrance.org/article11390 |title=2017年4月4日の化学兵器攻撃に対するフランスの対応 |access-date=22 Sep 2023 |publisher=在日フランス大使館 |date=10 Apr 2017}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/us-syria-strike-idJPKBN17907C |title=トランプ政権、シリアにミサイル攻撃 ロシアは侵略行為と非難 |access-date=22 Sep 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=7 Apr 2017}}</ref>。 * [[2019年]] - [[特別捜査部|東京地検特捜部]]が、[[日産自動車]]の前会長[[カルロス・ゴーン]]被告を会社法違反(特別背任)容疑で再逮捕。日産に5.6億円の被害を与えた疑い<ref>{{Cite web|和書|url=https://jp.reuters.com/article/ghosn-arrest-idJPKCN1RF2VS |title=ゴーン前会長、オマーンルートで4回目の逮捕 日産に5.6億円損害 |access-date=22 Sep 2023 |publisher=[[ロイター|REUTERS]] |date=4 Apr 2019}}</ref>。 * [[2023年]] - [[フィンランド]]が[[北大西洋条約機構]](NATO)に加盟<ref>{{Cite web|和書|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230404/k10014028981000.html|title=フィンランド NATOに正式加盟 ロシアのウクライナ軍事侵攻受け|website=[[日本放送協会|NHK]] NEWS WEB|date=4 Apr 2023|accessdate=22 Sep 2023}}</ref>。 == 誕生日 == === 人物 === [[Image:Lautr%C3%A9amont.jpg|thumb|詩人[[ロートレアモン伯爵]](1846-1870)。『{{仮リンク|マルドロールの歌|fr|Les Chants de Maldoror}}』は[[シュルレアリスム|シュルレアリスト]]らに大きな影響を与えた。|224x224ピクセル]] [[Image:Shimei_Futabatei.jpg|thumb|日本近代小説の先駆者、[[二葉亭四迷]](1864-1909)|264x264ピクセル]] * [[186年]] - [[カラカラ]]、トーマ皇帝(+ [[217年]]) * [[1415年]]([[応永]]22年[https://youtube.com 2月25日]) - [[蓮如]]、[[室町時代]]の[[僧]](+ [[1499年]]) * [[1640年]] - [[ガスパル・サンス]]{{要出典|date=2021-03}}、[[作曲家]](+ [[1710年]]) * [[1648年]] - [[グリンリング・ギボンズ]]、[[彫刻家]](+ [[1721年]]) * [[1688年]] - [[ジョゼフ=ニコラ・ドリル]]、[[天文学者]](+ [[1768年]]) * [[1758年]] - [[ピエール=ポール・プリュードン]]、[[画家]](+ [[1823年]]) * [[1780年]] - [[エドワード・ヒックス]]、画家(+ [[1849年]]) * [[1785年]] - [[ベッティーナ・フォン・アルニム]]、[[作家]](+ [[1859年]]) * [[1800年]]([[寛政]]12年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]) - [[徳川斉昭]]、第9代[[水戸藩|水戸藩主]]、[[徳川慶喜]]の父(+ [[1860年]]) * [[1809年]] - [[ベンジャミン・パース]]、[[数学者]](+ [[1880年]]) * [[1819年]] - [[マリア2世 (ポルトガル女王)|マリア2世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]][[女王]](+ [[1853年]]) * [[1826年]] - [[ゼノブ・グラム]]、[[電気]]技術者(+ [[1901年]]) * [[1829年]]([[文政]]12年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[井上源三郎]]、[[新選組]]六番隊組長(+ [[1868年]]) * [[1842年]] - [[エドゥアール・リュカ]]、数学者(+ [[1891年]]) * [[1843年]] - [[ハンス・リヒター (指揮者)|ハンス・リヒター]]、[[指揮者]](+ [[1916年]]) * [[1846年]] - [[ロートレアモン伯爵]]、[[詩人]]、[[作家]](+ [[1870年]]) * [[1851年]]([[嘉永]]4年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[荻野吟子]]、近代[[日本]]最初の女性[[医師]](+ [[1913年]]) * [[1852年]] - [[アーサー・コールマン]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1939年]]) * [[1853年]] - [[タッド・リンカーン]]、第16代[[アメリカ合衆国大統領]][[エイブラハム・リンカーン]]の四男(+ [[1871年]]) * [[1860年]] - [[高田早苗]]、[[政治家]](+ [[1938年]]) * [[1862年]] - [[レオニード・パステルナーク]]、[[画家]](+ [[1945年]]) * [[1864年]]([[元治]]元年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[二葉亭四迷]]、[[小説家]](+ [[1909年]]) * [[1875年]] - [[ピエール・モントゥー]]、指揮者(+ [[1964年]]) * [[1876年]] - [[モーリス・ド・ヴラマンク]]、画家(+ [[1958年]]) * [[1877年]] - [[古今亭志ん生 (4代目)|古今亭志ん生]](四代目)、[[落語家]](+ [[1926年]]) * [[1879年]] - [[アイモ・カヤンデル]]、[[フィンランドの首相一覧|フィンランド首相]](+ [[1943年]]) * [[1880年]] - [[ゲオルク・フォン・トラップ]]、[[軍人]](+ [[1947年]]) * [[1882年]] - [[エミール・フィラ]]、[[画家]]、彫刻家(+ [[1953年]]) * 1882年 - [[クルト・フォン・シュライヒャー]]、軍人、政治家(+ [[1934年]]) * [[1884年]] - [[山本五十六]]、[[連合艦隊司令長官]](+ [[1943年]]) * [[1885年]] - [[中里介山]]、作家(+ [[1944年]]) * 1885年 - [[本居長世]]、[[童謡]]作曲家(+ [[1945年]]) * [[1888年]] - [[トリス・スピーカー]]、元プロ野球選手(+ [[1958年]]) * [[1894年]] - [[瀧井孝作]]、[[小説家]]、[[俳人]](+ [[1984年]]) * [[1900年]] - [[市村清]]、[[実業家]](+ [[1968年]]) * [[1907年]] - [[深井史郎]]、[[作曲家]](+ [[1959年]]) * [[1914年]] - [[マルグリット・デュラス]]、[[作家]]、[[映画監督]](+ [[1996年]]) * [[1915年]] - [[江口行男]]、元[[プロ野球選手]](+ 没年不明) * 1915年 - [[マディ・ウォーターズ]]、[[ブルース]][[歌手|シンガー]]、[[ギタリスト]](+ [[1983年]]) * [[1918年]] - [[塩月弥栄子]]、[[茶道家]](+ [[2015年]]) * [[1919年]] - [[原信太郎]]、[[鉄道模型]]収集家(+ [[2014年]]) * [[1920年]] - [[エリック・ロメール]]、[[映画監督]](+ [[2010年]]) * [[1922年]] - [[エルマー・バーンスタイン]]、[[作曲家]](+ [[2004年]]) * [[1924年]] - [[ギル・ホッジス]]、元プロ野球選手(+ [[1972年]]) * [[1925年]] - [[デットマール・クラマー]]、[[サッカー選手]]、指導者(+ [[2015年]]) * [[1926年]] - [[リシャルト・バクスト]]、[[ピアニスト]](+ [[1999年]]) * [[1927年]] - [[宮本陽吉]]、[[アメリカ文学|アメリカ文学者]](+ [[1996年]]) * 1927年 - [[若城希伊子]]、小説家、[[脚本家]](+ [[1998年]]) * [[1929年]] - [[照屋林助]]、歌謡漫談家(+ [[2005年]]) * [[1932年]] - [[アンドレイ・タルコフスキー]]、映画監督(+ [[1986年]]) * 1932年 - [[アンソニー・パーキンス]]、[[俳優]](+ [[1992年]]) * 1932年 - [[後藤明生]]、小説家(+ [[1999年]]) * 1932年 - [[長谷部安春]]、映画監督(+ [[2009年]]) * [[1936年]] - [[鈴木徹 (野球)|鈴木徹]]、元プロ野球選手(+ [[2004年]]) * [[1938年]] - [[細木数子]]、[[宗教家]]、[[占い|占い師]](+ [[2021年]]) * 1938年 - [[A・バートレット・ジアマッティ]]、MLB[[コミッショナー]](+ [[1989年]]) * [[1942年]] - [[ジム・フレゴシ]]、元プロ野球選手(+ 2014年) * [[1945年]] - [[山本拓 (経済学者)|山本拓]]、経済学者 * 1945年 - [[小嶋光信]]、実業家、[[両備グループ]]代表 * 1945年 - [[菅原勝矢]]、元プロ野球選手 * [[1946年]] - [[佐藤勝昭]]、[[空手道|空手家]] * [[1947年]] - [[あき竹城]]、[[俳優|女優]](+ [[2022年]]) * 1947年 - [[サルヴァトーレ・シャリーノ]]、作曲家 * [[1948年]] - [[のこいのこ]]、[[歌手]] * 1948年 - [[ダン・シモンズ]]、作家 * [[1949年]] - [[シン・トゥン・ヤウ]]、[[数学者]] * [[1950年]] - [[斉藤哲夫]]、[[シンガーソングライター]] * [[1951年]] - [[佐野実]]、実業家、支那そばや創業者(+ [[2014年]]) * 1951年 - [[フン・セン]]、政治家、[[カンボジアの首相|カンボジア首相]] * [[1952年]] - [[大橋俊夫]]、[[ラジオ]][[アナウンサー]] * 1952年 - [[ゲイリー・ムーア]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ [[2011年]]) * 1952年 - [[カレン・マグヌセン]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1952年 - [[ローズマリー・アッカーマン]]、[[陸上競技選手一覧|陸上競技選手]] * [[1953年]] - [[小山田春樹]]、アナウンサー、[[エッセイスト]] * [[1954年]] - [[ミシェル・カミロ]]、[[ジャズ]][[ピアニスト]] * [[1955年]] - [[高橋俊春]]、元プロ野球選手 * [[1956年]] - [[松田弘]]、[[ミュージシャン]]([[サザンオールスターズ]]) * 1956年 - [[中村典夫]]、元プロ野球選手 * 1956年 - [[百崎敏克]]、高校野球指導者 * 1956年 - [[トム・ハー]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[板垣恵介]]、[[漫画家]] * 1957年 - [[桑野信義]]、[[タレント]]、ミュージシャン(元[[ラッツ&スター]]) * 1957年 - [[ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク]]、[[ファッションデザイナー]] * 1957年 - [[アキ・カウリスマキ]]、映画監督 * [[1958年]] - [[山本昌邦]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、監督 * 1958年 - [[斎藤貴男]]、[[ジャーナリスト]] * [[1960年]] - [[深浦加奈子]]、女優(+ [[2008年]]) * 1960年 - [[ヒューゴ・ウィーヴィング]]、俳優 * 1960年 - [[アンドリュー・ラウ]]、映画監督 * [[1961年]] - [[松井菜桜子]]、[[声優]] * [[1962年]] - [[レイ・マーサー]]、[[プロボクサー]] * [[1963年]] - [[萩原一至]]、漫画家 * 1963年 - [[斉木かおり]]、アナウンサー * [[1964年]] - [[小沢章一]]、高校野球指導者(+ [[2006年]]) * 1964年 - [[上地和彦]]、元プロ野球選手 * 1964年 - [[古川聡]]、宇宙飛行士 * [[1965年]] - [[エレイン・ザヤック]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1965年 - [[ロバート・ダウニー・Jr]]、俳優 * [[1966年]] - [[橋本由香利]]、ミュージシャン、作曲家、編曲家 * 1968年 - [[岩崎久則]]、元プロ野球選手 * [[1969年]] - [[ピョートル・アンデルジェフスキ]]、[[ピアニスト]] * [[1970年]] - [[エレーナ・エレシナ]]、走り高跳び選手 * [[1971年]] - [[大渡亮]]、ミュージシャン([[Do As Infinity]]) * 1971年 - [[芝崎和広]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[ジル・スコット]]、シンガーソングライター * [[1973年]] - [[デビッド・ブレイン]]、[[マジシャン (奇術)|奇術師]] * [[1974年]] - [[ワシリー・ジロフ]]、プロボクサー * 1974年 - [[照英]]、俳優 * 1974年 - [[野上修]]、野球選手 * 1974年 - [[常見陽平]]、労働社会学者 * 1974年 - [[小林雅幸]]、元[[陸上競技]]選手 * [[1975年]] - [[河合彩]]、元[[フィギュアスケート]]選手、[[アナウンサー]] * 1975年 - [[安西智和]]、元バスケットボール選手、指導者 * 1975年 - [[ゲッターズ飯田]]、占い師、タレント * 1975年 - [[スコット・ローレン]]、元プロ野球選手 * [[1976年]] - [[エメルソン・フェレイラ・ダ・ローザ]]、サッカー選手 * [[1977年]] - [[エリック・バレント]]、元プロ野球選手 * 1977年 - [[原田曜平]]、マーケティングアナリスト * [[1978年]] - [[アベユウキ]]、[[ファッションモデル]] * 1978年 - 江口直人、[[お笑い芸人]]([[どぶろっく]]) * [[1979年]] - [[ヒース・レジャー]]、俳優(+ [[2008年]]) * 1979年 - [[ナターシャ・リオン]]、女優 * 1979年 - [[チャールズ・バトラー (フィギュアスケート選手)|チャールズ・バトラー]]、[[フィギュアスケート]]選手 * 1979年 - [[金沢文子]]、元[[AV女優]] * [[1980年]] - [[ビヨン・ビルドハイム]]、[[自動車競技|レーシングドライバー]] * [[1981年]] - [[夏達]]、[[漫画家]] * 1981年 - [[小瀋陽]]、[[コメディアン]] * 1981年 - [[フェデリコ・バエス]]、野球選手 * [[1983年]] - [[有田気恵]]、タレント * 1983年 - [[ベン・ゴードン]]、[[バスケットボール選手一覧|バスケットボール選手]] * [[1984年]] - [[溝口大樹]]、元プロ野球選手 * 1984年 - [[星野真澄]]、元プロ野球選手 * [[1985年]] - 桑原彰、ミュージシャン([[RADWIMPS]]) * 1985年 - [[ルディ・フェルナンデス (バスケットボール)|ルディ・フェルナンデス]]、バスケットボール選手 * 1985年 - [[松本晃]]、元野球選手 * [[1986年]] - [[岩﨑恭平]]、元プロ野球選手 * 1986年 - [[中ノ森文子]]、ミュージシャン(元[[中ノ森BAND]]) * 1986年 - [[加藤ゆり]]、タレント * 1986年 - [[田中智]]、ファッションモデル * 1986年 - [[アンソニー・カーター (野球)|アンソニー・カーター]]、プロ野球選手 * 1986年 - [[ウニョク]]、歌手([[SUPERJUNIOR]]) * [[1987年]] - [[サラ・ガドン]]、女優 * [[1988年]] - [[ザイド・ヘンドリックス]]、野球選手 * 1988年 - [[野原将志]]、元プロ野球選手 * [[1989年]] - [[久保賢司]]、[[キックボクサー]] * 1989年 - [[マッシミリアーノ・タッリャーニ]]、サッカー選手 * 1989年 - [[村上東奈]]、元タレント * 1989年 - [[山口エリ]]、モデル * [[1990年]] - [[三原勇希]]、モデル * 1990年 - [[齋藤学]]、サッカー選手 * 1990年 - [[速水秀之]]、声優 * 1990年 - [[ケイテリン・ジルソン]]、タレント * [[1991年]] - [[森崎アリス]]、モデル、タレント * 1991年 - [[金子織江]]、タレント * 1991年 - [[小池唯]]、女優、元[[グラビアアイドル]] * 1991年 - [[マーティン・ペレス]]、プロ野球選手 * [[1993年]] - [[フランク・カミンスキー]]、バスケットボール選手 * 1993年 - [[高橋裕太]]、陸上選手 * 1993年 - [[エノック・オムワンバ]]、陸上選手 * [[1994年]] - [[菅谷梨沙子]]、歌手([[Berryz工房]]) * 1994年 - [[黒田瑞貴]]、ファッションモデル、タレント、女優 * 1994年 - [[西川俊介]]、俳優 * 1994年 - [[三谷紬]]、テレビ朝日アナウンサー * 1994年 - [[北本亘]]、元プロ野球選手 * 1994年 - [[杏沙子]]、歌手 * 1994年 - [[奈良歩実]]、タレント * 1994年 - カンタ、[[YouTuber]]([[水溜りボンド]]) * 1994年 - [[Ayase]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yoasobi-music.jp/profile/ |title=PROFILE Ayase |accessdate=25 Mar 2023 |publisher=[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本) |Sony Music Entertainment (Japan) Inc.]] |website=YOASOBI オフィシャルサイト}}</ref>、[[作詞家]]、[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[ボカロP]]、歌手 ([[YOASOBI]]) * [[1995年]] - [[堀龍彦]]、陸上選手 * [[1996年]] - [[桃瀬なつみ]]、グラビアアイドル * 1996年 - [[オースティン・マホーン]]、歌手 * 1996年 - 岡本尚子、アイドル(元[[HKT48]]) * 1996年 - [[土屋神葉]]、俳優、声優 * 1996年 - [[東妻勇輔]]、プロ野球選手 * [[1997年]] - キム・ジホ 、アイドル([[OH MY GIRL]]) * [[1999年]] - [[西野未姫]]、タレント、アイドル(元[[AKB48]]) * 1999年 - 中村舞、アイドル([[STU48]]) * 1999年 - [[遠藤大地]]、陸上選手 * 1999年 - [[髙塚大夢]]、アイドル([[INI]]) * [[2000年]] - [[戸郷翔征]]、プロ野球選手 * [[2001年]] - [[斎藤拓海]] 、プロレスラー * 2001年 - MAKO、アイドル([[NiziU]]) * 2001年 - [[出町杏奈]]、タレント * [[2002年]] - [[岡田愛]]、タレント、モデル、アイドル(元[[さくら学院]]) * [[2003年]] - [[黒坂莉那]]、元ファッションモデル * [[2007年]] - [[本田紗来]]、子役 * [[2008年]] - [[草木ひなの]]、スケートボーダー * 生年不詳 - [[松本洋子]]、漫画家 * 生年不明 - [[片貝薫]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://kenyu-office.com/katakaikaoru/ |title=片貝 薫 |publisher=[[ケンユウオフィス]] |accessdate=25 Mar 2023}}</ref>、声優 * 生年不明 - 江波キョウカ、アイドル([[Palette Project]]) === 人物以外(動物など) === * [[1957年]] - [[ケルソ]]、[[競走馬]](+ [[1983年]]) * [[1987年]] - [[メルシーアトラ]]、競走馬(+ [[1991年]]) * [[1991年]] - [[ボディーガード (競走馬)|ボディーガード]]、競走馬(+ 不明) * [[1993年]] - [[エイシンサンディ]]、競走馬(+ [[2019年]]) * 1993年 - [[トーヨーシアトル]]、競走馬 * [[1995年]] - [[エアスマップ]]、競走馬(+ [[2011年]]) * [[1995年]] - [[ファレノプシス (競走馬)|ファレノプシス]]、競走馬(+ [[2016年]]) * [[1996年]] - [[ナリタトップロード]]、競走馬(+ [[2005年]]) * 1996年 - [[レッドチリペッパー]]、競走馬(+ [[2017年]]) * [[2003年]] - [[ウェルアームド]]、競走馬 * [[2004年]] - [[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]、競走馬(+ [[2019年]]) * [[2005年]] - [[スマートファルコン]]、競走馬 * [[2012年]] - [[グランピー・キャット]]、[[ネコ]](+ [[2019年]]) * [[2020年]] - [[ソールオリエンス]]、競走馬 == 忌日 == [[Image:Sant%27Ambrogio_Cript_in_Basilica_of_Sant%27Ambrogio%2C_Milan.jpg|thumb|180x180px|[[ミラノ]][[司教]][[アンブロジウス]](?-397)没。四大[[教会博士]]の1人とされる]] [[Image:Isidoro_de_Sevilla_%28Jos%C3%A9_Alcoverro%29_01.jpg|thumb|203x203px|四大[[教会博士]]のもう1人、知識の集積に優れた[[神学者]][[イシドールス]](560-636)没。[[プログラマ]]の[[守護聖人]]である]] [[Image:John_Napier.jpg|thumb|227x227px|[[数学者]][[ジョン・ネイピア]](1550-1617)[[対数]]を考案。]] [[Image:Crookes_William.jpg|thumb|274x274px|化学者[[ウィリアム・クルックス]](1832-1919)。[[タリウム]]を発見]] [[Image:Martin-Luther-King-1964-leaning-on-a-lectern.jpg|thumb|248x248px|[[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア|マーティン・ルーサー・キング]]牧師(1929-1968)、凶弾に斃れる。]] [[Image:Case Study House No. 22.JPG|thumb|180x180px|[[建築家]][[ピエール・コーニッグ]]。画像はケーススタディハウスNo.22(1960)]] * [[397年]] - [[アンブロジウス]]、キリスト教の[[ラテン教父]]、[[ミラノ]][[司教]](* [[340年]]頃) * [[636年]] - [[イシドールス]]、[[神学者]](* [[560年]]) * [[896年]] - [[フォルモスス (ローマ教皇)|フォルモスス]]、第111代[[教皇|ローマ教皇]] * [[1284年]] - [[アルフォンソ10世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ10世]]、[[カスティーリャ王国|カスティーリャ王]](* [[1221年]]) * [[1292年]] - [[ニコラウス4世 (ローマ教皇)|ニコラウス4世]]、第191代ローマ教皇(* [[1227年]]) * [[1305年]] - [[フアナ1世 (ナバラ女王)|フアナ1世]]、[[ナバラ王国|ナバラ女王]]、[[シャンパーニュ伯|シャンパーニュ女伯]](* [[1271年]]頃) * [[1536年]] - [[フリードリヒ2世 (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯)|フリードリヒ5世]]、[[アンスバッハ侯領|ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯]](* [[1460年]]) * [[1566年]] - [[ダニエレ・ダ・ヴォルテッラ]]、[[画家]]、[[彫刻家]](* [[1509年]]頃) * [[1588年]] - [[フレゼリク2世 (デンマーク王)|フレゼリク2世]]、[[デンマーク|デンマーク王]](* [[1534年]]) * [[1617年]] - [[ジョン・ネイピア]]、[[数学者]](* [[1550年]]) * [[1643年]] - {{仮リンク|シモン・エピスコピウス|en|Simon Episcopius}}、神学者(* [[1583年]]) * [[1773年]]([[安永 (元号)|安永]]2年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[瀬川菊之丞 (2代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1741年]]) * [[1807年]] - [[ジェローム・ラランド]]、[[天文学者]](* [[1732年]]) * [[1817年]] - [[アンドレ・マッセナ]]、[[フランス第一帝政]]時代の[[元帥]](* [[1758年]]) * [[1841年]] - [[ウィリアム・ハリソン]]<ref>{{cite book|author=Freeman Cleaves|title=Old Tippecanoe: William Henry Harrison and His Time|publisher=C. Scribner's Sons|location=New York|year=1939|pages=152}}</ref>、第9代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1773年]]) * [[1861年]] - [[ジョン・マクレーン (郵政長官)|ジョン・マクレーン]]、第9代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1785年]]) * [[1889年]] - [[ギーゼラ・フォン・アルニム]]、[[作家]](* [[1827年]]) * [[1919年]] - [[ウィリアム・クルックス]]、[[化学者]]、[[物理学者]](* [[1832年]]) * [[1923年]] - [[ユーリー・マルトフ]]、[[ロシア]]の[[社会主義]]運動家(* [[1873年]]) * 1923年 - [[ジョン・ベン]]、[[数学者]](* [[1834年]]) * [[1928年]] - [[二条基弘]]、[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員(* [[1859年]]) * [[1929年]] - [[カール・ベンツ]]、[[ガソリン]][[自動車]]を開発した技術者、[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー]]の創業者のひとり(* [[1844年]]) * [[1931年]] - {{仮リンク|アンドレ・ミシュラン|en|André Michelin}}、[[ミシュラン]]社の創業者(* [[1853年]]) * [[1932年]] - [[ヴィルヘルム・オストヴァルト]]、化学者(* [[1853年]]) * 1932年 - [[岡田信一郎]]、[[建築家]](* [[1883年]]) * [[1939年]] - [[ガージー (イラク王)|ガージー]]、[[イラク王国|イラク王]](* [[1912年]]) * [[1944年]] - [[アルマ・ロゼ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1906年]]) * [[1947年]] - [[ジェイムズ・ガスコイン=セシル (第4代ソールズベリー侯爵)]]、政治家、貴族(* [[1861年]]) * [[1953年]] - [[カロル2世 (ルーマニア王)|カロル2世]]、[[ルーマニア王国|ルーマニア王]](* [[1893年]]) * [[1954年]] - [[三門順子]]、[[歌手]](* [[1915年]]) * [[1957年]] - [[エドガートン・ハーバート・ノーマン]]、[[外交官]]、[[日本学|日本学者]](* [[1909年]]) * [[1962年]] - [[ハンラッティ事件|ジェームズ・ハンラッティ]]、ハンラッティ事件の被告(* [[1936年]]) * [[1968年]] - [[マーティン・ルーサー・キング・ジュニア|マーティン・ルーサー・キング]]、牧師、黒人運動指導者(* [[1929年]]) * [[1971年]] - [[カール・メイズ]]、元プロ野球選手(* [[1891年]]) * [[1972年]] - [[シュテファン・ヴォルペ]]、[[作曲家]](* [[1902年]]) * [[1973年]] - [[菊田一夫]]、[[劇作家]]、[[作詞家]](* [[1908年]]) * [[1976年]] - [[ハリー・ナイキスト]]、物理学者(* [[1889年]]) * [[1977年]] - [[亘四郎]]、[[政治家]](* [[1899年]]) * [[1979年]] - [[ズルフィカール・アリー・ブットー]]、[[パキスタンの大統領|パキスタン大統領]]、[[パキスタンの首相|首相]](* [[1928年]]) * [[1981年]] - [[カール・ジーゲル]]、[[数学者]](* [[1896年]]) * [[1983年]] - [[グロリア・スワンソン]]、[[俳優|女優]](* [[1899年]]) * [[1984年]] - [[オリェーク・アントーノフ]]、[[航空機]]技術者(* [[1906年]]) * [[1987年]] - [[C・L・ムーア]]、[[SF作家]](* [[1911年]]) * [[1991年]] - [[フォレスト・タウンズ]]、[[陸上競技]]選手(* [[1914年]]) * 1991年 - [[マックス・フリッシュ]]、[[作家]]、[[建築家]](* [[1911年]]) * [[1992年]] - [[サミュエル・ハーマン・レシェフスキー]]、[[チェス]]の選手(* [[1911年]]) * [[1994年]] - [[平野三郎]]、政治家(* [[1912年]]) * [[1995年]] - [[山下実]]、元[[プロ野球選手]]、[[プロ野球監督|監督]]、[[プロ野球審判員|審判]](* [[1907年]]) * [[1996年]] - [[野副鉄男]]、化学者(* [[1902年]]) * 1996年 - [[バーニー・ユーウェル]]、陸上競技選手(* [[1918年]]) * [[1997年]] - [[杉村春子]]、女優(* [[1906年]]) * [[1999年]] - [[アーリー・ウィン]]、元プロ野球選手(* [[1920年]]) * [[2002年]] - [[秋元秀雄]]、政治[[評論家]](* [[1926年]]) * [[2003年]] - [[光延旺洋]]、化学者(* [[1934年]]) * [[2004年]] - [[ピエール・コーニッグ]]、[[建築家]](* [[1925年]]) * [[2006年]] - [[原田慎太郎 (政治家)|原田慎太郎]]、政治家、[[宗像市]][[市町村長|長]](* [[1941年]]) * 2006年 - [[エックハルト・ダッゲ]]、[[プロボクサー]](* [[1948年]]) * [[2008年]] - [[呉学謙]]、[[中華人民共和国外交部|中華人民共和国外交部長]]、副総理(* [[1921年]]) * 2008年 - [[成瀬正俊]]、[[俳人]](* [[1930年]]) * [[2010年]] - [[奥山かずお]]、[[児童文学]]作家(* [[1939年]]) * [[2011年]] - 須賀良、俳優(* [[1936年]]) * [[2013年]] - [[ヤマグチノボル]]、[[ライトノベル]]作家(* [[1972年]]) * [[2019年]] - [[相澤英之]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yomiuri.co.jp/politics/20190404-OYT1T50223/ |title=元衆院議員、相沢英之氏が死去…妻は司葉子さん |access-date=25 Mar 2023 |publisher=[[讀賣新聞]]オンライン |archive-url=https://web.archive.org/web/20190405115723/https://www.yomiuri.co.jp/politics/20190404-OYT1T50223/ |archive-date=5 Apr 2019 |date=4 Apr 2019}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201904040000434.html |title=相沢英之さん死去 妻は司葉子、三男妻は相田翔子 |access-date=25 Mar 2023 |publisher=[[日刊スポーツ]] |date=4 Apr 2019}}</ref>、政治家(* [[1919年]]) * [[2020年]] - [[ジェイ・ベネディクト]]<ref>{{Cite web |url=https://www.theguardian.com/tv-and-radio/2020/apr/06/emmerdale-and-aliens-actor-jay-benedict-dies-of-coronavirus |title=Emmerdale and Aliens actor Jay Benedict dies of coronavirus |access-date=25 Mar 2023 |publisher=The Guardian |date=6 Apr 2020}}</ref>、俳優(* [[1951年]]) * [[2021年]] - [[橋田壽賀子]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://eiga.com/news/20210405/23/ |title=脚本家・橋田壽賀子さん死去、95歳 「おしん」「渡る世間は鬼ばかり」などの名作ドラマを執筆 |publisher=[[映画.com]] |date=5 Apr 2021 |accessdate=25 Mar 2023}}</ref>、[[脚本家]]、[[劇作家]](* [[1925年]]) * 2021年 - [[垣野多鶴]]、元野球選手(* [[1951年]]) == 記念日・年中行事 == [[Image:Vietnam-landmine-victim.jpg|thumb|240x240px|[[地雷]]に関する啓発および地雷除去支援のための[[国際デー]]。画像は[[ベトナム]]の対人地雷被害者]] [[Image:Bean-jam-bun,anpan,katori-city,japan.JPG|thumb|180x180px|[[あんパン]]の日。[[1875年]](明治8年)、[[明治天皇]]にあんパンが献上された。]] * [[清明]]({{JPN}} 2012年) *: [[二十四節気]]の1つ。[[太陽]]の黄経が15度の時で、万物がすがすがしく明るく美しいころ。 * [[寒食節]]({{CHN}}・{{KOR}} 2010年・2011年・2013年) *: [[清明]]の前日。この日は家で火を炊くことを忌み、冷たい物を食べる習慣があった。 * 地雷に関する啓発および地雷除去支援のための国際デー({{World}}) *: 国連が2006年に制定した[[国際デー]]。 * [[ピアノ調律]]の日({{World}}) *: [[国際ピアノ製造技師調律師協会]](IAPBT)が1993年に制定。4月の英語Aprilの頭文字が調律に使う音の名前[[イ (音名)|A]]と同じであり、その[[周波数]]が[[A440|440Hz]]であることから<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chopin.co.jp/media/column/a3885 |title=一般社団法人 日本ピアノ調律師協会 4月4日はピアノ調律の日 |access-date=25 Mar 2023 |publisher=株式会社ハンナ |website=月刊ショパン}}</ref>。 * [[子供の日|児童節]]({{ROC}}・{{HKG}}) *: [[中華民国]]が[[1931年]]に制定。また、香港でも1931年から中華民国にあわせて4月4日を児童節としている。 * [[独立記念日]]({{SEN}}) *: [[1960年]]のこの日、セネガルが[[フランス]]から独立した。 *沖縄県誕生の日({{JPN}}) *:[[1879年]]のこの日、琉球藩を廃し沖縄県とすることが布告され、沖縄県が誕生した。 * 交通反戦デー({{JPN}}) *: [[1989年]]のこの日に開かれた東京都の交通遺児を励ます会の「交通反戦大会」で制定。春休み期間中の覚えやすい日で、また「死(4)死(4)を返上」の語呂合せから。 * [[あんパン]]の日({{JPN}}) *: [[1875年]]4月4日、[[明治天皇]]が水戸邸の下屋敷を訪れる際に、[[木村屋總本店|木村屋]]のあんぱんが出されたことから。 * [[ヨーヨー]]の日({{JPN}}) *:JYYA(日本ヨーヨー協会)が1998年に制定<ref>{{Cite web|和書|url=http://jyya.com/topics_news/1115/ |title=4月4日はヨーヨーの日 |access-date=25 Mar 2023 |publisher=JAPAN YO-YO ASSOCIATION}}</ref>。 * [[トランスジェンダー]]の日({{JPN}}) *: [[1999年]][[2月]]に[[性同一性障害]]者の団体「TSとTGを支える人々の会」が制定。女の子の日とされる[[3月3日]]の[[上巳|桃の節句]]と男の子の日とされる[[5月5日]]の[[端午|端午の節句]]の中間日であることに由来する。性同一性障害やトランスセクシュアル、トランスジェンダーなど、性の多様性について理解を深めてほしいという願いが込められている<ref>{{Cite web|和書|url=https://forbesjapan.com/articles/detail/46606 |title=スポーツ界でも進む理解と課題 トランスジェンダーの日|4月4日  |access-date=25 Mar 2023 |publisher=Forbes Japan |date=4 Apr 2022}}</ref>。 * ピンクデー({{JPN}}) *: ピンク社長こと多田多延子氏が制定。ピンク色の紙に手紙や絵を描いて送ったり、プレゼントを贈るなどして、しあわせを分かち合うのが目的。日付は、4と4を合わせて「し(4)合わせ」と読むことと、Present for youなどが「4 you」と聞こえること、四つ葉のクローバーのように4が幸運を意味する数字を連想させることから<ref>{{Cite book|和書|editor=加瀬清志|title=366日記念日事典 上|publisher=[[創元社]] |year=2020|page=109|isbn=978-4422021140 }}</ref>。 * [[幸せ]]の日({{JPN}}) *: 女の子の節句(ひなまつり)が3月3日、男の子の節句(こどもの日)が5月5日、その間の今日が4月4日が『4(し)と4(し)』の合わさる日として『幸せの日』と云われている。また、男子(だんし)と女子(じょし)が歩み寄った日とも云われ、『男子と女子の夫々の「子(し)」』が合わさる日『幸せの日』と云われる事もある。 * [[どらやき]]の日({{JPN}}) *: おいしいどらやきを食べてみんなが幸せになりますようにとの願いから、2008年に丸京製菓が制定。3月3日は”桃の節句”、5月5日は”端午の節句”、2つの節句に包まれた4月4日は、「どら焼き」のカステラとカステラの間に包まれたあんこをイメージさせることから<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.marukyo-seika.co.jp/doramachi-yonago/dorayaki-day/ |title=どらやきの日 (4月4日) |access-date=25 Mar 2023 |publisher=菓子庵 丸京}}</ref>。 * [[養子]]の日({{JPN}}) *: 4と4でようしの日である事から。[[2014年]]、[[特別養子縁組]]の認知度が低いことを問題視した[[日本財団]]が制定。 * [[フォー]]の日({{JPN}}) *: ベトナムの代表的な料理「フォー」を記念。フォーは米粉の麺に鶏肉のスープなどを使った料理で、フォーの即席麺を製造、販売する[[エースコック]]が、英語の「4(フォー)」が重なることから制定した<ref>{{Cite web|和書|date=3 Apr 2016 |url=https://www.sankei.com/article/20160403-PGEIR2AN5FIIPMMRPEOVFU2GXU/ |title=4月4日「フォーの日」に 大阪・吹田で登録証授与式 |publisher=[[産経新聞]] |accessdate=25 Mar 2023}}</ref>。 * [[四輪駆動]]の日({{JPN}}) *: 四輪駆動は、4×4(フォーバイフォー)ともいうことから、メルセデスベンツ日本が4月4日を四輪駆動の日として申請し。2016年から制定された。 * 大瀬まつり({{JPN}}) *: [[静岡県]][[沼津市]]にある[[引手力命神社|大瀬神社]]の例祭。長襦袢をまとい顔を白塗りにした青年達が乗った踊り船が大瀬神社へ参拝に出港し、女装した青年達がお囃子に合わせて賑やかに踊る。踊り船が岸壁に到着すると、船から海へ俵を投げ、それを泳いで拾った青年たちが、神社に大漁と航海の安全を祈願する<ref>{{Cite web|和書|url=https://numazukanko.jp/event/40043 |title=大瀬まつり |access-date=22 Sep 2023 |publisher=沼津市産業振興部観光戦略課 |website=沼津観光ポータル}}</ref>。 * 護王大祭({{JPN}}) *: [[京都市]]上京区にある[[護王神社]]は、[[和気清麻呂]]とその姉[[和気広虫]]を祀る<ref>{{Cite web|和書|url=https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=286 |title=護王神社 |access-date=22 Sep 2023 |publisher=京都市観光協会 |website=京都観光Navi}}</ref>。和気清麻呂は、延暦18年2月21日([[799年]]4月4日)に亡くなっており、命日に大祭が営まれる。神護景雲3年([[769年]])「道鏡を皇位につければ、天下泰平となる」という[[宇佐神宮|宇佐八幡宮]](現・[[大分県]][[宇佐市]])の神託があったと、うその神託をでっちあげた[[弓削道鏡]]に対し、和気清麻呂が勅使として宇佐八幡宮に赴き神託を受け、弓削道教の企みを退けた[[宇佐八幡宮神託事件]]に因む<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.usajinguu.com/wake/ |title=和気清麻呂とご神託 |access-date=22 Sep 2023 |publisher=八幡総本宮 宇佐神宮}}</ref>。本殿前で祭典が行われた後、[[京都御所]]の建礼門前で「宇佐神託奏上ノ儀」が行われる<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.gooujinja.or.jp/annai/saiji.html |title=護王神社のご案内 護王大祭 |access-date=22 Sep 2023 |publisher=京都御所西 護王神社}}</ref>。 == フィクションのできごと == * GGO ガンゲイルオンラインで第2回スクワットジャムが開催される。(『[[ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン]]』) * [[2999年]] - ゲンヘッドがキングタマーゴ・サンドロビッチ伯爵によってPC電人に改造される<ref>『PC電人』取扱説明書</ref>。(『[[PC原人シリーズ PC電人|PC電人]]』) * [[宇宙世紀|U.C.]]0079年 - ジオン公国軍、北アフリカに補充部隊が降下。(アニメ『[[機動戦士ガンダム]]』) === 誕生日(フィクション) === {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0404|date=Sep 2023}} * [[1868年]] - ジョナサン・ジョースター、漫画・アニメ『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』Part 1の主人公<ref>{{Twitter status|araki_jojo|1378531069281017861}}</ref><ref>{{Cite book|和書|author=荒木飛呂彦|authorlink=荒木飛呂彦|year=1993|title=JOJO 6251 荒木飛呂彦の世界|publisher=[[集英社]]|isbn=978-4-08-782407-0|quote=|date=|volume=|page=}}</ref> * [[1952年]] - 生沢ルリ子、アニメ『[[ゲートキーパーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite episode|title=地球防衛を開始せよ!|series=『ゲートキーパーズ』第1話 13分27秒}}</ref> * [[1966年]] - 出目川仁、漫画・アニメ『[[DEATH NOTE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=大場つぐみ|authorlink=大場つぐみ|coauthors = [[小畑健]] |year = 2006 |title = DEATH NOTE |volume = 第13巻 |page = 34 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 978-4-08-874095-9 }}</ref> * [[1967年]] - 月光聖市、小説・漫画・アニメ『[[りゅうおうのおしごと!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=[[りゅうおうのおしごと!]]|volume=2|author=白鳥士郎|authorlink=白鳥士郎|publisher=[[SBクリエイティブ]]|page=239|isbn=978-4-7973-8676-9}}</ref> * [[1979年]] - 日高小春、漫画『[[ハイスコアガール]]』に登場するキャラクター * [[2014年]] - 天沢勇子、アニメ・小説『[[電脳コイル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |year = 2006 |title = ロマンアルバム 電脳コイル |page = 15 |publisher = [[徳間書店]] |isbn = 978-4-08-874095-9 }}</ref> * 宇宙暦767年/帝国暦458年 - [[ヤン・ウェンリー]]、小説・アニメ『[[銀河英雄伝説]]』の登場人物<ref>{{Cite news|title=「銀河英雄伝説」作者、ヤン・ウェンリーの誕生日は適当に決定と告白|date=2012-04-06|url=http://otakei.otakuma.net/archives/2012040605.html|accessdate=25 MAr 2023|publication-date=|work=おたくま経済新聞}}</ref> * 生年不明 - 雪城ほのか(キュアホワイト)、アニメ『[[ふたりはプリキュア]]』『ふたりはプリキュア Max Heart』の主人公のひとり<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.co.jp/precure_ss/oldsite/character/02.html |title=キャラクター紹介 雪城ほのか |work=『ふたりはプリキュア』 |accessdate=25 Mar 2023 |publisher=ABC TV}}</ref> * 生年不明 - [[ダイヤモンド (ポケットモンスターSPECIAL)|ダイヤモンド]]、漫画『[[ポケットモンスターSPECIAL]]』の主人公のひとり<ref>{{Twitter status|pokesp_special|1378532460204449797}}</ref> * 生年不明 - 桜ノ宮苺香、漫画・アニメ『[[ブレンド・S]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書|author=中山幸|authorlink=中山幸|year=2017|title=ブレンド・S|volume=3巻|page=6|publisher=[[芳文社]]|series=[[まんがタイムKRコミックス]]|isbn=978-4-8322-4798-7}}</ref> * 生年不明 - [[しまじろうシリーズの登場キャラクター#縞野家|縞野はな(はなちゃん)]]、ベネッセの教材『[[こどもちゃれんじ]]』、アニメ『[[しましまとらのしまじろう]]』『[[はっけん たいけん だいすき! しまじろう]]』『[[しまじろうヘソカ]]』『[[しまじろうのわお!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|shimajiroTV|41419947422916608}}</ref> * 生年不明 - [[しまじろうシリーズの登場キャラクター|桃山にゃっきい]]、ベネッセの教材『こどもちゃれんじ』、アニメ『しまじろうのわお!』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://kodomo.benesse.ne.jp/open/tv/characters/ |title=しまじろうと ちゃれんじじまの なかまたち |work=しまじろうクラブ |accessdate=25 Mar 2023 |publisher=[[ベネッセ|Benesse Corporation]]}}</ref> * 生年不明 - しらほし、漫画・アニメ『[[ONE PIECE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://one-piece.com/log/character/detail/Princess_Shirahoshi.html |title=しらほし |access-date=25 Mar 2023 |publisher=[[尾田栄一郎]]/[[集英社]]・[[フジテレビ]]・[[東映アニメーション]] |website=『ONE PIECE』}}</ref> * 生年不明 - [[HUNTER×HUNTERの登場人物#クラピカ|クラピカ]]、漫画・アニメ『[[HUNTER×HUNTER]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=冨樫義博|authorlink=冨樫義博|year = 2004 |title = HUNTER×HUNTER ハンター協会 公式発行 ハンターズ・ガイド キャラクター&ワールドオフィシャルデータブック |page = 42 |publisher = [[集英社]] |series = [[ジャンプ・コミックス]] |isbn = 4-08-873701-6 }}</ref> * 生年不明 - 飛竹トンボ、漫画『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book |和書 |author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|year = 2002 |title = NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK |page = 77 |publisher = 集英社 |series = ジャンプ・コミックス |isbn = 4-08-873288-X }}</ref> * 生年不明 - 花刈ジン太、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=久保帯人|authorlink=久保帯人|year=2006|title=BLEACH OFFICIAL CHARACTER BOOK SOULs.|page=47|publisher=[[集英社]]|series=ジャンプ・コミックス|isbn=4-08-874079-3}}</ref> * 生年不明 - トクサ、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|authorlink=星野桂|title=D.Gray-man キャラクター ランキングブック キャラグレ!|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|year=2011|page=163|ISBN=978-4-08-870268-1}}</ref> * 生年不明 - 尾白アラン、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2017|title=ハイキュー!!|publisher=[[集英社]]〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-881286-1|quote=|date=|volume=29巻|page=168}}</ref> * 生年不明 - リカバリーガール、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://heroaca.com/character/chara_group04/04-04/ |title=リカバリーガール |publisher=[[堀越耕平]]/[[集英社]]・僕のヒーローアカデミア製作委員会 |accessdate=25 Mar 2023 |work=『僕のヒーローアカデミア』}}</ref> * 生年不明 - ケサギリマン、漫画・アニメ『[[僕のヒーローアカデミア]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 三輪霞、漫画・アニメ『[[呪術廻戦]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|jujutsu_pr|1378527744141721601}}</ref> * 生年不明 - [[GetBackers-奪還屋-の登場人物#天子峰猛|天子峰猛]](てんしみねたける)、漫画・アニメ『[[GetBackers-奪還屋-]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - ネオ=アルラウネ、漫画『[[魔王城でおやすみ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|maoujo_anime|1510784214689591303}}</ref> * 生年不明 - 田中舞、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|title=田中 舞(たなか まい) |url=http://sciasta.com/characters.html |access-date=25 Mar 2023 |publisher=[[小林立]] |work=『咲-Saki-』}}</ref> * 生年不明 - 牧野小鳥、漫画・アニメ『[[こえでおしごと!]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - 桜衣乃、漫画・アニメ『[[おちこぼれフルーツタルト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://ochifuru-anime.com/chara.html |title=桜 衣乃 |work=『おちこぼれフルーツタルト』 |accessdate=25 Mar 2023 |publisher=[[浜弓場双]]・[[芳文社]]/おちこぼれフルーツタルト製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 砂守みなみ、漫画『[[ハッピーセピア]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|title=ハッピーセピア 大熊らすこ作品集|date=2023-11-27|publisher=[[芳文社]]|page=46|author=大熊らすこ|isbn=978-4-8322-9508-7}}</ref> * 生年不明 - クルシュ・カルステン、小説・アニメ『[[Re:ゼロから始める異世界生活]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|nezumiironyanko|1510838140608860161}}</ref> * 生年不明 - 鬼頭隼、小説・アニメ『[[ようこそ実力至上主義の教室へ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://youkosozitsuryoku-2nd.com/character/kitou.html |title=鬼頭 隼 |accessdate=25 Mar 2023 |publisher=[[衣笠彰梧]]・[[KADOKAWA]]刊 |work=『ようこそ実力至上主義の教室へ 2年生編』}}</ref> * 生年不明 - 四天王うづき、読者参加企画『[[HAPPY★LESSON]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://archive.asciimw.jp/mediamix/happy/chara/ |title=キャラクター紹介 四天王うづき |work=アーカイブ HAPPY★LESSON |publisher=アスキー・メディアワークス |accessdate=2022-10-03 |deadlinkdate=2014-06-17 |archiveurl=https://archive.is/20120726091502/http://archive.asciimw.jp/mediamix/happy/chara/ |archivedate=2012-07-26}}</ref> * 生年不明 - 桂みなも、アニメ・漫画・ゲーム『[[極上生徒会]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - チャウ・シン、アニメ『[[イナズマイレブン オリオンの刻印]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|date=2019-08-22 |url=https://corocoro.jp/special/68074/ |title=【イナイレ㊙ネタ】円堂 守8月22日生誕記念!!! 好評発売中の「イレブンライセンス」で、イナズマイレブンのキャラクター達の誕生日まとめてみた!! |website=コロコロオンライン |publisher=[[小学館]] |page=1 |accessdate=2022-10-03}}</ref> * 生年不明 - 鑑恭介、ゲーム『[[ジャスティス学園]]』に登場するキャラクター * 生年不明 - リィ・メイファ、ゲーム『[[ゲッターラブ!! ちょー恋愛パーティーゲーム]]』に登場するキャラクター<ref>{{Wayback|url=http://www.hudson.co.jp:80/gamenavi/gamedb/softinfo/getterlove/quest7.html|title=ゲッターラブ!!質問コーナー第7回|date=20040813070908}}</ref> * 生年不明 - サンダース、ゲーム『[[クイズマジックアカデミー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://p.eagate.573.jp/game/qma/17/world/detail.html?c=004 |title=サンダース |access-date=22 Sep 2023 |publisher=[[コナミアミューズメント|KONAMI Amusement]] |work=『クイズマジックアカデミー 夢幻の鏡界』}}</ref> * 生年不明 - マイ=ナツメ、ゲーム『[[BLAZBLUE]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.blazblue.jp/cf/ac/character/mai.html |title=マイ=ナツメ |publisher=[[アークシステムワークス |ARC SYSTEM WORKS]] |accessdate=25 Mar 2023 |work=『BLAZBLUE CENTRALFICTION AC版』}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター シンデレラガールズの登場人物#ヘレン|ヘレン]]、ゲーム『[[アイドルマスター シンデレラガールズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/search/detail/20142 |title=ヘレン |access-date=25 Mar 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - ハッチン、ゲーム・漫画・アニメ『[[SHOW BY ROCK!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://showbyrock-anime-s.com/character/10.php |title=ハッチン |work=『SHOWBYROCK!!』|access-date=25 Mar 2023 |publisher=SHOWBYROCK!!製作委員会M}}</ref> * 生年不明 - [[アイドルマスター SideM#紅井朱雀|紅井朱雀]]、ゲーム『[[アイドルマスター SideM]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://idollist.idolmaster-official.jp/search/detail/40003 |title=紅井 朱雀(あかい すざく) |access-date=25 Mar 2023 |publisher=[[窪岡俊之]] [[バンダイナムコエンターテインメント|Bandai Namco Entertainment Inc.]] |work=『THE IDOLM@STER』アイドル名鑑}}</ref> * 生年不明 - 白葉(ビャクヨウ)、ゲーム・アニメ・小説・漫画『[[夢王国と眠れる100人の王子様]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.yume-100.com/chara/prince.html?id=128&cate=name&cont=Byakuyo |title=白葉(ビャクヨウ) |access-date=22 Sep 2023 |publisher=[[ジークレスト|GCREST, Inc.]] [[マイネット|Mynet Games Inc.]] |work=『夢王国と眠れる100人の王子様』}}</ref> * 生年不明 - 夜鶴黒羽、ゲーム・アニメ『[[アイ★チュウ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.i-chu.jp/unit/alchemist/kuro/ |title=夜鶴 黒羽 |access-date=25 Mar 2023 |publisher=[[ リベル・エンタテインメント|LIBER]] |work=『アイ★チュウ』}}</ref> * 生年不明 - 三宅雪乃、ゲーム・漫画・アニメ『[[アイドル事変]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://idoljihen.jp/character/miyake-yukino/ |title=岐阜県 三宅 雪乃 |access-date=25 Mar 2023 |work=『アイドル事変』 |publisher=[[MAGES.]] アイドル事変製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 光武リイナ、ゲーム・漫画・アニメ『アイドル事変』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://idoljihen.jp/character/mitsutake-riina/ |title=佐賀県 光武 リイナ |access-date=25 Mar 2023 |work=『アイドル事変』 |publisher=[[MAGES.]] アイドル事変製作委員会}}</ref> * 生年不明 - 二葉亭四迷、ゲーム・アニメ『[[文豪とアルケミスト]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|BunAl_PR|1113456420337401856}}</ref> * 生年不明 - 中里介山、ゲーム・アニメ『文豪とアルケミスト』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|BunAl_PR|1113456409247657986}}</ref> * 生年不明 - ウオッカ、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=vodka |title=ウォッカ |publisher=[[Cygames]] |accessdate=22 Sep 2023 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref> * 生年不明 - ナリタトップロード、ゲーム・アニメ『[[ウマ娘 プリティーダービー]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=https://umamusume.jp/character/detail/?name=naritatoproad |title=ナリタトップロード |publisher=[[Cygames]] |accessdate=22 Sep 2023 |work=『ウマ娘 プリティーダービー』}}</ref> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{commons&cat|April 4|4 April}} {{新暦365日|4|3|4|5|[[3月4日]]|[[5月4日]]|[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]|0404|4|04}} {{1年の月と日}}
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4月5日
4月5日(しがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から95日目(閏年では96日目)にあたり、年末まであと270日ある。
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{{カレンダー 4月}} '''4月5日'''(しがついつか)は、[[グレゴリオ暦]]で年始から95日目([[閏年]]では96日目)にあたり、年末まであと270日ある。 == できごと == [[ファイル:Moai_Rano_raraku.jpg|thumb|180px|[[ヤコブ・ロッゲフェーン]]が[[イースター島]]を発見(1722)]] [[ファイル:HMS_Cornwall_-_1942_-_WWII.jpg|thumb|180x180px|[[セイロン沖海戦]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]が[[東洋艦隊 (イギリス)|英国東洋艦隊]]に勝利(1942)。画像は撃沈された[[コーンウォール (重巡洋艦)|重巡コーンウォール]]]] [[ファイル:Akashi_Bridge.JPG|thumb|180x180px|[[明石海峡大橋]]開通(1998)]] * [[585年]]([[敏達天皇]]14年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[仏教]]排斥を唱える[[物部守屋]]が、疫病流行の原因が仏教崇拝にあると奏上。 * [[1654年]] - [[ウェストミンスター条約#第1次条約|ウェストミンスター条約]]締結により[[第1次英蘭戦争]]が終結。 * [[1722年]] - [[ネーデルラント連邦共和国|オランダ]][[オランダ海軍|海軍]]提督、[[ヤコブ・ロッゲフェーン]]が[[イースター島]]を発見。発見日が復活祭([[復活祭|イースター]])であったことが島の名前の由来<ref>{{Cite web |url=https://transit.ne.jp/2023/04/001517.html |title=#今日は何の日? モアイの島が発見された日! 4月5日 |access-date=23 Nov 2023 |publisher=euphoria-factory |website=TRANSIT |date=5 Apr 2023}}</ref>。 * [[1862年]] - [[南北戦争]]: [[ヨークタウンの包囲戦 (南北戦争)|ヨークタウンの包囲戦]]が始まる。 * [[1869年]]([[明治]]2年[[2月24日 (旧暦)|2月24日]]) - [[東京奠都]]: 天皇の東京滞在中は[[太政官]]を東京に置くことを決定。 * [[1872年]](明治5年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[兵部省]]を廃止し[[陸軍省]]・[[海軍省]]を設置。 * [[1879年]] - [[チリ]]が[[ペルー]]・[[ボリビア]]に[[宣戦布告]]、[[太平洋戦争_(1879年-1884年)|太平洋戦争]]が勃発する。 * [[1904年]] - [[総武鉄道 (初代)|総武鉄道]]本所駅(現在の[[錦糸町駅]])〜両国橋駅(現在の[[両国駅]])間が開業。 * [[1914年]] - [[三岐鉄道北勢線|北勢鉄道]](現在の三岐鉄道北勢線)の大山田駅(現在の[[西桑名駅]])〜[[楚原駅]]間14.5kmで開業。 * [[1915年]] - 広島県産業奨励館(のちの[[原爆ドーム]])竣工<ref>{{Cite web |url=https://www.chugoku-np.co.jp/stp/Ad/domeAR/history.html |title=原爆ドームの歴史 |access-date=23 Nov 2023 |publisher=[[中国新聞]]デジタル}}</ref>。 * [[1918年]] - 日本・イギリスが[[ロシア革命]]への干渉のため[[陸戦隊]]を[[ウラジオストク]]に上陸させる。 * [[1923年]] - [[日本民主青年同盟]]の前身の日本共産青年同盟が設立。 * [[1924年]] - イタリア総選挙で[[ファシスト党]]が勝利する。 * [[1927年]] - [[花柳病予防法]]公布。 * [[1930年]] - [[西武西武園線]]が、[[東村山駅]]〜[[村山貯水池前駅]]間で開業。 * [[1937年]] - 日本通運株式会社法公布。 * [[1938年]] - [[有限会社法]]公布。 * [[1939年]] - [[映画法]]公布。 * [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]: [[セイロン沖海戦]]が始まる。[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[急降下爆撃]]により[[東洋艦隊 (イギリス)|英国東洋艦隊]]の重巡洋艦[[コーンウォール (重巡洋艦)|コーンウォール]]・[[ドーセットシャー (重巡洋艦)|ドーセットシャー]]が沈没。 * [[1945年]] - 第二次世界大戦:[[ソビエト連邦|ソ連]]が[[日ソ中立条約]]の不延長を日本に通告。8月に宣戦布告。 * 1945年 - [[小磯内閣|小磯國昭内閣]]が総辞職。 * [[1946年]] - [[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の諮問機関・[[対日理事会]]が初会合。 * [[1947年]] - [[第1回統一地方選挙]]。 * [[1951年]] - [[ローゼンバーグ事件]]: 原爆製造に関する機密情報をソ連に渡したスパイ容疑によりローゼンバーグ夫妻に[[死刑]]判決が下される<ref>{{Cite web |url=https://jp.rbth.com/arts/2013/06/19/43633 |title=ローゼンバーグ夫妻を原爆スパイとして処刑 |access-date=23 Nov 2023 |publisher=RUSSIA BEYOND |date=19 Jun 2013}}</ref>。 * [[1954年]] - 初の[[集団就職]]列車([[青森駅|青森]] - [[上野駅|上野]]間)が運行される。 * [[1955年]] - イギリス首相[[ウィンストン・チャーチル]]が健康状態を理由に辞任を表明。 * [[1956年]] - [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]党大会で初代総裁に[[鳩山一郎]]を選出。 * [[1958年]] - [[読売ジャイアンツ|巨人]]の[[長嶋茂雄]]がデビュー。[[東京ヤクルトスワローズ|国鉄]]の[[金田正一]]投手を相手に4打席連続空振三振。 * [[1961年]] - 北海道で[[雪崩]]が多発。[[平取町]]の建設現場で作業員宿舎が倒壊して11人が死亡、[[新冠町]]の建設現場で作業員宿舎が倒壊して22人が死亡<ref>{{Cite book |和書 |editor=日外アソシエーツ編集部 |title=日本災害史事典 1868-2009 |publisher=日外アソシエーツ |year=2010-09-27 |page=151|isbn=9784816922749}}</ref>。 * [[1964年]] - [[町田米軍機墜落事故]]。 * [[1970年]] - [[よど号ハイジャック事件]]の人質が帰還。 * [[1971年]] - [[フランス]]で当時非合法とされていた[[人工妊娠中絶|堕胎]]を受けた女性343名が合法化を求めた請願書を公表。([[343人のマニフェスト]]) * [[1975年]] - [[中華民国]]で、[[蔣介石]][[総統]]が死去<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO73849320U3A820C2BC8000/ |title=リャオ・イーチュウ(24) 蒋経国総統 |access-date=23 Nov 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=25 Aug 2023}}</ref>。[[厳家淦]]が総統代行に就任。 * 1975年 - [[特撮]]テレビ番組「[[スーパー戦隊シリーズ]]」最初の作品『[[秘密戦隊ゴレンジャー]]』が放送開始。 * 1975年 - 人気双子デュオ歌手「[[ザ・ピーナッツ]]」がこの日に引退。この日最後のコンサート「[[ザ・ピーナッツ さよなら公演]]」を[[NHKホール]]で開催する。 * [[1976年]] - [[北京]]で[[四五天安門事件]]が起こる。 * 1976年 - [[ジェームズ・キャラハン]]がイギリスの第70代首相に就任。 * [[1977年]] - [[グランドコモロ島]]で[[カルタラ山]]が噴火。その後、[[溶岩]]が流出したために2万人以上が家を失うた<ref>インド洋で連続火山爆発 二万人が家を失う『朝日新聞』1977年(昭和48年)4月8日朝刊、13版、23面</ref>。 * [[1985年]] - [[大阪市営地下鉄中央線]]・[[深江橋駅]] - [[長田駅 (大阪府)|長田駅]]間が開業し全通。 * [[1992年]] - [[ペルー]]大統領[[アルベルト・フジモリ]]が非常事態を宣言し、議会を解散、憲法を停止。([[アウトゴルペ]]) * 1992年 - [[ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争]]: [[サラエヴォ包囲]]が始まる。 * [[1994年]] - [[福井県]][[敦賀市]]の高速増殖炉「[[もんじゅ]]」が初めて[[臨界状態|臨界]]を達成。 * [[1998年]] - [[明石海峡大橋]]開通、同時に[[神戸淡路鳴門自動車道]]も全通。明石海峡大橋は、[[2022年]]に[[ボスポラス海峡]]と[[ダーダネルス海峡]]に架設された「1915チャナッカレ橋」に抜かれるまで、世界最長の吊橋であった<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC30DDA0Q2A330C2000000/ |title=トルコ・韓国連合の世界最長のつり橋開通、1年半前倒し |access-date=23 Nov 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=8 Apr 2022}}</ref>。 * [[2000年]] - [[森喜朗]]が第85代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[第1次森内閣|第1次森喜朗内閣]]が発足。 * [[2002年]] - テレビ番組『[[森田一義アワー 笑っていいとも!]]』が「同一司会者により最も多く放送された生バラエティ番組」として[[ギネス世界記録|ギネスブック]]に認定される。 * [[2009年]] - [[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2009年)|北朝鮮によるミサイル発射実験]]: 北朝鮮が、「人工衛星」だと主張する長距離弾道ミサイルを発射<ref>{{Cite web|和書 |url=https://www.jiji.com/jc/v2?id=20090411missile_01 |title=北朝鮮、「人工衛星」を発射 |work=時事ドットコム |publisher=[[時事通信社]] |accessdate=23 Nov 2023}}</ref>。 * 2009年 - [[チェコ]][[プラハ]]で、[[バラク・オバマ]]アメリカ合衆国大統領が、「核兵器のない世界の平和と安全保障の実現に米国が取り組む」と宣言した<ref>{{Cite web|和書 |date=5 Apr 2009 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/2589987 |title=オバマ米大統領「核なき世界を目指す」、プラハで演説 |accessdate=23 Nov 2023 |publisher=[[フランス通信社|AFP]] BB News}}</ref>。([[s:バラク・オバマのプラハでの演説]]) * [[2015年]] - [[徳島県]]の[[徳島空港]]で、日本航空455便が着陸しようとしたところ、前方の滑走路上に車両がいることを発見し、一度接地したにもかかわらず、着陸をやり直した<ref>{{Cite web |url=https://trafficnews.jp/post/39296 |title=徳島空港の不測事態は想定内 活かされた「ゴーアラウンド」訓練 |access-date=23 Nov 2023 |publisher=mediavague Co., ltd. |website=乗りものニュース |date=7 Apr 2015}}</ref>。 * [[2018年]] - [[トルコ]]西部[[エスキシェヒル]]の大学で、研究員の男が銃を発砲し、教職員4人が死亡し、3人が負傷した<ref>{{Cite web |url=https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/233631 |title=大学で銃撃、4人死亡/トルコ 研究員の男拘束 |access-date=23 Nov 2023 |publisher=[[沖縄タイムス]] |date=6 Apr 2018}}</ref>。 * [[2019年]] - [[宇宙航空研究開発機構]](JAXA)が、小惑星リュウグウにおいて、探査機「[[はやぶさ2]]」が世界で初めて人工的なクレーターを作る実験に成功したと発表<ref>{{Cite web |url=https://www.isas.jaxa.jp/topics/002344.html |title=小惑星リュウグウでの人工クレーター形成実験から分かったこと |access-date=23 Nov 2023 |publisher=Japan Aerospace Exploration Agency |date=23 Mar 2020}}</ref>。 * [[2020年]] - 徳島市長選において、36歳の[[内藤佐和子]]が初当選。女性市長としては歴代最年少<ref>{{Cite web |url=https://www.asahi.com/articles/ASN456S3RN43PISC02K.html |title=徳島市長選、内藤佐和子氏が初当選 最年少の女性市長に |access-date=23 Nov 2023 |publisher=[[朝日新聞デジタル]] |date=5 Apr 2020}}</ref>。 == 誕生日 == === 人物 === [[ファイル:Thomas_Hobbes_%28portrait%29.jpg|thumb|190x190px|哲学者・政治思想家、[[トマス・ホッブズ]](1588-1679)誕生。]] [[ファイル:Fragonard%2C_The_Swing.jpg|thumb|226x226px|[[ロココ]]期の画家、[[ジャン・オノレ・フラゴナール]](1732-1806)誕生。画像は『[[ぶらんこ (フラゴナール)|ぶらんこ]]』(1768頃)]] [[ファイル:Joseph_Lister.jpg|thumb|180px|外科医[[ジョゼフ・リスター]](1827-1912)。アルコール消毒を発案した。]] {{multiple image | footer = 生物学者・医師[[ウォルター・S・サットン]](1877-1916)誕生。[[染色体説]]を提唱。 | image1 = Walter sutton.jpg | width1 = 80 | alt1 = ウォルター・S・サットン | image2 = Chromosomes in mitosis and meiosis.png | width2 = 100 | alt2 = 体細胞分裂と減数分裂における染色体の分配 }} [[ファイル:Mistinguett_by_Nadar.jpg|thumb|275x275px|「[[ミュージックホール]]の女王」の異名を取った[[シャンソン]]歌手[[ミスタンゲット]](1895-1951)]] [[ファイル:Bundesarchiv_Bild_183-R92264%2C_Herbert_von_Karajan.jpg|thumb|180x180px|指揮者[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]](1908-1989)]] [[ファイル:Nguy%E1%BB%85n_V%C4%83n_Thi%E1%BB%87u.jpg|thumb|[[ベトナム戦争]]下の[[ベトナム共和国|南ベトナム]]大統領、[[グエン・バン・チュー]](1923-2001)|284x284ピクセル]] [[ファイル:Colin_Powell_official_Secretary_of_State_photo.jpg|thumb|政治家[[コリン・パウエル]](1937-)|225x225ピクセル]] * [[1288年]]([[弘安]]11年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[後伏見天皇]]、第93代[[天皇]](+ [[1336年]]) * [[1568年]] - [[ウルバヌス8世 (ローマ教皇)|ウルバヌス8世]]、第235代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1644年]]) * [[1588年]] - [[トマス・ホッブズ]]<ref>{{Cite web |title=Thomas Hobbes|English philosopher |url=https://www.britannica.com/biography/Thomas-Hobbes |website=Britannica |access-date=23 Nov 2023}}</ref>、[[政治哲学|政治哲学者]](+ [[1679年]]) * [[1622年]] - [[ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ]]、[[数学者]](+ [[1703年]]) * [[1692年]] - [[アドリエンヌ・ルクヴルール]]、[[俳優|女優]](+ [[1730年]]) * [[1657年]]([[明暦]]3年[[2月22日 (旧暦)|2月22日]]) - [[真田幸道]]、第7代[[松代藩|松代藩主]](+ [[1727年]]) * [[1709年]]([[宝永]]6年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]]) - [[谷川士清]]、[[国学|国学者]](+ [[1776年]]) * [[1732年]] - [[ジャン・オノレ・フラゴナール]]、[[画家]](+ [[1806年]]) * [[1739年]]([[元文]]4年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]) - [[津軽信寧]]、第7代[[弘前藩|弘前藩主]](+ [[1784年]]) * [[1778年]]([[安永]]7年[[3月8日 (旧暦)|3月8日]]) - [[伊達村芳]]、第6代[[伊予吉田藩|吉田藩主]](+ [[1820年]]) * [[1784年]] - [[ルイ・シュポーア]]、[[作曲家]](+ [[1859年]]) * [[1804年]] - [[マティアス・ヤーコプ・シュライデン]]、[[植物学|植物学者]]、[[生物学者の一覧|生物学者]](+ [[1881年]]) * [[1820年]]([[文政]]3年[[2月23日 (旧暦)|2月23日]]) - [[仙石久利]]、第7代[[出石藩|出石藩主]](+ [[1897年]]) * [[1826年]]([[文政]]9年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[上杉勝道]]、第5代[[米沢新田藩|米沢新田藩主]](+ [[1896年]]) * [[1827年]] - [[ジョゼフ・リスター]]、[[医学|医学者]](+ [[1912年]]) * [[1832年]] - [[ジュール・フェリー]]、[[政治家]](+ [[1893年]]) * [[1837年]] - [[アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン]]、[[詩人]](+ [[1909年]]) * 1837年 - [[レオン・ド・ロニー]]、[[民俗学|民俗学者]]、[[言語学者の一覧|言語学者]](+ [[1914年]]) * [[1852年]] - [[フランツ・エッケルト]]、[[お雇い外国人]]の音楽家(+ [[1916年]]) * 1852年([[嘉永]]5年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]]) - [[有坂成章]]、[[陸軍軍人]]、[[銃器]]技術者(+ [[1915年]]) * [[1856年]] - [[ブッカー・T・ワシントン]]、[[教育者]](+ [[1915年]]) * [[1859年]]([[安政]]6年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[安井理民]]、[[総武鉄道 (初代)|総武鉄道]]創業者(+ [[1897年]]) * 1859年 - [[エド・アンドリュース]]、元プロ野球選手(+ [[1934年]]) * [[1862年]] - [[レオ・スターン]]、[[チェリスト]](+ [[1904年]]) * [[1866年]]([[慶応]]2年[[2月20日 (旧暦)|2月20日]]) - [[織田寿重丸]]、第4代[[天童藩|天童藩主]](+ [[1871年]]) * [[1867年]]([[慶応]]3年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[武藤山治 (実業家)|武藤山治]]、[[実業家]]、政治家(+ [[1934年]]) * 1867年(慶応3年3月1日) - [[志村源太郎]]、[[銀行|銀行家]]、[[官僚]](+ [[1930年]]) * [[1869年]] - [[アルベール・ルーセル]]、作曲家(+ [[1937年]]) * [[1872年]]([[明治]]5年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[俵国一]]、[[金属工学|冶金学者]](+ [[1958年]]) * [[1873年]] - [[ミスタンゲット]]、[[シャンソン]]歌手、女優(+ [[1956年]]) * [[1877年]] - [[ウォルター・S・サットン]]、生物学者、医学者(+ [[1916年]]) * [[1878年]] - [[ゲオルク・ミッシュ]]、[[哲学|哲学者]](+ [[1965年]]) * [[1882年]] - [[宋教仁]]、[[革命]]運動家、[[政治家]](+ [[1913年]]) * [[1885年]] - [[小笠原三九郎]]、政治家(+ [[1967年]]) * [[1891年]] - [[アーノルド・ジャクソン]]、[[陸上競技]]選手(+ [[1972年]]) * [[1892年]] - [[ヘルマン・ケンペル]]、[[技術者]](+ [[1977年]]) * [[1895年]] - [[能代潟錦作]]、元[[大相撲]][[力士]](+ [[1973年]]) * [[1899年]] - [[寿々木米若]]、浪曲師(+ [[1979年]]) * [[1900年]] - [[スペンサー・トレイシー]]、[[俳優]](+ [[1967年]]) * 1900年 - [[ヘルベルト・バイヤー]]、[[画家]]、[[デザイナー]]、[[写真家]](+ [[1985年]]) * [[1901年]] - [[メルヴィン・ダグラス]]、俳優(+ [[1981年]]) * [[1904年]] - [[安井正義]]、実業家(+ [[1990年]]) * 1904年 - [[南部圭之助]]、[[映画評論家]](+ [[1987年]]) * [[1908年]] - [[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]、[[指揮者]](+ [[1989年]]) * 1908年 - [[ベティ・デイヴィス]]、女優(+ 1989年) * [[1909年]] - [[アルバート・R・ブロッコリ]]、[[映画プロデューサー]](+ [[1996年]]) * 1909年 - [[浜口陽三]]、[[版画家]](+ [[2000年]]) * [[1912年]] - [[ウィリアム・ロバーツ]]、陸上競技選手(+ [[2001年]]) * 1912年 - [[川崎弘子]]、女優(+ [[1976年]]) * [[1913年]] - [[佐橋滋]]、元[[通商産業事務次官|通産事務次官]](+ [[1993年]]) * [[1916年]] - [[グレゴリー・ペック]]、俳優(+ [[2003年]]) * [[1917年]] - [[ロバート・ブロック]]、[[小説家]](+ [[1994年]]) * [[1919年]] - [[野村武史]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1985年]]) * [[1920年]] - [[アーサー・ヘイリー]]、小説家(+ [[2004年]]) * [[1921年]] - [[聶元梓]]、政治家(+ [[2019年]]) * [[1922年]] - [[トム・フィニー]]、元[[サッカー選手]](+ [[2014年]]) * [[1923年]] - [[グエン・バン・チュー]]、[[ベトナム共和国]](南ベトナム)大統領(+ [[2001年]]) * [[1924年]] - [[梁羽生]]、[[武侠小説|武侠小説家]](+ [[2009年]]) * [[1926年]] - [[宝山省二]]、元プロ野球選手 * 1926年 - [[ロジャー・コーマン]]、[[映画監督]]、映画プロデューサー * [[1927年]] - [[鈴木昭一]]、国文学者 * [[1929年]] - [[アイヴァー・ジェーバー]]、[[物理学者]] * 1929年 - [[ナイジェル・ホーソーン]]、俳優(+ [[2001年]]) * [[1932年]] - [[中村吉之丞|二代目中村吉之丞]]、[[歌舞伎]][[俳優]](+ [[2014年]]) * 1932年 - [[瀬川康男]]、画家、[[絵本作家]](+ [[2010年]]) * [[1934年]] - [[三宅秀史]]、元プロ野球選手(+ [[2021年]]) * 1934年 - [[ローマン・ヘルツォーク]]、元[[連邦大統領 (ドイツ)|ドイツ大統領]](+ [[2017年]]) * 1934年 - [[森永勝也]]、元プロ野球選手、[[プロ野球監督|監督]](+ [[1993年]]) * [[1935年]] - [[ピーター・グラント (音楽プロデューサー)|ピーター・グラント]]、[[音楽]][[マネージャー]](+ [[1995年]]) * [[1937年]] - [[コリン・パウエル]]、[[政治家]] * 1937年 - [[若生智男]]、元プロ野球選手 * [[1939年]] - [[畠山みどり]]、[[歌手]] * [[1941年]] - [[寺田稔 (俳優)|寺田稔]]、[[俳優]]、[[演出家]] * [[1942年]] - [[ピーター・グリーナウェイ]]、映画監督、[[脚本家]] * [[1943年]] - [[ファイティング原田]]、元[[プロボクサー]] * 1943年 - [[屏道夫]]、元プロ野球選手 * [[1944年]] - [[原田大二郎]]、俳優 * 1944年 - [[細田博之]]、[[政治家]](+ [[2023年]]) * [[1945年]] - [[福永法源]]、宗教家 * 1945年 - [[田辺靖雄]]、[[歌手]]、俳優 * 1945年 - [[首藤信彦]]、[[政治家]] * 1945年 - [[スティーヴ・カーヴァー]]、[[映画監督]](+[[2021年]]) * [[1946年]] - [[吉田拓郎]]、歌手 * 1946年 - [[永谷脩]]、[[スポーツライター]](+ [[2014年]]) * 1946年 - [[山本真一]]、元プロ野球選手 * [[1947年]] - [[グロリア・アロヨ]]、政治家、14代[[フィリピンの大統領|フィリピン大統領]] * [[1948年]] - [[木原光知子]]、[[競泳]]選手(+ [[2007年]]) * [[1949年]] - [[柴田民男]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[安藤峰雄]]、元プロ野球選手 * 1949年 - [[原秀樹 (野球)|原秀樹]]、元プロ野球選手 * [[1950年]] - [[藤田淑子]]<ref>{{Cite web|和書 |url=https://artist.cdjournal.com/a/fujita-toshiko/801198 |title=藤田淑子 |publisher=[[音楽出版社 (企業)|音楽出版社]] |accessdate=23 Nov 2023 |website=CDJournal}}</ref>、[[声優]](+ [[2018年]]) * 1950年 - [[アグネッタ・フォルツコグ]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ABBA]]) * [[1951年]] - [[谷岡潔]]、元プロ野球選手 * 1951年 - [[門田純良]]、元プロ野球選手 * [[1952年]] - [[淡口憲治]]、元プロ野球選手 * 1952年 - [[武田展雄]]、工学者 * [[1953年]] - [[潘恵子]]、声優 * 1953年 - [[キム・アレン]]、元プロ野球選手 * [[1954年]] - [[山田啓二]]、[[政治家]]、元[[京都府知事]] * 1954年 - [[岩木哲]]、元プロ野球選手 * 1954年 - [[黒紙義弘]]、元野球選手 * [[1955年]] - [[鳥山明]]、[[漫画家]] * 1955年 - [[山野孝義]]、元[[サッカー選手一覧|サッカー選手]]、指導者 * [[1956年]] - [[藤城和明]]、元プロ野球選手 * [[1957年]] - [[穂積志]]、政治家、[[秋田市長]] * [[1958年]] - [[ヨハン・クリーク]]、テニス選手 * 1958年 - [[川勝良一]]、元サッカー選手、指導者 * [[1959年]] - [[小林覚]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]] * [[1960年]] - [[谷口浩美]]、元[[マラソン]]選手 * 1960年 - [[坂本恵義]]、空手家 * [[1961年]] - [[藤村雅人]]、元プロ野球選手 * [[1962年]] - [[キース・オドール]]、レーサー(+ [[1995年]]) * [[1963年]] - [[しのへけい子]]、女優 * 1963年 - [[大堀こういち]]、俳優 * [[1964年]] - [[境鶴丸]]、元[[アナウンサー]] * [[1966年]] - [[野村萬斎|二世野村萬斎]]、[[狂言師]] * 1966年 - [[マイク・マクレディ]]、ミュージシャン([[パール・ジャム]]) * [[1969年]] - [[杉浦幸]]、女優 * 1969年 - [[千堂あきほ]]、女優、タレント * 1969年 - [[矢部美幸]]、作家、実業家、元タレント * 1969年 - [[平良吉照]]、元プロ野球選手 * [[1971年]] - [[川原亜矢子]]、女優、ファッションモデル * 1971年 - [[西川史子]]、[[医師]]([[形成外科学|形成外科]])、タレント * 1971年 - [[岡本龍二]]、元プロ野球選手 * [[1972年]] - [[大野まりな]]、声優 * 1972年 - [[竹内順子]]、声優 * 1972年 - [[武本康弘]]、[[アニメ監督]](+ [[2019年]]) * 1972年 - [[トム・コロネル]]、レーサー * [[1973年]] - [[住吉美紀]]、アナウンサー * 1973年 - [[趙成珉]]、プロ野球選手(+ [[2013年]]) * 1973年 - [[大塔正明]]、元プロ野球選手 * 1973年 - [[鼠先輩]]、歌手 * 1973年 - [[エロディ・ブシェーズ]]、女優 * 1973年 - [[ファレル・ウィリアムス]]、ミュージシャン、[[ファッションデザイナー]] * [[1974年]] - [[木村早苗]]、女優、歌手、作詞家 * 1974年 - [[木村晃健]]、[[お笑いタレント]] * [[1975年]] - [[渡辺薫彦]]、[[騎手]] * 1975年 - [[ドミンゴ・グスマン]]、元プロ野球選手 * 1975年 - [[アンドリュス・ヴェリチカ]]、サッカー選手 * [[1976年]] - [[フェルナンド・モリエンテス]]、元サッカー選手 * 1976年 - [[シモーネ・インザーギ]]、元サッカー選手 * 1976年 - [[キム・コリンズ]]、陸上競技選手 * 1976年 - [[ヴァレリア・ストラーネオ]]、陸上競技選手 * [[1977年]] - [[ウィンストン・アブレイユ]]、プロ野球選手 * 1977年 - [[高木成太]]、元サッカー選手 * 1977年 - [[ジョナサン・エルリック]]、[[テニス]]選手 * 1977年 - [[八木明人]]、[[空手家]] * [[1978年]] - [[船山弓枝]]、[[カーリング]]選手 * 1978年 - [[アルノー・トゥルナン]]、自転車競技選手 * 1978年 - [[フランツィスカ・ファン・アルムシック]]、競泳選手 * 1978年 - [[スティーブン・ジャクソン]]、バスケットボール選手 * 1978年 - [[ドウェイン・チェンバース]]、[[短距離走]]選手 * [[1979年]] - [[小笠原満男]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[海東健]]、俳優 * 1979年 - [[ティモ・ヒルデブラント]]、元サッカー選手 * 1979年 - [[ベン・フェレイラ]]、元[[フィギュアスケート]]選手 * 1979年 - [[宮川典子]]、政治家(+ 2019年) * [[1980年]] - [[中村誠治郎]]、俳優 * 1980年 - [[マット・ボナー]]、元バスケットボール選手 * 1980年 - [[ヨリス・マタイセン]]、元サッカー選手 * [[1981年]] - [[酒井寿]]、俳優 * 1981年 - [[ホルヘ・デラロサ]]、プロ野球選手 * 1981年 - [[ピーター・ウェーニング]]、自転車選手 * [[1982年]] - [[トーマス・ヒッツルスペルガー]]、元サッカー選手 * [[1983年]] - [[浅井美歌]]、女優 * 1983年 - [[\(^o^)/チエ]]、元プロレスラー * 1983年 - [[ホルヘ・マルティネス (野球)|ホルヘ・マルティネス]]、プロ野球選手 * 1983年 - 三浦拓也、アーティスト([[DEPAPEPE]]) * 1983年 - [[ジュゼッペ・マッツァンティ]]、プロ野球選手 * [[1984年]] - [[矢野貴章]]、サッカー選手 * 1984年 - [[清野紗耶香]]、元アイドル * 1984年 - [[猛虎浪栄]]、元大相撲力士 * [[1985年]] - [[古川祐樹]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[ラスティングス・ミレッジ]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[エクトル・オリベラ]]、元プロ野球選手 * 1985年 - [[粉川拓也]]、プロボクサー * [[1986年]] - [[魁猛]]、元大相撲力士 * [[1987年]] - [[山下さえ]]、ファッションモデル * 1987年 - [[小野淳平]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[姜正浩]]、元プロ野球選手 * 1987年 - [[ヤディエル・サンタマリア]]、元プロ野球選手 * [[1988年]] - [[中田あすみ]]、タレント * 1988年 - [[バッドナイス常田]]、お笑いタレント * [[1989年]] - [[近江陽一郎]]、元俳優 * 1989年 - ササ、お笑いタレント([[トキヨアキイ]]) * 1989年 - [[坪井保菜美]]、元[[新体操]]選手 * [[1990年]] - [[三浦春馬]]<ref>{{Cite web |url=https://www.amuse.co.jp/artist/A0105/ |title=三浦 春馬 |publisher=[[アミューズ|AMUZE]] |accessdate=23 Nov 2023 |website=アミューズWEBサイト}}</ref>、俳優(+ [[2020年]]<ref>{{Cite web |url=https://hochi.news/articles/20200904-OHT1T50121.html?page=1 |title=三浦春馬さん四十九日、所属事務所が死去当日の経緯説明 |access-date=23 Nov 2023 |publisher=[[スポーツ報知]] |date=4 Sep 2020}}</ref>) * 1990年 - [[堤雅貴]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[坂寄晴一]]、元プロ野球選手 * 1990年 - [[渡邊将史]]、元俳優 * 1990年 - [[森下純平]]、柔道選手 * 1990年 - [[朴鼠象]]、サッカー選手 * 1990年 - [[酒井大]]、バレエダンサー * [[1991年]] - [[赤間直哉]]、俳優 * 1991年 - [[鈴木友梨]]、女優 * 1991年 - [[杉本裕太郎]]、プロ野球選手 * [[1992年]] - [[車屋紳太郎]]、サッカー選手 * [[1994年]] - [[松本愛]]、ファッションモデル * 1994年 - [[大滝勇佑]]、元プロ野球選手 * 1994年 - [[菅原秀]]、元プロ野球選手 * 1994年 - [[室屋成]]、サッカー選手 * [[1995年]] - [[森薗政崇]]、卓球選手 * [[1996年]] - [[山下亜文]]、元プロ野球選手 * [[1997年]] - [[荒原美咲]]、女優 * 1997年 - [[阪口竜平]]、陸上選手 * [[1998年]] - [[中村嘉惟人]]、俳優 * 1998年 - [[松尾大河]]、プロ野球選手 * 1998年 - [[小川龍成]]、プロ野球選手 * [[1999年]] - [[優希美青]]、女優 * 1999年 - [[一尾星吏夏]]、元プロ野球選手 * [[2000年]] - [[木全翔也]]、アイドル([[JO1]]) * [[2001年]] - [[都筑有夢路]]、[[サーフィン|プロサーファー]] * [[2002年]] - [[吉田伶香]]、女優 * [[2004年]] - ハルト、歌手([[TREASURE (音楽グループ)|TREASURE]]) * 2004年 - [[得能勇志|ユウシ]]、歌手([[NCT (音楽グループ)|NCT]]) * 2006年 - 安藤玲菜、アイドル([[LINKL PLANET]]) === 人物以外(動物など) === * [[1949年]] - [[ガーサント]]、[[競走馬]](+ [[1974年]]) * [[1955年]] - [[ヒシマサル (1955年生)|ヒシマサル]]、競走馬(+ [[1962年]]) * [[1966年]] - [[リキエイカン]]、競走馬(+ [[2001年]]) * [[1973年]] - [[クラウンピラード]]、競走馬(+ 不明) * 1973年 - [[グリーングラス]]、競走馬(+ [[2000年]]) * [[1988年]] - [[スターオブコジーン]]、競走馬(+ [[2013年]]) * [[1996年]] - [[プリモディーネ]]、競走馬 * 1996年 - [[ベラミロード]]、競走馬(+ [[2022年]]) * [[1999年]] - [[メルシータカオー]]、競走馬(+ [[2007年]]) * [[2002年]] - [[アイルラヴァゲイン]]、競走馬 * 2002年 - [[グッドババ]]、競走馬 * [[2003年]] - [[バンブーエール]]、競走馬 * 2003年 - [[マーシュサイド]]、競走馬 * [[2004年]] - [[トーセンキャプテン]]、競走馬(+ 不明) * [[2005年]] - [[キャプテントゥーレ]]、競走馬 * [[2006年]] - [[ナカヤマフェスタ]]、競走馬 == 忌日 == {{multiple image | caption1 = スウェーデン王[[カール11世 (スウェーデン王)|カール11世]](1655-1697)没 | image1 = Martin Mijtens (I) - Charles XI of Sweden.jpg | width1 = 90 | alt1 = スウェーデン王カール11世 | image2 = %E4%BC%8A%E8%97%A4%E4%BB%81%E6%96%8E.jpg | width2 = 90 | caption2 = 古義学を提唱した儒学者[[伊藤仁斎]](1627-1705)没 | alt2 = 伊藤仁斎 }} {{multiple image | caption1 = [[フランス革命]]期の政治家[[ジョルジュ・ジャック・ダントン]](1759-1794)刑死。 | image1 = Georges_Danton.jpg | width1 = 90 | alt1 = ジョルジュ・ジャック・ダントン | image2 = Kramskoi_Christ_dans_le_d%C3%A9sert.jpg | width2 = 90 | caption2 = 画家[[イワン・クラムスコイ]](1837-1887)没。画像は代表作『曠野の[[救世主イエス・キリスト|イイスス・ハリストス]]』(1872) | alt2 = イイスス・ハリストス }} {{multiple image | footer = 軍人[[ダグラス・マッカーサー]](1880-1964)没。右画像は米国[[バージニア州|ヴァージニア州]][[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]のマッカーサー記念館。 | image1 = Douglas MacArthur smoking his corncob pipe.jpg | width1 = 80 | alt1 = ダグラス・マッカーサー | image2 = Macarthurmemorial.JPG | width2 = 100 | alt2 = マッカーサー記念館 }} {{multiple image | footer = [[中華民国]]元首[[蔣介石]](1887-1975)没。右画像は台湾桃園市大渓「慈湖記念彫像公園」の蒋介石像。 | image1 = 蔣中正總統玉照.png | width1 = 70 | alt1 = 蔣介石 | image2 = Taiwan 2009 Garden of the Generalissimos at CiHu Mausoleom of Chiang Kai Shek in TaoYuan County FRD 7879.jpg | width2 = 110 | alt2 = 台湾桃園市大渓の慈湖記念彫像公園 }} {{multiple image | caption1 = 実業家[[ハワード・ヒューズ]](1905-1976)没 | image1 = Howard_Hughes.jpg | width1 = 95 | alt1 = ジョルジュ・ジャック・ダントン | image2 = Allen_Ginsberg_1978.jpg | width2 = 85 | caption2 = [[ビート・ジェネレーション|ビートニク]]の詩人[[アレン・ギンズバーグ]](1926-1997) | alt2 = アレン・ギンズバーグ }} * [[1191年]]([[建久]]2年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[藤原長方]]、[[歌人]](* [[1139年]]) * [[1199年]]([[正治]]元年[[3月8日 (旧暦)|3月8日]]) - [[足利義兼]]、[[鎌倉時代]]の[[武将]](* [[1154年]]?) * [[1252年]]([[建長]]4年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[佐竹義重 (四代当主)|佐竹義重]]、鎌倉時代の武将(* [[1186年]]) * [[1352年]]([[正平 (日本)|正平]]7年/[[文和]]元年[[閏]][[2月20日 (旧暦)|2月20日]]) - [[細川頼春]]、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の武将(* [[1304年]]?) * [[1598年]]([[慶長]]3年[[2月30日 (旧暦)|2月30日]]) - [[松下之綱]]、[[武将|戦国武将]](* [[1538年]]) * [[1637年]]([[寛永]]14年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[本多正純]]、[[江戸幕府]][[老中]]、[[宇都宮藩|宇都宮藩主]](* [[1565年]]) * [[1695年]] - [[ジョージ・サヴィル (初代ハリファックス侯)|ジョージ・サヴィル]]、[[イングランド]]の政治家(* [[1633年]]) * [[1697年]] - [[カール11世 (スウェーデン王)|カール11世]]、[[スウェーデン]]王(* [[1655年]]) * [[1705年]]([[宝永]]2年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - [[伊藤仁斎]]、[[儒教|儒学者]](* [[1627年]]) * [[1711年]](宝永8年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]]) - [[伊達宗贇]]、第3代[[宇和島藩|宇和島藩主]](* [[1665年]]) * [[1794年]] - [[ジョルジュ・ジャック・ダントン]]、[[フランス革命]]指導者(* [[1759年]]) * 1794年 - [[カミーユ・デムーラン]]、[[ジャーナリスト]](* [[1760年]]) * [[1810年]]([[文化 (元号)|文化]]7年[[3月2日 (旧暦)|3月2日]]) - [[小野蘭山]]、[[博物学|本草学者]](* [[1729年]]) * [[1825年]]([[文政]]8年[[2月17日 (旧暦)|2月17日]]) - [[松平輝延]]、江戸幕府老中、[[高崎藩|高崎藩主]](* [[1776年]]) * [[1837年]]([[天保]]8年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - [[片岡仁左衛門 (7代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1755年]]) * [[1887年]] - [[イワン・クラムスコイ]]、[[画家]](* [[1837年]]) * [[1896年]] - [[林廣守]]、[[雅楽]]演奏者、「[[君が代]]」作曲者(* [[1831年]]) * [[1903年]] - [[古河市兵衛]]、[[実業家]](* [[1832年]]) * [[1912年]] - [[岸本辰雄]]、[[法学者]]、[[明治大学]]共同創設者(* [[1851年]]) * [[1918年]] - [[ポール・ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュ]]、[[地理学者]](* [[1845年]]) * [[1921年]] - [[アルフォンス・ディーペンブロック]]、[[作曲家]](* [[1862年]]) * [[1924年]] - [[ビクトル・ヘンゼン]]、博物学者(* [[1835年]]) * 1924年 - [[モハンマド・アリー・シャー]]、[[ペルシア]]の[[シャー]](* [[1872年]]) * [[1928年]] - [[三遊亭圓左 (2代目)]]、[[落語家]](* [[1881年]]) * [[1934年]] - [[佐藤次郎]]、[[テニス]]選手(* [[1908年]]) * [[1935年]] - [[フランツ・フォン・ヴェチェイ]]、[[ヴァイオリニスト]]、[[作曲家]](* [[1893年]]) * [[1940年]] - [[ロベール・マイヤール]]、[[構造家]](* [[1872年]]) * [[1941年]] - [[ナイジェル・グレズリー]]、[[蒸気機関車]]技術者(* [[1876年]]) * [[1948年]] - [[寒玉子爲治郎]]、[[大相撲]]の[[力士]](* [[1888年]]) * [[1949年]] - [[高野岩三郎]]、[[社会統計学|社会統計学者]]、[[日本放送協会|NHK]]会長(* [[1871年]]) * [[1950年]] - [[菅季治]]、哲学者、[[徳田要請問題]]に関連し自殺(* [[1917年]]) * [[1952年]] - [[アグネス・モートン]]、テニス選手(* [[1872年]]) * [[1954年]] - [[マッタ・アヴ・スヴェーリエ]]、[[オーラヴ5世 (ノルウェー王)|ノルウェー王太子オーラヴ(のちの国王オーラヴ5世)]]の妃(* [[1901年]]) * [[1956年]] - [[馬場恒吾]]、ジャーナリスト(* [[1875年]]) * [[1960年]] - [[林譲治 (政治家)|林譲治]]、[[政治家]](* [[1889年]]) * [[1963年]] - [[石井茂吉]]、[[写研]]設立者(* [[1887年]]) * [[1964年]] - [[ダグラス・マッカーサー]]、軍人(* [[1880年]]) * 1964年 - [[三好達治]]、[[詩人]](* [[1900年]]) * [[1965年]] - [[サライ・シャーンドル]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1893年]]) * [[1967年]] - [[ハーマン・J・マラー]]、[[遺伝学|遺伝学者]](* [[1890年]]) * 1967年 - [[ミッシャ・エルマン]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1891年]]) * [[1975年]] - [[蔣介石]]、[[中華民国]]総統(* [[1887年]]) * [[1976年]] - [[ハワード・ヒューズ]]、アメリカの実業家(* [[1905年]]) * [[1981年]] - カール・シーゲル([[:en:Carl Ludwig Siegel|Carl Ludwig Siegel]])、[[数学者]](* [[1896年]]) * 1981年 - [[水戸光子]]、[[俳優|女優]](* [[1919年]]) * [[1987年]] - [[中里恒子]]、[[作家]](* [[1909年]]) * [[1989年]] - [[フランク・フォス]]、[[陸上競技]]選手(* [[1895年]]) * [[1991年]] - [[升田幸三]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]](* [[1918年]]) * [[1992年]] - [[サム・ウォルトン]]、[[実業家]](* [[1918年]]) * [[1994年]] - [[カート・コベイン]]、[[音楽家|ミュージシャン]]([[ニルヴァーナ (アメリカ合衆国のバンド)|ニルヴァーナ]])(* [[1967年]]) * [[1997年]] - [[松平国十郎]]、[[浪曲|浪曲師]](* [[1910年]]) * 1997年 - [[アレン・ギンズバーグ]]、詩人(* [[1926年]]) * [[1998年]] - [[神島二郎]]、[[政治学者]](* [[1918年]]) * 1998年 - [[コージー・パウエル]]、[[ドラマー]](* [[1947年]]) * [[2000年]] - [[麻生三郎]]、[[洋画家]](* [[1913年]]) * [[2001年]] - [[キングスレー・チャールズ・ダナム]]、[[地質学|地質学者]]、[[鉱物学|鉱物学者]](* [[1910年]]) * [[2002年]] - [[藤原鉄之助]]、元プロ野球選手(* [[1924年]]) * [[2002年]] - [[レイン・ステイリー]]、ミュージシャン、([[アリス・イン・チェインズ]])(* [[1967年]]) * [[2005年]] - [[小山ウラ]]、日本の最長寿女性(* [[1890年]]) * 2005年 - [[ソール・ベロー]]、[[小説家]](* [[1915年]]) * [[2006年]] - [[アラン・カプロー]]、[[芸術家]](* [[1927年]]) * 2006年 - [[ジーン・ピットニー]]、[[歌手]](* [[1941年]]) * 2006年 - [[久島国夫]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](* [[1946年]]) * [[2007年]] - [[村上冬樹]]、[[俳優]](* [[1911年]]) * [[2008年]] - [[山中かく]]、日本の最長寿女性(* [[1894年]]) * 2008年 - [[チャールトン・ヘストン]]、俳優(* [[1924年]]) * 2008年 - [[前登志夫]]、[[歌人]](* [[1926年]]) * 2008年 - [[北沢拓也]]、小説家(* [[1940年]]) * 2014年 - [[ウェイン・ヘンダーソン]]、トロンボーン奏者(* [[1939年]]) * [[2017年]] - [[大岡信]]、[[詩人]]、[[評論家]](* [[1931年]]) * 2017年 - [[西三雄]]、元プロ野球選手(* [[1938年]]) * 2017年 - [[加川良]]、[[日本のフォークシンガー|フォークシンガー]](* [[1947年]]) * [[2018年]] - [[高畑勲]]<ref>{{Cite web |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29079030W8A400C1CC0000/ |title=高畑勲監督が死去 「火垂るの墓」「ハイジ」 |access-date=23 Nov 2023 |publisher=[[日本経済新聞]] |date=6 Apr 2018}}</ref>、映画監督 (* [[1935年]]) * [[2019年]] - [[wowaka]]<ref>{{Cite web |title=ヒトリエからのお知らせ |url=https://www.sonymusic.co.jp/artist/hitorie/info/505751 |access-date=23 Nov 2023 |publisher=[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|Sony Music Entertainment (Japan) Inc.]] [[ソニー・ミュージックマーケティングユナイテッド|Sony Music Marketing United Inc.]] |website=ヒトリエ}}</ref>、ミュージシャン (* [[1987年]]) * [[2020年]] - [[山前五十洋]]<ref>{{Cite web |url=https://asagei.biz/excerpt/14659 |title=倉木麻衣父“倉木パパ”こと山前五十洋さん逝く「麻衣に会いたい」の言葉残し |access-date=23 Nov 2023 |publisher=[[徳間書店]] |date=7 Apr 2020 |website=Asagei Biz}}</ref>、映画監督(*[[1943年]]) * [[2022年]] - [[シドニー・アルトマン]]、[[分子生物学|分子生物学者]](* [[1939年]]) * [[2023年]] - [[畑正憲]]、小説家、動物研究家(* [[1935年]]) == 記念日・年中行事 == {{節気}} * [[清明]]({{JPN}}・{{PRC}}) *: [[二十四節気]]の1つ。太陽の黄経が15度の時で、「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也」から発し、この時期は草木が芽吹き出すため、その芽が何の種類の草木なのかが明らかになり始める「清浄明潔」の略からきている。[[中華人民共和国]]の[[法定休日]]。 * [[植木日]]({{KOR}}) *: 韓国で毎年木を植えるように定めた国家記念日。韓国政府が、日本による植民地時代から解放され、荒廃した国土を再建するため1946年に制定。1949年には大統領令で休日となったが、2006年から再び休日ではなくなった。 *[[新子焼き]]の日({{JPN}}) *: [[北海道]][[旭川市]]の「旭川名物“新子焼き”の会」が[[2014年]]に制定。新子焼きは、若鶏の半身を焼いてタレなどで味付けをした旭川市のソウルフード。出世魚であるコハダの稚魚(シンコ)にちなみ、若鶏を新子(シンコ)と呼ぶことから名付けられた。 * 横町の日({{JPN}}) *:店舗が集まる横丁を通じて起業家を支援し、地域経済の活性化につなげることを目的に株式会社アスラボが制定。日付は「よ(4)こ(5)ちょう」の語呂合わせ。 *デビューの日({{JPN}}) *: [[1958年]]のこの日に読売巨人軍の[[長嶋茂雄]]がプロ初出場したことにちなみ、その年デビューした新人にエールを送る日。 *ヘアカットの日({{JPN}}) *:明治5年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]](旧暦。新暦では[[1872年]][[5月11日]])のこの日、[[東京府]]が女子の断髪禁止令を出したことにちなむ。前年に散髪、脱刀が許可されたが、これを受けて髪を短くする女性が続出したため、「男性に限って許可した断髪を女性が真似てはならない」という禁止令を発布したものである。 == フィクションのできごと == {{フィクションの出典明記|section=1|ソートキー=日0405|date=Nov 2023}} * [[1945年]] - 海軍少佐・伊佐武光の裏切りによりサマン島が米軍の襲撃を受け、駐留日本軍が全滅。(漫画『[[魁!!男塾]]』) * [[2063年]] - [[ゼフラム・コクレーン]]が地球人として初めて[[ワープ]]航法を実現、地球外生命体(バルカン人)と初めて接触。(映画『[[スタートレック ファーストコンタクト]]』) * [[宇宙世紀|U.C.]]0088年 - [[地球連邦軍]]のα任務部隊が[[ニューディサイズ]]の武装蜂起による[[宇宙世紀#(ペズンの反乱)|ペズンの反乱]]を鎮圧。[[グリプス戦役]]終結。(雑誌企画『[[ガンダム・センチネル]]』) * U.C.0153年 - [[ウッソ・エヴィン]]が[[クロノクル・アシャー]]より[[モビルスーツ]]シャッコーを強奪。[[ザンスカール帝国]]が夜間にウーイッグを爆撃。(アニメ『[[機動戦士Vガンダム]]』) * 年不明 - ジュテーム署のヒエール刑事、ゴールドアイを拾い、遺失物係に届ける。(アニメ『[[タイムボカン2000 怪盗きらめきマン]]』) === 誕生日(フィクション) === * [[1958年]] - 勝三四郎、漫画『[[おれとカネやん]]』の主人公 * 2209年 - 相葉昴治、アニメ『[[無限のリヴァイアス]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=https://www.sunrise-inc.co.jp/ryvius/character.html |title=相葉 昴治 |access-date=23 Nov 2023 |publisher=[[サンライズ (アニメ制作ブランド)|SUNRISE]] |work=『無限のリヴァイアス』}}</ref> * 生年不明 - 小糸侑、漫画・アニメ『[[やがて君になる]]』の主人公<ref>{{Cite book|和書 |title=やがて君になる |date=2018 |publisher=KADOKAWA |author=仲谷鳰 |authorlink=仲谷鳰 |volume=第6巻 |quote=カバー下 |isbn=978-4-04-912047-9 |year= |series=電撃コミックスNEXT}}</ref> * 生年不明 - 美穂、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |url=http://saintseiya-official.com/museum/character/index.php?id=109 |title=美穂 |work=『聖闘士星矢』 |accessdate=23 Nov 2023 |publisher=[[車田正美]] |website=MUSEUM聖闘士博物館}}</ref> * 生年不明 - イシズ・イシュタール、漫画・アニメ『[[遊☆戯☆王]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=高橋和希 |title=遊☆戯☆王キャラクターズガイドブック 千年の書 |publisher=集英社 |series=Vジャンプブックス |year=2015 |page=152 |ISBN=978-4-08-779722-0}}</ref> * 生年不明 - タズナ、漫画・アニメ『[[NARUTO -ナルト-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=岸本斉史|authorlink=岸本斉史|year=2002|title=NARUTO -ナルト- [秘伝・臨の書] キャラクター オフィシャルデータ BOOK|page=75|publisher=[[集英社]]|series=[[ジャンプ・コミックス]]|isbn=4-08-873288-X}}</ref> * 生年不明 - デイシャ・バリー、漫画・アニメ『[[D.Gray-man]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=星野桂|authorlink=星野桂|year=2008|title=D.Gray-man 公式ファンブック 灰色ノ聖櫃|page=46|publisher=集英社|series=ジャンプ・コミックス|isbn=978-4-08-874248-9}}</ref> * 生年不明 - 烏養繋心、漫画・アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2012|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-870521-7|quote=|date=|volume=3巻|page=156}}</ref> * 生年不明 - 灰羽アリサ、漫画、アニメ『[[ハイキュー!!]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書|author=古舘春一|authorlink=古舘春一|year=2016|title=ハイキュー!!|publisher=集英社〈ジャンプ・コミックス〉|location=|isbn=978-4-08-880744-7|quote=|date=|volume=22巻|page=46}}</ref> * 生年不明 - アレックス・カンドリ・スチュワート、漫画・アニメ『[[テラフォーマーズ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author1=貴家悠 |authorlink1=貴家悠 |author2=橘賢一 |authorlink2=橘賢一 |title=テラフォーマーズ |publisher=集英社 |isbn=978-4-08-879459-4 |volume=3巻 |year=2012}}</ref> * 生年不明 - 有坂成蔵、漫画・アニメ『[[ゴールデンカムイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kamuy_official|1511271315445288962}}</ref> * 生年不明 - クレア、漫画・アニメ『[[戦勇。]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書 |date=6 Apr 2013 |url=https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im2998883?manga_user |title=戦勇キャラの誕生日 / 春原ロビンソンさんのイラスト |work= |publisher=ニワンゴ |accessdate=23 Nov 2023 |website=[[ニコニコ静画]](イラスト)}}</ref> *生年不明 - 孫悟空、漫画・アニメ『[[最遊記シリーズ|最遊記]]』に登場するキャラクター<ref>{{Twitter status|kaz_minekura|981854353395826688}}</ref> *生年不明 - 伏屋那都、漫画・アニメ『[[咲-Saki-]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=http://sciasta.com/characters.html |title=伏屋 那都(ふしや なつ) |work=『咲-Saki-』 |accessdate=23 Nov 2023 |publisher=[[小林立]]}}</ref> *生年不明 - アリス・カータレット、漫画・アニメ『[[きんいろモザイク]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |author=原悠衣 |authorlink=原悠衣 |date=2013-08-27 |title=きんいろモザイク画集 〜ひみつのきんいろモザイク〜 |publisher=[[芳文社]] |series=Manga time KR comics |page=18 |isbn=978-4-8322-4344-6}}</ref> *生年不明 - 藤ノ木寧音、漫画・アニメ『[[はじめてのギャル]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://hajimete-no-gal.jp/character/ |title=CHARACTER 藤ノ木寧音 |access-date=23 Nov 2023 |publisher=植野メグル/[[KADOKAWA]]/「はじギャル」製作委員会 |work=『はじめてのギャル』}}</ref> *生年不明 - 乃木坂美夏、小説・漫画・アニメ『[[乃木坂春香の秘密]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web |url=http://d-game.dengeki.com/haruka/ps2/c_mika.html |title=乃木坂 美夏 |access-date=23 Nov 2023 |publisher=[[五十嵐雄策]]/「乃木坂春香の秘密」製作委員会/[[アスキー・メディアワークス|ASCII MEDIA WORKS Inc.]] |work=『乃木坂春香の秘密 こすぷれ、はじめました』}}</ref> * 生年不明 - 高嶋智樹、小説・漫画・アニメ『[[厨病激発ボーイ]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite web|和書|url=http://chubyou.net/chara03.html |title=高嶋智樹 |accessdate=23 Nov 2023 |publisher=[[れるりり]]・藤並みなと/[[KADOKAWA]]/厨病激発ボーイ製作委員会 |work=『厨病激発ボーイ』}}</ref> * 生年不明 - 鶴来民子、アニメ『[[花咲くいろは]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |year=2011 |title=TV ANIMATION 「花咲くいろは」 オフィシャルガイド いろはのいろは |page=14 |publisher=[[スクウェア・エニックス]] |series=ガイドブック |isbn=978-4-7575-3310-3}}</ref> * 生年不明 - ガウ、ゲーム『[[ファイナルファンタジーVI]]』に登場するキャラクター<ref>{{Cite book|和書 |title=ファイナルファンタジーVI ザ・コンプリート |publisher=[[NTT出版]] |year=1994 |page=166 |ISBN=4-87188-303-5}}</ref> * 生年不明 - 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大分トリニータ
大分トリニータ(おおいたトリニータ、英: Oita Trinita)は、日本の大分市、別府市、佐伯市を中心とする大分県全県をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 運営法人は株式会社大分フットボールクラブであり、1999年にJリーグへ加盟した。 クラブ名は、三位一体を表す英語「トリニティ(Trinity)」とホームタウン名「大分(Oita)」を合わせた造語で、イタリア語で「三位一体」を表すTrinitaと同じ綴りになっている。県民・企業・行政が一致団結することを表している。 2006年、エンブレム、ロゴマーク、チームフラッグが「Tフレアー」と呼ばれるデザインコンセプトにより一新され、クラブとしての略称「大分FC」が「FC大分」に変更された。運営法人名とは無関係。 クラブマスコットは、亀がモチーフの「ニータン」 と、ウサギをモチーフにした準マスコットの「リッジー」。 2022年シーズン終了時点で、J3在籍後にJ1昇格を経験した唯一のクラブである。 2019年6月21日、運営会社株式の20%を貸会議室大手のTKPが取得して筆頭株主となり、資本・業務提携した。 1994年4月に任意団体「大分フットボールクラブ」として発足。競技登録上のチーム名は「大分」または「大分FC」で、「大分トリニティ」という愛称が付けられた。大分県社会人サッカーリーグ(当時は1部リーグのみ)と九州サッカーリーグを連覇して1996年に全国地域サッカーリーグ決勝大会(地元大分市営陸上競技場で開催)で2位に入り、発足から2年でジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ昇格。 当初は文正植、朴景和と韓国人監督の下、外国籍選手についても元韓国代表の皇甫官、崔大植などを中心としたチームだった。 1998年、ブラジル人監督のフォルミーガ(ポルトガル語版)を招聘し、外国籍選手にウィルを補強。JFL最後のシーズンは6位であった。 1999年1月に運営法人となる株式会社大分フットボールクラブを設立。1999年から発足したJリーグ ディビジョン2(J2)に初年度から参加した。なお、「トリニティ」の名前が商標登録の関係で正式なチーム名として使えないため、同年より「大分トリニータ」へ改称した。 監督に前山形監督の石﨑信弘が就任。J2初年度からJ1昇格争いに加わるが、1999年・2000年とも2年連続で2位との勝ち点差1の3位で昇格を逃した。2001年はシーズン当初より不振で5月に石﨑を監督より解任し、小林伸二が後任の監督に就任。最終節まで昇格を争うところまで持ち直したが、結局6位に終わった。 小林が続投した2002年は西山哲平、浮氣哲郎、サンドロ、アンドラジーニャなどを補強し、前年作り上げた堅守速攻を武器に序盤から首位を独走。J2優勝とJ1昇格を果たした。また、最終節で史上初のJ2通算100勝を達成した。 小林体制3年目。J1昇格1年目となったシーズンは、新潟の寺川能人、前年コパ・リベルタドーレス得点王のロドリゴなどの選手を補強した。守備はある程度通用したものの、ロドリゴは期待されたような活躍は出来ずシーズン途中で退団。前年チーム得点王のアンドラジーニャも得点をあげる事ができずシーズン途中に札幌に移籍した。その結果、ストライカーが不在となり深刻な得点力不足に陥りチームも低迷。シーズン半ばに3年振りの復帰となるウィルなど多くの外国人FWを補強するも得点力不足は改善されず、2ndステージは15試合で失点数はリーグ最少の16ながら、得点は7に留まった。最終節の15位・仙台戦は、大分勝利、引き分けの場合は大分の残留、大分負けの場合は仙台が残留と両チームのJ1残留をかけた直接対決となった。試合は前半15分に梅田高志のゴールで先制。後半に入り仙台に同点にされたが、勝ち越しは許さず1-1の引き分けで試合終了。年間順位14位(1stステージ14位、2ndステージ16位)でJ1に残留した。シーズン終了後、小林が監督を退任。 オランダ人のハン・ベルガーを監督に迎える。寺川が新潟に復帰したものの、元ブラジル代表のマグノ・アウベス、元オランダ代表のリチャード・ビチュヘ、仙台の根本裕一などの選手を獲得。マグノ等の補強組が結果を残し1stステージは10位で終える。 しかし、2ndステージ開幕前のビチュヘの退団、1stステージで活躍した木島良輔のケガなどもあり失速。緊急補強としてDFのパトリックを獲得するも、2ndステージは2年連続の最下位。マグノが11得点、高松大樹が8得点を挙げたが、全体的な得点数は伸び悩み順位は年間13位に終わった。ベルガーはシーズン終了後に辞任した。 皇甫官がヘッドコーチから監督に昇格。なお、前年度のゲームキャプテンを務めたサンドロが退団し、瀬戸春樹、山崎哲也などが他クラブに移籍した。補強面では元ブラジル代表のFWドド、上本大海などが加入した他、新加入選手として深谷友基らが入団。大分U-18から西川周作、梅崎司が昇格した。 しかしドドは15試合で3得点に留まり(結局ドドは前年加入したDFパトリックと共にシーズン途中で加入したエジミウソン、トゥーリオと入れ替わりで退団)、スタートダッシュに失敗し下位に低迷。その後一時は順位を8位まで上げるも、主将吉田孝行の怪我の影響もあり再び失速。神戸との最下位争いから抜け出せず、直接対決でも敗戦するなど不振が続いた為、皇甫を8月28日付で解任。後任にはペリクレス・シャムスカが就任した。 初采配となった浦和戦を勝利すると、そこから6戦負け無し(5勝1分)を記録するなど勝利を積み上げ、当初に掲げていた「残り12試合で勝ち点18」の目標を8試合(6勝1敗1分け、勝ち点19)で達成、目標を7位に修正するほどの急速的な復調を遂げた。この出来事は「シャムスカマジック」と呼ばれた。11月23日のC大阪戦に1-1で引き分けたことでJ1残留が決定。最終順位は過去3年間で最高の11位となった。 シャムスカ体制2年目。岡中勇人が現役を引退した他、チーム得点王のマグノ・アウベス、主将を務めていた吉田孝行など半数近くの選手が他クラブに移籍、または戦力外となった。補強面ではフォルタレーザECからオズマール、柏から元日本代表の増田忠俊らを獲得。新加入選手として高橋大輔、森重真人が入団し、大分U-18から福元洋平、梶原公が昇格。登録メンバーは25人でシーズンに臨んだ。 序盤戦は3連敗を喫するなど黒星が先行し、一時はシーズン14位に順位を落としたが、その後は調子を上げ第11節鹿島戦から第14節新潟戦にかけて4連勝を記録。第16節川崎戦から第22節福岡戦にかけては7戦負けなしで、第21節にはこの年のリーグ王者である浦和から白星をあげるなど6位に浮上。シーズン前に掲げた目標を「8位以内」から「4位以内」に修正し10月にJ1残留を決めた。ただその後は3勝2分7敗と成績を落としたことで賞金圏内の7位以内を逃したが、当時のJ1最高順位となる8位でシーズンを終えた。 また、チーム創設以来初めて、日本代表に西川周作と梅崎司、後に高松大樹も招集され、梅崎と高松は国際Aマッチにも出場を果たした。 シャムスカ体制3年目。エジミウソン、トゥーリオが退団し、梅崎司がフランス・グルノーブルに期限付き移籍するなど7選手がチームを去った。補強面ではジュニオール・マラニョン、宮沢正史、アウグスト、金崎夢生ら8選手が新たに加入した。しかし、新加入のマラニョン・宮沢が共にスタメン出場した開幕2試合が共に未勝利に終わると、宮沢は翌第3節でスタメン落ち、マラニョンは後にシーズン半ばで退団となった。その後は藤田義明など様々な選手をボランチで起用するも大量失点で負ける試合も少なくなく、第13節には最下位の横浜FCにも1-2で敗北を喫した。シーズン途中に前田俊介(広島より期限付き移籍)、梅崎(グルノーブルより復帰)が加入した後も勝ち点を伸ばせず、前半戦(第18節)終了時点で自動降格圏内の17位と低迷した。 J1残留のために後半戦をリベンジ16と銘打ち、新潟から鈴木慎吾、元福岡のホベルト、そして半年ぶり、3度目の加入となるエジミウソンを獲得。その結果、後半戦はチーム状態が回復し、順調に白星を重ねるようになる。中でも第31節は同じく残留争いをしていた大宮との直接対決で、1-1で迎えた後半44分に前田俊介の大分移籍後初得点となるゴールで逆転勝利。第33節 磐田戦を勝利しJ1残留を確定させた。シーズン最終順位は14位であった。 シャムスカ体制4年目。シーズン前に梅崎司、松橋章太、三木隆司、山崎雅人が他クラブに移籍するなど9選手が退団。その穴を埋めるべくG大阪より家長昭博、前広島のウェズレイらを獲得し、大分U-18から清武弘嗣、小手川宏基ら4選手が昇格した。また、この年に大分初のクラブマスコットキャラクターとなるニータンが誕生した。 シーズン前の練習中に家長が全治6か月の大ケガを負ったが、その代役に抜擢された2年目の金崎夢生が活躍。上本大海・森重真人・深谷友基の3バックラインとエジミウソン・ホベルトのボランチコンビ、そしてGK西川周作との連携は成熟されリーグトップレベルの堅守を見せた(イタリア代表の「カテナチオ」とクラブマスコットであるカメのニータンを掛け合わせ「カメナチオ」と呼称)。その堅守を武器にナビスコ杯では、予選GLを2位でクラブ初の突破を果たすと、決勝トーナメントはそのままの勢いでFC東京、名古屋グランパスを破り、決勝・清水エスパルス戦も高松大樹とウェズレイのゴールで2-0のスコアで勝利し、優勝を果たした(クラブ初そして九州のチーム初のタイトル)。 一方、リーグ戦も終盤まで優勝争いに加わり、チーム歴代最高の4位・勝点56でシーズンを終えた。総失点数はJ1過去最少の24失点(1試合平均0.706点)となった。また、ホームゲーム6連勝やホームゲーム13試合連続不敗を記録するなどホームである九州石油ドーム(当時)で圧倒的な相性の良さをみせた。ただ、得点数は伸び悩みリーグ戦で3得点以上を記録した試合は僅か2試合に終わり、リーグワースト2位の33得点(1試合平均0.971点)となった。 シャムスカ体制5年目。神戸から坪内秀介が期限付き移籍で加入し、梅田高志と、宮沢正史が期限付き移籍より復帰。一方で期限付き移籍で加入していた小林亮等が退団した。シーズン開幕前の2月にホーム・デポ・センター(アメリカ合衆国カリフォルニア州カーソン)で開催されたパンパシフィックチャンピオンシップ2009にナビスコカップ優勝チームとして出場し3位となる。 リーグ戦では、チーム始動が遅くフィジカルトレーニングが十分に行えなかったことや、九州石油ドームの芝の張り替えに失敗し芝の状態が不安定だった影響による怪我や累積警告で、多くの主力選手の欠場が相次ぎ最下位に低迷。5月23日の広島戦で敗戦を喫したことで10連敗となり、延長戦が廃止された2003年以降のJ1では、2007年の横浜FCの9連敗を抜いてワースト記録となった。その後は連敗数は14まで続き、1勝1分15敗(勝ち点4)の最下位でシーズンを折り返した。このため、7月14日に成績不振によりシャムスカを解任。後任に元広島コーチのランコ・ポポヴィッチが就任した。同月18日の第18節・浦和戦ではポポヴィッチの役員登録が完了するまでの処置として強化部の松山博明が暫定監督を務め、1-0で浦和に勝利。これで連敗を14で止め、3月21日の第3節・新潟戦以来の勝ち点、3月14日の第2節・京都戦以来の勝ち星をあげた。その後9月13日の磐田戦からシーズン終了まで10戦負けなし、またこれまでリーグ戦未勝利だった千葉にも初勝利をあげるなど復調を遂げたが、前半戦の成績が響き残留圏内まで浮上するには至らず、第30節の京都戦(勝利が残留の必要条件)に引き分けた事でリーグ戦4試合を残し8シーズンぶりのJ2降格が決定した。 一方、連覇を懸け望んだナビスコ杯は無敗であったものの、1勝5分と勝ち点3を積み上げる事ができず予選敗退となった。また、8月5日にはスルガ銀行チャンピオンシップが開催され、コパ・スダメリカーナ王者・SCインテルナシオナルと対戦し、1-2で敗れた。 2009年シーズン中に表面化したチームの経営危機を受ける形でチーム予算を大幅に削減。強化運営費も例外ではなく、監督のポポヴィッチをはじめ西川周作、森重真人、金崎夢生、エジミウソンなど主力を中心にチームの半数近くの選手・スタッフを放出。監督には前副社長の皇甫官が2005年以来5年ぶりに就任。 補強はユース・大卒選手を3人獲得、更に現役韓国代表であったキム・ボギョン、ベテランDFのチャン・ギョンジンの二人の韓国人選手を期限付き移籍で獲得、また一度は戦力外となった選手の再契約などで選手の人数を補った。しかし、監督の皇甫の年俸が経営危機の中であるにも関わらず高額である事、本年契約する見込みだったフェルナンジーニョの契約解除に伴う高額な違約金負担(しかし、これは彼の移籍先である仙台に一部を負担させたと見られている)と、財政運営の見込みが甘かった(中期決算発表で黒字化の見込みと出していた)ことにより運営資金のショートが翌年の1月中に発生してしまう事態に陥った。県の緊急融資でなんとか乗り切るが、財政が芳しくない大分県からの融資には県民からの批判の声が挙がった。 開幕当初こそキムの5試合6得点という活躍もあり上位につけていたが、4月25日から8月7日の富山戦で12試合ぶりの勝利を挙げるまで約3か月間勝ち星無し。その後17試合で4勝にとどまり、J2過去最低(当時)の15位に終わった。また、この年限りで皇甫が監督を退任した。 6月1日、2010 FIFAワールドカップ韓国代表メンバー23人にキム・ボギョンが選出された。大分に在籍する選手がワールドカップの代表メンバーに選出されるのは史上初であった。 前年まで清水でヘッドコーチを務めていた田坂和昭が監督に就任。オフにキム・ボギョンがレンタル元のC大阪に復帰、更に前年から続く経営危機の影響で東慶悟、菊地直哉、そして藤田義明がJ1クラブに完全移籍し、高松がFC東京に期限付き移籍した。補強は水戸から大卒1年目の作田裕次と藤川祐司、熊本から西弘則などの若手選手を獲得した。 シーズン途中からフォーメーションを3-4-3に変更し、FWのチェ・ジョンハンや三平和司がサイドで起用されたり、DFの刀根亮輔がFW、ボランチの姜成浩がCBで起用されたりと多くの選手を様々なポジションにコンバートさせリーグを戦った。また、前田俊介や森島康仁がそれぞれ自己最高の成績を残すなど若手が台頭。なお、J2シーズン成績は12位。天皇杯は3回戦で敗退した。 田坂体制2年目。昨シーズンクラブの主軸として活躍した前田、姜がJ1クラブに移籍したものの、森島、土岐田らその他の主力選手の引き止めには成功し流出を少数にとどめた。補強では、千葉から元日本代表の村井慎二を獲得し、FC東京にレンタル移籍していた高松が復帰した。後はC大阪より3人の若手選手をレンタル加入させるなど前年と同じく多くの若手選手を獲得した。また、5月に「J1昇格支援募金」を開始した(後述)。 開幕戦は2007年以来のホームスタジアムでの開催となった。リーグ戦では第21節、アウェイでギラヴァンツ北九州を破り、バトルオブ九州初勝利を挙げ同時に6年ぶりの4連勝を達成した。第23節に首位に立ったものの自動昇格となる2位以内に入ったのはその1節のみだった。とはいえ、3連敗以上の連敗をしないなどシーズンを通じて安定した戦いを見せ、第18節以降J1昇格プレーオフ圏内である6位以内を最終節までキープした(最終順位は6位)。J1ライセンス交付の条件とされていた、後述の「公式試合安定開催基金」からの融資残額3億円についても、5月下旬から一般市民や地元政財界に支援を募り、集まった寄付金・支援金計3億3,306万1,323円から返済期限とされた10月12日までに完済したため、PO進出が決まった。 11月18日のPO準決勝は京都に森島が4ゴールを決めて4-0で、11月23日のPO決勝は千葉に林丈統のゴールで1-0で勝利を収めて、2009年以来4年ぶりのJ1復帰を果たした。天皇杯は初戦(2回戦)で水戸ホーリーホックに敗退。 田坂体制3年目。リーグ戦チーム最多タイの14得点の三平和司と石神直哉が湘南からの期限付き移籍期間満了により退団し、他にも作田裕次、イ・ドンミョン等がチームを離れた。一方、補強では神戸より元日本代表の高木和道、大宮より2009年以来の復帰となる深谷友基を獲得。その他にも児玉新、小松塁、辻尾真二と30代手前~前半の年齢の選手を中心に、合わせて9選手が加入した。また、シーズン途中に今季加入の金永基、小松を他クラブに期限付き移籍で放出。北京五輪日本代表であった梶山陽平をFC東京から期限付き移籍で獲得した。 J1リーグ戦はシーズン初勝利が開幕から2ヶ月以上経過した5月18日のJ1第12節・アウェー新潟戦まで掛かるなど終始低迷。第8節で最下位となって以降は順位を浮上させることができず、10月5日の第28節C大阪戦に0-2で敗れたことで、リーグ戦6試合を残し1年でのJ2降格が決定した。最終的には勝利数がJ1リーグ最低新の2(過去の最低記録は2010年湘南の3勝)、勝点もJ1リーグ最低タイ記録の14(2012年札幌と同点)を記録した他、リーグ戦ホームゲームの戦績が4分13敗とJリーグ史上初のシーズン中ホームゲーム未勝利(ヤマザキナビスコカップでも1分2敗だったためJリーグのチーム相手の公式戦総計は5分15敗)となった。 天皇杯はクラブ史上最高成績となるベスト8の成績を残した。 田坂体制4年目。2013年のチーム内得点王であった森島康仁が川崎に、正GKを主に務めた丹野研太が古巣・C大阪にそれぞれ完全移籍。主将・宮沢正史は契約満了に伴い岐阜に移籍。その他には梶山陽平、松原健など計16人が退団した。補強面では鳥栖から室拓哉、C大阪から武田洋平、千葉から伊藤大介をいずれも完全移籍で、鳥栖から末吉隼也とクラブ初のコロンビア人となるジョナサン、新潟から増田繁人、名古屋から田中輝希、神戸からカン・ユングをいずれも期限付き移籍で獲得。更に新人として大阪体育大学から伊佐耕平が加入した。また、前年から期限付き移籍中の松本怜の期限付き移籍期間を1年間延長し、2014年新体制発表時点での選手数は25人となった。チーム創立から20周年の節目のシーズンになる事に併せ、6月21日の愛媛戦は20周年記念試合と銘打ち開催された(詳細については20周年記念試合を参照)。 アウェーで迎えた開幕戦は水戸に1-2で敗北したが、ホーム開幕戦となる第2節で北九州に1-0で勝利し、昨シーズンから続いたリーグ戦ホームゲーム未勝利記録を17でストップさせた。その後は極端に成績を落とすことは無かったものの順位を3位以上に付けることができず、J1昇格プレーオフの枠を磐田、千葉、北九州(クラブライセンスの関係によりプレーオフ出場権無し)、山形らと争う形となった。その後シーズン途中で大宮から加入したラドンチッチ(11月に膝の手術のため退団)、FC東京(シーズン前半は岡山に期限付き移籍)から期限付き移籍で加入した林容平、ラドンチッチとほぼ入れ替わりで加入したダニエルの活躍もあって39節終了時点でプレーオフ圏内の6位につけるも、第40節の水戸戦で逆転負けを喫し7位に後退。その後順位を浮上させることはできず、2年振りのJ1昇格プレーオフ進出を果たす事はできなかった。 またこの年開催された2014 FIFAワールドカップでは、大分U-18に在籍し2種登録選手としてトップチームに登録されていた坂井大将が、名古屋の杉森考起と共にトレーニングパートナーとして日本代表に直前合宿から大会終了まで帯同した。 田坂体制5年目。伊藤が岡山に、末吉が古巣・福岡に移籍。そして林は移籍期間満了に伴いFC東京に復帰した。また、キャプテンを務めた高木が契約満了となり岐阜に移籍した。その他8人の選手が退団し合計12選手が大分を去った。一方補強面ではブラジル人のエヴァンドロ、東ティモール国籍を有するムリロ・アルメイダ、更には新潟から岡本英也、そして京都から三平和司が3年振りに復帰するなど前線の選手を多く補強した。また千葉から兵働昭弘が加入。その他にも8選手が加入し、大分に加入後即V大分に期限付き移籍となったフェリペ(3月にアルメイダと入れ替わりで復帰)を含め併せて14選手が加入した。キャプテンには2004年のサンドロ以来、11年ぶりの外国籍選手キャプテンとなるダニエルが就任した。 しかしシーズンが始まると戦術の浸透の失敗や、新加入選手が機能せず前述の末吉・伊藤・林らの穴を埋めきれなかった影響で開幕から低迷。第16節終了時点で2勝5分9敗の最下位に留まった事で、6月1日に監督・田坂を解任。当初は外部から後任監督を招聘する予定であったが交渉が不発に終わり、最終的には強化育成部長で監督代行も務めていた柳田伸明が7月2日より監督に就任することとなった。当月は東京V戦での15試合ぶりの白星を含む3勝と復調の兆しを見せたが勢いを持続させることはできず、また荒田智之、パウリーニョらの途中補強も実らず降格圏から脱出するまでには至らなかった。最後は4連敗を喫するなど不安定なチーム状況のまま21位でリーグ戦を終え、J2・J3入れ替え戦に出場する事となった。 入れ替え戦はJ3・2位の町田に2戦とも敗れ(トータルスコアは1-3)、J1経験クラブとして初のJ3リーグ降格となった。シーズン終了後に柳田が監督を退任した。 新監督として、G大阪でヘッドコーチを務めていた片野坂知宏が就任。クラブ初の「大分トリニータ」在籍経験者の監督就任となった。またコーチメンバーにも吉村光示、山崎哲也(U-18監督より配置転換)が新たに加入し、留任したGKコーチ・吉坂圭介を含め全員が大分トリニータOBとなった。 他クラブに期限付き移籍中の選手を含め全選手に対して契約延長のオファーを出したが、チーム得点王であった為田大貴をはじめとして、昨シーズン先発出場機会の多かった若狭大志、武田洋平、兵働昭弘、安川有、西弘則等が他J1・J2クラブに移籍。また阪田章裕、荒田智之が同ディビジョンとなるJ3・長野に移籍。他クラブに期限付き移籍中であった風間・岡本も期限付き移籍先に完全移籍する等、退団選手は計13人となった。補強面では、元日本代表・山岸智を広島から獲得。他には黄誠秀、千明聖典、染矢一樹(4月1日契約解除)、山之内優貴、更には若手選手を3人期限付き移籍で獲得。そしてユースから3選手が昇格した。また昨シーズン限りで退任した青野浩志の後任として、新社長に榎徹が就任。強化育成部長には昨シーズン途中から代理で務めていた西山哲平が就任した。 開幕3連勝を記録し、同節終了時には首位に浮上するも、第4節で琉球に敗れ首位を明け渡す。その後は勝ち星を伸ばすことができなくなり、同節から4試合未勝利(1分3敗、上記の通り第5節は延期)で、第8節終了時には一旦10位まで順位を下げた。第15節では最下位・YS横浜に敗戦を喫し、前半戦を昇格圏外となる3位で折り返した。そして第19節には9連勝中の首位・栃木に敗戦を喫し首位との勝ち点差が9に広がった。しかしその後、シーズン途中に加入した八反田康平らの活躍や、失点リスクを抑えた相手対策重視の戦法に切り替えたこと により、第28節終了時までで7勝1分1敗という追い上げを見せ栃木を追走。ホーム最終戦となった第29節・YS横浜戦にて大分が勝利し、栃木が敗北した為、栃木と勝点で並び得失点差で第3節以来の首位に立った。そして最終節の鳥取戦を4-2で勝利し、最終5節を5連勝で終えJ3リーグ優勝、1年でのJ2リーグ復帰を果たした。 また、このシーズンを以て2000年の入団以降、FC東京へ期限付き移籍した2011年を除いて大分でプレーし、長年に渡り中心選手として活躍した高松大樹が現役を引退した。現役最後の試合となったホーム・大分銀行ドームで開催されたYS横浜戦には、J3記録(当時)となる11,065人の観衆が詰めかけた。また年間の観客数が116,563人とJ3創設3年目にして初めて年間10万人を突破したクラブとなり、1試合平均も7,771人で史上最多記録を大幅に更新した。 片野坂体制2年目。前述した高松大樹の引退をはじめ、松本昌也が磐田に移籍、J3優勝に貢献した八反田康平ら4人が期限付き移籍期間満了、2015年にキャプテンを務めたダニエル、千明聖典ら5人が契約満了で合計11名がチームを去った。また江頭一輝が東海社会人サッカーリーグの鈴鹿アンリミテッドFCに期限付き移籍となった。 補強面では、小手川宏基、林容平、岸田翔平というクラブに縁のある選手をはじめ竹内彬、黒木恭平、川西翔太、高木駿が完全移籍で加入。また鈴木惇、坂井達弥、前田凌佑が期限付き移籍で加入し、昨シーズン期限付き移籍で大分に在籍した清本拓己、大津耀誠が完全移籍に移行。そして大分U-18から野上拓哉、大分U-18出身の國分伸太郎が立命館大学より加入した。シーズン途中には坂井大将がベルギー2部のAFCテュビズに期限付き移籍した一方で、湘南からシキーニョが加入するなど、3選手が加入した。 リーグ戦に入ると、開幕戦・A福岡戦を2-1で勝利。更に第9節・A湘南戦では1-0、第13節・H名古屋戦では4-1のスコアで勝利を収め昨年のJ1在籍チーム全てから勝ち点3をあげ、前半戦終了時には9勝5分6敗の勝点32の9位につけた。後半戦に入ると、第26節終了時には6位と勝点で並ぶ7位にまで浮上。続く3試合で1分2敗とし12位まで順位が低下したが、その後再び盛り返し、第38節終了時には8位ながら6位の徳島と勝点差1まで迫った。続く2試合で1分1敗、そして第41節で徳島との直接対決に敗れたことによりJ1昇格プレーオフ進出は逃したものの、目標勝ち点45 に対し19上回る勝ち点64を記録し最終順位は9位となった。アウェーゲームではリーグ3位の成績であった反面、ホームゲームでは9月2日に開催された群馬戦から最終戦・熊本戦までの約2か月半の間未勝利の状態に陥るなど負け越しリーグ16位の成績であった。 片野坂体制3年目。昨季主に先発出場をした上福元直人が東京Vへ移籍し、鈴木惇が期限付き移籍期間満了に伴い福岡に復帰。また、2016-2017年にキャプテンを務めた山岸智が契約満了により退団。吉平翼が秋田、佐藤昂洋がJFL・青森に期限付き移籍するなど、計11名が退団した。 補強面では、昨シーズンと同様に刀根亮輔、丸谷拓也、山口真司(期限付き移籍)と大分に過去所属経験のある3選手の加入を始め、J3リーグで2年連続得点王となった藤本憲明や馬場賢治、星雄次、那須川将大、兼田亜季重が完全移籍で加入。また宮阪政樹、イム・スンギョムと前述の山口を含め3選手が期限付き移籍で加入。U-18からの昇格を含む高校・大学新卒選手の獲得は無く、新加入選手は計10人となった。夏の移籍期間では、イムが期限付き移籍期間を前倒しして満了し退団、今季よりキャプテンを務めていた竹内が讃岐に期限付き移籍した一方で、FCフアレスよりウイリアンを完全移籍で、千葉より岡野洵を期限付き移籍で獲得した。 開幕戦は勝利したものの、その後三戦勝ち無しとなり第3・4節は共に無得点であった。それでも戦術の浸透と星、馬場ら新戦力の活躍もあって 第5節・水戸戦から第8節・京都戦にかけて4連勝し2位に浮上。第10節・金沢戦に勝利した事で同シーズン初めて首位に浮上した。その後は第18、19節で一旦首位を明け渡すが、翌第20節で再び首位浮上、前半戦(第21節終了時点)を首位で折り返す。 しかしシーズン折り返し後は、大分の戦術スタイルに対する相手の研究が進んだこともあり 前節(第21節)から数えて3連敗を含む5試合未勝利となり5位に転落した。その対策として第26節・岐阜戦において3ボランチを採用した3-5-2のシステムに変更し、これまで途中出場中心であったり出場機会の少なかった三平和司、岩田智輝、前田凌佑、小手川宏基らを起用し同試合を勝利した。その後再び3試合未勝利で一時はJ1参入プレーオフ圏外の7位まで順位を落としたが、対戦相手によってシステム、戦術、選手起用を臨機応変に使い分けた事により復調。第32節・熊本戦から第36節・京都戦にかけては5連勝を記録し第21節以来の首位に浮上、その後は自動昇格圏内をキープした。 2位で迎えた最終節・アウェー山形戦は、星のゴールにより試合終了間際まで1-0でリードしていたが、後半アディショナルタイムに失点を喫する。そのままスコアは動かず引き分けに終わり、23勝7分12敗・勝ち点76で全日程を終了した。他会場の結果、町田と横浜FCに勝ち点で並ばれたものの得失点差により 自動昇格圏内の2位を守り、6シーズンぶりのJ1復帰が決定した。J3リーグ在籍経験のあるクラブとしては初のJ1昇格事例となる。同シーズンでの得点数76はリーグ最多を記録。また馬場、藤本、三平、後藤と4人がリーグ戦10得点以上を達成したのは2009年の湘南 以来9年振りの出来事であり、39試合目での達成はJ2最速であった。 片野坂体制4年目。林容平や宮阪政樹、川西翔太、清本拓己、修行智仁ら期限付き移籍していた2選手を含め全15人が退団。補強面は期限付き移籍していた坂井大将、吉平翼の復帰を始め、高山薫、小林成豪、三竿雄斗、小塚和季、オナイウ阿道、そしてタイ代表のティティパンら全15人が加入した。 昨季の主力は残留し継続性を確保した他、J2で22得点を記録したオナイウ、12得点を記録した小林を始め、伊藤涼太郎、小塚、庄司朋乃也など「試合から遠ざかっている名前のあるベテランよりも、J2で結果を出した選手の方が力を発揮してくれる」という強化部長・西山哲平の判断から、昨季J2で活躍した選手を多く補強し前線の強化に成功。監督の片野坂も新体制発表会見にて「僕が要求した選手をある程度クラブが揃えて、J1で戦える戦力を整えてくれた」と語った。 シーズン開始前の予想では多くの記者・スポーツライターからJ2降格候補に挙げられたが、開幕戦で鹿島アントラーズにアウェーで2006年以来2度目の勝利を収めると、2月・3月度の月間MVPを受賞した藤本憲明の活躍もあって、7節から12節にかけて6試合無敗を記録するなど一時は順位を3位まで浮上させる。その後は上位陣との対戦が続いた事もあり勝ち点を伸ばせなかったが、17節の浦和レッズ戦で6試合振りに勝利を収め前半戦を8勝5分4敗の4位で折り返した。 後半戦に入ると、藤本のヴィッセル神戸への移籍や対戦チームからの分析が進んだ影響で4勝6分7敗と負け越したが、夏の移籍期間で加入した田中達也、小林裕紀を新たに先発メンバーに加え、前年同様GKから繋ぐサッカーを貫徹。当初の目標であった「勝点45」を3試合を残してクリアし、一度も残留争いに巻き込まれること無く12勝11分11敗・勝点47の9位でシーズンを終えた。 一方、6年振りに参加したルヴァンカップではグループステージ最終節までプレーオフステージ進出の可能性を残したが、セレッソ大阪に敗れて2008年以来のグループステージ突破は果たせなかった。天皇杯は歴代最高タイ記録となるベスト8に進出した。 片野坂体制5年目。丸谷拓也が現役引退し、後藤優介が清水へ完全移籍で、昨季期限付き移籍で加入していたオナイウ、ティティパンら7選手がいずれも移籍期間満了により退団した。小島亨介は新潟へと期限付き移籍するなど他クラブへ期限付き移籍していた3選手も含め全13人が退団した。補強面では昨季途中から期限付き移籍していた高畑奎汰が復帰した他、渡大生、知念慶、町田也真人、香川勇気、野村直輝、髙澤優也ら全12人が加入した。 「勝ち点55・総得点50・失点35の6位」を目標に掲げたが、第1節終了後まもなく新型コロナウイルス感染症流行の影響によりリーグが約4か月にわたって中断。7月上旬からの再開後は12月中旬までの約4か月半で全日程を消化する過密日程を強いられたことにより新加入選手を中心に怪我人が続出した。第5節から第9節にかけては5連敗を喫するなど一時低迷したが、その後はチーム状態が回復。下位争いに巻き込まれる事なく安定した戦いを見せたが、前年同様得点数は伸び悩み(総得点36・リーグワースト2位)、最終的に勝ち点43の11位でシーズンを終えた。 リーグ戦と同様カップ戦もコロナ禍の影響を受け、試合数が全3試合に削減されたルヴァン杯では3戦未勝利に終わりグループステージ敗退。天皇杯は出場チーム数削減の影響 でJリーグ加盟後では初めて不参加となった。 片野坂体制6年目。昨シーズンキャプテンを務めた鈴木義宜をはじめ、岩田智輝、田中達也、島川俊郎ら6選手が他J1クラブに完全移籍し、期限付き移籍加入していた知念慶は川崎に復帰した。また三平和司、前田凌佑ら4選手が契約満了により退団し、ムン・キョンゴンが兵役の関係で韓国に帰国するなど計13人がチームを離れた。補強面では長沢駿、坂圭祐、下田北斗、ポープ・ウィリアム、渡邉新太ら8選手が完全移籍加入し、エンリケ・トレヴィザン、ペレイラが期限付き移籍加入。昨季特別指定選手としてリーグ公式戦デビューを果たしていた井上健太、藤本一輝ら新卒選手が4選手が入団した。 当シーズンは前年から続くコロナ禍の影響で全20チーム、降格枠4と例年と異なるレギュレーションとなった。第2節・横浜FC戦でシーズン初勝利を収めるなど開幕3試合は1勝2分とまずまずの滑り出しであったが、鈴木・岩田ら昨季の主力選手流出の影響は隠せず第5節から第11節にかけて7連敗を記録しJ2降格圏に転落。第12節で清水に勝利を収め連敗をストップさせた後もチーム状態は上向かず、1試合未消化ではあるものの前半戦を3勝4分11敗の19位で折り返した。なお、ルヴァンカップはグループステージで敗退した。 夏の移籍期間では高山薫、黒﨑隼人、福森健太、髙澤優也が期限付き移籍でチームを離れた一方で、14年ぶりの復帰となる梅崎司をはじめ、呉屋大翔、野嶽惇也、増山朝陽を完全移籍で獲得し巻き返しを図った。9月・10月のゲームでは3勝2分1敗と善戦を見せたが降格圏を1度として脱するには至らず、第36節・鹿島戦をドローで終えると他会場の結果により、2試合を残して4年ぶりのJ2降格が決定した。ホームゲームでは7勝5分7敗勝点26得失点差-2と、J1全20チーム中12位の成績を挙げながら、アウェーでは初戦の横浜FC戦勝利の後、最終節の柏戦に勝利するまで17試合勝利がなく、2勝3分14敗で横浜FCと並び20チーム中最少タイの勝点9に終わった。 天皇杯では、準決勝で同年J1優勝の川崎フロンターレにPK戦で勝利し、九州ならびに本州以外を本拠地とするチームとして1966年1月の第45回大会の八幡製鐵以来56大会ぶり、Jリーグ創設後は史上初めて決勝に進出。決勝戦では1点ビハインドで迎えた後半終了間際にペレイラの得点で同点に追いついたものの、後半アディショナルタイムに浦和に得点を許し1-2で敗れ準優勝に終わった。 同シーズンを以て、片野坂が監督を退任。6シーズンの監督在任はクラブ史上歴代最長となった。 過去に横浜FC、柏レイソルで監督を務めた下平隆宏が新監督に就任。エンリケ・トレヴィザン、ポープ・ウィリアム、長谷川雄志が他クラブに移籍したもののそれ以外の退団は既に期限付き移籍中であった3選手に留まった。補強面では中川寛斗、伊東幸敏に加え、エドゥアルド・ネット、サムエルと2人のブラジル人選手が完全移籍で加入した他、大卒選手として宇津元伸弥、濵田太郎、そしてU-18から屋敷優成が昇格した。 1年でのJ1復帰を目指し勝ち点84を目標に定めたシーズンであったが、W杯カタール大会が同年冬に開催される影響でシーズンが例年より前倒しで終了する事に加え、ルヴァン杯参加による影響で開幕から11連戦、9連戦、7連戦というスケジュールとなり戦術が十分に浸透しないまま、多くの試合を行うこととなった。また、主力選手にも怪我人が続出したこともあり第6節まで未勝利(3分2敗)と出遅れ、前半戦を勝ち点28の10位で終えた。 夏の移籍期間では加入・退団選手が共に居なかったが、移籍ウィンドウ終了直後に金崎夢生が名古屋との契約を解除した上で加入、13シーズンぶりの復帰となった。後半戦は日程に少し余裕が出たことや若手の成長により調子を上げ、10戦負けなしを記録するなど10勝8分3敗の成績を残した。しかし目標とした自動昇格圏入りには及ばず、最終順位は勝ち点66の5位でJ1参入プレーオフに回ることとなった。 J1参入プレーオフ・1回戦では、リーグ4位・熊本と対戦。2-2で引き分けたが、引き分けの場合はリーグ戦上位を2回戦進出とする規定により敗退となった。 下平体制2年目。クラブ・リレーションズ・オフィサーに就任した松本怜をはじめ、金崎夢生、小林裕紀など計5選手が契約満了となった他、井上健太、三竿雄斗、呉屋大翔、下田北斗など昨季他クラブに期限付き移籍していた髙澤優也も含め計9選手が他クラブに移籍し、濵田太郎が長野へ期限付き移籍した。補強面では大分U-18出身の茂平や昨季J3ベストイレブンを受賞した安藤智哉、更にはデルラン、テイシェイラなど計6選手が移籍加入した他、期限付き移籍中であった高橋祐翔が復帰。U-18から佐藤丈晟、保田堅心が昇格し、大卒選手として松尾勇佑が加入した。また大分FCの代表取締役が榎徹から、前常務取締役の小澤正風に交代した。 夏の移籍期間では広島から鮎川峻が育成型期限付き移籍で加入した一方、高木駿が札幌へ移籍した。 第41節、金沢に2-2で引き分け。プレーオフ進出の可能性が消滅した。 その6日後の11月10日、下平監督の退任が発表された。 チームスローガン: 2年ぶりに片野坂知宏が監督に就任した。 大分トリニータを運営する株式会社大分フットボールクラブ(以下「大分FC」と記す。)には、1999年の会社設立以来、住宅リフォームメーカーのペイントハウスが筆頭株主として経営に参加していた(日経ビジネスオンラインによると、同社の創業者だった星野初太郎の肝いりだったという)。しかし、ペイントハウスの拡大路線が行き詰まり、同社の経営に投資コンサルタントの阪中彰夫が関与し始めた頃から、ペイントハウス、ひいては大分FCの経営が揺らぎはじめ、これをきっかけとなって様々な問題が生じ、クラブ経営が翻弄され続けることになった。 2004年、クラブ創設以来ユニフォームスポンサーを務めていたペイントハウスが年度途中で撤退。これをきっかけとして大分FCは経営難に陥り、2005年9月時点で7億2,500万円の累積赤字、3億4,400万円の債務超過となった。また、これと相前後して、2004年途中にペイントハウスの代わりにユニフォームの胸スポンサーに就いた、ミュージシャンの小室哲哉が役員を務めるイベント会社「トライバルキックス」による年間スポンサー料7,000万円の滞納が発覚した。大分FCの経営諮問委員会は2005年9月14日にとりまとめた答申で「極めて厳しい状況。運転資金確保が緊急の課題」と結論づけ、大分FCが9月21日までに2億円の調達が必要であるとし、大分県に公的支援を要請した。 これを受け、大分FCは大分県の外郭団体である大分県スポーツ文化振興財団から2億円の融資を受けた他、6月にユニフォーム胸スポンサーとなったパチンコホール運営会社のマルハンが2006年から6年間の年間シートを購入し、資金繰りを乗り切った。マルハンのスポンサードに関してはJリーグの規定に抵触するのではないかとの指摘があったものの、このときは特例として認められた。 2006年12月、Jリーグから、「(マルハンをはじめとする)ホール業界がJリーグのスポンサー自粛カテゴリーにあたり、2007年シーズン以降のユニフォームスポンサーとして許可できない」との方針が示されたことを受け、マルハンはこれ以降「スペシャルスポンサー」としてトリニータの支援を行うことになる。 2009年9月14日、大分FCは、マルハンが「ユニホームに企業名が入らず広告対価が伴わない」ことを理由にスポンサーを完全撤退したことを発表。加えて、2006年以降スポンサーに名を連ねていたフロンテック(「BOWS」表記)、オメガプロジェクト(現・伊豆シャボテンリゾート)が役員逮捕を起因とする経営難などから2009年までに相次いで撤退、さらに一度はスポンサー継続を決めていたジョイフル も、業績悪化で代表取締役の交代が決まった直後の3月にユニフォームスポンサーから撤退。そのうえ2009年途中からユニフォームの胸スポンサーとなったフォーリーフジャパンはそのビジネス手法などを巡り当初からサポーターの反発を受けていたこともあってに同年限りでスポンサーから降板するなど、大口スポンサーの撤退が相次いだことで再度の経営危機が一気に表面化した。 具体的には、2009年1月期現在で累積赤字が11億円、債務超過額が5億5,800万円 となっており、更には成績不振による入場料減収や監督交代に伴う人件費増加もあって、翌2010年度の運営費を前倒しで使う自転車操業のような経営方針もあいまって、2009年11月からのリーグ戦残り3節(うちホーム2試合)の運営が困難となった。 2009年11月11日、日本プロサッカーリーグが設立した公式試合安定開催基金からの緊急融資を申請した(J1所属クラブが同基金からの融資を申請するのは史上初)。申請の際、本年度のみで2億円程度不足とみられていた が、大分県は本年度のみで約4億円不足すると発表した。11月17日、Jリーグ理事会にて合計6億円の融資(当初3億5,000万円、2010年1月末に2億5,000万円)を決定。Jリーグは大分FCについて「経営破たんに近い、あってはならない経営」と指摘。11月20日、大分FC社長の溝畑宏が12月5日の公式戦終了後に引責辞任して、副社長の皇甫官が社長代行に就任することを発表。12月12日には、皇甫および強化部長の原靖が辞任し、大分県経営企画部長の青野浩志が代表取締役代行に就任した。 当初の緊急融資を受け、大分FCは再建計画書をJリーグに提出したが、「経費削減が不十分」として 12月14日のJリーグ理事会で追加融資分2億5千万円の承認が否決。12月23日のJリーグ臨時理事会でも同様の理由により否決されたため、大分FCは地元銀行からのつなぎ融資を受け当座の資金を確保した。これを受け、大分県や地元企業らが中心になって新たに「大分トリニータを支える県民会議」が発足。また大分市役所内にチーム支援のための募金箱を設置し、当面「5,000万円を目標」として募金を募った。ただ大分県内でもチーム支援に対する考えは地域によって温度差があり、大分市以外では「なぜトリニータばかり優遇するのか」という不満の意見もあった。 2010年1月19日、大分FCが再提出した運営予算を削減した計画書に基づき、Jリーグ理事会は更なる予算圧縮を要望しつつ残り2億5,000万円の追加融資を決定。2月16日には、大分FCが再度提出した予算を更に修正した計画書に基づき、Jリーグ理事会は追加融資を正式に了承した。大分県は再建支援のため、これまで半額免除であった大分銀行ドームの使用料を、2010年シーズンは全額免除することを決定。その後、全額免除は2012年シーズンまで続いている。 なお、債務超過額については、2009年1月期時点での5億8千万円あまりから、2009年12月の調査時点で大分FCによる調査で実質9億円以上になると判明。2010年1月末時点では11億6,700万円の債務超過額であることが4月27日の大分FCの株主総会で明らかにされた。 2010年5月、ティエムシー(旧・ペイントハウス)が保有していた大分FCの株式を買い取った大分商工会議所が筆頭株主となった。 2011年、ダイハツ九州が胸スポンサーとなった。 2010年11月17日、2011年1月までに必要な運転資金5億円のうちの1億9,000万円が不足する可能性が出たため、大分FCは大分県文化スポーツ振興財団から2億円の追加融資を受けた(この時点で、2005年の融資のうち8,000万円が未返済であった)。 2012年1月31日、Jリーグの公式試合安定開催基金から融資を受けていた5億円の内の2億円を返済。その一方で、10月12日までに公式試合安定開催基金からの融資の残り3億円の返済を完了しなければ、成績上の条件(2位まで自動昇格、3-6位は今年度から採用される「J1昇格プレーオフ」進出権利)を満たしても2013年度からJ1昇格をすることができないという条件が課せられた。同年5月、3億円のうちの1億円を目標に、市民・団体などから寄付(1口5,000円、上限なし)を募る「J1昇格支援金」の募集を開始。支援金は、8月17日に目標の1億円に到達し、最終的には約1億2,380万円に達した。この支援金に、地元経済界からの支援約1億920万円、大分県等の行政からの支出1億円を合わせて、支援の総額は約3億3,300万円となり、大分FCは10月12日に基金からの融資を完済した。なお、2012年10月12日時点の債務超過額は約5億8,500万円である。 2019年6月24日、大分市出身の河野貴輝が創業した貸会議室大手・ティーケーピー(TKP)が発行済み株式の20%を取得し、筆頭株主となった上で資本・業務提携を結んだことが公表された。また、地元の九州乳業も株式の買い増しにより株式比率を20%程度にまで高め、TKPと共に筆頭株主となった上で企業再生ファンドからの株式の買い戻しを進め、クラブは6月25日の社長会見で企業再生ファンドからの株式の買い戻しが完了したと発表した。 2019年末頃より流行した新型コロナウィルスの影響により、2020年度のスタジアム入場者数は大幅に減少し、クラブ経営に大きな影響を与えた。スポンサー営業も厳しい状況が続き、ユニフォームのスポンサーロゴ掲出箇所には空白が発生していた。そうした事情を踏まえクラウドファンディング・「#大分トリニータ一致団結プロジェクト~みんなの想いをピッチへ~」を2021年4月9日 - 5月16日にかけて実施。当初設定では目標金額を5,000万円とし、目標達成の暁にはユニフォーム鎖骨左の位置に同プロジェクトのロゴを掲出するとしていた。4月30日に当初目標金額に到達、その後「NEXT GOAL」として設定した8,000万円をも上回り、最終的に88,968,000円もの支援額が集まった。なお、プロジェクト期間中に筆頭株主であるティーケーピーが当初プロジェクトロゴ掲出予定であった鎖骨左部分のスポンサー契約を結んだことから、胸上中央部へとロゴ掲出位置が変更となった。 2019年12月3日にJリーグクラブとしては初となる子会社「株式会社トリニータマーケティング」を設立。東京都に拠点を置き、トリニータのYouTubeチャンネルでの動画配信、公式SNS・オンラインショップの運営・トリニータのグッズ開発、パブリックビューイングの開催、ソーシャルアクションなどを担当したが、新型コロナウイルス流行の影響に伴う経営合理化などを理由として、2020年10月31日を以て解散・清算となった。 U-12、U-15、U-18各世代にチームを保有し、U-15は宇佐市を拠点とするチームも保有している。 大分U-18は、2013年にプリンスリーグ九州1部にて初優勝。プレミアリーグ参入戦に臨んだが、愛媛FC U-18に敗れ参入は見送りとなった。翌2014年、プリンスリーグ九州で連覇を果たすと、この年の参入戦で大谷室蘭高校、米子北高校に勝利し2015シーズンからのプレミアリーグWESTへ昇格が決定した。2015年は3位となったが、翌2016年はリーグ戦最下位となりプリンス九州に降格となった。 日本クラブユースサッカー選手権での最高成績は2012年、2014年、2018年、2019年のラウンド16、Jユースカップでの最高成績は2015年のベスト4となっている。天皇杯には過去4回出場をしている(但し第95回大会より規約が改定され、2種登録チームの参加資格が無くなった為現在は出場不可)。 将来的な日本女子サッカーリーグ参入を視野に入れ、女子サッカーチームの「大分トリニータレディース」を2007年4月に創設。2006年10月に第一回セレクションを開催し、30名の選手が選抜された。2007年に大分県女子サッカーリーグおよび九州各県女子リーグ決勝大会で優勝し、2008年より九州女子サッカーリーグに所属している。 主練習場は大分スポーツクラブおよびレゾナックサッカー・ラグビー場である。大分スポーツ公園サブ競技場でも練習を行う事がある。なお、2002年頃までは、リバーパーク犬飼等各地のグラウンドを転々として練習を行っていた。 大分トリニータの年度別成績一覧#年度別入場者数を参照。 特定の試合においてサポーターがカラーボードを掲げコレオグラフィーを作る事がある。2008年のJリーグカップ決勝戦でも掲げている(画像参照)。 2003年のJリーグカップの京都戦(3月8日、西京極)で、1-1で迎えた後半17分、大分・高松大樹が負傷したために京都側はボールを一旦フィールドの外に出した。試合再開後に寺川能人が相手GKにボールを返す為に蹴ったが、そのボールをロドリゴがカットしてドリブルを始め、そのまま得点を決めた。暗黙の了解を破る行為だとして京都の選手は怒りを露わにし、両チームに一触即発ムードが漂った。 その後京都側のキックオフで試合が再開されたが、当時大分の監督だった小林伸二はアンフェアーなプレーを認識し、選手に対して守備を放棄するように指示。京都・中払大介のシュートを大分守備陣は見送り、スコアは2-2と再びイーブンになった。 奇しくもこの試合はtotoGOALがスタートして最初の試合であった。「totoGOAL」は指定されたチームの得点を「0点」「1点」「2点」「3点以上」で予想するものであるため、今回の出来事がtotoGOALの結果を変えてしまったという点で問題となったが、当試合のマッチコミッショナーは「ルール上一切問題はない。乱用されては困るが(京都ゴールも)いい意味でフェアプレーの延長線上」、当時日本サッカー協会キャプテンの川淵三郎も「あの状況では仕方がなかった」という見解を示し、Jリーグ側も大分を処罰しなかった。 2007年、J1第18節を終了時点で自動降格圏の17位と低迷していた大分は、リーグ後半戦の16試合を「リベンジ16」と銘打った。「リベンジ三戦士」として鈴木慎吾・ホベルト・エジミウソンを獲得した他、当企画のシンボルキャラクターとして「リッジー」が登場した。他にもスポンサーの協賛により試合毎に様々な企画を開催した。この16試合を8勝7敗1分と、ほぼ五分の成績で終え、シーズン14位でJ1残留を果たした。 「リベンジ16」の中で唯一対戦していなかった横浜FMについては、2007年に2戦とも大敗かつ無得点(第7節・A0-5/第18節・H0-3)であったことから、2008年のホームゲームで「リベンジマッチ」と銘打ってリッジーも再登場のもと行なわれた。試合は1-0で勝利し、リベンジを果たした。 2014年にクラブ創立20周年を迎えた大分は特設サイトを開設し、更には同年6月21日の愛媛FC戦を「20周年記念試合・大分県民DAY」と銘打ち開催し、サポーターからの投票により選出した歴代ベストイレブン発表などの企画を行った。 2018年8月18日、J2第29節の東京V戦にて、試合開始5分頃に監督の片野坂知宏の声が嗄れ、試合後の会見にもガラガラ声で臨むという一幕があった。その場面を見た大分サポーターがTwitterにて8月21日に「浅田飴さん、片さんの喉を守ってあげて」というツイートをすると、これに浅田飴の 公式アカウント が反応。その縁により翌日には大分FC(大分トリニータ運営会社)の営業スタッフが浅田飴本社に挨拶に出向く事となった。8月25日に浅田飴より薬用のど飴90缶が大分に差し入れされ、同日行われた徳島戦では片野坂は終始のど飴の缶ケースを手に持ち、ずっと飴を舐めながら ピッチ脇で指示を送った。試合後の囲み取材にて浅田飴について尋ねられると、「おかげさまで最後まで声が嗄れることなく指示を出すことができて感謝しています。浅田飴、もう手放せなくなりました。」とコメントした。のど飴缶を持ったまま指示を送る片野坂の姿を見た浅田飴代表取締役社長・堀内邦彦は「直接会って御礼を言いたい」とスケジュールの合間を縫って9月14日に大分の練習場を訪問し、片野坂と面会した。その翌日に行われたJ2第33節・讃岐戦でのオーロラビジョンにて、正式にスポンサードすることが発表され、ピッチサイドには浅田飴の広告看板が設置された。 2019年2月25日、浅田飴と大分トリニータのコラボ商品「戦うのどに浅田飴」を発売することが発表され、ホーム開幕戦の3月2日に、試合会場グッズ売り場にて販売開始された。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "大分トリニータ(おおいたトリニータ、英: Oita Trinita)は、日本の大分市、別府市、佐伯市を中心とする大分県全県をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。", "title": null }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "運営法人は株式会社大分フットボールクラブであり、1999年にJリーグへ加盟した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "クラブ名は、三位一体を表す英語「トリニティ(Trinity)」とホームタウン名「大分(Oita)」を合わせた造語で、イタリア語で「三位一体」を表すTrinitaと同じ綴りになっている。県民・企業・行政が一致団結することを表している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "2006年、エンブレム、ロゴマーク、チームフラッグが「Tフレアー」と呼ばれるデザインコンセプトにより一新され、クラブとしての略称「大分FC」が「FC大分」に変更された。運営法人名とは無関係。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "クラブマスコットは、亀がモチーフの「ニータン」 と、ウサギをモチーフにした準マスコットの「リッジー」。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "2022年シーズン終了時点で、J3在籍後にJ1昇格を経験した唯一のクラブである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2019年6月21日、運営会社株式の20%を貸会議室大手のTKPが取得して筆頭株主となり、資本・業務提携した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1994年4月に任意団体「大分フットボールクラブ」として発足。競技登録上のチーム名は「大分」または「大分FC」で、「大分トリニティ」という愛称が付けられた。大分県社会人サッカーリーグ(当時は1部リーグのみ)と九州サッカーリーグを連覇して1996年に全国地域サッカーリーグ決勝大会(地元大分市営陸上競技場で開催)で2位に入り、発足から2年でジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ昇格。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "当初は文正植、朴景和と韓国人監督の下、外国籍選手についても元韓国代表の皇甫官、崔大植などを中心としたチームだった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1998年、ブラジル人監督のフォルミーガ(ポルトガル語版)を招聘し、外国籍選手にウィルを補強。JFL最後のシーズンは6位であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1999年1月に運営法人となる株式会社大分フットボールクラブを設立。1999年から発足したJリーグ ディビジョン2(J2)に初年度から参加した。なお、「トリニティ」の名前が商標登録の関係で正式なチーム名として使えないため、同年より「大分トリニータ」へ改称した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "監督に前山形監督の石﨑信弘が就任。J2初年度からJ1昇格争いに加わるが、1999年・2000年とも2年連続で2位との勝ち点差1の3位で昇格を逃した。2001年はシーズン当初より不振で5月に石﨑を監督より解任し、小林伸二が後任の監督に就任。最終節まで昇格を争うところまで持ち直したが、結局6位に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "小林が続投した2002年は西山哲平、浮氣哲郎、サンドロ、アンドラジーニャなどを補強し、前年作り上げた堅守速攻を武器に序盤から首位を独走。J2優勝とJ1昇格を果たした。また、最終節で史上初のJ2通算100勝を達成した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "小林体制3年目。J1昇格1年目となったシーズンは、新潟の寺川能人、前年コパ・リベルタドーレス得点王のロドリゴなどの選手を補強した。守備はある程度通用したものの、ロドリゴは期待されたような活躍は出来ずシーズン途中で退団。前年チーム得点王のアンドラジーニャも得点をあげる事ができずシーズン途中に札幌に移籍した。その結果、ストライカーが不在となり深刻な得点力不足に陥りチームも低迷。シーズン半ばに3年振りの復帰となるウィルなど多くの外国人FWを補強するも得点力不足は改善されず、2ndステージは15試合で失点数はリーグ最少の16ながら、得点は7に留まった。最終節の15位・仙台戦は、大分勝利、引き分けの場合は大分の残留、大分負けの場合は仙台が残留と両チームのJ1残留をかけた直接対決となった。試合は前半15分に梅田高志のゴールで先制。後半に入り仙台に同点にされたが、勝ち越しは許さず1-1の引き分けで試合終了。年間順位14位(1stステージ14位、2ndステージ16位)でJ1に残留した。シーズン終了後、小林が監督を退任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "オランダ人のハン・ベルガーを監督に迎える。寺川が新潟に復帰したものの、元ブラジル代表のマグノ・アウベス、元オランダ代表のリチャード・ビチュヘ、仙台の根本裕一などの選手を獲得。マグノ等の補強組が結果を残し1stステージは10位で終える。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "しかし、2ndステージ開幕前のビチュヘの退団、1stステージで活躍した木島良輔のケガなどもあり失速。緊急補強としてDFのパトリックを獲得するも、2ndステージは2年連続の最下位。マグノが11得点、高松大樹が8得点を挙げたが、全体的な得点数は伸び悩み順位は年間13位に終わった。ベルガーはシーズン終了後に辞任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "皇甫官がヘッドコーチから監督に昇格。なお、前年度のゲームキャプテンを務めたサンドロが退団し、瀬戸春樹、山崎哲也などが他クラブに移籍した。補強面では元ブラジル代表のFWドド、上本大海などが加入した他、新加入選手として深谷友基らが入団。大分U-18から西川周作、梅崎司が昇格した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "しかしドドは15試合で3得点に留まり(結局ドドは前年加入したDFパトリックと共にシーズン途中で加入したエジミウソン、トゥーリオと入れ替わりで退団)、スタートダッシュに失敗し下位に低迷。その後一時は順位を8位まで上げるも、主将吉田孝行の怪我の影響もあり再び失速。神戸との最下位争いから抜け出せず、直接対決でも敗戦するなど不振が続いた為、皇甫を8月28日付で解任。後任にはペリクレス・シャムスカが就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "初采配となった浦和戦を勝利すると、そこから6戦負け無し(5勝1分)を記録するなど勝利を積み上げ、当初に掲げていた「残り12試合で勝ち点18」の目標を8試合(6勝1敗1分け、勝ち点19)で達成、目標を7位に修正するほどの急速的な復調を遂げた。この出来事は「シャムスカマジック」と呼ばれた。11月23日のC大阪戦に1-1で引き分けたことでJ1残留が決定。最終順位は過去3年間で最高の11位となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "シャムスカ体制2年目。岡中勇人が現役を引退した他、チーム得点王のマグノ・アウベス、主将を務めていた吉田孝行など半数近くの選手が他クラブに移籍、または戦力外となった。補強面ではフォルタレーザECからオズマール、柏から元日本代表の増田忠俊らを獲得。新加入選手として高橋大輔、森重真人が入団し、大分U-18から福元洋平、梶原公が昇格。登録メンバーは25人でシーズンに臨んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "序盤戦は3連敗を喫するなど黒星が先行し、一時はシーズン14位に順位を落としたが、その後は調子を上げ第11節鹿島戦から第14節新潟戦にかけて4連勝を記録。第16節川崎戦から第22節福岡戦にかけては7戦負けなしで、第21節にはこの年のリーグ王者である浦和から白星をあげるなど6位に浮上。シーズン前に掲げた目標を「8位以内」から「4位以内」に修正し10月にJ1残留を決めた。ただその後は3勝2分7敗と成績を落としたことで賞金圏内の7位以内を逃したが、当時のJ1最高順位となる8位でシーズンを終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "また、チーム創設以来初めて、日本代表に西川周作と梅崎司、後に高松大樹も招集され、梅崎と高松は国際Aマッチにも出場を果たした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "シャムスカ体制3年目。エジミウソン、トゥーリオが退団し、梅崎司がフランス・グルノーブルに期限付き移籍するなど7選手がチームを去った。補強面ではジュニオール・マラニョン、宮沢正史、アウグスト、金崎夢生ら8選手が新たに加入した。しかし、新加入のマラニョン・宮沢が共にスタメン出場した開幕2試合が共に未勝利に終わると、宮沢は翌第3節でスタメン落ち、マラニョンは後にシーズン半ばで退団となった。その後は藤田義明など様々な選手をボランチで起用するも大量失点で負ける試合も少なくなく、第13節には最下位の横浜FCにも1-2で敗北を喫した。シーズン途中に前田俊介(広島より期限付き移籍)、梅崎(グルノーブルより復帰)が加入した後も勝ち点を伸ばせず、前半戦(第18節)終了時点で自動降格圏内の17位と低迷した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "J1残留のために後半戦をリベンジ16と銘打ち、新潟から鈴木慎吾、元福岡のホベルト、そして半年ぶり、3度目の加入となるエジミウソンを獲得。その結果、後半戦はチーム状態が回復し、順調に白星を重ねるようになる。中でも第31節は同じく残留争いをしていた大宮との直接対決で、1-1で迎えた後半44分に前田俊介の大分移籍後初得点となるゴールで逆転勝利。第33節 磐田戦を勝利しJ1残留を確定させた。シーズン最終順位は14位であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "シャムスカ体制4年目。シーズン前に梅崎司、松橋章太、三木隆司、山崎雅人が他クラブに移籍するなど9選手が退団。その穴を埋めるべくG大阪より家長昭博、前広島のウェズレイらを獲得し、大分U-18から清武弘嗣、小手川宏基ら4選手が昇格した。また、この年に大分初のクラブマスコットキャラクターとなるニータンが誕生した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "シーズン前の練習中に家長が全治6か月の大ケガを負ったが、その代役に抜擢された2年目の金崎夢生が活躍。上本大海・森重真人・深谷友基の3バックラインとエジミウソン・ホベルトのボランチコンビ、そしてGK西川周作との連携は成熟されリーグトップレベルの堅守を見せた(イタリア代表の「カテナチオ」とクラブマスコットであるカメのニータンを掛け合わせ「カメナチオ」と呼称)。その堅守を武器にナビスコ杯では、予選GLを2位でクラブ初の突破を果たすと、決勝トーナメントはそのままの勢いでFC東京、名古屋グランパスを破り、決勝・清水エスパルス戦も高松大樹とウェズレイのゴールで2-0のスコアで勝利し、優勝を果たした(クラブ初そして九州のチーム初のタイトル)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "一方、リーグ戦も終盤まで優勝争いに加わり、チーム歴代最高の4位・勝点56でシーズンを終えた。総失点数はJ1過去最少の24失点(1試合平均0.706点)となった。また、ホームゲーム6連勝やホームゲーム13試合連続不敗を記録するなどホームである九州石油ドーム(当時)で圧倒的な相性の良さをみせた。ただ、得点数は伸び悩みリーグ戦で3得点以上を記録した試合は僅か2試合に終わり、リーグワースト2位の33得点(1試合平均0.971点)となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "シャムスカ体制5年目。神戸から坪内秀介が期限付き移籍で加入し、梅田高志と、宮沢正史が期限付き移籍より復帰。一方で期限付き移籍で加入していた小林亮等が退団した。シーズン開幕前の2月にホーム・デポ・センター(アメリカ合衆国カリフォルニア州カーソン)で開催されたパンパシフィックチャンピオンシップ2009にナビスコカップ優勝チームとして出場し3位となる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "リーグ戦では、チーム始動が遅くフィジカルトレーニングが十分に行えなかったことや、九州石油ドームの芝の張り替えに失敗し芝の状態が不安定だった影響による怪我や累積警告で、多くの主力選手の欠場が相次ぎ最下位に低迷。5月23日の広島戦で敗戦を喫したことで10連敗となり、延長戦が廃止された2003年以降のJ1では、2007年の横浜FCの9連敗を抜いてワースト記録となった。その後は連敗数は14まで続き、1勝1分15敗(勝ち点4)の最下位でシーズンを折り返した。このため、7月14日に成績不振によりシャムスカを解任。後任に元広島コーチのランコ・ポポヴィッチが就任した。同月18日の第18節・浦和戦ではポポヴィッチの役員登録が完了するまでの処置として強化部の松山博明が暫定監督を務め、1-0で浦和に勝利。これで連敗を14で止め、3月21日の第3節・新潟戦以来の勝ち点、3月14日の第2節・京都戦以来の勝ち星をあげた。その後9月13日の磐田戦からシーズン終了まで10戦負けなし、またこれまでリーグ戦未勝利だった千葉にも初勝利をあげるなど復調を遂げたが、前半戦の成績が響き残留圏内まで浮上するには至らず、第30節の京都戦(勝利が残留の必要条件)に引き分けた事でリーグ戦4試合を残し8シーズンぶりのJ2降格が決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "一方、連覇を懸け望んだナビスコ杯は無敗であったものの、1勝5分と勝ち点3を積み上げる事ができず予選敗退となった。また、8月5日にはスルガ銀行チャンピオンシップが開催され、コパ・スダメリカーナ王者・SCインテルナシオナルと対戦し、1-2で敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "2009年シーズン中に表面化したチームの経営危機を受ける形でチーム予算を大幅に削減。強化運営費も例外ではなく、監督のポポヴィッチをはじめ西川周作、森重真人、金崎夢生、エジミウソンなど主力を中心にチームの半数近くの選手・スタッフを放出。監督には前副社長の皇甫官が2005年以来5年ぶりに就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "補強はユース・大卒選手を3人獲得、更に現役韓国代表であったキム・ボギョン、ベテランDFのチャン・ギョンジンの二人の韓国人選手を期限付き移籍で獲得、また一度は戦力外となった選手の再契約などで選手の人数を補った。しかし、監督の皇甫の年俸が経営危機の中であるにも関わらず高額である事、本年契約する見込みだったフェルナンジーニョの契約解除に伴う高額な違約金負担(しかし、これは彼の移籍先である仙台に一部を負担させたと見られている)と、財政運営の見込みが甘かった(中期決算発表で黒字化の見込みと出していた)ことにより運営資金のショートが翌年の1月中に発生してしまう事態に陥った。県の緊急融資でなんとか乗り切るが、財政が芳しくない大分県からの融資には県民からの批判の声が挙がった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "開幕当初こそキムの5試合6得点という活躍もあり上位につけていたが、4月25日から8月7日の富山戦で12試合ぶりの勝利を挙げるまで約3か月間勝ち星無し。その後17試合で4勝にとどまり、J2過去最低(当時)の15位に終わった。また、この年限りで皇甫が監督を退任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "6月1日、2010 FIFAワールドカップ韓国代表メンバー23人にキム・ボギョンが選出された。大分に在籍する選手がワールドカップの代表メンバーに選出されるのは史上初であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "前年まで清水でヘッドコーチを務めていた田坂和昭が監督に就任。オフにキム・ボギョンがレンタル元のC大阪に復帰、更に前年から続く経営危機の影響で東慶悟、菊地直哉、そして藤田義明がJ1クラブに完全移籍し、高松がFC東京に期限付き移籍した。補強は水戸から大卒1年目の作田裕次と藤川祐司、熊本から西弘則などの若手選手を獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "シーズン途中からフォーメーションを3-4-3に変更し、FWのチェ・ジョンハンや三平和司がサイドで起用されたり、DFの刀根亮輔がFW、ボランチの姜成浩がCBで起用されたりと多くの選手を様々なポジションにコンバートさせリーグを戦った。また、前田俊介や森島康仁がそれぞれ自己最高の成績を残すなど若手が台頭。なお、J2シーズン成績は12位。天皇杯は3回戦で敗退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "田坂体制2年目。昨シーズンクラブの主軸として活躍した前田、姜がJ1クラブに移籍したものの、森島、土岐田らその他の主力選手の引き止めには成功し流出を少数にとどめた。補強では、千葉から元日本代表の村井慎二を獲得し、FC東京にレンタル移籍していた高松が復帰した。後はC大阪より3人の若手選手をレンタル加入させるなど前年と同じく多くの若手選手を獲得した。また、5月に「J1昇格支援募金」を開始した(後述)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "開幕戦は2007年以来のホームスタジアムでの開催となった。リーグ戦では第21節、アウェイでギラヴァンツ北九州を破り、バトルオブ九州初勝利を挙げ同時に6年ぶりの4連勝を達成した。第23節に首位に立ったものの自動昇格となる2位以内に入ったのはその1節のみだった。とはいえ、3連敗以上の連敗をしないなどシーズンを通じて安定した戦いを見せ、第18節以降J1昇格プレーオフ圏内である6位以内を最終節までキープした(最終順位は6位)。J1ライセンス交付の条件とされていた、後述の「公式試合安定開催基金」からの融資残額3億円についても、5月下旬から一般市民や地元政財界に支援を募り、集まった寄付金・支援金計3億3,306万1,323円から返済期限とされた10月12日までに完済したため、PO進出が決まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "11月18日のPO準決勝は京都に森島が4ゴールを決めて4-0で、11月23日のPO決勝は千葉に林丈統のゴールで1-0で勝利を収めて、2009年以来4年ぶりのJ1復帰を果たした。天皇杯は初戦(2回戦)で水戸ホーリーホックに敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "田坂体制3年目。リーグ戦チーム最多タイの14得点の三平和司と石神直哉が湘南からの期限付き移籍期間満了により退団し、他にも作田裕次、イ・ドンミョン等がチームを離れた。一方、補強では神戸より元日本代表の高木和道、大宮より2009年以来の復帰となる深谷友基を獲得。その他にも児玉新、小松塁、辻尾真二と30代手前~前半の年齢の選手を中心に、合わせて9選手が加入した。また、シーズン途中に今季加入の金永基、小松を他クラブに期限付き移籍で放出。北京五輪日本代表であった梶山陽平をFC東京から期限付き移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "J1リーグ戦はシーズン初勝利が開幕から2ヶ月以上経過した5月18日のJ1第12節・アウェー新潟戦まで掛かるなど終始低迷。第8節で最下位となって以降は順位を浮上させることができず、10月5日の第28節C大阪戦に0-2で敗れたことで、リーグ戦6試合を残し1年でのJ2降格が決定した。最終的には勝利数がJ1リーグ最低新の2(過去の最低記録は2010年湘南の3勝)、勝点もJ1リーグ最低タイ記録の14(2012年札幌と同点)を記録した他、リーグ戦ホームゲームの戦績が4分13敗とJリーグ史上初のシーズン中ホームゲーム未勝利(ヤマザキナビスコカップでも1分2敗だったためJリーグのチーム相手の公式戦総計は5分15敗)となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "天皇杯はクラブ史上最高成績となるベスト8の成績を残した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "田坂体制4年目。2013年のチーム内得点王であった森島康仁が川崎に、正GKを主に務めた丹野研太が古巣・C大阪にそれぞれ完全移籍。主将・宮沢正史は契約満了に伴い岐阜に移籍。その他には梶山陽平、松原健など計16人が退団した。補強面では鳥栖から室拓哉、C大阪から武田洋平、千葉から伊藤大介をいずれも完全移籍で、鳥栖から末吉隼也とクラブ初のコロンビア人となるジョナサン、新潟から増田繁人、名古屋から田中輝希、神戸からカン・ユングをいずれも期限付き移籍で獲得。更に新人として大阪体育大学から伊佐耕平が加入した。また、前年から期限付き移籍中の松本怜の期限付き移籍期間を1年間延長し、2014年新体制発表時点での選手数は25人となった。チーム創立から20周年の節目のシーズンになる事に併せ、6月21日の愛媛戦は20周年記念試合と銘打ち開催された(詳細については20周年記念試合を参照)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "アウェーで迎えた開幕戦は水戸に1-2で敗北したが、ホーム開幕戦となる第2節で北九州に1-0で勝利し、昨シーズンから続いたリーグ戦ホームゲーム未勝利記録を17でストップさせた。その後は極端に成績を落とすことは無かったものの順位を3位以上に付けることができず、J1昇格プレーオフの枠を磐田、千葉、北九州(クラブライセンスの関係によりプレーオフ出場権無し)、山形らと争う形となった。その後シーズン途中で大宮から加入したラドンチッチ(11月に膝の手術のため退団)、FC東京(シーズン前半は岡山に期限付き移籍)から期限付き移籍で加入した林容平、ラドンチッチとほぼ入れ替わりで加入したダニエルの活躍もあって39節終了時点でプレーオフ圏内の6位につけるも、第40節の水戸戦で逆転負けを喫し7位に後退。その後順位を浮上させることはできず、2年振りのJ1昇格プレーオフ進出を果たす事はできなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "またこの年開催された2014 FIFAワールドカップでは、大分U-18に在籍し2種登録選手としてトップチームに登録されていた坂井大将が、名古屋の杉森考起と共にトレーニングパートナーとして日本代表に直前合宿から大会終了まで帯同した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "田坂体制5年目。伊藤が岡山に、末吉が古巣・福岡に移籍。そして林は移籍期間満了に伴いFC東京に復帰した。また、キャプテンを務めた高木が契約満了となり岐阜に移籍した。その他8人の選手が退団し合計12選手が大分を去った。一方補強面ではブラジル人のエヴァンドロ、東ティモール国籍を有するムリロ・アルメイダ、更には新潟から岡本英也、そして京都から三平和司が3年振りに復帰するなど前線の選手を多く補強した。また千葉から兵働昭弘が加入。その他にも8選手が加入し、大分に加入後即V大分に期限付き移籍となったフェリペ(3月にアルメイダと入れ替わりで復帰)を含め併せて14選手が加入した。キャプテンには2004年のサンドロ以来、11年ぶりの外国籍選手キャプテンとなるダニエルが就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "しかしシーズンが始まると戦術の浸透の失敗や、新加入選手が機能せず前述の末吉・伊藤・林らの穴を埋めきれなかった影響で開幕から低迷。第16節終了時点で2勝5分9敗の最下位に留まった事で、6月1日に監督・田坂を解任。当初は外部から後任監督を招聘する予定であったが交渉が不発に終わり、最終的には強化育成部長で監督代行も務めていた柳田伸明が7月2日より監督に就任することとなった。当月は東京V戦での15試合ぶりの白星を含む3勝と復調の兆しを見せたが勢いを持続させることはできず、また荒田智之、パウリーニョらの途中補強も実らず降格圏から脱出するまでには至らなかった。最後は4連敗を喫するなど不安定なチーム状況のまま21位でリーグ戦を終え、J2・J3入れ替え戦に出場する事となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "入れ替え戦はJ3・2位の町田に2戦とも敗れ(トータルスコアは1-3)、J1経験クラブとして初のJ3リーグ降格となった。シーズン終了後に柳田が監督を退任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "新監督として、G大阪でヘッドコーチを務めていた片野坂知宏が就任。クラブ初の「大分トリニータ」在籍経験者の監督就任となった。またコーチメンバーにも吉村光示、山崎哲也(U-18監督より配置転換)が新たに加入し、留任したGKコーチ・吉坂圭介を含め全員が大分トリニータOBとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "他クラブに期限付き移籍中の選手を含め全選手に対して契約延長のオファーを出したが、チーム得点王であった為田大貴をはじめとして、昨シーズン先発出場機会の多かった若狭大志、武田洋平、兵働昭弘、安川有、西弘則等が他J1・J2クラブに移籍。また阪田章裕、荒田智之が同ディビジョンとなるJ3・長野に移籍。他クラブに期限付き移籍中であった風間・岡本も期限付き移籍先に完全移籍する等、退団選手は計13人となった。補強面では、元日本代表・山岸智を広島から獲得。他には黄誠秀、千明聖典、染矢一樹(4月1日契約解除)、山之内優貴、更には若手選手を3人期限付き移籍で獲得。そしてユースから3選手が昇格した。また昨シーズン限りで退任した青野浩志の後任として、新社長に榎徹が就任。強化育成部長には昨シーズン途中から代理で務めていた西山哲平が就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "開幕3連勝を記録し、同節終了時には首位に浮上するも、第4節で琉球に敗れ首位を明け渡す。その後は勝ち星を伸ばすことができなくなり、同節から4試合未勝利(1分3敗、上記の通り第5節は延期)で、第8節終了時には一旦10位まで順位を下げた。第15節では最下位・YS横浜に敗戦を喫し、前半戦を昇格圏外となる3位で折り返した。そして第19節には9連勝中の首位・栃木に敗戦を喫し首位との勝ち点差が9に広がった。しかしその後、シーズン途中に加入した八反田康平らの活躍や、失点リスクを抑えた相手対策重視の戦法に切り替えたこと により、第28節終了時までで7勝1分1敗という追い上げを見せ栃木を追走。ホーム最終戦となった第29節・YS横浜戦にて大分が勝利し、栃木が敗北した為、栃木と勝点で並び得失点差で第3節以来の首位に立った。そして最終節の鳥取戦を4-2で勝利し、最終5節を5連勝で終えJ3リーグ優勝、1年でのJ2リーグ復帰を果たした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "また、このシーズンを以て2000年の入団以降、FC東京へ期限付き移籍した2011年を除いて大分でプレーし、長年に渡り中心選手として活躍した高松大樹が現役を引退した。現役最後の試合となったホーム・大分銀行ドームで開催されたYS横浜戦には、J3記録(当時)となる11,065人の観衆が詰めかけた。また年間の観客数が116,563人とJ3創設3年目にして初めて年間10万人を突破したクラブとなり、1試合平均も7,771人で史上最多記録を大幅に更新した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "片野坂体制2年目。前述した高松大樹の引退をはじめ、松本昌也が磐田に移籍、J3優勝に貢献した八反田康平ら4人が期限付き移籍期間満了、2015年にキャプテンを務めたダニエル、千明聖典ら5人が契約満了で合計11名がチームを去った。また江頭一輝が東海社会人サッカーリーグの鈴鹿アンリミテッドFCに期限付き移籍となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "補強面では、小手川宏基、林容平、岸田翔平というクラブに縁のある選手をはじめ竹内彬、黒木恭平、川西翔太、高木駿が完全移籍で加入。また鈴木惇、坂井達弥、前田凌佑が期限付き移籍で加入し、昨シーズン期限付き移籍で大分に在籍した清本拓己、大津耀誠が完全移籍に移行。そして大分U-18から野上拓哉、大分U-18出身の國分伸太郎が立命館大学より加入した。シーズン途中には坂井大将がベルギー2部のAFCテュビズに期限付き移籍した一方で、湘南からシキーニョが加入するなど、3選手が加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "リーグ戦に入ると、開幕戦・A福岡戦を2-1で勝利。更に第9節・A湘南戦では1-0、第13節・H名古屋戦では4-1のスコアで勝利を収め昨年のJ1在籍チーム全てから勝ち点3をあげ、前半戦終了時には9勝5分6敗の勝点32の9位につけた。後半戦に入ると、第26節終了時には6位と勝点で並ぶ7位にまで浮上。続く3試合で1分2敗とし12位まで順位が低下したが、その後再び盛り返し、第38節終了時には8位ながら6位の徳島と勝点差1まで迫った。続く2試合で1分1敗、そして第41節で徳島との直接対決に敗れたことによりJ1昇格プレーオフ進出は逃したものの、目標勝ち点45 に対し19上回る勝ち点64を記録し最終順位は9位となった。アウェーゲームではリーグ3位の成績であった反面、ホームゲームでは9月2日に開催された群馬戦から最終戦・熊本戦までの約2か月半の間未勝利の状態に陥るなど負け越しリーグ16位の成績であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "片野坂体制3年目。昨季主に先発出場をした上福元直人が東京Vへ移籍し、鈴木惇が期限付き移籍期間満了に伴い福岡に復帰。また、2016-2017年にキャプテンを務めた山岸智が契約満了により退団。吉平翼が秋田、佐藤昂洋がJFL・青森に期限付き移籍するなど、計11名が退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "補強面では、昨シーズンと同様に刀根亮輔、丸谷拓也、山口真司(期限付き移籍)と大分に過去所属経験のある3選手の加入を始め、J3リーグで2年連続得点王となった藤本憲明や馬場賢治、星雄次、那須川将大、兼田亜季重が完全移籍で加入。また宮阪政樹、イム・スンギョムと前述の山口を含め3選手が期限付き移籍で加入。U-18からの昇格を含む高校・大学新卒選手の獲得は無く、新加入選手は計10人となった。夏の移籍期間では、イムが期限付き移籍期間を前倒しして満了し退団、今季よりキャプテンを務めていた竹内が讃岐に期限付き移籍した一方で、FCフアレスよりウイリアンを完全移籍で、千葉より岡野洵を期限付き移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "開幕戦は勝利したものの、その後三戦勝ち無しとなり第3・4節は共に無得点であった。それでも戦術の浸透と星、馬場ら新戦力の活躍もあって 第5節・水戸戦から第8節・京都戦にかけて4連勝し2位に浮上。第10節・金沢戦に勝利した事で同シーズン初めて首位に浮上した。その後は第18、19節で一旦首位を明け渡すが、翌第20節で再び首位浮上、前半戦(第21節終了時点)を首位で折り返す。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "しかしシーズン折り返し後は、大分の戦術スタイルに対する相手の研究が進んだこともあり 前節(第21節)から数えて3連敗を含む5試合未勝利となり5位に転落した。その対策として第26節・岐阜戦において3ボランチを採用した3-5-2のシステムに変更し、これまで途中出場中心であったり出場機会の少なかった三平和司、岩田智輝、前田凌佑、小手川宏基らを起用し同試合を勝利した。その後再び3試合未勝利で一時はJ1参入プレーオフ圏外の7位まで順位を落としたが、対戦相手によってシステム、戦術、選手起用を臨機応変に使い分けた事により復調。第32節・熊本戦から第36節・京都戦にかけては5連勝を記録し第21節以来の首位に浮上、その後は自動昇格圏内をキープした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "2位で迎えた最終節・アウェー山形戦は、星のゴールにより試合終了間際まで1-0でリードしていたが、後半アディショナルタイムに失点を喫する。そのままスコアは動かず引き分けに終わり、23勝7分12敗・勝ち点76で全日程を終了した。他会場の結果、町田と横浜FCに勝ち点で並ばれたものの得失点差により 自動昇格圏内の2位を守り、6シーズンぶりのJ1復帰が決定した。J3リーグ在籍経験のあるクラブとしては初のJ1昇格事例となる。同シーズンでの得点数76はリーグ最多を記録。また馬場、藤本、三平、後藤と4人がリーグ戦10得点以上を達成したのは2009年の湘南 以来9年振りの出来事であり、39試合目での達成はJ2最速であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "片野坂体制4年目。林容平や宮阪政樹、川西翔太、清本拓己、修行智仁ら期限付き移籍していた2選手を含め全15人が退団。補強面は期限付き移籍していた坂井大将、吉平翼の復帰を始め、高山薫、小林成豪、三竿雄斗、小塚和季、オナイウ阿道、そしてタイ代表のティティパンら全15人が加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "昨季の主力は残留し継続性を確保した他、J2で22得点を記録したオナイウ、12得点を記録した小林を始め、伊藤涼太郎、小塚、庄司朋乃也など「試合から遠ざかっている名前のあるベテランよりも、J2で結果を出した選手の方が力を発揮してくれる」という強化部長・西山哲平の判断から、昨季J2で活躍した選手を多く補強し前線の強化に成功。監督の片野坂も新体制発表会見にて「僕が要求した選手をある程度クラブが揃えて、J1で戦える戦力を整えてくれた」と語った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "シーズン開始前の予想では多くの記者・スポーツライターからJ2降格候補に挙げられたが、開幕戦で鹿島アントラーズにアウェーで2006年以来2度目の勝利を収めると、2月・3月度の月間MVPを受賞した藤本憲明の活躍もあって、7節から12節にかけて6試合無敗を記録するなど一時は順位を3位まで浮上させる。その後は上位陣との対戦が続いた事もあり勝ち点を伸ばせなかったが、17節の浦和レッズ戦で6試合振りに勝利を収め前半戦を8勝5分4敗の4位で折り返した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "後半戦に入ると、藤本のヴィッセル神戸への移籍や対戦チームからの分析が進んだ影響で4勝6分7敗と負け越したが、夏の移籍期間で加入した田中達也、小林裕紀を新たに先発メンバーに加え、前年同様GKから繋ぐサッカーを貫徹。当初の目標であった「勝点45」を3試合を残してクリアし、一度も残留争いに巻き込まれること無く12勝11分11敗・勝点47の9位でシーズンを終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "一方、6年振りに参加したルヴァンカップではグループステージ最終節までプレーオフステージ進出の可能性を残したが、セレッソ大阪に敗れて2008年以来のグループステージ突破は果たせなかった。天皇杯は歴代最高タイ記録となるベスト8に進出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "片野坂体制5年目。丸谷拓也が現役引退し、後藤優介が清水へ完全移籍で、昨季期限付き移籍で加入していたオナイウ、ティティパンら7選手がいずれも移籍期間満了により退団した。小島亨介は新潟へと期限付き移籍するなど他クラブへ期限付き移籍していた3選手も含め全13人が退団した。補強面では昨季途中から期限付き移籍していた高畑奎汰が復帰した他、渡大生、知念慶、町田也真人、香川勇気、野村直輝、髙澤優也ら全12人が加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "「勝ち点55・総得点50・失点35の6位」を目標に掲げたが、第1節終了後まもなく新型コロナウイルス感染症流行の影響によりリーグが約4か月にわたって中断。7月上旬からの再開後は12月中旬までの約4か月半で全日程を消化する過密日程を強いられたことにより新加入選手を中心に怪我人が続出した。第5節から第9節にかけては5連敗を喫するなど一時低迷したが、その後はチーム状態が回復。下位争いに巻き込まれる事なく安定した戦いを見せたが、前年同様得点数は伸び悩み(総得点36・リーグワースト2位)、最終的に勝ち点43の11位でシーズンを終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "リーグ戦と同様カップ戦もコロナ禍の影響を受け、試合数が全3試合に削減されたルヴァン杯では3戦未勝利に終わりグループステージ敗退。天皇杯は出場チーム数削減の影響 でJリーグ加盟後では初めて不参加となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "片野坂体制6年目。昨シーズンキャプテンを務めた鈴木義宜をはじめ、岩田智輝、田中達也、島川俊郎ら6選手が他J1クラブに完全移籍し、期限付き移籍加入していた知念慶は川崎に復帰した。また三平和司、前田凌佑ら4選手が契約満了により退団し、ムン・キョンゴンが兵役の関係で韓国に帰国するなど計13人がチームを離れた。補強面では長沢駿、坂圭祐、下田北斗、ポープ・ウィリアム、渡邉新太ら8選手が完全移籍加入し、エンリケ・トレヴィザン、ペレイラが期限付き移籍加入。昨季特別指定選手としてリーグ公式戦デビューを果たしていた井上健太、藤本一輝ら新卒選手が4選手が入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "当シーズンは前年から続くコロナ禍の影響で全20チーム、降格枠4と例年と異なるレギュレーションとなった。第2節・横浜FC戦でシーズン初勝利を収めるなど開幕3試合は1勝2分とまずまずの滑り出しであったが、鈴木・岩田ら昨季の主力選手流出の影響は隠せず第5節から第11節にかけて7連敗を記録しJ2降格圏に転落。第12節で清水に勝利を収め連敗をストップさせた後もチーム状態は上向かず、1試合未消化ではあるものの前半戦を3勝4分11敗の19位で折り返した。なお、ルヴァンカップはグループステージで敗退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "夏の移籍期間では高山薫、黒﨑隼人、福森健太、髙澤優也が期限付き移籍でチームを離れた一方で、14年ぶりの復帰となる梅崎司をはじめ、呉屋大翔、野嶽惇也、増山朝陽を完全移籍で獲得し巻き返しを図った。9月・10月のゲームでは3勝2分1敗と善戦を見せたが降格圏を1度として脱するには至らず、第36節・鹿島戦をドローで終えると他会場の結果により、2試合を残して4年ぶりのJ2降格が決定した。ホームゲームでは7勝5分7敗勝点26得失点差-2と、J1全20チーム中12位の成績を挙げながら、アウェーでは初戦の横浜FC戦勝利の後、最終節の柏戦に勝利するまで17試合勝利がなく、2勝3分14敗で横浜FCと並び20チーム中最少タイの勝点9に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "天皇杯では、準決勝で同年J1優勝の川崎フロンターレにPK戦で勝利し、九州ならびに本州以外を本拠地とするチームとして1966年1月の第45回大会の八幡製鐵以来56大会ぶり、Jリーグ創設後は史上初めて決勝に進出。決勝戦では1点ビハインドで迎えた後半終了間際にペレイラの得点で同点に追いついたものの、後半アディショナルタイムに浦和に得点を許し1-2で敗れ準優勝に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "同シーズンを以て、片野坂が監督を退任。6シーズンの監督在任はクラブ史上歴代最長となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "過去に横浜FC、柏レイソルで監督を務めた下平隆宏が新監督に就任。エンリケ・トレヴィザン、ポープ・ウィリアム、長谷川雄志が他クラブに移籍したもののそれ以外の退団は既に期限付き移籍中であった3選手に留まった。補強面では中川寛斗、伊東幸敏に加え、エドゥアルド・ネット、サムエルと2人のブラジル人選手が完全移籍で加入した他、大卒選手として宇津元伸弥、濵田太郎、そしてU-18から屋敷優成が昇格した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "1年でのJ1復帰を目指し勝ち点84を目標に定めたシーズンであったが、W杯カタール大会が同年冬に開催される影響でシーズンが例年より前倒しで終了する事に加え、ルヴァン杯参加による影響で開幕から11連戦、9連戦、7連戦というスケジュールとなり戦術が十分に浸透しないまま、多くの試合を行うこととなった。また、主力選手にも怪我人が続出したこともあり第6節まで未勝利(3分2敗)と出遅れ、前半戦を勝ち点28の10位で終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "夏の移籍期間では加入・退団選手が共に居なかったが、移籍ウィンドウ終了直後に金崎夢生が名古屋との契約を解除した上で加入、13シーズンぶりの復帰となった。後半戦は日程に少し余裕が出たことや若手の成長により調子を上げ、10戦負けなしを記録するなど10勝8分3敗の成績を残した。しかし目標とした自動昇格圏入りには及ばず、最終順位は勝ち点66の5位でJ1参入プレーオフに回ることとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "J1参入プレーオフ・1回戦では、リーグ4位・熊本と対戦。2-2で引き分けたが、引き分けの場合はリーグ戦上位を2回戦進出とする規定により敗退となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "下平体制2年目。クラブ・リレーションズ・オフィサーに就任した松本怜をはじめ、金崎夢生、小林裕紀など計5選手が契約満了となった他、井上健太、三竿雄斗、呉屋大翔、下田北斗など昨季他クラブに期限付き移籍していた髙澤優也も含め計9選手が他クラブに移籍し、濵田太郎が長野へ期限付き移籍した。補強面では大分U-18出身の茂平や昨季J3ベストイレブンを受賞した安藤智哉、更にはデルラン、テイシェイラなど計6選手が移籍加入した他、期限付き移籍中であった高橋祐翔が復帰。U-18から佐藤丈晟、保田堅心が昇格し、大卒選手として松尾勇佑が加入した。また大分FCの代表取締役が榎徹から、前常務取締役の小澤正風に交代した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "夏の移籍期間では広島から鮎川峻が育成型期限付き移籍で加入した一方、高木駿が札幌へ移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "第41節、金沢に2-2で引き分け。プレーオフ進出の可能性が消滅した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "その6日後の11月10日、下平監督の退任が発表された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "チームスローガン:", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "2年ぶりに片野坂知宏が監督に就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "大分トリニータを運営する株式会社大分フットボールクラブ(以下「大分FC」と記す。)には、1999年の会社設立以来、住宅リフォームメーカーのペイントハウスが筆頭株主として経営に参加していた(日経ビジネスオンラインによると、同社の創業者だった星野初太郎の肝いりだったという)。しかし、ペイントハウスの拡大路線が行き詰まり、同社の経営に投資コンサルタントの阪中彰夫が関与し始めた頃から、ペイントハウス、ひいては大分FCの経営が揺らぎはじめ、これをきっかけとなって様々な問題が生じ、クラブ経営が翻弄され続けることになった。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "2004年、クラブ創設以来ユニフォームスポンサーを務めていたペイントハウスが年度途中で撤退。これをきっかけとして大分FCは経営難に陥り、2005年9月時点で7億2,500万円の累積赤字、3億4,400万円の債務超過となった。また、これと相前後して、2004年途中にペイントハウスの代わりにユニフォームの胸スポンサーに就いた、ミュージシャンの小室哲哉が役員を務めるイベント会社「トライバルキックス」による年間スポンサー料7,000万円の滞納が発覚した。大分FCの経営諮問委員会は2005年9月14日にとりまとめた答申で「極めて厳しい状況。運転資金確保が緊急の課題」と結論づけ、大分FCが9月21日までに2億円の調達が必要であるとし、大分県に公的支援を要請した。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "これを受け、大分FCは大分県の外郭団体である大分県スポーツ文化振興財団から2億円の融資を受けた他、6月にユニフォーム胸スポンサーとなったパチンコホール運営会社のマルハンが2006年から6年間の年間シートを購入し、資金繰りを乗り切った。マルハンのスポンサードに関してはJリーグの規定に抵触するのではないかとの指摘があったものの、このときは特例として認められた。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "2006年12月、Jリーグから、「(マルハンをはじめとする)ホール業界がJリーグのスポンサー自粛カテゴリーにあたり、2007年シーズン以降のユニフォームスポンサーとして許可できない」との方針が示されたことを受け、マルハンはこれ以降「スペシャルスポンサー」としてトリニータの支援を行うことになる。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "2009年9月14日、大分FCは、マルハンが「ユニホームに企業名が入らず広告対価が伴わない」ことを理由にスポンサーを完全撤退したことを発表。加えて、2006年以降スポンサーに名を連ねていたフロンテック(「BOWS」表記)、オメガプロジェクト(現・伊豆シャボテンリゾート)が役員逮捕を起因とする経営難などから2009年までに相次いで撤退、さらに一度はスポンサー継続を決めていたジョイフル も、業績悪化で代表取締役の交代が決まった直後の3月にユニフォームスポンサーから撤退。そのうえ2009年途中からユニフォームの胸スポンサーとなったフォーリーフジャパンはそのビジネス手法などを巡り当初からサポーターの反発を受けていたこともあってに同年限りでスポンサーから降板するなど、大口スポンサーの撤退が相次いだことで再度の経営危機が一気に表面化した。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "具体的には、2009年1月期現在で累積赤字が11億円、債務超過額が5億5,800万円 となっており、更には成績不振による入場料減収や監督交代に伴う人件費増加もあって、翌2010年度の運営費を前倒しで使う自転車操業のような経営方針もあいまって、2009年11月からのリーグ戦残り3節(うちホーム2試合)の運営が困難となった。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "2009年11月11日、日本プロサッカーリーグが設立した公式試合安定開催基金からの緊急融資を申請した(J1所属クラブが同基金からの融資を申請するのは史上初)。申請の際、本年度のみで2億円程度不足とみられていた が、大分県は本年度のみで約4億円不足すると発表した。11月17日、Jリーグ理事会にて合計6億円の融資(当初3億5,000万円、2010年1月末に2億5,000万円)を決定。Jリーグは大分FCについて「経営破たんに近い、あってはならない経営」と指摘。11月20日、大分FC社長の溝畑宏が12月5日の公式戦終了後に引責辞任して、副社長の皇甫官が社長代行に就任することを発表。12月12日には、皇甫および強化部長の原靖が辞任し、大分県経営企画部長の青野浩志が代表取締役代行に就任した。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "当初の緊急融資を受け、大分FCは再建計画書をJリーグに提出したが、「経費削減が不十分」として 12月14日のJリーグ理事会で追加融資分2億5千万円の承認が否決。12月23日のJリーグ臨時理事会でも同様の理由により否決されたため、大分FCは地元銀行からのつなぎ融資を受け当座の資金を確保した。これを受け、大分県や地元企業らが中心になって新たに「大分トリニータを支える県民会議」が発足。また大分市役所内にチーム支援のための募金箱を設置し、当面「5,000万円を目標」として募金を募った。ただ大分県内でもチーム支援に対する考えは地域によって温度差があり、大分市以外では「なぜトリニータばかり優遇するのか」という不満の意見もあった。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "2010年1月19日、大分FCが再提出した運営予算を削減した計画書に基づき、Jリーグ理事会は更なる予算圧縮を要望しつつ残り2億5,000万円の追加融資を決定。2月16日には、大分FCが再度提出した予算を更に修正した計画書に基づき、Jリーグ理事会は追加融資を正式に了承した。大分県は再建支援のため、これまで半額免除であった大分銀行ドームの使用料を、2010年シーズンは全額免除することを決定。その後、全額免除は2012年シーズンまで続いている。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "なお、債務超過額については、2009年1月期時点での5億8千万円あまりから、2009年12月の調査時点で大分FCによる調査で実質9億円以上になると判明。2010年1月末時点では11億6,700万円の債務超過額であることが4月27日の大分FCの株主総会で明らかにされた。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "2010年5月、ティエムシー(旧・ペイントハウス)が保有していた大分FCの株式を買い取った大分商工会議所が筆頭株主となった。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "2011年、ダイハツ九州が胸スポンサーとなった。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "2010年11月17日、2011年1月までに必要な運転資金5億円のうちの1億9,000万円が不足する可能性が出たため、大分FCは大分県文化スポーツ振興財団から2億円の追加融資を受けた(この時点で、2005年の融資のうち8,000万円が未返済であった)。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "2012年1月31日、Jリーグの公式試合安定開催基金から融資を受けていた5億円の内の2億円を返済。その一方で、10月12日までに公式試合安定開催基金からの融資の残り3億円の返済を完了しなければ、成績上の条件(2位まで自動昇格、3-6位は今年度から採用される「J1昇格プレーオフ」進出権利)を満たしても2013年度からJ1昇格をすることができないという条件が課せられた。同年5月、3億円のうちの1億円を目標に、市民・団体などから寄付(1口5,000円、上限なし)を募る「J1昇格支援金」の募集を開始。支援金は、8月17日に目標の1億円に到達し、最終的には約1億2,380万円に達した。この支援金に、地元経済界からの支援約1億920万円、大分県等の行政からの支出1億円を合わせて、支援の総額は約3億3,300万円となり、大分FCは10月12日に基金からの融資を完済した。なお、2012年10月12日時点の債務超過額は約5億8,500万円である。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "2019年6月24日、大分市出身の河野貴輝が創業した貸会議室大手・ティーケーピー(TKP)が発行済み株式の20%を取得し、筆頭株主となった上で資本・業務提携を結んだことが公表された。また、地元の九州乳業も株式の買い増しにより株式比率を20%程度にまで高め、TKPと共に筆頭株主となった上で企業再生ファンドからの株式の買い戻しを進め、クラブは6月25日の社長会見で企業再生ファンドからの株式の買い戻しが完了したと発表した。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "2019年末頃より流行した新型コロナウィルスの影響により、2020年度のスタジアム入場者数は大幅に減少し、クラブ経営に大きな影響を与えた。スポンサー営業も厳しい状況が続き、ユニフォームのスポンサーロゴ掲出箇所には空白が発生していた。そうした事情を踏まえクラウドファンディング・「#大分トリニータ一致団結プロジェクト~みんなの想いをピッチへ~」を2021年4月9日 - 5月16日にかけて実施。当初設定では目標金額を5,000万円とし、目標達成の暁にはユニフォーム鎖骨左の位置に同プロジェクトのロゴを掲出するとしていた。4月30日に当初目標金額に到達、その後「NEXT GOAL」として設定した8,000万円をも上回り、最終的に88,968,000円もの支援額が集まった。なお、プロジェクト期間中に筆頭株主であるティーケーピーが当初プロジェクトロゴ掲出予定であった鎖骨左部分のスポンサー契約を結んだことから、胸上中央部へとロゴ掲出位置が変更となった。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "2019年12月3日にJリーグクラブとしては初となる子会社「株式会社トリニータマーケティング」を設立。東京都に拠点を置き、トリニータのYouTubeチャンネルでの動画配信、公式SNS・オンラインショップの運営・トリニータのグッズ開発、パブリックビューイングの開催、ソーシャルアクションなどを担当したが、新型コロナウイルス流行の影響に伴う経営合理化などを理由として、2020年10月31日を以て解散・清算となった。", "title": "経営問題" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "U-12、U-15、U-18各世代にチームを保有し、U-15は宇佐市を拠点とするチームも保有している。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "大分U-18は、2013年にプリンスリーグ九州1部にて初優勝。プレミアリーグ参入戦に臨んだが、愛媛FC U-18に敗れ参入は見送りとなった。翌2014年、プリンスリーグ九州で連覇を果たすと、この年の参入戦で大谷室蘭高校、米子北高校に勝利し2015シーズンからのプレミアリーグWESTへ昇格が決定した。2015年は3位となったが、翌2016年はリーグ戦最下位となりプリンス九州に降格となった。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "日本クラブユースサッカー選手権での最高成績は2012年、2014年、2018年、2019年のラウンド16、Jユースカップでの最高成績は2015年のベスト4となっている。天皇杯には過去4回出場をしている(但し第95回大会より規約が改定され、2種登録チームの参加資格が無くなった為現在は出場不可)。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "将来的な日本女子サッカーリーグ参入を視野に入れ、女子サッカーチームの「大分トリニータレディース」を2007年4月に創設。2006年10月に第一回セレクションを開催し、30名の選手が選抜された。2007年に大分県女子サッカーリーグおよび九州各県女子リーグ決勝大会で優勝し、2008年より九州女子サッカーリーグに所属している。", "title": "大分トリニータレディース" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "主練習場は大分スポーツクラブおよびレゾナックサッカー・ラグビー場である。大分スポーツ公園サブ競技場でも練習を行う事がある。なお、2002年頃までは、リバーパーク犬飼等各地のグラウンドを転々として練習を行っていた。", "title": "ホームスタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "大分トリニータの年度別成績一覧#年度別入場者数を参照。", "title": "ホームスタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "特定の試合においてサポーターがカラーボードを掲げコレオグラフィーを作る事がある。2008年のJリーグカップ決勝戦でも掲げている(画像参照)。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "2003年のJリーグカップの京都戦(3月8日、西京極)で、1-1で迎えた後半17分、大分・高松大樹が負傷したために京都側はボールを一旦フィールドの外に出した。試合再開後に寺川能人が相手GKにボールを返す為に蹴ったが、そのボールをロドリゴがカットしてドリブルを始め、そのまま得点を決めた。暗黙の了解を破る行為だとして京都の選手は怒りを露わにし、両チームに一触即発ムードが漂った。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "その後京都側のキックオフで試合が再開されたが、当時大分の監督だった小林伸二はアンフェアーなプレーを認識し、選手に対して守備を放棄するように指示。京都・中払大介のシュートを大分守備陣は見送り、スコアは2-2と再びイーブンになった。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "奇しくもこの試合はtotoGOALがスタートして最初の試合であった。「totoGOAL」は指定されたチームの得点を「0点」「1点」「2点」「3点以上」で予想するものであるため、今回の出来事がtotoGOALの結果を変えてしまったという点で問題となったが、当試合のマッチコミッショナーは「ルール上一切問題はない。乱用されては困るが(京都ゴールも)いい意味でフェアプレーの延長線上」、当時日本サッカー協会キャプテンの川淵三郎も「あの状況では仕方がなかった」という見解を示し、Jリーグ側も大分を処罰しなかった。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "2007年、J1第18節を終了時点で自動降格圏の17位と低迷していた大分は、リーグ後半戦の16試合を「リベンジ16」と銘打った。「リベンジ三戦士」として鈴木慎吾・ホベルト・エジミウソンを獲得した他、当企画のシンボルキャラクターとして「リッジー」が登場した。他にもスポンサーの協賛により試合毎に様々な企画を開催した。この16試合を8勝7敗1分と、ほぼ五分の成績で終え、シーズン14位でJ1残留を果たした。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "「リベンジ16」の中で唯一対戦していなかった横浜FMについては、2007年に2戦とも大敗かつ無得点(第7節・A0-5/第18節・H0-3)であったことから、2008年のホームゲームで「リベンジマッチ」と銘打ってリッジーも再登場のもと行なわれた。試合は1-0で勝利し、リベンジを果たした。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "2014年にクラブ創立20周年を迎えた大分は特設サイトを開設し、更には同年6月21日の愛媛FC戦を「20周年記念試合・大分県民DAY」と銘打ち開催し、サポーターからの投票により選出した歴代ベストイレブン発表などの企画を行った。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "2018年8月18日、J2第29節の東京V戦にて、試合開始5分頃に監督の片野坂知宏の声が嗄れ、試合後の会見にもガラガラ声で臨むという一幕があった。その場面を見た大分サポーターがTwitterにて8月21日に「浅田飴さん、片さんの喉を守ってあげて」というツイートをすると、これに浅田飴の 公式アカウント が反応。その縁により翌日には大分FC(大分トリニータ運営会社)の営業スタッフが浅田飴本社に挨拶に出向く事となった。8月25日に浅田飴より薬用のど飴90缶が大分に差し入れされ、同日行われた徳島戦では片野坂は終始のど飴の缶ケースを手に持ち、ずっと飴を舐めながら ピッチ脇で指示を送った。試合後の囲み取材にて浅田飴について尋ねられると、「おかげさまで最後まで声が嗄れることなく指示を出すことができて感謝しています。浅田飴、もう手放せなくなりました。」とコメントした。のど飴缶を持ったまま指示を送る片野坂の姿を見た浅田飴代表取締役社長・堀内邦彦は「直接会って御礼を言いたい」とスケジュールの合間を縫って9月14日に大分の練習場を訪問し、片野坂と面会した。その翌日に行われたJ2第33節・讃岐戦でのオーロラビジョンにて、正式にスポンサードすることが発表され、ピッチサイドには浅田飴の広告看板が設置された。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "2019年2月25日、浅田飴と大分トリニータのコラボ商品「戦うのどに浅田飴」を発売することが発表され、ホーム開幕戦の3月2日に、試合会場グッズ売り場にて販売開始された。", "title": "エピソード" } ]
大分トリニータは、日本の大分市、別府市、佐伯市を中心とする大分県全県をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
{{半保護}} {{サッカークラブ | font-color = #FFB606 | background-color = #140B8C | border-color = #FFF | 原語表記 = 大分トリニータ | 呼称 = 大分トリニータ | カラー = {{color box|#140B8C}} ブルー<br/>{{color box|#FFB606}} イエロー<ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=http://www.jleague.jp/club/oita/#profile|title=プロフィール:大分トリニータ|work=[[日本プロサッカーリーグ]]|accessdate=2018-03-21}}</ref> | 創設 = 1994 | リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]] | ディビジョン = [[J2リーグ]] | クラブライセンス=J1 | ホームタウン = [[大分市]]、[[別府市]]、[[佐伯市]]を中心とする[[大分県]]全県<ref name="jleague" /> | スタジアム = [[ファイル:Ooita Stadium20090514.jpg|center|200px]][[大分スポーツ公園総合競技場|レゾナックドーム大分]]<ref name="jleague" /> | キャパ = 31,997人<ref name="jleague" /> | 法人名 = 株式会社大分フットボールクラブ<ref name="jleague" /> | 代表 = {{Flagicon|JPN}} [[小澤正風]]<ref name="jleague" /> | 監督 = {{Flagicon|JPN}} [[下平隆宏]] | HP = https://www.oita-trinita.co.jp/ | pattern_la1 = _oita trinita 2023 HOME FP | pattern_b1 = _oita trinita 2023 HOME FP | pattern_ra1 = _oita trinita 2023 HOME FP | pattern_sh1 = _oita trinita 2023 HOME FP | pattern_so1 = _oita trinita 2023 HOME FP | leftarm1=|body1=|rightarm1=|shorts1=|socks1= | pattern_la2 = _oita trinita 2023 AWAY FP | pattern_b2 = _oita trinita 2023 AWAY FP | pattern_ra2 = _oita trinita 2023 AWAY FP | pattern_sh2 = _oita trinita 2023 AWAY FP | pattern_so2 = _oita trinita 2022 AWAY FP | leftarm2=|body2=|rightarm2=|shorts2=|socks2= }} {{基礎情報 会社 |社名 = 株式会社大分フットボールクラブ |英文社名 = Oita Football Club Co.,Ltd.<ref name="clubguide"/> |ロゴ = |種類 = 株式会社 |市場情報 = 非上場 |略称 = 大分FC |本社所在地 = [[大分県]][[大分市]][[大字]]横尾1629<ref name="jleague" /> |国籍 = |設立 = [[1999年]][[1月7日]]<ref name="clubguide">{{cite web|url=http://www.oita-trinita.co.jp/club/company|title=会社概要|work=大分トリニータ|accessdate=2014-4-1}}</ref> |業種 = 9050 |事業内容 = サッカークラブの運営等 |代表者 = [[小澤正風]](代表取締役)<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/2016013222/ |title=株式会社大分フットボールクラブ 代表取締役榎徹氏就任のお知らせ |publisher=大分トリニータ|date=2016-01-20}}</ref> |資本金 = 4000万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf|title=2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2018-08-07}}</ref> |発行済株式総数 = |売上高 = 10億2300万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017" /> |営業利益 = 9100万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017" /> |経常利益 = 9400万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017" /> |純利益 = 9400万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017" /> |純資産 = 1億7500万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017" /> |総資産 = 3億6700万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017" /> |従業員数 = |決算期 = 1月 |主要株主 = [[ティーケーピー]]<br/>[[大分商工会議所]]<br/>大分県他 |主要子会社 = |関係する人物 = [[溝畑宏]]、[[青野浩志]]、[[榎徹]]<br/>(以上、元代表取締役)<br/>[[河野貴輝]](取締役) |外部リンク = https://www.oita-trinita.co.jp/ |特記事項 = |郵便番号 = 870-0126<ref name="jleague" /> }} '''大分トリニータ'''(おおいたトリニータ、{{Lang-en-short|Oita Trinita}})は、[[日本]]の[[大分市]]、[[別府市]]、[[佐伯市]]を中心とする[[大分県]]全県をホームタウンとする<ref name="jleague" />、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 == 概要 == 運営法人は株式会社大分フットボールクラブであり<ref name="jleague" />、[[1999年]]にJリーグへ加盟した<ref name="jleague" />。 クラブ名は、[[三位一体]]を表す[[英語]]「トリニティ(Trinity)」とホームタウン名「大分(Oita)」を合わせた造語で<ref name="jleague" />、[[イタリア語]]で「三位一体」を表すTrinitaと同じ綴りになっている<ref group="注">厳密にはイタリア語ではアクセント記号をつけてtrinitàと綴る。</ref>。県民・企業・行政が一致団結することを表している。 2006年、エンブレム、ロゴマーク、チームフラッグが「Tフレアー」と呼ばれるデザインコンセプトにより一新され、クラブとしての略称「大分FC」が「FC大分」に変更された。運営法人名とは無関係。 クラブマスコットは、[[亀]]がモチーフの「'''[[ニータン]]'''」<ref name="jleague" /> と、[[ウサギ]]をモチーフにした準マスコットの「リッジー」。 2022年シーズン終了時点で、J3在籍後にJ1昇格を経験した唯一のクラブである<ref>{{Cite web|和書|title=J2松本 19年J1所属からわずか2年でJ3降格決定…「申し訳ない」名波監督謝罪もクラブは続投要請 - スポニチ Sponichi Annex サッカー |url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2021/11/29/kiji/20211129s00002180056000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |accessdate=2022-01-20 |language=ja}}</ref>。 2019年6月21日、運営会社株式の20%を貸会議室大手の[[ティーケーピー|TKP]]が取得して筆頭株主となり、資本・業務提携した<ref>【スポーツマーケNEO】TKP 大分でエンタメ創る/J1大分の筆頭株主に『[[日経MJ]]』2019年6月26日(ライフスタイル面)。</ref>。 == 歴史 == === Jリーグ加盟前 === [[1994年]][[4月]]に任意団体「大分フットボールクラブ」として発足。競技登録上のチーム名は「大分」または「大分FC」で、「大分トリニティ」という愛称が付けられた<ref name="jleague" />。[[大分県社会人サッカーリーグ]](当時は1部リーグのみ)と[[九州サッカーリーグ]]を連覇して[[1996年]]に[[全国地域サッカーチャンピオンズリーグ|全国地域サッカーリーグ決勝大会]](地元[[大分市営陸上競技場]]で開催)で2位に入り、発足から2年で[[ジャパンフットボールリーグ]](旧JFL)へ昇格<ref name="jleague" />。 当初は[[文正植]]、[[朴景和]]と韓国人監督の下、外国籍選手についても元[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]の[[皇甫官]]、[[崔大植]]などを中心としたチームだった。 1998年、ブラジル人監督の{{仮リンク|フランシスコ・フェヘイラ・ジ・アギアール|label=フォルミーガ|pt|Chico Formiga}}を招聘し、外国籍選手に[[ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ|ウィル]]を補強。JFL最後のシーズンは6位であった。 === 1999年 - 2002年(J2) === 1999年[[1月]]に運営法人となる株式会社大分フットボールクラブを設立<ref name="jleague" />。1999年から発足した[[J2リーグ|Jリーグ ディビジョン2]](J2)に初年度から参加した<ref name="jleague" />。なお、「トリニティ」の名前が[[商標]]登録の関係で正式なチーム名として使えないため、同年より「'''大分トリニータ'''」へ改称した<ref name="jleague" />。 監督に前[[モンテディオ山形|山形]]監督の[[石﨑信弘]]が就任<ref name="jleague" />。J2初年度から[[J1リーグ|J1]]昇格争いに加わるが、[[1999年J2最終節|1999年]]・[[2000年J2最終節|2000年]]とも2年連続で2位との勝ち点差1の3位で昇格を逃した。[[2001年]]はシーズン当初より不振で5月に石﨑を監督より解任し、[[小林伸二]]が後任の監督に就任<ref name="jleague" />。最終節まで昇格を争うところまで持ち直したが、結局6位に終わった。 小林が続投した[[2002年のJリーグ ディビジョン2|2002年]]は[[西山哲平]]、[[浮氣哲郎]]、[[サンドロ・チャベス・デ・アシス・ロサ|サンドロ]]、[[エジ・カルロス・ディアス・マルサウ|アンドラジーニャ]]などを補強し、前年作り上げた堅守速攻を武器に序盤から首位を独走。J2優勝とJ1昇格を果たした。また、最終節で史上初のJ2通算100勝を達成した。 === 2003年 - 2009年(J1) === {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[小林伸二|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">監督 '''小林伸二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[岡中勇人|<span style="font-size: 90%; color: white">'''岡中勇人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.82|scale=220|text=[[山崎哲也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''山崎哲也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.97|scale=220|text=[[サンドロ・チャベス・デ・アシス・ロサ|<span style="font-size: 90%; color: white">'''サンドロ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=0.97|scale=220|text=[[三木隆司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三木隆司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[有村光史|<span style="font-size: 90%; color: white">'''有村光史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.44|scale=220|text=[[梅田高志|<span style="font-size: 90%; color: white">'''梅田高志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.55|y=0.63|scale=220|text=[[瀬戸春樹|<span style="font-size: 90%; color: white">'''瀬戸春樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.63|scale=220|text=[[エジミウソン・アウベス|<span style="font-size: 90%; color: white">'''エジミウソン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.44|scale=220|text=[[寺川能人|<span style="font-size: 90%; color: white">'''寺川能人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.55|y=0.20|scale=220|text=[[吉田孝行|<span style="font-size: 90%; color: white">'''吉田孝行'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.20|scale=220|text=[[高松大樹|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高松大樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.25|scale=220|text=[[ロドリゴ・ファビアーノ・メンデス|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(ロドリゴ)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.09|y=0.25|scale=220|text=[[エジ・カルロス・ディアス・マルサウ|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(アンドラジーニャ)'''</span>]]}} {{Small|2003年基本布陣}} |} ; 2003年 :チームスローガン:'''ムーブ&バランス''' 小林体制3年目。J1昇格1年目となったシーズンは、[[アルビレックス新潟|新潟]]の[[寺川能人]]、前年[[コパ・リベルタドーレス]]得点王の[[ロドリゴ・ファビアーノ・メンデス|ロドリゴ]]などの選手を補強した。守備はある程度通用したものの、ロドリゴは期待されたような活躍は出来ずシーズン途中で退団。前年チーム得点王のアンドラジーニャも得点をあげる事ができずシーズン途中に[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]に移籍した。その結果、ストライカーが不在となり深刻な得点力不足に陥りチームも低迷。シーズン半ばに3年振りの復帰となる[[ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ|ウィル]]など多くの外国人FWを補強するも得点力不足は改善されず、2ndステージは15試合で失点数はリーグ最少の16ながら、得点は7に留まった。最終節の15位・[[ベガルタ仙台|仙台]]戦は、大分勝利、引き分けの場合は大分の残留、大分負けの場合は仙台が残留と両チームのJ1残留をかけた直接対決となった。試合は前半15分に[[梅田高志]]のゴールで先制。後半に入り仙台に同点にされたが、勝ち越しは許さず1-1の引き分けで試合終了。年間順位14位(1stステージ14位、2ndステージ16位)でJ1に残留した。シーズン終了後、小林が監督を退任。 {{-}} ; 2004年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[ハン・ベルガー|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">監督 '''ベルガー'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[高嵜理貴|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高嵜理貴'''</span>]]}} {{Image label|x=0.34|y=1.15|scale=220|text=[[岡中勇人|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(岡中勇人)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.82|scale=220|text=[[三上和良|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三上和良'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.97|scale=220|text=[[サンドロ・チャベス・デ・アシス・ロサ|<span style="font-size: 90%; color: white">'''サンドロ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=0.97|scale=220|text=[[パトリック・ズワンズワイク|<span style="font-size: 90%; color: white">'''パトリック'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=1.02|scale=220|text=[[三木隆司|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(三木隆司)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.82|scale=220|text=[[有村光史|<span style="font-size: 90%; color: white">'''有村光史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.44|scale=220|text=[[吉田孝行|<span style="font-size: 90%; color: white">'''吉田孝行'''</span>]]}} {{Image label|x=0.55|y=0.63|scale=220|text=[[梅田高志|<span style="font-size: 90%; color: white">'''梅田高志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.69|scale=220|text=[[リチャード・ビチュヘ|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(ビチュヘ)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.63|scale=220|text=[[小森田友明|<span style="font-size: 90%; color: white">'''小森田友明'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.44|scale=220|text=[[根本裕一|<span style="font-size: 90%; color: white">'''根本裕一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.20|scale=220|text=[[高松大樹|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高松大樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.20|scale=220|text=[[マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ|<span style="font-size: 90%; color: white">'''M.アウベス'''</span>]]}} {{Small|2004年基本布陣}} |} :チームスローガン:'''Perform & Enjoy'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00005051&keyword=&team=463&year=2004|title=2004大分トリニータチームスローガンのお知らせ|work=[[J's GOAL]]アーカイブ|publisher=大分トリニータ|date=2004-02-02|accessdate=2019-01-09}}</ref> オランダ人の[[ハン・ベルガー]]を監督に迎える<ref name="jleague" />。寺川が新潟に復帰したものの、元[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]]の[[マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ|マグノ・アウベス]]、元[[サッカーオランダ代表|オランダ代表]]の[[リチャード・ビチュヘ]]、仙台の[[根本裕一]]などの選手を獲得。マグノ等の補強組が結果を残し1stステージは10位で終える。 しかし、2ndステージ開幕前のビチュヘの退団、1stステージで活躍した[[木島良輔]]のケガなどもあり失速。緊急補強としてDFの[[パトリック・ズワンズワイク|パトリック]]を獲得するも、2ndステージは2年連続の最下位。マグノが11得点、[[高松大樹]]が8得点を挙げたが、全体的な得点数は伸び悩み順位は年間13位に終わった。ベルガーはシーズン終了後に辞任した。 {{-}} ; 2005年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[Image:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.45|y=1.26|scale=220|text=[[ペリクレス・シャムスカ|<span style="font-size: 90%; color: royalblue">監督 '''シャムスカ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=1.09|scale=220|text=[[西川周作|<span style="font-size: 90%; color: white">'''西川周作'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.88|scale=220|text=[[深谷友基|<span style="font-size: 90%; color: white">'''深谷友基'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.88|scale=220|text=[[三木隆司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三木隆司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.88|scale=220|text=[[上本大海|<span style="font-size: 90%; color: white">'''上本大海'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.70|scale=220|text=[[トゥーリオ・ルストーザ・セイシャス・ピネイロス|<span style="font-size: 90%; color: white">'''トゥーリオ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.50|scale=220|text=[[梅田高志|<span style="font-size: 90%; color: white">'''梅田高志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.48|y=0.70|scale=220|text=[[エジミウソン・アウベス|<span style="font-size: 90%; color: white">'''エジミウソン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[根本裕一|<span style="font-size: 90%; color: white">'''根本裕一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.38|scale=220|text=[[吉田孝行|<span style="font-size: 90%; color: white">'''吉田孝行'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.20|scale=220|text=[[高松大樹|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高松大樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.55|y=0.26|scale=220|text=[[リカルド・ルーカス|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(ドド)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.20|scale=220|text=[[マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ|<span style="font-size: 90%; color: white">'''M.アウベス'''</span>]]}} {{Small|2005年基本布陣}} |} :チームスローガン:'''Together & Enjoy''' [[皇甫官]]がヘッドコーチから監督に昇格<ref name="jleague" />。なお、前年度のゲームキャプテンを務めた[[サンドロ・チャベス・デ・アシス・ロサ|サンドロ]]が退団し、[[瀬戸春樹]]、[[山崎哲也]]などが他クラブに移籍した。補強面では元ブラジル代表のFW[[リカルド・ルーカス|ドド]]、[[上本大海]]などが加入した他、新加入選手として[[深谷友基]]らが入団。大分U-18から[[西川周作]]、[[梅崎司]]が昇格した。 しかしドドは15試合で3得点に留まり(結局ドドは前年加入したDFパトリックと共にシーズン途中で加入した[[エジミウソン・アウベス|エジミウソン]]、[[トゥーリオ・ルストーザ・セイシャス・ピネイロス|トゥーリオ]]と入れ替わりで退団)、スタートダッシュに失敗し下位に低迷。その後一時は順位を8位まで上げるも、主将[[吉田孝行]]の怪我の影響もあり再び失速。[[ヴィッセル神戸|神戸]]との最下位争いから抜け出せず、直接対決でも敗戦するなど不振が続いた為、皇甫を[[8月28日]]付で解任。後任には[[ペリクレス・シャムスカ]]が就任した<ref name="jleague" />。 初采配となった[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦を勝利すると、そこから6戦負け無し(5勝1分)を記録するなど勝利を積み上げ、当初に掲げていた「残り12試合で勝ち点18」の目標を8試合(6勝1敗1分け、勝ち点19)で達成、目標を7位に修正するほどの急速的な復調を遂げた。この出来事は「シャムスカマジック」と呼ばれた<ref name = "Jsports">{{Cite web|和書|date=2009-05-07|url=https://www.jsports.co.jp/press/article/N2009050700424802.html|title=【Jリーグ】泥沼にあえぐ大分トリニータ 昨季ナビスコ杯王者の指揮官・シャムスカが解任されてしまうのか?|publisher=[[J SPORTS]]|accessdate=2018-11-29}}</ref>。[[11月23日]]の[[セレッソ大阪|C大阪]]戦に1-1で引き分けたことでJ1残留が決定。最終順位は過去3年間で最高の11位となった。 {{-}} ; 2006年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[Image:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.45|y=1.26|scale=220|text=[[ペリクレス・シャムスカ|<span style="font-size: 90%; color: royalblue">監督 '''シャムスカ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=1.09|scale=220|text=[[西川周作|<span style="font-size: 90%; color: white">'''西川周作'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.88|scale=220|text=[[深谷友基|<span style="font-size: 90%; color: white">'''深谷友基'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.88|scale=220|text=[[三木隆司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三木隆司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.88|scale=220|text=[[上本大海|<span style="font-size: 90%; color: white">'''上本大海'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.70|scale=220|text=[[トゥーリオ・ルストーザ・セイシャス・ピネイロス|<span style="font-size: 90%; color: white">'''トゥーリオ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.50|scale=220|text=[[高橋大輔 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋大輔'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.56|scale=220|text=[[梅田高志|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(梅田高志)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.48|y=0.70|scale=220|text=[[エジミウソン・アウベス|<span style="font-size: 90%; color: white">'''エジミウソン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[根本裕一|<span style="font-size: 90%; color: white">'''根本裕一'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.38|scale=220|text=[[梅崎司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''梅崎司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.20|scale=220|text=[[松橋章太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''松橋章太'''</span>]]}} {{Image label|x=0.48|y=0.26|scale=220|text=[[ラファエル・ドス・サントス・シルバ|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(ラファエル)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.20|scale=220|text=[[高松大樹|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高松大樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.26|scale=220|text=[[オズマール・アパレシード・デ・アゼベード|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(オズマール)'''</span>]]}} {{Small|2006年基本布陣}} |} :チームスローガン:'''Challenge & Challenge'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00029014&keyword=&team=463&year=2006|title=大分トリニータ 2006年 スローガン決定のお知らせ|work=[[J's GOAL]]アーカイブ|publisher=大分トリニータ|date=2006-02-01|accessdate=2019-01-09}}</ref> シャムスカ体制2年目。[[岡中勇人]]が現役を引退した他、チーム得点王のマグノ・アウベス、主将を務めていた吉田孝行など半数近くの選手が他クラブに移籍、または戦力外となった。補強面では[[フォルタレーザEC]]から[[オズマール・アパレシード・デ・アゼベード|オズマール]]、[[柏レイソル|柏]]から元日本代表の[[増田忠俊]]らを獲得。新加入選手として[[高橋大輔 (サッカー選手)|高橋大輔]]、[[森重真人]]が入団し、大分U-18から[[福元洋平]]、[[梶原公]]が昇格。登録メンバーは25人でシーズンに臨んだ。 序盤戦は3連敗を喫するなど黒星が先行し、一時はシーズン14位に順位を落としたが、その後は調子を上げ第11節[[鹿島アントラーズ|鹿島]]戦から第14節[[アルビレックス新潟|新潟]]戦にかけて4連勝を記録。第16節[[川崎フロンターレ|川崎]]戦から第22節[[アビスパ福岡|福岡]]戦にかけては7戦負けなしで、第21節にはこの年のリーグ王者である浦和から白星をあげるなど6位に浮上。シーズン前に掲げた目標を「8位以内」から「4位以内」に修正し10月にJ1残留を決めた。ただその後は3勝2分7敗と成績を落としたことで賞金圏内の7位以内を逃したが、当時のJ1最高順位となる8位でシーズンを終えた。 また、チーム創設以来初めて、[[サッカー日本代表|日本代表]]に[[西川周作]]と[[梅崎司]]、後に[[高松大樹]]も招集され、梅崎と高松は国際Aマッチにも出場を果たした。 {{-}} ; 2007年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[Image:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.45|y=1.26|scale=220|text=[[ペリクレス・シャムスカ|<span style="font-size: 90%; color: royalblue">監督 '''シャムスカ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=1.09|scale=220|text=[[下川誠吾|<span style="font-size: 90%; color: white">'''下川誠吾'''</span>]]}} {{Image label|x=0.33|y=1.15|scale=220|text=[[西川周作|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(西川周作)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.88|scale=220|text=[[深谷友基|<span style="font-size: 90%; color: white">'''深谷友基'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.88|scale=220|text=[[森重真人|<span style="font-size: 90%; color: white">'''森重真人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.31|y=0.94|scale=220|text=[[三木隆司|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(三木隆司)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.88|scale=220|text=[[上本大海|<span style="font-size: 90%; color: white">'''上本大海'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.70|scale=220|text=[[ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド|<span style="font-size: 90%; color: white">'''ホベルト'''</span>]]}} {{Image label|x=0.13|y=0.76|scale=220|text=[[フランシスコ・ペレイラ・ダ・コスタ・ジュニオール|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(J.マラニョン)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.50|scale=220|text=[[高橋大輔 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋大輔'''</span>]]}} {{Image label|x=0.48|y=0.70|scale=220|text=[[エジミウソン・アウベス|<span style="font-size: 90%; color: white">'''エジミウソン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.76|scale=220|text=[[藤田義明|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(藤田義明)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[鈴木慎吾|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鈴木慎吾'''</span>]]}} {{Image label|x=0.05|y=0.56|scale=220|text=[[根本裕一|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(根本裕一)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.38|scale=220|text=[[梅崎司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''梅崎司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.32|y=0.44|scale=220|text=[[ルイス・アウグスト・オゾリオ・ハモン|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(アウグスト)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.20|scale=220|text=[[山崎雅人|<span style="font-size: 90%; color: white">'''山崎雅人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.20|scale=220|text=[[高松大樹|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高松大樹'''</span>]]}} {{Image label|x=0.13|y=0.26|scale=220|text=[[エリセルジオ・ダ・シルバ|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(セルジーニョ)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.26|scale=220|text=[[松橋章太|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(松橋章太)'''</span>]]}} {{Small|2007年基本布陣}} |} :チームスローガン:'''「Challenge & Competition」挑戦と闘争'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00043726&keyword=&team=463&year=2007|title=大分トリニータ2007シーズン クラブスローガン決定のお知らせ|work=[[J's GOAL]]アーカイブ|publisher=大分トリニータ|date=2007-01-29|accessdate=2019-01-09}}</ref> シャムスカ体制3年目。[[エジミウソン・アウベス|エジミウソン]]、[[トゥーリオ・ルストーザ・セイシャス・ピネイロス|トゥーリオ]]が退団し、[[梅崎司]]が[[フランス]]・[[グルノーブル・フット38|グルノーブル]]に期限付き移籍するなど7選手がチームを去った。補強面では[[フランシスコ・ペレイラ・ダ・コスタ・ジュニオール|ジュニオール・マラニョン]]、[[宮沢正史]]、[[ルイス・アウグスト・オゾリオ・ハモン|アウグスト]]、[[金崎夢生]]ら8選手が新たに加入した。しかし、新加入のマラニョン・宮沢が共にスタメン出場した開幕2試合が共に未勝利に終わると、宮沢は翌第3節でスタメン落ち、マラニョンは後にシーズン半ばで退団となった。その後は[[藤田義明]]など様々な選手をボランチで起用するも大量失点で負ける試合も少なくなく、第13節には最下位の[[横浜FC]]にも1-2で敗北を喫した。シーズン途中に[[前田俊介]]([[サンフレッチェ広島F.C|広島]]より期限付き移籍)、梅崎(グルノーブルより復帰)が加入した後も勝ち点を伸ばせず、前半戦(第18節)終了時点で自動降格圏内の17位と低迷した。 J1残留のために後半戦を[[#リベンジ16|リベンジ16]]と銘打ち、新潟から[[鈴木慎吾]]、元[[アビスパ福岡|福岡]]の[[ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド|ホベルト]]、そして半年ぶり、3度目の加入となるエジミウソンを獲得。その結果、後半戦はチーム状態が回復し、順調に白星を重ねるようになる。中でも第31節は同じく残留争いをしていた[[大宮アルディージャ|大宮]]との直接対決で、1-1で迎えた後半44分に前田俊介の大分移籍後初得点となるゴールで逆転勝利。第33節 [[ジュビロ磐田|磐田]]戦を勝利しJ1残留を確定させた。シーズン最終順位は14位であった。 {{-}} {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[Image:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.45|y=1.26|scale=220|text=[[ペリクレス・シャムスカ|<span style="font-size: 90%; color: royalblue">監督 '''シャムスカ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=1.09|scale=220|text=[[下川誠吾|<span style="font-size: 90%; color: white">'''下川誠吾'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.88|scale=220|text=[[深谷友基|<span style="font-size: 90%; color: white">'''深谷友基'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.88|scale=220|text=[[森重真人|<span style="font-size: 90%; color: white">'''森重真人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.88|scale=220|text=[[上本大海|<span style="font-size: 90%; color: white">'''上本大海'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.70|scale=220|text=[[ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド|<span style="font-size: 90%; color: white">'''ホベルト'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.50|scale=220|text=[[高橋大輔 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋大輔'''</span>]]}} {{Image label|x=0.48|y=0.70|scale=220|text=[[エジミウソン・アウベス|<span style="font-size: 90%; color: white">'''エジミウソン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[藤田義明|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田義明'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.38|scale=220|text=[[金崎夢生|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金崎夢生'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.20|scale=220|text=[[ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルヴァ|<span style="font-size: 90%; color: white">'''ウェズレイ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.20|scale=220|text=[[高松大樹|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高松大樹'''</span>]]}} {{Small|[[2008年のJリーグカップ]]決勝}} |} ; 2008年 :チームスローガン:'''One Heart,Big Challenge'''<ref name = "jsgoal090130">{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00077170&keyword=&team=463&year=2009|title=大分トリニータ「2009年 チームスローガン」について|work=[[J's GOAL]]アーカイブ|publisher=大分トリニータ|date=2009-01-30|accessdate=2019-01-09}}</ref> シャムスカ体制4年目。シーズン前に[[梅崎司]]、[[松橋章太]]、[[三木隆司]]、[[山崎雅人]]が他クラブに移籍するなど9選手が退団。その穴を埋めるべく[[ガンバ大阪|G大阪]]より[[家長昭博]]、前[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]の[[ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルヴァ|ウェズレイ]]らを獲得し、大分U-18から[[清武弘嗣]]、[[小手川宏基]]ら4選手が昇格した。また、この年に大分初のクラブマスコットキャラクターとなる[[ニータン]]が誕生した。 シーズン前の練習中に家長が全治6か月の大ケガを負ったが、その代役に抜擢された2年目の[[金崎夢生]]が活躍。[[上本大海]]・[[森重真人]]・[[深谷友基]]の3バックラインとエジミウソン・ホベルトのボランチコンビ、そしてGK[[西川周作]]との連携は成熟されリーグトップレベルの堅守を見せた([[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]の「[[カテナチオ]]」とクラブマスコットであるカメのニータンを掛け合わせ「'''カメナチオ'''」と呼称<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.gekisaka.jp/news/detail/?44701-25648-fl|title=ナビスコ杯"カメナチオ"の勝利、大分・森重「一番いいときのサッカーができた」|work=ゲキサカ|publisher=講談社|date=2008-11-01|accessdate=2020-03-16}}</ref>)。その堅守を武器に[[2008年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]では、予選GLを2位でクラブ初の突破を果たすと、決勝トーナメントはそのままの勢いで[[FC東京]]、[[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパス]]を破り、決勝・[[清水エスパルス]]戦も[[高松大樹]]とウェズレイのゴールで2-0のスコアで勝利し、優勝を果たした(クラブ初そして九州のチーム初のタイトル)。 一方、リーグ戦も終盤まで優勝争いに加わり、チーム歴代最高の4位・勝点56でシーズンを終えた。総失点数はJ1過去最少の24失点(1試合平均0.706点)となった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.footballchannel.jp/2018/11/28/post299035/4/|title=Jリーグ、記憶に残る5チーム。別れの天皇杯制覇、大震災にも負けず・・・心揺さぶるクラブは? 【編集部フォーカス】|publisher=フットボールチャンネル|date=2018-11-28|accessdate=2020-03-16}}</ref>。また、ホームゲーム6連勝やホームゲーム13試合連続不敗を記録するなどホームである[[大分スポーツ公園総合競技場|九州石油ドーム]](当時)で圧倒的な相性の良さをみせた。ただ、得点数は伸び悩みリーグ戦で3得点以上を記録した試合は僅か2試合に終わり、リーグワースト2位の33得点(1試合平均0.971点)となった。 {{-}} {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[Image:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.42|y=1.26|scale=220|text=[[松山博明|<span style="font-size: 90%; color: royalblue">監督 '''松山博明'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=1.09|scale=220|text=[[西川周作|<span style="font-size: 90%; color: white">'''西川周作'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.88|scale=220|text=[[深谷友基|<span style="font-size: 90%; color: white">'''深谷友基'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.88|scale=220|text=[[森重真人|<span style="font-size: 90%; color: white">'''森重真人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.88|scale=220|text=[[上本大海|<span style="font-size: 90%; color: white">'''上本大海'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.70|scale=220|text=[[宮沢正史|<span style="font-size: 90%; color: white">'''宮沢正史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.50|scale=220|text=[[高橋大輔 (サッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高橋大輔'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.70|scale=220|text=[[エジミウソン・アウベス|<span style="font-size: 90%; color: white">'''エジミウソン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[鈴木慎吾|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鈴木慎吾'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.33|scale=220|text=[[金崎夢生|<span style="font-size: 90%; color: white">'''金崎夢生'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.33|scale=220|text=[[家長昭博|<span style="font-size: 90%; color: white">'''家長昭博'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.20|scale=220|text=[[高松大樹|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高松大樹'''</span>]]}} {{Small|2009年第18節(vs浦和戦)}} |} ; 2009年 :チームスローガン:'''One Heart,Big Challenge'''<ref name = "jsgoal090130"/> シャムスカ体制5年目。[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[坪内秀介]]が期限付き移籍で加入し、[[梅田高志]]と、[[宮沢正史]]が期限付き移籍より復帰。一方で期限付き移籍で加入していた[[小林亮]]等が退団した。シーズン開幕前の2月に[[ディグニティ・ヘルス・スポーツ・パーク|ホーム・デポ・センター]]([[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[カーソン (カリフォルニア州)|カーソン]])で開催された[[パンパシフィックチャンピオンシップ2009]]にナビスコカップ優勝チームとして出場し3位となる。 リーグ戦では、チーム始動が遅くフィジカルトレーニングが十分に行えなかったことや<ref name = "Jsports"/>、九州石油ドームの芝の張り替えに失敗し芝の状態が不安定だった影響による怪我や累積警告で、多くの主力選手の欠場が相次ぎ最下位に低迷<ref name = "Jsports"/>。5月23日の[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]戦で敗戦を喫したことで10連敗となり、延長戦が廃止された2003年以降のJ1では、2007年の横浜FCの9連敗を抜いてワースト記録となった。その後は連敗数は14まで続き、1勝1分15敗(勝ち点'''4''')の最下位でシーズンを折り返した。このため、7月14日に成績不振によりシャムスカを解任。後任に元広島コーチの[[ランコ・ポポヴィッチ]]が就任した<ref name="jleague" />。同月18日の第18節・[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦ではポポヴィッチの役員登録が完了するまでの処置として強化部の[[松山博明]]が暫定監督を務め、1-0で浦和に勝利。これで連敗を14で止め、3月21日の第3節・[[アルビレックス新潟|新潟]]戦以来の勝ち点、3月14日の第2節・[[京都サンガF.C.|京都]]戦以来の勝ち星をあげた。その後9月13日の[[ジュビロ磐田|磐田]]戦からシーズン終了まで10戦負けなし、またこれまでリーグ戦未勝利だった[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]にも初勝利をあげるなど復調を遂げたが、前半戦の成績が響き残留圏内まで浮上するには至らず、第30節の京都戦(勝利が残留の[[必要条件]])に引き分けた事でリーグ戦4試合を残し8シーズンぶりのJ2降格が決定した。 一方、連覇を懸け望んだ[[2009年のJリーグカップ|ナビスコ杯]]は無敗であったものの、1勝5分と勝ち点3を積み上げる事ができず予選敗退となった。また、8月5日には[[Jリーグカップ/コパ・スダメリカーナ王者決定戦|スルガ銀行チャンピオンシップ]]が開催され、[[コパ・スダメリカーナ]]王者・[[SCインテルナシオナル]]と対戦し、1-2で敗れた。 {{-}} === 2010年 - 2012年(J2) === ; 2010年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[Image:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.51|y=1.24|scale=220|text=[[皇甫官|<span style="font-size: 90%; color: royalblue">監督 '''皇甫官'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=1.09|scale=220|text=[[清水圭介|<span style="font-size: 90%; color: white">'''清水圭介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.33|y=1.15|scale=220|text=[[下川誠吾|<span style="font-size: 70%; color: white">'''(下川誠吾)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.88|scale=220|text=[[池田達哉|<span style="font-size: 90%; color: white">'''池田達哉'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.88|scale=220|text=[[菊池直哉|<span style="font-size: 90%; color: white">'''菊池直哉'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.88|scale=220|text=[[藤田義明|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤田義明'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.70|scale=220|text=[[宮沢正史|<span style="font-size: 90%; color: white">'''宮沢正史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.60|y=0.50|scale=220|text=[[土岐田洸平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''土岐田洸平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.70|scale=220|text=[[井上裕大|<span style="font-size: 90%; color: white">'''井上裕大'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[金甫炅|<span style="font-size: 90%; color: white">'''キム・ボギョン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.33|scale=220|text=[[東慶悟|<span style="font-size: 90%; color: white">'''東慶悟'''</span>]]}} {{Image label|x=0.05|y=0.33|scale=220|text=[[崔正漢|<span style="font-size: 90%; color: white">'''チェ・ジョンハン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.20|scale=220|text=[[高松大樹|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高松大樹'''</span>]]}} {{Small|2010年基本スタメン}} |} :チームスローガン:'''RESTART ~ONE HEART~'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.netone.co.jp/news/release/20100223.html|title=ネットワンシステムズ、Jリーグ 「大分トリニータ」 とユニフォームスポンサー契約を継続|publisher=[[ネットワンシステムズ]]|accessdate=2019-01-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190109155625/https://www.netone.co.jp/news/release/20100223.html|archivedate=2019-01-09}}</ref> [[#経営問題|2009年シーズン中に表面化したチームの経営危機]]を受ける形でチーム予算を大幅に削減。強化運営費も例外ではなく、監督のポポヴィッチをはじめ[[西川周作]]、[[森重真人]]、[[金崎夢生]]、[[エジミウソン・アウベス|エジミウソン]]など主力を中心にチームの半数近くの選手・スタッフを放出。監督には前副社長の[[皇甫官]]が2005年以来5年ぶりに就任<ref name="jleague" />。 補強はユース・大卒選手を3人獲得、更に現役[[サッカー大韓民国代表|韓国代表]]であった[[金甫炅|キム・ボギョン]]、ベテランDFの[[張敬珍|チャン・ギョンジン]]の二人の韓国人選手を期限付き移籍で獲得、また一度は戦力外となった選手の再契約などで選手の人数を補った。{{要出典|しかし、監督の皇甫の年俸が経営危機の中であるにも関わらず高額である事、本年契約する見込みだった[[エルディス・フェルナンド・ダマショ|フェルナンジーニョ]]の契約解除に伴う高額な違約金負担(しかし、これは彼の移籍先である仙台に一部を負担させたと見られている)と、財政運営の見込みが甘かった(中期決算発表で黒字化の見込みと出していた)ことにより運営資金のショートが翌年の1月中に発生してしまう事態に陥った。県の緊急融資でなんとか乗り切るが、財政が芳しくない大分県からの融資には県民からの批判の声が挙がった。|date=2020年11月}} 開幕当初こそキムの5試合6得点という活躍もあり上位につけていたが、[[4月25日]]から[[8月7日]]の[[カターレ富山|富山]]戦で12試合ぶりの勝利を挙げるまで約3か月間勝ち星無し。その後17試合で4勝にとどまり、J2過去最低(当時)の15位に終わった。また、この年限りで皇甫が監督を退任した。 [[6月1日]]、[[2010 FIFAワールドカップ]]韓国代表メンバー23人にキム・ボギョンが選出された。大分に在籍する選手がワールドカップの代表メンバーに選出されるのは史上初であった。 {{-}} ; 2011年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[Image:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.51|y=1.24|scale=220|text=[[田坂和昭|<span style="font-size: 90%; color: royalblue">監督 '''田坂和昭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=1.09|scale=220|text=[[清水圭介|<span style="font-size: 90%; color: white">'''清水圭介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=0.88|scale=220|text=[[土岐田洸平|<span style="font-size: 87%; color: white">'''土岐田洸平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.88|scale=220|text=[[阪田章裕|<span style="font-size: 90%; color: white">'''阪田章裕'''</span>]]}} {{Image label|x=0.31|y=0.94|scale=220|text=[[作田裕次|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(作田裕次)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.88|scale=220|text=[[姜成浩|<span style="font-size: 90%; color: white">'''姜成浩'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.70|scale=220|text=[[宮沢正史|<span style="font-size: 90%; color: white">'''宮沢正史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.50|scale=220|text=[[三平和司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三平和司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.44|y=0.56|scale=220|text=[[李東明|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(イ・ドンミョン)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.70|scale=220|text=[[井上裕大|<span style="font-size: 90%; color: white">'''井上裕大'''</span>]]}} {{Image label|x=0.46|y=0.76|scale=220|text=[[永芳卓磨|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(永芳卓磨)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[崔正漢|<span style="font-size: 90%; color: white">'''チェ・ジョンハン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.33|scale=220|text=[[前田俊介|<span style="font-size: 90%; color: white">'''前田俊介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.22|y=0.33|scale=220|text=[[西弘則|<span style="font-size: 90%; color: white">'''西弘則'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.20|scale=220|text=[[森島康仁|<span style="font-size: 90%; color: white">'''森島康仁'''</span>]]}} {{Small|2011年基本スタメン}} |} :チームスローガン:'''SORYOKU戦 総力×走力'''<ref name = "Jsgoal120110">{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00131126&keyword=&team=463&year=2012|title=2012年大分トリニータ スローガン・新体制決定のお知らせ|work=[[J's GOAL]]アーカイブ|publisher=大分トリニータ|date=2012-01-10|accessdate=2019-01-09}}</ref> 前年まで[[清水エスパルス|清水]]でヘッドコーチを務めていた[[田坂和昭]]が監督に就任<ref name="jleague" />。オフにキム・ボギョンがレンタル元の[[セレッソ大阪|C大阪]]に復帰、更に前年から続く経営危機の影響で[[東慶悟]]、[[菊地直哉]]、そして[[藤田義明]]がJ1クラブに完全移籍し、高松が[[FC東京]]に期限付き移籍した。補強は[[水戸ホーリーホック|水戸]]から大卒1年目の[[作田裕次]]と[[藤川祐司]]、[[ロアッソ熊本|熊本]]から[[西弘則]]などの若手選手を獲得した。 シーズン途中からフォーメーションを3-4-3に変更し、FWの[[崔正漢|チェ・ジョンハン]]や[[三平和司]]がサイドで起用されたり、DFの[[刀根亮輔]]がFW、ボランチの[[姜成浩]]がCBで起用されたりと多くの選手を様々なポジションにコンバートさせリーグを戦った。また、[[前田俊介]]や[[森島康仁]]がそれぞれ自己最高の成績を残すなど若手が台頭。なお、J2シーズン成績は12位。天皇杯は3回戦で敗退した。 {{-}} ; 2012年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.51|y=1.24|scale=220|text=[[田坂和昭|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">監督 '''田坂和昭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=1.09|scale=220|text=[[丹野研太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''丹野研太'''</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=0.86|scale=220|text=[[土岐田洸平|<span style="font-size: 87%; color: white">'''土岐田洸平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.86|scale=220|text=[[阪田章裕|<span style="font-size: 90%; color: white">'''阪田章裕'''</span>]]}} {{Image label|x=0.09|y=0.86|scale=220|text=[[安川有|<span style="font-size: 90%; color: white">'''安川有'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.70|scale=220|text=[[宮沢正史|<span style="font-size: 90%; color: white">'''宮沢正史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.52|scale=220|text=[[三平和司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三平和司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.52|scale=220|text=[[崔正漢|<span style="font-size: 90%; color: white">'''チェ・ジョンハン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.35|scale=220|text=[[村井慎二|<span style="font-size: 90%; color: white">'''村井慎二'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.35|scale=220|text=[[丸谷拓也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''丸谷拓也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.60|y=0.20|scale=220|text=[[木島悠|<span style="font-size: 90%; color: white">'''木島悠'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.20|scale=220|text=[[森島康仁|<span style="font-size: 90%; color: white">'''森島康仁'''</span>]]}} {{Small|2012年J1昇格PO決勝}} |} :チームスローガン:'''挑戦×頂戦'''<ref name = "Jsgoal120110"/> 田坂体制2年目。昨シーズンクラブの主軸として活躍した前田、姜がJ1クラブに移籍したものの、森島、土岐田らその他の主力選手の引き止めには成功し流出を少数にとどめた。補強では、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]から元日本代表の[[村井慎二]]を獲得し、[[FC東京]]にレンタル移籍していた高松が復帰した。後は[[セレッソ大阪|C大阪]]より3人の若手選手をレンタル加入させるなど前年と同じく多くの若手選手を獲得した。また、5月に「J1昇格支援募金」を開始した(後述)。 開幕戦は2007年以来のホームスタジアムでの開催となった。リーグ戦では第21節、アウェイで[[ギラヴァンツ北九州]]を破り、[[バトルオブ九州]]初勝利を挙げ同時に6年ぶりの4連勝を達成した。第23節に首位に立ったものの自動昇格となる2位以内に入ったのはその1節のみだった。とはいえ、3連敗以上の連敗をしないなどシーズンを通じて安定した戦いを見せ、第18節以降[[J1昇格プレーオフ]]圏内である6位以内を最終節までキープした(最終順位は6位)。J1ライセンス交付の条件とされていた、後述の「[[公式試合安定開催基金]]」からの融資残額3億円についても、5月下旬から一般市民や地元政財界に支援を募り、集まった寄付金・支援金計3億3,306万1,323円から返済期限とされた10月12日までに完済したため<ref>{{Cite news|url=http://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/328884|title=J2大分 J借入金3億円完済 1部昇格の条件満たす|newspaper=[[西日本スポーツ]]|date=2012-10-13|accessdate=2023-09-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121019012835/http://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/328884|archivedate=2012-10-19}}</ref>、PO進出が決まった。 11月18日のPO準決勝は[[京都サンガF.C.|京都]]に森島が4ゴールを決めて4-0で、11月23日のPO決勝は千葉に[[林丈統]]のゴールで1-0で勝利を収めて、2009年以来4年ぶりのJ1復帰を果たした。天皇杯は初戦(2回戦)で[[水戸ホーリーホック]]に敗退。 {{Main|2012年のJリーグ#J1昇格プレーオフ}} {{-}} === 2013年(J1) === {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[田坂和昭|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">監督 '''田坂和昭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=1.09|scale=220|text=[[丹野研太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''丹野研太'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=1.16|scale=220|text=[[清水圭介|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(清水圭介)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.86|scale=220|text=[[阪田章裕|<span style="font-size: 90%; color: white">'''阪田章裕'''</span>]]}} {{Image label|x=0.61|y=0.93|scale=220|text=[[若狭大志|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(若狭大志)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.86|scale=220|text=[[高木和道|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高木和道'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.86|scale=220|text=[[安川有|<span style="font-size: 90%; color: white">'''安川有'''</span>]]}} {{Image label|x=0.04|y=0.93|scale=220|text=[[土岐田洸平|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(土岐田洸平)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.63|scale=220|text=[[宮沢正史|<span style="font-size: 90%; color: white">'''宮沢正史'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.70|scale=220|text=[[梶山陽平|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(梶山陽平)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.63|scale=220|text=[[ロドリゴ・マルコス・ドス・サントス|<span style="font-size: 90%; color: white">'''R.マンシャ'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.50|scale=220|text=[[為田大貴|<span style="font-size: 90%; color: white">'''為田大貴'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.57|scale=220|text=[[松本怜|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(松本怜)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[崔正漢|<span style="font-size: 90%; color: white">'''チェ・ジョンハン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.18|y=0.35|scale=220|text=[[西弘則|<span style="font-size: 90%; color: white">'''西弘則'''</span>]]}} {{Image label|x=0.12|y=0.42|scale=220|text=[[丸谷拓也|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(丸谷拓也)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.35|scale=220|text=[[木村祐志|<span style="font-size: 90%; color: white">'''木村祐志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.32|y=0.27|scale=220|text=[[森島康仁|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(森島康仁)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.20|scale=220|text=[[高松大樹|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高松大樹'''</span>]]}} {{Small|2013年基本スタメン}} |} :チームスローガン:'''氣力×機力'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00149179&keyword=&team=463&year=2013|title=大分トリニータ 2013シーズン チームスローガン決定のお知らせ|work=[[J's GOAL]]アーカイブ|publisher=大分トリニータ|date=2013-01-09|accessdate=2019-01-09}}</ref> 田坂体制3年目。リーグ戦チーム最多タイの14得点の[[三平和司]]と[[石神直哉]]が[[湘南ベルマーレ|湘南]]からの期限付き移籍期間満了により退団し、他にも[[作田裕次]]、[[李東明|イ・ドンミョン]]等がチームを離れた。一方、補強では[[ヴィッセル神戸|神戸]]より元日本代表の[[高木和道]]、[[大宮アルディージャ|大宮]]より2009年以来の復帰となる[[深谷友基]]を獲得。その他にも[[児玉新]]、[[小松塁]]、[[辻尾真二]]と30代手前~前半の年齢の選手を中心に、合わせて9選手が加入した。また、シーズン途中に今季加入の[[金永基]]、小松を他クラブに期限付き移籍で放出。北京五輪日本代表であった[[梶山陽平]]を[[FC東京]]から期限付き移籍で獲得した。 J1リーグ戦はシーズン初勝利が開幕から2ヶ月以上経過した5月18日のJ1第12節・アウェー[[アルビレックス新潟|新潟]]戦まで掛かるなど終始低迷。第8節で最下位となって以降は順位を浮上させることができず、10月5日の第28節[[セレッソ大阪|C大阪]]戦に0-2で敗れたことで、リーグ戦6試合を残し1年でのJ2降格が決定した。最終的には勝利数がJ1リーグ最低新の2(過去の最低記録は2010年[[湘南ベルマーレ|湘南]]の3勝)、勝点もJ1リーグ最低タイ記録の14(2012年[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]と同点)を記録した他<ref>{{cite news|date=2013-12-08|url=http://www.oita-press.co.jp/localSports/120726999419/2013_138646733552.html|title=【トリニータ】2勝…否めぬ戦力差|publisher=大分合同新聞|accessdate=2013-12-09}}</ref>、リーグ戦ホームゲームの戦績が4分13敗とJリーグ史上初のシーズン中ホームゲーム未勝利([[2013年のJリーグカップ|ヤマザキナビスコカップ]]でも1分2敗だったためJリーグのチーム相手の公式戦総計は5分15敗)となった<ref>{{cite news|date=2013-12-01|url=https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/12/01/kiji/K20131201007116640.html|title=史上初の屈辱…大分、ホーム0勝 劣悪ピッチで地の利なし|publisher=SponichiAnnex|accessdate=2013-12-02}}</ref><ref group = "注">なお、リーグ戦ホームゲーム未勝利と勝点14は翌年の[[徳島ヴォルティス|徳島]]も記録した。</ref>。 [[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]はクラブ史上最高成績となるベスト8の成績を残した。 {{-}} === 2014年 - 2015年(J2)=== ; 2014年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.51|y=1.26|scale=220|text=[[田坂和昭|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">監督 '''田坂和昭'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[武田洋平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''武田洋平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.82|scale=220|text=[[西弘則|<span style="font-size: 90%; color: white">'''西弘則'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.97|scale=220|text=[[阪田章裕|<span style="font-size: 90%; color: white">'''阪田章裕'''</span>]]}} {{Image label|x=0.48|y=1.02|scale=220|text=[[若狭大志|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(若狭大志)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.97|scale=220|text=[[高木和道|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高木和道'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.82|scale=220|text=[[安川有|<span style="font-size: 90%; color: white">'''安川有'''</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=0.44|scale=220|text=[[松本昌也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''松本昌也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.63|scale=220|text=[[伊藤大介|<span style="font-size: 90%; color: white">'''伊藤大介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.68|scale=220|text=[[ダニエル・シルバ・ドス・サントス|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(ダニエル)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.63|scale=220|text=[[末吉隼也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''末吉隼也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.44|scale=220|text=[[為田大貴|<span style="font-size: 90%; color: white">'''為田大貴'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.37|scale=220|text=[[風間宏矢|<span style="font-size: 90%; color: white">'''風間宏矢'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.20|scale=220|text=[[林容平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''林容平'''</span>]]}} {{Small|2014年基本スタメン}} |} :チームスローガン:'''前進×全心'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00167324&keyword=&team=463&year=2014|title=2014シーズン チームスローガン決定のお知らせ|work=[[J's GOAL]]アーカイブ|publisher=大分トリニータ|date=2014-01-19|accessdate=2019-01-09}}</ref> 田坂体制4年目。2013年のチーム内得点王であった[[森島康仁]]が[[川崎フロンターレ|川崎]]に、正GKを主に務めた[[丹野研太]]が古巣・[[セレッソ大阪|C大阪]]にそれぞれ完全移籍。主将・[[宮沢正史]]は契約満了に伴い[[FC岐阜|岐阜]]に移籍。その他には[[梶山陽平]]、[[松原健]]など計16人が退団した。補強面では[[サガン鳥栖|鳥栖]]から[[室拓哉]]、C大阪から[[武田洋平]]、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]から[[伊藤大介]]をいずれも完全移籍で、鳥栖から[[末吉隼也]]とクラブ初の[[コロンビア]]人となる[[ジョナサン・レストレポ|ジョナサン]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から[[増田繁人]]、[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[田中輝希]]、[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[姜潤求|カン・ユング]]をいずれも期限付き移籍で獲得。更に新人として[[大阪体育大学]]から[[伊佐耕平]]が加入した。また、前年から期限付き移籍中の[[松本怜]]の期限付き移籍期間を1年間延長し、2014年新体制発表時点での選手数は25人となった。チーム創立から20周年の節目のシーズンになる事に併せ<ref>{{cite news|date=2014-01-20|url=https://www.oita-press.co.jp/localSports/120726999419/2014_13901807808.html|title=【トリニータ】「戦い抜く」新体制発表|publisher=大分合同新聞|accessdate=2014-01-20}}</ref>、[[6月21日]]の[[愛媛FC|愛媛]]戦は20周年記念試合と銘打ち開催された(詳細については[[#20周年記念試合|20周年記念試合]]を参照)。 アウェーで迎えた開幕戦は[[水戸ホーリーホック|水戸]]に1-2で敗北したが、ホーム開幕戦となる第2節で[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]に1-0で勝利し、昨シーズンから続いたリーグ戦ホームゲーム未勝利記録を17でストップさせた。その後は極端に成績を落とすことは無かったものの順位を3位以上に付けることができず、J1昇格プレーオフの枠を[[ジュビロ磐田|磐田]]、千葉、北九州(クラブライセンスの関係によりプレーオフ出場権無し)、[[モンテディオ山形|山形]]らと争う形となった。その後シーズン途中で[[大宮アルディージャ|大宮]]から加入した[[ジェナン・ラドンチッチ|ラドンチッチ]](11月に膝の手術のため退団)、[[FC東京]](シーズン前半は[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]に期限付き移籍)から期限付き移籍で加入した[[林容平]]、ラドンチッチとほぼ入れ替わりで加入した[[ダニエル・シルバ・ドス・サントス|ダニエル]]の活躍もあって39節終了時点でプレーオフ圏内の6位につけるも、第40節の水戸戦で逆転負けを喫し7位に後退。その後順位を浮上させることはできず、2年振りのJ1昇格プレーオフ進出を果たす事はできなかった。 またこの年開催された[[2014 FIFAワールドカップ]]では、大分U-18に在籍し[[2種登録選手]]としてトップチームに登録されていた[[坂井大将]]が、名古屋の[[杉森考起]]と共にトレーニングパートナーとして[[サッカー日本代表|日本代表]]に直前合宿から大会終了まで帯同した<ref>[http://www.jfa.jp/news/00000784/ 2014FIFAワールドカップブラジル SAMURAI BLUE(日本代表)FIFA登録30名およびトレーニングパートナー] 公益財団法人日本サッカー協会、2014年5月13日</ref><ref>[http://www.oita-trinita.co.jp/news/detail/index_1_2538.php 「2014 FIFA ワールドカップブラジル」日本代表トレーニングパートナー 坂井大将選手 帯同期間延長のお知らせ] 大分トリニータ公式サイト、2014年6月7日</ref>。 {{-}} ; 2015年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.22|y=1.26|scale=220|text=[[田坂和昭|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">監督 '''田坂和昭'''</span>]]→[[柳田伸明|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">'''柳田伸明'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[武田洋平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''武田洋平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.82|scale=220|text=[[西弘則|<span style="font-size: 90%; color: white">'''西弘則'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.97|scale=220|text=[[ダニエル・シルバ・ドス・サントス|<span style="font-size: 90%; color: white">'''ダニエル'''</span>]]}} {{Image label|x=0.49|y=1.03|scale=220|text=[[若狭大志|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(若狭大志)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.97|scale=220|text=[[鈴木義宜|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鈴木義宜'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.82|scale=220|text=[[安川有|<span style="font-size: 90%; color: white">'''安川有'''</span>]]}} {{Image label|x=0.04|y=0.88|scale=220|text=[[山口貴弘|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(山口貴弘)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.44|scale=220|text=[[松本怜|<span style="font-size: 90%; color: white">'''松本怜'''</span>]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.50|scale=220|text=[[後藤優介|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(後藤優介)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.63|scale=220|text=[[松本昌也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''松本昌也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.63|scale=220|text=[[兵働昭弘|<span style="font-size: 90%; color: white">'''兵働昭弘'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.44|scale=220|text=[[為田大貴|<span style="font-size: 90%; color: white">'''為田大貴'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.20|scale=220|text=[[三平和司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三平和司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.20|scale=220|text=[[伊佐耕平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''伊佐耕平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.12|y=0.26|scale=220|text=[[エヴァンドロ・シルバ・ド・ナシメント|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(エヴァンドロ)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.49|y=0.26|scale=220|text=[[高松大樹|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(高松大樹)'''</span>]]}} {{Small|2015年基本スタメン}} |} :チームスローガン:'''結集×決蹴 ALL FOR J1'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/2015013182/|title=大分トリニータ 2015シーズン チームスローガンおよび新体制決定のお知らせ|publisher=大分トリニータ|date=2015-01-14|accessdate=2019-01-09}}</ref> 田坂体制5年目。伊藤が岡山に、末吉が古巣・[[アビスパ福岡|福岡]]に移籍。そして林は移籍期間満了に伴いFC東京に復帰した。また、キャプテンを務めた高木が契約満了となり岐阜に移籍した。その他8人の選手が退団し合計12選手が大分を去った。一方補強面ではブラジル人の[[エヴァンドロ・シルバ・ド・ナシメント|エヴァンドロ]]、東ティモール国籍を有する[[ムリロ・リベリオ・デ・アルメイダ|ムリロ・アルメイダ]]、更には[[アルビレックス新潟|新潟]]から[[岡本英也]]、そして[[京都サンガF.C.|京都]]から[[三平和司]]が3年振りに復帰するなど前線の選手を多く補強した。また千葉から[[兵働昭弘]]が加入。その他にも8選手が加入し、大分に加入後即[[ヴェルスパ大分|V大分]]に期限付き移籍となった[[フェリペ・ベルトルド・ドス・サントス|フェリペ]](3月にアルメイダと入れ替わりで復帰)を含め併せて14選手が加入した。キャプテンには2004年の[[サンドロ・チャベス・デ・アシス・ロサ|サンドロ]]以来、11年ぶりの外国籍選手キャプテンとなるダニエルが就任した。 しかしシーズンが始まると戦術の浸透の失敗や、新加入選手が機能せず前述の末吉・伊藤・林らの穴を埋めきれなかった影響で開幕から低迷<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=9424|title=【大分】成績不振で田坂監督を解任。決意の5年目に訪れた崩壊の理由とは?|publisher=サッカーダイジェスト|date=2015-06-04|accessdate=2020-05-02}}</ref><ref name = sckg151207>{{Cite web|和書|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20151207/377517.html|title=大分トリニータ、J3降格の背景…歯車の狂いがもたらした悲劇|publisher=サッカーキング|date=2015-12-07|accessdate=2020-05-14}}</ref>。第16節終了時点で2勝5分9敗の最下位に留まった事で、[[6月1日]]に監督・田坂を解任。当初は外部から後任監督を招聘する予定であったが交渉が不発に終わり、最終的には強化育成部長で監督代行も務めていた[[柳田伸明]]が7月2日より監督に就任することとなった{{R|sckg151207}}。当月は[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦での15試合ぶりの白星を含む3勝と復調の兆しを見せたが勢いを持続させることはできず、また[[荒田智之]]、[[パウロ・アントニオ・デ・オリベイラ|パウリーニョ]]らの途中補強も実らず降格圏から脱出するまでには至らなかった。最後は4連敗を喫するなど不安定なチーム状況のまま21位でリーグ戦を終え、[[J2・J3入れ替え戦]]に出場する事となった。 入れ替え戦はJ3・2位の[[FC町田ゼルビア|町田]]に2戦とも敗れ(トータルスコアは1-3)、J1経験クラブとして初の[[J3リーグ]]降格となった<ref>{{Cite news |title=町田が入れ替え戦連勝で4年ぶりJ2復帰!!大分はJ1経験クラブで初のJ3降格|newspaper=ゲキサカ|date=2015-12-06|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?177873-177873-fl|accessdate=2015-12-06}}</ref>。シーズン終了後に柳田が監督を退任した。 {{See also|J2・J3入れ替え戦#2015年}} === 2016年(J3)=== {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.47|y=1.25|scale=220|text=[[片野坂知宏|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">監督 '''片野坂知宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=1.09|scale=220|text=[[修行智仁|<span style="font-size: 90%; color: white">'''修行智仁'''</span>]]}} {{Image label|x=0.29|y=1.15|scale=220|text=[[上福元直人|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(上福元直人)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.82|scale=220|text=[[岩田智輝|<span style="font-size: 90%; color: white">'''岩田智輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.97|scale=220|text=[[鈴木義宜|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鈴木義宜'''</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=1.03|scale=220|text=[[ダニエル・シルバ・ドス・サントス|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(ダニエル)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.97|scale=220|text=[[福森直也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''福森直也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.82|scale=220|text=[[山岸智|<span style="font-size: 90%; color: white">'''山岸智'''</span>]]}} {{Image label|x=0.03|y=0.88|scale=220|text=[[山口真司 (サッカー選手)|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(山口真司)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.63|y=0.44|scale=220|text=[[清本拓己|<span style="font-size: 90%; color: white">'''清本拓己'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.63|scale=220|text=[[八反田康平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''八反田康平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.63|scale=220|text=[[姫野宥弥|<span style="font-size: 90%; color: white">'''姫野宥弥'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.69|scale=220|text=[[千明聖典|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(千明聖典)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.44|scale=220|text=[[松本昌也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''松本昌也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.09|y=0.50|scale=220|text=[[松本怜|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(松本怜)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.20|scale=220|text=[[三平和司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三平和司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.26|scale=220|text=[[吉平翼|<span style="font-size: 80%; color: white">'''(吉平翼)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.20|scale=220|text=[[後藤優介|<span style="font-size: 90%; color: white">'''後藤優介'''</span>]]}} {{Small|2016年基本スタメン}} |} :チームスローガン:'''原点回帰 RETURN TO THE ORIGIN'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/2016013216/|title=大分トリニータ 2016シーズン チームスローガンおよび新体制決定のお知らせ|publisher=大分トリニータ|date=2016-01-21|accessdate=2019-01-09}}</ref> 新監督として、[[ガンバ大阪|G大阪]]でヘッドコーチを務めていた[[片野坂知宏]]が就任。クラブ初の「大分トリニータ」在籍経験者の監督就任となった<ref group = "注">過去には前チーム名「大分トリニティ」に在籍した[[皇甫官]]が監督経験がある。</ref>。またコーチメンバーにも[[吉村光示]]、[[山崎哲也]](U-18監督より配置転換)が新たに加入し、留任したGKコーチ・[[吉坂圭介]]を含め全員が大分トリニータOBとなった。 他クラブに期限付き移籍中の選手を含め全選手に対して契約延長のオファーを出したが、チーム得点王であった[[為田大貴]]をはじめとして、昨シーズン先発出場機会の多かった[[若狭大志]]、[[武田洋平]]、[[兵働昭弘]]、[[安川有]]、[[西弘則]]等が他J1・J2クラブに移籍。また[[阪田章裕]]、[[荒田智之]]が同ディビジョンとなるJ3・[[AC長野パルセイロ|長野]]に移籍。他クラブに期限付き移籍中であった風間・岡本も期限付き移籍先に完全移籍する等、退団選手は計13人となった。補強面では、元日本代表・[[山岸智]]を[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から獲得。他には[[黄誠秀]]、[[千明聖典]]、[[染矢一樹]](4月1日契約解除<ref>[http://www.oita-trinita.co.jp/news/20160421040/ 染矢一樹選手 契約解除のお知らせ] - 大分トリニータ、2016年4月1日</ref>)、[[山之内優貴]]、更には若手選手を3人期限付き移籍で獲得。そしてユースから3選手が昇格した。また昨シーズン限りで退任した[[青野浩志]]の後任として、新社長に[[榎徹]]が就任。強化育成部長には昨シーズン途中から代理で務めていた[[西山哲平]]が就任した。 開幕3連勝を記録し、同節終了時には首位に浮上するも、第4節で[[FC琉球|琉球]]に敗れ首位を明け渡す。その後は勝ち星を伸ばすことができなくなり、同節から4試合未勝利(1分3敗、上記の通り第5節は延期)で、第8節終了時には一旦10位まで順位を下げた。第15節では最下位・[[横浜スポーツ&カルチャークラブ|YS横浜]]に敗戦を喫し、前半戦を昇格圏外となる3位で折り返した。そして第19節には9連勝中の首位・[[栃木SC|栃木]]に敗戦を喫し首位との勝ち点差が9に広がった。しかしその後、シーズン途中に加入した[[八反田康平]]らの活躍や、失点リスクを抑えた相手対策重視の戦法に切り替えたこと<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.soccer-king.jp/news/japan/jl/20161121/518661.html|title=【コラム】屈辱を乗り越えてJ3制覇の大分…片野坂監督に求められた相反する二つのタスクとは|publisher=[[サッカーキング]]|date=2016-11-21|accessdate=2018-11-22}}</ref> により、第28節終了時までで7勝1分1敗という追い上げを見せ栃木を追走。ホーム最終戦となった第29節・YS横浜戦にて大分が勝利し、栃木が敗北した為、栃木と勝点で並び得失点差で第3節以来の首位に立った。そして最終節の[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]戦を4-2で勝利し、最終5節を5連勝で終えJ3リーグ優勝、1年でのJ2リーグ復帰を果たした。 また、このシーズンを以て[[2000年]]の入団以降、[[FC東京]]へ期限付き移籍した[[2011年]]を除いて大分でプレーし、長年に渡り中心選手として活躍した[[高松大樹]]が現役を引退した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20161127466/|title=高松大樹選手 現役引退のお知らせ|publisher=大分トリニータ|date=2016-11-08|accessdate=2018-11-22}}</ref>。現役最後の試合となったホーム・[[大分スポーツ公園総合競技場|大分銀行ドーム]]で開催されたYS横浜戦には、J3記録(当時)となる11,065人の観衆が詰めかけた<ref group="注">[[2017年|翌年]][[ギラヴァンツ北九州]]に更新される。観衆14,935人。</ref>。また年間の観客数が116,563人とJ3創設3年目にして初めて年間10万人を突破したクラブとなり、1試合平均も7,771人で史上最多記録を大幅に更新した<ref>以前の最多は2015年長野の94,665(1試合平均4,733)人。大分の記録は2019年シーズン終了現在でもJ3最多記録。</ref>。 === 2017年 - 2018年(J2)=== ; 2017年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.47|y=1.25|scale=220|text=[[片野坂知宏|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">監督 '''片野坂知宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.33|y=1.09|scale=220|text=[[上福元直人|<span style="font-size: 90%; color: white">'''上福元直人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.88|scale=220|text=[[鈴木義宜|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鈴木義宜'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.88|scale=220|text=[[竹内彬|<span style="font-size: 90%; color: white">'''竹内彬'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.88|scale=220|text=[[福森直也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''福森直也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.65|scale=220|text=[[川西翔太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''川西翔太'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.65|scale=220|text=[[鈴木惇|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鈴木惇'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.50|scale=220|text=[[岸田翔平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''岸田翔平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[松本怜|<span style="font-size: 90%; color: white">'''松本怜'''</span>]]}} {{Image label|x=0.04|y=0.57|scale=220|text=[[山岸智|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(山岸智)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.35|scale=220|text=[[後藤優介|<span style="font-size: 90%; color: white">'''後藤優介'''</span>]]}} {{Image label|x=0.14|y=0.35|scale=220|text=[[小手川宏基|<span style="font-size: 90%; color: white">'''小手川宏基'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.18|scale=220|text=[[三平和司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三平和司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.32|y=0.25|scale=220|text=[[伊佐耕平|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(伊佐耕平)'''</span>]]}} {{Small|2017年基本スタメン}} |} :チームスローガン:'''初志貫徹 Just for Victory'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20170128760/|title=大分トリニータ 2017シーズン チームスローガン及び新体制決定のお知らせ|publisher=大分トリニータ|date=2017-01-13|accessdate=2019-01-09}}</ref> 片野坂体制2年目。前述した[[高松大樹]]の引退をはじめ、[[松本昌也]]が[[ジュビロ磐田|磐田]]に移籍、J3優勝に貢献した[[八反田康平]]ら4人が期限付き移籍期間満了、2015年にキャプテンを務めた[[ダニエル・シルバ・ドス・サントス|ダニエル]]、[[千明聖典]]ら5人が契約満了で合計11名がチームを去った。また[[江頭一輝]]が[[東海社会人サッカーリーグ]]の[[鈴鹿ポイントゲッターズ|鈴鹿アンリミテッドFC]]に[[期限付き移籍]]となった。 補強面では、[[小手川宏基]]、[[林容平]]、[[岸田翔平]]というクラブに縁のある選手をはじめ[[竹内彬]]、[[黒木恭平]]、[[川西翔太]]、[[高木駿]]が完全移籍で加入。また[[鈴木惇]]、[[坂井達弥]]、[[前田凌佑]]が期限付き移籍で加入し、昨シーズン期限付き移籍で大分に在籍した[[清本拓己]]、[[大津耀誠]]が完全移籍に移行。そして大分U-18から[[野上拓哉]]、大分U-18出身の[[國分伸太郎]]が[[立命館大学体育会サッカー部|立命館大学]]より加入した。シーズン途中には[[坂井大将]]が[[ベルギー・ファースト・ディビジョンB|ベルギー2部]]の[[AFCテュビズ]]に期限付き移籍した一方で、[[湘南ベルマーレ|湘南]]から[[フランシスコ・ソウザ・ドス・サントス|シキーニョ]]が加入するなど、3選手が加入した。 リーグ戦に入ると、開幕戦・A[[アビスパ福岡|福岡]]戦を2-1で勝利。更に第9節・A[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦では1-0、第13節・H[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]戦では4-1のスコアで勝利を収め昨年のJ1在籍チーム全てから勝ち点3をあげ、前半戦終了時には9勝5分6敗の勝点32の9位につけた。後半戦に入ると、第26節終了時には6位と勝点で並ぶ7位にまで浮上。続く3試合で1分2敗とし12位まで順位が低下したが、その後再び盛り返し、第38節終了時には8位ながら6位の[[徳島ヴォルティス|徳島]]と勝点差1まで迫った。続く2試合で1分1敗、そして第41節で徳島との直接対決に敗れたことによりJ1昇格プレーオフ進出は逃したものの、目標勝ち点45<ref>[http://www.oita-trinita.co.jp/entertainment/fight/show/?sid=38355 片野坂知宏監督「泣きはしなかったが泣きたいくらいうれしかった」] - 大分トリニータ、2017年11月20日</ref> に対し19上回る勝ち点64を記録し最終順位は9位となった。アウェーゲームではリーグ3位の成績であった反面、ホームゲームでは[[9月2日]]に開催された[[ザスパクサツ群馬|群馬]]戦から最終戦・[[ロアッソ熊本|熊本]]戦までの約2か月半の間未勝利の状態に陥るなど負け越しリーグ16位の成績であった。 {{-}} ;2018年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.47|y=1.25|scale=220|text=[[片野坂知宏|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">監督 '''片野坂知宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.09|scale=220|text=[[高木駿|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高木駿'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.88|scale=220|text=[[岩田智輝|<span style="font-size: 90%; color: white">'''岩田智輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.62|y=0.95|scale=220|text=[[刀根亮輔|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(刀根亮輔)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.36|y=0.88|scale=220|text=[[鈴木義宜|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鈴木義宜'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.88|scale=220|text=[[福森直也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''福森直也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.65|scale=220|text=[[前田凌佑|<span style="font-size: 90%; color: white">'''前田凌佑'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.72|scale=220|text=[[宮阪政樹|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(宮阪政樹)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.65|scale=220|text=[[丸谷拓也|<span style="font-size: 90%; color: white">'''丸谷拓也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.50|scale=220|text=[[松本怜|<span style="font-size: 90%; color: white">'''松本怜'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[星雄次|<span style="font-size: 90%; color: white">'''星雄次'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.35|scale=220|text=[[三平和司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三平和司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.48|y=0.42|scale=220|text=[[小手川宏基|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(小手川宏基)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.35|scale=220|text=[[馬場賢治|<span style="font-size: 90%; color: white">'''馬場賢治'''</span>]]}} {{Image label|x=0.14|y=0.42|scale=220|text=[[後藤優介|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(後藤優介)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.18|scale=220|text=[[藤本憲明|<span style="font-size: 90%; color: white">'''藤本憲明'''</span>]]}} {{Image label|x=0.32|y=0.25|scale=220|text=[[伊佐耕平|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(伊佐耕平)'''</span>]]}} {{Small|2018年基本スタメン}} |} :チームスローガン:'''勇往邁進 With Trinita Spirits'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20180139244/|title=大分トリニータ 2018シーズン チームスローガン及び新体制決定のお知らせ|publisher=大分トリニータ|date=2018-01-12|accessdate=2019-01-09}}</ref> 片野坂体制3年目。昨季主に先発出場をした[[上福元直人]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ移籍し、鈴木惇が期限付き移籍期間満了に伴い福岡に復帰。また、2016-2017年にキャプテンを務めた[[山岸智]]が契約満了により退団。[[吉平翼]]が[[ブラウブリッツ秋田|秋田]]、[[佐藤昂洋]]が[[日本フットボールリーグ|JFL]]・[[ラインメール青森FC|青森]]に期限付き移籍するなど、計11名が退団した。 補強面では、昨シーズンと同様に[[刀根亮輔]]、[[丸谷拓也]]、[[山口真司 (サッカー選手)|山口真司]](期限付き移籍)と大分に過去所属経験のある3選手の加入を始め、[[J3リーグ]]で2年連続得点王となった[[藤本憲明]]や[[馬場賢治]]、[[星雄次]]、[[那須川将大]]、[[兼田亜季重]]が完全移籍で加入。また[[宮阪政樹]]、[[林承謙|イム・スンギョム]]と前述の山口を含め3選手が期限付き移籍で加入。U-18からの昇格を含む高校・大学新卒選手の獲得は無く、新加入選手は計10人となった。夏の移籍期間では、イムが期限付き移籍期間を前倒しして満了し退団<ref group="注">移籍元の名古屋に復帰せず、[[ナショナルリーグ (韓国)]]・{{仮リンク|FC木浦|label=木浦市庁FC|ko|FC 목포}}に完全移籍。</ref>、今季よりキャプテンを務めていた竹内が[[カマタマーレ讃岐|讃岐]]に期限付き移籍した一方で<ref group="注">後任のキャプテンは馬場賢治。</ref>、[[FCフアレス]]より[[ウイリアン・エンリケ・アントゥネス|ウイリアン]]を完全移籍で、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]より[[岡野洵]]を期限付き移籍で獲得した。 開幕戦は勝利したものの、その後三戦勝ち無しとなり第3・4節は共に無得点であった。それでも戦術の浸透と星、馬場ら新戦力の活躍もあって<ref name =" os1811171">{{Cite web|和書|url=https://os-oita.com/pro/trinita/717.html?p=2&form=1 |title=最終戦で手に入れたJ1昇格 快進撃を続けてきたトリニータの足跡をたどる(2ページ目)|work=オー!エス!|publisher=大分合同新聞、テレビ大分|date=2018-11-17|accessdate=2018-11-18}}</ref> 第5節・[[水戸ホーリーホック|水戸]]戦から第8節・[[京都サンガF.C.|京都]]戦にかけて4連勝し2位に浮上。第10節・[[ツエーゲン金沢|金沢]]戦に勝利した事で同シーズン初めて首位に浮上した。その後は第18、19節で一旦首位を明け渡すが、翌第20節で再び首位浮上、前半戦(第21節終了時点)を首位で折り返す。 しかしシーズン折り返し後は、大分の戦術スタイルに対する相手の研究が進んだこともあり<ref name=" os1811171"/> 前節(第21節)から数えて3連敗を含む5試合未勝利となり5位に転落した。その対策として第26節・[[FC岐阜|岐阜]]戦において3ボランチを採用した3-5-2のシステムに変更し、これまで途中出場中心であったり出場機会の少なかった[[三平和司]]、[[岩田智輝]]、前田凌佑、小手川宏基らを起用し同試合を勝利した<ref name=" os1811171"/>。その後再び3試合未勝利で一時は[[J1参入プレーオフ]]圏外の7位まで順位を落としたが、対戦相手によってシステム、戦術、選手起用を臨機応変に使い分けた事により復調<ref name=" os1811171"/>。第32節・[[ロアッソ熊本|熊本]]戦から第36節・京都戦にかけては5連勝を記録し第21節以来の首位に浮上、その後は自動昇格圏内をキープした。 2位で迎えた最終節・アウェー[[モンテディオ山形|山形]]戦は、星のゴールにより試合終了間際まで1-0でリードしていたが、後半アディショナルタイムに失点を喫する。そのままスコアは動かず引き分けに終わり、23勝7分12敗・勝ち点76で全日程を終了した<ref group="注">同節で首位・松本が引き分けた為、この試合を勝利していれば大分が優勝であった。</ref>。他会場の結果、[[FC町田ゼルビア|町田]]と[[横浜FC]]に勝ち点で並ばれたものの得失点差により<ref group="注">大分:+25、横浜FC:+19、町田:+18</ref> 自動昇格圏内の2位を守り、6シーズンぶりのJ1復帰が決定した。[[J3リーグ]]在籍経験のあるクラブとしては初のJ1昇格事例となる<ref name = "ftch181117">{{cite news|url=https://www.footballchannel.jp/2018/11/17/post297622/ |title=大分、J3経験チームでは初となるJ1昇格。6年間で3カテゴリーを“往復”|newspaper=フットボールチャンネル|date=2018-11-17}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.oita-press.co.jp/-/media/Files/gogai/20181117gogai.ashx |title=トリニータJ1復帰|newspaper=大分合同新聞|date=2018-11-17|format=PDF}}</ref>。同シーズンでの得点数76はリーグ最多を記録<ref name =" os1811171"/>。また馬場、藤本、三平、後藤と4人がリーグ戦10得点以上を達成したのは2009年の湘南<ref group="注">この時は厳密には5人が達成。但し同年は51試合制で最終節での達成であった。</ref> 以来9年振りの出来事であり、39試合目での達成はJ2最速であった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/trinita/article/466470/ |title=J2大分 馬場、三平、藤本、後藤 最強の4人ぶっちゃけトーク|work=[[西日本スポーツ]]|publisher=[[西日本新聞社]]|date=2018-11-18|accessdate=2018-11-18}}</ref>。 === 2019年 - 2021年(J1)=== ;2019年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.47|y=1.25|scale=220|text=[[片野坂知宏|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">監督 '''片野坂知宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.41|y=1.09|scale=220|text=[[高木駿|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高木駿'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.88|scale=220|text=[[岩田智輝|<span style="font-size: 90%; color: white">'''岩田智輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.38|y=0.88|scale=220|text=[[鈴木義宜|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鈴木義宜'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.88|scale=220|text=[[三竿雄斗|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三竿雄斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.05|y=0.94|scale=220|text=[[福森直也|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(福森直也)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.65|scale=220|text=[[小林裕紀|<span style="font-size: 90%; color: white">'''小林裕紀'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.71|scale=220|text=[[前田凌佑|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(前田凌佑)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.65|scale=220|text=[[長谷川雄志|<span style="font-size: 90%; color: white">'''長谷川雄志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.71|scale=220|text=[[島川俊郎|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(島川俊郎)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.15|y=0.77|scale=220|text=[[ティティパン・プアンチャン|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(ティティパン)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.50|scale=220|text=[[松本怜|<span style="font-size: 90%; color: white">'''松本怜'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[田中達也 (1992年生のサッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''田中達也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.06|y=0.56|scale=220|text=[[高山薫|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(高山薫)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.35|scale=220|text=[[三平和司|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三平和司'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.41|scale=220|text=[[後藤優介|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(後藤優介)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.35|scale=220|text=[[小塚和季|<span style="font-size: 90%; color: white">'''小塚和季'''</span>]]}} {{Image label|x=0.31|y=0.18|scale=220|text=[[オナイウ阿道|<span style="font-size: 90%; color: white">'''オナイウ阿道'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.24|scale=220|text=[[藤本憲明|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(藤本憲明)'''</span>]]}} {{Small|2019年基本スタメン}} |} :チームスローガン:'''勇猛果敢 OITA TRINITA BRAVE SPIRITS'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20190148185/|title=大分トリニータ 2019シーズン チームスローガン及び新体制決定のお知らせ|publisher=大分トリニータ|date=2019-01-08|accessdate=2019-01-09}}</ref> 片野坂体制4年目。[[林容平]]や[[宮阪政樹]]、[[川西翔太]]、[[清本拓己]]、[[修行智仁]]ら期限付き移籍していた2選手を含め全15人が退団。補強面は期限付き移籍していた[[坂井大将]]、[[吉平翼]]の復帰を始め、[[高山薫]]、[[小林成豪]]、[[三竿雄斗]]、[[小塚和季]]、[[オナイウ阿道]]、そして[[サッカータイ王国代表|タイ代表]]の[[ティティパン・プアンチャン|ティティパン]]ら全15人が加入した。 昨季の主力は残留し継続性を確保した他<ref name = "os190111">{{Cite web|和書|url=https://os-oita.com/pro/trinita/783.html |title=積極的な補強で前線の強化に成功。J1残留へのビジョンを探る|work=オー!エス!|publisher=[[テレビ大分]]、[[大分合同新聞]]|date=2019-01-11|accessdate=2019-01-31}}</ref>、J2で22得点を記録したオナイウ、12得点を記録した小林を始め、[[伊藤涼太郎]]、小塚、[[庄司朋乃也]]など「試合から遠ざかっている名前のあるベテランよりも、J2で結果を出した選手の方が力を発揮してくれる」という強化部長・[[西山哲平]]の判断から、昨季J2で活躍した選手を多く補強し前線の強化に成功{{R|os190111}}。監督の片野坂も新体制発表会見にて「僕が要求した選手をある程度クラブが揃えて、J1で戦える戦力を整えてくれた」と語った{{R|os190111}}。 シーズン開始前の予想では多くの記者・スポーツライターからJ2降格候補に挙げられたが<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/201902220000245.html |title=ニッカン担当記者J1順位予想 降格筆頭候補は…|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2019-02-22|accessdate=2019-12-13}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2019/02/21/___split___j1/index.php |title=5人の識者が渾身の大予想。今シーズンの「J1全順位」はこうなる|work=[[Sportiva]]|publisher=[[集英社]]|date=2019-02-21|accessdate=2019-12-13}}</ref>、開幕戦で[[鹿島アントラーズ]]にアウェーで2006年以来2度目の勝利を収めると、2月・3月度の[[月間MVP (日本プロサッカーリーグ)|月間MVP]]を受賞した[[藤本憲明]]の活躍もあって<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/monthly_awards/2019/0203/mvp/j1.html|title=J1受賞者 大分トリニータ FW10藤本 憲明|publisher=[[日本プロサッカーリーグ]]|date=2019-04-11|accessdate=2019-04-12}}</ref>、7節から12節にかけて6試合無敗を記録するなど一時は順位を3位まで浮上させる。その後は上位陣との対戦が続いた事もあり勝ち点を伸ばせなかったが、17節の[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]戦で6試合振りに勝利を収め前半戦を8勝5分4敗の4位で折り返した<ref name = "os191211a">{{Cite web|和書|url=https://os-oita.com/pro/trinita/1227.html |title=トリニータ シーズン総括 旋風巻き起こし9位で終了(1ページ目)|work=オー!エス!|publisher=テレビ大分、大分合同新聞|date=2019-12-11|accessdate=2019-12-13}}</ref><ref group="注">但し、ACL参加クラブの後日消化分を反映させた場合は鹿島に抜かれ5位。</ref>。 後半戦に入ると、藤本の[[ヴィッセル神戸]]への移籍や対戦チームからの分析が進んだ影響で4勝6分7敗と負け越したが、夏の移籍期間で加入した[[田中達也 (1992年生のサッカー選手)|田中達也]]、[[小林裕紀]]を新たに先発メンバーに加え、前年同様GKから繋ぐサッカーを貫徹<ref name = "os191211b">{{Cite web|和書|url=https://os-oita.com/pro/trinita/1227.html?p=2&form=1 |title=トリニータ シーズン総括 旋風巻き起こし9位で終了(2ページ目)|work=オー!エス!|publisher=テレビ大分、大分合同新聞|date=2019-12-11|accessdate=2019-12-13}}</ref>。当初の目標であった「勝点45」を3試合を残してクリアし、一度も残留争いに巻き込まれること無く12勝11分11敗・勝点47の9位でシーズンを終えた{{R|os191211a}}。 一方、6年振りに参加した[[2019年のJリーグカップ|ルヴァンカップ]]<ref group = "注">名称がヤマザキナビスコカップからルヴァンカップへ変更されてからは初参加。</ref>ではグループステージ最終節までプレーオフステージ進出の可能性を残したが、[[セレッソ大阪]]に敗れて2008年以来のグループステージ突破は果たせなかった。[[天皇杯 JFA 第99回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は歴代最高タイ記録となるベスト8に進出した。 {{-}} ;2020年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.47|y=1.25|scale=220|text=[[片野坂知宏|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">監督 '''片野坂知宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.41|y=1.09|scale=220|text=[[高木駿|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高木駿'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=1.15|scale=220|text=[[文慶建|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(ムン・キョンゴン)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.88|scale=220|text=[[岩田智輝|<span style="font-size: 90%; color: white">'''岩田智輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.38|y=0.88|scale=220|text=[[鈴木義宜|<span style="font-size: 90%; color: white">'''鈴木義宜'''</span>]]}} {{Image label|x=0.08|y=0.88|scale=220|text=[[三竿雄斗|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三竿雄斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.65|scale=220|text=[[島川俊郎|<span style="font-size: 90%; color: white">'''島川俊郎'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.71|scale=220|text=[[小林裕紀|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(小林裕紀)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.19|y=0.65|scale=220|text=[[長谷川雄志|<span style="font-size: 90%; color: white">'''長谷川雄志'''</span>]]}} {{Image label|x=0.20|y=0.71|scale=220|text=[[羽田健人|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(羽田健人)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.50|scale=220|text=[[松本怜|<span style="font-size: 90%; color: white">'''松本怜'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.56|scale=220|text=[[小出悠太|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(小出悠太)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.50|scale=220|text=[[田中達也 (1992年生のサッカー選手)|<span style="font-size: 90%; color: white">'''田中達也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.04|y=0.56|scale=220|text=[[香川勇気|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(香川勇気)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.35|scale=220|text=[[野村直輝|<span style="font-size: 90%; color: white">'''野村直輝'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.41|scale=220|text=[[後藤優介|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(渡大生)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.35|scale=220|text=[[町田也真人|<span style="font-size: 90%; color: white">'''町田也真人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.17|y=0.41|scale=220|text=[[三平和司|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(三平和司)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.41|y=0.18|scale=220|text=[[知念慶|<span style="font-size: 90%; color: white">'''知念慶'''</span>]]}} {{Image label|x=0.35|y=0.24|scale=220|text=[[伊佐耕平|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(伊佐耕平)'''</span>]]}} {{Small|2020年基本スタメン}} |} :チームスローガン:'''不撓不屈 OITA TRINITA Spirit.'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20200156259/|title=2020シーズン スローガンおよび新体制決定について|publisher=大分トリニータ|date=2020-01-10|accessdate=2020-01-11}}</ref> 片野坂体制5年目。[[丸谷拓也]]が現役引退し、[[後藤優介]]が清水へ完全移籍で、昨季期限付き移籍で加入していたオナイウ、ティティパンら7選手がいずれも移籍期間満了により退団した。[[小島亨介]]は[[アルビレックス新潟|新潟]]へと期限付き移籍するなど他クラブへ期限付き移籍していた3選手も含め全13人が退団した。補強面では昨季途中から期限付き移籍していた[[高畑奎汰]]が復帰した他、[[渡大生]]、[[知念慶]]、[[町田也真人]]、[[香川勇気]]、[[野村直輝]]、[[髙澤優也]]ら全12人が加入した。 「勝ち点55・総得点50・失点35の6位」を目標に掲げたが、第1節終了後まもなく[[日本における2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響|新型コロナウイルス感染症流行]]の影響によりリーグが約4か月にわたって中断。7月上旬からの再開後は12月中旬までの約4か月半で全日程を消化する過密日程を強いられたことにより新加入選手を中心に怪我人が続出した。第5節から第9節にかけては5連敗を喫するなど一時低迷したが、その後はチーム状態が回復。下位争いに巻き込まれる事なく安定した戦いを見せたが、前年同様得点数は伸び悩み(総得点36・リーグワースト2位<ref>{{Cite web|和書|url=https://data.j-league.or.jp/SFRT01/?competitionSectionIdLabel=%E6%9C%80%E6%96%B0%E7%AF%80&competitionIdLabel=%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%AE%89%E7%94%B0%E7%94%9F%E5%91%BD%EF%BC%AA%EF%BC%91%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0&yearIdLabel=2020%E5%B9%B4&yearId=2020&competitionId=477&competitionSectionId=0&search=search|title=2020明治安田生命J1リーグ 順位表 【第34節】|publisher=J.League Data Site|date=2020-12-19|accessdate=2020-12-29}}</ref>)、最終的に勝ち点43の11位でシーズンを終えた<ref>{{Cite web|和書|url=https://os-oita.com/pro/trinita/1686.html |title=トリニータ 今シーズン総括 一丸となって危機を脱したが、再度攻撃面のテコ入れが必要|work=オー!エス!|publisher=テレビ大分、大分合同新聞|date=2020-12-27|accessdate=2020-12-29}}</ref>。 リーグ戦と同様カップ戦もコロナ禍の影響を受け、試合数が全3試合に削減された[[2020年のJリーグカップ|ルヴァン杯]]では3戦未勝利に終わりグループステージ敗退。天皇杯は出場チーム数削減の影響<ref>{{Cite press release |和書 |url=http://www.jfa.jp/news/00025014/ |title=天皇杯 JFA 第100回全日本サッカー選手権大会 大会方式について |publisher=日本サッカー協会 |date=2020-06-18|accessdate=2020-12-29}}</ref> でJリーグ加盟後では初めて不参加となった。 {{-}} ;2021年 {| class="wikitable floatright" | style="position: relative;" | [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.47|y=1.25|scale=220|text=[[片野坂知宏|<span style="font-size: 90%; color: royalblue;">監督 '''片野坂知宏'''</span>]]}} {{Image label|x=0.41|y=1.09|scale=220|text=[[高木駿|<span style="font-size: 90%; color: white">'''高木駿'''</span>]]}} {{Image label|x=0.29|y=1.15|scale=220|text=[[ポープ・ウィリアム|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(P・ウィリアム)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.70|y=0.88|scale=220|text=[[小出悠太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''小出悠太'''</span>]]}} {{Image label|x=0.67|y=0.94|scale=220|text=[[刀根亮輔|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(刀根亮輔)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.32|y=0.88|scale=220|text=[[エンリケ・デ・ソウザ・トレヴィザン|<span style="font-size: 85%; color: white">'''トレヴィザン'''</span>]]}} {{Image label|x=0.38|y=0.94|scale=220|text=[[坂圭祐|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(坂圭祐)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.06|y=0.88|scale=220|text=[[三竿雄斗|<span style="font-size: 90%; color: white">'''三竿雄斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.67|scale=220|text=[[小林裕紀|<span style="font-size: 90%; color: white">'''小林裕紀'''</span>]]}} {{Image label|x=0.51|y=0.73|scale=220|text=[[羽田健人|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(羽田健人)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.21|y=0.67|scale=220|text=[[下田北斗|<span style="font-size: 90%; color: white">'''下田北斗'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.73|scale=220|text=[[長谷川雄志|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(長谷川雄志)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.66|y=0.50|scale=220|text=[[増山朝陽|<span style="font-size: 90%; color: white">'''増山朝陽'''</span>]]}} {{Image label|x=0.64|y=0.56|scale=220|text=[[井上健太|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(井上健太)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.65|y=0.61|scale=220|text=[[松本怜|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(松本怜)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.04|y=0.50|scale=220|text=[[香川勇気|<span style="font-size: 90%; color: white">'''香川勇気'''</span>]]}} {{Image label|x=0.53|y=0.35|scale=220|text=[[渡邉新太|<span style="font-size: 90%; color: white">'''渡邉新太'''</span>]]}} {{Image label|x=0.52|y=0.41|scale=220|text=[[小林成豪|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(小林成豪)'''</span>]]}} {{Image label|x=0.16|y=0.35|scale=220|text=[[町田也真人|<span style="font-size: 90%; color: white">'''町田也真人'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=0.18|scale=220|text=[[伊佐耕平|<span style="font-size: 90%; color: white">'''伊佐耕平'''</span>]]}} {{Image label|x=0.38|y=0.24|scale=220|text=[[長沢駿|<span style="font-size: 75%; color: white">'''(長沢駿)'''</span>]]}} {{Small|2021年基本スタメン}} |} :チームスローガン:'''一致団結 Fight Together!'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20210163895/|title=大分トリニータ 2021シーズン スローガンおよび新体制決定について|publisher=大分トリニータ|date=2021-01-17|accessdate=2021-01-18}}</ref> 片野坂体制6年目。昨シーズンキャプテンを務めた[[鈴木義宜]]をはじめ、[[岩田智輝]]、田中達也、[[島川俊郎]]ら6選手が他J1クラブに完全移籍し、期限付き移籍加入していた知念慶は川崎に復帰した。また[[三平和司]]、[[前田凌佑]]ら4選手が契約満了により退団し、[[文慶建|ムン・キョンゴン]]が兵役の関係で韓国に帰国するなど計13人がチームを離れた。補強面では[[長沢駿]]、[[坂圭祐]]、[[下田北斗]]、[[ポープ・ウィリアム]]、[[渡邉新太]]ら8選手が完全移籍加入し、[[エンリケ・デ・ソウザ・トレヴィザン|エンリケ・トレヴィザン]]、[[マテウス・ソウザ・ペレイラ|ペレイラ]]が期限付き移籍加入{{Refnest|group="注"|エンリケとペレイラの2選手は新型コロナウイルス対策に伴う入国制限、および防疫処置の影響で4月にチームに合流した<ref>{{Cite press release|和書|date=2021-04-14|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20210467022/|title=エンリケ トレヴィザン選手 チームに合流のお知らせ|publisher=大分トリニータ|accessdate=2021-11-21}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|date=2021-04-20|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20210467319/|title=ペレイラ選手 チームに合流のお知らせ|publisher=大分トリニータ|accessdate=2021-11-21}}</ref>。}}。昨季特別指定選手としてリーグ公式戦デビューを果たしていた[[井上健太]]、[[藤本一輝]]ら新卒選手が4選手が入団した。 当シーズンは前年から続くコロナ禍の影響で全20チーム、降格枠4と例年と異なるレギュレーションとなった。第2節・[[横浜FC]]戦でシーズン初勝利を収めるなど開幕3試合は1勝2分とまずまずの滑り出しであったが{{Refnest|group="注"|第1・2節、4節の3試合。第3節は対戦相手の[[ガンバ大阪|G大阪]]に新型コロナウイルスの[[クラスター (疫学)|クラスター]]が発生した影響により延期された<ref>{{Cite web|和書|date=2021-03-10|url=https://www.asahi.com/articles/ASP3B61C6P3BPTQP00Q.html|title=ガンバ大阪、クラスター拡大 3月の残り3試合も中止に|website=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社|accessdate=2021-11-21}}</ref>。}}、鈴木・岩田ら昨季の主力選手流出の影響は隠せず第5節から第11節にかけて7連敗を記録しJ2降格圏に転落<ref>{{Cite web|和書|date=2021-11-20|url=https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/834926/|title=大分トリニータ3度目のJ2降格、主力流出響く|website=西日本スポーツ|publisher=西日本新聞社|accessdate=2021-11-21}}</ref>。第12節で[[清水エスパルス|清水]]に勝利を収め連敗をストップさせた後もチーム状態は上向かず、1試合未消化ではあるものの前半戦を3勝4分11敗の19位で折り返した。なお、[[2021年のJリーグカップ|ルヴァンカップ]]はグループステージで敗退した。 夏の移籍期間では高山薫、[[黒﨑隼人]]、[[福森健太]]、髙澤優也が期限付き移籍でチームを離れた一方で、14年ぶりの復帰となる[[梅崎司]]をはじめ、[[呉屋大翔]]、[[野嶽惇也]]、[[増山朝陽]]を完全移籍で獲得し巻き返しを図った<ref>{{Cite web|和書|date=2021-08-08|url=https://os-oita.com/pro/trinita/1973.html|title=トリニータ 新戦力を加え後半戦スタート 苦しい状況に変わりはないが下位脱出の糸口は見えつつある|website=オー!エス! OITA SPORTS|publisher=テレビ大分、大分合同新聞社|accessdate=2021-11-21}}</ref>。9月・10月のゲームでは3勝2分1敗と善戦を見せたが降格圏を1度として脱するには至らず、第36節・[[鹿島アントラーズ|鹿島]]戦をドローで終えると他会場の結果により、2試合を残して4年ぶりのJ2降格が決定した<ref>{{Cite web|和書|date=2021-11-21|url=https://football-tribe.com/japan/2021/11/21/230762/|title=J2降格大分が声明「主力選手の移籍など…」来季ACL出場権狙う鹿島相手に善戦も…|publisher=FOOTBALL TRIBE|accessdate=2021-11-21}}</ref>。ホームゲームでは7勝5分7敗勝点26得失点差-2と、J1全20チーム中12位の成績を挙げながら、アウェーでは初戦の横浜FC戦勝利の後、最終節の柏戦に勝利するまで17試合勝利がなく、2勝3分14敗で横浜FCと並び20チーム中最少タイの勝点9に終わった。 [[天皇杯 JFA 第101回全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]では、準決勝で同年J1優勝の[[川崎フロンターレ]]にPK戦で勝利し、九州ならびに本州以外を本拠地とするチームとして[[第45回天皇杯全日本サッカー選手権大会|1966年1月の第45回大会]]の[[新日本製鐵八幡サッカー部|八幡製鐵]]以来56大会ぶり、Jリーグ創設後は史上初めて決勝に進出。決勝戦では1点ビハインドで迎えた後半終了間際にペレイラの得点で同点に追いついたものの、後半アディショナルタイムに浦和に得点を許し1-2で敗れ準優勝に終わった。 同シーズンを以て、片野坂が監督を退任<ref>{{Cite press release|和書|date=2021-11-26|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20211176618/|title=片野坂 知宏監督 退任のお知らせ|publisher=大分フットボールクラブ|accessdate=2021-12-10}}</ref>。6シーズンの監督在任はクラブ史上歴代最長となった<ref>{{Cite web|和書|date=2021-12-20|url=https://www.fnn.jp/articles/-/288027|title=トリニータ片野坂監督退任会見「本当に幸せ。躍動するチームに」6年間の軌跡|publisher=FNNオンライン|archiveurl=https://archive.ph/y9QDp|archivedate=2021-12-20|accessdate=2021-12-20}}</ref>。 {{-}} === 2022年 -(J2)=== ;2022年 :チームスローガン:'''挑戦 Never Stop Challenging'''<ref>{{Cite press release|和書|date=2022-01-20|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20220178296/|title=大分トリニータ 2022シーズン スローガンおよび新体制決定について|publisher=大分フットボールクラブ|accessdate=2022-01-20}}</ref> 過去に[[横浜FC]]、[[柏レイソル]]で監督を務めた[[下平隆宏]]が新監督に就任。エンリケ・トレヴィザン、ポープ・ウィリアム、[[長谷川雄志]]が他クラブに移籍したもののそれ以外の退団は既に期限付き移籍中であった3選手に留まった。補強面では[[中川寛斗]]、[[伊東幸敏]]に加え、[[エドゥアルド・ダ・シルヴァ・ナシメント・ネット|エドゥアルド・ネット]]、[[サムエル・ヴァンデルレイ・ダ・シウヴァ|サムエル]]と2人のブラジル人選手{{Refnest|group="注"|エドゥアルドとサムエルは新型コロナウイルス対策に伴う入国制限により3月に合流した。}}が完全移籍で加入した他、大卒選手として[[宇津元伸弥]]、[[濵田太郎]]、そしてU-18から[[屋敷優成]]が昇格した。 1年でのJ1復帰を目指し勝ち点84を目標に定めたシーズンであったが<ref>{{Cite web|和書|date=2022-01-22|url=https://os-oita.com/pro/trinita/2204.html?p=2&form=1|title=大分トリニータ 下平隆宏監督の下、新戦力を加え「挑戦」のシーズンが始まった|publisher=テレビ大分、大分合同新聞|website=オー!エス!|accessdate=2023-01-10}}</ref>、[[2022 FIFAワールドカップ|W杯カタール大会]]が同年冬に開催される影響でシーズンが例年より前倒しで終了する事に加え、ルヴァン杯参加による影響で開幕から11連戦、9連戦、7連戦というスケジュールとなり戦術が十分に浸透しないまま、多くの試合を行うこととなった<ref name = "obs221216">{{Cite web|和書|date=2022-12-16|url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/obs/236654?display=1|title=【回顧2022】大分トリニータ 下平隆宏監督大いに語る J1復帰目指して 今考えていること|publisher=[[大分放送]]|website=OBSオンライン|archiveurl=https://archive.is/NqGwX|archivedate=2023-01-10|accessdate=2023-01-10}}</ref>。また、主力選手にも怪我人が続出したこともあり第6節まで未勝利(3分2敗)と出遅れ、前半戦を勝ち点28の10位で終えた。 夏の移籍期間では加入・退団選手が共に居なかったが、移籍ウィンドウ終了直後に[[金崎夢生]]が名古屋との契約を解除した上で加入、13シーズンぶりの復帰となった。後半戦は日程に少し余裕が出たことや若手の成長により調子を上げ、10戦負けなしを記録するなど10勝8分3敗の成績を残した{{R|obs221216}}。しかし目標とした自動昇格圏入りには及ばず、最終順位は勝ち点66の5位で[[J1参入プレーオフ]]に回ることとなった。 J1参入プレーオフ・1回戦では、リーグ4位・[[ロアッソ熊本|熊本]]と対戦。2-2で引き分けたが、引き分けの場合はリーグ戦上位を2回戦進出とする規定により敗退となった。 {{-}} ; 2023年 :チームスローガン:'''繋(つなぐ)'''<ref>{{Cite web|和書|date=2023-01-08|url=https://www.instagram.com/p/CnId9hbyISq/|title=大分トリニータ インスタグラム公式アカウント投稿より|publisher=大分トリニータ|accessdate=2023-01-10}}</ref> 下平体制2年目。クラブ・リレーションズ・オフィサーに就任した[[松本怜]]{{Refnest|group="注"|選手としては[[九州サッカーリーグ|九州リーグ]]・[[ジェイリースFC]]に移籍し現役続行。}}をはじめ、金崎夢生、[[小林裕紀]]など計5選手が契約満了となった他、[[井上健太]]、[[三竿雄斗]]、[[呉屋大翔]]、[[下田北斗]]など昨季他クラブに期限付き移籍していた[[髙澤優也]]も含め計9選手が他クラブに移籍し、濵田太郎が[[AC長野パルセイロ|長野]]へ期限付き移籍した。補強面では大分U-18出身の[[茂平]]や昨季J3ベストイレブンを受賞した[[安藤智哉]]、更には[[デルラン・ジ・オリヴェイラ・ベント|デルラン]]、[[マテウス・エンリケ・テイシェイラ|テイシェイラ]]など計6選手が移籍加入した他、期限付き移籍中であった[[高橋祐翔]]が復帰。U-18から[[佐藤丈晟]]、[[保田堅心]]が昇格し、大卒選手として[[松尾勇佑]]が加入した。また大分FCの代表取締役が[[榎徹]]から、前常務取締役の[[小澤正風]]に交代した<ref>{{Cite web|和書|date=2023-01-17|url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/oita/20230117/5070014817.html|title=J2 大分トリニータの運営会社新社長に小澤正風氏が就任|publisher=[[日本放送協会]]|archiveurl=https://archive.is/i68zy|archivedate=2023-01-17|accessdate=2023-01-18}}</ref>。 夏の移籍期間では[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]から[[鮎川峻]]が育成型期限付き移籍で加入した一方、[[高木駿]]が[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]へ移籍した。 第41節、[[ツエーゲン金沢|金沢]]に2-2で引き分け。プレーオフ進出の可能性が消滅した。 その6日後の11月10日、下平監督の退任が発表された。[https://www.oita-trinita.co.jp/news/202311106224/] ==== 2024年 ====  チームスローガン: 3年ぶりに[[片野坂知宏]]が監督に就任した<ref>{{Cite web |title=【トップチーム】片野坂知宏氏 監督就任のお知らせ |url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/202311106799/ |website=大分トリニータ公式サイト |access-date=2023-11-30 |language=ja}}</ref>。 == 成績 == {{main|大分トリニータの年度別成績一覧}} == タイトル ・表彰== === 国内タイトル === * '''[[J2リーグ]]:1回<ref name="jleague" />''' ** [[2002年のJリーグ ディビジョン2|2002]] * '''[[J3リーグ]]:1回<ref name="jleague" />''' ** [[2016年のJ3リーグ|2016]] * '''[[Jリーグカップ]]:1回<ref name="jleague" />''' ** [[2008年のJリーグカップ|2008]] === その他タイトル === * '''[[九州サッカーリーグ]]''':1回 ** 1995 * '''[[大分県社会人サッカーリーグ]]''':1回 ** 1994 * '''大分県サッカー選手権大会(天皇杯大分県予選)''':1回 ** 2016 ==== 表彰 ==== ; [[Jリーグアウォーズ#フェアプレー賞(高円宮杯)|Jリーグフェアプレー賞高円宮杯]]:1回 * [[2020年のJ1リーグ|2020年]] ; J1フェアプレー賞:3回<ref name="jleague" /> * [[2019年のJ1リーグ|2019年]]、2020年、[[2021年のJ1リーグ|2021年]] ; J2フェアプレー賞:3回<ref name="jleague" /> * [[2017年のJ2リーグ|2017年]]、[[2018年のJ2リーグ|2018年]]、[[2022年のJ2リーグ|2022年]] ; J3フェアプレー賞:1回<ref name="jleague" /> * 2016年 === 個人別 === ; J1リーグ * 優秀選手賞 ** [[2005年のJリーグ ディビジョン1|2005年]] [[マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ|マグノ・アウベス]] ** [[2006年のJリーグ ディビジョン1|2006年]] [[西川周作]] ** [[2008年のJリーグ ディビジョン1|2008年]] [[エジミウソン・アウヴェス|エジミウソン]]、[[金崎夢生]]、西川周作、[[ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド|ホベルト]]、[[森重真人]] * 優秀新人賞 ** 2005年 西川周作 * フェアプレー個人賞 ** 2006年 [[根本裕一]] * 優秀監督賞 ** 2019年 [[片野坂知宏]] * [[月間MVP (日本プロサッカーリーグ)|月間MVP]] ** 2019年2月・3月 [[藤本憲明]] ; J2リーグ * 得点王 ** [[1999年のJリーグ ディビジョン2|1999年]] [[神野卓哉]](19得点) * 優秀監督賞 ** [[2018年のJ2リーグ|2018年]] 片野坂知宏 * J2 Exciting 22<ref group ="注">2011年のみ同シーズンのJ2参加クラブが20クラブであった為、「J2 Exciting 20」として表彰。</ref> ** [[2011年のJリーグ ディビジョン2|2011年]] [[前田俊介]] ** [[2012年のJリーグ ディビジョン2|2012年]] [[三平和司]] ** [[2014年のJリーグ ディビジョン2|2014年]] [[為田大貴]] * 月間MVP ** 2018年10月 三平和司 ; J3リーグ * MYアウォーズ MVP<ref name=myawords>{{Cite web|和書|title=MYアウォーズ 結果発表 |url=https://www.jleague.jp/awards/2016/myawards/ |publisher=Jリーグ |accessdate=2017-12-31}}</ref> ** 2016年 [[後藤優介]] * MYアウォーズ ベストイレブン<ref name=myawords/> ** 2016年 [[上福元直人]]、[[清本拓己]]、後藤優介、[[鈴木義宜]]、[[ダニエル・シルバ・ドス・サントス|ダニエル]]、[[福森直也]]、[[松本昌也]]、[[山岸智]] ; Jリーグカップ * MVP ** 2008年 [[高松大樹]] * ニューヒーロー賞 ** 2008年 金崎夢生 == 経営問題 == 大分トリニータを運営する株式会社大分フットボールクラブ(以下「大分FC」と記す。)には、1999年の会社設立以来、住宅リフォームメーカーの[[ティエムシー|ペイントハウス]]が筆頭株主として経営に参加していた([[日経ビジネス|日経ビジネスオンライン]]によると、同社の創業者だった星野初太郎の肝いりだったという<ref name="nikkeibiz20091120">{{Cite web|和書|url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20091120/210266/|title=問題企業の“パス回し”に翻弄された大分トリニータ|work=[[日経ビジネス|日経ビジネスオンライン]]|publisher=[[日経BP]]|date=2009-11-25|accessdate=2013-10-06}}</ref>)。しかし、ペイントハウスの拡大路線が行き詰まり、同社の経営に投資コンサルタントの[[阪中彰夫]]が関与し始めた頃から、ペイントハウス、ひいては大分FCの経営が揺らぎはじめ、これをきっかけとなって様々な問題が生じ、クラブ経営が翻弄され続けることになった。 === 2004年から2005年 === 2004年、クラブ創設以来ユニフォームスポンサーを務めていたペイントハウスが年度途中で撤退。これをきっかけとして大分FCは経営難に陥り、2005年9月時点で7億2,500万円の累積赤字、3億4,400万円の[[債務超過]]となった<ref name="oitagodo-np20050915">{{Cite news|url=http://www.oita-press.co.jp/read/read.cgi?2005=09=15=922451=chokan|title=県に2億円支援 大分FC経営諮問委「21日までに必要」|newspaper=[[大分合同新聞]]|date=2005-09-15|archiveurl=https://web.archive.org/web/20060222150601/http://www.oita-press.co.jp/read/read.cgi?2005=09=15=922451=chokan|archivedate=2006年2月22日|accessdate=2013-10-06|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。また、これと相前後して、2004年途中にペイントハウスの代わりにユニフォームの胸スポンサーに就いた、ミュージシャンの[[小室哲哉]]が役員を務めるイベント会社「[[トライバルキックス]]{{Refnest|group="注"|トライバルキックスがトリニータのスポンサードを行った背景には、小室の妻・[[KEIKO]]が大分県臼杵市出身で、小室がトリニータのファンとなったという縁があるという<ref name="sponichi20121123">{{Cite news|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/11/23/kiji/K20121123004619270.html|title=かつてのスポンサー 小室哲哉 大分J1復帰に喜び「名試合だった」|newspaper=スポーツニッポン|date=2012-11-23|accessdate=2013-10-06}}</ref>。}}」による年間スポンサー料7,000万円の滞納が発覚した<ref name="sponichi20121123"/>。大分FCの経営諮問委員会は2005年9月14日にとりまとめた答申で「極めて厳しい状況。運転資金確保が緊急の課題」と結論づけ、大分FCが9月21日までに2億円の調達が必要であるとし、大分県に公的支援を要請した<ref name="oitagodo-np20050915"/>。 これを受け、大分FCは大分県の外郭団体である大分県スポーツ文化振興財団から2億円の融資を受けた他、6月にユニフォーム胸スポンサーとなったパチンコホール運営会社の[[マルハン]]が2006年から6年間の年間シートを購入し、資金繰りを乗り切った。マルハンのスポンサードに関してはJリーグの規定に抵触するのではないかとの指摘があったものの、このときは特例として認められた。 2006年12月、Jリーグから、「(マルハンをはじめとする)ホール業界がJリーグのスポンサー自粛カテゴリーにあたり、2007年シーズン以降のユニフォームスポンサーとして許可できない」との方針が示された<ref name=press090914>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/official/00089000/00089348.html|title=大分トリニータ スペシャルスポンサー「株式会社マルハン」とのスポンサー契約について|work=J's GOAL|date=2009-9-14|accessdate=2013-1-6}}</ref>{{Refnest|group="注"|パチンコ業界関連では、過去にはリーグスポンサーにパチンコ製造メーカーの[[平和 (パチンコ)|平和]]が名を連ねたことがある。他に、[[アビスパ福岡]]の大株主である[[大都技研]]も、子会社にパチンコホールがあることを理由にユニフォームスポンサーを断られた例がある。}}ことを受け、マルハンはこれ以降「スペシャルスポンサー」としてトリニータの支援を行うことになる。 === 2009年以降 === [[2009年]][[9月14日]]、大分FCは、マルハンが「ユニホームに企業名が入らず広告対価が伴わない」ことを理由にスポンサーを完全撤退したことを発表<ref name=press090914 /><ref>[http://www.oita-press.co.jp/localSports/120726999419/2009_125297750963.html 【トリニータ】 マルハン完全撤退] - 大分合同新聞、2009年9月14日</ref><ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/122029 マルハン スポンサー撤退へ 大分に合計約13億円支援]{{リンク切れ|date=2017年9月 |bot=InternetArchiveBot }} - 西日本新聞、2009年9月15日</ref>。加えて、2006年以降スポンサーに名を連ねていたフロンテック(「BOWS」表記)、オメガプロジェクト(現・[[伊豆シャボテンリゾート]])が役員逮捕{{Refnest|group="注"|これらの企業はペイントハウスにも関わった阪中彰夫や、阪中と親しい間柄にあったとされる横濱豊行が経営に関与していた。阪中と横濱は2009年にそれぞれ別の容疑で逮捕されている<ref name="nikkeibiz20091120"/>。}}を起因とする経営難などから2009年までに相次いで撤退<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20091110-OHT1T00260.htm 大分、スポンサー撤退でさらに経営難に] - 報知新聞、2009年11月11日</ref>、さらに一度はスポンサー継続を決めていた[[ジョイフル]]<ref>[http://www.oita-press.co.jp/print.php?print_type=localSports_120726999419&print_first_genre=120726999419&print_second_genre=&print_news_id=2009_123336701968 【トリニータ】新たな挑戦 30人体制に] - 大分合同新聞、2009年1月31日</ref> も、業績悪化で代表取締役の交代が決まった直後の3月にユニフォームスポンサーから撤退。そのうえ2009年途中からユニフォームの胸スポンサーとなった[[フォーリーフジャパン]]はそのビジネス手法などを巡り当初からサポーターの反発を受けていたこともあってに同年限りでスポンサーから降板するなど、大口スポンサーの撤退が相次いだことで再度の経営危機が一気に表面化した。 具体的には、2009年1月期現在で累積赤字が11億円、[[債務超過]]額が5億5,800万円<ref>{{PDFlink|[http://www.j-league.or.jp/aboutj/jclub/2008-9/pdf/club2009.pdf 2008年度Jリーグ公開資料]}}</ref> となっており、更には成績不振による入場料減収や監督交代に伴う人件費増加もあって、翌2010年度の運営費を前倒しで使う[[自転車操業]]のような経営方針もあいまって<ref name="OHITAGODO20091117">[http://www.oita-press.co.jp/localNews/2009_125842104922.html 【トリニータ】「運営費7-8億円不足」] - 大分合同新聞、2009年11月17日</ref>、2009年11月からのリーグ戦残り3節(うちホーム2試合)の運営が困難となった。 2009年11月11日、[[日本プロサッカーリーグ (法人)|日本プロサッカーリーグ]]が設立した[[公式試合安定開催基金]]からの緊急融資を申請した<ref>[http://www.oita-trinita.co.jp/information.php?_mode=detail&id=3993 Jリーグ「公式試合安定開催基金」借入申請について] - 大分トリニータ、2009年11月11日</ref>(J1所属クラブが同基金からの融資を申請するのは史上初<ref name="MSN20091111">[https://megalodon.jp/2009-1213-1627-42/sankei.jp.msn.com/sports/soccer/091111/scr0911111849009-n1.htm 【Jリーグ】大分が運営費不足で融資を申請、J1では初] - MSN産経ニュース (ウェブ魚拓)、2009年11月11日</ref>)。申請の際、本年度のみで2億円程度不足とみられていた<ref name="MSN20091111"/> が、大分県は本年度のみで約4億円不足すると発表した<ref name="OHITAGODO20091117" />。11月17日、Jリーグ理事会にて合計6億円の融資(当初3億5,000万円、2010年1月末に2億5,000万円)を決定。Jリーグは大分FCについて「経営破たんに近い、あってはならない経営」と指摘<ref>[http://www.oita-press.co.jp/localSports/120726999419/2009_125850664222.html 【トリニータ】3億5千万円融資] - 大分合同新聞、2009年11月17日</ref>。11月20日、大分FC社長の[[溝畑宏]]が12月5日の公式戦終了後に引責辞任して、副社長の[[皇甫官]]が社長代行に就任することを発表<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/135872 「新しい発展のため、けじめ」 J1大分溝畑社長辞任] - 西日本新聞、2009年11月21日</ref>。12月12日には、皇甫および強化部長の[[原靖]]が辞任し、大分県経営企画部長の[[青野浩志]]が代表取締役代行に就任した<ref>[http://kyushu.yomiuri.co.jp/sports/soccer/j_league/20091213-OYS1T00396.htm J大分 溝畑社長・皇甫副社長ら辞任] - 読売新聞、2009年12月13日</ref>。 当初の緊急融資を受け、大分FCは再建計画書をJリーグに提出したが、「経費削減が不十分」として<ref name="oitagodo091218" /><ref>[http://kyushu.yomiuri.co.jp/sports/soccer/j_league/20091215-OYS1T00270.htm 大分へ追加融資見送り J理事会「再建計画不十分」] - 読売新聞、2009年12月15日</ref> 12月14日のJリーグ理事会で追加融資分2億5千万円の承認が否決。12月23日のJリーグ臨時理事会でも同様の理由により否決されたため、大分FCは地元銀行からのつなぎ融資を受け当座の資金を確保した<ref>[http://www.oita-press.co.jp/localNews/2009_126170222522.html 大分FCへつなぎ1.5億円 地場金融融資] - 大分合同新聞、2009年12月25日</ref>。これを受け、大分県や地元企業らが中心になって新たに「大分トリニータを支える県民会議」が発足<ref>[http://www.oita-press.co.jp/localSports/120726999419/2009_126076933089.html 【トリニータ】「県民会議」が発足] - 大分合同新聞、2009年12月13日</ref>。また大分市役所内にチーム支援のための募金箱を設置し、当面「5,000万円を目標」として募金を募った<ref>[http://www.nikkei.co.jp/kyushu/news/200912150000002227.html 大分トリニータ 市長「J1復帰へ資金集め」] - 日経ネット九州版、2009年12月15日</ref>。ただ大分県内でもチーム支援に対する考えは地域によって温度差があり、大分市以外では「なぜトリニータばかり優遇するのか」という不満の意見もあった<ref>[http://www.oita-press.co.jp/localSports/120726999419/2009_126084210057.html 再出発、よみがえれ!トリニータ(8)] - 大分合同新聞、2009年12月15日</ref>。 2010年1月19日、大分FCが再提出した運営予算を削減した計画書に基づき、Jリーグ理事会は更なる予算圧縮を要望しつつ残り2億5,000万円の追加融資を決定<ref>[http://www.oita-press.co.jp/localSports/120731038943/2010_12639532059.html Jリーグ、トリニータに追加融資を決定] - 大分合同新聞、2010年1月20日</ref>。2月16日には、大分FCが再度提出した予算を更に修正した計画書に基づき、Jリーグ理事会は追加融資を正式に了承した<ref name="houch20020216">[http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20100216-OHT1T00223.htm 東京Vと異例の文書締結] - 報知新聞2010年2月16日</ref>。大分県は再建支援のため、これまで半額免除であった大分銀行ドームの使用料を、2010年シーズンは全額免除することを決定。その後、全額免除は2012年シーズンまで続いている<ref>[http://www.asahi.com/sports/fb/SEB201202200048.html J2大分、本拠ドーム使用料を今季も免除 経営難で] 朝日新聞、2012年2月21日</ref>。 なお、債務超過額については、2009年1月期時点での5億8千万円あまりから、2009年12月の調査時点で大分FCによる調査で実質9億円以上になると判明<ref name="oitagodo091218">[http://www.oita-press.co.jp/localSports/120726999419/2009_126109536105.html 再出発、よみがえれ!トリニータ (11)] - 大分合同新聞、2009年12月18日</ref>。2010年1月末時点では11億6,700万円の債務超過額であることが4月27日の大分FCの株主総会で明らかにされた<ref>[http://www.oita-press.co.jp/localSports/120726999419/2010_127241758641.html 【トリニータ】債務超過6億円増] - 大分合同新聞、2010年4月28日</ref>。 2010年5月、[[ティエムシー]](旧・ペイントハウス)が保有していた大分FCの株式を買い取った[[大分商工会議所]]が筆頭株主となった<ref>[http://www.oita-press.co.jp/localNews/2010_127380346737.html 大分商議所 大分FC株の取得で筆頭株主に] - 大分合同新聞、2010年5月14日</ref><ref>[http://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/171469 トリニータ株を大分商議所取得 経営再建へ 筆頭株主に] - 西日本スポーツ、2010年5月14日</ref><ref>[https://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp0-20100518-631187.html Jリーグが大分の株主変更を了承] - 日刊スポーツ、2010年5月18日</ref>。 2011年、[[ダイハツ九州]]が胸スポンサーとなった<ref>[http://www.oita-press.co.jp/localSports/120726999419/2011_1294723909.html 【トリニータ】胸スポンサーにダイハツ九州] - 大分合同新聞、2011年1月11日</ref>。 2010年11月17日、2011年1月までに必要な運転資金5億円のうちの1億9,000万円が不足する可能性が出たため、大分FCは大分県文化スポーツ振興財団から2億円の追加融資を受けた(この時点で、2005年の融資のうち8,000万円が未返済であった<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jsgoal.jp/official/00110000/00110030.html|title=財団法人大分県文化スポーツ振興財団理事会での貸付承認に伴う、株式会社大分フットボールクラブ代表取締役 青野浩志のコメント|work=J's GOAL|date=2010-11-17|accessdate=2013-1-6}}</ref>)。 2012年1月31日、Jリーグの[[公式試合安定開催基金]]から融資を受けていた5億円の内の2億円を返済<ref>[https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2012/01/31/kiji/K20120131002542800.html 大分 期日ギリギリに2億円返済 昇格へ「前倒しで返済できるように」] - スポーツニッポン、2012年1月31日</ref>。その一方で、10月12日までに公式試合安定開催基金からの融資の残り3億円の返済を完了しなければ、成績上の条件(2位まで自動昇格、3-6位は今年度から採用される「[[J1昇格プレーオフ]]」進出権利)を満たしても2013年度からJ1昇格をすることができないという条件が課せられた。同年5月、3億円のうちの1億円を目標に、市民・団体などから寄付(1口5,000円、上限なし)を募る「J1昇格支援金」の募集を開始。支援金は、8月17日に目標の1億円に到達し<ref>[http://www.sanspo.com/soccer/news/20120817/jle12081715160000-n1.html J2大分、募金1億円到達 J1昇格目指す] - SANSPO.COM(サンスポ)、2012年8月17日</ref>、最終的には約1億2,380万円に達した。この支援金に、地元経済界からの支援約1億920万円、大分県等の行政からの支出1億円を合わせて、支援の総額は約3億3,300万円となり、大分FCは10月12日に基金からの融資を完済した<ref name="oita-godo20121013">[http://www.oita-press.co.jp/localSports/120726999419/2012_135009031548.html 【トリニータ】昇格へ経営面クリア] - 大分合同新聞、2012年10月13日</ref>。なお、2012年10月12日時点の債務超過額は約5億8,500万円である<ref name="oita-godo20121013" />。 2019年6月24日、大分市出身の[[河野貴輝]]が創業した貸会議室大手・[[ティーケーピー]](TKP)が発行済み株式の20%を取得し、筆頭株主となった上で資本・業務提携を結んだことが公表された<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.kashikaigishitsu.net/news/detail.php?news_info_id=1456|title=TKP、大分フットボールクラブと資本業務提携を締結し、筆頭株主に ~スポーツを通じて大分県の地域活性化を支援~|publisher=ティーケーピー|date=2019-06-24|accessdate=2019-07-20}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO47099130Y9A700C1LX0000/|title=TKP、J1大分の筆頭株主に エンタメ拠点、大分で提供|newspaper=日本経済新聞|date=2019-07-09|accessdate=2019-07-20}}</ref>。また、地元の[[九州乳業]]も株式の買い増しにより株式比率を20%程度にまで高め、TKPと共に筆頭株主となった上で企業再生ファンドからの株式の買い戻しを進め<ref>{{Cite news|url=https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2019/06/22/JD0058199022|title=大分FC再建にめど TKPと九州乳業が筆頭株主の見通し|newspaper=大分合同新聞|date=2019-06-22|accessdate=2019-07-20}}</ref>、クラブは6月25日の社長会見で企業再生ファンドからの株式の買い戻しが完了したと発表した<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASM6W4DVVM6WTPJB00C.html|title=大分)J1大分経営再建にめど ファンド株買い戻し終了|newspaper=朝日新聞|date=2019-07-01|accessdate=2019-07-20}}</ref>。 === 一致団結プロジェクト === 2019年末頃より流行した[[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|新型コロナウィルス]]の影響により、2020年度のスタジアム入場者数は大幅に減少し、クラブ経営に大きな影響を与えた。スポンサー営業も厳しい状況が続き、ユニフォームのスポンサーロゴ掲出箇所には空白が発生していた。そうした事情を踏まえ[[クラウドファンディング]]・「'''#大分トリニータ一致団結プロジェクト~みんなの想いをピッチへ~'''」を2021年4月9日 - 5月16日にかけて実施<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20210466634/|title=クラウドファンディング第3弾 『#大分トリニータ 一致団結プロジェクト』 ~みんなの想いをピッチへ~ ご支援サイトURL公開及びご支援御礼品決定のお知らせ|publisher=大分トリニータ|date=2021-04-06|accessdate=2021-05-31}}</ref>。当初設定では目標金額を5,000万円とし、目標達成の暁にはユニフォーム鎖骨左の位置に同プロジェクトのロゴを掲出するとしていた。4月30日に当初目標金額に到達、その後「NEXT GOAL」として設定した8,000万円をも上回り、最終的に88,968,000円もの支援額が集まった<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20210568722/|title=クラウドファンディング第3弾『大分トリニータ一致団結プロジェクト~みんなの想いをピッチへ~』ご支援最終結果のお知らせ|publisher=大分トリニータ|date=2021-05-21|accessdate=2021-05-31}}</ref>。なお、プロジェクト期間中に筆頭株主であるティーケーピーが当初プロジェクトロゴ掲出予定であった鎖骨左部分のスポンサー契約を結んだことから、胸上中央部へとロゴ掲出位置が変更となった<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20210568413/|title=【大分トリニータ一致団結プロジェクト】ロゴ 掲出位置についてのご報告|publisher=大分トリニータ|date=2021-05-14|accessdate=2021-05-31}}</ref>。 === 子会社 === 2019年12月3日にJリーグクラブとしては初となる子会社「株式会社トリニータマーケティング」を設立<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20191255765/|title=【お知らせ】Jリーグクラブ初のマーケティング子会社「株式会社トリニータマーケティング」設立のお知らせ|publisher=大分フットボールクラブ|date=2019-12-03|accessdate=2020-02-12}}</ref>。[[東京都]]に拠点を置き、トリニータの[[YouTube]]チャンネルでの動画配信、公式SNS・オンラインショップの運営・トリニータのグッズ開発、パブリックビューイングの開催、ソーシャルアクションなどを担当したが、[[2019年コロナウイルス感染症による社会・経済的影響|新型コロナウイルス流行の影響]]に伴う経営合理化などを理由として、2020年10月31日を以て解散・清算となった<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20201061903/|title=【お知らせ】子会社の解散及び清算について|publisher=大分フットボールクラブ|date=2020-10-29|accessdate=2020-10-30}}</ref>。 == アカデミー == U-12、U-15、U-18各世代にチームを保有し、U-15は[[宇佐市]]を拠点とするチームも保有している。 大分U-18は、[[2013年]]に[[高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ九州|プリンスリーグ九州1部]]にて初優勝。[[高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ|プレミアリーグ]]参入戦に臨んだが、[[愛媛FC|愛媛FC U-18]]に敗れ参入は見送りとなった。翌2014年、プリンスリーグ九州で連覇を果たすと、この年の参入戦で[[北海道大谷室蘭高等学校|大谷室蘭高校]]、[[米子北高等学校|米子北高校]]に勝利し2015シーズンからのプレミアリーグWESTへ昇格が決定した。[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2015 プレミアリーグ|2015年]]は3位となったが、翌[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2016 プレミアリーグ|2016年]]はリーグ戦最下位となりプリンス九州に降格となった。 [[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|日本クラブユースサッカー選手権]]での最高成績は2012年、2014年、2018年、2019年のラウンド16、[[Jリーグユース選手権大会|Jユースカップ]]での最高成績は[[2015Jユースカップ|2015年]]のベスト4となっている。[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]には過去4回出場をしている(但し第95回大会より規約が改定され、2種登録チームの参加資格が無くなった為現在は出場不可<ref>{{Cite press release|和書|title=天皇杯全日本サッカー選手権大会 大会形式等の変更について|publisher=日本サッカー協会|date=2014-11-13|url=http://www.jfa.jp/news/00002582/|accessdate=2014-11-13}}</ref>)。 === U-18歴代成績 === {| class="wikitable" style="text-align: center; border:double #FFB606; box-shadow: 4px 4px 4px #140B8C;; line-height:90%" |- style="background-color:#140B8C; color:#FFF; font-weight:bold;" |年度||所属||順位||勝点||試合数||勝||分||敗||得点||失点||得失点差|| ||[[日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会|{{font|クラブユース<br/>選手権|color=#FFF}}]]||[[Jリーグユース選手権大会|{{font|Jユース選手権|color=#FFF}}]]||他公式戦 |- |2004||[[高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ九州|プリンス九州]]2部||bgcolor="gold"|'''優勝'''||28||10||9||1||0||28||5||+23||rowspan="20"| ||-||2回戦||[[第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯3回戦敗退]] |- |[[2005年のJFAプリンスリーグU-18|2005]]||rowspan="10"|プリンス九州1部||bgcolor="silver"|2位||22||rowspan="6"|11||7||1||3||21||13||+8||-||[[2005Jユースカップ#2回戦|2回戦]]||[[第85回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯1回戦敗退]] |- |[[2006年のJFAプリンスリーグU-18|2006]]||bgcolor="#deb678"|3位||23||7||2||2||22||8||+14||-||[[2006Jユースカップ#2回戦|2回戦]]|| |- |[[2007年のJFAプリンスリーグU-18|2007]]||bgcolor="#deb678"|3位||21||6||3||2||20||8||+12||[[第31回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#グループA|GL敗退]]||[[2007Jユースカップ#準々決勝|ベスト8]]||[[第87回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯1回戦敗退]] |- |[[2008年のJFAプリンスリーグU-18|2008]]||bgcolor="silver"|2位||22||7||1||3||33||25||+8||[[第32回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#グループA|GL敗退]]||[[2008Jユースカップ#予選リーグ|予選敗退]]|| |- |[[2009年のJFAプリンスリーグU-18|2009]]||bgcolor="silver"|2位||22||7||1||3||21||12||+9||[[第33回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#グループD|GL敗退]]||[[2009Jユースカップ#2回戦|2回戦]]|| |- |[[2010年のJFAプリンスリーグU-18|2010]]||bgcolor="#deb678"|3位||18||5||3||3||29||19||+10||[[第34回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#グループE|GL敗退]]||[[2010Jユースカップ#予選リーグ|予選敗退]]|| |- |[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2011|2011]]||bgcolor="silver"|2位||45||22||14||3||5||69||46||+23||-||[[2011Jユースカップ#2回戦|2回戦]]|| |- |[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2012|2012]]||9位||27||21||8||3||10||45||36||+9||[[第36回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#ラウンド16|ラウンド16]]||[[2012Jユースカップ#1回戦|1回戦]]|| |- |[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2013|2013]]||bgcolor="gold"|'''優勝'''||40||rowspan="7"|18||13||1||4||56||17||+39||-||[[2013Jユースカップ#Iグループ|GL敗退]]||[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2013 プレミアリーグ#プレミアリーグ参入戦|プレミア参入戦敗退]] |- |[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2014|2014]]||bgcolor="gold"|'''優勝'''||49||16||1||1||43||12||+31||[[第38回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#ラウンド16|ラウンド16]]||[[2014Jユースカップ#準々決勝|ベスト8]]||bgcolor="gold"|'''[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2014 プレミアリーグ#プレミアリーグ参入戦|プレミア参入戦勝利]]''' |- |[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2015 プレミアリーグ|2015]]||rowspan="2"|[[高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ|プレミアWEST]]||bgcolor="#deb678"|3位||31||9||4||5||29||19||+10||[[第39回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#グループG|GL敗退]]||bgcolor="#deb678"|[[2015Jユースカップ#準決勝|ベスト4]]|| |- |[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2016 プレミアリーグ|2016]]||10位||9||2||3||13||13||37||-24||[[第40回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#グループD|GL敗退]]||[[2016Jユースカップ#3回戦|3回戦]]|| |- |[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2017|2017]]||rowspan="3"|プリンス九州||bgcolor="#deb678"|3位||30||9||3||6||34||25||+9||[[第41回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#グループB|GL敗退]]||[[2017Jユースカップ#1回戦|1回戦]]|| |- |[[高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ 2018|2018]]||4位||30||9||3||6||42||33||+9||[[第42回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#ラウンド16|ラウンド16]]||[[2018Jユースカップ#3回戦|3回戦]]|| |- |[[高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ 2019|2019]]||bgcolor="silver"|2位||33||10||3||5||31||19||+12||[[第43回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#ラウンド16|ラウンド16]]||[[2019Jユースカップ#1回戦|1回戦]]||[[高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ 2019#プレミアリーグ プレーオフ|プレミアPO敗退]] |- |rowspan="2"|[[高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ 2020|2020]]||rowspan="2"|スーパープリンス九州||bgcolor="silver"|2位(Aグループ)||10||5||3||1||1||9||5||+4||rowspan="2"|[[第44回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#2回戦|2回戦]]||rowspan="2"|中止||rowspan="2"| |- |bgcolor="silver"|2位(総合)||colspan="8"|Bグループ2位・[[V・ファーレン長崎|V・ファーレン長崎U-18]]に勝利し総合2位 |- |[[高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ 2021|2021]]||rowspan="2"|プリンス九州||4位||29||rowspan="2"|18||9||2||7||28||16||+12||[[第45回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#グループF|GL敗退]]||[[2021Jユースリーグ#グループJ|5位]]|| |- |[[高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ 2022|2022]]||bgcolor="#deb678"|3位||33||10||3||5||35||20||+15||[[第46回日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会#準々決勝|ベスト8]]||bgcolor="#deb678"|[[2022Jユースリーグ#グループK|3位]]|| |} === U-18歴代監督 === * {{flagicon|KOR}} [[皇甫官]]:2000年 - 2003年 * {{flagicon|JPN}} [[村田一弘]]:2004年 - 2009年 * {{flagicon|JPN}} [[吉田裕幸]]:2010年 * {{flagicon|JPN}} [[首藤圭介]]:2011年 - 2012年 * {{flagicon|JPN}} [[山崎哲也]]:2013年 - 2015年 * {{flagicon|JPN}} [[中村有]]:2016年 * {{flagicon|JPN}} [[鈴井智彦]]:2017年 * {{flagicon|JPN}} 山崎哲也:2018年 - 2019年 * {{flagicon|JPN}} [[吉村光示]]:2020年 * {{flagicon|JPN}} [[石橋眞和]]:2021年 - === タイトル === ;チーム * [[高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ九州]]1部([[高円宮杯U-18サッカーリーグ2013|2013年]]、[[高円宮杯U-18サッカーリーグ2014|2014年]]) ;個人 * プリンスリーグ九州1部 最多得点 ** {{flagicon|JPN}} [[後藤優介]]<ref>[http://output.simseed.net/kyu-pl/disp/point_ranking.jsp?leagueid=1&year=2011 JFA プリンスリーグ U‐18九州 2011 得点ランキング] 高円宮杯サッカーリーグ プリンスリーグ九州、2011年12月11日</ref> - 21得点([[高円宮杯U-18サッカーリーグ2011|2011年]]) * プリンスリーグ九州1部 最多アシスト ** {{flagicon|JPN}} [[角野翔汰]]<ref>[http://output.simseed.net/kyu-pl/disp/ass_ranking.jsp?leagueid=1&year=2010 JFA プリンスリーグ U‐18九州 2010 アシストランキング] 高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ九州、2010年7月10日</ref> - 5アシスト([[2010年]]) === アカデミーの出身者 === {{main|大分トリニータの選手一覧#アカデミー出身者}} == 大分トリニータレディース == {{main|大分トリニータレディース}} 将来的な[[日本女子サッカーリーグ]]参入を視野に入れ、女子サッカーチームの「[[大分トリニータレディース]]」を[[2007年]]4月に創設。2006年[[10月]]に第一回セレクションを開催し、30名の選手が選抜された。2007年に大分県女子サッカーリーグおよび九州各県女子リーグ決勝大会で優勝し、2008年より九州女子サッカーリーグに所属している。 == クラブ記録 == === 試合記録 === ;J1リーグ戦連続無敗記録 * 13試合 - 9勝4分 (2008年6月29日J1第14節 [[ヴィッセル神戸]]戦 〜 9月23日第26節 [[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]戦) ** [[Jリーグカップ|Jリーグ杯]]を含めると17試合 (11勝6分) ;J1リーグ戦ホーム連続無敗記録 * 13試合 - 10勝3分 (2008年4月12日J1第6節 [[川崎フロンターレ]]戦 〜 11月9日J1第31節 [[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド千葉]]戦) ** Jリーグ杯を含めると16試合 (12勝4分) ;連続無失点試合 * 5試合 (2008年8月16日J1第21節 [[アルビレックス新潟]]戦 〜 9月20日第25節 [[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]]戦) ※Jリーグ3位タイ記録 ;ホーム最多連勝記録 * 6連勝 (2008年4月26日J1第8節 [[横浜F・マリノス]]戦 〜 7月20日第18節 [[ジュビロ磐田]]戦) ;リーグ戦最多連敗記録 * 14連敗 (2009年4月4日J1第4節 [[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]戦 〜 7月13日第17節 ジュビロ磐田戦) ※J1ワースト3位、延長戦廃止後ワースト1位 === 得失点記録(Jリーグ加盟後) === ==== 最多得点試合 ==== ;ホーム * J1:5得点 ** 5-0 (2005年第27節 [[清水エスパルス]]戦) * J2:6得点 ** 6-2 (2015年第5節 [[FC岐阜]]戦) * J3:4得点 ** 4-3 (2016年第17節 [[藤枝MYFC]]戦) ** 4-2 (2016年第26節 [[いわてグルージャ盛岡|グルージャ盛岡]]戦) ;アウェー * J1:8得点 ** 8-0 (2003年第14節 ヴィッセル神戸戦) * J2:5得点 ** 5-2 (2000年第4節 [[大宮アルディージャ]]戦) * J3:4得点 ** 4-1 (2016年第20節 [[福島ユナイテッドFC]]戦) ** 4-2 (2016年第30節 [[ガイナーレ鳥取]]戦) ==== 最多失点試合 ==== ;ホーム * J1:4失点 ** 0-4 (2003年第2節 [[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]]戦、2003年第12節 ジュビロ磐田戦) 他6試合 * J2:4失点 ** 2-4 (1999年第20節 [[FC東京]]戦) ** 1-4(2010年第4節 [[栃木SC]]戦)他4試合 * J3:3失点 ** 4-3 (2016年第17節 藤枝MYFC戦) ;アウェー * J1:6失点 ** 0-6 (2007年第23節 ジェフユナイテッド千葉戦、2013年第25節 [[ベガルタ仙台]]戦) * J2:6失点 ** 2-6 (2018年第16節 [[ヴァンフォーレ甲府]]戦) * J3:2失点 ** 2-2(2016年第5節 [[ガンバ大阪#ガンバ大阪U-23|ガンバ大阪U-23]]戦) ** 1-2(2016年第8節 栃木SC戦)他2試合 ==== その他 ==== ;年間総失点数 * 24失点 (1試合平均 0.706点、2008年) '''※J1最少記録''' ** ホーム 9失点 (1試合平均 0.529点)、アウェー 15失点 (1試合平均 0.882点) ;リーグ戦年間完封試合数 * 34試合中17試合 (2008年) === 歴代シーズン最多得点者 === * リーグ戦のみの成績 * 名前、得点数が太字の場合はリーグ最多得点 {| class="wikitable" style="font-size:smaller; border:double #FFB606; box-shadow: 4px 4px 4px #140B8C;" |- style="text-align:center; background-color:#140B8C; color:#FFF; font-weight:bold;" |年度||所属||名前||得点 |- |[[1999年のJリーグ|1999]]||rowspan="4"|[[J2リーグ|J2]]||{{Flagicon|JPN}} '''[[神野卓哉]]'''||'''19''' |- |[[2000年のJリーグ|2000]]||{{Flagicon|BRA}} [[ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ|ウィル]]||22 |- |[[2001年のJリーグ|2001]]||{{Flagicon|BRA}} [[アントニオ・ベント・ドス・サントス|ベンチーニョ]]||16 |- |[[2002年のJリーグ|2002]]||{{Flagicon|BRA}} [[エジ・カルロス・ディアス・マルサウ|アンドラジーニャ]]||18 |- |[[2003年のJリーグ|2003]]||rowspan="7"|[[J1リーグ|J1]]||{{Flagicon|JPN}} [[吉田孝行]]||7 |- |[[2004年のJリーグ|2004]]||rowspan="2"|{{Flagicon|BRA}} [[マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ|マグノ・アウベス]]||11 |- |[[2005年のJリーグ|2005]]||18 |- |[[2006年のJリーグ|2006]]||{{Flagicon|JPN}} [[高松大樹]]||12 |- |[[2007年のJリーグ|2007]]||{{Flagicon|JPN}} [[高橋大輔 (サッカー選手)|高橋大輔]]||10 |- |[[2008年のJリーグ|2008]]||{{Flagicon|BRA}} [[ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルヴァ|ウェズレイ]]||7 |- |[[2009年のJリーグ|2009]]||{{Flagicon|JPN}} 高橋大輔||5 |- |[[2010年のJリーグ|2010]]||rowspan="3"|J2||{{Flagicon|KOR}} [[崔正漢|チェ・ジョンハン]]<br/>{{Flagicon|KOR}} [[金甫炅|キム・ボギョン]]||8 |- |[[2011年のJリーグ|2011]]||{{Flagicon|JPN}} [[森島康仁]]||11 |- |[[2012年のJリーグ|2012]]||{{Flagicon|JPN}} [[三平和司]]<br/>{{Flagicon|JPN}} 森島康仁||14 |- |[[2013年のJリーグ|2013]]||J1||{{Flagicon|JPN}} 森島康仁||7 |- |[[2014年のJリーグ|2014]]||rowspan="2"|J2||{{Flagicon|JPN}} [[林容平]]||7 |- |[[2015年のJリーグ|2015]]||{{Flagicon|JPN}} [[為田大貴]]||6 |- |[[2016年のJリーグ|2016]]||[[J3リーグ|J3]]||rowspan="2"|{{Flagicon|JPN}} [[後藤優介]]||14 |- |[[2017年のJリーグ|2017]]||rowspan="2"|J2||17 |- |[[2018年のJリーグ|2018]]||{{Flagicon|JPN}} [[馬場賢治]]<br/>{{Flagicon|JPN}} [[藤本憲明]]||12 |- |[[2019年のJリーグ|2019]]||rowspan="3"|J1||{{Flagicon|JPN}} [[オナイウ阿道]]||10 |- |[[2020年のJリーグ|2020]]||{{Flagicon|JPN}} [[田中達也 (1992年生のサッカー選手)|田中達也]]||8 |- |[[2020年のJリーグ|2021]]||{{Flagicon|JPN}} [[町田也真人]]||8 |- |[[2022年のJリーグ|2022]]||J2||{{Flagicon|JPN}} [[長沢駿]]||8 |} == ホームスタジアム・練習場 == === ホームスタジアム === [[ファイル:OitaStadium1.JPG|250px|thumb|レゾナックドーム大分 外観]] [[ファイル:Oita Sportsclub Court&Clubhouse.jpg|250px|サムネイル|大分スポーツクラブ]] * [[大分スポーツ公園総合競技場|レゾナックドーム大分]]([[大分市]]横尾に所在)がホームスタジアムである<ref name="jleague" />。 ** チーム創設から2002年までは[[大分市営陸上競技場]]をホームスタジアムとしており、2001年のレゾナックドーム大分の完成後も併用でホームゲームを開催していた。トリニータがJ1昇格を果たした2003年以後はJ1の開催基準を満たさない為ホームスタジアムの登録から外れ、以後トリニータ主催の公式戦は開催されていなかったが<ref group = 注>[[日本サッカー協会]]主催による[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]のトリニータの試合には2009年、2010年と2度使用されている。</ref>、2019年にレゾナックドーム大分が同年開催の[[ラグビーワールドカップ2019|ラグビーW杯]]の試合会場の一つとして使用される事となり、ホームゲームの代替会場が必要となった関係で特例で使用が認められ、2002年以来17年振りにトリニータ主催のリーグ戦2試合を開催した<ref>{{Cite news|url=https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2019/01/24/JD0057721146 |title=9月の2試合 大分市営陸上競技場で ラグビーW杯の代替 |newspaper=[[大分合同新聞]] |date=2019-01-24|archiveurl=https://archive.is/GNCht |archivedate=2019-02-12|accessdate=2019-02-12}}</ref>。 * 2007年までは[[熊本県民総合運動公園陸上競技場]](現:えがお健康スタジアム)で年1-2回ホームゲームを開催していた。 ** 2007年10月20日はKKWINGで13時からロッソ熊本(現:[[ロアッソ熊本]])、19時30分からトリニータが[[ダブルヘッダー|同日開催]]した。 ** 2004年は雷雨により中止となったが、この時に[[熊本県民総合運動公園屋内運動広場]](パークドーム熊本)南側の駐車場が冠水し、駐車していた約150台が動かなくなった。ところが、この駐車場はもともと洪水を防ぐために雨水を一時的に貯める貯水池だったことから、後日トリニータの補償問題に発展した。 * その他にも[[鹿児島県立鴨池陸上競技場]](現:白波スタジアム)、[[長崎県立総合運動公園陸上競技場]](現:トランスコスモススタジアム長崎)、[[熊本市水前寺競技場]]などで過去に主催試合を開催していたが、2010年を最後に県外では主催試合は開催されていない。 === 練習場 === 主練習場は[[大分スポーツクラブ]]および[[大分スポーツ公園サッカー・ラグビー場|レゾナックサッカー・ラグビー場]]である<ref name="jleague" />。[[大分スポーツ公園]]サブ競技場でも練習を行う事がある。なお、2002年頃までは、[[リバーパーク犬飼]]等各地のグラウンドを転々として練習を行っていた。 === 年度・競技場別の試合数 === [[大分トリニータの年度別成績一覧#年度別入場者数]]を参照。 {{-}} == ユニフォーム == {{ユニフォームの色 | F正シャツ=青|F正パンツ=黒|F正ストッキング=青 | F副シャツ=白|F副パンツ=白|F副ストッキング=白 | G正シャツ=黄色|G正パンツ=黄色|G正ストッキング=黄色 | G副シャツ=赤|G副パンツ=赤|G副ストッキング=赤 | pattern_la1=_oita trinita 2023 HOME FP | pattern_b1=_oita trinita 2023 HOME FP | pattern_ra1=_oita trinita 2023 HOME FP | pattern_sh1=_oita trinita 2023 HOME FP | pattern_so1=_oita trinita 2023 HOME FP | leftarm1=014694|body1=014694|rightarm1=014694|shorts1=000|socks1=014694 | pattern_la2=_oita trinita 2023 AWAY FP | pattern_b2=_oita trinita 2023 AWAY FP | pattern_ra2=_oita trinita 2023 AWAY FP | pattern_sh2=_oita trinita 2023 AWAY FP | pattern_so2=_oita trinita 2022 AWAY FP | leftarm2=fff|body2=fff|rightarm2=fff|shorts2=fff|socks2=fff | pattern_la3= | pattern_b3= | pattern_ra3= | pattern_sh3= | pattern_so3= | leftarm3=FAE300|body3=FAE300|rightarm3=FAE300|shorts3=FAE300|socks3=FAE300 | pattern_la4= | pattern_b4= | pattern_ra4= | pattern_sh4= | pattern_so4= | leftarm4=E50012|body4=E50012|rightarm4=E50012|shorts4=E50012|socks4=E50012 }} === チームカラー === * {{color box|#140B8C}} ブルー、{{color box|#FFB606}} イエロー<ref name="jleague" /> === エピソード === * 2009シーズンのユニフォームより、[[2008年のJリーグカップ]]優勝を示す星マークを胸のエンブレムの上につけている。2019年のユニフォームでは星マークの位置がエンブレム下に移った<ref>{{Cite press release |和書 |url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20190148189/ |title=2019年シーズン ユニフォームデザインのお知らせ |publisher=大分トリニータ|date=2019-01-09|accessdate=2019-01-29}}</ref>。 * 2010年 - 2012年まで、ユニフォームの右袖部分のJリーグロゴマークの下に「'''LOVE 大分'''」の文字を入れていた。2013年からは同じ箇所に「'''OITA'''」の文字が入っている。 * 2021年5月30日(J1第17節・[[アビスパ福岡]]戦)から同年シーズン終了まで、胸上中央部に同年4月9日 - 5月16日にかけて実施したクラウドファンディングの「#大分トリニータ一致団結プロジェクト~みんなの想いをピッチへ~」のロゴ(表記:「一致団結PROJECT」)を掲出した。詳細については[[大分トリニータ#一致団結プロジェクト|こちらを参照。]] === ユニフォームスポンサー === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #FFB606; 4px 4px 4px #140B8C;" |- style="background-color:#140B8C; color:#FFF; font-weight:bold;" |掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考 |- !胸 |[[ダイハツ九州]]||ダイハツ九州||2011年 - ||2013年 - 2016年は「ダイハツ」「{{small|九州}}」の二行表記 |- !rowspan="2"|鎖骨 |[[ティーケーピー]]||TKP||2021年5月 - ||左側に掲出 |- |[[レゾナック・ホールディングス]]||RESONAC||2020年 - ||右側に掲出<br/>2020年 - 2022年は「SHOWA DENKO」表記 |- !背中上部 |[[SBI損害保険]]||{{smaller|SBI GROUP}} SBI損保||2020年 - || |- !背中下部 |なし||-||-|| |- !袖 |ティーケーピー||TKP||2023年5月 - || |- !パンツ前面 |[[ネットワンシステムズ]]||net one||2019年 - 2020年<br/>2022年 - ||2009年は袖<br/>2010年 - 2015年は背中上部<br/>2021年はパンツ背面<br/>2009年 - 2013年途中は「Net One Systems」表記 |- !パンツ背面 |[[ジェイリース]]||ジェイリース||2023年 - ||2014年 - 2015年は袖<br/>2016年 - 2019年は背中上部 |} === ユニフォームサプライヤーの遍歴 === * 1994年 - 1997年:[[ミズノ]] * 1998年 - 現在:[[プーマ]] === 歴代ユニフォーム === {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #FFB606; font-size:smaller; 4px 4px 4px #140B8C;" |- style="color:#140B8C; font-weight:bold;" !colspan=5|FP 1st |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_Oita Trinita 1999 HOME FP|pattern_b=_Oita Trinita 1999 HOME FP|pattern_ra=_Oita Trinita 1999 HOME FP|pattern_sh=_Oita Trinita 1999 HOME FP|pattern_so=_Oita Trinita 1999 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=1d59be|title={{Center|1999}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_Oita Trinita 2000 - 2001 HOME FP|pattern_b=_Oita Trinita 2000 - 2001 HOME FP|pattern_ra=_Oita Trinita 2000 - 2001 HOME FP|pattern_sh=_Oita Trinita 2000 - 2001 HOME FP|pattern_so=_Oita Trinita 2000 - 2001 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=1d59be|title={{Center|2000 - 2001}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_Oita Trinita 2002- 2003 HOME FP|pattern_b=_Oita Trinita 2002- 2003 HOME FP|pattern_ra=_Oita Trinita 2002- 2003 HOME FP|pattern_sh=_Oita Trinita 2002- 2003 HOME FP|pattern_so=_Oita Trinita 2002- 2003 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2002 - 2003}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oita04h|pattern_b=_oita04h|pattern_ra=_oita04h|pattern_sh=_oita04h|pattern_so=_oitatrinita_04h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2004}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oita0506h|pattern_b=_oita0506h|pattern_ra=_oita0506h|pattern_sh=_oita0506h|pattern_so=_oita0506h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=0000B0|title={{Center|2005 - 2006}}}} |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oita0708h|pattern_b=_oita0708h|pattern_ra=_oita0708h|pattern_sh=_oita0708h|pattern_so=_shimizu2007h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=0060BF|title={{Center|2007}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_Oita Trinita 2008 HOME FP|pattern_b=_Oita Trinita 2008 HOME FP|pattern_ra=_Oita Trinita 2008 HOME FP|pattern_sh=_Oita Trinita 2008 HOME FP|pattern_so=_Oita Trinita 2008 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=1d59be|title={{Center|2008}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oita_trinita_2009h|pattern_b=_oita_trinita_2009h|pattern_ra=_oita_trinita_2009h|pattern_sh=_oita_trinita_2009h|pattern_so=_oita_trinita_2009h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2009}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_trinita_1st|pattern_b=_trinita 2010 -2011_1st|pattern_ra=_trinita_1st|pattern_sh=_oita_trinita_2010-2011h|pattern_so=_oita_trinita_2010-2011h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2010 - 2011}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_pumalogo2012white|pattern_b=_oita1213h|pattern_ra=_pumalogo2012white|pattern_sh=_pumalogo2012white|pattern_so=_pumalogo2012onwhite |leftarm=1758BF|body=|rightarm=1758BF|shorts=1758BF|socks=1758BF|title={{Center|2012 - 2013}}}} |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oitatrinita_14h|pattern_b=_oitatrinita_14h|pattern_ra=_oitatrinita_14h|pattern_sh=_oitatrinita_14h|pattern_so=_oitatrinita_14h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2014}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oitatrinita_15h|pattern_b=_oitatrinita_15h|pattern_ra=_oitatrinita_15h|pattern_sh=_oitatrinita_15h|pattern_so=_black and yellow |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=006CB7|title={{Center|2015}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oita16h|pattern_b=_oita16h|pattern_ra=_oita16h|pattern_sh=_oita1718h|pattern_so=_oita16h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=0062B2|socks=0062B2|title={{Center|2016}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_trinita17h|pattern_b=_oita_trinita_17h|pattern_ra=_trinita17h|pattern_sh=_oita1718h|pattern_so=_trinita17h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=00F|socks=00F|title={{Center|2017}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oita1718h|pattern_b=_oita18h|pattern_ra=_oita1718h|pattern_sh=_oita1718h|pattern_so=_blacktop |leftarm=1050C0|body=1050C0|rightarm=1050C0|shorts=1050C0|socks=1050C0|title={{Center|2018}}}} |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oita_trinita19h|pattern_b=_oita_trinita19h|pattern_ra=_oita_trinita19h|pattern_sh=_oita_trinita19h|pattern_so=_oita_trinita19h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2019}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_trinita20h|pattern_b=_trinita20h|pattern_ra=_trinita20h|pattern_sh=_oita_trinita_2020h|pattern_so=_oita_trinita_2020h |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|2020}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oita trinita 2021 HOME FP|pattern_b=_oita trinita 2021 HOME FP|pattern_ra=_oita trinita 2021 HOME FP|pattern_sh=_oita trinita 2021 HOME FP|pattern_so=_oita trinita 2021 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=000000|socks=|title={{Center|2021}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oita trinita 2022 HOME FP|pattern_b=_oita trinita 2022 HOME FP|pattern_ra=_oita trinita 2022 HOME FP|pattern_sh=_oita trinita 2021 HOME FP|pattern_so=_oita trinita 2022 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=000000|socks=|title={{Center|2022}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oita trinita 2023 HOME FP|pattern_b=_oita trinita 2023 HOME FP|pattern_ra=_oita trinita 2023 HOME FP|pattern_sh=_oita trinita 2023 HOME FP|pattern_so=_oita trinita 2023 HOME FP |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=000000|socks=|title={{Center|2023 - }}}} |- |||||||||| |} {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #FFB606; font-size:smaller; 4px 4px 4px #140B8C;" |- style="color:#140B8C; font-weight:bold;" !colspan=5|FP 2nd |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la=_oita99-01a|pattern_b=_oita99-01a|pattern_ra=_oita99-01a|pattern_sh=_oita99-01a|pattern_so=_oitatrinita_99-01a |leftarm=|body=|rightarm=|shorts=|socks=|title={{Center|1999 - 2001}}}} |{{Football 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|2003||[[ティエムシー|ペンタ{{smaller|くん}}]]||rowspan="2"|[[さとうベネック|{{smaller|コロンブスの床}}<br/>さとうベネック]] |- |2004||[[ティエムシー|ペンタ{{smaller|くん}}]] / <br/>[[トライバルキックス|Tribalkicks]] |- |2005||- / <br/>[[マルハン|MARUHAN]]||[[ジョイフル|Joyfull]] |- |2006||[[マルハン|MARUHAN]]||rowspan="2"|BOWS<ref group = "注">かつて埼玉県に存在した企業「株式会社フロンテック」が手掛けていたダイエットサプリメントのブランド名。</ref>||rowspan="3"|[[ジョイフル|Joyfull]]||rowspan="8"|[[南九州コカ・コーラボトリング|Coca Cola]] |- |2007||rowspan="2"|- |- |2008||rowspan="2"|[[伊豆シャボテンリゾート|オメガ・プロジェクト]] |- |2009||- / <br/>[[フォーリーフジャパン|FOURLEAF]]||[[ネットワンシステムズ|Net One Systems]] |- |2010||-||rowspan="3"|[[ネットワンシステムズ|Net One Systems]]||- / <br/>[[コーユーレンティア|KOYOU]] |- |2011||rowspan="2"|[[ダイハツ九州]]||rowspan="3"|[[コーユーレンティア|KOYOU]] |- |2012 |- |2013||rowspan="4"|[[ダイハツ九州|ダイハツ<br/>{{smaller|九州}}]]||[[ネットワンシステムズ|Net One Systems / <br/>net one]] |- |2014||rowspan="2"|[[ネットワンシステムズ|net one]]||rowspan="2"|[[ジェイリース]]||rowspan="5"|[[九州乳業|みどり牛乳]] |- |2015 |- |2016||rowspan="4"|[[ジェイリース]]||rowspan="4"|[[大分合同新聞]]||rowspan="3"|[[大分銀行|OITA BANK]] |- |2017||rowspan="7"|[[ダイハツ九州]] |- |2018||colspan="2"|- |- |2019||colspan="2"|[[九州乳業|みどり牛乳]]||[http://www.yukoyuko.co.jp/ ゆこゆこ]||rowspan="2"|[[ネットワンシステムズ|net one]] |- |2020||[https://signpost.co.jp/ Signpost]||rowspan="3"|[[レゾナック・ホールディングス|SHOWA<br />DENKO]]||rowspan="4"|[[SBI損害保険|{{smaller|SBI GROUP}} SBI損保]]||rowspan="3"|[[SBIいきいき少額短期保険|SBIいきいき少短]]||rowspan="2"|[http://www.soph.net/ SOPH.]||- |- |2021||- / <br />[[ティーケーピー|TKP]]||- / <br/>[[レバレジーズ|Leverages]]||[[ネットワンシステムズ|net one]] |- |2022||rowspan="2"|[[ティーケーピー|TKP]]||-||rowspan="2"|[[ネットワンシステムズ|net one]]||- |- |2023||[[レゾナック・ホールディングス|RESONAC]]||-||- /<br />[[ティーケーピー|TKP]]||[[ジェイリース]] |} == スポンサー == {{Main2|スポンサーについては、[http://www.oita-trinita.co.jp/sponsors スポンサー一覧] を}} == エピソード == === カラーボード === [[画像:Nabiscocup Final 2008-Oita.JPG|thumb|right|320px|2008年のナビスコカップ決勝時の大分サポーターによる[[人文字|コレオグラフィー(人文字)]]]] 特定の試合においてサポーターがカラーボードを掲げ[[人文字|コレオグラフィー]]を作る事がある<ref>{{Cite web|和書|title=芸術の秋。スタジアムに花開く芸術”コレオグラフィー”をご紹介!|publisher=日本プロサッカーリーグ|url=https://www.jleague.jp/j-tano/964|date=2017-09-04|accessdate=2018-09-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=勝ちにいった結果、終了間際にカウンターで失点。痛恨の黒星|publisher=大分トリニータ|url=https://www.oita-trinita.co.jp/entertainment/scene/show/?sid=46158|date=2018-09-02|accessdate=2018-09-18}}</ref>。[[2008年のJリーグカップ]]決勝戦でも掲げている(画像参照)。 === 守備放棄試合 === [[2003年のJリーグカップ]]の[[京都サンガF.C.|京都]]戦([[3月8日]]、[[京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場|西京極]])で、1-1で迎えた後半17分、大分・[[高松大樹]]が負傷したために京都側はボールを一旦フィールドの外に出した。試合再開後に[[寺川能人]]が相手GKにボールを返す為に蹴ったが、そのボールを[[ロドリゴ・ファビアーノ・メンデス|ロドリゴ]]がカットしてドリブルを始め、そのまま得点を決めた<ref name = "nikkan170309">{{Cite web|和書|title=珍事!大分監督、守備放棄でやらせゴール指示/復刻|publisher=日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/1786409.html|date=2017-03-09|accessdate=2018-09-18|archiveurl=https://archive.is/Ir4WO|archivedate=2018-09-18}}</ref>。暗黙の了解を破る行為だとして京都の選手は怒りを露わにし、両チームに一触即発ムードが漂った<ref name = "nikkan170309"/>。 その後京都側のキックオフで試合が再開されたが、当時大分の監督だった[[小林伸二]]はアンフェアーなプレーを認識し、選手に対して'''守備を放棄するように指示'''<ref name = "nikkan170309"/>。京都・[[中払大介]]のシュートを大分守備陣は見送り、スコアは2-2と再びイーブンになった。 奇しくもこの試合は[[スポーツ振興くじ|totoGOAL]]がスタートして最初の試合であった。「totoGOAL」は指定されたチームの得点を「0点」「1点」「2点」「3点以上」で予想するものであるため、今回の出来事がtotoGOALの結果を変えてしまったという点で問題となったが、当試合のマッチコミッショナーは「ルール上一切問題はない。乱用されては困るが(京都ゴールも)いい意味でフェアプレーの延長線上<ref name = "nikkan170309"/>」、当時[[日本サッカー協会]]キャプテンの[[川淵三郎]]も「あの状況では仕方がなかった」という見解を示し、Jリーグ側も大分を処罰しなかった。 * 補記。2022年9月4日の福岡-名古屋戦でも、同じ事態が発生し、福岡は守備放棄し1点を献上している。 === リベンジ16 === 2007年、[[J1リーグ|J1]]第18節を終了時点で自動降格圏の17位と低迷していた大分は、リーグ後半戦の16試合を「リベンジ16」と銘打った<ref name = "oita070803">{{Cite web|和書|title=大分トリニータ 後半戦巻き返しプロジェクト「リベンジ16」について|publisher=日本プロサッカーリーグ|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00052325&keyword=&team=463&year=2007|date=2007-08-03|accessdate=2018-09-18}}</ref>。「リベンジ三戦士」として[[鈴木慎吾]]・[[ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド|ホベルト]]・[[エジミウソン・アウベス|エジミウソン]]を獲得した他、当企画のシンボルキャラクターとして「'''[[ニータン#リッジー|リッジー]]'''」が登場した<ref name = "oita070803"/>。他にもスポンサーの協賛により試合毎に様々な企画を開催した<ref>{{Cite web|和書|title=「リベンジ16」8月15日大分vs清水 ホームゲームイベント開催のお知らせ|publisher=日本プロサッカーリーグ|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00052631&keyword=&team=463&year=2007|date=2007-08-08|accessdate=2018-09-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【リベンジ16】8月18日(土)J1第21節 vsサンフレッチェ広島戦(アウェイゲーム) パブリックビューイング開催のお知らせ|publisher=日本プロサッカーリーグ|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00052937&keyword=&team=463&year=2007|date=2007-08-14|accessdate=2018-09-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「リベンジ16」9月2日大分トリニータvsヴァンフォーレ甲府ホームゲームイベント開催のお知らせ|publisher=日本プロサッカーリーグ|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00053702&keyword=&team=463&year=2007|date=2007-08-29|accessdate=2018-09-18}}</ref>。この16試合を8勝7敗1分と、ほぼ五分の成績で終え、シーズン14位でJ1残留を果たした。 「リベンジ16」の中で唯一対戦していなかった横浜FMについては、2007年に2戦とも大敗かつ無得点(第7節・A0-5/第18節・H0-3)であったことから、2008年のホームゲームで「リベンジマッチ」と銘打ってリッジーも再登場のもと行なわれた<ref>{{Cite web|和書|title=大分トリニータ vs 横浜F・マリノス 「リベンジマッチ」 選手・フロントスタッフ他 試合告知ビラ・ポスター4月22日配布のお知らせ|publisher=日本プロサッカーリーグ|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00063797|date=2008-04-20|accessdate=2018-09-18}}</ref>。試合は1-0で勝利し、リベンジを果たした。 === スタジアムDJ === * MC MAX ;過去のスタジアムDJ * [[TOM G]](2002年 - 2009年) * [[ゆうきa.k.a.地球]](2010年 - 2016年) * 赤松大 * [[大野タカシ]] * [[立川麻湖]] * [[深町絵里|ふかまちえり]] * [[本城みわ]] === 20周年記念試合 === [[2014年]]にクラブ創立20周年を迎えた大分は特設サイトを開設し<ref>{{Cite web|和書|title=大分トリニータ20周年記念企画および特設Webサイト開設のお知らせ|publisher=日本プロサッカーリーグ|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00171600&keyword=&team=463&year=2014|date=2014-04-26|accessdate=2018-09-18}}</ref>、更には同年[[6月21日]]の[[愛媛FC]]戦を「20周年記念試合・大分県民DAY」と銘打ち開催し、サポーターからの投票により選出した歴代ベストイレブン発表などの企画を行った<ref>{{Cite web|和書|title=6月21日(土)J2第19節 vs 愛媛FC戦「20周年記念試合、大分県民DAY」スタジアムイベントのお知らせ|publisher=日本プロサッカーリーグ|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00174002&keyword=&team=463&year=2014|date=2014-06-13|accessdate=2018-09-18}}</ref>。<!--試合前には大型ビジョンにて歴代ベストイレブンが発表された他、過去に大分に在籍した[[西川周作]]、[[森重真人]]、[[清武弘嗣]]からのメッセージも公開された。歴代ベストイレブンは以下の通り。 *GK:西川周作 *DF:[[深谷友基]]、[[三木隆司]]、森重真人 *MF:[[エジミウソン・アウベス|エジミウソン]]、清武弘嗣、[[三平和司]]、[[吉田孝行]] *FW:[[ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルヴァ|ウェズレイ]]、[[マグノ・アウベス・ジ・アラウージョ|マグノ・アウベス]]、[[高松大樹]]--> === 浅田飴との縁 === [[2018年]][[8月18日]]、J2第29節の[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦にて、試合開始5分頃に監督の[[片野坂知宏]]の声が嗄れ、試合後の会見にもガラガラ声で臨むという一幕があった<ref name = "gekisaka180828">{{Cite web|和書|url=http://web.gekisaka.jp/news/detail/?253102-253102-fl|title=“ガラガラ声”大分指揮官に急展開…のど飴企業とクラブを繋いだサポーター奇譚|work=ゲキサカ|publisher=株式会社講談社|date=2018-08-28|accessdate=2018-09-13}}</ref>。その場面を見た大分サポーターが[[Twitter]]にて[[8月21日]]に「[[浅田飴]]さん、片さんの喉を守ってあげて<ref>{{Cite web|和書|url=http://blogola.jp/p/78676|title=片野坂知宏監督の喉を守れ! サポーターのTwitterをきっかけとした大分と浅田飴の縁、その行方やいかに|work=ブロゴラ|publisher=株式会社スクワッド|date=2018-08-24|accessdate=2018-09-13}}</ref>」というツイートをすると、これに浅田飴の [http://twitter.com/seki_koe_nodo 公式アカウント] が反応。その縁により翌日には大分FC(大分トリニータ運営会社)の営業スタッフが浅田飴本社に挨拶に出向く事となった<ref name = "gekisaka180828"/>。[[8月25日]]に浅田飴より薬用のど飴90缶が大分に差し入れされ、同日行われた[[徳島ヴォルティス|徳島]]戦では片野坂は終始のど飴の缶ケースを手に持ち、ずっと飴を舐めながら<ref name ="trinita180826">{{Cite web|和書|url=http://www.oita-trinita.co.jp/entertainment/fight/show/?sid=45981|title=片野坂知宏監督【囲み取材おまけ】「浅田飴、もう手放せなくなりました」|work=大分トリニータ|publisher=株式会社大分フットボールクラブ|date=2018-08-26|accessdate=2018-09-13}}</ref> ピッチ脇で指示を送った<ref name = "gekisaka180828"/>。試合後の囲み取材にて浅田飴について尋ねられると、「おかげさまで最後まで声が嗄れることなく指示を出すことができて感謝しています。浅田飴、もう手放せなくなりました。」とコメントした<ref name ="trinita180826"/>。のど飴缶を持ったまま指示を送る片野坂の姿を見た浅田飴代表取締役社長・[[堀内邦彦]]は「直接会って御礼を言いたい」とスケジュールの合間を縫って[[9月14日]]に大分の練習場を訪問し、片野坂と面会した<ref name = "trinita180915">{{Cite web|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/entertainment/scene/show/?sid=46414|title=【PHOTO日記】浅田飴の堀内社長が片野坂監督に会いに来た!|work=大分トリニータ|publisher=株式会社大分フットボールクラブ|date=2018-09-15|accessdate=2018-09-25}}</ref>。その翌日に行われたJ2第33節・[[カマタマーレ讃岐|讃岐]]戦でのオーロラビジョンにて、正式にスポンサードすることが発表され、ピッチサイドには浅田飴の広告看板が設置された<ref name = "trinita180915"/>。 [[2019年]][[2月25日]]、浅田飴と大分トリニータのコラボ商品「戦うのどに浅田飴」を発売することが発表され、ホーム開幕戦の[[3月2日]]に、試合会場グッズ売り場にて販売開始された<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.oita-trinita.co.jp/news/20190249075/|title=浅田飴×大分トリニータコラボ製品 「戦うのどに浅田飴」発売のお知らせ|publisher=大分トリニータ|date=2019-02-25|accessdate=2020-02-01}}</ref>。 == メディア == === テレビ === * [[KICK OFF! (テレビ番組)#各番組の詳細|KICK OFF! OITA]] ([[大分放送]]、土曜 11時15分 - 11時30分) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} ;注釈 {{Reflist|group="注"}} ;出典 {{Reflist|3}} == 関連項目 == {{Div col|2}} * [[九州ダービー]] (バトルオブ九州) * [[大分トリニータの選手一覧]] * [[大分トリニータの年度別成績一覧]] * [[大分トリニータレディース]] * [[1999年J2最終節]] * [[2000年J2最終節]] * [[2001年J2最終節]] {{Div col end}} == 外部リンク == * {{Official website}} * {{Facebook|oitatrinita.official|大分トリニータ / Oita Trinita}} * {{YouTube|user = trinitachannel}} * {{Twitter|trinitaofficial}} * {{Instagram|trinita_official}} * [http://www.trinita-kouenkai.net/ 大分トリニータ後援会] * [http://www.oita-hometown.jp/topics/trinita.shtml おおいたホームタウン推進協議会] {{Navboxes|title =大分トリニータ 関連テンプレート|titlestyle=background-color:#140B8C; color:#FFF; border:solid 3px #FFB606; line-height:120%; |list1= {{大分トリニータのメンバー}} {{大分トリニータ歴代監督}} {{大分トリニータ歴代主将}} }} {{日本プロサッカーリーグ}} {{Navboxes|title=獲得タイトル |list1= {{Jリーグカップ優勝チーム}} {{J2優勝チーム}} {{J3優勝チーム}} }} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=大分フットボールクラブ |1-1=大分市の企業 |1-2=1999年設立の企業 |1-3=大分トリニータ |}} {{デフォルトソート:おおいたとりにた}} [[Category:大分トリニータ|*]] [[Category:1994年設立のスポーツチーム]] [[Category:Jリーグクラブ]]
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メロディ
メロディ(伊: melodia、英: melody)は、ある高さと長さを持ついくつかの楽音が前後に連続して、それがリズムに従って、連続的に進行する(歌唱、演奏される)ことによって、何らかの音楽的内容をもつもの。和訳は旋律(せんりつ)または節(ふし)。 特に西洋音楽において、このメロディはハーモニー(和声)、リズム(律動)と共に、音楽の3要素のひとつとされる。 狭義では「主旋律」のことに限りメロディーと言う場合もある。 旋律理論では、最初に現れた音をもとにして、反復または緊張という役割をもつ音が続き、解決をする音で終了すると考える。さらに、数秒または数小節の短いメロディ(楽句、フレーズ)を1つの単位としてとらえ、長いメロディを構成する各単位に反復、緊張、解決という役割を与えることができる。 一般的にメロディは音階や旋法といった音組織の上に成り立つ。特に西欧の古典音楽(ルネサンス後期の調性が確立した以降の音楽で、シェーンベルクのような調性を持たない音楽以前のもの)においては、音階の選択は調性が強く意識されており、和音進行が重要な意味を持つ。その意味において、より緊張や解決という役割はハーモニーの考え方からよく理解できる。また反復とはリズムそのものである。それぞれは重なり合い明確に区別することはできない。 人は大量の音が含まれる音楽でも、印象的な音のつながりを直感的に認識しメロディとして楽しむことができる。 多くの西洋系音楽は、中心となるメロディを印象付けるように意図的に作曲されている。直感的に認識しがたいことを意図した楽曲もある。 高低アクセントまたは声調を持つ言語の歌では、メロディと歌詞の関係が問題になることがある。広東語、ベトナム語など複雑な声調を持つ言語では、歌詞の声調に合わせたメロディを用いるのが一般的である(メロディが歌詞に縛られる)。日本語でもメロディが歌詞の本来のアクセントに合わず不自然と指摘されることがあり、山田耕筰のように歌詞に厳密に合わせたメロディを作曲する人もいる。
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メロディは、ある高さと長さを持ついくつかの楽音が前後に連続して、それがリズムに従って、連続的に進行する(歌唱、演奏される)ことによって、何らかの音楽的内容をもつもの。和訳は旋律(せんりつ)または節(ふし)。 特に西洋音楽において、このメロディはハーモニー(和声)、リズム(律動)と共に、音楽の3要素のひとつとされる。 狭義では「主旋律」のことに限りメロディーと言う場合もある。 旋律理論では、最初に現れた音をもとにして、反復または緊張という役割をもつ音が続き、解決をする音で終了すると考える。さらに、数秒または数小節の短いメロディ(楽句、フレーズ)を1つの単位としてとらえ、長いメロディを構成する各単位に反復、緊張、解決という役割を与えることができる。 一般的にメロディは音階や旋法といった音組織の上に成り立つ。特に西欧の古典音楽(ルネサンス後期の調性が確立した以降の音楽で、シェーンベルクのような調性を持たない音楽以前のもの)においては、音階の選択は調性が強く意識されており、和音進行が重要な意味を持つ。その意味において、より緊張や解決という役割はハーモニーの考え方からよく理解できる。また反復とはリズムそのものである。それぞれは重なり合い明確に区別することはできない。 人は大量の音が含まれる音楽でも、印象的な音のつながりを直感的に認識しメロディとして楽しむことができる。 多くの西洋系音楽は、中心となるメロディを印象付けるように意図的に作曲されている。直感的に認識しがたいことを意図した楽曲もある。
{{Otheruses||「'''メロディ'''」「'''メロディー'''」のその他の用法}} {{出典の明記|date=2012年3月|ソートキー=楽}} '''メロディ'''({{lang-it-short|melodia}}、{{lang-en-short|melody}})は、ある高さと長さを持ついくつかの楽音が前後に連続して、それがリズムに従って、連続的に進行する(歌唱、演奏される)ことによって、何らかの[[音楽]]的内容をもつもの。和訳は'''旋律'''(せんりつ)または'''節'''(ふし)。 特に[[西洋音楽]]において、このメロディは[[和声|ハーモニー]](和声)、[[リズム]](律動)と共に、音楽の3要素のひとつとされる。 狭義では「主旋律」のことに限りメロディーと言う場合もある<ref group="注釈">セガ・サウンド・スタッフによる曲目解説では、同社のゲーム「アフターバーナー」は主旋律は収録されていないが、それを「メロディーを入れていない」と表現されている。</ref>。 [[旋律理論]]では、最初に現れた音をもとにして、反復または緊張という役割をもつ音が続き、解決をする音で終了すると考える。さらに、数秒または数小節の短いメロディ(楽句、[[フレーズ]])を1つの単位としてとらえ、長いメロディを構成する各単位に反復、緊張、解決という役割を与えることができる。 一般的にメロディは音階や旋法といった音組織の上に成り立つ。特に西欧の古典音楽([[ルネサンス]]後期の調性が確立した以降の音楽で、[[アルノルト・シェーンベルク|シェーンベルク]]のような調性を持たない音楽以前のもの)においては、音階の選択は調性が強く意識されており、和音進行が重要な意味を持つ。その意味において、より緊張や解決という役割は[[和声|ハーモニー]]の考え方からよく理解できる。また反復とは[[リズム]]そのものである。それぞれは重なり合い明確に区別することはできない。 人は大量の音が含まれる音楽でも、印象的な音のつながりを直感的に認識しメロディとして楽しむことができる。 多くの西洋系音楽は、中心となるメロディを印象付けるように意図的に[[作曲]]されている。直感的に認識しがたいことを意図した楽曲もある。 == メロディと言語 == [[高低アクセント]]または[[声調]]を持つ言語の[[歌]]では、メロディと[[歌詞]]の関係が問題になることがある。[[広東語]]、[[ベトナム語]]など複雑な声調を持つ言語では、歌詞の声調に合わせたメロディを用いるのが一般的である(メロディが歌詞に縛られる)。[[日本語]]でもメロディが歌詞の本来のアクセントに合わず不自然と指摘されること<ref group="注釈">例えば[[宮川泰]]『サウンド解剖学』における『[[戦争を知らない子供たち]]』批判。</ref>があり、[[山田耕筰]]のように歌詞に厳密に合わせたメロディを[[作曲]]する人もいる。 == メロディの進行の種類 == * 同音進行 * 順次進行 ** 先行音から、2度上行または、下行する進行。[[音程]]の変化が小さいため、メロディに[[弛緩]]をもたらす。[[和音]]の[[根音]](ルート)を順次進行にするために、[[和音#分数コード|分数コード]](オンコード)が用いられることもある。 * 跳躍進行 ** 先行音から、3度以上の上行または、下行する進行。音程の変化が大きいため、メロディに[[緊張]]をもたらす。[[対位法]]では、跳躍進行に多くの注意点がある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist}} == 関連項目 == * [[フレーズ]] * [[ストレイン (音楽)]] {{音楽}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:めろてい}} [[Category:音楽理論]] [[Category:音]] [[Category:音楽用語]] [[Category:英語の語句]]
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カール・フリードリヒ・ガウス
ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス([ɡaʊs]; ドイツ語: Johann Carl Friedrich Gauß listen、ラテン語: Carolus Fridericus Gauss、1777年4月30日 - 1855年2月23日)は、ドイツの数学者・天文学者・物理学者。彼の研究は広範囲に及んでおり、特に近代数学のほとんどの分野に影響を与えたと考えられている。数学の各分野、さらには電磁気など物理学にも、彼の名が付いた法則、手法等が数多く存在する(→ガウスにちなんで名づけられたものの一覧)。19世紀最大の数学者の一人であり、18世紀のレオンハルト・オイラーと並んで数学界の二大巨人の一人と呼ばれることもある。 ガウスはブラウンシュヴァイクで、煉瓦職人の親方であった父親と、慎ましい母親の下に生まれた。両親ともに学問とは全く無縁の家庭環境で育ったにもかかわらず、彼は子供の頃から並み外れた神童ぶりを発揮していたと言われ、下記のような小学校時代の逸話が伝わっている。 ガウスが7歳の時、算数の授業で教師が「1から100までの数字すべてを足せ」という問題を出し、生徒たちが問題を解くには相当な時間がかかるだろうと考えていたが、ガウスはわずか数秒で「5050」という解答を導きだし、教師を驚かせた。1から100までの数字を足していくと、1+100=101、2+99=101、...、50+51=101で、101の集まりが50個できるため、101×50=5050になるとガウスは計算したのだ。この逸話が事実であれば、ガウスは等差級数の和の公式をわずか7歳で独自に発見していたことになる。なおこの逸話についてはBellの"Men of Mathematics"(『数学を作った人びと』)にあるように81297 + 81495 + 81693 + ... + 100899だったという説もあるがBellの創作なのではないかと疑われている面もあり、色々な説がある。 実際、算数の教師は彼の才能を見るにつけ、このような天才に自分が教えられることは何もないと語ったという。教師はガウスの父親に、ガウスに数学を勉強させるように何度も説得したという。そしてガウスは多才であったため、音楽や言語学にも興味を持ち、将来何になるかを迷っていたという。また1792年頃、15歳当時の彼は、一日15分ずつの予備の時間を当てて1000個ずつの自然数にそれぞれいくつの素数が現れるかを調べ、その次第に減っていく様子から、約100年後に証明されることになる素数定理を予想した。 ガウスは言葉を満足に話せるようになる前から、誰から学ぶこともなく計算ができたといわれている。彼がまだ3歳になるかならないかの頃、父親が職人達に支払う給料の計算をしていた時、彼は父親の計算が間違っていることを傍から指摘した。父親が驚いて計算をやり直したところ、息子が指摘した通りであったという。また酒樽の体積を求めるにはそれをスライスした面の面積を調べて積み重ねればよい、という積分の概念にも自力で到達していた。7歳になるとガウスは地元の小学校に入った。ここでビュットナー校長によって算数を習うものの、すでにガウスは習得済みであった。このため、校長は自費でより高級な算術の教科書をハンブルクから取り寄せたが、すぐに読み終えてしまった。ここで校長は「これ以上教えられることはない」と述べたようである。そこで校長は、助手であるヨハン・バーテルスにガウスを任せることにした。ガウスとバーテルスは共に学び、教科書を改良したり、新しい概念を生み出すようになった。バーテルスはブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フェルディナントの知人であり、1791年にガウスは彼に謁見して援助を受けられるようになった。この経済的支援によって進学し、1795年にゲッティンゲン大学に行くことができた。その後、1798年にはブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領にあったヘルムシュテット大学(英語版)へと移り、1807年に再びゲッティンゲンに移るまでここで過ごした。 大学では、ハンガリー貴族であるボーヤイ・ファルカシュ(独語表記:ファルカシュ・ヴォルフガング・ボヤイ)と友人になった。ボヤイがガウスの家を訪ねた際、ガウスの母はボヤイへ息子は優秀かと尋ね、ボヤイがガウスはヨーロッパ一の数学者になるでしょうと答えると、母は泣き崩れたという。 ガウスは奨学金を得て大学に進み、数々の重要な発見を行った。彼は、古代ギリシアの数学者達に起源を持つ定規とコンパスによる正多角形の作図問題に正確な必要十分条件を与え、正17角形が作図できることを発見した(1796年3月30日)。作図できる正素数角形は古来から知られていた正三角形と正五角形のみだと考えられていたのでこの発見は当時の数学界に衝撃を与えた。作図できる正多角形の種類が増えたのは約二千年ぶりのことであった。彼はこの結果を非常に喜び、この成果である正17角形を墓標に刻むように申し入れた(結局、これは実現されなかったが、彼の記念碑には正17角形が刻まれている)。また、この発見の日より、数学的発見を記述したガウス日記を付け始め、また自分の将来の進路を数学者とすることに決めたといわれる。学位論文で彼は代数学の基本定理を最初に証明した。後に彼はこの問題に対して3つの異なる証明を行い、複素数の重要性を決定付けた。 ガウスの最も偉大な貢献は数論の分野である。この分野だけが、その全貌ではないにしろガウスの研究が体系的にまとめられて出版された。それが1801年に発表した Disquisitiones Arithmeticae であり、そのほとんどのページが二、三元の二次形式の研究に当てられている。この本は、数の合同の記号を導入し合同算術の明確な表現を与え、平方剰余の相互法則の初の完全な証明などが与えられている。自然数の素数による一意分解の定理が明確に言明され、証明されたのもこの本が最初であった。また今日でいうところの円分体の理論が記述されているほか、素数定理に対する予想が述べられている。しかしこの本は、トップ数学者からの評価は発行当初から非常に高かったものの、あまりにも時代を抜きん出た難解な著作であり、その上出版社の問題から発行部数が相当低かったこともあって、実際には当時理解できるものは限られていた。結局それがようやく大勢に理解されるようになるのは、約50年後にそれを詳しく解読し講義したディリクレの時代になってからである。 ガウスは発表はしなかったが、解析学の分野でも時代を先んじた研究を行っていた。当時はまだ複素数が完全なる市民権を得ておらず、できれば使用を避けたいという風潮のあった時代であった。そのため、ガウスは代数学の基本定理を証明した学位論文では誤解を避けるために虚数を表に出さず、多項式が実数の範囲内で1次または2次の因数に分解されるとした。そのような時代にあっても、早くから虚数への偏見から完全に自由であったガウスは複素数の世界に深く分け入り、数多の美しい結果を得た。まず1797年から始まる楕円関数の最初の研究、レムニスケート関数の発見である。そして1800年には一般楕円関数を発見し、その理論を展開した。楕円関数の発見が世の中に最初に公表されたのは 1828年のクレレ誌上のニールス・アーベルの論文によってであるから、ガウスがいかに時代を先んじていたかが分かる。また同じ1800年頃、モジュラー関数を発見してその理論を組み立てたが、それはデーデキントの同種の仕事に先立つこと50年であった。一方、関数論は1825年のコーシーの虚数積分の論文に端を発し、その後30年を掛けて対象としての解析関数の認知にまで発展したが、ガウスには1811年にはすでに、後に「コーシーの積分定理」として知られる事柄を確実に把握し、使いこなしていた。すでに1790年代の中頃からガウス平面上で物事を考えていたガウスの眼には二重周期関数の存在は自明で、三角関数の拡張を目指して楕円積分の逆関数を考え、その結果 「楕円関数」を得たのもごく自然の動きであり、また複素積分での積分路の役割を考えてコーシーの積分定理の内容に逢着したのもこれまたごく自然であろう。 ガウスは、そうした成果の全てを発表しなかったが、彼がそのように、自身の成果を発表せずにいたのにはいくつかの要因があると思われる。 1809年にガウスは Theoria motus(『天体運行論』)の中で彼の主要な研究であった最小二乗法の振る舞いについて記す。これは現在の科学ではほぼすべての分野で観測等の誤差を含むデータから推定値を求める際の計算法として用いられている。また、誤差の分布に対してある程度の仮定を設けることで正規分布が導かれることや、正規分布に基づいて最小二乗法による推定の良さ(今日の最尤推定)が導かれることなどを証明した。これについての論文は1805年にアドリアン=マリ・ルジャンドルが発表していたが、ガウスはこの理論に1795年には到達していた(ただし、これがルジャンドルとの先取権を巡るいざこざの原因となり、面倒を嫌うガウスの秘密主義を招いたとも言われる)。 ガウスは1791年以降、1806年にブラウンシュバイク公爵が死去するまで彼に援助されて研究生活をしていた。支援は潤沢で生活に困ってはおらず、ガウス自身も公爵には強い感謝の念を持っていたが、数学そのものがそれほど世の中の役に立つとは考えていなかった。そのため、彼自身は天文学者になることを願うようになり、1801年に発見後行方不明になっていたケレスの軌道決定の功績が認められて1807年にゲッティンゲンの天文台長になった。そこでも測定用機材の開発(ガウス式レンズの設計)、楕円関数の惑星の摂動運動への応用、力学に於ける最小作用の法則の定式化の一つである「ガウスの最小拘束の原理」など、数々の発見を行っている。 1818年にハノーファー王国の測量をする測定装置のために、後に大きな影響を与えた正規分布についての研究を始めた。これは測量結果の誤差に関する興味からである。またこのときの測量成果の取りまとめに当たり考案した、等角写像による地球楕円体表面から平面への地図投影法はガウス・クリューゲル図法として今日においても世界各国で活用されている。 測量への興味から曲面論を創始し、後のリーマン幾何学に影響を与えた。1827年に『曲面の研究』(羅: Disquisitiones generales circa superficies curvas)を出版し、曲面の面積と対応する単位球面の面積の無限小比として意味付けられる曲率(今日ではガウス曲率と呼ばれる)が、曲面の内在的量にのみ依存することを示し、ラテン語で Theorema Egregium(直訳:卓越した定理)と呼んだ。この定理は、微分幾何学においてガウスの基本定理、あるいは単にガウスの定理とも呼ばれる。 ガウスは非ユークリッド幾何学の一つである双曲幾何学の発見者でもある。しかしそれに関する発表は一切行わなかった。友人であるファルカス・ヴォルフガング・ボヤイはユークリッド幾何学以外の公理を発見しようと多くの年月を費やしたが失敗した。ボヤイの息子であるヤーノシュ・ボヤイは1820年代に双曲幾何学を再発見し1832年に結果を発表した。これについてガウスは「書かなくて良くなった」と発言している。この後、物理学の分野でこれが現実の世界にどれだけ妥当しているのかを計測しようと試みている。 また地球磁気の研究に関連して、フーリエ級数展開の高速な計算方法を開発し、データ数が2の冪乗の場合についてを論文に記述しているが、これは後の電子計算機の時代に FFT として定式化(が再発見)された方法と本質的には同じものである。(コメント:ガウスのこの論文は周期的な振る舞いをするデータに対する三角級数による補間法の高速な計算法であり,1805年の10月から11月頃に書かれていて、天文観測からの彗星の軌道計算用に使われたものであると推定されている。またデータ数は2の冪乗の場合に限定されておらず、Cooley-Turkeyと同じく一般的な場合についての記述がされている。) また1831年には物理学教授のヴィルヘルム・ヴェーバーとの共著を行い、電磁気学について多くの回答を与えた。ガウスの定理・ガウスの法則・ガウス(磁束密度の単位)・ガウス単位系は彼の名に因む。電気でのキルヒホッフの法則に当たるものを発見し、電信装置を作り上げた。これは1873年のウィーン万国博覧会に展示された。なお、モールスはこの話を旅行中の船上で人から聞き、思索の末に電信符号を発明した。ガウスとウェーバーの電信機は、電流計の針の振れ角の大きさで通信をするアナログ方式であったが、モールス符号はデジタル方式である。またモールスは英文に対して符号長が平均的に短くなるように印刷所の活字の割合を参考として符号の割り当てを決めてもいる。 また、ガウスは液体の表面張力や毛細管現象などについての研究も発表している。ガウスの研究の志向はその時代に自然哲学の巨星であったニュートンやオイラーが為した業績をさらに前進させるといったものが多かったように思われる。 彼は数学の教授になったことはなく、教師となることも嫌ったが、リヒャルト・デーデキントやベルンハルト・リーマンなど彼の弟子達は、彼の僚友で後継者としてユダヤ人初の正教授となったモーリツ・アブラハム・スターン(英語版)にも才能を引き出され、偉大な数学者となった。 ガウスは信心深く、保守的な人物だった。君主制を支持し、フランス革命の際にはナポレオンと対立した。彼は他の数学者と一緒に何かをすることはほとんどなく、あまり人と打ち解けることのない厳粛な人だったと多くの人が伝えている。言語に優れ数カ国語を操ることができたため外国の新聞から情報を入手でき、また統計学的な知識もあったため、投資に成功して安定した財産を築くことができた。 私生活では、ヨハンナ・オストホフ(Johanna Osthoff, 1780年 - 1809年)と1805年に結婚した。彼はヨハンナを精神的な意味も込めて溺愛しており、幸せな結婚生活を送ったものの、ヨハンナは1809年に若くして亡くなり、さらにそれを追うように次男ルイスも夭逝した。彼女の死は彼の精神に大きなショックを与え、以後完全に回復することはなかった。ルイスの死後すぐに、フリーデリカ・ヴィルヘルミーネ・ヴァルトエック(Friederica Wilhelmine Waldeck, 愛称ミンナ:Minna)と再婚したものの、この結婚から得られた幸せは希薄なものだったようである。ガウスはヨハンナの面影が忘れられず、再婚相手のミンナへの手紙にもそのことを書く始末であった。ミンナも1831年に長い病気の末に亡くなり、その後は娘のテレーズ (Therese) が身の回りの世話をしていた。また、ガウスは母親とも1817年から彼女の亡くなる1839年まで一緒に住んでいた。 子供は2人の妻に3人ずつ、合計6人もうけた。ヨハンナとの間の子供は、ヨゼフ(Joseph, 1806年 - 1873年)、ヴィルヘルミーナ(Wilhelmina, 愛称はやはりミンナ, 1808年 - 1846年)、ルイス(Louis, 1809年 - 1810年)である。なかでもヴィルヘルミーナの才能はガウスに近いものがあったと言われているが、彼女も若くして亡くなってしまう。ミンナ・ヴァルトエックとの間の子供はオイゲネ(Eugene, 1811年 - 1896年)、ヴィルヘルム(Wilhelm, 1813年 - 1879年)、テレーズ(Therese, 1816年 - 1864年)がいる。オイゲネは1832年頃父の元を離れてアメリカ合衆国ミズーリ州のセント・チャールズに移住した。しばらく後にヴィルヘルムもミズーリ州に渡り、農業を始め、後にセントルイスで靴のビジネスで成功した。テレーズは結婚した後もガウスの面倒を見て家に留まった。 ガウスはゲッティンゲンで1855年に亡くなり、Albanifriedhofの墓所に埋葬された。1989年から2001年にユーロ紙幣となるまで、彼の肖像と正規分布曲線が10マルク紙幣に印刷されていた。 生涯彼の弟子であったG・ワルドー・ダニングトンはガウスの伝記 『カール・フリードリヒ・ガウス: 科学の巨人』 など、多くの著作を残した。 1989年から2001年まで使われた10ドイツマルク紙幣にはガウスの肖像画がガウス分布の図、式とともに描かれていた。 2002年、国際数学連合とドイツ数学会はガウスの事跡を記念してガウス賞を創設した。
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"私生活では、ヨハンナ・オストホフ(Johanna Osthoff, 1780年 - 1809年)と1805年に結婚した。彼はヨハンナを精神的な意味も込めて溺愛しており、幸せな結婚生活を送ったものの、ヨハンナは1809年に若くして亡くなり、さらにそれを追うように次男ルイスも夭逝した。彼女の死は彼の精神に大きなショックを与え、以後完全に回復することはなかった。ルイスの死後すぐに、フリーデリカ・ヴィルヘルミーネ・ヴァルトエック(Friederica Wilhelmine Waldeck, 愛称ミンナ:Minna)と再婚したものの、この結婚から得られた幸せは希薄なものだったようである。ガウスはヨハンナの面影が忘れられず、再婚相手のミンナへの手紙にもそのことを書く始末であった。ミンナも1831年に長い病気の末に亡くなり、その後は娘のテレーズ (Therese) が身の回りの世話をしていた。また、ガウスは母親とも1817年から彼女の亡くなる1839年まで一緒に住んでいた。", "title": "略歴と業績" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "子供は2人の妻に3人ずつ、合計6人もうけた。ヨハンナとの間の子供は、ヨゼフ(Joseph, 1806年 - 1873年)、ヴィルヘルミーナ(Wilhelmina, 愛称はやはりミンナ, 1808年 - 1846年)、ルイス(Louis, 1809年 - 1810年)である。なかでもヴィルヘルミーナの才能はガウスに近いものがあったと言われているが、彼女も若くして亡くなってしまう。ミンナ・ヴァルトエックとの間の子供はオイゲネ(Eugene, 1811年 - 1896年)、ヴィルヘルム(Wilhelm, 1813年 - 1879年)、テレーズ(Therese, 1816年 - 1864年)がいる。オイゲネは1832年頃父の元を離れてアメリカ合衆国ミズーリ州のセント・チャールズに移住した。しばらく後にヴィルヘルムもミズーリ州に渡り、農業を始め、後にセントルイスで靴のビジネスで成功した。テレーズは結婚した後もガウスの面倒を見て家に留まった。", "title": "略歴と業績" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ガウスはゲッティンゲンで1855年に亡くなり、Albanifriedhofの墓所に埋葬された。1989年から2001年にユーロ紙幣となるまで、彼の肖像と正規分布曲線が10マルク紙幣に印刷されていた。", "title": "略歴と業績" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "生涯彼の弟子であったG・ワルドー・ダニングトンはガウスの伝記 『カール・フリードリヒ・ガウス: 科学の巨人』 など、多くの著作を残した。", "title": "略歴と業績" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "1989年から2001年まで使われた10ドイツマルク紙幣にはガウスの肖像画がガウス分布の図、式とともに描かれていた。", "title": "記念事物・賞" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2002年、国際数学連合とドイツ数学会はガウスの事跡を記念してガウス賞を創設した。", "title": "記念事物・賞" } ]
ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウスは、ドイツの数学者・天文学者・物理学者。彼の研究は広範囲に及んでおり、特に近代数学のほとんどの分野に影響を与えたと考えられている。数学の各分野、さらには電磁気など物理学にも、彼の名が付いた法則、手法等が数多く存在する(→ガウスにちなんで名づけられたものの一覧)。19世紀最大の数学者の一人であり、18世紀のレオンハルト・オイラーと並んで数学界の二大巨人の一人と呼ばれることもある。
{{Infobox scientist | box_width = 300px | name = カール・フリードリヒ・ガウス | image = Carl Friedrich Gauss.jpg | caption = [[w:en:Christian Albrecht Jensen|Christian Albrecht Jensen]] による肖像画 | birth_date = {{生年月日|1777|4|30|df=y}} | birth_place = {{flagicon|HRR}} [[神聖ローマ帝国|ドイツ国民の神聖ローマ帝国]]<br>[[File:Armoiries de La Falloise.svg|25px]] [[ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領]]<br>[[ブラウンシュヴァイク]] | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1777|4|30|1855|2|23|df=y}} | death_place = {{HNV}}<br>[[ゲッティンゲン]] | residence = {{HNV}} | citizenship = | nationality = | ethnicity = | fields = [[数学]]<br />[[物理]] | workplaces = [[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン]] | alma_mater = {{仮リンク|ヘルムシュテット大学|en|University of Helmstedt}} | doctoral_advisor = [[w:en:Johann Friedrich Pfaff|Johann Friedrich Pfaff]] | academic_advisors = [[w:en:Johann Christian Martin Bartels|Johann Christian Martin Bartels]] | doctoral_students = [[w:en:Christoph Gudermann|Christoph Gudermann]]<br />[[w:en:Christian Ludwig Gerling|Christian Ludwig Gerling]]<br />[[リヒャルト・デーデキント]]<br />[[ヨハン・フランツ・エンケ]]<br />[[w:en:Johann Benedict Listing|Johann Listing]]<br />[[ベルンハルト・リーマン]]<br />[[クリスチャン・H・F・ピーターズ]]<br />[[w:en:Moritz Cantor|Moritz Cantor]] | notable_students = [[フェルディナント・ゴットホルト・マックス・アイゼンシュタイン]]<br />[[グスタフ・キルヒホフ]]<br />[[エルンスト・クンマー]]<br />[[ペーター・グスタフ・ディリクレ]]<br />[[アウグスト・フェルディナント・メビウス]]<br />[[ユリウス・ワイスバッハ]]<br />[[w:en:L. C. Schnürlein|L. C. Schnürlein]] | known_for = [[カール・フリードリヒ・ガウスにちなんで名づけられたものの一覧|すべて見る]] | author_abbrev_bot = | author_abbrev_zoo = | influences = | influenced = [[ソフィ・ジェルマン]] | awards = [[コプリ・メダル]] (1838) | signature = Carl Friedrich Gauß signature.svg | footnotes = | Religion = theist,<ref name="mathsong.com"/> possibly Christian }} [[ファイル:Disqvisitiones-800.jpg|thumb|[[Disquisitiones Arithmeticae]] のタイトルページ]] '''ヨハン・カール・フリードリヒ・ガウス'''({{IPAc-en|ɡ|aʊ|s}}; {{lang-de|Johann Carl Friedrich Gauß}} {{audio|De-carlfriedrichgauss.ogg|listen}}、{{lang-la|Carolus Fridericus Gauss}}、[[1777年]][[4月30日]] - [[1855年]][[2月23日]])は、[[ドイツ人|ドイツ]]の[[数学者の一覧#18世紀生まれの有名な数学者|数学者]]・[[天文学者]]・[[物理学者]]。彼の研究は広範囲に及んでおり、特に近代数学のほとんどの分野に影響を与えたと考えられている。数学の各分野、さらには電磁気など物理学にも、彼の名が付いた法則、手法等が数多く存在する(→[[カール・フリードリヒ・ガウスにちなんで名づけられたものの一覧|ガウスにちなんで名づけられたものの一覧]])。[[19世紀]]最大の数学者の一人であり<ref>{{Harv|日本数学会|2007|p=115}}</ref>、18世紀の[[レオンハルト・オイラー]]と並んで数学界の二大巨人の一人と呼ばれることもある<ref>『数学者図鑑』120p 本丸諒著 かんき出版 2022年5月25日第1刷発行</ref>。 == 略歴と業績 == *[[1777年]] - [[ブラウンシュヴァイク]]に生まれる。 *[[1792年]] - [[素数定理]]の成立を予想。 *[[1795年]] - [[最小二乗法]]発見。 *[[1796年]] - [[平方剰余の相互法則]]の証明。コンパスと定規のみで[[正十七角形]]を作図できることを証明。 *[[1799年]] - [[代数学の基本定理]]の証明。 *[[1801年]] - 『[[Disquisitiones Arithmeticae|整数論の研究]]』出版 複素数表記、現代整数の表記導入。 *[[1801年]] - [[円分多項式|円周等分多項式]]の研究。 *[[1807年]] - [[ゲッティンゲン]]の天文台長になり、以後40年同職につく。 *[[1809年]] - 『天体運行論』出版 最小二乗法を用いたデータ補正、正規分布。 *[[1811年]] - [[複素積分]]、[[ガウス平面]](複素数平面)ベッセルへの手紙。 *[[1827年]] - 『曲面の研究』({{lang-la-short|Disquisitiones generales circa superficies curvas}})出版、[[微分幾何学]]を創始。 *[[1855年]] - ゲッティンゲンで死去。 === 生い立ちと幼年期 === [[ファイル:Statue-of-Gauss-in-Braunschweig.jpg|left|thumb|生誕地[[ブラウンシュヴァイク]]に建てられている記念碑]] ガウスは[[ブラウンシュヴァイク]]で、[[煉瓦]]職人の親方であった父親と、慎ましい<!--清楚な-->母親の下に生まれた。両親ともに学問とは全く無縁の家庭環境で育ったにもかかわらず、彼は子供の頃から並み外れた神童ぶりを発揮していたと言われ、下記のような小学校時代の逸話が伝わっている。 ガウスが7歳の時、算数の授業で教師が「1から100までの数字すべてを足せ」という問題を出し、生徒たちが問題を解くには相当な時間がかかるだろうと考えていたが、ガウスはわずか数秒で「5050」という解答を導きだし、教師を驚かせた。1から100までの数字を足していくと、1+100=101、2+99=101、…、50+51=101で、101の集まりが50個できるため、101×50=5050になるとガウスは計算したのだ<ref>「数学を拡げた先駆者たち 無限、集合、カオス理論の誕生」(数学を切りひらいた人びと 3)p33 マイケル・J・ブラッドリー著 松浦俊輔訳 青土社 2009年4月15日第1刷発行</ref>。この逸話が事実であれば、ガウスは[[等差級数]]の和の公式をわずか7歳で独自に発見していたことになる{{efn|この逸話は、伝記作家の創作も原因となって様々な形で伝えられており、出題された数列がどのようなものであったかを含めて細部に違いが見られる。{{Harvnb|Hayes|2006|p=200}}で報告されている調査結果によれば、文献としては逸話の原典となったと思われるヴォルフガング・ザルトリウス・フォン・ヴァルタースハウゼン([[:en:Wolfgang Sartorius von Waltershausen|Wolfgang Sartorius von Waltershausen]])による伝記({{Google books|h_Q5AAAAcAAJ|Gauss zum Gedächtniss}})においては、出題された等差数列の項の具体的な値やガウスの解法の詳細については記述されていないということである。}}。なおこの逸話についてはBellの"Men of Mathematics"(『数学を作った人びと』)にあるように81297 + 81495 + 81693 + ... + 100899だったという説もあるがBellの創作なのではないかと疑われている面もあり、色々な説がある。 実際、算数の教師は彼の才能を見るにつけ、このような天才に自分が教えられることは何もないと語ったという。教師はガウスの父親に、ガウスに数学を勉強させるように何度も説得したという。そしてガウスは多才であったため、音楽や言語学にも興味を持ち、将来何になるかを迷っていたという。また[[1792年]]頃、15歳当時の彼は、一日15分ずつの予備の時間を当てて1000個ずつの[[自然数]]にそれぞれいくつの[[素数]]が現れるかを調べ、その次第に減っていく様子から、約100年後に証明されることになる[[素数定理]]を予想した<ref group="注釈">始めは全ての数を一つ一つ調べて当時の素数表の不備を埋めていたが、そのうち膨大な計算をするのが嫌になったらしく、一日15分と時間を決めて1000個単位の中からランダムサンプリングを行い、統計的な振る舞いを調べる手法に変えたという。必ず一定時間で計算を終えることから、いわゆる[[モンテカルロ法]]の先駆的な手法といえる。</ref>。 ガウスは言葉を満足に話せるようになる前から、誰から学ぶこともなく計算ができたといわれている。彼がまだ3歳になるかならないかの頃、父親<!--叔父との説あり?-->が職人達に支払う給料の計算をしていた時、彼は父親の計算が間違っていることを傍から指摘した。父親が驚いて計算をやり直したところ、息子が指摘した通りであったという<ref>{{Harv|ムロディナウ|青木|2003}} {{要ページ番号|date=2013年9月}}</ref>。また酒樽の体積を求めるにはそれをスライスした面の面積を調べて積み重ねればよい、という積分の概念にも自力で到達していた。7歳になるとガウスは地元の小学校に入った。ここでビュットナー校長によって算数を習うものの、すでにガウスは習得済みであった。このため、校長は自費でより高級な算術の教科書をハンブルクから取り寄せたが、すぐに読み終えてしまった。ここで校長は「これ以上教えられることはない」と述べたようである。そこで校長は、助手である[[ヨハン・バーテルス]]にガウスを任せることにした。ガウスとバーテルスは共に学び、教科書を改良したり、新しい概念を生み出すようになった。バーテルスは[[カール・ヴィルヘルム・フェルディナント (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)|ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フェルディナント]]の知人であり、1791年にガウスは彼に謁見して援助を受けられるようになった<ref>「数学の真理をつかんだ25人の天才たち」p133 イアン・スチュアート著 水谷淳訳 ダイヤモンド社 2019年1月16日第1刷発行</ref>。この経済的支援によって進学し、1795年に[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]]に行くことができた<ref>「数学を拡げた先駆者たち 無限、集合、カオス理論の誕生」(数学を切りひらいた人びと 3)p37 マイケル・J・ブラッドリー著 松浦俊輔訳 青土社 2009年4月15日第1刷発行</ref>。その後、1798年には[[ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領]]にあった{{仮リンク|ヘルムシュテット大学|en|University of Helmstedt}}へと移り<ref name="名前なし-1">「数学を拡げた先駆者たち 無限、集合、カオス理論の誕生」(数学を切りひらいた人びと 3)p38 マイケル・J・ブラッドリー著 松浦俊輔訳 青土社 2009年4月15日第1刷発行</ref>、1807年に再びゲッティンゲンに移るまでここで過ごした。 大学では、ハンガリー貴族である[[ボーヤイ・ファルカシュ]](独語表記:ファルカシュ・ヴォルフガング・ボヤイ)と友人になった。ボヤイがガウスの家を訪ねた際、ガウスの母はボヤイへ息子は優秀かと尋ね、ボヤイがガウスはヨーロッパ一の数学者になるでしょうと答えると、母は泣き崩れたという。 === 思想とおもな業績 === ガウスは奨学金を得て大学に進み、数々の重要な発見を行った。彼は、[[古代ギリシア]]の数学者達に起源を持つ[[定規とコンパスによる作図#作図可能な正多角形|定規とコンパスによる正多角形の作図問題]]に正確な必要十分条件を与え、[[正17角形]]が作図できることを発見した([[1796年]][[3月30日]])<ref group="注釈">1801年に出版した''[[Disquisitiones Arithmeticae]]''(『整数論の研究』)において、一般に[[フェルマー素数]]個の辺をもつ正多角形は作図できること、つまり素数 ''p'' が 2{{sup|2{{sup|''n''}}}} + 1 の形である場合に正''p''角形が作図できることも示している。今日までに知られているフェルマー素数は [[3]], [[5]], [[17]], [[257]], [[65537]] である。</ref>。作図できる正素数角形は古来から知られていた[[正三角形]]と[[正五角形]]のみだと考えられていたのでこの発見は当時の数学界に衝撃を与えた。作図できる正多角形の種類が増えたのは約二千年ぶりのことであった。彼はこの結果を非常に喜び、この成果である正17角形を墓標に刻むように申し入れた<ref name="名前なし-1"/>(結局、これは実現されなかったが、彼の記念碑には正17角形が刻まれている)。また、この発見の日より、数学的発見を記述したガウス日記を付け始め、また自分の将来の進路を数学者とすることに決めたといわれる。学位論文で彼は[[代数学の基本定理]]を最初に証明した。後に彼はこの問題に対して3つの異なる証明を行い、[[複素数]]の重要性を決定付けた。 ガウスの最も偉大な貢献は[[数論]]の分野である。この分野だけが、その全貌ではないにしろガウスの研究が体系的にまとめられて出版された。それが[[1801年]]に発表した [[Disquisitiones Arithmeticae]] であり、そのほとんどのページが二、三元の二次形式の研究に当てられている。この本は、数の合同の記号を導入し[[合同式|合同算術]]の明確な表現を与え、[[平方剰余の相互法則]]の初の完全な証明などが与えられている。[[自然数]]の[[素数]]による[[素因数分解|一意分解の定理]]が明確に言明され、証明されたのもこの本が最初であった。また今日でいうところの円分体の理論が記述されているほか、素数定理に対する予想が述べられている。しかしこの本は、トップ数学者からの評価は発行当初から非常に高かったものの、あまりにも時代を抜きん出た難解な著作であり、その上出版社の問題から発行部数が相当低かったこともあって、実際には当時理解できるものは限られていた。結局それがようやく大勢に理解されるようになるのは、約50年後にそれを詳しく解読し講義した[[ペーター・グスタフ・ディリクレ|ディリクレ]]の時代になってからである<ref>「数学を拡げた先駆者たち 無限、集合、カオス理論の誕生」(数学を切りひらいた人びと 3)p40 マイケル・J・ブラッドリー著 松浦俊輔訳 青土社 2009年4月15日第1刷発行</ref>。 ガウスは発表はしなかったが、[[解析学]]の分野でも時代を先んじた研究を行っていた。当時はまだ[[複素数]]が完全なる市民権を得ておらず、できれば使用を避けたいという風潮のあった時代であった。そのため、ガウスは[[代数学の基本定理]]を証明した学位論文では誤解を避けるために[[虚数]]を表に出さず、[[多項式]]が[[実数]]の範囲内で1次または2次の[[因数]]に分解されるとした。そのような時代にあっても、早くから虚数への偏見から完全に自由であったガウスは複素数の世界に深く分け入り、数多の美しい結果を得た。まず[[1797年]]から始まる[[楕円関数]]の最初の研究、[[レムニスケート]]関数の発見である。そして[[1800年]]には一般楕円関数を発見し、その理論を展開した。楕円関数の発見が世の中に最初に公表されたのは [[1828年]]の[[クレレ誌]]上の[[ニールス・アーベル]]の論文によってであるから、ガウスがいかに時代を先んじていたかが分かる。また同じ1800年頃、[[モジュラー関数]]を発見してその理論を組み立てたが、それは[[リヒャルト・デーデキント|デーデキント]]の同種の仕事に先立つこと50年であった。一方、[[関数論]]は[[1825年]]の[[オーギュスタン=ルイ・コーシー|コーシー]]の虚数積分の論文に端を発し、その後30年を掛けて対象としての[[解析関数]]の認知にまで発展したが、ガウスには[[1811年]]にはすでに、後に「[[コーシーの積分定理]]」として知られる事柄を確実に把握し、使いこなしていた。すでに[[1790年代]]の中頃から[[ガウス平面]]上で物事を考えていたガウスの眼には二重周期関数の存在は自明で、[[三角関数]]の拡張を目指して[[楕円積分]]の[[逆関数]]を考え、その結果 「楕円関数」を得たのもごく自然の動きであり、また複素積分での積分路の役割を考えてコーシーの積分定理の内容に逢着したのもこれまたごく自然であろう。 ガウスは、そうした成果の全てを発表しなかったが、彼がそのように、自身の成果を発表せずにいたのにはいくつかの要因があると思われる。 # ガウスにとっては研究で美しい結果を得ることが最大の報酬であり、他人の認知を必要としなかった。 # 世間の無理解、誤解によって生ずる論争の煩わしさを嫌った。実際、ガウスは[[非ユークリッド幾何学]]の可能性についての自身の考えが世に漏れることに極めて慎重であった。 # 当時の成果発表手段の乏しさ。その頃は今のように論文原稿を送るべき学会誌や論文雑誌は存在せず、成果発表は主として自家印刷の小冊子や単行本によった(しばらくして学士院や大学の紀要も)。実際、ガウスの整数論は単行本として発表された。そしてアーベルの「代数方程式に関する論(五次の一般的な方程式を解くことの不可能の証明)」は自家印刷の粗末な小冊子として出されて、その時は世間に認知されずに終わった。アーベルのこの論文や楕円関数論が世間に認知されたのは[[1826年]]に論文雑誌「[[クレレ誌]]」が創刊され、それに寄稿しての話である。このような時代にあってガウスは解析学の大著述を計画するが、研究が進展して考察の範囲がとめどもなく拡大していき完結の機会を逸し、また測量学の実地での測量や膨大な数値計算、天文観測などで多忙であったこと、ナポレオンによるヨーロッパの政治混乱による経済的困窮などにより、ついに世に出ることがなかったという。 [[1809年]]にガウスは ''Theoria motus''(『天体運行論』)の中で彼の主要な研究であった[[最小二乗法]]の振る舞いについて記す。これは現在の科学ではほぼすべての分野で観測等の誤差を含むデータから推定値を求める際の計算法として用いられている。また、誤差の分布に対してある程度の仮定を設けることで正規分布が導かれることや、[[正規分布]]に基づいて最小二乗法による推定の良さ(今日の最尤推定)が導かれることなどを証明した。これについての論文は[[1805年]]に[[アドリアン=マリ・ルジャンドル]]が発表していたが、ガウスはこの理論に[[1795年]]には到達していた(ただし、これがルジャンドルとの先取権を巡るいざこざの原因となり、面倒を嫌うガウスの秘密主義を招いたとも言われる)。 ガウスは1791年以降、1806年にブラウンシュバイク公爵が死去するまで彼に援助されて研究生活をしていた。支援は潤沢で生活に困ってはおらず、ガウス自身も公爵には強い感謝の念を持っていたが<ref>「数学の真理をつかんだ25人の天才たち」p138 イアン・スチュアート著 水谷淳訳 ダイヤモンド社 2019年1月16日第1刷発行</ref>、数学そのものがそれほど世の中の役に立つとは考えていなかった{{Efn|職業数学者というポストが成立したのは主に大学制度が出来てからで、それ以前は貴族王侯の名誉を支える一種の芸人として仕えるあるいは助成を受ける者として、あるいは自然科学や産業上の研究と不可分な形で、または個人の名誉の探求行為としてのみ存在した。}}。そのため、彼自身は天文学者になることを願うようになり、[[1801年]]に発見後行方不明になっていた[[ケレス (準惑星)|ケレス]]の軌道決定の功績が認められて[[1807年]]に[[ゲッティンゲン]]の天文台長になった<ref>「数学を拡げた先駆者たち 無限、集合、カオス理論の誕生」(数学を切りひらいた人びと 3)p41 マイケル・J・ブラッドリー著 松浦俊輔訳 青土社 2009年4月15日第1刷発行</ref>。そこでも測定用機材の開発(ガウス式レンズの設計)、楕円関数の惑星の[[摂動 (天文学)|摂動]]運動への応用、力学に於ける最小作用の法則の定式化の一つである「ガウスの最小拘束の原理」など、数々の発見を行っている。 [[1818年]]に[[ハノーファー王国]]の[[測量]]をする測定装置のために、後に大きな影響を与えた正規分布についての研究を始めた。これは測量結果の[[誤差]]に関する興味からである。またこのときの測量成果の取りまとめに当たり考案した、[[等角写像]]による[[地球楕円体]]表面から平面への[[地図投影法]]は[[ガウス・クリューゲル図法]]として今日においても世界各国で活用されている。 測量への興味から曲面論を創始し、後の[[リーマン幾何学]]に影響を与えた。[[1827年]]に『曲面の研究』({{lang-la-short|Disquisitiones generales circa superficies curvas}})を出版し、曲面の面積と対応する単位球面の面積の無限小比として意味付けられる[[曲率]](今日では[[ガウス曲率]]と呼ばれる)が、曲面の内在的量にのみ依存することを示し、[[ラテン語]]で [[Theorema Egregium]](直訳:卓越した定理)と呼んだ。この定理は、[[微分幾何学]]においてガウスの基本定理、あるいは単にガウスの定理とも呼ばれる。 ガウスは非ユークリッド幾何学の一つである[[双曲幾何学]]の発見者でもある。しかしそれに関する発表は一切行わなかった。友人である[[ボーヤイ・ファルカシュ|ファルカス・ヴォルフガング・ボヤイ]]は[[ユークリッド幾何学]]以外の公理を発見しようと多くの年月を費やしたが失敗した。ボヤイの息子である[[ボーヤイ・ヤーノシュ|ヤーノシュ・ボヤイ]]は[[1820年代]]に双曲幾何学を再発見し[[1832年]]に結果を発表した。これについてガウスは「書かなくて良くなった」と発言している。この後、[[物理学]]の分野でこれが現実の世界にどれだけ妥当しているのかを計測しようと試みている。 また地球磁気の研究に関連して、[[フーリエ級数]]展開の高速な計算方法を開発し、データ数が2の[[冪乗]]の場合についてを論文に記述しているが、これは後の電子計算機の時代に [[高速フーリエ変換|FFT]] として定式化(が再発見)された方法と本質的には同じものである。(コメント:ガウスのこの論文は周期的な振る舞いをするデータに対する三角級数による補間法の高速な計算法であり,1805年の10月から11月頃に書かれていて、天文観測からの彗星の軌道計算用に使われたものであると推定されている。またデータ数は2の冪乗の場合に限定されておらず、Cooley-Turkeyと同じく一般的な場合についての記述がされている<ref>[https://www.cis.rit.edu/class/simg716/Gauss_History_FFT.pdf Michael T. Heideman, Don H. Johnson, C. Sidney Burrus: "Gauss and the History of the Fast Fourier Transform",IEEE ASSP Magazine (Oct.1984), pp.14-21.]</ref>。) また[[1831年]]には物理学教授の[[ヴィルヘルム・ヴェーバー]]との共著を行い、[[電磁気学]]について多くの回答を与えた。[[ガウスの定理]]・[[ガウスの法則]]・[[ガウス (単位)|ガウス]]([[磁束密度]]の単位)・[[ガウス単位系]]は彼の名に因む。電気での[[キルヒホッフの法則 (電気回路)|キルヒホッフの法則]]に当たるものを発見し、電信装置を作り上げた。これは[[1873年]]の[[ウィーン万国博覧会]]に展示された。なお、モールスはこの話を旅行中の船上で人から聞き、思索の末に電信符号を発明した。ガウスとウェーバーの電信機は、電流計の針の振れ角の大きさで通信をするアナログ方式であったが、モールス符号はデジタル方式である。またモールスは英文に対して符号長が平均的に短くなるように印刷所の活字の割合を参考として符号の割り当てを決めてもいる。 また、ガウスは液体の表面張力や毛細管現象などについての研究も発表している。ガウスの研究の志向はその時代に自然哲学の巨星であった[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]や[[レオンハルト・オイラー|オイラー]]が為した業績をさらに前進させるといったものが多かったように思われる。 彼は数学の教授になったことはなく、教師となることも嫌ったが、リヒャルト・デーデキントや[[ベルンハルト・リーマン]]など彼の弟子達は、彼の僚友で後継者として[[ユダヤ人]]初の正教授となった{{仮リンク|モーリツ・アブラハム・スターン|en|Moritz Abraham Stern}}にも才能を引き出され、偉大な数学者となった。 === 人柄と私生活 === ガウスは信心深く、保守的な人物だった。[[君主制]]を支持し、[[フランス革命]]の際には[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]と対立した。彼は他の数学者と一緒に何かをすることはほとんどなく、あまり人と打ち解けることのない厳粛な人だったと多くの人が伝えている。言語に優れ数カ国語を操ることができたため外国の新聞から情報を入手でき、また統計学的な知識もあったため、投資に成功して安定した財産を築くことができた<ref name="名前なし-2">「数学を拡げた先駆者たち 無限、集合、カオス理論の誕生」(数学を切りひらいた人びと 3)p49 マイケル・J・ブラッドリー著 松浦俊輔訳 青土社 2009年4月15日第1刷発行</ref>。 私生活では、ヨハンナ・オストホフ(Johanna Osthoff, [[1780年]] - [[1809年]])と1805年に結婚した。彼はヨハンナを精神的な意味も込めて溺愛しており、幸せな結婚生活を送ったものの、ヨハンナは1809年に若くして亡くなり、さらにそれを追うように次男ルイスも夭逝した<ref>「数学者列伝 オイラーからフォン・ノイマンまで Ⅰ」p87-88 I・ジェイムズ 蟹江幸博訳 シュプリンガー・フェアラーク東京 2005年12月17日発行</ref>。彼女の死は彼の精神に大きなショックを与え、以後完全に回復することはなかった<ref>「数学を拡げた先駆者たち 無限、集合、カオス理論の誕生」(数学を切りひらいた人びと 3)p42 マイケル・J・ブラッドリー著 松浦俊輔訳 青土社 2009年4月15日第1刷発行</ref>。ルイスの死後すぐに、フリーデリカ・ヴィルヘルミーネ・ヴァルトエック(Friederica Wilhelmine Waldeck, 愛称ミンナ:Minna)と[[再婚]]した<ref>「数学者列伝 オイラーからフォン・ノイマンまで Ⅰ」p88-89 I・ジェイムズ 蟹江幸博訳 シュプリンガー・フェアラーク東京 2005年12月17日発行</ref>ものの、この結婚から得られた幸せは希薄なものだったようである。ガウスはヨハンナの面影が忘れられず、再婚相手のミンナへの手紙にもそのことを書く始末であった。ミンナも[[1831年]]に長い病気の末に亡くなり、その後は娘のテレーズ (Therese) が身の回りの世話をしていた<ref>「数学者列伝 オイラーからフォン・ノイマンまで Ⅰ」p90 I・ジェイムズ 蟹江幸博訳 シュプリンガー・フェアラーク東京 2005年12月17日発行</ref>。また、ガウスは母親とも[[1817年]]から<ref>「数学の真理をつかんだ25人の天才たち」p147 イアン・スチュアート著 水谷淳訳 ダイヤモンド社 2019年1月16日第1刷発行</ref>彼女の亡くなる[[1839年]]まで一緒に住んでいた。 子供は2人の妻に3人ずつ、合計6人もうけた。ヨハンナとの間の子供は、ヨゼフ(Joseph, [[1806年]] - [[1873年]])、ヴィルヘルミーナ(Wilhelmina, 愛称はやはりミンナ, [[1808年]] - [[1846年]])、ルイス(Louis, [[1809年]] - [[1810年]])である<ref>「数学者列伝 オイラーからフォン・ノイマンまで Ⅰ」p88 I・ジェイムズ 蟹江幸博訳 シュプリンガー・フェアラーク東京 2005年12月17日発行</ref>。なかでもヴィルヘルミーナの才能はガウスに近いものがあったと言われているが、彼女も若くして亡くなってしまう。ミンナ・ヴァルトエックとの間の子供はオイゲネ(Eugene, [[1811年]] - [[1896年]])、ヴィルヘルム(Wilhelm, [[1813年]] - [[1879年]])、テレーズ(Therese, [[1816年]] - [[1864年]])がいる<ref>「数学者列伝 オイラーからフォン・ノイマンまで Ⅰ」p89 I・ジェイムズ 蟹江幸博訳 シュプリンガー・フェアラーク東京 2005年12月17日発行</ref>。オイゲネは[[1832年]]頃父の元を離れて[[アメリカ合衆国]][[ミズーリ州]]の[[セントチャールズ郡 (ミズーリ州)|セント・チャールズ]]に移住した。しばらく後にヴィルヘルムもミズーリ州に渡り、[[農業]]を始め、後に[[セントルイス]]で[[靴]]の[[ビジネス]]で成功した。テレーズは結婚した後もガウスの面倒を見て家に留まった。 === 晩年と墓所 === ガウスはゲッティンゲンで1855年に亡くなり<ref name="名前なし-2"/>、''[https://www.findagrave.com/memorial/5205/gauss Albanifriedhof]''の墓所に埋葬された。[[1989年]]から[[2001年]]にユーロ紙幣となるまで、彼の肖像と正規分布曲線が10マルク紙幣に印刷されていた。 生涯彼の弟子であった[[G・ワルドー・ダニングトン]]はガウスの伝記 『カール・フリードリヒ・ガウス: 科学の巨人』 など、多くの著作を残した。 == ガウスの名が付いた法則、記号、単位等 ==<!--項目の50音順--> {{main|カール・フリードリヒ・ガウスにちなんで名づけられたものの一覧}} *[[ガウス引力定数]] - かつて[[天文単位]]などの基礎となってきた定義定数。2012年より天文定数表から除外。 *[[ガウシア (小惑星)]] - [[小惑星番号]]1001番の小惑星。[[ケレス (準惑星)|ケレス]]の軌道決定の功績を称えて命名された<ref group="注釈">[[小惑星番号]]の[[ツァッヒア (小惑星)|999番]]はケレス再発見者の一人[[フランツ・フォン・ツァハ]]、[[ピアッツィア (小惑星)|1000番]]はケレス発見者の[[ジュゼッペ・ピアッツィ]]、[[オルバーシア (小惑星)|1002番]]は再発見者の一人[[ヴィルヘルム・オルバース]]に因み命名されている。</ref>。 *[[ガウス (単位)|ガウス]]([[磁束密度]]の単位) *[[ガウス関数]] *[[ガウス積分]] *[[ガウス記号]] *[[ガウス曲率]] *[[ガウス・クリューゲル図法]] *{{仮リンク|ガウス格子|en|Gaussian grid}} *[[ガウス=ザイデル法]] *[[ガウス写像]] *[[ガウス整数]] *[[ガウス単位系]] *[[ガウスの求積法]] *{{仮リンク|ガウスの光学系|en|Gaussian optics}} *[[ガウスの消去法]] *[[超幾何級数|ガウスの超幾何級数]] *[[発散定理|ガウスの発散定理]] *[[ガウスの微分方程式]] *[[ガウスの法則]] *[[ガウスの補間法]] *[[正規分布|ガウス分布]] *[[ガウス・ボネの定理]] *[[ガウス平面]] *{{仮リンク|ガウス・マニン接続|en|Gauss–Manin connection}} *[[ガウス=ルジャンドルのアルゴリズム]] *[[ガウス和]] == 記念事物・賞 == [[ファイル:10_DM_Serie4_Vorderseite.jpg|thumb|10[[ドイツマルク]][[紙幣]]]] [[1989年]]から[[2001年]]まで使われた10[[ドイツマルク]][[紙幣]]にはガウスの肖像画が[[正規分布|ガウス分布]]の図、式とともに描かれていた。 [[2002年]]、[[国際数学連合]]と[[ドイツ数学会]]はガウスの事跡を記念して[[ガウス賞]]を創設した。 == 著作 == *{{Cite book|和書 |others = [[愛知敬一]]・[[大久保準三]] 訳 |editor=東北帝国大学|editor-link=東北帝国大学 |year = 1914 |title = ポテンチヤル論 |series = 科学名著集 第4冊 |publisher = [[丸善雄松堂|丸善]] |id = {{近代デジタルライブラリー|950351/3}} |ref = {{Harvid|ガウス|愛知|大久保|1914}} }} *{{Cite book|和書 |others = [[山田幸五郎]] 訳 |editor=東北帝国大学|editor-link=東北大学#沿革 |year = 1914 |title = 地磁氣論 |series = 科学名著集 第4冊 |publisher = 丸善 |id = {{近代デジタルライブラリー|950351/49}} |ref = {{Harvid|ガウス|山田|1914}} }} *{{Cite book|和書 |author = ガウス 等 |others = 山田幸五郎 訳 |editor = 東北帝国大学 |year = 1918-1919 |title = 幾何光学論文集〈第1、第2〉 |series = 科学名著集 第8,9冊 |publisher = 丸善 |id = {{近代デジタルライブラリー|950355}} |ref = {{Harvid|ガウス|山田|1918-1919}} }} *''[[Disquisitiones Arithmeticae]]''({{Cite book|和書 |others = [[高瀬正仁]] 訳 |date = 1995-06-20 |title = ガウス整数論 |publisher = [[朝倉書店]] |series = 数学史叢書 |isbn = 4-254-11457-5 |url = https://www.asakura.co.jp/books/isbn/978-4-254-11457-7/ |ref = {{Harvid|ガウス|高瀬|1995}} }}) *{{Cite book|和書 |others = [[飛田武幸]]・[[石川耕春]] 訳 |origdate = 1981-05 |date = 2011-05 |title = 誤差論 |publisher = [[紀伊國屋書店]]出版部 |isbn=978-4-314-01082-5 |url = https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784314010825 |ref = {{Harvid|ガウス|飛田|石川|2011}} }} *{{Cite book|和書 |others = 高瀬正仁 訳 |date = 2012-07-10 |title = ガウス 数論論文集 |series = ちくま学芸文庫 カ-33-1 |publisher = [[筑摩書房]] |isbn = 978-4-480-09474-2 |url = http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480094742/ |ref = {{Harvid|ガウス|高瀬|2012}} }} *{{Cite book|和書 |others = 高瀬正仁 訳・解説 |year = 2013-08-30 |title = ガウスの《数学日記》 |publisher = [[日本評論社]] |isbn = 978-4-535-78584-7 |url = https://www.nippyo.co.jp/shop/book/6289.html |ref = {{Harvid|ガウス|高瀬|2013}} }} == 関連項目 == * [[天文学者の一覧#18世紀生まれの天文学者|18世紀生まれの天文学者]] == 脚注 == === 注釈 === {{Notelist}} === 出典 === {{Reflist|2}} == 関連文献 == *{{Cite book|和書 |author = S.G.ギンディキン |authorlink = S.G.ギンディキン |others = [[三浦伸夫]] 訳 |date = 1996-06 |title = ガウスが切り開いた道 |series = シュプリンガー数学クラブ 2 |publisher = [[丸善雄松堂|丸善出版]] |isbn = 978-4-621-06294-4 |url = http://pub.maruzen.co.jp/book_magazine/book_data/search/9784621062944.html |ref = {{Harvid|ギンディキン|三浦|1996}} }} *{{Cite book|和書 |author = 高木貞治 |authorlink = 高木貞治 |date = 1995-08-18 |title = 近世数学史談 |publisher = [[岩波書店]] |series = [[岩波文庫]] 青939-1 |isbn = 4-00-339391-0 |url = http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/0/3393910.html |ref = {{Harvid|高木|1995}} }} *{{Cite book|和書 |author=高木貞治|authorlink=高木貞治 |date = 1996-12-10 |title = 近世数学史談・数学雑談 |publisher = 共立出版 |isbn = 4-320-01551-7 |url = http://www.kyoritsu-pub.co.jp/bookdetail/9784320015517 |ref = {{Harvid|高木|1996}} }} *{{Cite book|和書 |author = 高瀬正仁 |authorlink = 高瀬正仁 |date = 2011-03-09 |title = ガウスの数論 わたしのガウス |publisher = [[筑摩書房]] |series = ちくま学芸文庫 タ31-2 |isbn = 978-4-480-09366-0 |url = http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093660/ |ref = {{Harvid|高瀬|2011}} }} *{{Cite book|和書 |author = ダニングトン |authorlink = ダニングトン |others = [[銀林浩]]・[[小島穀男]]・[[田中勇 (数学者)|田中勇]] 訳 |date = 1992-05 |title = ガウスの生涯――科学の王者 |edition = 新装版 |publisher = [[東京図書]] |isbn = 4-489-00384-6 |ref = {{Harvid|ダニングトン|銀林|小島|田中|1992}} }} *{{Cite book|和書 |editor=日本数学会|editor-link=日本数学会 |date = 2007-03-15 |title = 岩波 数学辞典 |edition = 第4版 |publisher = [[岩波書店]] |isbn = 978-4-00-080309-0 |url = http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/08/3/0803090.html |ref = {{Harvid|日本数学会|2007}} }} *{{Citation |last=Hayes |first=Brian |author-link=Brian Hayes |year=2006 |date=May-June 2006 |title=Gauss's Day of Reckoning--A famous story about the boy wonder of mathematics has taken on a life of its own |journal=American Scientist |publisher=Scientific Research Society |page=200 |volume=94 |series=3 |id={{doi|10.1511/2006.3.200}} |url=http://www.americanscientist.org/issues/pub/gausss-day-of-reckoning/ }} *{{Cite book|和書 |author = レナード・ムロディナウ |others = [[青木薫]] 訳 |date = 2003-06-25 |title = ユークリッドの窓――平行線から超空間にいたる幾何学の物語 |publisher = [[日本放送出版協会]] |isbn = 4-14-080800-4 |url = https://www.nhk-book.co.jp/shop/main.jsp?trxID=C5010101&webCode=00808002003 |ref = {{Harvid|ムロディナウ|青木|2003}} }} * 加藤明史:「ガウス 整数論への道」、現代数学社、ISBN 978-4768703854(2009年11月). * 植村栄治:「地磁気に関するガウスの研究について」、津田塾大学 数学・計算機科学研究所報33 第22回数学史シンポジウム(2011),1頁(2012年)。 * 植村栄治:「物理学の分野におけるガウスの研究について」、津田塾大学 数学・計算機科学研究所報34 第23回数学史シンポジウム(2012),73頁(2013年)。 * 高瀬正仁 (解説, 翻訳):「ガウスの《数学日記》」、日本評論社、ISBN 978-4535785847(2013年8月19日)。 == 外部リンク == {{commons&cat|Johann Carl Friedrich Gauß|Carl Friedrich Gauß}} {{Wikiquote|カール・フリードリヒ・ガウス}} *{{Kotobank|ガウス|2=世界大百科事典 第2版}} * {{Kotobank|ガウス(Karl Friedrich Gauss)}} *{{MacTutor |id = Gauss |title = Johann Carl Friedrich Gauss }} *[http://gdz.sub.uni-goettingen.de/dms/load/toc/?PPN=PPN235957348&IDDOC=38910 ゲッティンゲン大学の『ガウス全集』] {{De icon}} *[https://web.archive.org/web/20090714125451/http://www.gausschildren.org/ ガウスとその子孫] {{En icon}} *[https://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/stern-j/gauss_j.htm David P. Stern:「ガウスと全球磁場モデル」(2001年11月25日)] *[https://www2.tsuda.ac.jp/suukeiken/math/suugakushi/sympo24/24_8uemura.pdf 植村栄治:「ガウスの電磁気学研究について」、第24回数学史シンポジウム(2013年10月12日)頁147-156。] {{Normdaten}} {{デフォルトソート:かうす かある ふりいとりひ}} [[Category:カール・フリードリヒ・ガウス|*]] [[Category:18世紀ドイツの科学者]] [[Category:19世紀ドイツの科学者]] [[Category:18世紀の数学者|770430]] [[Category:19世紀の数学者|-770430]] [[Category:18世紀ドイツの物理学者]] [[Category:19世紀ドイツの物理学者]] [[Category:18世紀の天文学者]] [[Category:19世紀の天文学者]] [[Category:ドイツの天文学者]] [[Category:ドイツの数値解析研究者]] [[Category:ドイツの数論学者]] [[Category:ドイツの理神論者]] [[Category:ドイツの微分幾何学者]] [[Category:コプリ・メダル受賞者]] [[Category:ドイツの紙幣の人物]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:オランダ王立芸術科学アカデミー会員]] [[Category:プロイセン科学アカデミー会員]] [[Category:ゲッティンゲン科学アカデミー会員]] [[Category:バイエルン科学アカデミー会員]] [[Category:ベルギー王立アカデミー会員]] [[Category:プール・ル・メリット勲章平和章受章者]] [[Category:ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲンの教員]] [[Category:ブラウンシュヴァイク出身の人物]] [[Category:1777年生]] [[Category:1855年没]]
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J1参入決定戦
J1参入決定戦(J1さんにゅうけっていせん)は、1999年に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が2部制を導入するのに合わせ、Jリーグ ディビジョン1(J1)とJリーグ ディビジョン2(J2)のクラブを振り分けるために1998年11月から12月まで実施されたトーナメント戦。 Jリーグ公式記録サイト「J.LEAGUE Data Site」では、一連の対戦を「第3参入クラブ決定戦」と表記している。 Jリーグは1993年の発足以来、社団法人日本プロサッカーリーグの当初の予想を上回る勢いで規模を拡大していった。10クラブで発足したリーグは、5年間で当初上限と考えていた16クラブを越え、1997年の時点で17クラブまで数を拡大し、さらに参入を希望するクラブが相次ぐ状況であった。加えて、実質的な下部リーグであったジャパンフットボールリーグ(旧JFL)は「Jリーグ参入を希望するクラブ」「アマチュアを堅持するクラブ」が混在する状況であった。 そこで日本プロサッカーリーグは当初の予定を早めてJリーグの2部リーグ化を決断。旧JFLを、Jリーグ(プロリーグ)の正式な下位リーグであるJリーグ ディビジョン2(J2)と、アマチュアリーグの最高峰である日本フットボールリーグ(新JFL)に改組することとなった。その際に、日本プロサッカーリーグは、当時のJリーグが適正数と考えていた16クラブより多かったこともあり、Jリーグの下位チームとJリーグ準会員の上位チーム双方によるトーナメント戦によってJ1とJ2の振り分けを行う事となった。 具体的には、Jリーグ所属の18クラブとジャパンフットボールリーグ(旧JFL)所属クラブのうちJリーグへの参加を希望するクラブをJ1・16クラブ、J2・11クラブに振り分けるため、1997年と1998年のJリーグ順位から順位ポイント(98年度は97年度の倍)を算出し下位(14-18位)となった5クラブと、1998年のJFLで2位以内に入ったJリーグ準会員クラブが参加して、最大7クラブでJ1参入枠3つを争う予定だった。これは、Jリーグにおける初の実質的な入れ替え戦の導入を意味するものでもあった。 しかし、Jリーグ所属クラブの横浜フリューゲルスと横浜マリノスとが合併することによりクラブが1つ減少したため、Jリーグ側からのトーナメント参加が4クラブに減少(14位の京都パープルサンガが繰り上げでJ1参入決定戦免除)。一方、JFL側からは準会員2クラブのうち2位となった川崎フロンターレのみが参加条件を満たした(もう一つの準会員クラブだったブランメル仙台は7位に終わったため参加できず、次年度J2参入が決定)。この結果、ジェフユナイテッド市原(順位ポイント15位)、コンサドーレ札幌(同16位)、ヴィッセル神戸(同17位)、アビスパ福岡(同18位)、川崎フロンターレの計5クラブで3枠を争うことになった。 この順位ポイントの付け方については、Jリーグ18チームで唯一1997年の順位ポイントを持っていなかった札幌は、このシステムがなければ参入決定戦に回ることがなかった(1998年の成績は年間14位)ため、札幌サポーターの間にはこの「2年間の順位ポイント」システムに異論を唱える者が少なくなかった。
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J1参入決定戦(J1さんにゅうけっていせん)は、1999年に日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が2部制を導入するのに合わせ、Jリーグ ディビジョン1(J1)とJリーグ ディビジョン2(J2)のクラブを振り分けるために1998年11月から12月まで実施されたトーナメント戦。 Jリーグ公式記録サイト「J.LEAGUE Data Site」では、一連の対戦を「第3参入クラブ決定戦」と表記している。
{{混同|J1参入プレーオフ|x1=2018年から行われている}} {{国際サッカー大会 |大会名 = J1参入決定戦 |画像 = |開始年 = 1998 |終了年 = 1998 |主催 = [[日本プロサッカーリーグ (法人)|社団法人日本プロサッカーリーグ]] |参加チーム数 = 5 |国 = |前回優勝 = |最多優勝 = |サイト = |備考 = }} '''J1参入決定戦'''(J1さんにゅうけっていせん)は、[[1999年]]に[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)が2部制を導入するのに合わせ、[[J1リーグ|Jリーグ ディビジョン1]](J1)と[[J2リーグ|Jリーグ ディビジョン2]](J2)のクラブを振り分けるために[[1998年]]11月から12月まで実施されたトーナメント戦。 Jリーグ公式記録サイト「J.LEAGUE Data Site」では、一連の対戦を「'''第3参入クラブ決定戦'''」と表記している。 == 概要 == {{see also|ジャパンフットボールリーグ#歴史|Jリーグ準会員制度}} Jリーグは1993年の発足以来、[[日本プロサッカーリーグ (法人)|社団法人日本プロサッカーリーグ]]の当初の予想を上回る勢いで規模を拡大していった。10クラブで発足したリーグは、5年間で当初上限と考えていた16クラブを越え、1997年の時点で17クラブまで数を拡大し、さらに参入を希望するクラブが相次ぐ状況であった。加えて、実質的な下部リーグであった[[ジャパンフットボールリーグ]](旧JFL)は「Jリーグ参入を希望するクラブ」「アマチュアを堅持するクラブ」が混在する状況であった。 そこで日本プロサッカーリーグは当初の予定を早めてJリーグの2部リーグ化を決断。旧JFLを、Jリーグ(プロリーグ)の正式な下位リーグである[[J2リーグ|Jリーグ ディビジョン2]](J2)と、アマチュアリーグの最高峰である[[日本フットボールリーグ]](新JFL)に改組することとなった。その際に、日本プロサッカーリーグは、当時のJリーグが適正数と考えていた16クラブより多かったこともあり、Jリーグの下位チームと[[Jリーグ準会員制度|Jリーグ準会員]]の上位チーム双方によるトーナメント戦によってJ1とJ2の振り分けを行う事となった。 具体的には、Jリーグ所属の18クラブと[[ジャパンフットボールリーグ]](旧JFL)所属クラブのうちJリーグへの参加を希望するクラブをJ1・16クラブ、J2・11クラブに振り分けるため、[[1997年]]と[[1998年]]のJリーグ順位から[[#順位ポイントの付け方|順位ポイント(98年度は97年度の倍)]]を算出し下位(14-18位)となった5クラブと、[[1998年のJFL]]で2位以内に入ったJリーグ準会員クラブが参加して、最大7クラブでJ1参入枠3つを争う予定だった。これは、Jリーグにおける初の実質的な[[入れ替え戦]]の導入を意味するものでもあった。 しかし、Jリーグ所属クラブの[[横浜フリューゲルス]]と[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]]とが合併することによりクラブが1つ減少したため、Jリーグ側からのトーナメント参加が4クラブに減少(14位の[[京都サンガF.C.|京都パープルサンガ]]が繰り上げでJ1参入決定戦免除)。一方、JFL側からは準会員2クラブのうち2位となった[[川崎フロンターレ]]のみが参加条件を満たした(もう一つの準会員クラブだった[[ベガルタ仙台|ブランメル仙台]]は7位に終わったため参加できず、次年度J2参入が決定)。この結果、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]](順位ポイント15位)、[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]](同16位)、[[ヴィッセル神戸]](同17位)、[[アビスパ福岡]](同18位)、川崎フロンターレの計5クラブで3枠を争うことになった。 === 順位ポイントの付け方 === *1997年度は参加17チームの年間順位により1位17点、2位16点、3位15点…以下1点ずつ減点し、17位は1点をそれぞれ加算。但し、この年のセカンドステージは[[サッカー日本代表|日本代表選手]]が同時期に開催された[[1998 FIFAワールドカップ|ワールドカップフランス大会]]・アジア最終予選に拘束された関係上、リーグ戦の通常の勝ち点とは別に、順位ポイント用の特別勝ち点として代表に拘束された選手1名分に付き0.1点の勝ち点を計上し、修正した上で順位ポイントを算定した。 *1998年度は同じく年間順位1位に36点、2位34点、3位32点…以下2点ずつ減点し、18位は2点をそれぞれ加算。[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]はこの年JFLから昇格したためこのシーズンの順位ポイントのみが対象となった。 この順位ポイントの付け方については、Jリーグ18チームで唯一1997年の順位ポイントを持っていなかった札幌は、このシステムがなければ参入決定戦に回ることがなかった(1998年の成績は年間14位)ため、札幌サポーターの間にはこの「2年間の順位ポイント」システムに異論を唱える者が少なくなかった。 === 順位ポイントに基づく順位 === {| class="wikitable" style="text-align:center" !順位||チーム||97||98||合計||備考 |- |1||[[ジュビロ磐田]]||17||36||'''53'''|| |- |2||[[鹿島アントラーズ]]||16||34||'''50'''|| |- |3||[[清水エスパルス]]||13||32||'''45'''|| |- style="background-color:#FFCCCC;" |4||[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]]||15||30||'''45'''||横浜Fと合併 |- |5||[[名古屋グランパスエイト]]||9||28||'''37'''|| |- style="background-color:#FFCCCC;" |6||[[横浜フリューゲルス]]||12||24||'''36'''||横浜Mと合併 |- |7||[[浦和レッドダイヤモンズ]]||8||26||'''34'''|| |- |8||[[柏レイソル]]||11||22||'''33'''|| |- |9||[[セレッソ大阪]]||7||20||'''27'''|| |- |10||[[湘南ベルマーレ]]||10||16||'''26'''|| |- |11||[[サンフレッチェ広島]]||6||18||'''24'''|| |- |12||[[ガンバ大阪]]||14||8||'''22'''|| |- |13||[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ川崎]]||4||14||'''18'''|| |- |14||[[京都サンガF.C.|京都パープルサンガ]]||3||12||'''15'''||横浜Mと横浜Fの合併により、 繰り上げで参入決定戦出場回避 |- style="background-color:#FFE6E6;" |'''15'''||[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]]||5||6||'''11'''|| rowspan="4" |参入決定戦出場 |- style="background-color:#FFE6E6;" |'''16'''||[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]||-||10||'''10''' |- style="background-color:#FFE6E6;" |'''17'''||[[ヴィッセル神戸]]||2||4||'''6''' |- style="background-color:#FFE6E6;" |'''18'''||[[アビスパ福岡]]||1||2||'''3''' |} === 1998年のJFL年間順位 === {| class="wikitable" style="text-align:center;" |- !順位!! クラブ名 |- |1||[[東京ガスサッカー部|東京ガス]] |- style="background-color:#D0F0C0;" |'''2'''||'''[[川崎フロンターレ]]''' |- |3||[[モンテディオ山形]] |- |4||[[ヴァンフォーレ甲府]] |- |5||[[Honda FC|本田技研]] |- |6||[[大分トリニータ|大分FC]] |- |7||'''[[東北電力サッカー部|ブランメル仙台]]''' |} * 関連する部分のみ。なお、'''太字'''のクラブはJリーグ準会員クラブである。 == レギュレーション == * 1回戦はJFLからの参加チームとJリーグ下位のチームとの対戦となり、Jリーグチームのホームスタジアムにおける1試合勝負。完全決着方式(90分で決着しない場合は[[ゴールデンゴール|Vゴール]]方式の延長戦、延長戦でも決着しない場合は[[PK戦]])を採用し、勝者が2回戦へ、敗者がJ2参入。 * 2回戦は1回戦勝利チームと、1回戦に参加しなかったJリーグチームとの対戦となり、[[ホーム・アンド・アウェー]]の2回戦制。各試合とも完全決着方式を採用し、2試合の勝ち点(90分勝利で勝ち点3、延長Vゴール勝ちで勝ち点2、PK戦勝ちで勝ち点1、敗戦はいずれも勝ち点0)の多い方が勝者となりJ1参入決定。 * 2回戦で敗れたチーム同士が「第3参入クラブ決定戦」を戦う。2回戦と同じレギュレーションを採用し、勝者がJ1参入決定、敗者がJ2参入。 == 結果 == === 1回戦 === {{main|J1参入決定戦1回戦}} {{Footballbox collapsible |date = [[1998年]][[11月19日]] |number = |event = |round = |time = 19:05 |team1 = [[アビスパ福岡]]<br/>(J・18位) |score = 3 - 2 |aet = yes |report = [https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=4392 公式記録] |team2 = [[川崎フロンターレ]]<br />(JFL・2位) |goals1 = [[久藤清一]] {{goal|24}}<br />[[山下芳輝]] {{goal|89}}<br />[[フェルナンド・エンリケ・マリアーノ|フェルナンド]] {{golden goal|104}} |goals2 = [[伊藤彰 (サッカー選手)|伊藤彰]] {{goal|17}}<br />[[リボニール・ルッシェル|ツゥット]] {{goal|61}} |stadium = [[東平尾公園博多の森球技場]] |attendance = 12,535人 |referee = {{仮リンク|アルフレド・ロダス|nl|Alfredo Rodas}} }} * 1試合勝負で行われ、福岡が延長[[ゴールデンゴール|Vゴール]]で勝利し2回戦に進出。敗れた川崎の次年度のJ2への参入が決定。 === 2回戦 === {{Footballbox collapsible |date = [[1998年]][[11月22日]] |number = |event = |round = 第1戦 |time = 19:01 |team1 = [[ヴィッセル神戸]]<br />(J・17位) |score = 2 - 1 |aet = |report = [https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=4394 公式記録] |team2 = [[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]<br />(J・16位) |goals1 = [[永島昭浩]] {{goal|34|pen.}}<br />[[海本慶治]] {{goal|41}} |goals2 = [[棚田伸]] {{goal|50}} |stadium = [[神戸総合運動公園ユニバー記念競技場]] |attendance = 14,613人 |referee = [[布瀬直次]] }} {{Footballbox collapsible |date = [[1998年]][[11月26日]] |number = |event = |round = 第2戦 |time = 12:04 |team1 = コンサドーレ札幌 |score = 0 - 2 |aet = |report = [https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=4396 公式記録] |team2 = ヴィッセル神戸 |goals1 = |goals2 = [[トマス・ソブレペラ|トーマス]] {{goal|48}}<br />[[和多田充寿]] {{goal|89}} |stadium = [[室蘭市入江運動公園陸上競技場]] |attendance = 4,525人 |referee = {{仮リンク|アルフレド・ロダス|nl|Alfredo Rodas}} }} * 神戸の2勝0敗(勝ち点6-0)で神戸の次年度のJ1への参入が決定。敗れた札幌は第3参入クラブ決定戦へ。 {{Footballbox collapsible |date = [[1998年]][[11月22日]] |number = |event = |round = 第1戦 |time = 15:01 |team1 = アビスパ福岡 |score = 0 - 2 |aet = |report = [https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=4393 公式記録] |team2 = [[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]]<br />(J・15位) |goals1 = |goals2 = [[武田修宏]] {{goal|65}}<br />[[アーノルド・スコルテン|スコルテン]] {{goal|76}} |stadium = 東平尾公園博多の森球技場 |attendance = 12,300人 |referee = [[レスリー・モットラム]] }} {{Footballbox collapsible |date = [[1998年]][[11月26日]] |number = |event = |round = 第2戦 |time = 19:05 |team1 = ジェフユナイテッド市原 |score = 2 - 1 |aet = |report = [https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=4395 公式記録] |team2 = アビスパ福岡 |goals1 = [[鈴木隆行]] {{goal|49}}<br />[[酒井友之]] {{goal|60}} |goals2 = [[森秀昭]] {{goal|63}} |stadium = [[市原緑地運動公園臨海競技場]] |attendance = 10,703人 |referee = [[太田潔]] }} * 市原の2勝0敗(勝ち点6-0)で市原の次年度のJ1への参入が決定。敗れた福岡は第3参入クラブ決定戦へ。 === 第3参入クラブ決定戦 === {{Footballbox collapsible |date = [[1998年]][[12月2日]] |number = |event = |round = 第1戦 |time = 19:04 |team1 = アビスパ福岡 |score = 1 - 0 |aet = |report = [https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=4397 公式記録] |team2 = コンサドーレ札幌 |goals1 = [[上野優作]] {{goal|61}} |goals2 = |stadium = 東平尾公園博多の森球技場 |attendance = 12,526人 |referee = {{仮リンク|アルフレド・ロダス|nl|Alfredo Rodas}} }} {{Footballbox collapsible |date = [[1998年]][[12月5日]] |number = |event = |round = 第2戦 |time = 12:04 |team1 = コンサドーレ札幌 |score = 0 - 3 |aet = |report = [https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=4398 公式記録] |team2 = アビスパ福岡 |goals1 = |goals2 = [[上野優作]] {{goal|52}}<br />[[フェルナンド・エンリケ・マリアーノ|フェルナンド]] {{goal|84}}<br />[[石丸清隆]] {{goal|89}} |stadium = 室蘭市入江運動公園陸上競技場 |attendance = 8,372人 |referee = [[レスリー・モットラム]] }} * 福岡の2勝0敗(勝ち点6-0)で福岡の次年度のJ1への参入が決定。また敗れた札幌の次年度のJ2への参入が決定。 == 参考資料 == *{{Cite web|和書|url=http://www.nishinippon.co.jp/media/A-3000/9806/avispa/98kiji/98sannyu1.html|title=1998年 Jリーグ アビスパ福岡 一部参入決定戦特集|publisher=[[西日本新聞社]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120928202852/http://www.nishinippon.co.jp/media/A-3000/9806/avispa/98kiji/98sannyu1.html|archivedate=2012-09-28|accessdate=2015-01-07}} == 関連項目 == * [[J1・J2入れ替え戦]] - 2004年から2008年に実施された入れ替え戦 * [[J1昇格プレーオフ]] - 2012年から2017年まで実施されていた。J2リーグの年間3-6位(原則)のチームが、J1昇格の第3の枠を争う大会。 * [[1997年のJリーグ]]、[[1998年のJリーグ]]、[[第7回ジャパンフットボールリーグ]] {{日本プロサッカーリーグ}} {{DEFAULTSORT:J1さんにゆうけつていせん}} [[Category:Jリーグの歴史]] [[Category:1998年の日本のサッカー]] [[Category:北海道コンサドーレ札幌]] [[Category:ジェフユナイテッド市原・千葉]] [[Category:川崎フロンターレの試合]] [[Category:ヴィッセル神戸]] [[Category:アビスパ福岡]] [[Category:1998年11月]] [[Category:1998年12月]]
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中学校
中学校(ちゅうがっこう、英語: Junior High School)は、日本における中等普通教育を施す学校である。修業年限は3年間で、小学校の6年間とあわせ9年間の義務教育を構成する。就学については原則として満12歳となった最初の4月1日を基準とする年齢主義がとられている。 日本の教育では、中学校は小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、義務教育として行われる普通教育を施すことを目的とする(学校教育法第45条)。ISCED-3レベルに位置づけられる。 小学校を卒業した者、または特別支援学校の小学部を修了した者が入学し、修業年限は3年間である。同等学校に中等教育学校の前期課程、特別支援学校の中学部がある。 小学校では、基本的に1人の学級担任の教員がほぼ全部の教科を担当するが、中学校では、各教科ごとに専門の教員が担当する教科担任制である。 多くの学校では定期考査があり(定期考査を行わずに単元別の試験などを行う学校もある)、その成績と日常における学習の様子などが進学時の調査書(内申書)に反映される。中学校を卒業した人は、高等学校(高校)・中等教育学校の後期課程・専修学校高等課程(いわゆる高等専修学校)など後期中等教育を行う学校や、5年制の高等教育機関である高等専門学校(高専)に入学することができる。通例、各学校による入学者選抜に合格することによって各学校から個別に入学が許可される。また、中学校を卒業しなかった人のために、文部科学省による中学校卒業程度認定試験(中認)などが存在する。 私立中学校、国立中学校の大部分と、一部の公立中学校(主に中高一貫校)には、入学試験をはじめとする入学者選抜がある(中学受験)。 現在の中学校制度は、1947年(昭和22年)4月に開始された。開始時から3学年の生徒が揃ったが、1947年当初、区市町村立中学校で該当学齢児童の就学が義務付けられたのは1年生のみで、当時、2年生は就学義務のなかった国民学校高等科1年生からの進級者、3年生は国民学校高等科修了者のうちの希望者の編入で、該当学齢児童が義務就学するようになったのは、2年後の1949年である。 この意味で、現在の中学校制度に相当する学校は、旧制(第二次世界大戦前・戦中)の学校制度には存在しなかった。 1947年の開始時点では、校舎・敷地は小学校のもの(特に旧国民学校高等科の教室)をそのまま用いたり、旧青年学校の校舎・校地を転用したりしたことも多かった。また戦災(日本本土空襲)を受けた都市の場合は当初は焼け跡で授業が行われ、その後の戦災復興計画の中で校舎・敷地を得た例もある。さらに、軍用地・軍需工場などが転用されたケースや、1948年頃に実施された高校三原則による高校再編で空きになった旧制中等教育学校の校舎・校地を転用したケースも存在した。なお、現在の公立中学校設立にあたり、校舎の建設などに地元の人たちの多大な協力を得た例も多い。また、これらとは別に、国立師範学校の附属国民学校の高等科や、私立校や国立校で旧制中等教育学校だった学校で、1947年に現行制度の中学校を新たに設置した学校も少なくない。 服装はほとんどの場合、学校指定の制服と体操着があり、それを着用して登下校したり学校生活を送る。さらに地域や学校によっては名札を着用するところもある。その制服には、あまりデザイン性や機能性などは求められない。この意味で、同じ義務教育であっても一部の地域や学校でしか制服制度のない小学校や、義務教育でないが、同じく中等教育機関に位置しているが、制服制度を持たない学校も存在し、また存在する場合は制服にデザイン性や機能性などを求める傾向の強い高等学校とは違いが見られる。 2021年5月1日時点で学校教育法に基づく中学校は10,076校あり、そのうち、国立68校、公立9,230校、私立778校。在校生は総数3,229,697人、男子1,651,765人、女子1,577,932人である。 なお、私立学校のうち、構造改革特別区域法による認定を受け、株式会社立の朝日塾中学校(岡山県岡山市)が2004年に設置されたが、2011年3月をもって同校は中等教育学校に改組され、発展的廃止された。2011年時点までに、株式会社による中学校が設置された例は、この朝日塾中学校の1校のみである。 2020年5月1日時点で248,254人 中学校における教育は、学校教育法(昭和22年法律第26号)の第46条により、義務教育として行われる普通教育の目標(学校教育法第21条各号に掲げる目標)を達成するように行われるものとされている。 平成19年法律第98号(2008年〔平成20年〕4月1日施行)による学校教育法の改正前は、同法の第36条に、中学校における教育の目標が次のように規定されていた。 改正前の中学校における教育の目標は、高等学校における教育の目標と連携関係にあった。 学校教育法施行規則に基づき、中学校の教育課程は、必修教科、選択教科、道徳教育、特別活動、総合的な学習の時間によって編成されている。私立学校では、道徳に代えて宗教を設けることもできる。 通常の学級とは、障がいのない生徒を主として編成される学級のことであり、特別支援学級とは、障がいのある生徒のために編成される学級のことである。多くの生徒は、通常の学級に所属するが、知的障がいや発達障がい(通級も含む)などの障がいがある生徒は、特殊学級(2007年以降は特別支援学級に名称変更)に所属することもある(詳しくは、「特別支援学級」を参照のこと)。 単式学級とは、一つの学年だけが所属する学級であり、複式学級とは、二学年以上が所属する学級である。大多数の学級は単式学級だが、学齢期の人口が少ない過疎地などでは複式学級も見られる。 一部の中学校では、主に帰国生徒などを対象に国際学級・帰国者学級・帰国生徒学級などの名称の学級で語学力に配慮した授業を行っている。 夜間学級は下記を参照。 一般的な中学校では、月曜日から金曜日または土曜日に、朝から午後まで5~7時間の授業が行われ、ほぼ全ての学齢期の中学生は、この時間帯に学習活動を行う。一般的な特徴は、制服の学校が多い、若年の生徒が多い、就労している生徒がほとんどいないなどの点があげられる。高等学校の用語でいえば、全日制の課程に相当する。 しかし、学齢超過者(4月1日時点で15歳以上の人)は、このような一般的な教育を受けることが困難であることが多く、学齢期の生徒が在学する一般的な中学校に新入学・編入学しようとしても拒否される場合もある(詳しくは、「学齢」「過年度生」を参照)。 二部授業とは、学校に在学する生徒を複数の組に分けて、別々の時間帯で授業を行うことである。学校教育法施行令(昭和28年政令第340号)の第25条(市町村立小中学校等の設置廃止等についての届出)の第5号を根拠としている。中学校における夜間の授業(夜学)は、各学校において「夜間中学」、「夜間部」、「夜間学級」などと名称が定められ、夜間中学(校)などとも通称されることが多い。校舎などの学校施設が、在学する生徒数に対して極端に不足している場合などに行われることもあるが、現代社会では昼間に通学して学習することが困難である人のために、夜間にも授業を行うことを指すことが多い。 夜間の授業を受けるための入学資格を定めた法令等は存在しないものの、義務教育を修了していない人であり、かつ学齢を超過している人(満15歳に達した日以後に4月1日を迎えている人)である事が、実質的な夜間の授業を受ける要件とされていたが、2015年の文部科学省の通知により、ほとんど出席せず卒業した者も個別に判断して夜間中学校に入ることができるようになった。外国人労働者が増えたことにより日本の教育を受ける外国人の入学者を認めている自治体(学校)もある。昼間は不登校の中学生が学べる場として自主的に設けられている夜間中学があるほか、2022年度に開校した香川県にある三豊市立高瀬中学校夜間学級が、文部科学省から不登校特例校の指定を公立夜間中学では初めて受けて、市内外から中学生を含めた生徒を受け入れている。 2022年の時点で、夜間の授業を行う学校の数は40校、2021年の生徒数は1393人であるが、夜間の授業に積極的な設置者(教育委員会、学校法人など)が、東京圏、大阪圏に集中しているため、中学校の正規の授業として認可を受けていない「自主夜間中学」が日本全国の20校ほどの中学校と有志で運営されてきた。こうした状況を打開するため、義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律(平成28年12月14日公布)では、未設置の道府県にも夜間の授業を行う中学校を最低1校設置して、就学の機会を提供することがうたわれ、例えば、夜間の授業を行う中学校を設置していなかった埼玉県で、2019年(平成31年)4月1日に川口市立芝西中学校陽春分校に県下全域を対象とした夜間学級が設置された。 中学校における夜間の授業は、『暮しの手帖』のように取り上げる雑誌もあったものの、1993年に上映された山田洋次監督の映画『学校』が話題となるまで、世間全般への認知度は高いものではなかった。 夜間の授業は、二部授業(時間帯別に生徒を分けた授業)として認可されているため、夜間に授業を行う中学校は、通例、昼間にも授業を行っている。使用する校舎や教室は該当する中学校を使用する他に、近隣の小学校の空き教室や公的施設を使用する例もある。 夜間の授業は、夕方5時30分頃から授業が開始され、夜9時頃に終わる、4時限の課程である。 夜間の授業を受けている人には、外国籍、戦後の混乱期に勉強の機会を得られなかった高齢者、不登校など、ほとんど文字の読み書きができない成年の生徒も多く、そういった学齢超過者は、日本の現在の受け入れ態勢のもとでは小学校に入学することが困難であるため、中学校における夜間の授業は、日本語教室、日本語学校、識字教室、小学校の代替としての役割も果たすともいわれている。また、授業時間は、昼間の授業よりも少ないことが多く、授業は、「中学校学習指導要領」(文部科学省告示)を完全に模倣することが難しい。そのため、国語、数学のように、日常生活の基本となる教科が重視され、それ以外の教科や実技教科(保健体育など)に割り当てられる時間数は少ない。生まれて初めて鉛筆を持つ人から、中学校に途中まで在学した人までの幅広い生徒が在籍し、生徒間の学力の差が大きいため、習熟度別授業を行っている事が多い。また、制服はない場合が多い。夜間の授業を受ける場合は、年間を通して随時入学できる。 元々、中学校における夜間の授業は、第二次世界大戦降伏後の混乱期の中で、生活困窮などの理由から昼間に就労または家事手伝いなどを余儀なくされた学齢者が多くいたことから、それらの人に教育の機会を提供する事を目的として中学校で行われたものである。当時は、「夕間学級」などとも呼ばれた。高等学校の「定時制の課程」とは異なり、夜間に授業を行うための特別の「課程」の制度はない。 なお、旧制中学校にも夜間の課程は存在していたが、これは現在の夜間中学とは系統が異なり、新制高校の定時制課程の起源として見られることが多い。戦前の旧制学校のうち、現在の中学夜間学級に近い例としては、板橋区に存在した板橋尋常夜学校等の夜間小学校や夜間に授業を行った日本各地の実業補習学校が挙げられる。 1947年の学制改革の直後、大阪市生野区で長期欠席生徒向けの夕方の補習授業「夕間学級」が開始された。また東京都の戦後初めての夜間学級は、1951年に足立区立第四中学校で開設されたものである。同校の伊藤泰治校長らは、足立区周辺に広がるスラム街のうち、学校に近い所を回って夜間学級を宣伝し、当初はわずかな人数しか集まらなかったものの、やがて300人程度の生徒を抱えるようになった。 未就学児を学校に行かせる事は、その家庭にとっての労働力を失う等、スラム街の貧困状況を物語る背景が大きくあった。当時の文部省は夜間中学設立に対して阻止の圧力をかけるなど、夜間中学設立に関しては伊藤泰治校長らの相当な苦労と熱意が無ければ成しえなかったであろう。 夜間学級の設置校のピークは1954年の87校であり、生徒数のピークは1955年の5208人である。大阪では1969年に最初の夜間学級が大阪市立天王寺中学校に開設された。 そのあと一時期は、「夜間の授業はあくまで臨時の措置であり、学校教育法そのものが想定しているものではない」「学齢超過者は学校教育ではなく社会教育で学ぶべきである」という趣旨で、教育行政において縮小・廃止の検討がされ、1968年には校数21校・生徒数416人に減少した。これに対し夜間中学卒業生の高野雅夫などの教育活動家が、廃止反対・設置要求の運動や、証言映画の上映をするなどの熱心な支援をしたため、夜間中学校は息を吹き返し、現在までも存続している。近年は、日本国籍を有していない生徒や、元不登校の生徒も増えてきている。第二次世界大戦降伏後しばらく、特に1955年から10年間ほどは、学齢期の生徒も多く通学していたが、学齢期のこどもの不正な労働の防止を目的として、現在では、学齢超過者のみに通学が制限されている。 日本全国の夜間中学校設置状況は以下の通り。 開校予定(名称未定も含む) 検討中 中学校も一定の条件下で、「通信による教育」(通信教育)を行うことができる。中学校の通信教育は、「中学校通信制」や「通信制中学校」と呼ばれることもある。中学校の通信教育は、「尋常小学校の卒業者もしくは国民学校初等科(現在の小学校に当たる)の卒業者であり、かつ、義務教育を修了していない者」でないと受けることができないというのが基本だが、現代では学齢超過者も在籍している。 日本では、第二次世界大戦降伏後、義務教育年限が従来の6年間から9年間に延長されたが、これに伴い昭和時代前期までに義務教育だけを修了した人は、新制度においては義務教育未修了となり新制高等学校に入学する資格がない。中学校通信教育は、そのいわば救済措置として設けられたものである。法的な根拠は、学校教育法の附則第8条(旧第105条)であり、「中学校は、当分の間、尋常小学校卒業者及び国民学校初等科修了者に対して、通信による教育を行うことができる。」とされている。この規定に基づいて中学校通信教育規程(昭和22年文部省令第25号)が定められている。夜間の授業と違い、法律によって定められているのが特徴である。 通信教育を行っている中学校、フリースクールの中等部がある学校は夜間の授業以上に一般的に知られておらず、学校教員でも知っていない場合が多い。 上級学校への進学者が大多数である。1980年代以降は常に進学者が90%を超えているが、2019年時点においても非進学者は数%存在する。 以下のように国立・私立中学校では就職者が極めて少ない。 2019年度卒業時の学校基本調査。高校以外への進学者などの詳細は省いた。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "中学校(ちゅうがっこう、英語: Junior High School)は、日本における中等普通教育を施す学校である。修業年限は3年間で、小学校の6年間とあわせ9年間の義務教育を構成する。就学については原則として満12歳となった最初の4月1日を基準とする年齢主義がとられている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "日本の教育では、中学校は小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、義務教育として行われる普通教育を施すことを目的とする(学校教育法第45条)。ISCED-3レベルに位置づけられる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "小学校を卒業した者、または特別支援学校の小学部を修了した者が入学し、修業年限は3年間である。同等学校に中等教育学校の前期課程、特別支援学校の中学部がある。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "小学校では、基本的に1人の学級担任の教員がほぼ全部の教科を担当するが、中学校では、各教科ごとに専門の教員が担当する教科担任制である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "多くの学校では定期考査があり(定期考査を行わずに単元別の試験などを行う学校もある)、その成績と日常における学習の様子などが進学時の調査書(内申書)に反映される。中学校を卒業した人は、高等学校(高校)・中等教育学校の後期課程・専修学校高等課程(いわゆる高等専修学校)など後期中等教育を行う学校や、5年制の高等教育機関である高等専門学校(高専)に入学することができる。通例、各学校による入学者選抜に合格することによって各学校から個別に入学が許可される。また、中学校を卒業しなかった人のために、文部科学省による中学校卒業程度認定試験(中認)などが存在する。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "私立中学校、国立中学校の大部分と、一部の公立中学校(主に中高一貫校)には、入学試験をはじめとする入学者選抜がある(中学受験)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "現在の中学校制度は、1947年(昭和22年)4月に開始された。開始時から3学年の生徒が揃ったが、1947年当初、区市町村立中学校で該当学齢児童の就学が義務付けられたのは1年生のみで、当時、2年生は就学義務のなかった国民学校高等科1年生からの進級者、3年生は国民学校高等科修了者のうちの希望者の編入で、該当学齢児童が義務就学するようになったのは、2年後の1949年である。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "この意味で、現在の中学校制度に相当する学校は、旧制(第二次世界大戦前・戦中)の学校制度には存在しなかった。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1947年の開始時点では、校舎・敷地は小学校のもの(特に旧国民学校高等科の教室)をそのまま用いたり、旧青年学校の校舎・校地を転用したりしたことも多かった。また戦災(日本本土空襲)を受けた都市の場合は当初は焼け跡で授業が行われ、その後の戦災復興計画の中で校舎・敷地を得た例もある。さらに、軍用地・軍需工場などが転用されたケースや、1948年頃に実施された高校三原則による高校再編で空きになった旧制中等教育学校の校舎・校地を転用したケースも存在した。なお、現在の公立中学校設立にあたり、校舎の建設などに地元の人たちの多大な協力を得た例も多い。また、これらとは別に、国立師範学校の附属国民学校の高等科や、私立校や国立校で旧制中等教育学校だった学校で、1947年に現行制度の中学校を新たに設置した学校も少なくない。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "服装はほとんどの場合、学校指定の制服と体操着があり、それを着用して登下校したり学校生活を送る。さらに地域や学校によっては名札を着用するところもある。その制服には、あまりデザイン性や機能性などは求められない。この意味で、同じ義務教育であっても一部の地域や学校でしか制服制度のない小学校や、義務教育でないが、同じく中等教育機関に位置しているが、制服制度を持たない学校も存在し、また存在する場合は制服にデザイン性や機能性などを求める傾向の強い高等学校とは違いが見られる。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "2021年5月1日時点で学校教育法に基づく中学校は10,076校あり、そのうち、国立68校、公立9,230校、私立778校。在校生は総数3,229,697人、男子1,651,765人、女子1,577,932人である。", "title": "年齢・学齢" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "なお、私立学校のうち、構造改革特別区域法による認定を受け、株式会社立の朝日塾中学校(岡山県岡山市)が2004年に設置されたが、2011年3月をもって同校は中等教育学校に改組され、発展的廃止された。2011年時点までに、株式会社による中学校が設置された例は、この朝日塾中学校の1校のみである。", "title": "年齢・学齢" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2020年5月1日時点で248,254人", "title": "教員数" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "中学校における教育は、学校教育法(昭和22年法律第26号)の第46条により、義務教育として行われる普通教育の目標(学校教育法第21条各号に掲げる目標)を達成するように行われるものとされている。", "title": "教育の目標" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "平成19年法律第98号(2008年〔平成20年〕4月1日施行)による学校教育法の改正前は、同法の第36条に、中学校における教育の目標が次のように規定されていた。", "title": "教育の目標" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "改正前の中学校における教育の目標は、高等学校における教育の目標と連携関係にあった。", "title": "教育の目標" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "学校教育法施行規則に基づき、中学校の教育課程は、必修教科、選択教科、道徳教育、特別活動、総合的な学習の時間によって編成されている。私立学校では、道徳に代えて宗教を設けることもできる。", "title": "教育課程" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "通常の学級とは、障がいのない生徒を主として編成される学級のことであり、特別支援学級とは、障がいのある生徒のために編成される学級のことである。多くの生徒は、通常の学級に所属するが、知的障がいや発達障がい(通級も含む)などの障がいがある生徒は、特殊学級(2007年以降は特別支援学級に名称変更)に所属することもある(詳しくは、「特別支援学級」を参照のこと)。", "title": "学級" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "単式学級とは、一つの学年だけが所属する学級であり、複式学級とは、二学年以上が所属する学級である。大多数の学級は単式学級だが、学齢期の人口が少ない過疎地などでは複式学級も見られる。", "title": "学級" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "一部の中学校では、主に帰国生徒などを対象に国際学級・帰国者学級・帰国生徒学級などの名称の学級で語学力に配慮した授業を行っている。", "title": "学級" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "夜間学級は下記を参照。", "title": "学級" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "一般的な中学校では、月曜日から金曜日または土曜日に、朝から午後まで5~7時間の授業が行われ、ほぼ全ての学齢期の中学生は、この時間帯に学習活動を行う。一般的な特徴は、制服の学校が多い、若年の生徒が多い、就労している生徒がほとんどいないなどの点があげられる。高等学校の用語でいえば、全日制の課程に相当する。", "title": "教育形態" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "しかし、学齢超過者(4月1日時点で15歳以上の人)は、このような一般的な教育を受けることが困難であることが多く、学齢期の生徒が在学する一般的な中学校に新入学・編入学しようとしても拒否される場合もある(詳しくは、「学齢」「過年度生」を参照)。", "title": "教育形態" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "二部授業とは、学校に在学する生徒を複数の組に分けて、別々の時間帯で授業を行うことである。学校教育法施行令(昭和28年政令第340号)の第25条(市町村立小中学校等の設置廃止等についての届出)の第5号を根拠としている。中学校における夜間の授業(夜学)は、各学校において「夜間中学」、「夜間部」、「夜間学級」などと名称が定められ、夜間中学(校)などとも通称されることが多い。校舎などの学校施設が、在学する生徒数に対して極端に不足している場合などに行われることもあるが、現代社会では昼間に通学して学習することが困難である人のために、夜間にも授業を行うことを指すことが多い。", "title": "教育形態" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "夜間の授業を受けるための入学資格を定めた法令等は存在しないものの、義務教育を修了していない人であり、かつ学齢を超過している人(満15歳に達した日以後に4月1日を迎えている人)である事が、実質的な夜間の授業を受ける要件とされていたが、2015年の文部科学省の通知により、ほとんど出席せず卒業した者も個別に判断して夜間中学校に入ることができるようになった。外国人労働者が増えたことにより日本の教育を受ける外国人の入学者を認めている自治体(学校)もある。昼間は不登校の中学生が学べる場として自主的に設けられている夜間中学があるほか、2022年度に開校した香川県にある三豊市立高瀬中学校夜間学級が、文部科学省から不登校特例校の指定を公立夜間中学では初めて受けて、市内外から中学生を含めた生徒を受け入れている。", "title": "教育形態" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "2022年の時点で、夜間の授業を行う学校の数は40校、2021年の生徒数は1393人であるが、夜間の授業に積極的な設置者(教育委員会、学校法人など)が、東京圏、大阪圏に集中しているため、中学校の正規の授業として認可を受けていない「自主夜間中学」が日本全国の20校ほどの中学校と有志で運営されてきた。こうした状況を打開するため、義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律(平成28年12月14日公布)では、未設置の道府県にも夜間の授業を行う中学校を最低1校設置して、就学の機会を提供することがうたわれ、例えば、夜間の授業を行う中学校を設置していなかった埼玉県で、2019年(平成31年)4月1日に川口市立芝西中学校陽春分校に県下全域を対象とした夜間学級が設置された。", "title": "教育形態" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "中学校における夜間の授業は、『暮しの手帖』のように取り上げる雑誌もあったものの、1993年に上映された山田洋次監督の映画『学校』が話題となるまで、世間全般への認知度は高いものではなかった。", "title": "教育形態" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": 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中学校は、日本における中等普通教育を施す学校である。修業年限は3年間で、小学校の6年間とあわせ9年間の義務教育を構成する。就学については原則として満12歳となった最初の4月1日を基準とする年齢主義がとられている。
{{otheruseslist|日本の学校教育法第1条の学校のうち、前期中等教育を行う3年制の学校|各国の中等教育機関|中等教育|日本の学制改革前の[[中学校令]]による旧制中等教育機関|旧制中学校|[[アメリカ合衆国]]などの中等教育機関(Middle School)|ミドルスクール|}} {{Redirect|中学|中国・台湾における後期中等教育を行う学校|高級中学}} {{Dablink|「[[中学部]]」とは異なる場合があります。}} '''中学校'''(ちゅうがっこう、{{Lang-en|Junior High School}}<ref name="Lower Secondary Education in Japan">{{PDFlink|[http://www.nier.go.jp/English/educationjapan/pdf/201203LSJ.pdf Lower Secondary Education in Japan]}} [[国立教育政策研究所]](2018年月14日閲覧)</ref>)は、[[日本]]における[[中等教育|中等普通教育]]を施す[[学校]]である。[[修業年限]]は3年間で、小学校の6年間とあわせ9年間の[[義務教育]]を構成する。就学については原則として満12歳となった最初の4月1日を基準とする年齢主義がとられている<ref name="Lower Secondary Education in Japan" />。 [[画像:SagaKohokujuniorhighschool.JPG|250px|thumb|日本の一般的な中学校(写真は[[佐賀県]][[江北町]]にある江北中学校)]] == 概要 == [[画像:Musashino 1st Junior High-School.jpg|250px|thumb|中学校と[[桜]]]] {{See also|日本における学校|日本の中学校一覧}} [[日本の教育]]では、中学校は[[小学校]]における[[教育]]の基礎の上に、心身の発達に応じて、[[義務教育]]として行われる[[普通教育]]を施すことを目的とする([[学校教育法]]第45条)。[[ISCED]]-3レベルに位置づけられる<ref name="unesco">{{Cite web |author=UNESCO |title=Japan ISCED mapping |url=http://www.uis.unesco.org/Education/ISCEDMappings/Documents/East%20Asia%20and%20the%20Pacific/Japan_ISCED_mapping.xls |year=2008 |accessdate=2015-10-31}}</ref>。 小学校を[[卒業]]した者、または[[特別支援学校]]の小学部を[[修了]]した者が[[入学]]し、[[修業年限]]は3年間である。同等学校に[[中等教育学校]]の前期課程、特別支援学校の中学部がある。 小学校では、基本的に1人の[[学級担任]]の[[教員]]がほぼ全部の[[教科]]を担当するが、中学校では、各教科ごとに専門の教員が担当する[[教科担任]]制である。 多くの学校では[[定期考査]]があり(定期考査を行わずに[[単元]]別の試験などを行う学校もある)、その成績と日常における学習の様子などが進学時の[[調査書 (進学と就職)|調査書(内申書)]]に反映される。中学校を卒業した人は、[[高等学校]](高校)・[[中等教育学校]]の後期課程・[[専修学校高等課程]](いわゆる高等専修学校)など後期[[中等教育]]を行う学校や、5年制の[[高等教育]]機関である[[高等専門学校]](高専)に入学することができる。通例、各学校による[[入学試験|入学者選抜]]に合格することによって各学校から個別に入学が許可される。また、中学校を卒業しなかった人のために、文部科学省による[[就学義務猶予免除者等の中学校卒業程度認定試験|中学校卒業程度認定試験]](中認)などが存在する。 [[私立学校|私立]]中学校、[[国立学校|国立]]中学校の大部分と、一部の[[公立学校|公立]]中学校(主に[[日本の中高一貫校|中高一貫校]])には、[[入学試験]]をはじめとする入学者選抜がある([[中学受験]])。 現在の中学校制度は、[[1947年]]([[昭和]]22年)[[4月]]に開始された。開始時から3学年の生徒が揃ったが、1947年当初、区市町村立中学校で該当学齢児童の就学が義務付けられたのは1年生{{efn|概ね、[[1934年]]4月から[[1935年]]3月生まれの人が該当する。}}のみで、当時、2年生は就学義務のなかった[[国民学校]]高等科1年生からの進級者、3年生は国民学校高等科修了者のうちの希望者の編入で、該当学齢児童が義務就学するようになったのは、2年後の[[1949年]]である。 この意味で、現在の中学校制度に相当する学校は、旧制([[第二次世界大戦]]前・戦中)の学校制度には存在しなかった。 1947年の開始時点では、校舎・敷地は小学校のもの(特に旧国民学校高等科の教室)をそのまま用いたり、旧[[青年学校]]の校舎・校地を転用したりしたことも多かった。また[[戦災]]([[日本本土空襲]])を受けた都市の場合は当初は焼け跡で授業が行われ、その後の戦災復興計画の中で校舎・敷地を得た例もある。さらに、軍用地・軍需工場などが転用されたケースや、1948年頃に実施された[[高校三原則]]による高校再編で空きになった[[旧制中等教育学校]]の校舎・校地を転用したケースも存在した。なお、現在の公立中学校設立にあたり、校舎の建設などに地元の人たちの多大な協力を得た例も多い。<br/>また、これらとは別に、国立師範学校の附属国民学校の高等科や、私立校や国立校で旧制中等教育学校だった学校で、1947年に現行制度の中学校を新たに設置した学校も少なくない。 服装はほとんどの場合、学校指定の[[制服]]と[[体操着]]があり、それを着用して登下校したり学校生活を送る。さらに地域や学校によっては[[名札]]を着用するところもある。その制服には、あまりデザイン性や機能性などは求められない。この意味で、同じ義務教育であっても一部の地域や学校でしか制服制度のない小学校や、義務教育でないが、同じく中等教育機関に位置しているが、制服制度を持たない学校も存在し、また存在する場合は制服にデザイン性や機能性などを求める傾向の強い高等学校とは違いが見られる。 == 年齢・学齢 == * 中学1年生:12歳から13歳 * 中学2年生:13歳から14歳 * 中学3年生:14歳から15歳 === 学校数・生徒数 === 2021年5月1日時点で学校教育法に基づく中学校は10,076校あり、そのうち、[[国立学校|国立]]68校、[[公立]]9,230校、[[私立学校|私立]]778校。在校生は総数3,229,697人、男子1,651,765人、女子1,577,932人である<ref name=":0">{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00400001&tstat=000001011528&cycle=0&tclass1=000001021812&tclass2val=0 |title=中学校の学校数、在籍者数、教職員数(昭和23年~) |publisher=文部科学省 |accessdate=2022-11-06}}</ref>。 なお、私立学校のうち、[[構造改革特別区域法]]による認定を受け、[[株式会社]]立の[[朝日塾中等教育学校|朝日塾中学校]]([[岡山県]][[岡山市]])が2004年に設置されたが、2011年3月をもって同校は中等教育学校に改組され、発展的廃止された。2011年時点までに、株式会社による中学校が設置された例は、この朝日塾中学校の1校のみである。 == 教員数 == 2020年5月1日時点で248,254人<ref name=":0" /> == 教育の目標 == 中学校における教育は、[[学校教育法]](昭和22年法律第26号)の第46条により、[[義務教育]]として行われる普通教育の目標(学校教育法第21条各号に掲げる目標)を達成するように行われるものとされている。 平成19年法律第98号(2008年〔[[平成]]20年〕4月1日施行)による学校教育法の改正前は、同法の第36条に、中学校における教育の目標が次のように規定されていた。 # 小学校における教育の目標をなお充分に達成して、国家及び社会の形成者として必要な資質を養うこと。 # 社会に必要な[[職業]]についての基礎的な知識と技能、[[労働|勤労]]を重んずる態度及び個性に応じて将来の[[進路]]を選択する能力を養うこと。 # 学校内外における社会的活動を促進し、その[[感情]]を正しく導き、[[公正]]な[[判断力]]を養うこと。 改正前の中学校における教育の目標は、[[高等学校]]における教育の目標と連携関係にあった。 == 教育課程 == [[学校教育法施行規則]]に基づき、中学校の[[教育課程]]は、必修教科、選択教科、[[道徳]]教育、特別活動、総合的な学習の時間によって編成されている。私立学校では、道徳に代えて[[宗教]]を設けることもできる。 * [[必修教科]] ** [[国語 (教科)|国語]] - [[書写]]を含む。 ** [[社会 (教科)|社会]] - [[地理 (科目)|地理]]的分野、[[歴史]]的分野、[[公民]]的分野 ** [[数学 (教科)|数学]] - 代数分野、幾何分野 ** [[理科]] - [[物理]]、[[化学]]、[[生物]]、[[地学]] ** [[音楽 (教科)|音楽]] - [[器楽]][[合奏]]を含む。 ** [[美術 (教科)|美術]] ** [[保健]][[体育]] - 体育分野、保健分野 ** [[技術・家庭]] - [[技術]]分野、[[家庭 (教科)|家庭]]分野 ** [[英語 (教科)|英語]] : 以前には[[職業 (教科)|職業]]という教科もあったが、徐々に技術・家庭に統合された。 : 以前は、外国語として[[履修]]させる言語として、[[英語]]以外の外国語を扱っても良いことになっていたが、新しい[[学習指導要領]]では、原則として英語を扱うものとしている。なお、選択教科は英語以外の言語を扱うことも認められている。 * [[選択教科]] ** 国語、社会、[[数学 (教科)|数学]]、[[理科]]、[[音楽教育|音楽]]、美術、保健体育、技術・家庭、[[外国語]]、[[学校設定教科|その他特に必要な教科]] * [[道徳]] * [[特別活動]] ** [[学級活動]]、[[生徒会]]活動、[[学校行事]] * [[総合的な学習の時間]] * 宗教(私立学校のみ存在) * 朝鮮語、朝鮮地理、朝鮮歴史(朝鮮学校のみ存在) == 学級 == === 通常の学級と特別支援学級 === [[普通学級|通常の学級]]とは、障がいのない生徒を主として編成される[[学級]]のことであり、特別支援学級とは、障がいのある生徒のために編成される学級のことである。多くの生徒は、通常の学級に所属するが、[[知的障害|知的障がい]]や[[発達障害|発達障がい]](通級も含む)などの[[障害|障がい]]がある生徒は、特殊学級(2007年以降は特別支援学級に名称変更)に所属することもある(詳しくは、「[[特別支援学級]]」を参照のこと)。 === 単式学級と複式学級 === [[単式学級]]とは、一つの[[学年]]だけが所属する学級であり、[[複式学級]]とは、二学年以上が所属する学級である。大多数の学級は単式学級だが、[[学齢]]期の人口が少ない[[過疎地]]などでは複式学級も見られる。 === その他の学級 === 一部の中学校では、主に[[帰国子女|帰国生徒]]などを対象に[[国際学級]]・[[帰国者学級]]・[[帰国生徒学級]]などの名称の学級で語学力に配慮した授業を行っている。 夜間学級は下記を参照。 == 教育形態 == === 通常の授業 === 一般的な中学校では、[[月曜日]]から[[金曜日]]または[[土曜日]]に、朝から午後まで5~7時間の[[授業]]が行われ、ほぼ全ての[[学齢]]期の中学生は、この時間帯に学習活動を行う。一般的な特徴は、制服の学校が多い、若年の生徒が多い、就労している生徒がほとんどいないなどの点があげられる。高等学校の用語でいえば、[[高等学校#全日制|全日制の課程]]に相当する。 しかし、学齢超過者(4月1日時点で15歳以上の人)は、このような一般的な教育を受けることが困難であることが多く、学齢期の生徒が在学する一般的な中学校<!-- 特に国立・私立の中学校 (中高一貫教育の公立学校を考慮) -->に新[[入学]]・[[編入学]]しようとしても拒否される場合もある(詳しくは、「[[学齢]]」「[[過年度生]]」を参照)。 === 二部授業(夜間授業) === 二部授業とは、学校に在学する生徒を複数の組に分けて、別々の時間帯で授業を行うことである。[[学校教育法施行令]](昭和28年政令第340号)の第25条(市町村立小中学校等の設置廃止等についての届出)の第5号を根拠としている{{efn|学校教育法施行令 第25条 市町村の教育委員会又は市町村が単独で若しくは他の市町村と共同して設立する公立大学法人の理事長は、当該市町村又は公立大学法人の設置する小学校、中学校又は義務教育学校(第五号の場合にあつては、特別支援学校の小学部及び中学部を含む。)について次に掲げる事由があるときは、その旨を都道府県の教育委員会に届け出なければならない。<br>(略)<br>五 二部授業を行おうとするとき。}}。中学校における夜間の授業([[夜学]])は、各学校において「夜間中学」、「夜間部」、「夜間学級<ref name="朝日新聞20220826">{{Cite web|和書|title=今春開設の夜間中学、不登校の中学生を受け入れ 香川で全国初の試み:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASQ893RWXQ84PTLC02B.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |date=2022-08-10 |accessdate=2023-10-02}}</ref>」などと名称が定められ、'''夜間中学(校)'''などとも通称されることが多い。[[校舎]]などの[[学校施設]]が、在学する生徒数に対して極端に不足している場合などに行われることもあるが、現代社会では昼間に通学して学習することが困難である人のために、夜間にも授業を行うことを指すことが多い。 夜間の授業を受けるための入学資格を定めた法令等は存在しないものの、義務教育を[[修了]]していない人であり、かつ学齢を超過している人(満15歳に達した日以後に4月1日を迎えている人)である事が、実質的な夜間の授業を受ける要件とされていたが、2015年の[[文部科学省]]の通知<ref>{{Cite web|和書|title=義務教育修了者が中学校夜間学級への再入学を希望した場合の対応に関する考え方について(通知):文部科学省 |url=https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/shugaku/detail/1361951.htm |website=www.mext.go.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref>により、ほとんど出席せず卒業した者も個別に判断して夜間中学校に入ることができるようになった。外国人労働者が増えたことにより日本の教育を受ける外国人の入学者を認めている自治体(学校)もある。昼間は[[不登校]]の中学生が学べる場として自主的に設けられている夜間中学があるほか、2022年度に開校した[[香川県]]にある[[三豊市立高瀬中学校]]夜間学級が、[[文部科学省]]から不登校特例校の指定を公立夜間中学では初めて受けて、市内外から中学生を含めた生徒を受け入れている<ref name="朝日新聞20220826"/>。 2022年の時点で、夜間の授業を行う学校の数は40校<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/yakan/index.htm |title=夜間中学の設置促進・充実について |publisher=文部科学省 |accessdate=2021-09-16}}</ref>、2021年の生徒数は1393人である<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00400001&tstat=000001011528&cycle=0&tclass1=000001161251&tclass2=000001161406&tclass3=000001161407&tclass4=000001161412&cycle_facet=cycle&tclass5val=0 |title=夜間その他特別な時間において授業を行っている学級数・生徒数及び教員数(公立) |publisher=統計センター |accessdate=2022-11-06}}</ref>が、夜間の授業に積極的な設置者([[教育委員会]]、[[学校法人]]など<!--学校法人立と言うのはありましたか?「設置者」の意味の解説であるなら直したいです。あと、「積極的」も、自治体が廃止したがってる現状からすると違和感がありますが、夜間中学の本を読み終えていないのでそのままにします。-->)が、[[東京圏]]、[[大阪|大阪圏]]に集中しているため、中学校の正規の授業として認可を受けていない「自主夜間中学」が日本全国の20校ほどの中学校と有志で運営されてきた。こうした状況を打開するため、[[義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律]](平成28年12月14日公布)では、未設置の道府県にも夜間の授業を行う中学校を最低1校設置して、就学の機会を提供することがうたわれ、例えば、夜間の授業を行う中学校を設置していなかった[[埼玉県]]で、2019年(平成31年)4月1日に[[川口市立芝西中学校]]陽春[[分校]]に県下全域を対象とした夜間学級が設置された。 中学校における夜間の授業は、『[[暮しの手帖]]』のように取り上げる雑誌もあったものの、[[1993年]]に上映された[[山田洋次]][[映画監督|監督]]の[[映画]]『[[学校 (映画)|学校]]』が話題となるまで、世間全般への認知度は高いものではなかった。 ====授業==== 夜間の授業は、二部授業(時間帯別に生徒を分けた授業)として認可されているため、夜間に授業を行う中学校は、通例、昼間にも授業を行っている。使用する校舎や教室は該当する中学校を使用する他に、近隣の小学校の空き教室や公的施設を使用する例もある<ref>[https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/yakan/__icsFiles/afieldfile/2018/09/26/1381010_01.pdf 夜間中学の設置・充実に向けて]</ref>。 夜間の授業は、夕方5時30分頃から授業が開始され、夜9時頃に終わる、4時限の課程である。 夜間の授業を受けている人には、外国籍、戦後の混乱期に勉強の機会を得られなかった高齢者、不登校など、ほとんど文字の読み書きができない成年の生徒も多く<ref>{{Cite web|和書|url=https://mainichi.jp/articles/20210916/k00/00m/040/266000c|title=福岡市に市立夜間中学が誕生へ 空白地帯に「学びの場」歓迎の声|date=2021年9月16日|accessdate=2022年9月1日|publisher=[[毎日新聞]]}}</ref>、そういった学齢超過者は、日本の現在の受け入れ態勢のもとでは[[小学校]]に入学することが困難であるため、中学校における夜間の授業は、[[日本語教室]]、[[日本語学校]]、[[識字]]教室、小学校の代替としての役割も果たすともいわれている。また、授業時間は、昼間の授業よりも少ないことが多く、授業は、「中学校[[学習指導要領]]」(文部科学省告示)を完全に模倣することが難しい。そのため、[[国語 (教科)|国語]]、[[数学 (教科)|数学]]のように、[[日常生活]]の基本となる教科が重視され、それ以外の教科や実技教科(保健体育など)に割り当てられる時間数は少ない。生まれて初めて[[鉛筆]]を持つ人から、中学校に途中まで在学した人までの幅広い生徒が在籍し、生徒間の[[学力]]の差が大きいため、[[習熟度別学習|習熟度別授業]]を行っている事が多い<ref>[https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2016/10/26/1375982_02.pdf 中学校夜間学級等に関する実態調査の結果(概要)]</ref><ref>[https://www.kyobun.co.jp/news/20220127_06/ 【共に学ぶ】夜間中学で〝学び直す〟 途絶えぬニーズと課題]</ref>。また、制服はない場合が多い。夜間の授業を受ける場合は、年間を通して随時入学できる。 ==== 歴史 ==== 元々、中学校における夜間の授業は、[[第二次世界大戦]]降伏後の混乱期の中で、生活困窮などの理由から昼間に[[就労]]または[[家事手伝い]]などを余儀なくされた学齢者が多くいたことから、それらの人に教育の機会を提供する事を目的として中学校で行われたものである。当時は、「夕間学級」などとも呼ばれた。高等学校の「[[高等学校#定時制|定時制の課程]]」とは異なり、夜間に授業を行うための特別の「課程」の制度はない。 なお、[[旧制中学校]]にも夜間の課程は存在していたが、これは現在の夜間中学とは系統が異なり、新制高校の定時制課程の起源として見られることが多い。戦前の旧制学校のうち、現在の中学夜間学級に近い例としては、板橋区に存在した[[板橋尋常夜学校]]等の夜間小学校や夜間に授業を行った日本各地の[[実業補習学校]]が挙げられる。 [[1947年]]の[[学制改革]]の直後、[[大阪市]][[生野区]]で長期欠席生徒向けの夕方の補習授業「夕間学級」が開始された。また[[東京都]]の戦後初めての夜間学級は、[[1951年]]に[[足立区立第四中学校]]で開設されたものである。同校の[[伊藤泰治]]校長らは、[[足立区]]周辺に広がる[[スラム街]]のうち、学校に近い所を回って夜間学級を宣伝し、当初はわずかな人数しか集まらなかったものの、やがて300人程度の生徒を抱えるようになった。 [[未就学児]]を学校に行かせる事は、その家庭にとっての労働力を失う等、スラム街の貧困状況を物語る背景が大きくあった。当時の[[文部省]]は夜間中学設立に対して阻止の圧力をかけるなど、夜間中学設立に関しては伊藤泰治校長らの相当な苦労と熱意が無ければ成しえなかったであろう。 夜間学級の設置校のピークは[[1954年]]の87校であり、生徒数のピークは[[1955年]]の5208人である。大阪では[[1969年]]に最初の夜間学級が[[大阪市立天王寺中学校]]に開設された。 そのあと一時期は、「夜間の授業はあくまで臨時の措置であり、学校教育法そのものが想定しているものではない」「学齢超過者は[[学校教育]]ではなく[[社会教育]]で学ぶべきである」という趣旨で、[[教育行政]]において縮小・廃止の検討がされ、[[1968年]]には校数21校・生徒数416人に減少した。これに対し夜間中学卒業生の[[高野雅夫]]などの教育活動家が、廃止反対・設置要求の運動や、証言映画の上映をするなどの熱心な支援をしたため、夜間中学校は息を吹き返し、現在までも存続している。近年は、日本国籍を有していない生徒や、元[[不登校]]の生徒も増えてきている。<br />第二次世界大戦降伏後しばらく、特に[[1955年]]から10年間ほどは、学齢期の生徒も多く通学していたが、学齢期のこどもの不正な労働の防止{{efn|一方で、昨今は不登校の中学生が振り込め詐欺の[[特殊詐欺#手口|受け子]]に走るケースが現れているものの対策が追いついていない。}}を目的として、現在では、学齢超過者のみに通学が制限されている。 ==== 設置状況 ==== 日本全国の夜間中学校設置状況は以下の通り。 ===== 北海道 ===== ;北海道 :[[札幌市立星友館中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=札幌市立星友館中学校-トップページ |url=https://www16.sapporo-c.ed.jp/seiyukan-j/ |website=www16.sapporo-c.ed.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> ===== 東北 ===== ;宮城県 :[[仙台市立南小泉中学校]]夜間学級<ref>{{Cite web|和書|title=仙台の公立夜間中学、宮城全域から生徒募集 南小泉中に23年度開設 |url=https://kahoku.news/articles/20220327khn000008.html |website=河北新報オンライン |date=2022-03-28 |accessdate=2023-10-02}}</ref> ===== 関東 ===== ;茨城県 :[[常総市立水海道中学校]]<ref>{{Cite web|和書|author=常総市立水海道中学校 |title=夜間学級 Evening class |url=https://www.joso.ed.jp/mitsukaido-j/index.cfm/https%3A%2F%2Fwww.joso.ed.jp%2Fmitsukaido-j%2Findex.cfm%2F10%2Chtml |website=常総市立水海道中学校 |accessdate=2023-10-02}}</ref> ;埼玉県 :[[川口市立芝西中学校]]陽春分校<ref>{{Cite web|和書|title=陽春分校 ホーム - 川口市立芝西中学校陽春分校 |url=https://shibanishi-yousyun-j-kawaguchi-saitama.edumap.jp/ |website=shibanishi-yousyun-j-kawaguchi-saitama.edumap.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> ;千葉県 :[[千葉市立真砂中学校]]かがやき分校<ref>{{Cite web|和書|author=ikusei |title=夜間中学校の開校 |url=https://chiba-masago.jp/uc/6566/ |website=みんなのまち真砂 |accessdate=2023-10-02}}</ref> :[[市川市立大洲中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=夜間学級ほけんだより |url=https://ichikawa-school.ed.jp/ohsu-chu/yakanclass |website=ichikawa-school.ed.jp |access-date=2023-10-02}}</ref> :[[松戸市立第一中学校]]みらい分校<ref>{{Cite web|和書|author=松戸市立第一中学校 |title=みらい分校 |url=https://www.matsudo.ed.jp/mtd-1-j/index.cfm/https%3A%2F%2Fwww.matsudo.ed.jp%2Fmtd-1-j%2Findex.cfm%2F15%2Chtml |website=松戸市立第一中学校 |accessdate=2023-10-02}}</ref> ;東京都 :[[墨田区立文花中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=文花中学校夜間学級 |url=https://www.sumida.ed.jp/bunkachuyakan/ |website=www.sumida.ed.jp |access-date=2023-10-02}}</ref> :[[大田区立糀谷中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=糀谷中学校夜間学級|大田区教育委員会 |url=https://www.ota-school.ed.jp/koujiyayakangakyu/ |website=www.ota-school.ed.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> :[[世田谷区立三宿中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=世田谷区立三宿中学校夜間学級 |url=https://school.setagaya.ed.jp/tmiya/ |website=school.setagaya.ed.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> :[[荒川区立第九中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=夜間学級|荒川区立学校(園)ホームページ |url=https://www.aen.arakawa.tokyo.jp/ARAKAWA-9-J/night-classes/index.html |website=荒川区立学校(園)ホームページ |accessdate=2023-10-02}}</ref> :[[足立区立第四中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=足立区立第四中学校 夜間学級 |url=https://www.adachi.ed.jp/adac4y-j/index.html |website=www.adachi.ed.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> :[[葛飾区立双葉中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=夜間学級 - 葛飾区立双葉中学校 |url=https://school.katsushika.ed.jp/swas/index.php?id=futaba_j&frame=frm5e1e9cedd1b02 |website=school.katsushika.ed.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> :[[江戸川区立小松川第二中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=江戸川区立小松川第二中学校(夜間) |url=https://edogawa.schoolweb.ne.jp/komatsugawa2-nj/ |website=edogawa.schoolweb.ne.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> :[[八王子市立第五中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=夜間学級 |url=https://hachioji-school.ed.jp/swas/index.php?id=dai5j&frame=frm4c60cf7ca6902 |website=hachioji-school.ed.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> ;神奈川県 :[[横浜市立蒔田中学校]]<ref>{{Cite web|和書|author=蒔田中学校 |title=夜間学級について |url=https://www.edu.city.yokohama.lg.jp/school/jhs/maita/index.cfm/http%3A%2F%2Fwww.edu.city.yokohama.lg.jp%2Fschool%2Fjhs%2Fmaita%2Findex.cfm%2F1%2C0%2C53%2C187%2Chtml |website=蒔田中学校 |accessdate=2023-10-02}}</ref> :[[川崎市立西中原中学校]]<ref>{{Cite web|和書|author=川崎市立西中原中学校 |title=夜間学級 |url=https://kawasaki-edu.jp/3/208nisinakahara/index.cfm/https%3A%2F%2Fkawasaki-edu.jp%2F3%2F208nisinakahara%2Findex.cfm%2F12%2Chtml |website=川崎市立西中原中学校 |accessdate=2023-10-02}}</ref> :[[相模原市立大野南中学校]]分校<ref>{{Cite web|和書|title=相模原市立大野南中学校分校 夜間学級 |url=https://ohnominami-yakan-j.sagamihara.andteacher.jp/ |website=ohnominami-yakan-j.sagamihara.andteacher.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> ;静岡県 :[[静岡県立ふじのくに中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=静岡県立ふじのくに中学校 |url=https://fujinokuni-jhs.jp/ |website=静岡県立ふじのくに中学校 |accessdate=2023-10-02}}</ref> ===== 関西 ===== ;京都府 :[[京都市立洛友中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=京都市教育委員会事務局:京都市立洛友中学校(夜間部)令和5年度入学生の募集について |url=https://www.city.kyoto.lg.jp/kyoiku/page/0000260020.html |website=京都市情報館 |accessdate=2023-10-02}}</ref> ;大阪府 :[[大阪市立天王寺中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=大阪市立天王寺中学校夜間学級 |url=http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=j59224001 |website=swa.city-osaka.ed.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> :[[大阪市立天満中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=大阪市立天満中学校夜間学級 |url=http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=j51200001 |website=swa.city-osaka.ed.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> :[[大阪市立文の里中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=学校日記 |url=http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=j71260101 |website=swa.city-osaka.ed.jp 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web|和書|title=小学校・中学校・特別支援学校について - 広島市公式ホームページ|国際平和文化都市 |url=https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/education/17083.html |website=www.city.hiroshima.lg.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> ;徳島県 :[[徳島県立しらさぎ中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=ホーム - とくしまけんりつしらさぎちゅうがっこう |url=https://shirasagi-jhs.tokushima-ec.ed.jp/ |website=shirasagi-jhs.tokushima-ec.ed.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> ;香川県 :[[三豊市立高瀬中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=三豊市立高瀬中学校 |url=https://mitoyo.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=3720004&type=2&category_id=9808 |website=mitoyo.schoolweb.ne.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> ;高知県 :[[高知県立高知国際中学校]]<ref>{{Cite web|和書|title=高知県立高知国際中学校夜間学級Top |url=https://www.kochinet.ed.jp/kokusai-jh/yachu/ |website=www.kochinet.ed.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> ;福岡県 :[[福岡市立福岡きぼう中学校]]<ref>[https://sites.google.com/fuku-c.ed.jp/fukuokakibou/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%A1%88%E5%86%85/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E7%9B%AE%E6%A8%99%E6%B2%BF%E9%9D%A9?authuser=0 学校の目標・沿革] - 福岡きぼう中学校 2023年1月17日閲覧</ref> ==== 設置予定・検討中 ==== 開校予定(名称未定も含む) *福島市:[[福島市立福島第四中学校]]天神スクール(2024年(令和6年)4月)<ref>{{Cite web|和書|title=福島市が夜間中学校設置準備室を来年度開設へ |url=https://kahoku.news/articles/20221209khn000070.html |website=河北新報オンライン |date=2022-12-10 |accessdate=2023-10-02}}</ref><ref>議案第 104 号 福島市立学校条例の一部を改正する条例制定の件 {{Cite web|和書|title=令和5年9月市議会定例会議提出議案 |url=https://www.city.fukushima.fukushima.jp/gi-tyosya/shise/shigikai/hokoku/siryou-koukai/documents/sityouteisyutugian.pdf |website=福島市 |date= |accessdate=2023-10-07}}</ref> *群馬県:[[群馬県立みらい共創中学校]](2024年(令和6年)4月)<ref>{{Cite web|和書|author=[[日本放送協会|NHK]] |title=2年後に開校予定の県内初の夜間中学 学校名を公募へ|NHK 群馬県のニュース |url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/maebashi/20221028/1060013213.html |website=NHK NEWS WEB |accessdate=2023-10-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=県立夜間中学校名決定について - 群馬県ホームページ(義務教育課) |url=https://www.pref.gunma.jp/page/178109.html |website=www.pref.gunma.jp |accessdate=2023-10-02}}</ref> *石川県:[[石川県立あすなろ中学校]](2025年(令和7年)4月)<ref>[https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/syomu/kaigi/r05/documents/20230829g02.pdf 石川県立夜間中学の校名決定について] 石川県 2023年9月8日閲覧</ref> *愛知県 **愛知県立とよはし中学校(2025年(令和7年)4月)<ref name="愛知県2023">{{Cite web|和書|title=新しいタイプの定時制・通信制高校「フレキシブルハイスクール」 及び県立夜間中学の概要について|url=https://www.pref.aichi.jp/uploaded/life/491756_2248677_misc.pdf|date=2023-10-23 |accessdate=2023-12-15}}</ref> **愛知県立とよた中学校(2026年(令和8年)4月)<ref name="愛知県2023"/> **愛知県立こまき中学校(同上)<ref name="愛知県2023"/> **愛知県立いちのみや中学校(同上)<ref name="愛知県2023"/> *名古屋市(2025年(令和7年)4月) *三重県(2025年(令和7年)4月) *湖南市:[[湖南市立甲西中学校]]夜間学級(2025年(令和7年)4月)<ref>{{Cite web|和書|title=県内初の夜間中学校 湖南市に25年設置へ:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASQDX7TTGQDXPTJB00C.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |date=2022-12-28 |accessdate=2023-10-02}}</ref> *泉佐野市:[[泉佐野市立佐野中学校]]夜間学級(2024年(令和6年)4月)<ref>{{Cite web|和書|title=中学校夜間学級{{!}}泉佐野市 |url=https://www.city.izumisano.lg.jp/kakuka/kyoiku/kyoikusomu/menu/10035.html |website=www.city.izumisano.lg.jp 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中学校も一定の条件下で、「通信による教育」([[通信教育]])を行うことができる。中学校の通信教育は、「'''中学校通信制'''」や「'''通信制中学校'''」と呼ばれることもある。中学校の通信教育は、「[[尋常小学校]]の卒業者もしくは[[国民学校]]初等科(現在の小学校に当たる)の卒業者であり、かつ、義務教育を修了していない者」でないと受けることができないというのが基本だが、現代では学齢超過者も在籍している。 日本では、第二次世界大戦降伏後、義務教育年限が従来の6年間から9年間に延長されたが、これに伴い昭和時代前期までに義務教育だけを修了した人は、新制度においては義務教育未修了となり新制高等学校に入学する資格がない。中学校通信教育は、そのいわば救済措置として設けられたものである。法的な根拠は、[[学校教育法]]の附則第8条(旧第105条)であり、「中学校は、当分の間、[[尋常小学校]]卒業者及び[[国民学校]]初等科修了者に対して、通信による教育を行うことができる。」とされている。この規定に基づいて[[中学校通信教育規程]](昭和22年文部[[省令]]第25号)が定められている。夜間の授業と違い、法律によって定められているのが特徴である。 通信教育を行っている中学校、[[フリースクール]]の中等部がある学校は夜間の授業以上に一般的に知られておらず、学校教員でも知っていない場合が多い。<!-- * [http://blog.study.jp/wada/2004/11/post-98.html 続・開学日記 2004年11月12日] - [http://blog.study.jp/wada/2004/12/post-125.html 続・開学日記 2004年12月21日] --> ==== 通信教育を行っている中学校 ==== * [[千代田区立神田一橋中学校]]<!-- [http://www.kandahitotsubashi-j.ed.jp/] [http://www.kandahitotsubashi-j.ed.jp/tusin/pamphlet_all.pdf 通信教育課程案内 (PDF)] --> *: 通信教育ではあるものの、通信教育課程の[[学校の設置者|設置者]]が[[東京都]]である関係で東京都内在住者・都内勤務者しか入学することができない。国語、社会、数学、理科、英語、音楽、美術、保健体育、技術・家庭の9教科を教育し、隔週の日曜日または土曜日に面接指導([[スクーリング]])がある。全課程を修了すると、[[卒業証書]]が発行される。通信教育の専任教員が1人しかいないなど、かなり厳しい状況といわれている。通信教育の募集定員は、約40人である。通信教育課程の[[学校の設置者|設置者]]は東京都だが、学校事務は[[千代田区]]に委託されている。2005年3月までの校名は「千代田区立一橋中学校」だった。 *::[[2020年]]、[[2021年]]は入学者が全くおらず、ただ一人の生徒である[[2019年]]に入学した90代女性が卒業し、[[2022年]]の入学生がいなくなれば休校扱いとなり教員の配置がなくなり、長引くと廃止もあり得る<ref name="asahi 211105n-p1">高浜行人「全国唯一の中学通信課程 守りたい」『朝日新聞』夕刊2021年11月5日付1面(4版)</ref>。この状況に対し、市民団体「夜間中学校と教育を語る会」が1032名筆の署名を集め、区教育委員会や文部科学省に提出した<ref name="asahi 211105n-p1"/>。これを受けた区教育委員会は入学対象を87歳以上にあたる「尋常小学校や国民学校初等科の修了者」から中学で十分学べなかった65歳以上に広げ入学者を募ることにした<ref name="asahi 211105n-p1"/>。 * [[大阪市立天王寺中学校]]([[通信教育部]]) *: <!-- 通信教育であるため、(通信教育であれば対象区域が日本全国と一概にいうことはできないので)-->日本全国から入学できる。国語、社会、数学、理科、英語の5教科を教育し、毎月1回、日曜日に面接指導(スクーリング)があり、3時間程度の授業を受ける。美術、音楽、体育、技術・家庭という実技教科を開講していないため、全課程を修了しても卒業証書は授与されない<ref name="asahi 211105n-p1"/>。募集定員は、約30人とされている。 == 進路 == 上級学校への進学者が大多数である。[[1980年代]]以降は常に進学者が90%を超えているが、2019年時点においても非進学者は数%存在する。 以下のように国立・私立中学校では就職者が極めて少ない。 {|class="wikitable" style="text-align:right" ! !卒業者 !高等学校などへの進学者 !専修学校高等課程 !就職者 |- !合計 |111万2070人 |109万8877人 |2,407人 |2,952人 |- !国立 |9,987人 |9,960人 |3人 |0人 |- !公立 |102万3120人 |105万9747人 |2,310人 |2,353人 |- !私立 |7万8963人 |7万8159人 |94人 |3人 |} 2019年度卒業時の[[学校基本調査]]。高校以外への進学者などの詳細は省いた<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00400001&tstat=000001011528&cycle=0&tclass1=000001131823&tclass2=000001131824&tclass3=000001131840&tclass4=000001131841&tclass5=000001131842&stat_infid=000031845959 |title=学校基本調査 / 令和元年度(速報) 初等中等教育機関、専修学校・各種学校 卒業後の状況調査 -平成31年3月卒業- 中学校,義務教育学校,高等学校 総括 |publisher=統計局 |accessdate=2019-08-25}}</ref><ref>[https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?tclass=000001093032&cycle=0&layout=datalist 学校基本調査 平成29年度(速報) 初等中等教育機関、専修学校・各種学校 卒業後の状況調査 -平成29年3月卒業- 中学校,義務教育学校,高等学校 総括]</ref>。 == 日本以外の中等教育機関との比較 == {{See also|中等教育|ミドルスクール}} *[[アメリカ合衆国の教育]]では、小学校5年・中学校3年・高校4年とするのが普通であり、この場合中学校は {{en|''Middle School''}} と呼ばれる。 * [[イタリアの教育]]では、 Scuola secondaria di primo grado という3年課程の前期中等教育機関が存在し、11歳で入学する義務教育である<ref>{{Cite web|publisher=UNESCO |title=ISCED mapping - Italy |url=http://www.uis.unesco.org/Education/ISCEDMappings/Pages/default.aspx |accessdate=2015-11-13}}</ref>。修了時には[[NQF]]レベル1(Lower secondary school-leaving diploma)に認定される<ref>{{Cite report |title=Italy - European inventory on NQF 2014 |url=http://www.cedefop.europa.eu/en/publications-and-resources/country-reports/italy-european-inventory-nqf-2014 |publisher=[[CEDEFOP]] |year=2014}}</ref>。 * [[フランスの教育]]では、[[コレージュ]]という4年課程の第一サイクル中等教育機関が存在し、11歳で入学し義務教育である<ref>{{Cite web |title=ISCED mapping - France |url=http://www.uis.unesco.org/Education/ISCEDMappings/Pages/default.aspx |publisher=UNESCO |accessdate=2015-11-13}}</ref>。 * [[ポーランドの教育]]においては[[ギムナジウム]] (Gimnazjum) が存在し、3年課程の前期中等教育機関であり、13歳で入学し義務教育である<ref>{{Cite web |title=ISCED 1997 mapping - Poland |publisher=UNESCO |url=http://www.uis.unesco.org/Education/ISCEDMappings/Pages/default.aspx |accessdate=2015-11-13}}</ref>。 * [[ノルウェーの教育]]では、{{仮リンク|Ungdomsskole|no|Ungdomsskole}}という3年課程の前期中等教育機関が存在し、13歳で入学し義務教育である<ref name="UNESCOno">{{Cite web |title=ISCED 1997 mapping - Norway |url=http://www.uis.unesco.org/Education/ISCEDMappings/Pages/default.aspx |publisher=UNESCO |accessdate=2015-11-13}}</ref>。 * [[トルコの教育]]では、{{仮リンク|Ortaokul|tr|Ortaokul}}という4年課程の前期中等教育機関があり、9歳半で入学し義務教育である(4+4+4制)<ref name="UNESCOtr">{{Cite web |title=ISCED 2011 mapping - Turkey |url=http://www.uis.unesco.org/Education/ISCEDMappings/Pages/default.aspx |publisher=UNESCO |accessdate=2015-11-13}}</ref>。 * [[ポルトガル]]では[[基礎教育]]第3サイクルに相当し、3年課程であり義務教育である<ref name="UNESCOpo">{{Cite web |title=ISCED 2011 mapping - Portugal |url=http://www.uis.unesco.org/Education/ISCEDMappings/Pages/default.aspx |publisher=UNESCO |accessdate=2015-11-13}}</ref>。修了時には[[NQF]]レベル2に認定される<ref>{{Cite report |title=Portugal - European inventory on NQF 2014 |url=http://www.cedefop.europa.eu/en/publications-and-resources/country-reports/portugal-european-inventory-nqf-2014 |publisher=[[CEDEFOP]] |year=2014}}</ref>。 * [[台湾の教育]]では[[国民中学]]が存在し、12-14歳を対象とした課程である。 * [[大韓民国の教育]]では日本と同じ中学校としての呼び方で、12-15歳を対象とした3年課程の前期中等教育であり義務教育である(日本と同じ[[6・3制]])。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{notelist}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|Middle schools}} * [[中学受験]] * [[高校受験]] - [[調査書 (進学と就職)]] * [[中学校教員]] * [[学級]]:[[特殊学級]] - [[複式学級]] - [[学級委員]] * [[制服]] - [[名札]] - [[管理教育]] * [[フリースクール]] * [[教育問題]] - [[校内暴力]] * [[松本少年刑務所]] - 義務教育の機会を逸した受刑者のために、中学校が設けられている。 * [[中1ギャップ]] * [[国民中学]]([[台湾の教育|台湾]]の前期中等教育を行う学校) * [[通信制]] * [[夜学]] * [[学校 (映画)]] - 夜間学級(いわゆる夜間中学)を描いた作品 == 外部リンク == * [https://www.gov-online.go.jp/useful/article/201601/1.html さまざまな事情により、中学校で勉強することができなかった人へ 「夜間中学」を知っていますか?] * [https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/yakan/index_00003.htm 文部科学省 夜間中学の設置・検討状況] * [https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/yakan/ 夜間中学の設置促進・充実について] {{学校}} {{DEFAULTSORT:ちゆうかつこう}} [[Category:中学校|*]] [[Category:日本の中学校|*]] [[Category:中等教育]] [[en:Middle school#Japan]]
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Graphics Processing Unit
Graphics Processing Unit(グラフィックス プロセッシング ユニット、略してGPU)は、コンピュータゲームに代表されるリアルタイム画像処理に特化した演算装置あるいはプロセッサである。グラフィックコントローラなどと呼ばれる、コンピュータが画面に表示する映像を描画するための処理を行うICから発展した。特にリアルタイム3DCGなどに必要な、定形かつ大量の演算を並列にパイプライン処理するグラフィックスパイプライン性能を重視している。現在の高機能GPUは高速のビデオメモリ(VRAM)と接続され、頂点処理およびピクセル処理などの座標変換やグラフィックス陰影計算(シェーディング)に特化したプログラム可能な演算器(プログラマブルシェーダーユニット)を多数搭載している。プロセスルールの微細化が鈍化していることからムーアの法則は限界に達しつつあるが、設計が複雑で並列化の難しいCPUと比較して、個々の演算器の設計が単純で並列計算に特化したGPUは微細化の恩恵を得やすい。さらにHPC分野では、CPUよりも並列演算性能にすぐれたGPUのハードウェアを、より一般的な計算に活用する「GPGPU」がさかんに行われるようになっており、そういった分野向けに映像出力端子を持たない専用製品や、深層学習ベースのAI向けに特化した演算器を搭載したハイエンド製品も現れている。 コンシューマPC向けGPUの起源は1970年代から1980年代のグラフィックコントローラにさかのぼる。当時のグラフィックコントローラは、矩形や多角形の領域を単純に塗り潰したり、BitBlt(Bit Block Transfer、ビット単位でのブロック転送)などにより、2次元画像に対して簡単な描画処理を行うだけであり、その機能と能力は限定的だった。 グラフィックコントローラの中には、いくつかの命令をディスプレイリストとしてまとめて実行したり、DMA転送を用いることでメインCPUの負荷を減らしたりするものもあった。このような専用のグラフィックコントローラを用いずに、DMAコントローラで処理したり、汎用CPUをグラフィック処理専用に割り当てたグラフィックサブシステムを充てるコンピュータも存在した。汎用的なグラフィックス・コプロセッサは古くから開発されてきたが、当時の技術的な制約から安価な製品では機能や性能に乏しく、また高機能なものは回路の規模が増大し非常に高価なものとならざるを得ず、結果的にパーソナルコンピュータへ広く採用されることはなかった。 1980年代から1990年代前半にかけてはBit Block Transferをサポートするチップと、描画を高速化するチップは別々のチップとして実装されていたが、チップ処理技術が進化するとともに安価になり、VGAカードをはじめとするグラフィックカード上に実装され、普及していった。1987年のVGA発表とともにリリースされたIBMの8514グラフィックスシステムは、2Dの基本的な描画機能をサポートした最初のPC用グラフィックアクセラレータとなった。AmigaはビデオハードウエアにBlitterを搭載した最初のコンシューマ向けコンピュータであった。 1980年代後半から1990年代前半の日本国内で広く普及していたPCとしてPC-9800シリーズがあるが、同シリーズのグラフィックの描画に関連するチップにはGDCと、GRCG・EGCがある(CRTCなどもあるが、描画には関係しない)。GDCには直線・円弧・四角塗りつぶしなどの図形描画機能があり、この記事で扱っているタイプのLSIである。GDCは登場時点では比較的高機能・高性能であったが、CPUの性能向上によりその利点は薄くなっていった(そのため、当時の開発者でもそれを正確に把握していない者も多い)。GRCGは複数プレーンへの同時描画(98ではプレーンごとにセグメントアドレスを動かす必要があり面倒だった)や描画時のマスク操作などをハードウェアで行えるもので、EGCはGRCGの強化版(Enhanced Graphic Charger)である。EGCはEPSONが比較的後期まで追随しなかったことや、NECがハードウェアの仕様の公開に非積極的になった以降ということもあり、あまりよく知られていない。さらに、AGDC(Advanced 〜)やEEGC(あるいはEGC)といったチップに至っては、非公開情報を集めた文献にもその名前以外には殆ど全く情報がない。 1990年代に入ると、シリコングラフィックス (SGI) が自社のグラフィックワークステーション用のグラフィックライブラリとして開発・実装したIRIS GL(英語版)がOpenGLに発展して標準化され、標準化されたグラフィックライブラリとそのAPIに対応したハードウェアアクセラレータ、という図式が登場する。 実装当初のIRIS GLはソフトウェアによるものであったが、SGIでは当初よりこのAPIをハードウェアによって高速処理させる (ハードウェアアクセラレーションを行う) ことを念頭に設計しており、程なくIRIS GLアクセラレータを搭載したワークステーションが登場する。ただし、当初のIRIS GLアクセラレータはまだ単体の半導体プロセッサではなく、グラフィックサブシステムは巨大な基板であった。 1990年代の初めごろ、Microsoft Windowsの普及とともに、グラフィックアクセラレータへのニーズが高まり、WindowsのグラフィックスAPIであるGDIに対応したグラフィックアクセラレータが開発された。 1991年にS3 Graphicsが開発した"S3 86C911"は、最初のワンチップ2Dグラフィック・アクセラレータであった。"86C911"という名は設計者がその速さを標榜するためポルシェ911にちなんで名付けた。86C911を皮切りとして数々のグラフィック・アクセラレータが発売された。 1995年には3DlabsがOpenGLアクセラレータのワンチップ化に成功し、低価格化と高パフォーマンス化が加速度的に進行し始める。また同年に登場したインテルのPentium Proプロセッサの処理能力は同時代のRISCプロセッサの領域に差し掛かっており、このCPUとワンチップ化によって価格を下げたOpenGLアクセラレータのセットは、それまでメーカーに高収益をもたらしていたグラフィックワークステーションというカテゴリーにローエンドから価格破壊を仕掛ける原動力となった。 1995年までには、あらゆる主要なPCグラフィックチップメーカーが2Dアクセラレータを開発し、とうとう汎用グラフィックス・コプロセッサは市場から消滅した。 1995年に3dfxによりVoodooという3Dアクセラレータが発売された。家庭用PCの性能上のボトルネックを考慮してゲーム用に最適化されたGlideというAPIも用意され、家庭用PC上で当時のアーケードゲームに匹敵する品質のグラフィックを実現した。Voodooシリーズは、1990年代後半の家庭用PCゲームの品質向上を牽引したシリーズとなった。 1995年にマイクロソフトがWindows 95とともに開発したゲーム作成及びマルチメディア再生用のAPI群DirectXではさらにグラフィック・アクセラレータの性能が強化された。DirectXのコンポートネントのひとつDirect3Dは当初から3Dグラフィック処理のハードウェア化を想定したレンダリング・パイプラインを持っていた。 1997年当時のグラフィック・アクセラレータはレンダリングのみしかサポートしていなかったが、この頃からZバッファ、アルファブレンディング、フォグ、ステンシルバッファ、テクスチャマッピング、テクスチャフィルタリングなどの機能を次々搭載し、3Dグラフィック表示機能を競うようになった。DVD-Video再生支援機能を備えるチップも現れた。 VDP等の汎用グラフィック・プロセッサについては、カーナビ等の表示用に使用され新たな市場を形成している。90年代後半からは、携帯電話に多色表示がもちいられるようになり、その分野においても有用な市場を形成している。 一方、システムの低価格化を目的に、チップセットのノースブリッジにグラフィックコアの統合を行った、統合チップセットが1997年ころから登場し始める。1999年の「Intel 810」チップセットの登場で、低価格機には統合チップセットの使用が定着し始めた。 3DCGの中核とも言えるジオメトリエンジンは高コストが許容されるグラフィックワークステーションでは専用プロセッサとして搭載されていたが、PCでは長らくCPUが担う機能であった。しかし、ジオメトリエンジンの別名とも言えるハードウェアによる座標変換・陰影計算処理(英: Hardware Transform and Lighting; ハードウェアT&L)が1999年にPC向けにリリースされたDirectX 7にて標準化され、またこのハードウェアT&Lを世界で初めて実装して製品化したNVIDIA GeForce 256を定義する言葉として「GPU」という名称が提唱されることとなった。ハードウェアT&Lの実装によって、NVIDIA社製品は他社製品と比較して突出した高性能を発揮するようになった。これ以後、ジオメトリエンジンとしての機能をCPUに任せる3dfx Voodooシリーズは目立って高性能とは言えなくなった。 DirectX 8世代では、グラフィックスパイプライン中の一部の処理をユーザープログラマーが自由に記述できるプログラマブルシェーダーが導入されるようになった。プログラマブルシェーダーは頂点シェーダー (Vertex Shader) とピクセルシェーダー (Pixel Shader) の2種類が用意され、頂点シェーダーは頂点座標や光源ベクトルの頂点単位での座標変換および頂点単位での陰影計算(シェーディング)を、ピクセルシェーダーはピクセル単位での陰影計算をそれぞれ担当する設計だった。特に従来の固定機能シェーダーではポリゴン単位(頂点単位)でしか陰影計算を実行できなかったのに対し、ピクセル単位での陰影計算もできるプログラマブルピクセルシェーダーの導入により、表現の自由度と解像度(精細度・品質)が飛躍的に向上した。ただし、シェーダープログラムの記述に使える言語は原始的なアセンブリ言語が基本であり、記述可能なプログラム長(命令数)もごく限られていたため、開発効率や再利用性などの面で課題を抱えていた。なお、頂点シェーダープログラムとピクセルシェーダープログラムを実行するハードウェアユニット(演算器)のことを、それぞれ頂点シェーダーおよびピクセルシェーダーとも呼んでいた。後にNVIDIAでCUDAを開発するIan Buckはこの最初の世代のプログラマブルシェーダーから既にGPGPUに着手しており、厳しい制約下ではあったもののレイトレーシングの高速化についての論文を発表している。 また、この世代になるとマルチテクスチャ、キューブマップ、アニソトロピック(異方性)フィルタ、ボリュームテクスチャなどが新たにサポートされ、HDRIによるレンダリングや動的な環境マッピングの生成が可能になった。動画の再生や圧縮にシェーダーを使う技術も搭載された (Intel Clear Video、PureVideo、AVIVO、Chromotion)。 DirectX 9世代になると、このプログラマブルシェーダーがさらに進化し、シェーダーのプログラムを書くための専用の高級言語であるCg、HLSL、GLSLなどが開発され、シェーダーを物理演算などゲームでの3Dグラフィック表示以外の演算に使うことも多くなった。Windows Vistaに搭載された機能のひとつ「Windows Aero」 (Desktop Window Manager) は画面表示にプログラマブルシェーダー(ピクセルシェーダー2.0)を利用するので、この世代のビデオチップが必須になっている(Windows Aero Glassを使用しなければDirectX 8世代以前のビデオチップでもWindows Vista自体は稼働する)。また、Mac OS XのCore ImageではOpenGLのプログラマブルシェーダーを利用して2Dグラフィックのフィルタ処理を行っている。 DirectX 10世代ではさらに自由度が増し、「シェーダーモデル4.0」 (SM 4.0) に基づくグラフィックスパイプラインが導入され、頂点シェーダーとピクセルシェーダーの間でジオメトリシェーダー (Geometry Shader) によるプリミティブ増減処理を行なえるようになった。ジオメトリシェーダーはOpenGL 3.2でも標準化されている。 グラフィックス描画処理では3次元空間を構成する表現のために三角形を色付けするピクセルシェーディング処理の負荷が、精細度や特殊処理などによって大きく変化するため、固定のハードウェアパイプライン構成ではボトルネックになることが多かった。この制約を解消するために、DirectX 10世代では演算ユニットを汎用化する統合型シェーダーアーキテクチャ (en:unified shader architecture) によって固定のパイプラインの一部をより柔軟な構成に変更した。頂点シェーダーとジオメトリシェーダー、そしてピクセルシェーダーの機能をあわせもつ統合型シェーダー (Unified Shader) を多数搭載して動的に処理を振り分けることによってプログラムの自由度と共にボトルネックを解消し、演算回路数の増加に比例した画像描画処理速度の向上を得た。なお、この統合型シェーダーアーキテクチャによるハードウェアレベルでの汎用化が、GPUにおける汎用演算(GPGPU)の発展と普及を加速させていくことになる。 統合型シェーダーアーキテクチャを採用したNVIDIA GeForce 8シリーズではWindows / Mac OS X / Linux用の標準的な汎用Cコンパイラ環境 (CUDA) が提供され、一方ATI Radeon HD 2000シリーズではハードウェアに直接アクセスできる環境 (Close to Metal(英語版)) が、そしてRadeon HD 4000シリーズ以降ではATI Stream(Brook+言語と抽象化レイヤーであるCAL)によるアクセス手段が用意されている。これにより科学技術計算やシミュレーション、画像認識、音声認識など、GPUの演算能力を汎用的な用途へ広く利用できるようになった(GPGPU)。また、特定のハードウェアベンダーやプラットフォームに依存しないOpenCLというヘテロジニアス計算環境向け標準規格に続き、米マイクロソフト社からDirectX 11 APIの一部としてGPGPU用APIであるDirectCompute(コンピュートシェーダー)がリリースされた(のちにDirectComputeをバックエンドとするGPGPU向けC++言語拡張・ライブラリとしてC++ AMPも登場した)。DirectX 11のシェーダーモデル5.0では、前述のコンピュートシェーダーに加え、頂点シェーダーとジオメトリシェーダーの間に、ポリゴンの細分割・詳細化(サブディビジョンサーフェイス)をGPUで行なうテッセレーションシェーダー(ハルシェーダー、固定機能テッセレータ、ドメインシェーダー)が追加された。テッセレーションシェーダーはOpenGL 4.0、コンピュートシェーダーはOpenGL 4.3でも標準化されている。 なお、主にDirectXに最適化されたGeForceやRadeonなど3Dゲーム向け製品と異なり、業務用ワークステーションなど高い信頼性や耐久性が必要とされる業務用途に特化して設計されたNVIDIA Quadroシリーズ、およびAMD FireProシリーズが存在する。これら業務用製品はDirect3DよりもOpenGLおよびOpenGL対応アプリケーションに最適化されており、CAD、HPC、金融、CG映像、建築/設計、DTP、研究開発分野において採用されている。そのほか、NVIDIA TeslaシリーズやAMD FireStreamシリーズ(のちにAMD FireProに統合)といった、GPGPU専用製品も登場している。 主なCPUメーカーは、従来のCPU機能だけにとどまらず、1つのCPUチップ内に複数のCPUコア(マルチコア)を搭載すると同時に、画像出力専用回路としてGPUコアも統合した製品を提供するようになった。例えば、米AMDでは「AMD Fusion」構想において1つのダイ上に2つ以上のCPUとGPUを統合し、米インテル社でもCore i5、Core i7、Core i3でのSandy Bridge世代から、同様の製品を提供している。なお、従来型のUMA、つまり単にCPUとGPUのチップを統合して物理メモリを共有するだけでは、CPUとGPUのメモリ空間が統一されることにはつながらない。HSAにおけるhUMAなどのように、CPUとGPUのメモリ空間を統一するためにメモリ一貫性を確保する仕組みが用意されることで初めて、CPU-GPU間のメモリ転送作業が不要となる。また、CPUとGPUの外部メモリが共用されるため、CPUチップの外部メモリバスにはCPUのアクセス帯域に加えてGPUのアクセス帯域も加わる。このため、仮にCPUチップに極めて高い性能のGPUを統合しても、統合チップのメモリアクセス帯域も相応に増強されないと、それがボトルネックとなって性能向上は望めない。 GPU用のメモリ規格として長らくDDR系およびGDDR系が採用されてきたが、2015年6月に発売されたAMD Radeon R9 Fury Xでは、新しい規格系統のHigh Bandwidth Memory (HBM) が世界で初めて採用された 。しかし、高性能だが高価格なHBMの採用はコンシューマー用途では進まず、GDDR5の後継規格であるGDDR5XやGDDR6が採用されるようになっている。 2010年代後半にGPGPUという手法が広く普及したことで、HPC分野でもGPUを多用するようになった。特に深層学習(ディープラーニング)ベースのAI用途にGPUの需要が高まっている。VRAMに関しては費用対効果の面から、HPC用途ではたとえ高コストでも広帯域・大容量のHBM、ゲームなどのコンシューマー用途ではたとえ低帯域でも低コストのGDDRという棲み分けが起きている。 一方グラフィックスAPIに関しては、Mantleを皮切りとして、Metal、DirectX 12およびVulkanのように、ハードウェアにより近い制御を可能とするローレベル (low-level) APIが出現することとなった。ローレベルAPIはいずれもハードウェア抽象化レイヤーを薄くすることによるオーバーヘッドの低減や描画効率の向上を目的としており、またマルチコアCPUの活用を前提とした描画あるいは演算コマンドリストの非同期実行といった機能を備えている。また、GPUでリアルタイムレイトレーシングを実現する動きも加速しつつある。2009年にNVIDIA OptiX(英語版)が、2011年にイマジネーションテクノロジーズ(英語版)のOpenRL(英語版)が、そして2018年にマイクロソフトのDirectX Raytracing(英語版) (DXR) とAppleのMetal Ray Tracingが発表された。NVIDIA GeForce RTXシリーズはDXRのハードウェアアクセラレーションに対応する最初のGPUである。 2020年にはインテルが同社としては1998年に発売した「Intel 740」以来、22年ぶりの単体GPUである「iris Xe Max」を発売し、更に2022年にインテルはPC向けで同社初の本格的な単体GPUである「Intel Arc」を発売した。NVIDIAとAMDの2社がほぼ寡占しているPC向けの単体GPU市場にインテルが本格参戦する状況になった。実態としては最上位でもミドルクラスの性能であり、Resizable BAR 非対応のマシンでのパフォーマンスの大幅低下やドライバの完成度の低さやアイドル時の電力効率の低さなどで主要2社の製品に劣るものの、既に十分使える製品となっているため、主要2社に対するカウンターとしての存在感を示すことには成功したと言える。また、2023年8月になると人工知能のGPUに対する需要の爆発な成長が故GPUは供給不足に直面している。 DirectX 10世代以降のGPUは統合型シェーダーアーキテクチャに基づいて設計されており、Intel GMAなどの一部を除きGPGPUにも対応している。 NVIDIAのGPUは、統合型シェーダーアーキテクチャを採用したGeForce 8 (G80) シリーズ以降、Warp単位(32ハードウェアスレッド)での並列処理実行が特徴となっている 。NVIDIAのGT200アーキテクチャでは、単精度CUDAコア (SPCC) と倍精度ユニット (DPU) が分かれていたが、Fermiでは単精度CUDAコア16個を2グループ組み合わせ、倍精度演算器16個と見立てて実行している。 AMDのGPUは、Radeon HD 2000~HD 6000シリーズにおいてVLIWを採用していたが、HD 7000シリーズ以降では、グラフィックスだけでなくGPGPUでも性能を発揮できるようにするために、非VLIWなSIMDとスカラー演算ユニットにより構成されたGraphics Core Next (GCN) アーキテクチャを採用している。AMD GPUではWavefront単位(64ハードウェアスレッド)での並列処理実行が特徴となっている。 ゲーム業界においても、1990年代後半から3D描画能力の向上が求められ、ゲーム機(ゲームコンソール)ベンダーはGPUメーカーと共同で専用のGPUを開発するようになった。汎用機であるパーソナル・コンピュータ(PC)用GPUより先行した新機能やeDRAMの搭載で差別化したものが多い。また、汎用化・共通化のための分厚い抽象化層がほとんど不要な専用APIや専用マシン語が使えることもあいまって、同世代における下位や中位のPC用GPUよりも画像処理性能においては高性能である。 本節ではハードウェアT&Lあるいはそれに類する3次元コンピュータグラフィックスパイプラインを有するもののみを列挙する。 なおXbox One、PlayStation 4においては、それぞれAMD製のx86互換APUのカスタマイズ版が搭載されており、GPGPUの活用とPCゲームからの移植性を重視したアーキテクチャとなっている。 近年、携帯電話やカーナビゲーションシステムの表示機能の高度化が著しく、組み込みシステムにおいて用いられていたVDPに代わって、OpenGL ES対応のプログラマブルシェーダーを搭載したGPUが採用されることが増えてきている。特に使用メモリと消費電力を抑える要求から、PowerVRのシェアが高い。 「GPU」は、1999年にNVIDIA Corporationが、GeForce 256の発表時に提唱した呼称である 。それまでビデオカード上の処理装置は「ビデオチップ」や「グラフィックスチップ」と呼ばれていたが、GeForce 256はハードウェアT&Lを世界で初めて搭載し、3次元コンピュータグラフィックスの内部計算および描画処理におけるCPU側の負荷を大幅に軽減するコプロセッサとしての地位を確立したことから、NVIDIA社は「Graphics Processing Unit」と命名した。 GPUと同様の名称として、Visual Processing Unit (VPU) が存在する。「VPU」は、3Dlabs Inc.が、Wildcat VP(量産品としては世界初の汎用シェーダー型設計のGPU)の発表時に命名した。なお、VPUの呼称に関しては、ATI TechnologiesがRadeon 9500/9700の発表時に提唱したと誤解されることがあるが、実際は、3DlabsのWildcat VPの発表が先行している。また、ATIがVPUの呼称を使ったのは、当時は3Dlabsと提携していたからでもある。 現在はAMD (旧ATI) も主にGPUの呼称を使用している。 GPUとは別の分類だが、Intelは2019年から、画像認識などのコンピュータビジョンの処理に特化したプロセッサとしてVision Processing Unit(英語版) (VPU) という名称を使っている。「Intel Movidius Myriad X VPU」は、AIで利用されるニューラルネットワークを高速かつ低消費電力で実現できるエンジンとハードウェアアクセラレータを搭載する、AIアクセラレータである。Meteor Lake世代のプロセッサではVPUを統合することが予定されている。VPUに画像認識処理をオフロードすることで、CPU/GPU負荷を下げることが可能となる。 一般に、チップセットに搭載されているオンボードグラフィックスプロセッサおよびCPU内蔵GPU(統合GPU、integrated GPU: iGPU)のグラフィック機能は、単体チップ型のGPU(ディスクリートGPU、discrete GPU: dGPU)に劣るが、消費電力やコスト面では有利である。このため、主にオフィススイートやインターネットアクセスなどを中心とした高性能が必要ない用途が想定され、低価格が求められる業務用端末(クライアント)機向けや、低発熱・低消費電力が求められるノートパソコンなどでは単体チップのGPUではなく、統合GPUが多く搭載されている。比較的高性能なGPUを使用するゲーム機でもコストダウンを目的としてGPUの統合化が進んでいる。スマートフォンやタブレットに使用されているSoCもCPUとGPUをひとつのチップに統合している。 統合GPUでは、ビデオカードと違って専用のVRAMを持たず、メインメモリの一部をGPUに割り当てるユニファイドメモリアーキテクチャが採用されているが、通常はCPUとGPUのメモリ空間が分離されており、お互いのデータを直接参照することはできない。そのため、事前にソフトウェアレベルあるいはドライバーレベルでのデータ転送処理が必要となる。AMD APUはHSAのhUMAをサポートすることで、CPUとGPUのメモリ空間をハードウェアレベルで統合しており、従来のユニファイドメモリアーキテクチャよりもヘテロジニアス・コンピューティングに適した形態となっている。CPUとGPUはそれぞれ得意分野が異なるものの、CPUはコアあたりの性能向上が頭打ちになってきているため、伸びしろのあるGPUにダイの面積を割いて総合的な演算性能を向上させることは理にかなっている。 GPU単体の製品のラインナップも、エントリ向けの低価格なローエンドから、価格と性能のバランスがとれたミドルレンジ、過酷な要求にも耐えうる高性能を持つハイエンド、そして価格を度外視して最高性能を求めるユーザー向けのウルトラハイエンドと様々である。また、主にゲーミング用途を想定したコンシューマー向けや、業務用途を想定したプロフェッショナル・エンタープライズ向けなどに差別化されている。しかし高性能なGPUの利用を前提とするAeroを搭載したWindows Vistaの登場以降、チップセット内、およびCPUパッケージ内に統合されているGPUコアの性能が向上してきたため、GPU単体の製品の主力は3Dゲームの快適なプレイやCADオペレーションあるいは3DCG制作におけるプレビュー用途を想定した、比較的高価で高性能なものへとシフトしている。単体GPUは主にデスクトップPC向けのビデオカード上に実装されたものとして提供・利用されているが、ゲーミング向けの高性能ノートPCなどでは、CPU内蔵GPUだけでは性能的に不十分なため、別途マザーボード上に強力な単体GPUと専用VRAMを実装しているものもある。 外付けの専用ボックス内にグラフィックスボードをスタッキングし、Thunderboltのような高速インターフェイス規格でPCに接続する形態(外部GPU、external GPU: eGPU)も登場している。ノートPCや一部のベンダー製デスクトップPCは、CPUやGPUを交換することはできず、拡張性に乏しい。外付けボックスを利用して高性能なeGPUをシステムに追加することで、この欠点を補うことができる。利用には対応OSが必要となる。 ここにソースの記載がない企業は日本語もしくは英語版Wikipediaのリンク先でソースを確認されたい。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "Graphics Processing Unit(グラフィックス プロセッシング ユニット、略してGPU)は、コンピュータゲームに代表されるリアルタイム画像処理に特化した演算装置あるいはプロセッサである。グラフィックコントローラなどと呼ばれる、コンピュータが画面に表示する映像を描画するための処理を行うICから発展した。特にリアルタイム3DCGなどに必要な、定形かつ大量の演算を並列にパイプライン処理するグラフィックスパイプライン性能を重視している。現在の高機能GPUは高速のビデオメモリ(VRAM)と接続され、頂点処理およびピクセル処理などの座標変換やグラフィックス陰影計算(シェーディング)に特化したプログラム可能な演算器(プログラマブルシェーダーユニット)を多数搭載している。プロセスルールの微細化が鈍化していることからムーアの法則は限界に達しつつあるが、設計が複雑で並列化の難しいCPUと比較して、個々の演算器の設計が単純で並列計算に特化したGPUは微細化の恩恵を得やすい。さらにHPC分野では、CPUよりも並列演算性能にすぐれたGPUのハードウェアを、より一般的な計算に活用する「GPGPU」がさかんに行われるようになっており、そういった分野向けに映像出力端子を持たない専用製品や、深層学習ベースのAI向けに特化した演算器を搭載したハイエンド製品も現れている。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "コンシューマPC向けGPUの起源は1970年代から1980年代のグラフィックコントローラにさかのぼる。当時のグラフィックコントローラは、矩形や多角形の領域を単純に塗り潰したり、BitBlt(Bit Block Transfer、ビット単位でのブロック転送)などにより、2次元画像に対して簡単な描画処理を行うだけであり、その機能と能力は限定的だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "グラフィックコントローラの中には、いくつかの命令をディスプレイリストとしてまとめて実行したり、DMA転送を用いることでメインCPUの負荷を減らしたりするものもあった。このような専用のグラフィックコントローラを用いずに、DMAコントローラで処理したり、汎用CPUをグラフィック処理専用に割り当てたグラフィックサブシステムを充てるコンピュータも存在した。汎用的なグラフィックス・コプロセッサは古くから開発されてきたが、当時の技術的な制約から安価な製品では機能や性能に乏しく、また高機能なものは回路の規模が増大し非常に高価なものとならざるを得ず、結果的にパーソナルコンピュータへ広く採用されることはなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1980年代から1990年代前半にかけてはBit Block Transferをサポートするチップと、描画を高速化するチップは別々のチップとして実装されていたが、チップ処理技術が進化するとともに安価になり、VGAカードをはじめとするグラフィックカード上に実装され、普及していった。1987年のVGA発表とともにリリースされたIBMの8514グラフィックスシステムは、2Dの基本的な描画機能をサポートした最初のPC用グラフィックアクセラレータとなった。AmigaはビデオハードウエアにBlitterを搭載した最初のコンシューマ向けコンピュータであった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1980年代後半から1990年代前半の日本国内で広く普及していたPCとしてPC-9800シリーズがあるが、同シリーズのグラフィックの描画に関連するチップにはGDCと、GRCG・EGCがある(CRTCなどもあるが、描画には関係しない)。GDCには直線・円弧・四角塗りつぶしなどの図形描画機能があり、この記事で扱っているタイプのLSIである。GDCは登場時点では比較的高機能・高性能であったが、CPUの性能向上によりその利点は薄くなっていった(そのため、当時の開発者でもそれを正確に把握していない者も多い)。GRCGは複数プレーンへの同時描画(98ではプレーンごとにセグメントアドレスを動かす必要があり面倒だった)や描画時のマスク操作などをハードウェアで行えるもので、EGCはGRCGの強化版(Enhanced Graphic Charger)である。EGCはEPSONが比較的後期まで追随しなかったことや、NECがハードウェアの仕様の公開に非積極的になった以降ということもあり、あまりよく知られていない。さらに、AGDC(Advanced 〜)やEEGC(あるいはEGC)といったチップに至っては、非公開情報を集めた文献にもその名前以外には殆ど全く情報がない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "1990年代に入ると、シリコングラフィックス (SGI) が自社のグラフィックワークステーション用のグラフィックライブラリとして開発・実装したIRIS GL(英語版)がOpenGLに発展して標準化され、標準化されたグラフィックライブラリとそのAPIに対応したハードウェアアクセラレータ、という図式が登場する。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "実装当初のIRIS GLはソフトウェアによるものであったが、SGIでは当初よりこのAPIをハードウェアによって高速処理させる (ハードウェアアクセラレーションを行う) ことを念頭に設計しており、程なくIRIS GLアクセラレータを搭載したワークステーションが登場する。ただし、当初のIRIS GLアクセラレータはまだ単体の半導体プロセッサではなく、グラフィックサブシステムは巨大な基板であった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1990年代の初めごろ、Microsoft Windowsの普及とともに、グラフィックアクセラレータへのニーズが高まり、WindowsのグラフィックスAPIであるGDIに対応したグラフィックアクセラレータが開発された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1991年にS3 Graphicsが開発した\"S3 86C911\"は、最初のワンチップ2Dグラフィック・アクセラレータであった。\"86C911\"という名は設計者がその速さを標榜するためポルシェ911にちなんで名付けた。86C911を皮切りとして数々のグラフィック・アクセラレータが発売された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "1995年には3DlabsがOpenGLアクセラレータのワンチップ化に成功し、低価格化と高パフォーマンス化が加速度的に進行し始める。また同年に登場したインテルのPentium Proプロセッサの処理能力は同時代のRISCプロセッサの領域に差し掛かっており、このCPUとワンチップ化によって価格を下げたOpenGLアクセラレータのセットは、それまでメーカーに高収益をもたらしていたグラフィックワークステーションというカテゴリーにローエンドから価格破壊を仕掛ける原動力となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1995年までには、あらゆる主要なPCグラフィックチップメーカーが2Dアクセラレータを開発し、とうとう汎用グラフィックス・コプロセッサは市場から消滅した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "1995年に3dfxによりVoodooという3Dアクセラレータが発売された。家庭用PCの性能上のボトルネックを考慮してゲーム用に最適化されたGlideというAPIも用意され、家庭用PC上で当時のアーケードゲームに匹敵する品質のグラフィックを実現した。Voodooシリーズは、1990年代後半の家庭用PCゲームの品質向上を牽引したシリーズとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "1995年にマイクロソフトがWindows 95とともに開発したゲーム作成及びマルチメディア再生用のAPI群DirectXではさらにグラフィック・アクセラレータの性能が強化された。DirectXのコンポートネントのひとつDirect3Dは当初から3Dグラフィック処理のハードウェア化を想定したレンダリング・パイプラインを持っていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "1997年当時のグラフィック・アクセラレータはレンダリングのみしかサポートしていなかったが、この頃からZバッファ、アルファブレンディング、フォグ、ステンシルバッファ、テクスチャマッピング、テクスチャフィルタリングなどの機能を次々搭載し、3Dグラフィック表示機能を競うようになった。DVD-Video再生支援機能を備えるチップも現れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "VDP等の汎用グラフィック・プロセッサについては、カーナビ等の表示用に使用され新たな市場を形成している。90年代後半からは、携帯電話に多色表示がもちいられるようになり、その分野においても有用な市場を形成している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "一方、システムの低価格化を目的に、チップセットのノースブリッジにグラフィックコアの統合を行った、統合チップセットが1997年ころから登場し始める。1999年の「Intel 810」チップセットの登場で、低価格機には統合チップセットの使用が定着し始めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "3DCGの中核とも言えるジオメトリエンジンは高コストが許容されるグラフィックワークステーションでは専用プロセッサとして搭載されていたが、PCでは長らくCPUが担う機能であった。しかし、ジオメトリエンジンの別名とも言えるハードウェアによる座標変換・陰影計算処理(英: Hardware Transform and Lighting; ハードウェアT&L)が1999年にPC向けにリリースされたDirectX 7にて標準化され、またこのハードウェアT&Lを世界で初めて実装して製品化したNVIDIA GeForce 256を定義する言葉として「GPU」という名称が提唱されることとなった。ハードウェアT&Lの実装によって、NVIDIA社製品は他社製品と比較して突出した高性能を発揮するようになった。これ以後、ジオメトリエンジンとしての機能をCPUに任せる3dfx Voodooシリーズは目立って高性能とは言えなくなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "DirectX 8世代では、グラフィックスパイプライン中の一部の処理をユーザープログラマーが自由に記述できるプログラマブルシェーダーが導入されるようになった。プログラマブルシェーダーは頂点シェーダー (Vertex Shader) とピクセルシェーダー (Pixel Shader) の2種類が用意され、頂点シェーダーは頂点座標や光源ベクトルの頂点単位での座標変換および頂点単位での陰影計算(シェーディング)を、ピクセルシェーダーはピクセル単位での陰影計算をそれぞれ担当する設計だった。特に従来の固定機能シェーダーではポリゴン単位(頂点単位)でしか陰影計算を実行できなかったのに対し、ピクセル単位での陰影計算もできるプログラマブルピクセルシェーダーの導入により、表現の自由度と解像度(精細度・品質)が飛躍的に向上した。ただし、シェーダープログラムの記述に使える言語は原始的なアセンブリ言語が基本であり、記述可能なプログラム長(命令数)もごく限られていたため、開発効率や再利用性などの面で課題を抱えていた。なお、頂点シェーダープログラムとピクセルシェーダープログラムを実行するハードウェアユニット(演算器)のことを、それぞれ頂点シェーダーおよびピクセルシェーダーとも呼んでいた。後にNVIDIAでCUDAを開発するIan Buckはこの最初の世代のプログラマブルシェーダーから既にGPGPUに着手しており、厳しい制約下ではあったもののレイトレーシングの高速化についての論文を発表している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "また、この世代になるとマルチテクスチャ、キューブマップ、アニソトロピック(異方性)フィルタ、ボリュームテクスチャなどが新たにサポートされ、HDRIによるレンダリングや動的な環境マッピングの生成が可能になった。動画の再生や圧縮にシェーダーを使う技術も搭載された (Intel Clear Video、PureVideo、AVIVO、Chromotion)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "DirectX 9世代になると、このプログラマブルシェーダーがさらに進化し、シェーダーのプログラムを書くための専用の高級言語であるCg、HLSL、GLSLなどが開発され、シェーダーを物理演算などゲームでの3Dグラフィック表示以外の演算に使うことも多くなった。Windows Vistaに搭載された機能のひとつ「Windows Aero」 (Desktop Window Manager) は画面表示にプログラマブルシェーダー(ピクセルシェーダー2.0)を利用するので、この世代のビデオチップが必須になっている(Windows Aero Glassを使用しなければDirectX 8世代以前のビデオチップでもWindows Vista自体は稼働する)。また、Mac OS XのCore ImageではOpenGLのプログラマブルシェーダーを利用して2Dグラフィックのフィルタ処理を行っている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "DirectX 10世代ではさらに自由度が増し、「シェーダーモデル4.0」 (SM 4.0) に基づくグラフィックスパイプラインが導入され、頂点シェーダーとピクセルシェーダーの間でジオメトリシェーダー (Geometry Shader) によるプリミティブ増減処理を行なえるようになった。ジオメトリシェーダーはOpenGL 3.2でも標準化されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "グラフィックス描画処理では3次元空間を構成する表現のために三角形を色付けするピクセルシェーディング処理の負荷が、精細度や特殊処理などによって大きく変化するため、固定のハードウェアパイプライン構成ではボトルネックになることが多かった。この制約を解消するために、DirectX 10世代では演算ユニットを汎用化する統合型シェーダーアーキテクチャ (en:unified shader architecture) によって固定のパイプラインの一部をより柔軟な構成に変更した。頂点シェーダーとジオメトリシェーダー、そしてピクセルシェーダーの機能をあわせもつ統合型シェーダー (Unified Shader) を多数搭載して動的に処理を振り分けることによってプログラムの自由度と共にボトルネックを解消し、演算回路数の増加に比例した画像描画処理速度の向上を得た。なお、この統合型シェーダーアーキテクチャによるハードウェアレベルでの汎用化が、GPUにおける汎用演算(GPGPU)の発展と普及を加速させていくことになる。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "統合型シェーダーアーキテクチャを採用したNVIDIA GeForce 8シリーズではWindows / Mac OS X / Linux用の標準的な汎用Cコンパイラ環境 (CUDA) が提供され、一方ATI Radeon HD 2000シリーズではハードウェアに直接アクセスできる環境 (Close to Metal(英語版)) が、そしてRadeon HD 4000シリーズ以降ではATI Stream(Brook+言語と抽象化レイヤーであるCAL)によるアクセス手段が用意されている。これにより科学技術計算やシミュレーション、画像認識、音声認識など、GPUの演算能力を汎用的な用途へ広く利用できるようになった(GPGPU)。また、特定のハードウェアベンダーやプラットフォームに依存しないOpenCLというヘテロジニアス計算環境向け標準規格に続き、米マイクロソフト社からDirectX 11 APIの一部としてGPGPU用APIであるDirectCompute(コンピュートシェーダー)がリリースされた(のちにDirectComputeをバックエンドとするGPGPU向けC++言語拡張・ライブラリとしてC++ AMPも登場した)。DirectX 11のシェーダーモデル5.0では、前述のコンピュートシェーダーに加え、頂点シェーダーとジオメトリシェーダーの間に、ポリゴンの細分割・詳細化(サブディビジョンサーフェイス)をGPUで行なうテッセレーションシェーダー(ハルシェーダー、固定機能テッセレータ、ドメインシェーダー)が追加された。テッセレーションシェーダーはOpenGL 4.0、コンピュートシェーダーはOpenGL 4.3でも標準化されている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "なお、主にDirectXに最適化されたGeForceやRadeonなど3Dゲーム向け製品と異なり、業務用ワークステーションなど高い信頼性や耐久性が必要とされる業務用途に特化して設計されたNVIDIA Quadroシリーズ、およびAMD FireProシリーズが存在する。これら業務用製品はDirect3DよりもOpenGLおよびOpenGL対応アプリケーションに最適化されており、CAD、HPC、金融、CG映像、建築/設計、DTP、研究開発分野において採用されている。そのほか、NVIDIA TeslaシリーズやAMD FireStreamシリーズ(のちにAMD FireProに統合)といった、GPGPU専用製品も登場している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "主なCPUメーカーは、従来のCPU機能だけにとどまらず、1つのCPUチップ内に複数のCPUコア(マルチコア)を搭載すると同時に、画像出力専用回路としてGPUコアも統合した製品を提供するようになった。例えば、米AMDでは「AMD Fusion」構想において1つのダイ上に2つ以上のCPUとGPUを統合し、米インテル社でもCore i5、Core i7、Core i3でのSandy Bridge世代から、同様の製品を提供している。なお、従来型のUMA、つまり単にCPUとGPUのチップを統合して物理メモリを共有するだけでは、CPUとGPUのメモリ空間が統一されることにはつながらない。HSAにおけるhUMAなどのように、CPUとGPUのメモリ空間を統一するためにメモリ一貫性を確保する仕組みが用意されることで初めて、CPU-GPU間のメモリ転送作業が不要となる。また、CPUとGPUの外部メモリが共用されるため、CPUチップの外部メモリバスにはCPUのアクセス帯域に加えてGPUのアクセス帯域も加わる。このため、仮にCPUチップに極めて高い性能のGPUを統合しても、統合チップのメモリアクセス帯域も相応に増強されないと、それがボトルネックとなって性能向上は望めない。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "GPU用のメモリ規格として長らくDDR系およびGDDR系が採用されてきたが、2015年6月に発売されたAMD Radeon R9 Fury Xでは、新しい規格系統のHigh Bandwidth Memory (HBM) が世界で初めて採用された 。しかし、高性能だが高価格なHBMの採用はコンシューマー用途では進まず、GDDR5の後継規格であるGDDR5XやGDDR6が採用されるようになっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "2010年代後半にGPGPUという手法が広く普及したことで、HPC分野でもGPUを多用するようになった。特に深層学習(ディープラーニング)ベースのAI用途にGPUの需要が高まっている。VRAMに関しては費用対効果の面から、HPC用途ではたとえ高コストでも広帯域・大容量のHBM、ゲームなどのコンシューマー用途ではたとえ低帯域でも低コストのGDDRという棲み分けが起きている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "一方グラフィックスAPIに関しては、Mantleを皮切りとして、Metal、DirectX 12およびVulkanのように、ハードウェアにより近い制御を可能とするローレベル (low-level) APIが出現することとなった。ローレベルAPIはいずれもハードウェア抽象化レイヤーを薄くすることによるオーバーヘッドの低減や描画効率の向上を目的としており、またマルチコアCPUの活用を前提とした描画あるいは演算コマンドリストの非同期実行といった機能を備えている。また、GPUでリアルタイムレイトレーシングを実現する動きも加速しつつある。2009年にNVIDIA OptiX(英語版)が、2011年にイマジネーションテクノロジーズ(英語版)のOpenRL(英語版)が、そして2018年にマイクロソフトのDirectX Raytracing(英語版) (DXR) とAppleのMetal Ray Tracingが発表された。NVIDIA GeForce RTXシリーズはDXRのハードウェアアクセラレーションに対応する最初のGPUである。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "2020年にはインテルが同社としては1998年に発売した「Intel 740」以来、22年ぶりの単体GPUである「iris Xe Max」を発売し、更に2022年にインテルはPC向けで同社初の本格的な単体GPUである「Intel Arc」を発売した。NVIDIAとAMDの2社がほぼ寡占しているPC向けの単体GPU市場にインテルが本格参戦する状況になった。実態としては最上位でもミドルクラスの性能であり、Resizable BAR 非対応のマシンでのパフォーマンスの大幅低下やドライバの完成度の低さやアイドル時の電力効率の低さなどで主要2社の製品に劣るものの、既に十分使える製品となっているため、主要2社に対するカウンターとしての存在感を示すことには成功したと言える。また、2023年8月になると人工知能のGPUに対する需要の爆発な成長が故GPUは供給不足に直面している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "DirectX 10世代以降のGPUは統合型シェーダーアーキテクチャに基づいて設計されており、Intel GMAなどの一部を除きGPGPUにも対応している。", "title": "GPUの構造" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "NVIDIAのGPUは、統合型シェーダーアーキテクチャを採用したGeForce 8 (G80) シリーズ以降、Warp単位(32ハードウェアスレッド)での並列処理実行が特徴となっている 。NVIDIAのGT200アーキテクチャでは、単精度CUDAコア (SPCC) と倍精度ユニット (DPU) が分かれていたが、Fermiでは単精度CUDAコア16個を2グループ組み合わせ、倍精度演算器16個と見立てて実行している。", "title": "GPUの構造" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "AMDのGPUは、Radeon HD 2000~HD 6000シリーズにおいてVLIWを採用していたが、HD 7000シリーズ以降では、グラフィックスだけでなくGPGPUでも性能を発揮できるようにするために、非VLIWなSIMDとスカラー演算ユニットにより構成されたGraphics Core Next (GCN) アーキテクチャを採用している。AMD GPUではWavefront単位(64ハードウェアスレッド)での並列処理実行が特徴となっている。", "title": "GPUの構造" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "ゲーム業界においても、1990年代後半から3D描画能力の向上が求められ、ゲーム機(ゲームコンソール)ベンダーはGPUメーカーと共同で専用のGPUを開発するようになった。汎用機であるパーソナル・コンピュータ(PC)用GPUより先行した新機能やeDRAMの搭載で差別化したものが多い。また、汎用化・共通化のための分厚い抽象化層がほとんど不要な専用APIや専用マシン語が使えることもあいまって、同世代における下位や中位のPC用GPUよりも画像処理性能においては高性能である。", "title": "組み込みシステム" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "本節ではハードウェアT&Lあるいはそれに類する3次元コンピュータグラフィックスパイプラインを有するもののみを列挙する。", "title": "組み込みシステム" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "なおXbox One、PlayStation 4においては、それぞれAMD製のx86互換APUのカスタマイズ版が搭載されており、GPGPUの活用とPCゲームからの移植性を重視したアーキテクチャとなっている。", "title": "組み込みシステム" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "近年、携帯電話やカーナビゲーションシステムの表示機能の高度化が著しく、組み込みシステムにおいて用いられていたVDPに代わって、OpenGL ES対応のプログラマブルシェーダーを搭載したGPUが採用されることが増えてきている。特に使用メモリと消費電力を抑える要求から、PowerVRのシェアが高い。", "title": "組み込みシステム" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "「GPU」は、1999年にNVIDIA Corporationが、GeForce 256の発表時に提唱した呼称である 。それまでビデオカード上の処理装置は「ビデオチップ」や「グラフィックスチップ」と呼ばれていたが、GeForce 256はハードウェアT&Lを世界で初めて搭載し、3次元コンピュータグラフィックスの内部計算および描画処理におけるCPU側の負荷を大幅に軽減するコプロセッサとしての地位を確立したことから、NVIDIA社は「Graphics Processing Unit」と命名した。", "title": "「GPU」という名前" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "GPUと同様の名称として、Visual Processing Unit (VPU) が存在する。「VPU」は、3Dlabs Inc.が、Wildcat VP(量産品としては世界初の汎用シェーダー型設計のGPU)の発表時に命名した。なお、VPUの呼称に関しては、ATI TechnologiesがRadeon 9500/9700の発表時に提唱したと誤解されることがあるが、実際は、3DlabsのWildcat VPの発表が先行している。また、ATIがVPUの呼称を使ったのは、当時は3Dlabsと提携していたからでもある。", "title": "「GPU」という名前" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "現在はAMD (旧ATI) も主にGPUの呼称を使用している。", "title": "「GPU」という名前" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "GPUとは別の分類だが、Intelは2019年から、画像認識などのコンピュータビジョンの処理に特化したプロセッサとしてVision Processing Unit(英語版) (VPU) という名称を使っている。「Intel Movidius Myriad X VPU」は、AIで利用されるニューラルネットワークを高速かつ低消費電力で実現できるエンジンとハードウェアアクセラレータを搭載する、AIアクセラレータである。Meteor Lake世代のプロセッサではVPUを統合することが予定されている。VPUに画像認識処理をオフロードすることで、CPU/GPU負荷を下げることが可能となる。", "title": "「GPU」という名前" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "一般に、チップセットに搭載されているオンボードグラフィックスプロセッサおよびCPU内蔵GPU(統合GPU、integrated GPU: iGPU)のグラフィック機能は、単体チップ型のGPU(ディスクリートGPU、discrete GPU: dGPU)に劣るが、消費電力やコスト面では有利である。このため、主にオフィススイートやインターネットアクセスなどを中心とした高性能が必要ない用途が想定され、低価格が求められる業務用端末(クライアント)機向けや、低発熱・低消費電力が求められるノートパソコンなどでは単体チップのGPUではなく、統合GPUが多く搭載されている。比較的高性能なGPUを使用するゲーム機でもコストダウンを目的としてGPUの統合化が進んでいる。スマートフォンやタブレットに使用されているSoCもCPUとGPUをひとつのチップに統合している。", "title": "統合GPU" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "統合GPUでは、ビデオカードと違って専用のVRAMを持たず、メインメモリの一部をGPUに割り当てるユニファイドメモリアーキテクチャが採用されているが、通常はCPUとGPUのメモリ空間が分離されており、お互いのデータを直接参照することはできない。そのため、事前にソフトウェアレベルあるいはドライバーレベルでのデータ転送処理が必要となる。AMD APUはHSAのhUMAをサポートすることで、CPUとGPUのメモリ空間をハードウェアレベルで統合しており、従来のユニファイドメモリアーキテクチャよりもヘテロジニアス・コンピューティングに適した形態となっている。CPUとGPUはそれぞれ得意分野が異なるものの、CPUはコアあたりの性能向上が頭打ちになってきているため、伸びしろのあるGPUにダイの面積を割いて総合的な演算性能を向上させることは理にかなっている。", "title": "統合GPU" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "GPU単体の製品のラインナップも、エントリ向けの低価格なローエンドから、価格と性能のバランスがとれたミドルレンジ、過酷な要求にも耐えうる高性能を持つハイエンド、そして価格を度外視して最高性能を求めるユーザー向けのウルトラハイエンドと様々である。また、主にゲーミング用途を想定したコンシューマー向けや、業務用途を想定したプロフェッショナル・エンタープライズ向けなどに差別化されている。しかし高性能なGPUの利用を前提とするAeroを搭載したWindows Vistaの登場以降、チップセット内、およびCPUパッケージ内に統合されているGPUコアの性能が向上してきたため、GPU単体の製品の主力は3Dゲームの快適なプレイやCADオペレーションあるいは3DCG制作におけるプレビュー用途を想定した、比較的高価で高性能なものへとシフトしている。単体GPUは主にデスクトップPC向けのビデオカード上に実装されたものとして提供・利用されているが、ゲーミング向けの高性能ノートPCなどでは、CPU内蔵GPUだけでは性能的に不十分なため、別途マザーボード上に強力な単体GPUと専用VRAMを実装しているものもある。", "title": "統合GPU" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "外付けの専用ボックス内にグラフィックスボードをスタッキングし、Thunderboltのような高速インターフェイス規格でPCに接続する形態(外部GPU、external GPU: eGPU)も登場している。ノートPCや一部のベンダー製デスクトップPCは、CPUやGPUを交換することはできず、拡張性に乏しい。外付けボックスを利用して高性能なeGPUをシステムに追加することで、この欠点を補うことができる。利用には対応OSが必要となる。", "title": "外部GPU" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "ここにソースの記載がない企業は日本語もしくは英語版Wikipediaのリンク先でソースを確認されたい。", "title": "GPU開発企業" } ]
Graphics Processing Unitは、コンピュータゲームに代表されるリアルタイム画像処理に特化した演算装置あるいはプロセッサである。グラフィックコントローラなどと呼ばれる、コンピュータが画面に表示する映像を描画するための処理を行うICから発展した。特にリアルタイム3DCGなどに必要な、定形かつ大量の演算を並列にパイプライン処理するグラフィックスパイプライン性能を重視している。現在の高機能GPUは高速のビデオメモリ(VRAM)と接続され、頂点処理およびピクセル処理などの座標変換やグラフィックス陰影計算(シェーディング)に特化したプログラム可能な演算器(プログラマブルシェーダーユニット)を多数搭載している。プロセスルールの微細化が鈍化していることからムーアの法則は限界に達しつつあるが、設計が複雑で並列化の難しいCPUと比較して、個々の演算器の設計が単純で並列計算に特化したGPUは微細化の恩恵を得やすい。さらにHPC分野では、CPUよりも並列演算性能にすぐれたGPUのハードウェアを、より一般的な計算に活用する「GPGPU」がさかんに行われるようになっており、そういった分野向けに映像出力端子を持たない専用製品や、深層学習ベースのAI向けに特化した演算器を搭載したハイエンド製品も現れている。
{{出典の明記|date=2015年12月}} '''Graphics Processing Unit'''(グラフィックス プロセッシング ユニット、略して'''GPU''')は、[[コンピュータゲーム]]に代表されるリアルタイム[[画像処理]]に特化した[[演算装置]]あるいは[[プロセッサ]]である。[[グラフィックコントローラ]]などと呼ばれる、コンピュータが画面に表示する映像を描画するための処理を行うICから発展した。特にリアルタイム[[3次元コンピュータグラフィックス|3DCG]]などに必要な、定形かつ大量の演算を並列にパイプライン処理する[[グラフィックスパイプライン]]性能を重視している。現在の高機能GPUは高速のビデオメモリ([[VRAM]])と接続され、頂点処理およびピクセル処理などの座標変換やグラフィックス陰影計算([[シェーディング]])に特化したプログラム可能な演算器(プログラマブルシェーダーユニット)を多数搭載している。[[プロセスルール]]の微細化が鈍化していることから[[ムーアの法則]]は限界に達しつつあるが、設計が複雑で並列化の難しい[[CPU]]と比較して、個々の演算器の設計が単純で並列計算に特化したGPUは微細化の恩恵を得やすい。さらに[[高性能計算|HPC]]分野では、[[CPU]]よりも並列演算性能にすぐれたGPUのハードウェアを、より一般的な計算に活用する「[[GPGPU]]」がさかんに行われるようになっており、そういった分野向けに映像出力端子を持たない専用製品や、[[深層学習]]ベースの[[人工知能|AI]]向けに特化した演算器を搭載したハイエンド製品も現れている。 [[ファイル:6600GT GPU.jpg|thumb|200px|NVIDIA製のGPU - GeForce 6600 GT]] == 歴史 == {{see also|ビデオカード#ビデオカードの歴史}} {{複数の問題|section=1 |出典の明記=2015年12月 |独自研究=2015年12月 }} === 1970年代〜1980年代 === {{see also|グラフィックコントローラ#1970年代〜1980年代}} {{複数の問題|section=1 |出典の明記=2015年12月 |独自研究=2015年12月 }} [[コンシューマ]]PC向けGPUの起源は[[1970年代]]から[[1980年代]]のグラフィックコントローラにさかのぼる。当時のグラフィックコントローラは、[[矩形]]や[[多角形]]の領域を単純に塗り潰したり、BitBlt([[Bit Block Transfer]]、ビット単位でのブロック転送)などにより、2次元画像に対して簡単な描画処理を行うだけであり、その[[機能]]と[[能力]]は限定的だった。 グラフィックコントローラの中には、いくつかの命令を[[ディスプレイリスト]]としてまとめて実行したり、[[Direct Memory Access|DMA転送]]を用いることでメイン[[CPU]]の[[負荷]]を減らしたりするものもあった。このような専用のグラフィックコントローラを用いずに、DMAコントローラで処理したり、汎用CPUをグラフィック処理専用に割り当てたグラフィック[[サブシステム]]を充てるコンピュータも存在した。汎用的なグラフィックス・[[コプロセッサ]]は古くから開発されてきたが、当時の技術的な制約から安価な製品では機能や[[性能]]に乏しく、また高機能なものは[[電子回路|回路]]の規模が増大し非常に高価なものとならざるを得ず、結果的にパーソナルコンピュータへ広く採用されることはなかった。 <!--TMS9918には図形描画やアクセラレーション機能はありません。この項目で言及する必然性について疑問があります。MSX2で採用されたV9938(TMS9918の機能拡張版)ではビットマップグラフィックプレーンと図形描画機能が実装されますが、登場は1985年と遥かに遅くなります。このあたりの上手い説明を求めます--><!--世界的に有名な製品の一つとして、1980年代前半頃の低価格な8bitホームコンピュータ数機種に採用例を持つ[[テキサス・インスツルメンツ]]の[[TMS9918]]がある。ただし、TMS9918は当時の水準でもビットマップグラフィック機能は限定的なものであり、図形の描画機能等も持たず、スプライト表示に特化したゲーム向けの[[VDP]](Video Display Processor)であった。TMS9918はこれを採用した[[MSX]]が同一規格、低価格での普及を目指していたことから、MSX2、MSX2+といった後継規格(VDPも[[V9938]]、[[V9958]]と改良された)とあわせ相当数(1990年代初頭に累計400万台出荷、出荷を記念してMSX関連雑誌で特集が組まれた。ただしその時点で既に市場では終息していた)が売られた。--> 1980年代から[[1990年代]]前半にかけてはBit Block Transferをサポートするチップと、描画を高速化するチップは別々のチップとして実装されていたが、チップ処理技術が進化するとともに安価になり、VGAカードをはじめとする[[グラフィックカード]]上に実装され、普及していった。1987年の[[Video Graphics Array|VGA]]発表とともにリリースされたIBMの8514グラフィックスシステムは、[[2次元コンピュータグラフィックス|2D]]の基本的な描画機能をサポートした最初のPC用[[グラフィックアクセラレータ]]となった。[[Amiga]]はビデオハードウエアにBlitterを搭載した最初のコンシューマ向けコンピュータであった。 <!--98のGRCGおよびEGCはいわゆるALUであって、グラフィックアクセラレータとしての性質はありません。図形描画アクセラレータとしては初代から搭載されているGDCのみが該当します-->1980年代後半から1990年代前半の日本国内で広く普及していたPCとして[[PC-9800シリーズ]]があるが、同シリーズのグラフィックの描画に関連するチップには[[μPD7220|GDC]]と、GRCG・EGCがある(CRTCなどもあるが、描画には関係しない)。GDCには直線・[[円弧]]・四角塗りつぶしなどの[[図形]]描画機能があり、この記事で扱っているタイプのLSIである。GDCは登場時点では比較的高機能・高性能であったが、CPUの性能向上によりその利点は薄くなっていった(そのため、当時の開発者でもそれを正確に把握していない者も多い)。GRCGは複数プレーンへの同時描画(98ではプレーンごとにセグメントアドレスを動かす必要があり面倒だった)や描画時のマスク操作などをハードウェアで行えるもので、EGCはGRCGの強化版(Enhanced Graphic Charger)である。EGCはEPSONが比較的後期まで追随しなかったことや、NECがハードウェアの仕様の公開に非積極的になった以降ということもあり、あまりよく知られていない。さらに、AGDC(Advanced 〜)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.oguchi-rd.com/ne_72120/ne_72120_all.pdf|title=μPD7220後継のグラフィックス・コントローラLSI, コピーや塗りつぶし機能を強化 - 日経エレクトロニクス1987.2.23|accessdate=2020-11-15|author=小口哲司他|year=1987|format=PDF|publisher=Oguchi R&D}}</ref>やEEGC(あるいはE<sup>2</sup>GC)といったチップに至っては、非公開情報を集めた文献にもその名前以外には殆ど全く情報がない。 === 1990年代 === {{複数の問題|section=1 |出典の明記=2015年12月 |独自研究=2015年12月 }} 1990年代に入ると、[[シリコングラフィックス]] (SGI) が自社の[[グラフィックワークステーション]]用のグラフィック[[ライブラリ]]として[[ソフトウェア開発|開発]]・[[実装]]した{{仮リンク|IRIS GL|en|IRIS GL}}が[[OpenGL]]に発展して[[標準化]]され、標準化されたグラフィックライブラリとその[[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]に対応したハードウェアアクセラレータ、という図式が登場する。 実装当初のIRIS GLは[[ソフトウェア]]によるものであったが、SGIでは当初よりこのAPIをハードウェアによって高速処理させる ([[ハードウェアアクセラレーション]]を行う) ことを念頭に設計しており、程なくIRIS GLアクセラレータを搭載したワークステーションが登場する。ただし、当初のIRIS GLアクセラレータはまだ単体の半導体[[プロセッサ]]ではなく、グラフィック[[サブシステム]]は巨大な[[基板]]であった。 1990年代の初めごろ、[[Microsoft Windows]]の普及とともに、[[グラフィックアクセラレータ]]へのニーズが高まり、WindowsのグラフィックスAPIである[[Graphics Device Interface|GDI]]に対応したグラフィックアクセラレータが開発された。 [[1991年]]に[[S3 Graphics]]が開発した"S3 86C911"は、最初のワンチップ2Dグラフィック・アクセラレータであった。"86C911"という名は設計者がその速さを標榜するため[[ポルシェ・911|ポルシェ911]]にちなんで名付けた。86C911を皮切りとして数々のグラフィック・アクセラレータが発売された。 [[1995年]]には[[3Dlabs]]がOpenGLアクセラレータのワンチップ化に成功し、低価格化と高[[性能|パフォーマンス]]化が加速度的に進行し始める。また同年に登場したインテルの[[Pentium Pro]]プロセッサの処理能力は同時代の[[RISC]]プロセッサの領域に差し掛かっており、この[[CPU]]とワンチップ化によって価格を下げたOpenGLアクセラレータのセットは、それまで[[メーカー]]に高収益をもたらしていたグラフィックワークステーションという[[カテゴリー]]に[[ローエンド]]から価格破壊を仕掛ける原動力となった。 [[1995年]]までには、あらゆる主要なPCグラフィックチップメーカーが2Dアクセラレータを開発し、とうとう汎用グラフィックス・[[コプロセッサ]]は市場から消滅した。 1995年に[[3dfx]]により[[3dfx|Voodoo]]という3Dアクセラレータが発売された。家庭用PCの性能上のボトルネックを考慮してゲーム用に最適化されたGlideというAPIも用意され、家庭用PC上で当時のアーケードゲームに匹敵する品質のグラフィックを実現した。Voodooシリーズは、1990年代後半の家庭用PCゲームの品質向上を牽引したシリーズとなった。 1995年に[[マイクロソフト]]が[[Microsoft Windows 95|Windows 95]]とともに開発したゲーム作成及び[[マルチメディア]]再生用のAPI群[[DirectX]]ではさらにグラフィック・アクセラレータの性能が強化された。DirectXのコンポートネントのひとつ[[Direct3D]]は{{要出典範囲|当初から|date=2016年11月}}[[3Dグラフィック]]処理の[[ハードウェア]]化を想定したレンダリング・[[パイプライン処理|パイプライン]]を持っていた。 <!--率直に言って酷い。全部書き直したい-->1997年当時のグラフィック・アクセラレータは[[レンダリング (コンピュータ)|レンダリング]]のみしかサポートしていなかったが、この頃から[[Zバッファ]]、[[アルファブレンディング]]、フォグ、[[ステンシルバッファ]]、[[テクスチャマッピング]]、[[テクスチャフィルタリング]]などの機能を次々搭載し、3Dグラフィック表示機能を競うようになった。[[DVD-Video]]再生支援機能を備えるチップも現れた。 [[VDP]]等の汎用グラフィック・プロセッサについては、[[カーナビ]]等の表示用に使用され新たな市場を形成している。90年代後半からは、[[携帯電話]]に多色表示がもちいられるようになり、その分野においても有用な市場を形成している。 一方、システムの低価格化を目的に、[[チップセット]]の[[チップセット#構成|ノースブリッジ]]にグラフィックコアの統合を行った、[[チップセット#統合チップセット|統合チップセット]]が[[1997年]]ころから登場し始める。[[1999年]]の「[[Intel 810]]」チップセットの登場で、低価格機には統合チップセットの使用が定着し始めた。 [[3次元コンピュータグラフィックス|3DCG]]の中核とも言える[[ジオメトリエンジン]]は高コストが許容される[[ワークステーション|グラフィックワークステーション]]では専用プロセッサとして搭載されていたが、[[パーソナルコンピュータ|PC]]では長らく[[CPU]]が担う機能であった。しかし、[[ジオメトリエンジン]]の別名とも言えるハードウェアによる座標変換・陰影計算処理({{lang-en-short|Hardware Transform and Lighting}}; ハードウェアT&L)が1999年にPC向けにリリースされたDirectX 7にて標準化され<ref>[http://windowsitpro.com/windows-server/microsoft-releases-directx-70 Microsoft releases DirectX 7.0 | Windows Server content from Windows IT Pro]</ref>、またこのハードウェアT&Lを世界で初めて実装して製品化した[[NVIDIA GeForce]] 256を定義する言葉として「'''GPU'''」という名称が提唱されることとなった。ハードウェアT&Lの実装によって、NVIDIA社製品は他社製品と比較して突出した高性能を発揮するようになった。これ以後、[[ジオメトリエンジン]]としての機能を[[CPU]]に任せる[[3dfx|3dfx Voodoo]]シリーズは目立って高性能とは言えなくなった。 === 2000年代 === {{複数の問題|section=1 |出典の明記=2015年12月 |独自研究=2015年12月 }} [[ファイル:三次元グラフィックス 描画パイプライン.PNG|thumb|120px|right|3次元グラフィックスのパイプライン処理]] DirectX 8世代では、[[グラフィックスパイプライン]]中の一部の処理をユーザープログラマーが自由に記述できる[[プログラマブルシェーダー]]が導入されるようになった。プログラマブルシェーダーは[[頂点シェーダー]] (Vertex Shader) と[[ピクセルシェーダー]] (Pixel Shader) の2種類が用意され、頂点シェーダーは頂点座標や光源ベクトルの頂点単位での座標変換および頂点単位での陰影計算(シェーディング)を、ピクセルシェーダーはピクセル単位での陰影計算をそれぞれ担当する設計だった。特に従来の固定機能シェーダーでは[[ポリゴン]]単位(頂点単位)でしか陰影計算を実行できなかったのに対し、[[ピクセル]]単位での陰影計算もできるプログラマブル[[ピクセルシェーダー]]の導入により、表現の自由度と解像度(精細度・品質)が飛躍的に向上した。ただし、シェーダープログラムの記述に使える言語は原始的なアセンブリ言語が基本であり、記述可能なプログラム長(命令数)もごく限られていたため、開発効率や再利用性などの面で課題を抱えていた。なお、頂点シェーダープログラムとピクセルシェーダープログラムを実行するハードウェアユニット(演算器)のことを、それぞれ頂点シェーダーおよびピクセルシェーダーとも呼んでいた。後にNVIDIAでCUDAを開発するIan Buckはこの最初の世代のプログラマブルシェーダーから既にGPGPUに着手しており、厳しい制約下ではあったもののレイトレーシングの高速化についての論文を発表している。 また、この世代になるとマルチ[[テクスチャマッピング|テクスチャ]]、[[キューブマップ]]、アニソトロピック([[異方性]])フィルタ、ボリュームテクスチャなどが新たにサポートされ、[[HDRI]]によるレンダリングや動的な[[環境マッピング]]の生成が可能になった。[[動画]]の再生や[[データ圧縮|圧縮]]にシェーダーを使う技術も搭載された ([[Intel Quick Sync Video|Intel Clear Video]]、[[PureVideo]]、[[AVIVO]]、[[Chromotion]])。 DirectX 9世代になると、このプログラマブルシェーダーがさらに進化し、シェーダーのプログラムを書くための専用の[[高級言語]]である[[Cg (プログラミング言語)|Cg]]、[[HLSL]]、[[GLSL]]などが開発され、シェーダーを[[物理演算]]などゲームでの3Dグラフィック表示以外の演算に使うことも多くなった。[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]に搭載された機能のひとつ「[[Windows Aero]]」 ([[Desktop Window Manager]]) は画面表示にプログラマブルシェーダー(ピクセルシェーダー2.0)を利用するので<ref>{{Cite web |last=Schechter |first=Greg |date=2006-03-19 |url=http://blogs.msdn.com/greg_schechter/archive/2006/03/19/555087.aspx |title=DWM's use of DirectX, GPUs, and hardware acceleration |work=Greg Schechter's Blog |language=英語 |accessdate=2009-02-14 }}</ref>、この世代のビデオチップが必須になっている(Windows Aero Glassを使用しなければDirectX 8世代以前のビデオチップでもWindows Vista自体は稼働する)。また、[[macOS|Mac OS X]]の[[Core Image]]では[[OpenGL]]のプログラマブルシェーダーを利用して2Dグラフィックのフィルタ処理を行っている。 [[ファイル:GeForce 8800の内部構造.PNG|thumb|300px|left|'''GeForce 8800の内部構造'''<br />統合シェーダーである「Streaming Processor」が128個搭載されている。これにより最大500GFLOPS超で処理する。]] DirectX 10世代ではさらに自由度が増し、「[[シェーダーモデル]]4.0」 (SM 4.0) に基づく[[グラフィックスパイプライン]]が導入され、頂点シェーダーとピクセルシェーダーの間で[[ジオメトリシェーダー]] (Geometry Shader) によるプリミティブ増減処理を行なえるようになった。ジオメトリシェーダーはOpenGL 3.2でも標準化されている。 グラフィックス描画処理では3次元空間を構成する表現のために[[三角形]]を色付けする[[ピクセル]]シェーディング処理の[[負荷]]が、精細度や特殊処理などによって大きく変化するため、固定のハードウェアパイプライン構成では[[ボトルネック]]になることが多かった。この制約を解消するために、DirectX 10世代では演算ユニットを汎用化する'''統合型シェーダーアーキテクチャ''' ([[:en:unified shader architecture]]) によって固定のパイプラインの一部をより柔軟な構成に変更した。頂点シェーダーとジオメトリシェーダー、そしてピクセルシェーダーの機能をあわせもつ'''統合型シェーダー''' (Unified Shader) <ref>[http://news.mynavi.jp/articles/2006/11/09/g80/ 【レビュー】初の統合型シェーダーアーキテクチャ「GeForce 8800シリーズ」を試す (1) 新アーキテクチャで登場したG80 | マイナビニュース]</ref>を多数搭載して動的に処理を振り分けることによってプログラムの自由度と共にボトルネックを解消し、演算回路数の増加に比例した画像描画処理速度の向上を得た<ref name = "日経エレクトロニクス 2007/10/8">日経エレクトロニクス 2007/10/8 「プロセサはマルチ×マルチへ」</ref>。なお、この統合型シェーダーアーキテクチャによるハードウェアレベルでの汎用化が、GPUにおける汎用演算([[GPGPU]])の発展と普及を加速させていくことになる。 統合型シェーダーアーキテクチャを採用した[[NVIDIA GeForce]] 8シリーズではWindows / Mac OS X / [[Linux]]用の標準的な汎用[[C言語|C]]コンパイラ環境 ([[CUDA]]) が提供され、一方[[ATI Radeon]] HD 2000シリーズではハードウェアに直接アクセスできる環境 ({{仮リンク|Close to Metal|en|Close to Metal}}) が、そしてRadeon HD 4000シリーズ以降では[[ATI Stream]](Brook+言語と抽象化レイヤーであるCAL)によるアクセス手段が用意されている<ref>[https://news.mynavi.jp/article/20081127-stream/ AMDのGPGPU戦略は新章へ - ATI Streamの展望、DirectX Compute Shaderの衝撃 (1) Radeon HD 4000シリーズでネイティブGPGPU | マイナビニュース]</ref>。これにより[[科学技術計算]]や[[シミュレーション]]、[[画像認識]]、[[音声認識]]など、GPUの演算能力を汎用的な用途へ広く利用できるようになった([[GPGPU]])。また、特定のハードウェアベンダーやプラットフォームに依存しない[[OpenCL]]というヘテロジニアス計算環境向け標準規格に続き、米[[マイクロソフト]]社からDirectX 11 APIの一部として[[GPGPU]]用APIである[[DirectCompute]](コンピュートシェーダー)がリリースされた(のちにDirectComputeをバックエンドとする[[GPGPU]]向け[[C++言語]]拡張・ライブラリとして[[C++ AMP]]も登場した<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/event/453939.html MicrosoftがGPGPU開発向けC++の拡張「C++ AMP」を発表] - 多和田新也(AFDSレポート)、PC Watch、Impress(2011年6月17日付配信、2012年3月24日閲覧)</ref>)。DirectX 11のシェーダーモデル5.0では、前述のコンピュートシェーダーに加え、頂点シェーダーとジオメトリシェーダーの間に、ポリゴンの細分割・詳細化([[サブディビジョンサーフェス|サブディビジョンサーフェイス]])をGPUで行なう[[テッセレーション]]シェーダー(ハルシェーダー、固定機能テッセレータ、ドメインシェーダー)が追加された<ref>[http://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/ee417841.aspx テッセレーションの概要]</ref>。テッセレーションシェーダーはOpenGL 4.0、コンピュートシェーダーはOpenGL 4.3でも標準化されている。 なお、主に[[DirectX]]に最適化されたGeForceやRadeonなど3Dゲーム向け製品と異なり、業務用[[ワークステーション]]など高い信頼性や耐久性が必要とされる業務用途に特化して設計された[[NVIDIA Quadro]]シリーズ、および[[AMD FirePro]]シリーズが存在する。これら業務用製品は[[Direct3D]]よりも[[OpenGL]]およびOpenGL対応アプリケーションに最適化されており、[[CAD]]、[[高性能計算|HPC]]、[[金融機関|金融]]、[[コンピュータグラフィックス|CG映像]]、建築/設計、[[DTP]]、[[研究開発]]分野において採用されている。そのほか、[[NVIDIA Tesla]]シリーズや[[AMD FireStream]]シリーズ(のちに[[AMD FirePro]]に統合)といった、[[GPGPU]]専用製品も登場している。 === 2010年代~2020年代 === {{独自研究|section=1|date=2015年12月}} 主な[[CPU]]メーカーは、従来のCPU機能だけにとどまらず、1つのCPUチップ内に複数のCPUコア([[マルチコア]])を搭載すると同時に、画像出力専用回路としてGPUコアも統合した製品を提供するようになった。例えば、米[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]では「[[AMD Accelerated Processing Unit|AMD Fusion]]」構想において1つのダイ上に2つ以上のCPUとGPUを統合し<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/1225/kaigai409.htm 現実路線へ修正されたAMDのFUSION] - 後藤弘茂のWeekly海外ニュース、PC Watch、Impress(2007年12月25日付配信、2012年3月24日閲覧)</ref><ref name = "日経エレクトロニクス 2007/10/8"/>、米[[インテル]]社でも[[Intel Core i5|Core i5]]、[[Intel Core i7|Core i7]]、[[Intel Core i3|Core i3]]での[[Sandy Bridge]]世代から、同様の製品を提供している<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/kaigai/516173.html Intelの次期CPU「Ivy Bridge(アイビーブリッジ)」を裸にする] - 後藤弘茂のWeekly海外ニュース、PC Watch、Impress(2012年3月2日付配信、2012年3月24日閲覧)</ref><ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/1011/kaigai392.htm Intel NehalemとAMD FUSION 両社のCPU+GPU統合の違い] - 後藤弘茂のWeekly海外ニュース、PC Watch、Impress(2007年10月11日付配信、2012年3月24日閲覧)</ref><ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/1202/kaigai478.htm CPUとGPUの境界がなくなる時代が始まる2009年のプロセッサ] - 後藤弘茂のWeekly海外ニュース、PC Watch、Impress(2008年12月2日付配信、2012年3月24日閲覧)</ref>。なお、従来型の[[ユニファイドメモリアーキテクチャ|UMA]]、つまり単にCPUとGPUのチップを統合して物理メモリを共有するだけでは、CPUとGPUのメモリ空間が統一されることにはつながらない。[[Heterogeneous System Architecture|HSA]]におけるhUMAなどのように、CPUとGPUのメモリ空間を統一するために[[メモリ一貫性]]を確保する仕組みが用意されることで初めて、CPU-GPU間のメモリ転送作業が不要となる。また、CPUとGPUの外部メモリが共用されるため、CPUチップの外部メモリ[[バス (コンピュータ)|バス]]にはCPUのアクセス帯域に加えてGPUのアクセス帯域も加わる。このため、仮にCPUチップに極めて高い性能のGPUを統合しても、統合チップのメモリアクセス帯域も相応に増強されないと、それが[[ボトルネック]]となって性能向上は望めない。 GPU用のメモリ規格として長らく[[DDR SDRAM|DDR]]系および[[GDDR]]系が採用されてきたが、2015年6月に発売された[[AMD Radeon]] R9 Fury Xでは、新しい規格系統の[[High Bandwidth Memory]] (HBM) <ref>[https://www.amd.com/Documents/High-Bandwidth-Memory-HBM.pdf 5981_High_Bandwidth_Memory_HBM_FNL - High-Bandwidth-Memory-HBM.pdf]</ref>が世界で初めて採用された<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/topic/review/709424.html 【レビュー】初のHBM搭載ビデオカード「Radeon R9 Fury X」を試す - PC Watch]</ref> <ref>[https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1506/30/news139.html これが“4096”の性能だ:“Fiji”と“HBM”の実力を「Radeon R9 Fury X」で知る (1/5) - ITmedia PC USER]</ref> <ref>[https://news.mynavi.jp/techplus/article/hotchips27_fury-1/ Hot Chips 27 - AMDの次世代GPU「Fury」 (1) HBMを採用したAMDのGPU「Radeon R9 Fury」 | マイナビニュース]</ref>。しかし、高性能だが高価格なHBMの採用はコンシューマー用途では進まず、[[GDDR5]]の後継規格である[[GDDR5X]]や[[GDDR6]]が採用されるようになっている。 2010年代後半に[[GPGPU]]という手法が広く普及したことで、[[高性能計算|HPC]]分野でもGPUを多用するようになった。特に深層学習([[ディープラーニング]])ベースのAI用途にGPUの需要が高まっている。VRAMに関しては費用対効果の面から、HPC用途ではたとえ高コストでも広帯域・大容量のHBM、ゲームなどのコンシューマー用途ではたとえ低帯域でも低コストのGDDRという棲み分けが起きている<ref>{{Cite news|title=【後藤弘茂のWeekly海外ニュース】 Intelなどプロセッサベンダーがけん引するHBM3規格|date=2018-03-20|last=株式会社インプレス|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/kaigai/1112395.html|accessdate=2018-11-12|language=ja-JP|work=PC Watch}}</ref>。<!-- 以前の版には「HPCではゲームよりも遥かに大きなデータを処理する必要がある」という記述があったが、それは正しいものの見方ではない。コンシューマー環境で膨大なデータを扱うことは単に費用対効果の面で見合わない(扱いたくても扱えない)というだけの話。 --> 一方グラフィックスAPIに関しては、[[Mantle (API)|Mantle]]を皮切りとして、[[Metal (API)|Metal]]、DirectX 12および[[Vulkan (API)|Vulkan]]のように、ハードウェアにより近い制御を可能とするローレベル (low-level) APIが出現することとなった。ローレベルAPIはいずれも[[Hardware Abstraction Layer|ハードウェア抽象化レイヤー]]を薄くすることによるオーバーヘッドの低減や描画効率の向上を目的としており、またマルチコアCPUの活用を前提とした描画あるいは演算コマンドリストの非同期実行といった機能を備えている。また、GPUでリアルタイム[[レイトレーシング]]を実現する動きも加速しつつある。2009年に{{仮リンク|NVIDIA OptiX|en|OptiX}}<ref>[http://www.nvidia.co.jp/object/optix_jp.html NVIDIA&#x00ae; OptiX アプリケーション・エンジン | NVIDIA]</ref><ref>[https://developer.nvidia.com/optix NVIDIA&#x00ae; OptiX Application Acceleration Engine | NVIDIA]</ref><ref>[https://news.mynavi.jp/article/20091014-gtc06/ GTC - NVIDIA「OptiX」を解説、レイトレーシングはインタラクティブの時代へ (1) なぜ、今、レイトレーシングなのか | マイナビニュース]</ref>が、2011年に{{仮リンク|イマジネーションテクノロジーズ|en|Imagination Technologies}}の{{仮リンク|OpenRL|en|OpenRL}}<ref>[https://www.4gamer.net/games/017/G001762/20110920023/ 4Gamer.net ― PowerVRのImaginationが“ハイエンドGPU”の設計に着手。ハイブリッドレンダリングハードウェア,そして新API「OpenRL」とは?]</ref>が、そして2018年に[[マイクロソフト]]の{{仮リンク|DirectX Raytracing|en|DirectX Raytracing}} (DXR) と[[Apple]]の[[Metal (API)|Metal Ray Tracing]]が発表された。NVIDIA GeForce RTXシリーズはDXRのハードウェアアクセラレーションに対応する最初のGPUである。 [[2020年]]にはインテルが同社としては1998年に発売した「Intel 740」以来、22年ぶりの単体GPUである「iris Xe Max」を発売し、更に[[2022年]]にインテルはPC向けで同社初の本格的な単体GPUである「[[Intel Arc]]」を発売した。NVIDIAとAMDの2社がほぼ寡占しているPC向けの単体GPU市場にインテルが本格参戦する状況になった。実態としては最上位でもミドルクラスの性能であり、Resizable BAR 非対応のマシンでのパフォーマンスの大幅低下やドライバの完成度の低さやアイドル時の電力効率の低さなどで主要2社の製品に劣るものの、既に十分使える製品となっているため、主要2社に対するカウンターとしての存在感を示すことには成功したと言える。また、2023年8月になると人工知能のGPUに対する需要の爆発な成長が故GPUは供給不足に直面している<ref>{{Cite web |title=GPU Shortage, Affordable Robodog, Humanizing Large Language Models, and more |url=https://www.deeplearning.ai/the-batch/issue-210/ |website=GPU Shortage, Affordable Robodog, Humanizing Large Language Models, and more |date=2023-08-17 |access-date=2023-10-30 |language=en}}</ref>。 == GPUの構造 == {{正確性|section=1|date=2019-01}} {{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2015-12}}<!-- HACK: ユニット名をだらだら並べるだけの項目に有用性や特筆性はない。 --> {{百科事典的でない|type=IINFO|section=1|date=2019-04}} DirectX 10世代以降のGPUは統合型シェーダーアーキテクチャに基づいて設計されており、[[Intel GMA]]などの一部を除きGPGPUにも対応している。 === NVIDIA Fermiアーキテクチャの例 === <!-- NOTE: NV GPUにおいてL1/L2キャッシュを搭載したのはFermiが最初。また、G80は倍精度のサポート自体が存在しない。 --> <!-- NOTE: GPUのアーキテクチャは変化や世代交代が激しく、1世代変わるだけで構成がまるで違うこともある。記述対象を明確にするべき。複数の異なるアーキテクチャに関する出典をもとにした記述を混載するべきではない。混ぜるとまぎらわしくなる。FermiであればFermiに限定し、G80/GT200やKepler/Maxwellなどの他のアーキテクチャに特有の記述は別枠で記載するべき。なお、NV GPUにもクロスバー接続は存在する。AMD GPUだけではない。 --> <!-- NOTE: PDFのダウンロードにリダイレクトされるパラメータ付きURLではなく、PDFのURLを示すべき。 --> <!-- HACK: refに日付を記載するときは、dateとaccessdateを区別するためにも、Citeタグを使うべき。 --> NVIDIAのGPUは、統合型シェーダーアーキテクチャを採用したGeForce 8 (G80) シリーズ以降、Warp単位(32ハードウェアスレッド)での並列処理実行が特徴となっている<ref>[http://people.cs.umass.edu/~emery/classes/cmpsci691st/readings/Arch/gpu.pdf NVIDIA TESLA: A UNIFIED GRAPHICS AND COMPUTING ARCHITECTURE] P.44 IEEE 2008年</ref> <ref>[http://www.nvidia.co.jp/docs/IO/81860/NVIDIA_Fermi_Architecture_Whitepaper_FINAL_J.pdf ホワイトペーパー; NVIDIA の次世代 CUDA&#x2122;コンピュートアーキテクチャ: Fermi&#x2122;]</ref>。NVIDIAのGT200アーキテクチャでは、単精度CUDAコア (SPCC) と倍精度ユニット (DPU) が分かれていた<ref name="nvidia-gt200-and-g80">[http://http.download.nvidia.com/developer/cuda/seminar/TDCI_Arch.pdf An Introduction to Modern GPU Architecture] P.44 NVIDIA</ref>が、Fermiでは単精度CUDAコア16個を2グループ組み合わせ、倍精度演算器16個と見立てて実行している<ref>[https://www.softek.co.jp/SPG/Pgi/TIPS/public/accel/gpu-accel2.html NVIDIA GPUの構造とCUDAスレッディングモデル]</ref>。 <!-- HACK: カナ表記や翻訳の面で正しく記述されているかどうか怪しい部分があり、英語原文との照らし合わせが必要。 --> * ホストインターフェース<ref name="fermi-whitepaper"/> * GigaThreadスケジューラ<ref name="fermi-whitepaper"/> * グラフィックスプロセッシングクラスタ (GPC)<ref name="pcwatch-fermi"/> ** ラスタライザ<ref name="pcwatch-fermi">[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/kaigai/343153.html ■後藤弘茂のWeekly海外ニュース■ DirectX 11でも強力なNVIDIAの新GPU「GF100」] PC Watch 2010年1月19日</ref> ** ストリーミングマルチプロセッサ (SM) *** 命令キャッシュ (I-Cache)<ref name="fermi-whitepaper"/> *** Warpスケジューラ<ref name="fermi-whitepaper"/> *** 命令ディスパッチユニット<ref name="fermi-whitepaper"/> *** レジスタファイル<ref name="fermi-whitepaper"/> *** Uniformキャッシュ<ref name="fermi-whitepaper"/> *** ジオメトリコントローラ<ref name="nvidia-2011"/> *** ストリーミングマルチプロセッサコントローラ (SMC)<ref name="nvidia-2011"/> *** CUDAコア<ref name="fermi-whitepaper">{{Cite web|url=http://www.nvidia.com/content/PDF/fermi_white_papers/NVIDIA_Fermi_Compute_Architecture_Whitepaper.pdf|title=Whitepaper; NVIDIA's Next Generation CUDA&#x2122; Compute Architecture: Fermi&#x2122; (V1.1)|author=NVIDIA|pages=7-8|date=2009|accessdate=2015-12-05}}</ref> **** ディスパッチポート<ref name="fermi-whitepaper"/> **** 命令コントローラ<ref name="fermi-whitepaper"/> **** 浮動小数点ユニット (FP Unit)<ref name="fermi-whitepaper"/> **** 整数ユニット (INT Unit)<ref name="fermi-whitepaper"/> **** 結果キュー<ref name="fermi-whitepaper"/> *** LOAD/STOREユニット (LD/ST)<ref name="fermi-whitepaper"/> *** 特殊関数ユニット (SFU)<ref name="fermi-whitepaper"/> - [[超越関数]]の実行を行なう *** 共有メモリ / L1キャッシュ <ref>{{Cite web|url=http://www.nvidia.com/content/PDF/fermi_white_papers/NVIDIA_Fermi_Compute_Architecture_Whitepaper.pdf|title=Whitepaper; NVIDIA's Next Generation CUDA&#x2122; Compute Architecture: Fermi&#x2122; (V1.1)|author=NVIDIA|page=11|date=2009|accessdate=2015-12-05}}</ref> *** テクスチャユニット<ref name="nvidia-2011"/> **** テクスチャL1キャッシュ<ref name="nvidia-2011"/> ** テッセレータ (PolyMorph Engine)<ref name="pcwatch-fermi"/> <ref>[https://www.4gamer.net/games/099/G009929/20100117001/ 4Gamer.net ― NVIDIA,Fermi世代の次期GeForce「GF100」グラフィックスアーキテクチャを発表]</ref> * [[相互接続ネットワーク]] * {{仮リンク|レンダー出力ユニット|en|Render output unit}} (ROP)<ref name="nvidia-2011"/> * L2キャッシュ<ref name="nvidia-2011">[http://www.eso.org/sci/php/meetings/adass2011/Slides/PDF/All/ADASS_XXI_I15_Ziegler.pdf GPU Computing Applications] P.42 NVIDIA 2011年</ref> * メモリコントローラ<ref name="fermi-whitepaper"/> === AMD GCNアーキテクチャの例 === AMDのGPUは、[[Radeon]] HD 2000~HD 6000シリーズにおいて[[VLIW]]を採用していたが、HD 7000シリーズ以降では、グラフィックスだけでなくGPGPUでも性能を発揮できるようにするために、非[[VLIW]]な[[SIMD]]とスカラー演算ユニットにより構成された[[Graphics Core Next]] (GCN) アーキテクチャを採用している<ref name="amd-non-vliw">[http://www.anandtech.com/show/4455/amds-graphics-core-next-preview-amd-architects-for-compute/3 AMD's Graphics Core Next Preview: AMD's New GPU, Architected For Compute] P.3 2011年12月21日</ref>。AMD GPUではWavefront単位(64ハードウェアスレッド)での並列処理実行が特徴となっている。 <!-- HACK: カナ表記や翻訳の面で正しく記述されているかどうか怪しい部分があり、英語原文との照らし合わせが必要。 --> * リクエスト調停<ref name="amd-gcn-p10"/> * スカラーL1キャッシュ<ref name="amd-gcn-p10"/> * 命令L1キャッシュ<ref name="amd-gcn-p10"/> * コンピュートエンジン ** 非同期コンピュートエンジン (ACE)<ref name="amd-gcn-p39" /> ** コンピュートシェーダー (CS) パイプ<ref name="amd-gcn-p39"/> <!--重複は正しい--> <!-- HACK: 本当か? --> * スケーラブルグラフィックスエンジン<ref name="amd-gcn-p39"/> ** グラフィックス (GFX) コマンドプロセッサー (GCP)<ref name="amd-gcn-p39"/> ** ワークディストリビュータ<ref name="amd-gcn-p39"/> ** コンピュートシェーダー (CS) パイプ<ref name="amd-gcn-p39"/> <!--重複は正しい--> <!-- HACK: 本当か? --> ** プリミティブパイプ<ref name="amd-gcn-p39"/> *** ハイオーダーサーフィス (HOS)<ref name="amd-gcn-p39">[http://developer.amd.com/wordpress/media/2013/06/2620_final.pdf AMD GRAPHIC CORE NEXT] P.39 AMD 2011年7月</ref> *** テッセレート<ref name="amd-gcn-p39"/> *** ジオメトリ<ref name="amd-gcn-p39"/> ** ピクセルパイプ<ref name="amd-gcn-p39"/> *** スキャンコンバーション<ref name="amd-gcn-p39"/> *** レンダーバックエンド (RB)<ref name="amd-gcn-p39"/> * コンピュートユニット (CU)<ref name="amd-gcn-p10"/> / 統合シェーダーコア<ref name="amd-gcn-p39"/> ** 命令フェッチ (IF) 調停<ref name="amd-gcn-p10"/> ** SIMDプログラムカウンタ (PC) &命令バッファ (IB)<ref name="amd-gcn-p10"/> ** 命令調停 (Instruction Arbitration)<ref name="amd-gcn-p10"/> ** 分岐&メッセージユニット<ref name="amd-gcn-p10"/> ** 送出/グローバルデータ共有 (GDS) デコード<ref name="amd-gcn-p10"/> ** ベクターメモリデコード<ref name="amd-gcn-p10"/> ** スカラーデコード<ref name="amd-gcn-p10"/> ** スカラー[[演算装置]] (Scalar ALU)<ref name="amd-gcn-p10"/> *** レジスタ<ref name="amd-gcn-p10"/> *** 演算装置 (ALU)<ref name="amd-gcn-p10"/> ** ベクターデコード<ref name="amd-gcn-p10"/> ** 混合精度SIMDユニット (MP SIMD Unit)<ref name="amd-gcn-p10">[http://developer.amd.com/wordpress/media/2013/06/2620_final.pdf AMD GRAPHIC CORE NEXT] P.10 AMD 2011年7月</ref> *** レジスタ<ref name="amd-gcn-p10"/> *** 混合精度ベクター演算装置 (MP Vector ALU)<ref name="amd-gcn-p10"/> ** ローカルデータ共有 (LDS) デコード<ref name="amd-gcn-p10"/> ** ローカルデータ共有メモリ<ref name="amd-gcn-p10"/> ** データL1キャッシュ<ref name="amd-gcn-p10"/> *** アドレスユニット<ref name="amd-gcn-p24">[http://developer.amd.com/wordpress/media/2013/06/2620_final.pdf AMD GRAPHIC CORE NEXT] P.24 AMD 2011年7月</ref> *** L1ベクターデータキャッシュ<ref name="amd-gcn-p24"/> *** データ返却ユニット<ref name="amd-gcn-p24"/> * クロスバー (XBAR)<ref name="amd-gcn-p33">[http://developer.amd.com/wordpress/media/2013/06/2620_final.pdf AMD GRAPHIC CORE NEXT] P.33 AMD 2011年7月</ref> * L2キャッシュ<ref name="amd-gcn-p10"/> * メモリコントローラ<ref name="amd-gcn-p10"/> == 組み込みシステム == {{出典の明記|section=1|date=2017年9月}} === ゲーム機 === {{出典の明記|section=1|date=2017年9月}} ゲーム業界においても、1990年代後半から3D描画能力の向上が求められ、[[ゲーム機]](ゲームコンソール)ベンダーはGPUメーカーと共同で専用のGPUを開発するようになった。汎用機であるパーソナル・コンピュータ(PC)用GPUより先行した新機能や[[eDRAM]]の搭載で差別化したものが多い。また、汎用化・共通化のための分厚い[[抽象化]]層がほとんど不要な専用[[アプリケーションプログラミングインタフェース|API]]や専用[[マシン語]]が使えることもあいまって、同世代における下位や中位のPC用GPUよりも画像処理性能においては高性能である。 本節ではハードウェアT&Lあるいはそれに類する3次元コンピュータグラフィックスパイプラインを有するもののみを列挙する。 * [[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]に搭載されたGeometric Transfer Engine (GTE) : [[ソニー・コンピュータエンタテインメント|SCE]]製。ハードウェア[[ジオメトリエンジン]]をPC用GPUより4年ほど先行して搭載している。CPU内のコプロセッサとして動作する。 : なおGTEとは別に、GPUと呼ばれるフレームバッファを扱う2Dグラフィックス処理用のチップも搭載している<ref>[https://tech.nikkeibp.co.jp/dm/article/NEWS/20081009/159404/?P=7 【特別企画】歴代家庭用ゲーム機を軒並み分解――TGS2008「ゲーム科学博物館」より(7ページ目) | 日経 xTECH(クロステック)]</ref>。 * [[PlayStation 2]]に搭載された[[Emotion Engine#Graphics Synthesizer|Graphics Synthesizer]] (GS) : SCE製。GPUに[[eDRAM]]をVRAMとしてオンダイで混載し、2560bitという広[[帯域]]な内部[[バス (コンピュータ)|バス]]を実現した。[[eDRAM]]はゲーム機用GPUに多用されるようになった。 * [[PlayStation 3]]に搭載された[[RSX Reality Synthesizer]] (RSX) : [[NVIDIA]]とSCEが共同開発した。G70ベースであると説明されている<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2005/0701/kaigai195.htm 後藤弘茂のWeekly海外ニュース - PLAYSTATION 3のグラフィックスエンジンRSX]</ref>。 * [[PlayStation Vita]]に搭載された[[PowerVR]] SGX543MP4+ : Imagination TechnologiesとSCEが共同開発した<ref>[https://www.4gamer.net/games/144/G014402/20111125078/ PS Vitaで採用されるGPUコア「PowerVR SGX543MP4+」のImaginationに聞く「+」の意味。PowerVRは次世代ゲーム機への採用も目指す!? - 4Gamer.net]</ref>。 * [[NINTENDO64]]に搭載されたRCP : [[シリコングラフィックス|SGI]](現[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]])製。[[座標]]計算や[[音声処理]]を全て内蔵[[デジタルシグナルプロセッサ|DSP]]による[[SIMD]]演算で行う構造で、これは現代で言えば[[頂点シェーダー]]による[[GPGPU]]を行うことに相当する先鋭的なもの。 * [[ニンテンドーゲームキューブ]]に搭載されたFLIPPER : [[ATI Technologies|ATI]](現AMD)製。旧[[ArtX]]が担当、[[日本電気|NEC]]製造。 * [[Wii]]に搭載されたHollywood : AMD製。NEC製造。 * [[Wii U]]に搭載されたRadeon HD : AMD製。Radeon HD 4000世代<ref>[https://www.4gamer.net/games/095/G009575/20110624034/ 【西川善司】Wii UのGPU性能と新型コントローラに秘められた「コアゲーマー求心」の裏戦略 - 4Gamer.net]</ref>。 * [[ニンテンドー3DS]]に搭載された[[PICA200]] : ディジタルメディアプロフェッショナルが開発した<ref>[https://www.4gamer.net/games/017/G001762/20120822007/ [CEDEC 2012]3DSはまだその実力を100%発揮できていない!? 3DSが搭載するGPUコア「PICA200」の詳細 - 4Gamer.net]</ref>。 * [[ドリームキャスト]]、[[NAOMI]]に搭載された[[PowerVR|PowerVR2]] : VideoLogic製。NEC製造。{{要出典範囲|アーキテクチャとしてはDirectX 6世代相当|date=2017年7月}}。 * [[Xbox (ゲーム機)|Xbox]]に搭載されたXGPU : NVIDIA製。GeForce3と4の中間世代のアーキテクチャ<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/0410/kaigai01.htm 後藤弘茂のWeekly海外ニュース - NVIDIAチーフ・サイエンティスト インタビュー(下)]</ref>。Xboxは世界で最初にプログラマブルシェーダー対応のGPUを搭載したゲーム機となった。 * [[Xbox 360]]に搭載されたXenos : AMD製。統合型シェーダーアーキテクチャをPC用GPUより先行して搭載している<ref>[https://news.mynavi.jp/article/graphics-5/ 3Dグラフィックス・マニアックス (5) GPUとシェーダ技術の基礎知識(5) | マイナビニュース]</ref>。[[DirectX]] 9世代とDirectX 10世代の中間に相当する。 * [[Nintendo Switch]]に搭載された[[NVIDIA Tegra]]のカスタマイズ品 : NVIDIA製。カスタム品であることは公式発表されている<ref>[https://blogs.nvidia.com/blog/2016/10/20/nintendo-switch/ NVIDIA Gaming Technology Powers Nintendo Switch | NVIDIA Blog]</ref>が、ベースとなったGPUがどの世代なのかは非公表である。<!-- TegraのGPUは伝統的にGeForceベース。Vulkanに対応しているので少なくともKepler世代以降ではあることは推測できるが、その記述までは不要。本文に載せるべきではない。 [[Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成]] --> : Vulkan 1.1、OpenGL 4.5以降、OpenGL ES 3.2に対応<ref>[https://www.khronos.org/conformance/adopters/conformant-products Conformant Products - The Khronos Group Inc]</ref>。 なお[[Xbox One]]、[[PlayStation 4]]においては、それぞれAMD製の[[x86]]互換[[AMD Accelerated Processing Unit|APU]]のカスタマイズ版が搭載されており、[[GPGPU]]の活用とPCゲームからの移植性を重視したアーキテクチャとなっている<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/kaigai/621178.html 【後藤弘茂のWeekly海外ニュース】PlayStation 4のAPUアーキテクチャの秘密 - PC Watch]</ref>。 === その他 === {{出典の明記|section=1|date=2017年9月}} {{いつ範囲|近年|date=2015年3月}}、[[携帯電話]]や[[カーナビゲーションシステム]]の表示機能の高度化が著しく、[[組み込みシステム]]において用いられていた[[VDP]]に代わって、[[OpenGL ES]]対応の[[プログラマブルシェーダー]]を搭載したGPUが採用されることが増えてきている。特に使用メモリと[[消費電力]]を抑える要求から、{{要出典範囲|[[PowerVR]]のシェアが高い|date=2015年3月}}。 == 「GPU」という名前 == {{出典の明記|section=1|date=2015年12月}} 「GPU」は、1999年に[[NVIDIA|NVIDIA Corporation]]が、[[GeForce]] 256の発表時に提唱した呼称である<ref>[https://akiba-pc.watch.impress.co.jp/hotline/991009/geforce256.html CreativeからGeForce 256搭載ビデオカードが登場 - AKIBA PC Hotline! 1999年10月9日号]</ref> <ref>[http://www.nvidia.co.jp/page/geforce256.html GeForce 256]</ref>。それまでビデオカード上の処理装置は「ビデオチップ」や「グラフィックスチップ」と呼ばれていたが、GeForce 256はハードウェアT&Lを世界で初めて搭載し、3次元コンピュータグラフィックスの内部計算および描画処理におけるCPU側の負荷を大幅に軽減するコプロセッサとしての地位を確立したことから、NVIDIA社は「Graphics Processing Unit」と命名した。 GPUと同様の名称として、'''Visual Processing Unit''' (VPU) が存在する。「VPU」は、[[3Dlabs]] Inc.が、[[Wildcat]] VP({{要出典範囲|量産品としては世界初の汎用シェーダー型設計のGPU|date=2015年12月}})の発表時に命名した<ref>[http://www.3dlabs.com/legacy/Datasheets/wcvp760.pdf 3Dlabs Wildcat VP760 Datasheet]</ref>。なお、VPUの呼称に関しては、[[ATI Technologies]]が[[Radeon]] 9500/9700の発表時に提唱したと誤解されることがある<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2002/0718/ati.htm ATIがDirectX 9に対応したVPU「RADEON 9700」をリリース]</ref>が、実際は、3DlabsのWildcat VPの発表が先行している。また、ATIがVPUの呼称を使ったのは、当時は3Dlabsと提携していたからでもある。 現在{{いつ|date=2015年3月}}はAMD (旧ATI) も主にGPUの呼称を使用している。 GPUとは別の分類だが、Intelは2019年から、画像認識などのコンピュータビジョンの処理に特化したプロセッサとして[[ビジョン・プロセッシング・ユニット]] (VPU) という名称を使っている。「Intel [[Movidius#Myriad X|Movidius Myriad X]] VPU」は、AIで利用される[[ニューラルネットワーク]]を高速かつ低消費電力で実現できるエンジンと[[ハードウェアアクセラレーション|ハードウェアアクセラレータ]]を搭載する、[[AIアクセラレータ]]である<ref>[https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/event/18/00047/030400044/ 5G時代のエッジに求められるVPUとは?米インテル担当者に聞く | 日経クロステック(xTECH)]</ref>。Meteor Lake世代のプロセッサではVPUを統合することが予定されている<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1439818.html Intel、次世代のMeteor LakeにVPUを統合予定。第13世代CoreでLE Audio対応も - PC Watch]</ref>。VPUに画像認識処理をオフロードすることで、CPU/GPU負荷を下げることが可能となる。 == 統合GPU == 一般に、[[チップセット]]に搭載されている[[オンボードグラフィック|オンボードグラフィックスプロセッサ]]および[[CPU]]内蔵GPU(統合GPU、integrated GPU: iGPU)のグラフィック機能は、単体チップ型のGPU(ディスクリートGPU、discrete GPU: dGPU)に劣るが、消費電力やコスト面では有利である。このため、主に[[オフィススイート]]やインターネットアクセスなどを中心とした高性能が必要ない用途が想定され、低価格が求められる業務用端末(クライアント)機向けや、低発熱・低消費電力が求められる[[ノートパソコン]]などでは単体チップのGPUではなく、統合GPUが多く搭載されている。比較的高性能なGPUを使用するゲーム機でもコストダウンを目的としてGPUの統合化が進んでいる。[[スマートフォン]]や[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]に使用されている[[System-on-a-chip|SoC]]もCPUとGPUをひとつのチップに統合している。 統合GPUでは、ビデオカードと違って専用のVRAMを持たず、メインメモリの一部をGPUに割り当てる[[ユニファイドメモリアーキテクチャ]]が採用されているが、通常はCPUとGPUのメモリ空間が分離されており、お互いのデータを直接参照することはできない。そのため、事前にソフトウェアレベルあるいはドライバーレベルでのデータ転送処理が必要となる。[[AMD Accelerated Processing Unit|AMD APU]]は[[Heterogeneous System Architecture|HSA]]の[[hUMA]]をサポートすることで、CPUとGPUのメモリ空間をハードウェアレベルで統合しており、従来のユニファイドメモリアーキテクチャよりも[[ヘテロジニアス・コンピューティング]]に適した形態となっている<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/kaigai/598132.html 【後藤弘茂のWeekly海外ニュース】CPUとGPUのメモリ空間を統一するAMDの「hUMA」アーキテクチャ - PC Watch]</ref><ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/kaigai/632794.html 【後藤弘茂のWeekly海外ニュース】AMD Kaveriのメモリアーキテクチャと今後のAPU進化 - PC Watch]</ref>。CPUとGPUはそれぞれ得意分野が異なるものの、CPUはコアあたりの性能向上が頭打ちになってきているため、伸びしろのあるGPUにダイの面積を割いて総合的な演算性能を向上させることは理にかなっている<ref>[https://www.intel.co.jp/content/www/jp/ja/products/docs/processors/cpu-vs-gpu.html CPU と GPU の比較: 違いを理解する | Intel]</ref>。 GPU単体の製品のラインナップも、エントリ向けの低価格な[[ローエンド]]から、価格と性能のバランスがとれた[[ミドルレンジ]]、過酷な要求にも耐えうる高性能を持つ[[ハイエンド]]、そして価格を度外視して最高性能を求めるユーザー向けのウルトラハイエンドと様々である。また、主にゲーミング用途を想定したコンシューマー向けや、業務用途を想定したプロフェッショナル・エンタープライズ向けなどに差別化されている。しかし高性能なGPUの利用を前提とする[[Windows Aero|Aero]]を搭載した[[Windows Vista]]の登場以降、チップセット内、およびCPUパッケージ内に統合されているGPUコアの性能が向上してきたため、GPU単体の製品の主力は[[3次元コンピュータグラフィックス|3D]]ゲームの快適なプレイや[[CAD]]オペレーションあるいは[[3DCG]]制作におけるプレビュー用途を想定した、比較的高価で高性能なものへとシフトしている。単体GPUは主にデスクトップPC向けのビデオカード上に実装されたものとして提供・利用されているが、ゲーミング向けの高性能ノートPCなどでは、CPU内蔵GPUだけでは性能的に不十分なため、別途マザーボード上に強力な単体GPUと専用VRAMを実装しているものもある<ref>[https://www.nvidia.com/ja-jp/geforce/gaming-laptops/ GeForce RTX 30 シリーズ ノート PC - NVIDIA]</ref>。 == 外部GPU == 外付けの専用ボックス内にグラフィックスボードをスタッキングし、[[Thunderbolt]]のような高速インターフェイス規格でPCに接続する形態(外部GPU、external GPU: eGPU)も登場している<ref>[https://www2.razer.com/jp-jp/gaming-systems/razer-core-x Razer Core X - Thunderbolt™ 3 eGPU]</ref><ref>[https://support.apple.com/ja-jp/HT208544 Mac で外付けのグラフィックプロセッサを使う - Apple サポート (日本)]</ref><ref>[https://support.apple.com/ja-jp/HT208897 Mac で Blackmagic eGPU を使う - Apple サポート (日本)]</ref>。ノートPCや一部のベンダー製デスクトップPCは、CPUやGPUを交換することはできず、拡張性に乏しい。外付けボックスを利用して高性能なeGPUをシステムに追加することで、この欠点を補うことができる。利用には対応OSが必要となる。 == GPU開発企業 == <!-- アルファベット順に並べられている。勝手に順序を変更しないようにすること。 --> * [[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]] * {{仮リンク|DisplayLink|en|DisplayLink}}([[USB]]の[[VGA端子|VGA]]出力や[[Digital Visual Interface|DVI]]出力用のICを開発している。ただし、これは一般的にGPUとは認識されていない) * [[インテル]](1990年代後半に[[Intel 740]]という単体GPUを手掛けた後、単体GPUから撤退し、その後は統合GPUのみ手掛けていたが、[[2020年]]に単体GPUに再参入した) * [[Matrox]](PC・コンシューマー向けの新規の自社GPU開発からは撤退し、他社製GPU採用に転向した<ref>[https://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1231946.html Matrox、NVIDIAのカスタム版Quadroを採用したビデオカード - PC Watch]</ref>が、産業用の製品開発は継続されている) * [[NVIDIA]] * {{仮リンク|Moore Threads|en|Moore Threads}}(中国の新興GPUメーカー) === チップセットまたはCPU統合GPUのみ手がけている企業 === * [[Apple]] (自社製[[System-on-a-chip|SoC]]専用。外販はしていない) === 他社へのライセンス供与のみを行なう企業 === * [[ARMホールディングス|ARM]] * [[ディジタルメディアプロフェッショナル|DMP]] * {{仮リンク|Imagination Technologies|en|Imagination Technologies}}(旧{{仮リンク|VideoLogic|en|VideoLogic}}。1994年に社名変更<ref>[https://eetimes.jp/ee/articles/1808/29/news037.html Appleから利用停止宣告を受けたImaginationの今 - EE Times Japan]</ref>。元々は単体GPUを手掛けていたが、現在は組み込み市場に特化し、他社への設計のライセンス供与を行なっている。[[ドリームキャスト]]で採用されたことが一番有名) === 過去にGPUまたはビデオチップを手がけていた企業 === ここにソースの記載がない企業は日本語もしくは英語版Wikipediaのリンク先でソースを確認されたい。 * [[3dfx]] (Voodooシリーズなど。2000年末に[[NVIDIA]]に買収された) * [[3Dlabs]](PERMEDIAシリーズやP10など。現在は低消費電力のメディアプロセッサを手がける) * [[ALi (企業)|ALi]](下記ArtXによる統合GPUの他、nVIDIAから[[NVIDIA RIVA|RIVA TNT2]]のコアの提供を受けてAladdin TNT2という統合GPUも開発した事がある) * [[ArtX]](1990年代後半~2000年代前半にかけて、統合GPUのコアの部分を開発。主にALiの統合GPUとしてリリースされた。ATIによって買収済。[[ニンテンドーゲームキューブ|ゲームキューブ]]のGPUのコア部分を担当したことが一番有名) * [[ATI Technologies]] (2006年に[[アドバンスト・マイクロ・デバイセズ|AMD]]に買収された。ATIブランドは買収後しばらく存続していたがAMDブランドに統一された<ref>[https://www.4gamer.net/games/101/G010106/20100830033/ 4Gamer.net ― ATIにお別れ。AMD,ATIブランドを統合し,GPUは「AMD Radeon」に]</ref>) * {{仮リンク|Chromatic Research|en|Chromatic Research}}(1990年代後半に{{仮リンク|MPACT2|en|MPACT_2}}というMPEGデコーダ内蔵のGPUを開発した事がある。ATIによって買収済) * [[シーラス・ロジック|Cirrus Logic]](1990年代前半~半ば頃にCL-GD54xxシリーズというローエンドGPUを開発していた。売却したグラフィック部門資産の変遷は、Magnum Semiconductor→GigPeak→[[IDT|Integrated Device Technology]]→[[ルネサスエレクトロニクス]]) * [[チップス・アンド・テクノロジーズ]] 1997年にインテルに買収された<ref>{{Cite web|和書|title=インテルとATIが広範なクロスライセンス契約──RADEON統合チップセット登場も |url=https://ascii.jp/elem/000/000/319/319757/ |website=ASCII.jp |access-date=2023-06-22 |language=ja |last=ASCII}}</ref>。 * [[エバンス・アンド・サザランド|Evans & Sutherland]](1990年代後半に、[[三菱電機]]と共同で「REALimage1200」「REALimage3000」というOpenGL系GPUを開発していた) * {{仮リンク|Intergraph|en|Intergraph}}(INTENSE 3DシリーズというGPUを開発していた<ref>[https://www.okqubit.net/boards/intergraph.html Intergraph - 古典コンピュータ愛好会]</ref>。グラフィックハードウェア生産部門であるINTENSE 3Dを3DLabsに売却後、[[ヘキサゴン (スウェーデンの企業)|ヘキサゴン]]に買収される) * {{仮リンク|Macronix|en|Macronix}}(今はフラッシュメモリの会社だが、1990年代後半に一時期Turbo3というGPUを自社で開発していた時期がある<ref>[https://relu.sakura.ne.jp/webcache/videochips/macronix.html Macronix - VideoChips]</ref>) * [[NEC]](1990年代後半にImagination Technologies/VideoLogicの[[PowerVR|PowerVR/PowerVR2]]のGPU製造を受託していた事がある。詳しくは[[PowerVR]]や[[ドリームキャスト]]の記事を参照) * [[NeoMagic]](1990年代半ば~2000年頃までMagicGraph128/256シリーズでノートPC向けGPUを開発していたが、2000年にPC向けからは撤退) * [[ナンバー・ナイン・ビジュアル・テクノロジー|Number Nine Visual Technology]](Imagine128シリーズやTicket to Rideシリーズなど。1999年にS3によって買収済) * {{仮リンク|Rendition|en|Rendition (company)}}(1990年代後半にVeriteシリーズというワークステーション向けGPUを開発していた。[[マイクロン・テクノロジ|Micron]]によって買収済) * [[S3 Graphics]](ViRGE/DXや[[DeltaChrome]]など。単体GPU・チップセット統合GPUともに手掛けていたが、現在は撤退している) * [[シリコングラフィックス|SGI]] (IRIS Graphics, RealityEngine, CRM, InifiniteRealityといったチップセットを開発していた<ref>{{Cite web|和書|title=業界に痕跡を残して消えたメーカー CG業界を牽引したSGI (1/4) |url=https://ascii.jp/elem/000/001/573/1573125/ |website=ASCII.jp |access-date=2023-06-22 |language=ja |last=ASCII}}</ref><ref>{{Cite web |title=sgistuff.net : Hardware : Graphics |url=http://www.sgistuff.net/hardware/graphics/index.html |website=www.sgistuff.net |access-date=2023-06-22}}</ref>。1999年にグラフィックス部門をNVIDIAに売却<ref>{{Cite web |title=SGI graphics team moves to Nvidia |url=https://www.eetimes.com/sgi-graphics-team-moves-to-nvidia/ |website=EE Times |date=1999-08-10 |access-date=2023-06-22 |last=EETimes}}</ref>) * [[Silicon_Integrated_Systems|SiS]]([[SiS 315]]や[[Xabre]]など。単体GPU・チップセット統合GPUともに手掛けていたが、現在は撤退している) * [[STマイクロエレクトロニクス]](NECの後にImagination Technologies/VideoLogicのGPU製造を受託していた企業。[[KYRO|KYRO II SE]]をもって撤退。詳しくは[[PowerVR]]の記事を参照) * {{仮リンク|Trident Microsystems|en|Trident Microsystems}}(Blade XPやXP4など。2000年代前半に[[XGI Technology Inc.]]にグラフィックス部門を売却) * [[Tseng Labs]](ET4000/ET6000というDOS向けGPUを開発していた。グラフィック部門をATIに売却) * [[Weitek]](POWER9000/9100というワークステーション向けGPUを開発していた。ロックウェルに買収される) * [[XGI Technology Inc.]](VolariシリーズというGPUを手掛けていたが、2006年にパソコン向けからは撤退し、組み込み向けに移行) * [[アイ・オー・データ機器]](GA-1024Aなど、[[PC-9800シリーズ|PC-98]]向けに自社でGPUを開発していた時期がある<ref>[https://www.iodata.jp/company/guidance/history/pick/article1991.htm 1991年 もっと大きい画面が欲しい よりリアルに高速描画したい(アイ・オー・データ機器)]</ref>) * [[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]([[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]向けにGeometric Transfer Engine (GTE)を、[[PlayStation 2]]向けに[[Graphics Synthesizer]] (GS)を開発。[[Graphics Processing Unit#ゲーム機|ゲーム機]]の項目も参照) * [[ハドソン]]([[PCエンジン]]向けにHuC6270を開発。[[HuC62]]の記事も参照) == 脚注 == {{Reflist|30em}} == 外部リンク == * [https://www.gdep-sol.co.jp/gpu-technlogy_cgai_no6.html 柿本正憲:「GPUの起源と進化」、GDEP, 2021年3月記事。] * [https://jcahpc.github.io/gpu_porting/ GPU移行] GPU移行に関するポータルサイト == 関連項目 == * [[CPU]] * [[VRAM]] ** [[GDDR3]] ** [[GDDR5]] * リアルタイム[[3次元コンピュータグラフィックス]][[Application Programming Interface|API]] ** [[DirectX]] ([[Direct3D]]) ** [[OpenGL]], [[OpenGL ES]] ** [[Vulkan (API)]] ** [[Metal (API)]] * [[GPGPU]] * [[ハードウェアアクセラレーション]] * [[ビデオカード]] * [[グラフィックアクセラレータ]] * [[グラフィックコントローラ]] * [[オンボードグラフィック]] {{Graphics Processing Unit}} {{Normdaten}} [[Category:GPU|*]] [[Category:CPU|GPU]] [[Category:グラフィックカード]] [[Category:GPGPU|*]]
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横浜FC
横浜FC(よこはまFC、英: Yokohama FC)は、日本の神奈川県横浜市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 2001年にJリーグ加盟。運営会社は株式会社横浜フリエスポーツクラブ、ホームスタジアムはニッパツ三ツ沢球技場、練習場は横浜FC LEOCトレーニングセンターである(詳細は#スタジアム・練習場他を参照)。 クラブマスコットは「宇宙人」をモチーフとしたフリ丸 で、創設10周年に当る2008年12月に名称を公募し、2009年1月の新体制発表記者会見で名前が発表された。 1998年シーズンを以て横浜フリューゲルス(横浜F)が横浜マリノス(横浜M)に吸収合併されることが決定したことを受けて、横浜フリューゲルスのサポーター有志によって横浜FCの運営会社となる株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜フリエSC)が12月25日に設立された。 1999年3月、日本サッカー協会により日本フットボールリーグ(JFL)に準会員での加盟が承認された。 ゼネラルマネージャー(GM)に奥寺康彦、監督にピエール・リトバルスキー、コーチに阪倉裕二が就任。また、パベル・ジェハークなど元Jリーガー22人と選手契約した。4月25日に横浜国際総合競技場でジヤトコと初の公式戦(JFL第2節)を行った(引き分け)。第3節(5月3日)の水戸ホーリーホック戦で初勝利を収めた。JFLリーグ戦は18勝3分3敗の成績でJFLの初代優勝チームとなった。天皇杯は、3回戦でV川崎に敗退。 奥寺は相模工大附属高校時代、神奈川県代表で全国高校サッカー選手権出場。現役時代属した古河電工サッカー部は横浜市西区にある横浜研究所に本拠地を置いていた。 2000年、JFLの正会員となった。Honda FCから水原大樹や田島宏晃を獲得。リーグ戦は後期第7節で国士舘大学を破り、Jリーグ加盟条件の2位以内が確定。後期第8節で静岡産業大学に勝利して2年連続のJFL優勝を決めた。シーズン終了後、2001年からのJリーグ加盟が承認され、J2参加が決まった。 リトバルスキーがバイエル・レバークーゼンのコーチ就任に伴い監督を退任。新潟元監督の永井良和が後任監督に就任したが、シーズン途中に退任し、9月に信藤健仁が監督に就任した。J2初年度は12チーム中9位の成績。2001年のJリーグカップは1回戦でJ1の東京Vに勝利(2回戦で川崎に敗退)、天皇杯は3回戦でJ1のFC東京に勝利を収めた(4回戦で川崎に敗退)。 信藤体制2年目。迫井深也や吉本岳史を期限付き移籍で、廣長優志を完全移籍で獲得。また、元横浜Fのアルゼンチン人DFのフェルナンド・ダニエル・モネールが入団した。リーグ戦は勝ち点・失点数共にリーグ最下位で、信藤はシーズン終了後に監督を退任。 初代監督のリトバルスキーが監督に就任。後藤義一や有馬賢二が引退、廣長が移籍した一方、城彰二、ルディ・バタ、マシューなどを獲得。なお、引退後に後藤はコーチを務めていたがシーズン途中に現役に復帰した。最終成績は12クラブ中の11位。 リトバルスキー体制2年目。ジェフェルソン、トゥイード、中島崇典などを獲得。城がキャプテンとなった。開幕戦は仙台に4-0で勝利。また、第17節まで4勝12分1敗の成績。第18節から4連敗したが、最終順位はJ2昇格後最高の8位。なお、シーズン44試合中の22試合が引き分けであった。シーズン終了後にリトバルスキーが監督を退任した。 2005年6月、学校・病院給食や企業の社内食堂を展開するレオックジャパンの関連会社・フィートエンターテイメントが横浜フリエSCの第三者割当増資を引き受けて筆頭株主となった。 JAPANサッカーカレッジ元監督の足達勇輔が監督に就任。補強は新人を中心に、ベテラン選手として佐藤一樹、貞富信宏などを獲得した。リーグ戦は第6節から15試合勝ち星無しを喫するなどで、11位(12チーム中)で終わった。なお、シーズン途中に元日本代表の三浦知良、山口素弘、望月重良など獲得した。 キャッチフレーズ:「夢に蹴りをつける。」 足達が監督を続投。室井市衛、渡辺光輝、鄭容臺、吉野智行、アウグストなどを獲得した一方、小野信義などが退団した。 開幕戦(愛媛戦)に敗北後に足達が解任された(同年中に横浜FCのユース部門責任者に就任)。コーチの高木琢也が後任監督に就任し、監督交代後の第2節から第18節まで15戦無敗(9勝6分)、またこの間に連続無失点時間770分 も記録し、ともにJリーグ記録となった。 第43節で首位に立ち、11月26日の鳥栖戦に勝利してJ2初優勝を決めた。12月4日のJリーグ理事会の承認により、J1昇格が正式に決定した。 北村知隆や吉武剛、アレモンなどが退団。城が引退した一方、横浜FMから元日本代表の奥大介、久保竜彦、東京Vからジウマール・シウバを獲得した。 J1開幕戦は浦和に1-2で敗北。第2節で横浜FMに1-0で勝利し、J1初勝利および横浜ダービーの初対戦初勝利を挙げたが、その後は低迷。平本一樹、山田卓也などをシーズン途中に獲得するが、前半戦は最下位。 後半戦初戦の第19節(8月11日)の横浜ダービーで1-8で大敗。8月27日に高木が解任され、ジュリオ・レアルが監督に就任したが、10月20日の神戸戦に敗れ、J2降格が決定した。最終節で浦和の優勝を阻止したが、最終順位は最下位。ナビスコカップはグループリーグ敗退、天皇杯は5回戦で愛媛に敗北した。シーズン終了後にジュリオ・レアルが監督を退任した。 仙台やC大阪元監督の都並敏史が監督に就任し、3年契約を結んだ。菅野孝憲・内田智也などがJ1クラブへ移籍、山口や奥が引退するなど21人が退団した一方、2006年に水戸で16得点を挙げたアンデルソン、水戸前主将で6シーズンぶりの復帰となるDF吉本岳史、2007年のJFL得点王御給匠、東京Vの戸川健太などを獲得した。 リーグ戦は第39節時点で昇格の可能性が消滅し、最終順位は10位。なお、アンデルソンが16得点を挙げた。シーズン終了後に都並が監督を解任された。 山形や大宮で監督を務めた樋口靖洋が2年契約で監督に就任。前年度チーム得点王の16ゴールを挙げたアンデルソン、山田卓也、滝澤邦彦、チョ・ヨンチョル、太田宏介、昨年大宮にレンタル移籍していた内田智也らが完全移籍で退団した一方、千葉に期限付き移籍していた早川知伸が復帰、韓国から劉孝眞、名古屋から片山奨典、大宮から田中輝和が加入し、またレンタル移籍だった戸川健太・須藤右介は完全移籍となり、難波宏明と並びチーム2位の7得点を決めた池元友樹もレンタル移籍期間延長となった。さらに4月には2006年から2007年7月まで在籍していた鄭容臺が約2年ぶりに復帰した。 リーグ戦は開幕から8試合勝利なし(3分5敗)。第9節(水戸戦)で初勝利したが、第10節から8試合勝ちなし(1分7敗)。結局、リーグ戦は16位に終わった。天皇杯は3回戦で敗退。なお、シーズン終了後に個人の都合 により樋口との2年契約を1年で打切った。 前年まで鳥栖監督を務めていた岸野靖之が監督に就任。鳥栖から高地系治、柳沢将之、武岡優斗、渡邉将基、鳥取からシュナイダー潤之介、韓国・釜山から金裕晋、仙台からFWサーレス、仙台や新潟に所属していたシルビーニョを完全移籍で、東京Vから元日本代表FW大黒将志をレンタル移籍で獲得。 開幕3連勝の後、第4節から1勝9敗と低迷し、一時は15位に沈んだが、第14節の鳥栖戦以降5試合負けなし。6月に大黒が退団(東京Vへ復帰後、FC東京へレンタル移籍)したが、元C大阪のカイオ、元大分のホベルトを獲得した。シーズン成績は前年度を上回る6位。天皇杯は3回戦で川崎に敗北した。岸野はシーズン途中の9月1日からGM兼任となった。 岸野体制2年目。阿部巧がレンタル終了、早川知伸、戸川健太、金裕晋らのDF陣が退団した一方、新潟から中野洋司、横浜FMから藤田優人、鹿島から宮崎智彦を獲得。また、新人として井手口正昭、荒堀謙次、佐藤謙介、韓国・延世大学校から朴台洪などが入団。また、鳥栖からDF飯尾和也、FW藤田祥史、2010年に特別指定選手として鳥栖で3試合に出場した森本良が入団した。 ところがリーグ戦は故障者が続出した影響もあり大きく出遅れ、一時はFC岐阜と同順位ではあるが最下位に転落した。8月に飯尾が松本へ完全移籍した一方、2010年まで柏に所属していたフランサを獲得、10月にはOBの奥大介が強化部長に就任した。夏場に4連勝したが、後半戦は12試合連続無勝利を喫するなど再度失速し、年間を通して一度も二桁順位から脱せないまま18位でシーズンを終えた。天皇杯は初戦(2回戦)で松本に敗北。なお、岸野はGM職をこの年限りで辞任した。 岸野体制3年目。柳沢将之、フランサが退団、宮崎智彦、藤田優人、寺田紳一がレンタル移籍期間満了、荒堀謙次が栃木SCに、西田剛が福岡に完全移籍した。一方、ペ・スンジン、大久保哲哉、内田智也、阿部巧など、かつて横浜FCに所属した選手が復帰。また、杉山新、田原豊、永井雄一郎、堀之内聖を完全移籍で獲得。小野瀬康介がユースから昇格し、韓国U-19代表候補のナ・ソンス、2010シーズン特別指定選手だった中里崇宏とプロ契約を結んだ。 開幕2試合を1分1敗。第3節の千葉戦に敗北して最下位に転落した翌3月18日に岸野が監督を解任され、3月21日にOBの山口素弘が監督に就任した。第5節、第8節と最下位となるが、第13節北九州戦から第18節徳島戦までクラブ初の6連勝。後半戦初戦、第22節町田戦に勝利して9位に浮上してからは、後半戦を通じて1桁順位を維持、第37節大分戦の勝利でJ1昇格プレーオフ圏内の6位に浮上。第39節から第42節まで4連勝し、リーグ戦は4位の成績。昇格プレーオフは準決勝で5位の千葉に敗北し、J1昇格はならなかった。天皇杯は3回戦で横浜FMに敗北した。 9月23日の徳島戦を9年ぶりに福島で開催。当初開催予定のニッパ球が使用できず、近隣スタジアムでの開催も全て不可となったことによる。なお、この試合は東日本大震災復興支援活動の一環として開催された。 山口体制2年目。群馬から松下裕樹、川崎から黒津勝、熊本から市村篤司などを完全移籍で獲得。また、レンタル移籍や新卒選手が加入した。一方で、堀之内聖が山形、八角剛史、渡邉将基両名が北九州、杉山新が岐阜、中野洋司が栃木にそれぞれ移籍、阿部巧、関憲太郎がレンタル移籍期間満了。8月にブラジルのSEパルメイラスからパトリックが入団。 開幕戦は岐阜に勝利したが、第2節から3敗3分で第7節終了時点で20位と低迷。第18節から第22節まで3連勝1回を含む無敗(4勝1分)で第22節時点で11位に浮上したが、第23節から第28節まで4連敗を含む6試合未勝利(2分4敗)。結局、J1昇格プレーオフに進出した前年と異なり、降格圏までは落ちなかったものの、第4節終了時に11位となって以降一度も1桁順位になることなく、第39節の松本戦に敗れてプレーオフ圏外の7位以下が確定。第40節から3連勝したが、最終順位は11位であった。天皇杯は2回戦で金沢に敗北した。 山口体制3年目。ユースから高丘陽平と石井圭太が昇格。熊本から南雄太、東京Vから小池純輝と飯尾一慶を獲得。ホナウドをジョインヴィレから、ドウグラスをフィゲイエンセから完全移籍で獲得した。また、フェリペも完全移籍で獲得。永田拓也を浦和、松下年宏を仙台からそれぞれ完全移籍で獲得した。安英学を自由契約から獲得し、野村直輝を日本経済大学から新加入した。また、朴成鎬も浦項から完全移籍で獲得した。 一方、放出選手は、森本良を相模原、井手口正昭を横浜FC香港、中里崇宏を水戸、大久保哲哉が栃木SCへ、青木翔大が琉球へそれぞれレンタル移籍した。その他、永井雄一郎が契約満了で退団し、柴崎貴広が東京V、パトリックがパルメイラスでそれぞれレンタル期間終了で退団。また、森下俊は、レンタル期間終了後、所属元の川崎から磐田へ移籍。その他、完全移籍組は、シュナイダー潤之介を奈良クラブ、ペ・スンジンを韓国の仁川、高地系治を岐阜、武岡優斗を川崎、田原豊がタイのサムットソンクラームFCへ移籍した。 開幕から4試合連続無敗で4位に浮上するものの、その後は5試合連続未勝利で18位まで順位を下げた。5試合連続未勝利の直後の第10節のアウェーの讃岐に勝利した後、第11節から再び5試合連続未勝利(4連敗と1分)で15節終了後には20位へ転落した。その後巻き返して、第18節から15試合連続負けなしで8位に上昇し、第4節以来およそ17節ぶりに1桁順位となった。しかし、その直後の第32節の長崎に敗れ、そこから、再び5試合連続未勝利。13位へ後退した。第40節の岡山との対戦で0-2で敗れて、プレーオフ進出の可能性が消滅(7位以下が確定)。最終順位は前年と同じく11位で終了。シーズン終了後、山口が契約満了で2015年の契約を更新しないこととなった。11月27日にスタッフの鄭容臺、芝田貴臣、中村亮太、12月1日には西嶋弘之の契約満了を発表した。天皇杯では初戦で富山に敗れた。 ミロシュ・ルスが監督に就任した。栃木から大久保哲哉が、愛媛から村井泰希が、水戸から中里崇宏が、相模原から森本良、琉球から青木翔大が復帰。新卒では成立学園高校より上田悠起、産業能率大学より楠元秀真の2名が加入。年が明けてからはペ・フミンが沼津から、パク・テホンが富山から復帰した。一方でパク・ソンホ、ドウグラス、松下裕樹が退団、ホナウドがイトゥアーノFC(ブラジル)に期限付き移籍した。 しかし失点、得失点差でワースト2位になるなどチームは低迷。ルスがクラブの成績不振、並びに自らの健康面の不安を理由として9月12日の札幌戦(札幌ドーム)試合後に辞意を表明、慰留に努めたが9月15日を持って辞任、後任監督に強化育成テクニカルディレクターの中田仁司が就任した。なお、順位は15位。シーズン終了後に中田が監督を退任し、強化育成テクニカルダイレクターに復帰した。天皇杯は2回戦で札幌に敗れた。 昨年途中で辞任したルスが監督に復帰。岡山から田所諒、徳島から津田知宏、山形から西河翔吾、大宮から藤井悠太を完全移籍で、ベトナム1部・ホアンアイン・ザライからグエン・トゥアン・アインを期限付き移籍で獲得。新外国人選手としてデニス・ハリロヴィッチを獲得、さらに一度は契約を更新しなかった野崎陽介と再契約をした。一方で、中島崇典(鳥取)、黒津勝(鳥取)、村井泰希、井手口正昭(ベトナム1部・ホアンアイン・ザライ)らと契約を更新せず、小池純輝が千葉、パク・テホンがKリーグ2部・大邱FCへ移籍した。開幕直後に新外国人選手としてイバ、岡山ネクストから似鳥康太が期限付き移籍で加入 した。 6月、ルスが不整脈の治療に専念するために監督を辞任し、後任に中田仁司が就任した。最終順位は8位、天皇杯は大宮に敗れベスト16だった。 中田体制2年目。甲府から5年ぶりに復帰の渡邉将基、町田からカルフィン・ヨン・ア・ピンを完全移籍で獲得。新外国人としてジョン・チュングンを補強、ユースから山本凌太郎が昇格、大学生の中山雄希、新井純平、高校生の市川暉記が新加入した。一方で、安英学が引退、内田智也(香港1部・Southern District FC)、市村篤司(讃岐)、ロク・シュトラウス、松下年宏(鹿児島)と契約を更新せず、大﨑玲央が徳島、小野瀬康介が山口、渋谷飛翔が名古屋へ移籍、似鳥康太は岡山に復帰した。3月にナ・ソンスが鹿児島へ期限付き移籍、C大阪を昨年末退団し無所属だった北野貴之が加入、7月に元柏のレアンドロ・ドミンゲスが加入した。 10月、37節の時点でJ1自動昇格圏外の順位に低迷していることを理由に中田を解任。スポーツダイレクターを務める奥寺康彦が代行監督を務めた後、同月24日にハイチ代表などを務めたエジソン・アラウージョ・タヴァレスが監督に就任した。シーズン終盤までJ1昇格プレーオフ進出の可能性があったが、41節岡山に引き分けたことによりに6位の可能性が消滅しプレーオフ進出は無くなった。最終順位は10位、天皇杯は金沢に敗れ2回戦敗退。 タヴァレス体制2年目。小宮山尊信が現役を引退した他、大久保哲哉、津田知宏、野崎陽介、寺田紳一らが退団。西河翔悟、前嶋洋太が期限付き移籍し、神戸から期限付き移籍加入していた増山朝陽は移籍期間満了により復帰した。一方で元日本代表の松井大輔、2013年ぶり3度目の加入となるぺ・スンジンを始めに北爪健吾、渡邊一仁、武田英二郎らが新たに完全移籍で加入し、新人として立花歩夢が加入した。 シーズン途中にはナ・ソンスを完全移籍で、高丘陽平ら4選手を期限付き移籍で放出し、瀬沼優司が完全移籍で、ブルーノ・メネゲウ、田代真一、辻周吾が期限付き移籍で加入した。 前半戦をJ1参入プレーオフ圏内の6位で折り返すと、その後も昇格争いを繰り広げた。J2優勝の可能性も残して迎えた最終節では甲府相手に勝利を収めるも、他会場の結果により2位・大分とは勝ち点差無しの3位に終わった。 2回戦からの出場となった参入プレーオフでは6位の東京Vと対戦。レギュレーション上引き分けでも決定戦突破となる中で試合終盤までスコアレスで迎えたが、後半アディショナルタイムに失点。2回戦敗退となりJ1昇格は果たせなかった。 タヴァレス体制3年目。松浦拓弥、乾大知、竹重安希彦、伊野波雅彦らが移籍加入した他、草野侑己、袴田裕太郎、中山克広が新人として加入、横浜FCユースから安永玲央、大内一生が昇格した。また、前年に期限付き移籍で加入していた田代真一、辻周吾が完全移籍となった。一方で山本海人、ブルーノ・メネゲウは移籍期間満了となり退団した。 期限付き移籍中の高丘陽平(鳥栖)、西河翔吾(琉球)、中山雄希(沼津)、鄭充根(町田)が完全移籍。渡邉将基(FELDAユナイテッドFC・マレーシア)、野村直輝(徳島)、裵乗振(慶南FC・大韓民国)、新井純(琉球)、永田拓也(東京V)、石井圭太(岩手)がそれぞれ完全移籍した。また、元柏監督の下平隆宏をヘッドコーチとして招聘した。 J1自動昇格を目標に掲げて臨んだシーズンであったが、第13節時点で14位と低迷。5月14日に成績不振を理由にタヴァレスを解任、後任には下平が監督に昇格した。シーズン途中の補強では元日本代表の中村俊輔が完全移籍加入した。 下平体制移行後も最初の5試合は5分の成績だったこともあり、前半戦はプレーオフ圏外の12位で折り返したが、その後は第19節から第36節まで7連勝を含む18試合負けなし(12勝6分け)とクラブ記録を更新するなどチーム状況が好転。第30節には同シーズン初めてJ1自動昇格圏内となる2位に浮上し、何度か順位を落とすも第40節で再び2位浮上した後は最後まで自動昇格圏をキープした。 最終節・愛媛戦で勝利したことによりシーズン2位が確定。13年ぶりのJ1復帰が決定した。 下平体制2年目。田所諒が現役を引退し、北爪健吾、渡邊一仁、辻周吾、乾大知などが退団。また、戸島章ら3選手が他クラブに期限付き移籍した。シーズン開始直後には立花歩夢、藤井悠太が完全移籍で退団した。一方で補強は一美和成、マギーニョ、六反勇治など期限付き移籍で5人が加入した他、志知孝明、熊川翔が完全移籍で加入。新人として瀬古樹、星キョーワァンら4選手が入団。そして昨季他クラブに期限付き移籍していた市川暉記、安永玲央が復帰した。そして8月26日をもってイバ(背番号10)が大宮アルディージャに移籍した。 2月23日にヴィッセル神戸とのリーグ開幕戦を戦った後、新型コロナウイルスの感染拡大によりリーグ戦が中断。再開後の第3節・柏レイソル戦で、2007年のJ1第34節・浦和レッズ戦以来13年ぶりのJ1での勝利を挙げた。最終的に、初めてJ1で戦った2007年を大きく上回る勝ち点34を積み上げ、15位でシーズンを終えた。 JリーグYBCルヴァンカップは3位でグループステージ敗退、天皇杯は不出場だった。 下平体制3年目。斉藤光毅がベルギーのロンメルSK、松井大輔がベトナムのサイゴンFC、佐藤謙介がレノファ山口FCに完全移籍するなど、17選手が退団した。一方、鹿島アントラーズから伊藤翔、ヴィッセル神戸から小川慶治朗、ブラウブリッツ秋田から韓浩康など9人が完全移籍で加入。猿田遥己が柏レイソルから期限付き移籍加入し、大内一生がY.S.C.C.横浜、前嶋洋太が水戸ホーリーホックから復帰。六反勇治、手塚康平、杉本竜士を完全移籍に移行し、マギーニョは期限付き移籍期間を延長した。 J1リーグ開幕戦の札幌戦に1-5と大敗、直後のYBCルヴァン杯グループステージ初戦柏戦こそ1-0で勝利したものの、リーグ戦では6試合連続複数失点で開幕から6連敗し最下位に低迷、第7節柏戦で1-1で引き分けようやく同年リーグ戦初の勝ち点を挙げ19位となったものの、4月7日第8節広島に0-3と完敗し再び最下位転落、翌8日、監督の下平の7日付での解任を発表し、後任としてユースチーム監督の早川知伸がトップチーム監督に就任。 第36節の神戸戦に0-2で敗れたことでJ2降格が決定。最終順位は20位(最下位)。 ルヴァンカップはグループステージ3位で敗退、天皇杯では2回戦でヴァンラーレ八戸に0-2で敗れた。 北海道コンサドーレ札幌でヘッドコーチを務めた四方田修平が監督に就任。前年まで監督だった早川はトップチームコーチに就任した。 この年にジュビロ磐田から入団した新エース・小川航基の活躍もあり、開幕戦で大宮アルディージャに3−2と勝利すると、その試合含めて開幕10戦負けなしで首位を快走する。その後、3試合はいずれもドローと勢いに陰りが見えると、14節・ロアッソ熊本戦と15節・ブラウブリッツ秋田戦を連敗し首位を一旦アルビレックス新潟に明け渡す。しかし、16節・徳島ヴォルティス戦は自分達のペースを取り戻して2−1で勝利し、すぐさま首位を奪い返した。その後は、勝ち負けを繰り返し前半戦を2位で折り返した。後半戦は一時期昇格圏内から外れる時期もあったが、新潟との首位争いを続け、40節・大分トリニータ戦を前に昇格を確定させられる状況になった(大分戦は、元横浜FCの野村直樹に終盤に勝ち越し点を許し2−3で敗れた)。迎えた翌週の10月16日、ホーム最終戦となるJ2第41節ツエーゲン金沢戦の前に行われた、3位のファジアーノ岡山がブラウブリッツ秋田に敗れ、試合開始前に1年でのJ1復帰を果たした(秋田の決勝点を挙げたのはかつて横浜FCでプロデビューを果たした青木翔大だった)。ツエーゲン金沢戦は立て続けの3失点が響いて2-3で敗北。この結果、最終節を前に横浜FCの2位、アルビレックス新潟のJ2優勝が確定した。最終節ロアッソ熊本戦では、50分時点で1-3とリードを許すも終盤に3点を加え逆転勝利。最終成績は23勝11分8敗の勝ち点80の2位。 天皇杯は、2回戦こそJFLのソニーFCに辛くもPK勝ちするが、3回戦でJ1のサンフレッチェ広島に0−5と大敗し3回戦敗退となった。 この年をもって中村俊輔が現役引退した。 四方田体制2年目。 早川知伸が松本山雅FCのコーチに就任しクラブを離れ、現役を引退した中村俊輔が新たにトップチームコーチに就任。 リーグでは開幕10戦未勝利で最下位を走る。11節の新潟戦で初勝利すると徐々に調子を上げ、優勝争いをする神戸や横浜FMをホームで撃破するが、黒星が先行する状況には変わらず、降格圏を抜け出せない時期が続く。残留争いの相手である湘南をホームに迎えた33節に敗戦し、最下位が確定。2023年シーズン唯一の降格チームとなり、1年でJ1を去ることとなった。 ホームスタジアムはニッパツ三ツ沢球技場(旧称:三ツ沢公園球技場)である。過去のホームゲーム開催スタジアムは横浜FCの年度別成績一覧#リーグ戦年度別入場者数を参照のこと)。 2006年シーズンまでは固定の練習場を持たず、港北区のしんよこフットボールパークなどの横浜市内の施設を転々としていた。2007年からかつて横浜Fや横浜FMが使用していた戸塚区の横浜スポーツマンクラブ内のグラウンド(当時の名称は横浜FC LEOCトレーニングセンター)を練習場として使用することになったが、賃貸料が高いことや練習用のサッカーコートの数が不足していることを理由として、練習施設の移転を模索していた。 2009年11月、横浜FCを運営する株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜フリエSC)が横浜水道局の西谷浄水場内(保土ケ谷区)にある体育施設の事業者に選定され、2010年3月に横浜フリエSCは同施設を活動拠点として10年間賃貸する契約を横浜市水道局と締結した。 これを受けて、横浜フリエSCは2010年4月より練習場の建設を開始し、2010年7月3日に西谷浄水場内へ横浜FCの練習場が移転した(LEOCが同練習場の命名権を取得し、名称は「横浜FC LEOCトレーニングセンター」)。同施設内は天然芝と人工芝が各1面のサッカーグラウンド、体育館や管理棟を改装するクラブハウスなどが整備され、トップチームに加えて横浜FCユースや横浜FCジュニアユースなどの練習場としても活用している。 なお、2013年9月より上述の戸塚区のグラウンドは「横浜FC東戸塚フットボールパーク in 横浜スポーツマンクラブ」の名称で育成等の拠点として一般社団法人横浜FCスポーツクラブによって運営されている。 横浜FCは2011年シーズンより対戦相手によって販売価格が異なるチケットのカテゴリー制を導入している。カテゴリ1の対象試合はカテゴリ2のそれに比べて一部の席の種類で価格が最大500円高くなっているのが特徴である。各年度のカテゴリの対象クラブは下表の通り。 2021年から新たに、集客可能性に応じてチケット価格を変動させるフレックスプライスを導入すると発表した。これは週末やイベント開催時などのチケット価格を高く、平日開催などの試合は低く設定するもので、チケット販売状況などに伴って販売期間中に価格変動が起こるダイナミックプライシングとは異なる。 横浜FCは、アカデミー(育成組織)として、次の3カテゴリーを所有している。 2016年度より弊クラブ所属の若手と大学との協力でチームを編成し、U-21タインニエン新聞国際サッカー選手権に参加している。 幼稚園児から大人に至るまでの「横浜FCサッカースクール」は、2012年6月に設立された一般社団法人横浜FCスポーツクラブ が運営している。 横浜フリエSCは、2013年2月に発足した女子サッカーチーム横浜FCシーガルズを運営している。横浜FCシーガルズの関連クラブとして、横須賀市に横須賀シーガルズが置かれている。 横浜フリエSCは、次のようなスポーツに関する事業を手掛けている。 また、2012年7月に香港リーグの「標準流浪」の運営権を取得し、その運営会社として横浜FC香港スポーツクラブ株式会社(中国語: 橫滨足球香港體育會有限公司)を設立したが、2015年シーズンより別企業へ運営権を譲渡した。 横浜FCは企業の資本に頼らない純市民参加型のサッカー・スポーツクラブ作りを目指すという観点で、クラブ運営の核となる任意組織「ソシオ・フリエスタ」を設立した。モデルはスペインのFCバルセロナとされている。同クラブも一般市民から集めた会費を基としてサッカークラブを中心とした様々なスポーツクラブ活動を展開してきた。 横浜FCも創設当初は市民から会員(ソシオ)を募集した。会員は会費をクラブに納める見返りとして、希望者への年間指定席の斡旋の他、試合会場や各種イベントでの運営アシスタント(ボランティア)への登録やクラブ上層部との意見交換会などに出席できる権利を得ることが出来た。 しかし、J2加入が確定した2001年年頭ごろから問題が表面化した。ソシオの役員改選選挙が実施されている最中、ソシオの会員宛に運営会社の株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜フリエSC)から「協約書」が送付された。その内容は「ソシオ会員は全員横浜フリエSCと直接契約を結ぶことを求める」もので、「本協約書にご賛同いただけず退会を希望される方には、ご返金いたします」という内容だった。 ソシオとの協議で、横浜フリエSCは「ソシオの会費は当初から運営会社の運営費として捻出されることになっていたが、理事会の承認なしに運営費を拠出できないのは責任ある球団経営が見込めないと判断した」と主張し、これまでのソシオとの協定書を破棄することを宣言した。 2001年9月、横浜フリエSCはソシオに代る新しいチームの後援組織「横浜FCクラブメンバー」を創設し、新社長に就任した奥寺保有の株式をソシオ会員ではなく、クラブメンバーに割り当てること、また会員には「サッカーをする・ふれるといった体験型のイベントを充実させる」ことや「個人情報の管理・責任をより徹底・明確にする」ことなどを提案。名称についてもソシオの名前が係争中だったことから別の名前に変更したという。これにはソシオ理事会側が遺憾の意を示す。 その後、ソシオは横浜フリエSCに対し、ソシオの会費の一部(740万円相当)と会員名簿の返還を求めるよう横浜地方裁判所に仮処分申請を行ったが、2002年1月に却下された。ソシオは東京高等裁判所に即時抗告を行ったが、これも2003年に却下された。その趣旨は「入会事務・会員名簿の作成は運営会社から委託された業者が行い、団体として内部的にも自立して運営されているとは認めがたいから、ソシオは(法人格を有しない団体でも例外的に当事者能力が認められる)民事保全法7条・民事訴訟法29条の『法人でない社団』とは認められない。よって、当事者能力がないから、申立ては不適法である」というものだった。 その間、横浜フリエSCが「ソシオの名称は横浜フリエSCに商標登録がある。このまま使用を続けるのなら法的な処置も辞さない」とソシオに通告を行い、2003年にソシオは「ソシオ・フリエスタ」から「ソシオ横浜」に名称を変更した。2003年9月、ソシオと横浜フリエSCは和解合意書に調印し、2年以上に及んだ横浜フリエSCとソシオの対立は区切りを迎えた。なお、ソシオ横浜の公式サイト は2008年1月を最後に更新が止まっている。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "横浜FC(よこはまFC、英: Yokohama FC)は、日本の神奈川県横浜市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "2001年にJリーグ加盟。運営会社は株式会社横浜フリエスポーツクラブ、ホームスタジアムはニッパツ三ツ沢球技場、練習場は横浜FC LEOCトレーニングセンターである(詳細は#スタジアム・練習場他を参照)。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "クラブマスコットは「宇宙人」をモチーフとしたフリ丸 で、創設10周年に当る2008年12月に名称を公募し、2009年1月の新体制発表記者会見で名前が発表された。", "title": "概説" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "1998年シーズンを以て横浜フリューゲルス(横浜F)が横浜マリノス(横浜M)に吸収合併されることが決定したことを受けて、横浜フリューゲルスのサポーター有志によって横浜FCの運営会社となる株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜フリエSC)が12月25日に設立された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "1999年3月、日本サッカー協会により日本フットボールリーグ(JFL)に準会員での加盟が承認された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "ゼネラルマネージャー(GM)に奥寺康彦、監督にピエール・リトバルスキー、コーチに阪倉裕二が就任。また、パベル・ジェハークなど元Jリーガー22人と選手契約した。4月25日に横浜国際総合競技場でジヤトコと初の公式戦(JFL第2節)を行った(引き分け)。第3節(5月3日)の水戸ホーリーホック戦で初勝利を収めた。JFLリーグ戦は18勝3分3敗の成績でJFLの初代優勝チームとなった。天皇杯は、3回戦でV川崎に敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "奥寺は相模工大附属高校時代、神奈川県代表で全国高校サッカー選手権出場。現役時代属した古河電工サッカー部は横浜市西区にある横浜研究所に本拠地を置いていた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "2000年、JFLの正会員となった。Honda FCから水原大樹や田島宏晃を獲得。リーグ戦は後期第7節で国士舘大学を破り、Jリーグ加盟条件の2位以内が確定。後期第8節で静岡産業大学に勝利して2年連続のJFL優勝を決めた。シーズン終了後、2001年からのJリーグ加盟が承認され、J2参加が決まった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "リトバルスキーがバイエル・レバークーゼンのコーチ就任に伴い監督を退任。新潟元監督の永井良和が後任監督に就任したが、シーズン途中に退任し、9月に信藤健仁が監督に就任した。J2初年度は12チーム中9位の成績。2001年のJリーグカップは1回戦でJ1の東京Vに勝利(2回戦で川崎に敗退)、天皇杯は3回戦でJ1のFC東京に勝利を収めた(4回戦で川崎に敗退)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "信藤体制2年目。迫井深也や吉本岳史を期限付き移籍で、廣長優志を完全移籍で獲得。また、元横浜Fのアルゼンチン人DFのフェルナンド・ダニエル・モネールが入団した。リーグ戦は勝ち点・失点数共にリーグ最下位で、信藤はシーズン終了後に監督を退任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "初代監督のリトバルスキーが監督に就任。後藤義一や有馬賢二が引退、廣長が移籍した一方、城彰二、ルディ・バタ、マシューなどを獲得。なお、引退後に後藤はコーチを務めていたがシーズン途中に現役に復帰した。最終成績は12クラブ中の11位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "リトバルスキー体制2年目。ジェフェルソン、トゥイード、中島崇典などを獲得。城がキャプテンとなった。開幕戦は仙台に4-0で勝利。また、第17節まで4勝12分1敗の成績。第18節から4連敗したが、最終順位はJ2昇格後最高の8位。なお、シーズン44試合中の22試合が引き分けであった。シーズン終了後にリトバルスキーが監督を退任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "2005年6月、学校・病院給食や企業の社内食堂を展開するレオックジャパンの関連会社・フィートエンターテイメントが横浜フリエSCの第三者割当増資を引き受けて筆頭株主となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "JAPANサッカーカレッジ元監督の足達勇輔が監督に就任。補強は新人を中心に、ベテラン選手として佐藤一樹、貞富信宏などを獲得した。リーグ戦は第6節から15試合勝ち星無しを喫するなどで、11位(12チーム中)で終わった。なお、シーズン途中に元日本代表の三浦知良、山口素弘、望月重良など獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "キャッチフレーズ:「夢に蹴りをつける。」", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "足達が監督を続投。室井市衛、渡辺光輝、鄭容臺、吉野智行、アウグストなどを獲得した一方、小野信義などが退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "開幕戦(愛媛戦)に敗北後に足達が解任された(同年中に横浜FCのユース部門責任者に就任)。コーチの高木琢也が後任監督に就任し、監督交代後の第2節から第18節まで15戦無敗(9勝6分)、またこの間に連続無失点時間770分 も記録し、ともにJリーグ記録となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "第43節で首位に立ち、11月26日の鳥栖戦に勝利してJ2初優勝を決めた。12月4日のJリーグ理事会の承認により、J1昇格が正式に決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "北村知隆や吉武剛、アレモンなどが退団。城が引退した一方、横浜FMから元日本代表の奥大介、久保竜彦、東京Vからジウマール・シウバを獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "J1開幕戦は浦和に1-2で敗北。第2節で横浜FMに1-0で勝利し、J1初勝利および横浜ダービーの初対戦初勝利を挙げたが、その後は低迷。平本一樹、山田卓也などをシーズン途中に獲得するが、前半戦は最下位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "後半戦初戦の第19節(8月11日)の横浜ダービーで1-8で大敗。8月27日に高木が解任され、ジュリオ・レアルが監督に就任したが、10月20日の神戸戦に敗れ、J2降格が決定した。最終節で浦和の優勝を阻止したが、最終順位は最下位。ナビスコカップはグループリーグ敗退、天皇杯は5回戦で愛媛に敗北した。シーズン終了後にジュリオ・レアルが監督を退任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "仙台やC大阪元監督の都並敏史が監督に就任し、3年契約を結んだ。菅野孝憲・内田智也などがJ1クラブへ移籍、山口や奥が引退するなど21人が退団した一方、2006年に水戸で16得点を挙げたアンデルソン、水戸前主将で6シーズンぶりの復帰となるDF吉本岳史、2007年のJFL得点王御給匠、東京Vの戸川健太などを獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "リーグ戦は第39節時点で昇格の可能性が消滅し、最終順位は10位。なお、アンデルソンが16得点を挙げた。シーズン終了後に都並が監督を解任された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "山形や大宮で監督を務めた樋口靖洋が2年契約で監督に就任。前年度チーム得点王の16ゴールを挙げたアンデルソン、山田卓也、滝澤邦彦、チョ・ヨンチョル、太田宏介、昨年大宮にレンタル移籍していた内田智也らが完全移籍で退団した一方、千葉に期限付き移籍していた早川知伸が復帰、韓国から劉孝眞、名古屋から片山奨典、大宮から田中輝和が加入し、またレンタル移籍だった戸川健太・須藤右介は完全移籍となり、難波宏明と並びチーム2位の7得点を決めた池元友樹もレンタル移籍期間延長となった。さらに4月には2006年から2007年7月まで在籍していた鄭容臺が約2年ぶりに復帰した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "リーグ戦は開幕から8試合勝利なし(3分5敗)。第9節(水戸戦)で初勝利したが、第10節から8試合勝ちなし(1分7敗)。結局、リーグ戦は16位に終わった。天皇杯は3回戦で敗退。なお、シーズン終了後に個人の都合 により樋口との2年契約を1年で打切った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "前年まで鳥栖監督を務めていた岸野靖之が監督に就任。鳥栖から高地系治、柳沢将之、武岡優斗、渡邉将基、鳥取からシュナイダー潤之介、韓国・釜山から金裕晋、仙台からFWサーレス、仙台や新潟に所属していたシルビーニョを完全移籍で、東京Vから元日本代表FW大黒将志をレンタル移籍で獲得。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "開幕3連勝の後、第4節から1勝9敗と低迷し、一時は15位に沈んだが、第14節の鳥栖戦以降5試合負けなし。6月に大黒が退団(東京Vへ復帰後、FC東京へレンタル移籍)したが、元C大阪のカイオ、元大分のホベルトを獲得した。シーズン成績は前年度を上回る6位。天皇杯は3回戦で川崎に敗北した。岸野はシーズン途中の9月1日からGM兼任となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "岸野体制2年目。阿部巧がレンタル終了、早川知伸、戸川健太、金裕晋らのDF陣が退団した一方、新潟から中野洋司、横浜FMから藤田優人、鹿島から宮崎智彦を獲得。また、新人として井手口正昭、荒堀謙次、佐藤謙介、韓国・延世大学校から朴台洪などが入団。また、鳥栖からDF飯尾和也、FW藤田祥史、2010年に特別指定選手として鳥栖で3試合に出場した森本良が入団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "ところがリーグ戦は故障者が続出した影響もあり大きく出遅れ、一時はFC岐阜と同順位ではあるが最下位に転落した。8月に飯尾が松本へ完全移籍した一方、2010年まで柏に所属していたフランサを獲得、10月にはOBの奥大介が強化部長に就任した。夏場に4連勝したが、後半戦は12試合連続無勝利を喫するなど再度失速し、年間を通して一度も二桁順位から脱せないまま18位でシーズンを終えた。天皇杯は初戦(2回戦)で松本に敗北。なお、岸野はGM職をこの年限りで辞任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "岸野体制3年目。柳沢将之、フランサが退団、宮崎智彦、藤田優人、寺田紳一がレンタル移籍期間満了、荒堀謙次が栃木SCに、西田剛が福岡に完全移籍した。一方、ペ・スンジン、大久保哲哉、内田智也、阿部巧など、かつて横浜FCに所属した選手が復帰。また、杉山新、田原豊、永井雄一郎、堀之内聖を完全移籍で獲得。小野瀬康介がユースから昇格し、韓国U-19代表候補のナ・ソンス、2010シーズン特別指定選手だった中里崇宏とプロ契約を結んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "開幕2試合を1分1敗。第3節の千葉戦に敗北して最下位に転落した翌3月18日に岸野が監督を解任され、3月21日にOBの山口素弘が監督に就任した。第5節、第8節と最下位となるが、第13節北九州戦から第18節徳島戦までクラブ初の6連勝。後半戦初戦、第22節町田戦に勝利して9位に浮上してからは、後半戦を通じて1桁順位を維持、第37節大分戦の勝利でJ1昇格プレーオフ圏内の6位に浮上。第39節から第42節まで4連勝し、リーグ戦は4位の成績。昇格プレーオフは準決勝で5位の千葉に敗北し、J1昇格はならなかった。天皇杯は3回戦で横浜FMに敗北した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "9月23日の徳島戦を9年ぶりに福島で開催。当初開催予定のニッパ球が使用できず、近隣スタジアムでの開催も全て不可となったことによる。なお、この試合は東日本大震災復興支援活動の一環として開催された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "山口体制2年目。群馬から松下裕樹、川崎から黒津勝、熊本から市村篤司などを完全移籍で獲得。また、レンタル移籍や新卒選手が加入した。一方で、堀之内聖が山形、八角剛史、渡邉将基両名が北九州、杉山新が岐阜、中野洋司が栃木にそれぞれ移籍、阿部巧、関憲太郎がレンタル移籍期間満了。8月にブラジルのSEパルメイラスからパトリックが入団。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "開幕戦は岐阜に勝利したが、第2節から3敗3分で第7節終了時点で20位と低迷。第18節から第22節まで3連勝1回を含む無敗(4勝1分)で第22節時点で11位に浮上したが、第23節から第28節まで4連敗を含む6試合未勝利(2分4敗)。結局、J1昇格プレーオフに進出した前年と異なり、降格圏までは落ちなかったものの、第4節終了時に11位となって以降一度も1桁順位になることなく、第39節の松本戦に敗れてプレーオフ圏外の7位以下が確定。第40節から3連勝したが、最終順位は11位であった。天皇杯は2回戦で金沢に敗北した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "山口体制3年目。ユースから高丘陽平と石井圭太が昇格。熊本から南雄太、東京Vから小池純輝と飯尾一慶を獲得。ホナウドをジョインヴィレから、ドウグラスをフィゲイエンセから完全移籍で獲得した。また、フェリペも完全移籍で獲得。永田拓也を浦和、松下年宏を仙台からそれぞれ完全移籍で獲得した。安英学を自由契約から獲得し、野村直輝を日本経済大学から新加入した。また、朴成鎬も浦項から完全移籍で獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "一方、放出選手は、森本良を相模原、井手口正昭を横浜FC香港、中里崇宏を水戸、大久保哲哉が栃木SCへ、青木翔大が琉球へそれぞれレンタル移籍した。その他、永井雄一郎が契約満了で退団し、柴崎貴広が東京V、パトリックがパルメイラスでそれぞれレンタル期間終了で退団。また、森下俊は、レンタル期間終了後、所属元の川崎から磐田へ移籍。その他、完全移籍組は、シュナイダー潤之介を奈良クラブ、ペ・スンジンを韓国の仁川、高地系治を岐阜、武岡優斗を川崎、田原豊がタイのサムットソンクラームFCへ移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "開幕から4試合連続無敗で4位に浮上するものの、その後は5試合連続未勝利で18位まで順位を下げた。5試合連続未勝利の直後の第10節のアウェーの讃岐に勝利した後、第11節から再び5試合連続未勝利(4連敗と1分)で15節終了後には20位へ転落した。その後巻き返して、第18節から15試合連続負けなしで8位に上昇し、第4節以来およそ17節ぶりに1桁順位となった。しかし、その直後の第32節の長崎に敗れ、そこから、再び5試合連続未勝利。13位へ後退した。第40節の岡山との対戦で0-2で敗れて、プレーオフ進出の可能性が消滅(7位以下が確定)。最終順位は前年と同じく11位で終了。シーズン終了後、山口が契約満了で2015年の契約を更新しないこととなった。11月27日にスタッフの鄭容臺、芝田貴臣、中村亮太、12月1日には西嶋弘之の契約満了を発表した。天皇杯では初戦で富山に敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "ミロシュ・ルスが監督に就任した。栃木から大久保哲哉が、愛媛から村井泰希が、水戸から中里崇宏が、相模原から森本良、琉球から青木翔大が復帰。新卒では成立学園高校より上田悠起、産業能率大学より楠元秀真の2名が加入。年が明けてからはペ・フミンが沼津から、パク・テホンが富山から復帰した。一方でパク・ソンホ、ドウグラス、松下裕樹が退団、ホナウドがイトゥアーノFC(ブラジル)に期限付き移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "しかし失点、得失点差でワースト2位になるなどチームは低迷。ルスがクラブの成績不振、並びに自らの健康面の不安を理由として9月12日の札幌戦(札幌ドーム)試合後に辞意を表明、慰留に努めたが9月15日を持って辞任、後任監督に強化育成テクニカルディレクターの中田仁司が就任した。なお、順位は15位。シーズン終了後に中田が監督を退任し、強化育成テクニカルダイレクターに復帰した。天皇杯は2回戦で札幌に敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "昨年途中で辞任したルスが監督に復帰。岡山から田所諒、徳島から津田知宏、山形から西河翔吾、大宮から藤井悠太を完全移籍で、ベトナム1部・ホアンアイン・ザライからグエン・トゥアン・アインを期限付き移籍で獲得。新外国人選手としてデニス・ハリロヴィッチを獲得、さらに一度は契約を更新しなかった野崎陽介と再契約をした。一方で、中島崇典(鳥取)、黒津勝(鳥取)、村井泰希、井手口正昭(ベトナム1部・ホアンアイン・ザライ)らと契約を更新せず、小池純輝が千葉、パク・テホンがKリーグ2部・大邱FCへ移籍した。開幕直後に新外国人選手としてイバ、岡山ネクストから似鳥康太が期限付き移籍で加入 した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "6月、ルスが不整脈の治療に専念するために監督を辞任し、後任に中田仁司が就任した。最終順位は8位、天皇杯は大宮に敗れベスト16だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "中田体制2年目。甲府から5年ぶりに復帰の渡邉将基、町田からカルフィン・ヨン・ア・ピンを完全移籍で獲得。新外国人としてジョン・チュングンを補強、ユースから山本凌太郎が昇格、大学生の中山雄希、新井純平、高校生の市川暉記が新加入した。一方で、安英学が引退、内田智也(香港1部・Southern District FC)、市村篤司(讃岐)、ロク・シュトラウス、松下年宏(鹿児島)と契約を更新せず、大﨑玲央が徳島、小野瀬康介が山口、渋谷飛翔が名古屋へ移籍、似鳥康太は岡山に復帰した。3月にナ・ソンスが鹿児島へ期限付き移籍、C大阪を昨年末退団し無所属だった北野貴之が加入、7月に元柏のレアンドロ・ドミンゲスが加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "10月、37節の時点でJ1自動昇格圏外の順位に低迷していることを理由に中田を解任。スポーツダイレクターを務める奥寺康彦が代行監督を務めた後、同月24日にハイチ代表などを務めたエジソン・アラウージョ・タヴァレスが監督に就任した。シーズン終盤までJ1昇格プレーオフ進出の可能性があったが、41節岡山に引き分けたことによりに6位の可能性が消滅しプレーオフ進出は無くなった。最終順位は10位、天皇杯は金沢に敗れ2回戦敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "タヴァレス体制2年目。小宮山尊信が現役を引退した他、大久保哲哉、津田知宏、野崎陽介、寺田紳一らが退団。西河翔悟、前嶋洋太が期限付き移籍し、神戸から期限付き移籍加入していた増山朝陽は移籍期間満了により復帰した。一方で元日本代表の松井大輔、2013年ぶり3度目の加入となるぺ・スンジンを始めに北爪健吾、渡邊一仁、武田英二郎らが新たに完全移籍で加入し、新人として立花歩夢が加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "シーズン途中にはナ・ソンスを完全移籍で、高丘陽平ら4選手を期限付き移籍で放出し、瀬沼優司が完全移籍で、ブルーノ・メネゲウ、田代真一、辻周吾が期限付き移籍で加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "前半戦をJ1参入プレーオフ圏内の6位で折り返すと、その後も昇格争いを繰り広げた。J2優勝の可能性も残して迎えた最終節では甲府相手に勝利を収めるも、他会場の結果により2位・大分とは勝ち点差無しの3位に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "2回戦からの出場となった参入プレーオフでは6位の東京Vと対戦。レギュレーション上引き分けでも決定戦突破となる中で試合終盤までスコアレスで迎えたが、後半アディショナルタイムに失点。2回戦敗退となりJ1昇格は果たせなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "タヴァレス体制3年目。松浦拓弥、乾大知、竹重安希彦、伊野波雅彦らが移籍加入した他、草野侑己、袴田裕太郎、中山克広が新人として加入、横浜FCユースから安永玲央、大内一生が昇格した。また、前年に期限付き移籍で加入していた田代真一、辻周吾が完全移籍となった。一方で山本海人、ブルーノ・メネゲウは移籍期間満了となり退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "期限付き移籍中の高丘陽平(鳥栖)、西河翔吾(琉球)、中山雄希(沼津)、鄭充根(町田)が完全移籍。渡邉将基(FELDAユナイテッドFC・マレーシア)、野村直輝(徳島)、裵乗振(慶南FC・大韓民国)、新井純(琉球)、永田拓也(東京V)、石井圭太(岩手)がそれぞれ完全移籍した。また、元柏監督の下平隆宏をヘッドコーチとして招聘した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "J1自動昇格を目標に掲げて臨んだシーズンであったが、第13節時点で14位と低迷。5月14日に成績不振を理由にタヴァレスを解任、後任には下平が監督に昇格した。シーズン途中の補強では元日本代表の中村俊輔が完全移籍加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "下平体制移行後も最初の5試合は5分の成績だったこともあり、前半戦はプレーオフ圏外の12位で折り返したが、その後は第19節から第36節まで7連勝を含む18試合負けなし(12勝6分け)とクラブ記録を更新するなどチーム状況が好転。第30節には同シーズン初めてJ1自動昇格圏内となる2位に浮上し、何度か順位を落とすも第40節で再び2位浮上した後は最後まで自動昇格圏をキープした。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "最終節・愛媛戦で勝利したことによりシーズン2位が確定。13年ぶりのJ1復帰が決定した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "下平体制2年目。田所諒が現役を引退し、北爪健吾、渡邊一仁、辻周吾、乾大知などが退団。また、戸島章ら3選手が他クラブに期限付き移籍した。シーズン開始直後には立花歩夢、藤井悠太が完全移籍で退団した。一方で補強は一美和成、マギーニョ、六反勇治など期限付き移籍で5人が加入した他、志知孝明、熊川翔が完全移籍で加入。新人として瀬古樹、星キョーワァンら4選手が入団。そして昨季他クラブに期限付き移籍していた市川暉記、安永玲央が復帰した。そして8月26日をもってイバ(背番号10)が大宮アルディージャに移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "2月23日にヴィッセル神戸とのリーグ開幕戦を戦った後、新型コロナウイルスの感染拡大によりリーグ戦が中断。再開後の第3節・柏レイソル戦で、2007年のJ1第34節・浦和レッズ戦以来13年ぶりのJ1での勝利を挙げた。最終的に、初めてJ1で戦った2007年を大きく上回る勝ち点34を積み上げ、15位でシーズンを終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "JリーグYBCルヴァンカップは3位でグループステージ敗退、天皇杯は不出場だった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "下平体制3年目。斉藤光毅がベルギーのロンメルSK、松井大輔がベトナムのサイゴンFC、佐藤謙介がレノファ山口FCに完全移籍するなど、17選手が退団した。一方、鹿島アントラーズから伊藤翔、ヴィッセル神戸から小川慶治朗、ブラウブリッツ秋田から韓浩康など9人が完全移籍で加入。猿田遥己が柏レイソルから期限付き移籍加入し、大内一生がY.S.C.C.横浜、前嶋洋太が水戸ホーリーホックから復帰。六反勇治、手塚康平、杉本竜士を完全移籍に移行し、マギーニョは期限付き移籍期間を延長した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "J1リーグ開幕戦の札幌戦に1-5と大敗、直後のYBCルヴァン杯グループステージ初戦柏戦こそ1-0で勝利したものの、リーグ戦では6試合連続複数失点で開幕から6連敗し最下位に低迷、第7節柏戦で1-1で引き分けようやく同年リーグ戦初の勝ち点を挙げ19位となったものの、4月7日第8節広島に0-3と完敗し再び最下位転落、翌8日、監督の下平の7日付での解任を発表し、後任としてユースチーム監督の早川知伸がトップチーム監督に就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "第36節の神戸戦に0-2で敗れたことでJ2降格が決定。最終順位は20位(最下位)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "ルヴァンカップはグループステージ3位で敗退、天皇杯では2回戦でヴァンラーレ八戸に0-2で敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "北海道コンサドーレ札幌でヘッドコーチを務めた四方田修平が監督に就任。前年まで監督だった早川はトップチームコーチに就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "この年にジュビロ磐田から入団した新エース・小川航基の活躍もあり、開幕戦で大宮アルディージャに3−2と勝利すると、その試合含めて開幕10戦負けなしで首位を快走する。その後、3試合はいずれもドローと勢いに陰りが見えると、14節・ロアッソ熊本戦と15節・ブラウブリッツ秋田戦を連敗し首位を一旦アルビレックス新潟に明け渡す。しかし、16節・徳島ヴォルティス戦は自分達のペースを取り戻して2−1で勝利し、すぐさま首位を奪い返した。その後は、勝ち負けを繰り返し前半戦を2位で折り返した。後半戦は一時期昇格圏内から外れる時期もあったが、新潟との首位争いを続け、40節・大分トリニータ戦を前に昇格を確定させられる状況になった(大分戦は、元横浜FCの野村直樹に終盤に勝ち越し点を許し2−3で敗れた)。迎えた翌週の10月16日、ホーム最終戦となるJ2第41節ツエーゲン金沢戦の前に行われた、3位のファジアーノ岡山がブラウブリッツ秋田に敗れ、試合開始前に1年でのJ1復帰を果たした(秋田の決勝点を挙げたのはかつて横浜FCでプロデビューを果たした青木翔大だった)。ツエーゲン金沢戦は立て続けの3失点が響いて2-3で敗北。この結果、最終節を前に横浜FCの2位、アルビレックス新潟のJ2優勝が確定した。最終節ロアッソ熊本戦では、50分時点で1-3とリードを許すも終盤に3点を加え逆転勝利。最終成績は23勝11分8敗の勝ち点80の2位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "天皇杯は、2回戦こそJFLのソニーFCに辛くもPK勝ちするが、3回戦でJ1のサンフレッチェ広島に0−5と大敗し3回戦敗退となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "この年をもって中村俊輔が現役引退した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "四方田体制2年目。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "早川知伸が松本山雅FCのコーチに就任しクラブを離れ、現役を引退した中村俊輔が新たにトップチームコーチに就任。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "リーグでは開幕10戦未勝利で最下位を走る。11節の新潟戦で初勝利すると徐々に調子を上げ、優勝争いをする神戸や横浜FMをホームで撃破するが、黒星が先行する状況には変わらず、降格圏を抜け出せない時期が続く。残留争いの相手である湘南をホームに迎えた33節に敗戦し、最下位が確定。2023年シーズン唯一の降格チームとなり、1年でJ1を去ることとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "ホームスタジアムはニッパツ三ツ沢球技場(旧称:三ツ沢公園球技場)である。過去のホームゲーム開催スタジアムは横浜FCの年度別成績一覧#リーグ戦年度別入場者数を参照のこと)。", "title": "スタジアム・練習場他" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "2006年シーズンまでは固定の練習場を持たず、港北区のしんよこフットボールパークなどの横浜市内の施設を転々としていた。2007年からかつて横浜Fや横浜FMが使用していた戸塚区の横浜スポーツマンクラブ内のグラウンド(当時の名称は横浜FC LEOCトレーニングセンター)を練習場として使用することになったが、賃貸料が高いことや練習用のサッカーコートの数が不足していることを理由として、練習施設の移転を模索していた。", "title": "スタジアム・練習場他" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "2009年11月、横浜FCを運営する株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜フリエSC)が横浜水道局の西谷浄水場内(保土ケ谷区)にある体育施設の事業者に選定され、2010年3月に横浜フリエSCは同施設を活動拠点として10年間賃貸する契約を横浜市水道局と締結した。", "title": "スタジアム・練習場他" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "これを受けて、横浜フリエSCは2010年4月より練習場の建設を開始し、2010年7月3日に西谷浄水場内へ横浜FCの練習場が移転した(LEOCが同練習場の命名権を取得し、名称は「横浜FC LEOCトレーニングセンター」)。同施設内は天然芝と人工芝が各1面のサッカーグラウンド、体育館や管理棟を改装するクラブハウスなどが整備され、トップチームに加えて横浜FCユースや横浜FCジュニアユースなどの練習場としても活用している。", "title": "スタジアム・練習場他" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "なお、2013年9月より上述の戸塚区のグラウンドは「横浜FC東戸塚フットボールパーク in 横浜スポーツマンクラブ」の名称で育成等の拠点として一般社団法人横浜FCスポーツクラブによって運営されている。", "title": "スタジアム・練習場他" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "横浜FCは2011年シーズンより対戦相手によって販売価格が異なるチケットのカテゴリー制を導入している。カテゴリ1の対象試合はカテゴリ2のそれに比べて一部の席の種類で価格が最大500円高くなっているのが特徴である。各年度のカテゴリの対象クラブは下表の通り。", "title": "スタジアム・練習場他" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "2021年から新たに、集客可能性に応じてチケット価格を変動させるフレックスプライスを導入すると発表した。これは週末やイベント開催時などのチケット価格を高く、平日開催などの試合は低く設定するもので、チケット販売状況などに伴って販売期間中に価格変動が起こるダイナミックプライシングとは異なる。", "title": "スタジアム・練習場他" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "横浜FCは、アカデミー(育成組織)として、次の3カテゴリーを所有している。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "2016年度より弊クラブ所属の若手と大学との協力でチームを編成し、U-21タインニエン新聞国際サッカー選手権に参加している。", "title": "アカデミー" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "幼稚園児から大人に至るまでの「横浜FCサッカースクール」は、2012年6月に設立された一般社団法人横浜FCスポーツクラブ が運営している。", "title": "横浜FCスポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "横浜フリエSCは、2013年2月に発足した女子サッカーチーム横浜FCシーガルズを運営している。横浜FCシーガルズの関連クラブとして、横須賀市に横須賀シーガルズが置かれている。", "title": "横浜FCスポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "横浜フリエSCは、次のようなスポーツに関する事業を手掛けている。", "title": "横浜FCスポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "また、2012年7月に香港リーグの「標準流浪」の運営権を取得し、その運営会社として横浜FC香港スポーツクラブ株式会社(中国語: 橫滨足球香港體育會有限公司)を設立したが、2015年シーズンより別企業へ運営権を譲渡した。", "title": "横浜FCスポーツクラブ" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "横浜FCは企業の資本に頼らない純市民参加型のサッカー・スポーツクラブ作りを目指すという観点で、クラブ運営の核となる任意組織「ソシオ・フリエスタ」を設立した。モデルはスペインのFCバルセロナとされている。同クラブも一般市民から集めた会費を基としてサッカークラブを中心とした様々なスポーツクラブ活動を展開してきた。", "title": "ソシオ・フリエスタ" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "横浜FCも創設当初は市民から会員(ソシオ)を募集した。会員は会費をクラブに納める見返りとして、希望者への年間指定席の斡旋の他、試合会場や各種イベントでの運営アシスタント(ボランティア)への登録やクラブ上層部との意見交換会などに出席できる権利を得ることが出来た。", "title": "ソシオ・フリエスタ" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "しかし、J2加入が確定した2001年年頭ごろから問題が表面化した。ソシオの役員改選選挙が実施されている最中、ソシオの会員宛に運営会社の株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜フリエSC)から「協約書」が送付された。その内容は「ソシオ会員は全員横浜フリエSCと直接契約を結ぶことを求める」もので、「本協約書にご賛同いただけず退会を希望される方には、ご返金いたします」という内容だった。", "title": "ソシオ・フリエスタ" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "ソシオとの協議で、横浜フリエSCは「ソシオの会費は当初から運営会社の運営費として捻出されることになっていたが、理事会の承認なしに運営費を拠出できないのは責任ある球団経営が見込めないと判断した」と主張し、これまでのソシオとの協定書を破棄することを宣言した。", "title": "ソシオ・フリエスタ" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "2001年9月、横浜フリエSCはソシオに代る新しいチームの後援組織「横浜FCクラブメンバー」を創設し、新社長に就任した奥寺保有の株式をソシオ会員ではなく、クラブメンバーに割り当てること、また会員には「サッカーをする・ふれるといった体験型のイベントを充実させる」ことや「個人情報の管理・責任をより徹底・明確にする」ことなどを提案。名称についてもソシオの名前が係争中だったことから別の名前に変更したという。これにはソシオ理事会側が遺憾の意を示す。", "title": "ソシオ・フリエスタ" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "その後、ソシオは横浜フリエSCに対し、ソシオの会費の一部(740万円相当)と会員名簿の返還を求めるよう横浜地方裁判所に仮処分申請を行ったが、2002年1月に却下された。ソシオは東京高等裁判所に即時抗告を行ったが、これも2003年に却下された。その趣旨は「入会事務・会員名簿の作成は運営会社から委託された業者が行い、団体として内部的にも自立して運営されているとは認めがたいから、ソシオは(法人格を有しない団体でも例外的に当事者能力が認められる)民事保全法7条・民事訴訟法29条の『法人でない社団』とは認められない。よって、当事者能力がないから、申立ては不適法である」というものだった。", "title": "ソシオ・フリエスタ" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "その間、横浜フリエSCが「ソシオの名称は横浜フリエSCに商標登録がある。このまま使用を続けるのなら法的な処置も辞さない」とソシオに通告を行い、2003年にソシオは「ソシオ・フリエスタ」から「ソシオ横浜」に名称を変更した。2003年9月、ソシオと横浜フリエSCは和解合意書に調印し、2年以上に及んだ横浜フリエSCとソシオの対立は区切りを迎えた。なお、ソシオ横浜の公式サイト は2008年1月を最後に更新が止まっている。", "title": "ソシオ・フリエスタ" } ]
横浜FCは、日本の神奈川県横浜市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
{{サッカークラブ | font-color = #FFFFFF | background-color = #00A1E9 | border-color = #013588 | 原語表記 = 横浜FC | 呼称 = 横浜FC | 愛称 = フリエ | カラー = {{colorbox|#FFFFFF}} 白<ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/club/yokohamafc|title=プロフィール:横浜FC|publisher=[[日本プロサッカーリーグ]]|accessdate=2017-8-20}}</ref>、{{colorbox|#00A1E9}} 水色{{Refnest|name="teamcolor"|group="注"|2017シーズン以降は、チームの公式サイトなどで 「HAMABLUE」と表現されることもある<ref>{{Twitter|date=2021-04-08|url=https://twitter.com/yokohama_fc/status/854175013972267008?s=12|title=|publisher=横浜FC 公式ツイッター|accessdate=2022-03-16}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|date=2022-01-28|url=https://www.yokohamafc.com/2022/01/28/dazn_documentary_ep3-4/|title=1/28(金)より DAZN×Jリーグ 横浜FCドキュメンタリー『THE BLUE episode.3&4』配信のお知らせ|publisher=横浜FC|accessdate=2022-03-16}}</ref>。}}、{{colorbox|#013588}} 青<ref name="jleague" /> | 創設 = 1998 | リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]] | ディビジョン = [[J2リーグ]] | クラブライセンス = J1 | ホームタウン = [[神奈川県]][[横浜市]]<ref name="jleague" /> | スタジアム = [[ファイル:Mitsuzawa100502.JPG|250px]][[三ツ沢公園球技場|ニッパツ三ツ沢球技場]]<ref name="jleague" /> | キャパ = 300<ref name="jleague" /> | 法人名 = 株式会社横浜フリエスポーツクラブ<ref name="jleague" /> | 代表 = {{Flagicon|JPN}} 上尾和大<ref name="jleague" /> | 監督 = {{Flagicon|JPN}} [[四方田修平]] | HP=https://www.yokohamafc.com/ | pattern_la1= _YOKOHAMA FC 2023 HOME FP | pattern_b1= _YOKOHAMA FC 2023 HOME FP | pattern_ra1= _YOKOHAMA FC 2023 HOME FP | pattern_sh1= _YOKOHAMA FC 2023 HOME FP | pattern_so1= _YOKOHAMA FC 2023 HOME FP | leftarm1=00CCFF | body1=00CCFF | rightarm1=00CCFF | shorts1=003586 | socks1=003586 | pattern_la2= _YOKOHAMA FC 2023 AWAY FP | pattern_b2= _YOKOHAMA FC 2023 AWAY FP | pattern_ra2= _YOKOHAMA FC 2023 AWAY FP | pattern_sh2= _YOKOHAMA FC 2023 AWAY FP | pattern_so2= _YOKOHAMA FC 2023 AWAY FP | leftarm2=FFFFFF|body2=FFFFFF|rightarm2=FFFFFF|shorts2=FFFFFF|socks2=FFFFFF }} {{基礎情報 会社 | 社名 = 株式会社横浜フリエスポーツクラブ | 英文社名 = Yokohama Fulie Sports Club Co., Ltd. | ロゴ = | 画像 = | 画像説明 = | 種類 = [[株式会社]] | 市場情報 = 未上場 | 本社郵便番号 = 240-0045 | 本社所在地 = [[神奈川県]][[横浜市]][[保土ケ谷区]]川島町522-3 横浜FC・LEOCトレーニングセンター<ref name="clubinfo"/> | 設立 = 1998年12月25日<ref name="clubinfo">{{Cite web|和書|url=https://www.yokohamafc.com/club/club_infomation|title=クラブ概要|work=横浜FC|accessdate=2017-8-20}}</ref> | 業種 = 9050 | 事業内容 = サッカークラブの運営 | 代表者 = 小野寺裕司<ref name="jleague" /> | 資本金 = 3億5,364万円<ref name="clubinfo"/> | 発行済株式総数 = | 売上高 = 12億4,400万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf|title=2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2018-08-07}}</ref> | 営業利益 = 100万円 (2018年1月期)<ref name=jl2017/> | 経常利益 = ▲600万円 (2018年1月期)<ref name=jl2017/> | 純利益 = ▲2,100万円 (2018年1月期)<ref name=jl2017/> | 純資産 = 600万円 (2018年1月期)<ref name=jl2017/> | 総資産 = 4億3,600万円 (2018年1月期)<ref name=jl2017/> | 従業員数 = | 決算期 = 1月期 | 主要株主 = [[LEOC#ONODERA GROUPの傘下企業|(株)ONODERA GROUPホールディングス]] 55.2% | 主要子会社 = | 関係する人物 = [[奥寺康彦]]、[[辻野臣保]] | 外部リンク = {{URL|https://www.yokohamafc.com/}} | 特記事項 = }} '''横浜FC'''(よこはまFC、{{lang-en-short|Yokohama FC}})は、[[日本]]の[[神奈川県]][[横浜市]]をホームタウンとする、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 ==概説== [[2001年]]にJリーグ加盟<ref name="jleague" />。運営会社は'''株式会社横浜フリエスポーツクラブ'''<ref name="jleague" />、ホームスタジアムは[[三ツ沢公園球技場|ニッパツ三ツ沢球技場]]<ref name="jleague" />、練習場は[[横浜FC LEOCトレーニングセンター]]である<ref name="jleague" />(詳細は[[#スタジアム・練習場他]]を参照)。 クラブマスコットは「[[宇宙人]]」をモチーフとした'''[[フリ丸]]'''<ref name="jleague" /> で、創設10周年に当る[[2008年]]12月に名称を公募し<ref>[http://www.yokohamafc.com/clubinfo/mascot.html 横浜FCオフィシャルクラブマスコット 誕生!!名前をつけてください!!]</ref>、2009年1月の新体制発表記者会見で名前が発表された。 == 歴史 == === 1999年 - 2000年(JFL) === ;1999年 {{see also|横浜フリューゲルス}} [[1998年]]シーズンを以て[[横浜フリューゲルス]](横浜F)が[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]](横浜M)に吸収合併されることが決定したことを受けて、横浜フリューゲルスのサポーター有志によって横浜FCの運営会社となる'''株式会社横浜フリエスポーツクラブ'''(横浜フリエSC)が12月25日に設立された<ref name="clubinfo"/>。 1999年3月、[[日本サッカー協会]]により[[日本フットボールリーグ]](JFL)に準会員での加盟が承認された<ref>{{cite web|url=http://www.yokohamafc.com/_keep_dir/club-old/fc-history/fc-1999|title=History of YOKOHAMA FC 1999|work=横浜FC|accessdate=2017-8-20}}</ref>。 [[ゼネラルマネージャー]](GM)に[[奥寺康彦]]、監督に[[ピエール・リトバルスキー]]、コーチに[[阪倉裕二]]が就任。また、[[パベル・ジェハーク]]など元Jリーガー22人と選手契約した。[[4月25日]]に[[横浜国際総合競技場]]で[[ジヤトコサッカー部|ジヤトコ]]と初の公式戦(JFL第2節)を行った(引き分け)。第3節(5月3日)の[[水戸ホーリーホック]]戦で初勝利を収めた。JFLリーグ戦は18勝3分3敗の成績でJFLの初代優勝チームとなった。[[第79回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は、3回戦で[[東京ヴェルディ1969|V川崎]]に敗退。 奥寺は相模工大附属高校時代、神奈川県代表で全国高校サッカー選手権出場。現役時代属した[[古河電工サッカー部]]は[[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]]にある横浜研究所に本拠地を置いていた<ref>日光事業所の[[古河電工アイスホッケー部|アイスホッケー部]](現在の[[H.C.栃木日光アイスバックス]])も強豪として知られ、横浜研究所のサッカー部と共に日光事業所のアイスホッケー部も会社からの全面的な支援を受けた。アイスホッケーとサッカーは古河電工にとって'''社技'''として扱われた。</ref><ref>古河電工の前身会社のひとつ横浜電線製造が横浜に事業所を置いていたため、古河電工もこれを引き続いて横浜に事業所の多くを置いた。このためサッカー部関連の施設は横浜に集中し、チームは古河電工グラウンドで練習し、[[三ツ沢公園球技場]]で試合をする事が多かった。同球技場のバックスタンド裏に古河電工の社宅があり、ここに住んでいた選手も多かったため頻繁に用いられ、古河のプロ化([[ジェフ市原]])に際してはホームスタジアムの候補にもなった。</ref>。 ;2000年 [[2000年]]、JFLの正会員となった<ref name="jleague" />。[[本田技研工業フットボールクラブ|Honda FC]]から[[水原大樹]]や[[田島宏晃]]を獲得。リーグ戦は後期第7節で[[国士舘大学サッカー部|国士舘大学]]を破り、Jリーグ加盟条件の2位以内が確定。後期第8節で[[静岡産業大学サッカー部|静岡産業大学]]に勝利して2年連続のJFL優勝を決めた。シーズン終了後、2001年からのJリーグ加盟が承認され、J2参加が決まった。 === 2001年 - 2006年(J2) === ;2001年 {{main|2001年の横浜FC}} リトバルスキーが[[バイエル・レバークーゼン]]のコーチ就任に伴い監督を退任。[[アルビレックス新潟|新潟]]元監督の[[永井良和]]が後任監督に就任したが、シーズン途中に退任し、9月に[[信藤健仁]]が監督に就任した。J2初年度は12チーム中9位の成績。[[2001年のJリーグカップ]]は1回戦でJ1の[[東京ヴェルディ1969|東京V]]に勝利(2回戦で[[川崎フロンターレ|川崎]]に敗退)、天皇杯は3回戦でJ1の[[FC東京]]に勝利を収めた(4回戦で川崎に敗退)。 ;2002年 {{main|2002年の横浜FC}} :キャッチフレーズ :「'''超攻撃的。2-4-4は横浜FC'''」 信藤体制2年目。[[迫井深也]]や[[吉本岳史]]を[[期限付き移籍]]で、[[廣長優志]]を完全移籍で獲得。また、元横浜Fの[[アルゼンチン人]]DFの[[フェルナンド・ダニエル・モネール]]が入団した。リーグ戦は勝ち点・失点数共にリーグ最下位で、信藤はシーズン終了後に監督を退任。 ;2003年 {{main|2003年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:'''「ガムシャラ ~原点を思い出せ。迷うな、負けるな、強くあれ!~」''' 初代監督のリトバルスキーが監督に就任。[[後藤義一]]や[[有馬賢二]]が引退、廣長が移籍した一方、[[城彰二]]、[[ルディ・バタ]]、マシューなどを獲得。なお、引退後に後藤はコーチを務めていたがシーズン途中に現役に復帰した。最終成績は12クラブ中の11位。 ;2004年 {{main|2004年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:'''「PLAYER'S POWER ~勝利をつかめ~YOKOHAMA FC SPIRITS」''' リトバルスキー体制2年目。[[ジェフェルソン・ヴィエイラ・ダ・クルス|ジェフェルソン]]、[[スティーブン・トゥイード|トゥイード]]、[[中島崇典]]などを獲得。城がキャプテンとなった。開幕戦は[[ベガルタ仙台|仙台]]に4-0で勝利。また、第17節まで4勝12分1敗の成績。第18節から4連敗したが、最終順位はJ2昇格後最高の8位。なお、シーズン44試合中の22試合が引き分けであった。シーズン終了後にリトバルスキーが監督を退任した。 ;2005年 {{main|2005年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:'''「MAKE PROGRESS」''' [[2005年]][[6月]]、学校・病院給食や企業の社内食堂を展開する[[LEOC|レオックジャパン]]の関連会社・フィートエンターテイメントが横浜フリエSCの[[第三者割当増資]]を引き受けて筆頭株主となった。 [[JAPANサッカーカレッジ]]元監督の[[足達勇輔]]が監督に就任。補強は新人を中心に、ベテラン選手として[[佐藤一樹]]、[[貞富信宏]]などを獲得した。リーグ戦は第6節から15試合勝ち星無しを喫するなどで、11位(12チーム中)で終わった。なお、シーズン途中に元[[サッカー日本代表|日本代表]]の[[三浦知良]]、[[山口素弘]]、[[望月重良]]など獲得した。 ;2006年 {{main|2006年の横浜FC}} {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: #004bc8 solid 1px" |<div style="position: relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.04|y=0.03|scale=300|text=<span style="font-size:small;color:royalblue">'''2006年 基本布陣'''</span>}} {{Image label|x=0.57|y=1.21|scale=220|text=[[高木琢也|<span style="font-size:x-small;color:inherit">監督 '''高木琢也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.07|scale=220|text=[[菅野孝憲|<span style="font-size:x-small;color:inherit">'''菅野孝憲'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.83|scale=220|text=[[小野智吉|<span style="font-size:x-small;color:inherit">'''小野智吉'''</span>]]}} {{Image label|x=0.50|y=0.96|scale=220|text=[[小村徳男|<span style="font-size:x-small;color:inherit">'''小村徳男'''</span>]]}} {{Image label|x=0.25|y=0.96|scale=220|text=[[早川知伸|<span style="font-size:x-small;color:inherit">'''早川知伸'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.83|scale=220|text=[[中島崇典|<span style="font-size:x-small;color:inherit">'''中島崇典'''</span>]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.44|scale=220|text=[[内田智也|<span style="font-size:x-small;color:inherit">'''内田智也'''</span>]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.66|scale=220|text=[[鄭容臺|<span style="font-size:x-small;color:inherit">'''鄭容臺'''</span>]]}} {{Image label|x=0.25|y=0.66|scale=220|text=[[山口素弘|<span style="font-size:x-small;color:inherit">'''山口素弘'''</span>]]}} {{Image label|x=0.10|y=0.44|scale=220|text=[[ルイス・アウグスト・オゾリオ・ハモン|<span style="font-size:x-small;color:inherit">'''アウグスト'''</span>]]}} {{Image label|x=0.54|y=0.25|scale=220|text=[[三浦知良|<span style="font-size:x-small;color:inherit">'''三浦知良'''</span>]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.25|scale=220|text=[[城彰二|<span style="font-size:x-small;color:inherit">'''城彰二'''</span>]]}} </div> |} キャッチフレーズ:'''「夢に蹴りをつける。」''' 足達が監督を続投。[[室井市衛]]、[[渡辺光輝]]、[[鄭容臺]]、[[吉野智行]]、[[ルイス・アウグスト・オゾリオ・ハモン|アウグスト]]などを獲得した一方、[[小野信義]]などが退団した。 開幕戦([[愛媛FC|愛媛]]戦)に敗北後に足達が解任された(同年中に横浜FCのユース部門責任者に就任)。コーチの[[高木琢也]]が後任監督に就任し、監督交代後の第2節から第18節まで15戦無敗(9勝6分)、またこの間に連続無失点時間770分<ref group="注">第10節の神戸戦以来から合計9試合で達成、連続完封は7試合。従来の記録は1993年の[[清水エスパルス|清水]]が記録した731分で、これが現在でもJ1記録となっている。</ref> も記録し、ともにJリーグ記録となった。 第43節で首位に立ち、[[11月26日]]の[[サガン鳥栖|鳥栖]]戦に勝利してJ2初優勝を決めた。12月4日のJリーグ理事会の承認により、J1昇格が正式に決定した。 === 2007年(J1) === {{main|2007年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:'''「勝つために、ここに来た。」''' [[北村知隆]]や[[吉武剛]]、アレモンなどが退団。城が引退した一方、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から元日本代表の[[奥大介]]、[[久保竜彦]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]から[[ジウマール・シウバ・サントス|ジウマール・シウバ]]を獲得した。 J1開幕戦は[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]に1-2で敗北。第2節で横浜FMに1-0で勝利し、J1初勝利および[[横浜ダービー]]の初対戦初勝利を挙げたが、その後は低迷。[[平本一樹]]、[[山田卓也]]などをシーズン途中に獲得するが、前半戦は最下位。 後半戦初戦の第19節(8月11日)の横浜ダービーで1-8で大敗。8月27日に高木が解任され、[[ジュリオ・セザール・レアル・ジュニオール|ジュリオ・レアル]]が監督に就任したが、10月20日の神戸戦に敗れ、J2降格が決定した。最終節で浦和の優勝を阻止したが、最終順位は最下位。[[2007年のJリーグカップ|ナビスコカップ]]はグループリーグ敗退、[[天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は5回戦で[[愛媛FC|愛媛]]に敗北した。シーズン終了後にジュリオ・レアルが監督を退任した。 === 2008年 - 2019年(J2) === ;2008年 {{main|2008年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:'''「夢のJ1は終わった。リアルなJ1への挑戦が始まる。」''' [[ベガルタ仙台|仙台]]や[[セレッソ大阪|C大阪]]元監督の[[都並敏史]]が監督に就任し、3年契約を結んだ。[[菅野孝憲]]・[[内田智也]]などがJ1クラブへ移籍、山口や奥が引退するなど21人が退団した一方、[[2006年]]に[[水戸ホーリーホック|水戸]]で16得点を挙げた[[アンデルソン・アンドラージ・アントゥネス|アンデルソン]]、水戸前主将で6シーズンぶりの復帰となるDF[[吉本岳史]]、[[2007年]]のJFL得点王[[御給匠]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]の[[戸川健太]]などを獲得した。 リーグ戦は第39節時点で昇格の可能性が消滅し、最終順位は10位。なお、アンデルソンが16得点を挙げた。シーズン終了後に都並が監督を解任された。 ;2009年 {{main|2009年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:「'''これからのサッカーが、ここにある'''」 [[モンテディオ山形|山形]]や[[大宮アルディージャ|大宮]]で監督を務めた[[樋口靖洋]]が2年契約で監督に就任。前年度チーム得点王の16ゴールを挙げたアンデルソン、[[山田卓也]]、[[滝澤邦彦]]、[[曺永哲|チョ・ヨンチョル]]、[[太田宏介]]、昨年大宮にレンタル移籍していた[[内田智也]]らが完全移籍で退団した一方、[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]に期限付き移籍していた[[早川知伸]]が復帰、韓国から[[劉孝眞]]、[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[片山奨典]]、大宮から[[田中輝和]]が加入し、またレンタル移籍だった[[戸川健太]]・[[須藤右介]]は完全移籍となり、難波宏明と並びチーム2位の7得点を決めた[[池元友樹]]もレンタル移籍期間延長となった。さらに4月には2006年から2007年7月まで在籍していた[[鄭容臺]]が約2年ぶりに復帰した。 リーグ戦は開幕から8試合勝利なし(3分5敗)。第9節(水戸戦)で初勝利したが、第10節から8試合勝ちなし(1分7敗)。結局、リーグ戦は16位に終わった。天皇杯は3回戦で敗退。なお、シーズン終了後に個人の都合<ref group="注">2010年に横浜F・マリノスコーチ就任のオファーをもらい、そのまま就任したことによる</ref> により樋口との2年契約を1年で打切った<ref>{{Cite web|和書|url=http://news.kanaloco.jp/localnews/article/0911260006/|title=横浜FC新監督に岸野氏有力、今季限りで鳥栖退任|accessdate=2009年11月26日|publisher=(神奈川新聞サイト)|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110609090945/http://news.kanaloco.jp/localnews/article/0911260006/|archivedate=2011年6月9日}}</ref>。 ;2010年 {{main|2010年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:「'''昇格~再び一緒にあの舞台に'''」 前年まで[[サガン鳥栖|鳥栖]]監督を務めていた[[岸野靖之]]が監督に就任。鳥栖から[[高地系治]]、[[柳沢将之]]、[[武岡優斗]]、[[渡邉将基]]、[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]から[[シュナイダー潤之介]]、韓国・[[釜山アイパーク|釜山]]から[[金裕晋]]、仙台からFW[[ジョアン・フランシスコ・デ・サレス|サーレス]]、仙台や新潟に所属していた[[シルビオ・ホセ・カヌート|シルビーニョ]]を完全移籍で、東京Vから元日本代表FW[[大黒将志]]をレンタル移籍で獲得。 開幕3連勝の後、第4節から1勝9敗と低迷し、一時は15位に沈んだが、第14節の鳥栖戦以降5試合負けなし。6月に大黒が退団(東京Vへ復帰後、[[FC東京]]へレンタル移籍)したが、元C大阪の[[カイオ・フェリペ・ゴンサウベス|カイオ]]、元[[大分トリニータ|大分]]の[[ホベルト・ジュリオ・デ・フィゲイレド|ホベルト]]を獲得した。シーズン成績は前年度を上回る6位。天皇杯は3回戦で[[川崎フロンターレ|川崎]]に敗北した。岸野はシーズン途中の9月1日からGM兼任となった。 ;2011年 {{main|2011年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:「'''結戦 ~KESSEN~'''」 岸野体制2年目。[[阿部巧]]がレンタル終了、[[早川知伸]]、[[戸川健太]]、[[金裕晋]]らのDF陣が退団した一方、新潟から[[中野洋司]]、[[横浜F・マリノス|横浜FM]]から[[藤田優人]]、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から[[宮崎智彦]]を獲得。また、新人として[[井手口正昭]]、[[荒堀謙次]]、[[佐藤謙介]]、韓国・[[延世大学校]]から[[朴台洪]]などが入団。また、鳥栖からDF[[飯尾和也]]、FW[[藤田祥史]]、2010年に[[特別指定選手]]として鳥栖で3試合に出場した[[森本良 (サッカー選手)|森本良]]が入団した。 ところがリーグ戦は故障者が続出した影響もあり大きく出遅れ、一時は[[FC岐阜]]と同順位ではあるが最下位に転落した。8月に飯尾が[[松本山雅FC|松本]]へ完全移籍した一方、2010年まで[[柏レイソル|柏]]に所属していた[[フランソアウド・セナ・デ・ソウザ|フランサ]]を獲得、10月にはOBの[[奥大介]]が強化部長に就任した。夏場に4連勝したが、後半戦は12試合連続無勝利を喫するなど再度失速し、年間を通して一度も二桁順位から脱せないまま18位でシーズンを終えた。天皇杯は初戦(2回戦)で松本に敗北。なお、岸野はGM職をこの年限りで辞任した。 ;2012年 {{main|2012年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:「'''走覇(そうは)~走りぬく、つながる想い、輝く笑顔へ~'''」 岸野体制3年目。柳沢将之、フランサが退団、宮崎智彦、藤田優人、[[寺田紳一]]がレンタル移籍期間満了、荒堀謙次が[[栃木SC]]に、[[西田剛]]が[[アビスパ福岡|福岡]]に完全移籍した。一方、[[ペ・スンジン]]、[[大久保哲哉]]、[[内田智也]]、[[阿部巧]]など、かつて横浜FCに所属した選手が復帰。また、[[杉山新]]、[[田原豊]]、[[永井雄一郎]]、[[堀之内聖]]を完全移籍で獲得。[[小野瀬康介]]がユースから昇格し、韓国U-19代表候補の[[羅誠洙|ナ・ソンス]]、2010シーズン[[特別指定選手]]だった[[中里崇宏]]とプロ契約を結んだ。 開幕2試合を1分1敗。第3節の千葉戦に敗北して最下位に転落した翌3月18日に岸野が監督を解任され、3月21日にOBの[[山口素弘]]が監督に就任した。第5節、第8節と最下位となるが、第13節[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]戦から第18節[[徳島ヴォルティス|徳島]]戦までクラブ初の6連勝。後半戦初戦、第22節[[FC町田ゼルビア|町田]]戦に勝利して9位に浮上してからは、後半戦を通じて1桁順位を維持、第37節大分戦の勝利で[[J1昇格プレーオフ]]圏内の6位に浮上。第39節から第42節まで4連勝し、リーグ戦は4位の成績。昇格プレーオフは準決勝で5位の千葉に敗北し、J1昇格はならなかった。[[第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は3回戦で横浜FMに敗北した。 9月23日の徳島戦を9年ぶりに福島で開催。当初開催予定のニッパ球が使用できず、近隣スタジアムでの開催も全て不可となったことによる。なお、この試合は[[東日本大震災]]復興支援活動の一環として開催された<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.yokohamafc.com/news/2012/07/17/j235-fc-vs-presents-match|title=「ほけんの窓口グループPresents 燃やせ!福島魂Match」 開催決定のお知らせ|publisher=横浜FC|date=2012-7-17|accessdate=2013-3-21}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.yokohamafc.com/2464-2|title=横浜FC被災地復興支援試合|publisher=横浜FC|accessdate=2013-3-21}}</ref>。 ;2013年 {{main|2013年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:「'''+ONE 心をひとつに'''」 山口体制2年目。[[ザスパクサツ群馬|群馬]]から[[松下裕樹]]、川崎から[[黒津勝]]、熊本から[[市村篤司]]などを完全移籍で獲得。また、レンタル移籍や新卒選手が加入した。一方で、[[堀之内聖]]が山形、[[八角剛史]]、[[渡邉将基]]両名が北九州、[[杉山新]]が[[FC岐阜|岐阜]]、[[中野洋司]]が[[栃木SC|栃木]]にそれぞれ移籍、[[阿部巧]]、[[関憲太郎]]がレンタル移籍期間満了。8月にブラジルの[[SEパルメイラス]]から[[パトリック・マルティンス・ヴィエイラ|パトリック]]が入団。 開幕戦は岐阜に勝利したが、第2節から3敗3分で第7節終了時点で20位と低迷。第18節から第22節まで3連勝1回を含む無敗(4勝1分)で第22節時点で11位に浮上したが、第23節から第28節まで4連敗を含む6試合未勝利(2分4敗)。結局、[[J1昇格プレーオフ]]に進出した前年と異なり、降格圏までは落ちなかったものの、第4節終了時に11位となって以降一度も1桁順位になることなく、第39節の松本戦に敗れてプレーオフ圏外の7位以下が確定。第40節から3連勝したが、最終順位は11位であった。天皇杯は2回戦で[[ツエーゲン金沢|金沢]]に敗北した。 ;2014年 {{main|2014年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:「'''蹴心'''」 山口体制3年目。ユースから[[高丘陽平]]と[[石井圭太]]が昇格。[[ロアッソ熊本|熊本]]から[[南雄太]]、東京Vから[[小池純輝]]と[[飯尾一慶]]を獲得。[[ホナウド・エンリケ・シウヴァ|ホナウド]]をジョインヴィレから、[[ドウグラス・マルケス・ドス・サントス|ドウグラス]]をフィゲイエンセから完全移籍で獲得した。また、[[フェリペ・デ・オリヴェイラ・バロス|フェリペ]]も完全移籍で獲得。[[永田拓也]]を[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]、[[松下年宏]]を仙台からそれぞれ完全移籍で獲得した。[[安英学]]を自由契約から獲得し、[[野村直輝]]を日本経済大学から新加入した。また、[[朴成鎬]]も[[浦項スティーラーズ|浦項]]から完全移籍で獲得した。 一方、放出選手は、[[森本良]]を[[SC相模原|相模原]]、[[井手口正昭]]を[[夢想駿其足球會|横浜FC香港]]、[[中里崇宏]]を水戸、[[大久保哲哉]]が栃木SCへ、[[青木翔大]]が[[FC琉球|琉球]]へそれぞれレンタル移籍した。その他、[[永井雄一郎]]が契約満了で退団し、[[柴崎貴広]]が東京V、パトリックがパルメイラスでそれぞれレンタル期間終了で退団。また、[[森下俊]]は、レンタル期間終了後、所属元の[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[ジュビロ磐田|磐田]]へ移籍。その他、完全移籍組は、[[シュナイダー潤之介]]を[[奈良クラブ]]、ペ・スンジンを韓国の[[仁川ユナイテッド|仁川]]、[[高地系治]]を岐阜、[[武岡優斗]]を川崎、[[田原豊]]がタイの[[サムットソンクラームFC]]へ移籍した。 開幕から4試合連続無敗で4位に浮上するものの、その後は5試合連続未勝利で18位まで順位を下げた。5試合連続未勝利の直後の第10節のアウェーの[[カマタマーレ讃岐|讃岐]]に勝利した後、第11節から再び5試合連続未勝利(4連敗と1分)で15節終了後には20位へ転落した。その後巻き返して、第18節から15試合連続負けなしで8位に上昇し、第4節以来およそ17節ぶりに1桁順位となった。しかし、その直後の第32節の長崎に敗れ、そこから、再び5試合連続未勝利。13位へ後退した。第40節の[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]との対戦で0-2で敗れて、プレーオフ進出の可能性が消滅(7位以下が確定)。最終順位は前年と同じく11位で終了。シーズン終了後、山口が契約満了で2015年の契約を更新しないこととなった。11月27日にスタッフの鄭容臺、芝田貴臣、中村亮太、12月1日には[[西嶋弘之]]の契約満了を発表した。天皇杯では初戦で[[カターレ富山|富山]]に敗れた。 ;2015年 {{main|2015年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:「'''Fight TOGETHER'''」 [[ミロシュ・ルス]]が監督に就任した。栃木から大久保哲哉が、愛媛から[[村井泰希]]が、水戸から[[中里崇宏]]が、相模原から森本良、[[FC琉球|琉球]]から[[青木翔大]]が復帰。新卒では成立学園高校より上田悠起、産業能率大学より楠元秀真の2名が加入。年が明けてからは[[裴厚民|ペ・フミン]]が[[アスルクラロ沼津|沼津]]から、[[朴台洪|パク・テホン]]が富山から復帰した。一方でパク・ソンホ、ドウグラス、松下裕樹が退団、ホナウドがイトゥアーノFC(ブラジル)に期限付き移籍した。 しかし失点、得失点差でワースト2位になるなどチームは低迷。ルスがクラブの成績不振、並びに自らの健康面の不安を理由として9月12日の札幌戦([[札幌ドーム]])試合後に辞意を表明、慰留に努めたが9月15日を持って辞任、後任監督に強化育成テクニカルディレクターの[[中田仁司]]が就任した。なお、順位は15位。シーズン終了後に中田が監督を退任し、強化育成テクニカルダイレクターに復帰した。天皇杯は2回戦で札幌に敗れた。 ;2016年 {{main|2016年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:'''「エンブレムへの思い」''' 昨年途中で辞任したルスが監督に復帰。岡山から[[田所諒]]、徳島から[[津田知宏]]、山形から[[西河翔吾]]、大宮から[[藤井悠太]]を完全移籍で、[[ベトナムサッカーリーグ|ベトナム1部]]・[[ホアンアイン・ザライFC|ホアンアイン・ザライ]]から[[グエン・トゥアン・アイン]]を期限付き移籍で獲得。新外国人選手として[[デニス・ハリロヴィッチ]]を獲得、さらに一度は契約を更新しなかった[[野崎陽介]]と再契約をした。一方で、[[中島崇典]](鳥取)、[[黒津勝]](鳥取)、[[村井泰希]]、[[井手口正昭]](ベトナム1部・ホアンアイン・ザライ)らと契約を更新せず、[[小池純輝]]が千葉、[[朴台洪|パク・テホン]]が[[Kリーグチャレンジ|Kリーグ2部]]・[[大邱FC]]へ移籍した。開幕直後に新外国人選手として[[アブドゥラーヒム・ラーヤブ|イバ]]、[[ファジアーノ岡山ネクスト|岡山ネクスト]]から[[似鳥康太]]が期限付き移籍で加入<ref group="注">[[高丘陽平]]の右膝外側半月板断裂に伴い、登録ウインドーの適用例外規定(自チームに既に登録されている他のGKが、怪我等により試合に出場することができない特別な事情により、なおかつ所属しているリーグが認めた場合、登録ウインドー期間にかかわらず、新たなGKを登録できる)を利用し獲得した。</ref> した。 6月、ルスが不整脈の治療に専念するために監督を辞任し、後任に中田仁司が就任した。最終順位は8位、天皇杯は大宮に敗れベスト16だった。 ;2017年 {{main|2017年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:「'''BE BRAVE -一心に-'''」 中田体制2年目。[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]から5年ぶりに復帰の[[渡邉将基]]、[[FC町田ゼルビア|町田]]から[[カルフィン・ヨン・ア・ピン]]を完全移籍で獲得。新外国人として[[鄭充根|ジョン・チュングン]]を補強、ユースから[[山本凌太郎]]が昇格、大学生の[[中山雄希]]、[[新井純平 (1994年生のサッカー選手)|新井純平]]、高校生の[[市川暉記]]が新加入した。一方で、[[安英学]]が引退、[[内田智也]]([[香港プレミアリーグ|香港1部]]・[[南区足球会|Southern District FC]])、[[市村篤司]]([[カマタマーレ讃岐|讃岐]])、[[ロク・シュトラウス]]、[[松下年宏]]([[鹿児島ユナイテッドFC|鹿児島]])と契約を更新せず、[[大﨑玲央]]が[[徳島ヴォルティス|徳島]]、[[小野瀬康介]]が[[レノファ山口FC|山口]]、[[渋谷飛翔]]が[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]へ移籍、[[似鳥康太]]は岡山に復帰した。3月に[[羅誠洙|ナ・ソンス]]が[[鹿児島ユナイテッドFC|鹿児島]]へ期限付き移籍、[[セレッソ大阪|C大阪]]を昨年末退団し無所属だった[[北野貴之]]が加入、7月に元[[柏レイソル|柏]]の[[レアンドロ・ドミンゲス・バルボーザ|レアンドロ・ドミンゲス]]が加入した。 10月、37節の時点でJ1自動昇格圏外の順位に低迷していることを理由に中田を解任。スポーツダイレクターを務める[[奥寺康彦]]が代行監督を務めた後、同月24日に[[サッカーハイチ代表|ハイチ代表]]などを務めた[[エジソン・アラウージョ・タヴァレス]]が監督に就任した。シーズン終盤までJ1昇格プレーオフ進出の可能性があったが、41節[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]に引き分けたことによりに6位の可能性が消滅しプレーオフ進出は無くなった。最終順位は10位、天皇杯は[[ツエーゲン金沢|金沢]]に敗れ2回戦敗退。 ;2018年 {{main|2018年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:「'''BE BRAVE-勇敢たれ'''」 タヴァレス体制2年目。[[小宮山尊信]]が現役を引退した他、大久保哲哉、津田知宏、野崎陽介、寺田紳一らが退団。西河翔悟、前嶋洋太が期限付き移籍し、神戸から期限付き移籍加入していた[[増山朝陽]]は移籍期間満了により復帰した。一方で元日本代表の[[松井大輔]]、2013年ぶり3度目の加入となる[[裴乗振|ぺ・スンジン]]を始めに[[北爪健吾]]、[[渡邊一仁]]、[[武田英二郎]]らが新たに完全移籍で加入し、新人として[[立花歩夢]]が加入した。 シーズン途中にはナ・ソンスを完全移籍で、[[高丘陽平]]ら4選手を期限付き移籍で放出し、[[瀬沼優司]]が完全移籍で、[[ブルーノ・レボリ・メネゲウ|ブルーノ・メネゲウ]]、[[田代真一]]、[[辻周吾]]が期限付き移籍で加入した。 前半戦を[[J1参入プレーオフ]]圏内の6位で折り返すと、その後も昇格争いを繰り広げた。J2優勝の可能性も残して迎えた最終節では甲府相手に勝利を収めるも、他会場の結果により2位・[[大分トリニータ|大分]]とは勝ち点差無しの3位に終わった。 2回戦からの出場となった参入プレーオフでは6位の[[東京ヴェルディ1969|東京V]]と対戦。レギュレーション上引き分けでも決定戦突破となる中で試合終盤までスコアレスで迎えたが、後半アディショナルタイムに失点。2回戦敗退となりJ1昇格は果たせなかった。 ;2019年 {{main|2019年の横浜FC}} :キャッチフレーズ:「'''FOREVER EVOLVING ~全ては勝利のために~'''」 タヴァレス体制3年目。[[松浦拓弥]]、[[乾大知]]、[[竹重安希彦]]、[[伊野波雅彦]]らが移籍加入した他、[[草野侑己]]、[[袴田裕太郎]]、[[中山克広]]が新人として加入、横浜FCユースから[[安永玲央]]、[[大内一生]]が昇格した。また、前年に期限付き移籍で加入していた田代真一、辻周吾が完全移籍となった。一方で[[山本海人]]、ブルーノ・メネゲウは移籍期間満了となり退団した。 期限付き移籍中の高丘陽平(鳥栖)、西河翔吾([[FC琉球|琉球]])、中山雄希(沼津)、[[鄭充根]]([[FC町田ゼルビア|町田]])が完全移籍。渡邉将基([[FELDAユナイテッドFC]]・マレーシア)、野村直輝(徳島)、[[裴乗振|裵乗振]]([[慶南FC]]・大韓民国)、新井純(琉球)、永田拓也(東京V)、石井圭太(岩手)がそれぞれ完全移籍した。また、元柏監督の[[下平隆宏]]をヘッドコーチとして招聘した。 J1自動昇格を目標に掲げて臨んだシーズンであったが、第13節時点で14位と低迷。5月14日に成績不振を理由にタヴァレスを解任<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=354975|title= 横浜FC、タヴァレス監督解任の経緯説明 「自動昇格を目指す中これ以上上位と離されることは看過できない」|publisher=超WORLDサッカー!|date=2019-05-16|accessdate=2020-08-03}}</ref>、後任には下平が監督に昇格した。シーズン途中の補強では元日本代表の[[中村俊輔]]が完全移籍加入した。 下平体制移行後も最初の5試合は5分の成績だったこともあり、前半戦はプレーオフ圏外の12位で折り返したが、その後は第19節から第36節まで7連勝を含む18試合負けなし(12勝6分け)とクラブ記録を更新するなどチーム状況が好転。第30節には同シーズン初めてJ1自動昇格圏内となる2位に浮上し、何度か順位を落とすも第40節で再び2位浮上した後は最後まで自動昇格圏をキープした。 最終節・愛媛戦で勝利したことによりシーズン2位が確定。13年ぶりのJ1復帰が決定した。 === 2020年 - 2021年(J1)=== ;2020年 :キャッチフレーズ:「'''RECORD THE BLUE'''」 下平体制2年目。[[田所諒]]が現役を引退し、[[北爪健吾]]、[[渡邊一仁]]、[[辻周吾]]、[[乾大知]]などが退団。また、[[戸島章]]ら3選手が他クラブに期限付き移籍した。シーズン開始直後には[[立花歩夢]]、[[藤井悠太]]が完全移籍で退団した。一方で補強は[[一美和成]]、[[マグノ・ジョゼ・ダ・シルバ|マギーニョ]]、[[六反勇治]]など期限付き移籍で5人が加入した他、[[志知孝明]]、[[熊川翔]]が完全移籍で加入。新人として[[瀬古樹]]、[[星キョーワァン]]ら4選手が入団。そして昨季他クラブに期限付き移籍していた[[市川暉記]]、[[安永玲央]]が復帰した。そして8月26日をもって[[アブドゥラーヒム・ラーヤブ|イバ]](背番号10)が大宮アルディージャに移籍した。 2月23日に[[ヴィッセル神戸]]とのリーグ開幕戦を戦った後、[[SARSコロナウイルス2|新型コロナウイルス]]の感染拡大によりリーグ戦が中断。再開後の第3節・[[柏レイソル]]戦で、2007年のJ1第34節・[[浦和レッズ]]戦以来13年ぶりのJ1での勝利を挙げた。最終的に、初めてJ1で戦った2007年を大きく上回る勝ち点34を積み上げ、15位でシーズンを終えた。 [[Jリーグカップ|JリーグYBCルヴァンカップ]]は3位でグループステージ敗退、[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]は不出場だった<ref group="注">新型コロナウイルスの感染拡大により中断していたリーグ戦の日程消化を優先するため、J1リーグの成績上位2チームのみが参加するレギュレーションになったため。</ref>。 ;2021年 :キャッチフレーズ:「'''RECORD THE BLUE〜すべては勝利のために〜'''」 下平体制3年目。[[斉藤光毅]]がベルギーの[[ロンメルSK]]、[[松井大輔]]がベトナムのサイゴンFC、[[佐藤謙介]]が[[レノファ山口FC]]に完全移籍するなど、17選手が退団した<ref group="注">2020年に[[大宮アルディージャ]]に期限付き移籍しており、2021年から[[松本山雅FC]]に完全移籍した[[戸島章]]を含む。</ref>。一方、[[鹿島アントラーズ]]から[[伊藤翔]]、[[ヴィッセル神戸]]から[[小川慶治朗]]、[[ブラウブリッツ秋田]]から[[韓浩康]]など9人が完全移籍で加入。[[猿田遥己]]が[[柏レイソル]]から期限付き移籍加入し、[[大内一生]]が[[Y.S.C.C.横浜]]、[[前嶋洋太]]が[[水戸ホーリーホック]]から復帰。[[六反勇治]]、手塚康平、[[杉本竜士]]を完全移籍に移行し、[[マグノ・ジョゼ・ダ・シルバ|マギーニョ]]は期限付き移籍期間を延長した。 J1リーグ開幕戦の[[コンサドーレ札幌|札幌]]戦に1-5と大敗、直後の[[2021年のJリーグカップ|YBCルヴァン杯]]グループステージ初戦[[柏レイソル|柏]]戦こそ1-0で勝利したものの、リーグ戦では6試合連続複数失点で開幕から6連敗し最下位に低迷、第7節柏戦で1-1で引き分けようやく同年リーグ戦初の勝ち点を挙げ19位となったものの、4月7日第8節[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]に0-3と完敗し再び最下位転落、翌8日、監督の下平の7日付での解任を発表し<ref>{{Cite press release|和書|date=2021-04-08|url=https://www.yokohamafc.com/2021/04/08/2021040072300/|title=下平隆宏監督 解任のお知らせ|publisher=横浜FC|accessdate=2021-04-08}}</ref>、後任としてユースチーム監督の[[早川知伸]]がトップチーム監督に就任<ref>{{Cite press release|和書|date=2021-04-08|url=https://www.yokohamafc.com/2021/04/08/202104081430/|title=早川知伸 氏 監督就任のお知らせ|publisher=横浜FC|accessdate=2021-04-08}}</ref>。 第36節の[[ヴィッセル神戸|神戸]]戦に0-2で敗れたことでJ2降格が決定。最終順位は20位(最下位)。 ルヴァンカップはグループステージ3位で敗退、天皇杯では2回戦で[[ヴァンラーレ八戸]]に0-2で敗れた。 === 2022年(J2) === ;2022年 [[北海道コンサドーレ札幌]]でヘッドコーチを務めた[[四方田修平]]が監督に就任。前年まで監督だった早川はトップチームコーチに就任した。 この年にジュビロ磐田から入団した新エース・[[小川航基]]の活躍もあり、開幕戦で[[大宮アルディージャ]]に3−2と勝利すると、その試合含めて開幕10戦負けなしで首位を快走する。その後、3試合はいずれもドローと勢いに陰りが見えると、14節・[[ロアッソ熊本]]戦と15節・[[ブラウブリッツ秋田]]戦を連敗し首位を一旦[[アルビレックス新潟]]に明け渡す。しかし、16節・[[徳島ヴォルティス]]戦は自分達のペースを取り戻して2−1で勝利し、すぐさま首位を奪い返した。その後は、勝ち負けを繰り返し前半戦を2位で折り返した。後半戦は一時期昇格圏内から外れる時期もあったが、新潟との首位争いを続け、40節・[[大分トリニータ]]戦を前に昇格を確定させられる状況になった(大分戦は、元横浜FCの野村直樹に終盤に勝ち越し点を許し2−3で敗れた)。迎えた翌週の10月16日、ホーム最終戦となるJ2第41節[[ツエーゲン金沢]]戦の前に行われた、3位の[[ファジアーノ岡山]]が[[ブラウブリッツ秋田]]に敗れ、試合開始前に1年でのJ1復帰を果たした(秋田の決勝点を挙げたのはかつて横浜FCでプロデビューを果たした青木翔大だった)。[[ツエーゲン金沢]]戦は立て続けの3失点が響いて2-3で敗北。この結果、最終節を前に横浜FCの2位、[[アルビレックス新潟]]のJ2優勝が確定した。最終節[[ロアッソ熊本]]戦では、50分時点で1-3とリードを許すも終盤に3点を加え逆転勝利。最終成績は23勝11分8敗の勝ち点80の2位。 天皇杯は、2回戦こそJFLのソニーFCに辛くもPK勝ちするが、3回戦でJ1の[[サンフレッチェ広島]]に0−5と大敗し3回戦敗退となった。 この年をもって[[中村俊輔]]が現役引退した。 === 2023年(J1) === ;2023年 四方田体制2年目。 [[早川知伸]]が[[松本山雅FC]]のコーチに就任しクラブを離れ、現役を引退した[[中村俊輔]]が新たにトップチームコーチに就任。 リーグでは開幕10戦未勝利で最下位を走る。11節の新潟戦で初勝利すると徐々に調子を上げ、優勝争いをする神戸や横浜FMをホームで撃破するが、黒星が先行する状況には変わらず、降格圏を抜け出せない時期が続く。残留争いの相手である湘南をホームに迎えた33節に敗戦し、最下位が確定。2023年シーズン唯一の降格チームとなり、1年でJ1を去ることとなった。 === 2024年 - (J2) === ==現所属選手== {{main|横浜FCの選手一覧}} == 成績 == {{main|横浜FCの年度別成績一覧}} == タイトル・表彰 == === 国内タイトル === * '''[[J2リーグ]]:1回''' ** [[2006年のJリーグ ディビジョン2|2006]] * '''[[日本フットボールリーグ]]:2回''' ** [[第1回日本フットボールリーグ|1999]], [[第2回日本フットボールリーグ|2000]] === 個人別 === * [[J1リーグ]] ** 新人王 *** [[2007年のJリーグ ディビジョン1|2007年]]:[[菅野孝憲]] * [[J2リーグ]] ** 最優秀選手賞 *** [[2022年のJ2リーグ|2022年]]:[[小川航基]] ** ベストイレブン *** 2022年:小川航基、[[長谷川竜也]] ** 得点王 *** [[2017年のJ2リーグ|2017年]]:[[アブドゥラーヒム・ラーヤブ|イバ]](25得点) *** 2022年:小川航基(26得点) ** 優秀監督賞 *** [[2019年のJ2リーグ|2019年]]:[[下平隆宏]] ** 月間MVP *** [[2014年のJリーグ ディビジョン2|2014年]]{{0}}8月:[[松下年宏]] *** 2017年{{0}}4月:イバ *** [[2018年のJ2リーグ|2018年]]11月:[[レアンドロ・ドミンゲス・バルボーザ|レアンドロ・ドミンゲス]] *** 2022年2月・3月:小川航基 *** 2022年{{0}}6月:小川航基 *** 2022年10月:小川航基 ** 月間ベストゴール *** 2019年{{0}}7月:[[松井大輔]] *** 2019年10月:[[中村俊輔]] ** 月間優秀監督賞 *** 2019年{{0}}7月:下平隆宏 *** 2019年11月:下平隆宏 *** 2022年2月・3月:[[四方田修平]] * 日本フットボールリーグ ** MVP *** 2000年:[[有馬賢二]] ** ベストイレブン *** 1999年:[[幸田将和]]、[[高田昌明]] *** 2000年:[[水原大樹]]、[[眞中幹夫]]、[[後藤義一]]、[[横山博敏]]、[[有馬賢二]] ** 得点王 *** 2000年:有馬賢二(24得点) ** 敢闘賞 *** 2000年:後藤義一 == クラブ記録 == === 試合記録 === ====J1リーグ戦連勝記録==== * 3試合(2020年8月15日J1第10節[[湘南ベルマーレ]]戦〜2020年8月22日J1第12節[[清水エスパルス]]戦) ====J1リーグ戦連敗記録==== * 9試合(2007年8月25日J1第22節[[鹿島アントラーズ]]戦〜2007年10月27日J1第30節[[大宮アルディージャ]]戦) ====J1リーグ戦連続無勝記録==== * 20試合 - 17敗3分(2007年6月9日J1第14節[[ガンバ大阪]]戦〜2007年11月24日J1第33節[[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパス]]戦)※J1リーグ2位記録 ====J1リーグ戦連続無敗記録==== * 4試合 - 2勝2分(2021年6月27日J1第20節清水エスパルス戦〜2021年8月14日J1第24節[[ベガルタ仙台]]戦) ====J2リーグ戦連勝記録==== * 7試合(2019年6月29日J2第20節[[ファジアーノ岡山FC|ファジアーノ岡山]]戦〜2019年8月4日J2第26節[[アビスパ福岡]]戦) ====J2リーグ戦連敗記録==== * 8試合(2001年8月14日J2第26節[[京都サンガF.C.]]戦〜2001年9月19日J2第33節湘南ベルマーレ戦) * 8試合(2015年7月18日J2第24節[[ロアッソ熊本]]戦〜2015年9月12日J2第31節[[北海道コンサドーレ札幌]]戦) ====J2リーグ戦連続無勝記録==== * 15試合 - 8敗7分(2005年4月9日J2第6節[[水戸ホーリーホック]]戦〜2005年7月9日J2第20節[[サガン鳥栖]]戦) ====J2リーグ戦連続無敗記録==== * 18試合 - 12勝6分(2019年6月22日J2第19節水戸ホーリーホック戦〜2019年10月15日J2第36節[[ツエーゲン金沢]]戦) === 得失点記録(Jリーグ加盟後) === ====最多得点試合==== * J1:5得点 ** 5-3 (2021年10月16日第32節 [[徳島ヴォルティス]]戦) * J2:6得点 ** 6-0 (2001年11月18日第44節 水戸ホーリーホック戦) ====最多失点試合==== * J1:8得点 ** 1-8 (2007年8月11日第19節 [[横浜F・マリノス]]戦) * J2:6得点 ** 1-7 (2003年9月13日第33節 [[アルビレックス新潟]]戦) ** 2-7 (2011年9月18日第28節 [[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]]戦) == スタジアム・練習場他 == {{multiple image|align=right|direction=vertical|width=250 |image1=Leoc Traning Center 2.JPG|caption1=横浜FCクラブハウス |image2=Leoc Traning Center 1.JPG|caption2=横浜FC LEOCトレーニングセンター・グラウンド |image3=LEOC.JPG|caption3=横浜FC東戸塚フットボールパーク |image4=YokohamaFC-20180624.JPG|caption4=選手入場時のビッグフラッグ }} === ホームスタジアム === ホームスタジアムは[[三ツ沢公園球技場|ニッパツ三ツ沢球技場]](旧称:三ツ沢公園球技場)である。過去のホームゲーム開催スタジアムは[[横浜FCの年度別成績一覧#リーグ戦年度別入場者数]]を参照のこと)。 === 練習場 === 2006年シーズンまでは固定の練習場を持たず、[[港北区]]の[[しんよこフットボールパーク]]などの横浜市内の施設を転々としていた<ref name="jsgoal20100623"/>。2007年からかつて横浜Fや横浜FMが使用していた[[戸塚区]]の[[横浜スポーツマンクラブ]]内のグラウンド(当時の名称は[[横浜FC LEOCトレーニングセンター]])を練習場として使用することになったが、賃貸料が高いことや練習用のサッカーコートの数が不足していることを理由として、練習施設の移転を模索していた<ref name="jsgoal20100623">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/jsgoal/detail.php?press_code=103015|title=【J2日記】横浜FC(10.06.23)|work=[[J's Goal]]|date=2010-6-23|accessdate=2017-8-20}}</ref>。 2009年11月、横浜FCを運営する株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜フリエSC)が横浜水道局の西谷浄水場内([[保土ケ谷区]])にある体育施設の事業者に選定され<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.city.yokohama.lg.jp/suidou/press/press-20091125.html|title=西谷浄水場内の体育施設を活用する事業予定者を決定しました!|publisher=横浜市水道局|date=2009-11-25|accessdate=2013-3-21}}</ref>、2010年3月に横浜フリエSCは同施設を活動拠点として10年間賃貸する契約を横浜市水道局と締結した<ref name="training20100628">{{Cite press release|和書|url=http://www.city.yokohama.lg.jp/suidou/press/press-20100628.html|title=Jリーグ「横浜FC」の活動拠点が水道局西谷浄水場内に移転しました!|publisher=横浜市水道局|date=2010-6-28|accessdate=2013-3-21}}</ref>。 これを受けて、横浜フリエSCは[[2010年]][[4月]]より練習場の建設を開始し、2010年7月3日に西谷浄水場内へ横浜FCの練習場が移転した(LEOCが同練習場の命名権を取得し、名称は「[[横浜FC LEOCトレーニングセンター]]」)<ref name="training20100628"/>。同施設内は天然芝と人工芝が各1面のサッカーグラウンド、体育館や管理棟を改装するクラブハウスなどが整備され、トップチームに加えて横浜FCユースや横浜FCジュニアユースなどの練習場としても活用している<ref name="training20100628"/>。 なお、2013年9月より上述の戸塚区のグラウンドは「横浜FC東戸塚フットボールパーク in 横浜スポーツマンクラブ」の名称で育成等の拠点として一般社団法人横浜FCスポーツクラブによって運営されている<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.yokohamafc.com/2013/09/17/fc-in|title=横浜FC東戸塚フットボールパーク in 横浜スポーツマンクラブ 開設のお知らせ|publisher=横浜FC|date=2013-9-17|accessdate=2014-5-17}}</ref>。 === チケットのカテゴリ制 === 横浜FCは2011年シーズンより対戦相手によって販売価格が異なるチケットのカテゴリー制を導入している。カテゴリ1の対象試合はカテゴリ2のそれに比べて一部の席の種類で価格が最大500円高くなっているのが特徴である<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.livedoor.com/article/detail/5370347/|title=チケット販売価格にカテゴリー制を導入|work=[[フロムワン|SOCCER KING]]|date=2011-2-15|accessdate=2013-8-5}}</ref>。各年度のカテゴリの対象クラブは下表の通り。 {| class="wikitable" style="text-align:center; border:double #013588; box-shadow: 4px 4px 4px #00A1E9;" |- style="background-color:#00A1E9; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |年度||所属||カテゴリ1||カテゴリ2 |- |2011 |rowspan="6" style="text-align:center;"|J2 |札幌、千葉、FC東京、<br />湘南、京都||水戸、栃木、草津、東京V、富山、岐阜、鳥取、岡山、<br />徳島、愛媛、北九州、鳥栖、熊本、大分 |- |2012||千葉、湘南、甲府、京都||山形、水戸、栃木、草津、東京V、町田、松本、富山、<br />岐阜、鳥取、岡山、徳島、愛媛、福岡、北九州、熊本、大分 |- |2013||札幌、千葉、京都、G大阪、神戸||山形、水戸、栃木、群馬、東京V、松本、富山、岐阜、<br />鳥取、岡山、徳島、愛媛、福岡、北九州、長崎、熊本 |- |2014||札幌、山形、千葉、湘南、<br />松本、磐田、京都||水戸、栃木、群馬、東京V、富山、岐阜、岡山、讃岐、<br />愛媛、福岡、北九州、長崎、熊本、大分 |- |2015||札幌、群馬、栃木、大宮、<br />千葉、磐田、C大阪||水戸、東京V、金沢、岐阜、京都、岡山、讃岐、<br />徳島、愛媛、福岡、北九州、長崎、熊本、大分 |- |2016||札幌、山形、千葉、東京V、松本、<br />金沢、清水、京都、C大阪、讃岐||水戸、群馬、町田、岐阜、岡山、山口、<br />徳島、愛媛、北九州、長崎、熊本 |- |} === フレックスプライス === 2021年から新たに、集客可能性に応じてチケット価格を変動させるフレックスプライスを導入すると発表した<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.yokohamafc.com/2021/01/20/202101201700/ |title= 2021シーズン横浜FCチケット販売における変更点及びフレックスプライス導入のお知らせ| accessdate=2021-1-25}}</ref>。これは週末やイベント開催時などのチケット価格を高く、平日開催などの試合は低く設定するもので、チケット販売状況などに伴って販売期間中に価格変動が起こるダイナミックプライシングとは異なる。 == ユニフォーム == {{ユニフォームの色 | F正シャツ=水色|F正パンツ=白|F正ストッキング=紺 | F副シャツ=白|F副パンツ=紺|F副ストッキング=白 | G正シャツ=オレンジ|G正パンツ=オレンジ|G正ストッキング=オレンジ | G副シャツ=緑|G副パンツ=緑|G副ストッキング=緑 | pattern_la1= _YOKOHAMA FC 2023 HOME FP |pattern_b1= _YOKOHAMA FC 2023 HOME FP |pattern_ra1= _YOKOHAMA FC 2023 HOME FP |pattern_sh1= _YOKOHAMA FC 2023 HOME FP |pattern_so1= _YOKOHAMA FC 2023 HOME FP | leftarm1=00CCFF |body1=00CCFF |rightarm1=00CCFF |shorts1=003586 |socks1=003586 | pattern_la2= _YOKOHAMA FC 2023 AWAY FP |pattern_b2= _YOKOHAMA FC 2023 AWAY FP |pattern_ra2= _YOKOHAMA FC 2023 AWAY FP |pattern_sh2= _YOKOHAMA FC 2023 AWAY FP |pattern_so2= _YOKOHAMA FC 2023 AWAY FP | leftarm2=FFFFFF|body2=FFFFFF|rightarm2=FFFFFF|shorts2=FFFFFF|socks2=FFFFFF | pattern_la3=|pattern_b3=|pattern_ra3= | leftarm3=ffa500|body3=ffa500|rightarm3=ffa500|shorts3=ffa500|socks3=ffa500 | pattern_la4=|pattern_b4=|pattern_ra4= | leftarm4=006633|body4=003300|rightarm4=006633|shorts4=003300|socks4=003300 }} === チームカラー === *{{colorbox|#FFFFFF}} 白、{{colorbox|#00A1E9}} 水色<ref name="teamcolor" group="注"></ref>、{{colorbox|#013588}} 青 **白は雲を、水色は空を、青は海の色をそれぞれ表している<ref name="clubinfo"/>。 === ユニフォームデザイン === *ユニフォームは横浜フリューゲルスと同じように当初は白をベースとしたユニフォームを第1ユニ、第2ユニは水色ベースだったが、2003年からそれを入れ替え、水色ベースを第1ユニ、白は他チームと同じように第2ユニとした。 *2007 - 2008年モデルは、[[ユナイテッドアローズ]]がユニフォームデザインに協力。選手数の11、サポーターやスタッフなどを意味する1を合わせた、12本のボーダーをデザイン。市民クラブとしてスタートし、サポーターたちの関わりが表現されている<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.united-arrows.co.jp/news/corp/2007/03/003406.html |title=株式会社ユナイテッドアローズ、オフィシャルクラブパートナーとして横浜FCにスーツを提供ユニフォーム デザインにも参加し、幅広くサポート|publisher=ユナイテッドアローズ公式サイト|date=2007-3-6|accessdate=2018-10-15}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.hamakei.com/headline/2236/ |title=横浜FCの新ユニホームにユナイテッドアローズがデザイン提供|publisher=ヨコハマ経済新聞公式サイト|date=2007-3-7|accessdate=2018-10-15}}</ref>。 === ユニフォームスポンサー === {| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #013588; 4px 4px 4px #00A1E9;" |- style="background-color:#00A1E9; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考 |- !胸 |[[LEOC|ONODERA GROUP]]||ONODERA<br/>{{smaller|GROUP}}||2019年 - || |- !rowspan="2"|鎖骨 |[https://www.fudealcreation.com/ フュディアルクリエーション]||FUDEAL<br/>CREATION||2018年4月 - ||左側に表記 |- |[[横浜冷凍]]||ヨコレイ||2019年 - ||右側に表記<br/>2017年 - 2018年は背中下部及びパンツ |- !背中上部 |[[インバースネット]]||FRONTIER||2017年 - ||2016年は背中下部<br/>2016年 - 2018年は「FRONTIER PC」表記 |- !背中下部 |[[ジャパンエレベーターサービスホールディングス]]||jes {{smaller|japan elevator Service}}||2023年 - ||2012年 - 2016年は背中上部<br/>2018年 - 2020年は袖 |- !袖 |[https://www.s-dental-group.com/ 医療法人社団白浩会 エス歯科グループ]||エス歯科<br/>グループ||2023年 - || |- !パンツ前面 |[[マクニカ]]||macnica||2023年 - || |- !パンツ背面 |[[リスト (不動産)|リスト]]||List||2023年 - || |} === ユニフォームサプライヤーの遍歴 === *1999年 - 2000年:[[ミズノ]] *2001年 - 2014年:[[ヒュンメル]] *2015年 - 2022年:[http://soccerjunky.com/ サッカージャンキー] *2023年<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.yokohamafc.com/2023/01/04/puma-2023/|title=「プーマジャパン株式会社」とオフィシャルパートナー契約締結のお知らせ|publisher=横浜FC|date=2023-01-04|accessdate=2023-01-04}}</ref> - 現在:[[プーマ]] === 歴代ユニフォーム === {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #013588; font-size:smaller; 4px 4px 4px #00bfff;" !colspan=5|FP 1st |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _YOKOHAMA FC 2001 HOME FP |pattern_b = _YOKOHAMA FC 2001 HOME FP |pattern_ra = _YOKOHAMA FC 2001 HOME FP |pattern_sh = _YOKOHAMA FC 2001 AWAY FP |pattern_so = _YOKOHAMA FC 2002 AWAY FP |leftarm = FFFFFF |body = FFFFFF |rightarm = FFFFFF |shorts = FFFFFF |socks = FFFFFF | title = {{Center|2001}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _YOKOHAMA FC 2002 HOME FP |pattern_b = _YOKOHAMA FC 2002 HOME FP |pattern_ra = _YOKOHAMA FC 2002 HOME FP |pattern_sh = _YOKOHAMA FC 2002 AWAY FP |pattern_so = _YOKOHAMA FC 2002 AWAY FP |leftarm = FFFFFF |body = FFFFFF |rightarm = FFFFFF |shorts = FFFFFF |socks = FFFFFF | title = {{Center|2002}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _YOKOHAMA FC 2003 - 2004 HOME FP |pattern_b = _YOKOHAMA FC 2003 - 2004 HOME FP |pattern_ra = _YOKOHAMA FC 2003 - 2004 HOME FP |pattern_sh = _YOKOHAMA FC 2003 - 2004 HOME FP |pattern_so = _YOKOHAMA FC 2003 - 2004 HOME FP |leftarm = 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class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller; border:double #013588; 4px 4px 4px #00A1E9;" |- style="background-color:#00A1E9; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |rowspan="2"|年度||colspan="8"|箇所||rowspan="2"|サプライヤー |- style="background-color:#00A1E9; color:#FFFFFF; font-weight:bold;" |胸||鎖骨左||鎖骨右||背中上部||背中下部||袖||パンツ前面||パンツ背面 |- |1999||rowspan="2"|[[横浜FC#ソシオ・フリエスタ|Socio Fuliesta]]||colspan="2" rowspan="19"|解禁前||rowspan="2"|[[シティバンク、エヌ・エイ|CITIBANK]]||rowspan="17"|解禁前||rowspan="3"|[[ロバート・ボッシュ (企業)|BOSCH]]||rowspan="6"|-||rowspan="21"|解禁前||rowspan="2"|[[ミズノ|Mizuno]] |- |2000 |- |2001||[[日総工産|NISSO]]||rowspan="2"|[[セキド]]||rowspan="14"|[[ヒュンメル|hummel]] |- |2002||- / <br/>[[藤原紀香|norika.net<br/>{{smaller|www.norika.ne.jp}}]]||rowspan="3"|[[日本土地建物|日土地]] |- |2003||[[フィールズ|FEALS]]||rowspan="3"|[[全国農業協同組合連合会|ふくしまの米]] |- |2004||- / <br/>[[日総工産|NISSO]] |- |2005||[[日総工産|NISSO]]||[[LEOC]]||[http://www.asuka-group.jp/ 明日佳<br/>{{smaller|グループ}}] |- |2006||[[日総工産|NISSO<br/>{{smaller|717450.net}}]]||rowspan="3"|[[LEOC]]||[[木下工務店|LIFE COMMUNE]]||rowspan="2"|[[リンクアンドモチベーション|LM<br/>{{smaller|Link and Motivation Group}}]] |- |2007||rowspan="2"|[[日総工産|NISSO]]||[[リソー教育グループ|TOMAS]] |- |2008||[[ノジマ|nojima]]||[[木下工務店|LIFE COMMUNE<br/>{{smaller|ライフコミューン}}]] |- |2009||rowspan="10"|[[LEOC]]||[http://www.feat-e.com/ フィート]||[http://www.asuka-group.jp/ 明日佳<br/>{{smaller|グループ}}]||[http://m3d.jp/ M3D] |- |2010||[[LEOC|レオックジャパン]]||[http://www.genova.co.jp/ GENOVA]||- |- |2011||[http://www.asuka-group.jp/ 明日佳グループ]||[[ウイルプラスホールディングス|CHECKER<br/>{{smaller|MOTORS}}]]||[[ジャパンエレベーターサービスホールディングス|{{smaller|japan elevator Service}}<br/>jes]] |- |2012||rowspan="5"|[[ジャパンエレベーターサービスホールディングス|{{smaller|japan elevator Service}}<br/>jes]]||- / <br/>[http://www.asuka-group.jp/ 明日佳<br/>{{smaller|グループ}}]||[[ほけんの窓口グループ|ほけんの<br/>窓口]] |- |2013||[[ほけんの窓口グループ|ほけんの<br/>窓口]]||rowspan="2"|[http://www.nittai-since1957.co.jp/ YNL] |- |2014||- |- |2015||[http://www.nittai-since1957.co.jp/ NITTAI<br/>{{smaller|Co.,Ltd.}}]||- / <br/>[[フォーサイド|Catchboard]]||rowspan="8"|[http://soccerjunky.com/ Soccer Junky] |- |2016||rowspan="2"|[http://www.nittai-since1957.co.jp/ NITTAI]||- / <br/>[[インバースネット|FRONTIER PC]]||- |- |2017||rowspan="2"|[[インバースネット|FRONTIER PC]]||[[横浜冷凍|ヨコレイ]]||rowspan="2"|[[横浜冷凍|ヨコレイ]] |- |2018||- / <br/>[https://www.fudealcreation.com/ FUDEAL<br/>CREATION]<br/>(通常)<br/>[[ブリタ|BRITA]]<br/>(20周年記念)||[http://www.nittai-since1957.co.jp/ NITTAI]||[[横浜冷凍|ヨコレイ]]<br/>(通常)<br/>[[横浜冷凍|yokorei]]<br/>(20周年記念)||rowspan="3"|[[ジャパンエレベーターサービスホールディングス|{{smaller|japan elevator Service}}<br/>jes]] |- |2019||rowspan="5"|[[LEOC|ONODERA<br/>{{smaller|GROUP}}]]||rowspan="5"|[https://www.fudealcreation.com/ FUDEAL<br/>CREATION]||rowspan="5"|[[横浜冷凍|ヨコレイ]]||rowspan="5"|[[インバースネット|FRONTIER]]||rowspan="2"|[http://www.nittai-since1957.co.jp/ NITTAI]||- |- |2020||rowspan="3"|[https://draft.co.jp/ DRAFT]||- |- |2021||rowspan="2"|-||rowspan="2"|-||[http://cleanup-int.com/ CLEANUP<br/>{{smaller|INTERNATIONAL}}] |- |2022||- |- |2023||[[ジャパンエレベーターサービスホールディングス|jes {{smaller|japan elevator Service}}]]||[https://www.s-dental-group.com/ エス歯科<br/>グループ]||[[マクニカ|macnica]]||[[リスト (不動産)|List]]||[[プーマ|PUMA]] |} == アカデミー == 横浜FCは、アカデミー(育成組織)として、次の3カテゴリーを所有している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.yokohamafc.com/academy|title=アカデミー・スクール|横浜FCオフィシャルホームページ |accessdate=2017-02-22}}</ref>。 === 高校年代 === * 横浜FCユース === 中学年代 === * 横浜FCジュニアユース - 2006年設立。 * 横浜FCジュニアユース戸塚 - 2015年設立。 ; 提携クラブ * 横浜FC鶴見ジュニアユース<ref>{{Cite web|和書|url=https://yokohamafc.tsurumi1.com/club/index.html|title=クラブ情報|横浜FC鶴見ジュニアユース |accessdate=2021-04-01}}</ref> === 小学年代 === * U-12強化 === 横浜FC U-21 === 2016年度より弊クラブ所属の若手と大学との協力でチームを編成し、U-21タインニエン新聞国際サッカー選手権に参加している。<ref>[https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180113-00010001-footballc-socc ベトナムが憧れるジャパンクオリティ。横浜FCの若武者たちが示した最高の手本] フットボールチャンネル(2017年1月13日)</ref> == 横浜FCスポーツクラブ == {{基礎情報 非営利団体 |名称=一般社団法人横浜FCスポーツクラブ |ロゴ= |創立者= 株式会社横浜フリエスポーツクラブ |団体種類=[[社団法人#一般社団法人|一般社団法人]] |設立=[[2012年]][[6月]] |所在地=神奈川県横浜市保土ケ谷区川島町646-2 |起源= |主要人物=小野寺裕司(設立時社員)、奥寺康彦(代表理事) |活動地域={{JPN}} |製品= |主眼= |活動内容=サッカースクールおよび女子サッカーチームの運営他 |収入= |基本財産= |ボランティア人数= |従業員数= |会員数= |子団体= |標語= |ウェブサイト=http://www.yokohamafc-sc.com |解散= |特記事項= }} === サッカースクール === 幼稚園児から大人に至るまでの「横浜FCサッカースクール」は、2012年6月に設立された一般社団法人横浜FCスポーツクラブ<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.yokohamafc.com/news/2012/06/01/fc-6|title=一般社団法人・横浜FCスポーツクラブ設立のお知らせ|publisher=横浜FC|date=2012-7-5|accessdate=2013-2-5}}</ref> が運営している。 === 女子サッカーチーム === 横浜フリエSCは、2013年2月に発足した女子サッカーチーム[[横浜FCシーガルズ]]を運営している<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.yokohamafc.com/news/2012/07/05/fc-8/|title=横浜初、なでしこリーグを目指す 横浜FCシーガルズ誕生のお知らせて|publisher=横浜FC|date=2012-6-1|accessdate=2012-6-9}}</ref>。横浜FCシーガルズの関連クラブとして、[[横須賀市]]に[[横須賀シーガルズ]]が置かれている。 === サッカー以外のスポーツ === 横浜フリエSCは、次のようなスポーツに関する事業を手掛けている。 * チアリーディング(F!リーダーズ) * [[ヨガ]]および[[卓球]]のスクール運営 * [[横浜FC LEOCトレーニングセンター]]内の体育館施設の運営・管理 また、2012年7月に[[香港ファーストディビジョンリーグ|香港リーグ]]の「[[夢想駿其足球會|標準流浪]]」の運営権を取得し、その運営会社として横浜FC香港スポーツクラブ株式会社({{lang-zh|橫滨足球香港體育會有限公司}})を設立したが、2015年シーズンより別企業へ運営権を譲渡した。 == テーマソング == * [[THE ALFEE]] 「[[Wings of Freedom]]」: 作詞・作曲:[[高見沢俊彦]]、編曲:THE ALFEE **THE ALFEEはJリーグ創生期に[[横浜フリューゲルス]]のオフィシャルソング「[[Victory (THE ALFEEの曲)|Victory]]」を提供。横浜FC誕生の折にも楽曲提供を行い、テーマソングの売り上げは全てチーム運営費へという形で支援した。こうした経緯から、シングル盤は通算のシングル枚数に含めない企画盤扱いで、横浜FCのホームゲームでの売店や公式ショッピングサイトなどでしか販売されていない。 ** その後、アルバム「[[örb]]」に、冒頭の「Goal Goal Go! GO! YOKOHAMA FC!」のコールなど、横浜FCに関する部分を改変したバージョンが収録された。 ==ソシオ・フリエスタ== {{独自研究|section=1|date=2013年3月}} 横浜FCは企業の資本に頼らない純市民参加型のサッカー・スポーツクラブ作りを目指すという観点で、クラブ運営の核となる任意組織「ソシオ・フリエスタ」を設立した。モデルは[[プリメーラ・ディビシオン|スペイン]]の[[FCバルセロナ]]とされている。同クラブも一般市民から集めた会費を基としてサッカークラブを中心とした様々なスポーツクラブ活動を展開してきた。 横浜FCも創設当初は市民から会員(ソシオ)を募集した。会員は会費をクラブに納める見返りとして、希望者への年間指定席の斡旋の他、試合会場や各種イベントでの運営アシスタント(ボランティア)への登録やクラブ上層部との意見交換会などに出席できる権利を得ることが出来た。 しかし、J2加入が確定した2001年年頭ごろから問題が表面化した。ソシオの役員改選選挙が実施されている最中、ソシオの会員宛に運営会社の株式会社横浜フリエスポーツクラブ(横浜フリエSC)から「協約書」が送付された。その内容は「ソシオ会員は全員横浜フリエSCと直接契約を結ぶことを求める」もので、「本協約書にご賛同いただけず退会を希望される方には、ご返金いたします」という内容だった。 ソシオとの協議で、横浜フリエSCは「ソシオの会費は当初から運営会社の運営費として捻出されることになっていたが、理事会の承認なしに運営費を拠出できないのは責任ある球団経営が見込めないと判断した」と主張し、これまでのソシオとの協定書を破棄することを宣言した。 2001年9月、横浜フリエSCはソシオに代る新しいチームの後援組織「横浜FCクラブメンバー」を創設し、新社長に就任した奥寺保有の株式をソシオ会員ではなく、クラブメンバーに割り当てること、また会員には「サッカーをする・ふれるといった体験型のイベントを充実させる」ことや「個人情報の管理・責任をより徹底・明確にする」ことなどを提案。{{要出典範囲|date=2013年3月|名称についてもソシオの名前が係争中だったことから別の名前に変更したという。}}これにはソシオ理事会側が遺憾の意を示す。 その後、ソシオは横浜フリエSCに対し、ソシオの会費の一部(740万円相当)と会員名簿の返還を求めるよう[[横浜地方裁判所]]に[[仮処分]]申請を行ったが、2002年[[1月]]に[[却下]]された。ソシオは[[東京高等裁判所]]に[[即時抗告]]を行ったが、これも[[2003年]]に却下された。その趣旨は「入会事務・会員名簿の作成は運営会社から委託された業者が行い、団体として内部的にも自立して運営されているとは認めがたいから、ソシオは([[法人格]]を有しない団体でも例外的に[[当事者能力]]が認められる)[[民事保全法]]7条・[[民事訴訟法]]29条の『法人でない社団』とは認められない。よって、当事者能力がないから、申立ては不適法である」というものだった<ref>[http://www.socioyokohama.org/sociofuliesta/html/rijikai/doc07/doc59.html ソシオ横浜(旧ソシオ・フリエスタ)の資料]</ref>。 その間、横浜フリエSCが「ソシオの名称は横浜フリエSCに[[商標登録]]がある。このまま使用を続けるのなら法的な処置も辞さない」とソシオに通告を行い、2003年にソシオは「ソシオ・フリエスタ」から「ソシオ横浜」に名称を変更した。2003年9月、ソシオと横浜フリエSCは[[和解]]合意書に調印し、2年以上に及んだ横浜フリエSCとソシオの対立は区切りを迎えた。なお、[http://www.socioyokohama.org ソシオ横浜の公式サイト] は2008年1月を最後に更新が止まっている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Notelist2}} === 出典 === {{Reflist}} == 関連項目 == *[[横浜FCの選手一覧]] *[[横浜ダービー]]/[[神奈川ダービー]] *[[横浜熱闘倶楽部]] *[[横浜FCシーガルズ]] *[[辻野臣保]] (横浜フリエスポーツクラブ初代社長)  *[[田部和良]] (元マネージャー) *[[エスポラーダ北海道]]([[日本フットサルリーグ]](Fリーグ)所属。LEOC創業者の小野寺眞悟が理事長を務める。) == 外部リンク == * {{Official website|mobile=http://y-fc.jp}} * {{Facebook|yokohamafc1999|横浜FC【公式】}} * {{Twitter|yokohama_fc|横浜FCスタッフ}} * {{Note.com|yokohama_fc1999|横浜FC_OFFICIAL}} * {{Twitter|fc_fulimaru|フリ丸}} * {{YouTube|user=YOKOHAMAFC1999|横浜FC【公式】Channel}} * [https://www.yokohamafc-sc.com/ 一般社団法人横浜FCスポーツクラブ] * [https://www.yokohamafc-school.com/ 横浜FCサッカースクール公式サイト] * {{Facebook|yokohamafcschool|横浜FCサッカースクール}} * {{LINE公式アカウント|yokohamafc}} {{Navboxes|title =横浜FC 関連テンプレート|titlestyle=background:#00A1E9; color:#FFFFFF; border:2px solid #013588; line-height:120%; |list1= {{横浜FCのメンバー}} {{横浜FC歴代監督}} }} {{日本プロサッカーリーグ}} {{Navboxes|title=獲得タイトル |list1= {{JFL優勝チーム}}{{J2優勝チーム}} }} {{神奈川県のサッカーチーム}} {{リダイレクトの所属カテゴリ |redirect1=横浜フリエスポーツクラブ |1-1=保土ケ谷区の企業 |1-2=1998年設立の企業 |1-3=横浜FC |}} {{デフォルトソート:よこはまえふしい}} [[Category:横浜FC|*]] [[Category:1999年設立のスポーツチーム]] [[Category:横浜市のスポーツ史]] [[Category:Jリーグクラブ]]
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チャールズ・バベッジ
チャールズ・バベッジ(Charles Babbage、FRS、1791年12月26日 - 1871年10月18日)は、イギリスの数学者。哲学者、計算機科学者でもあり、世界で初めて「プログラム可能」な計算機を考案した。検眼鏡の発明者。 「コンピュータの父」と言われることもあり、初期の機械式計算機を発明し、さらに複雑な設計に到達した。その完成しなかった機械の一部はロンドンに所在するサイエンス・ミュージアムに展示されている。1991年、バベッジの本来の設計に基づいて階差機関が組み立てられ、完全に機能した。これは19世紀当時の技術の精度に合わせて作られており、バベッジのマシンが当時完成していれば動作していたことを証明した。9年後、サイエンス・ミュージアムはバベッジが階差機関用に設計したプリンターも完成させた。 ロンドンに生を受ける。正確な生誕地については議論があるが、ロンドンの 44 Crosby Row, Walworth Road ではないかとされている。ラーコム・ストリートとウォルワース・ロードの交差点付近に生誕を記念したブルー・プラークがある。 生まれた日は『タイムズ』紙の死亡記事から1792年12月26日とされている。しかしその死亡記事が出た後、生まれたのは1791年だと甥が書いている。教会の記録によれば、バベッジが洗礼を受けたのは1792年1月6日となっており、生まれたのが1791年だったという説を裏付けている。 父ベンジャミン・バベッジ (Benjamin Babbage) は裕福な銀行家であったが元は金細工師であった。母はベッツィー・バベッジ (Betsy Plumleigh Babbage)。1808年、一家はテインマス東部に移り、父は近くの St. Michael’s Church の教会委員となった。 父が裕福であったため、小学校時代に複数の家庭教師をつけるなど、熱心な教育を受けさせた。10歳のとき生命を危うくするほどの発熱を経験し、療養をかねて田舎(エクセター近郊のアルフィントン)の学校に通うようになる。両親は学校に「あまり脳に負担をかけないようにしてください」と依頼し、本人は「こんなに暇では馬鹿になるかもしれない」と思ったと後に述べている。デヴォン州トットネス(英語版、フランス語版、ドイツ語版)の King Edward VI Grammar School に入れられ、ここですぐに体力を回復すると、再び家庭教師を付けてもらえるようになった。その後ミドルセックス州インフィールドにある30人の生徒を持つホルムウッド・アカデミーに参加し、スティーブン・フリーマン牧師に学ぶようになった。このアカデミーには膨大な蔵書があり、それによって数学に興味を持つようになる。アカデミーを離れてからさらに2人の家庭教師について学ぶ。一人はケンブリッジに住む聖職者で、バベッジは後に「何も得る物が無かった」と述べている。もう一人はオックスフォードの家庭教師で、ケンブリッジに入学できるだけの古典について学ぶことができた。 1810年10月、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学。ここでゴットフリート・ライプニッツ、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ、トーマス・シンプソンらの著作を読みふけり、ケンブリッジの数学教育のレベルの低さに失望した。その結果として1812年、ジョン・ハーシェルやジョージ・ピーコック(英語版)らと共に解析協会(英語版)を設立。バベッジ、ハーシェル、ピーコックは後に裁判官となったエドワード・ライアン(英語版)とも親しく、ライアンは後に科学の後援者となった。また、バベッジとライアンは後に姉妹とそれぞれ結婚し、義理の兄弟になっている。バベッジは学生として他の団体にも参加しており、超常現象を研究する The Ghost Club(英語版)、精神病院からメンバーを解放することを目的としている Extractors Club などがある。 1812年、ケンブリッジ大学のピーターハウス(英語版)に移る。ここで数学者のトップとなったが、卒業することはできなかった。代わりに名誉学位を試験無しで1814年に与えられている。 1814年7月、デヴォン州テインマスの St. Michael's Church でジョージアナ・ホイットモア (Georgiana Whitmore) と結婚。シュロップシャーのダッドマストン・ホール(英語版)というカントリー・ハウスを新居としたが(ここで自らセントラルヒーティングシステムを設計)、その後ロンドンに引っ越した。 8人の子供をもうけたが、成人したのは4人だけだった。妻は1827年9月1日、ウスターで死去。同年、父、次男、生まれたばかりの末っ子が相次いで亡くなった。その後1年をかけてヨーロッパ大陸を旅行したため、階差機関の構築が遅れることになった。 1871年10月18日、79歳で死去。ロンドンのケンサル・グリーン墓地(英語版)に埋葬された。Horsleyによれば、「腎臓を患い、膀胱炎を併発して」亡くなったという。1983年、バベッジの検死報告書が発見され、後にバベッジの玄孫が公表した。また、複写が公開されている。バベッジの脳は、半分がイングランド王立外科医師会に保管され、もう半分がサイエンス・ミュージアムにて展示されている。 一番年下の息子ヘンリー・プレヴォスト・バベッジ (1824–1918) は、父の設計に基づいて6台の階差機関を製作し、そのうちの1台がハーバード大学に送られた。Harvard Mark I を開発したハワード・エイケンが後にそれを発見している。ヘンリー・プレヴォストが1910年に製作した解析機関の演算器はダッドマストン・ホールに展示されていたが、今はサイエンス・ミュージアムにて展示されている。 バベッジの機械は初期の機械式計算機の1つだが、実際には完成しなかった。その最大の原因は資金問題と自身の性格の問題である。いくつかの蒸気機関で駆動する機械の製作を指揮して若干の成功を収め、計算を機械化可能であることを示した。その機械は扱いにくかったが、現代のコンピュータと基本的アーキテクチャはよく似ている。データとプログラムは分離されており、命令に従って動作し、演算器は条件分岐が可能で、本体とは別に入出力装置を備えていた。政府から10年以上に渡って総額1万7000ポンドの資金援助を受けたが、最終的に信頼を失って資金提供は打ち切られた。 当時、数表は計算手と呼ばれる大勢の人間が流れ作業的に単純な計算をすることで作られていた。ケンブリッジで彼はこの手法の誤り率が高いことを見ており、数表作成の機械化をライフワークにするようになった。 1822年、階差機関 (difference engine) と名付けた多項式関数の値を計算する機械の設計を開始した。当時の他の機械式計算機とは異なり、バベッジの階差機関は一連の数値を自動的に生成するものだった。有限差分法を使うことで、乗除算を使わずに関数の値を計算できる。 1820年代初め、バベッジは最初の階差機関の試作にとりかかった。そのとき製作した一部の部品は今もオックスフォード科学史博物館にある。この試作機が「階差機関1号機」へと発展した。しかし完成はせず、出来上がった部分はロンドンのサイエンス・ミュージアムにある。この階差機関1号機は約2,5000個の部品で構成され、13,600kgの重量で、高さは2.4mとなる予定だった。資金提供も受けたが、完成することはなかった。後に改良を加えた「階差機関2号機」を設計したが、バベッジ自身は製作していない。 階差機関2号機が実際に製作されたのは1989年になってからのことで、ロンドンのサイエンス・ミュージアムでバベッジの設計に基づいて19世紀当時の技術精度にあわせて製作された。1991年に完成し、31桁の計算結果を出力した。また、技術者で大富豪のネイサン・ミアボルド(英語版)もこれを製作し、2008年5月10日、マウンテンビューのコンピュータ歴史博物館に寄贈した。それまで誰も製作していなかったため、これらはレプリカ(複製)ではない。 階差機関の製作が破綻して間もなく、バベッジはさらに汎用的で複雑な解析機関を構想し始め、1871年に亡くなる直前までその設計を改良し続けた。2つの機関の主な違いは、解析機関ではパンチカードでプログラムを組むことができるという点である。プログラムをカードで用意することで、最初にプログラムを組めば、それを機械に入れるだけで実行することができる。解析機関はジャカード織機のパンチカードのループで計算機構を制御し、前の計算結果に基づいて次の計算を行うことができる。逐次制御、分岐、ループといった現代のコンピュータのような特徴すら、いくつかを備えている。 エイダ・ラブレスはバベッジのアイデアを完全に理解していた数少ない人物の1人で、バベッジが考える単なる計算機に留まらない解析機関の可能性を見出していた。解析機関の能力を示すために実際にプログラムを作成した。ベルヌーイ数の数列を計算するプログラムなどである。今では世界初のプログラマと言われている。1979年には、彼女にちなんであるプログラミング言語がAdaと名付けられた。 2011年、イギリスの研究者らが解析機関を製作するプロジェクト "Plan 28" を立ち上げた。バベッジは設計を改良し続け、完了させていなかったため、まずクラウドソーシングによってベースとなる設計を確定させるプロジェクトを開始した。675バイト相当のメモリを持ち、7Hzのクロック周波数相当で動作する予定である。バベッジの没後150周年となる2021年までに完成させることを目標としている。 そろばんや機械式計算機は集積回路を使った電子計算機に取って代わられたが、MEMSとナノテクノロジーの最近の発展により、微細な機械に計算させるハイテク実験が行われるようになっている。電子式では動作できない高放射環境や高温環境でも動作可能な点が優れているという。エコノミスト誌は20世紀末に "Babbage's Last Laugh" と題した記事を掲載し、微細な機械による計算について紹介した。 1824年、「数表と天文暦のための計算機関の発明に対して」王立天文学会ゴールドメダルを授与されている。バベッジは同学会の創立メンバーであり、1871年に亡くなったときには最長老となっていた。 ケンブリッジのルーカス教授職を1828年から1839年まで務めた。この間にいくつかの科学系学会誌の刊行をしている。1834年には統計学会創立に尽力した。 1832年、アメリカ芸術科学アカデミーの外国人名誉会員に選ばれた。1837年、ブリッジウォーター論集(英語版)全8巻に反応して、『第9ブリッジウォーター論集』(天地創造における神の力、叡智、善性について)を出版し、神は全知全能な神聖な立法者であり、法則を作り適切な時期に種を作ったのであって、時々気まぐれに奇跡を起こして必要に応じて新たな種を生み出したのではないという説を展開した。これは自然神学に関する著作であり、ジョン・ハーシェルと議論した結果が含まれている。 暗号解読に関しても業績を残し、ヴィジュネルの自己鍵暗号(英語版)やそれより弱いヴィジュネル暗号を解読した。この暗号は当時「解読不可能な暗号」と言われていた。その発見はイギリス陸軍の作戦行動に活用され、数年間その発見は秘密にされた。そのため、暗号解読者の栄誉は数年後に解読に成功したプロイセンの歩兵将校フリードリッヒ・カシスキー(英語版)に与えられている。 1838年にはカウキャッチャーを発明している。これは機関車などの前面に取り付ける金属フレームで、進路上の障害物を排除するものである。車両性能試験車(英語版)も作り、1838年ごろイザムバード・キングダム・ブルネルのグレート・ウェスタン鉄道で何度か調査を行った。長男のベンジャミン・ハーシェル・バベッジ(英語版)がブルネルの下で技師として働いていたという関係があったが、この長男は1850年代にオーストラリアに移住した。 検眼鏡もバベッジの発明だが、評価してもらおうと医師に渡してそのまま忘れてしまい、実際に使われるようになったのは後にヘルマン・フォン・ヘルムホルツが独自に発明した方だった。 バベッジは2回、国会議員に立候補している。1832年のときは5人中3位だったが、1834年のときは4人中最下位となった。 著書『機械化と工業化がもたらす経済効果』(On the Economy of Machinery and Manufactures) では、こんにち「バベッジの原理」と呼ばれるものを描いている。これは、仕事を分割することの効果を論じたものである。熟練した賃金の高い労働者は、常にスキルを最大限に発揮しているわけではない。その仕事を分割して複数の労働者を雇えば、スキルを要する仕事だけを熟練した労働者に割り当て、他の比較的簡単な仕事は別の熟練していない労働者に割り当てることができ、全体として労働コストの削減になるというものである。カール・マルクスは資本論や経済学批判要綱でこのバベッジの分業論に強い影響を受けた。バベッジの原理は、フレデリック・テイラーの科学的管理法の前提となっている。 バベッジはある工場の壊れた窓ガラスを全部数え、1857年に『窓ガラス破損原因の相対度数表』(Table of the Relative Frequency of the Causes of Breakage of Plate Glass Windows) を出版した。464枚の壊れた窓ガラスのうち、14枚が「酔っ払い、女性、または少年」が原因とされている。 バベッジは人混みが嫌いで、1864年には『通りの迷惑の観察』(Observations of Street Nuisances) を出版し、80日間に165回の「迷惑」を数えたこともある。特にストリートパフォーマンスが嫌いで、手回しオルガンの音を聞きつけると、そこに行ってののしったという。例えば次のような引用がバベッジの音楽嫌いを表している。 1860年代にはフープローリング(英語版)反対運動を起こした。特に鉄製フープを転がして馬の脚の間をすり抜ける遊びを非難した。実際、馬が驚いて乗っていた人が振り落とされたり、馬が脚をくじいたりすることがあった。1864年には庶民院で、この「子どもの一般的遊びを改革しようとする」バベッジの運動が批判され、バベッジは評判を落とすことになった。 当時の首相ロバート・ピールはバベッジに准男爵の地位提供を申し出たが、貴族の世襲制に批判的だったバベッジはこれを断わった。バベッジは一代貴族の方を望んだがこちらは逆に断わられ、結果としてどちらも得られなかった。 バベッジの数々の業績は、インド思想、特にインド論理学に影響を受けている。バベッジほどではないがハーシェル、ド・モルガン、ジョージ・ブールにも言えることである。メアリー・エベレスト・ブール(英語版)は、1920年代に彼女の叔父ジョージ・エベレストがバベッジとハーシェルにインド思想を紹介したと主張している。 1825年ごろ(エベレストが)イングランドで2、3年過ごしたことがあり、当時ずっと若かったハーシェルやバベッジとすぐに生涯の親友になった。私は公正な心を持つ数学者なら誰でも、バベッジの『第9ブリッジウォーター論集』を読んで彼の同時代人の作品と比べてみることを勧める。そして、バベッジの曲線上の特異点に関する考え方(8章)の根底にある奇跡の性質についての奇妙な概念がどこから来たのか自問してみるとよい。それはヨーロッパ神学からだろうか? それともヒンズー教形而上学からだろうか? おお、当時のイギリスの牧師たちはどんなにバベッジの本を嫌悪したことだろう! メアリー・ブールはまた、次のように記している。 バベッジ、ド・モルガン、ジョージ・ブールという3人の男が1830年から1865年当時の数学的雰囲気の中で強烈にヒンズー化した理由は何だったのか考えてみなさい。自然科学における探究がなされているベクトル解析と数学を生み出すことに、それがどんな部分を占めていただろうか? しかしながら、バベッジ自身は幼少期からプロテスタントであり、信仰を失ったことはない。 バベッジは様々な形で記念されている。例えば、月にはバベッジ(英語版)と名付けられたクレーターが存在する。ミネソタ大学には情報技術についての文献収集と研究のためのセンターであるチャールズ・バベッジ研究所がある。ケンブリッジ大学にはバベッジの名を冠した階段講堂があり、学部の科学系講義に使われている。 ウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングの小説『ディファレンス・エンジン』、マーク・ホダーの『大英帝国蒸気奇譚』シリーズなど、サイエンス・フィクションのサブジャンルの1つであるスチームパンクの作品においてはしばしば、階差機関(ディファレンス・エンジン)が蒸気駆動のコンピューターとして実用化された設定になっている。これらの作品では、バベッジは階差機関の考案者ではなく実際の開発者として登場ないしは言及される。
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Ghost Club(英語版)、精神病院からメンバーを解放することを目的としている Extractors Club などがある。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1812年、ケンブリッジ大学のピーターハウス(英語版)に移る。ここで数学者のトップとなったが、卒業することはできなかった。代わりに名誉学位を試験無しで1814年に与えられている。", "title": "教育" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "1814年7月、デヴォン州テインマスの St. Michael's Church でジョージアナ・ホイットモア (Georgiana Whitmore) と結婚。シュロップシャーのダッドマストン・ホール(英語版)というカントリー・ハウスを新居としたが(ここで自らセントラルヒーティングシステムを設計)、その後ロンドンに引っ越した。", "title": "結婚、家族、死" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "8人の子供をもうけたが、成人したのは4人だけだった。妻は1827年9月1日、ウスターで死去。同年、父、次男、生まれたばかりの末っ子が相次いで亡くなった。その後1年をかけてヨーロッパ大陸を旅行したため、階差機関の構築が遅れることになった。", "title": "結婚、家族、死" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "1871年10月18日、79歳で死去。ロンドンのケンサル・グリーン墓地(英語版)に埋葬された。Horsleyによれば、「腎臓を患い、膀胱炎を併発して」亡くなったという。1983年、バベッジの検死報告書が発見され、後にバベッジの玄孫が公表した。また、複写が公開されている。バベッジの脳は、半分がイングランド王立外科医師会に保管され、もう半分がサイエンス・ミュージアムにて展示されている。", "title": "結婚、家族、死" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "一番年下の息子ヘンリー・プレヴォスト・バベッジ (1824–1918) は、父の設計に基づいて6台の階差機関を製作し、そのうちの1台がハーバード大学に送られた。Harvard Mark I を開発したハワード・エイケンが後にそれを発見している。ヘンリー・プレヴォストが1910年に製作した解析機関の演算器はダッドマストン・ホールに展示されていたが、今はサイエンス・ミュージアムにて展示されている。", "title": "結婚、家族、死" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "バベッジの機械は初期の機械式計算機の1つだが、実際には完成しなかった。その最大の原因は資金問題と自身の性格の問題である。いくつかの蒸気機関で駆動する機械の製作を指揮して若干の成功を収め、計算を機械化可能であることを示した。その機械は扱いにくかったが、現代のコンピュータと基本的アーキテクチャはよく似ている。データとプログラムは分離されており、命令に従って動作し、演算器は条件分岐が可能で、本体とは別に入出力装置を備えていた。政府から10年以上に渡って総額1万7000ポンドの資金援助を受けたが、最終的に信頼を失って資金提供は打ち切られた。", "title": "計算機の設計" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "当時、数表は計算手と呼ばれる大勢の人間が流れ作業的に単純な計算をすることで作られていた。ケンブリッジで彼はこの手法の誤り率が高いことを見ており、数表作成の機械化をライフワークにするようになった。", "title": "計算機の設計" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "1822年、階差機関 (difference engine) と名付けた多項式関数の値を計算する機械の設計を開始した。当時の他の機械式計算機とは異なり、バベッジの階差機関は一連の数値を自動的に生成するものだった。有限差分法を使うことで、乗除算を使わずに関数の値を計算できる。", "title": "計算機の設計" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "1820年代初め、バベッジは最初の階差機関の試作にとりかかった。そのとき製作した一部の部品は今もオックスフォード科学史博物館にある。この試作機が「階差機関1号機」へと発展した。しかし完成はせず、出来上がった部分はロンドンのサイエンス・ミュージアムにある。この階差機関1号機は約2,5000個の部品で構成され、13,600kgの重量で、高さは2.4mとなる予定だった。資金提供も受けたが、完成することはなかった。後に改良を加えた「階差機関2号機」を設計したが、バベッジ自身は製作していない。", "title": "計算機の設計" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "階差機関2号機が実際に製作されたのは1989年になってからのことで、ロンドンのサイエンス・ミュージアムでバベッジの設計に基づいて19世紀当時の技術精度にあわせて製作された。1991年に完成し、31桁の計算結果を出力した。また、技術者で大富豪のネイサン・ミアボルド(英語版)もこれを製作し、2008年5月10日、マウンテンビューのコンピュータ歴史博物館に寄贈した。それまで誰も製作していなかったため、これらはレプリカ(複製)ではない。", "title": "計算機の設計" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "階差機関の製作が破綻して間もなく、バベッジはさらに汎用的で複雑な解析機関を構想し始め、1871年に亡くなる直前までその設計を改良し続けた。2つの機関の主な違いは、解析機関ではパンチカードでプログラムを組むことができるという点である。プログラムをカードで用意することで、最初にプログラムを組めば、それを機械に入れるだけで実行することができる。解析機関はジャカード織機のパンチカードのループで計算機構を制御し、前の計算結果に基づいて次の計算を行うことができる。逐次制御、分岐、ループといった現代のコンピュータのような特徴すら、いくつかを備えている。", "title": "計算機の設計" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "エイダ・ラブレスはバベッジのアイデアを完全に理解していた数少ない人物の1人で、バベッジが考える単なる計算機に留まらない解析機関の可能性を見出していた。解析機関の能力を示すために実際にプログラムを作成した。ベルヌーイ数の数列を計算するプログラムなどである。今では世界初のプログラマと言われている。1979年には、彼女にちなんであるプログラミング言語がAdaと名付けられた。", "title": "計算機の設計" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "2011年、イギリスの研究者らが解析機関を製作するプロジェクト \"Plan 28\" を立ち上げた。バベッジは設計を改良し続け、完了させていなかったため、まずクラウドソーシングによってベースとなる設計を確定させるプロジェクトを開始した。675バイト相当のメモリを持ち、7Hzのクロック周波数相当で動作する予定である。バベッジの没後150周年となる2021年までに完成させることを目標としている。", "title": "計算機の設計" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "そろばんや機械式計算機は集積回路を使った電子計算機に取って代わられたが、MEMSとナノテクノロジーの最近の発展により、微細な機械に計算させるハイテク実験が行われるようになっている。電子式では動作できない高放射環境や高温環境でも動作可能な点が優れているという。エコノミスト誌は20世紀末に \"Babbage's Last Laugh\" と題した記事を掲載し、微細な機械による計算について紹介した。", "title": "現代的応用" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "1824年、「数表と天文暦のための計算機関の発明に対して」王立天文学会ゴールドメダルを授与されている。バベッジは同学会の創立メンバーであり、1871年に亡くなったときには最長老となっていた。", "title": "その他の業績" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "ケンブリッジのルーカス教授職を1828年から1839年まで務めた。この間にいくつかの科学系学会誌の刊行をしている。1834年には統計学会創立に尽力した。", "title": "その他の業績" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "1832年、アメリカ芸術科学アカデミーの外国人名誉会員に選ばれた。1837年、ブリッジウォーター論集(英語版)全8巻に反応して、『第9ブリッジウォーター論集』(天地創造における神の力、叡智、善性について)を出版し、神は全知全能な神聖な立法者であり、法則を作り適切な時期に種を作ったのであって、時々気まぐれに奇跡を起こして必要に応じて新たな種を生み出したのではないという説を展開した。これは自然神学に関する著作であり、ジョン・ハーシェルと議論した結果が含まれている。", "title": "その他の業績" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "暗号解読に関しても業績を残し、ヴィジュネルの自己鍵暗号(英語版)やそれより弱いヴィジュネル暗号を解読した。この暗号は当時「解読不可能な暗号」と言われていた。その発見はイギリス陸軍の作戦行動に活用され、数年間その発見は秘密にされた。そのため、暗号解読者の栄誉は数年後に解読に成功したプロイセンの歩兵将校フリードリッヒ・カシスキー(英語版)に与えられている。", "title": "その他の業績" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "1838年にはカウキャッチャーを発明している。これは機関車などの前面に取り付ける金属フレームで、進路上の障害物を排除するものである。車両性能試験車(英語版)も作り、1838年ごろイザムバード・キングダム・ブルネルのグレート・ウェスタン鉄道で何度か調査を行った。長男のベンジャミン・ハーシェル・バベッジ(英語版)がブルネルの下で技師として働いていたという関係があったが、この長男は1850年代にオーストラリアに移住した。", "title": "その他の業績" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "検眼鏡もバベッジの発明だが、評価してもらおうと医師に渡してそのまま忘れてしまい、実際に使われるようになったのは後にヘルマン・フォン・ヘルムホルツが独自に発明した方だった。", "title": "その他の業績" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "バベッジは2回、国会議員に立候補している。1832年のときは5人中3位だったが、1834年のときは4人中最下位となった。", "title": "その他の業績" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "著書『機械化と工業化がもたらす経済効果』(On the Economy of Machinery and Manufactures) では、こんにち「バベッジの原理」と呼ばれるものを描いている。これは、仕事を分割することの効果を論じたものである。熟練した賃金の高い労働者は、常にスキルを最大限に発揮しているわけではない。その仕事を分割して複数の労働者を雇えば、スキルを要する仕事だけを熟練した労働者に割り当て、他の比較的簡単な仕事は別の熟練していない労働者に割り当てることができ、全体として労働コストの削減になるというものである。カール・マルクスは資本論や経済学批判要綱でこのバベッジの分業論に強い影響を受けた。バベッジの原理は、フレデリック・テイラーの科学的管理法の前提となっている。", "title": "その他の業績" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "バベッジはある工場の壊れた窓ガラスを全部数え、1857年に『窓ガラス破損原因の相対度数表』(Table of the Relative Frequency of the Causes of Breakage of Plate Glass Windows) を出版した。464枚の壊れた窓ガラスのうち、14枚が「酔っ払い、女性、または少年」が原因とされている。", "title": "考え方" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "バベッジは人混みが嫌いで、1864年には『通りの迷惑の観察』(Observations of Street Nuisances) を出版し、80日間に165回の「迷惑」を数えたこともある。特にストリートパフォーマンスが嫌いで、手回しオルガンの音を聞きつけると、そこに行ってののしったという。例えば次のような引用がバベッジの音楽嫌いを表している。", "title": "考え方" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "1860年代にはフープローリング(英語版)反対運動を起こした。特に鉄製フープを転がして馬の脚の間をすり抜ける遊びを非難した。実際、馬が驚いて乗っていた人が振り落とされたり、馬が脚をくじいたりすることがあった。1864年には庶民院で、この「子どもの一般的遊びを改革しようとする」バベッジの運動が批判され、バベッジは評判を落とすことになった。", "title": "考え方" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "当時の首相ロバート・ピールはバベッジに准男爵の地位提供を申し出たが、貴族の世襲制に批判的だったバベッジはこれを断わった。バベッジは一代貴族の方を望んだがこちらは逆に断わられ、結果としてどちらも得られなかった。", "title": "考え方" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "バベッジの数々の業績は、インド思想、特にインド論理学に影響を受けている。バベッジほどではないがハーシェル、ド・モルガン、ジョージ・ブールにも言えることである。メアリー・エベレスト・ブール(英語版)は、1920年代に彼女の叔父ジョージ・エベレストがバベッジとハーシェルにインド思想を紹介したと主張している。", "title": "インド思想からの影響" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "1825年ごろ(エベレストが)イングランドで2、3年過ごしたことがあり、当時ずっと若かったハーシェルやバベッジとすぐに生涯の親友になった。私は公正な心を持つ数学者なら誰でも、バベッジの『第9ブリッジウォーター論集』を読んで彼の同時代人の作品と比べてみることを勧める。そして、バベッジの曲線上の特異点に関する考え方(8章)の根底にある奇跡の性質についての奇妙な概念がどこから来たのか自問してみるとよい。それはヨーロッパ神学からだろうか? それともヒンズー教形而上学からだろうか? おお、当時のイギリスの牧師たちはどんなにバベッジの本を嫌悪したことだろう!", "title": "インド思想からの影響" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "メアリー・ブールはまた、次のように記している。", "title": "インド思想からの影響" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "バベッジ、ド・モルガン、ジョージ・ブールという3人の男が1830年から1865年当時の数学的雰囲気の中で強烈にヒンズー化した理由は何だったのか考えてみなさい。自然科学における探究がなされているベクトル解析と数学を生み出すことに、それがどんな部分を占めていただろうか?", "title": "インド思想からの影響" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "しかしながら、バベッジ自身は幼少期からプロテスタントであり、信仰を失ったことはない。", "title": "インド思想からの影響" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "バベッジは様々な形で記念されている。例えば、月にはバベッジ(英語版)と名付けられたクレーターが存在する。ミネソタ大学には情報技術についての文献収集と研究のためのセンターであるチャールズ・バベッジ研究所がある。ケンブリッジ大学にはバベッジの名を冠した階段講堂があり、学部の科学系講義に使われている。", "title": "記念" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "ウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングの小説『ディファレンス・エンジン』、マーク・ホダーの『大英帝国蒸気奇譚』シリーズなど、サイエンス・フィクションのサブジャンルの1つであるスチームパンクの作品においてはしばしば、階差機関(ディファレンス・エンジン)が蒸気駆動のコンピューターとして実用化された設定になっている。これらの作品では、バベッジは階差機関の考案者ではなく実際の開発者として登場ないしは言及される。", "title": "フィクション" } ]
チャールズ・バベッジは、イギリスの数学者。哲学者、計算機科学者でもあり、世界で初めて「プログラム可能」な計算機を考案した。検眼鏡の発明者。 「コンピュータの父」と言われることもあり、初期の機械式計算機を発明し、さらに複雑な設計に到達した。その完成しなかった機械の一部はロンドンに所在するサイエンス・ミュージアムに展示されている。1991年、バベッジの本来の設計に基づいて階差機関が組み立てられ、完全に機能した。これは19世紀当時の技術の精度に合わせて作られており、バベッジのマシンが当時完成していれば動作していたことを証明した。9年後、サイエンス・ミュージアムはバベッジが階差機関用に設計したプリンターも完成させた。
{{Infobox Scientist | name = チャールズ・バベッジ | image = Charles Babbage - 1860.jpg | caption = チャールズ・バベッジ (1860) | birth_date = {{生年月日と年齢|1791|12|26|no}} | birth_place = {{ENG}} ロンドン | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1791|12|26|1871|10|18}} | death_place = {{ENG}} ロンドン | nationality = {{ENG}} | field = 数学、哲学、計算機科学 | work_institutions = [[トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)]] | alma_mater = ピーターハウス([[ケンブリッジ大学]]) | known_for = 数学、計算機械 | signature = Charles Babbage Signature.svg }} '''チャールズ・バベッジ'''('''Charles Babbage'''、[[王立協会|FRS]]、[[1791年]][[12月26日]] - [[1871年]][[10月18日]]<ref>GRO Register of Deaths: December 1871 1a 383 MARYLEBONE: Charles Babbage, aged 79</ref>)は、[[イギリス]]の[[数学者]]。[[哲学者]]、[[計算機科学]]者でもあり、世界で初めて「プログラム可能」な計算機を考案した<ref>{{Cite book| last = Tanenbaum | first = Andrew | authorlink = アンドリュー・タネンバウム | title = Modern Operating Systems | publisher=Prentice Hall | year = 2007 | page = 7 | isbn = 0136006639}}</ref>。検眼鏡の発明者。 「コンピュータの父」と言われることもあり<ref>{{Cite book| author=Halacy, Daniel Stephen | title = Charles Babbage, Father of the Computer | year = 1970 | publisher=Crowell-Collier Press | isbn = 0027413705 }}</ref>、初期の機械式計算機を発明し、さらに複雑な設計に到達した<ref>{{Cite book| author=Swade, Doron | title = The Difference Engine: Charles Babbage and the Quest to Build the First Computer | year = 2000 | publisher=Penguin | pages = 84–87 | isbn = 0142001449 }}</ref>。その完成しなかった機械の一部は[[ロンドン]]に所在する[[サイエンス・ミュージアム]]に展示されている。[[1991年]]、バベッジの本来の設計に基づいて[[階差機関]]が組み立てられ、完全に機能した。これは[[19世紀]]当時の技術の[[公差|精度]]に合わせて作られており、バベッジのマシンが当時完成していれば動作していたことを証明した。9年後、サイエンス・ミュージアムはバベッジが階差機関用に設計した[[プリンター]]も完成させた。 == 誕生 == [[ロンドン]]に生を受ける。正確な生誕地については議論があるが、ロンドンの 44 Crosby Row, [[:en:A215 road#Walworth Road|Walworth Road]] ではないかとされている。ラーコム・ストリートとウォルワース・ロードの交差点付近に生誕を記念した[[ブルー・プラーク]]がある<ref>{{Openplaque|1140}}</ref>。 生まれた日は『[[タイムズ]]』紙の死亡記事から1792年12月26日とされている。しかしその死亡記事が出た後、生まれたのは1791年だと甥が書いている。教会の記録によれば、バベッジが洗礼を受けたのは1792年1月6日となっており、生まれたのが1791年だったという説を裏付けている<ref>{{Harvnb|Hyman|1982|p=5}}</ref><ref>{{Cite book| last = Moseley | first = Maboth | title = Irascible Genius, The Life of Charles Babbage | publisher=Henry Regnery | location = Chicago | year = 1964 | page = 29 |url= https://books.google.com.au/books?id=ELAMAQAAIAAJ |ref=harv}}</ref><ref>{{Cite news| title = [[s:en:The Times/The Late Mr. Charles Babbage, F.R.S.|The Late Mr. Charles Babbage, F.R.S]] |work=The Times |location=UK }}</ref>。 父ベンジャミン・バベッジ (Benjamin Babbage) は裕福な銀行家であったが元は金細工師であった。母はベッツィー・バベッジ (Betsy Plumleigh Babbage)。[[1808年]]、一家は[[テインマス]]東部に移り、父は近くの St. Michael’s Church の教会委員となった。 == 教育 == {{Wikisourcelang|en|The Times/The Late Mr. Charles Babbage, F.R.S.}} [[ファイル:Charles Babbage 1860.jpg|thumb|right|''The Illustrated London News''(1871年11月4日)より<ref>{{Cite book| last = Hook | first = Diana H. | coauthors = Jeremy M. Norman, Michael R. Williams | title = Origins of cyberspace: a library on the history of computing, networking, and telecommunications | publisher=Norman Publishing | year = 2002 | pages = 161, 165 | url = https://books.google.com/?id=fsICrp9shVIC&pg=PA165 | isbn = 0930405854 }}</ref>]] 父が裕福であったため、小学校時代に複数の[[家庭教師]]をつけるなど、熱心な教育を受けさせた。10歳のとき{{Sfn|オーウェン・ギンガリッチ|2009|p=5}}生命を危うくするほどの発熱を経験し、療養をかねて田舎([[エクセター]]近郊のアルフィントン)の学校に通うようになる。両親は学校に「あまり脳に負担をかけないようにしてください」と依頼し、本人は「こんなに暇では馬鹿になるかもしれない」と思ったと後に述べている。[[デヴォン州]]{{仮リンク|トットネス|en|Totnes|fr|Totnes|de|Totnes}}の [[:en:King Edward VI Community College|King Edward VI Grammar School]] に入れられ、ここですぐに体力を回復すると、再び家庭教師を付けてもらえるようになった<ref>{{Harvnb|Moseley|1964|p=39}}</ref>。その後[[ミドルセックス州]]インフィールドにある30人の生徒を持つホルムウッド・アカデミーに参加し、スティーブン・フリーマン牧師に学ぶようになった。このアカデミーには膨大な蔵書があり、それによって数学に興味を持つようになる。アカデミーを離れてからさらに2人の家庭教師について学ぶ。一人は[[ケンブリッジ]]に住む聖職者で、バベッジは後に「何も得る物が無かった」と述べている。もう一人はオックスフォードの家庭教師で、ケンブリッジに入学できるだけの古典について学ぶことができた。 [[1810年]]10月、[[ケンブリッジ大学]][[トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)|トリニティ・カレッジ]]に入学<ref name = Venn>{{Venn| id = BBG810C | name = Babbage, Charles }}</ref>。ここで[[ゴットフリート・ライプニッツ]]、[[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ]]、[[トーマス・シンプソン]]らの著作を読みふけり、ケンブリッジの数学教育のレベルの低さに失望した。その結果として[[1812年]]、[[ジョン・ハーシェル]]や{{仮リンク|ジョージ・ピーコック|en|George Peacock}}らと共に{{仮リンク|解析協会|en|Analytical Society}}を設立。バベッジ、ハーシェル、ピーコックは後に裁判官となった{{仮リンク|エドワード・ライアン|en|Edward Ryan (barrister)}}とも親しく、ライアンは後に科学の後援者となった。また、バベッジとライアンは後に姉妹とそれぞれ結婚し、義理の兄弟になっている<ref>{{cite journal | last = Wilkes| first = M. V. | title= Charles Babbage and his world | journal= Notes and Records of the Royal Society | year=2002 | volume=56 | issue=3 | pages=353&ndash;365 | doi= 10.1098/rsnr.2002.0188 }}</ref>。バベッジは学生として他の団体にも参加しており、超常現象を研究する {{仮リンク|The Ghost Club|en|The Ghost Club}}、精神病院からメンバーを解放することを目的としている Extractors Club などがある<ref name = GEB>{{Cite book| last = Hofstadter | first = Douglas R. | authorlink = ダグラス・ホフスタッター | title = [[ゲーデル、エッシャー、バッハ|Gödel, Escher, Bach: an Eternal Golden Braid]] | publisher=Penguin Books | date = 1979, 2000 | page = 726 }}</ref><ref name = allsands>{{Cite web| title = Charles Babbage'S Computer Engines | url = http://www.allsands.com/history/objects/history/objects/babbagecomputer_yy_gn.htm | accessdate =2012-03-13 }}</ref>。 1812年、ケンブリッジ大学の{{仮リンク|ピーターハウス|en|Peterhouse, Cambridge}}に移る<ref name = Venn/>。ここで数学者のトップとなったが、卒業することはできなかった。代わりに名誉学位を試験無しで[[1814年]]に与えられている。 == 結婚、家族、死 == [[ファイル:Babbage Charles grave.jpg|thumb|バベッジの墓]] [[1814年]]7月{{Sfn|オーウェン・ギンガリッチ|2009|p=17}}、デヴォン州テインマスの St. Michael's Church でジョージアナ・ホイットモア (Georgiana Whitmore) と結婚。[[シュロップシャー]]の{{仮リンク|ダッドマストン・ホール|en|Dudmaston Hall}}という[[カントリー・ハウス]]を新居としたが(ここで自らセントラルヒーティングシステムを設計)、その後ロンドンに引っ越した。 8人の子供をもうけたが<ref>{{Cite web | url = http://www.bavidge.co.uk/Babbage%20Family%20Tree%202005,%20InternetTree/wc03/wc03_074.htm | title = Babbage Family Tree 2005 | author = Valerie Bavidge-Richardson | accessdate = 2007-10-22 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20071013194355/http://bavidge.co.uk/Babbage+Family+Tree+2005,+InternetTree/wc03/wc03_074.htm | archivedate = 2007年10月13日 | deadlinkdate = 2017年9月 }}</ref>、成人したのは4人だけだった。妻は1827年9月1日、[[ウスター]]で死去。同年、父、次男、生まれたばかりの末っ子が相次いで亡くなった。その後1年をかけてヨーロッパ大陸を旅行したため、階差機関の構築が遅れることになった。 <!--Benjamin Herschel Babbage (1815-1878) Charles Whitmore Babbage (1817-1827) Georgiana Whitmore Babbage (1818-1834) Edward Stewart Babbage (1819-1821) Francis Moore Babbage (1821-??) Dugald Bromhead (Bromheald?) Babbage (1823-1901) (Maj-Gen) Henry Prevost Babbage (1824-1918) Alexander Forbes Babbage (1827-1827) Timothy Grant Babbage (1829-??) --> 1871年10月18日、79歳で死去。ロンドンの{{仮リンク|ケンサル・グリーン墓地|en|Kensal Green Cemetery}}に埋葬された。Horsleyによれば、「腎臓を患い、[[膀胱炎]]を併発して」亡くなったという<ref>{{Cite journal| author=Horsley, Victor | title = Description of the Brain of Mr. Charles Babbage, F.R.S | journal=Philosophical Transactions of the Royal Society of London. Series B, Containing Papers of a Biological Character | year = 1909 | volume = 200 | pages = 117–32 | url = http://journals.royalsociety.org/content/xl7210623532p738/?p=daaddfe06dca444eafad36aab95177ea&pi=1 | doi = 10.1098/rstb.1909.0003 | accessdate =2007-12-07 | issue=262–273 }} {{Subscription required}}</ref>。1983年、バベッジの検死報告書が発見され、後にバベッジの玄孫が公表した<ref>{{Cite journal| author=Babbage, Neville | title = Autopsy Report on the Body of Charles Babbage ( "the father of the computer ") | journal=Medical Journal of Australia | year = 1991 | volume = 154 | issue = 11 | pages = 758–9 | month = June | pmid = 2046574 }}</ref><ref>{{Cite journal| author=Williams, Michael R. | title = The "Last Word " on Charles Babbage | doi = 10.1109/85.728225 | journal=IEEE Annals of the History of Computing | year = 1998 | volume = 20 | pages = 10–4 | url = http://www2.computer.org/portal/web/csdl/doi/10.1109/85.728225 | issue=4}}{{Subscription required}}</ref>。また、複写が公開されている<ref>{{Cite web| url = http://www.scienceandsociety.co.uk/results.asp?X9=BABBAGE,%20CHARLES | title = Postmortem report by John Gregory Smith, F.R.C.S. (anatomist) | publisher=Science and society.co.UK | accessdate =2009-01-29 }}</ref>。バベッジの脳は、半分が[[イングランド王立外科医師会]]に保管され、もう半分が[[サイエンス・ミュージアム]]にて展示されている<ref>{{Cite web| url = http://www.sciencemuseum.org.uk/visitmuseum/galleries/computing.aspx | title = Visit the museum, Galleries, Computing, Overview | publisher=Science Museum | accessdate =2010-10-25 }}</ref>。 一番年下の息子ヘンリー・プレヴォスト・バベッジ (1824–1918) は、父の設計に基づいて6台の階差機関を製作し<ref>{{Cite web| url = http://www.computerhistory.org/babbage/henrybabbage/ | title = Henry Prevost Babbage&nbsp;– The Babbage Engine | publisher=Computer History Museum | accessdate = 2009-01-29 }}</ref>、そのうちの1台が[[ハーバード大学]]に送られた。[[Harvard Mark I]] を開発した[[ハワード・エイケン]]が後にそれを発見している。ヘンリー・プレヴォストが1910年に製作した[[解析機関]]の演算器はダッドマストン・ホールに展示されていたが、今は[[サイエンス・ミュージアム]]にて展示されている<ref>{{Cite web| url = http://www.sciencemuseum.org.uk/objects/computing_and_data_processing/1896-58.aspx | title = Henry Babbage's Analytical Engine Mill, 1910 | publisher=Science Museum | date = 16 January 2007 | accessdate = 2009-01-29 }}</ref>。 == 計算機の設計 == [[File:BabbageDifferenceEngine.jpg|thumb|階差機関(1号機)の一部。バベッジの死後、息子が残っていた部品で組み立てたもの]] {{Cquote|1812年、彼は解析協会の自室で座って間違いだらけの対数表を見ていた。そして、機械に計算させればいいと思いついた。フランス政府はいくつかの数表を新しい手法で製作していた。数人の数学者が数表の計算方法を決定し、6人ほどでそれを単純な工程に分解して、個々の工程は加算か減算をすればよいだけにする。そして加減算だけを教え込まれた80人の[[計算手]]に計算させるのである。これが計算における大量生産的手法の最初の適用例であり、バベッジは熟練していない計算手を完全に機械に置き換えれば、より素早く間違わずに数表を作れるというアイデアにとりつかれた。<ref>{{Cite book|editor-first= B. V. |editor-last= Bowden |title= Faster than thought: A symposium on digital computing machines |year=1953 |place=London |publisher=Pitman |url= http://www.computinghistory.org.uk/det/10719/Faster-Than-Thought-A-Symposium-on-Digital-Computing-Machines-1953/}}</ref>}} バベッジの機械は初期の機械式計算機の1つだが、実際には完成しなかった。その最大の原因は資金問題と自身の性格の問題である。いくつかの蒸気機関で駆動する機械の製作を指揮して若干の成功を収め、計算を機械化可能であることを示した。その機械は扱いにくかったが、現代のコンピュータと基本的アーキテクチャはよく似ている。データとプログラムは分離されており、命令に従って動作し、演算器は条件分岐が可能で、本体とは別に[[入出力]]装置を備えていた。政府から10年以上に渡って総額1万7000ポンドの資金援助を受けたが、最終的に信頼を失って資金提供は打ち切られた<ref>{{Cite book|author=Gleick, J. |title=The Information: A History, a Theory, a Flood |publisher=Fourth Estate |location=London |year=2011 |page=104 }}</ref>。 === 階差機関 === [[ファイル:Babbage Difference Engine.jpg|thumb|[[サイエンス・ミュージアム]]に展示されている階差機関2号機。バベッジの設計に基づいて製作された。]] {{Main|階差機関}} 当時、[[数表]]は[[計算手]]と呼ばれる大勢の人間が流れ作業的に単純な計算をすることで作られていた。ケンブリッジで彼はこの手法の誤り率が高いことを見ており、数表作成の機械化をライフワークにするようになった。 [[1822年]]、[[階差機関]] (difference engine) と名付けた多項式関数の値を計算する機械の設計を開始した。当時の他の[[機械式計算機]]とは異なり、バベッジの階差機関は一連の数値を自動的に生成するものだった。[[差分法|有限差分法]]を使うことで、乗除算を使わずに関数の値を計算できる。 1820年代初め、バベッジは最初の階差機関の試作にとりかかった。そのとき製作した一部の部品は今もオックスフォード科学史博物館にある<ref>{{Cite journal| first = Denis | last = Roegel | title = Prototype Fragments from Babbage's First Difference Engine | journal=IEEE Annals of the History of Computing | volume = 31 | pages = 70–5 | date = April–June 2009 | issue = 2 | doi = 10.1109/MAHC.2009.31 }}</ref>。この試作機が「階差機関1号機」へと発展した。しかし完成はせず、出来上がった部分はロンドンのサイエンス・ミュージアムにある。この階差機関1号機は約2,5000個の部品で構成され、13,600kgの重量で、高さは2.4mとなる予定だった。資金提供も受けたが、完成することはなかった。後に改良を加えた「階差機関2号機」を設計したが、バベッジ自身は製作していない。 階差機関2号機が実際に製作されたのは1989年になってからのことで、ロンドンのサイエンス・ミュージアムでバベッジの設計に基づいて19世紀当時の技術精度にあわせて製作された。1991年に完成し、31桁の計算結果を出力した。また、技術者で大富豪の{{仮リンク|ネイサン・ミアボルド|en|Nathan Myhrvold}}もこれを製作し、2008年5月10日、[[マウンテンビュー]]の[[コンピュータ歴史博物館]]に寄贈した<ref>{{Cite web| url = http://www.computerhistory.org/babbage/ | title = Overview&nbsp;– The Babbage Engine | publisher=Computer History Museum | accessdate = 2009-01-29 }}</ref><ref>{{Cite news| last = Shiels | first = Maggie | title = Victorian 'supercomputer' is reborn | url = http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/7391593.stm | accessdate =2008-05-11 |work=BBC News | date = 10 May 2008 }}</ref>。それまで誰も製作していなかったため、これらはレプリカ(複製)ではない。 === 解析機関 === {{Main|解析機関}} 階差機関の製作が破綻して間もなく、バベッジはさらに汎用的で複雑な[[解析機関]]を構想し始め、1871年に亡くなる直前までその設計を改良し続けた。2つの機関の主な違いは、解析機関では[[パンチカード]]でプログラムを組むことができるという点である。プログラムをカードで用意することで、最初にプログラムを組めば、それを機械に入れるだけで実行することができる。解析機関は[[ジャカード織機]]のパンチカードのループで計算機構を制御し、前の計算結果に基づいて次の計算を行うことができる。逐次制御、分岐、ループといった現代のコンピュータのような特徴すら、いくつかを備えている。<!--おり、完成していれば機械式装置としては初の[[チューリング完全]]な計算機となっていただろう。--><!--解析機関がチューリング完全か否かの決定には、ある程度の推測が必要なはずで、必ずしもこのようにおしはかることはできないはず。--> [[エイダ・ラブレス]]はバベッジのアイデアを完全に理解していた数少ない人物の1人で、バベッジが考える単なる計算機に留まらない解析機関の可能性を見出していた<ref>Fuegi & Francis 2003, pp. 19, 25.</ref>。解析機関の能力を示すために実際にプログラムを作成した。[[ベルヌーイ数]]の数列を計算するプログラムなどである。今では世界初の[[プログラマ]]と言われている<ref>{{Cite journal| author=Fuegi J, Francis J | title = Lovelace & Babbage and the creation of the 1843 'notes' | journal=Annals of the History of Computing | volume = 25 | issue = 4 | pages = 16–26 | date = October–December 2003 | doi = 10.1109/MAHC.2003.1253887 }} See pages 19, 25</ref>。1979年には、彼女にちなんであるプログラミング言語が[[Ada]]と名付けられた。 2011年、イギリスの研究者らが解析機関を製作するプロジェクト "[http://plan28.org/ Plan 28]" を立ち上げた。バベッジは設計を改良し続け、完了させていなかったため、まず[[クラウドソーシング]]によってベースとなる設計を確定させるプロジェクトを開始した<ref>{{Cite news| url = http://www.nytimes.com/2011/11/08/science/computer-experts-building-1830s-babbage-analytical-engine.html?_r=1/ | title = It Started Digital Wheels Turning | publisher=New York Times | accessdate =2011-11-10 }}</ref>。675バイト相当のメモリを持ち、7Hzのクロック周波数相当で動作する予定である。バベッジの没後150周年となる2021年までに完成させることを目標としている<ref>{{Cite news| url= http://www.bbc.co.uk/news/technology-15001514 | title=Babbage Analytical Engine designs to be digitised | work=BBC News | author= | date=2011-09-21 | accessdate=2012-03-19 }}</ref>。 == 現代的応用 == そろばんや機械式計算機は[[集積回路]]を使った電子計算機に取って代わられたが、[[MEMS]]と[[ナノテクノロジー]]の最近の発展により、微細な機械に計算させるハイテク実験が行われるようになっている。電子式では動作できない高放射環境や高温環境でも動作可能な点が優れているという<ref>{{Cite web | url = http://findarticles.com/p/articles/mi_m0WVI/is_1999_Oct_11/ai_56912203/print | title = Electronics Times: Micro-machines are fit for space | publisher = Findarticles.com | date = 11 October 1999 | accessdate = 2009-01-29 | archiveurl = https://archive.is/20120708104411/http://findarticles.com/p/articles/mi_m0WVI/is_1999_Oct_11/ai_56912203/ | archivedate = 2012年7月8日 | deadlinkdate = 2017年9月 }}</ref>。[[エコノミスト]]誌は20世紀末に "Babbage's Last Laugh" と題した記事を掲載し、微細な機械による計算について紹介した<ref>{{Cite news|author= |title=Babbage's Last Laugh |agency= |work= |newspaper=The Economist |pages= |page= |date=9 September 1999 |url= http://www.economist.com/node/324654?story_id=E1_PNQGVQ}}</ref>。 == その他の業績 == [[File:Babbage - On the economy of machinery and manufactures, 1835 - 5864499.tif|thumb|''On the economy of machinery and manufactures'', 1835]] [[1824年]]、「数表と天文暦のための計算機関の発明に対して」[[王立天文学会ゴールドメダル]]を授与されている。バベッジは[[王立天文学会|同学会]]の創立メンバーであり、1871年に亡くなったときには最長老となっていた。 ケンブリッジの[[ルーカス教授職]]を[[1828年]]から[[1839年]]まで務めた。この間にいくつかの科学系学会誌の刊行をしている。1834年には統計学会創立に尽力した。 1832年、[[アメリカ芸術科学アカデミー]]の外国人名誉会員に選ばれた<ref name=AAAS>{{Cite web|title=Book of Members, 1780–2010: Chapter B|url= http://www.amacad.org/publications/BookofMembers/ChapterB.pdf|publisher=American Academy of Arts and Sciences|accessdate= 2011-04-28}}</ref>。1837年、{{仮リンク|ブリッジウォーター論集|en|Bridgewater Treatises}}全8巻に反応して、『第9ブリッジウォーター論集』(天地創造における神の力、叡智、善性について)を出版し、神は全知全能な神聖な立法者であり、法則を作り適切な時期に種を作ったのであって、時々気まぐれに奇跡を起こして必要に応じて新たな種を生み出したのではないという説を展開した。これは自然神学に関する著作であり、[[ジョン・ハーシェル]]と議論した結果が含まれている。 [[暗号解読]]に関しても業績を残し、ヴィジュネルの{{仮リンク|自己鍵暗号|en|autokey cipher}}やそれより弱い[[ヴィジュネル暗号]]を解読した。この暗号は当時「解読不可能な暗号」と言われていた。その発見は[[イギリス陸軍]]の作戦行動に活用され、数年間その発見は秘密にされた。そのため、暗号解読者の栄誉は数年後に解読に成功したプロイセンの歩兵将校{{仮リンク|フリードリッヒ・カシスキー|en|Friedrich Kasiski}}に与えられている<ref>{{Cite book| author=Kahn, David L. | title = The Codebreakers: The Story of Secret Writing | year = 1996 | publisher=Scribner | location = New York | isbn = 978-0-684-83130-5 }}</ref>。 1838年には[[カウキャッチャー (鉄道)|カウキャッチャー]]を発明している<ref name=lee95>{{Cite book|last=Lee|first=John A. N.|title=International biographical dictionary of computer pioneers|year=1995|publisher=Taylor & Francis US|pages=60}}</ref>。これは機関車などの前面に取り付ける金属フレームで、進路上の障害物を排除するものである。{{仮リンク|車両性能試験車|en|dynamometer car}}も作り、1838年ごろ[[イザムバード・キングダム・ブルネル]]の[[グレート・ウェスタン鉄道]]で何度か調査を行った<ref name = "passages ">{{Harvnb|Babbage|1864|pp=317–8}}</ref>。長男の{{仮リンク|ベンジャミン・ハーシェル・バベッジ|en|Benjamin Herschel Babbage}}がブルネルの下で技師として働いていたという関係があったが、この長男は1850年代にオーストラリアに移住した<ref name = BBH>{{Cite web| url = http://www.asap.unimelb.edu.au/bsparcs/biogs/P000074b.htm | title = Babbage, Benjamin Herschel | work=Bright Sparcs Biographical entry | accessdate = 2008-05-15 }}</ref>。 [[眼底検査|検眼鏡]]もバベッジの発明だが、評価してもらおうと医師に渡してそのまま忘れてしまい、実際に使われるようになったのは後に[[ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ]]が独自に発明した方だった<ref>{{Cite web| url = http://www.discoveriesinmedicine.com/Ni-Ra/Ophthalmoscope.html | title = Medical Discoveries, Ophthalmoscope | publisher=Discoveriesinmedicine.com | accessdate = 2009-01-29 <!-- it's in the BBC article but looks fanciful: is also credited with the invention of [[Standard gauge|standard railroad gauge]], uniform [[penny post|postal rates]], [[occulting light]]s for lighthouses, the [[heliograph]],[http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/7391593.stm Victorian 'supercomputer' is reborn]--> }}</ref>。 バベッジは2回、国会議員に立候補している。1832年のときは5人中3位だったが、1834年のときは4人中最下位となった<ref>{{Cite book| author=Crowther, J. G. | title = Scientific Types | year = 1968 | publisher=Barrie & Rockliff | location = London | page = 266 | isbn = 0248997297 }}</ref><ref>{{Cite book| last=Hyman |first=Anthony | title = Charles Babbage, Pioneer of the Computer | year = 1982 | publisher=Princeton University Press | location = Princeton, New Jersey | pages = 82–7 | isbn = 0691083037 |ref=harv}}</ref><ref>{{Harvnb|Moseley|1964|pp=120–1}}- 日付に混乱が見られるので注意</ref>。 著書『機械化と工業化がもたらす経済効果』(On the Economy of Machinery and Manufactures) では、こんにち「バベッジの原理」と呼ばれるものを描いている。これは、仕事を分割することの効果を論じたものである。熟練した賃金の高い労働者は、常にスキルを最大限に発揮しているわけではない。その仕事を分割して複数の労働者を雇えば、スキルを要する仕事だけを熟練した労働者に割り当て、他の比較的簡単な仕事は別の熟練していない労働者に割り当てることができ、全体として労働コストの削減になるというものである。[[カール・マルクス]]は[[資本論]]や[[経済学批判要綱]]でこのバベッジの分業論に強い影響を受けた<ref>Ákos Róna-Tas (1997). The Great Surprise of the Small Transformation: The Demise of Communism and the Rise of the Private Sector of Hungary. University of Michigan Press. p. 20. {{ISBN2| 978-0-472-10795-7}}. Retrieved 27 April 2013.</ref>。バベッジの原理は、[[フレデリック・テイラー]]の[[科学的管理法]]の前提となっている。 == 考え方 == [[ファイル:Babbages Brain.jpg|thumb|upright|[[サイエンス・ミュージアム]]には、チャールズ・バベッジの脳が展示されている。]] バベッジはある工場の壊れた窓ガラスを全部数え、1857年に『窓ガラス破損原因の相対度数表』(Table of the Relative Frequency of the Causes of Breakage of Plate Glass Windows) を出版した。464枚の壊れた窓ガラスのうち、14枚が「酔っ払い、女性、または少年」が原因とされている<ref>{{Cite journal| title = Table of the Relative Frequency of Occurrence of the Causes of Breaking of Plate Glass Windows | author=Babbage, Charles | journal=Mechanics Magazine | year = 1857 | volume = 66 | page = 82 }}</ref><ref>{{Cite book| author=Babbage, Charles | title = The Works of Charles Babbage | volume = V | year = 1989 | publisher=William Pickering | location = London | page = 137 | editor = Martin Campbell-Kelly | isbn = 1851960058 }}</ref><ref>{{Cite book|url= https://books.google.co.jp/books?id=cScKAAAAIAAJ&pg=PA417&lpg=PA417&dq=Table+of+the+Relative+Frequency+of+the+Causes+of+Breakage+of+Plate+Glass+Windows&redir_esc=y&hl=ja |title=The insurance cyclopeadia: being a ... – Google Books |publisher=Google Books |accessdate= 2011-02-22|year=1878}}</ref>。 バベッジは人混みが嫌いで、1864年には『通りの迷惑の観察』(Observations of Street Nuisances) を出版し、80日間に165回の「迷惑」を数えたこともある。特に[[ストリートパフォーマンス]]が嫌いで、[[手回しオルガン]]の音を聞きつけると、そこに行ってののしったという。例えば次のような引用がバベッジの音楽嫌いを表している。 {{Quote|手回しオルガン奏者や似たような迷惑によって与えられた数千人の精神的苦痛と知的労働者の時間を奪ったことによる金銭的損害は計り知れない。<ref>{{Cite book| author=Campbell-Kelly, Martin; Babbage, Charles | title = Passages from the Life of a Philosopher | publisher=Pickering & Chatto Publishers | year = 1994 | chapter = Ch 26 | page = 342 | isbn = 1-85196-040-6 }}</ref>}} 1860年代には{{仮リンク|フープローリング|en|Hoop rolling#British Empire}}反対運動を起こした。特に鉄製[[フープ]]を転がして馬の脚の間をすり抜ける遊びを非難した。実際、馬が驚いて乗っていた人が振り落とされたり、馬が脚をくじいたりすることがあった<ref>{{Harvnb|Babbage|1864|p=360}}</ref>。1864年には[[庶民院 (イギリス)|庶民院]]で、この「子どもの一般的遊びを改革しようとする」バベッジの運動が批判され、バベッジは評判を落とすことになった<ref>Hansard's parliamentary debates. THIRD SERIES COMMENCING WITH THE ACCESSION OF WILLIAM IV. 27° & 28° VICTORIA, 1864. VOL. CLXXVI. COMPRISING THE PERIOD FROM THE TWENTY-FIRST DAY OF JUNE 1864, TO THE TWENTY-NINTH DAY OF JULY 1864. Parliament, Thomas Curson Hansard "Street Music (Metropolis) Bill "; V4, p471</ref>。 当時の[[首相]][[ロバート・ピール]]はバベッジに准男爵の地位提供を申し出たが、貴族の世襲制に批判的だったバベッジはこれを断わった。バベッジは[[一代貴族]]の方を望んだがこちらは逆に断わられ、結果としてどちらも得られなかった<ref>{{Cite book| url= https://books.google.co.uk/books?id=0bwb5bevubwC&pg=PA50&lpg=PA50&dq=babbage+baronetcy&source=bl&ots=zAAIltkphu&sig=aL7tGth2t35frCKD88AgmgNQ2j0&hl=en&sa=X&ei=iSYxT6X9BMek0QXCzvCoBw#v=onepage&q=babbage%20baronetcy&f=false | title=Remarkable Engineers: From Riquet to Shannon | author=Ioan James | year=2010 | publisher=Cambridge University Press | page=50}}</ref>。 == インド思想からの影響 == バベッジの数々の業績は、インド思想、特に[[インド論理学]]に影響を受けている<ref name="Ganeri">{{Cite book|author=Ganeri, Jonardon |title=Indian logic: a reader |publisher=Routledge |year=2001 |isbn=0700713069 |page=vii }}</ref>。バベッジほどではないが[[ウィリアム・ハーシェル|ハーシェル]]、[[オーガスタス・ド・モルガン|ド・モルガン]]、[[ジョージ・ブール]]にも言えることである。{{仮リンク|メアリー・エベレスト・ブール|en|Mary Everest Boole}}は、1920年代に彼女の叔父[[ジョージ・エベレスト]]がバベッジとハーシェルにインド思想を紹介したと主張している。 <blockquote> 1825年ごろ(エベレストが)イングランドで2、3年過ごしたことがあり、当時ずっと若かったハーシェルやバベッジとすぐに生涯の親友になった。私は公正な心を持つ数学者なら誰でも、バベッジの『第9ブリッジウォーター論集』を読んで彼の同時代人の作品と比べてみることを勧める。そして、バベッジの曲線上の特異点に関する考え方(8章)の根底にある奇跡の性質についての奇妙な概念がどこから来たのか自問してみるとよい。それはヨーロッパ神学からだろうか? それともヒンズー教形而上学からだろうか? おお、当時のイギリスの牧師たちはどんなにバベッジの本を嫌悪したことだろう!<ref name="MaryBoole">{{Cite book|author=Boole, Mary Everest |chapter=Indian Thought and Western Science in the Nineteenth Century |editor=Cobham, E.M.; Dummer, E.S. |title=Boole, Mary Everest "Collected Works" |publisher=Daniel |location=London |year=1931 |pages=947–967 |url= https://books.google.com.au/books?id=-5wyxULAKpsC}}</ref> </blockquote> メアリー・ブールはまた、次のように記している。 <blockquote> バベッジ、ド・モルガン、ジョージ・ブールという3人の男が1830年から1865年当時の数学的雰囲気の中で強烈にヒンズー化した理由は何だったのか考えてみなさい。自然科学における探究がなされているベクトル解析と数学を生み出すことに、それがどんな部分を占めていただろうか?<ref name="MaryBoole"/> </blockquote> しかしながら、バベッジ自身は幼少期から[[プロテスタント]]であり、信仰を失ったことはない<ref>Babbage, Ninth Bridgewater Treatise. Chapter V. Further View of the same Subject. The Victorian Web.</ref><ref>Passages from the Life of a Philosopher (1864), p. 8.</ref><ref>Pickover, Clifford A. (2009). The Math Book: From Pythagoras to the 57th Dimension, 250 Milestones in the History of Mathematics. Sterling Publishing Company, Inc. p. 218</ref><ref>Smithsonian Institution. (1846). Annual report of the Board of Regents of the Smithsonian Institution. Washington Goverment Pringting Office. Smithsonian Institution</ref><ref>[Passages from the Life of a Philosopher https://archive.org/stream/passagesfromlif00babbgoog#page/n408/mode/2up] (1864), The Belief In The Creator From His Works, p. 396-402</ref>。 == 記念 == バベッジは様々な形で記念されている。例えば、[[月]]には{{仮リンク|バベッジ (クレーター)|en|Babbage (crater)|label=バベッジ}}と名付けられたクレーターが存在する。[[ミネソタ大学ツインシティー校|ミネソタ大学]]には情報技術についての文献収集と研究のためのセンターである[[チャールズ・バベッジ研究所]]がある。ケンブリッジ大学にはバベッジの名を冠した階段講堂があり、学部の科学系講義に使われている。 * [[イギリス国鉄]]は1990年代に著名な科学者の名前を機関車の名称とするプログラムを開始し、その一環でバベッジの名を冠した[[:en:British Rail Class 60|機関車]]が存在する。 * {{仮リンク|プリマス大学|en|University of Plymouth}}の計算機科学科の建物はバベッジの名を冠している。 * イギリス製[[ミニコンピュータ]] [[:en:GEC 4000 series|GEC 4000 シリーズ]]上では、[[:en:Babbage (programming language)|Babbage]]と名付けられた[[プログラミング言語]]が動作していた。 * バベッジは様々な[[スチームパンク]]作品に登場しており、[[階差機関]]、さらには[[解析機関]]を完成させて[[ヴィクトリア朝]]時代に[[計算機科学]]が大きく発展するという設定が多い。 * ロンドンのバベッジが40年間住んでいた住宅があった場所には[[ブルー・プラーク|グリーン・プラーク]]が掲げられている<ref>{{Openplaque|3061}}</ref>。 == フィクション == ウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングの小説『ディファレンス・エンジン』、マーク・ホダーの『大英帝国蒸気奇譚』シリーズなど、[[サイエンス・フィクション]]のサブジャンルの1つである[[スチームパンク]]の作品においてはしばしば、[[階差機関]](ディファレンス・エンジン)が蒸気駆動のコンピューターとして実用化された設定になっている。これらの作品では、バベッジは階差機関の考案者ではなく実際の開発者として登場ないしは言及される。 == 著作 == {{Wikisourcelang|en|Author:Charles Babbage}} {{Commonscat|Charles Babbage}} {{Wikisource1911Enc|Babbage, Charles}} * [https://books.google.co.jp/books?id=teGjS4XfpbMC&printsec=frontcover&dq=charles+babbage&redir_esc=y&hl=ja A Comparative View of the Various Institutions for the Assurance of Lives]. (1826). London: J. Mawman. * [https://books.google.co.jp/books?id=3bgPAAAAMAAJ&printsec=frontcover&dq=charles+babbage&redir_esc=y&hl=ja Reflections on the Decline of Science in England, and on Some of Its Causes]. (1830). London: B. Fellowes. * [https://books.google.ca/books?id=wUQeMa0MFnkC&printsec=frontcover&source=gbs_ge_summary_r&hl=en#v=onepage&q&f=false On the Economy of Machinery and Manufactures (4 ed.)]. (1835). London: Charles Knight. * [https://books.google.co.jp/books?id=RlgEAAAAQAAJ&printsec=frontcover&dq=charles+babbage&redir_esc=y&hl=ja The Ninth Bridgewater Treatise, a Fragment]. (1837). London: John Murray. ([[ケンブリッジ大学出版局]]が2009年に再版、 {{ISBN2| 978-1-108-00000-0}}) * [https://books.google.co.jp/books?id=teMGAAAAYAAJ&printsec=frontcover&dq=charles+babbage&redir_esc=y&hl=ja Table of the Logarithms of the Natural Numbers from 1 to 108000]. (1841). London: William Clowes and Sons. (LOCOMAT というサイトにこの数表を再現したものがある) * [https://books.google.co.jp/books?id=bX9IAAAAMAAJ&printsec=frontcover&dq=charles+babbage The Exposition of 1851]. (1851). London: John Murray. * [https://books.google.co.jp/books?id=2T0AAAAAQAAJ&printsec=frontcover&dq=charles+babbage&redir_esc=y&hl=ja Passages from the Life of a Philosopher]. (1864). London: Longman. * [https://books.google.co.jp/books?id=0gZ7Bo2NnzAC&printsec=frontcover&dq=charles+babbage Science and Reform: Selected Works of Charles Babbage]. (1989). Hyman, Anthony. ed. [[ケンブリッジ大学出版局|Cambridge University Press]]. {{ISBN2| 978-0-521-34311-4}}. == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|colwidth = 30em}} == 参考文献 == *{{Cite book|和書|author=大駒誠一|authorlink=大駒誠一|year=2005|month=11|title=コンピュータ開発史 歴史の誤りをただす「最初の計算機」をたずねる旅|chapter=第3章 階差機関と解析機関|publisher=[[共立出版]]|isbn=4-320-12138-4|url=http://www.kyoritsu-pub.co.jp/bookdetail/9784320121386|ref=大駒2005}} *{{Cite book|first1=Martin|last1=Campbell-kelly|first2=William|last2=Aspray|year=2004|month=August|title=Computer: A History Of The Information Machine|edition=Second |series=The Sloan Technology Series|publisher=Westview Press|isbn=0-8133-4264-3|ref=Campbell-kelly&Aspray2004}} **{{Cite book|和書|author=M・キャンベル-ケリー|authorlink=マーティン・キャンベル-ケリー|coauthors=[[ウィリアム・アスプレイ]]|others=[[山本菊男]]訳|year=1999|month=10|title=コンピューター200年史 情報マシーン開発物語|chapter=第3章 バベッジの夢の実現|publisher=[[海文堂]]|isbn=4-303-71430-5|url=http://www.kaibundo.jp/syousai/ISBN4-303-71430-5.htm|ref=キャンベル-ケリー&アスプレイ1999}} *{{Cite book|和書|author=新戸雅章|authorlink=新戸雅章|date=1996-03-25|title=バベッジのコンピュータ|series=ちくまプリマーブックス 98|publisher=[[筑摩書房]]|isbn=4-480-04198-2|url=http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480041982/|ref=新戸1996}} *{{Cite book|和書|author=星野力|authorlink=星野力|date=1995-06-14|title=誰がどうやってコンピュータを創ったのか?|publisher=共立出版|isbn=4-320-02742-6|ref=星野1995}} *{{Cite book|和書|ref=harv|author=オーウェン・ギンガリッチ|title=チャールズ・バベッジ コンピュータ時代の開拓者|date=2009-06-19|year=2009|publisher=[[大月書店]]|ISBN=9784272440542|translator=須田康子|coauthors=ブルース・コリアー}} * {{cite journal|author=Swade, Doron D. |title=Redeeming Charles Babbage's mechanical computer |journal=[[Scientific American]] |issue=268 |year=1993 |page=86-91 }} * {{cite journal|和書|author=D.D.スウェイド|date=1993年4月号 |journal=[[日経サイエンス]] |title=150年目に完成したバベジの計算機 |page=136-143 }} * {{cite journal|author=Kim, Eugene Eric |author2=Betty Alexandra Toole |url=http://www.academia.edu/download/35681085/scientificamerican0599-76.pdf |title=Ada and the first computer |format=PDF |journal=SCIENTIFIC AMERICAN-AMERICAN EDITION- |issue=280 |year=1999 |page=76-81}} * {{cite journal|和書|author=Kim, Eugene Eric |author2=Betty Alexandra Toole |title=19 世紀のプログラマー バイロンの娘エイダ |journal=[[日経サイエンス]] |volume=29 |issue=8 |date=1999年8月号 |page=62-69}} == 関連項目 == * [[エイダ・ラブレス]] - 解析機関について著述(正確にはバベッジの講演を本にしたものに膨大な訳注を入れた)とコーディングを行った。 * [[ルーカス教授職]] ==外部リンク== *{{Kotobank|チャールズ・バベッジ|2=ASCII.jpデジタル用語辞典}} *{{MacTutor|id=Babbage|title=Charles Babbage}} * [http://www.wizforest.com/OldGood/engine/ 階差機関&解析機関] * [http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/history/babbage.html History バベジ] * [http://www.sciencemuseum.org.uk/onlinestuff/stories/babbage.aspx ''Babbage''] [[サイエンス・ミュージアム]](ロンドン)。 * [http://www-groups.dcs.st-and.ac.uk/~history/Mathematicians/Babbage.html Charles Babbage] [[セント・アンドルーズ大学 (スコットランド)|セント・アンドルーズ大学]]数学科 * [http://www.projects.ex.ac.uk/babbage/ The Babbage Pages] [[エクセター大学]] * {{Gutenberg author|id=Charles_Babbage_(1792–1871)}} * [http://www.satyam.com.ar/Babbage/en/index.html The Babbage Difference Engine] 動作原理の解説など * [http://historical.library.cornell.edu/kmoddl/toc_babbage1.html "On a Method of Expressing by Signs the Action of Machinery"], 1826年の初版をデジタイズしたもの * {{UK National Archives ID}} * [http://www.cbi.umn.edu/about/babbage.html "Who Was Charles Babbage?"] Charles Babbage Institute [[ミネソタ大学]]理工学部 * [https://web.archive.org/web/20080807172602/http://www.ballet.co.uk/old/history_js_babbages_ballet.htm ''Babbage's Ballet''] by Ivor Guest, Ballet Magazine, 1997 - バベッジとバレエの関係についての興味深い記事 * {{Internet Archive author|name=Charles Babbage}} {{100名の最も偉大な英国人}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:はへつし ちやあるす}} [[Category:チャールズ・バベッジ|*]] [[Category:18世紀の数学者|911126]] [[Category:18世紀イングランドの数学者]] [[Category:19世紀イングランドの数学者]] [[Category:イギリスの数値解析研究者]] [[Category:イギリスの暗号研究者]] [[Category:数学に関する記事]] [[Category:王立協会フェロー]] [[Category:エディンバラ王立協会フェロー]] [[Category:バイエルン科学アカデミー会員]] [[Category:ベルギー王立アカデミー会員]] [[Category:王立天文学会ゴールドメダル受賞者]] [[Category:ケンブリッジ大学の教員]] [[Category:ヴィクトリア朝の人物]] [[Category:イギリスのコンピュータ関連人物]] [[Category:イングランドのキリスト教の人物]] [[Category:ケンブリッジ大学ピーターハウス出身の人物]] [[Category:ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ出身の人物]] [[Category:ロンドン出身の人物]] [[Category:テインブリッジ出身の人物]] [[Category:1791年生]] [[Category:1871年没]]
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ダグラス・エンゲルバート
ダグラス・エンゲルバート(Douglas Carl Engelbart、1925年1月30日 - 2013年7月2日)は、アメリカ合衆国の発明家で、初期のコンピュータやインターネットの開発に関与した。特に、SRIインターナショナル内の オーグメンテイション研究センター (ARC) で行ったヒューマンマシンインタフェース関連の業績で知られており、そこでマウスを発明し、ハイパーテキストやネットワークコンピュータやグラフィカルユーザインタフェースの先駆けとなるものを開発した。 エンゲルバートは、コンピュータとネットワークの開発と使用が世界の緊急かつ複雑な問題を解決する助けになるという主張をよく行っている。研究室には自身が "bootstrapping strategy" と名付けた一連の原則を貼っていた。その戦略は研究室での技術革新を加速するようエンゲルバートが設計したものである。 2000年12月、ビル・クリントン大統領は、アメリカ最高の技術賞であるアメリカ国家技術賞をエンゲルバートに授与。2008年12月、エンゲルバートは「すべてのデモの母」の40周年を記念してSRIから表彰された。 1925年1月30日、アメリカ合衆国オレゴン州ポートランドにて、カール・ルイス・エンゲルバートとグラディス・シャーロット・アメリア・マンソン・エンゲルバートの間に生まれる。父はドイツ人系、母はスウェーデン人とノルウェー人の混血である。 3人兄弟の真ん中で、姉のドリアンヌ(3歳年上)と弟のデービッド(14カ月年下)がいる。当初ポートランドに住んでいたが、9歳か10歳のころ父が亡くなり、ポートランド郊外に引っ越した。ポートランドの高校を1942年に卒業。 オレゴン州立大学に進学したが、第二次世界大戦末期に徴兵されてアメリカ海軍に入隊。フィリピンでレーダー技師として2年間働いた。小さな島にある高床式の小さな兵舎で、初めてヴァネヴァー・ブッシュの論文 "As We May Think" に触れ、強い衝撃を受けた。戦後オレゴン州立大学に復学し、1948年に電気工学の学士号を得た。オレゴン州立大学では Sigma Phi Epsilon というフラタニティに属していた。 卒業後はアメリカ航空諮問委員会 (NACA) に雇われ、エイムズ研究センターで1951年まで勤務した。 1945年にヴァネヴァー・ブッシュの "As We May Think" を読んだことで、知識を誰でも入手できるようにすることを目標と定めた。戦後になってコンピュータに関する記事などを読み、またレーダー技師としての経験から、情報を分析してスクリーンに表示できることを知っていた。彼は、知的労働者たちがディスプレイの前に座り、情報の空間を飛び回り、より強力な方法で重要な問題を解決する集合的知性のような能力を利用できると考えた。エンゲルバートはコンピュータが単なる数値を処理する機械と見なされていたころに、対話型コンピュータを活用して集団的知性の利用を実現することをライフワークと捉えていたのである。 そこで、カリフォルニア大学バークレー校大学院の電気工学科に進学し、1953年に修士号、1955年に博士号を取得。バークレーの大学院生時代、CALDICというコンピュータの構築に参加した。大学院での研究からいくつか特許を取得することになった。博士号取得後もバークレーに助教授として1年間留まったが、そこでは自身のビジョンを実現できないと感じて去ることにした。そしてベンチャー企業 Digital Techniques を創業し、博士課程での記憶装置に関する研究の一部を商業化しようとした。しかし、やはりライフワークと決めたビジョンの実現をあきらめられず、1年でその会社をたたんでいる。 1957年、スタンフォード大学と当時関わりが深かった SRIインターナショナル(当時はスタンフォード研究所)に雇われた。当初はヒューイット・クレーンの磁気デバイスの研究と電子部品の小型化の研究を手伝った。SRIで徐々に1ダースほどの特許を取得し(バークレー時代の研究に基づいた特許も含まれる)、1962年には長年温めていたビジョンについて Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework(人類の知性の増強: 概念的フレームワーク)と題したレポートをまとめ、研究を提案した(翌1963年にはA conceptual Framework for the Augmentation of Man's Intellect(人間の知性の増幅のための概念的枠組み)を公表している)。 この提案によりARPAから予算がつき、作業を開始することになった。新たに オーグメンテイション研究センター (ARC) をSRI内に創設し、研究員を集め、oN-Line System (NLS) の開発と設計を主導した。ARCでは、ビットマップ・スクリーン、マウス、ハイパーテキスト、グループウェア、先駆的なグラフィカルユーザインタフェース (GUI) などのインタフェース要素を開発した。彼は1960年代中ごろにユーザインタフェース (UI) のアイデアの多くを考案し開発した。そのころパーソナルコンピュータはもちろんないし、コンピュータは一般の人々には遠い存在で直接使用するなどほとんどあり得なかったし、ソフトウェアも個々のシステム向けの専用アプリケーションとして書かれることが多かった。 1967年、エンゲルバートはマウスの特許を申請し、1970年に取得した(アメリカ合衆国特許第 3,541,541号)。マウスが開発されたのはその数年前で、エンゲルバートのアイデアに基づいてビル・イングリッシュが設計・開発した。その特許では "X-Y position indicator for a display system"(表示システムのためのX-Y位置指示器)とされており、金属ホイールを2つ持つ木製のマウスであった。エンゲルバートによれば、「マウス」と名づけられたのはしっぽに相当するコードが後ろ(というか利用者から見て手前)にあったためだという。また、スクリーン上のポインタは「バグ」と呼んでいたが、この用語は定着しなかった。 エンゲルバートはマウスの発明に関してロイヤルティーを受け取ったことはない。その第一の理由は、特許が1987年に失効したため、パーソナルコンピュータでマウスが必須のデバイスとなる前だった点が挙げられる。第二に実際に製品化されたマウスは彼の特許に記載されていたのとは異なる(改良された)機構を使用していた。インタビューで彼は「SRIはマウスの特許を取らせたが、その価値を理解していなかった。後で知ったことだが、SRIはアップルに4万ドルかそこらでライセンス提供したんだ」と証言している。エンゲルバートは数々の発明品を統合して、1968年12月9日のコンピュータ会議 (Fall Joint Computer Conference) でデモンストレーションを行った。これはアメリカなどでは「すべてのデモの母(The Mother of All Demos)」と呼ばれている。 エンゲルバートの研究開発はARPAから資金提供されていたため、ARCはインターネットの前身であるARPANETにも関与した。1969年10月29日午後10時30分、UCLAのレナード・クラインロックの研究室から最初のARPANET上のメッセージがSRIのエンゲルバートの研究室に送信された。ARCに送ろうとしたメッセージは "login:" だったが、"l" と "o" 送ったところでシステムがクラッシュした。したがって、ARPANET上の最初のメッセージは実際には "lo" である。約1時間後クラッシュから復旧すると、"login:" というメッセージの送受信に成功した。 1969年11月21日には Interface Message Processor (IMP) が両方のサイトに置かれ、ARPANET初の恒久的リンクを形成した。1969年12月5日にはさらにUCSBとユタ大学も接続され、4ノードのネットワークになった。 ARCは世界初のネットワークインフォメーションセンター (NIC) となり、全ARPANETノードの接続を管理することとなった。またARCは初期のRFCのかなりの部分を担っていた。NICは当初NLSを使って運営されていたが、エンゲルバートは革新的な研究に集中し続けた。このためNIC運営と研究の両立が困難となり、NICはグループとして独立し Elizabeth J. Feinler が指揮することになった。 科学史の専門家 Thierry Bardini がいみじくも指摘したとおり、エンゲルバートを様々な研究開発に向かわせた彼の複雑な個人的哲学は、今日の哲学と科学技術の共進化を先取りしていた。Bardini は、エンゲルバートがベンジャミン・ウォーフの言語的相対論に強く影響されていたと指摘する。ウォーフは言語の洗練度が思考の洗練度を左右するとしたが、エンゲルバートは技術のレベルが情報操作能力を左右するとし、技術開発によって我々の能力が向上すると考えた。そこで彼は情報を直接的に操作するコンピュータを使った技術の開発に向かい、同時に個人やグループの知的作業過程を洗練させる技術にも関心を寄せることとなった。 エンゲルバートの哲学と研究の方向性は(自身がバイブルと呼んでいる)1962年の研究レポート "Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework"に明確に記述されている。ネットワーク指向の知性という概念に基づいてエンゲルバートは先駆的な業績を残すこととなった。 エンゲルバートは様々な災難と誤解のため、1976年ごろから全く誰からも見向きもされない状態となった。彼の下にいた研究者の一部はパロアルト研究所へと移っていった。これはエンゲルバートへの不満やコンピュータの未来についての見解の相違などが原因である。エンゲルバートはタイムシェアリングシステムを利用した協調型ネットワークが有望だと考えたが、若い研究者たちはパーソナルコンピュータの可能性を追求したがっていた。この衝突は技術的なものであると同時にそれぞれの時代背景にも原因がある。エンゲルバートはタイムシェアリングしかなかった時代の人であり、若い研究者は能力や権力の集中が疑問視されていた時代の人間である。そしてパーソナルコンピュータの時代はすぐそこまで迫っていた。 Bardini はエンゲルバートに関する著書の中で、1970年代前半にARCの主要研究者らがいわゆる自己啓発セミナー(EST)を受けた点を指摘した。エンゲルバートはESTの取締役会に名を連ねていた。ESTは当初はよいものと思われたが、ARCでは士気の低下と結束力の低下を招いた。 マイケル・マンスフィールドによる研究開発全体への支出制限法案、ベトナム戦争終結、アポロ計画終結といった要因により、ARCへのARPAやNASAからの資金は減らされた。SRIの経営陣はエンゲルバートのやり方に失望し、ARCの残存部分を Bartram Raphael の人工知能研究部門の配下とした。Raphael は ARC をTymshare社に渡す交渉を行った。エンゲルバートはこの時期に自宅の焼失という災難にも遭っている。Tymeshare 社は NLS とエンゲルバートの研究室を買い取り、エンゲルバートを含む研究員の大部分を雇い入れた。Tymeshare 社は NLS の商用化を考えていた。Tymeshare 社は以前から ARC と共同研究を行っていて、ミニコンピュータ上へのNLSの移植などをした経験があった。 エンゲルバートは Tymeshare 社で自分が除け者にされていることに気づいた。Tymeshare 社はエンゲルバートのさらなる研究をしたいという要望を無視した。Tymshare社やマクドネル・ダグラス社(1984年にTymshareを買収)の経営陣には彼のアイデアに興味を示すものもいたが、開発のための資金は提供されることはなかった。マクドネル・ダグラスでのエンゲルバートの関心は、膨大な知識の管理手法と航空宇宙プログラムのライフサイクルに関するIT要件に集中している。その中でもグローバルな相互運用性と Open Hyperdocument System の必要性を再認識することになった。エンゲルバートは1986年にマクドネル・ダグラス社を退社し、商業的プレッシャーから逃れて自身のライフワークを追求しようとした。 エンゲルバートは自身の会社 Bootstrap Institute の取締役である。この会社は1988年、彼の娘クリスティーナ・エンゲルバートが設立した。カリフォルニア州メンローパークにあり、彼の最近の哲学とも言うべき集団的知性の概念を洗練させることを目的とし、Open Hyper-Document Systems(OHS) と呼ばれるものを開発している。2005年、エンゲルバートは米国科学財団からオープンソースプロジェクト HyperScope への資金援助を得た。HyperScope プロジェクトでは、Ajax と DHTML を使用したブラウザ部品を開発し、Augment システムの機能を再現しようとしている。HyperScope はエンゲルバートの目標と研究に基づき、グループウェアとグループサービスの開発により広いコミュニティが参加するよう計画された過程の最初の段階である。 1988年、娘クリスティーナ・エンゲルバートと共に Bootstrap Institute を創業。1989年から2000年までスタンフォード大学で彼のアイデアに基づいたマネジメントセミナーを開催していた。1990年代初めまではセミナー参加者も多く、エンゲルバートの哲学に賛同して協業を申し出る者もおり、非営利団体 Bootstrap Alliance も創設することになった。イラク侵攻とその後の景気後退でパートナー企業からの援助は減ったが、マネジメントセミナーやコンサルティングは小規模に続行された。1990年代中ごろにはDARPAから新たなユーザインタフェース開発 (Visual AugTerm) のための資金提供を獲得し、大規模なジョイント・タスクフォースに参加している。 1980年代終盤になると、エンゲルバートの業績の独創性と重要性が徐々に理解されるようになってきた。 1998年、Stanford Silicon Valley Archivesと Institute for the Future はスタンフォード大学で Engelbart's Unfinished Revolution というシンポジウムを開催し、エンゲルバートと彼のアイデアを讃えた。これは、1968年のエンゲルバートのデモから30周年を記念したもので、2008年にも40周年を記念したシンポジウムが開催された。 2000年、ボランティアと資金提供者の協力を得てエンゲルバートは The Unfinished Revolution - II をスタンフォードで開催した。これは Engelbart Colloquium とも呼ばれ、エンゲルバートの業績とアイデアを多くの人に知らしめるべく文書化・オンライン化することを意図している。 2005年、アメリカ国立科学財団はエンゲルバートの HyperScope というオープンソースプロジェクトに資金提供した。 2008年、Bootstrap INstitute と Bootstrap Alliance は合併し Doug Engelbart Institute と改称。エンゲルバートは名誉創設者とされている。運営は娘のクリスティーナ・エンゲルバートが行っている。エンゲルバートの哲学である「集団的知性の増強」を広める活動を行っている。 エンゲルバートは、サンタクララ大学の Center for Science, Technology, and Society、Foresight Institute、社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会、The Technology Center of Silicon Valley、The Hyperwords Company(Firefoxのアドオンである Hyperwords を作っている組織)の諮問委員を務めている。 2013年7月2日に腎不全のため逝去。88歳没。 エンゲルバートには1997年に死別した妻との間に、ゲルダ、ダイアナ、クリスティーナ、ノーマンという4人の子がいる。2008年1月26日に再婚している。
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ダグラス・エンゲルバートは、アメリカ合衆国の発明家で、初期のコンピュータやインターネットの開発に関与した。特に、SRIインターナショナル内の オーグメンテイション研究センター (ARC) で行ったヒューマンマシンインタフェース関連の業績で知られており、そこでマウスを発明し、ハイパーテキストやネットワークコンピュータやグラフィカルユーザインタフェースの先駆けとなるものを開発した。 エンゲルバートは、コンピュータとネットワークの開発と使用が世界の緊急かつ複雑な問題を解決する助けになるという主張をよく行っている。研究室には自身が "bootstrapping strategy" と名付けた一連の原則を貼っていた。その戦略は研究室での技術革新を加速するようエンゲルバートが設計したものである。 2000年12月、ビル・クリントン大統領は、アメリカ最高の技術賞であるアメリカ国家技術賞をエンゲルバートに授与。2008年12月、エンゲルバートは「すべてのデモの母」の40周年を記念してSRIから表彰された。
{{Infobox Scientist | name = ダグラス・カール・エンゲルバート<br>Douglas Carl Engelbart | image = Douglas Engelbart in 2008.jpg | image_size = 200px | caption = ダグラス・カール・エンゲルバート(2008年) | birth_date = {{生年月日と年齢|1925|1|30|no}} | birth_place = {{USA}} [[オレゴン州]][[ポートランド (オレゴン州)|ポートランド]] | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1925|1|30|2013|7|2}} | death_place = {{USA}} [[カリフォルニア州]][[サンマテオ郡]] | death_cause = | residence = | citizenship = {{USA}} | nationality = {{USA}} | ethnicity = ドイツ(父方)、ノルウェーとスウェーデン(母方) | field = [[発明|発明家]] | work_institutions = [[SRIインターナショナル]]<br/>[[:en:Tymshare|Tymshare]]<br/>[[マクドネル・ダグラス]]<br/>Bootstrap Institute/Alliance<ref>{{Cite web |url= http://www.dougengelbart.org/about/dei-footnote.html |title=Footnote |publisher=The Doug Engelbart Institute |accessdate=2012-06-17}}</ref><br/>The Doug Engelbart Institute | alma_mater = [[オレゴン州立大学]] (BS)<br/>[[カリフォルニア大学バークレー校]] (PhD) | doctoral_advisor = [[:en:John Robert Woodyard|John R. Woodyard]] | doctoral_students = | thesis_title = A Study of High-Frequency Gas-Conduction Electronics in Digital Computers | thesis_url = http://search.proquest.com/docview/301923912/ | thesis_year = 1956 | known_for = [[マウス (コンピュータ)|マウス]]、[[ハイパーテキスト]]、[[グループウェア]]、対話型コンピューティング | prizes = [[アメリカ国家技術賞]]<br/>{{仮リンク|レメルソンMIT賞|en|Lemelson-MIT Prize}}<br/>[[チューリング賞]]<br/>{{仮リンク|ラブレスメダル|en|Lovelace Medal}}<br/>[[社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会#ノーバート・ウィーナー賞|ノーバート・ウィーナー賞]]<br/>[[コンピュータ歴史博物館]]フェロー<ref>{{Cite web |url= http://www.computerhistory.org/fellowawards/hall/bios/Douglas,Engelbart/ |title=Douglas C. Engelbart |work=Hall of Fellows |publisher=[[コンピュータ歴史博物館|Computer History Museum]] |accessdate=2012-06-17}}</ref> | website = {{URL|https://dougengelbart.org/}} }} '''ダグラス・カール・エンゲルバート'''(''Douglas Carl Engelbart''、[[1925年]][[1月30日]] - [[2013年]][[7月2日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[発明家]]で、初期の[[コンピュータ]]や[[インターネット]]の開発に関与した。特に、[[SRIインターナショナル]]内の [[オーグメンテイション研究センター]] (ARC) で行った[[ヒューマンマシンインタフェース]]関連の業績で知られており、そこで[[マウス (コンピュータ)|マウス]]を発明し<ref>{{Cite news |url= http://news.bbc.co.uk/hi/english/sci/tech/newsid_1633000/1633972.stm |title=Mouse inventor strives for more |first=Alfred |last=Hermida |work=[[BBCニュース・オンライン|BBC News Online]] |date=2001-11-05 |accessdate=2012-06-17}}</ref>、[[ハイパーテキスト]]やネットワークコンピュータや[[グラフィカルユーザインタフェース]]の先駆けとなるものを開発した。 エンゲルバートは、[[コンピュータ]]と[[コンピュータネットワーク|ネットワーク]]の開発と使用が世界の緊急かつ複雑な問題を解決する助けになるという主張をよく行っている<ref>{{Cite web |url= http://www.dougengelbart.org/colloquium/colloquium.html |title=The Unfinished Revolution II: Strategy and Means for Coping with Complex Problems |work=Colloquium at Stanford University |publisher=The Doug Engelbart Institute |date=April 2000 |accessdate=2012-06-17}}</ref>。研究室には自身が "bootstrapping strategy" と名付けた一連の原則を貼っていた。その戦略は研究室での技術革新を加速するようエンゲルバートが設計したものである<ref>{{Cite web |url= http://www.dougengelbart.org/about/bootstrapping-strategy.html |title=About an Accelerative Bootstrapping Strategy |publisher=The Doug Engelbart Institute |accessdate=2012-06-17}}</ref>。 [[2000年]][[12月]]、[[ビル・クリントン]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]は、アメリカ最高の技術賞であるアメリカ国家技術賞をエンゲルバートに授与。[[2008年]][[12月]]、エンゲルバートは「[[すべてのデモの母]]」の40周年を記念してSRIから表彰された。 == 学生時代 == 1925年1月30日、[[アメリカ合衆国]][[オレゴン州]][[ポートランド (オレゴン州)|ポートランド]]にて、カール・ルイス・エンゲルバートとグラディス・シャーロット・アメリア・マンソン・エンゲルバートの間に生まれる。父は[[ドイツ系アメリカ人|ドイツ人系]]、母は[[スウェーデン人]]と[[ノルウェー人]]の混血である<ref name="interview">{{Cite web |last=Lowood |first=Henry |url= http://www-sul.stanford.edu/depts/hasrg/histsci/ssvoral/engelbart/main1-ntb.html |title=Douglas Engelbart Interview 1 |work=[http://www-sul.stanford.edu/depts/hasrg/histsci/ssvoral/engelbart/ Stanford and the Silicon Valley: Oral History Interviews] |publisher=[[スタンフォード大学|Stanford University]] |date=1986-12-19 |accessdate=2012-06-17}}</ref>。 3人兄弟の真ん中で、姉のドリアンヌ(3歳年上)と弟のデービッド(14カ月年下)がいる。当初ポートランドに住んでいたが、9歳か10歳のころ父が亡くなり、ポートランド郊外に引っ越した。ポートランドの高校を1942年に卒業<ref name="bio">{{Cite web |url= http://history-computer.com/People/EngelbartBio.html |title=Biography of Douglas Engelbart |first=Georgi |last=Dalakov |publisher=History of Computers |accessdate=2012-07-29}}</ref>。 [[オレゴン州立大学]]に進学したが、[[第二次世界大戦]]末期に徴兵されて[[アメリカ海軍]]に入隊。[[フィリピン]]で[[レーダー]]技師として2年間働いた。小さな島にある高床式の小さな兵舎で、初めて[[ヴァネヴァー・ブッシュ]]の論文 "As We May Think" に触れ、強い衝撃を受けた<ref name="bio"/>。戦後オレゴン州立大学に復学し、1948年に[[電気工学]]の[[学士]]号を得た。オレゴン州立大学では [[:en:Sigma Phi Epsilon|Sigma Phi Epsilon]] という[[フラタニティとソロリティ|フラタニティ]]に属していた<ref>{{Cite web |url= http://secure.sigep.org/Citation/PastWinners.pdf |title=Citation Recipients |publisher=Sigma Phi Epsilon |page=11 |accessdate=2012-07-29}}</ref>。 卒業後は[[アメリカ航空諮問委員会]] (NACA) に雇われ、[[エイムズ研究センター]]で1951年まで勤務した<ref name="cv">{{Cite web |title=Curriculum Vitae |first=Douglas |last=Engelbart |publisher=The Doug Engelbart Institute |url= http://dougengelbart.org/about/cv.html |accessdate=2011-04-14}}</ref>。 == 経歴と業績 == [[ファイル:SRI Computer Mouse.jpg|thumb|right|世界初の[[マウス (コンピュータ)|マウス]]の試作品。エンゲルバートのスケッチを元に[[ビル・イングリッシュ (コンピュータ技術者)|ビル・イングリッシュ]]が設計した。<ref>{{Cite news |url= http://www.macworld.com/article/137400/2008/12/mouse40.html |title=The computer mouse turns 40 |first=Benj |last=Edwards |publisher=Macworld |date=2008-12-09 |accessdate=2009-04-16}}</ref>]] 1945年に[[ヴァネヴァー・ブッシュ]]の "[[:en:As We May Think|As We May Think]]" を読んだことで<ref>{{Cite web |url= http://dougengelbart.org/events/vannevar-bush-symposium.html#2 |title=The MIT/Brown Vannevar Bush Symposium: Influence on Doug Engelbart |publisher=The Doug Engelbart Institute |accessdate=2012-06-17}}</ref>、知識を誰でも入手できるようにすることを目標と定めた。戦後になってコンピュータに関する記事などを読み、またレーダー技師としての経験から、情報を分析してスクリーンに表示できることを知っていた。彼は、知的労働者たちがディスプレイの前に座り、情報の空間を飛び回り、より強力な方法で重要な問題を解決する集合的知性のような能力を利用できると考えた。エンゲルバートはコンピュータが単なる数値を処理する機械と見なされていたころに、対話型コンピュータを活用して[[集団的知性]]の利用を実現することをライフワークと捉えていたのである。 そこで、[[カリフォルニア大学バークレー校]]大学院の電気工学科に進学し、1953年に修士号、1955年に博士号を取得<ref name="cv"/>。バークレーの大学院生時代、[[CALDIC]]というコンピュータの構築に参加した。大学院での研究からいくつか特許を取得することになった<ref>{{Cite web |url= http://www.dougengelbart.org/about/patents.html |title=U.S. Patents held by Douglas C. Engelbart |publisher=The Doug Engelbart Institute |accessdate=2012-06-17}}</ref>。博士号取得後もバークレーに助教授として1年間留まったが、そこでは自身のビジョンを実現できないと感じて去ることにした。そして[[ベンチャー]]企業 Digital Techniques を創業し、博士課程での記憶装置に関する研究の一部を商業化しようとした。しかし、やはりライフワークと決めたビジョンの実現をあきらめられず、1年でその会社をたたんでいる。 === SRI と ARC === [[File:SRI Douglas Engelbart 1968.jpg|thumb|「すべてのデモの母」のライブデモンストレーションを行ったエンゲルバート(1968年)]] 1957年、[[スタンフォード大学]]と当時関わりが深かった [[SRIインターナショナル]](当時はスタンフォード研究所)に雇われた<ref name="tools-for-thought">{{Cite book|和書 | author= ハワード・ラインゴールド 著、栗田昭平 監訳、青木真美 訳 | title= 思考のための道具 異端の天才たちはコンピュータに何を求めたか? | year=1988 | date=1988-8-10 | page= 247-249,467 | publisher=[[パーソナルメディア株式会社]]|isbn = 4-89362-035-5}}</ref>。当初は[[ヒューイット・クレーン]]の磁気デバイスの研究と電子部品の小型化の研究を手伝った。SRIで徐々に1ダースほどの特許を取得し(バークレー時代の研究に基づいた特許も含まれる)、1962年には長年温めていたビジョンについて ''Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework''(人類の知性の増強: 概念的フレームワーク)と題したレポートをまとめ、研究を提案した<ref name="Augment">{{Cite web |title=Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework |first=Douglas C |last=Engelbart |work=SRI Summary Report AFOSR-3223, Prepared for: Director of Information Sciences, Air Force Office of Scientific Research |publisher=[[SRIインターナショナル|SRI International]], hosted by The Doug Engelbart Institute |url= http://www.dougengelbart.org/pubs/augment-3906.html |date=October 1962 |accessdate=2011-04-14}}</ref>(翌1963年には''A conceptual Framework for the Augmentation of Man's Intellect''(人間の知性の増幅のための概念的枠組み)を公表している<ref name="tools-for-thought"/>)。 この提案により[[国防高等研究計画局|ARPA]]から予算がつき、作業を開始することになった。新たに [[オーグメンテイション研究センター]] (ARC) をSRI内に創設し、研究員を集め、[[NLS|oN-Line System]] (NLS) の開発と設計を主導した。ARCでは、ビットマップ・スクリーン、マウス、[[ハイパーテキスト]]、グループウェア、先駆的な[[グラフィカルユーザインタフェース]] (GUI) などのインタフェース要素を開発した。彼は1960年代中ごろに[[ユーザインタフェース]] (UI) のアイデアの多くを考案し開発した<ref>{{Cite web|和書|title=マウスの父、ダグラス・エンゲルバート氏インタビュー|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/2006/0322/engelbart.htm|website=pc.watch.impress.co.jp|accessdate=2021-04-11}}</ref>。そのころパーソナルコンピュータはもちろんないし、コンピュータは一般の人々には遠い存在で直接使用するなどほとんどあり得なかったし、ソフトウェアも個々のシステム向けの専用アプリケーションとして書かれることが多かった。 [[ファイル:Apple Macintosh Plus mouse.jpg|thumb|[[Macintosh|Macintosh Plus]]のマウス (1986年)]] 1967年、エンゲルバートは[[マウス (コンピュータ)|マウス]]の特許を申請し、1970年に取得した({{US patent|3541541}})。マウスが開発されたのはその数年前で、エンゲルバートのアイデアに基づいて[[ビル・イングリッシュ (コンピュータ技術者)|ビル・イングリッシュ]]が設計・開発した。その特許では ''"X-Y position indicator for a display system"''(表示システムのためのX-Y位置指示器)とされており、金属ホイールを2つ持つ木製のマウスであった。エンゲルバートによれば、「マウス」と名づけられたのはしっぽに相当するコードが後ろ(というか利用者から見て手前)にあったためだという。また、スクリーン上の[[マウスポインタ|ポインタ]]は「バグ」と呼んでいたが、この用語は定着しなかった<ref>{{Cite web |url= http://sloan.stanford.edu/mousesite/Archive/AugmentingHumanIntellect62/Display1967.html |title=Display-Selection Techniques for Text Manipulation |authors=William K. English, Douglas Engelbart, Melvyn L. Berman |work=Stanford MouseSite |publisher=[[スタンフォード大学|Stanford University]] |accessdate=2012-07-29}}</ref>。 エンゲルバートはマウスの発明に関して[[ロイヤルティー]]を受け取ったことはない。その第一の理由は、特許が1987年に失効したため、パーソナルコンピュータでマウスが必須のデバイスとなる前だった点が挙げられる。第二に実際に製品化されたマウスは彼の特許に記載されていたのとは異なる(改良された)機構を使用していた。インタビューで彼は「SRIはマウスの特許を取らせたが、その価値を理解していなかった。後で知ったことだが、SRIはアップルに4万ドルかそこらでライセンス提供したんだ」と証言している<ref>{{Cite web |url= http://www.superkids.com/aweb/pages/features/mouse/mouse.html |title=Doug Engelbart: Father of the Mouse |publisher=SuperKids |first=Andrew |last=Maisel |accessdate=2012-06-17}}</ref>。エンゲルバートは数々の発明品を統合して、[[1968年]][[12月9日]]のコンピュータ会議 (Fall Joint Computer Conference) でデモンストレーションを行った。これはアメリカなどでは「[[すべてのデモの母]](The Mother of All Demos)」と呼ばれている<ref>{{Cite journal |last=Engelbart |first=Douglas C. |coauthors=et al |year=1968 |title=SRI-ARC. A technical session presentation at the Fall Joint Computer Conference in San Francisco |date=1968-12-09 |journal=NLS demo ’68: The computer mouse debut, 11 film reels and 6 video tapes (100 min.) |publisher=Engelbart Collection, Stanford University Library |location=Menlo Park (CA)}}</ref>。 === ARPANET === エンゲルバートの研究開発は[[国防高等研究計画局|ARPA]]から資金提供されていたため、ARCは[[インターネット]]の前身である[[ARPANET]]にも関与した。[[1969年]][[10月29日]]午後10時30分、[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校|UCLA]]の[[レナード・クラインロック]]の研究室から最初のARPANET上のメッセージがSRIのエンゲルバートの研究室に送信された<ref>{{Cite news |title=Browsing history: A heritage site is being set up in Boelter Hall 3420, the room the first Internet message originated in |url= http://www.dailybruin.com/index.php/article/2011/04/browsing_history |first=Jessica |last=Savio |work=Daily Bruin |date=2011-04-01 |accessdate=2012-06-17}}</ref>。ARCに送ろうとしたメッセージは "login:" だったが、"l" と "o" 送ったところでシステムがクラッシュした。したがって、ARPANET上の最初のメッセージは実際には "lo" である。約1時間後クラッシュから復旧すると、"login:" というメッセージの送受信に成功した。 1969年11月21日には [[Interface Message Processor]] (IMP) が両方のサイトに置かれ、ARPANET初の恒久的リンクを形成した。1969年12月5日にはさらに[[カリフォルニア大学サンタバーバラ校|UCSB]]と[[ユタ大学]]も接続され、4ノードのネットワークになった<ref>{{Cite web |title=Internet Began 35 Years Ago at UCLA with First Message Ever Sent Between Two Computers |url=http://www.engineer.ucla.edu/stories/2004/Internet35.htm |author=Chris Sutton |publisher=''[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校|UCLA]]'' |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080308120314/http://www.engineer.ucla.edu/stories/2004/Internet35.htm |archivedate=2008年3月8日 |accessdate=2012-08-27 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。 ARCは世界初の[[ネットワークインフォメーションセンター]] (NIC) となり、全ARPANETノードの接続を管理することとなった。またARCは初期の[[Request for Comments|RFC]]のかなりの部分を担っていた。NICは当初NLSを使って運営されていたが、エンゲルバートは革新的な研究に集中し続けた。このためNIC運営と研究の両立が困難となり、NICはグループとして独立し [[:en:Elizabeth J. Feinler|Elizabeth J. Feinler]] が指揮することになった<ref>{{Cite web |title=Elizabeth J. Feinler |work=SRI Alumni Hall of Fame|publisher=[[SRIインターナショナル|SRI International]] Alumni Association |year=2000 |url= http://www.sri.com/about/alumni/alumni-hall-fame-2000#Feinler |accessdate=2011-04-08}}</ref>。 === 逸話的注釈 === 科学史の専門家 [[:en:Thierry Bardini|Thierry Bardini]] がいみじくも指摘したとおり、エンゲルバートを様々な研究開発に向かわせた彼の複雑な個人的[[哲学]]は、今日の哲学と科学技術の[[共進化]]を先取りしていた<ref name="bard">{{Cite journal |author1=Thierry Bardini |author2=Michael Friedewald |title=Chronicle of the Death of a Laboratory: Douglas Engelbart and the Failure of the Knowledge Workshop |journal=History of Technology |year=2002 |volume=23 |pages=192–212 |url= http://www.friedewald-family.de/Publikationen/HoT2002.pdf}}</ref>。Bardini は、エンゲルバートが[[ベンジャミン・ウォーフ]]の[[言語的相対論]]に強く影響されていたと指摘する。ウォーフは言語の洗練度が思考の洗練度を左右するとしたが、エンゲルバートは技術のレベルが情報操作能力を左右するとし、技術開発によって我々の能力が向上すると考えた。そこで彼は情報を直接的に操作するコンピュータを使った技術の開発に向かい、同時に個人やグループの知的作業過程を洗練させる技術にも関心を寄せることとなった<ref name="bard"/>。 エンゲルバートの哲学と研究の方向性は(自身がバイブルと呼んでいる)1962年の研究レポート "Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework"<ref name="Augment" />に明確に記述されている。ネットワーク指向の知性という概念に基づいてエンゲルバートは先駆的な業績を残すこととなった。 == 研究者としての経歴の終わり == エンゲルバートは様々な災難と誤解のため、1976年ごろから全く誰からも見向きもされない状態となった。彼の下にいた研究者の一部は[[パロアルト研究所]]へと移っていった。これはエンゲルバートへの不満やコンピュータの未来についての見解の相違などが原因である。エンゲルバートは[[タイムシェアリングシステム]]を利用した協調型ネットワークが有望だと考えたが、若い研究者たちはパーソナルコンピュータの可能性を追求したがっていた。この衝突は技術的なものであると同時にそれぞれの時代背景にも原因がある。エンゲルバートはタイムシェアリングしかなかった時代の人であり、若い研究者は能力や権力の集中が疑問視されていた時代の人間である。そしてパーソナルコンピュータの時代はすぐそこまで迫っていた{{要出典|date=2012年6月}}。 Bardini はエンゲルバートに関する著書の中で、1970年代前半にARCの主要研究者らがいわゆる[[自己啓発セミナー]]([[:en:Erhard Seminars Training|EST]])を受けた点を指摘した。エンゲルバートはESTの取締役会に名を連ねていた。ESTは当初はよいものと思われたが、ARCでは士気の低下と結束力の低下を招いた<ref name="bard"/>。 [[マイケル・マンスフィールド]]による研究開発全体への支出制限法案、[[ベトナム戦争]]終結、[[アポロ計画]]終結といった要因により、ARCへのARPAや[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]からの資金は減らされた。SRIの経営陣はエンゲルバートのやり方に失望し、ARCの残存部分を [[:en:Bertram Raphael|Bartram Raphael]] の[[人工知能]]研究部門の配下とした。Raphael は ARC を[[:en:Tymshare|Tymshare]]社に渡す交渉を行った。エンゲルバートはこの時期に自宅の焼失という災難にも遭っている。Tymeshare 社は [[NLS]] とエンゲルバートの研究室を買い取り、エンゲルバートを含む研究員の大部分を雇い入れた。Tymeshare 社は NLS の商用化を考えていた。Tymeshare 社は以前から ARC と共同研究を行っていて、[[ミニコンピュータ]]上へのNLSの移植などをした経験があった。 エンゲルバートは Tymeshare 社で自分が除け者にされていることに気づいた。Tymeshare 社はエンゲルバートのさらなる研究をしたいという要望を無視した。Tymshare社や[[マクドネル・ダグラス]]社(1984年にTymshareを買収)の経営陣には彼のアイデアに興味を示すものもいたが、開発のための資金は提供されることはなかった。マクドネル・ダグラスでのエンゲルバートの関心は、膨大な知識の管理手法と航空宇宙プログラムのライフサイクルに関するIT要件に集中している。その中でもグローバルな相互運用性と Open Hyperdocument System<ref>{{Cite web |url= http://dougengelbart.org/about/ohs.html |title=About An Open Hyperdocument System (OHS)|publisher=The Doug Engelbart Institute |accessdate=2012-06-17}}</ref> の必要性を再認識することになった。エンゲルバートは1986年にマクドネル・ダグラス社を退社し、商業的プレッシャーから逃れて自身のライフワークを追求しようとした。 エンゲルバートは自身の会社 Bootstrap Institute の取締役である。この会社は1988年、彼の娘クリスティーナ・エンゲルバートが設立した。[[カリフォルニア州]][[メンローパーク (カリフォルニア州)|メンローパーク]]にあり、彼の最近の哲学とも言うべき[[集団的知性]]の概念を洗練させることを目的とし、[http://www.bootstrap.org/augdocs/augment-132082.htm Open Hyper-Document Systems](OHS) と呼ばれるものを開発している。2005年、エンゲルバートは[[米国科学財団]]から[[オープンソース]]プロジェクト [http://hyperscope.org HyperScope] への資金援助を得た。HyperScope プロジェクトでは、[[Ajax]] と [[ダイナミックHTML|DHTML]] を使用したブラウザ部品を開発し、Augment システムの機能を再現しようとしている。HyperScope はエンゲルバートの目標と研究に基づき、グループウェアとグループサービスの開発により広いコミュニティが参加するよう計画された過程の最初の段階である。 1988年、娘クリスティーナ・エンゲルバートと共に Bootstrap Institute を創業。1989年から2000年までスタンフォード大学で彼のアイデアに基づいたマネジメントセミナーを開催していた。1990年代初めまではセミナー参加者も多く、エンゲルバートの哲学に賛同して協業を申し出る者もおり、非営利団体 Bootstrap Alliance も創設することになった。イラク侵攻とその後の景気後退でパートナー企業からの援助は減ったが、マネジメントセミナーやコンサルティングは小規模に続行された。1990年代中ごろにはDARPAから新たなユーザインタフェース開発 (Visual AugTerm) のための資金提供を獲得し、大規模なジョイント・タスクフォースに参加している。 == Bootstrapping Strategy == *Engage Your Innovators **Engage target customers and other key stakeholders in your innovation team and network. **Map your improvement activities into ABC – (A) business as usual, (B) innovating how A work gets done, (C) innovating how B work gets done – to reveal hidden opportunities for engagement. **Connect B and C activities in networked improvement communities for additional leverage. *Leverage Your Collective IQ **Establish how your team/network will leverage its collective ingenuity and follow-through, beginning with shared values, vision, process, and enabling tools that are open and evolvable – this establishes the foundation for your dynamic knowledge ecosystem, your group brain. **Drill down into "Collective IQ" as a capability to reveal additional points of leverage. *Focus on Capability **Revisit your focus/horizon in terms of capability, e.g. "are we in the telegraph business or communications business?" – it's about improving capability for your customer, and your teams/networks. **For each desired capability, drill down to reveal hidden opportunities in human and tool innovation. *Accelerate Co-Evolution **Be pro-active about co-evolving the human and tool sides of the equation, fostering a symbiotic relationship between the two with a build-and-try pioneering attitude. **Join with other networked improvement communities as partners in exploration and pilot trials. *Walk Your Talk to Bootstrap Results **For those whose products/services are intended to leverage customers' Collective IQ, walking your talk can yield a bonus multiplier effect like compounded interest. When you are your own best customer, every improvement you make to your work product will automatically increase your own Collective IQ – the essence of bootstrapping. **The more your products/services contribute to increasing Collective IQ, the greater your potential to increase Collective IQ exponentially. **In fact, placing special focus on innovating how people work collectively on important challenges is your point of greatest leverage. == 主な受賞歴 == 1980年代終盤になると、エンゲルバートの業績の独創性と重要性が徐々に理解されるようになってきた<ref>{{Cite web |url= http://www.dougengelbart.org/about/honors.html |title=Honors Awarded to Doug Engelbart |publisher=The Doug Engelbart Institute |accessdate=2012-06-17}}</ref>。 * 1995年12月 - ボストンでの第4回 WWW 会議で表彰された(後に [[ユーリ・ルビンスキー記念賞]] と呼ばれるもの) * 1997年 - {{仮リンク|レメルソンMIT賞|en|Lemelson-MIT Prize}}(発明に関する世界最高の賞、副賞は50万ドル) * 1997年 - [[チューリング賞]] * 1998年 - [[Association for Computing Machinery|ACM]] [[:en:SIGCHI|SIGCHI]] Special Recognition Award<ref name="SIGCHI">{{Cite web|url= http://www.sigchi.org/about/awards/index_html |title=SIGCHI Awards |publisher=ACM SIGCHI |accessdate=2012-08-27}}</ref> * 1998年 - [[全米発明家殿堂]]選出 * [[1999年]]:[[フォン・ノイマンメダル]]([[IEEE]]) * 1999年 - [[ベンジャミン・フランクリン・メダル (フランクリン協会)|ベンジャミン・フランクリン・メダル]] * 2000年 - [[アメリカ国家技術賞]]<ref name="fore">{{Cite news |title= Douglas Engelbart, Foresight Advisor, Is Awarded National Medal of Technology |publisher= Foresight Institute |work= Foresight Update |date= 2000-12-30 |volume= 43 |accessdate= 2011-04-15 }}</ref> * 2001年 - {{仮リンク|ラブレスメダル|en|Lovelace Medal}}([[英国コンピュータ学会]]) * 2002年 - [[Association for Computing Machinery|ACM]] [[:en:SIGCHI|SIGCHI]] アカデミー会員<ref name="SIGCHI" /> * 2005年 - [[ノーバート・ウィナー賞]]([[社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会]]) * 2005年 - [[コンピュータ歴史博物館]]フェロー * 2011年 - [[:en:IEEE Intelligent Systems|IEEE Intelligent Systems]] の人工知能の殿堂入り<ref>{{Cite journal | doi = 10.1109/MIS.2011.64 | title = AI's Hall of Fame | url = http://www.computer.org/cms/Computer.org/ComputingNow/homepage/2011/0811/rW_IS_AIsHallofFame.pdf| journal = IEEE Intelligent Systems| publisher = [[IEEE Computer Society]]| volume = 26 | issue = 4 | pages = 5–15 | year = 2011 }}</ref><ref>{{Cite news |url= http://www.digitaljournal.com/pr/399442 |title=IEEE Computer Society Magazine Honors Artificial Intelligence Leaders |newspaper=DigitalJournal.com |date=2011-08-24 |accessdate=2011-09-18}} Press release source: ''PRWeb'' (Vocus).</ref> === その他の栄誉 === 1998年、[http://svarchive.stanford.edu/ ''Stanford Silicon Valley Archives'']と [[:en:Institute for the Future|Institute for the Future]] は[[スタンフォード大学]]で ''Engelbart's Unfinished Revolution'' という[[シンポジウム]]を開催し、エンゲルバートと彼のアイデアを讃えた<ref>{{Cite web |url= http://unrev.stanford.edu/introduction/introduction.html |title=Engelbart's Unfinished Revolution: A Symposium at Stanford University |date=1998-12-09 |work=Stanford University Libraries |publisher=[[スタンフォード大学|Stanford University]] |accessdate=2012-06-17}}</ref>。これは、1968年のエンゲルバートのデモから30周年を記念したもので、2008年にも40周年を記念したシンポジウムが開催された<ref>{{Cite web |url= http://unrev.stanford.edu/index.html |title=SPECIAL NOTE: 40th Anniversary Events Honoring Douglas Engelbart |publisher=[[スタンフォード大学|Stanford University]] |accessdate=2012-08-27}}</ref>。 2000年、ボランティアと資金提供者の協力を得てエンゲルバートは [http://www.bootstrap.org/colloquium/colloquium.html ''The Unfinished Revolution - II''] をスタンフォードで開催した。これは Engelbart Colloquium とも呼ばれ、エンゲルバートの業績とアイデアを多くの人に知らしめるべく文書化・オンライン化することを意図している<ref>{{Cite web |url= http://dougengelbart.org/colloquium/colloquium.html |title=Colloquium |accessdate=2012-08-27}}</ref><ref>{{Cite web |url= http://scpd.stanford.edu/engelbart_colloquium/index.jsp |title=Video archives of 2000 ''UnRev-II: Engelbart's Colloquium at Stanford'' |accessdate=2012-08-27}}</ref><ref>{{Cite web |url= http://scpd.stanford.edu/engelbart_colloquium/index.jsp#EngelbartsUnfinishedRevolution |title=Video archives of 1998 ''"Engelbart's Unfinished Revolution" Symposium'' |accessdate=2012-08-27}}</ref>。 == 21世紀の動向 == 2005年、[[アメリカ国立科学財団]]はエンゲルバートの HyperScope というオープンソースプロジェクト<ref>{{Cite news |url= http://news.mynavi.jp/news/2006/09/07/345.html |title=Web思考プロセッサ HyperScope 1.0 - Douglas Engelbart博士のアイデア結実 |publisher=マイナビニュース |date=2006-09-08}}</ref>に資金提供した。 2008年、Bootstrap INstitute と Bootstrap Alliance は合併し Doug Engelbart Institute と改称。エンゲルバートは名誉創設者とされている。運営は娘のクリスティーナ・エンゲルバートが行っている。エンゲルバートの哲学である「[[集団的知性]]の増強」を広める活動を行っている<ref>{{Cite web |url= http://www.dougengelbart.org/about/vision-highlights.html |title=Doug's Vision Highlights: ''Augmenting Society's Collective IQ'' |accessdate=2012-08-27}}</ref>。 エンゲルバートは、[[サンタクララ大学]]の [[:en:Center for Science, Technology, and Society|Center for Science, Technology, and Society]]、[[:en:Foresight Institute|Foresight Institute]]<ref name="fore"/>、[[社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会]]、The Technology Center of Silicon Valley、The Hyperwords Company(Firefoxのアドオンである [[:en:Hyperwords|Hyperwords]] を作っている組織)<ref>{{Cite web |url= http://w.hyperwords.net/about_us_adv.html |title=About Us : Advisory Board |publisher=The Hyperwords Company |accessdate=2012-07-29}}</ref>の諮問委員を務めている。 2013年7月2日に腎不全のため逝去<ref>[http://jp.techcrunch.com/2013/07/04/20130703doug-engelbart-father-of-the-mouse-passes-away-at-88/ マウスの父、ダグラス・エンゲルバート、88歳で逝去] TechCrunch Japan 2013年7月4日閲覧</ref>。{{没年齢|1925|1|30|2013|7|2}}。 == 家族 == エンゲルバートには1997年に死別した妻との間に、ゲルダ、ダイアナ、クリスティーナ、ノーマンという4人の子がいる。2008年1月26日に再婚している<ref>{{Cite web |title=Celebrating Doug's 85th Birthday |publisher=The Doug Engelbart Institute |url= http://dougengelbart.org/events/celebrating-dougs-85th-birthday.html |accessdate=2011-04-14}}</ref><ref>{{Cite web |title=Karen O'Leary, Palo Alto, Writer and Producer|publisher=Karen O'Leary Englebart |url= http://karenengelbart.com/ |accessdate=2011-04-14}}</ref>。 == 出典 == {{Reflist|2}} == 参考文献 == * {{Cite book|title=Bootstrapping: Douglas Engelbart, Coevolution, and the Origins of Personal Computing |last=Bardini |first=Thierry |authorlink= |coauthors= |year=2000 |publisher=Stanford University Press |location=Stanford |isbn=0-8047-3723-1 |page= |pages= |url= }} * {{Cite book|title=The Engelbart Hypothesis: Dialogs with Douglas Engelbart|last=Landau|first=Valerie|authorlink= |coauthors=Clegg, Eileen |year=2009 |publisher=Next Press|location=Berkeley|isbn= |page= |pages= |url= http://engelbartbook.com }} * {{Cite web |url= http://www.corporationtocommunity.com/douglas-engelbart/ |title=Douglas Engelbart|publisher=Corporation to Community |date=2011-02-16 |accessdate=2012-07-29}} * インターネットマガジン2005年3月号―INTERNET magazine No.122 (インプレスR&D社) * MacPeople 2007年11月号 (アスキー・メディアワークス社) * 森正弥著『ウェブ大変化 パワーシフトの始まり』(近代セールス社、2010年) ISBN 978-4-7650-1058-0 * [[斎藤由多加]]著『マッキントッシュ伝説』(オープンブック、2011年) ISBN 978-4-9904-2520-3 * {{Cite web|和書|url= https://note.com/masayamori/n/n8ba97c1d8aef |title=コンピューターの個人化 と Douglas Carl Engelbart (ダグラス・エンゲルバート)を超えて|accessdate=2020-11-19}} == 関連項目 == * [[グループウェア]] * [[Hypertext Editing System]] * [[知能増幅]] * [[集団的知性]] * [[ヴァネヴァー・ブッシュ]] * [[アイバン・サザランド]] * [[テッド・ネルソン]] == 外部リンク == {{Commonscat|Douglas Engelbart}} {{External media | align = right | width = 250px |audio1 = [https://www.stranova.com/Podcasts/Stranova28.mp3 "Collective IQ and Human Augmentation"], ダグラス・エンゲルバートのインタビュー | video1 = [https://archive.org/details/XD304_95JCNProfile Doug Engelbart featured on JCN Profiles], [[インターネットアーカイブ|Archive.org]] }} * [https://dougengelbart.org/ the Doug Engelbart Institute] ダグラス・エンゲルバートの公式サイト(以前の Bootstrap Institute) * [https://www.roundworldmedia.com/engelbart.html Engelbart course facilitated by Valerie Landau at CSU Monterey Bay] * [https://oac.cdlib.org/findaid/ark:/13030/ft3n39n626/ Douglas C. Engelbart Papers, 1953-2005](call number M0638; 464 linear ft.) are housed in the [http://library.stanford.edu/depts/spc/spc.html Department of Special Collections and University Archives] at [http://library.stanford.edu/ Stanford University Libraries] * [https://invisiblerevolution.net/ The History of Doug Engelbart and Interactive Computing] * [http://www.almaden.ibm.com/coevolution/bio/index.shtml?engelbart As We May Work from IBM Symposium site] * [https://www.wired.com/2004/01/mouse/ Wired article: The Click Heard Round The World] * [https://www.sri.com/work/timeline-innovation/timeline.php?timeline=computing-digital#!&innovation=computer-mouse-interactive-computing SRI mouse] === NLSデモのビデオ記録 === * [https://web.stanford.edu/dept/SUL/library/extra4/sloan/MouseSite/1968Demo.html ''Doug Engelbart 1968 Demo'']、[http://sloan.stanford.edu/MouseSite/ MouseSite]にある90分のオリジナルビデオ === インタビューなど === * [http://switch.sjsu.edu/nextswitch/categories/issue18/invitational/switch_engelbart_transcript.pdf Transcript] 2003年、[http://cadre.sjsu.edu サンノゼ州立大学]を訪れたときの記録 * [https://channel9.msdn.com/Blogs/Charles/Douglas-Engelbart-Inventing-the-Mouse Channel9 @MSDN ] インタビューのビデオ記録 * [https://www.youtube.com/watch?v=oBZXfCw7xIw U.C. Berkeley Lecture in IEOR 190C] Feb. 2008 * [https://archive.org/details/dougengelbartarchives Doug Engelbart Video Archives], [[インターネットアーカイブ|Archive.org]] {{チューリング賞}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:えんけるはあと たくらす}} [[Category:ダグラス・エンゲルバート|*]] [[Category:アメリカ合衆国の発明家]] [[Category:アメリカ合衆国の計算機科学者]] [[Category:アメリカ合衆国の未来学者]] [[Category:チューリング賞受賞者]] [[Category:ベンジャミン・フランクリン・メダル (フランクリン協会) 受賞者]] [[Category:アメリカ国家技術賞受賞者]] [[Category:コンピュータ歴史博物館フェロー]] [[Category:アメリカ芸術科学アカデミー会員]] [[Category:全米技術アカデミー会員]] [[Category:全米発明家殿堂]] [[Category:コンピュータのユーザインタフェース]] [[Category:SRIインターナショナルの人物]] [[Category:カリフォルニア大学バークレー校の教員]] [[Category:ドイツ系アメリカ人]] [[Category:スウェーデン系アメリカ人]] [[Category:ノルウェー系アメリカ人]] [[Category:オレゴン州ポートランド出身の人物]] [[Category:オレゴン州立大学出身の人物]] [[Category:カリフォルニア大学バークレー校出身の人物]] [[Category:1925年生]] [[Category:2013年没]]
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アスペクト指向プログラミング
アスペクト指向プログラミング(Aspect Oriented Programming、AOP)は、横断的関心(英語版)を実装する手法によって、プログラムのモジュール性を高めることを目的にしたプログラミングパラダイムである。横断的関心とは、関心の分離によるモジュールの複数以上にまたがっている共通機能を意味している。AOPはこの横断的関心を、既存コードに設けた間接点(joint point)を通しての振る舞い助言(advice)の追加によって、コード変更を伴なわずに実装できるようにしている。任意の間接点および振る舞い助言の定義をまとめたモジュールがアスペクト(英語版)と呼ばれ、これが横断的関心の表現体になる。例としては、全ての関数呼出しにログ出力を伴わせたい時に、全関数冒頭にjoint pointを設けてログ出力コードをadviceにしたアスペクトをプログラム内に定義することで、自動的に各関数呼出しとログ出力が同時実行されるようになる。 アスペクト指向は本来、命令型プログラミングの一角を占めるパラダイムであり、オブジェクト指向とは異なる視点で命令型を発展させたサブジェクト指向(英語版)の一種でもある。状態の遷移がプロセスに影響を与える命令型の特性(プログラム副作用)に加えて、サブジェクト指向はプロセスもsubjectに基づいた遷移対象にしている。オブジェクト指向は、状態とプロセスの抽象化を追求したパラダイムなので、プロセスの具象/抽象を問わずにaspectに基づいた遷移対象にできるアスペクト指向と直交している。 しかし現状のアスペクト指向は、オブジェクト指向のコードをサポートする役割に留まっていることが多く、独立したパラダイムとして扱われることは稀である。OOP言語JavaにAOPを追加した「AspectJ」がその代表例である。純粋OOP言語RubyもAOP由来の機能を補完的に取り入れている。
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アスペクト指向プログラミングは、横断的関心を実装する手法によって、プログラムのモジュール性を高めることを目的にしたプログラミングパラダイムである。横断的関心とは、関心の分離によるモジュールの複数以上にまたがっている共通機能を意味している。AOPはこの横断的関心を、既存コードに設けた間接点を通しての振る舞い助言(advice)の追加によって、コード変更を伴なわずに実装できるようにしている。任意の間接点および振る舞い助言の定義をまとめたモジュールがアスペクトと呼ばれ、これが横断的関心の表現体になる。例としては、全ての関数呼出しにログ出力を伴わせたい時に、全関数冒頭にjoint pointを設けてログ出力コードをadviceにしたアスペクトをプログラム内に定義することで、自動的に各関数呼出しとログ出力が同時実行されるようになる。 アスペクト指向は本来、命令型プログラミングの一角を占めるパラダイムであり、オブジェクト指向とは異なる視点で命令型を発展させたサブジェクト指向の一種でもある。状態の遷移がプロセスに影響を与える命令型の特性(プログラム副作用)に加えて、サブジェクト指向はプロセスもsubjectに基づいた遷移対象にしている。オブジェクト指向は、状態とプロセスの抽象化を追求したパラダイムなので、プロセスの具象/抽象を問わずにaspectに基づいた遷移対象にできるアスペクト指向と直交している。 しかし現状のアスペクト指向は、オブジェクト指向のコードをサポートする役割に留まっていることが多く、独立したパラダイムとして扱われることは稀である。OOP言語JavaにAOPを追加した「AspectJ」がその代表例である。純粋OOP言語RubyもAOP由来の機能を補完的に取り入れている。
'''アスペクト指向プログラミング'''(Aspect Oriented Programming、'''AOP''')は、{{仮リンク|横断的関心|en|Cross-cutting concern|label=}}を実装する手法によって、プログラムの[[モジュール性]]を高めることを目的にした[[プログラミングパラダイム]]である。横断的関心とは、[[関心の分離]]による[[モジュール]]の複数以上にまたがっている共通機能を意味している。AOPはこの横断的関心を、既存コードに設けた間接点(joint point)を通しての振る舞い助言(advice)の追加によって、コード変更を伴なわずに実装できるようにしている。任意の間接点および振る舞い助言の定義をまとめたモジュールが{{仮リンク|アスペクト(AOP)|en|Aspect (computer programming)|label=アスペクト}}と呼ばれ、これが横断的関心の表現体になる。例としては、全ての関数呼出しにログ出力を伴わせたい時に、全関数冒頭にjoint pointを設けてログ出力コードをadviceにしたアスペクトをプログラム内に定義することで、自動的に各関数呼出しとログ出力が同時実行されるようになる。 アスペクト指向は本来、[[命令型プログラミング]]の一角を占めるパラダイムであり、[[オブジェクト指向プログラミング|オブジェクト指向]]とは異なる視点で[[命令型プログラミング|命令型]]を発展させた{{仮リンク|サブジェクト指向|en|Subject-oriented programming}}の一種でもある。状態の遷移がプロセスに影響を与える命令型の特性([[副作用 (プログラム)|プログラム副作用]])に加えて、サブジェクト指向はプロセスもsubjectに基づいた遷移対象にしている。[[オブジェクト指向プログラミング|オブジェクト指向]]は、状態とプロセスの[[抽象化 (計算機科学)|抽象化]]を追求したパラダイムなので、プロセスの具象/抽象を問わずにaspectに基づいた遷移対象にできるアスペクト指向と直交している。 しかし現状のアスペクト指向は、[[オブジェクト指向プログラミング|オブジェクト指向]]のコードをサポートする役割に留まっていることが多く、独立した[[プログラミングパラダイム|パラダイム]]として扱われることは稀である。OOP言語[[Java]]にAOPを追加した「[[AspectJ]]」がその代表例である。純粋OOP言語[[Ruby]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://xtech.nikkei.com/it/article/COLUMN/20070725/278238/|title=まつもと直伝 プログラミングのオキテ 第0回 あらためてRuby入門(基本と他言語との違い)|accessdate=2020/12/18|publisher=日経クロステック}}</ref>もAOP由来の機能を補完的に取り入れている<ref><code>Module#prepend</code>によってCLOS(CommonLisp Object System)のaround hookと同じように,あるメソッドの前後をフックして処理を行えるようになりました。これは以前注目されていた「アスペクト指向プログラミング」に近い振る舞いになります。https://gihyo.jp/news/report/01/rubykaigi2017/0002</ref>。 == 主なアスペクト指向言語 == * [[AspectC++|Aspect C++]] * [[AspectJ|Aspect J]] * [[AspectR|Aspect R]] * Aspect L * {{仮リンク|e (IEEE 1647)|en|E_(verification_language)}} == 主なアスペクト指向フレームワーク == * JBoss AOP *Aspect Cocoa * Aspect Werkz * [[Spring Framework]] * [[Seasar]] == 主なアスペクト指向準拠のプロダクト == * [https://web.archive.org/web/20070430030838/http://www.csg.is.titech.ac.jp/projects/bugdel/ Bugdel] - アスペクト指向を使用したデバッグコードの挿入 * [http://untrod.keihanna.ne.jp/whitedog/ WhiteDog System]{{リンク切れ|date=2018年3月 |bot=InternetArchiveBot }} - ネットワーク共有機能の挿入 * [https://web.archive.org/web/20060321033931/http://www.komiya.ise.shibaura-it.ac.jp/~sakurai/aa/index_jp.html Association Aspects] - アスペクト指向言語の拡張 * [http://mergedoc.sourceforge.jp/ MergeDoc Project]: Pleiades Eclipse - [http://www.eclipsewiki.net/eclipse/?%A5%D7%A5%E9%A5%B0%A5%A4%A5%F3%C6%FC%CB%DC%B8%EC%B2%BD%A5%D7%A5%E9%A5%B0%A5%A4%A5%F3 プラグイン日本語化プラグイン] * [http://msdn.microsoft.com/ja-jp/library/3ax346b7(VS.80).aspx Active Template Library] - ATLにおけるCOMのインスタンス生成方法・スレッド安全性・アパートメントの制御を特徴として分離、柔軟な組み合わせを実現させる == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == * [[関心の分離]] *{{仮リンク|横断的関心|en|Cross-cutting concern|label=}} *{{仮リンク|ジョインポイント|en|Join point}} *{{仮リンク|ポイントカット|en|Pointcut}} *{{仮リンク|アドバイス(AOP)|en|Advice (programming)|label=アドバイス}} *{{仮リンク|アスペクト(AOP)|en|Aspect (computer programming)|label=アスペクト}} *{{仮リンク|アスペクトウィーバー|en|Aspect weaver}} {{Normdaten}}{{プログラミング言語の関連項目}} {{DEFAULTSORT:あすへくとしこうふろくらみんく}} [[Category:アスペクト指向プログラミング|*]] [[Category:アスペクト指向開発]] [[Category:プログラミングパラダイム]] {{Computer-stub}}
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AspectJ
AspectJ(アスペクト ジェイ)は、Javaに対するアスペクト指向プログラミングのための拡張。 初期バージョンはパロアルト研究所で開発され、その後IBMのEclipseプロジェクトへ移管された。2005年1月から、AspectWerkzプロジェクトも合流した。
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AspectJは、Javaに対するアスペクト指向プログラミングのための拡張。 初期バージョンはパロアルト研究所で開発され、その後IBMのEclipseプロジェクトへ移管された。2005年1月から、AspectWerkzプロジェクトも合流した。
{{Infobox Software | 名称 = AspectJ | ロゴ = | スクリーンショット = | 説明文 = | 開発者 = | 開発元 = [http://www.eclipse.org/aspectj/ AspectJ Project] | 初版 = {{Start date|2001}} | 最新版 = 1.9.6 | 最新版発表日 = {{Release_date|2020|07|22}} | 最新評価版 = | 最新評価版発表日 = | プログラミング言語 = Java | 対応OS = 各種 | エンジン = | 対応プラットフォーム = | サイズ = | 対応言語 = | サポート状況 = | 種別 = | ライセンス = Eclipse Public License 1.0 | 公式サイト = {{url|http://www.eclipse.org/aspectj/}} }} '''AspectJ'''(アスペクト ジェイ)は、[[Java]]に対する[[アスペクト指向プログラミング]]のための拡張。 初期バージョンは[[パロアルト研究所]]で開発され、その後IBMの[[Eclipse (統合開発環境)|Eclipse]]プロジェクトへ移管された。2005年1月から、[[AspectWerkz]]プロジェクトも合流した。 == 関連項目 == * [[アスペクト指向プログラミング]] == 外部リンク == * [http://www.eclipse.org/aspectj/ AspectJ HomePage] * [http://dolphin.c.u-tokyo.ac.jp/~kazu0/aspectj-primer/ AspectJ Primer] {{Computer-stub}} [[Category:Java]] [[Category:Eclipse Foundation]] [[Category:アスペクト指向プログラミング]] [[Category:アスペクト指向開発]]
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リズム
リズム(英語:Rhythm, 伊語:Ritmo)とは、周期的な動きや進行の調子。律動(りつどう)と訳される。 時間軸の中に人間に知覚されるような2つの点を近接して置くと、2点間の時間に長さを感じるようになるが、その「長さ」をいくつか順次並べたものをリズムという。 古代ギリシャに生まれた概念で、ῥυθμός - rhythmos(リュトモス)を語源とする。リュトモスは古代ギリシャ語では物の姿、形を示すのに一般的に用いられた語で、たとえば「αという文字とβという文字ではリュトモス(形)が違う」というように用いられた。やがて、音楽におけるひとつのまとまりの形をリュトモスと言うようになった。 音楽に関する時間に対する構造または組織化を示す時にリズムと言う語が用いられる傾向がある。拍子(周期的なアクセント)がなくてもリズムは存在する。 20世紀の典型的なリズム論であるクーパーとマイヤーの「音楽のリズム構造」におけるリズムについての説明を示す。 まったく同じ刺激が時間的に等間隔で再起するものをパルスと呼んでいる。 次はパルスの例である。左から右に時間が流れていて、刺激のあるタイミングを○で示す。 次はパルスでない刺激の例である。 パルスはその定義から、パルスとパルスとの間に区別があってはならない。 拍とはパルスとパルスとの間に区別があるものをいう。具体的には、拍とは、相互に全く区別のなかったパルスの連続から代わって、心理的に強いパルス(アクセント)と心理的に強くないパルス(非アクセント)という区別がついたもの。 次は拍の例である。 アクセントとは必ずしも音が強いことを表すのではなく、人の心理にとって強く感じる、目立たされていると意識されるという意味である。紛らわしいことに、アクセントのある音を強拍、アクセントのない音を弱拍と言うことがあるが、必ずしも音が強い、音が弱いということを表すのではない。 アクセントのある拍が周期的に繰り返されると拍子が生まれる。拍子とは、1 つのアクセントが 1 つ以上の非アクセントを従えた構造を持ち、合計いくつの拍で動いているかで何拍子か決まる。 たとえば 2 拍子は 1 つのアクセントが 1 つの非アクセントを従えた合計 2 つの拍からなる拍子であり、3 拍子は 1 つのアクセントが 2 つの非アクセントを従えた合計 3 つの拍からなる拍子である。 次は 2 拍子および 3 拍子の例である。 次は拍子がない例である。 クーパーとマイヤーの考えでは、拍子の中に、グループができることがリズムである。拍子の中にグループ化を感じた時、我々はリズムを感じたということになる。 以下はグループ化の例である。 └─┘は一つのグループを表す。 音楽事典でもそうだが、非常に多くの場合、拍子とリズムとが混同して理解されている。 音楽においては、音の開始点が知覚されやすいので、時間軸における点を主として音の開始点で示す。音の開始点から次の音の開始点までの長さを、順次いくつか並べたものが、音楽におけるリズムである。 人の耳は音の開始には敏感だが、音の終了にはあまり注意を払わない傾向がある。これは、音が残響することによって音の終了がはっきりと作り得ないことや、人間の聴覚に残像効果がある(音が鳴りやんでもまだしばらく音が続いているように感じる)ことにもよるであろう。またこの傾向は、物を叩いたときの音のような、音が次第に弱くなっていくような音について顕著である。したがって、音の開始は時間軸の点を示すが、音の終了によって点を示すことは困難である。 それゆえ一般にはリズムを「音の長さを順次並べたもの」と定義することができる。ただし、この場合における「音の長さ」とは、実際の音の長さではなく、概念上の音の長さ、すなわち、次の音が出るまでの長さのことである。 このとき、音の開始点の時間間隔だけでなく、音の強さや音が実際に終了するまでの時間によって、リズム感が異なることがある。 等しい間隔で打たれる基本的なリズムを、拍節と言い、そのひとつひとつの時間単位を拍という。拍は、一般に、人間の歩行の一歩一歩に擬せられる。拍は実際に常に音によって示されなければならないわけでなく、しばしば概念化して、音によって示されなくても拍を感じることができることがある。 拍の周期の長短によって、音楽の速度を感じる。これをテンポという。 拍に重軽が生じ、原則としてそれが一定のパターンで周期的に繰り返されるとき、拍子という。 様々な民族の音楽の中でも、リズムを持たないものはおそらくほとんど存在しないと思われるが、リズムの現れ方は民族や音楽のタイプによって様々である。拍や拍子のない音楽は、世界各地に見られる。 西洋音楽や多くの民族音楽にあっては、リズムは拍子の上に作られる。この場合、拍を結合したり、拍を等分したり、等分した拍をさらに結合したりして、リズムを作成する。また、拍子のないリズムも存在する。これを自由リズムと呼ぶことがある。 モンゴル音楽におけるオルティンドーとボギン・ドーの区別は、拍子の有無を表すわかりやすい用語である。オルティンドー(長い歌の意)は拍子のない歌、ボギン・ドー(短い歌)は拍子に乗った歌である。 舞踊音楽等においては、同じリズムの繰り返しがその舞踊や音楽を特徴づけることが多い。すなわち、メヌエットにはメヌエットの、ワルツにはワルツの、ボサノヴァにはボサノヴァのリズムがある。また、ジャズやジャズを起源とする音楽は、スウィング、エイトビート、シックスティーンビートといったリズムを持っている。 人間の音声言語における「リズム」とは、何らかの音の単位が、一定の時間で規則的に繰り返されるパタンのことを指す。このようなリズムの特性を「等時間隔性(isochronism)」と呼ぶ。繰り返される音の単位が何であるかは、言語によって異なる。また、詩などの韻文を作る韻律の基礎として、特に重要な性質である。なお、リズムは国際音声記号では[|]で表される。 英語やロシア語などは、強勢のある音節がリズムを作る。発話の中で、強勢のある音節がほぼ等しい時間間隔で規則的に出現し、それがリズムとなる。具体的には「強勢のある音節から次の強勢のある音節の直前までのまとまり」が、リズムの単位となり、これを「脚(foot)」と呼ぶ。例えば、This is the house that Jack built.という文を脚で分類すると、以下のようになる。 │This is the│house that│Jack built.│ 脚(foot)というリズムはAbercrombie(1964, 1971)が唱えたもので、その後、Halliday(1967, 1970)、Albrow(1968)、Kiparsky(1979)らに受け継がれている。上記の例文は、Albrow(1968)にて提示されたものである。 また、強勢リズムをもつ言語の自然な発話では、音節の数に関係なく、すべての脚の長さが同じになるように発音される傾向にある。よって、脚に含まれる音節の数が多くなればなるほど、個々の音節の時間的な長さは短くなり、逆に脚に含まれる音節の数が少なければ少ないほど、個々の音節の時間的な長さは長くなり、比較的ゆっくりと発音される。 verse(韻文、詩)における脚(pes; foot)については、「韻脚」を参照。 音節リズムはスペイン語やフランス語などに見られ、各音節が時間的にほぼ等間隔で現れることによって生じる。 日本語のリズムは音節ではなくモーラ(拍)が基本的な単位となっている。 詳細は「モーラ」を参照。 リズムとは本来音楽用語であるが、転じて様々な時間の動きを表すものを表す。周期は数秒、数分から数日、数年に至るものまで存在し、株価の変動など経済の動き、太陽活動など天体の動き、占いなど運勢の動きなどに用いられる。
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リズムとは、周期的な動きや進行の調子。律動(りつどう)と訳される。 時間軸の中に人間に知覚されるような2つの点を近接して置くと、2点間の時間に長さを感じるようになるが、その「長さ」をいくつか順次並べたものをリズムという。 古代ギリシャに生まれた概念で、ῥυθμός - rhythmos(リュトモス)を語源とする。リュトモスは古代ギリシャ語では物の姿、形を示すのに一般的に用いられた語で、たとえば「αという文字とβという文字ではリュトモス(形)が違う」というように用いられた。やがて、音楽におけるひとつのまとまりの形をリュトモスと言うようになった。
{{Otheruses}} '''リズム'''([[英語]]:Rhythm, [[イタリア語|伊語]]:Ritmo)とは、周期的な動きや進行の調子。'''律動'''(りつどう)と訳される。 [[時間]][[軸]]の中に[[人間]]に[[知覚]]されるような2つの[[点]]を近接して置くと、2点間の時間に長さを感じるようになるが、その「長さ」をいくつか順次並べたものを'''リズム'''という。 古代ギリシャに生まれた概念で、ῥυθμός - rhythmos(リュトモス)を語源とする。リュトモスは古代ギリシャ語では物の姿、形を示すのに一般的に用いられた語で、たとえば「αという文字とβという文字ではリュトモス(形)が違う」というように用いられた。やがて、音楽におけるひとつのまとまりの形をリュトモスと言うようになった<ref name="ongakurironnokiso">[[徳丸吉彦]]『音楽理論の基礎('07)第10回「リズムと時間構造」』、放送大学学園東京テレビジョン放送局・放送大学学園東京デジタルテレビジョン放送局、放送日2010年2月25日など。</ref>。 == 音楽におけるリズム == 音楽に関する時間に対する構造または組織化を示す時にリズムと言う語が用いられる傾向がある<ref name="ongakurironnokiso" />。拍子(周期的なアクセント)がなくてもリズムは存在する。 === 予備知識 === 20世紀の典型的なリズム論であるクーパーとマイヤーの「音楽のリズム構造」におけるリズムについての説明を示す。 ==== パルス ==== まったく同じ刺激が時間的に等間隔で再起するものを'''パルス'''と呼んでいる。 次はパルスの例である。左から右に時間が流れていて、刺激のあるタイミングを○で示す。 ○   ○   ○   ○   ○ 次はパルスでない刺激の例である。 ○  ○     ○ ○   ○  パルスはその定義から、パルスとパルスとの間に区別があってはならない<ref name="ongakurironnokiso" />。 ==== 拍 ==== '''拍'''とはパルスとパルスとの間に区別があるものをいう。具体的には、拍とは、相互に全く区別のなかったパルスの連続から代わって、心理的に強いパルス(アクセント)と心理的に強くないパルス(非アクセント)という区別がついたもの。 次は拍の例である。 ● ○ ● ○ ○ ● ○ ● ○ ○ ○ ● ○  ●はアクセント ○は非アクセント アクセントとは必ずしも音が強いことを表すのではなく、人の心理にとって強く感じる、目立たされていると意識されるという意味である。紛らわしいことに、アクセントのある音を強拍、アクセントのない音を弱拍と言うことがあるが、必ずしも音が強い、音が弱いということを表すのではない<ref name="ongakurironnokiso" />。 ==== 拍子 ==== アクセントのある拍が周期的に繰り返されると拍子が生まれる。拍子とは、1 つのアクセントが 1 つ以上の非アクセントを従えた構造を持ち、合計いくつの拍で動いているかで何拍子か決まる。 たとえば 2 拍子は 1 つのアクセントが 1 つの非アクセントを従えた合計 2 つの拍からなる拍子であり、3 拍子は 1 つのアクセントが 2 つの非アクセントを従えた合計 3 つの拍からなる拍子である。 次は 2 拍子および 3 拍子の例である。 2 拍子 ● ○ ● ○ ● ○ ● ○  3 拍子 ● ○ ○ ● ○ ○ ● ○ ○  次は拍子がない例である<ref name="ongakurironnokiso" />。 ● ○ ● ● ○ ○ ○ ● ○ ○  ==== リズム ==== クーパーとマイヤーの考えでは、拍子の中に、グループができることがリズムである。拍子の中にグループ化を感じた時、我々はリズムを感じたということになる。 以下はグループ化の例である。 └─┘は一つのグループを表す。 2 拍子 ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○  └─┘ └─┘ └─┘ └─┘ └─┘ └─┘  ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○    └─┘ └─┘ └─┘ └─┘ └─┘ └─ 3 拍子 ● ○ ○ ● ○ ○ ● ○ ○ ● ○ ○  └───┘ └───┘ └───┘ └───┘  ● ○ ○ ● ○ ○ ● ○ ○ ● ○ ○    └───┘ └───┘ └───┘ └── ● ○ ○ ● ○ ○ ● ○ ○ ● ○ ○      └───┘ └───┘ └───┘ └ 音楽事典でもそうだが、非常に多くの場合、拍子とリズムとが混同して理解されている<ref name="ongakurironnokiso" />。 === 応用 === {{独自研究|section=1|date=2010年5月}} 音楽においては、音の開始点が知覚されやすいので、時間軸における点を主として音の開始点で示す。音の開始点から次の音の開始点までの長さを、順次いくつか並べたものが、音楽におけるリズムである。 人の耳は音の開始には敏感だが、音の終了にはあまり注意を払わない傾向がある。これは、音が残響することによって音の終了がはっきりと作り得ないことや、人間の聴覚に残像効果がある(音が鳴りやんでもまだしばらく音が続いているように感じる)ことにもよるであろう。またこの傾向は、物を叩いたときの音のような、音が次第に弱くなっていくような音について顕著である。したがって、音の開始は時間軸の点を示すが、音の終了によって点を示すことは困難である。 それゆえ一般にはリズムを「音の長さを順次並べたもの」と定義することができる。ただし、この場合における「音の長さ」とは、実際の音の長さではなく、概念上の音の長さ、すなわち、次の音が出るまでの長さのことである。 このとき、音の開始点の時間間隔だけでなく、音の強さや音が実際に終了するまでの時間によって、リズム感が異なることがある。 等しい間隔で打たれる基本的なリズムを、[[拍節]]と言い、そのひとつひとつの時間単位を拍という。拍は、一般に、人間の歩行の一歩一歩に擬せられる。拍は実際に常に音によって示されなければならないわけでなく、しばしば概念化して、音によって示されなくても拍を感じることができることがある。 拍の周期の長短によって、音楽の速度を感じる。これを[[テンポ]]という。 拍に重軽が生じ、原則としてそれが一定のパターンで周期的に繰り返されるとき、[[拍子]]という。 様々な民族の音楽の中でも、リズムを持たないものはおそらくほとんど存在しないと思われるが、リズムの現れ方は民族や音楽のタイプによって様々である。拍や拍子のない音楽は、世界各地に見られる。 [[西洋音楽]]や多くの[[民族音楽]]にあっては、リズムは拍子の上に作られる。この場合、拍を結合したり、拍を等分したり、等分した拍をさらに結合したりして、リズムを作成する。また、拍子のないリズムも存在する。これを自由リズムと呼ぶことがある。 [[モンゴル音楽]]における[[オルティンドー]]とボギン・ドーの区別は、拍子の有無を表すわかりやすい用語である。オルティンドー(長い歌の意)は拍子のない歌、ボギン・ドー(短い歌)は拍子に乗った歌である。 === 舞踊音楽等とリズム === 舞踊音楽等においては、同じリズムの繰り返しがその舞踊や音楽を特徴づけることが多い。すなわち、[[メヌエット]]にはメヌエットの、[[ワルツ]]にはワルツの、[[ボサノヴァ]]にはボサノヴァのリズムがある。また、[[ジャズ]]やジャズを起源とする音楽は、[[スウィング・ジャズ|スウィング]]、[[ドラム・ビート#8ビート|エイトビート]]、[[ドラム・ビート#16ビート|シックスティーンビート]]といったリズムを持っている。 === 関連項目 === * [[非可逆リズム]] * [[音価 (音楽)]] * [[アーティキュレーション (音楽)|アーティキュレーション]] * [[強弱法]](ダイナミクス) * [[テンポ#アゴーギク|アゴーギク]] * [[拍子]] * [[ルンバ]] * [[グルーヴ]] * [[押韻]] == 言語におけるリズム == 人間の[[音声言語]]における「リズム」とは、何らかの音の単位が、一定の時間で規則的に繰り返されるパタンのことを指す。このようなリズムの特性を「等時間隔性(isochronism)」と呼ぶ。繰り返される音の単位が何であるかは、言語によって異なる。また、[[詩]]などの[[韻文]]を作る[[韻律 (韻文)|韻律]]の基礎として、特に重要な性質である。なお、リズムは[[国際音声記号]]では{{IPA|&#124;}}で表される。 === 強勢リズム === [[英語]]や[[ロシア語]]などは、強勢のある[[音節]]がリズムを作る。発話の中で、強勢のある音節がほぼ等しい時間間隔で規則的に出現し、それがリズムとなる。具体的には「強勢のある音節から次の強勢のある音節の直前までのまとまり」が、リズムの単位となり、これを「脚(foot)」と呼ぶ。例えば、This is the house that Jack built.という文を脚で分類すると、以下のようになる<ref name=":0">{{Cite book|和書|title=英語音声学|year=1976|publisher=こびあん書房|page=361|author=枡矢 好弘}}</ref>。 │This is the│house that│Jack built.│ 脚(foot)というリズムは[[デイヴィッド・アバークロンビー|Abercrombie]](1964, 1971)が唱えたもので、その後、Halliday(1967, 1970)、Albrow(1968)、Kiparsky(1979)らに受け継がれている。上記の例文は、Albrow(1968)にて提示されたものである<ref name=":0" />。 また、強勢リズムをもつ言語の自然な発話では、音節の数に関係なく、すべての脚の長さが同じになるように発音される傾向にある。よって、脚に含まれる音節の数が多くなればなるほど、個々の音節の時間的な長さは短くなり、逆に脚に含まれる音節の数が少なければ少ないほど、個々の音節の時間的な長さは長くなり、比較的ゆっくりと発音される。  verse([[韻文]]、[[詩]])における脚(pes; foot)については、「[[韻脚]]」を参照。 === 音節リズム === 音節リズムは[[スペイン語]]や[[フランス語]]などに見られ、各音節が時間的にほぼ等間隔で現れることによって生じる。 === 日本語のリズム === [[日本語]]のリズムは音節ではなく[[モーラ]](拍)が基本的な単位となっている。  詳細は「[[モーラ]]」を参照。 == 音楽・言語以外のリズム == リズムとは本来音楽用語であるが、転じて様々な時間の動きを表すものを表す。周期は数秒、数分から数日、数年に至るものまで存在し、株価の変動など経済の動き、太陽活動など天体の動き、占いなど運勢の動きなどに用いられる。 ; [[生体リズム]] : (人間に限らず)生物が、本来持っていたり天体の動きによって決められたりして持つことになる固有の時間周期を言う。 ; [[生活リズム]] : 人間が時間的に規則正しく生活することをいう。「生活リズムが崩れると体調を崩す」などと使われる。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 関連項目 == {{Wikibooks|リズム|リズム}} {{音楽}} {{Normdaten}} {{Music-stub}} {{DEFAULTSORT:りすむ}} [[Category:音楽理論]] [[Category:音楽用語]] [[Category:音声学]] [[Category:音]] [[Category:時間]] [[Category:リズム|*]]
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1842年
1842年(1842 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1842年(1842 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "死去" } ]
1842年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1842}} {{year-definition|1842}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[壬寅]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[天保]]13年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2502年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]22年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]8年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4175年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[紹治]]2年  * [[仏滅紀元]] : 2384年 - 2385年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1257年11月18日 - 1258年11月28日 * [[ユダヤ暦]] : 5602年4月19日 - 5603年4月28日 * [[ユリウス暦]] : 1841年12月20日 - 1842年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -6164 - -5800 * [[リリウス日]](LD) : 94677 - 95041 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1842}} == できごと == * [[3月3日]] - [[フェリックス・メンデルスゾーン]]の[[交響曲第3番 (メンデルスゾーン)|交響曲第3番]]が作曲者指揮の[[ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団]]によって初演。 * [[3月9日]] - [[ミラノ]]・[[スカラ座]]で[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]の歌劇「[[ナブッコ]]」が初演される。 * [[5月5日]] - [[ハンブルク大火]]発生。 * [[8月9日]] - 米英両国の間で[[ウェブスター=アッシュバートン条約]]締結。 * [[8月29日]](道光22年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[清国]]と[[イギリス]]の間で[[南京条約]]が締結され[[アヘン戦争]]終結。 * 8月29日(天保13年7月24日) - [[江戸幕府]]が[[異国船打払令]]を廃止、[[薪水給与令]]復活。 == 誕生 == {{see also|Category:1842年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月6日]] - [[クラレンス・キング]]、[[地質学者]](+ [[1901年]]) * [[1月11日]] - [[ウィリアム・ジェームズ]]、[[哲学者]]・[[心理学者]](+ [[1910年]]) * [[2月17日]](天保13年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]) - [[中野梧一]]、初代[[山口県]][[県令]](+ [[1883年]]) * [[2月23日]] - [[エドゥアルト・フォン・ハルトマン]]、哲学者(+ [[1906年]]) * [[2月24日]] - [[アッリーゴ・ボーイト]]、[[オペラ]][[台本]]作家・[[詩人]]・[[小説家]]・[[作曲家]](+ [[1918年]]) * [[2月26日]] - [[カミーユ・フラマリオン]]、[[天文学者]]・作家(+ [[1925年]]) * [[3月10日]](天保13年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]) - [[江原素六]]、[[衆議院議員]]・[[貴族院 (日本)|貴族院議員]]・[[麻布中学校・高等学校|麻布学園]]創設者(+ [[1922年]]) * [[3月18日]] - [[ステファヌ・マラルメ]]、詩人(+ [[1898年]]) * [[3月28日]] - [[クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル]]、日本の兵制を確立した[[ドイツ]]軍人(+ [[1906年]]) * [[4月1日]] - [[エドムント・ノイペルト]]、[[ピアニスト]]・作曲家(+ [[1888年]]) * [[4月30日]] - [[チャールズ・フェアチャイルド]]、[[アメリカ合衆国財務長官]](+ [[1924年]]) * [[5月5日]] - [[ヴィクトル・ハルトマン]]、[[建築家]]・[[画家]](+ [[1873年]]) * [[5月12日]] - [[ジュール・マスネ]]、作曲家(+ [[1912年]]) * [[5月13日]] - [[アーサー・サリヴァン]]、作曲家(+ [[1900年]]) * [[6月24日]] - [[アンブローズ・ビアス]]、作家・[[ジャーナリスト]](+ [[1914年]]?) * [[6月29日]] - [[ヨーゼフ・ラーボア]]、作曲家・ピアニスト(+ [[1924年]]) * [[7月4日]] - [[ヘルマン・コーエン]]、哲学者(+ [[1918年]]) * [[7月8日]](天保13年[[6月1日 (旧暦)|6月1日]])(:*[[天保]]15年([[1844年]])説もあり) - [[沖田総司]]、[[新選組]]隊士(+ [[1868年]]) * [[7月17日]] - [[トーマス・ウォートルス]]、[[銀座煉瓦街]]の建設で知られる[[建築家]](+ [[1892年]]) * [[7月22日]](天保13年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[国司親相]]、幕末期の[[長州藩]][[家老]](+ [[1864年]]) * [[7月26日]] - [[アルフレッド・マーシャル]]、[[経済学者]](+ [[1924年]]) * [[8月7日]](天保13年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]) - [[伊藤忠兵衛 (初代)]]、[[伊藤忠商事]]・[[丸紅]]創業者(+ [[1903年]]) * [[8月14日]] - [[ジャン・ガストン・ダルブー]]、[[数学者]](+ [[1917年]]) * [[8月17日]](天保13年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - [[岩城隆政]]、第11代[[亀田藩|亀田藩主]](+ [[1861年]]) * [[8月28日]](天保13年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]) - [[浅野長勲]]、第12代[[広島藩|広島藩主]]・外交官・政治家(+ [[1937年]]) * [[9月10日]](天保13年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]]) - [[野村靖]]、[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]・[[逓信大臣]](+ [[1909年]]) * [[9月19日]](天保13年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[臥雲辰致]]、臥雲式紡績機の開発者として知られる[[発明家]](+ [[1900年]]) * [[9月20日]] - [[ジェイムズ・デュワー]]、[[化学者]]・[[物理学者]](+ [[1923年]]) * [[9月21日]](天保13年[[8月17日 (旧暦)|8月17日]]) - [[林有造]]、逓信大臣・農商務大臣(+ [[1921年]]) * 9月21日 - [[アブデュルハミト2世]]、[[オスマン帝国]]第34代[[スルタン]](+ [[1918年]]) * [[10月18日]] - [[オスカル・テーノ]]、[[画家]](+ [[1894年]]) * [[10月26日]] - [[ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン]]、画家(+ [[1904年]]) * [[11月12日]](天保13年[[10月10日 (旧暦)|10月10日]]) - [[大山巌]]、陸軍軍人(+ [[1916年]]) * 11月12日 - [[ジョン・ウィリアム・ストラット (第3代レイリー男爵)|ジョン・ウィリアム・ストラット]]、物理学者(+ [[1919年]]) * [[12月5日]] - [[ヨハニス・デ・レーケ]]、日本の[[砂防]]・[[治山]]技術の確立に尽力した技術者(+ [[1913年]]) * [[12月9日]] - [[ピョートル・クロポトキン]]、[[アナキズム]]の創始者として知られる思想家(+ [[1921年]]) * [[12月17日]] - [[ニルス・ホシュベリ]]、画家(+ [[1934年]]) == 死去 == {{see also|Category:1842年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月21日]] - [[ヴォイチェフ・アダルベルト・ジヴヌィ]]、[[音楽家]](* [[1756年]]) * [[3月6日]] - [[コンスタンツェ・モーツァルト]]、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]夫人(* [[1762年]]) * [[3月10日]](天保13年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]) - [[水野忠実 (鶴牧藩主)|水野忠実]]、第2代[[鶴牧藩|鶴牧藩主]](* [[1792年]]) * [[3月11日]](天保13年[[1月30日 (旧暦)|1月30日]]) - [[池田斉敏]]、第7代[[岡山藩|岡山藩主]](* [[1811年]]) * [[3月15日]] - [[ルイジ・ケルビーニ]]、[[作曲家]](* [[1760年]]) * [[3月23日]] - [[スタンダール]]、[[小説家]](* [[1783年]]) * [[3月28日]](天保13年[[2月17日 (旧暦)|2月17日]]) - [[板倉勝喜]]、第5代[[庭瀬藩|庭瀬藩主]](* [[1765年]]) * [[3月30日]] - [[エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン]]、[[画家]](* [[1755年]]) * [[5月25日]](天保13年[[4月16日 (旧暦)|4月16日]]) - [[松平頼恕]]、第9代[[高松藩|高松藩主]](* [[1798年]]) * [[6月23日]](天保13年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]) - [[鈴木牧之]]、[[俳人]](* [[1770年]]) * [[6月25日]] - [[ジャン=シャルル=レオナール・シモンド・ド・シスモンディ]]、[[経済学者]](* [[1773年]]) * [[7月28日]] - [[クレメンス・ブレンターノ]]、小説家・[[詩人]](* [[1778年]]) * [[8月24日]](天保13年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]) - [[柳亭種彦]]、[[戯作者]](* [[1783年]]) * [[8月29日]](天保13年[[7月24日 (旧暦)|7月24日]]) - [[矢部定謙]]、[[江戸幕府]][[勘定奉行]]・[[町奉行|江戸南町奉行]](* [[1789年]]) * [[9月2日]](天保13年[[7月28日 (旧暦)|7月28日]]) - [[松平武揚]]、第2代[[浜田藩|浜田藩主]](* [[1827年]]) * [[9月15日]] - [[ピエール・バイヨ]]、[[ヴァイオリニスト]]・作曲家(* [[1771年]]) * [[10月20日]](天保13年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]]) - [[閑院宮愛仁親王]]、日本の[[皇族]]・[[閑院宮]]第5代当主(* [[1818年]]) * [[10月24日]] - [[ベルナルド・オイギンス]]、[[チリ]]の軍人・政治家(* [[1778年]]) * [[11月26日]] - [[ロバート・スミス (国務長官)|ロバート・スミス]]、アメリカ合衆国第2代海軍長官・第6代[[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]](* [[1757年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1842}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1842ねん}} [[Category:1842年|*]]
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1783年
1783年(1783 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
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1783年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1783}} {{year-definition|1783}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[天明]]3年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2443年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]48年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]7年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4116年 * [[元号一覧 (朝鮮)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]44年 ** [[西山朝]] : [[泰徳]]6年 * [[仏滅紀元]] : 2325年 - 2326年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1197年 - 1198年 * [[ユダヤ暦]] : 5543年 - 5544年 * [[ユリウス暦]] : 1782年12月21日 - 1783年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1783}} == できごと == [[ファイル:Tenmei_Eruption_1783_Mount_Asama_Drawing_1.png|サムネイル|270x270ピクセル|[[浅間山天明噴火]]]] * [[4月2日]] - イギリスで第3代[[ポートランド公爵]][[ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク (第3代ポートランド公爵)|ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンク]]内閣が成立。 * [[4月3日]] - [[アメリカ・スウェーデン友好通商条約]]締結。 * [[6月8日]] - [[アイスランド]]の[[ラキ火山]]が[[大噴火]]<ref>{{Cite web|和書 |title=アイスランド・ラキ火山大噴火(1783年6月8日) |url=https://typhoon.yahoo.co.jp/weather/calendar/358/ |website= |access-date=2022-09-16 |language=ja}}</ref>。その後数年間ヨーロッパに[[異常気象]]をもたらし、[[フランス革命]]の遠因となる。 * [[8月5日]] - [[浅間山]]の[[天明大噴火]]が発生<ref>{{Cite web|和書 |title=災害の実相、今に伝え 浅間山 天明の大噴火から240年 19日まで嬬恋で特別展「防災意識につなげたい」 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/195801 |website= |access-date=2022-09-16 |language=ja |publisher=東京新聞 TOKYO Web}}</ref>。 * [[9月3日]] - [[イギリス]]が[[アメリカ合衆国]]の独立を承認。[[パリ条約 (1783年)|パリ講和条約]]調印、[[アメリカ独立戦争]]終結。 * [[11月21日]] - [[モンゴルフィエ兄弟]]の製作した[[熱気球]]で有人飛行に初めて成功。 * [[11月30日]] - アメリカ合衆国とイギリスがアメリカ独立戦争の講和条約・パリ条約を締結。 * [[12月19日]] - イギリスで[[ウィリアム・ピット (小ピット)|小ピット]]内閣が成立(-[[1801年]])。 == 誕生 == {{see also|Category:1783年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月23日]] - [[スタンダール]]、[[小説家]](+ [[1842年]]) * [[4月3日]] - [[ワシントン・アーヴィング]]、小説家(+ [[1859年]]) * [[4月10日]] - [[オルタンス・ド・ボアルネ]]、[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の義娘(+ [[1837年]]) * [[5月26日]]([[天明]]3年[[4月26日 (旧暦)|4月26日]]) - [[村田清風]]、[[長州藩]][[家老]](+ [[1855年]]) * [[6月11日]](天明3年[[5月12日 (旧暦)|5月12日]]) - [[柳亭種彦]]、[[戯作者]](+ [[1842年]]) * [[6月19日]] - [[フリードリヒ・ゼルチュルナー]] - 薬剤師(+ [[1841年]]) * [[6月24日]] - [[ヨハン・ハインリヒ・フォン・チューネン]]、[[経済学者]](+ [[1850年]]) * [[7月24日]] - [[シモン・ボリバル]]、[[政治家]](+ [[1830年]]) * [[10月21日]](天明3年[[9月26日 (旧暦)|9月26日]]) - [[松平斉厚]]、[[寺社奉行]](+ [[1839年]]) * 月日不明 - [[白井亨]]、剣客(+ [[1843年]]) == 死去 == {{see also|Category:1783年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月16日]] - [[クリスチャン・マイヤー]]、[[天文学者]](* [[1719年]]) * [[7月19日]] - [[ヨハン・ヤーコプ・ボードマー]]、[[言語学者]](* [[1698年]]) * [[9月18日]] - [[レオンハルト・オイラー]]、[[数学者]]、[[物理学者]](* [[1707年]]) * [[10月29日]] - [[ジャン・ル・ロン・ダランベール]]、数学者、物理学者、[[哲学者]](* [[1717年]]) * [[12月20日]] - [[アントニオ・ソレール]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Antonio-Soler Antonio Soler Spanish composer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[聖職者]]、[[作曲家]](* [[1729年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|1783}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1783ねん}} [[Category:1783年|*]]
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1130年
1130年(1130 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1130年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1130}} {{year-definition|1130}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[庚戌]] * [[日本]] ** [[大治 (日本)|大治]]5年 ** [[皇紀]]1790年 * [[中国]] ** [[南宋]] : [[建炎]]4年 ** [[金 (王朝)|金]] : [[天会 (金)|天会]]8年 ** [[西夏]] : [[正徳 (西夏)|正徳]]4年 * [[朝鮮]] * [[ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[天順 (李朝)|天順]]3年 * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1130|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[ノルマン人]][[ルッジェーロ2世]]が南[[イタリア]]・[[シチリア]]に[[シチリア王国]]を建国。 * 南[[モロッコ]]の[[アトラス山脈]]付近に[[ムワッヒド朝]]が成立。 * [[インノケンティウス2世 (ローマ教皇)|インノケンティウス2世]]が[[ローマ教皇]]に即位。 * [[アナクレトゥス2世 (対立教皇)|アナクレトゥス]]の[[シスマ]]。 == 誕生 == {{see also|Category:1130年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[10月18日]]([[建炎]]4年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]) - [[朱熹]]、[[南宋]]の[[儒学者]](+ [[1200年]]) * [[ゲーザ2世 (ハンガリー王)|ゲーザ2世]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー王]]、[[クロアチア王国|クロアチア王]](+ [[1162年]]) * [[平時忠]]、[[平安時代]]の[[公卿]](+ [[1189年]]) * [[高階泰経]]、平安時代、[[鎌倉時代]]の公卿(+ [[1201年]]) * [[湛増]]、平安時代、鎌倉時代の第21代[[熊野別当]]、[[武将]](+ [[1198年]]) * [[藤原範季]]、平安時代、鎌倉時代の公卿(+ [[1205年]]) * [[藤原行隆]]、平安時代の[[公家]](+ [[1187年]]) * [[源定房]]、平安時代の公卿(+ [[1188年]]) * [[聖ロザリア]]、[[カトリック教会]]の[[聖人]](+ [[1166年]]) == 死去 == {{see also|Category:1130年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[10月12日]](大治5年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]) - [[藤原実兼 (太皇太后宮亮)|藤原実兼]]、[[平安時代]]の[[公家]](* 生年未詳) * [[11月11日]] - [[テレサ・デ・レオン]]、[[ポルトゥカーレ伯領|ポルトゥカーレ伯]][[エンリケ (ポルトゥカーレ伯)|エンリケ]]の妃(* [[1080年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1130}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=12|年代=1100}} {{デフォルトソート:1130ねん}} [[Category:1130年|*]]
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1815年
1815年(1815 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
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1815年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1815}} {{year-definition|1815}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[乙亥]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[文化 (元号)|文化]]12年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[嘉慶 (清)|嘉慶]]20年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]15年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4148年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[嘉隆]]14年  * [[仏滅紀元]] : 2357年 - 2358年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1230年1月19日 - 1231年1月29日 * [[ユダヤ暦]] : 5575年4月19日 - 5576年3月29日 * [[ユリウス暦]] : 1814年12月20日 - 1815年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -16026 - -15662 * [[リリウス日]](LD) : 84815 - 85179 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1815}} == できごと == * [[1月18日]] - [[米英戦争]]:[[ニューオーリンズの戦い]]で米軍が勝利。 * [[2月26日]] - [[ナポレオン・ボナパルト]]が[[エルバ島]]を脱出、[[パリ]]に進軍。 * [[3月20日]]-[[6月28日]] - ナポレオンの[[百日天下]]。 * [[4月10日]]-[[4月15日]] - [[インドネシア]]の[[タンボラ山]]が[[1815年のタンボラ山噴火|大噴火]]。記録に残っている[[噴火]]としては史上最大。(死者9万2千人)[[夏のない年]]を引き起こす。 * [[6月8日]] - [[ドイツ連邦]]がウィーン議定書に基づくドイツ連邦規約に基づき、[[オーストリア]]を盟主として発足。 * [[6月9日]] - [[ウィーン議定書]]([[ウィーン体制]]の成立) * [[6月18日]] - [[ワーテルローの戦い]]で[[フランス]]・ナポレオン軍が[[イギリス帝国|イギリス]]・[[オランダ]]連合軍および[[プロイセン王国|プロイセン]]軍に敗北<ref>{{Cite web|和書|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4d57ba83d5e41aac42e5017f84dc3147e53dc0ff|title=19世紀後半、黒船、地震、台風、疫病などの災禍をくぐり抜け、明治維新に向かう(福和伸夫) |publisher=Yahoo!ニュース|date=2020-08-24|accessdate=2021-01-14}}</ref>。 * [[8月10日]] - ナポレオン・ボナパルトがセントヘレナ島へ流刑。 * [[杉田玄白]]が[[蘭学事始]]を完成。 * [[オーギュスタン・ジャン・フレネル]]が[[フレネル回折]]を発見。 * [[ジャン=バティスト・セイ]]が『経済学問答』を刊行。 * [[伊能忠敬]]の第9次測量実施。 * [[セルビア]]で、第二次セルビア蜂起が発生。 == 誕生 == {{see also|Category:1815年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月11日]] - [[ジョン・A・マクドナルド]]、[[カナダの首相|カナダ首相]](+ [[1891年]]) * [[1月16日]]([[文化 (元号)|文化]]11年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]])- [[鍋島直正]]、第10代[[佐賀藩|佐賀藩主]](+ [[1871年]]) * [[2月11日]] - [[ジョン・アップルトン (政治家)|ジョン・アップルトン]]、[[政治家]]・[[外交官]](+ [[1864年]]) * [[3月13日]] - [[ジェームス・カーティス・ヘボン|ヘボン]]、[[アメリカ合衆国]]の[[キリスト教]][[宣教師]]・[[学校法人明治学院|明治学院]]創設者(+ [[1911年]]) * [[3月29日]](文化12年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]])- [[萩原広道]]、[[国学|国学者]]・[[歌人]](+ [[1863年]]) * [[4月1日]] - [[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]、[[ドイツ帝国]]初代宰相(+ [[1898年]]) * [[4月6日]] - [[ローベルト・フォルクマン]]、[[作曲家]](+ [[1883年]]) * [[4月8日]](文化12年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]])- [[山内豊熈]]、第13代[[土佐藩|土佐藩主]](+ [[1848年]]) * [[4月27日]](文化12年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]])- [[松平斉斎]]、第9代[[松江藩|松江藩主]](+ [[1863年]]) * [[5月8日]] - [[ジャン・アラール]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1888年]]) * [[5月29日]] - [[アンリ・ボードリエ]]、[[書誌学|書誌学者]](+ [[1884年]]) * [[6月1日]] - [[オソン1世]]、[[ギリシャ王国|ギリシャ王]](+ [[1867年]]) * [[6月2日]] - [[フィリップ・カーニー]]、[[アメリカ陸軍]]の軍人(+ [[1862年]]) * [[6月11日]] - [[ジュリア・マーガレット・カメロン]]、[[写真家]](+ [[1879年]]) * [[6月28日]] - [[ローベルト・フランツ]]、作曲家(+ [[1892年]]) * [[6月29日]](文化12年[[5月22日 (旧暦)|5月22日]]) - [[浅田宗伯]]、[[漢方医]](+ [[1894年]]) * [[7月6日]] - [[ルイ・ピエール・グラチオレ]]、[[解剖学者]]・[[動物学者]](+ [[1865年]]) * [[7月13日]](文化12年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]])- [[梅田雲浜]]、[[儒学者]](+ [[1859年]]) * 7月13日 - [[ジェイムズ・セドン]]、[[アメリカ連合国陸軍長官]](+ [[1880年]]) * [[8月5日]] - [[エドワード・ジョン・エア]]、[[探検家]](+ [[1901年]]) * [[8月16日]] - [[ヨハネ・ボスコ]]、[[カトリック教会]]の[[聖人]](+ [[1888年]]) * [[9月7日]] - [[ハウエル・コブ]]、[[アメリカ合衆国財務長官]]・[[アメリカ連合国臨時議会]]議長(+ [[1868年]]) * 9月7日(文化12年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]])- [[入江長八]]、[[工芸|工芸家]](+ [[1889年]]) * [[9月8日]] - [[ジュゼッピーナ・ストレッポーニ]]、[[ソプラノ]][[歌手]](+ [[1897年]]) * 9月8日 - [[アレクサンダー・ラムジー]]、第34代[[アメリカ合衆国陸軍長官]](+ [[1903年]]) * [[10月31日]] - [[カール・ワイエルシュトラス]]、[[数学者]](+ [[1897年]]) * [[11月2日]] - [[ジョージ・ブール]]、数学者(+ [[1864年]]) * [[11月15日]](文化12年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]])- [[田崎草雲]]、[[南画|南画家]](+ [[1898年]]) * [[11月16日]](文化12年[[10月16日 (旧暦)|10月16日]])- [[長野主膳]]、国学者・井伊直弼の謀臣(+ [[1862年]]) * [[11月18日]] - [[ローレンツ・フォン・シュタイン]]、ドイツの[[法学|法学者]]・[[社会学|社会学者]](+ [[1890年]]) * [[11月29日]](文化12年[[10月29日 (旧暦)|10月29日]])- [[井伊直弼]]、[[江戸幕府]][[大老]]·第15代[[彦根藩|彦根藩主]](+ [[1860年]]) * [[12月10日]] - [[エイダ・ラブレス]]、[[解析機関]]の先駆者とされる[[伯爵]]夫人(+ [[1852年]]) * 12月10日 - [[ジェームズ・レッグ|レッグ(理雅各)]]、イギリスの[[宣教師]]・中国学者(+ [[1897年]]) * [[12月21日]] - [[トマ・クチュール]]、[[画家]](+ [[1879年]]) * [[12月25日]] - [[テミストークレ・ソレーラ]]、[[オペラ]][[台本]]作家(+ [[1878年]]) == 死去 == {{see also|Category:1815年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月16日]] - [[エマ・ハミルトン]]、[[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ホレーショ・ネルソン]]提督の愛人として知られる人物(* [[1765年]]) * [[2月22日]] - [[スミソン・テナント]]、[[化学者]](* [[1761年]]) * [[2月24日]] - [[ロバート・フルトン]]、[[発明家]](* [[1765年]]) * [[3月5日]] - [[フランツ・アントン・メスメル]]、[[医学者]](* [[1734年]]) * [[4月8日]] - [[ヤクプ・シモン・ヤン・リバ]]、[[作曲家]](* [[1765年]]) * [[5月21日]] - [[ロマン・ホフシュテッター]]、作曲家(* [[1742年]]) * [[6月1日]] - [[ルイ=アレクサンドル・ベルティエ]]、[[フランス帝国]][[元帥]](* [[1753年]]) * [[6月24日]] - [[チャールズ・リー (司法長官)|チャールズ・リー]]、第3代[[アメリカ合衆国司法長官]](* [[1758年]]) * [[6月28日]]([[文化 (元号)|文化]]12年[[5月21日 (旧暦)|5月21日]])- [[鳥居清長]]、[[浮世絵|浮世絵師]](* [[1752年]]) * [[8月2日]] - [[ギヨーム=マリ=アン・ブリューヌ]]、フランス帝国元帥(* [[1763年]]) * [[8月12日]](文化12年[[7月8日 (旧暦)|7月8日]])- [[佐竹義和]]、第9代[[久保田藩|久保田藩主]](* [[1775年]]) * [[10月13日]] - [[ジョアシャン・ミュラ]]、[[ナポリ王国|ナポリ王]](* [[1767年]]) * [[11月16日]](文化12年[[10月16日 (旧暦)|10月16日]])- [[尾上松助 (初代)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1744年]]) * [[11月17日]] - [[ジョセフ・ハーバーシャム]]、第6代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1751年]]) * [[11月28日]] - [[ヨハン・ペーター・ザーロモン]]、音楽興行師(* [[1745年]]) * [[12月7日]] - [[ミシェル・ネイ]]、フランスの軍人・元帥(* [[1769年]]) * 月日不明 - [[段玉裁]]、考証学者(* [[1735年]]) == フィクションのできごと == * 10月 - [[ミリエル司教]]の[[司教]]館を、[[トゥーロン]]の徒刑場で19年も服役していた{{仮リンク|ジャン・ヴァルジャン|en|Jean Valjean}}が訪れ、物語が始まる。(小説『[[レ・ミゼラブル]]』) * ドイツの小説家カール・ハインツ・シュティッヒが、[[SF小説|未来科学小説]]『鋼鉄帝国』(STEEL EMPIRE)を執筆する。(ゲーム『[[鋼鉄帝国]]』)<ref>メガドライブ版『鋼鉄帝国』取扱説明書 [[ホット・ビィ]]、1992年、13・23頁。</ref><ref>[http://d-mebius.com/steelempire/pc/ 鋼鉄帝国 STEEL EMPIRE] - 『鋼鉄帝国』公式サイト。2018年12月26日閲覧。</ref> * [[マルセイユ]]の一等航海士であるエドモン・ダンテスが、航海中に死んだ船長の遺言で、[[ナポレオン・ボナパルト]]の流刑先である[[エルバ島]]に立ち寄る。そこで、ナポレオンの側近の[[アンリ・ガティアン・ベルトラン|ベルトラン]]大元帥からパリのノワルティエという人物に宛てた手紙を託され、物語が始まる。(小説『[[モンテ・クリスト伯]]』) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1815}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1815ねん}} [[Category:1815年|*]]
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1810年代
1810年代(せんはっぴゃくじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1810年から1819年までの10年間を指す十年紀。
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1810年代(せんはっぴゃくじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1810年から1819年までの10年間を指す十年紀。
{{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 19 | 年代 = 1810 | 年 = 1810 }} '''1810年代'''(せんはっぴゃくじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1810年から1819年までの10年間を指す[[十年紀]]。 == できごと == === 1810年 === {{main|1810年}} * [[5月25日]] [[リオ・デ・ラ・プラタ副王領]]の首都[[ブエノスアイレス]]で[[ポルテーニョ]]が[[五月革命 (アルゼンチン)|五月革命]]を起こし、副王を追放。 === 1811年 === {{main|1811年}} * [[アボガドロの法則]](分子説)提唱。 === 1812年 === {{main|1812年}} * [[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン1世]]、[[モスクワ]]遠征([[1812年ロシア戦役]])。 * 6月 - [[米英戦争]](-[[1814年]]12月)。 === 1813年 === {{main|1813年}} * [[3月17日]] - [[解放戦争 (ドイツ)]](-1814年[[3月31日]])。 === 1814年 === {{main|1814年}} * [[1月14日]] - [[キール条約]]。 * [[ウィーン会議]](-[[1815年]])。 * [[4月6日]] - [[ルイ18世 (フランス王)|ルイ18世]]、即位。 * [[フリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー]]、『[[立法と法学に対するわれわれの時代の使命について|立法と法学に対するわれわれの時代の使命(資格)について]](Vom Beruf unserer Zeit für Gesetzgebung und Rechtswissenschaft)』を著す。 === 1815年 === {{main|1815年}} * [[インドネシア]]の[[タンボラ山]]が[[1815年のタンボラ山噴火|大噴火]]。 * [[3月20日]]-[[6月28日]] - ナポレオンの[[百日天下]]。 * [[ウィーン議定書]]、[[ウィーン体制]]。 * 第二次セルビア蜂起が発生。 === 1816年 === {{main|1816年}} * [[7月9日]] [[リオ・デ・ラ・プラタ連合州]]([[アルゼンチン]])、[[トゥクマンの議会]]で[[スペイン]]から独立を宣言。 * 前年に起きたタンボラ山の噴火の影響で寒冷化。「[[夏のない年]]」といわれる。 * 5月〜11月、フランスでは天候不順が続き、8月に霜が降り、冷たい雨が絶え間なく降りなどして主要河川が大洪水に見舞われた。これらの自然災害が農作物生産に影響し、社会的混乱広がり暴動が多発した<ref>石弘之著『歴史を変えた火山噴火 ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 116ページ</ref>。 * 英使節[[ウィリアム・アマースト (初代アマースト伯爵)|アマースト]]が[[清]]に来航。 === 1817年 === {{main|1817年}} * [[10月31日]](文化14年9月21日) - [[光格天皇]]が譲位し、第120代[[仁孝天皇]]が即位。 * [[セルビア]]が[[オスマン帝国]]から自治権を獲得し、事実上の独立を果たす([[セルビア公国 (近代)|セルビア公国]]の成立)。 === 1818年 === {{main|1818年}} * [[2月5日]] - ナポレオン麾下だったベルナドット、[[スウェーデン]]王[[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|カール14世]]として即位。 * [[チリ]]、スペインから独立。 === 1819年 === {{main|1819年}} * [[大コロンビア]]、スペインから独立。 == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == * [[十年紀の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] * [[1812年 (序曲)]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} {{世紀と十年紀|千年紀=2|世紀=11|年代=1000}} {{History-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1810ねんたい}} [[Category:1810年代|*]]
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4,774
1802年
1802年(1802 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
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1802年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1802}} {{year-definition|1802}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[壬戌]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[享和]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2462年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[嘉慶 (清)|嘉慶]]7年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]2年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4135年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[西山朝]] : [[宝興]]2年  ** [[阮朝]] : [[嘉隆]]元年5月 - * [[仏滅紀元]] - 2344年 - 2345年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1216年8月26日 - 1217年9月6日 * [[ユダヤ暦]] : 5562年4月27日 - 5563年4月6日 * [[ユリウス暦]] : 1801年12月20日 - 1802年12月19日 * [[フランス革命暦]] : X年雪月11日 - XI年雪月10日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -20774 - -20410 * [[リリウス日]](LD) : 80067 - 80431 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1802}} == できごと == * [[3月25日]] - [[アミアンの和約]]{{要出典|date=2021-03}} * [[3月28日]] - [[ヴィルヘルム・オルバース]]が[[小惑星]][[パラス (小惑星)|パラス]]を発見。 * [[7月4日]] - [[ニューヨーク州]][[ウェストポイント (ニューヨーク州)|ウェストポイント]]に[[陸軍士官学校 (アメリカ合衆国)|アメリカ合衆国陸軍士官学校]]開校。 * [[徳川幕府]]、蝦夷奉行を置く(後に箱館奉行となる) * [[8月2日]] - [[ナポレオン・ボナパルト]]、終身大統領となる。 * [[東海道中膝栗毛]]が出版される。 * [[清]]朝で、[[白蓮教徒の乱]]が鎮圧される。 * [[ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック]]、[[シャルルの法則|気体の膨張の法則]]を発表。 * ベトナムで[[阮朝]]が成立。 == 誕生 == {{see also|Category:1802年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月17日]](享和2年[[1月15日 (旧暦)|1月15日]])- [[勝小吉]]、[[旗本]](+[[1850年]]) * [[2月20日]] - [[シャルル=オーギュスト・ド・ベリオ]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](+ [[1870年]]) * [[2月26日]] - [[ヴィクトル・ユーゴー|ユーゴー]]、フランスの[[小説家]]・[[詩人]](+ [[1885年]]) * [[3月7日]] - [[エドウィン・ランドシーア]]、[[画家]](+ [[1873年]]) * [[3月18日]]([[享和]]2年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]])- [[三条実万]]、[[江戸時代]]の[[公卿]](+ [[1859年]]) * [[4月6日]] - [[トマス・ギルマー]]、[[アメリカ合衆国海軍長官]](+ [[1844年]]) * [[5月25日]] - [[ヨハン・フリードリヒ・フォン・ブラント]]、[[自然学者]](+ [[1879年]]) * [[6月17日]] - [[ヘルマン・ゴルトシュミット]]、[[天文学者]]・[[画家]](+ [[1866年]]) * [[6月24日]](享和2年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]])- [[伊達千広]]、[[歌人]]・[[国学者]]・[[陸奥宗光]]の父(+ [[1877年]]) * [[7月1日]] - [[ギデオン・ウェルズ]]、アメリカ合衆国海軍長官(+ [[1878年]]) * [[7月6日]] - [[パーヴェル・ナヒーモフ]]、[[ロシア海軍]]の[[提督]](+ [[1855年]]) * [[7月14日]] - [[ファヴェル・リー・モーティマー]]、[[児童文学]]作家(+ [[1878年]]) * [[7月24日]] - [[アレクサンドル・デュマ・ペール|アレクサンドル・デュマ]](大デュマ)、フランスの[[小説家]](+ [[1870年]]) * [[7月26日]] - [[マリアノ・アリスタ]]、[[メキシコの大統領|メキシコ大統領]](+ [[1855年]]) * [[7月31日]] - [[イグナシー・ドメイコ]]、[[地質学者]]・[[鉱物学者]](+ [[1889年]]) * [[8月5日]] - [[ニールス・アーベル]]、[[数学者]](+ [[1829年]]) * [[8月7日]] - [[ジェルマン・アンリ・ヘス]]、[[化学者]](+ [[1850年]]) * [[9月19日]] - [[コシュート・ラヨシュ|コシュート]]、[[ハンガリー]]の民族主義運動指導者(+ [[1894年]]) * [[10月15日]] - [[ルイ=ウジェーヌ・カヴェニャック|カヴェニャック]]、フランスの[[軍人]]・[[将軍]](+ [[1857年]]) * [[10月26日]] - [[ミゲル1世 (ポルトガル王)|ミゲル1世]]、[[ポルトガル|ポルトガル王]](+ [[1866年]]) * [[11月19日]](享和2年[[11月29日 (旧暦)|11月29日]])- [[伏見宮邦家親王]]、江戸時代の[[皇族]](+ [[1872年]]) * [[12月15日]] - [[ボーヤイ・ヤーノシュ]]、数学者(+ [[1860年]]) == 死去 == {{see also|Category:1802年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月27日]](享和2年[[1月25日 (旧暦)|1月25日]]) - [[木村蒹葭堂]]、[[文人]]・[[文人画]]家(* [[1736年]]) * [[4月1日]] - [[ジョゼフ・デュプレシ]]、画家(* [[1725年]]) * [[4月18日]] - [[エラズマス・ダーウィン]]、[[医師]]・[[詩人]]・自然哲学者(* [[1731年]]) * [[7月22日]] - [[マリー・フランソワ・クサヴィエ・ビシャ]]、[[解剖学者]]・[[生理学者]](* [[1771年]]) * [[8月15日]](享和2年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[唐衣橘洲]]、[[狂歌]]師(* [[1744年]]) * [[11月15日]] - [[ジョージ・ロムニー (画家)|ジョージ・ロムニー]]、画家(* [[1734年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1802}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1802ねん}} [[Category:1802年|*]]
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1873年
1873年(1873 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。明治6年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
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1873年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。明治6年。
{{年代ナビ|1873}} {{year-definition|1873}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[癸酉]] * 日本(月日は一致) ** [[明治]]6年 ** [[皇紀]]2533年 * [[清]]:[[同治]]11年12月3日 - 同治12年11月12日 * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]10年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4206年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[嗣徳]]25年12月3日 - 嗣徳26年11月12日 * [[仏滅紀元]]:2415年 - 2416年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1289年11月2日 - 1290年11月11日 * [[ユダヤ暦]]:5633年4月2日 - 5634年4月11日 * [[修正ユリウス日]](MJD):5159 - 5523 * [[リリウス日]](LD):106000 - 106364 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1873}} == できごと == === 1月 === * [[1月1日]] - 日本の改暦ノ布告(明治5年[[12月3日 (旧暦)|旧12月3日]]を明治6年1月1日とする、「[[明治改暦]]」も参照) * [[1月9日]] - 仙台・東京・名古屋・大阪・広島・熊本の6管区[[鎮台]]制となる(1888年に師団制に改称)。 * [[1月10日]] - [[徴兵令]]施行。以後、現役兵の[[入営]]日となる * [[1月14日]] - [[廃城令]]が公布 * [[1月15日]] ** [[公園#日本における近現代公園史|公園設置令]]布告 ** [[東京高等師範学校|東京師範学校]]附属小学校(現在の[[筑波大学附属小学校]])設立([[学制]]に基づく日本初の[[小学校]]) * [[1月22日]] - [[華族]]・[[士族]]・[[平民]]間の[[養子縁組]]を許可 === 2月 === * [[2月4日]] - [[東京市]][[養育院]]落成([[護国院 (台東区)|護国院]]内) * [[2月7日]] - 復讐厳禁([[仇討]]禁止令)布告 * [[2月11日]] - [[スペイン第一共和政]]成立([[アマデオ1世 (スペイン王)|アマデオ1世]]退位) * [[2月12日]] - 米国で[[金銀複本位制]]廃止 * [[2月24日]] - キリスト教禁止の高札([[五榜の掲示]])が撤廃(江戸初期の禁止以来,初めてキリスト教公認) * [[2月27日]] - 外務大臣[[副島種臣]]、[[特命全権公使]]として[[清国]][[北京]]訪問。7月26日帰国。 === 3月 === * [[3月14日]] - 外国人との婚姻に関する規則公布([[太政官布告]]第103号内外人民婚姻条規)。 * [[3月23日]] - [[レミントンランド|E・レミントン・アンド・サンズ]]社が[[タイプライター]]を製造開始 * [[3月23日]] - [[プエルトリコ]]で奴隷制廃止 * [[3月25日]] - 五公園を決定([[上野恩賜公園|上野]]・[[浅草寺|浅草]]・[[深川公園|深川]]・[[飛鳥山公園|飛鳥山]]・[[芝公園|芝]]) === 4月 === * [[4月1日]] - 郵便料金が全国均一となる(書状は市内1銭・市外2銭) * [[4月30日]] - [[日清修好条規]]発効 === 5月 === * [[5月1日]] - [[ウィーン万国博覧会]]開幕 ( - 10月31日),日本が初めて公式参加 * [[5月5日]] - 皇居炎上。天皇皇后、[[赤坂離宮]](元紀州徳川家中屋敷)避難。 * [[5月7日]] - [[米国海兵隊]]が[[パナマ]]に侵攻 * [[5月9日]] - [[銀座煉瓦街]]一部竣工 * [[5月12日]] - スウェーデン王[[オスカル2世 (スウェーデン王)|オスカル2世]]戴冠式 * [[5月15日]] - [[東京市]]内の牛豚牧畜を禁止 * [[5月20日]] - [[リーヴァイ・ストラウス]]とジェイコブ・デイヴィスが[[リベット]]で[[ポケット]]を補強した[[ズボン]]の[[特許]]を取得、[[ジーンズ]]の発祥とされる * [[5月31日]] - [[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]改架竣工 === 6月 === * [[6月9日]] - 北ロンドンの[[アレクサンドラ・パレス]]が開館16日目にして焼失 * [[6月10日]] - [[目安箱]]廃止 * [[6月15日]] ** [[千葉県]]成立([[印旛県]]と[[木更津県]]が統合) ** [[宇都宮県]]と栃木県の統合により後の[[栃木県]]の県域がほぼ確定 * [[6月16日]] - [[福岡県]]で明治新政府に抗議する[[筑前竹槍一揆]]勃発 * [[6月24日]] - [[集議院]]廃止 === 7月 === * [[7月1日]] - [[プリンス・エドワード島]]がカナダに編入 * [[7月10日]] - [[小塚原刑場]]廃止 * [[7月18日]] - [[火葬禁止令]]公布 * [[7月20日]] - [[第一国立銀行]]設立 * [[7月26日]] - [[両国 (墨田区)#両国花火|両国の花火]]が復活 * [[7月28日]] - [[地租改正]]法公布 === 8月 === * [[8月23日]] - ロンドンで[[アルバート橋]]([[:en:Albert Bridge, London|Albert Bridge]])開橋 === 9月 === * [[9月13日]] - [[岩倉使節団]]帰朝 * [[9月18日]] - 米国で恐慌([[1873年恐慌]]) * [[9月20日]] - 恐慌により[[ニューヨーク証券取引所]]が10日間閉鎖 === 10月 === * [[10月14日]] - [[祝祭日]]休暇制定([[年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム]]) * [[10月22日]] - ドイツ・オーストリア・ロシアが三帝同盟を結成。 * [[10月25日]] - [[明治六年政変]]([[征韓論]]政変) === 11月 === * [[11月1日]] - [[萬世橋]]竣工 * [[11月4日]] - [[東京外国語学校 (旧制)|東京外国語学校]]設立([[開成学校]]より独立) * [[11月10日]] - [[内務省 (日本)|内務省]]設置 === 12月 === * [[12月1日]] - [[郵便葉書]]発売(市内用5厘・全国用1銭) === 日付不詳 === * スマトラで[[アチェ戦争]]起こる( - [[1904年]]) == 誕生 == {{see also|Category:1873年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月2日]] - [[リジューのテレーズ]]、[[カルメル会]][[修道士|修道女]](+ [[1897年]]) * [[1月3日]] - [[小林一三]]、[[実業家]]。[[阪急電鉄]]・[[阪急百貨店]]・[[阪急東宝グループ]]の創業者(+ [[1957年]]) * [[1月8日]] - [[リュシアン・カペー]]、[[音楽家]](+ [[1928年]]) * [[1月10日]] - [[チック・スタル]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1907年]]) * [[1月20日]] - [[岩野泡鳴]]、[[小説家]]・[[詩人]](+ [[1920年]]) * [[1月28日]] - [[シドニー=ガブリエル・コレット]]、女性[[作家]](+ [[1954年]]) * [[1月29日]] - [[ルイージ・アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ]]、[[登山家]]・[[探検家]](+ [[1933年]]) * [[2月4日]](ユリウス暦1月23日) - [[ミハイル・プリーシヴィン]]、作家(+ [[1954年]]) * [[2月13日]](ユリウス暦2月1日) - [[フョードル・シャリアピン]]、[[オペラ]][[歌手]](+ [[1938年]]) * [[2月23日]] - [[アンシ]]、[[絵本作家]]・[[画家]](+ [[1951年]]) *[[2月25日]] - [[エンリコ・カルーソー]]、[[テノール]]歌手(+ [[1921年]]) * [[2月26日]] - [[河東碧梧桐]]、俳人(+ [[1937年]]) * [[2月26日]] - [[与謝野鉄幹]]、歌人(+ [[1935年]]) * [[3月23日]] - [[秦佐八郎]]、細菌学者(+ [[1938年]]) * [[4月1日]](ユリウス暦3月20日)- [[セルゲイ・ラフマニノフ]]、作曲家・[[ピアニスト]](+ [[1943年]]) * [[4月5日]] - [[ミスタンゲット]]、[[シャンソン]][[歌手]]・[[俳優|女優]](+ [[1956年]]) * [[4月7日]] - [[ジョン・マグロー]]、元メジャーリーガー(+ [[1934年]]) * [[4月8日]] - [[フョードル・ケーネマン]]、ピアニスト・作曲家(+ [[1937年]]) * [[4月10日]] - [[下村観山]]、[[日本画家]](+ [[1930年]]) * [[4月25日]] - [[ウォルター・デ・ラ・メア]]、[[小説家]]・[[詩人]](+ [[1956年]]) * [[5月1日]] - [[コンスタンチン・イグームノフ]]、ピアニスト・作曲家・音楽教師(+ [[1948年]]) * [[5月7日]] - [[美濃部達吉]]、[[内務省 (日本)|内務]]官僚・[[法学者]](+ 1948年) * [[5月9日]] - [[ハワード・カーター]]、エジプト[[考古学]]者(+ [[1939年]]) * [[5月20日]] - [[桐生悠々]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1941年]]) * [[5月25日]] - [[アーチボルド・ジョイス]]、作曲家(+ [[1963年]]) * [[6月24日]] - [[ヒューゴ・シンベリ]]、画家(+ [[1917年]]) * [[7月19日]] - [[ハリー・デービス (1873年生の内野手)|ハリー・デービス]]、メジャーリーガー(+ [[1947年]]) * [[7月20日]] - [[アルベルト・サントス・デュモン]]、航空研究家(+ [[1932年]]) * [[7月23日]] - [[久邇宮邦彦王]]、皇族(+ [[1929年]]) * [[7月25日]] - [[姉崎正治]]、[[評論家]]・[[宗教学者]](+ [[1949年]]) * [[7月26日]] - [[野口遵]]、[[実業家]]・[[日窒コンツェルン]]創業者(+ [[1944年]]) * [[8月26日]] - [[新城新蔵]]、[[天文学者]](+ [[1938年]]) * 8月26日 - [[リー・ド・フォレスト]]、[[発明家]]・技術者(+ [[1961年]]) * [[9月8日]] - [[アルフレッド・ジャリ]]、[[小説家]]・[[劇作家]](+ [[1907年]]) * [[10月3日]] - [[津田左右吉]]、歴史学者(+ [[1961年]]) * [[10月9日]] - [[フレッシュ・カーロイ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ 1944年) * [[10月10日]] - [[アドルフ・フリードリヒ・ツー・メクレンブルク]]、[[探検家]]・植民地政治家(+ [[1969年]]) * [[10月22日]] - [[グスターフ・ラムステッド]]、[[言語学者]](+ [[1950年]]) * [[10月25日]] - [[髙見山酉之助]]、[[明治時代]]の[[大相撲]][[力士]](+ [[1924年]]) * [[11月4日]] - [[泉鏡花]]、[[小説家]](+ [[1939年]]) * 11月4日 - [[ボビー・ウォレス]]、メジャーリーガー(+ [[1960年]]) * [[11月15日]] - [[山本滝之助]]、社会教育家(+ [[1931年]]) * [[11月24日]] - [[川合玉堂]]、日本画家(+ [[1957年]]) * [[12月4日]] - [[ジョン・アンダーソン (外野手)|ジョン・アンダーソン]]、メジャーリーガー(+ [[1949年]]) * [[12月20日]] - [[朝河貫一]]、[[歴史家|歴史学者]](+ [[1948年]]) == 死去 == {{see also|Category:1873年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月9日]] - [[ナポレオン3世]]、[[フランス]]皇帝(* [[1808年]]) * [[1月18日]] - 初代[[リットン男爵]][[エドワード・ブルワー=リットン]]、[[小説家]](* [[1803年]]) * [[1月26日]] - [[アメリー・ド・ボアルネ]]、[[ブラジル帝国|ブラジル皇帝]][[ペドロ1世 (ブラジル皇帝)|ペドロ1世]]の皇后(* [[1812年]]) * [[2月1日]] - [[大谷友右衛門 (5代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1833年]]) * 2月1日 - [[マシュー・フォンテーン・モーリー]]、[[海軍士官]]・[[海洋学者]](* [[1806年]]) * [[2月7日]] - [[シェリダン・レ・ファニュ]]、小説家(* [[1814年]]) * [[4月11日]] - [[エドワード・キャンビー]]、[[アメリカ陸軍]]の将軍(* [[1817年]]) * [[4月18日]] - [[ユストゥス・フォン・リービッヒ]]、[[化学者]](* [[1803年]]) * [[5月1日]] - [[デイヴィッド・リヴィングストン]]、[[探検家]](* [[1813年]]) * [[5月7日]] - [[サーモン・チェイス]]、[[アメリカ合衆国財務長官]]・最高裁長官(* [[1808年]]) * [[5月8日]] - [[ジョン・スチュアート・ミル]]、[[哲学者]]・[[経済学者]](* [[1806年]]) * [[5月15日]] - [[アレクサンドル・ヨアン・クザ]]、[[ルーマニア|ルーマニア公]](* [[1820年]]) * [[5月22日]] - [[アレッサンドロ・マンゾーニ]]、[[詩人]]・小説家(* [[1785年]]) * [[7月8日]] - [[フランツ・ヴィンターハルター]]、[[画家]](* [[1805年]]) * [[7月16日]] - [[近衛忠房]]、[[江戸時代]]の[[公卿]](* [[1838年]]) * [[7月19日]] - [[フェルディナンド・ダヴィッド]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](* [[1810年]]) * [[7月27日]] - [[フョードル・チュッチェフ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Fyodor-Tyutchev Fyodor Tyutchev Russian writer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、詩人・[[外交官]](* [[1803年]]) * [[8月4日]] - [[ヴィクトル・ハルトマン]]、画家(* [[1834年]]) * [[8月8日]] - [[アントワーヌ・シャントルイユ]]、画家(* [[1814年]]) * [[9月15日]] - [[金原亭馬生 (3代目)]]、[[落語家]] * [[9月20日]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ドナティ]]、[[天文学者]](* [[1826年]]) * [[9月23日]] - [[ジャン・シャコルナク]]、天文学者(* [[1823年]]) * [[9月27日]] - [[澤宣嘉]]、日本の[[外務大臣 (日本)|外務卿]](* [[1836年]]) * [[9月28日]] - [[エミール・ガボリオ]]、小説家(* [[1832年]]) * [[10月1日]] - [[エドウィン・ランドシーア]]、画家(* [[1802年]]) * [[10月3日]] - [[鳥居耀蔵]]、[[江戸幕府]][[町奉行|南町奉行]](* [[1796年]]) * [[10月6日]] - [[フリードリヒ・ヴィーク]]、[[音楽家]](* [[1785年]]) * [[10月29日]] - [[ヨハン (ザクセン王)|ヨハン]]、[[ザクセン王国|ザクセン王]](* [[1801年]]) * [[11月9日]] - [[スティーヴン・マロリー]]、[[政治家]](* [[1813年]]) * [[12月14日]] - [[ルイ・アガシー]]、[[海洋学|海洋学者]]・[[地質学|地質学者]](* [[1807年]]) * [[12月20日]] - [[松平宗秀]]、江戸幕府[[老中]](* [[1809年]]) * [[12月24日]] - [[ハインリヒ・グスタフ・ホトー]]、[[美学|美学者]](* [[1802年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1873}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1873ねん}} [[Category:1873年|*]]
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4,776
1792年
1792年(1792 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる閏年。
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1792年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1792}} {{year-definition|1792}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[壬子]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[寛政]]4年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2452年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]57年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]16年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4125年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[西山朝]] : [[光中]]5年 * [[仏滅紀元]] : 2334年 - 2335年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1206年 - 1207年 * [[ユダヤ暦]] : 5552年 - 5553年 * [[ユリウス暦]] : 1791年12月21日 - 1792年12月20日 * [[フランス革命暦]] : I年葡萄月1日([[グレゴリオ暦]]1792年9月22日) - I年雪月11日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1792}} == できごと == * [[1月9日]] - [[露土戦争 (1787年)|露土戦争]]: [[ヤシ条約]]調印により終戦{{要出典|date=2021-03}} * [[3月16日]] - スウェーデン王[[グスタフ3世 (スウェーデン王)|グスタフ3世]]が{{仮リンク|グスタフ3世暗殺事件|sv|Mordet på Gustav III|label=狙撃}}される{{要出典|date=2021-05}}([[3月29日]]死亡) * [[5月17日]] - [[ニューヨーク証券取引所]]の元となる[[すずかけ協定]]が結ばれる。 * [[6月1日]] - 米国にて[[ケンタッキー州|ケンタッキー]]が15番目に州となる * [[10月12日]] - 米国で初の[[コロンブス・デー]]([[クリストファー・コロンブス]]の上陸から三百周年) * [[10月13日]] - [[ホワイトハウス]]のルーツとなる、[[アメリカ合衆国大統領|米国大統領]]官邸の礎石が置かれ、建設が着工する。 * [[12月3日]] - [[1792年アメリカ合衆国大統領選挙|米大統領選挙]]で[[ジョージ・ワシントン|ワシントン]]が再選 === 日本 === * [[5月21日]](寛政4年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]]) - [[雲仙岳]]が噴火([[島原大変肥後迷惑]]) * [[12月11日]](寛政4年[[10月28日 (旧暦)|10月28日]]) - [[蝦夷国]][[松前藩]]、第8代藩主[[松前道広]]の隠退により第9代[[松前章広]]が襲封 * [[ロシア]]使節の[[アダム・ラクスマン|ラクスマン]]が日本を訪れる。 === フランス === * [[4月20日]] - フランスが[[オーストリア]]に宣戦布告([[フランス革命戦争]]勃発) * [[4月22日]] - フランス革命戦争: [[ジョージ・ワシントン|ワシントン]]米大統領が中立宣言 * [[4月25日]] ** [[ジョゼフ・ギヨタン]]の提案により「単なる機械装置の作用([[ギロチン]])」による死刑の執行がフランス国民議会で採択。 ** [[ルージェ・ド・リール]]が[[ラ・マルセイエーズ]]を作詞作曲 * [[8月10日]] - フランス革命: [[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]が拘束・幽閉され、王権停止([[8月10日事件]]) * [[9月2日]] - フランス革命: [[九月虐殺]] * [[9月20日]] - フランス革命戦争: [[ヴァルミーの戦い]] * [[9月21日]] - フランス革命: [[フランス第一共和政|第一共和政]]樹立 * [[12月26日]] - フランス革命: ルイ16世の裁判開始 == 誕生 == {{see also|Category:1792年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月19日]] - [[ロデリック・マーチソン]]、[[地質学者]](+ [[1871年]]) * [[2月29日]] - [[ジョアキーノ・ロッシーニ]]、作曲家(+ [[1868年]]) * [[3月7日]] - [[ジョン・ハーシェル]]、[[天文学者]]・[[数学者]](+ [[1871年]]) * [[4月2日]] - [[フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル]]、政治家(+ [[1840年]]) * [[5月13日]] - [[ピウス9世 (ローマ教皇)|ピウス9世]]、[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1878年]]) * [[5月15日]] - [[ジャコブ・マイエール・ド・ロチルド]]、銀行家 • 貴族(+ [[1868年]]) * [[5月18日]] - [[マーガレット・アン・ネーヴ]]、女性初の確証ある[[スーパーセンテナリアン]] (+ [[1903年]]) * [[8月4日]] - [[ジョン・ビグスビー]]、[[医師]]・[[地質学者]](+ [[1881年]]) * [[8月18日]] - [[ジョン・ラッセル (初代ラッセル伯爵)]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1878年]]) * [[9月5日]] - [[アルマン・デュフレノア]]、地質学者・[[鉱物学者]](+ [[1857年]]) * [[12月1日]] - [[ニコライ・ロバチェフスキー]]、数学者(+ [[1856年]]) == 死去 == {{see also|Category:1792年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月23日]] - [[ジョシュア・レノルズ]]、[[画家]](* [[1723年]]) * [[3月10日]] - 第3代[[ビュート伯爵]][[ジョン・ステュアート (第3代ビュート伯)|ジョン・ステュアート]]、政治家(* [[1713年]]) * [[3月29日]] - [[グスタフ3世|グスタフ3世アドルフ]]、[[スウェーデン]]王(* [[1746年]]) * [[6月4日]] - [[ヤーコプ・ミヒャエル・ラインホルト・レンツ]]、[[詩人]]・[[劇作家]](* [[1751年]]) * [[12月1日]] - [[ジョージ・メイソン (4世)|ジョージ・メイソン]]、[[政治家]](* [[1725年]]) <!--== 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1792}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1792ねん}} [[Category:1792年|*]]
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1810年
1810年(1810 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1810年(1810 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "誕生" } ]
1810年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1810}} {{year-definition|1810}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[庚午]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[文化 (元号)|文化]]7年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2470年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[嘉慶 (清)|嘉慶]]15年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]10年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4143年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[嘉隆]]9年  * [[仏滅紀元]] : 2352年 - 2353年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1224年11月25日 - 1225年12月4日 * [[ユダヤ暦]] : 5570年4月25日 - 5571年4月4日 * [[ユリウス暦]] : 1809年12月20日 - 1810年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -17852 - -17488 * [[リリウス日]](LD) : 82989 - 83353 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1810}} == できごと == * [[4月1日]] - [[ナポレオン・ボナパルト]]、[[マリア・ルイーザ (パルマ女公)|マリー・ルイーズ・ドートリッシュ]]と結婚{{要出典|date=2021-03}}。 * [[5月25日]] - [[南アメリカ|南米]][[アルゼンチン]](当時は[[リオ・デ・ラ・プラタ副王領]])の[[ブエノス・アイレス]]で[[五月革命 (アルゼンチン)|五月革命]]が勃発。 * [[6月20日]] - [[スウェーデン]][[貴族]]で、[[マリー・アントワネット]]の愛人であった[[ハンス・アクセル・フォン・フェルセン]]が民衆により惨殺される。 * [[7月20日]] - [[コロンビア]]が[[スペイン]]からの独立を宣言。約10年にわたる[[独立戦争]]を経て[[1819年]]に完全独立。 * [[イギリス]][[国王|王]][[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]、この頃より精神に異常をきたしはじめる。 *[[フンボルト大学ベルリン|ベルリン大学(フンボルト大学)]]創立。 == 誕生 == {{see also|Category:1810年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月20日]] - [[フェルディナンド・ダヴィッド]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](+ [[1873年]]) * [[2月5日]] - [[オーレ・ブル]]、[[ヴァイオリニスト]]・作曲家(+ [[1880年]]) * [[2月8日]] - [[ノルベルト・ブルグミュラー]]、作曲家(+ [[1836年]]) * 2月8日 - [[エリファス・レヴィ]]、魔術理論家(+ [[1875年]]) * [[3月1日]]([[2月22日]]説あり) - [[フレデリック・ショパン|ショパン]]、ポーランドの作曲家・[[ピアニスト]](+ [[1849年]]) * [[3月2日]] - [[レオ13世 (ローマ教皇)|レオ13世]]、第256代[[ローマ教皇]](+ [[1903年]]) * [[3月13日]] - [[グスタヴ・ヴィルヘルム・パルム]]、[[画家]](+ [[1890年]]) * [[4月5日]] - [[ヘンリー・ローリンソン (初代準男爵)|ローリンソン]]、イギリスの[[アッシリア]]学者・[[軍人]](+ [[1895年]]) * [[5月15日]] - [[ジェイコブ・トンプソン]]、第5代[[アメリカ合衆国内務長官]](+ [[1885年]]) * [[5月18日]] - [[フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ]]、[[劇作家]](+ [[1876年]]) * [[6月8日]] - [[ロベルト・シューマン|シューマン]]、ドイツの[[ロマン派]]作曲家(+ [[1856年]]) * [[6月17日]] - [[フェルディナント・フライリヒラート|フライリヒラート]]、ドイツの[[詩人]](+ [[1876年]]) * [[6月23日]] - [[ファニー・エルスラー]]、[[バレリーナ|バレエダンサー]](+ [[1884年]]) * [[7月8日]] - [[ヨハンナ・キンケル]]、作曲家・[[小説家]](+ [[1858年]]) * [[7月21日]] - [[アンリ・ヴィクトル・ルニョー]]、[[化学者]]・[[物理学者]](+ [[1878年]]) * [[7月31日]] - [[ユリアン・フォンタナ]]、[[法律家]]・[[著述家]]・[[起業家]]、作曲家(+ [[1869年]]) * [[8月10日]] - [[カミッロ・カヴール|カヴール]]、[[イタリア王国]]初代首相(+ [[1861年]]) * [[8月13日]]([[文化 (元号)|文化]]7年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[緒方洪庵]]、[[蘭学者]](+ [[1863年]]) * [[8月18日]] - [[ジュール・ペロー]]、[[バレエ]]ダンサー・[[振付家]](+ [[1892年]]) * [[8月30日]](文化7年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]])- [[堀田正睦]]、[[老中]]首座、下総[[佐倉藩]]第5代藩主(+ [[1864年]]) * [[9月29日]] - [[エリザベス・ギャスケル]]、小説家(+ [[1865年]]) * [[11月5日]] - [[アルフォンソ・タフト]]、第31代[[アメリカ合衆国陸軍長官]]、第33代[[アメリカ合衆国司法長官]](+ [[1891年]]) * [[12月7日]] - [[テオドール・シュワン|シュワン]]、ドイツの[[生物学者]](+ [[1882年]]) * [[12月11日]] - [[アルフレッド・ド・ミュッセ]]、[[作家]](+ [[1857年]]) * 日付不明 - [[国定忠治]]、[[侠客]](+ [[1851年]]) == 死去 == {{see also|Category:1810年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月4日]] - [[ヘンリー・キャヴェンディッシュ]]、[[化学者]](* [[1731年]]) * [[2月22日]] - [[チャールズ・ブロックデン・ブラウン]]、小説家・[[歴史家]](* [[1771年]]) * [[3月31日]] - [[ルイジ・ランツィ]]、考古学者(* [[1732年]]) * [[5月28日]] - [[カール・アウグスト (スウェーデン王太子)|カール・アウグスト]]、[[スウェーデン]][[王太子]](* [[1768年]]) * [[6月20日]] - [[ハンス・アクセル・フォン・フェルセン]](* [[1755年]]) * [[6月26日]] - [[モンゴルフィエ兄弟|ジョゼフ・ミシェル・モンゴルフィエ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Montgolfier-brothers Joseph-Michel and Jacques-Étienne Montgolfier French aviators] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[熱気球]]発明者(* [[1740年]]) * [[12月2日]] - [[フィリップ・オットー・ルンゲ]]、[[画家]](* [[1777年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1810}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1810ねん}} [[Category:1810年|*]]
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1797年
1797年(1797 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
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1797年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1797}} {{year-definition|1797}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丁巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[寛政]]9年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2457年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[嘉慶 (清)|嘉慶]]2年 *** [[黎樹]] : [[大慶 (黎樹)|万利]]元年2月 *** [[王大叔]] : [[大慶 (王大叔)|大慶]]元年2月 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]21年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4130年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[西山朝]] : [[景盛]]5年 * [[仏滅紀元]] : 2339年 - 2340年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1211年 - 1212年 * [[ユダヤ暦]] : 5557年 - 5558年 * [[ユリウス暦]] : 1796年12月21日 - 1797年12月20日 * [[フランス革命暦]] : V年雪月12日 - VI年雪月11日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1797}} == できごと == * [[2月14日]] - [[フランス革命戦争]]:[[サン・ビセンテ岬の海戦]]{{要出典|date=2021-04}} * [[3月4日]] - [[ジョン・アダムズ]]、[[アメリカ合衆国]]第2代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]に就任 * [[6月29日]] - イタリアに[[チザルピーナ共和国]]が建国される * 世界最古の遊戯[[折り紙]]の本、『[[秘傳千羽鶴折形]]』出版 * フランス外相[[シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール|タレーラン]]、アメリカ代表に対して[[賄賂]]を要求([[XYZ事件]]) * [[ベリリウム]]の発見([[ルイ=ニコラ・ヴォークラン]])。 == 誕生 == {{see also|Category:1797年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月31日]] - [[フランツ・シューベルト]]、作曲家(+ [[1828年]]) * [[3月22日]] - [[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]]、[[ドイツ皇帝]](+ [[1888年]]) * [[3月27日]] - [[アルフレッド・ド・ヴィニー]]、[[劇作家]]・[[詩人]](+ [[1863年]]) * [[4月3日]] - [[バルテルミー・シャルル・ジョゼフ・デュモルティエ]]、[[政治家]]・[[植物学者]](+ [[1878年]]) * [[4月13日]]([[寛政]]9年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]])- [[大原幽学]]、農政学者(+ [[1858年]]) * [[4月16日]] - [[アドルフ・ティエール]]、[[政治家]]・[[歴史家]](+ [[1877年]]) * [[7月17日]] - [[ポール・ドラローシュ]]、[[画家]](+ 1856年) * [[8月30日]] - [[メアリー・シェリー]]、[[小説家]](+ [[1851年]]) * [[10月16日]] - [[ジェイムズ・ブルーデネル (第7代カーディガン伯爵)]]、政治家・軍人(+ [[1868年]]) * [[11月14日]] - [[チャールズ・ライエル]]、[[地質学者]]・[[法律家]](+ [[1875年]]) * [[12月6日]] - [[アントワネット・アンリエット・クレマンス・ロベール]]、[[作家]](+ [[1872年]]) * [[12月13日]] - [[ハインリヒ・ハイネ]]、[[詩人]](+ [[1856年]]) * [[歌川広重]]、[[浮世絵師]](+ [[1858年]]) == 死去 == {{see also|Category:1797年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月8日]] - [[ヨハン・フリードリヒ・ドーレス]]、[[作曲家]](* [[1715年]]) * [[2月16日]](寛政9年[[1月27日 (旧暦)|1月27日]])- [[松平頼看]]、第7代[[西条藩|西条藩主]](* [[1774年]]) * [[3月2日]] - [[ホレス・ウォルポール]]、[[小説家]]・[[政治家]](* [[1717年]]) * 3月2日(寛政9年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]) - [[森俊韶]]、第4代[[三日月藩|三日月藩主]](* [[1750年]]) * [[5月27日]] - [[フランソワ=ノエル・バブーフ]]、[[革命家]](* [[1760年]]) * [[5月31日]](寛政9年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[蔦屋重三郎]]、書物・[[地本問屋]](* [[1750年]]) * [[7月9日]] - [[エドマンド・バーク]]、[[思想家]](* [[1729年]]) * [[9月1日]](寛政9年[[閏]][[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[日厳]]、[[大石寺]]第42世法主(* [[1748年]]) * [[9月10日]] - [[メアリ・ウルストンクラフト]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Mary-Wollstonecraft Mary Wollstonecraft English author] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、思想家(* [[1759年]]) * [[10月29日]](寛政9年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]]) - [[六郷政林]]、第6代[[本荘藩|本荘藩主]](* [[1737年]]) * [[11月16日]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム2世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム2世]]、[[プロイセン王国]]国王(* [[1744年]]) * [[12月1日]] - [[オリヴァー・ウォルコット (独立宣言署名者)|オリヴァー・ウォルコット]]、[[アメリカ合衆国下院議員]]・[[コネチカット州知事]](* [[1726年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!--== 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1797}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1797ねん}} [[Category:1797年|*]]
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4,779
1760年代
1760年代(せんななひゃくろくじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1760年から1769年までの10年間を指す十年紀。
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1760年代(せんななひゃくろくじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1760年から1769年までの10年間を指す十年紀。
{{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 18 | 年代 = 1760 | 年 = 1760 }} '''1760年代'''(せんななひゃくろくじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1760年から1769年までの10年間を指す[[十年紀]]。 == できごと == === 1760年 === {{main|1760年}} * [[徳川家治]]、[[徳川幕府]]10代[[征夷大将軍|将軍]]となる。 * [[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]、[[イギリス]]国王に即位。 === 1761年 === {{main|1761年}} * [[第三次パーニーパットの戦い]]で[[ドゥッラーニー朝]]が[[マラーター同盟]]を破る。 === 1762年 === {{main|1762年}} * [[エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ2世]]、夫[[ピョートル3世 (ロシア皇帝)|ピョートル3世]]を追放し、[[ロシア]]皇帝に即位。 * [[ジャン=ジャック・ルソー]]、『社会契約論』を刊行。 * [[9月15日]](宝暦12年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]])- [[桃園天皇]]が没し、第117代[[後桜町天皇]]が即位。 === 1763年 === {{main|1763年}} * [[フベルトゥスブルク条約]]。[[パリ条約 (1763年)|パリ条約]]の締結によって、[[七年戦争]]が終結。 * [[本居宣長]]、[[賀茂真淵]]に出会い、『[[古事記]]』研究に進むことを決意(松阪の一夜)。 === 1764年 === {{main|1764年}} * [[6月30日]](宝暦14年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - 日本、[[改元]]して[[明和]]元年。 === 1765年 === {{main|1765年}} * [[清緬戦争]]( - [[1769年]])。 === 1766年 === {{main|1766年}} * [[ヘンリー・キャヴェンディッシュ]]が[[水素]]を発見。 === 1767年 === {{main|1767年}} * [[田沼意次]]が側用人になる。いわゆる「[[田沼時代]]」の始まり ( - [[1786年]])。 * [[明和事件]]。 === 1768年 === {{main|1768年}} * [[プリトビ・ナラヤン・シャハ]]、[[ネパール王国]]を建国。 === 1769年 === {{main|1769年}} * [[ジェームズ・ワット]]、実用的な[[蒸気機関]]を発明。 == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == * [[十年紀の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} {{世紀と十年紀|千年紀=2|世紀=11|年代=1000}} {{History-stub}} {{デフォルトソート:1760ねんたい}} [[Category:1760年代|*]]
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4,780
1762年
1762年(1762 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
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1762年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1762}} {{year-definition|1762}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[壬午]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[宝暦]]12年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2422年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]27年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]38年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4095年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]23年 * [[仏滅紀元]] : 2304年 - 2305年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1175年 - 1176年 * [[ユダヤ暦]] : 5522年 - 5523年 * [[ユリウス暦]] : 1761年12月21日 - 1762年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1762}} == できごと == * [[1月4日]] - [[七年戦争]]:イギリスが[[スペイン]]とに宣戦布告<ref>{{Cite wikisource2|language=en|wslanguage=en|wslink=The Influence of Sea Power upon History|chapter=Chapter VIII|last=Mahan|first=Alfred Thayer|date=1890}}</ref> * [[1月5日]] - [[ロシア皇帝]][[エリザヴェータ (ロシア皇帝)|エリザヴェータ]]が死去、甥の[[ピョートル3世 (ロシア皇帝)|ピョートル3世]]が即位。[[プロイセン国王|プロイセン王]][[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]の熱烈な崇拝者であったピョートル3世はすぐさまにプロイセンとの平和交渉を開始する。 * 2月 - 川越藩領の[[大丹波]]村(現・[[東京都]][[西多摩郡]][[奥多摩町]])の村民による「[[宝暦箱訴事件]]」が起きる。 * [[5月15日]] - 七年戦争:[[サンクトペテルブルク条約 (1762年)|サンクトペテルブルク条約]]によりロシアとプロイセンが講和。 * [[5月22日]] - 七年戦争:[[ハンブルク条約 (1762年)|ハンブルク条約]]により[[スウェーデン]]とプロイセンが講和。 * [[5月26日]] - イギリスで第3代[[ビュート伯爵]][[ジョン・ステュアート (第3代ビュート伯)|ジョン・ステュアート]]内閣([[ビュート伯爵内閣]])が成立。 * [[6月24日]] - 七年戦争:[[ヴィルヘルムスタールの戦い]]において、[[フェルディナント (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯子)|フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル]]が[[ヴェストファーレン]]で[[フランス王国|フランス]]軍を撃破。 * [[7月9日]] - ロシア皇帝ピョートル3世が[[宮廷クーデター]]により廃位。妻の[[エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ2世]]即位。これによりロシアとプロイセンの同盟が解消されたが、ロシアは七年戦争に再参戦しなかった。 * [[7月21日]] - 七年戦争:[[ブルケルスドルフの戦い]]において、プロイセン王フリードリヒ2世が[[シュレージエン]]で[[レオポルト・フォン・ダウン]]元帥を撃破。七年戦争においてフリードリヒ2世が戦った最後の大規模な会戦となった。 * [[8月13日]] - 七年戦争:2か月の包囲を経て、[[ハバナの戦い (1762年)|ハバナの戦い]]はスペイン領[[ハバナ]]がイギリスに降伏したことで決着。 * [[9月15日]](宝暦12年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]) - [[桃園天皇]]が崩御し、第117代[[後桜町天皇]]が[[践祚]]。 * [[9月15日]] - [[フレンチ・インディアン戦争]]:[[シグナルヒルの戦い]]でイギリス軍がフランス軍を撃破。 * [[9月24日]]~[[10月5日]] - 七年戦争:[[マニラの戦い (1762年)|マニラの戦い]]において、[[イギリス東インド会社]]がスペイン領[[マニラ]]を占領。 * [[10月29日]] - 七年戦争:[[フライベルクの戦い]]:フリードリヒ2世の弟[[ハインリヒ・フォン・プロイセン (1726-1802)|ハインリヒ]]が[[ハプスブルク君主国|オーストリア]]軍に勝利。 * [[11月13日]] - 七年戦争:秘密条約である[[フォンテーヌブロー条約 (1762年)|フォンテーヌブロー条約]]が締結され、フランス王[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]が[[フランス領ルイジアナ]]をスペインに割譲。 === 日付不詳 === * フランス王ルイ15世が[[公妾]][[ポンパドゥール夫人]]のために[[ヴェルサイユ宮殿]]の[[庭園]]で[[小トリアノン宮殿]]を建設することを命じる。 * [[バージニア植民地]]で[[シャーロッツビル]]が成立。 == 誕生 == {{see also|Category:1762年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月8日]] - [[嘉隆帝]](阮福暎)、[[阮朝]]初代皇帝(+ [[1820年]]) * [[4月23日]] - [[飯塚伊賀七]]、[[発明家]](+ [[1836年]]) * [[4月29日]] - [[ジャン=バティスト・ジュールダン]]、[[フランス元帥]](+ [[1833年]]) * [[5月19日]] - [[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ]]、哲学者(+ [[1814年]]) * [[8月12日]] - [[ジョージ4世 (イギリス王)|ジョージ4世]]、[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国|イギリス]]王(+ [[1830年]]) * [[8月12日]] - [[クリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラント]]、医師(+ [[1836年]]) * [[11月1日]] - [[スペンサー・パーシヴァル]]、イギリス首相(+ [[1812年]]) == 崩御・死去 == {{see also|Category:1762年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月5日]] - [[エリザヴェータ (ロシア皇帝)|エリザヴェータ]]、ロシア皇帝(* [[1709年]]) * [[1月23日]]([[乾隆]]26年[[12月29日 (旧暦)|12月29日]]) - [[蔡温]]、[[琉球王国]]の[[政治家]](* [[1682年]]) * [[3月21日]] - [[ニコラ・ルイ・ド・ラカーユ]]、天文学者(* [[1713年]]) * [[7月17日]] - [[ピョートル3世 (ロシア皇帝)|ピョートル3世]]、ロシア皇帝(* [[1728年]]) * [[8月31日]]([[宝暦]]12年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - [[桃園天皇]]、第116代[[天皇]](* [[1741年]]) * [[9月17日]] - [[フランチェスコ・ジェミニアーニ]]、[[作曲家]]・[[ヴァイオリニスト]](* [[1687年]])<ref>{{Cite EB1911|wstitle=Geminiani, Francesco|volume=11|page=572-573}}</ref> * [[9月25日]](宝暦12年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]) - [[山脇東洋]]、[[医学者]](* [[1705年]]) * [[10月6日]] - [[フランチェスコ・マンフレディーニ]]、作曲家・ヴァイオリニスト(* [[1684年]]) == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|1762}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1762ねん}} [[Category:1762年|*]]
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中央条約機構
中央条約機構(ちゅうおうじょやくきこう、英: Central Treaty Organization:CENTO)は、1979年まで存在した集団安全保障機構。ソビエト連邦に対抗することを目的とした反共軍事同盟であった。 1955年にイギリス、トルコ、パキスタン、イラン帝国、イラク王国がバグダード条約を調印し、中東条約機構(ちゅうとうじょうやくきこう、英: Middle East Treaty Organization:METO、バグダード条約機構とも)が発足。本部をイラクのバグダードに置いた。この他にアメリカ合衆国がオブザーバー参加している。アメリカは、ソ連に対抗するために中東諸国を自陣営に取り込む必要があり、この機構には軍事・経済的援助を行っている。 1958年7月14日、イラクにてアブドルカリーム・カーシムらによる7月14日革命が勃発したため、 1959年3月24日にイラク共和国(カーシム政権)が中東条約機構より脱退。これを受けて、本部をトルコのアンカラに移転し、中央条約機構と改称した。 あまり有効に機能したわけではなく、同地域で行われた印パ戦争や中東戦争にはまったく関与しなかった。1979年のイラン革命によるイラン帝国の崩壊を契機に解体された。
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中央条約機構は、1979年まで存在した集団安全保障機構。ソビエト連邦に対抗することを目的とした反共軍事同盟であった。
[[Image:CENTO.svg|thumb|350px|発足時のMETO加盟国]] [[File:Flag of CENTO.svg|thumb|350px|CENTOの旗]] '''中央条約機構'''(ちゅうおうじょやくきこう、{{Lang-en-short|Central Treaty Organization}}:'''CENTO''')は、[[1979年]]まで存在した集団安全保障機構。[[ソビエト連邦]]に対抗することを目的とした[[反共主義|反共]][[軍事同盟]]であった。 == 沿革 == === 中東条約機構 === [[1955年]]に[[イギリス]]、[[トルコ]]、[[パキスタン (ドミニオン)|パキスタン]]、[[パフラヴィー朝|イラン帝国]]、[[イラク王国]]がバグダード条約を調印し、'''中東条約機構'''(ちゅうとうじょうやくきこう、{{Lang-en-short|Middle East Treaty Organization}}:'''METO'''、バグダード条約機構とも)が発足。本部をイラクの[[バグダード]]に置いた。この他に[[アメリカ合衆国]]がオブザーバー参加している。アメリカは、ソ連に対抗するために[[中東]]諸国を自陣営に取り込む必要があり、この機構には軍事・経済的援助を行っている。 === 中央条約機構 === [[1958年]][[7月14日]]、イラクにて[[アブドルカリーム・カーシム]]らによる[[7月14日革命]]が勃発したため、 [[1959年]][[3月24日]]に[[イラク共和国 (1958年-1968年)|イラク共和国(カーシム政権)]]が中東条約機構より脱退。これを受けて、本部をトルコの[[アンカラ]]に移転し、中央条約機構と改称した。 あまり有効に機能したわけではなく、同地域で行われた[[印パ戦争]]や[[中東戦争]]にはまったく関与しなかった。1979年の[[イラン革命]]によるイラン帝国の崩壊を契機に解体された。 == 関連項目 == * [[集団防衛]] * [[冷戦|東西冷戦]] - {{仮リンク|アラブ冷戦|en|Arab Cold War}} ** [[北大西洋条約機構]] ** [[東南アジア条約機構]] ** [[太平洋集団安全保障構想]] {{History-stub}} {{Normdaten}} {{DEFAULTSORT:ちゆうおうしようやくきこう}} [[Category:20世紀の軍事同盟]] [[Category:1955年設立の組織]] [[Category:1979年廃止の組織]] [[Category:冷戦]] [[Category:イギリス・イラク関係]] [[Category:イギリス・イラン関係]] [[Category:ジョン・フォスター・ダレス]]
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4,783
1773年
1773年(1773 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。 (ゲーム『メタルギア』)
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1773年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1773}} {{year-definition|1773}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[安永]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2433年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]38年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]49年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4106年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]34年 * [[仏滅紀元]] : 2315年 - 2316年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1186年 - 1187年 * [[ユダヤ暦]] : 5533年 - 5534年 * [[ユリウス暦]] : 1772年12月21日 - 1773年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1773}} == できごと == * [[7月21日]] - [[教皇|ローマ教皇]][[クレメンス14世 (ローマ教皇)|クレメンス14世]]、[[イエズス会]]の解散を命じる{{要出典|date=2021-03}}。 * [[10月13日]] - [[シャルル・メシエ]]が子持ち銀河を発見{{要出典|date=2021-03}}。 * [[12月16日]] - [[ボストン茶会事件]]起こる{{要出典|date=2021-03}}。 * [[アドベンチャー湾]]が発見される。 * [[ロシア帝国]]にて[[プガチョフの乱]]起こる(-[[1775年]])。 * [[イギリス]]にて[[茶法]]制定。 * [[新潟焼山]]が[[噴火]]。 == 誕生 == {{see also|Category:1773年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月9日]] - [[ウィリアム・ハリソン|ウィリアム・H・ハリソン]]、第9代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1841年]]<ref>{{cite book|author=Freeman Cleaves|title=Old Tippecanoe: William Henry Harrison and His Time|publisher=C. Scribner's Sons|location=New York|year=1939|pages=152}}</ref>) * [[6月13日]] - [[トマス・ヤング]]、[[科学者]](+ [[1829年]]) * [[6月16日]] - [[ルイジ・ローランド]]、[[解剖学者]](+ [[1831年]]) * [[7月16日]] - [[ヨセフ・ユングマン]]、[[言語学者]]、[[詩人]](+ [[1847年]]) * [[8月30日]] - [[ポラック・ミハーリ]]、建築家(+ [[1855年]]) * [[9月25日]] - [[アゴスティーノ・バッシー]]、[[昆虫学者]](+ [[1856年]]) * [[10月6日]] - [[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ]]、オルレアン朝のフランス[[国王]](+ [[1850年]]) * [[11月18日]]([[安永]]2年[[10月5日 (旧暦)|10月5日]])- [[徳川家斉]]、[[江戸幕府]]第11代[[征夷大将軍|将軍]](+ 1841年) * [[12月21日]] - [[ロバート・ブラウン]]、[[植物学者]](+ [[1858年]]) === 日付不詳 === *(安永2年)- [[田沼意明]]、[[陸奥国]]第1代[[陸奥下村藩|下村藩主]](+ [[1796年]]) == 死去 == {{see also|Category:1773年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月3日]]([[安永 (元号)|安永]]元年[[12月11日 (旧暦)|12月11日]]) - [[山路主住]]、[[和算|和算家]](* [[1704年]]) * [[2月20日]] - [[カルロ・エマヌエーレ3世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Charles-Emmanuel-III Charles Emmanuel III king of Sardinia-Piedmont] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[サルデーニャ王国|サルデーニャ王]](* [[1701年]]) * [[4月4日]](安永2年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]) - [[瀬川菊之丞 (2代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1741年]]) * [[7月12日]] - [[ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ]]、[[作曲家]]・[[フルート]]奏者(* [[1697年]]) * [[10月16日]] - [[アフマド・シャー・ドゥッラーニー]]、[[アフガニスタン|アフガニスタン王]](* [[1723年]]) * [[10月30日]] - [[ピエール・ゲピエール]]、[[建築家]](* [[1715年]]頃) * [[11月19日]](安永2年[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]) - [[吉益東洞]]、[[漢方医学|漢方医]](* [[1702年]]) == フィクションのできごと == * [[12月16日]] - 9代目ドクターがボストン茶会事件を見学。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) * [[アメリカボストン]]の[[パトリオット]]が[[サンズ・オブ・リバティ]]を結成 (ゲーム『[[メタルギア]]』) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1773}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1773ねん}} [[Category:1773年|*]]
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1777年
1777年(1777 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
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1777年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1777}} {{year-definition|1777}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丁酉]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[安永]]6年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2437年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]42年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]元年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4110年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]38年 * [[仏滅紀元]] : 2319年 - 2320年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1190年 - 1191年 * [[ユダヤ暦]] : 5537年 - 5538年 * [[ユリウス暦]] : 1776年12月21日 - 1777年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1777}} == できごと == * [[1月3日]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[プリンストンの戦い]]行われる。 * [[1月15日]] - ニューコネチカット共和国([[バーモント共和国]])建国。 * [[1月20日]] - アメリカ独立戦争: [[ミルストーンの戦い]]行われる。 * [[4月13日]] - アメリカ独立戦争: [[バウンドブルックの戦い]]行われる。 * [[4月27日]] - アメリカ独立戦争: [[リッジフィールドの戦い]]行われる。 * [[6月14日]] - 星条旗がアメリカ合衆国の国旗に制定される。 * [[6月26日]] - アメリカ独立戦争: [[ショートヒルズの戦い]]行われる。 * [[7月7日]] - アメリカ独立戦争: [[ハバードトンの戦い]]行われる。 * [[8月16日]] - アメリカ独立戦争: ベニントンの戦いが行われる。 * [[9月11日]] - アメリカ独立戦争: [[ブランディワインの戦い]]行われる。 * 9月 - [[サラトガの戦い]]勃発。 * [[10月6日]] - アメリカ独立戦争: [[クリントン砦とモントゴメリー砦の戦い]]で英軍勝利。 * [[12月20日]] - [[アラウィー朝]][[モロッコ]]、アメリカ合衆国の船舶との交易を承認。世界で初めてアメリカ合衆国と外交関係を結ぶ国となった(正式な国交樹立は[[1787年]])。 * [[12月25日]] - [[ジェームス・クック]]が[[キリスィマスィ島]]に到達。 == 誕生 == {{see also|Category:1777年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月13日]] - [[エリザ・ボナパルト]]、[[トスカーナ大公国|トスカーナ大公]](+ [[1820年]]) * [[2月8日]] - [[ベルナール・クールトア]]、[[化学者]](+ [[1838年]]) * [[2月12日]] - [[フリードリヒ・フーケ]]、[[小説家]]・[[詩人]](+ [[1843年]]) * [[3月31日]] - [[ルイ・コルディエ]]、[[地質学者]]・[[鉱物学者]](+ [[1861年]]) * [[4月12日]] - [[ヘンリー・クレイ]]、[[アメリカ合衆国国務長官]](+ [[1852年]]) * [[4月16日]] - [[ヘンリー・ケーター]]、[[天文学者]](+ [[1835年]]) * [[4月30日]] - [[カール・フリードリヒ・ガウス]]、[[数学者]](+ [[1855年]]) * [[5月4日]] - [[ルイ・テナール]]、化学者(+ [[1857年]]) * [[5月5日]] - [[ヨハン・ベンツェンベルク]]、天文学者・[[物理学者]](+ [[1846年]]) * [[5月17日]] - [[ロジャー・トーニー]]、[[アメリカ合衆国司法長官]]・[[アメリカ合衆国財務長官|財務長官]](+ [[1864年]]) * [[6月24日]] - [[ジョン・ロス (北極探検家)|ジョン・ロス]]、[[探検家]](+ [[1856年]]) * [[7月14日]]([[安永]]6年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[田能村竹田]]、[[南画|南画家]](+ [[1835年]]) * [[7月23日]] - [[フィリップ・オットー・ルンゲ]]、[[画家]](+ [[1810年]]) * [[7月28日]] - [[ヴィルヘルム2世 (ヘッセン選帝侯)|ヴィルヘルム2世]]、[[ヘッセンの統治者一覧|ヘッセン選帝侯]](+ [[1847年]]) * [[8月14日]] - [[ハンス・クリスティアン・エルステッド]]、物理学者・化学者(+ [[1851年]]) * 8月14日 - [[フランチェスコ1世 (両シチリア王)|フランチェスコ1世]]、[[両シチリア]]王(+ [[1830年]]) * [[9月16日]] - [[ネイサン・メイアー・ロスチャイルド]]、銀行家(+ [[1836年]]) * [[9月16日]](安永6年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[田中大秀]]、[[国学者]](+ [[1847年]]) * [[10月18日]] - [[ハインリヒ・フォン・クライスト]]、[[劇作家]](+ [[1811年]]) * [[10月21日]](安永6年[[9月21日 (旧暦)|9月21日]]) - [[黒田斉隆]]、第9代[[福岡藩|福岡藩主]](+ [[1795年]]) * [[11月8日]] - [[デジレ・クラリー]]、[[スウェーデン]]王[[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|カール14世ヨハン]]の妃(+ [[1860年]]) * [[12月12日]] - [[アンリ・ブランヴィル]]、[[動物学者]]・[[解剖学者]](+ [[1850年]]) * [[12月17日]] - [[フランソワ・マリウス・グラネ]]、[[画家]](+ [[1849年]]) * [[12月23日]] - [[アレクサンドル1世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル1世]]、[[ロマノフ朝]]第10代[[ロシア帝国]][[ロシア君主一覧|皇帝]](+ [[1825年]]) * [[12月26日]] - [[ルートヴィヒ2世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ2世]]、[[ヘッセン大公]](+ [[1848年]]) == 死去 == {{see also|Category:1777年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月24日]] - [[ジョゼ1世 (ポルトガル王)|ジョゼ1世]]、[[ポルトガル王]](* [[1714年]]) * [[4月2日]] - [[マクシム・ベレゾフスキー]]、[[作曲家]](* [[1745年]]頃) * [[6月13日]]([[安永]]6年[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]) - [[本多忠粛]]、[[浜田藩|浜田藩主]]・[[岡崎藩|岡崎藩主]](* [[1759年]]) * [[7月14日]](安永6年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[加藤美樹]]、[[国学者]]・[[歌人]](* [[1721年]]) * [[9月11日]](安永6年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[土井利里]]、[[唐津藩|唐津藩主]]・[[京都所司代]](* [[1721年]]) * [[9月25日]] - [[ヨハン・ハインリッヒ・ランベルト]]、[[数学者]]・[[物理学者]]・[[天文学者]](* [[1728年]]) * [[12月30日]] - [[マクシミリアン3世ヨーゼフ (バイエルン選帝侯)|マクシミリアン3世ヨーゼフ]]、[[バイエルン選帝侯]](* [[1727年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1777}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1777ねん}} [[Category:1777年|*]]
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1855年
1855年(1855 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。 ※皇紀は、太陽暦採用と共に1873年に施行された。 ※檀紀は、大韓民国で1948年9月25日に法的根拠を与えられたが、1961年年号廃止の法令を制定に伴い、1962年1月1日からは公式な場での使用禁止。
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1855年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1855}} {{year-definition|1855}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[乙卯]] * 日本([[天保暦]]) ** [[嘉永]]7年11月13日 - 嘉永7年11月26日、[[安政]]元年11月27日 - 安政2年11月23日 ** [[皇紀]]2515年 * [[清]] ** [[咸豊]]4年11月13日 - 咸豊5年11月23日  * [[朝鮮]] <!--* [[李氏朝鮮]]:独自の年号なし--> ** [[李氏朝鮮]] : [[哲宗 (朝鮮王)|哲宗]]6年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4188年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]) ** [[嗣徳]]8年  * [[仏滅紀元]]:2397年 - 2398年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1271年4月11日 - 1272年4月21日 * [[ユダヤ暦]]:5615年4月11日 - 5616年4月22日 * [[修正ユリウス日]](MJD):-1416 - -1052 * [[リリウス日]](LD):99425 - 99789 <div style="font-size:smaller"> ※皇紀は、[[太陽暦]]採用と共に[[1873年]]に施行された。<br /> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]9月25日に法的根拠を与えられたが、[[1961年]]年号廃止の法令を制定に伴い、[[1962年]]1月1日からは公式な場での使用禁止。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1855}} == できごと == * [[1月15日]](安政元年11月27日) - 日本の元号が[[安政]]に替わる * [[1月19日]](安政元年12月2日)- [[エフィム・プチャーチン]]の[[ロシア]]軍艦ディアナ号、[[下田]]沖にて沈没(その後[[戸田村 (静岡県)|戸田村]]にて新船[[ヘダ号]]建造される) * [[1月29日]] - [[イギリス議会]]で野党提出の[[クリミア戦争]]状況調査委員会設置動議が可決、[[ジョージ・ハミルトン=ゴードン (第4代アバディーン伯)|アバディーン伯爵]]内閣総辞職不可避に。 * [[2月7日]](安政元年[[12月21日 (旧暦)|12月21日]]) - [[日露和親条約]]調印 * [[2月8日]] - [[イギリス]]で第1次[[ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)|パーマストン子爵]]内閣([[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]・[[ピール派]]・{{仮リンク|急進派 (イギリス)|label=急進派|en|Radicals (UK)}}連立政権)成立 * [[3月18日]](安政2年[[2月1日 (旧暦)|2月1日]]) - [[飛騨地震]] * [[3月21日]](安政2年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]) - [[薩摩藩]]建造の洋式軍艦[[昇平丸]]江戸品川に来航(その後幕府に献上)。 * [[4月19日]](安政2年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - 幕府より梵鐘を壊し大砲鋳造を命じる「毀鐘鋳砲の勅諚」発令 * [[5月15日]] - [[パリ万国博覧会 (1855年) |第1回パリ万国博覧会]]が開催される(〜11月15日) * [[7月21日]](安政2年[[6月8日 (旧暦)|6月8日]])- [[オランダ]]より幕府へ軍艦が献上され、[[観光丸]]と命名 * [[9月10日]](安政2年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]])- [[矢田堀鴻]]、[[勝海舟]]、汽船運転伝習の命を受ける(のち[[長崎海軍伝習所]]) * 9月、[[クリミア戦争]]・[[セヴァストポリ包囲戦 (1854年-1855年)|セヴァストポリ包囲戦]]でロシア軍のセヴァストポリ要塞が陥落 * [[11月11日]](安政2年[[10月2日 (旧暦)|10月2日]]) - [[安政江戸地震]] * [[11月18日]](安政2年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]) - [[堀田正睦]]首席老中になる。 == 誕生 == {{see also|Category:1855年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月3日]]([[嘉永]]7年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]) - [[岡部長職]] - [[和泉国|和泉]][[岸和田藩]]の第13代(最後)の藩主・[[政治家]]・[[外交官]](+[[1925年]]) * [[2月11日]] - [[エーリック・ヴァーレンショルド]]、[[画家]](+ [[1938年]]) * [[2月14日]] - [[フセーヴォロド・ガルシン]]、ロシアの[[小説家]](+ [[1888年]]) * [[2月19日]](安政2年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]])- [[西ノ海嘉治郎 (初代)]]、[[大相撲]]第16代横綱(+ [[1908年]]) * [[2月23日]] - [[モーリス・ブルームフィールド]]、[[言語学者]](+ [[1928年]]) * [[3月1日]] - [[ポール・ハインズ]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1935年]]) * [[3月13日]] - [[パーシヴァル・ローウェル]]、[[天文学者]](+ [[1916年]]) * [[3月17日]](安政2年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]) - [[菊池大麓]]、[[数学者]]・文部官僚(+ [[1917年]]) * [[3月19日]] - [[デイヴィッド・ペック・トッド]]、[[天文学者]](+ [[1939年]]) * [[3月21日]] - [[エミール・ヴェルハーレン]]、[[詩人]]・[[劇作家]](+ [[1916年]]) * [[3月24日]] - [[アンドリュー・メロン]]、[[銀行家]]・[[実業家]](+ [[1937年]]) * [[4月1日]](安政2年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]) - [[大井玄洞]]、[[生薬学]]という用語を創出した[[薬学者]](+[[1930年]]) * [[4月19日]](安政2年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[杉浦重剛]]、[[教育者]]・[[思想家]](+ [[1924年]]) * [[4月21日]] - [[ハーディ・リチャードソン]]、メジャーリーガー(+ [[1931年]]) * [[5月9日]] - [[フランソワ・ポンポン]]、[[彫刻家]](+ [[1933年]]) * [[5月27日]](安政2年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]) - [[頭山満]]、[[政治活動家]](+ [[1944年]]) * [[6月4日]](安政2年[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]) - [[犬養毅]]、[[ジャーナリスト]]・第29代内閣総理大臣(+ [[1932年]]) * [[6月12日]](安政2年[[4月29日 (旧暦)|4月29日]]) - [[田口卯吉]]、[[経済学者]]・[[歴史家]](+ [[1905年]]) * [[7月11日]] - [[カール・ヌードストローム]]、[[画家]](+ [[1923年]]) * [[7月26日]] - [[フェルディナント・テンニース]]、[[社会学者]](+ [[1936年]]) * [[8月30日]] - [[イーヴリン・ド・モーガン]]、画家(+ [[1919年]]) * [[9月30日]](安政2年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[末松謙澄]]、[[政治家]](+ [[1920年]]) * [[10月13日]] - [[エドゥアルト・フレーゲル]]、[[商人]]・[[探検家]](+ [[1886年]]) * [[10月26日]](安政2年[[9月16日 (旧暦)|9月16日]]) - [[小村壽太郎]]、[[外交官]]・政治家(+ [[1911年]]) *[[11月4日]]([[安政]]2年[[9月25日 (旧暦)|9月25日]]) - [[寺尾寿]]、[[天文学者]]・[[数学者]](+ [[1923年]]) === 日付不詳 === * [[饗庭篁村]] * [[芥川清五郎]] * [[ジョージ・アダムズ (野球)|ジョージ・アダムズ]] * [[グイド・アドラー]] * [[新井領一郎]] * [[荒木三郎 (警察官)|荒木三郎]] * [[エリス・アリエフ]] * [[安藤政次郎]] * [[インノケンティー・アンネンスキー]] * [[井口省吾]] * [[池上三郎]] * [[池田正介]] * [[石川成之]] * [[石黒五十二]] * [[石塚重平]] * [[石原彦太郎]] * [[井島茂作]] * [[市川段四郎 (2代目)|市川段四郎]] * [[一瀬勇三郎]] * [[一戸兵衛]] * [[伊藤修]] * [[伊藤喜十郎]] * [[伊東祐帰]] * [[稲田邦植]] * [[稲田秀太郎]] * [[今泉みね]] * [[岩川友太郎]] * [[ハヌシュ・ヴィハーン]] * [[植場平]] * [[歌川国松]] * [[トマス・マキノン・ウッド]] * [[大石正巳]] * [[正親町実正]] * [[大河内輝剛]] * [[奥平昌邁]] * [[鬼ヶ谷才治]] * [[小里頼永]] * [[ハンス・フリードリヒ・ガイテル]] * [[賀古鶴所]] * [[加藤泰久]] * [[神尾光臣]] * [[上條謹一郎]] * [[河合日辰]] * [[川上親晴]] * [[川崎幾三郎]] * [[川本永守]] * [[姜宇奎]] * [[菊池常三郎]] * [[吉川経健]] * [[木下寿徳]] * [[木村敷秀]] * [[桐原捨三]] * [[ウラジーミル・ギリャロフスキー]] * [[久保田鼎]] * [[ドゥガルド・クリスティー]] * [[カール・グルンスキー]] * [[ネッド・ケリー]] * [[小泉正保]] * [[五姓田義松]] * [[小林有也]] * [[西郷吉義]] * [[斉藤斐]] * [[櫻井ちか]] * [[笹川みす]] * [[佐々木正蔵]] * [[佐々木政吉]] * [[佐々田懋]] * [[レイモン・サレイユ]] * [[ギュスターヴ・ジェフロワ]] * [[島津忠済]] * [[ジェームズ・S・シャーマン]] * [[釈迦ヶ嶽清一郎]] * [[フリッツ・シュタインバッハ]] * [[カール・ヨーゼフ・シュレーター]] * [[徐世昌]] * [[エルネスト・ショーソン]] * [[キング・キャンプ・ジレット]] * [[マルガレーテ・ジンドルフ]] * [[末岡精一]] * [[末延道成]] * [[杉山保次郎]] * [[鈴木藤三郎]] * [[クロード・ボーズ=ライアン (第14代ストラスモア伯爵)|クロード・ボーズ=ライアン]] * [[エドワード・ストロベル]] * [[フェルディナント・グラフ・スピー]] * [[住田善平]] * [[関谷清景]] * [[仙波太郎]] * [[ゾフィー・フォン・エスターライヒ]] * [[鷹司煕通]] * [[高橋健三]] * [[建部政世]] * [[田中穂積 (作曲家)|田中穂積]] * [[田沼意斉]] * [[田原良純]] * [[ヒューストン・ステュアート・チェンバレン]] * [[陳熾]] * [[津田三蔵]] * [[レオン・ティスラン・ド・ボール]] * [[レフ・デイチ]] * [[ユージン・V・デブス]] * [[寺尾寿]] * [[寺原長輝]] * [[田健治郎]] * [[東條英教]] * [[戸川安宅]] * [[土宜法龍]] * [[徳川篤敬]] * [[徳永里朝]] * [[虎林虎吉]] * [[ドミトリー・トレポフ]] * [[中井木菟麻呂]] * [[中川源造]] * [[中根鳳次郎]] * [[永野万蔵]] * [[中村恭平 (教育者)|中村恭平]] * [[中村精男]] * [[中村弥六]] * [[奈須川光宝]] * [[鍋島榮子]] * [[成田才次郎]] * [[南部利恭]] * [[新妻駒五郎]] * [[アルトゥル・ニキシュ]] * [[錦織剛清]] * [[西村精一]] * [[猫又三吉]] * [[野村芳国 (2代目)|二代目野村芳国]] * [[ポール・ハインズ]] * [[エーミール・パウア]] * [[アクセル・パウルゼン]] * [[フレデリック・オーペン・バウワー]] * [[橋本久太郎]] * [[ジョヴァンニ・パスコリ]] * [[長谷川謹介]] * [[長谷川藤次郎]] * [[フランク・ハドー]] * [[浜名信平]] * [[アウグスト・パル]] * [[阪正臣]] * [[久松勝慈]] * [[平島松尾]] * [[テオドリク・ファレトン]] * [[黄玹]] * [[藤尾録郎]] * [[フリードリヒ・フェルディナント (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公)|フリードリヒ・フェルディナント]] * [[デヴィッド・ブルース]] * [[ウォーカー・ブレイン]] * [[フランク・F・フレッチャー]] * [[コンラット・ユリウス・ブレット]] * [[ジョン・ブローニング]] * [[アレクサンドル・ベゾブラーゾフ]] * [[フリードリヒ・ヨハン・カール・ベッケ]] * [[ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世]] * [[ウィリアム・シェパード・ベンソン]] * [[チャールズ・バーノン・ボーイズ]] * [[マックス・ポール]] * [[リチャード・ホジソン]] * [[ウジェーヌ・ボック]] * [[穂積陳重]] * [[アレクセイ・ポリワノフ]] * [[エドウィン・ホール]] * [[モード・ヴァレリー・ホワイト]] * [[フランソワ・ボンヌ]] * [[エドゥアルト・マイヤー]] * [[前田慧雲]] * [[ジョン・ミュアヘッド・マクファーレン]] * [[松沢求策]] * [[松平忠敬]] * [[松平喜徳]] * [[松平義生]] * [[松本節造]] * [[マリア・テレサ・フォン・ポルトゥガル]] * [[マリーア・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ]] * [[マリー・フォン・プロイセン (1855-1888)|マリー・フォン・プロイセン]] * [[エリノア・マルクス]] * [[丸山芳介]] * [[ジヴォイン・ミシッチ]] * [[三須宗太郎]] * [[溝口直正]] * [[イヴァン・ミチューリン]] * [[薬袋義一]] * [[三升亭小勝 (4代目)|三升亭小勝]] * [[宮崎道三郎]] * [[宮崎夢柳]] * [[オスカル・フォン・ミラー]] * [[ムクワワ]] * [[アーノルド・メンデルスゾーン]] * [[ウラジーミル・モオロ]] * [[森懋]] * [[門奈正]] * [[山崎治祇]] * [[山田彦八]] * [[山田又七]] * [[横井玉子]] * [[ロバート・M・ラフォレット・シニア]] * [[ヨーゼフ・ラング (死刑執行人)|ヨーゼフ・ラング]] * [[李経方]] * [[ハンナ・リデル]] * [[ヘンリー・ニコラス・リドリー]] * [[オットー・リーマン・フォン・ザンデルス]] * [[アナトーリ・リャードフ]] * [[柳亭左龍 (3代目)|柳亭左龍]] * [[フセヴォロド・ルードネフ]] * [[レオポルト・フォン・アンハルト]] * [[ユリウス・レントゲン]] * [[ジョン・ホランド・ローズ]] * [[ロベール・ド・モンテスキュー]] * [[ロバート・アレン・ロルフェ]] * [[渡辺譲]] == 死去 == {{see also|Category:1855年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月2日]]([[嘉永]]7年[[11月14日 (旧暦)|11月14日]]) - [[源清麿]]、[[刀工]](* [[1813年]]) * [[1月5日]] - [[ポラック・ミハーリ]]、建築家(* [[1773年]]) * [[1月26日]] - [[ジェラール・ド・ネルヴァル]]、[[フランス]]の[[ロマン主義]][[詩人]](* [[1808年]]) * [[2月23日]] - [[カール・フリードリヒ・ガウス]]、[[ドイツ]]の[[数学者]]・[[天文学者]](* [[1777年]]) * [[3月2日]] - [[ニコライ1世 (ロシア皇帝)|ニコライ1世]]、[[ロシア]]皇帝(* [[1796年]]) * [[3月14日]]([[安政]]2年[[1月16日 (旧暦)|1月16日]]) - [[江川英龍]]、[[幕臣]]、[[伊豆国|伊豆]][[韮山]][[代官]]・[[砲術]]家(* [[1801年]]) * [[3月21日]](安政2年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]) - [[岡部長発]]、[[和泉国|和泉]][[岸和田藩]]の第11代藩主(* [[1834年]]) * [[3月31日]] - [[シャーロット・ブロンテ]]、[[イギリス]]の[[小説家]]、[[ブロンテ姉妹|ブロンテ3姉妹]]の長姉、『[[ジェーン・エア]]』著者(*[[1816年]]) * [[4月15日]](安政2年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]]) - [[遠山景元]]、[[江戸]][[北町奉行]]、[[南町奉行]]、[[遠山の金さん]]のモデル(* [[1793年]]) * [[7月9日]](安政2年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]) - [[村田清風]]、[[長州藩]]士(家老)(*[[1783年]]) * 7月9日(安政2年5月25日) - [[仁阿弥道八]]、[[京焼]]の[[陶工]](*[[1783年]]) * [[8月5日]]([[安政]]2年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[色川三中]]、[[国学者]](*[[1801年]]) * [[11月11日]] - [[セーレン・キェルケゴール]]、[[デンマーク]]の[[哲学者]](*[[1813年]]) * 11月11日(安政2年[[10月2日 (旧暦)|10月2日]]) - [[藤田東湖]]、[[水戸藩]]士・[[儒学]]者(* [[1806年]]) * [[11月13日]]([[安政]]2年[[10月4日 (旧暦)|10月4日]]) - [[本居内遠]]、国学者(* [[1792年]]) * [[11月26日]] - [[アダム・ミツキェヴィチ]]、[[ポーランド]]の[[ロマン主義|ロマン派]][[詩人]]・[[政治活動家]](*[[1798年]]) == フィクションのできごと == * 11月11日(安政2年10月2日) - ア太五郎とデコイチが仕切る「[[清水次郎長]]江戸表出張所」に、山案山子一家が殴り込むが撃退するも、直後に起きた安政江戸地震で出張所は壊滅、次郎長からの刀も[[1970年]]まで埋まる。(アニメ『[[もーれつア太郎]]』第1作第48回「男でござる東海道」) * 11月11日(安政2年10月2日) - 正五右衛門、下野国の大谷石の地下に千両箱を隠すも、直後に起きた安政江戸地震で穴は崩落。(特撮『[[ウルトラマン80]]』第42話「さすが! 観音さまは強かった!」) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1855}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1855ねん}} [[Category:1855年|*]]
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1850年代
1850年代(せんはっぴゃくごじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1850年から1859年までの10年間を指す十年紀。
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1850年代(せんはっぴゃくごじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1850年から1859年までの10年間を指す十年紀。
{{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 19 | 年代 = 1850 | 年 = 1850 }} '''1850年代'''(せんはっぴゃくごじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1850年から1859年までの10年間を指す[[十年紀]]。 == できごと == === 1850年 === {{main|1850年}} * [[7月]] - [[オルミュッツ協定]]、[[プロイセン王国|プロイセン]]による[[小ドイツ主義]]が頓挫([[ドイツ統一|ドイツ統一問題]])。 === 1851年 === {{main|1851年}} * [[1月11日]]([[道光]]30年12月10日) - [[清]]の[[洪秀全]]が[[太平天国の乱]]を起こす。 * [[5月1日]] - 世界初の[[国際博覧会|万国博覧会]]である[[ロンドン万国博覧会 (1851年)|ロンドン万国博覧会]]が[[ロンドン]]の[[ハイド・パーク (ロンドン)|ハイドパーク]]で開幕。 * [[12月2日]] - [[ナポレオン3世|ルイ=ナポレオン・ボナパルト]]、[[パリ]]で[[クーデター]]を起こし、権力を強化。 === 1852年 === {{main|1852年}} * [[5月8日]] - [[ロンドン議定書]]締結。[[第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争|第一次デンマーク戦争]]終結。 * [[12月2日]] - ルイ=ナポレオン・ボナパルト、[[国民投票]]により皇帝に即位し[[ナポレオン3世]]となる([[フランス第二帝政]])。 * モンテネグロがオスマン帝国から事実上独立し、[[モンテネグロ公国]]成立。 === 1853年 === {{main|1853年}} * [[7月8日]]([[嘉永]]6年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]]) - [[マシュー・ペリー|ペリー]]提督らの[[黒船]]、[[浦賀]]へ来航。 === 1854年 === {{main|1854年}} * [[3月28日]] - [[クリミア戦争]]勃発(-[[1856年]][[3月30日]])、[[パリ条約 (1856年)|パリ条約]]で終結。 * [[3月31日]](嘉永7年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[日米和親条約]]。 * [[4月24日]](嘉永7年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[吉田松陰]]が[[下田]]で[[黒船]]へ密航しようとしたが失敗、翌日幕吏に捕えられる。 * [[12月23日]](嘉永7年[[11月4日 (旧暦)|11月4日]]) - [[安政東海地震]]。[[ディアナ号]]が津波で遭難。 * [[12月24日]](嘉永7年[[11月5日 (旧暦)|11月5日]]) - [[安政南海地震]]。[[稲むらの火]]のモデル。 === 1855年 === {{main|1855年}} * [[2月27日]]([[安政]]元年[[12月21日 (旧暦)|12月21日]]) - [[日露和親条約]]。 * [[11月11日]](安政2年[[10月2日 (旧暦)|10月2日]]) - [[安政江戸地震|安政の大地震]]。 * [[堀田正睦]]首席老中になる。 === 1856年 === {{main|1856年}} * [[10月8日]] - [[清]]で[[アロー号事件]]が起こる。 === 1857年 === {{main|1857年}} * [[5月10日]] - [[インド]]で[[第一次インド独立戦争|セポイの乱]]起こる。 === 1858年 === {{main|1858年}} * [[6月13日]]〜[[6月27日]] - [[天津条約 (1885年6月)|天津条約]]。 * [[7月29日]](安政5年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]]) - [[日米修好通商条約]]調印。 * [[8月18日]](安政5年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[日蘭修好通商条約]]調印。 * [[8月19日]](安政5年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[日露修好通商条約]]調印。 * [[8月26日]](安政5年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[日英修好通商条約]]調印。 * [[10月9日]](安政5年[[9月3日 (旧暦)|9月3日]]) - [[日仏修好通商条約]]調印。 * [[10月13日]](安政5年[[9月7日 (旧暦)|9月7日]]) - [[安政の大獄]]による捕縛開始。 === 1859年 === {{main|1859年}} * [[2月5日]] - [[オスマン帝国]]宗主権下の[[ルーマニア]]で、[[ルーマニア公国]]が成立。 * [[7月4日]] [[横浜港]]正式開港、[[外国人居留地]]設置。 == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == * [[十年紀の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} {{世紀と十年紀|千年紀=2|世紀=11|年代=1000}} {{History-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1850ねんたい}} [[Category:1850年代|*]]
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1759年
1759年(1759 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
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{{年代ナビ|1759}} {{year-definition|1759}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[己卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[宝暦]]9年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2419年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]24年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]35年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4092年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]20年 * [[仏滅紀元]] : 2301年 - 2302年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1172年 - 1173年 * [[ユダヤ暦]] : 5519年 - 5520年 * [[ユリウス暦]] : 1758年12月21日 - 1759年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1759}} == できごと == * [[1月15日]] - [[大英博物館]]([[モンタギュー・ハウス]])開館<ref>{{Cite web|和書|title=1月15日 大英博物館が開館(1759年)(ブルーバックス編集部)|url=https://gendai.media/articles/-/69712|website=ブルーバックス {{!}} 講談社|date=2020-01-15|accessdate=2021-07-20}}</ref> * [[8月12日]] - [[七年戦争]]:[[クネルスドルフの戦い]] * [[グレートブリテン王国]]の[[奇跡の年 (1759年)|奇跡の年]](軍の連勝) * [[山脇東洋]]が『[[蔵志]]』を発表 * [[山県大弐]]が『柳子新論』を発表 == 誕生 == {{see also|Category:1759年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月5日]] - [[ジャック・カトリノー]]、[[ヴァンデの反乱]]指導者(+ [[1793年]]) * [[1月15日]]([[宝暦]]8年[[12月27日 (旧暦)|12月27日]])- [[松平定信]]、[[江戸幕府]][[老中]]・[[白河藩|白河藩主]](+ [[1829年]]) * [[1月25日]] - [[ロバート・バーンズ]]、[[詩人]](+ [[1796年]]) * [[2月15日]] - [[フリードリヒ・アウグスト・ヴォルフ]]、[[文献学|文献学者]]・[[評論家]](+ [[1824年]]) * [[4月27日]] - [[メアリ・ウルストンクラフト]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Mary-Wollstonecraft Mary Wollstonecraft English author] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[社会思想|社会思想家]]・[[フェミニズム]]先駆者(+ [[1797年]]) * [[5月21日]] - [[ジョゼフ・フーシェ]]、[[フランス第一帝政]]・[[フランス復古王政|復古王政]]警察大臣(+ [[1820年]]) * [[5月22日]] - [[ヘートヴィヒ・エリーザベト・シャルロッテ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ|ヘートヴィヒ・エリーザベト]]、[[カール13世 (スウェーデン王)|スウェーデン王カール13世]]の妃(+ [[1818年]]) * [[5月27日]] - [[ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハ]]、[[作曲家]](+ [[1845年]]) * [[5月28日]] - [[ウィリアム・ピット (小ピット)|ウィリアム・ピット]](小ピット)、[[イギリスの首相]](+ [[1806年]]) * [[6月21日]] - [[アレクサンダー・ダラス (政治家)|アレクサンダー・ダラス]]、[[アメリカ合衆国財務長官]](+ [[1817年]]) * [[7月10日]] - [[ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ]]、[[画家]](+ [[1840年]]) * [[7月24日]] - [[ヴィットーリオ・エマヌエーレ1世]]、[[サルデーニャ王国|サルデーニャ王]](+ [[1824年]]) * [[8月9日]] - [[ヨハン・クリストフ・グーツ・ムーツ]]、[[教育学者]](+ [[1839年]]) * [[8月24日]] - [[ウィリアム・ウィルバーフォース]]、[[イギリス]]の[[政治家]]・[[奴隷]]制廃止論者(+ [[1833年]]) * [[10月25日]] - [[マリア・フョードロヴナ (パーヴェル1世皇后)|マリア・フョードロヴナ]]、ロシア皇帝[[パーヴェル1世 (ロシア皇帝)|パーヴェル1世]]の皇后(+ [[1828年]]) * 10月25日 - [[ウィリアム・グレンヴィル]]、イギリスの首相(+ [[1834年]]) * [[10月26日]] - [[ジョルジュ・ダントン]]、[[フランス革命]]指導者(+ [[1794年]]) * [[11月10日]] - [[フリードリヒ・フォン・シラー]]、詩人・[[劇作家]](+ [[1805年]]) * [[釧雲泉]]、[[文人画|文人画家]](+ [[1811年]]) == 死去 == {{see also|Category:1759年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月12日]] - [[アン (オラニエ公妃)|アン]]、[[ウィレム4世 (オラニエ公)|オラニエ公ウィレム4世]]の妃(* [[1709年]]) * [[2月9日]] - [[ルイーズ・アンリエット・ド・ブルボン=コンティ]]、[[オルレアン公]][[ルイ・フィリップ1世 (オルレアン公)|ルイ・フィリップ1世]]の妃(* [[1726年]]) * [[4月14日]] - [[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル]]、[[作曲家]](* [[1685年]]) * [[6月26日]]([[宝暦]]9年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]])- [[伏見宮邦忠親王]]、[[江戸時代]]の[[皇族]](* [[1732年]]) * [[7月15日]](宝暦9年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]]) - [[服部南郭]]、[[儒学者]]・[[漢詩|漢詩人]]・[[画家]](* [[1683年]]) * [[8月8日]] - [[カール・ハインリヒ・グラウン]]、作曲家(* [[1704年]]) * [[8月10日]] - [[フェルナンド6世 (スペイン王)|フェルナンド6世]]、[[スペイン|スペイン王]](* [[1713年]]) * [[9月13日]] - [[ジェームズ・ウルフ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/James-Wolfe James Wolfe British general] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[イギリス陸軍]]の士官(* [[1727年]]) * [[11月29日]] - [[アーラムギール2世]]、第14代[[ムガル帝国|ムガル皇帝]](* [[1699年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1759}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1759ねん}} [[Category:1759年|*]]
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1643年
1643年(1643 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
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1643年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1643}} {{year-definition|1643}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸未]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[寛永]]20年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2303年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[崇禎]]16年 ** [[清]]{{Sup|*}} : [[崇徳]]8年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[仁祖]]21年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3976年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[陽和]]9年、[[福泰]]元年10月 - *** [[莫朝|高平莫氏]] : [[順徳 (莫朝)|順徳]]6年 * [[仏滅紀元]] : 2185年 - 2186年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1052年 - 1053年 * [[ユダヤ暦]] : 5403年 - 5404年 * [[ユリウス暦]] : 1642年12月22日 - 1643年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1643}} == できごと == * [[5月14日]] - [[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]、[[フランス王国|フランス]][[国王]]に即位{{要出典|date=2021-04}}。 * [[6月30日]] - [[イングランド内戦]]: [[アドウォルトン・ムーアの戦い]]。 * [[トルステンソン戦争|トルステンソン戦争(スウェーデン・デンマーク戦争)]](-[[1645年]]) * [[エヴァンジェリスタ・トリチェリ]]、初の[[水銀気圧計]]を製作。 * [[ブレスケンス号事件]](- [[1650年]]) * [[ホンタイジ]]が急死、[[順治帝]]、[[清]]朝の第3代[[皇帝]]に即位。 * [[李自成]]が[[西安]]を占領。 === 日本 === * [[11月14日]](寛永20年[[10月3日 (旧暦)|10月3日]] - [[後光明天皇]]が第110代[[天皇]]に即位。 * [[田畑勝手作禁止令]] * [[保科正之]]が[[会津藩]]に入封。 == 誕生 == {{see also|Category:1643年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月4日]] - [[アイザック・ニュートン]]、[[自然哲学|自然哲学者]]、[[数学者]](+ [[1727年]]) * [[2月25日]] - [[アフメト2世]]、[[オスマン帝国]]第21代[[スルタン]](+ [[1695年]]) * [[8月12日]] - [[アフォンソ6世 (ポルトガル王)|アフォンソ6世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]国王(+ [[1683年]]) * [[10月14日]] - [[バハードゥル・シャー1世]]、[[ムガル帝国]]第7代[[皇帝]](+ [[1712年]]) * [[11月22日]] - [[ロベール=カブリエ・ド・ラ・サール]]、[[探検家]](+ [[1687年]]) * [[12月26日]](寛永20年[[11月16日 (旧暦)|11月16日]]) - [[前田綱紀]]、[[加賀藩]]第4代[[藩主]](+ [[1724年]]) * [[マルカントワーヌ・シャルパンティエ]]、[[作曲家]](+ [[1704年]]) == 死去 == {{see also|Category:1643年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月15日]](寛永19年[[11月25日 (旧暦)|11月25日]]) - [[立花宗茂]]、[[武将]]、[[大名]](* [[1567年]]) * [[3月1日]] - [[ジローラモ・フレスコバルディ]]、作曲家(* [[1583年]]) * [[4月20日]] - [[クリストフ・デマンティウス]]、作曲家(* [[1567年]]) * [[5月14日]] - [[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]、フランス国王(* [[1601年]]) * [[6月24日]] - [[ジョン・ハムデン]]、[[イングランド]]の[[政治家]]・[[革命家]](* [[1594年]]) * [[8月7日]] - [[ヘンドリック・ブラウエル]]、[[探検家]](* [[1581年]]) * [[9月21日]]([[崇禎]]16年/[[崇徳]]8年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]) - [[ホンタイジ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Abahai Abahai Manchurian leader] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[清]]([[後金]])朝第2代皇帝(* [[1592年]]) * [[10月26日]](寛永20年[[9月14日 (旧暦)|9月14日]]) - [[春日局]]、[[徳川家光]]の[[乳母]](* [[1579年]]) * [[11月13日]](寛永20年[[10月2日 (旧暦)|10月2日]]) - [[天海]]、[[江戸幕府]]の設立に活躍した[[僧]](* [[1536年]]) * [[11月29日]] - [[クラウディオ・モンテヴェルディ]]、作曲家(* [[1567年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1643}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1643ねん}} [[Category:1643年|*]]
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フィリピン独立法
フィリピン独立法(フィリピンどくりつほう)は、1934年3月24日にアメリカ議会において成立した法律。別名、タイディングス・マクダフィー法。 法律の中身は10年後の7月4日にフィリピンを独立させるというもので1935年11月に独立準備政府(フィリピン・コモンウェルス)が発足し、マニュエル・ケソンが大統領に就任した。 その後、1941年に太平洋戦争が勃発し、1942年にマニラが日本によって占領され、ケソンはアメリカに亡命した。そして、ホセ・ラウレルフィリピン共和国第3代大統領が翌1943年10月14日にフィリピン第二共和国を樹立し独立を宣言した。1945年の日本敗戦に伴い、独立を失いアメリカの植民地に戻ることを余儀なくされることとなったが、1946年のマニラ条約で、フィリピン・コモンウェルスの組織を引き継ぎ、戦前から約束されていたフィリピン第三共和国が再独立した。戦後再びアメリカからの独立が実現したのは、1946年7月4日のことである。
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フィリピン独立法(フィリピンどくりつほう)は、1934年3月24日にアメリカ議会において成立した法律。別名、タイディングス・マクダフィー法。 法律の中身は10年後の7月4日にフィリピンを独立させるというもので1935年11月に独立準備政府(フィリピン・コモンウェルス)が発足し、マニュエル・ケソンが大統領に就任した。 その後、1941年に太平洋戦争が勃発し、1942年にマニラが日本によって占領され、ケソンはアメリカに亡命した。そして、ホセ・ラウレルフィリピン共和国第3代大統領が翌1943年10月14日にフィリピン第二共和国を樹立し独立を宣言した。1945年の日本敗戦に伴い、独立を失いアメリカの植民地に戻ることを余儀なくされることとなったが、1946年のマニラ条約で、フィリピン・コモンウェルスの組織を引き継ぎ、戦前から約束されていたフィリピン第三共和国が再独立した。戦後再びアメリカからの独立が実現したのは、1946年7月4日のことである。
'''フィリピン独立法'''(フィリピンどくりつほう)は、[[1934年]][[3月24日]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]議会において成立した法律。別名、'''タイディングス・マクダフィー法'''。 {{Infobox U.S. legislation | shorttitle = フィリピン独立法 | othershorttitles = タイディングス・マクダフィー法 | longtitle = フィリピン諸島の完全な独立を規定し、フィリピン諸島の憲法および政府形態の採択を規定し、その他の目的を定める法律 | colloquialacronym = | nickname = | enacted by = 73 | announced by = <!--like "enacted by" but for proposed/unpassed legislation--> | effective date = May 1, 1934 | public law url = | cite public law = {{USPL|73|127}} | cite statutes at large = {{USStat|48|456}} | acts amended = | acts repealed = | title amended = <!--US code titles changed--> | sections created = <!--{{USC}} can be used--> | sections amended = | leghisturl = | introducedin = <!--House or Senate--> | introducedbill = | introducedby = <!--sponsor(s); use {{uspolabbr}} for party/district--> | introduceddate = | committees = | passedbody1 = | passeddate1 = | passedvote1 = | passedbody2 = | passedas2 = <!-- used if the second body changes the name of the legislation --> | passeddate2 = | passedvote2 = | conferencedate = | passedbody3 = | passeddate3 = | passedvote3 = | agreedbody3 = <!-- used when the other body agrees without going into committee --> | agreeddate3 = <!-- used when the other body agrees without going into committee --> | agreedvote3 = <!-- used when the other body agrees without going into committee --> | agreedbody4 = <!-- used if agreedbody3 further amends legislation --> | agreeddate4 = <!-- used if agreedbody3 further amends legislation --> | agreedvote4 = <!-- used if agreedbody3 further amends legislation --> | passedbody4 = | passeddate4 = | passedvote4 = | signedpresident = | signeddate = | unsignedpresident = <!-- used when passed without presidential signing --> | unsigneddate = <!-- used when passed without presidential signing --> | vetoedpresident = <!-- used when passed by overriding presidential veto --> | vetoeddate = <!-- used when passed by overriding presidential veto --> | overriddenbody1 = <!-- used when passed by overriding presidential veto --> | overriddendate1 = <!-- used when passed by overriding presidential veto --> | overriddenvote1 = <!-- used when passed by overriding presidential veto --> | overriddenbody2 = <!-- used when passed by overriding presidential veto --> | overriddendate2 = <!-- used when passed by overriding presidential veto --> | overriddenvote2 = <!-- used when passed by overriding presidential veto --> | amendments = | SCOTUS cases = }} [[File:Philippine_Independence,_July_4_1946.jpg|thumb|180px|right|第三次[[フィリピン]]共和国が[[アメリカ合衆国]]より独立(1946年7月4日)]] 法律の中身は10年後の7月4日にフィリピンを独立させるというもので[[1935年]]11月に独立準備政府([[フィリピン・コモンウェルス]])が発足し、[[マニュエル・ケソン]]が大統領に就任した。 その後、[[1941年]]に[[太平洋戦争]]が勃発し、[[1942年]]に[[マニラ]]が[[日本占領時期のフィリピン|日本によって占領]]され、ケソンはアメリカに亡命した。そして、[[ホセ・ラウレル]][[フィリピン共和国]]第3代大統領が翌[[1943年]][[10月14日]]に[[フィリピン第二共和国]]を樹立し独立を宣言した。[[1945年]]の日本敗戦に伴い、独立を失いアメリカの植民地に戻ることを余儀なくされることとなったが、[[1946年]]の[[マニラ条約 (1946年)|マニラ条約]]で、フィリピン・コモンウェルスの組織を引き継ぎ、戦前から約束されていた[[フィリピン第三共和国]]が再独立した。戦後再びアメリカからの独立が実現したのは、[[1946年]][[7月4日]]のことである。 == 外部リンク == * [http://www.state.gov/r/pa/ei/bgn/2794.htm U.S. Relations With the Philippines] *[https://translate.google.co.jp/translate?hl=ja&sl=auto&tl=ja&u=http%3A%2F%2Fwww.state.gov%2Fr%2Fpa%2Fei%2Fbgn%2F2794.htm U.S. Relations With the PhilippinesをGoogle翻訳によって翻訳させたページ] {{Asia-history-stub}} {{US-history-stub}} {{Philippines-stub}} {{DEFAULTSORT:ふいりひんとくりつほう}} [[Category:アメリカ合衆国の連邦法律]] [[category:米比関係]] [[Category:1934年の法]] [[Category:フィリピンの歴史]] [[Category:アメリカ合衆国の植民政策]]
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1678年
1678年(1678 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
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1678年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1678}} {{year-definition|1678}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[戊午]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[延宝]]6年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2338年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[康熙]]17年 *** [[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権]]{{Sup|*}} : [[永暦 (南明)|永暦]]32年 *** [[楊起隆]] : [[広徳 (楊起隆)|広徳]]6年 *** [[呉三桂]] : [[昭武|周王]]5年、[[昭武]]元年3月 - 8月 *** [[呉世璠]] : [[洪化]]元年8月 - * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[粛宗 (朝鮮王)|粛宗]]4年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4011年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[永治 (黎朝)|永治]]3年 * [[仏滅紀元]] : 2220年 - 2221年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1088年 - 1089年 * [[ユダヤ暦]] : 5438年 - 5439年 * [[ユリウス暦]] : 1677年12月22日 - 1678年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1678}} == できごと == * [[10月2日]] - 現在の[[宮城県沖地震|宮城県北部沖で地震]]、M 7.5。 * [[ナイメーヘンの和約]]締結、[[オランダ侵略戦争]]終結。 * [[フランス]]の[[宣教師]][[ルイ・エヌパン]]([[:en:Louis Hennepin|Louis Hennepin]])が[[ナイアガラ滝]]を訪れる(これが[[ヨーロッパ]]人がナイアガラ滝を訪れた最初だとされる)。 * [[ジョン・バニヤン]]、『[[天路歴程]]』第一部を出版。 == 誕生 == {{see also|Category:1678年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月4日]] - [[アントニオ・ヴィヴァルディ]]、[[作曲家]](+ [[1741年]]) * [[3月4日]] - [[アマロ・ロドリゲス・フェリペ]]、[[スペイン]]の[[海賊]](+ [[1747年]]) * [[3月7日]] - [[フィリッポ・ユヴァラ]]、[[建築家]](+ [[1736年]]) * [[5月16日]] - [[アンドレアス・ジルバーマン]]、[[オルガン]]製作者(+ [[1734年]]) * [[6月6日]] - [[ルイ・アレクサンドル・ド・ブルボン (トゥールーズ伯)|ルイ=アレクサンドル・ド・ブルボン]]、[[軍人]]、[[トゥールーズ伯]](+ [[1737年]]) * [[7月26日]] - [[ヨーゼフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ1世]]、[[神聖ローマ皇帝]](+ [[1711年]]) * [[9月29日]] - [[ノアイユ公アドリアン=モーリス]]([[w:Adrien-Maurice, 3rd duc de Noailles|Adrien-Maurice, 3rd duc de Noailles]])、軍人(+ [[1766年]]) * [[11月26日]] - [[ジャン=ジャック・ドルトゥス・ド・メラン]]([[w:Jean-Jacques d'Ortous de Mairan|Jean-Jacques d'Ortous de Mairan]])、[[地球物理学]]者(+ [[1771年]]) * [[12月13日]] - [[雍正帝]]、[[清|清王朝]]第5代[[皇帝]](+ [[1735年]]) * [[12月30日]]受洗 - [[ウィリアム・クロフト]]、作曲家、[[オルガニスト]](+ [[1727年]]) * [[尚益王]]、[[琉球王国]][[第二尚氏]]王統第12代[[国王]](+ [[1712年]]) * [[奥田行高]]、[[赤穂浪士]](+ [[1703年]]) * [[間光興]]、赤穂浪士(+ 1703年) * [[清水一学]]、[[赤穂事件]]時の[[吉良氏|吉良家]]側の[[剣術|剣客]](+ 1703年) * [[エイブラハム・ダービー1世]]([[w:Abraham Darby I|Abraham Darby I]])、[[製鉄]]会社経営者(+ [[1717年]]) * [[ジョージ・ファーカー]]([[w:George Farquhar|George Farquhar]])、[[劇作家]](+ [[1707年]]) * [[ピエール・フォシャール]]、[[歯科医師]](+ [[1761年]]) * [[サイモン・オクリー]]([[w:Simon Ockley|Simon Ockley]])、[[東洋学]]者(+ [[1720年]]) * [[マヌエル・デ・ズマヤ]]([[w:Manuel de Zumaya|Manuel de Zumaya]])、作曲家(+ [[1755年]]) == 死去 == {{see also|Category:1678年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月24日]] - [[ルートヴィヒ6世 (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)|ルートヴィヒ6世]]、[[ヘッセン=ダルムシュタット方伯領|ヘッセン=ダルムシュタット方伯]](* [[1630年]]) * [[5月4日]]または[[5月14日|14日]] - [[アンナ・マリア・ファン・シュールマン]]([[w:Anna Maria van Schurman|Anna Maria van Schurman]])、女流詩人(* [[1607年]]) * [[5月18日]]([[延宝]]6年[[3月28日 (旧暦)|3月28日]]) - [[宮本伊織]]、[[宮本武蔵]]の[[養子]](* [[1612年]]) * [[6月22日]] - [[オットー・マルセウス・ファン・シュリーク]]([[w:Otto Marseus van Schrieck|Otto Marseus van Schrieck]])、画家(* [[1619年]]) * [[8月2日]](延宝6年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[徳川和子]]、[[徳川秀忠]]の娘、[[後水尾天皇]]の[[中宮]](* [[1607年]]) * [[8月16日]] - [[アンドリュー・マーヴェル]]、[[詩人]](* [[1621年]]) * [[8月31日]] - [[ルートヴィヒ7世 (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)|ルートヴィヒ7世]]、ヘッセン=ダルムシュタット方伯(* [[1658年]]) * [[9月1日]] - [[ヤン・ブリューゲル (子)]]、[[画家]](* [[1601年]]) * [[9月19日]] - [[ベルンハルト・フォン・ガレン]]([[w:Bernhard von Galen|Bernhard von Galen]])、[[ミュンスター]][[領主司教]](* [[1606年]]) * [[9月28日]] - [[マウリツィオ・カッツァーティ]]、作曲家(* [[1616年]]) * [[10月2日]] - [[呉三桂]]、[[三藩の乱]]を引き起こした軍人(* [[1612年]]) * [[10月18日]] - [[ヤーコブ・ヨルダーンス]]、画家(* [[1593年]]) * [[10月29日]] (延宝6年[[9月14日 (旧暦)|9月14日]]) - [[徳川綱重]]、[[徳川家光]]の三男、[[徳川家宣]]の父(* [[1644年]]) * [[11月18日]] - [[ジョヴァンニ・マリア・ボノンチーニ]]、作曲家、[[ヴァイオリニスト]](* [[1642年]]) * [[11月20日]] - [[カレル・デュジャルダン]]、画家(* [[1640年]]) * [[ジョン・ジェンキンズ (作曲家)|ジョン・ジェンキンズ]]、作曲家(* [[1592年]]) * [[コジモ・ファンザーゴ]]([[w:Cosimo Fanzago|Cosimo Fanzago]])、[[彫刻家]](* [[1591年]]) * [[ロベール・ナントゥイユ]]([[w:Robert Nanteuil|Robert Nanteuil]])、[[版画家]](* [[1623年]]または[[1630年]]) * [[フランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌ]]([[w:François Pierre La Varenne|François Pierre La Varenne]])、[[シェフ|料理人]](* [[1618年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1678}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1678ねん}} [[Category:1678年|*]]
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1757年
1757年(1757 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
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1757年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1757}} {{year-definition|1757}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丁丑]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[宝暦]]7年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2417年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]22年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]33年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4090年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]18年 * [[仏滅紀元]] : 2299年 - 2300年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1170年 - 1171年 * [[ユダヤ暦]] : 5517年 - 5518年 * [[ユリウス暦]] : 1756年12月21日 - 1757年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1757}} == できごと == * [[1月21日]] - [[フレンチ・インディアン戦争]]: [[かんじきの戦い (1757年)|かんじきの戦い]]起こる。 * [[6月23日]] - [[プラッシーの戦い]]。イギリス・イギリス東インド会社軍がフランスのベンガル土侯連合軍を破る。インドのイギリス支配が決定。 * [[6月25日]] - 第4代[[デヴォンシャー公爵]][[ウィリアム・キャヴェンディッシュ (第4代デヴォンシャー公爵)|ウィリアム・キャヴェンディッシュ]]がイギリス首相を辞職。 * [[7月2日]] - [[大ピット]]と初代[[ニューカッスル公爵]][[トマス・ペラム=ホールズ (初代ニューカッスル公)|トマス・ペラム=ホールズ]]の和解により、第二次ニューカッスル公爵内閣が成立。 * [[11月5日]] - [[七年戦争]]:[[ロスバッハの戦い]] * [[12月5日]] - 七年戦争:[[ロイテンの戦い]] * [[オスマン帝国]]の皇帝が[[オスマン3世]](在位:[[1754年]]-1757年) から[[ムスタファ3世]](在位:1757年 - [[1774年]])に交代する。 * [[プラッシーの戦い]]が起こり、[[イギリス東インド会社]]が[[インド]]全域における覇権を確立。 * [[清]]の[[乾隆帝]]が貿易港を広州1港のみに限定し、公行に貿易独占権を与えた。 * [[アムルサナー]]が[[ジュンガル]]再興のために清に反乱を起こすが、敗北。 == 誕生 == {{see also|Category:1757年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[5月30日]] - [[ヘンリー・アディントン]]<ref>{{cite web2|url=https://www.gov.uk/government/history/past-prime-ministers/henry-addington-1st-viscount-sidmouth |title=Past Prime Ministers Henry Addington 1st Viscount Sidmouth|website=GOV.UK|publisher=[[イギリス政府]] |language=en |accessdate=2021-02-27}}</ref>、[[政治家]]、イギリス首相(+ [[1844年]]) * [[9月6日]] - [[ラファイエット]]、[[軍人]]・[[政治家]](+ [[1834年]]) * [[10月9日]] - [[シャルル10世 (フランス王)|シャルル10世]]、[[フランス王国|フランス王]](+ [[1836年]]) * [[11月1日]] - [[アントニオ・カノーヴァ]]、[[彫刻家]](+ [[1822年]]) * [[11月9日]]([[宝暦]]7年[[9月28日 (旧暦)|9月28日]]) - [[大槻玄沢]]、[[蘭学]]者・[[蘭方医]](+ [[1827年]]) * [[11月28日]] - [[ウィリアム・ブレイク]]、[[画家]]・[[詩人]]・[[銅版画]]職人(+ [[1827年]]) == 死去 == {{see also|Category:1757年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月9日]] - [[ベルナール・フォントネル]]、著述家(* [[1657年]]) * [[1月22日]]([[宝暦]]6年[[12月3日 (旧暦)|12月3日]])- [[松浦篤信]]、第6代[[平戸藩|平戸藩主]](* [[1684年]]) * [[3月27日]] - [[ヨハン・シュターミッツ]]、[[作曲家]](* [[1717年]]) * [[4月17日]](宝暦7年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]])- [[本多忠統]]、[[江戸幕府]][[若年寄]]・[[神戸藩|神戸藩主]](* [[1691年]]) * [[7月23日]] - [[ドメニコ・スカルラッティ]]、作曲家(* [[1685年]]) * [[8月3日]] - [[カール・ヴィルヘルム・フリードリヒ (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯)|カール・ヴィルヘルム・フリードリヒ]]、[[アンスバッハ侯領|ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯]](* [[1712年]]) * [[8月16日]](宝暦7年[[7月2日 (旧暦)|7月2日]])- [[徳川宗直]]、第6代[[紀州藩|紀州藩主]](* [[1682年]]) * [[10月17日]] - [[ルネ・レオミュール]]、[[昆虫学|昆虫学者]](* [[1683年]]) * [[11月17日]] - [[マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ (1699-1757)|マリア・ヨーゼファ]]、[[ポーランド王国|ポーランド王]][[アウグスト3世 (ポーランド王)|アウグスト3世]]の妃(* [[1699年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1757}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1757ねん}} [[Category:1757年|*]]
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1741年
1741年(1741 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
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1741年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1741}} {{year-definition|1741}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[辛酉]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[元文]]6年、[[寛保]]元年2月27日 - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2401年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]6年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]17年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4074年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]2年 * [[仏滅紀元]] : 2283年 - 2284年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1153年 - 1154年 * [[ユダヤ暦]] : 5501年 - 5502年 * [[ユリウス暦]] : 1740年12月21日 - 1741年12月20日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1741}} == できごと == * [[4月12日]](元文6年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]) - 日本、[[改元]]して[[寛保]]元年 * [[4月30日]]-[[6月11日]] - イギリスで[[1741年イギリス総選挙|総選挙]]。与野党の議席が伯仲し、[[ロバート・ウォルポール|ウォルポール]]政権不安定に。 * [[8月29日]]([[寛保]]元年) - 北海道の[[渡島半島]]の[[熊石町|熊石]]から[[松前町 (北海道)|松前]]にかけて謎の[[津波|大津波]]が襲来し、1467人が死亡した([[寛保津波]])。 * [[ベーリング]]がアラスカに到達。 == 誕生 == {{see also|Category:1741年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月7日]] - [[ヨハン・ハインリヒ・フュースリー]]、[[画家]](+ [[1825年]]) * [[3月13日]] - [[ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ2世]]、[[神聖ローマ皇帝]](+ [[1790年]]) * [[3月17日]] - [[ウィリアム・ウィザリング]]、[[科学者]](+ [[1799年]]) * [[3月20日]] - [[ジャン=アントワーヌ・ウードン]]、[[彫刻家]](+ [[1828年]]) * [[3月22日]] - [[アントワーヌ=フランソワ・カレ]]、[[画家]] (+ [[1823年]]) * [[4月14日]]([[寛保]]元年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]]) - [[桃園天皇]]、第116代天皇(+ [[1762年]]) * [[4月15日]] - [[チャールズ・ウィルソン・ピール]]、画家・[[軍人]]・[[博物学|博物学者]](+ [[1827年]]) * [[5月23日]] - [[アンドレア・ルケージ]]、作曲家(+ [[1801年]]) * [[8月23日]] - [[ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー]]、海軍士官・[[探検家]](+ [[1788年]]?) * [[10月30日]] - [[アンゲリカ・カウフマン (画家)|アンゲリカ・カウフマン]]、画家(+ [[1807年]]) == 死去 == {{see also|Category:1741年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月14日]] - [[ヨハン・ヨーゼフ・フックス]]、演奏家、[[作曲家]](* [[1660年]]) * [[4月13日]]([[寛保]]元年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[近衛熙子|天英院]]、[[徳川家宣]]正室(* [[1666年]]) * [[6月18日]] - [[フランソワ・プルフール・デュ・プチ]]、[[解剖学者]]・[[医者]](* [[1664年]]) * [[7月28日]] - [[アントニオ・ヴィヴァルディ]]、[[作曲家]](* [[1678年]]) * [[12月19日]] - [[ヴィトゥス・ベーリング]]、[[探検家]](* [[1681年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1741}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1741ねん}} [[Category:1741年|*]]
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4,793
1784年
1784年(1784 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。
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1784年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1784}} {{year-definition|1784}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[甲辰]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[天明]]3年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]] - 天明4年[[11月20日 (旧暦)|11月20日]] ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2444年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]48年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]] - 乾隆49年[[11月20日 (旧暦)|11月20日]] * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]8年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4117年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]45年 ** [[西山朝]] : [[泰徳]]7年 * [[仏滅紀元]] : 2326年 - 2327年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1198年 - 1199年 * [[ユダヤ暦]] : 5544年 - 5545年 * [[ユリウス暦]] : 1783年12月21日 - 1784年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1784}} == できごと == * [[2月6日 (旧暦)]] - [[福岡藩]]の[[藩校]][[修猷館]](東学問稽古所)開館。 * [[2月23日 (旧暦)]] - 「[[漢委奴国王印]]」発見。 * [[3月30日]]-[[5月10日]] - イギリスで[[1784年イギリス総選挙|総選挙]]。[[小ピット]]内閣の与党が勝利。 * [[8月23日]] - [[アメリカ]]内の[[分離主義]]者が現在の[[テネシー州]]にて[[フランクリン国]]を建国しノースカロライナ邦からの独立を宣言。 * [[甘棠館]]の創設。 * [[イマヌエル・カント]]、『[[純粋理性批判]]』第二版出版。 *イギリスで[[ジョンスメドレー]]が創業。 == 誕生 == {{see also|Category:1784年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月1日]]([[天明]]3年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]])- [[毛利斉熙]]、第11代[[長州藩|長州藩主]](+ [[1836年]]) * [[1月2日]] - [[エルンスト1世 (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|エルンスト1世]]、[[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国|ザクセン=コーブルク=ゴータ公]](+ [[1844年]]) * [[1月28日]] - 第4代[[アバディーン伯爵]][[ジョージ・ハミルトン=ゴードン (第4代アバディーン伯)|ジョージ・ハミルトン=ゴードン]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1860年]]) * [[2月5日]] - [[ウィリアム・テイラー・バリー]]、第10代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1835年]]) * [[4月5日]] - [[ルイ・シュポーア]]、[[作曲家]](+ [[1859年]]) * [[6月8日]] - [[アントナン・カレーム]]、[[フランス料理]]の[[シェフ]](+ [[1833年]]) * [[7月22日]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル]]、[[数学者]]・[[天文学者]](+ [[1846年]]) * [[7月27日]]([[ユリウス暦]]7月16日) - [[デニス・ダヴィドフ]]、軍人(+ [[1839年]]) * [[10月14日]] - [[フェルナンド7世 (スペイン王)|フェルナンド7世]]、[[スペイン]]王 (+ [[1833年]]) * [[10月15日]] - [[トマ・ロベール・ブジョー]]、[[フランス軍]]の[[将軍]]・[[アルジェリア]]総督(+ [[1849年]]) * [[10月20日]] - 第3代[[パーマストン子爵]][[ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)|ヘンリー・ジョン・テンプル]]、イギリス首相(+ [[1865年]]) * [[11月15日]] - [[ジェローム・ボナパルト]]、[[ヴェストファーレン王国|ヴェストファーレン王]](+ [[1860年]]) * [[11月24日]] - [[ザカリー・テイラー]]、第12代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1850年]]) * 月日不明 - [[尾上菊五郎 (3代目)]]、[[歌舞伎]]役者(+ [[1849年]]) * 月日不明 - [[関山仙太夫]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](+ [[1859年]]) == 死去 == {{see also|Category:1784年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月17日]]([[天明]]3年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]) - [[与謝蕪村]]、[[俳句|俳人]](* [[1716年]]) * [[5月20日]](天明4年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]) - [[田沼意知]]、[[江戸幕府]]元[[若年寄]](* [[1749年]]) * [[7月15日]](天明4年[[5月28日 (旧暦)|5月28日]]) - [[伊勢貞丈]]、[[旗本]]・[[有職故実]]研究家(* [[1718年]]) * [[7月31日]] - [[ドゥニ・ディドロ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Denis-Diderot Philip Denis Diderot French philosopher] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[啓蒙思想家]](* [[1713年]]) * [[9月2日]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィスコンティ]]、考古学者(* [[1722年]]) * [[12月13日]] - [[サミュエル・ジョンソン]]、[[文学者]](* [[1709年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1784}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1784ねん}} [[Category:1784年|*]]
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4,794
1719年
1719年(1719 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
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1719年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1719}} {{year-definition|1719}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[己亥]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[享保]]4年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2379年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[康熙]]58年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[粛宗 (朝鮮王)|粛宗]]45年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4052年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[永盛 (黎朝)|永盛]]15年 * [[仏滅紀元]] : 2261年 - 2262年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1131年 - 1132年 * [[ユダヤ暦]] : 5479年 - 5480年 * [[ユリウス暦]] : 1718年12月21日 - 1719年12月20日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1719}} == できごと == * [[第二次ジャワ戦争]](ジャワ継承戦争)勃発。(-[[1723年]]){{要出典|date=2021-03}} * [[ダニエル・デフォー]]が「[[ロビンソン・クルーソー]]」を出版。 * [[大清帝国|清]]、[[皇輿全覧図]]完成。 === 日本 === * [[享保]]4年[[11月9日 (旧暦)|11月9日]] - [[江戸幕府]]第八代将軍、[[徳川吉宗]]が独自の[[相対済令]]を制定する{{要出典|date=2021-02}}。 * [[新井白石]]が「[[南島志]]」を発表。 * [[長州藩]]に(現在の[[私立学校]]に当たる)[[藩校]]、[[明倫館]]が開校される。 * [[江戸]]に[[町火消組合]]が設置される。 == 誕生 == {{see also|Category:1719年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月25日]]([[享保]]4年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]])- [[井伊直陽]]、[[越後]][[与板藩]]第2代藩主(+ [[1732年]]) * [[9月11日]](享保4年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]])- [[田沼意次]]、[[江戸幕府]]の[[側用人]]・[[老中]]、遠江国[[相良藩]]初代藩主(+ [[1788年]]) * [[11月14日]] - [[レオポルト・モーツァルト]]、作曲家、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]の父(+ [[1787年]]) == 死去 == {{see also|Category:1719年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月7日]] - [[ジャン=バティスト・ド・ラ・サール]]、[[司祭]]、[[教育者]](* [[1651年]]) * [[9月28日]](享保4年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[佐藤直方]]、[[儒家]](* [[1650年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1719}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1719ねん}} [[Category:1719年|*]]
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1710年代
1710年代(せんななひゃくじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1710年から1719年までの10年間を指す十年紀。
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1710年代(せんななひゃくじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1710年から1719年までの10年間を指す十年紀。
{{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 18 | 年代 = 1710 | 年 = 1710 }} '''1710年代'''(せんななひゃくじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1710年から1719年までの10年間を指す[[十年紀]]。 == できごと == === 1710年 === {{main|1710年}} * [[グレートブリテン王国|イギリス]]で世界最初の成文[[著作権法|コピーライト法]]が制定。 * イギリス・[[ロンドン]]で、[[セント・ポール大聖堂]]が完成。 * [[ドイツ]]の[[マイセン]]地方にあるアルブレヒト城内に硬質[[磁器]]製作所が誕生。 * [[ローマ教皇]]使節[[ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ|シドッティ]]、[[日本]]に潜入。 * [[ネーデルラント連邦共和国|オランダ]]が[[モーリシャス]]から撤退。 * ペティ・ド・ラ・クロワによる『[[千一日物語]]』の出版。 === 1711年 === {{main|1711年}} * [[福岡県]][[古賀市]]にあった筵内村において、借り手から15年以内なら無償で田畑を返してよい旨を定めた「掟」が制定される。 * [[6月11日]](宝永8年[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]) - 日本、[[改元]]して[[正徳 (日本)|正徳]]元年。 * [[7月21日]] - [[プルト条約]]、[[ロシア・ツァーリ国|ロシア]]が[[オスマン帝国]]と講和。 === 1712年 === {{main|1712年}} * ロシア・[[ツァーリ]][[ピョートル1世 (ロシア皇帝)|ピョートル1世]]、[[サンクトペテルブルク]]に[[遷都]]。 === 1713年 === {{main|1713年}} * [[ユトレヒト条約]]によって[[スペイン継承戦争]]が終結。 * [[徳川家継]]、[[徳川幕府]]7代[[征夷大将軍|将軍]]となる。 === 1714年 === {{main|1714年}} * [[江島生島事件]]。 * [[8月7日]]([[ユリウス暦|旧暦]][[7月27日]]) - [[ハンゲの海戦]]、ロシアが[[バルト海]]の[[制海権]]を奪取。 === 1715年 === {{main|1715年}} * [[近松門左衛門]]の『[[国性爺合戦]]』が竹本座で初演。 === 1716年 === {{main|1716年}} * [[徳川吉宗]]、[[徳川幕府]]8代[[征夷大将軍|将軍]]となる。 * [[8月9日]](正徳6年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - 日本、改元して[[享保]]元年。 * [[享保の改革]]が始まる。 === 1717年 === {{main|1717年}} * ロンドンに[[フリーメイソン]]のグランドロッジが設立される。 * [[アントワーヌ・ヴァトー]]、『シテール島の巡礼』を発表。 * [[清]]の[[康熙帝]]、[[チベット]]に[[親征]]する。 === 1718年 === {{main|1718年}} * イギリスで[[囚人移送法]]制定。 * ドイツで[[聖母マリアの泉]]が完成。 * フランス・パリで[[エリゼ宮殿]]創建。 * [[12月11日]](旧暦[[11月30日]]) - [[スウェーデン]]王[[カール12世 (スウェーデン王)|カール12世]]、[[ノルウェー]]で戦没。[[バルト帝国]]の崩壊。 === 1719年 === {{main|1719年}} * [[相対済令]]が制定。 * {{仮リンク|第2次ジャワ継承戦争|id|Perang Tahta Jawa Kedua}}が勃発。 * [[新井白石]]が「[[南島志]]」を発表。 * [[長州藩]]に[[私立学校]]、[[明倫館]]が開校。 * [[江戸]]に[[町火消組合]]が設置。 * ダニエル・デフオーが「[[ロビンソン・クルーソー]]」を出版。 == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == * [[十年紀の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} {{世紀と十年紀|千年紀=2|世紀=11|年代=1000}} {{History-stub}} {{デフォルトソート:1710ねんたい}} [[Category:1710年代|*]]
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1787年
1787年(1787 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
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1787年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1787}} {{year-definition|1787}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丁未]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[天明]]7年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2447年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]52年 *** [[林爽文]]{{Sup|*}} : [[順天 (林爽文)|順天]]元年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]11年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4120年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[昭統]]元年 ** [[西山朝]] : [[泰徳]]10年 * [[仏滅紀元]] : 2329年 - 2330年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1201年 - 1202年 * [[ユダヤ暦]] : 5547年 - 5548年 * [[ユリウス暦]] : 1786年12月21日 - 1787年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1787}} == できごと == * [[1月11日]] - [[ウィリアム・ハーシェル]]が[[天王星]]の衛星[[チタニア (衛星)|チタニア]]と[[オベロン (衛星)|オベロン]]を発見 * [[5月13日]] - [[アーサー・フィリップ]]が流刑犯を[[オーストラリア]]に移送するため[[ポーツマス (イングランド)|ポーツマス]]を出港 * [[5月25日]] - [[フィラデルフィア憲法制定会議]]が定足数の7州の代表が集まったことにより開会。 *8月 - [[露土戦争 (1787年-1791年)|露土戦争]]勃発。(-[[1792年]]) * [[9月17日]] - [[フィラデルフィア憲法制定会議]]が[[アメリカ合衆国憲法]](案)を採択し、閉会。 * [[10月27日]] - 『[[ザ・フェデラリスト]]』の第一篇が[[ニューヨーク]]の新聞(『インデペンデント・ジャーナル』)に初めて掲載される。 * [[10月29日]] - [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]『[[ドン・ジョヴァンニ]]』初演 * [[12月7日]] - 米国で[[デラウェア州|デラウェア]]が1番目の州となる * [[12月12日]] - 米国で[[ペンシルベニア州|ペンシルベニア]]が2番目の州となる * [[12月18日]] - 米国で[[ニュージャージー州|ニュージャージー]]が3番目の州となる === 日本 === * [[5月 (旧暦)|5月]] - [[江戸]]や[[大坂]]など、各地で[[打ちこわし]]が発生する。 * [[10月11日]](天明7年[[9月1日 (旧暦)|9月1日]]) - [[井伊直幸]]が[[大老]]を辞任。 * [[徳川家斉]]が[[江戸幕府]]11代[[征夷大将軍|将軍]]となる * [[松平定信]]が[[寛政の改革]]に着手 * この年は日本各地で大[[飢饉]]だった。 == 誕生 == {{see also|Category:1787年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月6日]] - [[ヨゼフ・フォン・フラウンホーファー]]、[[物理学者]](+ [[1826年]]) * [[3月17日]] - [[エドマンド・キーン]]、[[俳優]](+ [[1833年]]) * [[4月6日]](天明7年[[2月18日 (旧暦)|2月18日]])- [[池田斉邦]]、第7代[[鳥取藩|鳥取藩主]](+ [[1807年]]) * [[4月17日]](天明7年[[2月29日 (旧暦)|2月29日]])- [[岡部長慎]]、[[和泉国|和泉]][[岸和田藩]]の第9代藩主(+ [[1859年]]) * [[5月20日]](天明7年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]])- [[江馬細香]]、女流[[漢詩人]](+ [[1861年]]) * [[6月9日]] - [[サミュエル・サウサード]]、[[アメリカ合衆国海軍長官]]・[[ニュージャージー州]]知事(+ [[1842年]]) * [[7月14日]]([[乾隆]]52年[[5月29日 (旧暦)|5月29日]])- [[尚灝王]]、第17代[[琉球王国|琉球王]](+ [[1834年]]) * [[7月25日]](天明7年[[6月11日 (旧暦)|6月11日]])- [[小関三英]]、[[蘭学|蘭学者]](+ [[1839年]]) * [[8月20日]] - [[ジョン・ミルトン・ナイルズ]]、第12代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1856年]]) * [[8月15日]] - [[アレクサンドル・アリャービエフ]]、[[作曲家]](+ [[1851年]]) * [[9月4日]](天明7年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]])- [[二宮尊徳]]、農政家(+ [[1858年]]) * [[10月4日]] - [[フランソワ・ピエール・ギヨーム・ギゾー]]、[[フランスの首相|フランス首相]](+ [[1874年]]) * [[11月18日]] - [[ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール]]、[[発明家]](+ [[1851年]]) * [[11月21日]] - [[サミュエル・キュナード]]、[[実業家]](+ [[1865年]]) * [[11月22日]] - [[ラスムス・ラスク]]、[[言語学|言語学者]](+ [[1832年]]) * [[11月24日]](天明7年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - [[渋川景佑]]、[[天文学者]]、[[江戸幕府]][[天文方]](+ [[1856年]]) * [[12月10日]] - [[トーマス・ホプキンズ・ギャローデット]]、[[教育者]](+ [[1851年]]) * [[12月30日]] - [[オットー・フォン・コツェブー]]、航海士・[[探検家]](+ [[1846年]]) * 月日不詳 - [[本因坊丈和]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](+ [[1847年]]) == 死去 == {{see also|Category:1787年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月1日]] - [[アーサー・ミドルトン]]、[[アメリカ独立宣言]]署名者(* [[1742年]]) * [[2月13日]] - [[ルジェル・ヨシプ・ボスコヴィッチ]]、[[科学者]]・[[イエズス会]][[神父]](* [[1711年]]) * [[4月2日]] - [[トマス・ゲイジ]]、[[イギリス軍]]の[[将軍]](* [[1719年]]) * [[5月28日]] - [[レオポルト・モーツァルト]]、[[作曲家]](* [[1719年]]) * [[9月18日]]([[天明]]7年[[8月7日 (旧暦)|8月7日]])- [[前田利久 (藩主)|前田利久]]、第7代[[富山藩|富山藩主]](* [[1762年]]) * [[10月7日]]([[乾隆]]52年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]])- [[今帰仁朝義]]、琉球王国の王族(* [[1702年]]) * [[10月26日]](天明7年[[9月16日 (旧暦)|9月16日]])- [[細川治年]]、第7代[[熊本藩|熊本藩主]](* [[1758年]]) * [[11月15日]] - [[クリストフ・ヴィリバルト・グルック]]、作曲家(* [[1714年]]) * [[11月23日]](天明7年[[10月14日 (旧暦)|10月14日]])- [[保姫]]、[[薩摩藩|薩摩藩主]][[島津重豪]]の[[正室]](* [[1754年]]) <!--== 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == フィクションのできごと == * ある女性が異形の子を産む。この子どもは、過去に失踪した魔術師、リチャード・ビリントンに似ていたため、火刑に処される。(『[[暗黒の儀式]]』) == 関連項目 == {{Commonscat|1787}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1787ねん}} [[Category:1787年|*]]
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4,797
1740年代
1740年代(せんななひゃくよんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1740年から1749年までの10年間を指す十年紀。 ヨーロッパではオーストリア継承戦争が勃発し、ほぼ8年近くに渡って続いた。この戦争は、ヨーロッパの主要国だけでなく、北アメリカやカリブ海、インドまでも戦禍に巻き込んだものになった。 西アジアでは、アフシャール朝(ペルシア)のナーディル・シャーが中央アジアやデリーの占領に成功した後、ペルシア湾沿岸諸国やオスマン帝国と干戈を交えた。一大帝国を作り上げたナーディル・シャーだったが1747年に暗殺される。彼の帝国はガージャール朝やザンド朝の自立により崩壊した。 東アジアは比較的平和な時期であった。清では、乾隆帝のもと、王朝の絶頂期とも言える時代を謳歌していた。1740年代の末頃には十全武功のうちのひとつ、大小金川の戦い(中国語版)が起こり、清はいよいよ最大版図までの拡大を辿っていく。日本の江戸幕府では、将軍徳川吉宗が晩年に至るまで政治に影響力を及ぼしていたが、この時代の終わりには各地で一揆が頻発するようになっていた。
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1740年代(せんななひゃくよんじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1740年から1749年までの10年間を指す十年紀。 ヨーロッパではオーストリア継承戦争が勃発し、ほぼ8年近くに渡って続いた。この戦争は、ヨーロッパの主要国だけでなく、北アメリカやカリブ海、インドまでも戦禍に巻き込んだものになった。 西アジアでは、アフシャール朝(ペルシア)のナーディル・シャーが中央アジアやデリーの占領に成功した後、ペルシア湾沿岸諸国やオスマン帝国と干戈を交えた。一大帝国を作り上げたナーディル・シャーだったが1747年に暗殺される。彼の帝国はガージャール朝やザンド朝の自立により崩壊した。 東アジアは比較的平和な時期であった。清では、乾隆帝のもと、王朝の絶頂期とも言える時代を謳歌していた。1740年代の末頃には十全武功のうちのひとつ、大小金川の戦いが起こり、清はいよいよ最大版図までの拡大を辿っていく。日本の江戸幕府では、将軍徳川吉宗が晩年に至るまで政治に影響力を及ぼしていたが、この時代の終わりには各地で一揆が頻発するようになっていた。
{{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 18 | 年代 = 1740 | 年 = 1740 }} '''1740年代'''(せんななひゃくよんじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1740年から1749年までの10年間を指す[[十年紀]]。 [[ヨーロッパ]]では[[オーストリア継承戦争]]が勃発し、ほぼ8年近くに渡って続いた。この戦争は、ヨーロッパの主要国だけでなく、[[北アメリカ]]や[[カリブ海地域|カリブ海]]、[[インド大陸|インド]]までも戦禍に巻き込んだものになった。 [[西アジア]]では、[[アフシャール朝]]([[ペルシア]])の[[ナーディル・シャー]]が[[中央アジア]]や[[デリー]]の占領に成功した後、[[ペルシア湾]]沿岸諸国や[[オスマン帝国]]と干戈を交えた。一大帝国を作り上げたナーディル・シャーだったが1747年に暗殺される。彼の帝国は[[ガージャール朝]]や[[ザンド朝]]の自立により崩壊した。 [[東アジア]]は比較的平和な時期であった。[[清]]では、[[乾隆帝]]のもと、王朝の絶頂期とも言える時代を謳歌していた。1740年代の末頃には[[十全武功]]のうちのひとつ、{{仮リンク|大小金川の戦い|zh|大小金川之役}}が起こり、清はいよいよ最大版図までの拡大を辿っていく。[[日本]]の[[江戸幕府]]では、将軍[[徳川吉宗]]が晩年に至るまで政治に影響力を及ぼしていたが、この時代の終わりには各地で[[一揆]]が頻発するようになっていた。 == できごと == === 1740年 === {{main|1740年}} * [[5月31日]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム1世]]が崩御し、[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]が[[プロイセン王国|プロイセン]]王に即位。 * [[マリア・テレジア]]が[[ハプスブルク家]]を相続、[[オーストリア継承戦争]]が勃発。 * [[ベネディクトゥス14世 (ローマ教皇)|ベネディクトゥス14世]]、[[ローマ教皇]]に選出される。 * [[乾隆帝]]、「[[満洲]]根本の地」である[[山海関]]外への入植を禁ずる。 === 1741年 === {{main|1741年}} * [[4月12日]](元文6年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]) - 日本、[[改元]]して[[寛保]]元年。 === 1742年 === {{main|1742年}} * [[徳川吉宗]]のもと、[[公事方御定書]]が完成。 * [[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]、[[オラトリオ]]『[[メサイア (ヘンデル)|メサイア]]』を[[ダブリン]]にて初演。 === 1743年 === {{main|1743年}} * [[フランス王国|フランス]]国王[[ルイ15世]]が親政を開始。 * [[クリンケンベルグ彗星]]が翌年にかけて観測される。 === 1744年 === {{main|1744年}} * [[8月5日]](寛保4年[[2月21日 (旧暦)|2月21日]]) - 日本、[[改元]]して[[延享]]元年。 * マリア・テレジアの夫[[フランツ1世 (神聖ローマ皇帝)|フランツ1世]]が[[神聖ローマ帝国]]皇帝に即位。 === 1745年 === {{main|1745年}} * [[徳川家重]]、[[徳川幕府]]9代[[征夷大将軍|将軍]]となる。 * [[ルイブールの戦い (1745年)|ルイブールの戦い]]が起こる。 === 1746年 === {{Main|1746年}} * [[カロデンの戦い]]。[[1745年ジャコバイト蜂起]]の終結。 * スペイン国王[[フェルナンド6世 (スペイン王)|フェルナンド6世]]即位。 * 『[[菅原伝授手習鑑]]』初演。 === 1747年 === {{main|1747年}} * [[アフガニスタン]]に[[ドゥッラーニー朝]]が成立する。 * [[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|J.S.バッハ]]、[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]に『音楽の捧げもの』を献上。 *『[[義経千本桜]]』初演。 === 1748年 === {{main|1748年}} * [[アーヘンの和約 (1748年)|アーヘンの和約]]。 * [[8月5日]](延享5年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - 日本、[[改元]]して[[寛延]]元年。 *『[[仮名手本忠臣蔵]]』初演。 === 1749年 === {{main|1749年}} *オーストリア継承戦争の終結を祝い、[[ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル|ヘンデル]]が『[[王宮の花火の音楽]]』を作曲。 *試合記録が残っているゲームとしては最古の[[野球]]の試合が王太子[[フレデリック・ルイス (プリンス・オブ・ウェールズ)|フレデリック・ルイス]]らによって行われる<ref>''[[Whitehall Evening Post]]'' 1749-09-19. {{cite news|title=Baseball: Prince of Wales played 'first' game in Surrey|date=2013-06-10|url=https://www.bbc.co.uk/news/uk-england-22840004|work=[[BBC News]]|access-date=2019-06-26}}</ref>。 == 世相 == === 社会 === === 文化 === * [[江戸時代|日本]] - [[江戸]]で[[金魚]]が大衆にも流行{{Sfn|山本|2007|pp=122-123}}。 == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book|title=見る、読む、調べる 江戸時代年表|publisher=[[小学館]]|date=2007-10-10|editor=[[山本博文]]|isbn=978-4-09-626606-9}} == 関連項目 == * [[十年紀の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} {{世紀と十年紀|千年紀=2|世紀=11|年代=1000}} {{History-stub}} {{デフォルトソート:1740ねんたい}} [[Category:1740年代|*]]
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4,798
1688年
1688年(1688 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。
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1688年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1688}} {{year-definition|1688}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[戊辰]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[貞享]]5年、[[元禄]]元年9月30日 - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2348年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[康熙]]27年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[粛宗 (朝鮮王)|粛宗]]14年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4021年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[正和 (黎朝)|正和]]9年 * [[仏滅紀元]] : 2230年 - 2231年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1099年 - 1100年 * [[ユダヤ暦]] : 5448年 - 5449年 * [[ユリウス暦]] : 1687年12月22日 - 1688年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1688}} == できごと == * [[9月]] - [[大同盟戦争]]開戦{{要出典|date=2021-03}}。(-[[1697年]]) * [[10月23日]](貞享5年[[9月30日 (旧暦)|9月30日]]) - 日本、[[改元]]して[[元禄]]元年 * 月日不明 - [[柴沼醤油醸造|柴沼醤油]]創業<ref>本堂清『土浦町内ものがたり』常陽新聞社、平成元年12月1日、531pp.(104ページより)</ref>。 == 誕生 == {{see also|Category:1688年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月29日]] - [[エマヌエル・スヴェーデンボリ]]、科学者、[[政治家]]、[[神秘主義]]思想家(+ [[1772年]]) * [[2月23日]] - [[ウルリカ・エレオノーラ (スウェーデン女王)|ウルリカ・エレオノーラ]]、[[スウェーデン]]女王(+ [[1741年]]) * [[5月21日]] - [[アレキサンダー・ポープ]]、[[詩人]](+ [[1744年]]) * [[6月10日]] - [[ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート]]、[[ジャコバイト]]の王(+ [[1766年]]) * [[7月19日]] - [[ジュゼッペ・カスティリオーネ]]、[[宣教師]](+ [[1766年]]) * [[8月15日]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム1世]]、[[プロイセン王国|プロイセン]]王(+ [[1740年]]) * [[10月19日]] - [[ウィリアム・チェゼルデン]]、[[外科医]]・[[解剖学者]](+ [[1752年]]) * 月日不明 - [[大石良金]]、[[赤穂浪士]](+ [[1703年]]) == 死去 == {{see also|Category:1688年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月27日]]([[貞享]]4年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]) - [[岡部行隆]]、[[和泉国|和泉]][[岸和田藩]]の第2代藩主(*[[1617年]]) * [[1月28日]] - [[フェルディナント・フェルビースト]]、[[イエズス会]][[宣教師]](* [[1623年]]) * [[2月17日]](貞享5年[[1月16日 (旧暦)|1月16日]]) - [[真田信利]]、[[上野国]][[沼田藩]]藩主(* [[1635年]]) * [[5月9日]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム (ブランデンブルク選帝侯)|フリードリヒ・ヴィルヘルム大選帝侯]]、[[ブランデンブルク選帝侯]]、[[プロイセン公]](* [[1620年]]) * [[6月5日]] - [[コンスタンティン・フォールコン]]、[[アユタヤ王朝]]の政府高官(* [[1650年]]) * [[7月11日]] - [[ナーラーイ|ナーラーイ王]]、アユタヤ王朝第30代国王(* 生年不明) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1688}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1688ねん}} [[Category:1688年|*]]
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1693年
1693年(1693 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
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1693年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1693}} {{year-definition|1693}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸酉]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[元禄]]6年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2353年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[康熙]]32年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[粛宗 (朝鮮王)|粛宗]]19年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4026年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[正和 (黎朝)|正和]]14年 * [[仏滅紀元]] : 2235年 - 2236年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1104年 - 1105年 * [[ユダヤ暦]] : 5453年 - 5454年 * [[ユリウス暦]] : 1692年12月22日 - 1693年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1693}} == できごと == == 誕生 == {{see also|Category:1693年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月]] - [[ジェームズ・ブラッドリー]]、[[天文学者]]、[[グリニッジ天文台]]長(+ [[1762年]]) * [[3月7日]] - [[クレメンス13世 (ローマ教皇)|クレメンス13世]]、[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1769年]]) * [[3月10日]]([[元禄]]6年[[2月4日 (旧暦)|2月4日]]) - [[藤堂高敏]]、[[伊勢国]][[津藩]]の第5代藩主(+[[1728年]]) * [[3月24日]] - [[ジョン・ハリソン (時計職人)|ジョン・ハリソン]]、[[時計]]職人(+ [[1776年]]) * [[7月21日]] - ニューカッスル公[[トマス・ペラム=ホールズ (初代ニューカッスル公)|トマス・ペラム=ホールズ]]、[[イギリスの首相|イギリス首相]](+ [[1768年]]) * [[松平乗賢]]、老中(+ [[1746年]]) == 死去 == {{see also|Category:1693年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月13日]] - [[ヨハン・カスパール・ケルル]]、作曲家(* [[1627年]]) * [[7月26日]] - [[ウルリカ・エレオノーラ・アヴ・ダンマルク]]、スウェーデン王[[カール11世 (スウェーデン王)|カール11世]]の王妃、スウェーデン[[女王]][[ウルリカ・エレオノーラ (スウェーデン女王)|ウルリカ・エレオノーラ]]の母(* [[1656年]]) * [[9月9日]](元禄6年[[8月10日 (旧暦)|8月10日]]) - [[井原西鶴]]、[[浮世草子]]、[[人形浄瑠璃]]作者、[[俳人]](* [[1642年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1693}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1693ねん}} [[Category:1693年|*]]
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1705年
1705年(1705 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
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1705年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1705}} {{year-definition|1705}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[乙酉]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[宝永]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2365年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[康熙]]44年 *** [[魏枝葉]] : [[文興]]2年? * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[粛宗 (朝鮮王)|粛宗]]31年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4038年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[正和 (黎朝)|正和]]26年、[[永盛 (黎朝)|永盛]]元年4月 - * [[仏滅紀元]] : 2247年 - 2248年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1116年 - 1117年 * [[ユダヤ暦]] : 5465年 - 5466年 * [[ユリウス暦]] : 1704年12月21日 - 1705年12月20日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1705}} == できごと == * 5月-6月、イングランドで{{仮リンク|1705年イングランド総選挙|en|English general election, 1705|label=総選挙}}。与野党の議席伯仲化により[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]政治家、閣僚に登用されるようになる。 * [[京都]]を中心に[[お蔭参り]]が流行。 * [[エドモンド・ハレー]]が[[ハレー彗星]]の周期性を予測。 == 誕生 == {{see also|Category:1705年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 人物 === * [[1月24日]] - [[ファリネッリ]]、[[ソプラノ]][[カストラート]][[歌手]](+ [[1782年]]) * [[1月25日]]([[宝永]]2年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[井上蘭台]]、[[儒学者]]・[[戯作者]](+ [[1761年]]) * [[2月9日]](宝永2年[[1月16日 (旧暦)|1月16日]]) - [[伊達村年]]、第4代[[宇和島藩|宇和島藩主]](+ [[1735年]]) * [[3月14日]](宝永2年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]]) - [[浄岸院]]、[[薩摩藩|薩摩藩主]][[島津継豊]]の[[正室]](+ [[1772年]]) * [[2月20日]] - [[ニコラ・シェドヴィル]]、[[作曲家]](+ [[1782年]]) * [[7月22日]](宝永2年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - [[徳川宗勝]]、第8代[[尾張藩|尾張藩主]](+ [[1761年]]) * [[8月29日]](宝永2年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[徳川宗堯]]、第4代[[水戸藩|水戸藩主]](+ [[1730年]]) * [[9月24日]] - [[レオポルト・フォン・ダウン]]、[[ハプスブルク君主国]]([[オーストリア大公国]])の陸軍元帥(+ [[1766年]]) * [[10月31日]] - [[クレメンス14世 (ローマ教皇)|クレメンス14世]]、第249代[[ローマ教皇]](+ [[1774年]]) === 人物以外(動物など) === * [[ベイボルトン]]、[[競走馬]]・[[種牡馬]](+ [[1736年]]) == 死去 == {{see also|Category:1705年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 人物 === * [[1月17日]] - [[ジョン・レイ (博物学者)|ジョン・レイ]]、[[博物学者]](* [[1627年]]) * [[2月1日]] - [[ゾフィー・シャルロッテ・フォン・ハノーファー|ゾフィー・シャルロッテ]]、[[プロイセン王国|プロイセン王]][[フリードリヒ1世 (プロイセン王)|フリードリヒ1世]]の妃(* [[1668年]]) * [[4月5日]](宝永2年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - [[伊藤仁斎]]、[[儒学者]](* [[1627年]]) * [[5月5日]] - [[レオポルト1世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルド1世]] - 神聖ローマ皇帝、オーストリア大公、ボヘミア王、ハンガリー王(* [[1640年]]) * [[7月8日]](宝永2年[[5月18日 (旧暦)|5月18日]]) - [[徳川綱教]]、第3代[[紀州藩|紀州藩主]]・[[徳川吉宗]]の兄(* [[1665年]]) * [[7月22日]](宝永2年[[6月2日 (旧暦)|6月2日]]) - [[織田貞置]]、[[江戸幕府]][[高家 (江戸時代)|高家]][[旗本]]・[[茶道|茶人]](* [[1617年]]) * [[8月4日]](宝永2年[[6月15日 (旧暦)|6月15日]]) - [[北村季吟]]、[[歌人]]・[[俳人]](* [[1625年]]) * [[8月11日]](宝永2年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[桂昌院]]、江戸幕府第3代将軍[[徳川家光]]の[[側室]](* [[1627年]]) * [[8月16日]] - [[ヤコブ・ベルヌーイ]]、[[数学者]](* [[1655年]]) * [[9月7日]](宝永2年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]) - [[有馬頼元]]、第4代[[久留米藩|久留米藩主]](* [[1654年]]) * [[9月25日]](宝永2年[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]) - [[徳川光貞]]、第2代紀州藩主・徳川吉宗の父(* [[1627年]]) * [[10月11日]] - [[ギヨーム・アモントン]]、[[技術者]]・[[物理学者]](* [[1663年]]) * [[10月23日]](宝永2年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]) - [[松平吉透]]、第4代[[松江藩|松江藩主]](* [[1668年]]) * [[10月25日]](宝永2年[[9月8日 (旧暦)|9月8日]]) - [[徳川頼職]]、第4代紀州藩主・徳川吉宗の兄(* [[1680年]]) * [[10月27日]](宝永2年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]]) - [[一条冬経]]、[[江戸時代]]の[[公卿]](* [[1652年]]) * [[11月30日]] - [[キャサリン・オブ・ブラガンザ|キャサリン]]、[[イングランド王国|イングランド]]王[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]の妃(* [[1638年]]) * [[八大山人]]、[[画家]]・[[書道|書家]](* [[1626年]]?) === 人物以外(動物など) === * [[バイアリーターク]]、[[軍馬]]・[[種牡馬]](* [[1679年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1705}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1705ねん}} [[Category:1705年|*]]
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1761年
1761年(1761 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
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1761年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1761}} {{year-definition|1761}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[辛巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[宝暦]]11年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2421年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]26年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]37年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4094年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]22年 * [[仏滅紀元]] : 2303年 - 2304年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1174年 - 1175年 * [[ユダヤ暦]] : 5521年 - 5522年 * [[ユリウス暦]] : 1760年12月21日 - 1761年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1761}} == できごと == * [[1月14日]] - [[第三次パーニーパットの戦い]]で[[ドゥッラーニー朝]]が[[マラーター同盟]]を破る。 * [[3月25日]]-[[5月5日]] - イギリスで[[1761年イギリス総選挙|総選挙]]。初代[[ニューカッスル公爵]][[トマス・ペラム=ホールズ (初代ニューカッスル公)|トマス・ペラム=ホールズ]]内閣の与党[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]の大勝 * [[6月6日]] - 地球上からの[[金星の太陽面通過]]が起こった<ref>{{Cite web |url=http://astro.ukho.gov.uk/nao/transit/V_1761/index.html |title=1761 June 6th Transit of Venus |publisher=HM Nautical Almanac Office |accessdate=2017-09-16}}</ref>。 * [[7月17日]] - [[ブリッジウォーター運河]]の最初の部分が開通(イギリス[[運河時代]]の開始)。 == 誕生 == {{see also|Category:1761年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月29日]] - [[アルバート・ギャラティン]]、[[民族学者]]・[[言語学者]]・[[政治家]](+ [[1849年]]) * [[8月1日]](宝暦11年[[7月1日 (旧暦)|7月1日]]) - [[酒井抱一]]、[[絵師]](+ [[1829年]]) * [[9月6日]] - [[マリー=ガブリエル・カペ]]、[[画家]](+ [[1818年]]) * [[9月13日]](宝暦11年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]]) - [[山東京伝]]、[[浮世絵師]]・[[戯作]]者(+ [[1816年]]) == 死去 == {{see also|Category:1761年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月17日]] - [[トーマス・ベイズ]]、[[数学者]](* [[1702年]]) * [[5月14日]] - [[トーマス・シンプソン]]、数学者(* [[1710年]]) * [[7月4日]] - [[サミュエル・リチャードソン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Samuel-Richardson Samuel Richardson English novelist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[小説家]](* [[1689年]]) * [[7月13日]]([[宝暦]]11年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]]) - [[徳川家重]]、[[江戸幕府]]第9代[[征夷大将軍]](* [[1711年]]) * [[7月23日]](宝暦11年[[6月22日 (旧暦)|6月22日]]) - [[徳川宗勝]]、[[尾張藩|尾張藩主]](* [[1705年]]) * [[8月6日]](宝暦11年[[7月6日 (旧暦)|7月6日]]) - [[野呂元丈]]、[[本草学者]](* [[1694年]]) * [[11月30日]] - [[ジョン・ドロンド]]、[[光学|光学者]](* [[1706年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1761}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1761ねん}} [[Category:1761年|*]]
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1775年
1775年(1775 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
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1775年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1775}} {{year-definition|1775}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[乙未]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[安永 (元号)|安永]]4年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2435年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]40年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]51年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4108年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[後黎朝]] : [[景興]]36年 * [[仏滅紀元]] : 2317年 - 2318年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1188年 - 1189年 * [[ユダヤ暦]] : 5535年 - 5536年 * [[ユリウス暦]] : 1774年12月21日 - 1775年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1775}} == できごと == * 4月 - [[アメリカ独立戦争]]勃発(-[[1783年]])。 * [[5月10日]] - [[第2回大陸会議]]開催。 * [[第一次マラーター戦争]]勃発(-[[1782年]])。 * [[フランス]]人宣教師[[ピニョー・ド・ベーヌ|ピニョー]]、[[コーチシナ]]上陸。 * [[11月17日]] - [[クオピオ]]市は、スウェーデンの[[グスタフ3世 (スウェーデン王)|グスタフ3世に]]よって設立されました。<ref> [https://www.kuopio.fi/historia クオピオ:ヒストリア](フィンランド語)</ref> * [[12月31日]] - アメリカ独立戦争: [[ケベックの戦い (1775年)]] == 誕生 == {{see also|Category:1775年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月6日]]([[安永]]3年[[12月5日 (旧暦)|12月5日]])- [[伊達斉村]]、[[仙台藩]]第8代藩主(+ [[1796年]]) * [[1月27日]] - [[フリードリヒ・シェリング]]、哲学者 (+ [[1854年]]) * [[2月9日]] - [[ボーヤイ・ファルカシュ]]、[[数学者]]・詩人(+ [[1856年]]) * [[2月10日]] - [[チャールズ・ラム]]、[[児童文学作家]](+ [[1834年]]) * [[2月12日]] - [[ルイーザ・アダムズ]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](+ [[1852年]]) * [[4月23日]] - [[ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー]]、[[画家]](+ [[1851年]]) * [[7月9日]] - [[マシュー・グレゴリー・ルイス]]、小説家・[[劇作家]](+ [[1818年]]) * [[8月25日]](安永4年[[7月30日 (旧暦)|7月30日]]) - [[松前章広]]、[[蝦夷国]][[松前藩]]第9代藩主(+ [[1833年]]) * [[12月16日]] - [[ジェーン・オースティン]]、[[小説家]](+ [[1817年]]) * [[12月23日]](安永4年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]])- [[狩谷棭斎]]、[[考証学]]者(+ [[1835年]])  == 死去 == {{see also|Category:1775年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[10月2日]](安永4年[[9月8日 (旧暦)|9月8日]]) - [[加賀千代女]]、[[俳人]](* [[1703年]]) == 科学に関する出来事 == * 5月25日 - [[ジョゼフ・プリーストリー]]が空気から酸素の分離の報告を王立協会で発表した。 * イギリスの外科医、[[パーシヴァル・ポット]]がロンドンの煙突掃除人に陰嚢がんの多いことを報告し、すすがその原因であると推論した。これは化学物質が発癌の原因であることを示す最初の研究であった。 * [[ヨハン・ファブリチウス]]の「動物誌」Systema entomologiæが出版された。 * [[カールステン・ニーブール]]によってアラビアで病死した博物学者、ペール・フォルスコールの『エジプト-アラビア植物誌』(Flora Ægyptiaco-Arabica sive descriptiones plantarum quas per Ægyptum Inferiorem et Arabiam felicem detexit)などが出版された。 == 脚注 == '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|1775}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1775ねん}} [[Category:1775年|*]]
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4,803
1786年
1786年(1786 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
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1786年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1786}} {{year-definition|1786}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丙午]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[天明]]6年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2446年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]51年 *** [[林爽文]]{{Sup|*}} : [[天運 (林爽文)|天運]]元年11月 - * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]10年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4119年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]47年 ** [[西山朝]] : [[泰徳]]9年 * [[仏滅紀元]] : 2328年 - 2329年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1200年 - 1201年 * [[ユダヤ暦]] : 5546年 - 5547年 * [[ユリウス暦]] : 1785年12月21日 - 1786年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1786}} == できごと == * [[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]、[[オペラ]]『[[フィガロの結婚]]』を初演 * [[6月10日]] - 10日前の地震で中国四川省の大渡河にできた天然ダムが崩壊。10万人が死亡。 * 7月 - [[利根川]]が氾濫して[[天明の洪水]]が発生。江戸市中が大[[洪水]]となる。また、洪水により[[印旛沼干拓]]が破綻。 * 第10代将軍・徳川家治が薨去。養子の[[徳川家斉]]が徳川宗家の当主となる。 * [[田沼意次]]、[[老中]]を解任される == 誕生 == {{see also|Category:1786年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月24日]] - [[ヴィルヘルム・グリム]]、[[言語学者]]・[[文学者]]・[[グリム兄弟]]の弟(+ [[1859年]]) * [[4月15日]] - [[ジョン・フランクリン]]、[[探検家]](+ [[1847年]]) * [[8月17日]] - [[デイヴィッド・クロケット]]、[[アラモの戦い]]の英雄(+ [[1836年]]) * [[8月25日]] - [[ルートヴィヒ1世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ1世]]、[[バイエルン王国|バイエルン王]](+ [[1868年]]) * [[9月18日]] - [[クリスチャン8世 (デンマーク王)|クリスチャン8世]]、[[デンマーク|デンマーク王]](+ [[1868年]]) * [[11月18日]] - [[カール・マリア・フォン・ウェーバー]]、[[作曲家]](+ [[1826年]]) * 11月18日 - [[ヘンリー・ローリー・ビショップ]]、作曲家(+ [[1855年]]) * [[12月20日]] - [[ピエトロ・ライモンディ]]、作曲家(+ [[1853年]]) == 死去 == {{see also|Category:1786年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月4日]] - [[モーゼス・メンデルスゾーン]]、[[哲学者]](* [[1729年]]) * [[3月7日]] - [[フランツ・ベンダ]]、作曲家、[[ヴァイオリニスト]](* [[1709年]]) * [[5月21日]] - [[カール・ヴィルヘルム・シェーレ]]、[[化学者]](* [[1742年]]) * [[5月25日]] - [[ペドロ3世 (ポルトガル王)|ペドロ3世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](* [[1717年]]) * [[7月2日]]([[天明]]6年[[6月7日 (旧暦)|6月7日]]) - [[中川淳庵]]、[[蘭方医]]・[[本草学者]](* [[1739年]]) * [[8月17日]] - [[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]、[[プロイセン王国|プロイセン王]](* [[1712年]]) * [[9月17日]](天明6年[[8月25日 (旧暦)|8月25日]]) - [[徳川家治]]、[[江戸幕府]]第十代[[征夷大将軍]](* [[1737年]]) * [[10月6日]] - [[アントニオ・サッキーニ]]、作曲家(* [[1730年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|1786}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1786ねん}} [[Category:1786年]]
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1790年
1790年(1790 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
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1790年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1790}} {{year-definition|1790}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[庚戌]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[寛政]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2450年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]55年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]14年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4123年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[西山朝]] : [[光中]]3年 * [[仏滅紀元]] : 2332年 - 2333年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1204年 - 1205年 * [[ユダヤ暦]] : 5550年 - 5551年 * [[ユリウス暦]] : 1789年12月21日 - 1790年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1790}} == できごと == * [[1月8日]] - [[ジョージ・ワシントン|ワシントン]]米大統領が初の[[一般教書演説]]を行う * [[4月3日]]([[寛政]]2年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]]) - 江戸[[隅田川]]河口に無宿人の厚生施設「[[加役方人足寄場]]」を設置 * [[4月10日]] - 米国で[[米国の特許制度|特許制度]]が確立 * [[5月29日]] - 米国で [[ロードアイランド州|ロードアイランド]]が13番目の州となる([[13植民地]]の最後) * [[6月16日]]-[[7月28日]] - イギリスで[[1790年イギリス総選挙|総選挙]]。[[小ピット]]内閣の与党が勝利。 * [[7月6日]](寛政2年[[5月24日 (旧暦)|5月24日]])- [[寛政の改革]]: [[寛政異学の禁]]がはじまり[[昌平坂学問所]]で[[朱子学]]以外の学問の教授が禁じられる。 * [[10月24日]] - 三色旗がフランス海軍旗として制定。後に国旗となる。 * [[11月1日]] - [[エドマンド・バーク]]が『[[フランス革命の省察]]』を出版。 * [[11月11日]] - [[神聖ローマ帝国]]皇帝[[レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)|レオポルト2世]]戴冠式 * [[イマヌエル・カント]]『判断力批判』第一版出版。 == 誕生 == {{see also|Category:1790年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月14日]] - [[ルートヴィッヒ・グリム]]、[[版画家]](+ [[1863年]]) *[[3月28日]] - [[ウィリアム・ヘンリー・ハント (画家)|ウィリアム・ヘンリー・ハント]]、画家(+ [[1864年]]) *[[3月29日]] - [[ジョン・タイラー]]、第10代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1862年]]) * [[7月4日]] - [[ジョージ・エベレスト]]、[[探検家]]・[[地理学者]](+ [[1866年]]) * [[12月6日]](寛政2年[[11月1日 (旧暦)|11月1日]]) - [[羽倉簡堂]]、[[儒学者]]・[[代官]](+ [[1862年]]) * [[12月23日]] - [[ジャン=フランソワ・シャンポリオン]]、[[考古学者]](+ [[1832年]]) == 死去 == {{see also|Category:1790年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月20日]] - [[ヨーゼフ2世 (神聖ローマ皇帝)|ヨーゼフ2世]]、[[神聖ローマ皇帝]](* [[1741年]]) * [[4月17日]] - [[ベンジャミン・フランクリン]]、[[政治家]]、[[物理学者]](* [[1706年]]) * [[7月17日]] - [[アダム・スミス]]、[[哲学者]]、[[経済学者]](* [[1723年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1790}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1790ねん}} [[Category:1790年|*]]
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1875年
1875年(1875 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。明治8年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
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1875年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。明治8年。
{{年代ナビ|1875}} {{year-definition|1875}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[乙亥]] * 日本(月日は一致) ** [[明治]]8年 ** [[皇紀]]2535年 * [[清]]:[[同治]]13年11月24日 - 12月29日、[[光緒]]元年1月1日 - 12月4日 * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]12年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4208年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[嗣徳]]27年11月24日 - 嗣徳28年12月4日 * [[仏滅紀元]]:2417年 - 2418年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1291年11月23日 - 1292年12月3日 * [[ユダヤ暦]]:5635年4月24日 - 5636年4月3日 * [[修正ユリウス日]](MJD):5889 - 6253 * [[リリウス日]](LD):106730 - 107094 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1875}} == できごと == === 1月 === * [[1月12日]] - [[清]]で[[光緒帝]]が即位 * [[1月24日]] - [[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]交響詩「[[死の舞踏 (サン=サーンス)|死の舞踏]]」初演 * [[1月26日]] - 米国で[[歯科]]用電動ドリルが特許化 * [[1月30日]] - 米国が[[ハワイ王国]]と通商互恵条約を締結 === 2月 === * [[2月11日]] - [[大阪会議]] * [[2月21日]] - 人類史上最も長生きをした人物[[ジャンヌ・カルマン]]が出生。 * [[2月22日]] - [[愛国社 (1875年-1880年)|愛国社]]結成 * [[2月24日]] - [[フランス]]で[[フランス第三共和政|第三共和国]]憲法が一部成立(7月25日までに全部が成立) === 3月 === * [[3月3日]] - [[ジョルジュ・ビゼー|ビゼー]]歌劇「[[カルメン (オペラ)|カルメン]]」初演([[オペラ=コミック座]]) === 4月 === * [[4月14日]] - [[立憲政体の詔書]](漸次立憲政体樹立の詔勅)を下し、[[元老院 (日本)|元老院]]・[[大審院]]・[[地方官会議]]を設置 === 5月 === * [[5月7日]] - [[樺太・千島交換条約]] * [[5月17日]] - 第1回[[ケンタッキーダービー]]開催 * [[5月20日]] - [[メートル条約]]締結('''世界計量記念日''') * [[5月23日]] - [[火葬禁止令]]廃止 * [[5月27日]] - [[ドイツ帝国]]で[[ドイツ社会主義労働者党]]結成(全ドイツ労働者党とドイツ社会民主労働者党が合併) === 6月 === * [[6月1日]] - [[東京気象台]]設置 * [[6月19日]] - [[ボスニア蜂起]]([[:en:Herzegovinian rebellion|Herzegovinian rebellion]]) * [[6月28日]] - [[太政官]]が[[新聞紙条例]]・[[讒謗律]]を布告 === 7月 === * [[7月3日]] - [[内閣法制局|法制局]]設置 * [[7月5日]] - [[元老院 (日本)|元老院]]開院 * [[7月11日]] - [[田中久重]]が田中製造所(のちの[[芝浦製作所]])を設立 === 8月 === * [[8月5日]] - [[度量衡取締条例]]布告([[尺貫法]]を統一) * [[8月12日]] - 芝浜崎町に皇宮地を設置([[浜離宮]]) * [[8月25日]] - [[マシュー・ウェッブ]]([[:en:Matthew Webb|Matthew Webb]])大尉が[[英国海峡]]を初めて水泳で横断(21時間45分) === 9月 === * [[9月20日]] - [[江華島事件]] === 10月 === * [[10月25日]] - [[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]]がピアノ協奏曲[[ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)|第1番]]初演([[ボストン]]、独奏[[ハンス・フォン・ビューロー]]) * [[10月30日]] - ニューヨークで[[神智学協会]]設立 === 11月 === * [[11月4日]] - [[トンガ]]で憲法採択 * [[11月24日]] - イギリスが[[ベンジャミン・ディズレーリ|ディズレーリ]][[保守党 (イギリス)|保守党]]政権により[[スエズ運河]]株式会社を買収(44%) * [[11月29日]] - 同志社英学校(後の[[同志社大学]])開校 === 12月 === * [[12月16日]] - 抄紙会社(のちの[[王子製紙 (初代)|王子製紙]])が開業('''紙の記念日''') * [[12月25日]] - [[周防灘]]で[[海難事故]],大阪丸(海軍省)と名古屋丸(三菱会社)が衝突し、大阪丸が沈没(死者25名) === 日付未詳 === * [[福澤諭吉]]「[[文明論之概略]]」刊行 * 京橋の[[凮月堂]]が[[ビスケット]]の販売を始める  * イギリスで[[ホワイトハウスコックス]]が創業 == 誕生 == {{see also|Category:1875年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月9日]] - [[ガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニー]]、[[彫刻家]](+ [[1942年]]) * [[1月14日]] - [[アルベルト・シュヴァイツァー]]、医者・音楽家(+ [[1965年]]) * [[1月22日]] - [[D・W・グリフィス]]、[[映画監督]](+ [[1948年]]) * [[2月2日]] - [[フリッツ・クライスラー]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](+ [[1962年]]) * [[2月3日]] - [[小栗風葉]]、[[小説家]](+ [[1926年]]) * [[2月21日]] - [[ジャンヌ・ルイーズ・カルマン]]、人類史上最長寿の122歳まで生きたフランス人女性 (+ [[1997年]]) * [[3月7日]] - [[モーリス・ラヴェル]]、作曲家(+ [[1937年]]) * [[3月26日]] - [[李承晩]]、初代[[大韓民国]][[大統領]](+ [[1965年]]) * [[3月27日]] - [[アルベール・マルケ]]、[[画家]](+ [[1947年]]) * [[4月2日]] - [[ウォルター・クライスラー]]、[[クライスラー]]社創業者(+ [[1940年]]) * [[4月4日]] - [[ピエール・モントゥー]]、指揮者(+ [[1964年]]) * [[4月21日]] - [[高木貞治]]、数学者(+ [[1960年]]) * [[4月23日]] - [[上村松園]]、日本画家(+ [[1949年]]) * [[4月28日]] - [[橋本増治郎]]、[[快進社]]・[[日産自動車]]の創業者(+ [[1944年]]) * [[6月6日]] - [[トーマス・マン]]、作家(+ [[1955年]]) * [[7月15日]] - [[林古渓]]、作詞家 (+ [[1947年]]) * [[7月26日]] - [[カール・グスタフ・ユング]]、精神科医・心理学者(+ [[1961年]]) * [[7月31日]] - [[柳田國男]]、民俗学者(+ [[1962年]]) * [[8月6日]] - [[松田重次郎]]、[[マツダ]]の創業者(+ [[1952年]]) * [[8月9日]] - [[大塚楠緒子]]、[[歌人]]・作家(+ [[1910年]]) * 8月9日 - [[アルバート・ケテルビー]]、作曲家(+ [[1959年]]) * [[8月17日]] - [[多嘉王]]、皇族・[[伊勢神宮]][[祭主]](+ [[1937年]]) * [[8月20日]] - [[山田孝雄]]、[[国語学者]](+ [[1958年]]) * [[8月31日]] - [[エディ・プランク]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1926年]]) * [[9月1日]] - [[エドガー・ライス・バローズ]]、[[小説家]](+ [[1950年]]) * [[9月3日]] - [[フェルディナント・ポルシェ]]、エンジニア(+ [[1951年]]) * [[9月5日]] - [[曽我量深]]、[[真宗大谷派]][[僧侶]]・仏教思想家(+ [[1971年]]) * [[9月12日]] - [[尾上松之助]]、俳優(+ [[1926年]]) * [[9月25日]] - [[益田太郎]]、[[財界人]]・[[劇作家]]・[[音楽家]]・[[男爵]](+ [[1953年]]) * [[9月27日]] - [[クレオ・ド・メロード]]、[[バレリーナ]](+ [[1966年]]) * [[10月16日]] - [[カイウラニ]]、[[ハワイ王国]]王女(+ [[1899年]]) * [[10月24日]] - [[コンスタンチン・ユオン]]、[[画家]]・舞台[[デザイナー]](+ [[1958年]]) * [[11月15日]] - [[宇野哲人]]、漢文学者(+ [[1974年]]) * [[11月24日]] - [[阿部信行]]、陸軍軍人・第36代内閣総理大臣(+ [[1953年]]) * [[11月30日]] - [[長谷川如是閑]]、評論家(+ [[1969年]]) * [[12月1日]] - [[松永安左エ門]]、[[財界人]]・[[茶人]](+ [[1971年]]) * [[12月4日]] - [[ライナー・マリア・リルケ]]、詩人・作家(+ [[1926年]]) * [[12月8日]] - [[野口米次郎]]、英[[詩人]](+ [[1947年]]) * [[12月21日]] - [[大西良慶]]、[[法相宗|北法相宗]]の[[僧]](+ [[1983年]]) == 死去 == {{see also|Category:1875年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月12日]]([[同治]]13年[[12月5日 (旧暦)|12月5日]])- [[同治帝]]、[[清]]第10代[[皇帝]](* [[1856年]]) * [[1月20日]] - [[ジャン=フランソワ・ミレー]]、[[画家]](* [[1814年]]) * [[2月17日]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム・アルゲランダー]]、[[天文学者]](* [[1799年]]) * [[2月22日]] - [[ジャン=バティスト・カミーユ・コロー]]、画家(* [[1796年]]) * 2月22日 - [[チャールズ・ライエル]]、[[地質学者]]・[[法律家]](* [[1797年]]) * [[3月7日]] - [[ジョン・エドワード・グレイ]]、[[動物学者]](* [[1800年]]) * [[3月17日]] - [[フェルディナント・ラウプ]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](* [[1832年]]) * [[4月6日]] - [[モーゼス・ヘス]]、[[思想家]](* [[1812年]]) * [[4月11日]] - [[ハインリッヒ・シュワーベ]]、天文学者(* [[1789年]]) * [[4月30日]] - [[ジャン=フレデリック・ワルデック]]、古物研究家・[[地図学]]者・[[芸術家]]・[[探検家]](* [[1766年]]) * [[5月17日]] - [[ジョン・ブレッキンリッジ]]、第14代[[アメリカ合衆国副大統領]](* [[1821年]]) * [[5月31日]] - [[エリファス・レヴィ]]、[[魔術|魔術理論家]](* [[1810年]]) * [[6月3日]] - [[ジョルジュ・ビゼー]]、[[作曲家]](* [[1838年]]) * [[6月11日]] - [[ジョゼフ・ウィンロック]]、天文学者(* [[1826年]]) * [[6月29日]] - [[フェルディナント1世 (オーストリア皇帝)|フェルディナント1世]]、[[オーストリア帝国|オーストリア皇帝]](* [[1793年]]) * [[7月23日]] - [[アイザック・メリット・シンガー]]、[[発明家]](* [[1811年]]) * [[7月31日]] - [[アンドリュー・ジョンソン]]、第17代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1808年]]) * [[8月4日]] - [[ハンス・クリスチャン・アンデルセン]]、[[童話]]作家・[[詩人]](* [[1805年]]) * [[8月11日]] - [[ウィリアム・アレクサンダー・グラハム]]、第20代[[アメリカ合衆国海軍長官]](* [[1804年]]) * [[9月3日]] - [[本木昌造]]、[[通詞]]・[[教育者]](* [[1824年]]) * [[9月19日]] - [[新門辰五郎]]、[[町火消]]・[[侠客]](* [[1800年]]?) * [[9月29日]] - [[ジャン=バティスト・サンジュレー]]、作曲家・[[指揮者]](* [[1812年]]) * [[10月10日]] - [[アレクセイ・コンスタンチノヴィッチ・トルストイ]]、[[詩人]]・[[小説家]]・[[劇作家]](* [[1817年]]) * [[10月12日]] - [[ジャン=バティスト・カルポー]]、[[彫刻家]]・画家(* [[1827年]]) * [[11月4日]] - [[ローベルト・フォン・モール]]、[[法学者]](* [[1799年]]) * [[11月21日]] - [[フリードリヒ・アルベルト・ランゲ]]、[[哲学|哲学者]](* [[1828年]]) * [[11月22日]] - [[ヘンリー・ウィルソン]]、第18代アメリカ合衆国副大統領(* [[1812年]]) * [[11月24日]] - [[徳川義宜]]、第16代尾張藩主(* [[1858年]]) * [[11月27日]] - [[リチャード・キャリントン]]、天文学者(* [[1826年]]) * [[12月10日]] - [[大田垣蓮月]]、尼僧・[[歌人]](* [[1791年]]) * [[12月23日]] - [[ジュール=アンリ・ヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュ]]、[[劇作家]](* [[1799年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1875}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1875ねん}} [[Category:1875年|*]]
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1751年
1751年(1751 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
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1751年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1751}} {{year-definition|1751}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[辛未]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[寛延]]4年、[[宝暦]]元年10月27日 - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2411年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]16年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]27年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4084年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]12年 * [[仏滅紀元]] : 2293年 - 2294年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1164年 - 1165年 * [[ユダヤ暦]] : 5511年 - 5512年 * [[ユリウス暦]] : 1750年12月21日 - 1751年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1751}} == できごと == * [[フランス]]で[[ドゥニ・ディドロ|ディドロ]]と[[ジャン・ル・ロン・ダランベール|ダランベール]]の監修により『[[百科全書]]』が刊行される( - [[1772年]]) * [[イギリス]]で[[コンソル公債]](永久[[公債]])開始。 * [[12月14日]](寛延4年[[10月27日 (旧暦)|10月27日]]) - [[改元]]して[[宝暦]]元年 * [[一谷嫩軍記]]初演。 == 誕生 == {{see also|Category:1751年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月23日]] - [[ヤーコプ・ミヒャエル・ラインホルト・レンツ]]、[[詩人]]・[[劇作家]](+ [[1792年]]) * [[3月11日]]([[寛延]]4年[[2月14日 (旧暦)|2月14日]])- [[松平治郷]]、<ref>{{Harvnb|百目木|1918|p=2}}</ref>[[松江藩]]第7代[[藩主]](+ [[1818年]]) * [[3月16日]] - [[ジェームズ・マディソン]]、第4代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1836年]]) * [[7月28日]] - [[ジョセフ・ハーバーシャム]]、第6代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1815年]]) * [[9月9日]](寛延4年[[7月20日 (旧暦)|7月20日]]) - [[上杉治憲|上杉鷹山]]、[[米沢藩]][[藩主]](+ [[1822年]]) * [[10月30日]] - [[リチャード・ブリンズリー・シェリダン]]、[[劇作家]]・[[政治家]](+ [[1816年]]) * [[12月23日]](宝暦元年[[11月6日 (旧暦)|11月6日]])- [[徳川治済]]、[[一橋徳川家]]第2代当主(+ [[1827年]]) * [[桂川甫周]]、[[蘭学者]]、[[医者]](+ [[1809年]]) * [[大黒屋光太夫]]、船頭、[[遭難|漂流民]](+ [[1828年]]) == 死去 == {{see also|Category:1751年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月17日]] - [[トマゾ・アルビノーニ]]、[[イタリア]]の[[作曲家]](* [[1671年]]) * [[7月12日]](寛延4年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]])- [[徳川吉宗]]、[[江戸幕府]]第8代将軍・[[紀州藩]]第5代藩主(* [[1684年]]) * [[10月25日]](寛延4年[[9月7日 (旧暦)|9月7日]]) - [[並木宗輔]]、[[浄瑠璃]]作者(* [[1695年]]) * [[10月26日]](寛延4年[[9月8日 (旧暦)|9月8日]]) - [[祇園南海]]、[[儒学者]]・[[漢詩人]](* [[1676年]]?) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!--=== 注釈 === {{Reflist|group="注釈"}}--> === 出典 === {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1751}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1751ねん}} [[Category:1751年|*]]
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1778年
1778年(1778 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
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1778年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1778}} {{year-definition|1778}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[戊戌]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[安永 (元号)|安永]]7年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2438年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]43年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]2年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4111年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]39年 ** [[西山朝]] : [[泰徳]]元年 * [[仏滅紀元]] : 2320年 - 2321年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1191年 - 1192年 * [[ユダヤ暦]] : 5538年 - 5539年 * [[ユリウス暦]] : 1777年12月21日 - 1778年12月20日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1778}} == できごと == * [[1月18日]] - [[ジェームズ・クック]]率いる[[レゾリューション (帆船)|レゾリューション号]]とディスカバリー号が[[ハワイ]]諸島に到達、[[ジョン・モンタギュー (第4代サンドウィッチ伯爵)|サンドウィッチ伯]]にちなみサンドウィッチ諸島と命名。 * [[2月5日]] - [[サウスカロライナ州]]が[[連合規約]]の初批准州となる。 * [[7月27日]] - [[アメリカ独立戦争]]: [[ウェサン島の海戦 (1778年)|ウェサン島の海戦]]おこなわれる。 * [[8月3日]] - [[ミラノ・スカラ座]]の新劇場が落成する。 * [[刈谷市]]の秋葉神社の祭礼に「万燈」が登場し、万燈祭が始まる。 == 誕生 == {{see also|Category:1778年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月11日]]([[安永 (元号)|安永]]7年[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]) - [[帆足万里]]、[[儒学者]]・[[経世論|経世家]](+ [[1852年]]) * [[2月13日]] - [[フェルナンド・ソル]]、[[作曲家]](+ [[1839年]]) * [[2月25日]] - [[ホセ・デ・サン=マルティン]]、[[アルゼンチン]]の軍人・政治家(+ [[1850年]]) * [[3月31日]](安永7年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]) - [[中村歌右衛門 (3代目)]]、[[歌舞伎]]役者(+ [[1838年]]) * 3月31日 - [[コンラート・ヤコブ・テミンク]]、[[動物学|動物学者]](+ [[1858年]]) * [[6月7日]] - [[ジョージ・ブライアン・ブランメル]]、[[イギリス]]の[[セレブリティ]]・[[ダンディ|ダンディスト]](+ [[1840年]]) * [[7月10日]] - [[ジギスムント・フォン・ノイコム]]、作曲家・[[ピアニスト]](+ [[1858年]]) * [[7月26日]](安永7年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[貫名菘翁]]、儒学者・[[書道|書家]]・[[文人画|文人画家]](+ [[1863年]]) * [[8月20日]] - [[ベルナルド・オイギンス]]、[[チリ]]の軍人・政治家(+ [[1842年]]) * [[8月22日]] - [[ジェイムズ・ポールディング]]、第11代[[アメリカ合衆国海軍長官]](+ [[1860年]]) * [[9月2日]] - [[ルイ・ボナパルト]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Louis-Bonaparte-king-of-Holland Louis Bonaparte king of Holland] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[ホラント王国|ホラント王]](+ [[1846年]]) * [[9月9日]] - [[クレメンス・ブレンターノ]]、[[小説家]]・[[詩人]](+ [[1842年]]) * [[9月18日]] - [[ヘンリー・ブルーム (初代ブルーム=ヴォークス男爵)]] - イギリスの政治家 * [[9月20日]] - [[ファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン]]、[[ロシア海軍]][[大将]]・[[南極大陸]]発見者(+ [[1852年]]) * [[11月1日]] - [[グスタフ4世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ4世アドルフ]]、[[スウェーデン|スウェーデン王]](+ [[1837年]]) * [[11月14日]] - [[ヨハン・ネポムク・フンメル]]、作曲家(+ [[1837年]]) * [[11月15日]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニ]]、[[探検家]](+ [[1823年]]) * [[11月21日]](安永7年[[10月3日 (旧暦)|10月3日]]) - [[国友一貫斎]]、[[火縄銃|鉄砲]][[鍛冶屋|鍛冶師]]・[[発明家]](+ [[1840年]]) * [[12月6日]] - [[ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Joseph-Louis-Gay-Lussac Joseph-Louis Gay-Lussac French scientist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[化学者]]・[[物理学者]](+ [[1850年]]) * [[12月17日]] - [[ハンフリー・デービー]]、[[化学者]](+ [[1829年]]) * [[12月19日]] - [[マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス|マリー・テレーズ]]、[[フランス王国|フランス王]][[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]の王女(+ [[1851年]]) * 月日不詳 - [[市川團十郎 (6代目)]]、歌舞伎役者(+ [[1799年]]) * 月日不詳 - [[大久保忠真]]、[[江戸幕府]][[老中]]・[[小田原藩|小田原藩主]](+ [[1837年]]) * 月日不詳 - [[アウグスティノス・カポディストリアス]]、[[ギリシャの大統領|ギリシャ大統領]](+ [[1857年]]) == 死去 == {{see also|Category:1778年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月10日]] - [[カール・フォン・リンネ]]、[[植物学|植物学者]](* [[1707年]]) * [[2月20日]] - [[ラウラ・バッシ]]、[[物理学者]](* [[1711年]]) * [[3月5日]] - [[トマス・アーン]]、[[作曲家]](* [[1710年]]) * [[3月23日]]([[安永 (元号)|安永]]7年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[市川團十郎 (4代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1711年]]) * [[4月22日]] - [[ジェームズ・ハーグリーブス]]、[[発明家]](* [[1720年]]頃) * [[5月11日]] - チャタム伯[[ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵)|ウィリアム・ピット]](大ピット)、[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1708年]]) * [[5月30日]] - [[ヴォルテール]]、[[哲学|哲学者]]・作家(* [[1694年]]) * [[6月11日]](安永7年[[5月17日 (旧暦)|5月17日]]) - [[永谷宗円]]、[[青製煎茶製法]]開発者(* [[1681年]]) * [[7月2日]] - [[ジャン=ジャック・ルソー]]、哲学者・[[政治哲学|政治思想家]](* [[1712年]]) * [[7月3日]] - [[アンナ・マリア・モーツァルト]]、作曲家[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト]]の母(* [[1720年]]) * [[11月9日]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ]]、[[版画家]]・[[建築家]](* [[1720年]]) * 月日不詳 - [[佚山]]、[[書道|書家]]・[[篆刻|篆刻家]](* [[1702年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1778}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1778ねん}} [[Category:1778年|*]]
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1844年
1844年(1844 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる閏年。
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1844年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1844}} {{year-definition|1844}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[甲辰]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[1月1日 (旧暦)|旧1月1日]]より[[寛政暦]]から[[天保暦]]に改暦) ** [[天保]]15年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2504年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]24年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]10年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4177年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[紹治]]4年  * [[仏滅紀元]] : 2386年 - 2387年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1259年12月10日 - 1260年12月20日 * [[ユダヤ暦]] : 5604年4月9日 - 5605年4月21日 * [[ユリウス暦]] : 1843年12月20日 - 1844年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -5434 - -5069 * [[リリウス日]](LD) : 95407 - 95772 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1844}} == できごと == * [[2月15日]]([[天保]]14年[[12月27日 (旧暦)|12月27日]]) - [[オランダ国王]]、幕府に書簡で[[開国]]を勧告。 * [[4月28日]]([[弘化]]元年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]]) - [[フランス]]軍艦、[[那覇市|那覇]]に来航([[黒船来航#琉球来航]])。 * [[6月30日]] - [[日本橋小伝馬町|伝馬町]]の牢屋敷で[[火災]]発生。切放しに際し[[高野長英]]が脱獄。 * [[7月3日]] - [[アメリカ合衆国]]・[[清]]の間で[[望厦条約]]締結。 * 7月3日 - 北極圏に住んでいた[[オオウミガラス]]がこの日の狩りを最後に確認できなくなり絶滅したとされる。(但し目撃情報はあり) * [[10月24日]] - フランス・清の間で[[黄埔条約]]締結。 * [[12月21日]] - [[ロッチデール先駆者協同組合]]設立。 == 誕生 == {{see also|Category:1844年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月29日]] - [[ワシーリー・マクシモフ]]、[[画家]](+ [[1911年]]) * [[2月1日]] - [[エードゥアルト・シュトラースブルガー]]、[[植物学者]]・[[細胞生物学|細胞学者]]・[[解剖学者]](+ [[1912年]]) * [[2月6日]](天保14年[[12月18日 (旧暦)|12月18日]]) - [[井上毅]]、[[司法省 (日本)|司法]][[官僚]]・[[政治家]](+ [[1895年]]) * [[2月13日]](天保14年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]]) - [[曾我祐準]]、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[軍人]]・政治家(+ [[1935年]]) * [[2月14日]](天保14年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]]) - [[片岡健吉]]、政治家(+ [[1903年]]) * [[2月18日]](天保15年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]]) - [[斎藤一]]、[[新選組]]三番隊組長(+ [[1915年]]) * [[2月23日]] - [[ペール・エークストレム]]、画家(+ 1935年) * [[3月3日]](天保15年[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]) - [[青木周蔵]]、[[外交官]]・政治家(+ [[1914年]]) * [[3月10日]] - [[パブロ・デ・サラサーテ]]、[[音楽家]](+ [[1908年]]) * [[3月18日]] - [[ニコライ・リムスキー=コルサコフ]]、[[作曲家]](+ [[1908年]]) * [[3月25日]] - [[アドルフ・エングラー]]、[[植物学者]] (+ [[1930年]]) * [[3月30日]] - [[ポール・ヴェルレーヌ]]、[[詩人]](+ [[1896年]]) * [[4月13日]] - [[ヤン・フジマリー]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1915年]]) * [[4月16日]] - [[アナトール・フランス]]、[[小説家]](+ [[1924年]]) * [[5月1日]](天保15年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[松前徳広]]、[[蝦夷地|蝦夷]][[松前藩]]第13代藩主(+ [[1869年]]) * [[5月3日]](天保15年[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]) - [[黒木為楨]]、陸軍軍人(+ [[1923年]]) * [[5月12日]](天保15年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]) - [[雲井龍雄]]、[[米沢藩]]士・政治家(+ [[1870年]]) * [[5月13日]] - [[ジョージ・スペンサー=チャーチル (第8代マールバラ公)]]、 イギリスの貴族(+ [[1892年]]) * [[5月21日]] - [[アンリ・ルソー]]、画家(+ [[1910年]]) * [[5月22日]] - [[メアリー・カサット]]、画家・[[版画家]](+ [[1926年]]) * [[5月23日]] - [[アルフレッド・エスピナス]]、[[社会学者]]・[[哲学者]](+ [[1922年]]) * [[6月17日]] - [[アルトヴィグ・ドランブール]]、[[言語学者]](+ [[1908年]]) * [[7月12日]] - [[ジョージ・ゼットレイン]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1905年]]) * [[7月18日]](天保15年[[6月4日 (旧暦)|6月4日]]) - [[尾上菊五郎 (5代目)]]、[[歌舞伎]]役者(+ 1903年) * [[7月25日]] - [[トマス・エイキンズ]]、画家・[[写真家]]・[[彫刻家]](+ [[1916年]]) * [[8月20日]](天保15年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[陸奥宗光]]、政治家・外交官(+ [[1897年]]) *8月20日(天保15年7月7日) - [[岡沢精]]、陸軍軍人(+ 1908年) * [[8月22日]] - [[ジョージ・W・デロング]]、海軍士官、[[探検家]](+ [[1881年]]) * [[8月30日]] - [[フリードリヒ・ラッツェル]]、[[地理学者]]・[[生物学者]](+ [[1904年]]) * [[10月15日]] - [[フリードリヒ・ニーチェ]]、哲学者(+ [[1900年]]) * [[10月28日]] - [[モージズ・イジーキエル]]、[[彫刻家]](+ [[1917年]]) * [[11月14日]](天保15年[[10月5日 (旧暦)|10月5日]]) - [[松本重太郎]]、実業家(+ [[1913年]]) * [[11月18日]](天保15年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]) - [[山田顕義]]、陸軍軍人・政治家(+ [[1892年]]) * [[11月19日]](天保15年[[10月10日 (旧暦)|10月10日]]) - [[佐久間左馬太]]、陸軍軍人(+ 1915年) * [[11月21日]](天保15年[[10月12日 (旧暦)|10月12日]]) - [[馬越恭平]]、[[実業家]](+ [[1933年]]) * [[11月29日]](天保15年[[10月20日 (旧暦)|10月20日]]) - [[河野敏鎌]]、政治家(+ 1895年) * [[12月1日]] - [[アレクサンドラ・オブ・デンマーク|アレクサンドラ]]、[[イギリス]]王[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]の妃(+ [[1925年]]) * [[12月18日]](天保15年[[11月9日 (旧暦)|11月9日]]) - [[高島鞆之助]]、陸軍軍人・政治家(+ 1916年) * [[12月24日]](天保15年[[11月15日 (旧暦)|11月15日]]) - [[大迫尚敏]]、陸軍軍人(+ [[1927年]]) == 死去 == {{see also|Category:1844年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月23日]] - [[フランシス・バーデット]]、[[イギリス]]の政治家(* [[1770年]]) * [[1月29日]] - [[エルンスト1世 (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|エルンスト1世]]、[[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国|ザクセン=コーブルク=ゴータ公]](* [[1784年]]) * [[2月11日]]([[天保]]14年[[12月23日 (旧暦)|12月23日]]) - [[為永春水]]、[[戯作|戯作者]](* [[1790年]]) * [[2月15日]] - [[ヘンリー・アディントン]]<ref>{{cite web2|url=https://www.gov.uk/government/history/past-prime-ministers/henry-addington-1st-viscount-sidmouth |title=Past Prime Ministers Henry Addington 1st Viscount Sidmouth|website=GOV.UK|publisher=[[イギリス政府]] |language=en |accessdate=2021-02-27}}</ref>、[[イギリスの首相]](* [[1757年]]) * [[2月28日]] - [[アーベル・アップシャー]]、第15代[[アメリカ合衆国国務長官]]・第13代海軍長官(* [[1790年]]) * 2月28日 - [[トマス・ギルマー]]、[[アメリカ合衆国海軍長官]](* [[1802年]]) * [[3月8日]] - [[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|カール14世ヨハン]]、[[スウェーデン|スウェーデン王]](* [[1763年]]) * [[4月13日]](天保15年[[2月26日 (旧暦)|2月26日]]) - [[間宮林蔵]]、[[探検家]](* [[1775年]]) * [[5月2日]] - [[ウィリアム・トマス・ベックフォード]]、作家・美術評論家(* [[1760年]]) * [[5月29日]](天保15年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[館柳湾]]、[[漢詩|漢詩人]]・[[書道|書家]](* [[1762年]]) * [[6月6日]](天保15年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]]) - [[松崎慊堂]]、[[儒学者]](* [[1771年]]) * [[6月19日]] - [[エティエンヌ・ジョフロワ・サンティレール]]、[[博物学者]](* [[1772年]]) * [[6月27日]] - [[ジョセフ・スミス・ジュニア]]、末日聖徒イエス・キリスト教会の設立者(* [[1805年]]) * [[7月27日]] - [[ジョン・ドルトン]]、[[化学者]]・[[物理学者]](* [[1766年]]) * [[7月28日]] - [[ジョゼフ・ボナパルト]]、[[ナポリ王国|ナポリ王]]・[[スペイン|スペイン王]](* [[1768年]]) * [[7月29日]] - [[フランツ・クサーヴァー・モーツァルト]]、[[作曲家]](* [[1791年]]) * [[8月30日]] - [[フランシス・ベイリー]]、[[天文学者]](* [[1774年]]) * [[11月21日]] - [[イヴァン・クルィロフ]]、[[劇作家]](* [[1769年]]) * [[11月23日]] - [[トーマス・ヘンダーソン]]、天文学者(* [[1798年]]) * [[12月19日]](天保15年[[11月10日 (旧暦)|11月10日]]) - [[広大院]]、[[徳川家斉]]の[[正室]](* [[1773年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1844}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1844ねん}} [[Category:1844年|*]]
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4,809
378年
378年(378 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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378年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|378}} {{year-definition|378}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[戊寅]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[仁徳天皇]]66年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1038年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[東晋]] : [[太元 (東晋)|太元]]3年 ** [[前秦]] : [[建元 (前秦)|建元]]14年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高句麗]] : [[小獣林王]]8年 ** [[百済]] : [[近仇首王]]4年 ** [[新羅]] : [[奈勿尼師今|奈勿王]]23年 ** [[檀君紀元|檀紀]]2711年 * [[仏滅紀元]] : 921年 * [[ユダヤ暦]] : 4138年 - 4139年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=378|Type=J|表題=可視}} == できごと == * 東ローマ帝国皇帝[[ウァレンス]]率いるローマ軍と西ゴート族との間に[[アドリアノープルの戦い]]が起きる。 * [[ローマ帝国]]において、占星術師[[ポーラス・アレキサンドリヌス]]が占星術の入門書を記述。 * [[ゴート戦争]]: ハドリアノポリスの戦い。 == 誕生 == {{see also|Category:378年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> == 死去 == {{see also|Category:378年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[ウァレンス]] - 東ローマ帝国皇帝(* [[328年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|378}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=4|年代=300}} {{デフォルトソート:378ねん}} [[Category:378年|*]]
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911年
911年(911 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "911年(911 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "", "title": "死去" } ]
911年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|911}} {{year-definition|911}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[辛未]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[延喜]]11年 ** [[皇紀]]1571年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** 五代 *** [[後梁]]:[[開平 (五代後梁)|開平]]5年、[[乾化]]元年 ** 十国 *** [[呉 (十国)|呉]]:[[天祐 (唐)|天祐]]8年(唐[[昭宗 (唐)|昭宗]]の元号を継続して使用) *** [[呉越]]:[[天宝 (呉越)|天宝]]4年 *** [[閩]]:開平5年、乾化元年(後梁の元号を使用) *** [[前蜀]]:[[永平 (前蜀)|永平]]元年 ** その他 *** [[桀燕]]:[[応天 (桀燕)|応天]]元年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[後高句麗]]:[[水徳万歳]]元年 ** [[後百済]]:[[正開]]12年 * [[仏滅紀元]]: * [[ユダヤ暦]]: {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=911|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[ノルマン人]]の一部族長・[[ロロ]]が[[ノルマンディー公]]となる == 誕生 == {{see also|Category:911年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[源順]]、[[平安時代]]の[[学者]]、[[歌人]](+ [[983年]]) * [[源英明]]、平安時代の歌人、[[僧]](+ [[939年]]) == 死去 == {{see also|Category:911年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[9月24日]] - [[ルートヴィヒ4世 (東フランク王)|ルートヴィヒ4世]]、[[カロリング朝]][[東フランク王国|東フランク]]王(* [[893年]]) * [[劉隠]]、[[五代十国時代|十国]]・[[南漢]]の実質的な創始者(* [[874年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|911}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=10|年代=900}} {{デフォルトソート:911ねん}} [[Category:911年|*]]
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962年
962年(962 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。 •ガズナ朝が成立
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "962年(962 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "•ガズナ朝が成立", "title": "できごと" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "", "title": "死去" } ]
962年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|962}} {{year-definition|962}} == 他の紀年法 == * [[干支]] : [[壬戌]] * [[日本]] ** [[応和]]2年 ** [[皇紀]]1622年 * [[中国]] ** [[北宋]] : [[建隆]]3年 ** 十国 *** [[南唐]] : 建隆3年(北宋の元号を使用) *** [[呉越]] : 建隆3年(北宋の元号を使用) *** [[南漢]] : [[大宝 (南漢)|大宝]]5年 *** [[後蜀 (十国)|後蜀]] : [[広政]]25年 *** [[北漢]] : [[天会 (北漢)|天会]]6年 ** その他 *** [[遼]] : [[応暦]]12年 *** [[于闐]] : [[同慶 (于闐)|同慶]]51年 * [[朝鮮]] * [[ベトナム]] * [[仏滅紀元]] : * [[ユダヤ暦]] : {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=962|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[2月2日]] - [[東フランク王国|東フランク王]][[オットー1世 (神聖ローマ皇帝)|オットー1世]]がローマ教皇[[ヨハネス12世 (ローマ教皇)|ヨハネス12世]]から戴冠を受け、40年ぶりの[[神聖ローマ皇帝|皇帝]]に即位 •[[ガズナ朝]]が成立 == 誕生 == {{see also|Category:962年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[王欽若]]、[[北宋]]の[[政治家]](+ [[1025年]]) * [[兼俊]]、[[平安時代]]の[[真言宗]]の[[僧]](+ 没年未詳) * [[藤原詮子]]、[[円融天皇]]の[[女御]](+ [[1002年]]) == 死去 == {{see also|Category:962年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[高保勗]]、[[五代十国時代|十国]]・[[荊南]]の第4代王(* [[924年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|962}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=10|年代=900}} {{デフォルトソート:962ねん}} [[Category:962年|*]]
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4,812
1871年
1871年(1871 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。 この年にドイツが統一されたため、世界史の大きな転換点となった。 ※皇紀は、太陽暦採用と共に1873年に施行された。 ※檀紀は、大韓民国で1948年9月25日に法的根拠を与えられたが、1961年年号廃止の法令を制定に伴い、1962年1月1日からは公式な場での使用禁止。 4月7日 - ウェールズ王子アレクサンダー・ジョホン(* 4月6日、夭折)
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1871年(1871 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。 この年にドイツが統一されたため、世界史の大きな転換点となった。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "※皇紀は、太陽暦採用と共に1873年に施行された。 ※檀紀は、大韓民国で1948年9月25日に法的根拠を与えられたが、1961年年号廃止の法令を制定に伴い、1962年1月1日からは公式な場での使用禁止。", "title": "他の紀年法" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "4月7日 - ウェールズ王子アレクサンダー・ジョホン(* 4月6日、夭折)", "title": "死去" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "", "title": "フィクションのできごと" } ]
1871年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。 この年にドイツが統一されたため、世界史の大きな転換点となった。
{{年代ナビ|1871}} {{year-definition|1871}} この年にドイツが統一されたため、世界史の大きな転換点となった。 == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[辛未]] * [[日本]]([[天保暦]]) ** [[明治]]3年[[11月11日 (旧暦)|11月11日]] - 明治4年[[11月20日 (旧暦)|11月20日]] ** [[皇紀]]2531年 * [[清]]:[[同治]]9年11月11日 - 同治10年11月20日 * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]8年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4204年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[嗣徳]]23年11月11日 - 嗣徳24年11月20日 * [[仏滅紀元]]:2413年 - 2414年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1287年10月8日 - 1288年10月18日 * [[ユダヤ暦]]:5631年4月8日 - 5632年4月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD):4428 - 4792 * [[リリウス日]](LD):105269 - 105633 <div style="font-size:smaller"> ※皇紀は、[[太陽暦]]採用と共に[[1873年]]に施行された。<br /> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]9月25日に法的根拠を与えられたが、[[1961年]]年号廃止の法令を制定に伴い、[[1962年]]1月1日からは公式な場での使用禁止。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1871}} == できごと == === 1月 === * [[1月5日]] - [[普仏戦争]]: パリ砲撃開始 * [[1月18日]] - 普仏戦争: [[ヴェルサイユ宮殿]]で[[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]]がドイツ皇帝に即位([[ドイツ帝国]]成立) * [[1月26日]] - [[イングランド]]で世界初の[[ラグビー・フットボール・ユニオン|ラグビーフットボール協会]]が設立<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20130223052021/http://www.rfu.com/twickenhamstadium/worldrugbymuseum/rugbyhistory/worldrugbychron/1871-1888 |title=World Rugby 1871 - 1888 |access-date=2023-02-01 |publisher=RFU}}</ref>。 * [[1月28日]](明治3年[[12月8日 (旧暦)|12月8日]]) ** 普仏戦争: パリ陥落、休戦協定 ** [[横浜毎日新聞]]創刊(日本初の日本語日刊新聞) === 2月 === * [[2月8日]](明治3年[[12月19日 (旧暦)|12月19日]]) - [[信濃国|信濃]]で[[世直し一揆]]の[[中野騒動]]起こる * [[2月26日]](明治4年[[1月8日 (旧暦)|1月8日]]) ** [[普仏戦争]]: [[ベルサイユ条約 (1871年)|ベルサイユ条約]]([[:en:Treaty of Versailles (1871)|en]], [[:fr:Traité_préliminaire_de_paix_du_26_février_1871|fr]])により終戦。[[フランス]]が[[ドイツ]]に[[アルザス=ロレーヌ]]を割譲 ** 陸軍繰練場([[日比谷練兵場]])開場 * [[2月27日]](明治4年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]) - [[広沢真臣]][[参議]]が暗殺される === 3月 === * [[3月18日]] - [[全米プロ野球選手協会]]設立 * [[3月28日]] - [[パリ・コミューン]]の成立宣言 * [[3月29日]] - [[ロイヤル・アルバート・ホール]]開場 === 4月 === * [[4月11日]](明治4年[[2月22日 (旧暦)|2月22日]]) - [[御親兵]]勅令 * [[4月16日]] - [[ドイツ帝国]]で[[ユダヤ人]]が[[公民権]]を得る * [[4月17日]](明治4年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]]) - [[御親兵]]編成 * [[4月20日]](明治4年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - 東京・京都・大阪に[[郵便|郵便役所]](現在の[[郵便局]])を設置し業務を開始 === 5月 === * [[5月4日]] - 米国で[[全米プロ野球選手協会|プロ野球リーグ]]最初の試合開催 * [[5月10日]] - [[普仏戦争]]: [[フランクフルト講和条約]]締結 * [[5月21日]] - フランス政府軍、パリ市内に入りコミューンを弾圧(「血の1週間」) * [[5月28日]] - パリ・コミューンが崩壊 === 6月 === * [[6月10日]] - 朝鮮で[[辛未洋擾]] * [[6月27日]](明治4年[[5月10日 (旧暦)|5月10日]]) - [[新貨条例]]制定(円・銭・厘の採用) === 7月 === * [[7月20日]] - [[ブリティッシュコロンビア州|ブリティッシュコロンビア]]が自治領[[カナダ]]に加盟 === 8月 === * [[8月24日]](明治4年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]]) - [[司法省 (日本)|司法省]]設置 * [[8月29日]](明治4年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[廃藩置県]]断行 === 9月 === * [[9月2日]](明治4年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[湯島聖堂]]内に[[文部省]]設置 * [[9月11日]](明治4年[[7月27日 (旧暦)|7月27日]]) - [[民部省]]廃止([[大蔵省]]に吸収) * [[9月12日]](明治4年7月28日) - 兵部省海軍部に水路局を設置。(水路記念日) * [[9月13日]](明治4年[[7月29日 (旧暦)|7月29日]]) ** [[日清修好条規]]締結 ** 築地の[[海軍兵学寮]]が新築<!-- 7月27日(旧暦)説あり --> * [[9月17日]] - [[アルプス山脈]]の[[フレジュス鉄道トンネル]]が開通 * [[9月23日]](明治4年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]]) - [[散髪脱刀令]]布告 * [[9月28日]] - ブラジルで奴隷の子供の解放を目的とした新生児自由法が制定。 === 10月 === * [[10月2日]](明治4年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]]) - 東京[[鎮台]]設置 * [[10月8日]] - 米国[[シカゴ大火|シカゴで大火]]( - 10月11日) * [[10月12日]](明治4年[[8月28日 (旧暦)|8月28日]]) - [[穢多]][[非人]]の称廃止 * [[10月22日]](明治4年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]]) - [[東京府]]で[[午砲]]が始る === 11月 === * [[11月10日]] - [[ヘンリー・モートン・スタンリー|スタンレー]]が[[デイヴィッド・リヴィングストン|リビングストン博士]]に遭遇し"Dr. Livingstone, I presume?"と呼びかける * [[11月17日]] - [[全米ライフル協会]]設立<!-- 24日説あり --> === 12月 === * [[12月5日]](明治4年[[10月23日 (旧暦)|10月23日]]) - 東京で[[邏卒]]を新置 * [[12月6日]](明治4年[[10月24日 (旧暦)|10月24日]]) - 東京・長崎間に[[電信]]が架設 * [[12月8日]](明治4年[[10月26日 (旧暦)|10月26日]]) - [[スリエ曲馬団]]公演([[サーカスの日]]) * [[12月8日]](明治4年[[11月8日(旧暦)|11月8日]]) - [[台湾]]に漂着した[[琉球]]島民54人が現地人に殺害される[[宮古島島民遭難事件]]が起こる。 * [[12月10日]](明治4年[[10月28日 (旧暦)|10月28日]]) - [[普化宗]]を廃止 * [[12月21日]](明治4年[[11月10日 (旧暦)|11月10日]]) - [[東京招魂社]]に燈台が設置 * [[12月23日]](明治4年[[11月12日 (旧暦)|11月12日]]) - [[岩倉具視]]ら107名が欧米に派遣される([[岩倉使節団]]) * [[12月24日]] - [[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]歌劇「[[アイーダ]]」初演([[カイロ]]) * [[12月25日]](明治4年[[11月14日 (旧暦)|11月14日]]) - [[新橋停車場]]完成([[リチャード・ブリジェンス]]設計) === 日付不詳 === * [[琉球島民の殺害事件]] * ドイツで[[文化闘争]]始まる == 誕生 == {{see also|Category:1871年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 1月 === * [[1月15日]](明治3年[[11月25日 (旧暦)|11月25日]]) - [[堺利彦]]、思想家・作家(+ [[1933年]]) * [[1月20日]] - [[ニコラス・タルコフ]]、[[画家]](+ [[1930年]]) * [[1月23日]](明治3年[[12月3日 (旧暦)|12月3日]]) - [[宮崎滔天]]、[[革命家]]・[[浪曲師]](+ [[1922年]]) * 1月23日?-[[グリゴリー・ラスプーチン]]、[[農民]]・[[祈祷師|祈祷僧]](+[[1916年]]) === 2月 === * [[2月7日]](明治3年[[12月18日 (旧暦)|12月18日]]) - [[志賀潔]]、細菌学者(+ [[1957年]]) * 2月7日(明治3年12月18日)- [[戸川秋骨]]、[[評論家]]・[[英文学者]](+ [[1939年]]) * [[2月28日]](明治4年[[1月10日 (旧暦)|1月10日]]) - [[高山樗牛]]、評論家(+ [[1902年]]) * 2月28日(明治4年1月10日) - [[島村抱月]]、劇作家(+ [[1919年]]) === 3月 === * [[3月19日]](明治4年[[1月29日 (旧暦)|1月29日]]) - [[小金井喜美子]]、[[翻訳家]](+ [[1956年]]) * [[3月20日]] - [[ジョー・マクギニティ]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1929年]]) * [[3月25日]] - [[イーゴリ・グラーバリ]]、画家・美術修復家(+ [[1960年]]) * [[3月27日]] - [[ハインリヒ・マン]]、ドイツの[[作家]](+ [[1950年]]) * [[3月28日]] - [[ウィレム・メンゲルベルク]]、[[指揮者]](+ [[1951年]]) * [[3月30日]](明治4年[[2月17日 (旧暦)|2月17日]]) - [[小野塚喜平次]]、[[政治学者]](+ [[1944年]]) === 4月 === * [[4月10日]](明治4年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]]) - [[横山源之助]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1915年]]) * [[4月16日]] - [[ジョン・ミリントン・シング]]、[[詩人]]・[[作家]]・[[民俗学|民俗文化]]研究者(+ [[1909年]]) * [[4月29日]](明治4年[[3月10日 (旧暦)|3月10日]]) - [[吉岡彌生]]、[[教育者]]・[[医師]](+ [[1959年]]) === 5月 === * [[5月27日]] - [[ジョルジュ・ルオー]]、画家(+ [[1958年]]) * [[5月30日]] - [[エイモス・ルーシー]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1942年]]) === 6月 === === 7月 === * [[7月10日]] - [[マルセル・プルースト]]、[[小説家]](+ [[1922年]]) * [[7月17日]] - [[リオネル・ファイニンガー]]、画家(+ [[1956年]]) * [[7月18日]] - [[ジャコモ・バッラ]]、画家(+ [[1958年]]) * [[7月23日]](明治4年[[6月6日 (旧暦)|6月6日]])- [[牧口常三郎]]、[[教育者]]・[[地理学者]]・[[宗教家]](+ [[1944年]]) === 8月 === * [[8月14日]]([[同治]]10年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]])- [[光緒帝]]、[[清朝]]第11代[[皇帝]](+ [[1908年]]) * [[8月19日]] - [[ライト兄弟|オーヴィル・ライト]]、発明家、ライト兄弟の弟(+ [[1948年]]) * [[8月19日]] - [[金輔鉉]]、[[朝鮮民主主義人民共和国]]の[[金日成]]国家主席の祖父 (+ [[1955年]]) * [[8月30日]] - [[アーネスト・ラザフォード]]、[[物理学者]](+ [[1937年]]) * 8月30日(明治4年[[7月15日 (旧暦)|7月15日]]) - [[国木田独歩]]、[[小説家]](+ [[1908年]]) === 9月 === * [[9月2日]](明治4年[[7月18日 (旧暦)|7月18日]]) - [[川上貞奴]]、[[俳優|女優]](+ [[1946年]]) * [[9月15日]](明治4年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]) - [[安藤広太郎]]、農政家・[[農学者]](+ [[1958年]]) * [[9月22日]] - [[モンタギュー・ノーマン]]、[[銀行家]]・[[枢密院 (イギリス)|枢密顧問官]](+ [[1950年]]) * [[9月23日]] - [[フランティセック・クプカ]]、[[画家]](+ [[1957年]]) === 10月 === * [[10月2日]] - [[コーデル・ハル]]、[[アメリカ合衆国国務長官]](+ [[1955年]]) * [[10月15日]]([[明治]]4年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]]) - [[高野岩三郎]]、[[社会統計学]]者・[[社会運動家]](+ [[1949年]]) * [[10月16日]] - [[アドルフ・ビアラン]]、[[チェリスト]]・[[作曲家]](+ [[1916年]]) * [[10月19日]] - [[ウォルター・B・キャノン]]、[[生理学者]](+ [[1945年]]) * [[10月25日]] - [[マーティ・バーゲン]]、メジャーリーガー(+ [[1900年]]) === 11月 === * [[11月1日]] - [[スティーヴン・クレイン]]、[[小説家]](+ [[1900年]]) * [[11月5日]](明治4年[[9月23日 (旧暦)|9月23日]]) -[[幸徳秋水]]、[[社会主義]]者(+ [[1911年]]) * [[11月20日]] - [[ウィリアム・ヒアド・キルパトリック]]、[[教育学者]](+ [[1965年]]) === 12月 === * [[12月5日]](明治4年[[10月23日 (旧暦)|10月23日]]) - [[土井晩翠]]、詩人(+ [[1952年]]) * [[12月9日]] - [[ジョー・ケリー (1871年生の外野手)|ジョー・ケリー]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1943年]]) * [[12月13日]] - [[エミリー・カー]]、[[芸術家]]・[[作家]](+ [[1945年]]) * [[12月14日]] - [[アウグスト・フォン・ハイエク]]、[[医師]]・[[植物学者]](+ [[1928年]]) * [[12月27日]] - [[ニコライ・パニン]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1956年]]) * [[12月31日]](明治4年[[11月20日 (旧暦)|11月20日]]) - [[深井英五]]、[[財界人]](+ [[1945年]]) == 死去 == {{see also|Category:1871年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 1月 === * [[1月8日]] - [[ホセ・トリニダード・カバナス]]、ホンジュラスの将軍、大統領、国家の英雄(* [[1805年]]) === 2月 === * [[2月17日]](明治3年[[12月28日 (旧暦)|12月28日]]) - [[雲井龍雄]]、[[志士]]、[[米沢藩]]士(* [[1844年]]) * [[2月20日]](明治4年[[1月2日 (旧暦)|1月2日]]) - [[伊東玄朴]]、[[医師]](* [[1800年]]) * [[2月24日]] - [[ユリウス・ワイスバッハ]]、[[数学者]]・[[工学者]](* [[1806年]]) * [[2月27日]](明治4年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]) - [[広沢真臣]]、[[長州藩]]士・[[政治家]](* [[1833年]]) === 3月 === * [[3月8日]](明治4年[[1月18日 (旧暦)|1月18日]]) - [[鍋島直正]]、[[佐賀藩]]主(* [[1815年]]) === 4月 === [[4月7日]] - [[ウェールズ王子アレクサンダー・ジョホン]](* [[4月6日]]、夭折) === 5月 === * 5月17日 (明治4年3月28日) - [[毛利敬親]]、第13代長州藩主 === 6月 === * [[6月13日]] - [[ロベール・ウーダン]]、[[マジシャン (奇術)|マジシャン]]・[[時計]]職人(* [[1805年]]) === 7月 === * [[7月15日]] - [[タッド・リンカーン]]、第16代[[アメリカ合衆国大統領]][[エイブラハム・リンカーン]]の四男(* [[1853年]]) * [[7月17日]] - [[カール・タウジヒ]]、[[ピアニスト]](* [[1841年]]) === 8月 === === 9月 === * [[9月16日]] - [[ヤン・エラジム・ヴォッセル]]、チェコの詩人、考古学者、歴史家、文化復興者(* [[1803年]]) === 10月 === * [[10月18日]] - [[チャールズ・バベッジ]]、イギリスの[[数学者]]、分析哲学者、コンピュータ科学者(* [[1791年]]) * [[10月22日]] - [[ロデリック・マーチソン]]、[[地質学者]](* [[1792年]]) * [[10月26日]] - [[トマス・ユーイング]]、第14代[[アメリカ合衆国財務長官]]、初代[[アメリカ合衆国内務長官]](* [[1789年]]) === 11月 === * [[11月20日]](明治4年[[10月8日 (旧暦)|10月8日]]) - [[安藤信正]]、[[老中]]、[[磐城平藩]]第5代藩主(* [[1819年]]) === 12月 === == フィクションのできごと == * 「ハコダテ戦争」勃発。[[函館市|ハコダテ]]侵略を狙うイカール星人が第一次ハコダテ攻略作戦を実行するが、[[官軍#戊辰戦争|明治政府軍]]は辛うじてイカール星人の撃退に成功する。(WEBムービー『[[ハコダテ観光ガイド イカール星人襲来中|ハコダテ観光ガイド イカール星人襲来中!]]』)<ref>[http://www.ika-r.com/ ホーム] - ハコダテ観光ガイド :: イカール星人オフィシャル、2015年8月18日閲覧。</ref> * 主人公バベットが、[[パリ・コミューン]]の動乱を逃れ、[[デンマーク]]の[[ユトランド半島|ユトランド]]に亡命(小説・映画『[[バベットの晩餐会]]』)<ref>{{Cite journal|author=神鷹徳治|year=2009|date=2009-03-26|title=偶然の出会い-映画『バベットの晩餐会』-|url=https://hdl.handle.net/10291/6987|journal=文芸研究|volume=108|pages=71-73|ISSN=0389-5882}}</ref>。 == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1871}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{DEFAULTSORT:1871ねん}} [[Category:1871年|*]]
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4,813
1806年
1806年(1806 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
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1806年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1806}} {{year-definition|1806}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丙寅]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[文化 (元号)|文化]]3年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[嘉慶 (清)|嘉慶]]11年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]6年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4139年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[嘉隆]]5年  * [[仏滅紀元]] : 2348年 - 2349年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1220年10月10日 - 1221年10月20日 * [[ユダヤ暦]] : 5566年4月11日 - 5567年4月20日 * [[ユリウス暦]] : 1805年12月20日 - 1806年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -19313 - -18949 * [[リリウス日]](LD) : 81528 - 81892 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1806}} == できごと == * [[1月1日]] - [[バイエルン選帝侯領|バイエルン選帝侯国]]が[[バイエルン王国]]、[[ヴュルテンベルク|ヴュルテンベルク公国]]が[[ヴュルテンベルク王国]]となる。 * [[1月8日]] - [[イギリス]]領[[植民地]]として[[ケープ植民地]]が発足。 * [[2月11日]] - イギリス首相[[ウィリアム・ピット (小ピット)|小ピット]]の死で代わって[[ウィリアム・グレンヴィル]]内閣が成立(-[[1807年]]) * [[3月15日]](文化3年[[1月26日 (旧暦)|1月26日]])- [[江戸幕府]]が文化の[[薪水給与令]](撫恤令)を出す。 * [[3月23日]] - [[ルイス・クラーク探検隊]]が復路の探検に出発。 * [[3月29日]] - [[トーマス・ジェファーソン]]米大統領が[[カンバーランド道路]]の建設を承認。 * [[3月30日]] - [[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の兄[[ジョゼフ・ボナパルト]]が[[ナポリ王国|ナポリ王]]に即位。 * [[4月8日]] - [[カール (バーデン大公)|バーデン大公カール]]と[[ステファニー・ド・ボアルネ]]が結婚。 * [[4月22日]](文化3年[[3月4日 (旧暦)|3月4日]])- [[江戸]]で[[文化の大火]]が発生。 * [[6月5日]] - ナポレオンの弟[[ルイ・ボナパルト]]を王として[[ホラント王国]]が建国。 * [[7月12日]] - [[神聖ローマ帝国]]に属していた[[ドイツ]]の諸侯が帝国を離脱、[[ライン同盟]]を結成する。 * [[8月6日]] - 神聖ローマ帝国、終焉。 * [[8月14日]] - ナポレオンによって[[ヘッセン=ダルムシュタット方伯]]が大公に格上げされ、[[ヘッセン大公国]]が成立。 * [[8月18日]] - [[ニュージーランド]][[南島 (ニュージーランド)|南島]]の沖合いで「発見」された無人島が[[オークランド諸島]]と命名。 * [[9月23日]] - ルイス・クラーク探検隊が出発地の[[セントルイス]]に帰還。 * [[10月6日]] - ライン同盟に危機感を抱く[[プロイセン王国|プロイセン]]らによって[[第四次対仏大同盟]]が結成される。 * [[10月9日]] - プロイセンがフランスに宣戦布告。 * [[10月14日]] - [[イエナ・アウエルシュタットの戦い]]勃発。 * [[10月22日]](文化3年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]])- [[ニコライ・レザノフ]]の部下フヴォストフが[[樺太]]に上陸、[[松前藩]]の番所などを襲撃。([[文化露寇]]) * [[10月27日]] - ナポレオン軍が[[ベルリン]]に入城。 * [[10月29日]]-[[12月17日]] - イギリスで{{仮リンク|1806年イギリス総選挙|label=総選挙|en|United Kingdom general election, 1806}}。グレンヴィル内閣の与党の勝利。 * [[11月7日]] - [[リューベック]]近郊で[[ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘル]]が率いる部隊が降伏。 * [[11月21日]] - [[フランス]]、[[大陸封鎖令]]を発布。 * [[12月11日]] - [[ザクセン選帝侯]][[フリードリヒ・アウグスト1世 (ザクセン王)|フリードリヒ・アウグスト3世]]を王として[[ザクセン選帝侯領|ザクセン選帝侯国]]が[[ザクセン王国]]となる。 * [[12月23日]] - [[ウィーン]]で[[ヴァイオリン協奏曲 (ベートーヴェン)|ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲]]が初演。 == 誕生 == {{see also|Category:1806年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月14日]] - [[マシュー・フォンテーン・モーリー]]、[[海軍士官]]・[[海洋学者]](+ [[1873年]]) * [[1月27日]] - [[ホアン・クリソストモ・アリアーガ]]、[[作曲家]](+ [[1826年]]) * [[2月18日]] - [[エドゥアルト・ハイス]]、[[天文学者]](+ [[1877年]]) * [[2月22日]] - [[アントワーヌ・ヴィールツ]]、[[画家]]・[[彫刻家]](+ [[1865年]]) * [[3月6日]] - [[エリザベス・バレット・ブラウニング]]、[[詩人]](+ [[1861年]]) * [[3月10日]] - [[エドゥアルト・ヴェーバー]]、[[解剖学|解剖学者]]・[[生理学|生理学者]](+ [[1871年]]) * [[3月21日]] - [[ベニート・フアレス]]、[[メキシコの大統領|メキシコ大統領]](+ [[1872年]]) * [[3月27日]]([[文化 (元号)|文化]]3年[[2月8日 (旧暦)|2月8日]])- [[島津忠剛]]、[[島津氏|今和泉島津家]]当主(+ [[1854年]]) * [[4月9日]] - [[イザムバード・キングダム・ブルネル]]、[[技術者]](+ [[1859年]]) * [[4月27日]] - [[マリア・クリスティーナ・デ・ボルボン]]、[[フェルナンド7世 (スペイン王)|スペイン王フェルナンド7世]]の妃(+ [[1878年]]) * [[5月4日]](文化3年[[3月16日 (旧暦)|3月16日]])- [[藤田東湖]]、[[水戸藩]]の[[政治家]]、[[学者]](+ [[1855年]]) * [[5月20日]] - [[ジョン・スチュアート・ミル]]、イギリスの[[哲学|哲学者]]、[[経済学者]]、[[論理学者]](+ [[1873年]]) * [[5月29日]] - [[カルル・ベッティッハー]]、[[建築家]]・[[美術史|美術史家]](+ [[1889年]]) * [[6月14日]](文化3年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]])- [[松平容敬]]、第8代[[会津藩|会津藩主]](+ [[1852年]]) * [[6月19日]] - [[ヨハン・ネポムク・ホーフツィンザー]]、[[マジシャン (奇術)|奇術師]](+ [[1875年]]) * [[6月27日]] - [[オーガスタス・ド・モルガン]]、[[数学者]](+ [[1871年]]) * [[7月21日]] - [[土岐村路]]、[[曲亭馬琴]]の筆記助手。 * [[8月10日]] - [[ユリウス・ワイスバッハ]]、数学者・[[工学者]](+ 1871年) * [[9月7日]] - [[クリスチャン・A・F・ペーテルス]]、天文学者(+ [[1880年]]) * [[10月16日]] - [[ウィリアム・フェッセンデン]]、[[アメリカ合衆国財務長官]](+ [[1869年]]) * [[10月17日]](文化3年[[9月6日 (旧暦)|9月6日]]) - [[野村望東尼]]、[[歌人]]・[[尊皇攘夷]]運動家(+ [[1867年]]) * [[10月25日]] - [[マックス・シュティルナー]]、哲学者(+ [[1856年]]) * [[11月24日]] - [[ウィリアム・ウェッブ・エリス]]、[[ラグビーフットボール]]の発明者(+ [[1872年]]) * [[12月3日]] - [[ヘンリー・アレクサンダー・ワイズ]]、[[バージニア州]]知事(+ [[1876年]]) * [[12月4日]] - [[ヨハン・ブルグミュラー]]、[[作曲家]]・[[ピアニスト]](+ [[1874年]]) * 月日不詳 - [[西郷吉兵衛]]、[[薩摩藩|薩摩藩士]](+ [[1852年]]) * 月日不詳 - [[瀬川如皐 (3代目)]]、[[歌舞伎]][[狂言]]作者(+ [[1881年]]) == 死去 == {{see also|Category:1806年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月16日]] - [[ニコラ・ルブラン]]、[[化学者]](* [[1742年]]) * [[1月23日]] - [[ウィリアム・ピット (小ピット)|ウィリアム・ピット]](小ピット)、[[イギリスの首相]](* [[1759年]]) * [[2月15日]]([[文化 (元号)|文化]]2年[[12月27日 (旧暦)|12月27日]]) - [[松平容住]]、第6代[[会津藩|会津藩主]](* [[1779年]]) * [[3月1日]](文化3年[[1月12日 (旧暦)|1月12日]]) - [[荒木田麗女]]、女流文学者(* [[1732年]]) * [[3月23日]] - [[ジョージ・フレデリック・ピント]]、[[作曲家]](* [[1785年]]) * [[4月9日]] - [[ウィレム5世 (オラニエ公)|ウィレム5世]]、[[オランダ総督]](* [[1748年]]) * [[4月30日]](文化3年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - [[小野川喜三郎]]、第5代[[横綱]](* [[1758年]]) * [[5月9日]] - [[ロバート・モリス (独立宣言署名者)|ロバート・モリス]]、[[アメリカ独立宣言]]署名者(* [[1734年]]) * [[5月31日]] - [[ジョージ・マカートニー (初代マカートニー伯爵)|ジョージ・マカートニー]]、[[外交官]](* [[1737年]]) * [[6月17日]] - [[ヘンリー・ホランド (建築家)|ヘンリー・ホランド]]、[[建築家]](* [[1745年]]) * [[7月4日]] - [[シャルル=アンリ・サンソン]]、[[フランス革命]]期の[[死刑執行人]](* [[1739年]]) * [[7月10日]] - [[ジョージ・スタッブス]]、[[画家]](* [[1724年]]) * [[8月10日]] - [[ミヒャエル・ハイドン]]、作曲家(* [[1737年]]) * [[8月16日]](文化3年[[7月3日 (旧暦)|7月3日]]) - [[志筑忠雄]]、[[蘭学者]]・[[通詞]](* [[1760年]]) * [[8月22日]] - [[ジャン・オノレ・フラゴナール]]、[[画家]](* [[1732年]]) * [[8月23日]] - [[シャルル・ド・クーロン]]、[[物理学者]](* [[1736年]]) * [[9月7日]](文化3年[[7月25日 (旧暦)|7月25日]]) - [[伴蒿蹊]]、[[歌人]](* [[1733年]]) * [[10月7日]](文化3年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - [[藤堂高嶷]]、第9代[[津藩|津藩主]](* [[1746年]]) * [[10月10日]] - [[ルイ・フェルディナント・フォン・プロイセン (1772-1806)|ルイ・フェルディナント]]、[[プロイセン王国|プロイセン]]の王族(* [[1772年]]) * [[10月17日]] - [[ジャン=ジャック・デサリーヌ]]、[[ハイチ]]の独立運動指導者(* [[1758年]]) * [[10月19日]] - [[ベンジャミン・バネカー]]、[[天文学者]](* [[1731年]]) * [[10月25日]] - [[ヘンリー・ノックス]]、[[アメリカ合衆国陸軍長官]](* [[1750年]]) * [[10月31日]](文化3年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]) - [[喜多川歌麿]]、[[浮世絵|浮世絵師]](* [[1753年]]) * [[11月11日]] - [[ヨーゼフ・ゴットリープ・ケールロイター]]、[[植物学者]](* [[1733年]]) * [[12月9日]](文化3年[[10月30日 (旧暦)|10月30日]]) - [[市川團十郎 (5代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1741年]]) * [[12月14日]] - [[ジョン・ブレッキンリッジ (司法長官)|ジョン・ブレッキンリッジ]]、[[アメリカ合衆国司法長官]](* [[1760年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1806}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1806ねん}} [[Category:1806年|*]]
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4,814
1679年
1679年(1679 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
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1679年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1679}} {{year-definition|1679}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[己未]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[延宝]]7年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2339年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[康熙]]18年 *** [[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権]]{{Sup|*}} : [[永暦 (南明)|永暦]]33年 *** [[楊起隆]] : [[広徳 (楊起隆)|広徳]]7年 *** [[呉世璠]] : [[洪化]]2年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[粛宗 (朝鮮王)|粛宗]]5年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4012年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[永治 (黎朝)|永治]]4年 * [[仏滅紀元]] : 2221年 - 2222年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1089年 - 1090年 * [[ユダヤ暦]] : 5439年 - 5440年 * [[ユリウス暦]] : 1678年12月22日 - 1679年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1679}} == できごと == * 3月 [[イングランド王国|イングランド]]で{{仮リンク|1679年3月イングランド総選挙|label=総選挙|en|English general election, March 1679}}{{要出典|date=2021-03}} * 10月 イングランドで{{仮リンク|1679年10月イングランド総選挙|label=総選挙|en|English general election, October 1679}} * [[越後国|越後]][[高田藩]]にて[[お家騒動]]([[越後騒動]])。 * [[樺太]]において[[松前藩]]の穴陣屋が[[久春古丹]]([[大泊町]][[楠渓]])に設けられ、日本の開拓が始まる。 * [[フランス]]人探検家[[ロベール=カブリエ・ド・ラ・サール|ラ・サール]]、[[ミシシッピ川]]を下航(-[[1683年]])。 * [[イングランド王国|イングランド]]にて[[人身保護法 (イギリス)|人身保護法]]発布。 * [[ムガル帝国]]第6代皇帝[[アウラングゼーブ]]により[[ジズヤ]]復活。 == 誕生 == {{see also|Category:1679年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> === 人物 === * [[1月5日]] - [[ピエトロ・フィリッポ・スカルラッティ]]([[w:Pietro Filippo Scarlatti|Pietro Filippo Scarlatti]])、[[作曲家]]、[[オルガニスト]](+ [[1750年]]) * [[1月24日]] - [[クリスティアン・ヴォルフ]]、[[哲学者]](+ [[1754年]]) * [[1月27日]] - [[ジャン=フランソワ・ド・トロワ]]、[[画家]](+ [[1752年]]) * [[2月14日]] - [[ゲオルク・フリードリヒ・カウフマン]]([[w:Georg Friedrich Kaufmann|Georg Friedrich Kaufmann]])、作曲家(+ [[1735年]]) * [[5月14日]] - [[ペーダー・ニールセン・ホレボー]]、[[天文学者]](+ [[1764年]]) * [[6月14日]]([[延宝]]7年[[5月6日 (旧暦)|5月6日]]) - [[徳川徳松]]、[[徳川綱吉]]の長男(+ [[1683年]]) * [[10月16日]]? - [[ヤン・ディスマス・ゼレンカ]]、作曲家(+ [[1745年]]) * 月日不明 - [[礒貝正久]]、[[赤穂浪士]](+ [[1703年]]) * 月日不明 - [[コレン・キャンベル]]([[w:Colen Campbell|Colen Campbell]])、[[建築家]](+ [[1729年]]) === 人物以外(動物など) === * 月日不明 - [[バイアリーターク]]、[[軍馬]]、[[種牡馬]](+ [[1705年]]) == 死去 == {{see also|Category:1679年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月1日]] - [[ヤン・ステーン]]、画家(* [[1626年]]) * [[2月5日]] - [[ヨースト・ファン・デン・フォンデル]]、[[劇作家]](* [[1587年]]) * [[3月26日]]([[延宝]]7年[[2月15日 (旧暦)|2月15日]]) - [[青山宗俊]]、[[大坂城代]]、[[遠江国|遠江]][[浜松藩]]藩主(* [[1604年]]) * 3月26日 - [[フェルディナント・マリア (バイエルン選帝侯)|フェルディナント・マリア]]、[[バイエルン大公|バイエルン選帝侯]](* [[1636年]]) * [[3月27日]] - [[アブラハム・ミグノン]]、[[画家]](* [[1640年]]) * [[6月27日]] - [[パブロ・ブルーナ]]、作曲家、オルガニスト(* [[1611年]]) * [[12月4日]] - [[トマス・ホッブズ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Thomas-Hobbes Thomas Hobbes English philosopher] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[政治哲学]]者(* [[1588年]]) * [[12月6日]](延宝7年[[11月4日 (旧暦)|11月4日]]) - [[伊達宗勝]]、[[伊達騒動]]で失脚した[[一関藩]]初代藩主(* [[1621年]]) * [[12月31日]] - [[ジョヴァンニ・ボレリ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Giovanni-Alfonso-Borelli Giovanni Alfonso Borelli Italian physiologist and physicist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[物理学者]]、[[生理学者]]、天文学者(* [[1608年]]) * 月日不明 - [[ディートリヒ・ベッカー]]、作曲家、[[ヴァイオリニスト]](* [[1623年]]頃) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1679}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1679ねん}} [[Category:1679年|*]]
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1840年
1840年(1840 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる閏年。
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "1840年(1840 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる閏年。", "title": null } ]
1840年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1840}} {{year-definition|1840}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[庚子]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[天保]]11年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2500年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]20年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]6年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4173年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[明命]]21年  * [[仏滅紀元]] : 2382年 - 2383年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1255年10月25日 - 1256年11月7日 * [[ユダヤ暦]] : 5600年4月25日 - 5601年4月7日 * [[ユリウス暦]] : 1839年12月20日 - 1840年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -6895 - -6530 * [[リリウス日]](LD) : 93946 - 94311 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1840}} == できごと == * [[2月6日]] - ニュージーランドの先住民族[[マオリ]]と白人入植者の間に[[ワイタンギ条約]]が締結される。 * [[2月10日]] - [[ヴィクトリア (イギリス女王)|イギリス女王ヴィクトリア]]と[[アルバート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公子)|ザクセン=コーブルク=ゴータ公子アルバート]]が結婚。 * [[2月11日]] - [[日本神話]]に基づく建国2500周年。 * [[5月1日]] - イギリスで世界初の郵便切手[[ペニー・ブラック]]が発行される(使用は6日から)。 * [[9月20日]] - [[パリ]]のターミナル駅の一つである[[オステルリッツ駅]]が開業する。 * [[アヘン戦争]]( - 1842年) * この年から、[[ヨーロッパ]]を中心に[[ダゲレオタイプ]]([[銀板写真]]、[[1839年]]に発明)の普及が始まる。 == 誕生 == {{see also|Category:1840年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月3日]] - [[ダミアン神父|ダミアン]]、[[カトリック教会|カトリック]][[司祭]](+ [[1889年]]) * [[1月10日]]([[天保]]10年[[12月6日 (旧暦)|12月6日]]) - [[徳大寺実則]]、日本の[[内大臣府|内大臣]]・[[侍従|侍従長]](+ [[1919年]]) * [[1月21日]](天保10年[[12月17日 (旧暦)|12月17日]])- [[阿部正教]]、[[備後福山藩|備後福山藩主]](+ [[1861年]]) * [[1月23日]] - [[エルンスト・アッベ]]、[[物理学者]](+ [[1905年]]) * [[2月4日]] - [[ハイラム・マキシム]]、[[発明家]](+ [[1916年]]) * [[2月5日]] - [[ジョン・ボイド・ダンロップ]]、発明家(+ [[1921年]]) * 2月5日(天保11年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]]) - [[法印大五郎]]、[[侠客]]、[[清水次郎長]]一家の一人(+ [[1919年]]) * [[2月10日]] - [[ペール・テオドール・クレーベ]]、[[化学者]]・[[地質学者]](+ [[1905年]]) * [[2月22日]] - [[アウグスト・ベーベル|ベーベル]]、[[ドイツ社会民主党]]幹部会議長(+ [[1913年]]) * [[2月23日]] - [[カール・メンガー]]、[[経済学者]](+ [[1921年]]) * [[3月16日]](天保11年[[2月13日 (旧暦)|2月13日]]) - [[渋沢栄一]]、[[実業家]](+ [[1931年]]) * [[3月27日]] - [[マルク・マリー・ド・ロ]]、カトリック司祭(+ [[1914年]]) * [[4月1日]] - [[イラリオン・プリャニシニコフ]]、[[画家]](+ [[1894年]]) * [[4月2日]] - [[エミール・ゾラ|ゾラ]]、フランスの[[自然主義]][[小説家]](+ [[1902年]]) * [[4月22日]] - [[オディロン・ルドン|ルドン]]、フランスの画家(+ [[1916年]]) * 5月(日時不明) - [[久坂玄瑞]]、[[長州藩]]士(+ [[1864年]]) * [[5月7日]] - [[ピョートル・チャイコフスキー]]、ロシアの[[作曲家]](+ [[1893年]]) * [[5月10日]](天保11年[[4月9日 (旧暦)|4月9日]]) - [[跡見花蹊]]、[[教育者]]、[[学校法人跡見学園|跡見学園]]の創設者(+ [[1926年]]) * [[5月13日]] - [[アルフォンス・ドーデ]]、小説家(+ [[1897年]]) * [[5月22日]](天保11年[[4月21日 (旧暦)|4月21日]])- [[島津忠義]]、第12代[[薩摩藩|薩摩藩主]](+ [[1897年]]) * [[5月25日]] - [[アル・リーチ]]、[[野球選手]](+ [[1928年]]) * [[6月2日]] - [[トーマス・ハーディ]]、作家(+ [[1928年]]) * [[6月4日]](天保11年[[5月5日 (旧暦)|5月5日]]) - [[名倉太郎馬]]、農事指導家(+ [[1911年]]) * [[6月6日]] - [[ジョン・ステイナー]]、作曲家(+ [[1901年]]) * [[6月7日]] - [[シャルロッテ・フォン・ベルギエン]]、[[マクシミリアン (メキシコ皇帝)|メキシコ皇帝マクシミリアン]]の皇后(+ [[1927年]]) * [[6月24日]] - [[ルイ・ブラッサン]]、[[ピアニスト]]・作曲家(+ [[1884年]]) * [[7月8日]](天保11年[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]) - [[岩村通俊]]、日本の[[農商務省 (日本)#歴代の農商務大臣等|農商務大臣]]・[[宮中顧問官]]・初代[[北海道庁 (1886-1947)#歴代長官|北海道庁長官]](+ [[1915年]]) * 7月8日 - [[マヌエル・デ・アリアガ]]、初代[[ポルトガルの大統領|ポルトガル大統領]](+ [[1917年]]) * [[7月28日]] - [[エドワード・ドリンカー・コープ]]、[[古生物学|古生物学者]](+ [[1894年]]) * [[8月4日]](天保11年[[7月7日 (旧暦)|7月7日]]) - [[石井忠亮]]、日本の[[逓信省]]初代電信局長(+ [[1901年]]) * [[8月5日]] - [[イリヤ・レーピン]]、画家・[[彫刻家]](+ [[1930年]]) * [[8月14日]] - [[リヒャルト・フォン・クラフト=エビング]]、[[精神医学|精神医学者]](+ [[1902年]]) * [[9月2日]] - [[クレー・アリソン]]、[[西部開拓時代]]の[[アウトロー]](+ [[1887年]]) * 9月2日 - [[ジョヴァンニ・ヴェルガ]]、小説家(+ [[1922年]]) * [[9月7日]](天保11年[[8月12日 (旧暦)|8月12日]])- [[津軽承昭]]、第12代[[弘前藩|弘前藩主]](+ [[1916年]]) * [[9月21日]] - [[ムラト5世]]、第33代[[オスマン帝国の君主|オスマン帝国スルタン]](+ [[1904年]]) * [[9月27日]] - [[アルフレッド・セイヤー・マハン|マハン]]、[[アメリカ海軍]]の軍人(+ [[1914年]]) * [[9月30日]] - [[ヨハン・スヴェンセン]]、[[作曲家]]・[[指揮者]]・[[ヴァイオリニスト]](+ [[1911年]]) * [[10月5日]] - [[ヨーハン2世 (リヒテンシュタイン公)|ヨーハン2世]]、[[リヒテンシュタイン|リヒテンシュタイン公]](+ [[1929年]]) * [[10月9日]] - [[シメオン・ソロモン]]、イギリスの画家(+ [[1905年]]) * 10月9日(天保11年[[9月14日 (旧暦)|9月14日]])- [[松本楓湖]]、[[日本画家]](+ [[1923年]]) * [[10月14日]] - [[フリードリッヒ・コールラウシュ]]、物理学者(+ [[1910年]]) * [[10月30日]] - [[ウィリアム・グラハム・サムナー]]、学者(+ 1910年) * [[11月8日]] - [[ナサニエル・ロスチャイルド (初代ロスチャイルド男爵)|初代ロスチャイルド男爵ナサニエル・ロスチャイルド]]、銀行家・政治家(+ [[1915年]]) * [[11月9日]](天保11年[[10月16日 (旧暦)|10月16日]]) - [[黒田清隆]]、第2代[[内閣総理大臣]](+ [[1900年]]) * [[11月12日]] - [[オーギュスト・ロダン|ロダン]]、フランスの彫刻家(+ [[1917年]]) * [[11月21日]] - [[ヴィクトリア (ドイツ皇后)|ヴィクトリア]]、[[ドイツ帝国|ドイツ皇帝]][[フリードリヒ3世 (ドイツ皇帝)|フリードリヒ3世]]の皇后(+ [[1901年]]) * [[11月14日]] - [[クロード・モネ]]、フランスの[[印象派]][[画家]](+ [[1926年]]) * [[12月12日]] - [[グスタフ・コーン]]、[[経済学者]](+ [[1919年]]) == 崩御・死去 == {{see also|Category:1840年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月30日]] - [[ジョージ・ブライアン・ブランメル]]、[[イギリス]]の[[セレブリティ]]・[[ダンディ|ダンディスト]](* [[1778年]]) * [[4月25日]] - [[シメオン・ドニ・ポアソン]]、[[数学者]]・[[地理学者]]・[[物理学者]](* [[1781年]]) * [[5月6日]] - [[フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル]]、[[コロンビア]]の[[軍人]]・[[政治家]](* [[1792年]]) * [[5月7日]] - [[カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ]]、[[画家]](* [[1774年]]) * [[5月27日]] - [[ニコロ・パガニーニ]]、[[音楽家]](* [[1782年]]) * [[6月7日]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Frederick-William-III Frederick William III king of Prussia] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[プロイセン王国|プロイセン王]](* [[1770年]]) * [[6月20日]] - [[ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ]]、画家(* [[1759年]]) * [[9月10日]] (天保11年[[8月15日 (旧暦)|8月15日]])- [[藤井高尚]]、[[国学者]]・[[歌人]]・[[神官]](* [[1764年]]) * [[12月11日]](天保11年[[11月18日 (旧暦)|11月18日]])- [[光格天皇]]、日本の[[天皇]](* [[1771年]]) * [[12月13日]] - [[ルイ・ド・ラ・ブルドンネ]]、[[チェスの世界チャンピオン一覧|チェスの非公式世界チャンピオン]](* [[1795年]]) * [[12月26日]](天保11年[[12月3日 (旧暦)|12月3日]])- [[国友一貫斎]]、[[鉄砲鍛冶]]師・[[発明家]](* [[1778年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1840}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1840ねん}} [[Category:1840年]]
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4,816
1839年
1839年(1839 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
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1839年は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1839}} {{year-definition|1839}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[己亥]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[天保]]10年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2499年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]19年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]5年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4172年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[明命]]20年  * [[仏滅紀元]] : 2381年 - 2382年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1254年10月15日 - 1255年10月24日 * [[ユダヤ暦]] : 5599年4月15日 - 5600年4月24日 * [[ユリウス暦]] : 1838年12月20日 - 1839年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -7260 - -6896 * [[リリウス日]](LD) : 93581 - 93945 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1839}} == できごと == * [[5月]] - [[蛮社の獄]] * [[5月7日]] - イギリスで[[イギリスの首相|首相]][[ウィリアム・ラム (第2代メルバーン子爵)|メルバーン子爵]]が辞表提出 * [[5月9日]] - [[5月12日]]、イギリスで[[ロバート・ピール]]の組閣をめぐって[[寝室女官事件]]。[[第2次メルバーン子爵内閣]]続投。 * [[8月19日]] - [[ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール]]により、[[ダゲレオタイプ]](銀板写真)が発明される。 * [[8月29日]](天保10年[[7月21日 (旧暦)|7月21日]]) - [[蝦夷地]][[松前藩]]、第11代藩主[[松前昌広]]が襲封 * [[オスマン帝国]]、[[アブデュルメジト1世]]即位(-[[1861年]])、[[タンジマート]](-[[1876年]]) * [[第2次エジプト・トルコ戦争]](-[[1840年]]) * [[李氏朝鮮]]でキリスト教大迫害。 * [[ベルギー]]が正式に独立。 * [[プロイセン王国]]で少年労働が禁止される。 * イギリスで[[リチャード・コブデン]]らが[[反穀物法同盟]]を結成。 == 誕生 == {{see also|Category:1839年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月1日]] - [[ウィーダ]]、[[作家]](+ [[1907年]]) * [[1月19日]] - [[ポール・セザンヌ|セザンヌ]]、フランスの[[画家]](+ [[1906年]]) * [[2月18日]] - [[井上頼圀]]、国学者(+ [[1914年]]) * [[2月21日]] - [[ウィラード・ギブズ]]、数学者・物理学者(+ [[1903年]]) * [[3月3日]] - [[ジャムシェトジー・タタ]]、[[インド]]の[[実業家]]・[[タタ・グループ]]創始者(+ [[1904年]]) * [[3月17日]] - [[ヨーゼフ・ラインベルガー]]、作曲家・オルガニスト(+ [[1901年]]) * [[3月21日]] - [[モデスト・ムソルグスキー|ムソルグスキー]]、ロシアの作曲家(+ [[1881年]]) * [[4月20日]] - [[カロル1世 (ルーマニア王)|カロル1世]]、[[ルーマニア]]王(+ [[1914年]]) * [[5月13日]]([[天保]]10年[[4月1日 (旧暦)|4月1日]])- [[三遊亭圓朝]]、[[落語家]](+ [[1900年]]) * [[5月15日]](天保10年[[4月3日 (旧暦)|4月3日]])- [[中原鄧州]]、[[禅僧]](+ [[1925年]]) * [[6月13日]] - [[キャサリン・ウォルターズ]]、娼婦(+ [[1920年]]) * [[6月25日]](天保10年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]) - [[島津源蔵 (初代)]]、[[発明家]]・[[実業家]](+ [[1894年]]) * [[7月8日]] - [[ジョン・D・ロックフェラー]]、アメリカの[[実業家]](+ [[1937年]]) * [[8月8日]] - [[オットー・フィンシュ]]、[[民俗学者]]・[[博物学者]]・[[探検家]](+ [[1917年]]) * [[8月19日]](天保10年[[7月11日 (旧暦)|7月11日]]) - [[久米邦武]]、[[佐賀藩]]士・[[歴史学]]者(+ [[1931年]]) * [[8月23日]] - [[ジェームズ・ゲイキー]]、[[地質学者]](+ [[1915年]]) * [[9月10日]] - [[チャールズ・サンダース・パース]]、[[論理学者]]・[[数学者]]・[[哲学者]](+ [[1914年]]) * [[9月27日]](天保10年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[高杉晋作]]、[[長州藩]]士(+ [[1867年]]) * [[10月30日]] - [[アルフレッド・シスレー|シスレー]]、フランス[[印象派]]の風景画家(+ [[1899年]]) * [[11月16日]](天保10年[[10月11日 (旧暦)|10月11日]])- [[池田茂政]]、[[大名]]、備前[[岡山藩]]第9代藩主(+ [[1899年]]) * 月日不明 - [[相楽総三]]、[[尊皇攘夷]]派[[志士]]・[[赤報隊]]隊長(+ [[1868年]]) == 死去 == {{see also|Category:1839年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[5月6日]] - [[ジョン・バットマン]]<ref>{{cite web |url = http://www.parliament.vic.gov.au/onthisday/decade.cfm?d=1830 |title = On These Days - Parliament of Victoria |publisher = www.parliament.vic.gov.au |accessdate = 2021-05-01 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20090608213733/http://www.parliament.vic.gov.au/onthisday/decade.cfm?d=1830 |archivedate = 2009年6月8日 |deadlinkdate = 2017年9月 }}</ref>、[[農家]]・[[探検家]](* [[1801年]]) * [[5月21日]] - [[ヨハン・クリストフ・グーツ・ムーツ]]、[[教育学者]](* [[1759年]]) * [[6月27日]](天保10年[[5月17日 (旧暦)|5月17日]]) - [[小関三英]]、[[医者]]・[[蘭学者]](* [[1787年]]) * [[8月28日]] - [[ウィリアム・スミス (地質学者)|ウィリアム・スミス]]、[[地質学者]](* [[1769年]]) * [[10月1日]](天保10年[[8月24日 (旧暦)|8月24日]]) - [[松前良広]]、[[蝦夷地]][[松前藩]]第10代藩主(*[[1823年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1839}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1839ねん}} [[Category:1839年]]
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1824年
1824年(1824 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。
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1824年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1824}} {{year-definition|1824}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[甲申]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[文政]]7年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2484年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]4年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]24年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4157年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[明命]]5年  * [[仏滅紀元]] : 2366年 - 2367年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1239年4月28日 - 1240年5月10日 * [[ユダヤ暦]] : 5584年5月1日 - 5585年4月10日 * [[ユリウス暦]] : 1823年12月20日 - 1824年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -12739 - -12374 * [[リリウス日]](LD) : 88102 - 88467 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1824}} == できごと == * [[5月7日]] - [[ウィーン]]の[[ケルントナートーア劇場]]で[[第九]]が初演される。指揮は[[ベートーベン]] * [[5月28日]] - [[常陸国]]大津に[[イギリス]]の捕鯨船員が上陸([[大津浜事件]]) * 8月 - [[宝島 (鹿児島県)|宝島]]においてイギリス船が上陸し住民と武士との間に銃撃戦が発生しイギリス人1名が射殺された。 * イギリスと[[オランダ]]が[[英蘭協約]]を結ぶ * [[第一次英緬戦争|第一次イギリス・ビルマ戦争]]勃発(~[[1926年]]) == 芸術・文化 == === 1824年の音楽 === * [[5月7日]] - [[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|交響曲第9番]]『合唱付き』初演 * 日付不詳 - [[ジョアキーノ・ロッシーニ|ロッシーニ]]の[[チェロとコントラバスのための二重奏曲 (ロッシーニ)|チェロとコントラバスのための二重奏曲]]作曲 == 誕生 == {{see also|Category:1824年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月27日]] - [[デイヴィッド・マッケンドリー・キー (郵政長官)|デイヴィッド・マッケンドリー・キー]]、第30代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1900年]]) * [[3月2日]] - [[ベドルジハ・スメタナ|スメタナ]]、チェコの[[作曲家]](+ [[1884年]]) * [[3月12日]] - [[グスタフ・キルヒホフ]]、[[物理学者]](+ [[1887年]]) * [[3月27日]](文政7年[[2月27日 (旧暦)|2月27日]]) - [[久邇宮朝彦親王]]、皇族(+ [[1891年]]) * [[4月25日]] - [[ギュスターヴ・ブーランジェ]]、[[画家]](+ [[1888年]]) * [[5月6日]](文政7年[[4月8日 (旧暦)|4月8日]]) - [[徳川家定]]、江戸幕府第13代[[征夷大将軍|将軍]](+ [[1858年]]) * [[5月11日]] - [[ジャン=レオン・ジェローム]]、画家・[[彫刻家]](+ [[1904年]]) * [[5月30日]](文政7年[[5月3日 (旧暦)|5月3日]]) - [[大村益次郎]]、医師・[[軍事学者|兵学者]](+ [[1869年]]) * [[6月23日]] - [[カール・ライネッケ]]、作曲家(+ [[1910年]]) * [[6月26日]] - [[ウィリアム・トムソン]]、イギリスの[[物理学者]](+ [[1907年]]) * [[7月5日]](文政7年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]]) - [[本木昌造]]、[[通詞]]、日本の活版印刷の創始者(+ [[1875年]]) * [[7月12日]] - [[ウジェーヌ・ブーダン]]、画家(+ [[1898年]]) * [[7月27日]] - [[アレクサンドル・デュマ・フィス]](小デュマ)、フランスの[[劇作家]]・[[小説家]](+ [[1895年]]) * [[9月4日]] - [[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]、[[オーストリア]]の作曲家・[[オルガン]]奏者(+ [[1896年]]) * [[9月11日]] - [[ヤーコプ・ベルナイス]]、[[言語学者]](+ [[1881年]]) * [[12月10日]] - [[ジョージ・マクドナルド]]、[[小説家]]・[[詩人]](+ [[1905年]]) * [[12月14日]] - [[ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ]]、画家(+ [[1898年]]) * [[12月15日]](文政7年[[10月25日 (旧暦)|10月25日]])- [[河田小龍]]、日本画家・[[土佐藩]]士(+ [[1898年]]) * [[12月18日]] - [[崔済愚]]、[[朝鮮]]の[[宗教家]]・[[東学]]の創始者(+ [[1864年]]) == 死去 == {{see also|Category:1824年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月16日]](文政6年[[12月16日 (旧暦)|12月16日]]) - [[富士谷御杖]]、[[京都]]の[[国学者]](* [[1768年]]) * [[1月26日]] - [[テオドール・ジェリコー]]、[[画家]](* [[1791年]]) * [[3月3日]] - [[ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](* [[1755年]]) * [[4月19日]] - [[ジョージ・ゴードン・バイロン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Lord-Byron-poet Lord Byron English poet] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[詩人]](* [[1788年]]) * [[7月21日]] - [[ラーマ2世]]、[[チャクリー王朝]]第2代[[タイ王国|シャム]][[国王]](* [[1766年]]) * [[8月28日]](文政7年[[8月5日 (旧暦)|8月5日]])- [[荒木如元]]、[[洋風画]]家(* [[1765年]]) * [[9月16日]] - [[ルイ18世]]、[[フランス国王]](* [[1755年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1824}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1824ねん}} [[Category:1824年|*]]
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1893年
1893年(1893 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。明治26年。 ※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
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1893年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。明治26年。
{{年代ナビ|1893}} {{YearInTopic | BC = | 千年紀 = 2 | 世紀 = 19 | 年代 = 1890 | 年 = 1893 }} {{year-definition|1893}} == 他の紀年法 == * [[干支]]:[[癸巳]] * 日本(月日は一致) ** [[明治]]26年 ** [[皇紀]]2553年 * [[清]]:[[光緒]]18年11月14日 - 光緒19年11月24日 * [[朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]・[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]30年 ** [[開国 (李氏朝鮮)|開国]]502年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4226年 * [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[成泰]]4年11月14日 - 成泰5年11月24日 * [[仏滅紀元]]:2435年 - 2436年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1310年6月12日 - 1311年6月22日 * [[ユダヤ暦]]:5653年4月13日 - 5654年4月22日 * [[修正ユリウス日]](MJD):12464 - 12828 * [[リリウス日]](LD):113305 - 113669 <div style="font-size:smaller"> ※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。 </div> == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1893}} == できごと == === 1月 === * [[1月22日]] - [[ハワイ王国]]で[[リリウオカラニ]]女王が廃位される(ハワイ王国の滅亡) * [[1月31日]] - [[文学界 (明治)|文学界]]創刊([[島崎藤村]]・[[北村透谷]]ら) === 2月 === * [[2月1日]] - [[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]の歌劇「[[マノン・レスコー (プッチーニ)|マノン・レスコー]]」初演([[レージョ劇場 (トリノ)|レージョ劇場]]) * [[2月3日]] - [[日比谷練兵場]]跡地を[[日比谷公園]]とする旨[[東京市]]が告示(開園[[1903年]]) * [[2月5日]] - [[大村益次郎]]銅像除幕式([[靖國神社]])(日本初の西洋式銅像) * [[2月9日]] ** [[パナマ運河疑獄]]: [[フェルディナン・ド・レセップス]]らが有罪判決を受ける ** [[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]の歌劇「[[ファルスタッフ]]」初演([[スカラ座]]) * [[2月24日]] - [[アメリカン大学]]創立 * [[2月23日]] - [[ルドルフ・ディーゼル]]が[[ディーゼル機関]]の特許を取得 === 3月 === * [[3月10日]] - [[象牙海岸]]がフランスの植民地となる * [[3月4日]] - * [[弁護士法 (明治26年)]]公布([[代言人]]制度廃止) * [[グロバー・クリーブランド]]が第24代[[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]に就任(第2期) * [[3月17日]] - [[川越大火]]が発生、1,302戸消失 * [[3月20日]] - [[郡司成忠]]海軍大尉ら[[千島]]探検へ出発 * [[3月29日]] - [[目黒火薬製造所]]・[[白金火薬庫]]が[[海軍省]]から[[陸軍省]]へ移管 === 4月 === * [[4月1日]] - [[西多摩郡]]・[[北多摩郡]]・[[南多摩郡]]が[[神奈川県]]から[[東京府]]へ移管 * [[4月6日]] - [[ソルトレイク寺院]]開所式 *「中将湯」発売([[ツムラ|津村順天堂]]) === 5月 === * [[5月1日]] - [[シカゴ万国博覧会 (1893年)|シカゴ万国博覧会]]開催(〜10月30日) * [[5月5日]] - 米国で金融恐慌([[1893年恐慌]]) * [[5月10日]] - [[合衆国最高裁判所|米国連邦最高裁]]が[[トマト]]を[[野菜]]と裁定 * [[5月19日]] - [[戦時大本営条例]]公布 * [[5月20日]] - [[海軍軍令部]]設置 === 6月 === * [[6月7日]] - マハトマ・ガンディーが最初の市民的不服従を行う。 * [[6月17日]] - オーストラリア[[カルグーリー]]で[[金]]が発見される * [[6月21日]] - 初の[[観覧車]](機械式)が公開(シカゴ万博) * [[6月30日]] - [[ダイアモンド]][[エクセルシア]]([[:en:Excelsior Diamond|Excelsior Diamond]])が発見される(1905年まで世界最大) === 7月 === * [[7月6日]] - 英ヨーク公(後の[[ジョージ5世 (イギリス王)|ジョージ5世]])が[[メアリー・オブ・テック]]と結婚 * [[7月10日]] - [[東京美術学校 (旧制)|東京美術学校]]第1回卒業式([[横山大観]]ら) * [[7月11日]] - [[御木本幸吉]]が[[真珠]]の養殖に成功 * [[7月13日]] - 東南アジアで[[パークナム事件]] === 8月 === * [[8月6日]] - [[八王子市|八王子]]中心街で大火(焼失七百戸) * [[8月12日]] - 君が代が文部省より制定される。 === 9月 === * [[9月4日]] - [[ビアトリクス・ポター]]が[[ピーターラビット]]の話を書送る * [[9月7日]] - [[築地本願寺]]焼失 * [[9月10日]] -官営[[富岡製糸場]]払下げ([[三井高保]]が落札) * [[9月11日]] - [[万国宗教会議]]が[[シカゴ]]で開催(〜27日)(日本からは[[土宜法龍]]・[[野口復堂]]・[[釈宗演]]が参加) * [[9月19日]] - 初の[[婦人参政権]]が[[ニュージーランド]]で成立 * [[9月19日]] - 初の自動車用[[ナンバープレート]]をフランスが導入 === 10月 === * [[10月22日]] - [[東京市]]で近代[[上水道|水道]]起工式([[淀橋浄水場]]予定地) * [[10月28日]] - [[ピョートル・チャイコフスキー|チャイコフスキー]][[交響曲第6番 (チャイコフスキー)|交響曲第6番]]初演([[ペテルブルク]]) * [[文官任用令]]・[[文官試験規則]]公布([[高等文官試験]]確立) === 11月 === * [[11月1日]] - [[明治座]]開場 * [[11月25日]] - [[帝国議会|第5議会]]召集 * [[11月28日]] - ニュージーランド総選挙(史上初の婦人による投票) * [[大成建設|大倉土木組]]設立 === 12月 === * [[12月16日]] - [[アントニン・ドヴォルザーク|ドヴォルザーク]][[交響曲第9番 (ドヴォルザーク)|交響曲第9番]]初演([[カーネギー・ホール]]) * [[12月23日]] - [[エンゲルベルト・フンパーディンク|フンパーディンク]]歌劇[[ヘンゼルとグレーテル (オペラ)|ヘンゼルとグレーテル]]初演([[ヴァイマル]]) * [[12月30日]] - [[衆議院解散]] === 日付未詳 === <!-- * [[ボストン・レッドソックス]]発足--> * [[エルモア・マニュファクチャリング・カンパニー]]設立 == 誕生 == {{see also|Category:1893年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月4日]] - [[皆川ヨ子]]、[[2007年]][[1月28日]] - [[8月13日]]の長寿世界一(+ [[2007年]]) * [[1月11日]] - [[大田黒元雄]]、[[音楽評論家]](+ [[1979年]]) * [[1月12日]] - [[ヘルマン・ゲーリング]]、ナチス・ドイツ航空相(+ [[1946年]]) * [[1月13日]] - [[シャイム・スーティン]]、[[画家]](+ [[1943年]]) * [[1月15日]] - [[アイヴァー・ノヴェロ]]、作曲家・歌手・俳優(+ [[1951年]]) * [[1月22日]] - [[嶋田的浦]]、[[俳人]](+ [[1950年]]) * [[1月27日]] - [[ウィリー・ベックル]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1975年]]) * 1月27日 - [[宋慶齢]]、[[政治家]]、孫文夫人(+ [[1981年]]) * 1月27日 - [[矢内原忠雄]]、[[経済学者]](+ [[1961年]]) * [[1月31日]] - [[ジョージ・バーンズ (内野手)|ジョージ・バーンズ]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1978年]]) * [[2月7日]] - [[鈴木茂三郎]]、[[政治家]](+ [[1970年]]) * [[2月14日]] - [[中川一政]]、[[洋画家]](+ [[1991年]]) * [[2月17日]] - [[ウォーリー・ピップ]]、メジャーリーガー(+ [[1965年]]) * [[2月19日]] - [[セドリック・ハードウィック]]、[[俳優]] (+ [[1964年]]) * 2月19日 - [[マグダ・タリアフェロ]]、[[ピアニスト]] (+ [[1986年]]) * [[2月21日]] - [[アンドレス・セゴビア]]、[[ギタリスト]](+ [[1987年]]) * [[2月24日]] - [[三島徳七]]、[[冶金学]]者(+ [[1975年]]) * [[3月3日]] - [[高野素十]]、[[俳人]](+ [[1976年]]) * [[3月9日]] - [[レフティ・ウィリアムズ]]、メジャーリーガー(+ [[1959年]]) * 3月9日 - [[鷹部屋福平]]、[[工学者]](+ [[1975年]]) * 3月9日 - [[ビリー・サウスワース]]、メジャーリーガー(+ [[1969年]]) * [[3月12日]] - 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[[結城哀草果]]、[[歌人]]・[[随筆家]](+ [[1974年]]) * [[10月14日]] - [[リリアン・ギッシュ]]、[[俳優|女優]](+ [[1993年]]) * [[10月15日]] - [[山口蓬春]]、[[日本画家]](+ [[1971年]]) * [[10月21日]] - [[木原均]]、[[遺伝学者]](+ [[1986年]]) * [[10月25日]] - [[レオニード・コハンスキ]]、[[ピアニスト]](+ [[1980年]]) * [[11月3日]] - [[早川徳次 (シャープ)|早川徳次]]、早川電機工業(現[[シャープ]])創業者(+ [[1980年]]) * [[11月8日]] - [[ラーマ7世]]、[[タイ王国|タイ]]・[[チャクリー王朝]]第7代国王(+ [[1941年]]) * [[11月13日]] - [[山田巳之助]]、[[俳優]](+ [[1968年]]) * [[11月16日]] - [[クリストバル・トリエンテ]]、元野球選手(+ [[1938年]]) * [[12月2日]] - [[レオ・オーンスタイン]]、[[ピアニスト]]・[[作曲家]](+ [[2002年]]) * [[12月9日]] - [[内藤千代子]]、[[小説家]](+ [[1925年]]) * [[12月12日]] - [[エドワード・G・ロビンソン]]、[[俳優]] (+ [[1973年]]) * [[12月13日]] - [[大村能章]]、[[作曲家]] (+[[1962年]]) * [[12月15日]] - [[成田為三]]、作曲家(+ [[1945年]]) * [[12月18日]] - [[ジョセフ・アルジン]]、[[重量挙げ]]選手(+ [[1930年]]) * [[12月26日]] - [[毛沢東]]、[[中国共産党]][[中国共産党中央委員会主席|中央委員会主席]]・[[中華人民共和国]]初代国家主席(+ [[1976年]]) == 死去 == {{see also|Category:1893年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月7日]] - [[ヨーゼフ・シュテファン]]、[[物理学者]](* [[1835年]]) * [[1月15日]] - [[ファニー・ケンブル]]、[[俳優|女優]]・[[著作家]](* [[1809年]]) * [[1月17日]] - [[ラザフォード・ヘイズ]]、第19代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1822年]]) * [[1月22日]] - [[河竹黙阿弥]]、[[歌舞伎]][[狂言]]作者(* [[1816年]]) * [[1月27日]] - [[吉子女王|登美宮吉子女王]]、[[水戸藩|水戸藩主]][[徳川斉昭]]の[[正室]](* [[1804年]]) *1月27日 - [[ジェイムズ・キャンベル (郵政長官)|ジェイムズ・キャンベル]]、第19代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1812年]]) * [[2月13日]] - [[宮城浩蔵]]、[[法学者]]・[[日本の国会議員|衆議院議員]](* [[1852年]]) * [[3月4日]] - [[池田慶政]]、第8代[[岡山藩|岡山藩主]](* [[1823年]]) * [[3月5日]] - [[イポリット・テーヌ]]、[[哲学|哲学者]](* [[1828年]]) * [[3月17日]] - [[ジュール・フェリー]]、[[フランス第三共和政]]時代の首相(* [[1832年]]) * [[3月18日]] - [[市村羽左衛門 (14代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1821年]]) * [[5月8日]] - [[マヌエル・ゴンサレス]]、第35代[[メキシコの大統領|メキシコ大統領]](* [[1833年]]) * [[5月28日]] - [[チャールズ・プリチャード]]、[[天文学者]](* [[1808年]]) * [[5月30日]] - [[菅野覚兵衛]]、[[海援隊]]隊士(* [[1842年]]) * [[6月6日]] - [[寺島宗則]]、外交官(* [[1832年]]) * [[6月12日]] - [[清水次郎長]]、[[幕末]]の[[侠客]](* [[1820年]]) * [[6月21日]] - [[リーランド・スタンフォード]]、[[実業家]]・[[カリフォルニア州]]知事・[[スタンフォード大学]]創設者(* [[1824年]]) * [[6月30日]] - [[梅亭金鵞]]、[[戯作|戯作者]](* [[1821年]]) * [[7月6日]] - [[ギ・ド・モーパッサン]]、[[小説家]](* [[1850年]]) * [[7月16日]] - [[アントニオ・ギスランツォーニ]]、[[オペラ]][[台本]]作家(* [[1824年]]) * [[7月22日]] - [[ジョン・レイ (探検家)|ジョン・レイ]]、[[探検家]](* [[1813年]]) * [[8月7日]] - [[アルフレード・カタラーニ]]、[[作曲家]](* [[1854年]]) * [[8月16日]] - [[ジャン=マルタン・シャルコー]]、[[医学者]](* [[1825年]]) * [[8月23日]] - [[エルンスト2世 (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|エルンスト2世]]、[[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国|ザクセン=コーブルク=ゴータ公]](* [[1818年]]) * [[9月1日]] - [[細川護久]]、第12代[[熊本藩|熊本藩主]](* [[1839年]]) * [[9月8日]] - [[ルーク・ショート]]、[[西部開拓時代]]の[[ガンマン]](* [[1854年]]) * [[10月6日]] - [[フォード・マドックス・ブラウン]]、[[画家]](* [[1821年]]) * [[10月10日]] - [[リップ・パイク]]、[[メジャーリーガー]](* [[1845年]]) * [[10月12日]] - [[ニコライ・ズヴェーレフ]]、[[ピアニスト]]・音楽教師(* [[1832年]]) * [[10月16日]] - [[パトリス・ド・マクマオン]]、[[フランスの大統領|フランス大統領]](* [[1808年]]) * [[10月18日]] - [[シャルル・グノー]]、作曲家(* [[1818年]]) * [[11月1日]] - [[ヤン・マテイコ]]、[[画家]](* [[1838年]]) * [[11月6日]] - [[ピョートル・チャイコフスキー]]、作曲家(* [[1840年]]) * 11月6日 - [[ユリウス・フレーベル]]、[[地質学者]]・[[政治家]](* [[1805年]]) * [[11月12日]] - [[アレクサンダー・フォン・バッハ]]、[[政治家]](* [[1813年]]) * [[12月5日]] - [[松平容保]]、元[[会津藩]]藩主(* [[1836年]]) * [[12月6日]] - [[ルドルフ・ウォルフ]]、天文学者(* [[1816年]]) * [[12月16日]] - [[カール・ルートヴィヒ・ミヘレット]]、哲学者(* [[1801年]]) == フィクションのできごと == * ギリフラワー夫人、[[中生代]]のヒルを用いて世界に変革をもたらそうとする。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) * 連続殺人鬼クラレンスがドクターの秘密と墓について言及、ヴァストラがドリーム会議を開く。大知性体が会議に乱入しジェニーを殺害し、ヴァストラとストラックスを拉致する。(ドラマ『ドクター・フー』) * [[テムズ川]]に大型肉食恐竜が出現、そこから[[12代目ドクター]]が登場する。ドクター、51世紀のアンドロイドと戦闘。(ドラマ『ドクター・フー』) * 魔物ハンター見習いの雷神が、師であるレッド・ベアに連れられニューオリンズを訪れる。(ゲーム『[[天外魔境 第四の黙示録]]』) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <!-- === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} --> === 出典 === {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1893}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]]<!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1893ねん}} [[Category:1893年|*]]
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4世紀
4世紀(よんせいき)は、西暦301年から西暦400年までの100年間を指す世紀。 中国の歴史文献において266年から413年にかけての倭国に関する記述がなく、ヤマト王権の成立過程などが把握できないため、日本において「空白の4世紀」とも呼ばれている。 日本では古墳時代前期にあたる。古墳の副葬品として鉄製の農耕具が発見されていることから、鉄器の利用や農耕が行われていたと推測されている。また中国と交易が行われていた。
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4世紀(よんせいき)は、西暦301年から西暦400年までの100年間を指す世紀。
{{出典の明記|date=2023年3月}} {{centurybox}} [[ファイル:Rome-Capitole-StatueConstantin.jpg|right|thumb|225px|皇帝[[コンスタンティヌス1世]]。[[ミラノ勅令]]によりキリスト教を公式に認め新首都[[コンスタンティノポリス]]を造営した。画像はローマの[[カピトリーノ美術館]]にある皇帝の巨像(コロッスス)。]] [[ファイル:Prêtre de Sérapis, Musée de Cluny.jpg|right|thumb|225px|背教者・皇帝[[ユリアヌス]]。ローマ帝国のキリスト教化が進む中で古来の神々の復興を意図するも早すぎる死によりその計画は挫折した。画像はパリの{{仮リンク|クリュニー中世美術館|fr|Musée national du Moyen Âge}}にある皇帝の像。]] [[ファイル:Disco o Missorium Teodosio MPLdC.jpg|right|thumb|250px|最後の統一ローマ皇帝[[テオドシウス1世]]。この皇帝の遺詔によりローマ帝国は東西に分裂した。画像は「テオドシウスの銀皿(Missorium Theodosii)」(スペインの[[メリダ (スペイン)|メリダ]]国立ローマ博物館蔵)のレプリカ。]] [[ファイル:Antonius Kloster BW 7.jpg|right|thumb|200px|キリスト教修道制の始まり。[[エジプト]]の[[大アントニオス]]らの砂漠の師父により[[隠者|修道生活]]の基礎が築かれた。画像は大アントニオスを追慕して356年に建てられたエジプトのスエズ県にある[[コプト教会]]の「聖アントニオス修道院」。]] [[ファイル:Stela aksum.jpg|thumb|right|200px|[[アクスム王国]]の勃興。[[クシュ王国]]を滅ぼし現在の[[エチオピア]]の地に成立したのがアクスム王国で、最も古くからキリスト教を受容していたことでも知られている。画像はキリスト教に改宗したエザナ王による[[オベリスク]](石柱)で24mの高さがある。]] [[File:Cirta mosaic.jpg|thumb|right|200px|北アフリカの都市キルタ。現在の[[アルジェリア]]北部の都市で帝位争奪戦から荒廃したが、4世紀初頭に再建され皇帝コンスタンティヌス1世の名に因んで[[コンスタンティーヌ]]となって現在に至る。画像はキルタ遺跡のモザイクで海神ネプトゥルヌスとアンフィトリテの多神教のモチーフが用いられている。]] [[ファイル:Alaric entering Athens.jpg|thumb|right|200px|[[民族移動時代|ゲルマン民族の大移動]]。ローマ帝国との国境を越えたゲルマン諸族は各地で混乱や衝突を起こした。画像は1920年代に描かれた[[西ゴート族]]の王[[アラリック1世]]の[[アテナイ]]入城(395年)の挿絵。]] [[ファイル:Isonokami.jpg|right|thumb|295px|[[七支刀]]が所蔵されている[[石上神宮]]。ここの七支刀が『日本書紀』神功記に記載のある百済から奉献されたものだと推定されている。この事実は刃に書かれた[[銘文]]を介して知ることができる。(泰[和] 四年 十一月十六日 丙午 正陽 造百鍊鐵七支刀 [出]辟百兵 宜 供供侯王□□□□作) 。]] [[File:布留遺跡出土 埴輪・土器.JPG|thumb|295px|[[朝顔形埴輪]]。[[円筒埴輪]]の一種で、基台の上に朝顔のような器がついた形状からその名がある。3世紀の古墳には見られないが4世紀には数多く出現する。画像は[[布留遺跡]]出土の朝顔形埴輪と[[円筒埴輪]]・[[土師器]]([[天理大学附属天理参考館]]蔵)。]] [[ファイル:Histoire de femme Gu Kai Zhi.jpg|right|thumb|295px|画聖[[顧愷之]]。顧愷之は東晋の画家で、画絶・才絶・癡絶の三絶を備えると云われていた人物。画像は代表作「女史箴図」([[大英博物館]]蔵)。]] [[ファイル:Wang Xizhi by Qian Xuan.jpg|thumb|right|200px|書聖[[王羲之]]。王羲之は東晋の書家で「[[蘭亭序]]」他の作で知られ、歴代皇帝にも愛好された。画像は宋末元初の文人画家[[銭選]]が王羲之を画題として描いた「蘭亭観鵝図」([[台湾]]・[[国立故宮博物院]]蔵)。]] [[File:Saturnism.jpg|thumb|right|200px|中国最古の仏像。紀元前後に到来した仏教がこの時代に中国の民間にも定着した。画像は[[五胡十六国]]の一つ[[後趙]]の年号「建武四年([[338年]])」の記年銘のある金銅仏坐像{{仮リンク|サンフランシスコ・アジア美術館|en|Asian Art Museum (San Francisco)}}蔵)。]] [[ファイル:ChandraguptaIIOnHorse.jpg|thumb|right|240px|[[チャンドラグプタ2世]]の金貨。チャンドラグプタ2世はインド・グプタ朝の領土を最大に広げ、繁栄をもたらした。]] [[ファイル:Raja Ravi Varma - Mahabharata - Shakuntala.jpg|thumb|right|200px|『[[シャクンタラー (戯曲)|シャクンタラー]]』。指輪をめぐるシャクンタラー姫の数奇な運命の物語でチャンドラグプタ2世王時代の宮廷詩人[[カーリダーサ]]によりまとめられたとされる。画像はラヴィ・ヴァルマによる物語絵。]] [[File:Princess Hemamali & Prince Dantha.JPG|thumb|right|200px|仏歯招来。歴史書『ダータワンサ』によると[[カリンガ]]国の王女へーママーラとその夫ダンタによって仏歯がこの時代の[[スリランカ]]に秘密に持ち運ばれたと伝える。画像は[[コロンボ]]近郊にあるケラニ・ラジャ・マハ・ヴィハーラ寺院にある仏歯招来の場面の壁画。]] '''4世紀'''(よんせいき)は、[[西暦]][[301年]]から西暦[[400年]]までの100年間を指す[[世紀]]。 == できごと == * 日本では[[古墳時代]]にあたる。 ---- * 4世紀初め ** [[福岡県]][[沖ノ島]]で盛んに[[祭祀]]が行われる([[平安時代]]初期頃まで続いた)。 ** イタリアのシチリア島[[ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ]]遺跡の[[モザイク]]壁画が作られる。 === 300年代 === {{main|300年代}} * [[301年]] ** [[9月3日]]に[[サンマリノ]]が独立。 ** {{仮リンク|アルメニア王ティリダテス3世|en|Tiridates III of Armenia}}により[[アルメニア]]が世界初のキリスト教国となる。 * 303年 - [[ディオクレティアヌス]]による最後のキリスト教徒大迫害。 * 304年 - [[匈奴]]の[[劉淵]]が大単于を自称。華北は[[五胡十六国時代]]の戦乱に入る。 * 305年 - ディオクレティアヌスが退位し、テトラルキア体制が動揺する。 ** ディオクレティアヌスは[[サロナ]]近郊の[[スプリト]]の[[ディオクレティアヌス宮殿|宮殿]]に引退する。 ** この時期までにローマの[[ディオクレティアヌス浴場]]が完成する。 * 305年頃 - {{仮リンク|リュコポリスのメリティオス|en|Melitius of Lycopolis}}が[[アレクサンドリア]]教会から分派する(メリティオス派)。 * 306年 ** {{仮リンク|テトラルキア内戦|en|civil wars of the Tetrarchy}} *** [[コンスタンティヌス1世]]が[[ガリア]]で[[ローマ皇帝]]を称す。 * 309年 - ローマ皇帝コンスタンティヌス1世により[[ソリドゥス金貨]](ノミスマ)が発行される。 === 310年代 === {{main|310年代}} * 310年 - [[クチャ]]出身の[[仏図澄]]が[[洛陽]]に来て[[仏教]]を布教。 * 310年頃 - [[スリランカ]]の{{仮リンク|スリー・メーガワンナ|en|Sirimeghavanna of Anuradhapura}}王の治世第9年にインドの[[カリンガ国]]より仏歯が招来される。 * 311年 - [[西晋]]で[[永嘉の乱]]。華北への異民族侵入が激化し、匈奴の[[劉聡]]らが洛陽を陥落させる。 * 312年 - [[ミルウィウス橋の戦い]]で、[[コンスタンティヌス1世]]が[[マクセンティウス]]に勝利し、帝国西方唯一の皇帝となる。 * 313年 ** ローマ皇帝コンスタンティヌス1世と[[リキニウス]]が[[ミラノ勅令]]で[[キリスト教]]を公認する。 ** 西晋の懐帝が平陽で処刑され、甥の[[愍帝]]が長安に政権を立てる。 ** [[高句麗]]の[[美川王]]が[[楽浪郡]]を滅ぼし、[[楽浪郡]]と[[帯方郡]]を併合する。 * 314年 - [[アルル]]教会会議で[[ドナトゥス派]]が排撃される。 * 315年 - [[フォロ・ロマーノ]]の[[コンスタンティヌスの凱旋門]]が建設される。 * 316年 - 長安が陥落し、愍帝が捕縛され、西晋が滅亡。 * 317年 - 琅邪王[[元帝 (東晋)|司馬睿]](元帝)が[[建康 (都城)|建康]]を都として[[東晋]]を建国(- [[420年]])。 * 319年 - 前趙から自立した[[羯]]族の[[石勒]]が[[後趙]]を建国。 === 320年代 === {{main|320年代}} * 320年 - [[インド]]で[[チャンドラグプタ1世]]が[[グプタ朝]]を建国。 * 322年 - 東晋で[[王敦の乱]]( - [[324年]])。 * 324年 ** {{仮リンク|クリュソポリスの戦い|en|Battle of Chrysopolis}}で、西方正帝コンスタンティヌス1世が東方正帝リキニウスに勝利する。 *** リキニウスは処刑され[[テトラルキア]]は完全に崩壊。コンスタンティヌス1世によるローマ帝国の統一。 ** ローマ教皇[[シルウェステル1世 (ローマ教皇)|シルウェステル1世]]により[[ローマ]]の[[サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂]]の献堂式が行われる。 * 325年 - [[第1回ニカイア公会議]]([[5月20日]] - [[6月19日]])。 ** 最初の全地公会議。[[アレイオス派]]を排斥し、[[ニカイア信条]]を採択、[[復活祭]]の日付を制定。 * 326年 - 皇帝コンスタンティヌス1世の母[[聖ヘレナ|ヘレナ]]がキリストの[[聖遺物]]を発見しエルサレムに[[聖墳墓教会]]が建立される。 * 327年 - 東晋で[[蘇峻の乱]]( - [[329年]])。 === 330年代 === {{main|330年代}} * 330年 ** 皇帝コンスタンティヌス1世が[[ビュザンティオン]]を[[コンスタンティノポリス]]に改名しローマから都を遷す。 ** [[前趙]]を滅ぼし華北の大半を併せた[[後趙]]の[[石勒]]が皇帝となる(高祖明帝)。 * 332年 - ローマ帝国で[[コロナートゥス|コロヌス]]の土地緊縛令。 * 337年 - [[ニコメディア]]でローマ皇帝コンスタンティヌス1世が死去。コンスタンティヌス1世の息子たちでローマ帝国が三分割される ** 長男[[コンスタンティヌス2世]]が帝国西方を、次男[[コンスタンティウス2世]]が帝国東方を、三男[[コンスタンス1世]]が帝国中央を相続。 * 338年 - 「建武四年」の銘がある金銅仏坐像(伝[[河北省]][[石家荘]]出土、{{仮リンク|サンフランシスコ・アジア美術館|en|Asian Art Museum (San Francisco)}}蔵)が作られる。 **「建武」は後趙石虎の年号で、この像は現時点で紀年銘のある最古の中国の仏像である。 * 339年 - サーサーン朝のシャープール2世のキリスト教徒迫害が始まる。 === 340年代 === {{main|340年代}} * 340年頃 ** 「{{仮リンク|皇女コンスタンティナの石棺|en|Sarcophagi of Helena and Constantina}}」([[ヴァティカン美術館]]蔵)が作られる。 ** [[ウルフィラ]]が[[ドナウ川]]北方で[[ゴート人]]にキリスト教[[アリウス派]]を布教し、聖書の[[ゴート語]]訳を行う。 * 346年 - 朝鮮半島で[[ツングース語族]]とも[[扶余語族]]とも仮説を挙げられている満州の[[夫余]]の一派が南下して[[馬韓]]を統一し、[[百済]]を建国する。 * 347年 - 東晋の[[桓温]]が[[成漢]]を滅ぼし四川を併合。 === 350年代 === {{main|350年代}} * 350年 ** [[アクスム王国]](現[[エチオピア]])がキリスト教を国教とする。 ** [[冉閔]]が後趙の石氏ら胡族を虐殺し、漢民族優位の冉魏を建国(冉閔の乱)。 * 350年頃 ** アクスム王国が[[クシュ王国]]を滅ぼす。 ** [[バクトリア]]地方に{{仮リンク|キダーラ朝|en|Kidarites}}が成立する * 353年 ** コンスタンティウス2世がローマを再統一する。 ** 東晋の書家[[王羲之]]が[[曲水の宴]]を蘭亭で催し『[[蘭亭序]]』を書く。 * 356年 - [[新羅]]で[[訖解尼師今]]が死去し昔氏王統が断絶、[[奈勿尼師今]]が即位し金氏王統が始まる。 ** 新羅は始皇帝の労役から逃亡してきた秦人を起源とする[[辰韓]]諸国の一つでこの時期までに朝鮮半島南東部を統一したとされる。 * 357年 - 前燕が中原に進出する。これにより高句麗が再起する。 * 358年 - 属州[[ビテュニア]]の首府[[ニコメディア]]で大地震。 * 359年 - 「{{仮リンク|ユニウス・バッススの石棺|en|Sarcophagus of Junius Bassus}}([[サン・ピエトロ大聖堂]]宝物館蔵)」が作られる。 === 360年代 === {{main|360年代}} * 360年 ** コンスタンティウス2世が[[コンスタンティノープル|コンスタンティノポリス]]に[[アヤソフィア|聖ソフィア大聖堂]]を建立。 ** [[フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス|ユリアヌス]]が[[ルテティア]]にてローマ皇帝に即位。ルテティアは[[ガリア]]系[[パリシイ族]]の名にちなみパリに改名される。 * 361年 ** ユリアヌスがコンスタンティウス2世の死去に伴い首都に入城。「[[異教]]」復活政策を開始(背教者ユリアヌス)。 * 363年 ** {{仮リンク|ユリアヌスのペルシア遠征|en|Julian's Persian expedition}}。 *** ユリアヌスは[[ユーフラテス川]]を渡りサーサーン朝の都クテシフォンに迫る。 *** クテシフォン撤退ののち{{仮リンク|サマラの戦い|en|Battle of Samarra (363)}}でユリアヌス戦死。 *** 後継の皇帝[[ヨウィアヌス]]はニシビスとシンガラをペルシアの[[シャープール2世]]に割譲し退却。 *** ニシビスのキリスト教徒([[シリアのエフレム]]ほか)とその学院は[[シャンルウルファ|エデッサ]]に逃れる。 ** {{仮リンク|ラオディキア教会会議|en|Council of Laodicea}}。 ** {{仮リンク|ガリラヤ地震 (363年)|en|Galilee earthquake of 363}}で[[ナバテア]]地方の[[ペトラ]]が甚大な被害。 ** 東晋で[[桓温]]による「庚戌土断」が行われる。 * 364年 ** ローマ皇帝ヨウィアヌス死去、後継の皇帝[[ウァレンティニアヌス1世]]が即位。 * 365年 ** 皇帝ユリアヌスの従兄弟[[プロコピウス]]の反乱。 ** [[クレタ島]]沖を震源地とする[[クレタ地震 (365年)|大地震]]が発生。 *** この地震と津波によりギリシア・シチリア島・エジプト・イベリア半島・リビア([[キュレネ]]・[[サブラタ]])が壊滅的な被害。 * 366年 - 前秦支配下の[[敦煌]]鳴沙山の断崖に僧楽僔が石窟を掘る(敦煌莫高窟の始まり)。 * 367年 - アレクサンドリア司教アタナシオスが『新約聖書』を現行27文書に限定することを通達(復活祭書簡)。 ** 『新約聖書』から除かれた文書が[[外典]]とされ、この時期に『[[ナグ・ハマディ文書]]』も隠匿されたか。 * 369年 ** 倭国が朝鮮半島南部に[[任那]]を建国、倭国の北限とする。 ** [[石上神宮]]に所蔵されている[[七支刀]]は銘文によるとこの年に作られたか。 ** 第287回[[古代オリンピック|オリンピック]]。記録に残る最後のオリンピック。 === 370年代 === {{main|370年代}} * 370年 - [[前秦]]が前燕を滅ぼし華北を統一。 * 371年 - [[百済]]の[[近肖古王]]が[[平壌直轄市|平壌]]へ攻め込み[[高句麗]]の[[故国原王]]を戦死させる。 * 372年 - 前秦の苻堅から高句麗の[[小獣林王]]のもとに仏教が伝えられる。 * 373年 - シリアのキリスト教修道士エフレム死去。 * 375年 - [[フン族]]が[[黒海]]北岸にいた[[東ゴート族]]を圧迫し服属させる。[[ゲルマン人|ゲルマン民族]][[民族移動時代|大移動]]の発端。 * 376年 ** インドのグプタ朝で[[チャンドラグプタ2世]]が即位する。 ** 後の[[西ゴート族|西ゴート人]]の前身となる[[ゴート族|ゴート系]]難民集団が[[ドナウ川]]を突破しローマ帝国領内に侵入を開始。 * 378年 ** コンスタンティノポリスの[[ヴァレンス水道橋]]が完成する。 ** ローマ皇帝[[ウァレンス]]が[[ハドリアノポリスの戦い]]で西ゴート人に敗れ戦死。 ** [[テオティワカン]]の将軍[[シヤフ・カック]]が[[ティカル]]を征服し、テオティワカン王族の[[ヤシュ・ヌーン・アイーン1世]]が即位。 === 380年代 === {{main|380年代}} * 380年 - ({{仮リンク|テッサロニキ勅令|en|Edict of Thessalonica}})。 * 380年頃 - 「{{仮リンク|エスクイリーノの財宝|en|Esquiline Treasure}}([[大英博物館]]蔵)」が埋蔵される。 * 381年 - [[第1コンスタンティノポリス公会議]]。 ** [[アポリナリオス主義]]を排斥し、[[三位一体論]]の定義や[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]を採択。 * 382年 ** ローマ皇帝[[グラティアヌス]]が[[異教]]と異教神官の特権を剥奪し、元老院議場から勝利女神[[ウィクトリア]]の祭壇の撤去を命じる。 *** 同時にグラティアヌスは「[[最高神祇官]](ポンティフェクス・マクシムス)」の称号を拒否し、この称号は教皇に譲渡される。 ** ローマ教皇[[ダマスス1世]]に命じられ[[ヒエロニムス]]が聖書の[[ラテン語]]訳に着手する([[ヴルガータ]]、完成は405年頃)。 * 383年 - [[淝水の戦い]]で、東晋が前秦に勝利する。前秦の[[苻堅]]は求心力を失い、以後華北は分裂する。 * 384年 ** [[慕容垂]]が自立し[[後燕]]を建国。 ** 東晋の[[慧遠 (東晋)|慧遠]]が[[廬山]]に入り東林寺を創建。 ** 東晋から百済に仏教が伝来する。 ** [[アルメニア王国]]が東西に分割され、それぞれサーサーン朝とローマ帝国の支配下に置かれる。 * 385年 ** エジプトの[[アレクサンドリア]]市のセラピウム([[セラピス]]神殿)が破壊される。 ** [[後秦]]の[[姚萇]]が苻堅を殺害する。 * 386年 - [[鮮卑]]の拓跋珪([[道武帝]])が自立し、[[ホリンゴル県|盛楽]]を都とする[[北魏]]を建国。 === 390年代 === {{main|390年代}} * 390年 ** [[慧遠 (東晋)|慧遠]]が[[廬山]]にて[[白蓮社]]を結成する。 ** [[テッサロニカの虐殺|テッサロニキの虐殺]]で、ミラノ司教[[アンブロシウス]]が皇帝テオドシウス1世を破門する。 ** 「テオドシウスのオベリスク」がコンスタンティノポリスの[[コンスタンティノープル競馬場|競馬場]](ヒッポドローム)に建立される。 *** これは[[エジプト第18王朝]]の王[[トトメス3世]]が[[ルクソール]]の[[カルナック神殿]]に建てたものを移送したものである。 * 391年 - [[倭]]軍が渡海して百済・新羅を破り、臣民とする(高句麗[[好太王碑|広開土王碑]])。 * 392年 - ローマ皇帝[[テオドシウス1世]]がキリスト教を[[国教]]と定め、ローマ帝国内での[[異教]]を禁止する。 * 393年 - 第293回[[古代オリンピック|オリンピック]]。古代オリンピック最後の年といわれるが、記録には残っていない。 * 394年 ** [[フリギドゥスの戦い]]で、簒奪者[[エウゲニウス]]を倒した皇帝テオドシウス1世により東西ローマ帝国が再統合される。 ** [[フォロ・ロマーノ]]にあるローマ建国以来燃え続けてきた[[ウェスタ神殿]]の「{{仮リンク|ウェスタの聖なる火|en|Sacred fire of Vesta}}」が消される。 ** エジプトの[[フィラエ神殿|フィラエ島イシス神殿]]に現存する最後の[[ヒエログリフ]]が刻まれる。 * 395年 - テオドシウス1世が死去し、ローマ帝国が東西に分割相続される。 ** 東ローマ帝国をアルカディウス帝が、西ローマ帝国をホノリウス帝が継承。 ** 東ローマ皇帝の後見者{{仮リンク|ルフィヌス|en|Rufinus (consul)}}が、西ローマ皇帝の後見者[[スティリコ]]と対立し殺害される。 * 396年 - 高句麗の談徳(広開土境好太王)が百済を攻め、その北部を領土とし、城下の誓いをさせる(広開土王碑)。 * 397年 ** [[河西回廊]]の[[後涼]]から[[南涼]]・[[北涼]]が独立し、[[姑臧]]で郭黁の乱が起こる。 ** 第三[[カルタゴ]]教会会議で『新約聖書』の選定が確認される。 * 398年 - 北魏の道武帝が盛楽から[[平城]]に都を遷す。 * 399年 ** 中国の[[法顕]]が仏典を求めてインドに赴く。 ** 百済が3年前の誓いに背き、倭と連合して新羅に侵入したため、新羅は高句麗に援助を求める(広開土王碑)。 * 4世紀後半 ** 日本国内最大級の[[円墳]]である[[奈良市]]の[[富雄丸山古墳]]が作られる。 *** この古墳の埋葬施設から国内最大級の「盾形銅鏡」や「鉄製蛇行剣」が出土する。 * 4世紀 - 5世紀 ** [[タリム盆地]]の墓地で「{{仮リンク|営盤の美男|en|Yingpan man}}」が埋葬される。 *** この[[ミイラ]]の男性は[[コーカソイド]]人種で白い仮面を被り{{仮リンク|紅い死装束|zh|红地对人兽树纹罽袍}}を着けていた([[新疆ウイグル自治区博物館]]蔵)。 == 空白の4世紀 == 中国の歴史[[文献資料 (歴史学)|文献]]において[[266年]]から[[413年]]にかけての[[倭国]]に関する記述がなく、[[ヤマト王権]]の成立過程などが把握できないため、日本において「'''空白の4世紀'''」とも呼ばれている<ref>{{Cite web|和書|title=発見!「空白の4世紀」の古墳から何が? {{!}} NHK {{!}} WEB特集 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230302/k10013995971000.html |website=NHKニュース |date=2023-03-02 |access-date=2023-06-27 |last=日本放送協会}}</ref>。 == 文化 == {{節スタブ}} 日本では[[古墳時代]]前期にあたる。古墳の副葬品として鉄製の農耕具が発見されていることから、鉄器の利用や農耕が行われていたと推測されている。また中国と交易が行われていた。 == 人物 == === 地中海世界 === * [[コンスタンティヌス1世]]([[274年]]? - [[337年]]) - ローマ帝国皇帝(在位[[306年]] - [[337年]])・[[ミラノ勅令]]でキリスト教を公認する * [[フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス|ユリアヌス]]([[331年]]/[[332年]] - [[363年]]) - ローマ帝国皇帝(在位[[361年]] - [[363年]])・異教を擁護し「背教者」と呼ばれる * [[ウァレンティニアヌス1世]]([[321年]] - [[375年]])- ローマ帝国皇帝(在位[[364年]]- [[375年]])・帝国北方の防備体制を再構築する * [[ウァレンス]]([[328年]] - [[378年]]) - ローマ帝国皇帝(在位[[364年]] - [[378年]])・[[ハドリアノポリスの戦い]]でゴート族に敗死 * [[テオドシウス1世]]([[346年]] - [[395年]]) - ローマ帝国皇帝(在位[[379年]] - [[395年]])・その死後にローマ帝国は東西に分裂 * [[アルカディウス]]([[377年]] - [[408年]]) - 東ローマ帝国最初の皇帝(在位[[395年]] - [[408年]])・皇帝テオドシウス1世の長男 * [[ホノリウス]]([[384年]] - [[423年]]) - 西ローマ帝国最初の皇帝(在位[[395年]] - [[423年]])・皇帝テオドシウス1世の次男 * フリティゲルン(? - [[380年]]頃) - 西ゴート族の族長・[[ドナウ川]]を渡りハドリアノポリスの戦いでローマ皇帝ウァレンスを敗死させる * [[アンミアヌス・マルケリヌス]]([[325年]]/[[330年]] - [[391年]]以後) - ローマ帝国の軍人・歴史家として帝政後期をまとめた『歴史』を著す * {{仮リンク|エウトロピウス(コンスル)|en|Eutropius (consul)}}(? - [[399年]]) - ローマ帝国の政治家・ルフィヌスを殺害させ宮廷を支配・[[宦官]]として最初の[[コンスル]]に就任 * [[ラクタンティウス]]([[240年]]頃 - [[320年]]頃) - キリスト教[[神学者]]・『迫害者たちの死』『神の教程』の著作がある * [[イアンブリコス]]([[245年]] - [[325年]]) - 後期ネオプラトニズム([[新プラトン主義]])の代表とされる哲学者・[[ピタゴラス主義]]にも傾倒 * [[アレイオス]]([[250年]] - [[336年]]) - キリスト教[[神学者]]で[[アレクサンドリア]]の司祭・[[アリウス派]]の祖 * [[大アントニオス]]([[251年]]頃 - [[356年]])- [[エジプト]]の隠修士で東方修道制の父・弟子に[[エジプトのマカリオス|マカリオス]]らがいる * {{仮リンク|コルドバのホシウス|en|Hosius of Corduba}}([[257年]]頃 - [[359年]])- キリスト神学者・ニカイア公会議の進行役となり[[ニカイア信条]]をまとめる * {{仮リンク|啓蒙者グレゴリオス|en|Gregory the Illuminator}}([[257年]]頃 - [[331年]]頃)- キリスト教宣教者・[[アルメニア]]をキリスト教化する * [[カイサリア・マリティマ|カイサリア]]の[[エウセビオス]]([[263年]]頃 - [[339年]])- キリスト教神学者で[[歴史家]]・『教会史』などの著作がある * {{仮リンク|ニコメディアのエウセビオス|en|Eusebius of Nicomedia}}(? - [[341年]])- [[コンスタンティノープル]][[主教]]で皇帝コンスタンティヌス1世の側近 * [[ミラのニコラオス]]([[270年]]頃 - [[345年]]/[[352年]]) - キリスト教神学者・リュキアのミラ大主教・[[サンタクロース]]の原型となる * [[パップス]]([[290年]]頃 - [[350年]]頃) - アレクサンドリア出身の数学者・「[[パップス・ギュルダンの定理]]」や「[[パップスの中線定理]]」を発見 * {{仮リンク|パコミオス|en|Pachomius the Great}}([[290年]]頃 - [[346年]]) - エジプトの修道士・独居から発展した共住修道制の祖・ナイル川沿いのタベンニシに修道院を建立 * [[聖ニノ|グルジアのニノ]]([[296年]] - [[338年]]/[[340年]]) - キリスト教宣教者・[[グルジア]]をキリスト教化する・[[葡萄十字]]でも有名 * [[アレクサンドリアのアタナシオス|アタナシオス]] ([[298年]] - [[373年]]) - キリスト教神学者で[[アレクサンドリア]]主教・[[三位一体論]]を確立 * [[シリアのエフレム]]([[306年]]頃 - [[373年]]) - キリスト教神学者・反アリウス派の立場からシリアで活躍・聖歌(祈祷文)作家でもある * [[アウソニウス]]([[310年]] - [[393年]]頃) - ガリア出身の著述家・詩人として『モゼラ』を執筆・皇帝[[グラティアヌス]]の宮廷に伺候し顕職を歴任 * [[ウルフィラ]]([[311年]] - [[382年]]) - キリスト教神学者(アリウス派)・聖書をゴート語に訳しゲルマン人に宣教 * [[エルサレムのキュリロス]]([[313年]]頃 - [[386年]]) - キリスト教神学者・エルサレム司教・[[第1コンスタンティノポリス公会議|第二全地公会議]]に出席し異端を論駁 * {{仮リンク|サラミスのエピファニオス|en|Epiphanius of Salamis}}([[315年]] - [[403年]]) - キリスト教神学者・著書『パナリオン(薬籠)』で異端諸派を論駁する * [[ポワティエのヒラリウス]]([[315年]]頃 - [[368年]]頃) - キリスト教神学者・「西方のアタナシオス」と呼ばれアリウス派を論駁・教会博士 * [[トゥールのマルティヌス]]([[316年]]頃 - [[397年]]/[[400年]]) - [[ガリア]]([[フランス]])の修道士・西方修道制の祖 * {{仮リンク|アウレリウス・ウィクトル|en|Aurelius Victor}}([[320年]]頃 - [[390年]]頃) - 政治家・[[属州総督]]・歴史家としては『皇帝たちについて』を残す * [[エウトロピウス|エウトロピウス(歴史家)]]([[320年]]頃 ‐ 4世紀末) - 政治家・属州総督・歴史家としては『{{仮リンク|首都創建以来の略史|it|Breviarium ab Urbe condita}}』を残す * [[アエリウス・ドナトゥス]](生没年不詳) - 文法学者・ラテン教父[[ヒエロニムス]]の師・その著『大文法学』『小文法学』は後世の教科書となる * [[ナジアンゾスのグレゴリオス]]([[329年]] - [[389年]]) - キリスト教神学者・[[カッパドキア三教父]]の一人・[[三成聖者]]の一人 * [[カイサリアのバシレイオス]]([[330年]]頃 - [[379年]]) - キリスト教神学者・[[カッパドキア三教父]]の一人・[[三成聖者]]の一人 * [[ニュッサのグレゴリオス]]([[335年]]頃 - [[394年]]以降) - キリスト教神学者・[[カッパドキア三教父]]の一人 * [[アレクサンドリアのテオン]]([[335年]]頃 - [[405年]]頃) - 天文学者・数学者・哲学者・[[アレクサンドリア図書館]]の最後の所長・[[ヒュパティア]]の父 * {{仮リンク|シュンマクス|en|Quintus Aurelius Symmachus}}([[340年]] - [[402年]]) - ローマ[[元老院 (ローマ)|元老院]]議員・勝利女神の祭壇設置問題でアンブロシウスと対立し[[異教]]を擁護 * [[アンブロジウス|アンブロシウス]]([[340年]]? - [[397年]]) - キリスト教神学者・[[ミラノ]]の司教・四大[[ラテン教父]]の一人・シュンマクスとは論敵 * [[エヴァグリオス・ポンティコス]]([[345年]] - [[399年]]/[[400年]]) - エジプトの修道士・代表作は『スケンマタ』・没後に[[オリゲネス]]的傾向を批判される * プルデンティウス([[348年]] - [[410年]]頃) - キリスト教ラテン語詩人・代表作に『日々の賛歌』『霊魂をめぐる戦い』がある * エゲリア(4世紀後半) - [[ヒスパニア]]出身の修道女・著述家・[[エルサレム]]など東方各地を回り教会や修道院の様子を記録した『巡礼記』を残す * [[ウェゲティウス]](4世紀後半) - 軍事学者・ローマ帝国の軍団([[軍団兵|レギオン]])の組織や編成・戦略や戦術をまとめた『[[軍事論]]』を執筆 * [[ニニアン]]([[360年]]頃 - [[432年]]頃) - キリスト教宣教師・[[スコットランド]]南部に上陸し初めて[[ピクト人]]にキリスト教を伝える * [[クラウディアヌス]]([[370年]]頃 - [[404年]]頃) - 最末期のラテン詩人・皇帝ホノリウスや将軍スティリコの称賛詩を残す === アフリカ === * エザナ(? - [[356年]]) - エチオピアの[[アクスム王国]]国王(在位[[303年]] - [[356年]])・キリスト教を受容・「エザナ王の碑文」も有名 * [[エチオピアのフルメンティ]](? - [[383年]]) - キリスト教宣教者・[[アレクサンドリアのアタナシオス|アタナシオス]]の弟子・アクスム王国のキリスト教化を進める === ペルシア === * [[シャープール2世]]([[309年]] - [[379年]]) - サーサーン朝の第9代君主(在位[[309年]] - [[379年]])・ローマ皇帝ユリアヌスを戦死させる === インド === * [[チャンドラグプタ1世]](生没年不詳) - インド・グプタ朝の建国者(在位[[320年]]頃 - [[335年]]頃)・[[パータリプトラ]]を都とする * [[サムドラグプタ]](生没年不詳) - インド・グプタ朝第2代の王(在位[[335年]]頃 - [[376年]]頃)・南インドにまで勢力を拡大 * [[チャンドラグプタ2世]](生没年不詳) - インド・グプタ朝第3代の王(在位[[376年]] - [[415年]])・グプタ朝の最盛期 * {{仮リンク|シュードラカ|en|Śūdraka}}(生没年不詳) - インド・グプタ朝時代の劇作家・戯曲『[[ムリッチャカティカー]](土の小車)』の作者 * [[カーリダーサ]](生没年不詳) - インド・グプタ朝の詩人・劇作家・抒情詩『[[メーガ・ドゥータ]]』や戯曲『[[シャクンタラー (戯曲)|シャクンタラー]]』の作者 * ヴァーツヤーヤナ(生没年不詳) - インド・グプタ朝のニヤーヤ派の学者・宮廷詩人でもあり『[[カーマ・スートラ]]』を編纂したか * [[アサンガ]](無著)([[310年]]頃 - [[390年]]頃) - インドの[[大乗仏教]]の僧侶・[[唯識派]]の祖で『[[摂大乗論]]』を執筆・ヴァスバンドゥは実弟 * [[ヴァスバンドゥ]](世親)([[310年]]頃 - [[390年]]頃) - インドの大乗仏教の僧侶・唯識派の祖で『[[唯識二十論]]』を執筆・アサンガは実兄 * スリー・メーガワンナ(? - [[328年]]) - スリランカの王(在位[[301年]] - [[328年]])・インドのカリンガから招来された仏歯をもとに[[ダラダー・マーリガーワ寺院|仏歯寺]]を建立 === 東アジア === ==== 五胡十六国から北魏 ==== * [[仏図澄]]([[232年]] - [[348年]]) - 五胡十六国時代の[[西域]]からの渡来僧・[[後趙]]の[[石勒]]・[[石虎]]に軍師として用いられる * [[劉淵]]([[251年]]? - [[310年]]) - 五胡十六国時代の前趙の初代皇帝(高祖)(在位[[304年]] - [[310年]])・西晋から自立し[[堯都区|平陽]]に都を置く * [[劉聡]](? - [[318年]]) - 五胡十六国時代の前趙の第3代皇帝(昭武帝)(在位[[310年]] - [[318年]])・[[永嘉の乱]]に勝利し洛陽を占領 * [[石勒]]([[274年]] - [[333年]])- 五胡十六国時代の後趙の初代皇帝(高祖)(在位[[319年]] - [[333年]])・[[張賓]]の補佐により官制を整備し仏教を保護した * [[石虎]]([[295年]] - [[349年]])- 五胡十六国時代の後趙の第3代皇帝(武帝)(在位[[333年]] - [[349年]])・暴君として名高い・都を[[鄴]]に遷す * [[釈道安]]([[314年]] - [[385年]]) - 五胡十六国時代の僧・[[仏図澄]]の弟子・[[格義仏教]]に反対し戒律を含む僧制を整備し中国仏教の基礎を築く * [[王猛]]([[325年]] - [[375年]]) - 五胡十六国時代の前秦の宰相・苻堅に仕え華北統一に貢献したが東晋との全面戦争には反対した * [[苻堅]]([[338年]] - [[385年]]) - 五胡十六国時代の前秦の第3代皇帝(世祖)(在位[[357年]] - [[385年]])・華北を統一するが[[淝水の戦い]]で敗北 * [[道武帝|拓跋珪]]([[371年]] - [[409年]]) - [[北朝 (中国)|北朝]]北魏の初代皇帝(道武帝)(在位[[398年]] - [[409年]])・[[柔然]]や[[高車]]を征服して華北を平定 ==== 西晋・東晋 ==== * [[司馬越]](? - [[311年]]) - 西晋の皇族(東海王)・[[八王の乱]]を終結させ[[懐帝]]を擁し実権を握る・その死とともに永嘉の乱が始まる * [[郭象]]([[252年]] - [[312年]]) - 西晋の官僚・思想家・[[清談]]に優れ[[何晏]]や[[王弼 (三国)|王弼]]の[[玄学]]に続き『[[荘子]]』に注をつける * [[王衍 (西晋)|王衍]]([[256年]] - [[311年]]) - 西晋の政治家・八王の乱後の西晋を[[司馬越|東海王越]]とともに支えるが[[石勒]]に捕縛され殺害される * [[陶侃]]([[259年]] - [[334年]]) - 西晋から東晋の将軍・[[杜弢]]の乱や[[蘇峻]]の乱の鎮圧に功をなし東晋の安定に尽くす・陶淵明の曽祖父 * [[王敦]]([[266年]] - [[324年]]) - 西晋から東晋の政治家・従弟の王導と共に東晋の建国に協力・後に王敦の乱を起こす * [[元帝 (東晋)|司馬睿]]([[276年]] - [[322年]]) - 東晋の初代皇帝(元帝)(在位[[318年]] - [[322年]])・長安陥落に伴い[[建康 (都城)|建康]]を都として晋を再興 * [[王導]]([[276年]] - [[339年]]) - 西晋から東晋の政治家・東晋の建国に協力し[[琅邪王氏]]の基礎を築く * [[蘇峻]](? - [[329年]]) - 西晋から東晋の軍人・王敦の乱の鎮圧に功があったが不満を持ち蘇峻の乱を起こす * [[郭璞]]([[276年]] - [[324年]]) - 西晋から東晋の文学者・卜者・王導に重用され『爾雅』『方言』『山海経』に注をつける * [[葛洪]]([[283年]] - [[343年]]) - 西晋から東晋の道教思想家・著作に『[[神仙伝]]』『[[抱朴子]]』がある * [[干宝]](? - [[336年]]) - 東晋の史官・元帝に『晋紀』を上奏した・志怪小説集『[[捜神記]]』の著者でもある * [[王羲之]]([[303年]] - [[361年]]) - 東晋の政治家・書家で「書聖」とも呼ばれる・代表作に「[[蘭亭序]]」がある * [[桓温]]([[312年]] - [[373年]]) - 東晋の政治家・軍人・土断法の実施や軍事的成功により政権を掌握し禅譲を望むが失敗 * [[支遁]]([[314年]] - [[366年]]) - 東晋の僧侶・[[老荘思想]]の概念で仏教を解釈する[[格義仏教]]の中心人物・著作に『文翰集』がある * [[謝安]]([[320年]] - [[385年]]) - 東晋の宰相・桓温の簒奪の阻止し[[淝水の戦い]]を勝利に導く * [[黄初平]]([[328年]]? - [[386年]]?) - 東晋の道士・[[金華山]]で活躍し後年は「[[黄大仙]]」として祀られる・「叱石成羊」の故事で有名 * [[王献之]]([[344年]] - [[386年]]) - 東晋の書家・父の王羲之と並び「二王」と称される・代表作に「中秋帖」「地黄湯帖」がある * [[顧愷之]]([[344年]]? - [[405年]]?) - 東晋の画家で「画聖」とも呼ばれる・代表作に「女史箴図」「洛神賦図」がある * [[孫恩 (東晋)|孫恩]](? - [[402年]]) - 東晋の宗教家(五斗米道)・江南の信徒を集め[[孫恩の乱|反乱]]を起こし[[建康 (都城)|建康]]に迫るが敗走し自殺 * [[司馬道子]]([[364年]] - [[402年]]) - 東晋の皇族・政治家・簡文帝の末子で孝武帝の末弟・政局を壟断するが[[桓玄]]の乱で殺害される == 伝説・架空のできごと == * 4世紀 - エジプトのナイル川流域には少なからぬキリスト教の修道士が隠棲し瞑想と修養の日々を送っていた。修道院長パフニュスはこれらの修道士の中でも高い霊性と卓越した指導力で多くの人々の支持を得ていた。ある日パフニュスは、瞑想の最中に若き頃、自分を虜にした舞姫タイスのことを思い出す。多くの若き男性を翻弄したタイスを改悛させるべく、頽廃と悪徳の巷である大都市[[アレクサンドリア]]にパフニュスは向かった([[アナトール・フランス]]『舞姫タイス』)。 * 303年前後 - 皇帝[[ディオクレティアヌス]]のキリスト教徒迫害により、ローマ帝国の軍人だった[[聖ゲオルギオス|ゲオルギオス]]は[[小アジア]]の[[カッパドキア]]に退避する。この地のセルビオス王は毒を吐く[[ドラゴン]]に悩まされており、王女をドラゴンの生贄に差し出すことになっていた。ゲオルギオスはドラゴンと果敢に戦い王女の救出に成功する(『[[黄金伝説]]』ほか「聖ゲオルギオス伝説」)。 * 314年 - 335年 - ローマ教皇[[シルウェステル1世 (ローマ教皇)|シルウェステル1世]]による洗礼を受けて、[[ハンセン氏病]]が癒えたローマ皇帝コンスタンティヌスは、その感謝の印として教皇に自分と等しい権力を与えて全西方世界を委ねることとし、自分は[[コンスタンティノポリス]]に隠退することを表明した(8世紀頃に作られたという[[偽書]]『[[コンスタンティヌスの寄進状]]』)。 * 325年以前 - 晋の時代に信安郡の石室山へ王質という[[樵]]が分け入ったところ、数人の童子が歌いながら[[碁]]を打っていた。王質は童子にもらった棗の種のようなものを口に入れてそれを見物していたが、童子に言われて気がつくと斧の柄(柯)がぼろぼろに爛れていた。山から里に帰ると、知っている人は誰一人いなくなっていた(初出は[[虞喜]]『志林』所収の「[[爛柯]]伝説」。他に[[任昉]]『[[述異記]]』が有名)。 * 376年 - 396年 - 東晋の[[太元]]年間に[[武陵]]の漁師が桃の花の林に踏み迷い、洞穴を抜けて不思議な村里へ出る。外の世界と隔絶したこの村の人たちは長年の戦乱も知らず平和に暮らしていた。元の世界に戻った漁師たちは再びこの村を訪れるべく探索を重ねるがついに尋ね当てることができなかった。この地はやがて「[[桃源郷]]」と呼ばれるようになった([[陶淵明]]の散文『桃花源記』)。 * 383年頃 - 南西[[イングランド]]にある[[ドゥムノニア|ドゥムノニア王国]]の王ドノート({{仮リンク|ディオノトゥス|en|Dionotus}})の王女[[聖ウルスラ|ウルスラ]]は[[アルモリカ]]([[ブルターニュ]])の{{仮リンク|コナン・メリアドク|en|Conan Meriadoc}}との婚姻を結ぶため、1万1千の処女の侍女たちと共に船出した。婚礼に先立ちローマを含めヨーロッパ全域の巡礼を果たそうと大望を抱くも、途上のコローニュ([[ケルン]])で暴戻なるフン族に取り囲まれ、その侍女1万1千人とともに、ウルスラは虐殺され殉教を遂げたのである(「聖ウルスラの殉教伝説」)。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} === 注釈 === {{Reflist|group="注"}} === 出典 === {{Reflist}} == 参考文献 == == 関連項目 == * [[年表]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} {{十年紀と各年| 世紀 = 4 | 年代 = 300 }} {{世紀}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:4せいき}} [[Category:4世紀|*]]
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1749年
1749年(1749 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
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1749年は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1749}} {{year-definition|1749}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[己巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[寛延]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2409年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[乾隆]]14年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]25年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4082年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]10年 * [[仏滅紀元]] : 2291年 - 2292年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1162年 - 1163年 * [[ユダヤ暦]] : 5509年 - 5510年 * [[ユリウス暦]] : 1748年12月21日 - 1749年12月20日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1749}} == できごと == * [[池大雅]]、[[金沢市|金沢]]の四序閤で『陸懊奇勝図巻』([[重要文化財]])を描く<ref>{{Cite web|和書|title=e国宝 - 陸奥奇勝図巻|url=https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=&content_base_id=100004&content_part_id=000&content_pict_id=000|website=emuseum.nich.go.jp|accessdate=2021-08-10}}</ref><ref>{{Cite book|和書|title=見る、読む、調べる 江戸時代年表|publisher=[[小学館]]|date=2007-10-06|editor=[[山本博文]]|edition=初版|isbn=978-4096266069|page=124}}</ref>。 * ([[旧暦5月]]の末頃)[[稲生正令|稲生平太郎]]、備後三次で怪奇現象に出会う<ref>{{Cite book|和書|title=稲生物怪録|date=2019-08-20|year=2019|publisher=[[株式会社KADOKAWA]]|page=189|author=柏正甫|isbn=9784044004972}}</ref>。後年、このできごとを基に『[[稲生物怪録]]』がまとめられた。 * 7月13日(寛延2年5月29日) - [[直方隕石]]が日本、現在の福岡県直方市に落下。伝承、および記録では、[[貞観 (日本)|貞観]]3年([[861年]])に落下したとしている。 * 8月14日(寛延2年7月2日)、[[広島藩|広島]]、[[岡山県|岡山]]、[[兵庫津|兵庫]]、[[京都]]から[[江戸]]にかけて大風雨が襲い、大規模な[[洪水]]が発生<ref>{{Cite book|和書|title=明日の[[防災]]に活かす[[災害]]の歴史〈3〉[[安土桃山時代]]~[[江戸時代]]|date=2020年4月7日|publisher=[[小峰書店]]|isbn=978-4-338-33703-8|author=[[伊藤和明]]|page=22}}</ref>。死者約3,000人。兵庫での被害が特に大きく、[[姫路城]]下では大洪水となって約1,000人が死亡した<ref>小倉一徳編、[[力武常次]]、竹田厚監修「日本の自然災害>第Ⅱ章 記録に見る自然災害の歷史>2 近世の災害>江戸時代の主要災害一覧 94頁~95頁:山陽・畿内大風雨」、池田正一郎著「日本災変通志>近世 江戸時代前期>寛延二年 496頁」[https://www.bosaijoho.net/2021/09/05/2019%e5%b9%b4%e4%bb%a4%e5%92%8c%e5%85%83%e5%b9%b48%e6%9c%88%e3%81%ae%e5%91%a8%e5%b9%b4%e7%81%bd%e5%ae%b3/]</ref>。 == 誕生 == {{see also|Category:1749年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月23日]] - [[ピエール・シモン・ラプラス]]、[[数学者]](+ [[1827年]]) * [[4月11日]] - [[アデライド・ラビーユ=ギアール]]、[[画家]](+ [[1803年]]) * [[4月19日]]([[寛延]]2年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]])- [[大田南畝]](蜀山人)、[[文人]]・狂歌師(+ [[1823年]]) * [[5月17日]] - [[エドワード・ジェンナー]]、[[医学者]](+ [[1823年]]) * [[8月28日]] - [[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ]]、[[ドイツ]]の詩人(+ [[1832年]]) === 日付不詳 === * [[田沼意知]]{{要出典|date=2021-04}}、[[江戸幕府]]元[[若年寄]](+[[1784年]]) == 死去 == {{see also|Category:1749年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[5月20日]] - [[アーディル・シャー]]、[[アフシャール朝]]第2代[[シャー]](+[[生年不明]]) * [[12月15日]] - [[シャーフー|シャーフー・ボーンスレー]]、第5代[[マラーター王]](+[[1682年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|1749}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1749ねん}} [[Category:1749年|*]]
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4,822
1832年
1832年(1832 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる閏年。
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1832年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1832}} {{year-definition|1832}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[壬辰]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[天保]]3年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2492年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]12年 *** [[張丙]]{{Sup|*}} : [[天運 (張丙)|天運]]元年11月 -  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]32年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4165年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[明命]]13年  * [[仏滅紀元]] : 2374年 - 2375年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1247年7月27日 - 1248年8月8日 * [[ユダヤ暦]] : 5592年4月28日 - 5593年4月9日 * [[ユリウス暦]] : 1831年12月20日 - 1832年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -9817 - -9452 * [[リリウス日]](LD) : 91024 - 91389 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1832}} == できごと == * [[2月12日]] - [[エクアドル]]が[[ガラパゴス諸島]]の領有を宣言。 * [[2月14日]] - [[ロシア帝国]]が[[ポーランド立憲王国]]を併合。 * [[4月6日]] - [[アメリカ合衆国]]で、[[ブラック・ホーク戦争]]始まる。 * [[6月4日]] - [[イギリス議会]]で[[1832年改革法]]が可決成立(下層中産階級の戸主に選挙権拡大)。 * [[6月5日]] - [[パリ]]で[[六月暴動]]が起きる。 * [[6月6日]] - 六月暴動が鎮圧。 * [[7月9日]] - [[コンスタンティノープル条約 (1832年)|コンスタンティノープル条約]]調印により[[ギリシャ]]が[[オスマン帝国]]より正式に独立する。 * [[9月13日]]([[天保]]3年[[8月19日 (旧暦)|8月19日]]) - [[江戸]]で、盗賊の[[鼠小僧]]が処刑([[獄門]])される。 * [[12月8日]]-1833年1月8日 - イギリスで{{仮リンク|1832年イギリス総選挙|label=総選挙|en|United Kingdom general election, 1832}}。[[チャールズ・グレイ (第2代グレイ伯爵)|グレイ伯爵]]内閣の与党[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]の大勝。 * [[12月28日]] - アメリカ合衆国副大統領ジョン・カルフーンが上院議員に転出するため、史上初めて副大統領を辞任。 == 誕生 == {{see also|Category:1832年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月6日]] - [[ギュスターヴ・ドレ]]、[[画家]](+ [[1888年]]) * [[1月13日]] - [[ホレイショ・アルジャー]]、小説家(+ [[1899年]]) * [[1月19日]] - [[フェルディナント・ラウプ]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](+ [[1875年]]) * [[1月20日]] - [[ヘンリー・ヒュースケン|ヒュースケン]]、[[オランダ人]]の[[駐日アメリカ合衆国大使館|駐日アメリカ合衆国総領事館]]の[[通訳]](+ [[1860年]]) * [[1月23日]] - [[エドゥアール・マネ|マネ]]、[[フランス]]の画家(+ [[1883年]]) * [[1月25日]] - [[イヴァン・シーシキン]]、画家(+ [[1898年]]) * [[1月27日]] - [[ルイス・キャロル]]、[[イギリス]]の作家・数学者(+ [[1898年]]) * [[2月14日]] - [[ウィリアム・スティンプソン]]、[[動物学者]](+ [[1872年]]) * [[3月1日]] - [[フリードリヒ・グリュッツマッハー]]、[[チェリスト]](+ [[1903年]]) * [[3月19日]] - [[ヴァーンベーリ・アールミン]]、旅行家・[[東洋学]]者(+ [[1913年]]) * [[3月26日]] - [[ミシェル・ブレアル]]、[[言語学者]]・比較神話学者(+ [[1915年]]) * [[4月15日]] - [[ヴィルヘルム・ブッシュ]]、画家・[[詩人]](+ [[1908年]]) * [[4月16日]](天保3年[[3月16日 (旧暦)|3月16日]]) - [[古河市兵衛]]、[[実業家]]、[[古河財閥]]の創業者(+ [[1903年]]) * [[4月19日]] - [[ルクレティア・ガーフィールド]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](+ [[1918年]]) * [[4月23日]]([[天保]]3年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]) - [[大木喬任]]、政治家、[[明治六大教育家]]の一人(+ [[1899年]]) * [[6月3日]] - [[アレクサンドル・シャルル・ルコック]]、[[作曲家]](+ [[1918年]]) * [[6月10日]] - [[ニコラウス・オットー]]、[[発明家]](+ [[1891年]]) * [[6月17日]] - [[ウィリアム・クルックス]]、イギリスの[[化学者]]・[[物理学者]](+ [[1919年]]) * [[6月21日]](天保3年[[5月23日 (旧暦)|5月23日]]) - [[寺島宗則]]、政治家・外交官(+ [[1893年]]) * [[6月24日]](天保3年[[5月26日 (旧暦)|5月26日]]) - [[中村正直]]、啓蒙思想家(+ [[1891年]]) * [[7月6日]] - [[マクシミリアン (メキシコ皇帝)|マクシミリアン]]、メキシコの皇帝(+ [[1867年]]) * [[8月7日]] - [[ユリウス・エプシュタイン]]、[[ピアニスト]](+ [[1926年]]) * [[8月16日]] - [[ヴィルヘルム・ヴント|ヴント]]、ドイツの[[生理学者]]・[[心理学者]]・[[哲学者]](+ [[1920年]]) * [[8月31日]] - [[チャールズ・ワーグマン|ワーグマン]]、イギリスの画家・[[漫画家]](+ [[1891年]]) * [[10月1日]] - [[ヘンリー・クレイ・ワーク]]、作曲家・作詞家(+ [[1884年]]) * [[10月23日]] - [[ウィリアム・ハルバート]]、[[ナショナルリーグ]]会長(+ [[1882年]]) * [[11月18日]] - [[アドルフ・エリク・ノルデンショルド]]、鉱山学者・[[探検家]](+ [[1901年]]) * [[11月29日]] - [[ルイーザ・メイ・オルコット]]、小説家(+ [[1888年]]) * [[12月8日]] - [[ビョルンスティエルネ・ビョルンソン]]、作家、[[ノーベル文学賞]]受賞者 * [[12月9日]] - [[アーダルベルト・クリューガー]]、[[天文学者]](+ [[1896年]]) * [[12月15日]] - [[ギュスターヴ・エッフェル]]、技師(+ [[1923年]]) * [[12月16日]](天保3年[[11月25日 (旧暦)|11月25日]]) - [[小菅智淵]]、[[参謀本部 (日本)|参謀本部]]初代[[陸地測量部]]長(+ 1888年) * [[12月27日]] - [[トーマス・ブラキストン]]、[[軍人]]・貿易商・[[探検家]]・[[博物学者]](+ 1891年) == 死去 == {{see also|Category:1832年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月22日]] - [[アセンシオ・フリア]]、[[画家]](* [[1760年]]) * [[3月4日]] - [[ジャン=フランソワ・シャンポリオン]]、エジプト学者(* [[1790年]]) * [[3月10日]] - [[ムツィオ・クレメンティ]]、作曲家(* [[1752年]]) * [[3月22日]] - [[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ]]、詩人(* [[1749年]]) * [[5月13日]] - [[ジョルジュ・キュヴィエ]]、博物学者(* [[1769年]]) * [[5月31日]] - [[エヴァリスト・ガロア]]、[[数学者]](* [[1811年]]) * [[6月6日]] - [[ジェレミ・ベンサム]]、哲学者・法学者(* [[1748年]]) * [[7月17日]](天保3年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]) - [[松前道広]]、[[蝦夷国]][[松前藩]]第8代藩主(*[[1754年]]) * [[7月22日]] - [[ナポレオン2世]]、フランスの皇太子(* [[1811年]]) * [[8月24日]] - [[ニコラ・レオナール・サディ・カルノー]]、物理学者(* [[1796年]]) * [[9月21日]] - [[ウォルター・スコット]]、詩人(* [[1771年]]) * [[10月16日]](天保3年[[9月23日 (旧暦)|9月23日]]) - [[頼山陽]]、[[陽明学]]者(* [[1780年]]) == フィクションのできごと == * マックス・カプリコーン・クルーズ社設立。(ドラマ『[[ドクター・フー]]』) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1832}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1832ねん}} [[Category:1832年|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1832%E5%B9%B4
4,823
1828年
1828年(1828 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる閏年。
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1828年は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1828}} {{year-definition|1828}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[戊子]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[文政]]11年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2488年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]8年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]28年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4161年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[明命]]9年  * [[仏滅紀元]] : 2370年 - 2371年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1243年6月13日 - 1244年6月23日 * [[ユダヤ暦]] : 5588年4月14日 - 5589年4月25日 * [[ユリウス暦]] : 1827年12月20日 - 1828年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -11278 - -10913 * [[リリウス日]](LD) : 89563 - 89928 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1828}} == できごと == * [[1月22日]] [[イギリス]]で第一次[[アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)|ウェリントン公爵]]内閣([[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]政権)成立{{要出典|date=2021-03}} * 8月、門司(現[[北九州市]][[門司区]])で暴風雨。死者79人、居宅倒壊5911棟などの被害<ref>富田幸雄「門司地区砂防工事について」『新砂防』p8 砂防学会 1954年15号 </ref>。 * [[9月17日]] [[シーボルト台風]]、九州北部を中心に高潮などで死者2万人{{要出典|date=2021-04}}。 * [[12月18日]](文政11年[[11月12日 (旧暦)|11月12日]]) - [[三条地震|越後三条大地震]]、M6.9で死者1559人。 * [[フリードリヒ・ヴェーラー|F・ヴェーラー]]と[[アントワーヌ・ビュシー|A・A・ビュシー]]が、独立に[[ベリリウム]]の[[単離]]に成功。 * [[ロシア帝国]]と[[ガージャール朝]]の間で[[トルコマーンチャーイ条約]]が結ばれる。 * 英で審査法が廃止される。 == 誕生 == {{see also|Category:1828年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月6日]] - [[ヘルマン・グリム]]、文化史家(+ [[1901年]]) * [[1月23日]]([[文政]]10年[[12月7日 (旧暦)|12月7日]]) - [[西郷隆盛]]、明治維新の元勲(+ [[1877年]]) * [[2月8日]] - [[ジュール・ヴェルヌ]]、[[フランス]]の[[SF作家]](+ [[1905年]]) * [[2月13日]](文政10年[[12月28日 (旧暦)|12月28日]])- [[南部利剛]]、第14代[[盛岡藩|盛岡藩主]](+ [[1896年]]) * [[2月15日]](文政11年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]])- [[阿部正外]]、[[江戸幕府]][[老中]]・[[白河藩|白河藩主]](+ [[1887年]]) * [[2月24日]] - [[ハリー・パークス]]、イギリスの外交官(+ [[1885年]]) * [[2月27日]](文政11年[[1月13日 (旧暦)|1月13日]])- [[狩野芳崖]]、[[日本画家]](+ [[1888年]]) * [[3月18日]] - [[ウィリアム・ランダル・クリーマー]]、[[イギリス]]の政治家・[[平和運動|平和運動家]](+ [[1908年]]) * [[3月20日]] - [[ヘンリック・イプセン|イプセン]]、[[ノルウェー]]の[[劇作家]](+ [[1906年]]) * 3月20日(文政11年[[2月5日 (旧暦)|2月5日]]) - [[高橋由一]]、[[洋画家]](+ [[1894年]]) * [[4月12日]] - [[チャールズ・フォスター (財務長官)]]、第40代[[アメリカ合衆国財務長官]](+ [[1904年]]) * [[4月21日]] - [[イポリット・テーヌ|テーヌ]]、フランスの[[哲学|哲学者]](+ [[1893年]]) * [[4月23日]] - [[アルベルト (ザクセン王)|アルベルト]]、[[ザクセン王国|ザクセン王]](+ [[1902年]]) * [[4月26日]](文政11年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]])- [[西村茂樹]]、[[啓蒙]][[思想家]]・[[教育者]]・[[佐倉藩]]士(+ [[1902年]]) * [[5月8日]] - [[アンリ・デュナン|デュナン]]、[[スイス]]の[[銀行家]]・[[赤十字社]]創設者(+ [[1910年]]) * [[5月12日]] - [[ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ|ロセッティ]]、イギリスの[[画家]]・[[詩人]]・[[ラファエル前派]](+ [[1882年]]) * 5月12日(文政11年[[3月29日 (旧暦)|3月29日]])- [[平野国臣]]、[[尊皇攘夷]]派の[[志士]](+ [[1864年]]) * [[6月13日]](文政11年[[5月2日 (旧暦)|5月2日]])- [[小曽根乾堂]]、[[篆刻|篆刻家]](+ [[1885年]]) * [[7月7日]](文政11年[[5月26日 (旧暦)|5月26日]])- [[梅若実 (初世)]]、[[能楽師]](+ [[1909年]]) * [[7月24日]] - [[ニコライ・チェルヌイシェフスキー|チェルヌイシェフスキー]]、ロシアの革命的[[思想家]](+ [[1889年]]) * [[7月30日]](文政11年[[6月19日 (旧暦)|6月19日]])- [[大浦慶]]、女性貿易商(+ [[1884年]]) * [[8月5日]] - [[ルイーゼ・ファン・オラニエ=ナッサウ]]、[[カール15世 (スウェーデン王)|スウェーデン王カール15世]]の妃(+ [[1871年]]) * [[8月6日]] - [[アンドリュー・テーラー・スティル]]、[[オステオパシー]]創始者(+ [[1917年]]) * [[9月9日]] - [[レフ・トルストイ]]、ロシアの[[小説家]](+ [[1910年]]) * [[9月10日]](文政11年[[8月2日 (旧暦)|8月2日]])- [[杉亨二]]、日本の近代[[統計学]]の先駆者(+ [[1917年]]) * [[9月26日]](文政11年[[8月18日 (旧暦)|8月18日]])- [[小林虎三郎]]、[[越後長岡藩]]大参事(+ [[1877年]]) * [[9月28日]] - [[フリードリヒ・アルベルト・ランゲ]]、哲学者(+ [[1875年]]) * [[10月10日]](文政11年[[9月2日 (旧暦)|9月2日]])- [[松平春嶽]]、[[福井藩|福井藩主]](+ [[1890年]]) * [[10月17日]](文政11年[[9月9日 (旧暦)|9月9日]])- [[副島種臣]]、[[佐賀藩]]士・[[政治家]](+ [[1905年]]) * [[10月28日]] - [[ジェイコブ・ドルソン・コックス]]、第10代[[アメリカ合衆国内務長官]](+ [[1900年]]) * [[11月7日]] - [[ポール・ボードリー]]、[[画家]](+ [[1886年]]) * [[11月17日]] - [[容閎]]、中国最初のアメリカ[[留学生]](+ [[1912年]]) * [[11月18日]] - [[ジョン・クレスウェル]]、第26代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1891年]]) * [[11月19日]](文政11年[[10月13日 (旧暦)|10月13日]])- [[徳川慶頼]]、第5・8代[[田安徳川家]]当主(+ [[1876年]]) * [[11月30日]] - [[グスタフ・ツォイナー]]、[[物理学者]]・[[工学者]](+ [[1907年]]) * [[12月22日]] - [[エドゥアルト・シェーンフェルト]]、[[天文学者]](+ [[1891年]]) == 死去 == {{see also|Category:1828年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月5日]]([[文政]]10年[[11月19日 (旧暦)|11月19日]]) - [[小林一茶]]、[[俳句|俳諧師]](* [[1763年]]) * [[1月13日]](文政10年[[11月27日 (旧暦)|11月27日]])- [[伊達斉義]]、第11代[[仙台藩|仙台藩主]](* [[1798年]]) * [[1月20日]] - [[シャルロッテ・ブッフ]]、「[[若きウェルテルの悩み]]」のヒロインのモデルにあたる人物(* [[1753年]]) * [[3月16日]] - [[ヨハン・ゲオルク・アウグスト・ガレッティ]]、[[歴史学者]]・[[地理学者]](* [[1750年]]) * [[4月16日]] - [[フランシスコ・デ・ゴヤ]]、[[画家]](* [[1746年]]) * [[4月27日]](文政11年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]])- [[野呂介石]]、[[文人画|文人画家]](* [[1747年]]) * [[5月26日]] - [[ジョン・オクスリー]]、[[探検家]](* [[1785年]]) * [[5月28日]](文政11年[[4月15日 (旧暦)|4月15日]]) - [[大黒屋光太夫]]、漂流民(* [[1751年]]) * [[7月15日]] - [[ジャン=アントワーヌ・ウードン]]、[[彫刻家]](* [[1741年]]) * [[8月8日]] - [[カール・ツンベルク]]、[[植物学|植物学者]](* [[1743年]]) * [[8月27日]] - [[アイゼ・アイジンガー]]、[[天文学者]](* [[1744年]]) * [[11月12日]] - [[マリア・フョードロヴナ (パーヴェル1世皇后)|マリア・フョードロヴナ]]、[[ロシア帝国|ロシア皇帝]][[パーヴェル1世 (ロシア皇帝)|パーヴェル1世]]の皇后(* [[1759年]]) * [[11月18日]](文政11年[[10月12日 (旧暦)|10月12日]])- [[植村家長]]、[[江戸幕府]][[老中]]格・[[高取藩|高取藩主]](* [[1753年]]) * [[11月19日]] - [[フランツ・シューベルト]]、[[作曲家]](* [[1797年]]) * [[12月13日]](文政11年[[11月7日 (旧暦)|11月7日]]) - [[本居春庭]]、[[国学|国学者]]・[[国語学者]](* [[1763年]]) * [[12月22日]] - [[ウイリアム・ウォラストン]]、[[化学者]]・[[物理学者]]・天文学者(* [[1766年]]) * 12月22日 - [[レイチェル・ジャクソン]]、[[アンドリュー・ジャクソン]]夫人(* [[1767年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1828}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1828ねん}} [[Category:1828年]]
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1820年代
1820年代(せんはっぴゃくにじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1820年から1829年までの10年間を指す十年紀。 バンホーテンが世界で初めてココアパウダーの製造法を発明(バンホーテンココア)
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1820年代(せんはっぴゃくにじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1820年から1829年までの10年間を指す十年紀。
{{Decadebox| 千年紀 = 2 | 世紀 = 19 | 年代 = 1820 | 年 = 1820 }} '''1820年代'''(せんはっぴゃくにじゅうねんだい)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])1820年から1829年までの10年間を指す[[十年紀]]。 == できごと == * 中南米の[[スペイン]]・[[ポルトガル]]植民地が相次いで独立する。 === 1820年 === {{main|1820年}} * [[1月1日]] - [[スペイン立憲革命]]勃発。[[ラファエル・デル・リエゴ]]が指導。 * [[4月]] - エルステッドが電流の磁気作用を発見。 * 7月 - [[ナポリ]]で[[秘密結社]]「[[カルボナリ]]」が一斉蜂起(ナポリ革命)。 * [[ハンス・クリスティアン・エルステッド|エルステッド]]の発見をもとに電流と磁場の相互作用が詳しく研究される。 * 同年 - [[ジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック|ゲイ=リュサック]]が、電流を流した導線は1つの磁石と等価であることを発見。 * 同年 - [[ジャン=バティスト・ビオ|ビオ]]と[[フェリックス・サヴァール|サバール]]が[[ビオ・サバールの法則]]を発見する。 * 同年 - [[アンドレ=マリ・アンペール|アンペール]]が[[アンペールの法則]]を発見する。 === 1821年 === {{main|1821年}} * [[メキシコ]]・[[ペルー]]・[[グアテマラ総督府]]が[[スペイン]]から独立する。 * [[ギリシャ独立戦争]]勃発(~[[1829年]])。 === 1822年 === {{main|1822年}} * [[エクアドル]]がスペインから独立する。 * [[アンドレ=マリ・アンペール|アンペール]]が電流を流した2本の導線間に働く力は電流の積に比例し、距離に反比例することを確認。 * [[ギリシャ]]が[[オスマン帝国]]からの独立を宣言する([[ギリシャ第一共和政]])。 * [[ブラジル]]が[[ポルトガル]]から独立を宣言する。 === 1823年 === {{main|1823年}} * [[ウィリアム・スタージャン|スタージャン]]が最初の電磁石を作成する。 * [[中米連邦]]が結成される。 * [[アメリカ合衆国|アメリカ]]大統領[[ジェームズ・モンロー|モンロー]]が[[ヨーロッパ]]との相互不干渉を提唱する([[モンロー主義]])。 === 1824年 === {{main|1824年}} * [[第一次英緬戦争|第一次イギリス・ビルマ戦争]]勃発(~[[1826年]]) * [[フランソワ・アラゴ|アラゴー]]が[[アラゴーの円板|回転磁気]]を発見。 === 1825年 === {{main|1825年}} * [[デカブリストの乱]](ロシアの青年将校の反乱) * [[ボリビア]]がスペインから独立する。ブラジルの独立が承認される。 * 文政の[[異国船打払令]]。 === 1826年 === {{main|1826年}} * [[シモン・ボリバル]]、{{仮リンク|パナマ議会|es|Congreso de Panamá|en|Congress of Panama}}を開催する。 === 1828年 === {{main|1828年}} * [[ウルグアイ]]の独立が承認される。 * [[ロシア帝国]]と[[ガージャール朝]]の間で[[トルコマーンチャーイ条約]]が結ばれる。 [[バンホーテン]]が世界で初めてココアパウダーの製造法を発明(バンホーテンココア) === 1829年 === {{main|1829年}} * [[アドリアノープル条約]]により、ギリシャの自治権が承認される。 * [[大コロンビア]]、南アメリカへ進出。 == 芸術・文化・ファッション == === 音楽 === * 1824年 - ベートーヴェンの[[交響曲第9番 (ベートーヴェン)|交響曲第9番]]初演 === 文学 === * 1820年から1825年 - [[グエン・ズー]]が『[[金雲翹]]』(チュエン・キエウ)を出版。 == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == * [[十年紀の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] == 外部リンク == * {{Commonscat-inline}} {{世紀と十年紀|千年紀=2|世紀=11|年代=1000}} {{History-stub}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1820んたい}} [[Category:1820年代|*]]
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4,825
1831年
1831年(1831 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
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1831年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1831}} {{year-definition|1831}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[辛卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[文政]]13年11月18日 - 12月9日、[[天保]]元年12月10日 - 2年11月29日 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2491年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]11年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] and I mr k it tok ** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]31年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4164年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[明命]]12年  * [[仏滅紀元]] : 2373年 - 2374年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1246年7月17日 - 1247年7月26日 * [[ユダヤ暦]] : 5591年4月16日 - 5592年4月27日 * [[ユリウス暦]] : 1830年12月20日 - 1831年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -10182 - -9818 * [[リリウス日]](LD) : 90659 - 91023 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1831}} == できごと == * [[4月28日]]-[[6月1日]] - イギリスで{{仮リンク|1831年イギリス総選挙|label=総選挙|en|United Kingdom general election, 1831}}。選挙法改正を推進する与党[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]の大勝。 * [[8月1日]] - [[ロンドン橋]](レニー設計の橋)開通 * [[8月21日]] - [[アメリカ合衆国|米]][[バージニア州]][[サウサンプトン郡 (バージニア州)|サウサンプトン郡]]で、[[ナット・ターナー]]率いる奴隷の反乱が勃発。50人以上の白人が殺害される。 * [[マイケル・ファラデー]]、[[電磁誘導]]を実験し、成功 * [[ジョセフ・ヘンリー]]、電磁式電信機を発明 * [[ジュゼッペ・マッツィーニ]]が[[マルセイユ]]で[[青年イタリア]]を結成 * [[12月27日]] - [[チャールズ・ダーウィン]]が[[ビーグル (帆船)|ビーグル号]]で[[イギリス]]を出発 == 誕生 == {{see also|Category:1831年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月27日]] - [[アーサー・ヒューズ]]、[[画家]]・[[イラストレーター]](+ [[1915年]]) * [[2月13日]] - [[ジョン・アーロン・ローリンズ]]、第29代[[アメリカ合衆国陸軍長官]](+ [[1869年]]) * [[2月24日]] - [[レオ・フォン・カプリヴィ|カプリヴィ]]、[[ドイツの首相|ドイツ国首相]](+ [[1899年]]) * [[3月31日]] - [[アーチボルド・クーパー]]、[[化学者]](+ [[1892年]]) * [[4月6日]]([[天保]]2年[[2月24日 (旧暦)|2月24日]])- [[仁礼景範]]、[[薩摩藩]]士・[[海軍軍人]](+ [[1900年]]) * [[4月15日]](天保2年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]])- [[中村芝翫 (4代目)]]、[[歌舞伎]]役者(+ [[1899年]]) * [[5月7日]] - [[リチャード・ノーマン・ショウ]]、[[建築家]](+ [[1912年]]) * [[5月16日]] - [[デイビッド・エドワード・ヒューズ]]、電気技術者(+ [[1900年]]) * 5月16日 - [[ダニエル・マニング]]、第37代[[アメリカ合衆国財務長官]](+ [[1887年]]) * [[5月18日]](天保2年[[4月7日 (旧暦)|4月7日]])- [[河鍋暁斎]]、[[絵師]](+ [[1889年]]) * [[6月11日]](天保2年[[5月2日 (旧暦)|5月2日]])- [[徳川茂徳]]、第15代[[尾張藩|尾張藩主]]・第10代[[一橋徳川家]]当主(+ [[1884年]]) * [[6月13日]] - [[ジェームズ・クラーク・マクスウェル|マクスウェル]]、イギリスの[[物理学者]]、古典[[電磁気学]]を確立(+ [[1879年]]) * [[6月28日]] - [[ヨーゼフ・ヨアヒム]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1907年]]) * [[7月1日]] - [[ヴォイチェフ・ゲルソン]]、[[画家]](+ [[1901年]]) * [[7月5日]] - [[ゴットフリード・ワグネル]]、[[技術者]](+ [[1892年]]) * [[7月17日]]([[道光]]11年[[6月9日 (旧暦)|6月9日]])- [[咸豊帝]]、[[清]]第9代[[皇帝]](+ [[1861年]]) * [[7月22日]](天保2年[[6月14日 (旧暦)|6月14日]]) - [[孝明天皇]]、日本の第121代天皇(+ [[1867年]]) * [[7月31日]] - [[ボート・ツー・オイレンブルク]]、[[プロイセン王国]]首相(+ [[1912年]]) * [[8月12日]] - [[ブラヴァツキー夫人]]、[[神智学]]創唱者(+ [[1891年]]) * [[8月13日]] - [[ザーロモン・ヤーダスゾーン]]、[[作曲家]](+ [[1902年]]) * [[8月20日]] - [[エドアルト・ジュース]]、[[地質学|地質学者]](+ [[1914年]]) * [[10月6日]] - [[リヒャルト・デーデキント]]、数学者(+ [[1916年]]) * [[10月18日]] - [[フリードリヒ3世 (ドイツ皇帝)|フリードリヒ3世]]、ドイツの皇帝(+ [[1888年]]) * [[10月29日]] - [[オスニエル・チャールズ・マーシュ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Othniel-Charles-Marsh Othniel Charles Marsh American paleontologist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[古生物学|古生物学者]](+ [[1899年]]) * [[10月31日]] - [[イザベラ・バード]]、旅行家・[[随筆家]](+ [[1904年]]) * [[11月19日]] - [[ジェームズ・ガーフィールド]]、第20代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1881年]]) * [[11月29日]] - [[フレデリック・タウンゼント・ウォード|ウォード]]、アメリカの船員・軍人、[[太平天国]]軍と戦う[[常勝軍]]を創設(+ [[1862年]]) * [[12月8日]] - [[フョードル・ブレディキン]]、[[天文学者]](+ [[1904年]]) * [[12月28日]](天保2年[[11月25日 (旧暦)|11月25日]])- [[林広守]]、[[雅楽]]演奏家(+ [[1896年]]) == 死去 == {{see also|Category:1831年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月2日]] - [[バルトホルト・ゲオルク・ニーブール]]、[[歴史家]](* [[1776年]]) * [[1月4日]]([[文政]]13年[[11月21日 (旧暦)|11月21日]])- [[浅野斉賢]]、第8代[[広島藩|広島藩主]](* [[1773年]]) * [[1月6日]] - [[ロドルフ・クレゼール]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[指揮者]]・[[作曲家]](+ [[1766年]]) * [[1月31日]] - [[アヒム・フォン・アルニム]]、[[詩人]](* [[1781年]]) * [[2月18日]]([[天保]]2年[[1月6日 (旧暦)|1月6日]])- [[良寛]]、[[曹洞宗]]の[[僧]]・[[歌人]](* [[1758年]]) * [[3月17日]] - [[ナポレオン・ルイ・ボナパルト]]、[[ホラント王国|ホラント王]](* [[1804年]]) * [[4月20日]] - [[ルイジ・ローランド]]、[[解剖学者]](* [[1773年]]) * [[4月27日]] - [[カルロ・フェリーチェ]]、[[サルデーニャ王国|サルデーニャ王]](* [[1765年]]) * [[6月8日]] - [[サラ・シドンズ]]、[[俳優|女優]](* [[1755年]]) * [[6月27日]] - [[ソフィ・ジェルマン]]、[[数学者]](* [[1776年]]) * [[6月29日]] - [[ハインリヒ・フリードリヒ・フォン・シュタイン]]、[[プロイセン王国]]首相(* [[1757年]]) * [[7月4日]] - [[ジェームズ・モンロー]]、第5代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1758年]]) *7月4日(天保2年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]])- [[井伊直中]]、第14代[[彦根藩|彦根藩主]](* [[1766年]]) * [[7月11日]] - [[ヴァシーリー・ゴロヴニーン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography//Vasily-Mikhaylovich-Golovnin Vasily Mikhaylovich Golovnin Russian naval officer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[ロシア帝国]]([[ロマノフ朝]])の[[海軍]][[軍人]]、[[探検家]](* [[1776年]]) * [[7月25日]] - [[マリア・シマノフスカ]]、[[作曲家]](* [[1789年]]) * [[8月24日]] - [[アウグスト・フォン・グナイゼナウ]]、プロイセン王国陸軍元帥(* [[1760年]]) * [[8月30日]] - [[ルイーゼ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク|ルイーゼ]]、[[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国|ザクセン=コーブルク=ゴータ公]][[エルンスト1世 (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|エルンスト1世]]の妃(* [[1800年]]) * [[9月6日]] - [[ウィリアム・ジョーンズ (海軍長官)|ウィリアム・ジョーンズ]]、第4代[[アメリカ合衆国海軍長官]](* [[1760年]]) * [[9月11日]](天保2年[[8月6日 (旧暦)|8月6日]])- [[十返舎一九]]、[[浄瑠璃]]・[[滑稽本]]作者(* [[1765年]]) * [[10月9日]] - [[イオアニス・カポディストリアス]]、ロシア外相・[[ギリシャの大統領|ギリシャ大統領]](* [[1776年]]) * [[10月14日]] - [[ジャン=ルイ・ポン]]、[[天文学者]](* [[1761年]]) * [[11月11日]] - [[ナット・ターナー]]、[[アメリカ合衆国の奴隷制度の歴史|アメリカ合衆国の奴隷]]反乱指導者(* [[1800年]]) * [[11月14日]] - [[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ゲオルグ・ヘーゲル]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Georg-Wilhelm-Friedrich-Hegel Georg Wilhelm Friedrich Hegel German philosopher] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[思想家]](* [[1770年]]) * 11月14日 - [[イグナツ・プライエル]]、作曲家(* [[1757年]]) * [[11月16日]] - [[カール・フォン・クラウゼヴィッツ]]、ドイツの軍事思想家(* 1780年) * [[12月10日]] - [[トーマス・ゼーベック]]、[[物理学者]]・[[医師]](* 1770年) * [[12月22日]] - [[フランソワ・ユーベル]]、[[博物学者]](* [[1750年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1831}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1831ねん}} [[Category:1831年|*]]
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4,826
1818年
1818年(1818 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
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1818年は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1818}} {{year-definition|1818}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[戊寅]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[文化 (元号)|文化]]15年、[[文政]]元年4月22日 - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2478年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[嘉慶 (清)|嘉慶]]23年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]18年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4151年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[嘉隆]]17年  * [[仏滅紀元]] : 2360年 - 2361年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1233年2月22日 - 1234年3月3日 * [[ユダヤ暦]] : 5578年4月23日 - 5579年4月3日 * [[ユリウス暦]] : 1817年12月20日 - 1818年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -14930 - -14566 * [[リリウス日]](LD) : 85911 - 86275 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1818}} == できごと == * [[1月1日]] - [[メアリー・シェリー]]『[[フランケンシュタイン]]』出版{{要出典|date=2021-04}} * [[1月3日]] - [[金星]]が[[木星]]面を[[通過 (天文)|通過]]する。惑星同士の通過・[[掩蔽]]は、これを最後に[[2065年]][[11月22日]]までの247年間の長い空白期間に突入する。 * [[2月5日]] - [[カール14世ヨハン (スウェーデン王)|カール14世ヨハン]]が[[スウェーデン]]王に即位 * [[2月12日]] - [[チリ]]が[[スペイン]]から独立 * [[2月19日]](文化15年[[1月15日 (旧暦)|1月15日]]) - [[新川 (新潟県)|新川]]掘割の起工式開催 * [[4月4日]] - [[アメリカ合衆国議会|米国議会]]で国旗令の改定施行(州一つの加入につき星一つを[[アメリカ独立記念日|独立記念日]]に増やすことを決定) * [[7月4日]] - 米国で[[アメリカ合衆国の国旗|星条旗]]の星が20個となる([[インディアナ州]]・[[オハイオ州]]・[[テネシー州]]・[[ミシシッピ州]]・[[ルイジアナ州]]の加入を反映) * [[8月4日]] - イギリスで{{仮リンク|1818年イギリス総選挙|label=総選挙|en|United Kingdom general election, 1818}}。[[ロバート・ジェンキンソン (第2代リヴァプール伯爵)|リヴァプール伯爵]]内閣の与党[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]の勝利。 * [[10月1日]] - [[アーヘン会議 (1818年)|アーヘン会議]]開催 * [[12月3日]] - イリノイ準州が州に昇格、米国で[[イリノイ州|イリノイ]]が21番目に州となる * [[12月24日]] - [[きよしこの夜]](Stille Nacht) 初演 == 誕生 == {{see also|Category:1818年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月5日]]([[文化 (元号)|文化]]14年[[11月29日 (旧暦)|11月29日]]) - [[大久保一翁]]、[[幕臣]]・政治家(+ [[1888年]]) * [[2月23日]] - [[アントニオ・フォンタネージ|フォンタネージ]]、イタリアの[[画家]]・[[工部美術学校]]教師(+ [[1882年]]) * [[3月11日]] - [[アントニオ・バッジーニ]]、[[作曲家]]・[[ヴァイオリニスト]](+ [[1897年]]) * [[3月12日]]([[文化 (元号)|文化]]15年[[2月6日 (旧暦)|2月6日]]) - [[松浦武四郎]]、北方探険家(+ [[1888年]]) * [[4月8日]] - [[アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ホフマン]]、ドイツの[[化学者]](+ [[1892年]]) * [[4月29日]]([[ユリウス暦]][[4月17日]]) - [[アレクサンドル2世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル2世]]、[[ロマノフ朝]]第12代皇帝(+ [[1881年]]) * [[5月5日]] - [[カール・マルクス]]、ドイツの[[経済学者]]・[[哲学者]]・[[革命家]](+ [[1883年]]) * [[5月25日]] - [[ヤコブ・ブルクハルト|ブルクハルト]]、スイスの[[歴史家]](+ [[1897年]]) * [[5月27日]] - [[アメリア・ジェンクス・ブルーマー]]、[[女性解放運動|女性解放運動家]](+ [[1883年]]) * [[6月17日]] - [[シャルル・グノー|グノー]]、フランスの[[作曲家]] * [[7月30日]] - [[エミリー・ブロンテ]]、[[作家]](+ [[1848年]]) * [[8月6日]] - [[アンリ・リトルフ]]、[[ピアニスト]]・作曲家(+ [[1891年]]) * [[8月22日]] - [[ルドルフ・フォン・イェーリング|イェーリング]]、ドイツの[[法学者]]・[[ローマ法]]研究で有名(+ [[1892年]]) * [[8月25日]] - [[トーマス・ウェード|ウェード(威妥瑪)]]、イギリスの[[外交官]]・[[中国語]]学者(+ [[1895年]]) * [[9月1日]](文政元年[[8月1日 (旧暦)|8月1日]]) - [[伊達宗城]]、[[政治家]]・[[大名]]、[[宇和島藩]]第8代藩主(+ [[1892年]]) * [[9月12日]] - [[リチャード・ジョーダン・ガトリング]]、[[発明家]]・[[医師]](+ [[1903年]]) * [[10月30日]](文政元年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]])- [[元田永孚]]、[[熊本藩]]士・[[儒学者]](+ [[1891年]]) * [[11月9日]]([[ユリウス暦]]10月28日) - [[イワン・ツルゲーネフ|ツルゲーネフ]]、ロシアの[[小説家]](+ [[1883年]]) * [[11月21日]] - [[ルイス・ヘンリー・モーガン]]、アメリカの[[人類学者]](+ [[1881年]]) * [[12月16日]] - [[ジョン・ローレンス・スミス]]、[[化学者]]・[[鉱物学者]](+ 1883年) * [[12月18日]](文政元年[[11月21日 (旧暦)|11月21日]]) - [[岩瀬忠震]]、[[幕臣]]・[[外国奉行]](+ [[1861年]]) * [[12月24日]] - [[ジェームズ・プレスコット・ジュール]]、[[物理学者]](+ [[1889年]]) == 死去 == {{see also|Category:1818年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月7日]] - [[エンニオ・キリノ・ヴィスコンティ]]、考古学者(* [[1751年]]) * [[5月14日]] - [[マシュー・グレゴリー・ルイス]]、イギリスの[[小説家]]・[[劇作家]](*[[1775年]]) * [[5月17日]]([[文政]]元年[[4月13日 (旧暦)|4月13日]]) - [[伊能忠敬]]、[[地理学者]](* [[1745年]]) * [[5月28日]](文政元年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[松平治郷]]、[[茶人]]・出雲[[松江藩]]第7代藩主(*[[1751年]]<ref>{{Harvnb|百目木|1918|p=2}}</ref>) * [[7月28日]] - [[ガスパール・モンジュ]]、[[科学者]]・[[工学者]](* [[1746年]]) * [[10月28日]] - [[アビゲイル・アダムズ]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]]。第2代[[アメリカ合衆国大統領]][[ジョン・アダムズ]]の妻(*[[1744年]]) * [[11月1日]] - [[マリー=ガブリエル・カペ]]、[[画家]](* [[1761年]]) * [[11月19日]](文政元年[[11月2日 (旧暦)|11月2日]]) - [[司馬江漢]]、絵師・[[蘭学者]](* [[1747年]])  == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1818}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1818ねん}} [[Category:1818年|*]]
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4,827
1826年
1826年(1826 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
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1826年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1826}} {{year-definition|1826}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丙戌]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[文政]]9年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2486年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]6年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[純祖]]26年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4159年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[明命]]7年  * [[仏滅紀元]] : 2368年 - 2369年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1241年5月21日 - 1242年6月1日 * [[ユダヤ暦]] : 5586年4月22日 - 5587年4月1日 * [[ユリウス暦]] : 1825年12月20日 - 1826年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -12008 - -11644 * [[リリウス日]](LD) : 88833 - 89197 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1826}} == できごと == * 1月 - [[ジェイムズ・フェニモア・クーパー]]の[[歴史小説]]『[[モヒカン族の最後]]』の初版が発売。 *[[2月11日]] - [[ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン]]がロンドン・ユニヴァーシティの名称で創設。 * [[6月7日]]-[[7月12日]] - イギリスで{{仮リンク|1826年イギリス総選挙|label=総選挙|en|United Kingdom general election, 1826}}。[[ロバート・ジェンキンソン (第2代リヴァプール伯爵)|リヴァプール伯爵]]内閣の与党[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]が多数派を維持。 * [[シモン・ボリバル]]、{{仮リンク|パナマ議会|es|Congreso de Panamá|en|Congress of Panama}}を開催する。 * [[イェンス・ベルセリウス]]、[[ポリ酸]]を合成する。 * [[アルゼンチン]]が[[大統領制]]を導入。 *{{仮リンク|ゲオルグ・ハインリヒ・ペルツ|en|Georg Heinrich Pertz}}らが、『''[[モヌメンタ・ゲルマニアエ・ヒストリカ]]''』の第一巻を出版。 *([[文政]]9年)[[頼山陽]]が『[[日本外史]]』を完成<ref name="kotobank">[https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%96%E5%8F%B2-110097 日本外史 にほんがいし]コトバンク</ref><ref>[https://books.google.co.jp/books?id=mzJPqMBauTcC&pg=PT3 まえがき]『『日本外史』幕末のベストセラーを「超」現代語訳で読む』、長尾剛、PHP研究所, 2009年</ref>。翌[[1827年]]、[[松平定信]]に献上。 == 誕生 == {{see also|Category:1826年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月15日]](文政8年[[12月8日 (旧暦)|12月8日]])- [[箕作秋坪]]、[[蘭学者]](+ [[1886年]]) * [[1月17日]] - [[ジェイムズ・ノウブル・タイナー]]、第29代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1904年]]) * [[3月29日]] - [[ヴィルヘルム・リープクネヒト]]、ドイツの[[社会主義者]](+ [[1900年]]) * [[4月6日]] - [[ギュスターヴ・モロー]]、[[画家]](+ [[1898年]]) * [[5月10日]] - [[ヘンリー・ソービー]]、[[地質学者]](+ [[1908年]]) * [[7月4日]] - [[スティーブン・フォスター]]、作曲家(+ [[1864年]]) * [[7月21日]] - [[エドワード・スタンリー (第15代ダービー伯爵)|ダービー伯爵(第15代)]]、イギリスの[[政治家]](+ [[1893年]]) * [[7月24日]] - [[フランシスコ・ソラーノ・ロペス]]、[[パラグアイ]]の[[大統領]](+ [[1870年]]) * [[7月31日]] - [[ウイリアム・スミス・クラーク|クラーク博士]]、[[札幌農学校]]初代教頭(+ [[1886年]]) * [[9月17日]] - [[ベルンハルト・リーマン|リーマン]]、ドイツの[[数学者]](+ [[1886年]]) * [[10月14日]] - [[ジョルジュ・マティアス]]、[[ピアニスト]]・[[作曲家]](+ [[1910年]]) == 死去 == {{see also|Category:1826年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月3日]] - [[ルイ=ガブリエル・スーシェ]]、[[ナポレオン戦争]]期のフランス軍[[元帥]](* [[1770年]]) * [[1月8日]]([[文政]]8年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]])- [[松平治好]]、第11代[[福井藩|福井藩主]](* [[1768年]]) * [[1月17日]] - [[ホアン・クリソストモ・アリアーガ]]、[[作曲家]](* [[1806年]]) * [[2月2日]] - [[ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン]]、政治家・法律家・「[[美味礼讃]]」著者(* [[1755年]]) * [[3月10日]] - [[ジョアン6世 (ポルトガル王)|ジョアン6世]]、[[ポルトガル|ポルトガル王]](* [[1767年]]) * [[3月20日]](文政9年[[2月12日 (旧暦)|2月12日]])- [[細川斉樹]]、第9代[[熊本藩|熊本藩主]](* [[1797年]]) * [[3月29日]] - [[ヨハン・ハインリッヒ・フォス]]、[[詩人]](* [[1751年]]) * [[4月13日]] - [[フランツ・ダンツィ]]、作曲家(* [[1763年]]) * [[4月15日]](文政9年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]])- [[亀田鵬斎]]、[[儒学者]]・[[書道|書家]](* [[1752年]]) * [[5月4日]] - [[エリザヴェータ・アレクセーエヴナ]]、[[ロシア帝国|ロシア皇帝]][[アレクサンドル1世 (ロシア皇帝)|アレクサンドル1世]]の皇后(* [[1779年]]) * [[6月5日]] - [[カール・マリア・フォン・ウェーバー]]、作曲家(* [[1786年]]) * [[6月7日]] - [[ヨゼフ・フォン・フラウンホーファー]]、[[物理学者]]・[[光学]]機器製作者(* [[1787年]]) * [[7月4日]] - [[ジョン・アダムズ]]、第2代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1735年]]) * 7月4日 - [[トーマス・ジェファーソン]]、第3代アメリカ合衆国大統領(* [[1743年]]) * [[7月5日]] - [[ジョゼフ・プルースト]]、[[化学者]](* [[1754年]]) * 7月5日 - [[トーマス・ラッフルズ]]、[[イギリス]]領シンガポール建国の父、博物学者(* [[1781年]]) * [[7月22日]] - [[ジュゼッペ・ピアッツィ]]、[[天文学者]](* [[1746年]]) * [[7月24日]](文政9年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]])- [[阿部正精]]、[[江戸幕府]][[老中]]・[[備後福山藩|備後福山藩主]](* [[1775年]]) * [[7月25日]] - [[パーヴェル・ペステリ]]、[[デカブリストの乱]]指導者(* [[1793年]]) * 7月25日 - [[コンドラチイ・ルイレーエフ]]、デカブリストの乱指導者(* [[1795年]]) * 7月25日 - [[セルゲイ・ムラヴィヨフ=アポストル]]、デカブリストの乱指導者(* [[1796年]]) * 7月25日 - [[ピョートル・カホフスキー]]、デカブリストの乱指導者(* [[1797年]]) * 7月25日 - [[ミハイル・ベストゥージェフ=リューミン]]、デカブリストの乱指導者(* [[1801年]]) * [[9月24日]](文政9年[[8月23日 (旧暦)|8月23日]])- [[田上菊舎]]、[[俳人]](* [[1753年]]) * [[9月25日]] - [[フリーデリケ・フォン・バーデン]]、[[グスタフ4世アドルフ (スウェーデン王)|スウェーデン王グスタフ4世アドルフ]]の妃(* [[1781年]]) * [[10月25日]] - [[フィリップ・ピネル]]、[[精神医学|精神医学者]](* [[1745年]]) * [[11月23日]] - [[ヨハン・ボーデ]]、天文学者(* [[1747年]]) * [[12月29日]](文政9年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]])- [[藤田幽谷]]、[[水戸学|水戸学者]]・[[儒学者]](* [[1774年]]) == 脚注 == <!--'''注釈''' {{Reflist|group="注"}}--> '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1826}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{Normdaten}} {{デフォルトソート:1826ねん}} [[Category:1826年]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1826%E5%B9%B4
4,828
1451年
1451年(1451 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1451年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1451}} {{year-definition|1451}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]]:[[辛未]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[宝徳]]3年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2111年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]]:[[景泰]]2年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]]:[[文宗 (朝鮮王)|文宗]]元年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3784年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]]:[[大和 (黎朝)|大和]]9年 * [[仏滅紀元]]:1993年 - 1994年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:854年 - 855年 * [[ユダヤ暦]]:5211年 - 5212年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1451|Type=J|表題=可視}} == できごと == * オスマン帝国のスルタン・ムラッド2世が死去。子のメフメト2世がスルタンに即位。 == 誕生 == {{see also|Category:1451年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月22日]] - [[イサベル1世 (カスティーリャ女王)|イサベル1世]]、[[トラスタマラ家|トラスタマラ朝]]の[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]女王 (+ [[1504年]]) * [[5月2日]] - [[ルネ2世 (ロレーヌ公)|ルネ2世]]、[[ロレーヌ公]]、[[バル公領|バル公]]、ヴォーデモン伯 (+ [[1508年]]) * [[9月5日]] - [[イザベル・ネヴィル]]、[[ウォリック伯|ウォリック女伯]]、[[ソールズベリー伯|ソールズベリー女伯]] (+ [[1476年]]) * [[アンナ・ヴァシリエヴナ (リャザン大公妃)|アンナ・ヴァシリエヴナ]]、[[リャザン公国|リャザン大公]][[ヴァシーリー・トレトノイ|ヴァシーリー3世]]の妃 (+ [[1501年]]) * [[上杉政真]]、[[室町時代]]の[[武将]]、[[相模国]][[守護]]、[[扇谷上杉家]]当主 (+ [[1473年]]) * [[クリストファー・コロンブス]]、[[ジェノヴァ]]出身の[[探検家]]、[[航海者]]、商人 (+ [[1506年]]) * [[筒井順尊]]、室町時代、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将、[[筒井氏]]当主 (+ [[1489年]]) * [[三浦義同]]、室町時代、戦国時代の武将 (+ [[1516年]]) * [[結城氏広]]、室町時代の武将、[[結城氏]]の第14代当主 (+ [[1481年]]) * [[蓮教]]、室町時代、戦国時代の[[浄土真宗]]の[[僧]]、[[興正寺]]第14世 (+ [[1492年]]) == 死去 == {{see also|Category:1451年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月7日]] - [[フェリクス5世 (対立教皇)|フェリクス5世]]、[[対立教皇]] (* [[1383年]]) * [[1月22日]] (宝徳2年[[12月20日 (旧暦)|12月20日]]) - [[朝倉家景]]、[[室町時代]]の[[武将]]、[[朝倉氏]]第6代当主 (* [[1402年]]) * [[2月3日]] - [[ムラト2世]]、[[オスマン帝国]]の第6代[[皇帝]] (* [[1404年]]) * [[7月11日]] - [[バルバラ・ツェリスカ]]、[[神聖ローマ皇帝]][[ジギスムント (神聖ローマ皇帝)|ジギスムント]]の2番目の妃 (* 1390年/1395年) * [[8月2日]] - [[エリーザベト・フォン・ゲルリッツ]]、[[ルクセンブルク君主一覧|ルクセンブルク女公]] (* [[1390年]]) * [[12月21日]] (宝徳3年[[11月28日 (旧暦)|11月28日]]) - [[一色教親]]、室町時代の[[守護大名]] (* [[1419年]]) * [[蘆名盛信]]、室町時代の武将、[[蘆名氏]]の第11代当主 (* [[1408年]]) * [[アブドゥッラー (ティムール朝)|アブドゥッラー]]、[[ティムール朝]]の第5代君主 (* 生年未詳) * [[アラーウッディーン=アーラムシャー]]、[[サイイド朝]]の第4代君主 (* 生年未詳) * [[織田郷広]]、室町時代の武将、[[尾張国]][[守護代]] (* 生年未詳) * [[シュテファン・ロッホナー]]、[[ドイツ]]の[[ゴシック]]期の[[画家]] (* [[1400年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1451}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=15|年代=1400}} {{デフォルトソート:1451ねん}} [[Category:1451年|*]]
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1837年
1837年(1837 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
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1837年は、西暦(グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1837}} {{year-definition|1837}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丁酉]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[天保]]8年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2497年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[道光]]17年  * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[憲宗 (朝鮮王)|憲宗]]3年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4170年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[阮朝]] : [[明命]]18年  * [[仏滅紀元]] : 2379年 - 2380年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1252年9月23日 - 1253年10月3日 * [[ユダヤ暦]] : 5597年4月24日 - 5598年4月3日 * [[ユリウス暦]] : 1836年12月20日 - 1837年12月19日 * [[修正ユリウス日]](MJD) : -7990 - -7626 * [[リリウス日]](LD) : 92851 - 93215 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1837}} == できごと == * [[1月26日]] - 米国で[[ミシガン州|ミシガン]]が26番目に州となる * [[3月25日]](天保8年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]]) - [[大塩平八郎の乱]] * [[3月 (旧暦)|3月]] - 大塩平八郎が[[自殺]]する。[[大坂]]・[[兵庫津|兵庫]]・[[尾道]]・[[尼崎]]など各地で[[打ちこわし]]や[[騒動]]が勃発する。 * [[6月20日]] - 英[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ビクトリア女王]]即位 * [[7月3日]](天保8年6月1日) - [[生田万の乱]] * [[7月13日]] - 英ビクトリア女王が[[セント・ジェームズ宮殿]]から[[バッキンガム宮殿]]に移り住む。これ以降バッキンガムが英王室の常住の場となる。 * [[7月24日]]-[[8月18日]] - イギリスで{{仮リンク|1837年イギリス総選挙|label=総選挙|en|United Kingdom general election, 1837}}。[[ウィリアム・ラム (第2代メルバーン子爵)|メルバーン卿]]内閣の与党[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]が多数を維持するも与野党議席差縮まる。 * [[7月30日]](天保8年6月28日) - [[モリソン号事件]] * [[9月4日]] - [[サミュエル・モールス|モールス]]が[[有線電信機]]を発明。長距離間の連絡を可能にする電信装置の[[特許]]を申請した。 * [[10月1日]](天保8年9月2日) - [[徳川家慶]]が[[征夷大将軍]]に就任 == 誕生 == {{see also|Category:1837年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月2日]] - [[ミリイ・バラキレフ]]、[[作曲家]](+ [[1910年]]) * [[1月3日]]([[天保]]8年[[12月13日 (旧暦)|12月13日]]) - [[和泉守兼定]]、[[刀工]]・[[会津兼定]]第11(12)代当主(+ [[1903年]]) * [[1月11日]]([[天保]]7年[[12月5日 (旧暦)|12月5日]])- [[篠原国幹]]、[[西南戦争]]時の西郷軍一番大隊指揮長(+ [[1877年]]) * [[1月22日]](天保7年[[12月16日 (旧暦)|12月16日]])- [[出口なお]]、[[大本]]開祖(+ [[1918年]]) * [[1月25日]](天保7年[[12月19日 (旧暦)|12月19日]])- [[富岡鉄斎]]、[[文人画|文人画家]]・[[儒学者]](+ [[1924年]]) * [[1月31日]](天保7年[[12月25日 (旧暦)|12月25日]])- [[高松凌雲]]、[[医師]]・日本の[[赤十字社|赤十字運動]]先駆者(+ [[1916年]]) * [[2月5日]] - [[ドワイト・ライマン・ムーディー]]、[[キリスト教]]の[[伝道者]]・[[説教家]](+ [[1899年]]) * [[2月7日]] - [[ジェームズ・マレー (辞典編纂者)|ジェームズ・マレー]]、[[言語学者]](+ [[1915年]]) * [[2月17日]] - [[ピエール・オーギュスト・コット]]、[[画家]](+ [[1883年]]) * [[3月7日]](天保8年[[2月1日 (旧暦)|2月1日]]) - [[児島惟謙]]、政治家・[[大審院]]判事(+ [[1908年]]) * 3月7日 - [[ヘンリー・ドレイパー]]、[[天文学者]](+ [[1882年]]) * [[3月9日]] - [[アダム・オペル]]、ドイツ自動車メーカー「[[オペル|アダムオペル]]」創業者(+ 1895年) * [[3月11日]] - [[アレクサンドル・ギルマン]]、[[オルガニスト]]・作曲家(+ [[1911年]]) * [[3月13日]](天保8年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]) - [[三条実美]]、[[公卿]]・[[明治維新]]の[[元勲]](+ [[1891年]]) * [[3月18日]] - [[グロバー・クリーブランド]]、第22・24代[[アメリカ合衆国大統領]](+ [[1908年]]) * 3月18日(天保8年[[2月12日 (旧暦)|2月12日]]) - [[谷干城]]、[[軍人]]・[[政治家]](+ [[1911年]]) * [[3月22日]](天保8年[[2月16日 (旧暦)|2月16日]])- [[成島柳北]]、[[ジャーナリスト]](+ [[1884年]]) * [[3月24日]] - [[ホレース・タットル]]、[[天文学者]](+ [[1923年]]) * [[4月5日]] - [[レオン・ド・ロニー]]、[[民俗学者]]・[[言語学者]](+ [[1914年]]) * [[4月17日]] - [[ジョン・モルガン]]、アメリカの[[投資家]]・モルガン財閥創業者(+ [[1913年]]) * [[4月21日]] - [[フレデリック・バイエル]]、[[政治家]](+ [[1922年]]) * [[4月29日]] - [[ジョルジュ・ブーランジェ]]、フランス陸相・[[ブーランジェ将軍事件]]指導者(+ [[1891年]]) * [[5月1日]] - [[ウィリアム・ウィリス]]、イギリスの[[医者]](+ [[1894年]]) * [[5月9日]](天保8年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]])- [[入江九一]]、[[長州藩|長州藩士]](+ [[1864年]]) * [[5月21日]](天保8年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]])- [[板垣退助]]、[[自由民権運動]]指導者・[[内務大臣 (日本)|内務大臣]](+ [[1919年]]) * [[5月22日]](天保8年[[4月18日 (旧暦)|4月18日]])- [[吉村虎太郎|吉村寅太郎]]、[[土佐藩]]出身の[[志士]](+ [[1863年]]) * [[5月23日]] - [[ユゼフ・ヴィエニャフスキ]]、[[作曲家]]・[[ピアニスト]](+ [[1912年]]) * [[5月27日]] - [[ワイルド・ビル・ヒコック]]、[[西部開拓時代]]の[[ガンマン]](+ [[1876年]]) * [[6月8日]] - [[イワン・クラムスコイ]]、[[画家]](+ [[1887年]]) * [[6月22日]] - [[ポール・モーフィー]]、[[チェス]]選手(+ [[1884年]]) * [[7月17日]] - [[ヴィルヘルム・レキシス]]、[[経済学者]]・[[統計学|統計学者]](+ [[1914年]]) * [[8月6日]](天保8年[[7月6日 (旧暦)|7月6日]]) - [[津田仙]]、[[農学者]]・[[キリスト者]](+ [[1908年]]) * [[8月10日]](天保8年[[7月10日 (旧暦)|7月10日]]) - [[川崎正蔵]]、[[実業家]]、[[神戸川崎財閥]]の創設者(+ [[1912年]]) * [[8月13日]](天保8年[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]) - [[池田慶徳]]、第12代[[鳥取藩|鳥取藩主]](+ [[1877年]]) * [[8月15日]](天保8年[[7月15日 (旧暦)|7月15日]]) - [[鈴木三樹三郎]]、[[新選組]]9番隊隊長・[[御陵衛士]](+ [[1919年]]) * [[8月17日]](天保8年[[7月17日 (旧暦)|7月17日]]) - [[鈴木岩治郎]]、[[実業家]]・[[鈴木商店]]創業者(+ [[1894年]]) * [[8月26日]] - [[エトムント・ヴァイス]]、天文学者(+ [[1917年]]) * [[8月30日]] - [[エレン・アーサー]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](+ [[1880年]]) * [[9月2日]]([[道光]]17年[[8月3日 (旧暦)|8月3日]])- [[張之洞]]、[[清]]末の政治家(+ [[1909年]]) * [[9月8日]](天保8年[[8月9日 (旧暦)|8月9日]])- [[早矢仕有的]]、実業家・[[丸善雄松堂|丸善]]創業者(+ [[1901年]]) * [[9月16日]] - [[ペドロ5世 (ポルトガル王)|ペドロ5世]]、[[ポルトガル|ポルトガル王]](+ [[1861年]]) * [[9月20日]](天保8年[[8月21日 (旧暦)|8月21日]]) - [[浜田彦蔵]]、[[通訳]]・貿易商(+ [[1897年]]) * [[10月10日]]([[道光]]17年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]])- [[劉永福]]、清末の軍人(+ [[1909年]]) * [[10月19日]](天保8年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]])- [[藤堂高潔]]、第12代[[津藩|津藩主]](+ [[1889年]]) * [[10月23日]](天保8年[[9月24日 (旧暦)|9月24日]])- [[大倉喜八郎]]、実業家・[[大倉財閥]]創業者(+ [[1928年]]) * [[10月28日]](天保8年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]])- [[徳川慶喜]]、[[江戸幕府]]第15代[[征夷大将軍]](+ [[1913年]]) * [[11月22日]] - [[フランクリン・マクヴェーグ]]、第45代[[アメリカ合衆国財務長官]](+ [[1934年]]) * [[11月23日]] - [[ヨハネス・ファン・デル・ワールス]]、[[物理学者]](+ [[1923年]]) * [[12月2日]] - [[レオンス・ヴェルニー]]、[[お雇い外国人]]の[[技術者]](+ [[1908年]]) * [[12月9日]] - [[エミール・ワルトトイフェル]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Emil-Waldteufel Emil Waldteufel French composer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、作曲家(+ [[1915年]]) * 12月9日(天保8年[[11月2日 (旧暦)|11月2日]])- [[樺山資紀]]、日本の[[海軍大臣]]・[[台湾総督]]・内務大臣・[[文部大臣]](+ [[1922年]]) * [[12月24日]] - [[エリーザベト (オーストリア皇后)|エリーザベト皇后]]、[[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|オーストリア・ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世]]の皇后(+ [[1898年]]) * [[12月25日]] - [[コジマ・ワーグナー]]、作曲家[[リヒャルト・ワーグナー]]の妻(+ [[1930年]]) * [[12月26日]] - [[ジョージ・デューイ]]、[[元帥 (アメリカ合衆国)|アメリカ海軍主席提督]](+ [[1917年]]) * 12月26日 - [[モーガン・バークリー]]、[[メジャーリーグベースボール]]の[[ナショナルリーグ]]理事長(+ [[1922年]]) == 死去 == {{see also|Category:1837年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月20日]] - [[ジョン・ソーン]]、[[建築家]](* [[1753年]]) * [[1月23日]] - [[ジョン・フィールド]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/John-Field-Irish-composer John Field Irish composer] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[作曲家]](* [[1782年]]) * [[2月4日]]([[天保]]7年[[12月29日 (旧暦)|12月29日]])- [[毛利斉広]]、第13代[[長州藩|長州藩主]](* [[1814年]]) * [[2月7日]] - [[グスタフ4世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ4世アドルフ]]、[[スウェーデン|スウェーデン王]](* [[1778年]]) * [[2月10日]] - [[アレクサンドル・プーシキン]]、作家(* [[1799年]]) * [[2月19日]] - [[ゲオルク・ビュヒナー]]、[[劇作家]](* [[1813年]]) * [[3月17日]](天保8年[[2月11日 (旧暦)|2月11日]])- [[大窪詩仏]]、[[漢詩|漢詩人]](* [[1767年]]) * [[3月31日]] - [[ジョン・コンスタブル]]、[[画家]](* [[1776年]]) * [[4月5日]](天保8年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]])- [[片岡仁左衛門 (7代目)]]、[[歌舞伎]]役者(* [[1755年]]) * [[4月23日]](天保8年[[3月19日 (旧暦)|3月19日]])- [[大久保忠真]]、[[江戸幕府]][[老中]]・[[小田原藩|小田原藩主]](* [[1778年]]) * [[5月1日]](天保8年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[大塩平八郎]]、[[陽明学|陽明学者]](* [[1793年]]) * [[6月9日]](天保8年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]])- [[徳川斉位]]、[[一橋徳川家]]第5代当主(* [[1818年]]) * [[6月20日]] - [[ウィリアム4世 (イギリス王)|ウィリアム4世]]、[[イギリス|イギリス王]](* [[1765年]]) * [[7月3日]](天保8年[[6月1日 (旧暦)|6月1日]])- [[生田万]]、[[国学|国学者]](* [[1801年]]) * [[7月5日]](天保8年[[6月3日 (旧暦)|6月3日]])- [[一条忠良]]、[[江戸時代]]の[[公卿]](* [[1774年]]) * [[7月15日]](天保8年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]])- [[嵐璃寛 (2代目)]]、歌舞伎役者(* [[1788年]]) * [[8月9日]](天保8年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]])- [[小俣蠖庵]]、[[篆刻|篆刻家]]・[[書道|書家]]・[[山水画|山水画家]](* [[1765年]]) * [[9月16日]] - [[フィリッポ・ブオナローティ]]、[[革命家]](* [[1761年]]) * [[10月5日]] - [[オルタンス・ド・ボアルネ]]、ホラント王[[ルイ・ボナパルト]]の妃(* [[1783年]]) * [[10月10日]] - [[シャルル・フーリエ]]、[[空想的社会主義]][[思想|思想家]](* [[1772年]]) * [[10月12日]] - [[ヴィルヘルミーネ・フォン・プロイセン (1774-1837)|ヴィルヘルミーネ]]、[[ウィレム1世 (オランダ王)|オランダ王ヴィレム1世]]の妃(* [[1774年]]) * [[10月17日]] - [[ヨハン・ネポムク・フンメル]]、作曲家(* [[1778年]]) * 月日不詳 - [[安井仙角仙知]]、[[棋士 (囲碁)|囲碁棋士]](* [[1764年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1837}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=19|年代=1800}} {{デフォルトソート:1837ねん}} [[Category:1837年|*]]
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1185年
1185年(1185 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1185年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1185}} {{year-definition|1185}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[乙巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[伊勢平氏|平家方]] : [[寿永]]4年(-[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) ** [[清和源氏|源氏方]] : [[元暦]]2年、[[文治]]元年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]] - ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]1845年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[南宋]] : [[淳熙]]12年 ** [[金 (王朝)|金]] : [[大定 (金)|大定]]25年 * 中国周辺 ** [[西遼]] : [[天禧 (西遼)|天禧]]8年? ** [[西夏]]{{Sup|*}} : [[乾祐 (西夏)|乾祐]]16年 ** [[大理国]] : [[元亨 (大理)|元亨]]元年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[高麗]] : [[明宗 (高麗王)|明宗]]15年 ** [[檀君紀元|檀紀]] : 3518年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[李朝 (ベトナム)|李朝]] : [[貞符]]10年 * [[仏滅紀元]] : 1727年 - 1728年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 580年 - 581年 * [[ユダヤ暦]] : 4945年 - 4946年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1185|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[5月1日]]、[[中央アメリカ]] - [[大西洋]] - [[中央アジア]]にかけて[[日食]]発生([[1185年5月1日の日食]])。 === 日本 === * 平氏軍が[[屋島の戦い]]に敗れ、海路西へ逃れる。 * [[4月25日]](元暦2年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[壇ノ浦の戦い]]に平氏一門が滅亡{{Sfn|ファータド|2013|p=131|ps=「平家滅亡 源義経が壇ノ浦の戦いで平氏一門を破り、朝廷に代わる武家政権が成立する。」}}、[[安徳天皇]]が入水。 * [[源義経]]の勝報が鎌倉の頼朝に届く。 * 無断任官の東国武士24人頼朝により処罰される。 * [[源頼朝]]の命により[[土佐坊昌俊]]、義経を襲撃するも失敗、[[後白河天皇|後白河法皇]]より源義経頼朝追討の院宣を賜る。源頼朝大軍を発する。 * 源義経追討の院宣出る。源義経大物浦より船出し消息を絶つ。 * [[7月18日]](元暦2年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]])([[玉葉]]巻四二など多数から)、 * [[8月6日]](元暦2年[[7月9日 (旧暦)|7月9日]])([[吾妻鏡]]巻四など多数から)、京都一帯に大地震([[文治地震]])。[[御所]]の建物も危険視され、園庭に幄を設けて御所とした。地割れが走り、液状化によって水吹き出す<ref>水野章二「中世の災害」/ 北原糸子編著『日本災害史』吉川弘文館 2006年 150ページ</ref>。 * [[源広綱]]、[[駿河国|駿河]]守に就く。 * [[源頼朝]]、[[守護]]・[[地頭]]を設置。 * [[島津忠久]]、島津荘の下司識に就く。 * [[九州]]に[[鎮西奉行]]が設置される。 * [[鎌倉幕府]]が成立した年とされる(ただし、どの出来事をもって鎌倉幕府の成立とみなすかの解釈に差異があるため、[[1180年]]、[[1183年]]、1185年、[[1190年]]、[[1192年]]と諸説ある。詳細は[[鎌倉幕府]]を参照)。 == 誕生 == {{see also|Category:1185年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月23日]] - [[アフォンソ2世 (ポルトガル王)|アフォンソ2世]]、第3代[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](+ [[1223年]]) * [[10月15日]](文治元年[[9月20日 (旧暦)|9月20日]]) - [[九条良輔]]、[[鎌倉時代]]の[[公卿]](+ [[1218年]]) * [[グリエルモ3世]]、[[シチリア王国|シチリア王]](+ [[1198年]]) * [[大炊御門麗子]]、[[土御門天皇]]の[[中宮]](+ [[1243年]]) * [[中原師員]]、鎌倉時代の文官御家人(+ [[1251年]]) * [[鷹司兼基]]、鎌倉時代の公卿(+ 没年未詳) * [[伊達義広]]、鎌倉時代の[[武将]](+ 1251年/[[1256年]]) == 死去 == {{see also|Category:1185年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月12日]](元暦2年[[1月11日 (旧暦)|1月11日]]) - [[藤原隆季]]、[[平安時代]]の[[公卿]](* [[1127年]]) * [[3月16日]] - [[ボードゥアン4世 (エルサレム王)|ボードゥアン4世]]、[[エルサレム王国|エルサレム]]国王(* [[1161年]]) * [[3月22日]](元暦2年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]]) - [[鎌田光政]]、平安時代の[[武将]](* 生年未詳) * 3月22日(元暦2年2月19日) - [[佐藤継信]]、平安時代の武将(* [[1158年]]?) * [[4月25日]](元暦2年[[3月24日 (旧暦)|3月24日]]) - [[平経盛]]、平安時代の武将(* [[1125年]]) * 4月25日(元暦2年3月24日) - [[平教盛]]、平安時代の武将(* [[1128年]]) * 4月25日(元暦2年3月24日) - [[平時子]]、[[平清盛]]の妻・安徳天皇の祖母(* [[1126年]]) * 4月25日(元暦2年3月24日) - [[平知盛]]、平安時代の武将・平清盛の子(* [[1152年]]) * 4月25日(元暦2年3月24日) - [[平教経]]、平安時代の武将(* [[1160年]]) * 4月25日(元暦2年3月24日) - [[平資盛]]、平安時代の武将(* [[1161年]]) * 4月25日(元暦2年3月24日) - [[平有盛]]、平安時代の武将(* [[1164年]]) * 4月25日(元暦2年3月24日) - [[平行盛]]、平安時代の武将(* 生年不詳) * 4月25日(元暦2年3月24日) - [[安徳天皇]]<ref>{{Kotobank|安徳天皇}}</ref>、第81代[[天皇]](* [[1178年]]) * 4月25日(元暦2年3月24日) - [[平家長]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[6月6日]](元暦2年[[5月7日 (旧暦)|5月7日]]) - [[平能宗]]、平安時代の武将(* [[1178年]]?) * [[6月16日]] - [[リクサ・シロンスカ]]、[[ポーランド王国|ポーランド]]の王女(* [[1140年]]?) * [[7月19日]](元暦2年[[6月21日 (旧暦)|6月21日]]) - [[平宗盛]]、[[平清盛]]の三男(* [[1147年]]) * [[9月12日]] - [[アンドロニコス1世コムネノス]]、[[東ローマ帝国]][[コムネノス王朝]]最後の[[皇帝]](* [[1123年]]) * [[11月19日]](文治元年[[10月26日 (旧暦)|10月26日]]) - [[土佐坊昌俊]]、平安時代の武将、[[僧侶]](* 生年未詳) * [[12月5日]](文治元年[[11月12日 (旧暦)|11月12日]]) - [[河越重房]]、平安時代の武将(* [[1169年]]?) * 12月5日(文治元年11月12日) - [[河越重頼]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[12月6日]] - [[アフォンソ1世 (ポルトガル王)|アフォンソ1世]]、[[ブルゴーニュ王朝]]の初代[[ポルトガル王国|ポルトガル王]](* [[1109年]]) * [[秋山光朝]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[イブン・トファイル]]、[[グラナダ]]出身の[[イスラーム哲学|イスラム哲学者]](* [[1105年]]) * [[完顔允恭]]、[[金 (王朝)|金]]の[[皇族]](* [[1146年]]) * [[菊池隆直]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[バースカラ2世]]、[[インド]]の[[数学者]]、[[天文学者]](* [[1114年]]) * [[藤原忠清]]、平安時代の武将(* 生年未詳) * [[藤原景経]]、平安時代の武将(* 生年未詳) <!-- == 注釈 == {{Reflist|group="注"}} --> == 出典 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == * {{Cite book ja-jp |author=ピーター・ファータド(編集) |year=2013 |title=世界の歴史を変えた日 1001 |publisher=ゆまに書房 |isbn=978-4-8433-4198-8 |ref={{Sfnref|ファータド|2013}}}}<!-- 2013年10月15日初版1刷 --> == 関連項目 == {{Commonscat|1185}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=12|年代=1100}} {{デフォルトソート:1185ねん}} [[Category:1185年|*]]
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1543年
1543年(1543 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1543年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1543}} {{year-definition|1543}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[天文 (元号)|天文]]12年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2203年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[嘉靖]]22年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[中宗 (朝鮮王)|中宗]]38年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3876年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[莫朝]] : [[広和]]3年 ** [[黎朝|後黎朝]] : [[元和 (黎朝)|元和]]11年 * [[仏滅紀元]] : 2085年 - 2086年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 949年 - 950年 * [[ユダヤ暦]] : 5303年 - 5304年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1543|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[種子島]]に[[ポルトガル]]人漂着、[[鉄砲伝来]](年代については諸説あり) * [[ニコラウス・コペルニクス]]、『[[天球の回転について]]』発表。 * [[アンドレアス・ヴェサリウス]]、『人体の構造』発表 == 誕生 == {{see also|Category:1543年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月31日]](天文11年[[12月26日 (旧暦)|12月26日]]) - [[徳川家康]]、[[戦国大名]]・[[江戸幕府]]の初代[[征夷大将軍]](+[[1616年]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/3791|title=天下は天下の天下なり…徳川家康の遺言|work=WEB 歴史街道|date=2017-04-17|accessdate=2021-03-02}}</ref>) * [[2月16日]](天文12年[[1月13日 (旧暦)|1月13日]])- [[狩野永徳]]、[[絵師]](+ [[1590年]]) * 月日不明 - [[スーナム・ギャツォ]]、3代目[[ダライ・ラマ]](+[[1588年]]) == 死去 == {{see also|Category:1543年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月21日]] - [[アフマド・イブン・イブリヒム・アル=ガジー]]、[[アダル・スルタン国]]の[[イマーム]](* [[1507年]]頃) * [[4月15日]] - [[フランチェスコ・ダ・ミラノ]]、[[イタリア]]・[[ルネサンス音楽]]の[[作曲家]]、[[リュート|リュート奏者]](* [[1497年]]) * [[4月23日]] - [[ズザンナ・フォン・バイエルン]]、[[バイロイト侯領|ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯]][[カジミール (ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯)|カジミール]]の妃(* [[1502年]]) * [[5月24日]] - [[ニコラウス・コペルニクス]]、[[天文学者]](* [[1473年]]) * [[8月16日]] ([[天文 (元号)|天文]]12年[[7月16日 (旧暦)|7月16日]]) - [[蓮悟]]、[[室町時代]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[浄土真宗]]の[[僧]](* [[1468年]]) * [[12月27日]] - [[ゲオルク (ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯)|ゲオルク]]、[[アンスバッハ侯領|ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯]](*[[1484年]]) * [[12月29日]] - [[マリア・サルヴィアティ]]、[[メディチ家]]の[[ジョヴァンニ・デッレ・バンデ・ネーレ]]の妻(*[[1499年]]) * [[池坊専応]]、戦国時代の[[京都]][[頂法寺]]の僧・立花師(* [[1482年]]) * [[久我通言]]、室町時代、戦国時代の[[公卿]](* [[1487年]]) * [[スルタン・クリ・クトゥブル・ムルク]]、[[インド]]の[[クトゥブ・シャーヒー王国]]の創始者(* [[1444年]]) <!--* [[鶴姫 (大三島)|鶴姫]]、戦国時代の[[大宮司]]・[[大祝安用]]の娘(* [[1526年]])実在性に疑義があるためコメントアウト--> * [[ハンス・ホルバイン]]、[[ルネサンス]]期の[[ドイツ]]の[[画家]](* [[1497年]]) * [[ムタワッキル3世]]、[[アッバース朝]]最後の[[カリフ]](* 生年未詳) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1543}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] {{十年紀と各年|世紀=16|年代=1500}} {{デフォルトソート:1543ねん}} [[Category:1543年|*]]
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1473年
1473年(1473 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1473年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1473}} {{year-definition|1473}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[文明 (日本)|文明]]5年 *** [[古河公方]] : [[享徳]]22年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2133年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[成化]]9年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[成宗 (朝鮮王)|成宗]]4年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3806年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[洪徳 (黎朝)|洪徳]]4年 * [[仏滅紀元]] : 2015年 - 2016年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 877年 - 878年 * [[ユダヤ暦]] : 5233年 - 5234年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1473|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[8月11日]] - [[:en:Battle_of_Otlukbeli|オトゥルクベリの戦い(英語版)]]で[[オスマン帝国]]のスルタン[[メフメト2世]]がウズン・ハサン率いる[[白羊朝]]を破る。 == 誕生 == {{see also|Category:1473年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月19日]] - [[ニコラウス・コペルニクス]]、[[ポーランド]]の[[法学者]]、[[天文学者]](+ [[1543年]]) * [[3月3日]](文明5年[[2月5日 (旧暦)|2月5日]]) - [[朝倉貞景 (9代当主)|朝倉貞景]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[戦国大名]]、[[朝倉氏]]の第9代当主(+ [[1512年]]) * [[3月16日]] - [[ハインリヒ4世 (ザクセン公)|ハインリヒ4世]]、[[ザクセン公国|ザクセン公]](+ [[1541年]]) * [[3月17日]] - [[ジェームズ4世 (スコットランド王)|ジェームズ4世]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(+ [[1513年]]) * [[8月14日]] - [[マーガレット・ポール]]、[[イングランド王国|イングランド]]の貴族、[[ソールズベリー伯|ソールズベリー女伯]](+ [[1541年]]) * [[8月17日]] - [[リチャード・オブ・シュルーズベリー (ヨーク公)|リチャード・オブ・シュルーズベリー]]、イングランドの貴族、[[ヨーク公]]、[[ノーフォーク公]](+ 1483年?<ref>Weir, p. 141</ref>) * [[9月24日]] - [[ゲオルク・フォン・フルンツベルク]]、[[神聖ローマ帝国]]の[[軍人]]、[[騎士]](+ [[1528年]]) * [[荒木田守武]]、戦国時代の[[伊勢神宮]]祠官、[[連歌|連歌師]](+ [[1549年]]) * [[今川氏親]]、戦国時代の守護大名、戦国大名、[[駿河国|駿河]][[今川氏|今川家]]の第7代当主(+ [[1526年]]) * [[肝付兼久]]、戦国時代の武将、[[肝付氏]]の第14代当主(+ [[1523年]]) * [[相良長泰 (肥後相良氏)|相良長泰]]、戦国時代の武将(+ [[1487年]]) * [[諏訪頼満 (安芸守)|諏訪頼満]]、戦国時代の戦国大名、[[諏訪氏]]の第9代当主(+ [[1540年]]) * [[崔世珍]]、[[李氏朝鮮]]の学者(+ [[1542年]]) * [[チェチーリア・ガッレラーニ]]、[[ミラノ公国|ミラノ公]][[ルドヴィーコ・スフォルツァ]]の愛妾(+ [[1536年]]) * [[トマス・ハワード (第3代ノーフォーク公)|トマス・ハワード]]、イングランドの貴族、[[ノーフォーク公]](+ [[1554年]]) * [[ハンス・ブルクマイアー]]、[[ドイツ]]の[[画家]]、[[版画家]](+ [[1531年]]) * [[松平長親]]、戦国時代の戦国大名、[[松平氏]]の第5代当主(+ [[1544年]]) == 死去 == {{see also|Category:1473年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月1日]](文明4年[[12月3日 (旧暦)|12月3日]]) - [[小早川煕平]]、室町時代の武将、[[沼田小早川氏]]の当主(* [[1416年]]) * [[1月24日]] - [[コンラート・パウマン]]、[[ドイツ]]の[[オルガニスト]](* [[1404年]]) * [[2月13日]](文明5年[[1月16日 (旧暦)|1月16日]]) - [[山名教之]]、室町時代の守護大名(* 生年不詳) * [[2月18日]](文明5年[[1月21日 (旧暦)|1月21日]]) - [[伊勢貞親]]、室町時代の[[政所]][[執事]](* [[1417年]]) * [[4月15日]](文明5年[[3月18日 (旧暦)|3月18日]]) - [[山名宗全]]<ref>『東寺執行日記』には「死去は18日なり。16日に大事にて、18日治定か」とある。川岡、P144 - P145。</ref>、室町時代の守護大名(* [[1404年]]) * [[6月3日]](文明5年[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]) - [[瑞渓周鳳]]、室町時代の[[臨済宗]]の[[僧]](* [[1392年]]) * [[6月6日]](文明5年[[5月11日 (旧暦)|5月11日]]) - [[細川勝元]]、室町時代の守護大名、細川氏[[嫡流]]の[[細川氏|京兆家]]の当主(* [[1430年]]) * [[7月18日]](文明5年[[6月23日 (旧暦)|6月23日]]) - [[長尾景信]]、室町時代の武将(* [[1413年]]) * [[9月19日]](文明5年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]]) - [[経覚]]、室町時代の[[法相宗]]の僧(* [[1395年]]) * [[12月1日]](文明5年[[11月12日 (旧暦)|11月12日]]) - [[京極政光]]、室町時代の武将(* [[1450年]]) * [[12月13日]](文明5年[[11月24日 (旧暦)|11月24日]]) - [[上杉政真]]、室町時代の武将、[[相模国]][[守護]]、[[扇谷上杉家]]当主(* [[1451年]]) * [[ニコラ1世 (ロレーヌ公)|ニコラ1世]]、[[ロレーヌ公]](* [[1448年]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1473}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=15|年代=1400}} {{デフォルトソート:1473ねん}} [[Category:1473年|*]]
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1431年
1431年(1431 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1431年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1431}} {{year-definition|1431}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[辛亥]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[永享]]3年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2091年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[宣徳]]6年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[世宗 (朝鮮王)|世宗]]13年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3764年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[順天 (黎朝)|順天]]4年 * [[仏滅紀元]] : 1973年 - 1974年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 834年 - 835年 * [[ユダヤ暦]] : 5191年 - 5192年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1431|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[5月24日]] - [[ジャンヌ・ダルク]]が異端裁判にて自分の誤りを認める書類にサイン。 * [[5月30日]] - ジャンヌ・ダルク[[火刑]]。 * [[12月16日]] - [[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]、[[パリ]]の[[ノートルダム大聖堂 (パリ)|ノートルダム大聖堂]]で[[フランス君主一覧|フランス王]]の[[戴冠式]]を挙行。 === 日本 === * [[2月 (旧暦)|旧暦2月]] - [[伊勢国]][[守護]]の[[土岐持頼]]と伊勢[[国司]]の[[北畠顕雅]]が上洛して足利義教に謁見する。足利義教が石清水、伊勢、[[高野山]]に詣でる。 * [[4月 (旧暦)|旧暦4月]] - [[足利義教]]が[[高野山]]に参詣する。 * [[6月 (旧暦)|旧暦6月]] - [[大内盛見]]が[[大友親直]]、[[少弐満貞]]、[[菊池兼朝]]連合軍と[[筑前国]]萩原に戦い敗死。 * [[11月 (旧暦)|旧暦11月]] - [[大内持世]]が大友持直を筑前国で破る。 == 誕生 == {{see also|Category:1431年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月1日]] - [[アレクサンデル6世 (ローマ教皇)|アレクサンデル6世]]、第214代[[教皇|ローマ教皇]](+ [[1503年]]) * [[7月22日]](永享3年[[6月13日 (旧暦)|6月13日]]) - [[広橋綱光]]、室町時代の公卿、[[広橋家]]の第12代当主(+ [[1477年]]) * [[10月26日]] - [[エルコレ1世・デステ]]、[[フェッラーラ]]公(+ [[1505年]]) * [[11月10日]] - [[ヴラド・ツェペシュ]]{{要出典|date=2021-02}}、[[ルーマニア]]の[[ワラキア]]の領主(+ [[1476年]]) * [[12月18日]](永享3年[[11月14日 (旧暦)|11月14日]]) - [[上杉房定]]、[[室町時代]]、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[守護大名]](+ [[1494年]]) * [[蘆名盛詮]]、室町時代の武将、[[蘆名氏]]の第12代当主(+ [[1466年]]) * [[一色義直]]、室町時代の守護大名(+ 没年不詳) * [[フランソワ・ヴィヨン]]、[[フランス]]の[[詩人]](+ 1463年以降) * [[武田信広]]、室町時代、戦国時代の戦国大名(+ [[1494年]]) * [[ジャスパー・テューダー (ベッドフォード公)|ジャスパー・テューダー]]、[[イングランド]]の貴族、[[ベッドフォード公爵]]、[[ペンブルック伯]](+ [[1495年]]) * [[ジョン・ネヴィル (初代モンターギュ侯)|ジョン・ネヴィル]]、イングランドの貴族、[[モンターギュ侯爵]]、[[ノーサンバランド伯]](+ [[1471年]]) * [[ボーロマトライローカナート]]、[[タイ王国|タイ]]の[[アユタヤ王朝]]の第9代の王(+ [[1488年]]) * [[松平親忠]]、室町時代、戦国時代の武将、[[松平氏]]の第4代当主(+ [[1501年]]) * [[アンドレア・マンテーニャ]]、[[イタリア]]の[[ルネサンス]]期の[[画家]](+ [[1506年]]) == 死去 == {{see also|Category:1431年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月20日]] - [[マルティヌス5世 (ローマ教皇)|マルティヌス5世]]、第206代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1368年]]) * [[5月30日]] - [[ジャンヌ・ダルク]]、[[フランス]]の国民的英雄、[[聖女]](* [[1412年]]<ref>(see Pernoud's ''Joan of Arc By Herself and Her Witnesses'', p. 98: 「ブーランビリエはジャンヌがドンレミで生まれたと語った。そして正確な、あるいは正確だと思われるジャンヌの誕生日は、御公現の祝日1月6日だと証言した」</ref>) * [[8月6日]](永享3年[[6月28日 (旧暦)|6月28日]]) - [[大内盛見]]、室町時代の守護大名、[[大内氏]]の第11代当主(* [[1377年]]) * [[9月26日]](永享3年[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]) - [[吉山明兆]]、室町時代の画僧(* [[1352年]]) * [[11月13日]](永享3年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]) - [[西園寺実永]]、室町時代の公卿、[[西園寺家]]の第14代当主(* [[1377年]]) * [[12月8日]] - [[ヤドヴィガ・ヤギェロンカ (1408-1431)|ヤドヴィガ・ヤギェロンカ]]、[[ポーランド王国|ポーランド王]]、[[リトアニア大公国|リトアニア大公]][[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ2世]]の娘(* [[1408年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1431}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=15|年代=1400}} {{デフォルトソート:1431ねん}} [[Category:1431年|*]]
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1513年
1513年(1513 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
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1513年は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
{{年代ナビ|1513}} {{year-definition|1513}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸酉]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[永正]]10年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2173年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[明]] : [[正徳 (明)|正徳]]8年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[中宗 (朝鮮王)|中宗]]8年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3846年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[洪順 (黎朝)|洪順]]5年 * [[仏滅紀元]] : 2055年 - 2056年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 918年 - 919年 * [[ユダヤ暦]] : 5273年 - 5274年 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=151|Type=J|表題=可視}} == できごと == * [[2月18日]] - イタリアでメディチ家に対する陰謀(ボスコリ事件)が発覚し、ニッコロ・マキャヴェッリが連座して捕らえられる。 * [[6月30日]](永正10年[[5月21日 (旧暦)|5月21日]]) - 日本の[[甲斐国]]で河内領主・[[穴山信懸]]が実子[[穴山清五郎|清五郎]]により[[暗殺]]。 * [[9月25日]] - スペインの探検家[[バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア|バルボア]]、[[太平洋]]到達('''南の海'''と命名) * [[教皇|ローマ教皇]][[レオ10世 (ローマ教皇)|レオ10世]]即位(-[[1521年]]) == 誕生 == {{see also|Category:1513年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月10日]] - [[ジェームズ5世 (スコットランド王)|ジェームズ5世]]、[[スコットランド王国|スコットランド王]](+ [[1542年]]) * [[4月22日]](永正10年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[立花道雪]]、戦国時代の[[武将]](+ [[1585年]]{{Sfn|楠戸|2009|p=165}}) * [[9月24日]] - [[カタリーナ・フォン・ザクセン=ラウエンブルク]]、[[スウェーデン]][[スウェーデン君主一覧|王]][[グスタフ1世 (スウェーデン王)|グスタフ1世]]の最初の王妃(+ [[1535年]]) * [[10月30日]] - [[ジャック・アミヨ]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Jacques-Amyot Jacques Amyot French scholar] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、フランスの翻訳家、人文主義者(+ [[1593年]]) * [[安部元真]]、戦国時代の武将 (+ [[1587年]]) * [[今川氏輝]]、戦国時代の戦国大名。[[今川氏]]第10代当主(+ [[1536年]]) * [[ジョージ・ウィシャート]]、スコットランドの神学者(+ [[1546年]]) * [[宇都宮尚綱]]、戦国時代の戦国大名。[[宇都宮氏]]第20代当主(+ [[1549年]]) * [[鵜殿長持]]、戦国時代の武将(+ [[1557年]]) * [[大政所]]、[[豊臣秀吉]]、[[豊臣秀長|秀長]]、[[日秀尼|日秀]]、[[朝日姫]]の生母(+ [[1592年]]) * [[鬼庭良直]]、戦国時代の武将(+ [[1586年]]) * [[小見の方]]、[[斎藤道三]]の[[正室]](+ [[1551年]]) * [[永田徳本]]、[[医師]](+ [[1630年]]?) == 死去 == {{see also|Category:1513年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月20日]] - [[エレナ・イヴァノヴナ (ポーランド王妃)|エレナ・イヴァノヴナ]]、[[リトアニア大公国|リトアニア大公]]兼[[ポーランド王国|ポーランド王]][[アレクサンデル (ポーランド王)|アレクサンデル]]の妃(* [[1476年]]) * [[2月20日]] - [[ハンス (デンマーク王)|ハンス]]、[[デンマーク]]国王、[[ノルウェー]]国王、[[スウェーデン]]国王(* [[1455年]]) * [[2月21日]] - [[ユリウス2世 (ローマ教皇)|ユリウス2世]]、第216代[[教皇|ローマ教皇]](* [[1443年]]) * [[5月10日]] - [[ジョン・ド・ヴィアー (第13代オックスフォード伯)|ジョン・ド・ヴィアー]]、イングランドの軍人・貴族(* [[1442年]]) * [[5月21日]](永正10年[[4月17日 (旧暦)|4月17日]]) - [[斯波義寛]]、室町時代の[[守護大名]](* [[1457年]]) * [[5月31日]](永正10年[[4月27日 (旧暦)|4月27日]]) - [[高梨政盛]]、戦国時代の武将(* [[1456年]]) * [[6月30日]](永正10年[[5月21日 (旧暦)|5月21日]]) - [[穴山信懸]]、戦国時代の武将(* 生年未詳) * [[9月9日]] - [[ジェームズ4世 (スコットランド王)|ジェームズ4世]]、[[スコットランド王国|スコットランド]]王(* [[1473年]]) * [[9月13日]](永正10年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]) - [[蒲生秀行 (刑部大輔)|蒲生秀行]]、戦国時代の武将(* 生年未詳) * [[10月9日]](永正10年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]]) - [[積翠院]]、[[伊達尚宗]]の[[正室]](* 生年未詳) * [[10月27日]](永正10年[[9月29日 (旧暦)|9月29日]])? - [[太田資康]]、戦国時代の武将(* [[1476年]]) * [[10月29日]](永正10年[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - [[砂越氏雄]]、戦国時代の武将(* 生年未詳) * [[11月12日]](永正10年[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]) - [[別所則治]]、戦国時代の武将(* 生年未詳) * [[穴山清五郎]]、戦国時代の武将(* 生年未詳) * [[織田達定]]、戦国時代の武将(* 生年未詳) * [[チャーマ・ラージャ2世]]、[[南インド]]の[[マイソール王国]]の君主(* [[1463年]]) * [[ピントゥリッキオ]]、ルネサンス期のイタリアの画家(* [[1454年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1513}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=16|年代=1500}} {{デフォルトソート:1513ねん}} [[Category:1513年|*]]
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4,835
1677年
1677年(1677 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
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1677年は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1677}} {{year-definition|1677}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丁巳]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[延宝]]5年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2337年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[康熙]]16年 *** [[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権]]{{Sup|*}} : [[永暦 (南明)|永暦]]31年 *** [[楊起隆]] : [[広徳 (楊起隆)|広徳]]5年 *** [[呉三桂]] : [[昭武|周王]]4年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[粛宗 (朝鮮王)|粛宗]]3年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4010年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[永治 (黎朝)|永治]]2年 * [[仏滅紀元]] : 2219年 - 2220年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1087年 - 1088年 * [[ユダヤ暦]] : 5437年 - 5438年 * [[ユリウス暦]] : 1676年12月22日 - 1677年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1677}} == できごと == * [[11月4日]] - [[ヨーク公]][[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ]]の長女[[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー]]と[[オランダ総督]][[ウィリアム3世_(イングランド王)|ウィレム3世]]が結婚{{要出典|date=2021-04}}。 * [[11月16日]] - [[フランス]]軍、[[フライブルク・イム・ブライスガウ|フライブルク]]を占領。 * [[ロンドン大火記念塔]]完成(1671年着工)。 === 日本 === * [[4月13日]] - [[三陸沖地震|延宝十勝沖(陸中)地震]]、M 7.2〜7.5。現在の[[青森県]]東方沖(三陸沖北部)で発生。 * [[11月4日]](延宝5年[[10月9日 (旧暦)|10月9日]]) - [[延宝房総沖地震]]、M 8.0、死者500〜600人。 * [[美濃国|美濃]][[郡上藩]]の農民、[[江戸]]に越訴。郡上藩、増徴派と減租派の家中騒動始まる([[延宝郡上一揆]])。 == 誕生 == {{see also|Category:1677年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月1日]] - [[フランソワ・ジョゼフ・ラグランジュ=シャンセル]]([[w:François Joseph Lagrange-Chancel|François Joseph Lagrange-Chancel]])、[[劇作家]](+ [[1758年]]) * [[2月3日]] - [[ヤン・アイヘル]]([[w:Jan Santini Aichel|Jan Santini Aichel]])、[[建築家]](+ [[1723年]]) * [[2月4日]] - [[ヨハン・ルートヴィヒ・バッハ]]、[[バッハ家]]の[[作曲家]](+ [[1731年]]) * [[2月8日]] - [[ジャック・カッシーニ]]、[[ジョヴァンニ・カッシーニ]]の息子、[[天文学者]](+ [[1756年]]) * [[2月26日]] - [[ニコラ・ファーゴ]]、作曲家、音楽教師(+ [[1745年]]) * [[6月18日]] - [[アントニオ・マリア・ボノンチーニ]]、作曲家、[[チェリスト]](+ [[1726年]]) * [[8月25日]] - [[ジャン=ジョゼフ・ランゲ・ド・ジェルジー]]([[w:Jean-Joseph Languet de Gergy|Jean-Joseph Languet de Gergy]])、[[聖職者]](+ [[1753年]]) * [[9月17日]] - [[スティーヴン・ヘールズ]]、[[生理学者]]、[[化学者]](+ [[1761年]]) * [[9月27日]] - [[ヨハン・ドッペルマイヤー]]、天文学者(+ [[1750年]]) * [[10月20日]] - [[スタニスワフ・レシチニスキ]](スタニスワフ1世)、[[ポーランド]]王、[[ロレーヌ]]公(+ [[1766年]]) * 月日不明 - [[大岡忠相]]、江戸[[町奉行]](+ [[1752年]]) * 月日不明 - [[大石信清]]、[[赤穂浪士]](+ [[1703年]]) * 月日不明 - [[村松高直]]、赤穂浪士(+ [[1703年]]) * 月日不明 - [[クリスティアン・ペツォールト]]、作曲家、[[オルガニスト]](+ [[1733年]]) * 月日不明 - [[李青曇]]、[[中国]]の[[漢方医]](+ [[1933年]]) == 死去 == {{see also|Category:1677年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月18日]] - [[ヤン・ファン・リーベック]]、[[植民地]][[総督]](* [[1619年]]) * [[2月21日]] - [[バールーフ・デ・スピノザ]]、[[合理主義哲学|合理主義哲学者]](* [[1632年]]) * [[2月27日]](延宝5年[[1月26日 (旧暦)|1月26日]]) - [[大石良欽]]、[[大石良雄|大石内蔵助]]の祖父(* [[1617年]]頃) * [[3月15日]] - [[エヴァリスト・バスケニス]]([[w:Evaristo Baschenis|Evaristo Baschenis]])、[[画家]](* [[1607年]]) * [[3月28日]] - {{仮リンク|ウェンセスラス・ホラー|en|Wenceslaus Hollar}}、[[版画家]](* [[1607年]]) * [[4月10日]] - [[ヤン・マレク・マーシ]]([[w:Jan Marek Marci|Jan Marek Marci]])、[[医師]]、[[科学者]](* [[1595年]]) * [[5月4日]] - [[アイザック・バロー]]、[[神学者]]、[[数学者]](* [[1630年]]) * [[6月23日]] - [[ヴィルヘルム・ルートヴィヒ (ヴュルテンベルク公)|ヴィルヘルム・ルートヴィヒ]]、[[ヴュルテンベルク]]公(* [[1647年]]) * [[7月9日]] - [[アンゲルス・シレジウス]]([[w:Angelus Silesius|Angelus Silesius]])、聖職者(* [[1624年]]) * [[8月]] - [[マシュー・ロック]]、作曲家(* [[1621年]]/[[1622年]]) * [[9月5日]] - [[ヘンリー・オルデンバーグ]]、[[科学者]]、[[王立協会|ロンドン王立協会]]初代事務総長(* [[1618年]]?) * [[9月11日]] - [[ジェームズ・ハリントン]]、[[政治哲学|政治哲学者]](* [[1611年]]) * [[11月9日]] - [[アールト・ファン・デル・ネール]]、画家(* [[1603年]]頃) * [[11月11日]] - [[バルバラ・ストロッツィ]]、作曲家(* [[1619年]]) * 月日不明 - [[ロベール・カンベール]]、作曲家(* [[1628年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1677}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1677ねん}} [[Category:1677年|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1677%E5%B9%B4
4,836
1656年
1656年(1656 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる閏年。
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1656年は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる閏年。
{{年代ナビ|1656}} {{year-definition|1656}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[丙申]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[明暦]]2年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2316年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[順治]]13年 ** [[南明]] : [[永暦 (南明)|永暦]]10年 ** [[朱亶セキ|朱亶塉]] ([[南明]]) : [[定武]]11年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[孝宗 (朝鮮王)|孝宗]]7年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3989年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[盛徳 (黎朝)|盛徳]]4年 *** [[莫朝|高平莫氏]] : [[順徳 (莫朝)|順徳]]19年 * [[仏滅紀元]] : 2198年 - 2199年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1066年 - 1067年 * [[ユダヤ暦]] : 5416年 - 5417年 * [[ユリウス暦]] : 1655年12月22日 - 1656年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1656}} == できごと == * [[4月27日]] - [[一般施療院]]がパリで設立。 * 9月1日([[ユリウス暦]])/[[9月11日]]([[グレゴリオ暦]]) - [[エルビング条約]]締結 * [[ヴェネツィア共和国]]、戦時のさなかで[[オスマン帝国]]に対する海上封鎖を敢行。 * [[ストックホルム銀行]]([[スウェーデン国立銀行]]の前身)が設立される。 * [[ワルシャワの戦い (1656年)|ワルシャワの戦い]]勃発([[大洪水時代]])。 * {{仮リンク|キョプリュリュ・メフメト・パシャ|en|Köprülü Mehmed Pasha}}がオスマン帝国[[大宰相]]に就任、改革を断行([[キョプリュリュ家|キョプリュリュ時代]]の始まり)。 === 日本 === * [[7月17日]](明暦2年[[5月25日 (旧暦)|5月25日]]) - [[横浜市|横浜村]]に[[吉田新田]]が埋め立てられる。 * [[7月18日]](明暦2年[[5月26日 (旧暦)|5月26日]]) - [[酒井忠勝 (小浜藩主)|酒井忠勝]]が隠退により[[大老]]を辞任。 * [[圓照寺]]が移転。 * [[小場江頭首工|小場江用水路]]完成。 * [[加賀藩]]における[[改作法]]の落着。 == 誕生 == {{see also|Category:1656年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[3月31日]]([[明暦]]2年[[3月6日 (旧暦)|3月6日]]) - [[井伊直興]]、[[大老]]、[[近江国|近江]][[彦根藩]]第4代藩主(+ [[1717年]]) * [[5月]] - [[マラン・マレー]]、[[作曲家]]、[[ヴィオール属|ヴィオール]]奏者(+ [[1728年]]) * [[6月30日]](明暦2年[[5月8日 (旧暦)|5月8日]]) - [[田村建顕]]、[[陸奥国|陸奥]][[岩沼藩]]第2代藩主、陸奥[[一関藩]]初代藩主(+ [[1708年]]) * [[7月18日]] - [[ジョアシャン・ブーヴェ|ブーヴェ(白進)]]、[[フランス]]人[[イエズス会]][[宣教師]](+ [[1730年]]) * [[7月20日]] - [[ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハ]]、[[建築家]](+ [[1723年]]) * [[9月6日]] - [[ギヨーム・デュボワ]]、[[枢機卿]](+ [[1723年]]) * [[9月11日]] - [[ウルリカ・エレオノーラ・アヴ・ダンマルク]]、[[デンマーク]]王女、[[スウェーデン]]王[[カール11世 (スウェーデン王)|カール11世]]王妃(+ [[1693年]]) * [[10月1日]](明暦2年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]) - [[森川許六]]、[[俳諧師]](+ [[1715年]]) * [[10月13日]](明暦2年[[8月26日 (旧暦)|8月26日]]) - [[徳川綱條]]、[[常陸国|常陸]][[水戸藩]]第3代藩主(+ [[1718年]]) * [[10月20日]] - [[ニコラス・ド・ラルジリエール]]([[w:Nicolas de Largillière|Nicolas de Largillière]])、[[画家]](+ [[1746年]]) * [[11月8日]] - [[エドモンド・ハレー]]、[[天文学者]](+ [[1742年]]) * [[12月5日]](明暦2年[[10月20日 (旧暦)|10月20日]]) - [[市橋信直]]、[[近江国|近江]][[仁正寺藩]]第3代藩主(+ [[1720年]]) * [[12月24日]](明暦2年[[11月9日 (旧暦)|11月9日]]) - [[松平義行]]、[[信濃国|信濃]][[高井藩]]主、[[美濃国|美濃]][[高須藩]]初代藩主(+ [[1715年]]) * [[12月28日]](明暦2年[[11月13日 (旧暦)|11月13日]]) - [[安積澹泊]]、[[水戸藩]]士、[[儒学者]]、『[[水戸黄門]]』に従う「格さん」のモデル(+ [[1738年]]) * [[加藤泰觚]]、[[伊予国|伊予]][[新谷藩]]第2代藩主(+ [[1726年]]) * [[池田政周]]、[[播磨国|播磨]][[山崎藩]]第2代藩主(+ [[1677年]]) * [[大久保忠増]]、[[老中]]、[[相模国|相模]][[小田原藩]]主(+ [[1713年]]) * [[越智越人]]、俳諧師(+ [[1739年]]頃) * [[ジャン・ジルベール・ド・カンピストロン]]([[w:Jean Galbert de Campistron|Jean Galbert de Campistron]])、[[劇作家]](+ [[1723年]]) * [[チャールズ・ダヴェナント]]([[w:Charles Davenant|Charles Davenant]])、[[経済学者]](+ [[1714年]]) * [[カーテリ・テカクウィサ]]、[[インディアン|アメリカ・インディアン]]の[[修道士|修道女]](+ [[1680年]]) == 死去 == {{see also|Category:1656年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月7日]](明暦元年[[12月11日 (旧暦)|12月11日]]) - [[高力忠房]]、大名(* [[1584年]]) * [[2月20日]](明暦2年[[1月25日 (旧暦)|1月25日]]) - [[那須資景]]、大名(* [[1586年]]) * [[3月19日]] - [[ゲオルギウス・カリクストゥス]]([[w:Georgius Calixtus|Georgius Calixtus]])、[[神学者]](* [[1586年]]) * [[3月21日]] - [[ジェイムズ・アッシャー]]([[w:James Ussher|James Ussher]])、[[大主教|大司教]]、神学者(* [[1581年]]) * [[4月20日]](明暦2年[[3月26日 (旧暦)|3月26日]]) - [[日根野吉明]]、大名(* [[1587年]]) * [[4月27日]] - [[ヘラルト・ファン・ホントホルスト]]、[[画家]](* [[1592年]]) *4月27日 - [[ヤン・ファン・ホーイェン]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Jan-van-Goyen Jan van Goyen Dutch painter] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、画家(* [[1596年]]) * [[6月9日]] - [[トマス・トムキンズ]]、作曲家(* [[1572年]]) * [[8月11日]] - [[オッタビオ・ピッコロミーニ]]([[w:Prince Octavio Piccolomini, Duke of Amalfi|Octavio Piccolomini]])、[[貴族]]、[[将軍]](* [[1599年]]) * [[10月8日]] - [[ヨハン・ゲオルク1世 (ザクセン選帝侯)|ヨハン・ゲオルク1世]]、[[ザクセン公国|ザクセン]][[選帝侯]](* [[1585年]]) * [[11月6日]] - [[ジョアン4世 (ポルトガル王)|ジョアン4世]]、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王(* [[1603年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1656}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1656ねん}} [[Category:1656年|*]]
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1663年
1663年(1663 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
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1663年は、西暦(グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1663}} {{year-definition|1663}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[癸卯]] * [[元号一覧 (日本)|日本]] ** [[寛文]]2年[[11月22日 (旧暦)|11月22日]] - 寛文3年[[12月2日 (旧暦)|12月2日]] ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2323年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[康熙]]2年 *** [[鄭氏政権 (台湾)|鄭氏政権]]{{Sup|*}} : [[永暦 (南明)|永暦]]17年 ** [[朱亶セキ|朱亶塉]] ([[南明]]) : [[定武]]18年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[顕宗 (朝鮮王)|顕宗]]4年 ** [[檀君紀元|檀紀]]3996年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[黎朝|後黎朝]] : [[景治]]元年 * [[仏滅紀元]] : 2205年 - 2206年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1073年 - 1074年 * [[ユダヤ暦]] : 5423年 - 5424年 * [[ユリウス暦]] : 1662年12月22日 - 1663年12月21日 {{Clear}} == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1663}} == できごと == * [[3月5日]](寛文3年[[1月26日 (旧暦)|1月26日]]) - [[後西天皇]]が譲位し、第112代[[霊元天皇]]が即位。 * [[8月16日]](寛文3年[[7月14日 (旧暦)|7月14日]]) - [[有珠山]]噴火 * [[武家諸法度]]改正(寛文令)により、[[キリスト教]]禁教が明文化される。 * [[レーゲンスブルク]]が[[神聖ローマ帝国]]の「永続的[[帝国議会]]」開催地となる( - [[1806年]])。 * [[黄宗羲]]が『{{仮リンク|明夷待訪録|zh|明夷待访录}}』を著す。 * [[アントウェルペン王立芸術学院]]設立。 == 誕生 == {{see also|Category:1663年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[2月12日]] - [[コットン・マザー]]、[[牧師]](+ [[1728年]]) * [[3月6日]] - [[フランシス・アッタベリー]]([[w:Francis Atterbury|Francis Atterbury]])、[[聖職者]](+ [[1732年]]) * [[3月7日]] - [[トマソ・アントニオ・ヴィターリ]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]](+ [[1745年]]) * [[3月22日]] - [[アウグスト・ヘルマン・フランケ]]([[w:August Hermann Francke|August Hermann Francke]])、聖職者、[[教育家]](+ [[1727年]]) * [[6月24日]] - [[ジャン=バティスト・マシヨン]]([[w:Jean Baptiste Massillon|Jean Baptiste Massillon]])、説教者(+ [[1742年]]) * [[8月9日]] - [[フェルディナンド・デ・メディチ (大公子)|フェルディナンド3世・デ・メディチ]]、[[トスカーナ大公国]]大公子(+ [[1713年]]) * [[8月31日]] - [[ギヨーム・アモントン]]、[[技術者]]、[[物理学者]](+ [[1705年]]) * [[10月16日]] - [[オイゲン・フォン・ザヴォイエン|オイゲン]]、[[オーストリア]]の[[貴族]]、[[軍人]](+ [[1736年]]) * [[尾形乾山]]、[[絵師]]、[[陶工]]、[[尾形光琳]]の弟(+ [[1743年]]) * [[ジョン・クレイグ]]([[w:John Craig|John Craig]])、[[数学者]](+ [[1731年]]) * [[ジョヴァンニ・マリオ・クレシンベーニ]]([[w:Giovanni Mario Crescimbeni|Giovanni Mario Crescimbeni]])、[[批評家]]、[[詩人]](+ [[1728年]]) * [[ジャン=バティスト・ラバト]]([[w:Jean-Baptiste Labat|Jean-Baptiste Labat]])、聖職者、[[探検家]](+ [[1738年]]) == 死去 == {{see also|Category:1663年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[4月3日]](寛文3年[[2月25日 (旧暦)|2月25日]]) - [[小幡景憲]]、兵学者(* [[1572年]]) * [[6月24日]]または[[7月7日]] - [[トマス・バルツァー]]、[[作曲家]]、[[ヴァイオリン]]奏者(* [[1630年]]/[[1631年]]) * [[7月16日]] - [[ヴィルヘルム6世 (ヘッセン=カッセル方伯)|ヴィルヘルム6世]]、[[ヘッセン=カッセル方伯]](* [[1629年]]) * [[9月18日]] - [[クペルティーノのヨセフ]]([[w:Joseph of Cupertino|Joseph of Cupertino]])、[[司祭]]、[[聖人]](* [[1603年]]) * [[12月28日]] - [[フランチェスコ・マリア・グリマルディ]]、数学者、物理学者(* [[1618年]]) * [[ハインリヒ・シャイデマン]]、作曲家(* [[1595年]]頃) * [[グイード・カニャッチ]]([[w:Guido Cagnacci|Guido Cagnacci]])、[[画家]](* [[1601年]]) <!-- == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1663}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=17|年代=1600}} {{デフォルトソート:1663ねん}} [[Category:1663年|*]]
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1799年
1799年(1799 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
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1799年は、西暦(グレゴリオ暦)による、火曜日から始まる平年。
{{年代ナビ|1799}} {{year-definition|1799}} == 他の紀年法 == {{他の紀年法}} * [[干支]] : [[己未]] * [[元号一覧 (日本)|日本]]([[寛政暦]]) ** [[寛政]]11年 ** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2459年 * [[元号一覧 (中国)|中国]] ** [[清]] : [[嘉慶 (清)|嘉慶]]4年 * [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]] ** [[李氏朝鮮]] : [[正祖]]23年 ** [[檀君紀元|檀紀]]4132年 * [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]] ** [[西山朝]] : [[景盛]]7年 * [[仏滅紀元]] : 2341年 - 2342年 * [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1213年 - 1214年 * [[ユダヤ暦]] : 5559年 - 5560年 * [[ユリウス暦]] : 1798年12月21日 - 1799年12月20日 * [[フランス革命暦]] : VII年雪月12日 - VIII年雪月10日 == カレンダー == {{年間カレンダー|年=1799}} == できごと == * [[7月15日]] - [[エジプト]]にて[[ロゼッタ・ストーン]]が発見される{{要出典|date=2021-04}} * [[11月9日]] - [[ナポレオン・ボナパルト]]、[[ブリュメールのクーデター]]にてフランス政権を掌握 * [[12月31日]] - [[オランダ東インド会社]]が解散 == 誕生 == {{see also|Category:1799年生}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月6日]] - [[ジェデッドアイア・スミス]]、[[マウンテンマン]](+ [[1831年]]) * [[1月14日]] - [[ヨハン・イグナツ・フォン・デリンガー]]、[[神学者]](+ [[1890年]]) * [[1月31日]] - [[ロドルフ・テプフェール]]、[[教育者]]・作家・[[風刺画|風刺画家]](+ [[1846年]]) * [[2月5日]]([[寛政]]11年[[1月1日 (旧暦)|1月1日]])- [[安井息軒]]、[[儒学者]](+ [[1876年]]) * [[2月26日]] - [[エミール・クラペイロン]]、[[物理学者]](+ [[1864年]]) * [[3月8日]] - [[サイモン・キャメロン]]、[[アメリカ合衆国陸軍長官]](+ [[1889年]]) * [[3月19日]] - [[ウィリアム・ドーズ]]、[[天文学者]](+ [[1868年]]) * [[3月29日]] - [[ダービー伯爵]][[エドワード・スミス=スタンリー (第14代ダービー伯爵)|エドワード・スミス=スタンリー]]、[[イギリスの首相]](+ [[1869年]]) * [[4月18日]] - [[ジョン・ヤング・メイソン]]、[[アメリカ合衆国司法長官]](+ [[1859年]]) * [[5月20日]] - [[オノレ・ド・バルザック]]、[[小説家]](+ [[1850年]]) * [[5月21日]] - [[メアリー・アニング]]、[[古生物学|古生物学者]](+ [[1847年]]) * [[6月6日]] - [[アレクサンドル・プーシキン]]、作家(+ [[1837年]]) * [[6月8日]] - [[ウィリアム・メレディス]]、[[アメリカ合衆国財務長官]](+ [[1873年]]) * [[6月18日]] - [[ウィリアム・ラッセル (天文学者)|ウィリアム・ラッセル]]、天文学者(+ [[1880年]]) * [[7月4日]] - [[オスカル1世 (スウェーデン王)|オスカル1世]]、[[スウェーデン|スウェーデン王]](+ [[1859年]]) * [[8月10日]] - [[サミュエル・ディキンソン・ハバード]]、[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1855年]]) * [[9月19日]] - [[ルネ・カイエ]]、[[探検家]](+ [[1838年]]) * [[10月5日]](寛政11年[[9月7日 (旧暦)|9月7日]]) - [[箕作阮甫]]、[[蘭学|蘭学者]](+ [[1863年]]) * [[10月16日]](寛政11年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]]) - [[田中久重]]、[[発明家]]・田中製作所(現・[[東芝]])創業者(+ [[1881年]]) * [[11月7日]] - [[ジュール=アンリ・ヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュ]]、[[劇作家]](+ [[1875年]]) * [[12月3日]] - [[マーガレット・オニール・イートン]]、[[ジョン・ヘンリー・イートン]]の夫人(+ [[1879年]]) * [[12月23日]] - [[カール・ブリューロフ]]、[[画家]](+ [[1852年]]) * [[12月31日]](寛政11年[[12月6日 (旧暦)|12月6日]])- [[平田鐵胤]]、[[国学|国学者]](+ [[1880年]]) * 月日不詳 - [[華屋与兵衛]]、[[江戸前寿司]]の職人(+ [[1858年]]) == 死去 == {{see also|Category:1799年没}} <!--世界的に著名な人物のみ項内に記入--> * [[1月22日]] - [[オラス=ベネディクト・ド・ソシュール]]<ref>[https://www.britannica.com/biography/Horace-Benedict-de-Saussure Horace Bénédict de Saussure Swiss physicist] [[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]</ref>、[[科学者]](* [[1740年]]) * [[2月7日]]([[嘉慶 (中国)|嘉慶]]4年1月3日) - [[乾隆帝]]、[[清]]の第6代[[皇帝]](* [[1711年]]) * [[2月12日]] - [[ラザロ・スパランツァーニ]]、[[博物学者]](* [[1729年]]) * [[5月18日]] - [[カロン・ド・ボーマルシェ]]、[[劇作家]](* [[1732年]]) * [[6月25日]](寛政11年[[5月22日 (旧暦)|5月22日]]) - [[麻田剛立]]、[[天文学者]](* [[1734年]]) * [[7月10日]](寛政11年[[6月8日 (旧暦)|6月8日]]) - [[長沢芦雪]]、[[絵師]](* [[1754年]]) * [[10月6日]] - [[ウィリアム・ウィザリング]]、科学者(* [[1741年]]) * [[10月24日]] - [[カール・ディッタース・フォン・ディッタースドルフ]]、作曲家・[[ヴァイオリニスト]](* [[1739年]]) * [[11月10日]] - [[ジョゼフ・ブラック]]、[[物理学者]]・[[化学者]](* [[1728年]]) * [[12月14日]] - [[ジョージ・ワシントン]]、初代[[アメリカ合衆国大統領]](* [[1732年]]) == 脚注 == '''注釈''' {{Reflist|group="注"}} '''出典''' {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} <!-- == 参考文献 == --> == 関連項目 == {{Commonscat|1799}} * [[年の一覧]] * [[年表]] * [[年表一覧]] <!-- == 外部リンク == --> {{十年紀と各年|世紀=18|年代=1700}} {{デフォルトソート:1799ねん}} [[Category:1799年|*]]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/1799%E5%B9%B4
4,839
水戸ホーリーホック
水戸ホーリーホック(みとホーリーホック、英: Mito HollyHock)は、日本の茨城県水戸市、日立市、ひたちなか市、笠間市、那珂市、小美玉市、常陸太田市、北茨城市、常陸大宮市、高萩市、茨城町、城里町、大洗町、大子町、東海村をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。 1994年にFC水戸として創立、2000年よりJリーグへ加盟している。 クラブ名の「ホーリーホック (HollyHock)」は英語で「葵(タチアオイ)」を意味し、水戸藩(水戸徳川家)の家紋の葵 から採られた。ホームスタジアムはケーズデンキスタジアム水戸(Ksスタ)。クラブエンブレムは水戸徳川家の家紋「三つ葉葵」の外周を「水戸黄門」こと2代目水戸藩主・徳川光圀の字「子龍」に由来する龍が囲む円形。2014年には、クラブ後援会「葵龍会」の会長に水戸徳川家第15代当主の徳川斉正を迎えている。 マスコットキャラクターは龍がモチーフの「ホーリーくん」。2002年に公募によりデザインと名前が制定された。背番号310(みと)。 ホームタウンは創立当初は水戸市のみだったが、2017年11月に水戸市周辺(県央地域)に位置するひたちなか市、笠間市、那珂市、小美玉市の4市と東茨城郡・那珂郡の4町村(茨城町、城里町、大洗町、東海村)を追加した。2022年9月からは新たに県北地域の日立市、高萩市、北茨城市、常陸大宮市、常陸太田市、久慈郡大子町の5市1町をホームタウンに追加した。 2021年現在において一度もJ1リーグへの昇格経験がなく(J3リーグへの降格もない)、現時点におけるJ2リーグの最長在籍クラブである。 水戸市で1994年に創設されたフットボールクラブ水戸(フットボールクラブみと、FC水戸)を起源とする。茨城県リーグ4部に参戦し、1996年には2部で準優勝を果たしている。 1997年に土浦市に本拠地を置いていたプリマハム土浦工場の実業団チーム「プリマハムフットボールクラブ土浦」(プリマハムフットボールクラブつちうら、プリマハムFC土浦、1990年創設)と合併して、株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホックが設立され、現在の体制が固まった。当時関東サッカーリーグ所属だったプリマハムFC土浦は1996年の第20回全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、翌年からのジャパンフットボールリーグ(旧JFL)への昇格が内定していたが、プリマハムがサッカー部への支援を打ち切り廃部が決まったことを受け、FC水戸と合併した。なお、水戸ホーリーホックやJリーグの公式ホームページでは1994年をクラブの創設年と記載しており、プリマハムFC土浦は傍系扱いとなっているが、プリマハムFC土浦の持っていた旧JFLの参加資格を承継するために、形式的にFC水戸が吸収された形を取った。プリマハムFC土浦は全国社会人サッカー選手権大会優勝(1995年)、関東サッカーリーグ優勝(1995年)という成績を残している。 水戸ホーリーホックとして初の公式戦は1997年4月20日、旧JFL開幕戦の札幌戦(笠松運動公園陸上競技場)で、0-2で敗戦。ここから14連敗し(うち延長戦でのVゴール負けが2試合)、初勝利は7月19日、第15節の川崎戦(1-0)となった。なお、Jリーグ準会員だった川崎は、このシーズンの最終成績で勝ち点1及ばずにJリーグ昇格を逃している。水戸は後半戦に3勝を挙げたが、16チームのリーグ戦で最下位に沈んだ。しかし、札幌のJリーグ昇格と福島FCの消滅により、地域リーグ決勝大会2位チームとの入替戦は行われず、水戸は残留を決めた。 監督に三浦俊也を迎え、巻き返しを図ったが、年間予算が1億円強と言われ、プロ契約選手でもガソリンスタンドや水産加工所でのアルバイトをしないと生活出来ない状況では成績の劇的な向上は難しく(NHKサンデースポーツでの特集によると年俸は100万円程度だったと報じられている)、最下位脱出が精一杯だった。この年、翌1999年からスタートするJリーグ ディビジョン2(J2)への加盟を申請するも、経営基盤の不安定さ、スタジアム改修に対する地元自治体の動きの鈍さから加盟は見送られ、日本フットボールリーグ(JFL)参加となった。 監督が二宮浩に交代したが、9チームによる3回戦総当たり制(ステージ制)のリーグ戦で苦戦し、第1ステージでは6位に終わった。しかし、南光太などの活躍により、第2ステージではこの年に優勝した横浜FCにこそ敗れたものの7勝1敗の首位となり、通算では3位でシーズンを終えた。Jリーグへの昇格条件は「JFLで2位以内」だったが、優勝が特例参加による準会員資格の横浜FCだったため、JFL正会員の中では2位という点が考慮され、翌2000年からのJリーグ(J2)加盟が認められた(Jリーグの2部制導入後最初のJリーグ参入チームとなった)。 チーム初の外国人監督としてセルビア人のバビチ・ブランコを招いた。J2昇格後の初公式戦を3月11日の浦和戦(浦和駒場)で迎え、0-2で敗れた。資金・戦力の欠乏を理由に専門誌などでは先行きを危ぶまれたが、第2節の大分戦でJ初勝利をあげると、全試合出場を果たしたGK本間幸司を中心とした粘り強い守備や(失点数はリーグ7位タイ)、シーズン途中加入で36歳の高齢ながら元ブラジル代表の技を披露したFWジョン・パウロなどの活躍により、昇格初年度の最終順位は9位、しかも6位の鳥栖までは勝ち点5差という善戦を見せた。 シーズン前に新潟から木澤正徳、川崎から池田伸康などベテラン勢を獲得するも、シーズン前半は1勝しか挙げられなかった。その後、補強した韓国人選手の活躍や、メインスタジアムの笠松運動公園陸上競技場のグランドオープン効果などがあり、最終的には最下位を脱出し、11位で終了した。監督は川崎で指揮を執っていた小林寛を招いたが、7月にはゼネラルマネージャーへ転身し、コーチの菅野将晃が監督に昇格して後を継いだ。シーズン後、経営難からチーム存続問題が浮上し、FC水戸代表としてのプリマハムFC誘致からクラブ経営を続けた石山徹が社長を辞任し、小林が石山の所有株と社長職を引き継いで、チームのJリーグ加盟が暫定承認されることになった。なお、この年のチーム得点王(10得点)は東海大から加入して2年目の須藤大輔で、翌年に湘南へと移籍したが、その際の移籍金は苦しい水戸の財政を少なからず助けたとも言われている。 菅野体制2年目。小林新社長が経営安定化とチーム成績向上を迫られた一年となった。菅野体制2年目のチームではFW小野隆儀が14得点を挙げ、守備でもシーズン失点数はリーグ最下位ながら前年比20点減の73失点に抑えて、最終順位は前年より1つ上がり、10位となった。一方、J2リーグ戦1試合の平均観客数は前年の1559人から2739人に増え、2002年W杯のために来日していたコスタリカ代表との国際親善試合も実現した。これらの実績により、水戸はJリーグから加盟継続が正式に承認された。しかし、増えたとは言っても水戸の観客動員数はJ2最低で、平均の約4割にとどまっていたため、更なる努力が求められた。 クラブの存続問題が一息ついたこの年、1980年代に日本代表の主将として活躍した前田秀樹を監督に迎え、守備重視からのカウンター戦術をベースにしたチーム強化に乗り出した。この年は同年シーズンにJ2へ降格していた広島からレンタル移籍で獲得したDFトゥーリオが活躍。センターバックとして水戸の守備を固めると共に、機を見てどんどん攻め上がり攻撃に厚みを加え、DFでありながらチーム内得点王となる10ゴールを記録した。トゥーリオは10月に日本への帰化が認められ、登録名を現在の田中マルクス闘莉王に変更した。これらの活躍もあって、水戸は4回戦制のJ2で開幕ダッシュに成功し、一時は首位、11節終了時の第1クールでも2位という好成績を挙げた。その後は徐々に順位を下げたが、最終順位でもチーム史上最高の7位にまで躍進した。10月からは過去の経営危機への反省から、運営資金を広く集め、地域社会での認知度を高めるために「水戸ホーリーホック支援持株会」が拠出金募集を開始した。 前田体制2年目。前年大活躍した闘莉王のレンタル移籍が延長されず浦和へ完全移籍し、それまで長らくチームを支えたFWの小野、北川、ディフェンスラインを支えた冨田大介が移籍した。一方、川崎から小林康剛を、大宮から磯山和司など地元茨城出身の選手を獲得した。 開幕戦の湘南戦で9,155人の観衆を集めた。またこの年の平均観客動員数3,773人は2012年に塗り替えられるまでの最高記録であった。しかし前年と比較して主力が多数入れ替わった影響か、なかなか勝ち星が奪えずホームでは5月5日の大宮戦から10月16日の甲府戦まで13戦勝利なしという事態が続いた。この間7月24日の川崎戦ではアウェー戦会場の等々力陸上競技場に集まった水戸サポーター有志による第1回納涼漢祭りが開催され、他チームのサポーターの間でも反響を呼んだ。結局チームは年間6勝しかできなかったが、44試合中19試合(42%)の引き分け(勝ち試合6試合分)で積み上げた勝ち点が効いて、2年連続一桁順位の9位となった。 また天皇杯4回戦で鹿島との「茨城ダービー」が公式戦で初めて実現した。偶然にも「茨城県民の日」である11月13日の対戦になった(試合は0-1で水戸の敗戦)。 前田体制3年目。この年は、開幕前に2つの変化があった。この年から1月のチーム始動後の1次キャンプを福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズで行い、同所でキャンプ最終日にファンクラブ会員イベントを行うようになった。2月には「いばらきサッカーフェスティバル」として鹿島とのプレシーズンマッチが行われ、以後年1回の頻度で定例化した。鹿島は水戸市内でも公式ショップや小学生・幼稚園児(4種)向けのサッカースクール(旧内原町)などを開設しているため、後発の水戸とは競合関係にもあったが、この試合は両者の関係改善を示した。また、この年にJFLから草津が昇格し、水戸は草津との対戦を「北関東ダービー」と称して共同参加キャンペーンを実施した。10月には日立市出身のシンガーソングライター、ecoによる公式応援歌「走れ☆ホーリーホック!」が発売された。 一方、チームは強化策として前年の決定力不足解消のため、パラグアイ人FWのデルリスを獲得し、彼にボールを集中させるため基本システムをそれまでの4-4-2から4-5-1へと変更した。序盤は連敗をしたものの、システム変更策は功を奏し、デルリスは前半戦のみでチームトップの8得点を決めた。しかし、その得点力に注目した札幌がレンタル元のチームに好条件を出したため、デルリスがシーズン中盤に移籍したが、シーズン後半はDF陣の相次ぐ攻撃参加や、若手のファビオの加入などで2年ぶりの2桁勝利となった。 前田体制4年目。2月、チームの応援を盛り上げるための女子チアリーディングチーム、「Mito Holy's」(水戸ホーリーズ)を発足。4月2日からはJR水戸駅ビル「EXCEL」の屋上に新規設置された人工芝のミニサッカー場「FUTPARQUE MITO」(フットパルケ水戸)の運営を請け負うことになった。 チームは5月6日の第14節の札幌戦(笠松)で、レンタル移籍で加入したブラジル人FWアンデルソンがハットトリックを達成。これは水戸の選手がJ2リーグ273試合目で記録した初のハットトリックだった。第15節の東京V戦ではクラブ史上初めて国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で試合を行い、アンデルソンの2試合連続ゴールで1-0と勝利した。 6月2日の横浜FC戦では横浜FCの連続無失点記録を770分で止めたり、6月24日の柏戦では、後半ロスタイムで土壇場の同点に追いつき引き分けに持ち込むなど、J2上位クラブを大いに苦しめた。8月13日には那珂川河川敷の水戸市市有地に3面整備された「水府町グラウンド」が開場し、クラブの悲願だった専用練習場「ホーリーピッチ」として水戸に利用権が与えられた。 シーズン後半から前田監督は将来の上位進出に備えるため、カウンター重視の守備的戦術からボールを保持し、ショートパスの連続から能動的にゴールへ迫る攻撃的な戦術への転換を開始した。これは「サッカーの質を上げるために必要な措置」と評価された反面、対戦相手の監督から「あまりにも消極的」と非難されても守り続けるのをやめたことで、逆に「内容は良いが勝てない」という試合が増えた。その結果、勝ち点は伸び悩み、昨年と同じ10位でのシーズン終了となった。1試合平均観客数も3017人まで落ち込んだ。 前田体制5年目。前年17得点のアンデルソンが鳥栖へ移籍し、更にキャプテン吉本岳史が故障で離脱。その結果チームは出遅れ、シーズン初勝利は第13節の東京V戦となり、2勝目も第21節の山形戦となるなど、前半戦(第26節)終了時点でわずか3勝にとどまった。観客動員も更に落込み、第11節の湘南戦は3桁台の958人となった他、前半戦主催12試合中6試合で観客数が2000人以下となった。チームの勝敗のみならず、低予算でのクラブ経営、少人数体制での顧客サービスの低下、クラブスタッフの相次ぐ退職などからサポーターへのアプローチやスポンサーへの営業力が低下し、クラブ経営を問われる声が上がった。この状況に対し、クラブ株主の過半数から小林の経営責任を問う声が上がり4月23日付で宮田裕司が社長に就任した。 チームは旧JFL以来10年ぶりのリーグ戦最下位を回避するため、Jリーグで9シーズン目となるベテランのブラジル人MFビジュを獲得するなど、チーム戦力の再整備を行った。シーズン後半は昨年後半から続けてきたアクションサッカーの戦術が浸透してきたことにより前半より失点数が減った。最終成績は12位で8勝しか挙げられなかったが、そのうちの3勝は東京V、札幌、C大阪など、J2上位クラブから挙げた。 1月にはMF小椋祥平がU-22(22歳以下)日本選抜に選ばれ、次いで6月6日の北京オリンピックアジア二次予選マレーシア戦に出場した。小椋は修徳高校から2004年に入団、1年目からトップチームで出場し、他のプロチームを経由せずに水戸入りした「生え抜き」選手では最も高い年代の世代別代表入りとなった。 しかし、去就が噂されていた前田は2007年シーズン限りで監督を退任。更に、キャプテン吉本が横浜FCへ、小椋は横浜FMにそれぞれ移籍した。なお、シーズン3勝目となった6月17日の第22節愛媛戦が行われた水戸市立競技場は、この試合を最後に大規模な改装工事に入った。 また、チーム通算310得点(通称水戸GOAL)を、当時キャプテンだった吉本岳史がPKで決めている。 水戸OBの木山隆之が監督に就任。補強は他のJクラブ出身選手の目立った獲得はせず、大学サッカーでそれなりの実績を挙げた選手の獲得に重点を置いた。また、浦和から赤星貴文、東京Vから弦巻健人らをレンタルで獲得した。 開幕から5試合は、ここ2年間のJ1在籍経験チーム(うち3〜5節は2007年J1在籍クラブ)との対戦となった。結果として5節終了時点で1勝2敗2分と健闘するが(うち前年J1在籍クラブ全てから勝ち点を取った)、3月31日に社長の宮田裕司が、前年8月のクラブスタッフとの親睦会での飲酒運転が発覚し辞任(後任として沼田邦郎が就任)。更に、4月には取締役強化部長の鬼塚忠久が前述の宮田辞任に関連して退任、また水戸ホーリーホック初代社長であり、チームのJリーグ参戦に貢献した竹村徹(旧姓・石山)が死去した。 そんな中、5月に韓国五輪代表候補である朴柱昊が加入、5月末、7月に3連勝するなど、チーム成績は上昇機運に乗り、このシーズン加入した荒田智之が新人ながら多くの得点を挙げ、遠藤敬佑もU-19日本代表に選ばれた。また、9月7日にKKWINGにて行われた熊本戦において、Jリーグ昇格後100勝目となる勝利をあげた。更に、2008年9月28日の仙台戦では荒田の2ゴールなどで仙台から初勝利を上げたが、リーグ終盤はロングボール主体の戦いになってしまうなどゲーム内容が悪くなり失速、15チーム中11位でシーズンを終えた。勝ち点も、目標としていた50にはあとわずか届かなかった。 マスコットであるホーリーくんの入院及び手術(ホーリーくんの着ぐるみのリニューアル)をするための費用として、11月下旬から12月上旬にかけてサポーター有志からの募金とホーム最終戦で行われたチャリティーオークションで100万円以上の入院・手術費用が集まった。ホーリーくんの着ぐるみは2008年シーズン開始当初から頭が割れたり、しっぽがちぎれそうになったりしており、怪我(破損)した部分を包帯で巻き、なんとか試合会場やイベント会場に来ていた。また、試合やイベント会場でも、痛々しい姿を指摘する子どもたちの声もあった。着ぐるみの耐用年数は約2年と言われており、Jリーグの多くのチームは数体予備を用意しているが、予備が無く、チーム財政も厳しいため、今回の募金活動が行われた。 木山体制2年目。主将のDF平松大志がFC東京へ移籍、チームの柱だったMF赤星が浦和へ復帰、またMFパク・チュホが鹿島へ移籍したが、浦和からFW高崎寛之、またFC東京から森村昂太、愛媛FCからMF金泰橪をそれぞれレンタルで獲得。またJFLのFC琉球から、かつて名古屋でJ1でのプレー経験があるMF中島俊一を獲得した。更に、2月18日にはチーム発足以来初めて、A代表歴を持つ吉原宏太が加入した。 開幕戦は負けたが、以降は勝ち続け、9年ぶりの4連勝を飾り、4月26日の岡山戦で、荒田智之がチーム2人目のハットトリックを達成。5月に入ると、荒田、菊岡などの攻撃陣が相次いで負傷するなどし、その後に控えた上位相手に大量失点することが目立った。そのため、5月20日には湘南からFW山本孝平が、その翌週にはFC東京からMF下田光平が共に期限付きで加入した。6月以降は再び調子を上げ、第2クールでは再び4連勝を記録(右図)。上位4チームに負けただけで、順位も5位で折り返した。 第24節C大阪戦で、チーム通算400ゴールが達成された。この時、誰が400ゴールを挙げるかをファン・サポーターから募集しており、当たった人の中から抽選で1名に400ゴールを挙げた選手のサイン入り試合球が貰えることになっていた。しかし、当の400ゴールは、C大阪のDF前田和哉によるオウンゴールだった為、サインはこの試合にスタメン出場した選手全員のものが入ることになり、当選対象者も応募者全員の中から抽選で1名となった(オウンゴールは投票対象外だったため)。7月8日の福岡戦でFW遠藤敬佑がチーム3人目のハットトリックを達成し、更に8月30日の岡山戦で高崎寛之が、チーム4人目のハットトリックを達成した。 「昇格しか見えない」というゲーフラが登場するほど好調だったが、第3クールでは5試合連続完封負けを含む8連敗を記録して失速。第45節終了時点で、J1昇格の可能性は消滅した。11月3日にケーズデンキスタジアム水戸(Ksスタ)が竣工。第48節の11月8日の仙台戦で杮落しとなったが0-4で敗戦し、仙台のJリーグ ディビジョン1(J1)昇格を目前で決められ、Ksスタ初戦を飾ることは出来なかった。改修後の同スタジアムでは2戦目となる第49節の愛媛戦では中村英之のゴールで1-0と勝利し、Ksスタ初勝利を挙げたが、3試合目の第51節(最終節、12月5日)湘南戦では2-0からの逆転負けを喫し、湘南にも目前でJ1昇格決定を許した。 2009年の最終成績は21勝20敗10分の勝ち点73で、18チーム中8位となった。J2リーグ参加10年目で初めて勝ち越すとともに、前述の通り1シーズンで3人のFW(荒田智之、遠藤敬佑、高崎寛之)がハットトリックを達成するなど、総得点でも70点台に到達した。 木山体制3年目。2年間でリーグ通算31得点を決めたFW荒田が磐田へ完全移籍、荒田と共に得点を量産したFW高崎も浦和へ復帰。また、鈴木和裕、村松潤、金澤大将など、水戸で100試合以上出場した選手との契約が終了し退団となった。 補強として、草津にレンタル移籍していた小池純輝を完全移籍で獲得。更に、前年KリーグでプレーしていたMF大橋正博が9年ぶりに水戸に復帰。また岐阜からかつて大学、JFLで得点王を経験したFW片山真人が完全移籍で、C大阪からFW白谷建人をレンタル移籍でそれぞれ獲得。下田光平、森村昂太のレンタル移籍期間も延長、更に新卒選手を7名獲得した。またこの年は外国籍選手がいないクラブとなっている。 開幕戦は勝利したもののその後5戦勝利なし。連勝は第6節-第7節の1度のみと最後まで成績は上向かないまま16位に沈んだ。総得点が19チーム中17位の29得点と、前年とは打って変わって得点力不足に苦しめられた。 この年は水戸の観客動員数をJリーグワーストから脱出させようという試みが数々行なわれ、中でもNHKの番組「欽ちゃんのワースト脱出大作戦」において通年にわたってコラボ企画が催された。特に10月31日に行われた柏戦では、観客動員をクラブ史上初の1万人突破を目標に様々なイベントが企画され、最多記録となる10,181人が来場した。その結果、年間来場者数は19チーム中18位で最下位を脱出した。なおこの年をもって木山が監督を退任し、翌期より柱谷哲二を監督に迎えることになった。 柱谷体制1年目。2010年大卒新人の藤川祐司と作田裕次が大分へ完全移籍した。他には大和田真史が栃木SCへ完全移籍、下田光平と森村昂太もレンタル期間の終了により退団。また、35試合に出場した大橋正博などが契約終了により退団した。 新加入選手でJリーグ経験者は栃木SCから移籍した岡田佑樹と、草津から移籍した尾本敬と、磐田から順天堂大学へと進学し、Jリーグ再挑戦となる岡本達也の3名のみであり、他は新卒選手9名が新たに加わった。また6月には鹿島などで活躍した元日本代表鈴木隆行(本人の希望によりアマチュア契約)の完全移籍加入があった。 1月16日の新体制会見の席上において、2010年にスポーツ振興投票対象試合安定開催特別会計から3000万円を借り入れていたこと、その返済期日が2011年1月末に迫っているが返済が困難なことから公式試合安定開催基金の借入申請を行ったことを発表した。 しかしシーズン開幕直後の3月11日、東日本大震災により水戸も大きく被災。特にホームスタジアムであるKsスタはメインスタンドを中心に著しく損傷。周辺地域も被災していることや、東京電力福島第一原子力発電所事故による放射能漏れの影響への懸念から、一時活動停止していたが、その後練習を再開。スタジアムについては代替開催可能な競技場が他になかった(前年まで準本拠地であった笠松運動公園陸上競技場はKsスタ以上に損傷が激しく、県内の周辺競技場も全て損壊していた)ため、Ksスタのメインスタンドを閉鎖(損壊箇所修繕を含めた耐震補強のため)し、バックスタンドおよびゴール裏に観客席を限定して使用することとなった。その後工事が進み、10月16日の東京V戦からメインスタンドの使用が再開された(ただし最初の2試合は工事資材の撤去作業の都合上「仮オープン」とし、10月30日の草津との試合から完全復旧となった)。 この震災の影響で、スポンサーやテレビ放映収入などの激減が予想される事から、再建計画も見直しを迫られることとなった。 やがてクラブを支援する動きは大きな広がりを見せた。岐阜や北九州は水戸をアウェーとして迎える直接対決で「震災復興支援招待席」を寄贈(前者・4月30日、後者・5月8日)。それぞれにつき水戸の応援に駆けつけるサポーターに対し500枚と300枚を用意して先着順に招待を行なった。6月3日には前述の鈴木隆行の入団を発表。代表経験者が被災クラブの援助を理由に無報酬契約を発表したことで大きく報じられた。6月17日にはテイクアンドギヴ・ニーズとの新規スポンサー契約により空白となっていたユニフォームの背中・パンツにスポンサーが入り(ユニフォームスポンサーが全て埋まるのは2006年以来5年ぶり)、また増資やサポーター有志の募金などにより、10月20日に公式試合安定開催基金からの借入金3000万円を完済。さらに12月21日には水戸市議会において初めてホームタウン・水戸市からの出資が可決された。かくして波乱に満ちた2011年シーズンの運営危機はクラブ内外の多くの助力により回避された。 なおこの年はリーグ戦の成績こそ20チーム中17位と振るわなかったものの、これまで一度も勝ち星のなかった京都から2勝を挙げ、天皇杯・3回戦ではJ1で優勝争いを繰り広げていたG大阪を延長戦の末3-2で破り、クラブ創設以来初めて公式戦でJ1クラブに勝利した。そして、天皇杯はベスト16に進出した。 柱谷体制2年目。遠藤敬佑、保崎淳が草津へ、小池純輝が東京Vへ、神村奨が新潟シンガポールへ、常盤聡が北九州へ完全移籍、鶴野太貴ら4人が退団。補強は、甲府から元日本代表の市川大祐、神戸から三島康平、徳島から輪湖直樹、名古屋から橋本晃司を完全移籍で獲得、キム・ヨンギ、石神幸征、内田航平、鈴木雄斗が新加入した。また昨シーズンはアマチュア契約だった鈴木隆行とプロ契約を結んだ。 8月に塩谷司が広島へ移籍。代わりのDFとしてFC東京から吉本一謙を始め、G大阪から星原健太を期限付き移籍、特別指定で明治大学の山村佑樹が加入。しかし吉本が加入してわずか1週間後に全治8か月の負傷で今季絶望となったため、9月に元仙台の細川淳矢が加入した。 この年は開幕から3連勝と好調で、第4節アウェー北九州戦で0-1と惜敗し連勝こそ止まったものの、第3節、4節終了時にはJ1昇格圏内の2位となる。その北九州戦を皮切りに、5試合連続勝ちなし(3分2敗)で一旦10位まで降格するも、第9節ホーム草津戦から4連勝して持ち直し、第12節終了の時点で7勝3分2敗の3位と好調を維持していた。しかし、第13節ホーム東京V戦から3連敗し、同節から後半戦初戦の第22節アウェー東京V戦まで10試合で2勝1分7敗と不調に陥り、順位も12位まで下げる。後半戦も、第32節ホーム鳥取戦から3連勝したものの、それ以外シーズン終了まで連勝がなく、最終順位は22チーム中13位に留まった。ただし観客動員については1試合平均3,973人となり2004年の記録を更新した。 9月28日、2013年度のJリーグクラブライセンス申請においてJ2ライセンスの対象となり、2012年度のリーグ戦の成績が6位以内でもJ1への自動昇格もしくはプレーオフ参加の対象とならないことがJリーグから発表された。なおクラブとしてはJ1昇格の目標を早期に達成するために、KsスタのJ1規格への改修・増築を行う間、J1規格に適合し2009年までの本拠地であった笠松運動公園陸上競技場への「一時的な復帰」も視野に入れて、同競技場を管理する茨城県など関係自治体・各方面と協議をすることも示唆している。 柱谷体制3年目。吉原宏太、小野博信が引退。岡本達也が鳥取へ、ロメロ・フランクが山形へ完全移籍。その他市川大祐らが契約終了により退団。補強面では冨田大介が10年ぶりに復帰、横浜FCから難波宏明、新潟から木暮郁哉をレンタルで、神戸から近藤岳登を完全移籍で獲得。その他新卒選手4名が新加入した。 この年、第29節時点で7位につけたがその後10試合勝利なしで失速、2009年以来の勝ち越しのかかった最終節横浜FC戦にも敗れ15位でシーズンを終えた。なお第19節G大阪戦で2度目となるホームゲームの入場者数1万人超えを達成、年間の平均入場者数も4,630人となり前年の動員記録を塗り替えた。 この年はJ2参加14年目となり鳥栖の13年(1999年-2011年)を抜いてJ2最長となった。またJ1ライセンスは前年と同様の理由で交付されずJ2ライセンスのみの交付となった。 柱谷体制4年目。輪湖直樹が柏へ、橋本晃司が大宮へ完全移籍。近藤岳登ら7人が退団。補強は湘南から馬場賢治・横浜FCから中里崇宏・名古屋から吉田眞紀人をレンタルで、神戸から金聖基・新潟から小谷野顕治・川崎から田中雄大を完全移籍で獲得。その他新卒3名が新加入した。シーズン中にオズマールを獲得した。 この年は前年からさらに年間動員数を増やしたものの、成績面では第23節から8試合勝利なしなど勝ち星を伸ばせず、前年と同じ15位に終わった。収支面ではユニフォームスポンサーの撤退により4期ぶりの赤字となった。 またこの年もスタジアム問題を解決できずJ2ライセンスの交付となった。 柱谷体制5年目。広瀬陸斗が徳島へ完全移籍。西岡謙太ら8人が退団。補強は湘南から岩尾憲・宮市剛・松本からパク・カンイル、シーズン途中から新潟の鈴木武蔵などをレンタルで、山﨑貴雅を完全移籍で獲得。その他新卒3名が新加入した。 5月以降の7試合を2分5敗で順位が急落、6月6日第17節北九州戦に敗れ21位の降格圏に陥ったことにより、翌日柱谷を解任。後任にはヘッドコーチの西ヶ谷隆之が暫定監督を経て正式に就任した。監督交代後もリーグ戦では1度も連勝がなく勢いが続かなかったことや序盤の不振の影響もあり、過去最低の19位であったが残留を果たした。天皇杯は3回戦で鹿島と対戦、互いに無得点で迎えたPK戦を3-2で破り公式戦で初勝利したが次の4回戦でFC東京に敗れた。 この年、年間観客動員数が10万人の大台を突破したが、例年通りの事情でJ2ライセンスの交付となった。 西ヶ谷体制2年目。田中雄大が神戸、馬場賢治が讃岐へ移籍、鈴木武蔵のレンタル移籍期間満了などで16人の選手が退団。補強は、磐田から木下高彰、栃木から湯澤洋介、大分から兵働昭弘、千葉から佐藤祥、伊藤槙人、金沢から佐藤和弘、名古屋から佐藤和樹、山形から萬代宏樹を完全移籍で、4年ぶりの復帰になるロメロ・フランク、ベトナム代表のグエン・コンフォン、浦和から斎藤翔太をレンタル移籍で獲得。その他新卒2名が新加入した。 シーズン中には、ユ・ロモンが新加入し、山口から福井諒司、新潟から平松宗、岡山から久保裕一をレンタル移籍で加入する一方で、チームトップの9得点を挙げていた三島康平が松本へ完全移籍した。 2016年7月16日に行われた第23節FC岐阜戦でJ2通算200勝を達成したが最終順位は13位。天皇杯は1回戦で埼玉県代表の東京国際大学に勝利したが2回戦で清水に敗れた。またJリーグライセンスは例年通りの事情でJ2ライセンスの交付となった。 西ヶ谷体制3年目。山﨑貴雅がレンタル移籍先のJFL・八戸、池ヶ谷颯斗がレンタル移籍先の鳥取、兵働昭弘が甲府へ完全移籍、久保裕一、ロメロ・フランクのレンタル移籍期間満了などで10名が退団した。補強は山形から林陵平、琉球から田中恵太、JFL・FC大阪から浜崎拓磨、Kリーグ・全北現代からクォン・ヨンジンを完全移籍で、大宮から小島幹敏、松本から前田大然、札幌から昨年福島でプレーしたパウロン、京都から昨年JFL・FC大阪プレーした齊藤隆成をレンタル移籍で獲得。東海1部・鈴鹿へレンタル移籍していた角口大征、岡田明久が復帰、斎藤翔太のレンタル移籍期間が延長され、福井諒司が完全移籍に移行、ユースから中川洋介が昇格した。また、高知大学から元田龍矢が入団したが今シーズンはSリーグ・アルビレックス新潟シンガポールへレンタル移籍した。2月16日には,2012年から2013年まで水戸のエースとして活躍した橋本晃司が川崎フロンターレより復帰することが発表された。 シーズン中には、熊本から齋藤恵太を完全移籍で、磐田から清水貴文、鹿島から小泉勇人、札幌から永坂勇人をレンタル移籍で獲得する一方で、角口大征がJFL・東京武蔵野、岡田明久が東海1部・鈴鹿へ育成型レンタル移籍、萬代宏樹が長野、田中恵太が琉球、伊藤槙人が藤枝へレンタル移籍、クォン・ヨンジンが契約解除となった。 第8節から第20節までクラブ新記録となる13試合連続無敗を記録し、一時期は4位まで浮上したが最終順位は14位。天皇杯は2回戦で熊本に延長戦の末敗戦。Jリーグライセンスは例年通りJ2ライセンスの交付となった。シーズン終了後、2年半チームを率いた西ヶ谷隆之が退任した。 新監督に千葉コーチで監督代行の経験もある長谷部茂利を招聘。 MF橋本晃司、FW山村佑樹らが契約満了で退団。GK笠原昂史が大宮へ、MF内田航平が徳島へ、MF佐藤和弘が甲府へ、MF湯澤洋介が京都へ、FW林陵平が東京Vへ完全移籍。期限付き加入中のDFパウロン(栃木へ完全移籍)、MF清水貴文(栃木Uへ完全移籍)、FW前田大然(松本に復帰)が期限付き移籍満了。DF今瀬淳也(富山)、GK石井綾(福島)、DF木下高彰(藤枝)が期限付き移籍。 一方、大宮からGK松井謙弥、徳島からDF冨田大介とMF木村祐志を獲得、MF田中恵太(琉球)、DF伊藤槙人(藤枝)、MF元田龍矢(新潟S)が期限付き移籍から復帰、DFジエゴ(ジョインビレEC)、FW岸本武流(C大阪)、MF前寛之(札幌)、FWジェフェルソン・バイアーノ(AAサンタ・リタ)、MF黒川淳史(大宮)が期限付き加入。GK長谷川凌(市立船橋高)、MF平野佑一(国士舘大)が新加入し、MF大原彰輝がユースから昇格。 2019シーズンのJリーグライセンスは、ホームスタジアムについて、成績面でJ1昇格要件を満たした場合に、入場可能人数15,000人を満たす笠松運動公園陸上競技場にライセンスを充足するための改修工事を実施する(J1昇格要件を満たさなかった場合は引き続きケーズデンキスタジアム水戸を使用する)前提でJ1ライセンスを申請。これが認められ、条件付きながらクラブとして初めてJ1ライセンスが交付されることとなった が、シーズン最終順位が10位となったことで「J1昇格のための順位要件を充足できずスタジアムの短期改修工事を行わないことが確定したこと」により、最終的に2019シーズンはJ2ライセンスへ変更となった。 開幕3連勝で第2節には首位に立ち、次節には首位をあけわたしたものの、開幕から12戦無敗(7勝5分)で第9節から再び首位となる。第13節でシーズン初敗戦と同時に首位陥落した後、1位と2位を推移するが、第18節から4戦勝てず、前半戦終了時点で4位。後半戦も、J1昇格プレーオフ圏内の6位以上を維持していたが、第34、35節でシーズン初の連敗を喫し7位に転落、直後に首位柏に勝利し5位浮上したものの、第38節徳島に敗れ8位に後退、第40節に再び4位浮上したが、最終2節で徳島、甲府、そして得失点差で並んでいた山形に総得点の差でかわされ7位となり、過去最高順位は達成したものの、僅差でプレーオフ進出を逃した。 後述の新スタジアム建設構想の発表に伴い、2020年度ライセンス(2019年申請)から適用された「スタジアムの例外規定2」の特例 の適用申請を行った。これによりJ1ライセンスが承認され、J1昇格案件の順位を満たした場合でも、前年までとは異なり、継続してケーズデンキスタジアム水戸を本拠地として使用することができるとしている。 その後9月のJリーグ理事会において、上記例外規定適用による通常のJ1ライセンス交付が認められた。 J2リーグ戦では、山口一真がリーグ4位の15得点、中山仁斗が同6位の13得点を挙げるなど、優勝した徳島を上回りリーグ最多の68得点を挙げたものの、失点がワースト4位タイの62もあり、複数得点を挙げた試合20に対し複数失点した試合も21(重複あり)で、前年から順位を落とし9位に終わった。 チームは前年より1つ順位を落とし10位。 また、9年ぶりに北関東ダービー王者の座を群馬に譲ることとなった。 第1節の大分戦が新型コロナウイルスの影響で延期。 2、3、4節を連続で落とし、第5節でシーズン初勝利、第6節ホーム初勝利を挙げた。 しかしそこから4試合勝ちなし。順位は20位となった。それでも少しずつ順位を上げ11位で前半戦を終える。 後半戦は一進一退であったが第35節で盛岡に敗れてから延期となっていた31節を含む7戦勝ちなしで14位に後退。しかし41節栃木戦、最終節群馬戦を連続で後半アディショナルタイムに逆転弾を叩き込み連勝。2年ぶりに北関東ダービーを制し順位を13位に上げてシーズンを終えた。 チームは負け越しが見込まれ、早い段階でJ1昇格・プレーオフ圏外の7位以下となることが確定したことを受け、10月2日に秋葉忠宏が今季で監督を退任することが発表された。 最終成績は14勝12分16敗の13位。天皇杯は2回戦で山口に敗れ敗退。 2023年 草野侑己、安永玲央(横浜FC)、長井一真(京都サンガFC) 武田英寿(浦和レッズ/育成型)、小原基樹(サンフレッチェ広島) 唐山翔自(ガンバ大阪)、鵜木郁哉(柏レイソル) 田辺陽太(おこしやす京都AC) 三國スティビアエブス(FC岐阜)、鈴木喜丈(ファジアーノ岡山)、曽根田穣(愛媛FC)、森勇人(カマタマーレ讃岐)、木下康介(京都サンガFC) 音泉翔眞(AC長野パルセイロ)、 椿直起(横浜Fマリノス→ジェフユナイテッド千葉へ完全移籍)、土肥航大(サンフレッチェ広島→ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍) 平田海斗(ラインメール青森FC)、小澤章人(ブラウブリッツ秋田)、レオナルド ブローダーセン ホームスタジアムは水戸市立競技場(ケーズデンキスタジアム水戸、通称「Ksスタ」)。Ksスタは2009年に改修されるまでは収容人員がわずか5,000人しかなく照明設備もなかったため、Jリーグのホームスタジアム規定を満たせなかったことから、開催基準を満たす笠松運動公園陸上競技場(那珂市)を長年ホームスタジアムとしていたほか、笠松が2002年の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)のメイン会場となり改修工事が行われた2000年はひたちなか市総合運動公園陸上競技場(ひたちなか市)と日立市民運動公園陸上競技場(日立市)の2会場を中心に主催試合を行なった。また平日のナイターの一部を隣県の栃木県グリーンスタジアムで開催している。 水戸市競技場(Ksスタ)が2009年まで改修が行われなかったのは、JFL参入時のクラブと水戸市との軋轢に由来する。1996年にJFL昇格を決めたプリマハムFC土浦と合併し、水戸市を本拠地としてJFLでの活動を目指していたFC水戸であったが、市の反応は極めて冷ややかであった。当時の水戸市長であった岡田広は水戸商業高校の野球部応援団OBであり圧倒的な野球派でサッカー嫌いであったが、奇しくも当時のクラブ代表であった石山徹が同校のサッカー部OBであったため、水戸市へのJFL誘致を巡って両者はたちまち犬猿の仲となった。結局双方とも対立したまま歩み寄ることはなく、最終的に水戸市は本拠地とすることを認める代わり、クラブに対し「競技場・練習場の供給を含む一切の資金援助を求めない」とする覚書を提出させた。この確執が長きにわたりクラブに禍根を残すこととなり、ホーリーホックがJリーグに参入する時も水戸市はこの覚書を盾に競技場の整備予算を計上せず、笠松など市外のスタジアムの使用を余儀なくされたものである。 2007年、老朽化が進んでいた水戸市立競技場をホームスタジアムとするべく改修工事に入る。2009年11月に水戸市立競技場の改修工事が竣工。命名権により「ケーズデンキスタジアム水戸」(Ksスタ)の名称が与えられ、晴れて水戸市にホームスタジアムを構えることとなり、2009年11月8日のベガルタ仙台戦から使用を開始、この年は終盤の3試合を開催、2010年度から正式に本拠地登録をKsスタに変更し、原則として主管全試合を開催してきた。 なお、Ksスタは2009年の改修後もJ1基準の収容人員(15,000人)を満たしていないため、水戸市議会がKsスタのJ1基準への改修工事を行なう方針を発表、事業に着手した。当初は2016年の完成を目指していた が、用地取得の問題から2017年時点でも本格的な工事着手の目途は立っておらず、2017年3月の水戸市議会で、高橋靖水戸市長が、2019年に茨城県で行われるいきいき茨城ゆめ国体終了後の工事着手を目指す方針であると意向表明している。 一方で、2016年度の公認陸上競技場認定の更新に向けたインフィールドの改修工事が先行して行われており、2015年は芝生の入れ替え工事・およびそれに付随した養生期間が必要 であるため、開幕当初から5月までに予定される5試合を5年ぶりに笠松で開催し、水戸(K'sスタ)での開催は5月17日の大分戦以後となった。 2018年6月29日、クラブは2019年シーズンのJ1クラブライセンス取得に向けた申請書類を提出したことを公表。水戸(K'sスタ)と22,002人収容の笠松の両方をホームスタジアムとして申請し、J1ライセンスを取得して順位条件を満たしてJ1に昇格した場合はJ1スタジアム基準を充足するように短期での改修を施した上で、原則として笠松でホームゲームを行い、J1昇格が果たせなかった場合は引き続き水戸(K'sスタ)を使用する方針とし、条件付きながらJ1ライセンスを取得することができた。ただし最終的に成績面でJ1昇格条件を満たせなかったことから、笠松の短期改修を見送ることとなり、J2ライセンスへの変更が確定した(2019年も同様の申請を行い、認められている)。 しかし、その間もケーズデンキスタジアムのスタンド増設交渉が難航し進展が進んでいないことから、2019年8月26日に水戸市長・高橋靖が定例会見で「現在芝生席となっているゴール裏・サイドスタンドを立見席にしたうえで、収容可能人員をJ1基準まで充足できるようにする」方針を固めたことを明らかにし、2019年9月水戸市議会で基本計画策定用の補正予算案500万円を計上することを提案した。今後2020年度に計画設計をして、2024年度をめどに完成させたいとしている。 水戸市のケーズデンキスタジアム改修の動きとは別に、クラブは2019年11月22日に記者会見を開き、クラブ自前のスタジアム及びアカデミー拠点を整備する方針を明らかにした。。共に水戸市内の鉄道駅或いはインターチェンジ近くに立地させることを念頭に複数の候補地を検討しているという。スタジアムは収容人員がJ1基準を満たす1万5千人から2万人規模の球技専用スタジアムを想定しており、総工費は100億円を見込んでいる。民設民営方式による整備を想定し、資金調達については既に「県外の複数企業から何十億、何百億という(単位の)話がきている」とし、設計施工、ファイナンスなど賛同してくれる企業が集まっていることも明かしており、クラブ創設30周年となる2024年完成を目指すという。一方でこのクラブの動きに対し、水戸市は今回のクラブのスタジアム新設構想の推移を見守るとして、ケーズデンキスタジアムのJ1基準化工事の設計・着工時期の見直しを示唆している。 なお上述の通り、2020年7月に提出した2021年度ライセンスでは、上記新スタジアム建設計画を踏まえた特例適用を申請しており、2020年のJ2でJ1昇格案件を満たす順位をクリアし、かつJ1ライセンスを承認された場合でも継続してケーズデンキスタジアムを使用できるようになる予定である。 その後、新スタジアムの竣工目標について、当初より4年ずらして2028年の完成を目指すこと、また水戸市にこだわらず、Jリーグ登記の15自治体のホームタウンの中からスタジアムの建設場所の候補地を募り、その中から2023年中に最終的な建設予定地を決めるとしている。これは新型コロナウィルスにより、2020年からリーグ戦の中断や、リモートマッチ・入場者数制限などが敷かれ、経営の立て直しが必要とされたことから、新スタジアムの2024年の完成を断念し、4年程度遅らせることにしたとされる。 スタジアムDJは日立市のケーブルテレビ「JWAY」の寺田忍が担当している。寺田はホームゲームの進行役はもちろんのこと、アウェイの試合にもサポーターの一員としてたびたび自主参加し、試合開始前にはアウェイ側サポーター席でトラメガ片手にホームゲーム同様の選手紹介を行なっている。またスタジアムの場内演出は茨城大学の学生によるボランティアで運営されており、寺田のDJ活動も2003年の同大在学時からの無報酬ボランティアである。 スタジアムの飲食売店はお好み焼きやカレーライスなどの定番メニューから、水戸納豆を使用した「ねばり丼」やB級グルメ「みとワングランプリ」を受賞した「ちゃあしゅうバーガー」など地域色を生かしたメニューまで豊富にそろっている。しかし2009年に食中毒事件が起こり、一時は全ての飲食売店に営業停止命令が出された。ほどなく原因となった食品が特定され、該当店舗の出店禁止処分とともに売店営業が再開された。 2018年以降、練習は城里町の複合施設「城里町七会町民センター」(通称「アツマーレ」)を使用している。2017年までは那珂川の河川敷に整備されたチーム専用グラウンドであるホーリーピッチ(水戸市水府町)の他、水戸市立サッカー・ラグビー場(ツインフィールド、水戸市河和田町)など水戸市近郊のグランドを利用していた。 JリーグではJ1ライセンスの発給条件の一つとして「クラブハウスに隣接したフルサイズの天然芝グラウンドが常時利用可能であること」を求めているが、ホーリーピッチ・ツインフィールドとも近接地にクラブハウスを設けるのが困難であった。この窮状を見た水戸市に隣接する城里町が、2015年3月に廃校となった旧城里町立七会中学校の校舎及びグラウンドを活用する案をクラブに打診。水戸市内からやや遠いという難点はあるものの、校舎が1997年建設と比較的新しいことや天然芝グラウンド2面を確保できる敷地の広さ、また町民の多くからも賛同を得られていることなどから、クラブも練習場の移転を前向きに検討し、2016年7月には、クラブ側が最低10年間施設をクラブハウス及び練習場として使用する旨の協定書を締結。同年シーズンオフには旧七会中で感謝イベントを開催した。 城里町ではこれを受け、2016年末から順次施設改修工事を開始。町役場支所・公民館の機能を併せ持った施設として整備を行った。工事完成間際には追加工事分を加えた変更契約議決が否決される などの紆余曲折もあったが、最終的に変更契約議案も可決され、2018年1月に施設が完成した。 近隣の公営住宅を活用し、水戸市内にある選手寮を練習場のそばに移転させる案も出ていたが、その案はその後消滅し、2022年3月に水戸市内に新たな選手寮『若龍寮』を建設し供用を開始している。 前述のとおり、ホーリーホックはJFL参入時の水戸市との軋轢により地元自治体の支援を受けられず、また支持されてもいないという理由からスポンサーの獲得も難しく、不安定な経営基盤まま出発を余儀なくされた。ホーリーホックが「地域密着」を謳うJリーグクラブとなっても引き続き市からの財政支援はなく、また水戸から遠く離れた場所で試合が行なわれていたことから地元水戸市民の関心・認知度は極度に低迷し、観客動員・チーム成績・クラブ予算のあらゆる面でJリーグ最低規模での運営が続いた。 しかし2003年4月に加藤浩一が新市長に就任したのを機に市の対応にも変化が生じる。ホーリーピッチの整備やKsスタの改修工事など市側がホーリーホックを念頭に置いた環境整備を行うようになり、2009年の本拠地移転後は観客動員も徐々に増加の兆しを見せていた。しかし、2010年はスポンサーの撤退などにより資金難となった。前述の確約により市の資金援助も得られず、2011年1月に公式試合安定開催基金から3000万円を借り入れる事態となった。追い打ちをかけるように同年3月に東日本大震災により被災。一気にクラブ存続の窮地に追い込まれる中、同年5月にクラブへの積極支援を表明していた高橋靖が新市長に就任。これにより双方の関係は劇的に改善し、水戸市は震災で市庁舎が全壊し仮設庁舎での業務を余儀なくされている中にあって、同年12月にクラブへの出資を可決。ここに至って15年にも及んだ水戸市との確執はついに解消され、覚書については両者同意の元無効化された。 なお現在はKsスタのJ1ライセンス獲得に向けた増席改修が新たな問題として浮上しており(前述)、行政のみならず市民の総意に訴える活動を目指すとしている。 ホームタウンは元々水戸市のみであったが、2002年に周辺のひたちなか市・那珂市・笠間市・小美玉市・茨城町・大洗町・城里町・東海村の8市町村を加えた「水戸ホーリーホック・ホームタウン推進協議会」が発足した。以後毎年ホームゲーム開催時に「市町村の日」を設け、住民の無料招待や地域の紹介展示、特産品の抽選配布など準ホームタウンとしての地域提携が行なわれている。また2012年に本協議会の5市町がクラブへの出資を表明していることが明らかになった。 8市町村は、2017年11月21日に正式にホームタウンとして承認されている。 2020年2月10日、eスポーツチーム設立を発表し、併せて所属選手の募集を開始。茨城県内の在住または在勤・在学者を対象に2名採用する。 2021年3月に開催された「eスポーツチャレンジカップ2021」の優勝者・準優勝者の2名を迎え入れ4名体制となった。 2022年3月1日現在、ウラえもん、nomo、novikiti、りくぞーの4名が所属している。 J2参入初年の2000年は笠松運動公園陸上競技場が改修工事中であったため、ひたちなか市総合運動公園陸上競技場と日立市民運動公園陸上競技場の2会場を中心に主催試合を行った。そのうち、より規模の小さい日立では9試合が行われたが、その中に浦和戦のホームゲーム2試合が含まれ、公称収容人数8,464人のスタンドは浦和サポーターを中心に超満員(観衆約6,000人)となったが、ピッチ状態の悪さなどに批判が集まった。その後、日立での試合開催は2007年の1試合(仙台戦)まで行われなかった。また、警備費用の負担という名目で水戸は浦和戦のみ各席種のチケット販売価格に通常から200円上乗せしたが、対戦相手によってチケット価格を変えるのは当時のJリーグでは珍しかった。 水戸ホーリーホックは2000年にJ2へ加入して以来、1度も昇降格を経験することなくJ2の舞台で戦い続けており、その在籍期間は全Jクラブ中最長である。何度か降格の危機を迎えるも、その度に残留しJ2に留まり続ける姿からファンたちに「J2の主」の愛称で親しまれている。 また、総試合数、総失点数、敗戦数のJ2記録も保持しており、これらの記録は在籍期間の記録と合わせて現在も更新中である。 2003年に監督に就任した前田秀樹は、資金面、戦力面で他クラブに劣る水戸で対等な勝負をするために、徹底した専守防衛によるリアクションサッカーを導入した。DFやサイドどころか中盤、前線に至るまでほぼ全員が自陣深くに引き、攻撃はカウンター一筋で決して自分たちからは攻めあがらず、何点のビハインドを背負おうと決して前の人数を増やさずに守り続けるという、極端なまでの守備戦術である。 この戦術は、ポゼッション(ボール保持)を半ば放棄しているため、相手の波状攻撃に耐え切れずに大量失点を喫することもあったが、その分カウンターがうまくはまった時は快勝することも多く、特に攻撃的な戦術を組む上位クラブに対しては「守り切られてカウンターだけで負けかねない、侮れないチーム」という意識を植え付けることになった。また、上位だけでなく水戸以降にJリーグに加入した下位クラブにも徹底して引いたため、「横浜FC相手にリトリートするチームがあるとは思わなかった」(足達勇輔横浜FC監督)、「先制して、水戸が前に出てきたら仕掛けようと思ったら、出てこなかった」(望月一仁愛媛監督)など、しばしば相手の選手や監督を驚かせた。 こうした水戸の「超守備戦術」は、いつしかイタリアの「カテナチオ」になぞらえ、一部サポーターから「水戸ナチオ」と呼ばれるようになった。元はインターネットのサッカーコミュニティから生まれたスラングであったが、徐々にサッカーファンの間で浸透し、やがてマスコミでも水戸を説明する言葉としてしばしば用いられるようになった。前田監督の最終年である2007年以降、水戸はポゼッションを高める攻撃的サッカーに方針を転換したが、今なお「水戸ナチオ」は水戸を象徴する代名詞となっている。 水戸サポーターはホームゲームの勝利後に全員でラインダンスをするほか、一部選手・クラブ社長・ホーリーくんを交えての万歳三唱、アウェーゲームのゴール裏で屋台やゲームなどの夏祭りを開催する「納涼漢祭り」、前田秀樹監督を盛大に称える「前田祭り」、山形とのゲームで必ず行われる「コール合戦」など、独特のイベントを多数開催している。 これらは基本的にクラブはノータッチ、完全にサポーター主導で行われており、特に漢祭りは「Jリーグの奇祭」として他クラブサポーターも多数参加する。詳細は「納涼漢祭り」を参照。 2008年から新日本プロレスとのコラボ企画を行なっている。2月14日にひたちなか市松戸体育館で行われた新日本プロレスひたちなか大会において、ホーリーくんやチアリーダーが登場するなどして盛り上げた。6月13日の鳥栖戦には、6月15日の水戸市民体育館で行われる新日本プロレス水戸大会の宣伝も兼ねて、サッカー経験者である蝶野正洋の始球式参加や「I am Chono!!」シートを限定販売を行った。 ホームタウン推進協議会に属する大洗町が舞台のテレビアニメ『ガールズ&パンツァー』が2012年に放映されて人気を博したが、視聴したクラブ社長が主人公が所属する学校の立場に共感。製作会社であるバンダイビジュアルとの交渉で2013年11月10日第40節東京V戦でコラボ企画を実施。2014年には同社とスポンサー契約を締結、開幕前には合同記者会見が開かれ、以降関連グッズの販売やコラボイベントなどが活発に行なわれている。 Jリーグ加盟初年から長らく集客で苦戦が続き、特に2005年から2009年まで5年連続で動員数リーグ最下位を記録するなど、2010年までの年間観客動員数はリーグ下位2位以内が定位置であった。なお2000年、2004年の動員最下位はそれぞれ甲府、鳥栖であったが、双方とも当時クラブの存続危機に立たされていた。2010年に最下位だった岐阜はホームスタジアム・長良川競技場が改修工事のためわずか3試合しか使用できず、その他のホームゲームを収容人数3,000人台の長良川球技メドウで行なったためである。 2010年には、10月31日の柏戦で「ワースト脱出!!1万人チャレンジDAY」と銘打ったキャンペーンを実施、チケット価格を値下げするなどして初めて観客1万人を達成した。この模様はNHKのバラエティ番組「欽ちゃんのワースト脱出大作戦」でも取り上げられた。 2011年は東日本大震災で被災し、Ksスタの修理のため19試合のホームゲームのうち実に12試合もの間7,000席分のメインスタンドを使用できなかったにもかかわらず、年間動員数は20クラブ中18位となり初めてワースト2位の壁を越えた。 翌2012年以降から年々動員数を伸ばし続けており、近年は改善傾向が見られる。 水戸ホーリーホックの決算は、つぎのとおり。 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016、 2017、 2018、 2019、 2020 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016、 2017、 2018、 2019、 2020
[ { "paragraph_id": 0, "tag": "p", "text": "水戸ホーリーホック(みとホーリーホック、英: Mito HollyHock)は、日本の茨城県水戸市、日立市、ひたちなか市、笠間市、那珂市、小美玉市、常陸太田市、北茨城市、常陸大宮市、高萩市、茨城町、城里町、大洗町、大子町、東海村をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。", "title": null }, { "paragraph_id": 1, "tag": "p", "text": "1994年にFC水戸として創立、2000年よりJリーグへ加盟している。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 2, "tag": "p", "text": "クラブ名の「ホーリーホック (HollyHock)」は英語で「葵(タチアオイ)」を意味し、水戸藩(水戸徳川家)の家紋の葵 から採られた。ホームスタジアムはケーズデンキスタジアム水戸(Ksスタ)。クラブエンブレムは水戸徳川家の家紋「三つ葉葵」の外周を「水戸黄門」こと2代目水戸藩主・徳川光圀の字「子龍」に由来する龍が囲む円形。2014年には、クラブ後援会「葵龍会」の会長に水戸徳川家第15代当主の徳川斉正を迎えている。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 3, "tag": "p", "text": "マスコットキャラクターは龍がモチーフの「ホーリーくん」。2002年に公募によりデザインと名前が制定された。背番号310(みと)。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 4, "tag": "p", "text": "ホームタウンは創立当初は水戸市のみだったが、2017年11月に水戸市周辺(県央地域)に位置するひたちなか市、笠間市、那珂市、小美玉市の4市と東茨城郡・那珂郡の4町村(茨城町、城里町、大洗町、東海村)を追加した。2022年9月からは新たに県北地域の日立市、高萩市、北茨城市、常陸大宮市、常陸太田市、久慈郡大子町の5市1町をホームタウンに追加した。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 5, "tag": "p", "text": "2021年現在において一度もJ1リーグへの昇格経験がなく(J3リーグへの降格もない)、現時点におけるJ2リーグの最長在籍クラブである。", "title": "概要" }, { "paragraph_id": 6, "tag": "p", "text": "水戸市で1994年に創設されたフットボールクラブ水戸(フットボールクラブみと、FC水戸)を起源とする。茨城県リーグ4部に参戦し、1996年には2部で準優勝を果たしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 7, "tag": "p", "text": "1997年に土浦市に本拠地を置いていたプリマハム土浦工場の実業団チーム「プリマハムフットボールクラブ土浦」(プリマハムフットボールクラブつちうら、プリマハムFC土浦、1990年創設)と合併して、株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホックが設立され、現在の体制が固まった。当時関東サッカーリーグ所属だったプリマハムFC土浦は1996年の第20回全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、翌年からのジャパンフットボールリーグ(旧JFL)への昇格が内定していたが、プリマハムがサッカー部への支援を打ち切り廃部が決まったことを受け、FC水戸と合併した。なお、水戸ホーリーホックやJリーグの公式ホームページでは1994年をクラブの創設年と記載しており、プリマハムFC土浦は傍系扱いとなっているが、プリマハムFC土浦の持っていた旧JFLの参加資格を承継するために、形式的にFC水戸が吸収された形を取った。プリマハムFC土浦は全国社会人サッカー選手権大会優勝(1995年)、関東サッカーリーグ優勝(1995年)という成績を残している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 8, "tag": "p", "text": "水戸ホーリーホックとして初の公式戦は1997年4月20日、旧JFL開幕戦の札幌戦(笠松運動公園陸上競技場)で、0-2で敗戦。ここから14連敗し(うち延長戦でのVゴール負けが2試合)、初勝利は7月19日、第15節の川崎戦(1-0)となった。なお、Jリーグ準会員だった川崎は、このシーズンの最終成績で勝ち点1及ばずにJリーグ昇格を逃している。水戸は後半戦に3勝を挙げたが、16チームのリーグ戦で最下位に沈んだ。しかし、札幌のJリーグ昇格と福島FCの消滅により、地域リーグ決勝大会2位チームとの入替戦は行われず、水戸は残留を決めた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 9, "tag": "p", "text": "監督に三浦俊也を迎え、巻き返しを図ったが、年間予算が1億円強と言われ、プロ契約選手でもガソリンスタンドや水産加工所でのアルバイトをしないと生活出来ない状況では成績の劇的な向上は難しく(NHKサンデースポーツでの特集によると年俸は100万円程度だったと報じられている)、最下位脱出が精一杯だった。この年、翌1999年からスタートするJリーグ ディビジョン2(J2)への加盟を申請するも、経営基盤の不安定さ、スタジアム改修に対する地元自治体の動きの鈍さから加盟は見送られ、日本フットボールリーグ(JFL)参加となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 10, "tag": "p", "text": "監督が二宮浩に交代したが、9チームによる3回戦総当たり制(ステージ制)のリーグ戦で苦戦し、第1ステージでは6位に終わった。しかし、南光太などの活躍により、第2ステージではこの年に優勝した横浜FCにこそ敗れたものの7勝1敗の首位となり、通算では3位でシーズンを終えた。Jリーグへの昇格条件は「JFLで2位以内」だったが、優勝が特例参加による準会員資格の横浜FCだったため、JFL正会員の中では2位という点が考慮され、翌2000年からのJリーグ(J2)加盟が認められた(Jリーグの2部制導入後最初のJリーグ参入チームとなった)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 11, "tag": "p", "text": "チーム初の外国人監督としてセルビア人のバビチ・ブランコを招いた。J2昇格後の初公式戦を3月11日の浦和戦(浦和駒場)で迎え、0-2で敗れた。資金・戦力の欠乏を理由に専門誌などでは先行きを危ぶまれたが、第2節の大分戦でJ初勝利をあげると、全試合出場を果たしたGK本間幸司を中心とした粘り強い守備や(失点数はリーグ7位タイ)、シーズン途中加入で36歳の高齢ながら元ブラジル代表の技を披露したFWジョン・パウロなどの活躍により、昇格初年度の最終順位は9位、しかも6位の鳥栖までは勝ち点5差という善戦を見せた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 12, "tag": "p", "text": "シーズン前に新潟から木澤正徳、川崎から池田伸康などベテラン勢を獲得するも、シーズン前半は1勝しか挙げられなかった。その後、補強した韓国人選手の活躍や、メインスタジアムの笠松運動公園陸上競技場のグランドオープン効果などがあり、最終的には最下位を脱出し、11位で終了した。監督は川崎で指揮を執っていた小林寛を招いたが、7月にはゼネラルマネージャーへ転身し、コーチの菅野将晃が監督に昇格して後を継いだ。シーズン後、経営難からチーム存続問題が浮上し、FC水戸代表としてのプリマハムFC誘致からクラブ経営を続けた石山徹が社長を辞任し、小林が石山の所有株と社長職を引き継いで、チームのJリーグ加盟が暫定承認されることになった。なお、この年のチーム得点王(10得点)は東海大から加入して2年目の須藤大輔で、翌年に湘南へと移籍したが、その際の移籍金は苦しい水戸の財政を少なからず助けたとも言われている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 13, "tag": "p", "text": "菅野体制2年目。小林新社長が経営安定化とチーム成績向上を迫られた一年となった。菅野体制2年目のチームではFW小野隆儀が14得点を挙げ、守備でもシーズン失点数はリーグ最下位ながら前年比20点減の73失点に抑えて、最終順位は前年より1つ上がり、10位となった。一方、J2リーグ戦1試合の平均観客数は前年の1559人から2739人に増え、2002年W杯のために来日していたコスタリカ代表との国際親善試合も実現した。これらの実績により、水戸はJリーグから加盟継続が正式に承認された。しかし、増えたとは言っても水戸の観客動員数はJ2最低で、平均の約4割にとどまっていたため、更なる努力が求められた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 14, "tag": "p", "text": "クラブの存続問題が一息ついたこの年、1980年代に日本代表の主将として活躍した前田秀樹を監督に迎え、守備重視からのカウンター戦術をベースにしたチーム強化に乗り出した。この年は同年シーズンにJ2へ降格していた広島からレンタル移籍で獲得したDFトゥーリオが活躍。センターバックとして水戸の守備を固めると共に、機を見てどんどん攻め上がり攻撃に厚みを加え、DFでありながらチーム内得点王となる10ゴールを記録した。トゥーリオは10月に日本への帰化が認められ、登録名を現在の田中マルクス闘莉王に変更した。これらの活躍もあって、水戸は4回戦制のJ2で開幕ダッシュに成功し、一時は首位、11節終了時の第1クールでも2位という好成績を挙げた。その後は徐々に順位を下げたが、最終順位でもチーム史上最高の7位にまで躍進した。10月からは過去の経営危機への反省から、運営資金を広く集め、地域社会での認知度を高めるために「水戸ホーリーホック支援持株会」が拠出金募集を開始した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 15, "tag": "p", "text": "前田体制2年目。前年大活躍した闘莉王のレンタル移籍が延長されず浦和へ完全移籍し、それまで長らくチームを支えたFWの小野、北川、ディフェンスラインを支えた冨田大介が移籍した。一方、川崎から小林康剛を、大宮から磯山和司など地元茨城出身の選手を獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 16, "tag": "p", "text": "開幕戦の湘南戦で9,155人の観衆を集めた。またこの年の平均観客動員数3,773人は2012年に塗り替えられるまでの最高記録であった。しかし前年と比較して主力が多数入れ替わった影響か、なかなか勝ち星が奪えずホームでは5月5日の大宮戦から10月16日の甲府戦まで13戦勝利なしという事態が続いた。この間7月24日の川崎戦ではアウェー戦会場の等々力陸上競技場に集まった水戸サポーター有志による第1回納涼漢祭りが開催され、他チームのサポーターの間でも反響を呼んだ。結局チームは年間6勝しかできなかったが、44試合中19試合(42%)の引き分け(勝ち試合6試合分)で積み上げた勝ち点が効いて、2年連続一桁順位の9位となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 17, "tag": "p", "text": "また天皇杯4回戦で鹿島との「茨城ダービー」が公式戦で初めて実現した。偶然にも「茨城県民の日」である11月13日の対戦になった(試合は0-1で水戸の敗戦)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 18, "tag": "p", "text": "前田体制3年目。この年は、開幕前に2つの変化があった。この年から1月のチーム始動後の1次キャンプを福島県いわき市のスパリゾートハワイアンズで行い、同所でキャンプ最終日にファンクラブ会員イベントを行うようになった。2月には「いばらきサッカーフェスティバル」として鹿島とのプレシーズンマッチが行われ、以後年1回の頻度で定例化した。鹿島は水戸市内でも公式ショップや小学生・幼稚園児(4種)向けのサッカースクール(旧内原町)などを開設しているため、後発の水戸とは競合関係にもあったが、この試合は両者の関係改善を示した。また、この年にJFLから草津が昇格し、水戸は草津との対戦を「北関東ダービー」と称して共同参加キャンペーンを実施した。10月には日立市出身のシンガーソングライター、ecoによる公式応援歌「走れ☆ホーリーホック!」が発売された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 19, "tag": "p", "text": "一方、チームは強化策として前年の決定力不足解消のため、パラグアイ人FWのデルリスを獲得し、彼にボールを集中させるため基本システムをそれまでの4-4-2から4-5-1へと変更した。序盤は連敗をしたものの、システム変更策は功を奏し、デルリスは前半戦のみでチームトップの8得点を決めた。しかし、その得点力に注目した札幌がレンタル元のチームに好条件を出したため、デルリスがシーズン中盤に移籍したが、シーズン後半はDF陣の相次ぐ攻撃参加や、若手のファビオの加入などで2年ぶりの2桁勝利となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 20, "tag": "p", "text": "前田体制4年目。2月、チームの応援を盛り上げるための女子チアリーディングチーム、「Mito Holy's」(水戸ホーリーズ)を発足。4月2日からはJR水戸駅ビル「EXCEL」の屋上に新規設置された人工芝のミニサッカー場「FUTPARQUE MITO」(フットパルケ水戸)の運営を請け負うことになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 21, "tag": "p", "text": "チームは5月6日の第14節の札幌戦(笠松)で、レンタル移籍で加入したブラジル人FWアンデルソンがハットトリックを達成。これは水戸の選手がJ2リーグ273試合目で記録した初のハットトリックだった。第15節の東京V戦ではクラブ史上初めて国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で試合を行い、アンデルソンの2試合連続ゴールで1-0と勝利した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 22, "tag": "p", "text": "6月2日の横浜FC戦では横浜FCの連続無失点記録を770分で止めたり、6月24日の柏戦では、後半ロスタイムで土壇場の同点に追いつき引き分けに持ち込むなど、J2上位クラブを大いに苦しめた。8月13日には那珂川河川敷の水戸市市有地に3面整備された「水府町グラウンド」が開場し、クラブの悲願だった専用練習場「ホーリーピッチ」として水戸に利用権が与えられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 23, "tag": "p", "text": "シーズン後半から前田監督は将来の上位進出に備えるため、カウンター重視の守備的戦術からボールを保持し、ショートパスの連続から能動的にゴールへ迫る攻撃的な戦術への転換を開始した。これは「サッカーの質を上げるために必要な措置」と評価された反面、対戦相手の監督から「あまりにも消極的」と非難されても守り続けるのをやめたことで、逆に「内容は良いが勝てない」という試合が増えた。その結果、勝ち点は伸び悩み、昨年と同じ10位でのシーズン終了となった。1試合平均観客数も3017人まで落ち込んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 24, "tag": "p", "text": "前田体制5年目。前年17得点のアンデルソンが鳥栖へ移籍し、更にキャプテン吉本岳史が故障で離脱。その結果チームは出遅れ、シーズン初勝利は第13節の東京V戦となり、2勝目も第21節の山形戦となるなど、前半戦(第26節)終了時点でわずか3勝にとどまった。観客動員も更に落込み、第11節の湘南戦は3桁台の958人となった他、前半戦主催12試合中6試合で観客数が2000人以下となった。チームの勝敗のみならず、低予算でのクラブ経営、少人数体制での顧客サービスの低下、クラブスタッフの相次ぐ退職などからサポーターへのアプローチやスポンサーへの営業力が低下し、クラブ経営を問われる声が上がった。この状況に対し、クラブ株主の過半数から小林の経営責任を問う声が上がり4月23日付で宮田裕司が社長に就任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 25, "tag": "p", "text": "チームは旧JFL以来10年ぶりのリーグ戦最下位を回避するため、Jリーグで9シーズン目となるベテランのブラジル人MFビジュを獲得するなど、チーム戦力の再整備を行った。シーズン後半は昨年後半から続けてきたアクションサッカーの戦術が浸透してきたことにより前半より失点数が減った。最終成績は12位で8勝しか挙げられなかったが、そのうちの3勝は東京V、札幌、C大阪など、J2上位クラブから挙げた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 26, "tag": "p", "text": "1月にはMF小椋祥平がU-22(22歳以下)日本選抜に選ばれ、次いで6月6日の北京オリンピックアジア二次予選マレーシア戦に出場した。小椋は修徳高校から2004年に入団、1年目からトップチームで出場し、他のプロチームを経由せずに水戸入りした「生え抜き」選手では最も高い年代の世代別代表入りとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 27, "tag": "p", "text": "しかし、去就が噂されていた前田は2007年シーズン限りで監督を退任。更に、キャプテン吉本が横浜FCへ、小椋は横浜FMにそれぞれ移籍した。なお、シーズン3勝目となった6月17日の第22節愛媛戦が行われた水戸市立競技場は、この試合を最後に大規模な改装工事に入った。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 28, "tag": "p", "text": "また、チーム通算310得点(通称水戸GOAL)を、当時キャプテンだった吉本岳史がPKで決めている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 29, "tag": "p", "text": "水戸OBの木山隆之が監督に就任。補強は他のJクラブ出身選手の目立った獲得はせず、大学サッカーでそれなりの実績を挙げた選手の獲得に重点を置いた。また、浦和から赤星貴文、東京Vから弦巻健人らをレンタルで獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 30, "tag": "p", "text": "開幕から5試合は、ここ2年間のJ1在籍経験チーム(うち3〜5節は2007年J1在籍クラブ)との対戦となった。結果として5節終了時点で1勝2敗2分と健闘するが(うち前年J1在籍クラブ全てから勝ち点を取った)、3月31日に社長の宮田裕司が、前年8月のクラブスタッフとの親睦会での飲酒運転が発覚し辞任(後任として沼田邦郎が就任)。更に、4月には取締役強化部長の鬼塚忠久が前述の宮田辞任に関連して退任、また水戸ホーリーホック初代社長であり、チームのJリーグ参戦に貢献した竹村徹(旧姓・石山)が死去した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 31, "tag": "p", "text": "そんな中、5月に韓国五輪代表候補である朴柱昊が加入、5月末、7月に3連勝するなど、チーム成績は上昇機運に乗り、このシーズン加入した荒田智之が新人ながら多くの得点を挙げ、遠藤敬佑もU-19日本代表に選ばれた。また、9月7日にKKWINGにて行われた熊本戦において、Jリーグ昇格後100勝目となる勝利をあげた。更に、2008年9月28日の仙台戦では荒田の2ゴールなどで仙台から初勝利を上げたが、リーグ終盤はロングボール主体の戦いになってしまうなどゲーム内容が悪くなり失速、15チーム中11位でシーズンを終えた。勝ち点も、目標としていた50にはあとわずか届かなかった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 32, "tag": "p", "text": "マスコットであるホーリーくんの入院及び手術(ホーリーくんの着ぐるみのリニューアル)をするための費用として、11月下旬から12月上旬にかけてサポーター有志からの募金とホーム最終戦で行われたチャリティーオークションで100万円以上の入院・手術費用が集まった。ホーリーくんの着ぐるみは2008年シーズン開始当初から頭が割れたり、しっぽがちぎれそうになったりしており、怪我(破損)した部分を包帯で巻き、なんとか試合会場やイベント会場に来ていた。また、試合やイベント会場でも、痛々しい姿を指摘する子どもたちの声もあった。着ぐるみの耐用年数は約2年と言われており、Jリーグの多くのチームは数体予備を用意しているが、予備が無く、チーム財政も厳しいため、今回の募金活動が行われた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 33, "tag": "p", "text": "木山体制2年目。主将のDF平松大志がFC東京へ移籍、チームの柱だったMF赤星が浦和へ復帰、またMFパク・チュホが鹿島へ移籍したが、浦和からFW高崎寛之、またFC東京から森村昂太、愛媛FCからMF金泰橪をそれぞれレンタルで獲得。またJFLのFC琉球から、かつて名古屋でJ1でのプレー経験があるMF中島俊一を獲得した。更に、2月18日にはチーム発足以来初めて、A代表歴を持つ吉原宏太が加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 34, "tag": "p", "text": "開幕戦は負けたが、以降は勝ち続け、9年ぶりの4連勝を飾り、4月26日の岡山戦で、荒田智之がチーム2人目のハットトリックを達成。5月に入ると、荒田、菊岡などの攻撃陣が相次いで負傷するなどし、その後に控えた上位相手に大量失点することが目立った。そのため、5月20日には湘南からFW山本孝平が、その翌週にはFC東京からMF下田光平が共に期限付きで加入した。6月以降は再び調子を上げ、第2クールでは再び4連勝を記録(右図)。上位4チームに負けただけで、順位も5位で折り返した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 35, "tag": "p", "text": "第24節C大阪戦で、チーム通算400ゴールが達成された。この時、誰が400ゴールを挙げるかをファン・サポーターから募集しており、当たった人の中から抽選で1名に400ゴールを挙げた選手のサイン入り試合球が貰えることになっていた。しかし、当の400ゴールは、C大阪のDF前田和哉によるオウンゴールだった為、サインはこの試合にスタメン出場した選手全員のものが入ることになり、当選対象者も応募者全員の中から抽選で1名となった(オウンゴールは投票対象外だったため)。7月8日の福岡戦でFW遠藤敬佑がチーム3人目のハットトリックを達成し、更に8月30日の岡山戦で高崎寛之が、チーム4人目のハットトリックを達成した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 36, "tag": "p", "text": "「昇格しか見えない」というゲーフラが登場するほど好調だったが、第3クールでは5試合連続完封負けを含む8連敗を記録して失速。第45節終了時点で、J1昇格の可能性は消滅した。11月3日にケーズデンキスタジアム水戸(Ksスタ)が竣工。第48節の11月8日の仙台戦で杮落しとなったが0-4で敗戦し、仙台のJリーグ ディビジョン1(J1)昇格を目前で決められ、Ksスタ初戦を飾ることは出来なかった。改修後の同スタジアムでは2戦目となる第49節の愛媛戦では中村英之のゴールで1-0と勝利し、Ksスタ初勝利を挙げたが、3試合目の第51節(最終節、12月5日)湘南戦では2-0からの逆転負けを喫し、湘南にも目前でJ1昇格決定を許した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 37, "tag": "p", "text": "2009年の最終成績は21勝20敗10分の勝ち点73で、18チーム中8位となった。J2リーグ参加10年目で初めて勝ち越すとともに、前述の通り1シーズンで3人のFW(荒田智之、遠藤敬佑、高崎寛之)がハットトリックを達成するなど、総得点でも70点台に到達した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 38, "tag": "p", "text": "木山体制3年目。2年間でリーグ通算31得点を決めたFW荒田が磐田へ完全移籍、荒田と共に得点を量産したFW高崎も浦和へ復帰。また、鈴木和裕、村松潤、金澤大将など、水戸で100試合以上出場した選手との契約が終了し退団となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 39, "tag": "p", "text": "補強として、草津にレンタル移籍していた小池純輝を完全移籍で獲得。更に、前年KリーグでプレーしていたMF大橋正博が9年ぶりに水戸に復帰。また岐阜からかつて大学、JFLで得点王を経験したFW片山真人が完全移籍で、C大阪からFW白谷建人をレンタル移籍でそれぞれ獲得。下田光平、森村昂太のレンタル移籍期間も延長、更に新卒選手を7名獲得した。またこの年は外国籍選手がいないクラブとなっている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 40, "tag": "p", "text": "開幕戦は勝利したもののその後5戦勝利なし。連勝は第6節-第7節の1度のみと最後まで成績は上向かないまま16位に沈んだ。総得点が19チーム中17位の29得点と、前年とは打って変わって得点力不足に苦しめられた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 41, "tag": "p", "text": "この年は水戸の観客動員数をJリーグワーストから脱出させようという試みが数々行なわれ、中でもNHKの番組「欽ちゃんのワースト脱出大作戦」において通年にわたってコラボ企画が催された。特に10月31日に行われた柏戦では、観客動員をクラブ史上初の1万人突破を目標に様々なイベントが企画され、最多記録となる10,181人が来場した。その結果、年間来場者数は19チーム中18位で最下位を脱出した。なおこの年をもって木山が監督を退任し、翌期より柱谷哲二を監督に迎えることになった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 42, "tag": "p", "text": "柱谷体制1年目。2010年大卒新人の藤川祐司と作田裕次が大分へ完全移籍した。他には大和田真史が栃木SCへ完全移籍、下田光平と森村昂太もレンタル期間の終了により退団。また、35試合に出場した大橋正博などが契約終了により退団した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 43, "tag": "p", "text": "新加入選手でJリーグ経験者は栃木SCから移籍した岡田佑樹と、草津から移籍した尾本敬と、磐田から順天堂大学へと進学し、Jリーグ再挑戦となる岡本達也の3名のみであり、他は新卒選手9名が新たに加わった。また6月には鹿島などで活躍した元日本代表鈴木隆行(本人の希望によりアマチュア契約)の完全移籍加入があった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 44, "tag": "p", "text": "1月16日の新体制会見の席上において、2010年にスポーツ振興投票対象試合安定開催特別会計から3000万円を借り入れていたこと、その返済期日が2011年1月末に迫っているが返済が困難なことから公式試合安定開催基金の借入申請を行ったことを発表した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 45, "tag": "p", "text": "しかしシーズン開幕直後の3月11日、東日本大震災により水戸も大きく被災。特にホームスタジアムであるKsスタはメインスタンドを中心に著しく損傷。周辺地域も被災していることや、東京電力福島第一原子力発電所事故による放射能漏れの影響への懸念から、一時活動停止していたが、その後練習を再開。スタジアムについては代替開催可能な競技場が他になかった(前年まで準本拠地であった笠松運動公園陸上競技場はKsスタ以上に損傷が激しく、県内の周辺競技場も全て損壊していた)ため、Ksスタのメインスタンドを閉鎖(損壊箇所修繕を含めた耐震補強のため)し、バックスタンドおよびゴール裏に観客席を限定して使用することとなった。その後工事が進み、10月16日の東京V戦からメインスタンドの使用が再開された(ただし最初の2試合は工事資材の撤去作業の都合上「仮オープン」とし、10月30日の草津との試合から完全復旧となった)。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 46, "tag": "p", "text": "この震災の影響で、スポンサーやテレビ放映収入などの激減が予想される事から、再建計画も見直しを迫られることとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 47, "tag": "p", "text": "やがてクラブを支援する動きは大きな広がりを見せた。岐阜や北九州は水戸をアウェーとして迎える直接対決で「震災復興支援招待席」を寄贈(前者・4月30日、後者・5月8日)。それぞれにつき水戸の応援に駆けつけるサポーターに対し500枚と300枚を用意して先着順に招待を行なった。6月3日には前述の鈴木隆行の入団を発表。代表経験者が被災クラブの援助を理由に無報酬契約を発表したことで大きく報じられた。6月17日にはテイクアンドギヴ・ニーズとの新規スポンサー契約により空白となっていたユニフォームの背中・パンツにスポンサーが入り(ユニフォームスポンサーが全て埋まるのは2006年以来5年ぶり)、また増資やサポーター有志の募金などにより、10月20日に公式試合安定開催基金からの借入金3000万円を完済。さらに12月21日には水戸市議会において初めてホームタウン・水戸市からの出資が可決された。かくして波乱に満ちた2011年シーズンの運営危機はクラブ内外の多くの助力により回避された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 48, "tag": "p", "text": "なおこの年はリーグ戦の成績こそ20チーム中17位と振るわなかったものの、これまで一度も勝ち星のなかった京都から2勝を挙げ、天皇杯・3回戦ではJ1で優勝争いを繰り広げていたG大阪を延長戦の末3-2で破り、クラブ創設以来初めて公式戦でJ1クラブに勝利した。そして、天皇杯はベスト16に進出した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 49, "tag": "p", "text": "柱谷体制2年目。遠藤敬佑、保崎淳が草津へ、小池純輝が東京Vへ、神村奨が新潟シンガポールへ、常盤聡が北九州へ完全移籍、鶴野太貴ら4人が退団。補強は、甲府から元日本代表の市川大祐、神戸から三島康平、徳島から輪湖直樹、名古屋から橋本晃司を完全移籍で獲得、キム・ヨンギ、石神幸征、内田航平、鈴木雄斗が新加入した。また昨シーズンはアマチュア契約だった鈴木隆行とプロ契約を結んだ。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 50, "tag": "p", "text": "8月に塩谷司が広島へ移籍。代わりのDFとしてFC東京から吉本一謙を始め、G大阪から星原健太を期限付き移籍、特別指定で明治大学の山村佑樹が加入。しかし吉本が加入してわずか1週間後に全治8か月の負傷で今季絶望となったため、9月に元仙台の細川淳矢が加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 51, "tag": "p", "text": "この年は開幕から3連勝と好調で、第4節アウェー北九州戦で0-1と惜敗し連勝こそ止まったものの、第3節、4節終了時にはJ1昇格圏内の2位となる。その北九州戦を皮切りに、5試合連続勝ちなし(3分2敗)で一旦10位まで降格するも、第9節ホーム草津戦から4連勝して持ち直し、第12節終了の時点で7勝3分2敗の3位と好調を維持していた。しかし、第13節ホーム東京V戦から3連敗し、同節から後半戦初戦の第22節アウェー東京V戦まで10試合で2勝1分7敗と不調に陥り、順位も12位まで下げる。後半戦も、第32節ホーム鳥取戦から3連勝したものの、それ以外シーズン終了まで連勝がなく、最終順位は22チーム中13位に留まった。ただし観客動員については1試合平均3,973人となり2004年の記録を更新した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 52, "tag": "p", "text": "9月28日、2013年度のJリーグクラブライセンス申請においてJ2ライセンスの対象となり、2012年度のリーグ戦の成績が6位以内でもJ1への自動昇格もしくはプレーオフ参加の対象とならないことがJリーグから発表された。なおクラブとしてはJ1昇格の目標を早期に達成するために、KsスタのJ1規格への改修・増築を行う間、J1規格に適合し2009年までの本拠地であった笠松運動公園陸上競技場への「一時的な復帰」も視野に入れて、同競技場を管理する茨城県など関係自治体・各方面と協議をすることも示唆している。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 53, "tag": "p", "text": "柱谷体制3年目。吉原宏太、小野博信が引退。岡本達也が鳥取へ、ロメロ・フランクが山形へ完全移籍。その他市川大祐らが契約終了により退団。補強面では冨田大介が10年ぶりに復帰、横浜FCから難波宏明、新潟から木暮郁哉をレンタルで、神戸から近藤岳登を完全移籍で獲得。その他新卒選手4名が新加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 54, "tag": "p", "text": "この年、第29節時点で7位につけたがその後10試合勝利なしで失速、2009年以来の勝ち越しのかかった最終節横浜FC戦にも敗れ15位でシーズンを終えた。なお第19節G大阪戦で2度目となるホームゲームの入場者数1万人超えを達成、年間の平均入場者数も4,630人となり前年の動員記録を塗り替えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 55, "tag": "p", "text": "この年はJ2参加14年目となり鳥栖の13年(1999年-2011年)を抜いてJ2最長となった。またJ1ライセンスは前年と同様の理由で交付されずJ2ライセンスのみの交付となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 56, "tag": "p", "text": "柱谷体制4年目。輪湖直樹が柏へ、橋本晃司が大宮へ完全移籍。近藤岳登ら7人が退団。補強は湘南から馬場賢治・横浜FCから中里崇宏・名古屋から吉田眞紀人をレンタルで、神戸から金聖基・新潟から小谷野顕治・川崎から田中雄大を完全移籍で獲得。その他新卒3名が新加入した。シーズン中にオズマールを獲得した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 57, "tag": "p", "text": "この年は前年からさらに年間動員数を増やしたものの、成績面では第23節から8試合勝利なしなど勝ち星を伸ばせず、前年と同じ15位に終わった。収支面ではユニフォームスポンサーの撤退により4期ぶりの赤字となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 58, "tag": "p", "text": "またこの年もスタジアム問題を解決できずJ2ライセンスの交付となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 59, "tag": "p", "text": "柱谷体制5年目。広瀬陸斗が徳島へ完全移籍。西岡謙太ら8人が退団。補強は湘南から岩尾憲・宮市剛・松本からパク・カンイル、シーズン途中から新潟の鈴木武蔵などをレンタルで、山﨑貴雅を完全移籍で獲得。その他新卒3名が新加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 60, "tag": "p", "text": "5月以降の7試合を2分5敗で順位が急落、6月6日第17節北九州戦に敗れ21位の降格圏に陥ったことにより、翌日柱谷を解任。後任にはヘッドコーチの西ヶ谷隆之が暫定監督を経て正式に就任した。監督交代後もリーグ戦では1度も連勝がなく勢いが続かなかったことや序盤の不振の影響もあり、過去最低の19位であったが残留を果たした。天皇杯は3回戦で鹿島と対戦、互いに無得点で迎えたPK戦を3-2で破り公式戦で初勝利したが次の4回戦でFC東京に敗れた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 61, "tag": "p", "text": "この年、年間観客動員数が10万人の大台を突破したが、例年通りの事情でJ2ライセンスの交付となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 62, "tag": "p", "text": "西ヶ谷体制2年目。田中雄大が神戸、馬場賢治が讃岐へ移籍、鈴木武蔵のレンタル移籍期間満了などで16人の選手が退団。補強は、磐田から木下高彰、栃木から湯澤洋介、大分から兵働昭弘、千葉から佐藤祥、伊藤槙人、金沢から佐藤和弘、名古屋から佐藤和樹、山形から萬代宏樹を完全移籍で、4年ぶりの復帰になるロメロ・フランク、ベトナム代表のグエン・コンフォン、浦和から斎藤翔太をレンタル移籍で獲得。その他新卒2名が新加入した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 63, "tag": "p", "text": "シーズン中には、ユ・ロモンが新加入し、山口から福井諒司、新潟から平松宗、岡山から久保裕一をレンタル移籍で加入する一方で、チームトップの9得点を挙げていた三島康平が松本へ完全移籍した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 64, "tag": "p", "text": "2016年7月16日に行われた第23節FC岐阜戦でJ2通算200勝を達成したが最終順位は13位。天皇杯は1回戦で埼玉県代表の東京国際大学に勝利したが2回戦で清水に敗れた。またJリーグライセンスは例年通りの事情でJ2ライセンスの交付となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 65, "tag": "p", "text": "西ヶ谷体制3年目。山﨑貴雅がレンタル移籍先のJFL・八戸、池ヶ谷颯斗がレンタル移籍先の鳥取、兵働昭弘が甲府へ完全移籍、久保裕一、ロメロ・フランクのレンタル移籍期間満了などで10名が退団した。補強は山形から林陵平、琉球から田中恵太、JFL・FC大阪から浜崎拓磨、Kリーグ・全北現代からクォン・ヨンジンを完全移籍で、大宮から小島幹敏、松本から前田大然、札幌から昨年福島でプレーしたパウロン、京都から昨年JFL・FC大阪プレーした齊藤隆成をレンタル移籍で獲得。東海1部・鈴鹿へレンタル移籍していた角口大征、岡田明久が復帰、斎藤翔太のレンタル移籍期間が延長され、福井諒司が完全移籍に移行、ユースから中川洋介が昇格した。また、高知大学から元田龍矢が入団したが今シーズンはSリーグ・アルビレックス新潟シンガポールへレンタル移籍した。2月16日には,2012年から2013年まで水戸のエースとして活躍した橋本晃司が川崎フロンターレより復帰することが発表された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 66, "tag": "p", "text": "シーズン中には、熊本から齋藤恵太を完全移籍で、磐田から清水貴文、鹿島から小泉勇人、札幌から永坂勇人をレンタル移籍で獲得する一方で、角口大征がJFL・東京武蔵野、岡田明久が東海1部・鈴鹿へ育成型レンタル移籍、萬代宏樹が長野、田中恵太が琉球、伊藤槙人が藤枝へレンタル移籍、クォン・ヨンジンが契約解除となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 67, "tag": "p", "text": "第8節から第20節までクラブ新記録となる13試合連続無敗を記録し、一時期は4位まで浮上したが最終順位は14位。天皇杯は2回戦で熊本に延長戦の末敗戦。Jリーグライセンスは例年通りJ2ライセンスの交付となった。シーズン終了後、2年半チームを率いた西ヶ谷隆之が退任した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 68, "tag": "p", "text": "新監督に千葉コーチで監督代行の経験もある長谷部茂利を招聘。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 69, "tag": "p", "text": "MF橋本晃司、FW山村佑樹らが契約満了で退団。GK笠原昂史が大宮へ、MF内田航平が徳島へ、MF佐藤和弘が甲府へ、MF湯澤洋介が京都へ、FW林陵平が東京Vへ完全移籍。期限付き加入中のDFパウロン(栃木へ完全移籍)、MF清水貴文(栃木Uへ完全移籍)、FW前田大然(松本に復帰)が期限付き移籍満了。DF今瀬淳也(富山)、GK石井綾(福島)、DF木下高彰(藤枝)が期限付き移籍。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 70, "tag": "p", "text": "一方、大宮からGK松井謙弥、徳島からDF冨田大介とMF木村祐志を獲得、MF田中恵太(琉球)、DF伊藤槙人(藤枝)、MF元田龍矢(新潟S)が期限付き移籍から復帰、DFジエゴ(ジョインビレEC)、FW岸本武流(C大阪)、MF前寛之(札幌)、FWジェフェルソン・バイアーノ(AAサンタ・リタ)、MF黒川淳史(大宮)が期限付き加入。GK長谷川凌(市立船橋高)、MF平野佑一(国士舘大)が新加入し、MF大原彰輝がユースから昇格。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 71, "tag": "p", "text": "2019シーズンのJリーグライセンスは、ホームスタジアムについて、成績面でJ1昇格要件を満たした場合に、入場可能人数15,000人を満たす笠松運動公園陸上競技場にライセンスを充足するための改修工事を実施する(J1昇格要件を満たさなかった場合は引き続きケーズデンキスタジアム水戸を使用する)前提でJ1ライセンスを申請。これが認められ、条件付きながらクラブとして初めてJ1ライセンスが交付されることとなった が、シーズン最終順位が10位となったことで「J1昇格のための順位要件を充足できずスタジアムの短期改修工事を行わないことが確定したこと」により、最終的に2019シーズンはJ2ライセンスへ変更となった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 72, "tag": "p", "text": "開幕3連勝で第2節には首位に立ち、次節には首位をあけわたしたものの、開幕から12戦無敗(7勝5分)で第9節から再び首位となる。第13節でシーズン初敗戦と同時に首位陥落した後、1位と2位を推移するが、第18節から4戦勝てず、前半戦終了時点で4位。後半戦も、J1昇格プレーオフ圏内の6位以上を維持していたが、第34、35節でシーズン初の連敗を喫し7位に転落、直後に首位柏に勝利し5位浮上したものの、第38節徳島に敗れ8位に後退、第40節に再び4位浮上したが、最終2節で徳島、甲府、そして得失点差で並んでいた山形に総得点の差でかわされ7位となり、過去最高順位は達成したものの、僅差でプレーオフ進出を逃した。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 73, "tag": "p", "text": "後述の新スタジアム建設構想の発表に伴い、2020年度ライセンス(2019年申請)から適用された「スタジアムの例外規定2」の特例 の適用申請を行った。これによりJ1ライセンスが承認され、J1昇格案件の順位を満たした場合でも、前年までとは異なり、継続してケーズデンキスタジアム水戸を本拠地として使用することができるとしている。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 74, "tag": "p", "text": "その後9月のJリーグ理事会において、上記例外規定適用による通常のJ1ライセンス交付が認められた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 75, "tag": "p", "text": "J2リーグ戦では、山口一真がリーグ4位の15得点、中山仁斗が同6位の13得点を挙げるなど、優勝した徳島を上回りリーグ最多の68得点を挙げたものの、失点がワースト4位タイの62もあり、複数得点を挙げた試合20に対し複数失点した試合も21(重複あり)で、前年から順位を落とし9位に終わった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 76, "tag": "p", "text": "チームは前年より1つ順位を落とし10位。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 77, "tag": "p", "text": "また、9年ぶりに北関東ダービー王者の座を群馬に譲ることとなった。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 78, "tag": "p", "text": "第1節の大分戦が新型コロナウイルスの影響で延期。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 79, "tag": "p", "text": "2、3、4節を連続で落とし、第5節でシーズン初勝利、第6節ホーム初勝利を挙げた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 80, "tag": "p", "text": "しかしそこから4試合勝ちなし。順位は20位となった。それでも少しずつ順位を上げ11位で前半戦を終える。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 81, "tag": "p", "text": "後半戦は一進一退であったが第35節で盛岡に敗れてから延期となっていた31節を含む7戦勝ちなしで14位に後退。しかし41節栃木戦、最終節群馬戦を連続で後半アディショナルタイムに逆転弾を叩き込み連勝。2年ぶりに北関東ダービーを制し順位を13位に上げてシーズンを終えた。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 82, "tag": "p", "text": "チームは負け越しが見込まれ、早い段階でJ1昇格・プレーオフ圏外の7位以下となることが確定したことを受け、10月2日に秋葉忠宏が今季で監督を退任することが発表された。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 83, "tag": "p", "text": "最終成績は14勝12分16敗の13位。天皇杯は2回戦で山口に敗れ敗退。", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 84, "tag": "p", "text": "2023年", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 85, "tag": "p", "text": "草野侑己、安永玲央(横浜FC)、長井一真(京都サンガFC)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 86, "tag": "p", "text": "武田英寿(浦和レッズ/育成型)、小原基樹(サンフレッチェ広島)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 87, "tag": "p", "text": "唐山翔自(ガンバ大阪)、鵜木郁哉(柏レイソル)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 88, "tag": "p", "text": "田辺陽太(おこしやす京都AC)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 89, "tag": "p", "text": "三國スティビアエブス(FC岐阜)、鈴木喜丈(ファジアーノ岡山)、曽根田穣(愛媛FC)、森勇人(カマタマーレ讃岐)、木下康介(京都サンガFC)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 90, "tag": "p", "text": "音泉翔眞(AC長野パルセイロ)、", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 91, "tag": "p", "text": "椿直起(横浜Fマリノス→ジェフユナイテッド千葉へ完全移籍)、土肥航大(サンフレッチェ広島→ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍)", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 92, "tag": "p", "text": "平田海斗(ラインメール青森FC)、小澤章人(ブラウブリッツ秋田)、レオナルド ブローダーセン", "title": "歴史" }, { "paragraph_id": 93, "tag": "p", "text": "ホームスタジアムは水戸市立競技場(ケーズデンキスタジアム水戸、通称「Ksスタ」)。Ksスタは2009年に改修されるまでは収容人員がわずか5,000人しかなく照明設備もなかったため、Jリーグのホームスタジアム規定を満たせなかったことから、開催基準を満たす笠松運動公園陸上競技場(那珂市)を長年ホームスタジアムとしていたほか、笠松が2002年の全国高等学校総合体育大会(インターハイ)のメイン会場となり改修工事が行われた2000年はひたちなか市総合運動公園陸上競技場(ひたちなか市)と日立市民運動公園陸上競技場(日立市)の2会場を中心に主催試合を行なった。また平日のナイターの一部を隣県の栃木県グリーンスタジアムで開催している。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 94, "tag": "p", "text": "水戸市競技場(Ksスタ)が2009年まで改修が行われなかったのは、JFL参入時のクラブと水戸市との軋轢に由来する。1996年にJFL昇格を決めたプリマハムFC土浦と合併し、水戸市を本拠地としてJFLでの活動を目指していたFC水戸であったが、市の反応は極めて冷ややかであった。当時の水戸市長であった岡田広は水戸商業高校の野球部応援団OBであり圧倒的な野球派でサッカー嫌いであったが、奇しくも当時のクラブ代表であった石山徹が同校のサッカー部OBであったため、水戸市へのJFL誘致を巡って両者はたちまち犬猿の仲となった。結局双方とも対立したまま歩み寄ることはなく、最終的に水戸市は本拠地とすることを認める代わり、クラブに対し「競技場・練習場の供給を含む一切の資金援助を求めない」とする覚書を提出させた。この確執が長きにわたりクラブに禍根を残すこととなり、ホーリーホックがJリーグに参入する時も水戸市はこの覚書を盾に競技場の整備予算を計上せず、笠松など市外のスタジアムの使用を余儀なくされたものである。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 95, "tag": "p", "text": "2007年、老朽化が進んでいた水戸市立競技場をホームスタジアムとするべく改修工事に入る。2009年11月に水戸市立競技場の改修工事が竣工。命名権により「ケーズデンキスタジアム水戸」(Ksスタ)の名称が与えられ、晴れて水戸市にホームスタジアムを構えることとなり、2009年11月8日のベガルタ仙台戦から使用を開始、この年は終盤の3試合を開催、2010年度から正式に本拠地登録をKsスタに変更し、原則として主管全試合を開催してきた。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 96, "tag": "p", "text": "なお、Ksスタは2009年の改修後もJ1基準の収容人員(15,000人)を満たしていないため、水戸市議会がKsスタのJ1基準への改修工事を行なう方針を発表、事業に着手した。当初は2016年の完成を目指していた が、用地取得の問題から2017年時点でも本格的な工事着手の目途は立っておらず、2017年3月の水戸市議会で、高橋靖水戸市長が、2019年に茨城県で行われるいきいき茨城ゆめ国体終了後の工事着手を目指す方針であると意向表明している。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 97, "tag": "p", "text": "一方で、2016年度の公認陸上競技場認定の更新に向けたインフィールドの改修工事が先行して行われており、2015年は芝生の入れ替え工事・およびそれに付随した養生期間が必要 であるため、開幕当初から5月までに予定される5試合を5年ぶりに笠松で開催し、水戸(K'sスタ)での開催は5月17日の大分戦以後となった。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 98, "tag": "p", "text": "2018年6月29日、クラブは2019年シーズンのJ1クラブライセンス取得に向けた申請書類を提出したことを公表。水戸(K'sスタ)と22,002人収容の笠松の両方をホームスタジアムとして申請し、J1ライセンスを取得して順位条件を満たしてJ1に昇格した場合はJ1スタジアム基準を充足するように短期での改修を施した上で、原則として笠松でホームゲームを行い、J1昇格が果たせなかった場合は引き続き水戸(K'sスタ)を使用する方針とし、条件付きながらJ1ライセンスを取得することができた。ただし最終的に成績面でJ1昇格条件を満たせなかったことから、笠松の短期改修を見送ることとなり、J2ライセンスへの変更が確定した(2019年も同様の申請を行い、認められている)。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 99, "tag": "p", "text": "しかし、その間もケーズデンキスタジアムのスタンド増設交渉が難航し進展が進んでいないことから、2019年8月26日に水戸市長・高橋靖が定例会見で「現在芝生席となっているゴール裏・サイドスタンドを立見席にしたうえで、収容可能人員をJ1基準まで充足できるようにする」方針を固めたことを明らかにし、2019年9月水戸市議会で基本計画策定用の補正予算案500万円を計上することを提案した。今後2020年度に計画設計をして、2024年度をめどに完成させたいとしている。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 100, "tag": "p", "text": "水戸市のケーズデンキスタジアム改修の動きとは別に、クラブは2019年11月22日に記者会見を開き、クラブ自前のスタジアム及びアカデミー拠点を整備する方針を明らかにした。。共に水戸市内の鉄道駅或いはインターチェンジ近くに立地させることを念頭に複数の候補地を検討しているという。スタジアムは収容人員がJ1基準を満たす1万5千人から2万人規模の球技専用スタジアムを想定しており、総工費は100億円を見込んでいる。民設民営方式による整備を想定し、資金調達については既に「県外の複数企業から何十億、何百億という(単位の)話がきている」とし、設計施工、ファイナンスなど賛同してくれる企業が集まっていることも明かしており、クラブ創設30周年となる2024年完成を目指すという。一方でこのクラブの動きに対し、水戸市は今回のクラブのスタジアム新設構想の推移を見守るとして、ケーズデンキスタジアムのJ1基準化工事の設計・着工時期の見直しを示唆している。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 101, "tag": "p", "text": "なお上述の通り、2020年7月に提出した2021年度ライセンスでは、上記新スタジアム建設計画を踏まえた特例適用を申請しており、2020年のJ2でJ1昇格案件を満たす順位をクリアし、かつJ1ライセンスを承認された場合でも継続してケーズデンキスタジアムを使用できるようになる予定である。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 102, "tag": "p", "text": "その後、新スタジアムの竣工目標について、当初より4年ずらして2028年の完成を目指すこと、また水戸市にこだわらず、Jリーグ登記の15自治体のホームタウンの中からスタジアムの建設場所の候補地を募り、その中から2023年中に最終的な建設予定地を決めるとしている。これは新型コロナウィルスにより、2020年からリーグ戦の中断や、リモートマッチ・入場者数制限などが敷かれ、経営の立て直しが必要とされたことから、新スタジアムの2024年の完成を断念し、4年程度遅らせることにしたとされる。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 103, "tag": "p", "text": "スタジアムDJは日立市のケーブルテレビ「JWAY」の寺田忍が担当している。寺田はホームゲームの進行役はもちろんのこと、アウェイの試合にもサポーターの一員としてたびたび自主参加し、試合開始前にはアウェイ側サポーター席でトラメガ片手にホームゲーム同様の選手紹介を行なっている。またスタジアムの場内演出は茨城大学の学生によるボランティアで運営されており、寺田のDJ活動も2003年の同大在学時からの無報酬ボランティアである。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 104, "tag": "p", "text": "スタジアムの飲食売店はお好み焼きやカレーライスなどの定番メニューから、水戸納豆を使用した「ねばり丼」やB級グルメ「みとワングランプリ」を受賞した「ちゃあしゅうバーガー」など地域色を生かしたメニューまで豊富にそろっている。しかし2009年に食中毒事件が起こり、一時は全ての飲食売店に営業停止命令が出された。ほどなく原因となった食品が特定され、該当店舗の出店禁止処分とともに売店営業が再開された。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 105, "tag": "p", "text": "2018年以降、練習は城里町の複合施設「城里町七会町民センター」(通称「アツマーレ」)を使用している。2017年までは那珂川の河川敷に整備されたチーム専用グラウンドであるホーリーピッチ(水戸市水府町)の他、水戸市立サッカー・ラグビー場(ツインフィールド、水戸市河和田町)など水戸市近郊のグランドを利用していた。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 106, "tag": "p", "text": "JリーグではJ1ライセンスの発給条件の一つとして「クラブハウスに隣接したフルサイズの天然芝グラウンドが常時利用可能であること」を求めているが、ホーリーピッチ・ツインフィールドとも近接地にクラブハウスを設けるのが困難であった。この窮状を見た水戸市に隣接する城里町が、2015年3月に廃校となった旧城里町立七会中学校の校舎及びグラウンドを活用する案をクラブに打診。水戸市内からやや遠いという難点はあるものの、校舎が1997年建設と比較的新しいことや天然芝グラウンド2面を確保できる敷地の広さ、また町民の多くからも賛同を得られていることなどから、クラブも練習場の移転を前向きに検討し、2016年7月には、クラブ側が最低10年間施設をクラブハウス及び練習場として使用する旨の協定書を締結。同年シーズンオフには旧七会中で感謝イベントを開催した。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 107, "tag": "p", "text": "城里町ではこれを受け、2016年末から順次施設改修工事を開始。町役場支所・公民館の機能を併せ持った施設として整備を行った。工事完成間際には追加工事分を加えた変更契約議決が否決される などの紆余曲折もあったが、最終的に変更契約議案も可決され、2018年1月に施設が完成した。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 108, "tag": "p", "text": "近隣の公営住宅を活用し、水戸市内にある選手寮を練習場のそばに移転させる案も出ていたが、その案はその後消滅し、2022年3月に水戸市内に新たな選手寮『若龍寮』を建設し供用を開始している。", "title": "スタジアム・練習場" }, { "paragraph_id": 109, "tag": "p", "text": "前述のとおり、ホーリーホックはJFL参入時の水戸市との軋轢により地元自治体の支援を受けられず、また支持されてもいないという理由からスポンサーの獲得も難しく、不安定な経営基盤まま出発を余儀なくされた。ホーリーホックが「地域密着」を謳うJリーグクラブとなっても引き続き市からの財政支援はなく、また水戸から遠く離れた場所で試合が行なわれていたことから地元水戸市民の関心・認知度は極度に低迷し、観客動員・チーム成績・クラブ予算のあらゆる面でJリーグ最低規模での運営が続いた。", "title": "ホームタウン" }, { "paragraph_id": 110, "tag": "p", "text": "しかし2003年4月に加藤浩一が新市長に就任したのを機に市の対応にも変化が生じる。ホーリーピッチの整備やKsスタの改修工事など市側がホーリーホックを念頭に置いた環境整備を行うようになり、2009年の本拠地移転後は観客動員も徐々に増加の兆しを見せていた。しかし、2010年はスポンサーの撤退などにより資金難となった。前述の確約により市の資金援助も得られず、2011年1月に公式試合安定開催基金から3000万円を借り入れる事態となった。追い打ちをかけるように同年3月に東日本大震災により被災。一気にクラブ存続の窮地に追い込まれる中、同年5月にクラブへの積極支援を表明していた高橋靖が新市長に就任。これにより双方の関係は劇的に改善し、水戸市は震災で市庁舎が全壊し仮設庁舎での業務を余儀なくされている中にあって、同年12月にクラブへの出資を可決。ここに至って15年にも及んだ水戸市との確執はついに解消され、覚書については両者同意の元無効化された。", "title": "ホームタウン" }, { "paragraph_id": 111, "tag": "p", "text": "なお現在はKsスタのJ1ライセンス獲得に向けた増席改修が新たな問題として浮上しており(前述)、行政のみならず市民の総意に訴える活動を目指すとしている。", "title": "ホームタウン" }, { "paragraph_id": 112, "tag": "p", "text": "ホームタウンは元々水戸市のみであったが、2002年に周辺のひたちなか市・那珂市・笠間市・小美玉市・茨城町・大洗町・城里町・東海村の8市町村を加えた「水戸ホーリーホック・ホームタウン推進協議会」が発足した。以後毎年ホームゲーム開催時に「市町村の日」を設け、住民の無料招待や地域の紹介展示、特産品の抽選配布など準ホームタウンとしての地域提携が行なわれている。また2012年に本協議会の5市町がクラブへの出資を表明していることが明らかになった。", "title": "ホームタウン" }, { "paragraph_id": 113, "tag": "p", "text": "8市町村は、2017年11月21日に正式にホームタウンとして承認されている。", "title": "ホームタウン" }, { "paragraph_id": 114, "tag": "p", "text": "2020年2月10日、eスポーツチーム設立を発表し、併せて所属選手の募集を開始。茨城県内の在住または在勤・在学者を対象に2名採用する。", "title": "eスポーツ" }, { "paragraph_id": 115, "tag": "p", "text": "2021年3月に開催された「eスポーツチャレンジカップ2021」の優勝者・準優勝者の2名を迎え入れ4名体制となった。", "title": "eスポーツ" }, { "paragraph_id": 116, "tag": "p", "text": "2022年3月1日現在、ウラえもん、nomo、novikiti、りくぞーの4名が所属している。", "title": "eスポーツ" }, { "paragraph_id": 117, "tag": "p", "text": "J2参入初年の2000年は笠松運動公園陸上競技場が改修工事中であったため、ひたちなか市総合運動公園陸上競技場と日立市民運動公園陸上競技場の2会場を中心に主催試合を行った。そのうち、より規模の小さい日立では9試合が行われたが、その中に浦和戦のホームゲーム2試合が含まれ、公称収容人数8,464人のスタンドは浦和サポーターを中心に超満員(観衆約6,000人)となったが、ピッチ状態の悪さなどに批判が集まった。その後、日立での試合開催は2007年の1試合(仙台戦)まで行われなかった。また、警備費用の負担という名目で水戸は浦和戦のみ各席種のチケット販売価格に通常から200円上乗せしたが、対戦相手によってチケット価格を変えるのは当時のJリーグでは珍しかった。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 118, "tag": "p", "text": "水戸ホーリーホックは2000年にJ2へ加入して以来、1度も昇降格を経験することなくJ2の舞台で戦い続けており、その在籍期間は全Jクラブ中最長である。何度か降格の危機を迎えるも、その度に残留しJ2に留まり続ける姿からファンたちに「J2の主」の愛称で親しまれている。 また、総試合数、総失点数、敗戦数のJ2記録も保持しており、これらの記録は在籍期間の記録と合わせて現在も更新中である。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 119, "tag": "p", "text": "2003年に監督に就任した前田秀樹は、資金面、戦力面で他クラブに劣る水戸で対等な勝負をするために、徹底した専守防衛によるリアクションサッカーを導入した。DFやサイドどころか中盤、前線に至るまでほぼ全員が自陣深くに引き、攻撃はカウンター一筋で決して自分たちからは攻めあがらず、何点のビハインドを背負おうと決して前の人数を増やさずに守り続けるという、極端なまでの守備戦術である。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 120, "tag": "p", "text": "この戦術は、ポゼッション(ボール保持)を半ば放棄しているため、相手の波状攻撃に耐え切れずに大量失点を喫することもあったが、その分カウンターがうまくはまった時は快勝することも多く、特に攻撃的な戦術を組む上位クラブに対しては「守り切られてカウンターだけで負けかねない、侮れないチーム」という意識を植え付けることになった。また、上位だけでなく水戸以降にJリーグに加入した下位クラブにも徹底して引いたため、「横浜FC相手にリトリートするチームがあるとは思わなかった」(足達勇輔横浜FC監督)、「先制して、水戸が前に出てきたら仕掛けようと思ったら、出てこなかった」(望月一仁愛媛監督)など、しばしば相手の選手や監督を驚かせた。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 121, "tag": "p", "text": "こうした水戸の「超守備戦術」は、いつしかイタリアの「カテナチオ」になぞらえ、一部サポーターから「水戸ナチオ」と呼ばれるようになった。元はインターネットのサッカーコミュニティから生まれたスラングであったが、徐々にサッカーファンの間で浸透し、やがてマスコミでも水戸を説明する言葉としてしばしば用いられるようになった。前田監督の最終年である2007年以降、水戸はポゼッションを高める攻撃的サッカーに方針を転換したが、今なお「水戸ナチオ」は水戸を象徴する代名詞となっている。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 122, "tag": "p", "text": "水戸サポーターはホームゲームの勝利後に全員でラインダンスをするほか、一部選手・クラブ社長・ホーリーくんを交えての万歳三唱、アウェーゲームのゴール裏で屋台やゲームなどの夏祭りを開催する「納涼漢祭り」、前田秀樹監督を盛大に称える「前田祭り」、山形とのゲームで必ず行われる「コール合戦」など、独特のイベントを多数開催している。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 123, "tag": "p", "text": "これらは基本的にクラブはノータッチ、完全にサポーター主導で行われており、特に漢祭りは「Jリーグの奇祭」として他クラブサポーターも多数参加する。詳細は「納涼漢祭り」を参照。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 124, "tag": "p", "text": "2008年から新日本プロレスとのコラボ企画を行なっている。2月14日にひたちなか市松戸体育館で行われた新日本プロレスひたちなか大会において、ホーリーくんやチアリーダーが登場するなどして盛り上げた。6月13日の鳥栖戦には、6月15日の水戸市民体育館で行われる新日本プロレス水戸大会の宣伝も兼ねて、サッカー経験者である蝶野正洋の始球式参加や「I am Chono!!」シートを限定販売を行った。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 125, "tag": "p", "text": "ホームタウン推進協議会に属する大洗町が舞台のテレビアニメ『ガールズ&パンツァー』が2012年に放映されて人気を博したが、視聴したクラブ社長が主人公が所属する学校の立場に共感。製作会社であるバンダイビジュアルとの交渉で2013年11月10日第40節東京V戦でコラボ企画を実施。2014年には同社とスポンサー契約を締結、開幕前には合同記者会見が開かれ、以降関連グッズの販売やコラボイベントなどが活発に行なわれている。", "title": "エピソード" }, { "paragraph_id": 126, "tag": "p", "text": "Jリーグ加盟初年から長らく集客で苦戦が続き、特に2005年から2009年まで5年連続で動員数リーグ最下位を記録するなど、2010年までの年間観客動員数はリーグ下位2位以内が定位置であった。なお2000年、2004年の動員最下位はそれぞれ甲府、鳥栖であったが、双方とも当時クラブの存続危機に立たされていた。2010年に最下位だった岐阜はホームスタジアム・長良川競技場が改修工事のためわずか3試合しか使用できず、その他のホームゲームを収容人数3,000人台の長良川球技メドウで行なったためである。", "title": "観客動員" }, { "paragraph_id": 127, "tag": "p", "text": "2010年には、10月31日の柏戦で「ワースト脱出!!1万人チャレンジDAY」と銘打ったキャンペーンを実施、チケット価格を値下げするなどして初めて観客1万人を達成した。この模様はNHKのバラエティ番組「欽ちゃんのワースト脱出大作戦」でも取り上げられた。", "title": "観客動員" }, { "paragraph_id": 128, "tag": "p", "text": "2011年は東日本大震災で被災し、Ksスタの修理のため19試合のホームゲームのうち実に12試合もの間7,000席分のメインスタンドを使用できなかったにもかかわらず、年間動員数は20クラブ中18位となり初めてワースト2位の壁を越えた。", "title": "観客動員" }, { "paragraph_id": 129, "tag": "p", "text": "翌2012年以降から年々動員数を伸ばし続けており、近年は改善傾向が見られる。", "title": "観客動員" }, { "paragraph_id": 130, "tag": "p", "text": "水戸ホーリーホックの決算は、つぎのとおり。", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 131, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 132, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2011、 2012、 2013、 2014、 2015", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 133, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2016、 2017、 2018、 2019、 2020", "title": "決算" }, { "paragraph_id": 134, "tag": "p", "text": "出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 2005、 2006、 2007、 2008、 2009、 2010、 2011、 2012、 2013、 2014、 2015、 2016、 2017、 2018、 2019、 2020", "title": "決算" } ]
水戸ホーリーホックは、日本の茨城県水戸市、日立市、ひたちなか市、笠間市、那珂市、小美玉市、常陸太田市、北茨城市、常陸大宮市、高萩市、茨城町、城里町、大洗町、大子町、東海村をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
{{サッカークラブ | font-color = #fff | background-color = #00008b | border-color = #0075c2 | 原語表記 = 水戸ホーリーホック | 呼称 = 水戸ホーリーホック | 愛称 = ホーリーホック | カラー = {{colorbox|#000088}}{{colorbox|#0075c2}} 青<ref name = mitoprof>[https://www.mito-hollyhock.net/club/ クラブプロフィール] 水戸ホーリーホック</ref><ref name="jleague">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/club/mito/day/#profile|title=クラブプロフィール|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2017-11-25}}</ref><!---水戸公式にて濃い青と葵の青と定義されているため2色---> | 創設 = 1994 | リーグ = [[日本プロサッカーリーグ]] | ディビジョン = [[J2リーグ]] | クラブライセンス = J1 | ホームタウン = [[茨城県]][[水戸市]]、[[日立市]]、[[ひたちなか市]]、[[笠間市]]、[[那珂市]]、[[小美玉市]]、[[常陸太田市]]、[[北茨城市]]、[[常陸大宮市]]、[[高萩市]]、[[茨城町]]、[[城里町]]、[[大洗町]]、[[大子町]]、[[東海村]]<ref name="jleague" /> | スタジアム = [[ファイル:Ksdenkistadium10050501.jpg|center|216px]][[水戸市立競技場|ケーズデンキスタジアム水戸]]<ref name="jleague" /> | キャパ = 10,152<ref name="jleague" /> | 法人名 = 株式会社フットボールクラブ<br />水戸ホーリーホック<ref name="jleague" /> | 代表 = {{Flagicon|JPN}} [[小島耕]]<ref name="jleague" /> | 監督 = {{Flagicon|JPN}} [[濱崎芳己]] | HP=http://www.mito-hollyhock.net | pattern_la1= _Mito HollyHock 2023 HOME FP | pattern_b1= _Mito HollyHock 2023 HOME FP | pattern_ra1= _Mito HollyHock 2023 HOME FP | pattern_sh1= _Mito HollyHock 2023 HOME FP | pattern_so1= _Mito HollyHock 2023 HOME FP | leftarm1=000080 | body1=0000FF | rightarm1=000080 | shorts1=ffffff | socks1=FF0000 | pattern_la2= _Mito HollyHock 2023 AWAY FP | pattern_b2= _Mito HollyHock 2023 AWAY FP | pattern_ra2= _Mito HollyHock 2023 AWAY FP | pattern_sh2= _Mito HollyHock 2023 AWAY FP | pattern_so2= _Mito HollyHock 2023 AWAY FP | leftarm2=FFF | body2=FFF | rightarm2=FFF | shorts2=ffffff | socks2=FFF }} {{基礎情報 会社 |社名 = {{small|株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホック}} |英文社名= Football Club Mito HollyHock, Co., Ltd. |種類 = 株式会社 |本社所在地 = [[茨城県]][[水戸市]]笠原町136-1<ref name="jleague" /> |設立 = 1997年<ref name="jleague" /> 2月7日 |業種 = 9050 |事業内容 = サッカークラブの運営 |代表者 = [[小島耕]]<ref name="jleague" /> |資本金 = 8,400万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017">{{Cite web|和書|url=https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf|title=2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料|work=日本プロサッカーリーグ|accessdate=2018-08-07}}</ref> |売上高 = 5億7,800万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017" /> |営業利益 = ▲1,000万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017" /> |経常利益 = ▲900万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017" /> |純利益 = ▲900万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017" /> |純資産 = 3,500万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017" /> |総資産 = 1億8,800万円 (2018年1月期)<ref name="jl2017" /> |従業員数 = |決算期 = 1月期 |外部リンク = http://www.mito-hollyhock.net |特記事項 = |郵便番号 = 310-0852<ref name="jleague" /> }} '''水戸ホーリーホック'''(みとホーリーホック、{{lang-en-short|Mito HollyHock}})は、[[日本]]の[[茨城県]][[水戸市]]、[[日立市]]、[[ひたちなか市]]、[[笠間市]]、[[那珂市]]、[[小美玉市]]、[[常陸太田市]]、[[北茨城市]]、[[常陸大宮市]]、[[高萩市]]、[[茨城町]]、[[城里町]]、[[大洗町]]、[[大子町]]、[[東海村]]をホームタウンとする<ref name="jleague" />、[[日本プロサッカーリーグ]](Jリーグ)に加盟するプロ[[サッカー]]クラブ。 == 概要 == [[1994年]]に'''FC水戸'''として創立<ref name="jleague" />、2000年よりJリーグへ加盟している<ref name="jleague" />。 クラブ名の「ホーリーホック (HollyHock)」は英語で「[[アオイ科|葵]]([[タチアオイ]])」を意味し、[[水戸藩]]([[水戸徳川家]])の[[家紋]]の葵<ref group="注">[[徳川家]]の家紋「[[三つ葉葵]]」に用いられている[[フタバアオイ]]は正確には[[アオイ科]]のタチアオイ (HollyHock) とは異なる、[[ウマノスズクサ科]]の植物である。</ref> から採られた<ref name="jleague" />。ホームスタジアムは[[水戸市立競技場|ケーズデンキスタジアム水戸]]<ref name="jleague" />(Ksスタ)。クラブエンブレムは水戸徳川家の家紋「[[三つ葉葵]]」の外周を「[[水戸黄門]]」こと2代目水戸藩主・[[徳川光圀]]の字「子龍」に由来する[[竜|龍]]が囲む円形<ref>[[サッカーダイジェスト]]編「2016 J1&J2&J3選手名鑑」230頁</ref>。2014年には、クラブ後援会「葵龍会」の会長に水戸徳川家第15代当主の[[徳川斉正]]を迎えている<ref> {{Cite web|和書 |url = http://www.mito-hollyhock.net/kiryukai/activity/activity_141004.html |title = 水戸ホーリーホック後援会が発足致しました。 |work = |publisher =葵龍会 |date = 2014-10-4 |accessdate = 2020-05-12 }}</ref>。 マスコットキャラクターは龍がモチーフの「ホーリーくん」<ref name="jleague" />。2002年に公募によりデザインと名前が制定された。背番号310(みと)<ref group="注">2008年まで使用されていた初代の着ぐるみが付けていた背番号は12。また2010年にはクラブ社長の沼田邦郎の名前にちなんで920(くにお)を付けていたことがある。なおイラスト上では背番号は描かれていない。</ref>。 [[ホームタウン]]は創立当初は水戸市のみだったが、2017年11月に水戸市周辺(県央地域)に位置する[[ひたちなか市]]、[[笠間市]]、[[那珂市]]、[[小美玉市]]の4市と[[東茨城郡]]・[[那珂郡]]の4町村([[茨城町]]、[[城里町]]、[[大洗町]]、[[東海村]])を追加した<ref name="jleague20171121">{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/release/post-51680/|title=水戸ホーリーホック ホームタウン追加について|publisher=日本プロサッカーリーグ|date=2017-11-21|accessdate=2017-11-21}}</ref>。2022年9月からは新たに県北地域の[[日立市]]、[[高萩市]]、[[北茨城市]]、[[常陸大宮市]]、[[常陸太田市]]、[[久慈郡]][[大子町]]の5市1町をホームタウンに追加した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/release/水戸ホーリーホック%e3%80%80ホームタウン追加について/|title=水戸ホーリーホック ホームタウン追加について|publisher=日本プロサッカーリーグ|date=2022-09-28|accessdate=2022-09-28}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC2851Y0Y2A920C2000000/|title=水戸ホーリーホック、ホームタウンに県北6市町を追加|newspaper=日本経済新聞|date=2022-09-28|accessdate=2022-09-29}}</ref>。 2021年現在において一度も[[J1リーグ]]への昇格経験がなく([[J3リーグ]]への降格もない)、現時点におけるJ2リーグの最長在籍クラブである{{要出典|date=2023年4月}}。 == 歴史 == {{節スタブ|date=2016年1月}} === 前史 === 水戸市で[[1994年]]に創設された'''フットボールクラブ水戸'''(フットボールクラブみと、FC水戸)を起源とする<ref name="jleague" />。[[茨城県社会人サッカーリーグ|茨城県リーグ]]4部に参戦し、1996年には2部で準優勝を果たしている<ref name="history">{{Cite web|url=http://www.mito-hollyhock.net/club/history/ |title=沿革 |publisher=水戸ホーリーホック |accessdate=2017-11-25 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20200401224820/http://www.mito-hollyhock.net/club/history/ |archivedate=2020-4-1}}</ref>。 [[1997年]]に[[土浦市]]に本拠地を置いていた[[プリマハム]]土浦工場の実業団チーム「'''プリマハムフットボールクラブ土浦'''」(プリマハムフットボールクラブつちうら、プリマハムFC土浦、[[1990年]]創設)と合併して<ref name="jleague" />、'''株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホック'''が設立され、現在の体制が固まった。当時[[関東サッカーリーグ]]所属だったプリマハムFC土浦は[[1996年]]の第20回[[全国地域サッカーチャンピオンズリーグ|全国地域サッカーリーグ決勝大会]]で準優勝し、翌年からの[[ジャパンフットボールリーグ]](旧JFL)への昇格が内定していたが、プリマハムがサッカー部への支援を打ち切り廃部が決まったことを受け、FC水戸と合併した<ref name="history"/>。なお、水戸ホーリーホックやJリーグの公式ホームページでは1994年をクラブの創設年と記載しており<ref name="jleague" /><ref name="history"/>、プリマハムFC土浦は傍系扱いとなっているが、プリマハムFC土浦の持っていた旧JFLの参加資格を承継するために、形式的にFC水戸が吸収された形を取った<ref group="注">その為、現在のトップチームの天皇杯出場回数はプリマハムFC土浦からの通算である([[第76回天皇杯全日本サッカー選手権大会#都道府県代表|第76回大会]]と[[第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会#都道府県代表|第77回大会]]の各項を参照のこと)。故にクラブ組織としての前身がFC水戸であるのに対し、その傘下であるトップチームの前身はプリマハムFC土浦となっている。</ref>。プリマハムFC土浦は[[全国社会人サッカー選手権大会]]優勝(1995年)、関東サッカーリーグ優勝(1995年)という成績を残している。 === 1997年 - 1998年(旧JFL) === ==== 1997年 ==== 水戸ホーリーホックとして初の公式戦は1997年[[4月20日]]、旧JFL開幕戦の[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]戦([[笠松運動公園陸上競技場]])で、0-2で敗戦。ここから14連敗し(うち延長戦での[[Vゴール]]負けが2試合)、初勝利は[[7月19日]]、第15節の[[川崎フロンターレ|川崎]]戦(1-0)となった。なお、[[Jリーグ準会員制度|Jリーグ準会員]]だった川崎は、このシーズンの最終成績で勝ち点1及ばずにJリーグ昇格を逃している。水戸は後半戦に3勝を挙げたが、16チームのリーグ戦で最下位に沈んだ。しかし、札幌のJリーグ昇格と[[福島FC]]の消滅により、地域リーグ決勝大会2位チームとの入替戦は行われず、水戸は残留を決めた。 ==== 1998年 ==== 監督に[[三浦俊也]]を迎え、巻き返しを図ったが、年間予算が1億円強と言われ、プロ契約選手でもガソリンスタンドや水産加工所でのアルバイトをしないと生活出来ない状況では成績の劇的な向上は難しく(NHKサンデースポーツでの特集によると年俸は100万円程度だったと報じられている)、最下位脱出が精一杯だった。この年、翌1999年からスタートする[[J2リーグ|Jリーグ ディビジョン2]](J2)への加盟を申請するも、経営基盤の不安定さ、スタジアム改修に対する地元自治体の動きの鈍さから加盟は見送られ、[[日本フットボールリーグ]](JFL)参加となった。 === 1999年(新JFL) === 監督が[[二宮浩]]に交代したが、9チームによる3回戦総当たり制(ステージ制)のリーグ戦で苦戦し、第1ステージでは6位に終わった。しかし、[[南光太]]などの活躍により、第2ステージではこの年に優勝した[[横浜FC]]にこそ敗れたものの7勝1敗の首位となり、通算では3位でシーズンを終えた。Jリーグへの昇格条件は「JFLで2位以内」だったが、優勝が特例参加による準会員資格の横浜FCだったため、JFL正会員の中では2位という点が考慮され、翌2000年からのJリーグ(J2)加盟が認められた(Jリーグの2部制導入後最初のJリーグ参入チームとなった)。 === 2000年 - (J2) === ==== 2000年 ==== チーム初の外国人監督として[[セルビア人]]の[[バビチ・ブランコ]]を招いた。J2昇格後の初公式戦を3月11日の[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]戦([[さいたま市駒場スタジアム|浦和駒場]])で迎え、0-2で敗れた。資金・戦力の欠乏を理由に専門誌などでは先行きを危ぶまれたが、第2節の[[大分トリニータ|大分]]戦でJ初勝利をあげると、全試合出場を果たしたGK[[本間幸司]]を中心とした粘り強い守備や(失点数はリーグ7位タイ)、シーズン途中加入で36歳の高齢ながら元ブラジル代表の技を披露したFW[[セルジオ・ドニゼッチ・ルイス|ジョン・パウロ]]などの活躍により、昇格初年度の最終順位は9位、しかも6位の[[サガン鳥栖|鳥栖]]までは勝ち点5差という善戦を見せた。 ==== 2001年 ==== シーズン前に[[アルビレックス新潟|新潟]]から[[木澤正徳]]、[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[池田伸康]]などベテラン勢を獲得するも、シーズン前半は1勝しか挙げられなかった。その後、補強した韓国人選手の活躍や、メインスタジアムの笠松運動公園陸上競技場のグランドオープン効果などがあり、最終的には最下位を脱出し、11位で終了した。監督は川崎で指揮を執っていた[[小林寛 (サッカー選手)|小林寛]]を招いたが、7月には[[ゼネラルマネージャー]]へ転身し、コーチの[[菅野将晃]]が監督に昇格して後を継いだ。シーズン後、経営難からチーム存続問題が浮上し、FC水戸代表としてのプリマハムFC誘致からクラブ経営を続けた石山徹が社長を辞任し、小林が石山の所有株と社長職を引き継いで、チームのJリーグ加盟が暫定承認されることになった。なお、この年のチーム得点王(10得点)は東海大から加入して2年目の[[須藤大輔]]で、翌年に[[湘南ベルマーレ|湘南]]へと移籍したが、その際の移籍金は苦しい水戸の財政を少なからず助けたとも言われている。 ==== 2002年 ==== 菅野体制2年目。小林新社長が経営安定化とチーム成績向上を迫られた一年となった。菅野体制2年目のチームではFW[[小野隆儀]]が14得点を挙げ、守備でもシーズン失点数はリーグ最下位ながら前年比20点減の73失点に抑えて、最終順位は前年より1つ上がり、10位となった。一方、J2リーグ戦1試合の平均観客数は前年の1559人から2739人に増え、[[2002 FIFAワールドカップ|2002年W杯]]のために来日していた[[サッカーコスタリカ代表|コスタリカ代表]]との国際親善試合も実現した。これらの実績により、水戸はJリーグから加盟継続が正式に承認された。しかし、増えたとは言っても水戸の観客動員数はJ2最低で、平均の約4割にとどまっていたため、更なる努力が求められた。 ==== 2003年 ==== クラブの存続問題が一息ついたこの年、1980年代に日本代表の主将として活躍した[[前田秀樹]]を監督に迎え、守備重視からのカウンター戦術をベースにしたチーム強化に乗り出した。この年は同年シーズンにJ2へ降格していた[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]からレンタル移籍で獲得したDF[[田中マルクス闘莉王|トゥーリオ]]が活躍。[[ディフェンダー (サッカー)#センターバック|センターバック]]として水戸の守備を固めると共に、機を見てどんどん攻め上がり攻撃に厚みを加え、DFでありながらチーム内得点王となる10ゴールを記録した。トゥーリオは10月に日本への帰化が認められ、登録名を現在の[[田中マルクス闘莉王]]に変更した。これらの活躍もあって、水戸は4回戦制のJ2で開幕ダッシュに成功し、一時は首位、11節終了時の第1クールでも2位という好成績を挙げた。その後は徐々に順位を下げたが、最終順位でもチーム史上最高の7位にまで躍進した。10月からは過去の経営危機への反省から、運営資金を広く集め、地域社会での認知度を高めるために「水戸ホーリーホック支援持株会」が拠出金募集を開始した。 ==== 2004年 ==== :チームスローガン:'''ムービングフットボール''' 前田体制2年目。前年大活躍した闘莉王のレンタル移籍が延長されず[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]へ完全移籍し、それまで長らくチームを支えたFWの小野、北川、ディフェンスラインを支えた[[冨田大介]]が移籍した。一方、[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[小林康剛]]を、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[磯山和司]]など地元茨城出身の選手を獲得した。 開幕戦の[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦で9,155人の観衆を集めた。またこの年の平均観客動員数3,773人は2012年に塗り替えられるまでの最高記録であった。しかし前年と比較して主力が多数入れ替わった影響か、なかなか勝ち星が奪えずホームでは5月5日の大宮戦から10月16日の[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]戦まで13戦勝利なしという事態が続いた。この間7月24日の川崎戦ではアウェー戦会場の[[等々力陸上競技場]]に集まった水戸サポーター有志による第1回[[納涼漢祭り]]が開催され、他チームのサポーターの間でも反響を呼んだ。結局チームは年間6勝しかできなかったが、44試合中19試合(42%)の引き分け(勝ち試合6試合分)で積み上げた勝ち点が効いて、2年連続一桁順位の9位となった。 また[[第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]4回戦で[[鹿島アントラーズ|鹿島]]との「[[茨城ダービー]]」が公式戦で初めて実現した。偶然にも「茨城県民の日」である[[11月13日]]の対戦になった(試合は0-1で水戸の敗戦)。 ==== 2005年 ==== :チームスローガン:'''ストロングハート''' 前田体制3年目。この年は、開幕前に2つの変化があった。この年から1月のチーム始動後の1次キャンプを[[福島県]][[いわき市]]の[[スパリゾートハワイアンズ]]で行い、同所でキャンプ最終日にファンクラブ会員イベントを行うようになった。2月<!--20日-->には「[[いばらきサッカーフェスティバル]]」として鹿島との[[プレシーズンマッチ]]が行われ<ref>「"茨城ダービー"鹿島に軍配 - Jリーグ」『[[茨城新聞]]』、2005年2月21日付日刊、A版、1面。</ref>、以後年1回の頻度で定例化した。鹿島は水戸市内でも公式ショップや小学生・幼稚園児(4種)向けのサッカースクール(旧[[内原町]])などを開設しているため、後発の水戸とは競合関係にもあったが、この試合は両者の関係改善を示した。また、この年にJFLから[[ザスパクサツ群馬|草津]]が昇格し、水戸は草津との対戦を「[[北関東ダービー]]」と称して共同参加キャンペーンを実施した。10月には日立市出身の[[シンガーソングライター]]、[[eco]]{{要曖昧さ回避|date=2021年7月}}による公式応援歌「走れ☆ホーリーホック!」が発売された。 一方、チームは強化策として前年の決定力不足解消のため、[[パラグアイ]]人FWの[[デルリス・ハヴィエル・フロレンティン・ノゲラ|デルリス]]を獲得し、彼にボールを集中させるため基本システムをそれまでの4-4-2から4-5-1へと変更した。序盤は連敗をしたものの、システム変更策は功を奏し、デルリスは前半戦のみでチームトップの8得点を決めた。しかし、その得点力に注目した[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]がレンタル元のチームに好条件を出したため、デルリスがシーズン中盤に移籍したが、シーズン後半はDF陣の相次ぐ攻撃参加や、若手の[[ジョゼ・ファビオ・サントス・ジ・オリベイラ|ファビオ]]の加入などで2年ぶりの2桁勝利となった。 ==== 2006年 ==== :チームスローガン:'''CHEMISTRY 〜新たなる融合〜''' 前田体制4年目。2月、チームの応援を盛り上げるための女子[[チアリーディング]]チーム、「Mito Holy's」(水戸ホーリーズ)を発足。4月2日からはJR[[水戸駅]]ビル「[[EXCEL (水戸市)|EXCEL]]」の屋上に新規設置された人工芝のミニサッカー場「[[フットパルケ水戸|FUTPARQUE MITO]]」(フットパルケ水戸)の運営を請け負うことになった。 チームは5月6日の第14節の[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]戦(笠松)で、レンタル移籍で加入したブラジル人FW[[アンデルソン・アンドラージ・アントゥネス|アンデルソン]]が[[ハットトリック]]を達成。これは水戸の選手がJ2リーグ273試合目で記録した初のハットトリックだった。第15節の[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦ではクラブ史上初めて[[国立霞ヶ丘競技場陸上競技場]]で試合を行い、アンデルソンの2試合連続ゴールで1-0と勝利した。 6月2日の[[横浜FC]]戦では横浜FCの連続無失点記録を770分で止めたり、6月24日の[[柏レイソル|柏]]戦では、後半ロスタイムで土壇場の同点に追いつき引き分けに持ち込むなど、J2上位クラブを大いに苦しめた。8月13日には[[那珂川]]河川敷の水戸市市有地に3面整備された「水府町グラウンド」が開場し、クラブの悲願だった専用練習場「[[ホーリーピッチ]]」として水戸に利用権が与えられた。 シーズン後半から前田監督は将来の上位進出に備えるため、カウンター重視の守備的戦術からボールを保持し、ショートパスの連続から能動的にゴールへ迫る攻撃的な戦術への転換を開始した。これは「サッカーの質を上げるために必要な措置」と評価された反面、対戦相手の監督から「あまりにも消極的」と非難されても守り続けるのをやめたことで、逆に「内容は良いが勝てない」という試合が増えた。その結果、勝ち点は伸び悩み、昨年と同じ10位でのシーズン終了となった。1試合平均観客数も3017人まで落ち込んだ。 ==== 2007年 ==== :チームスローガン:'''Believe in Myself あきらめない''' 前田体制5年目。前年17得点のアンデルソンが[[サガン鳥栖|鳥栖]]へ移籍し、更にキャプテン[[吉本岳史]]が故障で離脱。その結果チームは出遅れ、シーズン初勝利は第13節の東京V戦となり、2勝目も第21節の[[モンテディオ山形|山形]]戦となるなど、前半戦(第26節)終了時点でわずか3勝にとどまった。観客動員も更に落込み、第11節の[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦は3桁台の958人となった他、前半戦主催12試合中6試合で観客数が2000人以下となった。チームの勝敗のみならず、低予算でのクラブ経営、少人数体制での顧客サービスの低下、クラブスタッフの相次ぐ退職などからサポーターへのアプローチやスポンサーへの営業力が低下し、クラブ経営を問われる声が上がった。この状況に対し、クラブ株主の過半数から小林の経営責任を問う声が上がり4月23日付で[[宮田裕司]]が社長に就任した。 チームは旧JFL以来10年ぶりのリーグ戦最下位を回避するため、Jリーグで9シーズン目となるベテランのブラジル人MF[[アンドレ・ルイス・デ・ソウザ・シルバ|ビジュ]]を獲得するなど、チーム戦力の再整備を行った。シーズン後半は昨年後半から続けてきたアクションサッカーの戦術が浸透してきたことにより前半より失点数が減った。最終成績は12位で8勝しか挙げられなかったが、そのうちの3勝は東京V、札幌、C大阪など、J2上位クラブから挙げた。 1月にはMF[[小椋祥平]]がU-22(22歳以下)日本選抜に選ばれ、次いで6月6日の[[北京オリンピックサッカーアジア予選|北京オリンピックアジア二次予選]]マレーシア戦に出場した。小椋は[[修徳高等学校|修徳高校]]から2004年に入団、1年目からトップチームで出場し、他のプロチームを経由せずに水戸入りした「生え抜き」選手では最も高い年代の世代別代表入りとなった。 しかし、去就が噂されていた前田は2007年シーズン限りで監督を退任。更に、キャプテン吉本が[[横浜FC]]へ、小椋は[[横浜F・マリノス|横浜FM]]にそれぞれ移籍した。なお、シーズン3勝目となった6月17日の第22節[[愛媛FC|愛媛]]戦が行われた水戸市立競技場は、この試合を最後に大規模な改装工事に入った。 また、チーム通算310得点(通称水戸GOAL)を、当時キャプテンだった[[吉本岳史]]がPKで決めている。 ==== 2008年 ==== :チームスローガン:'''TOGETHER Concentrate the mind on the present moment.''' 水戸OBの[[木山隆之]]が監督に就任。補強は他のJクラブ出身選手の目立った獲得はせず、大学サッカーでそれなりの実績を挙げた選手の獲得に重点を置いた。また、[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和]]から[[赤星貴文]]、[[東京ヴェルディ1969|東京V]]から[[弦巻健人]]らをレンタルで獲得した。 開幕から5試合は、ここ2年間のJ1在籍経験チーム(うち3〜5節は2007年J1在籍クラブ)との対戦となった。結果として5節終了時点で1勝2敗2分と健闘するが(うち前年J1在籍クラブ全てから勝ち点を取った)、3月31日に社長の[[宮田裕司]]が、前年8月のクラブスタッフとの親睦会での飲酒運転が発覚し辞任(後任として[[沼田邦郎]]が就任)。更に、4月には取締役強化部長の[[鬼塚忠久]]が前述の宮田辞任に関連して退任、また水戸ホーリーホック初代社長であり、チームのJリーグ参戦に貢献した[[竹村徹]](旧姓・石山)が死去した。 そんな中、5月に韓国五輪代表候補である[[朴柱昊]]が加入、5月末、7月に3連勝するなど、チーム成績は上昇機運に乗り、このシーズン加入した[[荒田智之]]が新人ながら多くの得点を挙げ、[[遠藤敬佑]]もU-19日本代表に選ばれた。また、9月7日にKKWINGにて行われた[[ロアッソ熊本|熊本]]戦において、Jリーグ昇格後100勝目となる勝利をあげた。更に、2008年9月28日の[[ベガルタ仙台|仙台]]戦では荒田の2ゴールなどで仙台から初勝利を上げたが、リーグ終盤は[[ロングボール]]主体の戦いになってしまうなどゲーム内容が悪くなり失速、15チーム中11位でシーズンを終えた。勝ち点も、目標としていた50にはあとわずか届かなかった。 マスコットであるホーリーくんの入院及び手術(ホーリーくんの着ぐるみのリニューアル)をするための費用として、11月下旬から12月上旬にかけてサポーター有志からの募金とホーム最終戦で行われたチャリティーオークションで100万円以上の入院・手術費用が集まった。ホーリーくんの着ぐるみは2008年シーズン開始当初から頭が割れたり、しっぽがちぎれそうになったりしており、怪我(破損)した部分を包帯で巻き、なんとか試合会場やイベント会場に来ていた。また、試合やイベント会場でも、痛々しい姿を指摘する子どもたちの声もあった。着ぐるみの耐用年数は約2年と言われており、Jリーグの多くのチームは数体予備を用意しているが、予備が無く、チーム財政も厳しいため、今回の募金活動が行われた。 ==== 2009年 ==== :チームスローガン:'''前へ。''' {| style="float: right; margin-left: 1em; margin-bottom: 0.5em; width: 180px; border: blue solid 1px" |<div style="position:relative;"> [[ファイル:Soccer Field Transparant.svg|200px]] {{Image label|x=0.02|y=0|scale=200|text={{colors|#000099|white|{{small|'''2009 J2第31節 栃木戦 布陣'''}}}}}} {{Image label|x=0.21|y=0.31|scale=200|text=[[高崎寛之|{{colors|blue|white|{{small|'''高崎寛之'''}}}}]]}} {{Image label|x=0.58|y=0.31|scale=200|text=[[吉原宏太|{{colors|blue|white|{{small|'''吉原宏太'''}}}}]]}} {{Image label|x=0.1|y=0.48|scale=200|text=[[森村昂太|{{colors|blue|white|{{small|'''森村昂太'''}}}}]]}} {{Image label|x=0.68|y=0.48|scale=200|text=[[遠藤敬佑|{{colors|blue|white|{{small|'''遠藤敬佑'''}}}}]]}} {{Image label|x=0.24|y=0.66|scale=200|text=[[村松潤|{{colors|blue|white|{{small|'''村松潤'''}}}}]]}} {{Image label|x=0.57|y=0.66|scale=200|text=[[金泰橪|{{colors|blue|white|{{small|'''キム テヨン'''}}}}]]}} {{Image label|x=0.07|y=0.83|scale=200|text=[[小澤雄希|{{colors|blue|white|{{small|'''小澤雄希'''}}}}]]}} {{Image label|x=0.17|y=1|scale=200|text=[[大和田真史|{{colors|blue|white|{{small|'''大和田真史'''}}}}]]}} {{Image label|x=0.58|y=1|scale=200|text=[[中村英之|{{colors|blue|white|{{small|'''中村英之'''}}}}]]}} {{Image label|x=0.71|y=0.83|scale=200|text=[[下田光平|{{colors|blue|white|{{small|'''下田光平'''}}}}]]}} {{Image label|x=0.39|y=1.17|scale=200|text=[[本間幸司|{{colors|blue|white|{{small|'''本間幸司'''}}}}]]}} {{Image label|x=0.52|y=1.37|scale=200|text=[[木山隆之|{{colors|#000099|white|{{small|監督:'''木山隆之'''}}}}]]}} </div> |- |<br/>{{smaller|この試合の勝利により、<br />2009年2度目の4連勝を達成。}} |} 木山体制2年目。主将のDF[[平松大志]]が[[FC東京]]へ移籍、チームの柱だったMF赤星が浦和へ復帰、またMFパク・チュホが[[鹿島アントラーズ|鹿島]]へ移籍したが、浦和からFW[[高崎寛之]]、またFC東京から[[森村昂太]]、[[愛媛FC]]からMF[[金泰橪]]をそれぞれレンタルで獲得。またJFLの[[FC琉球]]から、かつて[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]でJ1でのプレー経験があるMF[[中島俊一 (サッカー選手)|中島俊一]]を獲得した。更に、2月18日にはチーム発足以来初めて、A代表歴を持つ[[吉原宏太]]が加入した。 開幕戦は負けたが、以降は勝ち続け、9年ぶりの4連勝を飾り、4月26日の[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]戦で、[[荒田智之]]がチーム2人目のハットトリックを達成。5月に入ると、荒田、菊岡などの攻撃陣が相次いで負傷するなどし、その後に控えた上位相手に大量失点することが目立った。そのため、5月20日には[[湘南ベルマーレ|湘南]]からFW[[山本孝平]]が、その翌週にはFC東京からMF[[下田光平]]が共に期限付きで加入した。6月以降は再び調子を上げ、第2クールでは再び4連勝を記録(右図)。上位4チームに負けただけで、順位も5位で折り返した。 第24節[[セレッソ大阪|C大阪]]戦で、チーム通算400ゴールが達成された。この時、誰が400ゴールを挙げるかをファン・サポーターから募集しており、当たった人の中から抽選で1名に400ゴールを挙げた選手のサイン入り試合球が貰えることになっていた。しかし、当の400ゴールは、C大阪のDF[[前田和哉]]によるオウンゴールだった為、サインはこの試合にスタメン出場した選手全員のものが入ることになり、当選対象者も応募者全員の中から抽選で1名となった(オウンゴールは投票対象外だったため)。7月8日の[[アビスパ福岡|福岡]]戦でFW[[遠藤敬佑]]がチーム3人目のハットトリックを達成し、更に8月30日の岡山戦で[[高崎寛之]]が、チーム4人目のハットトリックを達成した。 「昇格しか見えない」というゲーフラが登場するほど好調だったが、第3クールでは5試合連続完封負けを含む8連敗を記録して失速。第45節終了時点で、J1昇格の可能性は消滅した。[[11月3日]]に[[水戸市立競技場|ケーズデンキスタジアム水戸]](Ksスタ)が竣工。第48節の[[11月8日]]の[[ベガルタ仙台|仙台]]戦で[[こけら落し|杮落し]]となったが0-4で敗戦し、仙台の[[J1リーグ|Jリーグ ディビジョン1]](J1)昇格を目前で決められ、Ksスタ初戦を飾ることは出来なかった。改修後の同スタジアムでは2戦目となる第49節の[[愛媛FC|愛媛]]戦では[[中村英之]]のゴールで1-0と勝利し、Ksスタ初勝利を挙げたが、3試合目の第51節(最終節、[[12月5日]])[[湘南ベルマーレ|湘南]]戦では2-0からの逆転負けを喫し、湘南にも目前でJ1昇格決定を許した。 2009年の最終成績は21勝20敗10分の勝ち点73で、18チーム中8位となった。J2リーグ参加10年目で初めて勝ち越すとともに、前述の通り1シーズンで3人のFW([[荒田智之]]、[[遠藤敬佑]]、[[高崎寛之]])がハットトリックを達成するなど、総得点でも70点台に到達した。 ==== 2010年 ==== :チームスローガン:'''超えろ。''' 木山体制3年目。2年間でリーグ通算31得点を決めたFW荒田が[[ジュビロ磐田|磐田]]へ完全移籍、荒田と共に得点を量産したFW高崎も浦和へ復帰。また、[[鈴木和裕]]、[[村松潤]]、[[金澤大将]]など、水戸で100試合以上出場した選手との契約が終了し退団となった。 補強として、[[ザスパクサツ群馬|草津]]にレンタル移籍していた[[小池純輝]]を完全移籍で獲得。更に、前年[[Kリーグ]]でプレーしていたMF[[大橋正博]]が9年ぶりに水戸に復帰。また[[FC岐阜|岐阜]]からかつて大学、JFLで得点王を経験したFW[[片山真人]]が完全移籍で、C大阪からFW[[白谷建人]]をレンタル移籍でそれぞれ獲得。[[下田光平]]、[[森村昂太]]のレンタル移籍期間も延長、更に新卒選手を7名獲得した。またこの年は外国籍選手がいないクラブとなっている。 開幕戦は勝利したもののその後5戦勝利なし。連勝は第6節-第7節の1度のみと最後まで成績は上向かないまま16位に沈んだ。総得点が19チーム中17位の29得点と、前年とは打って変わって得点力不足に苦しめられた。 この年は水戸の観客動員数をJリーグワーストから脱出させようという試みが数々行なわれ、中でも[[日本放送協会|NHK]]の番組「[[欽ちゃんのがんばる!日本大作戦|欽ちゃんのワースト脱出大作戦]]」において通年にわたってコラボ企画が催された。特に10月31日に行われた[[柏レイソル|柏]]戦では、観客動員をクラブ史上初の1万人突破を目標に様々なイベントが企画され、最多記録となる10,181人が来場した。その結果、年間来場者数は19チーム中18位で最下位を脱出した。なおこの年をもって木山が監督を退任し、翌期より[[柱谷哲二]]を監督に迎えることになった。 ==== 2011年 ==== :チームスローガン:'''かけろ。''' 柱谷体制1年目。2010年大卒新人の[[藤川祐司]]と[[作田裕次]]が[[大分トリニータ|大分]]へ完全移籍した。他には[[大和田真史]]が[[栃木SC]]へ完全移籍、下田光平と森村昂太もレンタル期間の終了により退団。また、35試合に出場した大橋正博などが契約終了により退団した。 新加入選手でJリーグ経験者は[[栃木SC]]から移籍した[[岡田佑樹]]と、[[ザスパクサツ群馬|草津]]から移籍した[[尾本敬]]と、[[ジュビロ磐田|磐田]]から[[順天堂大学]]へと進学し、Jリーグ再挑戦となる[[岡本達也]]の3名のみであり、他は新卒選手9名が新たに加わった。また6月には[[鹿島アントラーズ|鹿島]]などで活躍した元日本代表[[鈴木隆行]](本人の希望によりアマチュア契約)の完全移籍加入があった。 1月16日の新体制会見の席上において、2010年にスポーツ振興投票対象試合安定開催特別会計から3000万円を借り入れていたこと、その返済期日が2011年1月末に迫っているが返済が困難なことから[[公式試合安定開催基金]]の借入申請を行ったことを発表した<ref>{{Cite web|和書|title=Jリーグ『公式試合安定開催基金』借入申請について |url=http://www.mito-hollyhock.net/www/news/index.cgi?no=500|accessdate=2011-01-16|archiveurl= https://web.archive.org/web/20110119135129/http://www.mito-hollyhock.net/www/news/index.cgi?no=500 |archivedate=2011-1-19}} </ref>。 しかしシーズン開幕直後の[[3月11日]]、[[東日本大震災]]により水戸も大きく被災。特にホームスタジアムである[[水戸市立競技場|Ksスタ]]はメインスタンドを中心に著しく損傷。周辺地域も被災していることや、[[東京電力]][[福島第一原子力発電所事故]]による[[放射能]]漏れの影響への懸念から、一時活動停止していたが、その後練習を再開。スタジアムについては代替開催可能な競技場が他になかった(前年まで準本拠地であった[[笠松運動公園陸上競技場]]はKsスタ以上に損傷が激しく、県内の周辺競技場も全て損壊していた)ため、Ksスタのメインスタンドを閉鎖(損壊箇所修繕を含めた耐震補強のため)し、バックスタンドおよびゴール裏に観客席を限定して使用することとなった。その後工事が進み、10月16日の[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦からメインスタンドの使用が再開された(ただし最初の2試合は工事資材の撤去作業の都合上「仮オープン」とし、10月30日の[[ザスパクサツ群馬|草津]]との試合から完全復旧となった)。<ref> {{Cite web|和書|title= 水戸ホーリーホック公式サイトのリリース |url= http://www.mito-hollyhock.net/www/news/index.cgi?no=942|accessdate=2011-09-29|archiveurl= https://web.archive.org/web/20120616122309/http://www.mito-hollyhock.net/www/news/index.cgi?no=942 |archivedate=2012-6-16}} </ref> この震災の影響で、スポンサーやテレビ放映収入などの激減が予想される事から、再建計画も見直しを迫られることとなった<ref>2011年4月18日[[NHK総合テレビジョン]]「[[サンデースポーツ]]」、及び同年4月21日{{Cite web|和書|title= 原発・地震 J2水戸、再建狂う|url= http://www.asahi.com/sports/fb/TKY201104210100.html |publisher=[[朝日新聞]] |accessdate=2011-4-21|archiveurl= https://web.archive.org/web/20110421220220/http://www.asahi.com/sports/fb/TKY201104210100.html |archivedate=2011-4-21}} </ref>。 やがてクラブを支援する動きは大きな広がりを見せた。[[FC岐阜|岐阜]]や[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]は水戸をアウェーとして迎える直接対決で「震災復興支援招待席」を寄贈(前者・4月30日、後者・5月8日)。それぞれにつき水戸の応援に駆けつけるサポーターに対し500枚と300枚を用意して先着順に招待を行なった<ref> [http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20110403ddlk08050108000c.html 毎日新聞茨城版2011年4月3日][[リンク切れ]]</ref>。6月3日には前述の[[鈴木隆行]]の入団を発表。代表経験者が被災クラブの援助を理由に無報酬契約を発表したことで大きく報じられた。6月17日には[[テイクアンドギヴ・ニーズ]]との新規スポンサー契約により空白となっていたユニフォームの背中・パンツにスポンサーが入り(ユニフォームスポンサーが全て埋まるのは2006年以来5年ぶり)、また増資やサポーター有志の募金などにより、10月20日に公式試合安定開催基金からの借入金3000万円を完済<ref> {{Cite web|和書|title= Jリーグ公式試合安定開催基金からの借入金返済のご報告 |url= http://www.mito-hollyhock.net/www/news/index.cgi?no=980 |accessdate=2011-10-20|archiveurl= https://web.archive.org/web/20111021045619/http://www.mito-hollyhock.net/www/news/index.cgi?no=980 |archivedate=2011-10-21}}</ref>。さらに12月21日には水戸市議会において初めてホームタウン・水戸市からの出資が可決された<ref> {{Cite web|和書|title= 水戸市議会定例会における水戸市出資承認に伴う株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホック 代表取締役社長 沼田邦郎のコメント |url= http://www.mito-hollyhock.net/www/news/index.cgi?no=1082 |accessdate=2011-12-21|archiveurl= https://web.archive.org/web/20120606230133/http://www.mito-hollyhock.net/www/news/index.cgi?no=1082 |archivedate=2012-6-6}}</ref>。かくして波乱に満ちた2011年シーズンの運営危機はクラブ内外の多くの助力により回避された。 なおこの年はリーグ戦の成績こそ20チーム中17位と振るわなかったものの、これまで一度も勝ち星のなかった[[京都サンガF.C.|京都]]から2勝を挙げ、[[第91回天皇杯全日本サッカー選手権大会|天皇杯]]・3回戦ではJ1で優勝争いを繰り広げていた[[ガンバ大阪|G大阪]]を延長戦の末3-2で破り、クラブ創設以来初めて公式戦でJ1クラブに勝利した。そして、天皇杯はベスト16に進出した。 ==== 2012年 ==== :チームスローガン:'''たつ''' 柱谷体制2年目。[[遠藤敬佑]]、[[保崎淳]]が[[ザスパクサツ群馬|草津]]へ、[[小池純輝]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ、[[神村奨]]が[[アルビレックス新潟シンガポール|新潟シンガポール]]へ、[[常盤聡]]が[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]へ完全移籍、[[鶴野太貴]]ら4人が退団。補強は、[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]から元日本代表の[[市川大祐]]、[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[三島康平]]、[[徳島ヴォルティス|徳島]]から[[輪湖直樹]]、[[名古屋グランパス|名古屋]]から[[橋本晃司]]を完全移籍で獲得、[[金龍起|キム・ヨンギ]]、[[石神幸征]]、[[内田航平]]、[[鈴木雄斗]]が新加入した。また昨シーズンはアマチュア契約だった[[鈴木隆行]]とプロ契約を結んだ。 8月に[[塩谷司]]が[[サンフレッチェ広島F.C|広島]]へ移籍。代わりのDFとして[[FC東京]]から[[吉本一謙]]を始め、[[ガンバ大阪|G大阪]]から[[星原健太]]を期限付き移籍、[[特別指定選手|特別指定]]で[[明治大学体育会サッカー部|明治大学]]の[[山村佑樹]]が加入。しかし吉本が加入してわずか1週間後に全治8か月の負傷で今季絶望となったため、9月に元[[ベガルタ仙台|仙台]]の[[細川淳矢]]が加入した。 この年は開幕から3連勝と好調で、第4節アウェー[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]戦で0-1と惜敗し連勝こそ止まったものの、第3節、4節終了時にはJ1昇格圏内の2位となる。その北九州戦を皮切りに、5試合連続勝ちなし(3分2敗)で一旦10位まで降格するも、第9節ホーム[[ザスパクサツ群馬|草津]]戦から4連勝して持ち直し、第12節終了の時点で7勝3分2敗の3位と好調を維持していた。しかし、第13節ホーム[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦から3連敗し、同節から後半戦初戦の第22節アウェー東京V戦まで10試合で2勝1分7敗と不調に陥り、順位も12位まで下げる。後半戦も、第32節ホーム[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]戦から3連勝したものの、それ以外シーズン終了まで連勝がなく、最終順位は22チーム中13位に留まった。ただし観客動員については1試合平均3,973人となり2004年の記録を更新した。 9月28日、2013年度の[[Jリーグクラブライセンス制度|Jリーグクラブライセンス]]申請においてJ2ライセンスの対象となり、2012年度のリーグ戦の成績が6位以内でもJ1への自動昇格もしくはプレーオフ参加の対象とならないことがJリーグから発表された<ref name="j-league20120928">{{Cite press release|和書|title=クラブライセンス交付第一審査機関 (FIB) による 2013シーズン Jリーグクラブライセンスの交付について|url=http://www.j-league.or.jp/release/000/00004701.html|publisher=Jリーグ|date=2012年9月28日|accessdate=2012年9月28日 |archiveurl= https://web.archive.org/web/20120930235414/http://www.j-league.or.jp/release/000/00004701.html |archivedate=2012-9-30}}</ref>。なおクラブとしてはJ1昇格の目標を早期に達成するために、[[水戸市立競技場|Ksスタ]]のJ1規格への改修・増築を行う間、J1規格に適合し2009年までの本拠地であった[[笠松運動公園陸上競技場]]への「一時的な復帰」も視野に入れて、同競技場を管理する茨城県など関係自治体・各方面と協議をすることも示唆している<ref name="j-league20120928-2"> {{Cite web|和書|title=2013シーズン Jリーグクラブライセンス交付における「J2クラブライセンス」決定のご報告 |url= http://www.mito-hollyhock.net/www/news/index.cgi?no=1559 |accessdate=2012-9-28|archiveurl= https://web.archive.org/web/20121008235344/http://www.mito-hollyhock.net/www/news/index.cgi?no=1559 |archivedate=2012-10-8}}(2012年9月28日 クラブ公式サイト。同9月30日閲覧)</ref>。 ==== 2013年 ==== :チームスローガン:'''みち''' 柱谷体制3年目。[[吉原宏太]]、[[小野博信]]が引退。[[岡本達也]]が[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]へ、[[ロメロ・フランク]]が[[モンテディオ山形|山形]]へ完全移籍。その他[[市川大祐]]らが契約終了により退団。補強面では[[冨田大介]]が10年ぶりに復帰、[[横浜FC]]から[[難波宏明]]、[[アルビレックス新潟|新潟]]から[[木暮郁哉]]をレンタルで、[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[近藤岳登]]を完全移籍で獲得。その他新卒選手4名が新加入した。 この年、第29節時点で7位につけたがその後10試合勝利なしで失速、2009年以来の勝ち越しのかかった最終節[[横浜FC]]戦にも敗れ15位でシーズンを終えた。なお第19節[[ガンバ大阪|G大阪]]戦で2度目となるホームゲームの入場者数1万人超えを達成、年間の平均入場者数も4,630人となり前年の動員記録を塗り替えた。 この年はJ2参加14年目となり[[サガン鳥栖|鳥栖]]の13年(1999年-2011年)を抜いてJ2最長となった。またJ1ライセンスは前年と同様の理由で交付されずJ2ライセンスのみの交付となった<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20130731-1165664.html |title=水戸がスタジアム収容問題で来季昇格断念 |newspaper=nikkansports.com |date=2013-07-31}}</ref>。 ==== 2014年 ==== :チームスローガン:'''そう''' 柱谷体制4年目。[[輪湖直樹]]が[[柏レイソル|柏]]へ、[[橋本晃司]]が[[大宮アルディージャ|大宮]]へ完全移籍。[[近藤岳登]]ら7人が退団。補強は[[湘南ベルマーレ|湘南]]から[[馬場賢治]]・[[横浜FC]]から[[中里崇宏]]・[[名古屋グランパス|名古屋]]から[[吉田眞紀人]]をレンタルで、[[ヴィッセル神戸|神戸]]から[[金聖基]]・[[アルビレックス新潟|新潟]]から[[小谷野顕治]]・[[川崎フロンターレ|川崎]]から[[田中雄大 (1988年生のサッカー選手)|田中雄大]]を完全移籍で獲得。その他新卒3名が新加入した。シーズン中に[[オズマール・フランシスコ・モレイラ・ジェヅイノ|オズマール]]を獲得した。 この年は前年からさらに年間動員数を増やしたものの、成績面では第23節から8試合勝利なしなど勝ち星を伸ばせず、前年と同じ15位に終わった。収支面ではユニフォームスポンサーの撤退により4期ぶりの赤字となった<ref>{{Cite news |url=http://www.targma.jp/hollyhock/2015/01/11/post9785/ |title=ホーリーホックが水戸を変える、地域を変える、茨城を変える(前編) |newspaper=デイリーホーリーホック |date=2015-01-11}}</ref>。 またこの年もスタジアム問題を解決できずJ2ライセンスの交付となった<ref>{{Cite web|和書|title=2015シーズンに関するJリーグクラブライセンス交付について |url=http://www.mito-hollyhock.net/?p=12964 |accessdate=2014-10-3|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141006072448/http://www.mito-hollyhock.net/?p=12964 |archivedate=2014-10-6}}</ref>。 ==== 2015年 ==== :チームスローガン:'''皆翔 (かいしょう)''' 柱谷体制5年目。[[広瀬陸斗]]が[[徳島ヴォルティス|徳島]]へ完全移籍。[[西岡謙太]]ら8人が退団。補強は湘南から[[岩尾憲]]・[[宮市剛]]・松本から[[朴光一|パク・カンイル]]、シーズン途中から[[アルビレックス新潟|新潟]]の[[鈴木武蔵]]などをレンタルで、山﨑貴雅を完全移籍で獲得。その他新卒3名が新加入した。 5月以降の7試合を2分5敗で順位が急落、6月6日第17節[[ギラヴァンツ北九州|北九州]]戦に敗れ21位の降格圏に陥ったことにより、翌日柱谷を解任<ref>{{Cite web|和書|title=柱谷 哲二監督 解任のお知らせ|url=http://www.mito-hollyhock.net/?p=19097 |accessdate=2015-6-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150620161715/http://www.mito-hollyhock.net/?p=19097|archivedate=2015-6-20}}</ref>。後任にはヘッドコーチの[[西ヶ谷隆之]]が暫定監督を経て正式に就任した<ref>{{Cite web|和書|title=水戸ホーリーホック 監督人事について|url=http://www.mito-hollyhock.net/?p=19826 |accessdate=2015-6-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150629235607/http://www.mito-hollyhock.net/?p=19826|archivedate=2015-6-29}}</ref>。監督交代後もリーグ戦では1度も連勝がなく勢いが続かなかったことや序盤の不振の影響もあり、過去最低の19位であったが残留を果たした。天皇杯は3回戦で[[鹿島アントラーズ|鹿島]]と対戦、互いに無得点で迎えたPK戦を3-2で破り公式戦で初勝利したが次の4回戦で[[FC東京]]に敗れた。 この年、年間観客動員数が10万人の大台を突破したが、例年通りの事情でJ2ライセンスの交付となった。 ==== 2016年 ==== :チームスローガン:'''全力''' 西ヶ谷体制2年目。[[田中雄大 (1988年生のサッカー選手)|田中雄大]]が[[ヴィッセル神戸|神戸]]、[[馬場賢治]]が[[カマタマーレ讃岐|讃岐]]へ移籍、[[鈴木武蔵]]のレンタル移籍期間満了などで16人の選手が退団。補強は、[[ジュビロ磐田|磐田]]から[[木下高彰]]、[[栃木SC|栃木]]から[[湯澤洋介]]、[[大分トリニータ|大分]]から[[兵働昭弘]]、[[ジェフユナイテッド千葉|千葉]]から[[佐藤祥]]、[[伊藤槙人]]、[[ツエーゲン金沢|金沢]]から[[佐藤和弘 (サッカー選手)|佐藤和弘]]、[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]から[[佐藤和樹]]、[[モンテディオ山形|山形]]から[[萬代宏樹]]を完全移籍で、4年ぶりの復帰になる[[ロメロ・フランク]]、[[サッカーベトナム代表|ベトナム代表]]の[[グエン・コン・フォン|グエン・コンフォン]]、[[浦和レッズ|浦和]]から[[斎藤翔太]]をレンタル移籍で獲得。その他新卒2名が新加入した。 シーズン中には、[[ユ・ロモン]]が新加入し、[[レノファ山口|山口]]から[[福井諒司]]、新潟から[[平松宗]]、[[ファジアーノ岡山FC|岡山]]から[[久保裕一]]をレンタル移籍で加入する一方で、チームトップの9得点を挙げていた[[三島康平]]が[[松本山雅FC|松本]]へ完全移籍した。 2016年7月16日に行われた第23節[[FC岐阜]]戦でJ2通算200勝を達成したが最終順位は13位。天皇杯は1回戦で埼玉県代表の[[東京国際大学]]に勝利したが2回戦で清水に敗れた。またJリーグライセンスは例年通りの事情でJ2ライセンスの交付となった。 ==== 2017年 ==== :チームスローガン:'''前進''' 西ヶ谷体制3年目。[[山﨑貴雅]]がレンタル移籍先のJFL・[[ヴァンラーレ八戸|八戸]]、[[池ヶ谷颯斗]]がレンタル移籍先の[[ガイナーレ鳥取|鳥取]]、[[兵働昭弘]]が[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]へ完全移籍、[[久保裕一]]、[[ロメロ・フランク]]のレンタル移籍期間満了などで10名が退団した。補強は[[モンテディオ山形|山形]]から[[林陵平]]、[[FC琉球|琉球]]から[[田中恵太]]、JFL・[[FC大阪]]から[[浜崎拓磨]]、[[Kリーグクラシック|Kリーグ]]・[[全北現代モータース|全北現代]]から[[權永秦|クォン・ヨンジン]]を完全移籍で、[[大宮アルディージャ|大宮]]から[[小島幹敏]]、[[松本山雅FC|松本]]から[[前田大然]]、[[北海道コンサドーレ札幌|札幌]]から昨年[[福島ユナイテッドFC|福島]]でプレーした[[ルイス・パウロ・ダ・シルバ|パウロン]]、[[京都サンガF.C.|京都]]から昨年JFL・FC大阪プレーした[[齊藤隆成]]をレンタル移籍で獲得。[[東海社会人リーグ|東海1部]]・[[鈴鹿ポイントゲッターズ|鈴鹿]]へレンタル移籍していた[[角口大征]]、[[岡田明久]]が復帰、[[斎藤翔太]]のレンタル移籍期間が延長され、[[福井諒司]]が完全移籍に移行、ユースから[[中川洋介]]が昇格した。また、[[高知大学]]から[[元田龍矢]]が入団したが今シーズンは[[Sリーグ]]・[[アルビレックス新潟シンガポール]]へレンタル移籍した。2月16日には,2012年から2013年まで水戸のエースとして活躍した[[橋本晃司]]が[[川崎フロンターレ]]より復帰することが発表された。 シーズン中には、[[ロアッソ熊本|熊本]]から[[齋藤恵太]]を完全移籍で、[[ジュビロ磐田|磐田]]から[[清水貴文]]、[[鹿島アントラーズ|鹿島]]から[[小泉勇人]]、札幌から[[永坂勇人]]をレンタル移籍で獲得する一方で、角口大征がJFL・[[東京武蔵野シティFC|東京武蔵野]]、岡田明久が東海1部・鈴鹿へ育成型レンタル移籍、[[萬代宏樹]]が[[AC長野パルセイロ|長野]]、田中恵太が琉球、[[伊藤槙人]]が[[藤枝MYFC|藤枝]]へレンタル移籍、クォン・ヨンジンが契約解除となった。 第8節から第20節までクラブ新記録となる13試合連続無敗を記録し、一時期は4位まで浮上したが最終順位は14位。天皇杯は2回戦で熊本に延長戦の末敗戦。Jリーグライセンスは例年通りJ2ライセンスの交付となった。シーズン終了後、2年半チームを率いた[[西ヶ谷隆之]]が退任した。 ==== 2018年 ==== :チームスローガン:'''一新''' 新監督に[[ジェフユナイテッド市原・千葉|千葉]]コーチで監督代行の経験もある[[長谷部茂利]]を招聘。 MF[[橋本晃司]]、FW[[山村佑樹]]らが契約満了で退団。GK[[笠原昂史]]が[[大宮アルディージャ|大宮]]へ、MF[[内田航平]]が[[徳島ヴォルティス|徳島]]へ、MF[[佐藤和弘 (サッカー選手)|佐藤和弘]]が[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]へ、MF[[湯澤洋介]]が[[京都サンガF.C.|京都]]へ、FW[[林陵平]]が[[東京ヴェルディ1969|東京V]]へ完全移籍。期限付き加入中のDF[[ルイス・パウロ・ダ・シルバ|パウロン]]([[栃木SC|栃木]]へ完全移籍)、MF[[清水貴文]]([[栃木シティFC|栃木U]]へ完全移籍)、FW[[前田大然]]([[松本山雅FC|松本]]に復帰)が期限付き移籍満了。DF[[今瀬淳也]]([[カターレ富山|富山]])、GK[[石井綾]]([[福島ユナイテッドFC|福島]])、DF[[木下高彰]]([[藤枝MYFC|藤枝]])が期限付き移籍。 一方、大宮からGK[[松井謙弥]]、徳島からDF[[冨田大介]]とMF[[木村祐志]]を獲得、MF[[田中恵太]]([[FC琉球|琉球]])、DF[[伊藤槙人]](藤枝)、MF[[元田龍矢]]([[アルビレックス新潟シンガポール|新潟S]])が期限付き移籍から復帰、DF[[ジエゴ・ジャラ・ロドリゲス|ジエゴ]]([[ジョインビレEC]])、FW[[岸本武流]]([[セレッソ大阪|C大阪]])、MF[[前寛之]](札幌)、FW[[ジェフェルソン・シウヴァ・ドス・サントス|ジェフェルソン・バイアーノ]]([[AAサンタ・リタ]])、MF[[黒川淳史]](大宮)が期限付き加入。GK[[長谷川凌]]([[船橋市立船橋高等学校|市立船橋高]])、MF[[平野佑一]]([[国士舘大学サッカー部|国士舘大]])が新加入し、MF[[大原彰輝]]がユースから昇格。 2019シーズンのJリーグライセンスは、ホームスタジアムについて、成績面でJ1昇格要件を満たした場合に、入場可能人数15,000人を満たす[[笠松運動公園陸上競技場]]にライセンスを充足するための改修工事を実施する(J1昇格要件を満たさなかった場合は引き続き[[水戸市立競技場|ケーズデンキスタジアム水戸]]を使用する)前提でJ1ライセンスを申請。これが認められ、条件付きながらクラブとして初めてJ1ライセンスが交付されることとなった<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.mito-hollyhock.net/news/11290/ |title=2019シーズンに関するJ1クラブライセンス交付について|publisher=公式サイト|date=2018-9-27|accessdate=2018-10-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181001050741/http://www.mito-hollyhock.net/news/11290/|archivedate=2018-10-8}}</ref> が、シーズン最終順位が10位となったことで「J1昇格のための順位要件を充足できずスタジアムの短期改修工事を行わないことが確定したこと」により、最終的に2019シーズンはJ2ライセンスへ変更となった<ref>{{Cite web|和書|title=2019シーズン J2クラブライセンスへの変更確定について|url=http://www.mito-hollyhock.net/news/11932/ |accessdate=2018-11-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181119173335/http://www.mito-hollyhock.net/news/11932/|archivedate=2018-11-19}}- 水戸ホーリーホック公式ウェブサイト</ref>。 ==== 2019年 ==== :チームスローガン:'''彩 (いろどり)''' 開幕3連勝で第2節には首位に立ち、次節には首位をあけわたしたものの、開幕から12戦無敗(7勝5分)で第9節から再び首位となる。第13節でシーズン初敗戦と同時に首位陥落した後、1位と2位を推移するが、第18節から4戦勝てず、前半戦終了時点で4位。後半戦も、J1昇格プレーオフ圏内の6位以上を維持していたが、第34、35節でシーズン初の連敗を喫し7位に転落、直後に首位柏に勝利し5位浮上したものの、第38節徳島に敗れ8位に後退、第40節に再び4位浮上したが、最終2節で徳島、甲府、そして得失点差で並んでいた山形に総得点の差でかわされ7位となり、過去最高順位は達成したものの、僅差でプレーオフ進出を逃した。 ==== 2020年 ==== 後述の新スタジアム建設構想の発表に伴い、2020年度ライセンス(2019年申請)から適用された「スタジアムの例外規定2」の特例<ref group="注">新設スタジアムの場合は上位リーグ(この場合はJ1)ライセンスを取得したうえで、上位リーグ(J1)昇格案件の順位を満たして昇格することを条件として、最初の昇格年度から数えて3年目のライセンス申請時までに建設予定地・建設費などの予算などを具体的に提示し、5年目のライセンス申請時までに完成することを義務付ける。ただし、最初の昇格から数えて5年目までに新スタジアムが着工していれば、「スタジアムの例外規定1」(既存スタジアムを改修する場合、例外申請が認められてから3年目=4シーズン目の開幕までに完成すること)との併用可能</ref> の適用申請を行った。これによりJ1ライセンスが承認され、J1昇格案件の順位を満たした場合でも、前年までとは異なり、継続してケーズデンキスタジアム水戸を本拠地として使用することができるとしている。<ref>[https://www.mito-hollyhock.net/news/p=1879/ 2021シーズンJリーグクラブライセンス申請について]</ref> その後9月のJリーグ理事会において、上記例外規定適用による通常のJ1ライセンス交付が認められた<ref>[https://www.mito-hollyhock.net/news/p=3803/ 2021シーズンに関するJ1クラブライセンス交付について]</ref>。 J2リーグ戦では、[[山口一真]]がリーグ4位の15得点、[[中山仁斗]]が同6位の13得点を挙げるなど、優勝した徳島を上回りリーグ最多の68得点を挙げたものの、失点がワースト4位タイの62もあり、複数得点を挙げた試合20に対し複数失点した試合も21(重複あり)で、前年から順位を落とし9位に終わった。 ==== 2021年 ==== チームは前年より1つ順位を落とし10位。 また、9年ぶりに[[北関東ダービー]]王者の座を[[ザスパクサツ群馬|群馬]]に譲ることとなった。 ==== 2022年 ==== 第1節の[[大分トリニータ|大分]]戦が新型コロナウイルスの影響で延期。 2、3、4節を連続で落とし、第5節でシーズン初勝利、第6節ホーム初勝利を挙げた。 しかしそこから4試合勝ちなし。順位は20位となった。それでも少しずつ順位を上げ11位で前半戦を終える。 後半戦は一進一退であったが第35節で[[いわてグルージャ盛岡|盛岡]]に敗れてから延期となっていた31節を含む7戦勝ちなしで14位に後退。しかし41節[[栃木SC|栃木]]戦、最終節[[ザスパクサツ群馬|群馬]]戦を連続で後半アディショナルタイムに逆転弾を叩き込み連勝。2年ぶりに北関東ダービーを制し順位を13位に上げてシーズンを終えた。 チームは負け越しが見込まれ、早い段階でJ1昇格・プレーオフ圏外の7位以下となることが確定したことを受け、10月2日に[[秋葉忠宏]]が今季で監督を退任することが発表された<ref>[https://www.mito-hollyhock.net/news/p=22334/ 秋葉忠宏監督の来季契約について]</ref>。 最終成績は14勝12分16敗の13位。天皇杯は2回戦で[[レノファ山口FC|山口]]に敗れ敗退。 '''''2023年''''' * 完全移籍加入  [[草野侑己]]、[[安永玲央]]([[横浜FC]])、[[長井一真]]([[京都サンガF.C.|京都サンガFC]]) * [[期限付き移籍]]加入 [[武田英寿]]([[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]/育成型)、[[小原基樹]]([[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]) * 期限付き移籍期間延長 [[唐山翔自]]([[ガンバ大阪]])、[[鵜木郁哉]]([[柏レイソル]]) * 復帰 [[田辺陽太]]([[おこしやす京都AC]]) * 完全移籍 [[三國スティビアエブス]]([[FC岐阜]])、[[鈴木喜丈]]([[ファジアーノ岡山FC|ファジアーノ岡山]])、[[曽根田穣]]([[愛媛FC]])、[[森勇人]]([[カマタマーレ讃岐]])、[[木下康介]](京都サンガFC) * 期限付き移籍 [[音泉翔眞]]([[AC長野パルセイロ]])、 * 期限付き移籍期間満了 [[椿直起]]([[横浜F・マリノス|横浜Fマリノス]]→[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド千葉]]へ完全移籍)、[[土肥航大]](サンフレッチェ広島→[[ヴァンフォーレ甲府]]へ期限付き移籍) * 退団 [[平田海斗]]([[ラインメール青森FC]])、[[小澤章人]]([[ブラウブリッツ秋田]])、[[レオナルド・ブローダーセン|レオナルド ブローダーセン]] == 成績 == {{Main|水戸ホーリーホックの年度別成績一覧}} == タイトル == === リーグ戦 === *'''[[関東サッカーリーグ]]1部:1回'''(プリマハムFC土浦) **1995年 === カップ戦 === *'''[[全国社会人サッカー選手権大会]]:1回''' (プリマハムFC土浦) **1995年 *'''[[全国地域リーグ決勝大会]]''' **準優勝:1996年 (プリマハムFC土浦) == スタジアム・練習場 == === スタジアム === [[File:Kasamatsu entrance.jpg|thumb|300px|[[笠松運動公園陸上競技場]]]] {{See also|水戸市立競技場|笠松運動公園陸上競技場}} ホームスタジアムは[[水戸市立競技場]](ケーズデンキスタジアム水戸、通称「Ksスタ」)。Ksスタは2009年に改修されるまでは収容人員がわずか5,000人しかなく照明設備もなかったため、Jリーグのホームスタジアム規定を満たせなかったことから、開催基準を満たす[[笠松運動公園陸上競技場]]([[那珂市]])を長年ホームスタジアムとしていたほか、笠松が2002年の[[全国高等学校総合体育大会]](インターハイ)のメイン会場となり改修工事が行われた2000年は[[ひたちなか市総合運動公園陸上競技場]]([[ひたちなか市]])と[[日立市民運動公園陸上競技場]]([[日立市]])の2会場を中心に主催試合を行なった。また平日のナイターの一部を隣県の[[栃木県グリーンスタジアム]]で開催している<ref group="注">[[ひたちなか市総合運動公園陸上競技場]]の照明がJ2開催基準の照度に足りなかったため。また当時の[[栃木SC]]はまだ地域リーグ所属であった。なお一部の平日試合を薄暮時間帯のひたちなかで開催したこともある。</ref>。 水戸市競技場(Ksスタ)が2009年まで改修が行われなかったのは、JFL参入時のクラブと水戸市との軋轢に由来する。1996年にJFL昇格を決めたプリマハムFC土浦と合併し、水戸市を本拠地としてJFLでの活動を目指していたFC水戸であったが、市の反応は極めて冷ややかであった<ref name="漫遊記3" />。当時の水戸市長であった[[岡田広]]は[[茨城県立水戸商業高等学校|水戸商業高校]]の野球部応援団OBであり圧倒的な野球派でサッカー嫌いであったが、奇しくも当時のクラブ代表であった石山徹が同校のサッカー部OBであったため、水戸市へのJFL誘致を巡って両者はたちまち犬猿の仲となった<ref name="漫遊記4" /><ref name="対立" />。結局双方とも対立したまま歩み寄ることはなく、最終的に水戸市は本拠地とすることを認める代わり、クラブに対し「'''競技場・練習場の供給を含む一切の資金援助を求めない'''」とする[[覚書]]を提出させた<ref name="漫遊記4">{{Cite news |url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/jleague/2012/columndtl/201208030006-spnavi |title=集客ワーストからの脱却はなぜ実現したか?<後編>J2漫遊記第4回 |newspaper=スポーツナビ |accessdate=2012-08-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140222144845/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/jleague/2012/columndtl/201208030006-spnavi|archivedate=2014-2-22}}</ref><ref name="対立" />。この確執が長きにわたりクラブに禍根を残すこととなり、ホーリーホックがJリーグに参入する時も水戸市はこの覚書を盾に競技場の整備予算を計上せず、笠松など市外のスタジアムの使用を余儀なくされたものである。 2007年、老朽化が進んでいた水戸市立競技場をホームスタジアムとするべく改修工事に入る。2009年11月に水戸市立競技場の改修工事が竣工。命名権により「ケーズデンキスタジアム水戸」(Ksスタ)の名称が与えられ、晴れて水戸市にホームスタジアムを構えることとなり、2009年11月8日の[[ベガルタ仙台]]戦から使用を開始、この年は終盤の3試合を開催、2010年度から正式に本拠地登録をKsスタに変更し、原則として主管全試合を開催してきた。 なお、Ksスタは2009年の改修後もJ1基準の収容人員(15,000人)を満たしていないため、水戸市議会がKsスタのJ1基準への改修工事を行なう方針を発表<ref>{{Cite news |url=http://www.asahi.com/area/ibaraki/articles/TKY201306180439.html |title=サッカー:ケーズデンキスタジアム、水戸市が規模拡張へ |newspaper=朝日新聞 |accesrdate=2013-06-19|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130619232854/http://www.asahi.com/area/ibaraki/articles/TKY201306180439.html#Contents|archivedate=2013-6-19}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/region/news/130619/ibr13061902230003-n1.htm |title=J1ライセンス取得へKsスタ整備 |newspaper=産経ニュース |date=2013-06-19}}</ref>、事業に着手した。当初は2016年の完成を目指していた<ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20130913ddlk08050215000c.html |title=ケーズデンキスタジアム、観客席増設へ J2水戸、J1昇格可能に 2年前倒し、市が16年度までに整備 |newspaper=毎日jp |date=2013-09-13}}</ref> が、用地取得の問題から2017年時点でも本格的な工事着手の目途は立っておらず<ref name="日刊建設新聞">{{Cite news |url=http://www.jcpress.co.jp/wp01/?p=13337 |title=基本・実施設計を延期 市立競技場観客席の増設工事 競技施設は2ヵ年で改修(水戸市) |newspaper=日刊建設新聞 |date=2014-10-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171201034418/http://www.jcpress.co.jp/wp01/?p=13337|archivedate=2017-12-1}}</ref>、2017年3月の水戸市議会で、[[高橋靖]]水戸市長が、2019年に茨城県で行われる[[第74回国民体育大会|いきいき茨城ゆめ国体]]終了後の工事着手を目指す方針であると意向表明している<ref>{{Cite news|url=http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14894158356885|title=ケーズスタ座席増設、計画遅れ 着工は国体以降に|newspaper=茨城新聞|date=2017-03-14|accessdate=2017-07-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170314021742/http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14894158356885|archivedate=2017-3-14}}</ref>。 一方で、2016年度の公認陸上競技場認定の更新に向けたインフィールドの改修工事が先行して行われており、[[2015年]]は芝生の入れ替え工事・およびそれに付随した養生期間が必要<ref name="日刊建設新聞"/> であるため、開幕当初から[[5月]]までに予定される5試合を5年ぶりに笠松で開催し、水戸(K'sスタ)での開催は5月17日の大分戦以後となった<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.mito-hollyhock.net/?p=15319 |title=2015明治安田生命J2リーグ 試合日程のお知らせ|publisher=水戸ホーリーホック|date=2015-01-22|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150122102013/http://www.mito-hollyhock.net/?p=15319|archivedate=2015-01-22}}</ref>。 2018年6月29日、クラブは2019年シーズンのJ1クラブライセンス取得に向けた申請書類を提出したことを公表<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.mito-hollyhock.net/news/10100/ |title=2019シーズン Jリーグクラブライセンス申請について|publisher=水戸ホーリーホック|date=2018-06-29|accessdate=2018-06-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180629114924/http://www.mito-hollyhock.net/news/10100/|archivedate=2018-6-29}}</ref>。水戸(K'sスタ)と22,002人収容の笠松の両方をホームスタジアムとして申請し、J1ライセンスを取得して順位条件を満たしてJ1に昇格した場合はJ1スタジアム基準を充足するように短期での改修を施した上で、原則として笠松でホームゲームを行い、J1昇格が果たせなかった場合は引き続き水戸(K'sスタ)を使用する方針とし、条件付きながらJ1ライセンスを取得することができた<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/release/post-55789/|title=クラブライセンス交付第一審機関(FIB)決定による 2019シーズン Jリーグクラブライセンス判定について|publisher=日本プロサッカーリーグ|date=2018-09-27|accessdate=2019-01-09}}</ref>。ただし最終的に成績面でJ1昇格条件を満たせなかったことから、笠松の短期改修を見送ることとなり、J2ライセンスへの変更が確定した<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.mito-hollyhock.net/news/11932/ |title=2019シーズン J2クラブライセンスへの変更確定について|publisher=水戸ホーリーホック|date=2018-11-19|accessdate=2019-01-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181119173335/http://www.mito-hollyhock.net/news/11932/|archivedate=2018-11-19}}</ref>(2019年も同様の申請を行い、認められている<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.jleague.jp/release/post-60687/|title=クラブライセンス交付第一審機関 (FIB) 決定による 2020シーズン Jリーグクラブライセンス判定について|publisher=日本プロサッカーリーグ|date=2019-09-27|accessdate=2019-09-27}}</ref>)。 しかし、その間もケーズデンキスタジアムのスタンド増設交渉が難航し進展が進んでいないことから、2019年8月26日に水戸市長・高橋靖が定例会見で「現在芝生席となっているゴール裏・サイドスタンドを立見席にしたうえで、収容可能人員をJ1基準まで充足できるようにする」方針を固めたことを明らかにし、2019年9月水戸市議会で基本計画策定用の補正予算案500万円を計上することを提案した。今後2020年度に計画設計をして、2024年度をめどに完成させたいとしている<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49007770W9A820C1L60000/|title=水戸市、J2水戸の本拠地増席へ 19年度中に基本計画|newspaper=日本経済新聞|date=2019-08-26|accessdate=2019-09-14}}</ref>。 ;{{Anchors|主本拠地}}主本拠地 :* [[1997年]]・[[1998年]]前期(以上旧JFL)・[[2001年]]-[[2009年]]秋(J2):[[笠松運動公園陸上競技場]] :* [[1998年]]後期(旧JFL)・[[1999年]](JFL)・[[2000年]](J2):[[ひたちなか市総合運動公園陸上競技場]] :* [[2009年]]秋(J2)以後(ただし、公式には[[2010年]]に移転):[[水戸市立競技場|ケーズデンキスタジアム水戸]] === 新スタジアム構想 === 水戸市のケーズデンキスタジアム改修の動きとは別に、クラブは2019年11月22日に記者会見を開き、クラブ自前のスタジアム及びアカデミー拠点を整備する方針を明らかにした。<ref>{{Cite news|url=https://www.nikoukei.co.jp/kijidetail/00398511|title=水戸ホーリーホック新スタジアム構想/100億、1.5万~2万席/教育や防災の機能も/アカデミー拠点も |newspaper=日本工業経済新聞|date=2019-12-03|accessdate=2020-09-29}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15743388065852|title=【茨城新聞】J2水戸 スタジアム建設へ 5年後目標 収容1.5万人超|newspaper=茨城新聞|date=2019-11-22|accessdate=2019-11-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191122072050/https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15743388065852|archivedate=2019-11-22}}</ref>。共に水戸市内の鉄道駅或いはインターチェンジ近くに立地させることを念頭に複数の候補地を検討しているという。スタジアムは収容人員がJ1基準を満たす1万5千人から2万人規模の球技専用スタジアムを想定しており、総工費は100億円を見込んでいる。民設民営方式による整備を想定し、資金調達については既に「県外の複数企業から何十億、何百億という(単位の)話がきている」とし、設計施工、ファイナンスなど賛同してくれる企業が集まっていることも明かしており、クラブ創設30周年となる2024年完成を目指すという。一方でこのクラブの動きに対し、水戸市は今回のクラブのスタジアム新設構想の推移を見守るとして、ケーズデンキスタジアムのJ1基準化工事の設計・着工時期の見直しを示唆している<ref>{{Cite news|url=https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15746798641289|title=【茨城新聞】ケーズスタ拡張見直し 市長 J2水戸計画踏まえ|newspaper=茨城新聞|date=2019-11-26|accessdate=2019-11-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191125212021/https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15746798641289|archivedate=2019-11-25}}</ref>。 なお上述の通り、2020年7月に提出した2021年度ライセンスでは、上記新スタジアム建設計画を踏まえた特例適用を申請しており、2020年のJ2でJ1昇格案件を満たす順位をクリアし、かつJ1ライセンスを承認された場合でも継続してケーズデンキスタジアムを使用できるようになる予定である。 その後、新スタジアムの竣工目標について、当初より4年ずらして[[2028年]]の完成を目指すこと、また水戸市にこだわらず、Jリーグ登記の15自治体のホームタウンの中からスタジアムの建設場所の候補地を募り、その中から[[2023年]]中に最終的な建設予定地を決めるとしている。これは[[新型コロナウィルス]]により、[[2020年]]からリーグ戦の中断や、[[無観客試合|リモートマッチ]]・入場者数制限などが敷かれ、経営の立て直しが必要とされたことから、新スタジアムの2024年の完成を断念し、4年程度遅らせることにしたとされる<ref>[https://www3.nhk.or.jp/lnews/mito/20221020/1070018939.html 水戸ホーリーホック 新スタジアム完成目標2028年度](NHK)</ref>。 === スタジアム・大会別試合数 === *2000年のJ2加盟以後。<ref>[http://footballgeist.com/ フットボールガイスト]</ref> {| class="wikitable" |- !rowspan="2"|年度!!colspan="4"|リーグ戦!!rowspan="2"|Jリーグ杯!!rowspan="2"|備考 |- !水戸!!笠松!!<small>ひたちなか</small>!!その他 |- |2000||rowspan="2"|0||-||9||日立9<br>栃木2||rowspan="2"|栃木1||笠松改修工事中のため、この年は暫定的にひたちなかを登記上の本拠地とする |- |2001||8||11||栃木3||笠松改修竣工、本拠移転 |- |2002||2||10||10||rowspan="2"|-||rowspan="21"|不参加|| |- |2003||4||14||4|| |- |2004||2||19||0||栃木1|| |- |2005||0||21||rowspan="3"|1||rowspan="2"|-|| |- |2006||rowspan="2"|1||22|| |- |2007||20||日立1<br>足利1||水戸改修着工 |- |2008||-||17||2||日立1|| |- |2009||3||19||3||rowspan="14"|-||K'sスタ(水戸)改修竣工 |- |2010||17||1||rowspan="13"|0||この年より本拠地を笠松からK'sスタに正式移転 |- |2011||19||rowspan="4"|0||この年より主催全試合K'sスタで開催<br>震災によりメインスタンド被害があり、使用不可の時期あり |- |2012||rowspan="3"|21||J2ライセンス初交付 |- |2013|| |- |2014|| |- |2015||16||5||序盤5試合はK'sスタの芝生養生のため笠松で開催(上述) |- |2016||rowspan="7"|21||rowspan="7"|0|| |- |2017|| |- |2018||rowspan=2|条件付きでJ1ライセンス交付 |- |2019 |- |2020||正式にJ1ライセンス交付 |- |2021|| |- |2022|| |} === スタジアムDJ === スタジアムDJは[[日立市]]の[[ケーブルテレビ]]「[[JWAY]]」の寺田忍が担当している<ref name="スタDJ" />。寺田はホームゲームの進行役はもちろんのこと、アウェイの試合にもサポーターの一員としてたびたび自主参加し、試合開始前にはアウェイ側サポーター席で[[メガホン|トラメガ]]片手にホームゲーム同様の選手紹介を行なっている。またスタジアムの場内演出は[[茨城大学]]の学生によるボランティアで運営されており<ref name="スタDJ">{{Cite news |url=http://www.targma.jp/hollyhock/2013/08/22/post5322/ |title=【HHレポート】「スタジアム演出の中核!茨城大学アナウンスステーション」 |newspaper=デイリーホーリーホック |date=2013-08-22}}</ref>、寺田のDJ活動も2003年の同大在学時からの無報酬ボランティアである<ref>「[[Foot!]]」([[J SPORTS]])2011年12月1日放送回</ref>。 === スタジアムグルメ === スタジアムの飲食売店は[[お好み焼き]]や[[カレーライス]]などの定番メニューから、[[水戸納豆]]を使用した「ねばり丼」や[[B級グルメ]]「みとワングランプリ」を受賞した「ちゃあしゅうバーガー」など地域色を生かしたメニューまで豊富にそろっている。しかし2009年に食中毒事件が起こり、一時は全ての飲食売店に営業停止命令が出された。ほどなく原因となった食品が特定され、該当店舗の出店禁止処分とともに売店営業が再開された。 === 練習場 === 2018年以降、練習は城里町の複合施設「[[城里町七会町民センター]]」(通称「アツマーレ」)を使用している。2017年までは[[那珂川]]の河川敷に整備されたチーム専用グラウンドである[[ホーリーピッチ]](水戸市水府町)の他、[[水戸市立サッカー・ラグビー場]](ツインフィールド、水戸市河和田町)など水戸市近郊のグランドを利用していた。 JリーグではJ1ライセンスの発給条件の一つとして「クラブハウスに隣接したフルサイズの天然芝グラウンドが常時利用可能であること」を求めているが、ホーリーピッチ・ツインフィールドとも近接地にクラブハウスを設けるのが困難であった。この窮状を見た水戸市に隣接する[[城里町]]が、2015年3月に廃校となった旧[[城里町立七会中学校]]の校舎及びグラウンドを活用する案をクラブに打診。水戸市内からやや遠いという難点はあるものの、校舎が1997年建設と比較的新しいことや天然芝グラウンド2面を確保できる敷地の広さ、また町民の多くからも賛同を得られていることなどから、クラブも練習場の移転を前向きに検討し、2016年7月には、クラブ側が最低10年間施設をクラブハウス及び練習場として使用する旨の協定書を締結<ref>[http://www.town.shirosato.lg.jp/page/page002532.html 水戸ホーリーホックと旧七会中学校の跡地利用整備に関する協定] - 城里町・2016年7月21日</ref>。同年シーズンオフには旧七会中で感謝イベントを開催した<ref>{{Cite news|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201701/CK2017012902000138.html|title=新たな拠点をファンに披露 水戸ホーリーホック 城里町・旧七会中で感謝イベント開催|newspaper=東京新聞|date=2017-01-29|accessdate=2017-11-25}}</ref>。 城里町ではこれを受け、2016年末から順次施設改修工事を開始。町役場支所・公民館の機能を併せ持った施設として整備を行った。工事完成間際には追加工事分を加えた変更契約議決が否決される<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20171226-XUOJRKSNAZIGNOIFD4SQWSXLQE/|title=J2水戸 練習場どうなる!? 地元議会がサッカー場整備案否決 町長と議会の対立深刻|newspaper=産経新聞|date=2017-12-26|accessdate=2018-02-08}}</ref> などの紆余曲折もあったが、最終的に変更契約議案も可決され、2018年1月に施設が完成した<ref name="ibaraki-np20180129">{{Cite press release|和書|url=http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15171364391342 |title=J2水戸新拠点完成 城里で式典 廃校活用クラブハウス|publisher=茨城新聞|date=2018-1-29|accessdate=2018-2-8}}</ref>。 近隣の[[公営住宅]]を活用し、水戸市内にある選手寮を練習場のそばに移転させる案も出ていたが<ref>[http://www.targma.jp/hollyhock/2016/08/02/post15911/ 【HHレポート】「J初の廃校を活用した新練習拠点の建設へ ホーリーホックと城里町で旧七会中学校の跡地利用整備に関する協定書を締結」] - デイリーホーリーホック・2016年8月2日</ref>、その案はその後消滅し、2022年3月に水戸市内に新たな選手寮『若龍寮』を建設し供用を開始している<ref>[https://www.mito-hollyhock.net/news/p=15951/ 水戸ホーリーホック新選手寮「若龍寮」完成のお知らせ] - 水戸ホーリーホック・2022年3月2日</ref>。 == ホームタウン == === 水戸市との関係 === 前述のとおり、ホーリーホックはJFL参入時の水戸市との軋轢により地元自治体の支援を受けられず、また支持されてもいないという理由からスポンサーの獲得も難しく<ref name="漫遊記3">{{Cite news |url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/jleague/2012/columndtl/201207300006-spnavi?page=2 |title=集客ワーストからの脱却はなぜ実現したか?<前編>J2漫遊記第3回 |newspaper=スポーツナビ |accessdate=2012-07-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140222144848/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/jleague/2012/columndtl/201207300006-spnavi?page=2|archivedate=2014-2-22}}</ref>、不安定な経営基盤まま出発を余儀なくされた。ホーリーホックが「地域密着」を謳うJリーグクラブとなっても引き続き市からの財政支援はなく、また水戸から遠く離れた場所で試合が行なわれていたことから地元水戸市民の関心・認知度は極度に低迷し、観客動員・チーム成績・クラブ予算のあらゆる面でJリーグ最低規模での運営が続いた。 しかし2003年4月に加藤浩一が新市長に就任したのを機に市の対応にも変化が生じる。ホーリーピッチの整備やKsスタの改修工事など市側がホーリーホックを念頭に置いた環境整備を行うようになり、2009年の本拠地移転後は観客動員も徐々に増加の兆しを見せていた。しかし、2010年はスポンサーの撤退などにより資金難となった。前述の確約により市の資金援助も得られず、2011年1月に[[公式試合安定開催基金]]から3000万円を借り入れる事態となった。追い打ちをかけるように同年3月に[[東日本大震災]]により被災。一気にクラブ存続の窮地に追い込まれる中、同年5月にクラブへの積極支援を表明していた[[高橋靖]]が新市長に就任。これにより双方の関係は劇的に改善し、水戸市は震災で市庁舎が全壊し仮設庁舎での業務を余儀なくされている中にあって、同年12月にクラブへの出資を可決。ここに至って15年にも及んだ水戸市との確執はついに解消され、覚書については両者同意の元無効化された<ref name="対立">[[双葉社]]刊「[[サッカー批評]] 55」43-44頁</ref>。 なお現在はKsスタの[[Jリーグクラブライセンス制度|J1ライセンス]]獲得に向けた増席改修が新たな問題として浮上しており(前述)、行政のみならず市民の総意に訴える活動を目指すとしている。 === ホームタウン推進協議会 === ホームタウンは元々水戸市のみであったが、2002年に周辺の[[ひたちなか市]]・[[那珂市]]・[[笠間市]]・[[小美玉市]]・[[茨城町]]・[[大洗町]]・[[城里町]]・[[東海村]]の8市町村を加えた「水戸ホーリーホック・ホームタウン推進協議会」が発足した。以後毎年ホームゲーム開催時に「市町村の日」を設け、住民の無料招待や地域の紹介展示、特産品の抽選配布など準ホームタウンとしての地域提携が行なわれている。また2012年に本協議会の5市町がクラブへの出資を表明していることが明らかになった<ref>{{PDFlink|[https://www.jleague.jp/img/aboutj/document/jnews/192/vol0192.pdf J.LEAGUE NEWS vol.192]}}</ref>。 8市町村は、2017年11月21日に正式にホームタウンとして承認されている<ref name="jleague20171121"/>。 == ユニフォーム == {{ユニフォームの色 |F正シャツ=青<ref name="jleague" />|F正パンツ=青|F正ストッキング=青 |F副シャツ=白<ref name="jleague" />|F副パンツ=白|F副ストッキング=白 |G正シャツ=緑|G正パンツ=緑|G正ストッキング=緑 |G副シャツ=黄×オレンジ|G副パンツ=黄|G副ストッキング=黄 |pattern_la1= _Mito HollyHock 2023 HOME FP |pattern_b1= _Mito HollyHock 2023 HOME FP |pattern_ra1= _Mito HollyHock 2023 HOME FP |pattern_sh1= _Mito HollyHock 2023 HOME FP |pattern_so1= _Mito HollyHock 2023 HOME FP |leftarm1=000080 |body1=0000FF |rightarm1=000080 |shorts1=ffffff |socks1=FF0000 |pattern_la2= _Mito HollyHock 2023 AWAY FP |pattern_b2= _Mito HollyHock 2023 AWAY FP |pattern_ra2= _Mito HollyHock 2023 AWAY FP |pattern_sh2= _Mito HollyHock 2023 AWAY FP |pattern_so2= _Mito HollyHock 2023 AWAY FP |leftarm2=FFF |body2=FFF |rightarm2=FFF |shorts2=ffffff |socks2=FFF |pattern_la3= |pattern_b3= |pattern_ra3= |pattern_sh3= |pattern_so3= |leftarm3=106635 |body3=26A538 |rightarm3=106635 |shorts3=0D9531 |socks3=0D9531 |pattern_la4= |pattern_b4= |pattern_ra4= |pattern_sh4= |pattern_so4= |leftarm4=EF7B00 |body4=FFF22A |rightarm4=EF7B00 |shorts4=FFF22A |socks4=FFF22A }} === チームカラー === * {{colorbox|#00008b}}{{colorbox|#0075c2}} 青<ref name = mitoprof/><ref name="jleague" /> === ユニフォームスポンサー === {| class="wikitable" style="text-align:center; border:double #0075c2; 4px 4px 4px #0075c2; font-size:smaller; " |- style="background-color:#00008b; color:#fff; font-weight:bold;" |掲出箇所||スポンサー名||表記||掲出年||備考 |- !胸 |[[ケーズホールディングス]]||K's ケーズデンキ||2001年 - ||1999年 - 2000年は背中 |- !鎖骨 |[[アダストリア]]||ADASTRIA||2021年 - ||左側に表記 |- !背中上部 |[[JX金属]]||JX JX金属||2023年 - ||2022年5月 - 同年10月は袖 |- !背中下部 |なし||-||-|| |- !袖 |なし||-||-|| |- !パンツ前面 |[[タカノフーズ]]||タカノフーズ||2021年 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.mito-hollyhock.net/news/p=7671/|title=タカノフーズ株式会社ユニフォームパートナー契約締結のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2021-02-24|accessdate=2021-02-24}}</ref>|| |- !パンツ背面 |[[大和証券]]||大和証券||2023年 - <ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.mito-hollyhock.net/news/p=23751/|title=大和証券株式会社 プラチナパートナー契約締結(増額)のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2023-01-13|accessdate=2023-01-27}}</ref>|| |} === ユニフォームサプライヤーの遍歴 === * 1999年 - 2005年:[[プーマ]] * 2006年 - 2011年:[[mitre|マイター]] * 2012年 - 2020年<ref>{{Cite web|和書|date=2020-10-11 |url=https://www.mito-hollyhock.net/news/p=4097/ |title=株式会社ロイヤル【GAViC】様とのオフィシャルトップサプライヤー契約満了のお知らせ |publisher=水戸ホーリーホック |accessdate=2020-10-11}}</ref>:[https://gavic.jp/ ガビック] * 2021年<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.mito-hollyhock.net/news/p=6288/ |title=【発表】株式会社1009(SoccerJunky)様 2021シーズン新サプライヤー新規決定のお知らせ|publisher=公式サイト|date=2020-12-22|accessdate=2020-12-28}}</ref> - 現在:[http://soccerjunky.com/ サッカージャンキー] === 歴代ユニフォーム === {| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed" style="width:65%; border:double #0075c2; font-size:smaller; 4px 4px 4px #0075c2;" !colspan=5|FP 1st |- |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _Mito HollyHock 2000 - 2002 HOME FP |pattern_b = _Mito HollyHock 2000 - 2002 HOME FP |pattern_ra = _Mito HollyHock 2000 - 2002 HOME FP |pattern_sh = _Mito HollyHock 2000 - 2002 HOME FP |pattern_so = _Mito HollyHock 2000 - 2002 HOME FP |leftarm = FFFFFF |body = FFFFFF |rightarm = FFFFFF |shorts = FFFFFF |socks = FFFFFF | title = {{Center|2000 - 2002}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _Mito HollyHock 2003 - 2004 HOME FP |pattern_b = _Mito HollyHock 2003 - 2004 HOME FP |pattern_ra = _Mito HollyHock 2003 - 2004 HOME FP |pattern_sh = _Mito HollyHock 2003 - 2004 HOME FP |pattern_so = _Mito HollyHock 2003 - 2004 HOME FP |leftarm = FFFFFF |body = FFFFFF |rightarm = FFFFFF |shorts = FFFFFF |socks = FFFFFF | title = {{Center|2003 - 2004}}}} |{{Football kit|filetype=png |pattern_la = _Mito HollyHock 2005 HOME FP |pattern_b = _Mito HollyHock 2005 HOME FP |pattern_ra = _Mito HollyHock 2005 HOME FP |pattern_sh = _Mito HollyHock 2005 HOME FP |pattern_so = _Mito HollyHock 2005 HOME FP |leftarm = FFFFFF |body = FFFFFF |rightarm = FFFFFF |shorts = FFFFFF |socks 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|2004 |- |2005||- / <br/>[http://www.imx.ne.jp imx]||- / <br/>[http://www.cmcnet.co.jp CMC]||- / <br/>[http://www.shigakusha.com 思学舎モア] |- |2006||[http://www.imx.ne.jp imx]||[http://www.cmcnet.co.jp CMC]||[http://www.shigakusha.com 思学舎モア]||rowspan="6"|[[mitre]] |- |2007||[http://www.imx.ne.jp imx] / <br/>-||-||rowspan="4"|- |- |2008||rowspan="2"|[[水戸証券]]||rowspan="2"|[[百里飛行場|茨城空港<br/>{{smaller|IBΛRΛKI ΛIRPORT}}]] |- |2009 |- |2010||-||- |- |2011||- / <br/>[[テイクアンドギヴ・ニーズ|One Heart Wedding]]||rowspan=2|[http://www.seekel.co.jp/ seekel]||- / <br/>[[テイクアンドギヴ・ニーズ|ARK CLUB GEIHINKAN]] |- |2012||- / <br/>[[テイクアンドギヴ・ニーズ|ARK CLUB GEIHINKAN]]||- / <br/>[[テイクアンドギヴ・ニーズ|ARK CLUB GEIHINKAN]]||rowspan=9|[https://gavic.jp/ GAViC] |- |2013||- / <br/>[[テイクアンドギヴ・ニーズ|ARK CLUB GEIHINKAN]]|| rowspan="9" |-||- / <br/>[[テイクアンドギヴ・ニーズ|ARK CLUB GEIHINKAN]] |- |2014||rowspan="2"|-||- |- |2015||[[ガールズ&パンツァー|ガールズ&パンツァー<br/>{{smaller|GIRLS und PANZER}}]] |- |2016||- / <br/>[[ベトナム航空|Vietnam Airlines]]||-||rowspan="4"|[[ガールズ&パンツァー|(あんこうマーク)]] |- |2017||colspan="2" rowspan="2"|- |- |2018||colspan="2"|- |- |2019||[http://www.ryl.co.jp/ Z-SPORTS]||[https://www.z-craft.jp/ Z-CRAFT]||- /<br />[[アトラエ|Atræ]]||[https://netzibaraki.co.jp/ {{bigger|Netz}}<br/>ネッツ{{smaller|トヨタ}}茨城] |- |2020||colspan="2"|-||rowspan="3"|[[アトラエ|:Atrae]]||rowspan="4"|-||colspan="2"|- |- |2021||- / <br/>[[アダストリア|ADASTRIA]]|||- / <br/>[[アダストリア|.st ドットエスティ]]||rowspan="3"|[[タカノフーズ]]||rowspan="2"|-||rowspan="3"|[http://soccerjunky.com/ Soccer Junky] |- |2022||rowspan="2"|[[アダストリア|ADASTRIA]]||rowspan="2"|- || - / <br/>[[JX金属|JX<br/>JX金属]] |- |2023||[[JX金属|JX JX金属]]||-||[[大和証券]] |} *2014年(創設20周年)、2019年(創設25周年)の袖には、それぞれ記念ロゴマークがついた。 == アカデミー == {{節スタブ|date=2017年7月}} * 水戸ホーリーホックユース * 水戸ホーリーホックジュニアユース * 水戸ホーリーホックジュニア == 公式ソング == * 走れ☆ホーリーホック!(作詞・作曲・編曲・歌:eco) :2005年に発表された初の公式応援ソング。チアリーディング用の振り付けも考案された。試合会場の[[背景音楽|BGM]]として多用されたため観戦に訪れた多くのアウェイサポーターにもメロディが刷り込まれてしまったことから「水戸の洗脳ソング」との異名をとった<ref>{{Cite news |url=https://twitter.com/hollyhock_staff/status/467893498151063552/ |title=第14節京都戦 |newspaper=水戸ホーリーホックTwitter公式アカウント |date=2014-05-17}}</ref>。 * 蒼く染まれ(作詞・歌:shotaro 作・編曲:和田春) :2011年発表。試合会場では主に試合のダイジェスト映像やボールパーソン入場時のBGMなどに用いられた。 * Ole ホーリーホック ~葵の魂を見せてやれ~(作詞・作曲・編曲・歌:[[磯山純]]) :2014年11月1日のホーム横浜FC戦にて本人のミニライブとともに発表された。2014年時点においてCD販売等はされていない<ref>{{Cite news |url=http://www.targma.jp/hollyhock/2014/11/11/post9391/ |title=葵の魂を見せてやれ!水戸市出身のシンガー・ソングライター磯山純さんが応援ソング披露 |newspaper=デイリーホーリーホック |date=2014-11-11}}</ref>。 * 無限の力(作詞・作曲・編曲・歌:[[宇宙まお]]) :2014年11月15日のホーム栃木SC戦にて本人のミニライブとともに発表された。CDには表題曲のほか「あの子がすき」も収録されている。 * スーパースター(作詞:NAOI HIRO 作曲:NAOI 編曲:Ryo Miyata Kazuki 歌:[[BxAxG]]) :2015年2月26日に新応援ソングとして発表<ref>{{Cite news |url=http://www.mito-hollyhock.net/?p=15979 |title=【3/8(日)ロアッソ熊本戦】「BxAxG」ミニライヴ開催のお知らせ |newspaper=クラブ公式サイト |accessdate=2015-02-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150308120306/http://www.mito-hollyhock.net/?p=15979|archivedate=2015-3-8}}</ref>。5月17日のホーム大分戦ではミニライブとCDの先行販売が行われた<ref>{{Cite news |url=https://ameblo.jp/hollyhock-hometown/entry-12027359406.html |title=第14節大分トリニータ戦イベント報告 |newspaper=クラブオフィシャルブログ |date=2015-05-17}}</ref>。 == eスポーツ == [[2020年]][[2月10日]]、[[エレクトロニック・スポーツ|eスポーツ]]チーム設立を発表し、併せて所属選手の募集を開始。茨城県内の在住または在勤・在学者を対象に2名採用する<ref>{{Cite web|和書| title=水戸ホーリーホック eスポーツチーム設立及び所属選手募集のお知らせ | url=http://www.mito-hollyhock.net/news/17575/ | publisher=水戸ホーリーホック | date=2020-02-10 | accessdate=2020-02-11}}</ref><ref>{{Cite web|和書| title=J2水戸 「eスポーツ」チーム設立へ 「さまざまな形でファンを増やしたい」 | url=https://mainichi.jp/articles/20200211/k00/00m/040/044000c | publisher=[[毎日新聞]] | author=川崎健 | date=2020-02-11 | accessdate=2020-02-11}}</ref>。 2021年3月に開催された「eスポーツチャレンジカップ2021」の優勝者・準優勝者の2名を迎え入れ4名体制となった。 2022年3月1日現在、[https://twitter.com/uraemon2003 ウラえもん]、[https://twitter.com/nomo11wacko nomo]、[https://twitter.com/novikiti_xxx novikiti]、[https://twitter.com/katounoriku りくぞー]の4名が所属している。 == エピソード == {{独自研究|section=1|date=2011年2月}} === J2参加 === J2参入初年の2000年は[[笠松運動公園陸上競技場]]が改修工事中であったため、[[ひたちなか市総合運動公園陸上競技場]]と[[日立市民運動公園陸上競技場]]の2会場を中心に主催試合を行った。そのうち、より規模の小さい日立では9試合が行われたが、その中に浦和戦のホームゲーム2試合が含まれ、公称収容人数8,464人のスタンドは浦和サポーターを中心に超満員(観衆約6,000人)となったが、ピッチ状態の悪さなどに批判が集まった。その後、日立での試合開催は2007年の1試合([[ベガルタ仙台|仙台]]戦)まで行われなかった。また、警備費用の負担という名目で水戸は浦和戦のみ各席種のチケット販売価格に通常から200円上乗せしたが、対戦相手によってチケット価格を変えるのは当時のJリーグでは珍しかった。<ref group="注">他に[[FC東京]]、[[ヴィッセル神戸|神戸]]も2段階料金制度を採っているほか、[[大宮アルディージャ|大宮]]が2007年シーズンに2段階料金制度を採用していた。</ref> === J2の主 === 水戸ホーリーホックは2000年にJ2へ加入して以来、1度も昇降格を経験することなくJ2の舞台で戦い続けており、その在籍期間は全Jクラブ中最長である。何度か降格の危機を迎えるも、その度に残留しJ2に留まり続ける姿からファンたちに「J2の主」の愛称で親しまれている。 また、総試合数、総失点数、敗戦数のJ2記録も保持しており、これらの記録は在籍期間の記録と合わせて現在も更新中である。 === 水戸ナチオ === 2003年に監督に就任した前田秀樹は、資金面、戦力面で他クラブに劣る水戸で対等な勝負をするために、徹底した専守防衛によるリアクションサッカーを導入した。DFやサイドどころか中盤、前線に至るまでほぼ全員が自陣深くに引き、攻撃はカウンター一筋で決して自分たちからは攻めあがらず、何点のビハインドを背負おうと決して前の人数を増やさずに守り続けるという、極端なまでの守備戦術である。 この戦術は、ポゼッション(ボール保持)を半ば放棄しているため、相手の波状攻撃に耐え切れずに大量失点を喫することもあったが、その分カウンターがうまくはまった時は快勝することも多く、特に攻撃的な戦術を組む上位クラブに対しては「守り切られてカウンターだけで負けかねない、侮れないチーム」という意識を植え付けることになった。また、上位だけでなく水戸以降にJリーグに加入した下位クラブにも徹底して引いたため、「[[横浜FC]]相手にリトリートするチームがあるとは思わなかった」([[足達勇輔]]横浜FC監督)、「先制して、水戸が前に出てきたら仕掛けようと思ったら、出てこなかった<ref>{{Cite news |url=http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00033276.html |title=J2:第16節 水戸vs愛媛 |newspaper=J's GOAL |date=2006-05-17}}</ref>」([[望月一仁]][[愛媛FC|愛媛]]監督)など、しばしば相手の選手や監督を驚かせた。 こうした水戸の「超守備戦術」は、いつしかイタリアの「[[カテナチオ]]」になぞらえ、一部サポーターから「'''水戸ナチオ'''」と呼ばれるようになった。元はインターネットのサッカーコミュニティから生まれたスラングであったが、徐々にサッカーファンの間で浸透し、やがてマスコミでも水戸を説明する言葉としてしばしば用いられるようになった。前田監督の最終年である2007年以降、水戸はポゼッションを高める攻撃的サッカーに方針を転換したが、今なお「水戸ナチオ」は水戸を象徴する代名詞となっている。 === サポーター主導のイベント === [[File:Hollykun.png|thumb|200px|right|ホーリーくん]] 水戸サポーターはホームゲームの勝利後に全員でラインダンスをするほか、一部選手・クラブ社長・ホーリーくんを交えての万歳三唱、アウェーゲームのゴール裏で屋台やゲームなどの夏祭りを開催する「[[納涼漢祭り]]」、前田秀樹監督を盛大に称える「前田祭り」、[[モンテディオ山形|山形]]とのゲームで必ず行われる「コール合戦」など、独特のイベントを多数開催している。 これらは基本的にクラブはノータッチ、完全にサポーター主導で行われており、特に漢祭りは「Jリーグの奇祭」として他クラブサポーターも多数参加する。詳細は「[[納涼漢祭り]]」を参照。 === 新日本プロレスとのコラボレーション === 2008年から[[新日本プロレス]]とのコラボ企画を行なっている。2月14日にひたちなか市松戸体育館で行われた新日本プロレスひたちなか大会において、ホーリーくんやチアリーダーが登場するなどして盛り上げた。6月13日の[[サガン鳥栖|鳥栖]]戦には、6月15日の水戸市民体育館で行われる[[新日本プロレス]]水戸大会の宣伝も兼ねて、サッカー経験者である[[蝶野正洋]]の始球式参加や「I am Chono!!」シートを限定販売を行った。 === ガールズ&パンツァーとのコラボレーション === ホームタウン推進協議会に属する[[大洗町]]が舞台のテレビアニメ『[[ガールズ&パンツァー]]』が2012年に放映されて人気を博したが、視聴したクラブ社長が主人公が所属する学校の立場に共感<ref>{{Cite news |url=http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13858218609977 |title=ガルパン「援護射撃」J2水戸に新スポンサー、バンダイビジュアル |newspaper=茨城新聞 |date=2013-12-01}}</ref>。製作会社である[[バンダイビジュアル]]との交渉で2013年11月10日第40節[[東京ヴェルディ1969|東京V]]戦でコラボ企画を実施<ref>{{Cite news |url=http://www.jsgoal.jp/photo/00122900/00122971.html |title=J2:第40節 水戸vs東京V |newspaper=J's GOAL |date=2013-11-10}}</ref>。2014年には同社とスポンサー契約を締結、開幕前には合同記者会見が開かれ<ref>{{Cite news|url=http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13924696535492 |title=J2水戸・ガルパン、コラボでユニホーム |newspaper=茨城新聞 |date=2014-02-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140222020147/http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13924696535492|archivedate=2014-2-22}}</ref>、以降関連グッズの販売やコラボイベントなどが活発に行なわれている<ref>{{Cite news |url=http://www.jsgoal.jp/photo/00127500/00127535.html |title=J2:第1節 水戸vs大分 |newspaper=J's GOAL |date=2014-03-02}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.jsgoal.jp/photo/00130400/00130456.html |title=J2:第10節 水戸vs熊本 |newspaper=J's GOAL |date=2014-04-29}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1405870865 |title=『ガルパン』声優陣がスタジアムでトークショーを開催! |newspaper=アニメイトTV |date=2014-07-22}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.targma.jp/hollyhock/2014/11/05/post9320/ |title=ガルパンにガンダム!ホーリーホックと人気アニメがコラボ! |newspaper=デイリーホーリーホック |date=2014-11-04}}</ref>。 == 観客動員 == Jリーグ加盟初年から長らく集客で苦戦が続き、特に2005年から2009年まで5年連続で動員数リーグ最下位を記録するなど、2010年までの年間観客動員数はリーグ下位2位以内が定位置であった。なお2000年、2004年の動員最下位はそれぞれ[[ヴァンフォーレ甲府|甲府]]、[[サガン鳥栖|鳥栖]]であったが、双方とも当時クラブの存続危機に立たされていた。2010年に最下位だった[[FC岐阜|岐阜]]はホームスタジアム・[[岐阜メモリアルセンター長良川競技場|長良川競技場]]が改修工事のためわずか3試合しか使用できず、その他のホームゲームを収容人数3,000人台の[[長良川球技メドウ]]で行なったためである。 2010年には、10月31日の[[柏レイソル|柏]]戦で「ワースト脱出!!1万人チャレンジDAY」と銘打ったキャンペーンを実施、チケット価格を値下げするなどして初めて観客1万人を達成した<ref>{{Cite news |url=http://www.mito-hollyhock.net/www/sp101031/index.html|title=ワースト脱出!!1万人チャレンジDAY|newspaper=クラブ公式サイト |accessdate=2015-10-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101101224853/http://www.mito-hollyhock.net/www/sp101031/index.html|archivedate=2010-11-1}} - 水戸ホーリーホックオフィシャルサイト</ref>。この模様はNHKのバラエティ番組「[[欽ちゃんのがんばる!日本大作戦|欽ちゃんのワースト脱出大作戦]]」でも取り上げられた<ref>{{Cite news |url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/jleague/2012/columndtl/201207300006-spnavi |title=集客ワーストからの脱却はなぜ実現したか?<前編>J2漫遊記第3回 |newspaper=スポーツナビ |date=2012-07-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140222144842/http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/jleague/2012/columndtl/201207300006-spnavi|archivedate=2014-2-22}}</ref>。 2011年は[[東日本大震災]]で被災し、[[水戸市立競技場|Ksスタ]]の修理のため19試合のホームゲームのうち実に12試合もの間7,000席分のメインスタンドを使用できなかったにもかかわらず、年間動員数は20クラブ中18位となり初めてワースト2位の壁を越えた。 翌2012年以降から年々動員数を伸ばし続けており、近年は改善傾向が見られる。 ===観客数の多かったホームゲーム=== {| class="wikitable" style="text-align:center; box-shadow: 4px 4px 4px #0075c2;" !順位!!日時!!所属!!対戦相手!!観客数!!試合会場 |- |1||2016年3月6日||rowspan="5"|J2||[[セレッソ大阪]]||style="text-align:right;"|10,420||[[水戸市立競技場|ケーズデンキスタジアム水戸]] |- |2||2010年10月31日||[[柏レイソル]]||style="text-align:right;"|10,181||ケーズデンキスタジアム水戸 |- |3||2013年6月15日||[[ガンバ大阪]]||style="text-align:right;"|10,025||ケーズデンキスタジアム水戸 |- |4||2006年8月19日||柏レイソル||style="text-align:right;"|9,482||[[笠松運動公園陸上競技場]] |- |5||2017年9月2日||[[名古屋グランパスエイト|名古屋グランパス]]|| style="text-align:right;" |9,240||ケーズデンキスタジアム水戸 |} == 決算 == 水戸ホーリーホックの決算は、つぎのとおり。 === 損益 === {| class="wikitable" |- !年度 !!リーグ !!{{abbr|収入|営業収入}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!事業費 !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|管理費|一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2005 ||J2 ||style="background-color:wheat" |310 ||81 ||50 ||103 ||75 ||style="background-color:wheat" |301 ||210 ||133 ||91 ||style="background-color:wheat" |8 ||style="background-color:wheat" |18 |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||J2 ||style="background-color:wheat" |341 ||83 ||52 ||111 ||95 ||style="background-color:wheat" |338 ||239 ||141 ||99 ||style="background-color:wheat" |3 ||style="background-color:wheat" |-2 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||J2 ||style="background-color:wheat" |301 ||62 ||43 ||130 ||66 ||style="background-color:wheat" |337 ||240 ||140 ||97 ||style="background-color:wheat" |-36 ||style="background-color:wheat" |-40 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||J2 ||style="background-color:wheat" |349 ||102 ||44 ||112 ||91 ||style="background-color:wheat" |361 ||256 ||159 ||105 ||style="background-color:wheat" |-12 ||style="background-color:wheat" |-9 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||J2 ||style="background-color:wheat" |413 ||108 ||71 ||102 ||132 ||style="background-color:wheat" |399 ||293 ||163 ||106 ||style="background-color:wheat" |14 ||style="background-color:wheat" |6 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||J2 ||style="background-color:wheat" |366 ||91 ||62 ||117 ||96 ||style="background-color:wheat" |380 ||269 ||152 ||111 ||style="background-color:wheat" |-14 ||style="background-color:wheat" |-16 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 * 人件費は事業費に含まれる。 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010] </div> {| class="wikitable" |- !年度 !!リーグ !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||J2 ||style="background-color:wheat" |436 ||135 ||60 ||105 ||37 ||99 ||style="background-color:wheat" |387 ||152 ||34 ||54 ||8 ||0 ||139 ||style="background-color:wheat" |49 ||style="background-color:wheat" |6 |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||J2 ||style="background-color:wheat" |483 ||169 ||82 ||90 ||35 ||107 ||style="background-color:wheat" |479 ||205 ||30 ||68 ||11 ||0 ||165 ||style="background-color:wheat" |4 ||style="background-color:wheat" |28 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||J2 ||style="background-color:wheat" |508 ||189 ||90 ||90 ||38 ||101 ||style="background-color:wheat" |507 ||230 ||35 ||65 ||10 ||0 ||167 ||style="background-color:wheat" |1 ||style="background-color:wheat" |4 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||J2 ||style="background-color:wheat" |518 ||167 ||88 ||92 ||45 ||126 ||style="background-color:wheat" |548 ||235 ||46 ||69 ||14 ||0 ||184 ||style="background-color:wheat" |-30 ||style="background-color:wheat" |-29 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||J2 ||style="background-color:wheat" |561 ||190 ||81 ||82 ||49 ||159 ||style="background-color:wheat" |561 ||249 ||44 ||71 ||21 ||0 ||176 ||style="background-color:wheat" |0 ||style="background-color:wheat" |2 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015] </div> {| class="wikitable" |- !年度 !!リーグ !!{{abbr|収益|営業収益}} !!広告料 !!入場料 !!{{abbr|配分|Jリーグ配分金}} !!{{abbr|育成|アカデミー}} !!物販 !!その他 !!{{abbr|費用|営業費用}} !!{{abbr|人件費|選手・チームスタッフ人件費}} !!{{abbr|試合|試合関連経費}} !!{{abbr|トップ|トップチーム運営経費}} !!{{abbr|育成|アカデミー運営経費}} !!{{abbr|女子|女子チーム運営経費}} !!物販 !!{{abbr|販売|販売費および一般管理費}} !!{{abbr|利益|営業利益}} !!{{abbr|純利益|当期純利益}} |- |style="font-weight:bold;" |2016 ||J2 ||style="background-color:wheat" |589 ||199 ||86 ||82 ||49 ||56 ||117 ||style="background-color:wheat" |586 ||262 ||47 ||71 ||21 ||0 ||42 ||143 ||style="background-color:wheat" |3 ||style="background-color:wheat" |4 |- |style="font-weight:bold;" |2017 ||J2 ||style="background-color:wheat" |578 ||195 ||83 ||144 ||49 ||50 ||57 ||style="background-color:wheat" |588 ||261 ||48 ||76 ||24 ||0 ||34 ||145 ||style="background-color:wheat" |-10 ||style="background-color:wheat" |-9 |- |style="font-weight:bold;" |2018 ||J2 ||style="background-color:wheat" |621 ||205 ||84 ||145 ||50 ||52 ||85 ||style="background-color:wheat" |623 ||275 ||54 ||79 ||28 ||0 ||33 ||154 ||style="background-color:wheat" |-2 ||style="background-color:wheat" |0 |- |style="font-weight:bold;" |2019 ||J2 ||style="background-color:wheat" |752 ||259 ||114 ||144 ||59 ||70 ||106 ||style="background-color:wheat" |744 ||321 ||63 ||94 ||29 ||0 ||52 ||185 ||style="background-color:wheat" |8 ||style="background-color:wheat" |-21 |- |style="font-weight:bold;" |2020 ||J2 ||style="background-color:wheat" |762 ||291 ||69 ||149 ||46 ||79 ||128 ||style="background-color:wheat" |791 ||335 ||67 ||73 ||16 ||0 ||68 ||232 ||style="background-color:wheat" |-29 ||style="background-color:wheat" |-27 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdf 2018]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-h31kaiji_1_20200731.pdf 2019]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r2kaiji_1_20210729.pdf 2020] </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円) |legend=凡例 |type=line |showSymbols=yes |colors=#0000aa, #00aa00, #ff8000 |y1Title=営業収益 |y2Title=営業費用 |y3Title=選手・チームスタッフ人件費 |x=2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020 |y1=310, 341, 301, 349, 413, 366, 436, 483, 508, 518, 561, 589, 578, 621, 752, 762 |y2=301, 338, 337, 361, 399, 380, 387, 479, 507, 548, 561, 586, 588, 623, 744, 791 |y3=133, 141, 140, 159, 163, 152, 152, 205, 230, 235, 249, 262, 261, 275, 321, 335 |yAxisMin=0 }} === 資産 === {| class="wikitable" |- !年度 !!総資産 !!総負債 !!純資産 !!資本金 |- |style="font-weight:bold;" |2005 ||72 ||99 ||-26 ||74 |- |style="font-weight:bold;" |2006 ||124 ||144 ||-20 ||82 |- |style="font-weight:bold;" |2007 ||112 ||128 ||-15 ||104 |- |style="font-weight:bold;" |2008 ||116 ||142 ||-25 ||52 |- |style="font-weight:bold;" |2009 ||89 ||107 ||-18 ||52 |- |style="font-weight:bold;" |2010 ||82 ||117 ||-35 ||52 |- |style="font-weight:bold;" |2011 ||153 ||133 ||20 ||77 |- |style="font-weight:bold;" |2012 ||168 ||112 ||56 ||80 |- |style="font-weight:bold;" |2013 ||161 ||101 ||60 ||80 |- |style="font-weight:bold;" |2014 ||182 ||144 ||38 ||84 |- |style="font-weight:bold;" |2015 ||160 ||119 ||41 ||84 |- |style="font-weight:bold;" |2016 ||160 ||115 ||45 ||84 |- |style="font-weight:bold;" |2017 ||188 ||153 ||35 ||84 |- |style="font-weight:bold;" |2018 ||138 ||102 ||36 ||84 |- |style="font-weight:bold;" |2019 ||235 ||194 ||41 ||98 |- |style="font-weight:bold;" |2020 ||487 ||278 ||28 ||127 |} <div style="font-size:small"> * 金額の単位: 百万円 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h17kaiji.pdf 2005]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h18kaiji.pdf 2006]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h19kaiji.pdf 2007]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h20kaiji.pdf 2008]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h21kaiji.pdf 2009]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h22kaiji.pdf 2010]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h23kaiji.pdf 2011]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h24kaiji.pdf 2012]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h25kaiji.pdf 2013]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h26kaiji.pdf 2014]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h27kaiji.pdf 2015]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h28kaiji.pdf 2016]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h29kaiji.pdf 2017]、 [https://www.jleague.jp/docs/aboutj/club-h30kaiji_3.pdf 2018]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-h31kaiji_1_20200731.pdf 2019]、 [https://aboutj.jleague.jp/corporate/wp-content/themes/j_corp/assets/pdf/club-r2kaiji_1_20210729.pdf 2020] </div> {{Graph:Chart |width=400 |height=300 |xAxisTitle=年度 |yAxisTitle=金額(百万円)|legend=凡例 |type=area |colors=#0000aa,#ff8000 |y1Title=総資産 |y2Title=純資産 |x=2005, 2006, 2007, 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